艦隊これくしょん〜放縦者たちのカルメン〜 (プレリュード)
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プロローグ

初めまして!プレリュードと申します。
着任して半年程度の初心者提督ですがよろしくお願いします。





「砲撃、きます!」

「くそっ!回避ぃー!」

「ダメです。間に合いません!」

 

直後、艦に多数の砲弾が突き刺さり、爆炎に包まれゆっくりと沈んでいく。

 

 

 

 

 

突如現れた謎の生命体により、人類は広大な海を奪われ閉鎖的な内陸に閉じ込められた。

 

 

”深海棲艦”と呼称されたその生命体から海を取り戻そうと幾度となく人類は挑み、多くの者が水面にその命を散らした……

 

 

 

 

 

絶望のなかでとある博士により発見された小人の形を模した生物、”妖精”。

 

それら”妖精”たちにより造られた少女の姿を形取った艦船、”艦娘”。

 

体内に”妖精”を宿した彼女たちの活躍により深海棲艦に対して人類は初めて勝利を収めることに成功した。

 

人類は思った。これでヤツらに勝てる。ヤツらを殲滅し、平和を取り戻せる、と。

 

 

「人類はこれより深海棲艦に対して大規模反抗作戦を開始する!ヤツらを倒し平和な海を取り戻す!」

 

その報せは世界を駆け巡り、各所において戦いの兆しが見え始めた。

 

 

 

「ここに対深海棲艦を敵対性生物とすると共に、日本海軍をこれの迎撃にあたらせることを決定する」

 

日本では深海棲艦が敵対性生物と国会において認定され、日本海軍が迎撃にあてることがほぼ満場一致で可決した。

 

 

 

「我がヨーロッパは各国をより強固な繋がりで結ぶため、今より欧州連邦政府の樹立を宣言する」

 

ヨーロッパにおいては各国が集まり、連邦政府となった。

 

 

 

「中華人民共和国とロシア連邦は軍事同盟を締結した上で今後は相互補助関係を保ち、深海棲艦と戦うことを表明する」

 

中国とロシアは同盟を組みきたる反抗作戦に備えた。

 

 

 

「アメリカ国民たちよ。いや、世界に住む全ての人間たちよ、立ち上がれ!我らの祖国のために!我らの海のために!我らの平和な世界を取り戻すために!」

 

 

 

そして来るべき日。世界対戦とまで銘打たれた反抗作戦は満を持して世界各所で同時に決行された。

 

 

 

 

 

 

そして。

 

艦娘が登場して早くも10年以上が経過した。しかし、未だに深海棲艦により海は閉ざされ、硬直した戦線をかけた消耗戦の繰り返し。

 

 

 

それでもまた今日も戦場を駆ける少女たちは何を思うのか。

 

 

彼女たちを送り出す者たちは何を思うのか。

 

 

この世界が迎えるのは希望か、それとも絶望か。

 

 

 

 

 

「さぁ、いこうか」

 

一人の男は決意を胸に戦場に向かう。誰も死なせやしない、と。

 

「しょうがないわね。付き合ってあげるわ」

 

一人の少女はやれやれと言わんばかりに、それでもそれが自分の望んだことだとその男の傍らに立つ。

 

 

 

彼らの物語が死にゆく世界の契機となることはまだ誰も知りえないことだった。



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第一章 帆波隊出撃編
提督は着任してました


 千葉県房総半島南端館山市。

 そこには駐屯地を改築した日本海軍の館山基地があった。

 

 温かな陽射しが窓から差し込み執務室にいる1人の小柄な男を照らしだし、影になっていた顔が光を浴びる。彼が少佐であることをしめす肩章のついた軍服を椅子に掛け、カッターシャツの第2ボタンまで開けたラフな姿で、4本足の椅子を2本足でギッコギッコと揺らしながら新聞紙を読んでいる。

 

 彼の名前は帆波(ほなみ)(しゅん)。ここ、館山基地の基地司令であり、館山基地所属艦隊の司令官でもある。

 ぎしっ、ぎしっと椅子の軋む音にコンコンと執務室のドアがノックされる音が混ざった。

 

「ん、どうぞー」

 

「入るわよ」

 

 ガチャリとドアを開け、執務室に一人の少女が入ってくる。

 青みがかった銀髪に燃えるような赤に近いオレンジの瞳。控えめにいっても美人な彼女だが厳密には人ではない。

 吹雪型駆逐艦”叢雲”。そう、彼女は艦娘である。

 

「また仕事サボってるの。大概にしなさいよ」

 

「優秀な秘書艦どのがやってくれないかなーと思いまして」

 

 新聞紙から顔をあげると黒の短髪と明るい茶色の瞳に悪戯っぽい笑いを浮かべた表情が叢雲の目に入った。

 

「バカ言ってないでさっさとやって頂戴」

 

 やれやれと言わんばかりにため息を溢し、叢雲が秘書艦用の椅子に座る。毎度のことだとはいえ、いい加減にしろと思わなくもない。

 

「で、なんか面白いニュースはあった?」

 

 ギシギシ揺らしていた椅子をもとに戻し、ようやくペンを手に取り書類と格闘を始めた峻を目の端に監視をすることを忘れない。働けと言っておいて、話を振るのはよくないかもしれない。だが、なにか話していないと眠くなってしまいそうなくらい陽気すぎる天気なのだ。

 

「面白くはねぇなあ。欧州で北海油田に深海棲艦が侵攻。辛くも撃退するも大損害とか、アメリカが第4次ハワイ侵攻艦隊を派遣するも道中でヤツらの攻撃を受けてまた撤退したとか、日本軍がウェーク島の深海棲艦に攻撃を仕掛けるものの固定砲台にやられて撤退とかそんなんばっかだ」

 

 カリカリとペンを動かす手は止めずに峻がさっきまで読んでいた新聞の一面の内容をつまらなさそうにざっと告げていく。

 

「深海棲艦ネタ以外はどうかしら」

 

「国際テロ組織が鎮静化したのは深海棲艦のおかげだとのたまう社説とか?」

 

「却下。もっと明るいヤツで」

 

 峻がすっと肩を竦める。今時に明るいニュースなんてそうそう転がっているものかと思いつつ、流し読みしていたページをめくる。

 

「明るい、ねぇ。動物園で象が子供産んだってぐらいしかなかったかな」

 

「果てしなくどうでもいいわね」

 

 叢雲にバッサリと一刀両断にされ、ぐはっと芝居っ気たっぷりに机に峻が突っ伏す。だがそれくらいしか見つからなかったのだ。あとはせいぜい、いつもの5分クッキングコーナーくらいのものだったのだ。

 

「ま、とにかく海上交通路(シーレーン)が完全に戻らねぇ限り明るいニュースなんてそうそう出やしねぇよ」

 

 突っ伏した姿勢からすくっと上体を起こし峻が背中を反らせて伸びをする。ぐぐっと、反った背骨が鳴った。深海棲艦が海に跳梁跋扈するこのご時世に、先行きの明るいニュースなどそうそう起きはしないのだ。

 

「はい、そこ。手を止めない」

 

「目敏めざといな、ちくしょう」

 

「こっちもそれなりにあんたのお守りやってんのよ」

 

 面白くなさそうに、だがしっかりと釘をさすことは忘れない叢雲。相変わらずその手は止めていない。対照的にさりげなくサボろうとしていた企みを看破され悔しそうな峻はまた仕方なくペンを手に取った。カリカリと紙にペンを走らせる音が再び部屋を支配する。厳格な秘書艦どのは簡単にサボりを許してくれない。

 ふわ、と峻があくびを咬み殺す。叢雲の視線が鋭くなったので、また睨まれる前に峻はペンを走らせたほうが良さそうだ。

 

 と、次の瞬間基地の警報が激しくなり始めた。

 

「叢雲、スクランブル発動。第2種戦闘配備だ。急げ!」

 

 さっきまでのダラけた態度とは打って変わり、峻が機敏に指示を出しはじめる。スクランブル。つまり敵襲だ。だらけている暇などない。

 

「了解」

 

 それだけ言うとパタパタと足音を立てて叢雲が走り去っていった。それ以上の問答は不要だった。続けてもただ無為に時間を食っていくだけ。それはただの無駄というものだろう。

 

「さて、敵はどのくらいかな」

 

 峻が執務室から司令室に駆け込みつつ首にヘッドホンのような形のデバイスを装着する。

 

 人間は脳からの電気信号を神経で伝達し、体の各部位を動かしている。

 この”コネクトデバイス”と呼ばれる装置は、神経が伝達する脳の電気信号を読み取ることができるのだ。

 これを使うことにより、人間は電子的に制御可能なものをすべて脳でのコントロールを可能にした。そのため用途は多岐にわたる。たとえば、遠方からの通信機として利用するなどだ。口をきかずとも脳からの発声命令の電気信号を、自動的に言語に変換しやりとりするので機密性も高い。また、五感の共有をすることで、映像なども周りの人間に見せることなく、しかも記憶に残っていれば閲覧することができるのもウリである。

通信を飛ばしてきたのは横須賀だった。ここ、館山基地は横須賀鎮守府の支部にあたる。

 

『館山基地、了解』

 

 通信が終わり、横須賀とのラインを切る。

 さて誰をだそうか、と峻が独りごちながら格納庫との連絡をとるために、再びコネクトデバイスから通信を飛ばした。

 

 

「聞こえるか、叢雲。報告を」

 

『クリアよ。艤装出力を30%で固定。セーフティを1番から5番まで解除。いつでもいけるわ。……ってあんたも見れるでしょう?』

 

「まあな。ただちゃんと確認した方がいいだろう」

 

 艤装にもコネクトデバイスと同様のものが内蔵されている。つまり出力だけに限らず、セーフティがかけられている状況などを離れた峻が閲覧することも可能だ。それに限らず、砲撃の管制や艤装装着者との視界、音声共有も可能なのだ。

 見えていないわけがないでしょ、という叢雲の言葉に峻は苦笑いを禁じえなかった。

 

「他も聞こえてるな? 深海棲艦の艦隊を迎撃するのはうちになった」

 

『詳細を』

 

 凛とした声で通信機越しにハンガーから女性が峻に問いかけた。この声は加賀だ。迎撃、ということは本土に近いところまで深海棲艦が接近しているということだが、さすがの貫禄というべきか冷静だ。

 

「接近してきているのは軽巡クラス2、駆逐クラス4だ。はぐれだとは思うが偵察の可能性もある。早期に叩いとく方がいい」

 

『なるほど』

 

『編成を教えてちょうだい。あんたは誰を出すつもりなの?』

 

 確認された敵艦隊は6。十分に館山にいる戦力で対応できる数と戦力だった。

 峻は頭の中で館山に所属する艦娘すべてをリストアップしていく。駆逐艦に吹雪型の叢雲と陽炎型の天津風。軽巡に夕張と矢矧。航巡に鈴谷、雷巡に北上。そして空母に加賀と瑞鶴。そして戦艦の榛名と潜水艦の伊168がいる。

 いくらなんでも戦艦や空母を出すほどではないだろう。潜水艦は相手が対潜攻撃のできる艦種の深海棲艦がいる以上は得策とはいえない。

 

「叢雲、旗艦を頼む。以下は夕張と矢矧、天津風……あとは鈴谷だな。他は待機だ」

 

『提督さん、私の出番はー?』

 

「駄々をこねるなよ、瑞鶴。だから待機なんだ」

 

 声のみだが、瑞鶴が口を尖らせている様子がありありと想像されて峻は口元に笑みが浮かべた。だが瑞鶴の望みに答えることはできそうになかった。

 万が一、背後に協力な深海棲艦が待機していないとは限らない。その時に備えて他の艦娘がいつでも出られるようにと考えた上で待機判断だ。

 

「いけるか、叢雲」

 

『どのみちやるしかないでしょ。まだそこまで接近してないけど放置するわけにもいかないんだから』

 

「いいか、はぐれと油断はするなよ。バックにやばいのがいないとも限らないんだからな」

 

 もし控えていたとしても、誰一人として沈ませるようなことは絶対にさせないが。

 



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戦闘と工廠

 

 出撃命令を受けた5人が勢いよく海へ飛び出し、単縦陣をとる。波はそこまで高くない。足元に気をつけながらの戦闘にはならずに済みそうだ。

 

「夕張。念のため対潜哨戒を。天津風は夕張と一緒にいって。矢矧と鈴谷は私と敵艦隊を叩くわ」

 

「夕張、了解ですっ!天津風ちゃん、よろしくね」

 

「天津風、了解よ。夕張、こっちこそよろしく」

 

 2人がざっと列から離れ哨戒をはじめる。潜水艦は怖い。いきなり、雷撃されて直撃などしようものならば一撃で大破、最悪は撃沈にまでもってかれてしまう。

 

「叢雲、電探に感あり。ブラボーに6、敵水雷戦隊と推定。あと10分ほどでエンゲージよ」

 

矢矧が素早く旗艦である叢雲に報告する。時間にあまり余裕があるわけじゃない。

 

「わかった。あんた、交戦許可をちょうだい」

 

『こちら帆波、交戦許可だ。目標、敵水雷戦隊。有効射程に入ると同時に砲撃開始だ』

 

「「「了解っ!」」」

 

緑の髪をたなびかせながら鈴谷は主砲を構える。その顔には余裕の色漂っていた。

 

「ねぇ、敵が水雷戦隊なら今回アタシ出る必要なくない?」

 

『念のためって言っただろ。もしもバックにえらいのがいたら時間を稼ぐために火力のある鈴谷がいた方がいい』

 

「そんなもんかなぁ?」

 

「っ!敵艦隊発見!」

 

 叢雲が目視で敵艦隊を発見。黒と白と灰色の群れがこちらを狙っていた。その瞬間にゆるゆるとしていた雰囲気が一気に締まり、鈴谷が主砲を構えた。

 もうふざけている暇などなくなった。目前に深海棲艦が迫っているのだから。

 

『総員、砲撃開始。思いっきりぶち込め!』

 

 腹の底を大きく揺らすような爆音とともに3人の主砲から砲弾が打ち出される。その様子を見た深海棲艦も回避行動をとるがイ級が1隻かわしきれずに直撃を喰らい沈み、もう一隻のイ級に砲弾の破片が突き刺さる。

 

 沈んだイ級の穴を埋めるように深海棲艦が艦列を組み直しこちらを見据えた。直後に砲撃。

 

 

「敵艦隊が撃ってきた!」

 

「回避っ」

 

 再び爆音が響き今度はこちらに砲弾が降り注ぐ。叢雲のはるか頭上を通り後方に着弾し大きな水柱が立った。それ以外の砲弾も近くに着弾し、爆風の煽りを受けた。

 

 ただの人間なら砲弾が掠めただけでどころか、爆風に煽られただけで即死だろう。ところが彼女たちは何の影響も出ない。艤装の内部にある妖精共振装置と呼ばれる装置が、艦娘の体内に宿る妖精の動きを活発化し、妖精がダメージを逃すのである。

 しかし逃しきれないダメージは体に怪我として返ってきてしまうし、もちろん艤装を装備していなければその効果も期待できない。たった一発の銃弾で死んでしまうか弱い少女に戻る。

 そしてあまりにもダメージを受けすぎると体内の妖精が死んでしまい艦娘も死ぬ。つまり轟沈となるのだ。

 それでも艦娘が艤装を装着している場合、彼女たちは深海棲艦と渡り合えるほどの力を得ることができるのである。

 

「海の、底に、消えろっ!」

 

 叢雲の放った砲弾が軽巡のホ級に突き刺さりホ級の主砲が誘爆を起こし沈んでいく。いきなり旗艦を討たれ混乱した深海棲艦の艦列が乱れ始めた。

 

『鈴谷、はぐれたイ級をやれ!』

 

「了解!鈴谷におまかせっと!」

 

 鈴谷の主砲が火を噴き群れから離脱したイ級をあっけなく沈める。装備しているものが重巡洋艦と同じ砲口径だけあってさすがの火力だ。

 

 深海棲艦たちも負けじと弾幕をはり、こちらに次々と生命を脅かす砲弾が飛来した。素早く回避行動に移るが、最初の攻撃は夾叉していた。つまりここで回避することは非常に難しい。

 

「くっ!やったわね!」

 

イ級の砲弾が矢矧に命中した。服が少し破れ左腕に血が滲んだ矢矧が痛みを堪えるかのように顔を顰めつつ爆炎の中から姿を現した。

 

『矢矧!大丈夫か!』

 

「問題ないわ。小破にも満たない程度よ。戦闘継続は可能と判断するわ」

 

『そうか。無理だけはすんなよ』

 

「えぇ。もちろん」

 

 

 その後矢矧の炎上している副砲が切り離され海に落ちる。いわゆるダメージコントロールだ。炎が弾薬に回ったら目も当たられないことになる。もちろん副砲がなくなってしまうことは痛い。だが弾薬に火が回り、艤装が大きく抉れて吹き飛ぶよりはましというものだ。

 

「たかが副砲よ。どうってことないわ!」

 

 仕返しと言わんばかりに矢矧の主砲が火を吹くとホ級に直撃し、装甲や装備を吹き飛ばす。砲撃に当たってはしまったが矢矧がやられたままでいるわけではなかった。

 

『叢雲、主砲のコントロールもらうぞ』

 

 峻からの通信と共に、叢雲に艤装の操作権が主砲だけ離れる感覚が走った。叢雲の砲塔が峻の脳波により操られ、放たれた砲弾がイ級を仕留めた。

 

 敵陣形が乱れを見せ始めた。それなりの数を落としたことが影響しているのだ。そろそろ畳み掛けるべきかもしれない。

 

 そう思った矢先に峻から叢雲に通信がはいった。

 

「ええ、了解よ」

 

 息を大きく吸い込み無線機にむかって思いっきり怒鳴った。

 

 

「総員、雷撃用意!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのころ司令室で、空中に投写されたホログラムのパネルで峻は戦闘を確認していた。矢矧に砲弾があたり、どっと峻の背中を冷や汗が流れる。

 矢矧は問題なしと言っていた。だが本当に大丈夫なのだろうか。本人が気づいていなくとも、損害がひどいというケースはままある話だ。

 

 司令室の椅子に座り、ホロウィンドウで矢矧の被害状況をみる。

 機関に問題なし。主砲に損害なし。魚雷発射管にも異常は見つけられず。副砲を一門持っていかれて炎上中。

 

 大したことがなくてよかったと胸をなでおろしつつコネクトデバイスを使い脳と矢矧の艤装をダイレクトリンク。延焼を避けるため副砲を残った土台ごと切り離しを実行すると矢矧の副砲がガシャっと切り離される。これで延焼は避けられるだろう。

 

「叢雲、主砲のコントロールもらうぞ」

 

 次に叢雲の主砲とダイレクトリンクし狙いをイ級に付ける。相対速度、風速、湿度、波高などのデータを入力していくと館山基地の演算コンピュータが適切な照準を表示し、そのターゲットの中にイ級を捉えた。

 

「てぇーー!!」

 

 峻のコントロールしていた主砲から飛び出した砲弾がイ級を仕留める。峻は叢雲の視覚情報を映したしたウィンドウで確認した。なかなか順調だ。

 

「さて、状況はどうなってるかねぇ」

 

 叢雲の視覚映像を映していたウィンドウを指でスライドして弾き、俯瞰図のウィンドウを手前に引き寄せ戦況を確認する。

 

「ホ級1隻とイ級3隻の撃破を確認。残りもホ級は中破でイ級は小破か」

 

 もう残りは半分にまで減った。これならそろそろカタをつけてもいいのかもしれない。

コネクトデバイスの通信を叢雲にいれる。

 

「こちら帆波。叢雲、止めをさすぞ。雷撃用意だ」

 

『ええ、了解よ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「総員、雷撃用意!」

 

 叢雲の号令で3人が魚雷発射管を構え狙いを付ける。

 

『放てぇ!』

 

 峻の号令で圧搾空気が解放され魚雷が深海棲艦たちに向かっていく。魚雷が放たれたと知り、急いで回避しようとするホ級。しかし機関にダメージが入っているのか、軽巡らしからぬノロノロとした動きしか出来ない。放射状に放たれた魚雷の網から逃れられず大きな水柱をあげ沈んでいく。

 

「ホ級の轟沈を確認。イ級はなおも活動中よ」

 

 淡々とした叢雲の状況報告を聞いた矢矧が主砲を構える。素早く照準を定めて、砲撃。

 

「さっきのお返しよっ!」

 

 爆音が轟き、放物線を描いた砲弾がイ級に命中。最後まで残っていたイ級が炎上しながら沈んでいった。

 これで最後だ。周囲には3人の艦娘と広がる海だけが残された。

 

「戦闘終了。残存勢力はなしよ」

 

『了解。みんなお疲れ。帰投してくれ。艤装はハンガーにおいておけよ。あと医務室に行って体に異常がないか見てもらうこと』

 

「わかったわ。総員、これより帰投するわ」

 

 蒼い海に白い航跡を残しながら3人が基地に向かう。しばらく航行していると2つの人影が近づいてきた。わずかに叢雲が警戒に身構えるが近づく影がはっきりと見えるようになるとその警戒を解いた。

 

「いやー、私たち見事に出番ありませんでしたねぇ」

 

 夕張が笑いながら天津風と共に合流した。潜水艦の妨害はないどころか、そもそもいなかった。つまり夕張たちは出番がなかったわけだが、それでも対潜哨戒は大事だ。

 

「ホントよ。潜水艦なんていなかったし砲戦参加したかったわ。ね、連装砲くん」

 

 文句を言いつつ天津風の固有装備、連装砲くんをなでる天津風。だが天津風も本気で入っているわけではない。だから誰もたしなめようとは思わなかった。

 

「ま、とにかく基地に帰るわよ」

 

 叢雲が指示を出し5人が帰投を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うん。矢矧くん以外は大した怪我もないし自由にしていいかな。矢矧くんは少しここに残りなさい」

 

 すこし小太りで年老いた男の医務長の指示により矢矧以外がゾロゾロと医務室を出て行く。基本的に艦娘を診る軍医は枯れた年寄りか女性と相場はきまっているのだ。

 

「さて、矢矧くん。きみも大した怪我ではないみたいだから高速修復材までは使わなくてもいいみたいだね。消毒だけしたら入渠風呂に入っていればすぐ治るよ」

 

「はい、先生。ありがとうごさいます」

 

「すこし消毒液がしみるが我慢してね?」

 

 消毒液が矢矧の左腕の怪我にかけられピリピリとした痛みがくるが気にしない。これしきは砲撃が当たった時の痛みと比べれば大したことはなかった。

 

「うん、これで完了だ。入渠しておいで」

 

 ゆったりとした声が掛けられ、座っていたスツールから立ち上がり、一礼をし矢矧も医務室から出て行く。向かう先は入渠風呂だ。

 

 風呂といってもただの風呂ではない。特殊な薬液の入った湯で体内の妖精の治癒活動を促すことで身体の怪我を治す。

 高速修復材とは、この薬液の高濃度版で体内に直接取り込むことにより、瞬く間に怪我を治せる。摂取する方法は注射タイプが一般的だ。けれど副作用が出る場合が多いため、よっぽどの時しか使われない。

 

 脱衣所で服を脱ぎ、バスタオルを巻いて浴場に入る。風呂にちゃぷんと浸かると程よい温かさが体を包んだ。

 

「ふぅー」

 

 弛緩した矢矧の声が入渠風呂の壁に反響する。スラリとのびた長い脚を上下に動かすとちゃぷちゃぷとお湯が揺れた。風呂に入っているだけで怪我が治る。実に楽だ。普通ならば何日も入院しなくては治らない怪我が、入浴するだけで治るのだから。

 ただひとつ。この方法は時間がかかるのだ。贅沢な悩みではある。だが正直に言わせてもらうならヒマすぎて時間を持て余すのだ。

 

「治るんだから文句は言えないけど、ね」

 

 矢矧がちゃぷりと肩にお湯をかけた。じんわりとしたぬくもりが肩から全身に広がっていく感覚は心地いい。ついうつらうつらとしてしまう誘惑と戦うことはなかなかに難しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのころ峻は司令室から執務室に戻り、叢雲の報告を受けていた。相変わらずギシギシと椅子を傾けている。だが叢雲が口を開いた瞬間、すぐに峻は傾けていた椅子を元に戻した。

 

「矢矧が小破、それ以外は損害なし。敵艦隊は殲滅を確認したわ」

 

「そうか。お疲れさん。あとは休んでていいぞ」

 

 ガタッと椅子から峻が立ち上がり上着を肩に引っ掛ける。その動きからは疲れの様子が全く見えていない。これでも峻はついさっきまで戦闘の指揮をしていたのだ。戦闘は同時に戦闘する艦娘の装着するすべての艤装状態を確認しつつ、場合によっては艤装の砲撃管制などにも介入する。

 つまり疲労が溜まっていないわけがない。けれども峻はそんな様子を微塵と見せることはない。

 

「俺はちょっと工廠に行ってくるから」

 

 それだけ告げると峻は颯爽と執務室から去っていくと、叢雲は夕陽が差す執務室に一人残された。

 

「ま、休んでろって言われたけど別に疲れてないし」

 

 叢雲が机の上の書類に手を伸ばし、ペンを握る。あれくらいの戦闘は叢雲にとってなんでもない。かなり余裕が残っているのだった。戦闘は全力でやった。だが余力はいくらか残していた。強力な艦隊が背後に控えていた場合に叢雲は引きつけて時間を稼ぐつもりだったからだ。

 

「あいつは今から工廠で整備だし、書類仕事くらいやっておいてあげてもいいかしらね」

 

 出来れば夕食までには終わらせたい。あと2時間ちょっとくらいだろうか。意外と時間がない。

 工廠で整備をするのなら書類仕事に手を回している余裕はないはずだ。そしてやらずに放置しておけばただ溜まっていく一方になる。

 

「こんなんだったら戦闘の方がよっぽど楽ね」

 

 先まで握っていたマストをペンに変えて叢雲は秘書艦の椅子に腰を下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 峻は工廠のロッカーに入れておいたツナギに着替え、油臭い工廠の奥に踏み入った。

 

「あ、提督。くると思ってましたよ!」

 

 くるりと振り返りにこやかな笑顔を見せるピンクの髪が特徴的な工作艦”明石”が手招きする。

 

「手伝いにきたぜ。ていうか夕張、お前さっき出撃だったろ。休んでていいんだぞ」

 

「いえいえ、私は損害ゼロでしたし、これも趣味みたいなものですから十分に休憩ですよ」

 

「ならいいんだけどな」

 

「提督こそ、半分趣味みたいなものでしょう」

 

「一応俺はここの司令官および技術士官なんだがな」

 

 苦笑しながらどっこいしょと明石と夕張の近くに腰をおろす。兼任という形は珍しくはある。というよりもほとんどいないだろう。だが現状の海軍は人手不足だ。それにより、いちおう認められていることではある。

 

 

「とりあえず矢矧の艤装からやるか。明石、引っ張ってきてくれ」

 

「了解ですっ」

 

 明石が手元の機械をいじるとハンガーから矢矧の艤装がクレーンで隣接した工廠へゆっくり運ばれてくる。ガション、と機械的な音と共に整備台の上に下ろされた。

 

「んー、大したことはないですね。副砲周りの補修と副砲の取り付けで完了って感じです」

 

「じゃ、私は換えの部品とか持ってきますね」

 

 夕張がちゃきちゃきと動き始め、明石が副砲周りの壊れた部位を素早く外していく。

峻は矢矧の艤装の保護カバーをはずし端子に持参したパソコンから延びるプラグを刺しこむ。

 

 

「姿勢制御システム正常に稼動。浮力力場発生装置異常なし。機関コントロールシステム問題なし。妖精共振装置の正常な動作を確認。火器管制システムの副砲部分だけ直しとくか」

 

 パソコンに表示されていく艤装のコントロールシステムを確認。すべて問題ないことを確認するために次々と開かれるウィンドウに目を走らせていく。切り離した副砲のコントロールシステムは元々あてていた物のバックアップをコピーして叩き込んだ。

 

「提督、副砲周りの補修は終わりました。あとは副砲の取り付けだけです。そちらはどうですー?」

 

 明石が副砲を仮固定しながらこちらの進捗具合を聞いてくる。もう副砲周りの補修は片付いたらしい。

 

「こっちも矢矧のシステムメンテナンス終わったぜ。異常なしだ」

 

「相変わらず早いですねー」

 

 副砲の土台を固定しながら夕張が感心した様子で峻を覗き見てくる。だがしっかり手を動かすことは忘れない。そこはしっかりしているからこそ、夕張を信用して作業を明石は任せているのだろう。

 

「夕張ー、ここの区画お願い」

 

「ん、わかったー」

 

 夕張と明石の方も順調らしい。流石だ。仕事が早い。この様子なら他も一気にやれてしまいそうだ。

 

「明石、出撃したやつらの艤装ぜんぶ工廠に入れてくれ。一応メンテナンスしておこう」

 

「はい!いま入れますね」

 

 ギャリギャリギャリと喧しい音を立てながら残りの4つの艤装が工廠に入ってくる。

 

「まずは、鈴谷のから見てくとするか」

 

 矢矧の艤装からプラグを抜き、鈴谷の艤装の保護カバーを外して刺しこむ。明石と夕張は艤装の損傷がないかをチェックしていく。

 幸いなことに他の艤装には目立った破損が見当たらなかった。そのせいかしばらくすると暇を持て余し始めた2人が峻のパソコンの液晶をぼんやりと眺め始めた。

 

「明石も夕張も終わったみたいだし先にあがってていいぞ」

 

「提督はどうします?」

 

「俺は艤装のシステムの確認だけしたらあがるわ」

 

「じゃ、お先に失礼しますね」

 

 そう夕張が告げると2人が工廠から出て行く。おそらくシャワーでも浴びに行ったのだろう。先にあがれるほど早く片付いたということはそれだけ損害がないということ。なんともうれしいことだった。

 そんなことを思考しているうちに鈴谷のメンテナンスも終わった。

 

「さて、と。次だ、次」

 

 今度は天津風の端子にプラグを差し込む。その後も工廠にキーを叩く音が響くのだった。




後書き書き忘れた……

こんな感じでやってきます!
誤字やなんかこれ意味ちがうなーとかは気軽に言ってください。感想もお待ちしてます。

にしても戦闘描写って結構難しいんですね…


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軍規?なにそれおいしいの?

4話目です!
帆波さん、働きましょうよ…
↑ならそう書け


館山基地の朝は遅い。

 

本来ならば6時に総員起こしをかけ、集合した後に朝の体操、そして点呼という規則が存在するはずだが館山基地にはそれがない。

なぜかというと峻が以前言った、

 

 

「6時に総員起こしとか俺が眠いし、面倒臭い」

 

 

という鶴の一声?的な言葉により朝の点呼は8時の朝食の時間に同時にすることが決まり、体操はしなくなり、結果ここにおいては軍規の一つが消し飛んだのだ。

 

確かに朝早く起きる者は減ったが、それでも朝早く起きる者は少ないもののいるのだった。

 

 

太陽が昇り、海が朝日を反射してキラキラと輝く。埠頭にたったったと軽快な足音が響いていた。いつもは髪留めだけの長い黒髪を結び、ジョギングをする彼女は戦艦”榛名”の艦娘だ。

 

 

「ふぅ。あと一周っ!」

 

「おはよう。精が出るわね榛名。……くぁ」

 

ペースを落とすことなく走る榛名に後ろから走ってきた叢雲があくびを嚙み殺しながら併走する。こちらも髪をくくりあげポニーテールのような髪型になっていた。

 

「おはようございます、叢雲ちゃん。なんだか眠たそうですね」

 

「この前深海棲艦の水雷戦隊が哨戒線に引っかかってうちが迎撃したじゃない」

 

「ああ、ありましたね。大した戦闘ではなかったはずですけど」

 

「ええ、それは問題ないのよ。問題はあいつが報告書のまとめの提出期限をぶっちぎって横須賀から早く出せってせっつかれたから昨日遅くまで書類まとめてたのよ」

 

もう一つあくびを嚙み殺しながら顔をしかめる。

 

「あはは……それは…なんというかお疲れ様です」

 

「まったくよ。あいつもちょっとはやりなさいっての!」

 

「帆波少佐はやらなかったんですか?」

 

「工廠で艤装弄ったり、なんか開発したりしてるわ。承認判渡されてるから私だけでできるからいいけど」

 

「少佐にとても信用されているんですね、叢雲ちゃんは」

 

 

 

承認判を託すというのは基地のほぼすべてを託したのと等しい。判一つですべてが基地司令のお墨付きとなるからだ。

 

 

 

「ただ、押し付けられてるだけなんじゃない?」

 

「だとしても信頼してなければそんなこと出来ませんよ。以前に言ってましたよ、『あいつならすべて任せても問題ない。なんたってとびきり優秀で最高に頼れる俺の右腕だ』って」

 

「………………ふぅーん。そう」

 

素っ気ない態度を取りながらも耳が赤いのを榛名は見逃さなかったが、ここでは言わないことにした。

 

(後で少佐を軽くからかいながらも少しは仕事するよう言っておきましょう)

 

 

峻は実は似たような内容なら言ったことはあるが、ここまでは言ったことはない。実は榛名がすこし創作を加えて誇張しているが叢雲はそっぽを向いていて気づいていないようだ。

 

大げさに言っていることをおくびにも出さないでニコニコしている榛名は、実は結構いい性格しているのかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、承認判よ!報告書は横須賀に今朝送っといたわ!」

 

朝食後に執務室で峻の机に判子を力強く叩きつける。

 

「いい、今後はちゃんと報告書の提出期限を見ること!あと私に全部やらせるな!」

 

人差し指で峻の顔をビシッと指差す。

 

「悪いな、叢雲。艤装の新しいプログラムを明石と組んでたらすっかり忘れちまってて」

 

対する峻は手刀を切りながら平身低頭で謝罪をしていた。

 

「本当にわかってるんでしょうね⁉︎」

 

「いや、今回はマジで悪かった。全部押し付けるつもりはなかったんだ」

 

「ふん!どうだか」

 

ヤバい。完全に怒っていらっしゃる秘書艦どのをどう宥めるか思案を巡らす。

 

「あー叢雲さんや、叢雲さんや」

 

「………なによ」

 

「なんか奢るから許してください」

 

結論。土下座。

 

 

「あんたにプライドって言葉はないの⁈」

 

「だってお前ガチで怒ってるじゃん!それにいくら頼れるからとはいえ全部やらせちまった俺が悪いし」

 

床に額を擦り付け詫びを請う。

 

「あんたねぇ…はあ。ま、いいわ、もう」

 

 

今朝、榛名に言われたことを『頼れる』のひとことで思い出してしまい、ニヨニヨしているのを頭を下げたままの峻に見られなかったのは僥倖だったと叢雲は密かに思っていたが、そんな内心に峻は気がつくことはなかった。

 

 

「あ、もうその芝居くさい土下座やめて。見てるこっちが恥ずかしいから」

 

「あらま。名俳優の道はまだ遠いな」

 

軽口を叩きつつ立ち上がり、軍服をはたき埃を払う。

 

「大根役者は引っ込んでなさい」

 

「手厳しいツッコミをどうも」

 

そう言うと執務室に2人の笑い声が響いた。

 

ひとしきり笑うと叢雲がふと真面目な口調にかわる。

 

「あ、そうそう。一週間後に演習の申し込み来てたの確認したでしょうね」

 

「えっ、そんなの知らな…ちょ、待て!酸素魚雷を取りに行こうとするな!確認する!確認するから!待てって!いえ、待ってください!」

 

冷たい表情で艤装を取りに行こうとする叢雲にわめき声の主がもう一度全力の土下座を敢行していた。

 

今日も館山基地は平和だった────

 

 

 

とはいかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふんふんふーん」

 

伊168ことイムヤが鼻歌まじりに基地の近海で潜っていた。水中なのでトレードマークのアホ毛は鳴りを潜め、長い髪がゆらゆらと海中に揺らめく。潜っているのは特に任務などではなく、暇つぶしだ。艤装の貸し出し許可が必要なので練習航海という名目は取っているが。

 

 

「ここは気楽でいいわ〜。トップが緩いからこういう融通も効きやすいし」

 

のんびりと海底を泳ぎ海草や魚たちを眺める。

深海棲艦の出現で漁業関連は大打撃を受けたが、そのおかげで海の環境が良くなっているというのはなんという皮肉だろうか。

 

 

「ちょっと外海に出すぎたかしら。そろそろ────ん?」

 

ソナーが反応。海上になにかしらの物体、それも自然物ではないものが浮かんでいることを示す。

途端にイムヤののんびりとした雰囲気が替わり、目に警戒の色が宿る。

 

「さっきから動きがない。漂流してる?」

 

警戒しながらゆっくりと浮上。徐々に対象物が視界に入ってくる。

 

「あれは…まずい!急いで基地に連絡しないと!」

 

漂流していたなにかを確認し、ぎょっと目を見開く。浮上速度を上げ急いで海上に飛び出した。

 

漂流していたそれは人間だった。

傷だらけで意識がない、今にも力尽きそうな少女だった。




少し話が動き始めます。
感想、評価はお気軽にどうぞ。


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凶変の兆し

前回話が動くとか言っとて全然動いてないことに今更気づく。
今回も動いてるのかなー。動いてないですね。
とにかく投下。





「急にミーティングルームに集まれって言われたけど何事?」

 

不信感を隠しきれずに瑞鶴が峻に聞いた。

 

 

ミーティングルームには基地の所属している艦娘、伊168を除いた10名、加賀、瑞鶴、榛名、北上、鈴谷、矢矧、夕張、天津風、明石そして叢雲が揃っていた。

 

 

「さっきイムヤから緊急通信があった。友軍と思われる艦娘が漂流しているのを練度航海中に発見したそうだ」

 

「漂流とは?現在どのような状態かしら」

 

加賀が目を閉じ、眉間にしわを寄せたまま壁に背を預ける。

 

「漂流してる艦娘は意識がないらしい。怪我も酷いとのことだ。それ以外はイムヤが錯乱してるのかうまくわからなかった」

 

「……それヤバくない?」

 

机に顎をつき、ダラけた顔から緊迫した表情に北上がかわる。

 

「あぁ、だいぶヤバい。今から俺は埠頭でイムヤを待つ。矢矧、担架を持って来てくれ。天津風は医務長に連絡して埠頭まで来るように伝言。加賀と瑞鶴は艦載機をすぐに飛ばしてイムヤの周りに直掩を出すんだ。艦娘が酷い怪我ってことは恐らく戦闘後だろう。追撃がいたら厄介だ。その他は万が一の時に備えて艤装を装着して待機。指示は俺か叢雲に聞け」

 

「あのー、私は……」

 

おずおずと手を挙げる明石。

 

「明石は工廠で待機だ。漂流してる艦娘の艤装を治さにゃならん」

 

「他に質問はあるか?」

 

ぐるっと部屋を見渡す。全員が引き締まった顔つきで待っている。

 

「よし、ないな。各自行動開始!」

 

「「「「了解!」」」」

 

全員がそれぞれの指示された持ち場へ飛び出していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

峻は埠頭に辿り着くとすぐに海の向こうからやってくるイムヤの姿が見えた。背中に少女を背負ったままコンクリートの上にあがる。

 

「おい、イムヤ。その子の様子はどうだ?」

 

「わかんない。でも目を開けないの!」

 

横たわらせた少女の隣でイムヤが目を潤ませ、しゃっくりをあげる。

 

「ちょっとどいてくれ」

 

急いで駆け寄り未だ意識なく倒れる少女のピンク色の髪に隠れた首に手を当てる。

 

(脈は…弱いな。呼吸は…浅いか。こりゃだいぶマズイぞ)

 

よく見るとスク水が破れて露わになった肌の各部にに金属の破片が食い込んでいる。

 

(この格好だと潜水艦か。潜水機能はこれだと死んでるな。よくここまで生きて来れたもんだ)

 

 

「提督、担架持ってきたわ!」

 

「医務長を連れてきたわ!」

 

矢矧と天津風が大慌てな様子で駆け寄る。

 

手早く脈を図り、強心剤の点滴などを医務長が施していく。

 

「うん、これはよくないね。担架に移してすぐに緊急治療室に運んで」

 

「わかりました。矢矧、片方持ってくれ」

 

矢矧が足を、峻が肩を持って担架に移し、運び始めた。

 

「帆波少佐、高速修復材の使用許可を頂きたいんだかね」

 

「構いません。申請はこっちでやっときます」

 

担架を小走りで矢矧と運びながら頷く。

 

 

「この子は、ゴーヤは治りますか?」

 

集中治療室へ向かい走りながらイムヤが必死の形相で走る医務長の裾を掴み、引っ張った。

 

医務長がふっと息を吐き穏やかな表情になり足を止めてイムヤの顔を見る。

 

「君たち艦娘の戦いが深海棲艦との戦争ならね、僕の戦いは患者の命を救うことだ」

 

医務長の穏やかだった表情が再び引き締まり、目に闘志が宿った。

 

「大丈夫。必ず救ってみせる」

 

それがボクの仕事であり戦いなのだから。

 

 

彼は彼自身の戦場に赴き彼自身の戦闘を始める。人命を救うという彼の信念に従って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イムヤ、あの子の名前は伊58であってるんだな」

 

泣きじゃくるイムヤをなだめて尋ねた。

 

「うん、前に一緒に出撃したこともあるから間違いないわ」

 

「そうか…イムヤ、お前は伊58をここで待っててやりな」

 

イムヤを軽く押して集中治療室の廊下にある長椅子に座らせた。

 

「提督は?」

 

「俺はちょっと調べ物があるから外すわ。なんかあったらすぐに連絡しな」

 

そう言い残すとと峻は執務室に向けて駆け出していく。

 

走りながら首のコネクトデバイスの電源を入れて軍のデータバンクに接続した。

 

 

 

データバンクには6つのレベルが存在し、レベルが高ければ高いほど機密性の高い情報が存在する。

例えば、レベル6にもなると軍本部の元帥と4人の大将のみが閲覧可能な情報となる。もしも漏れれば国家を揺るがす事態になるだろう。

現状で峻が閲覧できるのは基地司令権限を利用してレベル4までである。

 

 

 

データバンクとの接続を確認すると、艦娘の情報が存在するレベル3のアーカイブに入り伊58の名前を探した。

 

(あった!伊58、潜水艦。所属基地は銚子基地か。特に問題も起こしてないな。…ん?)

 

少し待て。おかしい。なぜ伊58は轟沈扱いになっている。ならここに流れ着いたのはなんだ?

 

(イムヤの勘違いか?いや、ないな。一緒に出撃したこともあるなら間違えることはないだろう)

 

異変を感じて轟沈したことになっている戦闘の記録(ログ)を漁り覗いてみる。

 

(おいおい、潜水艦を偵察でもないのに単艦で突っ込ませるとか何やってんだ。しかも敵艦隊は攻撃の仕方から判断するに対潜艦隊じゃねぇか。なのに支援艦隊も撤退命令も出してない)

 

どれだけ低脳でも撤退くらいはさせるだろう。

どうにもきな臭い。ついでに銚子基地について調べてみた方がいいかもしれない。

 

(千葉県の銚子基地。基地司令は矢田惟寿大佐か。戦果は出してるとこみると指揮官としての腕はそれなりってところだろ。ただあんましいい噂は聞かない人だな)

 

 

他にも調べてみようと思い、ひとまず銚子の所属艦からチェックしていると執務室のドアがノックされた。

 

「どうぞー」

 

「入るわよ」

 

叢雲がいつもの調子で執務室に入ってくる。

 

「報告よ。一応周りの海域を索敵機が見たけど、伊58を襲ったとみられる深海棲艦の艦隊は見つからなかったわ。……って何調べてるの?」

 

「んー、銚子基地ってところを少しな」

 

「へぇ、あんたにしては感心ね。演習相手の下調べなんて」

 

「ああ、まあな………待て、演習相手だと?」

 

生返事しかしてなかったが、叢雲の一言でふと我にかえった。

 

「ええ、一週間後にうちに演習の申し込みいれてきたのは銚子基地の矢田大佐よ」

 

「おい、マジかよ」

 

「大マジよ」

 

一週間後の演習相手である基地に所属している艦娘が轟沈扱いになった後、うちに流れ着いた。どんな偶然だ、これは。

 

「叢雲、基地に箝口令(かんこうれい)を敷く。あいつらにはちょこっと口添えしといてくれ」

 

「……理由を聞いてもいいかしら」

 

器用に片方だけ眉をつり上げて尋ねられる。

 

「正直なところまだ直感の領域を出ねえからなんとも言えん。ただなんとなく嫌な予感がするってレベルだな。なんもないならすぐに解除する」

 

「……わかったわ。みんなには私から言っとく。ただ全て終わったら教えなさいよ。たとえあんたの勘が外れたとしてもね」

 

「了解だ。とにかく頼むぜ秘書艦どの」

 

「任せなさい」

 

ひらひらと手を振って了承の意思を示すとしっかりと回れ右をして、執務室から出て行った。

 

(もうこれで口止めは問題ないな。だが、これ以上探ってなんか出てくるもんかね)

 

次のアーカイブに移ろうとした時、基地内線がなった。場所は医務室からだ。

 

 

『帆波少佐、あの子の手術は無事に終わったよ』

 

「そうですか!お疲れ様です」

 

『まだ意識は回復してないけどすぐに戻ると思うよ』

 

「あの、後遺症などは……」

 

『ないよ。刺さっていた破片も綺麗に取り除いてから高速修復材を使ったから傷跡も残らないだろうね』

 

「ありがとうございます。意識が戻り次第連絡をください」

 

『了解したよ。それじゃ』

 

通信がぷつりと途絶えた。一人の執務室が静まりかえる。

 

(伊58が目覚めるまで詳しいことはなんもわからねえな)

 

 

椅子の背もたれに深くもたれかかり、頭の後ろで手を組んだ。一度目を閉じて数秒そのまま、そしてカッと目を開いた。

やれることだけやっておこう。

 

もう一度銚子基地を詳しく調べるために、峻はデータバンクに再接続した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと、夕食後すぐで悪いんだけど聞いてもらえるかしら」

 

夕食を艦娘全員が食べ終わったタイミングを計って声をかける。頼まれた件をみんながちょうど集まっているこの時に済ませておこう。

 

「えっと、今日の艦娘が流れ着いた件だけどしばらく他には言わないで欲しいのよ」

 

「それはつまり、箝口令(かんこうれい)を敷くってことですか?」

 

怪訝な様子で榛名が尋ねた。疑問も当然ね。案件だけでいえばその艦娘の所属基地に連絡を一本送るだけで済む問題だし。

 

「その通り。これはあいつの判断よ」

 

「ふーん。まあ口にしっかりチャックしとけばいいんだよね」

 

簡単に言うわね、鈴谷は。ま、あってるけど。

 

「理由は教えてもらえないのかしら?」

 

「残念ながら私も教えてもらってないのよ」

 

矢矧が眉をひそめながら湯のみからお茶をぐいっと飲んだ。

 

「まあ構わないわ。何かあるからそういったんでしょう、提督も」

 

納得してくれたみたいだ。矢矧が飲み終わった湯のみを流しのシンクに置き、食堂のドアに手を掛けた。

 

「とりあえず了解したわ。私はもう部屋に戻るから。お風呂の準備もしなくちゃだし」

 

そう言い残すと矢矧が食堂から出て行く。他の艦娘たちもばらつきはあるものの、順々に食堂から出て行った。

叢雲は食堂でひとり、顎に軽く手を当ててウロウロと歩き回る。

 

 

今回の件において銚子基地が関わっていて、何か問題がありそうだったからあいつかが箝口令を敷いたのは間違いない。銚子の矢田大佐の名前を聞いた瞬間、顔色が急に変わり目に見えて驚いていた。

 

(でもそれと伊58がどう関わってきてるのかわからないのよね)

 

叢雲には軍のデータバンクに接続する権限は普段与えられていない。たまに峻の許可をもらって覗いたりはしているが。

 

「うーん」

 

データバンクを見れない状態ではろくな情報源がない。結局は峻に任せるしかないだろう。

 

当てていた手を下ろし、自分の湯のみを流しに置いてくる。

食堂の電気を落として自室に戻ることにしよう。

 

 

だんだんと夜が更けていく。各部屋の電気が消えていく中で執務室の電気が消えることはなかった。

 

 




はい、動きませんでした。まだかかるかもしれません。
ゆっくりやっていくのでお付き合いいただけたらと思います。
感想などはお気軽にどうぞ。それでは!


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秘書艦と提督


本日2回目の投稿です。

それでは行ってみましょう!


 

カツカツと歩く音が、朝日の射し込む廊下に反響する。向かう場所は執務室だ。

 

(寝る前まで考えたけどあいつが何を懸念してるのかは、わからなかったわね)

 

 

早朝のランニングをして、シャワーを浴び、その後食堂で朝食を食べる。それが叢雲の朝の日課だった。

しかし、今日は少し問題が発生していた。

 

(食堂にあいつがいなかったのよね)

 

そう、食堂での点呼に峻がいなかったのだ。別に過去に例がなかった訳ではない。執務を溜め込みすぎて顔を出せなかった時や、ただ単に寝坊して来なかったりという、馬鹿馬鹿しい理由の時が多いが、

 

(昨日の伊58のことで何かあったのかしら)

 

ボロボロで漂流してきた伊58のことで何かあったのか、そんな懸念が頭を離れない。

 

「ひとまずは、あいつに会わないと」

 

 

そんな訳で朝食を食べてから執務室に向かっていた。

実は食堂に峻がいなかったのを見て、朝食を食べてないから心配して来たいう裏があるのだが、本人は意識しないようにしている。

 

執務室の前に着くと意味もなく軽く咳払いをし、ドアをノックした。しかし返答が返ってこない。

 

(いつもならここにいるはずなんだけど)

 

そう思いながらノブを回しドアを開けて入室する。

 

「あっ……そういうことね」

 

なぜ返答が返ってこないかの理由がわかり、思わずクスッと笑った。

 

 

そこには執務室の机のうえに散乱した資料と立ち上げたままのホロウィンドウと、資料に突っ伏して寝ている峻の姿があった。随分とぐっすり寝ているのか側に叢雲が寄っても起きる素振りも見せない。

 

 

(夜遅くまで調べ物してて、そのまま寝落ちしたってところかしら)

 

規則正しい寝息を立てている峻の下に轢かれている資料を見ないように注意して、片付けていく。

 

 

(まだ言わない、でもいずれ教えてくれるなら今はまだ私は知らないままでいいわ)

 

ウィンドウも見ないようにしてすべて閉じて、首のコネクトデバイスを取り外し、机の端に置いておく。

 

 

本当ならばすぐ隣の、執務室と直結した仮眠室のベットまで峻を運びたかったが、起きてしまいそうなので、毛布を持ってきてかけておくだけに留めた。

 

 

「あとは一言残しておけばいいわね」

 

メモを一枚ちぎり、手近にあった適当なペンを走らせ、書いたメモを寝ている峻の目の前に置いておく。

 

 

 

《調べ物ご苦労様。内容は覗いてないから安心なさい。朝食は確保しとくから後で食堂であっためてから食べること。

叢雲より》

 

 

 

「さて、あとは朝食を確保してこないとね」

 

ドアを音を立てないように慎重に閉め、今度は食堂に向かっていった。

 

 

そのわずか5分後に、食堂で峻の朝食を確保しようとしているところを、ニヤニヤ笑いを浮かべた鈴谷と瑞鶴に

『提督の嫁さんは流石ですなぁ』

とからかわれ、顔を真っ赤にした叢雲が

『私はただの秘書艦よ‼︎』

と叫びながら2人をぶっ飛ばした後に簀巻きにし、天井からぶら下げ放置したのは完全に余談だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「む…うぅん」

 

叢雲が出てってしばらくすると、峻は目を覚ました。机に突っ伏したままの体を起こすと毛布がふわりと床に落ちた。

 

(叢雲が掛けてってくれたのか)

 

相変わらずできた秘書だ。さりげなくメモを残して朝食を確保していることを教えてくれるあたりが特に。掛けてくれた毛布を叩き執務室のドアから仮眠室に向かい、ベットに戻しておいた。

 

(資料とかも見ないように片付けてくれたみたいだしな)

 

 

机の上に寝落ちする前に見ていた資料が綴じられたファイルを本棚に戻し、机の端に置いてあったコネクトデバイスを首に装着し直し、電源をいれた。

 

(時間、時間っと…10時ちょい前か)

 

首を回して骨を鳴らしながら時計を確認する。昨夜はたしか夜中の4時前後を最後に記憶が途切れているのでだいたい6時間ほど寝ていたことになる。

 

「せっかく叢雲が朝飯を確保しといてくれたんだ。食いに行くとするか」

 

 

だが、食堂に行く前に身だしなみを軽く整えにかかった。隣の仮眠室で着替えをし、軍服を羽織り、はねた髪を整える。顔を洗ってすっきりしてから食堂に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食堂でラップのかけられた自分の朝食のお盆を見つけ、席に座るとさっそく箸をとって食べ始めた。

 

味噌汁を啜っていると目の前に加賀がすわった。

 

「おはようございます」

 

「ん、おはよう」

 

「昨夜は遅くまで起きていたようですが」

 

「まぁ、ちょっと調べ物を、な」

 

「それで寝坊、ですか。大概にしてほしいものね」

 

「それを言われると弱いんだよなあ」

 

食べる合間合間に加賀の質問に答えていく。加賀も問う合間を縫ってお茶を飲んでいた。

 

 

 

 

「提督さーん、提督さーん」

「提督ー、提督ー」

 

 

 

 

「私たちにはその調べ物の内容を教えてはもらえないのかしら」

 

「叢雲にも言ったが、物的証拠は何もないことだからな」

 

 

 

 

「ちょっとー」

「ねぇー、提督ぅー」

 

 

 

 

「…どうしても教えられない、と」

 

「あぁ、どうしてもだ。」

 

峻は朝食を食べ終わったので箸を置き、ふぅと息を吐いた。

 

「別にお前たちを信用してないわけじゃねぇよ。ただ、俺にも立場と事情があってな。頭の回転速い加賀ならわかってくれるだろ?」

 

「…その言い方は卑怯よ」

 

「そう言いながらもちゃんと退いてくれるのはいつも助かってる。ところでさ」

 

「なにかしら」

 

きょとん、と首を傾げる加賀に一言どうしても聞きたいことがあった。人差し指を立てて、天井付近を指差す。

 

「なんで瑞鶴と鈴谷は簀巻きにされて天井からぶらさげられてんの?」

 

「あれは自業自得よ」

 

「助けねぇのか?」

 

「多少は罰があった方がお調子者の五航戦と重巡にはちょうどいいと思ったので」

 

「……よくわかんねえけど加賀がそこまで言うなら俺もほっとくわ」

 

 

 

 

「加賀ァーーー!覚えてなさい!」

「提督の薄情者ーーー!」

 

 

 

 

天井付近から聞こえる怨嗟の声をスルーし、茶碗に注いだお茶をズズッと飲んだ。なにをするわけでもなく、ただぼんやりとお茶を飲むだけの時間が過ぎていった。

 

 

「そろそろ行くわ。加賀、そろそろあの2人降ろしてやれ」

 

「わかりました。これだけ長い間ぶらさげられたら反省するでしょう。今から降ろします」

 

加賀がロープの結んである柱の根元に向かい、緩めると瑞鶴、鈴谷の順番に降りてきた。

 

「やっと解放された〜」

「きつかった〜」

 

「何をやらかしたかは知らんが程々にしとけよ」

 

ぐったりとした2人に軽く喝(デコピン)を入れてから食堂を後にした。

 

「さて、工廠にでも顔出そうかね」

 

ぶらぶらと歩きながら工廠へ向かう途中で首のデバイスが通信が入ったことを知らせた。

 

 

「はい、帆波。はい、はい。そうですか!すぐにそちらに行きますっ!」

 

 

通信を切り、予定を変更して工廠への道を回れ右した。

 

(伊58が目を覚ましたっ)

 

 

すぐに話を聞くことは彼女の負担になるはずなので控えるつもりだ。だが、様子は見ておきたいところだった。それに一つ、どうしても聞いておかなければならないこともあった。

 

(既にイムヤは病室に着いてるみたいだから、もしも混乱してても落ち着くのは早いと思うんだが、何があるかわからねえからな)

 

 

確かに不安要素はある。銚子との演習はその最大の理由だろう。それでもひとまずは伊58が目覚めたことを喜ぶことにして、峻は医務室へ小走りしていった。



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自分の答えを


今の所はそこまで長く途切れさせずに書けている奇跡。

いつネタ尽きで悩まされるか戦々恐々です(笑)

それではどうぞお楽しみください。




 

「あれ…ここ、どこでち?」

 

目が覚めると視界には真っ白の天井が入った。遅れて自分が点滴を打たれた状態でベットに寝かされていることに気づく。

 

「病室……かなあ。ナースコール、ナースコール」

 

 

枕元を探りナースコールのボタンを押し込む。押すとすぐに小太りの年老いた男がやっていた。

 

「ボクはここの医務長だ。君、自分の名前はわかるかい?」

 

「私の名前は……伊58です」

 

「うんうん。自分のことがちゃんとわかるようでなによりだ」

 

「すみません、ここはどこですか?」

 

「ここは千葉県の館山市にある日本海軍所有の館山基地だね」

 

穏やかな顔で話を続けながら医務長は脈拍数などの数値を記録していく。

 

 

「ゴーヤ、大丈夫⁉︎」

 

「あっ、イムヤ」

 

ドアを破壊する勢いで開け、イムヤが病室に血相を変えて飛び込んできた。心配そうにベットのそばに駆け寄る。

 

「よかった…。目が覚めたのね」

 

「心配なのはわかるが、病室で走るなよ、イムヤ」

 

その後ろから苦笑しながら軍服を羽織った男が病室にはいってくる。

 

「えっと…あなたは……」

 

「あぁ、俺は帆波峻。館山基地(ここ)の基地司令で階級は少佐だ」

 

「しっ、失礼しました!伊58です!この度は────」

 

「あー、そんなかしこまらなくていいぞ。もっと楽にしてくれ」

 

「は、はぁ…」

 

ピシッとして名乗ってきた基地司令をみる。寝たままで失礼ではないだろうか。そんなことを考えていると、軽い感じの雰囲気だったのが急にガラリと雰囲気が変わり、真剣味を帯びる。

 

「伊58、君はなんでここに居るか思い出せるか?」

 

「…………………………」

 

 

ゆっくりと記憶の糸を手繰っていく。

命令通りに1人で出撃したあとに深海棲艦の対潜艦隊と会敵したこと。破裂する爆雷と壊れていく艤装。体内の妖精がダメージを逃しきれなくなったのか、傷ついていく体。

そして────

 

 

「嫌っ、嫌あああああああああ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい!落ち着けっ」

「ゴーヤ、しっかりして!」

「っ!2人とも、少し外して欲しい!」

 

突如悲鳴を上げ始めた伊58に峻とイムヤが落ち着かせにかかろうとしたが、医務長がそれを遮った。

 

「…わかりました。すみません、お任せします。イムヤ、いったん出るぞ」

 

「….はい。すみませんでした……」

 

医務長が伊58を宥めている間に2人で病室の外に出て、廊下の椅子に腰掛けた。

 

 

「イムヤ、すまない。俺が下手にあの子を刺激しちまった」

 

「謝らないでよ。基地司令として聞かない訳にはいかないもん。それにゴーヤも安定してるように見えたから…」

 

頭を下げた峻をうなだれたままイムヤが止めた。

 

「それより、ゴーヤが変なのが気になるわ」

 

「変だったか?」

 

「うん。前は相手が上官でもあそこまで固い感じじゃなくて、もっとくだけた感じだったの。それに何か怯えてるような感じがした」

 

「死にかけたんだから怯えるのは当たり前じゃないか?」

 

当然の疑問に対してイムヤがかぶりを振った。

 

「違うの。うまく言葉にできないけどそういうのとは違うと思う」

 

 

2人で頭を捻っていると医務長が病室から出てきた。

 

「ようやく落ち着いたよ。もう病室に入っても大丈夫だ。ただ、あまり戦闘のことは触れないようにしてやってくれ。あと、帆波少佐」

 

「なんでしょう?」

 

「少しお話が。イムヤ君は病室に入って彼女を励ましてやって欲しい」

 

「はい。ゴーヤ、私よ。イムヤ。入るわね」

 

イムヤが病室の引き戸を開けてベットのそばに歩み寄るのが見えてから戸がしまった。

 

 

「で、お話とは?」

 

「伊58、彼女は一種の心的外傷後ストレス障害(PTSD)だと思う」

 

「深海棲艦に襲われたからですか」

 

「確かにそれも原因だと思うけど、それだけとは思えない。もともと彼女は深海棲艦と何度も戦っているみたいだしね。結局は詳しいことはなんともいえないね、彼女が話してくれるまでは」

 

「今後の生活において気をつけることはありますか?」

 

ふむ、と医務長が腕を組んで思案顔になる。

 

「今回のことは彼女自身が話すまでこちらからは聞かないこと。あとは安心できる環境を整えてあげることだね」

 

「わかりました。彼女と俺が話すのは問題ありませんか?彼女の所属基地に連絡するかどうか決めたいので」

 

「それは問題ない。でも刺激はしないように注意を払ってあげることだね」

 

「はい。それでは」

 

そのまま峻は伊58の病室に入っていった。

 

「体の傷は治せても……か。ボクもまだまだ未熟者だ」

 

医務長の呟きだけが廊下を反響した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さっきはすまなかったな」

 

「いえ、こちらこそ急に驚かせてしまい…」

 

伊58に詫びるとむしろ向こうが大慌てで詫びてくる。

 

(イムヤの言ってたことはこういうことかねえ)

 

「大丈夫よ、ゴーヤ。この人はそんなことで怒るような人じゃないから」

 

「ああ、もっとゆるい態度で構わねえぞ。肩肘張ってちゃ疲れるだろ」

 

「それでも上官なので。先程は取り乱してしまいすみません。もう大丈夫ですので」

 

 

決して敬語を崩そうとはしない様子に峻は内心では弱っていた。

どこまで踏み込んでいいものか、と。

 

(はぁ……とりあえずこれだけは聞いとかねぇとな)

 

「伊58」

 

「はい」

 

「現状まだ君の所属基地に君を保護したと連絡はしていない」

 

「それは軍規違反では?」

 

「俺の判断で連絡をしていない。連絡した方がいいか?」

 

「それはもちろん連絡をして欲しいと────」

 

「それは()()()()()か、それとも()()()()()を得ないからか?」

 

言いかけた言葉を遮ってまっすぐ伊58を見つめる。彼女の眼には迷いがはっきりと見て取れた。

 

「いいか、お前は今死んだことになってる」

 

「えっ……」

 

「信じられないかもしれんが事実だ。軍のデータバンクでは轟沈扱いになっている」

 

「ちょっと、提督……」

 

制止しようとするイムヤを無視して再び問いかける。

 

「もう一度聞くぞ。所属基地に生存報告をして引き取りに来て欲しいか?イエスなら連絡をして、すぐにでも来てもらう。ノーならうちがこのまま極秘でお前をここに置いておく」

 

「で、でも────」

 

「変な心配はしなくていい。秘密に匿うことくらいなら簡単にできる。迷惑かけないかとか思うなよ。自分のために、自分の判断で、自分の意志で、自分の答えを出しな」

 

 

病室を沈黙が支配する。イムヤの視線が所在なさげに彷徨い、伊58が俯き、峻は彼女を見つめ、ただ待ち続けた。

 

 

「私は……ゴーヤは………」

 

 

どのくらい待っただろうか。それでも彼女は自分の答えを出した。出せたのだった。

 





重くね?←今更かよ

もっと派手な戦闘とか楽しい日常とか書きたい。前回はそういう意味では書いてて楽しかったです。

感想などはお気軽にどうぞ。書いていただけるとプレリュードのテンションが上がります。


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玉子粥の丹心

今日は遅めです。
ゴーヤの答えや如何に⁈

それではいきます。


「はぁ…」

 

ゴーヤの答えを聞いてから峻は廊下をぽつぽつと歩きながらため息を溢した。

 

「予想してたとはいえ、思いの外面倒ごとになりそうだな」

 

ついさっきの病室でのやりとりを、そして彼女の考え出した答えが頭の中をぐるぐると回る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゴーヤはっ……基地にっ……銚子基地に帰りたくないっ………でち…………」

 

俯いたまま、震える声で告げる。

きっと彼女なりの精一杯の言葉なのだろう。ベットのシーツを眼から零れた水滴が濡らし、小さく嗚咽が漏れる。

 

「そうか……。なら歓迎しよう。ようこそ、館山基地へ」

 

差し出した峻の右手を恐る恐ると、だがしっかりと伊58の手が握った。

 

「しばらくは安静にするようにな。イムヤ、付いていてやれ。シフトとかはうまく調整しておく」

 

「わかった。ありがとう」

 

「伊58、なにかあったらすぐに相談しな。大抵のことはなんとかしてやるから」

 

「待ってほしい…でち」

 

そう言い残し病室を出ようとする峻を伊58が引き留めた

 

「伊58って呼びづらいし長いから…ゴーヤでいい………でち」

 

「そっか。ならゴーヤ、よろしくな」

 

笑顔を浮かべて軽く手を振り病室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゴーヤを匿うのは簡単だが、銚子の方はちっと根が深そうだな」

 

基地に帰りたくないとまで言わせるとは相当である。

 

(演習の時に様子見してみるか。確かうちがあちらに行く手筈だったしな)

 

その前に、匿うための段取りを進めなければいけない。やるべきことを頭の中で検討していく。

まず先日の流れ着いた時の記録の消去をした方がいいだろう。それからゴーヤの部屋の確保をしなくては。明石が直しているゴーヤの艤装もどこかに隠す必要も出てきた。

 

(記録は外部記録媒体に移してから消せばいい。部屋はイムヤの隣の空き部屋を使わせよう。艤装は……同じ潜水艦だから監査が来たらイムヤのスペアとか試作品だとか適当なこと言っときゃ誤魔化せるだろ)

 

それに加えて6日後の演習のメンバーも選ばなくてはいけない。一気に忙しくなってきたことに少々憂鬱になる。

 

(俺が匿うって言ったんだからやれることはすべてやるけどな)

 

考えながら歩いているとふと空腹を感じた。時間を確認するともう12時を過ぎている。

 

「とりあえず飯にするか」

 

腹が減ってはなんとやら。ひとまず食事を取ることにして、食堂へ足を運ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゴーヤ、入るわよ」

 

少し食事で外していたイムヤが戻ってきた。手にお盆を持っている。

 

「おかえり」

 

「ただいま。これ、お昼よ。お粥だって」

 

お盆の上には一人用の小さな土鍋と取り皿、小皿にのった漬物とほうれん草のおひたしの入った小鉢が乗っていた。

土鍋の蓋をあけるとふわっと湯気が立ち上り、卵でとじられた粥が姿を見せた。

 

「わあっ。おいしそうでち」

 

「おいしいに決まってるわ。まぁ食べてみなさい」

 

ゴーヤはケガで抵抗力が落ちて軽い風邪のような症状が出ているため、それを気遣ってのメニューだろう。もちろんケガは高速修復材を使ったため、とっくにもう治っているが。

 

取り皿にお粥をとってぱくりと一口。

 

「おいしいっ」

 

優しい味とふわふわの玉子の食感が口の中に広がる。次、次と食べていくとすぐに土鍋が空になってしまった。

 

 

「ごちそうさま。イムヤ、おいしかったよ」

 

「ふふん、でしょ!って言っても作ったのイムヤじゃないけど」

 

「えぇ……」

 

自分が作ったわけじゃないのに自慢気に胸を張って言われても、と思うゴーヤであった。

 

「じゃあ食堂の人にお礼言っといてほしいな」

 

「食堂の人が作ったわけじゃないわよ、これ」

 

「なら誰が?」

 

首を傾げて尋ねる。が、返ってきた答えは想像だにしない人物だった。

 

「提督よ」

 

「えっ」

 

「さっきまで顔だしてたひとよ」

 

「いや、それはわかるよ!」

 

司令官やって技術士官やって料理も出来る。噂によると体術などもかなりのものだとか。あの提督は存在がチートなのかとよくイムヤは思っていた。

 

「ねぇ、イムヤ」

 

「なに、ゴーヤ」

 

「あの人はなんでここまでしてくれるの?」

 

どうしても聞きたかった。

 

そもそも自分は他所の基地の艦娘である。たとえ自分の基地の艦娘でもここまでする基地司令はほとんどいない。それなのになぜここまでしてくれるのか。そんな義理はあの人にはないだろうに。

 

「うちの提督はお人好しなのよ」

 

さらっとイムヤが言った。

 

「そ、それだけ?」

 

「それだけじゃないかもね。とぼけた振りして色々と考えてる人だし。でもね」

 

「あなたを助けたのは善意だけよ。絶対にね。だって艦娘(わたしたち)を人間としてみてくれる人だから」

 

しん、と病室が静かになる。

 

艦娘は兵器だ、消耗品だと考える軍人は多い。特に司令官系の人間はそう考えている傾向が激しい。その中で彼女たちを人として見て、接する。そんな人間はなかなかいない。

 

「ま、だいぶ変人だとは思うけどね」

 

そう言うとイムヤは笑みを浮かべた。釣られてゴーヤも笑ってしまう。

 

「イムヤは自分の提督のこと、どう思ってる?」

 

「稀代の変人で私たちを大事に思ってくれている人よ」

 

たぶんゴーヤのことも大事だと思ってると思う、と付け加える。

 

「だからイムヤもその思いに応えたいって思うから出撃の時とかにも頑張れるのかな」

 

頬を掻きながら照れくさそうにイムヤが笑う。

 

 

そんな風に自分の提督を思ったことがあっただろうか。そんな風に思われたことが銚子ではあっただろうか。

 

(信じても……いいのかな)

 

イムヤからはさっきから言わされている、という感じは一切しない。自然と言葉が出ているという感じだ。

 

「ねぇ、イムヤ」

 

「なに?」

 

「ちょっとイムヤの提督を呼んでほしいでち」

 

「どうして?」

 

イムヤ不思議そうに首を傾げる。

 

「ちょっと話したいことがあるの」

 

信じてみよう。親友のイムヤがここまで心を許す人を。

 

ゴーヤの真剣な目線を受けてイムヤが真面目な表情になり頷いた。

 

「話してる時はイムヤは外していた方がいい?」

 

「お願いするでち。あまり気持ちのいいものでもないし…」

 

「いいのね?呼ぶわよ」

 

イムヤが基地内線を使って峻を呼び出す。一言二言話すと内線が切れた。

 

「すぐに来るって」

 

「ありがと」

 

一度目を閉じて覚悟を決める。あの人は自分の地位を危うくしてもゴーヤを守る気だろう。そこまでしてもらって何も話さないのは不義理だと思ったのだ。

 

 

5分と少し経つと病室のドアが開き、峻が入ってきた。

 

「イムヤは廊下にいるから何かあったら呼んで」

 

どちらに投げかけたのかわからない言葉を残してイムヤが入れ替わりに病室から出て行った。

 

 

「少佐さん、さっきはお粥、ごちそうさまでした」

 

「気にするな。粥なんて作るのは大して難しいもんじゃねえ」

 

「それで、お話があります」

 

「いつもの調子でいい。イムヤと話してるみたいな感じでな。わざわざ固くなることはないさ」

 

戯けた風に言いながら峻の目は言っていた。

”いいんだな?無理ならやめといても誰も責めないぞ”と。

 

「うん。どうしても聞いてほしい」

 

峻の目を真っ直ぐに見て真剣な瞳でゴーヤが言った。

 

深呼吸してからゆっくりとゴーヤが話していく。時々辛いのか話が止まってしまったりしても峻は先を促そうとはせず、ひたすら聞き役に徹し続けた。

 

 

 

「────そういうことでち」

 

「そうか……大変だったな。それで俺にどうしてほしい?」

 

優しく背中を叩き、慰める。それと同時に無言で問いかけた。ゴーヤ、お前は俺になにを求めている、と。

 

「それは…………」

 

ほんの少し躊躇った。言おうか言わまいか。それでも言うことにしよう。自分のためだけじゃない。みんなのために。

図々しいかもしれないけど。厚かましいかもしれないけど。でもこの人になら。

 

 

 

 

「助けて」

 

 

 

 

小さな声はまっすぐに峻の耳朶を打つ。その言葉に、その思いに峻は短く返した。

 

 

 

 

「任せろ」

 

 

 

 

座っていた丸椅子から立ち上がる。

 

「時間はかかるかもしれない。でもきっと解決してみせる。だから待っててくれ」

 

そう言い残し病室を去った。頭では既に多くの思考が渦巻いていた。

 

(6日後の銚子との演習。ここがまずはファーストステップだな)

 

頭をフル回転させて考える。

その求めに応えるために。




帆波さんついに動く!
といいつつ次回は銚子との演習を書くことを予定してます。
まだまだ先は長そう。

感想などはお気軽にどうぞ。誤字とか見つけたら是非教えてください。


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暴れてやろうぜ

演習スタート!さあ、彼女たちの戦いをご覧あれ!

5/28、誤字訂正しました。


6日後。

銚子基地との演習の日は来た。館山のメンバーが銚子に訪れて演習をする予定になっているため、峻たちは朝早くから出かけているのだ。

 

「本日はよろしくお願いします」

 

「いやいや、こちらこそよろしく頼むよ」

 

丸顔ちょび髭の男と峻は握手を交わした。この丸顔が矢田大佐その人である。

 

「少佐との演習、お互いせいぜい有益なものになることを祈るよ」

 

「ええ、それはもう。うちも全力で勝ちに行かせていただきますよ」

 

「おや、これは楽しみだ。どこまでやってくれるのかな」

 

矢田大佐が朗らかに声をあげて笑う。

一見してみると平穏なやり取りだ。しかし本音は、

 

《さっさと負けて潰れろ、若造が》

 

《うるせぇ、そっちこそ吠え面かきやがれ》

 

《調子に乗れるのも今のうちだぞ》

 

という、平穏からはかけ離れた、裏の言い合いが存在していた。

 

(こいつ、俺に地位を蹴落とされるのを恐れて今回の演習組みやがったからな)

 

今回の矢田大佐の演習の目的は自分への牽制だと峻は睨んでいた。

 

(ここでうちに勝って俺の頭を抑えときたいんだろうな)

 

別にそこまで出世欲があるわけではない。なにも出世を蹴ることなどはしないが、わざわざ自分から策を弄して他人を蹴落としてまでしようとまでは考えていない。

 

(めんどうなのに目をつけられたな)

 

内心では嫌々だが、仕方ない。もうやると返答してしまったし、彼女との約束もある。

 

 

「それでは自分は仮設戦闘指揮所に行ってきます。正々堂々とやりましょう」

 

「了解だ。40分後に開始でいいかね?」

 

「わかりました。40分後ですね」

 

それでは後ほど、と敬礼をし、くるりと背を向けて指揮所に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、それじゃ、お前ら聞けー」

 

指揮所に入り、ゆるく集合をかけると館山の艦娘たちが一斉に集まった。

 

「今回の演習だが、相手の編成は空母1、軽空1、戦艦3、軽巡1だそうだ」

 

「うわぁ……戦艦3隻って叩き潰す気マンマンじゃない」

 

ドン引き、という表情で瑞鶴が言う。というか実際に半歩ほど退いていた。

 

「結構ガチな編成でくるみたいだな。あちらさんにはうちからは、空母1、戦艦1、雷巡1、軽巡1、駆逐2と伝えてある」

 

「あんたは誰を出すつもり?」

 

「当然お前は出てもらうぞ、叢雲。それから瑞鶴、榛名、北上、天津風、矢矧だ」

 

「あれ、私?加賀じゃなくて?」

 

「そうだ、お前だ瑞鶴。空母2隻を相手にする状況を想定して、その手の経験の豊富な加賀じゃなくてお前を選んだ」

 

「えっとどういうこと?」

 

「経験を積んできなさい、ということよ瑞鶴」

 

クエスチョンマークが頭に浮かぶ瑞鶴に加賀がフォローをいれた。

 

「そういうこと。む、あと20分か。全員、演習用の装備になってるか確認しろ。実弾入ってましたとか洒落になんねぇからな」

 

艤装を各々が点検して、しっかりとペイント弾になっているか確認していく。その中で一足早く終わったらしい叢雲が近づいてきた。

 

「ねぇ、イムヤとか鈴谷とか置いてきてよかったの?」

 

「基地を空にするのは気が引けたし、それにゴーヤの護衛も兼ねて、な」

 

ゴーヤの件は極秘なので声を潜めて話し合う。基地には夕張、鈴谷、イムヤ、明石の4人を置いてきていた。

 

「それよ。なんでよりにもよってあの子の所属基地との演習を認可したのよ」

 

この演習、参加するメリットがあまりないように叢雲は思えた。勝っても大したものは来ず、負けたらこちらは今後海軍基地としての発言は弱くなる。唯一のメリットは経験くらいのものだろうか。

 

「負けることなんてありえないけど、勝ってもああいうタイプは粘着してきて厄介よ」

 

「知ってる。だから今回の演習を通した」

 

「あの子のやり返しとかではないのね?」

 

「ゼロじゃないが、それはあんまし関係ないな」

 

「ならいいわ。私たちに恥をかかせないで頂戴ね」

 

「はっ、言うねえ。お前こそ、出てって最初の一発でやられましたとか言うなよ」

 

お互いに軽い嫌味をふざけて言い、叢雲は演習海域に、峻は指揮所で椅子に座り、デバイスを戦術コンピュータに接続した。

 

「さあ、やるぞお前ら!暴れてやろうぜ!」

 

「「「「「「了解!」」」」」」

 

 

演習開始まであと10分。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて貴様ら、なにがあろうと奴らを叩き潰せ」

 

一方そのころ矢田も艦娘を出撃させようとしていた。

 

「あの若造め、調子に乗りおって。今にみておれ………」

 

「あの……提督、指示を」

 

おずおずと軽空母の瑞鳳が指示を仰ごうとする。

 

「うるさい!さっさと突っ込んで倒してこればいい!そんなこともわからんのか!」

 

矢田が一喝すると5人の艦娘がびくっと怯えたように身を縮ませた。

 

「私たちが勝つためには指揮する人間が必要なのよ。だからなにか策をいただけるかしら」

 

「ふん!あの若造の艦隊に負けることなぞありえん!」

 

唯一さっき身を縮ませなかった戦艦の陸奥が丁寧に頼むが、矢田はそれを怒鳴り散らして抑えつけた。

 

「こちらには戦艦が3隻もいるのだぞ。向こうはたったの1隻ぽっちだ。負けるわけがなかろう!」

 

「でも────」

「くどい。陸奥、さっさと行け!」

 

「…はい」

 

6人が演習海域に向かう。開始時刻まであと5分だ。

 

「いいか、最初はこうしろ」

 

戦闘指揮所から矢田が艦隊に指揮を飛ばす。

 

『───了解よ』

 

幾ばくかの間が空いたあとに陸奥が返事を返した。

通信を切り、ちらりと時計を確認する。

 

開始時刻まであと3分。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「陸奥さん、どういった指示がきましたか?」

 

恐る恐るといった感じで空母天城が聞いた。

 

「普通に艦載機飛ばして索敵しろってことよ」

 

実際はその合間にいくらか悪態が入っていたが陸奥は意図的に伏せた。

 

「扶桑姉妹は射程に入り次第、私と砲撃、瑞鳳と天城は敵艦隊を発見次第、艦載機による攻撃を開始すること、ですって」

 

「わかりました。山城、準備はいい?」

 

「ええ、姉さま。大丈夫ですよ」

 

「あの、阿賀野は?」

 

「っ!阿賀野は……」

 

陸奥が急に尻切れとんぼな言い方に変わる。

 

「阿賀野はどうすればいいの?」

 

「阿賀野は…………」

 

結局、陸奥は阿賀野に言われた指示を伝えた。だが一部は伏せたが。

 

 

 

 

「軽巡なぞ、さっさと前に出して囮にでもすればいい。実戦でも軽巡ごときはは敵の位置を探るための犠牲のようなものだろう」

 

 

 

 

言えるわけがなかった。言いたくなかった。

 

(それでもきっと阿賀野はどういう意図か気づいているでしょうね)

 

そしてそれはきっと他の艦娘もそうなのだ。わかっているが司令官には逆らえない。

 

(館山は随分と和気藹々としてたわね)

 

そんな事実は彼女たちにとっては夢幻(ゆめまぼろし)以外何でもないものだった。

 




あれ……演習が始まらないよ?
本格的にやるのは次になりそうです。

感想などはお気軽にどうぞ。ではでは。


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ドッグファイト・スタート

ようやく演習開始です。どうぞごゆるりとお楽しみください。


演習時刻きたれり。すぐに峻から通信がきた。

 

『あーあー、こちら帆波、応答願う』

 

「こちら叢雲、どうしたの?」

 

『演習開始だ。まずは瑞鶴、索敵機を出してくれ』

 

「了解よ。数は10で角度は5ごとでいいかしら?」

 

瑞鶴が言っているのは索敵機10機を5度開いた角度で前方に展開する、ということだ。

 

『それでいい。敵艦隊を見つけ次第、第一次攻撃隊を発艦させろ。編成は瑞鶴の好きにしな』

 

「了解!さぁ、五航戦瑞鶴、いくわよ!」

 

ひゅっと矢を射ると放たれた矢が艦載機に変わり、あっという間に点になった。

 

「ねえ、提督ー。アタシも仕掛けていい?」

 

『オーケーだ。軽くぶっかませ!』

 

「了解ー。さあて、暴れてやりますかねえっと!」

 

のんびりした口調のまま、けれどもしっかりとした動きで北上が甲標的をおろすとゆっくりと潜行していく。

 

(ひとまずは瑞鶴の索敵機待ちね。あれが見つけてくれないと始まらない)

 

先に相手を見つけられるメリットは大きい。こちらが先制攻撃を仕掛けられるし、それができれば戦闘の主導権を握ることも可能だからだ。

 

しばらくすると瑞鶴の通信機が小さく鳴った。

 

「索敵機6号機から入電!敵艦隊を発見!」

 

『よっしゃ!瑞鶴、索敵機を帰還させろ。それから──』

 

「わかってるよ、提督さん!第一次攻撃隊、発艦開始っ!」

 

瑞鶴が連続で弓を引いて射る。次々と矢が艦載機に変わり大空を高く飛び、編隊を組んで飛んでいった。

 

「提督さん、ちょっと!」

 

『どうした、瑞鶴』

 

瑞鶴は異変に気づいた。なぜそんなことをしているのか理解が及ばない、そんな事態が起きたのだ。

 

「索敵機を艦娘が追ってきてる!」

 

『ちっ!追っかけてこっちの場所を見つけるつもりか!数は?』

 

おそらく電探を使って追ってきたのだろう。早々に砲撃戦に移行すべきか、そう考えた矢先に瑞鶴が鋭く叫んだ。

 

「1隻!軽巡の……あれは阿賀野、かな」

 

「提督、私に行かせて!阿賀野姉を抑えるわ!」

 

阿賀野の名前を聞いた瞬間、矢矧が戦意をみなぎらせて反応した。姉と久しぶりに会うので手合わせしたいと言っていたのを思い出す。

 

『いや、罠の可能性が高い。こっちに来てから迎え撃つ。その時に矢矧にはやってもらうよ』

 

しかし冷静な判断を峻は下した。

 

「そう、ならその時は頼むわよ」

 

仕方なく矢矧が引き下がる。

 

「提督さん、敵艦載機と攻撃隊が接触しそう!」

 

『思いっきりやれ、瑞鶴!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

敵の索敵機に発見され、命令通りに阿賀野を突撃させたあと、陸奥は天城と瑞鳳にも攻撃隊を出させていた。

 

(索敵機を帰還させた方向から敵の攻撃隊が来るのは間違いない。だからこっちも攻撃隊を出す!)

 

『陸奥、さっさと敵を撃て。早く有効射程にはいれ』

 

イライラとした声が通信機から聞こえる。空母を配置した時点でこうなることぐらい予想しなさいよ!と叫びたいが、その衝動を堪えた。

 

「陸奥さん、攻撃隊が接触します」

 

「提督、攻撃許可を」

 

『早くしろ、馬鹿者!』

 

瑞鳳の報告に戦闘許可を求めると返ってきたのは許可とギリギリ取れなくもない言葉と罵声。

 

向こうは仲が良さそうだったわね。ああいう形の艦隊もあるのね。

それに比べ自分たちと提督は……

 

関係ない方向に飛びかけた思考を頭を軽く振って引き戻す。

 

「攻撃隊、接触開始しました!」

 

天城の報告で演習に意識をしっかりと向け直した。

気を引き締めていかなければ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瑞鶴は攻撃隊を動かすことに意識を集中していた。

 

瑞鶴の駈る零戦が相手の艦載機を確認する。本来瑞鶴から相手艦載機を見ることはできないが艦載機との視覚共有をしているため、自分の艦載機を通して状況を見ることができている。

 

瑞鶴が放った数はおよそ20。対して相手の攻撃隊の数はだいたい40だ。

圧倒的な数の不利。相手の空母のうち1隻は軽空母とはいえ、合計では約空母2隻の艦載機を放ってきているのだ。

それでもその2倍の差を瑞鶴は自らの腕で覆す。

 

(攻撃隊、迎撃開始!やっちゃって!)

 

瑞鶴の艦載機が一気に加速。天城と瑞鳳の艦載機の上をとり、一斉に降下した。

 

負けじと天城と瑞鳳の艦載機たちも機首をあげて相対した。装備された機銃が火を噴く。数機にペイント弾が当たり脱落していく。

 

すると瑞鶴の艦載機たちが左右に旋回して回避し、ピッチアップ。

ループとロールを連続して実行すると縦方向にUターンを決めて相手艦載機の後方上空を確保した。

 

(いまよ!撃てぇ!)

 

後ろを取られて逃げられず、無防備に晒した背中にペイント弾を叩き込んでいく。相手の艦載機が次よ次よとピンク色に染まり、演習海域から去っていった。

 

生き残った艦載機がターンをきめると瑞鶴の艦載機に正面からむかってきた。

 

(へぇ、真正面から突っ込んでくるんだ)

 

瑞鶴がにやりと笑う。

 

(やってやろうじゃない)

 

自分の残存している艦載機を再編成し、編隊を組み直して、突っ込ませた。

 

ペイント弾が交錯し、艦載機が飛び交う。

その後、生き残った艦載機が相手艦隊を爆撃せんと向かっていった。

 

明らかに数が違ったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっ、うそ……」

 

目を見開き、信じられない様子の天城とポカンとした瑞鳳がポツリともらした。

 

「どうしたの?」

 

「制空権、劣勢……」

 

瑞鳳の報告に陸奥が言葉を失った。

1隻の空母が空母2隻の艦載機を抑えきって制空権優勢をとったという事実が信じられなかった。艦載機の性能差もほとんどないはずなのに。

 

『空母2隻おってなにをしとるか!早くなんとかしろ!』

 

通信機のむこうから聞こえる怒鳴り声ではっとした。

 

「相手の攻撃隊が来るわ!対空戦闘、用意!」

 

高角砲を構え、どっしりと戦艦3隻が航空隊を待ち構える。その表情に余裕はない。

 

すぐに電探に反応がきた。陽の光を反射してキラキラした飛行物体が接近してきている。

目視した攻撃隊の数を見て、陸奥の背中をじっとりとした汗が伝った。

 

(報告では放たれたのは20ちょっとのはず。なのにほとんど減ってない、ですって⁉︎)

 

「高角砲、撃てぇ!」

 

それと同時に模擬三式弾を主砲に装填し、放つ。それを回避し、攻撃隊が散開して一気に間を詰めにかかった。

 

「各自散開して回避!急いで」

 

ざあっと艦隊が分かれて回避行動に移ったが低速ばかりで間に合わない。一斉に爆弾が投下され、また魚雷が放たれ着実に迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「攻撃隊から入電よ。うーんいまいち。相手空母が1隻中破した以外は損傷軽微みたい」

 

先ほどこちらにも相手攻撃隊が爆撃していったが、数が減っていたので北上に掠った以外は大した被害は出ずにやり過ごしたあと、瑞鶴が攻撃隊からの報告を聞いていた。

 

『まぁ、ぼちぼちだろ。それにこれで空母1隻黙らせたと同然だ。制空権も優勢だしな。なかなかいい仕事したぜ、瑞鶴』

 

「そう?ならまあいっか」

 

『気は抜くなよ。そろそろ電探にヒットする頃だろう。てことは戦艦の戦いになる』

 

「榛名の出番ですね!頑張りますっ!」

 

『ああ頼むぜ、榛名。矢矧、阿賀野がそろそろ来るはずだ。特に何もなさそうだから迎え撃て』

 

「了解よ。ちょっと艦隊を離れてもいいかしら?」

 

『どーしてもタイマン張りたいのね。わかったよ、好きにしな』

 

「ならお言葉に甘えるわ」

 

艦隊を離れて矢矧が阿賀野に突撃していく。数発の砲音がなり、2人が撃ち合いながら離れていった。

 

『おい、叢雲』

 

「なによ」

 

今まで放置されていたからか、声に若干の棘があったが、気にしない。

 

『恐らく阿賀野はこれで落ちた。相手空母の残り1隻には早々に退散してもらうつもりだ』

 

「戦艦3隻はどうするつもり?」

 

たぶん榛名だけでは押し切ることはできないだろう。数の差というのはこういうタイプの戦闘では顕著にでる。

 

『ちょっと手がある。だが全てやれるとは限らん。だから少しお得意のアレやってもらおうかと思ってな』

 

「どうせ嫌って言ってもやらせるつもりでしょ」

 

『嫌なのか?』

 

声の調子が完全にからかっている。ここでゴネてもロクなことにはならないことを知ってるため了承する。

 

「わかったわよ、やるわ」

 

『サンキュー、今度なんか埋め合わせするわ』

 

ほんとでしょうねとよっぽどどなってやろうかと思ったが、堪えた。

ま、久々に大暴れするのも悪くない。

 

(そう思えるあたり、私も結構いいようにされてるのかしらね)

 

右手に握ったマストを左に持ち替えて軽く撫でる。

叢雲は気づかなかった。自分が無意識に笑っていることに。

叢雲は意識的に気づかないようにした。頼られるのもいいものだ、と思ってたことに。

 




始まるとは言ったが終わるとは言ってない。

…すみません調子に乗りました。
まだまだ続く演習。戦いは始まったばかりだぜ!

感想、要望などはお気軽にどうぞ。


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鞘走らせて

演習その2です。
こんな艦隊演習あるか!とツッコミながらもお楽しみください。

それでは抜錨!




「敵艦隊発見!提督、砲撃許可を」

 

『ふん、ようやくか。撃て!』

 

3隻の主砲が一斉に火を噴くと、相手艦隊のだいぶ手前に水柱が上がった。

 

「相手も撃ってくる!天城、相手の艦載機をお願い!瑞鳳は下がってて!扶桑、山城、いくわよ!」

 

もう一度弾を装填し、斉射準備を進める。その間に天城が艦載機を紙片を通して放つ。

 

「天城航空隊発艦、始め!です!」

 

飛ばされた紙片が艦載機に変わり、襲いかかる瑞鶴の艦載機を迎撃する。

 

「山城、砲戦行くわよ」

 

「はい、扶桑姉さま!」

 

扶桑と山城が撃つと、向こうもニ射目を放つ。

 

「きゃあっ!」

 

「山城⁉︎」

 

榛名の砲撃が見事に山城に命中。艤装がペイントに染まり、中破判定が出てしまった。

 

(弾着観測射撃…やられたわ。制空権を取られることは無いと思ってたのが裏目にでた!)

 

「山城、下がって!扶桑、もう一度──」

「きゃあああ!」

 

砲撃開始よ、と陸奥が言い終える前に天城の悲鳴が聞こえた。

 

「天城っ!どうしたの?」

 

振り向くと全身がペイントに染まった姿の天城が立っていた。判定は大破。

 

「うぅ…やられました……いきなり海中から魚雷が……」

 

(いきなり?まさか!)

 

あちらには雷巡がいたはずだ。つまり…

 

(艦載機で視線を上に向かせてその隙に甲標的で空母を潰しにかかったってこと⁈)

 

いつの間に接近して…

違う。最初からだ。最初から甲標的をおろしておいて、来るであろうエリアを予測し、待機させておいた。

 

(完全に相手のペースに乗せられてるっ……)

 

想像以上にやり手な司令官らしい。ここまで手のひらに転がされるとは。この様子だと阿賀野はとうにやられているだろう。

 

(私たちは負けたら……)

 

状況は最悪だ。瑞鳳は中破して発着艦不能、天城も大破して同様だ。阿賀野は通信が来ないが恐らく大破判定だろう。さらに山城も直撃をくらって中破判定だ。まともにやりあえるのは自分と扶桑しか残っていない。

 

負けた時を想像して暗雲たる気持ちになる。

勝たねば…負けたらまた……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今んとこうちが押してるな」

 

戦闘指揮所で状況を確認しながら峻が呟いた。

 

「それでも今のところ、よ。油断はしないで」

 

「わかってるよ、加賀」

 

それにまだ戦艦は2隻も残っている。警戒して然るべきだろう。

 

『こちら矢矧、阿賀野姉は大破判定になったわ。でも私も中破判定よ』

 

「まぁ、まずまずだろ。ゆっくり戻ってこい。こっちも今佳境だ」

 

さっきから陸奥と扶桑の目標が完全に榛名に向かってしまっている。現状は榛名が小破で止まっているが、ほっとけば直撃をもらってもおかしくない。

 

『あはは、提督さん、以外と相手は砲撃下手なのかもね。だって私のところに飛んできてるよ』

 

通信で瑞鶴が笑う。

着弾位置の確認をすると確かにさっきから榛名の周りが多い中で2発だけ瑞鶴の前後に落ちている。

 

(待て、前後だと。まずい!夾叉されてる!つまり、本当の目的は…)

 

「瑞鶴、よけろ!」

 

『え?うわぁぁぁ!』

 

『瑞鶴被弾。大破判定よ』

 

叢雲の声が瑞鶴の大破を伝えてきた。

 

「ちっ!あちらさんもなかなかやりやがる」

 

一つだけ主砲を瑞鶴に狙いをつけて、他は適当な目標に撃ち込んで誤魔化していたのだろう。狙いをつけていた砲撃が夾叉した瞬間全ての砲塔を調節し本命に叩き込んだのだ。

 

少々甘く見ていたかもしれない。

そろそろ詰めに入るべきかと思案していると背筋がぞくっとする。

 

「…加賀、背後で殺気を放つのやめてくれ」

 

「あの子があまりにも不甲斐ないからよ。帰ったらみっちり特訓させます」

 

加賀のみっちり特訓コースとは。心の中で瑞鶴に合掌。生きて帰れよ。

 

『ちょっと、あんた!やるならさっさと指示だして!』

 

「あぁ、わかってるよ!天津風、連装砲くんを分離(パージ)だ!榛名、仰角を気持ち落とせ!一気に仕掛けるぞ!」

 

館山の全力を見せてやろう。そうそう簡単に覆せるとは思うなよ。

 

「叢雲、スタンバイだ。やるぞ」

 

『了解よ。こっちは準備完了』

 

「総員、さっき説明した通りにカウント3で行くぞ!3、2、1、ゴー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やった!」

 

陸奥の狙い通りに空母を大破判定に追い込んだ。これでもう空は心配しなくてもいい。

 

「扶桑、まだやれる?」

 

「問題ないわ。山城、あなたは下がってて」

 

「いいえ、ここまできたら最後までやります。それに相手の砲撃の精度も慌てているのか下がってますから」

 

中破してるとはいえ戦艦。まだやれるのならなってもらうしかない。それぐらい今は追い詰められてしまっている。それでも相手の砲撃精度が落ちているのは救いだ。水柱をさっきからたててばかりで擦りもしなくなった。

視界が遮られているのは厄介だが、当たるよりかマシだ。

 

ふと水柱の隙間から何かが光を反射してキラリと輝いた。

 

(なにか接近してきている?)

 

また甲標的が?いいや、違う。今度は水上を走ってきている。

 

(あれは…自律式駆動砲かしら。相手の天津風の兵装ね)

 

連装砲くんと天津風が呼んでいる兵装が接近して砲撃を開始する。

 

 

このタイプの兵装は艦載機と同様に脳で操っているので、使用者の慣れと腕が物を言う。

 

 

ひょいひょいと副砲の砲撃を交わしながら水上の連装砲くんが砲撃を次々と打ち出していく。

 

「このっ、ちょこまかと!」

 

相手艦隊の砲撃と連装砲くんの砲撃で周囲に水柱が立ち、視界がうまく確保できず、結果的に砲撃の精度が落ちていく。

 

これが狙いか。こちらが一発当てたことを用心して今度は視界を奪いに来る。なんともやり辛い。

 

(でもそれじゃトドメは刺せない。じゃあなにが本当の狙い?)

 

わからない。ただ視界を奪うだけで終わるのはこれだけ撃ち込んでおいて割りに合わないはずだ。

なら本当の狙いが……?

 

陸奥が思考を続けているなかで、これでもかと水柱が大量にたち、そして砲撃が止んだ。

 

そして視界が晴れると目の前には。

 

これでもかという数の魚雷が接近していた。

 

「しまっ────」

 

炸薬の代わりに詰められたペイントが一斉に弾けた。

 

「うっ、ごめんなさいやられたわ」

 

「扶桑姉さま、山城も同じくです…」

 

咄嗟にバックステップと副砲で迎撃したので陸奥は小破程度で済んだが、扶桑は10発近く当たり、山城も数発はいってしまっている。そのためにお互い大破判定をもらっていた。

 

そういうことか。視界を奪ったのは魚雷の接近を気づかせるのを遅らせるためだったのか。

 

 

突如目の前を掠めた長物をギリギリで陸奥が躱し、正面に立っている艦娘を視界に捉えた。

 

「へえ、今の躱すなんてなかなかやるじゃない」

 

刀のような武器を緩く構えながら叢雲が賞賛した。

 

 

そして大量に撃ち込んだ魚雷でもう一度大きな水柱を立てて、追撃としてこの艦娘が間近まで接近する隙を作るためだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

完全に不意を突いたつもりだったが、避けるとは思ってなかった。

 

軽く得物を振って構え直す。

 

 

この得物は仕込み刀で叢雲の艤装の槍のような形のマストを軽く捻りながら抜くと姿を現わす。普段は真剣のところを、今回は演習用の模造品に差し替えてあるが。

 

 

『北上も天津風も魚雷はスッカラカンだ。ここで決めるぞ!』

 

「わかってるわよ。さあ、いくわ!」

 

機関の出力を一気にあげて間を詰めにかかる。陸奥が右サイドステップで躱そうとするが、陸奥の主砲に刀で斬りつけそのまま駆け抜けながら主砲を放つ。

 

「聞いてないわよ、駆逐艦が刀をもって近接戦闘だなんて!」

 

副砲を撃ってくるが遅い。再度接近して撃ってきた副砲を斬りつけると使用不能判定が出た。

 

「セイっ!」

「遅いっ!」

 

型もなにもない破れかぶれな正拳突きを身体を捻るようにして躱し、今度は陸奥自身を袈裟懸けに斬った。バックステップで下がっていると自分の意志とは関係なく機銃がばら撒かれる。

 

いいタイミングであいつも介入してきたわね。艤装の機銃の操作をコネクトデバイスでリンクして掃射し、追ってこれないように牽制させたのだろう。

 

『いいぜナイスだ叢雲。好きにやりな。フォローはしてやるから』

 

「はいはい、助かるわ。ならちゃんと付いてきなさい!」

 

付いてこれないかもしれない、なんて心配はこれっぽっちもしていないけど。

 

もう一度突進して主砲を放つ。陸奥の視界が一時的に塞がれて叢雲の姿を見失う。

そしてその隙を突いてそのまま背後に回り込み、刀を背中に軽く押し当てた。

 

「投降しなさい。勝ち目はないわ」

 

「まだ主砲は一門生きてる。いつでも……えっ?」

 

陸奥が主砲を回そうとしても回らない。なにかが引っかかったようなギギギと鈍い音がするだけだ。

 

よく見ると機銃に装填されていた模擬弾が台座に詰まってうまく稼働していないことがわかる。

 

 

あいつは牽制として撃ったときこれも狙ってたわね。まったく抜け目ないんだから。

 

「残ってる主砲は撃てないわけじゃないでしょうね。それでも」

 

刀を上段に構えていつでも振り下ろせる体制に変えて囁いた。

 

「陸奥、あなたが背後を振り向いて照準をつけてから主砲を撃つのと、私がこの刀を振り下ろして残った魚雷も発射するのとどっちが速いと思う?」

 

「………降参よ」

 

陸奥が両手を挙げて投降の意を示した。中破した瑞鳳はもっと前に投降済み。他は全て大破轟沈判定。つまり…

 

『この演習、俺たちの勝ちだ!』

 

わあっと歓声が聞こえる。その中で鞘に刀を戻してパチンとはめ直した。

 

『演出終了。勝者、館山基地』

 

苦り切った声の矢田大佐の放送が流れて演習の終了を告げた。

 

 

『お前ら、とりあえず指揮所に戻ってこい。矢矧、阿賀野の足止めよかったぞ。北上、魚雷の腕あげたな。天津風、連装砲くんの操縦の腕上げたな。榛名、山城を中破させたのは助かった。瑞鶴、よく数の不利があるなかで制空権を渡さなかったな。叢雲、さすがうちの切り札(エース)だ。次も期待してるぜ』

 

 

エースと言われて悪い気はしないわね。少し疲労もあるが、その疲労もどこか心地いい。

 

『各自帰ったら反省点を洗って各々直せるようにな。あと瑞鶴、加賀がみっちり特訓コースだとさ。ご愁傷様』

 

いやあぁぁぁ!死にたくないぃぃぃ!という瑞鶴の悲鳴が聞こえる。ま、完全に油断して直撃食らってちゃそうなるわよ。

 

あとは挨拶してから基地に帰るだけね。

もうそこまで来れば自分の出番はあまりない。あとはあいつに任せてゆっくりしてようかしら。特に何かするわけじゃないみたいだし。

 

 




艦娘は人の形してるなら近接戦闘もいけると思ったので書きました。
ほら、やれそうな人いるし。フフ怖さんとかその妹とか。

感想、要望などはお気軽にどうぞ。
活動報告もよければ見ていただけると幸いです。


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承知したわ

戦闘描写って本当に難しいです。途中でなにをどうするかこんがらがって頭の中がえらいことになります。
世の作家さんは大変だなーとか思いました。

とにかくそれでは行きましょう。



演習終了後に峻は矢田大佐と2人で顔を合わせていた。

さすがにちゃんと挨拶もせずに帰るのはアレだからだが、正直なところ気まずい。今すぐ帰って工廠で艤装いじりするか昼寝してたいが、そうもいかないので会話を始めた。

 

「本日はありがとうございました」

 

「………うむ、こちらこそだ」

 

ここまで露骨にムッスリとした挨拶もなかなかない。礼節くらいは持って欲しいものだ。

 

「今日の演習の報告書を後日、そうですね、3日後には持ってきます」

 

「ああ、了解した」

 

さて、そろそろ世間話軽くして退散するとするか。

 

「最近深海棲艦の動きが活発だそうですね」

 

「そうだな、先日も確かどこかの部隊がやられていたはずだが」

 

「お互い気をつけましょう。ここは激戦区の太平洋に面してます。いつ襲われるかわからないので」

 

「ふん、そうか」

 

「ええ、ですので」

 

ぐいっと体を近づけて矢田大佐のみが僅かに聞こえるくらいの声をだす。

 

「夜は特にお気をつけを。ないとは思われますがお一人で海に出られることなどくれぐれも無きように」

 

露骨に不機嫌そうな表情がいきなりうって変わり、顔が青くなるがすぐに元のムスッとした顔に戻った。

 

「………ああ、そうだな。忠告感謝する」

 

「いえいえ、それでは3日後こちらに参ります。その時にまたお話し致しましょう。では」

 

くるりと背を向けて銚子の執務室を出て行った。

 

さて、正門あたりに叢雲たちを待たせてるはずだ。さっさと合流して館山に帰るとしようか。

 

「ねぇ、ちょっと」

 

「えっと、確か陸奥、だったな」

 

「ええ、長門型戦艦二番艦陸奥です。ここの秘書艦も務めています」

 

ピシッとした敬礼と共に名前を名乗られるならこちらもそれ相応の返答をしなくてはな。

 

「館山基地所属、館山基地司令及び帆波隊司令官、帆波峻だ」

 

「先程の演習、ありがとうございました」

 

「いやいや、こちらこそだ。瑞鶴をやったのはお前だろ。あの撃ち方は面白かった。いい腕してるじゃないか」

 

「え、えっと…ありがとうございます」

 

「わざわざ挨拶に来てくれるとは悪いね」

 

「いえ、呼びつけるような真似をしたのはこちらですので」

 

「気にしないでくれ。こっちの反省点もさらえていい演習だった。他の子たちにもよろしく言っといてくれ。じゃ」

 

「……ええ、お疲れ様でした」

 

陸奥の見送りを受けながら銚子基地を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結局何もなかったわね」

 

「まあ今の所は、な」

 

「引っかかる言い方するのね」

 

館山基地に戻ってからは各自解散し、執務室に峻と叢雲の2人がいた。

 

「別に今日あそこで特になにかしようとは思ってなかったんだよ。おっと、そこ危ないぜ」

 

「ちょっ…ああもう、次突入。へえ、以外ね。なにかやらかすんじゃないかと思って演習でも余力を残しといたんだけど」

 

「まだその段階じゃないんだよ。…やべっ、そこの部隊退けー」

 

「また逃げる…。まだその段階じゃないってことはなにかやらかす予定はあるのね?」

 

「やらんに越したことはないんだけどな。…はいそこに来たらドーン」

 

「くっ…あ、ああ……また負けた…。でも何かしらはやるんでしょ」

 

「たぶんな」

 

「あの、何やってるんですか?」

 

ドアの方を振り向くと、榛名が困惑した顔で立っていた。

 

「何って…ゲーム?」

 

だよな、と私に聞かれても。ゲームであってるのかしら?

 

「軍のシュミレーター使って何やってるか聞いたつもりなんですけどね」

 

「あ、それかよ。シュミレーターってうまく改ぞ……げふんげふん、うまく使うと幅がめちゃ広い対戦ストラテジーゲームになるんだぜ」

 

「それが?」

 

「それでお互いシュミレーター内の架空の軍隊操って対戦してたってことよ」

 

はあ、と榛名が大げさにため息をついた。

 

「帆波少佐、働いてください。叢雲ちゃんも一緒になって遊んでないでください」

 

「演習で指揮してて俺が疲れたから今日の仕事は終わりだ」

 

「また変な理屈を…」

 

「こういう時はこいつに何言っても聞きゃしないわよ」

 

「叢雲ちゃんも諦めないでくださいよ…」

 

「久々に本気で指揮とったからな、結構疲れてんだよ」

 

「「それは嘘」」

 

思わず榛名と声がかぶってしまった。

あんたの本気があの程度ってそんなわけないじゃない。

 

 

「そんなわけで今日は働かないと決めたから叢雲とゲームという名の指揮訓練してんだよ」

 

実際のところ、こいつがシュミレーターを改造したのは私たちに指揮官としての見方を学ばせるためだ。常に目の前のことだけではなく広い視野を持てるようにさせたいらしい。

 

「そうですか。ならもういいです。たぶん言っても今日は仕事しないんでしょうし」

 

榛名が執務室を出て行った。なんで来たのか用件言わなかったけどいいのかしら。まあなんとなく寄っただけかもしれない。

 

「で、なんで私をゲームに誘ったのよ」

 

「だからさっき言ったじゃん。俺の指揮の訓練だって」

 

「それは建前でしょ。本件を聞いてるのよ」

 

やっぱ気づかれてたかーとか言うあたりやっぱりなにかあるのね。

急に今までのおちゃらけた顔を改めて真面目な顔になる。

 

「しばらく基地を空ける。その間に俺がいるフリをしといてほしい」

 

「これも前の引っかかってることってのの延長なのかしら?」

 

「まあそうだな。読みが外れなければ魚はこっから2日間の間に掛かるはずだ。掛かるまで竿を見張っておきたい」

 

「了承したわ。承認判ちょうだい」

 

「悪いな。承認判はこれだ。あと基地のマスターパスも渡しとく」

 

判子を机に置き、館山基地全てのロックを解除できるパスコードを教えてもらった。

 

「あと、今日の演習についての報告書も作っといてくれないか?」

 

「任せなさい。筆跡はうまく真似とくわ」

 

「押し付けるみたいで悪いな」

 

「毎度の話でしょ。ほらさっさと行きなさい」

 

それにそう思うなら日頃から仕事をサボらないでほしいものだ。毎回後始末に追われて苦労するこっちの身にもなってほしい。

 

「じゃ、ちょっくら行ってくる」

 

「ええ、いってらっしゃい」

 

自室で手早く軍服から私服に着替えて、なにかいろいろカバンに詰め込むと館山を後にしていった。

 

 

「さて、適当に片付けとくとしますか」

 

記憶の新しいうちに演習報告書は書いておいた方がベストだろう。

 

シュミレーターを片付けて机の上にスペースを確保。演習報告書に記入事項を書き込んでいく。そして最後にあいつの筆跡を真似てサインする。

 

よし、次。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

峻は叢雲に基地を任せてからカバンを引っさげて、いたって普通の若者のような格好で基地を出た。

念のため言うと峻は二十代なので若者と言ってもいいレベルだ。

 

「とりあえず竿を見張るための準備をするとしようか」

 

餌は投げた。あとはウキが沈む瞬間を待つだけだ。

 

その瞬間を拝むためにやるべきことを頭の中でピックアップし、優先順位を付けていく。

 

(助けてって言われて何もしないわけにゃいかねえからな)

 

信号が渡っている途中で点滅し始め、わらわらと人が小走りに横断歩道を渡っていく。

赤に変わると峻の姿はもう無くなり、ただ夕焼けが雑踏を朱色に染めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方銚子基地では。

 

「貴様らが不甲斐ないせいで私が恥をかいたんだぞ、馬鹿者どもが!」

 

矢田大佐は荒れていた。

 

「少佐ごときの艦隊になにをしとるか!これではあの若造に旨いところをやっただけではないか!」

 

「しかし相手は相当な手練れかと──」

 

「うるさい!」

 

陸奥が一喝されて黙りこくった。天城や瑞鳳たちは俯いてなにも言えなくなっている。

 

「ええい、どうしてくれる!私のキャリアを!」

 

誰もなにも言おうとはしない。できない。

 

「空母2隻おって制空権をとれんとはどういうことだ!」

 

天城と瑞鳳がビクッと怯えた様子を見せる。

 

「そして陸奥、最後のあれはなんだ!情けなく投降なんぞしよって!」

 

「あそこからの逆転は不可能です。なので────」

 

「知るか!なんとかしてみせろ!」

 

めちゃくちゃだ。

うちと館山の帆波少佐となにが違うのだろう。なんでこうなるのだろう。それとも向こうも本当はこうなんだろうか。

 

わからない。でもきっとこういうものなんだろう。そうに違いない。どこもこうなんだ。

 




はい、演習終了後でした。

館山と銚子の雰囲気が違いすぎる。
ダークな空気は書いてる方も鬱になりますね。

感想、要望などはお気軽にどうぞ。それでは。


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天津風の優雅?な一日

演習が完全に終わったのでわずかな日常回。
投稿ペースが乱れてますが、お付き合いいただければ嬉しいです。




銚子との演習の次の日。

 

天津風は海上で連装砲くんを操縦していた。演習の反省を生かしてもう少し高速機動を維持したいところだ。

 

「お、天津風やってるね〜」

 

「あら、北上じゃない。あなたも訓練かしら?」

 

「ん〜、まあそんな感じ。魚雷全門撃って命中があれだけってのはねえ」

 

「相手も海面に副砲とか撃ってたから信管が起動しちゃうのは仕方ないわ」

 

それにあの時の策の本当の狙いはおそらく叢雲の突撃するための隙を作ることだったはずだ。もともとあの魚雷ですべて落とせるとは思っていなかった。

 

「ねえ、天津風。ちょっと一戦やらない?」

 

「どうしてかしら?」

 

「いやーやっぱ勝負事にした方が燃えるかなってさ」

 

この人は毎度毎度その場のノリで……

そういうところはちょっぴり提督に似ている気がする。

 

「ならその勝負、受けて立つわ。お昼までで良ければ、だけど」

 

「おっけー。じゃあやろっか。模擬弾にしてある?」

 

「万が一の事故に備えて模擬弾にしといたから大丈夫。すぐにいけるわ」

 

「おおー。じゃあ、やろっかー」

 

間延びした声を残しているも北上の周りの空気が緊張感を持つ。

天津風も連装砲くんを自分の周りに呼び戻し、臨戦体勢にはいった。

 

すぅっと頭の中がクリアになり、目の前の相手以外が視界から消える。

 

「スリーカウントでスタート。それでいい?」

 

「ええ、構わないわ」

 

「ほんじゃ行くよ。3、2、1、スタート!」

 

天津風と北上。艦種も性格も全く違う2人が全力でぶつかり合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「疲れた……」

 

北上との勝負は結果からいうと引き分けだった。それはいいとして、割とお互いガチでやりあったので疲労が大きかった。そして何より……

 

(お腹空いた…)

 

艦娘だって空腹を感じる。艤装をつけていなければそこらへんにいるいたって普通の少女と変わらないからだ。

カロリーだって気にするし、スタイル(どことは言わないが)だって気にする乙女だ。でもそれ以前に空腹には耐えられない。

 

格納庫に艤装を戻して、てくてくと食堂へ向かう。今日のメニューを受け取ると適当な席に座って食べ始めた。

 

 

そういえば今日は提督見ないわね。また叢雲に捕まって執務三昧にされてるのかしら。だとしたらご愁傷様ね。

 

あの人はちょくちょく仕事を抜け出してはいろいろ遊んだりしている。

工廠で変なもの作っていたり(全自動流しそうめん機は一回使ったきり未だ使われていない)、芝生に寝転んで昼寝していたり、食堂でお菓子とか作ってたり、かと思えば屋内演習場で運動していたり。

 

その結果やるべき仕事が溜まり、その溜まりに溜まった仕事を無理やりやらせるべく叢雲が提督を捕獲し、執務室に閉じ込めやられるのだ。

なんとか毎回終わらせてはいるようだが普段からこまめにやっとけばいいのにと思わなくもない。

 

 

食事を終えてからは特にやることもなくぼんやりと埠頭あたりを散歩していた。海風が吹いていて気分がいい。

 

「いい風ね……。」

 

たなびく髪を押さえながら呟く。今日も平和だ。

 

この後は本当に暇である。館山はやるべき事などの縛りがあまりないので好きにできるがこういう時は時間を持て余してしまう。

 

(お茶にでもしようかしら)

 

そういえば食堂に美味しそうなお菓子があった気が……

 

小腹が空いたらにしよう。そう決めてそのままのんびりと散歩をすることにした。基地は結構広いのでぶらぶらしているだけでそれなりに時間は経つだろう。

 

しばらくは徒然なるままに風を感じながら歩き続けることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああー、やっぱり甘いものはいいわ」

 

基地をぐるりと一周してから食堂に戻り、マドレーヌと紅茶を飲みながらまったりしていた。

 

ちなみにこのマドレーヌ、提督の手作りだったりする。ホントあの人なんでもできるわね。器用貧乏とかの部類に入る人な気がする。出来ないこととかあるのかしら?

でもそんなことばかりしてるから秘書艦の叢雲に怒られるのよね。

 

もきゅもきゅとマドレーヌを咀嚼して紅茶を一口。なんとも贅沢な一瞬のように感じる。

 

 

パタンと食堂のドアが開き矢矧が入ってくる。

 

「あら、矢矧じゃない」

 

「天津風。いいもの食べてるわね」

 

「厨房の中に置いてあったわよ。いくつか持ってきたら?」

 

「そうさせてもらおうかしら」

 

厨房の中に入っていくと、すぐに矢矧がマドレーヌとコーヒーをもって戻ってきた。

 

「天津風は紅茶派なのね」

 

「そういう矢矧はコーヒー派ね」

 

2人でクスクス笑いながらカップを傾ける。

コーヒーカップを見つめながら矢矧が話し始めた。

 

「ねえ、天津風。昨日の演習相手の艦娘たち、どう思った?」

 

「そうね…」

 

紅茶をもう一口啜る。唇を軽く湿らせてから答えを返す。

 

「なにかに取りつかれたような感じの必死さがあった気がする」

 

「…やっぱりそう思うわよね」

 

「何かあったの?」

 

矢矧が躊躇いながら口を開いていく。

 

「阿賀野姉の様子が変だなって思って」

 

天津風は無言で先を促した。

 

「私は提督に少し無理言って阿賀野姉と一対一でやらせてもらったのは知ってるわよね?その時に前会った時と違うなって」

 

「最後に会った時と比べて成長したとかじゃなくて?」

 

「違う。もっとこう……ダメね。うまく言葉に出来ない」

 

「でも何かおかしい気がするのね?」

 

「ええ、そうね」

 

正直なところ天津風自身も気にはなっていた。負けたくない気持ちはわかるがそれともまた違った異様な感覚。

 

「うーん、やっぱり言ってみるしかないんじゃないかしら」

 

「提督に?」

 

「そう。あの人ならなんとかしそうだしそらに私たちの相談ならちゃんとのってくれそうだし」

 

「……そうね。やっぱり相談してみるべきよね。ありがとう、天津風。ちょっとすっきりしたわ」

 

「いいわよ、それくらいね」

 

「じゃあ私はもう行くわ。提督探さないと」

 

カップを片付けて矢矧が食堂を去っていった。残された天津風は湯気が消えたティーカップをじっと見つめる。

 

 

今日1日、基地中を散策していたが提督の姿は一度も見なかった。一度も会わないというのはまずあり得ない。そして矢矧も口ぶりから会っていないようだし、朝食のときも昼食のときも食堂にはいなかった。

今日は出張で本部に行くなどという話も聞いていない。

 

(どこにいるのよ、あなたは)

 

少しだけ残っていた冷めた紅茶を飲み干して立ち上がった。

 

(もうちょっと探してみようかしら)

 

もし会えたら矢矧が探してると伝えてあげよう。そう思いながら食堂を出て行った。

 

 

 

結局その日、提督は見つからなかった。




いい風ね、が言わせたかっただけ。後悔はしていない。

感想、ご要望などはお気軽にどうぞ。では。


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五つの封筒


いい加減話を進めろよ!と思われるかもしれませんがご容赦をば。
牛歩なりに進めてるつもりなんです。

とにかく抜錨。




 

「ねえ、ゴーヤ。基地を旅行しない?」

 

「お願いするでち。置いといてもらうからにはしっかり基地の中を覚えておきたいし」

 

朝、イムヤが病室を訪ねてきた。

どうやらイムヤは基地を案内してくれるみたいだ。ようやく風邪のような症状も治まり、病室から出て普通の生活をしてもいいと許可が出て、何をしようかと考えていたからちょうど良かった。

 

 

「とはいってもイムヤ達が使うような場所は限られてるからねー。そこだけざくっと案内しとくね」

 

 

 

 

 

というわけでまず連れてこられたのは工廠だった。確かに使用頻度は高いとおもう。

 

「ここが工廠よ。今は明石しかいないみたいだけど夕張とかもよくいるわ。あと提督もよくここで艤装いじったりなんか作ったりしてる」

 

「明石の工廠へようこそ!あ、ゴーヤってあなたのことですよね?艤装が直ったのでちょっと見て欲しいんですけど」

 

明石と呼ばれた人がニコニコと笑いながら話しかけてきた。あそこまでボロボロになって壊れたゴーヤの艤装を直してくれたらしい。

 

「わかった、今行く!直してくれてありがとうございます!」

 

「いえいえ、それぐらい。んーと、大丈夫そうですね。中のプログラムまではちょっと見れないので今度提督にお願いしときます」

 

ゴーヤの艤装は完璧に直っていた。よくスペアパーツがあったなあ。優しく艤装をそっと撫でる。

 

(この前は無茶させちゃってごめんね)

 

「ゴーヤ、次行くわよー!」

 

「今行くでち!明石さん、ありがとう!」

 

ぺこりと一礼してイムヤを追った。

 

 

 

 

 

「医務室とか入渠用風呂とかは場所知ってるとおもうから飛ばして次は演習場に行きましょう」

 

演習場は結構広かった。畳の場所と板張りの場所と2種類あって、中には弓道場や射撃演習場なども併設されているみたいだった。

 

「弓道場はよく空母の人たちが使ってるわ。畳張りのところはたまに提督とかが体術か何かの訓練してるわね。板張りのところも似たような感じよ。ま、私たち潜水艦は潜ってナンボだからあんまり関係ないかも」

 

「今も弓道場は使ってるみたいだしね」

 

 

ヒュー、ストンという音が鳴り、矢が的に当たった。

 

「ダメね。真ん中から僅かにズレてる。瑞鶴、もう一回」

 

「もう……勘弁して………」

 

 

なんだか1人虫の息だけど大丈夫かな?

 

「あー、一昨日の演習で瑞鶴は大破判定もらっちゃってたらしいからそのせいかも」

 

「結構ここは厳しいの?」

 

「訓練は自分でやれって感じの放任主義よ。だからってやらないと実戦に出してもらえなくなるけど」

 

「えっ、なんで?」

 

「ちゃんと腕があればいいのよ、訓練とかしてなくても。ただ下手なの出して沈まれたくないって提督はいってたわね」

 

出撃するには結局ちゃんと訓練する必要があるみたい。瑞鶴の悲鳴を耳に残しながら演習場を後にした。

 

 

 

 

 

「はい、わかると思うけど食堂よ。たまに机の配置変えて宴会場になったりするわ」

 

「提督の作るご飯はおいしかったでち」

 

「本人曰く、”ひとり暮らしの時に作ってたら自然と出来るようになった”らしいわよ」

 

ふーん。またあの玉子粥食べたいな。でもそれ以外のレパートリーも食べてみたい。

 

「あの提督って出来ない事とか苦手な物とかあるのかな?」

 

「……そういえば特に思い当たらないわ。人間だから何かしらはあると思うけど」

 

「あれ、そういえば提督見ないね」

 

「そうね。まあどっかで遅めの昼寝してるか入れ違いで工廠に行ったとかそんなんよ、きっと」

 

随分とフリーダムな人なんだということはよく伝わった。

 

 

 

 

 

「執務室はここよ。万が一の可能性を考えて入らないけど提督に報告があるときはここよ」

 

「万が一って?」

 

「提督が真剣に働いてる可能性」

 

「へ、へえ…」

 

何というか……うん。

 

 

 

 

 

「さあ、最後はここよ!」

 

「何の変哲もない部屋だけど?」

 

強いて言うなら生活できそうな感じのする部屋だということくらいだ。

 

「ここはね…」

 

「ここは?」

 

「ゴーヤの部屋よ」

 

「ふーん、ゴーヤの…ってええ⁈」

 

このふかふかしてそうなベットが?木製でしっかりとした作りの机とか椅子とか箪笥とかが?

 

「こんないい部屋使っていいの⁉︎」

 

「私の部屋も間取りとか家具とかは同じよ。困ったら隣の部屋にいるからいらっしゃい」

 

「あ、ありがとうでち!」

 

「用意したの提督だから。あったら礼言っときなさい。あと希望すれば敷布団に変更も出来るから。それとこれ、部屋のカードキーよ。無くさないようにね」

 

放り投げられたカードキーをキャッチ。

まさか部屋1つ使わせてもらえるなんて至れりつくせり、だ。もっとこう、匿うから倉庫の中とかそういうところを想像していた。

 

「何から何まで申し訳ないでち…」

 

「気にしない気にしない。もうそろそろお昼だし、食事行きましょう!」

 

「わかった!」

 

2人で食堂へ向かう。今日のお昼は何だろう。そう考えている自分に気づいて少し驚いた。

 

(ゴーヤ、今楽しんでる?)

 

楽しかった。この間まで感じることのなかった感情に少し戸惑いを覚えたがすぐに頭からそんな思考は出ていった。

いい匂いが鼻をくすぐる。

 

お昼はどうやら餡掛けうどんのようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、あー、食後に悪いがちょっと呼び出しだ。14時までにイムヤ、執務室まで来てくれ。繰り返す。14時までにイムヤ、執務室まで来てくれ」

 

銚子との演習が終わってから2日後の昼、峻は放送でイムヤを呼び出していた。

 

「これ、頼まれてた報告書よ」

 

「さんきゅ、叢雲。特に何もなかったか?」

 

「ええ、なにも問題なかったわ。ところでいつ帰ってきたのよ?」

 

「つい1時間くらい前だ」

 

「ボウズじゃなかったのね、その様子だと」

 

「ああ。餌にしっかりと食いついた。あとは竿を引き上げるだけだ」

 

軍服の外套を椅子の背にかけて、大きく伸びをすると背骨がバキバキと鳴った。

 

「叢雲、これに目を通しといてくれ。今すぐじゃなくていい。明日までで頼む」

 

執務室の机の引き出しから大き目の封筒を取り出して叢雲に渡した。

 

「…了解。後でちゃんと見とく」

 

「あとこっちの封筒は今から明石に渡しに行ってくれないか?」

 

「わかったわ。じゃ、行ってくる」

 

2つの封筒を携えて叢雲が執務室から退室した。

そして手元にはあと3つの封筒が残っている。そのうち1つを渡す相手は……

 

「提督、入るわよ」

 

イムヤがアホ毛を揺らしながらはいってきた。そう、イムヤにこの封筒を渡す。

 

「イムヤ、この封筒の中身を今ここで見てくれ。ただし声は出すなよ」

 

怪訝な顔つきになりながらイムヤが封筒を受け取り中身を取り出した。

中に入っていた紙に目を通していくとだんだんと眉をひそめていく。

 

「やるのは構わないわ。ただ、手段やその他諸々は私の自由にさせてもらうわよ」

 

「わかった。必要なもんは言ってくれれば用意できるもんは用意する」

 

「特に必要ないわ。じゃ、準備してくる」

 

わずか5分程度の会話をしてイムヤも部屋を出ていった。

 

執務室に1人、ぼんやりとしたまま手元の叢雲が作ってくれた報告書に目を落とす。

明日は銚子まで行き、矢田大佐に報告書を渡してこなければ。

約束は守らないといけない。

 

欠伸を噛み殺しもう一度大きく伸びをする。

 

「くそっ。やっぱ徹夜は辛いな」

 

目を(しばたた)きながら心に誓った。

今日はゆっくり寝とこう、と。

 

適当な酒を片手に寝室へ向かった。明日は早い。寝酒を一杯やったら寝るとしよう。まだ夕方にもなってないけど。





次回から話を一気に動かす予定です。
まだまだ続きますがご容赦を。

ご要望や改善点などありましたらお気軽に教えていただけると助かります。


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最後の中身


前回の封筒の残り2つの中身がついに明かされる!

そんな話です。個人的には話が一気に動き始めると思います。



 

早朝の6時。

峻は自室で軍服を着ていた。

しっかりとシャツのボタンを閉め、その他の装備を付ける。

支給されている外套を羽織り自室を出たところで呼び止められた。

 

「提督」

 

「矢矧か。なんだ、こんな朝っぱらから」

 

心中で舌打ちをする。できれば誰にも気づかれないうちにここを出たかった。

 

「珍しく早起きなのね」

 

「まあな。悪いが急いでるんでな。もう行くぜ」

 

「待って」

 

背を向け行こうとした峻に矢矧が制止をかけた。

 

「銚子に行くんでしょう?」

 

「……だとしたらどうする?」

 

「私も連れてって」

 

矢矧の唐突な頼みに眉をひそめる。

何も言わない峻に焦れたのか矢矧が語り始めた。

 

「この前の演習、阿賀野姉の様子がおかしかったの。どこか怯えてるっていうかそんな感じね。私は阿賀野姉のことは好きよ。だって姉妹だもの。だからなんとかしたい。そして提督、あなたは銚子基地に対して何かしようとしてる。違う?」

 

「……間違ってはいないな」

 

「何をしようとしてるかまではわからない。けどそれが阿賀野姉のためになるなら協力したいし、もし阿賀野姉が傷つくなら止めたい」

 

制服のスカートをぎゅっと握りしめながら真っ直ぐ見つめてきた。

 

「だから連れてって。お願いします!」

 

ばっ、と勢いよく頭を矢矧が下げた。

 

あの矢矧が頭を下げる、か。ここまでされたら連れていくしかなくなるだろうが。ただできれば置いていきたいんだがな。念のため一回突っ撥ねとくか。

 

「危ない目に合うかもしれねえぞ」

 

「それでもお願い!」

 

こりゃ梃子でも動かんな。

1人くらいいた方が何かと楽だろうと無理やり自分を納得させる。

 

「しゃあねえな。矢矧、じゃあ工廠でこのメモに書いてあるもん明石から受け取って来い。5分以内でな」

 

胸ポケットから手帳を取り出して書きつけるとそのページを引きちぎり矢矧に渡した。

ぱあっと矢矧の顔が明るくなる。

 

「ありがとう提督!すぐに戻ってくる!」

 

どうなっても知らねえからな、全くよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

峻と矢矧が向かったのは矢矧の予想通り銚子基地だった。

早くに出たおかげでまだ昼前だ。

 

峻の一歩後ろを矢矧が歩く。

こういった秘書艦のような役はたいてい叢雲がやっているのであまり慣れない。

ただ今回はそんなことで駄々をこねている場合ではないのだ。

 

提督が何を考えて何をしようとしているか。その結果、阿賀野姉が傷つくようなことが起きないか見張りたい。

私情しかない理由をこの人は許可してくれた。ならこれ以上私情を挟むのは止めておきたかった。

 

コンコンと峻が銚子の執務室のドアをノックする。

 

「入りたまえ」

 

「失礼致します」

 

ドアを開けて提督を先に入れてから自分も入室し、大きな音を立てないように慎重にドアを閉めた。

 

執務室には矢田大佐と秘書艦の陸奥がいた。矢田大佐は執務机の椅子に座っており、陸奥はその横に立っていた。

 

「先日の演習についての報告書を持ってまいりました。こちらです」

 

矢田大佐に峻がしっかりと封のされた封筒を手渡した。

 

「ふむ、ご苦労」

 

「いえ、恐縮です」

 

うちの提督、普段あんなに適当なのにちゃんとした態度や話し方もできるのね…。

 

ちょっと失礼なことを考えたせいでこみ上げた笑いをなんとか無表情で抑えた。

 

「で、今日はそれだけかね?」

 

「いえ、むしろ矢田大佐が何かおっしゃることがあるのではと思っているのですが」

 

「何の話かわからんな」

 

「そうですか。では単刀直入に言わせていただきます」

 

すぅ、と息を吸って吐き出した。

 

「深夜にお一人で海に出られていることについて伺いたいのですが」

 

「なんのことかね。私は夜もここに──」

「下手な嘘はやめてください。今のうちに正直に言っていただければ、自分が上に口を利いて多少の温情をもらうこともできます」

 

「……何が狙いだ」

 

今までのどこか上からな話し方を止めて急にドスの効いた低い声に矢田大佐が変わった。

 

「金か?地位か?」

 

「いいえ。そのような物のためではありません」

 

きっぱりと断った。まあこの状況でお金!って答えたりしたらドン引きだけどね。

 

「矢田大佐、正直におっしゃってください。できれば自分の口から言われた方がよろしいかと。これが最後のチャンスですから」

 

 

提督、あなたはいったい何を知っているの?何を矢田大佐に言わせようとしているの?

 

シン、と執務室が静まり返る。ゆっくりと矢田大佐が口を開いた。

 

「わけがわからん。私が君に何を言うべきなのかね?」

 

 

よくわからない。けれど提督の目論見が外れたのはわかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だめだったか。できれば自白が欲しかったが仕方ない。

 

「それでは私の口から言わせていただきます」

 

息を大きく吸って一息に言ってしまう。もう温情なんてくれてやんねえからな。

 

「深海棲艦と内通している件について伺いたいのですが」

 

 

執務室がシン、と静まり返った。

 

「はっはっは!」

 

矢田大佐が声をあげて笑う。

 

「いきなり何を言い出すかと思えば!私が深海棲艦と内通している?冗談も大概にしたまえ!」

 

「そうですね。確かに冗談であってほしかったものです」

 

5つあった封筒は、1つ目は叢雲に、2つ目は明石に、3つ目はイムヤに、そして4つ目はさっき提出した報告書が入っていた。最後の1つは俺が今持っている。

 

最後の封筒から一枚の写真を出し、机の上に滑らせた。

その写真を見ると矢田大佐の顔が驚きに変わる。

 

 

「これでもまだシラを切りますか?」

 

その写真には小型船にのった矢田大佐と、そしてその船の正面の水上に立つ真っ白な髪の深海棲艦の姿があった。

 

 

「よくできた合成写真だな」

 

驚きを顔に貼り付けたまま矢田大佐があくまでも違うと否定する。

 

「この封筒のなかには他の証拠もありますが?深海棲艦と接触している動画も。音は掠れて完全に聞き取れはしませんが正確な時間もわかります」

 

 

なんのために演習が終わって館山にかえってからすぐに姿を消したと思っている。

約2日間ずっと銚子基地を見張っていたのだ。

”お前が深海棲艦と通じていることを知ってるぞ”

とカマをかけたらすぐに動くと読んだからな。読み通りすぐに深海棲艦と接触してくれた。それを俺はドローンを使って映像を撮影しておいた、というわけだ。

 

そもそも俺がここまで動くきっかけとなったのはゴーヤの話だ。

あの時、ゴーヤが病室で俺に話した事実はそれぐらい衝撃的だった。

 

 

 

 

 

「ゴーヤは見捨てられたの」

 

「どういうことだ?」

 

「正確に言うなら口封じに殺されかけた、かな」

 

「……………」

 

「ゴーヤは見ちゃったの。矢田大佐が…」

 

「矢田大佐が?」

 

「夜に小型の船で沖の方に出て行ってね。変だなって思って艤装を着けてこっそり後をつけたの。そしたら深海棲艦と話をしてるところを見たでち」

 

「なんだって⁈」

 

「次はあそこの艦隊を襲ってくれって。これがそこの艦隊の編成と装備、基本的な陣形だからっていって何か渡してた」

 

情報漏洩どころの騒ぎじゃなくなってきたぞ、これは。

 

「次の日止めようと思って矢田大佐に言いに行ったら1人で出撃させられてそれで………」

 

「沈ませて口封じをしようとしたってことか……」

 

「死に物狂いで逃げて、でも途中で直撃弾をくらって意識がなくなって……。後は知ってる通り、拾われて助けてもらえた」

 

「なんてこった!矢田大佐は深海棲艦と通じてるのかよ!これを基地の艦娘たちは……?」

 

「知らないよ、きっと。知ってても言えないよ。また殴られるかもって常に怯えてるから」

 

ゴーヤはまだ配属になったばっかりだったから言えたけどね、と付け加えた。

 

「あそこの艦娘たちは脅されてる。だから言えないの」

 

そういうことでち。とその胸糞悪い話をゴーヤは締めた。

 

 

 

 

 

「ある人物が教えてくれました。矢田大佐、あなたが深海棲艦と接触して情報を渡し、友軍を襲わせていると!そのレポートもこの中に入ってます」

 

「………」

 

「まだシラを切りますか?」

 

証拠は最初から全部揃っている。ここでシラを切っても問題なく拘束はできる。ただできれば自分で罪を認めてほしかったが。

 

証拠の入った封筒を矢田の机にぶちまける。中から次々と出てくる写真やレコーダーなどの数々。

 

「館山基地にはコピーがあるのでこれらは差し上げましょう」

 

 

今度こそ執務室が完全に静かになる。

後ろで矢矧が狼狽えているのがわかるがほっとくことにした。

 

「チェックメイトです。矢田大佐」

 

俺の声だけが執務室に響いた。





帆波さんにチェックメイトって言わせたかっただけの回でした。
ゴーヤの伏線?っぽいのはここに繋げたかったんです。
それではまた次回にお会いしましょう。


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一つ目は

四つ目と五つ目の封筒の中身が明らかになりました。
タイトルからわかるように次は一つ目の封筒です。

それでまいりましょう。



「ふ、ふふふふふ」

 

不気味に矢田大佐が笑う。

 

「そうだよ、確かに私は深海棲艦に情報を渡して襲わせた」

 

「なんでよ!なんでそんなことを!」

 

「口を慎め、軽巡風情が!」

 

「なんですって!この────」

 

「矢矧!」

 

峻が一喝すると矢矧が大人しく引き下がる。頼むからまだ大人しくしててくれ。

 

「なんで、か。そんなもの理由は1つだ」

 

出世だよ。と矢田大佐が顔に笑いを浮かべながら言った。

 

「他が消えれば自然と出世はしやすくなる。だから襲わせた」

 

大方そんな理由だろうとは思っていたが聞いてみると想像以上に胸糞悪いものだな。

たださっさと投降して拘束させてくれるわけではなさそうだ。

 

 

「さて、帆波少佐。君は私をどうするつもりかな?」

 

「拘束して本部に引き渡すつもりです」

 

「そうか。困ったな。私は捕まるわけにはいかんのだ。黙っておいてはくれんかね?金ならいくらでも積もう」

 

「お断りします。私はそのようなものを求めているわけではないので」

 

「そうかね。黙っておいてはくれない、と」

 

「端的にいえばそうなります」

 

話は決裂した。俺は金はいらないし、他の何をされてもこの事態を報告するのを黙っている気はない。一方矢田は何を積んでもいいから黙っていてほしい。

話は平行線だ。もともと交わる可能性など皆無なのだから。

 

 

「……少佐、ある仮定の話を聞く気はないかね?」

 

「仮定、ですか」

 

用心深く答える。

矢田が口角をあげてニヤリと笑う。

 

「例えば、たった今少佐の基地に深海棲艦が攻め込んで基地が壊滅したとしたら?もし君がここに来ずに基地と運命を共にしたら?そういう仮定は面白くないかね?」

 

「…………」

 

「それって……まさか!」

 

「そこの軽巡は気づいたようだが?まああくまでも仮定だよ、少佐」

 

矢田が邪悪に笑った。そしてタイミングよく、矢田に通信がきた。

 

「ふむ、ほうほう。そうかね。ご苦労」

 

首のデバイスのスイッチを切り、にんまりとこちらを見てきた。

 

「たった今きた情報だ。深海棲艦の侵攻艦隊が接近しているそうだ。目標は館山基地と推測されている。いやはや残念だ」

 

演技くさく矢田が額に手を当てて残念がる。

 

 

峻は無表情で胸ポケットから手帳を取り出して何かを書きつけるとそのページを破り二つ折りにした後に、後ろに控えている矢矧に手渡した。

 

「矢田大佐、一言電文を送らせていただきたいのですがよろしいですか?」

 

「最後の言葉くらいは残させてやろうか。好きにしたまえ」

 

確認をとると矢矧の方を見て矢矧の肩に手を乗せた。

 

「矢矧、今渡したメモに書いてある内容を一言一句違わず館山に送ってくれ」

 

「提督!あなたは……」

 

「矢矧。いいから行け。大丈夫だ」

 

何か言おうとする矢矧を遮って穏やかな顔で送り出す。何か言いたげな顔をしながら矢矧が執務室から出て行った。

 

「指揮はとらせんよ」

 

もはやこの男は隠す気もない。指揮が執れないか。構うものか。

 

「お話をしながら指揮を執るような失礼をするつもりはありませんよ」

 

「そうかね。ご立派な志だ」

 

そう言って矢田はせせら笑った。

 

「命乞い、というわけではありませんがせめて彼女たちの戦いが終わるまでここにいさせてもらいたいのですが」

 

「その程度の時間はやろう。私は情け深いのでね」

 

どの口がそんなことを言えるのか。矢田は基地を潰して証拠のコピーを抹消し、かつ峻と矢矧も殺すことで完全な口封じを図っているのに、だ。

 

 

「陸奥、お茶を入れてもらってもいいか?」

 

「え、ええ。わかりました」

 

さっきまで空気だった陸奥にお茶を入れてもらうように頼む。陸奥は唐突に話しかけられて戸惑いを隠せていない。お茶が入るのを待つ間に来客用のソファにふわっと腰掛けた。

 

「最後の晩餐ならぬ最後の茶か。せいぜい楽しみたまえ」

 

「なにを勘違いなさっているか、私には分かりかねますが」

 

「……どういうことだね?」

 

「茶を頼んだのは喉が渇いたからですよ。そもそも私に死ぬ気はありません」

 

「……」

 

眉をひそめて怪訝そうな表情を矢田が浮かべた。

 

「あいつらは勝ちますから」

 

さらりと峻が言った。目の前に湯呑みがコトリと置かれると陸奥に微笑みかけながら礼を述べた。

 

「ふふ、はははは!少佐、侵攻艦隊の規模を知っているかね?戦艦と空母を複数含んだ艦隊だ!貴様ら如きの数で勝つことなどできない!不可能だ!」

 

「そうですかね。なら言わせてもらいますが」

 

峻はこれまでの丁寧な仮面を剥ぎ取り、どすの利いた低い声を出した。

 

 

「あまり俺の仲間を舐めるなよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「阿賀野姉、ありがとう。助かったわ」

 

「ううん。大したことじゃないよ」

 

矢矧は電文を頼まれたあとどこに送信機があるのかわからず困っていたところを姉である阿賀野に案内してもらいなんとか送信機のある部屋まで来れた。

 

(でも内容あれだけでいいのかしら?)

 

峻から渡されたメモにはたった4文字しか書かれていなかった。これから攻め込まれるのにそれだけで足りるのだろうか。

 

でもそれだけで足りると思ったからこれだけしか提督は書かなかったのよ、きっと。

そう思い直して文を入力して館山基地に送信した。

 

 

その背後に阿賀野が忍び寄る。

 

「ごめんね、矢矧」

 

阿賀野が隠し持っていたスタンガンが矢矧に振り下ろされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

基地に警報が鳴り響く。深海棲艦の侵攻艦隊がここ、館山に向かってきているからだ。

 

「叢雲ちゃん、矢矧ちゃんから緊急電文が来ました!」

 

執務室でいつもならあいつが座っているはずの椅子に座っていると榛名が駆け込んできた。

 

「内容は何?」

 

「えっと、ん?『天地崩落』です。どういう意図でしょうか、これは」

 

天地崩落。つまりそういうことね。

 

「榛名、出撃準備を。他の今出られる艦娘全員にも通達!急いで!」

 

「すみません。叢雲ちゃんにその権限はないのでは……」

 

「平時ならね。でも今ならある。艦娘運用条例、わかるわよね?」

 

艦娘運用条例。世界で定められた艦娘運用に関するルールである。

 

 

・艦娘は対深海棲艦用の兵器である。

・艦娘の個人の利益のための戦闘行為を禁ず。

・艦娘は司令官の命令を遵守すること。

・艦娘は人民を守護すること。

・艦娘は上記に反しない限り自らの保全を優先すること。

・艦娘は司令官が不在、または指揮能力喪失と判断される場合に限り旗艦が戦闘指揮を執る。

・艦娘は上官の許可が出た場合、自らの身を脅かす人間への発砲を許可する。

 

この7つの条項に基づき艦娘は世界で運用されている。

 

 

「現在あいつは館山に居ない。電文を送ってきたところをみると指揮も執れない」

 

「まさか!」

 

「私は帆波隊第一艦隊旗艦として現時点における帆波峻は指揮能力を喪失と判断する」

 

わずかな沈黙。榛名が顔を上げて覚悟の決まった目になる。

 

「わかりました。叢雲司令官、出撃準備に入ります!」

 

「もちろん私も出るわ。行くわよ!」

 

2人が廊下を走り、格納庫へ向かう。

他の艦娘たちも向かっているはずだ。

 

 

「叢雲ちゃん、あの電文の意図は何だったんですか?」

 

ふと思い出したように榛名が聞いてきた。

 

「ああ、あれ?榛名、杞憂って故事知ってる?」

 

「ええっと中国の杞の国の人たちが天地が崩れ落ちることを心配したっていうことからできた言葉ですよね」

 

「正解。そして天地が崩落した、つまり杞憂で済まなくなった。そういうことよ」

 

「少佐の杞憂、ですか」

 

 

昨日渡された封筒の中に書いてあったのだ。

”明日深海棲艦の侵攻艦隊がうちに襲撃してくる可能性がある。ないとは思いたいが警戒しておいてくれ”

と。

 

残念ながら予感は当たったみたいね。深海棲艦は来たわよ。

 

 

格納庫に入り、艤装を装着し、一斉に通信で全員に通達する。

 

「敵艦隊の規模は不明!でも結構な数揃えてきてるみたい。何としても基地を守り抜くわよ!」

 

『『『了解!』』』

 

 

日頃あいつとシュミレーターで戦っているから指揮官としてもそれなりにはやれるはず。

それにああ言われたら、ね。

 

 

叢雲に渡された封筒には2枚紙が入っていた。1枚目には侵攻艦隊の可能性について。そして最後の紙にはたった一言だけ書かれていた。

 

 

”任せた”

 

 

上等よ。やってやろうじゃないの。

 




徐々に話が進み始めるっ……
叢雲と帆波さんの信頼がうまくかけてるかどうか…



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司令官叢雲

叢雲のターン!
キャラがだんだんとチート化していく…




索敵機から入電よ。敵艦隊の総数は12。戦艦3、空母2、軽空母2、重巡1、軽巡2、駆逐2です」

 

「ありがとう。索敵機を帰還させて。瑞鶴もよ」

 

加賀の索敵機7号機が敵艦隊を捕捉した。結構な数だ。

 

「いい?私たちの目的は基地を守ることよ!絶対にここを通してははいけない。何としても撤退に追い込ませるわよ!」

 

 

士気は十分上がっている。敵は目視ですら確認できるレベルまで接近していた。

 

敵は実際のところ数で言えばこちらを上回っている。それでもいける気がした。

 

 

「北上、敵艦隊の真ん中に魚雷を数発うちこめる?」

 

「いいけどなんで?」

 

砲弾をひょいひょい躱しながら北上が聞いた。

 

「敵艦隊を分断させる。機動部隊と打撃部隊にわけてからこちらも部隊を2つにわけて迎撃するわ」

 

「んー、わかった。あらよっと!」

 

圧搾空気が解放され魚雷が飛び出した。そしてちょうど深海棲艦たちの真ん中に滑っていく。深海棲艦が回避すると見事に2つに分かれた。

 

 

「今よ!加賀、瑞鶴、攻撃隊出して!夕張と鈴谷は防空戦闘用意!敵機動部隊をお願い!天津風と北上と榛名と私は敵打撃部隊を叩く!」

 

「了解!第一次攻撃隊、発艦始め!」

 

「了解。攻撃隊、発艦しなさい」

 

2人の空母が弓を引き絞り放つたびに矢が艦載機に変化し編隊を組んで飛んでいく。

敵機動部隊も負けじと艦載機を出し始めた。

 

「加賀、そっちの指揮任せるわ。打撃部隊はこっちが引きつける」

 

「了解しました。武運を祈ります」

 

「ええ、そっちもね」

 

二手に分かれた深海棲艦を追って叢雲率いる打撃部隊と加賀率いる機動部隊が分かれて攻撃を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深海棲艦の空母群が艦載機を放つ。直掩を残して他の艦載機を一気に迎撃に当たらせた。

ばらばらと落ちていく深海棲艦の異形の艦載機と自分たちの出した零戦。

 

「瑞鶴、艦爆と艦攻を重点的に出して」

 

「でも!向こうのほうが数も上まわりすぎてる!艦爆や艦攻じゃすぐに落とされる!」

 

確かに航空戦において艦戦が少ないのは致命的だ。()()()()()

 

「私が艦戦をだすから大丈夫よ」

 

「いくらなんでも1人であの数は……」

 

「あの程度、鎧袖一触よ。心配いらないわ」

 

航空戦を抜け出てきた敵艦載機が鈴谷と夕張の張った弾幕にさらされて落ちる。それを抜けたものたちが放る爆弾や魚雷をすい、と躱して次の矢を番え放つ。

 

私が出したもの以外が艦戦でないことに気づいたのか深海棲艦がニィと笑ったような気がした。

 

笑っていられるのは今のうち。すぐに後悔することになるとも知らずに愚かね。

 

 

「ちょっと!数が多すぎよっ!」

 

「ああもう!ウザったい!」

 

「夕張、鈴谷。だらしがないわ。もう少しくらい耐えなさい」

 

加賀の鬼!という声が聞こえるが無視する。艦載機を操るために集中する必要があるからだ。

 

 

イカのような形の深海棲艦の艦載機と加賀と瑞鶴の艦載機が乱れ交う。

 

瑞鶴の艦爆が上昇。それを追おうとする敵艦載機を加賀の艦戦が逃さないとばかりに機銃を乱射し行く手を阻む。グンとターンしその鉛弾を躱し、狙いを加賀の艦戦につけようとすると上空から瑞鶴の艦爆によって投下された爆弾にあたり、敵艦載機が一機爆散する。

爆風に煽られバランスを崩した敵艦載機の一瞬の隙を突いて加賀の艦戦が襲いかかった。

 

「瑞鶴、あなたは後は敵空母群をやりなさい。艦載機の相手は私がやります」

 

「了解!攻撃隊、行くわよ!」

 

航空戦が繰り広げられる中を瑞鶴の艦爆と艦攻が飛び出した。それを止めようと追いかけた深海棲艦の艦載機を鉛弾が穴を穿ち海に叩き落とした。

 

「私を無視してどこへ行こうとしているのかしら」

 

艦爆と艦攻を止めようと加賀の艦戦との戦いを抜け出そうとした敵艦載機から、鉛弾の雨を受けて次々と炎を上げて落ちていく。

 

「ここは譲れません」

 

そこに驕りや慢心は微塵も見えることはない。

 

 

敵空母群に辿り着いた瑞鶴の艦爆は目標を見据えて一気に降下した。

 

突破されるとは思っていなかったのだろう。しっかりとした対空姿勢が整っていない。(まば)らに撃たれる高角砲を艦爆は易々と躱していく。

 

「やっちゃって!」

 

艦爆を瑞鶴が駆り絨毯爆撃。そして逃げようと散開したタイミングを狙って艦攻が一気に魚雷を離した。

爆撃音と水柱が立ち、敵の姿が見えなくなる。

 

「敵空母一隻轟沈を確認!残りも中大破よ!」

 

「鈴谷、突撃するよ!」

 

「やめなさい。やる意味は薄い」

 

もうここまで叩けば問題ない。軽巡クラスが牽制弾を撃ちながら機動部隊が退いていく。

 

「敵機動部隊の撤退を確認。別命があるまで現状で待機」

 

「はふぅ、疲れた…」

 

夕張が張っていた肘肩をだらんとさげて力を抜いた。

 

「むこうはどうなってるかねー?」

 

「そう言いながらわかってるんじゃないの、鈴谷はさ?」

 

「お、瑞鶴言うねぇ」

 

ニヤニヤと鈴谷が笑う。

 

「んー多分だけど叢雲が暴れてそろそろ終わってる頃じゃない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「榛名と北上は隙を見つけ次第個人の判断で撃って」

 

マストを捻り引き抜くとすらりとした抜き身が陽光を反射する。

 

「天津風は砲撃で私のバックアップよろしく。さあ、行くわよ!」

 

出力上昇。主砲装填完了。降り注ぐ砲撃を複雑な航行で避けてグングンと前進する。

 

「くらえっ!」

 

砲撃が放物線を描いて戦艦タ級に命中するが、目立った外傷は生まれない。

 

さすが戦艦。駆逐艦程度の砲撃は豆鉄砲ってとこかしら。

 

お返しとばかりに撃たれた砲撃が近くに着弾しふらりとよろめく。砲弾の破片が艤装を叩き、不気味な音を発した。

 

戦艦タ級3隻が一斉に砲撃しすべてがこちらに向かってくる。右ステップ、バックステップ、もう一度右ステップ。

 

ギリギリでの回避を余儀なくされながらも間一髪でなんとか逃げ続ける。

 

でもこれでいい。私に砲撃を集中させろ。私だけを狙え。そうすれば……

 

「主砲、斉射!始め!」

「四十門の酸素魚雷、行きますよー」

 

榛名の主砲が全て火を吹き、北上の魚雷発射管から多数の魚雷が発射された。

 

 

そうすれば榛名や北上が照準をつける時間が稼げる。そして砲撃が来ればそちらに意識を割かざるを得ない。

 

「そうすれば今度は私を見失う!」

 

一気に接近。牽制として撃たれた副砲を身を屈めて躱し懐に飛び込んだ。

 

「やあああっ!」

 

右手に握った刀で幹竹割り。後ろに退こうとしたところをそのまま追いかけてもう一度刀を振り切ると、タ級の主砲が合計2つ斬り飛ばされた。

 

 

対深海棲艦刀”断雨(たちさめ)”。深海棲艦との近接戦闘を想定した研究チームの開発した打刀型の武器だ。本来艦娘は砲撃戦が主体のため、研究チームは解散したが、その時の試作品を峻が引き取り仕込み刀に改造したものが叢雲が今振るっている刀だ。

ただし、戦艦の装甲相手ではさすがに無理があると判断したので主砲を斬り飛ばすのが限界なのだが。

 

 

タ級が主砲を斬られるというかつて経験したことのない現象に戸惑う。

その隙を叢雲は見逃さない。

 

「榛名、今よ!距離450、ジュリエット!」

 

「了解です!砲撃開始っ!」

 

榛名が撃つと同時に叢雲も魚雷を打ち込み確実に沈めにかかる。しかし沈む瞬間を見届けるヒマなどない。

 

「次!北上、魚雷発射!角度3.75、数10、アルファへ!」

 

「了解っと!」

 

10発の魚雷が次の戦艦に迫っていく。沈みはしないだろうが損傷は受けるはず。

そう考えていると、またも叢雲のそばに砲弾が落ちる。

立った水柱のサイズからして軽巡と瞬時に判断。

 

「天津風、連装砲くんで軽巡を抑えて!」

 

「わかったわ!連装砲くん!」

 

連装砲くんこと正式名”自律駆動砲”が軽巡ヘ級に向かって砲弾を撃ち出す。

 

ジリジリと、だが深海棲艦の艦隊を着実に退かせていく。

 

 

いける。北上はそう思った。前で叢雲が敵を引きつけてくれているおかげでとてもやりやすい。そしてギリギリの回避を強いられているにもかかわらず、的確な指示を出してくれているのもありがたかった。

 

魚雷を再装填させている間、ぐるりと海を見渡すと不意に叢雲の後ろに急速接近している物がみえた。

 

「っ!叢雲、後ろ!」

 

駆逐ロ級が特攻を仕掛けてきていた。おぞましい歯のついた口を大きく開けて襲いかかった。

 

 

「このッ!」

「えっ……」

 

北上は我が目を疑った。

叢雲が振り返りざまに刀を真横に一閃。そのまま真っ直ぐに駆け抜ける。

次の瞬間、ロ級が真っ二つに割れ、大量の水飛沫をあげて沈んだ。

 

アレ?ロ級って2つに斬れるものだっけ?そもそも深海棲艦って斬れるものなの?

 

 

「ちょっと待って!叢雲、今の何⁈ロ級って斬れるの⁈」

 

「珍しく大慌てね。別に出来なくはないわよ。こういうデカブツを斬るには少しコツがあってね。切り傷をつくったらそこに刃を押し当てて行けばあとは自重と突っ込んできた勢いで勝手に裂けてくのよ」

 

そんなことできるのは艦娘多しと言えども叢雲くらいのもんだと思う、とは北上は言わなかった。それに正直思考が追いつかなかった。

 

 

「こちら天津風。軽巡の轟沈を確認!」

 

「こちら榛名。重巡を大破。やりました!敵艦隊が撤退していきます!」

 

「追撃はしないわ。今加賀から通信が来たけど向こうも撤退したみたいよ」

 

ふぅ、と張り詰めた緊張をといた。

あとはあいつに連絡しとかないとね。

 

鞘に断雨を戻し元のマストに戻す。

そして峻のコネクトデバイスに通信を入れる。

 

 

「こちら叢雲。侵攻艦隊の撃退を確認。こちらの損傷は軽微。基地の防衛に成功したわ」

 

それにしても嫌にあっさりと退いたわね。

 

 




艦娘たちの軽い本気を書こうとしたらこうなった。後悔はしない。

まだまだ佳境。これからです。


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二つ目と三つ目

そろそろ書溜めが消える!やばい!

次の話がうまく浮かばなくて苦労してますがそれでも投下。

5/29誤字訂正しました。


カチコチと時計の秒針が時を刻む。

 

「少佐、先の連絡からかれこれもう2時間以上経過した。なかなか君の艦隊も粘るね?それとも早くに全滅して報告が遅れているのかな?」

 

ニヤニヤと矢田がこちらを見ながら挑発してくる。完全に自信の勝利を確信した顔で。

 

「あいつらがやられたなんてことはありえませんよ」

 

「その命、相当惜しいものと思えるな。事実を認めたまえ。君の艦娘たちは死んだのだよ!」

 

ケラケラとさも可笑しそうに笑う。

 

「そして少佐、君も死ぬ。約束通り待ったが無能な艦娘たちは無様に負け──」

「いいから黙っててください」

 

最後まで言い終えぬうちに静かに、しかし強い気迫と共に峻がいった。

その気迫に押されて矢田は口を噤んだ。執務室のドアがギシリと軋む。

 

 

あいつらが負けた?あり得ない。()()()()()()()()()()()()の戦力でやられるわけがない。

 

 

湯呑みに口をつけ、冷めかけた茶を一口飲む。来客用の机の上にそれを置こうとして自分のコネクトデバイスに通信が来たことに気づいた。

 

「基地から通信がきたので出たいのですが」

 

「おや、死刑宣告がようやくきたか。スピーカーモードにして出たまえよ」

 

 

いいだろう。言う通りにしてやろう。

ゴトリと机におかれたスピーカーの配線を首のデバイスに接続する。

 

 

「俺だ」

 

『こちら叢雲。侵攻艦隊の撃退を確認。こちらの損傷は軽微。基地の防衛に成功したわ』

 

 

矢田の余裕ぶった表情がさあっと蒼ざめたが無視をした。

 

「了解だ。基地を第三種警戒体制に移行。別命あるまで待機だ。ただし指揮権はまだそっちに預けとくから何かあったらそっちで勝手に動いてくれて構わない」

 

『了解。基地を第三種警戒体制に移行するわ』

 

「じゃ、任せたぜ」

 

『任されたわ』

 

 

プツンとスピーカーから音が切れて通信が終了したことを告げる。

 

「バカな!二艦隊だぞ!それを2時間程度で片付けたというのか!」

 

出撃準備やらなんやらを含めれば実質かかった時間はもう少し短いはずだがな。

 

「さて、あなたの仮定話は崩れたようですが」

 

「ぐ……ならば仕方あるまい…」

 

「では拘束させていただき──」

「動くな!」

 

腰を浮かしかけた瞬間に止められて仕方なく座り直す。面倒くせえな。さっさとお縄につけよ。

 

「いい加減にして欲しいのですが」

 

「君は艦娘は大事かね?」

 

「ええ、もちろんですとも」

 

「なら動くな。君の連れてきた艦娘の矢矧がどうなっても──」

「あら、私がどうかした?」

 

執務室のドアが開き、矢矧が部屋に入り、そのまま横の壁に背を預けた。今度こそ矢田が静かになってしまう。

 

 

「よお矢矧。わざわざタイミング計ってまでの登場お疲れ」

 

「なによ、気づいてたの?」

 

「隠れてるつもりなら気配ぐらい消せ。それとドア軋ませてんじゃねえよ。バレバレだ」

 

「…次から気をつけるわ」

 

次はないと思うけどな。こんなことそうそうあってたまるか。

 

「なぜだ!なぜ貴様はそこにいる!」

 

驚きから立ち直った矢田が机を両手で叩き、叫ぶ。

 

「提督に事前に渡されてたのよ、麻酔煙幕玉って物を」

 

 

矢矧が付いてくると言って聞かないと悟った時点で工廠に取りに行かせたものだ。自分が襲われる可能性を見越して事前に明石に作らせたものだが役に立ったようで何よりだ。

 

「にしても矢田大佐、あなたはどこまで腐っているのよ!阿賀野姉に、他の子たちに何をしたの!」

 

 

矢矧は思い出す。自分を攻撃しようとした時の姉の顔を。ごめんね、と謝りながら涙でぐちゃぐちゃになった顔を。他の艦娘たちが辛そうに眼に涙を溜めながら自分を倒さんとして来た時を。

 

「さてな。その様子だと何かされたのか?まあ戦うのが貴様らの仕事だ。それが貴様に向いただけだ、野蛮な兵器どもが」

 

「違う。矢田、あんたは暴力や弱味を握って脅してたんだ」

 

遂に俺は丁寧語を使うことを止めて呼び捨てまでした。こんな奴に敬語を使うのすらもったいない。

 

「違うか?そこらへんも情報提供者から聞いている」

 

その情報提供者とはゴーヤなのだがわざわざそんなことまで教えてやるようなことはしない。

 

「万策尽きたか?深海棲艦に基地を襲わせて証拠隠滅を図り、それに失敗したから矢矧を人質にして俺を消そうとする」

 

のんびりと足を組んで座ってたソファから立ち上がる。

 

「読めるんだよ、その程度の浅知恵は」

 

「なっ……」

 

矢田がついに口をパクパクするだけで何も言えなくなる。

 

「最初にチェックメイトって言っただろう。チェックメイト、つまり討ち取ったりだ。ただのチェックとは意味合いが違うんだよ」

 

すっと息を吸う。今度こそ終わらせよう。

 

「矢田惟寿、貴官を艦娘への恫喝、及び情報漏洩による国家反逆罪で拘束する!」

 

 

がたり、と矢田が椅子を蹴って立ち上がる。

 

「くそっ!陸奥、やれ!」

 

陸奥に視線をやると、その手にハンドガンが握られている。あの形は9mm拳銃だ。

 

「…ごめんなさい、帆波少佐。あなたに恨みはないけど私にはこうするしかないのよ」

 

陸奥が銃の遊底を引き、弾を装填して真っ直ぐに構えて狙いをつけた。

 

「ゴタゴタ言ってる暇があるならさっさと撃て!」

 

「矢矧、もう少し脇に寄せてな」

 

矢田が喚く。峻が両手をポケットにいれて足を肩幅に開いた。

脅されてやらされているのはわかっている。だがここまでくると一種の洗脳状態といってもいいだろう。

 

「撃てよ、陸奥」

 

そして外部の人間にはそれを瞬時に解くことはできない。

 

「っ!ごめ…んなさい!」

 

 

陸奥の指が引き金(トリガー)を引き、室内に銃声が響く。

 

銃口から弾丸が飛び出し、銃弾が峻の額目掛けて飛来する。

額に当たれば確実に死ぬ。

その命を奪う凶弾を峻は軽く首を左に傾けることによって避けた。

 

 

「何をやっている!陸奥、早く殺せ!」

 

続いてもう一度銃声。今度は首を右に傾けて弾丸をかわす。

もう1発。次は体ごと少し右にずれてかわす。

 

 

「くそっ!使えんポンコツめ!寄越せ!」

 

矢田が陸奥から銃をむしり取り三度引き金(トリガー)を引く。

 

体を左に傾ける。次は軽く前かがみ。最後は直立して動かない。弾丸はすべて後ろの壁に突き刺さる。

 

「なぜだ!なぜ当たらん!」

 

「銃口見てりゃだいたいの弾の軌道は読めるし、引き金(トリガー)を引く指の動きを見てればとんでくるタイミングも掴める。軌道とタイミングさえわかってるなら避けるのは容易い」

 

「いや、だからと言って出来るのは大概おかしいわよ」

 

矢矧が律儀にもツッコむ。実際あれをやれと言われて出来る自信は矢矧にはなかった。なんで平然と躱せてるのよ。

 

「提督、あなたどんだけ強いのよ…」

 

「こんなもんはただの技術だ。強さだけでいうならお前たちの方がよっぽど強い」

 

技術で強さは測れない。彼女たちは人を守るという戦いをするのだ。そのために戦場に立てる。それはもう立派な強さだ。

 

 

「陸奥、こいつをなんとかしろ!私の逃げる時間を稼げ!」

 

ガッと陸奥を矢田が蹴り、前に無理やり出させると窓を開けて逃げ出した。

 

あーあ。ついに追い詰められて証拠隠滅から逃走に目的が変わっちまったなあ。最初にさっさと自白しておけば本当に口利きしてやったのに。

 

顔を辛そうに歪めた陸奥が飛びかかってきた。

 

「ごめんなさいっ」

 

この人に恨みはない。むしろ以前に自分の砲撃の腕を褒めてもらって戸惑いはしたけど、嬉しかったこともあり、どちらかといえば好意的な印象だ。でもやらなくちゃいけない。あの子たちが酷い目にあわないために。もうゴーヤみたいな子を生まないために。

 

女とはいえ仮にも艦娘。力はそれなりにはある。それにこの人は背が私と大して変わらないくらい小柄だ。上から抑え込めば動きは止められる。

大きく飛びかかって抑え込めばきっと……

 

「やあああっ!」

 

陸奥が峻に向かって飛び掛った。

そして気づくと床に仰向けに1人で倒れていた。

 

何があった?今の一瞬になにをされたか理解が追いつかない。ただ躱されただけならうつ伏せのはずなのになぜか仰向けになっている。

 

 

「矢矧、俺は矢田を追う!本部に連絡だ!あとこれ預かっててくれ!」

 

上着を脱いで矢矧に放り投げる。上着を脱いだせいで今まで隠れていた拳銃の入ったホルスターやマガジンポーチが姿を現した。

 

「あと陸奥の見張り頼む!なにかするとは思えないがここで自殺でもされたら後味が悪い」

 

「何かあった時は?」

 

「お前の判断で動け!責任は俺がとる」

 

「待って!」

 

窓から飛び出して矢田を追おうとしたところを陸奥に引き止められる。

 

「銃があるなら私を殺した方が手っ取り早いはずなのになんで生かしたのよ⁉︎」

 

「…そうだな、そっちの方が手っ取り早いさ。でも陸奥、お前は死ぬ」

 

「でも私が死んでも次の”陸奥”がまた妖精に造られるわ」

 

窓枠にかけた足を戻して陸奥の近くへ歩み寄る。

 

「確かにお前が死んでも新しく”陸奥”は造られるだろう。お前も知ってる通り、同時期に同個体の艦娘は存在しない。けどこれは裏を返せば沈んでもまた同じ艦娘は造れるってことだ」

 

ストンとしゃがんで座っている陸奥と視線を合わせる。

 

「容姿も声も艦種も全く同じ”陸奥”がお前が死んだら建造されるんだろう。新しく造られた”陸奥”も確かに艦船だった戦艦陸奥の記憶を引き継いだ艦娘だ。でもそれはお前じゃない。別の生命(いのち)だ。お前はいまここにいる陸奥しかいないんだよ」

 

だから勝手に死ぬな。そう言い残して窓から飛び出していった。

 

 

「勝手な人でしょ?うちの提督は」

 

矢矧がキャッチした上着を軽く折り、自分の腕に掛けながら空いた手で陸奥を立たせる。

 

「普段はグダグダしてばっかりなのにスイッチが入った瞬間、急に人が変わったように動き始める。今回は助けてって言葉にスイッチが入ったみたいね」

 

誰かがヘルプサインを出した?天城?それとも扶桑?いいえ、彼女たちも私も例外なく外に出ることはなかった。じゃあ一体誰が……

 

「私たちに相談もせずに突っ走るんだから。巻き込まれるこっちの身にもなってほしいわ」

 

「でもあなたは楽しそうね」

 

「ええ。自分のことを信頼してもらって戦える。こんなにいい場所はなかなかないわ」

 

そこは一体どんなところなんだろう。そんな場所があるなら見てみたい。そして自分もそこに行ってみたい。

 

 

「………ねぇ、あの人の後、追いかけてみてはダメかしら?」

 

少し間が空いてから陸奥が唐突に言った。

 

「いいわよ、別に」

 

目を大きく開いて陸奥が驚く。

 

「やけにあっさり許可を出すのね。私はあの人のことを殺そうとしたのに」

 

「殺そうとしたのが本気じゃないことくらいわかるわ。それに責任は全部提督がとってくれるそうよ?」

 

矢矧が悪戯っぽく笑う。

 

追いかけてみよう。なにがあるかはわからない。でも知りたいから。

 

 

急いで追いかけたかったが、さすがに窓から出て行くのは躊躇われたのでドアから出て廊下を走ってそれから外に出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

矢矧に陸奥を任せてから窓から飛び出して外にでた。首のデバイスから通信を飛ばす。

 

「おい、明石。見えてるんだろ?」

 

『はい!ばっちりです!』

 

4つのプロペラを回しながら目の前にドローンが降下してくる。

 

『封筒の中の指示通りに銚子に提督が来てからずっと上空でホバリングして見張ってました!』

 

 

明石に渡された封筒には麻酔煙幕玉の作成の依頼ともう1つ、無人偵察機のドローンをつかって銚子を見張り、矢田が逃げ出したときに備えて上空から見張っておく依頼が書いてあった。

 

 

「矢田はどっちに行った?」

 

『船着場の方ですね。急いだ方がいいと思います。多分船で逃亡する気ですから』

 

「わかった。引き続き上空から見張っといてくれ」

 

『了解です!』

 

ドローンが上昇していく。明石本人は館山でこれを操縦して搭載されているカメラでずっと見張っていた。峻の指示通りに。

 

全力で船着場の方向へ走る。少し差を開けられすぎたか。

仕方ない。少し手間だがやるか。ここの基地の地図は頭に入れておいたから大丈夫だろう。

 

ダッと室外機の上に飛び乗り、そのまま大きくジャンプ。次に壁の排水管に足をかけてもう一度大きく飛び上がり、屋根の上に飛び乗った。

 

屋根を斜めに突っ切って次の建物の屋根に飛び移りまた駆け抜ける。それを数回繰り返して飛び降りると船着場に着いた。少し前を矢田が走っている。

 

「くっ、来るな!」

 

手にまだ持っていた9mm拳銃を撃ってくる。しかしあまり扱い慣れていないのだろう。弾丸は峻の周りのコンクリートを抉るだけだ。

 

「目くらめっぽう撃ちゃ当たるようなもんじゃねえんだよ、(それ)は」

 

左脇に装着されているショルダーホルスターから愛銃のCz75を右手で引き抜きスライドを左手で引いて弾を装填。構えながら右手の親指で安全装置を押し下げて解除する。

 

「くらえ!」

 

引き金を躊躇いなく引く。

銃口から9×19mmパラベラム弾が火薬の破裂した勢いにのって飛び出して。

狙い余さず矢田の手に持っていた9mm拳銃を弾き飛ばした。

 

 

「来るなっ!来るなあ!」

 

船着場にあった漁船のような中型船に矢田が乗り込んだ。まだ距離がある。追いつくにはあと少し時間がかかる。

それを知って矢田が狂気の笑みを浮かべた。

 

「いいか、いつか見ていろ!必ず貴様らには恐ろしい目に合わせてやる!絶対だ!」

 

ポケットからキーを取り出し、操縦板の横に差し込みぐるりと回しエンジンをかけようとする。

だがパスン、という頼りない音しか出ずエンジンはかからない。もう一度キーを回す。パスン。もう一回。パスン。

パスンパスンパスン。

 

 

「無駄よ。ここら辺の船の燃料は全部ぬいちゃってあるから」

 

船尾付近からゆっくりとイムヤが現れる。

 

「イムヤ、うまくいったみたいだな」

 

たん、と軽やかに飛び上がり船に乗る。

 

「ええ。封筒の中身通りにやっといたわよ」

 

 

イムヤに渡された封筒にはこう書いてあった。

”対象が船による逃亡を図った場合を想定してすべての船の燃料を抜いておいてくれ”

 

「ちょっとキツイかと思ったが余計な心配だったか」

 

「ええ、それに1人じゃなかったもの」

 

「みたいだな。ただ俺は聞いてねえぞ」

 

船尾の影から1人の少女がおどおどとイムヤの横に並んだ。

 

「聞いてねえぞ、ゴーヤがここにいるなんて」

 

 




今回文字数多めです。

二つ目と三つ目の封筒の中身がついに明らかになりました。
そして進む帆波さんのチート化は止まるところを知らないのか!

ご要望などはお気軽にお申し付けください。できる範囲でならします。


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逆鱗に触れる

自分で書いたものを思い返してみるとほとんど今の所設定公開になってしまっている件。orz

構うものですか!とにかくいきます。




何度もエンジンをかけようとしてようやくかからないことに気づいたらしい。操舵室から矢田が姿を見せた。急いでゴーヤを船尾の影に押し込み隠し直す。

 

「諦めな。何度もいうが、最初っから言ってるだろ、チェックメイトだってよ」

 

「(おい、イムヤ。なんでゴーヤ連れてきた?)」

 

敢えてでかい声をだして矢田の気を引き、一方で声を潜めてイムヤだけに聞こえるような音量で話しかける。

 

「(基地をこっそり出てこうとしたときにあの子に見つかっちゃったのよ。それでどうしても来たいっていうから仕方なく……それに基地の内情を知ってるから役に立つって言われたし……)」

 

「(だからといって連れてくるか?普通よ)」

 

「(あら、自由にやっていいって言ったのは提督じゃない)」

 

「(むぐ……)」

 

確かに言った。確かに言ったけども。

 

「帆波、貴様はなぜここまでする⁈なにが望みだ?何のために!」

 

「それはね、ゴーヤが助けてって言ったからでち」

 

船尾の影に押し込んでおいたゴーヤがイムヤの横に歩み寄る。

 

「おい、ゴーヤ⁈出てきたら──」

「伊58⁈貴様は私が沈めたはずだが……」

 

そう思ってるのはここにはあんたぐらいしかいねえよ、このマヌケ。

 

「待て。そうか、貴様か!貴様がこの男に密告したのだな!この裏切り者が!」

 

「いい加減にしろ!お前が自分勝手な都合でゴーヤを深海棲艦に殺させようとしたからだ!彼女は裏切り者なんかじゃねえ!お前が彼女を裏切ったからこうなったんだろうが!」

 

ついに矢田の呼び捨てからお前になってしまった。

すいとゴーヤが一歩前に出た。

 

「おい、ゴーヤ……」

 

「少佐、どうしても聞きたいことがあの人にあるの。だから少しわがままを言わせて欲しい」

 

「……大丈夫なんだな?」

 

「うん。心配しないで」

 

ゴーヤは気丈に振る舞い笑ってみせるがその小さな拳は固く握られ小刻みに震えている。

それでも目線を逸らさずにしっかりとこちらを見据えてくる。

 

「……わかった。ただ、こっちでヤバイと判断したら介入するからな」

 

元の位置に戻り、ゴーヤが一歩前に出た状態になる。

 

「ねえ、大佐。なんでゴーヤを見捨てたの?」

 

覚悟のこもった声でゴーヤが問いかける。Cz75の銃口を下に向けてはいるがいつでも打てる体制にしておく。

 

「見捨てた?はっ!なにを言っている?どうせ沈んでも次の伊58がいるだろう!艦娘というのはな、司令官のために戦い司令官のために死ぬ。そういうものだ!お前も私のために死ねば良いものを生き延びおって!」

 

「違う!ゴーヤたちはそんなもののために戦ってるわけじゃない!ゴーヤたちが戦うのはいろんな人たちの命を守るためでち!」

 

「そんなものはただの夢想に過ぎん!」

 

「……そう。なら次でち。ゴーヤたちを暴力や恐喝で従わせて楽しかった?」

 

「なにも感じんよ。兵器にそもそも感情を植え付けるのが間違っとるのだ」

 

がくり、とゴーヤの肩が落ちる。

 

「少佐。お願いがあるの」

 

「なんだ?」

 

「ゴーヤを少佐の、ううん。てーとくの艦隊に加えて。正式に。いまので踏ん切りがついた」

 

こちらを見つめて懇願するように頭を下げようとするのを止めて銃を左手に持ち替えて右手を差し出した。

 

「いいぞ。ようこそ、帆波隊へ」

 

「えっと…よろしくでち」

 

ゴーヤがその差し出した右手を確かに握った。

 

「なにを言っとる!私を早く逃せ!隣のその男を殺せ!」

 

「そんなことばかり言って力で抑えつけることしか考えれないからあなたはこうなったのよ!」

 

船着場に遅れて今着いた陸奥が声を荒げた。矢矧も一緒だ。

 

「おい、矢矧。なんでお前まで連れて来ちまうかなあ?」

 

「あら、責任は全部とってくれるんでしょ?」

 

うん。確かについさっき言ったけどさ。

 

「……イムヤといい矢矧といいそういうことどこで覚えてくるんだよ」

 

「「間違いなく提督だと思う」」

 

イムヤと矢矧がハモった。俺普段そんなこと……してるな、うん。心当たりしかないわ。

 

 

「ゴーヤ、生きてたのね。本当によかったわ……」

 

「陸奥さん……」

 

きっと沈んだと聞いてとても悲しかったのだろう。慈愛の目をゴーヤに向けている。

そしてその目をこちらへ向けて陸奥が一礼した。

 

「帆波少佐、ありがとうございます。ゴーヤを保護していただいて」

 

「大したことじゃねえ。それに俺の仲間の友人なら助けるさ」

 

 

さっきから長い間黙りこくっていた矢田が口を開いた。

 

「お仲間ごっこがそんなに素敵か?」

 

空気が一気に冷えきった。

 

「ごっこじゃねえよ。こいつらは正真正銘俺の仲間だ」

 

自分の声が低くドスの入ったものに変わる。

 

「艦娘などという気持ち悪い化け物相手に仲間か」

 

矢田がせせら笑うのを見てふつふつと怒りが沸き、右手に持ち替えた銃がぶるぶると震える。

 

「……もう一回言ってみろ」

 

「ああ、何度でも言ってやる!艦娘などというヒトモドキの化け物に──」

「ざけんな‼︎」

 

思いっきり踏み切り、一気に接近。そして大きく踏み込むと右足を矢田の土手っ腹に叩き込んで船のそとに蹴り飛ばした。

そしてそのまま飛び上がりコンクリートに叩きつけられ、ぐえっと呻き声を上げる矢田の側に着地しCz75を再度構えた。頭の中が沸騰しそうなくらい熱い。

 

「俺への悪口なら大抵のことは流してやる。ただな」

 

銃口を矢田の眉間に突きつけて睨みつける。

 

「あいつらは俺の大切な仲間で大切な家族だ。それを侮辱することだけは許さねえ」

 

「はっ!貴様にはその引き金は引けん!貴様は人殺しにはなれんよ!」

 

銃口を突きつけられても笑い、挑発する。殺されないと思っているからこそできるのだろう。

 

「余裕ぶってるとこ残念だが俺は引けるぜ。俺は悪魔の夜笛(トランペット)事件の生き残りだ。軍属ならこの意味がわかるだろう?」

 

矢田の笑みが凍り、顔面蒼白になる。

彼は思い出していた。日本海軍に対して起きた多数の洗脳者による大規模なテロ事件を。響き渡る高く鋭い悲鳴から悪魔の夜笛(トランペット)事件と呼称され、近年稀に見る人的悪夢とまで言われる事件を。そして僅かな生き残りは…

 

「知らないわけないよな?生き残り達は洗脳された市民を撃って殺して生き延びた。正当防衛ということで不問にはなっているがな。その生き残りの俺が撃てないと本気でそう思うか?何十人も殺して今更一人を殺すのを躊躇うと?」

 

頭の中とは対称に声はぐっと冷えきる。

 

「や、やめろ……。わかった、話す!全て話すから、殺さないでくれ!」

 

「さんざん俺たちを消そうとしといて自分はやめてくださいなんて理論が通ると思ってるのか?」

 

「そ、それは……」

 

ふっとため息を吐き、首を左右に捻りゴキゴキと骨を鳴らす。

 

「憲兵隊がまだ来てなくてラッキーだよ、俺は」

 

「な、何を……?」

 

「抵抗されたためやむなく射殺したって言い訳が効くからな」

 

乾いた銃声が空気を震わせた。

弾が真っ直ぐに飛び出し狙い通りの場所に突き刺さった。

()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ちっとは暴力にさらされる側の気分が味わえたか?」

 

「……………」

 

ぶくぶくと口から泡を矢田が吹き、白目を剥いて起き上がる気配もない。

 

「なんだよ気絶しやがった。情けねえ」

 

「…提督、あなたやりすぎよ」

 

矢矧に窘められてようやく我に返った。

しまったな。確かに少々頭に血が上りすぎた。

 

「悪い。ちょっと冷静じゃなくなってた」

 

「ていうか今更だけど私に燃料抜いとけって言ったってことは事前に船でこの人が逃走すること見越してたのよね?」

 

イムヤにジトッとした目つきで見られて、頭を掻く。

 

「想定内の想定外ってとこかな。理想はさっさと投降してくれることだったが」

 

そううまくもいかねえな。ブチ切れて醜態晒しちまうとは。

 

Cz75に安全装置(セーフティ)を掛けてからホルスターに収める。

 

「矢矧、憲兵隊はいつ来るって?」

 

「さあ?でもすぐに向かうって言ってたからもうちょっとしたら来るんじゃない?」

 

「そうか。イムヤ、ゴーヤ連れて船から降りてこい!矢田を拘束しとかなきゃならねえ」

 

イムヤとゴーヤがゆっくりと船からおりてきた。峻が泡を吹いたままの矢田の足を掴み、引きずりながら運ぶ。

頭の中にカツンという音が鳴った。通信がきたのだろう。

 

「俺だ」

 

『明石です!提督、大変です!』

 

「どうした?えらく慌てて。こっちは片付いたぞ」

 

『違います!まだ終わってません!』

 

「なに⁈」

 

矢田のやれることはだいたい全て手を打ってたはずだ。これ以上なにが……

 

『深海棲艦の艦隊が攻めてきてます!』

 

「叢雲が対処できないレベルでか?」

 

『違います!館山じゃありません!』

 

「じゃあどこだ?」

 

『銚子……つまりそっちにです!』

 

直後、遠くで倉庫が吹き飛んだ。

 

まじか。勘弁してくれ。

 




終局かと思いきや次の災難。
まだまだ帆波の受難は続きそうです。

ご要望などはお気軽にお申し付けください。


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守るために


ついに大詰めです。
第1章的なやつが。
それでは参りましょう!




 

なぜだ?矢田には自分の基地に攻め込ませるほどのことをするメリットはない。 なら誰が?

 

ドォンと砲撃音がとどろく。今度はさっきまでいた船着場が吹き飛び船の残骸が宙を舞う。

 

「危なかった……」

 

「ちょっと提督!あなたこれも予想してたとか言わないでしょうね⁉︎」

 

「残念だが矢矧、これは完全に想定外の想定外だ!」

 

埠頭を5人が走り、1人が引きずられる。

まただ。完全に基地を破壊するつもりで攻撃してきている。執務室に駆け込み、矢田の手を後ろで縛り転がしておく。爆発音が聞こえた。またどこか吹っ飛んだのだろう。

 

「嫌だ……。嫌でち。いやだいやだいやだ」

 

「落ち着け、ゴーヤ!」

 

まずい。まだPTSDから完全に立ち直れていない。

 

「イムヤ!ゴーヤを!」

 

「わかったわ!」

 

イムヤがゴーヤの側に駆け寄り宥めにかかる。

 

考えろ。なにが目的だ。矢田はなにを狙ってここを襲わせてる?ぐるぐると様々な思考が頭の中を巡り、ありえないものを切り捨てていく。

 

ああ、そうか。

これは矢田の指示じゃない。

深海棲艦の口封じだ。深海棲艦の情報を握ってる矢田を野放しにするつもりはないのだろう。あれはあくまで取引であって矢田の一方的な関係ではないならありえる。矢田は出世のために他の艦隊が潰されて欲しく、深海棲艦は楽に撃破ができる。

だが叢雲たちに侵攻艦隊が撃破されて撤退した時点で関係は終了したと見なされて即刻攻撃にきたのだろう。

ただこのまま黙ってやられてるわけにもいかない。

 

「陸奥、出てくれるか?」

 

強制力は決してない。彼女は自分の指揮下にいる人間ではないから。現状出られる艦娘は彼女ぐらいしかいない。ここの基地の他の艦娘は眠っていて出られないだろう。だから頼むしかない。

 

「……あなたは私を出してどうするの?」

 

「でき得る限り時間を稼ぐ。ここの基地の人間を全員避難させるくらいはほしい。基地は最悪放棄する」

 

「それで私が沈んだとしても?」

 

空気が凍った。陸奥はこう暗に告げている。

”あなたも私を使い潰す気?”

 

けれどその問いに対する答えは簡単だ。

 

「沈ませねえよ」

 

「えっ……?」

 

「ていうか沈まれると困るんだよ。職員などの避難の時間を稼ぎたいのに沈まれたらダメだろ」

 

「…………」

 

「それに麻酔煙幕で眠ったままの艦娘たちも安全な場所まで運ばなきゃならねえ。だから頼む」

 

陸奥に向かって峻が頭を下げた。ただ真っ直ぐに頭を下げ続けた。

 

「……承ったわ。あなたの指揮下で出撃する」

 

「ありがとう、陸奥。あと基地のパス知ってるか?」

 

「ええ。そこの机の引き出しの中にあるメモよ。私は格納庫にいくから」

 

執務室のドアを開けて陸奥が出て行った。

 

 

「最悪だな、俺は」

 

「どういうことよ?」

 

ドアが閉まり、陸奥がいなくなったことを確認してからポツリと自嘲的に呟く峻に矢矧が問いかけた。

 

「陸奥の仲間を思う気持ちを利用して戦場へ向かわせたんだよ、俺は。なにが避難させたいからだよ、まったく」

 

「提督は戦う理由を陸奥に与えただけよ。でも結局は理由があっても戦うかどうか決めるのは本人次第なのよ」

 

「そうかねえ」

 

「ええ。だから今私も戦いたいのよ。なんとかできない?」

 

矢矧は自分の艤装を館山に置いてきてしまっている。イムヤも同じだが、仮にあったとしてもゴーヤの側から離せないから出せないが。

 

「艤装がないのに出すのはキツイな」

 

「そう……やっぱりそうよね…」

 

いや、待て。もしかしたらいけるかもしれない。

 

「矢矧、やっぱりさっきの撤回。格納庫へ向かってくれ」

 

「でも艤装はないのよ?」

 

「なんとかなるかもしれん。少し厳しいがやってみる」

 

矢矧に近づき耳打ちするとだんだんと驚いた表情に矢矧が変わり、そして顔が引き締まる。

 

「わかったわ。やってみましょう」

 

「ああ、頼んだ。イムヤ、ゴーヤを連れて避難しろ。ついでに周りの人間に艦娘たち運んでもらってくれ。言うこと聞かんなら俺の少佐権限を使ってくれて構わん」

 

自分も指揮を執りつつやらなければならないことが出てきた。矢田は……面倒くさいからこのまま転がしとくか。

 

「さて、もう一踏ん張りだ。行くぞ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

格納庫に駆け込み、もどかしい気持ちで生体認証を待ち、急いで艤装を装着する。

 

『陸奥、俺だ。悪いな、こんなことさせちまって』

 

「私はあの子たちを守りたい。だからいいのよ」

 

正直完全には信用しきれていない。

もちろん死んでしまったと思っていたゴーヤを助けて保護してくれていたことには感謝してる。

それでもどこか信じきれない。自分を殺さなかった時の言葉が本当のものか疑ってしまう。信じたいと思っているのに、脳裏に矢田の顔がちらつきそれを邪魔する。

 

「戦艦陸奥、出撃するわ!」

 

頭を振って余計な考えを追い出し海へ飛び出した。

基地はすでに結構な数の砲弾をあびてコンクリートが大きく抉れ幾つかの建物が炎上したり、吹き飛んだりしている。

 

『陸奥、敵の勢力を教えてくれ!』

 

「了解。戦艦2、重巡2、軽巡2よ」

 

『了解だ。回避行動開始。合間を縫って砲撃だ。あくまで今回の目的は時間稼ぎだ。相手を無理に沈める必要はない。とにかく生き残れ』

 

「了解よ」

 

主砲の狙いをつけてぶっ放す。当たりはしないものの重巡クラスの側と戦艦クラスの側に大きな水柱があがった。

すると今度は自分の後ろに着弾。深海棲艦の狙いがこちらに向いた。

 

『第二主砲の操作もらうぞ』

 

第二主砲が自分の意思とは関係なく動き、接近しようとした重巡の目の前に着弾し、後ろに下がっていく。

 

陸奥が飛んでくる砲弾をなんとか避けようとするが低速艦のため避けきれず完全に無傷とはいかない。

軽巡程度の弾ならなんともないけど戦艦クラスや重巡だとさすがにノーダメージとはいかない。

ガシュっと命中した区画がダメージコントロールにより切り離される。

 

「全砲門、開け!」

 

敵の砲撃が止んだ一瞬をついて斉射。大量の砲撃が敵に降り注ぐ。

 

『敵の軽巡一隻の反応消失。重巡が小破。なんとかこのまま持ってくれよ』

 

祈るような声が通信で聞こえる。接近しようとした残り一隻の軽巡が副砲と機銃の掃射に牽制されて引き下がっていく。

 

この人は艤装への介入をちょくちょくする人なのね。しかもアシストがうまい。いくら戦艦といえど、魚雷の直撃はただではすまない。だから相手は接近して確実に魚雷を当てたいし、こちらは何としても近づけたくない。

 

そして破れかぶれだろうか。軽巡が引き下がりながら魚雷を撃ってきていた。

 

「このッ!」

 

水面に向けて副砲を撃ち、魚雷を防ごうとしたところで他からの砲弾が接近する魚雷に当たり爆発した。

 

「軽巡矢矧、遅れながらも到着よ!」

 

矢矧が主砲を構えながら陸奥の隣に並んだ。

待って。矢矧がなんでここにいられるの?

 

「あなたは艤装がないはずでしょう!」

 

確かに矢矧の艤装は館山に置いてきてしまっている。でも。

 

「私の艤装はなくても阿賀野姉の艤装はあるのよ。そして私たちは同型艦よ」

 

陸奥が絶句した。

まさか艤装を同型艦だからと言って使いまわしたの?個人個人で設定されている駆動式プログラムのズレがあって普通ならまともに使用なんてできないはずよ。

 

『陸奥、苦しいのは変わらんがとにかく2人目だ。残念だがこれ以上はもう出せるやつはいないけどな』

 

「なんで矢矧が阿賀野の艤装を使用できるのよ?」

 

『お前が時間稼いでくれてる間に駆動式プログラム弄って明石に転送してもらった矢矧のものに変えた。基地のパスは戦術コンピュータに接続するために必要だったんだが、こんなとこでもロック解除に使えたな』

 

私のアシストをしながらこの短時間で駆動式プログラムを書き換えたというの、この人は。ありえない。でも現に矢矧は私の隣で砲撃をしている。

 

『まあ、付け焼き刃なことは否めないけどな。同型艦の艤装とはいえ細部が異なるからそこで多少影響出ちまうし。ないよりマシってやつだ』

 

「アシストしながらプログラムの書き換えも同時にやってたっていうの?」

 

『まあな。司令官兼技術士官を舐めんなよ』

 

おどけた声で言っているが、2つのことを同時に処理するというのはどれだけ大変なことなのだろうか。しかも両方ともわずかなズレも許されない緻密さが要求されるものだ。

 

もし砲撃が少しでもズレたら自分は深海棲艦の攻撃をまともにくらっていたかもしれないし、もし駆動式プログラムが少しでもズレていたら矢矧は今隣で直立姿勢すらとれないだろう。

 

『悪いがまだがんばってくれ。重要物資の運び出しと避難はもう少し時間がかかる』

 

「了解よ。なんとかしてみせるわ」

 

『助かるぜ、矢矧。なんとか持ち堪えてくれ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

指揮を執りながらも峻はあちこちを奔走していた。目の前に浮かぶホロウィンドウで戦況を確認しながら各所へ向かう。

まずは無事な資材倉庫からの資材の搬出の指示出し。

次に格納庫での艤装の持ち出しとその他の装備類と重要機材の搬出指示。

それらをするたびにまた各所へ通信を送り、輸送車の手配をする。

かと思えば避難勧告を出し、眠った阿賀野たちを運び出していた。

そして指示を出しなら陸奥と矢矧の指揮を執っていた。

 

くそったれ。手が回りきらねぇ。

現状は2隻でギリギリ抑え込んで基地への砲撃を防いでいるが崩れるのは時間の問題だ。阿賀野たちを叩き起こしても麻酔を吸った直後に出すのはあまり得策じゃあねえ。

 

矢矧の艤装に介入し、副砲を撃ち、重巡に手傷を負わせる。陸奥の機銃に介入して迫りくる魚雷を爆破処理し、次を撃とうとする軽巡に牽制をかける。

 

やはり矢矧の動きがあまりよくない。

無理やり阿賀野の艤装を動かしているから当たり前といえば当たり前だが。

陸奥も着実にダメージを蓄積してしまっている。

 

「陸奥!チャーリー、距離650、戦艦クラスだ。撃てぇ!」

 

ホロウィンドウが戦艦に命中し、最低でも中破のダメージを与えたことを示した。

さすが当時ビックセブンと言われただけはある火力だ。

 

『提督、ごめんなさい。もうかなり限界よ。私も陸奥も中破レベルのダメージがきてる』

 

陸奥は主砲が2つなくなり、機銃と副砲もほぼなくなっている。矢矧も矢矧で航行速度が低下してしまっている。

ここらが引き際だな。

 

「了解。2人とも引け。よくやってくれた。基地は放棄する」

 

『待って!海上に新たな複数の反応あり!これは……空母ヲ級2隻を含む機動部隊よ!』

 

陸奥の慌てた声を聞き、瞬間思考が止まりかけた。

空母だと?やつらもしかしてここら一帯を更地にするつもりか!そこまでして矢田を消しに来るのか。

だとしたら避難勧告を出す範囲を広げなくてはいけない。もともと沿岸部には一般人はほとんどいないが軍関係の業者ならそれなりにいる。

 

『これで引くことは出来なくなったわね』

 

「……だな」

 

『安心して、少佐。出ると決めた時から覚悟は決めてるわ』

 

『私もよ、提督。阿賀野姉の艤装を借りるなんて無茶してるわけだから仕方ないといえば仕方ないし』

 

ヲ級から艦載機が次々と大空に向かって飛び立っていく。ははっ。万事休す、だな。

 

「でもな、お前たちを沈める気なんざさらさらねえぞ。なんとしても乗り切ってやる!」

 

『はっ!それくらいやってもらわなきゃこっちが困るわ』

 

深海棲艦の艦載機が撃ち落とされた。乱れた編成に零戦が突っ込み、鉛弾により穴を穿たれ落ちていく。

 

あの艦載機は。

見覚えどころではない。自分が調整し、自分がメンテナンスしている艦載機を忘れるわけがない。

この声は。

知らないわけがない。なぜなら──

 

『帆波隊旗艦叢雲、及び随伴艦、現着よ!』

 

自分がいつも一緒にふざけた言い合いをしている秘書艦だからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すごい。

その一言しか陸奥には出なかった。

帆波隊が全員ついた瞬間、戦況は一気にひっくり返ってしまったのだ。

 

放たれた深海棲艦の艦載機の群れを加賀と瑞鶴の操る零戦が食い破り。

接近を試みた軽巡が叢雲の刀に斬り裂かれ。

それらの隙をついて砲撃しようとした戦艦が榛名の砲撃に見舞われ、北上の魚雷に晒される。

回り込もうとすれば鈴谷、天津風、夕張の3隻が進路を塞ぐ。

放たれた敵の魚雷は峻がそれぞれの艤装とリンクし爆破させられる。

下がっても空母の爆撃と戦艦の砲撃にやられ、かといって進めば刀の錆になるか魚雷の餌食になる。

出した艦載機は瞬く間に落とされ、撃ち出した魚雷はすべて爆破され、はさみ打ちにしようとしても回りこませてはくれない。

 

圧倒的だった。誰かの生まれた隙を他の誰かがカバーし、カバーする事によって生まれてしまう隙をまた他の誰かがカバーする。

見事な連携としか言いようがない。この前の演習は全く本気でなかったのか。

 

『陸奥、矢矧。2人とも今のうちに引け。入渠施設は吹っ飛んじまったが軽い応急手当くらいなら俺でもできる』

 

峻の言葉に唖然としていた陸奥が我を取り戻した。

 

「了解。今すぐに戻るわ」

 

行きましょうと矢矧とともに基地にできる限りのスピードを出して戻る。矢矧が周囲を見渡していると海上に走る物を見つけた。

 

「提督!モーターボートが船着場から出てってるわ!」

 

『なに⁉︎矢矧、誰が乗ってるか見えるか?』

 

「ちょっと待って。拡大してみる。あれは……矢田大佐⁈なんであんなところに?」

 

『あいつは手を縛って執務室に転がしといたはずなんだが……まさか切って逃げ出したのか?』

 

モーターボートくらいなら船着場を直撃した砲弾の被害を偶然受けなかったのかもしれない。

 

『アホか!深海棲艦は矢田を消しに来てるのにわざわざ自分からノコノコと出てってどうする?死ぬぞ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁっはぁっはぁっ」

 

矢田は海上をモーターボートで進んでいた。深海棲艦の方に。

 

帆波峻とか言ったな、あの若造が。よくも私をここまで辱めおって。絶対に許さん!

だが今は復讐は出来ない。だから深海棲艦と手を組む!深海棲艦の指揮を私が執り、世界の王になる!

 

フヒッと変な息が口から漏れる。

見ていろよ。必ず復讐してやる。泣いて許しを請ってもボロボロになるまで痛めつけて殺してやる。伊58も陸奥もあの生意気な軽巡も若造の艦隊もすべてだ!

 

『おい、矢田!死にてえのか!今すぐ戻れ!』

 

「黙れ!私は深海棲艦の王になるのだ!」

 

『アホ!深海棲艦はてめえを狙って来てるんだぞ!』

 

「騙そうとしてもムダだ!あれは私を迎えるセレモニーなのだよ!」

 

『とうとう頭までイカれたか!お前は──』

 

ガンと通信機を殴り叩き割った。うるさい。この男は私が深海棲艦の王になることを恐れているのだ。復讐されるのが怖いからあのような嘘をつくのだ。

 

モーターボートのスピードを上げて深海棲艦の目の前に躍り出た。

 

「さあ、早く私を助けろ!私を連れて貴様らの基地へ連れて行け!早く!」

 

突如目の前に現れたモーターボートへゆっくりとタ級が振り向く。

早く。早くしろ!早く!

 

何かわからない言語をタ級が呟き通信らしきものが切れた。

まだか。まだなのか!

 

そしてタ級の砲塔が真っ直ぐこちらに向けられた。

 

「な……何を……?何をするつも──」

 

続きの言葉は出なかった。

目の前が閃光に染まり爆音が鳴り響く。

 

矢田の体はモーターボートごと吹き飛んだ。





ずいぶんと後味悪いですが今回はここまでです。
追い詰められた人間の狂う様がうまくかけていることを祈ります。
ご要望などありましたら教えていただけると幸いです。
それではまた。


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11+2


第1章があと一つで終わります。
まだ続編かけてないんですけどね。

とにかくいきます!



 

「ようやく帰ってこれた……」

 

陽が傾き始めた夕方、峻がぐったりと疲れた様子で館山の基地の正門をくぐった。

 

 

 

 

 

あの後、矢田がモーターボートごと吹き飛んだことを確認すると深海棲艦はあっさりと帰って行った。

叢雲たちを俺はひとまず陸にあげ、負傷している者から順に手当をしていった。

幸い傷を負っている者も大したこともなく、とりあえずは銚子基地は守られた。

が、大変なのはそこからだった。

吹き飛んだ施設を直さなければいけないし、運び出した艤装やら物資やら機材やらを元に戻さなくてはいけなかったからだ。

基地司令たる矢田が死んだため、銚子基地の艦娘たちは一度艦隊を解散され、別のところにそれぞれ着任するという形になるらしい。

そしてその処理について決まるまで2日かかった。

 

しかしそれらの解決のメドがたつと次の問題が浮上した。

矢田が深海棲艦と内通していた件と、今回の襲撃についての関連性だ。

俺は何があったのか詳しい事情説明を求められ本部に召喚。尋問され、ざっくりとあったことを全て話した。

少佐がこのようなことをするのは越権行為なのではと言われたが、館山が攻撃されているのでやむを得ない状況ということになった。

ちなみに俺が発砲したことについて言われたときは、

「いや、あれは正当自己防衛ですし、おすし」

と言って押し通した。おすしは嘘だが。

結局のところ矢田が深海棲艦と通じていた証拠は俺が二徹で手に入れた写真やら動画があり、かつゴーヤの証言もあるので特にお咎めはなさそうだ。

そしてその尋問が終わるまでの3日間俺は本部に常にいなければならなかったのだ。矢矧やイムヤ、陸奥、ゴーヤは割とすぐに解放してもらってたみたいだが、俺は結果的に言えば5日間帰ることが叶わなかったのだ。

 

 

 

 

館山基地に久々に戻り、ふらふらと寝室に向かう。

本部で寝させてもらえなかったわけではないが精神的な疲労がかなり蓄積していた。

 

「あら、ようやくおかえり?」

 

「おう、叢雲。ほんとにようやくだよ……」

 

寝室に向かう途中で執務室に顔だけ出しておこうと思い、入ると案の定叢雲がいた。

 

「今回は助かったぜ。矢田の行動には全て手を打ってあったが深海棲艦の方までは打ってなかった。正直、銚子に奴らが攻めてきたときは終わったと思ったよ」

 

「いいわよ、別に。こっちとしても間に合ったようでよかったわ」

 

「にしてもよく来れたな。事前に来るかもしれないって思ってなきゃ間に合わんだろ」

 

「館山に攻めてきた時、いやにあっさりと撤退してったからなんとなく、ね。本気で潰しに来るなら追撃用の艦隊くらい用意してそうなものだしね」

 

「そういや、そうだったらしいな。ログ見てから思ったが俺もてっきりもう少し粘るもんだと思ってたぜ」

 

「見切りつけられてたのかもね」

 

「かもな。さて、そろそろ寝てくるわ」

 

くぁ、と欠伸を噛み殺しながら執務室を出てこうとすると叢雲がガシっと背中のシャツを掴んだ。

 

「……なんだよ?」

 

「あんたが5日間も外したせいで仕事は山積みよ。特に今回の件で司令官系の人間にうちの艦隊の噂が広がってね。是非とも演習してくれって依頼が山と来てるのよ」

 

「おい、まさか……」

 

峻がギギギと軋むような動きで首を回し叢雲を見た。顔は俯いていて表情は読み取れない。

 

「さて、私と楽しくお遊び(残業)しましょうか」

 

叢雲が顔を上げると満面の笑みを浮かべ、対照的に峻の表情が絶望に染まる。

 

「いやだああああ!俺は寝るんだ!いい加減ゆっくり落ち着いた場所で酒飲んでから静かにのんびり寝たいんだああああ!」

 

無情にも執務室に鍵が掛けられ叢雲によって椅子に拘束される。やべえ、逃げられない。目の前にドサドサとめまいのする量の紙束が置かれ、無理やりペンを握らされた。

 

「さて、まずはここの山からお願いね。あんたのサインないといけないのよ」

 

「お前が書けよ……」

 

「それはあの時だけよ」

 

執務室に絶叫が響く。

最終的に白目を剥きながらペンを動かしている姿を見てさすがにやりすぎたと思った叢雲が解放してくれるまで続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日。

 

「あんにゃろ、覚えてやがれ……」

 

目を擦りながら峻は廊下を歩いていた。

 

叢雲はちゃんと解放してくれたし、睡眠時間はしっかり8時間ほど取らせてくれているので鬼畜ではないのだが。

 

「あら、こんにちわ」

 

ついこの間、一緒に戦った陸奥が廊下の向こう側からやってきた。

 

「ん?陸奥、なんでお前ここにいるんだよ?」

 

矢田隊は解隊になったはずだが……

 

「執務室に行こうと思ってたけど、手間が省けたわ。本日付けで館山基地の帆波隊所属になった長門型戦艦陸奥です!よろしくね、()()?」

 

ピシッと脇を締めた敬礼をした後、悪戯っぽい笑顔を浮かべている。

 

「え、何?お前うちに入るのことになったの?」

 

「嫌かしら?」

 

不安そうな表情を浮かべる陸奥。入るのは構わないどころかむしろ嬉しいくらいなんだが、初耳だぞ?

 

「いや、戦艦だし歓迎するけどさ」

 

まあとりあえずは歓迎会くらい開いてやんねえとな。ゴーヤもそういえば入るんだっけ。今回の功績を無理やり押し込んでゴーヤの着任も上には認めさせてある。

 

「じゃ、用があったら基地内の無線で呼んでくれ。俺から用がある時は放送とかで呼び出すから。わからんことがあれば適当な奴に聞けば教えてくれる。部屋は今夜までには用意するから待っててくれ」

 

「わかったわ。あと……」

 

「なんだ?」

 

「今回のこと、本当にありがとうございます。あの子たちも救われたし、私自身も救われました」

 

「気にすんな。あと敬語は無理してつかうな。上が監査に来てる時以外は基本使い辛いなら使わなくていい」

 

堅っ苦しいのは苦手なんだよ。

 

「そう。ならそうさせてもらおうかしら」

 

「それでいい。じゃあな。ちょっと用事もできた」

 

 

陸奥と別れてイムヤの部屋へ向かう。

ねぎらいぐらい言っといてやりたいし、頼みごとも出来たからな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さすがに昨日はちょっとやりすぎたかしら……」

 

執務室で叢雲は仕事をしていた。陸奥とゴーヤが着任することになったのでその書類を作成しなくてはいけないからだ。

峻のやるべきことではあるのだが、白目剥くまでやらせておいてまた今日もやれ、と言うのは少々気が引けた。

 

まあ前までの書類も全部ざっと目は通してもらっておいたし私一人でもなんとかなるわよ。

それにしてもこの紙の山は見るだけで憂鬱になるわね。今日も今日とて大量に送られてくるし。どうせほとんど演習の申し込みでしょ。全くめんどうね。

苛立ちまぎれに机を拳で叩くと紙の山がドサドサと崩れてしまい、余計に苛立たせた。

 

「ああ、もう!」

 

仕方なく立ち上がり、床に広がってしまった書類を拾い集めていく。

 

「はあ……こんな送ってきてもいっぺんには処理しきれないっての。ん?」

 

一枚だけ演習申し込みとは違う紙を見つけた。

興味本位で目を通してさっと叢雲が青ざめた。

 

「監査のお知らせ……2日前に届いたやつ。しかも日程は……今日⁉︎」

 

ばっと時計に目をやる。あと1時間もない。

急いで放送のマイクに駆け寄り、全体放送に切り替えた。

 

「秘書艦叢雲より緊急!あと1時間しないうちに監査が来る!禁制品とか持ってる者は急いで隠しなさい!そして準備出来次第、正門に集合!」

 

どのクラスがくる?中佐?それとも大佐?

とにかく急がないと。





11+2というのは元々いた11人の艦娘に陸奥とゴーヤが加わったからです。最初の11人はわかりますよね?
明石を忘れちゃだめですよ?

それでは次回予告
帆波、連行される!
お楽しみに!(嘘)



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監査(笑)と歓迎会


今回ネタと真面目が入り混じる、そんな回です。
帆波は監査をどうすり抜けるのか?

それではご覧ください。


 

「おい、叢雲!」

 

執務室の前で待たせておいた叢雲に声をかける。

慌てた様子で叢雲が駆け寄ってきた。

 

「ごめんなさい。今回ばかりは私のミスよ」

 

「そんなことは今更言ったってどうしようもねえ。それより監査の通知書見せてくれ」

 

走りながら渡された紙に目を通していく。

 

「これどこにあった?」

 

「紙の山の中よ。紛れ込んでたんだと思う」

 

「そっか。とにかく急ぐぞ。他はもう向かわせた」

 

2人で全力ダッシュ。正門に滑り込むと目の前に車が停まっていた。

やばっ。もう来てるじゃん。

 

峻の横に叢雲が立ち、その後ろに他の艦娘が整列する。

 

「てーとく、イムヤがまだ来ないでち」

 

「イムヤは来ねえよ。別の任務に当たらせてる」

 

ボソッとゴーヤが耳打ちしてくるのを小声で返す。

 

目の前の車から1人の銀髪の女性が降り、後部座席のドアをあける。

まだかなり若い長身な男が出てきた。

ダークブラウンの光彩を放つ目はキリッとつり上がり、黒髪を耳が隠れる程度まで伸ばしている。

 

「横須賀鎮守府所属、横須賀鎮守府司令長官の東雲(しののめ)将生(まさき)中将だ。本日の監査役を務める」

 

「東雲中将の秘書艦を務めます、翔鶴型航空母艦、翔鶴です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瑞鶴はヒヤヒヤしていた。監査が来るなんて聞いていない。

しかもきたのは中将、それも横須賀鎮守府のトップである。秘書艦が自分の姉だったのはホッとしたが、それを上回る緊張が場を占める。

 

「館山基地所属、館山基地司令及び帆波隊司令官、帆波峻少佐です」

 

「帆波少佐の秘書艦を務めます、吹雪型駆逐艦、叢雲です」

 

「帆波少佐、一人足りないようだが?」

 

「伊168は現在任務に当たっており外しております」

 

峻と東雲中将。比べてみるとだいぶ峻が小柄なのがわかる。東雲中将は恐らく180cmは超えているだろう巨漢だからか余計に小さく見えてしまう。

 

「さて、今回の件、お疲れと言っておこう」

 

「恐縮です」

 

「だがもう少しうまくやれんのか?事前に私に相談するなどあっただろう。その程度のことも考えられんのか?」

 

「横須賀の奥で漬物石のように引きこもって動かない中将どのには厳しい案件かと思いまして」

 

場の空気が凍りつく。

言い過ぎだ。瑞鶴の背中に嫌な汗が流れる。

 

「少佐風情がほざくな。だいたい出迎えごときにも遅刻するなど風紀がたるんどる」

 

「少々監査通知書の発見が遅れたので」

 

「それ見ろ。それがたるんどる証拠だ。ちゃんと毎日確認しないからそうなる」

 

「でしたら送りつけた日付の偽装などというねちっこい真似は辞めることをお勧めしますよ」

 

「なんだと?」

 

「この通知書、紙の質もサイズも演習申し込み書とは全く違います。こんなものがあるなら私が昨日確認した時点で気づかないわけがない。大方今日送られる演習申し込み書に紛れ込ませたのでしょう」

 

「……」

 

「大方こちらが普段確認しっかり確認していないことを知ってでしょうが、中将が随分と手の込んだ嫌がらせをなさるものですね、少佐風情とやらに」

 

峻は瑞鶴からは背中しかみえないので表情は見ることはできない。それでも頭の中には口角を上げ、挑発的に笑う顔が浮かんだ。

 

「言わせておけば……覚悟しているだろうな?」

 

「そちらこそただで済むとお思いで?」

 

峻と東雲中将が右の拳を握りしめゆっくりと距離を詰めていく。

 

ダメ!相手は上官よ!殴ったりしたらただじゃすまない!

瑞鶴は叫びたくともその場の空気に押されうまく言えず、口から空気が漏れるだけだ。他の艦娘たちも唖然として何も言えないでいる。

 

着実に距離が縮まり2人が同時に拳を振り上げた。

そしてその振り上げた拳を前に突き出し。

2人が互いの拳をガッと打ち付け合った。

 

「へっ?」

 

瑞鶴が素っ頓狂な声を上げた。

なに?これはどういう状況?

 

「ぷっ…くくく」

 

プルプルと東雲中将と峻が震え、笑い声が漏れる。

 

「ぷっはあ!久しぶりだな、()()()!」

 

「ああ、いつぶりだよ、()()()!」

 

2人が大声をあげて笑う。

瑞鶴たちが揃って頭の上にハテナマークが浮かんだ。

 

「いやあ、漬物石とは言ってくれるじゃねえか、”幻惑”の!」

 

「そっちこそ、らしくもねえ面倒な書類偽装なんてしやがって、”荒鷲”!」

 

「えーっと、提督さん?これはどういう状況なの?中将さんとはどういう関係?」

 

瑞鶴がおずおずと手を挙げて疑問をぶつける。

 

「あー、叢雲以外は知らねえか。紹介するぜ。東雲(しののめ)将生(まさき)中将。俺の同期で問題児の悪友だ」

 

「おいおい、お前もけっこうな問題児だったろ、シュン。海上防衛大学の寮で持ち込み禁止品の闇市ひらいて小銭稼ぎしてたの忘れたとは言わせねえぞ」

 

「うるせえ、お前も購入しただろ。それに銀蠅で警報鳴らして追ってきた警邏隊の8人打ち倒して逃げたのはどこの誰だよ!」

 

「それはお前が途中で俺を置いて逃げたからだろうが!」

 

やいのやいのと喧しく言い合いをする2人の司令官を傍目に瑞鶴たちは顔を青ざめていた。

過去のやらかした物騒な出来事がポンポン出てきて思考が追いつかないというか追いつきたくない。

 

「ま、とりあえず執務室でよけりゃ来いよ。茶くらいなら出すぜ」

 

「ならお邪魔させてもらうわ。翔鶴、妹ちゃんと久しぶりにゆっくりしてきな。叢雲ちゃんに案内してもらってのんびりと羽を伸ばしてこい」

 

「わかりました、提督」

 

翔鶴が口元に手を当てて笑い声を抑えながら頷く。

 

「叢雲、食堂にでも案内してやれ。俺は旧交を温めてくるから」

 

「わかったわ。いってらっしゃい」

 

そうして2人の男は楽しそうに笑いながら去っていった。

 

「とりあえず食堂に行きましょうか」

 

叢雲の提案にコクコクと瑞鶴は頷くしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほらよ、茶だ」

 

来客用ソファの前の机に湯呑みを2つ置き、将生の正面に俺もすわった。

 

「おー、サンキュ」

 

ズズッと茶を啜り飲む。よし、うまい。

 

「で、今日は監査という名目で来たみたいだが本件はなんだよ?」

 

「今回の件の顛末の報告だよ。軍内部では矢田情報漏洩事件とか呼ばれてるやつだ」

 

「ああ、それか。で、俺への対応はどうなった?」

 

「喜べ、たった今からお前の階級は中佐だ」

 

「はあー、中佐ねえ。海軍の管理不始末を公開したくないから口止めの出世じゃねえか」

 

「当たりだ。軍内部の人間が深海棲艦に情報流してたなんて海軍にしちゃ、恥以外なんでもねえよ。ついでにお前に褒賞金という名目で口止めの金まで来てるぜ。なんとびっくり1000万円だ」

 

にやっと口角を上げて将生が笑った。

 

「いらね。そんなどす黒い金もらったらむしろ後が怖いわ」

 

「だよなー。というわけで断っとくぜ」

 

将生が手に持っていた紙袋から小切手を取り出し署名欄に横線を引きて消した。

 

「これでよし、と。その後銚子に調査隊が入ってな、暴行とかの証拠とかも抑えられたんだが本人死んでちゃなんもできねーって話で終わった」

 

「まあそうなるわな。本当はどうやって深海棲艦と接触したかとかファーストコンタクトとか聞きたかったが死人に口なしだからな」

 

将生が胸ポケットからタバコの箱とオイルライターを取り出した。

 

「悪いが一本吸わせてもらっていいか?」

 

「構わねえよ」

 

スパァーっと紫煙を吐き出しながらタバコを吸うか?と言わんばかりに差し出してきたマサキの手を押しとどめる。

あんまし好きじゃねえんだよ、タバコ。

 

「あと、シュン。お前他に誰かに協力してもらったやつがいるだろ。あれだけの量一人で矢田を追い詰める証拠集めしたとは思えねえ」

 

ちっ。やっぱこいつにはバレるか。別に問題はねえけど。

 

「若狭のやつにちょこっとな」

 

「ああ、あいつか。元気そうだったか?」

 

「直接会ったわけじゃないからなんとも。声は元気そうだったぜ」

 

俺が潜伏して銚子を見張ってる間にデータを漁ってもらってた、これまた同期の友人がいる。まあデータを送ってもらっただけで顔はあわせてないが。

 

 

「そういやシュン、珍しくお前キレたらしいな」

 

あの銃抜いて脅しまくったやつか。正直やりすぎたかなとは思ってる。

 

「あー、あれだけはやるつもりなかったんだけどな」

 

「あの場にあの子たちがいなかったらお前打ってただろ?」

 

「打ってはいるんだけどな」

 

「そうじゃねえよ。殺してただろ?」

 

「……肯定したくはないがそうかもしれん」

 

しぶしぶ認めた。事実、あの場に矢矧たちがいたからギリギリ理性が保てていたのだ。

 

「話は陸奥とかにも聞いてる。別に責めようってんじゃねえよ。多分俺でも打ってた」

 

()()()()()()()()()()()()()()だもんな」

 

「しかもその後の身の振り方はお前より悪質だぜ。あの事件を利用して今の地位に就いたといっても過言じゃねえ」

 

自虐的な調子で将生が言いながら大げさに両腕を広げてみせる。

 

あの事件に当時巻き込まれたやつらは死んだか心に深い傷を負って生きてるのばっかりだ、と将生がぼやく。

 

「守らなくちゃならねえ市民を殺してまで生き延びるしかなかったからな、あの時は」

 

それでも今でも思い出す。自分が殺した瞬間を。引き金を引いたその時を。

 

「でも殺した負い目を背負う。そのせいで自殺したやつが何人いたことやら」

 

 

はあ、と2人してため息を吐いた。

少し間が空き、パンッと将生が手を叩いた。

 

「やめだやめ!こんな暗い話は!」

 

「そうだな。それにわざわざ翔鶴と叢雲を遠ざけてまでしたかった話があるんだろ?」

 

「……相変わらずそういう勘は鋭いんだよなあ」

 

苦り切った顔で見てくるがあんなんすぐわかるぞ。多分だが翔鶴と叢雲は確実に気づいてた。もしかしたら加賀や榛名も。

 

「で、なんなんだよ」

 

 

すっと将生が声をひそめる。

 

「今回の件、あくまで俺の勘だが矢田の裏で手を引いてるやつがいる」

 

「……根拠は?」

 

思わず眉間にしわを寄せる。

 

「矢田のやつは俺はそれなりには知ってる。昔は出世敵だった。だが深海棲艦と接触して情報を流すなんて小細工の出来るような人間じゃなかった」

 

確かに。カマをかけてからの矢田の動きはかなり単調だった。他にも手は打ってあったが(正門にトラップ仕掛けたり)それこそ全て使わずに済んでしまった。

 

「続けてくれ」

 

「それを暗に教えてやらせた奴がいる可能性がある。恐らく目的は──」

「海軍の転覆ってことか」

 

こくりと将生が頷いた。

 

「それとは別件だが深海棲艦の動きにも気をつけろ。今回で明らかになったがやつらは知能の低い破壊を求める生命体なんかじゃねえ」

 

「そうだな。初期の深海棲艦は突撃してくるだけだったらしいが、今回は人間と手を組んできた。確実に進化してる」

 

重苦しい空気が執務室を満たし、風が窓を揺らす音以外が消える。

 

「ま、伝えたいことはそんなもんだ。そろそろ俺は帰るわ。あんま横須賀を空けとくと仕事が溜まっちまう」

 

「もう帰っちまうのかよ。このあと陸奥とゴーヤの歓迎会があるんだ。一杯やってきゃいいじゃねえか」

 

「そうしたいとこだが中将がいたら好きに騒げんだろ。さっさと退散するさ」

 

苦笑する将生を見て思う。中将とは伊達じゃないな。そこまでの苦労もきっと多かっただろう。

 

「じゃあ翔鶴を迎えに行くとするか。少佐……おっと中佐、食堂まで案内してくれたまえ」

 

「へえへえかしこまりましたよ、中将どの?」

 

将生とふざけあい、バカ笑いしながら食堂へ向かう。

 

そういや、そろそろイムヤが帰ってくるんじゃないか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方そのころ。

瑞鶴たちは食堂で談笑していた。休憩を言い渡された翔鶴もいる。

 

「翔鶴ねえ!久しぶり!」

 

「ええ、瑞鶴。久しぶりね」

 

翔鶴に瑞鶴が飛びつき翔鶴が暖かく抱きとめた。

 

「でも知らなかったよ。翔鶴ねえが横須賀のトップの補佐やってるなんて」

 

「あんまり言うことでもないかと思って。瑞鶴も元気そうでよかったわ」

 

ふんわりとした柔らかい微笑みを翔鶴が浮かべ、瑞鶴が嬉しそうに目を細める。

 

「姉妹仲がいいわね、二人とも」

 

叢雲が机に肘を突きながらからかう調子を含めて言う。

 

「あら、吹雪ちゃんが叢雲は元気だといいなって心配してたわよ。あなたのところもいいと思うけど?」

 

思わぬ翔鶴からの言葉をうけて少しプイッと顔を叢雲が背けて、それを見た艦娘たちの笑い声で食堂が満たされる。

 

「そういえばさっきの中将さんと提督さんの言ってたあれは何?ワシとかなんとか…」

 

「”幻惑”の帆波と”荒鷲”の東雲ね」

 

まだ顔を背けたままの叢雲に瑞鶴がピッと指差した。

 

「そうそれ!なんなの、それ?」

 

矢矧や天津風や北上、夕張に陸奥にゴーヤに榛名に鈴谷が興味津々といった様子で近づき、加賀ですら気づかれないように(バレバレだが)耳をそばだてている。

 

「”幻惑”の帆波。あの手この手で相手を惑わして手のひらで転がすような戦法を使うことからついたあいつの二つ名みたいなもんね」

 

「へえー!じゃあ中将さんは?」

 

「”荒鷲”の東雲。攻めて攻めて攻め抜く、まるで荒々しく猛る鷲のような戦い方をするところからついたあの人の二つ名よ」

 

それぞれの由来を叢雲と翔鶴が説明するたびにほほー、とかおおー、とかの感嘆の声があがる。

 

「あ、でもさー。叢雲のその口ぶりだと東雲さんと提督の関係知ってたんだよねー」

 

「そうよ。翔鶴とも知り合いだし。さっきは笑いを堪えるのに必死だったわ」

 

「私も……ちょっとお腹が苦しかったかしら」

 

「二人ともひどーい。鈴谷的にはここで二人がどこで提督たちに出会ったのか細かく説明するべきだと思うんだけどなー」

 

「いいですね!ぜひとも聞いてみたいです!」

 

まったりとした北上の言葉が鈴谷、榛名とつながり、爆弾に成長してしまいどうしたものかと叢雲が考える。

 

できれば言いたくない。というかあの頃の私はこう、尖ってたというか荒れていたというか……

 

「えっとあれは海上防衛大学に訓練生の訓練で叢雲ちゃんと派遣されたときに────」

「ちょっと翔鶴ストーップ!」

 

止める。何としてもこの流れを!

 

「そういう話は、ほらあれよ。また今度の機会にしましょう。ね?」

 

「えっ?でももう……」

 

翔鶴の肩を掴んで話させることを止めたがそのの目線を辿って絶望した。

そこには目をキラキラと輝かせた仲間たち。彼女たちは無言で言っている。

話せ。さあ話すのだ!と。

 

「えっと、ええっと……」

 

「その話はとっとけよ。もっと盛り上がるときにするべきだ」

 

「そうだな。俺と翔鶴のファーストコンタクトでもあるしなー」

 

食堂に東雲中将とあいつが入ってきながら会話の流れを止めてくれた。

 

グッジョブ!今度仕事サボったときの制裁は少し甘めにしてあげるわ。

 

「将生がもう帰るって言うからさ、翔鶴迎えに来た」

 

「ってわけだ。翔鶴、横須賀へ帰るぞー」

 

「はい、わかりました。じゃあ瑞鶴、元気でね。また会いましょう。皆さん、これからも瑞鶴のこと、よろしくお願いします」

 

ペコッと一礼して翔鶴が東雲中将の側へ走り寄る。

 

「じゃあなシュン。見送りはいらねえから」

 

「そうか、助かる。またいつでも来いよ、マサキ」

 

「暇があったらそうするわ」

 

ひらひらと手を振って翔鶴を伴った東雲中将が食堂を後にしていった。

 

 

「さて、お前ら。さっきイムヤから特別任務から帰投したと連絡があった。この意味がわかるよな?」

 

東雲中将が出て行って静かになったはずの食堂がざわざわし始める。

あれね。あれをやるのよね。

 

「総員、スタンバイだ。館山基地限定作戦、オペレーション名”ウェルカム”の始動だ!」

 

ガタガタっと陸奥とゴーヤを除く全員が一斉に立ち上がり敬礼をした。

 

「えっと……これ、何かしら?」

 

「ゴーヤもわかんないよ……」

 

怪訝な顔をする2人へあいつが頭を掻きながら説明する。

 

「あー、端的に言うとだな」

 

「「端的にいうと?」」

 

「お前ら2人の歓迎会だ」

 

 

経つこと2時間。日が傾き、夕焼けが紅く染める食堂を慌ただしく艦娘たちが走り回る。

 

「はい、そこ机かためて!」

 

叢雲の指示で食堂が着々と宴会場仕様へと変化していく。

 

机をかためておいて、料理がいつ来てもいいように備え、”館山へようこそ!”と書かれた垂れ幕を付ける。

 

「何か私たちに手伝えることある?」

 

「2人は今日のメインだから座って待ってて」

 

陸奥とゴーヤがおずおずと聞きに来るが歓迎される側に手伝わせるわけにはいかない。

 

「ここはこんなことまでしてくれるのね……」

 

「してあげるっていうよりただ騒ぎたいだけよ」

 

「それでも歓迎してくれるのは嬉しいよ!」

 

これが恒例行事なのよ。何かあるたびに宴会。特に今回は2人も新しく入ったし、作戦も成功したからね。

 

 

『今すぐ厨房にこい!飯ができた!』

 

「了解よ。手の空いてる者は厨房行って!」

 

鈴谷や榛名がぱたぱたと食堂を出て、隣の厨房へ走っていった。

 

「基地内無線こんなことに使っていいの…?」

 

「基地司令サマがこの宴会の企画者よ。だめだったとしても握りつぶすわよ」

 

「職権乱用でち……」

 

「誰も被害受けてないからいいでしょ」

 

咎める声を涼しい顔でスルーした。それくらいスルーできなくてあいつの秘書艦は務まらない。

 

机に魚の塩焼きや刺身やらなんやらが並べられ、飲み物が次々と運び込まれていく。ビュッフェ形式で、好きな物を好きな量食べるのがここの宴会である。

 

食堂のドアを開けてあいつが入ってきた。手には既に飲み物が握られている。

 

「あー、全員飲み物は行き渡ったか?あんま長くやるとブーイング飛んできそうだから手短にいくぜ」

 

待ってましたとばかりに目線が壇上に立つ司令官に向かう。

 

「陸奥とゴーヤが新しくうちに入ります!これからもよろしく!今回の件、みんなよく頑張ってくれた!それと俺が中佐になりました!以上、かんぱい!」

 

「「「かんぱい!」」」

 

一斉にグラスを掲げて唱和した。

って少ぉーし待ちなさい。

 

「ちょっと!いつの間に出世したのよ!聞いてないわよ、私は!」

 

「ついさっきだ!マサキのやつが教えてくれた」

 

はっはっはー!と笑う。まあ別に喜ばしいことではあるんだけどね。

 

「とにかく、飲め!騒げ!食らえ!」

 

宴会はまだ始まったばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皿に適当に刺身を盛って日本酒を片手にぶらつく。

 

この魚はイムヤの獲ってきたものだ。さっき言っていた特別任務とは宴会の食材調達だ。ちょこっと艤装つけて潜って、網で魚とか貝とか獲ってくるだけのお仕事だが、イムヤは喜んでやってくれる。

一応上に目をつけられないために練習航海とかの適当な名目は付けてあるけどな。

おっと、話したかったやつらがいた。

 

「おっす。陸奥、ゴーヤ、楽しんでくれてるか?」

 

「ええ、こんな素敵な会を開いてもらって本当に嬉しいわ」

 

「ふぉんとうにふぁりかほうでひ」

 

「……ゴーヤ、とりあえずその口に詰め込んだもん飲み込め」

 

ゴーヤがムグムグと口を動かしぷっくりと膨らんだ頬袋が元に戻った。

 

「ぷはあ。美味しいでち」

 

「そいつはよかったよ。腕を振るった甲斐があったもんだ」

 

「これ全部作ったのもしかして提督、あなたなの?」

 

陸奥が驚きながらしげしげと自分の皿の上に乗った料理を見る。

 

「おう、まあな」

 

「この鯛のなますも?」

 

「いえす」

 

「この小アジの南蛮漬けも?」

 

「おふこーす」

 

「………」

 

日本酒を煽りながら刺身を一口。うまいもん食いながら酒を飲むなんて最高の贅沢だと思うんだ、俺は。

 

「今日は俺の気分的に和食なんだ」

 

「なんていうか…提督は一体……」

 

「陸奥さん、気にしたら負けでち」

 

もぐもぐと混ぜご飯をゴーヤが咀嚼しながら陸奥に告げた。

実際陸奥もうまかったのか煮付けを摘んでいる。

 

 

「”おもしろき ことのなき世を おもしろく”ってな」

 

個人的に気に入っている句を口ずさむ。

陸奥が飲み物を飲みながらピクリと反応した。

 

「高杉晋作ね。司令官から急に革命家にでもなりたくなったの?」

 

「そうじゃなくて、お前たちの世界は面白くなりそうか?」

 

「……ええ、漠然とそんな感じはするわ」

 

「今は最高に楽しいよ?」

 

「なら俺の革命ってやつは成功だよ」

 

「カッコつけなの?」

 

「うるせー!」

 

くいっと日本酒を呑み、ぼんやりと辺りを見渡す。

酔った瑞鶴が歌い始め、榛名がくすくすと笑う。それを見た加賀が呆れたようにため息をつき、鈴谷やイムヤが囃し立てる。明石と夕張が飲み比べをし、北上がそれをジャッジする。矢矧と天津風が料理をパクつき、叢雲が一人のんびりと手酌で呑む。

 

自由で楽しくてそして温かい。

 

「ここが俺の居場所で俺の家族だよ」

 

「そう、すこし気になってたのだけど」

 

矢矧があらかた食べて満足したのか俺の言葉に反応して寄ってきた。

 

「家族って随分大袈裟な物言いよね。あ、別に嫌なわけじゃないわよ」

 

「提督はイムヤたちのこと大好きにゃのよ〜」

 

「イムヤ、飲みすぎ。俺にしなだれ掛かるな。しかもスク水で。犯罪臭がヤベエ」

 

ふにゃふにゃしたイムヤが背中に抱きついてくる。やめろ、なんか色々まずい絵になってるから。ていうかなんで着替えてねえんだこいつ。

 

結構声が出てたのか気づくとぞろぞろとみんなが集まって来ている。今の話題に興味津々の様子だ。

ところで叢雲、俺を犯罪者をみる目つきで見るな。冤罪だ。

 

「でも提督にはご両親もいるでしょう?」

 

加賀が立ち続けるのは疲れるのか正座しながら聞いてくる。

 

「あれ?俺って親がいないって言わなかったっけ?」

 

ついー、と叢雲に視線をやると蔑んだ目つきをようやくやめてくれる。

 

「知らないわ。初耳よ?」

 

叢雲も知らないってことはマジで言ってねぇか。ま、別に隠すほどのものでもないし話してもいっか。

 

「もしかして深海棲艦に……」

 

「違う違う。母親は生まれてからすぐに病死して、父親は6歳くらいだっけか、そのくらいの時に事故死だ」

 

「「「………」」」

 

「もう20年近く前の話だ。そんな気にしちゃいねえよ。だから静かになるなよ。お前らが聞いたんだろ」

 

せっかくの宴会でしんみりしてんじゃねえよ。まあ俺の昔話がきっかけなんだが。

 

「それにさっき言ったみたいにお前らのことは家族みたいなもんだと勝手に思ってる。だから────」

「「「かかれーー!」」」

「ちょ!まっ──」

 

鈴谷と天津風とイムヤに飛びかかられ、もみくちゃにされ、ふにふにと柔らかい感触がいたるところに触れる。

 

「やめっ!苦しっ!やめろ!おい、聞いてんのか!」

 

「あははは!家族に命令なんて出来ないよーだ!」

 

鈴谷の小生意気な声が聞こえる。完全におもちゃ扱いされ遊ばれているがどこか温かみを感じる。

 

「提督しゃんくらえー!」

 

「待て、瑞鶴!酒瓶振り回しながら近づくな!割とマジで危ない!」

 

酔っぱらった瑞鶴を加賀が手刀で黙らせ、俺はのしかかる鈴谷を転倒させ、イムヤをゴーヤへ軽く投げとばし、天津風を転がらせる。

 

喧しく騒ぐ夜が更けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遡ることすこし前。

 

「なあ、翔鶴。久しぶりに会えた瑞鶴ちゃんはどうだった?」

 

「元気そうでよかったです」

 

横須賀へ向かう車の中で将生と翔鶴が寛ぎながら揺られていた。

 

中将の乗る車はさすがというか、柔らかなソファがあり、ミニバーまで付いているリムジンだった。

 

「あそこの基地、どう思ったよ?」

 

「とても仲がいいと思いました。問題を起こした艦娘が複数いる基地だなんて誰も思わないくらいに」

 

「だよな。そこらへんはシュンの腕というか人望というかそういうのなんだろうけどな」

 

あそこには全員でないとはいえ、問題を起こして各部隊を転々としていた者が数名いるのだ。それでも気にならないレベルできちんと回っているのはいいことだ。

 

「ま、シュン自体も問題児だからな。気持ちもわかるんだろ」

 

「それに失礼な言い方ですけど、あんまり卒業した時の成績良くありませんでしたよね、中佐は」

 

確かにトップではなかった。中の下、といったところか。

 

「あいつはだいぶ手を抜いてたからな。本気出せば主席くらい余裕で取れただろうに」

 

「でしたね。あの実力があってその成績だからおかしいとは思いましたけど」

 

くすくすと翔鶴が口に手を当てて、笑う。

 

「心配いりませんよ。中佐は強い方です」

 

「そうだな。それに不備のある仕事は俺が隠蔽してやってるしな」

 

翔鶴と一緒に朗らかに笑いながらミニバーからミネラルウォーターを取り出し、グラスに注いだ。

 

 

彼には懸念していることがあった。

これは深海棲艦と人類との生き残りをかけた戦争だ。だれも死なさないなどということは、この地位になったからこそ余計に思ってしまうが無理だ。それぐらいの規模の戦争なのだ。そして峻はその無理を通そうとしている。

 

もし。

もしも仮に誰か一人でも沈んだら。

 

たぶんあいつは壊れる。

 

 

嫌な予感を振り払うように注いだミネラルウォーターを一気に飲み干した。

 





新キャラ登場!
横須賀鎮守府のトップの東雲将生さんです。
そして名前だけ出てきた人もいましたね。

さりげなく帆波の過去が明かされたりと、いろんな要素いっぱいの話でした。



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一体なんなんだい?

 

次の日。

とうに8時を過ぎ、朝食の時間も過ぎた中で、峻は一人で昨日の食器を片付けていた。

まだ寝ている者、というか自分以外の全員は毛布をかけて眠らせておいてある。

ついさっきまで峻も寝ていたが、さすがに寝っぱなしというわけにもいかず、仕方なく起きた次第だった。

 

だが、いやだからこそ言おう。

 

超絶眠い、と。

 

理性を飛ばすほど飲んではいないし、そもそも結構強い方ではあるので二日酔いで頭が痛いとか気持ち悪くて吐きそうなどということはない。

 

しかし夜遅くまで騒いだだけあって眠気はすごい。油断したら瞼が落ちるかもと思う程度には。

少なくともさっきから何度あくびをしたかわからないレベルで眠い。

けれども起きねばならぬ。他を寝かせておいてやるために。

 

 

「あいつらのために簡単な朝飯くらい作っといてやるか」

 

さんざん矢田の件ではあいつらを駆り立てちまったからにはこういう時くらいは俺が動いてゆっくり休ませてやりたいもんだ。

 

 

厨房に入り、常備菜としておいてある浅漬けを取り出し一口サイズに切っておき、味噌汁を作り始める。

 

「ふあぁ、早いわね、あんた」

 

「叢雲か。まだ寝ててもいいぞ」

 

「もう9時過ぎたわよ。昨日遅かったとしてもさすがにおきないと。で、何作ってるのよ?」

 

「味噌汁。米は今炊いてる。何か口に入れたいとおもってな」

 

事前にとっておいた出汁を火にかけて豆腐と油揚げをちょうどいいサイズに切って投入し、味噌を準備する。

 

「あ、味噌の量は────」

「少なめの薄味で、だろ。わかってるって」

 

こいつの好みはだいたい把握している。なにせ初めて会ったのは5年以上前だし秘書艦になってから1年以上が経ってる。

薄味を好んで酒はそれなりにいけるクチ。苦手なものは生の玉ねぎ。ただし辛味が苦手なだけだから火が通ってれば大丈夫。

 

「ほれ、味見」

 

小皿に味噌汁を少し入れて叢雲に差し出す。

くいっと傾けて飲んだ後、一瞬顔がほころんだのを見ると合格のようだ。

 

「悪くはないわ」

 

「素直にうまいって言えよ。頬がだるっだるに緩んでんぞ」

 

「うっさいわね!」

 

繰り出された右ストレートをおたまを持っている右手ではなく左手で受け流す。

本気で打ち込まれたらきついが加減されているとわかる強さの打ち込みだ。

 

「飯がダメになったらどーする」

 

「どうせ止めることくらいわかってたわよ」

 

「そんなことしてる暇あるならそこの洗い物でもやっといてくれ」

 

顎をしゃくって示した流しにはまな板や汚れた器などが水を張って置いてある。

 

「人使いが荒いわよ」

 

「そう言いながらもやってくれるところはいつも感謝してるさ」

 

結局ぶちぶち言いながらも流しに立ち、叢雲が皿を洗い始めた。

なんだかんだやってくれるんだよな、こいつは。味噌汁はもう完成でいいだろう。米は後少しで炊けるな。

お、そういえば。

 

「おい、ずっと前の何でも奢る約束、あれ何がいい?」

 

「あー、あんたが芝居くさい土下座した時のやつね。忘れてたわ。どうしようかしら?」

 

ぶっちゃけ俺の手の届く範囲のものなら何でも買ってやってもいい。それぐらいに今回といい、今までいろいろやってもらっている。

 

「んー、そうね。どこまでならいいの?」

 

「基本何でもいいぜ。ただ常識の範囲内で頼むがな。ビルの所有権とか言われたら俺はたぶんひっくりかえる」

 

そんなものいらないわよ、と叢雲がおかしそうに笑う。

 

「そうね、じゃあそろそろ私の艤装の新しい装備とかが欲しいかしら」

 

「もっと日常的なものでもいいんだぞ。別に装備とかにしなくてもな」

 

「わかってないわね」

 

叢雲がぶすっとした顔になり俺をジト目で見てきた。いや、普通こういう時ってランチ奢るとかそういう流れじゃないかなと俺は思ったんだが。

 

「今の日常を楽しむために装備が欲しいのよ。少しでも早く深海棲艦を殲滅できればその分楽しいことも増えるでしょ?だからよ」

 

俺は呆気にとられた。そこまで考えてたのか。

 

「……わかった。なんか考えとく」

 

「ええ、よろしく」

 

叢雲が皿を拭き、俺が棚に片付けていきながらおもった。

こいつにゃ一生敵わなさそうだな。

ともかくオーダーは駆逐艦用の新しい装備。さあてなにを作ろうか。技術士官として腕がなるねえ。

俺は頭の中でイメージを膨らませ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さな身体にたくさんの書類を持ち、緑の髪を揺らしながら歩く。カツカツと足音が廊下に反響する。

駆逐艦”長月”。ここである人物の補佐をしている艦娘だ。

目的の部屋の前に着くと、念のためドアの横に貼られたプレートを確認し、控えめにノックした。

 

「どうぞ」

 

「失礼する」

 

部屋の主の許可が出たところで入室する。手が塞がっていて開けづらかったが身体を押し当ててなんとか開いた。

 

「ん?どうした、長月?」

 

自分のことを長月と呼ぶ男が革張りの椅子に座っている。しかしゆったりと腰掛けているように見えて手は忙しなく動いている。

 

 

若狭(わかさ)陽太(ようた)。私、長月の補佐する男で日本海軍所属の少佐だ。

だが若狭は司令官ではない。海軍にいる人員は司令官だけでは決してなく、事務、広報などの仕事に従事する者も多い。その中で若狭はカウンターインテリジェンス、つまり防諜部に所属している。

ここは埼玉県南中部にある海軍本部の防諜対策部の建物の中だった。

 

 

「頼まれたものを持ってきた」

 

抱えていた書類の束を光沢を放つ高そうな机にドスンと置く。

 

「矢田情報漏洩事件に関するレポートかい?ありがとな、長月」

 

伸びてきた手が私の頭を撫でる。やめろと前までは言っていたが慣れと満更でもなかったので今はもう言わなくなった。

 

「うん、長月の髪は綺麗だな」

 

「若狭の髪の色も今のは私はなかなかいいと思うぞ」

 

若狭はしょっちゅう髪の色や髪型を変えるのだ。元々の色はなんなのかは知らないが今は落ち着いた茶色だ。以前は黒のロングだったし、金のソフトモヒカンだったことも銀のショートボブだったこともある。

銀髪は似合わないと私にダメだしをされ、早々に変えてしまったのだが。

 

 

「さて、一息いれるとしようかな」

 

若狭が真剣に見ていたファイルをどけて私が持ってきたレポートに手を出した。

 

「帆波の奴、よくもまあ、あんな無茶を注文してくれるよ、まったく」

 

「それをやれる若狭もすごいと私は思うが……」

 

若狭は帆波少佐…おっと今は中佐に依頼されて銚子基地のセキュリティにハッキングを仕掛けている。どうやら潜水艦を潜り込ませるのが主な目的だったようだ。

 

パラパラと若狭がレポートをめくり目を通していく。

 

「そうだ、長月。そっちの任せた仕事は首尾よくいったかい?」

 

「ああ、この間ここのデータバンクに違法ハックをかけようとした者は確保した。だがハズレだな。あれは少しこういう系に強い民間人のイタズラだ」

 

「やっぱりそうだったね。予想通りといえば予想通りだ」

 

「だから私に任せたのだろう」

 

「まあね。どう処置した?」

 

「きっちりと絞っておいた。別に中を覗いたわけでもないからな」

 

「うん、それでいいよ」

 

「……なあ、私にも若狭の今の仕事を手伝わせてくれ。そろそろ信じてくれてもいいじゃないか」

 

「信じてはいるよ。ただ危ないからね」

 

「覚悟はしている。私は艦娘だ」

 

うーんと若狭が悩み始めた。いい加減、雑用ばかりしているわけにもいかない。私も協力したいんだ。

 

「そろそろいいか。なら今追ってる対象仮称名”シャーマン”の確保の手伝いをしてもらおうかな」

 

「本当か!」

 

「うん、本当。とりあえずここの資料全部頭に入れてきて。メモは無しね」

 

喜んだのも束の間、目の前に置かれたファイルの束をみてげんなりとしてしまった。そして置かれなかったファイルをみておや、と思う。

 

「若狭、さっきまで見ていたファイルはいいのか?」

 

「ん?ああ、これは個人的な調べ物。”シャーマン”とは関係ないよ」

 

「そうか。なら私は自分の仕事場に戻ろう。こいつを暗記しなくてはいけないからな」

 

貸してもらったファイルを丁寧に持ち上げドアを開けて退室した。

ようやくだ。ようやく若狭の力になれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「長月は行ったかな」

 

彼女の置いていったレポートをもう一度みる。

矢田の個人端末への非通知アクセスについて、跡を辿ったが着いた先は以前”シャーマン”が海軍本部のハッキングを仕掛けてきたポイントと同じ、実在しない住所の会社だった。

やはり”シャーマン”は矢田を使って何かをしようとしていた。そして失敗したと知って切り捨てた。

さしずめ矢田は使い魔といったところかな。使えなくなったから見捨てたのだろう。矢田が深海棲艦に殺されて胸をなでおろしているかもしれない。

どのみち尻尾はまだ出してはくれそうにない。もう少し探ってみるしかないだろう。

 

パラパラと長月には個人的な調べ物といったファイルをめくる。長月はああいうところは察しがよくて助かる。

確かに個人的なものではある。中身は、

 

「帆波峻の来歴…か」

 

生後間もなく母親を失い、6歳で父親を失う。その後は施設に引き取られている。そこまでは不幸ではあるがいたって普通だ。

 

「でも、その後の足取りがぱったりと途絶えてるんだよね」

 

若狭は友人となる人物の過去を調べるようにしていた。友人を疑うことのないように。裏切られてもすぐに気づけるように。東雲は割とすぐに来歴がわかった。でも帆波だけはわからない。

 

 

帆波、君は一体なんなんだい?

 

君はなぜここまで調べても出てこない?

 

君は本当に味方なのかい?





またまた新キャラ登場。
今度は若狭陽太さんです。
そして次回から新章突入の予定です。



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第二章 ウェークをおとせ!編
嵐の前の


 

埠頭を歩くと潮風が短い黒髪をなぶる。

程よく暖かく、吹く風が心地いい。

その中で峻は息を吐き出し海に向かって叫んだ。

 

「ようやく演習全部終わったあああ!」

 

 

遡ること三ヶ月前。

矢田の艦隊を演習で余裕で撃破し、その三日後に侵攻してきた深海棲艦を帆波隊は撃退することに成功したわけだが。

 

そのせいで

「我こそは帆波隊を破らん!」

と活気づいた各所の猛者の部隊や艦隊の練度を上げたがっていた部隊が次々と演習申し込み書を館山に送りつけ、結果これでもかという量の演習をこなすことになってしまったのだ。

相手のスケジュールの兼ね合いやあまりの量もあって三ヶ月以上経ってようやく一昨日に全て片付いたのだった。

 

「マジでふざけんなよ!再戦申し込みとかバカスカ送りやがって!そのせいで俺のライフがゴリゴリ削られたんだぞ!」

 

 

そんなわけで一人で海に向かって叫んでストレスをぶつけているのだった。

ちなみに昨日は全員が泥のように眠り続けていたくらい疲れていた。

普段一切の疲れを見せることのない鉄面皮の加賀が目の下にクマを浮かべてふらふらしていたと言えばどれだけやばかったかお分かりだろうか。

その他にも例えば、

「ハルナハダイジョウブデス」

とうわ言を言いながら砲撃する榛名に、

「あ、熊野じゃん。おひさー」

と虚空に手を振る鈴谷。極め付けは虚ろな目で相手を斬り伏せ続けた叢雲などという惨状だった。

そのため、演習で相手に圧勝しても相手の司令官が、

「なんか……その、すみません………」

と謝ってくるレベルでやばい顔だった。

 

 

三ヶ月前を思い返してふと気づく。

 

「そういやまだ約束の装備できてねえな」

 

まだ叢雲との約束が果たせていないのだ。

いいかげん図面くらいはひいておきたいところだがあまりの演習量に忙殺されてアイデアすら現状浮かんでいない。

 

早く作ってやりたいものだが中途半端なものでは意味がない。新しい砲塔がいいだろうか。それとも新型の魚雷?

 

なかなかピンとくるものが浮かんでこないもんだ。

ぶらぶらと屋内演習場へ足を向ける。昨日はさすがに疲れてできなかったが今日はこれまでの演習のまとめを一人一人がやっているはずだ。

そこでなにか思いつくといいんだがな。

幸い執務はあまりなく、今日はほぼフリーだ。おそらく将生が気を利かせて執務量を減らしてくれたのだろう。感謝はしないが。あれだけの演習量を認可して流したのも将生だからな。

 

 

「おっす、やってるかー」

 

「提督ですか。こんにちは」

 

「加賀か。どうだ、調子は」

 

屋内演習場の前で靴を脱ぎ、入り口をくぐるとすぐに加賀が腕を組んで立っていた。俺に気づくとすぐにやってきて挨拶してくる。

 

「調子ですか。私は問題ありません」

 

さすがにもういつもの調子らしい。目の下のクマは消えて凛とした雰囲気を纏っている。

どうやら加賀は今休憩中だったようだが、少し話に付き合ってくれるみたいだ。

 

「他の奴らはどうだ?」

 

「他の、ですか。そうですね、例えば新参の陸奥は腕を上げましたね。元々それなりのものではありましたが今回の演習漬けでさらに上達しました。他も同様に進歩しています」

 

「ゴーヤはどうだ?」

 

加賀が難しい顔をした。袖を引かれ、演習場の外のあまり人がこないところへ連れて行かれる。

人が多い中では言いづらい話のようだ。

 

「伊58ですが、艤装を装着することに関してはもう抵抗がないようです。ただし相手が相手ですから……」

 

「そうか。演習では大丈夫だが、実戦ではってことか」

 

「ええ。実戦では相手は同じ艦娘ではなく深海棲艦で、しかも躊躇なく沈めにきます。模擬弾ではない分どうしても可能性はあるかと」

 

まだゴーヤのPTSDは完璧に克服できてないか。まだ徐々にリハビリをして治すしかないだろう。トラウマってのは急に良くなることは稀だ。

 

「ゆっくり治してくしかないな。ありがとう。悪かったな、貴重な休憩時間をもらっちまって」

 

「いいえ、構いません。それでは」

 

加賀が下駄を鳴らしながら演習場へ入っていった。

まだ完治には遠そうだ。長い目でじっくりと治していくしかないだろう。

それでも最初は艤装をつけるのすら嫌がったのを思い出すと、大分マシになったようだ。

 

「さて、俺も加賀の跡を追うとするか」

 

引っ掛けた靴をもう一度脱いで屋内演習場へ入り込んだ。

 

 

艦娘の戦いは砲撃、雷撃または航空隊による爆雷撃が挙げられる。近接戦闘を仕掛ける艦娘も一部いるが一般的ではない。

ではなぜ屋内演習場という体術訓練ができる施設があるのか。

答えは簡単、受け身である。

これができるとできないでは生身に受けるダメージが変わってくる。艤装は壊れてもすぐに直せるが生身は壊れたらすぐには治らない。高速修復材という手も存在するが副作用が出る場合が多いためあまりお勧めできないからだ。

 

 

おっと、結構やってる奴いるな。いくら一日空いてるとはいえ、すぐに艤装を着けて海上訓練するのはやる気が出なかったんだろ。

 

 

「帆波中佐、お手合わせ願えますか?」

 

道着姿の榛名がかけ寄ってきた。少し顔に汗が滲んでいるあたり、さっきまで運動していたのだろう。

 

「別にいいけどならプロテクターくらいつけとけよ。怪我させたくはねえから」

 

「中佐も、ですよ」

 

「わかってるよ」

 

上着と靴下を道場の端に放り投げ軽量プロテクターを着用する。こいつは動きを阻害しないように作られたものだ。かなり軽く、かつ邪魔にならない。

加賀に判定を頼み、榛名と向かい合った。

 

「ルールは素手で引っ掻き、嚙みつきは無し。その他常識の範囲内で相手を大きく傷つけることはないように。それでは両者前へ」

 

俺と榛名が三歩前に出て構える。

 

「全力で行きます!」

 

「おう!来い!」

 

「それでは始め!」

 

加賀の開始の合図とともに大きく踏み込み榛名との間を詰める。繰り出した俺の掌底を榛名がいなし、カウンターとして拳を打ち出す。

打ち出された拳を俺はステップで躱して右足の上段蹴りをかますと榛名がしゃがんで回避。そのまま俺の空いた胴めがけて掌底を打ち込み、俺を後ろに押しやった。

この間僅か1分足らずである。

 

「へぇ、やるねえ」

 

「中佐こそですよ。ヒットの瞬間に下がって当たりを浅くしたことくらい気づきます」

 

榛名が警戒したまま答える。加賀のストップも入らないならばまだ継続中ってことか。

 

「行くぜ、榛名」

 

もう一度榛名との間を詰める。ただし今度は詰めるだけだ。

牽制で打たれた左ジャブを顔を傾けるだけで避け、続いて繰り出された右拳を掴み、勢いを生かして榛名を投げとばした。

 

だが榛名もその流れに逆らわずに転がり、追撃をかけようとした俺に裏拳を入れようとする。

でもそれが俺の狙いだった。

裏拳を打った右手を掴み捻りあげると関節の構造上、動かすことはできないのだ。

俺は榛名の手を掴み榛名の背中に捻りあげた。

 

「痛たたたたっ!ぎっ、ギブです!ギブ!」

 

「そこまで!」

 

加賀のストップが入ったため、榛名の右手を掴んでいた手を離す。

 

榛名が顔をしかめながら左手で右肩を撫でた。

 

「中佐、少しやりすぎですっ!」

 

榛名が拗ねたように頬を膨らませ、口を尖らせて文句を言う。

 

「手ぇ抜いたらお前怒るだろ」

 

「そりゃそうですよ!」

 

なんなんだよ一体。手加減すりゃよかったのか?

縒れたシャツの襟を正して、へたり込んだままの榛名に手を貸して起こした。

 

「あ、ありがとうございます」

 

そろそろお暇させてもらうとしますかね。なかなか楽しい暇つぶしもできたし。

 

「待ちなさい」

 

プロテクターを外しかけたところで制止の声が聞こえた。

 

「なんだよ、叢雲」

 

「久しぶりに私とやりあう気はない?」

 

ほほう。叢雲とか。なら確認しなきゃならないことがあるな。

 

「どこまでオーケーだ?」

 

「オールよ」

 

当たり前のこと言わないで、とでもいわんばかりの態度で長い髪を手で払う。

全力で来いってか。

 

「いいぜ。加賀、もっかい審判頼んでいいか?」

 

「わかりました」

 

道場が空くのを待つ間に、俺は模擬戦用の竹製の大ぶりなナイフを右手に、愛銃のCz75のマガジンに模擬弾を叩き込む。

対する叢雲は刃渡り60cm程度の竹製の打刀を持った。

 

道場が空いて、向き合うとお互いの間にピリッとした緊張感が漂う。

手加減なんて悠長なことはこいつ相手には言えない。そんなことしている間にあの打刀が掻っ捌きにくるからだ。

 

「それでは……始め」

 

加賀が開始の合図を出すが、今回はさっきのようにいきなり踏み込んだりしたい。

お互いがジリジリと回りあい、相手との距離を測る。

迂闊に間合いに入れば打刀に叩き斬られるのは目に見えている。かといって左のCz75を打っても避けられる。

さて、どうしたものか。

俺が思案していると叢雲が一気に接近し、刀を振り下ろす。

振り下ろされた刀の腹をナイフでなでるように添えて軌道を逸らし、左の引き金を引くが顔を背けて躱される。

 

ならばと、繰り出した左足の蹴りは叢雲の刀の柄頭で弾かれ体勢を崩した俺に叢雲も左足で蹴りを放つ。

 

「うおっ!」

 

上体を後方に逸らして間一髪で回避。そして懐に潜り込み、ナイフを押し込むが、叢雲の刀が受け止め、押し込まれまいとするために銃をホルスターに戻して右手の甲に左手を添えて、つばぜり合いになる。

 

「おうおう、その程度か?」

 

「はっ!あんたこそ最近サボりすぎて腕が鈍ってるんじゃないの?」

 

煽るようなこと言ってるがこれはあまりいい状況ではない。

もともとナイフはリーチに欠けるのだ。さらに刀は全体に力をかけやすい。

ジリジリと俺の腕が押し戻される。

 

叢雲が口の端をあげてにやりと笑う。

見てやがれよ。そう簡単に負けてやるもんか。

ふっと腕の力を抜いて体を左にずらすと、叢雲が力を込めて押していた刀がナイフが消えたことにより、ガクンと前のめりになる。

 

狙い通り!右手のナイフをそのまま叢雲の首筋に当てがおうとしてナイフが弾き飛ばされた。

切り返しが早い!こいつ、刀の峰で俺のナイフをふっ飛ばしやがった。

 

横薙ぎに振られる刀をバックステップで躱し、次の左下からの逆袈裟斬りを左足で刀の腹を蹴ることで軌道を逸らして避ける。

 

「降参してもいいのよ?」

 

「冗談。まだこれからだぜ?」

 

とはいえナイフがない今、俺が刀をいなす方法が一つ失われている。このままではジリ貧で押し切られる。

ならば速攻で決めるしかねえ。

 

南無三!

 

素早く飛び出す。叢雲が刀を上段から一気に振り抜き始める。

それを俺は避けずに突っ込んだ。

そして叢雲の股下をスライディングでくぐり抜ける。

不意を突かれてもさすがの反応で、すぐに叢雲が振り返り、刀を俺の首筋に当てた。

だが、同時に俺がクイックドロウで引き抜いたCz75が叢雲の眉間に照準を合わせている。

俺と叢雲が硬直した。片やいつでも引き金を引け、片やいつでも刀で首を斬れる。

 

「そこまで!両者引き分け」

 

加賀が終了と引き分けの判定を出したため銃をホルスターへ戻した。叢雲も刀を俺の首筋からゆっくりと引き戻す。

 

「今回は勝ったと思ったんだけど」

 

「ナイフ飛ばされたときはちっとばっか焦ったぜ。まあ相変わらずお互い勝ち越し無しだな」

 

弾き飛ばされたナイフを回収に向かう。

こっちこそ背後取った後、あそこまで反応早いのは予想してなかった。

次あたりそろそろ危なねえかもな。

 

「今度こそ帰るわ。じゃ、頑張れよ」

 

プロテクターを外して保管場へ投げ込み、靴下を履き上着を肩に引っ掛けながら持ち、屋内演習場を後にした。結局アイデアは浮かんでなかったが。

 

 

外に出てみると気づけばもう夕方だ。

暖かかった風が少し冷たくなっている。

けれど、運動して火照った体には丁度いい。

 

「平和だな」

 

ポツリと呟く。

 

あゝ素晴らしきかな日常。徒然なるままにひぐらし。硯に向いてなんちゃらかんちゃら。

こんなにのどかだと忘れがちだが、俺たちは深海棲艦と戦争しているのだ。

戦線は相変わらず押して押されての繰り返しだ。

 

早くこの戦いが終わるといいんだがな。そう祈らずにはいられなかった。





新章突入ですがまだおとなしいですね。
次回から荒れますが。
たぶん。

感想などはお気軽にお願いします。


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The Overture

 

昔々、あるところに一人の男がいました。

男は少女たちとともに海を侵す化け物と戦いながらも仲良く暮らしていました。

いつしか男は思います。

「こんな日が永遠に続けばいいのに」

でも男は知っていました。

永遠なんて存在しない、と。

それでも目を逸らし、耳を塞いでいたのです。

そのツケが回ってくるまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ついてない。

そう思わずにはいられなかった。

今日は外はバケツをひっくり返したような大雨だ。なんでも大型低気圧が接近しているとか。直撃していないのにこの雨は気が滅入る。

そして舞い込んだイムヤからの通信が余計に俺のその思考を加速させる。

 

『哨戒中に敵艦隊を発見!現在本土に向けて進行中!至急艦隊を出撃させて!』

 

「了解。すぐに出す。イムヤはそのまま気づかれないように後を付けておいてくれ。やばそうだったらお前の判断で撤退しろ」

 

プツンと通信を切って考える。

この天気では艦載機の発艦は困難だ。ということは加賀と瑞鶴を出すべきじゃない。となると……

 

『悪いけど私は出すのはオススメできないわよ。艤装の調子が最近どうもよくないのよ』

 

考えを遮るように叢雲が不満げに言う。確かにあまりいい動きが出来ていないのは確認していた。原因は分からないが、スランプといったやつかもしれない。

 

「しゃあねえ。陸奥を旗艦にして矢矧と鈴谷に北上をつける。全員聞こえたな?出撃スタンバイ。発進だ!」

 

『了解よ。戦艦陸奥、出る!』

 

雨が強くて出撃したのが執務室の窓からでは見えない。それでも確実に四人は出た。

 

まだ陸奥たちが接敵するのは時間がかかる。イムヤはまだバレてないみたいだがそのまま保つといいんだがな。

 

もどかしさを誤魔化すためにペンを意味もなく、くるくると回す。

イムヤに下手に通信を送ると余計にバレる可能性が増える。

それだけじゃない。

この雨で通信が不安定になってるせいで艤装への介入がうまくいかない。

今回俺は何もできない。

それがたまらなくもどかしい。

 

 

 

どれくらい経ったか。

また通信が入った。

 

「こちら館山基地の帆波だ」

 

『よし、繋がった!こちら硫黄島泊地!至急、支援艦隊を送ってほしい!』

 

硫黄島か。基地司令誰だっけ?最近新しく着任したはずだが忘れちまった。

ってそれどころじゃねえな。声が慌ててる。すぐに対応してやらにゃならん。

 

「状況の説明を」

 

『現在硫黄島は深海棲艦の攻撃を受けている!なんとか耐えてはいるが苦しい状況だ。支援艦隊を送ることは可能だろうか?』

 

「この天気で空母は出せねえ。そしてうちもさっき迎撃に一部出しちまった。残りですぐに動かせるのを出すのでよければ」

 

『助かる!少しでも手が欲しい』

 

えっと今出せるのは……陸奥と矢矧と鈴谷と北上は他の迎撃に当たらせてる。叢雲は不調でゴーヤはまだ出すべきじゃない。イムヤも出撃中だから空いてるのは榛名と夕張と天津風か。

 

「残念だがうちから出せるのは3人だ。それでもよければ出そう」

 

『そちらの練度の高さは話に聞いている。非常に助かる』

 

そう言い残し、硫黄島の基地司令サンからの通信は切れた。

横須賀も他の近くの基地も出す余裕がないらしい。

この天気に紛れて深海棲艦が一斉に攻勢に出てるのか?だとしたらなんて厄介な。

 

「すまんが出撃だ。榛名を旗艦にして随伴に夕張と天津風頼む。場所は硫黄島だ。すでに交戦中とのこと。急いでやってくれ」

 

『いいのですか?』

 

「仕方ねえだろ。どうやらどこも出張ってるみたいだ。横須賀も手が空いてない。うちしか出せねえ。そして見捨てるのは後味が悪い」

 

『……わかりました。榛名、出撃します』

 

これで残ってるのは叢雲とゴーヤと明石だ。もううちから出せるのはない。

 

硫黄島は手一杯。横須賀は横須賀で遠征に出ていて出せるのはなし。他の基地もここしばらくの出撃やらで被害を受けていて唯一普段滅多に出撃しないうちが出すしかない。そしてこういう時に限って叢雲が不調で天候不良で空母二人が出せない。

最悪だ。運が悪すぎる。

頼むぜ、お前ら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陸奥はこの状況に歯嚙みした。

視界が悪いせいでいつもなら当たるものも当たらない。北上も魚雷を打ってはみるものの、荒波で軌道がうまく定められない。いつもなら提督が戦術コンピュータに繋げて微調整するところだが、通信は生憎と繋がりにくい。

そのせいでだらだらと戦闘が長引きてしまっている。

 

「被害状況は?」

 

『鈴谷、小破だよ』

 

『矢矧、損傷軽微よ』

 

『北上、同じく損傷軽微だよ』

 

三者三様の答えが通信越しに返ってくる。普段なら少し叫べば聞こえるのに今日はそうもいかない。

 

まったく提督も無茶な戦場に送ってくれたものね。

水柱で濡れたのか雨で濡れたのかわからないほどグショグショになりながらも砲撃。電探もまともに反応しないのでどれくらい敵が残っているかも判定がつかない。

だが現状ではこちらの被害はかなり軽い。手間はかかるが問題なく撃退できる。

 

ま、それもわかってあの人は私たちを出したんでしょうけど。

それに矢矧をつけたのは私の旗艦としてのサポートのため。鈴谷はプレッシャーを和らげさせるためのドリームメーカーとして。北上は腕に覚えがあり、なおかつ高い雷撃能力で敵の撃滅に適しているから。

気づかれないようにしているつもりでしょうけど結構手をかけてくれているのよね。

 

強い雨音に砲撃音が混ざり、砲弾が降りそそぐ。けれど悪条件は向こうも同じで的外れな位置に着弾する。

これじゃあ埒があかない。

 

『陸奥、矢矧より意見具申よ。私が接近して魚雷を叩き込むわ』

 

普段ならそんなことはできない。けれどこの悪天候ならばギリギリまで気づかれずに行ける。

 

「オーケーよ。私が主砲の砲撃でこちらに意識を向けさせるからその隙にお願い!」

 

『任せて!』

 

『あ、アタシもいくよー』

 

矢矧と北上が回りこみ始める。とにかくこちらに引きつけるために砲撃を続けないと。

 

「鈴谷、まだいける?」

 

『鈴谷はダイジョーブだよっ!』

 

「ならやるわよ!撃てぇ!」

 

自慢の41cm砲が轟く。

さあ、こっちを見なさい。そして気づいた時にはきっともう沈んでるわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

硫黄島から少し離れた場所で砲弾と魚雷が行き交っています。ギリギリで渡り合っていますが撃退するのは厳しそうです。

急いで連絡しましょう。

 

「硫黄島の司令官の方、応答してください!館山からの支援艦隊旗艦、金剛型戦艦榛名です!」

 

『こちら硫黄島泊地。救援感謝する!』

 

「榛名たちはどうすればよろしいですか?」

 

『左翼に展開している敵水上打撃部隊を叩いてほしい。可能か?』

 

「勢力は?」

 

『戦艦クラス含む合計6隻の一艦隊分だ。こちらから2隻ならそちらに付けられる』

 

榛名は頭の中でざっと計算した。

こっちには榛名と夕張ちゃんと天津風ちゃん。希望すれば2人は付けてもらえる。

対する敵艦隊は数の上では三つ多いが、戦艦だけの数なら同数。やりようによっては勝てる!

 

「わかりました。しかし支援は必要ありません。他に手を回してあげてください」

 

『しかし……』

 

「他も結構厳しそうです。榛名たちを気遣ってくれるお心遣いは嬉しいですが、それでここが落されては意味がありません。だから大丈夫です!」

 

『……そうか。すまない』

 

支援艦隊として送ってもらっておいて、大きな被害を与えさせてしまうことを心苦しく思ったのでしょう。謝られてしまいました。

でも断ったのは3人でいけると思ったからなんですよ?

 

「目標、左翼の敵水上打撃部隊!攻撃開始っ!」

 

『榛名、念のために対潜警戒しとく?』

 

「夕張ちゃん、お願いします。天津風ちゃんは攻撃準備を!」

 

撃ち込んだ砲弾の着弾位置か辛うじて視界に捉えられました。

少しズレましたが、許容範囲内です。

次は決めます!

 

天津風ちゃんの連装砲くんが海上を走り、すぐに見えなくなりました。おそらく自分の判断で分離させたのでしょう。

ここのところの演習漬けは伊達じゃありません。

もう一度砲撃。主砲を斉射します。

やりました!今度は命中です!燃料か弾薬かに命中したのでしょう。黒煙を上げて傾いていきます。

あれは重巡サイズですね。まだ戦艦クラスは健在です。

 

「天津風ちゃん、いけますか?」

 

『問題ないわ』

 

降りそそぐ砲弾をひょいっとかわしながらもう一度砲撃します。

この天気では水偵は飛ばせません。

でも着弾を確認できるものはあります。

天津風ちゃんの操る連装砲くんが。

そして確認さえできれば弾着観測射撃は可能です!

 

「榛名、全力で参ります!」

 

タ級に命中。次も命中。立て続けにくらったタ級が怨嗟の声を残し沈んでいった。

 

「左翼展開中だった敵水上打撃部隊の撃破を確認しました。次に移ります!」

 

形勢逆転。左が崩れた深海棲艦の列が崩れていき、対照的に艦娘たちの士気が上がっていく。

 

「次です!」

 

榛名たち3人が次の目標を目掛けて攻撃準備をしながら駆ける。

硫黄島の戦況はこちらに傾き始めた。

 

 





少し書き出しを変えてみました。
またやるか今回だけかは気分次第できめます。


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悲愴


今回ネタバレになりますが轟沈描写などがあります。
苦手な方はブラウザバックお願いします。
いいですね?
それでは参りましょう。


 

現在の状況をまとめよう。

陸奥率いる合計4人が出撃中。

榛名率いる合計3人は現在硫黄島沖にてまだ戦闘中だが直に片がつくらしい。

空母は強い風雨で艦載機の発着艦不能。

イムヤは合流したかは定かじゃないが陸奥たちの方にいるだろう。

えらく大軍で攻めてきやがったな、深海棲艦。ったく厄介なことこの上ねえ。

 

峻が苛立ちを紛らわすためにフラフラと執務室を歩き回り、時たま急に立ち止まりまた歩き始めることを繰り返し続ける。

 

今回はこの天候のせいでまともにフォローが出来ねえ。せめて雨も小降りから中降り程度で済んでくれればいいがこんな車軸の雨じゃ通信の電波が阻害されちまう。

低気圧の動きからしてあと数時間もしないうちに晴れるとは思うが早くしてくれ。

 

「ちょっとは落ち着きなさいよ」

 

叢雲にたしなめられる。今回出られないなら格納庫で待機している必要なくね、と言ったところ本当に執務室に戻ってきたのだ。

 

「落ち着ついてられるかよ、この状況で!」

 

「だからこそ落ち着けって言ってんのよ。あんたは今回何もできない。それがもどかしいのはわかるけどペンギンみたいに歩き回ったって事態はなにも好転しないわよ。少しはみんなを信用してあげなさい」

 

「……すまん」

 

「こんなことで私に手間をかけさせないでよね」

 

それに艤装の調子が悪くて思うように動けない叢雲自身が一番もどかしいはずだ。それなのに俺はまったく。嫌気がさす。

 

「ほら、お茶でも淹れてあげるから座ってなさい」

 

「ああ、悪いな」

 

執務机の椅子に座る気は起きず、来客用のソファにどっかりと腰掛けた。ふかっとした感触が峻の体を押し返す。

 

あいつらならきっと大丈夫だ。演習で腕も上がってるし、シュミレーターで指揮官として広い視界も持ってる。

叢雲に言われた通り、信じて待っててやらなくちゃな。

 

ガリガリと髪を掻き毟る。不安が取り除かれたわけではない。それでも少しは落ち着いた。

だがその息をつく束の間の時間を基地の警報がぶち壊した。

 

「くそっ、今度はなんだ⁉︎」

 

警報がなった理由を確かめるため、基地のコンピュータにアクセスする。そして信じられないものを見た。

 

「嘘……だろ………?」

 

哨戒線に深海棲艦が引っかかったのだ。それも明らかにこちらに向かって侵攻している。

 

「この前のお礼参りってか、ふざけやがって!」

 

最後まで生きてた監視カメラに接続して数を確かめる。冗談じゃねぇぞ。12とかうちに対抗できる勢力ねえじゃねえか。

かといって周辺の基地はほぼ他に出張ってる。残ってるのは空母ばかりだ。

 

こいつは圧倒的にヤバいぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

叢雲は給湯室でヤカンに水を入れて火にかけ、急須に茶葉をいつもより少し多めに入れて水が沸騰するのを待つ。

気分を落ち着かせるために少し濃いめのお茶にしておいたほうがいいと思ったからだ。

 

あいつが本気で狼狽えている姿を見せることはなかなかない。他の艦娘の前で見せることはありえないと言ってもいいくらいだ。

本人は、

「司令官の俺が狼狽えたらみんなを不安にさせちまうからそんな姿は見せるわけにはいかねえんだよ」

と言っている。だから見せるのは私の前くらいね。ほんの少しだけ弱いところを見せてくれるのが嬉しかったりね。

出撃できないのは残念だけどね。しっかり訓練もしてるしなんでうまく動けないのかしら。

 

取り留めのないことを考えているとヤカンがピーッと笛を鳴らして沸騰したことを知らせる。

じっと見てるとなかなか鳴らないのに他ごとしてるとこういうのってすぐ鳴る気がするのはなんでかしらね。

火を消してしばらく待つ。煎茶を淹れるときのお湯の適温はだいたい80度くらいだから沸騰してから少し待つのがベストなのよ。

 

適温になった頃を見計らって急須にお湯を注ぐと煎茶の香りがふわりと漂う。2つ湯呑みを用意して均等に注ぎ、お盆に載せて給湯室をでた。

別に私が入れたんだから私が飲んだっていいじゃない。あいつもそれに関して文句言ったことはないし。

 

執務室の前の廊下を歩いていると基地の警報がけたましく鳴り響いた。零さないように、でも急いで執務室に滑り込む。

 

「この前のお礼参りってか、ふざけやがって!」

 

ああ、どうやらここに攻めてきたようだ。お盆ごと机の上に置く。まだあいつは慌てていて、私に気づいていない。

 

「ここに来たのね?」

 

「……叢雲か。そうだ。今すぐ避難をするしかない」

 

「避難するにも時間が足りないわよ」

 

「わかってる!だがどうしようもねえ」

 

あいつが壁を殴り、唇を噛む。

私はため息をついた。1つ方法ならあるでしょう。意図的に言わないようにしてるのバレバレよ。

 

「私が出るわ」

 

そう。私が出ればいいのよ。

 

「……許可できねえ。艤装の調子が悪い奴を出せるか」

 

「でもそれ以外に手はないでしょ?」

 

「そうだな。でもその手段は間違ってるからやらねぇぞ。お前は確実に沈むからな」

 

「それはあんたの私情でしょ。私情を挟むなんて司令官失格よ。悪いけどあんたの駄々でこの基地消すつもりはないわ」

 

あえて冷たく言い放つ。

 

「でもそれは────」

「なら現時点であんたの指揮能力喪失と判断するわ。これで司令官は私よ。そして私は私に出ろと命令する。以上よ」

 

「待て!おい!」

 

引き止めるあいつの声を残して執務室を飛び出し格納庫へと走る。

格納庫へ入ると艤装を降ろそうとするが降りてこない。

さては執務室からロックかけたわね。でも残念だけど私この基地のパス知ってるのよね。矢田の件で私に教えてからパス変えてないの忘れてるのかしら。

 

手早くパスを入力すると艤装が降りてきた。それを装着するともう一度パスを使って扉を開けると海へ飛び出した。

 

 

 

叩きつけるような雨に閉口する。さっき盗み見たところによるともう少し先に行ったところで恐らく会敵するはず。

時折、艤装から変な音がする。速度もいつもみたいに自分の思うように出せない。普段なら自分の体の一部のように動く艤装がぎこちない。

それでも動く。なら私は戦える。

 

『おし、繋がった!おい叢雲!今すぐ戻ってこい!』

 

「そうもいかないわ。ここで誰か足止めしなきゃ」

 

『だとしても今のお前じゃ無理だ。まだ間に合うから戻れ!』

 

「残念だけどもう間に合わないわ」

 

自分の周囲に砲弾が降り注ぐ。そりゃこの雨でも目視で確認できるくらい接近したもの。仕込み刀の断雨を引き抜き思うように動かない砲塔を深海棲艦に向ける。

ざっと見ただけで戦艦4隻は最低いるわね。

 

『逃げろって言ってんのがわかんねえのか!』

 

「悪いけどここは引き下がれないわ」

 

無理やり艤装を動かし、大雨の中を駆け抜ける。また砲撃音。いつもなら避けれる砲弾についに当たってしまった。痛みに思わず顔をしかめる。

 

「っ……!まだまだぁ!」

 

残弾数なんて気にしない。どうせまともに狙いもつけられないからとにかく撃ちまくる。

 

「きゃあっ!」

 

またくらった。機関から嫌な音がする。警告ウィンドウが開き、出力の低下を教えた。深海棲艦たちは私専用の対策を打ってきているのか接近しようとしても離れていく。これじゃあ刀が使えないじゃないの。

 

『戻ってくれ!おい、聞いてんのか!』

 

あいつも機銃や爆雷などの操作をしながら必死で通信を行う。でもまだ戻るわけには行かない。

 

「ねぇ、聞こえる?」

 

『ああ!早く戻って────』

「あんたのこと、嫌いじゃなかったわ。じゃあね』

 

プツンと通信を切り、その後は通信機を切り離して海中に投下した。艤装のコントロールも全てこっちでロックしたからもうあいつは私に干渉できない。

これでいい。あいつに最後まで付き合わせる意味なんてない。それにあんなのずっと聞いてたら戻りたくなるじゃない。

 

次々と周囲に着弾。砲弾の破片が皮膚を裂き、当たった砲弾が主砲を吹き飛ばす。でもまだ動ける。

 

「沈め!」

 

まだ残っている武装をとにかく撃ちまくる。爆雷投射機が吹き飛んだ。けどまだ主砲一門と機銃と魚雷が残ってる。

 

「ぐっ……でもこっから先は通さないわよ!」

 

戦艦を取り囲むように重巡や軽巡、駆逐艦が陣形を取り、一斉に魚雷を発射した。こっちも残っている魚雷を全て放つ。両者の間で魚雷同士がぶつかり、大きな水柱を上げた。

とにかく接近させる気はないらしい。回避に専念せざるを得ないため、前に進む余裕がない。

 

バチバチとついに艤装から火花が出始めた。速度も最高速度の半分を切った。

いたるところから血が流れ、感覚が鈍くなる。

体内に宿す妖精もそろそろ限界のようだ。

ドォンと大きな音が鳴る。

ゆっくりと目の前に砲弾が迫ってくる。

 

死ぬ前って時間の進みが遅く感じるのかしら。

しまった。せっかくお茶淹れたのに私飲んでないわ。

もう少し最後くらいあいつに優しい言葉かけてあげるべきだったかしら。でもあれくらいが私らしくてちょうどいいわよね。うん、きっとそうよ。

 

そして叢雲の世界が閃光に染まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あんたのこと、嫌いじゃなかったわ。じゃあね』

 

一方的に通信が切れ、艤装への介入路もロックされた。

ふざけんなよ。なに勝手なことしてんだ!

雨はまだ強い。加賀と瑞鶴はまだ出せない。自室待機のままにするしかない。

なら動いているのを頼るしかない!

何度もコールをかけるとようやく繋がった。

 

「陸奥!応答を!」

 

『どうしたの?珍しく慌てて?』

 

「そっちの状況は?」

 

『ごめんなさい。もう少しかかりそう。何かあったの?』

 

「いや、なんでもない。そっちの戦闘に集中してくれ。悪かったな」

 

陸奥はまだ厳しそうだ。なら次は榛名だ。もう一度コールをしまくる。

 

「榛名!応答してくれ!榛名!」

 

『はい、榛名です。どうしました?』

 

よし、出た!

 

「硫黄島での戦闘は終わったか⁉︎」

 

『え、えぇっとあと少しで片付きそうですが……』

 

「そうか。終わり次第、このポイントへ急行してくれないか?連戦続きで悪いが頼めるのはお前くらいしかいないんだ!」

 

『……何かあったんですね?』

 

「ああ。叢雲が館山の哨戒線に引っかかった深海棲艦を単身で挑みに行った。艤装の調子が悪いのに、だ。さっき通信も切られたから詳しい状況がわかんねえんだ!」

 

『全力で急行します!』

 

「すまん、頼む!」

 

デカい事件を片付けて油断してた。まさかあいつがパスをそのまま流用してくるとは。しかも無断で出撃するなんて予測してなかった。

自分の愚かさに腹がたつ。

頼む。榛名、急いでくれ。

頼む。叢雲、無事でいてくれ。

 

拳を強く握る。爪が手のひらに食い込み、皮膚を突き破り血が流れた。

ホロウィンドウを開いて戦況を確認。まだ大丈夫。叢雲の反応はある。

もう仲間が死ぬ姿なんて見たくない。

お願いだ。ここに帰ってきてくれ。

 

 

 

コンコンと執務室のドアが控えめにノックされた。

 

「……入ってくれ」

 

榛名が顔を俯かせて入り、俺の執務机にゴトリと何かを置いた。しばしの沈黙が部屋を支配する。

 

「……榛名、お疲れ様。休んでいてくれ」

 

「でも!」

 

バッと榛名が顔を上げようだ。俺も下を見ていて榛名の顔は見えないが。

 

「いいから!全員に通達だ。連戦で疲弊してるだろ?ゆっくり休め」

 

「中佐……わかりました。榛名、失礼します」

 

ガチャリとドアを開けて榛名が出ていきかけて止まる。そしてくるりと振り返った。

 

「あまり無茶をなさらないでくださいね」

 

労るような声で榛名が言うと今度こそドアを閉めて出て行った。

榛名は行ったな?

 

ようやく榛名の置いていった報告書に目を通した。結果は知っているのに。

 

 

 

 

 

───────報告書──────

 

指定された海域付近に到着。周囲に敵影などは見られず。また救援対象の駆逐艦叢雲も見られなかった。

その後、捜索を開始。されど周辺を捜索するも捜索対象者は発見されず、艤装の一部のみが発見された。

以上の状況より、旗艦榛名は駆逐艦叢雲が撃沈されたと判断し、帰投する次第である。

 

 

 

 

 

榛名が机に置いた何かが低気圧が通り過ぎ、顔を出した太陽の光を反射しキラキラと虚しく光る。

そのキラキラと光る物は叢雲の頭部浮遊ユニットの残骸だった。

 

「クソったれ…………」

 

ポツリと呟く。またか。また仲間を死なせてしまったのか、俺は。

 

「クソったれがあああああああああ!!!!!」

 

峻の叫び声が執務室にただ響く。

叢雲の淹れた煎茶はもう冷めてしまったようだ。

 

 





物悲しくなる回です。
作者的にはついにやっちまったよ俺……といったところです。

感想、ご要望(改行変えてなど)はお気軽に。

それでは


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愚者のあやまち

榛名は実は執務室を出てから直ぐに移動していなかった。そのまま廊下の壁にもたれていたのだ。榛名が移動していないことに、気づかなかった時点で峻がどれだけ追い詰められていたのか榛名にはよくわかった。

 

 

榛名は元々別の部隊にいたがそこの部隊が崩壊して、ここに転属になったのだ。

そして前の部隊の司令官が唯一榛名が”提督”と呼ぶ人だった。

 

そう。もう過去の話。榛名の”提督”は過去の人です。もういません。

榛名は本気で”提督”を慕っていました。でも迷惑だと思い、距離を取っていたんです。

 

ある日出撃した時、深海棲艦の大群に囲まれて”提督”は私たちを守るために巡洋艦で深海棲艦に突っ込み、時間を稼ぎ亡くなりました。そのおかげで私たちは救援艦隊が間に合い、当時の部隊のみんなはケガこそあれど全員が無事でした。

でも榛名は”提督”の最後の言葉を聞いたのです。

「榛名、こんな時で悪いけど僕は君のことが好きだった。だから君は絶対に生きてくれ」

榛名は帰ってから泣きました。涙が枯れるくらい泣きました。泣き疲れて寝てまた泣く。そんなことを繰り返しました。

 

だからこそ。

帆波中佐の気持ちはわかるんです。

あの人にとって部隊の仲間は家族と同じくらい大切なのに、そのうち一人が沈んでしまった。しかもその一人は部隊に一番最初からいた、最も信頼していた子です。

 

辛いでしょう。中佐の心は張り裂けそうなくらい痛いはずです。

頑張ってください。踏ん張ってください。あなたは榛名みたいに壊れてはいけません。榛名みたいに抜け殻のように生きてはいけません。そこから榛名を掬い上げてくれたあなたがそこに落ちてはいけないんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「叢雲が……沈んだ?」

 

悪い冗談であってほしい。瑞鶴はそう思わずにはいられなかった。

あの叢雲が?深海棲艦を刀で二枚に切り裂いて戦艦に近接戦闘しかけるあの頭のおかしい駆逐艦が?

 

「そんな………嘘でしょ?」

 

「残念ながら本当です。榛名たちが探しましたが見つかりませんでした……」

 

榛名が沈鬱げな表情で言った。榛名はこういう人が傷つくような嘘をつくタイプではない。ということはホントってこと?

 

「これから私たちどうなるの……?」

 

「わかりません。でも旗艦は変わるでしょうし、秘書艦も変わらざるを得ないでしょうね」

 

加賀が静かに告げた。

そっか。叢雲がここのほとんどのことやってたもんね。

 

「問題は提督よ。あの人がどう決断するか次第ね。急いで空いた穴を決めないといけないわ」

 

加賀の冷静すぎる言葉に私は頭に血が上った。

 

「加賀!もう少し悲しむとかないわけ!」

 

「瑞鶴、落ち着いてください!」

 

「榛名は黙ってて!加賀、提督さんは今すごく辛いのよ?なのに急いで穴を埋めろってそりゃないじゃない!仮にも加賀はかなり初期からいるでしょう!それなのに──」

「瑞鶴!」

 

加賀に一喝されビクッと身を縮めた。

 

「悲しいに決まってるわ!でもそんな余裕ないのよ。あんまりゆっくりしてるとこの部隊は解隊になるかもしれない。辛いのはわかるわ。でもだからこそしっかりしてもらわなくてはいけないの」

 

「……ゴメン、熱くなりすぎた」

 

「いいえ、私も少し冷たかったわ」

 

それに身内で争っても叢雲が戻るわけしゃないし、喜ぶとも思えない。こういう時こそシャキッとしないと。それにきっと一番キツいのは提督さんのはず。仲間なんだからちゃんと支えてあげないと。

 

「でもしばらく中佐をそっとしておいてあげましょう。せめて今日くらいは一人にしておいてあげるとか」

 

「……そうね。私は少し演習場に行ってきます」

 

「加賀、私も行く」

 

「榛名は怪我がないか診てもらってから休みます」

 

天候のせいとはいえ、何もできなかったことが悔やまれる。せめて何かに集中して気を紛らわせたかった。

加賀と演習場へ向かい弓を引く。

射掛けられられた2本の矢は2人にしては珍しく真ん中を外していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「失礼するわ」

 

陸奥が執務室のドアを叩き入る。執務机で峻が俯いたままカリカリとペンを走らせている。

 

「陸奥と随伴の矢矧、北上、鈴谷、以上4名帰投したわ」

 

「……ああ、お疲れ様」

 

なんと声をかけたらいいのかしら。

ここに来る途中で叢雲が沈んだことは耳にした。当然信じられなかったけど事実のようだ。

 

「敵艦隊はなぜかわからないけどいきなり退却していったわ。後日戦闘記録と報告書を提出するからそれを詳しく見てくれればわかると思うけど」

 

「そうか」

 

私の目を見て提督が返事をする。でも提督の目に私は映っているの?

あの私たちを助けてくれた時のような快活さと自信はなりを潜め、ただどんよりとした雰囲気を纏っている。全てを見透かしていたような茶色の瞳には深い闇しか見出せない。

 

「ねぇ、本当に大丈夫?」

 

「大丈夫だ。俺がしっかりしないと……」

 

大丈夫ではなさそう。でもどうすることもできない。時間に任せるしかないのかしら。

 

「報告は以上よ」

 

「そうか。もう下がっていいぞ。ゆっくり体を休めてくれ」

 

「ええ、そうさせてもらうわ」

 

指示などはしっかりできている。執務に関しても日頃はサボっているとはいえ、今は真剣にやっているみたいだ。ほっといても一人で立ち直れるかもしれない。それにこういうことには下手に他人が口を出すべきじゃないのかもね。

 

執務室を出てから部屋へ向かう。任務をしっかりと遂行できているが、その足取りは決して軽くはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陸奥が執務室から出て行った。

報告書は後日持ってくるそうだ。ならそれまで他の書類に目を通しておこう。

 

一心不乱に執務をこなしていく。積んであった紙の山から取っては書き、取っては書きを繰り返す。

いつも叢雲にこんなことばかり俺は押し付けていたのか。

艤装の管理状況について、基地の備蓄資材量について、艦娘たちの運用状況及び調子について、その他大量の書類が山と積んである。

 

久しぶりにペンをまともに握って仕事したからか、右手の指が痛む。日頃からしなかったツケだろうか。

痛みを無視してペンを走らせ続ける。気づけばもう夜の7時を過ぎている。

 

夕食か……食べる気起きねえな。そもそも胃が何かを受け付けようとしねえ。空腹感も感じる気配すらない。

少しくらい飯抜いたって大丈夫だろ。

 

外が暗くなっていく。まだ紙束はどっさりと残っている。今日の分を片すまで寝るわけにはいかねえ。

要領がうまく掴めない。まだ昔みたいにテキパキとこなすには時間がかかる。

 

「叢雲、茶ぁー淹れてくれ……」

 

何気なく言ってしまってから思い出す。

そうだった。あいつは……

そこでようやく来客用の机に置かれたお盆の上に乗っている2つの湯呑みを見つけた。とっくの昔に冷めて忘れ去られていた煎茶。

ふらふらとした足取りで近寄り、慎重に湯呑みを1つ手に取った。

ぐっと一口飲むと少し濃いめに出された煎茶の香りが口の中に仄かな甘味と共にふわりと広がり、その後に来た強い渋味と苦味で押し流された。

 

「……うまいじゃねえかよ」

 

もう一口、もう一口と飲んでいくと小ぶりな湯呑みはあっという間に空になり、口の中の渋味だけが残った。

 

「……苦い、な」

 

コトリと飲み終わった湯呑みをお盆の上に置く。お盆の上には空の湯呑みとまだ煎茶の入った湯呑みが並んだ。

 

「なんでだよ……なんで勝手に死んじまうかなあ」

 

そう呟いた峻の声は少しだけ震えていた。

 

あの時俺があいつを止められていれば。あの時俺が判断を間違えずに出撃するメンバーを選べていたら。あの時俺が無理やりにでもロックされた介入路をこじ開けてフォローに入れたら。あの時俺がこうなることを予測していれば。

 

執務机に戻ってからも後悔ばかりが頭をよぎり続けた。

それでも手は休ませなかった。ただひたすらペンを走らせ続け、黙々と執務をこなし続ける。

 

それは彼女への贖罪なのか、それとも峻のただの自己満足なのか。




さりげなく明かされる榛名の過去。
かなりダークになってきましたが大丈夫でしょうか?
大丈夫、多分。

それではまた。


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予期されたこと

男はツケを払ってから気づきます。目を(そむ)け、耳を塞いだその代償の大きさに。自分のせいで失ったものに。

でももう遅かったのです。失ったものは戻りません。(なげ)いても(わめ)いても返りませんでした。

男は自らを責めました。自分が永遠に続くと愚かにも信じ、続かせるための努力をいつしか忘れていたことを。

最後に男は謝りました。すまなかった、と。

そして自らの命を自らの手で断ったのでした。

 

名無しの民話より。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それはなるべくして起きた、というしかないんだと思う。叢雲が沈んでから一週間、誰も提督の姿をまともに執務室以外で見なかったと言っても過言ではないくらい提督の姿を見た人はいなかったしね。当然鈴谷たちも提督が動かなければ特に哨戒などの任務も来ないから仕方なくただ待ち続けたのがいけなかったのかな。

8日目の昼食の時に天津風が大慌てで食堂に駆け込んできたの。鈴谷が生姜焼き定食をぼんやりとつついてた時にね。

天津風は肩で息をして膝に手を当ててしばらく呼吸を整えたかと思ったら叫んだんだ。

 

「提督が倒れた!」

 

一気にさっきまで静かだった食堂が騒然となった。でもみんなこうも思ったはず。”やっぱりこうなっちゃったなぁ”って。だってずっと塞ぎ込んでたもん。いずれこうなるかもしれないって心のどこかでわかってた気もするんだ。

 

とにかく生姜焼きをご飯と一緒に口に詰め込んで味噌汁で押し流す。冷たい麦茶で口の中をさっぱりさせると病室に向かった。

 

他のみんなも心配だったのか全員が病室の前に集まり、医務長を質問攻めにしていた。

 

「あの、落ち着いてくれるかな?説明するから。あと患者の体に響くからもう少しボリュームを絞って欲しいんだけどね」

 

一斉に口を噤み黙る。患者かぁ。そうだよね、倒れたんだもんね。

 

「帆波中佐は今は寝てる。倒れた原因は過労と過度のストレスだね。食道が荒れて胃に穴も開いてた。それに目の下のクマも酷いところを見るとまともに睡眠もとってないみたいだね。すこし栄養失調の気もあるかな。とにかく今は安静に、だよ」

 

過度のストレス。うん、そうだよね。叢雲がいなくなってからずっと執務室に缶詰めだったからまともな食事もしてなかったんじゃないかな。

あの提督のことだから自分を責め続けていたんだと思う。でも言ってくれればいいのに。そうすれば鈴谷でよければ喜んで相談相手になったのにな。

 

ともかくまだ寝てるなら面会したって意味はないし1人ずつ交代で着くことになった。起きた時に隣に誰もいないんじゃ寂しいからね。

あとみんなで相談して秘書艦は交代制で、とりあえず最初は経験がある陸奥がやるってことで決定した。

いい加減決めないといけなかったのを先延ばしにしていたのも提督にとって良くなかったのかもしれない。

無茶ばっかりしないでこれで少しはゆっくり休めたらいいんだけど。

 

鈴谷はそう祈らずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鼻の奥を消毒液の匂いがツンと刺す。

この匂いは病室か?でも俺は執務室にいたはずじゃ……

ゆっくりとまぶたを上げると白い天井が視界に入る。ああ、やっぱり病室か。

 

「目が覚めましたか?」

 

首だけ右に動かして横を見るとスツールに腰掛けた加賀がいた。栞の飛び出た本を片手にしているということはさっきまで本を読んでいたらしい。

 

「俺は……」

 

「執務室で倒れたんです。天津風が見つけてくれてここに運び込まれたんですよ」

 

そういえばそうだった。何徹したのか忘れたが、立ち上がったと同時に酷い立ち眩みに襲われて意識が遠のいたところまでは思い出した。ゆっくりと上体を起こしながら加賀に尋ねた。

 

「今何時だ?」

 

「午後3時半です」

 

確か最後に時計を見たときの時間は12時ちょい過ぎだったはずだ。

 

「ってことは俺は3時間ちょっと寝てたのか…」

 

少し寝すぎた。まだやらなきゃなんねえことがあるのにしっかりしねえと。

 

「いいえ、違います。提督、あなたが寝ていたのは()()()1()2()()()()()です」

 

「何だって!」

 

昨日?つまり27時間も寝てたのか。休みすぎだ!

 

「いい機会です。私たちに任せて、少しゆっくり体を癒したらどう?」

 

「そんなわけにはいかねえ!まだ執務が──」

「それなら交代制の秘書艦がやっているので問題ありません。今は夕張が担当しているはずよ」

 

俺の言葉を遮って加賀が言った。でも違うんだよ。

 

「俺がやらなきゃいけないんだ」

 

「なぜですか?今まであなたは他人によく押し付けていたと思うけど」

 

「だから、だ。今まで叢雲に押し付けてばっかだったんだ。そして俺があいつを沈めたんだ。なら俺がやらなくちゃなんねえ」

 

ふぅ、と加賀がため息をついた。

 

「その結果が提督が倒れて艦隊に迷惑をかけている。それくらいわからないんですか?」

 

「だがあいつを沈めたのは俺だ。俺なんだよ!」

 

「いいえ、違う」

 

違う?違わない。俺が沈めた。愚かな自分が悪い。それ以外何がある。

 

「あの時の状況を聞きました。提督、あなたが沈めたのではありません」

 

「違う!俺が────」

「違わないでしょう?彼女があなたの制止を振り切って、命令無視をして、独断で、無断で出撃して1人で勝手に沈んだ。そこにあなたの責任なんて1つたりと無いわ」

 

「加賀!お前はッ────」

 

加賀を責める言葉を叫びかけてハッとした。加賀は暗にこう言っているのだ。”そういうことにしておきなさい”と。自分が叢雲を貶すという泥を被ってでも俺を無理やり立ち直らせようとしてくれている。

それなのに俺はまったく。

 

「……悪いな、そこまで言わせちまって」

 

「別に……。損な役回りは慣れているので」

 

プイと加賀がそっぽを向いてしまった。それを見てようやく少し笑えた。

ダメだな、俺は。こんなに心配かけちまった。こんなんでよく司令官なんて名乗れたもんだ。

叢雲のことは忘れられないだろう。

一生俺が背負い続ける罪だ。でもそれで生きてる奴らに迷惑かけてあいつが喜ぶわけがない。むしろブチギレるだろうな。

 

「すまん、明日まで寝させてもらってもいいか?」

 

「明日どころかしばらく寝ていてください。少なくとも医務長の許可が出るまでは」

 

「……そうさせてもらうよ」

 

「ただ秘書艦だけ決めておいてくれると助かるのだけど。さすがに曖昧にし続けるのは限界があるわ」

 

「そうだな。じゃ、加賀にする」

 

「え、それは……」

 

「なんだよ、私たちに任せろって言ったのはお前だぜ。なら断ったりなんかしないよな?」

 

ニヤリと笑う。その笑い方はいつもの相手を煽るような笑い方だ。

 

「はぁ……あなたはまったく……。わかりました。航空母艦加賀、秘書艦の任、務めさせていただきます」

 

加賀が呆れたようにこめかみに手を当てつつ、了承した。

 

「しばらく寝てるから俺が見るべきものとかここに持ってきてもらえると助かる」

 

「それぐらいはやりましょう。そうね、手の空いてる者に頼めばできるでしょう」

 

「なら俺はもう寝る。加賀、もう行っていいぞ。もう誰か見張りにつけとかなくてもいいからな」

 

「……お見通しってことかしら」

 

「まあな。その…なんていうか…ありがとな」

 

加賀が起きてすぐ隣にいたのは多分俺の自殺防止だろう。あの精神状態なら可能性はある。

 

「いいえ、構いません。では私はこれで。大人しく寝ていてくださいね」

 

カランコロンと下駄を鳴らして加賀が病室から出て行ったのを見計らってゴロンと寝転がり直した。そばの机の上には睡眠薬が転がっているのを見ると薬を投与しないといけないレベルでまずい症状だったらしい。

腕には点滴までされている。これで酸素マスクでもしてたら完全に末期患者と区別がつかないかもしれない。

 

まだここで頑張ってみるとするか。それにバカなことしようものならどっかから怒鳴り声が聞こえてきそうだ。

ならそのためにやるべきことは1つだ。

 

大人しく寝て治す。それだけだ。

ただ治るまでの間が暇だ。そうだな、誰かに戦術書でも持ってきてもらうか。久しぶりのお勉強と洒落込むとしよう。

 




加賀さんってこういうかっこいいことできる人だと思うんです!

感想、要望はお気軽に。

ではでは。


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回りはじめた館山

 

「加賀め……私をパシリにしてぇぇ!」

 

瑞鶴が恨み言を吐きながら大量のファイルを病室へ運搬していた。

確かに提督さんは休んだ方がいいと思う。ゆっくり寝とくって決めてくれたのは嬉しい。

でもなんで私が運ぶハメになってんのよ!

 

「提督さん!持ってきたわよ!」

 

「おー、瑞鶴お疲れー。悪いなー」

 

「絶対思ってないわよね⁉︎ねえ⁉︎」

 

パラパラと本をめくって読みながら適当に労われても。でもそんなおふざけができる程度には回復したのかな。

その証拠に本に隠れていた顔は死人のような表情じゃなくていつもの快活な顔にもどっている。

 

「で、何持ってきたんだ?」

 

「よくわかんないけど最近の深海棲艦の活動についてだって」

 

「なんか特徴的な動き方でもしてるのか?」

 

「そうみたい。近々大規模な侵攻をしてくるんじゃないかってウワサよ」

 

「ふーん。ま、そこに置いといてくれ。すぐに目を通しとく」

 

顎をしゃくって示した机の上にドサっと加賀に渡されたファイルを置き、食事の盆を下げる。きれいに食べつくされてるのを見ると食欲も戻ったみたいだ。

ってちょっと待って。

 

「私は提督さんのお世話がかりじゃなぁぁい!」

 

「うおっ!急にどうした瑞鶴!」

 

びっくりしたのか手に持っていた本を落として目を丸くして私を見ていた。でも言わせてもらうけど。

 

「お盆下げて必要な書類運んでこの前は着替え持って行かされてなんなのよ、もう!」

 

「いや、加賀にそこらへんは言ってほしいんだが」

 

「加賀は私以外に使いっ走り頼んでないからここで愚痴って憂さ晴らししたいのよーー!」

 

「まぁ、お前ら昔は相当険悪だったけど今はほら、仲良くなったじゃん。そんで加賀としても頼みやすいんだろ」

 

「むぅー。わかってはいるけど納得はできない!」

 

プクっと頬を膨らませて拗ねる。そんな私をみて提督さんがケラケラと愉快そうに笑う。

 

「でもその原因は俺なんだよな。瑞鶴、迷惑かけて悪い────ぶごぉっ!」

「それ以上は言っちゃダメだよ」

 

手近にあったファイルで提督さんの頭を叩くと潰れたような声を出して頭を押さえた。

 

「仲間なんだし家族ならそんなんで遠慮してちゃダメ。もっと頼ってよ」

 

「お、おぅ」

 

あ、これ多分提督さん照れてる。基本この人はポーカーフェイスができる人間だし、今も表情はさっきと変わらないけどなんていうか雰囲気?がそんな感じ。

まあそれなりに付き合いのある人しかわかんないと思うし、今は駆け引きとかしてないってのもあるとは思うけど。

 

「おい、瑞鶴。なに1人でニヤニヤわらってんだよ?」

 

「んー?なんでもなーい」

 

「ヘンな奴だな」

 

不審そうに首を傾げる提督さんを横目に病室を立ち去った。

もう大丈夫。あんなに元気そうで表情豊かならきっと。

精神的に参ってたみたいだけど持ち直した。そのせいで傷ついた体もきっと癒えていく。

ならあの人は立ち上がる。絶対に。

そんな根拠のないことを瑞鶴は確信を持って言えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「確かに瑞鶴の言う通り、深海棲艦の奴ら変わった動きをしやがるな」

 

この前の時の一斉攻勢の時の動き方も統率がとれていたが、それとは違う。

明確な囮とキッチリとした追撃。さらには挟み撃ちなどを狙って行っている。

明らかに進化している。それも物理的な強さではなく頭脳的な強さに。

つまり元々は知性のない凶暴な獣だったものが知性を獲得し、あまつさえ戦略までも使うようになったということだ。

 

厄介に成長していきやがる。今までの戦法が通じなくなるのも時間の問題だろうな。

パラリとページをめくって次に移る。今度は他の部隊の戦闘記録のようだ。

 

主力に攻撃をかけるも実は囮で誘い込まれて挟撃。なかなか考えて深海棲艦も動いてるな。

次の記録も艦娘側の敗北だった。

追撃したが本隊に待ち構えられていてやられたらしい。

次も敗北。次も次も。

こりゃ本格的に厄介だな。幸い撃沈がいないのが唯一の救いといったところか。

 

待てよ。

これだけ手酷くやられて沈んだ数が0だと?

深海棲艦の方にはほぼ被害がなく、こちらはボコボコ。そんな状態で誰も沈んでいないなんてありえるのか?

そしてこの手口というか作戦、どこか違和感を感じる。

 

ページを次々とめくっていくとあまり分厚くないファイルはあっという間に最後まで見終わってしまった。

どこか釈然としないしこりのようなものが胸の中に残る。

この感じは一体なんだ?

 

疑問を解決するために通信を執務室につないだ。

 

「加賀か?悪いんだがここ最近の交戦記録持ってきてもらってもいいか?」

 

『ええ、わかりました。瑞鶴にすぐに持って行かせます』

 

「あんまりこき使ってやるなよ?」

 

『それは私が決めることよ。持ってきてほしい交戦記録の範囲は?』

 

「そうだな、3日前からの小競り合いのもので」

 

『了解しました。では』

 

まだ判断を下すには情報が足りなさすぎる。だから集める。

判断材料が足りないなら増やせばいい。わからないなら徹底的に突き詰めてわかるまで考えればいい。

 

さしあたっては資料の閲覧といったところか。紙の資料とデバイスによるホロウィンドウ上に出力される電子の情報。全てを隅から隅まで見てやろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

提督から資料を送ってくれ、と言われた。

そのため、加賀は執務室で書棚から必要と思われるファイルを抜粋していった。

 

これと、これと……これも一応渡しておいた方がいいかしら。

いきなり萎れたり元気になったり本当に忙しい人ね。

それに付き合わされるこちらの苦労も察して欲しいものです。

まぁ、ずっと落ち込んでいるのを見せられるよりははるかにマシなのだけど。

 

「瑞鶴、仕事よ」

 

「ねぇ、いいかげん他の人に交代しない?」

 

ぐったりと椅子にもたれて座り込む瑞鶴にファイルを渡して無理やり立たせた。

 

「いいから早く持っていきなさい」

 

「……なら次に外に出るときにご飯おごって」

 

外……ね。

艦娘たちは街を歩き、遊ぶことはもちろんできる。むしろここの提督はそれを推奨しているまである。戦闘ばっかじゃ飽きるし存分に遊んで来い、というのはあの提督の言葉だ。まあ断りますけど。

 

「先日あのようなことがあったばかりで空母が2人とも外すのは戦力的にあまりよくないわ」

 

「すぐにとは言わないからー。提督さんも立ち直ったからもう少し後なら大丈夫だって!」

 

「……前向きに検討しておくわ」

 

「それ絶対行かないやつじゃん!」

 

「いいからさっさと行きなさい」

 

ほーい、と気のなさそうな声を残して瑞鶴がファイルを抱えた。

悪いとは思っているのだけど頼みやすいのよ。

 

おそらく提督にとって気になるなにかを見つけてそれを調べたくてファイルを持ってきて欲しがったのでしょう。

いい兆候ね。

これで提督の鬱のような状態は改善していくでしょう。あと2、3日寝ていれば体の方も完治するはず。

そして提督さえ司令官を無事に勤められればこの部隊は解隊されずに済む。

 

まぁ、提督が復帰するまでは私が基地司令代理といったところでしょうか。

しっかりと任を果たさなくてはいけませんね。





語り手で加賀ってあんまりやってなくね?
そんなわけで今回は加賀さんに締めていただきました。


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明石に苦行とご褒美を

今回、未実装艦娘が出てきます。
名前だけですけど。

苦手な方はブラウザバックをお勧めします。




その後3日間、俺は安静にし続けようやく自由に動き回る許可をもらうことができた。

だがその3日間、何もせずにボケっと寝ていたわけではない。

加賀が瑞鶴を遣わせて持ってこさせたファイル、軍のデータバンク内の戦闘記録を細かいところまで徹底的に洗っていた。

そして次のデータを見るたびに、違和感は疑念へと変わっていった。

しかし焦るな。まだあくまで疑念だ。早計な判断を下すべきではない。

 

「加賀、頼みがある」

 

「なんでしょう?」

 

「ここ一ヶ月の我が軍の戦闘記録がほしい」

 

「まさか全てですか?」

 

恐々としているところ悪いんだがその通りだ。

 

「一ヶ月間にあった小競り合いも含めて全てほしいんだ」

 

「それだと余裕で1000件を超える数になりますが……」

 

だろうな。小さな戦いも含めると2000を超えたって不思議じゃない。

 

「無理にとは言わないが…」

 

「そうではありません。全てチェックするつもりなのかしら?」

 

「ああ、そうだが?」

 

「正気ですか?」

 

「いたって正気だ」

 

はぁ、と加賀がため息をついた。これは完全に呆れられてるな。仕方ないことではあるが。2000以上の記録を全てチェックしようとしている気違いにしか見えないだろう。

 

「わかりました。その代わりしばらく秘書の任を外れます」

 

ま、全部持ってきてもらうのに秘書艦と兼任でやるのはさすがの加賀でも無理があるだろうしな。

 

「頼んだ。別に誰かの手を借りてもいいから」

 

「そうですか。では適当な人に手助けを頼んでみます」

 

「見つけ次第、俺のデバイスに電子データにしてダイレクトに送ってくれ。すぐに確認したい」

 

「了解しました。それでは待っててください。少しずつ送っていきます」

 

「悪いな、助かる」

 

「問題ありません。ただ言わせてもらうならここまで見るに堪えないことには今後ならないでほしいものね」

 

資料室に下駄を鳴らして加賀が向かう。その後ろ姿を苦笑しながら俺は見送った。キッツイこと言ってくれる。でもそれぐらいの方が今の俺には気付けになって丁度いい。

 

 

しばらく経つとピロンという効果音が俺のデバイスにデータが送られてきたことを教えた。続けて電子音が鳴り、連続で送られてくるとまた沈黙した。

俺はひとまず送られてきた交戦記録を細かく見ていった。

 

小泉隊、日付は一ヶ月前。ギリギリの戦闘を続けて辛くも勝利。戦況は常にどっちつかずで傾き続けている。

 

これじゃない。次。

 

星野隊、日付は二週間前。被撃沈艦を一隻出してしまっている。白雲という駆逐艦だ。戦果は敗北。

 

これも違う。次。

 

酒崎隊、日付は一週間前。部隊全員が大破もしくは中破まで追い込まれている。幸い被撃沈艦はなし。もちろん敗北だ。

 

これはヒット。別のデータファイルに移しておき、次へ。

 

佐藤隊、3日前。戦果は敗北。こちらも被撃沈艦は0。

 

これもヒットだ。さっきのデータファイルへ叩き込み次へ。

 

次へ。

 

次。

 

次。

 

次。

 

また今日も徹夜か。懲りないね、俺も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明石はテコテコと廊下を歩いていた。

彼女が珍しく工廠にいないのには訳がある。

基地において装備の開発、修理などの資材な使用における認可を出すのは基地司令、つまりここでは峻なのだが、問題の峻がぶっ倒れてしまったため、認可が下りず開発が滞っているのだ。

そのため明石の仕事は無く、認可をもらうために、執務室に向かい、復活した峻に許可をもらおうとしているわけだが。

 

別にこの許可、後付けでも問題ないのだ。

いや、厳密に言えば問題はある。だが基地司令と技術士官が一緒のため、本来ならば技術士官が基地司令に使用する資材量を申請し、許可された量の枠内で開発なり修理なりをする、という制限が一切ないのだ。

つまりぶっちゃけると許可をもらいに行くのは建前で、本音を言うと明石は心配で様子を見に行くためだった。

 

まぁ、上司ですし?それに技術士官としての腕は尊敬してますから。だから倒れられてそのままじゃ不安だから少しだけ様子見るだけですから!それにもう退院してから一日経ちましたし?もう夜の11時すぎてるからまだ起きてたら寝てもらうよう説得しなくちゃいけませんし!

 

と、誰に言っているかわからない言い訳を内心で繰り返し続けつつ歩いていると執務室のドアが見えてきた。

 

「さーて、提督は元気ですかねー?」

 

ドアの目の前に立ちノックしようと手を上げて。

 

「おっしゃぁぁぁあ!第一次ソート完了ぅぅぅう!」

 

執務室から聞こえた奇声に驚き、ビクッと身を縮めたため、上げた手が行き場を失っておろされた。

明らかに提督の声だが正直なところ今すぐ回れ右して帰ろうかな、と真剣に検討しかける。

 

「いえ、ここまで来て帰るわけには!」

 

勇気を出してノック。すぐに、来いやー!という謎のハイテンションな返事が返ってきた。

恐る恐るドアを開けて入り、驚いた。

 

まず部屋の散らかり具合。

いたるところに資料が散乱し、床がかなり隠れてしまっている。机の上も同様に散らかり放題になっている。

そしてその中でなにかの啓示でも受けたかのように立つ峻の姿。

 

はっきり言おう。

なにこれ?

え、これどういう状況なの?

なんで提督が両手挙げて煌々とした雰囲気を纏ってるの?

 

「よう、明石!どうした?」

 

「いえ、正直こっちのセリフなんですけど……。何してたんですか?」

 

「それより明石、今お前ヒマか?」

 

「あの……資材使用の認可を………」

 

「今度好き放題やらせてやるから!それより頼みがあるんだ!」

 

「はい?えっ、ちょっと!なんですか急に!」

 

いきなり肩を掴まないでください!顔が近い!恥ずかしい!

 

「こっちの資料、日付で分けてくれね?」

 

ドサッと書類の山が積まれていく。

これ全部?え、まじですか?

洒落にならない量なんですけど?

でも断ろうかと思って提督を見たらまた目の下にクマができている。

はぁ。この人はまた……

ようやく離れた峻を目の端に顔を明石が顔をパタパタと扇ぐ。

あの距離はさすがに近すぎますよ、もう。

 

「わかりました。やります。だから提督は寝ててください。まだ病み上がりなんですよ!」

 

「えー」

 

「えー、じゃありません!じゃなきゃやりませんよ!」

 

「わかった、わかった。寝てくるよ」

 

仕方なさげに提督がようやく仮眠室に行ってくれました。

ていうかまだ退院して間がないのにいきなり睡眠削るって何やってるんですか。今度はベットに縛り付けておくように言った方がいいかもしれませんね。

 

えっと、日付ごとに分類でしたっけ?

あんまりこういう事務仕事慣れてないんだけどなぁ。

そもそも私は工作艦ですし。メカいじりがお仕事なんですけど。

 

これは5日前、これは6日前、これは3日前、これは8日前っと。

うーん、日付に分けるだけなら私でも何とかなるか。にしても提督は何してたんだろう?

 

散らかってるものを見ていくと本当に多種多様だ。書類、なにかの処理を続けるパソコン、改造シミュレーター、恐らく峻本人にしかわからないんじゃないかと思えるくらい雑に書かれたメモ帳などなど。

 

……とりあえず言われたことだけしとこう。なにがしたいかさっぱりだし。

この量ならあと3時間程度粘れば分類は終わるでしょうし。

 

でも時間からして深夜2時は過ぎるんですよね……。はぁ………

 

 

 

 

 

「む……うにゃぅ………」

 

明石はゆっくりと目を開いた。

体を起こすと掛かっていた毛布がずり落ちる。

 

あれ……いつの間に私ベットに…?それにここ、私の部屋じゃない……?

ここは仮眠室かな?でもなんで……

 

ぐるりとあたりを見回すとソファの上で寝息を立てている峻を明石は見つけた。

どうやら分類作業中に寝落ちしてしまったところを運んで、仮眠室で寝かせておいてくれたらしい。

 

こそーっと執務室を覗くと分類は完全に終わっている。うわ、やばい。休ませようとしたのにむしろ迷惑かけちゃった。

寝落ちしてから私を運んでそれから残りを片付けたんだろうな。

ていうかよく見たらもう9時回ってるし!提督起こした方がいいかな……?

いや、心配ないみたい。仮眠室から物音がするから多分提督は起きた。

 

「ふわぁ……明石、おはよう」

 

「えぇ、おはようございます!」

 

ほら、起きてきた。

 

「すみません、昨日は寝ちゃって……」

 

「いや、あんだけやってくれただけで充分助かった。俺もゆっくり寝れたしな」

 

「そうですか!それはよかったです!」

 

心なしかクマも薄れた気がする。顔色もいいし、元気になっているようだ。それなら微力ながら頑張った甲斐があったというものだ。

 

「で、明石。このあとヒマ?」

 

「えーっと…暇……ではないです」

 

でもこれ以上事務仕事をするのは勘弁。さっきまで元気になってよかったとか言っといてそれ?と思うかもしれませんけど。

これはこれ、それはそれ、なんですよ。

 

「へー、そっかー。せっかく艤装工場に行こうかと思ってたんだけど──」

「たった今暇になりました!さぁ行きましょう!すぐ行きましょう!」

 

でも艤装工場の見学なんて楽しそうなイベントなら逃す手はないんですよ!

なんて言うか、工作艦の血がさわぐんですよ!ぐつぐつと!

 

「お、おう。じゃあ行こうか」

 

「行き先はどこの工場ですか!川中飛行機ですか?それとも────」

 

「明石、落ち着け!」

 

「あっ!しっ、失礼しましたぁ!でも気になるじゃないですか!どこなんです?」

 

「岩崎重工だよ」

 

なんと!かの世界トップの企業ですか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

公用車を運転するのは随分と久しぶりだ。目指すは岩崎重工の工場。

 

「提督、岩崎重工のどこの工場に行くんです?」

 

明石のやつ、さっきからテンション上がりすぎだろ。目がキラキラしてるとかいう領域超えてるぞ。

 

「艤装工場ってことは海軍本部の近くにある方じゃないですよね?なら──」

 

「待て待て!ちゃんと連れてくから大人しくしてろって。あとシートベルトちゃんとつけろ」

 

ようやく明石が大人しくシートベルトを締めた。助手席だから締めてないと警察に追いかけられるだろうが。

【海軍中佐、道路交通法違反で任意同行!】とか洒落にならん。

 

「今回行くのはさっき言った通り、艤装工場だ。本部の艤体工場じゃねえ」

 

艤装工場はあくまで装備を作るだけだ。日本において他にも艤装は生産している企業は多い。

例えば、さっき明石が名前を出した川中飛行機とかは艦載機など空母の艤装を専門に扱っている。

 

だが艤体、つまり艦娘の方においては岩崎重工が世界すべてのシェアを一社で受け持っている。

妖精が艦娘の人としての体を作るのだが、それをやっているのが軍本部の近くに建てられた工場、というわけだ。

まぁ、実際に作られているところを見たことは俺もないのだが。

どういう風に妖精が人の体を作るんだろうな。

 

話が逸れたが、唯一の艦娘の建造が可能なのは岩崎重工だけで、現状でている情報は妖精が作る、としかわかっておらず、妖精がどうやって作っているのかはまだ謎だ。

そして岩崎重工はそのまま艤装の開発もやっており、今回はその中の一つの工場にお邪魔させてもらうわけだ。

 

 

東京にはいるとようやく他の車がちらほらと見え始めた。沿岸部は一部を除いてほとんど人は住んでないからな。その代わり内陸部はかなりの人口密度だ。

ま、誰しもいつ空爆受けるかわからん沿岸部には住みたくはないよな。

 

しばらく車を走らせると工場が見えてきた。中に入るため、入り口でチェックを受ける。もし、情報抜き取られたりしたら大変だからだろう。

 

「連絡をした、帆波です」

 

「少々お待ちを。……帆波峻様ですね。お車をお預かりいたします」

 

丁寧な守衛に車のキーを渡し、明石を伴って中にはいる。

 

「帆波様、先に応接室にお向かいください。場所はそちらの扉をはいって右の廊下の奥でございます」

 

「はい、わかりました」

 

応接室?工場長室じゃなくてか?まぁ別にどっちでもいいが。それよりも、だ。

 

「明石、硬くなりすぎ」

 

「そりゃ硬くもなりますよ!天下の岩崎重工の工場ですよ!工作艦たる私にとってのメッカみたいなものですよ!」

 

「声がでかい!もう少し抑えろ!」

 

「あっ、はい。すみません……」

 

しょぼん、と明石が落ち込む。別に声抑えるなら喋るくらいはいいんだけどな。

 

コンコンと、応接室のドアをノックすると中からどうぞ、という落ち着いた声が聞こえる。

 

「失礼します」

 

「ようこそ、我が岩崎重工へ、帆波中佐」

 

目の前には切れ者らしいキリッとした目つきに、口髭が特徴的な男性。

嘘だろ!なんでこんな大物がいるんだよ!

 

「こんにちは、岩崎会長」

 

岩崎(いわさき)満弥(みつや)。岩崎重工のCEO、つまりてっぺんだ。

俺の声もどうしても驚きで震えてしまう。

 

「おや、私のことを知っているのかい?」

 

いや、知らん方が無理だろ。艦娘の艤体産業世界トップの企業の会長の名前を知らない軍人がどこにいるんだよ。

 

「もちろんです。本日はなぜこちらに?普段は本部にいらっしゃるかと……」

 

「司令官と技術士官を兼任するあなたが来ると聞いて会ってみたくてね」

 

それはそれは。なんというか変なところで顔が売れてるな、俺も。ところで明石が静かすぎないか。

 

「おい、明石。ご挨拶を……っておーい。どこに旅立ってる?」

 

「はっ、戻ってきました。いえ、一瞬夢かと」

 

「はっはっは。面白いお嬢さんだ。君は工作艦の明石くんだね?よかったら工場を見学してきたらどうだい?これは見学許可証だよ」

 

「えっ!本当にですか⁉︎でも……」

 

ちらっと俺も明石が見てきた。そんな子犬のような目で見なくとも。

それにしても見上げられなくとも目線が合うあたり俺も大概背が低いなぁ。

っとどうでもいい方向に思考が飛んでたな。

 

「ほら、ご好意に甘えてこい」

 

「提督!ありがとうございます!」

 

キャッホー、という歓声が聞こえそうな明石が工場へ向かって小走りしていった。

 

「うちの者が失礼しました」

 

「いやいや、元気そうな娘じゃないか」

 

いえ、あいつはただの機械オタクです。俺も人のことは言えねえけど。

 

「で、なんの用件かな?最終的に私に話が来る気がしたから先に来ておいたんだけど」

 

おっと、バレてたか。まぁ、基地司令がわざわざ工場まで来る必要はないから何かしら重大な用件だってことくらいは予想できるか。

 

「さすが世界一の企業のトップ。鋭いですね」

 

「よかったら完全な防音室に案内しようか?」

 

「お願いしてもよろしいでしょうか」

 

「うん、構わないよ。ではついてきてくれ」

 

岩崎満弥の背を追って歩き始める。

 

さぁ、ここからが交渉の始まりだ。気を引き締めて行こう。

無茶な要求をどう通し切れるか。それも相手はこの手の駆け引きが得意な商人だ。

相手にどうメリットを提示してそれが要求をのむことにより生じるデメリットより大きいと感じさせるか。それが取り引きである。

メリット(切り札)はある。あとはそれをどれだけ岩崎満弥にとって大きく見せられるかだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやー、面白かったです!」

 

車の助手席で足を思わずパタパタと上下に動かす。

目の前で装備が組み上がっていくのは壮観だった。

いろいろ学ぶこともあったし、非常に実入りがある見学だったなぁ。

事務仕事のお手伝いの報酬だとしたらとんでもないぐらい素晴らしいお返しでした。

 

「ま、楽しんでくれたならよかったさ」

 

「ええ、もう!早く開発とかやりたくてしょうがないですよ!」

 

「安心しな。すぐにやらせてやるから。具体的には明日」

 

「えらく急ですね!最高です!」

 

ああ、もう今すぐなにか作りたい!寝る間を惜しんで開発したい!

明日かー。夕張も呼んで工廠フル回転するしかない!

 

「後で作ってもらいたいリストは渡す。頼むぜ。次の作戦はそれらが要になってくるんだからな」

 

「ええ!明石にお任せください!」

 

その時、あまりのテンションに適当に聞き流していたのがまずかったのかもしれない。

私は後になってから次の作戦という提督の言葉の重さに気づくのだった。

 

その決意と覚悟の重さに。

 




冷静に見返すと明石の語りがないことに気づいてやってみました。
あとやってないのは……誰かいたっけ?
夕張「私ですよ!」
あ、メロンちゃん忘れてたわ。さーせん。
夕張「この人でなしー!」

……次回あたりやってあげよっと。


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集う者たち

 

開発は滞りなく進んだ。

明石と岩崎重工の工場から帰った次の日に、巨大な荷物が岩崎重工から届いた。

そして俺は明石と夕張に作っておいてほしい物をリストアップしたものを渡し、1人で工廠の俺専用の部屋に送られてきた荷物と共に引きこもった。

 

寝て起きて開発、調整。飯食ってまた開発して調整。そして調整して開発して寝る。

 

そんなことが3回続いた。

ぶっちゃけ寝ずにやりたかったがこれ以上やるとまた倒れそうだったし、また倒れたらさすがにあいつらに怒られるとかのレベルですまなさそうだったから止めておいた。

 

そして次の日は明石と夕張のためと俺の健康の為にゆっくりと昼過ぎまで休み続け、夕方になる前に全員を会議室に招集した。

 

 

「いまから大事なこと言うからよく聞いてほしい」

 

ザワザワと騒がしくなる会議室。まあいきなり基地にいる艦娘を全員集めて大事なことがあるって言われればそうなるわな。

 

「明後日にウェーク島を攻撃するから」

 

「「「………はぁーーーーーっ!?!?!」」」

 

見事に声が揃ったなー。まあ急に攻撃するとかいえばそうなるよな。当たり前の反応だ。

 

「て、提督。ウェーク島ってあのウェーク島よね?」

 

「陸奥が想像してるやつで多分あってるぞ。太平洋にある元アメリカ領、現在深海棲艦の泊地がある、あのウェーク島だ」

 

「あの不落の泊地って言われるウェーク島よね?」

 

「その通りだが?」

 

ポカンと口を開けて驚いた顏で陸奥が固まる。確かにウェーク島の守りは非常に堅いからな。

 

「帆波中佐、どれだけの部隊が参加する予定ですか?」

 

榛名が手を挙げて聞いてきた。

 

「いや、どこも参加予定ないけど」

 

「正気ですか?勝てませんよ」

 

「いや、勝てる。絶対に、だ」

 

榛名が黙りこくる。峻の目は告げていた。勝てると言って負けたことがあるか?と。

 

「命の危険がある作戦だということは重々承知している。だから参加は希望制にする。質問は?」

 

「中佐、ウェーク島に敷設されている固定砲台はどうするつもりですか?今までの攻撃部隊はほとんどがそれにやられていますが」

 

「それに関しちゃとっておきの策がある。方法は言えないが確実に固定砲台は無力化できる」

 

榛名の言う通り、過去の攻撃が失敗しているのは固定砲台の存在だ。あれのせいで砲撃に集中できないのだ。しかも射程が恐ろしく長い。過去のデータを見る限り、30km程度は飛ぶようだ。

だがそんなもんくらいはどうとでもなる。どうとでもしてみせる。

 

「敵の数は?どう考えても私たちより多いはずなのだけれど。それに確か姫級も確認されているはずよ?」

 

今度は加賀か。こいつは教えとく必要があるな。

 

「このプリントを見てくれ。ここに全てが書いてある」

 

総勢12名の艦娘たちにプリントを配っていく。それを見た反応は三者三様だ。目を剥く者、口笛を軽く吹く者、表情を一切動かさない者。

このプリントの中に固定砲台の破壊方法以外は全てが記載されている。固定砲台の破壊方法は……言ったらえらいことになるというか確実に止められるから言わない。

 

「さて、他に質問は?」

 

「提督のこの戦闘の勝率は?」

 

加賀らしい、冷静な見方だ。なら敢えて言おう。

 

「勝率は30%だ」

 

「それならこんな無謀すぎる作戦に誰か参加するわけが────」

「そして完全勝利率が70%」

 

続いた俺の言葉に全員が息をのむ。

 

「完全勝利と勝利の違いはなにかしら?」

 

「全員が無傷ってわけにはいかないだろう。だから別の条件が1つ俺の中にある。だが変な見方をさせたくないから言わないどくぜ」

 

「……つまり万が一つにも敗北はありえないと」

 

「ああ。負けるなんてことはありえない。厳しい戦いになるのは認めるがな」

 

はぁ、と加賀がため息をついた。こいつ最近ため息ついてばっかじゃね?まあその原因は俺なんだろうけど。

 

「わかりました。航空母艦加賀、参加よ」

 

「加賀がそう言うなら……瑞鶴、参加します!」

 

「まて、結論を早まるな」

 

早くも参加を決定した加賀と、それについていこうとする瑞鶴を止める。

 

全員が揃わなければこの作戦は確実に失敗する。逆に言えば、全員が揃ってさえいれば確実に勝てる。

加賀の言葉を借りるなら……”みんな優秀な子たちですから”って感じだな。

 

「今から10分、俺は目を伏せる。その間に参加したくない奴は会議室を出てくれ。それに関して恨んだりしないし、その程度で扱いが変わるような人間性の奴らじゃないことはわかってるはずだ。自分の判断で決めてくれ」

 

 

ばっと目線を下げて待つ。

まあ普通の頭なら参加しないだろう。なんたって俺は先日大ポカをやらかしてる。そんなのが確実に勝てるって言ったって普通は信じない。

だがそれでも一縷の望みに賭けるしかない。別にこの前の復讐とかそう言うのではないんだ。ただ急がなければ手遅れになる。それだけはなんとか回避したい。

 

 

だいたい10分経ったな。覚悟を決めてゆっくりと目線をあげて。

 

「お前らがこんなに無謀な奴らだとは知らなかったよ」

 

苦笑した。

加賀が、瑞鶴が、榛名が、陸奥が、鈴谷が、北上が、矢矧が、夕張が、天津風が、イムヤが、ゴーヤが明石が。

総勢12名、全員が俺を見つめていた。

 

「そうね。前までの私なら絶対に参加しなかったと思う」

 

陸奥が口を開き話し始める。その目は真剣味が宿っている。

 

「でも今は違う。提督なら信じられる。提督ならやれる。だから参加よ」

 

「私はあなたに救われたのよ?」

 

天津風がそばに歩み寄り俺を見上げる。

 

「あなたが力を貸してくれと言うなら天津風のこの力、喜んで差し出すわ」

 

「鈴谷はさぁ、バカだけどさ。でも提督がどのくらい真剣か、くらいはわかるよ?」

 

そして鈴谷が。

 

「アタシも提督に救われたクチじゃん。なのに提督が助けてって言ってて協力しないのはちょっとなーって」

 

そして北上が。

そして夕張が。

そしてイムヤが。

そして矢矧が。

そしてゴーヤが。

そして明石が。

そして加賀が。

そして瑞鶴が。

 

「らしくないですよ、中佐。姫級がなんだ!黙って俺についてこい!みたいな態度でいいんですよ。ここにいる者はその行動が正しいと思えばみんな後ろについて行きますから」

 

そして榛名がふわりと笑いながら俺と目線を合わせた。

気づくと周りに全員が集まり俺を見つめている。

 

「ありがとな」

 

「で、中佐。どういう予定で動きますか?」

 

「明日の早朝、硫黄島に向かう。そして次の日に殴り込みだ」

 

「硫黄島へはどうやって?」

 

「あるツテを使ってな。手段はちゃんとあるぜ。そろそろついた頃だろ。外にでてみな」

 

会議室の外に全員で出て、廊下をゾロゾロと歩き外に出る。

 

「何これ!」

 

「これは……船?」

 

海に巨大な鉄の塊が浮かんでいた。かの戦艦大和にもつけられていたバルバス・バウが特徴的な全長100m近くは余裕である巡洋艦が夕陽を照り返している。

 

「艦娘輸送巡洋艦”さらしな”。俺の知り合いが艦長でな。少し頼んで来てもらった。これで硫黄島まで行く。ウェーク島に侵攻するときもコイツに乗って行くぞ」

 

見た目は少し昔風だが中身は最新鋭だ。

火器は全て艦橋(ブリッジ)で管理してあるため、それぞれに砲手を配置する必要がなく、操舵、機関管理などの機能も全てブリッジから可能な仕様になっているので、やろうと思えば10人足らずで全てを動かすことが可能だ。

 

 

カラカラとタラップが降りてくる。まるで早く乗れ、と言わんばかりだ。

 

「艤装の積み込みが完了次第、出航だ。それまでに総員準備を整えるように」

 

ポカンとしたままの奴らを置いて先にタラップを登り、ブリッジを目指す。

シュイン、という音を出して滑らかにブリッジの自動ドアが開き、中に俺は足を踏み入れた。

 

「ようこそ、”さらしな”のブリッジへ。帆波さん」

 

「よぉ、久しぶりだな、沖山」

 

知り合いのツテとは昔の仲間、沖山(おきやま)幸二郎(こうじろう)。いまは”さらしな”の艦長を務めている。階級は少佐。

 

「はっはー。おひさっす、中佐ぁ」

 

「野川、お前までいるのかよ」

 

「ここの火器管制全般やってるんすよ。ちなみに階級は大尉っす」

 

このチャラい喋り方の男、野川(のかわ)悠介(ゆうすけ)も沖山の奴と同じ、昔の仲間だ。

ってかこの2人がいるってことは……

 

「だんちょー!」

 

後ろの自動ドアが開き、パタパタと慌ただしく誰か入ってくる。

よく響く少し甘い声。こいつは……

 

「よう、さんげんざか」

 

「さんげんざかじゃありません!三間坂(みまさか)、ですっ!」

 

片方だけのシニヨン、はきはきとした喋り方、頬を膨らまして怒るあざとさ。間違いない、三間坂(みまさか)涼音(すずね)だ。こちらも沖山や野川と同じ関係性だ。

肩章からわかったがいまは中尉らしい。

 

「知ってるよ、三間坂。てかもう団長じゃねえっての」

 

「あっ、そういえばそうでしたね〜」

 

間延びした声を出しながらニコリと笑う。

ちなみにこのあざとさは無自覚らしい。以前、注意してみたが首を傾げられた。

 

「ほんとに久しぶりだな」

 

「そうですよ!だん……ち、中佐全然連絡くれないんですもん!」

 

うん、呼び慣れないのはわかるけど頑張ろうか。せめて団長はやめよう。

 

「ま、積もる話はあるがそれは航行中にするとして、艤装の積み込みが完了次第船を出してもらいたい」

 

「自分のボスは帆波さんです。そしてあなたがそう言うなら自分は従いますよ」

 

「そういうこってすよ、中佐。あんたは堂々と俺たち下っ端に命令してくれりゃいいんすよ」

 

「任せてくださいっ!」

 

はっ、こいつらも変わんねぇな。頼もしいったらありゃしねぇ。

 

「明石!積み込みの進捗状況は?」

 

『ざっと65%です。あと30分程度で完了する見込みですよ!』

 

通信越しに明石が報告する。あと30分か。少し多めに時間を見ておくか。

 

「沖山、1時間後に出航だ。缶に火は入れてあるか?」

 

「いつでも大丈夫です」

 

「よし、オーケーだ。目的地は硫黄島。1時間後に館山を出るぞ!」

 

「「「了解!!」」」

 

3人が脇を締めた海軍式の敬礼を決めた後にそれぞれの持ち場についていく。

沖山は艦長席へ、野川は火器管制席へ、三間坂はCICに。

俺は司令官用の指揮専用席へ。

 

あいつらも既に乗り込んだようだ。

明石は順調に頼んでおいた兵装を”さらしな”へ搬入してくれている。

 

 

作戦開始時刻まであと35時間。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「提督のツテって一体どこまで広いのよ……」

 

夕張は部屋で呟いた。

だって横須賀のトップの中将とは同級生で悪友で?艦娘輸送巡洋艦の艦長とも親しい仲じゃなきゃこんな風に気軽に呼ぶことなんてできないだろうし。

それにしてもあの提督がここまでの規模で作戦を展開するなんて何事?

一体何を企んでるの?

 

ごろんと”さらしな”の自分に割り当てられた部屋のベットで寝返りをうつ。服にシワが寄っているが気にしない。

ふと、ウェーク島の戦力を確認しておこうと思い、ポケットに入っている支給品の軍用端末を開いた。

 

 

固定砲台の数、推定12基。深海棲艦の数、確認されているだけで40、推定で60はいると思われる。

またエリート級も複数認められており、過去に一度だけ姫級も出てきた。

以来、その姫級は”泊地棲姫”と呼称されている。

 

 

……予想はしてたとはいえ相当だなぁ。

敵の勢力はこちらの約5倍。地の利も向こうにある。

これだけ聞けば逆立ちしたって勝てやしない。でもあの提督が勝てると言い切ったならきっと……

 

夕張は端末を閉じて、机の上に放った。

私が考え付くことはきっともう提督が対策をとってるに決まってます。なら大丈夫です!

 

 

その時夕張は想像していなかった。明日の日が暮れた後に起きる事件を。

いや、それを言うなら誰も想像だにしていなかっただろう。

 

そんなことはつゆ知らず、船は硫黄島を目指して進み続けた。





一気に新キャラが3人も出てきました!
これから話も動かしていくつもりなので期待していただければと思います!

あとこの場を借りて謝罪を。

活動報告にもあげますが、更新速度がリアルの関係でかなり不定期になると思います。
1日空いたとかでは済まないで一週間などと空く場合もあると思いますが、ご容赦を。


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P.A.R.A.L.L.E.L.

5/22に改稿。
パラレルの名前を少し弄りましたが大筋は変えておりません。


硫黄島についてから私たちは体を休めました。

硫黄島の基地司令の方は温厚な方で手厚くもてなしてくれたのもその手助けになったのでしょう。

 

ええ、そこまでは良かったんです、そこまでは。

 

次の日、出撃まであと半日を切ったであろう夜にあんなことがあろうとは。

 

「提督が消えた!」

 

そう、提督が消えたのです。硫黄島から忽然と。小型艇が一緒に消えていたので海に出たのは確実なのですが、向こうから無線が封鎖されているため、連絡はできず、私たちは混乱しました。

 

そして今、私は自分の部屋にいるわけですが、瑞鶴が部屋に入ってきました。

背後でビクッと怯える気配がしましたが気のせいです、ええきっと。

 

「あのー、加賀さーん?何かあったのかなーって……」

 

何か?ええありましたとも。とんでもない爆弾が残されていたのを発見したということが。

 

私は他人から感情が欠落しているのではないかと言われることがありますが、そんなことはない。

感情が表情に出にくいだけで感情はあります。怒りもします。

 

「瑞鶴、これよ」

 

私の机の上に残された置き手紙を瑞鶴に見せる。

 

「えっと、これは……提督さんからの手紙?」

 

「ええ、そうよ。自分は姿を消すが出撃はするように。ただし攻撃するかの判断は私に任せるとのことよ」

 

そして私は今この身勝手な行動に腹を立てている。

いきなり消えて何を考えてるのかしら。

 

「でも加賀は出撃するんでしょ?」

 

「……ええ、そうね」

 

瑞鶴がニッコリと笑って手紙をゴミ箱に投げ込んだ。

 

「ならこれは必要ないね。だってわざわざ言わなくてもこっちは出る気マンマンだもん!」

 

「……」

 

呆気にとられた。いや、おそらく表情にはまた出ていないのでしょうけど、驚きはしました。この子は単純思考だけど時々それが少し羨ましい。

 

「どうせあの提督さんのことだからまたなんか裏で動いてるだけだって!ほら、最後まで教えてくれなかった固定砲台の破壊方法。あれの破壊のために他の部隊の支援でも頼んでるんじゃない?」

 

確かに提督は固定砲台の破壊方法は一切を告げずにいなくなりました。ならその可能性もなきにしもあらずなのかしら。

だとしても事前に相談くらいしてほしいのだけど。

 

「……提督も大概にしてほしいものね」

 

「あはは!それは同感かな!」

 

屈託なく笑う瑞鶴をみて少し楽になった。どうやら思った以上に気が張っていたようね。

 

「瑞鶴、全員に通達。予定通り、明朝5時に”さらしな”にて出撃。そのつもりで行動せよ、と」

 

「了解!」

 

瑞鶴が連絡を回すためにダッシュで部屋から出て行った。いつもなら普通に通信で回せばいいのだが、硫黄島の人たちに知られるのは良くないのでこういう形をとるしかない。

まったく面倒ごとばかり押し付けられたものね。帰ってきたらどんな目にあわせてやろうかしら。

 

 

作戦開始時刻まであと12時間。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”さらしな”が波をかき分ける振動が格納庫にも伝わり、時折揺れる。

こんな室内じゃ風には当たれないわ。

 

嫌になっちゃう、と天津風は内心でぼやいた。

早朝5時、気象予報通りに出た霧にまぎれて”さらしな”は硫黄島を出航した。

いくら最新鋭の巡洋艦とはいえ、ウェーク島周囲30km圏内まで隠密しながら行くには最低3時間はかかると加賀がみたからだ。

そして現在時刻はもう7時を過ぎた。室内からでは見れないが、朝霧は晴れて太陽が水平線からとうに顔を出した頃合いだろう。

そしてそろそろウェーク島の深海棲艦の哨戒圏内一歩手前だ。

 

そろそろ出撃になるのかしら。ここまでは来たけど加賀の判断次第では攻撃しないってことだけど……

 

『もしもーし。聞こえるかー?』

 

”さらしな”の通信がはいった。どうやら全員に聞こえさせるためらしい。でもそうじゃなくて、この聞きなれた声は……

 

『提督!あなた今どこに────』

『おっと、矢矧。その話は後でな。そろそろウェーク島の哨戒圏内ギリまで来た頃だと思って無線飛ばしてみたが加賀、今どこだ?』

 

『提督の予想通りよ。今ちょうどウェーク島が視認できます』

 

『おっしゃ、ジャスト!じゃあ全員ちょっと海上をご覧になってもらえるか?』

 

『今は全員格納庫にいるのだけれど……はぁ、仕方ありません。総員、出撃』

 

なんだかもやっとした出撃ね。

 

「よっ、と」

 

カタパルトに足をのせて準備。間もなくブリッジからの通信が流れた。

 

『天津風、発進スタンバイ。リニアカタパルトをマックスボルテージで固定。タイミングを天津風ちゃんに譲渡するね〜』

 

「ありがとう、三間坂中尉。駆逐艦天津風、出るわ!」

 

旧式の火薬式と比べるとはるかに静かで滑らかにカタパルトが動く。慣性力で体が()()りそうなのを堪えて巡洋艦から海に飛び出した。

 

海上で集合し、ざっと陣形を組みその場で待機。

 

『全員出たかー?ウェーク島は見えるなー?』

 

「ええ、バッチリよ!」

 

で、あなたは何を見せてくれるつもり?

何もなしに海上に出ろなんて言わないわよね?

 

『加賀、今から起こることを見てから攻撃開始するかどうか決めてくれよ』

 

「ええ、わかっています」

 

「ねー、提督まだー?早くしないとアタシ帰るよ?」

 

『焦るなよ、北上。ま、オーディエンスも揃ったところで始めるとしようか』

 

オホン!と通信機の向こうで咳払いする音が聞こえた。ねぇ、ホントに早くしてよ。

 

『レディース、アンド、ジェントルメン!本日は帆波峻のお招きに応じていただきありがとうございます!』

 

「ジェントルメンはいませんよ」

 

『榛名、そこは冷静にツッコミ入れるところじゃないんだが……』

 

「茶番はいいからさっさとしてよー!鈴谷はそろそろ退屈なんだけど!」

 

『あー、もう!わかったよ!じゃあ気を取り直してっと』

 

くそっ、少しくらい付き合ってくれてもいいじゃねぇかよ……というつぶやきが通信から漏れ聞こえる。

いや、こんだけ待たせたんだから急いでよ。

 

『では朝日を彩る花火をとくとご覧あれ!3、2、1、It's show time!」

 

その掛け声が終わった瞬間、私は目を疑った。

いや、たぶんここにいるみんなもそうだったと思う。”さらしな”の沖山艦長たちもきっと。

 

あの人のカウントダウンが終わった瞬間、一斉にウェーク島から爆破音が辺り一帯に(とどろ)き、黒煙を噴き上げ始めたから。

 

『これでウェーク島の固定砲台合計13基、一丁上がりだ。加賀、どうする?』

 

全員の視線が加賀へ集中した。

現在の秘書艦は加賀で、提督がその秘書艦に判断を託したなら全ては加賀に委ねられている。

 

「……やるなら最初から言っといてください。帆波隊は今より深海棲艦のウェーク島基地に攻撃を仕掛けます。総員、戦闘態勢!」

 

武装にかかっていたセーフティを一斉に解除し、今まで超えないように気をつけていた30kmのラインを一気に超える。

グングン進んでいくと、間もなく敵艦隊が接近してきた。

 

「敵水雷戦隊が接近!斥候と思われるわ!戦艦陸奥、いくわよ!」

 

『待て!こんなザコに手間取ってるヒマはねぇんだ。天津風、1人でいけるか?』

 

あら、私にご指名かしら。

えっと敵艦隊の編成は軽巡クラス1隻に駆逐クラスが5隻。いずれも通常種ね。

うーん、普通にぶつかり合ったら数的にキツいかしらね。()()()()()、ね。

 

「待って!いくらなんでも一人じゃ無理よ!」

 

陸奥が叫び、私が行こうとするのを止めた。でも大丈夫よ。

 

「あなた、パラレルシステムの使用許可ちょうだい」

 

『パラレルか。オーケーだ。今回の戦闘において、天津風のパラレルシステムの使用を許可する』

 

これさえ使えれば水雷戦隊1つ捻るくらい容易いわ。

 

「パラレルシステム、起動!」

 

叫ぶと目の前にホログラムのウィンドウが開き、機械的な声が耳に流れる。

 

《システムの起動を確認。司令官帆波峻による使用許可を確認しました。ユーザー天津風、システムの使用を許可します》

 

複雑な文字列がひたすらウィンドウを流れていく。これを使うのは随分と久しぶりだ。

 

《P.A.R.A.L.L.E.L.system is ready!》

 

「自律駆動砲、射出!」

 

私が叫ぶと”さらしな”から自律駆動砲が合計6機射出された。

私の艤装にいまくっついている連装砲くんとはデザインが違い、無骨だ。

それら6機が一斉に海上を駆け、深海棲艦に襲いかかる。

 

 

パラレルシステムとは、

Published ARange in A Line for Linker Excute to Lead system ──開放型指揮装置統合並列処理システムのことだ。

私は詳しい仕組みは知らないけど、結果だけでいうと、本来では自律駆動砲はどれだけ頑張っても自前の脳だけでは3機操るのが限界と言われている。

それを拡張し、本人の腕次第でより多くの数が操れるようにしたのがこのシステムだ。

 

私、天津風は島風のいわゆるプロトタイプに過ぎない。それは艦船だった頃と変わらず、今もそう。どれだけ頑張っても私がまともに操れる数は1機だけだった。

それを見て上が私に押した烙印は”出来損ない”。私は必死になって練習した。でもどれだけやっても2機目はピクリとしか動かなかった。

どこに行っても使えないと言われてたらい回し。何度も酷いことを言われて各所を転々とさせられた。

何回異動したかわからない。けどある時、あの人に拾ってもらった。そしてあの人はわざわざ自前で私専用のシステムを組んでくれた。

パラレルシステムは私専用のシステム。私のためだけに作られ、チューニングされているため自分以外に使うことは出来ない。仮に他人の艤装にこのシステムを搭載してもまったく機能しないだろう。

どれだけ苦労して組んでくれたのかはわからない。でも失意の底に落とされていた私を救い上げてくれたのはあの人。

ならこの力を使ってあの人に恩を返したい。だから!

 

「いっけぇぇぇぇ!」

 

天津風が吼えると、6機が見事な連携で深海棲艦の水雷戦隊を取り囲み、一斉に砲撃した。

ちょこまかと動き回る自律駆動砲を混乱した深海棲艦はうまく捉えることができず、なす術なくただひたすら砲撃を叩き込まれる。

 

1号機、右旋回のち砲撃。3号機は1号機をカバー。5号機、左旋回して回避。4号機、敵の砲撃で生まれた隙をついて攻撃。次、全機一斉射。よし、全機散開した後にもう一度攻撃。2号機は敵の間で攻撃しつつ回避。

 

矢継ぎ早に天津風が指示を頭の中で飛ばし、それに従って自律駆動砲が動き回る。

ある時は砲撃で敵の輪をかき乱す。ある時は敵の中に突っ込み同士討ちを狙う。

 

「さあ、逃がさないわよ!」

 

いまだに混乱が解けず、まともに動けていない深海棲艦を取り囲んだ後にひたすら打ち込みまくる。

そして打ち終わった後の海上には何も残っていなかった。

 

「これが天津風の実力よ!」

 

自律駆動砲を回収し、一度補給するために”さらしな”に戻す。今ごろ明石が補給してくれているだろう。

 

「行きましょう。まだまだ敵はいるはずよ」

 

加賀が進撃の指示を出す。

そうね。敵の総数は50は下らないとのことだしこんなところで悠長にしてるヒマはないわね。

 

『おっしゃ!いけ!恐らく次はウェークの先行艦隊だ。こいつも軽くぶっとばしてさっさと本丸を落とすぞ!』

 

「「「「「「「了解!」」」」」」」

 

 

次の艦隊がこちらに迫ってきている。でもその程度!

 

……そういえばあなたはどこにいるのかしら?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さぁて、そろそろ動くとするか」

 

とあるところで帆波峻が静かに、だが確かに動き出す。

 

 

 

「さて、そろそろかしらね」

 

また、とあるところで一人動き出していた。




ウェーク島攻略戦スタート!
何話ぶりかの戦闘描写です。
また帆波の謎開発アイテムが登場しましたがこんなもんじゃ済みません。

帆波はどこまでチート化するのやら…


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Where is he ?

艦これのアップデートありましたね。
皆さんは江風を改二にできましたか?
新人提督のプレリュードは練度が全然足りませんでした…

あと高波の新グラかわいいですよね!
俺持ってねえけど!(血涙)

……はい、本編いきます。

5/22に改稿。
モルガナの名前を弄りましたが本編には手を加えておりません。


敵先行艦隊はあっけなく撃破された。

戦艦の砲撃で遠距離からボコボコにされ、近づいた瞬間魚雷により吹き飛ばされる、というなんとも鬼畜の所業で幕を閉じた。

 

「意外とあっけなかったねー」

 

「でもまだあくまで先行艦隊よ。気は抜かないで」

 

魚雷を素早く再装填させながらのんびりと言う北上を矢矧が窘めた。

相手はあの不落の泊地ウェーク島。

こんなのはまだ序の口ですらないかもしれないのだ。

現状においては被害は0で抑え込まれているけど相手がまだ本気ではないからね。次にやってくるであろう本隊が一番の難敵のはず。

今まで数々の部隊が挑み、そして敗れたのが本隊だから絶対に強い。

 

『そうそう、矢矧の言う通りだ。まだ気は抜くなよ』

 

提督が通信ごしに北上を戒めた。

まだ戦闘が開始されてから10分程度しか経っていない。相手もこの程度ではないはずだ。

 

『陸奥、瑞鶴、矢矧、鈴谷は一度さらしなに戻って補給だ。沖山、アレを10機全て出してくれ』

 

『こちら沖山、了解です』

 

「待って!なんで私が戻らなくちゃいけないのよ!」

 

「そうよ!提督さん、私はまだ戦える!」

 

瑞鶴とともに抗議した。被弾してないのに引っ込めさせる意味がわからない。敵の方が数が多くてこっちが不利なのにさらに減らすような真似をなんでするの?

 

『お前らが戦えるのは知ってるよ。さっきのザコ共に弾薬結構使ったから一度補給しとけって話だ。そしてこっから先は連戦だ。交代して戦闘を続ければ長い時間で戦闘が継続できる。すぐに交代になるから安心しろ」

 

「……わかったわよ」

 

不承不承といった感じだけど仕方なく名指しされた者がさらしなに一度帰投して行く。

仕方なくよ。まあ出番がなくなるわけではないからいいけど!

 

『帆波さん、アレを全機出しました』

 

『さんきゅ、沖山。ならやるか!全員行くぞ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愚かな人間が攻めてきたか。

また撃退されるだけとわからないのか?

 

その個体は深海棲艦の本隊における旗艦のような存在だった。人類側からの呼称は戦艦タ級だがそれはそんなことは知らない。

 

レーダーが艦娘どもが接近してきていることを示す。そろそろ視界に入るだろう。

 

「〜〜〜〜!」

 

人類の言語とは違う、深海棲艦の言葉を発し、旗下の者たちに指示を出す。目標は接近する艦娘群。後ろの巨大な巡洋艦はひとまずは無視せよ、と。

 

徐々に9つの点が大きくなり、やがてそれが人の形だと認識できるまでになる。

 

タ級は口の端を歪めて笑ったと取れるような表情を作った。

直線的に突っ込んでくるだけでなんの捻りもない。的にしてくださいとでも言っているのだろうか?

 

「〜〜!!」

 

撃て!と大声を出し、自らの主砲を一斉に撃った。周りの者たちもそれぞれに砲口から火を噴かせた。

無数の砲弾が放物線を描きながら艦娘たちの方へ向かって飛んでいく。

 

勝った。

 

どう見ても直撃コースだ。これであの艦隊も確実に大損害を出す。撤退するかどうかは知らないが勝利は我が手にある。

 

見たか。泊地の奥で座り込み、動かずに指揮だけとる愚か者が!姫に気に入られているからといって踏ん反り返ってばかりの貴様の指揮など受けなくとも勝てる!私だってやれる!

見ろ!砲弾が艦娘どもに当たるぞ!これで私の勝ちだ!

 

時間が長く感じる。全ての動きがその一瞬だけスローモーションのようだ。

撃ち出された砲弾が艦娘に近づき、その頭に。その胸に。その華奢な体に。

 

当たらずにすり抜けた。

 

そしてその直後、自分たちの後ろから爆発音が響いた。

なんだ?なぜすり抜けた?あれは一体なんだ?

 

「〜〜〜〜〜〜」

 

随伴艦の重巡が被害を報告してきた。

大破艦が数隻、中破艦も同数ほど。撃沈が2隻。

慌ててレーダーを見るも敵影を示す点は存在しない。

 

どこからやられた?いや、敵は30km以上離れた場所から正確に固定砲台を破壊して見せた。ならば気づかれずに攻撃することくらい可能じゃないのか?

それよりも目の前にあるあれは?

なぜ攻撃がすり抜ける?どうして当たらないんだ?

 

不可解な事象というのは人間の冷静な判断と思考を奪うが深海棲艦も例外ではないようだ。

どこから飛んでくるかわからない敵の攻撃となぜかすり抜けるこちらの攻撃。

理解ができない。何が起こっている?

 

 

 

深海棲艦たちは知らない。そのすり抜けた物の正体を。

あれはただのホログラムを空中に限りなくリアルに投写したニセモノだ。

元々の本体は海上を駆ける薄い円盤でそこから映像が映し出されているのだ。

Mirage Of Reactive Gadget ─of Alternative Natural Architecture──頭文字をとってMORGAN-A。空間反応式変調型活用迷彩装置が正式名だが呼びやすく”モルガナ”と呼んでいる。

蜃気楼の魔女の名を冠するこの兵装は峻だけが開発でき、そして運用できる。

峻の二つ名の”幻惑”はこの兵装を使い、実体のない幻で相手の目を欺くことからきている。金属製なので電探にも映るのでかなりの至近距離でじっと睨まない限り見破るのは難しい。

 

 

 

艦娘たちが攻撃してきた。側面に展開していた艦隊がやられ始めているようだ。

しかし本当に攻撃しても大丈夫なのか?またすり抜けるのに撃つ意味はあるのか?

 

「〜〜〜!」

 

破れかぶれで出した迎撃の指示。しかし本当に意味があるのか?

近づくな。こっちに向かってくるな。

初めてそれは恐怖した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「提督、うまくいったわよ!」

 

イムヤが無線に向かって報告した。

彼女たちは深海棲艦が超遠距離からの攻撃を受けたと思っているなどということは欠片も知らない。

 

実際は艦隊の接近するルートを予測してそこにイムヤとゴーヤと北上の甲標的を配置しておいて魚雷を撃っただけなのだが。

 

『グッジョブだ。イムヤとゴーヤはそのままバレないように潜行しつつ離れるんだ。ゴーヤ、まだキツいのに悪いな』

 

「ううん、確かにまだ怖いけどずっと逃げてるわけにもいかないから」

 

ゴーヤは艦娘だ。戦わなければなんのために存在するのかわからなくなっちゃう。精神的なショックで戦えないなんて言い訳でずっと逃げ続けるわけにはいかないでち。

 

『ありがとな。さて、奇襲には成功したがまだまだこれからだ!加賀、一度退け!陸奥たちが今度は攻撃する番だ。さらしなで補給してこい』

 

おそらくここから離れたところで加賀さんたちが今撤退し、それと入れ替わりでこんどは陸奥さんたちが攻撃を始めていると思う。

その一方でホログラムで惑わすことも忘れていない。

 

『ねぇ、提督。いい加減どこにいるのか教えてくれてもいいと思うんだけど』

 

矢矧さんがぶちぶちと文句を言う。そういえば最初に聞いて後回しにされてたっけ。

 

『そうね〜。たしかに気になるねぇー』

 

『もったいつけずに早く教えてよ!』

 

『指揮官が戦場にいないなんてどうかと思うわよ?』

 

北上、鈴谷、陸奥の順番でクレームが入っていく。でもゴーヤとしても気になるな。てーとくさんはどこにいるの?

 

『あれ、俺まだ言ってなかったっけ?』

 

『中佐、白々しいですよ?』

 

榛名さんってほんわかした雰囲気してるけどたまに毒吐くなぁ。というか冷静に見てみるとこの部隊ってキャラ濃いよね。

 

あらら、まだ言ってないっけ?とか通信機からてーとくが言っているのが聞こえる。

 

「てーとく、で、結局どこにいるの?」

 

『まぁもう教えてもいっか。俺が今いるのはな』

 

いるのは………?

 

『ウェーク島だよ』

 

………え?




帆波さん、あなたなんでそんなところにいるんですかねぇ。
次々と新兵装が登場してきました。
天津風のチート化の次は帆波の番だ!

次回は明日には投稿できそうです。たぶん。
投稿ペースが乱れていますがどうかご容赦ください。
それでは。


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Comeback!


昨日予告した通り、本日に投稿です。

まだオチまでは続きますが、今回はそこそこ動くかと。
それでは参ります。


 

ウェーク島の深海棲艦の泊地は旧アメリカ軍の基地をそのまま再利用された形で存在している。

そこの内部ではある姫が歯噛みしていた。

その姫は人類から自分が泊地棲姫と呼ばれていることを知っていた。さらに言うならば人間のなんでもない通信を傍受し、人間の言葉を理解し、片言ながら発音することもできた。

 

だからこそ自分たちに足りないものを彼女は知っていた。有能な指揮官だ。

残念ながら一時的に取り入っていたヤダとかいう男は有能とは言い難かった。

だか得たものはあった。その時、最後の攻撃対象に選ばれた部隊の駆逐艦の指揮は見事だった。

だから一計を案じて苦労して、多大な代償を払ってまで指揮官を捕らえ、手の内に入れたというのに。

 

「早クナントカ出来ナイノカ!」

 

指揮官として座っている者に向かって怒鳴り散らし噛みついた。今までなんとかしてきたのだから早くしろ!

 

「…………」

 

指揮官はだんまりを決め込んでしまっている。しかしその目は闘う者の目だ。額にシワがより必死に考えている顔だ。

 

これから早く指揮官としての技能を吸収してしまいたい。それさえできればもうこの偉そうに座っている者はお払い箱だ。もちろんそんなことはこれには告げていないが。

この者は騙されてこの席に座らせられているのだ。自分たちに協力するうちは殺さないでおくという条件をつけたらコロリと騙された。

まったく御しやすくて助かる。

 

そう考えているとだんだんと落ち着いてきた。そうだ、このような愚かな人間どもに我々が負けるはずがないのだ。

 

今この部屋にはあれと自分以外は誰もいない。他は全員が出撃している。それだけの戦力を投入し、かつ優秀な指揮官がついているのだ。敗北など万が一つにもありえない。

 

さっきまで歯軋りしていた泊地棲姫の表情に余裕が戻り、徐々にその顔は微笑を(たた)えた。

 

そう、負けるわけが────

ドォン!と、その思考を遮るようにして部屋のドアが爆発し吹き飛んだ。

 

ここは地下のはず。砲撃がすぐに届くわけがない。なら何が……

 

「すいまっせーん!太平洋迷子センターってこちらであってますかねえ!」

 

陽気で快活な男の声と共に粉塵の中にシルエットが浮かぶ。

短い髪。男性にしてはすこし低めの身長。崩れて足元に転がる瓦礫を避けるようにヒョコヒョコと歩く姿。

 

「よお、迎えに来たぜ()()

 

粉塵の中から現れた男、帆波峻は不敵に笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なるほど姫級だけか。もっと他の深海棲艦がいるパターンも想定してたがこれはラッキーだったな。

 

「キサマッ!何者ダ!」

 

「どもどもー。現在攻めこませていただいてる部隊の司令官の帆波峻という者でーす。以後よろしく」

 

とりあえず軽く煽っておく。ふーん、あれが泊地棲姫か。なるほどねぇ。

 

「で、わざわざ迎えに来てやったのにだんまりはねえだろ叢雲」

 

すこし高い位置にある椅子から液晶と推定されるもので戦況を見ていた人影が立ち上がりふわりと飛び降りた。

 

「ヤッテシマエ。コノ男ヲ殺セ」

 

泊地棲姫が落ち着き払って言った。カツカツと飛び降りた人影が俺に近づいて来る。

 

「おっそいのよあんたは!」

 

そして俺に向かってズビシィッ!と指を突きつけ言った。

 

「うるせぇ、轟沈偽装なんてめんどくせぇことしといて文句言ってんじゃねえ!」

 

「別にそんなことするつもりはなかったわよ!」

 

「結果が全てなんじゃなかったのか?」

 

「うっさいわね!仕方ないじゃない!」

 

ぎゃあぎゃあと言い合いをお互い始めた。俺だっていろいろ溜まってんだよ。人の言うこと聞かずに勝手に出てったこととかな!

 

「ナゼダ…駆逐艦、キサマハ我々にツイタノデハナカッタノカ!」

 

「あら、私はそっちの指揮を執ることは了承したけどそっちの味方になるとは言わなかったわよ」

 

叢雲がしれっとした顔でいけしゃあしゃあと言い放つ。

 

「お前らどういうやりとりしたんだよ?」

 

「え、別に”アナタ、ワタシタチノ王ニナル気ハナァイ?”って言ってきたから最初は断ろうかと思ったんだけど逃げ場ないじゃない?だから仕方ないから”指揮だけなら執ってあげる”って言っただけよ。一言たりとそっちの味方になってあげるなんて言ってないし」

 

わざわざ泊地棲姫のモノマネまでしてご苦労さん。そんな感じだったのか。そこらへんの事情はよく知らんからな、俺は。

 

「コノ裏切リ者ガ!」

 

「何が裏切り者よ。指揮の技術だけ手に入れたらさっさと捨てる気マンマンだったくせに。騙すならその目ん玉ちゃんと係留しときなさい。泳ぎっぱなしだったわよ」

 

「グッ………」

 

大方そんなこったろうとは思ってたがこのお姫様は叢雲を利用する気がまんまと逆に利用されたらしい。まぁ、素人がいっつも俺と駆け引き系ゲームしてるこいつに勝てるわけないわな。

 

「あんたが私のサインに気づいてくれて助かったわ。ま、もう少し早いのが望ましかったけど」

 

「文句言うな。ちゃんと迎えに来てやったろ?」

 

「それなんだけど、どうやってここまで来たのよ?レーダーには映ってなかったわよ?」

 

「ソウダ!キサマ一体ドウヤッテ!」

 

「えー、説明したほうがいい?長いよ?」

 

「さっさとしなさい!」

 

へいへい。ならご講釈垂れ流させてもらいますよっと。

 

「まず叢雲のサインだがこれに気づくのに少し苦労したな。だがわかれば簡単だ。ちょうど叢雲が沈んだ日の次の日あたりから急に海軍は小競り合いですら負け始めたんだ。これはいいよな?」

 

無言の肯定を叢雲と姫が返す。ま、お前らがやったことだから当たり前っちゃ当たり前だけどな。

 

「その全ての戦闘においてある法則があったんだ。まず負けているのは太平洋側のみで、日本海側はそこまで酷くなかったんだということ。損害は受けているものの、撃沈は全て0だということ。そして今までなかった新しいパターンの深海棲艦の戦術的な動きだ。けどこれだけじゃ、誰もわからない。だがここに一つの条件が入るんだ」

 

「全ての深海棲艦の動きをあんたとやったシュミレーターの戦闘とほぼまったく同じにしたのよね」

 

「そういうこと。あのシュミレーターでやった動きは特殊すぎてなかなか実際の戦闘でやるバカはいない。最初は勝ててもバレちまえばすぐに対策が打たれるからな。そしてあのシュミレーターの動き方を知っているのは俺と叢雲以外いない。俺じゃないってことは叢雲だ。ここで俺は叢雲が生きてる確信を得た」

 

「ナ……ソンナヤリカタデ、ダト……」

 

加賀たちに集めてもらった戦闘記録を見たときの違和感はこれだった。どこか既視感があったのだ。それを日付で分類していくと面白いくらいに叢雲が沈んだ日の翌日からだった。

そして執務室にあるシュミレーターの動きと照合すると高いマッチングレベルが出た。だから生きてるんじゃないかと思ったんだ。

 

こんなもの、普通は気づかない。普通ならもっとまともなヘルプサインを送る。

それでもその僅かな合図にちゃんと気づき応えられるのは2人の絆とでも言うべきものなのだろう。

 

「結構なギャンブルだったからね。なかなか反応が来ないから内心ではヒヤヒヤだったわよ」

 

まあ連絡手段も無く、逃げ出す方法も無ければこれぐらいしか思いつかないのは無理ないが、もう少しうまくやってほしかったね、俺としては。遠回り過ぎるぜ。最初はマジで死んだと信じて疑わなかったからな。

 

「ただ、あんたがここに乗り込んでくるのは正直に言うと想定外よ」

 

「しゃあねえだろ?ここの固定砲台が邪魔で破壊するしかなかったんだからよ」

 

「そこらへん詳しく聞きたいところなんだけど」

 

「ソウダ!ドウヤッテココニ入ッタ!」

 

「こいつを使ってさ」

 

俺はポケットの中から円筒形の物体を取り出した。

 

「何それ?」

 

「まあ細かい仕組みは省くが簡単に言うと水中で半永久的に呼吸が出来る代物だ。これでレーダーに映らないギリギリのラインまでパワーボートで近づいてから泳いできた」

 

「「ハァ!?」」

 

いや、声揃えているとこ悪いけどやろうと思えばできるもんなんだぜ?

水ってのは分解すれば酸素と水素だ。この装置は水を電気分解して息継ぎ無しで呼吸を継続できるようにしてくれる物だ。後はひたすら潜って近づいただけ。

まあ8時間くらいかかったけどな。

 

「そんで着いてから一緒に持ってきた完全防水ケースの中から爆弾取り出して固定砲台やらなんやらにバレないようにコソコソしながら設置するだろ?そんでタイミング見計らって加賀たちに来たかどうか確認するだろ?そしたら起爆して今に至るわけだ」

 

ま、実際やると結構大変なんだけどな。水深50mくらいを泳いでたんだが、真上を哨戒していた深海棲艦が通った時とかは冷や汗が滝のように流れた。

島の中歩き回ってる時も見つかったら一貫の終わりだからスリル満点とか言ってられなかったしな。

4時間近くかけて島の各所に点在する固定砲台に爆弾セットしてついでに基地とかにもセットしておいた。

 

「……そこまでやる?普通」

 

「はっはっは!残念だったな叢雲。この賭けは俺の勝ちだ」

 

「いいえ、私の勝ちよ」

 

「は?」

 

いや、お前の敷いた警戒網を突破して攻め込んでいる時点で俺の勝ちだろ?

 

「私はあんたに私が負けることに賭けたのよ。私がまだあんたに及ばないことにね。そして私は負けた。つまり私の勝ち」

 

「おいおい、どっちみちお前が勝つようにしてあるのは卑怯じゃねえの?」

 

「いいじゃない。ただのギャンブルを絶対負けないギャンブルに書き変えるのはあんたの十八番でしょ?」

 

「まるで俺をイカサマ使いみたいに言うな」

 

「間違ってないじゃない」

 

俺ってそういう風に見られてるのか……

 

「ま、とにかく帰るか」

 

「そうね。あとで白黒はっきりさせましょう」

 

「上等だ」

 

「無事ニ帰レルト思ッテイルノカ!」

 

今まで静かだった泊地棲姫が久々に声を発した。空気がビリビリと震えるようなプレッシャーを放った。だが。

 

「「帰れないとでも?」」

 

俺の左に叢雲が並び2人で泊地棲姫を睨む。そんなもので今更怯むような俺たちじゃねえんだよ。

 

「見ロ!アノ数ニ練度ヲ!ドノミチココデ貴様ラハ死ヌノダ!」

 

確かにいくら”モルガナ”で引きつけても限界はある。所詮はただのホログラムだ。攻撃手段は持ってない。

でもこいつの真骨頂はこれからだ。

 

「いや、死なないね。お前に、お前らに見せてやるよ。”幻惑”の本気ってヤツをよ」

 

覚悟しな、深海棲艦。この程度が”幻惑”の帆波じゃねえんだよ。こっからが本当の勝負だ。

主導権は既に俺の手の中だ。

ならばあとは俺の手のひらで無様に踊れ。

俺たちにケンカ売ったことを後悔して沈みな。





タイトルで察した方もいるかもしれませんが叢雲が帰ってきました。彼女は沈まずに捕まってたわけです。

普通ありえねぇよ!とツッコミながらもお楽しみいただければと思います。


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Fantasia

艦これアーケードやってきました!
一時間近く待たされましたが良かったです。艦娘たちが生き生きと動いていて楽しかったですね!
まぁ、データ保存してないんですけど。カードさえ手に入れば初回はいいんです。

作者のどうでもいい体験記はここまでにして本編行きましょう。


ウェークの基地内の液晶が戦闘を映し出す。

あいつらが負けるところを見せて心を折らせるって魂胆か。

 

「おーい、お前ら!そろそろやるぞ」

 

『了解!提督、指示をお願いね?』

 

「任せな」

 

陸奥の妖艶な声が早く指示を、と言外に告げている。そろそろ限界がきているらしい。もう少し本隊は混乱してるかと思ってたんだがさすがに主力クラスは違うな。立ち直りも早い。

 

「おい、泊地棲姫」

 

「何カシラァ?」

 

「よく見てな。これが帆波峻の、帆波隊のやり方だ」

 

最初で最期の戦闘指揮の授業だ。しっかり学んどけよ。

 

「交代での時間稼ぎは限界だ。全員の全力で叩き潰すぞ!」

 

峻の指示通りに控えとして戻っていた加賀たちが”さらしな”から飛び出し集まった。

 

「加賀、瑞鶴、艦載機を出せ!編成は任せる。陸奥と榛名は主砲を構えとけ。天津風、もっかいパラレルいけるか?」

 

『問題ないわ!自律駆動砲、射出!』

 

パシュッとさらしなから再び自律駆動砲が射出され海上を駆ける。

 

「夕張たちはなにかあったらその時の判断で動け!それじゃ行くぞ!」

 

降り注いだ砲弾を躱すために散開した。そしてその水柱の中から榛名と陸奥が前に飛び出した。

榛名も陸奥も2人ずついたが。

 

2人の榛名と2人の陸奥が攻撃してきた艦隊に向けて攻撃し始めた。

すると4人に向けて深海棲艦が砲撃を始めた。

 

手練れだな。認めたくない現象を前にして思考を停止させないでいるのは立派だ。

だが甘い。

 

放たれた砲弾は2人の榛名と2人の陸奥をすり抜け後方に着弾し、水柱を高々とあげた。

 

そして右舷に突如現れた鈴谷が砲撃をする。

慌てた様子で深海棲艦たちが回避行動をし始めたが、いつまでたっても砲弾は飛んでこない。

怪訝な様子であたりを見回していると一番後ろにいた重巡がいきなり吹き飛んだ。

 

『やっぱアタシは雷撃よね〜』

 

「いいぞ、北上!」

 

あの鈴谷も増えた榛名と陸奥も全てモルガナで投映したホログラムだ。榛名と陸奥には天津風の自律駆動砲が後ろについていて、そこから砲撃したのを戦艦の砲撃に見せかけたのだ。

どこから飛んでくるかわからない攻撃に戸惑えば足下が疎かになる。あとはその隙を北上の魚雷で撃ち抜くだけだ。

 

振り向いたル級が北上に照準をつけて撃つがまたも北上の頭をすり抜けた。

ホンモノの北上は魚雷を撃った直後に移動している。

 

「残念。それはホロだ。ちなみに次に降り注ぐ砲弾はホンモノかニセモノかどっちでしょうか?」

 

オープン回線で俺の言葉が理解できるかわからないがル級に語りかける。

 

振り返ったル級の左から砲弾が近づき装備や体を粉砕し吹き飛ばしていった。

 

「正解はホンモノだ。あの世で答え合わせと復習しとけよ」

 

映像が切り替わり新たな戦闘場面を映し出していく。

ちなみに液晶はさっきハッキングして俺の映したい映像を映すようにしてある。

いちいち切り替わるの待ってたら面倒だからな。

 

次は加賀だ。

空中を奇怪な形をした深海棲艦の艦載機が飛来し、それを迎え撃つように加賀と瑞鶴の艦載機が編隊を組む。

2つの艦載機群が激突するが、深海棲艦側に被害はほとんど出ずにこちら側だけがバラバラと落とされていく。

 

ように見えるだけだ。

 

「鈴谷、やれ!」

 

『ほいほーい!うりゃ!』

 

ドォンと鈴谷が撃った砲弾は航空隊の目の前で炸裂し、弾を大量に吐き出した。

鈴谷が撃ったのは三式弾だ。だがこれではこちらの艦載機も巻き込んでしまう。

だが三式弾の弾は当たっても深海棲艦側は炎上し落ちていくがこちら側は一切落ちる気配も見せずにすり抜ける。

 

「残念だが航空隊自体がホログラムだ。撃墜される映像を投映してたから気づかなかったろうけどな」

 

誘い込まれたんだよ、お前らは。そしてまだ終わらないぞ?

 

次は艦爆と艦攻ばかりを編成した航空隊が深海棲艦の空母群に向かい飛行する。

 

空母ヲ級のエリートクラスがそれを無視し、なんとか鈴谷の三式弾の網を抜けさせようと再度艦載機の編成を始めた。

 

大方またホロだと思ってシカト決め込んだんだろうが残念賞。

 

「加賀、瑞鶴。やっちまえ」

 

『『了解!』』

 

空母群に艦爆が爆撃を仕掛ける。上空から投下、あるいは反跳爆撃により真横から、そしてぶつかるギリギリまで接近してから投下など。

さらにこれでは終わらないぞと言わんばかりに艦攻が魚雷をばら撒き、ヲ級たちが巨大な水柱に包まれる。

水柱が消えた時にはもはや艦載機など出せないぐらいにボロボロになった姿があった。

 

 

これで本隊は半分くらい削ったか。このペースで行けばなんとかはなりそうだな。

堂々とは言えないが”モルガナ”はあまりバッテリーの保ちがよくない。決めるなら短期決戦なのだ。だからできる限り削っておかないと後々が苦しくなるため、実は余裕ぶっているようで全くそんなことはなかったりする。

内心で胸を撫で下ろしている程度には焦っていた。自分で言うのはなんだが、だいぶギリギリの作戦を立てたと思う。

本音を言うならここで全滅させたかったがまぁ、そう甘くはいかないか。

 

「さて、泊地棲姫?残念ながら俺たちの勝ちみたいだな?」

 

「………クッ」

 

「じゃ、俺ら帰るから。お疲れちゃんでーっす!」

 

「……ナメルナ!」

 

ニヤニヤ笑って挑発していたら泊地棲姫が飛びかかってきた。

 

「失礼!」

 

「きゃっ!」

 

叢雲を左手で抱えて入り口までダッシュしながら右手で上着の内ポケットの中からリモコンを取り出した。

そのまま急いで部屋のドアを走り抜けると奥の物陰に飛び込みスイッチを押し込んだ。

 

「グァァァァ!」

 

壁にセットしてあった指向性の爆弾が入り口を塞ぐように爆破し瓦礫でドアが埋まった。

 

「ふぅ……」

 

「ちょっと!早く離しなさい!」

 

じたばたと腕の中で叢雲が暴れる。あ、押さえつけてたの忘れてた。

離してやるとパンパンと叢雲が服をはたき、埃を落とす。

左手に残った温もりが本当にこいつが生きてるんだという確信を与えてくれた。

 

「ってゆっくりしてるヒマはねぇんだった!叢雲、急いでこの基地を出るぞ!」

 

「ちょ、なによ!なんでそんな急がなきゃいけないのよ!」

 

「実はな、もしあそこに他の深海棲艦がいた場合の対策としてこの基地の各所にさっきみたいな爆弾が仕掛けてある。起動すれば基地が倒壊して生き埋めになるように計算してな。そして────」

 

「あんた、もしかして……」

 

「さっきボタン押しちった!」

 

「このアホーーーー!!」

 

てへぺろ!みたいなノリで言ったら殴られた。仕方ないじゃん。あのお姫様は艤装的なやつを着けてなかったからラッキーだったなー、とか思ってたら普通に飛びかかってくるんだしよ。

 

「あと何分で倒壊するのよ⁉︎」

 

「あと5分ないくらいかな」

 

「逃げるわよ、このアホ!」

 

「わかってるって!」

 

慌ただしくバタバタとその場を後にする。遠くの方で爆発音が聞こえるたびにガラガラとなにかが崩れるような不気味な音が響く。

そういえば旧とはいえアメリカの基地を爆破してるわけだけど非常事態だったってことで大丈夫だよな?

……なんか言われそうになったら深海棲艦のせいにしとこっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

助けに来てくれたのは感謝するわ。実際、来てくれたのを見て嬉しかったし、正直少しだけウルっときたのも認める。

 

でももう少しまともに助けられないわけ⁉︎

なんで崩れかけてる基地の中を走らなきゃいけないのよ!もう少しゆったりと話しながら帰りたかったんだけど?

 

おっと、いけない。そろそろね。

 

「少し止まって」

 

「ん?時間がないんだがどした?」

 

「ちょっとここで待ってて。そこの部屋に用事があるのよ」

 

「……手早くな」

 

ドアを素早く開けて中にスルリと滑り込む。そこはここにいる3週間弱の間に私に与えられていた部屋だった。べつに思い入れがあるわけじゃないけど、どうしても持っていきたいものがここにはある。

壁に立てかけてあった長い袋を取るとまた素早くドアから出た。

 

「なんだよそれ?」

 

「あとで見せてあげる。それより急ぐわよ!」

 

「そうだな。あと2分切った!」

 

だんだんと崩れる音が迫ってくる。どんだけこいつは爆弾を持ち込んだのよ。それともここにある備蓄の弾薬とかで新しく作ったのかしら。こいつならそれぐらいはやりかねない。

 

「見えたぞ!出口だ!」

 

ちらりと後ろを見ると巨大な柱に大きなヒビが入りズレていっている。

あと10秒あるかないか。

 

「うおおおおおお!」

「やああああああ!」

 

外に思いっきりジャンプして飛び出した。ほぼ同時ぐらいに入り口が崩れ、そして基地が倒壊していった。

額に滲む汗を手の甲で拭う。あと数秒でも遅かったらやばかったわね。

 

ぺたりと地面に腰を下ろしたまま、ぼんやりと崩れゆく基地をあいつと眺めた。

 

あっけないものね。外からの攻撃には頑丈に作られてたみたいだけど内側からの攻撃ではこんなにあっさりと壊れてしまう。

 

「で、その袋はなんだよ?」

 

「これよ」

 

袋の口を縛っていた紐を解き、きらりと光を反射して輝く抜身を出した。

対深海棲艦刀”断雨(たちさめ)”を。

 

「なんだ、持ってたのかよ」

 

「これだけね。それ以外の艤装は全部壊されちゃったから」

 

長年一緒に戦ってきた私の艤装は悲しいけどもう鉄くずに変わってしまっている。逃げ出す手段を奪うために泊地棲姫が壊させたらしい。

なんとかゴネてこの刀だけは手元に残せたけどそれ以外は今頃は海の底で朽ちてると思う。

 

「ま、お前さえ無事ならそこらへんはどうとでもしてやれるから安心しろ。ってもそう簡単には割り切れないか」

 

「……まぁ命があっただけでもラッキーと思わないといけないんだけどね」

 

「それに関しては少しやっとくことがあるな」

 

あいつがこっちをまっすぐ見てくる。そして右手の指を揃えて私の頭に振り下ろした。

 

「いだっ!」

 

「この、大バカ、やろう、が!」

 

一呼吸ごとに私の頭へチョップを繰り出す。

 

「痛いじゃない!」

 

「心配したんだぞこのバカ!マジで沈んだと思ってみんながどんだけ悲しんだと思ってやがる!もう二度とすんじゃねぇ!」

 

ビシバシビシーッとひたすら手刀が落とされる。いつ以来だろう。こいつが私に対してここまで怒鳴り散らして怒ったのは。

 

「…………ごめん」

 

「……ほんとはあと5時間は説教してやりたいトコだか時間がねえから今回はこれでやめといてやる」

 

フゥーフゥーと荒い息を吐きながらもようやくチョップをやめてくれた。

今回に関して言うなら確かに命令無視して勝手に出撃した私が悪い。

幸いにも拐われるだけで済んだけど本当に死んでいたかもしれない。

 

「……ほんとにごめんなさい」

 

「まったくだ!だがとりあえずははこの島を脱出するぞ」

 

「どうやって?」

 

「パワーボートに戦闘が始まってからこの島に来るようにプログラムしといた。今頃砂浜にでも乗り上げてるだろ」

 

ほら行くぞ、と差し出された手を握り立ち上がり、砂浜へ向かい歩く。

その間にもあいつは細かく戦況を見ながら指揮を執り続けていた。

 

もどかしい。

私にも艤装さえあれば。そうすれば出られるのに。

でもダメね。もしあったとしてもあんな調子なら足を引っ張るだけだし……

 

自分が単騎で出た時のことを思い出す。思い通りに動けれないのに出撃したところでなんの役に立つのか。

 

どのみち艤装がないから出られないんだけどね。見てるだけって本当にハラハラするわ。

 

パワーボートに乗り込むとそれは力強く海上を駆けはじめた。目指すはあの巡洋艦ね。たしか”さらしな”とか呼ばれてたっけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

潜水艦。

それはある少女曰く、静かに海中に隠れ潜み獲物を付け狙うスナイパーである。

そして戦場においてそういった支援が一番厄介なのだ。特に今のような入り乱れの乱戦模様を醸し出しているときは。

 

しかし。

 

「中佐!次はどこへ?」

 

『徹甲弾セット!エコー830に5秒後!』

 

「了解です!」

 

『陸奥!三式弾でゴルフ740、高度93に3秒後!』

 

「ええ!任せて!」

 

『加賀!艦攻の高度26!アルファ440に向かって放て!』

 

「その程度、鎧袖一触よ」

 

彼女たちは潜水艦を心配する様子は微塵もない。

なぜか。

答えは簡単。対潜のスペシャリストがここにはいる。

 

「あー、いますねー。矢矧さん、深度125で落としちゃってください。そうそう、そこです、そこ」

 

矢矧が爆雷を投下ししばらくするとドムッと水面が盛り上がり、重油らしき油となにかの破片が浮き上がってきた。

 

「んー、まだいますね。次は……こっちかなー?」

 

ひょいっと爆雷を投げるとまた海中で爆破し破片やらなんやらが浮かんでくる。

 

「よし、ヒット!まだまだいけますよっと」

 

夕張は耳にヘッドホンを当てて海中の音を聞いていた。

 

やっぱり外れた砲弾とかのせいでだいぶ音が乱れて見つけるのが面倒ですねー。

でもそのスクリュー音、隠せてないんだよねー。

深度78〜82くらいのところかな?

 

ポーンと放り投げられた爆雷が爆発し、水面に油を浮かせる。

 

順調かな?だいぶ邪魔な潜水艦を沈めたしそろそろ海中の方は大丈夫はず。仮に残ってたとしてもこれだけバカスカやられれば迂闊に動くことはできないし。ほかのみんなも無傷とはいかないけど大破までいってる娘はいない。

 

それでも”夕張”としての記憶が順調だという自分の意見を却下する。

 

あの時もそうだっただろう?

完全に戦力を潰したと思い込んで砲撃したがまだ残っていて、その砲台の反撃が当たったから自分は撤退したんじゃなかったのか?

大丈夫だと思いたくとも不安に駆られてしまい、無線を手に取った。

 

「提督!今どこですか?」

 

『いまは”さらしな”に戻った。どうした夕張?』

 

「砲台の戦力は本当に潰したんですよね?」

 

『少なくとも固定砲台は全部ぶっ壊した。それ以外はないはずだ』

 

「やった……はずですよね?」

 

『おい、夕張。それフラグ────』

 

峻の言葉が言い終わる前にウェーク島の倒壊した基地が爆発し吹き飛んだ。その瓦礫の中からのそりと姿を現した()()()が砲撃を始め、夕張に直撃した。夕張の体が海面を鞠のように弾み飛んでいく。

 

「きゃああああっ!」

 

『おい!夕張!大丈夫か!しっかりしろ!』

 

「っーーー!だ、大丈夫です。生きてはいますよ。ただ戦闘継続はちょっと厳しいかもです……」

 

機関はガタガタと異音を発し、ほぼ全ての砲塔は明後日の方向にひしゃげてしまい、魚雷発射管ももぎ取られてなくなってしまっている。

すこし動くたびにミシミシと体の中から嫌な音がするところをみると骨も数本やられていると思う。いたるところから出血もしているせいか少しぼんやりする。

 

『”さらしな”に戻れ!自力でいけそうか?』

 

「ごめんなさい、ちょっと厳しそうです……」

 

『いや、無理すんな。俺こそ事態を予測できてなくて悪かった。矢矧、夕張を曳航してやってくれ』

 

「了解よ。夕張、大丈夫?」

 

「たはは……お役に立てず申し訳ないよ………」

 

「なに言ってるのよ。夕張が潜水艦を抑えててくれたからこれまで楽だったのよ。十分やってくれたわ」

 

『そうだな。俺が不在の間によくやってくれたと思うぞ』

 

「「なら勝手に消えないでよ!」」

 

矢矧と一緒に文句を言った。だいたい提督はいつも何も言わずに勝手に動き回って……

この作戦もなんでいきなりウェーク島に提督はいたんですか!どうやって行ったのよ!

 

くるりとウェーク島の方向を向き、何にやられたのか確認しようとして戦慄した。

瓦礫の中から現れた()()()は軍用端末の映像でみた泊地棲姫の姿だったからだ。

 

「提督!泊地棲姫です!」

 

『何だって!あれは生き埋めにしたんだが……』

 

島でいったい何やってたんですか………

ってそれどころじゃない!

 

「提督、泊地棲姫の周りに深海棲艦が集まって行ってます!数は5。いずれもエリートクラス以上ですっ!」

 

『そのまま埋まっててくれよ……』

 

だからいったい島でなにをやらかしてきたんですか……




一難去ってまた一難。
まだまだ続きます、ウェーク攻略戦。
タイトルのFantasiaは幻想曲の意味です。ちなみに過去に出したタイトルのOvertureは序曲っていう意味です。あと作者の名前のプレリュードは前奏曲ですね。
ほんとにどうでもいい解説でした。

コラボとか……やってみたいなー。
ふと思ってから相手がいない事をおもいだす。だめじゃん。


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バトンは繋いだよ

アーケードでホロが全然でない(泣)
球磨しかいないよ!他の娘もっと来てよ!

お金ないからしばらくできないけど……。


泊地棲姫は完全に基地の崩落で埋めたと思ってたんだがしぶとく生きていやがったらしい。

その周りに集った深海棲艦はいずれもエリートクラス以上となるとあれが最終主力艦隊といったところか。

 

”さらしな”の艦橋(ブリッジ)で出現した泊地棲姫の映像を見ても、その顔はポーカーフェイスと言って差し支えないくらいに無表情だ。だがその内心は。

 

やばいやばいやばいやばいやばい!

あれと正面切って当たりたくないから生き埋めにしようとしたのにこれはガチでやばい!

ただでさえ本隊とのやり合いで消耗してるのにあれと当たりあうなんてたまったもんじゃねえぞ!

 

と、焦りまくっていた。

”モルガナ”のバッテリーはあと3分もしないうちに切れる。本隊はあと40%程度までは削り切っているがこちらも中破者がいるし、夕張は戦闘に出すわけにはいかないレベルの損傷だ。

そろそろゴーヤの精神も限界に差し掛かるころだからイムヤと共に下がらせなくてはいけないことも考えると戦力はかなり減ってくる。

 

『うわぁっ!』

 

「っ!瑞鶴、大丈夫か!」

 

『大丈夫だけどごめん……飛行甲板に被弾したから艦載機の発着艦はもうできなさそう……』

 

「仕方ない。天津風、瑞鶴のフォローに自律駆動砲を回せるか?」

 

『4号機から6号機まで落とされているの!申し訳ないけど余裕がないわ!』

 

想像以上に敵さんもやるな。天津風の自律駆動砲を3機も落とすとはな。こうなると瑞鶴にフォローをつけるのは難しいだろう。他のは全員が手一杯だからそんな余裕はなさそうだからだ。仕方ないがこうするしかないか。

 

「瑞鶴、悪いが自力で戻ってこい!」

 

『ごめん、まだ残らせて。まだやれることはあるから』

 

「なんだと!」

 

『艦載機への弾薬の補給とかは加賀がやってくれるって。艦載機の動きの統制だけなら飛行甲板がやられてもなんとかできる!』

 

確かにその通りだ。発着艦は飛行甲板がやられれば出来ないが、艦載機への指示出しなら艦娘の意識があれば可能だ。だが艦載機の補給を全て加賀に任せるのは加賀への負担が増えてしまう。

 

「おい、加賀。本当に大丈夫なのか?」

 

『この程度、大したことはありません。一航戦を甘く見ないで。それに今、戦力が低下するのは避けたいでしょう?』

 

「……すまん、無茶を承知で頼む」

 

『大丈夫だって!私自身はまだ軽傷よ!』

 

状況はあまりよろしくない。

あと40分くらいで事前に打っておいた布石が発動する。その布石が動いてくれればあとはのんびり見てるだけで勝てる。だがそれまで泊地棲姫が大人しくしておいてくれるわけがない。

もう1つ手はあるがこればっかりは俺の一存で決められないし、できることなら打ちたくはない。

 

「艦長、砲撃きます!」

 

「取り舵15!最大船速で切り抜けろ!野川、照準を接近中の深海棲艦に!何としても近づかせるな!」

 

「了解!目標接近中の深海棲艦、重巡リ級!てぇー!」

 

「沖山!艦の被害状況は?」

 

”さらしな”に沈まれたら一貫の終わりだ。

 

「第3ブロックに浸水、副砲を数門と主砲が一門持ってかれてますがまだ大丈夫です」

 

まだ、ということはこのままいけば時間の問題ってことか。

 

「ねぇ、あんたなんか隠してない?」

 

隣にいた叢雲の言葉にピクリと肩が反応した。

 

「なにか打てる手があるなら打ちなさいよ」

 

「だがな………」

 

「本当は私も出たいけど艤装がないんじゃ出られない。私は指を咥えて戦況を見てるしかないのよ。それに比べてあんたはまだやれることがある。ならやりなさい!なんで躊躇ってるかは知らないけど今はそんなこと言ってられないでしょ!もし私が協力できることなら喜んで力を貸す!だからくだらない拘泥なんてしてないでさっさと動きなさい!」

 

「…………わかった、ならついてこい」

 

ガタリと席を立つ。峻の顔は眉が寄り、難しげな表情だ。

 

「明石、”モルガナ”の回収を」

 

『了解です!』

 

「沖山、しばらく頼む」

 

「はい、お任せを」

 

「大丈夫っすよ」

 

「いってらっしゃーい」

 

堅い沖山と軽い野川と陽気な三間坂の声に送られて艦橋(ブリッジ)を叢雲を連れて出た。

 

あまりやりたくはない。だがこれ以外に40分を稼げる手段はもう残ってない。

 

「榛名、聞こえるか?」

 

『はい、なんでしょう?』

 

心なしかいつもより榛名の息が荒い。かなり消耗させてしまっている。

だがそれを承知で頼むしかない。

 

「新しく出現した泊地棲姫以下の艦隊を最終主力艦隊と呼称する。編成は泊地棲姫、戦艦ル級エリート、空母ヲ級エリート、雷巡チ級エリート、駆逐ロ級後期型エリート2だ。15分だけもたせてくれ」

 

『……加賀さんと北上ちゃんを借りてきます。それでもよければ』

 

「わかった。キツい役目だがお前にしか頼めないんだ。それだけもたせてくれれば最強の支援がそっちに向かうから」

 

『最強……ですか?』

 

「ああ、最強だ。陸奥には本隊の足止めを頼んでくれ」

 

『了解しました。榛名、戦います!』

 

通信を切り、早足でエレベーターに叢雲と乗り、早くしろと言わんばかりに階数の書かれたボタンを連打する。

 

「ねぇ、私に何をさせる気?」

 

「ん?まあ見てろって」

 

早く、早く、早く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やれやれ、提督も無茶を言ってくれるよねぇー。

この状態で最終主力艦隊を15分も抑え込めなんてさあ。

しかもたった3人で。

たぶん榛名がアタシと加賀を選んだのはかなりの古参組だったからだと思うんだよね。初期のころ、まだ一艦隊分しかいなかったころの仲間たちだからね。

とっさの意思疎通が図りやすいからさ、付き合いが長いと。

天津風は向こうのサポートに回しておきたかったんでしょ。夕張は潜水艦を掃討してくれたから充分やってくれたし。

もう1人は……叢雲は沈んじゃったからね。

 

「北上ちゃん、雷巡と駆逐2隻の相手をお願いします。加賀さんは空母の相手を。姫と戦艦は榛名がやります!」

 

世界広しと言えどアタシのことを”北上ちゃん”って呼ぶのは榛名くらいしかいないと思うんだ。

 

「うん、りょーかい。こっちは任せてー」

 

「了解しました。一航戦加賀、行きます」

 

さぁて、暴れてやりますかねぇっと!

 

雷巡チ級を睨みつける。その横には駆逐ロ級の後期型が付き従う。そのいずれも気味の悪い赤いオーラのようなものを纏っている。

くるっと手の中で単装砲を回しておもむろに一発。

間を空けずに二発目三発目とつなげていく。

だが当然だと言わんばかりにスイスイと避けていく。

ま、そうなるよねー。でもさー、そこらへんにはアタシの蒔いた甲標的が潜伏してるんだよね。

 

パチンと指を鳴らすと魚雷がチ級に向かって放たれる。

周りの駆逐は後回し。今はともかく一番雷撃力があって厄介な雷巡を叩く!

魚雷が命中した証拠に巨大な水柱が複数あがる。

そして砲弾が水柱の中に撃ち込まれていく。あれは榛名の砲撃だね。うん、さすが。よくわかってるねぇー。

たぶんあれはいったかなー。あとは駆逐艦だけか。あんまり駆逐艦を(なぶ)るのって好きじゃないんだけどね。

 

ぶんぶんと周りをうるさく飛び回る深海棲艦の艦載機を機銃と単装砲の砲撃で追い払いながら水柱が晴れるのを待つ。

 

「がっ!」

 

「北上ちゃん⁉︎」

 

水柱が晴れると同時に砲弾が北上に向かって撃ち出され北上の体が後ろに飛ばされた。

榛名の心配そうな声が響くが榛名自身も余裕がないので助けにいけないようだ。

 

なんで?

魚雷は完全に当たったはずだし、その後の榛名の砲撃は確実に直撃してた。沈んでなかったとしても大破ぐらいはいったはずなのになんで……

 

ぐぐっと海面にうつ伏せになった体を起こし、雷巡を見るとほとんど傷が付いていない。

なぜならその両手には魚雷と砲撃に晒されてボロボロの駆逐ロ級がいたからだ。

チ級はロ級たちを盾にして北上たちの攻撃を防いだのだった。

 

瞬時に北上の頭が沸騰した。

 

アタシの前で駆逐艦を盾にする……?

ふざけないで!

 

 

北上はなぜこの部隊に配属になったか。

彼女は命令違反を繰り返し、各所に飛ばされまくっていたのを峻が引き取ったからだ。

ではなぜ命令違反を繰り返したか。

他の部隊だった頃に北上が出撃したときに、そこの司令官が随伴の駆逐艦に命令したのだ。

”盾になれ”と。そしてその駆逐艦は本当に北上の盾になって沈んでしまった。

最後に一言、”無事でよかった……”とだけ言い残して。

今でこそちゃんと命令には従うようになったがそんな彼女の目の前で、同じ艦種が駆逐艦を盾にしたらどうなるかは目に見えていた。

 

ただ真っ直ぐに突っ込む。

装甲の薄い雷巡という艦種ではやるべきではない行動だ。でもそんなことは知ったことではない、と言わんばかりにチ級に向かってひた走る。

チ級は動揺したのか撃ってもまともに北上を捉えられない。

 

うざったいよね、駆逐艦ってさ。頼んでないのに勝手に守って勝手に傷ついて。

でもわざと盾にするなんて許せないかな。

 

機関を限界まで動かしてスピードを上げる。

回避なんて知ったことか。

しかしあちらはエリートクラスである。さすが立ち直りも早く着実に当てるコースに修正してきている。

 

まずいわ。これ直撃コースだ。

 

放たれた砲弾は真っ直ぐに北上に向かって飛んでくる。

そして、それは北上に命中し、爆発して辺りに黒煙が出た。

だが、その黒煙の中から北上は飛び出した。

 

咄嗟に左手に持ち替えた単装砲で砲弾を受けて直撃を防いだのだ。

 

なんで左手にしたかって?だって今の受けたから左手は傷だらけだよ?たぶん骨が数本イってるよ?

右手は守らないとさ。

 

ゼロ距離までチ級に接近した北上は思いっきり。

チ級をぶん殴った。

 

右手は守らないと殴れないじゃん。

仲間を盾にするような奴は全力でぶん殴れって球磨ねぇが前言ってた、ような気がする。

 

「アタシさ、今ちょーっと怒ってるからね。どうなっても知らないよ?」

 

ガシャコンッと魚雷発射管が全てチ級を向く。

 

「40門の酸素魚雷は伊達じゃないからねっと!」

 

ドカドカと魚雷が撃ち込まれ、チ級の原型がなくなっていく。そして最後の一発が撃ち込まれ、爆発が北上とチ級を覆い隠した。

 

「ハァ…ハァ……。こっちはなんとかしたよ、榛名。あとはよろしくー……」

 

爆炎の中からヨロヨロと北上が出てきた。ゼロ距離で魚雷40発は爆発の余波で結構なダメージを負ったがそれでもなんとか大丈夫だ。

 

アタシはここらで退いときますか。まぁ、頑張ったよねー。

バトンは繋いだよ、提督。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さすが不落の泊地と称されたウェーク島の本隊ね。今までやりあってきたのとは練度も連携も桁違い。加えて数の上では向こうが上回っている。

 

「徐々に……押されてきたわね………」

 

息も荒く陸奥が呟く。瑞鶴は頑張って艦載機を操ってるけど発着艦できないのがやはり痛い。天津風も残っている自律駆動砲はあと3機だけ。鈴谷も主砲をもぎ取られ、矢矧は魚雷発射管がなくなっている。

加えて自分自信もかなり艤装が抉れている。

でも提督が勝てるって言った。なら大丈夫よね?

 

「っ!陸奥!来たわ!」

 

天津風が叫ぶ。陸奥の右側から重巡リ級が突撃してきた。

 

まずい!右側の砲門は全滅してる!これじゃタッチの差でやられる!

 

左の砲門で対応しようと振り向くがその間にリ級は狙いをつけている。

万事休す。今のボロボロの装甲で耐え切れるといいんだけど。

 

だが狙いをつけたままで、その砲弾が放たれることはなかった。

リ級は爆発して吹き飛んだからだ。

 

「ふふん!海のスナイパー、イムヤにかかればこんなもんよ!」

 

「イムヤ⁉︎あなたゴーヤについてなくていいの?」

 

「ゴーヤはもう”さらしな”に戻ったわ。本当はまだついてようと思ったんだけどあの子が言ったのよ、自分の分までよろしくってね」

 

へぇ、あの子が……なら。

 

「こんなとこで……私がヘタってるわけにはいかないわね!」

 

残った左側の砲門を全て開き、敵艦隊に砲弾の雨を降らせる。

 

「全員、総攻撃を掛けるわ!夕張が潜水艦を掃討してくれたから海中に気を配る必要はない。全力で叩き潰すわよ!」

 

「「「「「「了解!」」」」」」

 

瑞鶴が残り少ない艦載機を操り、ギリギリで制空権を取らせないように踏ん張り、それを守るように矢矧が近づこうとする深海棲艦を主砲で撃ち、下がらせる。

 

もう弾薬を温存する理由はない。これを潰せばこっちの勝ち。最終主力艦隊は榛名たちに任せる。きっと榛名たちなら勝つ。だから私の仕事はこいつらをここから先に行かせないこと!

 

「さあ、いらっしゃい!ビック7の名は伊達じゃないわ!」

 

撃って、討て。

ただひたすらに撃ち尽くせ。

押されてきた?だからなに?

前の時もそうだったでしょう?

一貫の終わり、絶体絶命、風前の灯火。

そんな言葉が並んでる中であの人は覆してみせた。ならきっと今回もできる。

提督。あなたは私にどんな素敵な逆転劇を見せてくれるのかしら?

 

 

 

逆転劇なら既に始まっていた。

目の前の敵に集中していた陸奥たちは知らない。

少し離れたところで敵艦隊が2つ全滅していたことに。

そこはまるで嵐が通ったかのようにハチャメチャになっており、すべての深海棲艦は穴が穿たれ、爆散してバラバラになったりとひどい惨状だ。

その中で真っ二つになって絶命した軽巡ハ級がプカプカと哀れに浮かんでいた。




さりげなく北上さまの昔話を公開。
まだ終わらないウェーク攻略戦ですがさすがに佳境です。

活動報告の方でちょっとしたアンケート的なものを取ろうと思ってます。軽い気持ちで参加していただければありがたいです。


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戦線上のアリア


模試が早く終わってくれたおかげで書く時間が生まれるというね。執筆が癒しになってる今日この頃です。

現在イベントにかける時間がなくて未だにE-1で足踏みしてます。1週間切ったら丙まで難易度下げよっかな……
みなさんは進捗具合はどうですか?

それでは参りましょう。


 

北上ちゃんはボロボロになりながらも勝ってくれたみたいです。でもあの損傷具合だと援護してくれるのは望めないでしょう。

加賀さんの方も良くないですね。互角に渡り合ってはいますが、加賀さんは直掩をつけてません。瑞鶴ちゃんの発着艦をやってるのもあるんでしょうけどだいぶ余裕がないんですね。

 

「シズメ!!」

 

「〜〜〜〜!」

 

「くっ!」

 

榛名がゆっくりと追い詰められていく。濃厚な戦闘のせいで疲労が溜まり、結果的に動きが鈍り、いつもなら躱せるはずなのに当たってしまう。

 

さすが姫の名を冠するだけあって強いですね……。

装備は……主砲は残り一門、副砲一門以外は機銃を含めて全部持ってかれてます。

 

「フッ!」

 

「きゃあっ!」

 

体中が痛い。艤装からは火花が散り黒煙を噴き出す。これ以上動くのもキツいくらいだ。海面にぺたりと座り込んでしまう。

濡羽色の髪が血で頬に張り付く。姉妹お揃いの巫女服は至る所が焦げ、あるいは紅い染みが出来ている。

 

「ミナゾコニ……カエルガイイワァ……」

 

泊地棲姫とル級が主砲の狙いを榛名につける。ニヤリと嗤ったような気がした。

ドォンと砲撃音が響き、砲弾が榛名に向かって飛来し、爆発した。

 

「はぁ、はぁ、はぁ………」

 

だが榛名は無事だった。いや、厳密に無事とは言えないかもしれないが。残っていた副砲はなくなってしまった。

 

「ナゼ……マサカ、副砲ヲ盾ニシタノカ!」

 

艤装を盾にして榛名は直撃を避けたのだ。

でもこの手はもう使えない。次はもう防ぎきれない。

 

「アナタノ頑張リハ無駄ダッタヨウネェ」

 

「いえ………そうでも……ありま、せんよ………」

 

もう榛名にはほとんど何も残っていません。唯一あるのは主砲一門だけ。でもこれだけでは直撃でもさせられない限り、せいぜい小さな傷をつけるのが限界でしょう。

でも、大丈夫です。

 

「やりましたよ………」

 

「ナニガ?」

 

泊地棲姫がせせら嗤う。

榛名は一度息を整えてある人物に向けて告げた。

 

「15分、稼ぎきりましたよ……」

 

『よくやった』

 

「あとは任せなさい」

 

えっ。中佐の後に聞こえた今の声は!でも彼女は!なんで!

 

霞むようなスピードで榛名の真横を何かが通り過ぎる。砲撃体勢に入っていた泊地棲姫の胴体を蹴り、体勢を崩させる。そして泊地棲姫の体を蹴った勢いをそのままに、スピードを緩めることなくル級に向かう。

 

驚いたのはル級、近づく何かに向かって構えていた主砲の照準を変えて撃つが、易々とそれは躱し、ル級の主砲を掴むと懸垂の容量で飛び上がる。それと同時に顔の前で爆雷を爆発させてル級の視界を塞ぎ、頭を飛び越えて背後に回ると右手に持った刀で逆袈裟に斬りつける。

振り向いて主砲を構えるル級にもう一閃して左の艤装を全て斬り飛ばした。

 

「〜〜!」

 

斬り飛ばされたことに怒ったのか何か理解不明なことを喚きながら右の艤装に残っている砲を全て向けると撃つが今度はそれはル級の股を抜ける。置き土産に魚雷を残して。

 

「沈みなさい!」

 

爆発。海面に浮いた重油が燃え、辺りを赤々と照らし出し、榛名の頬をチリチリと焦がす。

炎の中から出てきたル級エリートは下半身が無くなり、眼の光は消えていた。そのままズブズブと海へ沈んでいく。

 

たった今、ル級を沈めたその人は刀身についた青白くぬめりのある液体をふり払うように刀を横に振りぬく。

 

「叢雲ちゃん……ですか?」

 

彼女は沈んでしまったはず。でもあの動き。かなり伸びたがあの特徴的な青みがかった銀髪。彼女しか使わないあの仕込み刀。艤装は前着けていたものと全く違う形になっているが間違いない。

 

「ええ、そうよ。待たせたわね」

 

振りぬいた刀の峰を肩に担いで振り返るとあの燃えるようなオレンジ色の瞳が榛名を見つめた。

 

「ただいま」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よかった、間に合った。

榛名の傷は深いけどすぐに命に別状が出るほどのものじゃない。

 

「北上、榛名に肩貸してあげて」

 

「んー、わかった」

 

「待ってください!加賀さんがまだ……」

 

「そっちは大丈夫よ。あいつが艦載機操ってフォローに入ってるし、ここに来る途中にいた深海棲艦を駆け抜けざまに撃ったり斬ったりしてきたから。もうじき陸奥たちが残りを殲滅するはず。そしたらこっちに来るみたいだからあのヲ級が沈むのは時間の問題ね」

 

つまり残っているのは泊地棲姫だけ。それもここで決着をつける。

 

「というか叢雲ちゃん、その艤装は!」

 

「ああ、これ?あいつの秘策ってとこね」

 

「中佐の?」

 

 

 

 

 

遡ること15分前。

 

”さらしな”の格納庫に連れてこられた私は訳がわからなかった。

 

「こんなとこに連れてきてなにをさせるのよ!」

 

「いいから見てろ。っと、こいつだ」

 

峻は格納庫の隅に置いてあった身長くらいある箱にかかっている布をばさりとどかすと、箱の上部のパネルに手を当てる。

 

「我、求め訴えたり」

 

《掌紋認証完了。パスコード認証完了。声帯認証完了。該当人物、帆波峻技術士官と断定。ロックを解除します。》

 

プシューッという炭酸ジュースを開けたときのような音を出しながらゴツい金属の箱が開いていく。

その中には一組の艤装があった。

 

「これは……?」

 

「叢雲、現在使われてる艤装は一般的に第何世代型のものだ?」

 

「今は……第2世代型と第3世代型が入り混じってるわ」

 

深海棲艦が現れた初期に使われた第零世代型と呼ばれたプロトタイプから中期に使われた第1世代型、そして現在は第3世代型が少しずつ世界各地に広がっていっている。

 

「こいつはな、岩崎重工の試作品の第4世代型だ。そこに俺がいろいろ加えて改造してある。お前が使うならばこいつのパフォーマンスは実質的には第5世代型クラスを叩き出す計算だ」

 

「嘘………」

 

「嘘なもんか。何のために岩崎満弥のおっさんに頭下げて試作品を譲ってもらったと思ってるんだ」

 

ま、稼働データを提供するっていう条件付きなんだけどな。とあいつは言った。

これで私も出られる……?

 

「でも……大丈夫なの?」

 

「本当は出したくない。この前お前は勝手に出撃してあのザマだからな。だが仕方ない。こういう状況だ」

 

「それだけじゃないわよ。私は艤装がうまく扱えなくなっちゃったのよ!いくら新しいのに変えたってまた繰り返すだけよ!」

 

まったく艤装が思い通りに動いてくれなかったあの時を思い出す。

あれじゃ、また出たって同じことの繰り返しよ。それなら出たって足手まといになる。

 

「あれな、原因を探ったんだ。あれはお前のせいじゃない」

 

「……どういうこと?」

 

「あのとき3ヶ月くらい演習漬け生活してたろ?あれのせいでお前の能力が上がって艤装のスペックがお前に追いつかなくなったんだ」

 

「なんで私だけ?」

 

「お前の上がり方が他の奴らより大きかっただけだ。とにかく、どうする?出るか出ないか。俺は腹括ったぞ」

 

そう。それならもう答えは決まってる。

 

「出るわ」

 

決意のこもった眼差しで見つめる。こくりと峻が頷いた。

 

「そうか。なら今すぐ艤装を装着しろ。システムはすべて流し込んであるしデバックは済んでるが装着者との微調整が必要だ」

 

「どれくらいかかる?」

 

「10分だな」

 

「5分で仕上げなさい」

 

「………7分。これ以上は譲れん」

 

「わかった。お願いするわ」

 

叢雲が箱から艤装を引っ張り出して装着する。

峻は格納庫にあるパソコンから伸びるケーブルを艤装の保護カバーを外して差し込み、左手で前髪を掻き上げるとキーボードに指を目にも留まらぬ速さで走らせる。

タブレット端末にホロキーボードに音声認識出力装置、果ては脳波入力ユニットを同時に峻が操り、システムの調整をしていく。

通常ではこの調整、プロが5人集まって一時間で片付けば早い方だ。だがそれを峻はたった1人でこなしていく。

 

 

「上がりだ」

 

そしてキッチリ7分で仕上げた。やればできるじゃない。

 

「そこ降りてくとカタパルトがある。そこから出撃できるからな」

 

「そう。わかった、ありがと」

 

素っ気なく言うとカツカツと階段を降りていく。

 

「絶対に帰ってこいよ…」

 

階段の上からそんな呟きが聞こえた気がした。ええ、わかってる。私はここにちゃんと帰ってくる。

決意を胸に目の前にあるカタパルトに足を置いた。

 

「駆逐艦叢雲、出撃するわ!」

 

 

 

 

 

そうして出撃して今に至る。

にしてもこれすごいわね。思い通りにスイスイ動く。前に感じたラグのようなものが一切感じないし、動きも滑らか。少し反応が良すぎてピーキーだけどこれは馴れの問題ね。久しぶりに艤装つけたからかしら。

 

「榛名、北上、下がってて」

 

肩に担いでいた刀を降ろして右手で正中線に構えて泊地棲姫を睨む。

 

「こいつは私がやる」

 

『俺たちで、の間違いだろ』

 

細かいことでグチグチ言うんじゃないわよ。それくらいわかってるっての。

艤装を完全共有モードに移行。コントロール権を私とあいつに。

 

これでこの艤装は私とあいつ2人同時に操れる。近接戦闘は任せなさい。その代わり砲撃は任せるわよ。

 

「シズメテアゲルワ!」

 

『ところがどっこい!』

 

「沈むのはあんたよ!」

 

いきなり撃たれた砲弾を軽々と躱す。

体が軽い。今ならなんだって出来そうな気がする。

 

「コノ!チョコマカト!」

 

「ふっ!」

 

左右のステップで砲撃を避け、接近しようとすると、機銃の掃射でそれを防ごうとするがそれすらも潜り抜けて近づき、刀を一閃し振り抜く。だが咄嗟にバックで泊地棲姫が逃げたので副砲一門を斬りとばすだけで終わる。

 

『おっと、そう易々と逃げられると思うなよ』

 

あいつが主砲を撃って命中させる。さすがに姫級の装甲を抜くことは難しいけど、一瞬の隙さえ出来れば構わない。

もう一度踏み込んで今度は主砲らしきものを斬った。これであれは使えない。

 

『叢雲、油断するなよ。あの一番デカイ主砲はまだ生きてる』

 

「わかってるわ、よっ!」

 

その一番デカイ主砲が火を噴くが危うげな感じはなく躱した。

危ないわね!あんなん当たったらどうなるかわかったもんじゃないじゃない!

 

『あれ邪魔だな』

 

「そうね。ちょっと退場を願いましょうか」

 

『そうだな。煙幕弾装填!仰角調整、マイナス0,359、てぇ!』

 

煙幕ってことはそういうことね。機関を回し速度を上げる。

 

「ムグ!ゴホゴホッ!コレハ……」

 

「煙幕よ。こういう大したものじゃないのが使い方によっては映えるの。覚えときなさい」

 

「ワタシノ肩ニダト?イツノマニ!」

 

泊地棲姫の右肩に叢雲は刀を担ぎながらバランスよく立っていた。

煙幕が出ると同時に速力全開で近づき、泊地棲姫の艤装の所々を掴み、足を掛けて体重を感じさせないくらいふわりと登っていた。

 

「煙幕に紛れてよ。そんだけ長い主砲持ってるから足がかりは十分あったしね」

 

「離レロ!」

 

ぶんぶんと暴れて振り払おうとする。

言われなくとも離れてあげるわよ。その代わりと言っちゃなんだけど。

 

「その大きな主砲。もらうわよ」

 

タンッと飛び上がりその右肩についた主砲に刀を当てて裂く。

切り傷を作ったらあとは当てていくだけ。

そうすれば勝手に自重で斬れる!

 

ザン!と泊地棲姫の右腕ごと主砲が斬られ、青白色の液体が噴き出す。

 

「ガァァァァァア!」

 

放たれた砲撃をひょいっとステップで躱すと、あいつが機銃を掃射して牽制する。

もう前の私とは違う。もうやられたりなんかしない。私には今、力がある!

 

「やあぁぁぁぁ!」

 

主砲を撃ちまくる。泊地棲姫は左旋回しながら躱し、残っている砲を私に向けて撃ってくるが当たってあげるわけにはいかない。左旋回して避ける。

 

「シズメ……シズメ……シズメ!」

 

「そっちが!」

 

互いが一気に接近してギィン!と刀と主砲を打ちつけ合う。

さっき斬った巨大な主砲の砲塔を泊地棲姫は振るい、叢雲は死にかけても守った愛刀、断雨(たちさめ)を振るった。

一方が斜めから振り下ろし、もう一方がそれを受け流す。かと思えば受け流した勢いをそのままに回転して斬りつけ、それをバックステップで避けてから鋭い突きを繰り出す。

その間にもほぼゼロ距離にも関わらず砲撃は続く。叢雲は持ち前の速度と反射で躱し、峻は泊地棲姫の砲弾の来るタイミングを先読みして、砲弾に砲弾をぶつける。泊地棲姫は戦艦クラスの装甲を持って正面から砲撃を防ぐ。

左下から右上に斬りあげ、そしてそのまま上から下へと刀を振り下ろすが、それを泊地棲姫は受け止めた。

鍔迫り合いの状態からお互いが力を同時に入れて飛び退る。

 

ただ二者が向かい合い、じっと睨み合う。求めるのは一瞬の隙。

気づくと周りにはみんなが集まり、勝負の行方を固唾を呑んで見守る。

下手に手を出すと叢雲を傷つけてしまう可能性があるというのもあるが、そもそも全員弾薬もほとんど残っていないため援護すら出来ないというのもある。

 

 

沈黙の中、泊地棲姫がゆっくりと口を開いた。

 

「ホナミ、トカ言ッタワネ?アナタハナゼ戦ウノカシラ?」

 

『つまんねぇから』

 

「……ドウイウコトカシラ?」

 

『叢雲からのヘルプサインをほっとけば俺のあずかり知らんとこであいつが勝手に死ぬ?つまんねぇな。誰かに犠牲を強いて得た勝利?最っ高につまんねぇ。俺は誰も死なせたくないんだ』

 

「誰モ死ナセタクナイ……ソンナノタダノ綺麗事ヨ」

 

『知ってるよ。知ってんだよ、んなことぐらい。自分が吐いてることが綺麗事だってことぐらいな。だからと言って諦めるのか?俺はやだね。全てを守るのは無理でも手の届く範囲にいる仲間なら守れる。そのためなら姑息で卑怯な手を使ってでも勝つ。誰も死なせねえためならなんだってしてやる』

 

「ソコノ駆逐艦、アナタハ?」

 

「私はもっと単純よ。死にたくないし死なせたくない。ただそれだけ」

 

つまらないから、とはあんたらしいわね。難しい理屈を出す前に感情論を持ってくる癖は抜けてない。

 

「ソウ……強イワケネ。デモ私モ負ケラレナイノヨ!」

 

二者の間の空気がピリッと張り詰めた。

誰が言い出したわけでもないが全員が確信した。次で決まる、と。

ゆっくりと二者が旋回しぐるぐると泊地棲姫と叢雲の真ん中を中心として航跡が円を描く。

重油の燃える匂いがツンと鼻を突き、火の粉が皮膚を焦がす。

何かに引火したのか、突如海上で爆発音が響く。

そしてそれが引き金になった。

 

速力を全開にして一気に間を詰める。思考が加速して、時間がゆっくりと流れるように感じる。

泊地棲姫が砲塔の鋭く尖った先で突きを繰り出してくる。

本当はすごく速い突きのはずが酷くスローに感じるためか反応は簡単だった。

刀の腹で砲塔の横を撫でるように擦りあげて突きの軌道を逸らしていく。

泊地棲姫の顔が驚愕に歪んだ。

 

私は死ねない。

目の前が閃光に染まったあの時に思った。まだ死にたくないって。

ウェーク島で目が覚めてから誓った。

必ず館山(あそこ)に帰ってみせるって。

だから私はあなたを斬る。あなたを沈める。

 

振り上げられた刃は泊地棲姫の右肩から左の腰あたりまでを深く斬り裂いた。

そのまま叢雲は減速し、泊地棲姫と背中越しに話した。

 

「アラ……私ノ負ケ………カシラァ?」

 

「ええ、あなたは負けたのよ」

 

「ソウ……。ネェ駆逐艦、名前ハ?」

 

「特型駆逐艦吹雪型の叢雲よ」

 

「フゥン………ムラクモ、ネ。覚エテオクワ」

 

「あなたこそ、名前は?」

 

「名前ハナイ。ムラクモ達ノ呼ビ方デイイワ」

 

「そう。なら泊地棲姫、でいいのかしら」

 

「エエ、センスハ無イケド悪クナイ。誇リナサイ。コノ泊地棲姫ヲ倒シタコトヲ」

 

バチッと火花が散る音が聞こえ、泊地棲姫の艤装が燃え上がり爆発した。

爆炎が消えた後、そこにはもう何も残っていなかった。

 

 

「終わった……のかな?」

 

鈴谷がポツリと呟いた。

 

「反応消失よ」

 

加賀が疲れた声で報告した。

 

『全員、”さらしな”に帰投しろ!俺たちの勝利だ!』

 

わあっと歓声が上がった。

あの不落の泊地をたった2艦隊で落としてしまったのだ。

早く帰って寝たいとかご飯食べたいとかゆっくり休みたいなどと思い思いに騒ぎ始める。

 

「っ!提督!接近する反応あり。深海棲艦です!」

 

榛名が叫ぶとさっきまでの空気が嘘のように消えた。

疲労は限界だ。これで更に新しい艦隊を相手取るのはもう……

 

「あんた!引くわよ!」

 

『いや、大丈夫。間に合った』

 

いきなり敵艦隊の反応が消失した。

そして新たな反応が電探に現れた。

 

『おい、シュン!生きてるかー?』

 

『よお、マサキ!ウェーク島一丁上がりだ』

 

『嘘だろ、オイ!』

 

あれは……横須賀鎮守府の東雲中将の直属、東雲隊じゃない!

もしかして打っておいた最後の手って横須賀鎮守府の援軍なの⁉︎

 

『お前ら帰投しな。やってきた深海棲艦共はマサキに任せて、な』

 

『シュンてめぇ!仮にも中将をアゴで使いやがって!』

 

まあまあ落ち着いてください、と諌める声が聞こえた。この声は中将の秘書艦の翔鶴ね。

 

「翔鶴姉!来てくれたの?」

 

「ええ、瑞鶴。あとは私たちに任せて!」

 

『そういうこと。じゃ、帰るぞ』

 

凱旋だ。そう言ったあいつは通信機越しで笑っていた。

 

 

 

深海棲艦との戦争が始まり早10年。

人類は初めて深海棲艦から土地を奪い返すことに成功したのだった。

後の世においてウェークの奇跡と呼ばれた戦いはこうして幕を閉じた。





ウェーク攻略戦、ようやく完結です。
綺麗に終われたのか気持ち悪いのかなんとも言えない形ですが作者的には満足です。新章突入はもう少し先ですがこの章での戦闘描写はこれで終いです。

今回は戦う理由が裏テーマだったりします。
なぜ彼女たちは、彼は戦うのか。その一端が垣間見れればと思います。

感想、評価をいただけると嬉しいです。作者の執筆意欲の向上にも繋がるのでお気軽にお願いします。

それでは。


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謀ったな、お前ら⁉︎謀ったな⁉︎


久しぶりのネタタイトル。某ロボットアニメのガ○ダムのあの方のセリフのパクりとも言う。
イベントようやくE-1だけは甲でいけたけど次大丈夫な気がしないです。航巡が育ってないという初心者っぷり。
とにかく本編参ります。



 

基地に戻ってからが大変だった。

私は深海棲艦に何かされてないか調べるために細かい身体検査を受けることになり、ほぼ半日以上を精密検査に費やすことになってしまった。

部隊のみんなはみんなで怪我の治療で入渠風呂に浸かり続けたようだ。

風呂の中で寝ていた娘も結構いたとか。

あいつはあいつで疲労と緊張の糸が切れたのか作戦終了と同時にぶっ倒れて寝てしまっていたらしい。

艤装の整備やらで明石は工廠に篭りきりになっていたようだ。

”さらしな”は壊れたわけではないが直す必要ありとのことで造船所のドッグに入れられて現在修復中と聞いた。しばらく沖山少佐たちは館山に残るらしい。

 

そして1日経って今現在。

私こと叢雲とあいつこと帆波峻は埠頭のコンクリートで正座させられており、周りをみんなに囲まれて、事の顛末を説明させられていた。

 

「……つまり、提督は固定砲台を破壊するために泳いでウェーク島にその身一つで侵入して爆弾を仕掛けて爆破。その後いつ襲われるかわからない海上をパワーボートなどという貧相な舟で渡り、挙句に援軍を頼んでいたのを私たちに秘匿していた、と」

 

「は、はい。そういう感じです、はい」

 

なぜ正座させられているのか。全員が怒髪天を衝くほどのお怒りモードだからだ。冷たくて硬いコンクリートに正座しているからすごく足が痺れる。

 

今問い詰めてきた加賀も丁寧な話し方ではあるがそれが逆に威圧感を与えてくる。

 

「提督の言っていた固定砲台破壊のための秘策とは愚かにもハンドガン一丁という武装とも言えないような武装で単身乗り込むことだったと?」

 

「いや、爆弾も持って……いえ、なんでもないです」

 

ギロリと加賀に睨まれあいつが語尾を濁した。

 

「で、叢雲ちゃん?あなたは命令無視で出撃した末に艤装を破壊されて鹵獲。深海棲艦に連れ去られて仕方なく指揮を執り、ヘルプサインを送り助け出してもらったにも関わらず、その後もまた懲りずに出撃して姫級と交戦したということですね?」

 

「いや、あれは仕方なく────」

「ですね?」

 

「……はい」

 

榛名が怖い。というか全員の後ろに死神が鎌持って立ってる幻覚すら見えそう。

ちなみに横須賀の援軍は来るように仕組んだというよりは来るしかない状況をあいつが作ったのが原因らしい。

タイミングを計って、出撃申請書を提出してジャストで出撃すると同時に東雲中将が気づくようにしたらしい。

出撃した後だから止められず、かといって全滅するかもと思った中将が急いで援軍を出すと読んだがうまくいったと笑っていた。

 

「叢雲ちゃん、旅立ってないで話をちゃんと聞きましょうか?」

 

「痛い痛い痛い!」

 

こめかみをぐりぐりと榛名に押された。結構痛いのよこれ。

 

「提督、言い訳はありますか?」

 

「結果オーライじゃね?……って痛ってぇ!」

 

瑞鶴がスパーンと綺麗にあいつの頭を叩いた。

 

「提督さんといい、その秘書艦といいもう少しまともになってほしいよ……」

 

「「こいつと一緒にするな(しないで)」」

 

「どっちもどっちだと思うわ……」

 

ハモった2人を見て陸奥が頭を抱えるように言った。

 

「お前らばっか危険な戦場に立たせて俺はのうのうと後方で指揮だけ執ってるってのもなんだか無力感とか申し訳なさがあってな………ま、全員無事だし叢雲も帰ってきたからよくね?」

 

「はぁ……よくそんなこと言えますね。叢雲が沈んだと思ってどうなったか自分でもご存知でしょう?」

 

「ちょっと待て!ここでそれ言う気か⁉︎やめろ!」

 

加賀の一言に峻が途端に焦り始めた。

峻はわかっていた。加賀は確かに今現在は無表情と言ってもいいくらいのっぺりとした顔だ。だがその内心では峻が好き勝手したやり返しを図っているのだと。

 

「執務室に篭りきりになって───」

「あーあーあーあーあー!」

 

「提督さんうるさいからちょっと黙ろっか」

 

「んーんー!」

 

加賀の言葉を遮るようにいきなりあいつが叫び始め、瑞鶴が素早く口に猿ぐつわを嵌めて無理やり黙らせた。そのために、意味のわからないうめき声のようなものをあげている。

 

「叢雲ちゃん、とにかくもう二度とこういうことはなしにしてくださいね。中佐は気が狂いかけるし、ワーカーホリックになるし、倒れるしで大変だったんですから」

 

あ、それであんなに抵抗してたのね。

横目で見るとぐったりと俯いている。猿ぐつわは嵌められたままだから何かモゴモゴ言っているけど聞き取れないわね。

それと同時に申し訳なさも感じる。そこまであの行動がこいつを追い詰めてしまっていたんだ。

 

「わかった。次はもうしない。約束するわ」

 

「いいですか、絶対ですよ?」

 

「ええ、絶対に」

 

榛名の念押しにしっかりと応える。

そんなにまずい状況になってたなんて知らなかった。気をつけなくちゃいけないわね。それに正直もうあんな目は二度とごめんよ。

ぷはぁ、という音が聞こえたからおそらくあいつの猿ぐつわは外してもらえたのだと思う。

 

「ともかく叢雲が帰ってきたのは良かったわ。みんな心配してたってのはホントよ?これでこの部隊にもきっといい風吹くわよ」

 

「そうだねー。めでたいねー。」

 

「胴上げしようよ!胴上げ!」

 

「待て、鈴谷!危な……うわっ!やめろって!」

 

「えっ!ちょっと私まで!」

 

わーっしょいわーっしょいとなすがままに胴上げされる。

え、なんでいきなり?そういう空気だったっけ?

 

〔ねぇ、これどういうこと?〕

 

〔俺に聞くな!知るかよ!〕

 

アイコンタクトで聞いてみるが知らないみたいだ。

その間にも不気味な胴上げは続く。

 

「「「わーっしょいわーっ、そいやぁ!」」」

 

ふわっと浮き上がるような感覚と共に受け止められる手がなくなった。

そしてようやく理解した。事前に打ち合わせ済みだったのだと。

 

あ、落ちる。

どこへって?海によ。

 

ドッポーンと水柱が2つ立った。

 

「ぷはぁ!ちょっと!何すんのよ!」

 

埠頭を見上げるが蜘蛛の子を散らすように全員が逃げていた。

 

「あいつらやりやがったな……」

 

ちゃぷんとあいつが隣に顔を出して海水を吐き出した。

すぐに上がりたいところだけど高さがある埠頭の端には手が届きそうにないから上がれるとこまで泳いでがなくちゃいけないわね。

 

ちゃぷちゃぷと水を掻いて泳ぐ。

そういえば言っとかなくちゃいけないことがある。

 

「あ……」

 

「ん?どした?」

 

早く言え。回れ私の舌。

 

「あ、ありが…とう……」

 

叢雲が耳まで真っ赤にして俯きがちにプルプルと震えながら言った。

 

「どういたしましてっと」

 

峻がジャバッと海から上がると振り返り手を差し出す。

 

「ほら、いくぞ」

 

「……っ!ええ!」

 

パシッと勢いよく手を取り海から上がった。2人ともぐしょ濡れで服からは水滴がポタポタと滴り落ちる。体温が下がっているのかブルリと震えた。

 

お風呂入りたいわね。さすがに少し冷えたわ。

 

「叢雲、風呂はいって制服に着替えてこい。2時間後に正門集合な」

 

「いいけど……何かあるの?」

 

「めんどくさい表彰パーティーが今夜あるんだってよ。正門に車で迎えが来るから秘書艦同伴で来いとさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

埼玉県南中部、日本海軍本部式典場。

海外からの来賓の歓迎や記念式典などが開かれる会場だが今回は表彰式をするらしい。

一応単独でウェーク島泊地の深海棲艦を殲滅したからってことなんだろうがぶっちゃけめんどくさい。

肩から伸びる飾り紐やらなんやらが邪魔でしょうがないのだ。

だがそれだけじゃない。今回の作戦を深く追求されると非常に困るのだ。

マサキに頼んで一部の戦闘記録は改竄して提出してあるがバレると面倒なことが多いのだ。

まずは出撃申請書。

止められないように届くタイミングを見計らって送ったのだが日付を少し弄っている。つまりちょっとした書類偽装をしているのだ。これはバレるとまずい。

そして俺が泳いでウェーク島に浸入したこと。これは独断先行もいいところだ。

こんなん知られたら確実に叱責どころしゃない。よくて左遷、下手すりゃ軍法会議所に送られてそのまま首チョンパ。

叢雲の消失(ロスト)に関してもかなり無理やりな理屈で取り消しにしたりと、まあ色々とやっているのだ。

 

つまり式典場は赤い絨毯や煌びやかな照明器具に飾られ、俺はさっきから方々のお偉いさんからの妙に上から目線な賞賛に対して無理やり笑顔を作って応答したりしている中で内心冷や汗ダラダラなのだ。

それにしても上のお偉いさんってのはなんでこうああも面倒なことができるのかね。飾り立てた言葉の裏には調子に乗るなとか私の派閥に来いだとか。俺は派閥とかめんどくさいから属さないっての。

 

「おい、シュン。少しは喜べよ。多分勲章とかの授与もあるぜ?」

 

「目立ちたくないんだけどな……。マサキ、翔鶴と叢雲はどこ行ったか知ってんのか?」

 

ここに来ると入り口でマサキと会ったのだがその時に叢雲は翔鶴に引きずられてどこかに連れて行かれた。なんだか翔鶴が喜色満面だったからあえて突っ込まない方がいいだろうと思ってスルーしたがそのせいで叢雲には恨みがましい目でみられた。

 

「ん?もうじき来ると……そら、来たぞ」

 

「ん……んん⁉︎」

 

クイッとマサキが顎をしゃくって示した方を見て驚愕した。

 

翔鶴のふわっとした薄桃色のドレスも驚いた。いつもつけている鉢巻きは無く、花模様のあしらわれた髪留めをつけて上品に歩いている。

 

だがそれより俺はその隣をヒールに慣れていないのだろうか、たどたどしく歩く少女に目を奪われた。

しつこくない紫色のドレスがヒラヒラとはためく。布が脇の下までしか無く、鎖骨まで見え、背中は大きく開いているのが艶かしくも可憐だ。

普段は赤い紐を使って前で結んでいる髪は編み込まれ、心なしかいつもよりツヤツヤと滑らかに見える。

顔に薄く化粧を施してあり、元々から整った顔立ちが綺麗に見えるが顔が真っ赤なのは隠し切れていない。

 

この人誰⁉︎いや、わかるよ!叢雲だろ!叢雲なんだけどさ、この人誰⁉︎

 

「……さいよ」

 

「へ?なんて?」

 

俯いてモゴモゴと言われても聞こえない。顔上げてくれ。

 

「……笑いなさいよ」

 

「?……何を?」

 

「笑いなさいよ!この格好!変でしょ!私がこんなヒラヒラしたの着て髪型変えたりして!」

 

「いや……よく似合ってると思うぞ?綺麗だし」

 

「っーーーー!」

 

「ほら、言ったじゃない。中佐なら褒めてくれるって」

 

口に手を当てて翔鶴が微笑む。このコーデは翔鶴の仕業か。連行されてから叢雲は着せ替え人形のように翔鶴に遊ばれたのだろう。

 

「翔鶴も見目麗しいねぇ」

 

おいマサキ。鼻の下伸ばしてんじゃねえよ。

 

「おーい、ナンパ中将に変態作戦中佐も元気かい?」

 

この声は……

 

「若狭!てめぇ、人を変態作戦とは言ってくれるじゃねえか。襲撃するぞ!」

 

「なにがナンパ中将だ!左遷させるぞゴラァ!」

 

「へぇ、そんなことしたら2人で共謀して書類偽装とか戦闘記録偽装したのバラそっかなー」

 

「「だが今はその機じゃないな。また今度にしとくか」」

 

(バカ)2人が声を揃えた。それを見た若狭とその隣にいた長月がため息をつく。

 

「大丈夫。あれらはうまく偽装されてたよ。プロの中でも超一流が真剣に見ない限り気づくことはないって」

 

声を潜めながら若狭が言った。

ならよかったよ。

すくなくとも俺たちの中でその手の事を専門に動いてる奴が言うならそうそう気づかれはしないだろ。

 

「お前も呼ばれてたのか」

 

「一応これでも本部勤めだよ?まあ階級は2人より低い少佐だけどさ。敬語とか使わなきゃダメかい?」

 

「からかんなよ。公の場でもない限りそんな縛り入れるタイプに俺が見えるか?」

 

「俺は中佐だが中将のお前にタメだもんな」

 

「お前はもう少し敬意とかをだな……」

 

ニヤッと笑う若狭をマサキが軽くあしらい、ふざけた俺を呆れたようにマサキが突っ込んだ。

一方で叢雲たちは各々でガールズトークに花を咲かせている。こっちに気を使ってくれたようだ。

まあ野郎同士の会話に入っても大して面白くはないだろうしな。

 

『それでは帆波中佐、壇上へどうぞ』

 

「ほら行ってきなよ」

 

「さっさと行ってこい」

 

だー、めんどくせぇ!今回の立食パーティーみたいな形式のせいで気づかなかったがいつの間にか式が進行してるじゃねぇか。

そもそも別に表彰して欲しくてウェークを落としたわけじゃないんだがなぁ。

 

仕方なく壇上に上がるといたるところから視線が向けられた。そして俺の後に舞台に上がった老人にさっきの何倍もの視線が向き、全員が一斉に敬礼をした。さすがにこれをスルーするのはまずすぎるので俺も敬礼をしておいた。

まあ表彰って聞いた時点で出てくる気はしていた。

海軍元帥、陸山(くがやま)賢人(けんと)。事実上でも立場上でも日本海軍のトップだ。それなりの年齢のはずだが、背筋はピシッと伸びて歩き方もしっかりとしている。

 

「帆波中佐、今回の活躍については聞かせて貰ったよ。大変な戦果だ。初めて人類が深海棲艦から土地を取り戻したのだからね」

 

「はっ!恐縮です!」

 

元帥の落ち着き払った声がマイクにより拡声され会場に響いた。

 

「ついてはウェーク島の奪還と姫級の撃破を讃えて貴官には戦果勲章二等を贈り、それと共に階級を1つあげ、大佐とする。今後ともに面目躍如たる活躍ぶりを期待する。受け取りたまえ」

 

「はっ!国民を守るために粉骨砕身させていただきます!」

 

左の胸元に金色の桜の意匠をあしらった勲章が元帥自らの手で付けられ、割れんばかりの拍手が耳朶を打った。

 

あいつらは気づいただろうか?

さりげなく付け加えた俺の爆弾に。

あくまで国民のためであって日本海軍のためではない、という俺の意思表示に。

 

カツンカツンと壇上から足音を鳴らして降りるとふらふらと叢雲が駆け寄ってきた。

ヒール慣れてないなら無理しなくていいのに……。

 

「ちょっとあんた!あんなこと言って大丈夫なの⁉︎」

 

「大丈夫。むしろこれで俺たちに軍内部の人間が下手に手を出せば自分たちは国民の安全なんてどうでもいいですって公言してるのと同じだ。すくなくとも矢田みたいに露骨に排除しようとすることは躊躇うはずだ」

 

「へぇ……ちょっとは考えてるのね」

 

「まあな」

 

ふふん、と得意げに鼻を鳴らす。お前らは前線で戦うんだ。それを不安なく戦わせられるように場を整えるのが俺の仕事だ。そのためなら矢面に立つことぐらいはどうってことない。

 

「で、さっきからなんで目を逸らしてるのよ?」

 

「………………気のせいだ」

 

「ダウト」

 

「気のせいだってーの!」

 

あのな!直視できるか!シミ一つない白い肌とかが目の毒なんだよ!

 

『おっと、大佐がパートナーを発見したようです!それでは会場の中央へどうぞ!』

 

「え!すみません、なんのことです?」

 

なんで会場中央に行かなきゃいけないんだよ。さっさと脇に退散しようかと思ってたのに。

 

『あれ?伝達ミスでしょうか?本日はダンスパーティーなので、主役の大佐には中央で初めに踊ってもらう、ということになっており、了承も得たとのことなんですが……』

 

は?どういうことだ?踊れなんて話は聞いてない。それなのに了承なんざ出せるわけが……

 

ちらっとマサキの方を見て確信した。

マサキは腹を捩るように笑い、声を出すのを抑えるのに必死の顔だ。

くそっ!()められた!

 

『とにかく、中央へどうぞ!』

 

「ちょっとあんたどうすんのよ!」

 

「知るか!そもそもこんなこと想定外だっての!」

 

『さあ、どうぞ!』

 

スピーカーからの声に押されて仕方なく中央に押し出される。

どうすんだよこれ。ダンスなんてやり方知らねぇぞ?

 

「おい、叢雲。ダンスの仕方って知ってるか?」

 

「知らないわよ。あんたこそ知らないの?」

 

「知ってたら聞くかよ」

 

こそこそと話している間に楽曲団が演奏を初めてしまい、辺りに華麗な旋律が流れ始め、焦りを一層加速させる。

 

「と、取り敢えず形だけでも取り繕うぞ!」

 

「どうすりゃいいのよ!」

 

うろ覚えの知識を引っ掻き出す。えっと何やりゃいいんだっけ?手をとってもう片手を腰に回すんだっけ?あーもう!こうなりゃヤケだ!

 

「叢雲、右手出せ」

 

「え、ちょっとなにして……ひゃっ!」

 

無理やり叢雲の腰に右手を回し、左手で叢雲の手を取った。今まで気づかなかったが薄いレースの手袋をつけていたらしい。手触りがすごく滑らかだ。

 

「なにすんのよ!」

 

「諦めろ!仕方ないんだよ!ほら右足出して。おし、そしたら次は回るぞ」

 

クルリとターン。お互い運動神経は悪くないから転びこそしないが動きはガッチガチだろう。

マサキの奴め。後で覚えときやがれよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はーっはっは!ひーっひっひ!腹痛ぇ!」

 

ゲラゲラと将生が笑う。

あのガチガチの動き!やり返しとしては上等だ!

 

「わざとちゅ……大佐に言いませんでしたね。趣味が悪いですよ、将生さん?」

 

「そう言うなよ、翔鶴。人を騙してアゴで使ったシュンが悪い。真ん中で踊らせるくらいならいいだろ」

 

そもそも館山基地は横須賀鎮守府の支部という扱いだ。ならそこを統括している者がわざと本部からの通知を館山に送ることなく承認してしまえば向こうは知ることなく事を運ぶことができる。

 

別に命取られるわけじゃないし、そこまで真剣に見てる人間もいないから大丈夫だしな。

ま、見ものではある。叢雲ちゃんの顔は真っ赤だし、シュンは余裕のなさにアタフタしっぱなしでそれに気づいちゃいねえ。

ま、これも人に心配かけた罰だと思え。

叢雲が沈んだと聞いた時、ヒヤッとしたんだぜ、俺は。

あの2人はお互いがストッパーの役割を果たしている。つまり一方がいなくなればもう一方は暴走する。

冷静になって考えれば、まともな人間が8時間近く深海棲艦が頭の上を哨戒している海を泳ぐことなんて精神的にも体力的にも不可能だ。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

ありゃストッパーが外れて限界を超えた反動が返ってきたんだ。毎度見てるだけでもハラハラさせられる2人組だよ、まったく。

うし、そろそろ助けてやるか。充分に笑わせてもらったしな。

 

「若狭、お前はどうする?」

 

「僕は引っ込んでるよ。行こうか、長月」

 

「……別に私は若狭と踊るのなら構わないぞ?」

 

「僕が踊れないんだよ。そこに美味しそうな料理があったから少し食べてみたいんだ」

 

「そうか」

 

若狭が長月を伴って人混みに姿を消した。ま、あいつはそういう奴だ。シュンよりも目立つことを嫌うからな。

 

「さて翔鶴、そろそろ助けてやるとしよう」

 

「でもどうするんですか?」

 

未だに一組で踊り続けるシュンと叢雲。この状況を助けてやる方法はただ一つ。

 

「翔鶴」

 

「はい?」

 

すっと片膝をついて左手を差し出して。

 

Shall we dance?(私と踊っていただけますか?)

 

「……キザですよ、将生さん」

 

「シュンの奴のが移ったかな?」

 

ニヤッと笑いながらもそのポーズを維持し続ける。翔鶴がふぅ、と息を吐き、にっこりと笑うと差し出した手を取った。

 

Sure, I'd love to.(はい、よろこんで)

 

翔鶴の手を取ると2人で舞い、中央に飛び込んだ。すぐにあれよあれよと他のペアも乱入して踊り始める。

人間ってのは一度他の人間が始めればそこの輪に自然に入らなきゃいけないような気がする生き物なんだよ。それに曲がりなりにも中将だ。トップクラスが真っ先に行けば下の遠慮も薄れるってもんだ。

 

「おい、マサキ。テメェ覚えてやがれ」

 

「助けてやったんだ。感謝しな」

 

「原因作った奴に言われなくねえわ!」

 

俺がこんなことした原因はお前なんだけどな。にしても踊りながら会話ってなかなか難しいことを。

 

「で、叢雲ちゃんの尻の柔らかさはどうだ?」

 

「よし、お前あとですぐそこの雑木林に来い」

 

「ちょっ……あんた触ってんじゃないでしょうね!」

 

「誤解だ!」

 

うん、この2人はからかうと面白い。顔は赤いままで叢雲にキッと睨まれて慌てて弁解をシュンが始めるのを見て強くそう思う。

 

「将生さん?」

 

すまん、悪かった翔鶴。だから笑顔で人の手を握り潰すのはやめてくれ。何気に痛い。

 

一曲目が終わり、次の演奏まで一旦間が空いた。

 

「翔鶴、どうする?次もいくか?」

 

「誘ったのは将生さんですよ?ご随意に」

 

そうかい。じゃ、二曲目もいこうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一曲目が終わると同時に人混みに紛れて俺たちは全力で逃げた。あんなんもう一回とかやってられるか。

それに待ち合わせもあるからな。

 

「ちょっと……。どこ、まで、行くのよ……」

 

「お、悪い。そろそろだ。ここらで歩いても大丈夫だろ」

 

叢雲がヒール履いてたの忘れてた。そりゃ大変だわな。

 

「会場の外の裏手?どうして?」

 

「待ち人アリってな。ほら、いらっしゃったぞ」

 

「待ち合わせはここで良かったはずだね?」

 

影から姿を現したのは岩崎満弥だった。タキシードに身を包んでいるのは式典に出席していたからだろう。艦娘産業のトップ企業の会長だ。呼ばれていないわけがない。

 

「はい。これがお約束していた稼働データを収めた外部記録媒体です」

 

胸ポケットから媒体を取り出し岩崎に手渡す。これを条件に試作機を借りたのだ。おそらくデータは今後の開発に生かされていくのだろう。

 

「うん、確かに。また面白いデータが取れたらよろしく頼むよ。あと今後もその艤装はそちらで使ってくれて構わない」

 

「ありがとうございます」

 

返せと言われても仕方ないと思っていたからこの許可はありがたい。お言葉に甘えてそのまま叢雲に使わせておこう。

 

「私はもう行くよ。また面白い物を作ったらぜひ連絡をいれてほしい」

 

「ええ、そうしましょう」

 

クルリと背を向けて岩崎が立ち去る。その姿が影の中へた完全に消えていった。

 

「あんたこんなことしてあの艤装を手に入れてたのね……」

 

「ん?まあな。第四世代型の試作機の稼働データと引き換えに貸してもらったんだがそのままくれるとはな。太っ腹なこって。ところで」

 

「……なによ?」

 

違う、叢雲。お前じゃない。俺が気にしたのは別。背後にある気配の方だ。

 

「盗み聞きとは趣味が悪いな、若狭!」

 

「……それが仕事だからさ。まあ勘弁してよ」

 

声を荒げて名前を呼ぶと、柱の影から若狭が悪びれることも無く肩をすくめながら姿を現した。

 

「長月、お前も出てこい。そこの茂みにいるのは気づいてるぞ」

 

「……帆波大佐は鋭いな。私はともかく若狭まで見破るとは。どうして気づいたか後学のために教えてもらえないだろうか?」

 

「悪いな、長月。企業秘密だ」

 

ガサガサと木の葉を揺らしながら長月が茂みを超えて若狭の隣に立つ。あの緑の髪なら確かに茂みにはうまく紛れ込みやすいだろう。

 

「何が目的だ?」

 

「帆波がいきなり会場から姿を消したから気になって跡をつけただけだよ」

 

「嘘だな。そんなことでお前まで出張る必要はない。長月1人送るかそれより下の部下を送るだけで事足りる」

 

会場の至る所にいる警備兵に紛れて防諜課の人間がいるのは気づいていた。そこらへんに適当にあとを追わせればカタはつく。

はあ、と若狭が息をつき、やれやれといった調子で顔を上げた。

 

「”シャーマン”。矢田を裏から操ってた可能性の高い人物だ。まだ身元もわかってないから仮称だけどね」

 

「はーん。なるほどね。その”シャーマン”が俺だと疑って跡をつけたわけだ」

 

「待って!こいつはそんなこと────」

「叢雲」

 

「っ!……わかったわよっ」

 

悪いな。ちっと静かにしといてくれ。

 

「帆波が限りなくシロに近いことはわかってる。でも可能性があるなら疑わなくちゃいけない。だから調べてる。それが少佐としての仕事さ」

 

「俺が矢田を身元を知らせずに動きを誘導していたが、暴走し始めた矢田を見て足がつくのを恐れて自らの手で消した。なるほど無い考えじゃないな」

 

「さすが鋭いね。帆波とは大学からの付き合いだからさ。ありえないとは思ってるんだけど。ま、実際に見つけたのは艤装の稼働データの譲渡だ。これなら何の法にも触れていない。ただのテスターを務めただけだからね」

 

はあ、俺はとため息をついた。

 

「今度さっき渡したやつのバックアップやるよ。それで多少は信憑性が出てくるだろ?」

 

めんどくせぇな。最初っからくれって言えばお前ならやるよ。後ろめたい事情もないしな。

 

「すまない。話が早くて助かるよ。長月、もう大丈夫。いこう」

 

「帆波大佐、失礼する」

 

ぺこりと頭を下げて長月が立ち去る若狭を追いかけて行った。

と思ったら不意に若狭が足を止め、その背中にボスッと長月がぶつかる。その時、”フムグッ!”という潰れた声が聞こえたのはスルーしてあげるべきだろう。

 

「帆波、君たちは今回の件で名前も顔もあらゆる場所に知られることになった。気をつけるんだ」

 

さっきまでとは声の調子が違う。それだけ真剣に言ってるってことか。

 

「……ご忠告痛み入るよ。じゃあな」

 

「うん、じゃあ。また会おう」

 

今度こそ若狭と長月の姿が夜の闇に溶けていく。

 

まだパーティーは続く。おそらく12時くらいまでは続くだろう。さすがにそれまでは顔出しとかないとまずいよなぁ。

 

………こっそり帰りてぇ。





華やかなパーティーを書いてみたかったので。
一番頑張ったのはドレスの表現だったりします。想像してるものを書き起こすっていうのは難しいですね。とくに服装は。
あとはぶっちゃけあの英語が使いたかっただけです。
なんとかサマになっていればいいのですが。
最後がシリアスっぽくなってしまいましたが長月の可愛さで相殺です!

感想や評価、ご要望などは軽い気持ちで構いません。
一言でもいいのでいただけたら非常に嬉しいです。

それではまた。


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信頼と依存は紙一重


こんにちわプレリュードです。
久しぶりの連日更新です!ゴールデンウィークで少し筆が進んだのが原因でしょう。みなさんはどこかへ遊びに行ったりしましたか?
私はどこにも行きませんでした。遊びたい……

気を取り直していざ参ります。



 

ハグッと皿に盛られた料理を口に詰め込み、グイッとお酒を飲む。嚥下したらまた詰め込んでそして飲み込む。

いわゆるやけ食いだ。

 

「おい、叢雲。そんながっつくと化粧が崩れるぞ。せっかく翔鶴にしてもらったんだろ?」

 

あんたもついさっき、なるほどこういう味付けが……とか言いながらパクついてたじゃない。それに私はウェークにいた時に大して美味しいもの食べれてないのよ。帰ってきてからも精密検査で決まったものしか食べさせてもらえなかったし。それにどうせ食べても出撃すれば燃焼するから問題ないし!

 

「いいのよ、そんなのは!それよりさっきの若狭少佐の言い方は何よ!もう!」

 

あーもう、腹がたつ!こいつに止められなければ数発拳を叩き込んでやったところよ!

 

「いや、若狭はお人好しだぜ。あの場でかなり貴重な情報をくれたしな」

 

「どういうことよ!あそこで得られたことなんて若狭少佐があんたの周辺を調べてるって事実だけじゃない!」

 

「いや、そんだけじゃないんだが……。ここじゃまずい。ちょっとテラスに行くぞ」

 

手を引かれて手近な人のいないテラスに連れて行かれる。お酒で火照った体にひんやりとした風があたり心地がいい。

あいつが欄干に体をもたれさせるのにならって私もすぐ隣の欄干に体を預けた。

 

「若狭はさっき、()()()()()()()()って言った。自分の一人称の僕とは言わずな。つまり……」

 

「少佐は上からの命令であんたの身辺を調べてるってこと……?」

 

「そういうこと。こっからは完全な推測なんだが、若狭は上が俺を疑ってると知って俺の調査を自分が担当するように進言したんだと思う。そうじゃなきゃ、俺は今頃は書類偽装とかでとっくに左遷されてる」

 

冷たい風にあたったせいか、血が上っていた頭が冷静になってくれたおかげで理解できた。

確かにこいつはウェーク島の戦いにおいて戦闘記録を改竄してるし、私の消失(ロスト)の記録をなかったことにするなどと、割と危ない橋も渡っている。渡らせてしまっている。

 

「少佐が庇ってくれてるのはわかったわ。でもそもそも上層部はなんであんたを疑ってるのよ?そんなことやる動機があんたにはないじゃない」

 

「ところがそうとも言えない。メリットなら生まれちまったんだ。矢田情報漏洩事件で俺は中佐に出世してるだろ。しかもあの時、蹴ったとはいえ口止めとして結構な額の金が提示されてる。出世と金。動機という意味じゃ充分すぎる」

 

峻はくだらなさそうな表情を浮かべるとさらに欄干にもたれ、星がわずかに輝く空を見上げた。

 

「でもあんたはそんなこと望んでなんか────」

「俺を知ってるお前ならそれが言えるかもな。だが客観的に見てみろ。まったく俺のことを知らない赤の他人が本当にそう思えるか?」

 

「………」

 

私はこいつのことを全て知ってるとは言わない。けどそれなりの付き合いではあるからこいつがそういうことを望んでないことがわかってる。

でも完全な他人が見たら?

認めたくはないけど、こいつが出世とお金のために矢田を利用したと言われてもおかしくはない。

 

「そういうこと。それに普通なら容疑者に”シャーマン”の情報渡すかよ。そんなことはないって思ってるから若狭は打ち明けたんだろ」

 

「それ大丈夫なの?少佐的に」

 

いくら身内とはいえ情報漏洩だ。バレたらあまりいい展開になるとはとても思えない。

 

「大丈夫じゃないなぁ。でもそのリスクを犯すだけの価値があったんだろ。何を期待して俺に告げたのかまでは知らんがなんかあるんだろ」

 

「適当ねえ」

 

まあな、と退屈そうに言う。

 

「これ、他の奴らには言うなよ。余計な不安を背負わせたくない」

 

上を向いていた頭を戻すと、声が真剣味を帯びた。その目は真っ直ぐに私を見つめてくる。

 

「……わかってる。心の中に止めるだけにするわ」

 

「頼むぜ」

 

「でもなんでそんなことを私に教えてくれたの?」

 

「それも若狭の一言だな。最後にあいつが言った言葉、覚えてるか?」

 

「えっと……顔と名前があらゆるところに知られたってやつ?」

 

「そうそれ。あの時、”君たち”って若狭は言った。つまり俺だけじゃなくてお前も顔と名前が広まったってことだ。なら知っといた方がいい。持ってる情報は多いに越したことはないからな」

 

そう言うと峻はもたれていた体を起こしパンッと手を打った。

 

「さて、会場に戻るとするか。今夜は遅くなるって加賀には言っといたし夕食はここで済ませるつもりだからな」

 

「うわ、ドケチ!」

 

「帰ってから作れってか⁉︎んなことやってられっか!そんならお前が作れよ」

 

「嫌よ、なんであんたのためにご飯作らなきゃいけないのよ!」

 

「人には作れっつっといて随分な扱いだな!」

 

ぎゃあぎゃあと言い合いをしながらも並んでテラスを後にする。

 

楽しい。

やっぱりここに帰ってこれてよかった。

 

恥ずかしくて言えない言葉をそっと胸にしまい込んで彼女は日常へと足を踏み込む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

式典場からすぐ近くの海軍本部の防諜課のビルの一室で若狭と私はホロウィンドウに映し出される情報に目を走らせる。配置された者たちからリアルタイムで送られてくる情報をこうして精査するのが今回の仕事だ。

どこに間諜が紛れ込んでいるかわからない。もしかしたらこの会場に紛れ込んで情報を抜き取ろうとする輩がいるかもしれないのだ。

まあ、そんな気配は今のところは一向に見えないのだがな。

それはいい。だが一つ、どうしても気になることがあるのだ。しなくてもいいのに潜り込んでまで帆波大佐に若狭が言った内容だ。

 

「よかったのか?あんなやり方で」

 

「なんだい?長月は不満かい?」

 

ニコリと笑いながら若狭がウィンクする。その言い方は卑怯だ。言おうとした言葉を飲み込ませてしまう。

 

「帆波にならあれで伝わるさ。だいたい矢田を裏で誘導してた人物がいたって言っただけであそこまでの推測ができる時点で問題ない」

 

あの少ない情報でピタリと上層部が大佐を疑っている理由を当ててみせたあの推理力はハンパじゃない。だからこそ、上に目をつけられかけている、という若狭の忠告は確かに届いたはずだ。

だが私が心配してるのはそっちじゃない。

 

「”シャーマン”の情報、あんなにあっさり渡してしまってよかったのか?」

 

あれは防諜課が今まさに追っている対象だ。それをああも簡単に渡してしまって若狭の立場は大丈夫なのだろうか。あれだって情報漏洩にあたってしまうのに。

 

「長月、周り大丈夫かい?」

 

「ん、問題ない。廊下に人はいないぞ」

 

手元のホロウィンドウの映像を廊下の監視カメラに接続して切り替えるが辺りに人はまったくいない。

 

(むし)の方も問題ないね?」

 

「この部屋は入室時に確認済みだし、他に仕掛けられている様子もない。そもそもここに仕掛けることなど無理な話だ」

 

虫とは盗聴器の隠語だ。そもそもこのビルに浸入して仕掛けることは不可能だ。国防の一端を担っているだけあってセキュリティはそんじょそこらの物とは格が違う。

 

「うん、普通ならね。でも確かに仕掛けられてはいないみたいだし大丈夫か。長月、ここからの話はあくまで僕の推測に過ぎない。だから話半分で聞いてほしいし、下手に信じるようはことはしちゃダメだよ?」

 

「ああ、わかった。吹聴もしないさ」

 

若狭が少し私との間を詰めて声を潜める。それに合わせて私の声も少しトーンが落ちる。

 

「”シャーマン”だけどね、僕は海軍の事情に通じている人間、それもそれなりの地位の人間だと睨んでる」

 

「なんだって⁉︎」

 

「しっ!長月、声が大きいよ」

 

「!……すまない」

 

だが驚かずにはいられないだろう。若狭の推測が正しければ海軍の中に海軍転覆を狙っている裏切り者がいるのだ。

そしてそれだけじゃない。若狭の推測には恐ろしい可能性が内包されているのだ。

 

「若狭、つまりそれは……その………」

 

つい言い淀む。この内容はデリケート過ぎるのだ。おし黙ってしまった私の頭を若狭がくしゃくしゃっと撫でた。

 

「やっぱり長月は賢くて優しくて可愛らしい女の子だよ」

 

「なっ!バ、バカなことを言うな!」

 

慈愛に満ちた目で若狭に見つめられ頬が紅潮するのを感じた。こうやって若狭はいつも私のペースを崩してくる。いい加減にしてほしいものだ。こちらの心臓がもたないではないか。

 

「長月が気づいた通りさ。僕は帆波を疑ってるわけじゃない。確かにその通りさ。だって()()()()を疑ってるわけじゃないんだから。日本海軍においてそれなりに地位がある人間なら全部疑ってるんだよ」

 

「それは……つまり………」

 

「そう。帆波峻、東雲将生、それ以外の軍属の僕の友人、お世話になった上司。それら全員、誰が”シャーマン”だって不思議じゃないんだ」

 

どこか遠くを見るような目をしながら若狭はのっぺりとした声で言った。

 

「若狭は……辛くないのか?」

 

「………こういう仕事だからね、仕方ないさ。さあ、会場の監視を再開しよう」

 

それにもう慣れた、と無感情に言うと若狭がホロウィンドウとのにらめっこに戻った。

 

「……難儀な仕事だな」

 

「本当に長月の言う通りだよ」

 

でもその仕事に私は望んで足を踏み入れた。感情を殺さなければ出来ないこの仕事に。別に後悔はしていない。

だが……時々寂しくなる。若狭は周りを疑うことに躊躇いがなさすぎる。感情を殺すことをなんとも思っていないようにさえみえる。でもそれはあんまりじゃないか。信じた者を疑わなくてはいけない。わかっているさ。だがそう簡単に割り切れるものじゃない。

 

だからせめて私だけは若狭の味方であり続けよう。

 

そう長月は心に誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

表彰式の翌日、俺は執務室で新聞を広げた。どれくらいの話の規模になっているか確認しておきたかったからだ。

 

「あー、やっぱ一面に載るよなー」

 

「あんだけ派手にやればそうなるわよ」

 

ちょこんと机の端に行儀悪く腰掛けた叢雲が新聞を覗き込もうと首を伸ばし、前に赤い紐で括られた髪がぴょこぴょことゆれる。

さすがに昨日のドレス姿ではなくて制服姿だ。ただ、なにか心境の変化でもあったのか服が変わった。まえのワンピースのようなタイプからチューブトップのような服に黒のインナーという装いに変化している。かなり伸びた髪は本人によると切るのが面倒だったとかで毛先を軽く切り揃える程度にされ、ぱっつんだった前髪はシャギーを入れていた。

 

「やっぱりそう思う?だからとは言え随分と大袈裟に書かれたもんだけどな」

 

「見せなさいよ」

 

ほらよ、と新聞を机に広げて見やすくしてやる。そこにはデカデカとした大見出しが書かれていた。

 

 

 

──不落の泊地、落つ!”幻惑”と”姫薙ぎ”の活躍!──

 

深海棲艦に占領されていたウェーク島を先日、日本海軍が奪還したと政府から発表があった。今作戦において驚きなのは人類初の領土奪還だけではない。なんとたった2艦隊でその5倍近くの戦力を保有するウェーク島を攻略したという事実である。その手腕を振るった帆波峻大佐とその秘書艦である駆逐艦、叢雲による泊地棲姫の撃破は人類の反抗の狼煙となるだろう。また………

 

 

「……なに、これ?」

 

「ウェーク島の戦闘の記事だな。まぁよくもここまで誇張されたもんだ」

 

実際のところはただこいつを救出しにいっただけなんだけどな。とにかく、目を通した限りではまずい情報は出回ってないな。

現在、ウェーク島は日本海軍が占領下に置いている。深海棲艦が奪還しようと攻撃を仕掛けてきた場合に備えて、いくらか部隊を配置してあるようだ。

アメリカから多少の抗議はあったものの、アメリカ自体が本土以外を抑えておくほどの余裕がないので話は流れたようだ。

 

「ねぇ、この”幻惑”はあんたのことよね?じゃあこの”姫薙ぎ(ひめなぎ)”っていうのは?」

 

「お前の二つ名だろ。泊地棲姫を倒した、つまり姫級を薙ぎ倒したから”姫薙ぎ(ひめなぎ)”。わかりやすくていいんじゃね?」

 

二つ名というのは大抵はメディアか周りの人間が勝手につける。例えば夜戦狂い(ナイトホリック)とかがある。ほかにも悪夢(ナイトメア)やら黒豹(くろひょう)やらとそれなりに二つ名を持つ艦娘もいる。たまにネタな奴も存在するが。確か榛名の姉に殺人料理(ダークマター)って言われてるのがいた気がする。

 

若狭が言ってた君たちってのはこれか。叢雲に二つ名がつく。それは名前も顔も大きく知れ渡ることになる。

 

「ふぅん”姫薙ぎ”、ねぇ。ま、悪くはないしありがたくもらっとこうかしら」

 

「そうしとけ。それに俺の”幻惑”よりかっこいいんじゃねえか」

 

たぶん元ネタは天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)からだな。別名草薙の剣(くさなぎのつるぎ)とも呼ばれるところから取ったんだろう。

 

「そう?私はあんたの”幻惑”って響き、キライじゃないわよ?」

 

「そいつはどうも」

 

すっと肩をすくめて軽く笑う。

 

「そういや、いつかの約束は果たしたぜ」

 

「なんの約束?」

 

「おいおい、言った本人が忘れてんじゃねえよ。新しい装備が欲しいって言ってたやつだ。だいぶ大盤振る舞いになったがな」

 

艤装の装備がご所望のところを艤装丸ごと新調したんだからな。あれは自分でもいい仕事したと思う。

 

「ああ、あれね。本当に助かったわ。あの艤装があったから私はみんなを守れた。ありがと」

 

「……なん…………だ、と?」

 

「……どうしたのよ?」

 

衝撃が走った。こいつが素直に礼を言う?これは夢なのか?いや、手の甲をつねってみたが痛い。ということは夢じゃない。

 

「あ、明日の天気は雹と霰が降るぞー!」

 

「なによ、失礼ね!人がお礼を言ったのにその態度は!そもそもお礼の一つや二つくらい言ったことあるじゃない!」

 

ムキー!と怒る叢雲を笑い飛ばして宥めると、まだむすっとしている姿を傍目に立ち上がり執務室のドアへ向かう。

 

「どこ行くのよ?」

 

「工廠にな。この前の戦闘で傷ついた艤装を明石に直してもらってるんだがまだ完全には終わってないらしい。モルガナの整備を完璧にできるのは俺ぐらいしかいないしな。だからちょっと助太刀に行ってくる」

 

「………はぁ。執務はやっとくから行ってらっしゃい」

 

「別にのんびりしててもいいぜ?」

 

「嫌よ。私は秘書艦よ?あんたのお守りが私の仕事なの。これくらいは慣れっこよ。だから無理やりやらせてるとか重荷になってるかもとかの心配はいらないからさっさと行きなさい」

 

「…そうか。()りぃな」

 

叢雲が攫われたあの日からずっと思ってた。もしかしたら俺のせいで負担をかけすぎてたんじゃないかと。

でも叢雲には見透かされてた。俺もまだまだってことかね。

 

「違うでしょ。謝るんじゃなくていつもみたいに言えばいいのよ」

 

「…!あぁ、そうだな。叢雲、あとは任せた」

 

「ええ、任されたわ。行ってらっしゃい」

 

ドアノブに手をかけ執務室を出て工廠へ向かう峻。

執務机に座るとペンを握り書類にペンを走らせていく叢雲。

信頼という言葉がこの2人にはよく似合うのだろう。

 

感情的に動き戦うのは軍人としてはバツ印が何重にもついてしまうぐらい愚かしいことだ。

だがそれでいいと俺は思う。

俺はそもそも軍人である前に人間でありたいんだ。

 

 

 

信頼。しかしそれは言い換えてしまうと依存に姿を変えてしまう魔性の物だ。

だからこの2人は強く硬く、そして信じられないくらいに脆い。

峻は知らない。いや、知っていて目を背けているのかもしれない。だが目を背けているのなら知らないのと同じだ。

 

本当に知っているなら最善の手はわかっているはずだ。峻が一刻も早く叢雲の指揮から外れる。信頼が依存に変わってしまう前に。

変わってしまえば取り返しがつかない事態が起こり得るのだから。





帆波峻と若狭陽太。
似ているようで対極な存在である2人の対称性が強く浮き彫りになった話でした。
そして気づいた方が多いとは思いますが叢雲がゲームでいう改二に衣装チェンジしています。プレリュード自身は改ニのグラの方が叢雲は好みです。
二つ名は艦これをやってる方なら誰がどれかわかりますよね?結構ストレートにつけたつもりです。

あとものすごい今更ですがこの世界ではドロップという概念はガン無視です。過去の話をざっくり読み返してたら後書きで言い忘れたのに気づいたので一応。

感想、ご要望はお気軽に。お待ちしております。


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放縦者たちのインテルメッツォ
INTERMEZZO-1 夏休み特別編『海だと思った? ねえ、海だと思った?』


こんにちは、プレリュードです!

唐突な夏休み編です。
そしてなんと!
艦隊これくしょん〜放縦者たちのカルメン〜が赤バー突入です!
我が目を疑いました。そしてあまりの嬉しさにベットの上でローリングして落ちました!ええはい(実話)

つまり今回の話は夏休み&赤バー記念となります。時系列的にはウェークの直後くらいを想定しております。

警告!
今回の話は、メタ、パロなどのオンパレードとなっております。また、読まれなくとも今後の物語展開における問題はありません。
それでも、という方のみお読みください。

では、本編参りましょう。


 

日本の川は総じて流れが速い。上流に行けばいくほどその傾向は強くなる。また海外の、特に運河としての河川と比べると浅く、日本において最も深いといわれる四十万川の最深部ですら20mだ。

それはつまり、深海棲艦が河川の遡上が出来なかったということでもある。そう、浅すぎるのだ。

今の日本において海水浴はメジャーな夏の休暇の過ごし方ではない。ならば何が人気か。

川である。

深海棲艦に襲われる心配なく涼しむことができる川は人気爆発。特に今の暑い季節には人でごった返すのだ。

 

その中で軍のプライベート地を占拠して遊ぶ一団がいた。

館山基地の基地司令、帆波峻。そして帆波隊の以下面々。

そして横須賀鎮守府司令長官、東雲将生と翔鶴、吹雪。

 

いわゆる休暇をとったわけだ。国防が疎かにならないようにするために館山基地には横須賀鎮守府所属の部隊が1日だけ代理で来ているため問題はない。

 

各々が水着を着て川に入っていく。浅いところで涼む者もいれば、普通に泳ぐ者、深いところへ飛び込みをする者、水鉄砲で打ち合いをしている者もいれば、流れのない場所に浮き輪で漂っている者もいる。

 

「シュン、俺は今、生きていることの喜びを噛み締めている」

 

「そうか。良かったな変態中将」

 

「何を言う。男という生き物はすべて変態という名の紳士だ」

 

「紳士ならせめて水着姿の艦娘をガン見すんのやめろよ」

 

「フッ、馬鹿め。彼女たちが見られても恥ずかしくないように一生懸命になって選んだ水着だぞ? 見ないことの方が失礼に当たるというものだ」

 

謎理論を展開しながら何故か誇らしそうに水着姿の艦娘を見る東雲。本人はさりげなく見ているつもりだが、傍から見ていると海パン一丁の男が女性に熱い視線を注いでいるようにしか見えない。

 

一緒にされたくない峻はパーカータイプのラッシュガードのチャックを少し上まで上げてからトングを使って網の上で焼かれる肉をひっくり返す。

バーベキューをしながら川で遊ぶ。このご時勢としてはかなりの贅沢にあたるはずだ。

 

「提督ー。お肉ちょうだいー」

 

ぷかぷかと浮き輪に乗り、浮んでいる北上が緩んだ顔をこちらに向けて言う。

 

「こっち来る気あんのかよ……」

 

「うーん。このまま食べたいんだけど何とかできないー?」

 

「はあ……まあできるけどよ」

 

手元にある立方体の装置をいじり、焼けた肉を空中に()()()。浮かんだ肉はそのまま北上の口元まで空中を進み、ぱくりと北上が頬張った。

 

「おいひいねー。ん、ありがとねー」

 

「満足いただけたようで何よりだ」

 

「一応突っ込んどくぞ。なんで肉が浮いてるんだよ!」

 

「ん? ああこれこれ」

 

立方体の装着を峻がぺしぺしと叩く。

 

「こいつは艦娘の艤装についてる浮力力場発生装置を元に作ったもんだ。これをうまいこと調整してやれば指向性の力場を発生させることができる。あとはその上に肉を乗っけただけ」

 

「まーたシュンの謎発明かよ……」

 

「謎とは失礼な。しっかり役立っただろうが」

 

ふよふよと空中に浮かぶ肉が各所に運ばれるため、それぞれがここまで戻ってこなくても食べれるというのはなかなか便利なはずだ。

 

「私にもいただけるかしら?」

 

「おう陸奥か。ほれ、皿寄越せ」

 

紙皿を受け取り、適当に焼けた野菜と肉を見繕って盛る。もちろん、遠くにいても食べれるが少し冷めてしまうのがこの浮力力場装置の欠点なのだ。

 

「ほらよ」

 

「うふふ。ところでせっかくの水着なのになにも言ってくれないのかしら?」

 

「せっかくの水着、ねぇ」

 

陸奥の水着姿を上から下までざっと見る。白の布地に黒のストライプが入ったビキニだ。

 

「なんかいつもの格好とあんま変わんなくね?」

 

次の瞬間、陸奥の拳が峻にめり込み、川へと吹き飛んだ。水切りの要領で2、3度跳ねた後に水面下に沈んでいく。デリカシーの欠片もないセリフを口にした代償は大きいのだ。

 

「あーあ。シュンのアホ。それにしてもうん、陸奥ちゃんの水着、よく似合ってるな」

 

「あらあら。中将さんはわかってるのね」

 

「そりゃあもちろん! いやー、ビキニとか最高だぜ!」

 

「将生さん?」

 

陸奥の肢体を鼻の下を伸ばして見ていた東雲の背後にゆらりとパレオを巻いた翔鶴が現れる。青筋を額に浮かべて、だがものすごくいい笑顔で。

 

「ヒェッ…………ショウカク=サン……」

 

「うふふ。将生さん? わかってますよね?」

 

たらりと東雲の額に汗が一筋流れる。時にいい笑顔は恐怖にも変換できるのだ。

 

「さあ、将生さん。あなたの罪を数えなさい!」

 

再び水切りの要領で以下略。

 

 

 

 

 

「ぷはっ!」

 

吹き飛ばされた峻が水面に顔を出す。濡れたラッシュガードが肌に貼りつくがもともと水中で使用するものなので問題ない。

 

「あなた随分と派手に飛んできたわね」

 

「まあな。天津風は水鉄砲合戦か?」

 

「ええ、まあ、ねっ!」

 

浅瀬にいた天津風がサイドステップで夕張の撃った水を避ける。そして撃ってきた夕張にむけてお返しとして両手にもつ水鉄砲を連続して撃ちまくる。

 

「やりますね、天津風ちゃん!」

 

「そっちこそ!」

 

2人の間で水が飛び交う。だが夕張の方が飛距離があるのだろう、天津風は距離を詰めれずにいた。

 

「なんなのよ! なんでそんなに飛ぶのよ!」

 

「ふっふっふ。『明石夕張工房』に不可能はないんですよ!」

 

ドヤ顔の明石が夕張の後ろで声高に叫ぶ。どうやらあの異常なまでの飛距離は明石と夕張の合作らしい。遂には明石まで夕張サイドについて水鉄砲を撃ち始めた。

 

「きゃあっ!」

 

天津風に水が当たり、水着の上から着ていたダボッとしたTシャツが肌に張り付き、透けて明るい黄緑色の水着がうっすらと浮き上がる。

 

「天津風ちゃん、援護するよ!」

 

ポンプ式の水鉄砲を装備した吹雪が天津風のヘルプに入るが依然として差は埋まらない。明石と夕張の特製水鉄砲が相手では無理ないだろう。

 

「しゃあないか。天津風、一丁よこせ」

 

「あなたが加われば百人力ね! はい!」

 

放られた水鉄砲をキャッチ。視線を明石と夕張の方向に向ける。

 

「天津風と吹雪は援護してくれ。俺は突撃する!」

 

川底を蹴って駆け出す。迫り来る2筋の水流を最小限の動きで躱すと右手の水鉄砲の引き金を引いた。

 

「わぷっ!」

 

「ひ、卑怯ですよ! 提督がそっちに付くのは!」

 

「その代わりそっちにはお前らの魔改造水鉄砲があるだろうが! これで互角だ!」

 

「くっ! 夕張、弾幕薄いよ何やってるの!」

 

「これでも張ってます!」

 

水の直撃を顔面に食らった後、立て直した夕張が水の弾幕を張る。体の張っていない部位を補うように。どこがとは言わないが。どこがとは言わないが。

 

「うおおおおおお!」

 

「「いやぁぁぁぁぁぁ!」」

 

川面の戦いが幕を開けた。なんてカッコよく言ってみたが結局のところただの水鉄砲合戦である。互いが水鉄砲の引き金を引きまくり、空中を水流が舞う。

だがその時、峻はミスを犯した。撃ちまくった水が叢雲の持っていた紙皿に直撃し、中に入っていた肉や野菜が水に浸ったのだ。

 

「あーもう! 私のご飯に何するのよっ!」

 

「どべふっ!」

 

白をベースに端に青色のフリルがついたチューブトップの水着姿の叢雲が全速力で突進し、ドロップキックが峻の横っ腹に突き刺さった。完全に自業自得である。

だが峻もただでやられるほど甘くない。

 

「お前も道連れだ!」

 

「へっ? ちょっと!」

 

脇腹に命中した叢雲の足を掴み、川の深みへ誘う。足を掴んだまま、地面を蹴って勢いをつける念の入れようだ。

 

ドボーン、と水柱が2つ上がった。が、そこで素直に浮かび上がる2人ではない。

水中での格闘戦が繰り広げられていた。勢いが殺されるがそれでも充分速い拳や蹴りの応酬。次第に呼吸が苦しくなり、ようやく浮上する。

 

「ぷはぁっ!」

 

「ぷへぁっ!」

 

足を水中で蹴って顔だけ出す。

 

「あ、あのっ! と、止めなきゃ!」

 

「あー、吹雪。これはいつもの話なのよ」

 

「そうそう。提督と叢雲ちゃんがバトるのは毎度のことだから」

 

「それより続きやりましょう! ちょうど二対二ですし!」

 

まだ慣れていない吹雪にとっては峻を蹴り飛ばす叢雲はかなりの異常事態だが、もう天津風にとっては日常だった。自分が放置されすぎると怒る寂しがり屋、というのが天津風の叢雲に対する印象だ。

 

浅瀬に叢雲と峻が上がり再び対峙する。

 

「おうおう、叢雲。やる気か?」

 

「はっ! あんたこそ私とやって……っ!」

 

ばっと叢雲が胸を押える。何がやりたいかわからなくて首をかしげた峻だがすぐに理解した。

上の水着の紐が解けて落ちかけている。押さえなければ落ちていただろう。水中での乱闘中に解けかけていたのだろうか。

みるみる叢雲の顔が真っ赤になっていく。その中で峻は悟った。あ、これ俺死んだわ。

 

「このっ…………バカーーーー!」

 

左腕で胸を押さえたまま、全力の右拳が峻の頬にめり込む。宙を舞いながら峻は自分は絶対に悪くないと最後まで思い続けた。

 

 

 

 

 

そんな乱闘騒ぎを傍目にのんびりと潜る潜水艦2人がいた。

 

「海もいいけど川もいいよねー」

 

「そうねー。でも結局のところイムヤたちがやってることが海と変わんない気がするのはなんでかしらねー?」

 

「それはツッコミ入れちゃだめでち」

 

彼女たちがやっている事は川魚の密漁……ゲフンゲフン、川魚の調達である。せっかく川に来たんだし魚食いたくね? とかほざいた峻により駆り出されている2人だが、潜ることは嫌いではないし、そのついでに網を使って魚を捕まえるくらいは容易いことだった。まあ、艤装を付けていない以上、身体能力は普通の人間と同じなので、呼吸が続かなくなる。なので、『帆波謹製水中呼吸器』をそれぞれ口に咥えているわけだが。

 

「そろそろ獲れたころじゃない?」

 

「一回浮上しよっか。急速浮上ー!」

 

ゴーヤの合図に合わせてイムヤが浮き上がる。後を追うように網もゆっくりと揚がっていった。

ザパッと顔を出して浅瀬に網を手繰る。網の中には葉っぱやら小枝やらのゴミがゴタゴタと混入しているが、その中でキラキラと陽光を反射する銀色が見える。

 

「アユにイワナにアマゴ……わぉ! 大漁じゃない!」

 

「いわゆる根こそぎってやつだね!」

 

いい笑顔で川の管理人が泣き顔を浮かべるであろうセリフをさらっとゴーヤが言う。

 

「とにかく運ぶわよ! せっかく獲ったんだから焼いてもらわないと」

 

「らじゃー!」

 

えっほえっほと網を2人がかりで運び、バーベキューセットが置いてある川岸まで持っていく。

 

「あら、イムヤにゴーヤじゃない。魚はどう?」

 

「バッチリ。この程度、お茶の子さいさいよ」

 

誇らしげに胸を張るイムヤから、火の番をしていた矢矧が魚を受け取る。そのまま金網に乗せて上から塩を振れば充分過ぎるご馳走だ。片面の皮がパリッとしてきたらひっくり返してもう片面も焼く。

 

「矢矧、手際いいわね」

 

「提督がいなくなる前に教えてってくれたのよ」

 

「ああ、てーとくが……」

 

「まだ焼けないかしら?」

 

「も、もう少し待ってよ、加賀」

 

焼けていく魚から目を離さない加賀が今か今かと催促する。矢矧が慌てて焼きにかかるが、こればっかりは急いでどうにかなるものではない。

炭がパチッと爆ぜて火の粉を散らす。アユの皮が膨らみ、程よいコゲが付く。瞬間、矢矧の持つトングが霞み、金網に乗っていたアユが消えて加賀の皿に現れる。

 

「できたわよ!」

 

「それでは」

 

加賀が焼きたてのアユを一口。味わうかのようにゆっくりと咀嚼していき、小さく喉が動く。

そして頭と背骨を残して身が消えた。何があったと思うかもしれないが比喩でも何でもなく消えたのだ。

 

「ふわふわで口に入れると溶けるような身。新鮮ゆえに嫌な苦味が感じられない内臓。丁度良い塩加減と火の入り具合。流石に気分が高揚します」

 

「アユの霊圧が……消えたでち!?」

 

満足度が高いのか、どこかキラキラした加賀と驚愕するゴーヤ。だがほかの面子はそんなものはもう目に入っていない。視界に入るのは現在進行形で焼かれる川魚の数々だ。

あの加賀が饒舌になった。その事実は重いのだ。

 

「矢矧っ! イムヤにもちょうだい!」

 

「あら? いい匂いがすると思えば……私にもいただけるかしら?」

 

「陸奥さん待つでち! これはゴーヤとイムヤで獲ってきたから先にもらうのはゴーヤだよ!」

 

「おうおう。俺にも一尾もらえるか?」

 

手が回らなくなり始め、悲鳴を上げかけた矢矧。そこに追い討ちとばかりに東雲がやってきた。

 

「さっき吹き飛ばされてましたけど大丈夫ですか?」

 

「心配無用だぜ、陸奥ちゃん。じゃれ合いで怪我するほどヤワじゃないんだ」

 

首を回して東雲が無事をアピールする。その前に、二尾のアユが乗った紙皿が差し出された。

 

「おいおい、俺は別に一尾でいいぜ?」

 

「そういうわけにもいきませんよ。ほら、むこうで翔鶴さんがむくれてるから行ってあげてください」

 

矢矧が指差す方向には岩に腰掛けた翔鶴が、少し頬を膨らませて川面にそのスラリと伸びる足を浸していた。時折その足を揺らしては水面に波紋が広がる。

 

「……悪いな。この借りはいずれ返す」

 

「期待しておきますね」

 

矢矧から紙皿を受け取ると、東雲は翔鶴のいる岩場へと足を向ける。そしてその隣に腰掛けると、何かを話し始めた。初めは拗ねたようにしていた翔鶴もだんだんと態度が柔らかくなり、終いには笑みがこぼれるようになっていく。

 

「矢矧ちゃん、ナイスフォローです!」

 

「よしてよ。提督が中将には恩売っとけって言ってたからやっただけよ」

 

榛名の言葉をムズ痒い気持ちで受取りながら矢矧が魚をひっくり返す。その後ろには飢えた集団が長蛇の列を作り、焼けるのは今か今かと待ち望んでいた。

 

「早く提督が来て交代してくれないかしら……」

 

ため息をつきながら次の魚に手を伸ばす。ちなみにその列の最後尾に峻が並んでいた。なぜ代わってくれなかったという矢矧の問いかけを、待っていれば食べれるという夢のシステムを実現したかったなどと言ったところ、矢矧に吹き飛ばされたのは余談だ。

 

 

 

 

 

「やーーーーー!」

 

突き出した岩場から鈴谷がダイブする。そのまま足から水中へと落ちていった。

水柱がたち、しばらくすると鈴谷が浮かんでくる。

 

「あはははははっ! これサイコーだよっ!」

 

笑いながら鈴谷が岩場を上がってくる。その最中で瑞鶴も飛び込んだ。また立ち上がる水柱。

 

「確かにこれおもしろいね! 最初に川って聞いた時は何それって思ったけど、悪くないね」

 

「だろ? 何より塩水じゃないから後からの洗濯が楽なんだ」

 

「提督さんの理由が妙に家庭的なのはなんでなの……」

 

「いいじゃねえか。実際楽だろ? さて、俺も行くか」

 

助走で勢いをつけて大きく飛び上がる。空中で膝を抱えて3回転。そしてそのままダイブした。

澄んだ水の中で目を開く。心地よい冷たさに包まれる。その感覚を楽しむと仰向けに川面に浮かんだ。緩やかな流れに身を任せて漂う。

 

「なに黄昏ているんです、大佐」

 

隣を榛名が泳いでいた。顔だけそちらに向けて話す。

 

「別に黄昏てるわけじゃねえよ。物思いに耽ってただけだ」

 

「それは黄昏てたんじゃないんですか?」

 

「……かもな」

 

「ところで聞きたいんですけど、暑くないんですか? そんな上着まで着て」

 

「別に暑くないぞ? こりゃラッシュガードって言ってな、端的にいえば日焼け防止用の上着なんだ。本来はサーファーとかがボードなどとの摩擦で怪我するのを防ぐためのものだが最近は日焼け防止としてのものも売ってるんだ」

 

「便利なものなんですね」

 

「まあな。今度お前も買ってみたらどうだ? 男物よりも品揃えはいいはずだぞ?」

 

「そうですね。お給料の使い道の一つとしてはいいかもしれません」

 

何が楽しいのかニコニコと笑いながら隣を泳ぎ続ける榛名。

 

「なあ、榛名。こんなのと泳いでて楽しいか?」

 

「はい! 榛名は楽しいですよ? ちなみに……」

 

榛名が顔を近づける。

 

「叢雲ちゃん、反省してるみたいなので行ってあげてくださいね?」

 

息が耳にかかり、くすぐったさに耳をかく。反省、というのは先の殴り飛ばした件だろう。そんな反省するほどのことでもないだろうに。そもそも俺を殴り飛ばしたのは初めてのことじゃないだろ。

 

「気にしてないんだがなあ」

 

「でも、ですよ」

 

そうまで言われれば仕方ない。とは言え何を話せばいいのだろうか。浮かんでいた体を起こす。

 

「わかった行くよ」

 

「そうしてください。きっと待ってます」

 

平泳ぎで岸に向かう。その後からちゃんと水着も褒めてあげてくださいね! という榛名の声が聞こえた。

 

「善処する」

 

そうとしか答えられなかった。

 

 

 

 

 

「いやー、シュン。今日は楽しかったぜ」

 

「へいへい。あとの片付けはやっとくから先に帰れ」

 

「いや、そういうわけにはいかねえだろ。やるよ」

 

「いいんだよ。たまには中将も休めよ」

 

「……そこまで言われちゃあな。わかったお先だ」

 

東雲が車に乗り込み、翔鶴と吹雪も一礼した後に乗り込んだ。そのまま去っていく車を見届けてからバーベキューセットなどの片付けに全員でかかるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「翔鶴、説明を頼んでいいか?」

 

翌日、青筋を額に立てた東雲が執務室で机を睨んでいた。机の上には大量の書類。

 

「は、はい。これは先日のバーベキューの食材代の請求書ですね。こちらはバーベキューセットの購入費。そのほかにも経費の申請が大量に……」

 

「あの野郎! そういうことか! たまには中将も休めよ、とか妙に殊勝なふうに言いやがったから信用したらこのオチだ!」

 

立ち上がって天井に向かって叫ぶ東雲。まんまと騙されたのだ。おそらく今頃は館山基地で『ざまぁ』と笑っている峻がいるのだろう。

 

「経費で落とさなけりゃ自腹切らせる気満々じゃねえか! なんだよ! 領収書の宛名が『東雲将生中将』になってんだよ! 払えってか! ええ、コラァ!」

 

ペラペラと書類をめくっていくと、最後に1枚だけメモが挟まっていた。その最後のメモには一言だけ添えてあった。

 

『これぞ幻惑』

 

「ふざけんな!」

 

 

 

 

 




後半に行くにつれてネタ切れになったとか言ってはいけない(真顔)
正直なところ、かなり暴走した感じが拭えないどころかそれしかない。後半に至ってはぶん投げましたし。
描写してないところは、ほら、あれだ。読者の皆さんの心の中にあるんですよ(震え声)
はい、調子に乗りました。すみません。


ちなみに本編からカットしたものを一部抜粋し台本形式にしたものがこちら。




長月「なあ、若狭。私たちのは川へ遊びに行かないのか?」
若狭「それより仕事だよ、長月」
長月「そういえば若狭は水練の成績があまりよくなかったような……」
若狭「仕事だよ」
長月「あっハイ」



常盤「ねえ、アタシの出番はー?」
霧島「まだ本編に登場してないのに何言ってるんですか」
常盤「んー、まあ仕方ないか。時系列的にはこの話、ウェーク島の直後くらいだからねー」
若葉「メタいぞ。だが悪くない」
作者「ていうかお前らはこういう話に出したくないんだよ、この変態が」

感想、評価…………求めていいのか?このクオリティで?


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INTERMEZZO-2 叢雲進水日記念編『Girl meets boy,Boy meets girl.』


こんにちは、プレリュードです!

9月27日は叢雲の進水日なので記念として1話書いてみました。また結構前ですが、お気に入りが100件を突破したため、それの突破記念も兼ねております。
初めて予約投稿ってやつを使ってみるので少々ドキドキです。うまくできるといいんですが……

そしてこの話はあくまでオマケです。読まなくとも本編には大きく関わらないため、こういうオマケ編とか苦手! って方は読まなくとも何ら問題はありません。

とりあえず後で叢雲に指輪渡してきます。ようやく練度が99になったので。ここまで長かったなあ。ようやく初めての練度99艦娘だし初めてのケッコンカッコカリだよ。

それでは本編に参りましょう。


 

へぇ、あいつのことが聞きたい? ふうん。いいわよ。あら、意外そうな顔ね。素直に教えてくれるとは思ってなかったって?

まあ、そういうことをそろそろ聞かれてもおかしくない頃だとは思ってたわ。薄々察してたってことよ。証拠にそこまで驚きもしてなかったでしょう? 

ふふ、残念でした。で、何が聞きたいの?

 

え"っ………………

 

いや、ちょっと待って。えっ、ほんとにそれ聞くの? ここはあれよ、館山基地での生活とかそういうこと聞くんじゃないの? よりにもよってそれをチョイスするの?

笑ってんじゃないわよ。こちとら真剣に悩んでるのよ! 裏をかけたから嬉しい? 人をおちょくって喜ぶなんていい性格になったじゃない。

さっき私も喜んでたって? それはそれ、これはこれよ。うだうだ言うんじゃないの、まったく。理不尽って言うけど世の中は理不尽なことの方が多いわよ。知らないわけないわよね?

あー、もう! わかった話すわよ! あの頃の私はかるーく荒れてたからあんまり人に言いたくなかったのに! 今まさに荒れてる、ってうるさいわね。原因つくっといて何言ってんのよ。誰の影響なんだか、まったく……

 

えーっと? じゃあ話しましょうか。既に前振りが長いけどもう少しだけ待ってちょうだい。

これは矢田事件の6年前のこと。つまりあいつがまだ訓練生だった時のことで、トランペットもまだ起きていなかった頃の話よ。海大で起きた、あいつが『幻惑』の二つ名を得るきっかけとなる話。そういえば当時のあいつは21歳だったわね。ま、それは置いといて。

何してるのって深呼吸よ、深呼吸。さあ、覚悟は決めたわ。聞きたいんでしょ? まあ、そこに座りなさい。前書きも長かったけど、本編はもっと長くなるわよ。うん、じゃあ始めましょうか。

 

これはあいつと私の出会いの物語…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「演習訓練、だあ?」

 

海大の男子寮で峻が素っ頓狂な声を寝転がったベットの上であげた。それを聞いて相部屋の住人である東雲が頷く。

 

 

「そうだ。艦娘を実際に指揮して教官と演習だと」

 

「はー」

 

「はー、ってお前な。お前も出るんだぞ?」

 

「ああ、だろうな。ま、適当にやるさ」

 

やる気がなさそうな様子で寝転がったまま返事をする。事実、やる気がないのだ。

 

「お前な、艦娘の指揮を執らせてもらえる初めての機会だぞ? 同期の奴ら全員がテンションマックスなのによ」

 

「それで? お前は気づいてねえのかよ?」

 

ぴゅうっと東雲が口笛を吹いた。その様子を相変わらず興味なさげに峻は見続けている。

 

「確かに。この演習訓練は俺たちを負けさせる前提で組まれたもんだ。早いうちに敗北ってやつを味わわせておくためだな」

 

「わかってんじゃねえか。残念ながら俺はそんなことにわざわざ全力出すほど暇じゃねえんだ」

 

「まあまあ。知ってるよな、この演習訓練はチーム参加も許されてるってことを」

 

「もちろんぼっち参加も許されてるがな。なるほど、お前が俺に話を振ってきた理由がだいたいわかったよ」

 

「なら話が早い。帆波、俺のチームに入れ」

 

「却下だ」

 

そもそも負ける前提で挑む勝負など何が楽しいのだろうか。だったらいっそのこと1人で気ままにやって適当に流した方がいいに決まっている。

 

「つれないな。なかなか面白いメンツなんだがよ」

 

「面白い、ねえ」

 

「若狭陽太と常盤美姫の2人だ」

 

「成績上位者の2人じゃねえか。そこにお前がいるわけか。ハンモックナンバーでド真ん中付近をウロウロしてる俺なんかを引き入れようとする意図がわかんねえな」

 

峻が視線を東雲にやるとなにが面白いのかニヤニヤと愉快そうな笑みを浮かべていた。むっとした峻は寝返りをうって背中を向ける。

 

「そう邪険にすんなよ。お前を誘ったのには理由がある」

 

「……一応聞かせてもらおうか」

 

「気づいてたろ、この演習の本質に」

 

「それが?」

 

「今回の訓練、俺は勝ちに行くつもりだ。だが1人で挑んでも勝率は低い。だからといってこの演習の本質が読めない奴を引き入れても足を引っ張るだけだ。つまりわかってる奴だけをチームに呼んでる。で、お前はわかってたろ?」

 

「なーる。で、勝ちに行くってのは本気なんだろうな?」

 

「もちろん。ただ決められた結果を受け入れるだけなんてつまらなくないか?」

 

僅かに思考を巡らせる。だが自分1人で挑むのと、成績上位者とチームを組んで挑戦した場合、どちらの方が勝率が高いかなどわかりきった話だ。

 

「ま、勝つ気があるなら参加するのもやぶさかじゃねえな」

 

「そいつは上々。ところでもう一つ知ってるか?」

 

「何を?」

 

「これ、勝ったチームには教官のポケットマネーで高級ホテルビュッフェ奢りだって────」

「よし、絶対勝つぞ!! たとえ何が行く手を阻もうとも!」

 

目にも止まらぬ素早い動きでベットから飛び上がり、拳を天に向かって突き上げる峻を見て、「現金なヤツ」と言いたげなジト目で東雲がため息をついた。

だが敢えて言おう。欲望に忠実で何が悪い……と。

 

「さあて、やると決めたならやりますかねっと。ちょっくら出てくる。見回りが来たらよろしく」

 

「どこいくんだよ?」

 

部屋を出ていこうとする峻に東雲が疑問符を投げかける。だが峻がそれに答える事はなく、姿を消した。

 

 

 

 

 

そして演習訓練の日。

 

「案の定だな」

 

「まあわかってた話だ」

 

モニターを見ながら峻と東雲は納得するように頷いていた。訓練生のチームが教官の艦隊にことごとく返り討ちに合い、意気消沈しながら帰還していく。

 

「教官たち勝たせる気ゼロじゃねえか。艦種でそもそも向こうにハンデがある時点で厳しすぎるだろ」

 

「だな。こりゃ急遽作戦会議を開いた方がいいか?」

 

「んー、アタシは構わないよ」

 

「僕も異論はないね。それが有意義なものになるなら」

 

いつの間にか後ろに現れていた若狭と常盤に、好都合だと東雲が集めて端に寄った。

 

「どうする? ぶっちゃけ艦娘はある程度なら選べるみたいだが、そんなに数が豊富なわけじゃなさそうだ」

 

「僕も話は聞いてみたけど教官たちの艦隊、かなり全力の編成らしいよ」

 

「あちゃー。(たのし)いことになりそうだねー」

 

1名だけ言っていることがおかしい気がしなくもないが、スルーが暗黙の了解となっているため無視。状況を冷静に分析していく。

指揮できる艦娘に自由度は期待出来ない。教官たちの艦隊はかなり力が入っていて、戦力は明らかにこちらが不利だ。

 

「おい帆波。お前は何か案はないか?」

 

「勝てる手段か? あるっちゃあるぜ」

 

「あー、やっぱないよなーってはあ!? あんのかよ!」

 

ひとり無言を貫いていた峻にアイデアがあるとは思ってなかったらしい。東雲が目を剥いた。

 

「ただ幾つか確認したいことがある。若狭、ルールをもう一回教えてくれ」

 

「ルールっていってもね。チームについてのルールはあったけどそういうことじゃないんだよね?」

 

「ああ。今回の演習ルールだ」

 

今回、の部分に力を込めて峻が言った。チームについてのルールはどうでもいい。もうこれで通れた時点でこれ以上の確認は不要だ。

 

「演習のルールかい? 物凄く手短にあるだけだよ。『仮定敵艦隊をいかなる手段を用いても撃破せよ』ってね。要は教官の艦隊をすべて大破判定に持ち込めばこっちの勝ちってことさ。もちろんペイント弾を使用することって明記されてるけど」

 

「もう一つ聞くぞ。それ以外のルールはないんだな?」

 

「ないね」

 

端的な若狭の答えに峻が右の口角を吊り上げてニヤリと笑う。

 

「おい、何か考えがあるのか?」

 

「まあな。ただ艦娘を選んでからにしよう。それによって多少の修正が必要だ。それに、ほれ」

 

ブサーが待合室に響いた。前のチームが終了した合図だ。モニターに敗北の文字が現れた後に自分たちの名前が表示された。

 

「お呼びだ。行こうぜ」

 

「俺がチームリーダーなんだが……ま、いいか」

 

待合室を4人が出て廊下を歩くと、既に終了した一団が前方から肩を落として歩いてきた。

 

「どうだった……って聞くのはあれか」

 

「おう、帆波か。ああ、まったく。ボコボコにされたよ。教官もガチで来すぎだっての」

 

「ちなみにオススメの艦娘とかいるか?」

 

「ん? そうだな、オススメってのはいないが……あ、あの駆逐艦はやめた方がいいぜ」

 

「? どんなのだ?」

 

「左の壁際にいる吹雪型さ。あれだけはやめとけ。ま、選ぼうとしてもその前に向こうが拒否すると思うけどな」

 

「へえ……サンキューな」

 

「おう。お前らも頑張れよ!」

 

ヘラヘラと笑いながら去っていく同期たちを見送りながら歩みを進める。どうやら相当厳しいらしい。彼らの順位もそれなりのものだったはずだが、それがボコボコにされたということはどれほどの難易度か察してしかるべしだ。

 

「東雲、前へ」

 

目的地である教室の前に立っていた教官により、メンバーの確認。リーダーの東雲が代表として呼ばれて何かの問答をした後に、教官が4人に向かい合った。

 

「この部屋の中に艦娘が待っている。好きに選んで合計6隻編成までで艦隊を組むように」

 

「「「「わかりました」」」」

 

「それでは健闘を祈る」

 

部屋の戸をゆっくりと押し開けて部屋の中に入ると、そこにはまだ艤装を装着していない少女たちがいた。話し声が一瞬だけ止んで視線がこちらに向くが、すぐに互いのおしゃべりへと戻っていく。

 

早々に選んで退室していく3人を前に峻は悩んでいた。正直なところ、勝利にはあまりこだわっていない。だからこそ、適当に艦娘は選ぶつもりだった。その時、なんとなくさっき同期の奴らが言っていた例の吹雪型とやらが気になり、左の壁際にいる艦娘にふと目をやった。

 

青みがかった銀髪を持つ少女の燃えるような赤に近いオレンジの瞳には、期待も不満もなかった。

そこにはただ諦めの色が滲んだ闘志があった。

 

峻がゆっくりとその少女に歩み寄る。目の前に立たれた少女が目線を上げて合わせた。

 

「特型駆逐艦の吹雪型5番艦『叢雲』。あってるな?」

 

「……そうよ。わかったら私の前からさっさと消えて」

 

「へえ、なかなかこいつは」

 

「うっさいわね。さっさと消えなさい。目障りなのよ」

 

少女が真っ向から峻を睨みつける。だが立ち去ることなく目の前を塞ぐ峻に対して次第に少女は興味を失ったように目を伏せようとした。

 

「一つ教えろ。この演習、どう思う?」

 

「気持ち悪いわね」

 

「いいね。最高だ!」

 

「頭でも飛んでんじゃない? さっさと死ぬことをオススメするわよ」

 

「くく、いやわりぃわりぃ」

 

ツボにはまったのか腹を捩って笑う峻に対してゴミを見るような目で少女が睨む。

そしていきなり峻が少女の顔面に向けて拳を振るった。その拳を少女は何でもなさげに滑らかな動きで後方へといなすと、お返しに峻の顔を殴りつける。それを峻は体勢が崩れている状態にも関わらず、いとも容易く左手で受け止めた。

 

「もう一つ、気持ち悪いと思った理由は?」

 

「全員、勝つつもりがないことよ」

 

その言葉を聞いた瞬間、峻の中で全てが固まった。さっきまでのだらけた雰囲気が霧散し、少女を正面から見据えた。

 

「お前に決めた。駆逐艦叢雲、ついてこい」

 

「はあ!? 冗談じゃないわよ! 私は負けてもいいとか考えてる奴に指揮なんてされたくない!」

 

「勘違いすんじゃねえ。ほらさっさとついて来い」

 

指名されたからには拒否権は彼女にない。隠すことなく舌打ちをして、「なんでこんなのに……」などとぼやきながら少女が歩み始める。

 

「おい、お前は何を諦めてるんだ?」

 

「……それを教える義理はないわよ」

 

素っ気なく返されてしまえば取り付く島もない。致し方なくもあるが。何もしていないのに認めろと言われても無理がある。

 

「そうか。じゃあ見せてやるよ。事前に宣言してやろう。この演習、俺たちが勝つ」

 

「戦力差も分からないバカとはね」

 

「言ってろ」

 

充てられた部屋に入ると東雲たちが待っていた。東雲が選んだのは正規空母『翔鶴』。若狭が駆逐艦『長月』。常盤が同じく駆逐艦『若葉』。

 

いける。峻は確信した。

 

「すまんが俺の作戦を聞いてくれ。この演習、負けるわけにはいかなくなった」

 

再び口角を吊り上げるあの挑発的な笑みを浮かべて峻が言った。

 

 

 

 

 

ミニモニターの中で叢雲が艤装を装着して海に滑り出す。横には長月と若葉が続いた。

 

『帆波、駆逐隊の出撃を確認した。翔鶴の偵察機も全機発艦済みだよ』

 

『帆波クンに頼まれたものも射出したよん。オールオーケーだ』

 

「おっしゃ! 偵察機の報告が来たら教えてくれ」

 

「くくく、ははは! 帆波、お前めちゃくちゃなこと考えるな!」

 

「褒め言葉として受け取っとくよ」

 

爆笑する東雲の隣では峻がのんびりとした様子で、だが指は忙しなくホロウィンドウを弾き続ける。初の実戦だ。せっかくならデータを取って今後の参考にしておきたい。

 

「あのー、私は出なくていいんですか?」

 

「あー、翔鶴は大丈夫。ちゃんと役割があるっていったろ? 気まずいのはわかるがとにかくありったけ偵察機だしてくれ」

 

「は、はあ……」

 

困惑する翔鶴を宥め、報告を待ち続ける。まずは第一段階。敵艦隊の発見だ。だがこれはそう大して時間はかからないだろう。

 

「! きました! 敵艦隊発見!」

 

「編成は?」

 

「戦艦1、空母2、重巡1、軽巡1、駆逐1です!」

 

「わかった。引き続き翔鶴は偵察機を飛ばし続けてくれ。手筈通りにな」

 

「了解です!」

 

第一段階は難なくクリア。だが次の第二段階までは少々時間がかかると峻は踏んでいた。()()()()()()()()()()()()

 

「さあ、まだまだこれからだ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気に食わない。初めから人を小馬鹿にしたような態度で接してくるし、消えろと言ってもいなくなるどころか自分を指揮してみせると言い、戦場に引っ張り出した。どうせ自分を指揮することなど出来やしない。今まで司令官を名乗る人間がまともに自分を使えたことがあっただろうか。どうせ役立たずと罵られるのがオチだ。

 

『叢雲、聞こえてるな?』

 

「……」

 

『沈黙は肯定と取らせてもらうぞ。とはいえ別に大した指示は出さん』

 

「はあ!? 何のつもりよ!」

 

『出す指示はひとつだけだ。好きに暴れて来い。フォローはしてやる。以上だ』

 

ぶつん、と通信が途切れる。意味がわからない。指揮を執ると言っておきながら一切の手出しをせずに放任ときたものだ。まったくなにがしたいのだ。

そして。

この周りをすばしっこく動き回る薄い円盤状の物体はなんだ。

 

「敵航空隊、見ゆ!」

 

長月が叫んだ。対空装備もなし、直掩機もなしで艦載機の爆撃から逃れるのは不可能だ。

 

「これでは避けられないぞ」

 

若葉が状況にそぐわない落ち着いた声で警告。空母2隻ぶんとだけあってかなりの数が来るはずだ。

 

『さあ、初のお披露目だ! モルガナ起動!』

 

峻が叫ぶと叢雲たちの周りにいた円盤からそれぞれの姿とまったく同じホログラムが投影された。複数の叢雲に複数の長月、そして複数の若葉。

 

「なっ……これは何よ!」

 

『詳しい事情は省くが単純に言えば幻影だ。これで相手から的は絞られ辛くなったはずだ』

 

艦載機が襲来し、爆弾や魚雷を放つ。だが大量に生まれたホロの偽者に空母艦娘自身が混乱したのか、狙いに精細を欠いていた。囮のホロにはすり抜けられ、分散した攻撃を叢雲たちは易々と避けていく。対空砲火を続けながら叢雲は信じられない思いで自分と全く同じホロを見つめた。

 

「嘘……こんなことが…………」

 

『叢雲。そっちにいったぞ』

 

「っ!」

 

艦攻により放たれた魚雷が一条の航跡(ウェーキ)を残して叢雲に向かって突き進む。

しまった! ホロに意識を持っていかれていて避けられない!

 

『艤装のコントロール、一部もらうぜ』

 

機銃と爆雷投射機のコントロール権が持っていかれる感覚。直後に自分の意思とは関係なく機銃が魚雷に向かって撃ち込まれ、トドメとばかりに投げられた爆雷により魚雷の信管が起動し、叢雲に当たるまえに炸裂した。

 

『言ったろ? フォローはしてやるってな。そこ、着弾するぞ』

 

「……フン!」

 

叢雲がステップで着弾点から飛び退る。もう戦艦の射程範囲に入っているのだ。敵の第一次攻撃隊は帰ってくれたがこれから先は戦艦の、そして次第に重巡の射程に入り、遠距離からタコ殴りにされることになる。今は凌ぐことが出来てもいずれは限界が見えてくるはずだ。そう思っていたら、予想通りと言うべきか、少し離れたところで駆けていたホロを砲弾が突き抜けた。

確かにホロによって的を分散させ、当てさせないようにする手段は有効かもしれない。だが、そこから何もせずにいれば、いずれは限界を迎える。そして駆逐艦の射程は短く、戦艦や重巡と比べると大きく劣る。そのため、今現在、こちらは打つ手もなく、状況は最悪の方向へと傾きつつある。

 

あれは何も出来ずに追い詰められている癖に、どの口が勝ってみせるなどと言ったのだろうか。一瞬でも期待しかけた自分が愚かだった。

 

「ぐっ……」

 

『長月、ダメージコントロール。急いで』

 

「痛いな……」

 

『あははははっ! いいねー! もっともーっと撃ってこーい!』

 

長月を砲弾が掠めた。たったそれだけで小破判定にまで持っていかれてしまう。見れば若葉は中破判定にまでされている。何故か口元に笑みを浮かべているが、あまり深入りしたくないためスルーしておくことにする。

自分の現状を鑑みても、既に中破一歩手前の小破だ。次に攻撃隊が来襲したら凌ぎ切れるとは思えない。

 

『やりました! 目標、発見です!』

 

諦めかけたその時、翔鶴の声が響いた。それは反撃の号砲だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翔鶴が目標を見つけた。それが峻の作戦の肝となる部分だ。東雲と共にその目標に向けて走り、視界に収める。

 

「あの……本当にやるんですか?」

 

「ああ、やってくれ。大丈夫、もし何か言われたら俺たちに命令されましたとでも言ってくれ。いいよな?」

 

「俺に言ってるなら構わないぜ。帆波の作戦に俺は賛同したんだ。責任くらいは被るさ」

 

男2人がにやりと笑いながらゴーサインを出す。まだ翔鶴の躊躇いは消えていなかったが、強く押されてゆっくりと弓を引く。

 

「攻撃隊、発艦はじめ!」

 

艦爆隊が峻の指定した目標に向かって飛んでいく。そう、()()()()()()()()()()へと。

ペイントが司令部に降り注ぎ、指揮を執っていた教官がインクに染まった。更にダメ押しとばかりに峻と東雲の持つ小銃から吐き出されるペイント弾の餌食になる。

 

「食らえやああああ!」

 

「そらそらそらあ! インクに塗れろおおおおおっ!」

 

ひとしきりペイント弾をばらまいて、教官がピンクに染まったのを確認すると手に持った小銃を放り投げた。

 

「きっ、貴様ら何を……」

 

「いかなる手段を用いても敵艦隊を迎撃せよ、でしたね。常套手段では? 戦闘において、敵の司令部(あたま)を先に潰すのは」

 

「そういうことです。俺たちは一切ルールに反していませんよ?」

 

最高の、そして悪魔のような笑顔を浮かべた峻と東雲が教官を見下ろす。ルールにはペイント弾を使う事は明記されているが、小銃を使ってはいけないという文言は一言たりと書いていない。そして演習に参加しているの艦娘だけではない。司令官だって立派な演習参加者だ。攻撃してはいけないなんてルールは一切存在しない。

 

だから翔鶴により、偵察機マシマシで仮設司令部の位置を探ってもらい、教官を戦闘不能判定に持ち込ませる。叢雲たちには何とかしてその時間を稼いでもらう必要があったのだ。そのために、モルガナによって狙いを分散させて命中弾を減らし、回避率を上げていたのだ。

峻が司令部にある通信機に取り付き、首のコネクトデバイスに配線を繋ぐ。

 

「若狭、やってくれ!」

 

『了解だよ。30秒待って』

 

峻のデバイスを通じて若狭が司令卓の中枢部を制圧していく。きっかり30秒後に、教官サイドの艦隊に繋がったことを確認してからニヤッと笑い、口を開く。

 

「あっあー。君たちの司令部は占拠した。至急投降したまえ。繰り返す、投降したまえー」

 

『なっ……どういうことだ!』

 

「どういうことも何もそういうことでーす。で、降参してくんない?」

 

『何を言う! この長門、途中で投降するなどということはせん!』

 

「あー、やっぱそうなるよね。おし、東雲、やっちゃってくれ」

 

「おっ、なら存分にやらせてもらうか!」

 

東雲が空母の発艦させた攻撃隊のコントロール権を司令部のパスを使用して奪取。全ての艦載機が発艦させた彼女たち自身に襲いかかる。同時に峻が長門の主砲のコントロール権をこれまた無理やり制御下に。一斉射撃を無防備に背中を晒していた重巡と駆逐艦の艦娘へと叩きつける。

 

「はーっはっはー! 愉悦ッ! 圧倒的愉悦ッ!」

 

完全に入ってはいけないスイッチの入ってしまった峻が高らかに叫ぶ。ついさっきまでは無傷だったはずの教官艦隊は既に空母2隻に重巡、駆逐艦が大破判定にまで追い込まれていた。彼女たちは味方だったはずの者から攻撃を受けて、浮き足立っていた。

 

『くっ、卑怯な!』

 

「卑怯上等! 何とでも言え! よかったな。もしこれが実戦だったら全滅だぜ?」

 

ぼそっと東雲が「こんな実戦あってたまるか」と呟いた気がしたがきっと気のせいだ。そうに違いない。

 

「撃て撃て撃てぇ!」

 

今度は軽巡の主砲を操り、長門に向かって砲撃する。その合間を縫うように東雲が駆る攻撃隊が爆撃していく。だが決め手に欠ける。駆逐艦の火力などたかが知れているし、空母を撃破した攻撃隊はもう大して爆弾が残っていない。そしてこの軽巡は利口なことに、長門たちの装備のコントロール権が奪われたと分かると魚雷を素早く海中投棄していた。

 

「厄介だな。削り切れるか?」

 

「心配性だな、東雲。問題ない。こんだけやればそろそろ来るはずだ」

 

「何が……ああ! なるほどな」

 

東雲が何かに納得すると同時に長門に向けて砲撃していた軽巡に突如、大破判定が下る。撃った人物は青みがかった銀髪を揺らしながら魚雷発射管を長門に向けて狙いを定めた。

 

『沈め!』

 

圧搾空気が解放されて放たれた全ての魚雷が長門に向かい、海を割って猛進する。水柱が連続して高々と上がり、長門に命中したことを示した。

 

「まだだ! 中破で耐えやがった!」

 

手元のホロウィンドウを覗くと、叢雲の魚雷発射管は『Empty』の表示を叩き返してきた。これでは叢雲の攻撃に期待出来ない。

だが止まることなく、叢雲は長門へと突撃。滑るように近づくと振りぬかれた長門の拳をするりとかわして、鳩尾に右肘をめり込ませた。怯む長門の腕をつかみ、梃子の原理で長門をひっくり返す。

 

『落ちろ!』

 

「はっはっは。確かに叢雲は魚雷の残段数がゼロだ。けど……」

 

したり顔で峻が呟く。それと同時にざあっと海上に新しい影が現れた。そのふたつの影は魚雷発射管を倒れた長門に向けて一斉に発射する。

 

「けど長月と若葉はまだ一発も撃ってないもんな」

 

放たれた魚雷が長門に刺さった。水柱どころかペイント柱があがり、最後まで残り続けた長門にもついに大破判定が下った。これで教官艦隊は全艦、大破判定が下りたことになる。

 

「つまり俺たちの勝ちだ。状況終了。総員帰投だ。さて、教官どの?」

 

コネクトデバイスに繋がっていた配線を抜いてカラフルな教官を見下ろす。もはや純粋とすら言える欲望丸出しの笑顔。または殴りたい笑顔とも言う。

 

「高級ホテルビュッフェ、()()8()()がゴチになりまーすっ」

 

「待て! 8人!? 4人じゃなくてか!?」

 

「あっれれー? おっかしいなぁ。俺たちと艦娘たち合わせたら8人ですよねえ? それに? 艦娘には奢らないなんて一言たりと言ってませんでしたし? んじゃ、この訓練終わったら呼んでくださいねー。それじゃっ!」

 

呆然としている教官を放置して、ひらひらと手を振りながら峻が意気揚々とペイントまみれにした司令部を去っていく。その横に東雲がならび、翔鶴が申し訳なさそうに一礼するとその後に続く。

 

「シュン、お前やるじゃねえか」

 

「そいつはどうも……っておよ? 呼び方変わってるぜ?」

 

「別にいいだろ? お前とは仲良くやれそうだからな。相部屋だしよ」

 

「ほう? ま、そういうことならこれからもよろしくな、マサキ」

 

ともかく若狭たちと合流して、この訓練が終わるまで勝利の余韻に浸りながら待つとしよう。同期たちが勝てなかった中で自分たちだけ勝てた優越感はなかなかのものだ。

 

悠々と引き上げていると、目の前に少女が立ち塞がった。オレンジの瞳がキッと峻を見据えている。

 

「……シュン、先行くぞ」

 

「わかった」

 

「翔鶴、ほら」

 

何かを感じ取った東雲が翔鶴を伴って叢雲と峻を残し、戻っていく。その影が消えるまで待ってからおもむろに峻が互いの距離を詰めた。

 

「演習お疲れさん。悪かったな、乗ってないのに引っ張り出しちまってよ」

 

「最後の雷撃」

 

「あ?」

 

「最後の雷撃、全弾撃ってそのうち半分当たればいいとこで私は撃った。なのに命中率は8割を超える事態。一体何をした?」

 

峻が感心したように口笛を吹いて手を叩く。叢雲はつまらなさそうに鼻を鳴らした。

 

「俺が演算補助に入ってただけだ。最初に言ったろ? フォローはしてやるってな。それに……」

 

「それに?」

 

「始めに拳を交わしたときに気づいたよ。お前は手練だ。完全に近接特化タイプのな。動きが滑らかなのはすり足を使ってるんだろ? 重心移動もうまかったしな。そして海上での対空砲火を見て、砲撃の腕にまだ甘さが残ることもわかった。それでも勝つつもりなら選択肢はギリギリまで接近した上で雷撃するしかないよな? そこまでわかってりゃ魚雷発射体勢前に演算式構築しとくくらいは訳無い」

 

「たったあれだけの動きでそこまで……」

 

「真剣に相手を見ようとするなら十分過ぎるほどだったよ。ま、そこまでわかれば何が得意で何を狙いにして動くかの予想が大まかにつけられる。あとは好きに暴れさせて、苦手な範囲のヘルプや意識外からの攻撃の警告さえすれば問題ねえ。特にお前の場合は地がしっかりと固まってたから余計に、な」

 

峻の冷静すぎるまでの分析を受けて叢雲が押し黙った。もう言う事はないのだろうと判断した峻が片足を前へと踏み出す。

 

「あんたが初めてよ。ここまで上手く私を使ったのは」

 

「使う? 違うな。俺がやったのはただお前が持つ本来の実力を引き出す手助けをしただけだ」

 

「っ……」

 

「ほら、行くぞ。俺は早くビュッフェにありつきたいんだ。全員しっかり揃わなくちゃ締まらんだろ」

 

ポケットに手を突っ込むとまた歩き出す。その後方で距離を開けながら叢雲もゆっくりとその後に続く。

 

「ねえ、なんで私を選んだの?」

 

「あの待機してた艦娘たちは俺たちが入ってきた時にも一瞥しただけでそこからはまたおしゃべりが再開してた。真剣に俺たちを値踏みしてたのはお前くらいなもんだ。近くに行ってから気づいたよ。こいつだけは全力で勝ちに行きたがってるってな」

 

あの時点では負けてもいいどころか、手を抜いておこうと思っていた。作戦がある、などと言っておきながら最初告げようとしていたのは、モルガナで混乱させるだけさせて後は3人に投げるという、自分の負担を減らすためだけのものだった。だが真剣なこの少女を見て気が変わった。そこまでやる気ならとことん付き合ってやろう。そんな覚悟があのときに胸の中で固まった。

無茶苦茶ではあったが、あの作戦が出来上がったのは叢雲のおかげと言えるのだ。穴だらけな事は否定しないが。翔鶴が司令部を発見するのが遅れたら。叢雲たちがそこまで耐えきることかできなければ。仮設司令部が遠過ぎればだめとかなりの運要素があった。

 

「ま、終わりよければすべて良しってな」

 

「待ちなさい。終わりよければってどういうことよ!?」

 

「サア? ナンノコトヤラ……」

 

「ちょっ、説明しなさいよ!」

 

「だが断る!」

 

「逃げるなー!」

 

脱兎のごとく駆け出した峻を叢雲が追いかける。一見すると怒った様子の叢雲だが、もうその瞳に諦めはなく、光が宿っていた。

 

 

 

なお、ビュッフェなら出資は大したことないだろう、と慢心していた教官だが峻たちが競うように高い酒を開けまくったため財布、というか貯金が大破どころか轟沈して夜1人で枕を濡らしていたとか。

 

更に、翌年以降からは『司令部への襲撃を固く禁ず』というルールがしっかりと明記されるようになり、それと共にかつて教官の仮設司令部をペイント弾で襲撃して勝利したチームがいた、という伝説が海大に刻まれることとなった。

 

そしてもうひとつ、小さな変化があった。

嘘と真。真の中にある嘘と嘘の中にある真。ホログラムと実体が交錯し、現れては消える幻に敵は惑わされ、彼の手のひらの上で転がされる。その戦闘を見て誰かがこう言った。

 

『幻惑』の帆波、と。

 





さーて、書き終わった書き終わった。何文字かなあー
(ポチッ

>1万字オーバーやで

ファッ!?

一瞬目を疑いました、ええはい。分割しての投稿も考えたけどめんど……上手いところで区切れなかったんやで。
欧州編をほっぼりだして何やってんだって感じですがどうしても進水日記念がやりたかったんです! 許してつかあさい。なんでもしまかぜ。(するとは言ってない)

感想、評価などいつでもお待ちしております。それでは!


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第三章 欧州訪問編
次なる舞台はヨーロッパ⁉︎


こんにちは、プレリュードです!
さあさあ新章突入ですよ!どこの桜高校軽音部だよ!という感じですがロンドンにはたぶん行かないです。

とにかく参りましょう!それでは新章、抜錨!


カタカタとキーボードを叩く音と工具が金属に当たる音が工廠に反響する。

 

「明石、艤装の修理状況はどうだ?」

 

「そうですねー。夕張のと榛名さんと陸奥さんのは本格的にやらないと厳しそうです。それ以外はだいたいオッケーかと。あ、でも北上さんの艤装も結構ひどいかもしれませんねー」

 

瑞鶴さんの艤装は飛行甲板の取り換え程度で済んだから軽かったけどやっぱり主砲一門以外は全部なくなってる榛名さんのとかはちょっとここにある機材だけでは直しきれないから取り寄せるか工場に持ってくしかないかな。

 

「損害が軽いやつを優先的に直してやってくれ。いざという時に動けるのは多いほうがいい」

 

「了解です!さあ、バッチリ直しちゃいますよー!」

 

空母の艤装は2つとも修復は終わってるから制空に関しては問題ないですし、提督らしい判断だなあ。

たぶん前の叢雲ちゃんの轟沈未遂が響いてるんだろうけどまあ別に関係ないか。私は言われた通りに直すだけだし。

 

「提督ー。そっちはどうですー?」

 

「モルガナは整備完了だ。とはいえバッテリー変えるだけだけどな。天津風のパラレルシステムの方は自律駆動砲を直してシステムの確認してる。脳にダイレクトに関係するモンだからちゃんと見とかねぇといけないからな」

 

提督はホロウィンドウをスクロールしながら目を走らせて確認している。同時にあと4つも端末をコントロールしてるのは毎度の話で慣れてしまったが、よく考えるとすごいことだよな、と思う。

確かに被装着者の体に影響が出る可能性があるから慎重になるのもわかるけど、脳にダイレクトにってそもそも艤装の制御自体が脳からの電気信号で操ってるからパラレルシステムだけに限らず全てそうなのに。

まあ正式に発表されてる技術じゃなくて提督のオリジナルだからちゃんと確認しときたいって気持ちはわかるけどね、技術屋として。

 

カチャカチャと工具を使って壊れた部位を直していると提督の首のデバイスが鳴った。

 

「はいはいー。俺だよ、俺ー。実はちょっと事故って金が必要でさー。この講座に振り込んでくんない?」

 

『……なんでかけられた側がオレオレ詐欺やってんだよ』

 

「おふざけ。だいたい横須賀からの通信なんてマサキ以外にいるわけないだろ」

 

『そうだけどよ。てか金なら入ったろ、ウェーク島の褒賞金で』

 

「あぁ、あれ?うちのやつらで山分けしたから俺の手元には元の10%くらいしか残ってない」

 

『艦娘に配ったってことか?お前らしいや』

 

ちなみに私ももらいましたよ。元の金額が大きかったのでみんなで分けてもそれなりの額にはなりました。次の非番の日を狙って夕張でも誘ってジャンクパーツ屋でも漁ってみようかな。

 

「あんだけ無茶させたからボーナスぐらい弾んでもバチは当たらねえだろ。そもそも俺のポケットマネーだから上に文句言われる筋合いは無いしな」

 

『別に難癖つけるつもりはねえよ。それだってお前のやり方だし、しっかり館山基地が回ってれば俺としては構わねえんだ』

 

「んで?何の用だよ。また面倒ごと押し付けにきたんじゃねえだろうな?」

 

『どっちかっていうと押し付けるのはお前だろ……。まあ今回に限って言えば当たってるんだか』

 

「そうか。断る。じゃあな」

 

『おいバカ待て切るな!今回の件は断られると国際問題に発展するんだよ!』

 

ほほう。国際問題とは随分と大きな話が出てきましたなあ。盗み聞きみたいでちょっと悪いなとは思うけど聞こえるんだからしょうがないよねっ!

 

「国際問題だと?何事だよいったい」

 

『それはな…………』

 

「「はぁっ⁉︎」」

 

いけない!声が出ちゃった!

提督にジロリと軽く睨まれて手刀を切って謝まる。

あれはたぶん聞いたことを怒ってるんじゃなくて声を出したことを怒ってるんだろうな。

 

「さっきのマジか?」

 

『マジもマジ。大マジだ。先方からのご指名だぜ。お前も名前が売れたからな』

 

「クソッ。何人だ?」

 

『4人だと。それはそっちで適当に選んでいいがある程度制限は付くからな』

 

「俺は急病で倒れたことにしちゃダメか?」

 

『俺の一存で決められるわけねえだろ。話はもっと上だ』

 

「だよなー」

 

提督 から ”めんどくさいオーラ” が漂い始めた。

 

そんな表示が出そうなくらいどんよりとしている。あれ本気で嫌がってるやつだ。苦し紛れで急病とか言ってるあたり結構ガチで。

 

『とにかく伝えたぞ。急病で休みたけりゃカルテのコピーでも貰え。ま、いたって健康って書いてあるのがオチだと思うがな。じゃあな』

 

「医師免許でもとるか」

 

『取れるもんならとってみやがれ。じゃあな』

 

「わかりましたよーっと。じゃあな」

 

ピッと通信を切り一コマのタメ。そして。

 

「はあぁぁぁぁぁぁーーーー」

 

このため息である。どれだけ気がないのかよーくわかる。

 

「あー明石、悪いけどあと頼んでもいいか?」

 

「問題ないですよっ!この明石にドンと任せて提督は行ってきてください!」

 

「なら頼むわ。あとよろしくな」

 

ガシガシと頭を掻きながら工廠から出て行く。このあとに放送で何人か呼び出すのだろう。

ご愁傷様です、と明石は心の中で合掌した。

 

なんで本当にはやらないかって?両手は工具で塞がってるから実際にはできないのよ。仕方ないよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

和弓の弦をキリキリと引きながら心を落ち着けて60mほど先にある的を見据える。

吸って、吐いて、吸って、吐いて。

呼吸を合わせていき、ピッと弦を離すと射られた矢がひゅうと翔び的に突き刺さる。

 

まあまあ、かな。まだ加賀には追いつかない。でもいつか必ず抜いてみせる。

 

演習場の隅に置いておいた手ぬぐいで額につたう汗を拭い、ペットボトルのキャップを開けると甘酸っぱいスポーツドリンクを喉をゴクゴクと鳴らして飲む。

 

喉の渇きを潤していると演習場についているスピーカーがガツッと鳴り、放送が流れることを予感した。

 

『あーあー、テステス。秘書艦叢雲から連絡。瑞鶴、鈴谷、ゴーヤ、以上3名は執務室まで来るように。繰り返す。瑞鶴、鈴谷、ゴーヤ、以上3名は執務室まで来るように』

 

いきなり放送で呼び出すって何事だろ?特にメンバーに関連性があるようには思えなかったけど。

まぁ、呼ばれたんだから行かなくちゃ。

 

「あっ……。さすがにこの格好で行くのはね…………」

 

今の姿はいつもの道着姿だ。

だけどさっきから運動していた所為で道着はグッショリと汗で濡れて肌に貼り付いている。

うら若き乙女が汗くさい格好で異性の前に姿を晒すのはちょっと、ね。

うん、シャワーだけでも浴びとこ。

 

手ぬぐいとペットボトルを手に取ると演習場の中に併設されているシャワールームに向かう。

手早く道着を脱いで熱いシャワーを浴びる。ボディソープの泡を手で落としながら瑞鶴はある一点に視線を落とした。

 

うぅ、加賀とか陸奥とかはあんなにあるのになんで私にはないのよ……榛名もサラシで隠してるけど結構あるし……矢矧もあるし実はゴーヤも……

 

哀しい考えを振り払うかのように頭をブンブンと左右に振ると、シャワールームから出て、体の水気をバスタオルで拭き取り着替えを着て、髪をドライヤーで乾かす。

ちなみにこのシャワールームの水道代やらガス代やら石鹸その他小物などは全部を提督さんが軍の経費でおとしているらしい。仕事してないように見えて意外としたたかな手を提督さんは知ってると思う。

 

完全に乾かす時間はなさそうだからざざっと乾かすと演習場を後にして執務室まで小走りで向かう。

もうみんな着いてるかな?たぶん着いてるよね。

 

執務室の前に着くと息を整えてノック。

 

「瑞鶴よ」

 

「ほいほい、はいれー」

 

間延びした提督さんの声に押されてドアを開ける。

やっぱりもう集まってるや。

 

「ごめん!遅れちゃった!」

 

「別に鈴谷は構わないよー。のんびり雑談してただけだしー」

 

「全員集まってから話したかったんだ。これで叢雲と瑞鶴、鈴谷、ゴーヤと揃ったな?んじゃ、本題に入ろう」

 

「提督ー。話逸らさないでよー。で、好きな女の子とか彼女とかいないの?」

 

「やかましい!俺は黙秘権を行使する!」

 

「むぅ、つれないなぁ」

 

雑談っていうより提督さんが一方的に聞かれてただけだね、これは。

 

「あー、とにかく本題に入るぞ?ここにいる4人は俺と一緒にヨーロッパに行ってもらう」

 

…………は?

 

「てーとく!どういうこと?」

 

「説明すると長いんだが、とりあえずお前ら今のヨーロッパってどうなってるかわかるか?」

 

「えーっと、深海棲艦が出現してからしばらくは荒れたけど艦娘が登場してからはヨーロッパの国々が集まって連邦国家が形成されたんだっけ?」

 

「瑞鶴、正解。それで3、4ヶ月ぐらい前に北海油田防衛戦が起きたわけだが、防衛に成功したのはいいものの、主力がかなりやられたらしくて向こうの艦隊は数は戻ったものの現在練度不足なんだと。で、国外(そと)に手を出してる余裕がある日本海軍(うち)に期間限定の教官やってくれってオファーがあったんだとさ」

 

数は戻ったってことは撃沈が結構いたってことよね……。それだけ激しい戦いだったんだ。でも欧州連邦としても北海油田は貴重な油槽だからなんとしても守らざるを得ないよね。でも艦娘が沈んだのはちょっと悲しいかな……。

 

「俺が不在の間、館山はマサキの手の者が見ててくれるらしい。信用できる奴だって言ってたから問題ないだろ」

 

「でもなんで館山(わたしたち)なのよ?」

 

「ウェーク島のことが世界中に知れ渡ってるからだろうな。それでわざわざ名指しで俺を指名してきたってとこか。それに日本は石油を欧州連邦からも輸入してる。無視はできねぇだろ」

 

「うーん、それはわかったけど私じゃなくてもいいじゃない。それこそ加賀とか赤城さんとか二航戦のふたりとか正規空母は他にもいるよ?」

 

まだ私は一航戦には及ばない。教官役として派遣するだけなら別にうちの部隊以外からも呼べるはずだしもっと腕のたつ人もいるはず。

 

「一航戦は基本的には国内から動かせないって決まってるし、二航戦は現在ウェーク島の防衛に2人ともついてる。翔鶴は横須賀鎮守府の秘書艦で動かせるわけがない。大鳳は北方海域で、雲龍型は各所でドンパチやってる。手が空いてて同時に動かせるのはお前しかいないんだよ、瑞鶴。ま、向こうの艦載機運用が生で見られるんだ。いい機会だし勉強にもなると思って受けてくれや」

 

「む………そういうことなら仕方ないね。わかった!ヨーロッパついてくよ。よろしくね、提督さん!」

 

「おう。頼むぜ、瑞鶴」

 

「ねっ、鈴谷は?」

 

「榛名と陸奥の艤装は現在進行形で修復中だから連れてけないだろ?だけど鈴谷の艤装は完全に直ってるし砲撃の腕もあるから指導は出来るだろ?それに巡洋艦全般に通用する技術を重巡も航巡も経験してるお前なら持ってる。適任だろう?」

 

「うん、よくわかんないや。とにかくついてくねっ!」

 

「お前なんで聞いたんだよ……」

 

「まったくよ……」

 

提督さんと叢雲がまったく同じ動きでこめかみに手を当てて呆れ返る。

私もそうしようか一瞬悩んだのは秘密だ。

 

「てーとく、ゴーヤはなんででち?」

 

「ん?ゴーヤは潜水艦の指導役だぞ。ウェークの戦果とか演習記録とか見てみたが魚雷の命中率が高い。これは潜水艦としての動き方に成熟してるって証拠だろ。だからだよ」

 

「わかったでち!教官役は任せて!」

 

………提督さんは言わなかったけどゴーヤを他の人に任せるのはまだ早いと思ったから連れてくんだろうな。

 

「ま、そういうわけだ。出発は3日後らしいから準備だけしといてくれ。せっかくのチャンスだ。ヨーロッパ観光でもしようぜ?」

 

「ちょっと!遊びに行くわけじゃないのよ!」

 

「わかってるって。ただ自由時間とかもあるみたいだからその間に遊ぶくらいいいだろ」

 

やたっ!この前ボーナスをもらったばっかりだからパーっと使っちゃおっかな?

何買おう?新しい洋服とか買っちゃおっかなー?化粧品とかバックとかも欲しい。

使うところあんまりないけど、でも普通の女性としておしゃれしたいじゃない。

 

「んじゃ、解散。3日後に向けて着替えとか洗面具とかカバンに用意しとけよ。手持ち金もそれなりにな。あと……」

 

執務机の引き出しをガラリと開けると机の上に峻はゴトリと拳銃を置いた。

9mm拳銃。日本海軍が正式に採用し、配備している拳銃だ。ひと昔前に存在した銃刀法違反は改正され、民間人ですら申請さえすれば拳銃なら持てるご時世で軍人が持っていないわけがない。

峻の愛用のCz75は軍に申請してあるので使用許可が下りているから使用しているが、基本的には軍人には9mm拳銃が渡される。

 

「これ、持ちたい奴は言え。今回は海外だ。なにがあるかわからんから俺の判断で渡してもいいと言われてる。護身用として持っていても損にはならないだろうな」

 

「それは………」

 

「別に断ってもいい。ただ、必要なら言え。お前らは書類上では兵器扱いだがそんなもんは俺から言わせりゃクソ食らえだ。お前らは人間だ。だからこそ(こいつ)を持つか持たないか自分の意志で決めてくれ。別に持つからどうだとか持たないからどうだとか言うつもりは俺は一切ない」

 

「「「…………」」」

 

でも拳銃(それ)は人殺しの道具だ。

けれど提督さんは拳銃(それ)を自分の身を守るためのものだと言う。

どっちが正しいんだろう。

 

瑞鶴は頭を悩ませた。

けれど自分に聞けば答えは(おの)ずから出るのだった。




瑞鶴の貧乳ネタをついにやってしまった……
遠くから艦載機の音が聞こえるよ、うふふふふ。

そういうわけで手早くいきます。
いきなりオレオレ詐欺をやったりとネタ回のように見えながら、ちゃっかり世界観の設定を入れたり後半の拳銃携帯についての重い話を入れたりとシリアスさんも顔を出す回でした。
感想、評価などお待ちしております。

それでは私は爆装した艦載機から逃げるのでここで。


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現実逃避のお茶会は


こんにちはプレリュードです。
イベントを回そうにも母港枠が限界を迎えて出撃できない今日この頃です。三隈とかシオイとかユーちゃんとかドロップしたのは嬉しいんですけどね。
魔法のカード(DMMカード)を買うべきなんだろうか……
今いる娘たちを解体するのはちょっとあれだしでも金銭面的にもすこし厳しいし……

そんなこんなでヘタレ続けてますが本編参りましょう。


 

「じゃあ、失礼しました」

 

「おう、急に呼び立てて悪かったな」

 

瑞鶴たち3人が執務室から出て行き、峻がそれを見送る。

その最中で叢雲は秘書艦用の椅子に座り、後継ぎの書類の作成に勤しんでいた。

 

「やっぱあいつらは断ったか」

 

んーん、と言いながら椅子に深くもたれて背骨を伸ばし、首をぐるりと回した。

 

「あんた断られるってわかって聞いたでしょ?」

 

「わかってた、とまでは言えねぇな。薄々そんな気がしてたってレベルだ」

 

瑞鶴たちは結局、拳銃の携帯を断った。

理由はいたってシンプル。

”自分たちは人を守るために戦っているのにその人を傷つけるなんてできない”

とても美しくて素晴らしいことだと思う。

 

「で、お前はどうする?持っとくか?」

 

「…………えぇ、もらっておくわ」

 

椅子を引いて立ち上がり、執務室に歩み寄ると机の上に置かれた9mm拳銃を手に取った。

ひんやりとした金属の手触りと艤装と比べるとはるかに軽い、それでも確かなずしりとした重みを感じた。

単純な重量だけではない命を奪う重み。

 

今でも覚えている。

初めて人を撃った瞬間を。

ビリビリとリコイルショックの震動が身体中を這いまわる嫌な感触と呆気なく倒れた人の姿を。

 

 

マガジンを一度抜いて弾が装填されているか確認し、ガシャッと銃に叩き込む。安全装置はちゃんと掛けられているから暴発する心配はない。

 

人を守るために深海棲艦と戦う。立派で気高いことだ。けどそのためには自分の身を守らなければいけない。

だから私は拳銃(これ)を手に取る。撃ったことがないわけじゃない。構え方も撃ち方もわかる。

 

「そっか。お前は持ってくか」

 

「私が持ってくのわかってたくせに。知らないとは言わせないわよ?」

 

「……ああ、確かに知ってるよ」

 

司令官は部隊の艦娘の履歴を見ることができる。ならば知ってるに決まっている。特に艦娘を人として扱うこいつが調べていないわけがない。

そして自身も経験し、そして潜り抜けたあの事件の名前を見つけて覚えていないわけがない。

 

()()()()()()()()()()()()()()。別に人を撃つのは慣れてる」

 

それに人を殺すことも。

 

「………ま、持ってくなら持ってけ。俺の許可なく撃つことは出来ないが何かの時の護身用くらいにはなる。が、あくまで念のためだ。撃たないに越したことはねぇ」

 

「そうね、それを祈るわ」

 

「ほれ、軍支給のホルスターに替えのマガジン。持ってけ」

 

ちなみに峻のショルダーホルスターとマガジンポーチは自前である。軍支給品は俺は使いなれてないからやりづらい、と自分用を使っている。

 

「もらうわ。じゃ、私も荷物のパッキングがあるから」

 

「りょーかい。ほれ行ってこい。細かい引き継ぎ書類は俺がやっとくから」

 

ひらひらと手を振り執務室を出ようとドアに向かい歩く。他人に私物を見られたりするのは嫌だからちゃんと鍵つきのカバンにしとかないと。

それに拳銃盗まれたりしたら大変だし。

 

「じゃ、しっかりやっときなさいよ」

 

「わかってるって。信用ねぇなあ」

 

「人の隙を見て執務室を脱走してた男に信用なんてあるわけないじゃない」

 

ま、最近は大人しいけど。少なくとも3階の窓から飛び降りたり、壁をつたって屋上に逃げたり、隣の建物にワイヤー打ち込んでターザンロープよろしく滑っていったりとアクロバティックなことはしなくなった。

まあついこの間、執務室に別で掛けた南京錠をピッキングで無理やりこじ開けて逃げたけど。またあの演習地獄が到来しかけて逃げ出そうとしたのが理由だ。

結局すべて断って事なきを得たけど。それに私もあれはもうごめんよ。少し記憶が飛んでるし。

 

執務室のドアをパタンと閉めると自室に向かって歩みを速めた。

何を持って行こうかしら?

ていうかそもそも教官ってなにをすればいいの?

 

………とりあえず伊達メガネでもかけとこうかしら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

所は変わって横須賀。

 

「案の定、というかやっぱり帆波大佐は嫌がりましたね」

 

「そうだな。まあシュンの面倒くさがりはいつものことだ」

 

将生さんが顔をしかめながらスラスラと書類を進めていく。

帆波大佐だけに限らずいきなりヨーロッパに行け!なんて言われたら誰だって嫌がるものよね。私も言われたら正直困惑すると思う。

 

「でも受けてくれないと本当に大変なことになるところでした。話を受けてくれた大佐には感謝ですね。提督もお疲れ様でした」

 

「ああ、ありがとよ。実際かなりゴネたが……」

 

「仮病使ってまで逃げようとしてましたよね?」

 

「そうそう。しかも嘘カルテ作るために医師免許まで取ろうかと真剣に考えてたぞ。いやー、あれは笑ったね」

 

「そんな簡単に取れるものじゃないですよね、医師免許って」

 

「あいつなら結構あっさり取ってきそうで怖いな」

 

さすがにそれは………いえ、ありえないとは言い切れないわ。

 

「欧州連邦とはいい関係を築いておかないとマズイからな。ロシアからも来てるとはいえ石油のパイプラインを一つ失うのはな」

 

そもそも日本の埋蔵量だけでは3日と保たない。世界の鉱石標本所といわれるだけあって種類は採れても量は採れないのだった。そのため、日本は世界に艦娘の艤体の方を輸出し、世界から資材を輸入するという関係がなりたっている。現在、日本以外の国で艤装は生産できても妖精が作る艤体の方は作れないからだ。

 

「それにしても大佐は相変わらずの巻き込まれ体質ですね」

 

「今回はあいつの蒔いた種だろ?ウェークで派手にやったしな。人類初の奪還!とか言われてるけど本人からしたら手柄は他人に譲っていいからほっといてくれ!って感じだろうけどな」

 

「たしかに。大佐はそういうお方ですね」

 

翔鶴が口に手を当てて控えめにクスクスと笑った。

実際にそう言っている姿がありありと目に浮かぶ。

 

「そういや、シュンが連れてくメンバーに瑞鶴選んでたぞ」

 

「えっ、ほんとですか?」

 

あの子大丈夫かしら。ちゃんと礼儀正しく静かにしていられる?忘れ物とかないように持っていくべきもののリストを送ってあげたほうがいいかしら。向こうの水道は飲んじゃダメって教えとかないとお腹壊しちゃうし他にも……

 

「ぷっ!翔鶴、心配しすぎだ!」

 

瑞鶴の名前が出た途端にオロオロし始めた翔鶴をみて東雲が笑う。

 

「当たり前ですっ!あの子は大事な妹なんです。心配するに決まってるじゃないですか。将生さんも笑わなくてもいいのに……」

 

大佐が付いていてくれるならそこまでま心配する必要はないとは思うけどそれでも……

ああ忘れ物とかしないといいんだけど大丈夫かしら。

 

「翔鶴、呼び方戻ってるぞー」

 

「あっ……しっ、失礼しました!」

 

「いや、別にそこまでかしこまらなくてもいいけどよ…」

 

私はこの人のことを呼び分けている。仕事中は提督、プライベートの時や非番の時は将生さん。

以前、そんな風にお堅く呼ばれると肩が凝ると言われて以来、妥協点としてさん付けで呼ぶようにしているけどそれを間違えて使ってしまった。

 

将生さんがどこかバツが悪そうにポリポリと頬を掻きながら話題を戻すぞ、と言った。

 

「シュンの奴が付いてるし大丈夫だろ。あいつは仲間を見捨てるような奴じゃない。仲間を騙しはするけどな」

 

「最後の言葉で一気に不安になりましたよ………」

 

将生さんがカラカラと笑う。もう。大佐も大佐だけどこの人も大概だと思うわ。

 

「他の人間も行くから大丈夫だって。向こうでの艤装の警備員も行くし司令官もあいつ一人だけじゃない。別でもう一人行くって聞いてるからそっちを頼ることもできるだろ」

 

「その人は大丈夫なんですか?」

 

「さあ?あれだったら今から見てみるか?」

 

「お願いします」

 

あいよ、と将生さんが首のデバイスからホロウィンドウを開き、軍のデータバンクにアクセスする。

横須賀を管理している中将だけあって6つのレベルの中でレベル5まではアクセスが可能らしい。

調べたい欧州連邦への使節はそこまで重要案件とも思えないからせいぜいがレベル3といったところかしら。

 

翔鶴が東雲が調べ終えるのを待っているとコンコン、とドアがノックされてお盆を持った吹雪が部屋に入ってきた。

 

「失礼します!お茶を持ってきました」

 

「あら、吹雪ちゃん。ありがとう。そこに置いといて」

 

「はい!翔鶴さん、いつもお疲れ様です!」

 

はきはきと喋りながら吹雪がお盆からお茶を机に置く。

 

「翔鶴さん、司令官はなにを調べているんですか?」

 

「欧州連邦への使節のメンバーよ」

 

「あっ!聞きました。たしか叢雲ちゃんも行くんですよね!」

 

「まあ帆波大佐の秘書艦だし行くと思うわ」

 

「いいなー。叢雲ちゃんヨーロッパかあー。楽しいんだろうなー」

 

ニコニコと笑いながら吹雪ちゃんが少しだけ離れた妹を羨む。

叢雲ちゃんが沈んだという報せが来た時、吹雪ちゃんもひどく落ち込み泣き腫らした目をして歩いている姿をよく見かけたけど生きてたと知って本当に嬉しそうだった。

今も元気そうだしよかったわ。

 

 

「お、あったあった。えーっと誰が行くのかなーっと。………げ」

 

ようやく見つけたらしい将生さんの口から嫌な音が聞こえた。

 

「………げ、ってどういうことですか?」

 

まさか鬼畜な司令官なの?もしかして瑞鶴がひどい目に遭わされるんじゃ…

 

「翔鶴さん、ちょっと怖いです……」

 

いけないっ。平常心、平常心。

 

「別に翔鶴が思ってるような暴力的な人間とかじゃないぞ。ただなあ……」

 

「ただなんなんですか?」

 

「うーん、こいつは苦労するぞシュン。ある意味お前より扱いは面倒なタイプだ」

 

「司令官のお知り合いですか?」

 

「そうなんだがそうだと思いたくないというか……」

 

ずいぶんと歯切れが悪い。いったいどんな人なんだろうか。

吹雪ちゃんと目を合わせる。吹雪ちゃんもきょとんとした様子で見つめてくる。

 

「むぅ……まあ少なくとも悪人じゃあないのは保証する」

 

「本当に大丈夫なんですよね?」

 

「私も叢雲ちゃんが心配です……」

 

「一応同期だ。シュンもどういう奴かはわかってる。心配はいらねえって」

 

「勿体つけないで教えてくださいよ!」

 

「そうです。教えてくれないのなら……そうですね、吹雪ちゃん実はね、提督が中将になる前のまだ中佐だった頃にね────」

「待て!ストップストップ!言う、言うって!」

 

あら残念。せっかく吹雪ちゃんに将生さんの昔話をしてあげようかと思ったのに。

吹雪ちゃんに教えればそのまま叢雲ちゃんに伝わって最終的には大佐のところに行くのを危惧したってところね。

 

「翔鶴のそういう腹芸どこで覚えたんだか……ほれ、こっちゃ来い」

 

ちょいちょいと手招きをしてホロウィンドウを示す。それを翔鶴と吹雪が首を伸ばして覗き見た。

そこにはその人物の履歴と所属、そして東雲自身が記入したであろう追加の情報が載っていた。

 

「あっ……これは………」

 

「なんというか……すごく個性的な方なんですね………」

 

「そうだな、美しい日本語のフィルターを5重くらいかければ吹雪の言ったみたいな表現がギリギリ可能かもな」

 

将生さんががここまで毒を吐くことは珍しい。つまりそれだけアクの強い人間なのだろう。

 

瑞鶴、無事を祈るわ。お願いだから変わらないそのままのあなたでいてね…

 

部屋にいる3人が3人とも深いため息をついた。

 

「………吹雪が持ってきてくれた茶でも飲むか」

 

「そうですね。提督、羊羹出しますか?」

 

「ああ。吹雪も自分の分の茶淹れたら羊羹食ってけ。このあと忙しくないよな?」

 

「はい。ありがたくお相伴にあずかります。では吹雪、お茶を淹れてきます」

 

「おー、行ってこい。翔鶴、羊羹あったか?」

 

「はい、バッチリです。3人分に切り分けておきました」

 

「サンキュー」

 

「お茶持ってきました。急須も持ってきたのでおかわりも大丈夫ですよ」

 

「吹雪ちゃん、ありがとうね」

 

「いえ、それほどでもありませんよ!」

 

翔鶴が慈愛の目で吹雪の頭を撫でて東雲が遠くを見るような目でお茶を湯呑みから啜る。

 

ため息をついたあとに3人の選んだ選択は思考放棄(どうとでもなれ)だった。

 





妹大好きそうですよね、翔鶴って。というか艦これにおいて姉妹仲が悪い艦娘っているんですかね?個人的にはいて欲しくないです。
そしてブッキーこと吹雪が初登場です!名前だけなら過去に一回だけ出たことがあるんですが覚えてくれている方いますかね?第一章の最終話の少し前くらいの話で出てるはずです。ほんとにちょろっとだけなんですけどね。

感想や評価などお待ちしております。それではまた。


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言いたいことはいろいろあるけどとりあえずチェンジで。

こんにちはプレリュードです。
今回はなんと、新キャラ登場です!
あの東雲をして頭を抱えさせた同伴者がついに!
事前に言っておきます。

本当………すいませんでしたぁぁぁぁ!

はい、本編参りましょう。


 

ガラガラと大きめのキャリーバッグを転がし手持ち用のバックを持ちながら館山基地の正門に立った。

しばらくはこの基地ともお別れだ。

 

「あ、叢雲が来たよ。あとは提督だけだね」

 

「3人とも早いわね。まだ集合時間の30分前よ」

 

「そういう叢雲も早めにきてるでち」

 

「遅刻するよりマシじゃない」

 

「それ提督さんに言ってあげたら?」

 

「たぶん言っても無駄よ」

 

正門には瑞鶴と鈴谷とゴーヤがそれぞれ荷物を置いて立っていた。やはり遠出するだけあって大きなカバンを持っている。

全員違う格好だが制服なので(ゴーヤはスク水ではなく、セーラーにスカート姿)雰囲気はさながら修学旅行のようだ。

 

「おーい、お前ら早いな」

 

先に集まった4人が談笑していると峻もすぐに到着した。こちらはキャリーバッグ2つに肩掛けカバン1つに手持ち用1つというえらく大荷物だった。

 

「なにがそんな必要なのよ」

 

「着替えだけじゃなくて工具とかタブレット端末とかその手の物も持ってきてるからな。忘れてるかもしれないがこれでも俺は技術士官でもあるんだぜ?」

 

忘れてはいないけど大変ね。そこまでたくさん持ってかなきゃいけないなんて。

 

「提督さん遅いよー」

 

「お前らの艤装の輸送を見届けなきゃなんねえんだよ。向こうで実際に演習みたいな形で訓練つけてやんなきゃなんねえだろうが」

 

「だからてーとくはちょっと遅れたの?」

 

「まあな。しっかり厳重にロックしとかなきゃいけないしな」

 

なるほど。それなら許してあげよう。仕事してたわけだし。もし寝坊だったらドロップキックでも食らわせてやるところだけど。

 

「さて、今から迎えの車がくる。それにのったら空港まで行ってそれから軍用ジェット機に乗って大陸を横断して欧州連邦に向かう。質問ある奴いるか?」

 

「はい!大陸横断なんてしちゃって大丈夫なの?途中で他国に撃墜されました、とか鈴谷は嫌なんだけど」

 

「欧州連邦の上が話はつけてあるらしい。途中で監視の軍用機が付近を飛んだりするとは思うが深海棲艦の制空下を飛ぶよりかはるかに安全だ。はい次!」

 

「はい!ヨーロッパについたらゴーヤたちはどうなりますか?」

 

「歓迎パーティーに出席してから向こうが用意してくれたホテルに向かう。滞在中はそこに泊まるとのことだ。もちろん部屋料金も施設の使用も向こう持ちで、だ。噂によるとスイートルームらしいぞ。ラッキー!はい次!」

 

「はい!向こうで私たちはなにをすればいいですか?」

 

「瑞鶴いい質問だ。向こうではそれぞれの艦種をお前らは指導をしてもらう。瑞鶴なら空母、ゴーヤなら潜水艦、鈴谷は巡洋艦全般、叢雲は駆逐艦で俺は士官候補生だ。うち以外にもう一人別の部隊からも来るらしいからそこと分担ということになる。自由時間は遊んでよし!ただ一人で出歩いたりはするなよ。はい次!」

 

「はい!提督、お土産はいくらまでですか?」

 

「好きにしろ!はい次!」

 

「はい!てーとく、ゴーヤは英語喋れません!」

 

「頑張れ!はい次!」

 

「はい!提督さん、おやつはいくらまでですか?」

 

「馬鹿野郎!おやつは300円までと──ゴバァ!」

 

段々と関係ない方向に飛び始めた話題をあいつに正拳突きをして歯止めをかける。もう迎えの車来てるからバカやってないで早くなさいよ。運転手の人が苦笑いしてるじゃない。

もう私は荷物預けたからさっさとして。

 

「叢雲……せっかくの遠足気分をぶち壊しやがって……」

 

「遠足じゃないから。はい、鈴谷から荷物預けてって」

 

わざわざ荷物用の車と2台で来てくれたから車の中で窮屈さを感じることは無さそうね。

 

「あー、そういうわけだから順番に荷物預けてー。すみません、よろしくお願いします」

 

拳がめり込んでいた腹をさすりながらペコペコと運転手にあいつが挨拶する。ちゃんとすればできるんだからいつもシャキッとすればいいのに絶対におふざけを挟むんだから。しっかりとしてれば様になってるわよ?

 

「ほら、預けてたらさっさとあんたも乗りなさい。飛行機に置いてかれるわよ?」

 

「それはあり得ないけどな。待たせるのは趣味じゃないし行くか」

 

順番に車に乗り込み基地をさる。

しばらくは見ないことになるから目に焼き付けておこうと基地をじっと見ると窓から覗いている小さな顔がたくさん見えた。

 

朝早いから見送りはいいってあいつが言ったのにわざわざするなんてまったくもう。

基地は任せたわよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空港というのは妙に緊張する。

今回はVIP扱いに俺たちはなるのでなんだかよく分からない豪奢な部屋に通され、そこでのんびりとドリンクを嗜みながら待っているとそのまま直通でジェット機まで案内されるという過去に経験したことがない搭乗だった。

俺たちの荷物と艤装はジェット機の腹の中に一緒に積んであるとの説明を受けながら飛行機とは思えない広い部屋にキャビンアテンダントに案内されなんだか長い説明を受けたが正直覚えていない。なぜなら現在俺は別に思考が飛んでいるからだ。

 

シートが革張りなんですけど⁉︎

足置きとかあるしまず広いし席の座り心地がエコノミーの比じゃねえ!

ていうかこれ最早シートじゃくね?社長とか座ってる椅子だよね⁉︎

てかまず広い!なんだここ!ホテルかよ!うわ、シートふっかふかだ!

やべえよ、これ経験しちゃうとエコノミーなんか乗りたくなくなるな。

 

「あんたテンション上がりすぎじゃない?」

 

「いや、飛行機くらい乗ったことはあるんだがこういうのじゃなくて安いエコノミークラスしかないからちょっとびっくりしてる」

 

「そう、乗ったことあるのね。私たちは初めてよ」

 

なんだと。初めてがコレとかなんて贅沢な。

 

「これが普通だと思うなよ。普通はもっとすし詰め状態だ」

 

「たった今、これ以降は一生乗らないと誓ったわ」

 

そうかよ、と叢雲を適当にあしらうと背もたれに体をどっかりと預ける。

人をダメにするクッションというのがあったがちょうどこれもそんな感じだろうか。あー、もうこのままでいいや。

瑞鶴たちも思い思いにふかふか具合を楽しんだり雑談に花を咲かせたりと楽しんでいる。向こうに着くまではのんびりとしていてもいいだろう。

 

ポーンという音が鳴り、シートベルトを外してもよくなった。とりあえず紅茶を頼んでまたシートに座り込む。

 

コンコン、と部屋のドアがノックされた。

 

「おい、叢雲。誰だ?」

 

「さあ?あんたが言ってた一緒に来るもう一人の司令官じゃないの?」

 

ああ、そういやくるっていう話だったな。結局面倒だったから名前も確認せずにスルーしていたが向こうから挨拶に来たってことは階級は恐らく下なのだろう。

だがたまに奇特……いや変人……いやご立派な精神をお持ちの上官サマもいるし一応立ち上がっておいた方がいいか。

 

「はい、ドアは開いてますからどうぞ」

 

スライドタイプのドアが素早く開きタタッと部屋の中に人が駆け込み大きくジャンプした。俺の方へ。

 

「ほっなっみクーン!元気っかにゃ────ベコブゥ!」

 

そして俺に飛びついてきた人間を俺は右足で横薙ぎに蹴り、とびかかってきた人間の腹にめり込んでから吹き飛ばした。

人影が勢いよく室内の壁に叩きつけられボテッと倒れる。

 

「ちょっ!あ、あんた!いきなり蹴ったりして大丈夫なの⁉︎」

 

「うわー、まじかー。こいつかよ。ないわー。それはないわー。さっさとくたばれよこの変態」

 

倒れた人間がムクリと立ち上がりながら長い髪を振り乱しながら笑う。

 

「ふっふっふ。甘いよ、帆波クン。その程度で折れるアタシではないのだ!というかもっと蹴って罵って!」

 

内心で頭を抱えた。いや実際に抱えたしさらにいうなら目の前の()を今すぐこのジェット機からつまみ出そうか真剣に検討した。

 

「えーっと、この……なんて言えばいいのかな………とにかく提督さん、この人は誰?」

 

「お、キミが瑞鶴ちゃんだね?アタシは常盤(ときわ)美姫(みき)。帆波クンの同期で階級は1つ下の中佐だよ。よろしくねっ!」

 

「で、情報を追加すると打たれ強いドMで変態という非常に厄介な生物だ。できる限り、いや絶対にお近づきにはならないように気をつけろ」

 

「もう、帆波クンったら、し・ん・ら・つ。さりげなく人間扱いしてくれないし。でもッ、そこがッ、いいッ!」

 

「なあ、叢雲。今すぐCz75でこのバカの頭を撃ち抜いても別に人じゃないから殺人にはならないよな……?」

 

「落ち着きなさい。一応人間よ。うん、たぶん」

 

くねくねと一人で盛り上がる変態をどうしたものかと考える。

基本この女はめんどくさい。

詰っても喜ぶし殴っても喜ぶ。だからといって無視しても放置プレイキター!などと叫んで喜ぶ。そして体が頑丈で打たれ強いため、なかなか気絶しない。さっきの蹴りも全力ではないとはいえ、普通の人間だったら伸びていてもおかしくないくらいの力で蹴ったのにピンピンしているのがその証拠だ。

大学時代にも教官の説教に対してももっとゴミ虫を見るような目で叱ってください!とか真剣にお願いしてドン引きされたりしていた。

 

仕方ない。叢雲からゴミ虫退治の許可は出なかったし薬でも一服盛って寝ててもらおうか。

 

「帆波クン?なんか不穏な事(面白い事)考えてる?」

 

「これっぽっちも考えてない。で、何の用だ?」

 

「いやー、今回はよろしくーって挨拶よ、挨拶。おーい!入ってきていいよー」

 

スライドドアを開けて少女が2人入ってくる。片方はとても小柄でもう片方はメガネを掛けていて、非常に長身だ。少し羨ましい。俺と同じかそれより大きいんじゃねえの?

 

「駆逐艦、若葉だ。よろしく。早速だが大佐、さっきの蹴りを私にもしてもらえるだろうか?」

 

よし帰れ。完全に常盤のドMが感染している。この分だともう1人の方も危ないかもしれない。

 

「若葉、初見の殿方にそういう事を言わない。失礼しました、大佐。金剛型戦艦の四番艦、霧島です。短い期間ですがどうぞよろしくお願いします」

 

なるほど、霧島が恐らくこの変態どものブレーキ役なんだな。まだ感染していないし、今後の感染の可能性も薄そうだ。

 

「ああ、よろしく。若葉に霧島だな」

 

「はい。榛名姉様がいつもお世話になっています」

 

ぺこりと丁寧に霧島が頭をさげる。

 

「いやいや、こっちこそいつも榛名には頼ってばっかりだからな。世話になってるのはむしろこっちだ」

 

ウェークの時とか榛名にはかなり無茶させちまったしな。あの戦いは誰か1人が欠けたら勝てない戦いだった。

 

「霧島、そっちはこれで以上か?」

 

「はい。常盤隊からは私、霧島と若葉の2名です。申し訳ありません、数が少なくて……」

 

「いや、別にそういう意味で言ったわけじゃねえよ。確認のためだ。気を悪くさせたなら謝る」

 

「いえ、そんなことはありません!」

 

それにしても金剛型に特型駆逐艦の第二ロットの初春型か。駆逐艦で最新の陽炎型や夕雲型の投入を避けたのは技術の流出を恐れてだな。そして送り込む駆逐艦が特型である以上は日本としてのプライドも要請された体面を整えることもできる。戦艦も長門型や大和型は出さずに金剛型を入れる許可を出したあたりはそこらへんの事情だろうな。

陸奥の艤装を急ピッチで直して連れてこうかと思ったが許可がおりなかったのは恐らくそれだ。

 

「ともかくよろしくな」

 

「はい!」

 

にしてもこんな国際交流にいちいち気を遣わなきゃなんねえなんてな。やってらんないね、まったくよ。

 

「ねぇ、帆波クン。アタシの事は無視なのー?ねぇってばー」

 

「うるせえなあ!お前と関わるとロクなこと無いんだよ!」

 

今すぐ日本に引き返してチェンジ!って叫びたいレベルだよ!

胃薬持ってきてあるけど足りるだろうな。

 

「それより帆波クン。ちょっちアタシの部屋に来てコネクトデバイス見てくんない?最近少し調子悪くって」

 

「あん?…………ったくしょうがねえな。叢雲、しばらく外す」

 

「ええ、いってらっしゃい」

 

「しーゆーれいたー、でち?」

 

さっきからゴーヤがいやに静かだと思ったら英語の日常会話の本読んでたのか。そういや空港の本屋でなんか買ってたな。

あと確かにそれはいってらっしゃいって意訳はできるが最後にでちを付けるなよ……

 

手提げカバンを取ると、スライドドアを開けて廊下に出て常盤の部屋に向かう。やはり飛行機に乗っているせいか足元が揺れるがさしたる問題もなく俺も常盤も歩いていく。

 

「とりあえず見てやる。コネクトデバイス寄越せ」

 

「はいはーい。これだよっと」

 

ひょいと放られたコネクトデバイスを左手で受け取りつつ手提げカバンの中からパソコンを取り出しコードを繋ぐ。

これくらいならパソコンだけで充分だ。他に出力装置を用意する必要はない。

 

「ほらよ。クリーニングしといた。ちょっと使ってみろ」

 

「ん、んー。お、いい感じ。ありがとねー」

 

ポンと放り投げたデバイスをシートに転がった常盤が首に装着して動作を確認する。

 

「で、何の用だよ?」

 

「デバイス直してって言ったじゃん。で直してくれてありがとねって話だよ」

 

「はいはい。だからさっさと本題に入れって言ってんだよ。わざわざあいつらから離れて俺たち2人だけにしたってことはなんかあんだろ?」

 

デバイス見たがこの程度なら別にクリーニングしなくても問題なく動くしむしろ問題はあまり見当たらなかった。適当な口実つけて俺を呼び出したかったんだろう。

 

「お?わかっちゃう?ここは帆波クンのお話(罵倒)でも聞こうかなと思ってさ。さぁ!もっと激しく罵って!」

 

「帰るわ」

 

「ごめん待って!ふざけたのは認めるから!ちゃんと本題に入るからパソコン片付け始めないで!」

 

コードをくるりと折りたたみパソコンをカバンに滑り込ませて立ち上がり帰ろうとした峻の上着の裾を常盤が転がったまま掴み引きずられる。

 

本当に今すぐ戻って変更できねぇかな。マジでこいつチェンジしてえ。

 

「帆波クン、今回の欧州連邦の要請をどう思う?」

 

パンパンと引きずられたときについたホコリを常盤が払う。

 

「……何が言いたい?」

 

「北海油田の防衛戦で主力を削られたのは事実。そして有能な人材が死亡してしまったから早く有能な人員の補給をしたいから日本に教官役を要請した。でもホントにこれだけ?」

 

「一応はそういうことになってるな」

 

「……まあそれならそれでいいんだけど。それよりアタシが帆波クンに言っときたかったのはこっち」

 

常盤がブンと空中に投影されたホロウィンドウを可視化モードに切り替え俺に見えるようにする。

 

「反欧州連邦組織……帆波クンに聞き覚えは?」

 

「……あるよ。もちろんな」

 

大戦初期にヨーロッパは各国が集まり連邦国家になった。深海棲艦からの攻撃を防ぐためという目的での連邦国家だが満場一致で可決されたわけではない。

連邦国家派と独立国家派の2つが存在し、多数決で連邦国家派が勝利しヨーロッパは欧州連邦という国になった。

そして反対派は今もなお独立運動を続けている。別に街頭演説程度なら欧州連邦政府も認めているがこの手の組織には必ずと言ってもいいくらいに存在するものがある。

過激派だ。

時に暴力的なデモまでやってのけるのが反欧州連邦組織だ。

それを危惧したからこそ俺は銃の携行をあいつらに勧めた。

 

「で、その反欧州連邦組織がどうかしたか?」

 

「うん。で、過激派の中には日本(アタシ達)を快く思ってない連中もいる。欧州連邦と同盟国のような立場にある日本は彼らから敵と見られても仕方ない。何もないとは思うけど警戒だけはしておいて」

 

「ああ、わかった。お前は仕掛けてくるならどのレベルまでだと予想している?」

 

「移動中のヤジとか物を投げるのが精一杯かな。少なくとも日本はヨーロッパが数多の独立国家だった時から仲良くはしてる。ただデモに巻き込まれたりすると怪我で済むかわからない。だからそれだけは避けて」

 

「へいへい。ま、流れ弾に当たるのは俺もゴメンだ」

 

「そう?むしろアタシは当たりたい。迸る焼けるような痛み!ああ、なんと甘美なことだろう!」

 

「お前なんで今まで生きていられたんだろうな……」

 

「痛いってのはいいことだよ。自分が生きてるって実感できるからね」

 

「あっそ。なら物を投げつけられたらお前を盾にするわ」

 

「是非ともお願いします!」

 

「くそっ!ホントにこいつ面倒くせえ!」

 

嫌味の1つも通じやしない。だがまあ有益な情報は手に入った。

反欧州連邦組織、ねえ。嫌な予感しかしないのは気のせいか?

 

殴って蹴って罵ってー、と目をキラキラさせる変態を意図的に視界に入れないように気をつけながら今度こそ部屋を出る。

本当に物を投げつけられたら絶対にこの女を盾にしようと心に誓って。

 

目指すはナポリ国際空港。

まだまだフライト時間は長そうだ。





…………………………。
初の司令官サイドの女性がこれって……
あと若葉ファンの皆様、本当にすみませんでした。

活動報告にもあげますが、パラレルとモルガナのフルネームをとある方々に考えていただき、そちらに変更しました。
本編には一切関係ないので問題はありませんが念のため断わっておきます。

感想、評価などお待ちしています。
それでは。


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ナポリよいとこ

こんにちは、プレリュードです!

イベントはもう間もなく終了ですが皆さんはどうでしたか?
私はポーラが来たので良しとします。アイオワ?知らない子ですね。
まあローマ当たったし。(どやぁ)

はい、本編参りましょう。

6/1改稿。英語を変更しました。


〈欧州連邦イタリア州ナポリ国際空港-現地時刻7月25日16:25〉

 

飛行機が着陸体勢にはいり、全員がシートベルトを締める。

着陸する時には大きな震度を一切感じずに驚くほど滑らかに着陸した。

 

「このパイロット、腕いいな……」

 

「え、そうなの?」

 

「ああ。普通はもっと大きく揺れるもんだ。それなのに着陸したかを悟らせないくらいに滑らかなのは相当だ」

 

鈴谷は飛行機初めてだけどそうなんだ。知らなかったなあ。

 

シートベルトを外して機内に持ち込んだ手荷物を手元に引き寄せる。

なかなか初飛行機は楽しかったな。乗ってる時間は長かったけどご飯も普通に美味しかったしリクライニングでだらだら寛いだりもできたし映画も観れた。帰りもこれかあ。楽しみだね。

 

「おし、お前らおりるぞ。忘れ物ないように気をつけろよ」

 

「はいはーい。さて、鈴谷がヨーロッパに一番乗りだよ!」

 

「あ、鈴谷ずるいわよ。待ちなさい!」

 

「ゴーヤを置いてかないでよ!」

 

飛行機の出入り口に設置されたタラップを駆けおりる。目の前にはリムジンが2台停まっていてその近くにはたくさんの黒いスーツとサングラス姿の男の人と海軍の制服らしきものを着た金髪の男性と先ほどのスーツとは違い、洒落っ気のあるダークグリーンのスーツを着た小太りの男性が立っていた。

そしてそのずっと向こうには下手な字で、でも一生懸命書いてくれたんだとわかる垂れ幕に日本語で”ようこそ、ヨーロッパへ!”と書かれていた。そしてその垂れ幕の周りに一般の人たちが日本の国旗を振って何かを口々に叫んでいる。

 

何を言っているのか英語がわかんないからさっぱり理解できない。でも歓迎してくれていることはわかったからかもしれない。なんだか胸の中にジーンとした気がした。

 

「おいお前ら先走りすぎだ。まったくトップを置いてく使節があるかっての」

 

カツンカツンと足音を鳴らしながら叢雲を伴った峻がタラップを降りる。そしてその後ろから常盤中佐と若葉ちゃんと霧島さんが降りてきた。

 

その姿を視認したと同時くらいにダークグリーンのスーツの人が一歩前に出た。

 

「Welcoome to EF. I am Harold Pelemere.I am ordained to Europian Federal's Minister of Foreign Affairs.Thank you for meeting our request.」

 

えっ、なんて?早過ぎるし英語わかんないよ!

迂闊だった。そういえばこっちでは日本語通じないんだ。提督、さっそくピンチだよ!

 

ヘルプの意味を込めた視線を鈴谷が峻に向けるが動じた様子もなく堂々と峻は鈴谷の前に歩みでた。

 

「Thank you for kindness.I am Syun Honami, colonel of Japanese Navy. I will do my best for your requuest.I am looking forward to carrying out missions with you.」

 

提督って英語しゃべれたの⁉︎しかも早いし素人目にみても発音キレイだよ!

あ、常盤中佐も行った。うわ、あの人もペラペラだ。さっきまでの残念な感じがキレイさっぱりなくなってるじゃん!

 

「提督さんって英語できたんだ……」

 

「ゴーヤも初めて知ったでち……」

 

「そういえば叢雲は喋れないの?」

 

「ええ、日本語以外無理よ。ていうかあいつが喋れるなんて知らなかったのよ!」

 

叢雲がちょっぴりイライラしてる。だいたい理由は察せるけどこりゃ提督は後で大変だねえ。

 

「鈴谷何笑ってんのよ」

 

「ううん、なんでもなーい」

 

その間にもよくわからない英語トークは続いている。いやあ、マジでさっぱりわかんないわ。

たぶん自己紹介的なものとか挨拶とかしてるんだろうけどハテナマークしか浮かばないね。これっぽっちも理解できないしまるで異国に来たみたいだね。いや、異国なんだけど。

 

「おーい、お前ら車に乗るぞ。こっちこい」

 

おっ、ようやく終わった。

常盤中佐とはリムジン別なんだね。なんだろ、ちょっと安心した。

 

後ろの座席に提督と瑞鶴たちと金髪の海軍制服の男の人が乗りこんだ。

 

おお、これがリムジン。広いなあ。座席がソファみたい。

 

「お前らこっちにいる間はこれ付けとけ」

 

ひょいと提督が鈴谷たち全員にコネクトデバイスのようなものを放り投げた。

 

「なにこれ?」

 

「お前らは英語とかわかんねえだろ?それつけときゃ自動的に翻訳してくれるし日本語を勝手に英語に変換して発音してくれる。さっき飛行機の中で仕上げたもんだがそれつけとけば英語だけじゃなくてイタリア語とかフランス語ドイツ語、その他諸々すべて変換可能だ」

 

うわ、便利!なんか飛行機の中でパソコンカタカタやってるなーって思ってたらこんなもの作ってたの⁉︎

 

「えーっと、こんにちわ。私は鈴谷です。どうかよろしくお願いします」

 

とりあえず金髪の人に話しかけてみる。自己紹介くらいはしておきたいしね。

 

「こんにちわ。私は欧州連邦海軍ティレニア海前線基地所属のグラッド・オルター少将だ。ミス・スズヤ、今後もよろしくお願いする」

 

「提督!これすごい!ちゃんと通じたよ!」

 

「アホ!それまだスイッチ入れてねえから動いてねえよ!まったく、オルター少将どのもお人が悪い。日本語喋れるじゃないですか」

 

「フフ、すまない。母が日本人で父がドイツ人なのでね、日本語は話せるのだ。そもそも私が呼ばれたのは通訳としてだったのだよ。まあホナミ大佐があそこまで英語が堪能だったので必要なくなってしまったが」

 

「いえ、こちらのことはあまりよくわかっていないので今後もなにかと頼りにさせていただくとは思いますがどうかよろしくお願いします」

 

「いや、こちらこそ候補生のヒヨッコをしっかりと鍛えてやってほしい。”東方の狼”に私たちは期待しているんだ」

 

「東方の狼……ですか?」

 

「ああ。こちらでは大佐のことはそう呼ばれているよ。初めて人類で深海棲艦から土地を奪還した男。それも5倍近くの戦力差があって、だ。素晴らしい指揮官だと思う」

 

「北海油田防衛戦の英雄、”欧州の獅子”どのにそこまで言っていただけるとは光栄の極みですよ。そういえば北海とティレニア海では随分と離れていますが……」

 

「以前はイギリスのエディンバラ所属だった。そして今回の件を受けてイタリアのティレニア海防衛前線基地に異動となったんだ。そうだ、紹介しておこう。私の部下で現在運転手のビスマルクだ」

 

「guten Morgen。ビスマルクよ。運転中だから顔はしっかりと見せられないけどよろしくね」

 

「他にもいるがまたいずれ紹介しよう。そちらの方々も紹介していただけるかな?」

 

「はい。えっと、そこのツインテールが瑞鶴。さっき自分で言ってましたが瑞鶴の隣に座っているのが鈴谷。でその隣にいるのが伊58。で俺の隣に座っているのが秘書艦の叢雲です」

 

「ふむ。ズイカクにスズヤにムラクモに……イゴジ、イゴジャ……」

 

「あ、ゴーヤでいいでち。呼びづらいと思うから」

 

「む、すまない。ではゴーヤだな。よろしく」

 

確かに日本語が話せるとはいえゴーヤの正式名称は発音しにくいよね。鈴谷もゴーヤの正式名の方は言おうとすると結構な割合で噛む。伊58って絶対言いづらいよね。本人の前では大きな声で言えないけど。

 

「ちなみに提督、さっきダークグリーンのスーツの人は誰だったの?」

 

「ん?あの人は欧州連邦の外務大臣のハロルド・ペルメールって名前の人だった」

 

外務大臣!また偉い人が出てきたなあ。少将ってだけでも提督より階級は2つも上なのに政府の外務大臣サマまで。

 

「そろそろホテルに到着よ。荷物は既に部屋に置いてあるしあなたたちの艤装はこちらの格納庫にいれて厳重にロックしたわ」

 

「ありがとうございます、ビスマルクさん」

 

「私には敬語使わなくていいわ」

 

「そうか。わかった。ならそうさせてもらうかな」

 

リムジンはぐんぐんと進みホテルをめざす。

そういえば夜に歓迎を兼ねたディナーパーティーをするんだっけ。この前の表彰式は叢雲と提督しか出てないから今回はどんな風か楽しみだなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈イタリア州接待用会場-現地時刻同日19:15〉

 

私こと瑞鶴はこれが初パーティーである。散々翔鶴姉ぇからテーブルマナーの本や立ち振る舞いの仕方をメールで送られてきた訳なんだけど結局は私が応対をすることはなかった。

なぜなら挨拶に来る人たちはすべて提督さんが対応をやってしまっているからだ。

私がやることといえば提督さんの後ろで静かに立っているだけ。あとは提督さんが英語で応対しているのをぼんやりと眺めるか、それとも。

 

「ねぇ、瑞鶴。叢雲のあのドレス何?」

 

「知らないわよ。ゴーヤは何か知ってる?」

 

「ゴーヤもさっぱりだよ……」

 

こうやってコソコソと小さな声で話すことだった。

にしてもあの綺麗なドレスを叢雲はいったいどこで手に入れたんだろ。私たちは制服姿なのにすこしズルい。いいなー、私も欲しいなー。この前のボーナスで買っちゃおっかなあー。

提督さんの隣に静かに立っている叢雲の薄紫のドレス姿はちょっぴり羨ましいしなあ。私も着てみたい。

 

本当はふらふらと歩いてこっちの料理やお酒をつまんだりしたかったけど会場に入る前に提督さんに1人で勝手にうろちょろするなと厳命されたから仕方なくいろんな人の挨拶が終わるまでこうして待っているんだけどまだかな。

 

「お腹すいた………」

 

「やっぱり鈴谷も?」

 

「ゴーヤもお腹ぺこぺこだよぉ…」

 

「お前らなあ……少しくらい我慢ってモンをしろよ」

 

「提督さん!ようやく終わったの?」

 

「お前らが後ろで遅いだのお腹すいただのボソボソ話してるのが聞こえるからわざと挨拶を失礼のないようにうまいこと早く切ってやったんだろうが!」

 

あー、それはちょっと悪いことしたなあ。

そう思っていると耳にグゥー、という音が届いた。

 

「今の誰?」

 

「鈴谷じゃないよ」

 

「俺でもねぇ」

 

「ゴーヤでもないよ」

 

もちろん私でもない。ということは……まさか!

 

「………………」

 

叢雲だけ無言なのがむしろ自分が犯人ですって克明に告げちゃってるよ……

顔が熟れたリンゴみたいに真っ赤だし。

 

「あー、なんだ。会場脇のテーブルに行くか」

 

ガリガリと頭を掻きながら言った提督さんの言葉にこくん、と真っ赤なまま叢雲が頷く。

なにこの可愛い生き物。

ぱっと見ではまさかこの娘があの泊地棲姫をぶった斬ったなんて信じれる人いないよ……

あ、これ秘密だったっけ。他にも提督さんが泳いで深海棲艦の泊地に浸入した事とかモルガナのこととかも言っちゃいけないんだよね。提督さんに言うなって釘刺されてるし。なんかバレると左遷とかなんとか。ここまで過ごしやすい部隊も基地も珍しい。左遷なんてされると困るからちゃんと口にチャックしとかないと。

 

テーブルの周りに提督さん、叢雲、ゴーヤ、鈴谷、私の順にぐるりと円になって立つ。わーい、提督さんの隣ゲット!

 

「飲みたいやついるか?」

 

ピッと手を挙げたのは私と鈴谷と叢雲と提督さん。ゴーヤはそういえばお酒弱いって言ってたっけ。

会話を聞いていたのか机の上にウェイターさんがグラスを置き、金色の葡萄のバッジをつけた人が音も無く近寄ってワインを注ぐ。

その人が通った時、消毒用アルコールの柑橘系のような匂いがツンと鼻をつく。この葡萄バッジの人はデオドランドに気を使ってるのかな。やっぱり一流ホテルだけあってそういうことには厳しいのかなあ。

 

注がれたワイングラスを持ち上げて香りを嗅ぐ。詳しいわけじゃないけどきっとお高いのだろう。グラスを軽く回すとゆらりと濃い赤色の液体が波打ち、グラスの内側をワインがゆっくりと流れ落ちる。

持ち上げたグラスを口に近づけて行き、グラスのふちに唇をつけようとしたところで私の手を提督さんががっちりと掴んだ。

 

「瑞鶴、飲むな」

 

「えっ?なん、で……」

 

なんで飲んじゃいけないの、と聞こうとした言葉は提督さんの目尻のつり上がった顔を見て尻切れトンボになってしまった。

 

「いいか、今注がれたワインは絶対に飲むなよ。全員だ」

 

「………うん、わかった」

 

「叢雲、オルター少将に連絡。瑞鶴そのグラスをこっちに寄越してくれ」

 

「今連絡したわ。すぐに来るって」

 

手に持っていたグラスを提督さんに渡す。周りはまだ何も気づいていないみたい。いやむしろ提督さんが気付かせないように気をつけている。これはどういう状況?

 

私のわからないままに事態は静かに進んでいく。




英語の部分はサイトで訳したためあっているかはわかりません。間違いがある可能性が高いのでご了承を。一応和訳をつけておきます。

一つ目
「欧州連合にようこそ。私は、外務大臣のハロルドペルメールと言う者です。今回は、我々の身勝手な要請に応じてくれてありがとうございます」

二つ目
「こちらこそ素晴らしい歓迎に感謝いたします。私は日本海軍の帆波峻大佐です。此度の要請に対して微力ながらもできる限りのことをやらせていただく所存です。どうぞよろしくお願いいたします」

ざっとこんな感じです。まあ帆波が全自動翻訳機を作ってくれたおかげで次回からはオール日本語表記できますね!やったぜ!
↑単に英訳するのが面倒だっただけ。

感想、評価などお待ちしております。それでは。


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赤色ワインは危険なかほり

こんにちは、プレリュードです。

本編に入る前にこの場をお借りして謝罪を。
前回投稿させていただいた「ナポリよいとこ」ですが、英訳部に非常に問題のある間違いが見つかり、何度も改稿したことに関してお詫び申し上げます。今後はこのようなことがないようにしていくつもりです。
今後とも艦隊これくしょん〜放縦者たちのカルメン〜をよろしくお願いします。

それでは本編参りましょう。

6/10誤字訂正しました。


〈イタリア州パラッツォホテル12F1204号室-現地時刻7月25日22:47〉

 

ホテルはスイートルームのコネクトだった。コネクトというのは廊下に出なくともお互いの部屋を行き来できる、というタイプの部屋だ。片方の部屋に俺はあいつらを押し込むと少しホテルの外に出て飲み直す用の白ワインを買った。

 

部屋に戻りユニットバスでシャワーを浴びる。残念ながらこちらには湯船に浸かるという概念がないのですこし物悲しいが我慢するしかないだろう。

部屋に備え付けのバスローブを着てミニキッチンで軽いツマミとしてカナッペを作る。クラッカーにクリームチーズとスモークサーモンを載せたものだ。簡単だが割と美味い。

冷やしておいたボトルを取り出しグラスに注ぎ一口。

 

おっ、やっぱり本場のイタリアワインはいけるな。あの時は外交問題上とはいえ毒物が盛られている可能性が高いワインを口に含む必要があった。その後はちゃんとハンカチに吐き出してしっかりと口の中を洗浄したが、そんなヤバイものをあいつらの口に含ませるわけにはいかない。だから俺だけにしてあいつらには一口も含ませなかった。少し愚痴らせてもらうなら白のハンカチに赤ワインの染みができてしまったことだ。あれ落ちないんだよな。染抜きってこっちでも安く売ってるといいんだが。

 

ぼんやりとグラスを傾けていると通信が俺の元に舞い込んだ。

 

『もしもーし!帆波クン?アタシだよー』

 

「おー。で、常盤。結果は?」

 

『ヒット。マーシュテストで反応が確認されたよ。三酸化二砒素(さんさんかにひそ)だったかな。さしものアタシもこれはちょっと無理かなー』

 

「そりゃそうだ。で、そっちは大丈夫か?」

 

『アタシは帆波クンと違って有名じゃないからね。特に何もないよ』

 

「別に好き好んで有名になったわけじゃないんだけどな……。うん、まあわかった。わざわざ悪かったな」

 

『謝っとかないといけないのはこっちだよ。正直ここまでするとは予想してなかった。帆波クン、気をつけてね』

 

「ああ、そっちもな」

 

通信を切りながらもう一度グラスを傾ける。三酸化二砒素(さんさんかにひそ)か。くそっ。厄介なものを。

 

コンコンとコネクトルームのドアがノックされる。はいれ、と許可を出すと向こうの部屋の叢雲たちがゾロゾロと俺の部屋へ入ってきた。

 

「少し飲むか?赤は気が乗らないと思ってシャルドネの白にしたんだが。まだ今年に作られたばっかりの一級品だぜ」

 

ゴーヤ以外にグラスを用意して白ワインを注ぎついでに作ったカナッペを勧める。弱いって宣言してる奴に無理やり飲ませる趣味は俺にはない。

 

「ねぇ、提督さん。なんでさっき止めたの?」

 

「あ?あのワイン飲んでたら瑞鶴、お前今頃は頭に輪っか浮いて背中に翼生えてたぞ?」

 

「えっ……私死んでたの⁉︎嘘っ!」

 

「マジだ。瑞鶴のワインを調べてもらったが三酸化二砒素が検出された」

 

「ごめん提督。さん………何?」

 

「三酸化二砒素。亜砒酸(あひさん)って言った方がわかりやすいか?」

 

鈴谷の疑問に答えてやる。確かに三酸化二砒素っていきなり言われてもわからんわな。

 

「ゴーヤそれ聞いたことある。確か猛毒だって」

 

ゴーヤの言う通りだ。

三酸化二砒素とは、名前の通り砒素の一種だ。非常に強い毒性を持ち、致死量は僅か100〜300mg。ルネサンス時代では暗殺に使用されたほど歴史のあるものである。

そんなものがあの時に俺たちに注がれたワインすべてに致死量を大幅に超えて混入されていた。もし一口でも飲んでたら本当に全員お陀仏だ。

 

「ま、ワイン注ぎに来たやつに毒盛られてるって気がしたから至急で叢雲に頼んでオルター少将へ連絡入れてもらったわけだ。今ごろ捕まってるんじゃないか?」

 

「少将はすぐに動くって言ってくれたわよ」

 

「そうか。なら確実に捕まっただろ」

 

来て早々に起きかけたアクシデントも未然に防げたし何よりだ。

 

「ねえ、提督さん。なんでそんなことに気づけたの?」

 

「瑞鶴、奴の胸に金の葡萄のバッジがつけられてたの気づいたか?」

 

「えっ?……うん。おしゃれだなーって思ったのを覚えてる」

 

「あれはおしゃれじゃねえ。ソムリエバッジっていうもんだ。いわゆる職業証明みたいなものだな」

 

「へえー。あれソムリエバッジっていうんだ」

 

一口ワインを飲んで唇を濡らす。自分で買ってきてたった今栓を抜いたばっかりのワインだ。警戒せずにのんびり飲めて気が楽でいい。

 

「で、もう1つ気づいたか聞きたいんだがあの消毒用アルコールみたいな匂いはどうだ?」

 

「した。柑橘系の香りが。デオドランドに気を使ってるのかなって思ったもの」

 

「あ、瑞鶴も気づいた?鈴谷もいい匂いだなって!」

 

「それだ。ソムリエってのは鼻も大事な仕事道具だ。なのに柑橘系なんて強い匂いで嗅覚を鈍らせるような真似するわけがない。そもそも食事を出す人間が変に別の匂いを付けてると料理の匂いを阻害しちまう。客によってはそれに不快感を覚えるのもいるからホテルって場所は人一倍そういうのに気を使う。それなのにあんだけプンプン匂いを飛ばすのは不自然だ。つまりどうしても消臭をする必要があったんだろ。じゃあなんの匂いを消そうとしたんだ?シンナーとかを使ってる様子はなかったな」

 

「なんでち?」

 

「もしかして………タバコ?」

 

パチパチと称賛の意を込めて手を叩く。

 

「叢雲正解。あくまで俺の推理に過ぎんが暗殺前の緊張を紛らわせるために一服やったんだろ。で、実際に一服やってから自分にヤニの匂いがついたことに気づいた。焦ったニセモノくんは手近に見つけた消臭スプレーの類で慌てて匂いを消そうとしたが逆にそのせいで俺にバレたってわけだ」

 

ひょいっとカナッペをつまみ上げて口へ放り込むと咀嚼し、そのまま白ワインを飲む。クリームチーズと辛口の白ワインのハーモニーが口の中でふわりと解ける感覚を楽しみながら思考を巡らす。

 

あれは素人だな。化ける役の下調べが杜撰すぎる。普通ソムリエってのは注いだワインについての説明を必ずするもんだ。それに毒のチョイス。普通は遅効性のものを選んで逃走時間を稼ぐところを三酸化二砒素なんて選びやがって。即死してたらすぐに会場封鎖されて捕まることくらい予想がつくだろ。

 

「あ、お前らもカナッペ食っていいからな」

 

「そんなことがあったのに食べれる提督さんの神経は図太すぎるよ……」

 

「俺が作ったんだから大丈夫だ。ほれ」

 

恐る恐るといった様子で瑞鶴がカナッペに手を伸ばし慎重にかじる。

 

「あ、おいしい……」

 

「当たり前だ。ほら、鈴谷もゴーヤも食え食え」

 

「あ、鈴谷はもう貰ってるよ!」

 

「ゴーヤも!」

 

ふと皿を見るとさっきまで結構あったカナッペが半分以上なくなっている。

 

「待て!てめぇら遠慮なく食い過ぎだ!俺の分も残せ!叢雲、お前もさりげなくめっちゃ食ってんじゃねえ!」

 

よし。瑞鶴はワインも飲んでるな。これをきっかけに変にトラウマ植えつけるようなことがあっちゃいけない。変に意識する前に食べても大丈夫って刷り込んでおきたかったんだがなんとかなりそうだ。だが。

 

「せっかく作ったツマミが……。お前ら根こそぎいきやがって……」

 

すべてやるつもりはない。せいぜい2つか3つくらいにして残りは後でゆっくり1人で楽しむつもりだったのにくそぅ……。

 

「提督さん、油断したら喰われるのが私たち艦娘の世界なんだよ……」

 

「ただの食べ物争奪戦を深刻な空気にしようとしてんじゃねえ!」

 

あはははっと瑞鶴が無邪気に笑い、それが伝播していく。

 

「鈴谷はそろそろ寝るね。提督ごちそうさ

ま」

 

「ゴーヤもちょっと眠いからそうする」

 

「まあ時間もいいところだしな。ほれ、寝てこい」

 

コネクトルームのドアを通って隣の部屋にぞろぞろと戻っていく。

戻っていったところを見計らって荷物から愛銃たるCz75を引っ張り出し、机の上に古新聞を敷く。

分解掃除(オーバーホール)しておきたかったからだ。いざという時に蹴出器(エジェクター)が動作不良をおこして詰ま(ジャム)ったら冗談にならない。

手入れ用の工具やクリーニングロッド、ガンオイルなどを机の上に並べて手際よく分解していく。

 

未遂に終わったこの事件の裏にはおそらく反欧州連邦組織がいる。あそこで俺たちを殺して非難を欧州連邦政府に集中させることが狙いだったのだろう。

そして殺されたのが俺だとわかれば日本政府は強い態度に出ざるを得ない。ウェークの件で俺は日本国民から小さな英雄扱いをされている。そんな人物が異国の地で暗殺されたら?国民は確実に怒る。そして日本政府が弱い態度で動けばその怒りの矛先は弱腰の日本政府に向かい、結果的に日本政府は欧州連邦に対して強気に出るしかなくなる。そうすれば欧州連邦政府はガタガタだ。それだけ日本は今世界の中において力を持ってる。

そしてガタガタになったところを見計らって各地で国々が独立していき欧州連邦解体……ってのがシナリオだったんだろう。

過激派か。あまり無視できないことになりそうだ。

そう思ったからこそ、Cz75の整備をしているのだ。何か起きたときに備えておかなくてはいけないから。

 

カシャン、と一度完全にバラバラにしたCz75を組み立て直して動作の確認をする。

 

「相変わらず早いわね」

 

「うおっ⁉︎」

 

いきなり叢雲の声が聞こえた。聞こえた方を見てみるとうつ伏せになってベットの上で何かの雑誌を読みながら足をパタパタしている。バスローブでそれやるなよ。生足がゆれるローブの裾からチラチラと露出してるから。

 

「なんだまだいたのかよ。全然気づかなかった」

 

「すごい集中してたみたいだから静かにしてたのよ。私がいちゃ悪い?」

 

「別に構わないけどよ。なんか用か?」

 

「用と言われれば用ね。あんたは私たちの部屋へは立ち入り禁止だから」

 

「わかってるって。覗きはしねえよ」

 

覗いたらどうなるか想像するのも恐ろしい。俺が原型を留めていられるのか?確実に艦載機に爆撃されて魚雷で撃たれて砲撃されて最終的に刀で真っ二つにされる未来が見えるんだが。

 

「ねえ。あんたはこの後をどう読んでるの?」

 

さっきの立ち入り禁止は建前でこっちが本件か。

 

「……はっきりしたことは言えん。ただ一つ確実なのは穏やかにいってくれそうにはないってことだ」

 

「……そう」

 

「叢雲、常に銃を携帯することを大佐権限で許可する。いざとなったら自分の判断でぶっ放せ。責任はすべて俺が取る」

 

「了解。あの娘たちに撃たせるわけにはいかないもの。それは私がやるべきだから」

 

「ただ……」

 

「ただ?」

 

「………いや、なんでもない」

 

言えるわけがない。ここまで覚悟を決めてくれているのに撃たないでくれなんて自分の身勝手な考えを押し付けることは俺にはできなかった。なればこそ、引き金を引かなくて済むように俺がそれを引こう。

 

「それにしてもあんたその銃好きよね」

 

「ん、これか? いいだろ。ファーストモデルだぜ?」

 

「そう」

 

右手に持っているCz75を軽く振るが興味なさげにスルーされる。ここら辺は女子にはわからない世界かねえ。無骨で実用的なデザインとか技術士官としては非常に萌えるんだが。まあ深く突っ込まれても困るからいいんだけどな。

 

「ねえ、さっきあんた瑞鶴の質問わざとはぐらかしたでしょ」

 

「………なんのことだ?」

 

「瑞鶴がさっき本当に聞きたかったのはなんで毒を盛られたことに気付いたかじゃない。なんであんたは見落としても不思議じゃないあんな情報から気づくことができたか、よ」

 

「俺がなぜそんなことを知ってるかってことか?」

 

「ええ、そうね」

 

ちっ。瑞鶴の聞き方が曖昧だったのをいいことにうまいこと話をすり替えたんつもりだったんだが……

 

「………実はな」

 

「実は?」

 

ベットの上で叢雲が身を乗り出す。この後俺はそこで寝るんだからあんまりシーツを乱さないでくれるとうれしいが言っても聞いてくれるかどうか。

 

「実は昔俺はソムリエに憧れてな。その時いろいろ調べたんだよ。結局ならなかったけどな」

 

「………そう。ならそういうことにしといてあげるわ。おやすみ」

 

そう言うと叢雲がベットからぴょんと降りてドアを開けて隣の部屋に戻っていった。

 

ありゃ誤魔化したバレてるな。敢えて聞かないでおいてくれたのか。

だがソムリエについて調べたのは本当のことだし実際にソムリエにはなってないから嘘はついていない。

ま、追及されても話すつもりはないが。

あれは俺の黒歴史みたいなもんだ。思い出したくもないほど忌まわしい記憶。

だがその記憶が俺たちを救った。まったくなんて皮肉だ。

 

ボトルに残った僅かなワインをグラスに注ぎ一気に呷る。これで寝酒としては充分だろ。寝酒なしではあまりよい睡眠が俺はとれない。一種のアル中かもな。

そんなくだらない考えを一蹴してベットに潜り込み、日本にいる若狭に通信を飛ばす。

 

「夜遅くに悪いな」

 

『こっちは朝だよ。急に何の用だい?』

 

「初日に毒を盛られかけた。幸い未然に防げたが次も何もないとは考え辛い」

 

『次は何がくるか調べてくれってこと?それはさすがの僕にも無理だなあ』

 

「わかってる。だから別の用件だ」

 

『………ふうん。一応聞こうか』

 

俺は逡巡した。ただの取り越し苦労かもしれない。俺の考えは馬鹿馬鹿しいことこの上ないし、具体的な根拠はなに1つない。

 

『いつまで僕を待たせる気だい?』

 

「あ、ああ。悪い。少しな」

 

『迷ってるのかい?』

 

その通りだ。俺は迷ってる。自分の直感以外は何も起きないと告げている。

 

『言う言わないは好きにすればいいさ』

 

ああ、そうだな。だが俺は決意を込めた声でゆっくりと若狭に告げた。

 

『帆波、正気かい?』

 

「たぶんな。頼んでいいか?」

 

『僕は防諜対策部対内課だ。そっちは門外漢なんだけど?』

 

「わかって頼んでる」

 

『………やれることはやるよ。あまり期待をされても困るけどね』

 

「そこまで深入りしなくてもいい。あるかないか。それさえはっきりすればいいんだ」

 

『わかった。だけど気長に待っていてほしい。僕も仕事の片手間になるからね。こう見えても結構忙しいんだ』

 

「わかってるさ。すまんがよろしく頼む」

 

ピッと通信を切り再び布団を被る。本当なら今すぐに日本に帰国したいところだ。だがそううまくはいかない。

これは日本政府と欧州連邦政府の結んだ一種の契約だ。期間が終わるまでは俺たちはよっぽどのことがない限り帰れない。そしてそのよっぽどの事態はまずは俺が起こる前に防いだ。ならまだここにいることになるのだろう。

 

そういえば明日は実際に教壇に立つことになる。さてさていったいどんな生徒がいるのやら。基本的にこういう学校ってのは自尊心の塊みたいなのが多いからまともに言うこと聞かないやんちゃなやつが絶対にいる。俺がそうだったから間違いない。

授業中に寝てたり机の下で変なの作って遊んでたりしたなー。

成績も気まぐれで全力でやってトップクラスだったりテキトーにやって下から数えたほうが早いところまで落ちたりとやらかしまくったしな。

 

ま、そこまでとは言わんが面白い奴がいるといいね。唯々諾々と言われたことをこなすだけのつまらん奴ばっかりだったら教鞭をとる気も失せるぞ。

 




えー、はい。大変投稿が遅れて申し訳ございません。今回はボツを5回近く繰り返し、改稿し続けた結果です。
次回はもう少し早く出せるように頑張ります。(出来るとは言っていない)

感想、評価などお待ちしております。それでは。


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最初の授業は演習で

こんばんは、プレリュードです!

真夜中の投稿ですがそんなのお構いなく行っちゃいます!

はい、本編参りましょう。


 

〈イタリア州パラッツォホテル1Fレストラン-現地時刻7月26日7:30〉

 

朝食はホテルビュッフェだった。

適当にぐるっとまわり皿にスクランブルエッグやソーセージ、パンやサラダなどを載せてコップにオレンジジュースを注ぐと席に戻る。

 

やっぱりこういう正式な外交用のホテルだけあって味のクオリティは高いのかしら。かなり美味しいわ。ただお米はどう見ても地雷ね。日本で食べた方が良さげだから手は出さないでおこう。

 

しばらく和食とはお別れだろうなと思いながら叢雲はフォークに手を伸ばした。

別に洋食に文句があるわけじゃないけどご飯に味噌汁の味っていうのは食べないと変な感じがする。しばらく食べないと思うと少々()びしいわ。

 

パンを一口サイズに千切りモクモクと咀嚼しながら目の前で眠たげに目を擦りながらシーザーサラダにフォークを突き刺す自分の司令官を盗み見て昨夜のことを思い出す。

 

あいつが嘘はついていないのは感覚的にわかった。それにあいつは私たちに嘘をつく人間じゃない。だから言っていたことは真実なのだろう。じゃあなんではぐらかしたのかしら?

わからない。結局こいつのことを知っているつもりでも実際はほとんど知らないのだ。私が知っているのはまだあいつが海大にいた頃に初めて会った時からだけ。それより前は何も知らない。

 

そこらの技術士官よりも遥かにに卓越している工学系の知識。

艦娘の中でも右に出る者はほとんどいないと自負していた自分と互角以上に渡り合える体術。

クィックドロウだとは思えないくらい正確無比な射撃術。

相手の腹の内を探り言葉の裏の真意に気づく話術。

 

あげればキリがないそれらの技術をいったいどこで覚えたのだろう。この前の英語だってそうだ。あんなに流暢に喋れるなんて知らなかった。

 

知らない。知らない。わからない。

チクリと胸の中が疼く。この痛みは、この気持ちは何?

 

コトリと目の前に食後のコーヒーが置かれる。カフェインはそういえば意識を覚醒させられるんだっけ。

もやもやとした気持ちまで晴れるかわからないけど試す価値はあるかもね。

 

まだ湯気の立つ熱いコーヒーをブラックのままで喉に通す。はたして心中は晴れたのだろうか。その答えは彼女自身が一番知りたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈イタリア州欧州海練イタリア校-現地時刻同日8:50〉

 

教鞭をとるにあたって一通りの挨拶をしておく必要があるとかで俺は欧州海練イタリア校の講堂にむかった。

常盤は女子担当で俺が男子担当らしい。まあ性別的には適材適所だろう。

 

「ホナミさん、こちらです」

 

あいつらと分かれて今回俺が教えることになっている訓練生たちのいる講堂に向かうために付けられた案内役が大きいドアを指し示す。この案内役は普段は担任のような立ち位置にいる人らしいが俺が教壇に立つにあたって助手のようなことをしてくれるらしい。

 

俺はそう思いながらノブに手を当ててドアを開けようとして手を止めた。

 

「どうされましたか?」

 

「すみませんが傘を持ってきていただけますか?」

 

「はあ………傘、ですか?」

 

「ええ。必要になりそうなので」

 

懐疑的な表情を浮かべながらも傘を取りに走って行ってくれた。今日の天気は晴れにも晴れて雲1つない晴天だ。そんな中で傘が欲しいなどといえば変に思われても仕方はないことだろう。

 

「どうぞ。しかし何に使われるので?」

 

「ありがとうございます。いえ、すこし面白いことに」

 

ありふれたビニール傘を受け取り右の口角をつり上げて嗤う。

なかなか面白い奴がこの講堂の中にはいるらしい。これならやりがいもありそうだ。

 

「すみませんが少し下がっていてください。自分と講堂に入るのはあまりお勧めできないので」

 

「よくわかりませんが承知いたしました」

 

これでよし。この人のいい助手役を巻き込むのは気がひける。

 

勢いよくスライド式のドアを左手で真横に押し開け同時に右手で傘をさす。

そのまま講堂に入ると上からバケツの水が降りかかり、傘を濡らした。傘をさしていたおかげで俺はノーダメージだ。

 

「えー、本日の講堂の天気は概ね晴れですが所により局地的な豪雨に見舞われるでしょう。傘をお持ちになってお出かけくださいねーっと」

 

パチン、と傘を畳み、壁に立てかけておく。わざわざ取りに行ってもらってよかった。

にしてもバケツの水トラップとはなんともマンガ的なものを。わざわざ仕掛けた奴にはご愁傷様と笑顔でエールを送ってやろう。

講堂がシーンと静まり返る。多分俺がバケツの水をかぶって濡れ鼠にでもなれば爆笑の嵐だったんだろうが失敗した以上何かしらのお咎めがくるかと戦々恐々なのだろう。

教壇のピンマイクを胸元にセットしてトントンと叩いて音量を調節した。

 

「あー、俺は別にこのイタズラについて責めるつもりはない。1つ言うなら次はもう少しうまくやれよー」

 

くそ、まったくウケない。てめえら自分で仕掛けといて素知らぬふりってそりゃないだろ。

ターゲット()が別にいいって言ってんだからそこは開き直ってしまうなりすりゃいいんだけどな。

というか何か言ってくれないと気まずい。教師とかなにやりゃいいのか知らん。

 

「えーっと、今日から期間限定で指導役になった帆波峻だ。短い間だがよろしく。今日は授業とかはする予定はない。ちょっとした質問タイムみたいに思ってくれ」

 

だめか。誰も手を挙げる様子も見せやしねえ。まあ始めだからこんなもんか。個人的な質問でもいいから誰か何か言ってくれ。

 

「うるせぇ!ジャッポネーゼに教わるようなことなんてないんだよ!」

 

いきなりガンッ、と机を蹴る乱暴な音がし、視線がそっちに向いた。

蹴ったブロンドヘアの男子は机に足を乗せふてぶてしそうに俺を睨む。

 

ほほう。結構面白い奴がいるじゃないか。

 

「君、名前は?」

 

「名簿を見りゃいい」

 

「ならそうさせてもらうさ」

 

事前に渡された名簿をパラパラとめくって該当人物を探す。お、こいつだ。

レオナルド・ラバートン。成績は割と優秀だな。へぇ、イタリア貴族のラバートン家の長男で父親が欧州連邦政府の上院議員か。こりゃえらいお坊ちゃんだねぇ。

 

「で、ラバートン君。理由を教えてもらってもいいかな?」

 

「ラッキーで”東方の狼”なんて呼ばれてる奴に教わることはねえって言ったんだよ!」

 

そのあだ名、個人的にはあんまり気に入ってないんだがなぁ。ただラッキーとはな。俺の実力だ、などと自惚れる気はさらさらないがあいつらの頑張りが無視されたようで少々ムッとくるものがあるな。

 

「そうか。なら君は何を知っている?どうやってヤツらを倒す?」

 

「ヤツら?ああ、深海棲艦のことか。んなもんは決まってる。戦艦揃えて主砲をブチ込めばいい。そんなこともわからないのかジャッポネーゼ」

 

ラバートンが嘲笑う。大口叩くねぇ。なら証明してもらおうか。

 

「ラバートン君。君は俺の教えを請う気はないということだな?」

 

「よくわかってんじゃねえか。その通りだよ」

 

「だが困った。俺は君みたいな面白いのをほっとくのは気がひける。だから演習をしないか?」

 

「演習、だと?」

 

俺の提案にラバートンが眉間にしわを寄せた。

 

「勝ったら言うこと聞けってか?」

 

いいねぇ。ますます気に入った。話が早い奴は好きだ。

 

「そこまで言うつもりはないが端的に言えばそうなる。逆に俺が負けたらそうだな、俺が講師を務めるものは全部出席しなくていい」

 

「……出席しなかったと報告するのはナシだぜ」

 

「わかった。君は極めて真面目な態度でいたと言っておこう。もし俺が負けたら、だけどな」

 

ラバートンが凶悪な顔で笑う。まんまと食いついた。まあいい条件ではあるからな。

 

「ルールは簡単。使用可能な艦娘の上限は6人。艦種は自由。相手艦隊を全て大破判定に追い込んだら勝ち。これでどうだ?」

 

「………二言はないだろうな?」

 

「ないさ」

 

「………その勝負、受けて立つ」

 

いいぞ。こういう無鉄砲さ。最初覗いた時はロクなのがいないかと思ったがこいつは見所があるな。

 

「ちなみに俺が出すのは駆逐艦と航空巡洋艦と正規空母の3人だ。そっちは6人フルで使えばいい」

 

「舐めてんのか!」

 

「ハンデだ。いち訓練生と現役がやりあうための、な。不足か?」

 

「………ゼッテー叩き潰す!」

 

俺がニヤリと右口角をつり上げて嗤うとラバートンが敵意と怒りを宿した目で俺を睨み唸るような声を出すと講堂をドスドスと出て行った。準備しにいくのだろう。

 

「他の訓練生諸君も大講堂のモニターで見てくれ。それを今日の授業とする。では移動!」

 

途端に静かだった講堂が一斉に喧しくなる。聞き耳をたてると内容のほとんどがどっちが勝つんだろうといったものばかりだ。

そこはオッズでもつけて賭博を始めるところだろ……

懐かしいなー。海大のころはこういう演習がある度に俺が賭博の元締めやって小銭稼ぎしたっけ。後に教官にバレて賭けた奴らと一緒に営倉にぶち込まれたのはいい思い出だ。

 

俺もスタンバイしようと廊下を歩いていると後ろから助手くんが駆け寄ってきた。

 

「ホナミさん、今すぐ撤回してきてください!ラバートン君は強いです!それを半分以下の数で、いえ戦力だけでいくならそれ未満で挑むなんて無謀です!」

 

「大丈夫ですって。まあ見ててくださいよ」

 

そう言うと背中越しに手を振る。

しばらく歩いたタイミングでコネクトデバイスを装着し全員にグループ通話モードで通信を飛ばす。

 

「俺だ。事の顛末は説明するから至急集まってくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈イタリア州欧州海練イタリア校特別講師控え室-現地時刻同日9:22〉

 

「あんたは、何を、やってんの、よッ!」

 

「あーっはっはっはっは!」

 

「演習か。悪くない」

 

「この霧島が不覚だったわ……榛名姉さまに聞いていたのに……」

 

「演習かー。鈴谷の出番だね!」

 

「ゴーヤはなんで出られないの……」

 

三者三様のリアクションを目の前に瑞鶴はただポカンとするのみだった。

 

ドカドカドカグシャー!と峻をしばく叢雲にただひたすら笑い続ける常盤、何に納得しているのか1人で頷く若葉に頭を抱える霧島。演習と聞いてテンションが上がる鈴谷に逆に出番がなくてテンションダダ下がりのゴーヤ。

 

カオス。この一言に尽きた。

 

いきなり呼び出されて何かと思えば

「訓練生の1人と演習するとこになったからヨロー」

と提督さんが言い始めたのだった。

 

「痛い!落ち着けって、叢雲!説明するって!説明するから!」

 

フーッフーッと荒い息を吐きながら叢雲がようやく手を止め、それを合図にしたかのように全員の視線が峻に集まる。

 

「はっきり聞くぞ。お前ら担当の訓練生たちと会ってどう思った?」

 

「……なんか少し反抗的な目線を感じたかな」

 

なんというか誰もまともに聞く気がないというかどこか拒絶されているような感じがした。

 

「瑞鶴と同じことを俺も感じた。まあ当然だな。いきなり上が決めて勝手に寄越された異国の教官に教わるなんてプライドが許さないんだろう。それに実力も噂でしか聞いていないという懐疑的な側面もある。そんな連中から学ぶなんて信用なくても仕方ないだろ」

 

確かにその通りかもしれない。実際どこの誰ともしれない人間がいきなり自分の教官になると勝手に決められたらああいう態度になるのも仕方ないかもしれない。

 

「ならどうすればいいか。単純だ。力を見せつければいい。こっちの実力を見せて学ぶ価値アリだと思わせればいいんだ」

 

「あっはっは!帆波クンのそういうとこアタシ最高に好きだわ!」

 

「てめぇに好かれても1ミリたりとも嬉しくねえ……」

 

でも言ってることはわかる。実力を演習で見せつけて納得させれば。この人たちからなら教わってもいいと思わせられれば態度はきっと変わる。

 

「つーわけで格の違いってヤツを見せつけるために3人で圧勝するぞ。瑞鶴と鈴谷と叢雲には頑張ってもらうからな」

 

「帆波クン、わかってるよね?」

 

「ああ。叢雲、断雨(たちさめ)は使用禁止だ。あれは日本(うち)以外は使ってる国はないからな。真似しても下手なのがやると沈んじまう。あとモルガナも使えない。あれも日本、というか俺以外は使えないが技術をパクられるだけでも結構痛い。近くで睨まない限り気づかないレベルのホロを空中に投影できるだけでもいろんなところで応用が利くからな」

 

あそこまでリアルに動きを再現できるホロはやっぱり難しいんだ。

確かにホロって応用すれば光学迷彩とかに使えそうだし使い方によっては危ないものになりうるかもしれない。

 

「とにかく機密保持とかの関係で使える兵装が一部に限られる。俺が手を加えてるものはほとんどダメだと思ってくれていい」

 

「それだと私出られないんだけど?」

 

そういえば叢雲の艤装は提督さんが手を加えたっていうかもう作ったっていってもいいレベルだったっけ。ソフトはほぼ全部やったらしいしハードの方もかなりいじったとか言ってた。

 

「大体って言ったろ?それぐらいはいいさ。鈴谷は航巡の艤装の方で出てくれ。瑞鶴、艦載機の編成はお前の好きにしろ」

 

「ん、了解!」

 

どんな編成でいこう?確か相手は戦艦だらけで来るんだっけ?なら艦攻や艦爆を多めにして偵察機を数機入れておくのがいいかな。念のため艦戦をある程度は入れておけば制空権を落とすことはないだろうし。

いつも出るときは制空権は加賀に任せっぱなしだったからなあ。たまには自分で頑張らないと。

 

「ねえ、帆波クン。アタシの出番は?」

 

「ない」

 

「ええー!アタシも出たい!」

 

「そうか。霧島、この変態をコンクリートで固めてアドリア海にでも沈めてきてくれ」

 

「お気持ちはわかりますがさすがに……」

 

「むしろWelcome!」

 

「「うるさい、黙れ」」

 

霧島さんの目が怖い。でもなんだろう。気持ちがすごくよくわかる。

 

「とにかく以上3人で出撃だ。他は待機。帆波隊の力を見せてやろうぜ」

 

「「「了解!」」」

 

3対6の演習だ。残念ながら提督さんは幻惑としての本気は出せないけどそれでも向こうは生まれたばかりの艦娘で練度は低い。数で押されていても押し返せる。

 

それにしてもヨーロッパに来て最初の授業が実地演習なんてね。穏やかじゃないなあ。

本当ならのんびりショッピングでもしたいところだけどそうも言っていられないか。

 

ヨーロッパ(こっち)の艦娘たちに日本の胸を貸してあげるとしようか。

 

 

 

 





さあさあまたまた新キャラ登場ですよっと。
そしてはーじまーる演習編ッ!ヘイ!(ウル○ラソウル感)

ただでは始まらない欧州編、ようやく前哨戦に突入!

感想、評価などお待ちしております。それでは。


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逃走中?いいえ、闘争中です。

うぎゃあああああああああ!
お気に入りがぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

※現在作者のSAN値が直葬されております。先に本編をお楽しみください。
それでは参りましょう。


イタリア州欧州海練イタリア校敷地内通路-現地時刻7月26日9:45〉

 

さてさて、演習開始な訳だがまずやっとくことがある。

演習の映像を大画面のモニターで流してもらうことだ。ここで自分たちの実力を見せつけることによって師事する価値アリの判定を下してもらわなければいけないのだ。

当然敗北すれば訓練生に舐められるという最悪の結末が待っているわけだがそれぐらいのリスクを負わずに信じろと向こうに言うほうが無理な相談だろう。

まあ勝てばいいんだ、勝てば。

それに戦力差があっても訓練生に負けるようなメンバーじゃない。

いくら兵装が一部封じられていてもな。

 

「帆波クン、勝機はあるの?」

 

「はっ。ないのにあんな条件つけるか」

 

「だよね」

 

海練校の敷地内に建てられた艤装を保管している格納庫にいくと正面で日本から来た警備がこちらに気づいた。

 

「身分証をお願いします」

 

「はいよ」

 

海軍のドッグタグを見せて登録されているコードを告げると警備の持つ生体認証装置に網膜と指紋、動脈、顔認証をされる。隣では常盤も同じことをされるがままにされている。後に続いている叢雲たちも同じことをされるのだろう。

 

「認証しました。帆波大佐、どうぞ」

 

「あいよ。お疲れ様。適度に交代して休めよ」

 

軽く警備を労うと格納庫へ入る。出撃前には必ず艤装のチェックをしておきたい。もしまた何かあってはいけないからだ。

 

「叢雲、パソコンとってくれ」

 

「これでいい?」

 

「サンキュー」

 

鈴谷、瑞鶴と見て異常がないかを確認する。2人には装着してもらい、作動を確認。そして叢雲の艤装はさらに時間をかけてチェックする。

叢雲のはさすが次世代型と言うべきか、恐ろしく細かいソフトが組んであるのですこし時間がかかるのだ。誰だよ、こんな七面倒なソフト組んだの。俺だよ。

 

「おし!これで大丈夫だ。全員、模擬弾に換装したな?」

 

「バッチリだよっ!」

 

「艦載機の爆弾を換装してるからすこし待って!」

 

「私は準備できたわ」

 

やはり艦載機がある分空母の換装はすこし時間がかかるな。開始時刻にはゆとりを持って伝えてあるから問題はないが。

 

「よし!提督さん、艦載機の模擬弾への換装終わったよ!」

 

「よし。行くぞ。出撃!」

 

3人が海に出るのを見届ける。

 

「帆波クン、アタシも指揮所に行った方がいい?」

 

「いや、お前は自由にしててくれて構わねえ。休憩所でコーヒーでも飲んでのんびりしといてくれ。俺一人で充分だ」

 

「了解しましたよ、大佐どの」

 

黙ってりゃこいつも有能なのにな。客観的に見ても割と容姿は整っている方だが性格と性癖がこれだからなぁ……

 

そう思いながら峻は仮設戦闘指揮所と名の付いた小さな空き教室に向かう。

上着を脱ぎ、カッターのボタンを外して首元を楽にしてやればスイッチオンだ。

適当な椅子に座り、脱いだ上着を椅子の背に掛けるとホロウィンドウを机上に次々と展開する。青白いパネルに気象データや艦娘のステータス、艦娘の視覚とリンクした映像などの様々なホロウィンドウが瞬時に開いていく。

今日は乾燥してるな。それなりに気温もあるが空気が乾いている分過ごしやすい。湿気だらけでベタついた日本の夏との違いはそこだろうか。

 

「面白いことになっているじゃないか、ホナミ大佐」

 

「…!オルター少将!」

 

がたりとドアを開けてオルター少将が部屋に入ってくるのを見て慌てて立ち上がって敬礼しようとする。

 

「いや、敬礼はしなくていい。お互い対等にいこうじゃないか。それにしても演習とは考えたな」

 

なんで組んだかは気づいてるってわけか。ま、欧州の獅子が鈍いわけがないか。キレ者じゃなきゃ少将なんて上にはいけないだろうしな。

 

「手っ取り早く実力を見せるにはこれがいいかと思いまして」

 

「そうだな。実に効率的でいいと思う。私としてもこのやり方は好みだ。せっかくだから見ていっても構わないか?」

 

「ええ。どうぞ」

 

「ビスマルク!ん?ビスマルク!……さっきまでついてきていたんだが……まあ直接見に行ったのだろう。すまないが椅子を借りる」

 

適当な椅子をオルター少将が手元に引き寄せると腰掛ける。

 

見張られてるみたいでやり辛いがなんとかなるだろ。

左手で前髪を掻き上げるとガリガリと髪を掻き毟る。演習開始時刻まであと3、2、1、0。

 

「状況開始だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈イタリア州ティレニア海演習海域-現地時刻同日10:00〉

 

「索敵機から入電!戦艦4に巡洋艦2。あっ、索敵機からの連絡途絶。落とされちゃった。たぶん巡洋艦2隻は完全に対空装備だろうね。これじゃなかなか艦載機は近づけないよ」

 

向こうもそれなりには考えているのね。あいつに話を聞いた時には猪突猛進なバカかと思ったけど防空装備の巡洋艦を2隻も揃えてくるとは少し厄介だ。

これでは瑞鶴が封じられてしまっているのと同じね。密な対空射撃を敷かれては艦爆や艦攻が有効打を与えるのは難しい。

実質的な戦力を私と鈴谷だけに絞るのが向こうの魂胆かしらね。訓練生だと侮ってたけど思ったよりやるじゃない。

あいつには劣るけどね。

 

『へぇ、ラバートン君もなかなか考えるねえ。どう思う、叢雲?』

 

『普通にやってちゃ勝ち目はないわ。だからあんたのお得意をやってもらうんでしょ』

 

脳波通信を使って語りかける。作戦行動時には発声しなくてもよい脳波通信は便利だ。あいつの策略は奇策が多いからこそ聞かれては台無しなのだから。

実際、射程も威力も向こうが圧倒的に上なのだ。こう話している間にもいつ砲弾が飛来するかわかったものではない。それを覆すのだからそういう手に頼るのは致し方ないことではあると思うが。

 

『まだ最初は様子見だ。いきなり仕掛けたりはしねえ。まだ視界にも捉えてないんだろ?ま、のんびり待とうぜ』

 

まったく暢気ね。まあやる時はやってくれるからいいけどね。そうじゃなきゃこっちが困るわ。それにしても待つだけってのは性に合わないわ。早くして欲しいものね、ホントに。

 

そんなことを考えていると着弾を示す水柱と泡が辺りに沸き立つ。

 

『提督!1時の方角から敵艦隊の砲撃だよ!まだ視界に捉えてないから電探射撃だと思う!』

 

『回避行動始め!取り舵30、両舷後進第四船速!』

 

ぐるりと回転して航行の向きを変えると体を砲撃してきた方向に向ける。

今はちょうど体の向きだけは敵艦隊に向いている状態で逃げているような構図だ。

 

『瑞鶴、艦戦を上げろ!鈴谷、砲撃開始。ただし斉射はしなくていい。あくまで牽制レベルだ』

 

『了解!発艦始め!』

 

『うりゃー!』

 

水平線上に影が浮かびそれがゆっくりと姿を現わす。ひたすら砲撃を繰り返し、こちらと一定の距離を取り続ける戦艦群だ。

近づく気はないし近づかせる気もないってわけね。これじゃあ相手にダメージを与える方法がほとんどない。

魚雷はある程度接近してから撃たなければほとんど当たらないし、対空装備の巡洋艦のせいで艦攻艦爆は近づけない。鈴谷の砲撃にしたって戦艦の射程と比べれば短い分、こうも距離を取られては届きはしても有効射程は超えている。まともなダメージを与えることは難しいだろう。

 

『少しずれた!面舵15!30秒後に取り舵5だ!』

 

敵艦隊と距離を大きく取ろうと離れるがそれを許さないと言わんばかりに追随し砲撃を続ける。

ひたすら逃げる者たちとそれを追い、砲撃する者たち。これではいたちごっこだ。

 

『次、両舷後進第三船速!取り舵25。40秒後に面舵35だ』

 

また軌道を変える。先ほどからカクカクと小さく角度を変えてひたすら後ろに移動し逃げ続ける。

 

『おいおい!東方の狼さんよ!あんだけ大口叩いといて逃げるだけかよ!口程にもねえってのはこのことだな!』

 

『わざわざオープン回線で話しかけてくれるとは涙が出るね、ラバートン君。あと俺のことは東方の狼じゃなくて帆波先生とでも呼びたまえよ』

 

うわ、完全に煽ってるわ。それが狙いなのはわかってるけどあいつって口を開けば人を煽るわよね。こういう戦闘においては特にそう。

 

『誰が呼ぶか!お前みたいな腰抜けをよ!』

 

『あらま残念。あ、次は面舵20だ』

 

『また逃げるのか!』

 

『んー、まあ華麗な逃走ならばまたそれも闘争ってね。いや、厳密には逃走ではないんだけどさ』

 

『ふざけやがって!真剣にやれ!』

 

『いやいや、俺はいたって真剣だよ?次、取り舵45。これで最後だ』

 

これで最後ってことはようやくなのね。

長らく待たされたわ、本当に。

 

『なにをほざいてやがる!』

 

『ステイクールだよ、ラバートン君。ところで君は将棋というゲームを知っているかい?』

 

『ジャッポーネチェスのことかよ』

 

『概ね正解だ。あれはどういう勝負か教えてあげよう。将棋というのは相手の打つ手を何手先まで読めるかのゲームだ。そしてプロは今までした対局の経験と記憶した膨大な棋譜を元に相手の手番を予測する。つまりあれは記憶力と経験値の比べ合いをするゲームなんだよ』

 

『何が言いたいんだよ、お前は!』

 

『この演習は俺たちの勝ちってことさ。今だ叢雲!』

 

来た!浮力力場を最大出力で展開!

 

するとさっきまで海中に潜っていた叢雲の体が一気に浮上。敵艦隊のど真ん中に姿を現わす。

 

「なっ!どうしてここにっ!」

 

巡洋艦と思しき艦娘が英語で叫ぶ。あの翻訳装置をつけているおかげでラグ無しで日本語に変換してくれるおかげですぐに理解が出来るのは便利だ。

 

「海に潜って待ち伏せしてたのよ。あいつの指示通りにね」

 

ウェークの延長線のような作戦だ。まさか駆逐艦の私が潜水艦の真似をすることになるなんてね。

演習開始前にあの円筒形の水中呼吸器を渡されていた。あとは演習開始と同時に浮力力場を低下させて潜っておくだけ。

そうすれば瑞鶴と鈴谷が逃げ続けたように見せかけて私が隠れているポイントまで誘導してくれる。誘導さえしてくれればあいつの合図と共に飛び出せばいい。

 

1つ欠点を挙げるならこの作戦は主砲や機銃が使えなくなること。艤装自体は防水防塩加工はしてあるから浮上してからも動くことは出来るけど全身浸っていれば火薬は濡れて使い物にならなくなってしまう。

でも1つだけ使える武装がある。

発射後は水中を進み、敵の艦船(ふね)の船底を食い破る駆逐艦の牙が。

そう、魚雷は使える。

だから最初っから魚雷以外の装備はすべて外して身軽にしてあるのだ。

 

先ほど声を上げた艦娘に正拳突きを入れ、よろめいたところに脚をかけて転倒させる。魚雷発射管から抜いた魚雷を置き土産に投げておけばあっという間に大破判定だ。

 

「まず1人ね」

 

濡れてへばり付く髪を手首に付けていたヘアゴムでまとめ上げる。これで視界は確保できた。

 

「さて、次は誰が相手になってくれるのかしら?」

 

自然体だがしっかりと気を張り詰めていつでも戦える姿勢で周りを見渡す。

そこには唖然とした表情で突っ立ったままの艦娘たちがいた。

どうやら陣形の中心部に浮上したらしい。綺麗に囲まれている。

 

手筈では近くに浮上して2、3人倒したら離脱するはずだったんだけど……

 

『あー、悪い。ちょいミスった』

 

よし。あとでボコボコにしよう。

 

『まー、なんとかしてくれ。出来るだろ?』

 

向こうで今、確実にあいつは笑ってる。右の口角をつり上げて挑発的にね。賭けてもいいわ。

 

「やってやろうじゃない。なんたって私はあんたの秘書艦よ」

 

『さっすが。好きに暴れてこい。フォローは任せな』

 

「ええ、任せたわよ」

 

機関を回して標的とした者に素早く接近し、左手のパンチ。当然防がれるがそんなのは想定内。

左手を引かずにそのままガードしてきた腕を掴むと手前に引っ張りながら右の蹴りを脇腹にめり込ませる。

 

「があっ!」

 

蹴られた艦娘は空気を吐き出すとそのまま崩折れる。気を失ったのだ。体内の妖精は砲撃などのダメージは逃せても直接的すぎるダメージは逃すのに適していない。

 

「そんな……この娘ホントに駆逐艦なの……?」

 

駆逐艦に決まってるじゃない。最初にあいつが言ってあるんでしょ。

 

「ねえ、日本(わたしたち)ヨーロッパ(あなたたち)の違いってなんだと思う?」

 

「「「「…………?」」」」

 

蹴り飛ばされたために、気絶して浮かんでいる対空装備の巡洋艦と既に大破判定で離脱した、これまた対空装備の巡洋艦以外が頭上に疑問符を浮かべる。

 

「ヨーロッパは大陸国で日本は島国なのよ。ヨーロッパは大陸国である分、海岸線は少ない。それに比べて島国である日本は四方八方が海。常にいつどこから攻められるかわからない。そして艦娘の保有数は連邦国家である欧州連邦が言うまでもなく日本よりも多い。結果、要所要所に配置出来る艦娘の数は日本の方が圧倒的に少ないのよ。それなのになんで国土を守りつつ海外に手を出すことができると思う?」

 

欧州連邦は数に物を言わせる力押しができるかもしれない。でも日本には数がいない。各所にばらけて配属されているからだ。ではなぜか。

 

日本(わたしたち)の強みは一人一人の高い練度と個と個の連携にある。だからこそ、少ない数で自分たちよりも多くの深海棲艦からの侵略を防ぐことができてるのよ。物量作戦相手なんて私たちにとっては日常茶飯事よ」

 

ブゥゥゥン、と艦載機のプロペラとエンジン音が後ろの方から聞こえる。瑞鶴が攻撃隊を出したのだろう。ということは鈴谷の砲もすでに狙いをつけているはずだ。

叢雲がゆるりと構えて散開しようとする欧州の艦娘を追いかける。

 

狩る側と狩られる側が逆転した。




はっ!失礼、取り乱しました。
えー、艦隊これくしょん〜放縦者たちのカルメン〜のお気に入りが50件を超えました!いえーい!
そのため少々気が触れておりましたがもう戻ったのでご安心を。

これを機に調子に乗った作者(バカ)はツイッターを始めやがりました。暇な時に唐突に呟くだけのアカウントになりそうですが、もしよろしければフォローしていただけたら嬉しいです。詳しくは活動報告にありますのでよろしかば。

@regurus32701

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狩人のエチュード

こんにちはプレリュードです!

ようやっと艦これにおいて3-4を突破できました!長かった……本当に長かった……
思えば自分は艦これ始めてもう1年なんですよね。なんか感慨深いです。

えー、本編に参りましょう。


〈イタリア州欧州海練イタリア校仮設指揮所-現地時刻7月26日10:48〉

 

よし。演習は俺の狙い通りに進んでいる。

最初にラバートンに出す艦種を教えておいたのは潜水艦は出さないとアピールするためだ。そうすれば水中音波探知装置(ソナー)をわざわざ積むようなことはしないだろう。なら水中に叢雲を待機させていても気づくわけがない。

敵艦隊の編成を確認してから叢雲に対空装備の巡洋艦を落とすように言ってある。

そして流石は姫薙ぎ、見事に2人の巡洋艦を薙ぎ倒してくれた。こうなっれば相手方は対空戦をまともに張ることはできなくなる。そうなってしまえば瑞鶴の独壇場だ。

 

「瑞鶴、攻撃隊発艦!鈴谷、全主砲装填!目標、敵艦隊左翼の戦艦級だ!」

 

『了解!第一次攻撃隊、発艦始め!』

 

『主砲斉射!うりゃぁぁぁ!』

 

散開しばらけ始めた艦娘を叢雲が追撃し接近。まばらに撃たれる弾を易々と避け、近づいたところでむこうの艦娘が振りかぶった拳を突き出すがその腰の入っていない拳を体軸をずらしてかわす。そして叢雲は繰り出された腕を掴み、勢いをそのまま生かしてひっくり返すと、発射管から引き抜いた魚雷を叩きつけるように投げつけてトドメをさす。

また別の艦娘は瑞鶴の操る艦載機による爆雷撃と鈴谷の砲撃を立て続けに受けてペイントまみれになり、大破判定が下り悔しそうに離脱していく。

 

こうなってしまえば統制射撃など向こうには出来るわけがない。さっきまでのひたすら遠距離から撃ち続ける作戦は一気に瓦解した。

 

「ふむ。ホナミ大佐の指揮は独特だが面白いな」

 

峻が忙しく指を動かし、ホロウィンドウを表示させては横にズラし別のをまた手前に持ってきてを繰り返す。その中で戦況を表示しているホロウィンドウをオルターが覗き見て言葉を洩らした。

 

「ヨーロッパでは東方の狼なんて呼ばれ方らしいですけど日本では自分は別の名で通ってるんですよ」

 

「ほう。どんな名で呼ばれているのだ?」

 

興味深げにオルター少将の眉がピクピクと動く。

 

「幻惑の帆波。狼なんて勇ましい戦い方を私はしません。むしろ相手をあの手この手で騙すのが本懐なんですよ」

 

「なるほど。それでこの指揮か。それにしても見事なものだ。欧州連邦海軍に働き口を求めてはどうだ?」

 

パチッとウィンクをして悪戯っぽい声でオルター少将が言う。もっとお堅い感じの人かと思ってたがそういうこともできるのか、この人。

 

「ははは。お上手ですね。日本海軍にリストラされたら考えますよ」

 

「おや、残念無念。むむ、戦況が動いたようだ。すまんな、変な雑談に付き合わせて」

 

「いえいえ。構いませんよ」

 

雑談に付き合う程度の余裕はある。そもそも話しながらでも絶対に大きな変化は見落とさないようにしている。つまり、オルター少将の言うところの戦況の変化もしっかりと確認済みである。

そう、一丁前に叢雲を落とそうとしてやがるのだ。残った2人でなんとか1人だけでもってところか?挟み撃ちを狙うような動き方だ。なるほどな。実際のところこの戦略の主軸となっているのは叢雲の近接戦闘だ。それを落としにかかるのは妥当な手段だと思う。だがそう簡単に叢雲は落とせないし、そもそもその状況を俺が指を咥えて黙って見ているわけがないじゃないか。

 

「鈴谷、瑞雲を出してくれ。コントロールは俺がもらう」

 

『ほいほい!カタパルトに瑞雲をセット。射出!』

 

瑞雲が特徴的なフロートを輝かせながら空へ滑るように飛び出した。

 

『提督に操作権を移譲したよ!』

 

「I have control.さぁ、やるぞ!」

 

速力全開。エンジンを噴かせて叢雲を後ろから狙う艦娘に接近する。背中がお留守ですよーっと。

高高度から急降下。背後を取られたと気づいた艦娘が対空射撃を開始する。

 

はっ。専用の装備なしで防ごうってか。甘い甘い。右旋回、次左旋回。機首を一度あげてムーンサルト。

 

曲芸のようなフライトでばら撒かれる機銃と副砲の網をするすると瑞雲がすり抜けていく。念のためいっておくとムーンサルトはおちょくりを兼ねた趣味だ。あんな曲芸飛行を実戦でやる馬鹿がいるかよ。

 

その後、俺は敢えて瑞雲のコントロールを失敗させて錐揉み落下させる。もう心配ないとタカを括ったのか対空砲火が止んだ。

残念だがまだ終わってないぞ?

海面スレスレでコントロールを取り戻し姿勢を水平にすると機首をあげて再上昇。ペイントの雨霰を降らせた。

戦艦の艦娘がさっきまでやったと思った機体に攻撃され訳がわからないといった表情を見せながら前のめりになる。だが判定は小破にいったかいかないかぐらいの僅かなダメージしか入っていない。

 

だがこれでいい。瑞雲の攻撃程度で戦艦に大打撃を与えられるなんざハナから思っちゃいない。重要なのはバランスを崩させることだ。体勢が取れなければ回避するのはほぼ不可能。なにより当たった直後の受け身やダメージの受け流しが上手くできない。そうなれば当たった砲撃はいくら戦艦とはいえ致命傷と成り得る。

 

「鈴谷、瑞鶴。今だ。やれ」

 

『あいさー!』

 

『艦載機のみんな!やっちゃって!』

 

瑞鶴と鈴谷の攻撃が俺の操る瑞雲によってバランスを崩した艦娘に容赦なく浴びせられる。ここまでの集中砲火と爆撃だ。なす術もなく戦艦の艦娘がペイントに染まっていく。

 

もう一方でもカタがつくな。後ろを気にする必要がなくなった叢雲がめちゃくちゃに撃たれる砲撃の隙間を縫うように接近していく。そこはもうあいつの射程だ。叢雲の魚雷全弾を使った雷撃が襲いかかる。

 

こいつで最後の一手だ。なぜならこれで()()だからな。

今頃モニターにはラバートンの艦隊の全て大破判定のランプが点いているだろう。ほら、来た。手元に演習終了のお知らせだ。

 

「状況終了。帰投してくれ」

 

椅子から立ち上がると教室を後にして大型モニターの設置してある大講堂に移動する。なんだかんだ言いながらもラバートンもそこに来るはずだからな。

オルター少将も無言で俺の後をついてくる。暇なのか?この人。まあ俺たちの翻訳係と案内役らしいからそれでついてこなくてはいけないだけかもしれないが。

 

「いきなりの演習で悪かったな。お疲れ様」

 

『いやいや、これぐらい朝飯前だって。ところで提督、鈴谷はジェラートが食べたいなー?』

 

『あ、提督さん。私も!』

 

こいつらちゃっかりしやがって。やってあげたんだからそれぐらい買ってくれってか?

 

「へいへい。そんぐらいなら奢ったるわ。また後でな」

 

『やりぃ!約束だよ!』

 

「わかりましたよっと。どうせ叢雲も欲しいんだろ?」

 

『……別にそんなこと言ってないじゃない』

 

「言いはしないけど欲しいということですね、わかります」

 

『ぐ…………………』

 

言葉に詰まるってことは認めたと同然。鈴谷みたいに素直に買ってくれって頼めばいいのにな。大して高いモンでもないしこれでも俺は大佐だ。給金は一般のサラリーマンと比べればかなり貰ってるため貯金は結構ある。それに加えてウェークの件で褒賞金もたんまり出ているのだ。なんだって税金泥棒?知るか。

 

大講堂に入ると痛いほどの視線に晒された。あんだけド派手にやれば仕方ないとは思うがな。よしよし、ラバートンも仏頂面下げてちゃんといるじゃないか。

もう一度教壇に登りピンマイクを胸に付けて全体に声が行き渡るようにすると口を開いた。

 

「先の演習で俺たちの実力はわかってもらえたと思うがこれで講師として認めてはもらえるとありがたい」

 

誰も口を開かずシン、と静まり返ったままだ。なにも言わないなら沈黙は肯定と受け取るからな?

 

「で、ラバートン君。さっきのは負けてしまった訳だが全くダメだった訳じゃないぞ。最初の統制射撃は見事なものだったし奇襲されてから素早く散開の指示を出したのはよかった。陣形に拘り続けていたら一瞬で終了していたからな。そしてその後の叢雲への対処だ。さっきの作戦は叢雲が主軸になっているのを見抜いた上で2体1でもいいからと叢雲を攻撃しようとした点は素晴らしいの一言だ」

 

「舐めてんのか!俺は負けたんだ!慰めなんていらねえんだよ!」

 

「俺はそんなことしない。事実を言ったまでだ。あの艦娘たちはまだ実戦経験が皆無の娘たちばかりだろう?なのにも関わらず艦隊運動がしっかりとできていた。それは君自身の指揮能力だよ、ラバートン君」

 

「……うるせえ」

 

そういうとラバートンは椅子にどっかりともたれるとそっぽを向いてしまった。

ま、ラバートンと俺たちでは今までくぐり抜けていた戦場の数が違う。始まる前からこちらに軍配は上がっていた。

むしろあれならば善戦した方だとすら思う。駆逐艦を潜水させるなんて奇天烈な手を食らって易々と対処できる指揮官の方が稀だ。そういう意味では俺は割と本気で褒めていた。正直なところまともな演習になるかどうかすら疑っていたのだから。あれをまともと言うのはいろんな所から抗議が来るかもしれないが、俺としてはラバートンの艦隊は同士討ち(フレンドリファイア)するなり衝突するなりとなにかしらやると思ったがそういうことが一切なかった。叢雲を艦隊のど真ん中に浮上させた時も一発も撃たずに散開したのは舌を巻いた。あのとき艦娘たちは確実に砲撃しようとしたはずだ。だがそれをラバートンは止めた。艤装に介入したのか通信で怒鳴って止めたのかはわからないが激情家に見えて意外と冷静に局面が見えている。だがあくまで演習だ。実戦において常につきまとう死の恐怖と戦いながらの戦闘が出来るかはわからんが肝っ玉はありそうだ。難なくその点はクリアできるだろう。なんだよ。欧州連邦の訓練生、いい株揃ってんじゃん。

 

「今日はここまでにする。提出する課題とかは特に出さないから各自でイメージトレーニングでもしておくように。以上だ」

 

講堂を出ようと教壇を降り、ドアに近づいたところで首のデバイスが鳴り、俺に通信が来たことを知らせた。それと同時にオルター少将のものも鳴った。

 

「俺だ。ん、瑞鶴か。どした、急に?」

 

「私だ。プリンツか。何かあったのか?」

 

「はあ⁉︎」

「なんだと⁉︎」

 

そして俺とオルター少将の声が被った。

そしてお互いが気まずそうに目を合わせる。

 

「たぶん同じことですよね……」

 

「ああ。おそらくな……。すまない、ホナミ大佐」

 

「謝らないでください。俺も謝らなくちゃなんないんで」

 

「お互い大変だな……」

 

「本当にですね……」

 

そういや格納庫には日本の技術士官が数人詰め掛けてたっけ。それを考えれば装備を戻すぐらい余裕だったろう。にしてもまったくあいつは……

今回連れてくるメンバー間違えたかねぇ?もう少しストッパー役になれる奴を引っ張ってくるべきだったか。いや、言ってもどうにかなるわけじゃない。もうなにも言うまい。

はあ、とため息をついて峻は窓から空を仰ぎ見た。いや、そんなことしてる場合じゃないか。

 

だが止めても無駄だということも分かっている。隣のオルター少将もわかっているからこそなにも言わない、いや何も言えないのだろう。お互いに御し辛い仲間を持っちまったもんだ。

 

叢雲よ。いつも俺を制止するのはお前だろ。それが暴走してどうするよ、まったく。だが嘆いている暇はない。即刻手を打たなくては。下手に放置すると本当に機密が明るみに出かねないのだ。

 

一難去ってまた一難。一つ目の難は自ら呼び込んだものだから自業自得とも言えるが二つ目はなぁ……

頼むぜ、叢雲。断雨は使うなよ。絶対にだ。あれは馴れない艦娘が見様見真似で使えばロクな結果を招かない代物だから目につけさせちゃならねぇんだ。

 

「急ぎましょう、オルター少将」

 

「そうだな。こちらとしても放っておける事態ではない。本当に申し訳ない」

 

「言わんでください。それを言うならこっちもです」

 

「だとしてもそちらは客人だ。ホストの管理不届きで起きたことなら謝罪せねばなるまいよ」

 

「そんなこと……いえ、とにかく今はあっちが先決です」

 

「わかった。急ごう」

 

慌ただしく峻とオルターが講堂から飛び出していく。結局のところ、司令官は忙しい生き物だというのはどこの世界も変わらないのかもしれなかった。




ただでは終わらない演習編。
そんなこんなで第二ラウンドに突入フラグを建てたところで今回は終了でした。
欧州編は長くなりそうな予感ですねー。

感想、評価などお待ちしております。それでは!


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問題児たちの二重奏


こんにちは、プレリュードです!
最近はジメジメして過ごしづらい気候が続きますね。梅雨だから仕方ないとはいえ嫌になります。

そういえば夏に新しい睦月型の追加が発表されましたね。いったいどの娘が来るんでしょうか?楽しみですね。

それでは本編に参りましょう。


 

〈イタリア州ティレニア海演習海域-現地時刻7月26日11:38〉

 

峻とオルターのため息を作った原因2名は海上で対峙していた。

 

駆逐艦叢雲vs戦艦ビスマルクの演習だ。

 

 

 

 

 

僅か15分ほど前。

 

「大したことなかったわね」

 

「そうだね。提督さんの指示通りに動いてたらホントに狙った場所に来てくれるんだもん」

 

「いやー、今回は鈴谷の瑞雲が大活躍だね。今度はもっと活躍できるように提督に改造してもらおうかな」

 

やんややんやと話しながら格納庫に入ると3人が艤装を置いた。すぐに日本の技術者たちが駆け寄るとメンテナンスを始める。特に叢雲の艤装は魚雷以外の武装を全て外している。それらの取り付けをしなくてはいけない。自分の艤装に主砲が取り付けられていくところを見ながら、叢雲が先ほどの演習で口に咥えていた水中呼吸器をポケットから取り出し、峻の使っているパソコンの隣に置いておく。

 

「さっきの演習、見事だったわね」

 

パチパチと手を叩きながら格納庫の扉付近から金髪の女性が姿を表す。

 

「えっと、ビスマルクさんだったかしら」

 

「ビスマルクでいいわよ、ムラクモ。それにしてもあなた、強いわね」

 

「お褒めに預かり光栄よ。それでなにか用事?できれば休みたいんだけど?」

 

「そう言いながらもそんなに疲れてなさそうね」

 

図星だ。正直にいうとかなり余力は残っている。さっきの演習はウォーミングアップ程度にしかなっていない。

 

「ねえ、私と一対一で演習しない?」

 

「戦艦とタイマン張れってこと?冗談キツいわよ」

 

「でも負けるつもりは無いんでしょう?」

 

「最初っから勝負を投げるわけないじゃない。でもパスよ」

 

「そう。あなたはそんな腰抜けではないと思っていたのだけど。これならあのホナミ大佐もかなりなチキンなのかしら?」

 

「…………ならそっちのオルター少将はかなりの喧嘩バカね」

 

ピクッと叢雲の顔が引き攣る。あいつのことをチキンだなんて言ってくれるじゃない。挑発だとわかっててもスルーはできないわね。

 

一方でビスマルクも額に青筋が立っていた。アドミラルのことを喧嘩バカとはね。貶めた代償はキッチリと払ってもらわなくちゃならないわ。

 

「ふぅん、駆逐艦風情が言うじゃない」

 

「あら、超駄級戦艦サマの言うことだけは立派ね」

 

バチバチとビスマルクと叢雲の間に火花が散る。異変に気づいたのか、瑞鶴と金髪ツインテールの少女が駆け寄った。

 

「(ちょっと、叢雲。言い過ぎだって。ここで問題起こしたら提督さんに迷惑かけることになっちゃうから抑えて)」

 

「瑞鶴、悪いけど止まる気はないわ。あいつをバカにされて引き下がれるほど私は大人じゃないのよ」

 

ぐい、と瑞鶴を押し退けて叢雲が一歩前に進み出た。

 

「(ビスマルク姉さま、冷静になってください。相手は同盟国ですよ。しかも無理を言って来てもらっているんです。そんな相手に喧嘩を吹っ掛けないでください)」

 

「少し黙ってなさい、プリンツ。こっちも駄級戦艦なんて言われておいて、はいそうですかとは言えないのよ」

 

ビスマルクもプリンツを押し退けて叢雲に向けて一歩前に進み出る。

 

「海の上で決着をつけましょう」

 

「上等よ。吠え面かきなさい」

 

相手は戦艦。だから何?

今まで戦艦を相手にしたことは何度もあるし、何隻も屠ってきた。今更そんな名前だけに怖気づくことなんてない。敵を恐れて駆逐艦なんてやってられないし、刀を振り回して近接戦闘なんて仕掛けられない。

 

「ルールはさっきと同じ。模擬弾を使用し大破判定が出たら負け。いいわよね?」

 

「それでいいわ」

 

「なら5分後に海上で会いましょう」

 

身を翻したビスマルクが自分の艤装がしまってある場所に向かう。

ちらりと叢雲が自分の艤装を見ると既に主砲から機銃、爆雷まで全て取り付けてある。素早く模擬弾に換えると艤装をひと撫でする。艤装の中に隠されている断雨はあいつからの使用許可が出ていない。ならばまた徒手空拳で挑むしかない。

 

艤装を装着すると止めようとする声を振り切って海へ滑り出した。

 

「ああ……。叢雲行っちゃったよ…………」

 

「ビスマルク姉さま…………」

 

ビスマルクを止められなかったのだろう、とぼとぼと歩くプリンツと瑞鶴の目があう。

 

「うちの旗艦がごめんね……」

 

「いえ、こっちこそ。ビスマルク姉さまの暴走に巻き込んでしまってすみません……」

 

二人してため息を吐いてから通信を飛ばす。瑞鶴は峻に、プリンツはオルターへ。手のかかる旗艦に振り回される司令官たちだがそれは僚艦たちも同じだった。

 

 

 

 

 

そして海に出た叢雲は慎重に電探を睨みつつ周りを見渡していた。

啖呵切って出て行っておいて見つける前に射程外から蜂の巣にされましたでは洒落にならない。

しかしそんな心配は無さそうだ。なぜならビスマルクは海のど真ん中でご丁寧に仁王立ちして待っていたからだ。

 

「随分と余裕ね。さすがは欧州の獅子の右腕ってところかしら?」

 

「そんなつもりはないわ。私はあなたと正々堂々と戦いたいのよ。それに姫薙ぎを侮ったらどうなるかはさっきの演習でよくわかってるわ」

 

「へぇ。じゃあ遠慮なくやらせてもらうわよッ!」

 

機関を全力で回す。ビスマルクが砲撃を始めるがそれらを躱して近づいていく。狙うのはギリギリの距離。魚雷を確実に当てて先手を取る!あいつの魔改造のおかげか瞬間速度なら最速の駆逐艦島風にだって負けない。

 

「いいわ!いいわね!すごいわムラクモ!」

 

「そっちこそ!」

 

外れてばかりいた砲撃がだんだんと至近弾を出し始めている。想像以上だ。もう少し至近弾はかかるものかと思っていたけどこんなに早く狙いをつけてくるなんてね。さすがは北海油田防衛戦を潜り抜けた猛者といったところかしら。撹乱させる機動を心がけているのにこうも容易く狙いをつけてくる。

 

久しぶりの強敵との戦闘で知ってか知らずか叢雲が戦意を漲らせて獰猛に笑う。そしてそれと同種の笑みをビスマルクも浮かべていた。

 

叢雲は飛来する砲弾をステップと複雑な動きをもってして避け続けて着実に間を詰めていく。だがその表情に余裕はない。タラリと額に汗が幾筋も流れているのがその証拠だ。それでも笑う。笑い続ける。

遂に魚雷の射程に入ったからだ。装甲を噛み砕き大穴をぶちあける武器の射程に。

 

「喰らいなさい!」

 

放った酸素魚雷が海中に潜り、グングンとビスマルク向けて進んでいく。航跡が泡となって海面に浮かんだ。

 

「…!」

 

叢雲が慌てて身を捩ると足元に迫っていた魚雷に被雷。いきなり中破判定が下る。対するビスマルクは魚雷は擦りはしたのかダメージは入っているが僅かなもので小破すらいっていない。

 

「よく躱したわね、ムラクモ」

 

「まさかこんなことがあるなんてね。ビスマルク、あなたは魚雷が撃てる戦艦なのね」

 

「ええ、そうよ。直撃コースだったのを避けられる思ってなかったけど」

 

「実力よ」

 

そうは言ってみるもののあれは偶然に近い。酸素魚雷は航跡を残さない魚雷なのだ。第二次世界大戦期に日本側のみが実戦に使用できる段階まで漕ぎ着け、酸素を使っていることがバレないように書類上では第二空気と表記してまで隠したほどの機密だ。そして先ほど叢雲が放った魚雷は酸素魚雷だった。なのに突如海面に航跡の泡が浮かんだのだ。自分の放ったものではない。なら目の前のビスマルクが撃ったものだと判断して急いで避けようとしたが完全には間に合わなかったのだ。

 

それにしても魚雷の撃てる戦艦とはね。厄介なこと極まりない。判定では幸いにも速力の大幅な低下は避けられているけど不利なのに変わりはない。参ったわね。こうなったらやることは一つしかないか。

 

一気に突っ込む!

 

主砲や機銃をばら撒きながら突き進む。だがビスマルクも手練れだ。そしてさっきのラバートンとの演習をもう見てしまっている。意表を突くことはできない。どっしりと構えたまま真っ直ぐに突っ込んでくる叢雲に魚雷の狙いをつけて発射する。

航跡を残しつつ叢雲に向けて魚雷が進む。しかし叢雲は避けることすらせずに、ヒットの瞬間に浮力力場を足がかりにして大きく飛び上がった。魚雷は当たる対象を見失ってそのまま後ろに虚しく航跡を刻んでいく。

 

「なんでもありね、このッ!」

 

ビスマルクが後退しながら副砲を撃ちまくり、弾幕を張るがそれすらも軽々と躱してしまう。まるで見切っているように。

峻は銃弾を躱すときには銃口で弾の軌道を予測し引き金を引くタイミングで弾の来る瞬間を読む。叢雲がやったのも同じこと。ビスマルクの艤装に付いている砲門全てを見て軌道を予測。引き金はないのでタイミングの予測は出来なくとも弾道さえ読めてしまえばその道から外れておくだけで掠めることはあっても直撃することはない。

 

叢雲が着実にビスマルクとの距離を縮めていく。多少速力が低下したとはいえ、峻の魔改造が施された次世代型の艤装だ。通常の駆逐艦並のスピードは出るし、ましてや相手は高速艦とはいえ戦艦なのだ。どちらが速いかなど一目瞭然である。

ビスマルクの砲撃は当たらない。叢雲も主砲を撃ちながら突撃しているのでビスマルクの視界を多少なりと塞いでいることも要因のひとつだろう。装甲が厚いためか有効打にはならないが集中力を削いで狙いをズラすぐらいの効果はある。

 

まだよ、まだ。中破してからが始まりなんだから!

 

 

 

 

 

ビスマルクは苛立っていた。

魚雷を撃ってもジャンプして躱された。それならばと繰り返している砲撃はスイスイと避けられてその癖に向こうの攻撃は効果は薄いとはいえチマチマと小さくダメージを与えてくる。これでは苛立つなと言う方が無理な注文だ。

いえ、落ち着きなさいビスマルク。同じことを繰り返していてもだめよ。いくら相手は中破しているとはいえ油断したらやられる。この駆逐艦の目は死んでない。

なら次で決める!

 

残った魚雷を全て放つ。海面を泡立たせながら叢雲に向かって魚雷が進んでいく。当然のごとくに叢雲は浮力力場で踏ん張って大きく飛び上がる。

 

そこをビスマルクの主砲が狙っていた。

 

「空中なら回避は無理でしょう?喰らいなさい!Feuer!」

 

ドン、と砲撃が撃ち出され叢雲に吸い込まれていく。着弾を示す煙が叢雲の姿を覆い隠した。

 

勝った!駆逐艦の装甲で戦艦の直撃を喰らっては大破判定確実。もともと中破している時点で揺るぎはしないだろう。

 

そう思っていたからこそ、煙の中から中破判定のままで襲いかかってくる叢雲を見て驚愕した。

なぜ?直撃はしたはずなのに?

 

ドボンと海に落ちた物を見て理解した。落ちたのは叢雲の主砲だった。

まさかあの一瞬で主砲を盾にしてダメージを逃したっていうの?そんな無茶苦茶な!少しでもズレたら失敗していたであろう芸当を軽々とこの娘はやってのけたというの⁉︎

 

ビスマルクは知る由もないが、叢雲がやったことはウェーク島攻略戦において榛名が時間を稼ぐため泊地棲姫の砲撃を自らの砲門を盾にしたことの真似だった。肉を切らせて骨を守る。つまりはそういうことだ。

 

その行動はビスマルクの思考はほんの一時、停止させた。時間にして水滴が落ちる程度の本当に一瞬。だが手練れ同士の戦闘においてその一瞬は大きすぎる隙である。

 

「沈めぇぇぇ!」

 

叢雲の魚雷発射管が空中で次々と魚雷を吐き出し、海面に落ちるとビスマルクに向かって真っ直ぐに突っ込んで行く。2人の距離は先の叢雲の突撃で艦同士の戦闘ではありえないくらいに近い。そんなところから魚雷を撃たれて回避するのは不可能だ。

 

放たれた魚雷がビスマルクに全て余すことなく命中した。模擬弾のため、通常弾と比べればはるかに小さな水柱が立ち、それが治ると中破判定が下ったビスマルクが腕をクロスして顔を庇っている姿で立っていた。

 

「まったくッ……あなたとことん規格外ね」

 

「そのセリフ、そっくりそのままお返しするわ。まさかあんだけ魚雷撃ち込んだのに中破で抑えられるなんてね」

 

距離を取らせてはくれないらしい。下がっても追いかけられ、逆に前に出たら下がられる。全速力で移動しても駆逐艦では追いつかれるだろう。この一定間の距離を取り続けられる状況は実にやり辛い。

 

 

 

 

 

本当に厄介だ。これで大破までいってくれればよかったのに、まさか耐えてくるなんて。

 

「仕方ない、か」

 

ボソッと呟くように言って艤装の中に格納されてる断雨を抜こうとする。これ以上は使わずにやりあえる自信がない。すうっと背負っている艤装に手を伸ばして隠されている断雨を抜こうとする。峰打ちにすれば怪我させることはないはずだし、そもそもここまでの相手なら掠るかどうか。

 

その時、演習海域に声が響いた。

 

『おい叢雲てめぇ!いい加減にしやがれ!暴れすぎだっての!』

 

『ビスマルク!いくらなんでも勝手しすぎだ』

 

「うげぇ、アドミラルか……ムラクモ、勝負は次に預けましょう」

 

「……そうね。またいつか」

 

背中に伸ばした手をおろす。危なかった。完全にヒートアップしていて許可されていないことまでするところだった。こんなところで奥の手も機密も見せるわけにはいかない。

 

『ほれ、さっさと帰投だ。ったくよ。演習海域でやってたせいで今の戦闘全部モニターで筒抜けだったぞ』

 

本当に危なかったわね。モニターに映ってる状態であんなもの振るってたら言い訳も隠蔽もできなかったわ。

 

ざあっと格納庫に進路を向けて帰還する。絶対お小言を言われるわね。最近のあいつは無断出撃に敏感になってるから言われないわけがない。自分が悪いと諦めるしかないんだけどね、今回ばかりは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈イタリア州ナポリ市トレド通り-現地時刻同日15:21〉

 

軍服から私服に着替えて、鈴谷たちとの約束を守るために俺たちは街をあるいていた。約束とはあのジェラートの件だ。

さんざんオルター少将に謝り謝られを繰り返し、ようやく今日の予定が終わったから外出でもするかというわけだ。せっかくヨーロッパに来たわけだしな。俺もいろいろ買い物をするのは好きだ。

 

それにしてもこのアホは毎度毎度、人の言うこと聞かずに一人で勝手に出撃しやがって……

 

「マジで大概にしてくれよ。変に勝ってもしこりが残るだろうが」

 

「いや、売り言葉に買い言葉だったのよ………」

 

「はあ……お前だけジェラートの味は俺が選ぶ。それが罰だ」

 

「提督さん、結構あまいよね……」

 

「そもそもお前らに厳しい罰とかさせたことないだろ」

 

「過去にあったのは……1日秘書艦の仕事手伝えとか食堂のテーブル拭いとけとかそういうのだよね?」

 

「そりゃ鈴谷、お前にやらせたやつだ」

 

「なんとも言えない感じがてーとくらしいね」

 

言うようになったな、ゴーヤめ。

地元で有名らしいジェラート屋を視界に納めると羽織っている上着のポケットの中にある財布を取り出す。既に空港に着いたときに日本円からユーロに替えてあるので問題なく使える。

 

「お前ら何味だ?叢雲以外は希望を言え」

 

わーっとガラスケースに駆け寄り叢雲以外がじっと品定めを始める。いろいろ味があるから悩んでいるんだろう。

 

「えーっと、鈴谷はオレンジ!」

 

「私はこのシチリアレモンってやつがいいな!」

 

「ゴーヤはシンプルなミルク味にするでち!」

 

「そうか。おばちゃん、オレンジとシチリアレモンとミルクと……えっと、これとこれで」

 

「あいよ」

 

コーンにジェラートが盛られて次々と渡されるのを処理していく。最終的に俺の手には自分のピスタチオ味と叢雲の真っ黒なジェラートが残った。

 

「ほらよ。叢雲、お前の分だ」

 

「………なにこれ。真っ黒なんだけど……」

 

「味は俺が選ぶって言ったろ?イカスミ味」

 

「ほとんど嫌がらせじゃない………」

 

イカスミジェラートを手渡す中でも近くでは鈴谷たちがうまいだのなんだの言っている。そんな中でイカスミなのだ。そう思われても仕方ない。ま、罰だからな。

 

恐る恐る叢雲がぱくりとジェラートの先端を口に含む。

 

「あれ、結構おいしい……」

 

「らしいな。見た目に反していけるって聞いたことある」

 

ただし歯が黒くなる。俺なりの二重トラップだ。それぐらいのやり返しは許されるだろう。恨むなら自分を恨んでくれたまえ。

 

「提督さん、その格好熱くないの?」

 

「いや。この上着は布地が薄いし下のズボンも夏用だからな」

 

俺は長袖の上から上着を羽織って長ズボンを履いているという姿だ。瑞鶴たちも思い思いの格好をしているが全員が半袖で共通しているからそう思ったのだろう。

だがこの格好には理由がある。上着を着ておかないとショルダーホルスターやマガジンポーチにコンバットナイフなどが見えてしまうのだ。こんなものを露出しながら歩いていたらかなりの危険人物だ。だから隠している。

 

昨日の毒ワインの件で俺はかなり警戒している。そのための装備だ。多少体感温度が熱いくらいは我慢しよう。

 

「いいか、明日からまた教官役の再開だ。気張っていくぞ」

 

「「「「了解!」」」」

 

しっかりとした返事が返ってきたのを聞きながらピスタチオジェラートに舌鼓をうった。

あそこまでやれば訓練生たちの態度は変わるだろう。そうすりゃ本格的に教えにかかれる。講義の内容でゆっくりと信じさせるなんてまどろっこしいのは嫌いでね。手っ取り早くさせてもらった。

 

また明日からやるとしますか。やると言ったからにゃ、やらにゃならんしな。

 

そう思いつつ適当な店に入る。ひとまずは今日の寝酒の確保をするとしよう。そういやこっちはリキュールも有名だったな。





演習編はこれで終了と言ったところでしょうか。特に何も起きてなくね?、とか突っ込んではいけない。

ちなみにイカスミジェラートはマジで存在します。作者は食べたことありませんが結構あっさりしてるとかなんとか。どんな味がするんでしょうかね?

感想、評価などお待ちしております。それでは。


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イタリア貴族とドイツ軍人


こんにちは、プレリュードです!
2-5にちょくちょく出撃してるけど大鯨でないよ……

それにしても朝潮改二が可愛すぎる!早く改装したいけどプレリュード鎮守府の朝潮はLv24というね。足りねえ!
でも先制対潜は嬉しいですね。1-5の攻略が捗りそうです。

それでは本編に参りましょう。


 

〈イタリア州パラッツォホテル前-現地時刻7月26日17:14〉

 

買い物を終えるとちょっとした食糧や飲み物などを携えてホテルに戻った。まだ先は長いのに買いすぎても正直言って邪魔になるだけだ。お土産などは最終日付近に買うのがベストだというのが俺の判断である。

そしてホテル前についてから余計にそう思った。荷物が少なくてよかったと。

 

「すみませんホナミさん。少々お時間よろしいですか?」

 

「……はい。構いませんよ」

 

目の前に立っている高級そうなスーツを身に纏った男に返事をしつつ叢雲に目配せをする。叢雲もわかってくれたらしい。一礼すると残りの3人を連れてホテルに引き上げていく。

 

「立ち話もなんですのでこちらへ」

 

「わかりました」

 

車に乗せられ少し走るとカフェに着きVIP用であろう、裏の席に連れて行かれた。車が公用車の時点で察してはいたがかなりのお偉いさんらしいな。

 

「何か飲まれますか?」

 

やってきたウェイトレスに手渡されたメニューをざっと見て考える。

 

「では……アイスコーヒーで」

 

「では私もそれで。いいかね?」

 

「かしこまりました」

 

すぐにストローのさされたグラスに黒色の液体と氷が入ったものが俺と目の前の男の分だけ運ばれてウェイトレスが下がっていった。

 

「イタリアはどうです?」

 

「日本の夏と比べると湿気があまりないので過ごしやすくて助かります。日本の夏はベタつくんですよ」

 

ストローを咥えてアイスコーヒーを音を立てずに啜る。すっきりとした苦味と芳醇な香りが口に広がり、喉を潤す。

 

「失礼ですがあなたは?」

 

「名乗り遅れました。私はエミリオ・ラバートン。欧州連邦の上院議員を務めさせております。先日は愚息が御迷惑をおかけし、真に申し訳ありません」

 

あれの親父さんか。わざわざ謝罪にくるとはな。たぶん息子の方は来るのを嫌がり仕方なく一人で来たってところか。

 

「いえ、あの程度たいしたことはありません。それに私自身の学生の頃と比べるとあれくらい可愛いものです。ですからどうかお気になさらないでください」

 

俺の開いてた闇市の商品を仕入れるためにセキュリティハックして寮を抜け出したりな。それと比べりゃ教官に噛みつくくらいははるかに可愛らしい。

 

「それを言われて安心しました」

 

「息子さんはいい腕をされてます。あのまま伸びれば立派な司令官になるでしょうね」

 

その言葉を聞くとエミリオ・ラバートンは顔を曇らせた。

 

「何か気に触ることを言いましたか?」

 

「いえ、そうじゃないんです。実は息子は家を継ぐことを嫌がってあの道に進んでいるので親としては複雑なのですよ」

 

ははあ。なるほど。わざわざ俺をここまで連れてきたのはそれか。

 

「別に軍人になることは構わないんです。ただ古くからのラバートン家を私の代で潰すのは忍びないのです」

 

「私に息子さんを説得してほしい、ということですか?」

 

「端的に言えばそうです。息子はあなたに負けて何かしらの興味を持ったはずです。そのあなたの言葉ならなにか変わるかもしれない。お礼ならもちろんします。議員としてではなく一人の父親としてお願いします!」

 

「…! 頭を上げて下さい!」

 

がばっと頭を下げられむしろ俺が慌てた。ダメだな。やるって言わなきゃ梃子でも動かんぞこの人。

 

「どうして家を継ぐことを彼が嫌がっているかわかりますか?」

 

「それがさっぱり……。昔から不自由はさせないようにしてきたのですが……」

 

むう。こりゃ本人に話聞くしかないな。あぁ、もう面倒くせえ。なんでこんなにいろんな案件が舞い込むんだよ。ただでさえ嫌な予感がしてるのに。

 

「そうですか。とりあえずは話だけでも聞いてみます。やれることはやってはみますが保証は致しかねます」

 

「構いません。本当にありがとうございます」

 

話はこれだけだったのだろう。この後は適当な雑談に入り、俺がアイスコーヒーを飲み終わったところを見計らって、また車でホテルまで送ってもらい別れを告げた。

 

明日あたり話を聞いてみるとするか。俺もラバートンを利用したところあるから一言くらい謝罪した方がいいかもしれないしな。

 

 

 

 

 

〈イタリア州欧州海練イタリア校埠頭-現地時刻7月27日13:30〉

 

そして言葉通りに翌日、埠頭にラバートンを呼び出して話を聞いてみようとしたわけだが。

 

「なんだよ、ジャッポネーゼ」

 

「いや、この前の演習について謝っておこうと思ってね。君をダシにしたからさ」

 

「んなことくらいわかってる。それをわかって乗った俺も悪い。で、それだけか?違うんだろ?」

 

それなりに頭も切れるか。この少年、いや少年というには大人すぎるがこの訓練生はなかなか鋭いようだ。

 

「当ててやろうか。親父に言われて家を継ぐように説得してこいって頼まれたんだろ?」

 

俺は心の中で口笛を吹くと同時に舌打ちもした。エミリオ議員め。この反応からすると既に何人かに説得を頼んだことがあるのかよ。

 

「当たりだ。で、そうしてほしいか?」

 

「もう聞き飽きた」

 

「だろうな。だから言わない」

 

コンクリ片をコツンと蹴って海に落とす。

 

「…………いいのかよ?親父になんか言われるじゃないか?」

 

「言われたとしても君の言う通り俺は異国人さ。どうせすぐにいなくなる。それにぶっちゃけるなら君が家を継ごうが継がまいが俺にとっちゃどうでもいい」

 

昔叢雲に言われた通り、俺は詐欺師なのかもな。やるって言っときながら説得する気は皆無だ。

 

「そういう事を言ってきた奴は初めてだ」

 

ラバートンが目を見張る。本当に今まで説得に来た人間はすべて真面目に説得したらしい。ご苦労様なこって。

 

「でもその通りだろ?君が家を継いだところで俺にメリットはなんもない」

 

「確かにな。はっ、ただの嫌味な奴かと思ったが以外と合理的なんだな」

 

「まあな。で、なんでそんなに継ぎたくないんだ?」

 

「……自由になりたいんだ」

 

「自由、か」

 

「そうだ。親父はいっつも忙しくてなかなか顔を出さない。お袋の病死する前も結局仕事で来なかった。そんな不自由な生活を俺はしたくねえ」

 

「軍人なんてのは自由から対極の位置にある仕事だぞ?」

 

「これは一種の反抗だ。別に軍人じゃなくたっていい。ただ親父の敷いたレールを進むのが俺は嫌なんだ」

 

そういう意味の自由か。自分の思うままに生きてみたい。何かに縛られることなくやってみたい。

 

「なら尚のことだ。自分がどうしたいか親父さんとしっかり話すべきだな。その様子だと最後にまともに話したのはいつだ?」

 

「…………いつだったっけな」

 

「だろ?一回正面からぶち当たってみたらどうだ?」

 

「今更何話せってんだよ」

 

「話す相手がいるだけいいだろう」

 

声の調子が哀を帯びた。俺は話したくとも話せる人はいないんだから話せるだけいいじゃないか。そう言いかけた口を急いで噤む。

 

「……考えとく」

 

「おう、そうしてくれや。じゃあな」

 

「一体なんの気まぐれだったんだよ?」

 

背を向けて立ち去ろうとした俺をラバートンの疑問が足を止めさせた。

 

「気まぐれ、ね。あえて言うなら君の能力を見たからだな。演習中、一回たりと艦娘たちを罵ったりしなかったろ?」

 

「当たり前だ。俺の命令通り動いてくれたのに負けたのは俺の責任だからな」

 

「それだよ。自分を客観視できる能力。それは得難いもんだ。君は艦娘の指揮が向いてるかもしれないぜ?」

 

じゃあな、と言うと本当に今度こそ埠頭を立ち去る。

 

お坊ちゃんってのも悩みのタネはあるらしい。父親との衝突と反抗期か。羨ましい限りだ。俺には反抗する相手も衝突する人間もいない。俺から言わせれば幸せな悩みだ。だが彼からするとままならないものなんだろう。

 

歩きながらもう一度コンクリ片を蹴り飛ばす。少しガラでもなかったな。どうやら俺は彼が妬ましいらしい。らしくねえな、くそ。

 

思考を別のものに変えるためにコネクトデバイスを着けるとホロウィンドウを開く。オルター少将から送られてきた文書ファイルを選択すると解凍してから開いた。

 

昨日の毒ワイン事件についての文書だ。犯人は逃走中に毒を飲んで自殺したらしい。司法解剖に回したところ、検出されたのは三酸化二砒素。余りの毒を飲んだのだろう。特に身につけているものから身元を特定できるものは見つからなかったようだ。

 

俺の殺害は反連邦派にとって確かにメリットはあるかもしれない。だがそれ以上にリスクが大きすぎやしないか?殺しまでやれば独立後に、国際社会での立場がいいものになるとはとても思えない。となると明らかに過激派の反欧州連邦組織の仕業だとしか思えないがやり方がいささか暴力的すぎる。

 

考えても無駄か。情報が少なすぎる。この状態で下手に確定的なことを出そうとすればワリを食うのはこっちだ。

 

文書ファイルを閉じるとガシガシと頭を掻き毟る。もどかしいったらありゃしねえ。俺にできる事と言えばせいぜいこうやって常に武装しておいて何かの事態に備えるくらいだ。

上着の下に隠されたホルスターに収められているCz75を撫でる。いざとなったら頼むぜ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈イタリア州欧州連邦海軍ティレニア海防衛前線基地営倉エリア-現地時刻同日11:57〉

 

カチャン、と扉の鍵が開けられる音がしてビスマルクはようやく営倉から出られる事ができた。

が、安心したのもつかの間だ。目の前にはオルターが立っていたのだから。

 

「何か言うことは?」

 

「………えーっと、勝手やってすいませんでした?」

 

「その通りだ、この馬鹿者!」

 

ごちん!とビスマルクの頭に拳が振り下ろされる。一人で暴走して客人に喧嘩を売ったのだ。一日営倉にぶち込まれて拳骨一発くらいなら安いものだろう。

 

「まったく……ホナミ大佐が融通の利く人でなかったらどうなっていたことやら」

 

「ほんとにラッキーだったわね」

 

「もう一発いくか?」

 

「勘弁してちょうだい、アドミラル」

 

ひらひらと手を振って断る。まだ頭がジンジンするんだから。

 

「で、ビスマルク。やってみてどうだった?」

 

「強いわね。しかもあれ、全然本気じゃないわよ。まだなにか隠し玉があると思う」

 

まだ少し痛む頭に手を当てながらビスマルクが演習を思い出す。駆逐艦ならではの素早さを生かした戦闘は相手をしていて驚嘆に値するものだった。そもそも戦艦と駆逐艦では艦種の時点でこちらにかなりのアドバンテージがあるにも関わらず、ビスマルクは引き分けに持ち込まれたのだ。そしてまだなにか奥の手があるとビスマルクは睨んでいた。ムラクモが最後に背中に手をやったことが何の意味もないとは思えない。

 

「お前にそこまで言わせるか」

 

「ええ。あの部隊は全員の練度が非常に高い。特にムラクモの強さは異常よ。マックスやレーベの2人だったらあっという間に返り討ちにされるんじゃないかしら。2人で同時にかかっても厳しいかもね。プリンツでも難しいと思うわ」

 

「お前にしては珍しく高評価だな、ビスマルク」

 

「そうね。でもそこまでの価値がある。私とあそこまで互角にやりあってまだ余力を残してる時点でかなりのものよ。演習のときも彼女たちは十全の装備ではなかったはずだしね」

 

機密保持の問題で出していない手はかなりあるはず。それはこちらも同じだが、だとしても向こうの底はまだ見えない。

 

「そうか。お前もそう思うか」

 

「も、ってことはアドミラルもかしら?」

 

「ああ。ホナミ大佐とあの演習中に私は雑談をしたんだが話しながら指揮を執るなんて器用なことを平然とやってのけていた。全力なら悠長に私との雑談に興ずるなんてできないだろう」

 

「さすがはウェーク島をたった2艦隊で落とした部隊ってところかしら?」

 

「そうだな。最初はデマかと思ったが事実らしい」

 

「でもそうなるとおかしいわよね?」

 

眉根を揉んでいたオルターが表情を真剣なものに改めて声のトーンを落として話し始める。

 

「そうだ。なぜそんな人材たる司令官を軽々しくヨーロッパに送り込むようなことをした?ここが連邦派と反連邦派で争っていることくらい知らない訳がなかろう。巻き込まれたら最悪の場合、怪我では済まないかもしれない。なのになぜ?」

 

「日本でもなにかが起きる、もしくは既に起こっている。そこから大佐を遠ざけたかった。それなら納得がいくわ」

 

「もしくは彼がいると都合の悪い事情があった。推測にすぎんがそうでなくては合点がいかんからな」

 

もともとホナミ大佐を呼ぶ要請を出したのはこちら側だ。けれど日本がそれに従う義務はない。なにかしらの理由をつけてのらりくらりと避けられるはずだ。

 

「まあ日本の事情は私たちにはわからん。できることと言えば彼を守るくらいだ」

 

「そうね」

 

できることを精一杯やろう。あの日本の使者たちが死んでしまうと不利益を被るのはこちらだ。それに彼女たちは気に入った。そんな人間たちを見殺しにするのはこのビスマルクの名が廃る。

 

「アドミラル、もういいですかあ?」

 

「もういいぞ、プリンツ。あとは好きにしろ」

 

オルターの後ろからゆらりとプリンツが姿を現わす。笑ってはいるものの、かなりのお怒りのご様子で。

 

「アドミラル……これはどういうことかしら?」

 

たらりとビスマルクの頬に汗が垂れる。こういう雰囲気のプリンツはまずい。

 

「プリンツがお前に言いたいことがあるらしくてな。ま、しばらくシフトはないからゆっくりしていても大丈夫だ」

 

「ア、アドミラルーーーー!」

 

無情にもオルターはプリンツとビスマルクを二人きりにして去っていく。ビスマルクの叫び声は届いていない、いや意図的に無視したようだ。

 

「さあ、ビスマルク姉さま。すこぉし一緒にお話しましょうか?」

 

ビスマルクにはピクピクと顔中の筋肉を引きつらせ青筋を立てたプリンツに逆らう術はなかった。

 





プリンツはかわいい(真顔)
そしてあの娘強いんですよ。頼れすぎてやばい。

せっかくヨーロッパを書くんだから海外艦を出せるだけ出してみたいですね。グラーフとかゆーちゃんとか。まあ作者の気分とか技量次第なんですけどね。名前くらいは出したいなあ。

感想、評価などお待ちしております。それでは。


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ウェーク島新設基地建設計画会議


こんにちは、プレリュードです!

今日は7月7日、七夕ですね。
もう七月なのか……

うん、なんかすみません。

本編参りましょう。


 

〈日本神奈川県横須賀市横須賀鎮守府執務室-現地時刻7月30日21:56〉

 

ここで話を一度日本に戻そう。

日本海軍は多くの基地を擁している。そしてそれらの基地を統括する役割として横須賀、舞鶴、呉、佐世保の4つの鎮守府と大湊警備府が存在している。

例えば帆波峻が基地司令を務めている館山基地は横須賀鎮守府の支部という扱いになるのだ。

そして支部を多く持つのは横須賀、佐世保、大湊、舞鶴である。

呉は防衛基地というよりは兵装実験団としての役割を強く持っているため、支部はあまり多くないが最新の兵装が多く置いてある。こうして全ての鎮守府と警備府のパワーバランスは均衡を保っているのだ。

 

話が逸れた。

先日ウェーク島が日本海軍の統治下に入ったのは周知の事実だ。既に前線基地も急拵えとはいえ建設され、現在は本格的な防衛基地の建設計画が作られている。

そしてその計画書を作るのは誰か。それはもちろん、軍本部のお偉方だ。だがそこに口出しすることのできる人物がいる。

横須賀鎮守府のトップ、東雲将生中将だ。

ウェーク島を落としたのは横須賀鎮守府支部、館山基地の帆波隊だ。つまり間接的に横須賀鎮守府に属する部隊である。それは東雲将生がウェーク島全ての采配に関して強い発言権を有することを示すのだ。もちろん彼一人の独断で防衛基地建設を進めることはできない。あくまで発言権があるだけだ。だがそれを利用しない手はない。

 

そのため彼は横須賀鎮守府の執務室においてカリカリとペンを走らせ計画書を作っている。

 

「提督、お疲れ様です。お茶、どこに置きましょうか?」

 

「翔鶴か。執務机の上は散らかってて危ないから隣のミニテーブルに置いてくれ」

 

その言葉通り、机の上は大量の資料が所狭しと置かれて机の木の面がほとんど見えない。そういう時のためにちょっとした物を置く用のミニテーブルがあるのだ。折り畳み可能でコンパクト。必要な時のみ開けばいいという利便性の高さが東雲は気に入っている。

 

「はい、わかりました。防衛基地建設計画書の進捗状況はいかがですか?」

 

「芳しいとまでは言えないが形はできてきた。あとはどうやって本部の頭の凝り固まった連中を説き伏せるかだな」

 

「提督。壁に耳あり障子に目あり、ですよ」

 

翔鶴が優しく忠告しながら東雲の左肩から机の上を覗いた。

そこには東雲の達筆な文字でこう書かれていた。

”基地航空隊運用の提案について”

 

「基地航空隊、ですか?」

 

「ああ。今はウェーク前線基地には二航戦の蒼龍と飛龍が配属されているがその2人が報告書を寄越した。それによると深海棲艦の艦載機からの攻撃に苦戦しているらしい。現状ではなんとか対処はできているがそれでもかなりの数とのことだ。それでこの計画だ」

 

それらの艦載機を発艦させている空母はおそらくミッドウェーから流れてきているのだろう。あそこは航空戦力が非常に高かったはずだ。それが継続的に空襲を仕掛け続けてこればせっかく奪還できたウェーク島は再び深海棲艦の物となってしまう。それはなんとしても防ぎたい事態だ。

空母の艦娘が同時にコントロールできる艦載機の数はその艦娘自身の腕だ。だが搭載できる艦載機は艤装との兼ね合いによりどうしても最大数は限られてしまう。ならば他で発進させればいいという東雲の考えを基に考案したのが今回の計画だ。

 

「これは急がなくてはいけませんね……」

 

「その通り。だからこうして何度も見直して修正しているわけだ」

 

二航戦の2人を永続的に配備しておくわけにはいかないし、襲撃があるたびに他の基地や泊地から支援艦隊を寄越してもらい続けるのは無理がある。ならば別の手段を用いて防衛できるようにしておく必要がある。

 

「すみません、お邪魔でしたね」

 

「いや、とんでもないさ。少し煮詰まってたんだ。ちょうどよかった」

 

屈託無く笑いながらお茶に手を伸ばすとそれを啜った。すこしぬるくてとても飲みやすい温度だ。

 

明日にまた本部で会議がある。そこで多少強引な手を使ってでもこの計画を通さねばいけない。

 

ふと糖分を取りたくなり、机の中から小さな飴玉を取り出して口に放り込む。コロコロと口の中で転がすと優しい甘さがじんわりと広がった。

 

計画が通るのが遅れれば遅れるほど基地航空隊の編成や基地の建設が遅れ、その分だけウェーク島が再び深海棲艦の手に落ちるリスクが高くなる。

急がなくてはシュンの頑張りが水泡に帰してしまう。

 

焦燥感と共に東雲の健康的な奥歯が飴玉をガリリと噛み砕いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈日本埼玉県さいたま市海軍本部会議室-現地時刻7月31日9:00〉

 

最初に会議室に入って感じたのは身を突き刺すような敵対的な視線だった。

俺は弱冠30歳にもならないうちに中将という地位に登りつめた。それは異例のことであることは理解している。だがこの視線はなんだ?

自惚れるつもりはないが俺もなんの努力なくこの地位にいるわけじゃない。嫌々ながら頭を下げたことだってあるし嫌味や陰湿な嫌がらせだって何度もやられた。それらを堪え忍んで掴んだ横須賀鎮守府のトップだ。

若手だと侮られているだけなら何とかなる。自身の実力を見せて納得させればいいからだ。

だがこの視線はそうじゃない。

この本部勤めの将校サマたちは自分が蹴落とされるのが怖いのだ。この連中は何とかしてこいつを排除してやりたいという浅はかな事しか考えていない眼だ。

 

これは計画を通すのは骨だな。いくらいい提案をしたって必ずいちゃもんを付けてくるのが簡単に予想できる。

これは日本の防衛線の問題だ。そんな些細な個人の感情を優先すべきじゃないだろう。それが何でわからないんだ。

 

「落ち着いてください。きっと何とかなります」

 

隣にいる翔鶴が俺だけに聞こえる声でそっと俺の背中を支えるように手を当てて言った。

 

「……ああ、そうだな。ありがとう」

 

円卓に座る将校をぐるりと見渡して最後にどっしりと座る男を見る。

日本海軍元帥、陸山賢人。この男の重いであろう腰さえ動かせれば俺の勝ちだ。

 

「本日はお忙しいところをお集まりいただき誠にありがとうございます。それではウェーク島防衛基地計画についてお話させていただきます。お手元の資料をご覧ください」

 

同時に翔鶴へ合図を送り、投影されたスライドが動いていく。

 

「ウェーク島の二航戦からの報告書です。深海棲艦空母群からの激しい攻撃を度々受けている、と書かれています。これらの深海棲艦はおそらくミッドウェー諸島の深海棲艦の泊地からやってきていると思われます。それらに対抗するための基地航空隊です」

 

一度息を整えるために間を開けるとその隙をついて1人の将校が口を開いた。

 

「具体的にその基地航空隊を防衛基地計画に練り込めばどうなるというのだね?」

 

「まず空母艦娘一人が操れる艦載機の上限が大幅に上がります。本来、空母艦娘は艤装に搭載できる艦載機分くらいの数ならば同時にコントロールすることが可能です。しかし補給などローテーションの関係で全機発艦は出来ない。ですがそれを基地航空隊として別で補給できる施設を作ってしまえば能力を全て余すことなく発揮することが可能となるでしょう。実際にここにいる翔鶴は実験で同時に100を越える艦載機を操って見せました」

 

 

誰かがほう、と感嘆の声を漏らした。

かなり下準備をしてからやったんだけどな。横須賀の湾内で何があってもいいように吹雪を待機させておいたり、潜水艦の艦娘に潜らせておいていざという事態に備えておいてから実験したが翔鶴は事もなさげに容易く艦載機100機を操った。

 

「つまり基地航空隊の設営により、迅速な艦載機への補給と空母の戦闘力の格段な向上が見込めるため、私はこの計画の実行を具申いたします」

 

「東雲中将、この計画はどこの企業にやらせるつもりだ?」

 

てっぺんが禿げ上がった小太りな男が眉根を揉みながら聞いてきた。肩章を見るところによると俺と同じ中将らしい。確か名前は山崎だったか。

 

「それに関してですが、指名競争入札にしようかと思っています。現状では岩崎重工と川中飛行機にさいたま製作所、水主工業などを打診しております」

 

名前を挙げたのは国内の大手軍需企業だ。新たな試みなのでしっかりとした企業に頼まなければいけないと考えた結果、浮かんだ名前がこれらの企業だった。まだいくつか候補はあるが、大方はこんなところになるだろう。

これで話が通ればあとは各企業に入札してもらって検討といった流れだろう。

 

「……だめだ」

 

「山崎中将、なぜですか?」

 

「それがわからんから貴様は若僧なのだよ」

 

「宇田川少将、なにを言われているのか理解に苦しみます」

 

山崎が反対した途端、あれよあれよと言う間に全員が反対し始めた。沈黙を守っているのは陸山元帥と海軍においてたった4人しかいない大将のみだ。

 

「再びウェーク島が落とされては日本海軍の恥です!それだけではなく太平洋上に拠点を持っておくことは今後、深海棲艦へ攻勢をかける際に有利に状況を運べます!反対なさるのならその理由をお答え願います!」

 

「理由だと?貴様の懐を潤すために防衛基地を建設するわけではないのだぞ!」

 

ガタン!と山崎が立ち上がりわめき散らす。

 

「おっしゃる意味がわかりません」

 

何が言いたい?仮にこの計画が通ったとしても俺に金は入らない。もともと俺はただの一般市民からの出身だ。家が工場というわけではもちろんなく、しがないサラリーマンだ。

 

「シラを切るか!貴様はこの計画を岩崎重工にやらせるのだろう!私は知っているぞ!横須賀は岩崎重工との癒着がある!」

 

こいつは何を言っている?そんな事実は一切ない。そもそも中将というだけで給金は相当なものだ。金には俺はまったく困っていない。

 

「それは事実無根です!横須賀にそのような事実は存在しない!」

 

「ならばこれをどう説明する気かね?」

 

山崎が手元に用意してあったのであろう、資料を全員に配り始めた。それを手にして俺はぎょっとした。

そこにはシュンと岩崎満弥が式典場の裏で会っている写真が載っていた。

 

東雲は内心で毒づいた。

シュンの奴にこの話は聞いている。叢雲ちゃんの艤装を岩崎満弥に無料で貰ったと言っていた。話によると試作機のデータテスターを務めた報酬として譲り受けたとのことだが艤装の単価はとんでもなく高い。それを無料で受け取った事実を一種の賄賂か癒着と見なされたということか。

 

参ったな。これはシュン自身も予測していなかった事態だろう。当然俺自身もこんなことになるなんて思ってもいなかった。だがこの件でシュンを責めるのは酷だろう。シュンなりに叢雲ちゃんを助けるための最善の手を尽くした結果なのだから。

 

「館山基地の帆波大佐と岩崎満弥には金銭的な繋がりがある。これでもまだ癒着はないと言えるのか?ないならば本人を呼んで弁解してみたまえ!」

 

雲行きが怪しくなってきた。報酬と賄賂を混ぜこぜに見やがって。急がなければそれだけウェーク島が落とされるリスクが高まるんだぞ!

別に俺は岩崎重工じゃなくてもいい。ただ実現できるほどの技術力を持っているならばどこでもいいんだ。

だが今の状況で下手に何か言っても余計に怪しまれる。だが何も言わなくても事実を認めたと思われるのだろう。

万事休す。なんとしてもこの計画を通させまいとしているのか。自分たちの席を守ることに必死な無能どもめ。なぜ大局を見ることが出来ないんだ!

 

内心で幾度となく舌打ちをし、それと共に背中を嫌な汗がつつー、と伝う。

弁明させようにもシュンは今頃はヨーロッパだ。通信で済ませられるものではない以上、手の打ちようがない。

それにしてもこの情報を知っている人間はそう多くはないはずなのになぜ知られている?

誰かが情報を流した?一体誰がなんのために?

 

いや、今はそっちじゃない。如何にしてこの状況を切り抜けられるかだ。

問題の艤装も問題の人間もヨーロッパに行っちまってる。物的証拠の提示は厳しいだろう。

 

「東雲中将、何か言うことはあるか?」

 

「ぐっ、そのような事実は────」

「すまないが少しお邪魔させてもらうよ」

 

苦し紛れの言い訳をしようとした俺の言葉を遮って会議室の扉が重々しく開き、入ってきた初老の男を見て愕然とした。

その男の名前は岩崎満弥だ。

 

「なっ!い、岩崎会長!何故ここにっ!」

 

その姿を見た将校が一斉に配られた写真を隠した。当然の反応だろう。

 

「名前を呼ばれた気がしてね。確かあなたは山崎中将だったかな?」

 

「は、はあ。そうですが……」

 

「そうか。ところで私の名前が出ていたようだが何かあったのかな?」

 

「そっ、それは…………」

 

山崎は言えるわけがない。目の前にいる男は艦娘という国防の全てを担う存在を作っている企業のトップなのだ。一言なにか発するだけで艦娘を好きにできる存在でもある。

そんな人間の前で「あなたがそこの東雲中将とその部下の帆波大佐との癒着の疑いがあってその件で言い争いしてました」なんて言えばどうなるか。もしも艦娘の供給をストップされようものなら本格的に日本はおしまいだ。

 

「お久しぶりですね、岩崎会長」

 

「これはこれは。どうも、陸山元帥」

 

陸山が立ち上がり岩崎を迎え入れる。それだけの対応をするに値する人物なのだ。

 

「東雲中将、だったかな。なかなか面白いプレゼンだね。すまないが最初からやってもらえるだろうか。少し興味が出てきた」

 

「東雲中将、そうしたまえ」

 

「はっ!翔鶴、資料を岩崎会長にお渡ししてくれ」

 

「はい。わかりました」

 

元帥自らの命令だ。やり直さないという選択肢は存在しない。

翔鶴が予備の資料を渡すと岩崎は穏やかに笑いながら礼を述べる。

 

「それではやり直させていただきます。まず今計画の骨子たる基地航空隊の設営に関してですが…………」

 

風向きが変わった。一時はどうなるかと思ったがなんとかなるかもしれない。

もう一度スライドを動かして説明を始める。

 

俺は横須賀のトップだから滅多に海には出ない。この前のウェークだって俺自ら出撃したのはいつぶりだろうというくらいだ。さればこの場もまた俺の戦場なのだろう。

なら再び気を引き締めてこの戦場に臨むとしよう。油断したら却下(やられる)のが戦場なのだから。

 

それにしても俺もうっかりしてたな。どうも考え方が保守的になってた。

こんなんじゃ”荒鷲”らしくない。

攻めて攻め抜くのが俺のスタイルだ。ならばその二つ名通り、攻勢に出させてもらうとしようか。

 

いやはや俺には防戦は似合わないらしい。そういうのは若狭の管轄だったな。大学時代には攻撃の俺、防戦の若狭に遊撃のシュンと3人で組んでチーム演習をやったもんだ。演習の時だけは体術訓練や座学でも本気を出さないシュンが珍しく真面目にやるんだよな。

今回は俺一人しかいないがこの戦場、なんとしても勝利を掠め取ってやる。

 

東雲は強い意志を秘めて彼の戦いを始める。物理的ではなく、だがもしかしたらそれよりも厳しいかもしれない戦いのゴングは鳴ったばかりだ。





唐突に話が日本に戻りましたが問題……ないですよね?(電感)
艦これ要素が死んでるとかそういうツッコミをしてはいけない。
欧州編とか言いながら日本に戻しやがって何考えてんだこの作者!と思われた方はしばしの辛抱を。

感想、評価など、お待ちしております。それでは。


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若狭の牽制

こんにちは、プレリュードです!

メンテナンス中が暇だからという理由で投稿。とはいえ気づけばもう終わりかけだったり。
ところで皆さん、夏ですよ!夏といえば艦これ夏イベです!資材は充分ですか?艦娘の練度は?
うちはダメだ!勝てねぇ!

はい、本編に参りましょう。

07/18、改稿しました。流れに影響はありません。


〈日本埼玉県さいたま市海軍本部防諜対策部ビル4F-現地時刻7月31日18:29〉

 

慌ただしい足音がドア越しに聞こえ、自分の仕事部屋の前で音が止まる。直後にノック。

 

「長月、入っておいで」

 

「わっ、若狭!今入った情報だ!」

 

髪を振り乱した長月がドアを蹴破るように開けて部屋に転がり込んできた。

 

「その様子だと東雲の基地航空隊計画は通ったのかい?」

 

「その通りだ!岩崎満弥が動いた。そのせいで山崎中将は追求できずにそのまま議案が可決したんだ」

 

「うん、まあだいたい想定通りだね」

 

「……本当にか?」

 

「そうともさ。あの計画はなかなかどうしてよくできてる。反東雲な山崎中将は反対するだろうけど普通なら通す計画だね」

 

「じゃあなんで若狭はわざわざ山崎中将に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

計画が通るのを阻止するために山崎中将へ間接的にあんな写真付きのものを渡したんじゃないのか、と言外に長月が問いかける。

 

「僕はあの計画はむしろ通るべきだと思ってる。いや、どのみち通ると思っていた、かな」

 

「ならばなぜ山崎中将に反撃のカードを渡したんだ?あれほど東雲中将への有効なカードはないだろう」

 

「東雲ならなんとかすると思ったからね。それにもしどうしようもなくなった時のために岩崎満弥に会議の情報を伝えておいたわけだし」

 

もちろん発信源はバレないように工作してある。岩崎満弥には匿名で情報が届いたように見えているだろう。

 

「若狭、一体なにがやりたかったんだ?東雲中将の敵のようであったり味方だったり。訳がわからない」

 

「どっちもさ。でも牽制にはなったかな、シャーマンへの」

 

カッと長月が目を開き、声を荒げる。

 

「どういうことだ若狭!なにがやりたいんだお前は!」

 

「落ち着いて。説明するからさ。立ってると疲れるだろうから座りなよ。お茶だすからさ」

 

納得がいかない顔で長月が腰掛ける。説明をするために開いていたフォルダを閉じて机の上を整頓し、備え付けの冷蔵庫から冷えた麦茶をグラスに注ぎ長月に差し出す。長月の小さな手がそれを受け取りコクリと喉が動く。

 

「単刀直入に言おうか。僕は東雲がシャーマンだと疑ってる」

 

「ぶっ、げほっげほっ!」

 

そしてむせた。気管支に麦茶が入ったのだろう。これはたぶん僕の落ち度かな?駆け寄って長月の背中を落ち着くまでさする。

 

「もう大丈夫だ。それにしても本気か?」

 

「いつか僕はなぜ帆波がシャーマンだという疑いを持たれているか説明したっけ?」

 

「いや、してない」

 

「じゃあそこから行こうか。矢田情報漏洩事件で帆波は階級が一つあがってさらに献金までされてる。これは立派な動機になる。これはオーケーかい?」

 

「ああ。だが大佐は献金に関しては断ったはずだ」

 

「そうだね。ま、帆波なら断ると思ってたけどそれはいい。問題はその後だよ」

 

「その後?」

 

「当時はまだ中佐だった帆波はその後にわずか半年足らずで大佐に昇進している。いくらなんでもテンポが速すぎやしないか。ウェーク島戦の功績ってことなんだろうけど僕はここで帆波がシャーマンだという可能性の一切を捨てた。帆波が叢雲を沈めさせるフリなんて真似をする理由がないんだ。そんな演技をする意味はないし、仮に意味があっても本部には虚偽の報告で沈んだという事実自体がなかったことにされてる。なにか思惑があるなら事実を隠蔽したりはしないだろう?そこで浮上してきたのが東雲だ」

 

ホロウィンドウを可視化モードにして長月にも見えるようにして東雲の経歴を表示する。

 

「東雲は現場の叩き上げと実力で中将まで昇ってきた人間だ。軍閥には属してないからコネはないし後ろ盾もない。だけど東雲自身はそういうのを欲した様子は一度もない。ならなにが欲しいんだろう?」

 

「………有能で手元における人材」

 

「長月、正解だ」

 

パチパチと拍手を送り称賛する。相変わらず長月の面白くなさそうな表情は変わらない。でも察したね、その様子だと。

 

「東雲からしたら最高だよ。同期だからよく知ってる間柄。艦娘からの非常に厚い信頼に加えて素晴らしい戦闘指揮。腹の探り合いもできるし言葉の節々から相手の真意を読み取ることにも長けてる。さらに技術士官としての腕も一級品でそこらの士官じゃ到底できないことを易々とやってのける。固有の兵装やシステムを組むことだって可能だ。もう一回言おう。東雲からしたら最高だよ、帆波峻って男は」

 

横須賀鎮守府の後釜に据えるもよし、本部に出世したときに右腕として連れて行くもよし、だ。

ただ連れて行くにしても後釜にするにしてもそれなりに階級がなくてはいけない。そう考えると帆波の出世で東雲は将来的に得をすることになる。それはつまり動機があるということ。

 

帆波は自身の能力をほとんど周りに見せたことがない。少なくともあの基地の艦娘たち以外は、いや彼女たちすら帆波の全力は見たことがないかもしれない。海大の時も指揮訓練を除いて本気でやっている姿を見たことはほぼない。だがそれだけでも能力の一端は垣間見れる。そして東雲は同期であるため、帆波の能力の高さを一番良く知ることができる。

 

それだけではない。東雲はかつて矢田の出世敵だったらしい。直接的に競ったこともあるという事だから矢田の性格は知り尽くしているだろう。シャーマンとして矢田を誘導することも可能なわけだ。

 

「若狭が東雲中将をシャーマンだと疑う理由は理解はしないがわかった。だがそれと山崎中将へのリークなどの関係が見えてこないぞ」

 

理解はしないが、か。僕への当てつけかな。長月も言うようになったね。すこし感慨深いよ。

 

「言ったじゃないか。あれは牽制さ。”調子に乗るなよ”ってね。疑わしきは罰せず、なんて言えるほどこの世界は甘くない。だから計画は通してあげる。そのための岩崎満弥へのリークだ。だけど山崎中将という障害をチラつかせておく。もし山崎中将が近いうちに失脚すれば東雲がシャーマンである線が更に濃くなる」

 

山崎中将も岩崎満弥の前では露骨に癒着について言及することは躊躇うだろう。だけど岩崎満弥が来る前ならば遠慮なく言うはずだ。東雲に対してのわかりやすい障害をチラつかせる。それだけで僕の望んだ状況としては十分すぎる。

 

つまり、帆波にシャーマンの情報を渡したのも東雲が怪しいと思っているから。僕なりの警告とシャーマンを炙り出す餌に使えると考えたがヨーロッパに送られては手が出せないか。まあヨーロッパに一時的にとは言え飛ばされてくれたおかげで東雲は弁明させることができなかったわけだし結果オーライとしよう。

 

「若狭、山崎中将はおそらく帆波大佐をヨーロッパへ向かわせる根回しをしているぞ。そもそも情報を渡したのがヨーロッパ行きが誰が行くか決まってない段階だったんだ。誰にさせたかはわからないがそうだと思う」

 

「だろうね。僕も誰がやったかまではわからないけどそうでなくちゃここまで情報を温めておくことはしないだろう」

 

どの道大きな事態への発展は防がれたみたいだし大丈夫だ。

それに今はそっちじゃない。

 

「長月、ちょっとお使いを頼んでもいいかい?」

 

「構わない」

 

「そっか。じゃあ防諜対策部対外課第三室の室長にアポ取ってきてくれる?」

 

「わかった」

 

残った麦茶を長月が飲み干すと、とてとてと部屋を出て行く。

 

岩崎満弥という最大のジョーカーを切ったおかげか会議は膨れ上がることなく収まるところに収まった。それぐらいに岩崎満弥は力を持っている。なにせ唯一、艦娘を製造することができる会社の頭だ。過去にその技術を盗もうとスパイを送り込んだ某国が艦娘の輸出をストップされてあわや深海棲艦の手に落ちかけるという事件があったぐらいだ。僕から言わせればそんな素人を送り込むなって感じだけどね。

 

兎にも角にも会議はうまく片付いた。シャーマンらしき東雲への牽制もした。問題は帆波が先日にヨーロッパから通信で頼んできた案件だ。

 

「今現在ヨーロッパにおいて存在するテロ組織か」

 

世界は深海棲艦との戦争で忙しい。いつだったか忘れたが、どこかの新聞がテロ組織が沈静化したのは深海棲艦のおかげだという社説を発表していたがあながち間違いではないと思う。実際に幅を利かせていた、最大の組織は大規模なことをしなくなった。いや、する余裕がなくなった。

 

「僕は結局は対内課だからさ、外のことには限界があるんだよ、帆波」

 

ポツリと言った言葉は独りの部屋に虚しく響き解けていく。

確かに帆波は今、ヨーロッパにいる。現地の情勢を知りたがるのは当然の話だ。だがなぜよりにもよって求めてくる情報がテロ組織なんだ? 他にもあるであろう、懸念事項を押しのけて最初に出てくるワードがよりにもよってそれか?

 

「………ますます君のことが僕はわからなくなってきたよ。本当に」

 

君は何者なんだい?

 

そんな問いかけもただ一人、部屋で呟くだけでは答えなど返ってくるはずもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈日本神奈川県横須賀市横須賀鎮守府執務室-現地時刻同日23:38〉

 

ぐでー、っという効果音が出ているように夜の執務室で東雲将生は突っ伏していた。

 

本部での会議が終わってから車に乗り込むと横須賀鎮守府まで来て速攻で執務室のソファにダイブした結果だ。

 

「こういう時はシュンの言ってることがよくわかるな。もう働きたくねぇ……」

 

「波乱に満ちた会議でしたね……特に岩崎会長がいらっしゃった後の緊張は並大抵のものではなかったです……」

 

翔鶴もダイブということはしないもののぐったりとした様子で向かいのソファにしなだれかかっていた。致し方ないことではあるだろう。正直、深海棲艦と戦闘していた方がよっぽど楽だったんじゃないかと思えたほどだ。

 

「お二人とも帰ってたんですね!あ、そんな風にダラダラしてちゃダメです!横須賀鎮守府のトップとその秘書艦がだらしないようじゃ格好つきませんよ!」

 

執務室に入ってきた吹雪が二人の惨状を見てお姉ちゃんモードに突入する。

吹雪のお姉ちゃんモードとは手間のかかる妹たちの面倒を見ていた長女のお世話スキルが発動している時である。ちなみに叢雲もちょくちょくお世話になったことがある。たまのオフの日に集まって愚痴を聞いてもらったりするなどだ。

 

「ほら司令官、ちゃんと座ってください。制服シワになっちゃいますよ!寝るまえにせめて着替えるかシャワーでも浴びてきてください。ほら、翔鶴さんも!」

 

東雲の上着を寝たままの状態で剥ぎ取り、ハンガーに掛けると翔鶴も一緒に無理やり起き上がらせる。どこかぽやーんとした二人がのろのろとシャワー室へ向かっていく。相当にお疲れのようだ。

 

「って待ってください!翔鶴さん!司令官と一緒にシャワー浴びてくるつもりですか!」

 

「はっ!え、えっと、その、あの………ごめんなさい!」

 

「ぐはっ!」

 

ぼんやりしていたところを吹雪の一言がクリーンヒットしたのだろう、翔鶴の一撃が東雲の鳩尾に入り、東雲が倒れた。それを見届ける暇もなく翔鶴はパタパタと去って行ってしまう。

 

「お、おうっ、おうっ………」

 

オットセイのように呻く司令官の側に駆け寄って背中を撫でる。筋肉質でがっしりとしていて鍛えられているのが服越しでもわかった。そうでなくては今の一撃は耐えられないだろうけど。

 

「大丈夫ですかー、司令官さん?」

 

「ふ、吹雪………俺、悪くないよな……?」

 

「司令官、ドンマイですっ!」

 

「それ励ましてくれてるの?貶してるの?どっちだよ」

 

よっこいしょ、と立ち上がりながら服をパンパンと叩いて埃を落とす。

 

「プレゼン、上手くいきましたか?」

 

「結果からいえば上手くいった。だがヒヤヒヤもんだったぜ。山崎の横槍入ったときはヤバイと思ったね。ほんとにシュンと岩崎の写真流した奴は誰だよ…」

 

「まあ終わり良ければ全て良し、ですよ!」

 

「そうだといいんだがな。邪魔しやがった奴は何を企んでやがる……」

 

「でも司令官はその妨害をはね退けたんですよ!大丈夫です!」

 

「ありがとな、吹雪」

 

大きな手が私の頭をくしゃっと撫でる。ごつごつとしていてだけど優しくってあったかい手。

 

「って早く寝てください!知ってるんですよ!最近はプレゼン資料作るために睡眠削ってるの!」

 

「なんか吹雪まで翔鶴に似てきたなあ……」

 

「いいからちゃんと寝てください!ほら早く部屋に戻って着替えて!司令官が倒れたら横須賀だけじゃなくて支部全ての機能がストップしちゃうんですから!」

 

「わあってるって。ふぁ……じゃあ寝てくるわ」

 

「そうしてください。お風呂は明日の朝にでも入ってくださいね!」

 

背中ごしに東雲が手を振って了解の意を示す。その姿を見送って吹雪のお姉ちゃんモードは終了した。

 

なお翌日に翔鶴が平謝りしている姿が確認されたとかされてないとか。

 

 




吹雪はかわいい(迫真)
なんかお姉ちゃんしてる吹雪とかってよくないですか?深雪を注意して、初雪を布団から引っ張り出して、磯波を励ましてあげて、叢雲の愚痴を聞いてあげて、白雪とカレーを作る。そんな吹雪が見たい。

え、前半?知らないね、そんなのは。

感想、評価などお待ちしております。それでは。


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時の鐘

こんにちは、プレリュードです!

唐突に投稿したくなったので深夜の投稿です。

イベントにむけての艦娘の育成は順調ですか?
いや、ホントに泥版は便利だわ。

それでは本編、参りましょう。


〈日本埼玉県さいたま市海軍本部防諜対策部ビル6F-現地時刻8月3日6:52〉

 

「長月、横須賀はどうだい?」

 

『こちら長月。東雲中将は現在執務室にて翔鶴を伴って仕事中の模様。昨日一昨日と同じく異常なし』

 

「相変わらず動きなし……か。まあ友人がシャーマンだったなんて決まるよりはマシか」

 

早くシャーマンの件は片付けたい。そのために横須賀鎮守府に仕掛けた盗聴器を長月に見張らせているけどあの会議以来、東雲が動く気配は一切ない。

まあ3日で動くわけがないか。気長に待とう。どのみち何もなければそれに越したことはない。

 

「引き続き見張りを頼むよ」

 

『了解した。若狭も頑張ってくれ。帆波大佐の依頼』

 

プツンと通信を切る。本来なら帆波の依頼なんてやらなくてもいい案件だ。だが無視できない理由がある。帆波の出世スピードは明らかに異常だ。たった半年足らずで二階級昇進?普通だったら殉職を疑うところだ。元の能力が高いのは認める。だとしても常識の範囲を逸脱しすぎていないか。

そしてその要因のうち一つに矢田事件がある。裏で糸を引いていたのはシャーマンであるあの事件が。

結論。シャーマンは帆波に執着している。つまり帆波を追えばシャーマンに辿り着く可能性が高い。だから東雲を長月に見張らせている。だから僕自身が帆波の依頼を受けた。それだけだ。

 

目当ての部屋を見つけた。ドアのプレートには、”防諜対策部対外課第三室室長”と刻まれている。時刻はちょうど7時。約束の時間とちょうど同じだ。トントン、と控え目にノック。

 

「どうぞ」

 

「失礼します。若狭陽太少佐です」

 

「ようこそ。相模原(さがみはら)貴史(たかし)大佐だ。知ってるとは思うけどね」

 

「本日は時間をとっていただきありがとうございます」

 

「いや、構わないよ。そこに掛けてくれ。長い話になるんだろう?」

 

「はい、おそらくは」

 

「少し待っててくれ。お茶を淹れてくるから」

 

「いえ、おかまいなく」

 

「そうもいかないな。客人だからね」

 

若狭を座らせておいてしばらく経つと小さなお盆をもった相模原がやってきた。

 

「甘いものは好きかい?時乃鐘最中をこの前頂いてね。是非どうだい?」

 

「いただきます」

 

時乃鐘最中は埼玉県の銘菓だ。餡が三種類あるお菓子である。若狭は小豆つぶしあんを選び包装を丁寧に剥がした。

 

「時の鐘っていうのは江戸時代の川越藩藩主、酒井(さかい)忠勝(ただかつ)によって建てられた時計塔の役目を果たす鐘のことだよ。度重なる火災に鐘楼や銅鐘が焼失したがその度に建て替えられた」

 

相模原が包装紙から出した最中を器用に直立させる。

 

「はい。確か現在建っているのは五代目だったはずです」

 

「その通り。四代目は深海棲艦出現時に混乱の中で倒れてしまった。だがそれをまた川越の人たちは大金を掛けて再建したんだ。まさに社会システムと同じだと思わないか?バスティーユ牢獄襲撃しかり、アメリカ独立戦争しかり、明治維新しかり、だよ。長い時間においてシステムを人は倒してはまた作り直す。時の鐘とはぴったりな名前だ」

 

つん、と最中を突いて倒すと再びバランスを上手くとらせて直立させた。

 

「おっとすまない。あまり君には興味のない話だったね。いかんな。歳をとるとどうもこういうことばかり言うようになってしまう」

 

白髪混じりの髪を相模原が手櫛で梳く。もうじき彼は50ぐらいだったはずだ。若狭には彼が歳というにはまだ少し早く感じた。

 

「で、対内課の君が対外課の私に何の用かな?外のことで聞きたいことがあるのだろう?」

 

「はい。ヨーロッパについて聞きたいのです」

 

「ヨーロッパか。確かに私は今の東南アジア対策室である第三室になる前はヨーロッパ、とくに東を担当していた。ある程度は知っているつもりだ。だがそれを聞きたいのは本当に君か?」

 

やはり只者ではない。いや、そうでなくては世界各所において間諜活動などできないのだろう。

 

「当ててみせよう。帆波峻大佐だね?」

 

「はい。やはりわかりますか」

 

「それは仕方がないだろう。彼は今まさに時の人だ。知るなという方が無理な注文だよ。そして君と帆波大佐が同期であることくらいは調べればすぐわかる」

 

「そうですね。ついこの間、帆波大佐が自分にヨーロッパの情勢を教えてくれと言ってきました。なので一番詳しいであろう相模原大佐を頼らせていただきました」

 

「なるほど。ならば通信で彼を呼んだらいい。脳波通信が発達したおかげで地球の裏からも高い機密性を保持したまま話せるのだろう?ちょうどイタリアは今23時頃だ。起きているか確認してみればいい。やはり伝聞よりも直接の方が伝わりやすい」

 

「……わかりました。少し失礼して連絡を取ってみます」

 

「ゆっくりで構わないよ。どうせ今日は私はフリーだからね」

 

ポケットに入れてある伸縮式のコネクトデバイスを伸ばし首に装着すると電源を入れる。ホロウィンドウに表示される連絡先から帆波峻と書かれた場所をタップ。数コール待つとはたして帆波は出た。

 

『もしもし。こっちはもう夜なんだが急にどうした、若狭』

 

「いつかの依頼の件さ。対外課の方に話を伺えるんだけど今大丈夫かい?」

 

『たった今大丈夫になった。姿を見せないのも失礼だな。若狭、ホロでそっちに出る。準備してくれ』

 

「了解。ちょっと待ってて」

 

コネクトデバイスに配線を繋ぎ大型のホロ投射装置に接続する。同期認証をオンに。

 

「準備完了。いけるよ」

 

『こっちもだ。じゃあいくぜ』

 

プゥン、とホロ投射装置から帆波の全身のホログラムが青白く透けて現れる。右手を握って解いてを繰り返して動作を確認。レスポンスの方も問題なさそうだ。

 

『よし。あー、お初にお目にかかります、日本海軍横須賀鎮守府支部館山基地基地司令および帆波隊司令官、帆波峻大佐です』

 

「日本海軍防諜対策部対外課第三室室長、相模原貴史大佐だ。よろしく」

 

『私のためにこのような時間をとっていただきありがとうございます』

 

「構わないよ。若狭少佐から聞いているが欧州連邦の情勢を知りたいとのことだったね?」

 

『お願いします。とくに』

 

ホログラムの帆波が言葉を切り、すっと息を吸う。何かを自分のなかで固めたのか、相模原大佐を真っ直ぐに見据えてから口を開いた。

 

『WARNの活動状況について詳しくお聞かせ願いたいのです』

 

「なっ!帆波それはもう潰れたはずだ!」

 

こんな風に取り乱したのはいつ以来だろう。ただ帆波の言った名前は僕をそこまで動揺させるに足るものだった。

Warld Arcadia Reform Nation──世界理想郷変革国。国などと言っているがその実体は国際テロ組織だ。大量の武器を保持し世界各国でテロを立て続けに起こし続けたのだ。アメリカはもちろん、ロシア、旧ヨーロッパ諸国、東南アジア、そしてその魔手は日本にも及んだ。日本は当時、移民受け入れを表明せざるを得ない状況に国際的に追い込まれ、そのせいで難民に紛れて多くのテロリストが入国したのが原因だと言われている。

だが深海棲艦が現れると同時にぱったりと姿を消した。深海棲艦という人類共通の敵を前にWARNはひっそりと歴史の舞台を降りることになったのだ。

そうだとばかり思っていた。今ここでその名を聞くまでは。

 

「WARNか。ではあれの起源から話そう。そもそもはあの組織が社会主義の側面を持っていることから始まる。ソ連解体で共産党はなくなった。だがそこに属していた人間がいなくなったわけじゃない。政党としては消えても思想は残り続けた。そして約30年前に起きたユーゴスラビア紛争。また社会主義の思想を持った組織が潰れ人間が残った。そして残った人間たちが集まり形成されたのが最初期のWARNとなった。だが当初はどこの国も気にしなかった。所詮は何の力もない寄せ集め集団にすぎないと。その対応が自国の首を絞めるものだとだれも思わなかったし思いもしなかったんだ」

 

ここで相模原は冷茶の入ったグラスに口をつけた。この部屋もエアコンが効いているとはいえ夏だ。喉が乾くのは仕方がない。

 

「彼らは不満を煽り仲間を増やした。東ヨーロッパの民族間の諍いや旧イギリスの三枚舌外交と宗教の違いによる対立などで荒れる中東諸国。戦争において一番割を食らう民衆に理想郷を作ろうという甘言をもって水面下で徐々に勢力を拡大していった。そして気付いた時には中東から東ヨーロッパに渡って社会主義の思想は蔓延していた後だったんだ。それらが団結するのにあまり時間はかからなかったんだろう。突如としてWARNは世界各国への同時多発テロという形で建国を宣言した。そこから後は泥沼さ」

 

 

その通りだろう。いきなりテロ国家が勝手に樹立を公言した時の混乱は想像に難くない。当時はまだ生まれていない若狭だがその時の記述でどれだけ世界が大騒ぎしたかは知っている。

 

 

「石油産地を抑えているせいで金はあるものだから武器には困らない。民衆は味方だから兵士は腐るほどいる。そして武器を売りたくて舌なめずりしている死の商人がそこに食いついた。武器はいくらでも強力なものが手に入り、人員の確保も各地から集まり順調。かの有名な第三次世界大戦へと発展していくのは時間の問題だったんだ」

 

 

人と金。そして民衆を納得させ自分たちは正義だと思わせられる大義名分。それさえあれば戦争はできてしまう。そしてWARNにはそれらすべてがそろっていたのだ。

 

 

「その後もだらだらと戦争は長引き続けた。もちろん、WARNを侮っていたこともあっただろう。想像以上にしぶとく、正義の名の下に人道的に反することですら躊躇いなく実行してくるWARNは厄介極まりない存在だった。だがそれだけじゃない。各国がパワーゲームに興じながら戦争していたんだ。長引くのは当然のことだね。そしておおよそ10年ほど前、深海棲艦が現れて以来は大規模な活動はしなくなった。もちろん、小さなことならやってるよ。あんまり目立っちゃいないけどね。世界を理想郷に、我ら変革し創造する者なりってさ。だから帆波大佐の問いに答えるならこうだ。彼らはまだいる。今もなお各国に散らばって息を潜めている。そしてヨーロッパにおいてはその思想は生きている、とね」

 

『………貴重なお話をありがとうございます』

 

ホログラム帆波が腰を折って礼を述べる。実際にヨーロッパのホテルの一室でそうやっているのだろう。

 

「いやいや、大したことじゃない。なぜ君こそそんなことを知りたがるか聞いてもいいかい?」

 

『仲間を守るためです。降りかかる火の粉は払う。火元の規模を確認しておけば火の粉の規模もわかる。もし火元が消えかけているならそれでいい。だがもしも火元は見えないだけで活発ならばそれなりの覚悟が必要になってくるので』

 

「ふむ、なるほど。すまなかった。つまらないことを聞いたね。そろそろお開きにしよう。そっちはもうかなり遅いだろう」

 

『わかりました。お心遣いありがとうございます。それでは』

 

ヴン、とホログラムの像がブレると帆波の姿が消え、脳波通信が終了したことを知らせるウィンドウが若狭の目の前に出現した。ウィンドウを手で弾いて消すと相模原大佐に向き直る。

 

「このような早朝にありがとうございました」

 

「大丈夫だとも。どうせ私が朝早く起きるのはクセみたいなものだから」

 

若狭の謝辞をなんでもないというふうに相模原が手を振る。お土産に、と最中をもらうというよりか押し付けられるといった感じで受け取り、若狭は立ち上がって一礼した後に部屋を出ていった。

 

これで帆波の依頼は完了だろう。少しばかり時間がかかり過ぎた感は拭えないがそれは会議の件で仕方なかったということで。

 

「降りかかる火の粉、か…………」

 

その言い方はまるで降りかかることがわかっているかのようだった。いや、事実そうなることを予想しているのかもしれない。まったく帆波の底は読めないね。

それにしてもこの最中どうしよう。えらくたくさんくれたけどこんなにあってもなあ。

……長月にでもあげようか。頑張って見張りをやっていてくれているわけだし、甘いものでも差し入れてあげれば喜ぶかもしれない。それにそろそろ交代の時間だったはずだしね。疲れているときは甘いものが一番っていうぐらいだ。明日は僕の担当だからゆっくりやすませてやらなくちゃ。

 

 

そういえばシャーマンの動きも気になるところだ。矢田の件以来、息を潜めているが何を企んでいるのだろうか。確かに自分は東雲を疑ってはいるが、それに固執しては真実は見抜けない。東雲でなかった場合も想定しておくべきだ。

 

だが。

 

もし東雲でなかったとして、シャーマンの狙いはいったい何があり得るのだろう。いや、それを考えることが自分の仕事だ。

 

ある有名な探偵は言った。

 

 

『完全にありえないことを取り除けば、残ったものは、いかにありそうにないことでも、事実に間違いない』

 

 

ならば全てを検証し、最後の一つになるまで調べつくしてやろう。それが最終的にはこの組織の安泰に繋がり、国民を守る結果になるのだから。

 

 

 

 




完全に世界設定の公開ですね、わかります。

これ好きな人限られすぎだろ……

感想、評価などお待ちしております。それでは。


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荒鷲の葛藤

こんにちは、プレリュードです。

更新が大変遅くなりすみません。

どうでもいいけどイベントの情報まだですかね?まだ新艦娘の情報とか一切合切出てきてないんですけど。

まあうちはどうせ前段作戦は甲乙織り交ぜで後段作戦は丙選択なんですけども。艦娘の数も層の厚さもないんで。

それでは参りましょう。


〈日本埼玉県さいたま市海軍本部防諜対策部ビル4F-現地時刻8月5日13:11〉

 

長月がゼリー飲料のパックを口に運ぶ。耳にはヘッドホンをつけて盗聴器が送る音を聴き続けていた。こういうときにはゼリー飲料は楽でいい。なんていったって片手で食べられる。こういう離れられない見張りをするときには最適だ。味気ないのが唯一の欠点だろうか。

一昨日は私が。昨日は若狭が。一日ごとに交代のローテーションで既に一週間も横須賀鎮守府を盗聴しているが目立った動きはない。盗聴されていることに気づいた上で利用するつもりで敢えて放置している可能性もあるかもしれない。しかし──

 

『将生さん、そろそろお昼にしませんか?』

 

『んん、おっともうそんな時間か。翔鶴、なんか作ってくれー』

 

『わかりました。冷やし中華でよろしいですか?』

 

『おう。いいねー、翔鶴の手作り』

 

『うふふ。楽しみに待っててくださいね?』

 

こんな甘々なシーンを見せつけ、いや聞かせつけている時点で盗聴器は気づいていないだろうと長月は断言できた。根拠はないがはっきりと。くそ、このゼリー飲料甘すぎないか。パサパサでモサモサな携帯食糧の方が遥かにマシだ。この前に若狭から貰った最中を食べるのはかなり後になりそうだが賞味期限は大丈夫だろうな?

 

苛立ちを隠しきれずに長月の手がゼリー飲料のパックを握り潰す。なんの動きもなくこんな会話を聞かせ続けられる身にもなってほしい。よく若狭は耐えられるものだ。エナジーバーの袋を破きモソっとしたバーをかじる。これは甘いタイプではないやつでよかった。これ以上甘いのは勘弁願いたい。

 

それにしても若狭はどうなってほしいのだろうか?東雲中将がクロだと本当に判明してほしいのだろうか。それともシロだとはっきりしてほしいからこんな風に見張りをつけて監視しているのだろうか。

若狭は帆波大佐のことをわからないものだとよく言っている。いや、違う。言ってはいない。だがそう思っているのは確実だろう。帆波大佐はさすがに気づいてはいないようだが東雲中将との対応を比べると若狭は帆波大佐との会話においてほんの僅かだがレスポンスにラグがある。あれは探りを兼ねているからこそのラグなのだろう。

 

む、話がかなりずれたな。ともかく私も若狭がなにを望んでいるのかわからないのだ。東雲中将をシャーマンかと疑わなくてはいけない理屈はわかる。そうではなく、本当に若狭は東雲中将がシャーマンでいいのか?いや、実際にそうだったとしても若狭は仕方ないで切り捨てられるのだろうな。まるで感情のない人形のように。

 

『あー、やっぱこの季節は冷やし中華だよなー。翔鶴さすがだな』

 

『はい!お口に合ってなによりです』

 

『いやー、うまいうまい』

 

『ふふっ』

 

…………キョウ モ ヨコスカ ハ ヘイワ ダナ。

 

その後交代の時間にやってきた若狭は白目を剥きながら見張りを続ける長月を見たとか見ないとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈日本神奈川県横須賀市横須賀鎮守府執務室-現地時刻同日14:02〉

 

翔鶴が昼の食器を片付けに行っている間に懐からタバコとオイルライターを取り出す。キン、と甲高い音を立ててライターに火を灯すと口に咥えたタバコに火をつけて一服。ニコチンが肺を満たした後に紫煙を勢いよく吐き出す。いくら健康に悪いとは言ってもこれは止められない。もともとは威厳を出そうとして吸い始めたタバコだが今ではすっかりクセになってしまった。これが依存性というものなんだろうか。

 

「ふう。疲れるな、横須賀鎮守府のトップってのは」

 

「でも提督は望んでその椅子に座ったんですよね?」

 

誰もいないと思ってポツリと漏らした弱音をちょうど戻ってきた翔鶴が聞いて東雲に問いかける。

 

「まあな。あの人の遺志をせめて俺が継ぎたいってのもあるが」

 

「あの人、ですか?」

 

新堂(しんどう)辰海(たつみ)元海軍大将。俺の憧れみたいな人だよ」

 

「元ってことは退職なされたんですか?」

 

「正確には殉職だ。特進してるから故新堂辰海元帥になるのかな。すごい人だった。我ら海軍、人民を守るための矛と盾であれってな。今の海軍においてあの人は死んでも思いは死んでない。俺はそんな人間になりたくて上を目指したってのもあるんだ」

 

「もしかして深海棲艦に……」

 

「違う。新堂さんは殺されたんだ。トランペット事件の被害者としてな。最後まで他の人員を逃がすために仮設対策本部に残り続けてたんだ。そして洗脳された市民がそこに踏み込んで体に巻いた爆弾で本部ごと吹っ飛ばした。骨も残らなかったよ」

 

あの事件は多くの死者がでた。その中には基地司令も含まれており、その空いた穴を埋めるためにと俺やシュンは出世して基地司令になった。その後も俺は精力的に出世を続けて今の地位になったわけだ。よくよく冷静になって考えて欲しい。たかが少佐ごときが基地司令なんて職務につけるわけがないのだ。当時、少佐になったばかりのシュンが館山の基地司令なんて大役を担えたのはある意味ではトランペット事件のおかげとも言えるのである。

 

「ならその遺志を提督は継げていますよ。現にあなたは今、横須賀鎮守府の司令長官です。たくさんのものを守る基地を統括する鎮守府のトップなんです。大変なこともわかります。だけど新堂元帥の思いはあなたの中で生きていると私は思いますよ」

 

そうだといいな。ねえ、新堂さん。俺はあなたの遺志を、思いを継げていますか?

返ってくるはずのない問いかけをすると吸っていたタバコを灰皿に押し付けて消火する。翔鶴の目の前であんまり吸い続けるといい顔しないからな。健康に悪いからダメですって何度取り上げられたことか。

 

トランペット事件。まだ人々の記憶に新しいこの事件は深海教と名乗る宗教団体によって起こされた。深海棲艦は世界を清浄する聖獣である。そしてその聖獣を撃つ海軍は悪である。その思考に浸かり一種の洗脳状態となった数多くの人間がおこしたテロ事件。俺が生きたいという欲望のために何人も射ち殺した悪夢の日。

そういう意味では俺の今のこの地位は大量の屍で築き上げられているわけだ。守るためと言っておきながら上り詰めた場所から見下ろせば山と積み上がる犠牲の数々。そりゃ時折愚痴の一つや二つこぼしたくなる。俺だって完璧な人間じゃないんだ。

 

「さて、いい休憩になったし執務に戻るとするか。お仕事お仕事っと」

 

「そうですね。でも大変だったら休んでいてもいいんですよ?」

 

「冗談キツいぜ。やらないわけないだろうがよ」

 

それにやんなきゃ支部が回らないだろ。まだウェークの防衛基地建設についての話は完全に終わったわけじゃないし各地からの報告書にも目を通しとく必要がある。たしかに忙しいがこの仕事も悪くない。

 

椅子は用意しといてやる。だからシュン、早くここまで来いよ。

 

無性に吸いたくなり、二本目のタバコに火をつけようとしてオイルライターを取り出したが、にっこりと笑う翔鶴に取り上げられた。

 

「…………だめか?」

 

「だめです。ついさっきお吸いになったばかりでしょう?」

 

「へいへいわかりましたよっと」

 

咥えたタバコを箱に戻してペンを握り、書類の山との格闘を始めた。これが民を守ることに繋がるならどんなことだってやってやろう。

 

「それにしても瑞鶴、きちんとやってるかしら……」

 

「大丈夫だって。本当に翔鶴は妹思いだな。少なくともシュンがついてる限り問題は起きねえよ。あいつがそんな事態を見過ごすとも思えないし起きても対処できるだろうさ」

 

シュンは優秀だ。滅多なことではマジにならないが、本気になればあれほど有能な男もいない。大抵のことならうまいことできるだろう。海大の頃、隠しちゃいたが明らかに体術は周りより頭一つどころの騒ぎじゃないレベルで抜きん出ていたし、頭も切れる。もし俺だったとしたら敵に回したくはないタイプの人間だ。連絡によると初日に暗殺未遂事件があったらしいがシュンじゃなかったら未遂で終わらなかっただろうな。そういう意味ではベストな人選とも言えるんだろうがだとしてもおかしいのだ。

 

「でもそうなるとおかしいですよね?」

 

「やっぱ翔鶴も思うか」

 

「ええ。普通ならあんなに有能な方を国外へ送るなんて変です」

 

「そうなんだよなあ」

 

常識的に考えてあり得ないだろう。そんな人材を国内に留めておかないわけがない。そもそもシュンは技術士官でもある。一歩間違えれば情報流出の危険があるのにそんな人物を国外へ送る?そこまで情報観念がガバガバな国なんて一瞬で倒れるだろう。

 

「翔鶴はどう考えてる?」

 

「……ここだけのお話にしていただけますか?」

 

おずおずとした様子で翔鶴が声のトーンをいくらか落とす。

 

「当たり前だ」

 

「なら……おそらく何者かが帆波大佐がヨーロッパへ送られるように工作したのでしょう」

 

「さすが翔鶴。俺も同感だ」

 

誰かが意図的にシュンを欧州連邦に送るように仕込んだとすれば繋がってくるものがある。本部の山崎中将だ。あれは明らかに俺の邪魔をしに来ていた。偽の癒着疑惑を浮上させるという形で、だ。ただ、あそこまでの芸当となると事前に仕込んでいなくてはいけない。なぜならあれはシュンが日本にいないことが前提となるからだ。そうなれば山崎中将がシュンを欧州連邦に送り込む根回しをしたのは確実だろう。確か山崎中将の派閥には宇田川少将がいたはず。人事部や外交関係にツテがある少将を利用したのだろう。

 

「だとしたら館山基地の代理基地長を早めに派遣したのは正解でしたね」

 

「ああ、本当にラッキーだったな」

 

もし他の息がかかった人間があそこに着任していたら目も当てられないことになっていただろう。

具体的に言うと資材の着服に無駄な経費の申請。承認判を秘書艦に預けているという穴だらけの管理体制だ。ここら辺は俺の部下からの報告ならば握り潰せるがそれ以外の人間にすっぱ抜かれたら洒落にならないことになる。どう贔屓目に見てもシュンの独裁体制だからな。まあ実態は全部艦娘のためって側面が多いんだが。

資材の着服はモルガナなどの戦闘補助兵装の開発。無駄な経費は艦娘たちの生活レベル向上のため。

あ?  承認判の押し付け?  ありゃただ仕事やるのが面倒なだけだろ。そこはフォローできん。

 

「でもあそこに仮とはいえ着任した人は大変ですね」

 

「あー。まあ大丈夫だろ。順応性高そうなやつぶっこんどいたし艦娘に対する態度が柔らかいやつだから問題ないはずだ」

 

苦労はするかもしれんけどな。シュンによって構築された独特すぎる基地運用システムとかそれに毒された艦娘とかに。やれることはやらない。やらなきゃいけないことは適当にやれ。そんな個人の尺度バリバリで回ってる基地の代理なんて俺だったら絶対にゴメンだ。他人に押し付けた本人が言うべきじゃないかもしれないが。

 

「あ、でもしばらく館山から回ってくる書類はまともなものになるんじゃないですか?」

 

「そうだな。シュンはいっつも俺がいるのわかって適当に流して終わらせた書類回してくるからなー。叢雲ちゃんが担当してる時はちゃんとしたやつがくるから誰がやったか一目瞭然なんだよな」

 

毎回穴だらけの書類をこっちで処理している俺の苦労を少しは知りやがれあの野郎。どのみち言ったところで本人はヨーロッパだがな。

 

「つかの間の平和だな」

 

「以外と大佐もそう思ってるかもしれませんよ?」

 

「あいつはどこにいようがどうせ変わんねえよ」

 

「ふふっ。そうですね」

 

翔鶴が口元に手も当てて上品に笑う。それにつられて俺も少し笑った。

 

シュンめ。面倒ごと押し付けて苦労ばっかさせやがって。せいぜいお土産に期待するとしよう。”粗品”とかだったらまたあの演習漬け地獄にしてやる。

 

ダークな笑みを浮かべながら東雲が再び執務に取り掛かる。さりげなく片手で各所の部隊リストをチェックすることを欠かさずに。

 




欧州編とか言っときながら1ヶ月近く日本の話しかしていない件。

誰得な話が続きますがしばしお付き合い下さい。というかそれを言うならそもそもこのカルメン自体が個人の趣味嗜好をつっこんだ話なので自分得以外の何者でもないわけですけど。

感想、評価などお待ちしております。それでは。


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そのころ館山は

こんにちは、プレリュードです!

前回の投稿は間が開きすぎていた感があるため、少し早めに。
明日電撃文庫の発売だからとかそんな超絶個人的な理由はない。いいね?

ようやっとイベント名が発表されましたね。第二次マレー沖海戦でしたっけ。とりあえず水無月ちゃんだけは確保せねば。

それでは本編参りましょう。


〈日本千葉県館山市館山基地執務室-現地時刻8月7日16:11〉

 

銀髪で小柄な少女が執務室をちょこちょこと歩き、資料を持って机を行ったり来たりする。

 

「司令官、これでいいかい?」

 

「うん、ありがとう響。助かるよ」

 

執務室に座りカリカリとペンを走らせていた男がそれを受け取った。

 

「たいしたことじゃないよ」

 

「それだけじゃない。わざわざついてきてもらったこともさ」

 

「構わないよ。それにすぐに戻れるんだろう?」

 

「まあね。あくまで館山基地(ここ)には代理基地司令として着任しただけだ。帆波大佐が戻ってきたら横須賀に戻ることになるだろうね」

 

「異動だとしても付いてくさ。私は秘書艦だからね」

 

「そうかい。ありがとうな」

 

帽子ごしに響の髪をくしゃっとするようにして頭を撫でる。響もくすぐったそうに目を細めるがどこか慣れた様子だ。

 

彼らは館山基地の正規に任命された基地司令ではなく代理として東雲が横須賀鎮守府から送り込んだ者たちだ。横須賀鎮守府所属第五水雷戦隊小泉隊の司令官、小泉(こいずみ)稜樹(いつき)中佐と旗艦である暁型駆逐艦響。

東雲にいきなり呼び出されて何かと思えば机の上を走ってきた書類に書いてあった文字は異動命令。最初は何事かと思ったし左遷なのかとすら思えたが話を聞いてみればただの代理と聞いてホッとしたのだった。

 

「それにしても……異常だね、この基地は」

 

「そうだね。朝の6時にある総員起こしでやって来た艦娘が5人いなかったのは驚いたよ」

 

「帆波大佐が面倒くさいっていう理由で無くしたらしいけど大丈夫なのかい?」

 

「まあ基地がうまく回ってるしいいんだと思うよ。そうじゃなきゃウェークの奇跡なんて起こせないさ」

 

「そうなんだろうけどさ……」

 

「いいじゃないか。少なくともみんな笑顔だよ、この基地は」

 

そうなのだ。資材の着服、アウトラインギリギリな経費の計上、あげくに杜撰と言ってもいいぐらいな執務の実態。引継ぎ書類をみて仰天した。なんだ、いつも秘書艦に任せてますって。雑すぎるだろ。叩いたら埃が出てきたとかいうレベルじゃない。叩いたら粗大ゴミ、いや違うか。叩いたら標的艦が出てきたぐらい端からみればブラックな基地なのに誰も悲しんでいる者はいない。むしろ他と比べたら生活水準はかなり高い部類だろう。

 

「善悪でいけば超のつく悪……だけど好ましいか否かで聞かれれば好きと言わざるを得ないかな」

 

「司令官らしい答えだね」

 

「そうかい。で、響。少し聞きたいんだが」

 

「…?なんだい、司令官」

 

「資料を執務机まで持ってきたのは助かったよ。だけどさ、なんでお前は俺の膝の上に乗ってるわけ?」

 

そう。この駆逐艦は資料を持ってきてから当然だと言わんばかりに膝の上に飛び乗りちょこん、と鎮座めしましていらっしゃるのだ。

 

「ここは譲れないよ」

 

「うん、聞いてることはそういうことじゃないんだけどね。あと今すぐ加賀さんに謝ってこようか」

 

絶対怒らせたら怖いよ、あの人。

 

「いいじゃないか。それとも私が座ってるのは嫌かい?」

 

「そういうことじゃなくてな……」

 

この絵面を見られたらアウトだろう。どの角度から見たって幼女嗜好(ロリコン)だ。俺はこんなところで人生のキャリアを終わらせたくない。大したキャリアではないにしろ、だ。

 

「まあいいじゃないか。横須賀ではこんなことできないんだ」

 

「横須賀でやったらマジで人生詰むだろうなぁ……」

 

幸いここは人があまりいないのもあって見つかっていないが横須賀の規模はケタ違いだ。こんなことやっていたら確実に誰かに目撃され憲兵さんのお世話コースかロリコンの変態として白い目で見られるようになるかの二択となるはず。

 

目の前にある後頭部ごしに書類を覗き見てサイン。終わった書類を指示した通りに響が書類を纏めてある山に移す。なんだろうこの二度手間感。

 

その時小泉中佐は気づいていなかった。執務室の窓付近をホバリングするドローンの姿に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈日本千葉県館山市館山基地工廠-現地時刻同日16:47〉

 

ドローンを飛ばしている犯人は工廠にいた。更に言うなら飛ばしている犯人とそれを作った犯人は同一人物だ。

 

そう、明石である。先ほど夕張がこっそり代わりに来た司令を覗いてみない? と提案し、明石がそれに乗っかったのだ。

 

「姿勢の安定を確認。自動姿勢制御システム作動。遠隔カメラオンっと」

 

「どう?  映りそう?」

 

ずいっと興味津々な様子で夕張が明石の肩越しに顔をのぞかせる。

 

「待ってってば夕張。ん、ホロ投射機とドローンカメラとのリンク確立完了! いける!」

 

エンターキーをターン! と押し込むとホロウィンドウに執務室の映像が映った。

そう、小泉中佐とその膝の上にお人形よろしく座る響の姿が。

 

「え、えぇっと……これはどういうこと明石?」

 

「さ、さあ……私に言われても……」

 

正直なところ明石は小泉中佐を盗み見て様子を伺うだけのつもりだった。東雲中将が送ってきたとはいえ、もし変に基地を漁られると厄介だからだ。モルガナの作成方法とかパラレルシステムとかその他諸々の現在作成中の品々などとかを見つけられたりしたら非常に面倒なことになる。だから様子見だけ。それだけのつもりだったのに蓋を開けてみれば幼女を膝に乗せる司令官である。

 

「ねえ、明石。代理の司令官って……」

 

恐る恐るといった様子で夕張と明石が顔を合わせる。

 

「「もしかしてロリコン?」」

 

残念ながら小泉はロリコン認定されてしまったようだ。幸いなのは知られたのはこの基地のメンツだったことだろう。そこら辺は口が固いのだ。ただし仲間内は除くが。つまりそれは今後、小泉中佐がロリコンといじられることを意味する。館山基地は文字通りアットホームな職場なのだ。

 

「夕張、これは私たちだけの間で止めといて最後の日にからかうぐらいにしとこう」

 

「そうしよっか。期日まで白い目で見られるのは避けたいはずだし見ている感じでは悪い人じゃないみたいだしね」

 

そしてもう一つ小泉中佐がツイてたのは知ったのが私たちだったということ。今はいないけど鈴谷とか瑞鶴とかが知ったら確実に速攻からかいに行っていたはず。

 

別に仮に来た司令官も悪い人じゃなさそうなんだけどやっぱり私は提督がいいな。好きに開発させてくれるし時には一緒になって考えてくれる。そんな人の下で働けるのは工作艦冥利に尽きると思うから。

 

「明石、さっきから動きないしつまんないからもう閉じよっか」

 

「そうだねー。中佐が膝に響ちゃん乗っけてるだけだしね」

 

だけどむしろ乗っけてるというよりは乗っかられているという気がする。ほら、響ちゃんが中佐のお腹に頭を擦り付けてるし。猫みたいだなぁ。

 

映像を切るとドローンが帰還するように操縦しながらパタンとパソコンを閉じた。そしてパンパンとお尻をはたきながら立ち上がった瞬間に基地の警報が鳴った。

 

「「…っ!」」

 

『こちら執務室の小泉! 基地の哨戒線が接近する深海棲艦の艦隊を捕捉した! 総員第一種警戒態勢! 至急格納庫へ向かった後に艤装を装着し続く命令があるまで待機!』

 

「ってことだしさ、いってらっしゃい夕張」

 

「明石だって艦娘じゃん」

 

「でも私って基本は非戦闘要員だし」

 

「わかってるけどさっと。じゃあ行ってくる」

 

「うん。艤装の方はバッチリだから暴れてきて」

 

「了解しましたよ、工作艦明石どの」

 

緑のポニーテールを揺らして夕張が格納庫へ向かう。その姿を見送りながら明石がポツリと呟いた。

 

「私にも力があれば……か。そんなふうに思ってた時期もあったっけなぁ」

 

工作艦という特製上、彼女は出撃しない。そもそも武装が貧弱すぎて戦闘にならないからだ。明石にとってそれはもどかしくて仕方ないことだったのだ。

いや、今だってもどかしくて仕方ないことに変わりはない。だがあの一言で少しはマシになったのだ。

「おいおい、それ言ったら俺なんてただ指揮するだけで何もできないぜ。適材適所だよ。明石、お前はな、縁の下の力持ちなんだよ」

峻の言葉は明石の中に妙にストンと落ちるものがあった。それ以来は不思議と艦隊が出撃していくのを見送ってもそこまで嫌な気分にはならなくなった。だからこそ言える一言だった。

 

「いってらっしゃい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈日本千葉県館山市海上-現地時刻同日17:02〉

 

「天津風、出るわ!」

 

出撃メンバーに指名されたのは響、天津風、夕張、矢矧だった。接近している敵艦隊は駆逐艦級が数隻程度らしいので小泉中佐がどれだけ慎重派なのか伺える。

 

「たかが駆逐級なら私がパラレル使えば一人で対処できるのに」

 

旗艦として進む銀髪の少女を見ながら聞こえない声で天津風がぼやく。しかし同時にわかっているのだ。使ってはいけないことも。峻が個人的に開発している以上は他人に見せるべきシステムではないし、そもそもロックされているため、峻の許可なく使うことはできないのだ。明石の許可で使えなくもないが、たいして逼迫した状況でもない今にゴーサインが出るとは考えにくい。

 

「まあ、無いものねだりしても時間の無駄だし、たまには提督の力に頼らずやるとしましょうか」

 

それを言ったら、艤装のプログラムとか手がけてもらっている時点で頼っていることになるのだがそれは言わない約束である。

 

『こちら小泉。応答願う』

 

「こちら響。クリアだよ、司令官」

 

『そうか。敵艦隊の編成は4隻でいずれも駆逐級とのこと。負けることはないと思うけどなにかあったらすぐに退くように』

 

「了解。そういうわけで今回は旗艦をやらせてもらう響だよ。駆逐艦がなにをって思う人もいるかもしれないけど我慢してくれると嬉しいな」

 

「そもそも普段からうちの旗艦は駆逐艦よ。今更そこをグチグチ言うことはないってば」

 

「あはは。天津風ちゃんの言う通りですね!そこを気にすることはありませんよ。ね、矢矧」

 

「そうね。だから気兼ねなくやってちょうだい。響、あなたの旗艦としての活躍に期待してるわ」

 

「ふふ。ならやるとしますか。前方に敵艦隊を発見。砲撃用意」

 

主砲を各自が思い思いに構え、天津風が連装砲くんの分離(パージ)に備える。

 

『両舷第四船速。目標、接近する敵艦隊。…………よしっ、撃てぇ!』

 

4人の砲門が一斉に火を吹き咆哮する。それと同時に敵艦隊の砲口も火を吐き出す。

 

『回避!両舷最大船速、面舵30でT字有利に持ち込め!』

 

「こちら矢矧。弾着点確認! 遠、近、近! 夾叉よ!」

 

『初弾で夾叉とか早すぎだろ! いや、さすがと言うべきなんだけど。ええい、次弾装填! 第二射用意。撃てぇ!』

 

深海棲艦の群れに砲弾が降りそそぎ黒煙が上がる。水柱が消えたタイミングで敵艦隊を確認すると無傷なイ級が一体のこっているだけだった。

 

「やるさ」

 

既に次弾装填を済ませていた響がそのイ級に砲口を向けて引き金を引く。吐き出された砲弾は響の狙い通りに飛んでいく。再びイ級は黒煙に包まれた。

 

「勝ったわね」

 

矢矧が主砲を下ろして暑そうに胸元の布をパタパタと動かし扇ぐ。

 

「私あんまり活躍できなかったなぁ。残念」

 

「夕張の得意は対潜でしょう?それに第二射で当ててたじゃない」

 

「んー、なんかもっと叢雲ちゃんみたいな活躍してみたい」

 

「気持ちはわかるけどやめときなさい」

 

「だよねー」

 

げんなりとした夕張を矢矧が励ます。正直なところ矢矧もあのような真似をする自信がないのもあるが。

 

「待って。まだ終わってない」

 

「響さん? なにいって……」

 

そう言いかけた瞬間、響の頭上を砲弾が掠めた。自慢の長髪が爆風に煽られて大きくたなびく。

 

『響っ! 大丈夫か!?』

 

「当てたはずなんだけどね。すまない、司令官」

 

『そんなことはいい! 斉射準備を──』

「いえ、もう終わったわ」

 

「天津風?」

 

矢矧の不思議そうな声を聞き、イ級を天津風が指さした。イ級の背後には見覚えのある小さな影がちょこまかと接近し、その距離がありえないほど近くなった時に、牙を剥いた。そう、天津風の連装砲くんだ。

ほぼゼロ距離で連装砲くんが連続して撃ち続ける。

 

「こんだけ撃てばさすがに大丈夫でしょ」

 

「天津風……あなた結構エグいわね…………」

 

「やるなら徹底的によ、矢矧」

 

天津風が連装砲くんを帰還させるように指示を出すと、滑るように海上を連装砲くんが走って天津風の元に向かった。

 

「まあ天津風ちゃんがあそこまでやれば大丈……夫…………」

 

くるりと着弾地点を見るために振り返った夕張の言葉尻がだんだんと途切れていく。

ゆっくりと水煙が晴れるとそこにはグズグズと崩れていくイ級がいた。ずるりと表皮らしきものが再生したかと思えば、ぐしゃっとこぼれる。

 

「〜〜〜!」

 

深海棲艦の言葉だろうか、理解出来ない言語を喚きながらイ級が再生と崩壊を繰り返しながら天津風たちの艦隊へと進んでくる。あまりの事態を前にしてしまい、足に根が生えたかのように体が動かない。

なおもイ級は進み続けぐるりと眼球が回るとそのまま息絶えた。なにかに引火したのか爆発し、体の欠片をばら撒き四散する。

 

「何だったのよ……あれ」

 

「手負いの獣ほど怖いものはない……ってことでしょうかねえ……」

 

ぞっとしない画を見せられ背筋に冷たいものが落ちるような感覚に襲われた。天津風は思わず両手を体に回す。

 

『なにかあったのか? おい! 応答してくれ!』

 

「大丈夫だよ、司令官。これから帰投する」

 

「え、ええ。こちら矢矧。他2名も無事よ」

 

『そうか、よかった。帰投するまで気は抜かないようにな』

 

「了解」

 

白く泡立つ航跡を残して少女たちが帰還を始める。漠然とした薄ら寒いものを抱えて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈日本千葉県館山市館山基地廊下-現地時刻同日22:56〉

 

結局今日のは何だったんだろうか。小泉はそう考えずにはいられなかった。妙に生命力のある深海棲艦が出現したと響が報告したがそれがどこか引っかかるのだ。

 

「新種か……いや、形態も戦闘方法も従来のイ級とまったく変わっていなかった。だとすれば一体なんなんだ?」

 

だめだ。考えようとしても頭が回らない。眠いというのもあるがそもそもこのこの案件は自分の処理できる範疇を超えている気がする。

 

「東雲中将に報告して本部の対策部に回すのがベストかなぁ」

 

あくびを噛み殺しながら事前に用意されていた部屋に向かう。さすがに帆波大佐の部屋を使うのはプライバシーとかの関係で何かとアレなので客室のようなものが割り当てられていた。念のためいうと響と部屋は違う。先に寝に行かせたからもう寝ているだろう。

 

ドアを押し開けて部屋に入ると寝巻きに着替える。シャワーは済ませてあるので問題ない。はずだった。

そのまま変に膨らんだ掛け布団を上げる。

 

そこには響がいた。小泉を確認するとようやく来たね、と目が告げる。

 

「響、ここは俺の部屋なんだが」

 

「知ってるよ。ほら、早く布団に入るんだ。風邪を引いてしまうよ」

 

「今すぐ自室に戻れ」

 

「司令官は私と寝るのは嫌かい?」

 

「上目遣いで言ってもダメだ。ほら、さっさと戻りなさい」

 

「つれないね、司令官は」

 

「紳士と言ってほしいな」

 

「ふぅ。わかったよ」

 

ごそごそと響が布団から這い出る。見送りも兼ねて小泉は部屋の入口まで付いていく。

 

「じゃあおやすみ、司令官」

 

「ああ、おやすみ」

 

廊下に出て響が自室に戻っていく姿を見続けた。

 

「…も……んは……………なかったね」

 

「何か言ったか、響」

 

「何でもないよ」

 

そのまま響は自室に入っていった。

小泉が最後に聞き取れなかった響の呟き。それは、

 

「でも司令官は私と寝るのは嫌かい? って聞いたのに何も返事しなかったね」

 

沈黙は肯定である。つまりはそういうことなのかもしれない。

こうして明日も小泉は館山代理基地司令として奮闘する。任じられたままに黙々と。




ぶっちゃけ読まなくとも影響はない気がする回です。

なんか日本編書いてて疲れたから間にストレスなく書けるものが挟みたかった。またこの2人は出るのかなー。出ないかもしれないなー。

感想、評価などお待ちしております。それでは。


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プライベート・ヨーロッパ前編

こんにちは、プレリュードです!

皆さんイベントの進捗状況はどうですか?
とりあえず自分はE-1を甲で突破だけしました。伊26が落ちたのは正直なところかなり嬉しいです!

では本編参りましょう。


〈イタリア州欧州海練学校イタリア校廊下-現地時刻8月9日11:32〉

 

だいたい俺の講義は午前で終わる。面倒だからわざと午前で片付けているのもあるがそれ以上にそこまで話す内容が無いのだ。

あまりにも深いところまで言ってしまえば日本の機密を教えることになってしまう。かと言って何も言わなければ講師として呼ばれている意味がないだろう。ここにいる訓練生たちは各所から選抜されたトップクラスの成績者であるはずだから基礎を教えたところでそんなものは既に知っているに決まっている。いい塩梅というのは難しい。だが予想通りと言うべきだろう、ラバートンとの演習に圧勝したせいで訓練生からの信頼は得られた。多少の罪悪感はあるが本人も理解した上で乗った以上は文句を言われることはないはずだ。

問題は次だ。つまりは今の現状でもある。

 

「先生、この場合の陣形選択ですがやはり単縦が……」

「質問なんですけど重巡洋艦の運用において魚雷攻撃のタイミングは……」

「先日の演習で別パターンのシュミレーションを作ったのでご講評をいただきたく……」

「空母に搭載する艦載機についてですが艦爆や艦攻、艦戦のバランスは……」

「艤装の運動プログラムと姿勢制御プログラムを組んだのですがここの調節が上手くいかなくて……」

 

そう、少々。いや、ほんのちょぴーっと調子に乗りすぎたのだ。演習での無双が終わった翌日に、

「あー、あの娘たちの艤装の駆動系プログラムはほぼ俺が組んでるんだよねー」

とか少し自慢げに話した結果がこうだ。訓練生があれよあれよと押しかけての質問攻め。しかも司令官としての訓練生だけでなく、いつの間にか技術学校の訓練生までが紛れ込んでいる事態である。お前ら一体どこから湧いた。

おっとそろそろ答えてやんねぇと永遠に解放されないかもしれん。

 

「えー、まず最初の。そこは単縦もありだが複縦もいけるクチだと思うぞ。次の君と空母の質問飛ばしてきた君はぶっちゃけケースバイケースとしか言えん! シュミレーション作ってきた奴とプログラム組んできた奴はあとでチェックするから記憶媒体に焼いて持ってこい。あぁ、世界共通規格にしてくれよ? そうじゃなきゃ見れねえからな。以上だな? それじゃあ解散!」

 

ざっくりと答えてやれば集まっていた訓練生がわーっと散っていく。いや、ほんとにここまでになるなんてな。まいったまいった。まともに遊ぶ時間もねえ。ヨーロッパ(ここ)に送られた時点で講義とプライベートの割合は3:7くらいにするつもりだったんだがうまくいかねえもんだ。

 

「ひとまずはホテルに帰って明日の教材作りだな。その後は渡されるであろうシュミレーションファイルと姿勢制御プログラムの調整を見て何が問題か見にゃならんし……くそっ、マジで忙しすぎだろ。もうちょい遊ばせろ」

 

教材作りは最悪の場合は叢雲あたりに頭下げて頼めば何とかなる。だがさすがにプログラムのチェックなどは俺しかできないだろう。あー、面倒くせえな。誰かにここらへんの技能仕込むか。あって損する技術じゃないし、何かあったときには応急修理とかに使えるかもしれない。だが教えるとなるとそれはそれでまた面倒だ。まあ結局教えないんだろうな、俺は。なんか直接脳内に情報を送り込める便利なアイテムないかねえ。

アホなことをぼんやり考えていると首のコネクトデバイスが通信を報せた。

 

『あ、もしもし提督さん? まだホテルに戻れなさそう?』

 

「瑞鶴か。悪いな。訓練生が記憶媒体に見てほしいプログラム焼き付けてから持ってくるらしいからそれまで待たなきゃいけなくなった。約束は明日でいいか?」

 

そう。本当なら今日は全員で買い物に行く予定だったのだが俺の方が想定以上に延びてしまっているのだ。しかもこの後に現物を隅々まで確認したうえで問題点を洗い出す必要があるのだ。それが一つや二つならいい。その比ではない量がどっちゃりとくるのが一番の問題だ。少量なら手早く片付けることもできるが数が増えればそうもいかない。集中力は途切れていくため作業効率は落ち、時間は嵩んでいく。

 

『うーん。まあそういうことなら仕方ないよね……』

 

明らかにがっかりしたのだろう、声のトーンが落ちている。

 

「すまねえ。明日は絶対に空けとく。だから、な?」

 

『絶対だよ!』

 

「おう!明日こそ全員で行こう。じゃあな」

 

『うん! じゃあね!』

 

通信が切れたことを確認してから深いため息をついた。申し訳ないことしたな。遠出するために車借りて4人を乗せたらショッピングやその他諸々するつもりだったんだが明日になっちまうとは。明日にしっかりと埋め合わせしよう。

 

「忙しそうだねー、帆波クン」

 

「………お前は楽そうでいいな」

 

常盤が口笛でも吹くような様子で近づき俺の隣を歩く。その様子にげんなりとした言葉を返した。

 

「んー? 全然楽チンなんかじゃないよー? でも帆波クンがあの演習やってくれたおかげでこっちもやりやすくなったしね。それに関しては感謝してるって」

 

「そのおかげで俺の負担がエグいんだが」

 

「能力だよ、の·う·りょ·く。アタシはほら、凡人だからさあ」

 

「英語ペラペラ、同期で5本の指に入るエリートサマがミスター平均たる俺を捕まえて何言ってやがる」

 

「帆波クンだって英語すごい流暢じゃん。それに本当に平均程度ならウェーク島攻略なんてできるわけないよね?」

 

「あいつらのおかげだ。俺は何もしてない」

 

常盤の声のトーンが僅かに落ちたように感じたのは気のせいではないはずだ。今まで起動していなかった頭のスイッチが警告音とともに入った。

 

「ははっ! やっぱり帆波クンはそう言っちゃうんだ。全部あの娘たちがやったことだって」

 

「事実だろ。俺はただあの場にいただけなんだからな」

 

「ふうん。まあそれならそれでいいんだけどね。でも帆波クンが動こうとしなければ彼女たちはきっと出撃しなかったよ。絶対にね」

 

「かもな。でも結果を出したのはあいつらだ」

 

「なんで君は認めたがらないのかな? うん、まあいいや。別に」

 

剣呑だった空気が和らぐ。常盤は鞘から抜く素振りをするだけに留めたようだ。

 

「ん? ごめん帆波クン。通信出ていい?」

 

「構わねえ。好きにしてくれ」

 

「ありがとねー。はいはーい。もしもしー。アタシだよー。お、霧島か。どしたー?ほうほう。あ、そういう。ちょうど本人が隣にいるからグループ通信に切り替えようか。いいよね?」

 

「俺に聞いてるならイエスだ。相手は霧島か?」

 

「あと瑞鶴だよ」

 

常盤に送られてきたリンク先に飛びグループ通信に参加。それにしても瑞鶴とは何の用だ? さっき断ったので追加の取り付けか? だとしても霧島との繋がりが見えないんだが……

 

『あ、もしもし提督さん? 聞こえてる?』

 

「聞こえてる聞こえてる。どした?」

 

『私、霧島が説明しますね。先ほどホテルの廊下で肩を落とした瑞鶴さんを見かけまして声をかけたところ買物の予定が延期になってしまったとのことなので近場なら2人でも許可が降りるのではと思って連絡を入れさせていただいた訳です』

 

「あー、そういう。まあ単独行動じゃないならいいぜ。あと霧島少し堅いな。もうちょい砕けた口調でいいぞ」

 

『でも私に対しては普通なんだけどねー』

 

『えっ……と、頑張りますね』

 

「霧島ー。それ頑張るものじゃないってば」

 

ケラケラと常盤が愉快そうに笑う。砕けた口調を頑張るって確かになかなか謎だな。榛名の妹は変に真面目らしい。

 

『提督さん! じゃあちょっと行ってくるね!』

 

「おう。暗くなる前には帰ってこい。何かあったらすぐに連絡を寄越せよ。すまねえな、ほんとに」

 

『いいってば。じゃあね!』

 

『失礼します』

 

グループ通信が終了したことを知らせる窓が開き、タップしてその表示を消す。仕方ないとはいえ瑞鶴たちとの約束をぶっちぎったのだ。明日は何としても空けておこう。

 

「で、帆波クンはこれからどうするの?」

 

「目を通して欲しいって言われたからな。

メモリが来たらそれを全部見て明日に支障がないようにするさ」

 

「よろしい。瑞鶴ちゃんたちを泣かせちゃダメだよ!」

 

「お前に言われるまでもなくわかってるっての。じゃあな」

 

「ねえ、帆波クン」

 

立ち去ろうとした俺を引き止めるように常盤が声をかける。

 

「……なんだよ?」

 

「なんで君は自分を誇らない?」

 

「…………俺一人でじゃ絶対に成し遂げれないことをまるで自分一人でやったことのように誇るのは見ていて痛々しいだろ。そんだけだ」

 

「本当に?」

 

「嘘はついてねえぞ。俺は仲間だと認めている人間には絶対に嘘をつかねえ」

 

「うん、知ってるよ。帆波クンがアタシたちに嘘をつかないことは」

 

「ならいいだろ。じゃあな」

 

そう言い捨てて足早にその場を立ち去ろうとする。一刻も早く消えたかった。

 

「でもね、帆波クン。嘘を言ってないことと真実を言っていることはイコールじゃないんだよ?」

 

俺の背中に向けてそんな言葉が発された気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈イタリア州パラッツォホテル前大通り-現地時刻同日13:46〉

 

私服でホテルから出た瑞鶴が鼻唄まじりに石畳を鳴らして歩く。その足取りは軽やかで実に楽しそうだ。跳ね上がる度にスカートの端がふわりと揺れる。

 

「ねえ、霧島はどこに行きたい?」

 

「そうね。まだ買うわけじゃないんだけど日本に残ってる部隊のみんなへのお土産が見ておきたいかしら」

 

「あー、わかる。下見くらいはしときたいもんね。イタリア(ここ)ってなにかいいものあるかなあ」

 

「えーっと、そうね。こっちの方だとサラミとかフルーツ系のリキュールとかが有名だったはずよ。あとチョコレートね」

 

「へぇー。よく知ってるね」

 

「下調べはバッチリなので」

 

クイッと霧島が眼鏡のブリッジを押し上げる。なにこれ賢そう。伊達メガネ買おっかな。でもなんとなく加賀に鼻で笑われる未来が見えなくもない。

 

「ま、いいや。とにかく近くのスーパーみたいな店に入ってみようよ」

 

「あ、あそこにありますよ」

 

「発見早っ! よし、乗り込めー!」

 

女子にとって買い物とは命である。一種のストレス発散にもなり、艦隊運用において非常に有効な手段であると後続の者達に語られたぐらいに。

その後も店のハシゴである。服屋を覗いたり、カバンや小物アクセサリーの店に入り試しに付けてはしゃいだりと満喫していた。そしてひとしきり見て休憩を挟むことにしたのだろう、2人はカフェに腰を下ろした。

 

カラン、とグラスの中の氷が崩れる。冷えたアイスコーヒーを瑞鶴はストローで啜った。

 

「ふー、海外って来たの初めてだけど結構楽しいね」

 

「そうね。やっぱり日本とは違った文化なのも新鮮で面白い」

 

そしてやはりイタリアといえばコーヒーである。エスプレッソの街といっても過言ではない。そのため、霧島も瑞鶴も頼んだものはアイスコーヒーなのだ。

 

「瑞鶴、一つ聞いてもいいかしら?」

 

「いいよ。私に答えられることなら何でも答えるから」

 

「…………榛名姉さまは元気?」

 

視線を伏せがちにして霧島が聞いた。その様子を見て瑞鶴は咥えていたストローから口を離す。

 

「うん、見てる感じでは元気だよ。私も詳しくは知らないんだけどね」

 

「そう……ならよかった」

 

「……ねえ、榛名って何があったの? よければ聞かせてくれない?」

 

「そうね……同じ部隊だし何かあった時に備えて話しておいた方がいいかもしれない」

 

「聞かせてって頼んどいてなんだけどいいの?」

 

「はい。榛名姉さまが前の部隊の司令官に惚れていた話は知ってる?」

 

「うん。で、私が知ってるのはその前司令官が最後に榛名たちを逃がすために時間稼ぎをして亡くなったってとこまでかな」

 

「なら大筋は知ってるのね。でも問題はその後だったの。榛名姉さまにその司令官も惚れていた。そして死の間際にそれを告白してしまった」

 

「うわ……それは…………」

 

かなり来るものがあったのだろう。心中察すべし、だ。

 

「榛名姉さまは壊れた。ただのキリングマシーンになってしまったの。出撃しても深海棲艦を潰すことしか考えなくなり、口数は激減。氷のような人間に変わり果ててしまった。私にはあの時の榛名姉さまはどこか深海棲艦と戦って死ぬことを望んでいたようにさえ思えた」

 

喉を鳴らして唾を飲む。今の明るくて提督さんに向かって時折小さく毒を吐く榛名が昔はそんな悲惨な姿だったことが想像できなかった。

 

「だからこそ心配だった。でも何を言っても私の言葉は届かなかった。榛名姉さまは能面のような表情で出撃を繰り返す。私は結局なにもできなかった……」

 

「…………」

 

「でもその様子だともう大丈夫なようね。本当によかった……」

 

「うん。もう榛名はダメになんてならない。私たちがそんなことさせない。だから安心して。私ができなくても提督さんなら止められるから」

 

失意の底にいる榛名を引っ張りあげたのは提督さんだ。私の着任する前だから憶測でしかないけど不思議とそうだって断言できる。提督さんはそういう精神的なところに気づいておいて放置するような人間じゃないから。

 

「変な空気にしてしまってごめんなさい」

 

「ううん、気にしないで。姉妹のことだもん。心配になるのは当たり前だよ」

 

アイスコーヒーもなくなったしそろそろ帰ろっか、と切り出すと会計を用意する。付き合わせちゃったから払いは持とうとしたけど霧島はいつも榛名をよくしてもらってるから、と断った。

 

明日の予行練習としてはとても楽しい買い物になったと思う。明日は提督さんが車を出してくれるみたいだから遠くまでいけそうだ。どんな店があるんだろう。

期待に胸を膨らませて帰路を歩んだ。

 

 




次回もこんな感じでのんびりした回にするつもりです。
せっかくヨーロッパに来たんだから遊ばなくちゃね。

ここでちょこっと宣伝を。
うちの帆波と叢雲がごません先生の『提督はBarにいる』に出していただけました!コラボ回ということで外伝の方にぴょこっと出ています。よろしければそちらもご覧になって下さい。ごません先生の書く帆波と叢雲がいますので。

感想、評価などお待ちしております。それでは。



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プライベート・ヨーロッパ後編

こんにちは、プレリュードです!

イベントは順調ですか?
自分はE-3クリアのために大淀を掘ってます。全然落ちないけどの。
タブルダイソンはほんとにやめて欲しいね。一撃大破で何度も帰らさせられましたよ。

はい、本編参りましょう。


〈イタリア州欧州海練学校イタリア校廊下-現地時刻8月9日12:06〉

 

「……提督、帆波大佐をほっといていいのか?」

 

峻が立ち去ったあとの廊下を一人歩いていた常盤に若葉が声をかけた。

 

「いいの。結局のところアタシにとって彼の主義とかそういうのってどうでもいいから。帆波クンがアタシの障害とならない限りは、ね」

 

「提督の目的は何なんだ?」

 

「うーん、そろそろ麻縄に縛られる快感を追求したいかなー。なかなか縛ってくれる人がいないんだよねー。若葉やってくれる?」

 

「むしろ若葉が縛られたいが……でも…………いや、いい」

 

「若葉は賢い娘だねー、ほんとに」

 

張り付けたような笑いを浮かべた常盤が若葉の目を覗き込む。若葉は背筋が凍りついたように感じた。察して疑問を取り下げていなかったらどうなっていたのだろうか。普段から深海棲艦と戦っている若葉をして鳥肌を立たせ、寒気を覚えさせる絶対零度の笑み。

 

「そう構えなくていいってば。別に取って食べたりしないって」

 

さっきまでとは違ったへらへらとした笑みに常盤が切り替えると身を固めていた緊張が解けていく。だが先ほどの顔は『これ以上踏み込むな』と鮮烈に告げていた。

 

「若葉、別にアタシの部隊から外れたかったらいつでも言っていいんだよ? そんなことでグチグチ言うつもりは無いし最初の配属先ってだけで若葉はよく付いていてくれてるよ」

 

「提督は若葉がいては迷惑か?」

 

「そんなことないよー。むしろ感謝してるね。こんな変な女の下にいてくれて」

 

「ならいいじゃないか。それで問題あるか?」

 

「んー、ない! これからもよろしくね、若葉。じゃ、私は用事があるからここで」

 

コネクトデバイスを片手で振りながらT字廊下を若葉が行く反対側へと行こうとする。

 

「提督、それは私用なのか?」

 

「うん。超絶私用だよ。プライベートもプライベート。流石に聞かれると恥ずかしいかなあ。あ、まさか若葉はアタシを辱めようと!?」

 

「若葉はむしろやられる側なんだ。そっちは趣味じゃない」

 

踵を返して常盤と逆の方向に若葉が消えていく。その姿が完全に消えるまで常盤は見送り続けた。姿が見えなくなったのを確認すると常盤は首にコネクトデバイスを叩き込む。

 

「もしもし………」

 

常盤はなにかを話し始めると黒を纏ったかのように闇に溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈イタリア州ナポリ市-現地時刻同日16:34〉

 

石畳の上をスクーターがガタガタと震動しながら走る。鈴谷がスクラッチをまわして加速をしていった。今日は少し講習が延びたせいでみんなで買い物に行く約束が無しになってしまった。そう、実は予定がうまくいかなかったのは峻だけではなかったのだ。そして中途半端に時間を持て余した鈴谷はレンタバイクで借りたスクーターに跨り市内見物と洒落込んだのだ。艦娘とはいえ軍人。一般的な免許類は軍隊手帳を見せれば代わりになり、軽い教習も受けてあるため、一般車両程度ならば乗りこなすのは容易い。

 

「うーん、風が気持ちいいねー」

 

ヘルメットからはみ出した緑髪がたなびく。イタリアのティレニア海はいわゆる地中海性気候のため、夏は暑くても乾いた気候になる。日本のじっとりとした不快指数の高い夏と比べるとすごしやすいのだ。その乾いた気候のため樹木系の生産に向いている。有名なものをあげるならオレンジ、レモン、オリーブなどだろうか。深海棲艦が現れた当初はこれら農業も大きく衰退したのだが艦娘が海岸線の防衛の任に就いて以来は緩やかに回復していき、現在は深海棲艦が出現する前には及ばないものの、かなり高い水準まで復帰している。先日のジェラートがその証拠だ。嗜好品であるものが店頭で購入できるという事実がいかに内地が安定しているかを如実に示している。深海棲艦が出現した初期には食糧難で暴動が起き、内陸部に流れ込んだ人がまた暴動を起こす……という負のスパイラルに嵌まっていたのだ。

 

それを考えるなら鼻歌を歌いながらスクーターで観光ができるというのはどれだけ平和なのかがよくわかる。今は深海棲艦との生存をかけた戦争中だということを忘れてしまいそうなくらいに穏やかな日常の一コマ。そしてそれを生んでいるのは鈴谷たち艦娘なのだ。その恩恵を受けていけない道理はない。

特にやることもなく、ただ気の向くままにスクーターを駆る。なんとなく町の雰囲気を肌で感じればいいな、くらいの感覚だ。日本の艦娘である鈴谷は海外(そと)に行く事はめったにない。アジアくらいなら日本の管理している泊地があるため行く機会がないとは言わないが、ヨーロッパとなると話は別だ。滅多にないどころかこういうことでもない限りは恐らく一生行くことは無い場所だろう。

 

「ん、あれゴーヤじゃん」

 

ピンクのショートヘアを揺らしながら歩く少女を見つけた鈴谷がスクーターを減速させて隣に着けた。

 

「やほー」

 

「あ、どうしたの?」

 

「いやー、なんか見つけたから何となく声かけただけ。なにやってんの?」

 

「散歩ついでに頼まれた買出しでち」

 

「ふうん、買出しかー。誰に頼まれたの?」

 

「てーとくだよ。コーヒー豆となんか甘いもの買ってきてって」

 

「あー、その様子だと今日は遅くまで缶詰めコースか」

 

明日は必ず予定を空けておくと提督は約束してたから何としてもフリーにするために今日の夜にやること全て片付けておく魂胆なんだろうな。

 

「そんなわけで暇してたゴーヤがお使いの任を託されたの」

 

「なーるほど。ってあれ? 叢雲は? 普段そういうの頼まれるのって叢雲じゃないっけ?」

 

「叢雲は叢雲で忙しいみたいだよ? なんか追いかけられてた」

 

「追いかけられてた? あー、ビスマルクとの演習か。あんだけ派手にやればねぇ……」

 

ビスマルクは欧州の獅子と呼ばれるオルター少将の秘書艦なのだ。そんな艦娘とタイマンを張るというのはさぞ悪目立ちしただろう。多少はヘイトを向けられても仕方がない。

 

「うん。なんか駆逐艦の子たちにお姉様ーって呼ばれながら追いかけられてた」

 

「あ、そっちか」

 

向けられたのはヘイトじゃなくて憧憬らしい。まあ憎まれるよりはマシだと思う。

それにしてもお姉様ときたか。確かに同じ駆逐艦たちからすれば戦艦と正面からやりあえる叢雲は憧れの対象になるのも頷ける。ただ念のため言っておくが日本の艦娘が全員ああだという訳では無いことを認識しておいてもらいたい。

 

「じゃあ鈴谷はここで。このスクーター返さなきゃいけないし」

 

コンコンとスクーターのスピードメーターを叩く。夕食に遅れるのは嫌だからそろそろレンタバイクに行かなくちゃ。

 

「ん、じゃあね」

 

ゴーヤに別れを告げてスクーターに再びまたがるとスクラッチを回すと、止まっていたエンジンが唸りをあげ始めた。アイドリング音が石造りの町に反響した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈イタリア州パラッツォホテル12F1204号室-現地時刻同日23:41〉

 

渡された記憶媒体をパソコンに突き刺して一気にスクロール。打ち込まれている複雑なプログラム言語に目を走らせて脳内で動きのシュミレートを展開していく。その過程で違和感を見つけた瞬間にスクロールを停止。違和感の正体を探り、発見した箇所にコメントを付けて改善点を指摘する。

終わったと思いきや挿していた記憶媒体をぶっこ抜き、また別の媒体を叩き込む。内部に保存されているファイルを開いてみると今度は演習シュミレーションファイルのようだ。

 

峻はぐぐっと椅子の上で背中を反らして大きく伸びをした。ホテルに戻ってからずっとこの調子だ。いくら機械いじりが趣味とはいえ延々とC言語を見続けるのはうんざりしてきた。いつものように館山でならサボりもできるしまた明日に回すこともできる。だがここはヨーロッパである。身勝手に動くわけにはいかないし、残念なことに、ほんっとうに残念なことに基地司令権限を行使してこの手の仕事を握りつぶすことができないのだ。

 

「あー、だめだ。集中力切れた。ゴーヤが買ってきてくれたコーヒーでもいれるか」

 

ホテル備え付けの電子ケトルに買い置いたミネラルウォーターを注ぎコンセントを挿して湯を沸かす。その間に、これまた備え付けのマグにペーパードリップをセットして既に挽かれた豆を中にいれる。どちらかというと峻は紅茶派だが、イタリアはコーヒーの方が有名なので今回はそっちを選んでみた。湯が沸くのを待つまでにゴーヤが買ってきてくれた甘いものとやらの箱を開けてみる。

 

「へぇ……こりゃスフォリアテッレか。ゴーヤめ、なかなかいいチョイスじゃねえか」

 

スフォリアテッレとはパイ生地の中に様々な種類のクリームを入れてオーブンで焼いた焼き菓子である。パリッとした食感のパイとなめらかなクリームのハーモニーは素晴らしいの一言だ。結構甘いため、コーヒーとの相性は抜群だろう。なにより甘いものは脳を活性化してくれる。

電子音が鳴り、ケトルの湯が沸いたことを知らせる。ペーパードリップの中へ慎重にケトルから湯を注いでいく。本当ならばネルドリップなどで淹れた方がコーヒー本来の味が出せるのだが、あれは少々手入れが面倒だ。

 

「ふぅ…………」

 

マグに口をつけて苦い液体を嚥下し、焼き菓子を頬張る。その目線はコネクトルームのドアに自然と向いた。気づけばもう12時を回っている。あいつらはとうに寝た頃だろう。だがまだ俺は寝るわけにはいかない。なんとしてでも約束の買い物に付き合ってやりたいのだ。

ここら辺をふらつくことは認めたがあまり遠くに行くことを俺は許していない。だが、せっかくヨーロッパまで来ておいてナポリだけ、というのも寂しいだろう。一度くらいは遠出もしてみたいはずだ。だが遠くに行かれると何かあったときに俺が対処できない。そこで生まれた案が俺が車を出して全員で行ってしまおうという計画なのだ。そもそも講義は午前中だけなので午後からならば割りと自由が利くし、全員揃った上での団体行動ならば多少遅くまで遊んでも心配はない。もちろん警戒はするが、初日の毒殺未遂以来はなんのアクションも起きていない。わざわざ若狭に頼んで紹介された相模原大佐にWARNの話を聞いたが、杞憂になりそうだ。

 

そんなわけで明日、いや厳密には今日の午後からの楽しみを俺の都合でこれ以上延期にするのは心苦しい。だからこそ普段ならまた今度といってやらないところを睡眠時間を削ってまで片付けようと必死なのだ。

 

「さて……と。休憩はここらにして再開するとしますかね」

 

マグをサイドボードの上に置き、焼き菓子の残りを口に放り込む。指についた粉砂糖をペーパーナフキンで拭き取りパソコンに向かい合う。まだ数は残っているからな。あまり長い間のんびりと休んでいる暇はない。

峻はファイルをスクロールし、停止する。その作業を繰り返す度に、夜が更けていく。

 

あ、そういや車借りなきゃ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈イタリア州パラッツォホテル12F1204号室-現地時刻8月10日6:47〉

 

あいつが起きてこない。

朝食へ赴くために集合するのだが時間になってもあいつは来なかった。叢雲がイライラと腕を組みながら指で二の腕を叩く。

 

「提督遅いね」

 

「てーとくは昨日遅くまで仕事してたからまだ寝てるのかも」

 

叢雲がゴーヤの言葉に少し納得する。昨夜、叢雲含め全員が寝る時もまだ隣の部屋の電気はついたままだった。なにより今日の約束を峻は必ず守ろうとしていた。それならば多少無理を押しても徹夜くらいはしそうなものだ。

 

「起こしに行った方がいいかしら、一応」

 

「いいんじゃない?  ほら叢雲ってたまに提督さんのこと起こしに行ってるし」

 

「あいつがいないと仕事が回らないからよ。でもそうね。起きてくれないと今日の午前の講座に間に合わないかもしれないから────」

「すまん! 寝坊した!」

 

大慌てな様子で峻が駆けてきた。シャツの一番上のボタンが外れたままで、いつもの短髪は寝癖が撥ねている。

この様子だと昨日は片付いた瞬間にベットインしたわね。幸いにも目の下にクマはできていないところを見ると、削ったとはいえどもそれなりに睡眠をとったみたいだ。内心で安堵の息を吐きながらも顔は怒ったような表情を取り繕う。

 

「遅いわよ。5分前行動が社会人としての規範じゃないの?」

 

「いや、俺は軍人……軍人も社会人か」

 

自分で言って自分で納得する峻を目の前に全員がクスリと笑った。むしろ下手な社会人より軍人の方が時間には厳格だ。

 

「ってそれどころじゃなかった! 早く行くわよ!」

 

「げぇ、もう7時半じゃねえか! 急ぐぞ!」

 

この様子だと朝食はかなり手早く済ませなければいけなさそうだ。

そういえば今日はもう10日だったわね。日本政府と欧州連邦政府との契約では7月25日から8月14日までの3週間、私たちを派遣することになっていたはず。ということはあと5日でヨーロッパともお別れということになる。そう思うと少し名残惜しいものがある。教えていた駆逐艦たちにお姉様と追いかけられていた時に助けてくれたレーベやマックス、ぶつかったりもしたけど憎めないビスマルク。そしてビスマルクの背後でよく謝っているプリンツ。

オルター少将の部隊はあと2名いるらしい。そっちとの接触はあまりないけどいい人たちだと思う。

別れは寂しいけれど日本で待ってる榛名や加賀たちがいるから帰らなくちゃいけない。

 

なんて。

この時の私はそんな平和な考えにどっぷりと浸かっていて知らなかった。

あとたった5日間で最悪の事態が起きる。そんなことには。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈イタリア州欧州海練イタリア校正門-現地時刻8月10日13:56〉

 

正門の前で峻が一人佇む。あるものが来るのを待っているのだ。

 

遠出をするにあたって最初の問題はなんだろうか?

答えは足だ。つまりは移動手段である。そこで俺は車を選択したわけだがその車が俺にはない。そこで借りる必要が出てきたわけで、どこで借りられるかをオルター少将に聞いたところ、軍の公用車を気前よく貸してくれるとのことだ。だからここで車が来るのをぼんやりと待っている。

 

そしてちょうど時計の針が2時を指したとき、目の前に黒塗りの4ドアが駐車し、中からスラリとした女性が運転席から降りた。

 

「あなたがホナミ大佐か。オルター隊のグラーフ・ツェッペリンだ。頼まれていた車を持っていた」

 

「ありがとう。グラーフさんはこのあとは……」

 

「グラーフでいいさ。私はこっちに予定があるからちょうどよかったのだ。だから気にせずに車は使ってほしい。あとでここに停めておいてくれれば私たちのうち誰かが回収する」

 

「重ね重ね申し訳ない」

 

「構わないとも。それでは良い旅を」

 

ピシッとした敬礼をするとグラーフが海練校内に入っていった。その後ろ姿を俺も敬礼で見送る。

 

それにしてもなかなかいい車だ。このサイズならば5人くらいは乗れるだろう。後ろに荷物を入れるためのスペースもあるから少しくらい多めにお土産を買って大丈夫はずだ。回してくれたオルター少将には感謝だな。

 

「あーあー、常盤、聞こえるか?」

 

コネクトデバイスの通信を常盤に向かって発信。応答はすぐに来た。

 

『聞こえるよ。用件はなんとなくわかってるけどね』

 

「上々だ。今日は外すからホテルの方は頼むぜ。荷物とかは特に厳重に管理してくれ」

 

『あいあい。ところでさ、帆波クン。今日はなんだか異様に男子生徒がアタシのとこに質問しに来るんだけどなんで?』

 

「えっ、そうなのか?」

 

白々しいとわかっていながらも聞き直す。直接顔合わせてたら一発でアウトだな。口元がにやけてしょうがねえ。

 

『そう。この間までは女子ばっかりだったのに急にね。心当たりあるんじゃないかと思ってさ』

 

「へえー。そりゃあれだ、能力じゃね?の·う·りょ·く」

 

『あっ、帆波クンちょっと────』

 

続けようとした常盤の言葉をぶった切るようにして通信を切断した。

いやー、爽快爽快。この前のやり返しだ、あの野郎。講義であの女佐官の方が学生時代、俺より成績よかったって話をさりげなくぶち込んで質問しに来る訓練生たちの大半を送り込んでやったのだ。今日一日くらいは質問攻めを食らうがいいわ! あのドマゾのことだから攻めって言えば勝手に喜んでいる可能性が無きにしもあらずだが。

 

「さーて、そろそろ来る頃だろ。……お、見えた見えた」

 

正門に向かって来る団体様。叢雲をはじめとして鈴谷に瑞鶴、ゴーヤの4人だ。もちろん、目立たないように全員が私服だ。外を艦娘の制服でふらふらするのはあまり良くないし、ゴーヤがあの格好(スク水)で出回ったら警察がくる。ヨーロッパまで来てそんな理由で職質を食らうとかたまったもんじゃない。

 

「てーとく、この車どこで借りたの?」

 

「オルター少将に軍の公用車を貸してもらった。いやあ、あの人マジで気前いいわ」

 

バンパーをぺしぺしと叩きながら心の中でオルター少将に感謝。レンタカー代が浮いたぜ。地味にかかるんだよな、レンタカーって。

 

「さあさあ、ようこそ御一行様。どうぞご乗車くださいな」

 

わざとキザったらしい動きで後部座席のドアを開けて招き入れると、瑞鶴、ゴーヤ、鈴谷の順番でシートに体を沈めた。助手席も開けてやろうと思ったがいつの間にか叢雲は座っていたのでそのまま運転席に俺も滑り込み、刺さったままのキーを回してエンジンをかける。

 

「さて、全員ちゃんと金は持ったな?」

 

「バッチリ。提督さんからウェークの時にもらったお金をほぼ全部持ってきた!」

 

「結構持ってきたなー。ご利用は計画的にしろよ?」

 

「そんなことわかってるから提督早く車出してよー」

 

「へいへい。忘れ物はないな? シートベルト着けたな? そんじゃ、いざ出発!」

 

サイドブレーキを解除してアクセルを踏み込む。ハンドルをきって公道へ乗り出した。さあ、楽しい楽しいお買い物の始まりだ!

 

……ただし詳しい地理は知らないから隣の叢雲に地図を持たせてナビゲートしてもらうが。ぼんやりとした場所までならわかるが明確な地点になるとわからないんだよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈イタリア州ティレニア海前線防衛基地-現地時刻同日20:35〉

 

「どうして日本人なんかに車を貸したのですか、オルター少将どの!」

 

怒気を孕んだ声でオルターに対して少尉を示す肩章を着けた尉官が詰め寄る。

 

「落ち着け、少尉。彼らは客人だ。別に貸して困ることもないだろう」

 

「ですが! あれは連邦政府の人間が勝手に呼んだ者たちですよ! そんな人間に────」

「少尉!」

 

オルターが一喝すると興奮していた少尉がしまった! という表情を浮かべておし黙る。

 

「連邦制が嫌いか、少尉」

 

「はっ。自分はどうしても許容できないのです……」

 

「そうか。私とて人間だ。気持ちはわかる。だが今は深海棲艦との戦いが先決だ。それが終わればきっとすべて元に戻る。だからそれまで耐えてくれ。頼む」

 

「…! わっ、わかりました! だから頭を上げてください!」

 

頭を下げたオルターの姿を見て慌てた様子で少尉が制止する。少尉が少将に頭を下げられて慌てないわけがない。そこで無理だと突っぱねればそれはオルターのメンツを潰すことにもなりかねない。

 

「……ありがとう、少尉」

 

「いえ、自分こそ身勝手な発言を……それでは失礼します」

 

部屋の入口で少尉が脇を締めた敬礼をすると退室していった。廊下を反響する歩く音が聞こえなくなるまで待ってからオルターはため息をついた。

 

「お疲れね、アドミラル」

 

「ああ、まったくその通りだビスマルク」

 

疲れを誤魔化すようにオルターは眉根を揉んだ。このようなやり取りはもう何回目だろうか。ティレニア海前線防衛基地(ここ)に来てから、いや来る前のエディンバラの頃から嫌というほど繰り返してきた。

 

「いくら欧州連邦がEUの延長線上とはいえ、各国の政治制度ひとつ取っても違うのだ。いずれ連邦制に無理がくるのは定めのようなものだ。特に今のように内地が見せかけの平和に浸っている時はそういった不満が出やすい」

 

「そうね。そもそもEUって言ったって国によって税率も抱えている国債の額も違う。はいみんなで一つの国家です、なんて急に言われたら仕方ないわよ」

 

わかりやすく説明すると、

いきなり顔も名前も知らない人間と家族になりました。さあ、その人の借金もあなたが負担してね☆

といったところだろうか。誰だって困惑するし、誰だって怒る。だが深海棲艦という存在が生命を脅かしている直近の状況ではそんなことは二の次にされていたのだ。

だが今はどうだ? 表面上ではとても平和なのだ。人間同士の戦争が無くなった分だけ前よりもマシかもしれない。そうなってくれば目を逸らしていた不満を解消したくなるのが人間だろう。

 

「だがヨーロッパの国すべてが協力しなければ今の防衛体制は瓦解する。となれば連邦国家として成り立たせておくのは構図としてはわかりやすく、なおかつやりやすい。『あなたの隣人をあなた自身を愛するように愛しなさい』とはよく言ったものだ。そうしなければ死ね、と深海棲艦に砲口を突きつけられているのが今のヨーロッパの現状だろうに」

 

Dead or Love(死ぬか愛すか)って? 笑えない現状ね」

 

「ああ。本当に笑えないな」

 

「でも軍人(かれら)の不満はそれだけじゃないでしょう?アドミラルも含めてね」

 

「痛い所を突くな。私自身は大して気にしていないのだがやはりな。艦娘(おまえたち)の建造を全て日本一国が担っているのもさっきの少尉のような考え方の人間が現れる一因だろう」

 

「そうね。私だって日本からの輸出品なのだから」

 

「お前だけじゃない。グラーフだってプリンツだって、いや、世界中の艦娘は全て日本からの輸出品だ」

 

もちろん、艤装は各国で作られている。だがそれを操り戦う素体は全て他国である日本のものなのだ。軍属の技術者は当然として現場の人間も面白くない。だからといって強引な行動に移せば輸出を止められて国家崩壊のカウントダウンが始まってしまう。大人しく艦娘を買っているのが一番得策なのだ。

オルターは椅子から立ち上がり、上着に手をかけた。夏とはいえ夜は冷える。

 

「アドミラル、いつもの?」

 

「ああ。もう9時だからな。少し夜風に当たりながら歩いてくる。いつもみたいに先に上がっていてくれ」

 

「了解。よく続くわね」

 

「軽く歩くぐらいしなければやってられないんだ。事あるごとに部下たちの連邦制の愚痴を聞かされていてはな」

 

「ねえ、アドミラル」

 

ノブに手をかけて部屋から出て行こうとする背中にビスマルクの声がぶつかった。

 

「なんだ?」

 

「アドミラルは連邦制に賛成派なの? 反対派なの?」

 

「……私は中立だ、なんて答えは求めてないんだろう?」

 

「勿論」

 

「そうだな、だが本当にどちらでもない。それでも今のまま連邦制を続けることはいずれ限界が来る、いやもう来ている。そう考えていながらも私はこの制度は嫌いじゃないんだ」

 

「なぜ?」

 

「人が一丸となって戦う姿が私は好きなんだ」

 

小さく笑うとオルターは再び上着を肩に引っ掛けて部屋から出て行った。正門の見張り兵の敬礼を見ながら軽くねぎらうと夜のナポリに足を踏み入れた。いつものコースをぶらりと回ったら適当に切り上げて基地に帰る。それが最近の日課だ。こうでもしないと気が滅入る。

 

夜のナポリを歩くと、生暖かい風が頬を撫でた。




はい、プライベート・ヨーロッパがこれにて終了です。日常回でしたが、如何でしょうか。なんか異国っぽい雰囲気が出てたら嬉しいです。自分はヨーロッパ行ったことがないので不安ですが。

感想、評価などお待ちしております。それでは!


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報せは巡りて

こんにちは、プレリュードです!

イベントも残すところ、あと5日を切りましたがどうでしょうか?
自分はe-3クリアしたら満足ですかね。大淀掘りに想像以上に時間取られました。アクィラはしらん。ウォースパイトも知らない子。とりあえずダイソンはもう見たくないこの頃です。

それでは本編参りましょう。


〈イタリア州パラッツォホテル12F1204号室‐8月11日7:01〉

 

昨日は割と遅くまで叢雲たちと外に出て遊んでいた峻は眠たげな目を擦りながら洗面所に立った。鏡を見ると幸いにも寝癖はないため、準備にさしたる時間はかからないだろう。眠気を覚ますために、冷水で顔を洗うとタンスから着替えを取り出して、服の袖に腕を通した。

 

ヨーロッパ(こっち)に来てから結構経ったな……」

 

ナポリに着いたのが7月25日。そして気づけば8月も半ば手前まで来ていた。光陰矢の如しとは本当によく言ったものだと思う。

 

朝食に行く前に、ショルダーホルスターを肩から吊り、マガジンポーチや革製の鞘に収まったコンバットナイフを装着してから上着を羽織り、それらを覆い隠す。

 

そろそろ行くか、というタイミングで部屋のドアが丁寧にノックされた。急いでドアに駆け寄ると魚眼レンズを覗き、危険人物ではないことを確認した上でドアを開けた。立っていたのは確認した通り、スーツをまとった護衛チームのリーダーだった。

 

「おはようございます。昨夜はよくお眠りになられましたか?」

 

「それはもう。ありがとうございます。何かありましたか?」

 

「本日は外出を控えていただいていただきたいのです」

 

「何かありましたね?」

 

チームリーダーの言葉に峻が確信を持って問いを投げかける。軍事顧問として呼んでおいてあと僅かな日程を無駄にさせるということはそれなりの事態が起きているということだからだ。

 

「はい。グラッド・オルター少将が昨晩に襲撃され、意識不明の重体です」

 

「なんだって!」

 

あまりの衝撃に敬語がどこかに吹き飛んだ。なるほど案内人たるオルター少将がこういう状態になった以上は、こちらに飛び火してくる可能性が否定できない。その状況下で外をうろつくのは賢明な判断とは言えない故の処置だろう。

 

「犯人は? 単独とは思えないのですが」

 

「複数人のグループというのが見解です。ともかく、本日はホテルに待機していてください」

 

「……了解しました」

 

では、と一礼するとチームリーダーは去っていった。いきなり何の前触れもなしに、今日の予定がまるっと空いてしまった。だがそんなことを言っている事態ではない。オルター少将が意識不明になっているため、見舞いにでも行きたいが護衛が許してはくれないし、そもそも論として峻自身も出るべきではないとわかっていた。

 

「常盤、応答」

 

『はいはーい。なんで連絡きたかは大体察してるよー』

 

通信を送るとやはり常葉の方にも来ていたのだろう、状況に似合わない明るい声の返答。

 

「なら話が早い。現状で待機でいいよな?」

 

『いいんじゃない? 今は下手な行動を打つよりは大人しくしてるのがベストでしょ?』

 

常盤が試すような言い方をする。

 

「まあな。じゃ、そっちはいいな?」

 

『だいじょーぶ、だいじょーぶ! とにかくむこうの言うこと大人しく聞いとくよー』

 

「そうしてくれ。ただ……わかってるよな?」

 

『わかってるって。ただ一応正式な形にしといて』

 

ここは日本ではない。である以上はしっかりと形をとるべきだろう。そして峻はヨーロッパにおいてある程度のレベルにおいては裁量権を与えられている。ならば中佐たる常盤に対して()()を与えられるのは峻だけだ。

 

「常盤中佐。現時点より自らの、及び艦娘の身柄を脅かす対象に限定した発砲を許可する」

 

『帆波大佐からの限定的状況下における発砲許可を確認。常盤、了解』

 

先ほどまでのどこかのんびりした雰囲気は消え、一気に互いの声が冷えきる。当然だ。その応答は殺しが許可された瞬間なのだから。そのまま何も言うことなく、自然と通信は切れた。

完全に切れたのを確認してから峻はベットに倒れ込んだ。だが悠長にしている時間はない。早いところ叢雲たちに状況を説明した上で部屋で待機しておくことを伝えておかなければならないからだ。

すぐに立ち上がるとコネクトルームのドアを叩く。

 

「なに?」

 

「ちょっとこっちの部屋へ来てくれ」

 

「……少し待っててちょうだい」

 

言葉通り、5分も経たないうちに叢雲たちが部屋にぞろぞろと入ってきた。適当に椅子を置いてから座るように勧めて、全員が座った後に峻も腰を落ち着かせた。

 

「今日は全員ホテルの部屋で待機だ。さっき護衛チームからの指示があった」

 

「えっ、なんで? 私たち何かやらかしたっけ?」

 

「案内役のオルター少将が襲われた。どこの野郎がやったのかはわからないらしいが、案内役が狙われたという事は、本当の目標は俺たちだった可能性がある。つまり、この対応は外での襲撃を回避するためだろうな」

 

瑞鶴は別に何もやっていないし、それを言うなら峻も叢雲も鈴谷もゴーヤも何もやらかしていない。こちらでは回避しようのない事態なのだ。どう行動しようともこの結果は変わらなかっただろう。

 

「ねぇ、提督。じゃあ鈴谷たちはどうすればいいの?」

 

「さっきこいつが言ったじゃない。待機よ。部屋でじっとしてなさい」

 

「むぅ……退屈だよ……」

 

つまらなさそうにゴーヤがぼやく。だがこれは致し方なし、と言ったところだろう。命と暇つぶし。天秤に掛ければどちらに傾けるべきかは論ずるまでもない。

 

「まー、なんだかんだいってここんところ忙しかったしな。骨休めと思ってゆっくりしとけ」

 

どのみち峻には変更など出来ないことがわかっているのだろう、割と全員があっさりと引いてくれた。コネクトルームのドアから部屋に戻っていく姿を見届けた後で、峻は自分のパソコンを開いた。

 

「やることねえし……組みかけだったプログラムでも組むか」

 

峻の指がキーボードの上を流れるように走り、複雑な文字列を刻んでいく。そういえばこれを得意だと思ったのはいつからだっただろうか。学んでからはなんとなくでできるようになっていたような気がする。まあ、好きこそ物の上手なれというやつかもしれない。実際のところこうやって無心にキーボードを叩くのは嫌いではないため、案外あの言葉は的を射ているのかもしれない。

 

「ちっ、嫌な感じだ……」

 

流れいく文字列を処理しながら峻が舌打ちして呟く。状況はまだ安全(グリーン)。だが直感がすでに危険(レッド)だと告げている。タチが悪いことに、往々にしてこの手の予感は外れた試しがないのだ。

 

「何も起きなきゃいいが……」

 

幾度となく感じたことのあるざわめきと、どこか懐かしいような感覚に余計なことを考えたくなくて峻は意識をパソコンに集中させた。それでも相変わらず頭の中のアラートが鳴り止むことは無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈イタリア州パラッツォホテル12F1205号室-現地時刻同日7:42〉

 

叢雲は驚いていた。

オルター少将が襲われたことに、ではない。いや、この言い方には語弊がある。確かに驚きはした。だが、それを上回るものがあったのだ。

あいつがとてつもなく警戒している。それも矢田の時などの比ではないレベルで。

 

「ねえ、あんたは何を感じ取っているの?」

 

小さく呟いてみても、ドア越しでは伝わるわけもない。

あんたはなんでそこまで警戒している? 現時点で何も起きていないのになぜそこまでピリピリする必要があるのか。いつもなら軽い冗談の一つや二つ飛ばしてみせるのに、だ。

あのどこか物憂げな雰囲気は一体なんだったのだろう。

 

「なんで話してくれないのよ……」

 

そんなことわかりきっている。自分が踏み込もうとしないからだ。聞こうとしないのになんで答えが得られようか。結局のところ自分は怖いのだ。聞いてしまえば何かが崩れてしまいそうで、怖くて怖くて聞けない。そんな見るも耐えない弱々しい臆病者だ。

そんな醜くて弱い自分が嫌で嫌で仕方ない。『姫薙』なんて立派な二つ名をもらったところでそこは結局なにも変わっていない。

ならどうする? そんな事はわかりきった話だ。

 

「もっと強くならないと…………」

 

弱いままじゃ何も出来ない。だからといって今のままを受け入れることだけは嫌だ。強く。もっと強く。さらに高みへ。

 

「ねえ、叢雲。叢雲ってば!」

 

「何? どうしたの?」

 

「いや……なんか遠くにトリップしてたからさ。大丈夫かなーって」

 

瑞鶴に呼びかけられ、思考状態だった意識が現実に引き戻される。もしかして怖い顔になっていただろうか。顔を隠すように手を振り、なんでもないという意を示しながら表情を取り繕う。瑞鶴は少し怪訝そうに顔をしかめたが、あまり気になることではないと思ったのか深くは追求してこない。

 

「大丈夫よ。少し考え事してただけだから」

 

「そう……。なにかあったら言ってね」

 

やることがないのかベットに飛び乗る瑞鶴を横目に叢雲も手近な椅子をひいて座った。なんとなくテレビをつけてみるが、どこか日本人の感覚とはあわないアニメやバラエティ番組らしきものに嫌気がさし、すぐにリモコンで電源を切った。

なにもやることがない。隣の部屋に行ってみようか。でも行ってあいつとあったところでなにを話せばいいのだろう。なにをあいつが感じているか聞く度胸は先ほど考えた通り、自分にはない。館山なら艤装を着けて演習場で暴れるなり、武道場で体術を鍛えるなりして没頭させることで思考を無理に止めさせるという荒技も可能だったが部屋からも出られないでは息が詰まる。

 

なんとなく手に取った9mm拳銃にセーフティがしっかりとかかっていることを確認してから構えはせずに引き金に指をかける。この分野においてはあいつに敵わない。いや、それをいうならあいつに敵う分野があるだろうか。

 

「私は弱いっ…………」

 

誰にも聞こえないように言った言葉は叢雲の心に重い鉛を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈イタリア州ティレニア海前線防衛基地-現地時刻同日8:42〉

 

「おい、知ってるか?」

 

「オルター少将が襲われたことか?」

 

「知らないわけがないか」

 

通路を歩いていると、同僚の男が駆け寄ってきた。その問いかけに少尉がすぐに答える。そこまで噂は伝わっているのだ。

 

「誰がやったのかはわかってないのか?」

 

「ああ。だが目星はつくんじゃないか?」

 

「あの人が恨みを買うような相手は……」

 

少尉が顎に手を当てて考える。いや、考えるまでもなくわかっていた。

 

「連邦派の連中か……」

 

反連邦派(おれたち)は軍での居心地がいいとはとても言えない。だがあの人が庇ってくれていたんだ」

 

欧州連邦軍の内部は連邦派が高い割合を占めている。もちろん思想の自由はあるが、反連邦派は肩身が狭いのだ。いや、狭いだけならよかった。思想の違いによる、一種の嫌がらせを受けたりしていたのだ。それを押さえ込んでくれていたのがオルター少将だった。

 

「連邦派め……中立をとっていた少将にまで手を…………」

 

少尉が机を拳で叩く。

オルター少将は欧州の獅子と呼ばれる、北海油田防衛戦の英雄だ。だがそれと同時に中立の立場として反対派を庇っている。それは連邦派からしたら面白くないのかもしれない。

自分たちへの陰湿な行為ならば流せた。だが恩人であるオルター少将にまで手をかけるのは許容範囲を超えている。

 

「どうする?」

 

「……しばらく時間をくれ」

 

それだけ言い残すと少尉が歩み去る。その背中には明確な怒りが滾っていた。

異常なまでの勢いをもってオルター少将襲撃事件の噂は広がっていく。それだけヨーロッパにおいて大きな事件なのだろう。そしてその事実に憤る人がいるということはオルター少将の人望の厚さだろうか。

 

立ち去る少尉を見続けながら同僚の男は笑みを湛えた。

 

「すべては世界変革のために」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈イタリア州パラッツォホテル11階1104号室-現地時刻同日8:53〉

 

常盤は峻に言われた通りに、ホテルの一室に霧島と若葉を集めると待機していた。特にやることもなく、ヒマな常盤はだらしなく服を着崩してベットの上に座っていた。

 

「うーん、いろいろ潜りたいところだけど国外ってだけあって勝手が違うしなあ」

 

「ダメですよ、司令。帆波大佐からの指示は待機なんですから」

 

「わかってるよ霧島ー」

 

肩を枕にしてうたた寝をする若葉の頭を撫でながら常盤が言う。それぐらいのことはわかってる、といった様子だ。

それでも暇なものは暇。若葉の髪を常盤が弄り始める。指を絡ませて梳くとふわりと解ける感覚が心地いいらしい。かと思えばぷにぷにと若葉の頬を指で摘んだり離したりつついたり。

 

「若葉で遊ぶのをやめてあげてください。それより今は先のことを考えるべきでは?」

 

「先のこと……ね」

 

「はい。外はどうなっているのかわかりません。ならば現時点においてやるべきなのはいざという時にどう行動すべきか決めておくことです」

 

「外のことかー。うん、確かにちょっちヤバげかもね」

 

「そうなんですか?」

 

「別にアタシも何か知ってるわけじゃないよー」

 

霧島に合わせていた目線を落とす。霧島から常盤の表情がダークブラウンの前髪に隠れて見えなくなる。

 

「例えば霧島、長い紐が一本あってそれを両端から引っ張り続けたらどうなると思う?」

 

「それは……いずれはどこかでプッツリと切れますね」

 

「そう、切れちゃうんだよ。いや、切れてたんだよ。それをつなぎ止める接続部があったから切れていないように見えてた。だけど尚も引っ張り続けている状況で接続部が壊れたら? それが今の欧州連邦なんだよ」

 

「…? どういうことですか?」

 

霧島の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。突然された例え話が何を言っているのか理解できないのだ。接続部? 紐を引っ張る? 何のことだろう。

 

「ヨーロッパが今、うねりを上げてるってことかな」

 

若葉をベットに転がすと、常盤は窓からイタリアの町並みを見た。すっと目を細めて睨む姿はいつもの変態ではない。

 

「どこに行っても変わらないね、まったく」

 

────この腐った世界は。

 

霧島に聞こえないように嫌悪感を滲ませた声で常盤が吐き捨てた。

 

 

誰もがそれぞれの思いを胸に8月11日は一見して平穏に終わりを告げた。表面上では何も変わらず、だが着実になにかが胎動していた。

 




話の展開が遅いとかいわないでね。作者が一番わかってるから。
正直な話、最後の紐のたとえはいらなかった気がしなくもないんですけど、まあそれはそれってことで1つよろしくお願いします。

感想、評価などお待ちしております。それでは!


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泰山鳴動

こんにちは、プレリュードです!

気づけばもう九月ですね。台風がすごいようですが皆さんは大丈夫ですか? 今のところ自分のエリアは大丈夫そうです。

先に警告。
この話は、というよりここから先の話はグロテスクな表現が多々あります。苦手な方はブラウザバックを推奨致します。それでもいい、むしろヤッホウ! という方は先を読んでいただけると嬉しいです。

それでは本編参りましょう。


〈イタリア州ティレニア海前線防衛基地支部-現地時刻8月12日7:13〉

 

「ふわぁ……今日も異常なしっと」

 

当直の兵があくびを噛み殺しながら時計を確認する。そろそろ交代時間なのだろう。夜の見張りは体に堪えるので早急に次の見張りと交代して熱いシャワーを浴びてからベットにダイブしたい気分だった。

 

「おい、まだ気を緩めるなよ」

 

「わかってるよ。だがほら、来たみたいだぜ」

 

もう一人の当直に窘められるが、耳がここに向かう足音を捉えていた。そのため扉を指で指し示すと、間もなく扉が開き交代の当直である2人が入ってきた。

 

「やっと交代だぜ! さっさと代われよアンチども」

 

「そうだ! おっせーんだよノロマ!」

 

入ってきた2人に遠慮のない罵声を浴びせかける。アンチとは反連邦派の俗語だ。つまり彼らは連邦派だった。このようないがみ合いはままある話で、やはり数で劣る反連邦派がやられ損というのが現状だ。

 

「……」

 

「んー? 聞こえてんのかオラ! お耳ついてまちゅかー?」

 

ぎゃはははは、と下卑た笑いを連邦派の2人があげる。それでも2人は何も言い返さずにいるだけだった。()()()()()

 

「がぁっ! て、てめぇ何を……」

 

片方が一歩前に踏み出して煽り続ける男の頬を全力で殴った。完全に不意を突かれている隙を生かして、肩から吊っていたベレッタARX-160の台尻で顎を思いっきり叩き、バランスを失って前のめりになったところで腹に膝蹴りを叩き込んだ。

 

「かはっ……」

 

空気を吐き出して倒れ込むとそのまま動かなくなった。気絶したのだ。

 

「おい! くそっ、てめぇら何が目的だ!」

 

「オルター少将に手を出したのは間違いだったな」

 

「何のことだ畜生!」

 

相方を打ち倒した男に向かってコーヒーの入ったマグを投げつけて相手の視界を塞ぐ。そして踏み込んで右拳をその腹へ打ち込もうと固く握りしめて……

そして後頭部に鈍い衝撃が走った。

 

「もう一人いるってことを忘れるなよ」

 

「ぐっ……」

 

その衝撃がアサルトライフルの台尻に打ち据えられたものだと気づいたのは意識を手放したのと同時だった。

 

「おい、大丈夫か?」

 

「服がコーヒー臭い」

 

「大丈夫なのはわかった。報告、Eブロック制圧完了」

 

『了解。そのまま待機していてくれ』

 

「待機命令、了解」

 

通信機を切ってアサルトライフルを肩にかけ直す。そしてロープで気を失って倒れている男二人を縛り上げた。

 

「通信機はそのまま入れとけよ」

 

「わかってる」

 

音量をあげて机の上に通信機を滑らせる。しばしの沈黙。時間が経つのが遅く感じられ、そわそわと机を指で叩く。そして長らく待たされてからようやく机の上の通信機が声を発した。

 

『今作戦に参加してくれた同志諸君。まずは参加を決定してくれたことに感謝する。たった今、我らが反連邦派の手にこの基地は落ちた!』

 

うおおおおお! と歓声が通信機の向こう側から聞こえた。

 

『かつて我らは連邦派に敗れた。けれど民主主義に基づき、公平に採択されたものであった以上は文句はつけまいと誓った。だが!』

 

息を大きく吸う音。話したかった主題に入ることを2人は直感した。

 

『あんまりじゃないか! なぜ意見を違えただけで排斥されなければならないのか! 我らは決して暴力に訴えようとはしなかった! なのに勝者たる連邦派はなにも躊躇うことなくその拳を我らが同朋に振るった! いや、それだけならまだ耐えられた! だが中立でありながら我らを庇ってくれていたオルター少将にまでその拳を向けたことを許すことなど断じてできん!』

 

爪が皮膚に食い込むぐらい、強く手を握った。自分が連邦派に囲まれて嫌味を言われて逃げ出せない時に助けてくれたのは少将だった。殴られそうになった時に一声で制止をかけたのも少将だ。立場を危ぶませることになるとわかっていただろうに、それでも少将は自分たちを守ってくれた。何の利益も義務もないはずなのに。

 

『もう我慢の限界だ! 我らは戦う! 今日が新たな独立記念日だ!』

 

先にも増した閧の声が部屋を震わせた。その声の中には何発かの銃声も混じっている。体の中の溢れんばかりの闘志がさらに高まっていくのを感じた。

 

『攻勢に出るぞ! また連邦政府の呼び寄せた日本人たちだが……』

 

演説が再び始まると閧の声も収まり、シンと静まり返る。日本人たちへの対応の指示を聞き逃すまいと一生懸命に耳を傾けた。

 

『日本人たちだが攻撃して構わない。抵抗するようなら……容赦なく射殺しろ』

 

殺せ、ということだ。だがこの言葉を聞いた者は笑っていた。実にわかりやすくていいと。

 

『我らとは別に動き出した志を共にする仲間もいる。それらと連携して欧州連邦を叩くぞ! 皆、忘れるな。これは正義のための戦いだ!』

 

再び通信機から鬨の声が高々と上がる。熱狂した叫び声はもう誰にも止められないうねりをもって動き始めた。ストッパーが壊されたことにより、その群れは止まることを知らない。

 

同時期に、ナポリ市内に踏み込まんとする集団があった。しっかりとした武装の人間がトラックの幌の中に乗り込んでいる。そのトラックの側面には欧州連邦のシンボルマークの上から大きく書かれたバツ印。そして先頭のトラックが境界を越えた。

 

また別の集団も違う地点で踏み込んでいた。こちらは先の集団よりも数が多く、トラックの車体には葉まで赤色で描かれたヤナギハッカの花。もちろん、しっかりと武装をした人間が多く幌の中に乗っている。

 

2つは元々別の集団だ。だが、共通する目的のために、互いに手を組んだのだ。

そう、欧州連邦解体という目的のために。

その目的のためには手段を辞さない集団が武装してこのナポリに集結したのだ。号砲のように市内に響き渡る一発の銃声。

 

悪夢が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈イタリア州ナポリ市内-現地時刻同日7:52〉

 

治安維持部隊に出動要請がかかった。これはただの警官隊では抑えきれない事態が起きていることを示していた。

人員輸送用車の中でカラッチアは防弾服を着込み、ヘルメットを頭にかぶっていた。内部にある無線の感度を確認してからアサルトライフルに弾が装填されていることを確かめる。

 

「カラッチア隊長!」

 

「なんだ?」

 

「実弾というのは本当ですか?」

 

「そうだ。実弾の使用許可は降りている。早く準備を整えろ」

 

「ですが! 実弾では暴徒を殺害してしまいます!」

 

冷たく言い返したカラッチアに対して部下が失礼にならないレベルで声を荒らげる。だが違う。問題は実弾を用いれば殺害してしまう点ではないのだ。もう()()()()()()()()()()()()()()()()ではなくなっている。

 

「敵は武装済みの歩兵隊だ。数はわかっていないがかなりのものらしい。奴らはもはや暴徒ではない。いいか、これは決して暴徒鎮圧などという生易しいものではない。テロリストの制圧作戦だ」

 

ヘルメット越しで部下を睨む。これは訓練でも模擬戦でもない、命の奪い合いをする実戦だ。それも相手はテロリストである。手を緩めればやられるのはこちらだ。

静かになった部下にもう一瞥もくれることなく、カラッチアは視線を落とし、思考の渦に飛び込んだ。

欧州海兵隊のクーデターに指し示したようにナポリに侵入してきた武装団体。確実に二者は繋がっていると見た方がいいだろう。つまり狙いは欧州連邦解体。つまり今回の任務は今後の欧州連邦存続がかかっているのだ。だが。

つつーっと自分の部隊の仲間たちに視線を走らせる。

彼らにこのことを知らせる必要はない。戦場において余計なことを考えている余裕などない。それは命取りになりかねないからだ。もしかしたらこの事実に気づいている者もいるかもしれないが、言おうとしないのはそれだろう。

軽く首を振ってカラッチアは思考を無理やりに止めた。これ以上考えても自分の首を絞めるだけだ。戦場に向かう覚悟をきめて面を上げる。

瞬間、前を走っていたトラックがコントロールを失い、町並みに突っ込んだ。

 

「敵襲! 敵襲!」

 

「くそっ! 全員車から降りて車体の影に!」

 

無線に向かって叫び、幌から飛び降りる。隊が全員トラックの影に隠れるとほぼ同時にばらまかれた銃弾が車体を叩く。

 

「銃撃許可! 撃ちまくれ!」

 

アサルトライフルの引き金を引きながらまたしても余計なことが頭をよぎる。

やられた! こちらの来るルートを事前に読まれていた! いや、そもそも欧州海兵隊が内通している可能性を考えた時点でナポリに配属されている治安維持部隊の規模もむこうに知られていることを検討すべきだった。規模がわかればどういった部隊配置になるか予想はつく。そのうえで移動ルートを予測された上で待ち伏せされた!

 

銃声が連続して市内に響き渡る。まだ。まだだ。ここで自分たちがやられるわけにはいかない。なんとしてもここで倒す!

 

「たっ、隊長! これでは持ちません! 奇襲でこちらの勢力は削られ、しかも囲まれています!」

 

「弱音を吐くな! ここでやられるわけにはいかん! なんとしても勝つぞ!」

 

そう返した瞬間に弱音混じりの報告をあげた部下に連続して弾が刺さり、ヘルメットのバイザーにヒビがはいった。直後、体から力が抜けた部下の男がどっと倒れる。

 

「おいっ! ……だめか」

 

体を軽く揺すって反応を確認しようと試みるが、ピクリともしない。

切り替えろ。後から死を悼め。今はここで奴らを食い止め、倒さねばなない。

交錯する銃弾が石畳や町並みを抉り飛ばす。曲がり角から顔を出したテロリストが引き金を引き、それに照準をつけてこちらも弾をばらまく。

 

「こなくそおおおお!」

 

怒気の孕んだ声をあげながらひたすらに銃弾を撃ち続ける。また部下が撃たれて琴切れた。また倒れた。また。また。

何人死んだ? 何人殺せた? どうすれば逃げられる?

 

「本部! 指示を! 現在攻撃を受けている! 至急救援を────」

 

言い終わらぬうちに、コロンと足元に何かが転がった。それは握りこぶし大くらいのサイズをした、手榴弾だった。

ぎょっとカラッチアが目を見張る。急いで飛び退ろうとするがもう遅かった。変に時間の流れがゆっくりと感じる。カッ! と手榴弾が弾けて……

全てが吹き飛ぶ前にカラッチアは思った。

 

誰でもいい。この流れを止めてくれ。誰が書いたのかわからない悪夢のようなシナリオを阻止してくれ……

 

そして彼の生命の綱はぷつりと途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈イタリア州パラッツォホテル12F1204号室-現地時刻同日12:26〉

 

《我々はここに新政権の樹立を宣言すると共に、欧州連邦からの脱退を表明する! 繰り返す、我々は……》

 

そこまで聞いて峻はテレビを叩き切った。これ以上聞くに耐えられなかったのだ。クーデターが起きてから約5時間。治安維持部隊は内部からの攻撃と外からの攻撃に耐え切れずに敗走。防衛体制は瓦解した。そして首謀者が新政権の樹立を宣言したのだ。つまりナポリは完全に押さえられてしまった。

 

この1204号室にいるのは峻だけではない。常盤含めて合計8人が額をあわせるようにして集まっていた。この状況でなにが起きてもすぐに動けるようにするためには、妥当な判断だろう。

 

「で、どうするの帆波クン?」

 

「常盤、試すような言い方はやめてくれ。どうするもくそもねえ。待機だよ。たぶんほっとけばそのうち日本からの帰還命令が出るはずだからそれに従って帰ることになるはずだ」

 

このままヨーロッパにいても日本にメリットはない。そして欧州連邦もそれは同じだ。なら、帰還命令がでることはほぼ確定事項だろう。幸いなことに護衛チームはここに残っている。安全なホテルにいて、欧州連邦が事態の収束を図るところを見守ることがベストなのだ。

 

「なんにもできないんだね、私たちには……」

 

「仕方ないよ。鈴谷たちにできる範囲を超えちゃってるんだから……」

 

艦娘は対深海棲艦に特化したものであって、対人戦用ではない。彼女たちの身を守るため以外の発砲は国際法違反になってしまう。

クーデターが起きた時点で彼女たちの範疇をとっくのとうに超えてしまっていたのだ。

 

「どれくらいかかるでしょうか……」

 

「さあな。暫定政権の宣言とかしてきた以上は欧州連邦も手をこまねいてはいないだろう。ナポリを完全に押さえている以上は少し時間がかかるかもしれんが手は打つだろうな」

 

霧島の問にどうなるかわからないという答えを峻は返す。そしてうなだれる瑞鶴たちを目の端にとめながらミネラルウォーターをがぶりと飲んだ。忸怩たる思いがあるのは峻だって同じだ。だからと言って自分に何ができる? 下手に動けば彼女たちが危険に曝される。

 

「帆波クン、艤装の方は大丈夫?」

 

「欧州海練学校にあるから大丈夫だ。あそこはプローチダ島にあるからな。島にあるからこそクーデターの手が回ってないようだ。日本から連れてきた警備員は全員で島の周りを巡回して見張っているようだか接近する船は現状ではないらしい」

 

時間の問題だとは思うが、と内心で付け加える。それは聞いた常盤もわかっている話だろう。ここはもう敵地といって差し支えないのだ。

 

峻はほの暗い部屋をぐるりと見渡す。狙撃を防ぐために分厚いカーテンが引かれて、日光が入らなくなった部屋には沈鬱な雰囲気が垂れ込めていた。

 

気分を切り替えるために、もう1度ミネラルウォーターに手を伸ばした。だが、そのボトルをとる前に大きな振動がボトルを倒した。直後に甲高くホテルに響くサイレン。

 

「伏せろ!」

 

咄嗟に叫んで近くにいたゴーヤの手を引いてベットの影に飛び込む。視界の端では常盤がテーブルを倒して霧島と若葉がその影に滑り込み、叢雲がタンスの影に瑞鶴と鈴谷を押し倒した。

爆破による振動。しかもそれなりの規模だ。それがホテルを襲った。何が原因かはわからないが狙いは明らかに自分たちだろう。

何も起きないまま時間が流れていく。そしてドアが嫌に丁寧にノックされた。

 

「失礼します。皆様、ご無事でしょうか?」

 

「……大丈夫ですよ、全員生きてます」

 

入ってきたのは護衛チームのリーダーだった。ほっとした峻がベットの影から立ち上がり、応対した。念のため、身分証明を見せてもらうが本物のようだ。

 

「どうなっていますか?」

 

「ホテルに対しての攻撃です。第一波はこちらで食い止めましたが、このあとも恐らく襲撃してくるでしょう」

 

「完全にこちらの位置がバレてますね」

 

「はい。このままホテルにいても格好の的となりかねません。ですので多少リスクはありますが、皆様を欧州海練学校へ護送します。連邦政府の方にヘリを要請してあるため、そこから別に移ってもらい、その後にご帰国という形になります」

 

「わかりました。少しお待ちください。常盤!」

 

名前を呼ぶとテーブルの影から常盤がひょっこりと出てきた。今の会話の頭さえ聞けばなにを峻が望んでいるかはすぐにわかったはずだ。

 

「はいはーい。帆波クン、本国からの帰還命令出たよ。今指示をあおったら至急帰国せよってさ」

 

「上々だ。すみません、護送をお願いします。準備にどれくらいかかりますか?」

 

「今、車をかき集めているところですので、集まり次第となりますがそう長くはなりません。ご協力、感謝いたします」

 

「いえ、こちらこそありがとうございます」

 

リーダーは丁寧に一礼すると部屋を出ていった。指示を出す必要があるのだろう。去り際に廊下をチラリと覗くと、護衛として何人かが武装して巡回していた。

 

「そういうわけだ。荷物を全部持ってく余裕はない。機密に関わるものだけ纏めあげるぞ」

 

「機密に関わるものってせいぜいあんたのパソコンくらいのものよ。私たちは特にないし」

 

艤装は機密だけど今はここにないしね、と叢雲が付け加える。どのみち欧州海練学校に行くなら回収は可能だ。そちらは問題ない。それ以前に機密やらなんなら言った時点で艦娘たる彼女たちが一番の機密になるわけだが。

パソコンを肩掛け式のカバンに入れて提げる。もう撤退準備は完了した。あとは車の準備を待つだけだ。

 

「てーとく。それ持つよ?」

 

「……悪い、頼むわ」

 

ゴーヤが肩かけカバンを指差す。ゴーヤは自分ではこの事態に対して何も出来ないと真っ先に悟っていたからこそ、せめて峻の手助けにと思っての申し出だった。そしてそのゴーヤの親切心を無碍にするつもりは峻にも毛頭ない。なによりゴーヤは信用できる。だが念を押しておくためにアイコンタクトを叢雲に取ると、小さく叢雲が頷いた。

そのことを確認した上でカバンの紐の長さを調整するとゴーヤに手渡すと、大事そうにゴーヤが受け取った。

 

「いいか、いざとなったら捨てて構わねえ。最悪の事態が起きたらぶっ壊せ」

 

「いいの?」

 

「ゴーヤの身の安全の方が大事だ。ま、余裕があったらパソコン壊してくれ。盗られていいデータじゃないことは確かだからな」

 

パソコンくらいならまた買いなおせばいい。だがゴーヤの命は一つだ。重要度が違う。

 

「失礼します。車の準備ができました。移動の準備をお願いします」

 

「行くぞ」

 

廊下に出て、護衛が数名ついた上での移動が始まった。ピリピリとした緊張感のせいで誰も口を開こうとせずに足音を忍ばせるようにそろそろと動く。こちらを狙う敵方にはホテルがばれている以上は警戒してしかるべきだ。階下の安全を確かめるために護衛が先行し、確認完了という合図が来てから階下に下りる。それを幾度も繰り返してようやく一階のホールまでついた。さっきの振動は爆発だったようだ。消火は済んでいるようだが、まだ焦げ臭さと壊れたドアなどが悠然とその惨状を語る。

 

「裏に停めてあります。こちらです」

 

ホールから裏手に回り込むようにして移動。護衛の一人が先導するチームリーダーに何かを報告するために持ち場を一瞬だけ離れた。

その一瞬を突くように、太い柱の影から子供が飛び出して列に近づいた。子供の羽織っているジャケットの下には体に巻かれた()()()()()()()()()()()

 

「危ないっ!」

 

誰かがそう叫んだ。

 

 




荒れに荒れていく欧州編、長々と続きましたがようやくクライマックスです。我ながらやらかした感が拭えないのですが、まあしょうがないよね。
これだけやってもまだ暴れる欧州編をどうぞよろしくです。

感想、評価などお待ちしております。それでは。


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無垢なる少女

こんにちは、プレリュードです!
先日、東京に行ってきたのですが、東京駅広い!迷う!
もう完全に地方人丸出しでおたおたしてました。なんで丸の内線ってあんなにわかりずらいんだ。そして1度切符を改札に入れたら終わりじゃないのか。回収し忘れて駅員さんによくあるんですよー、みたいな目で見られたよ!そして東京ではマナカって使えないのね!

警告
前回にも言いましたがグロ描写を含みます。苦手な方はご注意をば。

それでは、本編参りましょう。


〈イタリア州パラッツォホテル1Fホール-現地時刻8月12日13:09〉

 

瑞鶴は真っ先に近づいてきた子供に違和感を覚えた。別に大した理由はない。初めはなんとなく変だな、といった感じだった。

だが、妙にボコボコと角張っているジャケットの下に隠されていた爆弾を見た時、その予感が間違っていないことを確信し、叫んだのだ。

 

「危ないっ!」

 

と。そのまま近づく子供から庇うために峻を覆うようにして押し倒した。庇わなくとも峻ならなんとかしたかもしれない。だが、体が反射的に動いてしまっていた。迫り来るであろう衝撃を堪えようとしてぎゅっと目を強くつぶる。

だがいつまでたっても爆発音は聞こえなかったし、衝撃も来なかった。代わりに聞こえたのは乾いた銃声。

 

「瑞鶴、悪いがちょっと退いてもらっていいか?」

 

「えっ? ああっ! 提督さんごめん!」

 

「いや、謝ることはねえが自分の身も大切にしてくれよ……っと」

 

瑞鶴が慌てて峻の上から退くと、ホコリを叩きながら峻が立ち上がる。さっきまで勢いでとはいえ、押し倒していた事実に瑞鶴は顔が赤くなりそうになりながら誤魔化すように銃声の聞こえた方向を見る。

そして唖然とした。

 

そこには。

額に穴が穿たれ、事切れて白い大理石の床に赤いシミを作る、横たわった子供の体と。

銃口から硝煙が立ち上る9mm拳銃を構えた常盤の姿があった。

この状況を見て、何があったのかわからない者はいないだろう。文字通りに爆弾を抱えた子供が、そのスイッチを押して爆発させる前に常盤が素早く抜いた拳銃で撃ち殺したのだ。

 

「そんな……まだ子供だよ!?」

 

瑞鶴が激昂し叫ぶ。

なぜ? なんでそんなに躊躇いなく子供を殺すことができるの? 理解できないよ!

 

「なんで! なんでそんなことが────」

「うるさい」

 

怒りを滲ませた声で追撃する瑞鶴を常盤の絶対零度にまで冷えきった声が凍りつかせる。

 

「うるさいなあ。殺らなきゃ殺られてた。だから先に撃ったの。守られるだけなら口を出さないでよね」

 

感情の消えた瞳に押されて瑞鶴が半歩下がる。

 

「提督さん! 提督さんも何か言ってよ!」

 

「…………」

 

「全員が生きて帰るためには仕方ない、だよね?」

 

告げなかった言葉を常盤が続け、一瞥もくれずに外へと足を向けようとする。

 

「待ってよ! まだ言いたりない────────」

「瑞鶴ちゃん! 悪いけど今は時間がないんだ」

 

詰め寄る瑞鶴に対してあくまでも冷静に常盤が言い返す。その時、ホテルの正面入り口から武器を構えた一団が銃弾をばら撒いた。

 

「くそっ!」

 

向こうで峻は手近にいたゴーヤと叢雲を体の内側に庇うようにして太い柱の影に隠れる。常盤は若葉と霧島を連れて、瑞鶴と鈴谷を裏口に続く通路に押し込んだ。護衛チームは侵入してきた敵勢力に対してサブマシンガンで応戦を始める。さっきまで自分たちが立っていた床に銃弾がめり込み、大理石の破片を散らす。

 

『おい、常盤! 聞こえてるだろうな!』

 

「はいはいー。まずいね。足止め食らっちゃったよ」

 

『ああ。だから先に行っててくれ。どのみち二手に分かれての護送になるはずだからな。常盤』

 

「どうしたのかにゃーん?」

 

声の調子を変えた峻に比べてあくまでマイペースさを崩さない常盤。

 

『瑞鶴と鈴谷を頼むぞ。絶対に死なせるな』

 

「了解了解。帆波クンの大事な大事な艦娘をやらせやしないって」

 

「提督さん! 私はっ……」

 

『鈴谷と一緒に行くんだ。大丈夫、あとから追いつく』

 

違う。そうじゃない。常盤中佐といることが今は気まずいのだ。こんな平然と子供を殺せる人といたくない。それなのに……

 

「わかった。鈴谷たちは先に行くね。提督、後で。約束だよ」

 

『ああ。後でな』

 

そう言い残して通信は切れた。

 

「鈴谷! なんで……」

 

「瑞鶴、今は落ち着こう。気持ちはわかるから」

 

怒鳴りかけた瑞鶴は鈴谷の目を見てはっとした。鈴谷も納得はしていない。いや、この場にいる若葉も霧島もおそらくは納得できていないのだろう。それでも、もしあの状況で常盤が引き金を引かなければ、三途の川を渡っていたのは自分たちだったかもしれないのだ。

やりきれない思いで瑞鶴は柱の向こう側にいるであろう、峻たちの姿を見ようと試みたが、銃弾により削られた大理石の粉塵のせいで見ることは叶わない。

 

「……」

 

「ほら、行くよ。今は我慢の時だ」

 

裏口に停めてあるバンに乗りながら常盤が瑞鶴も乗り込むように促す。後ろに鈴谷と共に入りながら瑞鶴は胸中でこぼした。

 

ああ。

 

私は、艦娘(わたしたち)は無力だ。

 

バンは護衛の車2台に前後を挟まれながら移動を開始した。まずは船着場へ。そしてその後に船にのって欧州海練学校のあるプローチダ島を目指す。

何もできない艦娘を乗せて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈イタリア州パラッツォホテル1Fホール-現地時刻同日13:23〉

 

かろうじて通路の奥へと瑞鶴たちが消えていく姿を視認した峻は一旦、胸をなでおろした。あっちは大丈夫だろう。護衛チームは分断されてしまったが、もともと二手に別れる予定だったのだから問題はない。

 

それよりも今はこっちだ。柱に掃射された銃弾が命中し、コンクリ片を散らすと、ゴーヤが声にならない悲鳴をあげた。

 

「大丈夫。大丈夫だ。護衛の人たちが応戦してくれてるからすぐに終わる」

 

「で、でも……」

 

「なんとかなるさ。ほら」

 

銃撃の間を縫うように護衛のうち一人が走ってきた。全速力で駆け抜けて、前回りの要領で峻たちの隠れている隣の柱に転がり込んだ。

 

「ここは別のチームで食い止めます。皆様はこちらへ。道は私たちが作ります」

 

ポリカーボネートの盾を持ち出したらしい。護衛数名が盾を持ちながら並び、安全地帯を作り上げる。

 

「行くぞ。頭は低くしとけよ」

 

「了解」

 

「わ、わかったでち」

 

先導されながら、姿勢を低くして盾の後ろを駆け抜けると叢雲とゴーヤがあとに続く。

次の柱の影に滑り込むと、また盾を持った護衛たちが移動し、道を作る。できた道を駆け抜けて、また次の物陰に。銃撃の隙間を見ては走ることを繰り返す。

 

「はあ、はあ、はあっ……」

 

「ゴーヤ、大丈夫?」

 

「うん……」

 

息の上がっているゴーヤに叢雲が声をかける。だが、あまりのんびりしている余裕はない以上は、次の物陰に渡るまでに息を整えてもらうしかない。

 

「あと少しだけ頑張ってくれ。車に乗ってしまえば一息つけるはずだ」

 

「頑張る……」

 

「頼むぜ。それ、次だ。走るぞ!」

 

ゴーヤの背中を優しく叩いて、先に送り出してから影から飛び出した。ポリカーボネートの盾に弾が当たる音が生々しく響く中を裏口へと続く通路に向かってひた走る。

 

「ふぅ。ゴーヤ、よく頑張ってくれた。ありがとな」

 

深海棲艦との戦闘とは違った緊張のせいで、通常よりも体力の消耗が激しいのだろう、ゴーヤを労う。そして、さっきまで自分が走ってきた道を見ると、すぐに叢雲も通路に駆け込んできた。

 

「お疲れ。問題ないか?」

 

「ええ。かすり傷ひとつないわ」

 

「そいつは重畳だ」

 

怪我がないに越したことは無い。先に行かせた瑞鶴たちは無傷で行けたはず。そしてこちらも無事に怪我なく裏口まで行けそうだ。

まだホテルのホールでは銃声が響き続けている。銃撃が始まった時、まだホールに人はいた。一体何人が犠牲になったのだろうか。聞こえているはずの悲鳴に聞こえないふりをして走り続ける。

 

「皆様、こちらです。車の手配は既に完了しました」

 

「常盤たちは?」

 

「常盤中佐は先に護送を開始しております。お急ぎ下さい」

 

裏口の戸を潜り抜けると目の前に停まっていた4ドアの後部座席にゴーヤを乗せ、その後に峻、叢雲と続いて乗り込んだ。

 

「出してください!」

 

「わかりました。おい、出せ」

 

「はっ!」

 

シートに体が押し付けられる感覚と共に車が急発進した。前と後ろに一台ずつ車が付き、ホテルから出発した。これでパラッツォホテルも見納めとなるだろう。たった一ヶ月間ほどの滞在だったがなかなか居心地はよかった。こういう形になったのは残念だ。

街路樹のない、赤いレンガの町を三台の車が統率された動きで進み続ける。石畳の段差による揺れがダイレクトに車にくるが、柔らかいシートがその震動を殺す。

赤レンガの町並みが峻の目にはひどく憎らしげに映った。

 

「みんな無事かなあ……」

 

「今のところ瑞鶴たちの方から連絡は来てない。大丈夫だ」

 

「ううん。そうじゃなくって訓練生のみんな。やっぱり心配だよ……」

 

「……彼女たちもおそらくシェルターか何かに避難してるはずだ。きっと大丈夫だから、な?」

 

「うん……」

 

気休めにしかならないことはわかっている。だがゴーヤに下手な心配をかけたくなかった。今は自分の身を守ること以外を考える余裕はないため、そういった思考に囚われてしまうことだけは避けなくてはいけない。

 

「……不気味なくらい静かだな」

 

町が一時的に占領されているせいだろう。占領されてしまったからこそ、戦闘はもう落ち着いているのだ。ついさっきまで友好国の領土だった場所は、もう敵地だった。

 

人っ子一人いない静まり返った町をただ進む。プローチダ島にある欧州海練学校に行くための船着場へ向かって。

 

そしてなんの予備動作もなく、運転手が頭部から脳漿を撒き散らしてハンドルに倒れ込んだ。静かだった町にクラクションの音が喧しく鳴り響く。

 

「ひっ」

 

「頭下げろ!」

 

怯むゴーヤの頭を無理やり押さえつけ、対ショック姿勢を取らせた。運転手が死亡したことにより、車がコントロールを失い、建物に向かっていく。だが、ぶつかる前に車体がガクンと減速を始め、無理やりハンドルが切られて、街角で車は停車した。

助手席に座っていた護衛がサイドブレーキを引き、死んだ運転手の体を退けるとハンドルを切り、衝突を回避したのだ。

 

「狙撃です! 皆様、急いで……」

 

その言葉の続きが紡がれることはなかった。フロントウィンドウに穴が空き、助手席に座っていた護衛の頭から鮮血が噴出する。

 

「車の中にいたら格好の的だ! 車外へ急げ!」

 

ドアを半ば蹴破るように開け、狙撃手から見えないであろう位置取りで車の影に隠れる。追撃するように飛来した弾が車内のシートに穴を開けた。

影に隠れると同時に、峻たちを囲むように護衛の車が停車した。それと同時に連続した銃声。分隊クラスの人数はいるであろう襲撃側が撃ってきたのだ。

 

護衛が襲撃者たちに対して、峻たちを囲むようにしながらサブマシンガンで応戦を始めた。

 

「こちらベータ班! 応援求む。繰り返す、応援求む!」

 

「護衛対象の保護を優先しつつ、敵対勢力を撃滅せよ」

 

鳴り続ける銃声の中で護衛が一人、額に穴が空き、どっと倒れ込んだ。保持していたサブマシンガンが地面に落ちて、くるくると滑ると動きを止めた。

 

そしてまた一人撃たれた。

 

また一人撃たれた。

 

明らかに狙撃されている。彼らは車を盾にして銃撃していた。敵の攻撃は当たりにくいはず。それにも関わらず見事なまでのヘッドショットが連続しているのだ。このままでは……

 

また一人死んだ。また。また。

 

銃撃の合間に小さく、だが確実に聞こえてくる人が倒れる音。

車体に連続して鉛玉が当たり、車体の軋む嫌な振動がダイレクトにもたれた体へ伝わる。

 

「てーとく……」

 

「あんた……」

 

「ああ……わかってるよ……」

 

護衛は全滅していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈イタリア州港湾部施設-現地時刻同日14:45〉

 

先に出発していた鈴谷たちは特に何も起きる事はなく、無事に船着場へと到着していた。

船の準備が完了するまで建物の中で待機しているだけ。そんなに長い時間はかからない。なのに異様なまでに時間の進みが遅く感じる。落ち着かない。

それは隣に座る瑞鶴も同じようで、さっきからそわそわしながら、たまに後ろ髪引かれる様子でチラチラと外を見ている。

 

「やっぱり気になるよね……」

 

「うん。提督さんたち遅いよね」

 

そろそろ着いてもおかしくはないはず。それにも関わらず、峻たちを乗せた車は一向に船着場へ到着する様子はない。

 

「瑞鶴、ちょっと歩かない?」

 

「えっ? でも建物から出たら……」

 

「うん。だからほんとにここら辺を歩くだけ。建物からは出ないってば」

 

「そういうことなら……」

 

落ち着かないことを誤魔化したくて瑞鶴を誘いながら立ち上がる。鈴谷たちの会話を聞いていた常盤は一瞬だけ目線を向けたが、すぐに正面に戻した。鈴谷はそれを許可だと解釈し、部屋の中をぶらぶらと歩き始めた。

 

「とんでもないことになっちゃったなあ……」

 

「館山で提督さんにヨーロッパへ行くぞって言われた時はこうなるなんて思いもしなかったもんね……」

 

特に目的があるわけでもなく、部屋の中をさまよう。どんよりとした雰囲気で歩いても気が晴れるわけがなかった。

ドアの前まで歩いて約一周したことに気づいた。結局モヤモヤとしたものは心の中に留まり続けてしまって消えない。

 

「ね、ねぇ。鈴谷……」

 

「ん? っ! 瑞鶴大丈夫!? 顔真っ青だよ!」

 

「い、今……扉の向こうで……」

 

「ともかく一旦座ろう? 落ち着いてから、ね?」

 

「う、うん……」

 

瑞鶴の手を引き、ふんわりとしたソファに座らせた。何度か深呼吸をすると顔色は幾分か戻っていく。

 

「瑞鶴、何を聞いたの?」

 

「……提督さんたちの護送中に襲われて、護衛チームとの連絡が途絶したって…………」

 

「そんな!」

 

鈴谷は我が耳を疑った。わずかな思考の空白が生じた後にようやく事態を呑み込んだ。この事実が示すことはつまり……

 

「提督たちが危ない!」

 

護衛が全滅しただけで峻が死んだという情報はない。だがこのままいけば時間の問題だ。現在進行形で襲撃されているということはまだあの恐ろしい銃撃に晒されているということだろう。

 

「鈴谷……」

 

「行かなきゃ!」

 

「うん。提督さんたちを助けなくちゃ!」

 

「はいはーい、そこまでにしよっか」

 

助けに行こうとした鈴谷たちを遮るように常盤がドアの前に立った。

 

「常盤中佐! 邪魔しないでよ!」

 

「鈴谷ちゃんこそ何をするつもり?」

 

「提督たちを助けに行くの。このままじゃ死んじゃうよ!」

 

「帆波クンのことかな。確かに大変みたいだね」

 

「大変どころじゃないよ! 提督さんは……提督さんは今、襲われているんだよ!?」

 

「うん、知ってる。さっき護衛の人に耳打ちされたからね。救援を送ってるとこだって教えて貰ったよ」

 

「なんで……じゃあなんでそんなに落ち着いていられるの!?」

 

提督が襲われているのに関係ないっていうこと? それだけじゃなくて提督に勝手に死ねって言いたいの、この人は!

 

自分の提督を蔑ろにされた怒りで鈴谷の頭が沸騰する。 瑞鶴もさっきまでの青い顔はどこかへ、頭から湯気が出そうだ。

だがそんな2人を常盤はどこか冷めた目で見ていた。

 

「逆に聞くけど、()()()2()()()()()()()()()()()?」

 

「それは……」

 

「何も出来やしないよ。それなのに助けに行く? 笑わせないで欲しいね。帆波クンは今、叢雲ちゃんとゴーヤちゃんの命を背負いながら戦ってる。それなのにまだ重荷を背負わせるつもりかな?」

 

常盤の目線が2人を射竦める。それだけで、まるで足から根が生えたように動けない。でも引き下がるわけにはいかない。

 

「常盤中佐、さっき鈴谷たちはあの場で言うことを聞いたよ。今度はこっちの言い分を聞いてくれてもいいんじゃない?」

 

はあ、と大袈裟なため息を常盤が吐いた。

 

「そういう問題じゃない。もうこの事態はそんな次元をとっくのとうに超越してるんだよ。わっかんないかなあ?」

 

じゃあ、と前置きして常盤がゆっくりと口を開く。

 

「はっきり言うよ。君たちが行っても帆波クンの足手纏いにしかならない。何の役にも立たずに死ぬか、死なずに帆波クンに守られて、守るために無茶を続けるしかなくなった彼の生存率をガタ落ちさせるだけだ。それでもどうしても行きたいって言うなら、ほら」

 

鈴谷たちの足元へ常盤が何かを放った。鈴谷が重々しい金属的な音を立てたそれを見ようと視線を落とすと、そこには真っ黒な9mm拳銃が転がっていた。

 

「アタシは君たちが帆波クンを助けに行くことを止める、言うなら君たちの敵だ。()()()()()()()()?」

 

思わず唾を飲み込んだ。目の前にある拳銃から目が離せない。人間を殺すための道具を手に取れと常盤は言う。だがそれを手に取ることは鈴谷たちの誇りを汚すものだ。

 

「取れないんだね? じゃあ行くな。行っても帆波クンの足枷になるだけだ」

 

「でも!」

 

「じゃあここでそれを取ることすら出来ない鈴谷ちゃんが行って何が出来る?」

 

鈴谷が顔を苦しそうに歪める。常盤は鈴谷たち艦娘が今現時点において無力だという事実を真正面から突きつけたのだ。

無言の鈴谷を前に常盤が嗤う。

 

「断言するよ。鈴谷ちゃんたちに彼は救えない。邪魔になるだけだ」

 

「鈴谷は提督さんたちのことを心配してるだけなのにそんな言い方ってないよ!」

 

「こうでもしなくちゃ瑞鶴ちゃんたちは止まらないでしょ? ほら、船の準備が完了したみたいだし行くよ」

 

足元に転がったままの拳銃を常盤が拾い上げると、ホルスターに収めて移動のために用意された船に向かう。

 

「仕方ないよ。私たちにはもう、どうしようもないんだ……」

 

「だけど……見捨てるみたいじゃん…………」

 

「大丈夫。提督さんなら絶対に大丈夫だから。ゴーヤはこういう時、少し頼りないかもだけど、叢雲もいるんだし、ちゃんと無事に来てくれるよ」

 

空元気により、無理やり立ち直った瑞鶴が鈴谷の肩を抱く。瑞鶴だって心配なことに変わりはない。けれど今の鈴谷を目の前にして、少し冷静になっていた。

 

「信じて待とう。絶対に来てくれるから」

 

「…………うん」

 

待つことしかできない。そんな歯痒さを堪えて船へ足を向ける。乗り込むと、そこには常盤が待ち受けていた。

 

「キツい言い方しちゃったね。でも2人はこの件に関して気に病むことはないよ。これは君たちの戦場じゃないんだから」

 

お呼びでないことはわかっていた。自分たちの戦いとは全く異なるものだということも。でも。だからといって仕方ないで切り捨てることが本当に正しいことなんだろうか。

適材適所だからと自分に言い訳して、誰かに押し付けることが正しいと本気で言えるだろうか。

ゆっくりと離れていく陸地を見続けながら、鈴谷は峻たちの無事を祈った。

 

────祈ることしかできなかった。




艦娘は対人戦闘において無力であるというより無力であろうとするのではないかと個人的にはちょこっと思ってたり。ぶっちゃけ艤装つけてたら余裕だと思うんですよ。だって軍艦と歩兵1人じゃどっちが勝つかなんて火を見るより明らかじゃないですか。でもやらないのは人を守るという誇りを汚したくないのかなあ、と。まあ本編とはあまり関係ないお話なんですけど。

感想、評価などお待ちしております。それでは。


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殺意の奔流

こんにちは、プレリュードです!
台風がすごいですが自分は元気です。ぶっちゃけると暇なのです。

警告
今回もグロテスクな描写を含みます。苦手な方はブラウザバックを推奨です。
何度も警告をしてすみません。

では本編参りましょう。


〈イタリア州ナポリ市内大通り-現地時刻8月12日-14:11〉

 

背中越しにアイドリングの振動と車に当たる銃撃による振動とが混ざり合う。

硝煙と、鉄臭い血の匂いが否応なしにここが戦場だと峻に意識させた。

 

周囲を確認。もう何度もした。だが、護衛が全滅したという事実は変わることが無い。

 

『ベータ班、応答するんだ。今どうなっている。応答を』

 

通信機が何度も返事を求めるが、その通信機を使っていた護衛はこめかみに穴が空き、赤い液体がとめどなく流れていた。

 

もう応戦できる護衛はいない。こちらからの銃撃が途絶えた以上は、直に近づかれて蜂の巣にされるのがオチだ。

 

「お前ら、しっかり頭下げとけよ」

 

「てー、とく?」

 

すぐ側で事切れた護衛が手に持っているサブマシンガンを拝借。まだ死んで間もないため、死後硬直が始まっておらず、指を外すのは楽な作業だった。付着した血液を拭い、軽く構える。

 

「SMG……火力は低いが無いよりかマシだな」

 

肩に当てて、頬付けしてから立ち上がる。狙いをつけるというよりも牽制としてばら撒くことを重視して引き金を引いた。狙撃されないようにすぐに車の陰に隠れ、また立ち上がると接近しようとする一団に向けてSMGを撃つ。薬莢が石畳に落ち、あらかた撃ちつくすと、別の護衛の死体からSMGを拾い、再び陰に隠れる。しゃがみこむとアドレナリンにより心臓が激しく脈打つ音が聞こえ、息を整えた。

伏せている叢雲とゴーヤに目をやると、叢雲が9mm拳銃のスライドを引き構えていた。

 

「叢雲、何もするな」

 

「でも!」

 

「それじゃあ押し切られる。それに馴れてないだろ」

 

いくらトランペットの経験者とはいえ、たった一度だ。それだけでは場慣れしているとはとても言えない。

 

「応戦は俺がやる。ゴーヤ、大丈夫か?」

 

「う、うん」

 

「叢雲、ゴーヤのこと見てやってくれ」

 

それに青い顔をしているゴーヤにフォローを入れる必要があった。だが峻は戦闘でそこまでは手を回している余裕がない。唯一この場の空気に中てられておらず、そして冷静に動くことが可能であるのは叢雲だけなのだ。

 

「……わかったわ。あんたこそ、そっちは任せるわよ」

 

「ああ。後続の護衛チームが到着するまでなんとしても持たせるさ」

 

頬付けして銃撃。自分の近くに敵方の弾が当たり始めた瞬間、すぐに体を引っ込めてまた別の所から飛び出し、銃撃を繰り返す。

自分がやらないで誰がやる。2人を守るためには俺がやるしかないんだ。殺させてたまるものか。もうあんな思いはしたくないから。そのためならこの手をまた血に染め上げることすら厭うものか。

 

遠くでテロリストが一人、血を噴き上げてどっと倒れた。まずは一人。だがまだ一人だ。数はまだいる。無機質な銃声を響かせてただひたすらに時間を稼ぐ。何分経っただろう。まだ後続が到着する様子はない。

 

急げ。早くしてくれ。

 

弾切れになったSMGを捨てて車の陰から躍り出た。護衛の死体に向けて走り、素早く武器を回収。そのまま別の車の陰に飛び込み、すぐに他へ移ると叢雲たちのいる車へと駆け込んだ。

 

「あんた大丈夫なの?」

 

「問題ない……ってのは強がりだが今のところはなんとかなってるな」

 

時間の問題だが、と内心で付け加える。護衛チームが着くのが早いか、テロリストどもが殺しに来る方が早いか。

緊張で口の中が渇く。いつぶりかの感覚にじっとりと汗が滲んだ。何かに耐えるように奥歯を強く噛み締める。

 

だがそんな峻のことなどお構い無しに鉛の雨は車体を叩く。そしてピシッという嫌な音が峻の鼓膜を微かに揺らした。直後に鼻腔を刺すようなツンとしたガソリンの匂い。背中越しに感じていたアイドリングが唐突にピタリと止まった。

 

「走れ!!」

 

SMGを投げ捨てて、震えているゴーヤを右手で抱えあげると、駆け出した。叢雲を先行させながら路地裏へ向かって全速力で走り続ける。

あと少しで、というところで左肩に焼きごてが当てられたような鋭い痛みを感じて顔をしかめる。だが、その痛みを無視してそのまま路地裏へ右に抱えたゴーヤと共に飛び込んだ。

峻たちが飛び込んだのとほぼ同時に、さっきまで峻たちが隠れていた車が爆発した。爆風が衝撃となって空気をビリビリと震動させる。

車から火柱が屹立し、空を燻す。あと少しでも遅ければあの車と同じ末路を辿っていたかもしれない。そう思うと背中に冷や汗がどっと流れた。

石造りの壁にもたれて荒い息を吐く。銃声はまだ鳴り止まない。何も終わってなどいないのだった。

ホルスターからCz75を抜き、スライドを引いて弾を装填した後に両手で構え、銃口を下に向ける。左腕を動かす度に肩が疼き、眉をひそめた。

 

「っ!」

 

「あんた、左肩!」

 

「血が……出てるでち」

 

「掠っただけだ。大した事はねえ」

 

軍服の左肩が赤黒い液体で染まる。恐らくは走っている時に、銃弾が命中したのだろう。だが痛みに呻いている余裕はない。それに少し掠っただけなら動かすこともできる。角から体を出してCz75を連射。5発ほど撃ってからまた路地裏にひらりと舞い戻る。再び別の車が爆発したため、迫り来る熱風から身を守る必要があったのだ。黒煙が路地裏の入り口付近まで襲来し、一時的に銃撃を諦めた峻が壁にもたれこんだ。石のひんやりとした感覚が熱っぽい傷に心地がいい。

 

「お前ら無事か?」

 

「私もゴーヤも無傷よ。ていうかあんたが大丈夫なの?」

 

「そうだよ! てーとく、肩撃たれてるんだよ!?」

 

「心配すんな。大したことはねえよ。こんぐらいなら死にゃしねえ」

 

「そんなら全員地獄へ叩き込んでやるぜ!」

 

もうもうと立ち込める黒煙の中からヘルメットを被り、アサルトライフルを持った男が2人、突如姿を現した。刺すような殺気に肌が粟立ち、寒気が背中を通り抜けた。男2人が構えるアサルトライフルの銃口がこちらに向けられて人差し指がトリガーを……

 

瞬間、峻の中で何かが弾け飛んだ。

 

「させて……たまるかあああああ!!」

 

肩の痛みを無視して、峻の左手が男の人差し指の動きよりも早く跳ね上がり、Cz75がマズルフラッシュと共にパラベラム弾を2発吐き出した。撃ち出された弾は峻の狙い通りに真っ直ぐ男たちの構えるアサルトライフルの機関部へと吸い込まれていく。そしてようやく男たちの人差し指がトリガーを引ききった。

だがその銃口から弾は出なかった。脆い機関部を正確に撃ち抜かれ、内部が歪んだため、詰ま(ジャム)ったのだ。

 

「くそっ、弾が出ねぇ!」

 

トリガーを無意味に引き続けるが詰まっている以上、弾が出るわけが無い。その間に峻が右手を腰に装着されている革製の鞘に伸ばして、コンバットナイフを引き抜いた。

 

「ゴーヤ!」

 

叢雲がこれから起きることを予感して、ゴーヤの頭を抱き寄せ、直接見せないようにする。それで正解だった。叢雲はまだ、見慣れている。けれどゴーヤは慣れてなんかいないのだから。

 

右手に逆手でナイフを握り、男の懐へ峻が飛び込んだ。慌てたように振り下ろされたライフルのストックを蛇のようにぬるりとした動きで躱すと、右手を一閃。男の喉笛をナイフが掻き切った。

鮮血が迸り、峻の服や顔を紅く染める。路地裏に血の匂いが回り、口の中は鉄臭い味に占領される。だが止まらない。隣に立つもうひとりの男に向かって峻が突進していく。

 

Fuck(くそったれ)!」

 

野太い声で罵りながら男がナイフを抜き、勢いよく突き出した。白刃が峻の胸の中央に向かうが、それを防ぐように峻のナイフが弾いた。金属どうしがぶつかり合って火花が散り、甲高い音が路地裏に反響する。その衝撃でお互いの右手が弾かれて体の後ろに下がる。

けれど峻は止まる事なく、左手が素早く持ち上がり銃のトリガーを引いた。飛び出した凶弾は直進して男の右目を貫き、後頭部から突き抜けて血飛沫を散らす。操り人形の糸が切れたように力ががくんと抜けて、男が後ろにどっと倒れ込んだ。主人を失ったナイフがあらぬ方向へと虚しく消えていく。あとに残ったものは2人の成人男性の死体と機関部を撃ち抜かれて使い物にならなくなったAK-47が2つのみ。

 

「ちっ。カラシニコフかよ」

 

峻は苛立たしげに口内の液体を唾液と共に吐き出し、ナイフを真横に勢いよく振って付着した血液や脂肪を吹き飛ばした。軽く拭いてから腰の鞘にナイフを収めて、ようやくはっと我に返る。

やりすぎだ。武装を破壊した時点で殺しまでする必要はなかった。せめてやるにしても、締めあげた上で意識を落とすだけで充分だった。

 

「あんた」

 

「…………」

 

「顔。拭いときなさい」

 

「あ、ああ……」

 

袖で顔に飛んだ血をぐいと(ぬぐ)う。だが心の中に渦巻くものを拭うことは出来なかった。

幸いなことに、察した叢雲がゴーヤの頭を抱えて直視させないようにしてくれたようだ。

 

「まだ終わってないわよ」

 

「わかってるよ」

 

SMGを失ったのは痛いが、まだ手元には愛銃たるCz75が残っている。なんとか進撃を食い止めて多少の時間を稼ぐことくらいなら、厳しいができなくもないはず。

 

「うん、やっぱり私も出るわ」

 

9mm拳銃を構えた叢雲が峻の後ろに屈むように立ち、角から顔を出さないようにして慎重に敵の動向を伺う。

 

「なりふり構ってる場合じゃないでしょ」

 

「……まあ、な」

 

「何も出来なくてごめんでち…………」

 

「気にすんな。むしろ出来ないことが普通だ。それよりそのパソコン、ちょっと寄越してくれ」

 

「……? はい」

 

「さんきゅ。それじゃ、そいっ!」

 

Cz75の引き金を連続して引き、地面に置いたパソコンが破壊されていく。

 

「えぇっ!? よかったの!?」

 

「ただの荷物になった以上はいらん。大丈夫だ、代えぐらいはどうとでもなる」

 

穴だらけのパソコンを下水道に蹴りこむ。惜しい気持ちが無くもないが生存率を下げるよりはましだ。パソコン1台と3人の命。天秤にかけるまでもない。

 

「さて、やるか」

 

角から半身を出してトリガーを引く。その動きに合わせるようにして叢雲もひたすらに撃ち続けた。適当なタイミングで路地裏に体を入れ込み、霰のごとく撃ち込まれる銃弾を避ける。石造りの建物に鉛弾がめり込み、あるいは抉り飛ばしていき、破片が空を舞い落ちる。飛ばされた破片が峻の頬の皮を浅く切り裂き、血が一筋流れ落ちた。

 

もう限界だ。今のまま状況を維持し続けた上で時間を稼ぐのは苦しすぎる。

 

「こりゃ逃げの一択か……」

 

「ずいぶんと弱気じゃない」

 

「弱気にもなるさ。せめてここが海外(そと)じゃなけりゃなぁ……」

 

暢気に愚痴っているように見えるかもしれない。だが峻は内心では舌打ちの連続だった。国内ならば多少の融通は効いた。だが国外となればそうもいかない。

 

「くそっ、弾切れかよ」

 

弾を撃ち尽くしたのだろう、Cz75がホールドオープンになっていた。ポーチから新しいマガジンを引き抜くと、叩き込んでからスライドを引いて弾を装填して構え直す。そして使い終わったマガジンをポーチに戻そうとした時に気づいた。

もう予備のマガジンが残っていない。これでは打つ手なしだ。

 

万事休す。逃走したいところだが、車がなければすぐに追いつかれてしまう。走って逃げるなどは言語道断だ。こちらはイタリアの地理に疎く、向こうは地元というだけあって恐らくは詳しいのだろう。そんな大きすぎるハンデを抱えた状態で撒くことは難しいというより、もはや不可能だ。

ぎりりと奥歯を噛み締める。もうどうしようもないのか。やるしかないのだろうか。

 

目の光がすっと落ちて頭の中で何かがまた弾け飛んで切り替わる。だらりと全身の力が抜けて、いわゆる自然体になると、右手がゆっくりと腰に伸びていく。

だが、その右手がナイフの柄に触れる前にことは起きた。

 

けたましいスキール音を撒き散らしながら黒塗りの車が数台、大通りに乗り込んだ。助手席の窓が開き、銃口が覗くとそれら全てが一斉に火を噴いた。しばらくの間、黒塗り陣営とテロリストとが互いに銃声をかき鳴らし続けた。

 

「ホナミさんですね? 遅れて申し訳ございません。ここからあとは我々、護衛チームにお任せ下さい」

 

「……はい。よろしくお願いします」

 

峻の目に光が戻り、ふっと短く息を吐いた。裏路地の外に車が止まり、入れと促すように後部座席のドアが開いた。

 

「お怪我を……すみません。我々の力不足で……」

 

「大丈夫ですよ。大した怪我じゃないですから」

 

「後で手当をさせていただきます。どうぞお早く」

 

「わかりました。叢雲、ゴーヤ。行くぞ」

 

新しい車に3人で峻を挟むようにして乗りこんだ。ドアが閉じられてすぐに車が滑らかに発進してからようやく安堵した。両隣から確かな命の温かさを感じて張りつめていたものが少しだけ緩む。

 

「っ…………」

 

「てーとく大丈夫なの?」

 

「左肩が今更になって痛んできてな。だがまあ安心してくれ。あんだけ動けたんだから本当に大したことはねえよ」

 

あの時はアドレナリンで無理やり乗り切っていたことは否めないが、実際は弾が肩を貫通しているため、見た目は酷いが骨に大きなダメージはない。数日程度ちゃんと安静にしていればすぐに治るレベルだ。きちんとした手当をするまでの繋ぎとして、傷口に服の上からハンカチを当てるだけの簡単な応急処置を施す。

 

「2人とも怪我はないか?」

 

「こっちは大丈夫よ」

 

「ゴーヤも大丈夫」

 

「ならよかった」

 

無事らしい2人を見てから目線を少しだけ落とした。時間が経って今なお、左肩の撃たれた痛みより、右手の喉笛を掻き切った時の生々しい感触が強く残り続けていた。本当にいつぶりかの感触だ。もう経験することなんてないものだとばかり思っていた。そう願っていた。

 

「逃げられないもんだな……」

 

誰にも聞こえないように後部座席で峻が小さく呟いた。

 

「あんた、肩見せなさい。ハンカチ変えた方がいいわよ」

 

「っ! 触るな!」

 

上着を脱がせようとした叢雲の手を反射的に峻は払い除けた。呆気に取られた様子の叢雲を見て峻ははっとした。

 

「わ、悪い。ちょっと気が立ってた」

 

「……本当に大丈夫なの?」

 

「あ、ああ。大した事はねえよ。悪かったな。叩いちまって」

 

「別に……あんたの怪我が大丈夫ならいいんだけど」

 

叢雲が窓の外に視線を外し、気まずい沈黙が流れる。咄嗟の事とはいえ、差し伸べられた手を払い除けたのは良くなかった。

左の二の腕を軽く右手で握る。ハンカチからしみ出した血液が服に垂れて生暖かい。

 

「そういえば常盤たちは今、どこにいますか?」

 

「一足先にプローチダ島にご到着されています。安心してください。あちらは襲撃なども特になく、全員が無事です」

 

「そうですか……よかった」

 

瑞鶴たちは切り抜けられたらしい。今頃は首を長くして待っているだろう。先に行った瑞鶴たちが襲われなかったのは単純に運がよかったのか。こちらとは別のルートで護送されているため、純粋にハズレを引かされたのが自分たちだったというわけだ。

 

「ま、向こうもこっちも無事ならいいさ」

 

小さく言いながら手に持ったままだったCz75をしっかりとセーフティがかかったことを確認してからホルスターに収めた。この銃に命を救われたのはもう何度目だろうか。長らく使い続けているせいか手に馴染み、クセなども全て把握しているのもあるだろう。そっとホルスター越しに冷たく黒い金属を撫でてから上着を戻すとショルダーホルスターが覆い隠されて見えなくなった。

 

視界に入る自分の上着は返り血でかなり赤黒く染まっていた。あれだけの至近距離で敵の喉元を抉れば当然だ。

それにしても、だ。

 

やってしまった。あの時にも思ったことだがやりすぎもいいところだ。結局のところ俺は何も変われてない。本質は怯えて力を無為に振るうだけの獣だ。恐怖に震えて殺し続けた臆病者。自らが手を下した者たちの上げる怨嗟の声から耳を閉じて目を背けた軟弱者。

 

そんな俺のことが。

 

 

 

 

 

──────俺はたまらなく嫌いだ。

 

 

 

 

 

俯いた峻の表情に影が差し、明るい茶色の瞳がゆっくりと閉じられた。こうしてまた目を背けていく。出来ないと分かっているはずなのに。




…………はい。やらかした自覚はあります。
知ってるか? この章、深海棲艦が1回しか出てきてないんだぜ? しかもヨーロッパでは影も形もない。
ほんとにこれは艦これなのか?と思ったそこのあなた。大丈夫です。書きながら自分も思ってます。

感想、評価などお待ちしてます。それでは。


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2人の狂者

こんにちは、プレリュードです!

明日から秋刀魚漁ですね。またかよっ! って突っ込んだ人は自分だけではないと思いたいのですが、いますかね? 秋刀魚漁に関して自分は前回はほとんど参加出来なかったので、今回は少しくらいできるといいんですけど。秋刀魚、おいしいよね。塩焼きもいいけど秋刀魚ご飯もいける。

さて、本編参りましょう。


 

〈イタリア州プローチダ島-現地時刻15:23〉

 

峻たちが市街地で銃撃戦をしていた頃、常盤たちは先にプローチダ島に到着していた。心配そうな面持ちの瑞鶴たちとは対照的に鼻歌でも歌いだしそうな常盤が島へ最初の一歩を踏み出すと、桟橋で待っていた日本の警備が駆けつけた。

 

「ご無事で何よりです、常盤中佐」

 

「ん。ここの状況は?」

 

「現在は警備が総出で島を巡回していますが、広い島なので一部は欧州連邦の警備に頼っています」

 

「了解了解。ほら、瑞鶴ちゃんたちも来なよ」

 

恐る恐る瑞鶴たちが桟橋に足を踏み入れる。海で隔たっていたおかげが、ここまではクーデターの戦火は回ってきていないようだ。だが対岸の火事、というわけではない。ナポリが占領された状況が続けばいずれはテロリストの魔の手は海練学校へと伸びていくだろう。それまでにはなんとしてもここを離れてより安全な場所へと逃げる必要がある。

 

「遅いなぁ、帆波クンは。まだ手こずってるのかな?」

 

「護衛チームが全滅してピンチなのによくそんなこと平然と言えるね」

 

「棘があるなあ。瑞鶴ちゃん、そういうときは無感情に言った方が相手には効くよ? まだまだだねー、そこら辺は。もっと帆波クンにしごかれるといいよー」

 

そういった話術は峻にとってはお手の物だ。相手を徹底的に煽るスキルなどはどこで使うんだよ、と思われやすいが以外と使い道があるものだったりする。実際はそれを艦娘に向かって使ったことは無いため、瑞鶴たちがしごかれることはないだろう。

 

校門をくぐり抜けて海練学校へと常盤が入り、後ろに続くようにして若葉と霧島が入っていった。

 

「瑞鶴、鈴谷たちも行こう」

 

「そう……だね。きっと大丈夫はずだから」

 

後ろ髪引かれる思いで瑞鶴たちも学校に踏み込んだ。短い期間とはいえ、ここで教えているため、もう何度目だろうと言うぐらいに慣れた道筋のはずだった。歩きなれた廊下にいつもの教室。そんなありふれたものが今日は特に異質なもののように目に映る。

待機用に用意された部屋に入ると、中には日本から連れていた技術士官が既に座っていた。立ち上がり、敬礼しようとするのを常盤が軽く制して座らせる。

 

「警備は島を巡回しているから中にはいないね。外だけで人数的に限界だったかな?」

 

「司令の言う通りみたいですね。ですがまだこの島は無事なようですし、内部の安全が確認されているならば外からの接近を警戒することは妥当な判断かと」

 

「確かにね。とにかくゆっくりと帆波クンたちが着くのを待とうか」

 

「帆波大佐は本当に大丈夫なのか?」

 

表情筋を一切動かすことなく若葉が常盤に尋ねる。だがその言葉を常盤はケラケラと笑い飛ばした。

 

「あれを心配するのは余計なお世話ってやつだよ。実際、帆波クンはかなり色んなところで手を抜いてるから軽く見られがちだけど、本気になったらヤバいよー」

 

軽く見られた実例が矢田の件だ。そのツケを矢田は結果的に自らの命で払わされたわけだが。

 

「でも私たちは提督さんのことを侮って見たりはしてない!」

 

「だろうね。じゃなきゃあ普通、ウェーク島の時に付いてこうなんて思わないよ。でもアタシが言ってるのはそっちじゃない。彼自身の強さの話だよ」

 

「うん、提督は強いよ。たまに演習場で体術の相手とかしてもらうけど勝ったことある人ほとんどいないもの」

 

「そっかー。でもさ、それホントに帆波クンが全力だと思う?」

 

へらへらと常盤は笑う。この人は何を知っている? なんでこんな表情が浮かぶのだろう。

 

「海大の頃から思ってたんだよねー。どこか手を抜いてるって。うまーいことやってたから気づいてた人なんてほぼいなかったけど、彼は絶対に何か隠してるよ。これは保証してあげる」

 

やけに自信たっぷりに常盤が言った。

待機用に準備された部屋の椅子にもたれかかるように常盤は腰を下ろしてミネラルウォーターを口に含む。

 

「……でもそれは常盤中佐も同じことじゃないの?」

 

「おっ、今の切り返しはよかったよ。なるほどなるほど。瑞鶴ちゃんの言う通りだよ。アタシにも隠し事がある。隠し事っていう言い方は大袈裟かな? でもさ、他人に言いたくないことの一つや二つ、あって当たり前じゃない?」

 

「そうやってのらりくらりと躱すんだ」

 

「ふっふーん。まあこれは帆波クンの専売特許かな? ま、アタシも彼が何を隠しているかの内容までは知らないよん。何か秘密にしてるなー、っていう感じ。女の勘みたいなものがね、こうビビッと来たのよ」

 

「……」

 

「瑞鶴、座ろっか」

 

「うん、そうする」

 

常盤と話すのは神経を逆なでされるようで瑞鶴も鈴谷も嫌になっていた。いつもなら流せることも今の精神状態では難しい。時間は過ぎているはずなのに時計の針が進んでいる様な気がまったくしない。足を組んでは組み直したり、特に意味もなく伸びをしてみたりと色々やってみるが、遅々として時間は進まない。

瑞鶴がそわそわと落ち着かない中でさっと常盤が立ち上がった。

 

「司令? どちらへ?」

 

「ん? 格納庫へちょっとね。警備が巡回に回ってるならあそこのマーク外れてる気がするからちょっち怖いんだよね」

 

「若葉も行こう」

 

「いや、若葉はここにいて。気晴らしの散歩みたいなものだから1人にさせてほしいのよ。大丈夫だって。ここは安全みたいだし」

 

意味深げに笑いながら悠々と常盤が教室を出ていった。あとにはわけがわからないといった様子の瑞鶴たちが残されたのみ。

 

「霧島たちの司令官っていつもああなの? 鈴谷たちのも大概だとは思ってたけどそっちもなかなかアウェーだね」

 

「確かに変わってはいますね。ですがちゃんとやる人ですよ。ただ……」

 

「ただ?」

 

歯切れが悪い霧島を瑞鶴が先を言うように促す。だが答えたのは今までぼんやりとしていた若葉だった。

 

「らしくない。欧州に来てから妙に気がたっているように若葉は感じた。特にクーデターが起きてからはその傾向が強いな」

 

言いたいことを言い終わり、また若葉が遠くを見る目でたそがれ始めた。何とも言えない沈黙。コチコチと秒針だけが鳴り続ける。

唐突に教室の引き戸がガラリと開けられ、一斉に全員が振り返った。先頭に叢雲が立ち、その後にゴーヤと左腕を布で吊った峻がゆるりとした動きで教室に入り、瑞鶴たちが無事な姿を見て頬を緩ませた。

 

「提督さん! 腕、大丈夫なの!?」

 

「弾が当たってな。少し痛いから吊ってるだけだ。大した事はねえよ。それよりも無事でよかったよ」

 

峻が痛みに顔をしかめながらも、安堵の息をこぼした。その痛々しい手当の跡を見て瑞鶴と鈴谷が顔を歪めた。2人の命を背負っただけでこの怪我だ。もしも自分たちが助けに行っていたらどうなってしまっていたのだろうか。本当に死んでしまっていたのではないか。

 

だがそれを聞く勇気は瑞鶴たちにはなかった。聞いたところで峻は絶対に足手纏いになるとは言わないだろう。だが、その優しさが余計に自分たちを苦しめると、暗にわかっているからだ。それなのに触れられるわけがなかった。

 

「てーとく、痛いなら痛み止め飲む?」

 

「さっき飲んだばっかりだぜ? そんな飲んでも効果ねえよ。ま、気持ちはありがたく受け取っとく」

 

おずおずとゴーヤが差し出す錠剤を峻が断わり、ぐるりと教室内を見渡した。

 

「常盤はどこいった? 霧島、知ってるか?」

 

「司令は先ほど散歩に行きました。格納庫の方も様子を見てくる、と」

 

「格納庫……。俺も気になるし行くとするか。お前らはここで待機しといてくれ」

 

「でもあんた怪我してるじゃない!」

 

「この程度は怪我に入らねえよ。大丈夫、ここに武装勢力はいないから。じゃ、ちょっくら行ってくる」

 

軽い調子で峻が背を向けて、するりと左肩を吊っていた布を外してから動かせるようにした。そしてゴーヤから念のためと渡された痛み止めの錠剤を受け取ると教室を出ていった。

その時、瑞鶴は見た。さっきまでの柔和な表情がガラリと変わり、まゆを吊り上げて険しい面持ちになっていた峻を。

 

「提督さん…………」

 

瑞鶴の呟きは峻には届かなかった。手を伸ばせば届いたかもしれない距離のはずなのに、それがとても遠かった。

 

らしくない。

さっき若葉の言った言葉が頭をよぎる。けれどそれは峻にも言えることのように思えた。どこか落ち着きがないというか、ずっと何かに意識を取られているような感じだった。集中に欠けるといったところだろうか。

 

叢雲が俯きがちになったまま、椅子に座った。どこかゴーヤも沈み気味だ。それを言うならば、ここにいる艦娘たち全てが暗い気持ちを抱えていた。守りたいと思っても何も出来ないもどかしさ。重荷にしかなっていないという自覚。全てが彼女たちを責めたてる。

 

追いかけたいと願っても、それは峻を苦しめる。分かっていて後を追うことなんて出来なかった。

瑞鶴は暗々たる思いをミネラルウォーターと共に飲み下した。それでも気持ちは晴れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈イタリア州プローチダ島格納庫-現地時刻同日16:02〉

 

「っ…………」

 

教室を出てから再び走る痛みに顔を顰めた。やはり痛み止めはあまり効いていないようだ。左腕の布を外したのは悪手だったかもしれない。だがいつまでも吊っていたところで治るわけでもなく、あくまでも痛みを抑えるだけである以上は外したところで無茶しなければ悪化することは無い。それよりも先に対処すべきことがある。

 

「常盤が行ってるなら大丈夫だとは思うが……」

 

そうは思っていても念には念を。別に怪我で体が動かないわけでもないため、しっかりとした足取りで格納庫へと向かう。上着の下に着けたホルスターにはいつもの愛銃がしっかりと収まり、空になっていたマガジンにはパラベラム弾が入れられている。

格納庫に着くと重い鉄扉を引いて開けた。鍵はかかっていないようで割とあっさりと入れた。

 

「あー、やっぱりお取り込み中か?」

 

「まあほとんど終わってるけどね。 遅いなーって思いながら待ってたくらいだよ」

 

「ああ、知ってる。わざわざ散歩の行き先を言ってったあたり、俺に来いって言ってるようなもんじゃねえか」

 

「あはは。まあねー」

 

「で、状況の説明は?」

 

「見て察してよー」

 

ケラケラと常盤が銃を弄びながら笑う。その目の前には肩や足首を打ち抜かれて脂汗を流して呻く、明らかに技術職系の男が2人いた。どちらも日本人の顔つきではなく、完全に欧州人だ。その傍らには完膚無きまでに壊されたパソコンとそのパソコンから延びていたのだろう、日本から持ち込んだゴーヤの艤装に繋がっている配線。

これだけ見れば何が起こっていたのか想像するのは容易い。技術の窃盗をしようと画策し、実行しているところを常盤に止められ、パソコンごと破壊されたのだろう。証拠に、格納庫の内部には硝煙の匂いが満ちていた。そして常盤の銃口は震える欧州人の額に照準されていた。あと1歩遅れていたらどうなっていただろう。

 

「やりすぎだ。銃をおろせ」

 

「でも情報漏洩は防げたよ? 危うく日本に帰ってから2人で仲良く更迭されるところだった」

 

「そこに関しちゃ感謝してるが、それでもだ」

 

常盤が小さく肩をすくめて銃をおろした。引き金に指はかかったままだが。

 

「ま、どうやら掴んでたのはダミープログラムみたいだけどね。帆波クン、ゴーヤちゃんの艤装に何噛ませてるの?」

 

「海軍の防御プログラムを突破したらダミーが出るようにセットしてある。もちろん正規アクセスならちゃんとしたのが出るようにはなってるがな」

 

「へえー。よかったね、狙われたのが運良くゴーヤちゃんの艤装で」

 

「……ちっ」

 

峻が眉間にシワを寄せて舌打ちする。仮に若葉や霧島が狙われていたら盗られていた。だからラッキーだった。それだけの意味のはずなのに、悪意があるようにしか思えない言い方のような気がした。

 

「それよりまずいね。帆波クンがダミーを噛ませておいてくれてよかったけど中まで侵入してこられるのはね」

 

「確かにな。その事実だけでもまずい」

 

艤装の内部プログラムを抜かれるのはまずい。だがそうそう簡単に盗めるほど艤装のセキュリティーは甘くは無いはずだ。そしてこの技術屋2人はそれを突破できるほどのハックスキルを持っているようには思えない。少なくとも海軍の組んだ防壁をすり抜けることなどはできないだろう。それなのに掴まされたのはダミーとはいえ、コピーを取られるということは可能性はひとつ。

 

「おい、お前ら!」

 

「「は、はい!!」」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「は……?」

 

「二度も言わせんな。セキュリティーの突破方法を教えた奴を言えっていってんだよ!」

 

このふたりがセキュリティーを破って艤装の最深部まで侵入した上でコピーした訳では無いならば、残る可能性は事前に誰かがこのふたりに防壁の突破方法などをすべて教えていた場合だろう。そしてその方法を知っているのは日本の軍人、それもそれなりに階級の高い人間であるはず。

 

「言え。誰に教えてもらった? さっさと吐け」

 

右手を懐に差し込み、いつでも銃を抜けるぞと暗に脅す。隣の常盤も既に抜いた拳銃をくるくると回してにこやかに笑っているが、いつでも撃てる体勢は崩していない。ピリピリとしたプレッシャーが峻と常盤から放射され、観念した男たちはおもむろに口を開いた。

 

「き、急にメールが来たんだ……」

 

「あ? 誰からだ?」

 

「わ、わからない。匿名だったんだよ。そこにパスワードもその他諸々すべて書いてあって……」

 

「どこからだ?」

 

「えっ……」

 

「送信元はどこだって聞いてんだよ!」

 

常盤によって大量に銃弾を浴びせられ掛けて、ほとんど残骸となったパソコンを蹴り飛ばすと、壁に当たり破片をこぼしながら喧しい音を格納庫に響き渡らせた。

 

「辿ってみたらマダガスカルから送られていていたんだ! それ以上は何もわからない! 本当だ! 信じてくれ!」

 

怯えたように、大袈裟とすら思えるくらい体を震えさせる男たちを前に、露骨に峻が舌打ちをした。

 

「マダガスカルかー。帆波クン、これって完全にフェイクだよね」

 

「だな。身元隠しをするためだろ。って事は特定は難しいな。恐らく送った時の回線は地球を何周かくらいしてるはずだ。そう安易に辿れるとは思えんし、辿れても終着点は偽物だろうな」

 

苛立たしげに峻が黒髪を掻き毟る。目的が読めないのだ。実行できるのは日本人だけ、だが何を目的に据えての行動かがわからない。日本の軍事機密を無償で提供して何の得になるのか。確実に言えるのは、日本のマイナスになるということだ。

 

「とりあえず呼んどいた警備に引き渡すよ」

 

「それでいいだろ。よかったな、今の時代で。江戸時代だったら火事場泥棒は死罪だぞ?」

 

そう言いながら格納庫内に隠してあったスペアのパソコンを立ち上げて、ひとまず瑞鶴の艤装に配線を差し込んだ。ざっとスクロールしてプログラムが弄られていないかを調べる。姿勢制御プログラムから妖精共振システム、記憶野連動域もオールOK。次に鈴谷。次にゴーヤ。そして叢雲。すべて問題なし。

 

「帆波クン、うちのもお願い」

 

「へいへい。元からそのつもりだっての」

 

引き抜いた配線をまずは霧島の艤装に差して、パソコンの液晶を睨む。それから若葉の艤装も手早くチェック。確認を終えてから痛む左肩を動かさないように気を使いながら右手で線を巻き取った。

 

「変に弄られている形跡はなかった。本当にこの2人の目的はコピーだけして売りさばくなり研究するなりってとこだったんだろ」

 

「そ。なら大丈夫か。コピーをどこかに送った様子はなし、コピーした端末は破壊した。十分だね」

 

「送り主はわからずだから不完全燃焼なのは否めんけどな。それはここにいるだけでは特定できんだろうし仕方ない」

 

出来ることといえば、せいぜいこの情報を若狭あたりにリークして探ってもらうことだろうか。だがパソコンを常盤が破壊し尽くしたため、辿るのは困難だろう。蹴り飛ばしておいて何だが、あそこまで穴だらけにされた段階でまともに情報をサルベージするのは難しい。

 

「常盤、お前がパソコン壊さなけりゃすこしは手がかりがあったかもしんねえんだぞ」

 

「それに関しては悪かったよ。カーってなっちゃってさ」

 

「少しは抑えてくれ……」

 

「あはは。それ、帆波クンが言うの?」

 

機械的な笑い声を上げながら常盤が指さしたのは返り血に染まった峻の上着。命の危険を感じて、屠った2人のテロリストたちによって残された紅の烙印がそこにはあった。

 

「自分のことを棚に上げるのも大概にね。やってる事は何も変わらないんだから」

 

「だとしてもお前にそれを言われる筋合いはねえな」

 

「ならアタシも君に責められる謂れはないよね?」

 

震え上がる産業スパイもどきの2人を置いて、貼り付けたような笑みを浮かべた常盤と能面のような表情の峻が互いを威圧し合う。先に肩の力を抜いたのは峻だった。

 

「この2人を警備に引き渡しといてくれ。俺はあいつらの所へ戻る」

 

「……りょーかい。んじゃねー」

 

ひらひらと手を振る常盤に一瞥もくれずに峻は上着を翻して格納庫を去った。なんとなくだがあの女とは相容れない。それを言うのならば向こうもそうなのかもしれないが。

外には少し息を切らせた警備が格納庫に向かって駆けてきていた。手早く事情を説明すると、走っていく後ろ姿を見送り、元いた待機用の教室へと足を向けた。海沿いをぼんやりと歩く。

 

何となしにあたり周辺をぐるりと見渡す。誰もいない。聞こえる音は波が寄せて返す音だけ。ついさっきまで怒号と銃声の最中にいたことなど嘘のようだ。だがその光景は鮮烈に頭の中へ焼き付いていた。

 

「何やってんだよ、俺……」

 

すぐに教室へ戻った方がいいのだろう。だがもう少しだけ1人でいたかった。どんな顔をしてあの場にいればいいのかわからないのだ。

 

「仕方ないんだ……こればっかりは」

 

国際的にそうするのがベストだったから。下手に手を出しては向こうの面子を潰すことになるから。そうやって言い訳ばかりして結局何もやっていない。

頭ではわかっているのだ。これでよかったのだと。こうするしかなかったのだと。だが、それはただの逃げだと自分の中の何かが囁く。

視線を落とした先の海面に映る自分の顔は醜く見えた。見ていることすら嫌になり、空を見上げた。

空に見えたのは脱出用のヘリが高度を下げて島に着陸しようとしている姿だった。これに乗って自分たちは一度、安全圏まで退避した後に急遽チャーターされた政府の飛行機に乗って帰るのだ。

 

この地獄から引き上げてくれるそれは切れることの決してない蜘蛛の糸だ。だが峻にはその救済するための糸は欧州連邦を、訓練生たちを見捨てて日本へと帰る自分を嘲笑しているようにすら感じた。





長々と続いていた欧州編ですが、ようやく終わりが見えてまいりました。今回の章では、艦娘は対人戦闘において珍しいケースを除いて無力である、ということを主軸に、他の様々な要素を添えて書いていました。
書いていて強く思ったのが、国際関係というのは想像以上に難しいものだということですね。多角的な視点から見ないといけないものなんだと考えさせられました。

何度も相談に乗っていただいた執筆仲間の先生方には頭があがりません。この経験も糧にしてこれからも書いていけたらと思います。


感想、評価などお待ちしております。それでは!


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それでも世界は回っている

こんにちは、プレリュードです!

AC版で鶴姉妹が実装しますね。まあお金も艦娘も揃っていない自分にはあまり関係のないことですが。
とりあえず自分にできるのは本家の方で艦娘を育てつつ装備の充実化ですかね。もうすこし層に厚みが欲しいところなんです。

そして最後に少しだけご報告をさせていただきます。

それでは本編参りましょう!


〈千葉県館山市館山基地執務室‐現地時刻8月26日10:59〉

 

ひとりの執務室で峻は新聞を開いた。見出しには濃く太い文字で《ナポリクーデター鎮圧!》と書かれている。

ペラリと1枚めくると詳細に書かれたページが現れた。

 

「事態を重く見た欧州連邦政府は軍隊を投入。その後は間もなく鎮圧された……か」

 

まだ詳しくは発表されていないが、死傷者も数多く出たはずだ。少なくともナポリ駐在の治安維持部隊はボロボロのはず。

死者を悼みながらも読み進める。小さく貼られたモノクロの写真には道端に供えられた花束やお菓子、ワインボトルが写っている。

全て読み終えてから机の上に畳んだ新聞紙を投げた。乱雑に放られた新聞紙はペンなどを押しのけて滑り、端から落ちる前に止まった。

 

自分たちのことは一切のっていなかった。あの産業スパイもどきのこともだ。あの処理は上層部がうまいこと片付けたのだろう。峻がやったことと言えば報告書を送っただけだ。

 

「実行犯は未だわからずか」

 

軍内部の人間である疑いが高いため、若狭のいる対内課が動いているのだろう。だが有力な証拠もないままに捜査したところで見つかるはずもない。これは難航するだろうと峻は個人的に思っていた。証拠であるパソコンは復元不能なレベルで壊されているからだ。止めを刺した本人が言うことではないかもしれないが、あそこまで破壊し尽くした常盤が悪いという事でそこは一つ。

 

 

 

あの後はヘリコプターに艤装を乗せてから峻たちも乗り込みナポリを脱出。フランスの空港に移動し、政府のチャーター便に乗り換えるとそのまま日本へと帰った。ヨーロッパの国々が見えなくなっていくのに比例して眠気と気だるさが体を襲い、起きた時には日本に到着していた。そのまま峻は左肩を治すためにその足で病院へ行き、叢雲たちは館山基地へ一足先に戻った。幸いなことに左肩は大したこともなく、今ではもう完全に元通りだ。帰ってきた当初は瑞鶴たちは憔悴していたものの、今はいつも通りに戻り、トラウマにならなくてよかったと胸をなでおろしていた。恐らくは峻が外している間に加賀あたりがフォローを入れたのだろう。

 

「入る……わよ……」

 

ドアを無理やり体で押し開けて荷物の塊、正確に言うと大きなカバンを抱えている叢雲が入ってきた。部屋にキャリーバッグと抱えていたカバンを下ろして荒い息を吐きながら机にエアメールをスライドさせる。

 

「お疲れさん」

 

「秘書艦遣いが荒いのよ……ったく」

 

「別にもう休んでていいぞ」

 

「ふうん……ならそうさせてもらうわ」

 

ふわりと髪を揺らして叢雲が執務室から消える。置いていった荷物には見覚えがあった。あれは峻が欧州連邦に行く際にまとめた着替えなどのパッキングされたカバンだ。誰かがわざわざ送ってきてくれたということだろうか。机の上に叢雲が残していったエアメールを手に取り、ペーパーナイフで綺麗に封を切った。

 

「……オルター少将から? あの人って意識不明の重体だって話だったが何とかなったのか」

 

 

《そちらは元気だろうか。私の方といえば一時は生死の淵をさまよったが今では怪我も快方に向かい、間もなく退院になるはずだ。ビスマルクの乱雑すぎる看病がなければもう少し早かったかもしれないが。プリンツに怒られて小さくなっているビスマルクはなかなか見物だった。

すまない、話が逸れた。今回の騒動は巻き込んでしまって申し訳ない。全ては私の不注意が招いてしまったことだ。肩を撃たれたと聞いたが大丈夫だろうか? 発端となった人間が何をと思われるかもしれないが無事を祈っている。

ホテルに置いたままになっていた荷物だが、私が引き取りそちらに送らせてもらった。なにか無くなったものがないか確認してほしい。もしあった場合はこちらで見つけ次第、送らせてもらう。

最後に、本当に巻き込んで申し訳ない。また会えた時に直接謝らせて欲しい。それではまた》

 

敬語を使わない口調を崩すことなく、それでもこちらのことを心配していることの伝わる文面だ。実にお人好しなオルター少将らしい。

 

「なんとか欧州連邦は立て直したか……」

 

立て直したとしてもいつまた崩れるかわからない不安定さを残しているが、表面では落ち着きを取り戻した。峻が何かをするまでもなく、持ち直して回り続けていく。

 

それは傲慢だ。

 

わかっていてもなにか出来たのではないかと思ってしまう。何もしなかった自分に腹が立つ。これでは何のために軍に入ったのかすらわからないではないか。

もし。

もし自分があの時、自由な立場だったらもっと簡単に解決することが出来たのではないかと不遜にも思ってしまう。

 

「『おもしろき ことのなき世を おもしろく』……よく言うぜ、くそったれめ」

 

自分への嫌悪感を丸出しにして吐き捨てた。おもしろくなどと言っておきながら出来ずに逃げ出しておいておこがましい事この上ない。

 

「…………工廠行くか」

 

目を逸らすために開発でもしよう。作りかけのプログラムがあるし、長らく見なかった居残り組の艤装をチェックするのもいいかもしれない。それで気分転換くらいにはなるだろう。何かに没頭していれば嫌な考え方をしなくて済むかもしれない。

 

「行くとしたらもう少し後ででいいか。眠いから昼寝してからで」

 

暑すぎる日射しを避けるためにカーテンを引いて椅子に深く腰掛けてから腕を組む。瞼を閉じれば視界が闇に覆われる。夢は見たくない。だからすぐに起きよう。

峻は微睡みに身をゆだねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈千葉県館山市館山基地屋内演習場-現地時刻同日11:10〉

 

「やあああああ!」

 

叢雲が裂帛の気合いと共に、勢いをつけて振り下ろした断雨が仮想敵として置いてある、杭に巻かれた畳表を斜めに斬り飛ばした。間髪入れずに踏み込みで次の標的の間を詰めて、袈裟懸けに振り抜いた。くるくると斬り飛ばされた畳表が空中で回転してから地面に落ちてから、中段に刀を構えて残心。溜めていた息を解放して吐き出した。

 

自動で杭が出現するのを待って叢雲がまた飛び出した。今度は斬りつけるために足を止めるのではなく、駆け抜けるようにしてすべての杭を斬り払う。すべてを斬ってから刀を鞘に収めて、最初の長さから半分程度に短くなった杭の切り口をみた。

 

「ささくれてるわね……」

 

綺麗な切り口ではないということはまだ未熟な証だ。本来ならば自らの腕のなさを嘆く所だ。そしてそれを糧にして先へと進む。だが今の叢雲は違った。むしろその顔に笑みすら浮かべている。

 

「私はまだ未熟……つまりまだ強くなれる! もっと……もっと!」

 

ここが行き止まりじゃない。まだ先がある。もしここが終着点なら絶望していたかもしれない。でも違う。更なる高みはある。手を伸ばした先にきっとそれはある。

そしてその先にはきっとあいつがいる。あいつと同じステージに立たなければいけない。そうでなくては秘書艦の資格なんてない。

 

「『おもしろき ことのなき世を おもしろく』……あんたが願うならばそれを私が実現させてみせる。それが秘書艦としての務めだから」

 

叢雲は執務室から出た後、すぐに立ち去ったわけではなかった。まだ少しだけ荒かった息を整えるために廊下の壁にもたれて休憩していたのだ。だから叢雲が出ていった直後に峻の呟いた句は耳に入ってきた。意図せずにその弱音とも取れる言葉を聞いてしまった。

 

自分は無力だ。ヨーロッパで路地裏にアサルトライフルを持ったテロリストの2人が飛び込んできた時にも体が固まって咄嗟に動くことが出来なかった。もしあの場にあいつがいなかったら。どんな悲惨な結末になっていたのかを想像するのは簡単だ。

 

あいつが思い詰めているのはそうやって全て押し付けてしまっている自分のせいなのだろう。自分で対処出来なければいけなかった。トランペットの経験者だからいざとなったら殺すことくらいできると過信していた。殺すたことがあるから大丈夫だと。その驕りがあいつを苦悩させるという結果を招いてしまった。それはひとえに私が弱いから。けれど弱いなら強くなればいい。どんな手を使っても。どんな無茶をしてでも。

 

壁際のスイッチを荒っぽく押すと、床がせり上がり、次の杭が出現する。畳表が巻かれた杭を睨みつけて大きく踏み込んだ。

 

「はあああああ!」

 

がらんとした屋内演習場に叢雲の叫び声が木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈埼玉県さいたま市海軍本部防諜対策部ビル4F-現地時刻同日18:37〉

 

何度も繰り返して読んだ報告書を若狭はデスクに叩きつけた。普段から冷静沈着な若狭にしては珍しいため、長月が年代物の骨董品を見るような目で若狭をちらりと見つめた。

 

「不遜な輩が艤装に無許可で接続してデータをコピーしようとしていたから止めました。ここまではいいさ。なんでコピーに使用されていたパソコンを穴だらけにしてまで破壊し尽くした常盤!」

 

解析班から回ってきた報告書にはデータの復旧は不可能である、と断言されていた。これほどまで重要な案件で出来ないなどと言われてたまるかと思いつつ、報告書のページをめくればこれである。解析班が頭を抱えるわけだ。データのサルベージを試みようにも大元が物理的に壊されていては拾えたはずのデータも拾えない。

 

「これじゃあ隠蔽の仕方から辿って過去に似たような事例がないかどうかの確認すらできないじゃないか……」

 

ただでさえ対内課は、というよりも防諜対策部は人員が少なくて喘いでいるのだ。この仕事は国防に深く関わる案件のため、ずば抜けて優秀で裏切ることのない人間しか任せられない。そもそもトランペットのせいで日本海軍は人員不足が問題に上がっているのに、その中からさらに厳しい条件が付いているのなら数が減るのは必然だ。

 

「若狭、手伝おうか?」

 

「いや、いいよ。長月はシャーマンが直接的に、もしくは間接的に接触したであろう人物の人間関係を洗い出しておいて」

 

「心得た。とはいってもな……これで絞り込めるのか?」

 

「……やらないよりはマシだよ。もしかしたらそこから何か法則性が見えるかもしれない」

 

「そうか。若狭がそういうのならば信じよう。それにしても膨大な量になるが」

 

矢田が資材を着服して横流ししていた相手先から賄賂の送り先、果ては行きつけの店の従業員まで。この作業を関わっている可能性のある人物全てにやるのだ。絞り込めているかと聞かれれば恐ろしく微妙なラインだ。だがそれを言っていてはこの手の仕事はできない。効率など二の次にして考え得る可能性を徹底的に洗い出し、全て試す。面倒だ、などという言葉は論外だ。

 

「それにしても長月も様になってきたね」

 

「マルチタスクをこなしている若狭に言われても褒められている気がしないぞ」

 

「たった2件だよ。軽い軽い」

 

「3件だろう? シャーマンの件、欧州スパイの件、そして……帆波大佐の過去」

 

「はは……長月にはバレても仕方ないか」

 

若狭の顔は笑っている。長月を射抜くような目線を放ちながら。だがその程度ではもう長月は引かない。むしろ正面から若狭の目を真っ直ぐに見つめ返す。

 

「僕はシャーマンが帆波にこだわっていると睨んでる。だとすれば帆波にこだわる理由があるはずだ。だから過去をさらっているんだよ」

 

「結果は?」

 

「ダメだね。帆波が幼少期に入った施設は今はもう潰れてるから探りを入れる事は無理だ。さらにそこの院長は病死しているから聞き込むことも出来ない。その他に関連していた人間も深海棲艦の湾岸砲撃や、内地暴動などに巻き込まれて死んでる。やりようが無いね」

 

「それ以外に足取りはないのか?」

 

「ない。海大に入るまでは一切が謎だよ」

 

海大に入ってからは若狭と峻は同期の訓練生だ。その後はだいたいのことは分かっていた。けれどその前は知らない。どこからともなくいきなり現れて海大に入り、そのまま基地司令にまで流れでのし上がった。本当にそれだけだ。

 

「若狭、悪手ではあるかもしれないがいっそのこと直接聞いてみるのはどうだ? 昔は何をやっていたんだ、と」

 

「帆波にかい? 無理だったよ」

 

「無理……()()()?」

 

若狭の過去形に対して長月が耳ざとく反応する。

 

「そう。昔、なんとなく気になって聞いてみたんだよ。もちろん露骨に聞いたわけじゃないけど、明らかにはぐらかされたね。それも1回や2回じゃない。僕以外に聞かれた時も全部有耶無耶にして誤魔化してた」

 

当時の若狭には別になにか思惑があるわけでなく、なんとなく聞いてみただけだった。それを峻は話巧みに話題を逸らして逃げたのだ。これはつまり意図的に隠している。どうあっても知られたくない過去らしい。そこまでして秘密にしているものを真正面から聞いたところであの峻があっさりと教えてくれるとは若狭には思えなかった。

 

「そうなるとこっそり調べるしかないわけか……」

 

「そういうことさ。でも骨が折れるね。まさか足取りすらも掴めないとは」

 

「謎だらけの人だな」

 

「まったくだよ」

 

ヴェールに覆い隠された過去を暴くのは難しい。それを本人が意図してさらに隠蔽しようとしているならば尚更だ。

 

「ヨーロッパの産業スパイもどきの方も厳しいのか?」

 

「あれは厳しいどころの話じゃないね。なにせ証拠になる可能性があったものが破壊されてるんだから。こっちの身にもなってほしいよ」

 

「打つ手なしか……」

 

「どこから情報が漏れたのか早急に対策しなくちゃいけないんだけどこれじゃあね。だれがパスを漏らしたかの特定もしなくちゃならない」

 

「目処はついているのか?」

 

「あるって言えればどんなに良かったことか。証拠なし、照合するためのデータもなしではお手上げさ」

 

若狭はほとほと参っていた。東雲がシャーマンだと疑っていたが尻尾を出す様子もない。産業スパイもどきにパスや突破ルートを教えた人物の目星もつかず、峻の過去については皆目検討もつかない。どうすればいいのか頭を悩ますのも無理ないことだ。

 

「長月、矢田の周辺に怪しい人物はいたかい?」

 

「今のところ当たりはなしだ。黒いことをしている人間はいるが、いずれもそこまでのハックスキルは持っていない。シャーマンである可能性は皆無だろう」

 

「そっちも収穫はなしか……」

 

ぐぐっと伸びをする長月を見ながら若狭も1度手を休める。煮詰まってきていたため、休憩を入れた方がいい。それにそろそろ夕食時だ。腹が減っては戦はできぬ、とも言うくらいなので、そろそろ食事をとった方が後々の効率を考えるならいいかもしれない。

そう思っていたタイミングを狙ったかのように長月のお腹がキュルルゥ……という可愛らしく思える音を鳴らした。状況を理解するのに一瞬の間が空いた後に長月の顔が赤く染まっていく。

 

「長月、ご飯にしようか」

 

「…………」

 

長月が無言でこくりと頷いて、そのまま俯いた。流れるような緑色の髪が赤い顔を隠してしまう。最近になって段々と動じることも無くなってきたように思われたが、こういった方向を突かれるとどうも弱いようだ。まあ仕事においてはしっかりしているため若狭は特に気にしてはいなかった。支障を出しているようなら補佐に付けたりなどしない。

 

「じゃあ行こうか」

 

切り替えは大事。一旦は仕事の事は置いておいて思考を食事に変更する。廊下を歩く若狭の後ろを長月がてこてことついていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈神奈川県横須賀市横須賀鎮守府-現地時刻同日19:46〉

 

夜の帳が下りた埠頭を何となしにぼんやりと歩く。咥えたタバコが紫煙を立ち上らせては解けて消えていく。

東雲は短くなったタバコの火を消して携帯灰皿に入れた。2本目を咥えると使い込まれたオイルライターで火をつけた。ニコチンの煙を肺に取り込み、ゆっくりと時間をかけて吐き出した。

普段は連続して吸おうものなら翔鶴が止めにくる。だが今日は翔鶴はオフの日だ。今頃は羽根を伸ばしているため、止める者はいない。

 

「翔鶴さんに怒られますよ?」

 

「そう言うなよ。偶にはいいだろ?」

 

たそがれていた東雲の後方に吹雪が風でスカートがめくれるのを抑えながら立っていた。

 

「まあ黙っといてあげます。ただ体は大切にしてくださいね?」

 

「分かってるよ。ただ吸わなきゃやってらんねえ時もあるってことだ」

 

「私にはよくわかんないです」

 

「それでいい。本来ならこんなもんは吸わないに越したことは無いんだからな」

 

くしゃっと空になった箱を握りつぶしてポケットに入れた。不健康だとわかっていてもやりたいことだってある。どうしても連続して吸いたくなる時もあるのだ。

 

「私にも1本ください」

 

「空になっちまったよ。残念だったな」

 

「上着の内ポケット」

 

「……気づいてやがったか。駄目だ。1度やったら癖になるぞ」

 

「そういうものなんですか?」

 

「そういうもんだ」

 

1回やってしまえば2回目以降は慣れてしまう。その後も回数を重ねるにつれてだんだんと当たり前になる。

吐き出した煙が上り、宵闇へと消えていくのを眺めながら咥えたタバコを上下に動かした。1本だけと言って吸い始めた東雲も今では立派なニコチン中毒者だ。

 

「ヨーロッパ、大変でしたね」

 

「シュンの奴か。大変ではあったろうが、俺には何もできん」

 

「司令官はなんで帆波大佐のことをあんなに気にかけているんですか? 普通しませんよ、不祥事の握り潰しとか」

 

「うぐ……まあ色々あんだよ」

 

「その色々が聞いてみたいんですっ」

 

「む……なんていうかあいつには不思議な感じがするんだよ」

 

「不思議……ですか?」

 

「ちょっと違うかもな。ただ……」

 

「ただ?」

 

言い淀む東雲を吹雪が促す。言葉を探すようにフィルターを噛み潰している。

 

「なんだろな、俺はあいつがこの閉塞した現状を変えれるような気がしたんだ。初めてあいつと組んだ日にな」

 

「……? すみません、よくわかんないです」

 

「それでいいんだよ。半分は山勘みたいなもんだ」

自分は主人公になれない。

その事実に気がついたのはいつの頃だったろうか。どこまでいっても自分は

村人A以上の存在にはなれないのだと理解すると同時に東雲は、そうと決まったのならばいっそのこと脇役を極めてやろうと思った。

 

そんな時、帆波峻という人間に出会った。東雲には彼の全てが輝いて見えたのだ。それと共に自分は脇役だという確信が強くなっていった。

 

だがそれでいい。

きっと峻は世界をよりいい方向に変えるという、東雲には出来ないことをやってのけるのだろう。いや、やってのけると信じている。ならば村人Aとして主人公を支えてやるのが自分に与えられた役割だ。

 

「ま、しばらくは休ませてやるとするか」

 

さしあたっては暫しの休息を取らせよう。心身ともに疲労しているはずだ。残念ではあるが、頭の中に作っていた演習リストは破棄してやることにした。

携帯灰皿にタバコを押し付けて火を消し、灰皿の中に落とす。

 

「吹雪、戻るぞ」

 

「はい。明日はサボっちゃダメですよ?」

 

「休憩だっての。それに仕事は片付けてある」

 

埠頭を離れる東雲の半歩後ろを吹雪がついて歩く。さあっと吹いた冷たい海風が首筋を撫でて身震いをした。

 

「夏も終わりだな……」

 

「そうですね……」

 

夜になると肌寒くなってきた。もうすぐ秋が生まれる。

 

あと何回季節が移り変わればこの戦いは終わりを告げるのだろう。




長々と続いた欧州編、これで遂に完結となります。これで次回からは新章突入です! 話数的にみればそんなに変わんないんですけど、文字数が……はじめの頃は1話あたりの平均が2000文字ちょっとだったのが最近では6000オーバーが当たり前になってきたので結果的には増えてます。今回のも7600くらいですし。


で、報告というのはですね。
この度、3人のハーメルン作家さんたちと共同執筆でストライクウィッチーズの小説をかかせていただいてます! お声をかけていただいた時は今日が自分の命日かと思いました。

ゴールデンカイトウィッチーズというタイトルでやってます! 一緒にやらせて頂いている先生方は、

オーバードライヴ 先生
帝都造営 先生
矢神敏一 先生

の御三方です。本当に御三方ともすごい方たちばかりですよ。もしよろしければ読んで頂けると非常に嬉しいです。

https://novel.syosetu.org/100180/

ダイマ失礼しました。
感想、評価などお待ちしております。それでは!


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第四章 紺碧のブルース編
紙コップの底


こんにちは、プレリュードです!

新章突入となりました! 気がつけばもう第4章です。投稿始めた時から既に半年も経過してたんですね。ここまで息が長くなるとは思いませんでしたが、終わりはまだ見えません()
完結までどれだけかかるんでしょう……

とにかく本編参りましょう!


右腕を振りぬく。左手の人差し指を引く。バシャッとぬめりのある液体が全身に降りかかり、手の甲で顔をぐいと拭う。下ろした手に視線を落とす。

 

その手は赤い。

 

紅い。

 

朱い。

 

アカイ。

 

──殺したな。よくもやってくれたな。

 

違う。そんなつもりがあったわけじゃ……

 

──嘘をつけ。お前は……

 

 

 

『だぁぁぁあ! 早く執務室に来いって言ってんでしょ、このアホ司令官!』

 

キーンというスピーカーのハウリングで峻は目が覚めた。がばっと起き上がり、荒い息を吐く。

 

「木陰で休んでるうちに寝ちまったのか……」

 

ぐっしょりと背中が濡れており、額に浮かぶ玉のような汗を拭う。大丈夫だ。手は赤くない。

 

『ちょっと! 聞こえてるの! 早く来なさいよ!』

 

秘書艦どのが大変お怒りのご様子だ。恐らく少し前から呼び出していたのだろう。慌ててコネクトデバイスから通信を飛ばす。

 

「悪い、寝てた! すぐに行く!」

 

『早くする! はい、駆け足!』

 

「アイ、マム!」

 

半ばやけっぱちに叫び、急いで立ち上がると執務室へ向かって駆け出した。走りながらさっきの夢が頭をよぎるが、首を降って余計な思考を振り払う。やはり寝るときは1杯引っかけてからにするべきだった。寝るつもりがなかったとはいえ、今後は寝落ちするような事態がないように気をつけようと心に誓う。

 

執務室の扉を乱暴に開ける。仁王立ちした叢雲とその隣で苦笑いしているゴーヤと天津風、その様子を少し離れたところで北上がぼんやりと、だが面白そうに眺めていた。

峻が入ってきたのを見て、叢雲が口を開き怒鳴ろうとした。だがその顔は驚きに変わり、徐々に不安げに変化していく。

 

「あんた……顔色悪いけど大丈夫なの?」

 

「えっ……あ、いや大丈夫だ。体調はばっちりだから心配しなくていい」

 

手を振って何でもないことを主張する。本当に大したことではないため、必要もなく心配をかけるのは申し訳なかった。それに言えるわけがない。悪夢にうなされてました、なんて。

 

「で? なんで基地内放送まで使って呼び出したんだ? あとここに集められてるメンバーは?」

 

「説明するより見た方が早いわ。これよ」

 

「っと」

 

軽く放られた封筒をキャッチして中身を取り出し、素早く確認。一部が電子化しているデータだったため、コネクトデバイスで読み込み、内容を噛み砕いていく。

 

「輸送任務? またえらく急な話だな」

 

「それは同感だけど横須賀からきた命令書なんだから仕方ないじゃない」

 

「そんなもんかね……」

 

ついこの間、ヨーロッパに行ってきたばかりでこんなに早く次が来るのはいくら何でも時間を空けなさすぎではないか。確かに日本海軍は人手が足りていない。だとしてもそんなに連続してうちにさせなくてもいいだろう。

 

「露骨に嫌そうね、あなた」

 

「天津風、俺の立場になって考えてみろ。やってられるか? せっかく束の間の休息だと思ってたらそれを潰されたんだぜ?」

 

「まあ……それに関しては同情するわよ」

 

「ま、提督もいいことあるよ、きっとさー」

 

「ほら、たぶん信用されてるんでち」

 

「他人事だと思いやがって……」

 

恨めしげに言いながら命令書の内容を反芻する。東南アジアのラバウル泊地へ輸送船を引き連れての輸送任務。艦娘輸送艦に乗って護衛すればいいらしい。唯一引っかかるのは連れていく艦娘が指定されていることだろうか。ここにいる叢雲、天津風、ゴーヤ、北上の4人だ。

 

「艦娘まで指定とは珍しいな」

 

「同感ね。でもそういう命令ならしかたないでしょ?」

 

その通りではあるのだが、なにか釈然しない。だが考えても仕方ないため、先にやるべき事として工廠へ通信を繋ぐ。

 

『はい、提督! どうしました?』

 

「明石、輸送任務だ。輸送艦に載せるためのモルガナとパラレル用の自律駆動砲をスタンバイしといてくれ」

 

『了解しました! ただ自律駆動砲の方は私で全部できますけど、モルガナの方は提督がやってくださいね?』

 

「わかってる。機材だけ出しといてくれりゃいいから。じゃ、よろしくな」

 

用事は手短に。あまり引き止めては作業ペースが遅れてしまう。

明石は工廠の中にある仮眠用の部屋で寝ている。ちゃんと自室は与えているが、すぐに対応するためらしい。

 

ともかく工廠への手回しは終わった。出発の時間には間に合うだろう。執務机の椅子を引いて腰掛けてもう一度さっきの書類を透かすようにして眺める。

 

「ねー、提督ー。あたしたちもう行っていい?」

 

「んあ? ああ、いいぞ。各自でコンディションは整えといてくれ。あと荷造りな。結構長い時間を船の上で過ごすことになるからな」

 

「わかったー。んじゃねー」

 

「おう。じゃあな」

 

ぐいっと伸びをしながら扉から消えていくのを見送って、さり気なく置かれた冷茶のグラスを手に取り、ぐいっと飲み干す。渇いていた喉がキンキンに冷えたお茶によって潤い、流れ落ちていく。

 

「サンキュー、叢雲」

 

「水分補給くらいしっかりとしなさいよ」

 

「以後気をつけますよっと」

 

汗ばんだシャツの胸元で扇ぎながら窓を開けると、まだ湿度が高くてじっとりとした秋風が執務室に吹き込んだ。溶けた氷がバランスを失ってカランと音を立てる。窓の外で揺れる木の葉を見ながら峻が口を開く。

 

「そうだ叢雲。今度、新兵装のテスターやってくんね?」

 

「新兵装? どんなのよ?」

 

「それはまだ秘密だ。だがかなりピーキーな仕上がりになりそうでな。ぶっちゃけお前くらいしか使えんかもしれん」

 

「……ふうん。ま、いいけど事故だけは起こさないでよ」

 

「わかってるって。安全策は何重にもセットしとく」

 

「そ。ならいいわ」

 

ともかくよろしくな、と峻が欠伸混じりに言いながら窓のアルミサッシに腕を乗せて木の葉が揺れているのを泰然と見ている。

 

「その新兵装とやらに意識取られるのはいいけど、ちょっとは真面目に仕事してくれないかしら? そこの山、あんたの承認が必要なのよ」

 

「判はお前に渡してるだろ?」

 

「あのねえ……職務怠慢でしょっぴかれるわよ?」

 

「そこんとこは上手いことマサキが握り潰してくれてるみたいだな。ま、書類はしっかりと上がってるから気づく事はありえんさ」

 

「東雲中将もよくやってくれるわよね……」

 

こめかみに指を当てて叢雲が頭を抱える。もしも、書類がまったく上がっていなければさすがの東雲も手を打たなくてはいけなかっただろうが、館山基地の書類はしっかりと横須賀に送られているため放置しているのだ。8割がたやっているのは叢雲なわけだが、そんな細かいことを言っていては館山基地においては生活できない。

 

「で、この山に判子を押してけばいいのか?」

 

「そうよ。一応ミスの確認もね」

 

「お前に限ってミスなんてやらかしてるとは思えねえが……まあやっとくよ。念のためな」

 

珍しく、本当に珍しく峻が判子を手に取り書類の山を切り崩しにかかる。別に峻自身は書類仕事が一切できないわけではない。ずば抜けて有能というわけではないが普通程度にはやれる。いつもやろうとしないのは単に面倒がっているだけだ。

 

「にしても輸送任務か……」

 

「諦めなさい」

 

「まだなんも言ってねえよ!?」

 

「雰囲気でだいたい何が言いたいのかわかったのよ」

 

はー、と気のなさそうな返事。やれと言われた以上はやらざるを得ないが、スパンの短さに身内で文句を言うことくらいは許されるだろう。

ひたすら判子を押す作業を機械のように繰り返し続けながら峻はふと思った。

 

こういう案件でマサキの奴が何の連絡も寄越さないなんて珍しい。大抵はなにか一言くらいは言ってくるものだが……単純に忙しいだけかもしれない。

 

「ねえ」

 

「ん? どした?」

 

「…………やっぱりなんでもないわ」

 

「……そうか」

 

カラン、とグラスの氷が音を出して再び崩れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やあ、東雲」

 

「若狭じゃねえか。パーティー以来か」

 

埼玉県にある海軍本部の休憩室で、カフェラテを飲んでいた東雲に若狭が声をかける。若狭はコーヒーサーバーに付いているブラックコーヒーのボタンを押し込むと、沈黙を守っていたサーバーが起動し、コーヒー豆を挽き始める。事務仕事に疲れた軍人にせめてこれくらいの癒しをと設置されたもので、内部で豆を挽くところからやってくれる。時間は多少かかるが、味のクオリティは下手な店を上回るそうだ。わざと時間をかけることによって心の余裕を持たせるという噂があるが、さすがにこれは眉唾ものだろう。電子音が鳴り、取り出し口に紙コップが湯気を立てながら置かれた。この紙コップは隣のリサイクルボックスに入れると紙繊維になるまでドロドロにして、殺菌してからまた新しいコップに作り直す、リサイクル思考の賜物だったりする。

 

「珍しいじゃないか、東雲がカフェラテなんて」

 

「甘いものが欲しかったんだよ」

 

「お疲れかい?」

 

「まあな」

 

紙コップを傾けて東雲がカフェラテを飲む。確かに心なしかいつもより覇気がないような感じがしなくもない。中将という役職だけあって心労も他より多いのだろうと勝手に結論づけて若狭もコーヒーを飲んだ。豆から挽いているだけあって、缶コーヒーよりはうまいが、どこが違うかと問われれば具体的に答えられないあたり、別に自販機でもいいんじゃないだろうかと個人的には思う。

 

「珍しいといえば本部に東雲がいるのもなかなかレアケースだね」

 

「色々あんだよ。この前のヨーロッパについてとかウェーク島基地についてとか」

 

「まだウェーク島はまとまってないのかい?」

 

「知ってるくせに。……まだだよ。山崎中将がゴネやがる。んな細かいとこ関係ねえだろってとこまでいちいち突っ込むもんだからこちとらずっと横須賀に帰れずに本部で調整しては折衷案だして、そしたらまたグチグチ言われるもんだから修正しての繰り返しだ。いい加減、本部ぐらしから解放されたいぜ、まったく」

 

「それは大変だね。甘いものを取りたくなるわけだ」

 

「そっちはどうだ? 仕事の方は順調か?」

 

「まあまあさ」

 

「その様子だとまだピースが足りないってとこか? 例のシャーマンって奴の正体を暴くには」

 

「……なんのことかな」

 

若狭が空とぼけてみせるが、無駄だという事は本人が一番よく分かっていた。東雲は木偶ではない。むしろ頭はかなり切れる。場合にもよるが、広い範囲を見る状況においては峻よりも能力は上だ。

 

「本部勤めじゃなくとも、中将だ。ある程度の情報は入ってくる。それに俺自身も気になってはいるんだ、矢田の裏で操ってた人間はな。お前ほどエキスパートじゃあないが、何も調べてないわけないだろ?」

 

「へえ。で、どこまでわかった?」

 

「お前の方が俺より持ってる情報量は多いだろ。それに防諜部の人間からすれば推論だらけで確証なんて一切ないからな」

 

「教える気は無いってことかい?」

 

「いや。どうせお前のことだから全部知ってる話だと思うってことだよ。海軍所属で地位もそれなりにある人間であるってこととかな。それと……」

 

「それと?」

 

「いや、なんでもない。それよりお前は何の用だ? まさかなんとなく休憩室に行ったらたまたま俺がいて話しかけたなんて言わないよな?」

 

「……さすがは横須賀鎮守府司令長官」

 

「そういう心のこもってないお世辞はシュンの専売特許じゃなかったか?」

 

確かに若狭は東雲を待っていた。休憩室に入ってコーヒーサーバーからカフェラテを取り出してどっかりと座り込むところまで見た上でタイミングを見計らって接触をしている。

 

「俺はお前に協力することに関しては構わねえ。こっちにもメリットがある」

 

「メリット?」

 

「俺の部下にちょっかい出してくる輩を排除できる。十分すぎるメリットだ」

 

若狭は内心で溜息をこぼした。まさかこの状況で自分が東雲を疑っている事など言えるわけがない。いくらその疑いが薄れてきているとはいえ、だ。限りなくシロに近いグレーはクロだと思え。これは鉄則だ。

 

「……わかったよ。とは言っても特に何もしなくていいんだ」

 

「ほんとにか?」

 

「うん。それに僕が外部に情報を渡すわけないじゃないか。上層部ってことは東雲も容疑者リストのお仲間だよ?」

 

「……そうかよ」

 

ぶっきらぼうに東雲が言い捨てた。東雲に背を向けた若狭は特に何も思わないとでも言うように紙コップを傾けてブラックコーヒーを飲み干す。

 

「そういえば東雲が横須賀に帰るのはいつになりそうだい?」

 

「お前は教える気が無いのにこっちの情報は言えってか……一週間くらいを見積もってる」

 

「そっか。それは大変だね。ウェーク島基地計画、頑張って。じゃあもうそろそろ行くよ」

 

「もうちょっとゆっくりしてけよ」

 

「あんまり長い時間かけて休憩してると長月の機嫌が悪くなるからね。それに防諜部は人手が足りてないからさ。あんまり僕一人が空けとくわけにもいかないんだよ」

 

これ以上、話す事はないというメッセージ。意図をくんだ東雲はもう引き止めることはない。

 

「あ、これ捨てといてもらっていいかい?」

 

休憩室の出口まで来てから思い出したかのように若狭が机の上に紙コップを滑らせる。なめらかに滑る紙コップはピタリと東雲の飲んでいたカフェラテの紙コップの隣で止まった。

 

「へいへい。捨てといてやるからさっさと長月ちゃんとこに行って怒られてきやがれ」

 

「それは勘弁願いたいから急いで戻るよ。まだしばらく本部にいるならまた会うこともあるかもね。それじゃ」

 

「おー。じゃあなー」

 

今度こそ若狭が休憩室を後にする。残された東雲は冷めきったカフェラテをちびちびと飲んでいた。タバコを箱から取り出して咥えかけ、怒る翔鶴の顔が脳裏をよぎり、思い直したように箱に戻した。カフェラテを飲みつくすと若狭の残していった紙コップを手に取り、()()()()()()

 

《帆波から目を離すな》

 

紙コップの底に書かれている細く几帳面な字は若狭の字だ。わざわざ横須賀に帰る時期を聞いてきたのは先にウェーク島基地を優先し、見張りはそれから後でいいというメッセージ。そこまで優先事項ではないと若狭は読んでいるのだろう。だが例のシャーマンとやらに何かしらのターゲットにされる可能性があるということか。

 

「つまりお前は帆波を餌に、俺を罠の見張りに使うつもりか……」

 

食いついた瞬間はどうやっても姿を現すしかなくなる。そこを逃さずに捕らえる目論見なのだろう。

 

「ま、せいぜい利用されてやるとするさ」

 

ふたつの紙コップをリサイクルボックスに放り込む。すぐに殺菌消毒されて、繊維状になるまでドロドロにされたのを見届けてから東雲は休憩室を出ていった。

確かにただ利用されるのは少々癪だ。だが利害の関係は一致している。若狭はシャーマンを捕まえられて、東雲は不貞の輩を排除できる。

だがそこまで急ではないのなら先に片付けるべきタスクであるウェーク島基地計画を実行段階にまで持ち込む。せっかく取り戻した領土をみすみすまた奪われ返されるなどもってのほかだ。

 

「さて、翔鶴を放りっぱなしにしとくわけにもいかんしさっさと終わらせられるように頑張るとするか」

 

しばらくは帆波も休養のために大人しくしている。帰ってからで見張りは十分。だからこそ大事なこの仕事を余裕を持ってキッチリと完遂する。それが普段から出撃せずに横須賀の奥で座っているだけの自分に出来る最大の任務だ。

 




初っ端から不穏な空気を匂わせていくスタイル。違和感バリバリのスタートですが毎度の話ですねっ!

ようやく物語も中盤の半ばくらいまで来ました。ここまで趣味全開の小説についてきていただいた読者の皆様には感謝の言葉しかありません。

感想、評価などお待ちしております。それでは。


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イムヤの憂慮

こんにちは、プレリュードです!

秋刀魚ください。装備はしっかり付けてるのに全然来ません。集める系は本当にめんどくさいです……

それでは本編参りましょう!


館山基地の港湾部に見慣れたバルバス·バウをもつ船が接舷している。その他にも貨物船4隻が湾内に停泊中だ。

そう、貨物船ではないその船の名は艦娘輸送艦『さらしな』。ウェーク島攻略戦において帆波隊を運んだ船だ。その時の戦闘による損害箇所を修復するためにドックに入っていたが、その補修も完了し、今回の輸送任務に抜擢されたのだ。

 

執務室では狭いと判断を下した峻によって貨物船団の長とさらしなの搭乗員代表の3人、そして峻が会議室で顔を合わせていた。

 

「この度は船団護衛の依頼を受けていただきありがとうございます。私はこの船団長の長浜(ながはま)達哉(たつや)です」

 

「日本海軍横須賀鎮守府支部、館山基地基地司令の帆波峻大佐です」

 

長浜と峻が握手を交わす。髭の生えた豪快そうな長浜がニッと笑い、峻も合わせるように笑った。

 

「ウェークの奇跡を起こした方に護衛していただけるとは心強い」

 

「自分だけじゃ出来ませんでしたよ。全部あの娘たちの力です。わかっているとは思いますが……」

 

「ええ、わかっていますとも。無傷で辿り着くことなどありえないと」

 

「……すみません」

 

「謝らんといてください。私らもわかっとりますて。全てを守りきってみせることなど出来ないことくらい。それにあなたがたが護衛に付いてくれなきゃこちらは全滅しとるんです。それが避けられるのなら多少の犠牲は仕方ない。でしょう?」

 

「そう言っていただけるとありがたいです。全力で護衛させていただきます。出来るのなら被害など無しになるように」

 

「ありがとうございます。それでは私は船に戻っとります。出港する時間は事前にそちらに連絡が行っとると思いますが……」

 

「来てるので大丈夫ですよ。それではまた」

 

「では」

 

長浜が一礼すると会議室から出ていった。あとに残るのはさらしな乗員の3人のみ。

 

「おひさっす、大佐ぁ」

 

「久しぶりだな野川。沖山もさんげんざかも元気そうでなによりだ」

 

「お久しぶりです、帆波さん」

 

「だぁーかぁーらぁー! 私はさんげんざかじゃありません! 三間坂(みまさか)ですぅ!」

 

沖山が相変わらずの丁寧口調で挨拶をし、またも名前を弄られた三間坂がよく響く甘い声で猛抗議する。

 

「わりぃ、わりぃ。ま、お前らも息災でなによりだ」

 

「大佐も大変だったみたいじゃないっすか。ヨーロッパで」

 

「本当に。よくご無事でしたね……」

 

「大袈裟だな。まあ生きてるから大丈夫だっての」

 

「そうですよぉ。それにだん……大佐がそう簡単にやられるわけないじゃないですかぁ。10人近くをひとりで全部やっちゃうくらいなんですから!」

 

「ああ……そういやあったっすねえ、そんなこと」

 

「なっつかしい話だな……」

 

目を細めて昔を回顧しかけるが、とびかける思考をすぐに頭を振って取り戻す。

 

「沖山少佐、さらしなの状況は?」

 

「燃料弾薬共に余裕を持って補給済みです。現在、明石さんが自律駆動砲とモルガナ、艤装を艦に乗せる作業中だそうです」

 

「終了予定時刻は?」

 

「おそらくは5時間……いえ5時間半後かと」

 

「了解。それまでは出来ることもなし、のんびりするか。とりあえず座れよ」

 

3人に椅子を勧める。仕事の話は終わったため、あとは古い友人としてだ。向こうも心得たもので特に何か言うこともなく、勧められるままに腰を下ろした。誰かが口を開くわけでもなく、沈黙が場を支配する。それを最初に破ったのは峻だった。

 

「さて、輸送任務ってことだが大丈夫か?」

 

「自分たちは大丈夫ですよ。ラバウルまででしたよね」

 

「ずいぶんと遠いとこまで荷物運びっすよね」

 

「でもでもぉ、赤道に近い訳ですしあったかいですよね? これはもう、向こうに着いたらバカンスですよっ!」

 

実は水着も準備してあります! と楽しそうに三間坂が左右に揺れる。確かにラバウルに着けば少しくらいはフリーな時間が出来るだろう。その間に叢雲たちを休息させるのもいいかもしれない。シフト組んで常に待機組を作るなどする必要がある以上、睡眠時間が削られてしまう。ラバウルについたら命令がくるまでゆっくりさせたってバチは当たらないだろう。

 

「そういやさらしなはどこで直してたんだ?」

 

「呉ですね。その後は横須賀へ寄せていました」

 

「横須賀か。まあこっから近いしな。艦娘乗っける船がいるってなった時に一番近くにあったから白羽の矢が立ったってところか」

 

だが慣れた船であるところはありがたい。わざわざモルガナや自律駆動砲の射出装置を新設する必要がない分だけ手間も省ける。

 

「まあそれはいい。三間坂中尉、地図を」

 

「はいっ!」

 

会議室の机に三間坂がホロマップを展開。周りに集まるとその地図を覗き込む。失礼します、と一言断った沖山により、館山からラバウルまで赤色のラインがひかれた。

 

「航路はこのようになっています」

 

「なるほどな。確かこれは本部の言ってきたルートだったよな? なら問題はないだろ」

 

ウェーク島を抑えたからといって太平洋に現れる深海棲艦が減ったというわけではない。まだ太平洋にはミッドウェーもハワイも残っているのだ。

 

「東南アジアか……」

 

「戦況は5分5分だって話っすよね?」

 

「強いのが現れたって噂も聞いたし、苦戦してるみたいですねぇ……」

 

会議室に暗雲とした空気が立ち込める。少ない護衛、噂の強力な敵。なかなか骨の折れる作戦になりそうだった。

 

「ま、なんとかなるさ。モルガナは全力で投入してく。頭数の問題は天津風のパラレルで多少なりと解決できるだろ」

 

「出ましたねっ! 大佐のお得意の謎開発ぅー!」

 

「謎って。全て種も仕掛けもある、れっきとしたプログラムなんだが」

 

「でも普通、あんなもの組めないっすよ」

 

「そいつはどうも。ま、趣味が高じてってやつだ」

 

褒められて悪い気はしない。それが昔なじみに言われたものであればなおさらだ。沖山も野川も三間坂も嫌味まじりでわざとらしく賞賛を口にするようなことはしない。だからこそ素直に受け取れる。

 

「とにかく今回もよろしくな」

 

「もちろんです」

 

「よろっす」

 

「よろしくでーっす!」

 

3人は軽い調子で返答つつも、しっかりと敬礼をした。峻もしっかりと返礼。そして打ち合わせていたかのようにして同時に笑った。

 

本当に勝手を知っている船でよかった。モルガナだのパラレルなどのオリジナルシステムはあまり公にしたくなかったため、知り合いの船ならば黙っててくれるように頼み込むこともできる。

あとは何事もなく作戦完了の報告が出来ることを祈るのみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうなれた部屋。居ていいと認められた自分の部屋でゴーヤは荷物を簡単にまとめていた。行儀悪くテーブルに座って足をブラブラさせたイムヤが丸まったゴーヤの背中を羨ましそうに見ていた。

 

「最近ゴーヤは引っ張りだこね。イムヤはヒマでヒマで仕方ないわ」

 

「ホントはゴーヤたちは暇な方がいいんだよ。それにゴーヤはイムヤが羨ましいでち。こんなに忙しいなんて……」

 

「じゃあ変わってあげよっか?」

 

「それはいいの! せっかく……」

 

「せっかく提督の助けになれるんだからって?」

 

「…………むぅ」

 

「あははは! ほら、怒らないでよ」

 

プクッと頬を膨らせるゴーヤをイムヤがからかい半分に宥める。内心では表情豊かになってよかったと胸をなでおろしながら。

 

「ま、私たち潜水艦を輸送作戦に引っ張り出した本部の意図はよくわかんないけど頑張ってきなさい。館山はちゃんと守っとくから」

 

「よろしくでち。それにしても急に忙しくなったよね」

 

「本当にね。ヨーロッパといい……あっ、ごめん…………」

 

「ううん。気にしないで。それにゴーヤはしっかり見たわけじゃないから……」

 

「ねえ。良ければ聞かせてくれない?」

 

ぴょん、とイムヤがテーブルから飛び降りて真剣味の宿った目でゴーヤを見つめた。声には心配の色が強く滲んでいる。背中を丸めていたゴーヤが振り返った。

 

「決定的な瞬間は見てないのは本当だよ。叢雲がゴーヤの頭を抱えて見せないようにしてくれたから」

 

「そうなのね……」

 

「うん。でも怖いものは見たよ」

 

「やっぱり銃を向けられるのは怖いわよね……」

 

「ううん。違う。いや違わないけど、もっと怖かったもの」

 

「もっと怖かったもの?」

 

銃を向けられる以上の恐怖とは何だろう。それ以上きついことをゴーヤはヨーロッパで経験してきたのだろうか。イムヤの頭の中で不安が渦を巻く。

 

「それはね、てーとくだよ」

 

「提督が!?」

 

ガタン! とイムヤが立ち上がる。慌てたようにゴーヤがイムヤの肩を押さえて座らせた。

 

「ゴーヤ放して! 今すぐ行ってとっちめてやるわ!」

 

「イムヤ落ち着くでち! 別にてーとくはゴーヤに何もやってないよ!」

 

「じゃあなにがあったのよ!」

 

「えっと……」

 

口ごもるゴーヤにイムヤの頭に登っていた血が降りて少しだけ冷静になる。すとんと座ると肩を押さえていたゴーヤも元に戻っていく。

 

「てーとくの目が……」

 

「目?」

 

「そう。光がなくなって色んなものが抜け落ちたような目をしてた。そしてその後は……」

 

「でも……こう、あれじゃないの? やっぱり……こ、殺すって決めたらそうなっちゃうみたいな」

 

イムヤは言葉を選ぼうとして最適解が見つからず、仕方なく直接的な物言いをした。けれど仮に言い方を変えたところで事実は変わらない。変わるのは個人の主観による感情だけだ。

 

「そういうのじゃなかった。なんかこう……うまく言葉にできないけど怖かったでち」

 

ぶるりとゴーヤが震えた。現場を見ていないイムヤには想像しようとすることしかできないが、イムヤは峻が矢田に対して怒っていた時の事しか思いつかなかった。でもゴーヤが言っているものとは違うと断言できる。あの時の峻の目には怒りがあった。光がなくなってなといなかった。理性は少しだけ飛んでいたようだが、それでも何かが抜け落ちるといった印象は受けなかった。

 

「一応聞いておくけど銚子基地の時みたいな感じとは違うのよね?」

 

「全然違うよ。もっと冷えきった感じ」

 

「……ごめん、理解しようと頑張ったけどよくわかんない。けどゴーヤにとっては怖かったんだね」

 

「怖かったのもあるけど、見ていて痛々しかったかな」

 

「……ねえ、ゴーヤは提督のこと好き?」

 

「ぶっ! げふっ、ごほっ! き、急に何でち!」

 

イムヤにより、予想外の右ストレートを叩き込まれたゴーヤが噎せた。しばらくゴホゴホやっていたが、ようやく落ち着いたのか頬を紅潮させながらこくりと頷く。

 

「ならゴーヤが出来ることをやってあげて。ゴーヤ自身が納得できる形で」

 

「……ありがと、イムヤ」

 

ゴーヤがイムヤを見つめてから深々とお辞儀をした。むずむずとした感覚がイムヤの体を這い回り、ピンク色の頭を軽くぺしりとたたく。

 

「なーに律儀にお礼なんて言っちゃってるのよ! お礼なら言葉よりブツで返してちょうだい! そうね、高級そうなお菓子で許してあげるわ!」

 

「急すぎるよ、変貌ぶりが!」

 

「何のことかわかんないわー」

 

「イームーヤー!」

 

暗い雰囲気が払拭され、ドタバタと和やかな喧騒がゴーヤの部屋を満たす。

なぜイムヤはこんな話をゴーヤにしたのか。イムヤはついこの間、屋内演習場で的をめった切りにしている叢雲を目撃していた。そして今の叢雲には峻を補佐することなどできないと判断したのだ。峻の懐刀は持ち主をも傷つける妖刀に変わっている、とイムヤは考えていた。

ならば誰かが代わりになる必要がある。だが自分は今回の作戦に参加できない。ならばヨーロッパで起きたことを知っていて、現場を見てきた者にそれとなく伝えておく。それだけで少しはマシになるかもしれないのなら。

もちろん、親友のゴーヤに少し肩入れしたかったことは否定しない。けれどゴーヤの胸に秘めた思いが花咲くことを願うことくらいは許されるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

横須賀鎮守府の執務室で翔鶴はふぅ、と息を吐いた。活字を見すぎたせいか、目を閉じても目の前には文字列が踊る。東雲が本部に行っている間、代理として書類の仕分けを担当しているが、膨大な量に忙殺されていた。東雲のいない今は承認判を翔鶴の判断で勝手に打つことはできない。それでも支部の基地へ送る書類を各支部ごとに分けていく仕事がある。簡単そうに思えるがいかんせん量が量なので捌くのが厳しくなっていた。

執務室の重厚な扉がノックされる。伸びをしていた翔鶴は背筋を伸ばすとよく通る声で入室を許可する旨を告げた。

 

「失礼します。郵送する書類を受け取りに来ました」

 

「すみません、小泉中佐。何度もお願いしてしまって」

 

「自分がやりたいと思ってのことです。お気になさらないでください」

 

小泉がこれですね、と確認をとってから一つの山を持ち上げた。ここのところ毎日、小泉は翔鶴の仕分けた書類の山を郵送する手続きを請け負っていた。明らかに気を使わせてしまっていることに申し訳なさを覚えたが、猫の手も借りたいところだったので翔鶴は好意に甘えることにしたのだった。

 

「ではひとまずこちらを送ってきますね。郵送先はこの付箋に書いてあるところで大丈夫ですか?」

 

「あ、はい。よろしくお願いします」

 

「了解です。それでは」

 

小泉が一礼すると執務室から書類の山を抱えて退室していく。

 

「あ……」

 

「どうかされましたか?」

 

「……いえ、大したことじゃないんです。すみません」

 

「いえ。翔鶴さんも休息をとられてください。では」

 

今度こそ小泉が執務室から出ていった。重苦しい音を立てて扉がバタンと閉じる。次の仕分けに取り掛かろうとする翔鶴だが、その元に通信が舞い込んだ。

 

『よう、翔鶴。今は大丈夫か?』

 

「将生さんですか。はい、ちょうど休憩中でした」

 

『過去形ってことは今からまた始めるとこだったか。邪魔だったら切るが……』

 

「いえ。休憩は少しだけ延長することにしました」

 

『はっはっは! 延長か。そりゃいいや! ま、特に用がある訳じゃない。なんとなく心配になってかけてみただけだ。どうだ、そっちは?』

 

「横須賀を維持するだけで手一杯です……すみません…………」

 

しゅん、と翔鶴がうなだれる。いつも1人で横須賀と支部を回しきっている東雲のすごさが身に染みて感じられた。

 

『あー、そんな落ち込まんでくれ。そりゃ1人で回そうとすりゃそうなる。むしろよく横須賀を回してくれると俺は思うぞ』

 

「そうでしょうか……」

 

『ああ。まあ大丈夫そうならよかったよ。最近変わったこととかもないんだな?』

 

「変わったこと……ですか?」

 

『ああ』

 

翔鶴が顎にちょこっと手を当てて思案する。いつもならないこと。珍しいこと。最初に浮かんだのは書類の量が多すぎるような気がしたことだが、これはままあることなのですぐに取り下げる。

 

「そういえば……」

 

『なんかあったか?』

 

「いえ、そんなに大したことでは。ただ数時間前くらいに横須賀へ艦娘輸送艦のさらしなが補給を受けて出港していったようです」

 

『さらしなっていうと……シュンの知り合いが艦長やってる船か。確か沖山少佐だったっけな。館山にでも向かったのか? それだとまたあの野郎が変なこと企んでやがるのか……ま、それならいいか。変わったことと言えば変わったことだが、日常茶飯事とも言えるしな』

 

「それも問題では……とりあえず思い当たるのはこれくらいです」

 

『そうか。いや、翔鶴がうまく横須賀鎮守府を運営してくれてるみたいでよかった。っと、そろそろ時間だな。悪い、もう切る。あと少しだけ頼むな』

 

「わかりました。そちらも頑張ってくださいね」

 

『おう、任しとけ。じゃあな』

 

通信が切れてから弛緩した音が喉を伝って漏れる。疲労はもちろん溜まっている。だがせめて東雲が帰ってくるその時まではここを支え続けようという決意を新たにした。

 

「もうひと頑張りよ」

 

再び書類の山に向き合い、萎えかけた気を奮い立たせる。横須賀鎮守府司令長官の秘書艦として、不在の東雲の代わりとして翔鶴は持てる全ての力を持って横須賀を支える。東雲のように支部まで完璧に回しきることは出来ないかもしれない。だとしてもせめて、せめて横須賀だけでも保たせよう。

とめどなく送られてる紙を相手にまた翔鶴がわき目もふらさずに奮戦を始めた。




ひっさびさに登場したさらしな艦橋三人衆と小泉さんですが、覚えてくれてる人いますかね? まだこれから先にも1度しか出てねえ! みたいなキャラが出てきたりするかもしれませんけど。

それにしてもゴーヤのヒロイン感がやばい。そろそろ危ないですよ、叢雲さんや。

感想、評価などお待ちしております。それでは!


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ゴーヤの決意

こんにちは、プレリュードです!

気づけば10月も終わり、もう11月ですね。急にぐっと寒くなってきたのに、ハロウィンで仮装している人たちを見て、身体を壊しそうだなー、とか思ってました。
そして秋刀魚ください! 全然落ちねぇ! あと6尾で24尾達成するのに漁場変えても落ちねぇ! 畜生めぇぇぇぇ!
皆さんは秋刀魚掘り順調ですか? うちは見張り員がいない分だけ厳しいです……

本編参りましょう。


さらしなと貨物船4隻が海を滑る。館山から出港してまだ1日目だ。

そもそも物資の輸送というのは様々な手段が存在する。陸路と空路、そして海路だ。陸路において主流なのは鉄道やトラック、空路は航空機、海路は貨物船やタンカーなどの大型船だ。そして全てにメリットデメリットがある。

陸路を考えてみて欲しい。

車は目的地の目の前に運輸することが可能だ。鉄道は積載量が多いため、素早く効率もいい。欠点は道路や路線整備がなされている必要があること。

では空路はどうだろうか。

航空機は非常に素早く目的地まで運ぶことが出来る。それは他のどの手段にも勝る最大の利点とも言えよう。だが、飛ぶ以上はあまり重いものを運ぶことが出来ないのだ。

そして今回の海路だ。

船はとにかく遅い。自動車の平均速度が60km/h、航空機の平均速度が風の吹き方にもよるが900~1000km/hなのに対して大型の貨物船は経済速度にするとおおよそ20ノット、つまり時速にして約37km/hと格段に落ちるのだ。

 

ではわざわざそんなに遅い手段を選ぶ理由は何か。

 

船には自動車も鉄道も航空機もはるかに超える膨大なまでの貨物積載量というメリットがある。特に今回は陸続きではないため、次点の鉄道を使用しての輸送はできない。だからといって航空機はまだ完全に制海権を確保しきれていない海域を飛ばすのは不安が残る。自動車などにいたっては何をどうがんばれというのだろうか。

 

その結果、日本海軍が租借しているラバウル泊地まで物資を輸送する作戦においては、海路に白羽の矢が立ったのだ。

だが遅いものは遅い。日本からラバウルまでは海路を使った場合、最短で5日ほどかかる。制海権が不安定な海を渡るには長すぎる時間だ。その到着するまでの間、輸送船団を深海棲艦の襲撃から守るために護衛が必要となる。

そしてその護衛としてさらしなに帆波隊の中から指定された4人が乗り込んでいた。いつ襲われても対応できるようにアラート待機のシフトを組んでおけば、残りは船内で自由行動となる。

 

「どうだ?」

 

「実験前に話は聞いてたけど……かなりじゃじゃ馬ね」

 

「うーん、もう少し調整が必要か……」

 

さらしなの格納庫で峻が難しそうな顔をして唸る。叢雲が装着している艤装から幾多にも伸びるコードが様々な機材に繋がれ、最終的に峻の目の前にあるパソコンに表示されるようになっているのだが、なかなか芳しい結果は得られなかった。

 

「想定出力は満たしているし、むしろそれを超えてきた。だがその結果として安定性に欠けるか……」

 

「かなりピーキーよ、これ」

 

叢雲が艤装をノックするように叩く。試作ロットだったものを譲り受けてハード面にもソフト面にもかなり我流の改造を加えているだけあって、もともとからピーキーだったのは否めない。

 

「ま、トライアンドエラーだな。また調整したらよろしくな。さっき取れたデータを元にしていろいろ弄ってみる」

 

「わかったわ。ふわぁ……っ!」

 

「あー、悪かったな。早く寝てこい」

 

アラート待機が終了した後に呼び出したのはよくなかったようだ。噛み殺せなかった欠伸が小さな口から零れた。慌てたように口を閉じようとしてはいるがもう遅い。バツが悪そうに頬をかく峻はそこまでわかりやすいサインを見落とすはずがなかった。

 

「私はまだ……」

「どのみちテストは終了だ。部屋でゆっくり休んでこい」

 

有無を言わさぬ言葉に押されて叢雲が黙り込む。休むことが出来るなら休むべき。これは艦娘が生身の体である以上は避けられぬことだ。眠らなければ集中力は落ちて、動きに精彩を欠く。そんな健康状態で出撃すればどうなるかは目も当てられないだろう。

 

「忘れてもらっちゃ困る。これは船団護衛なんだ。そしてお前は貨物船を守るための(やいば)だ。刃がいくら鋭くて強くとも錆びていては役にたたねえ。だから寝てこい」

 

「……わかったわよ」

 

語気をわずかに荒げて叢雲が格納庫から去っていく。苦笑しながらそれを見送り、モニターに向かい合った。流れるデータを見ながらブツブツと呟く。

 

「前回よりは安定性が増したがそれでも足りない……個人での使用は危険か? なら演算補助装置を噛ませてカバーリングするのがベストか……?」

 

延々と続くかのように思われた文字列のスクロールが止まった。まだ完成からは遠いプログラムを前に峻は頭の中で未完成のタグをつけた。形はできても中身が不完全ではとてもじゃないが実用に耐えうるものとは思えない。

 

「こんなとこか。残りはまた時間が出来た時にでもやるとするさ」

 

誰に言うわけでもなく立ち上がると、パソコンがしっかりと落ちたことを確認し、格納庫から出ていった。廊下を歩いていると陸とは違い、ほんの少しだけ足元が揺れる。

もう1日経った。だがまだ4日残っている。けれど今のところは襲撃の兆しもなく、実に順調な船旅だ。無論、警戒を怠るべきではないことに違いはないが。

 

シュイン、と滑らかに艦橋のドアがスライドして開く。艦橋に張られている強化ガラスの向こうには甲板があり、さらにその向こう側には碧く広がる海がある。

 

「あ、大佐。お疲れ様ですぅ」

 

「ん、三間坂もお疲れさん」

 

CICに座る三間坂が艦橋へ踏み込んだ峻に気づき、椅子だけ回転させるとにこやかに笑いかける。沖山と野川の2人は今、シフト外なのか外しているようだ。艦長席とは別に用意された司令席に座ると目の前にホロウィンドウを立ちあげる。

 

「敵さんの影はなし……まあいい兆候だな」

 

「このまま何も起こることなくラバウルまで着けばいいですねぇ」

 

「まあな」

 

ウィンドウには周囲に敵影、および深海棲艦反応はない。油断は厳禁だが、安心してもいいようだ。幸いにも完全に電子化されているこの船は少人数での見張りが可能だ。そのため現在、艦橋に詰め掛けている人数はかなり少ない。そして乗員の数もさらしなはかなり少ないのだ。コネクトデバイスにより、電子制御関連はかなり簡略化されているため、人員が少なくとも大型艦を運用することができるのだ。もちろん、緊急時に備えて手動での操作にも対応しているが基本は全て頚椎に装着したコネクトデバイスからだ。その証拠に三間坂も首にヘッドホンのような形のものをつけているだけで、目前の機器を触る様子は無い。手は空中に浮かぶホロウィンドウを時折さわるだけだ。

 

どれくらい時間が経ったか、水平線の向こう側に太陽がゆっくりと沈んでいく。碧い海がだんだんと朱色に染まり、一種の幻想的な感覚に襲われる。そして間もなく2日目の航海に夜の帳が降りた。

 

「2日目、終了。全艦に艦の状況を報告するように通達」

 

「了解ですっ」

 

三間坂がホロウィンドウ上のコンソールを使い、一斉に無線を貨物船4隻に向かって飛ばす。待つこと数分、通信が返ってきたことを報せる電子音が鳴った。

 

『貨物船団長の長浜です。けやき丸及び以下3隻、いずれも異常なしです。どうぞ』

 

「けやき丸と以下3隻の異常なし。報告を受け取りました。航路そのまま。良い夜を」

 

『航路そのまま了解。ではそちらこそ良い夜を』

 

簡略化された受け答えのみであっさりと報告は終了した。峻は腕を大きく振り上げて伸びをした後に、また司令席に深く座り直す。

 

「大佐、寝てきていいですよ?」

 

「お前は寝なくていいのか?」

 

「私はそろそろ交代ですからぁ。夜更かしはお肌の大敵なんですよ?」

 

「軍人が肌に気を使う……ねえ」

 

「いいじゃないですかぁ。せっかくそういうことが出来るようになったんですから。昔はそんなことするお金も余裕もなかったんですよっ」

 

「……そうだな。あの頃は生きることだけで必死だったもんな」

 

「団長がいなければ私たちは野垂れ死んでたかもしれなかったんです。ありがとうございました」

 

いつもの甘く間延びした声を止めていつに無く真剣な様子で三間坂が言葉を投げかけた。艦橋に反響することはなく、ふたりの間にしか聞こえない僅かなボリューム。囁くような声は

 

「…………俺はもう違う。今は大佐だ」

 

「そうですね。今は大佐です。そして昔は団長でした。()()()()()()? わかってるんでしょう?」

 

「……」

 

「……やっぱりはぐらかしてばっかりなんですね」

 

寂しそうな声色で三間坂が椅子を回転させてCICに向き直る。

峻は仲間に嘘をつかないことを信条としている。それでも真実は告げない。それは峻の巧みな話術のなせる業とも言えるだろう。そして三間坂も踏み込まれたくないことだと察したためあっさりと引いたのだ。

 

「ここ離れる。シフトが来るまでよろしくな」

 

居た堪れなくなった峻が司令席から立ち上がり、艦橋から出て行こうとする。スライド式のドアが真横にすべる。

 

「知られたくない……それでも知りたいと願うことは罪ですか…………?」

 

三間坂が小さく呟く。その問いかけには答えが返らない。既に峻は艦橋から完全に姿を消していた。艦橋に残された三間坂の表情をホロウィンドウが照り返す青白い光が隠していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぅん……むにゅ……」

 

天津風が翻訳不能な音を発しながらこくりこくりと船を漕ぐ。不意にとんとん、と肩を叩かれて勢いよく飛び上がった。

 

「おはよー、天津風」

 

「ねえ、私どれだけ寝てた?」

 

「ほんの数分だよー。あたしも今、天津風が寝てることに気づいたんだし」

 

ほわ、と北上があくびをかみ殺しながら大きく反った。ぐぐっと豊かとまでは言えない北上の胸部が持ち上がる。

 

「アラート待機って面倒だよねー」

 

「でも必要なことじゃない」

 

「わかってるよ。でもさ、眠くなるしキツいよね」

 

「う…………」

 

ついさっきまでうたた寝していた天津風としては耳が痛い話だ。だが特にやることもなくずっと座っているだけでは暇も持て余すし、睡魔も襲ってくるというものだろう。

 

「ま、もうちょっとで交代だしね」

 

「そうね。それにしても何もせずに起きてるのはさすがに疲れたわ」

 

「次はゴーヤと叢雲だっけ?」

「ええ。夜の待機は辛そうね」

 

昼のシフトであることを天津風は喜ぶと共に、夜のシフトを担当してくれたゴーヤと叢雲に感謝の意をこっそりと捧げた。

 

「ねえ、天津風ー」

 

「なあに?」

 

「輸送作戦ってことだけどさー、何を運ぶの?」

 

「えっ、何って……石油(あぶら)とか?」

 

「えー。日本なんかより、よっぽど質も量もいいのがとれるのに? ほらー、ちょっといくと油田地帯のブルネイとかあるし」

 

「それもそうね……」

 

伊達に日本は『世界の鉱石標本所』などと呼ばれていない。とれる石油の量は東南アジアの方が多いに決まっている。

 

「となると……配備の遅れてる装備とか食料品とかかしら?」

 

「んー、まあそんなとこなのかな?」

 

「それ以外は考えられないわ。他に何かある?」

 

あー、だのうー、だの唸るような音を出しながら北上が考える。しばらく考えていたが、そのまま諦めたように机に突っ伏してしまう。

 

「だめだー。あたしにはこういうこと考えるのって向いてないねえ」

 

「もうちょっとがんばったら……」

 

「あたしの得意なのはやっぱ戦闘なんだよねー。そういうこと考えるのは他に任せるよ」

 

「まあ、私もあんまり得意じゃないけど……でも提督もよく言ってるじゃない。たとえ戦闘でも考えることをやめるなって」

 

「あー、言ってるねえ。ま、間違ってないと思うよ。でもまたそれとは違うじゃん? 戦闘中の思考とそういう思考はさー」

 

「まあ、そうだけど……」

 

このままいくと不名誉なあだ名を頂戴するような予感がして天津風は内心で小さくため息をついた。できるものなら、というか一人の少女として『脳筋』の二文字を頂くようなことだけはなんとしても避けたいと思うのだ。

 

「でも結局やることはおんなじじゃん? 敵を見つけたら提督の指示に従って撃つ。ここだけは変わんないって」

 

「そうね。そこは変わらないかも」

 

「変わらないよ。そこに敵がいるんだから」

 

突っ伏した姿勢のまま、北上がいつに無く真面目くさった声で言った。そう、変わらない。海に敵が、深海棲艦がいるという現状は10年以上という長い月日が経っても変わることなく続いている。

 

軍が成果を求められて出した公式発表は、それでも戦線は維持できている。

何が維持だろうか。深海棲艦(てき)を殺し、艦娘(なかま)が殺される。ただそれをいたずらに繰り返すだけの戦いを維持である。前線にいる者ほどその表現を鼻で笑うだろう。耳ざわりのいい言葉で誤魔化しただけだ、と。艦娘と軍人を使い潰して得られた結果はただの停滞である、と。

 

停滞したがために生まれたサイクル。殺しても減らない深海棲艦と殺されてもまた新しく生まれる艦娘。終わりの見えない死の螺旋にこの世界は囚われている。

 

「この戦いはいつになったら終わりを告げるのかしら……」

 

「さあ? でも人と化け物の生き残り合戦だからねー。終わった時はどっちかはいなくなってるよ」

 

「そう……でもきっといつかそうなるのね、いつかは」

 

「……たぶんねー。たださ、もしあたしたちが勝ったとしてだよ」

 

「勝ったとして?」

 

「あたしたちはどうなるんだろうねーってさ」

 

「……ほんとにどうなるのかしらね?」

 

今まで考えてみたことも無かった。だがいずれは終わりを告げることになるのだろう。その時、自分たち艦娘はどうなってしまうのだろうか。深海棲艦という敵を失った後に自分たちの存在価値は無くなる。

その瞬間、艦娘はどこへ行くのだろう。

 

「いま話してもどうしようもないことだけどさー。先のことより今のことだよね」

 

「確かに。それより苦手だって言っておきながら普通に色々考えてるのね」

 

「んー、これくらいはね。でもどのみちどうなるかはわかんないわけだし」

 

机の上でごろりと転がり、北上が仰向けになる。お下げが机の端から垂れ下がり、所在なさげに揺らめいた。

 

「でも私は負ける気なんてない」

 

「奇遇だねー。あたしもだよ」

 

毅然と言い放つ天津風にいつものマイペースさを崩すことなく北上が賛同する。

艦娘は生を受けたその時から戦う運命にある。だが死ぬのは嫌だ。ならば勝ち続けるしかない。

 

「じゃ、この作戦も勝利の布石になることを祈ろっか。で、そのために寝よう。ほら、交代がきたよー」

 

仰向けのままで北上が待機部屋のドアを指さす。廊下から一定のリズムでカツカツと足音が聞こえてきた。

 

「引き継ぎに来たわよ」

「やー、待ってたよー。もう眠くってさー」

 

「……まあ起きてたみたいだし何も言わないけど緊急時には出てもらうんだから寝ててもらっちゃ困るわよ」

 

叢雲に気づかれていないとわかっていながらも気まずさから天津風が目だけ動かして視線を逸らす。

 

「そういえばゴーヤはー?」

 

「ここでち」

 

叢雲が入ってきた後ろから少し遅れてゴーヤがするりと現れた。

 

「夜は潜水艦の時間だからね。おまかせでち!」

 

得意げなゴーヤがアホ毛をぴょこぴょこと動かしながら朗らかに笑う。だが天津風の表情は晴れない。

 

「ゴーヤ……あなたは本当に大丈夫なの?」

 

言いずらそうに天津風が口を開き、北上が寝そべったままぴくりと反応する。言葉足らずに発された真意は、深海棲艦と戦えるのかという確認。直接的に聞くことが憚られたために天津風が濁したその質問にゴーヤは俯いた。

 

「まだ完全には……でもいつまでもこのままじゃいけないから……だからっ…………」

 

決意のこもった顔をゴーヤが上げる。そのまま、まっすぐに天津風を見据えた。

 

「だからゴーヤは進むよ。ずっと目を逸らして逃げているばっかりじゃ何も変わらないからっ……」

 

乗り越える。その思いが強くこめられた目でゴーヤが正面を見た。怖いことに変わりは無いのだろう。握り締めた拳は小さく震えている。それでも自らの精神的外傷(トラウマ)と向き合う覚悟は決めたのだ。

 

「そう。ならいいわ。戦闘では頼りにしてるわよ」

 

ゴーヤの覚悟は決まっている。ならばこれ以上の言葉は無粋というものだ。だから天津風はもう何も聞かない。

天津風が部屋を滑るようにして抜け出ていく。そのあとに北上も続いた。

 

「ちょっと言い方がきつかったかしら……」

 

「気にするなら最初から言わなければいいのにさー。でもきっと伝わってるんじゃない?」

 

北上が後頭部で手を組みながらのんびりと言い放つ。遠まわしではあった。だが天津風はゴーヤを励ましていた。戦闘では頼りにしている、という一言で。戦力としてカウントさせてもらうという意思表示をすることによってゴーヤの思いを認めたのだ。

 

「ふわあ……じゃ、あたしはこっちだから。じゃねー」

 

「お疲れ様」

 

北上が通路へと消えていった。天津風は充てられた自室に向かってひとり歩き続ける。

 

「ゴーヤ。あなたの覚悟、受け取ったわよ」

 

誰もいない通路に小さく漏れたその声は全力でゴーヤを支援するという意思の表れだ。

 

「まあこれは輸送作戦だし、戦闘なんて起きないに越したことはないのよね……」

 

部屋に入ると服を脱ぎ捨てて、寝巻きに着替える。寝る時には邪魔になる髪留めを外してサイドテーブルに置くと天津風はベットに倒れ込んだ。直ぐに小さな寝息がその口から漏れる。

 

 

 

2日目終了。そして3日目が始まる。




最近、ほんとに1話あたりの平均字数が増えてきたなあと思います。もともと2000字くらいだったのが4000に、そして気づけば6000が当たり前になってきてますよ……
世の作家さんたちは凄いなあ、としみじみ実感させられる今日このごろです。そういえば次回予告とかそのうち後書きに付けたりしてみたいですね。こう、中二感バリバリのやつ。

感想、評価などお待ちしております。それでは。


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孤独の海

こんにちは、プレリュードです!

最近、はじめてろ号をクリアしました。おっせえよ、って思われるかもしれませんが面倒でなかなかやろうって気にならなかったんですよ。さすがにカタパルト欲しいんで頑張りますが、問題は秋雲がいないこと。
オータムクラウド先生マダー? いや、今まで来る度に近代化改修に突っ込んでた自分が悪いのはよく分かってるんだけどさ……

では本編参りましょう。


疲労に人は抗えぬ。これは天の定めた摂理である。ならば昨夜、横須賀に帰ってきた時にそのままベットダイブしたことは誰にも責められないだろうと東雲は思った。

長期間、本部に仕事とはいえ拘束されていて心身共に休まらなかったのだ。

 

久しぶりに横須賀の執務室に向かって歩く。手を組んで大きく上に振り上げると肩の骨が鳴った。まだ完璧に疲労が抜けきったわけではないらしい。だがそれを理由にして休むわけにはいかないし、空けていた間に頑張ってくれていた翔鶴に対して申し訳が立たないというものだろう。

 

「翔鶴、長い間空けて悪かったな。助かったぜ」

 

「いえ、私は将生さんの秘書艦ですから」

 

そう言って微笑んでみせる翔鶴だが、うっすらとクマが目の下に見える。恐らく化粧品の類で隠したつもりなのだろうが、どうしたものだろうかと東雲は迷った。

こちらに気を使わせまいと翔鶴がやっているのに、その気遣いを無碍にしてもいいものだろうか。だが体調のことを考えるとあまりいいこととも思えない。

 

「今日は翔鶴から俺が不在にしてた間の経過を聞いたら仕事は止めにするか」

 

「いいんですか?」

 

「1日くらいは大丈夫だろ。それにもう支部への書類は送ってあるんだろ? なら問題はないさ。それにまだ俺も疲労が抜けきってないんだ」

 

結果、東雲が選んだのは自分も翔鶴も休みにしてしまうことだった。こうすれば翔鶴も気兼ねすることなく休めるだろう。執務に関しては適当に代理を立てるなりしておけば今日くらいはしのげる。

 

「そう……ですか。ありがとうございます」

 

「なんで礼なんて言ってんだ。俺が休みたかったからいいんだよ」

 

少し投げやりな言い方になってしまったが、意図は伝わったようだ。だがどうもこういうことは苦手だ。

 

「とにかくざっとだけ聞かせてもらうぜ。ここんとこはどうだった?」

 

「どう……ですか。そうですね、大きなことはありませんでした。深海棲艦が2度ほど侵攻してきたりはしましたが、いずれもはぐれで小規模だったため、ほとんど被害もなく終わりました」

 

「はぐれなら本当に大したことないな。で、他にはなにかあったか?」

 

「いえ、その他には本当に穏やかなものでした。あ、こちらが横須賀の資材量変動のグラフです」

 

「おう。ま、特に大きな変化もなしって感じか」

 

いつもの椅子にどっかりと座り、渡された書類をパラパラと流すように見る。翔鶴は本当に良くやってくれていたようだ。目立つような問題は全くない。東雲が1週間以上も空けていたにも関わらず見事なものだ。

 

「よし、大体は把握した。ほんとに助かったぜ、翔鶴」

 

「いえ、そんな……」

 

頬を朱色に染めながら翔鶴が東雲の賛辞と感謝をむず痒そうに、だが同時に嬉しそうに受け取る。

見終わった報告書を机に丁寧に置くと、コネクトデバイスから通信を飛ばす。飛ばした先は館山基地だ。

 

「下がりましょうか?」

 

「いや。別に大した用事じゃないからいい。そもそもかけた先が館山って時点でいろいろ察しつくだろ?」

 

帆波から目を離すな。

若狭に言われたことを実行に移すための通信なのだが、翔鶴に余計な気苦労をかけてもいけない。不自然なところは見せないようにするならばいつものように翔鶴はここにいてもらった方がいい。

 

『榛名です。えっと、東雲中将ですか?』

 

「ああ、俺だ。急に悪いな、榛名ちゃん」

 

『いえ、榛名は大丈夫です! どうかされましたか?』

 

「あー、いや。特に用事があるって訳じゃないんだか。シュンの奴はまた工廠か?」

 

『……? 何を言っていらっしゃるのですか?』

 

「ん? 工廠じゃないのか? なら昼寝中か? それとも……」

 

『いえ、ですから……』

 

榛名が一呼吸を置いた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?』

 

「は………………?」

 

東雲の思考に空白が生じた。勢いよく立ち上がりすぎて椅子が倒れたがそんなことも気にしている余裕も無い。

 

「翔鶴! 館山基地に輸送作戦の命令書を送った記憶はあるか?」

 

「い、いえ……全て確認してから各支部に送りましたし、作戦命令などはすべて別に分けようとしました。ありませんでしたが」

 

驚きながら翔鶴が執務机にある空の書類ケースを指さす。

 

「榛名ちゃん! シュンのやつはどこへ向かった?」

 

『は、はい……たしかラバウルだと言ってました』

 

東雲の顔から血の気がさあっと引いた。不安そうに翔鶴が覗き込む。

 

「将生さん……?」

 

「ラバウル……館山から行く場合に通る航路はっ……」

 

榛名と通信を繋げたまま東雲が机の上に太平洋の地図を広げる。ペン立てから赤色のマジックペンを引き抜き、乱暴にキャップを外す。館山基地のある場所に丸を付け、それからラバウル泊地にも同じことをする。

 

「この航路だと……くそっ! まじかよ!」

 

「これは……?」

 

翔鶴はよくわからない様子で首を傾げる。

 

『どうかしたんですか?』

 

「拙い。つい先日、東南アジア方面で馬鹿に強い深海棲艦が確認されてる。本部にいたときにそれの予測行動ルートを見たが、どんぴしゃりでシュンたちにぶつかる可能性が高い!」

 

『でも大佐ならなんとか……』

 

「いや、シュンでも厳しいだろうな。相手は悪魔とも揶揄されるレ級。そいつが2隻も確認されてる! 欠けた人員でどうにかできるような敵じゃねえ!」

 

もしも峻の下に帆波隊が全て揃っているならば、まだなんとかなる可能性もあったかもしれない。だが、通信に榛名が出ているということは少なくとも完全な形ではないのだろう。

 

「榛名ちゃん! 今、館山には誰が残ってる?」

 

『榛名と陸奥さん、加賀さんに瑞鶴ちゃん、夕張ちゃんに矢矧ちゃんがいて……あとイムヤちゃんと鈴谷ちゃんと明石さんが残ってます!』

 

「ってことは出たのは4人か。くそっ、会敵したら洒落になんねえぞ!」

 

東雲が帽子をかなぐり捨てて頭をガシガシと掻く。メモ帳を引きちぎり、そこに叢雲、天津風、北上、ゴーヤと書き殴った。

 

「わざわざ編成をシュンのやつに半ば依存してる艦娘だけにしやがって。あんなの殺す気まんまんですって言ってるようなもんじゃねえか」

 

だからこその迅速な行動。北上は艦娘を使い捨てにする司令官の元で命令違反を繰り返して、捨てられかけたところを拾ってもらっているため、峻以外の指示をまともに聞くとは思えない。

天津風も天津風で峻の作ったパラレルシステムに依存している以上は、峻が消えればまともな戦力にカウントはできないし、ゴーヤにいたっては峻自身が自らに依存させることによってゴーヤを保たせている。

そして叢雲だ。

あれはもう峻以外にまともに指揮ができる人間はいないし、なにより峻が死のうものなら本格的に壊れる。

 

画策した人間はついでに沈めてしまえばいい、くらいの考えでいたのだろう。残ったところで使い物にはならない。どうせすぐに次の換えがくるから、と。

 

「ちっ、胸糞悪い」

 

換えがある。ある意味では艦娘を兵器運用するならば正しい考え方だ。だが割り切ることなどできなかった。それは多くの司令官が胸に抱える矛盾なのかもしれない。そして東雲も中将である前に1人の人間だった。

 

「翔鶴、確認なんだが命令書を館山に送ってはいないんだな?」

 

「はい!」

 

「榛名ちゃん、だが館山に命令書は届いたんだな? それも横須賀から!」

 

『はい。横須賀から来たそうです! 大佐がぼやいてましたし、出発前に消印を見せてもらいました』

 

「だが送ってなどいない。なぜなら出撃関連に関しては翔鶴が独断を嫌って俺が戻るまで送らないようにしていたからだ。そしてその手の書類を翔鶴は見ていない。だが横須賀から送られていた。()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

仮にこんな命令書が本部から送られて来ようものなら東雲は真っ先に本部に送り返して作戦の再立案を要求しただろう。だが東雲はいなかった。そして翔鶴も送ってなどいないと断言した。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

この事実は変わらない。

 

「っ…………もしかして……」

 

「どうした、翔鶴?」

 

「……いえ、今はそれどころじゃありません。先に帆波大佐へ連絡を取りましょう」

 

「そうだな。榛名ちゃん、ちょっと切るぜ。また後でかけることもあるかもしれねえから気をつけといてくれ」

 

『榛名、了解です』

 

館山との通信を切り、机の上にある邪魔なものを除けていく。残したのは赤色のチェックが付けられた地図。

 

「翔鶴、さらしなへのチャンネル!」

 

「はい!」

 

翔鶴によってホロウィンドウに表示されたリンクを東雲が踏んだ。繋がった時に鳴る特有のプツッという音が聞こえて。

そのまま通信が弾かれた。

 

「……?」

 

もう1度リンクを踏んでさらしなへ通信をかけ直す。今度はさっきの音も聞こえずに通信は弾かれた。

 

「どうしましたか?」

 

「通信が弾かれた」

 

「えっ? す、すいません! リンク、間違えましたか?」

 

「いや、あってる。ちゃんと確認した。ってことは……くそ!」

 

東雲が机に拳を叩きつけて毒づく。だがそれも一瞬のことで、すぐに手はホロウィンドウの上を駆け回る。

 

「若狭! 緊急事態だ!」

 

『東雲かい? 何があった?』

 

「シュンが館山にいない。そして連絡もつかん」

 

『……詳しく』

 

東雲の発した短い言葉だけで何かを悟った若狭はただ詳細を求めた。

 

「横須賀から輸送作戦の命令書が館山に飛んでる。だがうちは送ってない」

 

『確かかい?』

 

「マジだ。情けない限りだが横須賀の中に手を回した野郎がいるのは確実だな」

 

『うん、そうなるね。で、輸送作戦の行き先は?』

 

「ラバウルだ」

 

『冗談……ではなさそうだね。そうなら最悪だ』

 

本部勤めの若狭がレ級の情報を知らないわけがない。東雲の出した答えにたどり着くのはあまりかからなかったのだろう。

 

『連絡が取れないっていうのは?』

 

「通信防壁が張られている! かなり堅いやつだ。何度か試したが弾かれた! 帆波に張るメリットがない以上、なにかしらの干渉を受けてる可能性が高い」

 

『最悪も最悪の状況だね。抜かったなあ。まさかここまで早いとは』

 

「そっちの詳しいことは聞かん。ただなんとかするぞ」

 

『うん、わかってる。相手の思う壺になるのは嫌だからね』

 

「とにかく俺はいつでも動けるように手配しとく。若狭、お前は……」

 

『僕は帆波の方にかかってる通信防壁を突破するよ』

 

「任せた」

 

通信が切れると同時に椅子を蹴立てて立ち上がる。

 

「翔鶴、現時点より東雲隊はコードイエローで待機」

 

「了解です。……ですがその前に将生さん、すこし失礼します」

 

翔鶴が東雲に近寄り、背伸びをした。豊かな銀髪がふわりと揺れ、花のような香りが東雲の鼻腔を柔らかく刺激する。そのまま翔鶴の口が東雲の耳元に近づき、一瞬だけ逡巡した後に囁く。

 

「……おい、冗談だろ…………」

 

「あくまで可能性の話です。ですが十分にありえると思います」

 

「……わかった。そっちも俺がやっとく」

 

「すみません。では」

 

手早く一礼すると翔鶴が執務室から出ていく。扉が閉まると同時にパタパタと小走りしていく音が聞こえ、だんだんと小さくなっていった。

 

「これは最悪の場合を考えてレ級との戦闘も想定しておくべきだな」

 

命令書関連はひとまず置いておく。そっちは後でどうとでもできるからだ。それよりも先にやるべき事がある。

 

「忙しくなってきやがった、くそっ!」

 

こんな忙しさなんて求めていなかったが。だがそれでも起きてしまったものは仕方ない。ならばやるだけだ。

 

「どこのどいつかは知らねえが目的はシュンの排除か?」

 

だとすればずいぶんと大掛かりにやってきたものだ。だが東雲がなんとなく館山に通信を飛ばしたのが運のつきだ。もしも気づかなければそのままだったかもしれないが通信により東雲は気づくことができた。

 

「好きにさせてたまるか……どっかの誰かさんよ!」

 

吐き捨てると東雲は動き出す。最悪のケースを想定して東雲隊を待機させ、飛行場へ向かわせるためのヘリの手配。そして飛行場に着いてから艦娘を乗せて戦闘海域へ飛ばすための高速輸送機の手配。やることはたくさんある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方そのころ、何事もなく3日目も終わりを告げた。そして4日目の朝に峻は1人でさらしなの薄暗い格納庫でまたホロモニターを睨んでいた。叢雲に頼んでいた新兵装のテストにより取れたデータを統合した上で確認していたのだ。

 

「安定領域にはまだ遠いな。出力を抑えたテストでこれじゃあ実戦投入は難しいか……?」

 

もしも実戦におけるデータが手に入れば実用化に至る可能性もあるかもしれない。けれど今の段階で実戦データはない。ならば取ればいいだけなのだが、そうもいかない理由がある。

 

リスキーすぎるのだ。

 

そんなリスクがあるものを戦場に出すメリットは感じられないし、なにより危険すぎる。

 

「こいつは失敗作だな……」

 

このまま続けても大したデータは取れないだろう。ならば実用化は難しいし、この段階で無理やり実用化に踏み切るのは危ない。

 

「ま、いつか出来ることを願ってデータだけは残しとくが叢雲の艤装からはプログラムを消しとかなきゃな」

 

非常に残念ではある。だが所詮は趣味レベルのプログラムだったということだ。危険性が無視できないのならば使うべきではない。配線を叢雲の艤装に繋ぎ、もう片方をパソコンへと繋ごうとした。

 

「大佐!」

 

格納庫のドアを蹴破るような勢いで野川が転がり込んできた。吐く息は荒く、艦橋から全速力で走ってきたのが窺える。

 

「どうした?」

 

「船の通信系統が乗っ取られてます! 貨物船団の船も全て!」

 

「どういうことだ!」

 

「詳しいことは艦橋で。沖山が待ってるっすよ!」

 

パソコンを放り出すようにして置くと峻は格納庫を飛び出した。スライド式のドアが開くことすらもどかしく感じられる。

 

「沖山! 状況を!」

 

「おそらくウイルスの類です! 外部への通信が出来ません! 遅効型だったようですが悪いのはそれだけではなく、それまでに通信をした相手先にまで感染するタイプのようです!」

 

「ってことは貨物船のけやき丸とかもアウトか!」

 

毎晩に、艦内の状況などを報告しあっていたことが仇となった。さらしなを感染源として船団にウイルスを移す結果になってしまった。

 

「復旧作業にかかってますけど厳しいですっ! こちらからのアクセスがすべて拒否されてます!」

 

三間坂が悲鳴を上げながら手元のホロキーを叩く。だがウイルスの除去はうまくいかないようだ。

 

「船団との連絡はどうなってる?」

 

「手旗信号で取り合ってます! 夜は発光信号を使えばなんとか……」

 

「ここまできたら戻るより進む方が早いな。進路このままでラバウルに向かうのがいいと思うが沖山、お前はどう思う?」

 

「自分もそれに賛成です」

 

「よし。ならそれで行こう」

 

「了解です。今より本艦は警戒態勢に移行する! 三間坂はそのまま復旧作業を」

 

「了解ですっ!」

 

艦橋に緊張が走る。通信系統が乗っ取られているため外部はあてにできない。ならば自分たちでなんとかするしかないのだ。

 

「三間坂、ウイルスってのはどんなシロモノだ?」

 

「えっと……通信関係を制圧するタイプです。あと制圧すると同時に外部からの接触を遮断するために防壁を張り巡らせて完全にシャットアウトしてきました」

 

「起動したタイミングはわかるか?」

 

「恐らく、ですけどつい先程ですね。さらしなに通信が来たので取ろうとしたら切れてしまって、かけ直そうとしたらこうなりましたから」

 

「ってことは発動したのはかかってきた時かかけ直した時か」

 

「たぶん、ですけど」

 

「わかった。邪魔して悪かったな」

 

CICから離れて司令席に峻は腰を下ろした。これから先は何が起こるかわからない以上は迂闊に離れるわけにもいかないだろう。

 

「レーダーは常に見ておくんだ! 野川、火器管制にいてくれ。いつ何があるかわからない」

 

「了解しましたよ、艦長どの?」

 

矢継ぎ早に指示を飛ばす沖山に対しておどけたように言いながら野川が火器管制席に滑り込む。

 

もしかしたら通信をかけてきた者が異常を察して動いてくれているかもしれない。だがそれは楽観的な思考だろう。何が起きても自分たちだけで対処できるように備えるべきだ。

 

「艦長、艦内無線もやられてますっ!」

 

「伝声管! 指示の伝達はすべてそれでいく!」

 

「はいっ!」

 

「沖山、長浜船団長はなんて言ってる?」

 

「そちらの指示に従う、とのことです」

 

「なるほど。まあどうしようもないわな」

 

気楽そうには言っているが、事態はかなり切迫している。外部との連絡を絶たれて航海を続けるということは救援も呼べないのだ。

峻は伝声管を掴むと口を寄せて大きく叫んだ。声の行く先はアラート待機組が待機している部屋だ。

 

「俺だ。そこに誰がいる?」

 

『今は私とゴーヤのシフトよ。どうかしたの?』

 

少し間が空いてから叢雲の声が金属の筒を通って艦橋へと戻ってきた。

 

「叢雲、天津風と北上も叩き起こせ! 第二種警戒態勢(コンディションイエロー)だ!」

 

『っ! 了解したわ』

 

朧げながらも状況を察した叢雲が素早く返答すると共に慌ただしい雰囲気が管を通って伝わる。

4日目にしてえらいことが起きてくれたものだ、と峻はぼやきたい気持ちだった。だが起きてしまったものは仕方ない。この作戦は輸送作戦だ。ならば人事を尽くして貨物船団を守るのみ。

峻は険しい目つきで艦橋から水平線を睨めつけた。

 

────さらしながラバウルに到着するまであと24時間。




輸送作戦が平和に終わるわけないよなあ?
相も変わらずだらだらと続いていきますがどうかご容赦をば。

そしてお気に入りが200件を超えました! ありがとうございます! またどこかでなにかやりましょうか。クリスマス特別編とかお正月編とか。

感想、評価などお待ちしてます。それでは!


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後門の狼

こんにちは、プレリュードです!

次のイベントは中規模ということですが、皆さん戦力の方はいかがでしょうか?
最初から甲作戦ですべてクリアできるとは思ってない自分は適当にやりつつ、資材がやばくなったら難易度を落とします。ただその前にDMMカード買わなきゃ……母港枠がもう空いてないっ…………

では本編参りましょう!


さいたま市にある防諜部ビルの一室で若狭は、今まで机の上にあった邪魔な書類を横に纏めて置き、大型PCを卓上に設置した後に、ホロウィンドウを大量に展開。あまりに多く展開されたウィンドウは椅子に座る若狭を覆い隠した。

 

「長月、さらしなのリンクだけ貼って」

 

「その後はどうすればいい?」

 

「待機してて。けっこう厳しいと思うから」

 

「……了解した」

 

長月はただ見ておくだけだ。だが下手に動くことができないという事実も理解しているため、素直に従った。若狭の鋭い目つきを見ればどれだけこれから先に起こることが厳しいものになるのかを克明に想起させたからだ。

 

「さあ、やってやるさ」

 

若狭が髪をかき上げるとワックスによりオールバックで髪型が固まる。視界を確保して空中に浮かぶ無数のホロウィンドウを総覧した。やるべきことは二つ。さらしなの通信にかけられている防壁を突破し、通信系統を取り戻す。それから後の対処は東雲に任せて、今回の事を起こした者を確保する方向に動けばいい。

毅然たる決意を持って若狭はさらしなへのリンクを踏んだ。やはり弾かれる。が、そんなことは想定内だ。弾かれた上で再びアタックをかける。再度展開された防壁を潜り抜けて内部への侵入を試みる。

が、それもまた新たな防壁により阻まれた。

 

「想像以上に固い……」

 

キーを目が霞むほどの速度で叩き続け、ひたすらトライ。だかその速度すら嘲笑うからのように張られた防壁は若狭の侵入を拒む。

ならばと方向性を切り替えて防壁を潜り抜けるのではなく、破壊する方針に転換するが、巧妙に組まれているためか思うようにいかない。破れたかと思えば、その先はトラップになっていたり、いつの間にか別の攻撃性が高い領域に入れられてこちらのPCの中枢部に別のウイルスを流し込んだ上で制圧しようとしてくる。

 

これは半端じゃない。

そう判断した若狭は間を置くために退散し、上着を脱ぎ捨て袖を捲りあげる。

 

「大丈夫なのか?」

 

「問題ないよ。ただ並大抵じゃないね」

 

相手への率直な賛辞に長月は驚いた。だが若狭の爛々と輝く瞳を見て胸を小さくなで下ろす。若狭が敗北を認めたのかと一瞬だけ疑った。けれどそうではない。むしろスイッチを入れたようだ。

 

若狭が再度アタックを仕掛ける。その手が瞬き、目が忙しなくホロウィンドウを行き来する。

それを見て長月はただただ呆然としていた。いや、見とれていたと言った方が正確かもしれない。

でもそれでいいのか、と囁く声がする。何も出来ずに見ているだけで本当にいいのかと。

 

違うだろう。自分がやりたいことは若狭の手助けになることだ。

 

ならば思考を止めるな。出来ることと出来ないことをピックアップして自らの力で最大限に貢献できることを実行しろ。

 

長月が自分に与えられているパソコンを起動する。だが若狭と共に防壁の突破に挑戦するわけではない。それはまだ出来ないことだ。無理なことをすればむしろ邪魔にしかならない。だからやれることをやるのだ。

それでも出来るのはせいぜい、若狭のアタックを電子的にも物理的にも観察してそのスキルを盗むことだ。今回は何も出来ない。だからこそ次回に繋げる。

 

大型PCの排熱によるものか、それとも若狭の激しい動きのせいか室温がわずかに上がったように感じる。若狭と長月にじっとりと汗が滲み、濡れたワックスがてかてかと光を照り返す。

 

これだけかけてもまだ突破できないことに若狭は内心で苛立ちを感じると共に焦っていた。これほどのものを仕掛けてくるとは手が込んでいる。認めたくはないが正直、かなり分が悪い。

 

「やってくれるよ…………」

 

若狭が唇を噛んだ。縦横無尽に視線が飛び回り、指がホロキーボードの上で円舞曲(ワルツ)を踊る。それでも追いつけない。追いすがってもすぐに突き放される。

 

これを作った人間は相当にやり手だ。少なくともこのジャンルにおいて自分よりも精通している。

そうわかっていても若狭は手を止めない。やれると言ったからには途中で匙を投げることだけはやりたくなかった。

 

「若狭……」

 

長月の不安そうな声が耳朶を打ち、それが更に焦りを加速させ、高速で回転する脳が焼け付くような錯覚すら覚える。大型PCが異音を発しはじめ、冷却ファンが耳障りな音を立てて回り始める。

この戦いが始まってどれだけ時間がたっただろう。未だ突破口は闇の中だ。急がなければそれだけ手遅れになる可能性が高くなるにも関わらず、光明は見えてこない。

 

だが堂々巡りかと思われたその時に突如、変化が起きた。通信防壁を破ろうとする者が現れたのだ。

それは展開される防壁をいとも容易く潜り抜け、またあるいは破壊し、ぐんぐんと最深部へ向かって突き進んでいく。

 

「いったい誰が……いや、今は置いておこうか」

 

誰なのか気になるところではある。何のために、そしてなぜさらしなにウイルスが仕掛けられていることを知っているのか。疑問は尽きることがない。

だがそれらの謎を一旦は無視する。

何が目的なのかはわからないが、目指す地点は同じ。ならば利用しない手はない。

 

内心でわだかまるもやもやとするものを振り払い、若狭は進撃していくなにかの後を追った。既に壊された防壁を抜けて、なおも進み続ける誰かの隣に並ぶ。そして防壁の破壊をアシストし、共に縫うようにして避け、進んでいく。

 

そして辿り着いた。

 

さらしなの通信区画中枢部。そしてそこに巣食うウイルスのコアプログラム。

 

「これか……」

 

ここまで若狭を導いた者はやれ、と言わんばかりに静止すると、すぐに踵を返して戻っていく。

 

「っ…………いや、こっちが先!」

 

優先すべきはウイルスの駆除。コアに取り付くとウイルスバスターソフトを流し込む。雲散霧消していくところを最後まで見ずにリンクを切って消えようとしていく者を追いかける。

 

「やるだけやって後は逃げるつもりかい? いい格好して名乗らず退散なんて芝居じみすぎじゃないかな?」

 

聞きたい話が山とあるのだ。そう簡単に見逃すつもりは毛頭ない。リンクを切らせる前に尻尾を掴んでどこの誰が暴いてみせる。だが先にソフトを流し込んでいた分だけ若狭には時間的なハンデを負っている。

 

「くっ」

 

若狭は今すぐに展開できるだけの防壁を張って逃走を防ごうとする。だが呆気なく破ってからそれは接続を切り、姿を消した。

 

「若狭!」

 

「やられたよ。逃げられた」

 

普段と変わらない口調で若狭が言い、肩をすくめる。だが長月には若狭がいつもの調子を装っているように感じた。

 

「でも第一目標はクリアしたし、これで満足しておくよ」

 

青白いホロウィンドウ全てを一斉に閉じてすっくと立ち上がる。やるべきことはやった。後は流れを繋ぐ者にバトンを渡すだけだ。

若狭は通信を横須賀へと飛ばした。

 

「東雲、さらしなに通信防壁を展開していたウイルスの除去に成功したよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

通信系統が制圧されてからさらしなはひたすらラバウルへと向かっていた。艦橋は水を打ったように静まり返り、全員が大型のモニターに視線を向けていた。

もしかしたら通信は回復しないかもしれない。そんな予感が胸をよぎる。回復してくれなければ、いやもう手遅れになってしまっているのかもしれない。諦観にも似た空気が艦橋に満ち始める。だがその時、変化が起きた。

 

「……! 通信、回復しましたっ!」

 

「よし!」

 

峻がガッツポーズを取り、暗かった雰囲気が僅かながらも払拭される。さながら暗中に見えた小さな光といったところか。

 

「三間坂、急いで横須賀に繋いでくれ」

 

「いえ、その必要はなさそうです。向こうからかかってきました」

三間坂がホロウィンドウを峻に向かってスライドさせて渡す。なめらかに滑ってくるパネルを受け取ると横須賀からの通信に半分ほど祈る気持ちで出た。

 

『シュン! ようやく繋がったぜ!』

 

「よう、マサキ。とりあえずどうなってる? 30秒で説明してくれ」

 

『さんじっ……ああクソ! 簡単に言うとお前を潰すことが狙いだ、この輸送作戦は! 俺が横須賀にいない隙にやられた!』

 

「あー、なるほど。そういうシナリオか……どこの野郎だ?」

 

『おそらく本部の奴が噛んでるが今はそれどころじゃねえ! シュン、急いで今の航路から外れろ! そのルートだとレ級2体の予測行動路とぶつかる可能性が高い!』

 

東雲の声を聞いても峻はさして驚かなかった。いや、まったく驚かなかったかといえば嘘になる。相手が悪夢と称されるレ級であるという事態を前に多少なりと動揺はした。

 

レ級。いちおう艦種は戦艦ということになってはいるが航空戦から砲撃戦、果ては雷撃までこなすオールマイティーな深海棲艦だ。なによりその全てが並程度ではなく、下手な深海棲艦よりも秀でていることが厄介なところなのだ。初めて海に現れた時、応戦した艦隊をたった一体で壊滅に追いやったことから悪夢のレ級とも言われている。

 

ではなぜ峻は驚かなかったのか。答えは簡単。

 

「マサキ、悪いな。もう遅い」

 

『は……』

 

「通信が回復する少し前に船団へ接近するふたつの敵影をレーダーが捉えたんだよ。今もまっすぐこっちに向かってきてる」

 

事前に深海棲艦が接近してきていることを知っていたからだ。だから驚いたことはその敵が2体ともレ級であるという事実だった。

 

『逃げるのは?』

 

「間に合わせてくれると思うか?」

 

東雲が押し黙る。そんなに甘い敵でないことはわかりきっていた。余裕ぶっているように見えるが、峻の表情にも焦りが見て取れる。

 

『……シュン、位置情報を送れ。そして2時間だ。2時間、なんとかして持ちこたえろ』

 

「どうするつもりだ?」

 

『高速輸送機でお前のとこまで艦娘を運ぶ。そしてうちの持てる限りの戦力を送ってレ級を叩き潰す。だからそれまでもたせろ』

 

「ラバウルからの救援は?」

 

『ほぼ無いと思った方がいい。今から出撃じゃ、高速輸送機で飛ばしてくるうちよりも到着は遅いだろう。それにあそこは連戦でかなり疲弊してる。レ級クラスに対応できるとは考え辛い』

 

「……わかった。やれる限りやってやる。限界まで飛ばしてくれよ?」

 

『ああ。じゃあ()()会おうぜ』

 

「そうだな。()()

 

位置情報を送った後にまた、の部分を嫌に強調して通信は終わりを告げた。それはちゃんと戻って来いというサインだ。

 

「接近する多数の機影をレーダーが捉えました! 速度からして深海棲艦の放った艦載機かと!」

 

「沖山!」

 

「わかってます! 戦闘用意! 対空警戒を厳に!」

 

「戦闘よーい! 対空見張りよーい!」

 

命令を復唱して艦橋にいる者たちが慌ただしく動き始める。

 

「行くぞ! 全員、出撃だ!」

 

『了解よ』

 

峻も黙って事態を見ているわけではない。叢雲たちを出撃させてレ級を足止めする。そして出来る限り輸送船団を守り、かつ2時間を稼ぎ切るのだ。

厳しいどころの騒ぎではない。そんなことはわかりきっている。だがやるしかない。

 

「天津風! 悪いが無茶してもらうぞ。パラレルを初っ端から使ってくれ」

 

『了解。任せて頂戴』

 

たった2体といって侮ることなど出来ない。なにせ相手はレ級なのだ。気を抜くことなどできないし、悠長なことを言っていたらこちらがやられる。

 

「沖山、長浜船団長に連絡してくれ。戦闘は避けられないってよ」

 

「わかりました」

 

こうして準備している間にもレーダーに映る点は船団に接近している。もう間もなく、攻撃隊は有効射程に入るだろう。さらしなの対空砲が仰角をあげて迫り来る艦載機群に狙いをつけ始めた。

リニアカタパルトによって叢雲たちが海上へと飛び出し、ゴーヤが潜航を始める。

 

『あなた、使用許可を』

 

「オーケー。パラレルシステム起動許可!」

 

目の前に浮かんだホロウィンドウにコードを打ち込んで承認。文字列が目にも止まらぬ速さで流れていく。

 

《P.A.R.A.L.L.E.L.system is ready!》

 

『出して!』

 

「おう。自律駆動砲、射出!」

 

さらしなから天津風専用である自律駆動砲が海へすべり出して、天津風の周りに集結する。

 

「まだだ! 出し惜しみなんてしてる場合じゃねえ! モルガナ、射出!」

 

そして奥の手であるモルガナも一斉に飛び出した。その数、12機。それら全てが峻の統制下で動き回る。現状で持てうる限りの最大戦力。全てを結集させて悪夢を迎え撃つのだ。

 

「いいか、倒せると思うな。回避に専念しつつ、輸送船団から注意を逸らさせろ」

 

『んー、わかったよー。けどさ、別に撃ってもいいんだよね?』

 

のんびりしたようでビリビリと闘志の滲む声で北上が問いを投げかける。

 

「もちろんだ。だが攻撃のために回避を疎かにするなよ」

 

『あいあいー』

 

「や、頼むぜほんとに。全員で生きて帰るんだからよ」

 

『そうだよ! ゴーヤはまたおいしいご飯が食べたいんでち!』

 

『ゴーヤは食いしん坊ね』

 

天津風が呆れたように、だが楽しげに言うと固まっていた緊張感が解けて笑い声が溢れた。

ナイスだゴーヤ、と峻は内心でゴーヤに礼を言った。レ級のプレッシャーに凝り固まっていれば、自然と動きも鈍くなる。だがゴーヤは自らをネタにしてそれを解きほぐしたのだ。

 

まだゴーヤは完全に深海棲艦の恐怖を克服できたわけではないはず。まだ戦闘は苦しいに決まっている。にも関わらず、気を回してこんなことまでしてくれた。頭が上がらない思いだ。

 

だがこれは本来ならばやるべき人間が別にいる。

 

「叢雲」

 

『……なに?』

 

「いや……大丈夫か?」

 

『何が?』

 

「…………なんでもない」

 

叢雲はさっきから一言たりと発することがなかった。それに強い違和感を峻は感じた。無言というのはずいぶん珍しい。いつもなら出撃前に軽口を叩く峻を諌めたりといろいろ気を回すのだが、今日は常に周りへ気を使い、僚艦の緊張を緩めさせる旗艦の役目すら放棄している。その役目を意図せずゴーヤに譲っている。

 

「変に気負ってなけりゃいいんだが……」

 

本当ならば出撃させることを止めたいくらいだ。だが出来ない事情がある。今はどんな戦力でも出し惜しみなどしている場合ではない。

 

「敵攻撃隊、対空砲の射程に入りました!」

 

「野川!」

 

「了解、艦長! 対空射撃、てぇ!」

 

「天津風!」

 

『了解。自律駆動砲、対空戦闘はじめ!』

 

さらしなと天津風の高角砲がレ級の放った攻撃隊へと襲い掛かり、いくつかを撃ち落す。

だが全て落とせるわけではない。数は減っても攻撃はされるだろう。

峻は急いでモルガナの幻影を展開した。それぞれが叢雲や天津風や北上の姿を形取ったホログラムが映し出され、まるで本物のように動き回る。ゴーヤは潜航しているため当たらないが、他はどうしようもない。

 

「両舷全速とーりかーーじ!」

 

「両舷全速とーりかーーじ!」

 

沖山が叫び、操舵手が命令を復唱しつつ、舵輪を左に回す。船首が左を向き、さらしなの機関が全力で回る。

 

「対空機銃、掃射!」

 

「了解!」

 

野川がさらしなの機銃コントロールシステムと自らの脳とをリンク。一斉に鉛弾が敵艦載機群に向かっていく。

 

だがそれでも全滅させることはできない。

 

爆音が響き、さらしなが大きく揺れる。船体が不気味に軋んだ。

 

「被害報告!」

 

「左舷の第二区画に浸水ありですっ!」

 

「隔壁落とせ! 同時に右舷注水!」

 

「はいっ!」

 

三間坂がコンソールを操作すると、遠くから重い音がした。そして再び似た音が鳴り、船が水平に戻る。

 

「船団の方はどうだ?」

 

「幸い被害はほとんどないそうです。さらしなに攻撃の手がかなり向いてました」

 

沖山が通信を片手に峻の疑問に答えた。そちらは第一波をなんとか凌いだようだ。

 

「叢雲、被害報告を」

 

『全員が無傷よ。ただ天津風が自律駆動砲を1機、盾にして直撃を防いだから残り5機に減っただけね』

 

『ごめんなさい……』

 

「謝んな。たかが1機だ。それにお前がダウンしたら残りの5機はただの的に成り下がってたぞ? やっすい犠牲だ」

 

天津風を励ましながら峻はモルガナの確認。だが反応を返してきたのは9機だけだ。1度の攻撃だけで3機も削られた。

 

強く拳を握りながら時計に目をやる。東雲との通信が終わってからまだ20分しか経っていない。

 

あとこれの6倍もの時間を耐えなくてはいけない。しかも攻撃隊が常に飛び回り、戦艦クラスの砲撃が撃ち込まれ、あまつさえ魚雷までもが襲い来るのだ。

第一波は攻撃隊のみだった。これから先はさらに激しい交戦となるのだろう。

 

「急いでくれよ、マサキ……」

 

呟く音が漏れる。冷たい汗が背中をつたって流れ落ちた。




やっばいオーラは全開に。
パラレルとかモルガナとか覚えていてくれてる方いますかね? いたら嬉しいです。レ級との戦闘が本格化していきそうな次回ですが、どうなることやら。

感想、評価などお待ちしてます。では。


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孝標女の物故


こんにちは、プレリュードです!

イベント進捗、ダメです! E-1は甲作戦でクリアしたけどこっから後に不安しかありませぬ。でもサラトガ欲しいし、カタパルトも欲しい……

まあ、よければイベントで入渠時間の暇つぶしとして読んでやってくだせえ。
ただし、今回(というかほぼ毎回)は少々血なまぐさい表現を含みます。苦手な方はブラウザバックを推奨です。

本編参りましょう。


 

横須賀にはヘリポートがある。

 

何のことかわからないかもしれないが、へリポートがあるのだ。何のためにと言われると、緊急時にとしか言えないが、ともかく存在する。滅多に使うことはないが。

 

そこに今日は珍しく、本当に珍しくヘリコプターが来ていた。

 

「翔鶴、頼んだぞ」

 

「はい、任せてください」

 

東雲は横須賀に残り、指揮を執る。そして翔鶴は東雲隊を率いて峻のいる海にまで飛び、レ級と戦う。

 

だが峻が東雲に飛ばした位置情報によればかなりラバウル寄りの位置にいる。今から船で飛ばしてもおおよそ3日はかかる。それではもう手遅れだ。

 

だから1度、飛行場まで艦娘をヘリで送り、その後に高速輸送機に乗り換えて一気にその間を詰めるのだ。

 

「では、行ってきます」

 

「おう。ちゃんと帰ってこいよ」

 

東雲が翔鶴の背中を優しく押すと、じんわりとした温もりが広がった。鉢巻をきつく結び直して翔鶴はヘリコプターに乗り込んだ。ヘリのローターが回転数を増していき、ゆっくりと陸から離れていく。東雲がある程度までヘリが浮き上がったことを見届けると、踵を返して建物内に戻っていくのを翔鶴は窓から見ていた。

 

「翔鶴さん、あの……」

 

おずおずと吹雪が翔鶴に声をかける。

 

「吹雪ちゃん、どうしたの?」

 

「えっと、詳しい説明もなしにここまで来たので状況を教えてほしいんです」

 

「そうね。なら簡単に説明しましょうか」

 

窓の外に向けていた視線をヘリの中に戻して部隊をぐるりと見渡す。

 

「今作戦の目的は打撃支援です。帆波大佐が率いる輸送船団を襲撃中の敵艦隊を叩きます」

 

「……敵の編成と数はどれくらいなんですか?」

 

「2隻よ。ただ……」

 

「ただ、どうなんですか?」

 

言いよどむ翔鶴を吹雪が促す。

 

「相手は2体ともレ級です」

 

はっと息を飲む気配がいくつも連鎖した。艦娘であれば誰しも噂くらいは聞いたことがある強敵だ。

 

「ちなみに帆波大佐の元には誰がいるんですか?」

 

「叢雲ちゃん、天津風ちゃん、北上さんにゴーヤちゃんと聞いているわ」

 

「たった4人ですか……」

 

吹雪が難しそうな顔で黙り込む。確かにあの部隊はかなりの練度を誇る。だがレ級の全力は未知数なのだ。どれだけ時間を稼ぎきれるかどうかは判断しにくい。

 

「だから急ぎましょう。ヘリがもう飛行場に着くわ」

 

ヘリの高度が下がっていた。ローターが回ったままで扉を開き、小さく飛び降りた。すぐ目の前にはスラリとした細身の航空機がエンジンを入れた状態で腹を開けて待っている。

 

いわゆる超音速輸送機というものだ。高高度をマッハ2で飛行する鉄の鳥。

 

「将生さん……いえ、薄々そんな気がしてましたけど」

 

通常の航空機ではたった2時間という短い時間で東南アジア寄りの海域にまで飛ぶことは不可能だ。だから2時間という数字を聞いた時点で翔鶴はこの超音速輸送機に乗ることになるのではないかと予想していた。

 

だが予想していても憂鬱なものは憂鬱なのだ。

 

マッハ2などという速度で飛べば体にかかる慣性力はとても無視できるようなものではないし、話すのも難しいはずだ。もちろんGスーツなどを着ることになるのだろうが、それにしても圧迫感がある。いろいろ苦しくて敵わないのだ。

 

「翔鶴さん……これ司令官は明らかに…………」

 

「そうでしょうね……」

 

吹雪は言葉の続きを言わずとも翔鶴には伝わった。「明らかにパラシュート降下させる気ですよね」に違いないと。

 

考えればすぐにわかる話だ。ヘリと違って飛行機はホバリングなどできない。

ならば飛行機はそのまま突っ切らせて艦娘をパラシュートで降下させようというわけだ。

 

どうやら快適なフライトにはならないらしい。

 

そう思いながら翔鶴は超音速輸送機に乗った。全員が乗り込むと輸送機がタキシングを始める。

 

 

東雲隊が到着するまであと1時間と40分……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「目標レ級! 撃て!」

 

「アイアイ! てぇ!」

 

「砲撃来ます!」

 

「回避! おーもーーかじ!」

 

「了解! おーもかーーじ!」

 

艦橋に怒声が響く。大きく船が揺れて水柱が立ち上がる。既にいくつかの区画が浸水してしまっている。速力もまだ問題になるレベルではないとは言え、低下していることは否めない。

 

「損害報告!」

 

『叢雲、被害はほとんどなしよ』

 

『北上、んー、中破ってとこかな』

 

『天津風、中破寄りの小破よ。自律駆動砲はもう半分しか残ってないわ』

 

『ゴーヤは潜ってるから大丈夫だよ』

 

「わかった。引き続き回避に専念しつつレ級の注意を引いていてくれ。すまん」

 

モルガナの残機はあと3機。もう9機も削られてしまった。できる限り叢雲たちの被害を抑えられるように前に出し続けたため、消耗が激しいのだ。

だがそれだけしても完全に抑えられてはいない。たった2体にも関わらず、航空戦も砲撃戦も雷撃戦もこなせるレ級の手数は脅威と呼ぶ以外に相応しい言葉を想起させることはないものだった。

 

「魚雷接近! エコー、フォックストロットより6ですっ!」

 

「回避! 両舷全速おーもかーーじ!」

 

「両舷全速おーもかーーじ!」

 

戦闘が始まってからなぜかレ級は徹底してさらしなを狙い続けている。そのため輸送船団はほぼ無傷なのだが、その代償としてさらしなはもうボロボロだった。

 

「右舷に被雷! 火災発生しました!」

 

「防火隔壁を落とすんだ!」

 

「はい!」

 

船体が不気味に軋み、重い音を立てた。こうやって誤魔化せるのもあとどれくらいだろう。

 

「投錨! 速度全開!」

レ級の艦爆隊が接近し、爆弾を投下しようとしていた。。それをわかった上で沖山は錨を沈めさせておき、機関を全力で回させる。直進したさらしなは当然、錨に引っ張られて急激に船首の向きを直角に変えた。急に目標を失った爆弾は海中へと虚しく姿を消していく。

 

「軍艦ドリフト……秋津洲流戦闘航海術か。無茶するな、沖山」

 

「こうでもしなくては捌ききれませんよ」

 

直前になって沖山が何をしようとしたのかを察した峻は咄嗟に司令席の肘置きを強く掴むことで体をどこかにぶつけずに済んでいた。艦橋の何人かは頭を軽くぶつけたようで、「痛っ」という声も聞こえたが。

 

峻はちらりと時計を見た。遅々として針は進まない。何度も見たがあまり変化していないように思える。

 

「あと1時間……持たせられるのか……?」

 

誰にも聞こえないように小さく呟く。半分でここまでの被害。艦娘は傷つき、さらしなは複数区画に浸水し、武装もいくつかを喪失。その上、機関の出力も落ちてきているのだ。つまりは満身創痍もいいところだった。

 

再びさらしなにレ級が飛ばした艦載機が迫る。機銃を掃射するが、今までの攻撃によって欠けた数では防空の網に穴が出来てしまう。

結果的に肉薄され、数多の魚雷が放たれた。ついさっきに滅茶苦茶なやり方で舵を切ったばかりだ。すぐには方向転換することなどできない。

 

「直撃しますっ!」

 

「総員、対ショック姿勢を!」

 

今までとは段違いの衝撃がさらしなを襲う。船体が激しく揺さぶられ、少しだけ傾いてから止まった。

 

「三間坂中尉、被害報告を」

 

「…………」

 

「三間坂?」

 

「……機関、停止しました。反応を返しません」

 

機関が停止した。それが示す事実はひとつ。

 

「再稼働は?」

 

「……だめです。エラーしか返しません」

 

そう、船の動力源が死んだ。加速が止まり、波の抵抗により緩やかに減速していく。

 

「長浜船団長、こちらさらしな艦長の沖山です。応答してください」

 

『こちら長浜。見とりました。こちらは問題ありません』

 

「ありがとうございます」

 

短いやりとりの後に沖山が大きく息を吸う。決断の時だ。

 

「総員退艦」

 

しん、と艦橋が静まり返る。全員が唇を噛み締めながら俯いていた。

沖山が発した言葉。短すぎるたった一言。それはさらしなの放棄を意味していた。

乗員からすればこれほど悔しいことはない。船だとしても共に戦った仲間なのだ。それを見捨てて行かなければいけない。

 

「繰り返す。総員退艦」

 

背中を押すように言われ、各々が席を立つ。そして制帽をさっきまで座っていた、そしてもう座ることのない席に置くと艦橋から出ていく。

最後に沖山と峻を除き、艦橋は誰もいなくなった。

 

「帆波さん、あなたも早く」

 

「わかってる。だがまだやんなきゃなんねえことがある。だから先にいけ」

 

「……死ぬ気ではないんですね?」

 

「当たり前だ。どうしても取っとかなきゃならんデータがある。消しとく必要のあるデータもな」

 

「…………わかりました。脱出用の小型艇を1隻のこしておきます。それを使ってください」

 

「了解だ。沖山、また後で会おう」

 

「はい」

 

沖山が艦橋から出ていった。これで残っているのは峻だけだ。司令席に深く座り直すとまずは消すべきデータを消していく。

 

最近は深海棲艦も進化してきている。ならばこのデータがいつか向こうの手に渡ったことを後悔する日が来るかもしれない。だから後悔する前に消しておく。

ズン、とまた船が揺れた。だがそれすら意に介さず、ひたすらにデータを消し続ける。何か起きてからでは遅いのだ。

そしてひとつのデータだけコピーを取り、外部記憶媒体に焼きつけていく。

 

「沖山たちは……無事にけやき丸に拾ってもらえたか」

 

小さく開いたホロウィンドウで脱出艇がけやき丸に収容されていくところを確認してからウィンドウを閉じた。まだ処理は続いている。すぐに離れることは叶わないようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

叢雲は刀を抜いていなかった。いや、抜けずにいた。回避に専念せよ、という命令に従うなら接近することは自殺行為になる。

 

「私の得意分野は近接なんだけど……」

 

ステップで飛来した砲弾を避けながらぼやく。実際、愚痴を言ってはいるが余裕があるかと問われればない。

だが、いやだからこそ叢雲は余裕があるように見せる。戦闘において心の余裕がなくなった者の末路は決まっているからだ。

 

「にしても強いわね……」

 

そう言った叢雲は小さく笑っていた。強敵と相対した時の興奮。命のやり取りをするこの緊張感。だがそれすらも心地いい。もしこの戦闘で勝てたらそれは自らの強さの証明になる。

 

それがたまらなく嬉しいと感じる。

 

ここで与えられたミッションを達成して証明する。それが今の望みだ。

 

「ん……?」

 

止まっていたさらしなが小型艇を吐き出した。その上には人影がたくさん乗っている。それだけで状況を察するには十二分だ。

 

「さらしなが沈む……」

 

ぽつりと天津風が言った。ここまで自分たちを乗せてくれた船の終わりだ。無感動ではいられなかった。

だが立ち止まることは許されない。降り注ぐ爆弾を隙間を縫うようにして躱し、天津風の操る自立駆動砲が艦載機に向かって砲撃を繰り返す。

 

「あと3機しか残ってないわ……」

 

「堪えて。あと1時間を切ったわ!」

 

痛々しい傷から流れる赤い血を拭い、レ級を叢雲は睨みつけた。にたりと笑うとレ級の主砲が火を噴く。

 

「っ!」

 

迫っていた魚雷の処理に手間取っていた北上に向かって砲弾が飛来。咄嗟に北上は持っていた単装砲を盾にして直撃を防ぐ。だが爆風までは防げずに鞠のように海面を北上の体が弾んでいった。

 

「ぐぅ……ったたた…………」

 

「下がって! それ以上くらったら不味いわ!」

 

「……ごめん、そうさせてもらうよ」

 

また戦力が欠けた。ゴーヤも隙を見て魚雷を放ってはいるが、狙いが甘い。まだ完璧にトラウマを克服できていないからだろう。

そして叢雲自身はレ級の弾幕のせいで得意のレンジに持ち込めず、天津風は自立駆動砲の半数を失った。本格的に状況は悪化している。

 

さらしなの甲板にレ級の砲撃が直撃した。何ヶ所か誘爆し、遂には艦橋も小さく爆発する。強化ガラス製の窓が破片となって吹き飛んだ。

 

「……」

 

思うところはある。けれど幸いだったのは全員が脱出した後で艦橋にはもう誰もいない……

 

『──てください! あそこにはまだ!』

 

『落ち着け、三間坂!』

 

『離してください! あそこには……団長が! 帆波大佐が!』

 

そして流れてきた通信を聞いて叢雲の思考のネジは吹き飛んだ。

 

 

艦橋にあいつが残っていた? たった今、吹き飛んだ艦橋に?

 

砲撃をしたレ級の片割れに目をやるとレ級は口角を吊り上げてニタッと嗤う。

 

「冗談……でしょ?」

 

艤装と峻のリンクを()()()()()。返る答えは『No signal(応答なし)』。

 

また何も出来なかった。また見ているだけだった。

 

「よくも……よくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもーーーーッ!」

 

叢雲は愛刀の断雨を抜くとゆっくりとレ級を見る。そして殺意にまみれた刀を大きく振りかぶった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あそこには団長が……帆波大佐が!』

 

ガツン、と頭を殴られたような衝撃。海中にいるゴーヤは殴られることなどあるわけはないのだがそれでもそう錯覚した。

 

『よくも……よくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもーーーーッ!』

 

だが叢雲の叫び声がゴーヤを現実に引き戻した。出発前に言われたイムヤの言葉が脳裏に蘇る。

 

「ゴーヤが……ゴーヤがやらなきゃ……ううん、ゴーヤがやるんだ!」

 

ゴーヤは方向転換してさらしなへ向かう。脱出用の小型艇を吐き出してから開きっぱなしのハッチからさらしなの船内へと潜り込んだ。

 

「焦げ臭い……それにいたるところに亀裂がはいってるでち……」

 

だが足を止めるわけにはいかない。艦橋への道のりをただひたすらに駆け抜ける。崩れそうな道を避け、瓦礫で塞がれた廊下を飛び越えて進み続けた。

 

「生きてるよね……てーとくなら。ゴーヤを、みんなを助けてくれたてーとくなら!」

 

それは確信というより願望に近いものだった。ゴーヤはただ思い、そして願う。生きている。死んでいるはずがない、と。

その強い願いに駆られてゴーヤは走るのだ。どこかでまた誘爆したのかドォォン! と船体が不気味な震動に襲われた。足が縺れて躓くが、すぐにゴーヤはバランスを取り戻してまっすぐに走る。

 

そして艦橋の前まで来て、自動だったスライド式のドアが開かないことに気づいた。電力の供給が途切れているのかと思い、力任せに開けようとしたが頑として開く様子は無い。

 

「爆発したせいで歪んで開かなくなってるの……? ならこうでち!」

 

艤装に付けられている機銃をドアの接続部に向けて連射。接続部はあっけなく壊れ、ドアはばったりと艦橋側に倒れこんだ。

 

「てーとくっ!」

 

艦橋に飛び込むと中は酷いものだった。小規模の誘爆とはいえ、窓ガラスはすべて吹き飛び、電子制御卓だったものから火花がバチバチと散っていた。幸いなことに天井は崩落していないが、艦橋内部に据えられていた椅子などは無残に壊れ、小さな火の手がチラチラと空気を舐める。

 

「てーとく! てーとく! 返事をしてよ!」

 

ゴーヤは艦橋をぐるりと見回し、そして見つけた。壁際にうつ伏せになって倒れている人影を。

 

「てーとく!」

 

急いで駆け寄り大声で呼びかける。白かった軍服は峻の血で赤く染まっていた。

 

「しっかりして! 返事をしてよ!」

 

「ぐ……その声は……ゴーヤ、か…………?」

 

「てーとく!」

 

峻が途切れ途切れに口を開いた。生きていたのだ。それだけでゴーヤのなかに何かがこみ上げる。

 

「ごふっ、がはっ」

 

峻が血の塊を吐き出した。唾液の混ざった粘つく血が床にぶちまけられる。呼吸音は乱れ、腹部には服の上から何かの破片が数多く突き刺さっていた。ひどい怪我であることは間違いない。

それでも生きている。

 

「てーとく、立てる?」

 

「ああ……ちょっと、待って、ろ…………」

 

右腕で峻は体を支え、ゆっくりと上体を起こす。傷口から溢れる血が増えるが構うことなく立ち上がろうとして左膝を立てて右脚を前に出そうとする。

 

そして右脚は空をきった。

 

「てーとく!」

 

バランスを失い、どっと峻は倒れ込む。うめき声とまた血を吐き出すような咳き込む音。

 

「なんで…………っ!」

 

なぜ峻は立ち上がれなかったのか。峻の右脚に目を向けたゴーヤの喉が一瞬にして干上がった。

 

「てーとく…………あ、足が……」

 

ゴーヤは自らの震える体をかき抱いた。必死に震えを抑えようとしても収まることなく、むしろ強くなっていく。

 

 

長い間、帆波峻という人間を物理面でも精神面でも支え、また卓越した体術の根幹を担っていた峻の右脚。

 

その右脚がなくなっていた。





さらしなの元ネタは更級日記から持ってきてます。だからタイトルに作者の孝標女を持ってきたわけです。

さあ、いい感じに叢雲が壊れてきた一方で少しずつ自立し始めているゴーヤ。最悪の方向に向かいつつあるわけですが、どうなることやら。

感想、評価などお待ちしてます。それでは!


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死神の鎌

こんにちは、プレリュードです!

イベントはみなさんどうですか? 諦めて自分は丙提督になりました。まあサラトガ欲しいからしかたないね。
山風来ません。丙提督にはドロップはねえってかアアン? だって資材が足りないんだよおおおおお!

そして劇場版艦これはいいぞ。もうね、あれは泣ける。アニメ見てないと繋がらないけど、見てるとやばい。思わず見終わった瞬間、パンフレット買いに走ってました。真面目に2回目とか行ってもいいレベルだと個人的には思います。とにかく睦月ちゃんがかわいい。いや、みんなかわいい。



人は一定以上の強さで痛覚を刺激されると痛みを感じなくなるらしい。

峻は今の今まで自分の右脚がなくなっていることに気づいていなかった。

 

「てーとく! てーとく! しっかりするでち!」

 

「大丈夫……とは言えねえ、か…………」

 

何とか上体だけは起こし、背中を壁に預ける。吹き飛んだ右脚の根元からはとめどなく血が溢れる。緩慢な動きで上着を脱ぎ、袖を引きちぎった。残った背の部分を右脚の千切れた部位に当てて、破った袖できつく縛って止血する。

目に血が入ったせいで視界がぼやける。だが右脚の流血だけは止めておかなければすぐに失血死してしまうことはわかっていた。

 

ミシミシと軋む右腕を頸椎あたりへ。コネクトデバイスは稲妻のようなヒビが入っていたが壊れてはいないようだ。スラックスのポケットを探るとギリギリで中に滑り込ませた外部記憶媒体は無傷だ。

 

「ゴーヤ。肩、貸してくれ……」

 

「うん」

 

ゴーヤが峻の手を掴み、ぐいと持ち上げる。背の低いゴーヤはどちらかというと下から支える形で峻を立ち上がらせる。右脚が無いためまともに歩くことすらかなわない峻を支えてゴーヤはゆっくりと足を前へ。峻が左足だけで片足跳びのように移動するたびに床にポタポタと血が落ちる。

 

行きよりも慎重に、だが急いで。傷口がこれ以上、広がらないように細心の注意を払いながら脱出艇のあるハッチに向かう。

 

「そうだよなあ……ああわかってる……わかってるんだ…………」

 

峻が誰に向かって言うわけでもないことを囁く。ゴーヤはそのうわ言が誰に向かって言っているのかはわからない。だがどこか許しを乞っているような言い方だとだけ思った。

 

1歩前へ進む度に鮮血がこぼれ落ちる。痛覚は刺激されすぎてもはや感覚が鈍くなっている。

だがまだ死ねない。まだなにも果たせていない。

 

「てーとく、ついたよ」

 

「これを……小型艇に繋いでくれ……」

 

コネクトデバイスから延びる線をゴーヤに渡す。峻を小型艇にもたれさせると、受け取った線を片手にゴーヤは小型艇に飛び乗った。エンジンメーターの近くにあるキーシリンダーの隣に作られた配線を差し込む穴に突き刺すとすぐに峻の元に戻った。

 

「差してきたよ!」

 

「悪い、な……」

 

再びゴーヤに担がれるようにして乗り込んだ。朦朧とする思考を振り払い、小型艇の起動プログラムに侵入。すぐにエンジンがかかった。

操縦桿を握るのもえらいため、そのままコネクトデバイスを使って操舵。さらしなから小型艇がなめらかに発進した。

 

「うっ…………」

 

波に当てられ、舟が揺れるたびに痛みが走る。意識を手放さないように奥歯を強く食いしばった。

 

「あと少し頑張って。もうけやき丸につくよ」

 

「大丈夫だっての……」

 

強がってはみるが怪我はかなりひどい。さっきから艤装とのリンクを取り戻そうとはしてみるが、痛覚が邪魔をして思うようにいかないくらいだ。

 

峻とゴーヤを乗せた小型艇がけやき丸にあと少しのところまで接近した時、さらしながまた爆発した。今までの小さな誘爆とは違い、大きく船底に穴が開き、さらしなが本格的に傾き始める。船体に大きな亀裂が幾条も入り、装甲が崩落していく。

そして遂に鋼鉄の船が倒れた。周りの海水を道連れに渦を巻き、海底に向かってゆっくりと落ちていく。もう少し遅ければ一緒にどざえもんになるところだったかもしれない。

 

「大丈夫だよ。てーとくは大丈夫だから……」

 

「ははっ……こんなところでっ……くたばってられるか、よ…………」

 

強がってはいるが峻の声は苦悶に満ちていた。右脚が付け根の少し下で吹き飛んでいるのだ。いくら堪えようとしてもそう簡単なものではない。

口から粘ついた血が垂れる。それでもまっすぐにけやき丸へと舟を進めた。

 

けやき丸のハッチが開き、船内の誘導灯が道を示した。ゆっくりとその光を辿っていく。

 

「ストレッチャー持って来い! 緊急搬送だ! 重傷だぞ!」

 

舟を着けた先にはけやき丸の医療班が待機していた。素早く峻の体をストレッチャーに乗せると医務室に向かって走り始めた。その隣を艤装を外したゴーヤが並走する。

 

「待って、ください……」

 

「しゃべらないで! 傷口に障ります!」

 

「ゴーヤ……頼みがある」

 

隣を走るゴーヤの手首を峻が強く握る。そのあまりの力にゴーヤがびくりと震えた。

 

「あと20分……あと20分なんだ」

 

あと20分。それで東雲の救援が到着する。たったそれだけの時間を稼げば勝ちになる。だからこんなところでリタイヤするわけにはいかないのだ。

だが問題がある。両目ともに頭部から流れ出た血が入り、視界がぼやけているため、まともに戦場の状況を把握することができないのだ。

 

「ゴーヤ……俺の目になってくれ…………」

 

目が見えないのなら代わりになるものを用意すればいい。ゴーヤとの完全視覚共有。それで目が見えなくとも脳に映像を直接おくりこめば、見ることはできる。

 

「てーとくは……」

 

怪我をしているから無理しないでほしい、という言葉を言いかけてゴーヤは飲み込んだ。掴まれた手首にこもる力が峻に引き下がる気がさらさらないことを如実に示している。

この場において峻の支えとなり、力になれるのはゴーヤだけだ。そして峻はまだ戦うつもりでいる。自らの命を削ってでも戦う覚悟を決めている。

 

「任せて」

 

そこまで覚悟を決めているならば。そして自分が助けになるのなら。

自分を助けてくれた男のためにゴーヤは決意を固める。

 

いつまでも彼に頼ったままではいけない。これは戦争だ。いつ自分が縋っていた木が切り倒されてしまうかわからないのだから。

 

ならいい加減に寄りかかるだけではいけない。自分には立派な両脚があるじゃないか。そろそろひとりで立ち上がる時だ。

 

医務室に搬送されていく峻を最後まで見送ることなく、ゴーヤは踵を返す。急いで外した艤装の元に向かうと装着した。

 

『よお、ゴーヤ。聞こえるか?』

 

「うん、聞こえるよ」

 

脳波通信を峻は使っているのだろう。ついさっきまで聞いていた弱々しい声ではなく、いつも通りの声が聞こえる。

 

「大丈夫……でち?」

 

『ああ、問題ない。痛覚神経に伝わる信号をコネクトデバイスでブロックした。これで正常な思考ができる。こいつのいい所は麻酔なしで怪我の処置ができるとこかもな。もし麻酔を使ってたら意識がないからこんなことはできなかった』

 

それでも無茶していることにかわりはない。未だ医療において麻酔を使うのはコネクトデバイスによる神経信号のカットに関しては完全な安全性を保証しきれないからだ。

 

「ならてーとく、やるよ?」

 

『やってくれ。こっちはいつでもいける』

 

「完全視覚共有オン!」

 

『視覚の共有を確認。クリアに見えるぜ、ゴーヤの目に映るものが』

 

ゴーヤの目と峻の目が繋がった。これで目がうまく見えなくとも、ゴーヤの目を通して峻は戦場の状況を知ることができる。

 

『ゴーヤ、悪いが頼む』

 

「大丈夫だよ。なんだか今なら何だってできる気がするでち」

 

今まで出撃する時は深海棲艦の恐怖に震えていた。だがもう震えはない。ただ自分のやるべき事が見えていた。やりたい事が見えていた。そのためなら何だってできる。根拠のない話ではあるがそんな気持ちと共に何かが胸の奥からふつふつと湧き上がってくる。

 

「ゴーヤ、出撃します!」

 

高らかに自らの出撃を宣言するとゴーヤは海へと飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

考えることなんてできなかった。頭が沸騰したように熱い。刀を握る手は力を込めすぎたせいで血管が浮き、目には殺意が宿っている。

ニタニタと嗤うレ級に向かって叢雲は駆け出した。その笑みも叢雲をヒートアップさせる燃料にしかならない。

 

だがあまりの弾幕の濃さを目の前にして思うように接近できない。この距離からは主砲を撃っても戦艦クラスの装甲相手では大したダメージにならないし、魚雷は避けられてしまうだろう。そしてせっかく抜いた刀は届かない。

 

「まだ足りない」

 

目の前で嗤う敵を倒したい。だが今の持てる力ではまるで足りていない。

ならば底上げをしてやればいい。

 

弱い私なんていらない。欲しいのは強い私だけだ。

 

「コード1(ヒト)3(サン)。リーパーシステム起動」

 

艤装の中で眠っているものを呼び覚ます。ダン、と表示されたホロウィンドウに映し出された起動ボタンを荒々しく押した。

 

《このシステムの起動は司令官権限によりロックされています》

 

司令官権限によるロック。なら。

 

「現時点で帆波峻大佐を指揮能力喪失と判断し、司令官権限を旗艦の叢雲に強制譲渡する」

 

感情の抜け落ちた声で権限譲渡を宣言。そしてその上で起動を許可した。艤装の中で何かが明確に切り替わる。

 

《R.E.A.P.E.R.system is ready!》

 

REfractory Architecture non-Permanent Emancipated Realization system。和名では非永続型艤装機関完全解放システム。頭文字をとってREAPER。死神が持つ、命を刈り取る鎌の意を持つこの単語の通り、敵の命を刈り取るためのシステムだ。

そして峻が危険と判断し、作成を中止したシステムでもある。さらしなの通信系統が乗っ取られたなどのアクシデントが起きたため、峻が叢雲の艤装から消し忘れていたのだ。

 

艤装の機関部が異音を発し始める。叢雲は直立したままその時を待った。

 

2体のレ級の内、1体が棒立ちの叢雲をいい的だと思ったのか狙いをつけ、全ての砲門を開いた。撃ち出された砲弾が真っすぐに叢雲へと向かっていく。そして爆炎と衝撃を辺りへと撒き散らした。

だが爆炎の消えたそこに叢雲はいない。

 

姿を消した獲物を探すためにレ級が海を見渡す。尾の先に付いた砲塔がゆらゆらと揺れる。ふっとレ級の隣を風が吹き抜けた。

 

そしてその尾が根元から一刀に切り落とされた。

 

何が起きたのかレ級は理解できなかった。唯一わかったのは攻撃されたということ。斬撃であるということは近づかれたということだ。だが接近する姿は視界に捉えていない。

背後に殺意を感じてレ級が振り返る。

 

そこには刀を振り抜いた姿で立つ叢雲がいた。一瞬でレ級までの距離を詰めてその尾を斬り飛ばし、駆け抜けたのだ。

 

REAPERシステム。艤装の機関部にかけられているセーフティを強引に外し、意図的に暴走させることによって、出力を無理に上昇させ、通常ではありえない機動性を得るシステムだ。そしてそのブーストされた速度はレ級が叢雲の接近を視認することすら許さなかった。

 

「沈め」

 

感情の抜け落ちた声で叢雲が言い放つと姿が消えた。レ級の目の前まで霞むほどの速度で近づくと、下段からの切り上げでレ級の左腕を斬り飛ばし、続いて上段からの切り下ろしで右腕を肩から斬って捨てた。

 

「〜〜〜〜!」

 

レ級が何かを叫び、残っていた砲のうち1つを放つ。それに対して叢雲は左肩を捻ってしゃがみこむようにして避け、そのまま反時計回りに回転。勢いを殺さずにレ級の両足を右から左へ一気に切り裂いた。縮こまっていた体を伸ばす。

 

「私の前から消えてなくなれ」

 

そして最後に左から右へ刀を一閃。レ級の首が落とされた。

 

首も両腕も両足も切り離されたレ級の胴がどっと倒れ込む。間髪入れずに宙を舞うレ級の頭部を叢雲が上段から縦に斬りおとした。真っ二ついなった頭部が海に沈み、そしてあとを追うようにして切り離された部位が海面に落ち、海中に没していく。

 

「は、はは、ははは。はははは! なあんだ。簡単じゃない。殺すのって」

 

青白いぬめりのある返り血を被った叢雲が高らかに哄笑する。そして残ったもう1体のレ級に狙いをつけた。彼我の距離を走り抜けようとした時、機関の暴走状態が強制停止させられた。

 

『リーパーシステムは実戦で使うなと言ったはずだ、叢雲』

 

なぜ急に機関が止まったのか。そう、峻が司令官権限を叢雲から取り返し、リーパーシステムを強制停止させたのだ。

 

「あんた生きて……」

 

『勝手に殺すな。とにかくお前はもう前に出るな』

 

「私はまだっ……」

 

『だめだ。リーパーシステムは使用後に艤装の性能が大幅に低下する。そんな状態で前に出せるわけないだろう』

 

ならばなぜ強制停止などという行為に踏み切ったのか。それは機関を暴走状態にさせているからだ。もしも使用者の演算が追いつかなくなった場合、異常に回転する機関を抑えきれずに周りを巻き込む規模の爆発を起こす。そんなリスクを犯して使用限界時間まで使いきるよりは強制停止した方がいいと峻は判断した。

 

「まだ私は戦える! 私はあれに勝たなきゃいけないのよ! だから────」

『いい加減にしろ』

 

低い脅すような声。そこには峻の激情が色濃く出ている。

 

『性能がガタ落ちしてるくせに出させろ? そもそも使用禁止のシステムを無理やり発動させておいて何を抜かしてんだよ。もし俺が介入して止めなかったらお前の体が吹っ飛んでたかもしれねえんだぞ?』

 

「そんなの関係ない! 私は私の手であれを殺してやりたいの! だから……」

 

『うるせえ。さっさと下がれ。死にたがりはいらねえんだよ』

 

「っ…………」

 

ぐっと叢雲が言葉に詰まる。なにも言い返せない。

 

『殺したい? ふざけんなよ。この戦闘の目的を履き違えるな』

 

これは護衛任務だ。敵の撃破よりも守ることが優先となる。なのに叢雲は敵を倒すことを主目的に据えていた。ただ自らの強さを証明するために戦っていた。自身が怪我することも省みずに。

 

『お前が向かってる先に強さなんてものは無い。ただのキリングマシーンになるだけだ。それにだけは成り下がるな。そうなったらお前はお終いだ』

 

そう叢雲に言いながら峻は天津風に指示を出し、後ろに下がらせた北上に牽制目的で魚雷を撃たせる。そしてゴーヤに決めの一撃として魚雷を撃たせて、船団からレ級を引き離していく。

それは東雲の遣わした救援が到着するまでの時間を稼ぐためだった。それを知っていて叢雲は何もできない。自分で望んで掴んだ力のせいで何も出来ずにただ傍観するだけ。

 

「どうして……どうして私は…………」

 

強くなったはずだった。叢雲はレ級を倒すことができたという結果が出せたのに、何がいけないのか。何がだめだったのか。どうして手が届かないのだろうか。

 

わからない。

 

わからないわからないわからない。

 

リーパーシステムによる急加速のせいで体が痛む。膨大な演算という大きな負荷をかけられた脳が内側から叩くような痛みが走る。

 

考えなんてまとまるわけがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

峻の意識は電子の海を泳いでいた。ゴーヤの視界を借りて戦況を把握し、脳波通信で指揮を執る。必死の抵抗とも取れる足掻きを見せている峻だが、その肉体は輸送船のけやき丸にある医務室で応急処置を受けている。だがそんなことはお構いなしだった。

 

『天津風、自立駆動砲はあと2機だな? 使い惜しみはもうなしでいけ』

 

『了解よ』

 

天津風が残った2機を駆る。小回りが利く自立駆動砲は撹乱にはもってこいだ。

当てる必要はない。ただ少しでも視界を水柱で邪魔することさえできればいい。

 

『ゴーヤ、魚雷。10秒後に。北上、15秒後に5発、チャーリーに向かって叩き込め』

 

『了解でち』

 

『あいあいー』

 

峻が指示した通りに2人が魚雷を放ち、レ級に吸い込まれていく。爆薬が炸裂し、海水がレ級を覆い隠す。だが海水が元に戻った時、そこにはほとんど無傷といっても差し支えない被害状況でニタニタと笑ったままのレ級が立っている。

 

『嘘……あたしは全部当てたよ?』

 

『海中から見てたよ。あの深海棲艦、直前に放っていた艦載機を海中に突っ込ませて盾にしてたでち』

 

つまり直撃する前にゴーヤたちの放った魚雷は炸裂したため、レ級にはダメージがまともに入らなかったのだ。

 

『くそったれ、何でもありかよ!』

 

峻は舌打ちしたい気持ちを抑えた。だがその余裕すら与えてくれないようだ。レ級がお返しとばかりに魚雷を撃つ構えを取り始めた。

 

『やらせるかよ』

 

叢雲の主砲とリンクし、放たれた魚雷に向かって砲撃。いくらリーパーシステムで艤装の機関がガタガタでも火器系統は問題ない。ゴーヤの視界で叢雲の主砲を撃つという盲撃(めくらう)ちにも等しい行為でなんとかレ級の魚雷の信管を誤作動させ、当たる前に爆破処理することに成功する。

 

こんな綱渡りのような曲芸じみた戦闘はそう長くは続かない。それがわかっていながらも峻はそれを選択し続けるしかない。

 

ドォン! と天津風の自立駆動砲が1機、爆ぜて沈んだ。また貴重な戦力が削れてしまった。

 

『ゴーヤ、近づきすぎるな。少し離れ────っ!』

 

金釘をダイレクトに頭の中に打ち込まれたような痛みが連続して走った。内側から侵食してくるような冷たい痛み。

それは峻の体が限界を迎えていることを示していた。

麻酔も打たずに、痛覚神経のブロックなどという荒業で痛みを誤魔化して指揮を執り続けるという無茶をすれば当然の反応だ。

 

だがこんなところで終わるわけにはいかない。

 

『ガンガンガンガンうるせぇんだよ……だまれ』

 

その痛覚すらねじ伏せて意識を集中させる。

 

いまさらこの程度の痛みで音をあげるな。敵から目を離すことなく最後まであがき続けろ。

 

『あなた! レーダーに反応。北東から何かが高速で接近してる!』

 

『新手か?』

 

峻にはこれ以上を捌ききれる自信がない。それでも努めて平静を装って天津風に聞き返す。

 

『いいえ、もっと速い。これは……飛行機?』

 

『飛行機、だと?』

 

ひとつの予感が胸をよぎる。そしてそれを裏付けるように通信が舞い込む。

 

『帆波大佐、聞こえますか? こちら東雲隊旗艦の翔鶴です』

 

『聞こえてるよ。マサキのやつは?』

 

『俺は横須賀にいるよ。シュン、さすがだな。よく持ち堪えてたもんだ』

 

『まあな。あとは頼んでいいか? そろそろ俺が限界だ』

 

脳波通信だからこうしてまともに話せてはいるが、そうでなければ会話をすることも苦しいだろう。そろそろ意識も飛びそうだった。

 

『……よくわからんがあとはやっとく。大丈夫なんだよな?』

 

『ああ』

 

大丈夫とは言い難い。だが強がって(うそぶ)いた。今は東雲には指揮に集中してほしかったため、余計な懸念を抱かせることは避けたかった。

 

『お前にこっちの指揮権も渡しとく。東雲中将に帆波隊の指揮権を譲渡する』

 

『帆波大佐から帆波隊の指揮権の譲渡を確認。さて、久々に暴れるか』

 

『あとは頼んだぜ。じゃあな』

 

通信を切って、潜っていた電子の海から意識を体に戻す。医務室に漂う独特な消毒液の匂いがツンと鼻をついた。

 

怪我はどういう具合か確認しようとする。だが視線を自分の体に落とす前に峻の意識は闇に飲まれた。




ボツ原稿

「ゴーヤ……俺の目になってくれ…………」

「でち!」



……なんかいろいろ台無しになったので止めました。ていうかね、最近マジでゴーヤがヒロイン化しすぎだと思うの。なにこの健気な子。

感想、評価などお待ちしてます。それでは!


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願いの理由

こんにちは、プレリュードです!

とりあえずチキンの自分はイベント難易度をさっさと途中から丙に下げました。現状で嬉しかったドロップは時津風海風春風朝風の駆逐艦たちですかね?
丙提督のみなさん、E-5はボスマスでA勝利でも朝風は落ちますよ! 自分が落ちたんだから間違いないです。丙だからどうせ落ちないなんてことはない! さあ、立ち上がれ丙提督! 丙で何が悪い!



『おいおい、翔鶴。こりゃどういう状況だ?』

 

「私にはなんとも……」

 

東雲の問いかけに翔鶴が困惑したように口ごもる。それも無理ないことではあった。

 

『さらしなが沈んでるのも驚いたが……レ級が1体に減ってるのはどういうことだ?』

 

東雲は到着直前に峻に一言入れておこうとしてさらしなへ通信を繋ごうとしていた。だがまったく繋がらなかったので内心でかなりヒヤリとしていたのだ。

つまり、東雲は事前にさらしなが沈んでいる可能性はあると察していた。だからこそ、そこに関してはさほど驚いていなかった。

だがレ級に関しては意表を突かれた。報告では2体だったはずだったが、どれだけ確認しても1体しかいないのだ。

 

『あの野郎……まさかあの欠けた戦力でレ級を落としたってのか……』

 

「状況から鑑みるにそうとしか……」

 

東雲と峻の通信は完全に途絶えている。確認しようとかけ直しても恐らくは出ないだろう。東雲も翔鶴もそう直感していた。なにかよっぽどの事情がない限り、峻が帆波隊の指揮権をそう易々と渡すことなどありえないからだ。

 

『まあいい。2体を相手取るつもりで来たのがその半分で済むんだ。負担が軽くなって悪いことはない』

 

「そうですね。では提督、ご指示を」

 

レ級が新たな獲物を見つけたと言わんばかりにニタリと不気味に嗤う。翔鶴の皮膚が粟立ち、ぞくりと背筋に寒気が走った。それでも後ろに下がることはせず、むしろ1歩前に進み出て、キッと眉を吊り上げた。

 

『翔鶴、攻撃隊発艦。吹雪、翔鶴の護衛に回れ。比叡、砲撃用意。目標、敵戦艦レ級。その他はそれぞれの援護に回れ』

 

「「「了解」」」

 

たった一言。それだけ告げると東雲隊という群れは統率された行動を見せ始める。

 

「第一次攻撃隊、発艦はじめ!」

 

弦をピンと張り、引き絞る。吸って、吐いて、吸って。呼吸を止めると弦を引いていた右手を離す。

 

翔鶴が操る攻撃隊とレ級の飛ばした異形の艦載機が空中で交錯する。翔鶴は攻撃隊に機銃を掃射させつつ、最大速度で駆け抜けさせた。異形の艦載機は一瞬すぎるできごとに対応が遅れ、編隊の一部が崩れる。

 

「私がやっつけちゃうんだから!」

 

そして崩れた編隊に吹雪の高射装置から撃ち出された弾丸が襲いかかる。

 

「横須賀を……舐めるなあああああ!」

 

吹雪の艤装に集中配備された三連装の機銃が火を噴く。それでも全てを撃ち落とすことは出来ないのだが、穴の空いた攻撃なら回避することができる。

投下される爆弾をすいすいと避け、迫り来る魚雷の信管を誤作動させて爆破処理する。

 

「私たちはどうすればいい?」

 

天津風が近くまですり寄り、指示を仰ぐ。北上と叢雲はあまり戦力としてあてにならなくとも、天津風とゴーヤはまだ動けた。ゴーヤは大半を海中に潜っていたため無傷で済んでいるし、天津風もダメージはあるが、自律駆動砲がまだ2機も残っている。これだけあればそれなりには戦えると考えたのだ。

 

『いやいい。帆波隊は後方待機。砲撃支援だけしておいてくれ』

 

だがその申し出を東雲はばっさりと切り捨てる。

 

「…………砲撃支援命令、了解よ」

 

なぜ申し出を受けなかったのか。それがすぐにわからないほど天津風の頭に血は上っていなかった。

ここまで2時間、1回の休憩も挟むことなく戦い通しだったのだ。しかも、常にフルスロットルで、だ。ランナーズハイと言ってもいい加減、限界を迎えているのは火を見るより明らかだった。

 

後方に下がっていく天津風たちを目の端に捉えながら翔鶴は小さな違和感を感じた。

 

「叢雲ちゃんが戦闘継続不能になるなんて……」

 

珍しい、というよりそんなことがありえたのかと半ば疑う気持ちだった。

翔鶴たちは詳しい事情は知らない。叢雲が無茶をした結果、レ級が討たれたことも、その反動として艤装の機関部が摩耗してしまっていることもだ。

そしてその感情も。

 

『いたずらに戦闘を引き延ばしても旨味はねえ。速攻で片付けるぞ!』

 

東雲の合図と共に翔鶴が発艦させていた攻撃隊をレ級に肉薄させる。当然、レ級もさせじと艦載機をぶつけてくるが、伊達に横須賀鎮守府の主力を(うた)ってはいない。翔鶴の攻撃隊は敵艦載機郡を食い破り、穴を開けるとそこからなだれ込んでいく。

 

『全艦、一斉射用意!』

 

翔鶴が艦爆で動きを抑えている内に比叡たちが狙いをつける。一撃で正確に全弾を当てるために風速から波高、湿度、果ては気流など全ての値を入力していく。

 

「くっ……」

 

だが間に合わない。翔鶴がレ級の動きを押えつけていたのだが、がむしゃらに撒き散らされる砲撃に攻撃隊が思うように接近できないようになってしまったのだ。

このままではせっかく精密につけた狙いが無駄になる。もう一度やりなおせないわけではないが、何度も繰り返し挑戦する度に被害は出てしまう。そうなれば総合的な火力は落ち、一撃にて葬り去ることが難しくなる。

 

「やらせないわ!」

 

高速で動く物体がレ級に体当たりを敢行し、爆撃の網から抜け出そうとしていたレ級がよろめく。

それは天津風の自律駆動砲だった。レ級に全速力で衝突させた衝撃により砲塔が大きく歪み、ボディがひしゃげていた。

 

『今だ! 撃てぇ!』

 

「まっかせてください!」

 

天津風が作った隙を逃す東雲ではない。すぐさま砲撃命令を下すとそれに呼応して比叡が一斉に砲門を開いた。他の艦娘たちも競うようにして砲撃を始める。

余すことなく砲弾がレ級の体に突き刺さるとその白亜の体躯を抉っていく。

 

「徹甲弾です。弾け飛んでください!」

 

比叡が叫ぶとレ級の体内に埋まった徹甲弾の炸薬が爆発し、その体を内側から壊していく。

そして周辺にぶよぶよとした肉塊を撒き散らしながら海中へと没して行った。

 

「戦闘終了。周囲に他の敵影なしです」

 

『ごくろうさん。そのままラバウルにいってそこから帰ってこい。ところでどういう経緯があったか説明できる奴は誰かいるか?』

 

「あ、ゴーヤができるよ」

 

『そうか。じゃ、頼む。具体的にはシュンの野郎がなんで通信に出られないのかを』

 

「てーとくは……意識が飛んだんだと思う。それくらいの大怪我だったし、あの怪我のままで指揮を執っていたこと自体が異常だよ」

 

『あれが意識を飛ばすってことは相当だな……ラバウルにも医療施設はある。そこで本格的に治療だな。容態は?』

 

『輸送船団長の長浜です。集中的に治療しとりますが、なにぶん船の設備では延命が限界でして……ですがラバウルまでならなんとかなると医務長が言っとります』

 

『ならばそのまま急行してください。翔鶴、そのまま輸送船団の護衛につくんだ』

 

「了解しました」

 

怪我の程度は言われなかった。だがかなりのものだということだけは予想できた。

 

「大丈夫だといいのだけれど……」

 

不安そうな翔鶴の胸中を他所に、船団はラバウルへ向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラバウルまでは半日程度かかった。これでもそれなりに飛ばしたのだが、やはり船。足は決して早くない。

けやき丸では輸血をしたが、あまりにも失われた血液が多く、生理食塩水でショック症状が起きないように誤魔化してなんとか峻は三途の川を渡らずにいた。

 

そしてラバウルに着くと同時に緊急搬送され、集中治療室にいた。治療室に入ってからかれこれ3時間が経過している。

 

「てーとく、大丈夫だよね……?」

 

廊下に置かれた人工革の長椅子に座りながら祈るような気持ちでゴーヤが呟く。絶対に大丈夫だと言い切りたいが、あの怪我を直視して大丈夫だなどと安易に言うことができなかった。

 

「私がもっとパラレルを上手く使えていたらっ……」

 

比較的、負傷した中でも軽い怪我だった天津風が悔しそうに拳を強く握りしめる。その頭部には包帯が巻かれている。隠れているが服の下も恐らくは。

 

「天津風はもう大丈夫なの?」

 

「私の怪我はほんとに大したことないから」

 

手をひらひらと振って平気であることを天津風が示す。天津風に関して言うならば自律駆動砲の損失が多かった。だが逆にそれが犠牲になることで天津風自身の怪我は大事に至らなかったのだ。

 

「問題は北上ね。直撃もらってるから……」

 

「うん。だからちょっち引きずってるよ」

 

腕に点滴を打ち、病人着をまとった北上が車椅子の自動化した車輪を回しながら手術室の前にやって来た。左足をギプスに包み、頭部から胴体にかけてぐるぐると包帯に巻かれている。

 

「大丈夫なの?」

 

「天津風、心配しすぎー。高速修復材を使うほどじゃないってー」

 

北上がけらけらと笑う。少し無理をした痛々しい笑みではあるがそれでも無事らしい。

 

「叢雲はどうしたでち?」

 

「んー、よくわかんないけど精密検査だって」

 

「へえ……」

 

納得したようなしてないような声でゴーヤが頷く。3人は知らないことだったが、叢雲が無理やり使用したリーパーシステムの後遺症が無いかどうかのチェックを受けているのだった。

 

天津風は立っていることが疲れたのか、ゴーヤの隣にポスンと座る。薄暗い廊下に秒針の音だけがコチコチと響き、時間がゆっくりと流れる。

 

「すみません」

 

「翔鶴……さん?」

 

コツコツと靴の踵を響かせて翔鶴が手術室の前の廊下に現れた。

 

「東雲中将からの連絡です。帆波大佐の処置が終わり、医者の許可が出たら飛行機で横須賀に戻るように、とのことです」

 

ゴーヤたちが目を合わせる。司令官は現在進行形で手術中。そして秘書艦も精密検査とやらで外している。この場合はだれがこの命令を受ければいいのだろうか。

 

「天津風、いく?」

 

「いやよ。北上、あなたが行きなさいよ」

 

「えー、あたし? パスかなあ」

 

「あ、あのー……」

 

持ってきた辞令を受けとられずに、自分そっちのけで堂々とひそひそ話を目の前でされた翔鶴が戸惑う。

 

「「「さーいしょーはグー。じゃーんけーんぽん!」」」

 

「あのー、私はスルーですか……」

 

挙句の果てにだれが受理するかを決めるためにじゃんけんを小声で始める。一応、手術室に迷惑がかからないようにという気遣いが元で小声になっているのだが、目の前で辞令だけ伝えて置いてきぼりにされている翔鶴には丸聞こえだ。

 

「翔鶴さん、辞令をもう一回お願いするでち……」

 

そして負けたゴーヤが翔鶴の前に進み出る。今日はゴーヤにとってグーが鬼門らしい。

 

「あっ、はい……帆波大佐の怪我が移動しても問題なくなった時点で意識の有無は関係なく横須賀まで飛行機でくるように、とのことです。横須賀中央病院に個室を取ったそうなので、そちらの方が養生できると。その際に、帆波隊は大佐に同行してください。あと私たちも飛行機には同乗させてもらいます」

 

「了解です……えっとこれでいいのかな?」

 

「はい、大丈夫ですよ」

 

馴れない様子でおっかなびっくり受理をするゴーヤを微笑ましげな表情で翔鶴が見つめる。

 

その時、手術中のランプが消えた。手術室から峻の乗ったストレッチャーが押されて来る。瞼は閉じたままで口に酸素マスクを付けられ、点滴など至るところにチューブが繋がっている。

 

「っ! てーとく!」

 

ゴーヤはストレッチャーに駆け寄ろうとするが、看護師に押しとどめられる。仕方なく押されていくストレッチャーを見送った。そしてストレッチャーが角を曲がって見えなくなった後に、手術室から執刀医らしき男が出てきた。

 

「帆波大佐はどうですか?」

 

落ち着いた様子で翔鶴が進み出る。その背中にゴーヤたちが続いた。不安が濃くにじみ出た瞳が執刀医を見つめる。

 

「しばらく意識は戻らないかもしれませんが、一命を取り留めました」

 

「怪我は? 大丈夫……なのかしら?」

 

天津風がおそるおそる問いかける。

 

「広範囲に火傷が見られますが、深度が浅いため大事には至っていません。また左眼の網膜に傷がついているため、一時的に視力の低下が見られると思いますが、おそらくすぐに視力は回復するはずです。あとは内臓ですね。爆発した時の破片が突き刺さり、傷ついています。しばらくは激しい運動を避けた方がいいでしょう。ですが破片は摘出しましたし、こちらも時間はかかりますが、治っていくかと。問題は……」

 

「問題は?」

 

北上が車椅子でにじり寄る。天津風も小さく1歩まえに出た。だがゴーヤは進み出ずにいた。恐らくはゴーヤだけが執刀医が続いて口に出すであろう言葉をうすうす察していたからだ。

 

「問題は右脚です。完全に付け根の少し下あたりで吹き飛んでいます。残念ですが、今の医療では失われた足を生やすことは出来ません」

 

「嘘……」

 

「冗談……じゃないんだよね…………」

 

天津風と北上が絶句する。けれどゴーヤは驚かない。だからただ深くうなだれた。

 

わかっていた。沈みかけているさらしなの通路を背負うように肩を貸して一緒に歩いた時、こうなってしまうと知っていた。

 

今でも迷っている。

あの時、本当に峻の目になってもよかったのかと。余計に負担をかけてしまっていたのではないか。もしかしたら脳に変な異常が出て、目を覚まさないかもしれない。そんな不穏な予感がずっと胸の中を駆け巡る。

 

「ゴーヤは…………あれでよかったんだよね? 間違ってないよね?」

 

自分の答えが出ていないのに、問いかけたところで意味なんてあるわけない。時間が経ってもあの行動が正しかったのか自信が持てなかった。

だから答えが返ってくるとは思わなかった。

 

「間違ってなんかいないわよ」

 

声のした方向へ振り向く。そこにはほとんど無傷の叢雲がどこか足取りが重いような歩幅で歩いていた。

 

「ゴーヤ、あなたは間違ってない。あいつを支えてくれなければ私たちは全滅してたかもしれなかった。いえ、確実にそうなってた。だから自分を責めることなんてしなくていいわ」

 

「そうなの……かな?」

 

「そうよ。現に見なさい。みんな生きてるわ」

 

どこかしらに負傷はしているかもしれない。けれど生きている。峻も生死の境をさまよっているかもしれない。けれど戻ってくる望みは十二分にある。

 

だからゴーヤの働きは無駄じゃない、と叢雲は言外に告げていた。

 

「意味はあったんだ……」

 

「ええ。とにかく今は休みなさい。ほとんど休んでないでしょう?」

 

「う」

 

図星だった。戦闘終了から落ち着かなくてずっとけやき丸の医務室付近をうろうろと歩き続け、ラバウルに着いてからは運ばれていくストレッチャーを追いかけて手術室の前にある長椅子に居続けた。腰は下ろせているが、しっかりとした休息が取れたかと言われると微妙なラインだった。

 

「どのみちあとは容態が安定するまで待つだけよ。それにあいつが起きた時にゴーヤの目の下にクマがあったら締まらないじゃない」

 

「……うん、わかった。休んでくるでち」

 

実際、疲れていたのだろう。大人しくゴーヤは休むことを受け入れる。それに疲れてやつれた顔を見せるのはなんとなく抵抗があった。

ラバウルの基地司令が割り当ててくれた客人用の部屋に向かってゴーヤが歩き始める。これからベットで休むことを考えると急に眠気が襲ってきたあたり、疲労はかなりのものだったようだ。

 

少し覚束無い足取りで部屋へ歩いていくゴーヤの後ろ姿を叢雲は見守る。気づけば周りには誰もいなかった。天津風も北上も翔鶴もいつの間にか部屋に戻っていたらしい。

 

「ゴーヤ、確かに()()()()間違ってない。きっと……」

 

────きっと間違えたのは私だ。

 

思いっきり廊下の壁に拳を叩きつける。冷たいコンクリートの壁は物を言わずに、ただ衝撃だけが腕に返った。

 

「っ…………」

 

キリングマシーンにはなるな。

あの時、峻が投げかけた言葉が叢雲の頭の中でぐるぐると回り続ける。後になってから冷静に考えると、自分はやりすぎたのではないだろうか。あのレ級は尾を斬り落とした時、反応できていなかった。ならばすぐ一刀のもとに斬り捨ててしまえば済んだ話だった。それなのにレ級の両腕と両脚を切り裂いたのは峻が殺されたと勘違いし、怒りと復讐心に駆られたからだ。暴虐の限りを尽くし、ただ痛みと苦しみを与えてやることしか頭になかったのだ。

その証拠として叢雲は斬り飛ばしたレ級の頭を一刀両断するというなんの意味もない、憂さ晴らしすらしている。

 

「私はっ……私はっ…………」

 

強くなりたかった。でもそれを峻は否定した。その先にあるものは強さではないと。

 

なら私は何になりたかったのだろう。なんで強くなりたいと願ったのだろう……

 




金剛型が榛名、霧島、比叡ときて一番艦が未だ出てきていない事件。
だってあの子出すタイミング見失ったんですもん。ごめんよ金剛。まあ、それを言ったら赤城とか出てないし、長門に至ってはおまけ編であの扱いだし……
き、気にしたら負けということで!

感想、評価などお待ちしてます。それでは!


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鮮血の対価

こんにちは、プレリュードです!

はい、イベント報告ー(ダミ声)
E-1甲
E-2甲
E-3丙
E-4丙
E-5丙

でクリアしました。ドロップは時津風×2、天津風、海風×2、江風、三隈、天城、山風、朝風です。割りと豊作だったので今回はホクホクです。初めて長門来たしね。今まで長門がいなかったんでほんとに良い結果かと。


翔鶴から峻が一命を取り留めたという連絡を受けてから東雲はあらゆることに対して迅速に対応していた。

横須賀中央病院の個室を確保することもそのうひとつ。そしてもうひとつ、やるべきことがあった。

 

 

横須賀鎮守府の一室を訪れる。控えめなノックをすると返事が聞こえ、中に目的の人物がいることがわかった。

 

 

「入るぞ」

 

 

「! これは東雲中将どの!」

 

 

東雲の使っている机と比べると幾分かグレードの落ちる執務机で資料を見ていた男が立ち上がり、脇を締めた敬礼をする。

 

 

「夜分に悪いな、小泉(こいずみ)稜樹(いつき)中佐」

 

 

「いえ。当然どうされましたか?」

 

 

小泉の問いかけを無視して部屋をぐるりと見渡す。ありふれたノートパソコンに、資料のファイル、接客用のソファや本棚と実に普通の部屋。そこに小泉と東雲、2人が向かい合っているだけの味気ない部屋だ。何も言わずに部屋を見るだけの東雲に不信感を抱いたのか、小泉の指がピクリと僅かに動く。

 

 

「……響ちゃんはいないのか?」

 

 

「はい。もう遅いので先に休ませました」

 

 

「そうか」

 

 

それだけ言って東雲が黙り込む。小泉は表情を崩すことなく、ただ東雲を見つめ続けた。

 

 

「まだるっこしいのは嫌いなんだ。単刀直入にいこう。館山基地に翔鶴を通さずに輸送作戦の命令書を送ったことと、さらしなにウイルスコードのプログラムを流し込んだのはお前だな?」

 

 

「……なにを仰っているのかわかりかねます」

 

 

「ならわかるように説明してやるよ。まずは作戦の命令書だ。翔鶴はそんなものを見たことは無いと言い切った。だが館山に送られていた。横須賀の承認判つきの命令書が、だ。仮に翔鶴が見逃していたとしても承認判が押されているのはおかしい。誰かが秘密裏に押したと考えるべきだ」

 

 

複製などをしたとしても、判を押す時に使う特殊なインクまで用意はできない。だが館山基地で確認させた結果によると、正規の判だったということは榛名から確認済みだ。

 

 

「ならこっそりと判子を押せて、なおかつ館山へ送る書類の束に命令書を紛れ込ませられる人物ということになる。そしてそんな条件を満たせる人物なんてそうはいない。郵送手続きを手伝っていて、かつ常に書類を受け取るために執務室へ入り浸ってた人間とかな。そしてそんな条件にぴったりと嵌る人間は1人しかいなかった。お前だよ、横須賀第五水雷戦隊司令小泉稜樹中佐」

 

 

「……ほう、そうでしたか」

 

 

「ああ。残念だがな」

 

 

東雲が冷たい視線を注ぐ。小泉は変わらず無表情だ。

 

 

「ですがそれはあくまで状況証拠です。確たるものではない以上は中将の推測に過ぎません」

 

 

「そうだ。これだけでは容疑者筆頭でしかない。だがほかにあればどうだ?」

 

 

「ほか……ですか」

 

 

「ああ。例えばそのノートパソコンとか」

 

 

東雲が執務机に乗っているノートパソコンを指差す。小泉のポーカーフェイスは崩れない。

 

 

()()()()()()()()()()()()()P()C()()()()

 

 

だが続いた東雲の言葉に小さく小泉の眉がピクリと動く。その反応で東雲には充分だった。伊達に中将の地位にはいない。小さな反応を見落とすほど抜けてはいないし、その反応から感情や心理を推測することはある程度ならば可能だ。

そしてその眉の動きは東雲に当たりだと克明に告げていた。

 

 

「そのPCにあるんだろ? さらしなと接触した履歴が。もしかしたらウイルスコードも残ってるのか?」

 

 

「…………」

 

 

「黙ってちゃわからんぜ。はっきり言ったらどうだ?」

 

 

東雲が小泉に睨みをきかせる。

はっきり言っておくと、東雲は超薄型PCのことなんて知らなかった。だが部屋を見渡した時、小泉は本棚の方を向いた時だけわずかながら指を動かすという形で反応を示した。堂々と後暗いことをやったパソコンを置いておくとは思えなかったため、予備があると考えていた東雲は本棚にあるのではないかとあたりをつけてカマをかけたのだ。

つまり具体的な場所も物も一切わかっていなかった。小泉の見せる行動、隠そうとしている感情の揺らぎ。そういった細かいものを見落とさずにその場で可能性を作り上げるのだ。

 

 

「だんまりか。ならこっちも強硬手段に出るぜ? 今のうちに大人しく差し出して洗いざらい吐いてくれれば悪いようにはしねえ。左遷くらいで止めるように働きかけてやるよ」

 

 

「……」

 

 

「どうする? 強制捜査で手荒い取り調べか自白で丁寧な事情聴取か。好きな方を選べ。そういえば最近、新しい道具(おもちゃ)が来たってこの前、憲兵とかが騒いでたっけな」

 

 

「……」

 

 

「あれなら響が望むなら一緒につけてやってもいい。それで……」

 

 

「響? 別にあんなのはどうでもいい」

 

 

小泉が冷たく言い放つ。そのまま本棚に向かい、一番下の本を全て出すと底板を外した。その中からは東雲の予想通り、薄型のパソコンが現れた。

 

 

「ウイルスコードは本部の宇多川少将……あの山崎中将にべったりの人ですよ。あの人に貰いました。全部ここに残っていますよ。これでいいですか?」

 

 

「……随分とあっさりしてるな」

 

 

「どっちを取った方がリターンが大きいか位は考えます。どうせ山崎中将の近くにいても干されるのなら今のうちに東雲中将に尻尾を降っておきますよ」

 

 

「そうかよ」

 

 

投げやりに言い放ちながらやはり、という思いが東雲にはあった。この企みは東雲自身が横須賀にいないことが前提だ。となれば自分を横須賀から切り離す必要があり、実際のところ東雲は本部に会議という名目で拘束されていた。

命令書は本部にいる誰かが作成したものだろうし、そもそもレ級の情報を各地に送らないように情報統制をかけられるのも本部の将官クラスだけ。ここまでくれば、本部務めの誰かしらが関係していることは読める。

 

 

「小泉……お前がシャーマンなのか?」

 

 

「……? なんのことですか?」

 

 

怪訝な顔で小泉が首を傾げる。

 

 

「お前はシュン、いや帆波を失脚させることが目的じゃないのか?」

 

 

「自分は別に帆波大佐である必要はありませんよ。ただ、自分の基地が欲しかっただけです。交換材料として館山基地を提示されて、ちょうどよかったので今回の話に乗ったまでです。別にどこの基地司令でもまったく構いませんでした。その過程で有利に働くかもしれないので響との関係も良くしておいただけですし」

 

 

「……ならいい。後は大人しくしてるんだな」

 

 

合図と共に小泉の部屋に憲兵が乗り込み、小泉の両脇を固めると連れ出していく。そのまま出ていくかと思いきや、入口の近くでピタリと足を止める。

 

 

「善悪でいけば悪。好き嫌いでいけば嫌い。それでも欲には勝てないんですよ」

 

 

「なら強欲の償いをするんだな」

 

 

もうなにも言うことは無い。連れていかれ小泉の執務室で東雲がひとりたたずむ。

 

 

「あんたのミスは翔鶴を甘く見すぎたことと、帆波峻という男を侮ったことだよ」

 

 

まだ見ぬ黒幕(ラスボス)に対する勝利宣言。東雲はその相手を鼻で笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

横須賀中央病院の一室。そこで峻は眠っていた。あれからもう3日も経っている。

 

 

真っ白な病室で心拍数を測る計器が一定のリズムを刻む。だんだんと電子音の間隔が短くなり、リズムがアップテンポになっていく。80前後だった数字が今は120を超えた。峻の口から荒い呼吸が漏れ、額に珠のような汗が浮かぶ。

そしてなんの前触れもなくその目が開いた。

 

 

「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ……」

 

 

勢いよく起き上がり、全身を走った痛みに顔をしかめる。左眼を覆うようにして包帯が巻かれているせいで視界が狭い。だがそれを言うのならば身体中が似たような有様だった。右腕に付けられたギプスにありとあらゆる所に巻き付けられている包帯、そして酸素マスク、挙句に左手首に刺された点滴針から輸液が流し込まれている。

 

 

どくん、と心臓が強く脈打った。1度は落ち着きかけた脈動がまた早鐘を打ち始める。脂汗が吹き出し、左手がシーツを強く握りしめた。

 

 

 

 

──きらりと光を反射する銀色。不気味に輝くそれはゆっくりと近づき……

 

 

 

 

「やめろ…………」

 

 

 

 

──老人が倒れた。額には穴が穿たれ、鮮血が流れる。

 

 

──やめて! せめてこの子だけは! 私のことはいいからこの子だけは!

 

 

──まだ幼い子供を庇うように抱える母親。火薬の匂いと鉄臭い匂いが混じりあい、鼻をつく。

 

 

 

 

「やめてくれ…………」

 

 

異常な脈拍を計測した計器が甲高い警告音を発し始める。その音すらも峻は聞こえていなかった。自分の荒い息遣いと聞こえるはずのない悲鳴と怒号が交差する。

たださっき見ていた悪夢を引きずっているだけだ。わかっているはずなのにシーツを握りしめる左手は力を増していく。耐えきれなくなったリネン地が悲鳴を上げる。

 

 

その瞬間、病室の引き戸が素早く開けられ、看護師と医師が駆け込むようにして入ってきた。

 

 

「どうしましたかっ?」

 

 

叫ぶように声がかけられて、峻の呼吸が落ち着いていく。激しく動いていた心臓も緩やかな脈動に戻っていった。

 

 

「……いえ、なんでもないです」

 

 

「そうですか。念のためバイタルチェックをしますね」

 

 

テキパキと動き始める医師と看護師。その姿を目で追っていると、視線は何となしに下半身へ。そして失われた右脚へ。

ぽっかりと空いたその空間は現実味を感じさせない。けれどわかっている。もうなくなってしまった。

 

 

「はい、問題はありませんね。ですがしばらくは入院生活になると思います」

 

 

「わかりました。すみません、いくらかお願いが……」

 

 

「……できる範囲なら」

 

 

少し考えたふうの医師が難しい顔で小さくうなづく。

峻が自分の要求を伝える。沈黙の時間が流れ、医師が僅かに逡巡。

 

 

「それならば出来ます。ですがパソコンに関しては気分が悪くなるなど、身体に異常が感じられた時点で使用を控えると確約してください」

 

 

「充分です。ありがとうございます」

 

 

ベットで上体だけ起こした状態で峻が小さく腰を折った。

 

 

その後は簡易テーブルをベットの上に展開し、何度か医師が出入りを繰り返す。体に繋がるチューブを外されたり、持ってこられたよくわからない錠剤や、液体を飲まされ、ようやく一息ついた。いや、峻自身はまったく動いていないのだが、いろいろ飲まされたり外されたりしているだけでなんだかどっと疲れていた。

 

 

パソコンを使いたいと思っても、手元になければやれない。特にすることがなく、ぼんやりと窓の外を眺める。無為に時間が流れていく。

 

 

「失礼……するわ」

 

 

おそるおそる、といった様子で叢雲が病室に入ってきた。手に提げていた荷物をサイドテーブルに置き、ベットの隣にスツールを引き寄せて座る。

だが俯いたままで何かを話すこともなく気まずい空気が流れる。

 

 

「あー、叢雲。館山はいいのか?」

 

 

「……今は加賀と榛名に代わってもらってる。ちょっとくらい私が外しても問題はないわ」

 

 

「そうか」

 

 

また沈黙。持ち上がった峻の左手を見て、叢雲が身を縮ませて、その様子を見た峻が行き場を失った左手を下ろす。

 

 

「これ……」

 

 

「差し入れか? ……おお! さっすが! これが欲しかったんだ!」

 

 

叢雲が大きめのカバンの中から取り出したのは峻のパソコンだ。欧州で壊したため、使っていたスペアはさらしなと一緒に海の底へ沈んだため、スペアのスペアといったところか。さすがにこれ以上、壊れられるともうストックがないため、勘弁してほしいところだ。

 

 

「ちょうど欲しかったんだ。助かるぜ」

 

 

簡易テーブルの上にノートパソコンを開く。早急にやりたいことがあった。

 

 

「えっと……」

 

 

「どうした、さっきから? 歯切れが悪いな」

 

 

立ち上げかけたパソコンを閉じて叢雲と向き合う。ベットの左側にスツールがあるため、体ごと向きを変えた。

 

 

「あの……足…………悪かったわ……」

 

 

そこまで言われてようやく何を叢雲が言いたかったのか理解した。我ながら察するのが遅いと叱咤しつつ、どう言葉をかけるものか模索する。

 

 

「気にすんな。右脚がなくなったのは俺の責任であってお前のせいじゃねえ。だからお前が気に病む必要はまったくねえからな」

 

 

「でも私は間違えた……」

 

 

「ああ、そうだな。でもお前は取り返しがつく。だからもう踏み外すな。求める強さの理由を履き違えるなよ」

 

 

峻の明るい茶色の右目が叢雲を見据える。そこに落ちてはいけない。殺すことを結果に求めて戦うな、と言外に告げる。

 

 

「でもあんたはそのせいで…………」

 

 

「それは関係ねえよ。俺が純粋にミスっただけだ。そこまで気にされたらむしろこっちが申し訳なくなる。だから気にすんな」

 

 

「……」

 

 

「そこまで心配することか?」

 

 

「当然よ! 私は……私はあんたの秘書艦なんだから!」

 

 

叢雲が俯きがちだった顔を勢いよくあげて、声を荒らげる。何気なく言った言葉に強く反応された峻が一瞬たじろぐ。

 

 

「とにかく! お前が落ち込んでると調子が狂うんだ。いつもみたいに憎まれ口を叩いてさっさと仕事に戻りなさい! とか言っとけばいいんだよ」

 

 

「……そう、ね。すこしらしくなかったかもしれないわ」

 

 

「すこしどころじゃなかったけどな。しおらしいのなんて似合わねえよ。ほれ、いいから帰った帰った。俺が不在の間は館山を任せるぞ」

 

 

「……! ええ!」

 

 

自分はまだ任されるだけの信頼を置いてもらえている。それが叢雲の気力を奮い立たせる。

 

 

「じゃあ帰るわ。大人しく寝てなさい」

 

 

「言われずともそうするさ。じゃあな」

 

 

病室を出ていく叢雲を見送り、パソコンのキーを左手で叩き始めた。

数値を挿入し、それに従って滑らかに図形が描かれていく。

 

 

「マサキ、出てくるなら早く来い」

 

 

「相変わらずカンが鋭いな」

 

 

扉の影から東雲がするりと現れる。にやにやと笑いながらさっきまで叢雲の座っていたスツールに腰を下ろす。

 

 

「目が覚めたって聞いたから来てやったぜ。大丈夫かって聞こうかと思ったがパソコン叩いてるならよさそうだな。身体中に繋いであったチューブもなくなってるしよ」

 

 

「点滴は経口に切り替えてもらったんだよ。それにパソコンを叩き始めたのはついさっきだ。叢雲との会話を盗み聞きしてたんだ、知らんとは言わせねえぞ?」

 

 

「別に出歯亀のつもりはなかったさ。結果的にだよ」

 

 

「結果が全てっていうありがたいお言葉をお前には送ってやるよ」

 

 

「丁寧に包装して送り返してやんよ」

 

 

ちょっとした嫌味の応酬。これぐらいは挨拶の範疇だ。

 

 

「ま、そこまで口が回るなら大丈夫か。ところでさっきからパソコンで何やってんだ?」

 

 

「義足の図面引き」

 

 

「なーる。自分のものは自分で作りたいってわけか」

 

 

「まあな」

 

 

手間が省けた、と東雲は軽い口調で言った。わざわざ横須賀鎮守府から出張ってきたのは今後における峻の身の振り方を確認したかったからだった。だが素人目に見ても明らかに軍用である義足の図面を引いているあたり、辞める気はないらしい。さすがに内部構造や、付属パーツの詳細などは理解できなかったが。

 

 

「で、下手人はあがったか?」

 

 

「実行犯は小泉稜樹。裏で糸を引いていたのは宇多川少将ってことになった。山崎の野郎の尻尾きりにされたみたいだな」

 

 

「山崎中将のねえ……」

 

 

「ああ。宇多川ルートで手に入れたウイルスをさらしなに小泉が叩き込んだんだ」

 

 

「宇多川少将はウイルスをどのルートで入手したんだ? たしか人事関連だったよな。ウイルスコードなんてのと無縁だろ」

 

 

「さあ? 宇多川自身もわからないらしい。送り主は匿名らしいぜ」

 

 

「なるほど。えらく解明が早いな」

 

 

「あっさりと小泉が喋ってくれて助かってる。開き直ってるところもあるのかもな」

 

 

「へえ……てか通信防壁を抜いたやつは誰だ? いや、おおまかな予測はついてるが」

 

 

「そりゃあ、若狭のやつさ。なあ?」

 

 

「そう言いたい所だけど残念ながら違うんだよね」

 

 

東雲が声をかけると若狭がぬるりと現れる。いつの間に、とは思ったが毎度の話なので放っておくことにする。

 

 

「お前が破ったんじゃないのか?」

 

 

「違う。いきなり介入してきた奴が突破してくれたよ。僕は出来なかった」

 

 

「その善意の第三者サマはどこのどいつかわかってるのか?」

 

 

「悔しいけどわからない。ただかなりのものだね。あの防壁を易々と突破できるなんてただ者じゃない」

 

 

東雲は飛び上がるかと思った。若狭の実力を知っているからこそ、それを超えてくるという事態がそら恐ろしく感じる。その一方で峻は難しそうな顔をしながら眉根を揉む。

そしてはたと何かを思い出したように顔をあげた。

 

 

「マサキ、そこのチェストに入ってる俺のスラックスの右ポケットに入ってるもん出してくれ」

 

 

「このスラックス焦げてるんだが……ん? なんだこりゃ? メモリーか? 何が入ってるんだ?」

 

 

焦げていて当たり前だ。峻がさらしなで爆発に巻き込まれた時にはいていたものなのだから。訝しげな顔で東雲が摘み上げた長方形のメモリーを簡易テーブルに滑らせる。

 

 

「そいつの中にはさらしなの通信履歴のコピーが入ってる」

 

 

「土壇場でそんなことしてたのか……」

 

 

「まあな」

 

 

あの時、最後までさらしなに残り続けた峻がやっていたことはただデータを消していたわけではなかった。何かに使えると思ったさらしなの外部アクセス履歴を記憶媒体であるメモリーに焼き付けていたのだ。

 

 

「若狭、確かさらしなの防壁を破る時にそいつもさらしなの通信区間に潜ってるんだよな? それならこいつを解析すれば例の介入者を逆探で見つけられるんじゃないのか?」

 

 

「……充分に可能だよ」

 

 

固定されて動かない右腕ではなく左手でメモリーを弾き、それは真っ直ぐ若狭の右手に吸い込まれていった。しげしげとメモリーに若狭が視線を注ぐ。

 

 

「うん、僕はもう行くよ。差し入れくらいは持ってくるべきだったかな」

 

 

「別に無理して持ってくるもんじゃねえだろ。じゃあな」

 

 

峻が右脚と引き換えに持ち帰った手がかりを上着の内ポケットに滑り込ませた若狭はすぐさま病室を後にした。

 

 

「相変わらず忙しねえな、若狭のやつは」

 

 

「ま、あれが有力な手がかりになることを望むよ。なんてったって命懸けで回収したデータだからな」

 

 

「はっ、笑えねえ」

 

 

腰掛けていたスツールから東雲が立ち上がった。よれていた上着の裾を整えて一辺が50cmほどの直方体の箱を置いた。

 

 

「いちおう見舞いの品だ。メロンは好物か?」

 

 

「嫌いな奴がいるのか?」

 

 

なんとなく気品の漂う直方体の箱からは誤魔化すことなどできない甘い香りが放射されている。気を効かせた東雲はメロンを箱ごと冷蔵庫に入れた。

 

 

「俺もぼちぼち帰る。あんま翔鶴に負担かけるわけにはいかん」

 

 

「翔鶴に礼言っといてくれ。助かったってな」

 

 

「心得た。お前も叢雲ちゃんのこと、なんとかしてやれよ」

 

 

「なんであいつの名が出てくるんだよ」

 

 

唐突に東雲の口から出てきた名前に峻が顔をしかめる。病室の入口まで移動していた東雲が足を止めた。

 

 

「『あんたが、あんたのバラの花を、とてもたいせつに思ってるのはね、そのバラの花のために、ひまつぶししたからだよ』ってな」

 

 

「アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの星の王子さまか」

 

 

「つまりはそういうことなんじゃないのか?」

 

 

「………………何のことだかわかんねえな」

 

 

「……ま、どうするかはお前の勝手だ。ただな、このままだとあの子は壊れるぞ」

 

 

それを最後に言い残すと東雲は病室から出て行った。残された峻はパソコンを開くと再び義足の図面を引いていく。

 

 

「壊させねえよ。絶対にな」

 

 

叢雲には危なっかしいところしかない。だから自分が止める。堕ちてからでは取り返しがつかないから。

今回のことではっきりとわかった。そんなことは起きないと自分を誤魔化してきたが、向き合わなければいけない時が来たのかもしれない。

 

 

淡々とパソコンのキーを叩きながら峻は自らに誓う。

 

 

叢雲をこれ以上、こちら側(ひとごろし)に近づかせてはいけない。




今回ほどグダグダの回を自分は知らない。ほんとに投稿していてあれですけどマジで自信が無いのが今回の話です。まあ更新を止めるわけにもいかないからするんですけどね。

感想、評価などお待ちしてます。それでは!


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占術師の真実

こんにちは、プレリュードです。

筆がうまく進まない今日このごろです。まあなんとか安定した更新を維持できているわけですが。

というか最近、説明回しかやってない気が……でもまともな艦隊戦いれたし大丈夫ですよね? ね?


 

窓から病室に風が吹き込む。冬も近づいてきたこの時期に吹く風はなかなかどうして肌寒い。

 

 

それにしても病人食というのはどうしてこう不味いのか。味付けが薄すぎるのか、元の素材が安いのか、調理師の腕が悪いのかわからないがとにかく不味いのだ。今のところは白米にふりかけで乗り切っているが、そろそろまともなものが食べたいころだった。

 

 

「くそ……付け根が痛みやがる」

 

 

昨日、東雲たちが帰ってから峻は経過よしと診断されて義足装着部を右脚に着ける手術を受けていた。第三次世界大戦や深海棲艦との戦いで義肢関係の技術レベルは大きく向上している。そのため義肢化する場合も被施術者の負担は大幅に減っているのだ。峻が受けたのも手術とはいえ、わざわざ手術室に入ってするほど大仰なものではなく、病室で行われていたのだった。

だがそれでも馴染むのには3日程度の時間を要する。それでも充分すぎるぐらい短いのだが。

 

 

「義足内蔵構造物の設計図は明石にもう送ったし明後日くらいには試作品があがってくるだろ」

 

 

それまでは待ちぼうけだ。少なくともまだ退院許可は下りていないからだ。いくら容態は安定していても中身の内臓が傷ついているため、もうしばらくはここに縛られることになる。

 

 

「暇だ……」

 

 

返るはずの無い呟きを峻がもらす。義足の設計が早々と完成してしまった時点でやることがなくなっていた。リーパーシステムの実戦データなどを見たいところだが、叢雲の艤装に保存してあるため今は閲覧することができない。持ってきてもらうこともできるが、たかがそれだけのために叢雲をここまで呼びつけるのも少し気が引けた。

ぼんやりと窓の外を見て黄昏ていると、アルミサッシ製の窓枠に影が落ちる。

 

 

「暇と言ったね? 安心したまえ! アタシが……キターーーーーー!!!!」

 

 

開けていた窓から常盤が病室に飛び込んできた。おそらくは病棟の屋上から懸垂降下で降りてきたのだろう。クライミングロープが腰から太腿部までをホールドしたハーネスに繋がっている。

 

 

「わざわざそんなもんまで用意してくるとか馬鹿なのか、常盤」

 

 

「失礼な。怪我したっていうから同期のよしみでひやかしに来たんじゃん。はい、これお見舞いの品」

 

 

「……菊の花の鉢植えって喧嘩売ってんのか?」

 

 

「まっさか。嫌がらせだよ、い・や・が・ら・せ」

 

 

カラカラと常盤が笑う。サイドテーブルに置かれた菊はまぶしいほどに真っ白だった。

 

 

「ヘタってなけりゃぶん殴ってやったのによ」

 

 

「アタシはいつでも歓迎だよ? 痛みほどこの世における感覚で素晴らしいものはないからね」

 

 

「そうかよ。で、何の用だ?」

 

 

「おちょくりに来ただけー。どお? 敗北のお味は?」

 

 

「別に負けてねえよ。さらしなは沈んじまったがうちの部隊は誰も沈んでねえ」

 

 

憮然とした様子で峻が言い返す。確かに被害をゼロにすることはできなかった。しかし輸送船団は欠けることなくラバウルに着いた。部隊は怪我こそ負えども全員が無事だ。

 

 

「そうだね。総合的に見れば帆波クンの勝利だ。でも帆波クンだけの勝敗でいくなら敗北じゃなぁい?」

 

 

常盤があったはずの峻の右脚を指さす。毛布を被っているため、直接は見えないが捲ればそこには何もない空間がある。

 

 

「いいや、勝利だよ。たかだか右脚1本で被害をかなり抑えられた。大金星だ」

 

 

「それを本気で言えちゃうんだよね、帆波クンは。自分をカウントに入れないっていうかさ」

 

 

「それがどうした?」

 

 

「自己犠牲とは違うなにかってこと。自らを痛めつけることを良しとしてる節がないかにゃーん?」

 

 

備え付けのスツールではなくベットの端に腰掛けた常盤がイタズラっぽく、そして同時に見透かすような目線で峻を射抜く。

 

 

「ま、帆波クンがそれでいいならいいんじゃない? それにレ級2体を相手取って2時間も時間を稼げたのは充分に勝利と呼ぶに足りる戦果ではあるしねぇ?」

 

 

「随分と含みのある言い方だな」

 

 

「だってわざとそういう言い方してるんだもん」

 

 

常盤が長くスラリと伸びた足をベットの端に座りながら揺らす。その度にハーネスと金具がぶつかり合い、ガチャガチャと喧しい。

 

 

「自らを痛めつける……か。お前に言われるとは思わなかったよ、常盤」

 

 

「あははは! アタシはほら、そういうのが好きだからさー。懸垂降下中も縄がいろいろなとこに食い込んでそれはもう、最高だったよ!」

 

 

「お前がいいならそれでいいんじゃねえか? それを本音で言ってるのならな」

 

 

空気が凍る。一切の感情を削ぎ落とした顔の峻と常盤の絶対零度の目線が交錯した。

 

 

「帆波クンは見透かしたようなことばっかり言うよね。自分のことを棚に上げてさ」

 

 

「お互い様だ。変態の仮面を付けてるお前には言われたかねえな」

 

 

これでも峻は大怪我を負ってまだ日が浅いのだ。容態はすこぶるいいとはいえ、本調子からはほど遠い。だが包帯に覆われていない右目から放射される視線は弱っていることなど1ミリも感じさせなかった。

 

 

峻と常盤が睨み合う。窓から吹き込む冷たい風が白い菊の花を揺らした。

 

 

そして突如、病室のドアがノックされた。

 

 

「じゃ、アタシは帰るよ。じゃねー」

 

 

「帰りも窓からなのか……絶対に受け付け通してないだろ、あの女」

 

 

ハーネスにロープがしっかりと装着されている事を確認した常盤が再び窓から出ていき、外壁をのぼっていく。手際よくスルスルとのぼっていき、あっという間に常盤の姿は見えなくなった。その間、峻は後に残された菊の花を必死に手を伸ばしてベットの脇に隠した。客人が誰かはわからないが、病室に菊の花は飾ってあって気持ちがいいものではないだろう。

 

 

「どうぞ」

 

 

「失礼」

 

 

病室に入ってきた50は超えているであろう、壮年の男性を見て峻は驚いた。1度しか直接、いやホログラム越しにしか合わせたことのない顔。

 

 

相模原(さがみはら)貴史(たかし)大佐……」

 

 

「久しぶりだな。息災……とは言えなさそうだが無事でよかった」

 

 

「お久しぶりです。いつかは欧州事情をご教授していただき、ありがとうございます」

 

 

「あの程度たいしたことではないさ。それにあまり役には立たなかったのだろう?」

 

 

「いえ、とんでもない! 非常に助かりました」

 

 

丁寧に峻は礼をした。あの時の情報提供のおかげで事前に覚悟を決めておくことができた。もし何も知らなければヨーロッパにおける峻の対応もかなり違っていたはずだ。

 

 

「そうか。役に立ったならよかった。今回のことは……残念だったな」

 

 

「いえ……命を取られたわけではないので」

 

 

頭を垂れた相模原。どう考えても峻の右脚を言っていることは明白だった。

 

 

「今後はどうするつもりだ? 軍を辞めるのか?」

 

 

「いいえ。軍は辞めません。今は義足の完成待ちです。完成次第、装着して動作確認。何度か調整した後にリハビリという形になるかと。義肢技術もここ十数年で大幅に向上しました。そこまでリハビリも時間はかからないはずです。怪我の治療も含めるとおおよそ2週間弱で復帰できるはずです」

 

 

自分が義足作成で暴走しなければだが、と峻は内心で付け加えた。既にかなりぶっ飛んだ図面を明石に送っているので、そこはあまり保証できないのだ。なにせ明石から、正気ですか!? と半分がクレームで半分が心配の通信が病室に響き渡ったほどだ。

 

 

「……そこまでの怪我を負っておきながらまだ軍に残り続けるのか?」

 

 

「自分が軍を辞す時は殉職する時でしょうね」

 

 

「何故そこまで……いや、これを聞くのは野暮か」

 

 

問いかけを途中で中断するその洞察力はさすがだ。何かを腹に決めた人間にその理由を問うことの無意味さを相模原は峻よりも長い人生で悟っていた。

 

 

「相模原大佐、座ってください。せっかく来ていただいたのに何もお出しできませんが……」

 

 

「いや、気にしないでくれ。用件に移ろう。もうあまり私には時間が無い」

 

 

「そう……ですか」

 

 

小さく相模原は頷いて首肯した。そして意を決したように口を開いた。

 

 

「今日、私が来たのは謝罪しに来たのだ」

 

 

「謝罪……ですか?」

 

 

行動の理由が理解できなくて峻は訝しげに相模原の様子を窺う。座らなかった相模原はいきなり峻に向かって頭を下げた。それに慌てたのは峻だ。

 

 

「頭をあげてください!」

 

 

いくら階級が同じといっても峻はまだ27の若輩。対して相模原は50を越えているのだ。年齢的に言えば相模原の方が年上である以上、いきなり頭を深々と下げられれば驚くのは当たり前だった。

 

 

「すまない。本当にすまなかった」

 

 

「だから何がですか!」

 

 

困惑のあまり、語気が荒くなる。何に対して目の前の男が謝りたいのかまったくわからない。それでも相模原は頭を下げ続ける。

 

 

「さらしなに仕掛けられたウイルスコードを作り、宇多川少将に流したのは私だ」

 

 

「…………………………は?」

 

 

峻の思考に空白が生じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

若狭は落ち着けなかった。そのため、いつも通りに仕事をしていても、ついうわの空になってしまう。長月には気づかれていないが、というかそもそもそういった姿を見せないようにしているが、ふとした時に思考が停止して他事を考えてしまっている。

 

 

「そういえばそろそろじゃないか?」

 

 

「そうだね。そろそろ結果が出る頃だ」

 

 

若狭と長月の言っている結果とは峻が命懸けで入手してきたさらしなの外部アクセス履歴の解析結果だ。

つまり今か今かとその結果が来るのを待ち続けているのだ。

 

 

「どうなるだろうな……」

 

 

「さあ? でも帆波があそこまで必死になって持ち帰ってくれた手がかりだ。できれば実を結んでくれることを祈るよ」

 

 

「アクセス履歴まで手を回されていたらどうする?」

 

 

「それはない、と思う。あの時はすぐにアクセスを切っていってたからそこまで完璧に足跡を消す時間はなかったはず」

 

 

希望的観測であることは否めない。けれど解析がうまくいけば、介入してきた人間を特定できる。あの時は助けられたが、勝手に軍のシステムに侵入した時点で若狭の調査対象だ。

 

 

「ちなみにその介入者はどうするつもりなんだ?」

 

 

「うん、とりあえず事情聴取だね。何が目的だったのか聞き出さなくちゃね。それにもし裏で糸を引いてる人間がいるならそこもまとめて挙げてしまいたい」

 

 

「欲張りだな、若狭は」

 

 

「手っ取り早く片付くならそれに越したことはないじゃないか」

 

 

「……一理あるな」

 

 

「効率よくできるなら僕はそっちを選ぶよ。総当りは時間も労力もかかりすぎるからね」

 

 

「……実際、私は疲れたぞ?」

 

 

「はは、ごめんよ」

 

 

以前に身辺の人間をすべて洗い出すという、相当に面倒な仕事をさせられた長月がジト目で若狭を見つめる。長月も本気で恨んでいるわけではないのですぐにやめるし、若狭自身はその程度のことは全く気にとめないため問題はない。

 

 

何気ない雑談をしていると若狭のパソコンが鳴った。簡単な和音の通知はメールだと長月は知っていたので、それが解析結果の通知だとすぐにわかった。

 

 

「若狭、結果が来たみたいだぞ」

 

 

「うん、そうだね」

 

 

和やかだった部屋を緊張感が満たす。若狭が仕事用のメールボックスを開き、メールにウイルスなどの余計なものが付いていないか確かめた後にようやくメールを開いた。

 

 

固唾を飲んで長月は待ち続ける。若狭は画面をスクロールさせ、結果を読み取っている。そしてその結果を見てから何かを入力し始めた。エンターキーを強く押し込む音と共に若狭が背もたれに体を預けた。

 

 

「どうだった?」

 

 

「まだなんとも。解析結果を元に逆探かけてるから少し待たなきゃね」

 

 

「どれくらいかかるんだ?」

 

 

「そんなにはかからないよ。こうやって話してる内に終わるさ」

 

 

「そんなに早いものなのか?」

 

 

「まあね」

 

 

逆探が成功するかどうかは定かではない。だが可能性があるならその一縷の望みに賭ける価値はある。

小さなウィンドウのバーがだんだんと左から右へと緑色に染まっていく。

ポーン、という電子音。深くもたれていた若狭が再びパソコンにかじりつく。

 

 

そして若狭が勢いよく立ち上がった。

 

 

あまりの勢いに椅子が倒れるがそれすらも気に止めない。いや、それよりも衝撃的な結果を叩きつけられたのだ。

 

 

「どうした?」

 

 

「ふざけてるね……さらしなにアクセスしていた場所は()()だって!?」

 

 

「なんだって!?」

 

 

「正確に言うなら海軍本部防諜部ビル。今まさに僕たちがいるビルだよ」

 

 

確かに防諜部の人間の中なら若狭よりウイルスコードの突破に長けている人間もいるかもしれない。だがおかしいのだ。

 

 

「東雲からの連絡を受けた時、僕は誰にも言わずにさらしなの通信区画にアタックをかけた。あの時点でさらしなにウイルスが仕掛けられていたことを知ってる人間は防諜部には()()()()()()()()!」

 

 

「ダミーである可能性は?」

 

 

「この手の仕事をやってて長いからね。これにはダミーらしき痕跡が存在しない。断言できるよ。これは本物に繋がってる」

 

 

「誰かわかるのか?」

 

 

「逆探は成功した。なら大元にアタックをかけてアドレスを引っこ抜いて、データバンクに繋げば具体的なものがわかるはずだよ」

 

 

「それは越権行為にならないか?」

 

 

「僕はあくまで、軍のシステムに不当にアクセスした人間を探すだけだよ」

 

 

屁理屈じゃないか、という長月の言葉を無視して若狭が自分のパソコンに向き合う。そして逆探により出てきたリンクを踏む。

 

 

若狭はウイルスコードの駆除は得手としていない。もちろん、並以上ではあるが最も得意としているのはセキュリティハックだと思っている。

指が滑らかに動き、部屋をキーの叩かれる無機質な音が満たす。それを長月はただ固唾を飲んで見守った。

 

 

「よし! 長月、データバンクにアクセス。このマリンコードで検索かけて」

 

 

「了解した。少し待ってくれ」

 

 

若狭から送られてきたコードをコピーし、長月がデータバンクに接続。軍に属している人間、ひとりひとりに割り振られたマリンコードを使い検索をかける。

 

 

「……出たぞ」

 

 

「誰だった?」

 

 

「海軍本部防諜部対外課所属……相模原貴史大佐」

 

 

長月の告げた名前に若狭が眉をひそめる。その名前は夏に若狭が峻の依頼で欧州事情を聞きに行った人物の名だ。

 

 

「…………」

 

 

「若狭、どうする?」

 

 

「どうするも何も……ちょっと待って」

 

 

パソコンではなくコネクトデバイスのホロウィンドウを使って勤務状況を調べる。現在、相模原の表示はi()()O()U()T()()/()i()。つまり現在、相模原はここ防諜部ビルにいない。

 

 

「とりあえず少し潜ってみるよ」

 

 

「もし何も無かったら?」

 

 

「その時はその時さ。大丈夫、痕跡を残すようなヘマはしないよ」

 

 

相模原のパソコンに繋がっている自分のパソコンに向き合い、仕掛けられているであろうトラップを起動させないように慎重に潜っていく。

気を抜かずに落ち着いて。ただし時間はかけるな。気取られること無く望む情報をこの手に掴め。

 

 

「っ! これは!」

 

 

「どうした?」

 

 

「とんだ爆弾を掘り当てたものだよ! まさか帆波が命懸けで持ち帰ったメモリーがこんな結末を招くことになるなんてね……」

 

 

眉根を揉みながら若狭がぼやく。タチの悪い冗談を目の前で大量にぶちまけられたような気分だった。

 

 

「長月、警備室システムに接続」

 

 

「監視カメラか?」

 

 

「うん。相模原がどこに行ったか調べる」

 

 

「了解した」

 

 

長月が防諜部ビルの警備システムへアクセス。その間、若狭は相模原のパソコンから痕跡を抹消してアクセスを切断した。

 

 

「どう?」

 

 

「待て。む……車に乗ったな。そこから後も辿るか?」

 

 

「やって。街頭カメラへのアクセスは僕が許可するよ」

 

 

「承知だ。早送りをして……見つけた!」

 

 

「どこにいる?」

 

 

「高速を今、降りたぞ。この方向だと……横須賀?」

 

 

長月がモニターを睨みながら監視カメラを次々と変えて、走る車を追いかける。法定速度ギリギリで走っている様子を見るに、急いでいるのだろうか。

 

 

「横須賀なら……横須賀鎮守府かい?」

 

 

「たぶん……いや、待て。方向が違う。こっちだとあるのは……」

 

 

「長月、見せて。……鎮守府の方向じゃないね。こっちは横須賀中央病院の方向…………っ!」

 

 

慌てた若狭が引き出しから9mm拳銃を取り出して動作を確認すると上着を羽織る。

 

 

「長月、横須賀憲兵隊に連絡。僕たちも行くよ」

 

 

「どこへ!?」

 

 

「横須賀中央病院!」

 

 

部屋を飛び出して階段をかけ降りる。公用車に乗り込んでシリンダーにキーを差し込んで回す。そうしている間に長月は助手席に滑り込んだ。

 

 

「何があったんだ! 相模原大佐のパソコンを見てからというものの変だぞ!」

 

 

「いろいろあったのさ! くそ、帆波は通信に出ないか……」

 

 

片手でハンドルを握りながら通信をかけていたが、出ないとわかってホロウィンドウを閉じる。

 

 

「一体、何を見たんだ?」

 

 

「さらしなに仕掛けられていたウイルスコードと同じものが未起動で凍結されて保存されていた! その他にもいろいろやばそうなものがいっぱいさ。ただ確実に言えることがひとつ」

 

 

険しい表情で運転しつつ、若狭は決定的な言葉を告げる。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()




さんざん引っ張り続けたネタでしたがいかがでしょう? 雑? うん、知ってた(遠い目)

ていうか相模原さん覚えてる方いるのか? 欧州編でちょこっと出てきただけの方だからすっごい不安です。

感想、評価などお待ちしてます。それでは!


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男の懺悔

──さあ、始めよう。私と彼の話を。君は知るだろう。私がいかに愚かなのかということを。


電子音だけが室内に響く。それは通信が峻の元に舞い込んでいることを知らせていた。だが峻はそれを取ろうとしない。取る余裕がない。

 

 

「出ても構わないぞ?」

 

 

相模原が見かねたように峻に告げる。はっとした峻は通信に出ようか一瞬だけ悩んだ。

 

 

「……いえ、やめておきましょう。確か時間がないのでしたよね?」

 

 

「ああ。出ても構わないと言った手前で申し訳ないが、時間がないのは事実だ」

 

 

けれど苦笑する相模原はそこまで時間を気にしているようには思えない。時計を見るような素振りもなし、呼吸も一律で乱れはない。むしろ峻が勧めたスツールに「失礼」などと一言断って座っているほどだ。

 

 

「先程の話を続けても大丈夫かい?」

 

 

「へっ? ……は、はあ…………」

 

 

急に話し方が変化したことに虚を突かれた。物々しい話し方だったのが、丸みを帯びた柔らかい口調になっている。

 

 

「本当に悪いことをした。君が軍を辞める気がないことなど知らずに私は君をなんとかして軍を去るように仕向けてきたのだから」

 

 

「は…………?」

 

 

「だが君はすごいな。私のような老骨が必死になって立ち回ったのに全て自分でなんとかしてしまうのだから。やはり純一郎の息子なだけはあるよ、峻くん」

 

 

「その……名前、は…………」

 

 

動悸が激しくなる。目の前にいる男が異形のもののように目に映る。

 

 

「石川純一郎。私の親友で同僚の男だよ。そして()()()()()()()?」

 

 

「違う!」

 

 

否定の言葉が連続して頭に浮かんだ。強く手を握りこみ、堪えるようにシーツに向かって言葉を叩きつける。

 

 

「違う! 俺は帆波だ! 名字は石川じゃない!」

 

 

「……そうか、君は知らないんだな。実にあいつらしい。君の前でも嘘を貫き通したとは」

 

 

「な、にを…………」

 

 

「君の帆波姓は母方のものだよ。純一郎がわざとそうしたんだ。婿入りという形にして入籍しているからあいつも石川から帆波に変わっている。自分から帆波純一郎と名乗ったことはあいつの生涯で一度もなかったが……」

 

 

「嘘だっ!」

 

 

「そうだね。突然こんなことを言われればそう思う気持ちもわかる。だが私の言っていることが真実かどうかは君が1番わかってるんじゃないのか?」

 

 

遠い昔の記憶。薄れかけた幼少期の記憶で自分は父親の名前を何度も書面などで読んだのではなかったか。読めない漢字が多いなかで、ふりがなを読んで父親の名を知ったのではなかったか。

なにより。

いくら6才ごろの記憶だとしても、姓名を知らなくとも実の父親の名前を忘れることなどありえるわけがない。

 

 

「やはり心当たりはあるようだね。一応、私とも君は会っているんだよ? まだ君が生まれてすぐのころだから覚えているわけがないだろうが……」

 

 

「……覚えて、ないです…………」

 

 

「当たり前だ。私も始めはわからなかった。幼少期と今では顔つきが違うからね。ウェーク島攻略の新聞記事で君の顔を見た時も最初は半信半疑だったよ」

 

 

「っ! あの時の新聞か……」

 

 

ウェーク島戦後に発行されてきた新聞。そこにはでかでかと峻の名前と顔写真が貼られていた。

 

 

「偉そうなことを言っておきながら私も新聞を読むまでは気づかなかったよ。何せ名字は石川だと思い込んでいたからね。別の機会で君の名前を何度か見たが帆波、という名を見てもああ、純一郎の奥さんと一緒の名字だな、くらいしか思わなかった。だがさすがに写真を見れば面影がチラついた。そしてカラーで見ることで確信に変わっていった」

 

 

相模原が顔を上げて峻の茶色の目をまっすぐに見つめる。急な展開にたじろぐ峻を懐かしそうにただじっと。

 

 

「君は純一郎に似ている。小柄な体格も黒髪も。だがその明るい茶色の瞳だけは母親譲りだ。……生まれてすぐに母親を亡くした君は彼女の顔は知らないんだろうが…………」

 

 

そう、峻は母親の顔を知らない。生後まもなく死んでしまったこともあるが、父親が死んだ日に悪いことは続くというが、住んでいた家は全焼し、写真類なども全て無くなってしまっていたからだ。

 

 

「最初は否定したくて仕方なかった。だから否定材料を探そうと必死になったよ。けれど現実は無情だ。年齢的にもピッタリと符合する。わざわざ昔の写真から作った骨格モデルとの照合も一致し、同一人物だと私は認識せざるを得なくなってしまった」

 

 

君が3歳くらいの頃の写真さ、と峻に向かって胸ポケットから写真を差し出す。そこには相模原と幼い頃の峻、そして父親の純一郎が写っていた。

 

 

「それがどうしてウイルスコードの件に繋がるんですか?」

 

 

「私はね、君をなんとしても軍から退かせたかった。このまま君が軍にいれば必ず不幸な目に遭う。だから進めていた軍の転覆計画を急遽、取り止めたんだ」

 

 

「軍の……転覆計画…………?」

 

 

本格的に峻は目の前にいる相模原のことがわからなくなってきた。落ち着いて淡々と驚かずにはいられない内容を告げる相模原はなんのためにおおそれたことを計画していたのだろう。

 

 

「矢田大佐が暴走したせいで最初の計画が水泡に帰してしまってね。まさか深海棲艦と手を組むなんてことをやるとは……あれはあれで意外に有能だったのかもしれないな」

 

 

「は……矢田? まさか…………()()()()()()()()()()()()!?」

 

 

「む、その名を知っているということは若狭くんあたりから聞いたのかな? ならある意味で私は彼の目論見通りになっているわけか。さすがは対内課の期待のルーキーだ」

 

 

私からシャーマンだなんて名乗ったことはないんだけどね、とおどけたように相模原が続ける。だがその言葉は耳に入れど理解することはない。

隠すことなくあっけらかんと言われてしまったせいか、むしろ信じることができなかった。

 

 

「君は本当に優秀だ。ヨーロッパで情報漏洩の責任のもとに辞めさせようと、向こうの技術屋にセキュリティの突破ルートを教えたりしたのに、それを逆手に取ったプログラムを組んでいたり、そのまま犯人を取り押さえてしまうのだから」

 

 

「そこも……あなたが!?」

 

 

「そして今回。本当にまずったものだ。昔から純一郎にはお前は大局を見すぎて他を疎かにしすぎると何度も言われたな……まさにその通りになったわけだ。本来なら輸送作戦を失敗させて左遷。その後に退職へと追い込む予定だったが、まさか山崎があそこまで大胆な手に出るとは。私は失脚させることが目的であって君を殺すことではないというのに」

 

 

いないはずの人間を見たように目を細めてはあ、とため息を相模原がはいた。

 

 

「ウイルスコードに起動した瞬間、私の元に信号が来るようにプログラムしておいて正解だった。そうでなければ手遅れになっていた」

 

 

「つまりあなたは自分が作ったウイルスコードを自分で破ったのか!」

 

 

「その通り。あれは昔、純一郎と作ったものに私が少し手を加えたタイプでね。かなり複雑ではあるが製作者の私が突破できない道理はないよ」

 

 

自ら作ったウイルスコードを流し、それを自らの手で破壊した。その理由はたったひとつ。

 

 

「峻くん、すべては君を守るためだ」

 

 

「……なんでだよ! そもそもなんで俺を軍から離そうとするんだ!」

 

 

「ひとつ。純一郎が事故死したその日に家が全焼するなんて不運が連続して起きることが有り得ると思うかい?」

 

 

「っ…………」

 

 

「当時、私はちょうどヨーロッパに行っている頃でね。帰ってきた時には純一郎が死んでから2年もの月日が経過していた。だから何も出来なかった。帰ってきて親友が死んだことを聞いた時の気持ちは一生忘れない……」

 

 

「でもそれと軍は関係ない!」

 

 

「もちろんそうだとも。だが君はもうひとつ知っている事件があるはずだ。なにせ君自身が巻き込まれているんだから知らないはずがない。およそ4年前の事件だ」

 

 

知らないとは言わせない。有無も言わさぬ気を放たれる。もちろん言われずとも知っていた。

悪魔の夜笛(トランペット)事件。深海教を名乗る集団が身体に爆弾を巻いた上で武装し、軍に対して起こしたテロだ。そしてなにより峻が何人も殺して生き延びた現場でもある。

 

 

「冷静になって考えるとただの市民がいくら洗脳されていたとはいえ、身体に爆弾を巻くなんてことが出来ると思うかい? なにより銃の引き金を引くことが出来るわけないだろう。正しい撃ち方も知らないのだから」

 

 

「それは……」

 

 

「彼らは箍を外されていた。それも洗脳などというチャチな手段ではない、もっと確実な方法で、だ。その上で戦闘の知識も植え付けられていたとみるのが妥当だろう。そしてそれは純一郎を轢いたトラックの運転手にも言える。私は調書を読んだけどね、不明瞭なことしか言わなかったと記録されているよ。記憶に無いとかわからないとかそんなことばかりだ。これらのことも、外部から強引にリミッターを外しているのなら不可解な現象にも説明がつく」

 

 

峻は回らなかった頭を強引に動かす。持てる知識を総動員して思考する。外部から倫理観念を外すということが可能か。そもそも脳に干渉することは……

 

 

「君ならわかるだろう? 脳に干渉しなくてはそんなことはできない。そしてそれが多少なりと可能である装置は()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

相模原が峻の首筋を指さした。そこには峻のコネクトデバイスがしっかりと装着されている。

コネクトデバイス。それは脳から神経を伝って送られる信号をキャッチしている装置ではなかったか。だがコネクトデバイスはあくまでも読み取るだけ。それ以上のことはできない。

なら出力を上げてやることが出来れば脳に直接的な干渉も可能ではないだろうか。そうすれば射撃の技術も倫理観を外してやることもでき、死を恐れない兵隊を作ることができてしまうかもしれない。まるでトランペット事件の武装した市民のように。

 

 

「トランペット事件。軍部主導で作られたコネクトデバイス。もう言わなくともわかるだろう? 明らかにふたつは繋がっている。だから私は軍を変えようとしたし、だから私は君がひどく傷つく前に軍を辞めさせようと躍起になったんだ!」

 

 

叩きつけるように言葉を吐き出す。苦しそうにその顔がくしゃりと歪む。

 

 

「私はヨーロッパに行っていたせいで純一郎の力になれなかった。防げたかもしれない悲劇はおきてしまった……」

 

 

「でもそれはあなたの……」

 

 

「ああ。私のエゴ以外の何物でもないよ。それを今、身をもって痛感している。わかっていたこととはいえ、君の望まないことを私は必死になってやろうとしていたんだな……」

 

 

峻の言葉を遮って相模原が言葉を続ける。悔いるような、そして詫び祈るように頭を垂れた。

その隙に峻は思考を整理する。

 

 

つまり相模原はシャーマンである。そして海軍転覆を計っていた。それの一環として矢田を使っていたが失敗。次のプランを練っている最中に峻が軍にいること、親友の息子であることを知り、軍から退かせようと決意した。

 

 

「なぜ今のタイミングに俺と接触を?」

 

 

「何度も言ったが時間がない。だからこれを君に渡しにきた」

 

 

相模原がごそごそとポケットから長方形の外部記憶媒体を取り出した。それを目の前の簡易テーブルに優しく置く。

 

 

「……これは? 随分と古い型のメモリーだ」

 

 

「まあだいたい20年前のものだから多少は目をつぶってやってくれ。これは私が純一郎から託されていたメモリーだ」

 

 

「……父さんから」

 

 

「ああ。私がヨーロッパに行く直前に渡された。いつか息子に渡してやってくれ、とな。中には何があるのか見ていない。ずっと封印していた。今日、君にこれを渡そう」

 

 

「…………ありがとう、ございます」

 

 

置かれた旧式のメモリーをじっと見つめる。年季を感じさせる細かな傷と色のあせ方が目立つが中のデータは問題ないだろう。

 

 

「礼には及ばない。本当なら私は両親を失った君を保護しなければいけなかった。その責務をずっと放棄してきたのだから責められこそすれども、礼などは受け取れないよ」

 

 

頭を振って峻の礼を相模原が留める。そしてスツールから立ち上がり、病室のドアへと向かっていった。

 

 

「待ってください」

 

 

「なんだい?」

 

 

「あなたはどこまで知っている?」

 

 

「すべて、とは言わない。だが肝心の部分は推測した。だから今回は多少、強引な手に出たんだ。だがこれは君に教えられないな。巻き込んでしまうからね」

 

 

「…………」

 

 

今更なにを、と思ってしまったことは否定できない。だがこれよりも奥があるということだろうか。何も言えずに黙っている峻の顔を見て、微笑むと相模原は背を向けた。

 

 

「軍を辞める気はないんだね?」

 

 

「辞めることなんてできない。俺はやらなくちゃいけないんだ」

 

 

そうか、と小さな呟き。寂寥感が滲み、そして同時に儚い決意が揺らめいているその背中はとてもちっぽけだった。

 

 

「なら私は祈ろう。願わくば君がこの世界を覆う籠から逃れることを。ではさようなら」

 

 

パタン、と音を立ててドアが閉まった。

峻は残された旧式メモリーをしげしげと見つめて、つまみ上げる。たった6年間、共に生活した父親の遺したものがこの中にはある。しょっちゅう家を空けていてなかなか帰ってこなかった。それでもなんとか休日を見つけては遊んでくれていた父親。

そして一緒になって出かけた時に、目の前でトラックに轢かれて肉の塊になった父親が親友に託したメモリーが目の前にある。

 

 

パソコンを立ち上げてメモリーを躊躇いがちに差し込む。長めのロード時間が終わると動画の再生ボタンが画面上に現れた。

 

 

「……」

 

 

少し怖い。

それと同時に見たいという好奇心。ふたつの感情がマーブル模様を描く。勝ったのは好奇心だった。

 

 

そして峻はカーソルを再生の三角形に合わせてボタンを押した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

横須賀中央病院の正面入口であるガラスの自動ドアが滑らかに開く。相模原は駐車場へと足を向けた。

 

 

「動かないでください」

 

 

そして降り注いだ警告に足を止める。相模原は薄い笑みを浮かべて警告を発した人物へと向き直る。

 

 

「やあ、若狭陽太中佐。久しぶりだね」

 

 

「はい。こんな形で会うとは思いませんでしたよ」

 

 

半月状に憲兵隊が取り囲み、それを率いるようにして若狭が立っていた。両手をポケットに突っ込み、半歩後ろに長月を伴っている。

 

 

「想像以上に早かったね。なかなかどうして若い世代にもいい粒が揃ってるじゃないか」

 

 

「お褒めに預かり光栄です。用件は言わずともおわかりですよね?」

 

 

「ああ。私のパソコンには侵入者が防壁を突破して中の情報を抜けば私に連絡が来るようにしてある。大方、矢田情報漏洩事件の重要参考人ならびにさらしなウイルスコードの件で強制連行といったところだろう?」

 

 

「話が早くて助かりますよ」

 

 

「私の取り柄などそれくらいのものだ。私のパソコンを覗いたということはさらしなに仕掛けられていたウイルスコードと同じものを見つけたのだろう? 矢田との通信記録も根気よく辿れば見つかったはずだ」

 

 

肩を竦めてあっさりと自白とも取れるような内容を喋る。突きつけられている銃口もどこ吹く風といった様子だ。

 

 

「ひとつ謎があるとすればなぜ私に目をつけたかだな」

 

 

「さらしなの外部アクセス履歴ですよ。帆波が沈む前に回収してくれたので逆探でアドレスを見つけれたんです」

 

 

「ふむ、なるほど。その手があったか。あの土壇場でよく……いや、本当によくぞやり遂げたものだ」

 

 

相模原が顎に手を当てる。思案顔をしながら、2、3度なにかに納得するように頷いた。

 

 

「どのみちこうなることはわかっていた。小泉が検挙され、宇多川も挙げられた時点で察していた」

 

 

「そうですか。随分とあっさりしていますが覚悟を決めたので?」

 

 

「そんなところだよ。最後にやりたかったこともやれた。もう十分だ」

 

 

相模原がまっすぐに若狭へ視線を合わせる。若狭の眉がほんの一瞬、わずかにつり上がった。相模原がとても晴れやかな表情だったからだ。

これから捕まる人間の顔とはとても思えなかった。急ぐべきだと本能が告げる。

 

 

「相模原貴史。矢田情報漏洩事件の重要参考人として拘束する」

 

 

相模原の両手首に拘束具がしっかりと嵌められる。両隣に憲兵が付き添い、確保は完了した。

 

 

「この後は留置場に置かれて軍法会議といったところか」

 

 

「言わずともおわかりでしょう」

 

 

「これは愚問だったな。では私は行くよ。さようなら」

 

 

もう言葉は必要ない。車に乗せられて連れていかれる相模原を若狭はただじっと見送り続けた。

 

 

「苦労した割に呆気なかったな……」

 

 

「下手に抵抗されるよりいいよ。出来れば病院の前でドンパチやりたくはないからね」

 

 

長月が胡乱な目で走り去っていく車を見つめる。だが、若狭はここで銃撃戦が始まると困るため、正直なところ助かったと胸を撫で下ろしていた。使わずに済んだ拳銃にしっかりとセーフティを掛け、ホルスターにしまい直す。

 

 

「僕はあんまり戦闘派じゃないからね。撃ち合いはやれるけど極力さけたいんだよ」

 

 

「でも言論の殴り合いはするんだろう?」

 

 

「それはまた話が別なんだよ」

 

 

「タチの悪さでは五十歩百歩だと思うが……」

 

 

飽きれたように言われるが若狭からすれば何をいまさら言っているんだというところだ。本部に帰るために、脇に停めていた車へ向かう途中、若狭は空を見上げた。

 

 

「曇ってきたな……」

 

 

「そうだね。降られると厄介だし急ごうか」

 

 

長月と車へ乗るとエンジンをかけてアクセルを踏んだ。ハンドルをきって方向転換し、少しだけ速度を上げて走っていった。

 

 

空にだんだんと灰色の雲が増え、青色を覆っていく。ついさっきまで明るかったはずが、辺りはどんよりと暗くなっていた。

 

 

「さて、これで無事に終わってくれればいいんだけどね……」

 

 

若狭が囁くように呟いた。その表情は晴れやかなものとは程遠い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なかなか狭苦しいところだな、留置所というのは」

 

 

薄暗い留置所とは反対に、ずいぶんと気軽な調子で相模原が呟く。

わざわざ独房を用意し、しかも他に人はいないようにしてある。考えようによってはプライバシーの守られた高待遇ではないか。

 

 

高い足音が壁を跳ねる。食事のトレーが猫の勝手口かと思うほど小さな置き場から回収された。

 

 

「……食べなかったのか」

 

 

「食欲があまりないのだよ。それに私は老いた。脂っこいものはなかなか胃が受け付けなくてね。それに……」

 

 

にこやかに相模原が笑う。それは若々しい笑みだった。

 

 

「私には睡眠薬を食べる趣味はないんだ」

 

 

「……ひとつまみのパンがよかったか?」

 

 

「なら先に私の足を洗って全身を潔くしてくれるのか? ふふ、これだと死ぬのはあなたみたいじゃないか」

 

 

簡易ベットに腰を下ろしたまま、相模原は話し続ける。キィ、と軋んで檻が開いた。

 

 

「君にはああ言ったがね、やはり私は君に辞めてほしいようだ」

 

 

「……誰に向かって話している」

 

 

「だからこれで最後だ。それでも君は貫くつもりなら私は君に諸手をあげよう」

 

 

「…………」

 

 

興味を失ったのか、ゆっくりと相模原に向かって近づいてくる。それを気にも留めずに相模原は虚空に向かって話す。

 

 

「さあ、終わりを始めよう」




そんなわけで今年最後の更新でした。なんだか最近、説明ばっかりで戦闘してない気が……
それにしても今日を含めてあと5日で年明けです。思えば本当に早かったですね。次回は来年でお会いしましょう。

感想、評価などお待ちしてます。それでは皆さま、良いお年を!


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鋼鉄の足

明石がピンクの髪を揺らしながら大きなケースを抱えて病院の廊下を歩いていた。

 

 

「うぅ、最初は軽いと思ってたけど長時間運んでると意外に疲れる……」

 

 

「そろそろ持つの交代しようか?」

 

 

「あとちょっとだからいいよ……」

 

 

夕張が隣を歩きながら親切心から代わろうとかしてくれるが、目指す病室までもう少しで到着する。わざわざ代わってもらう程のことには思えなかった。

 

 

「提督は気に入ってくれるかなぁ?」

 

 

「さあ? でもこれは試作品だし、もう何回か作り直しになるんじゃない?」

 

 

「やっぱりそうよねー。私と明石の渾身の作品なんだけどなぁ」

 

 

「いい物を作るにはトライアンドエラーが必要なんだよ」

 

 

夕張と明石。館山においていわゆる工廠組と言われる2人だ。夕張は専門というわけではないのだが、趣味が高じてよく工廠に入り浸り、結果的によく開発の手伝いなどをしている。今回も峻に頼まれたものを作り、病室へと運んでいる最中なのだ。

 

 

「明石、確かこの部屋だったよね?」

 

 

「ネームプレートに帆波って書いてあるしそのはず。ちょっと開けてもらっていい?」

 

 

「ん、わかった」

 

 

夕張が病室をノック。はいよー、という気の抜けた返事が聞こえ、ドアをスライドさせて病室の中に入る。

峻はリクライニングベットをあげてもたれながら本を読んでいた。2人が入ってくると栞を挟んで閉じ、サイドテーブルに乗せる。

 

 

「お前らが来たってことは……」

 

 

「はい! 出来ましたよ!」

 

 

「これですよ! それではお披露目といきましょう! オープン!」

 

 

明石が掛け声と共にケースを開ける。ケースの中は入れるものを傷つけないようにモコモコとしており、その上でその何かは梱包されていた。そして明石がケースを支え、夕張がその梱包を解いた。

 

 

そこには太陽光をキラキラと照り返し、金属光沢を放つ1本の機械化義足があった。

 

 

「タングステンと超々ジェラルミンを使ったのでかなり激しい使い方をしても大丈夫です。少しばかり重いかもしれませんが、なんとか許容範囲に抑えきりました!」

 

 

「よく抑え込めたな。重量はかなり厳しいかと思ったんだが」

 

 

「それは夕張の仕事ですよ!」

 

 

「ふっふっふ。脆くならないように、でも軽く! どこに使うのがベストなのか見つけるためにどれだけ私が苦労したと思ってるんですか! おかげで銃弾くらいなら簡単に弾けますよっ!」

 

 

夕張が自慢げに薄い胸を張る。よく見れば2人とも目の下にはうっすらとクマが見て取れる。寝ずに作り続けたのだろう。

 

 

「あと提督が送ってきた設計図のものは中に仕込んでおきました。正直これがいちばん大変でしたよ」

 

 

「無茶を言った自覚はある。悪いな」

 

 

「これは明石の仕事ですよ! 明石もなんか燃えちゃってて、私と2人でずっと工廠に籠っちゃいました!」

 

 

「いやぁ、あんな図面が送られてきたら燃えるますよ! こう、工作艦の血がぐつぐつと!」

 

 

興奮気味に詰め寄られて峻が苦笑する。まさか図面を送ってからここまで短い期間で作り上げてくるとは思っていなかった。さすがは明石と夕張の2人と言ったところだろうか。

 

 

「これがスペックカタログです。とりあえず目を通してください」

 

 

「ん、さんきゅ」

 

 

明石が厚めの紙束を峻に渡す。峻も心得たもので、全てをきちんと目を通すのではなく、必要最低限の箇所のみざっくりとさらっていく。

 

 

「とりあえず次の製作プランの目処は立ってますし、ちょっと着けてもらってデータ取って提督が新しい図面を引いてさえ頂ければいつでも取り掛かれます」

 

 

「……いや、これで十分だ」

 

 

「えっ?」

 

 

「スペックカタログ見りゃだいたいわかる。こんだけのもんなら十分すぎるくらいだ。さすがは明石と夕張だな」

 

 

にやりと峻が笑う。そして義足の入ったケースを閉じて明石から受け取るとベットの脇に慎重に置いた。

困惑したのは明石だ。

 

 

「いいんですか? 身体に直接装着するものですし……」

 

 

「問題ねえ。お前らはいい仕事してくれたよ」

 

 

峻が深く頷いた。事実、図面を送って3日で仕上げてきたことは驚嘆に値する。もう少し時間がかかると予想していた峻にとっては本当に驚くべきことだった。

 

 

「あんな機構を作り上げてくれた明石も、合金比率を見つけ出した夕張もよくやってくれた。これで俺はまた歩ける」

 

 

「……リハビリはちゃんとやるんですよね?」

 

 

夕張がジト目で峻を見つめる。また無茶するんじゃないかと思われているのだろう。

 

 

「分かってるっての。義肢技術もあがってるからな、リハビリに3日ってとこか」

 

 

「それでも早すぎなんですけど……明石、義足のリハビリって一般的にどれくらいかかるものだっけ?」

 

 

「えっと普通、最短でも1週間はかかりますよ?」

 

 

「そこは……ほら、気合いでなんとかするから」

 

 

「無茶する気マンマンじゃない!」

 

 

夕張が悲鳴混じりに叫ぶ。なにかちゃんとした理論理屈が来るのかと思いきや、飛んできたのは為せば成るの根性論。明石の目も自然と疑うような色を帯びていく。

 

 

「いや、あんまり基地司令が空けとくわけにもいかねえだろ? ずっと叢雲に預けとくのか?」

 

 

「まあそうですけど……」

 

 

渋々、明石が認める。いくら療養とはいえ、基地司令が空白のまま基地運用していくことがいい状態とは言えなかった。

 

 

「安心しろ。怪我の治りも順調だ。最近だと杖さえ持ってれば歩けてるしな。それにほら、左目の包帯も取れた」

 

 

何でもないことを示すために、左目を何度か閉じたり開けたりする。右手のギプスも外れた。臓器はまだ少し傷が残っているが、日常生活に支障はないレベルまで回復している。

 

 

「とにかくサンキューな。そんでもうお前らは帰れ。その様子じゃ、ここんとこ寝てないんだろ?」

 

 

「うぐっ……」

 

 

「いや、明石の部屋で仮眠取ったりしてましたし……」

 

 

「この3日間で何分だ?」

 

 

「さ、30分を2回…………」

 

 

つまり72時間あって1時間しか寝ていないということだ。そんなものは寝ていないのと等しい。

 

 

「帰って寝ろ。ほら、これ」

 

 

峻がサイドテーブルの財布をとり何枚か抜き取る。それを明石の手に無理やり押し付けた。

 

 

「それでタクシーでも取れ。そんで余った金で甘い物でも買ってゆっくりしろ。これは命令。いいな?」

 

 

「うわ、こんなに……いいんですか?」

 

 

「俺がいいって言ってんだ。何を気にする必要があるんだよ?」

 

 

なんでもなさ気に手を振る。これでも峻は大佐。別に金回りに困ってないし、むしろ給金に関しては使い道がなくて持て余しているくらいだ。ひたすら貯金されていく一方なのである。

 

 

「提督、太っ腹ー! ありがとうございます!」

 

 

「夕張、お前も調子いいな……」

 

 

あげると言ったものをいまさら返せと言うつもりは一切ないが。貯まりに貯まった1部に過ぎないし、それくらいで痛む懐ではない。

 

 

「じゃあ帰りますね。機械化義足に不調があったらいつでも明石の工廠へ来てくださいね!」

 

 

「ああ、そうさせてもらうよ」

 

 

「では!」

 

 

ピシッと夕張がおどけた風な敬礼を決めると病室を出ていき、その後に明石が続く。適当に見送ってから峻は明石が持ってきた義足に目をやった。

 

 

「ほんとによく作ってきてくれたもんだ……」

 

 

軽く叩けば頼もしい硬質な音が鳴る。指の形から関節まで完全に再現された鋼鉄の脚はある種の芸術だ。手で動かしてみれば滑らかに動き、この上から人工皮膚でも張ってやれば本物と区別がつかないかもしれない。

 

 

「……やるか」

 

 

コネクトデバイスを起動。軍のデータバンクに接続し、ある単語を入力して検索をかける。

 

 

《レベル5:アクセス権限が足りません》

 

 

峻が持つ、軍のデータバンクへのアクセス権はレベル4。最上位のレベル6ではなかっただけよしとすべきかもしれないが、それでもデータが閲覧できないことに変わりはない。

 

 

「閲覧できるやつに頼むか……」

 

 

つまり階級が峻よりも上の人間であり、かつ親しい仲である。一見して難しそうな条件ではあるが、1人だけ当てはまる者がいる。

 

 

連絡先のリンクを踏んで横須賀へと発信。5回ほどコールするといつもの中将サマがお出ましだ。

 

 

『シュン、ことあるごとに人を呼びつけるのはやめてほしいんだがな』

 

 

「まあそう言うなよマサキ。ちょっと聞きたいことがあってな」

 

 

『軍の回線を使ってないってことはヤバイやつか? もし本気でまずいなら止めるからな』

 

 

ぶつぶつ言いながらも承諾しているあたりは東雲も結構、いい人なのかもしれなかった。

 

 

『で、何が聞きたい?』

 

 

「艦娘の実戦投入にあたるまでの経緯が知りたい」

 

 

『なんでそんなものを……って聞いても無駄か。ちょっと待ってろ。……っし、出た。海鳥計画ってやつだな』

 

 

「海鳥計画?」

 

 

『ああ。初めて妖精に艦娘を建造してもらった後にできた計画のようだ。1人選んで適正のある指揮官につけた後に深海棲艦とぶつけるプロジェクトだったみたいだな。なるほど、これが成功したから今の体制ができあがったと言っても過言じゃねえな、こりゃ』

 

 

「なあ、マサキ。妖精については細かく書いてあるか?」

 

 

『うんにゃ、書かれてねえ。お前も知ってるはずの名前しかない。伊豆狩(いずかり)恭平(きょうへい)。技術屋なら知ってるだろ?』

 

 

「…………もちろんだ」

 

 

知らないわけがない。艦娘という概念どころか深海棲艦が出現する10年以上前に妖精という存在の可能性を提唱し、あまつさえ今の艤装の根本となるものを設計していた天才。それが伊豆狩恭平だ。当時はオーバーテクノロジーとして一蹴されただけだったが、今では彼の遺したものを元にして妖精が発見され、そして妖精の手によって艦娘が作られた。

つまりこの国防体制をつくるきっかけの大元をなんと今から20年よりも前に唱えていた世紀の大天才だ。天才ゆえの苦悩なのか自殺してしまったが、彼の生きた痕跡は今もなお息づき、世界を守るために戦っている。

 

 

『とにかく、海鳥計画とやらはその伊豆狩って天才の理論を元にして発見した妖精が建造した艦娘を実戦段階に引き上げるために艤装を作って装備させ、深海棲艦に対してどれだけ有効か試すための計画だったみたい

 

 

「なーる。わかった。さんきゅ」

 

 

『こちとら仕事中なんだ。今後はなしにしてくれよ?』

 

 

「善処するよ。じゃあな」

 

 

『ったく……おう、じゃあな』

 

 

繋いでいた通信を切り腕を組む。様々な思考が生まれては消えるを繰り返す。

 

 

「伊豆狩恭平と海鳥計画……いや、ここで関わってくることは予想の範疇だ。問題はそこじゃねえ」

 

 

ちらりとサイドテーブルに置かれたパソコンに目をやる。そしてそのパソコンに差し込まれたままにされている旧式のメモリーに。何を思って相模原はあのタイミングで父親が遺したメモリーを峻に託したのだろう。いや、昨日に捕まったという話はもちろん聞いている。だが本当にそれだけだろうか。

思えば峻はあの相模原の目を知っている。あれと同種の目を何度も見てきたのではないか。すべてを覚悟した人の目を。

 

 

頭を強く振って余計な考えを追い出す。そしてメモリーから目を逸らした。

中断しかけた思考作業に戻ろうとする。だがコール音がそれを阻んだ。

 

 

「今日は客が多いな……っと」

 

 

ホロウィンドウの受信ボタンをタップ。すぐに聞き慣れた声が脳へと直接送り込まれる。

 

 

『やあ、帆波。今は大丈夫かい?』

 

 

「大丈夫だ。昨日の相模原の件だな?」

 

 

『そうさ。どんな話をしたかと思ってね』

 

 

「自分からシャーマンですって告白しにきたようなもんだったな。全部が俺を軍から外すためにやってたってことを聞いたくらいか」

 

 

意図して幼少期の話を峻は伏せた。あまり踏み込まれたいものではないし、まだ自分の中で完璧に整理がつけれていなかった。

 

 

「これでどうだ?」

 

 

『いいよ。悪いね、そこまでプライベートなことに踏み込んでさ。ついでに聞くけど何かメモとかそういう類のもの渡されてないかい?』

 

 

「メモ? 別にもらってないな」

 

 

メモはもらっていない。もらったのは外部記憶媒体だ。だから嘘は言っていない。もし即興で言ったところで、簡単な嘘なら若狭は見破るだろう。

 

 

『そうかい? ところで帆波、伝えとかなきゃいけないことがある。悪いニュースだ』

 

 

「最近だといいニュースの方が珍しいけどな。で、なんだ?」

 

 

『相模原が留置場で首を吊って死んだ。自殺に見えるけどおそらくは殺しだよ』

 

 

「……殺しであると判断した根拠は?」

 

 

『見たほうが早いね。これは遺体が運ばれてくところの写真をこっそり撮らせたものだよ。ちょっと見てもらえる?』

 

 

画像が送られてきた旨を教えるホロウィンドウが立ち上がり、ダウンロードの許可を求められる。もちろんOKを押して画像を開く。

隠し撮りと言うだけあって画質は荒い。だが担架らしきものの上に瞳孔が開き切った哀れな骸が横たえられているのははっきりとわかった。どう見ても相模原だった。首に紐のようなものがきつく巻き付けられた跡があり、その跡を垂直に交差する赤い引っ掻き傷のようなものがうっすらと写っている。

 

 

「この傷は……警察が言うところの吉川線か」

 

 

『やっぱり気づくよね。なのに自殺で処理されたよ。すこし薄いのは気になるところだけどあとから意図して付ける意味はないから確実に相模原自身が掻き毟ったもののはず』

 

 

吉川線とは絞殺される際に、絞められた縄の跡と垂直につく引っ掻き傷のことだ。苦しみ、抵抗して首を掻き毟るためについた傷なのだが、自殺者の場合はこの跡は絶対に付かない。

つまりこの線が首に残っているということは相模原は殺されたということだ。

 

 

「殺しの隠蔽か」

 

 

『この写真だって撮るのにだいぶ苦労したんだ。明らかに軍は何かを隠そうとしてるね』

 

 

「それで俺への接触か。俺が何か相模原か聞いてないかどうか」

 

 

『そういうこと。何か知らないかと思ってね』

 

 

まったく知らないわけではない。トランペット事件。コネクトデバイスの上位互換が存在する可能性。いや、存在するという事実。いろいろな話を聞いた。

だがそれらすべてが気安く言えるようなことではなかった。

 

 

「……わからん。力になれなくて悪いな。そっちで探り入れてくれ」

 

 

『了解。療養中に邪魔したね。じゃあ』

 

 

ぷっつりと通信が切れる。結局は峻は何も言わなかった。確証がないというのもある。けれど本当にそれだけとは断言できなかった。

 

 

「相模原は殺された……おそらくは口封じ。知らなくてもいいことを知ってしまったんだろう。その内容は俺に告げなかったものだ」

 

 

そして知らなくてもいいことを知ったという事態を覚えられて消された。

では相模原は何を知った? 相模原は峻に告げなかったこととはなんだった? 

 

 

「言おうとしなかった理由だけは明白なんだよなあ……」

 

 

それがわかったところで何も先には進まない。いつまでも停滞し続けるだけだ。

 

 

パズルのピースが欠けている。最も大切なピースが。だから核心に迫ることができない。

 

 

「いや、真実に迫る必要なんてないか。俺は俺のやり方でいけばいいだけだ」

 

 

降りかかる火の粉は追い払う。必要性がないのに、自ら火中へと飛び込む理由はない。

 

 

ナースコールのボタンを押し込む。ひとまずはできあがったばかりの義足を装着するところから始めるのだった。

噂によると神経を繋ぐ時は激痛が走るらしい。それなりの覚悟を持って挑む必要がありそうだ。

 

 

入ってきた医師と話しながら相模原の最後の言葉が嫌に耳に付き続けた。

 

 

『君がこの世界を覆う籠から逃れることを』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手に持っていた新聞紙を放り投げて人影がくるくると回る。

 

 

「困ったな。ここもそろそろ危ないし、かといって次のアテもない」

 

 

白い息を吐きながら軽い調子で囁く。悩ましげであるはずなのにとても気楽そうだ。

 

 

「ずっと見てるだけだったけど、もういっか」

 

 

そう言って人影は笑った。愉しそうに、そして凄惨に。

 

 

「ねえ、帆波峻大佐?」

 

 

虚空に向かって無邪気に語りかける。当然、答えが返ってくるわけはない。

 

 

それでも愉快そうに人影は回る。

 

 

くるくる。くるくるくる、と。




新年明けましておめでとうございます!

年末はどう過ごしましたか? 自分は食っちゃ寝してましたね、はい。

ようやく帆波に右脚が! やー、これで歩けるようになりました。ずっと今後も病院に居座らせ続けるわけにもいかないんでね。悪いが寝たまんまなんてさせないぜ☆

前書きがなんで消えたか疑問に思われたそこの方。ぶっちゃけると前書きも後書きも書くのが面倒になったんです。これから前書きは警告だけにしてみようかと思ってます。ただ、自分のノリと気分で変えるかもしれませぬが。

感想、評価などお待ちしてます。それでは!


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第五章 影法師のエレジー編
Lunchtime



※飯テロ注意

警告はしました。しましたからね!


 

峻が右手で杖をつきながら病院の正面玄関に立つ。3日間のリハビリにより、もうほとんど障害なく歩けるようにはなっていた。つまり杖は何かのための保険であって、別に無理につく必要はない。

 

 

「ありがとうございました」

 

 

「いえ。ご退院、おめでとうございます」

 

 

杖を左手に持ち替えて担当医と握手を交わす。2週間ほどの入院生活だったが、いろいろ世話になったと思う。

 

 

「見送りはここまでで結構です。それでは」

 

 

病院の門まで着いてこようとするのを丁重にお断りし、肩掛け式のカバンだけという手軽な荷物で横須賀中央病院を後にする。大きな荷物は先に館山へ送ってもらったため、これだけの荷物で済んでいるのだ。

 

 

「ぶっちゃけ杖なんてなくてもいいんだよなあ……」

 

 

病院が好意で貸してくれたものなので、断るに断れなかったのだ。短いリハビリ期間ではあったが、もう機械化義足はほとんど身体に馴染んでいた。

 

 

上着の裾がはためく。冷たい風が吹き荒ぶ。もう秋とは言えないくらい寒くなり、冬に差し掛かっていた。

 

 

「さて、誰もいないな?」

 

 

だが寒いことなど関係ない。峻はこの瞬間を待ち焦がれていた。退院できるこの日をだ。館山に帰るはずならば行く必要の無い方向へと足を向ける。

 

 

「ちょっと待ちなさい」

 

 

そろりそろりと歩き始めたところで視線を感じ、急に声をかけられて峻は飛び上がった。背後を振り向くとそこには私服姿の叢雲が立っていた。

 

 

「なんだよお前か。驚かせやがって」

 

 

「館山に帰るならそっちに行く必要はないはずよね? どこに行こうとしてたのよ」

 

 

「いや、まあちょっとな」

 

 

思いの外、きつい口調で責められてしどろもどろになる。確かにこれからやろうとしていたことは褒められた行為ではないのかもしれない。だがそれでも欲には勝てないのだ。

 

 

「どこ行くつもりよ。言いなさい」

 

 

「……誰にも言うなよ」

 

 

「内容にもよるわ」

 

 

「ついてこい。そうすりゃわかる」

 

 

峻が賑やかな街へと足早に歩み始める。その後ろを叢雲が追いかけた。

 

 

「……誰かに見られてる?」

 

 

「そう? ああ、でもあんたはウェーク島攻略とかで有名だしそれじゃない?」

 

 

「……敵意はなさそうだしいいか」

 

 

それにすぐに気配は消えた。なにか目的があるなら接触を試みるなりするはずだが、一瞬だったということは単純に野次馬だったのかもしれない。

 

 

気を取り直して、峻が叢雲の服装をてっぺんから下までざっと確認する。

 

 

「ま、お前の服装もそんなに変じゃないし大丈夫か」

 

 

「あんた失礼ね」

 

 

「私服なんて見ないからな。基本的に制服ばっかりだろ?」

 

 

「まあそれもそうね」

 

 

入り組んだ道を何度も曲がり、大通りから少し入った路地に踏み込む。そして小さな建物の前で足を止めた。

 

 

「なにここ?」

 

 

「イタリアンレストラン。ここらではちょっと有名らしくてな。病人食が不味くて仕方なかったから退院したら真っ先に来てやろうと思ってたんだ。雰囲気もフォーマルな感じじゃなくてカジュアルらしいからこの格好で入っても大丈夫だろ」

 

 

「なるほど。ここで1人、こっそりとおいしいもの食べようとしてたのね?」

 

 

「まあな。だが悟られたからには仕方ねえ。奢ってやるから残りの奴らには黙っといてくれよ?」

 

 

「口止め料にランチコースってわけ? ふうん、まあいいわよ」

 

 

「そいつは助かりますよっと」

 

 

洒落っけのある木製のドアを押すと爽やかな鈴の音と共に開いた。薄暗い店内には邪魔にならない程度の音量で柔らかいクラシックが流れている。

 

 

「いらっしゃいませ。2名様でよろしいでしょうか?」

 

 

「はい」

 

 

「テーブルへとご案内させていただきます」

 

 

隅の方にあるテーブルへ案内されると椅子が引かれて先に叢雲が、そしてその後に峻が座る。ウェイターが一礼して去ったあとにメニューを開いた。

 

 

「これってどうすればいいの?」

 

 

「そこまで本格的な店ではないからな。ランチコースで前菜、パスタ、メイン、デザートの順で出てきて最後に紅茶かコーヒーってとこだ。どうする? お前は飲むか?」

 

 

「……やめとくわ。昼間っから飲むのはちょっとね」

 

 

「じゃあ俺もやめとくか」

 

 

もちろんここで言う飲むとは酒のことである。ボトルを空けてもよかったが、昼間から飲むのはどうなのだと言われればその通りでもあり、なおかつそこまで身体がアルコールを求めているわけでもないため峻もやめておくことにする。なにより病み上がりだ。

 

 

「ほれ、なに頼むか選べ」

 

 

「ん、そうするわ」

 

 

改めて峻もメニューとのにらめっこを始める。どうやらその日の仕入れによってある程度はメニューが変わるらしい。それぞれの項目に5品ほどの料理名が並んでいた。

 

 

「決まったわ」

 

 

「俺もだ」

 

 

店内にざっと目をやるとすぐに察したウェイターがテーブルに歩み寄る。思い思いの料理名を伝えるとウェイターがメニューを回収していった。

 

 

「なかなかこういう雰囲気のお店は来ないわね」

 

 

「そうぽんぽんとはな。財布の問題もあるし、そもそも基地司令が仕事をほったらかして基地から出てったらまずいだろ」

 

 

「普段の仕事ぶりを見てからいいなさいよ。あんたさぼってばっかじゃない」

 

 

「だからといって空けとくのはよくないだろ」

 

 

「何を今更」

 

 

「それを言うならお前も今、館山を空けてるんだからな?」

 

 

「私はあんたの迎えだからいいのよ」

 

 

「さいですか……」

 

 

グラスに注がれた水を口に含む。ちょうどいいくらいに冷えていて、軟らかくて口当たりがいい。飲み口がすっきりしてきるのは檸檬を入れているのだろうか。

視界の隅にウェイターが皿を持って近づいてくる。

 

 

「真鯛とマッシュルームすだちの香りのジュレカクテル仕立てと、スライスオニオンとスモークサーモンのカルパチオ風サラダでございます」

 

 

ウェイターが峻の前にカクテルグラスの中で層状になってよそわれた皿を、叢雲の前に生でスライスされた玉ねぎと綺麗なピンク色のスモークサーモンのサラダを置いた。その後に小皿を置き、トングでパンを乗せる。

カトラリーを取ってカクテルグラスによそわれた鯛の刺身とスライスされたマッシュルームとジュレを掬い、口へ。しっかりと締まった白身にきのこの香りが広がり、最後にすだちのジュレが口内に残る魚の油を押し流してさっぱりとさせる。

 

 

「辛っ……あ、でもおいしい」

 

 

玉ねぎが辛かったらしい。だが油の乗ったサーモンと一緒に食べればそれがいいアクセントになるのだ。辛みに驚きはしたようだが味は気に入ったらしい。フォークに葉野菜と共に刺すともう一口ぱくりと租借する。

 

 

「期待以上だ。この店は大当たりだな」

 

 

「確かにおいしいわね」

 

 

「ちょっとそれも気になるな。すみません」

 

 

「はい。なんでしょうか?」

 

 

控えめな声でウェイターを呼ぶ。

 

 

「シェアしたいのですが……」

 

 

「どうぞ。お気になさらずお皿を交換して召し上がってください」

 

 

「ありがとうございます。ってことだ、ちっと皿貸してくれ」

 

 

「そのかわりにあんたも一口寄越しなさいよ」

 

 

「ああ、いいぜ。ほら」

 

 

カクテルグラスと平皿を交換する。サーモンと玉ねぎを共にフォークで突き刺して同時に食べる。玉ねぎ特有のピリッとした辛み。そして程よく酸味の効いたドレッシングが非常にマッチしている。

 

 

「こっちもいけるな」

 

 

「鯛とすだちって合うのね」

 

 

一口ずつ食べると皿を交換し直す。最初の前菜(オードブル)でこのクオリティ。これから先も楽しみになってきたと思いながら鯛を掬い食べる。

 

 

「ちなみに次はパスタだったかしら?」

 

 

「フルコースじゃないからな。それにランチコースって言ったろ。そんなに豪勢なのじゃねえよ」

 

 

そんなに立派なコースで来られては腹が膨れすぎる。あくまでこれ昼食(ランチ)であって夕食(ディナー)ではないのだ。

 

 

「口止め料にはなったか?」

 

 

「まあ黙っといてあげるわ」

 

 

「お気に召したようでよかったよ」

 

 

パンをちぎって小皿に垂らしたオリーブオイルを付ける。これだけでも結構いける。口に放り込めば芳醇なオリーブオイルの香りと小麦粉のしっかりとした味が広がった。

静かに皿が引き上げられていく。次の品がくるまでの時間もこういう食事の楽しみだと峻は個人的に考えていた。

 

 

「そういえば怪我はもういいの?」

 

 

「んあ? ああ。ほとんど完治だ。入院を続ける意味はもうないだろ、そこまで治ってりゃ」

 

 

ぷらぷらと手首を振って問題ないアピールをする。疑わしげな目を向けられるがどこ吹く風で受け流した。

 

 

「朝摘みバジルのジェノベーゼイカスミを練りこんだリングイーネです」

 

 

音を立てることなく真ん中辺りが少し膨らんだ黒い麺と鮮やかな緑のパスタが峻の前に置かれる。

 

 

「ズワイガニのトマトクリームパスタタッリアレッテです」

 

 

今度は平麺ととろりとしたクリームソースにカニの身がほぐしてあるパスタが叢雲の前に置かれた。

フォークを手に取り、くるりと麺を巻き付ける。

 

 

バジルの爽やかな香りが鼻を通った。麺にはイカスミを練りこんだことによって生まれるコクがある。パスタソースには砕いた胡桃が混ざっていて、その食感が飽きさせることなく次へ次へとフォークを進ませる。

 

 

「パスタもいけるな」

 

 

「こっちもカニの旨みがソースに出てておいしいわ」

 

 

「どれ」

 

 

タッリアレッテと呼ばれる平麺をトマトクリームにたっぷりと絡めて頬張る。丁寧に作り込まれたトマトクリーム、そしてそれを邪魔しないようにしながらもしっかりと存在を主張してくるカニの身と平麺のモチモチ感がマッチしていた。

 

 

「そういえば最近どうだ?」

 

 

「どうって?」

 

 

「基地だよ。お前にほぼ全権あずけて入院してたからな」

 

 

「あー……まあ別段これってこともないわよ。いつも通りね」

 

 

「ならいいか」

 

 

毎度のごとく賑やかなのだろう。想像していたよりも長く空けることになってしまった基地に思いを馳せながら、ちぎったパンでジェノベーゼソースを拭って口に放り込む。

 

 

「あんたも入院生活はどうだったのよ?」

 

 

「これといって何もねえな。てか正直ヒマ。ほんとにやることねえのな」

 

 

「へえ……」

 

 

「あと病人食はまずい。話によると昔より質は向上したらしいがそれでも無理」

 

 

「そ、そう……」

 

 

言い方に怨念こもっていて叢雲が椅子に座りながら半歩下がる。だがべちゃっとした米やら、くったくたで食感という概念が消え失せた野菜やらを食べていればそうなるというものだ。

 

 

「お待たせいたしました。牛フィレ肉のソテーマデラソースです」

 

 

こんがりと焼かれた牛肉とかけられたソースががきらきらと照明を照り返す。立ち上る匂いで自然と頬が緩む。

 

 

「こちら、合鴨と7種ハーブの包み焼き有機野菜のグリルを添えてです」

 

 

そして叢雲の前には薄いピンクを残した肉と綺麗な焦げ目が付けられた野菜が添えられた皿が置かれる。

 

 

峻が牛肉にナイフを入れる。表面はこんがりと焼けていても、その内部は見事なまでのピンクだ。抵抗なくするりと一口サイズに切れ、フォークに刺す。とろみのある明るい茶色のソースをつけてから口に運んだ。甘めに味付けられたソースは中身まで火を入れ切らない焼き具合(レア)で調整されたフィレ肉との相性は抜群にいい。肉の旨みを引き立てつつ、ソースの味も主張してくる。付け合せがマッシュポテトというのもなかなか憎いチョイスだ。口当たりが滑らかなマッシュポテトは敢えて味をほとんどつけないであるため、ソースをつけていただくのも乙なものである。

 

 

「ん」

 

 

「はい」

 

 

叢雲の皿と交換。本来であれば合鴨には独特のにおいがあるが、それをハーブが消し去っている。薄いピンク色で火入れを止めてある鴨肉は柔らかく、それでおいてしっかりとした肉感があるため食べごたえがある。

肉を味わったら野菜へ。グリルされ、焦げ目のあるアスパラにナイフを入れる。香ばしさとアスパラのしつこくない青臭さがクロスして口の中で弾けた。アスパラの魅力はやはりこの青臭さだ。これがなくてはいけない。

 

 

「見事としか言いようがねえ」

 

 

「館山で作れないの?」

 

 

「無茶を言うなよ。基本的に家庭用コンロでは火力が足りないんだ。ここまで綺麗な火入れにすることは難しい」

 

 

そしてやはり焼くための技術もいる。峻に出来るのはせいぜいが家庭料理の延長線。本格的なものはできないのだった。

 

 

「いろいろあるのね」

 

 

「そういうこと。大型のオーブンでもありゃ話は変わるかもしれんけどな」

 

 

さすがに館山に大型オーブンを設置することは躊躇われる。既に今の時点でいろいろ好き放題やらかしているのにこれ以上、私物化するのはどうかと思わなくもない。果てしなく今更感がするといえばするが。

 

 

「合鴨って食べる機会なんてほとんどないけどいけるのね」

 

 

「うまいもんだぞ? どちらかといえばジビエに近いんだけどな」

 

 

「でも匂いは気にならないわよ」

 

 

「合鴨ってのは匂いがきつくないからわりと受け入れられる食材なんだ」

 

 

「ってことは他のは臭いのかしら?」

 

 

「そりゃ調理次第だ。獣臭さってのは旨みにも変換できるらしい」

 

 

俺はできねえが、と峻が付け加える。プロのお仕事はそう易々と真似できるようなものではないのである。このフィレ肉のソテー然り、いままでに出てきた品目然りである。

マッシュポテトを掬い上げる。もったりとした舌触りは至高の一品だ。裏漉しもちゃんとしてあるようだ。正直、そこまで手間をかけるのはかなり苦労するので峻はやったことがない。このひと手間を加えるだけでここまで変わるものかと思うと驚きだった。

 

 

「結構お腹が膨れてきたわね」

 

 

「次がデザートだ。ちょうどいいぐらいだろ?」

 

 

「そうね。腹八分が一番いいわ」

 

 

「だわな。何事もほどほどがいい」

 

 

残ったマデラソースを少しパンに付ける。そして最後の欠片を口に放り込んだ。牛肉のコクとワインのソースはもちろんパンとも合うのである。

叢雲も残っていたパンをちぎっては口に運ぶ。もう始めにサーブされたときに比べるとかなり小さくなっていたため、数回それを繰り返せばもうパンはなくなってしまった。

つまりデザートの体勢は整ったのである。

 

 

「こだわりティラミスのセミフレッドです」

 

 

カカオパウダーが振りかけられたティラミスが峻の前に置かれる。

 

 

「特製ミルクジェラートマヌカハニーのキャラメリゼソースです」

 

 

半球体のジェラートに焦げ茶色のソースがかけられたものが叢雲の前に置かれた。

 

 

「食後のお飲み物はどうされますか?」

 

 

「俺は紅茶で」

 

 

「私も紅茶で」

 

 

「かしこまりました」

 

 

ウェイターが下がっていってからスプーンを手に取る。半分凍ったままのティラミスにさっくりとスプーンをいれて冷たいそれを口へ。濃厚なクリームとほろ苦いカカオパウダーの香りが織り成す二重奏(デュエット)に舌鼓を打つ。半分凍っているため、ちょっと贅沢なアイスのようだ。

 

 

叢雲もソースのかかったミルクジェラートを掬い口へと運んだ。キャラメリゼされた蜂蜜が香ばしさとまろやかさを加えて優しいミルクの風味を引き立たせる。しつこくない甘さは口に残らずにするりと喉へと落ちていく。そのために次へ次へとスプーンが進む。

身体がジェラートで冷えてきたと思ったら温かい紅茶を飲んでやればすぐに芯から温まり、また次へとスプーンを伸ばす。

 

 

「これは作れないの?」

 

 

「ジェラートか……がんばればこっちはなんとか……いや、でもこのクオリティは難しいな。やっぱりいい素材を使ってるのもあるが腕がな…………」

 

 

「ふうん。そんなもんなのね」

 

 

「そんなもんなんだよ」

 

 

峻が紅茶を啜りながら同意する。ティラミスが甘いため、砂糖などをいれないストレートだ。

 

 

「この後はどうするの? 真っ直ぐに帰るつもり?」

 

 

「あー、いや。冬物のコートでも買おうかと。ついでに他のところもぶらぶらしてゆっくり帰るつもりだった」

 

 

バツが悪そうに頬をかく。ギリギリまで自由を満喫するつもりだったため、気まずい。

 

 

「そうなるとこれだけじゃ口止め料が足りないわね?」

 

 

「俺を脅すか。ま、別についてくるのは構わねえよ」

 

 

ひとりくらい道連れがいるのも悪くないだろう。そう思いながら白磁のカップをソーサーに置く。

 

 

「ならボチボチ行くか」

 

 

「わかったわ」

 

 

ウェイターに会計を頼んで財布を取り出す。適当な枚数だけ札を抜き取って渡し、お釣りを受け取って店を出た。

 

 

「で、どこへ行くつもり?」

 

 

「そうだな。ひとまず商店街にでも足を伸ばしてみるか。腹ごなしに歩くぞ」

 

 

「わかったわ」

 

 

形だけ杖をついて歩き始める。1歩ぶん後ろを叢雲がついて歩く。

 

 

穏やかな昼下がりにぴゅうっと冷たい一陣の風が吹いた。





新章突入して1発目から飯テロです。書いててすっごい楽しかったですね。久々の日常回(?)ですがまったりしたのもありかな、と。

次回──Uncover──
覆われた暗幕を剥ぎ取れば

感想、評価などお待ちしてます。それでは!


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Uncover

コンクリートをつく必要のない杖先が叩く。2人分の足音がそれを追随した。

そこそこに人のいる商店街はなんというか閑散としているという感じでもなく、かといって商売繁盛しているというわけでもない、中途半端な人の入り具合だ。

 

「すごく賑やかってわけでもないけど思ってたより人がいるのね」

 

「まあな。沿岸部は政府が封鎖してるから内地に人が集まるのは必然だろ? 結果的に内地は割と普通の生活水準になるってわけだ」

 

もちろん、貧困層などは存在する。彼らは都市部の外れにある廃墟などに住んでいたり、難民たちはキャンプを形成していたりしており、そこ周辺は治安が悪化している。あとは沿岸部に設置された立ち入り禁止の金網を乗り越えて、こっそりと住んでいる人間も多少なりといるらしい。

だが全体的に見れば比較的に穏やかなのだ。少なくともここ最近は深海棲艦の艦砲射撃も空襲も起きていない。すべてやられる前に水際で押さえ込んでいるからだ。いつどちらに傾くかわからないシーソーゲームをひたすら繰り返しているのが今の人類と深海棲艦の戦いだ。

 

「だとしたら人が少ないわね」

 

「知ってるか? 今日は平日なんだぜ」

 

つまり世の人間たちは働いている時だ。それなのに大量に人がごった返しているわけがない。もしもそんなにいるなら世間は全員ニートだ。そんな社会は成り立たないどころか滅びまでのカウントダウンはもう終わっているだろう。

 

「で、先にコートだっけ?」

 

「別に後でもいいが、そう言うなら先にするか」

 

話が決まったところで行く先としてひとまずは商店街へ。適当な服屋を見つけて入る。

 

「いらっしゃいませ!」

 

日本の接客における精神は深海棲艦との生き残りを賭けた戦争という緊急事態においても不変のものらしい。にこやかな笑顔を浮かべて、礼儀正しい物腰の店員が峻と叢雲の入店と共に近づく。峻は店員と共に回るのではなく、1人で回ることを好むので適当に会釈だけして切り上げると迷うことなく、ハンガーに掛けられたコートがずらりと並ぶ棚へと向かう。

 

「あんたはどういうコートが欲しいのよ?」

 

「あー、落ち着いたのがいいな。あんまり派手なのは好きじゃないんだ」

 

「まあ、あんたがけばけばしいのを着てるのなんて想像できないわね」

 

「だろ? 普段も私服は割りと大人しいのを選んでるつもりなんだぜ」

 

峻の私服は大抵が下のシャツの上から長袖の上着を羽織るスタイルだ。目立っておしゃれというわけでもなく、かといって見るに耐えない格好というわけでもない。

これから先の季節は少々冷える。いくら上着を羽織っていたとしてもその寒さは耐えられるものではないだろう。もちろんコートがないわけではないのだが、新しいものが欲しいのだ。少しずつ生地がよれてきていたので防寒能力もかなり疑わしくなってきていた。

 

「ゆっくり選んでていいわよ」

 

「そうさせてもらうよ」

 

ハンガーにかかっているコートを物色する。やはり色は紺か黒か灰色の三択だろうか。そう考えながら生地を触り、肌触りを確認したりと気に入った物を探す。

 

「ご自由に試着してください」

 

「ありがとうございます」

 

手に取った黒のダッフルコートを着てみる。悪くはないがいまひとつな感じだ。

 

「どう思う?」

 

「変じゃないんだけど……あんたが着ると喪服みたい」

 

「お、おう……」

 

暗いということだろうか。喪服と言われた以上は、これを買う気にはなれない。そこまで陰気臭い雰囲気なのだろうかと思うとへこむが、変えればいいだけだ。

次に選んだのは明るいベージュのアウターコート。ふんわりとした生地のコートを羽織って姿見の前に立った。

 

「……どう思う?」

 

「なんか……女性みたい」

 

「…………まじか」

 

「いや、あんたってどちらかといえば中性的な顔つきではあるけど余計に女っぽいっていうか……ふっ」

 

「てめえ笑いやがったな、ちくしょう……」

 

ぶちぶちと愚痴りながらコートを元に戻す。一応はこれもメンズコートであるはずなのだが、そういった印象をなぜ持たれてしまうのだろうと不思議ではある。

ならばと手に取ったのはカーキ色のデッキコート。

 

「これならどうだ!」

 

「あ、意外と悪くないわね。うん、ありだと思うわよ」

 

悪くない反応。姿見で確認してみるが、実際のところわりといいんじゃないかと自分でも思う。着ていて結構、暖かいため目的も果たせているし、なによりそこまで目立たない。

 

「これでいいか。サイズはSでいいな。よし、買うか」

 

「お買い上げですか?」

 

耳ざとく聞きつけた店員が峻に擦り寄る。頷いてレジへ行き、支払いを済ませる。

大きめの紙袋に入れてもらうと伝票を貰い、さっといくつかの必須記入事項を書き込んだ。

 

「お買い上げありがとうございました」

 

峻は悠々と両手を空けた状態で店を出た。

 

「持って帰らなくていいの?」

 

「基地に送ってもらった。荷物を抱えたまま歩き回るのは疲れるからな」

 

手荷物を大量に持って歩くのは邪魔なのだ。そのため、郵送サービスをしてくれる店は助かる。こういったサービスの充実具合は今もなお健在のようだ。

直接基地に送ってもらうとか機密保持は大丈夫かというつっこみが飛んでくるかもしれないが、そこら辺はうまいこと何とかするつもりだ。入口で受け取れば大した問題にもならないだろう。

 

「そういやお前は行きたいところないのかよ?」

 

「え? あー、特にはないからあんたのエスコートに任せるわ」

 

「何気に難しいこと言ってくれるな……」

 

何でもいい、という答えは恐ろしく難題である。条件もわからぬ状態で相手を満足させなければいけないからだ。つまりこれは何を求められているかというと、相手が無意識に望んでいることを当てて、それを完遂せよと言われていることである。

 

「む」

 

「どうしたの?」

 

急に峻が黙り込む。不審そうに叢雲が足を止めて峻の方を見た。

 

「……いや、なんでもない。それじゃ行きましょうか、お嬢さま?」

 

「ふふ、良きに計らいなさい」

 

ふざけた調子を声に滲ませながら喧騒に向かって歩き出す。とりあえず峻は張ってあった商店街の地図を思い出そうと頭を捻る。確か少し行ったところにクレープか何かの店があったはずだ。適当に散策したらそういったところで食べ歩きでもすればなかなかにいいプランだろう。機嫌を損ねるような結果にはならないはず。

 

「ま、それでいいか。今は」

 

「何か言った?」

 

「いや、なんでもねえよ。んじゃ行こうか」

 

行く先も決まったところでふたりは移動を始めた。のんびりと退院した後のストレス発散も兼ねた散策は悪くないものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「長月はどう思う?」

 

「それは私への修辞疑問文か、若狭」

 

そんなつもりはないよ、と若狭が苦笑する。

 

「だがそうだろう。せめて目的語を入れてくれ」

 

唇を尖らせて長月が若狭に不満げに愚痴る。確かに言葉が足りなすぎたのは事実だった。いきなりどう思う? と切り出されても何についての考えを聞かれているのかはさっぱりだ。

 

「言い直すよ。相模原が自殺した件についてどう思う?」

 

「……普通、あそこまでやれば軍法会議にかけられて先は牢獄暮らしのはずだ。状況だけ見れば悲観して自殺、といったところだと思う」

 

普通、のところを嫌に強調して長月が言った。理解している若狭はただ微笑みながら聞いている。

 

「だが自殺ではないのだろう?」

 

「公式発表ではそうなってるけどね。でもこの写真を見るとどうもね」

 

ホロウィンドウに表示された隠し撮り写真。相模原が苦しんで喉を掻き毟った跡がくっきりと写っているそれは若狭が他殺と考えるに足りる充分な証拠だ。

 

「おそらく他殺だな」

 

「だよね。僕もそう思う。問題は軍がこれを隠蔽したことさ」

 

「この写真が隠し撮りではなければ突きつけられるんだが……」

 

「残念ながらアウトローな手段なんだよね」

 

悩ましげに頭を抱える。だが全てが無駄だったというわけではない。怪しいということがわかった。それだって収穫だ。

 

「山崎中将が噛んでいると思うのか?」

 

「いや、それはないね。あれにそんなことをやるメリットがない。確かに今回の件は複雑だよ。シャーマン、いや相模原はウイルスを作って匿名で送りつけた。全ては輸送作戦が失敗することだけが狙いでね。帆波を殺すことは目的どころか最悪のシナリオだとすら彼は言ったんだよ。事情聴取に僕は立ち会ったからね、間違いない」

 

「けれど事実は違った。山崎中将はレ級の情報を各地にいかないように伏せていた。帆波たちの輸送先も、だ。そのせいで帆波の輸送先であるラバウルまでの航路にレ級たちがぶつかる可能性を相模原は知らなかった」

 

長月が若狭の言葉を繋げる。若狭は深く頷いて口を開く。

 

「だからウイルスコードが発動した信号が東南アジアの海から飛んできたときに相模原は焦った。絶対に殺したくない帆波を殺させないためにさらしなへハックをかけたんだ」

 

なんでそこまで帆波に固執したかは意地になって言わなかったけどね、と若狭が続ける。

 

「で、それがどうして山崎中将が相模原を殺さない理由になるんだ?」

 

「殺す理由がないんだ。そもそも山崎中将自身、相模原が作ったウイルスを使ったことは知らなかったんだから。あれは宇多川少将に匿名で送り付けられたものだ。ならそもそも山崎中将は相模原が関わってたこと自体、知らない。それなのに手を下すとは考えにくくないかい?」

 

「なるほど、筋は通っているわけか」

 

「単純に言えば知らない相手をどうして殺すんだっていう話だよ」

 

知らない相手を殺す。そんなにおかしなことはない。つまりは山崎は関わっていないことになる。

 

「となると誰が……」

 

「そこまでは。でも留置場で殺害されたのに隠蔽できたってことは軍の上が噛んでる可能性は高い。いや、ほぼ確実だね」

 

「……まだ終わっていないか」

 

「相模原はとんだ波紋を残して行ってくれたものだよ。まさか軍の上層部に黒いのがいることを教えてくれるとはね」

 

元はと言えば軍の転覆を図っていると思われたシャーマンなる人物を追っていただけだった。それが気づけば軍の闇を垣間見ることになっている。

若狭は頬の内側を噛んだ。これは探るべきではないと直感が告げていた。

 

「長月、この件は探らないことにしよう」

 

「だが……」

 

「どう考えてもこれは危ない。取り扱いを間違えればどんな影響を撒き散らすかわからない爆弾だよ」

 

火の粉だけで済めばいい。だがその火の粉がどこまで波及してしまうかわからないどころか、飛び出すのは火の粉で終わるとは限らないのだ。

 

「どのみち仕事として降りてきたわけじゃないしさ。手を引いた方がいい案件だと思う」

 

「それでいいならいいが……」

 

「それでいいよ。ところで長月、ちょっとお使いに行ってきてくれないかい?」

 

「お使い?」

 

長月が首を傾げる。その間に若狭が机の引き出しを漁ってメモを取り出す。ペン立てからボールペンを抜いて一言二言を書きつける。

 

「東雲が上げた小泉中佐の調書を貰ってきて。何か言われたらこのメモを見せれば大丈夫だから」

 

「承知した。では行ってくる」

 

2つ折りのメモを長月が受け取り、部屋から出ていく。廊下の足音がだんだんと遠のいていってから再びホロウィンドウを開く。

 

「長月にはああ言ったけどそう簡単に僕が引き下がるわけないじゃないか」

 

適当な役目を与えた上での人払い。やはり気にならないと言ったら嘘になるし、膿があるなら除くに越したことは無い。

 

「最初から健全な組織運営なんて期待してない。ただ、なにかやられた時にすぐ対応できるだけの用意だけはしておかなくちゃね」

 

だから深く探りは入れない。軽く入口をノックする程度だ。奥まで入ればただで済むとは思えない。

冷ややかに若狭が笑う。ノックだけでも充分すぎるリスク。だがそれを恐れてこの仕事はできない。

 

「まあ今は様子見さ。何もしないならよし、何かするならその時は……」

 

口の形だけで声は出さないように若狭が言った言葉は誰にも聞かれることはない。だがそれはまだ見ぬ敵への宣戦布告だ。やる気ならやってやる。その意思表示だ。

そして若狭にはやり返せるだけの実力はある。情報網も張り巡らせている。

 

鬼が出るか蛇が出るか。それすらもわからない。出ないに越したことはないがそうも言っていられない。そんなこちらの都合で動いてくれるほど現実が甘いものではないことはわかっている。

 

ぎしりと椅子が軋んだ。まだ自分に平穏の時がやってくるのは先になりそうだと思いながら若狭は眉尻を揉んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

商店街をいろいろ回ったため、気づけば夕暮れに差し掛かっていた。もうじき、帰宅する人がちらほら見始めて来る頃だろう。

 

「そろそろ帰るか」

 

「その前に行きたいところがあるんだけど」

 

「行きたいとこ? まあいいが手短に頼むぞ」

 

「こっちよ」

 

叢雲に連れていかれるがままにする。だんだんと人気のないところに行っているようだと感じるのは気のせいではないだろう。

 

「おい、どこに連れてくつもりだよ」

 

「もう少し待ちなさい」

 

先導する叢雲の顔は見えない。峻はただ付いていくだけだ。足元が綺麗に舗装されていた道からコンクリートのひび割れた悪路に変わっていく。

この程度なら歩くのにはさしたる問題もないため、峻は平然と歩いてついていく。

 

叢雲が古びた建物の鉄扉を開ける。重々しい音と共に錆び付いた扉が開き、峻を先に入れると叢雲も中に入りながら扉を閉めた。

 

ぐるりと辺りを見渡す。がらんとした広い空間に割れた窓ガラスが散乱している。壁のコンクリートには亀裂が幾条にも走り、すきま風が吹き込む。ガラスが無くなった窓からは紅い夕陽が眩しいくらい差し込んでいる。

 

「……廃工場か?」

 

「そうよ」

 

ハイパーインフレの反動としてやってきた不況の煽りを受けて倒産した工場だろうか。おそらく夜逃げ同然で逃げ出し、中の機材だけは売り捌かれ、外側の建物は壊されることなく土地の利権書だけは誰かが握っているといったところだろう。今のご時世に売れるわけもないため、その利権書も放棄されている可能性が無きにしもあらずではあるが。

 

「で、なんでこんなところに?」

 

「それを女の私に言わせるつもり?」

 

衣擦れの音と共に上着のボタンが外される。陶器のような白く滑らかな素肌と鎖骨がはだけた胸元に艶かしく顔を出した。

 

「ここまで来てわかんないわけないわよね?」

 

上目遣いで青みがかった銀髪を振り乱して峻にゆっくり迫る。燃えるような赤に近いオレンジの瞳が潤んでいた。頬が朱に染まっているのは夕焼けのせいだけではないだろう。誘惑するように峻に向かって迫りくる少女はぺろりと唇を舐めた。

 

「やめとけ。背伸びして無理するんじゃねえよ」

 

「無理なんてしてない。私は思うがままに行動してる」

 

峻の制止を意に介することなく、歩を進めてくる。落ちた影が峻を手招きするように伸びる。

 

「鈍いのね。ここに来る前に何か察しなかったの?」

 

「鈍い、ねえ」

 

ため息混じりに峻がぽつりと漏らす。ふたりの間はもうわずか2mもない。だが峻は下がることなく、真っ直ぐに前を見据える。

 

「俺はてっきり君が何者か教えてくれるもんだと思ってたんだけどな」

 

峻がまるで街角で世間話をするような軽い調子で言うと、ぴたりと少女の足が止まる。吹き込むすきま風が寒い。積まれていたがらくたの山がかしゃりと鳴った。

 

「目的はなんだ、()()()()()()()()()?」

 

峻の冷たい目線が少女を射抜いた。硬直した時間が流れ、風の音だけが耳に残り続けた。




こんにちは、プレリュードです!

まあ、ゆるゆるとやっていた日常回でしたが一転させてみました。こっから先はまじでお気に入り半減覚悟です。
評価、感想などお待ちしてます。

次回──Miscalculation

狂騒を平和と見間違えるな

それでは!


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Asterflower

静寂だけが辺りを支配する。峻と青みがかった銀髪の少女が向かい合っている間に夕陽が赤い影を落とす。

 

「何を言っているの? 私は叢雲よ。古鷹の救援や数々の作戦を潜り抜けた吹雪型駆逐艦の叢雲よ」

 

「いや、違う。お前は叢雲じゃない」

 

峻がポケットに手を突っ込んだまま少女の目を覗きこむ。きらきらと燃えるような赤に近いオレンジの瞳が光る。

 

「冗談は休み休みにしなさい。私はあんたの秘書艦よ」

 

「笑えないジョークだな。一文の価値にもなりゃしねえ」

 

峻が鼻で笑う。張り詰めた緊張には似合わないようで、ぴったりな乾いた笑い声。それが古びた廃工場に空々しく響く。

 

「くだらないわね。適当を言ってると怒るわよ?」

 

「なら適当じゃないと証明してみせようか。今日の昼にお前が食べたメニューを言ってみな」

 

「昼食? なんでそんなの……」

 

「いいから言ってみろ」

 

峻に促されて少女が思い出すために考える様子で斜め前を向く。

 

「前菜にスライスオニオンとスモークサーモンのカルパチオ風サラダ。パスタがズワイガニのトマトクリームパスタタッリアレッテ。メインに合鴨と7種ハーブの包み焼き有機野菜のグリルを添えて。デザートが特製ミルクジェラートマヌカハニーのキャラメリゼソースだったわね」

 

「そうだ。なかなかうまかったが問題はそこじゃあない」

 

「問題? そんなのないじゃない」

 

「なあ、前菜のメニューはどんな味だった?」

 

「あんたも食べたじゃない」

 

言われた通り、皿をシェアしていたため、もちろん峻も食べている。だから知らないわけがない。それでもあえて峻は問いかけた。

 

「いいから言ってみろ」

 

「……おいしかったわよ。玉ねぎの辛さがスモークサーモンとあっててすごくね」

 

「そうだ。あの生の玉ねぎはわざと辛みを効かせていた。たぶん、サーモンの脂っこさを中和させるために。だけどな、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ッ…………」

 

少女の顔が強ばる。突きつけられた事実から目を逸らせない。

 

「どうやらある程度は監視でもするなりして見てたんだろうが、食の好みまでは知らなかったみたいだな」

 

まあ叢雲は火の入った玉ねぎなら普通に食べられるから勘違いしたってのもあるかもしれない。

 

薄味を好み、酒はそれなりに飲める。

 

そして叢雲が嫌いなものは生の玉ねぎ。

 

だが少女は食べた。スライスオニオン、つまりは生の玉ねぎをスライスしたものを事もなげに食べ、少し辛みが効いているがおいしいとまで言ったのだ。

 

「お互い下手な三文芝居はやめにしようぜ。もう全部ネタは上がっちまったんだ。もうここらがいい幕引きだよ」

 

少女が項垂れるように俯く。表情が前髪に隠れて見えなくなった。肩が震えていることを示すかのように長い毛先が小さく揺れる。

 

「は、はは、ははは、あはははははは!」

 

少女が髪を振り乱して笑う。狂気の滲み出たその笑い声は大気を通して峻の鼓膜を震わせる。

ひとしきり笑い終わったのか、それでもまだ頬に笑みを張り付けたまま少女がくの字に折っていた体をぴんとさせた。

 

「いつから?」

 

その問いかけはもやは認めたと同然だ。少女は叢雲の仮面を剥いで捨てた。残ったそれはいっそ穏やかとも言えるような笑みを湛えている。だがその目は笑っていない。

 

()()()()1()()()()()()()()()()()()()()()1()()()()()()()()?」

 

少女が軽く目を見開く。思い返せば峻は1度も言っていないのだ。お前、とかお嬢さま、とかそういった言葉ですべて流していた。ただの1度も少女を呼称する名前として言っていない。

 

「なあんだ、最初っから気づかれてたんだ」

 

「うっすらとな。最初はただおかしいなって思ったぐらいだ」

 

「結構がんばったつもりだけどなあ。そっくりだったはずなんだけど」

 

「ああ。口調も行動も瓜二つだった。けどそもそも叢雲だったら病院に迎えになんて来ない。俺があいつに館山を任せたって言った以上、そこから離れてノコノコ迎えに来るはずがないんだ」

 

何だかんだ変なところで責任感を発揮するのが峻の知っている叢雲だ。いや、今はあまりわかっていない。絶対に来ないとは言い切れなかった。だから初手で確信するまでに到ることができなかった。

 

「あーあ。上手くいってると思ってたのに。まさか最初の時点でミスしてたなんて思いもよらなかったな」

 

「三文芝居なんて言っちまったが、実際のところはかなりのもんだったぜ? 正直に言うと最初は俺の勘違いじゃないかと思ってた」

 

「ふうーん」

 

峻の賞賛も興味なさげに叢雲を名乗っていた少女がガラス片をコツンと蹴り飛ばす。何度か地面をバウンドしたガラス片は壁にぶつかり、地に落ちると動かなくなった。

 

「で?」

 

「で、ってなんのこと?」

 

「目的だよ、目的。わざわざそんな芸の細かいことしてまで俺に接触した理由だ」

 

この手のものを見破ることに関してはそれなりに自信があったため、食事も含めて一切の違和感を感じさせなかったのは相当だ。じっと少女の顔を覗き込む。

 

「特殊メイクの類じゃねえな」

 

「ご明察」

 

「かといって整形でもない。まったく痕跡を残さずに整形手術を受けるなんてのは不可能だ」

 

「そういうものなのね。どのみち私はお金がないから選択肢に浮かばなかったけど」

 

服とかは適当なの見繕って盗んだわ、と少女は悪びれることなくさらっと言った。何が楽しいのか胸元を軽くはだけたままでくるくると回り始める。

だが問題は服を盗んだとか乱れた着衣を直せとかではない。

 

人間は世界に似た顔の人間が3人はいるという都市伝説のようなものがある。それでもあくまで似た顔だ。全く同じ顔の人間は存在しない。

けれどこの少女は叢雲とそっくりだ。そっくりという言葉では弱いかもしれない。峻の記憶にある叢雲とまったく同じ顔だ。

 

「自分の目で見たものが真実よ。さあ、あなたはこの状況をどうやって結論付けるの、帆波峻大佐?」

 

歌うように少女が峻に問いかけを発して、足で回るようにステップを刻む。

顔も体格も声も何もかもが叢雲と同じ少女。性格や好みなどは違うようだが、ただのそっくりさんで片付けるには無理があるように思えた。

 

いや、もうここまでこればわかっていた。特殊メイクなら始めから看破していたし、整形だとしても峻は見破れた。

 

だからこそ、最も考えたくない可能性に行き当たってしまう。

 

「…………」

 

「たいむあーっぷ。うーん、意外と鈍いのかな。それともわかっていて目を逸らしているだけ?」

 

可笑しそうにくすくすと笑いながら峻の目を少女が覗き込む。何も写していない峻の目を見てなにが楽しいのかくるりくるりと回ってから両足を揃えてピシッと停止する。

 

「あなたは私のことを叢雲じゃないって言った。それは半分正解で半分間違い。確かに私はあなたの知ってる叢雲じゃない。でも同時にどうしようもないくらいに『叢雲』なの」

 

「……」

 

険しい顔で峻が少女を見続ける。まるでくだらない世間話でもしているような調子で話す少女は歪みを内包している言葉をすらすらと並べ立てる。

 

「もうわかってるよね。()()()()()()()()()()()()()()

 

クローン。それは細胞単位で同じ個体を作り出す技術だ。同じ声で同じ容姿。そんな人間を作ることができる。性格や好み、体形などは後天的なもので決まるが、遺伝子がまったく同じなら見た目だけはほとんど同じ人間が人工的に作れるのだ。

 

「……どうやってそれを証明する? クローンってのはただお前が言っただけの言葉だ。信じるに足る根拠がないだろ」

 

「この髪の毛でも抜いてDNA検査でもしてみればいいと思うけど? そうすれば私の言っていることが真実なのか一発でわかるはずよ。それとも、もっと他のものがいい?」

 

しなを作って少女が自らの身体に指を這わせる。太ももから段々と上に上っていき、腹部を伝って鎖骨を、そしてみずみずしい唇をなぞる。

 

「やってみる? どこでもお好きなところをどうぞ」

 

「……やめとく。廃工場で婦女子をひん剥く趣味はねえし、そこまで言った時点で本当だ。それに嘘の気配がしない」

 

「あら、つまらない。でもここまでくればわかるでしょう?」

 

「艦娘はバイオロイド、か……」

 

「なあんだ。わかっているんじゃない」

 

「『叢雲』だけがクローンだと考える方が不自然だろ。すべての艦娘がクローンだと考えた方が自然だ」

 

峻が奥歯をきつく噛みしめた。

世代交代はどの艦娘でも起きている。すべて同じ容姿、同じ声音を持った同じ個体が艦娘が沈んでも生まれ続ける。その法則はどの艦娘にも適応されるのだ。Aという名前の艦娘が沈めばその艦娘とまったく同じ声や姿形の艦娘Aが生まれる。それを繰り返しているのだ。

沈んでも替えが効く。当然だ。沈んでも同じ艦娘は生まれ続けられるのだから。

 

「となると同時期一個体の原則も崩れるか……」

 

「まあ、現にあなたの知ってる叢雲と私という叢雲が存在するんだから、同じ艦の艦娘は同じ時期に一体しか存在しないなんて嘘っぱちってことになるね」

 

「同時期一個体の原則はクローンだと隠すための嘘。同時期に何体も同じ顔の艦娘がいたら不自然に思われかねないから、か」

 

「当然の思考ね。じゃあ私が作られた理由もわかっているんでしょう?」

 

意味ありげな流し目で少女が峻の答えを待つ。激しい運動をしたわけでもないのに心臓が動悸を打つ。峻の表情筋は動いていない。だが動悸はひたすらに加速していく。

 

答えたくない。思い出したくない。向き合いたくない。やめてくれ。

 

理解している。いや、してしまったからこそ否定の言葉が浮かび続ける。それがどう足掻いたところで否定することなどできないとわかっているはずなのに。

 

「ウェーク島戦の前に『私』は沈んだ。でもそれは間違いだった。だから1度は出された撃沈報告をあなたは取り下げたんでしょ?」

 

「…………ああ」

 

「でもね、そのせいで私は作られたのよ。駆逐艦『叢雲』の記憶を植え付けられたクローンの私がね。『私』が沈んだと思われてたから作られた。でも『私』は沈んでなんかいなかった。生きてウェーク島に逃れていた」

 

苦虫を噛み潰したような顔で峻が追憶する。館山に迫ってくる深海棲艦の艦隊に叢雲が真っ向から挑み、散っていったと思ったあのとき。

そしてウェーク島まで30kmの距離を泳いで叢雲を助けに行ったあのときを。

 

記録の上だけで言うならば、帆波隊旗艦の叢雲は1度、沈んでいる。事実は違えど、記録上ではそうなってしまっていた。

 

「俺を殺しに来たか」

 

「別にあなたのことを恨んでいないわよ。それはとんだお門違いだもの。『私』を恨むつもりもないわ。確かに……」

 

少女がひょい、と両肩を持ちあげる。

 

「『私』が轟沈偽装なんて真似をしなければ私は作られなかったでしょうけどね」

 

「だがその状況を作ったのは俺だ」

 

「軍であるなら仕方ないでしょう? 兵器が壊れるのは当然のことよ」

 

「艦娘は兵器か」

 

「そうよ。単価にして20万円もかからない生体兵器。定められたボタンを押し込めば作られるクローンなんだもの」

 

峻が黙り込む。この少女はどうしようもなく正しかった。反論の余地などないくらいに。

 

「まさか培養機から出されてすぐに命を狙われることになるなんてこれっぽっちも思ってなかったけど。でも、それについてもあなたを恨むことは筋違いよ。そして『私』を責めることも」

 

「俺を殺しにきたわけでもないならなぜだ? なんでお前は俺の前に立った?」

 

「話してみたかったから」

 

ふわっと少女が微笑む。花がほころぶような笑顔、そして崩壊を内包する悲しい笑み。そんなものが混ざりあったような笑い方だった。

 

「大変だったのよ。必死になって工場から逃げ出して安心と思ったら追手が来て。いろんなとこに身を隠して逃げてきた。何日も口に何も入れられない日もあったし、何度も弾が身体を掠めた」

 

少女がまた踊りだす。くるくる、くるくるくる、と。口笛でも吹くかのような気楽さで。

 

「その過程で俺たちを監視してたのか」

 

「まあね。さすがにいきなりは不安だったし、ちょっといい潜伏場所があったからそこから覗かせてもらってたの。あの時は『私』を沈ませたやつがどんな人間なのか興味もあったしね 」

 

まあ実際のところと違って沈んでたわけじゃないんだけど、とやはり歌うような口調で少女が言った。

 

「失敗したなあ。色仕掛けで落としてしまえばこっちのものだったのにあなたは想像以上にガードが硬いんだもの。さっきから胸元をはだけさせたままにして際どいとこまで見せてるのに襲ってくる様子なんて欠片も見せないし」

 

「……俺に野外でやる性癖はねえよ」

 

「あら、残念。私なりに誘惑してるつもりだったのに。これならあなたが酷い男だった方がよっぽどよかったわね」

 

「お前に俺はどう映った?」

 

「『私』を沈ませたってくらいだし、とんだ無能か鬼畜かと思ってたのに、全然ちがうんだもの。和気あいあいとしてて……眩しいったら」

 

口角を穏やかにあげたまま、少女が目を細める。その視線は峻を真っ直ぐに捉えているようで、どこか遠くを見ているようだった。

 

「私もあんな日々が欲しかった。優しい人の下で戦って、色んなことで笑って。だからちょっと頑張ってみたけど無理だったみたい」

 

「……買いかぶりだ。俺は優しくなんかない」

 

「そうかもね。のらりくらりと人の好意から逃げてるあなたは優しくはないかもしれない。それでも私にとっては羨ましかったのよ」

 

そう言って少女は儚げに微笑む。無表情の峻はそれを見続けることしかできない。

 

「記憶を植え付けられたと言ったな?」

 

「言ったよ。だって私にはじめからそんな記憶なかったんだもの。研究者たちの話を盗み聞きした感じでは艦の記憶を定着させたらそれまでの記憶は消すつもりだったみたいね」

 

誤魔化すように発した質問は大したことはないとでも言うかのように返答された。少女が回るたびに裾が海藻のようにゆらゆらとたなびく。突如ピタリと回ることを少女がやめて峻の目をじっと見つめる。

 

「ねえ、『私』じゃなくて私を選ぶ気はない? これでも同じ叢雲よ。艦の記憶もある。戦闘技術は……あんまりないけどすぐに活躍できるようにしてみせる。だから私を『叢雲』にしてくれない?」

 

少女の視線が峻を射抜く。私を選んで欲しいのだと訴えかける。

 

だが、峻はその手を振り払う。

 

「……選ぶ選ばないじゃない。お前はお前であって叢雲じゃないんだ。それを一緒だと見なして選ぶなんてことはできない」

 

「…………そっか」

 

くるりと後ろを向いた少女の声に寂しげな色が乗った。肩が小さく震えて見えるような気がするのは気のせいだろうか。微かに峻の耳に届く嗚咽のような声は人気のない廃工場において、ひどく明瞭に響いた。

 

「あーあ、ふられちゃった。でも、楽しかった。だからいっか」

 

目の端が少し赤い。けれど健気に少女は笑う。楽しそうに、儚げに、そして何かを決意したように。

 

「『私』をお願いしてもいい?」

 

囁くように少女が言った。無言の肯定。そうするしかなかった。

 

「さて、と。だいたいこんなところかしらね」

 

夕陽の落とす影にちらりと少女が目をやる。いつの間にか廃工場の影はだいぶ長く伸びていた。

 

「たいむあーっぷ。短かったけど、おおむね楽しかったよ」

 

最後にくるん、と少女が一回転。後ろで手を組んで腰を折り、上目遣いで峻のことを見上げた。

 

さようなら(、、、、、)

 

パン! と乾いた銃声が鳴った。少女の胸に紅い花が咲く。口から一筋の赤い血が流れ、全身の力が抜けていった。ゆっくりと膝から崩れ落ち、そのまま少女はどっと地面に倒れ込んだ。胸から溢れ出る鮮血が冷たいコンクリートにとめどなく流れ出る。

 

「突入!」

 

ヘルメットを被って武装した集団が廃工場に飛び込む。全員がアサルトライフルを倒れて動かない少女に向かって突きつけた。ひとりが慎重に少女へと近寄り、しゃがみこんで手首を取る。

 

「脈拍ありません。ターゲットドリーの死亡を確認しました」

 

「よし。死体の回収に移れ。血痕も残すな」

 

「はっ!」

 

隊長らしき男が指示を出すと、どこからともなく死体袋が運ばれてくる。その中に手早く少女の遺体が詰め込まれ、運ばれていくと、次に進み出たのが床に残る広大な血痕をぬるま湯で洗い流していく。

男たちが手馴れた様子で床を掃除する。あっという間に血だらけだった床は元の灰色で無機質なコンクリートに戻り、そこでは何も起きなかったと思わせるくらいに無表情な廃工場へと姿をがらりと変えていた。

 

「帆波峻大佐ですね?」

 

「…………そうだ。そういうあんたらは尾行してたやつらか?」

 

「おや、気づいておられましたか。商店街から付けていましたが、さすがですね」

 

鼻を鳴らしてその賞賛を受け流す。褒められたところで嬉しくもなかったし、峻にとってそれは空々しく聞こえた。それに別のところで引っかかるのだ。

 

「病院じゃない……? じゃああの視線は……」

 

「どうかされましたか?」

 

「……いや、なんでもない」

 

病院を出たばかりの時に感じた視線は気のせいだったようだ。ピリピリしていたことは否めないため、本当にただの勘違いだったのだろう。

 

「一度は裏路地で撒かれたので焦りましたよ。結果的に見つけ出すことに時間がかかってしまいました」

 

「そうか」

 

「……もう少し取り乱されるかと思いましたが、意外と落ち着いておられますね」

 

「俺に…………」

 

「……? なんとおっしゃいましたか?」

 

「いや、なんでもない。別にもう行っていいんだろ」

 

「はい、構いません。ですがひとつ言伝を預かっています」

 

「……」

 

無言で峻が先を促した。返答がないとわかった隊長が声のトーンを落とした。

 

「記憶を聞かせてもらう、だそうですよ」

 

「……そうか」

 

峻にしか聞こえない声で隊長が告げる。仮に盗聴器などが仕掛けられていても聞こえないボリュームにしている以上、これは峻以外には聞こえていないのだろう。

 

「用件はすんだな? 俺はもう行く」

 

「基地にお帰りになられるのなら構いませんよ。お疲れ様です」

 

隊長の言葉に答えず、峻が踵を返した。忙しなく動き回る人がいる中で特に咎められることもなく、峻は廃工場を出て行く。

外に停めてあるゴミ収集車の隣を歩く。おそらく、いや推測なんてしなくともわかる。表立って死体なんて運べない。そのためのカモフラージュとしてゴミ収集車に詰め込んで運ぶのだろう。

 

「取り乱す……か。俺にそんな資格はないんだよ」

 

目を伏せてゴミ収集車の隣を歩み去る。自分が選ばずに見殺しにした名も無き少女。それが中にはいるのだろう。

 

俺が殺した。決死の覚悟で少女が差し出した手を振り払った。少女の行く先がわかっていながら目を背けて耳を塞いだのだ。

変わりたかった。変われたと思ってた。だが実際どうだ? ヨーロッパで俺は何の躊躇いもなく殺した。昔と変わることなく、ただ無感情に殺した。

嗚呼、手にこびり付いた血をあと何回、幻視すればいいのだろう。何度この手を汚し続けることになるのだろう。

 

 

 

目的もなくただただ歩き続けた。どこをどうやって歩いたのか自分でもわからない。気がつけば寂れた波止場に峻はいた。

足元に小さな紫苑の花が風に揺れる。

 

峻は無言でその花を引きちぎると海に投げ入れた。2度、3度と紫苑は波に揉まれてから海中へとその姿を消した。

 

紫苑の花。その花言葉は、

 

《あなたのことを忘れない》

 

それがエゴにまみれているとわかっていながら。




こんにちは、プレリュードです。
そんなわけであと1話でこの章が終わるという、ものすっごい短い章でしたが、いかがでしたでしょうか。正直に言うとこの展開は初期から構想があったのですが、やりたくない展開でした。なんとか回避しようとはしたのですが自分の力量では難しかったようです……
さて、ここからようやく中盤の中盤が終わりと言ったところです。まだまだ続きますが、もうしばらくお付き合いいただければ幸いです。

感想、評価などお待ちしてます。それでは!


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Miscalculation

Don't forget.


執務室がペンを走らせる音で支配されている。2本のペンが紙の上を忙しなく走り回り、終わったかと思えば次の紙の上を駆け回る。

 

「叢雲、そこの資料を取ってくれ」

 

「これでいい?」

 

「ああ」

 

重厚感のあるファイルに綴じられた資料を捲り、目当てのページを探す。しばらく探してようやく峻はそれを見つけると、その資料を睨みながら書類に数値などを書き込んだ。

 

「ねえ」

 

「…………なんだ?」

 

峻が書類から目線を上げることなく答える。相変わらずペンは走らせたままだ。

 

「……なんでもないわ」

 

「そうか」

 

淡々としたやりとり。真面目に働く基地司令に秘書艦。基地運営の理想形態だ。

だが叢雲にはそれが物足りなく感じる。なんで、と聞かれてもわからない。いつものように真面目に働きなさい! と怒鳴らなくてもいいから楽なはずなのにもやもやとしたものが胸中にわだかまっている。

そしてそんなことが退院したその日から3日間も続いているのだった。

 

どうしても気になることがあった。聞かなければならないと思っていることがあった。だが峻が聞けるような雰囲気ではなかったため、なあなあでここまで叢雲は引っ張ってしまっていた。

 

聞きたい。けれど聞いてはいけないような気がする。そんな思いを3日間、抱えていた。

そろそろ動かなくては。そう思ってはいるがなかなかこの重い腰は動いてくれない。

 

「提督!」

 

執務室のドアが勢いよく開かれ、陸奥が大慌ての様子で駆け込んできた。

 

「お前がノックも忘れて飛び込んでくるなんて珍しいな、陸奥」

 

「それどころじゃないからよ! 今、正門に……」

 

「正門に何かあったのか? まあとにかく落ち着け」

 

陸奥が深呼吸をして、息を整える。それでも焦りの色は落ちていない。

 

「何があったんだ?」

 

「海軍本部から憲兵隊が!」

 

「なんだ、思ってたより遅かったな」

 

「ちょっとあんた……」

 

「陸奥。どう対応してある?」

 

「接客室に案内してあるわ」

 

峻の落ち着き具合から冷静さを取り戻した陸奥が峻の行くべき場所を告げる。

 

「そうか」

 

峻がペンを置き、ファイルを閉じた。椅子の背にかかっていた軍服を羽織り、きっちりと前を閉める。

 

「陸奥、お疲れさん。あとは待機だ」

 

「り、了解」

 

「私はどうすればいいのよ?」

 

「お前も待機。そのまま執務をやっといてくれ」

 

他の全員にも待機命令を出しとけ、と言うと峻が執務室を出て行った。階下の接客室を目的地にして歩きながら襟を正す。目的はわかっていた。だからショルダーホルスターは吊っていないし、腰にマガジンポーチもナイフも装着していなかった。どうせ回収されるものだからだ。

 

接客室を断ることなく入る。自分の管理している基地だ。なんで断りを入れる必要があるだろうか。

 

「どうも、帆波大佐」

 

「こんにちは。ようこそ館山基地へ」

 

落ち着いて峻が憲兵たちが詰め掛ける接客室を見渡す。隊長格らしき人間が前に進みでる。

 

「言わずともおわかりですよね?」

 

「まあ、そうですね」

 

「脳波通信のご用意を。直に話したい、と」

 

「へえ、そうですか。わかりました」

 

脳波通信なら機密保持は問題ない。多少、言葉を交わすくらいならば大丈夫だろう。峻としても彼らを派遣してきたものと話すことくらいはしたいものだった。

 

『聞こえるかね?』

 

『これはこれは陸山大将元帥どの。わざわざ自分のような者のためにお手間をとっていただけるとは』

 

コネクトデバイスにかかってきた通信。電気信号として脳内で置換された声はウェーク島の表彰式の時に聞いた大将元帥である陸山の声だった。

 

『帆波大佐、()()()()?』

 

()()

 

それだけの短いやりとり。万が一、盗聴されていることを心配してというのもあるが、これだけで充分に伝わっていた。

 

『ならいい。本部で待っている』

 

プツン、と通信が切られた。随分と忙しない事だ。もう少しくらい無駄話に付き合ってくれてもいいだろうと思わなくもないが、どうせ少し後になるか先になるかの違いだ。

 

「で、どういうお題目を持ってきたんです?」

 

「全てをあげるのは数が多い。ですがこちらも仕事なので」

 

そんなことはわかりきっている。だからやるならさっさとして欲しいと峻は切に願っていた。無駄話は好きだが、じりじりと首を真綿で締められるのは趣味ではなかった。

 

「基地司令権の乱用、ウェーク島攻略戦の独断専行、さらしな轟沈の責任、そして相模原貴史の共犯の疑い。以上の理由により本部へと連行させていただきます」

 

「なるほど、そういう形ですか」

 

積もりに積もった今までやらかしてきた数々。好き勝手にやり続けて溜まったツケを払わされる時が来たのだ。

相模原の共犯、というのは初耳だが、病院で接触しているためにその疑いをかけるのは妥当とも言える。むしろそういったことが上がってこなかったことが奇跡だ。

そして殺害したのは峻が手を回して殺させたということだろう。共犯だと思われているのなら、身バレを恐れて口封じにかかったと思われても仕方ない。

 

そこまで考えを進めてから峻ははっとした。

 

そういうことか、と内心で峻は死んだ相模原に拍手を送る。あの時に接触してきた目的。まさかメモリーを渡すためだけではあるまいと思っていたが、今ならわかる。それは峻と相模原が繋がっているという疑念を与えさせるための布石。

あとはただ相模原が殺されたという書類上の事実さえできてしまえばこういう形に持っていかれて、自然と軍から離れることになる。そこまで読んでのことか。

 

ひとつ彼に誤算があったとするならば、峻がまさかこんな形で軍の秘密を知るとは思っていなかったことだろう。艦娘がクローンであるというとんでもない事実を。

この先は、もうわかっている。本部に連行されて自殺なり事故なりの形にして口封じされるのだろう。でなければそれよりもっと酷い何かで峻の動きを封じにかかるはずだ。

 

「拒否権は?」

 

「あるとお思いで?」

 

「でしょうね」

 

峻が肩をすくめる。逃がしてくれるとは思っていなかったし、逃げるつもりもなかった。

 

「身体検査をさせてもらいます。武器などを持っていた場合は没収となります」

 

「そう言われると思って外してありますよ」

 

両手を上げた峻の体が調べられる。もちろん何も出てこない。事前に外しておいたのだから当たり前だ。

 

「できれば拘束具は勘弁してほしいんですがね」

 

「手錠だけですよ。こんなところで全身に拘束具をつけて連行するのは悪目立ちしすぎるので」

 

硬質な金属音と共に、峻の両手に鉄の輪がはめられる。アクセサリーとしては悪趣味すぎるそれをしげしげと眺めた。

 

「では行きます。正門に車を停めてあるのでそれに乗って本部へ行くこととなります」

 

「なるほど。抜かりのないことで」

 

両脇に男たちが付いて、暴れないように抑えられた状態で階段をゆっくりと降りる。おそらく見納めになるであろう館山基地を見ながら正面玄関に立った。

 

峻が本部に連行された時点で部隊は解散になる。全員が各地にばらけて配属され、館山基地には新しい部隊がやって来るのだろう。

 

正門に憲兵隊の車両が3台、停まっている。なかなかどうして立派な車だ。用意してもらったことを感謝すべきかもしれないと内心で峻は皮肉った。

 

石畳に足を踏み出す。踵がカツン、とよく通る音を立てた。

 

そのとき、峻の背後で人が倒れる音がした。続けて2人目、3人目と倒れていく。

 

「なんだ! 何が起きている!」

 

青銀の風が駆け抜ける。隊長が腹部を殴られ、カエルの潰れたような声を上げて倒れた。峻の周りにいた男たちも首筋に一撃を入れられたり、鳩尾を強く圧迫されるなどして、次々と気を失っていく。

 

だが倒れる音がするたびに峻の表情は曇っていく。

 

ほんの一瞬。それだけで峻を取り囲んでいた連中はすべて昏倒していた。

 

「ふざけんなよ……」

 

意識を飛ばされて折り重なるように倒れ込んでいる人の山。その中には青みがかった銀髪の少女が堂々と立っていた。

 

「何してんだよ叢雲!」

 

「助けてあげたのにその言い方はないんじゃない?」

 

いつの間に手に入れていたのか、叢雲が鍵で手錠を外した。峻の両手を戒めていた鉄の輪が地に落ちる。

 

「バカ野郎! なんでここで暴れた! 何の意味もねえだろうが!」

 

「あんたが口封じに殺されることを防げるでしょ」

 

「……は?」

 

艦娘(わたしたち)はクローンなんでしょ。だからそれを知ったあんたは殺される。それを私は防止しただけよ」

 

峻はそんなこと望んでいなかった。助けて欲しくなんかなかった。このまま黙って処刑台へと歩いていく姿を見送ってくれればそれでよかったのだ。

暴れてしまえば、事は荒立つ。その結果がどこまで波及するかわからない。だがいいことが起きないのは確かだ。それがわかっていたから殺されるのも是とした。

 

だが叢雲がすべてをめちゃくちゃにしてしまった。

 

「ここで俺が死ねばすべてが綺麗に片付いたんだ! これ以上は誰も巻き込まずに終わらせられた! たかだが俺ひとりで済むのなら安い犠牲だろ!」

 

「ふざけないで!」

 

叢雲が怒鳴り返す。瞳に明確な怒気が宿り、わなわなと震える。

 

「あんたが私を助けたんでしょう! それなのに人を助けといて勝手にあんたは死ぬの? すべてを投げ出して? ふざけるのは大概にしなさいよ!」

 

ウェークのことを言っているのはすぐにわかった。だから言い返せない。峻は言葉に詰まるしかなかった。

 

「助けたことに責任を持ちなさいよ! そのせいで私がもうひとり作られたんでしょう!」

 

「……」

 

あの少女に叢雲をよろしくと言われた以上、叢雲が死ぬことを見過ごすわけにはいかない。だが叢雲は憲兵隊を襲っている。誰がやったのか認識される前にすべて打ち倒したとはいっても、このまま返すわけにはいかないだろう。峻が手枷を嵌められていた状態で襲撃を受けたとあれば、確実に誰か助けに来たものがいると考えるのはごく普通の思考だからだ。

 

つまり叢雲を連れて逃げる以外の選択肢がなくなった。

 

倒れている憲兵たちのポケットから車のものと思われるキーを取り出し、エンジンをかける。叢雲が居なくなっているのに気づき、辺りを見回すと正面玄関から大きな紙袋を提げて来ている姿を見つけた。

中身を聞こうかとは思ったが、今はその時間すら惜しい。

 

「乗れ」

 

運転席に滑り込みながら峻が叫ぶ。紙袋を抱えたまま、叢雲が助手席に乗り込んだ。

アクセルを踏み込むと車が動き出す。最初はゆっくりと。そして徐々に速く。

 

あっという間に館山基地は小さくなっていく。もう戻ることはないだろう。

 

「わかってんだろうな? これで俺たちは反逆者だ」

 

「憲兵隊を攻撃した時から覚悟はしてたわよ」

 

そういう事が言いたかった訳ではない。だがもう賽は投げられたのだ。今更になって引き返すことは出来ない。

走行中ならば時間はある。車を走らせながら会話するくらいは簡単だ。聞かなければいけないことがあった峻としては非常に助かる展開だ。

 

「教えろ。なんでお前は艦娘がクローンだと知った?」

 

「……病院からあんたの跡をつけてたから」

 

「っ……つまりあのとき感じた視線はお前のだったのか」

 

病院の正門で、クローンの少女と会った時に感じた視線。ウェークなどで自分の名前が売れているから注目を浴びるのは仕方ないと放置したあの視線は、叢雲のものだったようだ。

 

「廃工場に入っていくまでずっと見てた。中での会話もこっそり聞いてたのよ。私のクローンを殺した部隊が来てからは見つからないようにすぐ逃げたからそれ以降はわからないけど、でも艦娘(わたしたち)がクローンだってことはわかった」

 

「なんでまた病院に……」

 

「……退院の日は聞いてたから迎えに行ったのよ」

 

「待て。俺は退院の日を言った覚えはねえぞ?」

 

峻は夕張や明石にだいたいの日付は言ったが、正確な日にちまでは教えていなかった。だが叢雲はぴったりと退院の日に迎えに来た。そしてもうひとりと峻が会ったところを見たのだろう。

叢雲が退院の日を知る術はなかったはず。だが知っていなければ来ることなどできない。

 

「でも基地内で噂になってたわよ。正確な日がわかってないのに毎日、病院の玄関で張りこむようなことはさすがにしないわ」

 

「基地を空けたことに変わりはないがな」

 

叢雲が窓の外に顔を背ける。基地を任されておきながら、一時でも空けた罪悪感で叢雲は峻の顔をまっすぐに見られなかった。

 

「くそ、こっからどうする……」

 

「マスコミにリークするのは?」

 

「証拠もなしに誰がこんなこと信じる? そもそもクローンを使ってることなんてわかったら国際問題に発展してくぞ。世論に押されて今後は防衛ラインに艦娘は配置出来なくなるだろうな。その時点で国防体制は壊滅する。代替案がない現状でこれをやったら世界規模で人類は終わりだ」

 

「なんで今まで……」

 

「大将元帥クラスが噛んできた時点で情報統制くらいは簡単だ。将官レベルは真っ黒と思っていいだろうな」

 

「なにか……なにかないの?」

 

「思いつくものがあるならとうにやってる。それがないから逃げてんだろ」

 

切り札になるだろうものはある。だが峻がそれを切り札としては使えていない以上、なんの役にも立たない。たまらなくもどかしいが、できないものはできない。存在を認識しているだけでは使うことなど不可能だ。

 

ハンドルをきって右折。なんでもないただの町並みが続く道をあてもなく進み続ける。

 

「あんた、なにか隠してない?」

 

「……どうしてそう思う?」

 

「ヨーロッパの時と同じ顔してたから」

 

「同じ顔……ねえ」

 

もどかしいという意味では同じだ。手に届くところにありながらも、それを取ることはできない。あの時も暴れまわれば解決の糸口を掴めたかもしれない。けれど国賓という立場に縛られて自由に動けなかった。

 

「気のせいだろ」

 

言う必要はない。だからいつものように嘘はつかないようにして誤魔化す。知れば余計に叢雲自身が背負うリスクが増えるだけだ。どのみち峻も実態がうまく掴めないものを伝えることなど不可能だ。

 

「あんたは……」

 

「それよりそろそろ車から降りる準備しとけ。もう俺らが逃走していることはばれてるだろうし、憲兵の車両なんて目立つもんで逃げてたらすぐに見つかっちまう」

 

「……わかったわ」

 

強引な話のすり替えだ。もともと叢雲が持っているのは館山基地から持ってきていた紙袋だけだ。たったそれだけでは準備もへったくれもない。そんなことはわかりきっている。教えたくないから無理やり別の話題にしてしまっただけだ。

 

「ここらでいいだろ」

 

裏路地に入り込むと車を停める。サイドブレーキを引いてしっかりと停めると、キーを抜いてエンジンを止めた。

 

「先に出てろ」

 

「あんたは?」

 

「俺も出るさ。ただ少し車を調べたいだけだ」

 

あまり時間的な余裕があるとは思えないが、なにか使えるものがあるなら持って行きたいところだ。

 

「たぶんこういう軍事車両には……お、あったあった」

 

荷物入れの中にあるカバンを引っ張り出すといきおいよく開く。

 

「六四式は……嵩張るし目立つからいらねえな。アタッチメント装備もいらない。おい、RPGとかなんで入ってんだ……」

 

しかも六四式のアタッチメントに関しては銃剣からグレネードまでと幅広い。無駄なこだわりが窺えて取れた。

 

「C4と手榴弾だけ持ってくか。あとは9mm拳銃くらいはあった方が……」

 

「あんた」

 

「なんだよ?」

 

「これ」

 

叢雲が紙袋からショルダーホルスターにはいった拳銃を取り出して峻に渡す。

なんども感じたことのある重量感が右手にかかる。中身は見なくともわかった。

 

「俺のCz75か……」

 

「あとあんたのマガジンポーチとナイフ、それから商店街で買ってたデッキコートもあるわよ。軍服(それ)で逃げてたら目立つと思って。あと入り用になると思ったから財布も」

 

「…………そうだな」

 

最初から叢雲は逃げるつもりだったということだろう。もしくは峻だけを逃がすつもりだったのか。どちらかは不明だが、今さら何かをいったところでもう起こってしまったことは変わらない。

 

軍服の上着を脱いで車の中に安置する。まだタグが付いたままのデッキコートを袋から出して、ナイフでタグを切り落とす。そしてマガジンポーチとショルダーホルスターを装着してから羽織った。ちゃんとコートで隠れていることを確認。

 

「Cz75があるなら9mm拳銃はいらねえな。弾とC4と手榴弾だけかっぱらってけば十分だ」

 

ついでにあったレーションや、ガスランタンなどの欲しい物をさっさと回収すると、きっちりとバックをしめて荷台に押し込む。

 

「どうするの?」

 

「必要なもんを買い込んだらすぐにこっから離れる。車が見つかったらここら一帯にマークがつくからな」

 

まとめあげた荷物を持って峻が裏路地へと消えていく。その後を叢雲が追った。

 

 

 

 

 

《指名手配》

 

帆波峻 年齢:27歳 性別:男

 

現在逃亡中。憲兵隊以下ハ発見ヲ最優先ニシ、生ケ捕リニスベシ。タダシ抵抗激シイ場合ハ殺害モヤムナシトス。




こんにちは、プレリュードです!
本当に、ほんっとうに短かったですが、これにて第五章が完結です。たった4話しかないってどうなんだ……

もうひとりの少女と叢雲の暴走により、帆波の望まない方向へとこじれていくわけですが、これでもう彼は自ら望んで死ぬという選択肢を封じられました。
もう、誰も止まれない。止まらせてくれない。

感想、評価などお待ちしてます。それでは!


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第六章 叛逆のフーガ編
Opus-01 『Starting point』


「まったく……」

 

埼玉県の防諜部ビルの1室で若狭がぼやく。

 

「シャーマンの件がようやく片付きかけたと思ったら今度は帆波が反逆。次から次へと事件っていうのは枚挙に暇が無いね」

 

そう言いながらも、若狭は現状でわかっている証拠をかき集め、整理していた。昨夜に発見された憲兵隊の車。中にあった爆弾や銃弾が足りないところを見るに、いくつか抜いて行ったのだろう。

 

「……若狭」

 

「どうした、長月?」

 

「変だ。私は帆波大佐のことを詳しく知ってるわけじゃない。でもこういうことをするタイプの人間ではないと思っていた」

 

「結果がすべてさ。反逆なんてする人間じゃない。そう思っていても現実に起きている」

 

峻がやったことは総勢9名を打ち倒して逃走するという明確な反逆行為だ。言い逃れなどできるものではない。

 

「アレに縄をかけるのは苦労しそうだよ」

 

「具体的なプランが見にくいな。なにせ底が見えない」

 

「それなんだよね。帆波の底がわかっていればできることもあるけど謎が多すぎる」

 

でもひとつだけ若狭には確信を持って言える部分があった。一緒に逃走している叢雲。これをうまく利用できれば案外、峻は簡単に落とせる。

 

「ごめん、長月。通信が来た」

 

「外そうか」

 

「お願いするよ」

 

長月が部屋を出ていく。少し小銭を渡しておいたので、休憩室などでのんびりしているだろう。

 

「要件はわかってるつもりだよ、東雲」

 

『……なら話は早い。どこまでが本当だ?』

 

「あるがままに全部が真実だよ」

 

『ならこの通達もか』

 

「そうだね。そういうことになる」

 

広げたホロウィンドウ。そこには峻の顔写真と共に指名手配をした旨が書かれている。当然、叢雲のものも、だ。

 

『軍部内において指名手配……動きが早すぎる。それにここまで大事にすることか?』

 

「僕に聞かれてもわかるわけないじゃないか。きな臭い感じはするけどね。ただ叢雲に関しては判断が早急すぎる。昏倒させられていた憲兵隊も誰にやられたかは正確に見ていないようだしね」

 

『それでもあいつが反逆したって事実は変わんねえんだよな?』

 

「そうだね。さっきも言った通り、帆波は憲兵隊と衝突してる。この1点は揺らぐことのない事実だよ。まあ公表はしないだろうけど」

 

この先は軍の中で秘密裏な捜査が進められるはずだ。身内で仲間割れなんて失態を警察組織などに公開するわけがない。指名手配はしたが、警察組織などが介入してくることは徹底的に防ぐつもりだろう。

 

『外部組織は弾く……か。なら俺は動いても問題ないよな?』

 

「東雲……?」

 

『横須賀なめんじゃねえ。海兵隊なりなんなり出して、速攻でシュンのやつを縛り上げてぶん殴る。さんざか人をやきもきさせやがって』

 

私怨じゃないか、と若狭が苦笑した。ここまで来ても、東雲は峻のことを信じているらしい。

思案顔で若狭がペンをくるくると指で器用に回す。親指と人差し指で回していたペンが横へ移っていき、小指と薬指で回転させられる。

 

「情報を回せってことかい?」

 

『利害は一致してるだろ。お前はまた評価があがる。俺はあのバカを殴れる。どうする、若狭陽太()()

 

「……まだ慣れないね、中佐って呼ばれるのはさ」

 

実は若狭はつい先日に昇進して中佐になっている。なんでも相模原確保の功労らしい。

だがそんなものはどうでもいい。回していたペンを力を込めて握りしめる。ミシリとペンが悲鳴を上げた。

 

「捜査権は?」

 

『うちの管轄区内で起きたことだ。かけ合えばどうにかなる』

 

「…………いいよ、乗った」

 

『どうする、あのマゾ女も呼ぶか? なんだかんだ言って戦力にはなるだろ』

 

「常盤のことかい? あれはほっといた方が思うよ。こういうのに向いてるとは思えない」

 

『そうなのか。まあお前が言うならそうなんだろうな。じゃあ何かわかったら連絡してくれ』

 

「了解。いい報せができるようにするよ」

 

通話が終了したことを知らせるホロウィンドウをタップして閉じる。背もたれに思いっきりもたれかかった。

 

「常盤美姫……ね。あれを当てるのもありかな……いや、やっぱりなしだ」

 

若狭の頭の中でプランが練られていく。いかにして峻を追い詰めるか。有効であると考えられる要因をひたすらにさらい続ける。

 

叢雲を庇いながら戦闘すれば峻はすぐに限界を迎えるだろう。ましてや一緒に逃亡しているのなら切り捨てることは躊躇うはず。なにより叢雲は生死問わずだ。銃を突きつけたところで問題にはならない。

その引き金を引いたって。

 

付けられた勝利条件は殺さず生け捕り。

こちらの手駒は東雲将生と横須賀鎮守府の海兵隊、そして情報戦のエキスパートである若狭陽太と長月。

一方で相手は『幻惑』の二つ名を持ち、ウェークの奇跡を起こした英雄と持て囃される帆波峻、そして『姫薙』の叢雲だ。

 

対戦カードは出揃った。あとはどの駒を進めて追い詰めるかだ。

 

まだ目的もなにも掴めてない。しばらくは様子見になるだろう。

 

憲兵隊は全力で捜査に当たるはず。その傾向を窺いつつ、峻の動き方を探る。まずは若狭にできることはここら辺が妥当だ。

 

「帆波、僕を甘く見ない方がいい」

 

やるなら徹底的に。幸いにも若狭がかなり自由にできる手駒は東雲のおかげで増えた。物理面において圧倒的な数の横須賀鎮守府。電子工作面におけるスキルを持つ若狭。

 

ありとあらゆる人間を巻き込んだボードゲームが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

館山基地は横須賀鎮守府の支部だ。つまり館山基地に所属している者は横須賀からの命令によって動く場合が多い。

 

「ねえ、矢矧ー」

 

「なに、夕張?」

 

「提督はさ、本当に反逆したんだと思う?」

 

「私に言われてもわかんないわ。軍内部の公式発表ではそういうことになったけど」

 

なにせ指名手配だ。それに憲兵隊を攻撃したということが事実として上がっているらしい。

 

割り当てられた部屋で矢矧がやることもなく、本を読む。相部屋の夕張はタブレット端末を覗き込んでいた。

 

「私たちはどうなるんだろうねー?」

 

「さあ? でも帆波隊は解隊になったから次の配属先が決まるまでは横須賀預りになるんじゃないかしら」

 

支部という以上は、上の指示が飛んでくる。そして館山基地は再編することが決まった。つまりそこに所属していた帆波隊以下の艦娘も解散になってしまった。

 

「東雲中将さんがいい配属先を用意してくれるといいんだけどなぁ」

 

「そればっかりはどうなるかしらね」

 

「また自由に開発やらせてくれるところがいいな」

 

「もう夕張は実験艦隊にでも行ったら? ほら『夕張』もそうだったでしょ?」

 

「むー、そうなんだけどさ。でも……」

 

「でも?」

 

矢矧が本から目をあげる。画面を落としたタブレット端末を夕張が枕元に投げてベットに倒れ込んだ。

 

「やっぱり好きにやらせてもらってた提督がいい」

 

「でも提督が現場復帰するのは難しいと思うわよ」

 

「だよねー」

 

罪状はまともだ。資材の着服に書類偽装。そして相模原の協力者である疑い。

 

まともだからこそ、復帰はできない。

 

仮にこれがでっちあげだった場合は幾分かやりやすい。罪状が偽物だと証明してしまえばそれまでだからだ。だが今回は違う。実際に峻がやってきたことだし、協力者の疑いは晴らそうにも、そう簡単に晴らせるものではない。

 

「でもすぐに着服とか持ってきたあたり、バレてたんだよね……」

 

「だとしても夕張のせいじゃないわ。止めるべきなのは提督だし、それをあの人はしないどころか一緒になって開発してたんだから」

 

矢矧は夕張の方を見なかった。それでも声の色は後悔が滲んでいることを察せないほど鈍くはない。

 

「明石も後悔してたんだよね……私たちが我儘を言わなければって」

 

「どのみちあの人は嬉嬉としてあなたたちと工廠に籠ってたじゃない。それに自分を責めたところでもう何も変わらないわ」

 

言ってから矢矧は悔いた。言い方が冷たすぎる。これでは何のために沈んでいる夕張の話を本を読んで聞き流しているふりをしながら耳を傾けていたのかわからない。

 

「……矢矧ってなんだか励ますの下手だよね」

 

「なっ! ひ、人が元気づけようとしてるのに!」

 

「ううん、元気でた。ありがとね!」

 

夕張が勢いをつけてベットから腹筋の要領で立ち上がる。タブレット端末を持ち上げて、ぐぐっと伸びをする。

 

「でもみんなどうなるんだろう……」

 

「ばらばらにはなるんじゃないかしら。でも連絡は取り合えるし、これが今生の別れってわけでもないし」

 

「……矢矧は強いね」

 

「阿賀野ねえともそんな感じだからじゃないかしら? ほら、あの隊も解隊になったけど艦娘は別の場所に転属しただけだしね」

 

確かに部隊はばらばらになってしまった。でも死んでしまったわけでないのなら、また会うこともできる。

 

「問題は提督、いいえ元提督って言わなきゃいけないのかしら? あの人はなにがしたいのかしら……」

 

「叢雲ちゃんもいなくなっちゃったし……どうなるんだろ………」

 

矢矧が聞きたいくらいだった。まだ峻は理由があるように見える。掛けられた疑いから逃げたといえばらしくはないが納得はできる。だが叢雲が着いて行った理由がわからない。

正直まだこんなこと信じられなかった。けれど事実は変わらない。

 

「それにしても……」

 

「矢矧どうしたの?」

 

「いいえ。なんでないわ」

 

落ち込んでいた夕張が少しは元気になってくれたことに胸を撫で下ろしながら矢矧はさっきまで読んでいた本を開いた。しおりの挿してあったところから読もうとして話がうまく繋がらないことに気づいて苦笑した。さっきから読んでいたはずだった部分の内容がまったく頭に入ってきていない。

 

何でもないように取り繕っていても、動揺しているのは矢矧も同じようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼすぼすと枕をイムヤが叩く。やり場のない怒りを紛らわすためだった。

 

「なんで! 私たちを! 放ったらかして! いなくなってるのよ!」

 

ぼすぼすぼす。右ストレート、左ストレート。ジャブを噛ませつつ、捻りを込めて叩き込む。イムヤの拳がめり込むたびに枕が形を変えて細かい埃が舞う。

 

「あー、もう! あんなに居心地よかったのに部隊は解散じゃない!」

 

「仕方ないよ。確かに急ではあったけど、ずっとあのままってわけにもいかないでち」

 

「ゴーヤはなんか達観してるわね」

 

「ゴーヤはこの部隊に本来ならいられないからかな。いずれは転属になるって気づいてたからそこまでショックじゃないのかも」

 

枕を殴る手を休ませてイムヤが寝転ぶ。

せっかくゴーヤの背中を押したのに、本人はこれだ。輸送作戦でなにか心境の変化があったのだろう。峻に置いていかれても落ち着いているのがその証拠だ。

 

「予想できない形ではあったけど、でもなんとかするでち。だってゴーヤは艦娘だもん」

 

イムヤがぽかん、と口を開けた。気づかないところで親友が成長していた。いつ崩れてしまうかわからない不安定さを抱えていたはずだったのに、その両脚でしっかりと地に立っていた。

 

「……適わないなぁ」

 

「何か言ったでち?」

 

「なんでもないっ」

 

自分は胡座をかいていた。楽な環境に身を置いて、そこから前に進もうとせず、維持することだけ躍起になっていた。

そして気づけばゴーヤはそんな自分を置いて先へ行ってしまっていた。

 

「うん、そろそろイムヤも進もうかな」

 

「ど、どこへ?」

 

「さあ? とりあえず次の配属先で戦果を出しまくってやろうかしら」

 

「会話が繋がってない気がするでち……」

 

「こっちの中では繋がってるのよ」

 

わしっとゴーヤの頭を撫でる。クエスチョンマークがゴーヤは浮かんだままだったが、されるがままになっておくことにしたようだった。

 

「でも提督が帰ってきたら思いっきり殴ろっと」

 

「ほ、ほどほどにしてあげてほしいでち……」

 

「でもゴーヤはいいの? だって…………」

 

言葉尻をイムヤは濁した。直接的に言うことははばかられたが、ゴーヤの不自然なまでの明るさが怖くもあった。だから正確に言うのなら濁したわけではなく、言いづらくなってだんだんと声が小さくなってしまったのだ。

 

「てーとくはゴーヤを置いて行ったのに、ってことでしょ、イムヤが言いたいのは」

 

「……まあ、そうね」

 

峻に付いて行ったのは叢雲だ。ゴーヤではない。もしかしたら自分たちは見捨てられたんじゃないか。そんな思いが胸中で渦を巻く。

 

「いい気持ちじゃないのは当然だけど……でもゴーヤも甘えてばっかりじゃいられないから。てーとくは何でもできるわけじゃない。それなのにゴーヤのことを見てくれてたんだ。立ち直れるって信じてくれてたんだと思う。だから、立ち上がるよ」

 

峻のことは本人にしかわからない。どういうつもりだったのかもゴーヤをどう思っていたのかも。

でもわからなくてもいいとゴーヤは思っていた。助けてもらった事実は揺らがない。そして助けてもらったのなら、その後はずっと頼りきりにするのではなくて、ひとりで自立しなくてはいけない。

 

いつまでも巣にいる雛鳥はいない。いずれは飛び立つ日が来る。それはどんな形であれ必ず。

 

「立派になっちゃって。でもいいの?」

 

「うん。だってゴーヤじゃ届かないから」

 

「…………そう」

 

一瞬だけゴーヤが俯く。だがすぐに上げた顔は晴れやかだった。

 

「次はどんなところに配属になるのかなあ」

 

「個人的にはあったかい場所がいいわね。北方海域は潜るのにはちょっと厳しそう」

 

「あー、南方だといいよねー。それこそグアムとかパラオとかは海もキレイだって聞いたでち 」

 

「でも本土だと物資があるから日常生活では苦労しないのよね……」

 

他愛ない話。そんなことをしている裏でイムヤの思考は唸りを上げて回り始める。

 

部隊がばらばらになるのは避けられない。掛けられた嫌疑も罪状も至極まっとうなものだからだ。

 

でもこんな終わり方でイムヤは納得できなかった。

 

なぜ逃げているのか。大人しく連行されて行けば、こんなことにはならなかった。なのになぜここまで大事にしたのか。

 

そして軍も軍とて、大事にするのはなぜか。身内の恥を身内で処理するためと言ってしまえばそれまでだが、それにしてもイムヤには派手すぎるように感じた。

 

「だからといって私にはなにもできないんだけどね」

 

「何が?」

 

「提督がどうして逃げてるのか気になるけど調べる手段がないってことよ」

 

「うん……確かにてーとくらしくはないかな」

 

「というか逃げる理由がわかんないのよ。ゴーヤに何か心当たりはない?」

 

イムヤと違ってゴーヤは輸送作戦に参加している。なにかわかることがあるかもしれない。

離れたところにある椅子を足で引っ掛けて手前に寄せると腰を下ろした。

 

「行儀わるいでち」

 

「他の人がいるわけでもないんだし、いいじゃない」

 

誰かに見られているなら気にした。艦娘という以上は仮にも女性。他者、特に異性がいたのならばこういうことは気にしたが、同室にいるのはゴーヤだけだ。同性で、しかも互いの気心が知れている相手である。わざわざ変に気を使う必要を感じなかった。

 

「で、何かない?」

 

「とは言われても……うーん、なにかあったかな……」

 

ゴーヤが唸るようにして考える。座ったイムヤが椅子を2本足でギシギシと揺らす。

 

「でも最近は大人しかった……っていうかなんだか昔の自信家みたいな言動が減ってるような感じがする、かな?」

 

「確かに……銚子に乗り込んだ時とかウェークの時に比べるとだいぶ大人しいかも……」

 

「あとは明石さんがこの前、首を傾げてて……」

 

「? どうして?」

 

「てーとくが義足に変えたのはイムヤも知ってるよね?」

 

「ええ。右脚がなくなったから義足にしたらしいわね」

 

さらしなの誘爆に巻き込まれて峻が右脚を失ったことはイムヤも知ったところだ。その過程で峻も自ら義足の設計に乗り出していたらしいこともだ。

 

「てーとくが1回目で完成にしたんだって。普通こういうのって何回か試作を重ねるものなのに初回でOKを出すことは変だって……」

 

「ふうん……」

 

イムヤもゴーヤも技術職ではない。だからなんで変なのかはわからなかった。おかしいと明石が言ったということはそうなんだろう、くらいの感覚だ。

 

「うーん……わかんないわね」

 

「ゴーヤたちが即席で考えるのは難しいでち……」

 

ふたりで必死になって考える。だが必要な要素が欠けているようで、まったくまとまる様子はなかった。

 

「そろそろ夜も遅いしゴーヤは部屋に帰るよ」

 

「わかったわ。おやすみ」

 

「おやすみ」

 

ゴーヤは隣の部屋に戻ると寝巻きの上に着ていた上着を椅子にかけた。そしてそのままベットへと倒れ込む。

 

「立ち上がらなきゃ、いけないよね……」

 

イムヤの前では格好つけて、ああ言った。けれど割り切れるものではない。

 

結局、自分は選んでもらえなかった。

 

わかっていたはずだった。手を伸ばしたって届かないことも、苦しい未来しかないことも。

 

「でも……それでもっ………………!」

 

それでも諦められなかった。手を伸ばすことをやめたくなかった。

 

性能としての伊58ではなくて、ゴーヤとして見てくれた彼が、ただのわがままで助けを求め、それに応えてくれた帆波峻という男のことが。

 

ゴーヤは好きになってしまった。

 

「諦めたくない……諦めたくないよ。でも」

 

────遠いよ。

 

顔を枕に埋める。離れていても、それでもゴーヤは手を伸ばし続けた。一縷の希望に賭け続けた。

 

けれど駄目だった。ゴーヤはずっと庇われてばかりだった。たった一度、頼ってもらえたことですら、目として戦場に行くことという他の誰かでもできてしまうことだった。そして目になってあげることしかできなかった。

 

「だからゴーヤは終わらせる。ここでこの思いもすべて」

 

辛くて、苦しくて、それでも断ち切る。だから、また彼と会うことがあったら笑顔で話しかけよう。ただの仲間として。ただの戦友として。

 

でも今だけは。

 

少しくらい泣いてもいいよね? そう、少しだけ…………




こんにちは、プレリュードです!
そんなこんなで新章突入なわけです。そうそうに主人公が出てこないけど……
そしてこの先は今まで味方サイドにいた人間との追いかけっこです! あはは、待って待ってー、みたいな。うん、絶対にそんなふうになんねぇな。

感想、評価などお待ちしてます。それでは!


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Opus-02 『Permission point』

「ほーれ、ごろにゃんごろにゃん」

 

「提督、くすぐったいぞ」

 

「若葉の抱き心地はいいねー」

 

「まあ、悪くない」

 

膝に若葉を乗せて常盤が撫で回す。若葉は表情筋をこれっぽっちも動かすことはないが、されるがままにしているあたりは嫌なわけでもないようだ。

 

綺麗に片付けられた執務室。そして旅行カバンにかけられたコート。そして常盤はかっちりと制服を着込んでいた。膝に乗せた若葉を撫でているせいか、多少シワが寄っているが、それでも略装ではないため、見栄えしている。

 

「……本当に行ってしまうんだな」

 

「うーん、まあこればっかりはねー。上からの命令にはアタシも逆らえないからさ」

 

胸ポケットから常盤が辞令を取り出してひらひらと揺らす。転属命令が封書で中に入っていたものだ。

 

「寂しいかにゃん?」

 

「まったくといったら嘘になる」

 

「お、今日の若葉は素直だねー」

 

わしわしと荒っぽいように見えて丁寧に常盤が若葉の髪を梳く。その手をふと止めて若葉の頭の上に顎を乗せた。

 

「どうした?」

 

「んー、別にー。後任クンが遅いなーって」

 

「ああ……そういえばもう『常盤隊』ではなくなるんだな」

 

「アタシがまたここに来たら戻るかもねー」

 

名字が部隊名になることが多いため、常盤が外れれば、部隊自体は解散にならなくとも、名称が変わることになる。

 

「そういえば帆波隊は解散らしいな」

 

「あー、みたいだね。まあ司令官が反逆者で旗艦も不在じゃそうなるよ」

 

「館山基地の方にも後任が行くはずだが……」

 

「海軍は人手が足りてないからねー。まあそれでもひとりやふたりはどうにかできるでしょ」

 

若葉が言わんとすることを素早く察して常盤が先を続けた。もともと口数が多いわけではない若葉は頷くことで常盤の続けた言葉が間違っていなかったという肯定の意を示す。

 

「まあ減ったとは言っても多少は回復しつつあるしねー。後任クンの経歴を調べたけどキレイなものだったから大丈夫だって」

 

「当然のように調べているんだな」

 

「アタシのかわいい若葉たちを預けるんだよ? そりゃ見るってー」

 

「そうやっていつも本音を言わない」

 

「そうだけどそれが?」

 

常盤が冷ややかに言い放つ。にこにこと笑ったままで、だ。

 

「まるで若葉たちのためみたいに言っているが違うんだろう?」

 

「さあ? それを教える義理はアタシにないな。少なくとも()秘書艦だとしてもさ」

 

「そうだ。そして別に答えを期待してたわけじゃない」

 

「無意味な問答だったわけだ」

 

「そんなやりとりも最後になるかもしれないだろう?」

 

違いない、と薄く常盤が笑った。

扉がノックされる。とても丁寧なこの叩き方で誰が来たのかはすぐにわかった。

 

「霧島、はいっていいよん」

 

「失礼します」

 

霧島がひとりの男を伴って入室する。その男に常盤が視線を這わせた。

体格がとんでもなくいいというわけでもない。かといってひょろりとしていて、まるで松の木のようだと言うほどでもない至って普通の体躯だ。

その男が背筋を伸ばして脇を締めた海軍式の敬礼をした。

 

「引き継ぎの野母崎です。階級は少佐となります」

 

膝に乗せていた若葉を隣へ退けて常盤が立ち上がり、返礼する。

 

「引き継ぎお疲れ様です。詳しい引き継ぎに関しては書類に纏めてあるのでそちらを」

 

「ご丁寧にありがとうございます」

 

「普段も司令はこれくらいならいいんですけどね……」

 

真面目なやりとりを傍目に霧島が小声でぼやく。だが常盤は変態ではあれども勤務態度は至ってまともなのだ。

 

「きりしまー。きーりーしーまー」

 

「は、はい! 何でしょうか!」

 

「アタシはもう行くから。じゃあねー」

 

「……はい。では」

 

あっさりと別れを告げて、常盤が旅行カバンを提げて海軍帽を被る。ソファに座らせられていた若葉も立ち上がって執務室の扉が閉まりきるまでその後ろ姿を見送り続けた。

 

足を出す度に踵が床とぶつかり音を立てる。張り付いていた笑みが剥がれ落ち、仕事の顔へと常盤が変貌していく。

 

外で待っていた憲兵隊の車両の助手席に乗り込むと、車が滑るように動きだす。今まで着ていた軍服を脱ぎ捨てると後部座席にいた部下が渡してきたシワ一つないまっさらな憲兵の上着を着込んだ。

 

「出向お疲れ様です、憲兵中佐第1管区司令部付き特殊犯罪対策担当官、常盤どの」

 

「相変わらず長いね。もっと短くできないの?」

 

「……では特犯官でいかがでしょう?」

 

「まあ好きに呼んで。状況は?」

 

「帆波峻が乗っていったと思われる憲兵隊の車両が千葉県と東京都の県境付近の裏路地で発見されました。いくつか装備が盗られていたそうです」

 

「続けて」

 

常盤がボタンを下から留めていく。首周りに指を通して、服の下に入り込んでいた髪を掻き出した。

 

「どういう意図があるかは不明ですが、艦娘を連れているそうです」

 

「調べはついてるね?」

 

「吹雪型五番艦の叢雲です」

 

「ん。盗られた装備は?」

 

「C-4と手榴弾を3つずつ、ワイヤーガンと9×19mmパラベラム弾をあるだけ持っていかれました」

 

「なるほど。まあ彼なら電気信管くらいはお手製のもので来そうだ」

 

ふわりと背中に流した髪を括る。海軍帽を憲兵隊の帽子に変えて被った。

 

「他は?」

 

「現在、東京都で歩行している姿を発見。追跡中です」

 

「どこが対応するって?」

 

「第105憲兵隊です」

 

「105か。アタシが入る前に動いてたのかな? 手筈くらいは聞いてない?」

 

海軍手帳を憲兵隊のものと取り替える。これでこの海軍手帳は失効だ。今後は身分証として有効なのは海軍中佐の常盤美姫ではなく、憲兵所属の常盤美姫中佐となる。

 

「向こうは武器、それに爆発物を所持しています。危険ですので、一般人がいるところではアクションを起こさないかと」

 

「うん、まあそうなるね。何人でいくつもりだって?」

 

「実働部隊が24人だそうです」

 

常盤が素早く頭の中で算盤を弾く。一般人が巻き込まれないように、周囲を固める人員。輸送用のトラックを運転する人員。離れた場所から指揮を執るために専用車両の中で残り続ける人員。

すべてを元の24人から引いて前衛部隊はだいたい10人と少しだろう。

 

「帆波峻の人相書き、関東方面全域の私服憲兵に回して」

 

「ですが確保はもう間もなくかと……」

 

「ただの反逆者ならそうなんだけどね。あれはそう簡単にいかないと思うよ」

 

「そうでしょうか?」

 

「ほぼ間違いないね。あれの卒業成績は調べたんでしょ?」

 

もちろんです、と頷きながら後部座席に座っていた憲兵がタブレット端末の電源をつける。

 

「中間くらいの成績ですね。可もなく不可もなくといったところでしょうか」

 

「その成績評価、間違ってるよ」

 

「は……ですが海大に問い合わせた成績表なので間違いはないかと」

 

「あー、そうじゃないそうじゃない。それは彼の全力じゃないってこと」

 

窓枠に肘を乗せて外に視線をやる。木の葉が散って物寂しくなった街路樹が後方へと消えていった。

 

「体術B、射撃術Bだっけ?」

 

「成績表にはそのように」

 

「AからEまでの5段階評価でB。ぼちぼちって感じだよね、それだけ見ると」

 

そんなわけないくせに、と常盤が嘲る。こぼれた吐息が窓を白く曇らせる。

 

「ヨーロッパで確信したよ。彼は護衛が全滅してる状況下で後続が到着するまでの時間を実質ひとりで稼ぎきってる。評価Bていどの人間が出来る芸当じゃあない」

 

「それは確かな情報ですか?」

 

「確かだよ。だから10とちょっとで抑え込めるとは思えないんだよね」

 

だからこそ、私服憲兵へ人相書きを回すように指示を出した。逃げられてもすぐに発見して追い詰められるように。なにが起きてもいいよう、常に次の策を考えておかなければならない。

 

「とにかく手配しといて。簡単に殺れるような手合いじゃないよ」

 

「上からは生け捕りにしろとのことですが?」

 

「もしかして105はその方針で動いてる?」

 

「おそらくは」

 

「なら至急で伝えて。テロリストは容赦なく殺せって」

 

「……よろしいので?」

 

生け捕りが好ましいと言われていながら殺せば面倒事になるのは確実だ。上からのオーダーを無視するということは決して上策ではない。

 

「上がごねたらこう言えばいい。激しく抵抗され、一般人に被害が出る可能性があったため殺しましたってね」

 

「了解いたしました。105の隊長にはそう伝えておきます」

 

「ん、それでいいよ。あと全隊にも通達を」

 

「了解です」

 

後部座席にいた憲兵が通信機に取り付いた。生け捕りなんて悠長なことをやっている暇はないだろう。峻が相手だとわかっている以上は手を抜く必要性を常盤はいっさい感じなかった。

 

「対象は?」

 

「ふたりとも商店街を歩いている姿を追跡班が追っているそうです」

 

「作戦開始時刻は?」

 

「今は……18時過ぎですか。一般人を対象に気取られないように避難させているはずです」

 

「まあ妥当か」

 

一般人を巻き込むのはまずい。常盤は峻が一般人を撃つとは思えなかったが、流れ弾ということもある。それに爆発物を使われたら厄介なこと極まりない。

 

「105は成功するでしょうか?」

 

「さあ? 勝負は時の運って言うし」

 

椅子のリクライニングを傾けて常盤がもたれ込む。

ここで成功すればよし。しなければ次の策を練って追い込むまでだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕暮れの商店街を峻と叢雲が荷物を抱えて歩く。叢雲は制服の上からもこもことしたコートを羽織り、帽子を目深に被っていた。峻もつい先日に買ったばかりのデッキコートを着て、マスクを付けている。

 

「ねえ、これ被る必要あるの?」

 

「我慢しろ。お前の髪は目立つ」

 

叢雲の髪色は青みがかった銀髪だ。はっきりいってかなり目立つ。だから適当な服屋で帽子を買い、被らせていた。一緒に購入したコートは制服を隠すためのものだ。さすがに服を上下一式すべて揃えるのは金がかかりすぎた。これから長くなる可能性を考えると、必要以上に手持ち金を使うのはベストではない。

 

「でもこんな中心街にいていいの?」

 

「いいわけねえだろ。必要物資の買い出しだ。もう終わったし、さっさと離れる」

 

モゴモゴとしたマスク越しの声で叢雲にだけ聞こえるボリュームに絞った。デッキコートのポケットに手を突っ込んで油断なく辺りに目を光らせながら歩く。

 

「冬だからこそできる芸当だよな」

 

「まあ真夏にニット帽被ってコート着てる輩がいたらものすごく目立つでしょうね」

 

「悪目立ちもいいとこだ。さて、どこに行くのがいいか……」

 

「こういう時って街中の方が見つからないんじゃないの?」

 

「顔がわれてなけりゃな」

 

顔が相手方に知られていないならば街中に潜伏した方がいいに決まっている。大衆に紛れ込めるからだ。だが知られている以上は人目の付く場所は避けるべきだった。

 

「だんだん人気がなくなってきたわね」

 

「まあ、商店街なんてそんなもんだ。夜になれば店が閉まるから人も減る。それにしても想像より早いな。さっさとずらかるか」

 

まばらになり始めた雑踏を急ぐ。目指す場所などないが、寝床くらいは見つけなくてはいけない。呑気に宿やホテルをとるわけにもいかないため、ほとんど野宿だ。

 

「……まずったな」

 

「どうしたのよ?」

 

「一般人が減ってる。歩いてる人間はほぼ舞台演出の役者だ」

 

「どういうこと?」

 

「一般人が少しずつ軍の人間に切り替わってる。おそらくほとんど包囲されてるも同然だな」

 

視認できる範囲外で包囲網が築かれているだろう。となるともう大半の一般人は避難が完了している頃のはず。

 

「なんでそんなこと言えるのよ?」

 

「歩き方だ。一般人の格好してるが訓練を受けた軍人の歩き方のそれなんだよ」

 

よく観察すれば気づく。疲れたサラリーマンや、楽器ケースを担いだストリートミュージシャンに八百屋の親父さんからすべて歩き方から放つ気配が一般人のものではない。

 

「ここで暴れるのはな……狙撃手とか置かれてたら厄介だ」

 

「開けた場所から移動しないと……」

 

「だがそんな時間をくれるとは思えねえ。さて、どう出てくる……?」

 

周辺に視線を走らせる。ガラスショーウィンドウに冬物が飾られた服屋や、閉店した本屋などがぱっと目に付く。

 

「叢雲、ここからも俺に付いてくるつもりか?」

 

「そうだけど?」

 

マスクの内側で小さく舌打ち。だが置いていくわけにもいかない状況になってしまったことも重々承知だった。

 

「ならひとつ条件だ。俺の言ったことは絶対に聞け。いいな?」

 

「なんで……」

 

「いいから。それができねえんならここで置いてく」

 

「…………わかったわよ」

 

置いてく、の一言が効いたのか不承不承といった様子ではあるものの叢雲が口を尖らせながら納得する。

 

「ならいい。しっかり付いて来いよ」

 

「ええ」

 

本当はそんなこと思ってもいないくせに。そんな自嘲的な言葉ばかりが浮かぶ。何が付いて来いだ。

 

「さて、どう切り抜けるか……」

 

思考を巡らす。だが時間をかければかけるほど包囲の網目は狭まっていく。叢雲は気づいていないようだがもう一般人はいなくなっていた。本格的にまずい状況だ。

 

懐に手を入れる。コートの下に隠れたショルダーホルスターに収められたCz75に手を触れた。

 

「さあ、どう出てくる……?」

 

明らかな挑発。懐に手を入れた時点でなにかあると大抵の人間は踏むだろう。特に峻が銃器を持っていると知っている人間なら何かしらのアクションを起こさずにはいられない。

 

だが何も起きる気配はない。一瞬だけ動揺したような気配はあったが、何も状況は動かなかった。

 

「やるな……」

 

かなりしっかりと統率されているらしい。上にきれる指揮官が付いているのかもしれない。

 

「こりゃ覚悟を決めるか……」

 

「何を…………」

 

「叢雲、立ち止まるぞ」

 

「いいの?」

 

「いいんだ。で、俺が合図したらそこにある閉店した本屋に駆け込め」

 

「わかったわ」

 

街角でピタリと足を止めた。なにか話しているように装っていると、少し経って憲兵の制服を着た男たちが近づいてきた。

 

「帆波峻だな?」

 

「だとしたら?」

 

右の口角を吊り上げて笑う。マスクの下で笑っているため、憲兵たちには見えないだろうが、声色に皮肉っぽさが混じっているのは気づいただろう。

 

「国家反逆罪で拘束する。大人しく同行してもらおうか」

 

「参ったな。そいつには従えそうにもない!」

 

叢雲に目配せ。すぐに察した叢雲が無人の店に飛び込む。一瞬の時間を稼ぐためにCz75をドロウして発砲。向こうも簡単にいくとは思っていなかったのか、大して驚く様子もなくすぐに突入部隊が前に進み出てきた。

 

「やべっ!」

 

突入部隊が手に持った小銃が向けられる。咄嗟に峻が叢雲を捕まえてレジの陰へと押し込む。

 

どれくらい前に店を止めたのだろうか。本屋といいながら本の1冊もない。ただ、本棚がずらりと並ぶだけの店内。

 

「ちょっとどうするのよ!」

 

「静かにしてろ」

 

ホルスターからCz75を引き抜いた。マスクを剥ぎ取り、動きを阻害するデッキコートを脱ぎ捨てると長袖のシャツが露わになる。

 

「……まだこいつは使わなくてもいいな」

 

右脚の義足を叩くと、硬い感触と金属音が跳ね返ってきた。

 

Cz75のスライドを引いて弾を装填。セーフティを右手の親指の付け根で解除した。

 

「叢雲、お前はここにいろ」

 

「はあ? 私も戦うわよ」

 

「さっき言ったことをもう忘れたのか?」

 

「っ……わかったわよっ!」

 

さっき言われたことを聞くと約束した以上、舌の根も乾かぬうちに反故にすることは叢雲にできなかった。

 

「それでいい。お前の得物は刀だろ。刀がないんだから大人しく伏せとけ」

 

むすっとしてはいるが、文句をつけるつもりはないらしい。大人しく叢雲が頭を下げた。

 

息を押し殺して機を待ち続ける。呼吸の音がいやに大きく聞こえた。

さっき見た限りで、武装している突入部隊の憲兵は10人以上いた。対してこちらはたったのひとり。普通に考えて、ここまでの戦力差がありながら戦いを挑むのは無謀極まりない。

 

だからどうした。

 

たかだか10人とちょっとだ。店内に憲兵たちが踏み込んだ時点で狙撃手を心配する必要はなくなる。そうなれば、余計な茶々が入る心配はない。なにより小銃レベルしか持っていないのならどうとでもできる。どうとでもしてきた。

 

ひとりで同時に相手できる人数はせいぜいがふたりまで。そんなセオリーなんてクソくらえだ。そんなものいくらでもひっくり返せる。この身一つで変えてきた。

 

あまり時間はかけられない。かければかけるほど逃げることが難しくなる。

 

だが道はある。チャンスを狙って峻はじっと待ち続けた。




こんにちは、プレリュードです!
今日はバレンタインですね。まあ、縁のないイベントですが。そもそも縁があったらここで小説は書いてないよ! はっはっはー!
……言ってて悲しくなってきたからここまでにします。そんなわけでバレンタインデーですが内容は掠りもしません。仕方ないよね。だって前回の流れでバレンタインは無理がある。
ちなみにみなさんイベントどうですか? 自分はいまのところE-1を潜水艦隊で突破してE-2をじりじりと削っております。なかなかレア艦が落ちないなあ。

感想、評価などお待ちしてます。それでは!


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Opus-03 『Ugliness point』

峻が本屋に逃げ込んでから憲兵隊はすぐに店を囲んでいた。だが少し経っても、一向に動く気配がない。もしや囲む前に既に逃げられていたのではという思いが憲兵隊に浮かぶ。

 

「隊長、どうしますか?」

 

屋内に入られた。それはせっかく配置していた狙撃班が効力を成さないということだ。

 

「……突入班を編成。この本屋を囲んだまま、中に突入させる」

 

「了解しました。突入班は5名ほどでよろしいでしょうか?」

 

「まあ十分だろう。本棚が並ぶ店内だ。物陰に注意するように言っておいてやれ」

 

「一般人の避難は完了していますか?」

 

「報告ではそういうことになっている。いいから早く行け」

 

「はっ!」

 

部下が駆けていくのを見ながら先を読むために思考を始めた。

元々の命令は生け捕りだったはずが、殺してもよくなったおかげで幾分か楽になった。だが籠城に入られるといたずらに時間が過ぎていくだけ。できるものならさっさと終わらせてしまいたい。

 

「早々にケリをつけさせてもらう」

 

きっと本屋を睨みつける。これで片付くことを祈るのみだった。

 

 

 

軋みながら本屋のドアが開いた。その音が峻に複数名の足音が店内に憲兵が入ってきたことを報せた。

 

「数は4……いや5か」

 

「なんでわかるのよ」

 

「足音。こればっかりは慣れだ」

 

声を潜めて話す。どこにいるか気づかれると面倒だ。だがそこまで広い店でもないため、定点にいれば時間の問題だ。

 

「わかってるな?」

 

「私はここにいればいいんでしょ」

 

ぶすっとした叢雲が言った。わかっているならいいと峻は頷いた。ここで叢雲に出てこられては困る。巻き込みかねないからだ。それにひとりで十分だった。

 

ぴんと糸が張り詰めたような緊張感。陰でじっと敵が来るのを待ち続ける。

互いを食い合う狩り。それがまさに今の状況だ。峻は待ち伏せをし、憲兵たちはあぶり出しをしている。

 

懐かしい感覚だ。そして思い出したくない感覚でもある。

 

割れたガラスが踏まれて音を立てる。リノリウムの床と靴の踵がカツカツと鳴った。小銃の金属パーツ同士が擦れあう。

 

「!」

 

足音が近づいてくる。音の数からして2人。店内に入ってくる時にちらりと見て装備を確認していたので小銃を装備してはいたが、ボディアーマーの類は着けていないことはわかっていた。服の下にパッドくらいは着けているかもしれないが、それくらいならなんとかなる。

 

ゆっくりと近づいてくる。レジまであと10m。強くCz75を握りしめた。

 

あと7m。

衣擦れの音すらも聞こえる。飛び出したい衝動をぐっと堪える。もう少しだけ。もう少しだけ引きつけろ。

 

あと5m。

右手を腰にあるナイフが収められた鞘へ持って行ってからやめる。心臓の鼓動がいやに大きく聞こえた。

 

そして時は満ちた。

近づく足音が3mを切った瞬間、レジの陰から峻が躍り出た。

 

「っ! 発見!」

 

「遅せぇ」

 

一息で間を詰める。小銃を構えさせる時間を与えることなく、左手の人差し指で引き金を引いた。

 

「ぐっ!」

 

狙い通り、右肩と左膝に着弾。よろめいた所で憲兵の首筋に右手を滑り込ませて、頚動脈を強く圧迫した。

 

わずか3秒。たったそれだけ力を込めて頚動脈を圧迫すれば人は気絶する。その間にもう1人には左手のCz75で牽制。近づかれさえしなければ、首を絞めている憲兵が盾になっているため、小銃を撃つことはできない。

 

締め上げられた憲兵がもがく。だがそれも一瞬のことだった。全身の力が抜けて手足がだらりと伸びる。

 

「まずひとり」

 

首を掴んでいた手を離すと憲兵が小銃を取り落とし、力なく床に崩れた。倒れていく姿を最後まで見ずに、もう1人に取り掛かる。

 

「投降の意思はなし。発砲許可を!」

 

左から走る足音。さっきの銃声に反応して残りの3人が駆けつけて来るのだろう。なおさら時間はかけられなくなった。

軽く左に首を回して確認。まだ直線上に姿が見えないということは、残りの3人が来るまでに僅かながら時間があるということだ。

 

銃口を睨みつける。発砲許可がおりたのだろう。憲兵の人差し指が動いた。峻が引き金をひく憲兵の人差し指に意識を集中させる。

 

パパン! と銃声が連続して響く。峻が前へと突撃しながら、銃弾の通り過ぎるコースから体をずらした。的を失った銃弾がリノリウムを抉り、破片が飛び散る。

 

「なっ!?」

 

飛び掛り、掌底で小銃を弾く。熱を持った銃身だが握りしめたりしない限り、火傷は負わない。掌底なら触れるのは一瞬だ。

小銃の銃口が跳ね上がった。そのまま身を滑り込ませて鋼鉄の右膝を水月に目がけて叩き込んだ。

 

「かはっ……」

 

「ふたりめ」

 

峻の右脚は自らが設計し、夕張と明石によって作られた合金製だ。今は表面に人工皮膚が張ってあるため、パッと見はまるで本物の足のようだが金属であることに変わりはない。そんなもので膝蹴りを勢いよく食らえばひとたまりもないに決まっている。空気の塊を吐き出して2人目が倒れこんだ。

 

「あと3人」

 

本棚の陰へと飛び込み、いったん身を隠す。顔を出さないようにして様子を覗う。

倒れ伏した2人を介抱するように3人の憲兵たちが囲った。なにか話しかけて気付けをしているようだが、そう簡単に起きるわけがない。完全に峻はあのふたりを落としていた。

 

下手に情報を持ち帰られるとあとあと厄介かもしれない。早々に残りの3人にも気絶してもらうことにした。じっと観察していると、3人はレジの方向に近づいていく。

 

このまま行けば叢雲とぶつかる。それはなんとしても避けなくてはいけない。叢雲は直接的に手を下したところを見られていない。つまり、まだ言い訳のしようがある。だがここで攻撃してしまえばそのチャンスもおしまいだ。

 

峻が物陰から姿勢を低くして蛇のように素早く這い出した。

 

「発見しました!」

 

「撃てぇ!」

 

小銃の掃射を左右に滑るようにして移動し、避ける。するりするりと弾丸の隙間をくぐり抜け、離れていた距離を徐々に、だが確実に詰めていく。

 

甘い。甘すぎる。こんなのぬるま湯レベルだ。本気を出すまでもない。

 

右手を軽く握る。獰猛に峻が嗤った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

艦娘の詳細が記された書類を東雲がめくる。そして同時に横須賀鎮守府の支部基地の配属状況を見ながら頭の中でバランスをとるために試行錯誤を繰り返していた。

 

「木更津の水雷戦隊は少し層が薄いな。ここは指揮能力もある矢矧を送るべきか」

 

「提督、呉から夕張さんの派遣要請が来ていますが」

 

翔鶴が書面を落ち着いた様子で読み上げる。東雲の秘書艦を長年、務め続けてきた翔鶴はもう手馴れたものだった。

 

「寄越せってか? ならうちに代わりを派遣してくれんだろうな」

 

「えっと……球磨型軽巡洋艦の多摩さんが候補に上がっています」

 

「……保留にしといてくれ。谷田部に送るならどっちがいいか考える」

 

「わかりました」

 

「北浦には航空戦力の加賀……いや、ここは瑞鶴か? だがあまり各地に分散させずぎるのもな」

 

東雲が悩ましげに髪を掻き毟った。ワックスで固めた髪がぐしゃっと崩れる。

 

「くそ、つい……」

 

「どうぞ」

 

「手鏡か。悪いな、翔鶴」

 

どこからともなく取り出された鏡を翔鶴が東雲に差し出す。おそらくアクリルの鏡ではなく、ちゃんとした透明度の高いガラスの鏡なのだろう。映りが安物と比べてずいぶんとよかった。

 

変に崩れてしまった髪型を元に戻した。左手で持った手鏡を右へ左へと動かして、ちゃんと元通りになっているか確認する。

 

「よし。さんきゅ、翔鶴。助かった」

 

「いえ。お役に立てたのなら」

 

控えめに笑って翔鶴が手鏡をしまう。すぐに出てきたのは婦女子の嗜みというものなのだろう。

 

「なかなかちょうどいい感じの配属先が決まんねえな」

 

「解隊になった帆波隊の配属先ですね」

 

「ああ」

 

「……やっぱりどうにもできないんですね」

 

「こればっかりは俺がどうにかできる問題じゃない。あいつはもう軍人じゃないんだ。指揮していた隊が解隊になるのはある種、当然の結末だ」

 

わかっているんだろう、と言外に問いかけられて翔鶴は目を伏せた。これで答えとしては十分だとわかっていた。

 

「どうしてこんなことしたのかは、俺らでさっさと捕まえてシュンのやつに洗いざらい吐かせるしかないだろ。うちが捕まえれば事情聴取とかは真っ先にやれるからな」

 

「将生さんとしてはどうお考えですか?」

 

「これまでのシュンの行動パターンと一致していなさすぎる。だから正直に言うならわからん」

 

少なくとも自分の知る帆波峻という人間らしからぬ行動だと東雲は思っていた。だからこそなぜ逃亡しているのかわからない。

 

「いろいろ隊のやつらにも聞いてみたが全員なんも知らねえみたいだしな」

 

「私も少し瑞鶴に突っ込んで聞いてみましたが心当たりはないそうです」

 

むしろ瑞鶴はどうして逃げたのかはわからず混乱していた。東雲の隣で秘書艦を務め続けていた翔鶴は完璧ではないものの、相手が嘘をついているかどうかはなんとなくわかるのだった。

 

「となると怪しいのはひとりだ」

 

「ええ。叢雲ちゃん、ですよね?」

 

「ああ。あいつが叢雲ちゃんを連れていった理由があるはずだ」

 

「……人質、という可能性はどうでしょう?」

 

おずおずと翔鶴が言った。それを見て思わず東雲が軽く笑った。

 

「翔鶴、そんな自信なさげに言っても説得力に欠けるぞ」

 

「あまり考えられなかったので……」

 

「まあそれに関しちゃ俺も概ね同意する。叢雲ちゃんを連れていった目的は人質じゃないはずだ」

 

そう思いたくないという理由の方が強いことは黙っておく。だが人質ではないと完全に否定できる材料はないのだ。絶対に違うとは言いきれなかった。

 

「煮詰まってきたな。すこし休憩にするか」

 

「お茶でもおいれしましょうか?」

 

「いや俺の分はいい。俺は外でこいつを吸ってくる」

 

東雲が胸ポケットを人差し指でトントンと叩く。そこにはオイルライターとタバコが入っている。

 

「なんかあったら内線でも飛ばしてくれ」

 

「わかりました。ではごゆっくり」

「おう」

 

さすがは冬というべきか、このまま外に出るには寒い。東雲は引っ掛けてあった厚手の上着を羽織って埠頭を歩いた。

 

冷たい海風が首元を撫でるように吹く。身に染みる寒さが襟元から入り込み、中途半端に閉めていた上着の前をきっちりと上まで閉めた。

 

「ほら、人気のないところに来てやったぞ。なんか進展あったんだろうな、若狭」

 

箱を握りつぶすようにすると新しいタバコが1本、飛び出した。そのまま口で咥えて箱はポケットに戻す。

 

『別に聞かれて困るものじゃないからいいんだけどね。まあ伝えといた方がいいと思ったからさ』

「何があった?」

 

『東京の第105憲兵隊が帆波と接触。現在交戦中だってさ』

 

無言でオイルライターを取り出してキン、と甲高い音を立てて火を灯す。口に咥えたタバコを近づけて火をつけたら蓋を閉じてタバコの箱をしまったポケットと同じところへ仕舞う。

 

「それで?」

 

『まだ結果はわからない。僕のところに情報が来るのもやっぱり多少はラグがあるからね。帆波は店に籠城してるらしいってとこまでしかわからないかな』

 

「籠城とはまたあいつらしくもない。若狭、お前はどうなると思う?」

 

『さあ? 確定したことしか言わない主義なんだよ、僕は』

 

「面倒なやつだな」

 

ミントのような清涼感の混ざった煙を肺へと送り込む。吸えるだけ吸って、息を止めると一気に吐き出した。東雲の口から紫煙が吐かれ、海風に弄ばれて消えていく。

 

『そっちはどうだい?』

 

「なんで叢雲が付いて行ったのかはわからん。仮説は立てたがな」

 

『どんな仮説だい?』

 

「ひとつ。叢雲が人質だった場合。まあ憲兵隊との戦闘で人質として使ってこないところを見ると、可能性は低そうだがな」

 

『人質として使うまでもなかった場合を除いてね』

 

若狭の言葉を流しながら口の端でタバコを上下に動かした。その度にゆらゆらと所在なさげに煙が揺れる。

 

「ふたつめ。叢雲が自らの意思で付いて行った場合。こっちの方がありえると個人的には思う」

 

『ただその場合は帆波に彼女を連れていく理由があることになる。足でまといにしかならないものを連れていく理由がね』

 

「言い方は悪いがその通りなんだよな」

 

タバコの先から灰が落ちる。コンクリートに落ちた灰が風に吹かれて散っていくのを東雲は黙って見送った。

 

「叢雲は確かに強い。体術はかなりのもんだ。おそらく対人戦闘をさせても通用するだろうな」

 

『だからといって実際の対人戦で使い物になるとは限らない。違うかい?』

 

「対人戦闘でものを言うのは慣れだ。ただ強くても意味がない。そういうことだ」

 

『その点において、彼女は出来ないとは言わないけど、慣れてるとは僕には思えない。だから足でまといになる』

 

「同感だ。やっぱりそのラインを突くのがいいな」

 

『人質として連れていった訳じゃなければ、だけどね』

 

「ありえねえよ。あいつはそういうやつじゃない」

 

『……そうだといいけどね。じゃあ僕は戻るよ。急に呼びつけて悪かったね』

 

「状況を常に教えてくれと頼んだのは俺だ。むしろ助かった。これからも頼むぜ」

 

『了解。じゃあ』

 

「おう、じゃあな」

 

開いたホロウィンドウにある《Disconnecte》と表示されているボタンをタップ。海軍本部にいる若狭と横須賀鎮守府にいる東雲との間に出来ていた通信ラインが切断された。

 

「東京か……」

 

峻が強奪した憲兵の車は千葉と東京と埼玉という3県の県境に接する辺りに乗り捨てられていた。つまり行くとすれば、東京へ進むか神奈川へと進むか、カモフラージュとして千葉へ進むかの3択だったわけだが、どうやら東京へと峻は進んだらしい。

 

「既に空港は押さえられている。国外逃亡は無理だ。だからといってこのご時世に船で護衛もなしに海へ出るのは考えなしすぎる」

 

艦娘たる叢雲がついていても、叢雲は艤装を館山に置きっぱなしにしていた。そして今、その艤装は横須賀鎮守府に安置してある。

つまり叢雲は艦娘として海上に立つことは出来ない。ただのそこらにいる少女とまで形容するつもりはないが、彼女自身の戦力は半分以下にまで落ちていると考えてもいいだろう。

 

「たかがふたりと言いたいとこだが、侮るとひどい逆ねじを食らうような気がするんだよなあ……」

 

咥えタバコで東雲がぼやく。タバコはだいぶ短くなってきた。もうおしまいだ。2本目に移ってもいいが、あまり吸いすぎると翔鶴がお冠になるためこれぐらいにしておいた方がいいかもしれない。

 

携帯灰皿にまだ火のついたままのタバコを押し付ける。最後の煙を残して、白い灰だけが落ちた。

 

「白く灰がちになりて……か」

 

峻と東雲は同期だ。若狭も、だ。

そして今、同期の仲間同士で争っている。

 

それだけではない。深海棲艦という人類の生存を脅かす危機を目の前にしても未だに一致団結できずに、人と人で争い続けている。

 

「ままならないな、まったく……」

 

もし人類が団結できたなら。そして戦うことが出来たのなら。

そんな儚い理想を掲げて軍に入ろうと海大の門を叩いた自分を思い出して苦々しく吐き捨てた。

 

腕時計をなにとなしに見やった。まだ時間的な余裕はありそうだ。

 

もう一度ポケットに手を突っ込んでタバコの箱を取り出す。2本目を吸うことにしたのだ。翔鶴にはいろいろと言われるかもしれないが、吸いたい気分だった。

 

「ふぅ…………」

 

タバコを吸いながら手の中で銀色のオイルライターをもてあそぶ。手首のスナップを効かせてキン、と音を立てて蓋を開ける。オレンジ色の炎が風で揺られながら燃えた。また手首を振って蓋を閉める。

 

「それでも俺は諦めたくねえ」

 

それが茨の道だということは知っている。中将になる過程で嫌というほど思い知らされた。それでも譲れないものがある。譲りたくないものもある。

 

埠頭の上を歩く。その度に靴の踵がコンクリートと当たって音を立てた。海を見ると太陽がゆっくりと沈んでいくところだ。そろそろ休憩もここまでとキリを付けることにした。

 

真っ赤な夕焼けに紫煙が頼りなさげに漂い、消えていく。




イベント進捗ダメです!
あのね、E3に突っ込むはずの連合艦隊を間違えてタッチしたせいでE2に突っ込んじゃったの。お札がついたおかげで最終主力艦娘がぜんぶ出せなくなったの。
はーい、彩雲無駄遣いしたバカはこっちらでぇぇっす(ヤケクソ)
まあ、いいんです。イベントなんてなかった。OK?

……ここまでまったく本編に触れてないなーと思いましたが、特に今回は触れるところないですよね?
あ、ちなみにタイトルの中にある『Opus』っていうのは音楽作品の番号のことを意味します。まあ、だからどうしたって話なんですけどね。いちおう章タイトルのフーガも楽曲の種類のうちひとつなんでそれの一番、二番、みたいな感じです、はい。

感想、評価などお待ちしてます。それでは!


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Opus-04 『Escaping point』

強い。

叢雲はレジの陰から戦闘をこっそりと見ていた。そして目の前の光景にそう言わざるを得なかった。

 

瞬く間に憲兵をふたり片付け、残りの3人も倒そうと身を潜めて機を窺っている峻は油断なく気を張っていた。いつでも動けるように油断なく身構えて、じっと獲物を見る目で見据えている。

 

それがあまりにも遠く感じた。

 

一緒の場所にいるはずなのに、異様なまでに距離が離れているようだった。まるで叢雲と峻の間に大きな溝がぽっかりと口を開けているような、漠然とした感覚。

 

助けに行きたい。でも自分が行っても邪魔になることは明白だった。来るな、と言われたということはきっとそういうことなんだろう。

 

「……」

 

だから叢雲は黙って無力感を噛み締めていることしかできない。目と鼻の先で峻が戦っているのに、加勢に加わることもせずに物陰で隠れていることしかできない。

 

「っらああああああ!」

 

峻が吼える。物陰から飛び出して憲兵に向かって突進し、不意を突いて当身を食らわせる。よろめいた隙を見逃すことなく、腰の捻りを加えて右拳を憲兵の顎へと叩きつけた。

 

人体の構造上、顎を殴られれば脳が揺さぶられる。そして脳が揺れれば人は気絶する。

 

「っ! やれ!」

 

連続して銃声。小銃から一瞬で何十発も鉛弾が吐き出され、峻に向かって襲い掛かる。

 

「っ…………!」

 

声が出かけた。急いで口を手で塞いで声を堪える。何のために隠れてこっそり覗いているのかわからなくなってしまう。

 

「はっ」

 

叢雲は思わず耳を疑った。峻が鼻で笑ったような声が聞こえたからだ。今までも峻は同時に10発程度なら避けれていた。だがフルオートを避けていたところは見たことがない。

 

襲いかかるのは大量の銃弾。空間を切り裂くようにそれらが一斉に峻に迫り来る。

 

「私が……」

 

援護しようと叢雲がレジの陰から身を踊りだそうとした。だが直前で峻の目線が叢雲を射竦める。

 

出てくるな。そう視線だけで告げられ、叢雲の動きが止まる。

 

迫る銃弾。峻が最初に近づく弾を流れるような動きで左右にかわす。

次の銃弾。姿勢を低くして突っ込んでいくと、頭上を素通りして本棚に刺さった。

最後。横っ飛びにジャンプして避けると本棚を足がかりに蹴って、前に転がり込む。

 

「嘘……」

 

小銃のマガジン1本分、いや2人が撃っていたため正確に言えば2本分を峻は完全に避けきっていた。

 

前転のように転がり込み、伸び上がるようにして立ち上がる。そして思いっきり憲兵の横っ腹を殴りつけた。軽く握りこんだ拳は衝撃を効率よく伝導させる。悶えて崩れ折れた憲兵の顎を右脚で弾くように蹴った。

 

「これで4人目」

 

最後の突入隊の憲兵が持つ小銃は撃ちつくされて開きっぱなし(ホールドオープン)。もう憲兵は銃を撃てない。この機を逃すことなく峻が間を詰めにかかる。

 

「くそっ!」

 

憲兵が毒づく。そして腰に右手を回すと装填済みの拳銃をドロウ。真っ直ぐに突っ込んでくる峻に照準を合わせた。

 

「……」

 

無言で峻が右手で腰のナイフを抜いて逆手に持った。進路を変えることなく、そのままに進み続ける。

タン!、と響く銃声。1発の凶弾が峻の額を目がけて突き進む。

 

そして峻の右手が霞んだ。直後に金属がぶつかり合った音が鳴り、火花が散った。

 

「なっ!」

 

今度は声を叢雲は抑えられなかった。峻は飛来した銃弾をナイフで弾いたのだ。

 

確かに以前、峻は弾がどのタイミングでどこに飛んでくるか予測できると言った。それらがわかっていればナイフで弾くことも十分に可能だというつもりなのだろう。

 

だがわかっていてもできるものだろうか。

 

叢雲も弾道予測まではできる。それを基準にして回避行動をとることはよくやっていた。だが弾く、などという酔狂な行動はできる自信がなかった。

 

コンマ数秒でもタイミングがズレるだけで、たった数ミリでもナイフの位置が違うだけで銃弾は峻の肉体を貫くだろう。そんなリスキーな真似を峻はなんの躊躇いもなく行動に移し、そして成功させている。

 

「ラスト」

 

峻がナイフの柄頭で憲兵の顎を弾く。かくん、と憲兵の体が揺れて膝から崩れて倒れた。

 

「片付け終了」

 

峻がナイフを腰の鞘に収めて、Cz75もホルスターへ戻す。溜め込んでいた息を吐き出すと纏っていた緊張感が薄れた。

 

「叢雲、もう出てきていいぞ」

 

「……ええ」

 

もぞもぞとレジの陰から叢雲が這い出る。峻が首を回すと骨が鳴った。

 

「憲兵は……どうしたの?」

 

「頚動脈を圧迫するなり、顎を強く揺らして脳震盪を起こすなりして気絶させた」

 

なんでもないことだと言わんばかりに峻が告げる。だが叢雲は信じられない思いで一杯だった。

5対1という人数的な差。そして持っている武器も相手は小銃、峻は拳銃だ。火力も圧倒的に峻が劣っている。余裕なんて本来ならあるはずもない。

 

なのに峻は殺さずに乗り切ってしまった。

 

相手が殺す気で来ているのに、こちらは殺さずに戦闘を終えるというのは難しい。むしろ殺す方が楽なのだ。それにも関わらず、襲い掛かる憲兵を峻は器用にも気絶させるだけで済ませてしまった。

 

ありえない。そんなことできるはずがない。けれど叢雲の目の前で実際に起きたことなのだ。

 

「何を呆けてるんだ。これで終わりじゃねえぞ」

 

「……そうね。まだ囲まれたままだったわ」

 

叢雲が思考を無理やり切り替える。信じ難くはあるが、いつまでも拘泥している余裕はない。あくまでも先遣突入隊なのだ。たった一角を落としたに過ぎない。

 

「あんまりだらだらしてたら表の憲兵隊が増えてくだけだ。早急に手を打たねえと」

 

「具体的には?」

 

「さっさとずらかる」

 

峻が適当にレジの辺りを漁って地図を取り出した。商店街の地図を広げて現在位置を確認し、大まかに包囲網の敷いてあるエリアを特定していく。そして予測される位置に忘れられて置きっぱなしになっていた赤ペンで丸印をつけていった。

 

「あとは……ここあたりがあやしいな。それと……ここも可能性大っと」

 

「あんたはどうしてわかるのよ?」

 

「わかんねえよ。これは予測であって確定じゃない。ただ包囲網を敷くならこうするだろうってとこに印をつけているだけだ」

 

パチンとペンのキャップを峻が閉めた。赤い印の付けられた地図をざっと見つめてから、額にシワを寄せた。

 

「手薄なとこを突破するしかねえな」

 

「できるの?」

 

「やるんだよ。叢雲、お前は荷物を盾にしてついてこい。ただ重いものはここに捨ててけよ」

 

「どうするつもりよ?」

 

「俺が先行して包囲網に穴を開ける。そしたら一気に抜けるぞ」

 

Cz75からマガジンを取り出して弾を込めながら峻が裏口の窓から慎重に外の様子を窺う。やはり何人かが見張っているようだ。

 

「ぱっと見ただけで見張りは5人……奥の方にもそれなりな人数は控えてると考えるのが妥当だな」

 

「裏口から抜ける?」

 

「やめとこう。裏は道が狭い。肉壁やられたら逃げるのが面倒だ」

 

左手のCz75を構えるとかしゃりと音が鳴る。できれば正面切ってやり合うことは避けたい。連絡を本隊に回されると応援が来てしまい、厄介だ。

 

「下がってろよ、叢雲」

 

「……ん」

 

声の色は納得していない。だが叢雲は下がっていろという峻の指示に対して了承の意を返した。

 

「奇襲をかけたいとこだが手がねえな。……仕方ない、正面突破するか」

 

「私は?」

 

「合図するまでここで待機。店内はしばらく安全だ」

 

ついさっき先遣隊を撃破したばかりだ。すぐに次はこないだろう。つまりこちらが行動しない限りは向こうも動いては来ない。ただし、相手が次の策を練るまでという制約付きだが。

 

「やるか」

 

今度は最初から右手にナイフを握る。表の戸の鍵を開けてドアノブをナイフを握ったまま掴む。

深く息を吸って呼吸を整える。ゆっくりとドアノブを捻った。あとは押すだけでドアは開く。

 

右目だけを動かしてドアが開いた時、叢雲が射線上に入らないか確かめてから一気にドアを押し開けた。

 

「目標、来ます!」

 

「撃て!」

 

ばらまかれる銃弾。だが峻はそれらを避けながら同時に別のことに意識を割いていた。

後方で通信機を慌てて引っ掴んだ憲兵だ。応援を要請するのだろう。

 

「させるか」

 

左手が跳ねるように上がり、引き金を絞る。連続して撃ち出されたパラベラム弾が通信機のケーブルを、受信アンテナを、そして憲兵が手に持っていた受話器を破壊した。

 

効率的な伝達、そして盗聴されることを防ぐために通常のタイプより大型化している通信機なら破壊するのはわけなかった。

 

「3分。それで終わらせる」

 

銃撃の間を縫って峻が接近する。左手が閃き、憲兵の小銃を持つ手を狙って、手の甲を覆うアーマーのすき間を連続で撃ち抜いた。

 

「ぐぁ……」

 

銃撃していた憲兵4人、全ての手が撃ち抜かれて小銃が手を離れて落ちた。

 

その一瞬を見逃さずに峻が1人目に飛びかかる。ナイフの柄で顎を弾いて落とすと右脚で強く踏み込んで腹に拳を叩き込む。そして時計回りに回転して右脚を高く振り上げて首元に添えるように当て、地面に叩きつけると倒れて動かなくなった。

 

「くっ」

 

「甘い」

 

憲兵が拳銃を構えた。だが拳銃が撃たれるより早く峻のCz75から放たれた銃弾が弾き飛ばした。ダン、と地を蹴って勢いをそのままに腹部を峻の拳が強打した。

 

またひとり。そしてまたひとりと峻が意識を刈り取って打ち倒していく。

 

総勢で何人いるかはわからない。それでも左に首を捻って左方向を確認し、続いて右目の動きだけで右方向を確認。繰り出される銃弾すべての弾道を予測して、避けきる。そしてリロードの瞬間を突いて間を詰めては打ち倒した。

 

「やれ! たかがひとりだ!」

 

装備の細部が他と違う。おそらくは隊長格。だがどうせ打ち倒すひとりにすぎないと意識から締め出す。

Cz75がマズルフラッシュを放つたびに憲兵の手から銃火器の類が叩き落とされ、次の銃器を手に取る前に峻の一撃によって気を失い倒れた。

 

「次」

 

峻の回し蹴りが水月を捉えた。どっと崩れ落ちていく。

 

「次」

 

銃の類を失い、体術で勝負を挑んできた憲兵を、突撃してきた時の勢いを生かして投げ飛ばす。壁に叩きつけられた憲兵の力が抜けてずるりと倒れこむ。

 

常に周囲に向かって警戒の目を向け続け、優先度を付けてはその順に従って打ち倒す。

 

「っ!」

 

唐突に峻が身を捻る。唸りをあげて銃弾がさっきまで峻の頭があった場所を通過した。

 

峻がずっと周囲に気を配っていたのは、狙撃手が配置されている可能性が高かったからだ。だから事前に配置されている恐れのある場所をチェックしておき、いつマズルフラッシュが見えても回避できるようにしていた。

 

「撃った瞬間が見えてりゃ避けられるんだよ」

 

距離にもよるが、狙撃の場合は銃弾が目標に届くまでに数秒ほど時間がかかる。どこから撃たれたのかさえ見ていれば、理論上はかわせるのだ。あくまで理論上は。

 

理論で可能なことを現実に出来るかどうかは別問題だ。そもそも、銃口と引き金を引く指の動きを見れば銃弾はかわせるというのも理論であって、それを実行するのは難しい。素人にやらせれば、ほぼ間違いなく撃ち抜かれてジ・エンドだ。仮にできても1発目を避けるのが限度だろう。

 

それを峻はフルオートでばらまかれる弾を避けきる。または撃たれる前に小銃自体を破壊するなどの方法でかすり傷すら負っていない。

 

店内から戦闘を見ている叢雲からすればその行動はそら恐ろしく感じた。

今まで何度も手合わせをしたことはある。あの左手に拳銃を持ち、右手にナイフを持つという独特すぎる戦闘スタイルと何回も館山の演習場でやり合った。

 

けれどあの時とは性質が違いすぎる。叢雲たちの体術を向上させることが目的だった演習としての戦闘ではなく、相手を叩き潰すことが目的の戦闘だった。

 

峻の実力は自分よりも少し上くらいだと叢雲は思っていた。だがそれは大きな間違いだたった。目の前の光景が克明に告げている。

 

「私は…………」

 

こんな戦闘を見せつけられては自分が伏せていろと言われたのも納得できてしまう。

 

「私はただの足でまといじゃない……」

 

叢雲は得物を持っていない。だが刀がこの手にあったとして何ができる? この場においてどうやったらあんな躊躇いなく引き金を引き、相手を打ち倒せる?

 

体術に関して叢雲はそうそう負けないという自信があった。それが今、音を立てて崩れていく。

 

 

「ふっ!」

 

最後のひとりが地面に叩きつけられた。狙撃手は場所が割れているため、もう一度だけ撃たれた弾も易々と峻が避けてしまい、それ以来は撃ってくる気配もない。

 

「叢雲、逃げるぞ」

 

「もう片付いたの……?」

 

「3分は……ちっ、少しオーバーしたか。まあこれくらいなら許容範囲だ」

 

10人近くが倒れ伏す中で峻が苛立たしげに舌打ちする。ナイフを鞘に戻してCz75もホルスターへと収まった。

 

「行くぞ。ここまでやっとけばこの部隊は追跡に出てこれん。次が来る前にさっさと移動だ」

 

峻が叢雲からデッキコートを受け取ってホルスターやナイフの鞘が隠れるように着込む。

 

「大通りを抜けるのは悪手だな。裏路地へ行く。建物の陰を走ってくぞ」

 

撃ってこなくなったとはいえ、狙撃は怖い。足でも撃ち抜かれたら逃げられなくなってしまう。なにより今は怪我を負うことは避けたい。病院に行くわけにもいかないからだ。いくらなんでも普通の病院に、銃撃戦で撃たれたんで治療してください、と行けば確実に通報される。

 

「でも逃げるってどこに行くのよ?」

 

「知らん。だがこうなると人通りの多いところはやばいな。街頭カメラとかでバレる。いっそ中心部から少し離れた廃墟にでも行くか」

 

「廃墟……」

 

「そうだ。人もいねえしな。まさかと思うが、あったかい布団で寝れる逃亡生活になるとか考えてないよな?」

 

「別にわかってたわよ!」

 

「ならいい。ほら行くぞ」

 

裏路地へと駆け込みながら峻が右脚を軽く叩いた。今回は使わずに済んだ。それに今回は殺さずに終わらせられた。だがいつまでこんなことが続けられるのだろう。

 

横目で叢雲の様子をさりげなく見る。顔色が悪かったりというようなことはなさそうだ。それでも思うところはあるはず。そしてこんな薄氷を踏むようなことがずっと続けられるわけがないのは峻も嫌というほどわかっていた。

 

さっきは数が多くなかったから何とかできた。だがこれが増えれば増えるほど、峻の負担は大きくなっていく。

 

自分ひとりだけならなんとかなるが、叢雲を放っておくことも出来ない以上は、この無理を通し続けるしかない。

 

そんなことを続けられるわけもないし、続ければ限界が来るのは明白だった。

 

「なんで……」

 

「どうした?」

 

「なんでそんなに強いのよ……?」

 

ふぅ、と峻が息をはき出す。そして首を真横に振った。

 

「あれは技術だ。それ以上でもそれ以外でもない」

 

「嘘よ。そんなの……」

 

「技術だ」

 

峻にきっぱりと言い切られる。そうまで断言されては叢雲も続けて聞くことはできなかった。

走ってく峻の背中を叢雲は無言で追いかける。あれだけの戦闘があった直後なのに息が切れるような様子は見当たらない。スタミナ切れという概念がないのではないかと疑ってしまうほどだ。

 

走りながら叢雲はさっきの戦闘を何度も頭の中で再生する。あれらを峻はすべてがただの技術だと言った。

 

ならその技術とやらはどこで習得してきたのだろう。

 

海大に在籍していた時だろうか? だがそうだとしたら卒業生は全員があれをできることになる。そんなわけはないことくらい叢雲にもわかった。

 

なら一体いつ? どこで? どうやってそんな技術を獲得した?

 

わからないことだらけだ。追いかけながら考えてみたものの、結局のところ疑問は浮かび続けても答えが浮かび上がることはなかった。




こんにちは、プレリュードです……
えー、大変低いテンションでもうしわけありません。先日、イベント攻略中に中破からの大破を見逃しまして。

飛鷹、沈んじゃったんですよ。

一縷の希望に賭けてアプデが終わるまで艦これは一切開いていませんが、はっきり言って絶望的です。

いちおう、ドロップ報告だけ。
山雲
藤波
時津風
伊13
初風

まあ、ぼちぼちじゃないでしょうか。結局、E3の攻略を途中でやめたということをかんがえれば。

でも失ったものがでかすぎました。2-4攻略したときのメンバーだった飛鷹がぁぁぁぁぁ………
いえ、切り替えましょう。嘆いていても何も始まりません。

とにかく。そんな感じで帆波が無双するだけのOpus-04でした。

そしてひとつ、ご報告を。
更新は停止しない範囲で、少しずつ序盤を改稿していくかもしれません。つい先日、カルメンの始めあたりを見直したとき、地の文とかがひどくて泣きたくなったので。まあ、時間がなければしないかもしれません。ですが、仮にするとしても今後の進行において影響はない改稿ですので、確認はしなくとも問題ないようにします。物語を変えるのではなく、表現を変えると言えばいいでしょうか。

感想、評価などお待ちしてます。それでは!


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Opus-05 『Singing point』

 

用意されたデスクに深くもたれかかり、常盤が行儀悪く椅子を揺らす。高級感あふれる革張りの椅子は、ふかふかと座り心地がよく、ついこの間まで座っていた司令官用の椅子よりも遥かに上物だ。

だがそんなことはどうでもいい。椅子の座り心地なんて良かろうが悪かろうが座れればいいのだ。

 

「報告ちょうだい」

 

「わかりました」

 

部下がタブレットを開く。直立した姿勢を維持しながら画面をスライドさせていくのを見て、椅子を出してあるのだから座れば良いのに、と常盤は内心で思った。

 

「第105憲兵隊は昨日19時47分、対象に職質をかけたところ対象は付近の店内に飛び込みました」

 

「ふんふん。大通りでの戦闘を避けたのかな」

 

「その後、一般人の退避が完了。突入部隊として5名が選抜されました」

 

「5人……かあ」

 

常盤が伸びをしながら考える。専用の装備を持ってるわけがないので、小銃レベルだと推定する。接触したのは狭い店内。そして近接戦闘向きではない武装。

 

「突入部隊はやられたね」

 

「お察しのとおりです」

 

無表情で部下が頷く。常盤が目線だけで先を促すと部下はタブレットに視線を落とした。

 

「その後、目標は大通りに現れ、表口で店を見張っていた部隊が交戦を……」

 

「ちょい待って。大通りには彼と艦娘のふたりで来たの?」

 

「いえ。帆波峻のみです」

 

「ふーん。叢雲は出てこないのか。うん、続けて」

 

再び部下がタブレットに目を落としてスライド。次の項目まで移っていった。

 

「戦闘経過については後ほど街頭カメラの記録を送りますがそのまま進めてもよろしいでしょうか?」

 

「いいよー。さくっといこうか」

 

「結果だけを言うならば、105は完全敗北しました」

 

「言い方はよくないけどやっぱりだね」

 

負ける気はしていた。むしろ勝てるとは思っていなかったので、偵察としての役割を果たしてくれれば充分だ。そういう意味では105はよくやったと常盤は判断していた。

 

「被害は?」

 

「あばらを折られた者に肩や膝、手の甲を撃ち抜かれた者など負傷者は多いですが死者は出ていません」

 

「死者はゼロ?」

 

「はい」

 

「へえ、ゼロか……」

 

常盤が嗤う。ゼロという数字が示すのは憲兵隊の練度の高さではない。帆波峻という人間が持つ戦闘力の高さだ。

 

「彼は本気じゃない。手を抜かれたね」

 

「おそらくは」

 

「手を抜いたっていう表現よりも完全に実力を出し切ったわけじゃないって言った方が正しいかもしれないね」

 

殺さなくては切り抜けられないほど追い詰められていなかった。むしろ殺さないように気を使われていた。

 

「逃走先は?」

 

「まだ不明です。現在、全精力を傾けて特定を急いでいるとのことですが……」

 

「急がせて。このままにしててもこっちは不利益しか被らないから」

 

「了解いたしました」

 

「じゃあ通達よろしく」

 

「はっ! では」

 

部下の男が敬礼し、きっちりとした回れ右で退室していく。適当に手を振って椅子に座ったまま見送ると、残していった戦闘経過の動画ファイルを解凍して開く。

 

「ふーん。にゃるほどねえ。ホントに殺さないようにやったんだ」

 

したり顔で常盤が動画を見る。その中では峻が大立ち回りを演じていた。たったひとりで憲兵を打ち倒していく姿は人間技とはとうてい思えないだろう。

 

「なめてるね。『俺は殺さずともやれる』ってことかにゃん?」

 

ふざけきった口調。けれどおちゃらけた様子は一切ない。ただあるのは純然たる怒りに似た別の何か。

 

「わざと殺さないように気をつける……見下すのも大概にしろテロリスト」

 

吐き捨てて勢いよく書類を叩きつける。

不殺と言えば聞こえはいい。だがそれは手を抜く余裕があるということだ。本当に必死なら殺すしかない。けれど殺さずに済ませた。それはこの程度、必死になるまでもないと言っているようなものだ。

 

「テロリストのクセして善人ごっこ? まったく反吐が出るよ」

 

殺さなければ正しいとでも言うつもりなのだろうか。だとすればちゃんちゃらおかしいと常盤が嘲笑う。

 

常盤は峻のことを深くは知らない。だがそれでも同期だ。どういうタイプの人間かはわかる。

そしてあれは力をひけらかしたがるようなタイプではない。それによって自らのプライドを満たす人間ではない。

 

だから気持ち悪い。

 

偽善を重ねれば悪だって善になれるとでも思っているのだろうか。そんな甘い考えでいるとしたら反吐を通り越して存在を認識することすら嫌悪感を感じる。

 

「いや、これはアタシの邪推か」

 

だんだんと違う方向へと思考がシフトしていっていることに気づく。今すべきことはどうやってあれをふん縛るか、もしくは殺すかであってその内心を当てもなく推測するのは蛇足以外の何物でもない。

 

がりがりと常盤が頭を掻く。腰あたりまで伸ばした髪が乱れるが気にすることなく関東圏の地図を取り出した。

 

「東京からは離れるはず。だからといってお膝元の埼玉にくるほど馬鹿じゃない。千葉に戻って留まるのは愚かすぎる。となると……山梨まで東京を突っきるか、Uターンして茨城まで行くかの2択が妥当かな」

 

増員させることも視野に入れる。できるものなら県境を完全に抑えてしまいたいところだが、憲兵隊にはそこまで人員に余裕があるわけではない。仮に道路を抑えたところで、県境を越える方法はごまんとあるため、無駄になるだろう。

 

「まあ、私服隊に人相書も回してあるし街頭カメラも抑えてるからすぐに見つかるでしょ」

 

あとは如何にして追い詰めるか。はっきり言って中途半端な人員では相手にならないだろう。やるからには徹底的に、だ。

 

「部隊の数を増やす、か」

 

どうせ北陸や東北あたりの憲兵隊は暇をしている。ならば必要最低限の人数だけ残して残りをすべて関東圏に集結させるという手もありだ。そうすれば人員は確保できる。正面切ってやり合うならば、部隊を5つは最低でも投入したかった。

 

「これやると上との折衷が面倒なんだけどさー」

 

だがそんなことは常盤の知ったことではない。そういうことは他に押し付ければいいのだ。あくまでも常盤は()()()()()強制力があるだけのオブザーバーである。

 

「上からはできる限りは殺すなってことだけどさ。うざったいなぁ、まったく」

 

くるりと椅子に乗ったまま回転。勢いをつけて回転させた椅子は、始めは早く、そしてだんだんと速度が落ちていくと、正面を向いて止まった。

 

「ま、いっか。殺せ、殺せ」

 

唄うように常盤がリズムを刻みながら言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暗闇の寝室にホロウィンドウだけがぼうっと浮かぶ。調度品はどれも官給のものではあるが、東雲の中将という立場を考えられているのかとても立派だ。

 

「おいおい、体術が並大抵じゃねえことは知ってたがここまでかよ」

 

半分は呆れ、もう半分は尊敬が混ざった声で東雲がひとりごちる。

 

もちろん、見ているのは峻が憲兵隊と戦闘した時の動画だ。若狭が上手く融通してくれたので、わりと早い段階にも関わらず閲覧することが出来ている。今回は本格的に若狭は協力体制にいてくれるらしい。東雲からすれば心強いことこの上ない。

 

「ははー、なるほどねえ。ってかフルオート射撃すら避けるのかよ。人間技か、これ?」

 

改めて相手の強大さを思い知らされて東雲は頭を抱えたくなった。ここまで来るともはや人間を相手にしていると考えない方がいいのではないかとすら思う。

 

「それにしても死亡がゼロか……ある意味では予想通りだな」

 

挑発しているのでなければどうしてゼロなのか。東雲の中では答えであろう物が出ていた。

 

「叢雲ちゃんがシュンのストッパーになってる。だからあいつは殺しができない」

 

殺さないのではない。殺せないのだ。峻は無意識下で艦娘がいる前での殺しを躊躇う傾向がある。事実、銚子基地に乗り込んだ時は矢矧たちがいる目の前で矢田を殺さなかった。

 

「こんなこと言うと若狭のやつには甘いって言われんだろうがな」

 

それでも峻は殺しを躊躇っていると東雲は思っていた。いや、信じたかった。

だが自分が信じたいという願望に気づかないふりをして動画を見続ける。

 

「今だ。どうしてかはわからねえが、シュンが叢雲を連れている今なら捕まえるチャンスがある」

 

圧倒的な数を用いてどうあっても逃げられない状況下まで持っていく。そうすれば勝機は見えてくる。

そしてそこまで持っていければ、あとは身柄を横須賀で抑えて事情を好きに聞き出せる。すべてを聞いてから今後の対応については考えればいい。

 

「面倒なのは憲兵隊だな。完全に殺しに来てるだろ、あれ」

 

せっかく事情を聞き出したくとも、先に殺されてしまってはお話にならない。

 

「少し圧力でもかけるか」

 

東雲は中将である。そして海軍において、中将という地位は決して低いものではなく、むしろかなり高い位置にある。

そして協力体制にいる若狭は情報戦に長けている。つまりアウトローからもプレッシャーを与えることが可能だ。

 

「あまりやりたい手じゃねえし、なによりリスクも高い。でもなあ……やんねえと先に殺されちまうかもしれねえし」

 

だがリターンもある。そして先に峻を確保できれば降りかかるリスクも帳消しにできる自信があった。国賊を確保したとあれば、ある程度のことはお目こぼしが通るだろう。

 

「まあ、今まで好き勝手させといてなにをって感じはあるがな」

 

思わず苦笑した。資材を少しばかりちょろまかしていることも知っていたし、かなり館山基地を自分勝手に峻がしていたことも察していた。それをわかっていながら、戦果は出していたために放置していた。

 

「それにしても……なんでお前は逃げているんだ?」

 

問いかけに答えは返らない。自分だけしかいない部屋に虚しく響くのみだった。

確かに資材の着服などがばれたのは問題ではある。それを言うなら今まで見逃してきた東雲自身にも問題があるのだが、それは今、置いておこう。

とにかく、本部に呼び出されて尋問されることは逃げる理由に値するほどのものだろうか。

 

もちろん左遷の憂き目に遭うことは避けられないだろう。だが、逃げたりすれば命も危うい。それなのになぜ逃げるという愚かな選択をしたのか。それだけがずっと東雲の中で引っかかり続けていた。

 

「くそ、わからん」

 

薄暗い部屋に赤い炎の玉が浮かぶ。東雲の口から吐かれた紫煙は行き場もなく部屋を漂い続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

硬質な音が響く。靴が床に当たる音だ。男は階級の割に秘書も伴わずにひとりで歩いていた。肩章の示す階級は大将元帥。海軍のトップだ。

 

男、いや陸山賢人は海軍本部の奥深くにある自分を除いて4人しか知らない部屋の戸を押した。油がしっかりとさされた戸は軋む音すら立てずに滑らかに開いた。

 

「おや、遅かったですね?」

 

「すまない。少しばかり書類が多く手間取った」

 

廊下とは打って変わって明るい部屋に目を細めた。小綺麗にされた部屋の中央に素人が見ても高そうな長テーブルが置かれている。そのテーブルには5つ椅子が置かれており、既に4つが埋まっている。陸山は空いている最後の椅子を引いてふかふかとした椅子に腰掛けた。

 

「では始めようか」

 

「そうですね」

 

落ち着いた様子で会議が始まる。この場にいる残りの4人の肩章が示す階級は大将。

つまり、ここには大将が5人いる。そして海軍において大将は本部にしかおらず、その人数も5人。それはすべての大将がこの場に出揃っているということである。

 

「憲兵隊の方針は殺害、横須賀の小僧は捕縛か」

 

「どうしますか? 帆波峻はあの記憶の在り処を知っている可能性が高いと思われますが」

 

「ふむ……」

 

「一体どこにあるのやら。伊豆狩恭平の記憶データは」

 

「彼は本当に在り処を知っているのでしょうか?」

 

「私に言わないでくれ。そればかりは本人のみぞ知るだ」

 

妖精の存在を発見し、艦娘基礎理論を提唱した天才、伊豆狩恭平。その完全な記憶データを彼らは欲しがっていた。

 

「だがどうでしょう。実際に彼が知っている可能性はどれほどなのか」

 

「知らない可能性も高いだろう。いくらあれの父親が持っていたとしても、彼は当時まだ6つだった。知らされているかと聞かれると、な」

 

「そうですね……」

 

むう、と5人が考え込む。壁際に置かれた時計がカチカチと時間を刻んでいく。

 

「一度その件は置いておこう。問題は『かごのめ計画』だ」

 

「やはり覚えられましたか」

 

「バイオロイドと遭遇された。気づいていないとは思えん。だが問題はここではない。マスコミにリークするなどの手段を取って来ないということは向こうにリークできない理由があるということだ」

 

「張らせておいた網にかからないということはそうなのでしょうね」

 

影響力のあるマスコミやフリーライターには事前にマークをつけていた。だがそれらに帆波峻が接触したという連絡は来ていないし、どのメディアもその手の情報を得たような動きは見せていない。

 

「事情はわからん。だがリークできないのは確かなのだろう。いや、『かごのめ計画』に気づいているのならできんだろうな」

 

意味深な笑いが起きる。5人の共通認識から起こる笑いだった。

 

「ただしいたずらに時間を与えてもよい方向には進むまい。早々に片付けてしまうことが吉だと私は考えるが皆はどうだろう?」

 

「異議なし」

「異議なし」

「異議なし」

「異議なし」

 

陸山が深くうなづく。ここのメンバーはすべてひとつの意思に基づき動いている。計画を維持するという目的のために、だ。

 

「ですがどうしますか? 伊豆狩恭平の記憶は……」

 

「ふむ。ならば馬問大将はどう考える?」

 

「私ですか? ……しかし『かごのめ計画』の維持は絶対条件。ですから記憶は手に入ったら、ということにするのがよろしいかと」

 

「その考えには賛成です」

 

「私もです」

 

全員が口々に賛同の意を示す。陸山も言葉にする必要はないが賛成の意を示す。

 

「具体的にはどうするつもりだね?」

 

「今やるべきなのは『かごのめ計画』が漏れることの阻止です。漏洩の阻止を優先しましょう。幸いなことに憲兵隊も横須賀海兵隊も動いています。帆波峻が対応できなくなるほどの物量で押し込み動きを止めましょう」

 

「その結果、帆波峻が死んで記憶の情報が得られなかったとしても?」

 

「不確かなものを求めるより『かごのめ計画』の維持することが最優先かと自分は考えます」

 

陸山が考えるふうになる。実際に馬問の考えは妥当なもののように感じたからだ。

 

「馬問大将の意見がいいと自分は思います」

 

「自分も賛成です」

 

「賛成ですが、ひとつだけ。情報統制の人員を増やすことと、帆波峻を今までの生け捕り優先から生死問わず(Dead or Alive)にすることを進言します」

 

「同伴している駆逐艦はどうしましょう?」

 

小さく陸山が手を上げた。全員が静かに視線を注ぐ。

 

「あれは替えが効く。死のうが生きようがどうでもいい。それに替えの効くバイオロイドに情報を渡すほど帆波峻は愚かではあるまい」

 

「それもそうですな」

 

部屋に笑いが満ちる。なにせボタンひとつでいくらでも量産ができるクローンなのだ。単価にして20万円もいかない生体兵器にいちいちこだわる者などいなかった。

 

「『かごのめ計画』は漏洩することは万が一にもない。戦わなければいけないと感じている者ほどあの計画を暴露することなどできないのだからな」

 

「ははは、まったくですな!」

 

「それでは会議はここまでということで」

 

「ええ。また」

 

椅子からひとり、またひとりと大将たちが立ち上がり部屋を出て行く。陸山は残り続け、ついには部屋にただひとりいるのみとなった。ある程度の時間が経過したことを懐中時計で確認してからまた滑らかな戸を押して部屋を出た。

 

陸山はポケットに手を伸ばしてコネクトデバイスを取り出す。そして迷うことなく連絡先を選択した。

 

「もしもし、私ですよ。吹雪型駆逐艦の生産をお願いしたいのです。いえ、まだ準備だけで構いません。また早期に作って逃げられたらかないませんから」

 

少し間が空いた後にどの型かを問う声。もう陸山の中で答えは決まっていた。

 

「では5番艦でお願いします。ええ、そうです。叢雲ですよ」

 

了解の旨を告げると通信が切れる。通信終了の画面をタップして消すとコネクトデバイスを首から外した。

 

「帆波峻が死のうと生きようと、どのみちあの駆逐艦は死ぬだろうからな」

 

もちろん運よく生きていたら使ってやるのはやぶさかじゃない。ただし超激戦区に送り込み轟沈ということになるだろうが、と陸山は内心で呟くとほの暗い笑みを浮かべた。

 

「んー、んーん、んんーんー」

 

こつこつと歩く靴音でリズムを刻みながら鼻歌を歌う。そして鼻歌にだんだんと声が乗っていく。

 

かごめかごめ かごのなかのとりは いついつであう よあけのばんに つるとかめがすべった

 

こつこつこつ。興が乗ってきたのかリズムが少し早い。けれど気にすることなく陸山は音程をきっちりと合わせて歌い続けた。

 

うしろのしょうめんだあれ

 

陸山は凄惨に嗤った。

 

今夜は新月だ。





こんにちは、プレリュードです!
かごめかごめ。知ってる人がほとんどだと思います。歌詞は諸説あるようで、かごの中の鳥だったり、かごの中の鳥居だったりするそうですね。今回、自分は上記に掲載した歌詞を使いましたが。
ちなみにかごめかごめの著作権は50年以上経っているのでもう消滅してるようです。こうやって使っちゃっても安心ですね。

感想、評価などお待ちしてます。それでは!


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Opus-06 『Smoking point』

賑やかだった街並みを抜けてもまだ歩き続ける。辺りの雰囲気は心なしか寂れたものになり、綺麗に舗装されていたはずの道はコンクリートにヒビが幾条も入っている。

 

「ここ……人は住んでるの?」

 

「住んでたらここまで荒れ果てたりしねえよ。まあごろつきはいるかもしれねえが、そのレベルなら簡単に倒せる」

 

「確かにかなりボロボロね……っと」

 

大きな割れ目を叢雲が飛び越える。たまに峻は後ろを向いて叢雲がしっかりと付いてきていることを確認しつつ、先へと進んでいた。

 

「こういう人工物は人の手が入らなくなったら脆い。あっという間に廃墟へと変わっちまうんだ」

 

道の真ん中に転がる瓦礫をタンッ、と峻が身軽に跳んで越えた。軽々と、という風ではなかったが叢雲もその後に続く。

 

「なんかあんた慣れてるわね」

 

「ん? こういう廃墟を歩くのがってことか?」

 

「それだけじゃないわ。追われているはずなのに妙に落ち着いてるわよね」

 

「……まだ感覚が追いついてないんじゃねえか?」

 

「だったら憲兵隊との戦闘はあんな結果にならないわよ。あんたはとても冷静に対応していた。感覚が追いついてない人間の動きじゃないわ」

 

むしろ私の方が感覚は追いついてない、と叢雲は内心で付け加える。初めてこういった廃墟を歩いたが、つまづかないように歩くことがこんなに大変だったとは知らなかった。普段の舗装されている道のありがたさが身に染みる。だいぶ叢雲も慣れてはきたが、峻は最初からひょいひょいと何でもないように歩いていた。

 

「仮に、だ」

 

「?」

 

「仮に俺が手慣れていたとして、何か問題があるか?」

 

「別にないけど…………」

 

「じゃあいいだろ。ほらそこの鉄筋、危ねぇぞ」

 

峻が振り返らずに手だけでコンクリートから飛び出している鉄筋に注意をするように促す。だが明らかに気をつけなくとも気づく位置だ。強引に話を切られたと理解するのにさして時間はかからなかった。

 

沈黙の幕が降りる。人の気配がない廃墟をただただ歩く。その度に小さな瓦礫が蹴飛ばされて転がるか、踏み砕かれる。

 

「日が落ちてきたな。寝床でも探すか」

 

「やっぱり野宿よね……」

 

「諦めろ。ホテルに泊まれると思ったか? もう向こうも本気になってるからな。人相書も回ってる頃だろ」

 

「私のも回ってるのかしら……」

 

「確実にな。失態を隠すためにニュースとかにはなってねえだろうが、もしなってたらメディアはどんちゃん騒ぎだろうな」

 

ウェーク島の英雄などと言われて持て囃されていたところから一転して『堕ちた英雄!』のような見出しが出るのだろうか。そう考えると英雄などと呼んで欲しくない自分としては悪くないんじゃないかと峻は自嘲的な笑みを零した。

 

「カミサマに翼をもがれた英雄(おちょうしもの)は地に落される……か」

 

「何か言った?」

 

「いや、なんでも。あそこでいいか」

 

適当に誤魔化して手近な建物を指し示す。かなり古くなってはいるが、建物自体に大きな破損は見られず、しっかりした造りだ。これなら倒壊する危険もあまりないだろう。

ひとまず、中を捜索して安全に寝れる場所を探すことにした。

 

「1階は……ダメか。窓ガラスが散乱してる。危なくて横になれねえ」

 

「寝返りするだけで傷だらけになりそうね」

 

峻が破片を蹴り飛ばす。破片は壁に当たって破砕した。いくら寝袋があるとはいえ、確かにごめんだった。

 

「2階に賭けるしかねえな。階段、階段……おし、あった」

 

ギシギシと軋む階段を登る。だが穴が空いて嵌ることはなかった。途中で壁を軽く叩いてみるが、案外しっかりした音が返ってくる。

 

「お、2階はガラスが散ってないな。しかも窓ガラスははまったままか。こいつはなかなかいい」

 

「そんなに?」

 

「少なくともすきま風に苦しめられることはない。思ったよりいい物件だ。放置された年数がそこまできてないのか? ま、どうでもいいか」

 

可能な限り小さく纏められた荷物の中から峻が寝袋などを取り出す。適当な空き家などを何軒か漁って拝借したものだ。意外としっかりしたものが残っていてラッキーだった。

 

「メシにするぞ。ってもインスタントだがな」

 

「何があるのよ」

 

「雑炊とか、缶詰めとかだな」

 

峻が荷物から取り出したのはお湯にパッケージごと入れて温める雑炊と、缶詰めの秋刀魚の蒲焼き。ガスボンベを取り付けたコンロに火をつけると小さな鍋に水を入れて火にかけた。

これらの道具も空き家から拝借していた。もちろん、賞味期限が切れていないことを確認はしたが。ちなみに水やガスボンベはちゃんと買ったものだったりする。

 

ロクに出汁もとっていないであろう雑炊に味が濃すぎる缶詰めの蒲焼き。だが空腹時に食べればそれなりにいけるものだ。多いわけでもない夕食はすぐに峻と叢雲の胃に収まった。

 

「見張りは3時間交代だ。いいな?」

 

「ん。あんたが先に寝る?」

 

「いや、俺が先でいい。目が冴えてるからな」

 

「ちなみに見張りってどうすればいいのよ?」

 

「ここに近づく人間がいたら俺を起こせ。お前はそれだけでいい」

 

「……わかったわ」

 

峻がランタンの明かりを頼りにマガジンに弾を込める。長く伸びる影を見ながら叢雲は寝袋に潜り込んだ。

 

時間をかけずに弾を込めるとマガジンをCz75に叩き込む。峻は立ち上がると窓を覆うように布を被せた。これで外に明かりが漏れることはないだろう。暇つぶし感覚で間借りしている部屋を細かく捜索してみるが、特にこれといったものはなかった。ガスも水道も電気も通っていないことが確認できたことくらいだろうか。

 

「埃っぽいな」

 

足音を忍ばせて階段を降りる。ふと、ここで叢雲を置いていってしまおうかという考えが脳裏に浮かぶ。

 

「だめだ。この方法だと叢雲は処分される」

 

頭を振って甘えきった考えを追い出す。殺させるわけにはいかない。逃げる発端は叢雲にあるとはいえ、すべての始まりは峻にある。ならば叢雲を生きて返すのは自分の責務だ。

 

「死ねた方が楽だったなあ……」

 

思わず峻がぼやく。だが叢雲に言われてしまったのだ。勝手に人を生かしておいて、勝手に死のうとするな、と。

死んだ方が楽だった。それなのに死ねない理由ができてしまった。

 

見張りを続けながら暇つぶしに建物を探索する。特に何もないことはわかっていたので、本当にただの暇つぶしだ。

 

階下の適当な部屋のドアノブを握る。放置されて時間が経っていたのか、かなり軋む音を蝶番が立てた。

そこは台所だった。クモの巣が張り、戸棚は外れ、皿が床に落ちて割れていた。

 

「っとに何もねえな」

 

何か使えるものがあれば拝借しようかと思っていたが、想像以上になにもない。ここの住人はちゃんと持っていくものを纏めてから出ていったのか、床下収納庫の中にも、缶詰めひとつ見当たらない。

 

隣の部屋へ。今度は寝室のようだ。ダブルベットほどのサイズから察するに住んでいたのは夫婦だったのだろうか。軽く右手で押すとマットレスが沈みこんだ。ずいぶんと沈んでいくと思ったら中でスプリングが錆びて折れてしまっていたらしい。

 

他の部屋も回ってみるが、1階の部屋には特に何も無く、あるものと言えば壊れて使えないものか、大きすぎてとうてい持ち運べないようなものばかりだ。

 

別に期待していたわけではないが、つまらないと言えばつまらない。

 

「……戻るか」

 

叢雲の寝ている部屋へ。見張りならばここからで充分だった。荷物の中から水やガスボンベを買った時、一緒に買ったコップ酒を取り出してフタをナイフでこじ開けると嚥下した。

 

「っはぁ……」

 

喉を焼くようなアルコールの感覚。酔うわけにはいかないが、少しくらいアルコールを入れても大丈夫だろう。そもそも峻はアルコールには強い体質だ。コップ酒の1杯ていどで酔うことはなかった。

ぐいぐいと酒を煽る。そのたびに体がぼんやりと熱を帯びた。

 

「うまくはねえな……」

 

空になった瓶を傍らに置いた。まずいわけでもないが、うまくもなかった。だが体内にアルコールを入れたという事実さえあればそれでよかったのだ。悪夢を見ずに済むのなら、アルコールに逃げることくらいは許されるはず。

 

穏やかな寝息が聞こえた。叢雲はもう眠りについたようだ。峻はランタンの明かりを絞り、部屋を薄暗くした。

 

「ん、なんだこりゃ」

 

部屋の隅に転がっている箱を拾い上げる。表面に積もった埃を払ってやると、それはまだ未開封のタバコだった。ここに元々いた住人が忘れていったものだろう。

 

ビニールを剥がして箱を握り潰すようにして開ける。1本だけタバコを飛び出させるとそのまま口に咥えて上下に動かした。

 

「タバコか……あんまり好きじゃねえんだけどな」

 

口に咥えたまま、ランタンにタバコの先端を近づける。ガスランタンにちょっと当てるだけですぐに火はついた。

 

「っと、ここで吸ったら臭いでバレるな」

 

なによりタバコの煙は吸わない人間に不快感を与える。寝ている叢雲のいる部屋で吸うのはあまりよくはないだろう。急いで空になったコップ酒の瓶を引っ掴んで、隣の部屋に駆け込み、肺に煙を送り込んだ。

 

「ひっさびさだな。吸ったのなんて……」

 

ふぅっと吐き出す。煙がわだかまりながら上昇し、ぱっと辺りに散っていった。人差し指と中指で挟んでいたタバコをもう1度、口へと運ぶ。

 

息を吸うたびにニコチンが肺を満たす。いつも吸っていた銘柄はなんだったかと思い出そうとして、あったものを適当に吸っていただけだったと気づいた。

 

右手でホルスターに収められているCz75をそっと撫でた。煙を吸うたびに頭に浮かぶことはどれも嫌なことばかりだ。ずっと目を背けたていたかった。忘れたことにして逃げ続けたかった。そんなものばかりが底から浮かび上がる。

逃げることなど叶わないとわかっていたはずなのに。

 

右手を持ち上げる。峻はその手にべったりとこびりついた血を幻視した。嫌になって拳を強く握りしめる。

 

──本気で逃げられると思ってた? だとしたらずいぶんと甘ちゃんだねえ。

 

「うるせえよ」

 

──どれだけ酷いことをしてきたのか知らないなんて言わせないよ? なんたって自分かやったことなんだからさあ。

 

「わかってんだよ」

 

──あのさ、もしかしてこの後に及んでまだ逃げられると思っちゃってる? だとしたら滑稽なこと極まりないよ?

 

「うるさい……」

 

──いい加減に認識しなよ。もう過去には戻れないんだって……

「うるさいって言ってんだよ!」

 

空瓶を力任せに投げつける。大きな破砕音を立てて瓶が割れ、頭の中に響いていた声も聞こえなくなった。いつの間にかタバコはフィルター近くまで燃えていた。

 

「くそっ……」

 

床に燃えさしのタバコを押し付ける。最後の煙を上げてタバコはその火が消えた。

 

「やっぱり吸うもんじゃねえな」

 

残ったタバコを捨てようかと思ったが、もったいないと思い直して胸ポケットに入れた。たぶん捨ててもすぐに手元に置くことにするのだろう。

 

セーフティをかけてあることを確認してからCz75を手でもてあそぶ。くるりと回してはグリップを握る。そしてまたくるりと回してを繰り返した。

叢雲は帰さなくちゃいけない。絶対に。

 

だが具体的にどうすればいい。叢雲をただ帰させたところで、叢雲が素直に情報を渡して情報提供者になればいいが、そんなことをするタイプでないことはわかりきっている。なにより本人はバイオロイドのことなどを話そうとはしないだろう。誰かに話していい案件でないことは重々承知のはずだ。

 

「今のまま帰しても反逆者のラベルは剥がれねえ。それをなんとかしなくちゃいけないんだが……」

 

だがどうする。方法を探せど探せどまるで暗闇の中で手探りをしているかのようで、見つかる気配もない。こうやって庇いながら逃げるのもいずれ限界がくる。

 

今回は殺さずに切り抜けられた。だが次回もうまくいく保証はどこにもない。いや、むしろ切り抜けられる可能性はぐっと低くなるだろう。今回の戦闘を見て、投入する数も武器も増えるはずだからだ。

 

「だが叢雲を帰すまで絶対に殺しはだめだ。叢雲に殺しの疑いがかかった時点で戻すのが難しくなる」

 

だから抑えている。本当なら殺してしまった方が楽だ。それに手っ取り早い。反逆者の名を背負った今更になって、殺しを躊躇う理由はないし、そもそも人を殺してはいけないなんて倫理観はとうの昔に捨ててきた。

 

何か切り札になるもの。何か。なんでもいい。

 

艦娘がクローンだと暴露するか? 浮かんだ瞬間、即座に否定する。そんなことをすれば各方面から一斉にバッシングが飛んでくる。艦娘を前線に出す国防体制は世論によって崩されるだろう。そして崩れた防衛線を立て直すことのできる代わりが現状において存在しない。

 

そして艦娘が出せなくなれば深海棲艦と人類の生存競争はあっという間に解決するだろう。人類の滅亡というエンドロールと共に、だ。

 

それは防がなくてはいけないことだった。

 

正義ヅラしたいわけじゃない。そんな資格が自分にはないのだから。ただ犯した罪は償わなくてはいけない。そのために自分は戦闘に身を置くことしかできなかった。それ以外の方法はわからなかった。

 

『さようなら』

 

「っ!」

 

目の前で笑って死んでいった少女の顔が浮かんだ。叢雲と同じでありながら、別物の少女はどうして死ななくてはいけなかったのか。

 

そんなこと簡単だ。自分が切り捨てたから。たったそれだけの理由。

 

「それを言い始めたらキリがないか……」

 

それにその死を憂う資格もないのだ。何もしようとしなかったのは自分だから。今まで何人も殺し、切り捨てた自分には今更になってそんなことをしても、滑稽に映る。

 

それよりも先にすべきはどうやって叢雲を安全に帰すかを考えることだ。

 

この状況をひっくり返せるジョーカー。手札にそれがない。

 

ピン、と旧式のメモリーカードを弾く。重力に従って落下してきたメモリーカードを手のひらで受け止めては、コイントスの要領でまた弾く。

 

「伊豆狩恭平の記憶……在り処は知ってるんだがなあ」

 

どうしたものかと思考を巡らす。そもそも向こうが交渉のテーブルに着く気がないのなら交渉しようといったところで成り立たない。今の段階で海軍本部の上層に連絡を取りに行くのは自殺行為だ。

 

このまま手をこまねいているわけにもいかない。

 

手段はふたつ。追手を出させないようにするだけの何か、もしくは身柄を保証させるだけの何かを差し出す。

そしてそこまで持っていくために、まずは上とのコンタクトを取る方法を見つけなくてはいけない。追手に通信手段を求めるわけにもいかないため、もっと別の手段を考えなくてはいけないが。

 

時間はあまりない。ここに隠れているのもいつまで持つかわからないのだ。

 

だから頭が焼き切れようとも回転させなければならない。恫喝でも取り引きでも何でもいい。状況を打開できる策をなにがなんでも考えつかなくてはいけないのだ。

 

何のためにその頭の中に脳味噌は詰まっている。考えるためだろう。それが思考を止めていいわけがない。

 

ここまで来たらもう止まれない。進む以外の選択肢はないのだから。

 

自らに向かって言い聞かせるように囁く。とにかく何としてでも叢雲を無事に帰す。そのために峻が死体の山を築くことになるのは覚悟の上だ。

 

だがその殺戮劇に叢雲を巻き込んではいけない。

 

あの少女は死の間際に言ったのだ。「『私』をお願いしていい?」と。少女を切り捨てた峻にできることはそのちっぽけな願いを守ることだけだった。

 

「俺はまた殺すだろうし、俺の犯した過ちのためなら何度でもまたこの手を血に汚すだろう。だがな、屍を背負って血の川を渡るのは俺ひとりで十分だ」

 

まだ叢雲の手は汚れていない。なら人殺しという重荷を背負わせるようなことは絶対に避けなくてはいけないのだ。手遅れになった者ができるのはこの程度しかない。

 

「償いはまだ遠く……か」

 

もう一本だけ峻はタバコに火をつけた。




こんにちは、プレリュードです!
なんだか独白だけのシーンになってしまいました。ぶっちゃけここでそんなに使うつもりなかったのに気づいたら文字数がこんなにいってたのでそのまま投稿です。

それにしても春は忙しいですね。いろいろ誘われたり、いろんな準備があったりして。なかなか筆が進まなくて大変ですが、更新速度は落とさないようにいきたいとおもいます。

感想、評価などお待ちしてます。それでは!


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Opus-07 『Transaction point』

いくつもホロウィンドウを浮かべては消すを繰り返す。映し出されているのは街頭カメラの映像だ。その全てを若狭は瞬時に確認していく。

 

「若狭、東京第3区画街頭カメラの確認が終了した。対象は見つからずだ」

 

「了解。この様子だと帆波は市街地から姿をくらましたかな」

 

「まだ確認できていない区画があるのにそう断定するのは早計じゃないか?」

 

「確かにね。やっぱり僕と長月のふたりだけでは時間がかかりすぎるか」

 

街頭カメラは無数に設置してある。それら全てを確認して、その中に映る無数の人間から峻か叢雲を見つけ出さなくてはいけないのである。

 

「これは別のツテをあたったほうがいいかな」

 

「……あるのか? これは他の防諜部の人間に頼める案件だと私には思えないんだが」

 

「防諜部には頼まないよ」

 

「ならどこに?」

 

「僕にもいろいろとコネクションがあるってことさ」

 

「まあ、そうだろうな」

 

長月が監視カメラの映像に目を走らせながらうなづく。人と人との繋がりというのはこういう仕事において必要なものであることは長月も察していた。

そしてその繋がりを躊躇いなく切れる非情さも必要であることを若狭と仕事をすることで学んでいたのだった。

 

「若狭は帆波大佐……いやもう大佐ではないが、あの人を捕まえたらどうするつもりなんだ?」

 

「東雲はお人好しだからね。帆波には何か逃げるだけの理由があると思い込んでる。でも僕はそこまで楽観的じゃない」

 

「答えになっていないぞ」

 

「前置きだよ。少しくらい付き合ってくれてもいいじゃないか」

 

責めるような長月の声色に若狭が肩をすくめる。手も目も休めることはないが、軽口を叩き合う余裕くらいは若狭にも長月にもあった。

 

「東雲はさ、逃げる理由が知りたがってる。そのために帆波を捕まえて聞こうとしているんだよ。でも僕はそんなものはどうだっていいんだ」

 

「気にならないのか? まったく?」

 

「まったくと言ったら嘘になるかもね。でも二の次であることは確かだ。僕の懸念はね、帆波から機密が国外に漏れることだよ」

 

「……なるほど。今の状態では軍の庇護下にない。つまりスパイやらエージェントが接触したい放題ということか」

 

「そういうこと。それを危惧しているから早くなんとかしようとしてるのさ」

 

「だが見つからないな」

 

「……そうだね」

 

見つからないことに関しては若狭も認めざるを得ない。渋い顔で首を縦に振るしかなかった。

 

「ところで若狭、頼まれていた件だが」

 

「ああ、相模原の持っていた写真の話かな?」

 

「それだ。えっと……そうだ、ここだ」

 

ごそごそと長月が服のポケットを探り、1枚の写真を取り出す。そこに写っているのは若かりし頃の相模原貴史と右の口角を吊り上げて笑う男、そしてあどけない顔を浮かべる幼い子供の3人。

 

「この相模原の隣で写っている男は誰だかわかった?」

 

「そっちはまだ。だがこの少年ならわかったぞ」

 

「誰だった?」

 

「帆波峻」

 

「…………へえ」

 

「なんだその反応は」

 

長月がじとーっとした目で若狭をにらむ。

 

「いや、意外な人物が出てきたと思って。確かかい……って聞くのは失礼か」

 

「確かだとも。骨格照合でもコラージュ写真でもほぼ確実に同一人物だと言われたんだ」

 

バシッと長月が照合結果を机に叩きつけるようにして置いた。ちらりと若狭は目をやっただけだったが、それだけで理解したようだ。

 

「なんの因果だろうね。相模原の持っていた写真には帆波の幼少期らしき姿が写ってる。結局のところ相模原の目的はいまいち掴めないよ」

 

「殺された理由がわからないということもあるな。ここはまださっぱりだ」

 

「そうだね。まあいいさ。ことが終わったら少し本腰を入れて調べてみるよ」

 

「それならそろそろ別の方法に移らないか? 監視カメラを見続けてもふたりでは無理があるぞ」

 

「……わかってはいるつもりだけどね。少し考えさせて」

 

露骨に若狭がため息をついた。長月の整った眉が小さく動く。

 

「どうするつもりなんだ?」

 

「本当にどうしようね……っとと、向こうから来るなんて」

 

監視カメラの映像を映していたホロウィンドウが全て閉じて、通信用のウィンドウを開いた。知った名前が浮かび上がり、数回ほどのコール音。タップして通信に応じるとかけてきた相手は出た。

 

『はいはーい。若狭クン、ご機嫌麗しゅう。まっさか通信に出てくれるなんてねー。明日は深海棲艦の本土侵攻でもあるかにゃん?』

 

「なんの用事だい?」

 

『女の冗談を無視する男は嫌われるよー?』

 

「面白味に欠ける冗談ばかり言う女性はタイプじゃない。手短に僕は済ませたいんだ。常盤」

 

『何?』

 

おどけた様子で常盤が返す。

 

()()()()()()()()()()()()()

 

『……へえ、さっすが若狭クン。もう知ってるんだ』

 

憲兵隊に戻ったことを知っている。遠回しにそう告げた若狭に常盤が皮肉っぽく称賛した。

 

「仕事柄、耳は速いつもりだよ。で、その憲兵隊特犯官の常盤中佐が僕になんの用事?」

 

『ひとつ聞きたいことがあるの』

 

「聞きたいこと、か」

 

『そそ。若狭クンならさ、彼の右脚に装着された義足のスペックが記された仕様書、手に入るんじゃない?』

 

「……仮に、仮にだよ。それが入手できたとして僕が常盤にそれを流してあげる理由は?」

 

『そうだねー。若狭クンはもう知ってる?』

 

「なにを?」

 

『空惚けちゃって。憲兵隊は近々、大規模に作戦展開するのよん。で、アタシとしてはもちろん成功させるために情報はあるだけ欲しいの』

 

「で、寄越せってわけかい? そんな虫のいい話が通るわけないじゃないか」

 

そもそも応じてやる義理は若狭にない。若狭自身にメリットもない要求を飲んでやるわけもなかった。

 

『ま、そうも言わずにさ。東雲クンが持ってるでしょ、仕様書は。だから東雲クン側にもメリットを提示しようと思ってね。』

 

「なにを提供するつもりだい?」

 

憲兵隊(うち)が突き止めている彼の居場所の情報をあげるよ。作戦が失敗してから、うちが動けるようになるまでの期間だけってこと、そして彼を確保して尋問とか諸々のことが終わったら身柄を引き渡してほしいっていう条件付きだけど』

 

「かわりに義足のデータが欲しいってわけだね」

 

『そーゆーこと。どう? 悪い話じゃないと思うけど』

 

互いに提供し合っているという点では確かに平等といえる。だが常盤は作戦を失敗したらと言ってはいるものの、失敗させる気など露ほどもないだろう。メリットらしきものをチラつかせて欲しい物を釣り上げる魂胆だということは見え透いていた。

 

「わかった。東雲に話は回してみよう。纏まったら連絡するよ」

 

『こっちから持ちかけといて悪いけど、そっちが纏まらなくてもこっちは動くからね?』

 

「わかってる。最初からこっちもそのつもりだよ。協力体制は敷く。でも……」

 

『味方じゃない、でしょ?』

 

「理解しているようでなによりだよ」

 

底冷えのする声で若狭が言った。目的は似ているようで違っている。そもそもが相容れるわけがない。

 

「じゃあ、そういうことで」

 

『待って若狭クン』

 

若狭は通信を切ろうとして常盤に呼び止められた。通信終了のボタンをタップしようとしていた右手が空中で所在なさげに止まる。

 

『若狭クンはさ、第105憲兵隊の戦闘データ見たんでしょ?』

 

「見たよ。それが?」

 

『どう思った?』

 

「こういうことを聞くのは常盤が最後の人間だと思ってたよ」

 

『あんなふうに戦う彼、見たことある?』

 

「ないね。ここまでできるのは予想外だった」

 

『それだけ?』

 

「何を聞きたいんだい? ここからは追加料金になるけど」

 

『ちぇ、ケチー。まあ、何を見返りに求められるかわかんないしいいや。それに確証はなくても十分』

 

「そうかい」

 

『ん。あ、最後にひとつ。昇進おめでとう、海軍中佐防諜部対内課対策室室長若狭陽太クン?』

 

プツンと通信が切れた。通信終了の旨を告げるホロウィンドウを黙って若狭が見つめる。

 

「常盤中佐は最後、なにが言いたかったんだ……?」

 

「挑発の方かい? それとも戦闘記録の方?」

 

「戦闘記録の方だ」

 

「それなら説明するよ。僕も話しながらの方が考えをまとめやすいし」

 

若狭がちょい、と長月を手招きする。意図をくんだ長月が素早くファイルを開き、第105憲兵隊の戦闘記録を寄越した。

 

「長月、説明すると言っておいた手前でなんだけどあくまでこれは推測なんだ。オフレコにできると誓える?」

 

「誓おう」

 

まったく間を空けずに長月が首肯。あまりの早さに若狭がちょっとだけ笑った。

だがその綻びはすぐになりを潜め、仕事の引き締まった顔にすり変わる。

 

「映像記録として残ってるのがこのデータ。長月も見たよね」

 

「ああ。たった1人で憲兵隊を打ち倒していくのは映画みたいだと思った」

 

「ちなみに長月、拳銃ってどっちの手で持つ?」

 

「何を言ってる? 右に決まってるだろう」

 

「じゃあそれを踏まえた上でもう1回この映像を見てみて」

 

ぱっと映画が再生された。一コマたりとも見逃すまいの長月が一生懸命になって睨む。だがそこまでする必要もなく、すぐにはっと長月が目を見開いた。

 

「左手で撃ってるぞ」

 

「そう。帆波は左手で拳銃を撃ってるんだ」

 

拳銃は構造上、空になった薬莢を右に排出するものが多い。そして映像のものは右に薬莢を排出している。

右手で拳銃を持っていれば、薬莢は体の外側へと飛んでいく。だが左手で撃てば薬莢は体の内側へ飛んできてしまい、邪魔になるのだ。

 

「撃てるものなのか?」

 

「撃てないとまでは言わない。でも普通なら絶対にやらないね。左手だとリコイルショックを抑えられない場合がある。ハンドガンだって反動は結構なものなんだよ。訓練を受ける時、最初に叩き込まれるのは銃は右手で持つことなんだ。どこの国でも必ずそう教えるものなんだよ。両手で持つことから教える場合も多いけど、左手は絶対にない。左利きも右で持つように矯正するくらいなんだ」

 

「私たちは拳銃を持つことはあまりないから少し新鮮だな。左で撃ったらどれくらい当たるものなんだ?」

 

「右で撃つことに慣れているならまったく当たらないよ。静止している的でも難しいのに、ましてや相手は動き回る人だ。おまけにちゃんと訓練された憲兵なんだよ」

 

若狭が難しそうに顔をしかめる。それがどれだけ難易度が高いことなのかは拳銃をあまり持つことのない長月にはうまく伝わらない。

 

「わかりやすく言おう。長月の利き手は右手だね? じゃあいつも右手でやることを左手でやってみるところを想像するんだ」

 

「…………それは難しそうだ」

 

「少し大袈裟な例だけど、そういうこと。で、話を戻すけど左手で拳銃を持つなんて絶対に教わってないはずなんだ。なのに帆波は緊急時において左手で持った」

 

「知らなかった……ということはなさそうだな。しっかりと当てている」

 

「そう。帆波は左手で撃ちながら当ててるんだ。おかしいだろう?」

 

「だが海大では右手で持つように教えるんじゃなかったのか?」

 

「そうだよ。でもこの命中率はその場でやったにしては高すぎる。もしかしたら……」

 

「もしかしたら?」

 

長月が声を潜めながら先を促す。

 

「帆波は海大に入る前に軍事訓練を受けていたのかもしれない。それも非正規な訓練を」

 

「どうして非正規と言える?」

 

「僕の知る限り、というよりはどんなところでも正規な訓練なら絶対に左手で拳銃を持たせることはさせないからさ」

 

「だとしたら……どこで?」

 

「そこまではわからない。けどいい線いってると思うんだ。長月、ここを見て」

 

「どれ」

 

若狭が再生したいところまで早送りした。そして一時停止を解除すると映像が動き始める。

その中では峻が左手に拳銃を持ち、右手にナイフを持っていた。大きく踏み込んではナイフの柄頭で憲兵の顎を弾いて気絶させていく。

 

「これか?」

 

「そう、これ。ところで長月、ナイフってどれくらいの範囲なら有効だと思う?」

 

「そうだな……投擲を考えないのならこれくらいか?」

 

長月が若狭との間を調整。腕を伸ばして少し届かないくらいの場所に陣取った。ちょうどその距離は踏み込んで刃が届く距離くらいだった。

 

「刃渡りも考えるならそれくらいだと僕も思う。じゃあ拳銃だったら?」

 

「少なくともこの部屋にいたら危ないな。射程はものにもよるだろうが……なにが言いたいんだ?」

 

「ふたつの武器はあまりにも射程(レンジ)が違うってことさ。そんな武器を同時に持つメリットなんてないんだよ」

 

長月の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。艦娘には無縁のことだったと若狭は思い当たり、苦笑した。

 

「遠くに敵がいるなら拳銃を使えばいいだろう? で、近くに敵がいるならナイフを使えばいい。それだけの理屈でいけば至極まっとうなものに見えるよね。でも、もし一緒に戦ってる仲間が何十人もいたとしたら?」

 

「…………あ」

 

「気づいたかい? そう、同士討ち(フレンドリファイヤ)を起こしやすいんだ」

 

そこまで言われれば長月にもわかった。戦場において同士討ちは絶対に避けなくてはいけないことだ。

そして集団で格闘戦を主体としている中で発砲すればどうなる? 目まぐるしく敵と自分の位置が変わり続ける格闘戦の最中に拳銃を撃って外れたら? その銃弾は絶対に味方に当たらないと保証できるだろうか。

 

「じゃあなんでそんな装備を……絶対に外さない自信があるのか?」

 

「絶対、なんてことはありえないよ。どんな達人でもミスをする。その時の体調や心の持ちようで簡単にね」

 

「それならばなぜ……」

 

「有効性が皆無に感じる装備だけどね、ひとつだけ有用な場合があるんだ」

 

「それはどんな時だ?」

 

長月が若狭に詰め寄った。

 

「ひとりで多人数を相手にする時さ」

 

「そんな状況にはそうそうならないだろう。部隊同士の連携という概念があるのに単独、もしくは少人数行動をするのはスパイくらいだ。そしてスパイはスパイだと見破られた時点でおしまいじゃなかったのか?」

 

「そうだよ。でも僕は帆波がスパイだとは思わない」

 

「じゃあ、いつなら……」

 

「ゲリラ戦」

 

若狭の感情が消えた声で長月が凍ったように静止する。

 

「小規模な部隊運用で撃破する敵を定めずに待ち伏せや奇襲、後方支援ラインの破壊などを行う戦法のことだね。これなら多人数対一人の戦闘を想定していてもおかしくはない」

 

「だがそれは……」

 

「ジュネーブ条約でも戦闘員とは扱われない。つまり、捕まっても捕虜としての待遇じゃなくて、犯罪者として裁かれることになるね」

 

「違う。そういうことがいいたいんじゃない。明らかに非正規の部隊じゃないか!」

 

「そうだね。もしも帆波がゲリラ戦のために訓練されたという仮定があっているなら、確実に正規の部隊じゃないよ」

 

なんだかきな臭くなってきたね、と若狭が続けた。だが長月としてはそれどころではない。

 

「きな臭い、だと? そんなレベルか? これが!?」

 

長月が声を荒らげる。感情の起伏がないわけではないが、決して激しいわけではない長月にしては珍しい。

 

「深海棲艦が出現してから、暴動を除いて起きた大規模な戦闘は多くない。日本においてはトランペット事件のみだ! だがさっきの話を聞くに、帆波峻は海大に入った時点で既にゲリラ戦を想定した訓練を受けた後だった!」

 

「そうなるね」

 

「じゃあ一体、いつ訓練を受けたんだ? 1ヶ月やそこらではものにできない戦闘訓練をいつ? 深海棲艦の出現は10年と少し前。なら訓練を受けて、戦闘に参加していたのは、遅くてまだ10代前半だった少年の頃じゃないか。しかもここ30年、日本の本土ではテロや暴動を除いて戦闘は起きていない。つまり……」

 

「帆波はいわゆる少年ゲリラ兵だった可能性がある。しかも日本ではなく海外で戦っていた、ね」

 

しん、と水を打ったように静かになる。

 

「……期せずして若狭の知りたがっていたことがわかってしまったな」

 

「確証はないから推測にすぎないよ。裏付けもないわけだし」

 

「だが限りなく近いものじゃないか」

 

「可能性が高いとは思うよ? でも確証に至ったわけじゃない。せめて帆波が海外で戦ってる画像でもあればいいけど、どの戦いに参加していたのか、そもそも記録が残っているのか……」

 

やれやれと若狭が首を横に振った。

 

「とにかく、今はこっちに集中すべきじゃない。帆波が多人数との戦闘に慣れていることがわかったのは収穫だけど、奥に踏み込む必要は皆無だからね」

 

「先に捕縛準備、というわけか」

 

「そういうこと。常盤が持ちかけてきたことは少し考えるよ。慎重にならなきゃいけない案件だ」

 

若狭があごに手を当てて考え込む。自分の目的と照らし合わせてどう行動するがベストか。常盤の提案には乗るべきか反るべきか。

 

「……なあ」

 

「なんだい、長月」

 

若狭の思考を長月が遮った。じっと真剣味のこもった目を若狭に向かって投げかける。

 

「若狭は少年兵と聞いて何も思わないのか?」

 

「例えば?」

 

「別に表面に出せというつもりはない。ただ……酷すぎないか?」

 

「子供を戦争に出すことがかい? それを僕たちに言う資格はない。艦娘という見た目が年端もいかない少女を使い潰して戦争している僕たちにはね。長月だって初代じゃないだろう?」

 

初代。それは深海棲艦と対抗するために作られた最初の艦娘。轟沈しては新しく建造されるために、便宜上でこういう呼び方をする時があるのだ。

 

「……若狭、私は睦月型だ。認めたくはないが、特型が台頭してきた今においては時代遅れなんだ。もともと駆逐艦の損耗は激しいことを知っているだろう? もう私は自分が何代目の『長月』か知らない。どのみち、沈んだ『長月』の記憶があるわけでもないしな。記録を見ればわかるかもしれないが、あえて知りたいとも思わない」

 

「……少し意地が悪かったね」

 

「構わないさ。私はこんな時代遅れの艦娘にも居場所をくれた若狭には感謝してるんだ」

 

「長月、忘れたかい?」

 

「そんなつもりはない」

 

「ならいいけどね」

 

少し口調を厳しくした若狭に長月がきっぱりと言い返す。わかっているつもりならいい。そう言外に匂わせながら若狭は緊張を解いた。

長月に若狭は昔、しっかりと言っていた。「僕を食らって越えるつもりで行動すること。でなければ食われるのは長月だ」、と。

盲信だけはしてくれるな。それは思考放棄と等しい。その先に待つのは滅びだけだ。

 

「背中を刺す刃たれ」

 

言葉を発したのはどちらだったろうか。




こんにちは、プレリュードです!
若狭と長月だけで終わってしまうなんて思ってなかったよ……常盤は通信だけで出てきてるけど。
そしてこれを投稿しながら日付を見て気づいたんですけどね。

カルメン1周年、過ぎてるじゃん!!!!!

確か3月15日に投稿を始めたので1年と6日が経ってる計算になります。まっさかここまで続くとは思ってませんでした。正直に言うと、カルメンは完結までお気に入りが50件いったらいいとこ、くらいに考えてたので200を越えるなんてまったく思ってなかったなんですよね。そう思うと感慨深いものです。そして完結まではまだ少しかかりそうなので、もうしばしお付き合いをば。

感想、評価などお待ちしてます。それでは!


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Opus-08 『Ikaros point』

人っ子ひとりと居ないはずの廃墟。そこにこそこそと動く人影があった。ボロを被り、まるで浮浪者のような格好をした男が寒そうに口元を布で隠した。

そして布の中に仕込まれた通信機に口を近づける。

 

「捜査本部へ。こちら第108憲兵隊。ターゲットの潜伏している廃屋を発見しました」

 

『その場で待機。引き続き監視を』

 

「はっ」

 

寒風が吹き荒ぶ真冬。物乞いのような格好をしてカモフラージュしている憲兵には堪える寒さだった。

 

だがそんなものは関係ない。彼にとっては些細なことだ。

 

「さあ、年貢の納め時だ反逆者」

 

彼は僅かに明かりが漏れる廃屋を睨んで小さく囁いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「報告します。ターゲットの場所が判明しました」

 

「へえ、意外とかかったね」

 

「廃墟に潜伏していたため、捜索に手間取ったとのことです」

 

「そう。気取られてないなら結構だよ」

 

常盤が爪にヤスリをかけながら報告を受ける。深爪にはならないように短く切られた爪が丸みを帯びていく。

 

「動けるのは?」

 

「現状で即応可能な部隊は107憲兵隊、第109憲兵隊、第110憲兵隊、第113憲兵隊から第115憲兵隊までの6つです」

 

「108は捜索で各地にバラけてたから再集合をかけなきゃいけないからねー。6、かぁ……」

 

磨きあげた爪に短く息を吹きかける。頭の中で算盤を弾いた。

 

「前回の105は全隊員を投入したわけじゃないし、残りは動かせない?」

 

「105も捜索班に編入していたため、難しいかと」

 

「うーん。まあ、ないものねだりしても無駄か……」

 

6つなら数は200を超える。たったふたりを相手にするには過剰すぎる戦力だ。

 

「ほんとは引っ張ってこれるなら戦車くらい持ってきたいとこなんだけどね。さすがにちょっと難しいや」

 

陸さんに出してもらえないか打診してみようか? とふざけた口調で常盤が続ける。

 

「さすがに問題になるかと」

 

「わかってるって。冗談が通じないなー」

 

すっと常盤が肩をすくめる。ヤスリを机にことんと置き、部下の男に視線を注いだ。

 

「即応可能部隊に通達。8時間後に『オペレーション・イーカロス』を開始する。全部隊に作戦概要を回して」

 

「了解」

 

部下の男が報告書を常盤の机にそっと置くときっちりとした回れ右で退出した。すぐに常盤が報告書に手を伸ばす。

 

「そういえば結局、若狭クンから連絡はなかったなー。彼の右脚のスペックがわからないのは痛手だけど、まあなんとかするしかないね」

 

ぺらぺらと報告書のページをめくる。どうも各地方にいる憲兵隊の集合率があまりよくない。本当ならばもっと数を投入したかったが、ターゲットが発見された以上はあまり時間を引き延ばすのは得策と言えなかった。

これから先を読み進めても大した収穫は無さそうだと見切りをつけて常盤が机に報告書を放った。叩きつけられた報告書は磨きあげられた常盤の机をなめらかに滑った。

 

「っ!」

 

滑らせてるがままにさせていた報告書が机の上に伏せていたフォトスタンドをビリヤードのように弾いた。慌てて常盤が身を乗り出してフォトスタンドを掴んで、机の上から落ちることを防いだ。

ふ、と一瞬だけ詰めた息を吐き出してフォトスタンドを伏せるように置いてから、再び報告書に視線を投げる。

 

常盤は峻のことを認めていないわけではない。ヨーロッパで生き残ってきた時は自分の評価が不当なものだったと思って改めたし、技術士官としての腕も特筆すべきものがあると思っている。

 

だからこそ腹立たしい。

 

自分とどこか似通った匂いがする。それでもって実力もある。それなのに何もしない。自分から何もしようとしない。

 

力があるくせになぜ何もしない。それがどうしようもなく苛立たせる。

どういう感情なのかいまいち明瞭にならなかった。だが今ならはっきり言える。

 

私は帆波峻という人間が大嫌いだ。

 

「だからこそ、ここで仕留める。『ウェーク島の英雄』サマの翼をもぎ取って地にたたき落としてやらなきゃね」

 

常盤が笑みを深めた。1度は取り逃がした。だがもう逃げる余裕は与えない。

 

第105憲兵隊は確かに峻に負けた。だが持ち帰ったものは貴重だ。帆波峻の戦闘。この情報があるとないでは大きく違う。

 

わかったことはふたつ。

 

殺さずを貫いていること。そして遠距離攻撃の手段を多くは持っていないこと。

 

ひとつめは期待できないだろう。追い詰められたら悠長に殺さずなどせずに攻撃してくる可能性が高い。

だがふたつめは違う。

 

105との戦闘において、峻はほとんどすべてを格闘戦でカタをつけている。ハンドガンは決め手として使っていたのではなく、ほとんどが牽制目的や、小銃などの脆弱な部分を正確に撃ち抜いて、武器を破壊することに使用していた。

 

仮に本気を出して拳銃を決め手にし、銃撃主体に切り替えてきたとしても、たかがハンドガン。射程はナイフよりあっても、弾幕を張ることはできない。

 

ならば打つべき対策は何か。答えは簡単だ。

 

そもそも近づかせなければいい。届かない場所から撃ち続けてなぶり殺しにする。なにも相手の得意な距離にあわせてやる必要性など、どこにもないのだ。

 

国家(ミノス)に逆らった反逆者(イーカロス)は飛んで逃げた。けれど最後は太陽(ヘーリオス)によって蝋で固めた偽物の翼を壊されて地にたたき落とされる」

 

誰もいない部屋に常盤の声が木霊する。

 

「君はただの反逆者で、ただのテロリストだ。それ以上でもないし、それ以下でもない」

 

だから死ね。

 

そう続けた常盤の目は暗く燃えていた。

 

同期だから。そんな情はそこに微塵も介在しない。

 

「太陽に灼かれて堕ちろ、イーカロス」

 

ただそこにあるのは剥き出しの敵意。そして憎しみの感情だけだ。

 

 

 

『オペレーション・イーカロス』開始まであと5時間……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢を見ていた。

 

それはとても温かく、ずっとそこにいたいと思わせるものだった。

 

楽しい。そう感じながら、ずっと引っかかるものが胸の奥にあった。

 

自分にこれを享受する資格はあるのか。さんざん人の人生を奪ってきた自分には資格がないのではないか。

 

どこかで距離をとっていた。適度に親しく、それでも最後の一線は引き続けていた。

 

自分のせいで夢をめちゃくちゃにしてはいけない。そのために身を引いた。

 

 

 

だから。

 

 

 

だから巻き込んでしまった叢雲を無事に帰すことが責任を負うということだろう。

 

 

 

 

 

「ぅん……」

 

もぞもぞと叢雲が寝袋の中で小さく動く。峻がガスランタンを片付けて荷物を纏めていく。

 

「起きろ。ちょっとやばそうだ」

 

「……見つかった?」

 

「だな。かなり遠いところにいたから気づくのが遅れた」

 

小鍋をしまい、峻の寝ていた寝袋をくるりと巻いてコンパクトにする。かなり手早く纏めているその様子から焦りが窺えた。

 

「今朝になって展開を始めたから気づけた。かなりの規模だ。憲兵隊は本気らしいな」

 

「どうするつもりよ」

 

「また俺が前で暴れて突破口を作る。それでいいだろ」

 

「じゃあ、私は……」

 

「待機だ」

 

きっぱりと言い切る。ショルダーホルスターからCz75を引き抜いてスライドを往復させると、セーフティをかける。マガジンを引き抜いて弾倉に空いた1発分を込めた。

 

「さて、どう出てくる……?」

 

2階の窓からちらりと外の様子を覗く。動く気配はない。だが小さく見える人影はフルフェイスのメットを被り、ボディーアーマーも装着していた。

 

「フル装備かよ。ずいぶんと気合いの入ったことで」

 

皮肉っぽく峻が言い捨てる。前回は市中であったためか、小銃こそ持っていたが軽装といってもいいレベルだった。だが今回は前回と同様に小銃も持って、そこに防具も固めてきた。本格的にやり合うつもりのようだ。

 

「……こっちも温存できるような状況じゃなさそうだ」

 

叢雲を帰すまでは殺すことができない。だがナイフとCz75だけで、なおかつ不殺を貫いて突破できるほど甘いわけでもない。

 

「出方次第で対応を変えるしかないな、これは」

 

1階に駆け下りていつでも飛び出る準備を整える。その後に荷物を抱えた叢雲が下りてくる。

 

「叢雲、お前はこっちだ」

 

「えっ?」

 

叢雲を連れて、ここに潜伏した初日に探索したキッチンへ。思っていたよりも重い床下収納の戸を持ち上げると中のものを掻き出す。

 

「この中に隠れてろ。流れ弾がないとも限らねえ」

 

「私は……」

 

「始めに言ったことを忘れたか? 終わったら……そうだな。2回ノックして、ワンテンポ空けてからもう1回ノックする。それ以外は開けるな。もしそれ以外で蓋を叩くやつがいたら、そいつをなぎ倒せ。その後は俺がやられたものとして逃げること」

 

「っ……わかったわよっ」

 

キツい口調でまったく心にもない納得の言葉を叢雲に口にさせると床下収納へ押し込んだ。

完全に蓋を落としてから峻が自嘲的に笑う。

 

なにがついてくるなら言うことを聞け、だ。お前は何のために戦うつもりだ? 叢雲が無事に帰れるようにする環境を整えるまでの場繋ぎだろう?

 

「うるせえ」

 

余計な思考を頭から追い出す。やらなければいけないことは明白だ。叢雲を傷つけることなく、そして叢雲に傷つけさせることなくこの場を、更には今後を切り抜ける。

 

これは叢雲の知る戦場じゃない。艦娘が知っていい戦場じゃない。

 

「俺はもう戻れん。戻るつもりもない。だがお前はまだ引き返せる」

 

返事は返ってこない。聞こえないように言ったのだから当然だ。

 

「勝手に死ぬな、か……」

 

左手のCz75をじっと見る。何度も使い込んでしっくりと手に馴染んだ拳銃。

これを自分に向かって撃つだけで死ぬ事が出来る。

 

「誰かを守れた。そんな自己満足と共に死ねたらどんなにいいだろうな」

 

だが死ねない理由が与えられてしまっている。だから死ねない。

 

「あまり悠長に構えてる暇もないか」

 

ズボンの右裾をまくり上げる。右の靴下と靴を脱ぎ捨てると滑らかな人工皮膚が露わになった。

 

「痛覚神経カットオフ。義足戦闘用プログラムオン」

 

峻がつぶやくと、義足の表面を覆っていた人工皮膚が剥がれ落ち、磨きあげられた金属が顔を覗かせる。関節は途中で引っかかるようなことはなく、非常になめらかに動く。

 

「さすが明石と夕張の仕事だ」

 

峻が鋼鉄の右脚を叩いた。きちんと動く。初めて戦闘用プログラムを使ったが、今の所はうまく起動している。まだ装着してから2週間ほどしか経っていない。戦闘用プログラムで動くのはリスキーだが、やるしかない。

 

「だが近づいてくる気配がねえ……ひょっとすると遠距離からきめるつもりか?」

 

だとしたら厄介だ。こちらに遠距離攻撃の手段はない。いや、ないわけではないが、小銃とCz75では手数が違いすぎる。狙って撃ってくるのならやりようもあるが、近づかせないことを目的に撃ってくるのなら、はっきり言って接近戦に持ち込むことは難しい。

そして近づく余裕も与えてくれないということは、コンバットナイフとCz75、加えて憲兵隊の車からかっぱらったC-4と手榴弾しかない峻には非常に喜ばしくない状態だ。

 

「どうしたもんかな……」

 

じゃり、と鋼鉄の右脚がガラス片を踏みにじる。得意の土俵に引きずり出す必要がある。それまでの過程を見つけなくてはいけない。

 

「とりあえずは様子見……っとぉ!」

 

バン! と玄関のドアを開け放つ。同時に素早くバックステップ。そして継ぎ目を感じさせないほどなめらかに左ステップで部屋へと飛び込む。

 

その一連の動きの最中に、連続した銃声が何十と響く。峻がいた場所に突き刺さり、床に穴を穿つ。

峻は部屋の中に転がり込むと、姿勢を低くしたままで部屋の窓に近づき、外の様子を顔が出ないように覗いた。

 

「狙いを定める気がない……どちらかというと退路を塞ぐ撃ち方をしてくるか」

 

廃屋に穿たれた穴の位置から誰がどう撃ったのかを推測。扇のように撃たれたようだが、かなりの密度で撃ち込まれている。

 

放射状に撃たれてしまえば左右に避けることは難しくなる。そしてそれぞれの銃撃の間隔が狭く、峻の体を入れ込めるほどのスペースが存在しないのだ。やはりそもそもとして近づかせるつもりがないのだろう。

 

「相手の得意なレンジに付き合ってやる義理はねえってか。妥当な判断だな」

 

憲兵隊の指揮官を峻は内心で称賛した。不必要に味方を危険にさらさず、そしてなおかつ有効な手段だ。取ってきたやり方は実に正攻法とも言える。真正面からぶち当たっていくには少々、いやかなり峻にとって部が悪い。

 

だが今更その程度で屈するようなつもりは微塵もない。これぐらいの危機なら何度だって乗り越えてきた。その場にあるものと自らの頭を振り絞ってどうにかしてきた。

 

五体満足。頭もクリア。手元には愛銃のCz75とコンバットナイフ、手榴弾にC−4爆弾と鋼鉄の義足。

 

武器もある。脳も回転してくれる。体も動く。

 

「つまりベストコンディションだ」

 

峻が嗤う。右の口角を吊り上げてぐにゃりと挑発的に。

 

自分との戦闘のために練られた対策。自分の土俵に持ち込めないという、なんとも苦しい状況に追い込まれた。

 

だが正攻法だけが全てではない。

 

正攻法が通じないのなら、どんな搦手を使ってでも引きずり出せ。足りない脳なら出涸らしになるまで絞り尽くせ。絶対条件を出し、その上で全てを満たし切る方策を暗中から探り出せ。

今までもそうやって生きてきた。何も変わりはしない。

 

ただ場所が変わっただけ。自分自身の腕に頼るしかないというところは何一つとして変わっていない。

口の端に火の着いていないタバコを咥える。ほこりっぽくはあるが、それでもいい。

 

「まったく……なんも変わんねえ」

 

ちらりと窓から外を覗く。相も変わらず近づいてくる様子はなく、こちらの出方を見ているだけのようだ。

もっと近づいてこなければやりようがない。わかってやってきている分だけなおのことタチが悪い。

 

二、三発ほどCz75を撃って威嚇してみるも、無反応。

 

「さあて、本当にどうしたものかね……」

 

峻が悩ましげにつぶやいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブーツが廃れてひび割れた道路を踏む。目の前に展開した部下たちにいつでも銃撃させられるようにじっと目標のいる廃屋を見張らせていた。

1度目の銃撃から何かをしてくる気配はない。3度ほど銃声がしたが、それも特に何かあったわけではなかった。一応と思い、警戒はさせたが無意味に終わりそうだ。

 

「向こうも様子見か」

 

「隊長」

 

「……なんだ」

 

「目標が105と戦闘をし、たった1人で薙ぎ倒したというのは本当でしょうか。自分は未だに信じられません」

 

「……事実だ。残念だが我々の個々人では目標には敵わん」

 

だからこその集団戦法だ。作戦概要を見せられた時は大袈裟なと思ったが、その直後に見せられた105との戦闘記録を見せられて驚愕すると同時に納得した。

 

「それでは……」

 

「だが、だ」

 

弱気なことを言おうとした部下の言葉をきっぱりと遮る。

 

「我々には戦略というものがある。わざわざ正面からぶつかる必要はない。戦術というものは時に強大な敵を容易く打ち倒せるものだ」

 

「つまり……」

 

「勝てる。必ずな」

 

これだけの人員を投入し、装備も徹底しているのだ。これで逃げられるわけがない。

 

「そのまま監視を続けろ。何が何でも逃がすな。ここでケリをつけるぞ」

 

「はっ!」

 

駆けていく部下を見送りながら心に誓う。もう逃がしはしない。憲兵隊の威信にかけて。

 




こんにちは、プレリュードです!
まーた戦闘かよと思われたそこのあなた。安心してください。自分もまーた戦闘書いてんのかよと思ってます。どったんばったん大騒ぎしてるわけですが仕方ないよね。だって反逆者だもの(み〇を)

まあ、言い訳がましく並べ立てましたが避けられないんですよね、戦闘回。まあ、今回はそこまでド派手にならないことを祈りますよ。
無力さを突きつけられていく叢雲の心情やいかに。それをよそにすべて1人で片付けなくてはいけない帆波は持つのか?といったところでしょう。

感想、評価お待ちしてます。それでは!


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OpUS-09 『Disgusting point』

ボロボロのビルの屋上で伏せた姿勢のまま、スコープをのぞく。

スコープの向こう側に見えるのはこれまたボロボロの廃屋。ただ1点、廃屋の窓をじっと睨み続ける。

 

「なあ、動きはあったか?」

 

「ない。てかテメエは観測手(スポッター)なんだから見えてんだろ」

 

「なんの動きもないと暇だよな」

 

「…………否定はしねえ」

 

トリガーカバーに指をかけたまま、スコープをのぞき続けるのは確かに暇だ。いや、いっそ苦行ですらある。冷たいコンクリートに寝そべり、冷たい風に晒されながらじっとしているのはかなり忍耐力を要されることだ。

 

「そろそろ隊長どのが痺れを切らさねえといいんだがな」

 

「言うなよ。じれったい気持ちはわかるつもりだぜ?」

 

「硬直状態ってのはどうもな……おっと」

 

拡声器のスイッチを入れた時に聞こえる独特の音が鼓膜を震わせ、スナイパーとスポッターのふたりが押し黙る。

 

《あー、あー。帆波峻、貴様は完全に包囲されている。銃殺許可は出ているが、大人しく投降すれば殺しはしない。投降したまえ。繰り返す、投降したまえ》

 

「……投降すると思うか?」

 

「しないに缶コーヒー1本」

 

上乗せ(レイズ)しなくていいのか?」

 

「お前もどうせしないに賭けるんだろ」

 

「まあな」

 

「ならこの賭けは成り立たねえじゃねえか」

 

「はっ、ちげえねぇ。っと……」

 

ザザッ、と通信機がノイズを発する。アイコンタクトで静かにするよう相方に告げると通信に出る。

 

『目標が窓に姿を現したら撃て』

 

「……殺ってもいいってことですか?」

 

『ああ。どのみち上は殺して構わんと言ってきている。これ以上、伸ばすのも面倒だ』

 

「了解」

 

相方がぐるりと首を回す。切れた通信機をじっと見つめていた。

 

「聞こえてたか?」

 

「ああ。殺れってことだろ?」

 

「ビンゴ。さて、やるか」

 

その声を皮切りにして上からイヤーマフがしっかりと装着しているか確認。右目でスコープをのぞき込む。相方のスポッターが望遠レンズを覗き込む。

 

「窓から姿を見せた瞬間に殺る。頼むぜ相棒(スポッター)

 

「任せな相棒(スナイパー)

 

緊張の糸がさっきよりも一段と張り詰める。肌で感じた風の向きと強さ、空気の湿り具合など含めて長年の経験から大まかな弾道を事前に導く。

 

あとは姿を見せたら細かい修正を行い、この人差し指をトリガーにかけてゆっくりと引けばジ・エンドだ。

 

自分が担当の窓をじっと見続ける。風の音や軋むコンクリート、カサカサとゴミが転がる音など、周囲の雑音がフェードアウト。自分の規則正しい呼吸音だけが聞こえる。視界には遠くの窓しか入らなくなった。

 

両目を見開いてその時を待つ。勝負は一瞬。窓に姿を見せたら速攻で弾道を補正し、一撃で決める。

 

自分が超一流だと自惚れるつもりはない。むしろ狙撃の腕は平凡の部類だ。

だが狙撃手として必要なものがあるという自負はある。

 

相手の届かないところから一撃を叩き込む狙撃は卑怯だと思われるかもしれない。最前線には出ないため、こちらの命を危険に晒すことなく、無慈悲に相手の命を刈り取るからだ。

 

卑怯と罵られようと、殺す覚悟だけはきっちりと持っている。

 

だから躊躇いなくこのトリガーは引ける。

 

「…………きた」

 

帆波峻だ。窓ごしではあるが、姿を捉えた。

 

「おおよそ窓枠上方から30、右から25だ」

 

「了解」

 

脳が唸りを上げて回転する。コンマ1秒にも満たない時間で弾道を補正し、狙いを定める。

 

呼吸を整えて銃身がブレないよう、慎重にトリガーに指をかけ、ゆっくりと引いた。

 

リコイルショック。

 

身体中に震動が這い回る。

 

サプレッサーによって抑えられた銃声がしんとした大気を震わせた。

 

スコープは覗いたままに。硝煙が風に吹き飛ばされ、すぐに視界はクリアになった。

 

帆波峻が左手を額にやった。狙撃されたことに気づいたのか?

 

いや、だが手のひらごときで狙撃用の銃弾を防ぐことなどできはしない。体がどっと後ろに倒れ込んで姿が完全に見えなくなった。

 

「ヘッドショット。お見事」

 

「どうも。あっけないな」

 

相方が望遠レンズから目を離した。縮こまっていた背中をぐぐっと伸ばす。

 

「ま、これでよかったんじゃねえの? そういやこれでボーナスとか出ないのかね?」

 

「さあな。お上の采配に期待するさ」

 

肩を竦めながらスコープにつけていた目を離してまばたきをした。狙撃手の仕事はここまでだ。あとは前衛部隊に任せる。

とはいえ今の狙撃で確実に仕留めたはず。前衛がするのは死亡の確認だけだろうが。

 

「ま、あとは作戦終了の合図を待とうぜ」

 

「そうだな。ボーナスが出たら飲みにでも行こうや」

 

「ははっ、いいかもな」

 

男2人が笑いあう。もう決まったも同然だった。

 

 

 

 

 

「狙撃が成功したとの報告です!」

 

「よし!」

 

ずっと難しい顔をしていた現場指揮官の顔に喜色が浮かぶ。いそいそと指揮卓につくと憲兵隊の配置状況とにらめっこを始める。

 

「第107憲兵隊から4名を選出しろ。編成でき次第、廃屋の中へ突入させる」

 

「はっ!」

 

素早く机に駆け寄る。現場において出せる人員は誰がふさわしいだろうかと考えを巡らせる。

 

「冷静に判断できる人間を中核に編成したいですね」

 

「そうだな。それを中心に腕の立つものを編成したいところだ。銃撃だけに限らずな」

 

「そうですね。狙撃は成功したとのことですが、万が一という可能性を捨てきれない以上は、念には念を押した方がよろしいかと」

 

「ああ。その通りだ」

 

現場指揮官が頷く。大所帯で行っても、廃屋が大きくないため、互いが邪魔になる。そのため、少数精鋭で突入させる必要があるのだ。

 

「まだ駆逐艦がどうなっているかわかっておらん。十分に警戒するように言っておけ」

 

「了解です」

 

副官が敬礼。仮設本部から回れ右をして出ると指定された人員たちへ向けた通信を飛ばした。

 

 

 

 

 

「で、俺らにお鉢が回ってきたと」

 

「そういうことになるな」

 

「腕を買って、とは言われましたけど貧乏くじ引かされましたねえ」

 

「まあ、そう腐るな。命令は命令だ。やるしかあるまい」

 

隊長がスリングが繋がった小銃を持ち直す。後に続く3人もそれに倣ってしっかりと保持し直した。

歩くたびにひび割れた道路の砂利がざくざくと鳴る。

 

「目標は死んだんでしたっけ?」

 

「確定ではないがな。我々のすべきことはその確認と駆逐艦の確保だ。駆逐艦が抵抗する場合は撃ってよし、とのことだ」

 

「駆逐艦っつーと年端もいかない女の子みたいな見た目でしたっけ? 嫌だねえ、そんなのを撃つなんて」

 

「交代要員の申請が必要か?」

「まっさか。冗談がキツイっすよ、隊長」

 

軽口を叩いていた部下も廃屋に近づけば黙った。フルフェイスメットを被っているため、表情まではわからないが、仕事の顔になっていることは察された。

 

「廃屋内の詳しい地形はわからん。その場の判断で対応する。いいな?」

 

「「「ラジャ」」」

 

廃屋の扉の前に立つ。銃撃のせいで穴だらけになった半開きの扉を内側へ蹴り飛ばすと4人が同時に小銃を構える。

 

「……よし、行くぞ」

 

トラップが仕掛けられていないことを確かめてから、廃屋に一歩目を踏み出す。4人が互いの背中を守りあうようにしながらゆっくりと前進。

 

「……確か1階の西向き配置の部屋でしたね」

 

「そうだ。もう少し先だ。警戒を怠らずに行くぞ」

 

「アイアイ」

 

荒らされた床埃のあとからここに目標はいたことがわかる。違うサイズの足跡が2つ。片方は男物、もう片方は女物らしきサイズだ。

 

背中に汗がにじむ。フルフェイスメットの中の吐息がわずかに荒い。

 

玄関からじりじりと奥へ。小銃を構えてキッチンの中に素早く身を滑り込ませる。誰もいない。

 

「……この奥だ」

 

キッチンから出ると、再び廊下を行軍。あまり大きくない家のため、廊下は決して長くない。だが安全確認をしながら一歩一歩と歩けば自然と時間はかかる。

 

そして階段にさしかかった時、階下に何かが勢いよく飛び降りてきた。何かは飛び降りてきた勢いをそのままに、先頭にいた隊長に当たり、壁際まで吹き飛ばした。

 

「かはっ……」

 

背中からとてつもない衝撃。肺の空気をメット内で吐き出した。頭がぐらぐらとする。立ち上がれと体に命ずるが全身が鉛になったように動かない。

 

ちっ、脳震盪か……

 

薄れゆく意識の中で隊長の男は自分がどうして気絶したのかを悟っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

峻は階下に飛び降りると位置エネルギーをそのままに、先頭にいた隊長格らしき人間を思いっきり蹴飛ばした。隊長格を落とせば一瞬だけでも混乱が生じる。そして誰が本部に報告するかと迷う。それを計算した上で初手は隊長格を落とすつもりだった。

伸びたことを右目の動きだけで確認すると、次の標的に狙いを定める。

 

発砲されると面倒だ。だからその暇すら与えずに片付ける必要がある。

殺さずに、そして撃たせずに。なおかつ撃たずに片付けるためには、こちらも出し惜しみはナシだ。

 

ダン! と左脚で踏み込むと加速。と、同時に右脚に意識を送って内部の機構を始動させる。

 

薙ぎ払うように振るわれた右脚の内部に仕込まれたブースターが作動。蹴りの速度が加速した。

 

速度は重さになる。ふわりと投げられたボールと全力で投げられたボール、どちらがぶつかったら痛いかなど論ずるまでもない。

 

ならば蹴りの速度を上げればどうなるか。もちろん、体感の威力は上昇する。

 

「ぐぁっ!」

 

ブースターの青白い光を引きながら峻の鋼鉄の右脚が小銃を叩き折り、蹴りを食らった憲兵の体が浮き上がる。そして先と同じように壁に叩きつけられて伸びた。

 

本部に連絡させる時間を与えるな。

 

ブースターの勢いに振り回されそうになる体をなんとか抑え込むと、今度は右脚のブースターを作動させながら踏み込み。

 

残る2人の懐に飛び込む。フルフェイスメットとボディアーマーのつなぎ目に手を差し込んで頸動脈を強く圧迫。それを2人同時に実行した。

 

もがこうとするがもう遅い。右が、続いて左の憲兵の力が抜けて崩れた。

 

──殺すんだ。さあ、我らが理想のために……

 

「ぐっ……」

 

ふらりと峻が揺れ、頭に手を当てる。震える左手がホルスターに向かって伸びていく。

 

落ち着け。ここは昔じゃない。殺しは悪手だ。

 

脈打つ心臓を抑え込む。打って変わって荒れ始めた吐息が耳障りだ。

 

「はあ、はあ、はあ…………ゴフッ!」

 

口から血が溢れ出した。口の端を伝う血を右の手の甲でぐいと拭う。

 

「無茶の代償、か……」

 

峻は退院している。だが完治と退院は違う。腕とあばらの骨折は治った。体の火傷も、裂傷も。

だが、内臓(なか)は別だ。あくまで退院できたのは日常生活においては支障がないレベルまで回復したと判断されたからであって、ここまでの負荷を体にかけることは想定されていない。

ただ暴れているだけでも体に負荷をかけていたのだ。それに加えて右脚の使用。

 

峻の右脚に仕込んであるのは小型とはいえ高出力のブースターだ。つまり生まれる振動も反動もただ蹴るだけとは段違いとなる。

 

もしも万全の体調で振るっていたのならこうはならない。明石は峻に渡された設計図を忠実に再現しつつ、体へ悪影響を出させないように製作していたからだ。

 

だが峻の怪我は完治していない。内臓の傷は塞がりかけなのだ。

 

「無茶無理上等。屈しねえぞ、俺は」

 

口元に残る血を拭ってがくがくと震える体を気付けとして叩く。喉にせり上がってくるものをこらえて、よろめきながらキッチンへと向かう。

 

無茶なんていまさらだ。さっきの狙撃されたフリをすることだって、後ろへ倒れ込むタイミングがわずかにでも遅れれば、峻は三途の川を渡っていた。

窓に姿を晒せば、狙撃手が撃ってくることは予測していた。だから遠くのマズルフラッシュを見逃さないようにした。あとは飛んできた弾丸に合わせて当たる1歩手前で後ろへ倒れ込む。左手で額を覆ったのはスポッターの目を誤魔化すためだった。

そして右脚の使用だ。とっくに無茶も無理も押し通していた。

 

床下収納に近づくと2回ノック。少し間を空けてからもう1度。

床下収納のふたが小さく持ち上がり、叢雲が顔を出す。

 

「……どうしたのよ」

 

「出てきていいぞ。まだ安全じゃねえけどな」

 

「ふうん……」

 

叢雲が床下収納から出てくると服についたホコリを払う。

 

「で、どうするの」

 

「時間がねえ。説明しながら行く。とにかく来てくれ」

 

上着を翻した峻の後を叢雲が急いで追いかける。早足で駆けていく峻は打ち倒したフル装備の憲兵たちのそばに膝をついた。

 

「こいつらの装備を剥ぐ」

 

「へっ?」

 

「いいから。時間がねえ」

 

峻が気絶した憲兵からフルフェイスメットからボディーアーマー、ブーツやらを手早く脱がせていく。

 

「ちょっ!? あ、あんた何するつもりよ!」

 

「変装。こいつらの装備を着けてれば憲兵隊になりすませる。ほら、その服の上からでいいからこれ着とけ」

 

ぽんと放り投げられた装備が叢雲の足元に転がった。峻はそのまま2人目の装備を剥ぎ取りにかかる。

完璧ではないことは承知の上。一瞬でも欺くことができれば重畳だ。

 

「っし。あとはこの2人を適当に縛り上げておいてっと」

 

凍え死なれては目覚めが悪いため、寝室に置きっぱなしになっていた布団で包むとその上から縛り上げて床下収納に詰め込んだ。

 

「いいか、叢雲。できるかぎりお前は喋るな。応答は俺がやる」

 

「どうして?」

 

「お前は声が高いだろ。野郎の声と言い張るのは無理がありすぎる」

 

どんなソプラノボイスな男だよ、と峻が苦笑した。着ている服の上から剥ぎ取った憲兵の服を着込んで装備を装着すれば、もう見た目は完全に憲兵と同一だ。

 

「いいか、俺たちはケガしている。そういうことにしろ。いいな?」

 

「ええ、わかったわ」

 

フルフェイスメットを被った叢雲がうなづく。峻もメットを被ると無線機のスイッチを押した。

『こちら本部。突入隊、応答を。繰り返す。こちら本部。突入隊、応答を』

 

「こ、こちら突入隊……」

 

『突入隊、何がありましたか?』

 

峻が声色を弱々しいものに似せる。さっきまで吐血したりしてきたので、近く似せるのは簡単だった。

 

「目標に襲撃を受け……2名が意識不明。自分を含めた残る2名も、やられました……」

 

『目標は?』

 

「わ、わかりません……姿が見えなく、なってしまい……ぐっ」

 

『すぐに追加の部隊を送る』

 

「自分ともう1人は歩けます……ですが残りは動けないため、担架などを……」

 

『了解した。そう伝えておこう。目標はまだ家屋内にいるか?』

 

「……すみません。それすらも……もしかすると他に脱出路を確保していたのかもしれません……」

 

『周辺も捜索すべきか……とにかくご苦労。自力で戻れるのならすまないが戻ってくれ。後方に仮設とはいえ手当てのできる場所がある』

 

「了解……」

 

プツ、と通信が切れた。峻は思わず息を吐き出す。

 

「な、なんとかなるだろ?」

 

「逆によくなんとかできたわね」

 

「それに関しちゃ同感だ。ま、こっから先も不測の事態が連発するだろ。臨機応変に行くからな」

 

壁に寄りかかって気絶したままの憲兵はそのままにして、表口の玄関から出た。あえてよろよろと足取りを不確かにして歩く。

 

「大丈夫か? ひとりかふたりを出して肩でも貸させるぞ?」

 

「いや、大丈夫だ。それより目標を…… 」

 

「わ、わかった」

 

わざと痛々しい声の中に強がるような調子を混ぜる。フルフェイスメットのため、顔は見えない。声はいつもと少し変えておけばそうそう気づかれるようなことはないだろう。

 

「気づかないでくれよ……?」

 

内心で祈りながら進む。本部を迂回してだんだんと人気のない場所へ。つけられていないことを確かめつつ、着実に憲兵隊がいた場所から遠くへと離れていく。

 

「おい」

 

「っ! はい、どうしました?」

 

「確か突入隊の2人だな? そっちじゃない。仮設医務室は向こうだ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

くるりと向きを変える。舌打ちしたくなる気持ちを抑えて仕方なく仮設医務室へと足を向ける。

 

「待て」

 

だが投げかけられた一言が峻と叢雲の足を止めさせた。奥歯を強く噛み締めて苛立ちをこらえようとする。

 

「動くな。貴様らは包囲されている」

 

「……やっぱ無理あるよな」

 

峻が素早く反転すると声をかけてきた男に近づき、腰に伸びかけていた手を弾く。そのまま一瞬で締め上げた。

 

「がぁ……ぐ、ごぁ…………」

 

5秒できっちりと意識を刈り取る。ぐったりと憲兵が倒れ伏すまでさしたる時間は必要なかった。影から飛び出してきた憲兵隊の数に舌打ちし、叢雲を投げ込むように影へ放り込む。

 

「誘い出しかよ、くそったれ!」

 

コンクリートが抉られ、破片が飛び散る。視界が確保できない屋内でやりあうよりも、外でというわけだろう。

こうなると防具は邪魔になる。さっさと脱ぎ捨てるとCz75とナイフを抜き取って構えた。

 

「いっ……けぇっ!」

 

右脚のブースターを作動させながら大きく飛び上がる。建物の取っ掛かりを足がかりにして軽やかに屋上へと上っていく。

幸いなことに憲兵隊から峻の壁を駆け上がる姿は見ることができない。そしてブースターの駆動音も、銃声にまぎれて上手く聞こえない。

 

「っと。うん、行けるな」

 

屋上から峻が確認したのは憲兵隊の車が停めてある位置。そして憲兵隊の展開状況だ。それさえ大まかにわかってしまえば対応できる。

 

再び取っ掛かりに足をかけつつ、叢雲の元へ。トン、と軽く着地すると砂埃がもわっと舞い上がった。

 

「もうボディアーマーは脱いでいい」

 

「えらく早いのね」

 

「今は身軽が最優先だ。この角を走った先に車が停めてある。そこまで駆け抜けるぞ」

 

「でも銃撃にあうわよ?」

 

「だからこいつを使う」

 

峻が取り出したのは憲兵隊の車両から以前、盗んだ手榴弾だ。

 

「これで一瞬だけ気を引く」

 

「大丈夫なの?」

 

「ああ」

 

手榴弾と言っても爆破規模はそこまで広くない。だが音はかなり大きい。それなりの音がでれば憲兵の注意を少しだけくらいなら逸らすことができる。

 

「スリーカウントで行くぞ。いいな?」

 

「了解」

 

「3、2、1……ゴー!」

 

手榴弾のピンを抜いてカウントを始める前のタイミングで思いっきり投擲した。コン、と地面に手榴弾がぶつかると同時に音を立てて炸裂した。

その時には既に叢雲と峻は走り出していた。憲兵たちがわずかな時間、手榴弾に気を取られている隙に走り出した。目指すは憲兵隊の車両だ。

 

「開かないわよ!」

 

「すぐ開ける!」

 

叢雲がドアを引っ張っている間にコネクトデバイスで車体の電子ロックをしているシステムにバックドアを構築して侵入するとロックを解除した。

Cz75で牽制。撃つことで憲兵の接近を防ぎつつ、ついでに周囲に停まっていた他の車両のタイヤを撃ち抜いてパンクさせた。そしてするりと運転席に滑り込みながら制圧したシステムからエンジンをかける。

 

「飛ばすぞ! 舌噛むなよ!」

 

アクセルをベタ踏みして全力で逃走の姿勢に入る。追いかけられるであろう車両は潰した以上は、この場から素早く逃げれば跡を追われることはない。

 

後ろから銃撃が続く。だが走行している車にそうそう上手く当たるわけがない。すぐに憲兵から車は豆粒のようなサイズになるまで遠くへ離れていった。

 

「やられた……」

 

 

 

オペレーション・イーカロスは失敗した。




こんにちは、プレリュードです!

我ながら無茶苦茶をやったな、と思っております。変装て。それにひっかかんなや。とかすっごい反省してます。
本当に最近タスクが溜まりまくってて1話あたりが雑にならないようにしないとって思ってはいるんですけどね、はい。まあ、とにかくがんばります。
それにしても最近、他の艦娘を出してないなぁ。そろそろ出してあげたいんですけど機会がなかなか……

感想、評価などお待ちしてます。それでは!


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OpUS-10 『Fury point』

廃墟をただひたすらに走った。峻は喉元にせり上がってくるものを何度もこらえる。

 

「はっ、はっ、はっ……ぐっ」

 

口から血が溢れることをなんとか防ぐ。隣には叢雲が走っているのだ。余計な不安を与えてなるものか。

 

「くそ……」

 

想像以上に右脚のせいで体にかかる負荷が大きい。覚悟していたとはいえここまでのものとは思わなかった。

 

「あんた顔色が悪いけど……」

 

「大丈夫だ、問題ねえ」

 

叢雲が言葉を言い切る前に言い捨てる。そうやって強がることしかできない。虚勢だとわかっていても張るしかないのだ。

 

「でも……」

 

「いいから走れ! 早く離れるぞ!」

 

憲兵隊から強奪した車は完全に憲兵隊を撒いてから乗り捨てていた。そうでなければカーチェイスと洒落こんでいたかもしれないが、追いかけっこという意味ではどちらもあまり大差ない。

 

「くそったれ……今度はあっちかよ……」

 

悪態をつきながら走り続ける。体の内側から痛みが侵食してくるような感覚と戦いながら遠くへ。

 

確かに峻たちは憲兵隊の展開していた範囲から逃走することに成功はした。だがそれはイコールで終わったわけではない。

 

「わかってたさ。お前が動いてくることくらいは。そういう奴だもんな、お前は」

 

なんて言っても長い付き合いだ。どんな人間か完璧ではないが知っている。だから今まで不思議ですらあった。

 

追いかけてくる集団に向かって発砲。牽制として打ち出された銃弾が追っ手の足を遅らせる。

 

「どこまで逃げるつもりよ!」

 

「どうせどう逃げても無駄だ! さっきの憲兵隊なんかとは数が比にならねえんだぞ!」

 

「じゃあどうするのよ! もう倒すしかないじゃない!」

 

「そのための考える時間が欲しいんだよ! とにかく安全地帯が欲しい!」

 

それにしても撃ってくる気配がない。ということはやはりそういうことなのだろう。

 

「ったくどんだけ人員を投入してんだよ。人海戦術とか素でやるなよな」

 

そしてこちらが殺さないとわかっているかのような追跡の仕方。撃ってくることは予測していたのか、防弾チョッキは着込んでいるようだがそれだけしか防具の類をつけないというずいぶんな軽装っぷりだ。

 

「まあ、来るだろうとは思ってたけどよ……」

 

愚痴っても始まらない。そんなことはわかっている。いい加減、手を抜くのも限界かもしれないな、と頭の隅で思った。ぬるいやり方ではなく、もっと非情なやり方に。

そうでもしないと切り抜けられない。だから殺せ。そう自分にナニカが語りかける。

 

嫌な思考を振り払う。殺すことは簡単だ。だが1度でもやってしまえば歯止めは効かないだろう。

 

何度も角を曲がり、追手を撒いた。だが撒いても次よ次よと、とめどなく次の追手が現れては追いかけてくるため、息付く暇もない。

 

「いくらなんでもやりすぎだろ! なあ! マサキ!」

 

追っ手はすべて横須賀鎮守府海兵隊のエンブレムが付いている。つまり憲兵隊から逃れたと思っていたら今度は海兵隊を相手取ることになってしまった。

一難さってまた一難。連戦なんてもっとも避けたかった。

 

そんなことを言っても何も始まらない。わかっていながらぼやきたくなる。

 

「あんた、前!」

 

「げ、やば……」

 

土地に詳しくないことが災いした。完全に袋小路だ。建物内に飛び込みたいところだが、生憎と左右は建物の壁であって、入口らしいものはない。

 

前は行き止まり、後ろはわらわらと追ってくる大量の海兵隊。打ち倒せなくはないだろうが、スペースが広くないため確実にうまくいくとは言い切れない。

 

「ならこいつか」

 

峻はCz75をホルスターに戻すと、代わりにワイヤーガンを取り出す。

 

「叢雲、悪い」

 

「へっ? ちょっ、あんたなにを……」

 

叢雲を左手で抱え込むとワイヤーガンを撃って、ベランダの手すりに引っ掛ける。右脚のブースターとワイヤーを巻き取る勢いを利用して一気に壁を乗り越えた。

 

「うおぉぉぉぉぉぉ!」

 

「と、飛びすぎよ!」

 

予想していたよりも体感のスピードが速い。だがこれしきで醜態を演じる峻ではない。

 

飛び越えた瞬間に引っ掛けていたワイヤーを外して巻き取り、屈伸の容量で着地して衝撃を緩和。それでもかなりの衝撃が足からから全身に伝わったが、抱えていた叢雲を離して走り始めた。

 

「やるなら先に言いなさいよ」

 

「悪いって言ったろ?」

 

ぶっきらぼうに言い放つ。そもそも何のために逃げていると思っているのか。

 

「この中でいいだろ」

 

「ん」

 

叢雲が短く肯定。適当な建物の中へと滑り込んだ。

 

「ボロボロなのは変わらんか……ま、いい。とにかく打開策を見つけねえとこれは突破できねえぞ」

 

「また包囲網を一点突破するの?」

 

「いや、おそらくはできねえだろうな」

 

峻が頭を振った。追跡として投入されていた人員の数からだいたいの総人数を逆算しにかかる。

 

「たぶんマサキのやつは海兵隊にエリアで包囲させてるはずだ。それだけの数がいる。となると包囲網は2重、3重と敷いてるはずだ。それを突破するとなると時間がかかりすぎる」

 

一点突破は時間をかけることなく速攻でやるから有効なのだ。だらだらと長引かせてしまえば、状況は不利になっていくばかりだ。

 

「変装するのは?」

 

「前回はフルフェイスメットを装備してたからごまかせたんだ。今回はそんなもん着けてなかったし、なにより俺もお前も面割れしてるんだ。すぐにバレる」

 

急いで階段を登るとそこらにあった家具やらを運び、仮設バリケードを建てて籠城体制を整える。階段さえ塞げば2階に登る手段は上からの懸垂降下しかなくなる。そこまでの装備を持ってきているとは思えなかったし、それを持ってくる時間を稼げれば十分だ。

 

「今度は横須賀鎮守府海兵隊、つまりはマサキが相手ってことかよ」

 

忙しないことこの上ない。本格的に追い詰められてきた。

峻がイライラと腕を組みながら廊下を往復する。試算で出した推定の数をどうやったら突破できるか。殺さずに、そして捕まらずに。

 

前提条件が厳しすぎる。無理だ。

 

──なら殺せばいい

 

馬鹿言え。それができないから苦労してんだろうが。

 

──お前の枷となっている少女を見捨ててしまえばいい

 

それをやったら確実に叢雲は死ぬ。

 

──見殺しにすることくらいで何を躊躇っている

もうしないと誓った。

 

──ちがうな

 

なにがだよ。

──過去から目を背けるな

 

黙れよ。

 

──お前がみんなみんな殺した

 

だから黙れって…………

 

 

「ねえ、ちょっと!」

 

叢雲の声によって現実に引き戻される。眉間に寄っていたシワも戻して何でもない表情を取り繕う。

 

「なんだ?」

 

「少し話を聞いてほしいのよ」

 

「あ、ああ。構わねえけどなんだ?」

 

「えっと…………」

 

叢雲がゆっくりと口を開く。ためらいがちに、だがその頭を必死に回転させて浮かんだ考えを伝えようとする。

 

 

 

「…………っていうやり方なんだけど」

 

「…………」

 

「やっぱり駄目?」

 

「……少し待て」

 

今しがた叢雲の出した提案を峻が再検討する。リスキーすぎる。危険だ。そんな考えが渦を巻く。

だが止めたところで聞くだろうか。はっきり言って微妙だ。なにより現状でこれよりも優れた案が峻からは出てきていない。

 

「……現実、それよりいい方法が思いつかん」

 

「じゃあ!」

 

「お前の提案を取るしかないな」

 

よし、と叢雲が小さくガッツポーズ。それを見て苦笑しながら峻がコンパクトにまとめられた荷物を漁る。

憲兵に変装して逃げる時にあらかたのものは置いてきてしまった。だが多少のものならば服の中にいれたり、マガジンポーチにいれたりしてごまかせたのだ。

 

「ほれ」

 

「えっ」

 

ひゅっと投げられたものを叢雲がキャッチ。しげしげと何を投げられたのか叢雲が手のものを見つめる。

 

「コップ?」

 

「作戦前の1杯ってな。水と水、どっちがお好みで?」

 

「事実上の一択じゃない」

 

水でいいわよ、と投げやりに叢雲が言った。小さなボトルから透明な液体が叢雲の持つコップに注がれる。

 

「残念だが温かくはねえ。ま、そこは諦めてくれ」

 

「冷たい方が頭が冴えていいんじゃない?」

 

「かもな。ほれ、乾杯」

 

「ん、乾杯」

 

峻はボトルを、叢雲はコップを掲げてから口をつける。大した量もないため、あっという間に飲み終わってしまう。

 

「侘しいわね」

 

「仕方ないだろ。飲み物で持ち出せそうなもんがこんくらいしかなかったんだから」

 

「武器の類はぜんぶ運び出せたのにね」

 

「それこそ大したもんはないけどな。爆薬とかしかねえし」

 

「ないよりはマシじゃない」

 

「かもな」

 

ぐぐっと峻が伸びをする。首を回して骨を鳴らすと冷たい床に座り込んだ。

 

「詳細を詰めるぞ」

 

「ええ、そうね……えっ?」

 

ぐらりと叢雲がよろめく。突然、意識が朦朧としてきた。思わず近くにあったチェストに手をつく。

 

「な、に……まさ、か……あんた…………」

 

叢雲が揺れる。抗うように瞼を上げようとするが抵抗も虚しくそれはゆっくりと落ちていく。

 

「私に、なに……を…………」

 

最後まで言い切ることはなく、足の力が抜けて叢雲がずるりと壁に背をつけて座り込む。すぐに小さな寝息。

 

「安心しろ、ただの睡眠薬だ。死にはしねえ」

 

逃走する最中に水や食料などと一緒に買ったものだ。目的は別のつもりで買ったが、思わぬところで役に立った。

 

「ま、俺に効くわけないか。見張りの交代で寝る時に、眠れないかもと思って買ったが、やっぱり効かなかったな」

 

峻は自嘲した。眠気は特に襲ってくる様子はない。わかっていた話だ。

ガサゴソと小さな荷物を探る。お目当てのものを探し出すのにはさしたる時間はかからなかった。

 

「悪いな、叢雲。お前はここまでだよ」

 

峻が取り出したものをいじり始めた。時間はない。だからすぐに終わらせる。これがこの状況を変える切り札になると信じて手を動かし続ける。

何度もやったことだ。やり方は手が覚えてる。目をつぶったままでもできる自信があった。この作業に関しては。

 

狙いのものは5分もかけずにできた。手に収まるサイズのリモコンの中をしっかりと思い通りに改造できたか確認してからパチンと填める。

 

そして最後に取り出したそれはしっかりと包まれた粘土のようなもの。それにも峻は手を加えていく。

 

「よし、完成」

 

叢雲が寝息を立てる中で宣言。峻の目前にはC-4爆弾が鎮座していた。

 

「さて、そろそろか」

 

下準備は完了した。打開策とも呼べないようなものだが用意はできた。あとは本番だ。

 

東雲の率いる海兵隊との戦いが始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東雲将生は前線に出たがる男だ。

 

東雲自身がそう自覚している。だが中将が現場に出てどうする。いたずらにその身を危険に晒して、早々にやられてしまえば現場の指揮は混乱し、戦線は崩壊してしまう。

だからいつもぐっと堪えて奥に控えているのだ。

 

だが今回はそれを適応しなくてもいい。

 

つまるところ、東雲は海兵隊の指揮を前に立って執っていた。

 

「目標を見失いました」

 

「落ちつけ。包囲網にはかかってねえ。なら近くにいるはずだ。入念に捜索しろ」

 

「はっ!」

 

海兵隊が敬礼をしてからくるりと回り、東雲の前から立ち去る。

 

「まだこの場にはいる……廃墟のどっかに身を潜めているはずだ」

 

くまなく探せば必ず見つかる。なにせ人ふたりだ。見逃せるような粗い包囲網は張っていない。前回は憲兵隊の装備を着けて突破したようだが、1度は通じても2度目はない。今回はフルフェイスメットを付けさせていないため、変装するのは不可能だ。

 

「打てる対策はすべてやった。ここらで捕まれよ、シュン」

 

もう終わりにしよう。そんな思いで東雲は指揮を執る。

展開状況と周辺の地形が詳細に描かれたホロウィンドウを見つめる。帆波峻を表すマーカーは地図上に光っていない。同様に叢雲のものも、だ。けれどすぐに判明するだろう。

包囲網に配備された海兵隊は接触したら即座に通信を飛ばすように指示してある。さらに定時連絡をかなり短いスパンで取るようにしたため、何かあればすぐにわかる。

様子見なんていらない。ただ全力を持って叩き潰すのみ。

 

少し欠点をあげるのならば、横須賀鎮守府を翔鶴に任せていることだろうか。長時間ではないといっても負担をかけてしまうことに変わりはない。

 

「だがな、あいつは俺の同期で俺の部下なんだ。部下の不始末は上が片付けるもんだろうが」

 

戦果は出していた。だから放置していた。別に基地自体が回っていなかったわけではないため、よしとすらしていた。

それでもこうなってしまったのならば仕方ない。せめて自分の手で終わらせる。

殺さずに自らの罪を償わせることによって。

 

東雲がオイルライターで口に咥えたタバコに火をつける。ゆらゆらと立ち上る煙をじっと見つめた。

 

「確かにシュン、お前は強い。下手な人数で挑んだら一瞬で返り討ちだ。量より質って言葉もある。けどな、圧倒的な量は質を上回るんだよ」

 

そして殺しをしていない峻に切り抜けることは難しい。意図してか、はたまた意図せずかはわからないが、叢雲が峻のストッパーとして機能している今だからこそ被害は出ずに終わらせられる。

 

何も引っかかるものがないわけじゃない。横須賀を通さずに本部が峻を召喚しようとしたこと。これは明らかに不自然だ。もちろん、手続きを踏まずともできることではある。だが普通は一言くらい断りをいれるか、もしくは本部まで引っ張ってくるのをやらせるものだ。それが断りもなしにいきなり本部召喚だ。違和感を感じるなという方が無理だ。

 

「ま、あいつを捕まえたら聞くさ。だが憲兵隊からの横槍が厄介だな。くそ、なんとかしなくちゃなあ……」

 

やかましく憲兵隊が身柄をよこせと言ってくる状況は安易に想像された。東雲としては引き渡すつもりが一切ないのではっきり言って邪魔以外のなにものでもない。

 

「ここはおいおい考えるとして……」

「ち、中将どの!」

 

東雲の元に海兵隊の連絡役が駆け込んでくる。急いでタバコの火を消すと携帯灰皿に落とした。

 

「どうした?」

 

「目標を発見したのですが……」

 

「何かあったのか?」

 

「はい。目標が中将どのと話したい、と」

 

「へえ……お呼びなら行くか」

 

「御足労をおかけします……ですが、何をするかわからない状況でして」

 

よほどのことが起きたのか、困惑したように連絡役が顔をしかめる。

 

「現場の判断では難しい案件でして……」

 

「いい。俺が出てって話がつけられるなら上等だ」

 

「お気を付けてください。本当に何をするかわからないのです」

 

東雲の眉が本当に僅かながら動く。状況がいまいち読めない。何が起きている? 確保できていない。だが場所はわかっている。そしてこの口ぶりからするに、手を出すこともできていないようだ。

 

「状況の説明を」

 

「はっ! 現在…………」

 

連絡役がどうなっているか説明を始める。だがはじめの一言目だけで東雲はなにも頭に入ってこなくなった。

 

「…………中将どの?」

 

「いや、報告ご苦労。なら急ぐか」

 

嘘だ。そう断言したい。そんな状況はあってはならないのだと。

 

ポケットに手を突っ込む。冷たいオイルライターを強く握りしめた。

 

悪い冗談であってくれ。連絡役が逃がしてしまったことを誤魔化すためにこんな嘘をつきましたと言ってくれた方がいくばくかマシだ。

 

大して離れた場所ではなかったのか。少し小走りに移動するだけで目的地には着いた。ボロボロの建物を海兵隊がぐるりと取り囲んでいる。その海兵隊は東雲が来た瞬間、一斉に敬礼をした。

 

返礼もそこそこに建物に入ると、奥の階段を上がる。

 

「よお。遅かったな、マサキ」

 

真っ先に視界へ飛び込んできたのは足を組んで座る峻。

 

そして寝息を立てている叢雲の首に嵌められたC-4爆弾と峻の左手に握られたリモコンスイッチ。

 

何が起きているかは明白だった。

 

あの左手に握られたスイッチを押せば叢雲の首に嵌められた爆弾は爆発するのだろう。それを盾にしているため、海兵隊は攻めあぐねているのだ。

 

つまりは人質。危害を加えようものなら叢雲を殺すぞという脅し。

 

「そこまで…………」

 

オイルライターを握っていた手が震える。血管が浮き出ている拳をさらに強く握る。

 

報告を信じたくなかった。それだけは、それだけはやって欲しくなかった。

 

やむを得ない理由で逃げているのだと。叢雲を連れて行ったのは仕方なかったことなのだと思っていた。いや、思いたかった。叢雲を捨て石にするようなことはしないだろうと思っていたかった。

 

「ふざけるなよ……」

 

お前は変わったヤツだった。好き勝手に振舞って、だがそれができるだけの実力を持っている男だった。そしてなにより、甘いとわかっていながら仲間を見捨てるようなことをする人間じゃあなかった。

 

だから俺はお前に憧れたし、支えてやりたいとも思った。俺の理想みたいなことを体現していたお前が眩しかった。

 

その他ならぬお前が、帆波峻という人間がなぜそんなことをする? 叢雲は仲間じゃなかったのか?

 

お前は仲間と言った人間を躊躇いなく自分のために人質にしてしまえるのか。

 

ふざけやがってふざけやがってふざけやがって!

 

「そこまで堕ちたか帆波ぃぃぃぃぃぃ!」

 

東雲の怒りがこもった叫びが廃墟にこだました。




こんにちは、プレリュードです!
次は横須賀ですね。戦闘が連続して続きますが仕方ないよね。
どったんばったん大忙しな方も多いと思われる春ですが、この世界では冬なんですよ。季節感ねぇーと思われるかもしれませんがご容赦を。ここまで話数がこの章で伸びるとは思わなかったんです。

感想、評価などお待ちしてます。それでは!


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Opus-11 『Deception point』

 

峻が左手に握ったリモコンスイッチを振った。あの親指が押し込まれるだけで何が起こるのかは想像に難くない。

 

「堕ちた……ねえ」

 

「そういうことだけはしないやつだと思ってたよ、俺は」

 

東雲が心底嫌そうに吐き捨てる。視界に入れたくなくとも入ってくる首に爆弾を嵌められた叢雲の姿。ここまで賑やかでも起きないところを考えるに、なにか薬でも盛られているのだろう。

 

「うちの海兵隊が攻めかねていたのはこういうことか」

 

「憲兵隊と違って数が多かったからな。簡単にあしらえそうにもなかったんだ」

 

「素直に賞賛として受け取っとく。で、何のつもりだ?」

 

「おいおい。この状況を見てわかんねえとのたまうほど横須賀鎮守府の司令長官サマは鈍くねえだろ?」

 

「鈍くなったつもりはねえ。だがこっちの早とちりもよくないからだ」

 

「なるほど、ごもっとも」

 

峻が薄ら笑いを浮かべる。もてあそぶようにリモコンスイッチをいじりながら、右手でCz75をすぐに撃てるように抜かりなく準備しているあたり、気を抜いているようでもきっちりと警戒しているらしい。

 

「じゃ、ありきたりなセリフだが言っとくか」

 

左手のリモコンスイッチを峻が掲げる。いつでも押せるぞ、と言うかのように親指をスイッチに添えた。

 

「武器を捨てろ。そこから先に来るなよ。この駆逐艦の首が吹っ飛ぶのが見たくないのならな」

 

「……ここまでやるのかよ、お前は」

 

「残念だったな。たぶん今日はお前にとっての厄日だよ。同情くらいならしてやる」

 

「厄日の元凶がほざくな」

 

「はっ、違いない」

 

何を考えているのかわからない顔で峻は東雲に視線を注ぐ。東雲が右手を懐の9mm拳銃に伸ばす。

 

「話をつけるならトップとするのが手っ取り早いと思ってな。悪いが呼び出させてもらったぜ」

 

「まさかとは思うが俺が言うことに従うとでも?」

 

「従うさ。この駆逐艦は戦果を上げてるからな。見殺しにはできない。人質を見殺しにしたとあれば横須賀鎮守府海兵隊の名は地に落ちるしな」

 

「だとしてもそこで起爆すればお前まで巻き込まれるぞ」

 

「バーカ、そんなミスするかよ。ちゃんとこの駆逐艦の首だけを吹っ飛ばせる爆薬の量に調整してある。俺にはせいぜい爆風の余波が来るくらいだ。巻き込まれることはねえ」

 

「なら押してみろよ」

 

「そう簡単に切り札を使えるか。それよりお前こそいいのか? 軍属とはいえ見た目は少女だ。横須賀鎮守府海兵隊はそれを見捨てました、なんて報道が流れたら世間はどう思うだろうな?」

 

東雲が峻に気づかれないくらい僅かに奥歯を強く噛み締める。実際に実行するか否かはさておき、もしも実行された場合、あまりいい事態に発展する未来は見えない。

 

「懐の拳銃を捨てろ東雲。海兵隊の武装解除もだ」

 

「チッ」

 

懐の9mm拳銃を脇に投げ捨てる。要求を飲むしかない。まだ今は峻が主導権を握っている。まさか押すわけがないと思いたいが、目の前にいるのは東雲の知らない帆波峻だ。

自分の知っている帆波峻という男ならこんなことはそもそもやらない。その時点で向こうはこちらの予測が効かないところにいるのだ。

 

「……要求は」

 

「いいね。話が早くて助かるぜ」

 

「人質なんて手に出たからにはなんかあんだろ。それとも無事に解放する気はありませんってか?」

 

「そうだな、人質を無事に解放するのはやぶさかじゃない」

 

峻が右手のCz75をくるりと指先で回してはキャッチすることを繰り返す。セーフティもかけずによくやるものだと東雲はなんとなく思った。

 

「逃走車両が欲しい。ついでに弾も。9×19mmパラベラム弾だ。マガジン5本分くらいはすぐに用意できるだろ」

 

「弾はすぐに用意できる。だが逃走車両は時間がかかる」

 

「それで結構だ」

 

鷹揚に峻がうなづく。東雲が手近な海兵に目をやってそばに呼んだ。

 

「注文通りに弾を用意。急げ」

 

「はっ」

 

駆け出していく海兵を見送ってから東雲を階段を下りようと回れ右。峻に背中を見せるような格好になった。

 

ここで撃ってくることはない。海兵隊が東雲の完全な指揮下にいる状況下で現場を混乱させるような真似は悪手。だから背を向けても問題ない。

そして峻は撃ってこなかった。

 

「不審な真似をしたらすぐにこのスイッチを押す」

 

「……肝に命じとくよ」

 

「狙撃も諦めた方がいいぜ。外から死角になるように座ってるからな」

 

「わざわざそこまでご苦労さん」

 

言い捨てて階段を下る。ぐつぐつと煮えたぎるものを抑え込んで努めて冷静なふうを取り繕う。もう1度は取り乱してしまった以上、今更ではある。それをわかっていても、そのまま取り乱し続けることがいいことではない。

 

「俺が現場指揮を執ってるんだ。上がおたおたしてたら下も付いてこれねえだろうが」

 

誰にも聞こえない音量で囁く。しゃんとしろ東雲将生。当初の想定とは大きく外れてしまったがやることは変わっていない。人質となった叢雲の救出が優先にはなったが、帆波峻の確保はしなければならない。

 

「あいつは窓際を避けて壁際に座っていた。明らかに狙撃を恐れている」

 

コンクリート越しに狙撃を決めるのは不可能。なにより一撃で決めなければいけないにも関わらずそのような不確定要素を抱えながら実行に移すのはリスクが高すぎる。

 

仮設テントの中に東雲が入る。控えていた海兵は立ち上がらずに会釈だけに済ませた。それでいいと東雲が言ったからだ。

 

「どうされますか?」

 

「あれのコネクトデバイスに介入して神経系統を乗っ取ればどうだ ? コネクトデバイスで電気信号を完全にインターセプトすれば動くことは出来なくなるだろう」

 

「残念ながら無理です。侵入に気づかれれば起爆スイッチを押されるでしょうし、そもそもあのコネクトデバイスはオフラインになっています。介入の余地がありません。それだけでなく電気信号を完全に遮断したことは実例として存在しないので賭けるには危険です」

 

「そうか。狙撃も難しそうか?」

 

「狙撃班からの報告だと確実に成功する保証はできない……と」

 

「やはりか……」

 

使用する狙撃弾によってはコンクリート壁くらいなら貫通できる。それこそラプアマグナムぐらいを使用すれば余裕だろう。問題はそこではなく、対象が見えないことだ。ここぐらいの位置、と言われたところで見えないものを正確に撃ち抜く自信のある人間などいないだろう。まして人命がかかっているとなれば尚更。

 

「弾は用意できました。ですが逃走車両は……」

 

「わかっている。ぎりぎりまで引き延ばせ」

 

「了解」

 

嫌な状態だ。東雲が内心で愚痴る。

 

マスコミなどの類にリークするという脅しをかけてきたということは、何かしらの方法でリークする手段があるということだ。

 

「交渉はどうだ?」

 

「それが東雲中将どのが外れられてから口を開こうともしません」

 

小さく舌打ち。どうやら変わりとして置いた人間と話す気はまったくないらしい。

 

「別の交渉役に変えてもう1度だ」

 

「わかりました」

 

おそらく無駄だろうが、と内心で付け加えた。東雲を引っ張り出したいのは明白だ。指揮を取らせないために呼び出そうとしているのだろう。

 

「建物内の海兵を数人残して下がらせろ。下がらせた海兵は建物の包囲にまわせ」

 

「はっ!」

 

それ以外に指示を出そうにも出せない。ただそれだけだ。ポケットのタバコを握りつぶす。

最善策はどこに転がっている。いや、それよりも優先すべきはどっちだ?

叢雲か? 帆波峻か? どちらを取るべきだ。

 

「……今だと思ってたんだがな」

 

叢雲が枷になっている。だから殺さないように戦闘をしていた。その予想は間違っていたのだろう。

事実として峻は叢雲を人質に使ってきた。

 

「くそ……」

 

「中将どの」

 

「どうした?」

 

仕事用の顔に切り替えて東雲が面を上げる。部下の男が仮設テントの中へと入り込んだ。

 

「交渉役ですが……」

 

「最後まで言わなくていい。もうわかった。俺を指名してきたか」

 

「はい。ですが……」

 

「危険、か」

 

その通りだ。今の峻は東雲の知る男ではなくなっている。どんな出方をしてくるか予測がつかない。そもそも相手は反逆者だ。なりふりかまわず人質まで使うほどの。そんな場に現場の指揮官が出張るのは得策ではないどころか、最悪といっても過言ではない。

 

「だがオーダーは俺なんだろ?」

 

「はい……」

 

わかって呼んでいるとしか思えない。現場指揮を取らせないようにして時間を引き延ばしたところでなにができるというのだろうか。

 

「狙撃班に連絡してくれ。確認したいことがある」

 

「繋ぎます」

 

通信機に部下が飛びつくとすぐにホロウィンドウが東雲の目の前に浮かび上がった。

 

『こちら狙撃班です』

 

「ひとつ確認したい」

 

『なんなりと』

 

「目標の持つリモコンスイッチの送信部を狙い撃つことは可能か?」

 

『…………不可能だとは言いません。目標の頭部は見えませんが、リモコンスイッチだけなら窓からぎりぎり見えるので。ですがあのように目まぐるしく手の中で動き回っている状態では難しいです』

 

「つまり一点に固定されればできるんだな?」

 

『その状態で10秒ほど固定されていれば、可能です』

 

10秒。短いようで長い時間だ。だがその時間さえ稼ぐことができれば逆転の一手となる。

 

叢雲を殺すことに躊躇うつもりがないのなら、リモコンスイッチを破壊したところで右手の拳銃が残っている。そちらも対処しなくてはいけない。

 

「待てよ……」

 

そもそもどうして首に爆弾を嵌めるなんてややこしい真似をしたのだろうか。わかりやすく人質と主張するのならこめかみに拳銃を突きつけるだけで十分だ。

 

あの時は頭に血が上っていて気づかなかった。それでも冷静になってみると、かなりまだるっこしいやり方のような気がしてくる。

 

意図が読めない。なんのためにこんな面倒な方法を選択した意図が。

爆薬の量も自分には被害が及ばない量に調整したと言った。だがなにもそこまでやる必要などないのだ。たった1発の銃弾で人は殺せる。そして右手に峻は拳銃を持っている。

 

「弾切れか?」

 

いやまさか。即座に浮かんだ思考を振り払う。憲兵隊の車両から銃弾をくすねておいてそれはないだろう。そもそも2度にわたる憲兵隊との戦闘において、映像では峻は牽制以外で銃を使用していない。それも使用頻度は高くないのだ。それなのに弾切れとは考えにくい。

 

「だが要求に銃弾があった……」

 

すでに撃ち尽くした? いくらなんでもペースが早すぎる。海兵隊が追い込んだ時も撃ってはいたが、くすねた銃弾をすべて使い切るほどだっただろうか。

 

「わざと混乱するようにやってるって考えた方がまだ信憑性があるな……」

 

東雲が頭を掻いた。自分を現場に引っ張り出そうとしていることと併せて考えるとありえなくもない。

 

『中将。狙撃はどうされますか?』

 

「……臨機応変に動け。おそらくヘッドショットの機会はないと思うが、リモコンスイッチならチャンスはある。もしいけると思ったら何かの形で合図を送る。そっちでいける確信が持てるなら撃ってくれ」

 

『了解です』

 

残念ながらこれしか取る選択肢は思いつかない。実質上の待機命令。それ以外にどうしろと言うのか。様子を見ることの他に取る手段が見つからないのだ。

 

「東雲中将、どうされますか?」

 

「……ホロ装置を向こうに配置。これで俺が交渉役に着くことは達成になるはずだ」

 

「目標が爆破を実行する可能性は? 」

 

「ここで切り札を使うほど馬鹿じゃない。文句は垂れるかもしれんが、いきなり無条件で爆破はありえん」

 

「なるほど。すぐに手配します」

 

実体が赴くのはリスキーだ。ならばホログラムを送り込めばいい。ホログラムならばいくら銃弾を撃たれても爆破に巻き込まれても死ぬようなことはない。

 

「ホロ装置の準備、整いました」

 

「目標に確認とれました。ただ条件として、通信は中将どの以外に聞こえないようにすること、と」

 

「……ここは妥協点だな」

 

自分がここで落ちるリスクと引き換えになるのならば仕方ない。そして人質を見捨てる選択肢も存在しないため、これしかないだろう。

 

『聞こえるか』

 

『ああ、クリアだ。ホロ装置とは大掛かりなもんを持ち出したな。さすがは横須賀鎮守府』

 

『世辞はいい。いい加減に投降するつもりはないか』

 

『ないね』

 

ホロ装置から送られてくる映像で峻はきっぱりと言い切り肩を竦めた。

 

『なんでだ……なんでお前はそんなとこにいるんだよ』

 

『なんで、か……』

 

ふっと峻が短く息を吐く。それに従ってどこか遠くを見るような目に変わった。相変わらずくるりくるりと手で拳銃をもてあそんでいるままだ。

 

『それを語る義理が俺にあるのか?』

 

『ならてめえはその理由とやらのためにずっと秘書艦にしてた艦娘を躊躇いなく人質にするわけだ』

 

『まあ、そうなるな』

 

東雲の言葉に込めた非難も涼しい顔で峻は受け流す。左手ではリモコンスイッチを、右手では拳銃を回すという器用な真似を続けたまま。

 

『俺の知ってるお前はそういうことはしない人間だった』

 

『東雲将生が知ってる俺はそうかもな。でも相手のことを完全にわかることなんざ土台から無理な話だ。結局はお前の知らない俺があるってことだろ』

 

『だとしてもこういう形で話すことになるとはな』

 

『それは俺も予想してなかったさ。ま、これも巡り合わせだ。適当に諦めろ』

 

なんの益もない話だ。交渉ですらない。だが話を長引かせる意味はある。むしろ狙って長引かせるべきだ。時間をかければかけるほど、ひとりの峻は寝ることができないため疲弊していく。その隙をつくためには東雲がどれだけ話を延ばせるかにかかっている。

そういった意味では東雲としては今のところ順調にことは運んでいた。

 

『まさかそこまでする奴だったとはな』

 

『そういう人間だよ、俺は』

 

峻が自嘲と挑発の入り混じった声で言った。どこか浮かぶ笑みも皮肉が混ざる。

 

『そうやってずっと隠してたわけだ』

 

『まあな。わざわざ教えてやる義理もない』

 

『結局、お前は俺たちの前で嘘をずっとついてたわけだ』

 

『嘘は言ってないぜ。ただ本当のことも言ってないだけだ。昔に言ったろ? 仲間に嘘はつかねえってな』

 

『仲間……か。お前にとっての仲間って言葉はそんなに陳腐なものだったんだな』

 

『それこそお前が好きに解釈してくれ。俺がどう思ってようとも説明できるもんじゃない』

 

『なあ、てめえはなんだ?』

 

『はははっ! 俺はなんだ、か!』

 

ふっ、と不敵に峻が右の口角を吊り上げてぐにゃりと哄笑した。ふつふつと沸き上がるものを東雲は抑え込んでポーカーフェイスを保ちつつ会話の糸口をまた繋ぎにかかる。

部下を目線で呼ぶと、ホロ装置に投影されない場所に部下が駆け寄る。峻から見えないように映像の峻とは目を合わせたままで右手をできる限り小さく動かした。

 

《狙撃班は?》

 

ホロキーボードに打ち込まれた文字が部下の前に浮かび上がる。部下の男は青白く揺れるそれを見て首を横に振った。

まだ話を続けるしかないらしい。

 

『俺は何か、ねえ。なかなかおもしろい問いかけだ。お前で勝手に定義してくれ、としか俺からは言えねえがな』

 

『定義したらどうなるんだ』

 

『少なくともお前の中では定まるんじゃねえのか? 俺は敵か、それとも違う何かなのか』

 

『曖昧にしてはぐらかす癖は変わってねえな』

 

『残念ながら人間ってのはそう簡単に変われない生き物らしい。今それをひしひしと実感してるとこだ』

 

『人を煙にまくような言い回しは一生、変わらんってか』

 

『そういうことだ。残念ながらな』

 

これっぽっちも残念だと思っていないような芝居臭さで峻が両肩を少しだけ上げた。

 

機会はなかなか訪れてくれない。狙撃が成功してからのプランは立っているか、いざそのチャンスが来てくれなければ実行にも移せない。

 

だが諦めるにはまだ早い。もうひとつの、疲弊を狙う方法も残っているのだから。

 

『で、車はまだか?』

 

『もう少し待て。てめえに俺が縛られてるから指示がうまく通らねえんだよ』

 

『そりゃ失礼。まあ、可能な限りちゃちゃっと用意してくれ』

 

『……なあ、いい加減にやめないか。こんなことしても互いに無益だ』

 

『無益、ねえ』

 

くるくると回していたリモコンスイッチと拳銃がぴたりと止まる。

 

『なら逆に言うぞ。いい加減にお前こそ現実を見ろよ。もうお前の部下だった俺じゃないことくらい気づけ。マリオネットの糸はとっくの昔に切れてるんだよ』

 

『ふざけんなよ……だからといってそんな事していいのか! お前はその程度の人間なのか!』

 

『知るか。お前がひとりでそう思い込んでただけだろう』

 

『……』

 

気づいていた。だが認めたくなかった。

 

東雲将生は主人公になれない。だから脇役を極めてやろうと思った。

 

帆波峻は主人公になれる。それに東雲将生は憧れ、そして支えたいと思った。自らの理想を体現してくれると希望をかけていた。

 

そんな主人公になれるはずの男がこんな手に出ているということが許せなかった。

 

そしてここまで考えが及んだ時に気づいたのだ。

 

本当に目の前の男は自分の知る人間ではないのだ……と。

 

『別にお前が俺に対して評価なりなんなりを下すことは勝手だ。だがそれが外れたからといって俺を詰るのはお門違いも甚だしいだろうがよ』

 

『……』

 

『もう雑談は終わりか? そろそろ俺も行きたいんだが車は? この指が軽くなっちまうぜ』

 

峻が左手を前に突き出してリモコンスイッチをこれみよがしに見せつける。

 

『お前にそれは押せない。ここで押したら人質を手放すことになる』

 

『ところがどっこい、手放してもいいんだな、これが。俺は足が欲しいからこういう手に出てるだけだ。別に徒歩でも逃げ切れる』

 

峻の手よりも少し大きいリモコンに指が添えられる。もう回すようなことはせずに、ぴったりと止まっていた。

 

いつでも押せるぞ。だからもう俺を待たせるな。

そんな言外の言葉が聞こえてくるようだ。

 

だがそれでいい。リモコンが突き出される時をずっと待っていた。

 

《狙撃班から今ならいける、と》

 

部下が打ち込んだ文字を見て、覚悟を固める。準備は整った。あとはひとつ指示を出すだけだ。

 

《狙撃。リモコンが破壊されたと同時に突入だ。人質の無事を最優先に》

 

東雲によってゴーサインが出された。

 

 

 

押し殺された銃声。

 

逆転を狙う1発の弾が、撃ち出された。





こんにちは、プレリュードです!
おかしい。この話で横須賀との戦闘(?)は片付けるつもりだったのに終わらない、だとっ……
東雲と帆波の会話が当初の予定より伸びたのが敗因ですね。まさかこんなに長くなるとは……
ま、まあ今までにも予定外は数多くありましたしきっとなんとかなる!はずです。はい、なんとかします。

感想、評価などお待ちしてます。それでは!


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Opus-12 『Bitterly point』

 

ほんの一瞬のことだった。

 

 

だが起きたその出来事は状況を劇的に変えた。

 

 

窓を突き破った銃弾が峻の左手にあったリモコンスイッチの送信部を撃ち抜いた。

 

 

それに呼応するように盾を持った海兵たちが突入。叢雲を庇うように峻との間へ割り込んだ。

 

 

『形勢逆転だな』

 

 

「ああ、そうだな!」

 

 

東雲の言葉に対して叫び返しながら峻が素早く間を取って窓に向かって突進。顔の前で両腕をクロスさせて体当たりした時に飛び散る破片から身を守ると外へと飛び出した。

 

 

そして着地する前に右手のCz75を持ち替えてワイヤーガンへ。手近な建造物に向けて撃ち込むとターザンロープの要領で一気に移動した。

 

 

遠くでもう1度、銃弾。空中では身動きが取れないとわかった上での狙撃だろう。

 

 

「ちっ」

 

 

右脚のブースターを一秒だけ作動。それだけで峻の体は左手に動き、銃弾は掠めるだけに留まる。

 

 

「まだまだ!」

 

 

空中で撃ち込んだワイヤーを外して巻き取り、次の建造物へ撃ち込む。位置エネルギーを速度に変えて、古くなってボロボロの廃墟を飛び回る。ワイヤーフックを打ち込んでは次へ。ワイヤーを巻き取らせることによって高度を稼いで振り子のように移動し続ける。

 

 

「発砲許可は降りている。撃て!」

 

 

「っ!」

 

 

右脚のブースターを使って左右に避ける。だが完璧には避けれない。何発かが峻の体を掠め、右肩を抉る。

 

 

危うくワイヤーガンを取り落としそうになることを堪えて射線を遮る位置を狙って建物の陰へと滑り込む。そのままワイヤーを巻き取って高所へと上っていく。

 

 

「あった」

 

 

これだけの数の海兵隊を運ぶために移動用の乗り物があると峻は睨んでいた。そして予想通り、少し離れて高い場所に登れば包囲網が敷かれた向こう側に大型車が停まっている。

 

 

「もらうぜ、その車」

 

 

包囲網を敷いている海兵隊の頭上に飛び降りると包囲している海兵を薙ぎ倒す。幸いにも前の憲兵隊と違ってボディーアーマーなどは着けていないため、右脚のブースターは使用せずともよかった。

 

 

「落ちろ」

 

 

手近な海兵に駆け寄ると膝蹴りを叩き込む。崩れ落ちる姿は見届けずに次へ飛びかかると顎を殴って意識を飛ばす。

 

 

「撃て!」

 

 

瞬時に全ての銃口を見て射線予測。空中では思うように身動きが取れなかったが、地に足がついていれば自在に動ける。あとは予測した射線から体をずらしておけば弾は当たらない。そして回避しながら右のワイヤーガンをCz75に持ち変えると連続で引き金を引いて銃をはたき落す。

 

 

「車はいただくぜ」

 

 

峻が今、欲しているものは逃走用の足だ。だから車がいる。ただくださいと言ってくれるわけではないこともわかりきっている。その為に力ずくで奪おうとしている。

 

 

「させん!」

 

 

「へえ、海兵隊ともなればそれなりがいるじゃなねえか」

 

 

突き出された拳が車に近づこうとした峻の左肩を捉えた。運転手だろうか。バックステップで衝撃を緩和させるとにやりと右の口角を吊り上げる。

 

 

「ここで終わりだ、帆波峻」

 

 

「できるものならやってみな」

 

 

もう一度、海兵が右拳を振り抜く。峻が左に首を傾けて避けると勢いをそのままに右脚で蹴りつけた。

 

 

「ぐっ」

 

 

海兵が腕で蹴りをガード。同時に横へ飛ぶことで峻と同じように威力を殺す。

 

 

「なかなか。だが浅い」

 

 

右脚のブースターを起動。蹴り終わって姿勢の崩れた峻の体勢を無理やり戻すと、今度は左足で胸の中央付近を蹴って吹き飛ばした。

 

 

「おし、あらかた片付いたな」

 

 

まだ数名ほどちらほら残ってはいる。だがこの数は放置したところでどうとでもなる。武器は全て破壊するか弾き飛ばしてあるのだ。

 

 

大型車に寄ると助手席に座って番をしていた海兵を打ち倒して鍵を奪い取り、キーシリンダーに差し込んで回す。エンジンさえかかってしまえばあとは簡単だ。

 

 

アクセルを踏み込んでスピードを上げる。最後の包囲網として配置されていた海兵たちはもう峻によって無力化されているため、逃げるのは楽勝だ。

 

 

「さて、目的は果たせた。こっからはどこに身を寄せようかねぇ」

 

 

死ぬなと言われた以上は死ぬわけにいかない。エンジンを噴かせて廃墟の中を突き進みながらこれからどうするべきか考えを巡らせる。

本格的にやることがなくなった。目的意識もない今はどうするか。完全に峻は路頭に迷っていた。

 

 

戦わなければいけなかった。それなのに戦う場は失われてしまった。もう峻は深海棲艦との戦いに身を置くことはないだろう。

 

 

「どうせ空港とかには顔写真が配られてるんだろうしな。国外逃亡は無理だろう」

 

 

助手席から答えはない。もう叢雲は東雲が無事に保護しているからだ。けれどそれでいい。これで良かったのだ。むしろ狙い通りですらある。

 

 

「マサキ、俺もお前のこと全てを知ってる訳じゃない。だが俺が叢雲を人質に使った時に怒れる人間なら信じられる」

 

 

ハンドルをきって曲がる。行く先は決まらない。この手にあるのは片道のみで行方が書き込まれていない切符だ。それでもアクセルは踏み続ける。先は決まってなくとも死ぬなと言われた言葉を無下にすることはできない。死ぬなと理由を与えられてしまったから。

 

 

「だから頼んだぜ」

 

 

ニヤリと右の口角を吊り上げる。頼んだ相手は誰か知るのは峻のみだ。

 

 

「ぐ、ごふっ」

 

 

口の端から赤い液体がつつ、と流れ落ちる。無茶の代償だ。右脚の連続使用はやはりこの傷が塞がりきっていない体には堪える。

片手でハンドルを握ったまま、ぐいと拭う。どこに行こうかとあてのない考えをぼんやりと巡らせる。スラムや難民キャンプにでも身を寄せるのがいいだろうか。

 

 

人混みの中に紛れ込めれば隠れることができる。だが都会では私服憲兵の目が光っている。スラムでもそれは変わらないかもしれないが、紛れこみやすいこともまた事実だ。

 

 

「っとと、忘れてた」

 

 

ポケットに入れていた壊れたリモコンスイッチを車を走らせたまま、近くの川へ投げ捨てた。もうこれに用はない。どうせ押したところで何も起きない無用の長物だ。

峻が電波の周波数をいじったため、スイッチを押して電波を発信したとしても、叢雲の首に嵌められていた爆弾は爆発しない。そういうふうに作った。

 

 

行くあても目的はない。ただあるのは死ぬことはできないというその身を縛る戒め、そして戦わなければいけないという強迫観念。

 

 

マリオネットの糸は切れた。もう指示を出す人間はいない。

 

 

ならば今まで指示通りに動いていた人形はどうなるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……」

 

 

叢雲の目がゆっくりと開く。どこか清潔感がありながらも殺風景な部屋だ。見たことのない天井に嗅いだことのない匂い。そして今まで嵌められたことのない……手枷。

 

 

「ああ、そっか……」

 

 

捕まったんだ。

 

 

そう叢雲が認識するまで大した時間はかからなかった。当然といえば当然だ。手枷なんて嵌められるようなシチュエーションはそう簡単に思いつかないからだ。

 

 

「まあ、限界は来てたものね……」

 

 

全てを峻に頼りきっていた。戦闘に参加せずに見ていただけ。叢雲は頼りきってしまっていた。散々、峻のことをサボり屋だなんだと言っておきながら怠惰なのは叢雲本人ではないか。

 

 

内心で自嘲する。とはいえやることは決まっていた。自分が捕まったということは一緒に逃げていた峻も捕まったのだろう。

 

 

だから助けなくてはいけない。これではまたあいつは自分の命を散らすことになってしまう。それだけは回避しなくてはいけない。助けてもらった恩義は返さなければいけないから。

 

 

「問題はどこにいるかなのよね……」

 

 

おそらくここは横須賀鎮守府だろう。東雲の率いる海兵隊に捕まったため、ほぼそこに関しては確実だ。

だが横須賀の敷地は広い。その全てを探して人ひとりを見つけ出すのは並大抵のことではないし、なにより時間がかかる。

 

 

そして時間をかければかけるほど不利になる以上は、確実だと思えるまでは大人しくしておく方が良策だろう。

 

 

手枷はどうしようか。いっそのこと壊してしまおうか。だがそう簡単に壊せるような作りだったら枷になるとは思わない。

 

 

最悪の場合は足技だけでなんとかするしかないかもしれない。そう思いながら体を起こす。毛布を戒められた両腕で苦労してどかし、ざっくりと畳んだ。

どうしようかと思案しつつベットの上に座りながら壁に背を預ける。

 

 

ちょうどいい具合に思考の海へと叢雲の意識が沈み始めた時、鍵を開ける音が唯一の出入口である部屋のドアから聞こえた。

 

 

「こい」

 

 

「……」

 

 

いわゆる尋問、というやつなのだろうか。無言で叢雲は言われた通りにドアまで歩いて行き、両脇と前後をしっかりと囲まれた状態で廊下を歩かされる。

 

 

「入れ」

 

 

言葉通りに部屋の中に入る。さっきの部屋と変わらないくらい白い壁紙とスツールがふたつ、テーブルがひとつという殺風景さだ。なんというか、イメージされる警察の取調室とそっくりだった。壁のうち一面がすべて鏡になっているところなど特に。

 

 

「さて、説明してもらうぞ」

 

 

「……」

 

 

「聞いているのか」

 

 

「……」

 

 

知らない男が言えと強要してくるが、口を開いてやる義理はない。幸いなことに、相手を無視するやり方は慣れている。どこ吹く風で素知らぬ顔。これだけやっておけば十分だ。

 

 

「何か言ったらどうなんだ。だんまりはないだろう」

 

 

「私から話を聞きたいのなら東雲中将を連れてきなさい」

 

 

「中将どのはお忙しい身だ。お前のような反逆者に割いてやれる時間などない」

 

 

「そこのマジックミラーの向こう側でこっそり聞く暇があるなら私に割く時間の捻出くらい余裕だと思うけど?」

 

 

さらりと言い切る。尋問官は表情を変えるようなことはなかったが、流れた空気と沈黙で叢雲は自分の勘が当たったことを察していた。

 

 

「図に乗るなよ、反逆者が」

 

 

「詳しい事情も知らないくせに反逆者扱いなんてね」

 

 

尋問官の言っていることは間違っていない。というか積極的に行動したのは叢雲で、さらに言うなら叢雲の行動した結果、峻も反逆者になっていたわけだが。

 

 

「貴様……」

 

 

こういう時の正しい対応なんて叢雲は知らない。だから咄嗟に思いついたのは峻の真似事だった。煽るような口調を真似して、本丸を引っ張り出す。この方法しか叢雲には思いつかなかった。

 

 

「なぜ貴様のような艦娘のために東雲中将どのが……」

 

 

「いやいい。俺が出張ろうじゃねえか」

 

 

尋問官の入ってきたドアをゆるりと押し開けて東雲が取調室に入ってくる。抗議しようとした尋問官を東雲が右手を上げるだけで押しとどめる。

 

 

「ですが!」

 

 

「いい。それにお前も尋問なんてやったことなかったのに無理させて悪かったな」

 

 

あとは俺がやる、と東雲が肩を叩いた。どこか申し訳なさそうに退出した尋問官だった男がいなくなるのを東雲が見送る。

 

 

「ご指名ってことだから来てやったぜ」

 

 

「無理を言って悪かったわ」

 

 

「別に構わん。で、教えてくれ反逆者。全てを」

 

 

「全て……か」

 

 

何を告げるべきなのだろうか。クローンのことは言うなと言われているし、将官クラスが怪しいと教えられている状態で中将である東雲に告げるのは躊躇われた。

 

 

だがそれならば何を言えばいいのだろうか。

 

 

あいつのことをどれだけ私は知っている? 何も知らないじゃないか。それなのに何を教えられると言うの? 時折あいつが見せる考え込んだ顔の裏も聞けずじまい。

 

 

「結局、私はあいつにとってなんだったのかしらね……」

 

 

「知らん。俺に言われたところでその答えが返ってくるわけないだろう。俺は帆波峻じゃない」

 

 

「それもそうね」

 

 

寂しげな声色がころりと変わる。聞いたところで無駄な事もわかっていた。

 

 

「悪いが少女の感傷に付き合ってやるほど俺は暇じゃない。だから単刀直入に行こうや」

 

 

首を回しながら東雲がスツールを引き寄せる。どっかりと腰を下ろすと机に両肘をついて手を組んだ。

 

 

「教えろ。帆波峻はどこにいる?」

 

 

「えっ…………」

 

 

目の前が真っ白になった。時間が止まったのかもしれないと錯覚する。

 

 

「ま、待って。あいつは捕まったんじゃないの……?」

 

 

「捕まってねえ。今もなお逃走中だ」

 

 

捕まってない。まだ逃げている。そんなわけない。あいつは……

 

 

「信じられねえか。だがこれならどうだ。横須賀海兵隊と帆波峻の戦闘記録映像だ」

 

 

見せられた映像。

 

 

それは峻が爆弾を叢雲の首に嵌めることによって人質にして海兵隊と話している映像だった。

 

 

それは峻が叢雲を置いてワイヤーガンを駆使して逃げている映像だった。

 

 

「そんな……そん、な…………」

 

 

映像は作られたものだ。東雲中将は嘘をついている。だからこんな事ありえない。

 

 

誰でもいい。これは現実じゃないと言って欲しい。こんなの嘘だと。

 

 

否定したい。否定したい。否定したい。否定したい。否定したい。

 

 

 

 

 

 

否定、させてよ…………

 

 

 

 

 

 

どれだけ否定したくともできない。叢雲も伊達に峻の秘書艦を務めていたわけではない。この手の映像を加工したものならば峻のいたずらなり、休憩時間の暇つぶしなりでいくらでも見てきた。だからわかる。わかってしまう。

 

 

この映像には加工した痕跡なんてなかった。

 

 

「私は…………」

 

 

叢雲がうなだれる。何も考えたくない。もう見る事も聞く事もしたくない。

 

 

「知らねえみたいだな、その様子だと」

 

 

「……捕まってるものだと思ってたのよ、今の今まで」

 

 

「意地の悪い事を言って悪かったな。人質扱いされた傷も残ってるだろうによ」

 

 

ふっと東雲が放っていた圧力を引っ込めて柔和な表情に変わる。

 

 

「だめだ。俺はどうもこういうのは苦手みたいだな」

 

 

「……そう」

 

 

「ああ。まあ、叢雲ちゃんが人質だったのを保護できたから成功とするさ。とりあえず横須賀鎮守府からは出られんが、その中でならある程度の自由は保証してやるよ」

 

 

「……感謝するわ」

 

 

「もう行っていい。っと、忘れてた。手を出せ」

 

 

無言で手枷の嵌められた両手を叢雲が東雲の前に差し出す。東雲がポケットから鍵を取り出し、手枷の鍵穴に差し込んで回すといともたやすく叢雲の両手を戒めていた枷が落ちた。

 

 

「ちょうどひとり部屋が空いてる。そこを自由に使っていい。常に見張りのつく生活にはなるがそれは仕方のない処置だと思って諦めてくれ」

 

 

「十分すぎる待遇よ」

 

 

礼だけすると叢雲が退室し、与えられた部屋へと案内されていく。完全に退室し、しばらくしてから東雲が詰めていた息を吐いた。

 

 

「酷だよなあ、まったく……」

 

 

「ご立派でしたよ、提督」

 

 

「そう言ってくれるのは翔鶴くらいのもんだよ。で、どうだった?」

 

 

微笑みながら翔鶴が取調室に入り、東雲から少し引いたところに立った。

 

 

「脈拍も呼吸も乱れてました。ですが、当然すぎる反応です」

 

 

「だろうな。彼女は見捨てられたんだ。当然といえば当然だ」

 

 

「嘘をついているかは脈拍などからはわかりませんがおそらく、いえ十中八九ついていないと思います」

 

 

「俺もそう思う。どこか大人びてすれてる風だがあの子の根は素直だ」

 

 

「そうですね。ですが今後はどうしましょう?」

 

 

「それなんだよなあ……」

 

 

ガシガシと東雲が頭を掻き毟る。叢雲にカマをかけてみれば峻の行方もわかるかと思ったのだが、当ては外れた。わざわざマジックミラーの向こう側に翔鶴を残して観察させ続けるまで念を押したが、意味はなかったようだ。

 

 

「叢雲ちゃんの動向に気を配りつつ、帆波峻の捜索を続けるってとこか」

 

 

「わかりました」

 

 

「いくか。いつまでも窓ひとつない取調室じゃあ息が詰まる」

 

 

スツールから立ち上がり、東雲が伸びをしてから取調室を出た。翔鶴が後に続き、東雲の手できっちりと鍵を閉める。

足音だけが響く廊下。そこに水滴が落ちる音が混ざり合う。

 

 

「雨、か」

 

 

東雲は呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうやって部屋に案内されたかわからない。ただぼんやりと歩いていたらいつの間にか部屋の中にいた。

 

 

「……雨ね」

 

 

なんとなく、というよりも気の迷いみたいなものかもしれない。雨に打たれたくなった。

叢雲は部屋を出て、ぼんやりと歩き始めた。傘を持っていかなければいけないという当たり前の考えも浮かばなさった。

 

 

「人質、ね…………」

 

 

雨粒が叢雲を叩く。青みがかった銀髪がしっとりと濡れて、服が肌に張り付く。

 

 

別に人質にされたことはまったく叢雲を傷つけていなかった。

 

 

なぜなら自らを人質にして包囲網を突破するように峻に言ったのは叢雲自身なのだから。

 

 

あの時点で叢雲は攻撃したと認知されていなかった。だとすれば人質として自分の身を使うことができる。そう考えて峻に提案したのは他ならぬ叢雲自身だった。

首に爆弾を嵌めて自分の身柄を利用しよう、と。だから爆発しないのは知っていた。

 

 

なんでそんなことをしたのか。答えは単純で簡単だ。

 

 

何もできない。ただずっと戦闘は任せっぱなし。

 

 

それが嫌で嫌でたまらなかった。まるで自分の無力さを目の前で突きつけられている気分だった。

 

 

だから自分の提案が通ったのだと思った時、どこか寂しさを感じながらも嬉しくすらあった。

 

 

「でも、私は……」

 

 

埠頭にむかってぽつぽつと歩き出す。冬の雨は身に凍みた。けれどそんなこと今はどうでもいい。

 

 

あの時、薬を盛られた。おそらくは睡眠薬。

 

 

始めは人質らしく見せるための演出だと思い込もうとした。薄れゆく意識の中できっとそうなのだと。

 

 

「でも違った。私がひとりで勝手にそう思い込んだだけだった!」

 

 

いきなり走り出そうとして足がもつれる。そのまま叢雲は倒れ込んだ。泥水が跳ね、口の中に入った。じゃりじゃりとした感覚が気持ち悪くて吐き出す。

 

 

だが立ち上がろうとする気は起きなかった。だからそのまま泥水の水たまりに倒れ込んだままでいた。

 

 

「なんで……」

 

 

拳をきつく握りながら声を絞り出す。届かなかった。遠すぎた。

 

 

「なんで私を置いて行ったぁぁぁぁ!!」

 

 

少女の慟哭が雨音の中で悲痛に響いた。

 





こんにちは、プレリュードです!
うん、どうしてこうなった! 迷走どころの騒ぎじゃねぇ! もはや終着点すらぶっ壊しそうな展開に書いた本人が困惑するという事態です。でもここまできたら突っ走るしかないんですよね。

えー、そして1つご報告を。

なんと私、プレリュードは艦これの合作企画に参加させていただきました!活動報告でもあげさせていただきますが、他のメンバーの方々が超絶豪華すぎて卒倒しそうですw
艦隊これくしょんーコンコルディアの落日ー
https://novel.syosetu.org/118909/
という作品です。もしお時間があればぜひ!

感想、評価などお待ちしてます。それでは!


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Opus-13 『Demotion point』

 苛立つ気持ちを抑えて報告書を常盤は読んでいた。

 

「ああ、もう!」

 

 報告書を投げ捨てる。憲兵隊の失敗を何度も読まさせられるのはいい気分ではなかった。

 

「『オペレーション・イーカロス』は失敗。そして収穫は何もなし。ただ横須賀に手柄を奪われただけ!」

 

 これで苛立つなと言う方が無理な相談だ。あの数から逃げ果せるとは思っていなかった。だが最大の誤算はそこではない。

 

「なんで横須賀は叢雲の確保に成功した! アタシの作戦よりも甘いのに!」

 

 殺さずに生け捕りにしろ。そんな甘い見通しで作戦が成功するわけがない。だから常盤は若狭に取引を持ちかけた。せっかく持っている情報を無駄にするくらいならこちらによこせ、と。

 

 だが現実は常盤の予想を裏切った。憲兵隊は失敗し、横須賀は成功した。

 

「しかも叢雲の身柄は寄越さない! まさか東雲クンが引き渡すのは反逆者の帆波峻のみで人質だった艦娘に関してはこちらで保護するなんて屁理屈をこねてくるとはね!」

 

 どうせ失敗すると高を括っていた。だから細かいところまでは詰めなかった常盤に責任がある。だから常盤が苛立っているのは杜撰な確認をしていた自分だった。

 叢雲は横須賀鎮守府の支部である館山基地に所属する艦娘だ。ならば反逆者として烙印を押された峻の身柄を憲兵隊に渡すことは当然だが、人質だった叢雲の管理は横須賀の管轄だと言い張ってきたのだ。

 

「やってくれるわ、まったく!」

 

 常盤が言葉を叩きつける。舐めていた。東雲将生という男を。最年少で中将まで上り詰めたという実績は偶然の産物でも幸運の賜物でもなかったということだろうか。

 

「ここまでの腹芸をしてくるか東雲将生!」

 

 常盤が頭を掻き毟ると艶やかに伸びた長い髪が乱れた。机を拳で殴りつけると積まれていた書類などが床にばらまかれた。

 

 不意にドアがノック。叩かれた音が常盤を冷静にした。

 

 切り替えろ。ここで荒ぶったところで何もならない。

 

「どうぞ」

 

「失礼」

 

 憲兵隊の制服を着込んだ小太りの男が無遠慮にズカズカと入り込む。常盤はわずかに眉を潜めたが相手が上官だと気づき、起立すると敬礼する。

 

「どういったご用件でしょうか、長官」

 

「やりすぎたな、常盤特犯官」

 

「どういうことでしょうか」

 

「これを見たまえ」

 

 常盤に向かって封筒が鷹揚に差し出される。怪訝な思いを胸に抱えながら常盤は封筒を受け取った。

 

「拝見しても?」

 

「構わん。見たまえ」

 

 紙媒体。ということは少なくとも峻の捜索に関する証拠の類ではない。もしも証拠ならば、常盤のコネクトデバイスに画像データなりで送り込む。ということはこの封筒に入っているのは断じて証拠などではない。

 

 となると入っている可能性のあるものは密書などの電子的記録を残すと困るもの。そうでなければ咄嗟に思い当たるものはあとひとつしかない。

 

「……どういうことですか、これは」

 

「見たままだよ、常盤特犯官」

 

 渡された封筒から取り出した書類を握る常盤の手に力が篭る。その力に耐えかねて紙面が悲鳴をあげた。

 紙媒体で送られる可能性のあるもうひとつのもの。それは転属命令だ。

 

「私が資料室勤務とはどういうことですか」

 

「君はやりすぎた」

 

 資料室勤務など体のいい左遷だ。それがわからないほど常盤は鈍くない。落ち着き払った声を出そうとはするが、どこか声は怒りで震えている。

 

「関東圏のみでは飽き足らず、各地から憲兵隊を集めて大規模な作戦まで展開しておきながら失敗。しかも市街地においては一般市民の避難が完全に確認されていない状況にも関わらず突入を強行したそうじゃないか。もし一般人に被害が出ていたらどうするつもりだったのかね?」

 

「避難は完了していたと部下の報告に上がっていたはずでしたが?」

 

「一般人からの苦情が憲兵隊に来ていてもか? 確認が完全ではなかったのではないのかね」

 

「私の管轄下で起きた不祥事、ということですか」

 

「それだけではない。先にも言ったが、きみの権限が及ぶのは関東圏のみだ。だがきみは関東圏だけではなく他地方にまで召集をかけ、自らの指揮下に置き、作戦に参加させた。これは立派な越権行為だよ」

 

 各地方からのクレームも殺到しているのだよ、と長官が険しい表情で続ける。

 

 常盤が転属命令を封筒に戻して机の上に置いた。顔に能面でも張り付けたかのような無表情さだ。

 

「それだけではない。君には情報漏洩未遂の嫌疑がかけられている」

 

「私が……? いつ……」

 

 そこまで言いかけて常盤は気づく。若狭に取り引きを持ちかけたことを。あれが情報漏洩と解釈された。盗聴されないように気をつけたが、どこから漏れたのか。

 

「成功していれば庇いたてもできた。だがきみは失敗したんだ」

 

「……つまり覆ることはない、と」

 

「ああ、そうなるな。実に残念だよ」

 

 どこまで本気なのかわからない人間に、残念がられたところで慰めにもならない。むしろ腹立たしさが増すだけだ。

 

「ここのところ働き詰めだ。家族に顔でも見せてやればいいだろう」

 

 長官が落ちていた写真立てを拾う。そこには常盤の家族写真が写真立てには収められていた。

 

「っ!」

 

「失礼した。これは返そう」

 

 

 長官の手にある写真立てを半ばひったくるようにして受け取ると伏せて机に置く。まだ小学生くらいの常盤と両隣に立つ常盤の両親が机に隠れた。

 

「では私はこれで失礼する」

 

 長官が踵を返して常盤の部屋から出ていく。

 

 捜索の糸は切れた。東雲は叢雲を常盤に寄越すつもりがないのならばそこから情報を抜くことはできない。

 

 そして憲兵隊を指揮する権限も失った。資料室勤務ということは今の憲兵中佐第1管区司令部付き特殊犯罪対策担当官という立場も取り上げられたということだ。

 おそらく捜索隊は解隊。別の人間が今後は峻の案件に対応することになるのだろう。

 

「ふざけるな。ふざけるなふざけるなふざけるな!」

 

 常盤が封筒を壁に叩きつけながら髪を振り乱す。

 

「テロリストを殺るのはアタシだ。それを横からかっさらうなんて許さない」

 

 常盤がにたりと笑う。

 

 もうどうだっていい。すべて取り上げられた。なにも残っていやしない。

 

 じゃあ何をしたっていいじゃないか。もう失うものはなにもないのだから。

 

「加減はなしだ。覚悟しろテロリスト」

 

 常盤の目はほの暗く燃えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 息が白い。コートを着ていなければ人が集まるため、それなりに熱が発生する難民スラム街とはいえ、かなり肌を刺すような寒さに難儀する羽目になっていただろう。

 

 

 そう思いながら峻はスラム街のごたごたに紛れていた。海兵隊から奪った車は遥か遠くに置いてからここまで歩いてきた。すぐに特定される恐れはないはずだ。

 

 

「くそ、まだ痛みやがる」

 

 

 腹部をさすりながら峻が歩く。度重なる右脚の連続使用からくる負荷により、臓器が悲鳴をあげていた。今でこそだいぶ落ち着いた方だ。

 そして義足の付け根も痛みを発していた。そもそもまだ装着してから一ヶ月も経っていない。リハビリは終わったとはいえ、万全ではないのだ。

 

 

 さらに海兵隊とやりあった際に左肩を撃たれていた。傷口は消毒した上で止血してあるが、痛みが止むわけではない。

 

 

 満身創痍、と言うほどではない。だが無傷かと言われるとそれも違う。

 

 

「叢雲を帰すことができたのなら安い犠牲か」

 

 

 もうこれで巻き込まなくて済む。それだけが峻にとっての慰めのようなものだった。

 

 

 睡眠薬はすこしやりすぎたと思わなくもない。だがこれで人質であるという立場をはっきりと印象付けることができた。

 

 

 叢雲に私を人質にして逃げられると聞いたときは気が触れたのかと思った。だがふと考え直したのだ。利用できる、と。

 

 

 だから叢雲の提案に峻は乗った。爆弾を首につけて人質のように見せればいいと言うアイデアにも乗ったのだ。

 

 

 そして峻は叢雲を騙した。

 

 

 睡眠薬を盛った。そして叢雲の意識が落ちたことを確認してから爆弾を首に嵌めた。絶対に自分の持つリモコンのスイッチを押しても信管が作動しないようにリモコンを作り変えて。

 

 

 そして東雲ならば叢雲を安易に解体処分にして殺すようなことはしないだろう。少なくとも長年、峻の秘書艦を務めたものとして聞くことがあるはずだ。そして東雲は横須賀鎮守府長官だ。階級も中将というかなり高い部類。であるならばうまく叢雲を手元に置いておこうとするだろう。最後まで何か叢雲が知っている可能性を捨てられない以上は必ず。

 

 

 それが峻の狙いだ。

 

 

 これで叢雲は安全を中将の権力によって保証されていることになる。巻き込まれた叢雲はここまで徹底すれば無事だろう。今後は前線に出られることはないかもしれないが、それでも無事ならば問題ない。そして叢雲が犯したと言われるかもしれない罪は全て峻が背負いこめるようになった。

 

 

 仮に叢雲がやったことが糾弾されそうになったとしても、首に嵌められた爆弾のせいで脅されて仕方なくという言い訳ができる。これで全てを峻のせいにすることで叢雲は秘書艦の立場であったのを利用されて体のいい人質にされた哀れな艦娘という免罪符を下げることができる。

 

 

「お膳立てはした。だから叢雲のことは頼んだぜ、マサキ」

 

 

 峻は東雲なら信用できた。だから託してもいいと考えられたのだ。あの時、殺しにかかってきた憲兵隊と違って生け捕りにしようとした東雲なら託せた。

 

 

 ブルーシートの家や廃屋と見間違うような家が建てられている中をすいすいと歩く。足場はよくないが、この程度は慣れたものだった。

 

 

「……さん」

 

 

「ん?」

 

 

 不意にコートの裾を引かれる感覚に立ち止まる。

 

 

「おじさん」

 

 

「おじ……」

 

 

 峻はまだ三十路を超えていない。それなのにおじさん呼びは少々くるものがあった。

だがすぐに持ち直すと裾を引く人物をしっかりと見直す。まだ幼い少女だ。年齢は6歳あたりといったところだろうか。

 

 

「どうした?」

 

 

 努めて穏やかな声を出すようにする。ここまで近づかれているのに気づかなかった自分への苛立ちを察されたくはなかった。

 

 

「なにかちょうだい」

 

 

「なにか、か……」

 

 

 何かあっただろうか。ポケットを探ってみると、小さな飴玉が転がり出る。いつ入れたものかはわからないが飴に賞味期限もなにもないだろう。そして峻はそこまで飴に執着心はない。このまま付き纏わられるよりも適当なものを渡して追い払ったほうがいいだろう。

 

 

「ほら」

 

 

「わあっ」

 

 

 少女が目を輝かせる。一袋で大量に売られている安っぽい飴程度でそこまで喜んでもらえるのなら重畳だろう。

 

 

「じゃあな」

 

 

「まって!」

 

 

 くいくいと峻のコートがまた引かれる。峻が不思議に思って振り返る。

 

 

「きて!」

 

 

 無垢な笑顔を浮かべて少女が峻を引っ張る。ついてこいということだろう。

 

 

 ブルーシートによって建てられた家や、あばら家の群を抜けて少女のあとを追う。寒くはあるが、近郊であることと、密集することによってそれなりに熱が発生しているのか、廃墟の寒さと比べればはるかにマシだ。

 

 

「ここ!」

 

 

「なんだ、ここ?」

 

 

「ちょーろーのおうち!」

 

 

 別段、他のブルーシートで作られた家と変わりはない。となりに立つ少女を見るとにこりと笑った。中に入ればいいのだろうか。

 

 

「失礼」

 

 

 ドアの変わりらしきブルーシートを暖簾のように押し開けた。少し他よりも広いのかもしれないと思いつつ家の中をぐるりと見渡していると少女が中に入り込んだ。

 

 

「ちょーろー、こんにちは!」

 

 

「やあ、リリイ。お客さんかい?」

 

 

「うん! あのね、あのね、これもらったの!」

 

 

 曇りのない笑顔で少女が手に乗せた飴玉を長老と呼ばれた男に向かって見せた。穏やかな面持ちで長老がリリイと呼ばれた少女を見つめて、頭を撫でた。

 

 

「よかったね。私はお客さんとお話があるから向こうへお行き」

 

 

「わかった!」

 

 

 とててて、と少女が大切そうに飴玉を胸に握り込んで走り去る。ブルーシートの家には峻と長老のみが残された。

 

 

「リリイってのはあの子の名前なのか」

 

 

「本名は誰も知らない。だが呼ぶ名がないのは不便でね。リリイと私が名付けた」

 

 

「リリイ……百合か。花言葉は『無垢』だったな」

 

 

「その通りだよ。ぴったりだろう? こんなゴミ溜めにいてもリリイは輝くように笑う」

 

 

「無垢と無知は違う。あの子は無知であっても無垢とは限らないだろう」

 

 

「かもしれない。だが彼女をこんな場所に押し込んだのは私ではないんだ。私を責められても困るよ、帆波峻」

 

 

「へえ、俺のことを知ってるのか」

 

 

 薄く峻が嗤う。長老が小さく肩をすくめた。

 

 

「こんなところでも情報はくる。捨てられた新聞や壊れたラジオを修理すればね。『ウェークの英雄』がこんなゴミ山にどんなご用かな?」

 

 

「あまり英雄と呼ばれるのは好きじゃないんだがな。まあ、安心してくれ。別に一斉撤去の陣頭指揮を執りにきたわけじゃない」

 

 

「はたしてそうかな? コートの下に拳銃を吊っている人間の言う事を信じられるほどお人好しじゃないつもりだよ」

 

 

「ここでぶっぱなすつもりはねえよ。そもそも俺はここに身を寄せただけだ。あんたらに危害を加えるつもりはない」

 

 

 峻が両手を上に挙げた。コートの前は閉まっている。すぐに拳銃を抜くことはできないということを遠まわしにアピールした。

 

 

「……ここはただ捨てられたものが来るのみだ。来るもの拒まず。ならば歓迎こそしなくとも拒むことはしない」

 

 

「捨てられた、ね……」

 

 

「そうだよ。このゴミも、そして人も。社会から爪弾きにされたものばかりだ。あのリリイも捨てられた子だ。どこに親がいるのかわからん。親が生きているかすらわからない」

 

 

「さしずめ捨てられた記憶の集積所だな」

 

 

「捨てられた記憶の集積所、か。なかなか正鵠を射ている言葉だ。ものには記憶が宿る。そして人は記憶の宿ったものを見て、思い出す。つまりは物事から目を逸らすには捨てることが手っ取り早く思える。だから人はものを捨てるんだ。いらなくなったものを。見たくないものを」

 

 

 長老が寂しげな色を滲ませた笑みを浮かべた。自分すらも捨てられたものなのだ、と暗に肯定しながら。

 

 

「私は捨てることを否定する気はないよ。逃げるということは恥ではないのだから。むしろ生存本能という意味では正しくある。逃げることを否定するのは愚か者か、もしくは自殺志願者だ」

 

 

「そういう言い方もできるかもな。で、あんたらはここで捨てられたもの同士で傷の舐め合いをしてるわけか」

 

 

「それも否と言うつもりはない。だが考えてみれば共同体というものはすべてその性質を備えたものじゃないのか? 互いの弱いところを慰め合う。そんなもの同士の集まりが結果、共同体を生み出している」

 

 

「言い得て妙だな。だがあんたと話してても俺に益はなさそうだからもう行くぜ。迷惑はかけんようにする」

 

 

「きみは……」

 

 

 出ていこうとした峻の背に長老が制止をかけるように言葉を投げかけた。踏み出した右脚を止めて続きを峻が待つ。

 

 

「きみはここに何を捨てに来た?」

 

 

 ふっと峻が息を吐く。笑った、のだろうか。

 

 

「元から捨てるもんなんざ持っちゃいねえよ」

 

 

「そんなことはない。人はひとりで生きられないのだから」

 

 

「なら俺はとうの昔に捨ててきたよ」

 

 

 ブルーシートを開くと振り返ることなく峻が出て行く。

 

 

 外に出るとリリイがにっこりと峻に笑いかける。まだ飴は食べずに大切そうに抱えたままだ。

 

 

「食べないのか?」

 

 

「だいじだからとっとくの!」

 

 

「あんまり置いとくなよ」

 

 

「うん!」

 

 

 輝くように笑うとリリイが飴をポケットに戻す。食べないのかよ、と苦笑しながら峻がリリイが走り去る姿を見送った。

 

 

「無垢、ねえ……」

 

 

 確かにあの現実を知らない少女は無垢だ。外の世界を知らず、ただ限られた狭い世界のルールで生きていれば変わることはないのだろう。

 

 

 だが果たしてそれは本当に正しいことなのだろうか。

 

 

「この思考は無意味か」

 

 

 同じ人間だとしても価値観の違うものを比べて何になる。ゴミ山の世界しか知らない子供と戦うことしか存在しない世界で生きてきた子供の価値観は全く違うものなのだから。

 

 

「しばらくはここにいるとするか。許可らしきものも降りたしな」

 

 

 どこへ行くというあてもない放浪の身だ。しばらく間借りさせてもらうことに決めた。とはいえ、風よけもないのはきつい。

 

 

 風よけを作るための使えそうな資源(ゴミ)を漁るために、ゴミ山へ。何かを作るということがなんとなく楽しく思えるのは男子の性なのだろうか。

 

 

 こういう仮設の風よけを作ることも峻にとってはお手の物だ。少しやり方を知っていれば、何を骨にして何を張ればいいのかわかる。そしてそれさえわかってしまえばあとは組み立てるだけだ。

 

 

「ま、こんなもんだろ」

 

 

 海兵隊の車両にあった緊急キットからブランケットはいただいてきている。これを被ればそれなりにこの冬の寒さも耐えられるものとなるだろう。

 

 

 この先はどうするか。その答えはもう出ていた。

 

 

「ひとりだよ。これからも」

 

 

 今までもずっとそうしてきた通りに。

 




こんにちは、プレリュードです!
今回は常盤と帆波の2人でお送りしました。相変わらず順調(?)に話数が伸びてきております。おかしい。本来の予定ならそろそろ完結してるはずだったのに……
今では完結は遥か先のことになりました。この間、ざっくりとこの更新ペースを保った場合でどれくらいかかるか概算したら今年では終わらないという結果に衝撃を受けております。

感想、評価などお待ちしてます。それでは!


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Opus-14 『Report point』

 

「長月、どうだい?」

 

 

「だめだ。完全に帆波峻(もくひょう)を見失った」

 

 

「そっか。まあ、東雲の海兵隊から逃げ果せてから姿を隠さずにいるわけがないね」

 

 

 若狭がなんでもない風にさらりと言った。東雲の作戦が失敗したと聞いても特に表情を変えることはなかった。

 

 

「なあ、若狭は逃げることがわかっていたんじゃないのか?」

 

 

「そんなことはないさ。東雲はあれだけの数を投入したんだ。捕まってもおかしくないと思うよ」

 

 

「……言い方を変える。若狭は帆波峻が逃げることを望んでいたんじゃないか?」

 

 

「どうして?」

 

 

「要請が来ていたのに東雲中将の作戦に参加してないだろう」

 

 

「それは答えに直結しないよ。僕には戦闘技術がないから参加しても役立たずさ」

 

 

 これの腕も平均だよ、と若狭が右手の人差し指と親指以外を曲げてピストルの形にする。だが長月の言っていることはそうではなかった。

 

 

「情報整理だって戦力だ。周囲の状況把握能力なら若狭は十二分に出来るだろう。それなのに役立たずとは言わせるつもりはないぞ」

 

 

「だとしても僕が東雲の指揮下に入ることはないよ。本部と横須賀じゃ、命令系統が違いすぎる」

 

 

「外部オブザーバーとしての出向という形にすれば、かなり横車を押すようにはなるが不可能ではないだろう」

 

 

「そうかもね。まさか長月は帆波が逃げることを僕が望んでいるというつもりかい?」

 

 

「行動が積極的でないことは否定できないだろう?」

 

 

 せいぜいがこうして街頭カメラの映像を整理するだけでは大して貢献しているとはとても言えない。どころかまったく協力する気がないと責められても言い逃れは難しいだろう。

 

 

「常盤中佐は邪魔だったのか?」

 

 

「さあ? でも左遷されたからにはそう判断されたんじゃないかな」

 

 

「そうだろうな。そうでなければ一般人の被害なんて誇張した表現をしてまで左遷させたりはしない」

 

 

 寄せられたのはクレームであって、被害までは出ていなかった。被害と言っても銃声に驚いて転んだ老人くらいのものだ。その調べを長月は既につけていた。

 だからこそ違和感が生じた。そこまでやるものなのか、と。常盤という人間をわざわざ摘発しなくても問題ないと考えておかしくないレベルのことで左遷までもっていくことができるのだろうか。

 

 

「で、それだけかい?」

 

 

「それだけだ。今は、まだ」

 

 

 何も映していないような若狭の瞳をしっかりと長月が見返す。若狭が機械的な笑みを漏らした。

 

 

「いいよ。長月はやることやってくれてるしね。好きにすればいいさ」

 

 

「そうさせてもらう」

 

 

 丁寧に椅子を引いて立ち上がると、きちんと長月は椅子を元に戻した。スカートについたシワをのばしてから腰まで伸びた長い髪を揺らして部屋のドアノブに手をかける。

 

 

「『背中を刺す刃たれ』だったな」

 

 

「うん、そう言ったよ」

 

 

 若狭が長月に対して昔に言った言葉だ。どういう解釈が正しいのか若狭は長月に言うことはなかった。だから長月は自己流に解釈していた。

 

 

「私をなまくら(、、、、)と侮るなよ」

 

 

「……楽しみだね」

 

 

 扉の閉まる音。続いて廊下をローファーが叩く音が。徐々に遠ざかり、やがて完全に聞こえなくなった。

 

 

「本当に楽しみだよ。長月が僕をどうするのか」

 

 

 椅子の背にかけてあった上着を掴むと、長月にならって椅子を丁寧に戻した。どこか笑っているような顔で部屋を出ると、誰もいない廊下を進む。防諜部ビルから出ると普段から使っている駐車場を素通りし、しばらく歩いたところにある個人所有の駐車場に停めてある車に乗り込んだ。

 キーシリンダーに鍵を入れて回すとアクセルを踏み込んで車を進める。目指すところは対して遠い訳ではない。

 

 

 海軍本部の地下駐車場に乗り入れようとすると、警備員が止めようとするが、パスを見せるとあっさりと警戒をといて中に入るように指示された。

 

 

 事前に連絡されていた通りの道順に従って海軍本部内にある通路を若狭が歩いていく。ずいぶんと長く曲がりくねった通路を歩いてようやく見つけたドアを合計5回、決められたテンポの通りに叩く。

 

 

「入りたまえ」

 

 

「失礼します」

 

 

 重々しい扉を押して中に入る。同時に視界の右端にオフラインになったことを示すホロウィンドウが開いた。この部屋が電波暗室であることはとうに承知の上なので特に気にすることなくウィンドウが自然消滅するに任せた。

 

 

「やあ、若狭中佐」

 

 

「どうも、陸山大将元帥どの」

 

 

 陸山元帥を始めにした4人の海軍大将が椅子に腰掛けたまま、若狭に視線を注いだ。若狭が背筋を正してそれらの視線を受け止める。

 

 

「この度は常盤の左遷にご協力いただきありがとうございました」

 

 

「かまわんよ。きみが必要と判断したのだろう?」

 

 

 疑問文で終わらせたのは説明しろということだろう。最初からそうなることを予想していたので問題はない。

 

 

「常盤美姫は不確定因子になり得ます。今後のことを考えるのならば、憲兵隊を自由にできる地位に置いておくことは得策でないと自分は考えます」

 

 

「『かごのめ計画』を揺るがしかねないほどの人物だと?」

 

 

「率直に言わせていただくならば。可能性として絶対にないと言えない以上は取り除くべきかと」

 

 

「しかし少しばかり強引すぎではなかったかね。そこから疑われることは考えなかったのか?」

 

 

「すべて事実に基づいていることです。問題はないでしょう」

 

 

 若狭は別に捏造などしていない。情報漏洩も越権行為もすべて常盤自身がやったことだ。若狭はそれを少し誇張して利用した。それだけだ。

 

 

「だがこれで憲兵隊の動きが鈍るだろう。帆波峻の確保に手間取るのでは?」

 

 

「それでもまだ横須賀が動いています。捜索の手としては十分でしょう。メディア関連にはいつでも介入できる手筈でしたね?」

 

 

「ああ」

 

 

「ならばおそらく大丈夫でしょう。あそこから漏れることはほぼありえないはずです。帆波峻はこのまま横須賀に相手をさせておいて、『かごのめ計画』の維持に努めるべきです」

 

 

 憲兵隊もしばらくは動けなくとも、司令部が再び据え置かれれば捜査体制を敷き直すだろう。あくまで捜索の手は一時的に緩むだけで、すぐに戻るのならば構わないのだ。そしてその緩んだ間を横須賀が埋める。これで時間は稼げる。

 

 

「ではあの駆逐艦はどうするつもりだ?」

 

 

「馬問大将どの、それこそ放置して構わないでしょう。叢雲は人質にされたのみです。情報を握っているとは思えません。また、帆波峻がそれを教えた可能性も皆無でしょう」

 

 

「万が一、何か知っていたらどうするつもりだ?」

 

 

「では逆にお聞きしますがどこで知るのです? 帆波峻から知ることはできない。それならばそれ以外に『かごのめ計画』を知る術は叢雲にないでしょう。知っていた場合も、論拠のないことを信じる人間がいるとは思えません」

 

 

「だが……」

 

 

「馬問大将、よい。この件は若狭中佐に一任したのだ。我々は助力が必要なものであると判断したのならば要請に応える。それでいいだろう」

 

 

「ありがとうございます、陸山大将元帥」

 

 

「それでは次に移ろう。各地の状況は?」

 

 

「それは自分からやらせていただきます」

 

 

 粛々とひとりの大将が名乗り出た。電子データが一般化しつつあるこの時代にそぐわない紙のデータがその大将の手から配られる。当然のように若狭のところにも回ってきたことにわずかな驚きを覚えながらも、若狭は一礼してそれを受け取った。

 

 

「世界全体を通して、深海棲艦は依然として進化を続けているようです。事実、最近では艦娘の被撃沈数がまた少しずつ増加していく傾向にあります」

 

 

「またか。いや、やつらが進化するものだということはとうにわかっていた話だ。いまさらもう何も言うまい」

 

 

「はい。ですから自分は今一度、艦娘のアップデートを検討した方がよいと考えます」

 

 

「具体的には?」

 

 

「戦闘技術の向上ですね。まだ全艦娘に適応させていない戦闘データパッチがあったはずです。新規で作っていく艦娘に少しずつですが、パッチを植え付けていき、最終的に艦娘全体のアップデートを実行することがよいかと考えます」

 

 

「ふむ、ありがとう。どのていどまで強化するかはこれから話し合っていこう。ずっと立っていては疲れるだろう。座ってくれ」

 

 

「わかりました」

 

 

 さきほどまで説明していた大将がゆったりとした椅子に座った。全員が目を落としていた紙媒体から視線をあげて、ねぎらうようにその大将を迎えた。

 

 

「そして若狭中佐、きみも席につきたまえ。我らは同じ『かごのめ計画』を遂行していく志を共にした者なのだから」

 

 

「ですが……」

 

 

 若狭は躊躇った。ここにいるのは大将と元帥。その中でたったひとり、若狭だけ中佐なのだ。それが同じ席につくことはあまり褒められた行為ではないだろう。事実、だから若狭はさっきから立ったまま言葉を交わしていたのだ。

 

 

「きみの貢献には感謝している。相模原の件だけではなく、横須賀の力を削ぐことでパワーバランスの維持にも努めてくれた。この末席に座る資格はある。そしてこれは皆の総意でもある」

 

 

 陸山が唯一、誰も座らずに空席となっていた椅子を示す。この席は若狭のために用意されたものなのだろう。

 

 

「……よろしいのですか?」

 

 

 きらびやかな飾り紐などで彩られた軍服を着た5人の大将と元帥がうなづく。それに背中を押されたように若狭はゆっくりと歩を進めて椅子を引き、柔らかいクッションに腰を下ろした。

 

 

「ようこそ、『うしろのしょうめん』へ。我々は若狭陽太中佐を歓迎する」

 

 

 柔らかい拍手。若狭は名を連ねるに値すると評価されたのだ。頭を下げることによってその賛辞を若狭は受け止めた。

 

 

「では会議を始めようか。世界平和のため、傾きかけたシーソーを水平にする会議を」

 

 

 深海棲艦と艦娘の、いや世界のバランスを調整するために必要な艦娘のアップデート。それがこの会議の目的だった。

 

 

「現状のレベルからあげることは確定として、どの艦種にどこまで適応させるかだな」

 

 

「やはり初めは駆逐艦からが妥当なのでは? 徐々に軽巡へと適応させてゆき、最終的には全艦娘にというこれまで通りのやり方がベストでしょう」

 

 

「1度、無理なアップデートをしてしまった過失もあることだ。慎重にいきたいところでもある」

 

 

「あれは会議で全員が同意した上でのことです。陸山大将どののみの責任ではありませんよ」

 

 

「ありがとう、馬問大将。さて、続けようか」

 

 

 会議はつつがなく進む。喧々諤々というわけではなく、だが方針を定めるための議論は欠かさずに。全員に満遍なく意見を求め、それらを聞いた上で最良と思われる案を探っていく。

 そしてどれだけ時間が経ったか、結論は出たのだった。

 

 

「本日はここまでにしよう。また次回の会議に」

 

 

「では」

 

 

 こうしてまた世界は水平を保つ。そうなるようにバランスを調整されたシーソーは均衡を示していく。そうなるようにと整えられた箱庭は平穏な日々を映し出す。

 がたがたとやかましい音を立てることなく、なめらかに椅子が引かれると会議に参加していた大将たちが部屋から出ていった。流れに逆らうことなく若狭も部屋を出る。直後に視界の右端にオンラインになったことを告げるホロウィンドウがポップ。

 

 

 上官、それも海軍においてトップとそのすぐ下にいる人間と話すのは想像以上に気疲れがするものなのだと若狭は身をもって実感していた。いますぐ熱い風呂にでも入りたい気分だ。

 

 

「若狭中佐」

 

 

「はい」

 

 

 廊下に出てすぐ陸山に呼び止められて若狭は振り返った。

 

 

「今後も君の働きに期待する」

 

 

「わかりました。お任せを」

 

 

「階級についてだが、おいおい上げていこう。急に将官にまで上げると疑われやすいからな」

 

 

「ありがとうございます。ですが私は参加させていただいたことだけで十分に感謝しております。これ以上は……」

 

 

「なに、気にするな。君も我らの同志となったのだ。階級もせめて将官くらいにはしなければ不平等だ」

 

 

「……では受けさせていただきます」

 

 

 若狭が深々と頭を下げる。大したことではないとでも言うように陸山が手を振って謝辞を受け流した。

 

 

「では、私はこれで失礼する」

 

 

 陸山は既に60歳は越えている。そのせいか、ゆっくりとした足取りで陸山が立ち去っていく。その後ろ姿を若狭は最後まで見送っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ローファーが足音を立てる。思考の邪魔だ。長月はかつかつと鳴る音を頭から排除した。

 

 

「若狭は何を企んでいる……? 何が狙いなんだ……?」

 

 

 ただ考えただけでは何かが見えてくる様子はない。ヒントのかけらも見当たらない状況ではひらめきも来ない。

 

 

 ならばヒントを見つけ出せばいい。そして若狭の行動にヒントを探す手がかりは眠っているはずだ。

 

 

 必要ではない行動はするわけがない。つまり若狭の行動にはすべて意味がある。それだけはわからないことだらけの中で確実だ。

 

 

「となれば、若狭自身が上からの命令など関係なしで積極的に行動したものを調べるしかないな」

 

 

 何がまずは適当だろうか。積極的に行動したものとして、ここ最近に思い当たるものを頭に中でリストアップ。真っ先に思い当たるものはやはり常盤のことだ。

 

 

 常盤に干渉して左遷させたことは明らかに若狭の職務と関係がなかった。憲兵隊に対しての干渉もただの摘発と言ってしまえばそれまでだ。だがどうにも理由がわからないのだ。わざわざ一般人のクレームという小さな粗探しをしているだけでなく、若狭は常盤から持ちかけられた取引を情報漏洩未遂として憲兵隊にリークするという手間までかけている。

 

 

 これはどう考えても無駄な手間だ。わざわざ告発する意味が若狭にとって薄い。むしろ峻を確保するという軍の目的から外れてしまってさえいる。それなのに若狭は強行したのだ。そしてその強行がまかり通ってしまっている。

 

 

 まず、どうして無駄としか思えない手間を若狭がかけたのか。考えられる可能性は2つ。ひとつは峻に逃げていてもらわなければ若狭にとって困る理由がある場合。もうひとつは常盤が憲兵隊を指揮できる地位にいられたくない場合。

 

 

 そしてもうひとつ考えるべきはなぜ若狭の横車を押すような強行が承認されて通ったのか。

 

 

「突くとしたらここが妥当か……」

 

 

 となればはじめにやるべきは常盤の身辺調査だろう。ただ、調べていることはできるかぎり誰かに嗅ぎつかれたくない。

 

 

 秘密裏に、だが迅速に。このふたつを心がける必要があるだろう。なにより通常業務を疎かにすることはよくない。空いた時間でやらなければいけない以上は、素早く時間をかけずにやらなければいけない。

 

 

「まったく、私もとんだ挑戦をしてしまったものだな……」

 

 

 若狭に向けて背中から刺すぞ、と宣言したも同然のことを言った自覚はある。完全に反旗を翻したようなものだ。

 ふふ、と長月が小さく笑みをこぼす。強大すぎる相手に宣戦布告した。明らかに長月の身の丈にあってない。そんなことはわかっている。

 だが笑った。その眼には()が燃え上がっている。

 

 

 自分はまだ無力だ。長月は自分を評価しろと言われればこれが答えだ。すべてにおいて未熟。まだ発展途上もいいところだ。

 

 

 だが未熟なら熟せばいい。いまから発展してしまえば、どうということはない。無力だとわかっているのなら、無力なりにやりようはある。

 

 

 若狭はやり手だ。どう考えても長月の上を行くだろう。それがわかっていることが重要なのだ。

 

 

「私は見つけるぞ。若狭、お前がなにを考えているのか暴いてみせる」

 

 

 どうするかはそれから考えればいい。もしそれが間違っているのなら、長月は持てるすべてを使ってでも若狭を止める。

 

 

 敵に回る覚悟はもう決めている。あとは行動に移す。それだけだ。

 





こんにちは、プレリュードです!
みなさんはこのGW、楽しめましたか? 自分は初めて砲雷撃戦に行ってきました! こういった同人誌即売会みたいなものは行ったことがなかったのでいい経験でした。艦これというエンターテインメントのコンテンツ力を見せつけられましたね。
それにしても財布の紐が緩むのなんの。引きちぎれているんじゃないかって思いました。まあ、即売会だけじゃなくていいものいっぱい買えたんで満足ですけど。

感想、評価などお待ちしてます。それでは!


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Opus-15 『Hypocrisy point』

 そう簡単に行くわけがない。そんなことはわかりきっていた。だが、まさかここまで手応えがないものなのかと思うと、長月は愚痴をこぼしたくなった。

 

 

 だがまったく収穫がなかったというわけではない。長月とて何もなければ諦めかけていたかもしれない。

 

 

「常盤中佐の左遷後の勤務状況か……」

 

 

 常盤の付近を漁ってみようとはした。だが常盤は資料室勤務になった途端に出勤しなくなっていた。もしかすると憲兵の上層部から自宅謹慎を言い渡されているのかもしれない。もしくはただ単純に有給休暇をとっているだけか。

 不信感はある。だが問題は常盤と接触することができないことだ。

 

 

「これでは何も聞けないじゃないかっ……」

 

 

 ぎり、と奥歯を噛みしめる。手がかりがひとつ消えてしまった。貴重とも言える手がかりが、だ。こうなってしまえば、また方針を固め直す必要が出てきた。

 

 

 だが帆波峻に話を聞くことは現状において無理だ。そこに関しては長月が頑張ったところでどうしようにもないため、待ちぼうけするしかないだろう。

 

 

 だが、全ての糸が途切れてしまったわけではない。

 

 

 だからこそ、長月はいまひとりで海軍本部からかなり離れた場所を歩いている。若狭にはどこに行くか告げずに。

 もちろん、外出する以上は報告義務がある。だから外出するという旨だけはしっかりと残してきた。

 

 

「さて、ついたわけだが……」

 

 

 着いた場所は常盤が以前に所属していた基地。すぐに乗り込みたいところではある。だが長月としては探りを入れていることに気づかれたくない。つまり公式な方法は取れない。

 公式に乗り込めるのならば、基地司令に挨拶をしてそれから調べ回ればいい。その手が使えない今、長月に残されている選択肢はひとつ。

 

 

 待ちぼうけだ。

 

 

 まだ日がのぼってから大して時間が経っていない。ならば長月が話を聞きたい人間が基地から出てくるまで外で待つ。これくらいしかなかった。

 さすがにしっかりとしたセキュリティのある基地にこっそりと侵入するのはリスクがあるし、見つかった時に非常にやっかいなことになる。

 

 

 つまり常に基地の出入口に気を配りながら気長に待つ。それしかない。

 

 

 いくら朝早いとはいえ、開いている店がないわけではない。適当に目に付いた店に入って、なんだがよくわからない長ったらしい名前のコーヒーを頼む。

 あとは基地が見張れる席に陣取ってコーヒーを啜りながら待つだけだ。さすがに基地全体が見渡せるような席はないが、出入口だけくらいならなんとかなる。

 

 

 ちょうどよさげな席を見つけると、店内でマフラーと手袋は変に目を引くため外す。もこもこした明るい色のニット帽子と度の入っていない伊達メガネはそのままにしておくことにした。

 

 

 長月は今、制服を着ていない。つまり完全に私服だった。少しばかり見た目は幼いが、格好にさえ気を使えば、ある程度年齢はごまかせる。

 

 

 つまりは変装。長月は喫茶店に長く入り浸る女子のように見せかけていた。服装も最近の流行りに合わせたものにしている。あまりこの手の服は個人的嗜好として好きではないが、流行りに乗った格好をしておけば周囲に溶け込める。

 

 

 油断なく見張りを続けながら手に持ったコーヒーを口元に運んで傾けた。口の中に広がる砂糖味のオンパレードに思わず顔をしかめる。

 

 

「……甘すぎないか、このコーヒー」

 

 

 ここまで甘いともはやコーヒーなのかどうかも疑いたくなってくる。よいコーヒーとは悪魔のように黒く地獄のように熱いのではなかったのか。色は何をミックスしたのかわからないが茶色っぽくなってしまっているし、上に乗っている泡立てた牛乳(スキームドミルク)のせいでかなり冷めてしまっている。

 こういう容姿で、これくらいの年齢層がよく飲んでいそうというだけの理由でそれっぽいものを頼むより、ふつうにブラックで注文したほうがよかったかもしれないと後悔したがもう遅かった。

 だが、頼んでおいて残すのもよくない。残せばこれは捨てられてしまうのだ。それは嗜好品ともいえるコーヒーをドブに捨てる行為に等しい。

 

 

 適当にタブレット端末をいじりまわす。特に目的があるわけでもないし、集中して基地の出入りを見落とすわけにはいかないので、あくまでも振りだ。

 

 

 だんだんと日が昇っていく。だが正午まで待つ必要性はない。

 

 

「よし、きた」

 

 

 急いで長月はコーヒーの残りを飲み干して、返却口に荒々しく突きかえす。甘ったるさにまた顔をしかめながら、喫茶店から飛び出す。

 

 

「待て!」

 

 

 声をかけられた人物がピタリと足を止める。明るい茶色の髪の毛がふわりと揺れた。

 

 

「話が聞きたい。悪いが時間をもらうぞ」

 

 

 有無を言わせない調子で長月が告げる。そして確信を持ってその人物の名を口にした。

 

 

「初春型駆逐艦3番艦『若葉』」

 

 

 そして少女──若葉が怪訝そうな顔で長月に振り向いた。

 

 

「……若葉に何の用だ?」

 

 

「常盤美姫。知らないとは言わせないぞ」

 

 

「若葉の司令官……いや、元司令官だ」

 

 

 若葉が言い直す。どこか複雑そうだ。まだ変わって間もないため、つい口をついてしまったのかもしれない。

 

 

「常盤美姫のことが聞きたい。元秘書艦だったことはすでに調べがついている」

 

 

「確かにその通りだ。だが見ず知らずの人間に教える義理は若葉にない」

 

 

「見ず知らずではないがな。同じ艦娘だ」

 

 

「……そうは見えないが」

 

 

「訳ありだ。変装しているだけだから問題はない」

 

 

 長月がニット帽子を取ると、まとめていた緑色の髪が広がった。

 

 

「それで信じろというつもりか?」

 

 

「こっちとしても身の上は明かしたくない。だから話せる事情だけ話そう」

 

 

「話せる事情?」

 

 

「常盤美姫は今、憲兵隊に所属していることは知っているか?」

 

 

「……」

 

 

 沈黙。だが若葉の微妙な表情筋の動きから、知らないと察する。

 

 

「情報交換といこう。そちらも常盤美姫のことを知りたがっていることはわかっている」

 

 

 だから長月は若葉に接触した。情報を欲している。ならば一時的な協力体制に持ち込めると考えた。

 

 

「悪いが、若葉には予定がある。改めて来てくれ」

 

 

「常盤中佐に会いに行っても無駄だ。会うことはできないだろう」

 

 

「なぜわかる?」

 

 

「おそらくは実質的な謹慎処分を食らっていると考えられるな」

 

 

 実際はどうか知らない。だが推測でもいい。足止めさえできれば。

 

 

 そして長月は賭けに勝った。若葉はしばらく黙った後に、長月に向かって一歩ぶん足を踏み出した。

 

 

「話だけなら」

 

 

「それで十分」

 

 

 長月がマフラーの下で詰めていた息を少しだけ吐き出す。だがすぐに口を真一文字に結び直した。まだ気を抜いていい段階じゃない。

 長月が先導し、数歩うしろに若葉があとを追う。ふと若葉が口を開いた。

 

 

「若葉が出てくるまで毎日、張っていたのか?」

 

 

「まさか」

 

 

「ならどうして今日、若葉が外出すると知った?」

 

 

「すまないが、企業秘密だ」

 

 

「……ならいい」

 

 

 別にどうということはない。ただ、長月は常盤の身の回りを調べようと決めた過程で基地のこともざっと洗った。その時に、若葉の外出許可申請が出されていることを知っただけだ。

 そして若葉に接触することを検討に入れ始めた時には、若葉が常盤に会おうとしていることまでは調べをつけていた。

 

 

 適当な場所、ということで公園のベンチを選択。背中合わせになるような位置取りで長月と若葉が腰を下ろした。

 

 

「先に言っておくが、若葉は提督のことは何も知らないぞ」

 

 

「何も、ということはありえない。短い付き合いではないんだろう? 性格、行動、好悪。そういったものを感じ取ることはあったはずだ」

 

 

「……こちらも話すからにはそっちも話してくれるのか?」

 

 

「話せることはそうだな、最初に言った憲兵隊への赴任、そして左遷。ここのラインならある程度は」

 

 

「ひとつ聞かせてほしい。提督は何かの目的のために憲兵隊にもどったのか?」

 

 

「そうだ」

 

 

 何か、の内容である峻の逮捕もしくは殺害は教えることができない。だから長月は具体的な内容に触れることは避けた。

 だが若葉も鈍いわけではない。憲兵隊ということは犯罪者、もしくはテロリスト関連を請け負っていることくらいは察しているはずだ。

 

 

「その目的の如何にもよるが、気をつけた方がいいと思う」

 

 

「なぜ?」

 

 

「……あの人はよほどの理由がない限りは諦めるタイプじゃない。ヨーロッパでは国際関係という理由があったから抑えていたようだが、抑え込む理由がないのなら警戒しないとあの人はどこまでも突っ込んでいくぞ」

 

 

「…………肝に銘じておこう」

 

 

 あとは情報の交換を続けるだけだ。どれだけ若葉から引き出せるか。そしてどれだけ長月は公開してもいいレベルの情報だけで逃げ切れるか。

 長月はこんなところでつまづくわけにはいかないのだ。若狭の狙いを探る為にはたったひとつのミスすらも許されない。

 

 

 有益な情報が得られたかどうかはわからない。だが知っておけば後から後悔することもないだろう。

 話が尽きたタイミングでお互いが何かを言うわけでもなく長月と若葉は別れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海。母なる海は色々な顔を見せる。

 

 

 そして叢雲は埠頭でぼんやりと海を眺めていた。横須賀では特にやることもない。帆波隊は解隊になっている。そして叢雲は帆波隊の旗艦だった。

 つまり、新しい配属先に送り込まれるまで時間を持て余しているのだった。

 

 

「はぁ……」

 

 

 我ながら、らしくないとは思う。ただ日がな一日ずっと埠頭に腰を下ろして海を見ているだけ。叢雲は何かをしようという気力が今はまったく起きないのだった。

 

 

 置いていかれた。見捨てられた。それが叢雲の心に重石のようにのしかかっている。

 

 

 でもどうしてこんな嫌な気持ちなのかわからないのだ。

 

 

 置いていかれているが、峻を生かすという叢雲の当初の目的は果たしている。事実として、峻は未だ逃亡中だ。

 これでいいはず。峻が生き続ける事ができて、叢雲は無事に軍に戻る事ができた。だから最良の結果が得られているはずだ。

 

 

 それでも納得できていない自分がいる。理由はわからないけれど、とにかく腑に落ちていないのだ。

 

 

「どうしてかしらね……」

 

 

 目を伏せて叢雲は呟いた。これでいい。これでいいはずなのだ。叢雲が人質にされていたことは演技だったと話さなければ気づかれることもなく、このまま平穏に生きていける。それでいいはずなのだ。

 

 

「叢雲ちゃん」

 

 

「……吹雪」

 

 

 振り返らなくとも声でわかった。姉妹艦の長女なのだ。わからないわけがなかった。

 

 

「何よ」

 

 

「ずっとこんなとこにいたら体を冷やして風邪ひいちゃうよ」

 

 

「別にいいじゃない。私の体なんだし」

 

 

 風邪を引こうが引かまいが、吹雪は迷惑しない。それに風邪をひいたところでなんだというのか。どうせ叢雲には出撃命令はしばらくの間は下る事はない。それにもう執務をやる必要もない。なら体調管理をきっちりする必要も感じられなかった。

 

 

「叢雲ちゃん最近ご飯しっかり食べてないでしょ。ほんとに体を壊すよ」

 

 

「いいって言ってるのよ」

 

 

 食べたいとも思わなかった。今はせいぜい海をぼんやりと眺めているくらいしかやることがないのだ。もやもやとしたものを抱えたまま、座っていること。それが叢雲の日課みたいになりつつあった。

 

 

「何を気にしているの?」

 

 

「さあ? 私のことなのに私がわからないなんて変よね」

 

 

 叢雲が自嘲的に笑う。吹雪が寂しそうに吐いた息は白かった。

 

 

「……叢雲ちゃんはそれでいいの?」

 

 

「ええ。これでいいはずなのよ」

 

 

「その言い方だとやっぱり納得できてないんでしょ」

 

 

「だとしたらなによ? いまさらもう、どうだっていいじゃない」

 

 

「本気でそう思ってるの?」

 

 

「…………」

 

 

 わかっていた。本気で納得しているのなら、こんなところでずっとぼんやりしているわけがない。いつも通りすごせばいいし、さっさと新しい配属先に送ってくれと言えばいい。

こうやってもやもやとしていること、それ自体が叢雲自身、腑に落ちていないれっきとした証拠だった。

 

 

「そうやって燻ってるのは叢雲ちゃんに似合わないよ。進まなきゃ。わからないなら突き詰めなきゃ。じゃなきゃずっとそのままだよ。叢雲ちゃんはそれでいいの……?」

 

 

「じゃあどうしろってのよ」

 

 

「そんなのそれこそ私にわかるわけないよ。私は吹雪であって叢雲ちゃんじゃないから。でもさ、わからないままは嫌なんでしょ? じゃあ動こうよ。叢雲ちゃんなりのやり方で、さ」

 

 

 叢雲は逡巡した。どうするべきなんだろうか。いや、どうしたいんだろうか。

考えてすぐに答えが出るわけがないと思っていた。だからずっと思考を放棄し続けてきた。そのせいかもしれない。叢雲は驚いていた。まさかこんなに簡単に答えが出るなんて思っていなかったから。

 けれど出ないと思っていた答えは出た。

 

 

 自分を置いていった真意が聞きたい。

 

 

「……吹雪、教えて欲しいことがあるの」

 

 

「なあに?」

 

 

「東雲中将、どこにいるかわかる?」

 

 

「埠頭でタバコを吸ってないなら執務室かな。いなくても少し待てばすぐに戻ってくると思う」

 

 

「そう。ありがと」

 

 

 埠頭の端に腰掛けていた叢雲はすっくと腰をあげると服の裾を軽くはたいて砂を落とした。そして吹雪の横を通って鎮守府の中へと向かっていく。

 そしてそれを吹雪はただ見守り続けた。

 

 

「はぁ……ホントに感謝してるなら『ありがと、お姉ちゃん』って言って欲しかったなあ。やっぱり私は長女っぽくないのかな……」

 

 

「そうですか? さすが吹雪型の長女だと思いましたよ?」

 

 

「翔鶴さん」

 

 

 いつから見ていたんですか、なんて野暮なことは聞かない。最初から聞いていなければ翔鶴の言葉は出るはずのないものだったからだ。

 

 

「沈み込んでいた叢雲ちゃんを救ったのはなかなかできることじゃないでしょう。やっぱりお姉ちゃんだからですかね」

 

 

「やめてください、翔鶴さん。私は叢雲ちゃんを救うことなんてまったくできていないんです」

 

 

「でも叢雲ちゃんは前を向いた。違いますか?」

 

 

「あれはその場しのぎです。沈み込んでいる本当の原因がわからないのに叢雲ちゃんの中につっかえているものを取り除くことはできません」

 

 

 吹雪は空を仰いだ。どんよりとした雲の立ち込める灰色の空は寒々しい。

 

 

「応急処置みたいなものです」

 

 

「応急処置?」

 

 

 翔鶴がおうむ返しに聞く。吹雪は空を仰ぎ続けながら小さくこくりとうなづいた。

 

 

「一時的に傷を覆い隠しただけで回復はしてないんです。鎮痛剤で痛覚をごまかしただけ、包帯で目に見える傷を見えなくしただけ。板で船底に空いた穴を塞いだだけ、傾いた船体を戻すために注水しただけ」

 

 

 だから、と吹雪が続ける。

 

 

「私がやったのは救いなんかじゃなくて、もっとひどい別のなにかです」

 

 

 吹雪はわかっていた。自分のやったことによってさらに叢雲が傷つく可能性があることに。

 それでも見ていられなかった。気持ちの沈み込んでいる妹を目の前に見過ごすことは吹雪にできなかった。たとえその行為が偽善だと知っていてもだ。

 

 

「戻りましょう、吹雪ちゃん。ここは冷えます」

 

 

「……はい」

 

 

 やらない善よりやる偽善。確かにその通りかもしれない。何もせずに傍観しているよりは行動をした方がずっといいという考え方もある。

 だが果たしてその偽善がさらに深く傷を抉ることになるとわかっていても、行動をするのは本当に正しいことなのだろうか。

 

 

「でも私が動いたのは叢雲ちゃんのためなんかじゃない」

 

 

 これが叢雲のための偽善ではないことは重々承知だ。それでも吹雪は動くしかなかった。

 

 

「だからごめんね、叢雲ちゃん」

 

 

 たぶん、この命題は人の数だけ答えがある。だから本当に正しい答えなんてないんだろう。けれどただひとつ、吹雪にわかっていることがあるとするならば。

 

 

 吹雪(かのじょ)は未だにその答えを持たない。

 




こんにちは、プレリュードです!
毎度毎度、迷走することに自分の中で定評のあるカルメンですが本当にどこを目指しているんでしょうね。
そして何話ぶりかで吹雪が登場です。覚えてくれてたら嬉しいですね。ちょこちょこと出してはいましたが、ぶっちゃけると影は薄かったので。若葉とかもお久ですね。まあ、彼女の出番はもうないような気がしますけど。


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Opus-16 『Moving point』

 横須賀鎮守府の執務室に到着すると、叢雲は深く息を吸った。

 覚悟は決めた。ここから先は今まで叢雲の味わったことのない戦場だ。失敗は許されない。

 でもやると決めた。吹雪(あね)にやってみろと背中を押された。

 ドアをノック。高鳴る鼓動を抑えながら返事が返るのを待つ。

 

「誰だ?」

 

「私……叢雲よ」

 

「ああ。なんか用か? まあ入れ」

 

 東雲の許可が降りたので、叢雲は執務室に足を踏み入れる。館山の執務室と比べるとかなり広い。それに調度品の質が良いような気がする。ある程度の質がないと格好がつかないと言う理由もあるのだろう。これらが東雲の趣味なのかどうかはわからないが、細かなディテールが施されたりしているあたり、相当のものだと思われた。

 

「どうした? 叢雲ちゃんが俺を訪ねてくるなんて思わなかったがな」

 

「協力してほしいの」

 

「協力?」

 

「私が持ってる情報を渡すわ。なにもかも渡せるものすべて。あいつに関するものからね」

 

「あいつを確保する手助けをするってか?」

 

「殺すつもりはないんでしょ? 利害は一致するはずよ」

 

 東雲の目的は一貫して峻を生きたまま確保することにあった。そして叢雲は峻に真意を問い正したい。そして叢雲の目的を果たすためには峻が生きている必要がある。つまり東雲と叢雲の目的は完全な一致とは言えないが、似通っているところが大きい。

 そしてそれがわかっているからこそ、叢雲は交渉を持ちかけていた。

 

「……話を先に聞かせてもらおうか。判断するのはそれからだ」

 

「その前にひとつ、いいかしら」

 

「なんだ? いまさらになってなしか?」

 

 怪訝そうな顔で東雲が書類から視線をあげた。叢雲から持ちかけておいて急に止められれば変に感じるのは当然だろう。

 

「先に確認よ。ここから先に私が言うことは機密どころの騒ぎじゃない内容ばかりよ。知ったら消されるレベルの。それでもいいか聞きたいの」

 

「……それはあの野郎をとっちめるのに必要な情報なのか?」

 

「あいつが逃げている理由がそれよ。どうして逃げているかわからなくてもいいなら話を聞く必要はないわ。ただ私の提供できる情報が減るだけ」

 

 わずかな時間、東雲は思考した。だがようやく持っていたペンも置いて深く椅子に腰掛け直した。

 

「…………話せ」

 

「ならひとつめ。私はあいつに人質にされることはわかってたわ」

 

「どういうことだ?」

 

「私が自分を人質にして逃げるようあいつに言ったのよ。置いてかれるとは思ってなかったけどね」

 

「おい、それは……」

 

「私は決してずっと人質だったわけじゃない。館山に来てあいつを本部に連行しようとする憲兵隊を打ち倒したのは私だし、私があいつに逃亡するよう促したわ」

 

「っ……! なんのためにだっ……」

 

 東雲の目に敵意のかけらが一瞬だけ現れた。だがさすがは中将と言うべきか、すぐに表層からその感情は覆い隠された。

 

「あの時に逃がさなければあいつは死んでいたのよ。いえ、殺されていた」

 

「誰にだ? あいつが本部に連行されることは決まっていた。事情聴取と、場合によっちゃ軍法裁判のためにな。だが殺されることはねえ。だいたいどうして殺されなきゃなんねえんだ。いくら軍とはいえども無条件に殺すなんてことはできねえ」

 

「だとしても自殺して、みたいに適当な都合をつけて殺されるわよ。口封じのためにね」

 

「なんの悪い冗談だ?」

 

「私も最初はそう思ったわよ。でも違和感はあったはず。横須賀を介さずに館山に直接、憲兵を送り込むのは間違ってはいないけどなったやり方じゃない」

 

「……」

 

 黙ったまま東雲が先を促した。東雲自身も感じていたことではあったのだろう。だが、問題に取り上げるより先に峻の確保を優先したので目を閉じて見ないように背けていた。

 

「私を正当化するつもりはないわ。ただあいつは殺されていたことだけは確実に言えるのよ。あいつは自分が死ぬことで事態を収束させようとしていたんだから。これはあいつ自身が認めたことよ」

 

「海軍が他方から不信感を抱かせてまでするメリットがないだろ。そもそもなんでそこまで躍起になってあいつを殺す必要がある?」

 

「あいつは知ってしまったのよ」

 

「何をだ」

 

 抑え切れたものではなかった。直感というものかもしれない。ただ東雲の背中にぞくりと走るものがあったことは確かだ。

 

艦娘(わたしたち)はクローン素体を戦闘用に調節されたバイオロイドよ」

 

「……それをどう証明する? 今の段階では叢雲ちゃんの言葉だけだ。何も裏付ける物的証拠がない。それをはいそうですかと信じてやれるほど俺はお人好しじゃないつもりだ」

 

 叢雲の言っていることは突拍子もなさすぎる。東雲が信じるわけもなかった。だが叢雲は証明することができる。東雲を信じさせて協力関係に持ち込み切れる自信がなければそもそも執務室に乗り込んだりしなかった。

 

「横須賀中央病院の近くにある商店街。そこから少し外れたところにある廃工場の位置、わかるかしら?」

 

「……待て。地図を出す」

 

 急な話題の変換に東雲が眉をひそめる。だが深くは聞かず、プロジェクターにコネクトデバイスから伸びるケーブルを接続。すぐにホログラムの地図がぼうっと浮かび上がる。それは横須賀中央病院の周辺地図だった。叢雲が少し目をこらして探すと、峻ともう一人の叢雲が入っていたイタリアンレストランがすぐに見つかった。そしてそこが見つかってしまえば、目的地を見つけるのは簡単だ。

 

「ここの廃工場よ」

 

「そうか。で、この廃工場がどうかしたのか?」

 

「ここでもう一人の私、つまり私じゃない『叢雲』が海軍の極秘部隊に銃殺されてる。調べればすぐにわかるはずよ。床も洗浄したはずだけど、ルミノール反応は検出されるはずだし、コンクリートの表面にわずかに付着しているいる血を精密機器で調べれば私のDNAと一致するはずよ」

 

 ピッ、と目の前で叢雲は自らの青みがかった銀髪を1本、顔をしかめながら引き抜いた。そして抜いた髪を東雲の机に叩きつけるように置いた。これで照合するための素材は十分だ。

 そしてDNAが一致した瞬間に、同時期に遺伝子レベルで同じ叢雲が2人いたという証明になる。この証明ができてしまえば、クローンの叢雲がいたと東雲は認識せざるを得なくなる。

 

「あいつは目の前でもう一人の叢雲ちゃんが殺されるところを見てたのか」

 

「お察しの通りよ。私は影からこっそり見ただけだけど」

 

 だから館山に帰ってきた後にすぐ動かない峻に叢雲は疑問を覚えた。なにかしらのアクションを取るなり、取り引きを持ちかける準備をするだろうと思っていたのに、なにも行動しなかった。ただじりじりと迫りくる白刃を受け入れようとしていた。

 本当に最後になってから叢雲は気づいたのだ。峻は自らの命を捨てることで厄介事を引き起こさせないで収束させるつもりなのだ、と。

 

「私に話せることぜんぶ話したわよ。なにかまだ聞きたいことはある?」

「まずひとつ。どうして叢雲ちゃんはもう一人が殺される現場に立ち合えた?」

 

「もう一人はあいつが退院する日に接触し、私のフリをして連れ回した。だけど私も退院の日に病院まであいつを迎えに行ってたのよ。私とそっくりなのがいて変に思ったから、こっそりと後をつけたら現場に行き着いたのよ」

 

「ふたつ。あいつは叢雲ちゃんを逃がすために奮闘していたのなら、あいつが今も逃走を続ける理由はなんだ?」

 

「…………それはわからないわ」

 

「ならそういうことにしといてやるよ」

 

 叢雲は内心で虚を突かれていた。完全に東雲にはお見通しということらしい。

 どうして峻が逃走を続けているのか。その理由はわかっている。

 

 たぶん私があいつに『死ぬな』と言ったから。

 

 叢雲が自分を生かしたのなら、勝手に死んで逃げるなと言って峻を縛った。

 

 おそらくその事情まで東雲は気づいていない。だが叢雲が言い淀んだことから、ぼんやりと察したようだった。物理的要因ではなく、なにか叢雲が原因であり、知らなくとも問題がないことである。そこまで推測したからこそ、東雲は追って聞こうとしなかったのだろう。

 

「もうこれでいい。ただ話はすぐ鵜呑みにしねえからな。こっちで裏付けも取る。話に乗るのはそれからだ」

 

「私は部屋にいるわ。用があったら呼び出して」

 

「そうさせてもらう。わざわざお疲れさん」

 

 踵を返して執務室を後にした。もうすべきことはすべてやった。あとは東雲が乗ってきてくれることを祈るのみだ。

足早に部屋に向かって歩みを進める。電気が落ちて真っ暗な部屋に入ると、照明を付けた。

 

 そして途端にベットへ倒れ込んだ。

 

 想像以上に疲れていた。こういう駆け引きは叢雲にとって未経験のことなのだ。それをぶっつけ本番で挑戦したのだから、当然といえば当然だった。

 

 だがやれることはやった。あとは結果待ちだ。そしてうまく運べば忙しくなることは明白。

 だから今のうちに体を休めておこう。

 

 

 

 

 

 叢雲が立ち去った直後、東雲は頭を掻きむしった。ワックスで固めていた髪が乱れるがそんなこと今はどうだってよかった。

 

「くそったれ、なんの冗談だ」

 

 叢雲が来た時、まさかこんな爆弾を放り込まれるとは思っていなかった。これを嘘だと切り捨てることは簡単だ。だが果たして叢雲がこんな嘘をつけるとは東雲には思えない。それだけでなく、作り話にしてはできすぎている。一笑してしまうには少し早いように感じられた。

 

「艦娘がバイオロイド? しかも知ったシュンを口封じだと?」

 

 きな臭いどころの騒ぎではない。まだ確証のないこととはいえ、証拠が出て来てしまえば信じるしかない。そして叢雲はその証拠を見つける方法すら東雲に提供してきた。

 

 机に置かれたままの青みがかった銀髪を東雲が摘まみ上げる。先ほど叢雲が抜いて残していった毛髪だ。

 

「鬼が出るか蛇が出るか……いや、そんなかわいいもんじゃねえかもな」

 

 恐ろしく危険な橋だ。見ないふりをした方がいいに決まっている。このまま知らないふりで続けた方が今後も安泰だ。明らかに海軍の上層部が噛んでいる案件に首を突っ込もうものなら、東雲の職どころか命も危険だ。

 

 だが。

 

 こんなことを見逃すのか? この事態を見過ごしてしまうことは東雲将生の正義に反することではないのか?

 

「いや、正義だなんだとのたまうつもりはねえよ。だがな、これを許すつもりもないね」

 

 もしクローンという事実が真実だとしたら東雲に許容できないことだった。そしてその事実だけで東雲が動くには十分すぎる理由だ。

 

「……やるか」

 

 知ったからには引けない。引くつもりもない。なら選ぶ道はもう決まりきっている。

 

 まずやることは調査班と科学解析班の呼び出しだ。完全な証拠もなしに信じることはできない。信じるに足るものであると判断してから叢雲の持ちかけてきた話に乗る。ことは重大すぎる案件だ。慎重に慎重を重ねたってまだ足りない。

 

 ハイリスク。リターンはないかもしれない。それでも東雲は突き進むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長月が一人、密室でホロウィンドウを開く。ぶるりと肌寒さを感じて震えたが、すぐに暖かくなるはずだと思い、意識から排除する。

 

「さて、始めるとしようか」

 

 ホロキーボードを出現させていくつものウィンドウを一斉に開いて目を走らせる。すぐに大型のコンピュータが唸りを上げて動き始め、冷却用のファンが激しく回転した。

 

 これだけの機材を用意した時点でもう何をするかは決まっていた。長月はこれから電子の海へ飛び込むのだ。

 これまでは若狭の隣で見ているだけだった。だからこれは長月がはじめて完全に一人で仕掛けるハッキングだ。

 

 仕掛け先は憲兵隊。常盤の所在を探るためだ。

 正攻法は既に試した。だが回答は得られないままだ。長月としても時間に猶予があるわけではない以上は、強硬手段ではあるがこの手をとるしかなかった。

 

 気づかれないために、数多くのサーバーを踏み台にした。防壁も用意してある。あとは長月自身にどれほどの腕が伴っているかどうかだ。

 

 深呼吸をして気持ちを落ち着ける。今から危険な橋を渡るのだ。焦ることなく、だが気づかれないように素早く。

 

 憲兵隊の中央サーバーから関東地方の管理端末の方へアクセス。張り巡らされている防壁とトラップをくぐり抜けて目的の情報を探す。

 求めている情報はそこまで深くなくても見つかるはず。そう考えていた長月の読みは当たりだった。

 

「常盤美姫は憲兵隊資料室勤務……だが勤務記録はなしか」

 

 改竄された様子はない。そしてこれ自体が偽装である可能性も、ほぼ皆無だ。そういった痕跡は完全に消し去ることはできない。

 長月が勤務記録を表示させる。ここ最近はずっと有給を取っているようだ。

 

 つまり常盤は仕事に出ていない。なにかしらの事情で有給を取っている。それもずっと出勤することなく。

 

 ここまで調べてから長月はアクセスを切った。完全に切断されたことを確認してから詰めていた息を解放して少しだけ気を緩ませる。

 

 左遷されてから、常盤は足取りをすっぱりと絶ってしまった。今どこにいるのかわからない。だが長月はその所在が知りたいのだ。

 

「仕方ない。なら次だ」

 

 この手は少しばかり手間がかかるから取りたい手では無かった。だがなりふり構っている暇はない。

 

 常盤の顔をスキャニング。そして関東区の街頭カメラに検索をかける。

 今までのデータすべてに検索をかける以上は時間がかかる。ホロウィンドウが別で開き、表示されたバーが左から緑色に変わっていくが、そのスピードもゆっくりだ。

 

「処理には5分か……」

 

 十分に早くはあるのだが、それでも長月にとっては遅く感じる。けれどこればっかりはコンピュータにがんばってもらう案件で、長月の出番はない。ただ根気よく待つのみ。

 

 常盤はどこに消えたのだろうか。このデータを見ている限りは資料室に一度でも現れたような形跡はない。

 

「ん、出たか」

 

 そうこうしている間に5分が経ったようだ。じっとバーを見つめていた時はなかなか進まないとじりじりしたものだが、目を離すと早いものだ。

 街頭カメラとはいえ、すべての道をフォローしているわけではない。どうやっても見えない部分というのが存在してしまう。だが見える部分だけでも少し頭を捻ればわかることもある。そして若狭と仕事をした今までの時間が長月に捻る頭をくれていた。

 

「常盤美姫は自宅にいない……やはりか」

 

 しかも、もうしばらく帰っていない。憲兵隊の宿舎にいる様子もなく、その他の軍に関連がありそうな施設に寄った様子も見受けられない。今は足取りがつかめないところを鑑みると、街頭カメラの類の範囲外にいるのだろう。

 

 見つからないというのは、予想していたことではある。だからこそ最悪のケースを想定する必要が出てきたのかもしれない。

 

「はじめて一人でやった案件がいきなり荒事か……」

 

 うんざりとした表情で長月がぼやく。別に長月は荒事が好きなわけではない。むしろ回避すべきことであるとすら考えている。一度、起きてしまった荒事は隠すのが難しい。データの上のものなら気づかれないようにしやすいが、実際に起きてしまうと目撃者などが出てしまい、箝口令などを敷いたとしても人の口に戸は立てられないためにどうあっても漏出してしまう。

 

 だが避けられそうにない。若葉の話を聞いたあとでは余計にそう思わされるのだった。




こんにちは、プレリュードです!

さあ、ようやくゆるゆると動き始めました。叢雲と東雲が動き、そして長月も長月で動きました。もう誰も止められないし、止められません。

感想、評価などお待ちしてます。それでは!


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Opus-17 『Temper point』

 

「冗談、であってほしかったな」

 

 苦り切った顔で東雲が言った。その手に握られているのはいくつもの紙束だ。電子データで管理しないのは万が一のことを考えてだ。

 

「叢雲ちゃんの言っていた廃工場を調査した結果、床に広範囲のルミノール反応か」

 

 調査班によると、広がっていた血液量はかなりのものだったと推測されるらしい。失血死するほどの血液量ではなかったらしいが、深手を負っていたであろうことは確実とのことだ。

 

「そしてDNA鑑定の結果、叢雲ちゃんの髪と床にぶちまけられていた血液のDNAは97,4%の確率で一致。ほぼ確実に同一人物と判定される……か」

 

 流血量から、怪我をした人物はかなりひどい怪我をしていたはず。それこそ病院に搬送するなり、高速修復材を使用するなりしなければいけなかっただろう。だが叢雲は最近に大きな怪我をしたような記録はない。仮に記録で残していなかったのだとしても、大怪我をしていれば隠し通すことは不可能だ。

 

 つまり以上のデータからもう1人、叢雲とまったく同じDNAを持った少女が存在していた。そしてまったく同じDNAを持つ人間が存在することは原理的にありえない。

 

 つまり艦娘はクローンである。それが証明されてしまった。

 

「バイオロイド……まったく洒落にもなんねえ」

 

 クローンを戦闘用に調整したバイオロイド。それが艦娘だ。東雲としては嘘だと言ってほしかった。だが否定をしようにもクローンだという証拠が完全に出揃ってしまっている。

 おそらくクローンであるのなら、成長速度も調整しているのだろう。

 

 けれど今はそんなことはどうだっていい。とにかく峻はこの事実を知ってしまった。そして口封じとして追われているのだろう。そう考えると東雲はまんまと踊らされていたわけだ。

 

「叢雲ちゃんを呼ぶか」

 

 なんにせよ、情報を提供した叢雲と接触しなくては始まらない。他にもあの場では告げなかったこともあるはずだ。その情報をもらってから行動に移したいと東雲は考えていた。この件はかなり危ない。石橋を叩いて渡るくらいの姿勢がちょうどいいくらいだ。

 

『俺だ。叢雲を執務室に呼んでくれるか』

 

『はっ。しばしお待ちを』

 

 これですぐに叢雲は東雲の元に来るはずだ。本人が呼べばすぐに来ると言っていたので、間違いはないはず。眉根をひそめながら東雲は待ち続けた。

 果たして叢雲は来た。両脇を海兵に固められた状態で、執務室に現れたのだった。東雲が身振りだけで下がるように言うと、海兵は一礼だけすると退室して行った。

 

「聞かせてくれるかしら。東雲中将、あなたはどうするのか」

 

「中将という地位を考えるなら何も聞かなかったことにして叢雲ちゃんを秘密保護のために解体と言う名の口封じをかけるのがベストなんだろうな」

 

 こういう答えが返ってくることも予想していたのだろう。叢雲は特に表情を変えず、身じろぎの一つすらしない。そういう肝の座り方は誰に似たのだろうかと東雲は考えずにはいられなかった。

 

「解体処分、ね……」

 

「立場を考えるならな。だがそうするつもりはねえ」

 

「じゃあどうするつもり?」

 

 試すように叢雲が東雲に視線を注ぐ。東雲の采配一つで生死が決まるかもしれないというのに、本当に度胸がある。

 

「その前に、だ。まだ言ってない情報があるんだろ?」

「そんなのほとんどないわよ。どうやら人工的な記憶の定着法が存在するらしいってことくらいかしらね。戦闘技術も同じ方法で定着させてる可能性もあるわ」

 

「人工的な……」

 

 つまりクローニング技術を用いて艦娘を製造。そして製造した個体に艦の記憶と戦闘技術を植え付けているのだろう。

 どうして艦の記憶を定着させる必要があるのかはわからない。だが無意味ではないのだろう。無意味ならやる必要性がない。きっとなにか理由があるのだ。

 

「東雲中将、あなたはどうするつもり?」

 

「どうするつもり、か……」

 

 答えはもう出ていた。東雲は叢雲の言っていたことの証拠が出揃った時点で覚悟はできていたのだから。

 現行の艦娘システムをすぐに変えることはできない。代替のシステムが存在しない以上は変えようがないのだ。だが放っておいたとしても変わることはないだろう。そして東雲には限界が見えていた。

 このシステムは変えなくてはいけない。今の体制に縋ったままではいずれ崩壊を迎えることは火を見るより明らかだ。

 

「掌握してから時間をかけて変えてく。これしか方法はない」

 

「ずいぶんと大胆なこと考えるのね」

 

「こうでもしなけりゃ変えられん。で、協力することの引き換えとして提示していた叢雲ちゃんの要求はシュンと顔を合わせて会話することだったな?」

 

「正確には真意を問いただしたい、よ」

 

 叢雲が訂正をかける。細かいことだとは思ったが、本人にとっては大事なことなんだろう。深く理由を聞く理由もなければ、話すと問いただすの違いも大してないため、東雲は触れることを控えた。

 

「そんなことはどうだっていいのよ。掌握するって言ったってそう簡単にはいかないわよ。海軍は今の体制で問題なく動いているように見える。時間をかけて掌握しているんじゃ間に合わないかもしれないんでしょ。なら情報戦に持ち込んで引きずり下ろすのはあてにできない」

 

「なら残る手段は一つだ」

 

 時間をかけることはできない。かけるべき時間はその後にシステムを模索する期間に使わなくてはいけない。

 

「具体策としてなにをするつもりよ?」

 

「完全なプランが立ってない。大まかなものしかな。だがシュンを利用させてもらうつもりだ。あいつが動いてくれるかどうかで俺のプランも変わってくる」

 

「どういうこと?」

「おいおい説明するさ。叢雲ちゃん、シュンと接触するなら言付けをしてくれ」

 

「言付け? そもそもあいつがどこにいるのかわからないのに?」

 

 峻は現在、逃走中だ。しかも憲兵隊と横須賀海兵隊を撒いてからの足跡は消えてしまっている。憲兵隊が一時的に弱体化しているという理由も相まって追跡が難しくなっているのだ。

 

 だから叢雲は峻に言付けをする以前に捜索して発見するところから始めなくてはいけない。そう叢雲自身は思いこんでいた。

 

「安心しろ。だいたいの場所は絞り込めてる」

 

「絞り込みができてる? 私に情報が降りてくるとは思ってないけど、それにしてもわかってるなら行動が遅くない?」

 

「まだ入ったばかりの情報だからな。つい先ほどだがな、東京都郊外で爆発があった。爆発の規模、音などの類を調べた結果、憲兵隊の車両から峻が盗んだ手榴弾である可能性が高い」

 

「あいつが爆発物を使った……」

 

「憲兵隊が東京都郊外で作戦展開なんてしてない。おそらく、いやほぼ確実に使ったのはシュンだ」

 

「……状況は?」

 

「詳しくはまだなんとも言えん。だがまだ周辺にいる可能性は高い。それに叢雲ちゃんは秘書艦だった。あいつの思考パターンは読みやすいだろう? 車は付ける。だからあいつを追え。捜査権はこっちで押さえる」

 

「……了解。ポイントを教えて」

 

 叢雲と東雲の共同戦線。互いの目的は違えども、協力することにメリットがある。

叢雲は峻に問いただすために接触する必要がある。そして逃走中の峻を見つけるためには東雲の情報をもらうことができる。

 東雲は今の体制を知っていながら無視する事は出来ない。そして叢雲はそれらの情報を提供することができ、その上で東雲の描くプランを実行するために必要なピースである峻とのラインを構築することができる。

 

 叢雲が背を向けて部屋から出ていく。東雲は頭の中でソロバンを弾き始めた。

 ゆっくりと、だが確かに水面下で様々なものが動き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 呼ばれる声がしたので峻は反射的に飛び起きた。声は家の外から聞こえてくる。

家、なんて銘打ってはみたがその実態はごみ捨て場にあったもので雨風を凌げる体裁だけ整えたものだ。だから家というのは少しばかり無理がある。

 

「俺、だよな」

 

 寝起きの頭が一瞬でクリアになると、すぐに回転を始める。いつでも抜けるようにショルダーホルスターのCz75のセーフティを解除して、そろりそろりと入口に近づく。入口の死角へ入り込んでから改めて声に意識を傾ける。どうやら入る許可を求めているらしい。

 

「どうぞ」

 

「失礼するよ」

 

「ああ、ジイさんか」

 

 長老の後ろに峻の追手が付いてきていないことを確認してからようやく懐にいれていた左手の力を抜いた。まだ何が起きるかわからないため、左手は懐に差し込んだままにするがトリガーにかけていた人差し指は外す。

 

「いきなりすまないね」

 

「なにかあったのか? 俺が生きてるか確認しにくるなんてことはないだろう?」

 

「リリイを見ていないかな?」

 

「リリイ? どうして?」

 

「今朝から姿を見なくてな。いつもなら朝になったらあいさつに来るはずなのに今日だけ一向に姿を見せん。あの子は君に懐いていたからここにいるのではと思ったが……」

 

「じゃあ残念ながら見当違いだったみたいだな。ここには来てない」

 

 確かにこのスラムで身を隠している間に峻は何度かリリイに話しかけられたりはしている。だがそこまで深く関わろうと思ったことはない。家に招くなどしているはずもないのに、リリイがここに来ることができるはずがなかった。

 

「そうか。来たら教えて欲しい」

 

「頭の片隅に留めとくよ」

 

 用件はそれだけだったらしい。長老は峻の仮設小屋からさっさと出ていった。リリイと名付けられた少女を探しに行くのだろう。リリイは長老の娘のような立ち位置だったせいで心配しているのかもしれない。

 けれど峻が探してやる義理はない。関わりと言っても飴玉をあげたくらいだ。

 

「…………嫌な感じだ」

 

 顔をしかめながら峻がつぶやく。

 今まではずっといた子供が急にいなくなった。子供だからと言ってしまえばそれまでだが、いきなり消えたというのが引っかかる。長老がこんなところまで探しに来たということは心当たりのあるところにはいなかったのだろう。

 

 そろそろ立ち退き時かもしれない。安全圏と鷹をくくって、気づけば詰めろまで追い込まれていましたでは洒落にならない。

 

 峻が手早く荷物を纏めにかかる。くるりと寝袋を巻いて小さくすると、すべての荷物を小型のバックに詰め込んだ。

 そこそこがんばって建てたこの仮設小屋ともお別れだ。

 

「どのみちしばらく同じ場所に留まりすぎた」

 

 少しだけドアの代わりをしているブルーシートを押して隙間を開ける。その隙間からこっそりと周囲を伺った。

 銃口が物陰に煌めいたりしているようなことはない。かと言ってこちらの動向を見張るような気配も感じられない。

 

 引き上げ時だ。

 

 何食わぬ顔で荷物だけを持つとごみ捨て場に建てられた小屋のような家の間をすり抜けるように進む。次の行くあてはない。そもそも次にやろうとしていることだって決まるどころか、何をしたらいいかわからないくらいなのだ。

 

 なんとも形容し難い虚無感が峻の中でじわじわとそのテリトリーを広げていた。

もう叢雲をかばい続ける必要はない。あとは東雲に任せておけばうまく運んでくれる。

唯一あるのは死んではいけないという叢雲に突きつけられた言葉だけ。今の峻の目的なんてせいぜいが捕まるこなく逃げ続けるというあまりにも漠然としすぎたものだけだった。

 周りに気を配りながら歩いて最短コースでスラム街のような様相のエリアを抜ける。そのままごみ捨て場から離れるように歩いていて、ふと峻は足を止めた。

 

「足跡……?」

 

 一つはとても小さいもの。あとは大人くらいのサイズが小さい足跡を囲うようにして、いくつも残っていた。

 何が起きているのか瞬時に導き出せてしまったことを後悔した方がよかったのかもしれない。導き出せてしまわなければすぐにその場から立ち去れた。

 

 一度、深呼吸。あくまでもまだ仮説の範疇だ。確認しなければ確定はしない。

 

 もちろん、峻が確認しに行く必要はない。どころか悪手ですらある。それでも感情が理性を上回った。

 足跡を追いかけていく。既に頭は回らなくなり始めていた。手は懐に潜り込み、しっかりとCz75を握りしめる。

 冷静な判断なんてできない。ただ確認しなければという思考しかない。広い視野なんてもうなくなってしまった。

 

 だから最悪の事態を選びとってしまう。

 

 足跡を追いかけた先にはリリイがいた。

 

 手枷と猿轡を嵌められて、目も隠された状態で歩かされていた。

 

 その周囲にはニヤニヤと下卑た笑いを浮かべる男たちがぐるりと取り囲んでいた。

 

「おい、お前ら」

 

「なんだ? ていうかお前は?」

 

「その子、どうするつもりだ?」

 

「なんでてめぇに教えてやらなきゃいけないんだ」

 

「いいから言え。別にしょっぴいたりしねえよ。そんな権利もないからな」

 

 懐に入れている手を強調する。向こうも不必要にことを荒らげたくなかったのか不満そうな顔ではあるものの、ゆっくりと口を開き始めた。

 

「ガキはいい金になるんだよ。特にこういうとこのガキは戸籍もしっかりしてない場合が多いからな。拐っても気にするやつはいねえし」

 

「俺たちはそれの仲介だ。この様子だとこのガキは慰みものってとこか。なかなかいい顔だしな」

 

「それ以外ならモルモットか」

 

「まあ、あとは兵士にもできるっすよね」

 

「このぐらいの年齢は洗脳して投薬すりゃあ結構やれるようになるからな」

 

 ハハハ、と男たちが笑う。その中で目も隠されたリリイがよくわからなさそうにちょこんと首をかしげていた。

 対照的に峻の頭は一瞬でヒートアップし、直後に冷めた。そして冷めたその瞬間、峻の手が霞むように動くとCz75から飛び出した銃弾が最も峻から近くにいた男の右目に突き刺さり、そのまま頭部を貫通。銃弾が刺さった箇所から勢いよく血が吹き出て、どっと後ろへ倒れ込んだ。

 

「なっ!」

 

「てめぇ、何を!」

 

「殺されてえのか!」

 

 口々に男たちが喚く。その様子をひたすら無感情に峻は見つめていたが、おもむろに顔を上げた。

 

「ああ、わかった。もうしゃべらなくていい」

 

 どこまでもフラットな峻の声にぞわりと男たちの肌が粟立つ。

 

「し、しょっぴかねえって……」

 

「ああ、しょっぴいたりはしねえよ」

 

 Cz75とコンバットナイフがそれぞれ峻の手に握られた。ゆらゆらと左右に揺れながら迫る峻に危機感を覚えたのか男たちが拳銃を抜いた。

 

「動くな。わかってんだろうな? こっちは7人だ。そっちは1人。どうあってもてめぇに勝ち目なんかねえんだ」

 

 半月形に峻が取り囲まれる。それぞれの銃口が峻に向けられているが、峻は動揺する様子を欠片も見せるどころか全員をちらりと一瞥しただけだ。

 

「うるせえ」

 

「なん……」

 

「うるせえって言ったんだ。もう、黙れ」

 

 さっきまでややこしいことを考えていた頭はクリアになった。上った血流は激しく脈打っていたが、今は一律のリズムを刻み続けるだけになり、呼吸も落ち着いていた。

 

 ──殺せ

 

 言われなくともそうするさ。

 

 叢雲は東雲へ間接的に託した。もう、ここで殺しをしたとしても叢雲に影響はない。叢雲の身柄は峻ではなく、東雲が預かっているのだから。

 

 つまり止めるものも、止まる理由もなくなった。

 

 かつてないほど冷えきった思考の中で考えることは一つ。

 どうやって全員を屠るかどうか。

 

 そんな殺しの道筋ばかり考えている中でぼんやりと峻は思った。

 

 昔となにも変わらないじゃないか。結局のところ俺は……

 

「なんなんだよ……てめぇ、なんなんだよ!」

 

 ただの人殺しだ。





こんにちは、プレリュードです。
噛ませ展開はやらないと誓っておきながらやる愚か者ですがご勘弁をば。まーなんと言いますかそれぞれ好き勝手に暴れてますね。
ですが、これで東雲は明確に行動することを決めました。叢雲がもたらしたものは大きかったということもあるでしょう。
それぞれが自ら狂いながらそれでも進むしかない。さあ、だれのシナリオが成功するのでしょう?

感想、評価などお待ちしてます。それでは!


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Opus-18 『Slaughter point』

 

 かつてないほどクリアになった頭で峻は辺りを見渡した。拳銃を持った男が7人。一人は峻が早々に射殺したので元々は8人いたようだ。そしてリリイが枷を付けられて、わけがわからないと言った様子でおろおろと立っている。

 

「構えろ!」

 

 リーダーらしき者の指示で7つの銃口が峻に突きつけられる。左に小さく首を振って全ての銃口の向きを確認。だらりと両腕から力を抜いてただ待ち続ける。

 

「やっちまえ!」

 

 瞬間、複数の発砲音。だが、小銃の掃射をすべて避けられる峻にとってはいくら半円に囲まれている状況とはいえ、これくらいを避けるのは訳ないことだった。

 

「避けやがった!? くそ、もう一度だ!」

 

「……」

 

 今度は意図的に体を動かす。発砲されるほんの少し前、微妙に連続で体をずらしていく。

 

「ぐわっ!」

「ぐっ!」

「うわあっ!」

 

 そして男たちの撃った銃弾はすべてそれぞれ仲間同士に命中した。腕や足、腹などその箇所はばらばらだが、すべて仲間同士で撃ったものだ。

 

「お前らなにやってやがる!」

 

 峻が小さく鼻で笑った。

 やったことは単純。一人一人が引き金を引く直前に体を微妙に動かすことで狙いをズラして仲間同士で撃ち合うように弾道を調節した。

 だが理論が理解できても実行できるかはまた話が別だ。なにより一つのミスが命取りになる。だが何の躊躇いも見せることなく峻はそれを実行した。

 

「……義足戦闘用プログラム起動」

 

 峻が小さく呟く。まだ内臓の傷は塞がりきってないため、使用は控えた方がいい。それがわかった上で峻は右脚を使う選択をした。

 くくっと右眼を動かして右方を確認。すぐに首を振って左方を確認した。

 

 右から3発くる。

 

 直後に峻の頬と右肩、脇腹を掠めるように銃弾が飛来。危なげなく避けると峻が一瞥する。

 ダン! と峻が右脚を強く踏み込むと同時にブースターが作動。一瞬で間を詰めると1番、手前にいた男の胸部に手首を捻りながらナイフを根本まで突き立てた。

 

 ブチブチと繊維が引きちぎれていく感覚。それがダイレクトに右腕から全身に這い回った。ナイフを突き立てられた男の手から拳銃がぽろりと落ちて地面でかしゃりと音を立てた。正確に心臓と付近の血管をズタズタにしたのだ。もう命はない。

 

「一緒にやれ!」

 

 残り6つとなった銃口が峻に向けられる。その引き金が引かれる前に峻がナイフを男の体から引き抜いて180度くるりと回転させると襟首を掴んで盾にした。

 撃たれた弾丸はすべて峻が盾にした男に刺さった。発砲が終わるタイミングを見計らって峻が左脚で盾にしていた男の死体を発砲していた集団へと蹴り込む。

 

 そして吹き飛んで行く死体の影になる場所を走り続けて集団に近づくと、1人の首をナイフで切りつけた。血飛沫が派手に噴き上げて峻に降りかかるが、意に介すことなく2人目に襲いかかり、ブースターを吹かしながら右脚を腹部に叩き込む。

 

「っ……かはっ」

 

 峻に蹴られた男が胃酸と空気の混ざったものを吐き出した。同時にあばら骨が折れる音が混ざる。そのまま5mほど吹き飛んだ。崩れ落ちた後はもぞもぞとしているだけだが、永劫に立ち上がる事はできないだろう。へし折ったあばら骨が両肺を突き破るように蹴りを入れた。おそらくもってあと10分だ。

 

「ひっ……」

 

 残り5人。そのうち1人が及び腰になった。そのせいで足並みが乱れた。そしてそんな隙を見逃す峻ではない。

 そもそも数で勝ってはいるが、武装は同じ拳銃。そして峻は右脚の義足というアドバンテージが存在しているのだ。

 

 なにより人攫いの集団と峻では踏んできた場数と質が違いすぎた。

 

 怯んだ男との間が一瞬で詰められる。体が引けてしまった状態で撃たれた弾丸に峻が当たるわけもなく、するりと蛇のように避けて捻りを加えた掌底が鳩尾にめり込む。骨がベキベキとへし折れていく感覚と共に、それらの骨が何かを突き破った。

 掌底を食らった男が吐血しながら崩れ落ちる。骨が心臓を突き破ったのだ。

 

 もう倒れた男には目もやらずに残った4人だけ集中する。あと半分だ。弾は十分ある。傷の調子に関してもさしたる問題はない。

 そんなふうに都合よくいくわけがなかった。峻の怪我は痛んでいるはずだ。だがもう、痛みはアドレナリンのおかげか感じなくなっていた。

 

 頭の中を占めるのはいかにして人攫い共を殺すか。ただそのことのみになっていた。その他のことは何も考えられない。考えようとも考えなくてはと思わなかった。

 ただ峻の中には純然たる殺意だけが渦巻いていた。

 

 どうやったら効率的に殺せるか。思考はすべてそれ一点のみに集中し、体はキリングマシーンのように狂いなく緻密に動き続けた。

 

 残るリーダー格らしき男とその他に3人の合計4人だ。もともといた人数の半分程度まで減っているが、それでも拳銃を峻に向かって突きつける。

 連続した発砲。どこか小気味いい音が無秩序に鳴り響く。

 

 直撃する弾をすばやく見極めると、それ以外は意識から排除。直撃弾がどの順番で飛来するかを判断し、すべてを最小限で避けきることのできる行動を弾き出す。

 その過程は銃弾が撃たれた時にすべて終えていた。

 

「……ふっ!」

 

 峻が息を短く吐き出す。ぐっと腹に力をこめると足のバネを伸ばして男たちの懐に飛び込んだ。1人目を左脚で足払い。バランスを崩しかけたところに腹部へヒザ蹴りを叩き込んでやると地へ倒れ伏した。

 2人目と3人目に対して両手で同時に掌底を打ち込む。ずぶ、と峻の手のひらがそれぞれの体にめり込み、肺の空気を吐き出させた。そして2人ともが咳き込みながら膝をつく。

 

「ひ、ひぃっ」

 

 最後まで残っていたリーダー格の男が背中を見せた。逃がすな。殺せ、と峻の中で何かが囁いた。

 腰のポーチにナイフを持ったまま手を回す。その中から手榴弾を探り出すとピンを引き抜いてその場に落とし、振り返ることなくリーダー格の男を追いかけた。

 

「やめ……」

 

 背後で爆発音。なにかそれ以外にも聞こえたような気がしたが意図的に意識から排除した。どうせもう2度と話すことはできなくなった肉塊だ。そんなものにいちいちかまけているつもりなんてない。

 

 最後まで残った男が逃げきれないと諦めたのか振り向きざまに峻へ拳を繰り出す。だが峻は横からそれをはたいて落とした。

 

「くそっ」

 

 男の右手が拳銃に伸びる。しかしそれが構えられることはなかった。懐に飛び込んだ峻が胸ぐらを掴みあげてうつ伏せに地面へ叩きつけたからだ。中途半端に握られた拳銃は手からすっぽ抜けてしまった。

 それを掴もうと必死に右手を伸ばす。だが手の甲を峻が右脚の踵で踏み潰した。

 

「がぁぁぁぁ!」

 

 峻のCz75が倒れている男の頭に照準される。男はギリギリで銃口が自分の頭部に向かっていることが見えているだろう。峻から見える片方の目にありありと恐怖が浮かぶ。

 

「なんでだ……俺たちだって生きてくためにはこうするしかないんだよ! 好き好んでこんなことやってるわけじゃねえんだ! でもこうでもしなくちゃ死ぬしかねえんだよ!」

 

「なら初めからこうなる覚悟くらいしとけ」

 

 タン! と銃声が鳴った。Cz75から撃ち出されたパラベラム弾が男のこめかみを撃ち抜き、紅の花を散らした。

 

「生きてくためには、か……」

 

 まだ硝煙が立ち上るCz75を峻はじっと見つめた。これで人を殺したのはずいぶんと久しぶりだった。

 見渡せば蹂躙した痕跡。だがそれらに対して何か感慨めいたものは何も沸き起こらなかった。

 化け物。その言葉に乾いた笑いが口元から漏れる。

 

「正解、かもな」

 

 返り血をもろに被った顔を拭う。鉄臭い味が気持ち悪くて唾を吐いた。

 もう生きているのは峻と目隠しをされたリリイしかいない。

 

「いいか、向こうへとにかく歩け」

 

 それだけ言うとリリイをごみ捨て場の方向に体の向きを調整して歩かせてやる。誰なのかわからないようだが、言われたままにリリイは歩き始めた。このまま歩かせておけばいずれ誰かが拾うだろう。

 別に助ける義理なんてない。ただ、見殺しにする理由もない。本当になんとなくだった。

 

 べったりとナイフに付着した血液と脂肪を死んだ男の服で拭った。綺麗に拭えたことを確認してから鞘に戻す。Cz75にもセーフティをかけてからショルダーホルスターに収めた。

 

 どこへ行くかまた探さなくてはいけなくなった。頭の中で地図を展開しながら歩き始める。その顔からは一切の感情が抜け落ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガタゴトと車が揺れる。ずいぶんな悪路だと思い、叢雲は顔をしかめた。

 

「もう間もなくです」

 

「そう」

 

「しかしよろしいのですか? 持っていくものがそれのみで」

 

 ミラー越しに運転手が叢雲の抱えているものをちらりと見た。

 叢雲が抱えているもの。それは救急箱だった。

 

「いいのよ。きっとこれが必要になるはずだから」

 

「そうですか。差し出がましい口を利きました」

 

「構わないわ」

 

 運転手の詫びを叢雲はするりと躱した。本当なら銃など武器を持つところを救急箱なんてものを持っていたので変に思われたのだろう。

 怪我をしていないわけがない。だから持ってきた。叢雲としてはそれだけのつもりだ。

 

「着きました」

 

「ありがとう。しばらくここで待機を」

 

「了解です」

 

 車から叢雲がひらりと降りた。どうやらここから少し行ったところで件の爆発音が観測されたらしい。すぐに来たとはいえある程度の時間は経ってしまっている。なんとかして足取りだけでも掴んで、すぐに追いかけたかった。

 

「こっちね」

 

 少し離れたところに止めてもらったので、いくらかは歩く必要がある。ダイレクトに横付けしてもらわなかったのは下手に他の妨害が入るかもしれないことを考慮した上だった。

 叢雲は決まった方向に向かって歩き続けた。ポイントは事前にもらったデータによって常にホロウィンドウにマーキングされているために迷うことはない。

 歩くこと15分ほど。ようやく見つけたその場所はわずかな時間とはいえ、叢雲の呼吸を忘れさせるには十分すぎる光景だった。

 

「なによ、これ……」

 

 そこには無惨に8つの死体が転がっていた。焼け焦げたり、喉元や胸が深く抉られていたり、頭部を銃弾が貫通していたりと損傷は様々だが、どれも共通して死んでいた。

 目の前の光景が峻によって引き起こされたことだと叢雲は信じたくなかった。だがその中の一つが叢雲の目を引いた。

 

「右目を撃ち抜かれて頭部を貫通してるわね……」

 

 この殺し方は見覚えがある。たった1度だけ峻が叢雲の目の前で人を殺した時の殺し方だ。

 確かに峻はヨーロッパでテロリストから襲撃されて2人のテロリストに裏路地へ追い詰められたとき、片方は喉元を切り裂き、もう片方は目から貫通させて殺していた。

 目を貫通させたのはおそらく確実に絶命させるためだろう。喉元を切り裂くのは言わずもがなだ。そして喉元を切り裂かれた死体も転がっていた。

 

 軽く死体に触った。ほぼ全身が冷たい。死後、3時間以上は経過している。だが血液が表面だけ固まって奥までしっかりと固まっていない。

 

「まだそこまで遠くには行ってないはず」

 

 車へ戻りながらホロウィンドウをタップして拡大。おおよそここで殺しがあってから経ったであろう時間を推定し、移動範囲を絞りこむ。

 こんなことは艦娘の仕事ではない。だが旗艦として艦隊を率いていた時に敵艦隊の航行速度から行動予測をつけたことは何度もある。つまりはそれの応用だ。今までは深海棲艦でやっていたものを人でやるだけ。

 

 中心点をさっきの殺害現場に。そこからぐるりと円を描くようにホロウィンドウのマップに書き込みを入れる。

 具体的なデータは出揃った。あとはどれだけ叢雲自身が峻の思考をトレースして読めるか。その一点にかかっている。

 

「お戻りですか」

 

「……次はここまで行ってくれるかしら?」

 

「お任せください」

 

車が小さなアイドリング音を立てながら進む。後部座席で叢雲は難しい顔をしながらじっとホロウィンドウのマップを睨んでいた。

 

 私はあいつじゃない。だからあいつが考えていることすべて分かるわけじゃないし、行動を完全に読むこともできない。

 

 でも、最も長く秘書艦を務めあげたのは私だ。

 

 わからなくとも、そして読めなくても大まかに予測がつけられればいい。あとは予測の中から可能性の高い選択肢を取れば自ずと当たるはずだ。

 そして確信はなくとも叢雲は当てる自信があった。根拠のない自信ではある。だが一緒に逃走したせいか、なんとなくではあるが峻が好んで選ぶ場所がわかるような気がしたのだ。

 車は走る。荒れた道をただひたすらに。人の手が入らないというのとそもそも住む人が減ったので土地が荒れたという理由が大きいのだろうか。

 ともかく走り続けて10分ほど経ったころだろうか。車が減速していき、目立たない端に寄せて止まった。

 

「ここでよろしいでしょうか」

 

「ええ。私は行くからここで待機を」

 

「了解しました」

 

 叢雲が目をつけたのは小さな廃ビルだ。周りが駐車場になっていたらしく視界が開けている。おそらくは日照権の関係でこういった構造になったのだろう。ともかくここなら見張りも容易だ。

 

「あいつは見張りやすい場所に陣取る傾向があった。時間的にはここにいてもおかしくないはず」

 

 そもそも忘れているかもしれないが、峻は退院を許されているとはいえ完治したわけではないのだ。移動に車などの足を用意させていたのも峻が負担を軽減させるためという側面もあった。

 すぐにその場を離れなくてはいけないとはいえ怪我のこともある。徒歩でいける場所であり、なおかつ手頃な休める場所として叢雲が目をつけたのがここだった。

 

 こつ、と駐車場に足を踏み入れた。ここにいるのならば気づいたはずだ。そして気づいたのならばきっとアクションを起こす。叢雲はビルを徹底的に捜索することくらいは予想して然るべきことだからだ。

 真っ先に思いつくのは逃走だ。会わずに逃げる。これが最も合理的だろう。だから先にその手は封じる。

 

 駐車場に入ってから叢雲はわざとゆっくり歩いていた。けれど急に走り出して一気にビルの裏手に回り込む。

 

「やっぱり」

 

 人影が裏ではビルから立ち去ろうとしていたところだった。間違いなく峻だ。叢雲を切り離そうとしていたのならば絶対に接触を避けようとするはず。ならば叢雲の姿を見た瞬間に気取られないように逃げるだろうと叢雲は思った。その勘は的中したのだった。

 

「なんでお前がここにいる」

 

「東雲中将からあんたに伝言よ。すべてを知った。協力しろ」

 

「……話が読めないな」

 

 言いたい事はいくらでもある。だがそれより前に叢雲はポケットから探り出したチップ型の記憶媒体を弾いて投げた。こともなげに峻がそれを右手で掴む。

 

「これは?」

 

「東雲中将からのメッセージよ。それを見せろ。これが私の任務なのよ。確認が取れるまではあんたにつきまとい続けるわよ」

 

「ちっ。あの野郎……」

 

 峻がジャックに配線を差し込んで記憶媒体と接続した。反応と呼べるようなものはわずかに眉をひそめたのみ。叢雲はただ峻が見終わるまで待ち続けた。

 

「……マサキに伝えろ。てめぇの望みどおりにしてやるってな」

 

「待ちなさいよ!」

 

 それだけ言うと立ち去ろうとする峻を叢雲が引き止める。聞きたいことがあった。それを聞くために東雲と取り引きをしたというのにここでみすみすチャンスを逃すわけにはいかない。

 

「あんたは何で……」

 

 だが叢雲は最後まで言えなかった。峻がその場から飛び退いて、乾いた火薬の音が叢雲の言葉を遮ったからだ。

 

「ちぇ。やっぱり避けるかぁー」

 

 硝煙が立ち上る拳銃を右手に握った人影が離れたところにあるビルの柱の影からゆらりと現れた。その()は薄っぺらな笑みを張り付け、目を血走らせていた。

 

「はーい、お久しぶり。殺しに来たよ、テロリスト」

 

 常盤美姫が持つ拳銃の銃口が峻の頭へ向けられた。




こんにちは、プレリュードです!

何話ぶりかにあの女が再登場です。まあ、さすがに忘れられてるってことはないと思いたいですね。帆波VS常盤の対戦カードが組まれました。どうなることやら。

感想、評価などお待ちしてます。それでは!


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Opus-19 『Madness point』

 

 隠すことなく峻が舌打ち。すでにナイフとCz75は抜き、上着も脱ぎ捨てた臨戦態勢が整っていた。

 だがそれは常盤も同じ。油断なく拳銃は峻に照準をつけていたし、目線も決して外そうとしない。

 

「助かったよ、叢雲ちゃん。案内ご苦労さま」

 

「そんなつもりなんてないわよ」

 

「つけられたな、叢雲」

 

 目をきつく吊り上げて峻が常盤を睨む。対する常盤は冷たくて凍りつくような視線を峻に返した。

 常盤は峻がどこにいるかわからなかった。そして叢雲はどこにいるのかわからなくとも峻を見つけ出すことができるつもりだったし、事実として叢雲は峻を発見した。

 それを常盤は利用した。出ていく車を尾行していったのだ。

 

「横須賀に張ってれば見つかりやすいだろうと思ってね。ま、案の定ってわけだけど」

 

「わざわざご苦労さん」

 

 素っ気なく峻が常盤の言葉を叩き切った。けれど構えを解かないのは警戒を続けている証拠だ。

 

「で、何の用だ? いや、聞かなくともわかってる。だがお前に権利はないだろう」

 

「そうだね。確かにそうだった」

 

 常盤が薄く嗤う。司令官である常盤が峻を捕縛する権利はないだろう? 言葉足らずではあったが峻の言いたい事はしっかりと伝わっていた。

 峻は知らない。常盤が憲兵隊に戻っていたことも、その後に左遷を食らっていることも。だが権利がないということは間違っていなかった。

 

 もう常盤は憲兵隊を指揮する権利を剥奪され、捜査から外されているのだから。

 

「でも今はそんなの関係ない。ここにいるのは海軍のアタシでも、憲兵隊のアタシでもない。ただの常盤美姫だ」

 

「……まさか」

 

「そのまさかだよ。もうアタシは軍に籍を置いてないの。だから私服。わかる?」

 

 もう軍は辞めた、と常盤はさらりと言った。つまり海軍にいた常盤の地位では捕縛権がないなどのしがらみには囚われていないという宣言。

 今の常盤は純粋に個人のためにここへ来たのだ。

 

「なおさら俺に接触する理由がわかんねえな」

 

「ああ、それは単純。君を殺すためだよ」

 

「なにを言ってるのよ。正気なの……?」

 

「うん。正気も正気。そのためにここに来たんだし、さ」

 

 まるで世間話でもするかのように常盤が告げた。叢雲は信じられない気持ちだったが、常盤の拳銃の銃口が1ミリもズレずに峻を狙っていることが本気なのだと嫌でも気づかせてくる。

 

「なら俺は抜ける。ご丁寧にてめぇのお望みに付き合ってやる義理もない」

 

「そっか。じゃあアタシは叢雲ちゃんを殺すよ」

 

 まったくぶれていなかった常盤の拳銃の銃口が動いて叢雲に狙いをつける。何が起きたのか理解できない叢雲はただ固まることしかできなかった。

 ただ常盤が冗談で言っているわけではないことはわかる。拳銃にセーフティはかかっていなかった。

 

「見捨てられるわけないよね? 見捨てるなら君は始めから叢雲ちゃんを撃ち殺して逃げればよかった。なのにしなかった。あまつさえ話を聞いた。本当に甘ちゃんだね、君は」

 

 吐き気がするけど今回はプラスに働いてくれたからよしとするよ、と常盤が歌うように言った。

 

「ならお前も最初の一発を叢雲に撃つべきだった。それをしなかった時点で信用度は低い」

 

「かもしれない。でも、たとえ99%撃たないとわかっていても残り1%が撃つかもしれないって疑念があるなら無視はできない。違う?」

 

「……どうあってもやる気か」

 

「アタシはね、テロが憎い。テロリストが嫌い。憲兵隊に入ってたのは人が多く使えるから都合がいいだけ。この手で殺せるなら1人でだっていいんだよ」

 

 だから君を殺す。ついには張り付けた笑みすらも剥ぎ落として常盤が峻に殺意を向ける。

 

「知ってるか? てめぇが今からやろうとしてることはてめぇ自身が嫌いだと言った暴力(テロ)だ」

 

「それが? ハンムラビ法典を知らない?」

 

「眼には眼を、か」

 

「そそ。それで歯には歯を。報いは受ける。すべてのテロリストを殺した時にね」

 

 どうあっても避けられない。直感した峻は左手にCz75を握りしめ、右手でナイフを引き抜いた。そして右脚の裾をまくり上げて義足の戦闘用プログラムを起動させる。

 出し惜しみなしの全力全開。それが峻の答えだった。

 

 どうして。

 なんで戦うことになってるのよ。

 ヨーロッパで一緒に戦った仲間じゃなかったの。

 

 叢雲は口を挟みたかった。だが言いたい事はいくらでも出てくるのに、口が開かない。それどころか無意識に1歩、退いてしまっていた。

 

 どちらかが最初の一発を撃つ。そしてそれが始まりを告げる。

 だが最初の一発はどちらか片方ではなかった。

 

 ()()()()だった。

 

 常盤が横に飛んで。

 峻が首だけ振って。

 同時に腕が跳ねて。

 引き金を引き絞る。

 

 どれだけ撃っても互いに当たらない。相手の動きを先読みするが、向こうもその先読みすら読み切り、それに対応するためにさらに先を読む。

 そんなやりとりが一瞬の間に繰り返されていた。

 

 これではきりがない。弾が尽きたところで峻も常盤もスペアのマガジンくらい持っている。

 なにより峻としては長引かせたくなかった。連続して銃声が鳴り続ける状況は人を呼ぶ。それこそ憲兵隊のような団体がやってこられるのは困るのだった。

 

 峻がだんだんとビルの壁に追い詰められていく。避ける場所がなくなった。表情を変えずに、ためらいなく常盤が撃った。

 

「っ!」

 

 峻が右脚のブースターを作動させて大きく後ろへ跳躍すると2階の窓ガラスを割りながらビルの中へ飛び込んだ。床で体を打ちつける前に再びブースターを作動させて体勢を整えて両足を床につけた。

 何に使われていたのかわからない部屋だ。使われていた頃はいろいろと置いてあったのだろうが、今は頑丈そうなテーブルが1つ横倒しになっているのみ。あとはただがらんとした空間が広がるだけだ。

 

「下手な誘い込みだね」

 

「わかってて乗ったのか」

 

「君のすべてを叩き潰す。その上で殺す」

 

 ガラスの破片を踏みにじりながら常盤が部屋に現れる。ビルの中へ誘い込もうとしたことは気づいていたらしい。その上で乗ってくるとはずいぶんな自信だ。

 

「ふっ!」

 

 峻が間を詰めると常盤の拳銃を弾き飛ばす。放たれた常盤の回し蹴りは峻の左のこめかみを掠めた。皮膚が小さく裂けたような感覚があったが、出血はしなかった。

 

「やっぱり武器を狙った」

 

 順手でナイフを握って常盤が腰を落として身構える。ダン! と力強い踏み込みと共に常盤が加速した。

 

 火花。火花。火花。

 

 ナイフの刃をナイフで受け止める度に飛び散る。そうでなければ峻が突き出すと、常盤はぬるりと避ける。そして常盤が切りつけると峻は最小限の動きだけで命中するであろう箇所だけを動かして外す。

 ある時は首を引いた。またある時は上体を反らした。そうでない時は右手のナイフで弾くか、左手のCz75で常盤自体を牽制して攻撃させない。

 

 だが常盤とてされるがままではない。弾かれ、避けられと攻撃をいなされても止むことなく怒濤の攻撃を繰り返し続ける。1回で決まらないのならば手数で。先読みされるなら思考が追いつけないくらいに早く。

 

 常盤が突如、バックステップ。ずっと握られていた左手を常盤が解いた。そして握りしめられていたものたちを峻にむかって一斉に投げつける。

 

「っ!」

 

 投げつけられたものが何か峻の動体視力は捉えていた。手榴弾とは違ったタイプの爆弾だ。おそらくは爆竹に近いものだろう。おもちゃのように見えるが、常盤がそんな代物を戦闘で使うとは思えない。絶対に違法レベルの手が加えられたものに決まっている。

 

 右から飛んでくる爆竹を右目の動きだけで確認。数は3個。Cz75ですべて狙い撃って部屋から廊下へ弾き飛ばす。

 首を振って左を確認。残りは2個。素早くCz75を構えて狙いをつける。

 

「ちっ!」

 

 1つは廊下に弾き飛ばせた。だがもう1つが間に合いそうにない。せめて爆発から身を守ろうと峻はテーブルの影に飛び込んだ。

 爆発、というよりは破裂音。本当に爆竹レベルだったらしい。それでも濃い煙が床あたりにもうもうと立ち込めた。視界を塞ぐためのものなのだろうか。

 

 

 テーブルの影から峻が飛び出す。その瞬間、右からキラリと光る何か。

 急いで右手のナイフを構えて光るものを受け止めると火花が散った。

 ギリ、と峻は奥歯を強く噛んだ。上から言葉が降ってくる。

 

「気づいてる? 君、左側の対応だけワンテンポ遅れてるよ」

 

「ーーーーっ!」

 

 焦ったように峻が顔を後ろに引く。だが遅かった。直後に左眉あたりから左目を縦に、顎あたりまで燃えるような感覚が走る。

 

 切られた。そう気づくのにさした時間はかからなかった。

 

「ぐぁ……」

 

「やっぱり。もう左目はほとんど見えてなかったんじゃないの?」

 

 左のもともとぼやけていた視界が真っ赤に染まって暗くなった。左手の甲で血を拭ったがとめどなく血は流れ出してくる。

 向こう側で常盤が嗤っている。さっきまで爆竹を握っていた左手には新しくもう1本のナイフが握られていた。そして右手のナイフには鮮血がべったりとこびりついている。

 

「アタシは君が憲兵隊に追われ始めた時からすべての戦闘を見直した。何回も何十回も、ね。君は右を確認するときは目の動きだけで確認していた。でも左を確認するときだけは首を振ってた。まさかとは思ったけど爆竹を投げたらその通りに動いてくれるからね。確信したよ」

 

 そんな癖はもともと峻になかった。けれど付いてしまったのだ。

 

 輸送作戦の時に左目を負傷したあの時から。

 

 あの時の怪我は右脚の喪失と内臓に傷がついたこと。そして左目の視力低下。

 医者はおそらく視力は回復するはずと言った。だが治らなかった。治るほどの時間を与えてもらえなかった。少しぼやけているだけなら、日常生活をする分には問題ない。だが戦闘においては視界が狭いというのは致命的だ。

 

 ずっと騙し騙しで来ていた。だがついに隠せなくなった。ここで常盤を倒したとしても、峻の左目が光を映すことはもうないだろう。

 

「何もしないの?」

 

 じゃあ死ね。

 

 それだけ言うと常盤が突っ込んできた。両側から鈍く光る刃が峻に近づく。

 

「……らぁ!」

 

 まずは首を振って左から迫る刃を視認すると、常盤の手首にCz75を叩きつけるようにしてガード。同時に引き金を引いた。

 

「っ!」

 

 常盤が身をよじって銃弾を避けた。だがそのおかけで右から迫るナイフの軌道が逸れた。

 わずかな隙を逃さずわけにはいかない。峻の右脚が青白い光を追従させながら常盤の腹部を蹴りあげた。ボキン、とあばら骨が折れるような音が鳴った気がした。

 

「が……あああああああああああ!!! 痛い痛い痛い痛い痛い! あははははは! 痛いよ! 痛い! さいっこうだよ!!」

 

 常盤が叫びながら踏ん張って堪える。その口の端からつつー、と血が垂れているのに、ぐにゃりと歪んだ嗤い顔だった。

 常盤はなおも前へ。空を切る音をさせながら2本のナイフが交差する。

 峻は片方を右手のナイフで弾くと残り1本を右脚で蹴りあげた。常盤の左手にあったナイフはすっぽ抜けて天井に突き刺さる。

 

「ああああ……憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!!」

 

 突き出し、また振り抜かれるギラギラとした刃を峻がある時は避け、ある時は受け止める。その度に常盤から呪詛のような言の葉が口から紡がれる。

 

「うるせぇ、狂人」

 

「死んでしまえ死んでしまえ死んでしまえ! テロなんて嫌い嫌い嫌い、大嫌い! アタシの、私の、家族を! 母さんを! 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!!」

 

 常盤の目は血走り、口から血が垂れて動くたびに出血が酷くなる。それでも歪んだ嗤いを浮かべて常盤は唾液に血が混ざったものを飛ばしながら自らの武器を振るう。

 ギィン! と互いのナイフがぶつかり合う。ぱっと散った火花が顔の左半分を血に染めた峻、そして狂気に染まった常盤の顔を照らした。

 

 何度目かわからない交錯。だんだんと峻が窓際に後退していく。常盤はそれを機と見たのか、猛追を繰り広げる。

 

 左目が見えないのはやはり不利だった。どうあっても左側からの攻撃は対応が遅れるし、気にしすぎると右が疎かになってしまう。

 

 再び刃がぶつかり合う。一瞬の均衡状態。そして峻が右腕に力を込めて常盤をほんの一時だけ後ろへ押し返した。

 

 峻が素早く腰に手を回す。ポーチから探り出したそれのピンを抜き、目の前に転がすと後ろへ大きく飛んで窓から外へ。

 

 峻が転がしたそれを見て常盤が息を詰める。

 

 ころん、と転がったそれは手榴弾。峻が憲兵隊の車両から奪った最後の1個だ。

 

 爆風が窓ガラスを吹き飛ばし、黒煙が立ち上った。ガラスの破片を浴びないように峻は横にずれた場所でワイヤーガンを使ってぶら下がっていた。ゆっくりとワイヤーを伸ばしながら地面に下りると、顔の左側から流れる血が滴る。

 

「あんたその怪我は……」

 

「来るな」

 

 咄嗟に抱えたままだった救急箱を持って叢雲を峻は制した。来られても困るのだ。

 まだ峻は武器をしまっていない。巻きとったワイヤーガンをもうナイフに持ち替えてピリピリと警戒していた。

 

「あんなんで終わるわけねえんだよ」

 

 片目だけでまだ煙が燻る部屋を睨む。峻の予想通り、窓から常盤が飛び出した。割れた窓ガラスで傷つくはず。それでも常盤は関係なく飛び出したのだ。

 

 どこか湿っぽい音をたてながら常盤が着地。髪を振り乱してべったりと顔も血で染まっている。焦げた服には血のシミが大きく侵略していた。

 手榴弾の直撃は避けたのだろう。おそらく爆発する前に部屋を出ようとした。だが間に合わずに礫や床のコンクリート片などで顔を引っ掻いた。もちろん爆発にも完全ではないとはいえ巻き込まれたのだろう。

 なぜ立っていられるのかすらわからない大怪我。満身創痍で意識がとんでいてもおかしくない。

 

 だが常盤は嗤っていた。ただ、ひたすら凄惨に。

 

「痛い……痛いなあ。あは、あはは、あははは! 最高だよ! アタシはまだ痛みを『痛み』として認識できてる! それを苦痛だと感じられてる! まだアタシは暴力を憎めている! すばらしいよ! ああ、痛い。苦しい。それを感じられてることがたまらなく嬉しい!」

 

 血が飛び散るのも構わずに常盤が張り裂けんばかりに叫ぶ。もうどちらの血で汚れているのかわからないナイフを血管が浮き出るくらい強く握り、常盤は構えた。

 

「さあ、続けようか。殺し合いを。アタシの存在意義を!」

 

 互いの刃が衝突。峻が発砲すると、もはや常盤は避けることすらせずに左腕を盾にしてさらにナイフを振るう。

 

「エゴイストが……」

 

「そうだよ! これはアタシのエゴだ! それの何が悪い? 殺すなら己の感情で、己のエゴで殺せ!」

 

 刃が空を切り続ける。峻も常盤も相手に当てられないでいた。体を引いて、また手を叩いて軌道を変えるなりして避けきっている。

 左目が使い物にならず、なおかつ輸送作戦時に負った怪我がまだ癒えていない峻。直撃は避けたとはいえ満身創痍といっても過言ではない傷を負った常盤。

 互いに体は傷だらけだ。それでも衝突は止まらない。

 

 峻が左手を懐に差し込んだ。すぐにその左手を懐から出すと引き金を引き絞る。

 当然のように常盤は避けた。すでに銃弾が飛んでくることはわかっていたと言わんばかりだ。

 

 だが峻が撃ったのはCz75ではなかった。

 

 撃ち出されたものは銃弾ではなくワイヤーの繋がったフックだった。

 峻が左手首を返してフックの軌道を無理やり変えると、フックは常盤の額をもろに打ちつけた。完全に不意を突かれた常盤は思わず怯んだ。

 

 その一瞬で十分だった。峻の義足が霞んで常盤の体にめり込んだ。

 

 ブチブチと繊維が引きちぎれ。

 ベキベキと骨格が打ち砕かれ。

 

 そして常盤の体は宙を舞ってコンクリートの壁に叩きつけられた。




こんにちは、プレリュードです!

帆波の怪我がまた増えていく……
・臓器に傷
・右脚の喪失
・左眼の視力完全喪失←New!

書きながらも「うわぁ」って1人で言ってしまうレベルでいろいろとアレでしたがご容赦をば。気がつけばネタキャラがこんな戦闘をする狂ったキャラになるなんて想像してなかったんです。でもドMと固執する理由は明らかになりました。えらく歪んでいるし、逆恨みもいいとこですけど。
まあ、女の子は幸せになって欲しいけどあれは女の子じゃなくて女だからいいよね? セーフってことにしてくれませんか?


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Opus-20 『Farewell point』

 

 峻が荒い息を吐く。視界が紅く染まるようなこともないということは完全に左目は見えなくなったらしい。

 ナイフとCz75をしまう。右脚の戦闘用義足プログラムを停止させて、裾を戻した。

 

「借りるぞ、叢雲」

 

「あんた、大丈夫なの?」

 

「問題ねえよ」

 

「でも、左目……」

 

「問題ねえって言ってんだろ」

 

 峻の左目を指差す叢雲をよそに、叢雲が持っている救急箱を開ける。消毒液を傷口にかけると包帯を巻いていく。

 

 応急処置としてはこれで十分だろう。どうせもう見えないだろう左目だ。雑な処置でも構わない。

 救急箱から今後も使いそうな医薬品を適当に拝借して峻は立ち去ろうと踵を返し始めた。

 

「待ちなさいよ」

 

 呼び止めた叢雲に仕方なく足を止める。振り返るのも億劫だ。

 

「どこに行くつもり?」

 

「知らん。適当にその日が来るまで姿を消す」

 

「私も行くわよ」

 

「お前が? 冗談は休み休み言え。お前は『来るべき日』にいるべきじゃない」

 

「本気よ」

 

「なおさらタチが悪い」

 

 深いため息を吐きながら峻がショルダーホルスターを探った。そして探り出したCz75のスライドを引いて弾を装填し、セーフティを解除してから叢雲に差し出した。

 

「何よ?」

 

「こいつを使ってあそこでくたばってる常盤を殺せ」

 

 峻がクイッと顎で壁あたりを示す。そこには峻によって蹴り飛ばされた常盤がぐったりと壁にもたれかかるようにして倒れ込んでいた。

 

「敵だったかもしれない。でも同期なんでしょう!」

 

「そうだ。だからこそこいつの実力は知ってる。邪魔だ。ここで殺しとくべきだろう」

 

 叢雲は躊躇った。別に叢雲自身が常盤に何か恩があるわけでもない。むしろ峻と敵対関係にあり、そして峻の左目を奪った張本人に情けをかけるつもりなんてこれっぽっちもない。

 

 だがわざわざ殺すまでもないのではないか。今後も障害になる可能性があるから峻は殺すべきだと言っている。だがこの怪我ならまともに歩けるようになるまで治療するだけでかなりの時間がかかる。

 

「……撃てない」

 

「なら初めから来るな」

 

 叢雲が手を伸ばせないのを見た峻がCz75を叢雲の前から引っ込めた。

 

「止めるなら撃て。撃てないなら立ち塞がるな。これから先はそういう場所だ。殺せないやつがいたってなにもできやしない。躊躇ったやつから死んでく」

 

「なんで、なんでそこまでやれるのよ……」

 

「なんで、だと?」

 

 峻の声に苛立ちが混ざった。隠すつもりもない明確なモノ。それがありありと口調に滲み出す。

 

「お前が勝手に死ぬなって言ったからだろうが」

 

「っ!」

 

「撃てないならもう俺の前に現れるなよ、叢雲。俺は撃つ」

 

「それが私を置いていった理由、なの……?」

 

「ああ」

 

 目の前が暗くなっていくような感覚を叢雲は覚えた。はっきりとは言っていない。だがこんなもの、遠まわしに足でまといだと言われたようなものだ。

 

「もういいだろ」

 

「まっ……」

 

 峻がCz75を構えながら振り返ろうとした。だが峻が振り返りきる前に1発の銃声が響き、峻の左耳を掠めた。振り返ろうとしなければ頭部に直撃していたであろう位置だ。

 

「まだ動けるのかよ」

 

「これで、おしまいなんて、言った覚えは、ないね……」

 

 コンクールの壁に常盤が背を預けながら銃口から硝煙がゆらゆらと立ち上るレディース用拳銃を構えていた。言葉も切れ切れ。呼吸も不規則だ。

 それでも目を爛々と殺意で光らせて拳銃を構え続ける。

 

「まだ隠し持っていやがったのか」

 

「アタシは、殺す……のために。だから、死んでしま、え……」

 

 常盤がレディース用拳銃をきつく握る。

 

 常盤はもちろん峻に格闘戦を挑んで勝つつもりだった。だがもし、左目の隙を突くことに失敗したら。もし負けるようなことがあれば。

 

 万が一にも敗北はないと思いたい。だが常盤自身が楽観視するとこを拒否した。

 

 憲兵隊との戦闘記録。これがまだ本気の一歩手前なら絶対に勝てるという確証は得られなかった。

 

 だからこそ、ひとつだけ牙を取っておいた。もしも負けた時のために。峻が叢雲に気を取られるであろうその一瞬に叩き込めるものを。

 

 1発目は外してしまった。常盤と峻の直線上には叢雲がいる。状況に頭がついてこずに、困惑している愚かな艦娘が。

 

 峻が避けたら叢雲に当たる。そしてこうなってさえしまえば峻は避けられないと常盤は確信していた。

 

 そして峻はナイフを鞘に収めてしまった。迫りくる銃弾を防ぐ術はない。

 

「いなくなれよ、テロリスト。消えてしまえ、WARN。アタシの前から、この世界から! すべて!」

 

 喀血しながら常盤が張り裂けんばかりに叫ぶ。そして人差し指に力を込めた。

 

 1発の銃声。だが常盤の拳銃から鳴った音ではなかった。

 

 その証拠に、常盤が握っていた拳銃が弾き飛ばされた。常盤の思考に空白が生じた。

 

 峻はCz75を持ってはいる。だが構えて常盤に狙いはつけていない。Cz75の銃口は真下を向いているからだ。

 

 ならどこから撃たれたものだ? 誰が何の目的で?

 

 わからない。だが負けた。結局のところ常盤は何もできなかった。最後の一手もだめだった。

 

 常盤の意識はだんだん朦朧としてきた。拳銃を握っていたその手かぱたりと落ちる。

 

「ちっ」

 

 一方で峻はCz75をショルダーホルスターに収めると、周囲を見渡して逃走ルートを探す。

 

「おい叢雲、何ぼさっとしてやがる。どうせ近くに車でも待たせてんだろうが。そいつでさっさと行け」

 

「あんたはどうするつもりよ……?」

 

「依頼はやってやる。これだけあいつに伝えろ」

 

 峻が駆け出す。追うように銃弾が飛来するが、走り続ける峻を捉えられない。

 

「いつかの時よりはうまくなってる。だが2発目以降はもう少しうまくやれ」

 

 それだけ言い捨てると峻は廃墟の向こう側へ姿を消した。

 

「私も消えたほうかいいわね……」

 

 誰が撃ったのかはわからない。けれど自分も逃げた方がいいのだろう、と叢雲はぼんやりと思った。言われた通り、近くに車を待たせている。何度も銃声が響いていたことだし、早々に立ち去った方がいい。

 

 駆け足で後をつけられないようにわざと遠回りをしながら車を待たせている場所まで叢雲が急ぐ。

 

「すぐに横須賀鎮守府に帰って東雲中将にこのことを報告して……」

 

 それからどうすればいいんだろう。

 

 そもそもここで聞いた後に、どうするつもりだったのか。ついて行ったところで足でまといにしかならないことぐらいうっすらと察していたはずなのに。

 

 知らない帆波峻があそこにはいた。どれだけ声を張り上げても届きそうな気配がない。

 

 容赦なんてなかった。峻も常盤も全身全霊で相手のことを殺しにかかっていた。一発目から互いの急所しか狙っていなかった。

 

 間に割って入るなんて余裕も隙もなかった。目の前で繰り広げられる生々しい殺し合いに体が固まってしまっていた。

 

 これがもし、見ず知らずの他人なら叢雲は動けた。叩きのめすなりして収束させられただろう。そのくらいの体術を叢雲は会得している。

 

 だが状況が違った。人間離れした狂気のぶつかり合い。しかも仲間同士だったはずのもので殺し合いをしている。

 

「わからないわよ……」

 

 艦娘にとって仲間というのは絶対的な価値を持つものだ。それは叢雲とて同じ。後ろに仲間がいるとわかっているから最前線で刀を振り回すという無茶ができている。

 

 だからこそ仲間に対してあそこまでの殺意をぶつけられることに対して理解ができないし、頭が理解を拒んでいた。

 

 どうやって帰ったかは覚えていない。ただまっすぐに車へ向かってはだめだから適当に迂回して戻ったのだろう。

 

 またしても置いていかれたこと。そして置いていかれた理由は足でまといにしかなっていなかったからということ。

 

 叢雲は実感として理解してしまった。逃走中においてもさっきの殺し合いにおいても叢雲はなにもできなかったことを。確かに手を出すなとは言われていた。それが足でまといだから手を出すなと間接的に言われていたのだと気づけてしまった。

 

 車は横須賀鎮守府へ向かう。最も聞きたくなかった答えを聞いてしまった叢雲を乗せて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「時すでに遅し、か」

 長月が9mm拳銃を収めなから呟く。峻はもう逃走し、完全に足取りを消していた。同様に叢雲もいなくなっていたが、この2人は長月にとって去ろうが残ろうがどちらでもよかった。何をしていたのかはわからないが、放置するくらいしかない。今の時点で峻や叢雲の方向へ噛むのは避けたかった。

 

「パッケージを確保した。輸送車を回してくれ」

 

「了解です」

 

 輸送車を回すように命じられた男が走り出した。長月はわざと通信を使わないようにしている。そのため少しばかり非効率ではあるがこのような手段を取るしかない。

 

 長月が意識のない常盤の傍に立つ。常盤の拳銃を狙い撃ったのは長月だった。

 

 峻に死なれては困る。それは長月にとっても泳がせておいた方がいいからだ。いや、これは長月のためではない。

 

「それにしても人手不足だな……」

 

 長月が伸びをした。こうも連日、駆り出されては疲れを抜く暇もない。

 

 その時、常盤の指が小さく動いた。それだけの動きを長月は見逃すことなく腰のホルスターから9mm拳銃を引き抜いて、常盤の額に狙いをつける。

 

「驚いたな。もう意識が戻るのか」

 

 人間離れした生命力だ。銃弾も数発あたり、直撃を避けたとはいえ手榴弾の爆風をモロに食らい、そしてあの義足でブースターを吹かした蹴りをもらっている。これですぐに意識を取り戻すあたり、尋常ではない。

 

 だがさすがにそこまでらしい。喋ることもままならない常盤は焦点の合っていない目で長月を睨もうとするだけだ。常盤自身、しっかりと長月は見えていない。それでも意識も取り戻して、あまつさえ抵抗の意志を見せるその意地は戦慄するに足るものだった。

 

「輸送車、到着しました」

 

「運ぶぞ。意識は戻っている。念のため拘束しておこう」

 

「はっ」

 

 拘束しておくように長月は言ったが、この怪我では抵抗できないことはわかっていた。指を動かすだけで精一杯の常盤には抵抗といえるようなものはできないだろう。

 

 そして問題はこの怪我だ。下手な拘束は怪我を悪化させる。いくら輸送車に万が一を考えて応急処置ができるようにしていても、ガチガチに縛ったりすることは難しいだろう。

 

「この怪我では下手な拘束は……」

 

「わかっている。だからこれを使う」

 

 長月が取り出したのはコネクトデバイス。それを常盤の首にはめると、デバイスに入れておいたプログラムを起動させる。

 

「なるほどインターラプトパッチですか」

 

「これならベルトや拘束具を使わなくてもいいからな」

 

 長月が使ったのはプログラムを起動させることで神経を遮断させるものだ。コネクトデバイスもその使用を前提とした高出力のものにしてある。

 

 今、常盤の体は首から下が動かない状況だ。基本的な生命維持のための運動、例えば心臓の拍動や呼吸などの命令を除いてすべての神経伝達情報をカットしている。

 

 常盤を偽装した輸送車に詰め込むと車を出す。常盤は薄く開いた目でじっと長月に対して訴えかけるように見続けていた。

 

 はあ、と長月はため息をついた。どのみち業務連絡はしなくてはいけない。意識がないならする必要はなかったが、あるのならばする必要性がある。

 

 この様子では常盤は話すことすらうまくできないだろう。長月が舞台を合わせてやらなくては話すことも叶わない。

 

 コネクトデバイスを長月も首にはめると有線で常盤と繋ぐ。意識はちゃんとあるのなら電子通話くらいならできるはずだ。

 

《聞こえるか?》

 

《はっきりと。余計なことしてくれるね、長月ちゃん?》

 

 体がボロボロでもこういう形で話せばそんな影響は受けない。それでもここまで強気に出てくる常盤に長月は内心で苦笑いをこぼした。

 

《貴官、いやあなたの身柄は私たちが預からせてもらう。拒否権はない》

 

《アタシの邪魔するんだ?》

 

《先に邪魔をしたのはそちらだ》

 

 涼しい顔で長月が流した。

 

《テロリストが憎い。理解は示そう。親の仇。ああ、さぞ憎いだろうな。だがあなたはやりすぎた》

 

《あれはWARNの世界連続テロに関わってる。アタシは殺さなきゃいけないんだ》

 

《確証はない》

 

《限りなく黒に近いなら黒だ。アタシの復讐対象になる》

 

《なら聞くがその復讐とやらはあなたのためか? それともテロに巻き込まれて死んだあなたの母親のためか?》

 

 それだけ言って長月は有線通話を終了させた。別にその続きが聞きたいわけではなし、大人しくしていてくれればそれでよかった。

 

 ジャックに刺していたプラグを外して線を巻き取る。それから長月は首のコネクトデバイスを外した。

 

「……欧州に行った時、あなたはそこまで暴走しなかったと聞いてる。なら何が火をつけてしまったのだろうな」

 

 あえて突き放すようなことを言った自覚はある。だが長月は復讐に執着するという心理が理解できなかった。

 

 死者は望まない。死者は満足しない。仇討ちをして満足するのは生者だ。仇討ちを果たしたところで返ってくるわけでもない。

 

「くだらないな、まったく」

 

 だから長月は理解しない。しようとしない。結局のところ、常盤が峻を殺そうと狙うだろうというあたりさえついてしまえばそれでよかった。

 

 長月のすべきことは果たした。帆波峻を殺させないこと、そして常盤の身柄を確保すること。

 

 峻は逃げた。そして常盤はしっかりと長月が抑えた。この怪我ではしばらく病院暮らしになることは確実だ。

 

 荒事には発展してしまったが、結果としてはまずまずだ。少しばかり危ないところはあったが、過ぎてしまったことを言ったところで仕方ない。

 

「これでよかったのか、若狭」

 

 長月が呟いた。本人はここにいない。通信を繋いでいるわけでもない。だから絶対に伝わることのない言葉だ。

 

「あんな猿芝居を打たせたんだ。これでだめでしたとは言わせないからな」

 

 ぼやく長月は宅配便業のトラックに偽装した輸送車の中で椅子を引き寄せて、常盤の横たわる拘束台の隣に腰を下ろした。いつでも撃てる体勢は作ってある。だが非常事態は起きないに越したことはない。できることなら何事もなく終わることを長月は望んでいた。

 

 若狭が何を企んでいるのか。それはもうとっくに長月は察し始めていた。反旗を翻したように()()したあの時から。

 

 だからこそ、長月はその企みどおりに進むことを許すつもりはない。そういう意味では反旗を翻したという表現は合っていた。

 

「すべて思い通りにさせるものか」

 

 拳をきつく握る。若狭の望んたエンドに導いてやるつもりは毛頭ない。だからあの宣戦布告は演技でありながら、長月は本気だった。

 

 本気で若狭を越えるつもりだった。

 

「『背中を刺す刃たれ』。その言葉通りにしてみせよう」

 

 もう懐刀でいる時間はおしまいだ。そろそろ自立しなくてはいけない。自立して業物と呼ばれるようになるべき時が来た。

 

 だから長月はただじっとその日を待つ。




こんにちは、プレリュードです!

ついに! ついにですよ! ついに今回の更新でカルメン100話目です!
というわけで100話到達企画をしたいと思います。以前、友人がやっていた読者の皆様からの質問を座談会で答えるコーナーが死ぬほど羨ましかったのでここでもやってみようかな、と。活動報告(https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=152856&uid=128417)かメッセージ、もしくはTwitter(@regurus32701)のDMなどで送っていただければ受け付けとさせていただきますので、お気軽に送り付けてください!作者の質問でも物語に関する質問でもその他もろもろでもズバっとお答えさせていただきます。

投稿はフーガ編が終わってからになるのでおそらく3週間後になります。それまでなら質問は受け付けるのでお気軽にどうぞ!


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Opus-21 『Defeat point』

 

 どうしてこうなってしまったんだろう。

 

 答えなんて帰ってくるわけがない。外に出ることすら叢雲は止めてしまったのだから。ひたすら横須賀鎮守府で与えられた自室にぼんやりといるだけの退屈な日々。

 

「何のためにあいつと話したかったんだっけ……?」

 

 もちろん峻の本意を聞くためだ。どうしてあの時は叢雲を置いていったのか。

 そしてその答えは得られた。叢雲がもっとも聞きたくなかった形で。

 

 ただ邪魔にしかなっていなかった。思い返せばすべての戦闘で叢雲は後ろに下がっていたのみ。まったく手出しはさせてもらえなかった。

 あれは峻にとって足でまといになるとわかっていたから出させなかったのだとはっきり理解できていた。

 

「なんだかどうでもよくなってきたわね」

 

 投げやりに叢雲がベットに倒れ込む。靴を脱ぎ捨てる手間すら億劫だ。

 

 もう叢雲のやることは終わった。東雲に頼まれた通り、峻に言付けをした。東雲との取り引きは叢雲が峻としっかりと直接的に顔を合わせて話すこと。東雲はきっちりと約束を果たしてくれた。しっかり叢雲は峻と会ったし、会話を交わすこともできた。

 

 得られた答えが叢雲を打ち砕くのに充分すぎたというだけだ。

 

 だが答えは答え。足でまといだったという事実は駄々をこねようと受け入れるしかない。紛れもなく本人の口から語られた言葉なのだ。

 

「私がやってきたこと全部、足枷にしかなってなかったなんて、ね」

 

 叢雲は自嘲的に笑った。いや、笑えなかった。笑みの形を口に作ろうとしても、思うようにできない。結局、叢雲は笑いを作ろうとすることを諦めた。

 

「ほんと、馬鹿みたいに何もできないわね、私って」

 

 常盤に拳銃を向けられた時、体が固まってしまった。動け、動けと命じているのに。

 他人に銃口を向けられたことはある。他人を撃ったことも。だが知り合いに銃口を向けられたことはなかったし、知り合いに殺されかけたこともなかった。

 

「こんなのただの言い訳ね」

 

 過ぎたことに理屈をくっつけては逃げ道を探しているだけじゃないか。ならこんなことして何になる? もう切り捨てられた後だ。何にもなりはしない。

 

 これでよかったのかもしれない。何もできずにずっと付いていくよりは叢雲が身を引いた方が、峻の生存率はきっとあがる。峻の戦闘能力の高さはさんざん目の前で見てきた。だから問題なんてないのはわかりきっている。

 

 すべての問題は叢雲自身だったのだから。

 

 そういう意味では身を引くのは正しい選択かもしれない。少なくとも今後において叢雲ができることなどほとんどないのだから妥当な判断だ。

 

 これが妥当だ。

 これが正解だ。

 これが一番だ。

 

「だから私はもういい。十分よ。ええ、十分……」

 

「つまんなくなったでちね、叢雲」

 

 いつの間にか部屋のドアが開けられ、叢雲に声が降ってきた。この特徴ある語尾を忘れるはずがない。なにより館山に所属していた者同士だ。

 

「ゴーヤじゃない」

 

「廊下を通ったら陰気臭い雰囲気がたれ流されてるから何かと思ったでち。まったく……」

 

「悪かったわね。でもしばらく1人にしといてくれないかしら?」

 

「そういうとこがつまらないって言ったんだよ」

 

 心底くだらなさそうにゴーヤが言いながら、ベットに倒れ込んだままの叢雲を見下ろす。叢雲はゴーヤを一瞥したのみでそのまま横たわっていた。

 

「だいたいの事情は叢雲のお姉さんから聞いてるよ」

 

「吹雪ね。ったく余計な真似を……。でもそれならわかってるんでしょ?」

 

「わかんないでち」

 

 きっぱりとゴーヤは言い切った。ゴーヤはそんな心情なんて理解したくもなかった。

 

「そうやって賢しらぶっていることがかっこいいとか思ってるなら断言するけどね、みっともないことこの上ないよ」

 

「……うるさいわね。別にゴーヤには関係ないんだからほっときなさいよ」

 

 ぶっきらぼうに叢雲がゴーヤを突き放そうと言い捨てる。どうせもう結果は出ている。むしろ出てしまった結果にケチをつけて、じたばたする方がよっぽどみっともないのではないかとすら叢雲は思った。

 

「ねえ、なんで叢雲はこうなってるんだと思う?」

 

「別になんだっていいじゃない」

 

「本気でわからないの?」

 

 叢雲の投げやりな態度にゴーヤが呆れと怒りの混ざった調子でベット脇に近づく。はっきり言って叢雲からすれば、邪魔以外の何物でもなかった。今はほったらかしにしておいてほしい。ただそれだけの願いをどうしてゴーヤは邪魔するのだろうか。

 

「もう見えてるじゃない。結果なんて。ならこれ以上、じたばたしてどうなるのよ?」

 

 交渉は終わった。そして同時に叢雲の役目も終わった。

 

「…………叢雲、これ見て」

 

 ごそごそとゴーヤが1枚の紙を探り出す。そしてそれを叢雲の目の前に突きつけた。転がったままで叢雲がゴーヤの取り出した書類をざっと読み進めていく。

 

「これって演習の申請? 名前がゴーヤと……私?」

 

「ゴーヤとの演習でち。だからこの演習を受けろ」

 

「ゴーヤが命令形なんてね」

 

 叢雲が苦笑した。ゴーヤの演習を受ける理由なんてない。だが断る理由もなかった。

 どのみち暇を持て余している身だ。演習を受けてゴーヤが満足するならさっさとやるだけやってやればいい。

 

「わざわざ仕掛けてきたってことはなにかあるのね?」

 

「叢雲が勝ったらもうゴーヤはなにも口を出さないでち。そのかわり……」

 

「そのかわり?」

 

「ゴーヤが勝ったら叢雲はてーとくから身を引いて」

 

 思わず叢雲はベットから跳ね起きた。そしてゴーヤの瞳をじっと見つめる。くりっとしたゴーヤの目の奥では確かに焔が燃え上がっていた。

 

 ゴーヤは本気だ。本気ですべて発言している。

 

「そう……」

 

 どういう意図がゴーヤの言葉に込められているかわからないほど叢雲はぼんやりしていなかった。

 

 ゴーヤは峻へぶつけるつもりなのだ。自分の抱えるものすべてを。

 

 そしてその準備として叢雲に身を引かせようとしている。演習という形で叢雲を越えたと自他ともに認めさせるために。

 

「艤装の使用許可は?」

 

「取り付けたでち。ちゃんとね。訓練演習だって言ってサインも書いてもらったよ」

 

「そ。ならいいわ」

 

 受けてもいい。そう叢雲は思った。勝とうが負けようが叢雲にとってはどうでもいい。ただゴーヤの茶番に乗ってあげるのもまた一興だ。

 

 どうせ叢雲は見捨てられたのだから、いまさら身を引くなんてどうということはない。むしろこれでゴーヤがいい方向に向いてくれるのなら、喜んで話に乗ろうとすら考えていた。

 

 ゴーヤと叢雲が横須賀鎮守府の廊下を連れ立って歩く。珍しく誰ともすれ違わなかった。

 

「ルールは?」

 

「1体1の模擬弾を使用した演習。どちらかが轟沈判定になるまで」

 

「使用していいのは?」

 

「もちろん全部でち」

 

 全部、ということは叢雲が得意とする近接戦闘で模擬刀を使っていいということだ。だが相手は潜水艦。どうせ使う機会などない。

 

 そう思っていた矢先に叢雲の予想をゴーヤの一言が叩き潰した。

 

「先に宣言しとくでち。ゴーヤは潜らないから」

 

「……ふざけてるの?」

「大真面目だよ」

 

 それだけ言い残すとゴーヤが角に姿を消した。真意はわからない。ブラフなのかそれとも真剣に潜水するつもりがないのか。

 

「まあ、どっちにしろ結果は見えてるからどうでもいいわ」

 

 叢雲は艤装を装着した。ずいぶんと久しぶりの感覚だ。最近はずっと陸上で銃撃戦を見ていたせいということはわかっている。懐かしい感覚ではあるが、感慨深さは湧いてこなかった。

 

 装備をざっと確認。ソナーも爆雷も異常なし。電探はしっかりと動いているし、主砲もきちんと動く。魚雷発射管も大丈夫そうだ。模擬刀を数回ほど軽く素振りをしてみる。久々とはいえ、鈍ってはいない。

 

 海をかき分けて進む。予定演習海域はすぐ近くだ。ソナーに注意して耳を傾けつつ、万が一ゴーヤが本当のことを言っていた可能性を考えて電探を睨む。

 

「……本当に潜らないつもりなのね、ゴーヤ」

 

「最初にちゃんとゴーヤは言ったよ?」

 

 ソナーは反応しなかった。ただ電探にぽつんと一つの光点が刻まれているのみ。そしてそこへ向かっていくと海上にゴーヤはいた。

 

 潜水艦の持てる装備は魚雷が主兵装だ。あとは積めてせいぜいが機銃くらいのものだろう。駆逐艦にすらその装備は場合によって劣る。だがそのデメリットを補って余りある能力が潜水なのだ。

 

 けれどゴーヤはもっとも有利なその能力を自ら封じた。そして奇襲をかけるわけでもなく、海上で棒立ちになって待ち続けた。

 

「ずいぶん余裕なのね」

 

「……」

 

 ゴーヤが無言で機銃を撃った。唸りをあげながら飛び出した模擬弾は静止していた叢雲のすぐ脇を通り過ぎていく。

 

 叢雲は動いていない。だが機銃は当たらなかった。

 

 この距離で外すわけがない。つまりこれはわざとゴーヤが外したのだ。

 

「当てるように撃ちなさいよ」

 

「なら避けるフリくらいしたら?」

 

 ゴーヤも鋭くなったものだと叢雲は表情に出さないようにこっそりと賞賛を送った。

 

 この演習は劇のようなものだと叢雲は捉えていた。ゴーヤが自身にマインドセットをかけるための小劇場。

 

 だから叢雲はわざとやられ役を演じようとした。回避行動を取らずに受け身の姿勢でいればいい。これでゴーヤの願いが叶うのなら自分のことなど、どうだってよかった。

 

 それに勝つよりも、負ける方がメリットはある。勝ってもゴーヤからの口出しがなくなるだけで、それ以上のメリットはない。だが一方で負ければ、ゴーヤの背中をそっと押すことができ、なおかつ叢雲はなにも傷つくことはない。

 

 別に黒星の一つ程度でぐちぐち言うものか。演習で強く勝利にこだわる動機が今の叢雲には存在しなかった。

 

「叢雲はそれでいいんだ」

 

「ええ。これでいいのよ」

 

 途端にゴーヤの顔が嫌そうなものになり、叢雲を見る目が軽蔑の色を帯びた。そしてゴーヤは口の中だけでなあんだ、とひどくつまらなさそうに呟く。

 

「叢雲にとって、てーとくってその程度の人だったんだね」

 

「は?」

 

 思わず低い声が漏れた。安い挑発だと叢雲の理性が警告しても、感情がその警告を押し潰す。

 

 ()()()()

 

 ふざけるのも大概にしろ。どれだけのことがあったか。どれだけ苦悩したことか。

 

 目の前で無力さを延々と突きつけられる気分を味わったことがあるのか? 挙句に足でまといだと切り捨てられて、置いていかれたことが1度でもあるのか?

 

 役立たずのお役御免が調子に乗ってついて行った結果、嫌というほど自らの愚かさを見せつけられたことがたった1度でもあるのか?

 

 暗にただの邪魔者だと言われたことがあるのか?

 

「何も……何も知らないくせに!」

 

 叢雲が怒鳴りながら模擬刀を振りかぶってゴーヤへ突進する。頭が沸騰したかのように熱い。

 

 視界が狭まり、標的のゴーヤしか映らなくなった。ゴーヤに倒されるつもりだったが、そんな思考はどこかへ吹き飛んでいる。倒された方が叢雲にとってもメリットがあると判断したはずだったにも関わらず、ゴーヤをいかにして倒すかということしか考えることができない。

 

 あとほんの数秒で届く。だがゴーヤは後ろに下がるなどのこともせずにただその場に立ち続けていた。そして突如、ゴーヤの魚雷発射管が動く。

 

「魚雷発射でち!」

 

 わざわざ丁寧にゴーヤが宣言しながら叢雲に向かって3発、魚雷を発射した。海中に魚雷は潜ると、まっすぐに叢雲を目指して突き進む。

 

「はっ」

 

 叢雲は鼻で笑った。艤装の浮力力場発生装置をいじるとタン、と飛び上がろうとする。

 

 海中を魚雷が進んで海上の敵を攻撃するならば、海上からさらに飛び上がればいい。そして着地点から大きめに踏み込んで、模造刀を振り下ろせば叢雲の勝ちだ。完全な近接戦闘に持ち込んでしまえばゴーヤが叢雲に勝てる道理はない。

 

 だが叢雲が飛び上がるとほとんど同時に、いきなり3発とも魚雷が爆ぜた。大量の海水が巻き上がり、叢雲の視界を潰してゴーヤを覆い隠した。

 

「あまいのよ!」

 

 おそらく信管を敏感にしすぎた結果だろう。視界は悪くなるが、魚雷が直撃するよりはマシだ。ゴーヤは確かに見えなくなったが、着水すると同時にゴーヤを補足し直せば十分に修正は可能だと叢雲は判断した。叢雲が着水するまではコンマ数秒の世界だ。この一瞬に動ける範囲などたかが知れている。

 仮に潜航するとしても、そこまで急速に潜水の体勢を整えることは不可能だ。つまりどれだけ速く動いたとしても、だいたい半径1.5mの中にゴーヤはいる。そして1.5mくらいであれば、踏み込みを少し大きめにしてやるだけで届く距離だ。

 

 沸騰した頭はそこまで弾き出した時点で思考を止めた。あとはやれる限りの力で打ち倒せという脳からの命令が叢雲を動かすのみだ。

 

 そして入力された通りに叢雲の体は脳からの命令を忠実に出力しようと、水柱に突っ込みながら着水せんとする。

 

「あ」

 

 ずいぶんと間の抜けた声が出たものだ、と叢雲はどこか遠い感覚で思った。だが仕方ないことではある。

 

 水柱の向こう側。ゴーヤは1ミリたりともその場から動いていなかった。それを見た時はただ勝ったとしか叢雲は思わなかった。

 

 叢雲が着水するであろうタイミングに、叢雲が着水するポイントに到達するように魚雷が迫ってきていなければ最後までそう思い続け、そして勝利していただろう。

 

 だが魚雷は叢雲の足元に来ていた。

 

 そして叢雲が着水すると同時に、それらの魚雷を叢雲は踏みつけてしまった。

 

再び海面が大きく盛り上がる。だが今度は叢雲を巻き込んで魚雷は炸裂していた。

 

 いくら模擬弾とはいえ炸裂すれば、それなりに衝撃は出る。そして生まれた衝撃は叢雲に直撃し、模擬刀をあらぬ方向へ吹き飛ばすと、仰向けに海面へ叩きつけた。

 

 艤装を装着しているおかげで海中へ沈むことはない。そもそもゴーヤが放った魚雷も演習用の模擬弾だ。直撃したところで轟沈はしない。

 

 だから叢雲は物理的な衝撃よりも精神的な衝撃を強く受けていた。

 

 叢雲の目の前に小さなホロウィンドウがポップする。ホロウィンドウには演習用のプログラムが下した被害状況と、そこから導かれる被害判定が書き込まれている。

 

 そして判定は轟沈。しっかりと受け身を取る体勢も作らない状態で、何発もの魚雷を直撃でもらったのだから当然ともいえる判定だ。

 

 服が海水に侵されていく。波が海面を揺らすたびに、叢雲の髪もまるで海藻のようにゆらゆらと揺らいでいた。

 

 すべてゴーヤの手のひらの上で踊らされていた。最初から潜らないと宣言することでこちらの選択肢の幅を逆に制限されたのだ。

 

 再びホロウィンドウを叢雲は見つめた。何度も見返したところで轟沈判定は変わらないし、演習終了の知らせは取り下げられることはない。

 

「ああ、私は負けたのね……」

 

 受け入れ難いことをゆっくりと口にした。だがどれだけ逆立ちしたところで結果は変わりはしない。

 

 叢雲はゴーヤに負けたのだ。完膚なきままに。





こんにちは、プレリュードです!

もうちょっとだけ続くフーガ編です。ひっさびさにゴーヤが登場しましたがこんなキャラだっけ? と思いながらの執筆でした。もっと可愛げのある子だったような……。強かになりすぎじゃないですかね?

前回の後書きでも告知させていただきましたが、座談会で作者やカルメンにぶつけたい質問はまだまだ募集中です! かるーい気持ちでぶつけてください!


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Opus-22 『Returning point』

 

 海面で仰向けになったまま漂う叢雲をゴーヤが見下ろす。もう既に勝敗は決した。

 

 叢雲は敗北したのだ。ついに潜水どころかその場から1歩も動かなかったゴーヤによって。

 

「何よ、強いじゃない」

 

「強い? 叢雲が弱くなっただけでち」

 

「言ってくれるわね」

 

 苦笑することしかできない。気づけば強く握りしめられていた拳は解かれていた。

 

「1度でも見せたことのある手は同じ相手に2度目を出すな。聞き覚えがあるはずだよね?」

 

「……」

 

「てーとくが言った言葉でち。忘れてるわけないよね?」

 

「そう、ね」

 

 小さく叢雲が首肯する。いつだったかは思い出せない。ただ確かに言っていたことだけは記憶していた。よもやゴーヤが知っているとは思わなかったが。

 

「叢雲が浮力力場を利用して飛び上がることで魚雷を避ける手をゴーヤは1度、見てるんだよ? それも忘れたでち?」

 

「……ヨーロッパね」

 

「そう。ビスマルクさんとの演習で叢雲が使った手だよ」

 

 魚雷が発射できる戦艦ビスマルク。彼女と演習をする際に不意を突くため、叢雲は浮力力場を足がかりにして飛び上がっていた。

 

 ゴーヤはあの演習に参加していない。だがあれは大画面で視聴することができるようになっていた。

 

 叢雲が意図せずともあの演習によって飛び上がって魚雷を避ける手法をゴーヤは知っていた。

 

 つまり叢雲はゴーヤに踊らされたのだ。潜水しなかったのも、挑発的な事を言ったのも叢雲を激昂させて冷静な判断を奪うための罠。始めから模造刀の使用許可に踏み切ったのは叢雲が得意の近接戦闘を選択肢に入れた場合、真っ先それを選びとる傾向が強いことを知っていたから。

 

 演習を挑まれ、挑発に乗ってしまい抜刀した時点で叢雲の敗北は確定したのだ。

 

「ぜんぶ読まれてたのね」

 

「見てたからね。てーとくも叢雲も」

 

「なるほどね。勝てないわけだわ」

 

「……そんなことない」

 

 ゴーヤの声に剣呑さが宿る。明確な怒り。しかしやるせなさのような悲しさも混じり合う。

 

「こんな騙し討ちみたいな手が通じるのは1回目だけでち。2回目以降は通じないよ」

 

「だから私が弱くなったってわけね」

 

 立ち上がろうとする気力も湧かなかった。ゴーヤの言っていることは間違いではないのだろう。だが勝負は1回。そして負けは負けだ。

 

 きっとゴーヤは勝つために何回も考え続けたのだ。潜水艦という艦種上、武器になるものは魚雷くらいしかない。いかにしてそれを身のこなしがいい叢雲に当てるか。ひたすらひたすら考え続けてようやく見つけた方法。それに叢雲はまんまと引っかかった。

 

「えっと、なんだったかしら? 私が負けた場合は」

 

 わかっていることを敢えて叢雲は聞いた。なんとなく自分で口にするのは嫌だった。理由はわからないがなんとも幼稚だ、と自嘲する。

 

「ねえ、叢雲」

 

「何よ? 祝いの言葉がほしいの?」

 

「今回は運良くゴーヤが勝ったよ。でも2回目はどうなると思う? 3回目は? それ以降は?」

 

「たぶん私が負けるわね」

 

「このままだったらの話でち、それは」

 

「でも事実として私は負けたわよ」

 

「違う、違うよ……ほんとなら叢雲にゴーヤは勝てるわけないんだよ!」

 

 ゴーヤが顔をくしゃりと歪めながら言葉を海面に向かって叩きつける。

 

「ゴーヤができるのはここまでだよ! この方法だってどれだけ考え込んでどれだけいろんな人にアドバイスをもらったと思ってるの? これだけやっても叢雲が万全の状態だったら負けてた!」

 

「そんなこと……」

 

「慰めなんていらないでち! だって叢雲はさ! 主砲も! 機銃も! 爆雷も! 魚雷も! 何も使わなかった! もし刀以外を使われたらどうなってたと思う? そんなのすぐにわかるよ!」

 

 仮に叢雲が飛び上がった後、魚雷に対応されたら。そもそも飛び上がらずにサイドステップで魚雷を避けられたら。

 

 意味のないイフだ。結果として叢雲は対応せずに魚雷をもろに食らい、大破判定をもらった。そしてその結果、ゴーヤに敗北している。

 

 それでもゴーヤは叫ばずにいられなかった。

 

「ゴーヤは支えになれなかった! どこまで行ってもてーとくに守ってもらうばっかりだよ! でも叢雲は違うんでしょ? 叢雲だけだよ! てーとくが何か頼む時に『任せた』って言うの!」

 

 ゴーヤが思い起こしていたのは輸送作戦の時だった。結局のところ自分は峻の『目』までしかなれなかった。

 対して叢雲は、万全の状態だった時は部隊そのものを任されている。

 

 それは全幅の信頼を寄せられていた証拠じゃないのか、とゴーヤは叢雲に突きつける。

 

「なら見たことがあるっての? あいつの感情が抜け落ちた目を。一切の躊躇いなしに人を殺そうとするあいつを。あんなの目の前で見せつけられたら気づくわよ。自分の無力さくらい」

 

「じゃあ叢雲はそれが本当のてーとくだと思うんだ」

 

「そう考えなきゃ説明つかないでしょ」

 

「だから何もしないんだね」

 

 そうよ、と叢雲が肯定する。今度はゴーヤにやるせなさなど微塵も介在することない本気の怒りが瞳に宿った。しゃがみこむと叢雲の胸ぐらをゴーヤが掴む。

 

「ふざけないでよ。こっちはどれだけ手を伸ばしても届かなくて、諦めたんだよ! 叢雲は手が届くんだよ? それなのに手を伸ばすことすらせずに身を引く? いい加減にしてよ!」

 

 目の前にいながらも遠すぎる存在。どれだけ手を伸ばしても、どれだけ求めても手に入らないというのに。

 

「本音を押し殺さないでよ。状況を見た賢い判断なんていらない。だからなんにも考えずに言ってよ。ねえ、叢雲はどうしたいの? どうなりたいの? どう思ってるの? 答えなよ!」

 

 何を言っているのだろう、ゴーヤは。

 

 胸ぐらを掴まれていた手を離され、再び海面に仰向けになった叢雲に浮かんできたのはそんな言葉だった。

 

 理解不能だ。どうしたいか? どうなりたいか? どう思ってるか? ただの司令官と秘書艦の関係でそれ以上もそれ以下もない……

 

 本当に?

 

 響いた声が思考に歯止めをかける。それは違う、と異論を唱えるように。

 

 そうだ、思い出せ。

 

 なんで私は憲兵隊が本部へ連行しようとした時に、自分の立場を危ぶめてまで逃がそうとしたんだっけ?

 

 どうして付いていくという選択肢以外がなかったんだっけ?

 

 置いていかれた時にどうしてあんなにも胸を締め付けるような苦しさを感じたんだろう?

 

 すべてにおいて叢雲が行動する義務なんてひとかけらも存在しなかった。加えて叢雲が苦しむ理由は自分自身で未だにわかっていない始末だ。

 

 思えばなぜここまでしたのだろう。

 

 峻が庇おうとしなければ叢雲は今も反逆者のラベル付けをされたままだったはずだ。峻を逃がすために行動を始めた時点で、叢雲は軍に刃を向けることになると理解していた。それでも実行したのだ。

 

 合理的理由なんてそこに介在する余地はない。理論や理屈では証明できないのだから。

 

 思い返せ。理論理屈なんて七面倒臭いものは抜きにして、ただ何を望んだのかを。

 

 初めてあった時の印象は最悪だった。なんだこの軽薄そうな男は、としか思わなかった。

 

 だが叩き出された結果でその評価は覆った。峻は自分の能力を生かしきった上で勝利を収めて見せたのだから。

 

 その後に数年ほど時間が開いて、峻が館山に配属されたと同時に叢雲も館山へ送り込まれた。悪くないかもしれない、と思いながら着任したのはいつごろだったか。

 

 本当にいろんなことがあった。銚子基地に殴り込みをかけたこと。基地に侵攻してきた深海棲艦を叢雲の指揮によって撃退したこと。

 

 そしてウェーク島まで助けに来てもらったこと。迎えに来てくれた時には強がりながらも安堵していたものだ。

 

 ヨーロッパではまざまざと己の無力さを見せつけられた。だから必死になって力を求め続けた。けれど輸送作戦では大失敗を演じてしまった。

 

 ギギ、と追憶が錆び付いたように止まる。感じたのは小さな違和感。それの正体を確かめるためにゆっくりと思い出の糸を手繰っていく。

 

 助けに来てもらった時に感じたあの感情は果たして本当に安堵だけ? 力を求め、強くなりたいと願ったのは本当に無力な自分が嫌だったからだけ?

 

 確かに何もできない自分が嫌だった。しかし違う。それだけかと自らに問いかけても、納得しきれない自分がいる。

 

 ゴーヤは何も考えるなと言った。考え込んでみてもわからないのならばその言葉に従ってみよう。ややこしい事など投げ捨てて。

 

「……ああ、そういうこと」

 

 自己嫌悪が滲む。どうして今まで気づかなかったのか。いや、違う。気づこうとしなかったのだ。

 

 見て見ぬふりをし続けて。そして言い訳のように別の理由で本音をコーティングしていた。

 

 けれど1度でもわかってしまえばこれほど簡単なこともなかった。

 

「私はあいつに惚れてるんだ」

 

 言葉にしてしまえば早かった。すとん、とモヤついていたものが落ち着いていく。

 

 寄せる信頼も、生きてほしいと願う理由も、ついて行きたいと思ったわけも。

 

 すべては好意からくるものだった。

 

「それが叢雲の答えなんでしょ?」

 

「そうみたいね」

 

 自分でも信じられない。だが抱えていたものが好きだと口にしただけですっきりとしたのだ。

 

 なにより叢雲が納得していた。これが人を好きになるということなのか、と。

 

「で、どうするつもりでち?」

 

「あいつのこと?」

 

「もちろん」

 

 仰向けの姿勢から叢雲が立ち上がる。演習を始める前よりも心なしか体が軽い。認めてしまうただけでこんなにも違うとは想像だにしなかった。

 

「手を伸ばしてみるわよ。少なくともちゃんとした形でケリがつくまでは。どうでもいいとか言っておいてどの口がって思われるかもしれない。でもわかっちゃったから。けど……」

 

「……? どうしたでち?」

 

 ふい、と叢雲がゴーヤから視線を外す。不思議に感じたゴーヤが首を傾けた。

 

「さっきの演習で私は負けたのよ。それで私が負けた時の条件が身を引くことだったの忘れたわけじゃないわよね?」

 

 ゴーヤが叢雲に突きつけた演習。そのルールで敗北した場合、叢雲は潔く身を引いてゴーヤに譲らなくてはいけないことになっていた。

 

 そして事実として叢雲は負けた。前提条件を守らなければ何のための演習かわからなくなってしまう。

 

「ねえ、叢雲。いいこと教えてあげるでち」

 

「いいこと?」

 

「口頭における契約はね、第三者が証言しないかぎり証明することは難しいんだよ?」

 

 ここは海上。仮に横須賀鎮守府から演習を見ている者がいたところで何を話しているかまでは聞こえない。さらに口約束を交わした時も周りには誰もおらず、ゴーヤと叢雲のみだった。

 

 端的にゴーヤは約束を破れ、と叢雲に言っていた。口元に特上のいたずらを成功させた子供のような笑みをこぼしながら。

 

「譲るって言うの?」

 

「嫌だった?」

 

「……」

 

「今更になってプライドが傷ついた? 本当に今更だよ。さんざんボロボロになったでしょ? これでもかってほど叩きのめされたでしょ? ならもういいじゃん。汚泥を啜っても、屈辱を味わうことになったとしても決めたんでしょ?」

 

 譲られた。確かに屈辱だ。そんなことは絶対に認められないと突っぱねるだろう。

 

 ()()()()()()()

 

 表面を取り繕うだけの時間はここまでだ。目的は明確化された。何が引っかかっていたのかもすべて理解した。何が望みなのかも。

 

「戻るわ」

 

「先に戻ってて。もうちょっとだけゴーヤはここにいるでち」

 

「そう……ありがとう」

 

 ゴーヤがここまでやったのにも関わらず、確認を取る行為は無粋だ。だから叢雲は小さく礼を言うに止めると、踵を返して鎮守府へ戻っていく。

 

 迷いのなくなったその足取りを見てゴーヤはふっと短く息を吐きだすと座り込んだ。

 

「まったく手がかかるでち」

 

 足をばたつかせればパシャリと海水が跳ねる。キラキラと海面に陽光が反射して眩しかった。

 

「イムヤ、いつまで潜ってるつもりでち?」

 

「なんだ、バレちゃってたの?」

 

 海面が盛り上がるとイムヤが赤い髪を幾条かまとわりつかせながら浮上した。軽く水気を切ると張り付いた髪を摘んで外す。

 

「悪いかなとは思ったのよ? でもほら、演習って監督する人が1人は必要じゃない?」

 

「監督者は潜水しろ、なんて規則は初耳だけどね」

 

「そこを突かれるとちょっと痛いわね」

 

 気まずそうにイムヤが頬をかく。またもゴーヤは呆れたようなため息をついた。

 

「どうする? 私が証言すればさっきの契約とやらは証明できるわよ?」

 

「ならずっと口をつぐんでおいて」

 

「ゴーヤはそれでいいのね?」

 

 確かめるようにイムヤが告げる。黙ってゴーヤはそれを首肯した。

 

「これはね、イムヤ。別に叢雲のためにはっぱをかけたとかそういうのじゃないんだよ」

 

「じゃあなんのため?」

 

「ただの嫌がらせでち!」

 

 とびきりの笑顔を浮かべたゴーヤが戻ろっか、とだけ言うとゆっくりと鎮守府の方向へ航行を始めた。その後ろ姿をイムヤはじっと見つめた。

 

「嘘ばっかり。まったく無理して……」

 

 どれだけゴーヤが様々な言葉を並べ立てたところでそれが虚飾だと気づかないイムヤではない。

 

 しかし止められるわけがなかった。その道はゴーヤが自身で選んだ道だ。どれだけの意志を持って推し量ることはできない。だがらその決断に口を出す権利はないように思われたのだ。

 

「ゴーヤはそれでいいんだよね?」

 

「聞こえてるでち、イムヤ」

 

 イムヤが困ったように肩を竦めた。声が大きすぎたらしい。だがゴーヤの答えを内心では期待していた。

 

 口を挟む権利はない。しかし納得できるかどうかはまた別の問題だ。

 

「ねえ、イムヤ」

 

「……なに?」

 

「好きだった人が幸せになって欲しいって願うのは変なことかなあ?」

 

「……イムヤにはわからないわ。そういう経験がないから」

 

「そっか」

 

 声が震えているのは気のせいだ。イムヤはそう思うことにした。ざあっと波をかき分けてゴーヤの数歩ぶん後ろをゆっくりと航行していくことにするのだった。

 

 それを遠目から見つめている少女がいた。

 

「これが『お姉ちゃん』としてできる私の精一杯」

 

 横須賀鎮守府の埠頭で吹雪がぽつりと呟いた。ゴーヤたちがドッグへ消えていくところを完全に見送ってから自虐的に表情を歪める。

 

「だからこんな役回りをやらせてごめんなさい、ゴーヤさん」

 

 果たして本心からそう思ってるのか。そう自らに問いかける度に、吹雪の顔は余計に自虐で歪んだ。

 

 靴底がジャリ、とコンクリートを踏みしめる。可能性なんて信じられるほど甘い考え方はしてこなかったはず。

 

 けれど今回ばかりはその可能性を信じたかった。

 

「がんばってね、叢雲ちゃん」

 

 もう、これ以上はお姉ちゃんがなにかできそうにないから。

 

 

 

 

 

「吉と出るか凶と出るか。あとは結果をご覧あれ、だな」

 

 横須賀鎮守府の執務室で男が1人、腕を組みながら窓の外を難しい顔で睨んだ。

 

「思い通りにさせはしないさ」

 

 どこかで緑髪の少女が強い決意を滲ませた声で誰にというわけでもなく宣誓した。

 

「…………」

 

 某所の潜伏地で男がCz75のマガジンに無言で弾を込めていた。

 

「もう迷ったりしないわよ」

 

 横須賀鎮守府の一室で青みがかった銀髪の少女が、その燃えるような赤に近いオレンジの瞳にきらりと磨きあげられた刀身を写した。

 

 

 

 それぞれが全く異なった第一目標を掲げている。それは個人によって何のためかすらズレてしまうほど大きく違うものだ。

 

 だがそんな彼らにもたった1つ共通点がある。

 

 己の願いをかけて争う場所だ。

 

 東雲が叢雲に頼んで峻へ送ったメッセージは単純明快。

 

 来るべき日、海軍の権力構造をひっくり返す。その導火線に付ける火になってくれ。

 

 それは海軍本部を巻き込んで起こすクーデター。





こんにちは、プレリュードです!

ちょっと安易すぎるかな、と思わなくもない話でしたがいかがでしょうか。ストレートな恋愛ものに持ち込むのに躊躇いはあったんですよ? でもなんだかんだ言って自分は王道が好きみたいです。かねてより考えていたストーリーラインを結局はねじ曲げずに突貫してしまいました。

そしてこれでこの章は完結です。次回に座談会を挟んでから新章に突入していきます。気づけばもう7月です。はたしてカルメンの完結はいつになることやら……


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番外編 大暴走幕間劇
テイトーーク!


警告

著しいメタパロキャラ崩壊を含みます。読まなくとも問題は皆無なので苦手な方はご遠慮ください。


作者「さあ、そんなわけで始まりました『テイトーーク!』。その名のとおり提督として出てきた4人に来ていただきましょう! どうぞ!」

 

帆波「どうぞって言われても何をするんだよ」

 

東雲「そのまんまだろ」

 

若狭「僕はこういう場に顔出したくないけど出てるんだ。我慢しなよ」

 

常盤「それ以前に現時点で司令官じゃないのがほとんどじゃない?」

 

帆波「えーっと俺が反逆者で常盤が辞職して若狭はそもそも情報部勤務。まともに司令官をやってんのはマサキくらいのもんか。タイトルで『テイトーーク!』とか銘打っておいて4人中、3人がアウトってだめだろ」

 

作者「ほら、提督は正規の名称じゃないし……」

 

東雲「少なくとも艦これにおいてはイコールで司令官を示すワードだろ」

 

常盤「最近だと艦これ二次創作を名乗っておきながら市街地戦ばっかりじゃん。なんかアタシずたぼろにされてるし」

 

帆波「俺にいたっては左眼を無くしてるぞ」

 

若狭「そこのところをどう思ってるんだい?」

 

作者「我ながらなんでこんなの考えたんだろうって思ってる」

 

東雲「おい作者」

 

作者「しょうがないじゃん! ただ海戦するだけじゃつまんないなーって思っちゃったんだから」

 

常盤「開き直ったよこの人」

 

作者「うるせー。とにかく……」

 

5人「艦隊これくしょん〜放縦者たちのカルメン〜をここまで読んでいただき、ありがとうございます!」

 

作者「気づけば投稿開始から1年を過ぎ、こうして100話記念までできるようになりました。読者の皆様たちには感謝の気持ちでいっぱいです」

 

常盤「それにしても長くなったねー」(見返し)

 

若狭「当初は1年もかける予定はなかったんだっけ?」

 

作者「そうそう。もうちょっと短くまとまると思ってた。書きながらシーンの追加とかしてたら思いの外、のびちゃったのよ」

 

東雲「総文字数も50万文字を超えてそろそろ60万に届きそうだしな」

 

作者「なー。始めの頃の1話あたり2000文字くらいでやってた頃が懐かしい」

 

帆波「あの頃とは書き方もキャラクターもずいぶんと変わったよな」

 

作者「言い訳がましい言い方になるけど、作者は台本形式じゃないものを書くことも、長編を書くことも、艦これで書くこともこれが初めてだったんだよね。始めたての頃はどういう書き方がいいのかわかってなかったのはある」

 

若狭「最近だとかなり落ち着いてきたね」

 

作者「そりゃよかった。でもそのせいで最初の方の原稿とか見返したくない。なんか我ながら酷すぎて目も当てられない」

 

東雲「ことあるごとに改稿したいって言ってるもんな。もしかしてそれか?」

 

作者「そそ、そういうこと」

 

常盤「ところで誰も突っ込まなかったけどこのタイトル、大丈夫なのかにゃん?」

 

若狭「何とは言わないけどさ、すっごく聞き覚えがあるタイトルだね」

 

作者「うん。サブタイは『私たちはメインキャラ提督です』」

 

帆波「かんっぜんにアウトじゃねえか!」

 

東雲「よくこれでやろうと思ったな」

 

作者「悪ノリの産物。やろっかなーって言ったらやっちゃえNI〇SAN! って言われたし」

 

東雲「ことあるごとにN〇SSANかよ……」

 

帆波「とりあえずそろそろ内容に行こうぜ。いつまでも前座やってるわけにもいかねえだろ。一応、これは座談会ってことでいいんだよな?」

 

作者「そうそう。まあ、いろんな質問とかに答えていこうって感じ」

 

若狭「ふーん」

 

東雲「興味なさそうだな、オイ」

 

若狭「僕の柄じゃないんだ」

 

作者「まあ、1話分だけなんだし我慢してくれよ」

 

帆波「とりあえずさっさと質問を処理してったらどうだ?」

 

作者「処理……もうちょっと言い方を……うん、まあいいや」

 

 

 

Q1.キャラクターの命名はどうしているの?

 

 

 

常盤「ほら、なんでなの? なにか法則とかあったり?」

 

作者「いや。ぶっちゃけテキトー」

 

東雲「いいのかそれで……」

 

作者「しょうがないじゃん。別に意味を持たせる理由もないし。あ、でも考える元になったやつはある」

 

帆波「じゃあ俺は?」

 

作者「帆波峻って確か海っぽさを出したかったから名字にセイルの『帆』とウェーブの『波』をいれたんじゃなかったかな。峻は語呂。あと呼びやすさ重視をしたのはある」

 

帆波「特にこれといって深い意味はねえじゃねえか」

 

作者「だから言ったじゃん。テキトーだって」

 

東雲「登場順的に次は俺か」

 

作者「あー、東雲将生は誤解がないように言っとくけど、南雲中将から持ってきたわけじゃないよ」

 

若狭「安直にそこからだと思ってたよ」

 

作者「ちゃうちゃう。ご存知の方も多いと思うけど某物語シリーズの『失礼、噛みました』の女の子いるじゃん?」

 

常盤「いたね。かみまみたって言って毎回、名前をすごい噛み方する子」

 

作者「あの子の名前を作中で考察するときに、八九寺は東雲物語に出てくるみたいなこと言ってたじゃん? あそこから」

 

東雲「意外な経緯だな」

 

作者「自分があのシリーズ好きなんだよね。好悪が分かれる作品ではあるけどあの言葉回しとかすごいと思う。勝手だけどめっちゃ尊敬してる」

 

帆波「でもまだ20代とはいえこんなオッサンの名前が元はあのロリっ子ってすげえ嫌だな」

 

作・若・常「あー……」

 

東雲「うるせえ! そうだ、名前だ! 名字はさておき名前があるだろう!」

 

作者「名前こそ呼びやすさ重視。シュン、マサキ呼びがしたかっただけ」

 

東雲「まじか……」

 

若狭「次は僕かな」

 

作者「まあ、出てきた順で行けばそうか。若狭はそのまんま若狭湾から取ってきたね」

 

帆波「今までと比べるとシンプルだな」

 

作者「基本は響きのよさだからね。陽太の方はまたしてもノリ」

 

常盤「うわー、雑……」

 

作者「名前なんてそんなもんじゃない? あ、でもよくありそうな名前は避けた。もしこれで読者さんが『あ、このキャラと自分の苗字も名前も一緒だ』ってなったら気分を害することにもなりかねないし」

 

帆波「そこらへんは大変だよな。同姓同名はどうあっても感情移入しちまうだろうし」

 

作者「でもキラキラネームはできる限り避けたい。難しいところなのですよ」

 

常盤「はいはーい! じゃあアタシは?」

 

作者「ポ〇モンに出てくるトキワの森から」

 

東雲「うわ、脈絡ねぇー」

 

作者「なんとなくだもの。美姫の方は姫って漢字が使いたかったからだし」

 

常盤「想像以上に適当だね……」

 

帆波「今の世代にトキワの森って伝わるのか?」

 

若狭「だいぶ昔の話だからね。知らない人は知らないかもよ? というか作者の年齢がばれるんじゃないかな?」

 

作者「ま、知らないならばその時よ。別に知らなくとも問題はないし。そして年齢を突っ込むでない」

 

若狭「仕方ないじゃないか。そもそも有名すぎるゲームから持ってくるのがいけない」

 

作者「いいじゃん。あー、とにかくこんな感じで他のオリキャラたちも命名してる。あ、でも最大級に酷いやつが1人いた」

 

東雲「だれだ? 他にオリキャラっていっても結構たくさんいたろ?」

 

作者「矢田(やだ)惟寿(これとし)って覚えてる?」

 

帆波「あー、1章で俺がボコったやつか」

 

若狭「深海棲艦と通じてた銚子基地の基地司令だった人だね」

 

作者「あのキャラってホントの投稿直前まで名前が決まってなくてさ。惟寿は毎度の如く適当なんだけどね、問題は苗字」

 

常盤「矢田ってなんの捻りもなさそうだけどなにかやったのかにゃん?」

 

作者「あれね、ちょうど艦これを自分がやってたのよ。で、その時は蒼龍を旗艦にして育ててたわけ」

 

東雲「まあ江草は強いしな。でもそれがどうして名前に繋がるんだ?」

 

作者「蒼龍の『やだやだやだぁ』ってセリフあるじゃん? あれ聞いた時に思ったのよ。あ、苗字を『矢田』にしようって」

 

帆・東・若・常「オイ!!」

 

作者「いや、本当に矢田さんにも蒼龍にも悪いことしたかなと思ってる」

 

帆波「ひっでぇな」

 

作者「しょうがないじゃないか! 毎回、タイトルとキャラの名前には苦労させられるんだって」

 

 

Q2.この世界における艦娘の配備状況は?

 

 

 

作者「あー、はいはい。来ちゃいましたよこういうの。ここらへんはほら、我らが横須賀鎮守府の司令長官サマの出番じゃあないかね?」

 

東雲「あん? ったく……あー、まあ日本における艦娘の配備状況だが、駆逐艦を上げると今は特型が多くを占めてるな。実際に俺んとこに吹雪、シュンのとこに叢雲ちゃんがいるのが代表例だ。それに常盤のとこは若葉だから吹雪型以降の建造だろ? だが陽炎型や夕雲型は完全配備にはいたってないのが現状だ」

 

若狭「僕のところにいる長月は睦月型だから戦線から引き始めてる艦娘ということになるね。長月だけがああいう形態で前線に出ていないわけじゃないってことさ。まだ前線を引いた艦娘が海軍内の事務職にいるってケースはかなり少数だけどね」

 

常盤「なかなか軍内部でも怪訝な視線で見られがちだからね。前線から引いてるとなるとなかなか大変だとは思うよ。消耗品として見る人も多いし」

 

帆波「加えて言うと、なんだかんだと機密の塊だからな。海軍内に留めおかないわけにはいかないって事情もあんだろ」

 

作者「駆逐艦以外にも話そうか……」

 

東雲「他って言ってもなあ。やっぱり艦種が上がれば必然的に欲しがるところも多くなるのは変わらねえよ。館山にあんだけの戦力を起き続けるのがどれだけ……」

 

帆波「戦果はそれに見合うだけのもんをきっちり出してただろ?」

 

東雲「ウェーク島陥落とかな。ま、あれがよかったのかはこの際、話さないでおこう」

 

若狭「結果的にエレジー編に繋がっちゃわけだし」

 

作者「擁護しておくけど事故だからね? 回避のしようがなかったでしょ?」

 

帆波「まあな。たぶん章単位で勝ったと言えるのってあれが最後じゃないか?」

 

作者「あながち否定できないよね。小競り合いだったら勝ってるけど」

 

若狭「話が逸れたけど、国内は大まかにこんな感じだね。海外になるとまた話は別だけどさ」

 

作者「艦娘が日本の輸出品とかやったなあ……あの設定とか覚えてくれてる人、何人いるんだろう。つい最近まで自分も忘れてたし」

 

東雲「それでいいのか作者」

 

作者「なんだかんだと書けてるし、必要になったら思い出すから大丈夫。配備状況だけに限らず、遊びを持たせとくといざと言う時に設定を作り替えられるから楽って都合もあるけど。あ、でも艦娘がバイオロイドって設定は出したわ」

 

常盤「あのもう一人の叢雲ちゃんだね」

 

作者「あれは本当に最後まで書くことを躊躇った。できればやりたくなかったし、あの子には生きてほしかった。でもこうする以外に手がなかったってのが本音」

 

若狭「あれもたぶん好き嫌いがわかれるだろうね」

 

作者「あれでもマイルドにしたんだぞ? 何度も改稿かけて納得できるものに近づけようとしたし。でも生き残りエンドだけは書けなかった。自分の実力ではあれが限界。もし書ける人がいるなら生き残りエンドは見てみたい」

 

 

 

 

Q3.深海棲艦の設定は?

 

 

 

作者「とりあえず現状でわかっている点と公開してもいいとこまで話そうか。若狭、出番」

 

若狭「僕かい? まあ、ご存知だとは思うけどゲームと同じようにイロハ階級で分けられているよ。今のところは拮抗状態だね」

 

常盤「攻めあぐねてるよねー。かといってこちらが落とされるわけでもない。絶妙なバランスだよ」

 

帆波「そういえばそんな会議が海軍本部の大将クラスだけでされてたな」

 

作者「それ、お前は知らないはずだろ」

 

東雲「メタパロOKって言ったのは他ならぬ作者だろうが 」

 

作者「まあ、そうなんだけどね。ここらへんは未だにブラックボックスかな」

 

東雲「またしても深海棲艦から逸れたぞ」

 

作者「おっと失礼。まあ、基本的にゲーム準拠という理解で大丈夫。姫級も1回、出てきてることからもう察してるだろうけど、姫級も鬼級もいるよ」

 

常盤「基本的に前線に出てくることはなくて、拠点防衛ばかりなんだっけ?」

 

東雲「そうだ。あれが前線に出てきたらと思うと横須賀を預かる司令長官としては割と怖いものがある」

 

常盤「ま、出てきたら出てきた時だね。どのみちアタシはもう関係ないし」

 

 

 

Q4.食事描写、多くない?

 

 

 

帆波「だとよ、作者」

 

作者「まあ、これを思った人って多いよね。あえて言おう。趣味であると!

 

東雲「そもそも二次創作が趣味のような気がするんだがな……」

若狭「でも確かにレストランの食事描写だけで1話分を使ったこともあったね」

 

常盤「あー、なんか長い料理名のランチコースだったやつかぁ」

 

作者「あれ考えるのはすっごい楽しかった。うっすらわかってる人もいると思うけど自分が好きなんだよね、ご飯。好きなせいでそこに力をつい注いじゃうもんだから文字数が異様なくらい食事描写で伸びる」

 

常盤「あれはでっちあげのメニュー?」

 

作者「失礼な! ちゃんと自分が今まで食べてきたものから考えたメニューだよ! これとこれを組み合わせればおいしいだろうな、とかいろいろ考えたんだからな!」

 

帆波「他に力を注ごうぜ……」

 

作者「それを言われると痛い。でも今後も隙あらば食事描写は入れてきたいね」

 

東雲「そんなだからTwitterで『飯テロの帝王プレリュード』なんて(不)名誉なあだ名を頂戴するハメになるんだ」

 

作者「あれ誰が言い始めたのかね。気づいたらそんなあだ名が広まってた。ま、いいけど」

 

若狭「実際にやってるんだから言い訳できないよね」

 

作者「こればっかりは慣れてもらうしかないと思ってる。参加してる企画も、自分で執筆してる小説も、食事描写を入れなかったことがないし。なんか飯テロしてるのを見かけたら『あ、まーたこいつやりおった』みたいに寛大な心で受け入れてくれると嬉しいかな」

 

帆波「もしかしてだが俺が料理できるって1章で言及したのはそのせいか」

 

作者「当たり前だよなあ」

 

若狭「まったくもって生かされてない設定だよね」

 

常盤「普通はこの女子であるアタシにくっつけるべき設定なんじゃないの?」

 

作者「えっ、女子? どこが?」

 

常盤「帆波クンは左眼だから今度は右眼にしようか?」

 

作者「おい、この女を誰か止めてくれ!」

 

帆波「無理だな」

東雲「無理だろ」

若狭「無理だね」

 

作者「この薄情者ども!」

 

帆波「少なくとも止まるんだったらああはならねえだろ」

 

常盤「っていうかあそこまでの怪我ってことはおそらくこの後にアタシの登場シーンないよね? どうするつもり?」

 

作者「いや、ぼちぼち登場シーンは今まであったじゃん。見せ場も作ったじゃん。だからナイフを抜くのやめよう? ね?」

 

常盤「ウフフフフ……」

 

作者「え、あっちょま」

 

(しばらくおまちください)

 

帆波「まあ、常盤のキャラを尖らせたのは作者の責任だしな」

 

若狭「ある意味で一番、芯からぶれてないキャラクターでもあるし、いいんじゃないかな」

 

東雲「あそこまでとち狂ったやつも珍しいから忘れられることはないだろ」

 

 

 

Q5.キャラクターの性格や立ち位置を決める時に考えたこと

 

 

 

帆波「またしても作者への質問だな」

 

作者「考えたこと、か……うーん、考えたっちゃ考えたけど考えてないような気もする」

 

常盤「曖昧すぎない?」

 

作者「それこと常盤のドMな性格の理由は後から思いついて追加したものだしなあ。もともとただのネタキャラで投入したわけだし」

 

東雲「なら他はどうなんだよ?」

 

作者「帆波はある意味で憧れみたいなキャラクターを融合させたのはある。東雲は学校にいる気の合う腐れ縁、みたいな。若狭に関してはフリーで動ける人間でそれなりに親密な関係のキャラがほしかったからかな」

 

若狭「それなりに考えているじゃないか」

 

作者「ただあとは口調くらいしか決めてなかった。立ち位置と口調だけ確定させたらそのまま突き進んだ」

 

帆波「ノープランで書いたってのか」

 

作者「いや、違う。最初はそこまで複雑なストーリーラインにしなかったからキャラクターの信条とかを決めなくとも回せたんだ。具体的には欧州編の前まで」

 

常盤「待った。じゃあアタシはどうやったの? 欧州編では苦労したらしいけど」

 

作者「だから常盤はしばらく登場シーンがなかったろ? あの期間に自分の中でキャラを固定化させたんだ。だから次の登場で憲兵隊に所属させたし、そこからあとは頻繁に出てきたってわけ」

 

常盤「にゃるほど」

 

東雲「なら初めの2章だけで俺たち3人は固定化したってわけか?」

 

作者「正確には東雲と帆波の2人。若狭はフーガ編の中盤に入ってから方針や信条が確定した」

 

帆波「一番、遅いじゃねえかよ。それって常盤より後ってことだろ」

 

作者「そうなるね。初期から意味深なことばっかり言いまくらせてたら最後になって自分が混乱するというわけのわからない事態に陥ってた」

 

東雲「アホだ……」

 

作者「うるせー! まあ、答えるなら結構テキトーだ。ストーリーラインだけ決めたらあとは流れだな。ただキャラを重視するためにストーリーラインをねじ曲げることも多々あるって感じか」

 

 

 

Q6.カルメンを書く時に意識しているところは?

 

 

 

東雲「ほらよ、答えるんだ作者」

 

作者「うーん、まず真っ先に思い浮かぶのは主要キャラクターがそれぞれの役割から外れないようにすることかな」

 

若狭「役割、かい?」

 

作者「役割というよりもあらかじめ定めたキャラクター性と言うべきかな。わかりやすく言うと、そのキャラクターが言わないことを言わせないようにする。どうしても言わせたいなら言わざるを得ない状況を作るとかしてたりね」

 

東雲「はー、意外と気にしてるんだな」

 

作者「まあね。細かいところを言えばいろいろ出てくるよ。それこそ帆波が叢雲に対してのみ『任せた』って言ってたところとか。やっぱり主人公だけあって書く時は気を使ってるよ、そこらへんは」

 

帆波「なるほどな」

 

作者「その他に自分はどうしてもキャラクターの感情と展開を優先するあまり、ロジックを放棄しがちなんだよね。だから気をつけないとえらいことになる。実際に同じ艦これ二次創作を書いてる人とよくネットで繋いでるけど、確認を手伝ってもらったり」

 

常盤「さっきも言ったけど欧州編がやばかったんだっけ?」

 

作者「あれは終わってたというのが正しい。元の原稿とかプロットは見返したくもない。反省材料として手元に残してあるけど」

 

帆波「えっと、どれどれ……あっ(察し)」

 

東雲「おう、俺にも見せろよ……あー」

 

作者「酷いという言葉以外で形容ができなかったね。なぜかプリンツが警官の股間を蹴り抜いてたり、よくよく考えると帆波が深海棲艦の湾岸爆撃を手引きしようとしてたり。思考がイカれてたんじゃないかと真剣に思う。あの時は本当に止めてもらって助かった」

 

若狭「反省が生かされてるのならいいんじゃないかな」

 

作者「…………さあ、次に行こっか」

 

帆波「おい、なんだ今のながーい間は。大丈夫なのかよ」

 

作者「はは、言ったじゃろ? 『感情とやりたいシーンを優先しすぎる』って」

 

常盤「まさかやっちゃった?」

 

作者「常にやらかしては改稿しているが正しい。はは、こんなことばっかりやってるから書き溜めがもうほとんどないんだ……」

 

東雲「毎週更新とか謳い文句にしておいて大丈夫か? 今までも書き溜めがあったからできてた芸当だろ」

 

作者「がんばる。他にも書いてるものがあるけどこっちを最優先のラインにして書けばきっとなんとかなるはずだし」

 

帆波「ここまでいくと強迫観念じみてきたな」

 

作者「こうは言ってるけど書くこと自体は楽しんでるんだよ? 問題はいろんな立場の人間を増やしすぎたせいで捌ききれなくなってることだね」

 

常盤「だめでしょ、それ」

 

作者「まあね。でも楽しむってのは必要だと思うよ。心がけてるっていうのならここもかな。結局のところ商業誌じゃないから好き以外にモチベーションってないんだよね。だからつまらないって思っちゃったらたぶん書かなくなる」

 

帆波「楽しむ、か。でも言われてみればそうかもしれないな」

 

作者「あとはカルメンを書く前に自分でちょっとした誓いを立てたのよ。長編物を書く時は、絶対に最後まで書き切ること。もし途中で更新を投げ出して小説を削除したらもう2度と筆は持たないって」

 

東雲「2度とってなかなかハードな誓いじゃねえか、それ」

 

作者「抜け道として1話読み切り式の短編をまとめていくものとかはセーフにしてるけどね。あとは長編物でも更新を一時停止にしてもいい、とか。でも投稿したのなら絶対に削除はせずに最後まで書き切る。たとえどれだけつまらないと叩かれてもね」

 

若狭「じゃあカルメンが叩かれる可能性も考えていたわけだね?」

 

作者「もちろん。というかここまで伸びたのにびっくりしてる。お気に入りは最終話を投稿した時点で50を超えてればいいぐらいで考えてたから」

 

常盤「そういう意味でいくと読んでくれている方々には感謝しかない、と」

 

作者「そういうこと。まさか書き始めた頃はこんなに読んでいただけるとは思ってなかったし、他の物書きさんたちと繋がることができるなんて思ってなかった」

 

帆波「ならカルメンは上々の成果を残しているんだな」

 

作者「うん。上々なんて言葉で表せないくらいだね。未だにランキングに乗ったときのスクリーンショットは記念に残してあるし」

 

東雲「またしても逸れていくな」

 

作者「おっとっと。まあ、だから意識してることっていうのなら、キャラクターの行動や書きたいシーンを優先しすぎて展開がハチャメチャにならないようにすること、あと自分が楽しむことくらいか。ここはさっきも言ったけど商業誌じゃない強みだね」

 

若狭「そういえば商業誌で思い出したけど書籍化する予定とかはないのかい?」

 

作者「現状ではないね。どうしても小説はコミケとかでも手に取ってもらいにくいし、表紙とか挿絵を描いてくれる絵師さんも探さなくちゃいけない。なによりオリキャラが大量に出てくる小説は、ただでさえ敷居の高い小説をさらに高くしちゃうから」

 

帆波「まあ、仕方ないわな。それが書きたかったんだろ?」

 

作者「うん。それにぶっちゃけると商業誌じゃないからこそ好き放題ができるっていうメリットもあるし、このスタイルは我ながら気に入ってる」

 

 

 

東雲「気づけばもう8000文字を超えてるぞ」

 

作者「そこまで行ったか。なら頃合いだしここらで切り上げようか」

 

若狭「長々とオチもなく話し続けたのは作者の技量のなさということでひとつよろしくするとしようか」

 

作者「うん、わりと反論できないのが辛い」

 

常盤「まあまあ。ところで次回から新章突入するんだよね?」

 

作者「そうなるよ。この座談会を書いてる現時点(6月25日)で新章の話は1話も原稿が上がってないけど」

 

帆波「大丈夫なんだよな?」

 

作者「積みタスクを放置して最優先ラインで進める。これでなんとかなる、はず」

 

東雲「大丈夫って言っときながら大丈夫な雰囲気が1ミリたりとも伝わってこねえな」

 

作者「安心したまえよ。以前にもこれくらいのピンチは乗り切った!」

 

若狭「ピンチをくり返した時点で学習能力が皆無って認めたことになるけどそれでいいんだね?」

 

作者「ガフッ……と、とにかく更新はまた来週にちゃんとするつもりです!」

 

5人「これからもカルメンをよろしくお願いします!!」




こんなんで果たしてよかったのだろうか……


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第七章 心算のシンフォニア
【ALFA】-AIM


 

 懐の中でショルダーホルスターに収められたCz75を峻がいじる。左眼には眼帯が着けられているせいで視界が狭いが、何とかするしかないだろう。

 

 デッキコートのフードを目深に被った。眼帯に覆われた左眼も、そうでない右眼もフードの下に隠される。

 

 オーダーはとにかくド派手に、だ。ならばその要望には答えなくてはいけない。峻には動かなくてはならない理由がある。

 

「そろそろ、か」

 

 太陽の傾きからおおよその時間を推測。向こうの準備は整っただろうか。

 

 外部記憶媒体を手のひらで峻は転がした。常盤とやり合う前に、叢雲が持ってきたものだ。中には東雲からのメッセージが封入されていた。

 

 それは海軍本部で大暴れしろという単純明快なものだった。

 

「なんだかんだ長い付き合いだ。だいたい何があったかはわかるさ」

 

 峻にとって叢雲が東雲のメッセージを持ってきたということだけで察するにあまりある信号だった。そこに加えて「すべてを知った」という追加のヒント。

 

 これだけで叢雲が東雲にすべて話したことは理解できた。おそらく東雲はバイオロイドのことも記憶定着についても、あの廃工場でもう1人の叢雲が話したことはすべて聞いたのたわろう。

 

 それを東雲が信じるかと言われれば峻の答えはイエスだ。いくらでも確認する方法はある。そして叢雲が話すと決めてから東雲に接触しているということは、その方法も提供していないわけがない。

 

「いくか」

 

 呼吸を整える。影から海軍本部の塀をじっと観察して機会を窺った。

 

 殺してもいいのなら手っ取り早くていい。だがオーダーは軍人を殺すな、とある。こちらの考えを後々には押し通していくであろうことを考えるのならば、ここは大人しく従っておくのがベストだろう。

 

 するりと峻が蛇のように見張り所へ近づいていく。今回はCz75の出番はなしだ。気絶させるのなら、下手に殺傷力のあるものを使うべきではない。

 

 1週間ほど前から近辺に張っていたおかげで多少はわかったことがある。見張りは2人でローテーション。そして基本的には電子セキュリティシステムに依存していること。

 

 2人の見張りの背後へ回り込む。談笑しているためか、峻に背中を取られたことに気づいていない。

 

「ぐっ!?」

「がぁ!?」

 

 峻の左手と右手が同時に見張りたちの頸動脈を強く圧迫する。僅かなうめき声を上げた抵抗をするが、数秒でその意識を完全に手放した。

 

 まずは人の目を制圧。いきなりシステムハックをかけるのは悪手のため、軍服の上着だけ借りると堂々と内部へと入り込む。

 

 見張りの階級などたかが知れている。いずれは気づかれることなど最初から承知の上だ。

 

 少しでも海軍本部の奥深くへ入れればそれでいい。騒動を起こすまでの時間稼ぎになれば十分だ。

 

「おっと」

 

 左眼の眼帯を峻は外すとポケットに滑り込ませた。眼帯は明らかに人目を引きすぎる。どのみち左眼から頬にかけて付けられた傷は眼帯だけでは隠せない。

 

 空いている右手でその傷をそっと撫でる。不幸中の幸いというべきか、傷口は化膿しなかった。もしも化膿していたのならば、ちゃんとした医療機関に見せる必要が出てきたことを思えばラッキーだっただろう。

 

 人とすれ違う度に頭を下げて会釈。これで眼の傷をなんとか誤魔化していく。

 

 歩きながら手はずを頭の中で繰り返し復習する。手駒にはなってやらない。ただオーダー通りに働いて、その引き換えとして報酬となるメリットをかっさらうだけだ。

 

 そろそろ外周では済まない場所まで来ただろう。少なくとも来客が入ることのできるぎりぎりのラインはここまでだ。ここ以降は確実に警報が鳴る。

 

「状況開始」

 

 誰かに言うつもりも聞かせるつもりもない言葉を峻はつぶやいた。邪魔になりそうな上着を脱ぎ捨て、右脚のズボンの裾をまくり上げると、周囲を確認しながら1歩ぶん前へ踏み出す。

 

 そして関係者以外立ち入り禁止の扉を右脚の義足で思いっきり蹴りつけた。バン! と扉が叫びながら大きく開け放たれる。

 

 本来は手順を踏んで開けなくてはいけない扉を強引に蹴り開けたせいでセキュリティシステムが作動。海軍本部にけたましい警報が鳴り響く。

 

「なっ、侵入者!?」

 

 警備たちが慌てながらに立ち上がる。だがギリギリまで峻が見張りのIDを使用していたこと、そしてセキュリティシステムに引っかからないルートを選んで歩いてきたせいで気づくのが遅れ、結果的に初動が鈍った。

 

 テーブルの上にあるゴチャゴチャとした電子機器類を薙ぎ払うように峻が飛び越える。

 

 応援要請をされると厄介だ。無論、峻は数人ほど相手が増えたところで制圧することは可能だと確信している。問題は何が起きているのか把握されてしまうことだ。

 

 誰よりも早く連絡をしようと他のテーブルにかじりついた警備に峻が飛びかかると、顎を軽く弾くように右脚で蹴りつけた。

 

 蹴りつけた直後に右脚のブースターを作動。急激についた推力を利用して、回し蹴りを繰り出した後の無理な体勢から体そのものを180度ぐるりと回転させる。背後で脳震盪を起こした警備が倒れる音がした。

 

 峻の真後ろを取ったと思い込んでいた警備とばっちり目が合う。勝利の余裕に笑っていた瞳が驚愕に見開かれていく。

 

 完全に制圧しきるまでは気を抜くな。そう内心でつぶやきながら峻が屈んだ体勢から捻りを加えた掌底を警備の水月に叩き込む。

 

 崩れ落ちた警備の意識を完全に刈り取るために、内臓破裂をしない力具合に加減しつつ腹部を踏みつける。同時に右手を腰のナイフに持っていくと、出入り口あたりを狙って投げつける。

 

「うわあっ!」

 

 機材付近に峻がいるために、連絡は不可能と判断した警備の上着を峻が投擲したナイフが貫き、壁の継ぎ目に刺さる。ほんの一瞬だけ壁に縫い合わされた警備の動きが止まった。

 

 そしてその一瞬さえあれば十分すぎる。

 

 またしてもテーブルを乗り越えて離れていた距離を詰めると、破れかぶれで繰り出された拳を左手で受け流す。流れるような動作で壁に刺さったナイフを右手が握ると、柄頭で顎を弾いて脳を揺らす。

 

 悪くない判断ではあった。明らかに実力で敵わない相手が連絡するための機材付近にいる。だから部屋を出て、別の手段を用いようと考えたのだろう。

 

 しかし峻は始めからそれを見越していた。つまり、常に入口付近に気を配り続け、誰一人として部屋から出させないようにしていたのだ。

 

 目的はあくまでも何か騒動が起きたらしいと警報で思わせることまで。具体的に何が起きているのか理解させるのはもう少し時間を引き伸ばさなくていけない。

 

 初動から何を目的にして、行動していく過程を脳裏に描いていた峻と意表を突かれた警備たちでは差が出るのは仕方ないことだった。

 

 峻がひたすらに暴れ回る。時間はあまりかけていられない。もしも廊下を誰かが通ろうものならばたちまちに事態が広まってしまう。

 

 殺さずのオーダーは面倒だ。だが後々に大義を掲げなくてはいけないのならば、下手な殺しは立場を悪くする。うまく立ち回らなければいけないことを理解しているからこそ殺しは厳禁だった。

 

「ファーストフェイズ完了」

 

 ショルダーホルスターからCz75を左手で引き抜き、右手はコンバットナイフを握りしめる。へこみの残る扉を後ろ手で押し込んだ。

 

 扉が閉じていくにつれて中に折り重なって倒れる警備たちがだんだんと見えなくなっていく。完全に扉が閉まった頃には峻はさらなる深部へと向かうため、とうに姿を消していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カツカツと東雲の靴が廊下を叩く。海軍本部に来るのはずいぶんと久しぶりだ。

 

「お、お疲れ様です!」

 

「おう、お疲れさん」

 

 東雲が総務部に顔を出すと、肩章を見た士官が緊張した面持ちで敬礼をする。大して年齢も変わらないであろう相手を東雲は軽く労いつつ返礼をした。

 

「本日はどうされましたか?」

 

「あー、報告だ。明日の本部会議に出席するために横須賀から出張ってきたんだ」

 

「なるほど。では総務部にどのようなご用件でしょうか?」

 

「印刷機を貸して欲しいんだ。さっきカウントしたら刷った部数が合わない。どうやら横須賀に置いてきちまったらしい」

 

 ひらひらと東雲が茶封筒を揺らす。でかでかと『機密』の文字が踊るそれを東雲は増刷したいのだ。

 

「そういうことでしたらどうぞ」

 

「助かる。さすがに機密書類をコンビニで印刷するわけにもいかなくてな」

 

「それは大問題ですね」

 

 東雲が芝居っけたっぷりに言うと士官が控えめに笑った。肩章が中将の軍服を着た人間が街中のコンビニエンスストアでコピー機を使って機密書類をコピーする。もう問題以外に何も見当たらない。そもそも機密の概念が覆りそうだ。

 

「印刷室はこちらを使ってください。ちょうど空いています。私は人払いをしておきますから」

「本当に悪いな。ありがたく使わせてもらうよ」

 

 指し示された部屋に礼を言いながら東雲が入った。後ろ手でドアの鍵を閉めると印刷機により、茶封筒から紙束を取り出す。

 

 ホロウィンドウの存在する現代において、紙の資料がどれだけ有用かという論はある。普通にホロウィンドウ上へと落とし込んでしまえばいいという考え方も当然ある。

 

 しかしその一方で手に触れることができる媒体を使用するべきという意見も存在している。

 

 今のところは両者共に用意するのが普通だ。ホロウィンドウ用の資料を作り、そしてそれらを紙媒体へと印刷する。同じものを用意するのは二度手間のように感じられるが、世間がそうしろというのだから大人しく従うしかない。わざわざ時流に逆らうのも面倒というものだ。

 

 静かにコピー機から書類が吐き出される。表題は『ウェーク島基地における艦隊配備具申』。だがその内容は体裁を整えただけの簡略なものだ。

 

 初めから東雲は会議に参加するつもりもなければ、会議を開かせるつもりもなかった。だから内容にこだわっていなかった。

 

 小型のインカムを耳に装着すると、ポケットの中の通信機の電源を入れる。

 

「状況は?」

 

《全部隊、配置に。いつでも可能です》

 

「合図があるまで待機」

 

《了解》

 

 掠れた音と共に通信が途切れる。東雲は長々と息を吐き出して気を落ち着けさせた。

 

 こうして印刷室に機密をチラつかせながら入れば人払いもできるため、都合よく東雲だけになれる。それだけでも機密の名称を持ち出した甲斐はあったというものだ。

 

 時計を見ると、そろそろ動き出してもいい頃合いだ。そう思っただけにも関わらず、急に秒針の進みが遅くなったように感じた。

 

 かなり危険な賭けに出ようとしている自覚はある。今から東雲がやろうとしていることは海軍内部における権力構造を作りかえること。

 

 つまりクーデターだ。

 

 上層部を掌握しなければバイオロイドを艦娘とする現状の体制は覆らない。そして改革をするために東雲が本部の上に食い込むまでかけられる時間はないのだ。

 

 成功すれば、東雲は海軍内において強大な発言力を得ることになり、体制の改革も夢絵空事ではなくなる。

 

 だが反対に失敗した場合は悪夢だ。どうなるかは起きてみなければわからないが、クーデターを失敗した者の辿る未来は現権力者からの粛清だ。

 

 それが死という形になるのか、はたまた生かすだけ生かして、さんざん利用してから捨てられるのか。ひとまずろくなことにはならないだろう。

 

 しかしもう引き返せないところまで事態は進んでいる。泣いても笑ってもこの一発勝負に賭けるしか選択肢はないのだ。

 

 心音がやけにうるさい。コピー機の音も十分すぎるくらいに喧しいはずなのに、それを上回っている。

 

 一旦、動き始めてしまえばいい。常に事態に即応するために、緊張を感じる余裕など無くなるからだ。だからいつ来るかと焦らされ続けることの方がよっぽど人は堪える。

 

 あまり長々と印刷室に居座るわけにもいかない。部数を刷ればそれなりに時間はかかるものだが、それにしても限界はある。そしてダミーとして持ってきた書類の増刷はごまかしの効く部数を超えつつあった。

 

「まさかシュンのやつ、やらかしたか?」

 

 峻にとって動かないわけにはいかない理由がある以上は必ず本部に来ることは間違いない。だがもし、しくじって先に確保されてしまっていたら。まず有り得ないとは思うが建物内に入ってしまえば逃げ場はない。

 

 だがそれは杞憂で済んだ。

 

 海軍本部につんざくような警報が響き渡ったからだ。

 

「来たか……ったくはらはらさせやがって」

 

 小声で言いつつ、東雲が増刷した書類を整えると茶封筒に入れていると、背後のドアが慌てたようにノックされる。

 

「何があった?」

 

「わ、わかりません! 警報が鳴ったということは何か起きたと思われますが……」

 

「警備は?」

 

「それが中央警備室と連絡がつかないそうで……」

 

 士官がおろおろと狼狽える。セキュリティを司る一室が落とされた可能性があるのだ。当然すぎる反応といえる。

 

「報告ありがとう。もう行っていい。そっちもやることがあるはずだしな」

 

「ですが……」

 

「横須賀の部下を連れてきてる。俺が移動する間の護衛くらいにはなるから問題ないさ」

 

「……わかりました。緊急避難口を使ってください」

 

 さすがに事務士官とはいえ軍人というべきか引き締まった表情で敬礼をすると駆け出していく。角でその姿が完全消え、足音も聞こえなくなるまで待ってから東雲はインカムを小突く。

 

「総務部の印刷室にいる」

 

《了解です。すぐにそちらへ向かいます》

 

「事前に指定したポイントで落ち合おう」

 

《はっ》

 

 警報が鳴った時点で東雲などの中将クラスは避難するべきだ。だがそもそも東雲は事態を把握しているどころかこうなるように仕向けた本人だ。

 

 だから自分に危害が及ばないことも確信していた。そうでなくては勝手に警報が一度でも鳴った本部を護衛もなしに歩こうとは思わない。

 

 慌しくなり始めた本部の中を迷いなく東雲が歩く。何度も、とは言わないが本部の会議で召集されたことはある。道は頭に入っていた。

 

 合流ポイントとして定めた地点に到着すると、東雲は周囲に人がいないか確認する。あまり合流するところを関係のない人間に見られたくない。ここから話すことも起こることも一切を秘匿するに越したことはない。知られさえしなければ、隠匿することも事実を都合よく改変して公表することもできない。

 

「お待たせしました」

 

「こっちも今さっきに到着したところだ。状況はどうなっている?」

 

「侵入者があったらしいということは認識したようです」

 

「今のところは予定通りか。このまま頭を抑えるぞ」

 

「はっ」

 

 東雲が部下、と呼んだ者たちが後に続く。しかし、ただの部下と呼ぶにはずいぶんと重武装だ。拳銃を腰に吊り、短機関銃まで装備しているのだから。ここは事務仕事を主に取り回す海軍本部であって紛争地帯ではない。こんな装備を持った人員を常に伴って行動しているとしたらよほどの危険人物か護衛対象、もしくは異常なまでに警戒心が強すぎる頭のおかしい人間だけだろう。

 

 それでも連れて歩く必要があるのだ。武装した人員を使うところがないに越したことはないが、荒事は避けられない。そもそもやろうとしていることが恫喝行だ。バックに武力を付けておくのも致し方なしだろう。

 

「東雲中将、ですか?」

 

 ぐねるような廊下を東雲の一団が進む。その途中で背後から声をかけられたのだ。

 

「どうした?」

 

「そ、そちらの方々は……」

 

「部下だ。何かあったようだから武装させた。手は出さない。何があった? 何が起きている?」

 

 東雲が部下たちを手だけで制する。天井へ銃口が向けられて、東雲に声をかけた士官がほっとした表情を漏らした。

 

「どうやら侵入者らしく……避難を、と」

 

「わかっている。だからこうして移動しているんだ。だがそうなるとこのまま武装させたままの方がいいな」

 

「そう、なりますね。護衛になるでしょうから。それでは私はここで失礼します。素早い行動をお願いいたします」

 

「そうさせてもらうよ」

 

 敬礼をすると背を向けて去っていく士官を見送りながら東雲はさらに下へ。おそらくだがすべてが眠っているのは上ではない。

 

「明らかに構造上は存在しないはずの場所にある電力消費。おそらくはこいつだ」

 

 咎められたときの言い訳は単純。「兵力があったので侵入者を追跡した」だ。素晴らしいとはとても言えない大義名分だが何も無いよりマシだ。

 

 なにより峻が引っかき回しているこの状況下なら十分に通じる言い訳だった。




こんにちは、プレリュードです!

前回のおふざけ回は終わり、新章突入となりました。ぶっちゃけ座談会は結構、楽しかったです。質問を出していただいた方々には多大なる感謝をこの場を借りて言わせていただきます。

さて座談会のことは割り切っていきましょう。とりあえずは帆波と東雲が出てきました。互いに利用し合う、というより帆波が動かざるを得ないといった様子ですが。
堂々のクーデター宣言ですよ奥様。なんて強引なんざましょ。


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【BRAVO】-BLAMTE

 海軍本部を囲う壁を睨みながら、背を預けた長月は静かに目を閉じていた。靴でこつこつとコンクリートを叩いて一律のリズムを取り続ける。

 

 伴奏は吹きさらしの風と温度差で軋む海軍本部の建物だ。物寂しい伴奏ではあるが、あまりにも騒音まみれでうるさいよりはましだろう。

 

 本来ならば長月はここに居ないはずだ。しかし、長月の個人的理由で潜り込む以外の選択肢はなかった。

 

 するりとポケットから小型の通信機から長月が取り出す。インカムを耳にはめると通信機の電源を入れる。

 

「こちら長月。報告を」

 

 

《パッケージの意識レベルは変動する様子がありません。相変わらず寝たままです》

 

 ここでいうパッケージとは先日に長月が身元を確保した常盤のことだ。長月が輸送している最中に常盤は怪我により気を失い、それ以来は意識が戻っていないのだ。

 

 しかしよくよく考えてみれば常盤が負っていた怪我は相当のものだった。あばらは何本もへし折れ、余波とはいえ手榴弾を食らっている。この大怪我で戦闘を継続していたことすら通常ではありえないのに、常盤はほとんど執念だけで戦闘を継続していたのだから。

 

 ある意味では当然とも言える。瀕死の重傷で無理をしてでも体を動かし続けていれば無理が祟るのは仕方のないことだ。

 

「その他は?」

 

《問題ありません。しばらく目覚めることはないでしょう》

 

「監視を継続。くれぐれも悟られないように」

 

《了解です》

 

 大まかな監視体制の状況さえ把握できれば長月としては問題ない。むしろそれを目的として連絡をした。現状において監視責任が長月にある以上は把握しておかなくてはいけない。

 

 本来ならば長月は常盤の監視についていなければいけないはずなのだ。しかし、長月はフリーで行動したかった。けれどただ自由に動きたいと思っていてもそう簡単に思い通り行動できるほどことは単純でない。だからこそ自由行動のために地盤を作る必要があった。

 

「監視体制は構築済み。問題なく作動していることはたった今、確認した」

 

 長月が指を折って為すべきことをカウントする。これで長月に課されていたものはすべてこなした。

 

 これで長月の動き回れるフィールドは長月自身の手によって整えられた。

 

「ここまで来たんだ。押し通させてもらうぞ」

 

 決意をこめた声で長月がこっそりとつぶやく。人気のない閑静な場所を選んだこともあって、その声は明瞭に長月の耳へ届いた。

 

 時計の針はずいぶんとゆっくり進んでいるらしい。なかなか始まった様子は海軍本部から窺えない。

 

 だが長月とて待つのは得意だ。今までさんざん待たされた。たかだか1時間や2時間ほど待つ時間が延びたところでそれがどうしたと鼻で笑ってみせようとすら思えている。

 

「さて、どれだけが動くか……」

 

 そしてどれだけこの事態に自分が太刀打ちできるようになっているか。

 

 やれるかぎりの下準備はやった。ここから先は長月がうまく立ち回れるかにかかっている。やれるか、と聞かれれば答えは一つだ。

 

 やってみせよう。

 

 長月が小声で口にしたそれを上から被せるようにして警報が鳴り響く。ふっとほんの一瞬だけ長月が引き締めていた顔を緩めた。

 

「始まった、な」

 

 人気の少ない長月の周囲ですら遠くからの喧騒が聞こえてくる。かなり焦っている様子がここからでも手に取るようにわかった。

 

 頃合いだ。そろそろ行動を開始した方がいいだろう。

 

 すぺてが手遅れになる前に。

 

 長月が壁に預けていた背中を離した。乗り込むのは正面からだ。別に長月は本部に入ることを禁じられているわけではないのだからなんの気負いもなく歩ける。

 

「なるほど、見張りを……」

 

 ちらりと見張り所を目の動きだけでのぞき込むと2人の見張りが伸びているのが飛び込んできた。誰の仕業かはひと目でわかる。

 

 東雲は堂々と本部に入ることができるため、わざわざ見張りを打ち倒すという無用な手間をかける必要はない。その部下たちも東雲の護衛という形にでもするなりといくらでも言い訳が成り立つため同様だ。

 

 現時点で海軍本部に乗り込まなくてはいけない人間で、なおかつ正規の手段が使えない人間など一人しかいない。

 

「帆波峻の手際は想像以上だな」

 

 反逆者として追われる身である峻ならば堂々と海軍本部に入ることはできない。ならばこうして障害となる対象を打ち倒していくしかないことは必定だ。

 

 まったく気づかれることなく見張りの2人は意識を飛ばされたのだろう。そうでなくてはもっと早い段階で騒ぎになっていたはずだ。

 

 確かに想像以上の手際だ。しかし予想以上ではない。むしろこれくらいは想定内だ。

 

 警報がうるさい。やはり外と内では音量が違う。

 

「おい、君。ここは子供の来るところじゃ……」

 

 長月が本部の中に足を入れた瞬間に声をかけられた。話しかけ方から明らかに子供が入り込んだと勘違いされている事はすぐにわかる。億劫だと思いながら長月はポケットからIDカードを取り出して提示する。

 

「っ! し、失礼しました!」

 

 びくっと身を縮こませて長月を呼び止めた軍人が敬礼する。肩章を流し目でチェック。どうやら伍長らしい。見た目は完全に子供でも長月は艦娘。軍内で立場はきちんとしたものがある。本部に入ることすら断られることなどありえない。

 

 そのまま伍長をスルーして進もうとしていた長月が足をピタリと止める。

 

 警報が鳴ってから長月が中に入るまでに時間が空いている。正確な状況を把握しておきたかった。

 

「伍長、警報が鳴っているようだが何が起きている?」

 

「は……? 何が、ですか?」

 

「そうだ。現状でわかっていることの報告を」

 

「詳しくわかっておらず……」

 

「ならば噂レベルで構わない」

 

 噂だって情報だ。真偽のほどは確かでないが、それですら経験と状況からの推測をかけるだけで途端に使えるものと使えないものに選別できる。どれだけ嘘くさいとしても火のないところに煙は立たない。煙があるのならその中核である火は隠れているに決まっているのだ。

 

「侵入者がいるという話は小耳にしました。ですがそれが本当かどうかは……誤作動という可能性もありますし」

 

「そうか。引き止めてすまなかった」

 

 伍長と別れてから長月は今度こそ本部の建物内へと踏み込んだ。

 

「ずいぶんと慎重な人だったな」

 

 それが長月が下した伍長への評価だった。小耳に挟んだ、というがそれにしては情報に尾鰭が付いていなさすぎる。明らかに彼の中で取捨選択が為された結果だ。

 

「今度こそ、だ」

 

 長月が服で隠れたホルスターを探る。少し寄り道をしてしまったが、そろそろ本筋に戻ろう。

 

 そして長月は進んでいく。この動乱の中心地へと向かって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そろそろだろうか、と峻が時間を確認する。東雲にそっちはどこまで進んだのか聞きたいところだが、できるかぎり通信を使うのは避けたいところだった。

 

 だが動くならここだ。警備室を峻が落としたせいで、情報の混乱が一時的に起きた。だが一時的なのだ。すぐに代わりが出てくる。

 

 だからここでもう一つ、混乱を投下する。

 

 さっきは他へ連絡させる隙も与えずに制圧した。だから侵入者という情報すら回らず、よくわからないが警備室と連絡がつかない状況が作られた。

 

 だがそろそろ時間的に考えて警備室に何があったのかは広まった頃だろう。無線での連絡がつかなくとも、誰か1人がその足で出向いてしまえば襲撃を受けたらしき痕跡はすぐに見つかる。少し頭の回る人間なら見張り所の見張りがやられている可能性も考えて確認しに行っているだろう。

 

 つまり初期の混乱はもう収まっていると仮定することが妥当だ。この時点で侵入者ないしは襲撃者がいるというところまで辿り着いている。

 

 そして襲撃者がいるとわかればだんだんとそれに対応するため武装をしようとする。

 

 まさに峻の目の前にいる6人ほどの集団みたいに。

 

「もう少し大人しくしとけ」

 

 さっきとは違い、警備室のような部屋ではなく廊下での戦闘。だが大した差ではない。

 

 中心に峻がその身を投げ入れると意識を刈り取らんとする。中心地に峻が立っているせいで銃撃しようにも味方への誤射が怖くて撃つに撃てないのだ。

 

 1人目がばたりと崩れ落ちた。その時、峻の顔をようやく直視した5人が息を呑む。

 

「やはり侵入者が!」

 

「くそ、一人でいい! 一人でもいいから伝えるんだ!」

 

 そうだ。それでいい。そのためにこの身をさらけ出したのだから。

 

 広まれ。侵入者はここにいる。今まさに海軍本部で暴れているぞ。

 

 峻自身はまったくもって望んでいないことだが、ウェーク島攻略戦のせいで峻の顔は広い。民衆にも知られているのだから海軍内となればなおさらだ。

 

 いくら左眼に縦の傷が走っていたとしても気づかないことなどありえない。それくらいには峻の名前と顔は売れている。本人は有名になるたいとはこれっぽっちも思っていないのだが、今回は売れてしまった名前が邪魔だ。だからフードで顔を誤魔化していた。

 

 2人ほど追加で打ち倒す。あえて一人当たりにかける時間を峻は引き延ばしていた。

 

「すみません、後で絶対に来ますから!」

 

 だっと1人が飛び出して叫びながら廊下の向こう側へと駆けていく。思い通りだ。これで侵入者がいると明確に伝わる。

 

「そろそろ勝たせてもらう」

 

 だらだらと長引かせるつもりはない。思い描いたとおりになったのならさっさと片をつけるべきだ。

 

 残りの2人も時間をかけずに峻は気絶させた。戦闘に手馴れいるのならまだしも急遽、武装しただけのメンツと峻がやりあって負けるわけがなかった。

 

「セカンドフェイズ完了」

 

 東雲の依頼はまだ続く。事前に叢雲が接触してきた際に渡された外部記憶媒体にすべてのプランが事細かに書かれていた。

 

「それにしてもめちゃくちゃじゃねえか」

 

 何度も思い返してみるがかなり横車を押す計画だ。だがやろうと思えばやれる計画ではあった。

 

 しかし峻がそれに協力する義理はない。むしろ追われる立場である峻からすれば目立つ行動は避けたいところだ。反逆者として捕まるようなことがあれば、その瞬間に軍法会議所に送られ極刑になることはほぼ確実だ。

 

 少なくとも峻が艦娘システムの秘密を握っていることを上層部は知っている。そして違法なクローンを戦闘用に改造するため手を加えたバイオロイドであるという事実はとても公表できるものではない。

 

 そしてもう1人の叢雲は記憶操作の術が存在することも匂わせていた。艦娘が人間を素体にしているということを考えるとある恐ろしい可能性に行き着く。

 

 艦娘に限らず人間の記憶操作ができる可能性だ。

 

 つまり峻は殺されはしないかもしれない。だがその代わりとして頭の中を好きに弄られて、記憶そのものを改ざんされるということだって十分すぎるくらいにありえるのだ。

 

 だがそれは捕まればの話。

 

 おそらく峻が積極的に外部へ漏らそうとしなければ追撃の手は激しくならない。現に憲兵隊が大人しくなってからというものの、追手といえるものはほとんど来なかった。大方、メディア関連には人が張っているのだろう。何かしらの形で世間へ公表しようとすれば、すぐに足がつくはずだ。

 

 けれど裏を返せば公表するような行動をしなければいいだけだ。それさえしなければなんとでもなる。

 

 つまり峻が東雲に協力しているのは保身のためではない。同期だから、などというわけでも断じてない。

 

「人の利用方法をよく知ってるよ、お前は」

 

 賞賛を半分、嫌味を半分こめて峻がぼやく。東雲は峻が反逆者であるという立場を利用していた。

 

 侵入者が来たら真っ先にすべきは相手方の人数を把握すること、そして排除だ。

 

 だが海軍本部は設立されて以来、電子的な攻防はあれども物理的な攻防は経験したことがない。対深海棲艦を想定しているのだから当然といえば当然だ。

 

 それに対して東雲の率いる横須賀鎮守府は1度、大規模な物理的防戦を経験している。トランペット事件というテロを。

 

 もちろんトランペット事件は横須賀鎮守府のみで起きた訳ではない。けれどこの手の対応で横須賀鎮守府の右に出るところもない。

 

 東雲はおそらく現場対応という形にでも持ち込んで中央司令室に乗り込むつもりだ。長期的には無理かもしれない。だが一時的に海軍本部を押さえることはできる。

 

 その時間を利用して上層部と取り引きを持ちかけるのが魂胆といったところか。

 

 もちろんこれはあくまでも峻の予想だ。東雲がどこまで狙っているのかはわからないし、そもそもどうやって交渉を持ちかけていくつもりなのか皆目検討もつかない。だがおそらく何かしらの手段は用意した上でことを起こしているだろう。

 

 どうするつもりなのかは知らないが。

 

 けれどなんの考えもなく始めるわけはない。だから峻は次の目的地を目指してさらに奥へと進み続ける。その手には再びCz75とナイフがそれぞれの手に握られていた。

 

 小さく首を左に向けながら進む。ついこの間まではぼやけながらでも左眼が見えていた。だがもう左眼に視力と呼べるようなものは残っていない。もう景色を左眼が景観を写してくれることはない以上、右眼で周囲を確認して警戒するしか方法はないだろう。

 

 正直に言って片目だけというのはかなり視界が狭い。不便なことこの上ないし、なにより今までは両目だったのが急に片目に視界範囲が狭まれば慣れないのは当たり前だ。

 

 やりずらいことこの上ないと愚痴りつつ、警戒を解かずに何度か角を曲がりつつ廊下を進む。下手に狭い廊下で戦闘をするのはあまりよいとは言えない。囲まれて押しつぶされてはさすがに分が悪い。さっきは不意打ちをかけることでその事態を防いだが、そう何度も使える手段ではないし、そもそも状況と次第によって変わってしまう。

 

 できるのならば余計な戦闘は避けて行きたいところだ。時間もあまりかけていられないし、なにより戦闘の時間が惜しい。いちいち遭遇するすべてを相手にしていては面倒という理由もあるが、戦闘の起きた地点から足取りを辿られるのが厄介だ。

 

 これから行く先で邪魔が入って欲しくない。だから道順をわざと最短距離ではなくて、少し遠回りしているのだ。

 

 行く先々で足音を聞くたびに角に身を隠す。他は万事、何事もなく進行しているだろうか。最悪の場合を想定して退路を確保してはあるが、建物内で囲まれたらかなりまずい。ある程度のスペースがなければ選択肢は必然的に絞られ、ワンパターンになってしまう。

 

 加えて言うのならあまり長引かせたくない。逃亡を始めてから1度たりと義足に燃料を補給していないせいで、右脚のブースターをどれだけ使えるかわかったものではない。

 

 こそこそと隠れながらようやくお目当ての部屋を見つける。予想通りというべきか護衛と見張りを兼用している軍人が2人、ドアの前についている。

 

「こいつらだけは落としとくか」

 

 峻が廊下の角から身を踊らせた。姿勢を低くして駆け抜けていくと、応援を呼ばれる前に飛びかかり、顎と鳩尾に打突を入れて意識を奪う。

 

 他愛のないことだと思いながら首の骨を鳴らす。倒れたまま廊下に転がしておくわけにもいかないため、近くの部屋に2人を引きずって行って放り込んでおくと鍵をかけた。

 

 そしてようやくさっきの扉の前まで戻ってきた。ノックの必要性は感じなかったのでそのまま豪奢な造りの扉を押し開ける。

 

「ふむ。思っていたより早いな」

 

「どうも、陸山元帥」

 

 峻の冷たい視線がまたしても立派な執務机から立ち上がる老人に刺さる。どうも、などと口で入っているが慇懃無礼なこと極まりない。

 

 峻の目的地。そこは海軍本部元帥執務室だった。

 




こんにちは、プレリュードです!

まだ大したこと起きてませんね、セーフセーフ。それにしてもこの章で出てくる人物がものすごく多くなりそうでやばいです。なつかしすぎて忘れられてそうな人からメインまで。何人も捌くのは大変そうです。やりますけども。これがやりたいことのために必要なのですよ。ならやらない選択肢はないですよね!


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【CHARLIE】-CYCLE

 峻の左手に握られたCz75が立ち上がった陸山の眉間あたりに照準される。

 

「ようこそ。思ったよりも早いじゃないか」

 

「これでも急いだんでな」

 

「なるほど。せっかちなのは若者の特権だ。懐かしく思うよ、本当に」

 

 狙いをつけられているとは思えないくらい落ち着き払った様子で陸山はソファを指し示す。

 

「どうした? 座り給えよ。ここまでは長旅だったろう?」

 

「遠慮なく」

 

「そうかね。茶の1杯でも、と思ったが君はいらなさそうだ」

 

 陸山がぐるりと腕を回す。ベキベキと妙に威圧感のある音が鳴った。元帥執務室の隅にある小さなティーセット一式に陸山は近づくと1人分の湯呑みを用意する。電子ケトルから熱湯を急須に注ぎ込むと、場違いなほど優しい緑茶の香りがふわりと漂った。

 

「私はこの緑茶の香りが昔から好きでね。コーヒーよりもつい緑茶を、と頼んでしまう」

 

 自分の手で淹れるのは久方ぶりだ、と目を細めながら陸山が湯呑みと急須を持ってくる。それらを接客用のテーブルに置くと、自らはテーブルの正面にあるソファに腰を下ろした。

 

 無表情なままで峻がCz75を構え続け、陸山が茶を啜る。ことん、と湯呑みがテーブルに戻された音が明瞭に響いた。

 

「旧チェコスロバキアのチェスカー・ズブロヨフカ社のCz75。それもファーストモデルかね」

 

「俺の大昔の申請を見たのか」

 

 海軍の公式採用は9mm拳銃だ。だが申請が通れば別のものを持ってもいいことになっている。そして9mm拳銃も峻の使うCz75も使用弾はパラベラム弾だ。

 

 申請書類には持ちたい拳銃をできるかぎり詳細に記入することが求められる。過去に峻はCz75を持つにあたって申請をしているため、調べるのは容易だろう。加えて陸山の地位は元帥だ。

 

「そのような市場にほとんど出ないものをよく持っていたものだ」

 

「問題があるか?」

 

「私にとってはどちらでもいいことだ。だが君にとっては違う」

 

 落ち着き払って陸山が峻の構えるCz75の銃口をまっすぐに見据える。

 

「そこまでして自らを縛るのか、君は」

 

「だとしてもあんたには関係ない」

 

「その通りだ。そしてすぐに私を殺さない、ということは少なくとも利用価値はあると捉えられているわけだ。こんな老人でも価値があると見てくれていて嬉しいかぎりだよ」

 

 もう一口、陸山が緑茶を飲んだ。ゆったりと口の中で転がすようにして香りを楽しむと喉が小さく動いた。

 

「君は『かごの目計画』を知っているか?」

 

「知らない。だがどうだっていい」

 

「果たしてそうかな? 君は館山基地の司令官だったな。ならば知っているだろう。深海棲艦との戦いは防衛ラインを敷いて以来、たった1度の例外を除いて進退をまったくしていないことを」

 

 もちろん知っていた。常に均衡状態。攻めては撤退し、攻められては撃退する。そんなことが何度も何度も繰り返されてきた。

 

 たった1度だけ、峻が落としたウェーク島を除いて。

 

「ウェーク島だけは計算外だった。常に艦娘の戦力は深海棲艦と均衡を保つように調整してきたつもりだったのだがな」

 

 調整。その言葉だけで峻の中の絡まった糸が解けていく。

 

 艦娘はクローンを素体として改造をくわえたバイオロイドである。これはもう1人の叢雲で確認済み。

 

 記憶を自由に定着させる方法がある。これももう1人の叢雲が確かに証言した。

 

 常に保たれていた均衡状態。そう、不自然なまでに続く深海棲艦との睨み合い。攻め落とせず、かといって落とされず。

 

「狙いは均衡そのものか」

 

「そうだ。わざと深海棲艦との戦争を終わらせないことだよ。それが『かごの目計画』だ」

 

「目的はなんだ。軍需による金か? 艦娘技術の独占は国家にとっても旨みのある話だからな」

 

「もちろん違う」

 

 陸山が間髪を入れずに否定する。

 

「君は内地で国民がどのような生活をしているか知っているかね? 普通に会社に出勤し、普通に帰宅し、そして普通に食事を取り、普通に寝る。まるで海で熾烈な深海棲艦との戦いが展開されているなんて想像だにしないだろう」

 

「それがどうした」

 

「実に平和じゃないか。深海棲艦が出現する前は我が国にまでテロの魔手が伸びてきていた。爆破テロが起きる度に多くの『普通』が壊れていったよ。だが深海棲艦が現れてからはどうだ? 人と人の戦争といえるものはまったく起きなくなった。戦争は無関係な人間にとって平和だ」

 

「屍の上に成り立つ平和だな」

 

「だが事実としてこんなにも平和だろう。不幸は1人に背負わせるから重い。複数人で分担して背負わせればそれは不幸ではない」

 

 当たり前のように作られた平和が享受できる。気が向けばちょっといいレストランで外食することもできる。もちろん我慢しなくてはならないこともある。だが、周りも我慢していることならば諦めもつく。

 

「そのための艦娘システムか」

 

「その通り。平和の維持には代償が伴う。そのための(いしずえ)こそが艦娘だ」

 

「深海棲艦とのシーソーゲームに興じるための艦娘。使い潰しても再利用が効くのならさぞかし便利だろうな」

 

「事実として便利なのは変わらない。艦娘はクローンだ。後から艦の記憶を定着させているただのバイオロイドだよ」

 

「なら妖精とは何だ? そもそもあいつらはいるのか? 今まで見たことすらない」

 

「妖精はあるとも。ただし羽の生えた小人のようなメルヘンチックさはない。もっと物質的だ。だが確かにある。そうでなくては艦娘の超人的なタフネスさに説明がつかないだろう」

 

 高速修復材の存在もある。実際に艦娘が高速修復材で怪我を治している姿も峻は見ているし、深海棲艦の砲撃を食らっても平然と立ち上がる姿も見た。ただのバイオロイドにしては頑丈すぎる。クローンはあくまでも生身なのだから。

 

「妖精は艦娘の体に宿り、艤装にある妖精共振装置がダメージを逃がす、か」

 

 峻は館山基地において司令官と技術士官を兼任していた。艤装のメンテで妖精共振装置を触ったこともある。あれは嘘偽りなく艦娘の体とリンクするためのものだった。

 

「あまりに近くで攻撃を受けるか、過剰すぎるダメージは逃せないが、砲撃を受けて四肢が千切れ飛ばないのは妖精共振装置のおかげだ。これがなくてはクローンを前線に出したりは出来んよ。攻撃を受けるたびに吹き飛んでいるようではまともな盾にもならない」

 

「妖精は物質。艦娘における同時期一個体原則も嘘。妖精が艦娘を建造すると言っておきながら実態はクローニング技術を応用したバイオロイド。すべて嘘で塗り固めたシステムで作られた平和だ」

 

「仮初めの平和であることは重々承知のことだよ。だが現実としてつり合いは保たれている。人と人との戦争は消えた。犠牲は軍人と兵器である艦娘のみだ。国民のための盾となって死ぬのは軍人の務めだろう? 国民の盾であり矛であれ。そのための軍人だ」

 

 犠牲は軍人と兵器の艦娘だけ。危険な沿岸部は封鎖し、内地に人を住まわせる。これだけで周囲を海に囲まれた島国である日本すら立派に陸山の言うところの『平和』を享受できているのだから。

 

 これが『かごの目計画』の全貌なのだろう。平和の創造を目的としてすべての被害を艦娘に肩代わりさせる。そしてどうしても生まれてしまう不幸は全体で分担させて負わせることでなんでもないありふれた『普通』を取り繕う。

 

 これが『かごの目計画』。

 

「『かごの目計画』……かごめかごめ かごのなかのとりは いついつであう よあけのばんに つるとかめがすべった

 

うしろのしょうめんだあれ。そうだ、そのかごめだよ。やはり君は頭が回る」

 

 ここまでヒントを出しておいて何を、と腹の中でつぶやく。明らかに峻が答えに行き着くように誘導していた。始めに峻か殺さないとわかった時点で陸山はただ無駄口を叩いているわけではないはずだ。

 

「いつか東雲に聞いた艦娘を実戦段階に持っていくためのプロジェクトの名前が『海鳥計画』だった。仕組まれた戦争という『かご』の中で艦娘、つまり『とり』は深海棲艦と『であった』。それがテロとの戦争に終止符を打ち、深海棲艦との戦争という新しい時代の幕開けである『よあけのばん』。そしてテロとの戦争において軍隊を派遣していた国家もテロ組織も一斉に弱体化した。つまり『つるとかめがすべった』わけだ」

 

「実に聡い。続けたまえ」

 

「だが深海棲艦は進化する。同じ戦力を整えておくだけではすぐに限界を迎える。それに対応していくために『うしろのしょうめん』が艦娘の戦闘力を調整し続け、あたかも拮抗しているかのように演出する。なんとも泣かせる話だ」

 

 かごめかごめの歌詞である『うしろのしょうめん』は影の権力者を意味する言葉という説がある。海鳥計画と『かごのなかのとり』。すべてが歌詞をなぞっているのだ。

 

「それでもって調整。どこまで隠匿するつもりだ」

 

 記憶の定着方法があるということは戦闘技術の植え付けも可能だと考えてもいいだろう。少なくとも脳に対して干渉する手段があることは確実だ。

 

「艦娘システムを支える技術は素晴らしいものだよ。だからこそ機密性が重要だ。悪用しようと思えばいくらでもできてしまうものだからだ」

 

「あんたの使い方が悪用じゃないと?」

 

「それを決めるのは私ではない。後の世に生きる者たちが決めるだろう」

 

「そして俺でもない、か?」

 

「君、現実を見たまえ」

 

 ソファから陸山が立ち上がると、なにか行動するのではないかと警戒した峻がCz75を構える。だが陸山は大仰に両手を広げただけだった。

 

「世界は平和だ。見事なまでにね。独善だということくらいは承知の上だよ。だが人はどうしようもないくらいに争う。だから別の争いを起こしてやればいい。別の争い。それも人類の生存を賭けた戦いだ。人が争う余裕をなくしてしまえばそもそもとして戦争など起こりえない」

 

「何人の犠牲者が出た?」

 

「言い訳はしない。だが救える人間には限度がある。私は神や仏ではない。手の平に水かきがついていない以上はこぼれる水はある。いや、水かきがついていたところで変わらないだろうな。すべての水を保持することはできない。水かきの隙間からこぼれていくし、小さな震動が起こるたびにまたこぼれ落ちる。犠牲なくしては己の身すら守れはしない。それがわからない君ではあるまい?」

 

「……」

 

 峻がただ沈黙を守る。だが知らないわけではなかった。死にたくなければ手を染めなくてはいけないことぐらいは知っている。ヨーロッパで銃口を向けてきたテロリストを容赦なく屠ったのは他ならぬ自分自身だ。

 

 だが陸山が言っているのがそれでないことを察せないほど鈍なわけではない。いや、それだけでないと言った方が正確か。

 

 フラッシュバック。ザザ、と脳裏に様々な光景が蘇る。引き金は引いていない。そのはずなのにCz75から硝煙が立ち上っているように幻視した。

 

 そんなことはありえない。今日は誰一人として殺してなんかいない。だから右手にこべりつくこの血は過去の記憶が見せている幻影だ。

 

 邪魔だ。失せろ。

 

 苛立つ峻が記憶の残滓を振り払う。鬱陶しいことこの上ない。こんな幻を見せられたところでなにを思い感じろというのか。

 

 そんな峻の内心などいざ知らず、陸山は言葉を続けていく。

 

「もちろん水をこぼさずに済むのならそれに越したことはない。だができないものは仕方があるまい。最大数を守るために少数を切り捨てるのは世の常だ。仕方のない犠牲だよ」

 

「犠牲者にとってこれほど腹立たしい言葉もないだろうな。『あなたのおかげで多数が救われました』ってか?」

 

「死者の怨念などいくらでもこの身に受けよう。生ある人間を死なせないことの方が優先だ。私とてすべてを救いたいものだよ。だがどう足掻いても世界は優しくならない。人は死ぬ。すべてを救う手段などあるならば欲しいものだよ。だがそれを見つける間にもやはり人は死んでいく。現実は非情だ。無情だ。どうしようもないくらいに世界は残酷にできている」

 

「理解は示してやるよ。あんたの言うとおり、世界は残酷だ。誰もが喜ぶハッピーエンドなんて存在しやしねえ。他方が生きるならもう一方は死ぬ。もしくは2人とも死ぬ。ああ、その通りだろうな」

 

 反論の余地もない。世界が動いている原動力は人の死ではないかと思うくらいに毎日、人は死んでいる。

 

 そういった意味では死を艦娘に肩代わりさせるのは選択肢の一つとしてかなり有用性の高い部類に入るだろう。

 

 たった1度だけボタンを押し込むだけで生産される、単価にして20万円ほどの生体兵器。カモフラージュ用の擬似記憶と、深海棲艦の進化に合わせた戦闘技術を脳に定着させ、『妖精』を体内に取り込ませる。それだけで深海棲艦と互角に渡り合える艦娘の一丁上がりだ。

 

 あとは防衛ラインを維持したい箇所に送り込み、沈んでしまったら新しく作り直す。このサイクルを延々と回すだけだ。

 

 世界を覆うようにすっぽりと被せられたかごの中で出会うように意図された存在。深海棲艦と出会った艦娘という海鳥は設計された通りに戦い、そして散っていってはまた新しく製造される。

 

「ずっと引っかかっていたことがある。深海棲艦が出現してから艦娘が現れるまでたった1年しか経過していないことだ。いくらなんでも早すぎる。深海棲艦が出現することをあらかじめ知ってたんじゃないか?」

 

「ご明察だ。初めの数ヶ月で人は人類間で戦争をしている余裕がないことを察した。残りの時間で各地の紛争が空恐ろしいほどの速度で収束していったよ」

 

「それが今やアンコントローラブルとは笑えてくる」

 

「放ったのは私ではない。私が『かごの目計画』に参加したのは深海棲艦の出現以降なのだから。それにしてもまだ何も言っていなかったが深海棲艦も艦娘のように作られた存在だとよくわかったものだ」

 

「半分は勘みたいなもんだ。だが話を聞いていくと確信に変わった。深海棲艦はいろは歌で名付けられている。駆逐イ級、ロ級、ハ級、みたいに。名付けたやつに言ってやりたいね。ブラックジョークがお上手だってな」

 

 いろはにほへとちりぬるを。日本国民なら誰しも聞いたことがある平仮名をすべて1回だけ使うことで作られた歌だ。

 

 これを7文字ずつで区切ると、

 

 いろはにほへと

 ちりぬるをわか

 よたれそつねな

 らむうゐのおく

 やまけふこえて

 あさきゆめみし

 ゑひもせす

 

 となる。そしてそれぞれの最後の文字を拾い、適切な場所に濁点をつけると

 

 とがなくてしす

 

 になる。漢字に変換すれば『咎なくて死す』だ。

 

 まるで深海棲艦は初めから艦娘と殺し合い、あたかも戦争を取り繕うためだけに作られた存在だと言っているようではないか。

 

「名付けたのは私ではないから言われても困る」

 

「そうか。で、さんざん付き合わされたわけだがなぜ教えた?」

 

「君、こっちにつかないかね? 『かごの目計画』の維持に使える人材だ。頭が切れ、能力もある。ただ放置しておくには惜しい」

 

「さんざん人を追いかけ回していざ目の前に危機として俺が来れば仲間になれ、か。ずいぶんと都合が良すぎるな」

 

「承知の上だ。しかしだね、事実として君の持つ開発技術は相当なものだ。今後も『かごの目計画』を継続していくにあたって若い世代を取り込んでおくにこしたことはない」

 

 長々と話したのはこれが目的か、と峻が内心でつぶやく。どれだけ歯の浮くようなお世辞まがいのことを言ったとしても陸山は若いといえる部類にはいない。一方で峻はまだ20代。十分すぎるほど後がある。

 

「どうだ? 次に海軍を、いや世界を背負ってみないか?」

 

「断る」

 

「ほう?」

 

「何度も言わせるな。断るって言ったんだ。支配に興味はない。その器も資格もない」

 

「……残念だよ。次の世代のスカウトはやはり君の目を信じるとしよう、若狭陽太中佐」

 

 背後でパタン、とドアの閉じる音がした。そして同時に小さな金属の擦れ合う音が。

 

 峻が陸山から目を離さずに体の向きを変えてドアを確認する。

 

 そこにはたった今、9mm拳銃を取り出したばかりの若狭がいた。




こんにちは、プレリュードです!
世間では夏休みの学生が部活動やニートライフを謳歌しているころですね。自分はのんびりと執筆してますが。最近のストレス発散が執筆になっているので書いてることが1番リラックスできてるという。まあ、頭は使わないといけないんで疲れるのは確かなんですけどね。

それより文月改二が実装されましたね。ちょっとだけ練度が足りなかったので全力でレベリングしてます。睦月型はよいぞ。にゃしいにゃしい。改二グラに心がぴょんぴょんするこのごろです。ところで叢雲のコンバート改装の実装はまだですか(たぶん来ない)


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【DELTA】-DESCRIBE

 

「やあ、帆波。久しぶりだね」

 

「そういや本部勤務だったな、お前は」

 

「正確には隣接している情報部だけどね」

 

 薄い笑みを浮かべながら若狭が9mm拳銃の遊底を引いて銃弾を装填する。

 

「お前が銃を握る姿は長らく見てなかったな」

 

「僕の仕事は基本的に荒事専門じゃないからね。滅多に持ち出したりはしないさ。なにより疲れるからあまり好きじゃないんだ。やむを得ないから引っ張り出したけど」

 

「珍しく長月を連れていないんだな」

 

「長月かい? どこにいるんだろうね? 僕に反旗を翻してからさっぱり疎遠になってしまったからわからないね」

 

 ひょい、と若狭が肩をすくめる。演技臭いはずなのに、それを演技ではないと思わせるのは見事だ。

 

 そろりと峻の右手が腰のナイフに伸びる。柄に手が触れたところでひとまずは動きを止めた。これで仮に若狭が撃ったとしても、陸山がこっそりと忍ばせていた拳銃を撃ってきたとしても弾ける。だが念には念を入れて、1度は停止させた右脚の義足も戦闘用プログラムを起動させた。

 

「安心しなよ。別に拳銃を持ってるからといって撃つわけじゃない」

 

「そう言いながら引っ込めないのなら信用できるわけねえだろ」

 

「そうだね。そこで信じるとあっさり言われたら僕が困惑してたよ」

 

 そこまで仲間意識が高いわけではない若狭としても、安易な信用など鬱陶しいもの以外のなにものでもないはずだ。峻としても簡単に心を許すつもりはないのでお互いに好都合といったところか。

 

「わざわざ騒動を聞きつけて来たのか」

 

「野次馬根性ってやつだよ。騒がしいと気になるじゃないか」

 

「そんな理由で来るほど暇なやつじゃないことくらい知ってる。そもそも野次馬根性を発揮しただけなら拳銃まで持ってくる必要性がないだろうが」

 

「冷たいね。旧交を温める余裕もないかい?」

 

「あいにくと今はそんなテンションじゃねえ」

 

「だろうね。知恵の果実に触れた気分はどうだい?」

 

「ノーコメントだ」

 

 つれないね、と若狭がまたしても肩をすくめた。だが本当にどうでもいい、というのが峻の抱いた感想だった。気にかかることはある。しかし峻は世界なんてどうでもいいし、わざわざ守ってやろうと思うほど殊勝な性格でもない。そこまで世界に思い入れなんてなかった。

 

「まあ、いいさ。認めるよ。僕が来たのは別に理由がある」

 

「だろうな」

 

 峻には若狭が騒動の渦中に理由もなくやってくるようなタイプには見えなかった。自分自身ですら理由があるから海軍本部で騒動を起こしている。ならば若狭が海軍本部の、しかも元帥執務室にやってくる理由があってしかるべきだ。

 

 峻と若狭の間で一通りの会話が途切れたことを確認したらしい陸山が若狭に視線を向ける。落ち着き払った様子で口を挟んだ。

 

「若狭中佐。状況はどうなっている?」

 

「東雲中将が中央司令室を抑えたようですね。実質的に乗っ取られたのと同じかと」

 

「ふむぅ……まあ、まだ手立てはある。ひとまず知ってしまった帆波峻を消さねばなるまい。せっかく有能な人材だと思ってスカウトしようとしてはみたが、いやはやなかなかどうして難しい」

 

「つまり口封じをかけるしかない、と」

 

「そういうことだ」

 

 鷹揚に陸山がうなづく。一方で峻は警戒にその身を硬くし、臨戦態勢を整えていく。目的を達するまでは死ぬわけにはいかない。そもそもとして死ぬなと叢雲に言われている。

 

 若狭が大げさに眉をひそめてみせる。すっと銃口が上がり、そして構えられた。

 

「さて、困りましたね。僕としては帆波に死んでもらうのは非常にまずい」

 

「……若狭中佐、何をやっている?」

 

 若狭は拳銃を構えた。だが狙いをつけた先は峻でない。

 

 陸山元帥その人に、だ。

 

「改めて問おう。何がしたい、若狭中佐」

 

「僕は待ちくたびれた。時間をかけてずっと準備を続けてきた。いくつも布石を打って、いくつも予備プランを立てては修正を繰り返し続けて。それもすべてはこの一瞬を作るため」

 

 9mm拳銃の狙いを陸山の額につけた。けれど引き金は引かない。ただ動くな、という意味合いのみで突きつけている。

 

「裏切ったのか、若狭中佐」

 

「裏切るも何も。僕は始めから仲間になどなっていない。言ったでしょう? すべてはこの一瞬を作るため。『かごの目計画』に踏み入れたのは内部からメスを入れていくためであって、それ以上もそれ以下もない。なにより事態をコントロールすることにおいて大将クラスの権力をうまく立ち回れば振りかざせる。これほど便利な立場はない」

 

 参加したことすら利用するためだけ、と若狭は言ってのける。これすらも打った布石のうち一つにすぎないのだ、と。

 

「俺すらもその布石にすぎないってわけか」

 

「ねえ、帆波。不思議に思ったことはないかい? ちょっとした違和感を感じたことは?」

 

「……」

 

 峻が黙りこくる。ほんの小さなひっかかり。言われるまでは気づかない。だがよくよく思い返せば変だと感じられる箇所は存在した。

 

「考えてもみるといいよ。帆波、君が退院する日に『もう1人の叢雲』が君に接触した。これは説明がつくさ。病院をずっと見張っていれば退院するタイミングは掴めるからね。でも、だよ」

 

 油断なく若狭が拳銃を構えて陸山が動かないように見張りながら笑みを深くする。まるでとびきりの手品の種明かしをしていくように。

 

「どうして叢雲は帆波が退院する日を知ることができた? 帆波は退院する日を誰にも言っていないのに」

 

 なにより『もう1人の叢雲』と違って叢雲は館山基地の管理を帆波の代わりに請け負っていた。ずっと病院を見張っているような時間的余裕があるはずもない。

 

「叢雲が言ってたっけな。基地で俺の退院日程が噂として流れてたって。流したのはお前か、若狭」

 

「ご名答。帆波に義足を渡すために明石と夕張が病院に来ただろう? あの時、2人は帰る道中で看護師たちが話している内容を聞いた。帆波の退院日をね。明石たちに退院日が聞こえるように僕が仕向けたことだよ。そこから噂は波及的に館山基地に広がった。退院日を聞けば叢雲は必ず迎えに行く。そういう心理にあることくらいは察しをつけていたよ」

 

「ならあの娘が死ぬことをお前はわかってたわけだな?」

 

「もちろん」

 

 なんでもないことだと言わんばかりに若狭がさらりと淀みなく言った。

 

「おかしいと思わないかい? ウェーク島の件が起きている最中に製造された彼女は少なくとも1ヶ月以上は追跡用の部隊から逃げ続けたことになる。でもほとんど素人が逃げ続けることなんてできると思うかい? 始末するために設立されている部隊からだよ?」

 

 ウェーク島攻略の後に峻はヨーロッパに飛んでいる。それも3週間ほどだ。加えて日本に帰ってきてからすぐに輸送作戦を回されたのではなく、しばしの期間が空いている。

 

 その間になんの協力者もなく逃げ続けることが可能だろうか。ただの少女が。

 

「僕がこっそりと潜伏場所を提供した。それも館山基地が見やすい場所を」

 

「何のためにだ」

 

「このためにさ。僕の狙い通り彼女は帆波に接触した。そして自分がクローンを素体として改造したバイオロイドだと君に伝えた。これも僕の狙い通りだよ。帆波が僕以外から真実を自然な形で聞く必要があったからね。何より僕は見張られていた。こうでもするしかなかったんだよ」

 

「そのために使い潰したのか」

 

「それは違う」

 

 はっきりと若狭が否定の言葉を告げる。少し意表を突かれた峻が小さく眉根を寄せた。

 

「彼女の意志だったんだよ。自分が最後に話すなら帆波、君しかいないってね。その場を叢雲に聞かせたのもすべて彼女の願いだ。僕としては願ったり叶ったりだったけどね。これで結果的に帆波と叢雲はすべてを知った」

 

「なぜ叢雲に聞かせる必要があった。なぜ巻き込んだ」

 

「落ち着きなよ。だって叢雲が逃がそうとしなかったら帆波は館山基地に憲兵たちか来た状況下において自分が死ぬことで事態を丸く収めようとしたんじゃないかな?」

 

 図星も図星。事実、峻は叢雲が逃がすために暴れなければ逃げることはなかった。大人しく本部まで引っ張られ、軍法会議なりにかけられることを選んでいただろう。

 

「言っただろう? 帆波に死なれたら困るんだ。まだ役目があるからね。だから叢雲に暴れてもらう必要があった。帆波が逃げるに足る理由を与えるのにこれほど有効な人物もいなかったんだ。叢雲なら帆波が死ぬようなことを許容するはずがないからね。理性じゃなくて感情で動いてくれることは予想していた。実際に僕の予想は当たっていたんじゃないかな?」

 

「なぜ俺だけ事故を装って殺そうとしないのか変には思っていた。例えば不意をついてトラックかなにかでひき逃げしてしまえばいい。戦闘だって最初から俺が戦闘態勢に入る前に気づかないところから狙撃でもすればいくらか殺せる可能性は高かったはずだ。それなのにどいつもこいつも俺に対称戦を挑み続けた。根回しをしたのはお前だな」

 

「またしてもご名答。『かごの目計画』に潜り込んでいたおかげで根回しをするのは簡単だったよ。気を使ったのはどうやったらいかにも合理的な理由をでっちあげて納得させられるかだね」

 

「すべて……すべてこのためにだと? 若狭中佐、この日を起こすためだけに?」

 

 陸山が信じられないといった様子で口を挟む。若狭は峻に合わせていた目線をずらして陸山に合わせた。

 

「ええ、もちろん。叢雲に反逆者の汚名を着せれば帆波は必ず自分が巻き込んだのだからと勝手に背負った責任を果たすために軍へ戻そうとする。誤算だったのは叢雲が気落ちして東雲になかなか知った事実を話そうとしなかったこと。そのせいで僕は吹雪に叢雲を焚きつけるよう命じなくちゃいけなくなった」

 

「吹雪は東雲の部下だろう」

 

「東雲は横須賀鎮守府の頭だよ? そんな人物に僕が見張りをつけておかないわけがないじゃないか」

 

 手駒である吹雪が潜り込んでいるおかげで若狭は横須賀鎮守府で起きていることはお見通しなのだ。だからこそ事態の進行を見守りつつ、こうして若狭自身の求めた最適解を手にしている。

 

「多少の誤算はあったが、マサキは叢雲を通して事実を知ることができたって寸法か」

 

「そういうことさ。他にも誤算はいくつかあった。例えば常盤は僕のミスとしか言いようがないよ。常盤の復讐したいという執念を甘く見ていたり、ね。憲兵隊の司令部から外してもまだ付け狙うとは思わなかった。結果的に長月を監視に当たらせる対応が遅れてしまったよ」

 

 ただし若狭は長月がフリーに動けるようにさせなくてはいけない。だから若狭はわざと長月が反旗を翻すように演じさせた。

 

「俺は常盤が憲兵隊にいたなんて知らなかったがな」

 

「本人も言ってなかったからね。帆波が逃げるとほとんど同時に憲兵隊へ常盤も舞い戻ったよ。追加で教えとくと帆波を殺害しようと向かってきた憲兵隊の指揮を執ってたのも常盤だ。だから僕としては邪魔で邪魔でしょうがなかったよ」

 

「だから飛ばしたのか。不確定要素だからと私たちに虚偽の報告をして」

 

 こんな状況にも関わらず冷静そのものといったといった声で陸山が割り込む。それに対して若狭は小さく首を横に振った。

 

「常盤は僕の計画を歪める可能性が高かったのみならず、『かごの目計画』そのものを崩壊させる危険性がありました。常盤は良くも悪くも一本筋が通っています。復讐のために手段を選ばないし、その結果として何が起きるとしても迷わず最悪の手段を選ぶ。だから邪魔と判断し、取り除きました」

 

 よって虚偽の報告などした覚えはない、と暗に若狭が告げる。たが最大の問題はそんなものではない。

 

 全部の事案に若狭は介入している。しかし、肝心なところではまったく手を出していないのだ。

 

 つまり若狭はすべてにおいて全員の性格を推し量った上でクーデターが起こるように事態を裏で絶えずコントロールし続けたということになる。

 

 峻は死んで事態の収束を謀る。だから叢雲という足枷を填めることによって死を防ぐ。

 東雲は『かごの目計画』を知れば確実に行動しようとする。そして峻は叢雲を必ず無事に返そうとする。叢雲自身は横須賀鎮守府の支部である館山基地の所属。つまり東雲の手に渡ることは確実だ。

 

 だが叢雲は東雲に真実を告げようとしなかった。だから吹雪を使うことで叢雲を唆し、東雲に情報を与えた。叢雲が峻と東雲の仲介役になると見越して。そして東雲が峻をカードとして切ることも理解の上で若狭はここまで誰にも気づかれることなく誘導しきったのだ。

 

 全員の性格、行動指針、そして願望。把握しきったとしてもそうそう簡単にできるようなことではない。だが現に若狭はやってみせた。

 

 東雲はことを起こした。峻はそれに対して協力体制を敷いた。常盤は手出しができないように隔離された。

 

「全部、読みきったのか」

 

「簡単とは言わないけどね。それでも知っているというのは大きなアドバンテージだよ。帆波は良くも悪くも行動に単調さが残る。叢雲は少し複雑だけれど、帆波が死んでほしくないと願う点で一貫性がある。常盤だけは動きが読めないから早々に排除した。なりふり構わない人間ほど行動に法則性がなくなり、読み辛くなるからね。そして東雲の性格からしてクローンなんてものを放置するわけがない。それに東雲も気づくに決まっている。このシステムの穴にね。そうすればすぐに行動することは読めるさ。あとは行動を制御するように要素を作っては打ち込めばいい」

 

 若狭が薄く笑う。無駄なく、そして冷徹に。ただ目的のためにここまでやってきたのだと。

 

「いくつも予備プランを用意した。仮に計画がずれてもすぐに修正できるようにありとあらゆる場所に手を入れた。失敗したらすべてが終わるんだ。死ぬ気で準備して、身を削って進行していく事態を調整し続けた。そうさ、すべてはこうやって話す場を作るために!」

 

 この一瞬。若狭と陸山、そして東雲に協力する人物としての峻。この3人が揃う場をl構築すること。そのためならなんにでもなるし、なんでもやってのける。吹雪をスパイにして横須賀に潜り込ませていたのを利用するし、偶然に生まれてしまったもう一人の叢雲の命すら使う。

 

 そして若狭はその身さえも虎穴に投げ入れたのだ。

 

 しばしの沈黙。陸山がその静寂を打ち破った。

 

「穴? 穴だと? バカな」

 

「紛れもなく穴ですよ。『かごの目計画』のね」

 

 若狭が言い放った言葉に陸山が反応する。だが若狭は自信がないかぎり確実そうなことは言わない。

 

 そして峻もその穴には気づいていた。だが口を挟むべきではないとあえて黙っていた。

 

それは悪いひまつぶしというものだ。だがこれは大層よくアロマに似ているから、うちの母さんに見せたらよろこぶだろう。この金をやるから、この絵はわしにくれ

 

「フランダースの犬、だな」

 

「早いね、帆波。そう、フランダースの犬の登場人物であるコゼツの言葉だよ。ネロ少年の描いていた絵を見たコゼツは絵なんて金にならないことはやめるように言った。フランダースの犬が書かれた時代背景は資本主義に移行しつつある時代だよ。それ以前は絵の才能などがある子供は教会が引き取っていた。けれど資本主義経済に変わっていくと共にそんな文化も廃れていく。絵は金にならないからね。それを受けての言葉だ」

 

「何が言いたい、若狭中佐」

 

「このシーンでネロ少年は絵を売るべきでした。でもそれをネロ少年は売らないで譲ってしまった。台頭し始めていた資本主義経済を間接的に否定し、旧体制に縋ってしまうように僕には映ったんですよ」

 

「『かごの目計画』は時代遅れだ、と言う積もりか?」

 

「過去に成果を出したことは認めましょう。けれど現状に対応できているとは言い辛いと言わざるを得ないでしょうね。事実として欧州で帆波はテロに巻き込まれた。綻びがうまれている証拠でしょう」

 

 ヨーロッパで峻たちはWARNの襲撃にあった。この時点で既にテロは起きてしまっている。抑止力として深海棲艦と艦娘の戦争を展開しているはずなのに、失敗している揺るがない証左だ。

 

「これが『かごの目計画』の限界ですよ、陸山元帥」

 

 若狭は克明に、そして残酷なまでにそう言い切った。




こんにちは、プレリュードです!
フランダースの犬。みなさんご存知かと思います。そこをちょっぴり引用させていただきました。
本格的に作者すら終着点が見えなくなってきていますが、いかがでしたか? 反骨精神丸出しにした結果がこれです。若狭が作中で一番のチートキャラじゃないかと思いながら書いていたこの頃です。いくら知り合いとはいえ普通ならできませんから。相手の行動を完全に誘導しきるなんて。まあ、本人も完璧ではないと言ってはいますが。


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【ECHO】-ENFORCE

 

 『かごの目計画』は時代遅れの遺物だ。そう突きつけた若狭はしかし勝ち誇るような様子は微塵もない。

 

 確たるものはないが峻は直感した。まだ終わりでない、と。

 

 なにか続きがある。よく考えれば若狭はまだ話す場を構築したことまでしかやっていない。そして若狭の目的がこのような暴露大会だけで終わるなんてことはありえないのだ。

 

「そろそろ本題に入ったらどうだ」

 

「これだって本題だよ。『かごの目計画』が限界であることを認識してもらわなきゃいけないからね」

 

「それは私が、かね?」

 

「どちらも、ですよ。ひとまず、ここまで脅すように拳銃を突きつけていたことを僕は謝罪させていただきます。これから先に話すことをどうでもいいと斬って捨てることはもうないでしょう?」

 

 陸山が無言で首肯する。ようやく若狭が構えていた9mm拳銃を下ろした。そしてぐるりと右肩を回す。

 

「ふぅ、ずっと構えているっていうのはわりと疲れるものだね。帆波も下ろしたらどうだい?」

 

「俺個人の自由だろう」

 

「構えを解くように強制するつもりはないよ。ただ引き金だけは引かないでほしいものだけど。元帥にも死なれては困るんだ」

 

「それも俺のさじ加減だ」

 

 峻ほCz75の狙いを陸山につけ続ける。構えを解かないことを選択したのだった。こうしておけば人差し指を少し動かすだけで陸山を攻撃することが可能だ。これならば意識と警戒をある程度、若狭に割いていても即座に対応することができるだろう。

 

 若狭の手のひらで転がされていたことに腹は立たなかった。だからこれは若狭に苛立っているわけではない。

 

 何をしてくるかわからないゆえの警戒だ。

 

「死なれては困る、とは私に利用価値があるということかね」

 

「そう捉えてもらって結構ですよ」

 

「傀儡になれと?」

 

「あなたの感じ方次第です。けれど理解したはずでは? 『かごの目計画』はもうお役御免を迎える時なのだと」

 

 抑止力としての深海棲艦が機能しなくなり始めた。もはや深海棲艦はただの敵へと成り代わり、人類にとって害悪にしかならない。

 

 なにより、いつまでも無限に進化を続けていく深海棲艦と対等に渡り合うために艦娘のアップデートを続けなくてはいけない。だがアップデートは作成に時間がかかり、そして作成されたとしてもそれがきちんと機能するかテストもしなくてはいけない。

 

 一見すればいたちごっこに見える。だがこちらのいたちの歩みが遅いのならば追いつかれるのは必定だ。

 

 深海棲艦の出現で確かに当初は各地の紛争は途絶えたように見えた。だがそれは外部からの暴力によって無理やりに集結を余儀なくさせられただけ。

 

 不満の感情は消えることなく渦巻き、そして燻り続けた。戦火は消えても火種はずっとそこにあったのだ。

 

 そして今、抑止力が効かなくなり始めると共に燃え始めている。

 

「若狭、そいつを理解させたとして何をしたい? いい加減に回り道がすぎる」

 

「必要な過程なんだよ。納得してもらわなくちゃいけないんだ。時間はかかるかもしれないけれど、どうしてもね。そうでなくては僕がここまでやった意味が無くなる」

 

「何の話だ」

 

「悪いんだけど話の腰を折らないでくれないかな。時間がないんだ。もうクーデターは起きてしまった。そろそろあちらが動いてくる。だから早々に説明しきって理解し、納得ずくの上で協力してもらわなくちゃいけない」

 

「あちら……?」

 

 現在、海軍本部で争う勢力は2つ。東雲の率いる勢力と陸山の勢力だ。

 

 だが明らかに若狭の言うところの『あちら』はどちらを示すものではなかった。仮に若狭を第三の勢力と仮定しても、それを呼称するものではないことも明白だ。

 

「若狭中佐、何を私に望む?」

 

「ここまで来れば単刀直入に言わせていただきましょう。東雲将生と手を組んでください」

 

「私に『かごの目計画』を裏切れ、と?」

 

「違います。対等な関係で『かごの目計画』一派と東雲将生が手を組み、時代に合った改革を進めるべきだと言っています」

 

「何を馬鹿なこと……」

 

「果たして本当に馬鹿なことでしょうか?」

 

 若狭が否定しようとする陸山を遮った。思考停止をすることなど許さない。一蹴などさせてたまるか、と。

 

「このまま『かごの目計画』に縋り続けても緩やかな崩壊を迎えていくのみ。常に即応できなければその先は屍の山が築かれるでしょう。転換期に立たされているんですよ。日本も、そして世界も」

 

「……」

 

「だから僕は提案しているんです。手を組むべきだ、と。固執を続ければいずれ本当に守るべきものすら見失う。このままシステムの維持に執心するばかりでいては、いずれ張り巡らせたかごの目は深海棲艦によって食い破られるでしょう。いや、もう破れかけている。既に気づきかけているのでは?」

 

 深海棲艦が進化を遂げてより強力な個体へと変わるたびに艦娘の戦闘能力を刷新して、対抗できるようにする。

 

 10年以上もそうやって続けてきたのが『かごの目計画』なのだろう。だが永続的に艦娘の強化ができるわけがない。プログラムの強化はいずれ限界を迎える。

 

 そしてその限界はもう目前まで迫っていた。

 

「時間がないんです。このままでは手遅れになってしまう」

 

「若狭、何をお前は焦って……」

 

 しかし峻は途中で言葉を止めた。油断なく陸山に向かって構えていたCz75を広い元帥執務室の中で何も調度品が置かれずにぽっかりと壁紙を外気に晒している一角に向ける。

 

 変に日焼けが少ない壁紙だ。だが特にこれといった変哲さはないただの壁。

 

 背筋が粟立つ。ついさっきまで相手にした警備やら侵入者に対抗するために武装してきた人間とは全く違う。明確な殺意といわけではない、異質な気配がした。

 

 バン、と視線を注いでいた壁紙の部分がいきおいよく開いた。飛び出してきたフードを被っている人影の手に大振りなマチェットナイフが握られている。

 

 悠長にしている余裕はなくなった。もっとも壁際に近かった陸山に人影が飛びかかってきた。

 

「帆波、元帥を死なせたらまずい」

 

 若狭が9mm拳銃を連射して陸山と人影の間に撃ち込む。

 

 本来ならば守ってやる義理なんて皆無だ。けれど東雲からのオーダーもある。

 

 腰に伸ばしていた峻の右手がナイフを掴み取り、陸山との間に割り込むと振り下ろされるマチェットを受け止める。

 

「思ったより早い。もう少しゆっくりしててほしかったね」

 

「おい、若狭。こいつはなんだ」

 

「人形だよ。まだ1体で済んでいるだけましだね」

 

「ってことはここから増えてくるのか……よっ」

 

 右手に力を込めて、若狭が『人形』と呼んだ敵をマチェットナイフを腕ごと上へ弾き上げる。すかさず左手のCz75を持ち上げると連続して引き金を引いた。

 

 必中。これで終い。そうだと思い込んでいた。

 

 崩れた体勢のまま、サイドステップをして避けられるかぎりの弾を避けてみせたのだ。確かに撃った内の数発ほど命中はした。けれどかまわず突っ込んでくる。

 

「頑丈だな、くそっ」

 

 正面に繰り出された蹴りを峻が右脚で受ける。右脚は鋼鉄の義足だ。そんなものを思いっきり蹴りつけようものなら、相当な痛みのはず。

 

 だがそれでも攻撃の手は止まなかった。峻の頭上にナイフが振り降ろされ、半身を後ろへ下がらせてそれを避ける。

 

 左手でCz75を握ったまま、マチェットナイフを振り下ろしたばかりの腕を押さえ込むと、右手が閃く。一瞬のうちに首元へと峻の右手が迫ると頸動脈を正確に掻き切った。最後に青白い燐光をブースターより吹き出している右脚で蹴りつけて後ろへ吹き飛ばすと、峻が若狭の方向へ振り向いた。

 

「若狭、こいつはなんだ」

 

「帆波、まだ終わってない!」

 

 珍しく若狭が声を荒らげる。その異常さに峻は半ば反射で蹴り飛ばした方を向いた。

 

 キラリと光る何かが迫ってきていることを認識した瞬間に急いで身を捩る。ギリギリで回避が間に合ったおかげで服の右肩部分が裂けるだけに留まる。

 

「なんて生命力だよ」

 

 頸動脈を切られたせいで首から大量の血液を流しながら向かってくる。手にはしっかりとマチェットナイフが握られたままだ。

 

 頸動脈を切ったのだ。確かに出血多量で死ぬまでに多少の時間はあれど、痛みは尋常なものではないはずだ。ショック死をしていたっておかしくない。加えて腹部も右脚で蹴りつけているが、それでさえ致命傷にはならずとも骨の数本くらいはいっているはず。運が悪ければ内臓破裂くらいはしているかもしれない。

 

 もう死に体のはずなのになぜ向かってこれる? 十分すぎるほど瀕死の重傷を負わせたはずなのに、だ。

 

「確実にとどめを刺すんだ。そうじゃなきゃ止まらない!」

 

 若狭が戦闘音で掻き消えないように叫ぶ。殺さなければ止まってくれないらしい。

 

 突き出されたマチェットナイフを柄で叩き落とす。峻の左手が跳ね上がるとCz75から銃弾が撃ち出された。

 

 飛び出した銃弾は真っ直ぐにフードの中へ吸い込まれていく。そしてフードの下で光る目を貫いて後頭部から飛び出ていった。

 

 ここまで攻撃を加えてようやく『人形』はどっと倒れ伏した。峻は詰めていた呼吸を解放して息を整えると、今度こそ立ち上がらないか念入りに確認してから振り返った。

 

「若狭、説明してくれるんだろうな」

 

「帆波、艦娘を製造している元はどこか知ってるよね?」

 

「なんの関係がある?」

 

「いいから」

 

「海軍工廠じゃなかったな。資金提供されている……」

 

「岩崎重工だ」

 

 胡乱げに記憶の糸を手繰る峻を遮って陸山がにがりきった顔で解を述べる。正解を前に若狭がうなづいた。

 

「あの扉は岩崎重工の工場へと繋がる通路ですよね、陸山元帥」

 

「そうだ。隣接している。よくわかったものだ」

 

「簡単です。そもそもこの計画は岩崎重工の協力が前提です。綿密な連携が必要な以上は直通の通路があるだろうとは思っていました。そして騒動が起きれば岩崎重工から刺客が送られてくることも僕は知っていたからですよ。そしてこれは遅かれ早かれ送られてきました」

 

「なんだと?」

 

「あなた方は続けるつもりだったとして、あちらは『かごの目計画』に見切りをつけていたということです。しかも新たな計画の準備は着々と整ってきています。旧体制には退場していただき、新たに頭をすげ替えるつもりなんですよ」

 

 もう用無しだから消される。ただそれだけなのだ。否定材料を探そうにも現に目の前で刺客の死体が転がっているのだから陸山も否定ができない。

 

 殺されるならば正当な理由があるに決まっている。そして新しく別のプランを回す際に邪魔になるのだろう。単にすげ替えるだけなら殺しまで実行する必要はない。

 

「海軍の勢力を削いでいるのか」

 

「正解だよ。さあ、元帥。理解いただけましたよね? もう岩崎重工はあなたに協力することはありません。どころかその命を狙いました。『かごの目計画』はもう維持できません」

 

「だから手を組め、と言うのかね?」

 

「少なくともこのままでは崩壊の一途でしょう」

 

「今になって刺客を送り込んできたってことは準備が整ったって考えるのが妥当だろうな」

 

 処分しに来たということは次の計画に陸山たちが必要とされなくなったからということなのだろう。10年以上も準備期間に費やしたということはずいぶん長期的な計画だ。しかし逆にそれだけ入念に練りこまれていることを示唆するものとも言える。

 

「騒動を起こさなければこうはならなかったのではないのかね」

 

「確かに刺客が来たのは騒動が起きたからです。しかし遅かれ早かれこうなっていたでしょう。決断してください。死んで世界と共に終わるか、それとも東雲と手を組んで最後まで足掻くか。具体的な証拠はそこのクローン兵の死体が示しているでしょう。それともこれ以上になにか必要ですか?」

 

「……真に国家を、いや世界を憂いていた。暴力の連鎖は断ち切らねばならんと。人と人の殺し合いなど止めねばいけないと。だがこのザマではな」

 

 自嘲的に陸山がこぼす。若狭は無言で回答を待ち続けた。

 

「よかろう。岩崎重工を敵に回すことにはなるが、先にこちらを切ったのは向こうだ」

 

 陸山が東雲につけばより強い大義名分を与えることになる。さらにすべてが片付いた時に元帥という海軍のトップから有利な証言が得られるのならば非常に動きやすい立場に立てる。

 

 陸山としてはこちらにつくメリットは今後も地位が維持すふことができ、なおかつ崩れていくシステムを支える人手を自動的に入手することができる。

 

 味方ではない。しかし協力関係にはなれる。

 

 陸山は『かごの目計画』を今まで維持してきたのは国と世界の平穏が目的と言っている。そして『かごの目計画』の限界と崩壊の兆しは提示された。だからこそ、切り捨てる選択を取るしかない。

 

 ずいぶんとあっさりはしている。だが陸山にもメリットは提示されている。純粋な利益同士で手を組む関係は利益を与えることができるかぎり相手を信用することができるのだ。

 

 利用し、利用される関係性の方が無償の信頼などという不確かなものより遥かに信用できるのだから。

 

「若狭、思い通りにいってご満悦のところ悪いが事後処理はどうするつもりだ。少なくとも元凶を明確化させねえと納得は得られねえ」

 

「簡単さ。事実を公表すればいい」

 

「それが公表できねえんだろうが。東雲将生がクーデター起こして元帥を取り込んだから権力総なめできるようになりましたって発表するつもりか?」

 

「いいや。それにクーデターの首謀者は東雲じゃない。この僕じゃないか」

 

 不敵に笑いながら若狭が9mm拳銃を自らのこめかみに突きつける。峻は額に皺を寄せた。

 

「こうなるように仕組んだのは僕だ。ならこう発表すればいい。首謀者である若狭陽太は事前に事態を察知した東雲将生と陸山賢人が協力体制を築いたため、その結果として自らが汚名を着せた帆波峻によって追い詰められ自害した。おめでとう、帆波。これで反逆者の汚名は晴れるよ。謂われなき罪を着せられても無罪を主張し、最後はクーデターの首謀者を追い詰めた英雄だ」

 

 若狭の引き金にかけられた人差し指がゆっくりと引かれていく。止めようという気概は峻の中でまったくもって湧かなかった。

 

 若狭はただ死のうとしているのではない。すべての責任を一手に引き受けて死ぬつもりなのだ。

 

 しかしこれで明確な『敵』という存在が出たことになる。すべての幕切れを首謀者の『自害』という形に無理やりかもしれないとはいえ、丸く収められる。

 

「ああ、そうだった。帆波、ここから後にもさっきみたいな人形兵が何体も出てくると思う。東雲と陸山元帥。この2人だけは絶対に殺させちゃだめだ。そして同時に市街地へ放つのも防がなくちゃいけない。いくつあるかは把握できてないけど、ここみたいに岩崎重工の工場と直通の秘密通路がまだ数本くらいはあるはずだから、警戒するんだ」

 

 こめかみに銃をあてがったまま、若狭が考え込む。すぐに何かに対してうなづいた。ずいぶん晴れやかな表情で。

 

「うん、これくらいか。詳しいことや事後処理に関しては任せるよ。僕のデスクを探せば今まで集めた資料が眠ってるはずだからそれを利用してくれて構わないよ。岩崎重工の工場に踏み込めばいろんなものがみつかるだろうし。以上を東雲に伝えておいてほしい。これだけ伝えておけば東雲は十分に動けるはずだし、能力的にも問題はない」

 

「最後は投げっぱなしか」

 

「それを言われると心苦しいね。でも僕はうまくいくことを知ってるつもりだよ。だから、安心して逝ける」

 

 ふっと若狭が頬を緩める。何を見て、そして何を聞いてそう感じたのかはわからない。だが得体の知れない確信と覚悟が滲んでいた。

 

「さて、それじゃあ……」

 

 引き金にかけられた若狭の人差し指に力がこもっていく様子が遠目にもわかる。

 

 そして1発ぶんの銃声が元帥執務室に響いた。





こんにちは、プレリュードです!

ずいぶんとあっさり物語が進んでいきますね。でもこういう立場の人間が変に喚くのって自分があんまり好きじゃないんです。なんかこう、ちゃんと最後まで落ち着いていてほしい。喚き叫ぶのは簡単なんですけど、それをせずに自らの状況を受け入れられる人が上にはいてほしいといいますか。完全に自分の趣味というか、こういう人であってほしいの願望ですけども。


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【FOXTROT】-FEEBLE

 

 たった1発。されど1発の銃弾は人の命を奪うに十分すぎる。

 

 例えば峻が殺すと決めた相手の眼球を狙い、後頭部まで撃ち抜くのは確実に息の根を止めるためだ。額では頭蓋骨を滑ってしまい、仕留め損ねることが稀にある。

 

 しかしそういったごく稀に起きるケースを除けば、殺そうと思って撃った弾が急所を捉えた時点で人は死ぬ。

 

 つまり、こめかみに銃を突きつけている若狭がその引き金を引ききった瞬間に、若狭の命は絶え果てる。本人の計画通りに。

 

 初めからこうするつもりだった。そうでなくては説明がつかない。

 

 止めるつもりがあったかと聞かれれば峻の答えはノーだ。若狭は今後に関してもこちらに自分の持てる限りの情報を提供するために記憶媒体に残してあると言った。つまり若狭がいなくとも成り立つようにしてあるのだ。

 

 現在の混乱状態においてどこの誰が事の首謀者かなどわかるものはほんの一握り。事情に通じていない人間ならば若狭の説明で十分に納得させることができる。残りの一握りも軍内部でトップの陸山を取り込むことに成功した今、さしたる障害にもならない。

 

 よって若狭の死は意味がある。これによって簡単に今までの事変を落ち着くところへ落とし込むことができるのだから。

 

 そしてここまで考えた時点で峻は若狭を止める理由がなくなった。いや、そもそも開始時点で理由など存在しない。東雲のオーダーは敵を殺すな。向こうのサイドである人間であっても取り引きを最終的に持ちかけるから絶対に殺してはいけない。そういうオーダーだった。逆に言えばどちらの陣営でもない若狭は対象外だ。

 だから若狭の手にあった拳銃を撃ち抜いて自害を止めたのは峻ではない。

 

「やっと……やっとだ、若狭」

 

 若狭が引き金を引ききる直前に、元帥執務室のドアが荒々しく開かれた。そして猛るような緑の閃光が飛び込み、若狭がこめかみに突きつけていた拳銃を1発だけで正確に撃ち抜いたのだ。

 

 平然とした様相を取り繕っているが額に汗が滲み、特徴的な緑色の髪が幾筋か頬に張り付いている長月が硝煙のまだあがる拳銃を握りしめていた。

 

「長月…………?」

 

「ようやくここまで追いついた」

 

 今までの余裕があった表情をはじめて若狭が崩した。長月は構うことなくセーフティを拳銃にかけると腰のホルスターへ収める。まるでたった今、長月が撃ち抜いて弾き飛ばした一挺だけしか若狭が持っていないと知っているかのように。

 

「僕は長月に常盤の監視をするように言ったはずなんだけど?」

 

「ああ。今は私が信頼するものたちに交代してもらっている。だから報告に来ただけだ」

 

「僕は長月が自ら監視につくよう言ったんだけどね」

 

「そうだったか? それならば伝達ミスだろう。相手に自分の思っていることを完全に伝えることほど難しいことはないからな」

 

 あからさまとしかいえないような嘘をすらすらと長月が並び立てる。報告だとしても普段なら若狭は情報部にいるのであって本部ではない。なのにわざわざ本部を狙って長月は報告に訪れている。伝達ミスなどと言っているが、明らかに命令の穴を突いて自分にとって都合がいいように曲解しただけにすぎない。

 

 だがもっともタチが悪いのは証明のしようがないことだ。

 

 長月が自ら監視するように若狭は言ったというが、誰がその言葉を聞いただろうか。それを長月の都合でねじ曲げて解釈したと確定させられるものはなに一つとしてない。

 

「邪魔をするつもりかい?」

 

「つい最近にも、まったくの別人から聞いたセリフだ。私は若狭のプランに当たりをつけているつもりだ。そしてその中に若狭の死が含まれていると予想したから止めた。ただそれだけだ」

 

「仮にそうだったとして長月が僕を止める理由がないね」

 

「そうでもないさ」

 

 自分を補佐につけてくれていた若狭に長月は感謝していた。旧型だと罵られる睦月型である自分を拾い上げ、そして存在価値まで見いださせてくれた。

 

 だが若狭が求めているものが感謝ではないことも早々に長月は理解していた。別の目的があって自分を利用しているだけであってそういった類のようなものを若狭自身が望んでいないこともわかっていた。

 

「思い通りにはさせない。いつだったかに言っただろう」

 

「懐かしいね。そうやって演技させたよ」

 

「演技でないとわかっていたのに、か?」

 

「さて、ね」

 

 そうだ。あの時に若狭の裏をかいてみせると決めたのだ。唯唯諾諾と言われたことをこなすだけではなにもできないのと同じではないか。

 

 だから演技ではなく、真剣に挑んでいた。本気で越えるつもりだったし、本気で思い通りにさせないつもりだった。

 

「若狭」

 

「なんだい?」

 

「『背中を刺す刃たれ』。私は刺したぞ。もうなまくらではない」

 

「……みたいだね」

 

 感情の起伏が読めないためなのか、若狭の目が細められた。けれど長月は態度を変えることはなく、ここに自分がいて当然だと言わんばかりに堂々と立っている。

 

「長月、今すぐ引き返すんだ」

 

「断る」

 

 間髪入れずに長月が拒絶する。手短すぎる言葉。だが明確すぎるまでにそれは拒絶だった。

 

「ここで死なれたくない。だから私は私のエピソードを挟み込んだんだ。遠ざけようとしているのも理解している。巻き込まないためということだって」

 

 だが、と逆説で長月は続けていく。

 

「知ったことか。死なれたくない。せめて自害なんてくだらない方法で終わるのだけは見たくない。だから動いた。辻褄を合わせる算段もつけているし、死ぬ必要のないエピソードに作り変えた」

 

 やれと言われた仕事はやった。常盤は長月の手のものたちが監視している。未だに意識は戻らないそうだが、一命は取り留めたらしい。けれどむしろ長月としては意識がないままの方が監視を続けやすい。

 

 他にも東奔西走しては様々なところへ手を加えた。すべて若狭にとっては末端部だったのだろう。だがそのひとつひとつが長月にとって若狭の自害を確信に至らせていくものだった。

 

「若狭、徹底的にしてしまえばいいだろう? 例えば岩崎重工を共通の敵にしてしまえばいい。そこに転がる人形が敵対性の証拠になる。そもそも初期に侵入したのは帆波峻ではなく、人形兵。ものごとの順序を逆転させただけだが、これだけで『悪者』を安易に作れる」

 

「理由がない。なぜここまでの事件を起こしたのか公開できるわけがないだろう? 別のでっちあげを加えなくちゃいけない」

 

「それも簡単だ。首謀者を逮捕しようとしたが、予想以上の抵抗を受けたのでやむなく射殺した。それこそ自害でもいいな。死人は話さない。だから真相は闇の中となってしまいました。これで通るだろう」

 

「だとしても……ああ、まさか。長月、まさかとは思うけど…」

 

「帆波峻。あなたに依頼したい」

 

 長月が今まで若狭と合わせていた目を峻へスライドする。呼び捨てで峻の名を呼んだ長月の態度も纏う雰囲気も見た目通りのそれではない。

 

「岩崎重工総合経営責任者ならびに『かごの目計画』の一員である岩崎満弥の殺害、そして人形兵の生産ラインの停止だ」

 

「俺が依頼を受けると思うか?」

 

 相当の報酬があったとしても受けないだろう。そもそも長月にそこまで付き合う義理は峻にない。

 

 しかし長月は確信めいた表情でかぶりを振った。

 

「あなたは依頼を受ける。そうするしかなくなるからだ」

 

「俺が協力しなくちゃならない理由もないだろう」

 

「それがあるとしたらどうする?」

 

 長月が液晶の大きいタブレット端末を峻に寄越した。警戒しつつ受け取ると、タブレット端末に峻は目を落とす。

 

 海軍本部内の各所に設置された監視カメラの映像らしいことはすぐにわかった。一時的にラインを構築して繋げているのだろう。別段、なにか異常があるわけでもないごく普通の廊下だ。問題など見受けられない。

 

 だがその映像で海軍本部内に走る人影が最大の問題だった。

 

「いい性格してる」

 

「『もう少しうまくやれ』と言われたからな。うまくやってみただけだ」

 

「こうすれば俺が動かざるを得なくなることも計算の上か」

 

「さあ、な。私はあくまでタブレット端末の映像をあなたに見せただけだ。他は何一つとしてやってなどいない」

 

 やってくれる、と峻が、口の中で悪態をつく。だが理由は与えられてしまった。なにがなんでも動かなくてはいけない理由が。

 

「……ここを通っていけば工場に繋がってるんだよな?」

 

「元帥クラスがそう何度も工場へ行くのは不自然だった。だから繋いだトンネル。ならば繋がっていない道理はない。なにより本人がそう認めている」

 

 長月が補足するように峻の疑問に答えた。無言で集められた視線に陸山が黙ってうなづく。

 

 つまり長月はこの通路を通って岩崎重工の工場まで乗り込み、人形兵を排出している工場ラインを止めた上でトップである岩崎満弥を仕留めてこい、と依頼したことになる。

 

 さっきのような人形兵はまだわらわらと出てくるのだろう。それもこの通路を通って海軍本部内へ侵入しようとしている。

 

 敵地の真っ只中に飛び込んでこいと言われたようなものだった。

 

「こんなこと起こさなければ人形兵なんて出てこなかったんじゃねえのか?」

 

「言い訳みたいになるのは覚悟してるけど、その上で言わせてもらうなら放置すればもっと数は増えてたし、性能も上昇していたよ。それこそ手に負えなくなるレベルで。今ならギリギリで何とかなると思ったからこうして僕は動いたわけだし」

 

「若狭、あれの基本性能は? わかる範囲でいい」

 

「痛覚神経をカットされてるから痛みは感じない。艦娘用の戦闘プログラムの最上位をインストールされているから、格闘戦から銃撃戦までこなすマルチロールファイター。それが敵と認識させられているものに対して無条件に襲いかかってくる。数に関してだけど具体的にはわからない。でも素体は艦娘と同じようにクローンだから量産はできるはず。わかってるのはここまでだよ。さしずめ死を恐れない兵隊といったところかな」

 

 内心で舌打ち。十分すぎる脅威だ。クローンであるならば実質ほぼ無限と同義だ。いくら製造に多少の時間を要するとしても、相当の数が控えているだろう。

 

「他にも通路があるらしいが対応は?」

 

「僕が東雲を説得する。兵力という意味では文官ばかりの海軍本部より東雲の海兵隊の方が高いからね」

 

「ならば私が海軍本部内の中でも動ける人間に非戦闘員の避難や迎撃を指示しよう」

 

 陸山が自ら名乗り出た。さきほど陸山は人形兵に襲われている。完全に敵として認識されていることは陸山本人が身に染みて感じたことだろう。

 

「信じていいのか、若狭?」

 

「信じていい。利害の一致は見ているからね。下手な味方よりよっぽど信用がおけるよ」

 

「私とて『かごの目計画』は平和を願って維持していた。もう維持がかなわないにしても、せめてこの身が平和のための一石になれるのなら喜んで捧げよう」

 

 陸山の言葉に込められた意志は量れない。だが方針は固まった。オフェンスに峻1人というのは少々、心許ないかもしれないが、被害の拡大を防ぐことが優先だ。なにより市街地へ絶対に人形兵を出してはいけない。

 

「ともかく役割分担は終わったね。僕が東雲の説得。陸山元帥が避難誘導の命令。帆波が岩崎満弥の殺害と工場の停止。長月は……」

 

「情報統制をしよう。外部に欠片も漏らすわけにはいかないだろう。内部にしても錯綜している情報を整理する必要がある」

 

「わかった。僕も東雲の説得が終わったらそっちに回るよ。帆波、手が空いたらそっちにも人員を送るように東雲には伝えるよ」

 

 事態が落ち着くのにどれだけ時間がかかることだろう。なによりこれから峻は敵地へ飛び込んでいくことになるわけだが、そもそもその途中で死なずに帰られる保証もない。人員を送る、と言われても間に合わないどころか手遅れの可能性もある。

 

 だから小さく峻は鼻で笑った。

 

「期待しないでおく」

 

「口を挟んですまないが、もし他の大将を見つけたら事態を伝えて欲しい。彼らとて私と同様に騙された立場だ。なにより死んでもらっては困る」

 

「通路に逃げ込んだ、と?」

 

「他の通路も非常用として使えるのでね。絶対にいないとは言いきれないのだよ」

 

「もし、見つけたら伝えるだけは伝える。そっからあとは知らねえ」

 

「それで十分だ。こんなことを言える立場ではないが……頼む」

 

 黙って峻が背を向けた。どうやらホロでカモフラージュされていたらしい開けっぴろげな通路のドアの真横を通り過ぎると、薄暗い内部へと進んでいく。地下に繋がっているのか下へ下へと通路は伸びていた。

 

 周囲に人影がないことを確認してから3目をつぶった。視界が完全に闇に閉ざされるが、耳をそば立てて警戒を怠るようなことはしない。

 

 30秒ほどしてから目を開けた。これでだいたい目も暗闇に慣れ始める。さっきよりも薄暗いこの空間が細部まで見えるようになった。

 

 はっきり言って使いっ走りをさせられるようでいい心持ちはしない。だが長月の見せたタブレット端末の映像は動かざるをえない状況に峻を追い込むものだった。

 

「虎穴に入らずば虎児を得ず、か」

 

 通路を使って岩崎重工の工場まで侵入してこい。ただしここから先は大量にさっきのような人形兵が出てくる。

 

 戦ったからこそわかる。あれの体術は非常に高い水準にあった。ただ闇雲に発砲しても平然と避けられることになるのは目に見えている。その証拠に体勢を崩した上で撃っても数発しか当たらなかったのだから。さっきは1体だけだったおかげでわりと簡単に片付いたが、複数体いれば手こずることは必至だ。それこそ数の暴力をされたら押し負けることも十二分にありうる。

 

 加えて痛覚を切られているのならば、なおさら危険だ。いくら攻撃したところで確実に息の根を止めなければ何度でも向かってくるのだから。最悪、四肢の骨をへし折っても折れたままで突撃してくる可能性だってあるのだ。

 

 そして感覚でわかる。死を恐れないということがどれだけ敵として厄介であるのか。

 

 それはまるでかつての自分とそっくりだったから。

 

 余計なことばかり考える頭が鬱陶しい。かぶりを振って思考をふり払うと、足音を立てないように慎重に進む。広い通路とはいえ一本道だ。仮に会敵したら非常にやりにくい。先に発見できた方がいいに決まっている。だから足音は立てないように気を使い、同時に耳で他の足音が聞こえないか注意深く探っていた。

 

「3人……いや、4人か。だがそれより近くに1人」

 

 風の流れからしてちょっとした広間にそろそろ繋がっているはずだ。先に広間でいちばん近くにいる1人を潰してから、待ち伏せをして残りの4人に対して奇襲を仕掛けるのがこの場合はベストだろう。合流されていい予感はしない。それにできるかぎり同時に多数を相手するよりは少数ずつとやり合った方が負担も軽くて済む。

 

 懐のワイヤーガンはしばらく使用しないだろう。だがいつ使うともわからないため、すぐに抜けるように胸元あたりにしまっておく。これから使うのはナイフとCz75、そしてこの身一つだ。

 

 広間に出ると海軍本部側に7本の通路が伸び、更に奥へ進むための通路が1本、伸びていた。海軍本部側へ続く通路のうち1本から峻は出てきたので、あと6本はこういった隠し通路があることになる。そして一人分の足音はそのうち1本から響いていた。

 

 ちょうど入口に体を張りつかせるようにして身を隠す。徐々に徐々に足音は近づいてきていた。

 

 足音の主が入口に現れる。その瞬間に峻は左手のCz75で足音の主の頭部に狙いをつけた。

 

 青みがかった銀髪が特徴的なその頭に。





こんにちは、プレリュードです!
だんだんと迷走している感がハンパなくなってきて自分でも大慌てしています。なんでこんなプロット作ったんだ。誰だ、これ作ったヤツ! 長いよ!
まあ、愚痴はほどほどにして。
何度も使った表現なので最後は誰なのか察して頂けるとうれしいなー、と思いつつまた次回ということで。


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【GOLF】-GENUINE

 

「若狭、もう1回だけ説明してくれ」

 

《最初の説明ですぐに理解してほしいものなんだけどね》

 

「さんざん引っ掻き回した張本人の吐くセリフか、それが。待て待て待て、全部が計画通り? なんの冗談だ?」

 

《生憎だけどそこは今、重要じゃない。ともかく急がないとまずいんだ。人形兵が海軍本部内に跳梁跋扈することになりかねない》

 

「いきなりクローンを調整した生体兵器が内部に送り込まれるって言われてもな……」

 

《だからこっちの映像を見せたじゃないか。ちゃんと死体が転がっていただろう?》

 

 確かに見させられた。唐突に若狭から通信が飛んできたので警戒しながら出たらこの有様だ。送られてきた映像も加工されていないことは確認した。

 

 だが考えてもみてほしい。いきなりすべてが若狭の計画通りと言われても困惑する。しかも今回のクーデターの仮想敵として定めていた陸山元帥が東雲に向かって協力を申し出て来るわ、今から死を恐れない人形兵とやらが集団で攻め込んでくるから横須賀の海兵隊にも対応をするように要請されれば混乱するのはある意味で当然すぎる反応だ。

 

 荒々しく東雲が頭髪を掻き毟る。当初に予定していたプランがめちゃくちゃになったのだ。加えてマリオネットにされていたという事実。苛立つやら状況が飲み込めないやらで一度、頭の中をリセットして整理したかった。

 

 『かごの目計画』まではまだいい。わりと東雲にとっては想定通りだった。

 

 ずっと前から若狭がこうなるように事態を細かく調整してきたこと、そして陸山が協力を申し出てきたこと。そんなものは東雲の勘定に含まれていない。

 

 現行の艦娘システムの限界には気づいていた。強化アップデートを施し続けていったとしても深海棲艦が進化を続ける限りはいたちごっこだ。いつかアップデートが深海棲艦の進化に追いつかなくなった時、崩壊していくことは目に見えていた。

 

 だから変えようとした。なのにこの有様だ。頭を抱えたくもなったし、できるものなら過去の自分を思いっきり殴り飛ばしたかった。

 

「くそ、自分で自分に腹が立つ……!」

 

《その件については後で。東雲、今はどこにいる?》

 

「中央司令室にずっといる」

 

《なんだって!》

 

 若狭の声が跳ね上がる。しかめっ面だった東雲の眉がわずかに動いた。

 

《まだそこにいるのは想定してなかった……。東雲、とにかく急いで中央司令室から出るんだ! 別に仮説指揮所を設営しなくちゃならない》

 

「あん? いや、ここでいいだろ。すでに機材も充実してるわけだし……」

 

《だめだ! そこにも……》

 

 ドン! と壁の一角に強い衝撃が走る。まるで壁を外側から押されたように。

 

《そこにも繋がっているんだ。連絡通路が!》

 

 東雲が振り返って外側から叩かれたらしい壁に注目する。メキメキという嫌な音と共に蝶番が吹き飛び、ドアが倒れ込んだ。

 

 飛び込んできた人形兵は3体。咄嗟に反応した海兵隊の面々が引き金を引いた。

 

 撒き散らされる銃弾が壁と肉を抉る。それでも前へと吶喊してくる人形兵に東雲は畏怖せずにはいられなかった。

 

「死を恐れない兵隊……シャレになんねえぞ、こんなもん」

 

 肉が零れ落ち、骨が砕ける。臓腑を鉛弾が蹂躙し、血飛沫が紅い花を咲かせる。

 

 それでも命があるかぎり突き進んでくるのだ。

 

 こんなもので海軍本部内が溢れかえったところなど想像もしたくない。だがこの後も継続して出てくるのだという。

 

「撤収!」

 

「はっ!」

 

 踏ん切りをつけて東雲が叫ぶ。なんにせよ事実として人形兵は攻めてきた。放置はできない。若狭が言っていることが嘘であれ真実であれ確認しなくてはならない。海兵隊を率いていけば何かあった時も即応できるはずなので、兎にも角にも話し合いには応じた方がいい。東雲も始めから岩崎重工には目をつけていたという理由もある。

 

「シュンが動いてるとは言ってたが……こんなんがうじゃうじゃいる中を進んでるってのかよ、あの野郎」

 

 自殺行為に等しいとすら東雲には感じられた。敵地の真っ只中へ単身で乗り込んでいく。あとから人手を送るとはいえ、それまでは1人だ。

 

 だが安定するまでは手が離せないのもまた事実。ここ以外に6本もの連絡通路があるということはそれだけ侵入経路が存在するということだ。塞ごうにも、よほど頑丈に塞がなければさっきのように力づくで突破されるだろう。それこそセメントで固めあげるくらいのことをしなくてはいけないが、それには時間がかかりすぎる。

 

 どうあっても落ち着くまでは対応に追われることになるのは火を見るより明らかだ。

 

「東雲中将!」

 

「よし、片付いた……か」

 

 振り返ったことを東雲は後悔した。片腕がもぎ取れ、ほとんど死体と同然になるまで銃弾を撃ち込まれたらしい人形兵が、それでもなお、大ぶりなマチェットナイフを残る片腕に握りしめて東雲に飛びかかろうとしていた。

 

 死を恐れない兵隊。甘く見ていた。まさかここまでの生命力を発揮してくるとは思わなかったし、これほどの怪我を負っても怯むことなく突っ込んでくるとは思いもしなかった。

 

 あまりの状況に東雲の反応が遅れた。腰に拳銃は吊っているが、今からでは間に合わない。なにより血と肉を零しながらも攻撃しようと突進してくるなどという鬼気迫る光景を目前にして東雲の体は硬直してしまった。

 

 東雲の首を目掛けて人形兵が飛びかかってくる。ギラりと照明を反射してナイフが不気味に光った。

 

 瞬間、中央司令室のドアが荒々しく開け放たれた。青みがかった銀の風が猛烈な勢いで駆け込むと腰の太刀に手を添える。

 

「はあっ!」

 

 気迫のこもった声に力強い踏み込みが重なる。同時に右手が瞬くように動き、太刀が鞘走った。

 

 一刀両断。まさにその言葉が表す通り、刃が駆け抜けた直後に人形兵の体は胴体から真っ二つになっていた。

 

 人形兵を斬ってみせたその人物────叢雲は刀を真横に振って血糊や黄色い脂肪を吹き飛ばす。それからゆっくりと腰の鞘に納刀していく。

 

「あいつがこの奥に進んだって本当?」

 

「ま、待て。なんで叢雲ちゃんがここにいる?」

 

「あいつに言伝をしたのは私よ。この日を知らないわけがないじゃない」

 

 パチン、と鞘に鍔がぶつかった。手首を振って関節をほぐすと叢雲が東雲に向き直る。

 

「撤収するにも安全が確保できた方がいいでしょ。この通路はしばらく私が抑える。いいわね?」

 

「だめと言ったら?」

 

「無視するわ」

 

 さらりと叢雲が言い放つ。そもそも引くつもりなぞ毛頭ないと言わんばかりだ。

 

「……責任は取らないからな」

 

「あいつに取ってもらうから願い下げよ」

 

「俺は何も見ていない。じゃあな」

 

「どうも」

 

 人形兵の屍を乗り越えると叢雲が隠し通路の中へと消えていく。責任逃れの言い訳じみていても叢雲が望んだことだ。

 

「人形兵は3体いたな。残りは?」

 

「片付いています」

 

「よし、移動する」

 

 海兵隊を引き連れて東雲が中央司令室を後にした。東雲の目的は海軍本部がわけのわからない人形兵に制圧されることではない以上は指を咥えて見ているつもりはなかった。ならば情報が必要だ。仮に若狭の言っていることが虚偽で、東雲を騙し討ちにしようとしているのならばこちらも返り討ちにする用意を整えてから行くのみ。

 

 1度は踊らされた。もう同じ過ちは繰り返さない。事実であれば協力するしかなくなるだろうが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ずいぶんと薄暗い。連絡通路に入った叢雲が始めに抱いた感想はそれだった。だがそれもしばらく足音を殺しながら歩いているうちに目が慣れてきた。長い階段をとにかく降りて下へ。しばらく続いた階段の果てにようやく道がぽっかりと口を開けているのを発見した。

 

「この先にあいつがいる……」

 

 東雲の話は大まかに聞いていた。先へ進んでいると。つまりこの道の先に峻がいる。ならばどれだけあの人形兵がいようが叢雲にとっては関係なかった。

 

 少なくとも人形兵は持ってきた刀で斬ることができる。それは確認できた。そして斬れるのならば先へ進める。

 

 さっきの戦闘を思い返すと、確実に止めを刺さなければいけないようだ。そうでなくては怪我などお構い無しに突っ込んでくる。そういった相手なら刀は都合がいい。どんな相手でも首を斬り落とされれば死ぬ。そして刀は重さで叩き斬る武器だ。一振りで1人を殺すことができる性質を備えている刀ならば人形兵に通用する。下手に慣れない拳銃を使うより叢雲にとってはこちらの方がよほど使える。

 

 どれくらい歩いただろうか。突如、叢雲が足を止める。遠くで通路が広間に繋がっているのを見つけたからだ。他にも連絡通路はあると言っていた。一度、広間で合流するようになっているのだろうか。

 

 先に進まなければ。なにが待ち構えていようとも進む以外の選択肢は叢雲にない。

 

 ずんずんと前へ進む。次第に広間へと繋がっている入口が近づいてきた。

 

 叢雲が広間に足を踏み入れた。瞬間、背筋にひやりとしたものが落ちる。

 

 痛いほどの殺気。それが横手から急に放出された。急いで刀を握ると居合の要領で鞘から刀身を滑り出させる。

 

 今の今まで殺気を隠していたとしか思えない。自らの不覚を呪いながら叢雲は殺気を放った人影に向かって刀を振るおうとした。

 

 だがその人物の顔を認識して叢雲の手は止まった。(きっさき)が相手の首筋にまで迫るが皮の1枚すら裂かずに突きつけるのみ。

 

 対して刀で首筋を抑えられたその人物も左手に握る拳銃はきっちりと叢雲の頭部を照準していた。

 

 どちらもあと少し動けば相手の命を刈り取れた。しかし寸前になって攻撃を止めたのだ。

 

 先に武器を引いたのは叢雲だった。ゆっくりと刀身が相手の首筋から離れていくと鞘に戻される。

 

「ようやく見つけたわよ」

 

「……来るなと言わなかったか?」

 

「ついでに足でまといだって遠まわしに言ったわね。ええ、もちろん覚えてるわよ」

 

 峻は未だに叢雲の頭部へCz75で狙いをつけたままだ。構うことなく叢雲は刀の柄からも手を離す。

 

「ここはお前のようなやつの戦場じゃない」

 

「それは私が決めることよ」

 

「ふざけんな。お前が言ったことだろう。お前を生かした責任として俺は生きてる。お前も死なないようにした。なのになんでわざわざこんなところに来た? こんな死に満ちた場所に」

 

「それなんだけどね、ごめん。私が間違ってた。あんなこと言ったけど、私はあんたに私を生かした責任を取ってほしいわけじゃない。どうしてかほしいかわからなくて苦し紛れに言ったものよ、あれは。本心を嘘でコーティングしたまがい物」

 

 叢雲が頭を垂れる。僅かにCz75の照準が震えた。

 

「だからもういい。あんたは私に責任なんて負う必要はない。私がどうなろうとも私の責任であってあんたは無関係よ」

 

「なら……ならなんでここにいる」

 

「私がこうしたかったからよ。ちゃんと正面から謝りたかった」

 

 どこまでもまっすぐに叢雲の瞳が峻を射抜く。峻が目線を外すと少しだけ寂しそうな音を叢雲が漏らす。

 

「言いたいことは終わったか? なら帰れ。俺がお前を撃ってでも止める前にな」

 

「悪いけどその提案は却下ね。確かにあんたはもう私に責任を負う必要がなくなったから、私を撃てるはずよ。でも撃たれたとして、私は這ってでもついていくわ」

 

「実力のねえやつが来たところで……」

 

「足でまといになるだけ、かしら?」

 

 何でもなさげに叢雲がさらっと言い放つ。自分の実力不足など叢雲自身が痛いほど痛感している話だ。

 

 それでも引くことはできない。

 

 人形兵の脅威を叢雲はその身で測った。人間的な反射がまったく介在することなく攻撃してくるのは厄介という言葉で表現できない。なにより峻の戦闘スタイルが人間を想定して練り上げられている以上、回避させたスキを突く、などといった戦法はまるっと使えないことになるのだ。

 

 声には出さない。これを口にしたところで事態は好転するわけでもない。それに気づいている可能性もある。だから叢雲は口をつぐむことを選択した。けれど言えるものなら言いたかった。

 

 あんたと人形兵の相性は最悪だ、と。

 

 片や叢雲は容赦なく刀で斬り捨ててしまえばそれでおしまいだ。一方で峻は手練が相手の場合、一撃必殺のような形ではなく、細かな積み重ねで消耗させてから確実な一手を叩き込む傾向がある。

 

 痛覚を与えても気にすることなく突進してこられては峻にとって嫌な相手に違いない。しかも人形兵は相当な体術を保持しているため、銃弾を避けてしまう場合もある。けれど叢雲は一撃で仕留める手段がある。そして時には刀の速度は銃弾のそれをこえることすらある。

 

「私だって、戦える。すでに1体なら人形兵は屠ったわ。なによりヨーロッパに行く直前、あんた自身が言ったことでしょう? 私はトランペット事件の経験者だ。人の死は見てきたし、この手も汚した。いまさら腰が引けたりしないわ」

 

「昔のことを引き合いにだすな。問題は今だ。直近でお前は常盤を撃てなかった」

 

「撃つ理由がなかったのよ。虫の息の人間を仕留める理由は? また追ってくるってあんたは言ったけど、あの怪我じゃ、療養にどれだけかかるかわかったものじゃない。むしろ追ってこない可能性の方が高かった。だってあの時に常盤中佐は折られたんだから」

 

 峻が何かを言えば叢雲がそれに対して無理やりこじつけてでも言い返す。すべてはある一言を引き出さんがために。

 

「ついていく、と思わなくていいわ。なにかオマケがいるくらいの感覚でいてちょうだい。あんたの戦闘に手は出さないから」

 

「違う。お前が邪魔だから言ってるんだ」

 

「じゃあ証明してみせるわよ。私の有用性ってやつを」

 

 笑みを深くしながら叢雲が親指で奥へ進むための通路を指し示す。だんだんと近づいてきている3つの足音。ほぼ確実に人形兵だ。

 

「あんたも聞こえているんでしょ? これからあの3体の人形兵を相手するわ。あんたが正しければ私は人形兵になぶり殺しにされることになる。私が正しければ3体を相手にしても勝てる。そしてあんたが正しかった場合、あんたは手を汚すことなく人形兵に邪魔者を始末してもらえる」

 

 これほどいい状況はないでしょ、と叢雲が問いかける。放置しておくだけで勝手に叢雲は始末される。峻は余計な労力を使わずに済むのだから、楽でいいだろうというわけだ。

 

「ああ、まさか自分の言葉に対してそんなにも自信が持てない、なんてことはないわよね?」

 

「……好きにしやがれ 」

 

 いまさらになって撤回するなんてしないわよね、と遠回りに叢雲が峻に釘を刺した。感情の読めない表情で、峻が壁際に座り込む。内心で叢雲は小さく拳を握った。

 

 今のところは思い通りになっている。相手が変な人形兵になるのは想定外だが、それでもなんとかできるだろう。

 

「さ、いつでも来なさい」

 

 叢雲が刀の柄に手を置く。呼吸を落ち着けて奥へと続く通路の一点に気を集中させる。叢雲の予想通り、まもなく3体の人形兵が広間へ。そして足を踏み入れるなり、納刀したまま殺気を向ける叢雲に向かって武器を抜くと走り始めた。

 

「悪いけど利用させてもらうわね」

 

 さらに叢雲が笑みを深くした。だがそれも一瞬のこと。すぅっと目が細められて叢雲の中でスイッチが切り替わった。

 

 はじめの一歩。叢雲は全力で踏み込んだ。




こんにちは、プレリュードです!

そろそろ9月ですね。まったく涼しくなる様子はありませんが。今朝のミサイル騒動はなかなかびっくりしましたね。私は寝ていたので後から知りましたが。たぶんああいう事態になった時に真っ先に死ぬのはおそらく自分です。まあ、範囲外だったんですけども。

それにしても久々に叢雲を書いた気がします。最近、出てきてなかったからね。この娘なしで話は進められませんね、ええ。


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【HOTEL】-HOPE

 

 まずやるべきこと。叢雲にとってそれは状況把握だった。

 

 相手は3体。ナイフを持っているタイプが2体に、脇差ほどのサイズの刀を持ったタイプが1体。それらがわざと大きな音を立てて踏み込んだ叢雲へ目がけて突進してくる。

 

 引きつけることには成功した。壁際にもたれている峻の方には行かず、すべて叢雲に集中しているのだから。

 

「さあ、かかってきなさい」

 

 鞘から刀身を走らせる。振りかぶって、思い切りよく斬り下ろすと脇差にぶつかって火花を散らした。

 

 鍔迫り合いに持ち込む余裕はない。もしも鍔迫り合いなんてしようものなら両脇からナイフに身体を抉られる未来がやって来るだけだ。

 

 素早く切り返して、脇差持ちを後方へ押し込むと右側から迫るナイフを刀で受け止め、左側からのナイフを間一髪で避ける。

 

「はあっ!」

 

 時計回りに回転しつつ、叢雲が刀を横薙ぎに振り回して両脇の人形兵2体を弾き飛ばす。両者ともにナイフで受け止められたので無傷だ。しかし取りつかれ続けるよりは遥かにマシというものだった。

 

「正面っ!」

 

 脇差が叢雲の頭を目がけて振り下ろされる。再び刀を構え直すような余裕はないため、水平に振り切ったままの刀を跳ねあげて柄頭で受け止める。ビリビリと振動が腕に伝わるが、いちいち動きを止めていることなどできない。左脚を軸にして右脚で人形兵を蹴りつける。

 

 そしてまたしてもほとんどぴったり同時に襲いかかる2体を止めるために叢雲は意識をそちらへ割いた。いや、割かざるを得なかった。しかし、今度は対応が僅かに遅れてしまう。そのせいで服の袖に小さな切れ目が入った。

 

「邪魔、よっ!」

 

 そして同じように2体を押しやると脇差持ちと斬り結ぶ。斬り下ろし、斬り上げ、袈裟懸け。連続して繰り出された斬撃を刀身の腹で叢雲がほんのコンマ秒だけずらして、叢雲が迫り来る凶刃を躱す。

 

 有効打は与えられず、攻撃もあと数ミリズレていたら当たっていたであろうというくらいスレスレで叢雲が避ける。服の袖や裾には小さな切れ目が徐々に溜まっていき、じりじりとだが追い詰められていくのが手に取るようにわかった。

 

 叢雲は自らで峻から救いの手を差し伸べられることを拒んだ。正確に言えば、叢雲自身が言った言葉のせいで峻が助けに入らざるをえない、という状況になることを拒んだ。

 

 だから苦しくともこの状況は叢雲が望んだ通りのものだ。

 

「やっぱり3対1はちょっと苦しかったかしら?」

 

 鍔迫り合いで押し込まれ、靴底をすり減らして勢いを殺しながら叢雲が呟いた。つぶやけるだけ余裕があると取られればそれまでだが、こうでもしなければやっていられなかった。

 

 人形兵に取りつかれる前に刀を一閃してそれぞれに武器で受け止めさせるとバックステップで距離を開けた。追撃をかけてくる人形兵からさらに距離を取るために斬り払ったが、せいぜいが人形兵の皮膚を浅く斬った程度のダメージしか入らない。

 

「っ!」

 

 同時にナイフ持ちの2体が正面から叢雲へ飛びかかる。鋒あたりの峰に左手を添えるといっぺんに2本のナイフを1本の刀で受け止めた。刃と刃がぶつかり合い、またしても派手に火花を散らす。

 

 脇差の斬撃。ナイフの突きや切り払い。それらを叢雲がじりじりと下がりながら刀で時には受け止め、時には受け流す。

 

 峻は無言を保ち続けていた。ただじっとことの成り行きを見ている。別段、叢雲は特に何も思わなかった。

 

 そんなことに気を割いている余裕がそもそもない。すべてギリギリで避けているのだ。一瞬でも気を抜けばせっかくここまで持ち込んだものすべてが破綻してしまう。

 

 刀身で刃を受けるたびに薄暗い広間が火花で一瞬だけ照らされる。飛び散った火花を見る度に峻がわずかに顔をしかめた。

 

 それに気づかないふりをして叢雲は刀を振るい続ける。押し込まれていることも自覚している。けれど止める理由にはならない。

 

 完全にタイミングが一致している二対のナイフが叢雲の刀を腕ごと後方へ弾く。直後に叢雲の首元へ脇差が迫った。

 

 刀を弾き、止めを脇差が。偶然に生まれた連携とでも言ったところか。

 

 刀を戻してガードするのは間に合わない。姿勢が崩れているため、いまからステップで回避することも難しいだろう。

 

 タン! と1発の銃声。そう、たった1発。

 

 しかしそれだけで叢雲の死は回避された。脇差持ちの左目から後頭部を貫通した銃弾はきっちりと命を刈り取って行った。

 

 硝煙がゆらゆらと立ち上る。それは峻の持つCz75から上るものだった。同時にいつ抜いたのか、右手に握られたワイヤーガンが脇差に巻きついて叢雲への攻撃を止めていた。

 

「ふふっ」

 

 叢雲が小さく笑みを零す。一瞬だけ生まれた猶予を利用して叢雲は体勢を整え直すと刀を構え直した。

 

「落ちろ」

 

 斜めから袈裟懸けに斬り裂く。手首を返して先ほどの軌道をなぞるようにして斬り上げ。いわゆる燕返しでナイフ持ち人形兵の一体目の胸部に連続で斬撃を刻み込む。これだけの傷をあたえてもまだ突き進んでくるのはさすが人形兵と言ったところか。どのみちもう一体はまだ健在。脇差持ちが峻によって落ちたとはいえ、人形兵はまだ残っている。

 

「残念だったわね。もう、私の勝ちよ」

 

 叢雲が誰に向けたかわからない勝利宣言と共に胴を薙ぐ。今度こそ完全に人形兵が動きを止めた。残るはあと一体。左に振りぬいた刀を戻すまでにナイフが突き出された。刀身を縦に立てて方向を逸らして体勢を作りなおす時間を稼ぐ。

 

 柄を頬付けに。そして刃を天井へ向け、刀身を地面と平行にした。

 

 左脚で体を押し出す。右脚で大きく踏み込み。同時に腕を伸ばしきっていくと、鋭い切っ先が人形兵の喉下を抉ると、そのまま首を突き抜けた。ぐらっと首が不安定に揺れると、地面に重々しい音を立てながら落ちた。

 

「ふぅ」

 

 刀を真横に薙ぎ払ってこばりついた体液などをまとめて吹き飛ばす。左手で鞘を掴んで固定をすると滑らかに刀身を収めた。

 

「おい、叢雲。手を抜いてたのはなぜだ」

 

 峻が懐にワイヤーガンをしまい、空いた右手にナイフを握りなおす。叢雲が小首を傾げて応対した。

 

「どうして?」

 

「序盤には攻めと言えるような行動がこれっぽっちもなかった。俺がCz75で脇差し持ちの人形兵をやるまでまったくだ。こいつはどういうことだ?」

 

 一度たりと叢雲は攻めるような刀捌きをしなかった。ひたすらに受けるだけ。攻撃もすべてにおいて中途半端。手を抜いていると峻は言ったが、まさにその通りだった。わざとすべて加減して決定打を出さないようにし続けた。

 

 すべては峻が撃つことに叢雲が賭けたあの一瞬の時間を作る、ただそれだけのために。

 

 不敵に叢雲が笑う。わかりきっていることを聞いているあの癖だ。

 

「質問に質問で返すようで悪いんだけど、あんたはなんであの時に撃ったの?」

 

「……」

 

 峻が口ごもる。狙い通りと叢雲がすかさず追撃にかかる。ここで引っ込むわけにはいかない。峻が引き下がるような時間を与えずに畳み込む。

 

「私は言ったわよね? 私に非があるからあんたが責任を持つ必要なんてないって。あそこであんたは私を見捨ててしまってよかった。そうすればあんたの言う『足手まとい』な私はここで死んでお終いだった。それなのになんで撃ったのよ?」

 

「……俺にそうさせるのが目的か」

 

 察されるのが早い。だがこれも叢雲の想定内だ。元々、頭の回転が早い方なことくらいは知っている。どうせすぐに目的くらいは解明される。そのくらいわかりきっていたことだ。

 

「あんたは撃った。なんの縛りもない状況下で、私が邪魔だから帰れとまで言った。自ら手を下す直前までいったのに、それでも土壇場であんたは私を助けるために撃った」

 

「目的から得られるものがわからねえな。結局のところなにがお前は欲しかったんだ」

 

「さあ、ね」

 

「お前は俺が撃つことに賭けた。いや、撃つと確信していた。そうじゃなきゃ、脇差し持ちに手前の首を斬らせるような隙をわざわざ作るようなことはしないだろう」

 

 やはり気づいていたのだ。わざと刀を弾かせたことも、わざと明らかな隙を作って自分が死に進むように誘導したことすらも。

 

 そしてそれがすべて叢雲の思い通りだと。それを察していながら峻は撃った。撃つしかなかった。

 

「ハイリスクすぎじゃないか」

 

 もしも峻が撃たなければ確実に叢雲は死んでいた。それも理解した上で叢雲は自らの命を死の危険に晒した。その首が飛んでいたことも覚悟して、だ。

 

「もし、撃たなかったらどうするつもりだったんだ」

 

「さあ、ね」

 

「そればっかりなんだな」

 

「いいのよ。とにかく賭けは私の勝ちよ」

 

 くるりと叢雲が背を向けて奥へ進むように峻へ促す。本心は絶対に言わない。けれど満足できる結果が得られた。

 

 欲しかったのはただ純粋に峻が助けたという事実だけ。なんのしがらみも、与えられた理由もない。それでも峻は撃った。その事実が手に入ってさえしまえば叢雲は十分だった。

 

「撃たなきゃお前は死んでた。賭けに負けてたらそれでお終いだったんだ。それでもする価値があったのか」

 

「ええ。仮に私が死んだのなら……」

 

「なら?」

 

「……なんでもないわ」

 

 口につきかけた言葉を叢雲は飲み込んだ。まだ口にすべきじゃない。今はその先を伝えるべきじゃないし、胸に留めておくだけでよかった。

 

 仮に私が死んだのなら私の見る目がなかっただけよ。

 

 その言葉は言わなくていい。そう、まだ。胸に秘めておくだけ。

 

「さっさと行くわよ。奥に用事があるんでしょ」

 

「……ああ」

 

 峻が奥へと続く道へと足を踏み入れると、叢雲がその左隣を占領する。

 

「ところでこの奥になにがあるのよ」

 

「お前の生まれたかもしれない場所だ」

 

「そ。じゃあさっさと行くわよ」

 

 叢雲の生まれた場所。だが他ならぬ叢雲自身が艦娘がクローンであると理解している。けれどそれを聞いたところで特に感慨めいたものは叢雲の中で湧き上がらなかった。

 

 造られた存在だということはとうの昔に思い知らされていた。だがそんなもの今はどうだってよかった。

 

 仮に自分がクローンだったとしてもこの叢雲は自分しかいない。細胞単位で同じだったとしても、その後は違う。他の『叢雲』がどのような道を歩んできたかは知らないが、今こうやって峻の左隣を歩いているのは自分という叢雲だ。

 

 館山基地の秘書艦を任され、轟沈したかと思えばウェーク島に連れ去られ。ヨーロッパでWARNとかいうテログループの暴動に巻き込まれて、輸送作戦で我を忘れて暴れまわった。

 

 そんな経験を積んだ『叢雲』は自分だけだ。そう断言できる。

 

「ま、こんな経験しまくってる艦娘が他にもいたら堪ったもんじゃないけど」

 

 それでもこの経験と蓄積された記憶が自分を裏打ちしている。そう考えてみるといろいろ大変できつい思いもしてきたが、そう捨てたものではないのかもしれなかった。

 

「ん? ねえ、待って。この奥に私の生まれた場所があるのよね?」

 

「そうらしい。方向的に間違っていないから正しいんだろうな」

 

 さらりと言ってのけるが、このぐねぐねと曲がりくねった通路を歩きながら同時に地上の地図と地理を脳内で一致させていなくては言えないことだ。そこらへんの技術はさすがだと叢雲は思わずにいられないが、口ぶりから事前に行き先を教えられている有利もあるということで自分の中でかたをつける。

 

「ちなみに誰に聞いたのよ」

 

「長月。あと若狭だな。さっさとこの奥へ行って岩崎重工のトップである岩崎満弥を仕留めてこいってよ」

 

「それってただ都合のいい捨て駒にされただけじゃないの」

 

「かもな。しかも動く必要性がなくなってきちまった」

 

「……?」

 

 東雲の通信をダイレクトに盗み聞きした叢雲はどうして峻がわざわざ奥地へと赴いているのか知らない。とにかく会ってからすべて考えたのだ。自分の命を賭けのチップに使って峻の行動を引き出すことも、3体の人形兵が出てきたあの瞬間で咄嗟に考えついて実行に移したものだ。

 

 今さらではあるが、無謀なことをしたものだ。改めて思うと叢雲の背筋にひやりと悪寒が走った。感覚がだいぶ遅れているのはそれだけ緊張が納まった証拠かもしれない。

 

「とにかく、だ。どうせ帰れと言ってもついてくるのなら与えてもいい情報だけは与えとく」

 

「あの人形兵っていうのは? 東雲中将が話してるのを聞いただけだから具体的にわかってないの」

 

「よくそれで割り込もうとしたな」

 

「いろいろと必死だったからよ。ほっときなさい」

 

 叢雲がそっぽを向いた。はあ、と峻が深いため息をつく。

 

「あれも艦娘と同じようなもんだ。クローン作って戦闘プログラムを叩き込んだら痛覚やら戦闘の邪魔になる反射やらをすべて遮断、もしくは減衰させて造られた死を恐れない兵隊なんだと。一体だけでもそれなりにやるが、複数体に囲まれると厄介だ。警戒は怠るなよ」

 

「はいはい。せいぜい気をつけるわ。あんたこそ死にたいのならまだしも、死ぬつもりがないなら気をつけなさい」

 

「警告する人間を間違えちゃいないか」

 

「まったく間違えてないわよ」

 

 死んで欲しくない、というのは嘘偽りも誤魔化しも介在することがない、まぎれもない本音なのだから。死んで欲しくないから叢雲は剣を取ったし、この場で峻の隣に立っている。防ぐためにはこうするくらいしか思い浮かばなかった。

 

 足元だけが見えるように最低限の明かりを与えられている通路を叢雲と峻が伴って進んでいく。

 

「叢雲」

 

 警告のために峻が名前を呼ぶ。ぼんやりと通路の置くから光が差し込んできていた。休む時間も与えられないと思いながら叢雲が刀の柄に右手を添えた。隣から銃とナイフが構えられ、殺気めいた気配が放出される。

 

 つくづく自分も慣れたものだ、と叢雲はこっそりと笑う。隣で身が縮こまってもおかしくないくらいの殺気が流れていても、身が竦むことすらなければ怯むような気配すら自分に見られないのだから。

 

 慣れとは怖いものだ。けれどそれですらいいと今は思う。慣れてくれたおかげで守ることができるのなら。

 

 守るためには他の何かを斬り捨てるしかない。だが他の何かを斬ることにだって覚悟がいる。その覚悟を決めることすら、普通に生きているだけでは決められない。

 

 だから艦娘であったことを叢雲は感謝した。敵と認識したものに対して攻撃を加えることに躊躇いはない。今まで深海棲艦が相手だったものが、今度は相手が人か人形兵に切り替わっただけだ。さんざん人の死は見て来た。人形兵はこの手で3体も屠った。

 

 そして自分と同じ容姿の少女が目の前で銃殺される瞬間も見た。

 

 もしも気を抜けば自分もああなるだけだ。しかし死んでやるつもりは毛頭ない。少なくとも守るためにここへ叢雲は来ている。

 

 柄を強く握り締めなおす。手汗がじわりと滲んだ。奥地へと近づいているのが、肌に突き刺さるプレッシャーによってひしひしと感じられた。こういう感覚がするときはたいていが一筋縄でいかない。そう経験で叢雲は知っている。

 

 けれど引いてやる理由なんてこれっぽっちもない。

 

 上等だ。なんでもかかってこい。すべてこの刀で斬り伏せてやる。もうなにを相手にしても負ける気はしないかった。




こんにちは、プレリュードです!

ついに月も変わり、過ごしやすい気候になってきましたね。完全に今年でカルメンが終わらないコースです。これでようやく終盤の序盤というのだから割と自分も長いプロットを作ってしまったものだとつくづく思いますね。


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【INDIA】-IMPLY

 叢雲を伴って薄暗い通路を峻は歩いていた。まさかこんなところまで付いてきてしまうとは思わなかった。しかも足手まといは来るなと言って突き放したにも関わらず、それを逆手に取られて証明した上で同伴してくるのは予想外だ。

 

 けれど、人形兵に対して有効であると叢雲はその身をもって立証した。どうして始めに自分の命を危険に晒してまで峻が撃ったという事実がほしかったのかはわからない。しかし、本気を出した瞬間に、人形兵をあっという間に屠ってみせたのもまた事実。これがまぎれもない峻の目の前で起きたことなのだから疑いようがない。

 

 隣を歩く叢雲の姿はうまく捉えられない。なぜなら叢雲は峻の左隣を選んで歩いているからだ。峻の左眼は完全に視力といえるものを喪失している。だから完璧に叢雲を視界に納めるには、首をすこし捻ってやらねばならない。

 

 そしておそらく叢雲は峻の左眼という弱点を理解したうえで左隣を占領している。それが生殺与奪権を握るためなのか、はたまた他に理由があるのかどうかはわからない。だが少なくとも峻を仕留めるためであるのならば、とうの昔にさっさとやるはずだ。それをしないというころは本気で渡り合えるつもりでいるのか、もしくはいつやり合うことになっても勝つ絶対の自信があるのだろうか。

 

 武器を握るそれぞれの手にじっとりと汗が滲む。緊張感とは違った感覚。だがこの感覚をなんと言うのか峻はわからなかった。

 

 隣にいる叢雲はもしかしたら峻の生殺与奪権を握るために隣を選んで立っているのかもしれない。だがそれを察した時点ですぐに動けばいいのに、動く必要性を頭が感じていなかった。それより奥へ進むことを優先していいと直感とも違う何かが峻に告げる。

 

 なぜか奥地へと向かう道中のはずなのに人形兵に出くわさない。すでにあらかた本部へと到達してしまったのだろうか。だとするなら、今や本部は人形兵の相手をするのにてんてこ舞いだろう。どれだけ少なく見積もったとしても、峻と叢雲が撃退したあの3体だけで終わりとは考えにくい。他にも本部へと繋がる道があったので、そのどれかを使って侵攻したのだろう。未だに東雲や若狭たちからこちらの状況を把握しようといった類の連絡が来ないことがその証拠だ。

 

「これ、どこまで続いているのよ……」

 

「さっき言っただろ」

 

「長いって言ってるのよ」

 

 叢雲の言うとおり、結構な距離がある。この通路を人形兵たちも通ってきたのだ。奥へ続く道はこの一本しかないのだから間違いない。しかも埃が散っている場所が多々、見受けられる。明らかに踏み荒らされた痕跡だ。いくつも重なってしまっているため、正確な数字はわからないが、それなりの数が揃っていたことはぼんやりと察された。

 

 これだけの数で、個々があの実力を誇るのならば相当に厄介だ。東雲と若狭、陸山が共闘体制を取ったとしてもかなり手を焼くことになるはずだ。

 

 救援はあてにできない。だが、そもそもあてになどしていなかった。一人でいくつもりですらあったのだから問題などなかった。むしろ問題というのなら、叢雲がついてくることだ。

 

 そこまで思考が進んだところで、あえて考えないようにしていたことが鎌首を持ち上げる。

 

 なぜあの時、自分は撃った? 叢雲にもう助ける必要はないと言われた。だからただ叢雲の首が飛ぶ様を見てから、人形兵を叩きのめせばよかったはずだ。

 

 人が目の前で死ぬ様は今までもさんざん見て来た。いちいち気に留めていたらきりがないほどに。だから叢雲が目の前で死んだところでなにか動じるわけがない。動じるのも一時的なもので終わるはずだ。

 

 もう一人の叢雲が目の前で殺された時だってそうだ。一時は動揺したが、もう薄れてしまっている。そのはずなのに。

 

 それでもなぜか撃った。

 

 必要性がないことだと理解している。だがなぜか体が動いた。まるでまつげに何か触れた時にまぶたが本人の意思と関係なく閉じてしまうように。

 

 理解不能だ。その言葉しか浮かばない。なぜ自分は撃ったんだ。見捨ててしまえばよかったじゃないか。

 

 だめだ。これ以上、思考を続けてはいけない。踏み込んでしまえば何かが崩れてしまうような気がした。

 

 小さく下唇を噛むことで痛覚を走らせ、本人の意思と関係なく回る頭を途切れさせる。思考を続けるべきでないと直感が言っているのもあったが、なにより景色が変わり始めていた。

 

 ぼんやりと届く光に峻が警戒するように右目を細める。空気の流れを肌で感じる限り、かなり広い空間がこの先にあるようだ。

 

「この先に何があるのよ」

 

「まだ何も言ってねえぞ」

 

「でも気づいたんでしょ」

 

「……」

 

 表情に大きな変化などなかったはずだ。そもそも表情筋のコントロールはできるほうだ。細かな仕草にすら現れていないはず。ならばなぜ叢雲は峻の考えたことがわかったのか。

 

「沈黙は肯定と取るわね。で、なにがあるのよ」

 

「広間。どうして気づいた」

 

「女の勘よ」

 

 投げかけた問いに返ってきた答えはあまりに具体性を欠いたものだった。こういった答えを返す時、その人間はまともな返答をする気がないのだ。どうせ追撃しても無駄と早々に悟った峻は諦めと共に足を踏み出す。

 

 なぜ気づかれたかはわからない。叢雲も広間があることに気づいていたのかと思ったが、それならばそもそも峻に向かって何に気づくか問いかける必要性がない。つまり、叢雲は気づいていないと考えるのが自然。

 

 急に叢雲が恐ろしいものに思えてきた。他心通のような超能力が存在するわけもなし、思考が読まれるなんてことあるはずがない。

 

 内心で悪態を吐く。またしても余計な方向へと思考がずれている。今日はどうにも調子が悪い。勝手に変な方向へと頭が行ってしまう。

 

「ほら、行くわよ。構えときなさい」

 

「……」

 

 言われずとも、だ。人形兵は既にこの通路を通った後のようだが、これで人形兵がラストオーダーだと言われてはいない。この先にまだ控えていないという保証はどこにもない。

 

 だが行く手を阻むように鉄扉が待ち構えていた。軽く叩いてみるが、返ってくる音はずいぶんと頑丈なものだ。

 

「さすがに斬れないわよ、これは」

 

 叢雲が同じように鉄扉を叩く。相当に分厚い鉄扉を刀で斬るなどという、漫画じみた行為をさらりとやられてはたまったものではない。

 

「引き返す?」

 

「一本道だ。進む選択肢以外はねえだろ」

 

 さがれ、と叢雲に合図すると左脚を前にして右脚を後方へ。腰を低くした姿勢を作ると、義足の戦闘プログラムを起動させる。

 

 深く息を吸って。そして半分ほど吐き出してから息を止める。左脚の踏み込みと共に体重を前方へかけ、青白い燐光を残像に残しながらちょうど取っ手の真横付近にインパクトを集中させると扉を蹴破った。

 

 バゴン! と大きな音を立てて扉の鍵が壊れた。ナイフを握ったままの右手で軽く押してやると、扉が小さく軋んだ。人形兵が飛び出してくる可能性を考えて、いつでも攻撃ができるように武器を構えると、叢雲がそれに倣うかのように刀の柄へ手を添える。

 

 今度はブースターを使わずに扉を蹴りつける。壊れかけていた扉は今度こそ、大きく口を開けた。ラッキーというべきか、人形兵は襲って来ることはなかった。

 

 だが襲いかかってきてくれた方がはるかによかったかもしれない。

 

「なによ、これ……」

 

「生産拠点だろ」

 

 じろりとねめつけるように峻が周囲を見渡す。どろっとした粘液に満たされたガラスの円筒が数多くずらりと整列していた。そしてその粘液の中にぷかぷかと浮かぶ人間。毛髪は海藻のようにゆらゆらと揺れている。

 

「人、なのよね?」

 

「これがたぶんクローンの培養機ってやつだな。薬剤を使って成長速度を速めてるんだろ」

 

「そんなことできるの?」

 

「できなきゃ説明がつかん」

 

 まさかいちいち肉体が成熟するまで何十年も待ち続けるとはとてもではないが、考えられない。後付けで記憶など脳が弄りまわせるのなら、薬品を投与して成長速度を加速させてしまっても構わない。あとから研究所の記憶関連に関しては抹消してしまえば証拠は何も残らないだろう。

 

「私もここで生まれたのね」

 

「たぶんな。見覚えとかないか?」

 

「まったくないわ。記憶が完全に消されてるのか、そもそも意識が覚醒する前に運び出されているのか、それすらもわからない」

 

 叢雲が静かに首を振る。峻は警戒しながらも近づいて、ガラスを軽く叩いてみた。硬質な音が跳ね返り、粘性の液体がとぷんと震える。

 

「これが艦娘か」

 

「こうやって私は作られたのね。どう、なにかわかりそう?」

 

「さあな。とりあえずこいつを止めとこう。人形兵の素体となったクローンはここから出されてるだろうしな」

 

「なら探すのはコンソールね」

 

 ふた手に分かれるつもりはないらしい。叢雲が行くわよ、と峻に向かって呼びかける。どうせ帰るように言っても聞きはしないのだ。ならば目の届く範囲においておいた方が……

 

 待て。どうして目の届く範囲に置いておかなくてはいけないんだ?

 

 わけがわからない。叢雲を追い払う絶好のチャンスじゃないか。

 

「あんた? 早くしなさいよ」

 

「あ、ああ」

 

 叢雲の呼びかけによって峻の思考が中断される。ずらりと並ぶ培養機らしきものが形成した通路を叢雲と連なって歩く。中で人間が浮かんでいるものもあれば、空のものもある。動き出しそうな様子はないが、不気味であることに変わりはない。

 

「これ、動き出したりしないわよね?」

 

「さあな。プログラムで時限式起動とか組まれてないかぎり大丈夫だろ」

 

「ならさっさと見つけないといけないわね」

 

 管理端末さえ制圧してしまえば、こっちのものだ。人形兵の生産速度が不明な現状では追加生産がされないとも限らない。ある程度の数ならば対処のやりようもあるが、増えれば追いつかなくなる。

 

 別に峻は死ぬことを望んでいるわけではない。無駄死になんてものはもってのほかだ。生きる理由といえるようなものもないが、だからといって大人しく殺されるつもりもなければ自殺するつもりもない。

 

「ねえ、これじゃないの」

 

 叢雲が慎重に指差すそれはなにかの操作台のようだ。おそらくこれがコンソールだろう。下手に触るのは危ないのはわかっているために、不用意に弄るような行動は避けるべきだ。ハッキングという手段が無きにしも非ずだが、安易に選ぶべき手段でないのは確かだ。できるかもしれないが、下手を打って培養機の中にいるクローンが一斉に襲ってくるような事態は勘弁願いたい。

 

 ではどうするか。たった一つ、至極簡単な方法でこの事態は解決できる。

 

 コンソールから個々の培養機へ向けた命令の送信はケーブルを使用した有線。無数に分かれているケーブルの大本がコンソールへ繋がっている。

 

「よっと」

 

 軽く引っ張ってみるが、びくとも動かない。抜くのは難しそうだ。そうなれば、残された手段は一つ。

 

 太いケーブルにナイフの刃を添える。ゆっくり持ち上げると思いっきり振り下ろして、ケーブルを断ち切った。

 

「特に変化はないけど」

 

「だがこれで止まるだろ。後からどうするかは知らん」

 

「仮にこれが生産拠点じゃなかったとしたら?」

 

「クローン生産拠点なんて相当の電力が必要だ。そう何箇所もどかどか作れるとは思えん」

 

 ぶつりと切られたケーブルを軽く蹴り飛ばす。システムへの干渉は無理でも物理的に絶ってしまえば使い物にならないだろう。無線で飛ばしている様子はないため、少なくともこのコンソールは封じたことになる。

 

「あとは岩崎重工のトップを殺せばいいのよね」

 

「人形兵を解き放った張本人らしいからな」

 

「あんたが騙されてる可能性は?」

 

「あの通路を辿ってきた先にここへ着いたんだ。ここから湧いてきたのは間違いないだろ」

 

 ぷかぷかとガラスの円筒内に浮かぶのは人間。実験用に誘拐してきて確保しているモルモットということは線として薄い。そもそもガラスは相当数ある。これだけの人数を攫ってくるのはどうしても目立つ。となれば体細胞クローンだと考える方が妥当だ。

 

「もし騙されてたらどうするつもり?」

 

「その時に考える」

 

「そういうの、向こう見ずって言うのよ」

 

 叢雲の声が怒気をはらむ。なぜ怒っているのかはわからないが、追及する時間もなければ興味もない。なにより触れるべきでない気がした。

 

「関係ないだろ、お前には」

 

「関係ない、か……」

 

 ぽつりと叢雲が漏らす。今度の声の調子はどこか物悲しげだ。さっきからころころと声にこもった感情が切り替わるが、迂闊すぎじゃないかと思う。

 

「岩崎重工のトップって私の艤装を作ったところよね?」

 

「よく覚えてるな」

 

「忘れないわよ。だってそれを使ってウェークを落としたんだから」

 

 覚えているようでなにより、と言うべきなんだろうか。海の底へ消えた前の艤装の代わりとして峻が叢雲のために岩崎重工のトップへ掛け合って、最終的に入手したものだ。

 

「で、殺害標的はそこのトップ岩崎満弥ね。あの人か……」

 

「1回だけならお前も会ってたっけな」

 

「ああ、別に躊躇いはしないから。さっきも同族を討ったばっかりよ」

 

 同族という表現は大げさに感じるが決して間違っていない。叢雲も人形兵もクローンを素体としたバイオロイドという括りになる。素体は同じだ。それが対人戦に特化させるように調整されたか、対深海棲艦に特化させるように調整したかの違いがあるだけだ。

 

「……あんた」

 

「ああ、わかってる」

 

 叢雲が峻へ警告するように言った。ずらりと並ぶ培養機の合間を縫いながら進んでいたところ、空気がいきなりがらりと変わった。それを敏感に感じ取ってのことだろう。

 

「久しぶりだね」

 

 まるで峻が来ることをわかっていたかのように初老の男性が暗闇より浮かび上がる。ずらりと周囲に並ぶ10を越えるであろう人形兵の肉壁に内心で小さく舌打ちをした。

 

「最後に顔を合わせたのはウェーク攻略戦後の祝勝会だったか。艦娘がクローンだとか絡んできた時点であんたが出てくるのは薄々だが察していたよ、岩崎満弥」

 

「そうか。まあ、当然の思考だ」

 

「悪いが死んでもらう。その周りの人形兵どもとな」

 

「この娘たちは特製だ。さっきまでのとは格が違う。そして私を殺すことは君にできない」

 

「できるさ」

 

 Cz75を持ち上げる。銃口はまっすぐ岩崎の眉間へ。いつでも撃てるし、いつでも殺せる。仮に人形兵が立ち塞がったとしてもすべてなぎ払えばいいだけだ。

 

「いや、殺せないとも。もう、この器は役割を終えた。そろそろ本体が動いてもいい頃合いだから」

 

「器? 本体?」

 

「いずれはわかるかもしれない。もっともその時にはすべてが変わった後かもしれない」

 

 わけのわからない単語を並べ立てて煙に巻いているだけのようには思えない。さりとて嘘を言っているようにも思えにくい。

 

「どうする?」

 

 こそっと叢雲が小声で耳打ちしてくる。だがどうするもなにも、はじめから目的は岩崎満弥の殺害だ。この後の身の振り方をどうするか決めていない以上は、さっさと片付けてしまいたいのが本音だった。

 

「本来ならもう少し後だったのだが。こんな騒動が起きてしまってはしかたあるまい。また会うこともあるかもしれないし、ないかもしれない。とにかく」

 

 岩崎満弥が懐に手を差し入れると小さな拳銃を取り出す。いわゆるレディース用だ。けれど、小型だからといって十分に人を殺すだけの威力はある。

 

「さようなら。いや、また会おうかもしれないね」

 

 パン! と乾いた銃声が響く。それが合図だったのか、岩崎満弥の体が崩れ落ちるのを背景に10以上の人形兵が一斉に峻と叢雲を目掛けて襲いかかった。




こんにちは、プレリュードです!

みなさん、イベント進捗どうでしたか? 自分は結局、途中までは乙で攻略し、最後は丙でクリアしました。最後の1日で照月を堀りに行ったんですけど落ちませんでしたね。すごく欲しかったんですけど物欲センサーが働いたのかもしれません……
瑞穂おちたからいいもん。ルイージも天霧も落ちてるからいいんだよ!!

本当は対空カットイン艦娘が欲しかったんです……うちは初月しかいないので……


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【JULIET】-JOLT

 

「ふっざけやがって!」

 

 東雲が通信機に声が入らないように怒鳴る。別室でホロウィンドウを大量に展開して、海軍本部内の各所を見ていた。ホロウィンドウのモニターには海軍本部内に放たれた人形兵と戦闘をする横須賀海兵隊や海軍本部内にいた。またかろうじて戦うことができそうな人員が人形兵と銃撃戦やら格闘戦を繰り広げられている映像も。

 

 しかし、東雲はそこに苛立ちを感じているわけではなかった。

 

「人をいいように使いやがって! 召使いかなにかじゃねえんだぞ!」

 

 海軍本部内の人形兵を掃討するため、その指揮を任された。それだけ言えば聞こえはいい。だが実際はゴミ掃除をやっていることとなんら違いはない。

 

「第3班、移動。7班と合流して区画域Aにいる3体を迎撃。いいか、腕によほどの自信がないのなら近接戦は挑むな。必ず遠距離で撃ち合え。近づかれる前に仕止めろ。無理なら距離を空けていい」

 

《はっ》

 

 一人の能力で相手をするには手に余る。必ず1体が相手でも集団で対応すること。これを徹底しても被害は出てしまう。

 

 それでも非戦闘員を巻き込むことは防がなくてはいけないし、かといって人形兵を市街地へ出すのは論外だ。なにを基準に脅威判定を下し、なにを対象にして攻撃しているのかわかったものではない。それにも関わらず、市街地へ出してしまおうものならどんな悲劇が巻き起こるか想像することは容易い。

 

 ……ことは十分なほど理解しているのだが、それでも使いっぱしりのように感じてしまうのは仕方ないだろう。

 

「ああ、説明には納得したさ。筋も物的証拠も揃ってる。確かに倒すべき敵ってやつは明確化されたとも。なら始めから言えよ!」

 

 蚊帳の外におかれ、勝手に話を進められた。それにもだいぶ腹が立つが、それ以上に人権を無視した兵隊なんてものを平然と運用してくることだ。

 

 ふざけやがって。

 

 苛立ちはする。だがただでさえ私情で行動してきたのだ。迷惑をかけるにしても、人死には出したくない。だから峻にも殺しはしないように徹底して言い続けた。

 

 にも関わらず人を殺すためだけに作られたような人形兵が岩崎重工から海軍本部の地下通路を使って侵入してきた。ホロウィンドウのモニターから見える戦闘の様を観察するだけでもわかる。合理的に、ただ単純な流れ作業でもするかのような行動。

 

「こちとらシュンに救援のひとつでも送ってやるべきだってのによ!」

 

 完全に巻き込んだ。元々は、峻の腕があれば絶対に死ぬようなことはないと踏んでの依頼だったが、こうなるのは想定外だ。

 

 このレベルが相手。しかも若狭が言うには例の隠し地下通路とやらを使って人形兵が発生している根拠地である岩崎重工の工場へ殴りこみに行っているらしい。

 

 おそらく叢雲もそれに同行している。もしかしたらすでに合流を果たしているかもしれない。

 

 だが2人いたところでなんとかなるものなのだろうか。これから先もわらわらと生まれてきて、襲撃してくるであろう状況に歯止めをかけてくれるのはありがたい限りだが、根拠地に殴りこむということは相応のリスクがある。

 

 発生源に攻め込んで人形兵の培養を止めてくれるのは確かに助かる。このまま無制限に湧かれ、海軍本部へ攻め込まれ続けられてしまうと今は持ちこたえることができていても、いずれ限界を迎えてしまう。

 

 制限なしに増え続ける敵と戦い続けるというのは相当に消耗する。こちらの兵力は有限。向こうの兵力は不明だが、結構な数を倒したがまだ襲撃してくることから、かなりの数がまだいるであろうことは察せられた。

 

「頼むから無事に帰って来いよ」

 

 半ば祈るような気持ちで東雲が呟く。叢雲も峻も無事に帰ってくる保証はどこにもない。それでも死地へ2人とも赴いた。

 

 峻はただ利用されて。

 

 そして叢雲はおそらく彼女自身のために。

 

 もちろん、あの2人は利用価値が高い。うまく手綱をにぎることができれば、あれほど強大な戦力になるものはない。

 

 だが、それ以前に同期で友人だ。そして友人の秘書艦だ。

 

 人が死ぬのは気分がよくない。それが友人であるのならなおさら。

 

《第9班です! 第5区画の掃討が完了しました!》

 

「よし、できるかぎり封鎖してから引け」

 

《はっ》

 

 報告が来るたびに、通路の封鎖を東雲は命じていた。通路までは至ることが難しい。そのため、できることは封鎖して侵入路を塞いでおくことくらいだ。

 

 今はやれることをするしかない。とにかく数を減らして余裕を作ったら、峻へ救援を送る。その機会を待ち続ける。

 

 逸る気持ちを抑えて、ただひたすらに東雲は人形兵掃討の指揮を執り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 叢雲と峻が左右にステップで別れた。ほとんど間を開けることなく床面に銃弾が数多く突き刺さる。

 

「さっきまで銃なんて使うやついなかったじゃない!」

 

 叢雲が反対側で叫ぶ。確かにその通りだ。さっきまではマチェットナイフや脇差などの近接系統が多かった。だがここにきて急に銃器だ。質が大幅に向上していた。

 

 だからといって、近接型の人形兵がいないというわけではない。

 

「うっとうしいわね」

 

 叢雲の刀が警棒の武器を受け止める。金属同士がぶつかり合う嫌な音がすると、火花が散った。

 

「なんでもってフーデットマントなんて着てんのよ。さっきまでのはそんなの装備してなかったじゃない」

 

「あのマントの下、替えの弾倉やらがあるらしいな」

 

「そういうこと……ねっ!」

 

 真横に刀身を一閃させて追い払うと、叢雲が後方へと大きく跳んだ。すぐに追撃の銃弾が飛んでくるため、1体に対してかかり切りになることができない。

 

 これが近接型の人形兵オンリーならば話も変わっていた。たとえ相手にするのが複数体にしても有効範囲に大きな変化がなければ同じだ。

 

 峻がCz75を連射する。だが、一発たりとも命中しない。しかも峻に背を向けていた人形兵すらも避けてみせた。

 

「さっきのと動きが違うわよ」

 

「知ってるよ」

 

 首を引っ込めて鼻先を掠めていく銃弾を回避。そもそも銃に類するものすら使用してこなかったのだ。それにも関わらず、今回の人形兵たちは平然と使用してきた。

 

 さっきまでの行動よりも精緻で、そしてがむしゃらに突っ込んでくるようなことはせず、慎重に様子を窺いつつも攻撃してくる。しかも、銃持ちと近接戦闘型が分かれて連携をしながら交互に攻撃をして来る。

 

 どうかんがえても今まで相手をしてきた人形兵の戦闘プログラムとは格が違う。

 

 峻が振り下ろされる刃を避けると、その姿勢が崩れたタイミングを狙い澄ましたかのように銃撃。上体を逸らしていくつかは避けるが、このままでは当たると踏んだ峻は義足のブースターを一瞬だけ始動させる。

 

 ブースターによって勢いのついた体が真横に回転する。背筋に捻りを加えて姿勢を戻す。目の前には大きく飛び上がって、襲いかからんとする人形兵が迫っていた。

 

「ちぃ」

 

 もう一度、ブースターを作動させて人形兵を蹴り上げる。ブースターは吹かし続けて、そのまま後方へバック宙をすることで、距離を空けると同時に体勢を整えなおすための時間を捻出する。

 

「やあっ!」

 

 気迫のこもった叢雲の声が耳朶を打つ。叢雲も苦戦しているのか、人形兵が倒れた音はしてこない。手こずっているのは峻も変わらないため、あまり人のことは言えないのだが。

 

 不意を突いているはずなのにかわされる。意識の外から攻撃をしているにも関わらず、見ることすらせずに避ける、あるいは弾くなりして無傷で済ませてしまう。

 

 さすがに視界の外からくる攻撃を何度も避け続けることなどありえない。第六感のようなものがあるわけでもなし、なにかのカラクリでもなければ不可能だ。

 

 音かと考えてみるが、さっきから叢雲の踏み込みや峻の義足に内蔵されているブースター、人形兵たちの銃撃がある。これだけの音がごちゃ混ぜになっている状況下ではいちいちどれがどの音かを判別して判断をするようなことは無理だ。

 

 視界には収められない範囲から攻撃している以上は視覚ではない。かといって聴覚も違う。触覚や嗅覚はもちろん、味覚など論外だ。

 

 見えなくとも避けることができる。このトリックも別の戦闘プログラムに種があるのかもしれない。

 

 じり、と峻が後退する。叢雲も後退していたのか自然と距離が縮まる。

 

「囲まれてるわよ」

 

「それも知ってる」

 

 そもそも最初から囲んで逃げ場を潰されていなければ、こんな不利な状態からはさっさと脱して、よりこちらにとって有利な場所まで誘導した上で、いっぺんに相手するのではなく個別撃破を狙うように方針を転換する。それをしないのは囲まれているからということもあるが、さっきから後手に回る羽目になっているからだ。

 

 下唇を噛む。状況の打開が必要だ。このまま続けたとしても、数で劣るこちらが不利なのは火を見るよりも明らか。しかも、そろそろ義足のブースターを作動させている燃料の残りが心もとない。

 

 勝負に出るしかない。

 

「……南無三」

 

 自棄まじりに吐き捨てながら、残りの燃料をすべて使い切る勢いでブースターを吹かす。峻に向かってきていた人形兵の隙間を縫うようにして銃を構えている一団へと突っ込む。

 

 幸いなことに銃持ちは多くない。前衛と後衛がきっちりと分かれて、隙を与えずに攻撃を続けたおかげで後方の銃持ちは今まで無傷でいられた。

 

 だが峻はブースターを使って一瞬で加速することで前衛の格闘戦を担当していた人形兵を抜けて銃持ちの目の前まで到達した。

 

 しかし、よりよい戦闘プログラムをインストールされているせいかすぐに対応として銃の台尻で殴りつけてくる。だが苦肉の策だ。確かに咄嗟の判断としては優秀だ。後ろに下がったとしてもまだブースターが生きている状態では効果が薄い。ならば迎撃に切り替えるというのは妥当だ。

 

 けれど、そう易々と落とされるつもりはない。台尻の一撃くらいなら避けることができる。銃弾が避けることができて、振り下ろされる台尻の速度が目で追うことができないことなどない。

 

 さらにブースターを吹かして時計回りに回転。首の根元あたりにナイフをねじ込むと回転の勢いをそのままに深く抉りつけるようにして捻じ切った。峻を殺した人形兵ごと刃で貫こうとしていた打ち刀持ちの人形兵が肩越しに迫る。死体を蹴りつけて迫り来る人形兵ごと強制的に距離を空けさせる。

 

 まだ近づかれてはいけない。とにかく銃持ちを処理しないかぎり、この悪い状態は打開できない。

 

 Cz75を連射して近接戦闘型の人形兵を遠ざける。撃って回避してくれないのならば命中させるか、武器で弾かせることで足を鈍らせるくらいしか期待できないため、せいぜいが稼げて数秒といったところか。

 

 再び義足を使って加速。左目から後頭部を銃弾が突き抜けていくと、力が抜けた人形兵が崩れる。

 

 次。次。次。

 

 銃弾が当たらないのなら、必中の距離まで肉薄して撃てばいい。撃ってくると理解できたとしても、間に合わない。こうしてしまえば実質、必中だ。目に付いた銃持ちを徹底的に殺しつくしていく。視界の隅で叢雲が一体の銃持ちをアサルトライフルごと斬り捨てていた。どうやって近接戦闘型の包囲を抜けたのかわからないが、こうして銃持ちのところまで来て、刀の錆にしているということはうまいこと抜け出したのだろう。

 

 時間はあまりない。だが、叢雲も銃持ちに攻撃を加えて屠っているため、すぐに射撃型の人形兵は片付いた。

 

 あとは共に有効範囲が同じ近接戦闘型のみ。これで土俵に引きずりだすことはできた。あとは純然たる殺し合いのみ。

 

 だが完全に状況が覆ったかと言えばそうではない。多少なりとは好転したが、数の不利は依然として立ちはだかったままだ。

 

「これでちょっとは楽になるでしょ」

 

 ぴっと刀身から人形兵の血液を振り払って叢雲が相対する。同感だが、あえて口にする必要はないように思えたので、黙ったまま峻は攻撃の姿勢を作った。

 

 行動する前に軽くブースターを吹かそうとしてみるが、小さな空気だけが吐き出される。これで完全にガス欠だ。義足はただ少し威力のある蹴りくらいにしか使えない。使えないとわからないままで突入するより、わかっていた方がはるかにいい。

 

 人形兵たちが峻と叢雲に向かって踊りかかる。真っ先に飛びかかってきた人形兵のナイフをこちらも同様にナイフ受け止めると、わずかに力を抜く。

 

 かくん、と急に緩んだ圧に対応できずに人形兵がグラつく。それを逃さずに、手に握られているナイフを叩き落とした。そのまま一気に片をつけんと峻が左手のCz75を人形兵の頭部に向けて撃つが、すんでのところで避けられる。

 

 銃弾がフードに穴を空ける。多少なりと後方へのエネルギーを受けたフードと、頭を下げようとした人形兵の動きに差異が生まれたせいでひらりとフードが脱げた。

 

 そしって峻はフードの下を見てしまった。

 

 運が悪かった。人形兵のフードが脱げてしまったことも、その下を見てしまったことも。

 

 それは青みがかった銀髪だった。そして燃えるような赤に近いオレンジの瞳だった。

 

 殺意のない虚ろな瞳と視線がぶつかる。ニセモノだということくらいはすぐにわかった。なにより叢雲(ホンモノ)はすぐそこで刀を振り回している。

 

 これはクローンだ。わかっている。

 

 しかし、脳裏にはあのもうひとりの少女が浮かんでしまっていた。峻の目の前で撃たれて死んでいったもう一人の叢雲が。

 

 始めから死ぬことがわかっていたはずだ。それでも笑って死んでいった別の叢雲。

 

 ━━『私』をお願いしてもいい?

 

 少女が死ぬ前に残した最後の言葉が蘇る。ここでまた新たな叢雲が殺されることを少女は果たしてみとめるのだろうか。それは同じことが繰り返されないことを願ってその命を投げ打ったあの少女の覚悟を踏みにじる行為ではないと本当に言えるのか。

 

 なにより、帆波峻はそれを許容してしまっていいのか。

 

 ぎぎ、と峻の動きが錆びついたように鈍る。まるで経年劣化して壊れたブリキの人形のように。

 

 ありえることではあったはずだ。人形兵がクローンを素体として改良を加えられていると若狭に聞いた時点でこうなることは予想して然るべきだった。

 

 わざと考えないようにしていた。また叢雲と同じ細胞データを使ったクローンが生産されることなど起きない。そう思い込むことにしていた。

 

 けれど目の前にいるのはどう考えても叢雲のクローンだった。

 

 ありえない。そんなことが起こるわけがない。否定の言葉はいくらでも出てくる。だが、現実として髪色も瞳の色もそっくりを通り越して同一と言わざるをえない。

 

 本能は殺せと告げる。だがどれだけ動けと命じても体が硬直していた。カラン、と右手からナイフが滑り落ちて床で跳ねると転がった。

 

 時間が信じられないくらいゆっくりと流れているように感じる。叢雲の容姿をした人形兵の袖口から新しいナイフが飛び出していく。人形兵がそれを握り締めると踏み出して、峻の胸へと突きたてた。刺されたとは思えないくらいに小さく鈍い痛みが胸部に走る。

 

 割り切らなくてはいけなかった。いや、すぐに割り切れた。ただ、一瞬の硬直という犠牲を払えば、だが。




こんにちは、プレリュードです!

ズルズルと続きに続いてクーデター編。だいぶん更新もキツキツになって参りましたが、このまま定期更新を続けていければと考えております。

なんだかワンパターン臭くなってきましたが許してください。この話だけで何人、叢雲が出てこれば気が済むんだよってぐらいに叢雲全力プッシュです。叢雲ハーレムと考えると作者としてはめちゃくちゃ天国なんですけどね。


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【KILO】-KEY

 

 叢雲はその瞬間を見ていた。峻の胸にナイフが刺さっていくその時を。そして自分と同じ容姿の人形兵を。

 

 何が起きたか理解は早かった。そして頭が沸騰するのも。

 

「あああああああああああああああ!!」

 

 刀を力任せに振り下ろして目の前の人形兵をナイフごと叩き斬る。鮮血が吹き出す中を掻い潜るように突き進み、峻を刺した人形兵に向かっていく。

 

 虚ろな瞳の人形兵と、叢雲の燃えるような赤に近いオレンジの瞳がぶつかり合う。なにも映さない人形兵に対して、叢雲の目はただ純粋な怒りの焔が宿っていた。

 

「私の姿で……!」

 

 峻に攻撃して、怪我を負わせた。それだけで十分すぎるほど怒るに値する。

 

 だがそれ以上に自分と同じ姿で同じ顔の人間が峻に殺すつもりで武器を振るい、攻撃を加えたことが許せなかった。

 

 空気がビリビリと震動するほど強く叢雲が踏み込む。右腰に刀を隠すように構えて右斜めに斬り放つ。

 

 しかし、浅かった。普通の人間なら致命傷だが人形兵を相手にするにはまだ足りない。肉を斬り裂いたのみで、芯まで届いていない。

 

 バックステップで人形兵が距離を取る。それが余計に叢雲の中で燃え上がる怒りに油を注ぐ。その行動はまるで逃走を想起させられたからだ。

 

 そして逃避する姿がついこの間まで自身が抱いていた感情から目を背け続けた自分がリフレインして重なった。

 

「逃げるな!」

 

 叢雲が吼える。薄暗い照明を受けた刀身がギラリと光を照り返す。周囲なんて見えていなかった。ただ自分と同じ容姿の人形兵だけが視界の中心を占拠し続けている。

 

 ずっと理解することを避けてきた。迷い続けて時間を稼ぐために逃げた。けれど、迷う時間はもうお終いだ。だからこそ、ここに来た。もう手から溢れ落とさないために。

 

 さらに強く踏み込む。空気どころではなく、空間そのものが揺れ動くほどに強く。手首を返して刀身を回転。柄頭を左手で握る。右手はあくまで添える程度。

 

「死になさい!」

 

 右上から左下へ体重と踏み込みの勢いを乗せて振り下ろす。叢雲クローンの首筋に刃が当たる。筋繊維を裂いて骨を砕き、腹部を割って血の糸を引きながら斬り抜いた。

 

「はあっ、はあっ、はあっ……」

 

 荒い息を叢雲が吐く。頭に上っていた血が下りてようやく少しずつ周りが見られるようになってきた。

 

「あー、まずったわね……」

 

 叢雲はようやく冷静になってから改めて周囲を見渡す。ただ一心に突っ込んでしまった結果、不用意に人形兵のど真ん中に飛び込んでいた。じわりと嫌な汗が滲む。迂闊だったとしか言いようがない。

 

 すぐに頭に血が上るのは悪い癖だ。それはゴーヤとの演習で身をもって思い知らされたことのはずなのに。

 

 中段に刀を構えなおす。死んでやるつもりなんてこれっぽっちもなかった。まだ峻は生きているはず。手当てをすれば助かるにも関わらず、ここで叢雲が死んでしまったのならば誰が医者か衛生兵の下へ運ぶというのだろう。

 

「まだ私は死んでやれない。まだ私はやらなきゃいけないことがあるのよ!」

 

 囲まれていようと諦めるつもりなんてない。叢雲自身の命も峻の命さえも。欲張りだと言われることになろうともこの2つだけは手放すようなことだけはしない。

 

 そのためにここに来たのだから。

 

 峰で攻撃を逸らして切り上げ。予想通り避けられるが追撃をかけて、なんとかかすり傷を与えるのみに止まる。

 

「鬱陶しい!」

 

「本当にな」

 

 パァン! と銃声。完全にノーマークだったらしく、一体の人形兵が血を吹きあげて倒れた。

 

 ゆらゆらと硝煙が銃口から昇る。Cz75を握る峻が手近な人形兵へと飛び掛る。

 

 

「こいつらの視界から完全に外れたところからの攻撃は当たるぞ、叢雲」

 

「どのみち(これ)なら関係ないって……のっ!」

 

 叢雲が刀を振りぬいて人形兵のナイフを叩き折る。峻が飛び出て、首筋を切り裂きつつ銃口を眼球に突きつけた。トリガーを連続して引くと人形兵が床に沈む。

 

 バックステップで峻との距離を取ろうとした人形兵の足を義足で踏みつけてバランスを崩させる。ぐらりとよろめいたところを叢雲が走りこんで刃を一閃すると斬り裂いた。

 

 血飛沫を避けて叢雲が人形兵の死体を蹴り込んで盾に利用する。視界を塞いだところで攻撃を避けてくるため、あくまで足止めだ。

 

「行け!」

 

 叢雲が叫ぶ。理解した峻が無言で跳ね上がると叢雲が蹴り込んだ人形兵を足がかりにして前方へ回転すると義足で人形兵の武器を下方へ蹴り落とす。そのままCz75を連射した。

 

 当然のごとく人形兵は避けてみせた。だがそれを先読みしていた叢雲が峻のさらに上から舞い降りると重力落下の速度を生かしつつ、一刀両断した。

 

 避けられてしまうのなら避けられないシチュエーションを作り出してしまえばいい。一人が固定し、もう一人が攻撃する。一体の人形兵あたりにかけられる時間はせいぜい数秒あるかないか。それでも着実に人形兵の数は減っていく。

 

「次、弾くわよ」

 

 叢雲がそれだけ短く言うと刀で鈍器の根元に刃を当てて弾く。空いた懐に峻が飛び込んで胸をナイフで抉るように突き刺す。顎にCz75を叩くようにぶつけると連続してトリガーを引いた。

 

「最後!」

 

 人形兵の突き出されたこぶしを潜るように叢雲が反時計回りに体を捻る。回転の勢いをそのままに刀身が閃く。刃が人形兵の左脇腹を割った。肋骨の流れに沿って腹部を斬り開いていく。

 

 すさまじい勢いで血液が吹き出し、臓器が零れ落ちる。返り血を浴びたくない叢雲は臓物や脂肪、血液の飛び散る間隙をするすると抜けた。

 

 と、同時に刀を手から離してつかつかと歩み寄ると峻の手首を強く掴んだ。

 

「なっ!?」

 

 完全に虚をつかれた峻が驚愕に目を見開く。ここまできて叢雲が来ることはまったく考えていなかったのだから。

 

「怪我! あんた刺されたでしょ!」

 

 平然と動き回っていたが、アドレナリンが効いていたということもある。なにより過去に峻は右脚が吹き飛んでも平然と指揮を執っていた。実はシャツが血を吸っていただけで、かなりの出血ということもないとはいえない。

 

「せめて止血だけでもしないと死ぬわよ!」

 

「お、落ち着け……」

 

「落ち着いてなんかいられるわけないでしょ!」

 

 叢雲が上着をがっしと掴んで引っぺがした。だが、その下に着ている服には小さな赤いシミがあるのみ。いくらなんでもありえない。遠目に見ただけだが、それなりに深く刺さっていたはずだ。それなのに血が少し滲む程度で済むわけがない。

 

 困惑する叢雲が持っている上着の懐から転がり出たものを見てようやく理解不能から立ち直る。

 

 あれだけ暴れまわることができるわけだと叢雲は納得した。カシャン、と床に落ちたワイヤーガンに鋭い傷が穿たれていた。

 

 つまり、峻を突き刺したと叢雲が思いこんでいたナイフは懐に入れていたワイヤーガンに当たり、結果的に峻の皮膚と細い血管を傷つけるだけに止まった。

 

 完全にワイヤーガンは壊れてしまっていた。それはまるで峻の身代わりとなったかのようだ。

 

「はぁ……」

 

 力が抜けた叢雲がぺたん、と床に座り込む。ずっと張り詰め続けていた緊張の糸がぷっつりと切れたのだ。取り落としたままの刀を拾いに行くことすらしない。さすがの連戦続きに多少の疲労感を峻自身も感じないわけではないため、責めはしない。

 

 後続が来るような様子もなし、しばし武器を収める余裕くらいはあると踏んだのだから。

 

 事実として人形兵たちは来ない。ただ骸が転がる中で、峻と叢雲が佇んでいる。それだけだ。トップであった岩崎満弥は死んだ。すぐそこに死体が横たわっていることがなによりの証拠だ。

 

 つまり元々やれと言われたことはもう終わった。人形兵生産ラインの停止と岩崎重工のトップ殺害。

 

 タスクは完了した。追加の人形兵も来る様子はない。なので峻は少しばかり気を抜いていた。

 

 だからこそ、と言うべきか。口が滑ったというほどではなくとも、軽率すぎる口を叩いてしまった。

 

「それにしても慌てすぎだろ。そこまでするほどのことでもねえだろうに」

 

 本当に軽い気持ちでぽろっと零れた言葉だった。だがそれを耳にした叢雲の顔がみるみるうちに険しいものに変貌していく。

 

「……ざけんじゃないわよ。心配するに決まってるじゃない!」

 

 叢雲の声に剣呑さが宿る。しまったと思うがもう遅い。

 

「なんのためにここへ来たと思ってるのよ。どうして私が無理を押し通したと思ってる!」

 

「待て……」

 

「慌てすぎ? 慌てて当然じゃない! こっちはあんたが死んでほしくない一心でどんなこともやってやる覚悟してる。それなのに目の前で喪いかけた。もしも喪ってしまっていたらどれだけ後悔してもしたりなかったでしょうね」

 

 峻の制止を無視して叢雲がすさまじい剣幕で続ける。その勢いは止まることを知らず、濁流のごとくあふれ出す。

 

「絶対に喪いたくなかった。だって私はあんたのことが好……」

 

「やめろ」

 

 それ以上はだめだ。どんな言葉を叢雲が続けようとしたか峻はわかってしまった。だからこそ、その続きを言わせるわけにはいかなかった。

 

 嫌に明瞭に峻の声が響く。まるで他人事のようにその声は聞こえた。

 

 けれど、何が何でも阻止しなくてはいけない。この続きだけは言わせてならない。

 

 叢雲の鬼気迫った表情がゆっくりと剥げ落ちていく。それでも言の葉を紡ぎ続ける以外の選択肢は峻に存在しないし、させてもらえない。

 

「その言葉は俺ごときにかけていいものじゃない。もっと別の、より相応しいヤツこそ受け取るべきだ」

 

 目を合わせて叢雲へ告げる。困惑。そうとでも表現するしかないような面持ちへと叢雲の表情が変貌を遂げていく。

 

 ドタドタという大人数の足音が遠くから近づいてくる。首を左右に動かして何かを振り払った叢雲が転がったままの刀を回収する。

 

 一息をつくことができたと思ったが誤解だったか。軽率な口を利くだけではなく、警戒すらも解いていたのかと思うと自身を呪いたくなった。

 

 瞬くほどの速度で右手がナイフを、左手がCz75を握りしめて構える。血の滴ったままの刀を少し離れた場所で叢雲が下段の構えを取った。

 

 義足のブースター燃料は完全に切れている。体力もきっちり残しているが、警備室から人形兵の連戦と消耗していることに変わりは無い。

 

 蝶番の壊れたドアが勢いよく押し開かれる。どたどたと10人ほど武装した人間たちが雪崩れ込んできた。

 

「帆波峻、ですね」

 

「だとしたら?」

 

「東雲中将から救援として送られてきました」

 

 武装隊の中の一人が進み出る。東雲は本当に救援を寄越したらしい。

 

 だが周囲に人形兵の死体がさんざん転がっているということはもう片付いた後ということに他ならない。人形兵の追加生産をしようにも、装置自体はコンソールで止めてしまっている。これだけ時間が空いても追撃の人形兵が来ないのならば十中八九、これで打ち止めだろう。

 

「ずいぶんとタイミングがいいな」

 

「ええ、まさかもう終わっているとは」

 

 ちくりとした皮肉はさらりと流された。どうせここまで来た理由は暗殺対象か峻の死亡確認だろう。どっちが死んだかというのは立っている人物が峻の時点で察しただろう。

 

「そこらへんに岩崎満弥の死体が転がってる。確認すればいい」

 

 くいっと親指で死体が転がる辺りを指差す。おそらく岩崎満弥の死体もあの山の中にあるはずだ。死亡確認をするためにわざわざあの長い地下通路を通ってここまで来たというのだからきっちりとしていくのだろう。

 

 あと推測される目的としてはこの工場の実態調査だろうか。コンソールにより機能面だけ停止させられた現状であれば気をつけて余計なものを起動させたりしなければ大きな問題へ発展するようなことはないはずだ。

 

「あなたはどうされますか?」

 

「……大人しくしとく。どのみち逃がすつもりなんてないだろうしな」

 

 峻が持っている情報も欲しいはずだ。人形兵と戦闘をしたことによって肌で感じたもの。そういった情報の一端すらも東雲や若狭を始めとして陸山や他の大将クラスが欲しているはず。それにも関わらず安易に逃がしてくれるとはとても思えない。

 

 どのみち峻に逃げる理由もなかった。利用価値があると思われているうちはすぐに殺しにくることはない。粗雑な扱いをうけることもないだろう。それならば無理して武装した部隊と正面から相手取る必要はあまりない。

 

 無論、いつでも戦闘態勢に移行することができる状態だけは維持しておかなくてはならない。ナイフは腰の鞘に収めたが、いつでも抜けるように止め具は外してある。同じくCz75もショルダーホルスターへ戻したが、セーフティーはかけていない。

 

「……」

 

 距離を空けたところで叢雲が無言で佇んでいる。目を合わせないようにしてその脇を峻は通り過ぎた。

 

「どちらへ?」

 

「ここら辺をぶらつくだけだ。逃げやしない」

 

 わざわざ目敏いことだ。峻としては自分の価値を高めるために情報収集をしておくことは意味がある。この後がどうなるにしろ、見極めは重要だ。そのまま必要な人材だと思い込ませるにしろ、逃亡の選択肢を取るにしろ、時間は稼がなくてはいけない。その時間を稼ぐために知識があった方が何かと便利だろう。

 

 さっきは余裕がなかったゆえに見て回らなかった箇所を何とはなしにふらつく。放置されているのは出入り口を完全に押さえているためか。

 

 これ幸いとばかりに工場内を歩き回る。透明な培養機の中には裸の人間がぬめりのある薄緑色の液体の中で浮かんでいる。特に代わり映えのない景観だ。さすがにそう容易く新たな情報を見つけ出すことはできないということだろうか。

 

 そう考えながら気を張りつつ歩いていると、とある一角から空気ががらりと変わった。急にひやりとした空気が肌をくすぐるようになる。

 

 明らかに変だ。そう直感が告げる。探りを入れてみようとさらに進んでいく。

 

 そして明確なまでの異変が峻の正面に現れた。

 

「おい、悪い冗談にも程があるぜ……」

 

 さっきまでと似たような培養機や保存用の円筒ガラスケースがずらりと並んでいる。中もなみなみと薄緑色の液体で満たされている点も同じだ。

 

 唯一の違いはそれらのケース内に深海棲艦としか思えない生物がいることだろう。

 

 ただの被検体として鹵獲したものが保管されているだけならまだわかる。だが一目でそんな目的ではないことはわかった。

 

 人型の深海棲艦と人間のパーツが合わさった検体がいたからだ。

 

 ペタリとガラスケースに手を触れる。どれだけ目を凝らしてみても、深海棲艦の部位とただの人間の部位の境界線に縫合したような痕跡は見当たらない。非常に滑らかで元からそうなっていたと言われても信じてしまうレベルだ。

 

 峻は決して医者ではない。だが仮に鹵獲してきた深海棲艦と人間を融合させるために手術を施したとしても、まったく縫合した痕跡を皮膚に残さないということはほぼ不可能だ。もちろん、できないわけではないが、融合させる実験を行っていたのならば、わざわざ縫合した跡を消す努力をする意味はあまりない。余計なコストが嵩むだけだ。

 

 それはつまり、この深海棲艦とも人間ともつかない生物が、人為的に融合させられたのではないことを示していた。

 

 周囲を見渡してみると、他にもそんな生物が大量に納められていた。

 

 クジラやサルなどの動物であったり、人間であったり。だがいずれの生物も共通している点があった。

 

 歪にゆがんでいる境界線。不自然なまでに滑らかすぎる結合部。

 

「深海棲艦、か……」

 

 峻がつぶやく。ガラスケースの中にいる人間と深海棲艦のハーフの生物の生気がない双眸が虚ろに峻を見下ろしていた。




このシリーズどこまで続くんでしょうね?
割と真面目に続きすぎじゃないかと不安になり始めた今日このごろです。いえ、ちゃんと完結はさせますよ?

大本となるプロットを組んでからはや一年以上。もうちょっとなんかあったんじゃないかなーと思いながらも大きな変更をせずにここまできました。
もうしばしお付き合いをいただければ幸いです。


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【LIMA】-LEAD

 

 それから後はいろいろあったらしい。

 

 らしい、などという不確かな形になってしまうのは峻がその『いろいろ』をこの目で見ておらず、あくまでも伝聞にすぎないためにこういう曖昧な言い方にならざるを得ないためだ。

 

 1週間以上もの時間を峻はあてがわれた部屋で過ごした。特に拘束されるようなこともなく、毎食がきちんと出てくる。何かに縛られるわけでもなく、何不自由なく過ごせていた。武器の類はすべて没収になっていたこと、そして常に監視の目に晒され続けたことを除けば、だが。

 

 別に逃げ出そうと思えばいつでも逃げ出せた。だが特に暴れる必要性も感じなかったこともあり、峻は大人しくしていた。

 

 そして途中から何日が経ったのかカウントすることも止めた頃、ようやく呼び出されたのだった。

 

「出てください。元帥がお呼びです」

 

「……ああ、わかった」

 

 手渡された軍支給のカッターシャツに袖を通す。糊のきいているパリっとしたそれに着替え終わると、部屋の外で待機していた海兵の先導に従って長い廊下を歩いていく。

 

 元帥に呼ばれた。その理由はだいたいどころかすべて察している。というか心当たりしかないため、察するも何も初めからわかりきっているという言い方が正確か。

 

「こちらです」

 

「ああ」

 

 ずいぶんと丁寧だったな、と思いながら回れ右をして戻っていく海兵を見送る。完全に反逆者のレッテルは剥がれていないはず。それに憲兵を吹っ飛ばしたり、警備室で暴れ回ったのは言い訳のしようもなく峻なので妙に丁寧すぎる対応が引っかかった。

 

 この期に及んでノックなどする必要があるかは疑わしい。けれどわざわざしない理由もないため、右手を持ち上げて重厚感のある木製の扉を叩いた。

 

「開いているよ」

 

 入っていい、という許可の意図を勝手に読み取るとドアノブに手をかけて軽く押す。驚くほど滑らかに扉は開き、その内へと峻を招き入れた。

 

「そこの席が空いているから、かけるといい」

 

「……どうも」

 

 わざわざ元帥自らのご指名だ。ここでも突っぱねる理由も特にないため、大人しく従う。

 

 なかなかの調度品らしい椅子に腰を落ち着けながら部屋をぐるりと見渡す。元帥である陸山を皮切りに大将が3人。そして東雲、若狭、長月とこの件に関わったメンツが勢揃いだった。

 

 約1名を除いて、だが。

 

「さて、君の処遇を伝える前に君の意志を確認しておきたい。この後、どうしていくつもりだ?」

 

「現時点ではなんとも。意志決定をするにも、要素が欠けていると判断します」

 

「堅実だな」

 

 皮肉か、とよっぽど言い返そうか検討しかけるが突っかかるほどのことでもない。なによりめんどうだ。

 

「ならば判断材料を与えよう。例の人形兵による被害だが、いくつかの備品を買い直しになったこと、そして死傷者が少々。大将も1人、その命を落とした」

 

 だから3人だけか、と納得する。元々は4人いたはずにも関わらず3人しかいないために、変だとは思っていたのだ。

 

 だがそれを差し引いてもずいぶんと軽い被害だ。早期対応の賜物だろうか。大きな人員の低下を防げたことは僥倖だ。

 

「何がわかりましたか? あの地下施設を捜索したのでしょう?」

 

「したとも。だがここから先は君の考察も欲しいのでね。主観で構わないから、聞くことがあれば答えてほしい」

 

「……答えられる範囲でよろしければ」

 

 視界の端で本当に僅かな苦笑を東雲が漏らす。

 

 全肯定は危険だと経験から知っている。それに峻の主観が欲しいと言われたおかげで何のために生かしておき、そしてここへ呼ばれたのか当たりをつけることができた。

 

 要は人形兵との戦闘に関するデータが欲しいのだ。それもできるかぎり詳細なものが。

 

 最前線で格闘戦を繰り広げた峻なら銃撃戦を主体に応戦した本部の部隊や、横須賀海兵隊と比べると、また違った情報が得られるかもしれない。そう考えて峻を生かしておいたのだろう。

 

「では始めようか。まず、これからのことで……」

 

「すみません、その前にはっきりさせておきたいことがあるので」

 

 峻が話を進めようとした陸山を止める。意図を汲んでくれたのか、陸山がゆっくりと口を閉じた。黙礼だけをして、感謝の意を伝えると口火を切る。

 

「これからのことを考える。大変結構な事だと思いますよ。ですがこちらに何があったか、そして何が起きていたか。そこの説明をしていただきたい」

 

 今のところ、峻の手元には結局のところあの人形兵がどういうものなのか、なんの情報もない。この説明なしにこれからのこと、などと言われたところで納得できるわけがない。

 

「どういう形で作られたのか、岩崎重工と海軍本部がどういった関係性にあったのか。以上の二点は明確にしていただきたい」

 

 工場を調べたのならばこれくらいはわかっているはずだ。なによりも、峻の中で、工場内にあった深海棲艦と人間のハーフらしきモノが気にかかっていた。

 

「それを説明するには『かごの目計画』から説明することになる。そもそもの発端は妖精と名付けられた物質だった。この物質による異常としかいいようのない肉体的限界の延長と細胞活性による超再生。この可能性が岩崎重工側から提示されたことが始まりだ」

 

「岩崎重工側から?」

 

「そうだ」

 

 峻の確認を込めて投げかけた疑問符に陸山が首肯する。すでにずぶずぶの癒着関係があった予感しかしないが、この際は置いておく。

 

「我々としてもいい話ではあった。戦場において時に最も軽く、そして同時に最も重いもの。それが兵士だ。その兵士の死亡率が大きく落ちる。これだけで飛びつくに値する話だ。なにより、医療方面での利用も見いだせた。治療に関して患者の負担が軽減でき、リハビリ期間も短期で終わる。最高だ、と当時は思ったものだ。あの頃はWARNのテロ活動が活発だった。いつ、その魔手が日本へと及ぶかわからない状況下に置かれて、少しでも軍事力の増強をしなければという焦燥感に駆られていた」

 

 攻撃が効き辛く、回復が早い。いいことずくめではないか。飛びつく話としては妥当だろう。

 

 なにより、目の前にテロとの戦争が近づいてきていた。それだけに対策を打たなくてはいけなかったという思考に囚われてしまうこともむべなることかもしれない。

 

「ただ、どのような問題が浮上するかわからなかった。なにより人体に異物を取り込ませることになる。きちんとした動物実験をしておかなくてはいけなかった」

 

「その過程で生まれたのが深海棲艦の大元、というわけですか」

 

 開発には失敗が付き物だ。そしてそれらの失敗はなぜ失敗したのか研究するために手元に保存する。

 

 あの工場で峻が発見したのはそのうちの一体だったのだろう。

 

「そういうことだ。だが、それらは貴重なサンプルとして保存された。1度や2度の失敗でこの研究をストップさせるのは、成功した際に得られるものを考えると、とてもではないが止められるようなものではなかった」

 

 そして深海棲艦(しっぱいさく)だけが積もっていった。トライアンドエラーの繰り返し。その内に一つの可能性へと至った。

 

「あとは事故か故意かどうか、ですね」

 

「……我々は事故だと思っていた」

 

 つまり、事故で深海棲艦は海へ逃げたと知らされていたということか。だが思って『いた』との発言からそれが揺らいでいることがわかる。

 

「けれどそれだけでは深海棲艦が火砲の類を持つようになった理由がわかりません」

 

「……これはあくまでも推測の域を出ないが、元からこうするつもりだったのではないか。ただ巨体に任せて突撃してくるだけならば、そもそも艦娘は必要ない。あれらが火砲を持ったからこそ、脅威判定は上がった。艦娘という形にはなったが、対抗可能な兵器を求められた」

 

「艦娘と深海棲艦が戦う構図そのものを欲していた、ということですか?」

 

「あくまでも推測の域を出ないが、それでも的を射ているはずだ」

 

「これを見てもらえれば合点もいくんじゃないかな?」

 

 なにを根拠に、と口をつきかけるがその前に若狭が割り込んだ。いつの間に用意してあったのか部屋が暗くなり、ホログラムのスライドが表示される。

 

「こいつは?」

 

「岩崎重工の地下施設に隠されていたもう一つの研究施設の資料さ。一部は僕が事が起こる前に入手したもの、残りは制圧が完了してからサルベージしたもの。帆波、君ならわかるだろう? 僕は専門分野じゃないから理解するのにちょっとかかったけど」

 

 言われて峻がホログラムのスライドに目を向ける。うぶ毛のようなものがびっしりと生えた球体が拡大されて移されており、補足するように設計コンセプトなどが字を連ねている。

 

「これは……ナノデバイスか?」

 

「半分は当たり。生物細胞から作り出された自己分裂機能を保持しているから単純にナノデバイスということはできない。さしずめ生きるナノデバイスといったところかな」

 

 無性生殖、というものがある。ウイルスの類やプランクトンなどに見られる生殖のことだ。

 

 おそらくはこれと似たような仕組みだ。

 

「そいつで何をするつもりだ。ただナノデバイスなんて言われたところで使い道なんてわからねえ。そもそも自己分裂機能なんてリスキーなもんを付けたのはなんでだ? どっかの個体でバグが発生したら連鎖的に生まれていく個体もバグを抱えてしまうってのに」

 

「自己分裂をさせなきゃ意味がないからだよ。これの機能は生物の神経細胞や脳細胞へと働きかけて、コントロールすることができる」

 

「それ、洗脳って言わないか?」

 

「洗脳よりもタチが悪いよ。洗脳は破る余地があるけれど、これにはない。1度でも体内に入ったら大元からの指示の通りに動くマリオネット、だろうね」

 

 若狭が何でもないことのようにサラリと言う。なんでもないどころの騒ぎではないことくらい、若狭本人が1番、痛感しているはずなのに。

 

 事前に動けたのは若狭だけ。ならばホログラムのスクリーンに映し出されたそれをある程度は把握した上で騒動に備えていたことになる。

 

「ちょっとばかり回りくどくなったね。単刀直入に言おうか。岩崎満弥の目的はこのデバイスを使って全人類、いや全生物の完全統制された世界の実現だ」

 

「十分に回りくどいな」

 

「……話の腰を叩き折らないでくれるかい?」

 

 若狭が半目開きで峻を睨む。軽く両手を上げて謝意を峻は示した。

 

 別に意図がわからなかったわけではない。その言葉の意味も、理解できなかったというわけでも、もちろんない。

 

 人を完全にコントロールすることができる。いや、人だけに限らず生物であるのなら制御下に落とし込める。

 

 ナノデバイスに向かって指示を出す大元さえあれば、世界を得たことに等しい。

 

「生物って言い方、引っかかるな。それ、深海棲艦も含んでるのか?」

 

「ご名答。岩崎満弥が作ろうとしているのはね、諍いが全く起きない世界だ」

 

「そこについて気になることがある。全生物のコントロールなんて大元の処理容量が持たないだろ。それだけ大規模なサーバーを維持する電力だって必要だ。そこらへんをどうするつもりなんだ?」

 

 今まで沈黙を守ってきた東雲が口を開く。だがその答えを推測で峻は得ていた。

 

「人の脳ってのは思っているより処理容量が大きい。それがこの世界には何十億単位でゴロゴロ転がってるんだ。深海棲艦も人型がいたな。あれも元は実験で深海棲艦化した人間の成れの果てか、その子孫なんだろう? なら十分な処理容量があるだろうな。ナノデバイスで並列化してしまえば、人間と深海棲艦の完全統制をする分の処理容量を確保するくらいは訳ないだろう」

 

「そうすりゃ、大元の指示を出すサーバーは大規模なものである必要はない、か」

 

 納得したように東雲がうなづく。

 

「若狭、だがこの統一化が目的なら深海棲艦を出現させた理由が読めねえ。邪魔になるだろ」

 

「時間稼ぎ、だったんじゃないかな。『かごの目計画』は永続するシステムじゃない。だからこそ、ナノデバイスの開発が終わるまでの場繋ぎだった」

 

「開発が終わった今、もはや協力体制にあった我々は不必要と判断された、か……」

 

 言いながら、こっそりと陸山が唇を噛んだ姿を峻は見逃さなかった。だが触れないことを選択して陸山へ向き直る。

 

「だいたいの話はわかりました。『かごの目計画』における深海棲艦出現のきっかけ。それも場繋ぎでしかなく、本命のプランがお待ちかねだった。よくわかりました。私が呼ばれた理由を除いて」

 

 未だに峻が呼ばれた理由だけが明確化されていない。ここまで重要な話をしておいて、「はい、さようなら」なんて行くわけがないことくらいは察している。

 

「岩崎満弥が生きている」

 

「ありえませんね。私の前で脳漿まで撒き散らしてます。生きているなんてことは考えられません」

 

「帆波、結論を早めすぎだよ。少なくとも岩崎重工にいた個体は死んだ。これは確実さ。でも、記憶がデータとして保持できることが艦娘を通して証明された」

 

 代々、艦娘が同じ細胞を流用したクローンだということは艦の記憶に適合する個体を使い続けたということだ。だが、逆に言えば人間でそれが出来てしまうことの証明ともいえる。

 

 自分の細胞から自分のクローンを作り、今まで生きてきた記憶をコピーした上で定着させる。そのために、あの岩崎満弥はコピーでしかないと若狭は言う。

 

「本体ともいえる個体がどこかにいる、と? 記憶の完全コピーなんて成功例はない。艦娘だって別で用意した記憶に似たデータだ。人間から抽出した記憶の定着なんて諸例はない」

 

「成功例がない、なんてことはないさ。これが成功例なんだよ。ありえないなんてことはありえない。誰がライト兄弟が飛行機を完成させるなんて予想した? 誰が青カビから抗生剤が作れるなんて予想したと思う? できるまで誰一人として想像だにしなかったさ。ありえないと一蹴した。それでも、現にそれらは存在する」

 

 存在するなら、それが成功例だ。結果ありきの論を若狭は展開した。

 

「存在するかどうか見たこともないのによく言える」

 

「少なくともナノデバイスが世界にばらまかれるまでは生きてるはずだ。それがきちんと回ることを確認してからじゃなくちゃ死ぬに死ねないはずだよ」

 

「だから?」

 

「帆波、この件が漏れたら大問題になる。日本が深海棲艦を世界に放った元凶だなんてね。だから岩崎満弥の口は封じなくちゃいけない。正直に言って統一化計画の方に関してはどうだっていい。だけど、もし失敗した時や他国が介入した時にうっかり口を割られたら困るんだ」

 

 鼻で笑いかけて、峻はぎりぎりで止めた。なぜこの場に呼ばれたのか、ようやく腑に落ちた。

 

「だから口を封じてこいってか」

「端的に言えばね。この中で真正面からあの人形兵を相手取ったのは帆波だけだ。本拠地の警備役としてあの人形兵が使われている可能性は高いだろうからね」

 

 ストレートに、「死んでも困らないから」と言えばいい。特筆して残しておく必要がなく、なおかつ機密が漏れる恐れがある。成功すればそれでよし、失敗するののら峻ごと吹き飛ばせばいいくらいは考えていそうだ。鉄砲玉としてせいぜい数を減らしてこい、といったところか。

 

 それに、どうせ拒否権なんて与えてもらえない。

 

「殺れって言われても、場所がわかんねえのなら動きようがないな」

 

「ハワイ本島。ここに本体がいる」

 

 ホログラムのスライドが切り替わり、ハワイ諸島になっていた。

 

「根拠は?」

 

「通信記録に僕が潜った。そしたらたびたびハワイ本島付近と通信していた記録が見つかったんだよ。深海棲艦が出現して真っ先に落とされた場所がここだからね。身を隠すにはもってこいだ」

 

「忘れてはいないと思うが、ハワイ本島の途中にはミッドウェー環礁があるからな」

 

「もちろんわかってるつもりだよ」

 

 さらりと言ってのけるが、この案件は相当だ。目標はハワイ本島にいる。だがハワイ本島には深海棲艦が巣食っており、道中のミッドウェー環礁にも多くの深海棲艦の艦隊が確認されている。

 

 ハワイ本島だけを攻め入るのは日本の地理的に難しい。ミッドウェー環礁をぐるりと迂回してハワイ本島へ侵攻したとしても、ミッドウェー環礁の深海棲艦がハワイ本島に救援として来る可能性がある。そうなってしまえば挟み撃ち。勝利は億が一の確率すら消え失せ、全滅すら現実的なものに成り果てかねない。

 

「時間的余裕はない。だから速攻で片をつけなくちゃならないんだ」

 

「まさかとは思うが、ミッドウェー環礁攻略戦とハワイ本島決戦の連続侵攻作戦とか言わないよな?」

 

「残念だったね。状況がそのまさかをするしかなくなったんだよ」

 

 太平洋において長らく深海棲艦に制圧され続けて奪還の目処がまったく立たない2箇所。

 

 時間はかけられない。とにかく早く、けれど確実に仕留める。そんな無理難題だらけの作戦だとこの場の全員がわかっている。

 

 それでも止めるわけにはいかない。誰も止まれない。





こんにちは、プレリュードです!
なんだかんだとだらだら続けてきたこのシリーズ(?)ですがそろそろ定期更新に限界が見え始めたこのごろです。ま、まだだ!まだ戦えるッ……

というかどこまで話の風呂敷を広げれば私は気が済むんでしょうね?日本に始まりヨーロッパからハワイって。最後は南極にでも侵攻しそうな勢いですね。いや、さすがにないと思いますが……


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【MIKE】-MATE

 

 沈黙の解消法。今すぐに峻はそれが知りたかった。

 

 所は横須賀鎮守府。懐かしき館山に戻るのではなく、峻の身柄はここに送られた。誰かしらの監視下に置いておくという意味で東雲に白羽の矢が立ったのだろう。

 

 目の前に並ぶのはかつて『帆波隊』と呼ばれた艦娘の面々。加賀に始まり瑞鶴、榛名、陸奥、鈴谷、北上、イムヤ、ゴーヤ、夕張、矢矧、天津風に叢雲。そして明石までもが勢揃いだった。

 

 昔はなんの考えもなく、そして気兼ねなく話せた。下らない話から入って、ひとしきり騒いだ後に本題を切り出す。そんなことばかりしていた。

 

 だがそのやり方をしようにも、始めの下らない話ができない。

 

 張り詰めた空気を前にしてそんな話を切り出すことができる人間は胃が鋼鉄で作られている人間くらいだろう。

 

「あー……」

 

 峻が発したのはたった一音だけ。それだけで艦娘たちの中にさざ波が立ったように緊張感が滲み出る。

 

 やりにくいといったらなかった。だがそれもこれもすべては峻のせいだ。ついこの間まで反逆者だなんだと追いかけ回されていた人間が急に濡れ衣でしたと言って戻ってきたとしても、不審がるのは当然だ。

 

 警戒心も抱くだろう。なにせ目の前にいる相手が果たして本当に信じるに値する人間かわからないのだから。

 

 そしてその相手が指揮官だとすれば、その人間に自分の命を託さなくてはいけない。これほど嫌な状況はないだろう。

 

 だから嫌だったんだ、と内心で峻が愚痴る。

 

 人手が足りないのもわかる。仮にハワイ本島へ乗り込むとして、本島にあるであろうプラントに殴り込む人間が必要だからという理由で人形兵との戦闘経験がある峻を引っ張ってきたというのもまだ理解しよう。

 

 どうして艦隊指揮までやらねばならないのか。

 

 いや、もともとは艦隊指揮の仕事をしていたこともあって抜擢したという理屈はわかる。だが信頼関係の構築があってゆえだ。そして今の峻にはその最大条件である信頼関係なんて皆無に等しいどころか、マイナスに振られている可能性だってある。

 

 ウェークの時にうまくいったからといってそう何度も思い通りにいくわけがない。

 

 溜息をつきたい気持ちを抑え込む。延々とこうして黙っているわけにもいかない。そろそろ覚悟を口火を切らなければいけない頃合だ。

 

「まあ、いろいろあったが元に戻ることになった。なんていうか……うん、よろしく」

 

 歯切れの悪いことしか言えないが仕方ないだろう。他に何を言えばいいというのだろうか。ついこの間まで逃亡に明け暮れていましたが、クーデターを経て戻ってきましたとしでも言えばいいのか。

 

「提督さん、何が起きてたの? 私にはさっぱりだよ」

 

「話せないんだ。察してくれ」

 

 艦娘生産ラインの件だけではない。ことの起こりからなにもかも、話すことは禁じられている。

 

 だから瑞鶴の望みに答えてやることはできない。

 

 ありえない話だが、仮に禁じられていなかったとしても話すことはなかっただろう。

 

「でも……」

 

「まー、いいじゃん? 事情は人それぞれだからさ。なにがあったのかはわかんないけど、とにかくここに立てるってことは大丈夫なんでしょ。めんどうだからあたしは変に首を突っ込むつもりもないし」

 

 のんびりと北上が瑞鶴を窘める。言いすがろうとした瑞鶴がぐっと言葉を飲み込んだ。

 

 触れない方が賢明だ。知ったところで何も変わらない。

 

「俺が戻ることに納得はできないと思う。だが決定してしまったことなんだ。だから我慢してくれ」

 

 反論は出ない。いや、出せないが正しいか。

 

 何が起きたのかは知らない。それでも軍がそうしろと命じた以上はそれに従わなくてはいけない。その采配に納得できるできないの如何に関わらず、だ。

 

「質問あるか? なければこの後、東雲に呼び出されているから俺はそっちにいかなきゃならねえ」

 

 ぐるりと見渡すがそういうものが出るような様子は見受けられない。相も変わらず沈黙を守り続けて事態を見守るのみだ。

 

「ないな? なら解散」

 

 逃げるようにその場から離れる。何を言えばいいのか。あえて声をかけないようにした少女からとにかく離れることしか頭になかった。

 

 言葉数は少なくした。さほど不自然にもなっていない、はずだ。

 

 ぐるぐると先ほどのやり取りを脳内で繰り返して問題がなかったか検討しつつ、目的地を目指す。やはり広いな、とどこかで漠然と思いながら歩き続けていると、ようやく横須賀鎮守府の執務室に辿り着いた。

 

 ノックなどせずに開けてやろうかと一瞬、悩む。だが小さく話し声が聞こえたために、きちんとノックすることを選択した。

 

「どうぞ……ってなんだシュンか」

 

「そっちが呼び出しといてなんだとはずいぶんな挨拶だな、マサキ」

 

 真っ先に飛んできたものは軽い嫌味。それに対して峻も相応のもので返した。

 

「珍しいやつがいるな」

 

「僕がいたら迷惑かい?」

 

 なぜかいた若狭が微笑む。別に、と素っ気なく応じて峻はソファに身を沈ませた。

 

 今さらになって座るためにいちいち東雲へ許可を取るという名のお伺いを立てる気もあまりなかった。

 

「顔合わせは終わったか?」

 

「つつがなくな。まさかまた司令官職へとんぼ返りすることになるとは思わなかったよ」

 

 顔をしかめながら峻が言った。東雲が小さく肩をすくめる。

 

「仕方ないだろう。人手不足なんだ。猫も杓子も使わなきゃならない事態なんだよ。現場の人間だったなら出さない理由はないだろ」

 

「俺にハワイ本島まで乗り込んでこいとか無理難題をふっかけておいて、司令官として指揮も執れって? タスクオーバーもいいとこだ」

 

「最前線とまでは言わねえよ。だが前にいなきゃ状況は掴めないだろ?」

 

「よく言う……」

 

 やれることはやれるだけやらせると言っておいて何を、という気分だ。応じてやる理由はない、と突っぱねたいところだが事情はさておき、海軍に戻った以上は命令系統には従わなくてはならない。

 

 なんだかんだと東雲は中将だ。そして元に戻った峻は大佐。指揮系統から言えば東雲の方が上だ。

 

「そういえば、どうして若狭はいるんだ?」

 

「憶えていてくれたようでなによりだよ。もちろん仕事さ。たぶん最後のね」

 

 若狭がかばんから一通の封筒を探り出した。けれど、それより前に触れなくてはならないところが出た。さらりと流すに流せない言葉が。

 

「最後って……辞めるのか?」

 

「隠居しようかな、って思ってさ。僕は長月に超えられた。ならいつまでもそのポストにしがみついているべきじゃない。いつまでも醜く座り続けるなら、潔く身を引くさ。僕は決して司令官として働けるタイプの人間じゃないし。まあ、すぐに辞めるって話にはならないだろうから『最後』っていうのはちょっとばかり大袈裟な表現かもね」

 

「超えた、ねえ。超えるように仕向けたの間違いじゃなくてか?」

 

 東雲が割り込むように言った。若狭は笑みを形取ったままだった。

 

 しばしのにらみ合い。東雲が硬直状態を破るように口を開いた。

 

「若狭にして珍しく長月ちゃんは起用し続けたからな。なんか意図があるんだろうと思っていたよ。お前、先を見てるだろ」

 

「……まあ、この場には東雲と帆波しかいないからいいか」

 

 あくまでも布石にすぎないし、と若狭が続ける。どのみちいずれは公開するつもりたったな、と峻は内心で当たりをつけていた。

 

 まずい情報は貝かなにかのように口を閉じて話さないのが若狭陽太という人間だ。

 

「今後、兵器扱いだった艦娘は少しずつだけど人権と言えるものを持っていくだろうね。当然、今までは視野になかった退役も現実になるだろうさ」

 

「で、社会進出を果たしたケースとして長月を祭り上げるわけか」

 

「長月を代表にしていいかどうかは微妙な線だけどね。でも艦隊運営に関する事務方以外の仕事をやれるという証明にはなったはずだよ」

 

「用意周到というかなんというか……そもそもこの件で超えられる前提かよ」

 

 東雲が呆れ返りながらため息をつく。しかし、若狭がはっきりと頭を振った。

 

「それは違うかな。もう少し後になると僕個人は読んでた。ゆくゆくは、くらいの感覚だったからね。こうも早く長月が僕を欺き切るとはまったく思っていなかったよ。だから言ったじゃないか。僕は長月に超えられたって。あれは言葉通りの意味だよ」

 

 悔しがっているのか喜んでいるのか。その内に秘められているであろう感情はわからない。ただ、ようやく繋がった。

 

 隠居といっていたのはこれについてだったのだろう。つまり、今あるものを長月に譲り渡す。それをしようと若狭はしているのだ。

 

 艦娘が戦闘以外にもできるという証明をするためのモデルケース。今までは退役という言葉はなかった。だがそれが存在するようになっていくだろう今後においては非常に由々しき問題だ。

 

 退役した艦娘をどうするのか。この問題だけは早急にどうにかしなくてはならない。いざ退役したらはい、お疲れ様でしたと放り出すわけにもいかないだろう。現行体制の艦娘たちにはある程度の保証をしておかなくては路頭に迷う艦娘が続出する可能性がある。

 

「そんなわけだから僕は内地(ベンチ)から応援に徹するよ。できるかぎり僕の出番が回ってこないことを祈るのみだね」

 

「回すつもりはないから安心しとけ。せいぜいベンチでも温めときな」

 

 東雲が欠伸を噛み殺しながら言い捨てる。若狭が立ち上がらなくてはいけない時というのは、攻略作戦が失敗した場合だ。東雲は失敗させるつもりは毛頭ない、というニュアンスを込めていた。

 

「そろそろ本題、いいか? 作戦要綱を見せてくれ」

 

 適当に話題が尽きたタイミングで峻が割り込む。大方のところそれを見せるために峻を呼び出したのだろう。

 

 要は作戦に参加させるつもり全開だということだった。

 

「そら。つっても時間がないから急ごしらえだけどな。本土防衛に残さなきゃならない最低限の戦力を残して全力攻勢。単純に言えばこれだけだ」

 

「一航戦に五航戦……第一戦隊もか。ずいぶんと豪勢だな」

 

「名だたるところをすべて引き抜きたいとこだったがさすがにな」

 

「これだけが抜けて今後は大丈夫なのか? もし失敗して、撤退も叶わず全滅しようものなら最悪だぞ」

 

「そのための次だ。おいおいわかる」

 

 話すつもりはないという形で暗に拒絶されたので追撃の手を緩める。おいおい、ということは今は知らなくてもいいことなのだろう。何かしらの代替案があることだけでも匂わせたのならそれでいいということでケリをつける。

 

「とにかく時間が無い。今のうちに目を通しておいてくれ」

 

 東雲がゆっくりと腰をあげる。作戦要綱を掴んだまま峻が東雲に目線をやった。

 

「どっか行くのか?」

 

「用事だ。デートのお誘いだよ」

 

「そうか」

 

「……もうちょっと真剣に取り合ってくれてもよくねえ?」

 

「くだらんこと言ってる余裕があるなら今回の作戦はお前一人で十分だな」

 

 再び作戦要綱に目を走らせながら峻が一蹴する。こういう奴だったかと思いながら東雲はスルーを決め込んだ。

 

「いいのか、俺に作戦要綱を渡したままで」

 

「いいんだよ。どのみち若狭がいるからな。仮に書き換えようとか邪なことを考えてもできやしねえ」

 

 どのみちそんなことをする動機もないだろう、と東雲が付け加える。そもそもするつもなどない峻は鼻を鳴らすのみで答えとした。

 

「ちょっとしたら戻る」

 

「本当に行くつもりかい?」

 

「デートはさすがに冗談だ。一服してくるだけだっての」

 

 とんとん、と東雲が胸ポケットを叩く。その中にはいつも吸うタバコの銘柄とオイルライターが収められている。

 

「少しくらいは休憩を入れないと作業の能率が落ちるからな。どうせお前らは吸わないだろ?」

 

「嫌煙家とまでは言わないよ? 付き合いで吸うことくらいはできるさ。好んで吸わないだけで」

 

「……」

 

 若狭はいつもの通りに、峻は無言をもって東雲の問いかけに答える。若狭はただ個人の趣向で答えていた。だが峻は嫌なことばかり思い出しそうで喫煙を忌避している。逃亡中に1度だけ吸ったが、やはり吸わない方がいいという結論に至っていた。

 

「ま、そうだとは思ってたがな。じゃ、ちょっと行ってくる」

 

 立ち上がりつつ上着を引っ掛けて東雲が執務室を後にする。横須賀鎮守府の廊下を歩きつつ、ワックスで固めた髪をがりがりと掻いた。

 

 東雲自身が想定していたものよりも事態が大きく膨れ上がっていた。まさかミッドウェー諸島からハワイ本島の連戦をするような羽目になるとはまったく思っていなかったのだから。

 

 上層部、というよりも元帥や大将クラスがついているおかげか移動用の船も人員も簡単に集められている。

 

 それでも果たしてうまくいくかどうか。

 

 ミッドウェーはもちろんだが、初期から深海棲艦に占領されたハワイ本島は相当な戦力がいると聞く。

 

 ちっぽけな島国ひとつの持てる戦力だけで攻略することができるものだろうか。

 

 そこまで行きかけた思考に歯止めをかける。これ以上は考えるべきではない。士気が低ければ勝てるものも勝てない。それなのに統括する立場にいる東雲がマイナスなことばかり考えては下にもそれが伝播してしまうというものだ。

 

 いつもの埠頭に到着するとタバコを咥えた。甲高い音を鳴らしながらオイルライターのフタを開けると火を点ける。海風にそれが吹き消されないように片手で覆いながらそっとタバコの先端に近づけた。

 

 ゆっくりと吸い込んで紫煙を肺に行き渡らせる。体にタバコは毒だ。そうは理解していてもついつい吸いたくなる。一種、魔性の物なのだ。

 

 誰もいない埠頭で地位も気にせず、日毎に表情を変える海をぼんやりと見ながらタバコを吸う。たったそれだけの行為だが、気分のリセットくらいにはなる。

 

 けれど今回ばかりは含有している意味合いはリセットだけでなかった。もちろん、リセットの意味合いも含んでいることは認めよう。

 

 最後にもう一度だけ、深く煙を吸い込んだ。大きく吐き出して、携帯灰皿に押し付けると消火した。まるでその時を狙ったかのように背後から足音が聞こえてくる。

 

「時間ぴったりだな」

 

 振り返ることなく東雲が声をかける。当然、その声は届いたはずだが返答はない。

 

「そっちが呼び出したんだ。だんまりは困るぜ」

 

 足音が止まった。東雲は小さく息を吐きながら振り返ると、その名を呼んだ。

 

「叢雲ちゃん」





こんにちは、プレリュードです!

さんま漁はみなさま順調ですか?うちはそこまでって感じてすね。全然落ちないや全然落ちないや!


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【NOVEMBER】-NOTIC

 

 東雲が叢雲の瞳を探るようにじっと見つめる。叢雲はその視線をさらりと流した。

 

「黙り込んでちゃわからん。なんで呼んだか用件を話してくれ」

 

「その前にいくつか。これから後の作戦についてよ」

 

「ほう?」

 

 釣られたように東雲が身を乗り出す。わざとらしい演技だと叢雲は内心で切って捨てた。

 

 本来なら末端である艦娘にまで情報は下りてくることはほとんどない。だが叢雲は今回の件についてかなり直接的に関わってしまっている。

 

 たとえ情報が下りてこなくとも、推測するための素材は山と手元に存在した。

 

「これからミッドウェー諸島とハワイ本島を落としに行くのよね?」

 

「そうだな」

 

「正確にはハワイ本島の工場と設備の破壊が目的。これも大丈夫よね?」

 

「……まあ、叢雲ちゃんには隠しても仕方ないか。関係者じゃないと言い張るには関わりすぎてる」

 

 ここまで予想通り。だがまだ続きがあることくらい察しをつけている。

 

「人形兵の工場ってだけじゃないでしょ。それならあそこだけで事足りてた。なんの工場?」

 

「……それは言えない」

 

「でしょうね。だから私は予測を話すわ。どういうメカニズムかはわからないけど、何かしらの手段で人を操る装置の生産工場あたりなんじゃない?」

 

「なぜそう思う?」

 

 否定しないということは当たりだろうか。だが安易な結論を出すことはしない。東雲は肯定も否定もしていない。それはどちらの解釈もしようがある余地を残していることになる。

 

「あの地下工場で最後に戦った人形兵だけ行動パターンが違ったからよ。視界の外から攻撃されても避けてた。緻密とまでは評することができなくとも、ある程度の連携も取れていた」

 

 その証拠として峻の銃撃は必中距離まで近づいてから撃たないかぎりは避けられていた。そして今まではいなかった銃持ちの人形兵もいた。しかも同士討ちは一切起こらず、乱れのない射撃っぷりだ。

 

「あれだけの人数で言葉をまったく交わすことなくあれだけの連携をこなすことは不可能よ。意思疎通として通信機を使っていたような痕跡もなかった。なら他に意思疎通の手段があるはずよ」

 

 それも相当に性能がいいもので。いくら銃口が自分を狙っていると伝えられたからといって、そう易易と避けられるようなものではない。

 

「視界共有、いえそれ以上ね。互いの認識すら共有して、最良手だけを取り続ける。それクラスのコミュニケーションツールがないと説明がつかないのよ」

 

「言いたいことはわかった。で、それを俺に説明して何に期待している?」

 

 東雲が探りつつも、本件を言えとせっつく。確かに回りくどかった。だが確認をするに足る理由が叢雲にもある。

 

「あいつ、出すのよね?」

 

「まあな。なんだかんだとシュンの奴は指揮も執れる。そいつはウェーク島攻略戦とかで証明されてる。それでもって格闘戦の実力もこの前の海軍本部の件で高い能力を有していることがわかった。出さない手はないだろう」

 

「つまりミッドウェーからハワイ本島の連戦を経て、直後にハワイ本島へ乗り込ませる要員になるってわけね」

 

「そうかもな。今はまだ確定じゃねえし、なにより細かい作戦要綱をここで公開することはできんだろ」

 

 当然の措置。先ほどからすべて確定的なことをできるかぎり言わないように避けてきた東雲の対応としてはそんなものだろう。叢雲とて予想はしていた。

 

「いい加減に見えんな。ただ長話がしたいだけなら翔鶴にでも付き合ってもらえ」

 

 しびれを切らしたように東雲が言った。ならばお望み通りに答えてやるべきだろう。

 

「今から言うことは助言というより忠告よ」

 

「ああ、わかった」

 

 アドバイスよりも重いもの。そう前置きをしてから叢雲は東雲を呼び出した本件を切り出す。

 

「あいつ、このままいくと今回の作戦では使い物にならないわよ」

 

「……どういう意味だ?」

 

「そのままの意味よ。それ以上も以下もない、ね。おそらくまともにあいつは機能しない……かもしれない」

 

 東雲が眉をひそめる。断定しきらない叢雲の言葉を疑っているのは明白だ。

 

 叢雲とて完全に確信を持った上で発言しているわけではない。だが十中八九はそうなる。そう思ったからこそこの場に立つことを叢雲は選択した。

 

「使い物にならないってのはどういういつことだ?」

 

「そのままよ。指揮を執らせてもきちんと艦隊は回らない。相手が相手だから機能不全を起こして崩れていくでしょうね。乗り込ませる要員としてもそう。どこまでやれるかは怪しいものよ」

 

「だから出すべきじゃないと?」

 

「ええ。並の指揮官にも劣る戦果しか出せないどころか損失すら出しかねないわよ」

 

 はっきりと叢雲が断言する。東雲が難しい表情をしつつ、胸ポケットからタバコの箱を取り出した。その動作の最中に顎をしゃくって話を続けるように促す。

 

「乗り込ませる件についても失敗要因になりかねないのよ。だからあいつを引かせて」

 

「わからない点が一つ。どうしてそう思う? 何の理由もなくってことはないだろう」

 

 くしゃりと箱を握り潰して1本だけタバコを起用にも飛び出させる。それを東雲は咥えつつ叢雲に問いかけた。

 

「それは…………」

 

 叢雲が口ごもる。説明できないわけではもちろんない。どうして峻が使い物にならなくなると叢雲が予想したのか事細かに説明することは十分に可能だ。

 

 だが叢雲はそれをできない。いや、したくない。

 

 それを言葉にすることは簡単だ。だが口にしてしまえば取り返しがつかなくなる。できることならば叢雲だけの胸の中に秘めておきたかった。

 

「言いたくないわ」

 

「なぜだ?」

 

 もしも口にしてしまえばそれが峻を何かしらの形で傷つける結果になるかもしれない。その可能性が僅かにでもあるかぎり、言いたくなかった。

 

「残念だが峻を下げることはできん。だがある程度の考慮はできる。その上で聞くぞ。どうして言いたくない?」

 

「…………察して頂戴」

 

 絞り出すようにたったそれだけを言う。こんなの理由ではまったくない。会話のキャッチボールすら成り立っているか微妙なラインだ。

 

 それでも叢雲はこう言うことしかできなかった。

 

「それじゃあ俺から何かできることはないな。なにせ具体性がなさすぎる」

 

「……まあ、そうなるでしょうね」

 

 対応とはいっても具体的に何が原因なのか叢雲が話そうとしない以上はできることなど限られるどころか皆無。東雲がこのような行動にでるしかないのもうべなるべきだろう。

 

「頭の隅にでも留めておいて。それだけでもいいのよ」

 

「何ができるかという保証はしないぜ?」

 

「十分よ」

 

 自分でも話していて、いや話す前から無理なことだとは理解している。内容もあやふや、理由にいたっては誤魔化した。これでどうにかしてくれと言っていたのならちゃんちゃらおかしいどころの騒ぎではない。

 

「ついでと言うのはなんだけど、教えて欲しいことがあるのよ」

 

「なんだ? 悪いが作戦については言える範囲と言えない範囲があるぞ」

 

「違うわよ」

 

 何を言おうが変更されることなどないとわかっている。だから叢雲は作戦についてこれ以上、口を挟むつもりはなかった。

 

「たしかミッドウェーまで船で行くなら時間があるわよね?」

 

「まあ、そうだな。1週間くらいは場合によっちゃかかるかもしれん」

 

「いい戦術指南書、なにか知らないかしら?」

 

「基礎が確認したくなったか? それなら体術の基本から……」

 

「ああ、違うわ。そうじゃないの」

 

 ばっさりと叢雲が東雲の言葉を切り落とす。東雲が怪訝そうに眉をひそめる。まだ火をつけていないタバコが口元で踊った。

 

「私が欲しいのは指揮官用の戦術指南書よ」

 

「どうして……いや、なんでもない。そりゃそうか」

 

 疑問符が浮かび、そしてすぐに押し流していく。東雲は叢雲がなぜそれを欲したのか察したのだ。

 ポケットからメモ帳とボールペンを取り出すと、ボールペンの尻をノック。飛び出した芯でいくつかの名前を書き連ねると、2つ折りにしたそれを叢雲に渡す。

 

「そこらへんが初心者向けだ。なりたての頃は俺はそいつらを読んで学んだよ。まあ、今はもうしばらく開いてないがな。図解も挿入されてるからわかりやすいはずだ」

 

「そう。少し目を通してみるわ」

 

「持ってるのか?」

 

「作戦開始までに購入して目を通してみるわ。どうも」

 

 受け取ったメモを叢雲がポケットに滑り込ませる。本屋くらいは近場にあったはずだ。買いに行くことくらいはわけないだろう。なんだかんだと手持ちがないわけではない。数冊ほどの戦術指南書を購入することくらいはできる。

 

「もう用事は終わったか?」

 

「十分に。時間を取ってもらって感謝するわ」

 

「おう。……なあ、叢雲ちゃん」

 

「何?」

 

 青みがかった銀髪を翻しながら立ち去ろうとした叢雲が足を止めて振り返る。

 

「何があるのか詮索はしねえでおいてやるよ。だがな、もう止まらないし止められないんだ」

 

 叢雲が小さく鼻で笑う。そんなこと最初からわかりきったことだ。

 

 人形兵と刃を交わしたときから、いや峻を逃がすために憲兵隊と交戦したときから立ち止まることができないのは理解していた。

 

 足りなかったのは覚悟だ。

 

 けれど今はもうある。それは単純に自身の手を汚すことだけではない。何かを投げ打たない覚悟だ。

 

 たとえ強欲と言われたっていい。むしろ言われたら笑って言い返してやろう。強欲で何が悪い、と。

 

 だからこそ、ここで言う答えは単純明快。

 

「止まるかどうかなんてどうでもいいわ。私は私の目的のために動く。ただそれだけよ」

 

 潮風に髪をなびかせながら叢雲が颯爽と立ち去る。しかし髪の隙間からほんのわずかな時間だけ垣間見えたその表情は、東雲をして一瞬だけ怯ませてみせるほどのものだった。

 

「やっべえなぁ……」

 

 誤魔化すようにつぶやきながら東雲が咥えたままにしていたタバコに火を点けて吹かした。海風に揉まれて嬲られる紫煙を目で見送りながら、先ほど見せた叢雲の表情をフラッシュバックさせる。

 

「ありゃあ、焔のついた目だ」

 

 何を叢雲が目的に据えているのか東雲にはわからないし、わざわざ探るようなことをするつもりもない。

 

 ただ言えることがあるのならあれは覚悟を決めた者の瞳だった。しかし死を覚悟した者の目とはまた違う。

 

 あれは死なない覚悟を決めた者の目だ。死なせない覚悟を決めた者の目だ。

 

「さてはて、これがいい方向に転がるかどうかだな」

 

 形態灰皿にタバコを押し付けて火を消す。さすがにもう一本を吸うのはやめておいた方がいいだろうと判断をしてライターを懐に呑ませる。

 

 何が何でも成功させなければいけないのだ。峻を出さないという選択は元より東雲に存在しなかった。

 

 だが、気にならないわけではない。峻が使い物にならないという叢雲の言葉を価値がないと切り捨てるほど叢雲の信用度は東雲の中で低くない。

 

 だが最大の問題はその原因がまったく思い当たらないのだ。

 

 なんの根拠があって叢雲がそんなことを言ったのか。何かしらの根拠もなく叢雲が使い物にならないというような文言を言うとはとても思えない。

 

 めんどうなことになったものだと内心でため息。何にもしないと言ってはみたものの、知ってしまったからにはまさか完全に知らん振りというわけにもいかない。

 

 とはいえ、たったそれだけのために作戦要綱を大きく変更することは得策と言えないだろう。かといってまったく何もしないことも引っかかり続ける。

 

「どうしたもんかね……」

 

 東雲が頭を抱えることすら織り込み済みで叢雲が話をしたとすれば、相当のものだ。そして事実、今の叢雲ならばそれくらいはやりかねないのではないかという疑念が東雲の中にはわだかまるように存在していた。

 

 何か打てるような対策はないが、無視はできない。不安要素はできるかぎり除いた上で今回の作戦は望みたい。そんな東雲の心理を嘲笑うように叢雲は消えていった。

 

 本当に勘弁してほしい。誰に似たのやらと真剣に考えさせられてしまう。

 

「タチが悪い。俺が何かしらの形でフォローする準備ができるタイミングで話してくるあたり、わかっているとしか思えねえぞ」

 

 深いため息と共に頭を掻き毟りつつ、東雲は執務室のドアを押し開けた。

 

 だが出迎えたのは峻でも若狭でもなかった。白銀色の髪を揺らしながら振り返ったのは翔鶴だった。

 

「お疲れ様です、提督」

 

「ああ、お疲れさん」

 

 軽く翔鶴をねぎらいながら外套をかける。ゆったりと椅子に腰を落ち着けると翔鶴に向き直る。

 

「あの2人はどこ行った?」

 

「先ほどお帰りになられましたよ」

 

「一言も残さずに……いや、まあ別にいつも通りっちゃいつも通りか」

 

 それに思い出せば特に伝えたいこともなし、向こうも伝えたいことがあるわけではなかったのだろう。どのみちさっき叢雲に言われたことを正直に峻へ伝えることができるわけでもない。

 

「あ」

 

「どうされましたか?」

 

「いや、少し待ってくれ」

 

 翔鶴に待機してもらうと東雲が頭を回転させる。峻に伝えることはできない。かといって不確定すぎる要素をほいほいと言うこともできない。

 

 だが翔鶴なら。翔鶴なら伝えても問題ない。もしもの時が起きた場合、対応に当たるのは戦場にいる艦娘たちだ。そして翔鶴は当然だがその中に含まれる。

 

「翔鶴、もしかしたらという可能性の話なんだが」

 

「はい」

 

 声を潜めると翔鶴もつられて声のトーンが幾分か落ちる。翔鶴が東雲の声を聞き取りやすいように耳を近づけると、ふわりと花のような香りが漂った。

 

「シュンのやつが、いや帆波隊がミッドウェー戦でうまく回らない可能性がある、かもしれない。引かせるか、立て直させるかはわからんがそうなった場合、翔鶴に負担が行くかもしれない。いや、十中八九いく」

 

「そうでしょうね。本作戦が提督主導であり、そして私が秘書艦で、さらに東雲隊旗艦である以上は私に来る可能性は高いでしょう」

 

 翔鶴が首肯する。どういう形かは予想がつく。指揮権の一時的な移譲か、最悪は戦線そのものを立て直すためにかなりの深海棲艦を引き受けることになる。

 

「でもどうして私に? その時になるまで伝えないという方法もあったでしょう」

 

「まあ、な。だが先に知っていればすぐに動けるだろう」

 

「それだとしても、私を使い潰す手だって……」

 

「冗談を言ってくれるなよ。それだけは絶対にねえ」

 

 口調がきつくなる。翔鶴を犠牲にすることだけはしたくない。それは最悪手だった。

 

「お前がミッドウェーで沈んだらハワイ本島の攻略戦に差し支えるだろうが。だから死ぬな」

 

「……ありがとうございます、提督」

 

 翔鶴が東雲から離れると微笑みながら頭を下げる。やめてくれ、と言いながら東雲が制止する。

 

「何に礼を言ってるんだよ。利己的なことしか言ってないんだ」

 

「それでも、ですよ」

 

「そうか」

 

 翔鶴が東雲と背中合わせになる。海風によって冷えていた東雲の体にじんわりと熱が広がっていく。

 

 東雲と翔鶴だけで、それ以外は誰もいない執務室。音といえるものは窓を叩く風のみ。

 

 だから、東雲は少しその温もりに甘えることにした。




こんにちは、プレリュードです!
最近、本当にどこへ向かっているのか自分でもわからなくなりつつあります。というか来週、更新できるのか?原稿が現時点でまっっったく完成していないんですが()
もし、来週に更新がなかった場合は「あー、こいつ原稿落としやがったな」とでも思ってください。真面目にありえるので。すみません……


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第八章 回生のバルカローレ
かくして人は牙を研ぐ


 

 峻が船のデッキにもたれかかる。手すり越しに見下ろすと蒼い海が飲み込むように口を開けていた。

 

 『いざよい』というのがこの船の名前らしい。ぼんやりと目の前に浮かぶホロウィンドウに表示されている船舶情報に何度目ともわからない目の往復運動をさせた。

 

「さらしなの妹として開発されてたもんまで引っ張ってくるあたり、本気度が伺えるな」

 

 ウェーク島攻略戦の時に乗せてもらったさらしな。そして輸送作戦で沈んでしまったあの船の姉妹艦にあたる船が今まさに峻が乗っているこの船だった。

 

 もちろん、これだけではない。見渡せば同系統の艦娘を戦場まで運ぶための船がいくつか周囲に艦列を組みながら航行している姿が目に入る。

 

 それぞれには今回の作戦に参加する部隊が収容されている。ギリギリまで船で接近することで艦娘の余計な負担を避けることが目的になる。当然のことではあるが、深海棲艦と一戦を交えることもある。全ての船はある程度の武装は施してあった。

 

「リニアカタパルトの増設、収容能力の拡張、小型無人観測機の運用、使用缶の性能向上……さらしなよりも少しでかくなったのと全体的なアップデータが施されてるってとこか」

 

 適当に指でホロウィンドウをスワイプして閲覧していく。別に性能を確認する必要性はさほど高くはないのだから単なる暇つぶしだ。

 

 船上でやることがそもそもない。到着するまで、そして戦闘が開始されるまでは峻の仕事はないのだ。

 

 操舵やら進行方向の確認をして指示を出すのは艦長の仕事。となればやることなどほぼない。

 

 武器を分解清掃もした。右脚の義足にもブースター用の燃料を改めて入れ直した。視力以前に切り裂かれた左眼ばかりはどうしようもないが、体のコンディションも問題ない。ハワイ本島に乗り込むことに関しても準備は万端だ。

 

 そうなれば英気を養っておけ、とでも言われるのだろうがあれほどまでに何をすればいいのかわかりにくい命令もないだろう。寝ておけばいいのかと思えば寝てて体が鈍らないのかと言われ、かといって鍛錬していてもやりすぎて体を壊すから休めと言われる。

 

 一体、やればいいのかやらなければいいのかどっちなのか。はっきりしろと言わざるを得ない。

 

 やることもなく海を見てぼんやりと佇んでいると、コネクトデバイスが電子音を発する。これは通信が来た時になる音だ。

 

《聞こえるか?》

 

「聞こえてるよ」

 

《シュン、ブリーフィングルームに来てくれ。最終確認をする》

 

「わかった。すぐ行く」

 

 簡易な返答のみでぷつん、と通信を切る。ようやく今まで身を預けていた欄干から峻は体を起こした。

 

 仕事だ。招集されたからには動かないわけにはいかないだろう。

 

 反逆者になったり、クーデターに参加したりといろいろな過程を経てきたが最終的に峻の立場は反逆者になる前の海軍大佐に戻っている。いや、戻っているという言い方は間違っているかもしれない。あくまでも落ち着いた、と言うべきか。

 

 少なくとも以前にあった館山基地基地司令の文言はなくなっているのだから。

 

 あくまでもともと指揮を執っていた艦隊の指揮権が戻り、立場としての地位が与えられたのみにすぎない。

 

 つい先程までいざよいの艦内情報を閲覧していたおかげで特に道に迷ったりすることもなく、東雲が指定してきたブリーフィングルームに辿り着く。

 

 念のためノックした方がいいだろうか。少し考えるが、ブリーフィングルームということはこれから会議だ。そしてそこにいるのは東雲だけとは限らない。東雲だけならば遠慮なくドアを開け放つのだが、それ以外にも人間がいるのならば控えるべきだ。

 

 そもそも友人とはいえノックせずに入室することがおかしいのではあるが。

 

「空いてるぞ」

 

 入室許可らしい東雲の返答を受けて峻が手をかざすと横開きのドアがスライドして開く。

 

 将校やら佐官やらがずらりと並び待ち受けている状況を覚悟していた。だが峻を出迎えたのは東雲ひとりのみ。

 

「他は?」

 

「ぜんぶ通信で片付けるんだよ。そもそもいくつかの船に分けて艦娘を乗せてるんだ。司令官とて分けてあるに決まってるだろうが」

 

 言われてみればその通りだ。わざわざひとつの船に司令官を集結させるメリットは少ない。特にこれから攻勢にうって出ようという時に、いざよいが沈んだら司令官は全滅なんてことが作戦開始直後に起きようものなら笑うに笑えない。

 

 峻個人としても大量にお偉いさん方が並んでいる事態は手を鳴らして歓迎はできない。その意味で言えばこれはかなり助かる状況だ。

 

 一応、反逆者の汚名を晴らしたことにはなっているがそれでも憲兵隊に真正面から喧嘩を売ったことに違いはない。本人が望んだ望まなかったはさておき、一時は全力で海軍に向けて反旗を翻した峻を快くないと感じるものは少なくないはずだ。

 

 ひとまず気まずい雰囲気の中で参加する憂き目に会うことはなさそうだ。それだけでも十分にありがたい。

 

「そろそろ繋ぐからお前も座っとけ」

 

「そうさせてもらうさ」

 

 東雲が適当に指さした椅子を引いて腰掛ける。さほど時間もかからないだろうが、座っていられるというのは楽でいい。

 

 事前に作戦要綱は渡されているはずだ。ということはこれからするのは配置の確認やら全体の大まかな動きの決定。誰かが異議申し立てをしない限り、話が長引くことはない。

 

「これよりブリーフィングを始めたいと思う。まずは今回の作戦についてだが……」

 

 ヴン、と立ち上がったいくつものホロウィンドウにそれぞれの船にある会議室らしい風景が映る。やはり、それぞれに数人ていどの人が映り込んでいた。

 

「連戦になることを考えると、下手な消耗をするわけにはいきません。少なくともここで艦娘が戦線離脱することになる事態は避けたい、いや避けなくてはいけないでしょう」

 

 説明している東雲を他所に峻が頭の中に入れた作戦要綱を反芻する。いろいろと長ったらしく書き連ねてはあったが、集約するならば機動艦隊を主軸とした航空戦だ。

 

「なので機動艦隊と前衛艦隊に艦隊を二分します。機動艦隊の航空隊により敵を撃滅。前衛艦隊は航空隊の攻撃により沈まなかった残党が機動艦隊へ攻撃を仕掛けられないように仕留めることが仕事となります」

 

 そして峻の配置された場所は前衛艦隊だった。近づこうとする深海棲艦は容赦なく海中へ叩き込め。それを徹底するだけのことだ。

 

 そのゆえあってか、艦隊編成は打撃部隊寄りだ。事実として加賀と瑞鶴は編成から引き抜かれている。当然だ。空母として加賀と瑞鶴の戦力は非常に高い評価を得るに足るものがある。

 

 残っている艦娘はどれも空母と比べれば射程が短いものばかりだ。だからこそ残ったというべきかもしれないが。

 

「接敵する予定は翌日です。各員、備えるように」

 

 ぼんやりと考えているうちに会議もたけなわとなっていたらしい。だが事前に作戦要綱くらいは頭に入れてあるため、特に聞き流してしまっても問題はないだろう。

 

 ぷつん、と宙に浮かぶホロウィンドウが閉じていく。すべてが消えたことを確認すると峻はゆっくりと腰を上げた。

 

「待てよ。お前の大まかな動きくらいは確認しとかなくちゃなんねえ」

 

「別に必要か? ただ向かってくるやつを潰すだけだろ」

 

「できるんだな?」

 

「やれと言うならやるしかない。どのみち選択肢なんてないんだろ」

 

「そうでもないさ」

 

 東雲の告げた言葉に峻が意表を突かれる。そしてここまで連れてきておいて今さら何をと同時に思う。

 

「逃げ道なんてないだろう」

 

「適当にやり合ってる風を装う、くらいは考えるかと思ったんだが。お前にして珍しいな。サボりの天才がこんな簡単なことに気づかないとは」

 

 すいぶんと不名誉な二つ名がついたものだ。けれど見に覚えがあることではあるため、反論の余地はない。

 

「できると本気で思ってるのか?」

 

「モルガナ、なんて人を騙す前提の装置を作ってるやつがよく言う」

 

 懐かしい名前を聞いたものだ。この船にもあるか峻は管理していないが、明石が乗っているのを確認した以上は明石の手によって持ち込まれていても不思議ではない。

 

「お前の腕ならできるだろ。いかにも戦っているように見せかけることくらいな」

 

「前線で今作戦の司令長官を任されている中将サマの言うこととは思えないな」

 

「誰が中将として発言してると言った。東雲将生個人として、だ」

 

 中将としては問題しかないどころか最悪だ。しかし、この場にいるのは峻と東雲の2人のみ。そして峻はその発言を取り上げて騒ぎ立てる

 

「便利な言い分だ」

 

「誤魔化すなよ。で、もう一度あらためて聞くぞ。できるんだな?」

 

 背中を向けているにも関わらず、鋭い視線が投げかけられていることを感じる。ドアノブにかけた手がぴたりと止まる。移動しようと思っていたはずの足が根でも生えたようにその場に釘付けになった。

 

 何を答えろというのだろう。できるかできないかを問われたところで、実際にその事態に遭遇しなければ確実なことなど言えるわけがない。

 

 だから自分なりにミッドウェーにいるであろう深海棲艦の勢力を予想し、自身の艦隊と実力を鑑みた上でどれほどの戦果をあげることができるのかを言えということなのだろう。

 

「知るか」

 

 結果としてそれだけ言い残すと峻はドアノブを回した。それ以上に何かを伝えることなんてできるはずもなかった。立ち去っていく峻を東雲はなんとも言えない複雑そうな顔で見送った。

 

「……らしくないな、本当に」

 

 たったひとり残されたブリーフィングルームで東雲がつぶやく。軽く探りをいれただけのつもりだったが、返ってきたのはらしくない返事。

 

 らしさがないのがアレらしさと言われればそれまでかもしれない。そういう意味では正常な返答ではあるのだろう。そのはずだ。

 

「長い付き合いだったはずなのに、俺はお前のことをなんもわかっちゃいねえんだな」

 

 そもそも人が人をすべて余すことなく理解することなんて土台は無理だ。ならばその答えが予想できないものであったとしても意外の念を抱くことはお門違い。

 

 なにがあっても失敗することだけは許されない。一つの失敗が歪みを生じさせ、そして予想し得る最悪の終局へと導かれてしまう。

 

 余計な懸念ごとばかり持ち込まれたこちらの気持ちを考えて欲しい。もう作戦開始時刻まで24時間を切っているというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 激しい運動は控えろ、と艦娘は全体的に伝えられた。つまり下手に鍛錬することは封じられた。

 

 けれどそう言われることはさんざん今まで戦闘に参加してきた経験がある叢雲は初めからわかっていた。そうでなくては事前に東雲から戦術指南書を教えてもらったりしない。

 

 せっかく手元にあったお金を切り崩して買った高い戦術指南書だ。それゆえ叢雲は一心不乱に読み込んでいた。

 

 というかどのみち艤装を装着した上で待機という命令が下った以上、鍛錬なんてできるわけもなく、せいぜいがこうして書物でも読み漁ることくらいしかない。

 

「叢雲……」

 

 そんな叢雲の様子をゴーヤがそっと窺っていた。もちろん叢雲は気づいている。だがあえて声をかけようとは思わなかった。そしてゴーヤも声を掛けあぐねていた。

 

「どしたのよ?」

 

「しーっ、しーっ! イムヤ、しーっ!」

 

 ゴーヤがイムヤの口を塞ぎながらこっそりと振り返る。ただ叢雲は気づいていないのか、一心不乱に書物へ目を走らせ続けたままだ。

 

「んー! んー!」

 

「あ」

 

 あやうく窒息しかけたイムヤが目だけでゴーヤに放せと訴える。手を放した後も恨みがましく睨んでくるイムヤにゴーやが無言で手刀を切って詫びる。ようやく解放されたイムヤが新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んで一息をつく。

 

「で、どうしたのよ」

 

 いくぶんか声のトーンを落としてイムヤがゴーヤに問いかける。イムヤの視点ではさっきから忙しなく叢雲の様子をちらちらと窺い続けている様子が異様に映り続けていた。

 

「や、叢雲をあれだけ焚き付けた結果がアレということに、ちょっといろいろ感じるところがあるというかなんというか……」

 

「ああ、そういうこと」

 

 だが今更になってなかったことにもできない。ゴーヤ自身もまさかこうなるとはまったく考えてもみなかったのだから。

 

「流れに任せるしかないんじゃない?」

 

「それしかないよね……」

 

 ゴーヤがめんどくさいと言わんばかりの様子で肩を落とす。進み始めはしたのだろう。だがその進みがあまりに鈍足なのだ。

 

「あれ、戦術書だったわよね」

 

「でち。本っ当に回りくどいなあ……」

 

 またしてもゴーヤが叢雲の様子をこっそりと覗き見た。無心になって読みふけっている姿を見てこめかみを押さえる。

 

「あと作戦開始予定時刻までどれくらいだっけ?」

 

「そろそろ1時間を切ってるはじでち。そうでなきゃ、さっきからこんなに艦内が慌ただしい雰囲気に満ちてないよ」

 格納庫にいながらも察することができる。それくらい艦内には緊張感が漂っていた。どうしようにも隠し切れないその空気は肌でピリピリと感じられるほどだ。

 

「……ゴーヤ、今回の作戦はかなり厳しいものになりそうね」

 

「ミッドウェーって聞いた時点でかなりのものになることは察しているでち」

 

 名前はさんざんに聞いてきた場所だ。ハワイ本島と比べれば少ないが相当な戦力があることを確認されている。そしてハワイ本島と同じように深海棲艦の発生初期から奪われた場所だ。

 

 太平洋戦線における深海棲艦側の主要な拠点として機能してきたハワイ本島とミッドウェー。この2つを相手取るというのだから慌しさも緊張感も漂うというものだ。

 

「気負いすぎてないといいんだけど」

 

「それが一番の心配事でち」

 

 戦闘になったらゴーヤにもイムヤにも気にかける余裕はなくなる。他人を気遣っているような余裕が出せる戦場だとはとても思えない。そうなれば後は叢雲のことをなんとかできるのは叢雲自身だけだ。

 

 いや、もうひとりだけいる。

 

「てーとく、叢雲のことを頼んだでち」

 

 峻ならば。違う。峻しかいない。そう思ってゴーヤは届かない言葉をつぶやく。それがきっと届く。そう信じて。

 

「もしゴーヤの言う通りだったらよかったんだけどね」

 

 その言葉を聞いていた叢雲が戦術書から目を上げずにひっそりと囁く。誰にも聞こえないその言葉は叢雲の中でのみ消費された。




こんにちは、プレリュードです!

新章突入ですよ。おかえり深海棲艦。ずいぶん久しぶりだね。長期休暇お疲れ様。


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こうして彼女は動き出す

 

 ずいぶんと久しぶりにこのアラートを聞いた気がする。戦闘待機から切り替わる時のアラート。本格的に戦端を開くという決定が為されたことを如実に示すものだ。

 

 当然、峻も艦内を散策したり部屋でのんびりするような事はもう許されない。艦娘が出撃するに際して指揮を執る人間がすぐに動けるように待機する必要がある。

 

 なので峻は駆け足で指揮を執るために用意されているブロックへと向かった。手をかざすと自動ドアがスライドして開く。

 

「遅い」

 

「お前が早すぎるんだよ」

 

 まだアラートが鳴ってから大した時間は経っていない。それにも関わらず、すでに東雲は待機していた。

 

 別に不自然なことではない。このアラームを鳴らすように指示したのが東雲なのだから。指示した本人が最も早いのは当たり前だ。なにせ全体に指示が出る前から行動を開始している。スタート地点が違えばゴール地点までの時間も変わる。要はただそれだけのことだ。

 

「ずいぶんと急だったな。動きでもあったか」

 

「いざよいの無人観測機が敵艦隊を捕捉した」

 

「予定通りのタイミングだ。いや、完璧に一致したわけじゃないが、多少はご愛嬌だろ」

 

 一分一秒にいたるまで全くのズレがなく、時間を特定してのけるのはさすがに難しい。だからこそ、事前に開始の予定時刻よりも手前に警戒態勢を整えさせておいたのだろう。

 

「ひとまずは手はず通り行くぞ。機動部隊を出す」

 

「俺はギリまで待機か」

 

「もし深海棲艦が戦線を押し上げてこなけりゃ、出番はねえよ。だがそうそう考えた通りにうまく行くとは思えねえだろう」

 

「…………」

 

 峻が黙り込むことで肯定の意を示す。もちろん、狙ったとおりに進んでくれればこれ以上のことはない。被害は最小限に抑え込まれおり、なおかつ敵の損害は大きい。これほどの理想はないだろう。

 

 できるとは言っていないが。

 

 そんな思った通りに戦闘が進めば、そもそも深海棲艦との戦闘がここまで長引くようなことはない。むしろ、火蓋が切って落とされてから1年と経たずに終結を迎えているはずだ。それができないからこそ、こうして人類は深海棲艦と戦火を交わし続けて

いる。

 

 つまりどういうことかと言うと、最初の航空隊による攻撃だけでミッドウェー諸島が片付くという安易な想定で動くことは危険であり、誰一人としてその想定を元にして動くつもりがないということだ。

 

「全艦へ通達。これより機動部隊による強襲作戦を開始する」

 

 東雲による作戦開始の宣言。それは機動部隊の出撃命令と同義だ。峻にはわからないが、おそらく艦娘が展開を始めたはず。

 

「お前もさっさと窓を開けばいいだろ」

 

「ああ、そうだったな」

 

 東雲に言われて、投げやりな返答をしながら峻がホロウィンドウを開く。そしてサーバーにアクセスを試みた。アクセス許可という形でその返答は為され、ホロウィンドウ上に海域マップが映し出された。続いて無数の動く点が表示される。それら動く点のひとつひとつが艦娘の位置情報だ。

 

 試しに適当な点をタップしてみれば、その艦娘の詳細情報が別のウィンドウで開かれる。

 

 作戦開始までに東雲は準備してホロウィンドウを開いてスリープモードにしておいていた。だが峻は開いていないし、サーバーに接続することすらやっていなかった。

 

 東雲は機動部隊の指揮に集中し始めていた。そのせいか峻が異様にホロウィンドウを展開するために時間を食っている事態には気づいていない。

 

 単に最初から開いていないだけなのだが、それ自体がそもそも間違っている。作戦参加をしていないわけではなく、むしろ峻は仮にも機動部隊が撃ち漏らした敵艦隊を掃討する役割だ。機動部隊の指揮と比べれば主とした仕事ではないが、決して軽視してもいいわけでもない。

 

 ようやく立ち上がったホロウィンドウで峻が状況を総覧する。すでに艦載機は発艦済みで、空中戦に突入したらしい。繰り広げられる艦載機同士の戦闘が光学カメラにより映し出された。

 

 異形な深海棲艦の艦載機と艦娘が放った艦載機が空中で交錯する。鉛弾が互いの陣営を突き刺すように降り注ぐ。制空権確保とまではいかずとも、優勢くらいは取れる。そう峻は大まかにだが見立てを立てる。これならば攻撃隊の爆撃や雷撃もそれなりに通るだろう。

 

 そんな風にどこか他人事な視点で状況を俯瞰していた峻の予想とも希望ともつかないものはあっけなく裏切られた。

 

 ホロウィンドウ上に表示されている深海棲艦を表す点は確かに減った。だが優勢を取ったにしては減りが悪すぎる。どれだけ多めに見積もっても1割すら減少しているかどうか怪しい。

 

 隣にいる東雲の表情をちらりと窺う。焦っているような様子はないが、内心で舌打ちくらいならしていそうだ。

 

 だがその心情はこの戦闘に参加している艦娘も指揮官も全員が抱えたことだろう。なにせ討ち漏らした深海棲艦はどこへ行くかといえば、艦載機を飛ばしている機動艦隊を潰すために向かって来るに決まっている。

 

「シュン、出ろ」

 

「わかってる」

 

 首を捻って骨を鳴らす。すでに峻が指揮を執るべき艦娘はいざよいから飛び出した後だ。だから後は峻が指揮に入るだけである。ホロウィンドウの視点を俯瞰した図から艦娘との視界共有画面に切り替える。

 

「接続状況確認」

 

《クリアよ》

 

 大昔に読んだマニュアル通りに確認を行うと、定型文のような返答が叢雲から戻ってくる。次にするべきことはなんだったか、と記憶の海を手探りする。

 

《てーとく! くるでち!》

 

 ゴーヤの警告が峻の思考を塗りつぶして上書きする。急いでゴーヤの視界を映したホロウィンドウを手前に引き寄せる。

 

 そして絶句する。

 

 まだ深海棲艦の先行部隊が近づいているだけ。本隊が背後に控えていることはとっくにわかっている。

 

「先行部隊に姫級だと……」

 

 いくらなんでも早すぎる。姫級なんて最後になってからようやく出てくるものだろう。

 

 そもそも、正面切ってやり合うことのリスクを承知しているからこそ峻はウェーク島攻略戦で泊地棲姫と戦闘することを避ける方向で進めたのだ。結果として戦闘にはなってしまったが、それでも戦わないで済むのならそれに越したことはない。

 

 けれど現在進行形でもれなく姫級を含む先行部隊は接近中だ。それも3部隊ほどがまっすぐに峻の指揮する部隊がいる場所へ。

 

《提督! 早く指示を!》

 

「あ、ああ……」

 

 矢矧にせっつかれてようやく思考停止しかけた頭を回転させ始める。そうだ。任されている仕事は迎撃。敵が何であろうとも、関係なく倒さなくてはならない。

 

「巡洋艦の射程に入るまで抑えろ。総員、砲撃準備。目標、敵先行部隊。砲撃後の回避行動を忘れるな」

 

 ひとまずは指示として砲撃命令を選択。とりあえずはこれで様子見だ。深海棲艦もすでに砲撃準備に入っているのだろう。だからこそ、撃った直後に回避行動をする心構えをさせておく。今できることはせいぜいこれくらいだ。

 

「撃て」

 

 いざよいの中にいても聞こえてくる砲撃音。それが何発も同時に響く。雷の如く轟いた音だけでどれだけの規模で砲撃をしているのかわかる。

 

 まだ始まったばかり。最初の砲撃がうまくいってくれたことを祈るのみだった。

 

「報告。どれだけ落ちた」

 

《えっと……嘘でしょ? 敵先行艦隊の被害軽微。依然として接近中よ》

 

 陸奥が疑わしげな様子であることが手に取るようにわかる言い方で告げる。だが信じられないのは峻もだった。当たらないだけならまだわかる。だが向こうは砲撃もせずに突っ込んでくるのはどういうわけだ。

 

 回避することを前提にして砲撃の着弾点を指定したので、命中率が落ちることは当然だ。深海棲艦が回避行動を取らないなんて峻はこれっぽっちも想像していなかった。

 

 そして紛れ込んでいたはずの姫級が先行艦隊の中から姿を消していたことにすら、今の今まで見直すまで気づかなかった。

 

「姫級がいない……? いや、大型艦系もいなくなって……」

 

《自爆艇よ! 迎撃! 早く!》

 

 これまでは必要最低限のみで沈黙を貫いてきた叢雲の叫び声が唐突に通信を支配する。まさか。信じられない気持ちでホロウィンドウの深海棲艦を拡大する。

 

 叢雲が言ったとおり、回避をするような様子をまったく見せず突っ込んでくる。そしてその中に姫級の姿はない。

 

「迎撃! 急げ!」

 

 焦燥感の滲み出す声で峻が叫ぶ。あの数を通すわけにはいかない。あれが機動部隊にぶつかったら機動部隊はまるっとダメになってしまう。それだけはなにがなんでも防がなくてはならない。

 

 機動部隊が落ちること。それはすなわち作戦の失敗を意味する。そして峻の仕事は機動部隊のいる場所まで深海棲艦を通さないことだ。

 

「敵の目標は機動部隊だ。1隻たりとも通すな。すべての砲撃を集中させろ」

 

《待っ……》

 

 何かを言いかけた叢雲の声が砲撃で掻き消える。何を言おうとしたのかわからないが、追及するのは後でもいい。とにかく任された仕事だけをやればいいのだから。

 

 ホロウィンドウに表示されている深海棲艦の自爆艇が着々とその数を減らしていく。回避する前提で最初は着弾点を指定したが、回避しないのだとわかっていればそんな回りくどいことをしなくともいい。初めの砲撃で得た感覚を元に修正をかけ、進行方向と速度を計算に含めた上で撃ち込んでやればおもしろいようにほいほいと当たる。

 

 一度は意表を突かれた。だがこれで取り返した。峻の護衛すべき機動部隊に接近している自爆艇をすべて沈めることに峻は成功したのだから。

 

 そう、安堵した一瞬を続報が塗り潰す。

 

《うわっ!》

 

《痛っ!》

 

《きゃっ! な、なによこれ!》

 

 鈴谷、北上、天津風。3人の状態を示すアイコンが被害状況を訴え始める。ここまで来てようやく峻も思い出した。

 

 いなくなっていた姫級の存在に。

 

《あなた、はやく指示をちょうだい!》

 

《てーとく、どうするでち?》

 

《提督、榛名たちはどうすればいいですか?》

 

「それは……」

 

 気づけば三方向から姫級に囲われていた。そしてその状況を打開してくれと艦娘たちからせっつくように催促の言葉が降り注ぐ。

 

 なんとかしなければいけない。そう、早急に手を打たねば峻が指揮している帆波隊は全滅だ。

 

 それがわかっているはずなのに。

 

 何も思いつかない。動けと頭に命じても、まったく回転してくれる様子はなく、まるで凍りついたようだ。

 

 打開策も思いつかず、峻はただ立ち尽くす。何もできない。何一つとして思いつかない。

 

 今までこんなピンチは何度も遭遇してきたはず。ウェークの時も輸送作戦の時も、そして反逆者として逃走していたあの時も、ありとあらゆるものを使ってピンチを潜り抜けてきたはずだ。

 

 まだ何も使っていない。いくらでも手段は残されているはず。

 

 にも関わらず、まったく解決策をこの頭は提示してくれないのだった。

 

《ねえ》

 

 落ち着き払った叢雲の声が嫌に明瞭に響く。呼吸が荒い。心拍数が変に上昇していくことが手に取るようにわかる。何か返さなければ。わかっているはずなのに、ガチガチになった体はまるで動いてくれない。

 

《どうにかできる?》

 

 以前ならまかせろ、といったニュアンスの言葉を投げかけて豪語していたはずの問いかけ。そう、そうだ。なんとかしてきたじゃないか。

 

 考えろ。まだ開始のホイッスルは鳴ったばかりじゃないか。使っていない手段など探せばいくれでも出てくるに決まっている。だから探すんだ。重箱の隅を突き、器を引っくり返せ。

 

《ちょっと、提督!?》

 

《まだなの?》

 

 イムヤがもどかしげに、そして夕張が早くしろと峻を急かす。向こうは命を賭けているのだ。そして当然、死にたいわけではない。命を預けた峻を頼るのは至極、当然のこと。

 

「ひとまず、攻撃開始だ」

 

《攻撃目標はどこですか?》

 

「それは……」

 

 榛名に聞かれたことすら返せない。別になんでもないことのはずだ。どれを攻撃すればいい。たったそれだけの問いなのだから、どこのどいつを倒せとたった一言、伝えるだけで事は済む。

 

《てーとく、どれに向かって魚雷を放てばいいでち?》

 

 これだってとても簡単なはずだ。潜水艦たるゴーヤとイムヤに命じてどこに魚雷を放ってもらい、包囲に穴を開けるなり、敵の戦力を削ぐなりすればいい。北上もいるのだから雷撃に関して不安を抱えることもないだろう。

 

 戦力が十分かと言われれば完璧とは言えない。しかしそれでも不十分すぎて何一つとして行動することができないほどでは決してない。

 

 なぜ何も思いつかない。なぜ打開策の一つすら提示できない。

 

 相手は姫級。それも3隻。真正面からただ力のゴリ押しでぶつかり合うにはリスクが高すぎる。この後にハワイ本島戦が控えていることを考えれば、損害はできるかぎり低く抑えておかなくてはいけない。

 

 それがわかっていて、なぜなにもできない。なぜこの頭は策のひとつを捻り出そうとしない。

 

 早く、と急き立てる声が聞こえる。そうだ。時間的な余裕なんてないことはわかっている。時間をかけたぶんだけ艦娘たちは傷つき、最悪の場合は沈んでしまう。

 

《仕方ない、か……》

 

 叢雲がつぶやいたようだ。緩やかにしか回転をしてくれない頭でどこか他人事のように気づく。

 

《いい? 今、このチャンネルを使っているのはあんたと私だけよ》

 

 なんの必要性があるのかわからない前置き。叢雲が何を考えているのかわからないままに峻はああ、と半分は口を突くように返答する。

 

 叢雲側に一瞬の逡巡。しかし意を決したのか口を開いたらしい。しばしの確認作業ともいえるような会話。それが終わってからようやく本題に叢雲が切り込んだ。

 

 その内容に峻は目を剥くこととなる。





こんにちは、プレリュードです!

原稿落とす、原稿落とす。そう言い続けてなんだかんだとギリギリで間に合わせております。この話も今朝、書き上がったものです。けれど次回あたりはそろそろ危ないかもしれませんね。

急に更新が止まったら「ああ、こいつ間に合わなかったんだなあ」と思ってください。


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やはり最悪は当たりて

 

 ああ、やっぱりこうなった。

 

 三方向から姫級を含む艦隊に包囲された状況で叢雲は嘆息しつつ、内心で嫌気がさしたようにつぶやく。

 

 せっついているが峻はなんの打開策も提示できないでいる。自分が突ついてこじらせたくないため、事前に頼んだとおり他の仲間たちがやってくれているが、このまま急かしたところで何も提示できないだろう。

 

 仕方ない。本当にならなければいいと願い続けたが、現実になってしまった以上は目をつぶって逃げ続けるわけにもいかないだろう。なによりこのままではいずれ沈むものも出てきてしまう。そうなった時、峻がどのような方向に転がっていくのか叢雲にも完全な予測は立てられなかった。

 

 ひとつ、確かに言えることはもう引き返せなくなるということだ。

 

「ねえ、聞こえる?」

 

《……聞こえてるよ》

 

 峻と軍用でない個人のチャンネルで通信を繋ぐ。できることならこれからする会話は外に出したくない。今なら誰しもが戦闘に必死なせいでこちらを気にかける余裕などないだろう。まだ追い詰められてからさした時間は経過していない。確か一緒の部屋で峻と東雲は指揮していたはずだ。東雲に気づかれなければどうとでもなる。他の船に乗っている司令官も自分たちのことで手一杯のはずだ。

 

「何か思いつきそうかしら?」

 

《…………》

 

 峻が黙りこくる。そうなることはわかっていた。それでも言うしかない自分を叢雲は殴り飛ばしてやろうかとすら思う。

 

「ごめん」

 

 無意味だ。そうわかっていても先に詫びておく。その詫びはこれからすることの詫びと、今までのぶんの詫びだ。

 

 けれど、きっと今までのぶんとして詫びている意味は伝わらないのだろう。峻が汲み取ってくれる意味合いはこれから叢雲がすることに対する詫びというだけだと断言できる。

 

 むしろ伝えたいのは今までのぶんとしての詫びだというのに。

 

 覚悟を決めろ。こうなったのは自分のせいなのだから。だからその代わりは務めなくてはならない。

 

 重々しく叢雲は口を開く。ためらっている時間はない。時間の余裕など状況はまったく与えてくれないのだから。

 

「……指揮能力の喪失と判断して旗艦の私が指揮権を取るわ。いいわね?」

 

 少しの躊躇いを経た後に、強制力を含ませた口調で叢雲が峻に告げる。否定はさせない。未だに有効手段を提示できていないことは峻もよくわかっている話だ。

 

 これ以上は問い詰めるような真似をしたくない。かなり高圧的にやろうとしていることは重々承知。だがこのまま置いておいても峻が建設的な打開策を出すことはないだろう。

 

《……どのみち反論の余地はないだろ》

 

「悪いわね、本当に」

 

 皮肉にしか聞こえなかっただろう。だが叢雲は皮肉をこめるつもりはこれっぽっちもなかった。本気で謝っていたし、本気で自身に嫌気が差していた。

 

 峻とのためだけに開いていた回線を閉じる。そして今度は素早く部隊内のチャンネルに切り替えると、全体に繋いだ。

 

「ごめん、やっぱり私がやることになりそう」

 

「……まあ、叢雲はそうなるかもって言ってたもんね」

 

 ゴーヤの言葉はむしろ叢雲に突き刺さる。そうなるかもしれない、と告げることはした。だがもし叢雲の杞憂であったのなら。もしただの勘違いで峻は完璧に指揮をやり通してみせてくれたなら。最後までそれを願い続けていた。

 

 けれど予想は裏切られず、想像したとおりに峻は指揮に詰まった。そして追い詰められる結果を導いてしまっている。

 

「これより私が司令官との連絡役を務めるわ。いいわね?」

 

「了解」

 

 詭弁だ。そう叢雲は自身を自嘲する。事実、全員が気づいている。だがその意図を他ならぬ叢雲から聞いているからこそ、なにも触れないだけだ。

 

 さあ、考えろ。連絡役などとは言ったが、実質的には叢雲が指揮を執るのだ。つまり頼れるものは自分の頭ひとつのみ。

 

 現状の戦力を確認。榛名、陸奥の戦艦組と鈴谷、北上、夕張、矢矧の巡洋艦組。そして叢雲と天津風の駆逐艦組にゴーヤとイムヤの潜水艦組だ。

 

 対して敵戦力。最も警戒を余儀なくさせられるのは3体の姫級だろう。ここまできてしまうと、いっそ随伴はどうでもよくなってくる。いや、もちろんどうでもいいわけではないのだが、姫級の戦力が如何せん圧倒的すぎる。どうあっても最優先になってしまうのは仕方のないことだろう。

 

「天津風、雑魚をお願い。パラレルも使って良いわ」

 

「いいのね?」

 

「いいわ。そういう指示だから」

 

 そんな指示を峻は出していない。だが指揮権は峻から叢雲に移っている。使用に関する許諾も叢雲の一存だ。あくまで形式。天津風自身もわかっているくだらない茶番劇だ。

 

「榛名と鈴谷と夕張は右翼のお姫様、陸奥と北上と矢矧は左翼のお姫様をお願い。イムヤとゴーヤは状況に即したバックアップ」

 

「叢雲ちゃんはどうするつもりですか?」

 

 榛名がまさか、といった表情で問いかける。何をするつもりなのかわかっているんじゃない、と思いながら叢雲が頬を緩める。

 

「私は正面のお姫様をやるわ」

 

 すらりと愛刀の断雨を叢雲が抜いた。正面でじりじりと追い詰めてくる姫級をきっと睨む。天津風がある程度は雑魚を相手してくれるとはいえ、厳しい相手であることは確かだ。

 

 それでも、叢雲が思いつくかぎりで最も勝率が高いのはこんな方法だけだった。

 

「無謀です」

 

「この状況がそもそも限界よ。無謀なことでもしない限り突破できないでしょ」

 

 それに負けるつもりはなかった。ここで死んだら峻に対してさらに重荷を背負わせることになる。だから絶対に死ぬわけにはいかない。

 

「いくわよ」

 

 叢雲が艤装の出力を上昇させる。足止めをしようと飛び掛ってきたイ級を3枚にスライスするとそのまま姫級に向けて脇目もふらさずに突き進む。

 

 接近させまいと連続で繰り出される砲撃を蛇行して避ける。だが限界をすぐに迎えることはわかっている。

 

 リ級が叢雲を押さえ込みにかかる。雷撃の姿勢を作った段階で叢雲の意識がそちらに向いた。行く手に魚雷を撒かれて、行動を制限されると非常に厄介だ。

 

「天津風!」

 

「人使いが荒いわよ!」

 

 半ばやけっぱちの天津風が操る自律駆動砲がリ級を撃つ。体勢がグラついたところを叢雲が懐に潜り込んで左斜め下から斬り上げる。一刀の元に斬り捨てると、横に大きく跳び退る。

 

 ついさっきまで叢雲が立っていた地点に砲弾が落ちる。叢雲によって斬り伏せられたリ級を巻き込んで爆発を巻き起こす。

 

「雑魚は引っ込んでなさい」

 

 苛立ち紛れに言い捨てる。本丸は姫級だ。それさえ落とせばいい。残りの雑魚は天津風の自律駆動砲に任せても十分に処理できる範疇だ。

 

 たかが雑魚に苛立ちすぎだ。自分ですらそう思う。だが腹立たしいことこの上ないのだ。

 

 深海棲艦が、ではない。叢雲が腹を立てているのは他ならぬ叢雲自身に、だ。

 

 峻が指揮をできないでいる理由を叢雲は知っていた。できなくなる可能性があると理解していたと言うべきか。だができなくなってもすぐに戦闘へ司令官として投入されることはないと踏んでいた。

 

 だがクーデターを経て、中身を引っくり返してみれば急遽、決定してしまったミッドウェー諸島とハワイ本島の連続攻略作戦。

 

 本来であるのなら、無実が証明されたとしても司令官職に復帰することは難しいだろう。だから叢雲は安心しきっていた。

 

 まさか強引に峻を引っ張り出すような展開を迎えるとは思っていなかったのだ。

 

 そもそもとして峻を反逆者にしてしまったのは叢雲だ。そしてその結果としてクーデターを起こすための起爆剤に使われ、そしてことの深くまで食い込ませてしまった。

 

 すべて自分の行動が招いた結果だ。愚かなひとりの少女が自身の望むところもわからぬままに暴走してしまったことで峻の首を絞めてしまった。

 

「ええ、私は腹が立ってるわよ。どうしようもなく愚かで馬鹿な自分に。だからね……」

 

 叢雲の視線が姫級に向く。刀身を腰定めに構える。邪魔をしようとした深海棲艦を主砲で妨害すると進路を確保する。

 

「ここで落とされるわけにはいかないのよ!」

 

 姫級が叢雲に狙いをつける。すべての砲門が一斉に開いて、砲弾をこれでもかと撃ち出した。

 

 来る。どうあっても避けられない。一斉射の範囲をあえて広く取ることで回避する隙間を与えないようにする心積もりだ。

 

 仮に叢雲が戦艦や巡洋艦クラスならなんとかなったかもしれない。だが叢雲は装甲の薄い駆逐艦。一発の直撃は致命的だ。

 

 だから当たらない手段を多少、強引になってしまおうとも叢雲は掴み取る。

 

「コード1(ヒト)3(サン)。リーパーシステム起動」

 

 通常であれば峻が指揮官権限でロックしているシステム。だが今は叢雲が権限は握っている。ホロウィンドウに表示された最終認証を押す手間すらもどかしく、押し込む。

 

《R.E.A.P.E.R.system is ready!》

 

 その文字列が踊ると同時にホロウィンドウが閉じる。機関の動きが言葉に表せない形でだが、明確に切り替わった。

 

「っ…………」

 

 襲いかかる情報量に叢雲の頭が痛覚という名の悲鳴をあげる。無理やり艤装の機関を暴走状態に持ち込んで機動力をあげる、なんて無茶をやろうとしているのだ。体はもちろん、機関の暴走状態を維持するために頭も使わなくてはならない。少しでも処理が追いつかなくなればその場でボン! も有り得るのだ。

 

 輸送作戦ぶりの使用。だがあの時とは状況も叢雲のコンディションも大きく違う。

 

 あの時に機能不全に陥ったのは叢雲。だが皮肉なことに今回、機能不全に陥っているのは峻だ。見事にあの時と真逆だった。

 

「ったく……」

 

 悪態をつきながら着弾するよりも早く、叢雲が姫級との距離を詰める。急激な加速はまるで叢雲の姿が消えたように錯覚させるだろう。

 

 駆け抜けざまに一閃。しかし有効打にならなかったことを感触で察した叢雲は舌打ちをする。姫級は腕をクロスして防いだようだ。

 

 あまり時間はかけられない。延々と使用し続ければ体と頭が限界を迎えてしまう。どこまでがリミットなのかわからないが、あまり過信して連続使用するのは避けた方がいい。

 

 本当ならばこんな早期のタイミングで使うべきではないのだろう。だが使わずに状況を打開する方法を叢雲は思いつかなかった。

 

「あまり時間をかけさせないで頂戴」

 

 かなり強引に制動をかけると、全身が悲鳴をあげる。ぎり、と奥歯を強く噛み締めて襲い掛かる痛覚を堪えると、ターン。再び姫級に斬りかかる。今度は防御の体勢を作られるよりも早く駆け込んで斬りつけた。袈裟懸けの刀傷が姫級の脇腹から肩口にかけて刻まれる。

 

 姫級が主砲を一門、叢雲に向ける。だが撃たれる前に断雨が砲塔を斬り裂く。続けて構えられた主砲も同じ末路を辿った。

 

 メインとなる装備を斬り飛ばされた姫級。ほとんど丸腰になった姫級に叢雲は最後の一太刀を加える。深々と傷を刻み込まれた姫級にトドメの魚雷を数発、叩き込んでやれば海中に没していく。

 

「次!」

 

 雑魚は天津風の自律駆動砲に任せていい。天津風の向いている戦闘は複数の自律駆動砲を操ることによる随伴の殲滅。旗艦である姫級を落としたのなら、あとは天津風のみで正面の艦隊は押さえ込める。仮に苦しくなったとしてもイムヤとゴーヤが海中から援護してくれるだろう。

 

 左右の戦況を見比べる。優先すべきは右翼に配置した榛名たちの援護だろうか。

 

 無鉄砲に突っ込む前にチェック。頭痛は? 問題ない。体は? まだ持つ。少なくとも輸送作戦で感じたほどの激しい痛みは感じない。

 

 なんだかんだと輸送作戦の時からシステムは改善されたらしい。いつの間にか峻は手を加えていたようだ。使用時間を比べれば短いとはいえ、体にかかる負担はかなり軽減されている。

 

「鈴谷、横に飛びなさい!」

 

「へっ? ……うわっ、と!」

 

 鈴谷が抜けた声を出しながら大慌てで右に飛び退る。ついさきほどまで鈴谷がいた場所を叢雲が駆け抜けた。そのまま榛名たちの砲撃が止んだ瞬間を見計らって姫級に斬りかかる。主砲を斬り飛ばそうとしたが、すんでのところで姫級が身を捻ったために浅い裂傷を与えるのみに留まる。

 

 しかしそれで止まる叢雲ではない。痛手を与えられなかったところでそこで止まってしまえばそれまでだ。

 

 ぐるりと回った主砲を刀の柄で弾いて狙いを付けようとする魂胆を防ぐ。そして隙を見つけて蹴りつけると姿勢を崩させる。

 

「榛名!」

 

「はい!」

 

 叢雲が蹴った勢いを生かして姫級から距離を取る。榛名が叢雲の後退する姿を確認するとすべての砲門を姫級に向けて開いた。

 

 一斉に砲弾が姫級に向けて飛来していく。着弾した地点から幾重もの爆発が巻き起こった。

 

 腰定めに叢雲が刀を構える。戦艦の砲撃とはいえ、油断はならない。なによりまだ終わっているわけがないだろう。

 

 そして叢雲の予想は的中する。かなりの損傷を負った姫級が少しばかりふらつきながら現れた。榛名の砲撃をもう一度、浴びさせれば落ちそうだがあいにくと榛名は砲弾を再装填中。鈴谷と夕張は随伴の掃討に手を焼かされている。

 

 動けるのは叢雲だった。懐に身の危険を省みずに飛び込むと、斜めに斬り上げた。そのまま頚椎に刀身を差し込むと姫級の首を斬り払って飛ばす。

 

「榛名、あとは任せるわよ!」

 

「は、はい!」

 

 返事が遠巻きに聞こえる。戦艦クラスも残っていたが、その程度なら榛名たちだけでお釣りがくるだろう。

 

 まだ叢雲は止まれない。最後に残った左翼がある。あそこを倒さない限り、この危機的状況を脱したとは言えないだろう。

 

 逆サイドである陸奥たちの戦闘まで一気に叢雲が到達する。状況の把握にかける時間は数秒。それはすべて移動中に済ませた。

 

 矢矧が的確な砲撃で牽制をかけ、陸奥の主砲か北上の魚雷が仕留める。実に堅実といえる方法だ。だからこそ後回しにしても大事にはならないと叢雲は踏んだ。

 

 そしてその予想は当たっていた。追い返すまでには至っていないものの、均衡くらいには持ち込んでいる。

 

「ごめん、割り込むわよ」

 

 陸奥に向けられた戦艦級の砲身を斬り飛ばしながら叢雲が告げる。飛び上がって戦艦級を蹴り倒すと、矢矧が雷撃で仕留める。ぐるりと反転すると砲撃の合間を縫って姫級に接近。脚部を斬り裂いた。片足を喪失させられた姫級がバランスを崩して海面に倒れこむ。

 

 崩れた体勢の姫級に受身を取ることはできない。そんな絶好の機会を逃すわけにはいかない。まだ残っている酸素魚雷を打ち込む。受身がとれなければ衝撃を殺すことができず、モロに食らう。そしてそれこそがまさに叢雲が狙っていたことだった。

 

「今!」

 

「了解よっと!」

 

「はいはーい」

 

 陸奥と北上が合わせたようにして魚雷と砲撃を叩き込む。一斉に爆ぜたそれは瞬く間に姫級を海中へと沈めた。

 

「リーパーシステム、停止」

 

 叢雲たちを包囲していた深海棲艦の艦隊は雑魚を残すのみ。もう叢雲が身を削ってまで戦う必要はない。

 

 なにより負担が大きすぎた。輸送作戦の時と比べればかなり軽減されているがそれでも鈍い疼痛は頭を苛み、無理な速度での機動を続けて酷使された体はかなりの疲労を訴えていた。

 

「無理しすぎよ」

 

「無理しなきゃなんない時もあるのよ」

 

 荒い息を吐きながら叢雲が矢矧の軽い叱責めいたものを流す。ここは体の張りどころだ。そう叢雲は捉えていた。呆れた様子で矢矧がため息をついたが、ふっと表情を緩めた。

 

「よく回しきったんじゃない?」

 

「付け焼刃よ」

 

 まともではないとはいえ、叢雲は指揮を執って見せた。かなり胡散臭いものではあったが、結果的に包囲されていたピンチから脱することができたのだからよしとしてもいいだろう。

 

「あと一押しよ。さっさと片付けるわ」

 

 呼吸を整えなおすと再び叢雲が正面をきっと睨む。姫級の3体を相手にしている間に戦況はかなり変わっていた。本当にあと一押し。そこまで追い込むことに成功していた。

 

「私の目的(まえ)を遮るなら……沈め!」

 

 叢雲が柄に手を添える。譲れないものがある。そのために彼女はその刃を奮う。もう揺らがないその瞳は迷いなく先を見ていた。





こんにちは、プレリュードです!

次の秋イベがレイテらしいですね。とりあえず満潮を全力で育てていますが、ルート固定は発生するんでしょうか。

資材も貯めなきゃいけませんし、アズレンに浮気してる暇もありません(オイ)


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こうして榛名は静寂を破る

 

 たらり、と翔鶴の額に一筋の汗が伝う。濡れたところから煤が張り付いた。

 

《翔鶴、押し切れそうか?》

 

「確実なことはなんとも言えません。ですが優勢であることは確かです」

 

 控えめに翔鶴が戦況に即しているであろうと思う答えを述べる。圧倒的とまで言うと誇張表現のように思われるかもしれない。だが事実としてこちらがかなり押していた。

 

「深海棲艦の反抗も弱まってきました。提督、仕掛けるなら今です」

 

《……あまり前哨戦に時間もかけられんか》

 

 東雲が考え込んだ後に口を開く。この後にハワイ本島での戦闘が控えていることを考えれば、いたずらに時間をかけ続けて余計に消耗してしまうようなことは避けたい。

 

 となればここで仕掛けるのは妥当だろう。だから翔鶴は進言という形を取って攻勢に出るように言った。

 

 そして東雲はそれに乗ることにしたようだった。

 

《全機動部隊に告ぐ。総攻撃開始。敵機動部隊ならびに敵護衛艦隊を撃滅せよ》

 

「全航空隊、発艦はじめ!」

 

 翔鶴が艦載機を一斉に飛ばした。続いて機動艦隊が次々と航空機を飛ばしていく。ここで攻勢に失敗すれば最悪だ。航空隊は磨耗してしまい、ハワイを目前にして撤退の選択肢を取るしかなくなる。

 

 けれど翔鶴も東雲も失敗するとはこれっぽっちも思っていなかった。

 

 そしてその予想は外れることはなかった。

 

 航空隊が深海棲艦の防空隊を叩き落とす。食い破った防空の網目を抜けて攻撃隊が一気に深海棲艦との距離を限界まで詰める。そして魚雷を切り離した。

 

「まだです!」

 

 追い討ちに爆撃隊を翔鶴が機動部隊の旗艦へと差し向ける。交戦し始めたときからずっと艦載機ごしに探し続けた相手。ただの機動艦隊旗艦ではなく、ミッドウェー諸島に存在しているすべての深海棲艦の指揮を執っている中核を担っている深海棲艦。

 

 その一体だけ。それだけが翔鶴の狙っていた獲物だ。その一体さえ落とせば統率が乱れる。そして統率が乱れてさえしまえば、残るは指揮を執っていた頭が消えて浮き足立つ残党を潰していくだけの単純作業だ。

 

 予想通り、と言うべきか。やはり指揮を執っていた深海棲艦は姫級だった。だが織り込み済みだ。

 

 姫級は全体的に装甲が固く、耐久値も非常に高いことが確認されている。なので翔鶴はじりじりと削り続けるよりも、一気に大部隊で時間をかけずに落とすつもりで提案したのだ。

 

「攻撃開始!」

 

 翔鶴が頭上にあげた手を振り下ろす。翔鶴の操る攻撃隊が集中的に旗艦である姫級に襲い掛かった。空中で深海棲艦の防空隊と翔鶴の艦戦が交じわりあい、敵防空隊を落としていく。

 

 余裕なんてない。敵の練度も相当なものだ。それでもまだ押し込める。

 

「侮らないでください。私だってただの引きこもりじゃないんですから」

 

 横須賀鎮守府司令長官の秘書艦。そのため事務仕事に従事することが大半だった。出撃の数も必然的に減っていた。最後に出たのも輸送作戦だ。その前はウェーク。けれどさらに遡ろうとすれば、一体どれくらい前だっただろう。

 

 しかし鍛錬を欠かしたことはなかった。いくら相手が姫級とはいえ、互角以上の戦闘を演じてみせる自信はあった。

 

 そして翔鶴は競り勝った。

 

 翔鶴に攻撃をこれでもかと叩き込まれた姫級が傾く。飛行甲板は炎上を始め、だんだんと傾斜がきつくなっていく。そこまでいけば後は容易い。全力攻勢。ただそれに尽きるのみだ。

 

 装甲がひび割れ、中に押し隠されていた肉が弾け飛ぶ。ぬめりのある液体が海面に飛び散った。

 

 燃料か弾薬にでも引火したのだろうか。一際おおきな爆発音が響き、黒煙に包まれた。そしてそれが晴れた時、姫はもういなかった。

 

「ミッドウェー艦隊の総旗艦の撃沈を確認しました」

《こっちも見てた。よくやってくれた、翔鶴》

 

 東雲が労いの言葉をかけてくる。少しだけ口元を緩ませながら翔鶴はその賛辞を受け取った。

 

《あとは残党狩りだ。もうひと踏ん張り頼んでいいか?》

 

「勿論です」

 

 会話の間に着艦させていた艦載機の整備を進めさせる。統率を失った群れだとしても侮ってはいけない。とんだ獣が紛れ潜んでいるかもしれないのだから、念には念を押して全力で相手しよう。

 

「攻撃隊、発艦!」

 

 飛び立つ艦載機に指示を飛ばし、目に付く深海棲艦から潰していく。反撃の手は徐々に、だが確実に弱まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっ!」

 

 一刀のもとに叢雲が戦艦級を斬り伏せる。周囲でも砲撃音が響くたびに深海棲艦の数は目に見えて減っている。

 

 次第に固まって発生していた爆発が散発的になっていくと止まった。叢雲が刀身についていた液体を振り払う。

 

《敵残存艦隊の撤退を確認》

 

 そんな短い言葉の後にこちらの勝利だ、といった内容が全体用の回線で伝えられる。ミッドウェー攻略戦。その軍配は艦娘側に上がることとなったようだ。けれど叢雲は勝利の感慨なんて感じる余裕はなかった。

 

「はあ、はあ……」

 

 叢雲が息も絶え絶えに海面へ座り込んだ。振るっていた断雨を鞘に戻していると、ようやく体の感覚が追いついてきたのか、いたるところが痛みを訴えはじめる。

 

 無茶は承知の上で使ったリーパーシステム。だがその対価として払った体にかかる負荷は結構なものだった。もう一歩たりと動けない、なんてことはないがそれでも疲労は着実に蓄積していた。

 

「確かに1人で使うようなもんじゃなかったわね……」

 

 苦笑いしながら叢雲が息を整えにかかる。前回より負荷が軽減されているとはいえ、連続使用時間は今回の方が長い。しかも使用してから休息をほとんど挟むことなく戦い続けたのだ。さすがに限界だった。

 

 本来ならばこれは司令官のバックアップ込みで使うことが前提とされている。それだけ演算能力を要求するためなのだが、今回は叢雲ひとりで使った。バックアップに任せていい事柄まで自分で演算処理しなくてはいけなかったので、負担も上がったというわけだ。

 

「叢雲ちゃん。手、貸しましょうか?」

 

 すっと目の前に透き通るような白い手が差し出される。叢雲が面を上げるとほほえむ榛名が視界に入った。

 

「助かるわ」

 

 正直、もうヘトヘトだった。立ち上がるにしても気力を奮い立たせなくてはいけないのではと思っていたところに、こうして掴んでも良い手が差し出されるのはとてもありがたい。

 

 榛名の手を握るとぐいっと体が持ち上げられる。さすがは戦艦というべきか。易々と叢雲の体を立ち上がらせると、榛名は叢雲に肩を貸した。

 

「別に自分で動けるわよ」

 

「でしょうね。でも足を生まれたての子鹿みたいに震わせながらいざよいに戻るより榛名が曳航した方が早いでしょう?」

 

 たしかにその通りだ。榛名なら馬力もあるため、たかだか叢雲ひとりくらいを曳航したところで大きな影響は受けないだろう。

 

「…………」

 

「むくれても止めませんからね?」

 

「表情には出してないはずよ」

 

「出てなくてもわかりますよ。さすがに」

 

 榛名が小さく笑う。呆れたように肩を落とした叢雲は結局、榛名にされるがままになることにした。

 

「体、無理しすぎてませんか?」

 

「え? ああ、大丈夫よ。無理はしたけど、無茶はしてないつもりだから。きっちりと休めばすぐに体力も回復するわ」

 

 そこの見立ては外していないはずだ。外傷といえるものはさして負っていない。ぐっすりと眠っていればそれだけで十分だ。

 

「そういえば伝えていた件、本当にありがと。すんなりと動いてくれて助かったわ」

 

「私が指揮を執ることになるかもしれない、って言っていたことですか? ええ、構いませんよ。事前にみんなが知っていたおかげでさしたる被害にもなりませんでしたし」

 

 峻が指揮できなくなる可能性。それを叢雲は事前に部隊へこっそりと知らせていた。その上で頭を下げてお願いしたのだ。もしそうなったら何も聞かずに私を信じてほしい、と。そして指揮できなかったことを口外しないでほしいと。

 

 無茶苦茶なお願いだ。それでも黙って飲んでくれた。よくぞ理由も聞かずに動いてくれたものだと思う。

 

「ほら、開きましたよ」

 

 榛名に導かれるままに、いざよいの腹へと入っていく。格納庫に入ると装着していた艤装を外してから叢雲は肩を回しつつ、壁に背を預ける。

 

「医務室、連れて行きましょうか?」

 

「怪我人扱いするんじゃないわよ。怪我そのものは軽いわ」

 

「そういう強気な発言はふらふらの体をまともに動かせるようになってから言ってくださいね」

 

 叢雲を榛名が引きずるようにして連れて行く。抵抗を試みてみるが、まともに力が入らずまたしてもされるがままだ。次第に無駄だと悟った叢雲は暴れることをやめた。

 

 しばらく引きずられてようやく気づく。榛名は医務室になんてまったく向かう気配がない。いざよいは慣れていない艦だからとはいえさすがにここまで見当違いの方向に進み続ければ違和感も覚える。

 

「どこに連れてくつもりよ」

 

「見たところ怪我はほとんどないみたいですからね。軽い手当ては榛名の部屋で十分にできるでしょう?」

 

「榛名は……」

 

「榛名も擦り傷レベルの軽傷です。部屋での治療で事足りますから」

 

 榛名が自室に叢雲を伴って入った。引きずられるがままの叢雲は当然のように中へ。医療セットを取り出して少し沁みますよ、と前置きをして叢雲の傷を消毒しにかかる。手早く治療を施すと今度は自分にも同様の処置を行った。

 

「ずいぶんと手馴れてるのね」

 

「こういう心得はあって損するものではありませんから。叢雲ちゃんも覚えておくといいですよ」

 

「そうね」

 

 そう言いつつも叢雲が脳裏に思い返していたのは峻が常盤と衝突した後に救急箱で手早く応急処置を自らに施していた姿だった。

 

 確かに習得しておいて損はないかもしれない。初期治療が後遺症を残すかどうかを分けるというような話をどこかで聞いたことがある、ような気がする。

 

 そんなことを思っているうちにいつのまに用意したのかお茶がサイドテーブルに安置され、榛名が叢雲に椅子を勧めた。榛名自身はベッドに腰掛けると温かいお茶を飲んでほぅ、と一息をつく。

 

「叢雲ちゃん、何がありましたか?」

 

「そのために連れて来たの?」

 

 叢雲が勧められた椅子に座りながら落ち着いて聞き返す。わざわざ榛名は全体に伝えなくてもいいようにここまで連れて来たのだろう。

 

「叢雲ちゃんと帆波大佐の戦闘直前に交わした会話だけに限らず、言葉数が妙に少なかったのでなにかあったのではないかなと思いまして」

 

「別に私が嫌がっているわけじゃないのよ。むしろきちんと話したいくらいね」

 

「つまり何かはあったんですね?」

 

 榛名が念を押すように叢雲に確認する。何かあったのではないか、という榛名の問いかけを叢雲は否定しなかった。そして否定しなければ榛名が気づくのも当然だ。

 

「いろいろあった……って言っても誤魔化されないわよね」

 

「話す話さないは叢雲ちゃんの自由ですよ」

 

「私も自信もってこれが原因だって言えるわけじゃないのよ。だから、ね」

 

「でもこうではないかと思っているものはあるんですね?」

 

 榛名が鋭く指摘する。敵わないわね、と叢雲は苦笑いをしながら肩をすくめた。こういうケースの榛名はとんでもなく鋭いのだ。

 

「あー……たぶん、よ?」

 

「はい」

 

 榛名が真面目にうなづく。そんな真摯な姿勢が余計に言いにくくなって叢雲は頬をかきながらそっぽを向く。

 

「えっと、榛名は本部の騒動に私とあいつが関わっていたのは知ってるわよね?」

 

「ええ」

 

「そこであいつが刺されて死んだと私が勘違いしたのよ」

 

「はあ……」

 

 何の話か榛名が理解できずに首を傾げる。叢雲が思い出すのは峻が刺されたあの瞬間。

 

「まあ、結局は懐に入れてたワイヤーガンで刃が止められていたからあいつ自身は無傷だったんだけど、ちょっと動揺したというか……」

 

「それで、どうしたんですか?」

 

「取り乱しちゃったのよ。それを軽く流されたからかカッとなって……」

 

「なって?」

 

 榛名が首を傾ける。叢雲はますます言い辛くなって苦りきった笑みを浮かべる。だが長引かせても得はない。いい加減に腹を括るべきだと叱咤して口を開く。

 

「『あんたのことが好き』って言いかけて……」

 

「はい?」

 

「それを途中であいつに遮られて、そのままずるずると……」

 

 頬が羞恥によって熱を持つ。叢雲は榛名を直視できなくなって顔を伏せた。

 

「遮られた? 思い出させて申し訳ないんですけど、断られたんですか?」

 

「なんて言ってたかしら? ああ、『その言葉は俺ごときにかけていいものじゃない』だったわね。『もっと別のより相応しいヤツこそが受け取るべきだ』とかも言ってたわね。わけわかんないでしょ」

 

 叢雲が冗談めかしながら言った。冗談っぽく言わなければとてもじゃないが話せたことじゃなかった。

 

 まさか色恋沙汰でコミュニケーションに滞りが発生しているとは榛名も思っていなかっただろう。

 

 峻がうまく指揮を執れなくなっていたのはまた別の理由だ。けれど叢雲がうまくコミュニケーションを取れなくなっているのはこれが原因だ。話すことさえできれば原因がわかっている叢雲は解決に導けるかもしれない。だが気まずくもあり、また峻が避けているのもありありとわかっているのでずるずると話せないままでいた。

 

「話すことさえできれば糸口くらいは掴めるかもしれないのよ。ううん、たぶん掴めてる」

 

「あとは大佐のみですか」

 

「避けられているとなるとさすがに、ね。私とあいつだけで話しておきたい案件だし……」

 

 言いたいことはいくらでもある。けれど峻が話す体勢になければそもそも持ち込むことができない。

 

 普通にアホくさいことであることくらいは叢雲とて重々承知だ。正直、あんなタイミングで告白なんてどうしてやってしまったのだろうかと本当に思う。だが咄嗟に口を突いてしまったのだ。本気で死んでしまったと思い、死んでないとわかってほっとするあまりに気が抜けてしまった。そして気が緩んだせいでこんなことを口走ってしまった。いずれは言う言葉だったとはいえ、時期尚早なことは否めない。

 

「どういう経緯かはだいたいわかりました。とりあえず叢雲ちゃん、あなたは寝てください」

 

「え?」

 

「体がふらふらの状態で何ができるんですか。すべては休んでからです。榛名のベッドを使ってください。だからとにかく今すぐに寝てください」

 

 ぐいぐいと榛名が強引に叢雲をベッドに寝かせると布団をかける。困惑した叢雲は為されるがままだったが、蓄積した疲労ゆえにすぐまぶたが重くなる。不安な案件を抱え込んだまま無理やり寝ろなんて言われてもできないかと思ったが、リーパーシステムを使用した負担があるせいかすんなりと布団を被ることはできた。

 

「はあ……本当に……」

 

 榛名が頭を抱える。確かに影ながらどうなることかと見守っていた。だがいざ攻略作戦となってこんな形で影響が出てくるとはこれっぽちも想像していなかったのだ。

 

「ふざけるのも大概にしてくださいよ」

 

 もぞもぞと布団の下で動く叢雲を慈愛の瞳で見つめながら、峻に対する感情を剣呑な口調で榛名が言い捨てる。

 

 榛名が慎重に部屋から出て行く。榛名とて眠りたかったが、こちらの方が優先だ。

 

 絶対に榛名にとっては見逃せない状況だった。だからこそ、怒りを滲ませて榛名は行動を始める。




こんにちは、プレリュードです!

自分で書いといてあれですけど、どうもこういう話を基幹にするとシリアスっぽい雰囲気を醸し出そうとしてもうまくいきませんね。そこら辺はもう少しうまく書けるように練習しなくてはいけないかもと思いました。

いい加減にまとめにかかりたいものです。あと少し。なんとかこのまま止まることなく行きたいですね。

「止まるんじゃねえぞ……」


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さすれば榛名は問い詰めたり

 

 躊躇いを覚えさせない足取りで榛名がいざよいの艦内をずんずんと突き進む。ほとんど人とすれ違わなかったのは、ミッドウェー戦後の補給や艤装の補習などで人手が出ずっぱりだからだろう。いくら快勝を収めたとはいえ、被害が完全にゼロだったわけではない。

 

 そして人がずっと補給作業などに駆り立てられている今、誰かに見られたくはない榛名にとってその状況は好都合だ。

 

 迷うことなく峻のいる部屋へ榛名が到達する。思いっきりドアを開け放とうかとも考えたが、さすがにまずいと思いとどまった。息を整えてからノック。入室許可の返事が来る時間すらもどかしく、返事とほぼ同時に室内へ。

 

 あまりにも素早く身を滑り込ませた榛名に峻が眉を潜める。乱暴であった自覚はあるため、何も言い返すことはできない。

 

 けれどそんなことで折れてあげるようなつもりは榛名にない。

 

「榛名か。何をしにきたんだ?」

 

「どうして誤魔化したんですか?」

 

「はぁ?」

 

「叢雲ちゃんです。ぜんぶ聞きました。叢雲ちゃんが本部の騒乱で伝えたことを」

 

 その言葉を榛名が言った瞬間に峻が露骨に顔をしかめる。触れるな。そんな言外の意思をひしひしと感じたが、榛名は流した。

 

「どうして曖昧な言葉で濁したんですか、と聞いているんです」

 

「ぜんぶ聞いたってのは本当のことらしいな」

 

「はい」

 

 短めの肯定。それだけ十分すぎるくらい峻には榛名が叢雲から話を聞いたことを察することができただろう。

 

「叢雲ちゃんが告白したんでしょう? それに対して大佐返した答えの内容も聞きました」

 

「そうか。だとしてもお前が何をするって言うんだ。関係のない事柄に踏み込むなよ」

 

「ええ、榛名もそのつもりでした」

 

 でした、という過去形。その語尾が榛名の行動指針を表している。

 

 ずっと見守っていくだけで口を挟むつもりは榛名になかった。相当前から叢雲の感情にはうっすらと気づいていた。けれど余計なちょっかいだけは出さない。そのつもりで榛名は沈黙を貫き続けていた。

 

 だが今回だけ、今回だけは榛名の中にある免責事項だ。

 

「別にただ断るだけだったり受け入れるだけだったら、榛名は何もしなかったでしょうね」

 

「なら……」

 

「でもうやむやにしようとしたでしょう?」

 

 榛名が疑問の形式を取るが、その言葉に込められた語気の強さははっきりと断定していた。峻に何かを言わせることすらせずに畳み掛ける。

 

「……」

 

「やっぱり。否定しないんですね。関係を持ちたくないのなら嫌いだ、とでも言って拒絶すればよかったじゃないですか」

 

「それは……」

 

「できませんよね。だって『嘘』になってしまうから。だから口が裂けても叢雲ちゃんのことを嫌いと言えなかった。違いますか?」

 

 何かを言いかけた峻を遮って榛名が上から被せる。じり、と榛名が詰め寄ると峻が気圧されたように距離を保ちつつ引いた。

 

 峻は口を貝のように閉ざしたままだ。否定も肯定もしていない、なんの意味も内包しないはずの沈黙。だがここで峻が沈黙を守ってしまっていることが榛名に確信を与える。

 

「『仲間に嘘をつかない』でしたっけ? 笑わせないでくださいよ。きれいごとを言ってごまかしているだけでじゃないですか。あなたは嘘をつかないことで相手に寄せる信用を示しているわけじゃない。ただ他人を傷つける覚悟がないから逃げているだけです。耳触りのいいことばかりを並べ立てて取り繕っているだけじゃないですか」

 

「お前に何がわかる!」

 

 堪えかねたように峻が怒鳴る。躍起になっていることそのものがむしろ榛名にとって疑念を確固たるものにしてしまっていることに気づかずに。

 

「わかりませんよ。わかるわけがないじゃないですか。だってあなたは何を話したって言うんですか? 言わなければ何も伝わりませんよ」

 

「知ってほしいわけじゃない。知らないほうがいいことだから言わないんだ。それがどうして……」

 

「だったら最初から嘘を言って遠ざければいいでしょう。そういう感情を抱けない、とでも言えば十分です。まさかこんな簡単なことも思いつかないわけありませんよね?」

 

 聞かれたくないなら突き放せばいい。たったそれだけのことのはずだ。それをなぜしない。そう榛名は詰め寄る。そして峻はその問いかけに返すことができない。

 

 榛名が言っていることはすべて事実だからだ。聞かれたくないなら突き放せ。知られたくないなら拒絶しろ。たったそれだけのことしか榛名は言ってない。難しいことなど何一つとしてないのだ。

 

「どうしてですか?」

 

 有無を言わさぬ口調。榛名の逃がさないという意図がありありと見て取れるその言葉に峻が半ば強制的に口を開かされる。躊躇い、そして揺らぎ。されども押し黙っていたいという思いを強制的にこじ開けられる。

 

「知ったら……聞いたらどうなる。無関心じゃいられないだろう。それが嫌なんだよ、俺は」

 

「……ああ、ようやくわかりました」

 

 またしても榛名が詰め寄った。峻が引き下がろうと足をさげるが、背中が壁に触れる。もう下がることすら許されない。

 

「どうもおかしいと思っていたんです。いくら言っても話がどこか噛み合っていないんです。当然ですよね。そもそもお互いの認識に齟齬があるんですから」

 

「なんのことだ」

 

「もしかしてまだ叢雲ちゃんを傷つけずに終わらせる方法があると勘違いしてませんか?」

 

 榛名の言葉が冷酷に響く。背が壁についてしまっている峻はもう下がることはできない。だが仮に下がる場所があったとして、榛名は逃がす余地を与えるつもりなんてなかった。

 

 今までひたすら峻は無表情に徹していた。けれど榛名の言い放った一言で明確にそれが揺らぐ。

 

「人と人が関わった以上、いえ関わらなくても無自覚に人は存在するだけで人を傷つけます。傷つけることなく終わらせるなんて無理なんですよ。あなたに与えられている道は傷つけるか傷つけないかではありません。どう納得して傷つけるか、です」

 

「ならどうしろって言うんだよ!」

 

「叢雲ちゃんを傷つけてください。自分の選んだやり方で」

 

 叩きつけるような峻の言葉をさらりと榛名は受け流すと突きつけるように言い返す。自分がこれでいいと思えるような形で叢雲を傷つけろ。曖昧にすることなんて許さないと逃げ場を塞いでいく。

 

 峻が榛名を睨むように見つめる。しかしその鋭い眼光も榛名はなんでもないといわんばかりに正面から視線をぶつけた。

 

「なら俺が叢雲を遠ざけるためにあの告白を拒絶したっていいんだよな?」

 

 挑戦的に峻が切り返す。榛名がこれで何も言えなくなるだろうと思った上での切り返しなのだろう。

 

 だが峻は根本的な間違いを犯していることに気づいていない。そう思って榛名は内心で嘆息をこぼした。

 

「ええ、それでもいいんです」

 

「……」

 

 今度こそ峻が何一つとして言い返せなくなる。そこの思い違いをしていることに気づいていないのだ。

 

 別に榛名は峻と叢雲がどうなろうとも関係ないとすら思っていた。いや、今でもそう思っている。この2人がどのような形になるかなんて結局のところ他人である榛名が口を出すことは本来、許されない。

 

「私は叢雲ちゃんのことを受け入れろなんて強制するようなことを言うつもりはないんです。どっちを選んだって構いません。選ぶことが大事なんですから」

 

「選ぶ、こと……?」

 

「叢雲ちゃんは選んで進みましたよ。傷つくことも、打ちのめされることも、ぜんぶ覚悟した上でそれでも選択して進むことを選んだんです。そして進んだ先に見据えているのははあなただけです。そのあなたがぼかしてしまったら叢雲ちゃんはどうやって整理をつければいいんですか? あなたが選んだ結果を求めているのに、それも得られず、いつ答えがわかるかすら告げられないままに保留されたら叢雲ちゃんは何に納得して何を思えばいいんですか。ただ困惑することくらいしかできませんよ」

 

 榛名が問題にしているのはただ一点。峻が頑なに選ばないこと。それだけだ。選んで、その上で叢雲のことを拒絶するならば口出しをするつもりは一切ない。選ぶことから逃げているから榛名はこうして問い詰めている。

 

「あなたはわかるか、と問いましたよね? あなたこそわかるんですか? 曖昧なままに放置されてしまっているのに、戦術の勉強をしてあなたの代わりに指揮が執れるように不測の事態へ備えていたその内心が。答えすら得られないままにそれでもあなたが指揮を執れなくなることを見越して準備することがどれだけ自分の困惑を押し殺すことだと思っているんですか。どれだけの負担だと思っているんですか。あなたはこれから先、ずっとこうやって真綿で首を絞めるように叢雲ちゃんを傷すらつけないで殺すつもりですか」

 

「っ…………」

 

 ガン、と峻が力なく後頭部を壁にぶつけると、何か遠くを見るような目で天井を仰ぎ見た。榛名は言いたいことを言い切った。そのために誰も口を開かない静寂が流れる。

 

 その静寂は峻が何も反論を上げられないことを示していた。これは決して武器を行使するような戦闘ではない。だが、確かに峻は榛名に敗北したのだ。

 

「……今夜です。今夜、叢雲ちゃんへここにひとりで来るよう伝えます。それまでに選んでください。あなたの答えを」

 

「待て…………」

 

「待ちませんし、待てません。わかっているでしょう?」

 

 まだ前哨戦が終わったばかりなんですよ、と榛名が続ける。あくまでミッドウェーは前座。本命であるハワイ本島はまだ始まってすらいない。

 

 そして明日に本土から送られてくる補給物資を受け取ればすぐさま本島への作戦行動が開始されるようになる。そうなってからではもう遅い。

 

 ミッドウェーは叢雲だけで凌ぎきれた。だが次もうまくいくような保証はない。正規の司令官たる峻が動けるようにしておかなくてはいけない。

 

 もし、取り返しのつかないような失敗をしてしまえばそれを背負うのは峻だけでも叢雲だけでもない。そうなってしまえば向かえるのは破局だけ。

 

 ふっと榛名が険しかった表情を緩める。もう十分に厳しい現実を突きつけただろう。そう判断した。

 

「もう見たくないんです。私たちみたいになるのは私だけで十分です。だから納得してください。飲み込んでください。そして進んでください」

 

 踵を返して榛名が立ち去る。振り返ることはしなかった。絶対に峻のことを見ないようにしながらドアを開けて出て行く。ドアを閉める音と同時に何かが崩れ落ちたような音がしたような気がしたが、空耳だったということにした。

 

「理解できでしょう。きっとわからないんでしょう。だって知らないんですから」

 

 榛名がつぶやきながら一人だけで廊下を歩く。峻は知らない。榛名は知っていて、そして他の誰もが知っていることを。

 

「恋する乙女は最強、なんですよ」

 

 だからこそ危なっかしい。最強であっても向こう見ずならばそれはただ指向性を持たされず暴走するだけだ。

 

 感情。それは自らを奮い立たせ、実力以上の力を引き出すことを可能とする秘薬だ。

 

 だが時にその秘薬は猛毒へと姿を変貌させる。

 

 ただ感情の昂ぶりに身を任せるあまりに飲み込まれてしまえば身を滅ぼす。

 

 そして榛名が最も危惧しているのは後者だった。

 

「感情に飲み込まれた獣になったら、仮に勝ててもそこに残るのは虚しさだけです。だから……」

 

「榛名、自分に向かって言ってる?」

 

 榛名が角を曲がろうとすると、背後から瑞鶴が声をかける。少し意表を突かれた榛名が足を止めて瑞鶴と目を合わせる。

 

「恨みがましく睨まないでよ。それに私が見たのは榛名が執務室から出てくるとこだけだって。中の話までは聞こえてないから。かなり遠目に見て何かあったと思って追いかけただけだし」

 

「話しませんから」

 

「別に話してなんて言わないってば」

 

 頑なな榛名の態度に瑞鶴が苦笑する。峻と叢雲の問題だ。そこに口を挟んでしまったことですら、榛名の中で今回は免責事項と言い訳をしたが禁忌であったことに変わりは無い。それにも関わらず軽々しく口走るわけにはいかない。

 

「瑞鶴さんは怪我、大丈夫だったんですか?」

 

「機動部隊はほとんど無傷で済んでいる人が多いかな。前衛の打撃部隊がかなり引き受けてくれたおかげで交戦も最小だったし」

 

「戦果は上々でしたか?」

 

「ふふん。機動艦隊の旗艦を落としたわ! ……まあ、総旗艦は翔鶴ねえに取られちゃったけど……って話を逸らそうとしてるでしょ」

 

 じとっと瑞鶴が榛名を見つめる。すたすたと榛名が歩く速度を落とすことなくすまし顔で歩いていく。

 

「まあ、いいけどさ。うまくいきそう?」

 

「わかりません。それに榛名はどっちでもいいんです」

 

「そうだよね。知ってる」

 

 瑞鶴がただ肯定する。それ以上のことはしない。だが榛名の昔を知っているからこそ出る一言。だからこそ榛名も黙って受け入れる。

 

「ねえ、榛名。少し付き合ってよ」

 

「……お酒は嫌ですからね」

 

「私もアルコールはパス。ちょっと甘いものが欲しくなったの」

 

 ひらひらと瑞鶴が軽く手を振った。榛名がちょっとあごに手を当てて考え込む。

 

「わかりました。少しだけなら」

 

「そんなに長くは付き合わせないってば。私も寝たいし」

 

 隣を歩いていた瑞鶴が歩みを速めて榛名の前を行く。榛名も置いていかれないようにそれに付き従いつつ、こっそりとメッセージを送るためのホロウィンドウを端末から表示させる。

 

《今夜、大佐の部屋に行ってください》

 

 それだけ打ち込むと叢雲の端末に送り込む。これで十分に意図は伝わるはずだ。素早く端末を懐に滑り込ませると、榛名は瑞鶴の後を追った。

 

「どうせもう知っているんでしょうね」

 

「何か言った?」

 

「いえ、なんでも。瑞鶴さんは優しいですねと思っただけです」

 

「そう? よくわかんないけど早く行こ!」

 

 にこやかに微笑む瑞鶴と共に榛名は歩く。舞台は整えた。結果はどう動くかわからない。ただ結果が出てくれさえすればいい。

 

 願わくばその結果が互いにとって最も傷の浅いものであらんことを。そう内心で榛名は祈るばかり。




こんにちは、プレリュードです!

みなさん、イベントどうですか?まだe1すらうちは完了しておりません。いやはや、夏より小規模とは言っていましたが、あやしいものです。


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それでも叢雲は

 峻が1枚の書類にペンを走らせる。あらかた書き終わったが、一項目だけ何を書けばいいかわからずペン先が空中でふらふらと漂った。しばらく悩んだ末、空欄にしたままでペンをしまう。

 

 じっと書類に視線を落とす。これでいいと言えるのだろうか。しかしこれ以上の手段は思いつかない。そんな迷いばかりが心を支配する。

 

 いくら考えてもだめだった。それでも無情に時間は過ぎていく。気づけば時計の針は何周もした後。とっぷりと、という表現は行き過ぎだとしても陽の光はとうの昔に水平線の下へと隠れている。

 

 榛名は夜になったら叢雲をここへ来させると言った。言ったからにはやるのだろう。

 

 暑くなってきた室内に冷房を効かせる。日本では冬だが赤道に近い位置であるミッドウェーの気温は高い。しばらく回していると適温になり、じっとりと汗ばんでいた体もその生理活動を停止させた。

 

 もう来ないのだろうか。そんな身勝手な考えが脳裏をよぎる。来ないなら来ない方がよっぽどいい。榛名が伝え忘れるということはないはずだから、戦闘の疲労で寝たままなのだろうか。それならそうあってくれた方がよっぽどいい。

 

 けれどそんな淡い期待はドアをノックする音でいとも簡単に裏切られる。もしや東雲あたりが次のハワイ本島攻略に向けて話をしにきたのではないか。そんな一縷の希望すらも直後に入室を求める旨を告げたソプラノボイスによりくだらないと一笑に付された。

 

 聞き覚え、なんて陳腐な言葉で表現できないくらい聞いた声。間違えるわけもないその声の持ち主が入室を求めたということは逃げ場はない。

 

「開いてるよ」

 

 諦観を滲ませながら峻が入ってくれと続ける。向こうもこちらがここにいることはわかっているのだ。居留守を使ったところで時間稼ぎにもならない。

 

 滑らかにドアが開く。照明を絞って薄暗くしている室内に叢雲が歩み入った。さもここに自分がいて当然だというくらい堂々と。

 

「そこにでも掛けてくれ」

 

「わかったわ」

 

 適当に峻が1人がけのソファを叢雲に勧める。叢雲が腰を下ろすと峻も立ち上がって対面の複数人用のソファに。さり気なく書類を掴むことは忘れない。

 

「話があるって榛名が言ってたけど何かしら」

 

「……こいつだ」

 

 そしてついさっきまで書いていた書類を叢雲と峻の間を隔てている机の上に置いた。叢雲が疑問符を浮かべながらその書類を受け取ると目を通し始める。

 

「なによ、これ」

 

 叢雲の目がすっと細められて剣呑な光を宿す。口調には怒気が孕んだ。

 

 ルビコンの河は渡っても渡らなくてもいい。その場で足踏みすることが悪徳だ。そう榛名に言われたのだ。ならばここで叢雲がきつい口調だったとしても足踏みしてはいけないのだ。

 

「転属命令だ。そこの空欄にお前が望んでる転属先を書けばそこに配属になる」

 

「言い方が悪かったのかしら? これが何かを聞いているんじゃなくて、あんたの意図を聞いたのよ」

 

 微塵も悪いと思っていない様子で叢雲がひらひらと書類をはためかせる。叢雲が来る前に峻が書いていた書類。そして結局は転属先を書き込まなかった未完成のそれを渡した。

 

 そして転属命令書を叢雲に渡した意図を答えろと迫られた。当然のことだろう。わかりきっていたことだ。

 

「……邪魔なんだよ」

 

 ぼそっと峻がつぶやく。叢雲の表情が硬くなったような気がした。

 

「どこまでも付いてきやがって迷惑なんだよ。お前のことなんて別に俺はどうも思っちゃいない。だからどこか他に行け。それだけだ」

 

 それだけ言うと峻が目を伏せる。叢雲が強く握った転属命令書がくしゃりと歪んだ直後、拳の力がふっと抜けた。それでも書類を掴んだまま、伏せた峻の視界を横切って消えていく。

 

 これでいい。叢雲はこれ以上、関わってはいけない。この選択で間違っていない。

 

 そう内心で繰り返していた峻の隣で何の前触れもなく青みがかった銀髪が踊った。叢雲が峻のとなりに座ったのだ。そう理解することすら一瞬の時間を要した。

 

 視線を上げた峻の目の前で叢雲が転属命令書に手をかけると勢いよく2つに裂いた。重ねるとさらに破く。何度か裂くことを重ねると叢雲が手を離してバラバラになった紙片を床に降らせた。

 

 正式な命令書なら従うしかない。破くことは軍規違反だ。だが峻が叢雲に渡したものは転属先の書かれていない不完全なものだ。正式なものではないため破っても問題にはならない。

 

「嘘、下手なのよ」

 

 叢雲の燃えるような赤に近いオレンジの瞳が峻の明るい茶色の瞳を捉える。叢雲の瞳に映った峻はひどく疲れているようだった。

 

「嘘? なにがだ」

 

「さっきのくだり、まるまる全部よ。わかりやすいったらないわ。だからもう一度だけ聞くわよ。あんたの意図は、なに?」

 

 隣に座った叢雲が見つめてくる。口調に荒らさはない。だがきちんとした説明がない限り引くつもりは無いという確固たる意思が見て取れた。

 

「お前は俺なんかといたらだめだ」

 

「どうして? それを私が望んでいるのに何がだめなのかしら」

 

「お前は俺のことを測り損ねてる。俺は、俺は……」

 

 逡巡。ひた隠しにし続けたし、今も言いたくはなかった。そして今後も誰かにいうつもりはなかった。

 

 だがもう、言わなければ叢雲は引いてくれないだろう。ならば軽蔑をもって全てにカタをつけよう。

 

「俺はテロリストだ」

 

「反逆者の汚名は晴れたはずよ」

 

「そうじゃない。欧州で襲われたWARN。忘れてるわけないよな?」

 

「……ええ」

 

 忘れているわけがない。そう確信していながらあえて聞いた。初めて叢雲の目の前で峻が手を血に染める姿を見せたのだから。

 

「俺はそこにいた」

 

「計算が合わないわ。海大に入ったのが18なら……ああ、そういうこと」

 

 ようやく得心がいったのか叢雲が発言の途中で言葉を切り替えた。理解したのだろう。峻が少年兵だったと告げたことに。

 

「俺はお前の、お前たちの命を狙ったやつらの仲間だった。何百で済むか、それ以上の人をこの手にかけてる。中には抵抗しない民間人もいた。お前と同じくらいの年頃の女子を容赦なく殺したことも数え切れない」

 

「……」

 

 叢雲が沈黙を守る。峻にとっては好都合だ。途中で遮られたくない。話すならいっそのことすべて流れで言ってしまいたかった。

 

「命だけはと請う親子を殺した。抵抗すらできない老人の首を掻き切った。そして……俺は嗤ってたんだ」

 

「そう」

 

 短く叢雲が言った。峻が叢雲から顔を背ける。その短い返答に何も感情が込められていないような気がした。だから直視することを避けた。

 

 だがこれでいい。軽蔑によって叢雲が離れてくれるのなら最善とはいえないが次善の策としては十分だ。

 

「で、それから?」

 

 そんな十分だという峻の確信は叢雲の放った短い一言で粉々に打ち砕かれた。

 

「それ、から……」

 

「どうして私だけ転属なのかはまあ、いいわ。私が告白しちゃったからでしょうし。その答えとして遠ざけるという選択なら意味合いもわかるから」

 

 叢雲が言いながら詰め寄る。峻がソファに座りながら叢雲との距離を離そうと下がればさらに詰め寄ってくる。

 

「その上で転属命令が失敗したから次の手として昔を公開して私から軽蔑されることによって私が自ら離れていくことを狙った。まあ、そんなところでしょ。わかりやすいのよ。だから嘘だってすぐに気づかれる」

 

 叢雲がなんの迷いもなく峻が考えていたことを言い当てる。何も反応はしていないはずだが、峻の顔を見てどこか満足げに叢雲がうなづく。

 

「別にあんたが昔、何をやっていたなんてどうだっていいのよ。私だってこの手は血塗られてるわ。でもそれとこれに関係性はまったくないのよ」

 

「数が違う」

 

「一人殺した方が上等で百人殺した方が下等なの? 違うでしょ」

 

 なおも叢雲が詰め寄る。榛名にもこうして距離を縮められた。だが榛名の時とはまったく違う。何がと聞かれても答えられない。ただ漠然と違うように感じた。

 

「殺したら一緒よ。何人だろうが殺した事実は変わらない。あんたは人を殺した。私も人を殺した。差なんてないわ」

 

「……かんねえ」

 

「なに?」

 

 ぼそりとつぶやいた峻の声を聞き落とした叢雲が聞き返す。俯きがちの峻が口を開く。困惑極まった。そんな様子で。

 

「わかんねえ。わかんねえよ。どうしてそこまで言えるんだよ。なんで引かないんだよ。もうほっといてくれていいんだ。軽蔑してくれればいい。とにかくお前は俺のそばにいたらいけないんだ。だから……」

 

「引くわけないじゃない。軽蔑? するわけないじゃない。ほっておく? 寝言ね。そんなことするくらいならとうの昔に軽蔑してるし、引いてるわよ」

 

「ならなんでだよ! なんでそこまで出来るんだ! 俺みたいなやつのためにどうしてそこまで!」

 

 押さえ込んでいたものが怒鳴り声という形で吐き出される。理解ができなかった。こうまで叢雲を突き動かすもの。それがさっぱりわからない。

 

 慣れない嘘もついた。遠ざけるための手段も講じた。にも関わらず叢雲はその頭をもって峻のくだらない姦計をすべて看破してせしめた。

 

「なんで、って……」

 

 叢雲が含みを持たせる。呆れたようで寂しげな色が覗いたのは気のせいか。ようやくじりじりとにじり寄ることを止めた叢雲がまっすぐに峻の瞳を捉える。

 

「私があんたのこと好きだからよ」

 

 微笑んだ叢雲がさも当然のようにさらりと言った。あまりにさっぱりした調子に峻の思考に空白が生じる。

 

 いけない。これはだめだ。そんな思考が頭をよぎり、口を突いて言葉を紡ぎだされた。

 

「その『好き』という感情さえ、司令官に対して好意という感情を抱くようにプログラミングされている偽物かもしれないだろうが」

 

「……その言葉だけは聞きたくなかったわね」

 

 叢雲が瞑目してつぶやきつつ、閉じたまぶたに右手を当てて覆った。ゆっくり手を下ろしていくと、きっと目がつり上がる。

 

「偽物、ね。私は確かにクローン(にせもの)よ。どうあってもオリジナル(ほんもの)にはなれないまがいもの。でもこの感情だけは違う。抱いた感情は私だけのものだ。それだけはあんたにも否定させやしない、私だけが持つ私だけの感情(ほんもの)よ」

 

 きつい口調では決してない。しかし確かに叢雲は怒っていた。静かでありながらも怒気の孕んだ剣幕で叢雲が峻に詰め寄った。もうソファの端まで来てしまった峻にこれ以上、下がる場所はない。

 

 そして言い返す言葉もなくなった。

 

「ねえ、あんたはどうして私を離そうとしたの? あんたの本物は何? あんたをそこまで駆り立てるものはなんなの?」

 

「……俺は戦わなきゃならない。だけど……」

 

 笑えているだろうか。ああ、笑えている。叢雲の瞳に映る峻は確かに笑えていた。

 

 乾ききって抜け落ちたような、そんな笑みを浮かべた帆波峻が重々しい口を開く。

 

「少し、疲れたよ」

 

「じゃあ、やめればいいじゃない」

 

「やめる、か……」

 

 峻が少し考え込む。ふっと体から力が抜けて強張っていた肩が落ちる。

 

「いいかもな」

 

 意外そうに叢雲が軽く目を見開く。そんなことを口走った峻自身も意外だと感じていた。峻の抱えている内心を知ってか知らずか叢雲の目が穏やかなものに移る。

 

「このままだと次の作戦に駆り出されるから、逃げるしかないか。まあ、私の艤装とあんたのホログラム発生装置のモルガナ、だっけ。ここらへんを使えば海軍の追手は撒いて逃げられるでしょ」

 

「逃げてどうする?」

 

「そうね……例えば東南アジアあたりなら監視の目も緩いんじゃないかしら。そこに逃げれば羽を伸ばせるんじゃない? 日なたで転がって、おいしいものを食べて。争いのないところでのんびりと過ごす。どう?」

 

「……悪く、ないかもな」

 

「でしょ?」

 

 叢雲がぽふっとソファの背にもたれかかる。峻もそれに倣ってさっきまで叢雲の方を向いていた体を正面に。

 

 本当に悪くない考えだと思った。何もかも投げ捨ててしまえば、解放される。自明の理だ。

 

「うん、悪くないかもしれないな……もしできれば、だけど」

 

「できるわよ」

 

「できないんだ……できないんだよ……」

 

 峻が絞り出すような声を出す。叢雲が体の向きを変えて峻を見つめた。顔に手を当てて峻がうつむきがちになっている姿が叢雲の瞳に映る。

 

「きっと楽しいんだと思う。でも、きっと心から楽しめない。脳裏にチラつくんだ、手にかけた人たちが。他の人を殺して生きてる。ならこの命は罪を贖うために使わなきゃいけない」

 

 自制することも叶わず、自らの意思に反して口が動く。こんなことを言いたかったわけじゃない。そのはずなのに、止まってくれる気配もない。

 

「彼らに許してもらうことはできない。でもこうでもしないと望みに答えることなんて……」

 

「死者は望まないわよ」

 

 叢雲が言葉を紡ぐ峻を途中で遮る。稲穂のように垂れていた峻の頭が上がると天井を仰いだ。

 

「死者は死者。この世に干渉することはできない。望まないし、思わないし、物言わない。だからあんたが縋っているものはあんたの作り出した虚飾よ。それがわかってないあんたじゃないでしょう?」

 

 峻が叢雲の顔に顔を合わせた。もう自身を制御することなんて、とっくの昔にできなくなっていた。

 

「なら()はどうすればよかったのかな?」

 

 くしゃくしゃに歪んだ顔で峻が囁くように言った。何を言っているのだろう。そんな言葉が頭の中でうっすらとよぎるが、すぐに打ち消された。

 

 叢雲が呆気に取られたように目を張る。ぽかん、と口が開いた。一人称の違い。たったそれだけのこと。けれど叢雲にとっては大きな違いだ。

 

「……私はあんたじゃないし、ましてやあんたが殺した人たちじゃないわ。だからどうすればよかったかなんてわからない。なにより私はあんたのことを知らなさ過ぎる」

 

「そっか。そう、だよな」

 

 当然だ。頑なに話そうとしなかったのは峻自身。知るわけがないのは至極当たり前。それなのに答えを求める方が間違っている。

 

 何をしていたのだろう。榛名に言われるがままに叢雲と話して、何か変わると思ったのか。何もあの頃から変わりはしないことくらいとっくにわかっていたはずなのに。

 

「もういい。十分だから……」

 

「でもあんたが苦しんでいることくらいはわかる」

 

 十分だから出て行ってくれ。そう言い終える前に叢雲が言葉を差し挟む。

 

「もちろん、私はあんたじゃない。だからあんたの苦痛はわからない。でも苦しんでいることはわかることができる」

 

「別に苦しんじゃいねえよ」

 

「……だから嘘が下手だって言うのよ。本当に苦しくないなら、その涙は何?」

 

「は……?」

 

 信じられない。そんな思いと共に右手を自身の目元へ。せいぜい少し潤んでいる程度だろう。そんな考えすらも打ち砕くほどに零れ出していた。

 

「いや……悪い。すぐ止めるから…………」

 

「泣けばいいじゃない。なんで堪えようとするのよ。……ほら」

 

 叢雲の腕が峻の頭を包み込む。そのままそっと胸元へ。壊れものを扱うように優しく抱きとめた。

 

「離してくれ」

 

「離さない」

 

 峻が叢雲の抱擁から逃れようともがく。叢雲は力を込めていない。そのはずなのにどれだけ抵抗しても抜け出せなかった。

 

「ほっといてくれ」

 

「ほっとかない」

 

「どうしてだ!」

 

「惚れてるって言ったでしょ」

 

 抱きかかえたまま、叢雲が穏やかに告げる。体の動きが錆びついたように鈍った。

 

「だから……だから嫌だったんだ。話したらもう戻れない。どういう形になるかなんて予想もつかない。だがお前は聞きたがるに決まってる。そしてお前を受け入れるならば俺は話す義務がある」

 

「なら話さなくていい」

 

 峻の手がソファの布地をきつく握る。絞り出すような峻の声に叢雲は慈愛をもって答えた。

 

「結局ね、あんたが抱えてるものを聞いたところで私が背負えるのは一割くらいなものよ。私はあんたじゃない。だからどれだけ聞いてもあんたの記憶は私の経験にはならないもの」

 

 だからね、と叢雲が続ければ柔らかな言葉が耳朶を伝って峻の全身に伝播していく。布地を強く掴んでいた手から力が抜けた。

 

「私ができることはこれくらい。話を聞くことだけ。あんたを抱きしめることだけ。そしてあんたが泣きたい時にその涙を受け止めてあげることだけ」

 

 そっと叢雲の手が峻の後頭部に回される。そして髪を梳くように優しく撫でた。

 

「今くらいはあんたもぜんぶ吐き出しちゃいなさい。誰もあんたの事を蔑んだりはしないから。笑ったりはしないから」

 

 峻の抵抗が止まった。叢雲に抱きかかえられたまま、もがくために消費されていた力が、ずっと肩に入ったままだった力が。

 

 そして最後に張り詰めたままだった内側が。

 

「……悪い、叢雲」

 

「こういう時は別の言葉がいいわ」

 

「…………ありがとう、叢雲」

 

「ん」

 

 叢雲が峻の体をさらに引き寄せる。正体なくさまよっていた峻の手がためらいがちに叢雲の背中へ。

 

 今まで溜めに溜め続けた葛藤。それが形となって目元からこぼれ落ちた。




こんにちは、プレリュードです!

とりあえず一言。

おいそこ変われ!

なに叢雲の胸に顔埋めとんじゃああん?そこは俺の居場所とちゃうんか!



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だから帆波は

 

「……」

 

 無言で峻が目を覚ます。真っ白な天井は自分がベッドに横たわっていることを教えてくれた。いつの間にやらかけ布団が肩までかけられている。

 

 久しぶりに寝酒を入れることなく、ぐっすりと眠ったような気がする。昔の夢を見ることなく寝られたのはいつ以来か。

 

 いきなり左隣がごそごそっと動き始める。妙な布団のふくらみが動いている。中に何かいると理解するのにさしたる時間は必要なかった。

 

「んぅ……」

 

 布団をそっとめくると中にはまだ意識が完全に覚醒していないままでまどろんでいる叢雲が半目をこすっていた。

 

 一気に頭が冴え渡る。同時に昨夜、起きたことがすべて鮮明に思い出された。急に恥ずかしくなって峻は思わず頭を抱えそうになる。

 

 確か叢雲に抱かれて泣いたところまでは記憶がある。正直に言って今すぐになかったことにしたい記憶だが起きたことを否定したところでどうしようもない。

 

 そう、とにかく決壊したところまでは記憶があるのだ。だがそれ以降はなにも覚えていない。どういった経緯を辿ってベッドに運び込まれ、そして叢雲が隣で寝ているのか。その過程がまったく思い出せない。

 

 何があったのか回想しようにも思い出せない。そんな苦闘を演じているとは知らずに叢雲が目を覚ます。

 

「おはよう」

 

「あ、ああ……」

 

 あまりにもさらりと叢雲に朝の挨拶をされ戸惑う。狭いベッドでなくてよかったとどこか現実逃避じみた思考がよぎる。

 

 とにかく気まずい。いや、叢雲は一向に気にしているような様子はないが峻はとても気まずかった。

 

 さんざん叢雲の前で弱みを見せてしまった。あまつさえ人前で見せたことのない涙すらも見せてしまった。

 

 しかしこの際は置いておくことにする。過ぎてしまったことだ、と言うことはなかなかに難しいが、それでも今さら取り返しのつかないことでもある。

 問題はなぜ峻はベッドに寝かされていて、叢雲は隣に寝ているかだ。見たところ服は着ているようなので安心ではあるが、最後の確信を得られない以上は疑念を持ち続けなくてはいけない。

 

「変な心配しなくても昨夜はあのままあんたが寝たからベッドに運んだだけよ」

 

 峻の内心を読んだように叢雲があくびをしながら言った。

 

「ならなんでお前も……」

 

「あんたが私の服の端を掴んだまま離さなかったからよ。ほら」

 

 叢雲が布団をめくると自身の服の裾を指さす。確かに峻の左手がそこにはあった。慌てて左手を引っ込めると、どこか可笑しそうに叢雲が笑い、口元を手で隠した。

 

 峻が上体を起こして、ベッドの端に腰を落ち着ける。すぐに右から温もりが伝わってきた。叢雲が峻に倣ってベッドに座ったのだと理解するために要した時間は僅かなものだった。

 

「お前は何も聞かないんだな」

「あんたは昔のことを聞かれたくないんでしょ? なら私も聞かないわよ。話したくなった時に話せばいいわ」

 

「その『話したくなった時』が今だとしても?」

 

 視力の残る右目が隣の叢雲を見つめる。眉を上げて少し意外の表情をした叢雲がそこにはいた。

 

「未来永劫、来ないものかと思ったわ」

 

「なんて言うか……フェアじゃないだろ」

 

「私はそう思わないけど……それがあんたが自分自身でした選択なのね?」

 

「……わかんねえ」

 

「でしょうね。まあ、いいわよ。答えが『わからない』なら。『違う』だったら止めるつもりだったけど」

 

 いつでもいいわよ、と叢雲が聞く姿勢を作った。『わからない』と『違う』。もし『違う』だったのならばどういけなかったのか。その差異はよくわからなかったが、峻は叢雲から目を外して壁の一点を凝視する。

 

「始まりは親父が事故死したあの時から、俺が孤児院に送られたことがすべての始まりだった……」

 

 峻が遠い目をして語り始める。ゆっくりと、だが確かに話し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どこから話すべきか……。ああ、そうだな。最初っからいこうか。

 

 だがその前に俺の出生だけは説明しとかなくちゃいけないだろう。とはいってもまあ、大した生まれなわけじゃない。ただ母親が病弱だったから俺を生んですぐに死んでしまったこと、そして6歳で父親が事故死して身寄りがなくなったこと。せいぜいこんくらいだ。

 

 孤児院に送られたってとこまでは言ったよな。そう、すべてはそこから崩れた。

 

 俺を引き取ったとこがずいぶんとこう、アウトローなことに手を染めてたとこだった。それで……俺は売られた。

 

 ……なんて顔してんだよ。昔の話だ。割り切れてないのは事実だけどな。

 

 そこの孤児院はいろんなところにバイヤーのツテがあったらしい。そんでもって……俺が売られた先はテロ組織だった。昨日の夜にも言ったWARNってとこだ。

 

 そこから先は最悪だ。いっそ悪夢とでも言えればいいが、そんな生ぬるいようなもんじゃなかった。

 

 売られた先で俺は少年兵に仕立て上げられたんだ。無理やり武器を握らされて戦場に立たされた。

 

 よく生き残れたもんだと思うだろ。普通なら俺も死んでたさ。

 

 戦いたくなんてなかったさ。逃げ出したかったさ。でも逃げる場所なんてなかった。なんていっても国外まで飛ばされちまったんだ。まだ10歳にも満たないガキではどうしようもなかった。なにせ国外だ。どこへ行けばいいかなんてさっぱりわからなかった。

 

 進退極まってる俺には留まるしか選択肢はなかった。それが向こうの狙いだったんだろうな。WARNの理念とかいうもんを覚えさせられた。言うことを聞かなければありがたい説法という名の薬剤投与と洗脳が待ってた。

 

 覚えてないか? 俺は薬の耐性があることを。特に麻酔系や痛み止め系に。欧州でどれだけ飲んでも痛み止めが効いてなかったろ。ほら、思い出したか。

 

 とにかく1年もしないうちに俺はすっかりWARNの忠実な少年兵になってた。そのころになると俺と同じ時期に入ってきた子供たちも軒並み戦えるように仕上がっててよ。最強の子供たち、なんて呼ばれた時期もあったそうだ。

 

 そのころだよ。俺が左手拳銃の右手にナイフなんて奇抜なスタイルを確立させてたのは。もっともあの頃は戦場に転がってる武器ならなんでも使ったがな。拾っては使い、弾が切れたり壊れたら捨てる。もちろん少しくらいは武装してたが、動きを阻害しない程度だ。俺のよく使ってるCz75、あるだろ。あいつはここで使ってたものだ。まだ使ってる理由は手に馴染んだから、というより戒めだな。

 

 ともかくそうして俺はゲリラの少年兵として各戦線に投入された。市街地戦闘が多かったからな。待ち伏せしては襲い掛かる。敵の補給線を分断する。とにかくなんでもやった。

 

 当然のように殺しをやった。敵の兵士だけじゃない。敵に協力した街の市民を見せしめに殺して来いと言われて町をひとつ全滅させたこともある。

 

 今でも夢に出るよ。この子だけはといって縋る母親だったり、怯えた目の老人だったりを手にかけたあの瞬間を。

 

 俺は悪くない、なんてとてもじゃないが言えないだろ? ただ洗脳されていたからなんて言い訳はできねえよ。俺が殺したんだ。武器を構えて向かってくる兵士だけじゃない。殺さないでと懇願する市民も容赦なく殺した。

 

 でも罪悪感すら抱かなかったんだよ、俺は。どころか殺しをすることでWARNの理想が叶えられるんだと高揚感すら感じていた。自分が理想世界を作るんだと信じて疑わなかった。番号だけで呼ばれることに違和感も覚えなかった。141号だったな。名前すらも忘れてただの人形に成り果てた。

 

 洗脳されてたと言われればそれまでだけどよ。それでも俺がやったことに変わりは無いだろ。いくらお前だってそれは否定できないはずだ。

 

 いや、悪い。別にお前に当たるつもりはなかったんだ。

 

 ひたすらに殺すことが正しいことだと思ってた。よくわからない大人の言われるがままに武器を取って殺す。そんなことの繰り返しだったよ。同じ少年兵の仲間と一緒に命令どおりに殺す。皮肉にもそれが世界平和のためだと信じ込んでな。

 

 まさか世界から最悪のテロリスト扱いされていたことなんか微塵も知らなかったし、知らされなかった。

 

 ああ、悪い。道中が長くなりすぎた。さっきから謝ってばっかりって? そこは勘弁してくれ。初めて話すんだ。上手い話し方がわからない。自嘲自縛の冗長になることは割り切ってくれると助かる。

 

 不思議そうだな。まあ、当然か。この頃の俺は盲目に妄信してたから。洗脳から解けたきっかけがないと今の俺はないと思うことは間違っちゃいないどころか正鵠を射てる。

 

 別に大したことじゃない。俺たちはやりすぎたんだ。あまりに暴れすぎて目を引きすぎた。脅威認定されたんだろうな。結果として俺のいた拠点は空爆された。俺が少年兵になってから何年くらい経ったころだっけな。少なくとも1年ぽっちじゃなかったのは確かだ。

 

 どうして生き残れたのかは今でも謎だ。ただ運が良かったんだろう、としか言えない。気がついた時には仲間だったはずのものたちの千切れ飛んだ肉体が転がっていてその中に俺が倒れていた。

 

 起き上がったまさにその時だった。急に我に返ったんだ。忘れていた名前も、それまでのことも何もかも思い出した。

 

 そして己のやってきたことを自覚した。

 

 最悪の気分だったよ。その場でよく喉を自分で掻き切らなかったもんだと今でも思う。いや、切っておくべきだったのかもしれない。

 

 してねえよ。してたらここに俺はいない。自覚した瞬間に気を失ったんだ。空爆で命こそ落とさなかったが、相当な怪我を負った。だからかもな。

 

 ああ、違うよ。怪我をしたからじゃない。それ以上、考えることを頭が拒否したんだ。拒否したから意識を失うことで自分自身を守ろうと本能がしたんだろうな。

 

 次に目が覚めた時、俺はベッドで寝てた。不思議に思ったもんだ。今の今までそんなことはなかったのに、急に扱いが変わったんだからな。不思議に思うことができるようになっていることも驚いたもんだ。

 

 そっから先はまた戦線投入されるもんだと思ってた。だが一向にそんな気配はなかった。怪我の治療に専念しろ。ただそれだけだった。

 

 そして全治した頃。いきなり教育が始まった。

 

 違う。今度は洗脳じゃない。純然たる教育だ。まあ、まともかと言われれば答えには窮するところだがな。

 

 一般教養に始まり、ありとあらゆる知識を叩き込まれた。武器の解体をして組み直すこともさせられたし、本格的な戦闘技術も身につけさせられた。様々な職業の知識もつけさせられたし、立場の演じ方も学ばされた。錠前を痕跡なく開けたり、ハッキングの技術を取得したりとアウトローなこともやったな。

 

 当時の俺はまるでスポンジのように吸収してった。することで自分を守ってたんだと今ならわかるよ。とにかく頭を一杯にしてしまえば余計なもんを考えなくて済むもんな。

 

 それに俺にとって教育は好都合だった。逃げ出す手段を講じることができるからな。

 

 どうして逃げようと思ったか、か。正直に言う。今でもわかんねえ。生存本能みたいなもんだったのかもしれねえな。それともこれ以上、信じてもいない理念のために人を手にかけることに嫌気がさしてたのか。真相は闇の中だ。当時の俺に聞くしかない。

 

 そして教育が開始されてから2年ほど経った。前触れなく俺に日本へ行くようにWARNから命令が来た。

 

 あとからわかった話だが、その頃になるとWARNはだいぶ追い詰められていたらしい。戦線の維持と新たな人材のスカウトで各地に人間を秘密裏に送り始めたのはそれが原因の一端だったみたいだな。元々は日本人の俺は紛れ込ませるのにちょうど良かったんだろ。

 

 俺にとってはこれは渡りに船だ。日本に戻れればどうにかなる。なりより俺は洗脳状態が継続しているように演じ続けていた。

 

 その演じ方だって教育とやらで教えてもらったことだってのにな。やつらは結局、最後まで気づかなかった。それが首を絞めることになるんだけどな。

 

 6歳から東ヨーロッパあたりでずっと暴れっぱなしだった俺はついに日本の土を踏むことができた。当時が15歳くらいだったからおよそ9年ぶりか。そんなに経ってたんだな……

 

 すまん、変なところで感傷に浸った。ああ、そうだったな。あと3年で俺は海大に入学することになるわけだがその過程がこれじゃあわからねえよな。

 

 簡単だよ。日本に到着して用意したとかいうやつらの拠点に連れていかれた。そして全員が揃ったというタイミングを見計らって俺がその拠点を制圧した。

 

 何人でってひとりで、だよ。幸いにもそこにいたやつらは戦闘経験があんまりないやつらばっかだったからな。いくら数の不利を背負っていたとしても、俺はずっと多数対少数の戦闘経験を積んできた。今さら数の差くらい不利ですらなかったよ。

 

 そして捕縛したやつらを手土産にして国と交渉をした。

 

 よくこんな交渉までやれたもんだと思う。だがそういった方法も仕込まれていたからな。真似事ではあっても、相手にメリットを提示することくらいはできた。

 

 まあ、わかるわな。そうだ、日本におけるWARNの拠点一斉摘発のために幹部クラスの持つ情報。それが俺の取り引き材料だった。ついでにまだ子供だってことも材料にさりげなく加えたな。露骨には言わなかったが、あからさまに向こうの俺を見る目が哀れんでた。だからそれに乗じさせてもらったんだ。

 

 そうだ。もちろん、哀れまれたいわけじゃなかったさ。でもなりふり構ってる場合でもなかった。俺の戸籍が残っているかどうかすら定かじゃない。15の子供がひとりで生きていくのは難しいだろ。

 

 交渉はうまくいったよ。俺は保護された。完全に自由とはとても言えなかったが、それでも少年兵をやってるときと比べたら生活はずっとまともになった。最初は困惑したもんだ。戦いの訓練もなく、食事のたびにありがたい説法もなければ少しでも逆らった瞬間に薬物投与もされない。穏やかな生活に馴染めなかった。

 

 そして2年後。お前も知っての通り、世界が震撼した。

 

 深海棲艦の出現だ。世界を蹂躙した深海棲艦によって、元から弱体化をしていたWARNは滅んだ。いや、滅んだって形容は正しくないのか。現にヨーロッパでは襲われたわけだしな。

 

 思い出したくもなかったよ。まさかまだ残党が残っているなんて思いもしなかった。深海棲艦にすべて滅ぼされたもんだと思い込んでたし、思いたかった。

 

 あんたは悪くない、か。すまな……いや、違うか。ありがとう、だったな。

 

 また脱線したか。とにかくもう俺の情報源としての価値はなくなった。同時に保護という体裁の監視も緩くなったんだ。

 

 緩くなったからこそ、俺は自分の身の振り方を考えなくちゃならなくなった。どうしたものかと思ったよ。

 

 結局、俺ができることは戦うことだけだった。なによりただ平穏を享受することはできなかった。夜に寝るたび、悪夢で跳ね起きた。穏やかなはずなのに脳の片隅にはこべりつき続けて俺を責めたてた。だから……俺は海軍に入ることにした。

 

 深海棲艦が人間を殺すというなら、それを止めれば少しは責めたてもましになるんじゃないか。そう思うことくらいしか逃げ場がなかった。死者は望まない。わかってたはずなのに、な。それでも俺にやれることがある。そうでも思わなければ生きることすら否定されてる気分だった。

 

 皮肉なことに潜入工作員として受けた教育もどきのおかげで勉強はどうにかなった。体の方もさんざん戦場で走り回ったせいで規定されてたレベルの運動能力は軽々とクリアしていた。

 

 あとはもう、わかるよな。海大に合格した後はできるかぎり少年兵時代の技術は封印した。体の怪我は隠し続けた。長袖を着るように心がけたのはこの時からだ。

 

 そして海軍に入ってから、俺はわざと昔に使っていたCz75を使用拳銃に申請した。

 

 忘れるな。ただそのために。

 

 これが……これが俺だよ、叢雲。





こんにちは、プレリュードです!

今回のイベント、きつすぎやしませんか?今はE4のギミック解除しているんですけど心が折れそうです。夜戦連続とか勘弁してくれ……

でも涼月はほしいんですよね。


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そしてふたりは

 叢雲が小さく息を吸って呼吸を整える。整えている最中にこっそりと隣に座っている峻の様子を窺うが、別段と変わったような様子はない。ただ話しきったのだとどこか遠くを見ているのみ。

 

 峻は話すことを話し終えた。ならば下りた静寂をつき崩す役割は叢雲のものだ。

 

 何を言えばいいか。一瞬だけ考えかけて叢雲はその思考自体を消した。考えて推敲した発言なんて空虚なものになるのは必定だ。特にこういった場合では。ならば最初から言いたいと思ったことをそのまま口に出して言う方がいい。

 

「辛かったのね、なんて言わないわよ。大変だったのはわかる。あんたが必死だったのもわかる。だからこそ安易に同情なんてしたくない」

 

「それがいい。別に俺も同情してもらいたくて話したわけじゃない」

 

「そしてその前提で言わせてもらうなら……」

 

「言わせてもらうなら?」

 

 峻が恐れ半分、聞きたさ半分といった様子で叢雲に尋ねる。叢雲が光を宿す峻の右眼を見つめた。

 

「あんたの過去がどうでもいい、なんて言うつもりはないわ。過去があるから今があるわけだし。それでも今は今であって昔じゃないのよ」

 

「割り切れってことか?」

 

「違う……とも言えないか。あったことはそれとして自分なりの形で受け止めればいいのよ。それが割り切るという形ならそれでもいい。くらいかしら。私が言えるのはあとひとつくらいよ」

 

「それは……なんだ?」

 

「生きてくれてありがと」

 

 叢雲が微笑む。たった一言で、たった一瞬だけなのに、峻は息を呑んだ。

 

「何を惚けてんのよ」

 

「あ、いや。何でもない」

 

 慌てて峻が取り消す。叢雲は不思議そうに首をかしげながら、口元にはにかみを浮かべた。

 

「ま、いいわ。ずっと湿気た顔をされ続けたら気が滅入るのよ。うん、今の顔の方がずっといい」

 

 叢雲がうなづく。伸ばされた手がそっと峻の頬に添えられる。ふい、と峻が顔を背けたことで叢雲の手が離れた。けれど特に何かを言うことなく叢雲は手を下ろした。

 

「ま、いいわよ。まだね。ぜんぶ終わってからで」

 

「だが俺は……」

 

「使い物にならない、とでも言うつもりでしょ」

 

「まあ……」

 

 奥歯に物が挟まったように峻が肯定する。まったく指揮ができずに叢雲へすべて投げてしまった先日のミッドウェー戦は苦い記憶として残っている。

 

「あんたはどうしたい?」

 

「……わかんねえ」

 

「それよ」

 

「は……?」

 

 叢雲が峻を指差せば、峻は気圧されながら叢雲の指先を見る。

 

「あんたがわからない。それが問題なのよ」

 

「問題?」

 

「あんた、自分の意志で戦ったことないでしょ」

 

 叢雲はさっきまでと声の調子をまったく変えることなく言った。あくまでも穏やかに、それでも芯は歪めずに。

 

「銚子基地に乗り込んだ時。あんたはゴーヤの『助けて』という言葉に応えただけ。ウェーク島攻略戦は私があんたにヘルプサインを送ったから動いただけ。ヨーロッパではあんたはただ流されただけ。輸送作戦であんたは東雲中将に『もたせろ』と言われたから無理を押して指揮をしただけ。反逆者になっても逃げたのは私があんたに死ぬなと言って縛ったから。クーデターに参加したのは私の身柄を振りかざされたから。少年兵時代に死なないように必死になったのは生存本能かしら。少し怪しい推測もあるけど、おおむねあっているんじゃない?」

 

 指折りをして数えながら叢雲が告げていく。叢雲自身が思い当たる事実をすべて列挙していく。

 

「あんたは今まで他人から与えられた理由に縋ってた。だから今回は思うように動けない。日本の機密を守るため、という名目はある。けど一方ですべての人間をナノデバイスで制御下に置く、なんて世界征服じみたことを防ぐための攻勢という意味合いもある。でも世界のため、なんて理由で戦えるほど私もあんたも殊勝な人間じゃない。つまりあんたに戦う理由がないんでしょ。だから拳の振り上げ方がわからない。間違ってるかしら?」

 

「……そう、なのか?」

 

「ま、そうなるわよね。自覚できているならこうはならないし」

 

「いや、違う。俺の話じゃなくてお前の話だ。お前は自分のことを殊勝な人間じゃない、なんて言ったが俺にはとてもそうは思えない」

 

 ちょっと叢雲が虚をつかれたように言葉に詰まる。自分のことを言われるとは微塵とも考えていなかったことの表れかもしれない、と叢雲はぼんやり思った。

 

「少なくともお前は俺と違ってその世界平和のために戦えているじゃないか」

 

「違うわよ。私は世界平和のために戦ってなんかいない。どうでもいい、とまでは言わないけど世界なんて二の次よ」

 

「なら……」

 

「言ったでしょ。あんたが好きだって。私はあんたが戦えないかもしれないって感じてた。私が戦わなきゃあんたが死ぬかもしれない。そんなのは御免よ。だから武器を手に取った。それだけ」

 

 すべては死んでほしくないから。その理由だけで叢雲は戦場で命を賭すに値するとはっきり言ってのける。

 

「とりあえず意思確認。あんたはここから逃げたい? もしも逃げ出したいなら私は全力でその意思を手助けするわよ。どんな答えでもいい。それが間違っていると思ったらお互いに話し合いましょう。正しいと思ったら私はあんたの隣で道を切り拓くわ」

 

「意思確認、か……」

 

 峻が眉間に手を当てて揉む。今まで答え方もわからず、はぐらかしていた問いかけ。だが穏やかながらも鉄のごとき頑強さを湛える叢雲の視線は、峻の安いごまかしを見逃してはくれないだろう。

 

 ああ。そういえば初めてじゃないか。自分に対してどうしたいか聞いてきた人間は。

 

 本当に初めてだ。こうして正面からぶつかってきた少女は。

 

「正直に言う。わからねえ。なにがしたいのか、本当に自分のことが他人みたいだ。ただ……」

 

「ただ?」

 

「俺は……ここにいることにする。まだお前に答えを出せていないから」

 

 峻がゆったりと告げる。一度ははぐらかすことで葬り去ろうとした叢雲の告白。だが、もう無禄にするつもりはなかった。

 

「えっと、つまりどういうことかしら?」

 

「……お前が自分の気持ちを伝えてくれたのは素直なことを言わせてもらうなら嬉しかった。だからこそ、少し待ってほしい」

 

「待ってほしい? どういう意図で?」

 

「……今度は、ちゃんと答えを形にしたい。だが、すぐには難しそうだ。だから恥を承知で、頼む」

 

 躊躇いに鈍った唇より、ところどころがぶつりぶつりと切れてしまった。それでも隙あらば二枚貝のように閉ざそうとする口を動かし、拙くて幼稚な願いを紡ぎ出す。

 

 それが前と同じ行為だと知りながら。

 

 またしても叢雲を傷つけることになると理解して。

 

 にも関わらず保留を申し出た。

 

「意味はわかった上で……いいえ、なんでもないわ。それがわからないあんたじゃないものね」

 

 口にしかけた糾弾じみた疑問を叢雲が途中で打ち消した。峻が稲穂のごとく、叢雲へ頭を垂れていく。けれど叢雲が先んじて動くと、峻のひたいを軽くつついて起き上がらせる。

 

「いいわよ、別に。あんたなりの答えを探して」

 

「すまん……」

 

「そのかわり待つことはしないわ」

 

「待つことはしない……?」

 

「ええ。別にあんたは好きに自分なりの答えを考えればいいわ。私も手は出さない。でもね」

 

 叢雲が口許を緩ませて悪戯っぽい笑みを浮かべた。満面の喜色を顔に浮かべて。峻が不思議そうな表情をしていることがいかにもおかしい、と言わんばかりの様子で峻の耳元に叢雲が口を寄せる。

 

「あんたから手を出させるのはいいのよね?」

 

 そっと囁くと叢雲が後ろで手を組みながら跳ねるように峻の部屋と廊下を繋ぐドアに向かっていく。峻はただ呆然と叢雲の青みがかった銀髪がドアの隙間から消えていくまで見守ることしかできなかった。

 

「誰の影響だよ……」

 

 叢雲が立ち去ってからしばし。ぼんやりとしていた峻がようやく立ち直ってから、さっきより広くなった部屋でひとり佇みながらつぶやいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 つかつかと叢雲が早足に廊下を歩く。峻の部屋から遠ざかれば遠ざかるほどにその歩みは加速していった。視認しても霞んでみえるのではないかというくらい素早くその身を自室へと滑り込ませると、思いっきりベッドへと倒れ伏した。

 

「っーーーーー!」

 

 叢雲が声にならない叫びを上げながら枕に顔を埋める。火傷でもしたんじゃないかと思うくらい全身が茹で上がったように熱い。

 

 おそらく鏡を見れば、きっと頬が桜色を通り越して林檎のように真っ赤に染め上がった叢雲が映るのだろう。

 

 今更になって羞恥心が芽吹いてきた。とんだ時間差攻撃もあったものだが、湧き上がってしまったものはどうしようもない。

 

「なんであんな余計なことまで……」

 

 最後の一言など明らかに蛇足だった。というかまったくもって言う必要のない内容だったではないか。

 

 そもそもあの場は峻にできるかぎり前を向いてもらおうとする場であって、叢雲が思いの丈を告げる場ではなかったはずだし、ましてや誘惑するような場でもない。

 

 ましてや胸元に抱きしめる場でもなければ、添い寝をするような場ですらない。

 

 後半からなど本筋からは遠くかけ離れて、ただひたすら私利私欲を満たしていたのみ。

 

 ホコリが空中を舞うことも気にせずに右へ左へ叢雲がベッドの上を転がる。しかし、ちょっと転がるとむっくりと体を叢雲は起こした。

 

 過ぎてしまったことはいまさら悔いたところでどうしようもない。そう、どうしようもないのだ。覆水盆に返らず。零れたミルクを嘆いても仕方ない。言ってしまったことを取り消すことが叶わないのなら、うだうだと悩んでいる意味などない。

 

 と、割り切るようなことを考えてみたが、それが虚飾であることくらいは叢雲自身も嫌というほど認識しているのだが。

 

 それでも自室の部屋がノックされたとあれば、さすがにベッドで不貞寝を決め込むわけにもいかない。

 

「入っていいわよ」

 

 落ち着き払ったように取り繕いながら叢雲が入室許可の旨を発言する。ドアが開けられるまで数秒。体を預けていたベッドから跳ね上がり、ざっくりと乱れたシーツを整えると小さな椅子に腰を落ち着かせるまでやりきった。

 

「叢雲ちゃん? なにかありましたか?」

 

「なんでもないわよ、なんでも」

 

 平然と、そして泰然と叢雲は言い放つ。整った眉毛を不審さで寄せながらも榛名は一端、感じた疑問符の解消を隅へ置いておいてくれることにしたようだ。

 

「それよりここに来たのは聞きたいことがあるからじゃないの?」

 

「ええ。次も叢雲ちゃんが指揮を執るのか、そして執るならどうするつもりか」

 

「ああ、そっち……」

 

「何だと思ったんですか?」

 

 胡乱げに長いまつげを榛名が揺らす。しまった、と思っても遅い。とはいえ取り返しがつかないミスではない。可及的速やかに修正するように行動すればなんとでもなる。

 

「それで指揮の話だったわね。とはいえあいつがどうなるかは私もわからないわ」

 

「では叢雲ちゃんが執る、ということになりそうですか」

 

「かもね。そのつもりで私も行動した方がいいでしょうし。もちろんあいつが動いてくれるに越したことはないんだけど」

 

 悩ましげに叢雲はこめかみに手を当てて揉んだ。峻が動いてくれた方がいい。それが叢雲の中で最良の結果だった。前回のミッドウェー戦ではうまく立ち回れた。だが次もうまくいく保証はどこにも転がっていないのだ。

 

 叢雲は自分自身の実力不足を嫌というほど痛感している。うまくいったのはただの偶然。峻が本気を出すことさえできれば、叢雲の付け焼刃同然の指揮能力なんてあっという間に飛び越えてしまうと確信していた。

 

 だからこそ惜しいと感じてしまうのだが、こればかりは叢雲がどうにかできる問題でないことも理解していた。

 

「楽観視するのは危険よね……」

 

「では」

 

「ええ。おそらく私が動くことになると思う。……みんなにもそう伝えておかないとね」

 

 あまり気乗りしない叢雲がため息まじりに腰を浮かしかける。けれど榛名がそっと叢雲を手で制して止めた。なおも立ち上がろうと制止を遮るが今度は榛名に肩を掴まれて座らせられてしまう。

 

「榛名がやっておきます。叢雲ちゃんは大佐のそばにいてあげてください」

 

「何を言ってんのよ。別に私がやるべきことなんだから榛名に手間を取らせなくても私がやるわよ」

 

「まだ不安定なんでしょう? なら離れない方がいいです」

 

「そうでもないわ。それに離れているわけじゃないもの」

 

 叢雲が落ち着きはらって言いながら口角を少しだけ緩めて笑った。榛名が意外そうに目を見張り、しげしげと叢雲の姿を上から下までじっと視線を行き渡らせた。

 

「……なによ」

 

「いえ、なんでもありません。とにかく叢雲ちゃんは休んでおいてください。見たところ疲労の蓄積はなさそうですけれど、それでも叢雲ちゃんがすべてを担うことになりかねないのなら力を蓄えておいて損はしないでしょう?」

 

 そっと叢雲が瞑目する。榛名の言うことはもっともだ。昨晩、確かに安眠できたかと言われればその答えは否なのだから。

 

 冷静になって考えれば当然だ。異性、それも惚れている相手と同衾。しかも近距離も近距離。手を伸ばせば届く距離どころかがっつり触れていた。

 

 後半は睡魔に負けてしまったが、睡魔が襲来してくるまでは悶々としてなかなか寝付けなかったものだ。もちろん、誰にも言うつもりはない秘密だが。

 

 つまり、睡眠不足状態であることは割りと認めざるを得ない事実だったりするのだ。

 

「わかったわよ。ちゃんと大人しく部屋で次のハワイのために。どう、これでいいんでしょ」

 

「代わりの人を用意することくらいはできるでしょうけど、どうしますか?」

 

「どのみちアクの強いメンツしかいないんだからまとめ役の方から願い下げでしょ」

 

 確かに、と榛名が苦笑する。かなり直接的に榛名もアクが強いと言われたようなものだが、否定するようなことをしないあたり榛名も自覚ありなのだろう。

 

「では榛名はここで。ああ、そうそう」

 

「なによ?」

 

 たおやかな動作で腰を浮かせながら榛名が思い出したかのようにおもむろに切り出す。特になにか報せがあったわけではないが、漠然と嫌な予感らしきものが叢雲の胸中をよぎる。

 

「服にシワが寄ってますよ? いくら激しかったとしてもちゃんと着替えなきゃだめじゃないですか」

 

「…………」

 

 思考停止からの復帰で数秒。きっちりフリーズしていた叢雲が我を取り戻した瞬間に椅子を蹴立てた。

 

「べ、べつに激しくってそんなことしてないわよ!」

 

「いえいえ、わかってますから。朝帰りっていうやつですよね? 安心してください、榛名の口は固い方です!」

 

「これっぽっちもわかってないでしょうが!」

 

 口調を荒らげて叢雲が否定する。しかし「わかってますから」といわんばかりの顔で爽やかに微笑む榛名に叢雲の伝えたいと思っていることが正確に通じているかどうかはかなり怪しいものだ。わざとやっているとしたら相当なものだ。そして榛名の場合ないとは言えない。

 

「すべてが片付いたらお赤飯ですね!」

 

「邪推が過ぎるわよ……」

 

「じゃあ、私にお赤飯を炊かせてくださいね?」

 

 準備しておきますから、と榛名が付け加えた。さっきまで榛名が纏っていた弛緩しきった雰囲気は雲散霧消し、真剣味の宿った視線が叢雲を射抜く。

 

「……わかってるわよ。嫌ってほど炊いてもらうから覚悟しときなさい」

 

「お手柔らかにお願いしますね?」

 

 それを最後に榛名は今度こそ叢雲の部屋から出ていった。その悠然とした背中を見送ってから叢雲は肩に入れた力をふっと抜いた。

 

「背負うつもりなら死ぬな、か……」

 

 見透かされているようでなんとなく腹立たしい。けれどあれは榛名なりの助言であることも重々承知。

 

 もしも叢雲が死んだら、いや部隊のうち誰かが死のうものなら本格的に峻は壊れる。あれはわかった上で背負うつもりか、という榛名の意思確認。

 

「いいわよ。やってやろうじゃない。誰ひとりとして失わせやしないわよ」

 

 力みすぎだから力を抜け。そう、榛名は暗に言っていた。だから伝令役を買って出たのだろうし、からかうようなことも言ったのだろう。

 

 次ですべてに片がつく。迷いなんてなかった。




こんにちは、プレリュードです!

急にぐっと寒くなりましたね。寒いのが苦手な私は家で丸くなって過ごしたいです。鍋とかは好きなんですけどね。でも冬はどうも好きになれんのですよ。

そういえばイベント、みなさんは如何でしたか。私は涼月を確保しました。ついでに堀りで秋月も確保できました。対馬ちゃんに至っては2体いますし、しおんも入手済みなので照月が落ちなかったことを除けば勝利と言えるような感覚です。


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最終章 ラプソディ・イン・ハワイ
始動


 

 どうして俺はここに座っているのだろう。

 

 どうして俺はここまで来たのだろう。

 

 どうして俺は逃げなかったのだろう。

 

「誰に聞いてんだよ、俺は」

 

 司令室で峻がこっそり自身へと毒づく。司令室に誰もいないわけではない。だがその問いかけに納得する答えを返してくれる人間がいるわけでもない。

 

「シュン、もう間もなく始まるぞ」

 

「わかってる」

 

 だから問題なんだと言葉では発することなく言い捨てる。東雲に当たったところで何も生産的ではないことくらいはわかっている。だからこそ口にはしない。

 

 理由。たったその一語が峻の中でささくれのように引っかかり続けていた。

 

 あんたには理由がない。叢雲の言った通りだ。言われるまでまったく気づかなかったが、自分の意志で重要な局面を決定したことなんて今まで1度でもあっただろうか。

 

 殊勝な人間じゃない。まったくもって耳に痛い。確かに世界のため、なんて曖昧なもののために立ち上がることは難しそうだ。さんざん贖罪のためと言っておきながら都合がよすぎる話だが、現実として思うように動けないのだから事実と認めるしかない。

 

《敵艦隊との接触予測時刻までもうまもなくです。総員、警戒を》

 

 事務的なアナウンスが無機質に流れるが、峻の耳を撫でるだけに留まりどこかへ去っていく。何かしなくてはいけない。そんな漠然とした感覚だけが気持ち悪いくらいにわだかまる。

 

 もう叢雲たちは海へ出ている頃だろう。それはわかっている。それなのに未だリンクすら繋ぐことすらできすにいる。

 

 情けない。ここにきてまだ何もできないのだから。

 

「シュン……おい? おい! 聞いてんのか?」

 

「ああ、悪い。ちょっとぼんやりしてた」

 

「しっかりしてくれよ。作戦の確認しようって時に」

 

「確認? なにかあったか?」

 

 無理矢理に東雲の発言によって黄昏ていた思考が現実に引き戻された。一旦は渦巻く思考を脇へと追いやり、何でもないような風体を取り繕う。

 

「大まかなことを言えば、ハワイの深海棲艦をぶっ飛ばして噂のナノマシンを拡散しようとしている設備を制圧する。お前の仕事はナノマシン拡散設備の制圧だ」

 

「そういや乗り込んでこいって言われてたっけな」

 

「人形兵も防備隊としているだろうからな。あれとの戦闘に関して経験のあるお前を投入したいんだろ」

 

「だが例のナノマシン拡散設備とやらどこにあるかわからないだろ。それも見つけてこいとか言わないだろうな」

 

 あるかどうかもわからないものをあるから壊してこいと言われても困る。その探索すら含まれるというのは勘弁願いたいものだ。

 

 などと言っている最中に、またしても先までの問いかけが顔を覗かせた。戦えるわけがないことくらいわかっているんだろう、と。

 

 そんな峻の内心など知る由もなく東雲は淀みのない手つきでホロウィンドウを操作すると、峻に向かってスライドさせて送った。

 

「ついさっきハワイ本島を捉えた映像だ」

 

「島にはなにもないな」

 

「解析させたが地下がある可能性はないそうだ。島そのものに拡散設備がある可能性は皆無といっていいらしい」

 

「おい、じゃあ俺は何をすればいいんだ。目標もなしに行けと言うのはなしにしてくれ」

 

「安心しろ。特定は終わってる。これを見ろ。確認されている深海棲艦側の戦力を捉えた映像だ」

 

 スライドされてきたホロウィンドウを取り込んでこちらのデバイスで出力させる。

 

「なんだこれ」

 

 顔を不審さに顰めながらホロウィンドウを睨む。大小さまざまなサイズの深海棲艦が蔓延っているのはいい。その中で、深海棲艦が守るようにサイズ感が飛び抜けて大きな建造物があった。

 

「島、なのか?」

 

「島は島でも人工島だ。詳しい構造は解析中だからなんとも言えん。フロートなのか、それとも埋め立てなのか」

 

「だいたい予想はついた。この中に行ってこいってわけか」

 

 ハワイ本島には施設はない。となればこの建造物の中にナノマシンを拡散させる設備があると考えるのが妥当だろう。

 

「入口がないが、どっから入らせるつもりだ?」

 

「わからねえ。最悪の場合、破壊して侵入しても構わん。そこはお前の現場判断だ」

 

 要は投げっぱなしだろう、と毒づきかけるがぐっと飲み込む。八つ当たりをしたところで何もならないことすら忘れたのかと自分を戒める。

 

「突入準備とか大丈夫か?」

 

「だいたい終わってる。こいつの修理もあと少しだ」

 

 作業台に硬質な音を響かせながらワイヤーガンが姿を現す。どこからともなく出てきた工具がその周囲を取り巻くように置かれる。

 

「それ、使えんのか?」

 

「使えるようにするんだよ」

 

 茶番劇だ、と自身に向けて内心で言い捨てる。命令だから仕方ない。そんな言い訳じみた逃げ口上を並べ立てていることは理解していた。

 

 だからここで修理を始めたことも気を紛らわすためだ。なにか手を動かしていれば余計なことを考えずに済む。

 

 しかし、修理箇所といってもさほど仰々しいものにはならない。刺されかけた峻の盾になっただけなので、歪んだ部位を交換してやればいいだけだ。結局、狙っていたよりもはるかに短時間で片付いてしまい、今度こそ手持ち無沙汰になった。

 

「……」

 

 沈黙のままに首のデバイスをいじる。立ち上がったホロウィンドウを操作して最後の表示ボタンを躊躇いがちにタップした。

 

 一瞬のロード時間。それを経ると峻が指揮していることになっている部隊の様子が映し出された。

 

 指揮官は峻。だが今は実質的に指揮権を叢雲が握っている。それはミッドウェー攻略戦からであり、そして未だに返還されていない。峻自身が返還を求めなかった。

 

 つまり直接的にどうこうすることはできない。映像を開いたところで見守ることくらいが関の山だ。

 

 どうせ何もできやしない。そんなことはわかりきっている。理由と呼べるものは見つからなかった。

 

 だからこそ、せめて見届けるくらいはしよう。叢雲に任せっきりにしてしまったからこそ最後まで。峻にはその義務がある。

 

 もう間もなく開戦の狼煙が上がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 経済速度を保って前進。鞘を握った左手が汗ばんでいるのか妙に滑りやすい。

 

 緊張しているの、と叢雲は自分自身に向けて問いかける。当然でしょ、と答えは返った。背負っているものは大きい。部隊のすべての命と峻。

 

 世界なんてどうだっていい。だがこれらだけは譲れない。

 

《敵艦隊、発見!》

 

 どこぞの隊から報告が流れ込む。つまり接敵までもうまもなくだ。あと数分もしないうちに勝っても負けてもすべての終わりになるであろう戦いが始まる。

 

「総員、戦闘配備。目標、前方敵深海棲艦艦た……」

 

 艦隊、と言い掛けた叢雲の言葉を遮るようにアラートが喧しく鳴り響く。何のことかと思いながら手元の電探を操作した。

 

 それだけで何が起きているのか察するには十分あまりある行為だった。

 

 いきなり電探に表示されていた深海棲艦を示す点の数が増えたのだ。しかし増えた数は10や20ではない。

 

 そう、ざっと元いた深海棲艦の2倍ほど。

 

「エイプリルフールには早すぎるわよ……」

 

 口元を歪めて叢雲は毒を吐いた。何かの悪い冗談のようにしか見えない。だがどれだけ疑ったところでこれが現実なのだ。

 

「どこから湧いてきたんでしょうか」

 

 榛名が目を凝らしながら発生元を探す。叢雲も根源は気になったが、それよりもこの数の対応を考えることの方が先決だ。

 

 事前にハワイ本島を防衛する深海棲艦の勢力を予想はしていた。そしてその予想が裏切られる前提でいかにして部隊を回していくか組み立てた。

 

 だが増えた深海棲艦の数は叢雲の裏切られるという予想をはるかに超えたものだった。

 

 増えた深海棲艦が有象無象な程度であるのならばさしたる問題にはならなかった。簡単に落とせてしまうくらいならば増えたところで爆撃なり艦砲射撃なりで掃討してしまえばいい。

 

 最大の問題は増えた深海棲艦の多くが戦艦級や空母級、そして姫級であったことだ。

 

「『姫薙』の面目躍如ですよ、叢雲ちゃん」

 

「冗談がきついわよ、榛名。さすがいあの数は想定外よ」

 

「さながら百『姫』夜行じゃない……ホント、どうするのよ」

 

 焦り気味に瑞鶴が一種、壮観ともいえる光景を前に弱気な言葉を漏らす。正直に言うのであれば叢雲とてかなり参ってはいた。ハワイ本島攻略戦は想定していた敵勢力が上回っても互角に交戦できるように戦力を整えている。

 

 つまるところ想定された戦力通りであればこちらの優勢。それを上回っていたとしても互角に持ち込むことができるようになっているはずなのだ。

 

 しかしこの増援の量は想定外だった。互角もギリギリ、むしろ劣勢に天秤は傾いてすらいる。それは付け焼刃とはいえ戦術の勉強をした叢雲でなくともわかる事実。

 

「ああ、もう……これをどうしろってのよ。制空も厳しいわよ!」

 

「五月蝿いわ、五航戦」

 

「ええ、ええ一航戦サマは余裕ですね!」

 

 瑞鶴がやけっぱちに加賀へ言い返す。澄ました顔で瑞鶴の皮肉った軽口をさらりと流しつつ、加賀が弓引く準備を始めた。

 

「泣き言を言わない。これしき五航戦なら付いて来て見せなさい」

 

「……っとに勝手なのよね」

 

「なにか?」

 

「ああもう、やりますよ! やってみせればいいんでしょ!」

 

 加賀に倣って瑞鶴も弓を引くと隣に並ぶ。加賀がふっと鼻を鳴らすような音を出すとその瞳が鋭く細められてはるか前方に蠢く敵空母郡を見据えた。

 

「制空は私たちで抑えます。でも援護は期待しないでおいて頂戴」

 

「できるかぎりは抑えるけど、多少は攻撃隊が通っちゃうと思う」

 

「了解よ。できるだけ漸減して」

 

 善処はするが、完全なエアカバーを保証することはできない。つまりはそういうことだろう。ないよりはマシ、くらいまで割り切って考えた方がいいのかもしれない。

 

「叢雲、やばいかもしれないわ」

 

「矢矧、報告は正確にお願い」

 

「じゃあ正面を見てみなさい」

 

 矢矧の言うことに従って叢雲は正面を見据えた。ちょうど接近する艦隊があることを電探が報せてきていた。だからこそ、その敵をきちんとその目で確認したかった。

 

 けれど確認しない方がよかったかもしれないと後になってから叢雲は後悔した。

 

「姫級12の連合艦隊って……」

 

「ほら、『姫薙』の叢雲ちゃん?」

 

「二度目を言っても答えは変わらないわよ」

 

 苦りきった顔を叢雲が作る。あれをひとりでやれと言われたらさすがにお手上げだ。そもそもミッドウェーにおいても叢雲の姫級単独撃破は一体のみであって、残りは共同撃破ばかり。加えて共同撃破と言っても叢雲は体勢を崩したのみであって、とどめを刺したわけではない。

 

 叢雲としては大仰すぎる二つ名は迷惑ですらあるのだが、自分で名乗ったものではなく、他称である以上、訂正したところで打ち消されはしないだろう。

 

 そして現実は大仰な二つ名があったところで何も事態の打開には役立たない。打開を手助けしてくれるのは自分の腕っ節と頭だけだ。

 

「攻撃来るわよ。各員、散開!」

 

 遠方の光が視界に入った瞬間に叢雲が叫ぶ。光の速度を砲弾の速度が上回ることはない。であれば砲撃の際に発生する炎の光の方が叢雲たちのところへ先に到達するため、砲撃されたことはわかる。

 

 だが砲撃の着弾地点まではわからない。なので散開の指示を出すことで精一杯だ。

 

 体のバネを使って叢雲は大きく前方へ。視界の端で部隊のメンバーが各々の方法で散開していく姿を捉える。直後に砲弾が着弾することによって屹立した水柱で覆われて見えなくなった。

 

「被害報告!」

 

「私の艤装に砲弾の欠片がくい込んだことを除けば無傷よ」

 

 なら正面の敵姫級艦隊に砲撃、と矢矧に向かって叢雲は指示を飛ばそうとした。しかし声を形にする直前に、またしても砲撃の光が目に飛び込み、回避を余儀なくされた。

 

 回避した先でも落ち着く間すら与えられず、すぐに回避行動。幾度もそんなことが繰り返されてからようやく気がついた。

 

 狙われている。それも叢雲だけを徹底的に。回避をせざるを得ない叢雲は指示を飛ばそうにも余裕が無い。つまり完全に行動を封じ込められ、主導権を奪われていた。

 

 自分が回避することだけで手一杯。そのため反撃はおろか指揮にすら手が回らない。

 

「邪魔を……」

 

 立て直したいが、その猶予すらも与えてもらえずに叢雲がもどかしさから悪態をつく。リーパーシステムを使いたいところだが、それを起動するための時間も与えてもらえない。

 

 前後左右にステップ。合間を縫って砲撃を返してはみるが、所詮は駆逐艦の砲撃だ。当たった様子はあれども有効打とはいかない。

 

「近づけさえできれば……!」

 

 リーパーシステムを使ってしまおうかと考えたが直後に却下。打開ができたとしてもタイミングが早期すぎる。使った直後に艤装が著しい性能低下を訴えてくるため、長期戦にもつれ込むであろう今回の戦いには向いていない。

 

 今すぐにでも部隊指揮に戻らなくてはならない。わかっているはずなのに、姫級たちの砲撃は叢雲を釘付けにし続けた。

 

「叢雲ちゃん!」

 

 砲撃の爆音で聞こえるはずはない。それでも叢雲は榛名の鋭い警告の色を孕んだ声を確かに聞いた。

 

 そして直後、その警告の意味を理解した。

 

 無秩序に見えた砲撃は追い込み漁だったのだ。叢雲の回避する方向は誘導され、確実に捉えられる網目へ少しずつ足を踏み入れていたのだ。四方は囲まれ、砲門が叢雲を向いていく。気づいた時には網目は逃れようのないものになっていた。

 

「網に囚われた魚かしら、私は」

 

 軽口を叩いてはみるが、強がりだと自分でもわかる。クロスファイアをされてはさすがに厳しいものがある。死角となる後方を前方も対処しながら回避することは至難の技だ。

 

「仕留メタ」

 

 ニタリ、と姫級のうち1体が嗤う。叢雲は納めていた刀身をすらっと抜いた。

 

 死ぬわけにはいかない。だから速攻で前方の姫級たちを殺して後方からの着弾を回避する。それしか思いつかなかった。

 

 それが成功するはずのないやり方であると知りながら、その他の選択肢はなかった。

 

 前方を睨んで思いっきり踏み出そうとする。砲撃はもう数秒の猶予もなく為されるだろう。これではどうあっても背中を撃たれる。

 

「やっぱり後ろは──」

 

《そのまま行け!》

 

 振り返りかけた時、聞き覚えのある声と共に艤装の主砲が自らの手を離れて操作される感覚が走る。

 

 懐かしい。本当に懐かしい感覚だ。けれどそれに浸る余裕はない。

 

 駆け出すと同時に艤装にマウントされている砲門がすべて開いた。それらの砲弾は叢雲の後方へ。ただ真っ直ぐと飛んでいく。

 

 背中は、撃たれなかった。

 

 振り返らずに直進。いちばん近くにいた姫級に斬りかかった。斜めの刀傷がくっきりと姫級の胴体に刻まれる。そこで止まることなく叢雲は今しがた斬った姫級に飛び掛ると足場にして、もう一方の姫級に斬りつける。斬撃の軌道をなぞるようにして青白いぬめりのある液体が糸を引く。

 

「おそいのよ、バカ」

 

《……悪い》

 

 峻が小さく詫びる。叢雲はふっと表情を緩めた。

 

「時間がないから手短にするわよ。やれるわね?」

 

《ああ》

 

 本当に手短な返答。だがそれだけで十分すぎた。

 

「任せるわよ」

 

《任せてくれ》

 

 峻の声に確かな力が宿っているのを叢雲は感じた。口角を吊り上げてちょっと笑う。抜き身の愛刀『断雨』を姫級の艦隊に向けて突きつけた。

 

「さっきまでの『私』とは思わないことね」

 

 止んだ砲撃の隙間を突いて叢雲が姫級たちに堂々と宣告する。さっきまでとは違う。ただ為されるがままに網へと追い込まれている魚ではない。

 

「ここから先は『私たち』よ」

 

 そして魚だったものは網を食い破る。

 




こんにちは、プレリュードです!

ついに最終章です。ついにですよ、ついに。これまでのタイトル規則からがっつり外れましたがそれもそれということで、どうかここはひとつ。もう2年めに突入しそうな勢いですが、そこまではいかないうちに完結させたいところです。


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姫薙

 

 どうして動けたか。そう聞かれても峻はすぐ答えることができなかった。

 

 反射的に、としか言いようがなかった。ただ戦況を見守っていたら、叢雲が次第に追い詰められていき、ついにはやられそうになった。それを見た瞬間、いてもたってもいられなくなり、咄嗟に叢雲の艤装にマウントされた主砲をコントロールして叢雲を背後から狙っていた2体の姫級の主砲を同時に狙い撃ち、弾くことで狙いを逸らしていた。

 

 理由がない、と叢雲は峻に言った。確かに依然として戦う理由らしきものは見えてこない。

 

 だがそれでも峻は戦うことができると言えた。根拠の無い自信ではあるが、それでもやれる気がしたのだ。

 

 ホロウィンドウを大量に展開。一気に戦場をそれらのホロウィンドウを使って総覧していく。

 

 案の定、と言うべきか。戦線は崩れかけていた。

 

 新手の出現だけであったのなら大事にはならなかっただろう。だが姫級が多数、出現したという事態は誰も想像したり得ないものだった。なにより姫級は一体で相当な戦力を有する。

 

「マサキ、やばくないか」

 

「ああ、やばいな。まさか姫級があんなにも出てくるとは思わなかった」

 

 その通りだろう。そもそもミッドウェーですら多いと感じたのだ。だがここはその比ではない。もはや通常種と姫級、どちらが数で勝っているのか区別がつかなくなるほどだ。

 

 一体ですら強大な姫級が雨後の筍よろしく発生してくれば混乱を招いても仕方ないだろう。

 

 峻がすべてのホロウィンドウを再びその目に焼き付ける。時間的余裕はない。短時間で効率よく戦場を俯瞰しろ。最速で状況を把握して、最短経路で解答を導き出せ。

 

「叢雲、戦線を立て直すぞ。前方は任せる」

 

《了解》

 

 叢雲が間髪いれることなく返答。心なしかその返答は弾んでいるように峻は感じた。気のせいかもしれないがそれでもどこか嬉しそうだったのだ。

 

「榛名、鈴谷、矢矧。右舷の敵艦隊に砲撃。陸奥、北上、夕張。左舷の敵艦隊に砲撃と雷撃。天津風、自律駆動砲をふたつに分けろ。砲撃で敵艦隊を足止めしつつ漸減だ」

 

《しかしそれでは姫級を落としきれる確証はありませんよ》

 

「承知の上だ。だから足止めと漸減でいい。時間だけさえあればいいんだ」

 

《わかりました。託しますよ?》

 

 重い榛名の一言。ミッドウェーであったのならば答えに窮していたであろう。

 

「ああ」

 

 けれど今はすんなりと答えられた。自身でも驚くほどスムーズだ。

 

 絶対に勝てる、なんて確固たる自信があるわけではない。不安で仕方ないし、これでうまくいくなんて断言することもできない。それでも答えられた。

 

「マサキ、エアカバーは?」

 

「五分五分……いや、若干こっちが不利か」

 

「均衡に持ち込んでくれ」

 

 さらりと峻が言い放つと東雲が目を剥いた。不利だと言っておきながらそれを覆せと言っているのだから当然の反応だ。そもそも物量と艦載機の性能がものを言う航空戦においては開戦と同時にだいたいの結果は見えている。もちろん戦術や索敵なども大きく関わっていることではあるが、イーブンの状況から開戦したこの戦闘で覆すことは難しい。

 

 それを理解した上でか、と東雲は問いかけ峻はイエスと返した。

 

「空まで手が回らねえ。今は加賀と瑞鶴が粘ってくれてるが時間の問題だ」

 

「わかってるさ。やりゃいいんだろ。空は俺で押さえ込む」

 

「頼むぞ」

 

 これで空の心配はいらなくなった。いや、均衡ということはもちろん対策を取らねばいけないのだが、劣勢になってしまうと空にかかり切りにならざるを得なくなる。そうなってしまうと姫級との交戦に割く手がなくなってしまう。

 

 だから東雲に頼んだ。安心して戦える場を構築するために。

 

 そしてまだ止まるわけにはいかない。本当の仕事は戦闘が終わってからだ。そのための準備もする必要がある。

 

 手早く連絡先のウィンドウを開くと手元に寄せる。その中から目当ての名前を見つけると素早く連絡をつけにかかる。

 

《急になんだい?》

 

「若狭、頼みたいことがある」

 

《戦闘指揮を日本からしろ、なんて言うつもりはないよね? 確かに僕は作戦参加として日本防衛の指揮官に編入されてるけどそっちの面倒まで見る余裕はないよ。そもそも僕は司令官として有能じゃない》

 

「だからお前の河岸だ。この人工島に上陸する場所、もしくは侵入できる場所を解析してくれ」

 

 人工島は直角に切り立っているので上陸地点も侵入経路も見当たらなかった。だが中になにかある可能性は高いため確認しにいくことは確定。だからどうやって中に入るかがわからないままではまずいのだ。

 

《僕の河岸、ね。今は長月に譲ったんだけど》

 

「やれるのかやれないのか、だ」

 

《やるさ。少し時間をもらうけど》

 

「速攻でな」

 

 軽く釘をさしておくと今度こそ峻は正面のホロウィンドウに向き直った。通信は戦場へ繋ぐ。

 

「叢雲、前方の姫サマたちをやるぞ。5分だ」

 

《バカね。2分あれば十分よ》

 

 そうか、と短く返す。その力強い一言さえあるのならやれる。

 

 リンク先を叢雲の艤装に指定。自らの目を閉じると共有した叢雲の視界が暗闇に浮かんだ。

 

《しっかりついてきなさいよ》

 

「やってみせるさ」

 

 強気に峻は返す。絶対に返せなかった答え。返す時といえば虚勢を張るためだけ。自信なんて欠片もなかった。

 

 それでも1人じゃないのならば。

 

「蹴散らすぞ、叢雲」

 

 なぜだろうか。やれる。そんな根拠のない、だがどこからともなく沸き上がる自信らしきものがそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ようやく。

 

 本当にようやくだ。

 

「待ちわびたわよ、ったく……」

 

 愚痴っぽく叢雲がこぼす。けれど叢雲自身も気づいていないが、その口元には確かに微笑みを形作っていた。

 

 ウェーク以来の感覚だった。自分のペースで戦闘が回り、それがまったく乱されない。そんな全能感。

 

 すでに叢雲が相手した前方の姫級数体は立っていなかった。

 

 すべて叢雲がたった一人で屠った。いや、ひとりというのは間違いか。峻のバックアップ込みで倒したのだから。

 

 一体を斬り伏せる間に叢雲を撃とうとしても、峻が制御する叢雲の主砲が姫級らの砲撃をすべて撃たれる直前に砲塔自体を弾いて狙いを逸らさせる。圧力をかけるように飛ぶ艦載機を機銃で追い払って、その隙に叢雲が発艦させた主まで近づくと斬り裂く。

 

 とにかく叢雲が一体にかかり切りになれるような状況を峻が維持させ続ける。そして叢雲も作られた時間を余すことなく着実に刀の錆へと変えていく。

 

「次は?」

 

《右舷と左舷から榛名たちが足止めしてた姫級が来るはずだ。そいつらをやるぞ》

 

「わかったわ」

 

 血液にも似た青白い液体を吹き飛ばしつつ、叢雲が即答する。そして両舷に目をやった。

 

 そういうことか、と同時に納得する。天津風の自律駆動砲が数を減らし、それでも落とせない中型を巡洋艦クラスである鈴谷たちが、そして最後に大型を榛名たち戦艦級が落としていく。

 

 そしてこうした段階を踏んでもふるいにかけられず落ちなかった姫級が着実に押し戻してきているのだ。

 

「戦線を立て直すためにあとどれくらいかかりそう?」

 

《15分は欲しいな。少し数が多いがやれるか?》

 

「ええ」

 

 またしても即答。だが負ける気は叢雲にまったくなかった。負けるとすら思っていない。

 

 ひとりで戦っていたらそんなこと決して言えなかった。けれど今は言える。絶対に勝てる、と。

 

「負ける道筋が見えないのよ」

 

 不意をついて襲ってきた姫級の攻撃をひらりと身軽にかわす。脱力した状態から素早く体を捻って回転。真横に一閃させると一文字に姫級の体が引き裂かれた。同時に叢雲がつけた刀傷に向かって峻が主砲を連続して撃ち込み、致命的な損害を与える。トドメと言わんばかりに叢雲がひび割れた体表に向けて鋭く突きを放てばそれで一丁あがりだ。

 

「次!」

 

 事切れた姫級の体から刺さった刀身を抜きながら叢雲が振り返る。唯一の支えとなっていた叢雲の刀が抜けた姫級が崩れ落ちて海中へと没した。

 

《回避。距離5、チャーリー》

 

「了解」

 

 叢雲が峻の短い警告と指示に従って右方向へサイドステップ。指定された距離だけ動き終わると、直後にさっきまで叢雲のいた場所に深海棲艦の戦艦級が着水し、こちらを睨んだ。

 

 少しでも回避が遅れていたら叢雲は押し潰され、制圧されていた。砲撃が当たらないと判断しての行動らしいが、近接戦闘を挑んだのは間違いだと叢雲は鼻で笑う。

 

「駆逐艦に接近してんじゃないわよ」

 

 一刀の元に斬り伏せる。みるみるうちに海中へと消えていき、泡だけを残していく姿を見送ることなく次に備えて叢雲が構えた。

 

「榛名、立て直しはどう?」

 

「順調……と言いたいですけど苦戦してますね」

 

「どうして?」

 

「叢雲ちゃんみたいなお姫様がいるからです……っ!」

 

「榛名?」

 

 急に榛名の声が苦悶に満ちたものに変わる。榛名からの返答が途切れ、嫌な感覚にじとっと叢雲の背中を脂汗が伝った。

 

「榛名、榛名!」

 

「だい、じょうぶですよ……でもそっちに行きました……」

 

《叢雲、回避!》

 

 焦燥感を隠すことなく、峻が怒鳴る。咄嗟に叢雲は後方へ飛び退った。それでも遅かったのか、叢雲の前髪が数本ほど何かに巻き込まれて千切れる。

 

「『私みたいな』って、そういうこと……」

 

 海水を滴らせながら数本ほど叢雲の前髪を奪っていったそれが持ち上がる。剣とまでは言えない、まるで棍棒にも似た無骨な武器。それを易々と振り回す深海棲艦がいた。

 

「聞いてないわよ、近接型なんて」

 

《こっちの情報が漏れてるのはわかってた話だ。たぶんお前に当てるためだけに調整されてるな》

 

「難儀ね、深海棲艦ってのもっ!」

 

 語尾をはね上げながら叢雲が間一髪で背中を反らせて棍棒を避ける。だが避けきれなかったのか、軽く引っ掛けてしまい袖が破れた。続く二撃目をバックステップで距離をとって叢雲をかわす。

 

「今後もこんなのが出てくるなら砲雷撃戦じゃなくて近接格闘戦って改名するべきじゃないかしら」

 

《お前のストッパーだからな。今回だけだろ。ミッドウェーで目立ちすぎたな。すまん》

 

「あんたの謝罪なんて求めてない……わよっ!」

 

 体を横に傾けて打突を回避。腕が伸びきった隙を見逃すことなく、叢雲が格闘型深海棲艦の大柄な体躯の懐に潜り込むと居合の姿勢で斬りつける。

 

「硬すぎよ!」

 

 叢雲が苛立ち紛れに叫ぶ。振るった刀身は今まで深海棲艦の表皮を破壊して脆弱な内側を傷つけてきた。だが表皮を破壊することすらできずに弾かれたのだ。小さな傷が着いたのみで致命傷とはとても呼べない。

 

 伸びきっていた腕がもう、戻っている。これ以上の深追いは危険と判断した叢雲は再び後退して距離を取る。

 

 距離を取った直後、海面を割るような一撃が叩きつけられる。巻き上がる飛沫に視界が邪魔される。

 

《させるかよ》

 

 叢雲の主砲が放たれ、飛沫の向こう側へと飛んでいく。そして爆風が波飛沫を吹き飛ばした。

 

 波飛沫に紛れて叢雲に攻撃を加える算段だったのだろう。だが峻の行った砲撃により行動は牽制され、爆風により視界を塞いでいたものは無くなった。だから叢雲は攻撃を直前に察知できた。

 

 とはいえ気づいたのがギリギリすぎた。今から避けようにも間に合わないと判断した叢雲は刀に45度ほどの角度をつけて振り下ろされる強撃を右方へと受け流す。

 

「っ……なんて力よ」

 

 そう、受け流したはずなのだ。それでも柄を握る手にビリビリと衝撃が這い回っていた。

 

《いけそうか?》

 

「やるしかないでしょ。少なくとも立て直しはまだ終わってない。あんたの作戦は私を基軸にして姫級などの主力を引き付けて全艦隊が立て直すまでの時間を稼ぐこと。ならこんな脳筋に時間を割いてる暇はないわ。速攻で片付けるわよ」

 

 言葉の節々で風を切って振り回される棍棒をギリギリで叢雲が避けていく。それでも避けきれないものは時に刀で受け、場合によっては掠めるだけに止めて致命的な一撃をもらわないように立ち回る。

 

 嘲笑うように格闘型の双眸が叢雲をねっとりと睨めつける。負けじと睨み返すがジリ貧に追い込まれているのは事実だ。

 

「あんた、合わせられる?」

 

《どうするつもりだ?》

 

「あんたの射撃を参考にするだけよ」

 

 これだけで叢雲は自分の意図が伝わると確信していた。砲撃はすべて峻に任せている。だから叢雲は射撃の類を管制していない。

 

 それでもこの言葉を選んだ意味。伝わらないはずがない。そう、絶対に伝わる。

 

《わかった。やっちまえ、叢雲》

 

 叢雲の背中を押す峻の言葉に笑みを深くする。意図は通じた。ならばあとは実行に移していくのみだ。なによりこれから実行することの共有ができた。

 

「行くわよ」

 

 すっと頬付けして刀を構える。叢雲の目が細められて格闘型を目視した。全力で踏み込むと機関の回転数を上昇させる。ぐん、と体に慣性力がかかり一気に加速した。

 

 砲撃は来ない。純然たる近接型であって砲塔は持っていないらしく、パワーとスピードのみでゴリ押しするタイプだ。だから一直線に突っ込んでも撃たれることはない。

 

 空を切って振り下ろされていく棍棒を視界に収めながら回避の素振りすらしない。ただまっすぐに狙いである格闘型のみに注意を傾け続ける。

 

 叢雲の主砲が火を噴いた。連続して棍棒に命中していくと、叢雲の脳天を割ろうとしていた軌道を逸らしていく。逸れるようにわざと叢雲から見て中心よりも右側を執拗に狙い続けていた。

 

 けれど叢雲はその砲撃の結果として攻撃が自分を捉えられなくなっていく瞬間も見ていなかった。

 

 あいつがわかったの一言を放った。ならもう下手な杞憂をする必要なんて皆無。ただ自らのすべきことをするまで。

 

 海面に叩きつけられた棍棒の上に叢雲が飛び乗る。真横にいれば波の影響で視界が塞がれ、バランスが崩されるかもしれない。ここにきてそんなくだらない理由で失敗したくなかった。

 

 金属にも似た素材の上を数歩、叢雲が駆ける。最後の一歩は力強く。そして格闘型に目掛けて飛びかかる。

 

「食らいなさい!」

 

 裂帛の気迫と共に頬付けしていた刀が突き出される。空間を齧り、抉るような一撃。それは格闘型の深海棲艦の右眼に刺さるとそのまま後頭部までぶち破った。

 

 止まることなく叢雲が小柄な体躯を空中で横に半回転させると刺さったままの刀身で斬り上げ。頭頂部から青白い液体を吹き出させつつ、刀身が飛び出した。

 

「……あんたがCs75で人を撃ち殺すつもりの時、絶対に目を狙う。目は人体で露出している中で柔らかくて、同時に急所である脳に繋がっているから。目から後頭部に向かって銃弾で撃ち抜けば確実に相手の命を奪える」

 

《……その通りだ。1発で確実に屠る必要に迫られた時、あれほど簡単なやり方もなかった》

 

 体をいくら硬くしても。どれだけ鍛錬を積んでどれだけ改造を施して強化したとしても目だけは強くできない。その奥にある脳髄を物理的に強化することも。

 

 事実として戦線をかき乱していた格闘型は確実に絶命していた。

 

「利用させてもらったわ。ごめん」

 

《変に気を使うな。必要だったんだ。それに今はもう、そうでもない》

 

 叢雲の謝罪を峻が流す。致し方ないこととはいえ、選択に峻の過去を使うような真似をしてしまったことを悔いていた叢雲は意外の念に打たれた。

 

 声の調子を聞けばわかる。そこに苦悩の色はない。

 

《さて、そろそろ立て直しも終わる頃だ。あともうひと踏ん張りいけるか?》

 

「ええ」

 

 完全に格闘型が海中へ消えるまで見送ってから叢雲は再びその武器を取る。まだこれで戦闘が終結してくれたわけではないのだから。

 

 新たな姫級が叢雲に向かってくる。叢雲は居合切りのごとく、抜刀した。

 





こんにちは、プレリュードです!

今年最後の更新です。やっぱり年は越しちゃったよ……

もういくつ寝るとお正月ですね。皆様よいお年を!


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突入

 その変化は唐突だった。

 

 なんの前触れもなく、ゆえに誰も予想できなかった。ただ、敢えて言うのならいずれは起きることであり、ただ時間の問題にすぎなかったのだ、と表現する以外に方法はない。単純に想像よりも早いか遅いか。たったそれだけの違いがあるのみだ。

 

「おい、シュン。ありゃどういうことだ」

 

「俺に聞くなよ。見たまんまってことだろ」

 

 いざよいの司令室で東雲と峻の男2人が半ば信じられないといった様子でホロウィンドウを呆然と見つめる。

 

 順調だった。叢雲が厄介である姫級を一手に引き受け、叢雲を除いた帆波隊が両舷に展開している通常種の深海棲艦を相手する。この方法で一時的に他の艦隊た立て直す余裕ができていた。かなり無理のある方法であり、峻と帆波隊への負担が大きすぎるためあまり時間をかけられないという即席な手段ではあったが。

 

 だがその順調さを裏切るように人工島に動きがあった。

 

 地獄の釜の蓋が開くように重々しく人工島の中心部がスライドしぽっかりと口を開けていく。だが最大の問題はその奥にあったものだった。

 

「……ロケット?」

 

「待て、マサキ。結論を焦るな」

 

 ホロウィンドウを操ると、光学映像に拡大をかける。峻の持ちうる限りの知識を総動員して細部に至るまで調べていく。

 

「どうだ?」

 

「ロケットに近い。だが成層圏以上はこの仕様だと出ないはずだ。おそらく例の生物性ナノデバイスをばらまくためだろうな」

 

「こんなもんまで秘匿してたのか」

 

 東雲が信じられないといった様子でつぶやく。ここまで来てまさかの航空機。しかも大量の姫級や対叢雲用の格闘型深海棲艦まで準備してきている。

 

「妥当だろ。なにせ岩崎満弥の本体には時間がたっぷりあったんだ。深海棲艦が出現してから10年以上。航空機のひとつや全生物にばら撒ける生物性ナノデバイスを生産するも、好きに深海棲艦を弄る技術を確立させることもできただろうさ」

 

 なにせ深海棲艦の生みの親だ。加えてかなり自由度は確保できている。なにせハワイ本島は深海棲艦が大量に守ってくれている。深海棲艦でナノデバイスの実験をすることはできただろう。

 

 このタイミングで動いたということは向こうも焦っている。ここまで峻たちが粘るとは思っていなかったのだろう。そもそも準備ができているのならとっくに打ち上げてナノデバイスをばら撒いているに決まっている。それが戦闘開始の後、艦隊が立て直され始めた途端にこの行動。

 

 おそらくナノデバイスの量は十分でない。それでも自己繁殖をするからこそ、ここで散布する選択に踏み切った。

 

「シュン、打ち上げまで短く見積もってどれくらいだ」

 

「準備の段階にもよる。燃料も入っていないのならナノデバイスの搭載から動作テスト、燃料の注入でおおまか2時間ってとこだ」

 

「2時間じゃ、これを突破して人工島に到達するのは不可能だぞ」

 

 ホロウィンドウの向こう側で蠢く深海棲艦の数は減っているはずなのに、そんな雰囲気は微塵もない。その様子を東雲が親指で突いて示した。

 

「空爆は? 遠距離砲撃で航空機もろとも破壊することは不可能か?」

 

「難しい、だろうな。お前が知ってるとおり、制空権が取れていない以上は十分な数の攻撃隊は送り込めない。遠距離砲撃だって観測機も飛ばせずに精密な砲撃は難しいぜ」

 

 わかっていたことだが、東雲から返ってきたものは不可能に近いという返答。峻は額にシワを寄せて脳を回転させる。

 

 打つ手はある。まだ終わってしまったわけではない。ならきっと光明はあるはずだ。どこかにあるそれを必ず見つけ出せ。

 

 こんな自分ですら戦うことができた。初めて理由らしき断片を見つけられた気がした。こんな陳腐な困難、理由さがしなんかよりよっぽど簡単に決まっている。

 

 動かせる脳味噌をフルで回転させている最中に小さな鈴の音のような電子音。通信であることはすぐにわかったが、こんな時に誰だと苛立ちを隠しきれずにホロウィンドウを手前へ乱暴に引き寄せる。

 

 そして誰がかけてきたのか認識すると、一瞬の間も惜しいと言わんばかりに残像すら残さんとする速度で応答の欄を右手がタップした。

 

「若狭、解析結果は!」

 

《……怒鳴らないでくれないかな。耳が痛くなるからさ。出たよ。説明するけどその前にデータ》

 

 若狭が頭痛を堪えるような声で文句をつける。だがそんなクレームをまともに取り合うことなく、峻は送られてきた画像データをダウンロード。完了した直後に開く。

 

《驚くことにこの人工島は生きているよ》

 

「生きてる?」

 

《そう。人工島から生体反応がある。一、二発くらい砲撃を試しに入れてみるといいよ。おそらく一瞬は壊れるだろうけど、すぐに再生される。攻撃オプションの類は見つからないし、過去に妙な再生能力を持った深海棲艦が一度、確認されてる。それと同質の装甲で外部を覆っているんだろうね。事実として多層構造になってる》

 

 つまり島ごと破壊してしまう、という強引な手は使えないということだ。撃って壊したとしてもすぐに再生されてしまうのではいたちごっこ。キャパシティはあるだろうが、妨害を受けることなく攻撃を続けられるような状況があると考えるのは現状では楽観視がすぎる。

 

《あとはご覧の通り、滑らかな外壁が海面から直角に伸びてる人工島だ。登ることはできなくもないだろうけど、深海棲艦に狙い撃ちにされるのは言わなくてもいいよね?》

 

「早い話、侵入経路はあったのか?」

 

《あったよ。マーカーで印がつけられてるところがあるだろう? そこだけ長方形にうっすらと切れ目が入ってる。物資の搬入口かな。うまく隠されてるけど、そこからなら内部に入り込めると思う。ただ開けるとなったら力づくだろうね。大和砲を1発くらいじゃ厳しいはずさ》

 

 指摘されたマーカーのポイントを目を細めて睨むように見つめるが、若狭の言うような切れ目は見つからない。だがあるというからにはある。若狭の観察眼と解析は伊達でないことは身をもって知っている。

 

「若狭、今の状況は聞いてるか?」

 

《いや。なにか起きたのかい?》

 

「例のナノデバイスをばら撒くためのロケットまがいの航空機が発射しそうだ。お得意のハッキングで止められないか?」

 

 東雲が割り込んで若狭に打診をかける。もしここからハッキングで止められるのであればそれほど楽なこともない。

 

 しばらくの沈黙。向こう側で何かが忙しなく動き回る気配が数分ほど続く。何をやっているのかはわからないが、ひとまずは待つしかない。同時並行で艦隊の指揮も執りつつ、東雲と峻は待ち続ける。

 

《待たせたね。結論から言うと無理だったよ》

 

「無理か」

 

《不可能、と言い換えてもいいかもね。そもそも介入する糸口がない。完全に内部だけで成立しているスタンドアロンネットワークだ。外部からはそもそもシャットアウトどころか接続口すら必要としてないから存在していないね》

 

「つまりやるならあの中に行くしかないわけか……」

 

 唸りながら東雲が頭を抱える。若狭は力になれそうにないけど何かあったらまた呼んでくれればいいよ、とだけ言い残して通信を切断した。

 

 外部からの介入は不可能。何をするにしろ、内部に潜り込むことが前提となった。だが潜り込もうにも防衛している深海棲艦の層が厚いため、そう安易に通してもらえない。

 

「不味いな……どうする」

 

「マサキ、作戦を承認してくれ」

 

 考え込みかける東雲に峻がたった今、立案したばかりの作戦説明書を送り付ける。若狭のおかげでプランが立った。これ以上の手は存在しないだろうと峻は言えた。

 

「作戦名『ファントム・スラスト』……これ正気か、お前」

 

「他に手段がないだろ」

 

 なにより時間が無い。これ以上の作戦が即座に出てこないのなら、実行する他に選択肢はないだろう。

 

「承認してくれとは言ったが、お前が認めなくとも俺はやるからな」

 

「命令無視だ」

 

「どっこい、元帥のお墨付きだ。あの中にあるナノデバイス拡散装置を破壊しろってのは元帥からの命令だからな」

 

 想定された切り返しを素早く受け返す。互いの視線がぶつかり合って火花を散らした。

 

 先に引いたのは東雲だった。いや、引かされたのが東雲だった。

 

「他の突入部隊は待機。数を出したら失敗する」

 

「成功するんだろうな」

 

「させるんだよ」

 

 椅子から立ち上がると、引っ掛けたままの上着を一瞥だけして羽織ることなく司令室を後にする。ホルスターのCz75を確かめ、腰の鞘にきちんとコンバットナイフがあることを確認しつつ、格納庫へ繋ぐ。

 

《なんですか?》

 

「明石。あれの用意、できてるか?」

 

《いつでも。高速艇も整備できてますよ》

 

「すぐ行く。機関、回し始めといてくれ」

 

《わかりましたっ!》

 

 景気のよい明石の返事。準備は万端。次にすべきは作戦を実行に移すのみだ。

 

 作戦書を送信しつつ、歩みを速めた。残されている時間は既に秒読み。ここから大事になるのはスピーディーさであり、丁寧さだ。一手のミスがすべてを狂わせるかもしれない。そんな不安要素はいくらでも出てくる。正解なんて素晴らしいものは存在せず、ただ無数の選択肢が乱暴に与えられているだけ。そんな状況下でただひとつだけ確実なこと。

 

 もう、やりたいことは定まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なにこれ。

 

 それが叢雲の初見で抱いた感想だった。そして直後に湧き上がってくるのは笑い。

 

「ふふっ、面白いことしようとするじゃない」

 

「叢雲、これ提督さんは正気?」

 

「正気でしょ。まあ、やれるんじゃない?」

 

「そんな適当な……」

 

 瑞鶴がため息まじりに言うが、叢雲はどこ吹く風だ。どうせ止めたところで止まるはずもないことくらいわかってる。自分の意志で峻が動いたのだ。ならば止まるわけもない。

 

「『ファントム・スラスト』……私は面白いと思うわよ」

 

 どのみち時間があるわけではないことは叢雲も理解していた。人工島の変貌は戦闘をしつつ、監視していた叢雲が気づかないわけがない。

 

「止めないの?」

 

「止めないわよ。このメンツならやれるもの」

 

「……そういう言い方ってズルくない?」

 

 責めるような瑞鶴の言葉も気の張り詰めたものへと切り替わる。いつの間にか周囲に集まってきていた仲間の表情に疑念の色は一片たりとも浮かんでいない。

 

「指示どおりに私は動くわ。もうそろそろ……ああ、始まったわね」

 

 いざよいの中から高速艇が飛び出してきた。ぐんぐんと速度を上げると一直線に人工島へ向かっていく。

 

 順調に峻を乗せたらしき高速艇は人工島へ進んでいる、と言いたかった。だが簡単に深海棲艦が人工島への接近を許してくれるわけがない。

 

 即座に高速艇へ砲撃が降り注ぐ。右へ左へと高速艇が蛇行するように航行し、あともう一寸で当たるか当たらないかの危うさを孕みつつも避けていく。

 

 高速艇をその顎をもって噛み砕かんとするイ級が海面から跳ね上がる。直後に天津風が操る自律駆動法によって風穴を開けられ、海面へ力なく横たわった。

 

 攻撃隊が接近すれば、瑞鶴と加賀の差し向けた艦戦隊が交錯し、高速艇まで近寄らせることを許さない。

 

 ソナーに反応があった瞬間、矢矧と夕張が即座に爆雷を投射して攻撃態勢に移らせない。

 

 遠方で戦艦クラスが砲撃姿勢を作れば、砲撃される前に陸奥と艤装が半分ほど傷んでいる榛名が遠距離攻撃を叩き込んで撃つ隙を与えない。

 

 高速艇に気づき、攻撃を加えようと意識を取られた深海棲艦は鈴谷の砲撃と北上の雷撃が突き刺さり、目を離させたことを後悔させた。

 

 ただの武装もしていない高速艇を無傷で守る。しかと深海棲艦が跳梁跋扈する戦闘海域で。それができているだけで上等。無理無茶無謀をゴリ押ししている綱渡りじみた芸当だ。

 

 だがそんなギリギリのバランスで成り立つものがいつまでも続くとは限らない。むしろ成り立ってしまっていることが不自然なのだ。

 

 人工島へ近づけば近づくほど弾幕は濃くなり、攻撃は激しくなっていく。なんとしても取り付かせまいという強迫観念にも似た気迫がビリビリと空中を伝播している。

 

 それでも粘り続けた方だ。ここまで集中的に狙われていた割には。

 

 限界点を超えかけてもなお食い止めていた堤防は決壊した。

 

 どの深海棲艦が撃ったのかすらわからない。ただその砲撃は直撃コースだった。

 

 砲弾がまっすぐに高速艇へと飛来していく。回避は間に合いそうにもない。

 

 そして砲撃はあまりに呆気なく。

 

 誰かを嘲笑うかのように。

 

 高速艇の表面と接触してすり抜けた。

 

「あいつの二つ名、忘れてんじゃないわよ」

 

 叢雲が遠く離れた場所でつぶやく。高速艇がいたはずの場所には円盤状の機械が海上を走っていた。

 

 帆波峻の十八番。過去にウェーク島を攻略した際に使用し、その二つ名である『幻惑』の由来になった帆波峻自身が開発した立体映像投影装置のモルガナ。それが高速艇のホログラムを投影し続けていた。

 

「本体はこっちよ」

 

 同じようにホログラムの薄膜を剥ぎ取って今度こそ本物の峻が操っている高速艇が叢雲のすぐ側に現れる。海面をかき分けて進む舳先が深海棲艦だった頭部を弾き飛ばした。

 

 ニセモノをホンモノだと思い込まされて深海棲艦は釣られた。あたかもホンモノだと思い込ませるためにわざわざ守るような行動のカモフラージュもかけて。

 

 ホンモノはニセモノに集中した結果として生まれた小さな隙に付け入っていた。叢雲がリーパーシステムを使用した上で気づかれないほどの速度で薄くなった防衛陣を一時的に一掃。あとはその通路を峻は悠々と進むだけでいい。

 

 すべては幻惑の一刺し(ファントム・スラスト)に隠された本命の一撃を押し通すために。

 

「叢雲、リーパーシステムはもう切っていい! 来い!」

 

「ちょっと先頭、空けときなさいよ!」

 

 ほんの少しだけ起動させていたリーパーシステムを叢雲は終了させると、高速艇の先頭に飛び乗った。同時に叢雲の視界にターゲットマーカーが浮かび、人工島のある一点を照準し続ける。

 

「そこに向かって全火力を叩き込め! 魚雷も含めれば吹っ飛ばせる!」

 

「衝撃で船がひっくり返らないように気をつけないよ!」

 

 叢雲がターゲットマーカーに従って艤装に装着されているすべての火砲を開放する。砲身が熱で曲がるのではないかというくらいひたすらに撃ち続け、残っている魚雷は惜しむことなくすべてを発射。機銃から爆雷に至るまで、とにかく何から何まで持てる限りの火力をたった一点に集中させた。

 

 大和の搭載する46cm三連装砲よりも魚雷の方が単純に火薬量は多い。それを叢雲が搭載できる限界数、すべて余すことなく使用した。

 

「開いたわよ」

 

 爆煙が晴れると、人工島の壁が長方形にポッカリと口を開けていた。若狭の解析は正しかったのである。

 

 あとはこのまま高速艇で乗り上げる。そのつもりで叢雲は不安定な高速艇の先頭から安定した足場に腰を下ろして対ショック姿勢を作る手筈となっているはずだった。

 

 だから操縦席から峻が深刻な表情で飛び出してきた理由はわからなかった。

 

「掴まれ叢雲!」

 

 それでも弾かれたように叢雲は伸ばされた峻の手を掴む。もっとしっかり、と言外に峻の目が告げていたので体を密着させて峻の胴体に腕を回した。ほとんど同時に峻の腕が叢雲をホールドする。

 

 峻が高速艇の舳先から跳び上がる。峻たちが離れて幾ばく後か、高速艇は爆発した。そのため爆風に煽られる。目指すは叢雲が開けた人工島への侵入口。しかしふたりぶんの体重によってどうしても失速していく。

 

 だがそれを想定していないはずがない。そう信じているから叢雲は躊躇いなくしがみついた。

 

 そして峻も当然のごとく想定済みだった。

 

 右脚の義足が起動するとブースターが青白い燐光を空中に描き上げる。ぐん、と失速していたふたりの体が後ろから支えられたように安定し、勢いを取り戻した。

 

 既に再生が始まりかけていた侵入口へ峻と叢雲が消えた。直後に何事も無かったかのようにその侵入口は何食わぬ顔をしてのっぺりとした壁面を晒していた。

 




あけましておめでとうございます、プレリュードです。

投稿が遅れてすみません。理由はありませんが、強いて言うなら正月気分ですっかり頭から曜日感覚がなくなってしまったからでしょう。

ついに2018年に入りました。ようやっと終わりの目処も立ってきましたし、年内に完結できると思います。


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攻略

 

 叢雲を抱えたまま、人工島の内側に峻は転がり込んだ。内部に入ったと認識した瞬間、義足のブースターを逆噴射して制動をかける。

 

 だが止まりきることはできなかった。勢いを殺すため、身を捻って叢雲の後頭部を胸元で抱え込むように保護すると床を転がることで顔面から壁に突っ込む激突を回避した。

 

 それでも床を転がる際に背中は強打したのだが。

 

「ってぇ……」

 

「ずいぶんとダイナミックで情熱的な突入ね」

 

 もごもごと塞がれたような声が胸元あたりから聞こえた。そういえば叢雲を庇ったままだったと思い出して腕を解くと、叢雲も峻にしがみついていた腕を離した。

 

「ダイナミックだったのは勘弁してくれ。情熱的は……わざとじゃない」

 

「知ってる。ま、私を置いていかなかったことは評価しておくわ」

 

「いや、別にお前は突破口さえ開けてくれればよかったんだからな?」

 

「いやよ、そんなの」

 

 当初の計画に叢雲が着いてくる予定はまったくなかったのだが、叢雲が着いてくるといって聞かず、峻としてもどうせこうなったら引き下がるわけがなく、無理してでも乗り込んでくることが簡単に予想できたので了承した。もちろん、残りたいと叢雲が言えばそうするつもりだったが。

 

 そもそも普通に侵入口に高速艇を乗り付けてそこから悠々と内部に侵入するつもりだったのだ。早期に気がついた深海棲艦が高速艇に向けて砲撃なんてしてこなければ、その通りに進むはずだったのに邪魔が入ったせいで叢雲を抱え込んでブースターで突撃、なんて無謀極まるものになってしまった。

 

「とりあえず、よ。ここがあの島の中なのよね」

 

「みたいだな」

 

 叢雲の問いに答えながら右脚の義足を放熱させる。全開で吹かせすぎたせいでかなり熱を持っていた。ガスの残量も底を尽きた。蹴りの威力や高めの跳躍目的ならばそこまで大きな消費にならないのだが、人ふたりを飛ばすとなるとさすがに消費も馬鹿にならない量だ。

 

「よっ……と」

 

 空になったカードリッジを排出して新しいものを義足に挿入。手元に残るカードリッジはあとひとつだけ。それでも小出しに使っていけば十分に持つはずだ。

 

「艤装はここに置いていくわね。弾が残ってたら持ってくとこだけど、ぜんぶ使い切っちゃったから」

 

「いいんじゃないか。弾がないならただの重荷だ。動きを阻害するのは目に見えてるから置いていってもいいだろ」

 

 重々しい音と共に叢雲の艤装が外されて床に安置される。重荷から解放されたことを喜ぶかのように叢雲が肩を回す。

 

 そして艤装の側に添えるように置いてあった叢雲の愛刀である断雨を持ち上げた。

 

「これだけは持って行くわ。艤装なしでもこれ1本さえあれば戦えるから」

 

「そうか」

 

 叢雲の腕は十分すぎるくらい承知している。それに荒事なしで片付くほど優しい案件で済まないことも。

 

「念のため確認だ。ここから先は何が起こるかわからない。命の保証もなければ帰れる保証もない。殺し合いになる公算の方が高いだろうな。留まれば引き返せる。それでも……」

 

「行くわよ」

 

 最後まで言い切ることさえさせてくれずに叢雲が遮る。初めから否定の答えは存在していないと言わんばかりに。

 

「あんたは理由を見つけた。私にだって理由がある。しなくちゃいけないことじゃなくて、したいことがある。だから止まらないし、引き返すつもりもないわ」

 

「ならいい。さて、前置きが長くなりすぎたな。そろそろ進軍と行こうか」

 

 素早く峻の右手が腰のコンバットナイフを握り、左手がCz75を掴み取る。叢雲がじっと峻の左手に視線を注いだ。

 

「それ、やっぱり使うのね」

 

「手に馴染んじまってるからなぁ。変にこだわりを持ち続けるってわけじゃないんだが、やっぱりこういう時はつい、な」

 

「ま、いいけど。あんたがそれでいいなら」

 

 納得したのかしていないのかよくわからないが、叢雲はさらに峻の銃であるCz75について触れようとはしなかった。

 

「さて今度こそ行くか」

 

「どこへよ。場所とかわかってないんでしょ」

 

「当たりをつけて探す」

 

「途方もない方法ね……」

 

「ところがどっこい、そうでもないさ」

 

 適当に峻は右か左かだけを決めるとあとはずんずん進んでいく。叢雲が隣に並んで常に追随した。

 

「何か基準でもあるの? 道を知ってるとか」

 

「知るわけないだろ。初めてだよ、こんなとこ。まあ、例のナノデバイスは大事なもんだろうし、あれだけ火力を集中させれば外壁を駆逐艦だけで壊せなくないことは証明されたんだ。それをこの人工島の主が知らないわけがない。なら大事なもんは中心の方に置くだろ」

 

「なるほどね。意外に考えてるじゃない」

 

「意外は余計だ。あのロケットもどきが頭を覗かせた場所も中心付近だった。ならそこら辺にあるだろ」

 

 ナビでもしてもらいたいものだが、若狭の言っていた通りで通信状況は最悪。外部と繋ぐことは絶望的だ。もしかしたらどこかに遮断するための妨害電波のような仕組みがあり、それを破壊するなりしてやればいいのかもしれないが、それを見つけられるまでは難しいだろう。

 

「なあ、叢雲」

 

「なに?」

 

「一番、大切なものを建物の中に置くとしたらどこに置く?」

 

「……自分の側か中心」

 

「じゃあ、その大切なものの周囲はどうする?」

 

「警備を固め……ああ、そういうこと」

 

 曲がり角で峻が手をかざして叢雲を制止させた意図を察したようだ。

 

 曲がり角の向こう側はこれでもかというくらいに配置された人形兵。だが肌が白すぎる。そしてところによっては体の部位が異形な様相を呈している。

 

 さしずめ人形兵深海棲艦エディション、といったところだろうか。武器を持っている、というよりも体が武器になっていると言った方が事物を的確に捉えている。

 

「なんだかいっぱいいるわね。選り取りみどりじゃないの」

 

「そんなお手軽ビュッフェ感覚で言われてもな……ま、やるしかないか」

 

「わかりやすくていいじゃない。これを倒せばその先に目的地があるって」

 

 叢雲が腰定めに構えた鞘を左手で固定して右手は柄を握りしめる。

 

「ちょっと右に避けて」

 

「右に……? どうしてだよ」

 

「あんたの左目、見えないでしょ」

 

 叢雲の言う通り、峻の左目は視力と言えるものを完全に消失している。だからずっと右目だけですべてカバーリンクしている。さっきの突入も使ったのは片目のみだ。

 

「預けるぞ」

 

「何を今更 」

 

 途切れた左の視界に叢雲は収まりきらない。けれど青みがかった銀髪は確かにそこにあった。

 

「いくぞ」

 

 ひそめていた声を張り上げて峻と叢雲が踊りかかった。手近な深海棲艦型の人形兵に飛び掛ると叢雲が左側の人形兵を一刀両断し、右側にいた腕に鎌のような刃を持った人形兵の斬激をコンバットナイフで受け止めた峻は人形兵の右の眼球に銃口をあてがうと引き金を引いて撃ち殺す。

 

 峻がブースターを噴射してナイフで別の固体の喉元を抉りつつ、腕に鎌持ちの死体を蹴りつけて、その刃で貫かせる。片足が上がっている峻の背後から襲い掛かった個体を叢雲は横薙ぎに斬り払うと、峻が振り返ることなく叢雲を狙っていた人形兵を撃ち抜いた。

 

 相手の回避能力はクーデターの時に地下の工場で戦った人形兵とあまり変わらない。最初の数体は完全に意表をついたのでうまくいったが、それ以降は一撃で仕留めていくことが難しくなっていく。

 

「増援きてるわよ!」

 

「ああ、知ってる!」

 

 怒鳴り声の報告に怒鳴り声の返答。そうでもしなければ騒音で伝わらない可能性がある。火花を散らしながら叢雲が剣戟を受け止めて下がり、峻も空中から飛びかかる人形兵をブースターで高々と跳躍して蹴り飛ばすと下がった。

 

「囲まれたわね」

 

「だな」

 

 さらに2人とも互いに数歩ずつ下がるとトン、と背中が触れ合った。焦る様子はなく、むしろ飄々とすらした調子で淡々と会話する。

 

「めんどうね。ただでさえ鬱陶しいのが体そのものを武器にして襲ってくるって」

 

「まったくだ……きっついなあ、おい!」

 

 振り下ろされる凶刃を右手のコンバットナイフで受け止めて、ブースターを吹かした義足の蹴りを叩き込む。同じように叢雲も刀で攻撃を受けると蹴りを入れて周囲の敵を巻き込みつつ、押しやった。

 

「蹴散らすぞ、叢雲」

 

「ええ」

 

 武器を構えなおす。そして同時に踏み込んだ。触れ合っていた背中が離れていくが、託したものは消えていない。

 

 投擲物が飛んでくる。奥にいる個体が体表に生えた鋭利な物体を飛ばしたと認識した瞬間に、峻が動いた。叢雲は峻の左腕が跳ね上がったことを確認すると早々に意識から排除したかのように顔を背けた。

 

 投擲物に向けてCz75の狙いをつけるとトリガーを引いていく。峻と叢雲のいる場所に投擲物が降り注ぐ前にそのすべてを狙い撃って弾く。

 

 二度に分かれて飛ばされた投擲物の第二波が空を舞う。2発まで撃ってCz75には一発のみが装填されている状態にすると、峻はCz75の付け根にあるボタンを親指で押し込んでマガジンを排出させた。すばやく腰元のポーチにある換えのマガジンを半ばまで挿入すると小指で最後まで押し上げる。

 

 この間、一秒未満。

 

 リロードが完了すると第二波を尽く撃ち落す。そして峻の隙を埋めるように叢雲が異形の兵隊を斬り裂いていく。再び遠距離攻撃を仕掛けられてはことだと、峻は肉壁のごとく連なる兵たちの間を割るように銃弾が進み、棘状の投擲物を放っていた個体の眼球を貫き脳髄をはちゃめちゃに掻き乱す。

 

「久しぶりだな、このリロードのやり方も」

 

 いつぶりだろうか。思い出したくないから封じた技術を掘り起こしたのは。今まで加減していたわけではない。ただ昔を否応なく彷彿とさせるものを無意識下で嫌って極限まで使わないようにしていただけ。

 

 なりふり構っていられなくなった。自分の持てるすべてを引き出さざるを得ない状況になっているから。

 

 それは異形の兵隊たちのせいではない。もちろん厄介であることは認めるが、今まで通りでも通用する相手であることもまた事実。

 

 原因は叢雲だった。

 

 叢雲の燃えるような赤に近いオレンジの瞳が訴えかけてくる。この程度か、と。まだ私は着いていけるぞ、と。

 

 そして実際に叢雲は着いてくるのだ。峻のしようとする行動を先読みし、そのフォローを先回りして打つ。逆もまた然りで、叢雲のフォローに峻が回ることもあるのだが、そのすべてが絶対に峻が動けるタイミングに合わせてある。

 

 参ったな、と呟かされる。元々、かなりのものだとは思っていた。だがこれは想像以上だ。ここまでやりやすい戦闘は初めてだった。

 

 片目が見えない。そのハンディは常に周囲を見渡し、使えるものは使い続けることで補ってきた。例えばそれは音であったり、風の流れであったり、そして武器の表面に映ったものであったりする。

 

 だがそれより頼れる『目』が左にいる。

 

 どころか『目』なんて範疇を軽々と飛び越えている。もはや半身といっても差し支えないレベルだ。

 

 だから、というわけではない。けれど失うようなつもりもない。

 

「ふっ!」

 

 峻が右手のナイフを投げる。叢雲の首を狩ろうとしていた人形兵の胸の中心に投擲されたナイフが刺さる。まったく同じタイミングで峻の真横を刀が通過し、背後の人形兵の腹部に突き刺さった。

 

 ぐらり、とよろけた人形兵に刺さっている刀の柄を峻が握る。まだ光が目に残っている。まだ動いてくる。

 

 振り返りざまに腹部から胸、そして顎にかけて半月状に斬り割く。ほとんど同時に叢雲も峻がナイフを投げつけた人形兵に相対すると、刺さっているナイフの柄を握る。手首を捻って深く胸部を抉りつけると真横に一の文字を刻みつけた。

 

「さあ、次だ! 来るなら来やがれ!」

 

 果たして意味が通じたかどうか。けれど峻に向かって突っ込んできた個体を一刀の元に斬って捨てると、峻は笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 叢雲の中には不思議な高揚感があった。楽しい、といっては不謹慎。それでもこの状況を心地よいと感じている自分がいる。

 

 命のやり取りが楽しいわけじゃない。殺し合いなんてまっぴらごめん被りたい。

 

 心地よいのは隣に立つことが出来ている事実そのものだ。

 

 ずっと峻の後ろにいた。峻が先を進み、道を拓く。そして叢雲は拓いてもらった道を辿るのみ。せいぜいが峻の背中を軽く押すことくらいだ。

 

 押して、引っ張ってもらって。別に指摘されるような問題があるわけではない。

 

 それでも叢雲は嫌だった。

 

 引っ張ってもらうだけではただすべてを押し付けていることと同じ。自分で考えることをせず、相手に依存しているだけとしか思えなかった。

 

 でも、今は隣だ。確かに隣に立って並んでいる。

 

「ようやく……ようやく辿り着いた」

 

 満足感を滲ませながら小さく呟く。託したものがあり、託されたものがある。背負ったそれの重みはすんなりと馴染んだ。

 

「時間もないことだし、そろそろ勝たせてもらうわよ」

 

「時間をかけても旨みはなさそうだし、なっ!」

 

 語尾をはね上げつつ、峻が叢雲の刀を振るう。膝付近を切り崩しにかかると、袈裟懸けの一撃。意外と様になっているじゃない、と叢雲はこっそり思いながら叢雲は人形兵の懐に潜り込むと峻のナイフで首を描き切る。

 

 人形兵は首の血管を切ったにも関わらず、まだ生きて叢雲を殺さんとする。だが次の行動が許される前に峻がCz75で額に穴を穿った。

 

「っ! あんた!」

 

 叢雲が叫びつつ、峻のもとに駆けていく。言葉という形にされた警告に峻が動きは止めないまでも、周囲を確認した。

 

 叢雲が見つけたのは跳躍体勢に入っていた人形兵たちだった。上からの攻撃は対応が面倒だ。だから警告を送って対策のために駆け寄った。

 

「しっかり乗れ!」

 

 叢雲が跳ね上がると蹴りを構えていた峻の義足に飛び乗る。タイミングのずれもなく、そのままブースターを吹かせて峻は叢雲を空中へ蹴り上げた。

 

 跳躍してきた人形兵のうち一体に刀が突き立った。叢雲を空中へ蹴り上げた直後に再びブースターを使って崩れた姿勢を修正した峻が投げたのだ。しっかりと柄を掴むと刺さっている個体から引き抜きつつ斬り払い、体を縦に捻りながら別の個体に斬りつける。勢いをそのままに天井に足をつけるとばねのごとく天井から飛び出すと、最後の一体を首元から胸部にかけて深く斬りつけた。再び体を捻って体勢を整えると姿勢を低くしながら着地する。

 

 瞬間、叢雲に人形兵がわっと群がった。しかし近づくことすら叶わず峻がことごとく眼球を撃ち抜いてその命を刈り取っていく。

 

 叢雲もただ黙って見ている訳ではない。全身を使って速度をつけると、床がビリビリと震えるような踏み込み。峻の真横まで一息に到達。峻の背後を突こうとしていた人形兵に向けて腕をめいっぱい伸ばすと鋭い突きを繰り出した。

 

 人形兵の首に刀を刺したまま、手首のスナップを使って峻のコンバットナイフを最小限の動きで投げる。放物線を描くナイフは峻の頭上を越えて峻の手元へ。受け取った峻は突き出された槍の軌道をナイフで逸らすと義足のブースターを作動させた蹴りを放つ。人形兵の体が霞むように吹き飛び、轟音と共に壁へ激突した。

 

「そろそろ数も減ってきたわね」

 

「さっさと片付けるか。時間の無駄だ」

 

 初めの頃と比べて随分と隙間の空いた人形兵を前にして峻と叢雲が不敵に笑う。掃討という形容は生優しすぎる。もはやそれは蹂躙と呼ぶに相応しい。

 




こんにちは、プレリュードです。

もううだうだしていられる時間は終わってしまいましたね。残念です……もっとだらけていたかったのですが、なかなか思う通りにはいきません。

今年もよろしくお願いします!


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葬送曲

 

 静寂が破られるのは突然だ。そしてそういう時は順調さが崩壊していく瞬間であったりもする。

 

 時間がそこだけ停止したかのように何事も起きず、平穏を演じる部屋。そこに通じる扉が何の前触れもなく唐突に吹き飛んだ。

 

「あーあ。また壊した」

 

「こうする以外に手があったか?」

 

「……ピッキング?」

 

「五十歩百歩じゃねえか」

 

 ふざけているようにしか思われないであろう掛け合いをしながら峻と叢雲が広間になっている部屋に足を踏み入れる。

 

「さて、と。そろそろ何かあると思ったんだが……ビンゴかどうかわからねえな、これじゃ」

 

 口調とは裏腹に警戒しながら峻が部屋の奥でじっと動くことなくこちらの様子を窺っているものを観察する。一見はさっきまで戦ってきた異形の兵隊たちとほとんど変わらない。けれど問答無用で襲ってくる気配がないところが明確に違う。

 

《本当に来るとは思わなかったよ》

 

 作られた声が室内に響く。スピーカーから響いているのだろうと峻は予測をつけた。そして誰が話しかけてきたのかも当たりをつける。

 

「三文芝居だな。誰も来ると思っていないのならこんな大掛かりな人工島なんざ用意しないだろ。なあ、岩崎満弥」

 

《ふむ。それもそうだ。確かに私は廊下に警備の兵を配備した。侵入者を嫌ったことも認めよう。ずいぶんと早かったがぶつからなかったのかね?》

 

「さぁな。あまり記憶に残ってない」

 

《……すべて殺ったというわけかね》

 

 十二分に察した、ということか。だがその推測は正しい。今しがた峻が吹き飛ばしたせいでドアのなくなった入り口から廊下を除けば事切れた異形の兵隊たちが転がっている姿が見られるだろう。

 

《なるほど。君はずいぶんと腕が立つようだ。あれはそう簡単にやれる設計にはしていないはずなのだが》

 

「お褒めにあずかり光栄至極だ」

 

 素っ気無く峻が言い捨てる。同時に動きかけた叢雲を視線だけで制した。同じくあいコンタクトだけで叢雲が確認してくる。小さく頷き返すと叢雲も頷いて引いた。柄に手はかけたままだが、それでも引いたのだった。

 

《見事だよ。世辞でもなんでもなく見事だ。まるで勇者のようだ。ふふ、そうなると私は魔王か》

 

「くだらないこと言うためだけに引き止めてるならさっさと片つけて帰るぞ」

 

《なら聞こう。君は世界をどう思う? 果たしてこのままでいいのか? いつまでたっても人類は変わらない。深海棲艦という脅威が現れていながらも争いを繰り返していく。力あるものが抑圧し、力なきものが喘ぐ。そうして弱者を排し続けてどうなる? このままでは人類はやがて人類を滅ぼす。そんな世界のままでいいと本当に思えるか?》

 

 答えはまだ求められていない終止疑問文だ。まだ話すな、と言外に告げられている。

 

《私の答えは否だ。そんな世界は間違っている。だから変わらなければならない。人類も、そして世界も》

 

 ぱちぱち、と乾いた拍手を峻が送る。

 

「ご高説どうも。ああ、あんたが言う通りかもな。道理で世界は回らない。どうしようもないくらい世界ってやつは悪意に満ちているのかもしれない」

 

 その上で、

 

「世界? 知るか。んなもんはどうだっていい」

 

 くだらないと峻は斬り捨てた。

 

 そもそも自分は叢雲に指摘された通りの人間だった。世界なんてものはどうでもいいと感じていた。それは今ですらなおも。

 

《ならなぜここに来た。君は私を止めに来た。ただ海軍の上に言われたままに、唯々諾々と。違うかね?》

 

「違うね。ああ、まったく違う。的外れもいいとこだ。俺は俺の意志でここにいる」

 

 初めてかもしれない。自分自身で自分の意志を表明したことなんて。左隣の叢雲がそっと笑った。そんな気がした。

 

《私を挫きに来たのでないのならば私に付く気はないかね。他ならぬ君だ。君はこの世界が憎いだろう。ごくありふれた生活を送れたはず。そんな生まれでありながらテロリストに仕立て上げられ戦わせられた。子供が武器を持って戦わなくていけない世界を君自身の手で変えてみたくはないか?》

 

 峻をこちらへ来い、といざなう。峻が前かがみになって小刻みに震え始めた。

 

「はは、ははは!」

 

 そして峻が腹を抱えて、哄笑する。訝しげな様子がスピーカーから空気を震わせて伝わってくるかのようだ。

 

「とんだ勘違いだ! 俺はそんな高尚な人間じゃない! 俺は世界なんてもんのために戦える人間じゃない。……まあ、これは教えてもらうまで気づかなかったことだけどな」

 

《軍の狗ではない。だが私に付くつもりもない。なら君は何がために武器を取った?》

 

「俺のためだよ」

 

 なんて簡単なことだろうか。たったこれだけでよかった。そのはずなのにずいぶんと長くかかってしまった。

 

「認めてやる。てめえの言うとおり世界なんてクソッたれだ。ああ、そうだよ。俺は世界を憎んだ。はっきり言って大嫌いだ。世界ってヤツはどうしようもないくらい悪意に満ちていて、残酷だ。すべてが敵だった。敵の敵は味方、なんて言葉があるがくだらない。敵の敵はただ敵だ。寝首を掻かれるくらいなら殺せ。そうやって生きていた。そんな生き方しかさせてもらえないのが世界なら壊れてもいい」

 

《ならば君の手で変えてしまえばいい。正しい世界のあり方へ》

 

「なんでそんな七面倒臭いことしなくちゃいけないんだ。やるわけないだろう」

 

 峻がやれやれと呆れ返る。叢雲が隣でふふ、と笑った。

 

「確かに俺は世界ってヤツが嫌いだ。だがこんな世界だっているんだよな。俺みたいなろくでなしを受け入れてくれるやつが」

 

 叢雲が身じろぎする。どんな顔をしているのか見てみたいという誘惑に駆られるが、意識を目の前の敵性らしい人形とスピーカーから逸らすことは躊躇われたので制止をかける。

 

「どうしようもないかもしれない。でもそんなどうしようもない世界を否定することは俺を受け入れると言ってくれたこいつを否定することになる。それは許容できねえ」

 

《私の想像以上に君はヒューマニズムに浸っているようだ。もはや陶酔だよ、それは》

 

「それがどうした。知ってるよ、そんなことくらい。だがてめえと何が違う? そっちもただのエゴイズムだろうが」

 

 ヒューマニズム、大変結構だ。ただ峻は叢雲を否定する行為をしたくない、と駄々をこねているだけ。それがわからず言い放ったわけではない。

 

 ヒューマニズムなんて言われたところでピンとこない。ただ利己的に、ただ己がために動いているだけなのだから。

 

「世界なんてどうでもいい。守るものなんて端末のアドレス帳に登録できる範囲で十分だ。そしててめえがやろうとしてる事は俺が守りたいものを否定する行為だ。だから俺はここに来た。そうだな、世界はことのついでに守ってやるよ」

 

 もしもナノデバイスが世界中にばらまかれたら。それはさぞかし美しい平和が創造されるのだろう。

 

 ただしそこは思想から何から何まで調整され続ける管理があるだけだ。

 

「俺は家畜になるなんて御免だね。動物園のように檻の中の平穏を延々と繰り返すのなんざ願い下げだ。俺は否定するぞ。俺のために。俺が肯定したいもののために」

 

《そのために排除するのか》

 

「ああ、するね。俺は俺のやりたいようにやる」

 

《……決裂、か。君は賛同してくれるものかと思ったよ》

 

 本当にそう思っていたというのならとんだお門違いだ。以前までの峻ならば納得し、さっさと鞍替えをしていたかもしれない。

 

 けれど、もうありたい姿が固まってしまっている。

 

「荒事抜きでやれるならそれに越したことはないんでな。いちおう確認させてもらうぞ。ナノデバイスの場所とロケットの停止方法を教えろ」

 

《私とて引けないのだ》

 

「だろうな。だから力づくでやらせてもらうぜ」

 

 峻が再びCz75とコンバットナイフを抜く。今まで沈黙を保ち、微動だにしなかった人型がようやく動き始めた。

 

 ピシピシ、とひび割れのような音。表皮に亀裂が入っていく。脱皮の如く表皮が剥けてその下に留め隠されていた無数の鞭状のものが飛び出し、峻に襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ずっと叢雲は沈黙し続けていた。いずれ来るであろう決定的な状況の変動に備えて。

 

 そして状況は動いた。叢雲が予想していた通り、とは言えない。それでも何かしらの形で攻撃らしきものがくるであろうと備えていた。

 

「下がりなさい!」

 

 叫びながら峻の前に叢雲が飛び出す。しなやかな動きで迫り来る鞭状の何かを抜刀して迎え撃つ。

 

 迫り来る初撃。振りかぶった刀が鞭状のそれを叩き落した。

 

「っ! 嘘でしょ!?」

 

 斬り落とすつもりで刀を叢雲は振るった。だが結果は叩き落しただけ。確かに連続で迎撃しなくてはいけないことを考えて、渾身の力は込められなかった。それでも十分に斬れるものだと叢雲は思っていた。

 

「硬すぎ……よ!」

 

 仕方がないので方針転換。斬り落とすつもりだった。だがそれはうまくいかなさそうだ。だから軌道を変えることにした。

 

 雨霰のごとく繰り出される連撃を叢雲が捌いていく。斬り落とせないことに意表は突かれた。そこに固執していたら動きは鈍っていたかもしれない。瞬時に切り替えてひたすらに叩き落していく。

 

 まずい。思いの外、手数が多い。刀一本で捌ききれるような物量ではなくなってきた。

 

「叢雲、右よこせ」

 

 割り込む声。ふっと叢雲は微笑みを零しつつ、左に避ける。

 

 そして叢雲が空けたスペースに峻が飛び込んだ。銃弾が連続で命中すると鞭を弾き、ナイフが軌道を逸らす。叢雲が一撃の重さなら峻は手数で攻撃をいなしていく。

 

 わずかな時間でありながら相当な攻防を叢雲と峻は凌ぎぎった。呼吸を整えるためにふたりが呼気を吐く。

 

「なによ、あれ!」

 

「知らん! だがろくなもんじゃなさそうだ」

 

ぞぞぞぞ、と床に叩き落としたり軌道を逸らして背後の壁に突き刺さっていたそれが引き戻されていく。

 

「イソギンチャクとかタコとかイカの足みたいね。深海棲艦にもあんな器官があるのは寡聞にして初めてだけど」

 

「触手って言いたいのか」

 

「そうそれ、よっ!」

 

 襲い来る触手を叢雲が叩き落としていく。一瞬の隙を狙って峻へアイコンタクト。コンマ数秒の躊躇いが生じた後に峻が叢雲へアイコンタクトを返すと、姿勢を低くして後方へ下がった。

 

 それを確認するや否や意識を防衛に割く。先の攻防で自分が全力を出したところで捌ききれないことは証明済み。どうあってもこの触手のような襲来を無傷で抜けることはできない。

 

 先刻承知の上。それでも峻を行かせた。

 

 捌ききれない攻撃が叢雲の頬を、肩を、腿をと捉える。それぞれの箇所がぱっくりと裂けて鮮血が滲み始めた。

 

 痛い。ただただ痛い。

 

 それでも刀を振るう手は止めない。致命傷になりうるものを重点的に対処し、軽傷で済むと踏んだものは、対処せずに食らうことを選択する。

 

 痛みは重なれば重なるほど増幅していく。通常であれば耐え難いであろうものへと変貌を遂げて叢雲の体を蝕む。

 

 でも、こんなものぜんぜん大したものじゃない。もちろん痛い。けれどこんなものと比にならない痛みを私は知っている。

 

 無力感に打ちひしがれる方が、こんなものより何十倍も痛かった。

 

 残るところ数本。斬り上げ、斬り下ろしの連撃でそのうち2本の軌道を逸らしこんだ。

 

 だが追いきれなくなった1本が叢雲の左肩を穿った。刀を振る速度が急激に鈍る。

 

「っ……ああ!」

 

 最後の1本が叢雲の胸の中心へ目掛けて空間に齧り付くように迫る。

 

 やられてたまるものか。

 

 左足の踏み込みで跳躍。体を空中でぐい、と捻れば触手の刺さった左肩が鋭い悲鳴をあげる。その痛覚を叢雲はねじ伏せて、回し蹴りの要領で最後の触手を蹴り飛ばした。荒い息を吐きながら左肩の触手を引き抜き、床に刺した刀を体の支えにする。

 

「あとは任せたわよ」

 

「ああ」

 

 峻が飛び出して触手の大元へと駆け込む。すべての腕が伸びきった状態から再び攻撃に移行するためには、伸びきった腕を引っ込める必要がある。引っ込むまでの隙を狙えば本体へダメージを与えられる。

 

 だから叢雲は無茶をやった。1人で裁けないこともわかっていながら、あえて峻に下がるように伝えた。

 

 危険な賭けではあった。自分ひとりでやった結果、致命傷を負う可能性も十分すぎるほどにあった。それでも後ろに峻がいる。ならやれると思った。

 

「行け」

 

 峻の背中が遠くなっていく。右脚に青白い燐光が点る。まだ解放はせずに留め起きながら、左脚で強く踏み込んだ。真横に右脚がブースターの後押しを受けて振り抜かれていく。

 

 そして峻の体が吹き飛んだ。

 

 なにが起きた。その思考が答えを得る時には叢雲にその原因が迫っていた。

 

 なんのことはない。ただ叢雲が受け流したと思い込んでいた触手が束なって、振り払われたのだ。咄嗟に床から引き抜いた刀で受け止めることを試みる。

 

 均衡はすぐに破られた。あっという間に叢雲は押し切られ、その小柄な体躯は速度を与えられて飛ばされる。壁に叩きつけられて叢雲は血液の混じった呼気を無理やり吐き出させられる。

 

 壁に手をついて息を整えている最中にピキ、という歪な音がした。音源は探るまでもない。

 

 叢雲の愛刀『断雨』からだ。

 

 切っ先からおよそ10cm程度だろうか。稲妻状のヒビが刀身に走り、折れて床に突き刺さった。

 

「無事なんだろうな、叢雲」

 

「生きるわよ」

 

 苦悶の色が滲みつつも峻が立ち上がって叢雲へ呼びかける。ダメージに震える膝を叱咤して立ち上がると叢雲はそっけなく返す。

 

「怪我はどう?」

 

「アバラが何本か逝った。血を吐いたから内臓(なか)も傷ついてるかもしれねえ」

 

「私も似たようなもんよ。ただ刀は迷子(MIA)どころかお亡くなり(KIA)だけど」

 

 気丈にも笑ってみせる。だが決してただ無理にひねり出したものでもない。確かに叢雲の持っていた唯一である刀は折れてしまった。だがそれで終わってしまったわけではない。

 

 気力十分。体は怪我があれども、動く。右隣の峻の様子を窺うと、痛みにしかめっ面を作っているが、それでもまだ瞳の焔は宿ったままだ。

 

 もし峻が怪我のため限界を迎えているようならば。もし戦意が途切れてしまっていたのなら。

 

 そうであれば叢雲は峻に一撃を入れて、引っ張ってでも撤退するつもりだった。人工島から出る手段が思いつかないが、少なくともこのままやり合い続けるのではなくて、どこか別の部屋に逃げくらいはした方がいい。

 

 けれど叢雲の余計なおせっかいなど峻は必要としていないらしい。

 

「仕切り直しだ、叢雲。まだやれそうか?」

 

「勿論」

 

「怪我は大丈夫なんだろうな? 無茶はしてくれるなよ」

 

「心配しすぎよ。刀が折れたところで私は動ける。まだ終わってなんかいないわ。私たちは帰るのよ。私たちの場所へ」

 

 叢雲が強い口調で言い返す。それを聞いた峻がしかめっ面を緩めた。どこか愉快そうに峻が笑みを零す。

 

「お前がそう言うんならいけるか」

 

 そう小さく呟くと、峻は目前に存在する敵性生命体を正面に捉えた。叢雲も峻に倣って折れてしまった刀を構えなおす。

 

 一度は失敗した。叢雲も峻もその失敗の結果として怪我という代償を払うはめになり、叢雲の愛刀はへし折れてしまった。

 

 それでも。

 

 まだ終曲(フィナーレ)には早すぎる。

 




こんにちは、プレリュードです。

どうしてこうなった、と何度も繰り返してきた気がしますが本当にどうしてこうなった。たまに自分の思考回路がイカれているんじゃないかと真剣に心配になります。


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選択

 

 冷静に1度、峻は自身の状況を確認することにした。

 満身創痍とは言えずとも、そこそこの怪我は負った。それは峻のみならず叢雲も同じこと。そして叢雲の攻撃能力は半減してしまっている。

 けれど叢雲はまだいけると言った。撤退も続行も判断するのは峻だ。叢雲からストップがかけられるような様子は見受けられない。

 そして叢雲の燃えるような赤に近いオレンジの目は峻に告げていた。次はどうするつもり、と。そこに強制力はない。ただ問いかけのみが存在していた。

 

「お前はこんな俺ですら信じてくれるんだな」

 

 叢雲へ聞こえないように峻はこっそりとつぶやいた。無条件ではないことはわかっている。だがそれでも信頼の一端を寄せてくれているのだ。

 

「叢雲、なにができるっ!」

 

「一撃、与えられるわよ! とびっきりのをね!」

 

 互いに散開して攻撃をかわす。物音に紛れてしまわないように叫ぶことによって意思疎通を図った。

 

「一瞬でいいの。時間をちょうだい」

 

「隙は作る。任せていいな?」

 

「ええ」

 

 折れた刀を峻に見せて叢雲が勝気な笑みを浮かべる。それは峻の背中を押すに十分すぎる。それだけ叢雲に自信があるという紛れもない事実であり、峻に勝利の方程式を組み立てさせるには十分すぎる。

 

「今度こそ決めるぞ」

 

「そうね。それにお互いあんまり時間はかけられないし」

 

 叢雲がちらりと峻の怪我を見る。深手とまではいわないものの、傷は負っている。このまま長期戦に雪崩れ込んでしまうのは得策といえないだろう。出血は表面的にみれば大したことがなくとも流し続ければ命にもかかわる問題へと発展していっていく可能性もある。できるものならば早期に片をつけてしまいたいというのは当然の思考だ。

 

 だから峻も覚悟を決めた。

 

「叢雲、俺を見捨てろ」

 

「わかったわ。信じてるわよ」

 

 叢雲が短く肯定した。その事実だけでよかった。峻はさっとマガジンを換装したCz75とコンバットナイフを手に一気に前方へ踊りだす。

 

 当然、攻撃の手は峻に集中した。

 

「っ……らああっ!」

 

 攻撃の軌道を見切り、そして捌け。すべては同時並行で。

 

 初手あたりはその無茶も成り立たせられた。だが出来ているのは叢雲にもまだ攻撃の手が伸びているから。

 

「俺を見ろ!」

 

 足元に迫っていた触手を義足で踏みつけつつ、さらに前へ。嫌でも目から離させまいと、威圧するかのように強く踏み込んだ。

 

 ついに叢雲がターゲットから外れた。すべての攻撃が峻に向かう。

 

 さすがの手数だと賞賛せずにはいられない。それほど圧倒的だった。事実として、峻の反応速度を超えはじめ、だんだんと対応しきれなくなってきている。

 

「ぐ、おっ……」

 

 触手が体にぶつかるたびに、その要所要所が悲鳴をあげる。

 

 真正面から不利な相手とぶつかるのは逃げ場がない時だけ。そして今は逃げようと思えばいくらでも逃げ場がある。それでも引くわけにはいかない。

 

 ああ、まったく。

 

 苦笑まじりの自嘲を心の中でつぶやく。だがそれは今まで自分に刃を立ててきた自嘲ではない。

 

「おかしくなっちまったのかね、俺は」

 

 こういう状況だって初めての話じゃない。勝ち目のない戦闘だって何度も経験した。その度に選んだ手段は逃走と騙し討ち。幾重にも巡らせた罠にかけ、無理やり自分が勝てる状況に持ち込んだ。

 

 正面から切った張ったをしようと自分から思ったことなどないというのに。それなのに今まさにそれをやっている。

 

 ただ叢雲の「信じてる」という一言に応えるためだけに。

 

 馬鹿だ、愚かだと昔なら言っただろう。さっさと叢雲を抱えて逃げればいいのに、ズタボロになりながらも踏ん張り続ける姿を嘲笑ったはずだ。

 

 人というやつは本当に変われるものらしい。鮮血を迸らせて暴れ回りつつ、どこか遠くで峻がそう考える。

 あれだけ自分の戦いを忌んできた。見下げた醜いものだと自虐し続けていた。

 

 それをまさか誇らしく思う時がくるとは。

 

 叢雲は信じたのだ。峻が一手に引き受けることができるのだと。引き受けて死なずに耐え抜けると。信じた上で叢雲は峻に奥の手を食らわせてやる隙を作って欲しいと頼った。

 

「なら……応えないわけにはいかねえよなあ!」

 

 あれだけ叢雲を騙した。挙句の果てには嘘までついた。それでも叢雲は信じた。そして好意をまっすぐに峻へぶつけた。

 

 これを無碍にすることを峻は許容できなかった。

 捌ききれない攻撃は着実に峻を削っていく。吹き出した血は服を染め上げ、痛覚が全身を蝕む。

 

 それでも動きだけは鈍らせなかった。

 

 喀血し、骨の折れる音が鼓膜を揺らし、神経が悲鳴をあげる。片目が見えないのはやはり不利だ。距離感がうまく掴めないため、対処行動にどうしても時間差が出てしまう。

 

 致命傷になるものだけ対処し、末端に掠るだけのものは捨て置く。ただ凌ぎきればいい。自分は死にさえしなければそれでいい。

 

 そうすれば。

 

「やああああっ!」

 

 叢雲が決定打となる楔を打ち込んでくれる。

 峻の影から叢雲が駆け出した。折れた刀で触手を弾きつつ、迷うことなく接近していく。

 

「あんたが作ってくれた時間、無駄にはしないわよ」

 

 それは決意だ。奥の手を使うとまで豪語し、それを信じてその身を呈することで時間を稼いでくれた峻の献身を無駄にはしまいという確固たる意志。

 

 折れた刀は攻撃に使えない。それでも叢雲は手放さずに握り続けた。それはまだ刀が役に立つからだ。

 

 鍔の根元付近にある出っ張りを強く押し込むと目釘が吹き飛び柄が落ち、切羽とはばきだけが残る。するときらりと刃が外気に晒された。本来ならば刀工の銘が刻まれているはずのなかご。そこが刃になっているのだ。

 

 今まで刀身としていた箇所を掴んで振るえばそれは槍となる。

 

 当然、刀身を掴めば手に傷がつく。だからと言って鞘を嵌めて振るっても力が込められない。

 

 今さら傷なんて構うものか。指がなくなるわけでもなし、たかが傷が残る程度。

 

 必中の距離まで叢雲が間を詰めた。手の平から血が吹き出るがその痛みは感じない。ただやれることをやる。それだけだ。

 

 突き刺せば指が飛ぶ。それを峻が望まないことくらいはわかっているつもりだ。この刀の機構を峻が知らないわけがない。叢雲がやろうとしたことくらい周知の上だろう。

 

「悪いけど指はあげられないのよ。だから私の刀、持っていきなさい!」

 

 この指はあいつと手を繋ぐために残しておかなくちゃ。

 

 そしてもし、もらえるのであれば指輪のためにも。

 

 だから。

 

「せやああああ!」

 

 叢雲は右腕を大きく引き絞った。関節が軋んで悲鳴をあげる。体がもう休めと訴えかけてくる。それでも止まるつもりなんてない。

 

 触手が束なって横に薙ぎ払いをして叢雲を弾き飛ばそうとする。だが束なった瞬間、ワイヤーが巻きついて動きを止めさせた。

 

「二度も同じ手を食うかよ」

 

 ナイフを捨ててワイヤーガンを持ち替えた峻が引っ張って止めていた。ピンと張ったワイヤーがブルブルと震えた。ゆっくりと、しかし確実に峻が引き摺られていることがその膠着が長くはないことを示している。

 

 それでも十分。

 

 思いっきり、全身の力を込めて右腕を振り抜いた。

 

 叢雲の手から刀だった槍が離れる。叢雲の血が槍の軌跡をなぞって赤い道しるべを記す。そして槍は触手の中核であった人形兵の脇腹を深く貫き、突き刺さった。

 

 だができたのはそこまで。峻が抑えていなかった触手が叢雲を襲った。両腕をクロスして頭部などを含めた急所の酷い怪我を防ぐが、すべてを守りきれるわけもなく後方へ体を吹き飛ばされていく。

 

 吹き飛ばされながら叢雲が口元を綻ばせた。楔は打ち込んでやれた。そしてあれの注意を自分へ引き付けることにも成功した。

 

「ぶちかましてきなさいよ、峻」

 

 やれるべきことはやった。だからあとはもう託せる。

 かしゃん、と床にワイヤーガンが落ちた。血飛沫の向こう側で峻が駆け出している姿が叢雲の視界に映った。

 

 シャツに血のシミがいたるところにあった。相当な負傷だってしているだろう。それでも目だけはまっすぐ目標を捉え続けていた。

 

 地面に倒れこみながらも叢雲は笑っていた。笑っていられた。

 

 安心していられたのだ。心配なんてしなくていい。確信を持って言えた。これで詰みだ。

 

 峻が人形兵に接近する。ただ接近を許してくれるわけがない。迫り来る触手を防ぐために左腕を全面に押し出して盾にした。肉が裂け、骨が砕けた。

 

 そして長い期間に渡り、峻を支え続けたCz75のバレル部が貫かれた。

 

 峻がCz75を投げ捨てる。最後に左脚で踏み込むと、まさに叢雲が投擲した槍が刺さっているその場所へ右脚で人形兵を蹴りつけた。

 

 直後にブースターを点火。ガスの残量など気にすることなくひたすらに吹かして叢雲の槍にあてがうようにして食い込ませていく。

 

「私があんたを真似て近接格闘型の姫級を落としたからその踏襲かしらね……」

 

 叢雲が明らかに刀だけで斬れないようなものを斬り落としている時の手法と同じだ。小さな傷口をつけて、あとはそこから傷口を押し広げていくようにして裂く。そうすれば相手の自重も味方して斬り裂くことができる。

 

 そしてその手法を峻は利用しようとしているのだ。

 

「悪いな」

 

 ブースターが勢いを増して燐光が一際、強く瞬いた。ピシっとヒビが人形兵の胴体に入っていく。峻がそれをさらに押し広げるように力をこめた。

 

 そしてついに人形兵の体が両断された。

 

 叢雲の刀だった槍が床に転がる。同時に人形兵とその触手が力なく地に落ちた。青いぬめりのある血飛沫が吹き上がる中で峻が立っていた。

 

「終わった?」

 

「まだだけどな。でもひとつ片付いた。怪我は大丈夫そうか?」

 

 倒れこんできた状態から起き上がり、座り込んできた叢雲に寄った峻が同じように座り込む。

 

「どっちかって言えばあんたの左腕がきついんじゃないの?」

 

「お前も腹とかけっこうもらってたろ。大丈夫なんだよな?」

 

「大丈夫よ。でもとりあえず簡易的に止血だけした方がいいんじゃない?」

 

「だな」

 

 とはいえしっかりした医療器具もないため、やれることといえば布で上から押さえてやることくらいだ。それでも何もしないよりはましになる。とはいえ布でといえるものが多くはないので峻が上着を犠牲にすることであて布を調達すると、互いに黙々と作業していく。

 

「さて、と。立てるか?」

 

 あらかた手当が終わった頃合いにそう言うと立ち上がった峻が叢雲へ手を差し出した。叢雲が刀を握らなかった左手でその手を掴むと、ぐいっと上方向に力が加えられて立ち上がる。

 

「っ、とと……」

 

 だが峻も血を流しすぎたのか完全に叢雲を手助けしきれずによろめいた。叢雲が急いで掴んだままの手を引っ張って倒れないように支える。

 

「締まらないわね。大丈夫?」

 

「ありがとな 」

 

 持ち直した峻がなんでもないことのようにさらりと礼を言った。これだけでも変化だとこっそり叢雲は思う。

 

 名残惜しいがいつまでも握りしめているわけにもいかない。手を離すと峻の左隣を再び占拠する。

 

「奥に行く?」

 

「ナノデバイスの散布を止めなくちゃな。きついならここで休んでてもいいが、どうする?」

 

「冗談。行くに決まってるじゃない」

 

「そう言うだろうと思った」

 

 叢雲の返答をわかっていたという様子で峻がちょっと笑いながらうなづく。わかっているのなら言わないでよ、と文句のひとつでも言ってやろうかと思ったが連れて行くつもりであるのなら見逃してあげよう。

 

「さっさと済ませちゃいましょ。あんまり時間をかけても旨みはないわ」

 

「もういけるのか」

 

「完全じゃないわよ。でも急ぎでしょ」

 

 ここから後も戦闘が続く可能性があることはわかっている。それでも先に進むことを峻は選択し、叢雲に選択権を与えた。その上で叢雲は峻と共に進むことを選んだのだ。

 

 奥に繋がっているドアへ伴って進む。使える武器はもう峻のナイフくらいしか残っていない。ワイヤーガンも変な力を加えてしまったせいか、無理に治していたパーツが再び曲がってしまったらしい。一応は折れた刀も鞘に戻して腰から下げているが、殴る目的以外ではまともに使えないだろう。

 

 だがこの身がひとつあればいい。それだけでも十分に暴れまわってみせる。

 

 隣には信頼できる人が共に戦っているのだから。

 

「いくぞ」

 

 峻が呼吸を整えると、ドアを蹴破る。なにか来るのではないかと叢雲は身構えつつ、峻と共に部屋へ転がり込んだ。

 

 だが予想されたような戦闘はなかった。

 

「なに、これ?」

 

 そこには血管のごとく張り巡らされたパイプと配線。そしてそれらがいかにも大切そうなに中央へ安置されたカプセルへ繋がっていた。

 

「これがお前か、岩崎」

 

《……あれを倒すとは思わなかった》

 

 さっき聞いたばかりの声が部屋の中を満たした。電子的な音だ。スピーカーから出力された声だというのは間違いない。

 

 峻が慎重に中央のカプセルに近寄った。叢雲も同じように近寄るとカプセルの中を覗く。

 

 そこにはほとんど残っていない白髪とシワだらけになった老人が目を閉じて横たわっていた。

 

 つまりこれはただ意識だけが生きている状況なのだ。肉体の檻に閉じ込められている意識を守るために朽ちていく檻を必死になって繋ぎとめている。そのためだけに用意された設備がこの部屋に集約されているのだろう。

 

《私の傑作だった。敵なしの完成だった》

 

「だが負けた。認めてやるよ。俺だったら勝てなかった。確かにあれはバケモノじみてたよ」

 

《なぜだ。ならばなぜ……》

 

「俺たちの独善の方が上で、俺たちの方が強欲だった。それだけだろ」

 

 生命維持装置らしきカプセルに繋がるパイプのうちひとつに峻がナイフを突き立てる。心音や脳波を測定していたらしき機材から一律の電子音がすると、ぷつんと途切れた。

 

「終わったのね?」

 

「まだだよ。ロケットの発射を止めるのが目的だ。近くにコンソールとかないか?」

 

 さも平然と問いかける峻に叢雲が嘆息する。

 

「私にそっち系統の知識がないのわかってる? 怪しいのはこれかしら?」

 

「どれ? ……なんだ、わかってんじゃねえか」

 

「偶然に決まってるでしょ」

 

 それっぽそうなものを適当に指さしてみただけで、それがコンソールだとは微塵も思っていなかった。当たったのは偶然も偶然。まさか本当にコンソールだとは叢雲自身もまったく予想していなかった。

 

「どうするのよ」

 

「ちょっと侵入して発射プログラムを弄って止める」

 

「そ」

 

 安易に言ってのけるが難易度の高いことをやろうとしているのはわかった。少なくとも叢雲はこれをやれと言われたら無理だと突っぱねる自信がある。

 

 やることもなく、コンソールを触る峻の右隣を占拠して立ち尽くす。いまいち何をやっているのかわからないがきっと峻はなにをやっているのかわかっているのだろう。叢雲のやれることは成り行きを見守りつつ、周囲の警戒を続けることくらいだ。

 

「くそっ」

 

「どうしたのよ!」

 

 峻の焦ったような一言に鋭く叢雲が問いかける。コンソールから峻が離れて髪を掻き毟った。

 

「やられた。バックドアを作った瞬間にトラップが起動しやがった」

 

「どういうこと?」

 

「すべての文字を暗号化しやがった」

 

 峻がコンソールから退いたので叢雲が液晶を覗き込んだ。そこには意味を成しているとはとうてい思えないような文字列が延々と連なるばかり。

 

「よくわからないけど戻せないの?」

 

「戻そうとしたさ。全部、独立したアルゴリズムで暗号化されてる。解除しようと思ったら何年かかることか……」

 

「システムに割り込んで止める事はできないってこと?」

 

「そう、なるな。すま……」

 

「はい、謝るの禁止」

 

 少し背伸びして峻の口を叢雲が塞ぐ。明らかにすまん、と言いかけていたことくらいはすぐに察していた。けれど謝ってほしくなかった。謝罪を求めているわけでもない。

 

「起きたことは仕方ないわ。次を考えましょ」

 

「ん……だがどうする。これで止める手立てはないぞ。時間もあまり残っちゃいない」

 

「じゃあ止められないなら壊すしかないわね」

 

「壊すって言ったって……ナノデバイスを全て破壊でもしなけりゃ今後が怖いぞ。システムに介入してナノデバイスの機能を殺した上で止めるつもりだったんだ」

 

 峻が叢雲へ視線を注ぐ。確かにと思いつつ、叢雲が唸った。

 

 ナノデバイスの機能を残しておけば万が一、流出したときに厄介だ。だから壊したいところではあるのだが、肉眼で捉えることができないようなものをプチプチと破壊することはできない。

 

 つまり圧倒的な火力をもってすべてを破壊し尽くす選択以外はないのだ。だがそんな方法が今の叢雲にあるかと言われれば見当たらないと答えるしかない。

 

「艤装……はあるけど魚雷も砲弾もすべて突入で撃ち尽くしたから使え、な、い……ああっ!」

 

「どうした?」

 

「あるわよ、方法! 発射を止めてナノデバイスを破壊し尽くすとびっきりが」

 

 よく閃いたものだと自分を褒めかけた。だがあまりいい方法でないのは冷静になればすぐわかった。だが奇声をあげてしまった以上は峻が見逃すわけもなし、せっかく思いついた手段を相談もせずにボツにすることも躊躇われた。

 

「どんな方法だ?」

 

「ロケットってことは飛ばすための燃料があるわよね?」

 

「まさか火をつける、とか言わないよな? 今から解体して燃料タンクまでこじ開けるのは骨だぞ」

 

「まさか。まあ、やり方はもうちょっとダイナミックかもしれないけどね」

 

「話を進めようぜ。どうするんだ?」

 

「リーパーシステムで私の艤装の機関を暴走させて爆発させれば燃料タンクまでぶち破って点火させられない?」

 

 そうすれば内部に格納されているであろうナノデバイスごと燃やしつくせるはず。そう考えての提案だった。

「……」

 

 峻が黙りこくる。時間は経過していく。だが最後に峻は小さく頷いた。

 




ほんっっっとうにすみませんでした!!

いつも通りの時間に投稿するのをすっかり忘れてしまい、こんな時間になってしまいました。本当に申し訳ないです。

もうあと数話で終わるというのになんとも情けない……日付は跨いでいないのでセーフってことにしてくれませんか?お願いします。


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だから一緒に

 叢雲が提案してきたものは実にわかりやすく、単純明快なものだった。

 

 叢雲の艤装にのみ取り付けられたリーパーシステムを使って機関を限界まで暴走。そしてオーバーヒートさせた機関を敢えて制御下から外し、爆発させてロケットの燃料タンクに引火させつつ、ナノデバイスごと焼き尽してしまおう、というものだった。

 

「できる?」

 

「可能だ。だが限界ぎりぎりまで艤装の機関を暴走させなきゃいけない。かなりの演算を要されるし、脳に相当な負担がかかる。少なくとも成功率を上げるために2人で取り掛からなくちゃだめだ。あとは……」

 

「あとは?」

 

「どう2人とも生き残るかだな。爆発に巻き込まれちゃ命はない。なんとかしなくちゃなんねねえ」

 

 頭を峻が抱え込んだ。このままでは2人そろってお陀仏だ。どうにかして2人とも死なずに済む方法。何か見つけ出さなくては。必ず手はある。2人とも死なない方法がどこかに。

 

「ふふっ」

 

「なんで笑ってるんだ?」

 

「おんなじことをあんたが考えてたからよ。私もまだ死ぬなんてごめんだわ。かといってあんただけ死なせるつもりもない。さて、どうしたものかしらね?」

 

 叢雲が口元に手を当てて小首を傾げた。呆気に取られかけた峻が慌てて思考の渦へと戻っていく。

 

「……手はある。かなりめちゃくちゃだが」

 

「いちおう聞いておくわ」

 

「さっきコンソールを見てるときに気づいたが、発射台は直前にせり上がる設計らしい。つまり発射前は外に出る。だから爆破と同時に海へ飛び込めばなんとかなるかもしれん」

 

「思ったよりめちゃくちゃね」

 

「そう言っただろう。タイミングが命だ。発射台が外にせり上がったら爆破する直前で制御を手放してそのまま爆発に巻き込まれる前に海へ飛び込む。機関の暴走は限界を超えさせなきゃいけない。艤装を独立させてリーパーを発動したところでろくな規模にならないから、こうして限界まで近くで爆発を抑え込むしかねえ」

 

 叢雲が驚きに目を見開く。さすがに無謀すぎるのは峻とて自覚済みだ。

 

「巻き込まれないようにするのは無理よ。いくら早く走っても追いつかれるわ」

 

「だから俺の右脚のブースターを使う。まだ換えのカードリッジが一個なら残ってる。全力で吹かせば人間2人くらいなんとかなる、はずだ」

 

「そこは自信を持って言い切りなさいよ」

 

 叢雲が苦笑する。だが峻もこんな挑戦をするのは人生で始めてだ。もちろんそう何度もおきていてはたまらないのだが。

 

「乗ったわ。それでいきましよ」

 

「いいんだな?」

 

「何を今さら。2人とも死なずに済むシナリオはそれくらいしかなさそうじゃない。ならやるわ。簡単なことじゃない。ただ成功させればいいのよ」

 

「簡単に言ってくれるな」

 

「あんたとだからよ」

 

 本当に簡単に言ってくれるものだ。だが口元が綻ぶことを止めることはできなかった。だが不思議なことに峻も叢雲となら成功させられるような気がした。

 

「時間、どれくらいありそう?」

 

「艤装を持ってきて準備をする時間を差し引いても30分くらいは余裕があるな」

 

「そう」

 

「ちょっと待っててくれ」

 

 部屋の中をぐるりと見渡す。ほとんどすべての機能がここに集約していることはさっきコンソールを触った時にわかった。つまりここの中に外部との通信を遮断している電波を管理している装置もあるはず。

 

「こいつかな」

 

 あたりをつけてから改めて観察。どうやらそうらしいと確信を得たので即時に破壊した。

 

「さて……あーあー。マサキ、聞こえるか?」

 

《……ああ、聞こえてる。中のジャミングを止めたのか。今はどうなってる?》

 

「とりあえず教えてくれ。あと30分以内に深海棲艦を殲滅して大火力の火砲なり爆弾なりを用意して人工島に乗り込むことは可能か?」

 

《……無理、だな。さっきから深海棲艦の足並みが乱れてきているが、単体でも強い。あと3時間は最低でも欲しい》

 

 ノイズが入った東雲の返答に峻が悩み込む。3時間は時間がかかりすぎだ。となると結局は叢雲の艤装を暴走爆破させるプランしかない。

 

「マサキ、座標をそっちに送る」

 

《ん……おい、このポイント、海だぞ?》

 

「そこへ指定した時間に飛び込むから回収してくれ」

 

《おま、戦闘中だぞ! おい、聞いて……》

 

 ぷつん、と問答無用で通信を切ると峻が歩いて生命維持装置のカプセルがあった部屋から出て行く。当然のように叢雲は後を追いかけて来た。触手で襲ってきた人形兵の亡骸が転がる部屋まで来て、壊れたCz75を拾い上げる。

 

「どうするの、それ?」

 

「……ここに置いてくよ。こいつはここで死んだんだ。もちろん、部品交換でもすればまた使えるだろうけど、もういいんだ」

 

 峻はCz75を軽く撫でると部屋の隅に安置させた。ずいぶんと世話になったものだ。惜しむ気持ちはある。だが引きずり続けてもよくないとつい先日に教えられたばかり。戒めとして持ち続けていたが、もういいだろう。もちろん忘れてしまうわけではない。

 

 ただ物に対して必要以上に意味を求めることをやめるだけだ。

 

「じゃあ私もこれを置いてくわ」

 

 安置したCz75の傍に叢雲が折れた愛刀の『断雨』を寄り添うように突き立てた。

 

「いいのか?」

 

「折れた刀はもう使えないもの。部品交換ってわけにもいかないし、これから決死のダッシュをするなら重荷になるものは少しでも少ない方がいいでしょ」

 

 さっぱりしたものだ。けれど本人がそういうのならば止める理由はない。事実として身軽であることに越したことはないのだ。

 

 なんだかんだと刀は軽くても5kg程度はある。加えて少なく見積もっても長さ80cm以上はある。それを腰に下げたまま走ろうとすれば障害になることは火を見るより明らかだ。

 

「ねえ」

 

「なにかまだあったか?」

 

「ちょっと休まない? まだ30分は余裕があるのよね? さんざん戦闘で暴れ回ったし、抜けるのであれば疲労は抜いた方がいいわよ」

 

 叢雲の言っていることはごもっともだと納得のいくものだった。客観視してみればすぐにわかる話だが、体力は消耗しているし、怪我も止血したとはいえ痛まないわけではない。準備にかかる時間を引いた上での30分という数字であるのならばその時間を休憩にあてるのは悪い考えには思えなかった。

 

「小休止も悪くはない、か」

 

「成功させるために休むだけよ。そんな大袈裟なものじゃないわ」

 

 わかってるよ、と軽く返す。その一言に了解の意を込めたのだが、叢雲はきちんと汲んでくれたようだ。流れるような動作で腰を床に下ろすと足を伸ばしつつ、壁に背中をもたれさせる。

 

「ん」

 

 そして峻を見つめながら太ももあたりをぽんぽんと叩いた。

 

「…………?」

 

「ん」

 

「いや、『ん』とだけ言われてもな……」

 

 困惑のあまりどうしたものかと立ち尽くしている峻に対して叢雲はたったひとつの平仮名を発音し、自身の太ももを軽く叩く動作を繰り返すばかり。

 

「えっと、だなあ……俺はどうすればいい?」

 

「わかりなさいよ」

 

 むくれ半分、呆れ半分で叢雲が口を尖らせる。早く悟れ、と言わんばかりだ。それでも峻が固まっているのを見ると深いため息を吐いた。

 

「ひとまず座りなさいよ。ずっと突っ立っているつもり?」

 

「お、おう……そうだな」

 

 言われるがままに叢雲の隣に腰を下ろした。同時に立ち続けることで張り詰めていたものが緩んだ。肩の力が抜け、アドレナリンによって感じていなかった疲労がどっと襲い掛かってきた。

 

「……意外に疲れているもんだな」

 

「でしょ。だから」

 

 ぐい、と叢雲が峻の後頭部に手を添える。峻が何かする前に叢雲が峻の体を横へゆるやかに倒させると、叢雲の太ももへ頭を運んだ。

 

「おい!?」

 

「大人しくしときなさいよ。余計な体力を使うわけにはいかないんだから」

 

 そうは言っても、だ。今まさに峻の体勢は叢雲の太ももに頭を預けて横たわる、いわゆるひざまくら状態だ。抵抗して起き上がろうとしたが結構な力で叢雲は峻の頭を太ももに押し付けているため、体勢が不利な峻は思うように起き上がれない。

 

「あのさ、叢雲。起き上がらせてくれないか?」

 

「いやよ。あんたも休めるし私も休める。これ以上にお得なことなんてないでしょう?」

 

「いや、お前は足がつらいだろう」

 

「精神面の休憩よ。いいからされるがままにしときなさい」

 

「わかったわかった。俺の負けだから押さえつけるな」

 

 峻は叢雲の強情に根負けし、諦めてそのままにすることにした。抵抗を止めると叢雲も峻の頭を押さえつけることを止めた。

 

 完全に体を叢雲に預けてみると、柔らかくも頭を押し返してくる感覚は存外に心地がよく、人肌の温もりがじんわりと伝わってくる。ストッキングに包まれたその足はただありのままに峻のことを受け止めていた。

 

「硬いとか言ったら殴るわよ」

 

「いや、むしろ柔らかいというか……このまま眠ってしまいそうだ」

 

「さすがに寝るのはだめよ」

 

「わかってるって」

 

 苦笑を漏らしつつ、峻が姿勢を変えて仰向けに。真下から峻が叢雲の燃えるような赤に近いオレンジの瞳を見上げると、ちょっと叢雲が笑った。

 

 それはあまりにも魅力的で蠱惑的な笑みだった。

 

 思わず峻は息を呑んだ。なんとなく急に叢雲が大人びて見えた。

 

「なによ」

 

「や、なんでもねえ……」

 

 叢雲が小首を傾げて聞いてきたので、慌てて誤魔化した。そして誤魔化してしまってから苦笑をこっそりとこぼす。どうも何か動揺するたびに有耶無耶にしようとする癖がついてしまっているらしい。

 

 そろそろ腹を括らなきゃならない時かもな。そう漠然と考えると、前触れなく髪が梳られた。誰がしているかなど探すまでもない。

 

「好きでやってるだけよ」

 

 そしてこれから何を峻が言おうとしたのか先読みしたかのようなセリフ。そこまでわかりやすい思考をしていたつもりはなかったが、ことこういった事柄においては叢雲の方が遥かに上手だった。経験といえるものがないせいもあるかもしれないが。

 

「なあ」

 

「なに?」

 

「……」

 

「黙っててもわかんないわよ」

 

 その通りだ。だがどうすればうまく形容することができるのか。

 

 けれどいい加減に進まなくてはいけない。いや、これは違う。進まなくては「いけない」のではない。進み「たい」のだ。

 

 問題はどう言葉にすればいいのかわからないだけで。

 

 試行錯誤を脳内で繰り返してはみるものの、なんとなくこれではない感覚がしてしまい、破棄する。そんなことばかりしていると叢雲が口を開いた。

 

「後でいいわ」

 

 たったそれだけ。淡々とした口調で峻の髪を梳る動作を止めることなく口にした。

 

「叢雲……?」

 

「後でいいって言ったの。全部よ。全部がちゃんと片付いてから。そっちの方があんたもいいでしょ」

 

 そうしてくれた方が都合はいい。だがそれで果たして叢雲本人はいいのだろうか。そんな疑問が鎌首を持ち上げる。

 

「今ここで言ったらこれから死ぬみたいじゃない? 私たちは生きるのに縁起でもないわよ」

 

「……俗に言う死亡フラグって意味では似たようなもんだと思うけどな」

 

「そう? じゃあへし折るまでよ」

 

 そう言って叢雲は勝気に笑った。本当にこいつならいとも容易くへし折れるのだろうな、と思う。

 

 そう考えるとなんとなくおかしくなって笑えてきた。くつくつと笑っていると、釣られるように叢雲も笑い始める。

 

 ただ単にひざまくらをされて転がり、話しているだけ。床は冷たく、疲労は体に蓄積している。だのにただ梳られる感覚と太ももから伝わる熱は心地よく、紡ぎ紡がれる言葉に安らいだ。

 

「ここは静かね」

 

「そうだな。少し外に出れば深海棲艦とやり合ってるんだろうが」

 

「みんなは無事かしら?」

 

「マサキのやつがうまくやってるだろ。正面から戦闘させたらあいつはかなりのもんだしな。追加で指揮しなきゃならない艦娘が増えたとしてもうまいこと回してる。やる時はヤツだ。無事だよ」

 

 そうでなくては単身、いや叢雲と共に乗り込もうなどということを画策しない。それに東雲は馬鹿ではあるが愚かではない。峻が指揮を執れなくなっていることはわかっていただろうし、もしかすれば叢雲が代行で指揮を執っていたこともぼんやりと察していても不思議はない。

 

 だから峻は心配ないと言えた。乗り込んで来ると伝えた時点で東雲は早々に帆波隊の指揮を執らねばならないと考えているだろう。

 

「じゃあ大丈夫ね」

 

「ああ、問題はない。さて、そろそろ頃合いだろ。起きるか」

 

 峻が緩慢な動きで状態を起こしていく。叢雲のひざまくらは名残惜しい感じがしたが、これからやることを成功させて無事に帰ればいつでもできることだ。

 

「足とか痺れてないか?」

 

「大丈夫よ。少しほぐしてやれば機敏に動くわ」

 

 軽い調子で言いながら叢雲が足の柔軟運動をする。右脚を背中に付けつつ、背筋を反らせるような姿勢をすると骨が鳴った。

 

 それを峻が直視することはなかったが。さすがにきわどいものがある。

 

「時間もぼちぼちだ。行こうか」

 

「はいはい」

 

 とりあえずは叢雲の艤装を回収することだろうか。確か突入口あたりに置きっぱなしのはずだ。そこから艤装を回収したらさっきコンソールを触った時にちらりと見て暗記した地図に従って発射場を目指していくつかの準備をすれば完了だ。

 

 手順と言えるようなものはこれくらいだ。移動距離はそこそこあるが、言ったところで歩くだけ。準備期間の時間を差し引いた上で30分の休憩時間という数字を導き出しているため、余裕はある。仮に人形兵の生き残りがいたとしても、最後に戦った触手のバケモノ級でなければどうにかできる時間を計算しておいた。

 

 警戒を止めることはせず、しかしのんびりと歩く。叢雲が峻の右隣をぴったりとついて歩き始めた。

 

「そういえばさっきから右にいたり左にいたりと忙しないけど、なんか理由とかあるのか?」

 

「……」

 

「叢雲?」

 

 なにかまずいことを聞いたのだろうか。急に叢雲が黙り込んでどこか気まずそうな表情で頬を掻き始めた。

 

「別に大したことじゃないのよ? ただね……」

 

「言いにくかったらいいからな?」

 

「そういうわけじゃなくて。えっと、そもそもあんたは左目が見えないでしょ」

 

「そうだな」

 

 叢雲は戦闘時に峻の左に立つ理由を左側が見えていない峻のフォローをするためだと言っていた。だが右の理由は聞いていない。だからなんとなく気になった。別段、深い興味があったわけでもないため叢雲が言えないというのであれば流すつもりだった。

 

 けれど叢雲は困ったような笑いを浮かべながら頬を朱に染めて口を開く。

 

「右目は見えるんでしょ。なら右に立っていれば見てもらえるじゃない」

 

 照れ恥ずかしそうに言った叢雲の顔をさらにしっかり見ようとすると、ぐいと顔を押されて見ることは叶わなかった。

 

「今は見ないで」

 

「はは……かしこまりました」

 

 峻がそう言うと、顔を押していた力が緩んだ。視界の端でその手が下りていく。表情は前髪に隠れてしまって、ちゃんと見ようとしないかぎりわからない。覗き込もうとすれば見えるだろうが、それをやれば叢雲がまた突っぱねてくるだろうことは想像に難くない。

 

 だから峻は下ろされた叢雲の手をそっと握ろうとして。

 

 引っ込めた。

 

 せめてそれくらいはした方が、とは思った。だが結局のところできなかった。怖がりだな、と自身をこっそりと責めたてる。

 

 瞬間、叢雲が引っ込めた峻の手を強引に引っ張り出すと握り締めた。

 

「やるならやりきりなさいよ」

 

「いや、でもな……」

 

「俺の手は何百人もの血で汚れてるから、とか言うつもりじゃないでしょうね。今さら知ったこっちゃないわよ。それに私はわかった上であんたの手を取るのよ、峻」

 

「お前、俺の……」

 

 思い返せば戦闘中にも叢雲は名前を呼んでいた。あの時は戦闘中であったので何も言えなかったが、今ならば聞ける。なにより見過ごす、いや聞き過ごすことはできなかった。

 

「なによ。惚れた男の名前を呼んじゃ悪い?」

 

「……ああ、そうだったな。お前はそういうやつだった」

 

 そっと笑みがこぼれる。そして叢雲の手をそっと握り返した。

 

 どこまでもまっすぐで。そして強く、正しい。だからひたすらにひたむきで、にも関わらずこちらのこともさりげなく考えている。

 

 まったく、敵わねえなぁ。

 

 苦笑しながら内心で呟く。だからこそ、峻の中で答えが定まったのかもしれない。

 

 握った手は暖かかった。ただ、それだけで十分だ。

 




こんにちは、プレリュードです!

まあ、いろいろと言い訳やらなんやらをしたいところなんですが、やめておきましょう。なんたって次回で終わるんですから。溜まったものはそこで吐き出す。そういうことにしましょう。なので今回はノーコメント!ということで。


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放縦者たちのカルメン

 

 消毒液が持つ独特の匂いがツンと鼻腔を突いた。ずいぶんと久しぶりに嗅いだ気がするし、大した間を開けていないような気もする。漫然とした思考回路で峻はそんなことをぼんやりと考える。

 

 まさか失敗してお陀仏になったかとも思いかけたが、それならばあの世というやつはずいぶんと消毒液がたくさんあるようだ。もしかすると三途の川を流れているのは消毒液かもしれない。

 

と、そんなことがあるわけもなくここが病院であることは至極当然の帰結であって、聴覚が追いつけばすぐに心音をモニタリングする電子音が聞こえ、視覚が蘇れば峻の右目は白い天井とベッドを囲うカーテンを捉えるし、触覚が柔らかな布団の肌ざわりをこれ幸いと楽しんでいた。

 

 五感が再び息を吹き返すと同時に痛覚ものっそりと顔を出すことになったが。相変わらず痛み止めはあまり効いていないらしい。最近では、というより叢雲に説教されて以来というものの少しは自分の技術や薬剤耐性も便利かもしれないと思い始めていた手前でこれかと苦笑いした。

 

 ナースコールを押そうとして左腕がガッチリと固定されていることに気づく。仕方なく、というのはややオーバーな表現になるが右手を緩慢な動きで伸ばすとボタンを押し込んだ。

 

 間もなく音を極力、立てないように入室してきた看護師によってバイタルチェックが行われていく。それが片付けば今度は包帯の交換だ。手馴れた手つきで手早く替えの包帯を巻かれると安静にしているようにと、お大事にという常套句を残して看護師が退室した。

 

 どうやら生きているらしい。五感が早々に周囲の情報を収集していたに対して峻の認識はかなりの遅れを見た。

 

「よう」

 

 ひょい、とカーテンをまるで暖簾でもくぐるような気さくさで東雲がくぐった。行儀悪くお見舞い用に置いてある椅子をつま先で引っかけてちょうど峻から見て左側へ引き寄せると腰をそこへ落ち着けた。

 

「叢雲は?」

 

「……お前、もっと聞くことあるだろうがよ。作戦はうまくいったのか、とかどうしてここにいる、とか自分の怪我の容態とか」

 

「後で聞く。で、どうなんだ」

 

「反対側のカーテンを捲ってみろ……ってもできねえか」

 

 東雲が腰を上げて右側のカーテンを開ける。そのさらに奥にあったもう1枚のカーテンを開けた。

 

 そこに叢雲はいた。目を閉じて穏やかそうにベッドの上に横たわっている。

 

「おい、マサキ……」

 

「安心しろ、寝てるだけだ。ってかお前より元気だしな。先に目を覚ましたのも叢雲ちゃんだったよ。お前とまったく同じこと聞いてきたぜ? 『あいつは?』ってな。命に別状はないって伝えてやったらそのまま寝ちまった」

 

「そうか……」

 

「ゴーヤちゃんに感謝しとけよ? まだ残存勢力が相当数いる中でお前と叢雲ちゃんを回収し、深海棲艦の隙間を縫って連れ帰ったんだからな」

 

「ああ。あとからちゃんと伝えておく」

 

 ようやく記憶も蘇ってきた。あの後、叢雲の艤装に組み込まれていたリーパーシステムを発動した。そして峻がコネクトデバイスと艤装を接続して高出力を維持し、暴走状態に陥らせると解放した。

 

 予想した通り、叢雲の艤装の機関は暴走状態を維持しきれずに内部から爆発し、ロケットの燃料に引火。そのままさらに爆発の規模が拡大した。一方で峻と叢雲は全力で走り、最後は峻に叢雲がしがみ付き、峻が右脚のブースターを吹かして海に向かって飛び込んだ。

 

 だが完全に逃げ切ることはできなかった。最後は爆風に煽られて半ば海面に叩きつけられるような形で着水したはずだ。そこまでは覚えている。

 

 つまり海へ落ちた峻と叢雲をゴーヤがその身を削って回収し、いざよいなのかはわからないが艦船まで連れて行ってくれたのだろう。すぐに叢雲も峻も2人揃って医務室送りにされたであろうことは想像するに難くない。

 

「マサキ、あの後はどうなった?」

 

「ああ? ハワイ本島攻略作戦は成功。世間にはそう発表された。目的は深海棲艦の大規模侵略を実行する兆しが確認されたため、勢力の漸減ならびに牽制。これが世間体だ。新聞でも見るか? お前の名前がでかでかと載ってるぞ。よかったな、『ハワイ海戦の英雄』どの」

 

「勘弁してくれ。ウェークの時も嫌がったの忘れたか」

 

「わかって言ってるんだよ。嫌味のひとつやふたつくらい言わせろ。土壇場で回収してくれとか言いやがって」

 

 そういいつつも、恨みがましさは東雲から感じられない。もう少しくらい隠せとこちらが言いたくなるくらいに口元が笑っていた。それは自分自身も同じなのだろうと峻は思う。叢雲の安否がわかったことはそれくらい峻に安心感を与えていた。

 

「よく無事だったな」

 

「叢雲がいなければ人工島で死んでたかもな」

 

 帰られたのはゴーヤのおかげ。だが中で死なずに済んだのは叢雲がいたからだ。ひとりで中に潜り込んでいたら死んでいただろうと思う。

 

「で、だ。何か用事があるんだろ。わざわざお前がお見舞いなんて……するヤツではあるが、忙しい身ではあるはずだ。そうすぐには来れないだろ?」

 

「まあ、そうだ。お前に辞令だよ」

 

「意識が戻って早々、か。どこに飛ばされた?」

 

「自分で読めって言いたいとこだが今はその体だもんな」

 

 東雲が言うとおり、平然と話してはいるが峻の怪我は軽いとは言いがたい。特製の義足が壊れ、左腕は最後に攻撃を受け止める盾にしたせいでうまく動かない。右手だけで読めなくもないだろうが、封を開けるのが面倒だ。

 

「帆波峻を本日付で館山基地基地司令から海軍本部監査局局長へ異動とする。……本部勤めの栄転だ。おめでとう」

 

「わかってた話だ。もう前線に俺は置けないわな。この様子だと辞表も受け取って貰えないな?」

 

「お前はいろいろと知りすぎてる。放すことはできない。そしてそのとおり、前線に置き続けることもできない。知りすぎているがゆえにな」

 

 艦娘の秘密を知っている。それだけで指揮に迷いが出るかもしれない。そして現に峻はミッドウェーで指揮ができていない。ハワイでもそのフォローができたかと言われれば微妙だ。

 

 前線の艦娘指揮を担う司令官から外すのは真っ当な判断だろう。秘密を知っているからこそ、死なせるわけにもいかない。殺してしまえば簡単だが、安易に殺せる人間でもないことはさんざんの逃走劇でわかっているだろう。

 

「俺を消さずに監査局か。監査局なんて新設の局を作ってまでそこに送り込んだのはお前だな」

 

「……どうしてわかった?」

 

「なんとなく。俺を殺してもいいはずなのにわざわざそんなポストを用意するお人よしはお前くらいなもんだ。普通だったらもっと閑職に飛ばすところを新設である監査局の頭に就任なんだからな」

 

 けれど実際に飛ばされたのは閑職どころか局の長。局そのものが窓際職というのならまだしも、監査局というからには閑職にはならないことは明白。

 

「俺はこのシステムを変えなきゃならねえと思ってる。まずは現行の艦娘だ。バイオロイドを続投させるのではなくて、志願兵制度に切り替える」

 

「どれだけ難しいことかわかっているんだろうな」

 

「ああ。だがやらなきゃならないんだ。だが間違えるかもしれない。どこの誰かが悪用するかもしれない。だからそれを見張るやつがいる。そしてそれは俺の意志で動かないやつじゃなきゃならない。内部監査を入れられる権限のある場所は作った。あとは人だ。前までなら頼めなかったが、今のお前ならやれるだろ」

 

 東雲が辞令をベッドの毛布に置いた。書いてある内容を見て峻は気づいた。そこに自分の名前がないことを。

 

 この空欄に名前を書けば異動。そういうことなのだろう。叢雲に対してやったこととまったく同じことを返されるとは思わなかった。思わずちょっと笑ってしまう。

 

「わかった、受ける」

 

「意外だな。もう少し粘るかと思った」

 

「前線にまだいたいからってか? そうだな、以前ならそうしたかもしれない。前線で戦わなきゃいけない。戦わなきゃ存在価値が俺にない。そうでなくては俺の手にかかった人たちに申し訳が立たない。そう思ってた。だがもういいんだ。俺がどうしようと過去は変わらないし、殺めた人たちはなにも思わない。それにな」

 

 峻が東雲の方を向いた。東雲の瞳が先をそっと促した。

 

「俺は十分すぎるほど厄介を味わったよ」

 

 戦うことは続く。だがそれは前線でドンパチすることではない。もっと別の形がある。そう、ようやくわかった。今までやってきたことがただ無駄だったとは言わない。けれど正しかったとも言えない。

 

「いいんだな?」

 

「さんざん待たせたんだ。今度は俺が待つ番だからな」

 

「そうか」

 

 それしか東雲は言わなかった。だが何も言わなくとも理解していた。

 

 叢雲は艤装が壊れたとはいえ艦娘。今後も前線に居続けることになるのだろう。だから待つ。いつか志願兵制度は整って叢雲が前線から引くことができるようになるその時まで。

 

「ま、気長に待つさ。時間はたくさんある。俺もあいつも生きてるんだから」

 

 そこに叢雲が轟沈するという不吉な思考は一ミリたりとなかった。叢雲の実力なら沈まないだろう、という理由ではない。

 

 叢雲ならどんなことがあろうとも生き足掻いてみせることがわかっているからだ。

 

「退院するまでまだじっくり話せばいい」

 

「いや、いい。どうせ話しても喧嘩しかしねえよ。まだ完全に片付いたわけじゃないしな。それに……」

 

「それに?」

 

「こういうのはびしっと決めたいだろ」

 

 峻が悪戯っぽく笑う。東雲がつられて笑った。

 

「部屋を用意してやるよ」

 

「退院日程は……明日でいいか」

 

 それを聞いた瞬間、東雲が目を剥いた。だが指を折って数えると納得したように頷いた。

 

「相変わらず無茶を……まあ、5日もずっと眠り続ければ治るか」

 

「動くぶんなら支障はねえよ。一戦交えてこいって言われたらさすがに死ぬかもしれないけどな。じゃ、そういうことで頼む」

 

「おう。手配しとく。忙しいからまたな」

 

 立ち去る東雲の背中を見ながら5日も意識がなかったのかと知らされなかった事実を改めて認識した。しかし冷静になってみれば怪我も深手で叢雲の艤装に直結してリーパーシステムのせいで機関が早い段階で爆発しないように演算し続け、その上で全力ダッシュをやり、最後はほとんど爆風に吹き飛ばされるような形で海面に叩きつけられたのだから順当といえば順当かもしれない。

 

「さて、ひと眠りするか」

 

 明日に退院と決めたとはいえ怪我人は怪我人。体力を温存して回復するように努めるべきだ。

 

 全部が片付いてから。峻は大方が片付いた。だから叢雲の方が片付くまでのんびりと待つことにしよう。

 

 

 

 

 

 結局、翌日に退院はできなかった。しようとはしたがドクターストップがかかったのだ。医者から「正気ですか」とまで言われて仕方なく踏みとどまり、1週間の入院を経てようやく退院に至る。

 

 叢雲は怪我がそこまで酷くはなかったらしく、早々に退院したらしい。病院では話さなかったのであまり詳しいことはわからないが、峻よりも先に退院したことは確かだ。

 

 互いにわざと接触しないようにしていた。今、なにかやったとして何ができるのか。言葉を交わす過程はさんざんやった。叢雲も敢えて話しかけにこなかったのは自分がまだ片付いていないとわかっているからだ。

 

 難儀なものだが全部が片付いてからという約束は生きている。叢雲が前線から身を引けるその時まで。それでようやく終いだ。

 

「ここです、帆波准将」

 

「ん。案内お疲れ様」

 

 「准将」という呼称をムズ痒く感じながらも軽く労うと案内した軍人が敬礼をしてから立ち去った。本部の地図はクーデターの時に頭へ叩き込んであるため、場所さえ聞ければひとりで行けたが案内役がすでにいたのでそれを無下にもできなかった。

 

 真新しい金属製のプレートには『監査局』と彫られている。無駄に予算をかけなくてもと思ったが体裁も必要ということだろうか。部屋に入るとこれまた凝った調度品が峻のことを出迎えた。

 

「帆波『准将』ね……出世コースからは外れたもんだと思ってたが」

 

 調度品の質は館山基地のそれを明らかに上回っていた。与えられた椅子に座ってみるがなんとなく落ち着かないのは貧乏性だからか。これもいつか慣れる日が来るのかもしれない。

 

 とりあえずはひとり。他に人員は後々に補充されるだろう。まあ、滑り出しなんてこんなものだ。おいおいなんとかしていけばいい。

 

 そういえば家がない。しばらくはここに寝泊まりするとしてもどこかに小さなアパートの1室くらいは借りた方がいいかと考えているところにドアのノックが遮った。

 

 なにか渡し忘れたものでもあったのだろうか。それとも伝え忘れだろうか。疑問に感じながらも返事をしつつ、ドアを開ける。

 

 真っ先に見えたのは青みがかった銀髪。そして悪戯っぽく踊る燃えるような赤に近いオレンジの瞳。

 

「本日付けで海軍監査局局長補佐官に着任した吹雪型駆逐艦五番艦の叢雲よ。あんたが監査局局長なんてね。ま、せいぜいがんばりなさい。つきあってあげるわ。これからも、ね」

 

 立っていたのはどれだけどの角度で見直そうとも紛うことなき叢雲だった。何が起きたか理解できず思考に穴が空く。そしてようやく犯人に至った。

 

 こんなことをできるのは峻が局長に就任することを知っている人物のみ。そして艦娘の配置もある程度、自由度がきかせられる立場にいて叢雲も峻も知っている人間なんてひとりだけ。

 

 ハメやがったな、マサキ。

 

 あとで恨み言の20や30くらい言ってやる。わかってこんなことをしたのだからそれくらいは許されるだろう。

 

「返礼、まだかしら」

 

 敬礼の姿勢を作ったまま、叢雲が催促する。もしや叢雲もグルか。いや、絶対にそうだ。さっきからの言い方は明らかにわかっている。

 

 つまり峻は袋小路に追い詰められたのだ。癪なことに逃げ道も完全に封鎖されている。

 

「ったく……やられたよ」

 

 そんな感想しか出てこない。だがその一言を叢雲は聞こえないフリをする。早くしなさいよ、と言われているような気分だ。

 

「同じく本日付けで海軍監査局局長に着任した帆波峻だ。補佐官の着任を歓迎する。……これからもよろしくな」

 

 手を差し出すと叢雲がそれを握った。今回は躊躇うことなく叢雲の手を握り返せた。小さな手だ。それでもとても落ち着かせてくれる頼もしい手だった。

 

「いいのか?」

 

「ええ。私がこうしたいのよ」

 

「そっか」

 

 互いに握り合った手を離す。そして峻がゆっくりと叢雲に歩み寄った。叢雲はただ微笑んでそれを受け入れた。腕の中にすっぽりと収まった叢雲が壊れ物を扱うように優しく峻の背中へ手を回していく。同じように峻も叢雲の腰あたりに手を回した。

 

 そして…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 序曲(オーバーチェア)があれば終曲(フィナーレ)がある。それは当然の帰結だ。

 

 長く続いた演奏会にも幕を下ろすべき時が来た。哀歌(ブルース)に始まり、挽歌(エレジー)遁走曲(フーガ)と続き、交響曲(シンフォニア)バルカローレ(舟歌)、そして狂詩曲(ラプソディ)によって締めくくられた組曲(カルメン)は終幕を迎えた。

 

 数多くの演奏者が舞台にいた。それは語っている俺も例外に漏れない。ただ通常の演奏と違う点があるとすれば指揮者がいないことだろうか。放縦者たちが自由勝手気ままに各々の音を奏でて回った。

 

 時に不協和音であったかもしれない。しかしそんなハチャメチャな音でも聞き心地のよい音になることもある。

 

 ころころと演奏者の気分によって曲調を変えてしまうこれら一連の曲に名前を付けようと思う。そう、『放縦者たちのカルメン』と。

 

 繰り返すがこの演奏会はもう幕だ。だが本来、締めの挨拶をすべき指揮者はこの演奏会にいない。だから僭越ながら俺がその大役を担わせてもらおうと思う。

 

 だが演奏会は終わっても演奏者の物語は続いていく。舞台を去ってもそれは変わらない。

 

 なのでごくありふれた言葉で締めるつもりだ。様々な物語において使われる締めの一言。

 

 おやおや、まだ騒がしい日々は続くようですよ?

 

ーーーーこれにて終幕。

 





はい、そんなわけで最終回です。

長かった。本当に長かった。それが最初の終った感想でした。思えばもう2年近くになるわけですから長いと感じて当然かもしれません。

最初は軽い気持ちで書き始めたカルメンもお気に入りが200を超えられたのはひとえに読者の皆様方がここまで付いてきていただけたからです。

感想や評価。そのひとつひとつが作者にとって本当にありがたく、モチベーションの維持にも繋がりました。

作者はこれが艦これ二次創作の処女作のため至らないこともあったと思います。それにも関わらず着いてきていただけた読者の皆様には頭が上がりません。

自身の作品を駄作と貶めるつもりはありません。しかし、つたない出来であったことは否めません。これを反省材料にしつつ、今後もなにかの形で書いていけたらと思います。

それではみなさん。またどこかでお会いしましょう。

ご愛読ありがとうございました!


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第???章
30 years later


 人もまばらな地域。いわゆる田舎に不釣合いな真っ黒の車が道を走る。舗装されてからずいぶんと時間が経ってしまっているのかガタガタと振動している。

 

 やがて車は脇に停まると中からこれまた不似合いなくらいキッチリとしたスーツを着込んだ初老の男が降りた。

 

 白髪と黒髪が混ざり合ったグレーの髪をワックスでオールバックに固めており、雰囲気は初老でもまだまだ活発さが健在であることを匂わせる。

 

「ここで待機しておくように」

 

「承知しました」

 

 運転手が腰を折って男性を見送る。男性は悠々とした足取りで砂利を踏みしめつつ、目的地である一軒のありふれた家を目指して歩いていく。

 

 直接、家に車をつけなかったために少しばかり距離がある。ジリジリと太陽が照り付けてシャツにじとっと汗が滲んだ。まだ春だが、もうじき夏になるような時期だ。夏用のスーツでよかったかもしれない、と男性は今さらながらに後悔した。

 

 目的の家に着くとチャイムを鳴らす。普遍的なピンポーン、というチャイムの音が鳴ると家の中からぱたぱたと駆け回って玄関に足音が近づいてきた。

 

「はいはい、どなたかしら……って何の用よ」

 

 エプロンを着ている青みがかった銀髪の女性が玄関のドアを開けた。にこやかで愛想のいい声から男性の顔を認識した瞬間に一転して警戒色の滲む口調に切り替わる。

 

「こんにちは、叢雲ちゃん。いや……帆波婦人、と呼ぶべきかな」

 

「今はどっちでもあって、どちらでもないわ。いきなりアポもなしに何かしら。少し礼に欠ける行為じゃない、東雲大将元帥さん?」

 

「アポなしの件は謝罪する。シュンと話がしたい。いるか?」

 

 叢雲が探るように東雲を上から下までじっくりと見つめる。やがて折れたのか深いため息を叢雲が吐いた。

 

「上がってちょうだい。何もないけどお茶くらいは出すわ」

 

「すまない」

 

「謝るくらいなら事前に電話の一本くらい寄越してからにして」

 

 文句をつけつつ、叢雲が東雲を招き入れた。流れるように来客用のスリッパを用意すると、東雲が礼を述べつつスリッパをはく。それを確認した叢雲は東雲を案内してリビングルームへと連れて行き、ソファを勧めた。

 

「悪いけど応接室なんてものはないの。生活感があるのは勘弁して」

 

 その言葉通り、案内されたリビングは生活感に溢れていた。隅には今しがた畳み終わったばかりなのだろうと思わせる洗濯物が入れられた籠が置いてあり、食器乾燥棚には今日の昼食に使われたであろう食器や鍋などが伏せてあった。その他にも男女2人が寄り添いあって微笑んでいる写真が収められた写真立てがあったり、読みかけの本に栞が挟んだものがあったりした。

 

 なるほどリビングルームだ、と東雲は納得する。マイホームを購入したという話は聞いていたが、屋敷のような家を購入したわけではなく、こじんまりとした一般的な洋風民家を買ったらしい。

 

 こじんまり、と表現はしたが屋敷のようでなくとも家としてはわりと立派な部類だ。少なくとも一般的な水準に照らし合わせて考えれば平均より少し上くらいだろうか。

 

「小さな家でしょ」

 

 そう叢雲が言った。だが口調が満足げなのは小さい、なんて自虐的なことを言いつつも、この家が叢雲にとって思い入れがあるからだろう。そんな邪推をしてしまうのは致し方ないことかもしれない。

 

「おまえ、お客か?」

 

 たんたんたん、とリズミカルに階段を下りてくる音。それによく通る声が混ざった。

 

「上客よ。あんたの」

 

「俺のか?」

 

 リビングに黒髪の男が現れた。東雲と同じように老人というほど歳を取っている様子はあいが、若くもない。

 

「よう、シュン」

 

「誰かと思えばマサキか。いつぶりだ」

 

「忘れる程度には久しぶりだ。お前は変わらないな」

 

「そういうお前はずいぶん白髪が増えたな」

 

 にやっと峻が笑いつつ東雲の頭を指摘した。ばつが悪そうに東雲が自身の頭を撫でた。

 

「ま、俺も歳を取ったんだよ。お互い様だろ」

 

「そうだな。……気づけばハワイ海大戦から30年も過ぎた。そりゃ年も取る。そろそろ60に片足を突っ込みかけているくらいだ。叢雲も50を過ぎた」

 

「それにしては若々しいな」

 

「人がお茶を用意している間にずいぶんな言い様ね」

 

 叢雲がお盆の上からテーブルに3人分のお茶を移しながらちょっと怒ったように言った。悪かったよ、と峻が謝るとため息を吐きつつ峻の右隣を占領した。

 

 東雲から言わせて貰うと実際に叢雲はかなり若々しい。シワがないとはいわないが、深いものはなく、また目立っていない。髪の色も変わらず、肌も荒れていたりする様子はない。

 

 年月は感じるが、実際に立っている月日と比べると相応に年齢を重ねたようには見えなかった。

 

「おまえが昔と変わらず俺が惚れた女のままだってことだよ」

 

「そうやって都合のいいことばかり言ってすぐ逃げるんだから」

 

「あのな、女性の年齢に触れたのは悪かった。だが目の前で熟年夫婦のイチャイチャを見せ付けられるのは勘弁してくれ」

 

 胸焼けがする、と東雲がこぼす。悪かったよと峻が笑いながら叢雲の肩にいつのまにか回していた手を下ろした。

 

「変わったな、シュン」

 

「違う。正直になっただけだよ」

 

 峻が笑ったまま否定する。なんの混じり気もない笑顔はこの30年間がどれだけ峻にとって満ち足りたものだったのか克明に告げているようだ。

 

「さてと、だ。マサキ、何の用事でうちを訪ねた? 俺も叢雲も今日は非番だ。そしておまえは仕事だろう」

 

「ついでだ。ちょっと近くを通りかかる予定があったから久しぶりにな」

 

「ああ、だからそのわざわざ近くを通る予定ってヤツをねじ込んでまでうちを訪ねた意図を聞いているんだ」

 

「前線を引いてもかつての英雄の頭は健在か」

 

 その一言に峻が露骨に嫌そうな顔を形作る。英雄、という呼ばれ方を嫌がるところは昔からまったく変わっていない。むしろその傾向は強くなっていた。

 

「そろそろその呼称も消えてほしいんだよ」

 

「諦めろよ。たぶんずっと残り続けるさ」

 

「平穏に過ごしたいだけなんだけどな……っと、話が逸れた。で、何か用事があったんだろ?」

 

 促されるままに話すのはなんとなく癪だったので、出されたお茶に口をつける。

 

 唇を湿らせてからようやく東雲は口を開いた。

 

「監査局はどこまで掴んでる?」

 

「それは東雲将生としての質問か? それとも大将元帥としての質問か?」

 

 同じように峻がお茶を飲みながら問い返す。威圧するわけでもへりくだるわけでもない。ただ明日の夕食でも聞くようなくらい淡々とした口調。

 

「どっちでも答えは変わらない。答えられない、だ」

 

「それで構わない。探りを入れてることさえわかればな」

 

 何の、という具体名は出てこない。それでも一発で峻は理解し、東雲へ返してきた。

 

「海の中で波が立ち始めてる」

 

「知ってる。だが俺が動く理由にはならない。お前が言ったんだ。監査局は公正じゃなきゃならない。だからまだ動く時じゃない。それにお前に恩を売るために動くつもりもない」

 

「それでいい。いや、そうあり続けてくれ」

 

 公正でなければなんのために監査局の権限を強くしたのかわからなくなってしまう。だからこの姿勢はむしろ歓迎すべきものだ。

 

「話はそれだけか?」

 

「ああ。動いてることさえわかればいい。ちゃんと機能してくれるのならな」

 

「そうか」

 

 情報をこれ以上は提供しない、という意味を込めているであろう短い返答。

 

 それでもちゃんと動いていることはわかった。それで東雲は十分だ。それ以上を求めるつもりは無いし、求めるのであれば初めからトップダウンで命令させる。

 

 それをしないのは不必要に波を立てたくないという東雲の意図だ。監査局を危うい立場にしたくはない。

 

「ちょうどいい時分か。マサキ、うちで夕食でも食べてくか?」

 

「外に運転手を待たせてる。それにあくまで寄っただけだからな。帰るよ」

 

「そうか。玄関までは送るよ」

 

 東雲が席を立とうとすると峻もソファから腰を上げる。叢雲が手早く湯呑みを回収して洗い場へ向かって行った。

 

 東雲が玄関で靴に履き替えるためしゃがんだ。峻はその姿を後方で見ていた。

 

「なあ、シュン。お前の守りたいものってなんだ?」

 

 しゃがんで峻に背を向けたまま、東雲が問いかける。重く響いたかもしれない。それでも聞いてみたかった。帆波峻という男が前線から引っ込んでなにを考えているのか。何を思っているのか。そして何を大事にしているのか。

 

「お前はどうあることでなにを守りたかったんだ?」

 

「俺はどうあるかなんて他人が下す評価だ。だがなにを守りたいかと言われれば簡単だ」

 

 靴紐を結び直すのに手間取るふりをして峻の答えを待つ。かちこちと時計の秒針が時を刻む音と、キッチンから叢雲が湯呑みを洗っているのであろう水音だけが聞こえてくる。

 

「俺はこの家族を守る」

 

「その答えが聞けてよかったのかな、俺は」

 

 数秒ほど間をおいて東雲が立ち上がると峻に向き直る。

 

「じゃあな」

 

「ああ」

 

 必要以上の別れは不要。言葉は手短に。東雲はその民家を後にして、待たせている車への道を急ぐ。小さな諍いとも言えないようなやりとりはあった。だがそんなやりとりすらも懐かしい。なにより久しぶりにこうして会って話せた。

 

「確かに俺も歳を取ったんだな」

 

 ぽつり、と東雲がつぶやく。昔はしょっちしゅう顔を突き合わせては喧々諤々の言い合いをしたものだが、ただ穏やかとは言えないまでも話すことは楽しかった。

 

 そんなふうに感じたこと。それがまさしく歳を取ったと感じさせた。

 

「どこまで?」

 

「海軍本部まで」

 

「かしこまりました」

 

 車に乗り込むと、あっという間に民家は見えなくなっていく。また会える日はいつかわからない。だがそれでもしばらくあの2人はくたばらなさそうだと東雲は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 叢雲が夕食を作り、峻が後片付けをする。それが休日において2人が決めたルールだった。

 

 とはいえ今は夫婦のふたり暮らし。そこまで豪勢な料理にいちいちしたりはしない。簡単にご飯と豚の生姜焼き、ほうれん草のおひたしと筑前煮というラインナップだ。

 

 いたって普通の和食。別段、高級な食材を使っているわけでもなく一般的な家庭の食事だが、それでも満足に峻と叢雲の胃を満たした。

 

 峻が片付けをしている間に叢雲が風呂を沸かす。15分もすると風呂は沸いた。

 

「先、入っちゃうわね」

 

「おう」

 

 リビングのソファでくつろぎながら返事をする。ちょうどひとりで考えに耽りたいと思っていたのでいいタイミングだ。それもわかった上で叢雲が先に風呂へ入ってくれたのだろう。

 

 叢雲が風呂から上がった旨だけ告げると、半ば無意識に反応するといつも通りに風呂の湯船に浸かる。すべて考え事をしながらだが、この家で生活して長いため見に染み付いたものでこなせた。

 

「これしかないか」

 

「どうする?」

 

 いつの間にか風呂からも上がり、リビングに落ち着いていた時に呟く。その一言に反応して峻に寄り添うように座る叢雲が問いかけた。

 

「ちょっと洗い直す。TSOプロジェクトの詳細な資料は確保済みだったよな?」

 

「ええ。監査局の金庫にきっちり掴んでるわよ」

 

「全部を読み直す。場合によっちゃまだ何か種が出てくるかもしれない」

 

「それは必要なことなのね?」

 

「ああ。動く動かないに関係なく、何かやられそうになった時にカウンターが入れられる程度にはしときたい。なにより、な」

 

「そうね。そうだったわね」

 

 叢雲が髪を軽くかき上げつつ、同意した。青みがかった銀髪が波打つと、照明を反射してキラキラと輝きながらほのかに柔らかい香りが漂う。

 

「あーあ。また明日から忙しくなるわね」

 

「何らかの形で埋め合わせはするよ」

 

「なら健康に気を使ってちょうだい。徹夜はダメ。食事も即席ばかりにしない」

 

「わかったよ。仰せのままに」

 

 ふざけ半分で叢雲に峻が傅く。こっちは真剣なのよ、とキツめの口調で注意しつつも叢雲の口角は緩くあがっていた。

 

「ま、頼りにしてるよ」

 

「こっちもね。だけど」

 

「だけど?」

 

「資料の洗い直しは明日からにして」

 

 叢雲の赤に近いオレンジの瞳が峻の姿を写す。それは叢雲のわがままだ。それがわからないほど鈍くはない。昔ならばいざ知らず、今はそれなりに気づけるようになってきた。

 

 なにより気づけないほど浅薄な付き合いではない。何だかんだと気づけば老夫婦と言われるまでに年月が経っている。

 

 この件に対応すれば忙しくなることは必定。それを理解しているからこそ、明日からにしてほしいという叢雲の小さなわがまま。

 

「わかった。そうしようか」

 

「ありがと」

 

 礼を言うのはこっちの方なんだけどな、とこっそり思う。一晩、冷静になれる時間を置くべきだとさりげなく注意をしてくれているのだから。

 

 だがストレートにそれを言わないで、自分の要求を混ぜ込んだ。気遣いをしつつ、ちょっとしたわがままも入れてくる。

 

 そんな叢雲だからこそ、愛おしく感じる。

 

「今日の残りは少ないが、ゆっくりしようか」

 

「ええ」

 

 何か話していてもいい。何をするわけでもなくぼんやりと並んで座っているだけでもいい。

 

「今日は私を見て」

 

「了解」

 

 ただこんな時間を守るためなら。そして帰る場所を守るためなら何だってやれる気がした。

 




間違えて消してしまったので再掲。ちょっと書いてしまったのを投稿です。これで完全に完結ということで。

それでは、また。


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