麻帆良に現れた聖杯の少女の物語 (蒼猫 ささら)
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Arcadiaにあったものを一時削除し、此方に掲載する事にしました。


 

 ――ここは何処だろう。

 

 呆然としながら周囲を見渡す。

 薄い光に照らされて視界に写るのは木々のみ。

ふと見上げれば、葉が生い茂る梢の切れ目から星空とぼんやりと輝く月が見えた。

 夜間の最中、森の中に独りポツンと立つ自分。

 

 ………………なんで?

 

 訳が判らない。どうしてこんな場所にいるのだろう?

 そう考えて、ここに至る経緯を思い出そうとし―――気付く。

 

「記憶…喪失…」

 

 え……ちょっと待って!? 洒落になってませんよ!

 途端、焦燥感に包まれて混乱に陥る私。

 そんな訳ない、と懸命に頭を捻るも自分の名前すら出てこない結果に更に焦る。

 

「ど…どうしよう」

 

 焦り、混乱しながらも手掛かりが無いか改めて周囲を見渡し、身元の確認が出来る物が無いか自身の着衣も弄る。

 そこで新たな事実に気付く。

 

「すかーと?」

 

 視線を足元に転じると、すらりと伸びる素足が見え、やたらとスウスウする下半身の感覚。

 そういえば、声も随分高いような気がする。

 もしかして、と思いスカートの上から自分の股に手を触れて――

 

「な、無いーーー!?」

 

 愕然とする。

 

 ――記憶喪失にTS展開って、どんだけー? テンプレ過ぎない!?

 

 と、ショックを受けながらも思考の隅でそんな考えが過ぎった。

 

 

 ◇

 

 

「はあ」

 

 もう何度目だろうか? トボトボと当ても無く森の中を彷徨いながら溜息を吐く。

 自分が何かしらの創作小説的な展開に陥ったらしい事を理解して鬱になったのだ。

 

 ――読む分には、まだいいけど。

 

 でも現実に記憶喪失に陥り、女の子に成ったなどというのは結構なショックだった。記憶を失うなら自分が男だった事も忘れていれば良いのに……中途半端だよね、とそう思わなくも無い。

 

「……いや、それはそれでやっぱり嫌かなぁ…はあ」

 

 また溜息が漏れる。

 ただ、幸いなのは自分に関する記憶は無いのだけど、知識はあるという点だろう。お蔭でまだ現況に馴染める土壌――つまりオタ知識がある。

 多分だけど、さっきも考えたとおり、私はネット小説などで良く見られるような展開に巻き込まれたのだろう。だからこそ鬱に成る一方で妙な余裕があった。

 

「ん?」

 

 視界の先、森の奥で何かが光った。直ぐに消えたので一瞬気のせいかと思ったが、断続的に光が瞬くのを確認し、見間違いでない事を確信する。

 

「行く当てもありませんし…」

 

 と呟きながらも闇に包まれた森の中に居る事に不安を感じていたのか? 自覚する以上の早足でその光の瞬く先へと向かった。

 

 

 早足から駆け足となり、断続的に瞬く光に向かって歩を進めると程無くして森を抜け、開けた視界の先に大きな橋が見えた。

 

「あれは…」

 

 記憶に何となく見覚えがある欧風な趣きを持つ立派な石造りの橋。

 その上で――此処からでは豆粒のような大きさだが――四人の人影が見えた。

 辛うじて見える範囲では、二人は子供だと判る。

 しかも片方は浮いているように……いえ、どう見ても浮いていた。

 浮いている子供――黒衣を纏う金髪の少女が手から光と共に何かを放ち、もう片方が子供――少年も、ソレに対峙して手から光を放って対抗する。

 その二人から離れた所では、先の二人より幾分か年上と思われる少女達が格闘じみた応酬を繰り広げていた。

 これだけで此処が何処なのか理解出来た。判った。

 

「…ネギま、よね」

 

 時期的には多分3巻。そしてアレはネギ・スプリングフィールドとエヴァンジェリンの対決。

 うん、本当に、本気で、此処は二次元の世界らしい。

 非現実的な事実を前に若干頭が重くなった気がするが、何と無くそうなんだろうな、という思いもあったので愕然とする程の衝撃は無い。ただ、それよりも安堵の気持ちの方が大きかった。

 何故なら、自分の知っている原作作品であり、どこぞの殺し愛(誤字に在らず)上等な厨二チックな某伝奇物やら、訳の分からない敵対的な異星生命体に人類が蹂躙されている御伽噺のような――そんな致死率が高い世界で無いからだ。

 勿論、それらの作品は好きだし、かなりハマッたゲームだ。けど憑依だとか転移だとかは流石にカンベンして欲しい。即効で死ねる自信がある。

 でも“ネギま”なら比較的平穏に過ごせる筈、……多分。

 

 ――そう思っていたんだけどな。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 唐突であるが、場所変わって学園長室。

 二次創作でも良く言われているけど、なんで女子中等部に在るんだろう? このおじいさんの趣味なんだろうか?

 そう思いながら目の前の居る人物に視線を向ける。

 崑崙山にでも居そうな容姿を持つ老人――麻帆良学園・学園長にして関東魔法協会理事の近衛 近右衛門。

 

「記憶喪失…のう」

「一応そうなるわ」

 

 訝る様子で私を見詰める学園長。

 さて、何故この学園長室に私が居るかだけど……単純に言えば見つかったからだ。

 ネギとエヴァンジェリンの戦いに見入り、気を取られていた私は背後からこの老人に自分が見られていた事に気が付かなかった。まあ、原作によると学園最強というし、気付いていたとしてもどうにか出来たとも思えないけど…。

 そして、背後からいきなり声を掛けられた私は有無言わされず此処に連れて来られた。

 途中、検査を受けて事情説明に至ったのだけど、そこで気付いた事が在った。

 先ず自分の頭の中に得体の知れない神秘の知識があったこと、次に容姿が銀髪赤目のちびっ娘だったこと、更に身体全体に膨大な本数の魔術回路があったことだ。

 早い話、驚いた事に私の身体はFetaのイリヤっぽい存在に成ってしまったらしい。

 いや、少し違うかな? だって何処かで見た七騎士が描かれた七枚のタロットカードみたいな物を持っていたんだから。

 プリズマで魔法少女なイリヤさん……だろうか?

 しかし、あの“人工天然精霊”だとか“愉快型魔術礼装”は無いし、着ている衣服も見た限りではFate本編の物みたいだし、どうも半端な気がしないでもない。

 ――いや、まあ…あんな禍々しい代物は無い方が良いんだけどね。

 

「確かめさせてもらっても良いかの?」

 

 思慮に耽っていた私に穏やかな声でそう言う学園長。けどその反面、何とも言えない威圧感が発せられていた。明らかに警戒されている様子。

 でも――

 

「だめ」

 

 ――と即拒否する。

 何故なら学園長の〝確かめる手段〟というのが、どのような方法か察しが付くからだ。

 

「なんじゃ、何か後ろめたい事でもあるのかの? それとも記憶喪失というのは嘘じゃったか?」

「記憶喪失なのは本当よ。でも“(なか)”を見られるのはゴメンだわ」

 

 確かに警戒を解かせる為には“(なか)”を見せた方が良いのだろうけど、それは出来ない。

 

「ふむ…確かに覗かれるのは好い気はせんじゃろうが、おぬしの疑いを晴らすには一番手っ取り早いし確実じゃ、それに記憶が無いならそれ程気になることでも――」

「それでもだめ。さっきも言ったけど、私は知識だけは確りとあるのよ」

 

 遮るように私は言う。

 

「むう、先ほどのカードのことかの?」

「……そうね。この短い遣り取りでも貴方が人格者であるらしい事は分かるわ。でもあのカードの事を知って無用な欲に駆られないかまでは、私は貴方の事を知らない」

 

 まあ、原作を()る限りそんな人物とは思えないけど。

 

「それほど危険な物なのかのう?」

「持ち主しだいよ」

 

 そう言うと学園長は腕を組んで考え込む。

 勿論、カードだけが理由ではない。原作(みらい)を知っているという事も含まれる。尤もそれでも重要なのはやはりカードと私の身の安全の事だ。

 魔法協会が善人の集り…とまでは言えないかも知れないけど、それに準じる組織だと考えても英霊の力を行使できる破格のアイテムと魔術回路などという、恐らくこの世界では異質で希有な存在を有する私の事を知ってどう扱うかは判らない。ましてやその上層である本国――正確にはMM(メガロメセンブリア)元老院も中々に“人間らしい”連中なのだ。

 此方も警戒するに越した事は無い。

 まあ、それでも――

 

「貴方が力尽くで――というのなら、私は抵抗のしようも無いけど」

 

 ただし、英霊(カード)の力を使わなければ……だけどね。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 近衛 近右衛門は悩む。

 

 彼の英雄――ナギの息子の成長を見届ける為に彼の“最強の魔法使い”との戦いぶりを傍観していた所、突如結界を抜けて現れた“白い少女”。

 外見は北欧系と思われる白人で、歳は10を越えるか越えないといった頃。しかし話をしてみた感触ではその見た目通りの年齢ではない事が判る。では亜人の類なのかとも考えたが、検査の結果は白…いや、灰色といった所だろうか? しかし混血(ハーフ)とも異なる。

 

 ――では何なのか?

 

 近右衛門は老体というその見た目の通り、それなりの年月を生きて相応に世界の表裏を見聞しており、またその血筋から“魔法使い”としての実力と実績も非常に高く、それに比例して知識面に置いても魔法界随一と言える。しかしその近右衛門でも“少女”の正体に至る事が出来ない事実。

 そして構造不明・用途不明の高度な魔法具と思われるカード。アーティファクトカードにも似た感じをさせるが、明らかに異なる絵柄に異質な魔力と存在感。相当強力な代物であると考えられた。

 悩みを深くする要因はまだある。

 それは、少女が記憶喪失だという点だ。

 直感だが、近右衛門はそれは真実であり、少女が麻帆良学園や関東魔法協会に害を成す存在ではないとも感じていた。しかし一方で少女が何かを隠している事も察していた。

 

「貴方が力尽くで――というのなら、私は抵抗のしようも無いけど」

 

 成程、少女の言うとおりそれは簡単だろう。此処に至るまで少女の素振り、立ち振る舞いを見る限り荒事に向いている様子はない……或いは全くの素人である事は想像に難くない。

 だが迂闊にそれを実行しては成らない、とこれまた近右衛門の勘が警鐘を鳴らすのだった。

 それは、少女がこの状況で不利を承知で隠している事情ないし事実。それを知るという事は相応の責を負わなくては成らないという事だ……いや、それ以前に実力行使に訴え出た途端、少女は先と矛盾するようではあるが、打倒し難い敵と成るのではないか? という危惧も感じていた。

 無論、生徒の安全を守る学園長という役職。そして関東の裏を守る魔法協会の理事という役職を鑑みれば、この不審人物の隠す事情を……況してや危険物とも取れるカードの事を考えれば、尚更に実力行使してでも知って置くべきではないかとも理知的な面も訴えて来ている。

 しかしそう考える度に先の“少女が害の成す存在ではない”という勘が大きく疼くのだった。

 そうして微かな時間、それでも熟考して近右衛門は結論を下す。

 

「それは止して置こう。君のような可愛らしいお嬢ちゃんを相手に力だけで事を収めるのは、我ら世の平和を守らんとする“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”の流儀に外れるしのう」

 

 近右衛門は己の勘を信じることにした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「――それを踏まえて君には、この麻帆良に留まって貰う」

 

 矛を収めた形にした学園長に少し意外に思うも、次に出たその言葉で真意を察する。

 

「なるほど、強固な結界を抜け、危険そうなカードを所持し、尚且つ記憶喪失なんて言う不審者を手元に置いて監視しようという訳ね」

「まあ、そういった面も無くもないが、君が記憶喪失という点をわしは信じておってのう。そういった子供を無碍に扱って放逐するというのも……ほらなんじゃ、流儀に反するじゃろう」

 

 更に出てきた意外な言葉に呆気に取られる。何故ならその言葉には全く裏を感じさせない、そう…本当に善意のみで出たものだと理解できたからだ。

 そんな私を見て、ほっほっほっ、とバルタン笑いをする学園長。

 

 ――こうして麻帆良学園に留まる事となり、此処で一夜を明かした私は翌日思っても無い事態に直面する事になる。

 

 



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第1話――遭遇、出会い

 

 

「おぬし名前は如何する?」

 

 この世界の二日目の朝、挨拶を交わした直後、学園長が唐突にそう尋ねて来た。

 

「名前?」

 

 思わずオウム返しに聞き返す。

 

「うむ、何時までも“お主”やら“君”やらでは不便じゃからのう。まさか名無しのまま過ごす訳には行くまい」

 

 尤もな話だ。とはいえ名前ねぇ。

 うーん、やっぱりイリヤかなぁ、正直それしか浮かばないし。

 ……でもそれだと問題かな? むう、と思わず唸り首を傾げる。そこに学園長が口を開き。

 

「悩むようならわしが考え――」

「遠慮しとくわ」

 

 学園長の予想通りの申し出を即却下する。

 

「……せめて最後まで聞いてくれても良かろうに」

 

 寂しげに言うお爺さんを無視して考えるも、結局良い名前は思いつかず。

 

「イリヤ…イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」

 

 そう名乗る事にする。

 

「本名かのう?」

「さあ? 多分違うわ。思い付いた物から適当に選んだだけだし」

 

 嘘ではない…だろう。相変わらず自分の事は思い出せず、この身体も名前も借り物のような物なのだから。

 しかしこのお爺さんは思う所を感じたのか、顎から長く伸びた白い髭を撫でながら言う。

 

「ふむ。一応少し調べて見るか。もしかしたお主の事が何か分かるかも知れんし、記憶を取り戻す手掛かりになるやも知れんしな」

「……そうね。お願いするわ」

 

 一応並行世界とも言えなくないし、もしかしたら本当に何か出てくるかも……そんな微かな不安と期待を入り混ぜて私は学園長にそう応えた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 これといってすることも無い為、私は学園長室にそのまま留まり、借りた魔法関係の書物を読み耽って時間を潰していた。時折、教師らしい人物が部屋を訪れ、訝しげな視線を向けられたりもしたけど、挨拶を交わす以上の事は無かった。

 そうして、幾度目かの軽快なチャイムが校内に鳴り響き……放課後に成った頃――“彼”がこの学園長室を訪れた。

 

「失礼します学園長先生…あっ、こんにちは」

 

 ドアから聞こえたノック音に学園長が応えると扉が開き、視線が合った私に挨拶をしてくる10歳ほどの西洋人の少年。

 挨拶された私の方はというと、その聞き覚えのある声と目にした容貌に驚きの余り硬直していまい。挨拶を返すのが遅れ……少年が怪訝な表情をするか否かといった所で漸く返事をする事ができた。

 

「……ええ、こんにちは」

 

 挨拶を返しながら思わず彼を見詰める。

 赤毛が特徴的なまだ凛々しいと言うよりも、可愛らしいと言える顔立ちの利発そうな少年。彼が――

 

「おお、ネギ君、待っとたぞ」

「学園長先生、お呼びだそうですけど、何か御用が…」

 

 学園長の呼びかけに応える少年。

 やはり彼がネギ・スプリングフィールド。あの“物語”の主人公。

 

「うむ、実は来週の修学旅行の事なのだが――」

 

 

 暫くして、

 

「え……し、修学旅行の京都行きは中止ーーー!?」

「うむ、京都がダメだった場合は、ハワイに……」

 

 きょ…きょうとーー…

 と、ここへ来た時に見えていた機嫌の良さは何処に行ったのか? ショックの余りに涙を流しながらフラフラくるくると奇行……じゃなくて項垂れるネギ。

 そういえば、エヴァンジェリンとの対決の翌日ってこんな話だったっけ?

 確かこの後、関西の組織に親書を渡す話になって、更にその後、買い物先でエロオコジョことカモに唆されてコノカとスカカードを出すんだったかな?

 …にしても、ネギのこの落ち込み方は傍から見ると面白いわね。さっきの利発そうなイメージが見事に吹き飛んだって感じ。

 

「コレコレ…まだ、中止とは決まっとらん。ただ、先方が――」

 

 予想通り…じゃなくて、原作の記憶にある通りに話が進んで行く。

 ……って、部外者で且つ不審人物である私の前でする話しなんだろうか? まあ、いいけど。

 程無くして学園長の説明が済み、

 

「ネギ君にはなかなか大変な仕事になるじゃろ……どうじゃな?」

「…わかりました。任せて下さい、学園長先生!」

 

 一瞬逡巡のような物を見せたが、学園長の顔を確りと見据えてそうハッキリと力強く応えるネギ。

 

 ――へぇ、これはなかなか。

 

 ちょっと感心してしまう。私の座るソファーの位置からでは横顔しか見えないが、その表情は10歳児とは思えない意思や気概といったものを確かに感じさせた。

 

「ほ…良い顔をするようになったの、新学期に入って何かあったかの?」

 

 学園長も同様に感じたらしい。とはいえ、“何かあったかの?”とは学園長もとんだ狸よね。実の所、何があったか知っているくせに。

 

「え、い、いえぇ、別に何もありませんよ」

 

 だというのに、片や焦って挙動不審に見えて誤魔化すどころか返って怪しいし。

 まったく、感心したばかりで呆れさせるのもどうだろう? 学園長も「そうかの?」と言いながら言外に呆れているのを感じさせる。

 

「京都と言えば孫の木乃香―――」

 

 だが余計な突っ込み……いや、詮索はせず、学園長はコノカに魔法の事がバレてないか、親の方針が……云々と話を変え――ん?

 何故か? そこでネギが何かに気付いたように私の方をチラチラと見るようになる。

 

「では、修学旅行は予定通り行う。頼むぞネギ君」

「あ…はい」

 

 さっきと同様意気込んで返事をするかと思いきや、妙に曖昧に答えるネギ。学園長も不審に思ったのか眉を顰める。

 

「如何したんじゃネギ君?」

「あ、いえ…その、あの子の前で魔法とか協会とか、それに…木乃香さんの事まで話していたから…」

 

 と私に視線を向けて言うネギ。

 成程、だから私の方を見ていたのか。

 

「ああ、その子なら大丈夫じゃ。一応こちら側の人間だしの」

「あ、そうなんですか」

 

 学園長の言葉にほっと安堵するネギ。すると私の方へ向き直り。

 

「あの…改めてこんにちは、僕はネギ・スプリングフィールドと言うんだけど、君は?」

「え、私…」

 

 何だか妙に人懐っこい笑顔を浮かべて気安く声を掛けてくるネギ。もしかして私、同年代だと思われてる?

 

「えっ…と、私はイリヤスフィール・フォン・アインツベルンって言うけど」

 

 戸惑いながらも何とか答える。

 

「イリヤスフィール…さん。ドイツの人? それにフォンってことは…貴族なの?」

 

 なんか子供らしい無邪気で朗らかな笑顔で話しかけてくる。

 

「えっと…それは」

 

 ネギの態度に戸惑いが抜けず、つい言葉を濁し…ふと気付く。

 そういえば、原作でネギの周りには年上ばかりだとかで、気安く話したり出来る同年代の友達が居ないとか言ってたような?

 コタローがその役割の筈なんだけど、修学旅行編で出会うからまだ会って無くて、それに友人と言える関係になるのはあの悪魔が襲来してからの筈――だから私にお鉢が回って来ていると?……はぁ。

 

「……まあ良いか」

「?」

 

 こんなナリだし、しょうがない。それに彼と“お友達”というのも悪くはないだろうし…。

 私はこの時、余り深く考えずにそう結論を下し、頭の上にクエスチョンマークを浮かべるネギに笑顔を向けた。

 

「イリヤスフィールは長いからイリヤで良いわ、ネギ」

「あ、うん!」

「それじゃあ、これから宜しくね」

 

 そう言って右手を差し出す私。

 すると、ネギは無邪気な笑顔を浮かべてもう一度「うん!」と頷いて、躊躇い無く私の右手を掴んで握手を交わす。

 

「宜しくイリヤ!」

 

 こんなネギの様子を見ると本当に子供にしか見えない。こっちが素の彼な訳か、と会って間もないのに妙な感慨に耽る。

 考えてみれば、原作では主人公として奮闘する彼が主に描かれている訳だし、私がそういった感慨を覚えるのも当然なのかも知れない。

 

「ああ、それでネギ君―――」

「あ、はい。学園長先生、親書の事は任せて下さい!! すぐ修学旅行の準備に取り掛かりますから、じゃあ、またねイリヤ!」

「ええ、またねネギ」

 

 そうして意気込んで扉を開いて駆けて行くネギ。子供らしく元気の良いことだと微笑ましく思う。でも一方で仮にも教師が廊下を走っていくのはどうかなとも思ってしまう。

 

「………」

「どうしたの、学園長?」

 

 ドアの向こうに消えるネギを見送り、読書の続きに戻ろうとし……視界に学園長がまるで石化の魔眼(キュベレイ)でも受けたかのようにネギを呼び掛けた時のまま、右手を挙げた姿勢で固まっているのが見え、思わず首を傾げる。

 学園長は、固まったまま呟くようにして私に向けて口を開く。

 

「なあ、イリヤ君」

「なに?」

「…ワザとじゃろ」

「は?」

 

 意味が解らず首を傾げたが――その後、学園長の話を聞くと、どうやら私を彼のクラスに編入させようと企んでいた事が判明した。

 私の承諾を得る前に転入生としてネギに紹介し、なし崩し的に強引に事を進める心積もりだったらしい。しかし今や同年代の女の子、もしくは友達としてネギは私を認識してしまい。今更、実は年上で生徒に成る子だとは言い出し辛くなったという塩梅である。

 まあ、ネギのあの喜びようを見れば尚更よね。

 

「仕方ない。この際、初等部でも――」

「へぇ、そんなに死期を早めたいのね」

 

 些か聞き逃せない――何処となく邪気の含んだ声色で見過ごせない事を発言しようとする学園長を睨み。スカートのポケットにしまったクラスカードに手を伸ばす。

 取り出した物には『槍兵』の絵が描かれていた。

 

「じょ、冗談じゃ…だから早まるでない」

「それがこの世に残す最後の言葉で良いかしら?」

 

 私の殺気を感じ取ったのか、それともカードに不吉なモノを捉えたのか、顔を青くし心底焦って後ずさりする学園長。

 

「待て! 待てっ! 分かったっ! 二度と勝手な真似はせんから、許してくれい!!」

 

 

 

 ◇

 

 

 

「まったく心臓に悪いのう。老い先短い老人のちょっとした茶目っ気なのだから、そんなに目くじら立てんでも良かろうに」

「悪いけど貴方相手に遠慮をしていたら、良い様に振り回されそうだから御免よ」

「同感だね、学園長は直ぐに悪乗りしたがるから、言うべき時はやはり屹然とした態度で釘を刺すべきだろうね」

「むう…労りが欲しいのう」

 

 学園長室に一人増え、私の向かいのソファーに30歳前後の男性が座っていた。

 あの後、直ぐに土下座して平謝りした学園長に免じて矛を収めた私だが、間が悪い事にそこへこの男性……ネギの友人を自称するあのタカミチこと、タカハタ先生が駆け込んで来たのだった。

 駆け込んで来たというのは学園長の悲鳴じみた声が聞こえ、余談を許さぬ危急な状況と勘違いしたからだ。しかし、いざ踏み込んで見れば、10歳程度の可憐な少女に土下座している東の長の姿。

 なんとも理解し難い滑稽な状況に思わず固まるタカハタ先生であったが、事情を聞くに及び、呆れた視線を私と学園長に向けてくれた。

 まあ、そんな様子を見せた彼も普段の学園長の行いを知っているので、大まかの元凶は学園長と認識しているっぽい。

 

「しかし困ったの」

「何がです?」

 

 唐突に学園長は唸るように口を開き、タカハタ先生が応じる。

 

「うむ、確かに面白半分もあったがの。イリヤ君の住処を考えると、あの女子寮が最適であったのも本当なのじゃ」

「ああ、それは確かに……だから彼のクラスに?」

「そうじゃ」

 

 二人して頷き合う。私はそれにやや置いてけぼり感を受け、思わず眉を顰めて疑問の言葉を口にする。

 

「何、どういうこと?」

「ああ、一応説明しておくべきだね」

 

 タカハタ先生の説明よると、この学園でネギの暮らすあの女子寮は、年頃のうら若い少女達が住む事もあって保安面で適した位置に建てられており、また“とある事情”から魔法などの裏社会が絡む方面に対しても学園内でも屈指の堅牢さと防衛力を持てるよう、数年前に大規模な改装が行なわれたとの事。

 そして茶目っ気こそ多分に含んではいたものの、記憶を弄られた可能性と未知の魔法具を持つ私を狙う何者か、或いは何者達が居るのではないかと危惧する学園長は、警護の為にもその強固な守りを持つ女子寮へ私を生徒とする事で違和感無く暮らせるように計らう積もりだった。

 それが先の一件での本当の目的なのだという。

 

 詳しくは説明してくれなかったけど、“とある事情”というのは多分、アスナやコノカが学園に来た事を指しているのだろう。数年前の改装という言葉からその可能性は低くないと思う。もしかしたらネギの事も含まれているかも知れない。

 重要人物を一箇所に集めて守り易くするのも至極当然の事だろうし。

 あと、セツナ、タツミヤが居るのも万が一の事態に対処させ易いからではないだろうか?……と、流石にこれは穿ちすぎかな。

 私は少々脱線しつつある思考を戻し、本当の目的を明らかにした学園長に向けて皮肉気に笑う。

 

「でも、そんな目論見も学園長の趣味のお蔭でご破算してしまった、と」

「ぐ」

 

 痛い所を突かれたかのように学園長は呻いた。

 そんな学園長にタカハタ先生も日頃の行いに苦言を呈するように言う。

 

「そうだね、妙な茶目っ気を出さず、予めイリヤ君に話しておけば、ネギ君の勘違いもその場で正す事が出来ただろうし」

「ぬぬぬ……しかし、言っておれば、拒否したのでないかのイリヤ君は」

「うーん、そうね。中学生をやるというのは確かに抵抗があるわね」

 

 まあ、実際中学生に限った話では無いんだけどね。正直に言えばもう一度、学生だなんて……まあ、ちょっと懐かしいというか、もう一度あの頃になんて思わなくも無いけど、やっぱり面倒くさいし。

 

「じゃろう」

「でもそれ以前に……私が言うのもなんだけど、警護の為とはいえ、生徒達の中に不審人物を混ぜるなんて、他の魔法関係者は良い顔しないんじゃない? 学園長は私をそれなりに信用してくれているようだけど。…あとタカハタ先生もそうみたいね」

 

 理由はよく分からないけど、学園長は何故か私を無害と考えているのよね。タカハタ先生も今此処で初めて顔を合わせたばかりだけど警戒している様子は無いし、ホント何故なんだか?

 でも、他の魔法先生……特にあのガンドルフィーニとか、堅物そうな人は納得しないんじゃないかな?

 そう考える私に学園長は、ん?と微かに首を傾げたかと思うと、突然ポンッと何かを思いついたように手の平を打つ仕草をする。

 

「ああ! そう言えばイリヤ君にはまだ言ってなかったのう。実は君が侵入した事を知っておるのは、わしとタカミチ君だけなのじゃ」

「は…なんで?」

 

 それじゃあ、監視も警戒も出来ないんじゃ?

 

「追々と思っての、取り敢えずタカミチ君にだけ話して置いた、といった所かの」

「他の関係者は、私が侵入した事に気付いてないの?」

「うん、外から無理矢理結界を破って侵入した訳じゃ無いからね。突然、内側に…それも魔力の気配、痕跡も殆ど感知させず、残さずに現れたらしいから、学園長ぐらいしか気が付かなかったんだと思うよ」

「だったら尚更――あ、だからか」

 

 感知も出来ず、強固な結界を物ともせず、その内側に入り込む方法がある……しかも痕跡といった侵入の証拠も残さずに。

 そんな事を浅慮に周囲に漏らせば、この土地の防衛に神経を尖らせている麻帆良の魔法関係者達は、上から下への大騒ぎとなる。

 それに問題は麻帆良学園だけに止まらず、本国だとか他の魔法組織にも知れ渡る事になるかも知れない。無論、本来ならば、こういった危機管理に繋がる情報は協会と関連の在る組織には通達するべきなんだろうけど。

 しかしそうなると、実際に入り込んだ私にも厄介な追求が入る。先に説明された私に関する危惧とネギとアスナという出自に曰くが在る者を預かる―――云わば、懸念を抱える学園長としてはそういった事態は歓迎できないだろう。

 だから冷静に物事を見据えられ、万が一の時にも対処可能で信の置ける人物や“筋”にだけ伝えて置くと。

 まあ、もう少し状況を見極めたいという思惑もあるのかも知れないけど。

 口には出さなかったが、私の表情から事情を察したことを読み取ったらしい学園長は頷く。

 

「うむ、理解が良くて助かるの。そういう訳じゃからイリヤ君。当面は君の事は、知人の娘を預かった、とでも周囲に言っておくからその積もりでの」

「わかったわ。…でも、一応聞くけど、私以外に侵入者は居なかったの?」

「昨夜からそれと無く警戒命令を出しているけど、今の所それらしい報告は上がってないね。…それに“学園長が感知していない”なら、無いと考えても良いと思うよ」

「うむ」

 

 私の質問にタカハタ先生が答え、学園長がそれに自信を持って頷いた。

 

「そう」

 

 なんとなくした質問。

 予想通りの返答だったけど……よくよく考えると私は何なのだろうか?

 突如、麻帆良に現れた異邦人。でも何のために? ネギ・スプリングフィールドの物語に介入する、させる為?……それこそ何のために?

 判らない。しかも私に残る記憶では原作も完結してない……一体何をしろというのだろうか? それとも意味など無いのかしら?

 

「……話を戻すが、イリヤ君の安全…それに監視も考えるとやはりあの女子寮が一番なのじゃが――」

 

 学園長の言葉に思考に沈みかけた意識を浮き挙げ、遮るように口を開く。

 

「――学生をする気は無いわよ。それにネギの事情を鑑みると、気掛かりの無い友人が必要なのも確かなんじゃないかしら」

 

 学園長の盛大な土下座――クラス編入云々の時にネギの修行の事は聞いている。原作通りに幼くして故郷から遠く離れた異国の土地で、魔法の修行もとい教師をしているという無茶な話を…。

 

「うーん、イリヤ君の言う事も分からなくはないね。僕も彼とは友達だけど、見ての通り大人だし、麻帆良(ここ)を留守にしてばっかりだから傍に居てやれないからね」

「そうじゃのう。さっきのネギ君の反応を見るにしても、そういった相手を求めておるかも知れんしな」

 

 タカハタ先生が同意し、学園長は思う所があるようにしみじみと言う。

 ネギのあの笑顔や、初対面に対する――同年代だけど仮にも異性である私に――妙に人懐っこさを見せた様子を思うと学園長の見解も無理は無い。というか私自身そう考えなくも無い。

 

「仕方ない、イリヤ君のクラス編入は諦めるかの」

「初等部編入も無しよ」

「わかっとるわい…じゃから、殺気を向けるのは止めてくれんかのう……全くまるでエヴァみたいじゃ」

「…それなら、いっその事その彼女に頼んでみては? あそこならある意味安全ですし」

 

 あ、何かものすごく嫌な予感。…彼女って? やっぱり…

 

「ある意味では危険じゃがな。しかし妙案でもあるのう。ちょうど貸しもある事だし、良いかも知れん」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 学園長とタカハタ先生に案内されて行き着いた先は、洒落たログハウスだった。

 

「何だ、ジジイの方から訪ねて来るとは、珍しい事もあるものだ」

 

 ああ…やっぱりか。

 リビングに通され、目の前でソファーに座り、偉そうにふんぞり返っていたのは、金髪碧眼の見た目は10歳ほどの西洋人の美少女――つまり、あのエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだった。

 原作では一番好きなキャラなんだけど……現実でお世話になるのはちょっと、ね。…だって、なんていうか確かに可愛らしいんだけど怖いイメージもあるし、それにこうして実際会って判ったけど、何か身の危険がひしひしと感じるのよね。

 

「で、何のようだ?」

 

 初対面の私を一瞥しつつ、学園長に用件を促がす彼女。

 

「お前さんにちょっと頼みがあってのう」

「面倒ごとならゴメンだぞ」

「昨晩、ちょっとした“騒ぎ”があった事を知っておるか?」

「…それがなんだ。お前の頼み事とやらに何か関係があるのか」

 

 エヴァンジェリンは一瞬、眉を動かすも平然とそう切り返し、テーブルに置かれたカップに手を伸ばして紅茶を啜る。

 

「いや、そっちは“どうでも良い”のじゃが、その騒ぎの際に“別の厄介ごと”が舞い込んで来ての。お前さんも騒ぎの方に気を取られていたようだし、仕事が“疎かになる事も”……ま、あるじゃろう」

 

 そう言って意味ありげに、例のバルタン笑いをしながら私に視線を向ける学園長。

 

「チッ…で、その小娘をどうしろと」

「お前さんの方で預かってくれんか。ちょっとした訳ありでの、彼女の身の安全と監視…その双方を含めて出来る限りの配慮をしておきたいのじゃ」

「……私に餓鬼の子守をしろ、と」

 

 忌々しそうに表情を歪める幼げな少女と、飄々としたな態度の老獪なお爺さん……実に対照的な構図である。

 

「そういえば、ここ最近、桜通りになにやら…と、妙な噂があったかのう」

「……いいだろう、引き受けてやる」

「そうか、いや…助かるのう。ふぉふぉふぉ」

 

 学園長を睨みつつ「この狸が…」と呟くエヴァンジェリン。だがそれには意を返さずに変わらずバルタン笑いを続ける学園長。

 はー…成程ね。

 昨晩の“騒ぎ”――ネギとの決闘の事を仄めかしつつも“どうでも良い”と言って責を追及せず、“別の厄介ごと”と警備員を務める彼女に侵入者(わたし)の存在を告げて、またそれも“疎かになる事も”と言いながら不問にし、さらに桜通りの一件も問わない。……けどその代わりに私の事を引き受けろ、という訳ね。

 原作の彼女のプライドの高さから考えると確かに効果的でもあるかも知れない。こういった“借り”とも言うべきものを無償で施されるのを好しとする性格ではないだろうし…。

 でも、ちょっと対価としては払い過ぎな気も…?

 

「そこまでして何故私に押し付ける? その小娘には何があるんだ」

 

 エヴァンジェリンも私と同じ疑問を感じたのか、そう学園長に尋ねた。

 

「さて、の」

 

 学園長は惚けるようにそう言いながらも、どこか鋭くエヴァンジェリンを見据えた。エヴァンジェリンもその鋭い視線に目線を合わせるも――

 

「…まあ、いいさ」

 

 程無くして彼女から視線を逸らし、そう呟いた。

 

「引き受けると言った以上、子守らしく丁重に扱ってやる。…それで良いんだな?」

「うむ」

「それじゃ頼むよエヴァ、それと……これ、この前に渡しそびれたから」

「む?――ああ!」

 

 学園長と共に頷きつつ、エヴァンジェリンに何か白い小さな紙袋を渡すタカハタ先生。

 なんだろう? と思っていると受け取った彼女は直ぐに紙袋を漁り、中から長方形で木製の小さな箱を取り出した。箱自体は何の飾り気も無い代物だが、相当古いのか表面の光沢は鈍く、傷も見え、何処となく年期を感じさせた。

 私からはその中身は見えなかったけど、その箱を開いたエヴァンジェリンが一瞬、驚愕にも似た表情を見せ……何とも表現できない顔をする。

 

「本物…のようだな…まさか……とは思ったが…」

 

 エヴァンジェリンが震えた声を出す。そんな彼女の様子を目にした学園長とタカハタ先生は、やや目を見開き、驚いたような感じの珍妙な顔をする。おそらく相当珍しいのだろう。

 

「エヴァ、それ――」

「ああ! タカミチご苦労だったな、残った金は好きにして構わん。報酬として受け取ってくれ」

「え? あ、いいのかい? 結構なが――」

「では、用件はそれだけだな。居候も出来たし、部屋の準備やらで忙しくなりそうだから長居はして欲しくないのだが」

 

 先程から一転。突然、何か妙に機嫌が良くなった…というか、ハイな感じをさせるエヴァンジェリン。

 思わずと言った感じで顔を見合わせる学園長とタカハタ先生だが、そんな二人の途惑った様子を他所にエヴァンジェリンに命じられたロボっ娘――絡繰 茶々丸に促がされ、二人は玄関から押し出されていった。

 そして二人の姿が見えなく成るや否や、エヴァンジェリンは即行でリビングを後にし…多分地下へと降りていった。

 

 で、ログハウスを訪れてからというもの、終始放置されっぱなしだった私なんだけど。

 

「…お部屋をご用意致しましょうか?」

 

 その後も放置され続け、半刻ほどした後にやっとこうして気を遣うような、申し訳なさそうな雰囲気を感じさせる茶々丸に声を掛けられた。

 

「……お願い、するわ」

 

 紅茶と洋菓子のみで得られた満腹感と、何ともいえない精神的な空虚感を懐きつつ私は返事をした。

 

 ――ただこの時、既に重要な事が目の前で発生していたというのに、私は気が付いていなかった。

 

 

 



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第2話――日々の始まり、そのある一日  お出掛け編

こちらに移るにあたり、本作に初めて目を通される方々に一応補足しますと、自分を元男性だと思っているこのイリヤは、自分の仕草や口調が完全に女性のものとなっている事に気付いていなかったりします。その自覚が無いのです。


 エヴァ邸で過ごす事が決まってからはや四日。

 私はこれと言った難事に遭遇する事無く、無事平穏な日々を過ごしていた。

 

 さて、平穏とはいえ、する事がなければ人間は死んでしまうもの……いや、言葉通りの意味ではなく、主に精神的な意味でだ。要は腐るだとか、ダメ人間だとか、ニートという感じである。

 型月厨の中でそういった扱いを受け、印象(イメージ)を与えたあの“食っちゃ寝王(セイバー)”ですら、確か“hollow”ではキャスターの内職を時折手伝っていたとかいうし、買い物なども言われればこなしていたようだし――何より私自身そういった何もしない日々には耐えられない。

 

 故に私はこの数日、この世界の神秘を学ぶ事に時間を費やしている。

 

 なにしろ異邦人であり、この世界にとって異端の神秘を内包する(もつ)身なのだ。何時何処で、どのような厄介事に巻き込まれるか知れたものではない。

 だから最低限、自分の身を守れるように知識と力を付ける必要あると考えたのだ。またこの世界で生きて行く上…ひいては魔法社会での将来を見据えての事でもある。

 そしてそれに関連して、私はエヴァジェリンさんと共に学園に通っていたりする。

 勿論、生徒としてでは無い。学園長に師事して魔法学を学ぶ為だ。また警護・監視対象である者が独り家で留守番というのも問題だという意見もこれに絡んでいる。

 とはいえ……まあ、アレでも学園経営者兼関東魔法協会理事なのだから、中々に忙しい身の上であるらしく、教えを請う時間は余り取れないのだけど。

 その為、大半の時間は独学・自習と為っている感が強い。

 尤も、私としてはその方が都合が良いという面も無くはない。

 表向きには、記憶喪失の影響で知識に齟齬と欠落があり、その補完と確認のための再学習としているのだ。

 長々と個人指導を受けては、知識不足が露呈したり、或いは魔術面の知識をうっかり披露する様な事をしたり、と不審を買う危険が大きくなりかねない。

 しかし、一方で大半が独学である事に不安もあった。

 

 そういう訳もあり――正直、後が少し怖いけど――それを補う為に、エヴァンジェリンさんに師事するとまでは行かなくとも、せめて家で過ごす合間にでも魔法関係の話を聞ければ、助かると思ってはいるんだけど……一体彼女は何をしているのか? 

 毎日帰宅するなり、殆どの時間をどうにも地下か、あの“別荘”で過ごしているらしくそれは叶わない。

 原作でも好きなキャラとほぼ会話できず、残念な気がするような、身の危険を感じられずホッとするような、何とも複雑な心境だ。

 その代わり…と言ってなんだけど、茶々丸とは結構親交が深められていると思う。主に家事を手伝ったり、猫の世話をしたり、一緒に買い物に行ったり、とそんな感じで。

 

 あと、学園に顔を出しているお蔭でネギともあれから毎日のように顔を合わせている。

 今日の授業はどうだったとか、寮での生活はこうだったとか、修学旅行が楽しみだとか、ありふれた日常会話をしながらお互いにちょっとした身の上も教えあったりもした。

 ついでにあのオコジョ――エロガモは、紹介された直後、あろう事か私に仮契約を迫って来たりしたので、きっついお仕置きをしておいて上げた。

 

 そんな日々の中、未だに少し気になっているのはこの家に来た翌日の朝のこと。

 タカハタ先生から何かを受け取り、ハイになった筈のエヴァンジェリンさんがまた一転して不機嫌を絵に描いたような表情をしていた事だ。おまけに憔悴しきった有様で足取りもフラフラしていた。

 それは例えるなら、“遠坂 凛、寝起きの一幕”と言った感じだろうか?

 原作では色々とイジられる場面も在ったけど、それでも屹然としたイメージをある彼女がそんな姿を見せたのは、妙に印象に残った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「人……ホント多いわね」

 

 麻帆良学園ではまず見かけることは無いガラス張りの近代的な建物が周囲に立ち並ぶ中、目の前を過ぎる黒山の人だかり――雑踏に少し辟易してしまう。

 今日は4月20日の日曜日。一般的に休日であるこの日、私は麻帆良学園から離れて東京・原宿へと訪れていた。

 

「僕もこの国に来た時、同じ事思ったよ」

 

 と言うも、私と違い物珍しさに好奇心一杯という様子で周囲を楽しげに見回す赤毛が特徴的な幼い少年――ネギ。

 

「ここは都心やしなぁ。麻帆良と比べると、やっぱなー」

 

 と、同意するような事を言う日本人形の様に整った長い黒髪を持つ女子中学生――近衛 木乃香。

 

「…………」

「? どうしたのイリヤ?」

「ん? もしかしてイリヤちゃん、人多いとこ苦手なん?」

「そんなことないわ、コノカ。…ただ、ちょっとね」

「「?」」

 

 曖昧に返事をする私に2人は不思議そうに首を傾げた。

 何故この二人と東京に来ているのか?

 それは数時間前。

 先日、学園長から渡されたばかりの携帯電話――早朝、それに掛かってきた一本の通話から始まった。

 

 

『ねえ、イリヤ。今日東京に行くんだけど、君もどうかな?』

 

 電話越しでの朝の挨拶もそこそこに、ネギがそう切り出した。

 出会ってから初めての休日にデートの誘い……? 意外に積極的ね、とそんな冗談染みた感想を懐くも口には出さなかった。

 まあ、十歳児である彼にそんな考えがある訳も無く、ただ友人として親交を深めたいのだろう。

 しかし、私は色々と事情を抱えており、学園から離れるのは……。

 それに正直、私自身、今は遠出をするのは気が乗らなかった。だから折角の誘いに悪いと思いながらも断ろうとした。しかし――

 

「行って来たらどうじゃ」

 

 何故か? 朝早くからエヴァ邸を訪れて居て、しかも堂々と無遠慮に朝食にまで口を付けている学園長がそんなことを言い放ったのだ。

 どういう積もり?と睨む私に、学園長はバルタン笑いするばかりで真面目に答えもせず、「折角の友達の初めての誘いじゃ、無碍にするのもどうかのう」という言い分から始まり、「遠い異国で――」「おぬしが友人として――」とかなどと気乗りで無い私にそんな事ばかりを穏やかな口調でありながら、チクチクと責めるかのように言うのだ。

 どうやら、この前の土下座の一件をまだ根に持っているらしい。

 それに溜息を吐きながらも私は――

 

(まあ、学園長のお墨付きがあるのなら、それもいいかな。この前借りた“先立つ物”もまだ余裕があるし)

 

 そう前向きに思考を切り替える事にしてネギの誘いを受けるのだった。

 

(――それに態々早朝から訪ねて来た学園長にとって、私が今日此処(エヴァ邸)に居ると都合が悪いようだし)

 

 そのように感じたのも理由の一つだった。

 ちなみに私が出かけるのに気乗りしない理由の一つに、私服がエヴァから与えられた(強制された)フリフリたっぷりのゴスロリ服ばかりしか無いこともある。

 そんな如何にも少女趣味全開な衣服を渡された時には、思わず固まってしまったのだけど、横暴な家主曰く「私の作った服に何か文句でもあるのか、無いなら居候らしく家主の言う事には従え」と凄まれて拒否権の発動を出来ず、元から着ていた服も何やら「参考にする」とか言われて取り上げられてしまった。

 まあ、だからこそ“先立つ物”――学園長から借りたお金にも余裕があるのだけど……女の子の服って結構値が張るのをつい最近知りました(しかし後に、とてもたかーい高級ブランドを扱うお店を敢えて茶々丸に紹介させた事が発覚する)。

 

 

 こうして止むを得ず羞恥心を押し殺しつつ私は、外出用の白さが眩しいフリフリの“私服”に着替えて約束した時間に学園中央駅前を訪れた。

 そこには既にネギと、同行するというルームメイトで彼の受け持つクラスの生徒である少女が待っていたのだけど――

 

「この娘が噂のネギ君の恋人のガールフレンドぉ? やーん! ホントお人形さんや妖精さんみたいに綺麗でかわええな~♪」

 

 挨拶をする間も無く。

 突然、開口一番にルームメイトの少女――つまりコノカが、瞳を爛々と輝かせてこのような言葉を発しながら私に抱き付き。さらに、

 

「ウチらの知らん内に、こんな美人な子と仲良くしとるなんて、ネギ君もなかなか隅に置けんなぁ」

 

 こう続けて私とネギの顔を真っ赤にさせた。

 ネギはコノカの冗談めかした言葉に、私はコノカの柔らかい女の子の感触にである。

 

 いえ、これでも私は元成人男性であった訳でして、幾ら中学生とはいえ、このように女子――それも美少女に抱き付かれては……その…色々と大変なのですよ?

 ましてや胸だとか、頬とか、顔に押し付けてきたり、スリスリされたりするのは…良い匂いが…って違くて…嬉しいような気が…ってそれも違……けど、その…ね。

 

 抱き付かれ、このように困惑しつつヒートする自分の思考を押しのけ、コノカの冗談めかした言葉へのネギの抗議をBGMに私は何とか彼女を引き剥がすと。

 未練がましく残念がるコノカを宥め、何とかお互いに自己紹介を済ませ。私達は東京へと向かう電車に乗り込んだのだった。

 

 

 ――にしてもガールフレンドはともかく、ネギの恋人とはね。

 

「なな、コレなんか、どやろ?」

「あーーー! いいですねー。可愛いと思いますよ」

「私は本人を直接知らないから、なんとも言えないわ。…でも良いんじゃない?」

 

 ネギとコノカ。2人と共に原宿に立ち並ぶ様々な店を巡り、歓談しながらも先の事を思う。

 麻帆良を訪れてから四日。僅かな期間ながらどうにも私に対して妙な噂が広がっているっぽい。

 東京行きの電車の中でその事を尋ねると、

 

 ――コノカ曰く「クラスの皆して、言うとるよ」とのこと。

 

 しつこいようですけど私は元成人男性な訳で、流石に少年を愛でるような趣味は持ち合わせていない。

 しかし、コノカをはじめ周囲は当然それを知る由も無く。このような――自分で言うのもなんだけど――目を惹く希有な容貌の美少女が同年代の…しかも学園でも有名な“子供先生”と仲の良い姿を見せていれば、何かしら噂の一つや二つ吹聴するのは、仕方の無い成り行きなのかも知れない。

 

 とはいえ、喜ばしい事ではないのは確かよねぇ。

 ……果たして噂の範囲はどれ位なのだろうか? ネギのクラス3-Aの中だけ? それとも女子中等部――もしくは学園全体までに及んでいるのかしら? いえ、3-Aに広まっているという事は既にそうなっていると考えるべきなのかも。

 あのクラスには、人間拡声器やらパパラッチ娘やらと噂の拡大に関しては事を欠かない人物が多いんだし。

 まあ、3-Aに広がっているだけでも十分厄介……というかドタバタとした珍妙な事態に陥るのは確実なんだろうけど。

 例えば、図書館島探検部の3人娘だとか、びっくりリボン使いの女子体操部員とか、ショタ趣味の委員長だとかが主に絡んで……って、あれ? 確か修学旅行前の話って――

 

「――ん……?」

「どうしたん、ネギ君?」

 

 歩きながらの談笑の最中、突然ネギが後ろを振り向いた為、会話が途切れて私の思考も中断された。

 

「あ、いえ、何か変な気配があったもので……でも気の所為――」

「――気の所為じゃないわよ」

 

 何でもありません、というようにコノカに返事をするネギを制して、私は彼の振り返った方へ視線を転じながら言う。

 それに「え?」とネギも再び振り返る。

 すると視線先――路傍に在る物影から「やばっ!」「気付かれた!?」「に、逃げよっ」と、微かに複数の女性の声が聞こえた。

 そして、声の主達はタッと駆け出そうとするような足音を立てる。けど――

 

「別に逃げる必要は無いんじゃないかしら?」

 

 ――それは遅く。“強化”した脚で私は素早く彼女達の先を回り込んだ。

 

「わあ!?」「んなっ!?」「い、いつの間にぃ!?」

 

 逃げ出そうと振り返った先へ突然現れた私へ物陰に潜んでいた彼女達――ネギの生徒である釘宮 円。柿崎 美砂。椎名 桜子は三者三様の驚きを見せた。

 そして、そんな3人の背の向こうで、

 

「へ? あれー、くぎみー?…それに」

「柿崎さんと椎名さん?」

 

 ネギとコノカも意外な尾行者の存在にそれぞれ困惑した表情を見せていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 丁度お昼に差し掛かった頃合いであった為、私達は立ち話もなんだと思い。遭遇した3人を連れて近くの飲食店へと足を運んだ。

 

「やっぱり、ネギの生徒だったのね。……私はイリヤ、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。ネギの()()よ」

 

 店員に席へと案内されて注文を済ませた後、テーブルの向かいに座る3人の紹介をネギから受けた私は、初めて彼女達の事を知ったかのように装いながら敢えて()()と強調して自己紹介し、呆れたように半眼の視線をチアリーダー3人組へと向けた。

 

「…あははっ、どうも」

「よ、よろしくね、イリヤちゃん」

「…同じく、よ、よろしくねー」

 

 私の視線の意味を察したのか、“尾行者”の3人は焦ったように引き攣った笑みを浮かべた。

 そんな3人組の不審さを気にせず、或いは気付かないのか? ネギが普段通りの様子で3人に尋ねる。

 

「それで皆さんは、修学旅行の準備で東京に?」

「えっ? あー、そうね…そうよ」

「ネ、ネギ君たちもそうなの?」

 

 マドカが動揺した様子で焦ったように頭を掻きながらネギに答え、サクラコが誤魔化すように尋ね返した。

 

「いえ、僕たちはその…えっと…」

 

 今度はネギが途惑って口篭り、コノカの方へチラッと視線を向ける。

 どうやら話して良いか迷い、コノカへ伺いを立てているらしい。そんな困った感じのネギを察してコノカは頷く。

 

「別にええんやない? 今日一日、内緒にして貰えばええだけやし。――って、ゆーか…」

 

 そう朗らかにネギに応じるも、途中で首を傾げて不思議そうな顔をマドカたち3人へ向ける。

 

「それが気になっとたん? なら別にウチらに隠れて覗いとらんで、直接聞きに来たらええのに?」

「「「「う…!?」」」

 

 コノカは先の事を疑問に感じていたのか、そのように問い。問われた3人は申し合わせたかのように揃ってビクリと…或いはギクリと身体を震わせた。

 

「い、いやー、それは…なんというか…」

 

 マドカは何とか答えようと言葉を紡ぎ出そうとしているが中々出せず、より焦って再び頭を掻く仕草を取る。

 その隣席では、此方に聞こえないようにミサとサクラコがヒソヒソと話し込んでいるのが窺える。

 

(ど、どうしよう)

(ま、まさか二股デートか! とか思い込んで()けていたなんて言えないし)

(冷静に考えれば、ありえないっていうのは判っていたんだけどねぇ)

(うう…ノリに任せて面白半分でやったのが悪かったか)

(そ、それに、なんかあの子…イリヤちゃんにはバレてるみたいな感じだし…)

 

 イリヤイヤーは地獄の耳~♪

 というのは冗談だけど、ヒソヒソ話をする2人と同じ壁側に席に座ったお蔭か、反響の関係でボソボソとした感じでミサとサクラコの会話内容が私の耳に届いていたりする。

 当然、彼女たちはそのような事を知る由は無く。

 しかし幸いなのは聞こえているのが私だけらしく、隣に座るネギとコノカの2人はマドカ達3人の様子を不思議そうに見ているだけだ。

 

 内心で溜息を付き、手元のドリンクをストローで飲み干しながら思う。

 まさかとは思ったけど、二股デートとはね。

 私もさっき似たような発想をしていたけど、先の噂の話といい、実際に他人……いや、学園の人間。それも3-Aの生徒からそんなふうに見られるとちょっとゾッとしなくもない。

 ――けど、この3人をあの場で抑えられたのは幸運だったかも。

 記憶によれば確かネギが尾行を勘ぐったあの時点では、アスナへ一度目の電話を入れたばかりでまだあの“いいんちょ”に今日のこと(デート疑惑)を知られていない筈。

 もし、あのまま“いいんちょ”が3人組の言う二股デートなどという話を知ったら――しかもコノカの言う噂を聞き及んで、その当事者である私がネギと一緒に出掛けているなどと耳にすれば……例えデートが誤解であっても絶対なにか一悶着が起きた筈。

 うん、先延ばし感が在るような気がしないでもないけど、妙な噂が広がっている間は出来る限り顔を合わせるのを避けるべきね。

 明後日には修学旅行という学園からの不在期間も在るし、旨くすればその間に噂やらも払拭されるかも知れないし。

 

 それにこのまま無事平穏に今日を乗り切るのは、原作と異なるけどネギの本来の目論見通り――アスナの誕生日を当日に祝うことへ繋がる訳だし、悪い事ではないわよね。

 そんなことを思いながら、やや薄っすらと額に汗を浮かべるマドカを見て、いい加減に哀れに思えてきたので助け舟を出す事にする。

 

「まあ、いいんじゃない。それより私達が原宿(ここ)を訪れたのはプレゼントを買いに…という事らしいわ」

「ぷ、プレゼントって?」

 

 一見何気無いように言うサクラコ。けど、彼女にも額に薄い汗が見えたり、どもったりしている様を見ると、内心では藁を掴む思いで疑問を返しているのかも知れない。

 

「なんでも、ネギとコノカのルームメイト――ああ、貴方達のクラスメイトでもあるのよね。そのカグラザカ アスナって人が明日、誕生日なんだそうよ」

「あー、そういえば!」

「それで一日、内緒にして欲しい…ってワケね」

 

 私の答えにサクラコはポンと手の平を打ち、ミサは自分達の追及が逸れた事への安堵か、それとも得心したからか笑みを見せて返事をする。

 それに「ええ、そうなんです」「そうなんよ~」とネギとコノカがそろって頷いた。

 そんなやり取りの隅で、ホッと安堵の溜息を吐いていたマドカが仲の良い友人2人に視線を向けて口を開く。

 

「それなら私達もソレに付き合わない?」

「いいわよ。ちょうど私もそう思ったところ」

「うん、私もいいよー」

 

 マドカの提案に同意するミサ、サクラコ。

 

「え…いいんですか?」

「いいわよ。修学旅行準備のついで…というのもアレだけど、クラスメイトのよしみよ、私達も友達だしね」

 

 途惑う尋ねるネギに笑顔で答えるマドカ。ミサとサクラコもその横でうんうんと頷く。

 こうして私達の買い物にチアリーダー3人組も加わる事と為った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「御利用、ありがとうございました。またの御来店をお待ちしておりま~す♪」

 

 食事を終え、女性店員――ウェイトレスの挨拶を背に私達は店を後にする。

 そして店巡りを再開しようとした矢先、コノカのバックから携帯電話の着信音が鳴り響いた。

 

「あ、いいんちょからや」

 

 ――え、なんで?

 手に取った携帯のディスプレイを見て発したコノカの言葉に思わず身体が硬直してしまう。 

 そんな私の様子にコノカは気付く事無く、着信ボタンを押して携帯を耳に当てる。

 

「もしもし、いいんちょ……え? 今、原宿やけど……うん、そやけど、……今から? ほんなら、待ちあ……って、切れてもーた」

 

 相手の声は聞こえなかったけれど、どうやら相手はあの“いいんちょ”に間違いないらしい。

 

「ど、どうしたのコノカ?」

 

 嫌な予感をしながらも私は尋ねる。

 それに切れた筈の携帯をまだ何か操作しながらコノカは答える。

 

「うん、いいんちょ――ゆうてもイリヤちゃんには分からんよね。えっと…雪広 あやかっていう、ウチらのクラスの委員長さんで、ウチと明日菜の昔っからの友達なんやけど。その人が今からコッチ来るって」

 

 嫌な予感大当たり!

 これは歴史の修正力というヤツなのでしょうか? それとも運命…!?

 

「あ、もしかして、いいんちょさんも明日菜さんのプレゼントを買いに…」

「うん、そやなー、なんだかんだ言って、いいんちょも明日菜のこと大好きやしなー」

 

 内心で戦慄する私を余所に、暢気にそんな会話するネギとコノカ。

 そうだといいんだけど……でも絶対違うと思う。

 

「でも、途中で電話が切れてしもーた。合流場所もまだ決めてへんかったのに…」

「言い忘れたのでしょうか?」

「…そーおもて掛け直し取るんやけど、繋がらへんのや」

「なにそれ…?」

 

 携帯を耳に当てながら答えるコノカにミサが疑問の声を上げ、コノカが携帯を切るのを見ると自らも掛ける。

 

「……何でか、電源を切ってるみたいね」

「気付けば、向こうから掛けて来るんじゃない?」

 

 先のコノカと同様、耳に携帯を当てて答えるミサにマドカが言う。

 それに「そうですね」「そやね」とネギとコノカをはじめ皆が同意する。

 私としては、出来れば気付かずに延々と原宿を彷徨っていて欲しいんですけど……まあ、この分だと無理な願いよねぇ。

 

 その後、些か不安を抱く私の思いを別にし、原宿巡りと買い物は順調に進み。

 ネギとコノカはアスナのプレゼントとして、原作のオルゴールの他にペアの服を買い。

 3人組も――

 ミサは「明日菜、こういうの疎そうだからね」と流行のお勧め化粧品を。

 サクラコは「プレゼントっていうのは、自分が贈られたら嬉しいものって言うしー」と可愛い猫の写真集(中古プレミア?)を。

 マドカは「アスナの趣味に合うか分からないけど、桜子と同じ意見かな…」と洋楽のCDをそれぞれ購入し、当初の目的――修学旅行への買い物を行い。私達もそれに付き合った。

 またその最中に、お約束として男子禁制(精神的に)の領域にネギが強引に連れ込まれたり、私と共に着せ替え人形の如く様々な衣服を試着させられたり、何故か? それらの店の売り上げに貢献してしまったりしたけど……まあ、楽しく過ごせたと思う。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 買い物を終え、陽の傾きが大きくなった頃。

 朝から変わらず朗らかな笑みを浮かべているコノカと、「よし、このままカラオケにでも行こうかー」と未だテンションの高いミサ達の中……。

 

「ふう…」

 

 と、私の隣を歩くネギが独り気だるそうにして大きな溜息を吐いた。

 気付いた私は少し体を前屈みに傾けて、彼の顔を下から臨み込むようにして訊ねる。

 

「ネギ、疲れたの?」

「あっ…いや、そんなこと無いよイリヤ」

 

 女の子(一応外見は)の私に疲れたと思われたのが恥ずかしかったのか? それとも心配されたのが照れくさかったのか? 少し頬を赤らめて「ほら」と、腕を掲げてグッと拳を握る動作で元気だとアピールして強がるネギ。

 そんな歳相応に“男の子”を見せようとするネギを微笑ましく感じ、思わずクスッと頬が緩む。

 

「あ、何笑っているのさ」

 

 今度はムスッとし、ネギは顔を顰める。

 そんな彼に益々微笑ましさが増す。けど、ここはネギの“男の子”としてのプライドを尊重して立てることにする。

 

「ううん、別に、…私はもう足が棒みたいで、すっかりくたびれているのに。さすが男の子だなぁ、と思ってね」

「そ、そうかな。うん、イリヤは女の子だもんね…大丈夫なの?」

「そうね、少し休みたいわね」

 

 私の煽てにまた頬を赤らめて照れたように応じるも、心配そうに私を窺うネギ。

 それに私は正直に答えた。この身体(イリヤ)に成ってからこれほど歩いたのは初めてなのだ。「棒みたいに~」というのも本当でもう足の裏だとか、脹脛だとかが、今結構痛かったりする。

 どうやら、イリヤスフィール(この身体)は余り運動に向いていないらしい。

 

「ほんなら、ちょっと静かなところ探して休んでこか、…円たちも、ええ?」

 

 そんな私達の様子に気付き、見ていたコノカが提案して三人組に伺う。

 

「うん、いいよ」

「イリヤちゃん、大丈夫ー?」

 

 3人を代表して同意するマドカと私を気遣うサクラコ。

 

「じゃあ、私、何か飲み物買ってくるよ」 

 

 そして自販機を探しにいくミサ。

 

「美砂、私も付き合う。この人数分は一人じゃ持っていくの大変だから」 

 

 するとマドカもミサに続き、その後を追った。

 

 

 

 そうして人気の無い広場に着き、短い階段をちょっとした椅子代わりにして私達は座り込んだ。

 

「――ふう」

 

 先程のネギのように思わず息が漏れ、自身の疲労の具合を自覚してしまう。

 少し訂正――運動に向いてない…というよりも、すっかり子供の体力みたいね。これは…。しっかりと魔力で水増しして置くんだった。

 そう思いつつミサには悪いけど、折角買って来てくれた飲み物に手を付けず。私は痛む足首や脹脛を揉み解すことに専念する。

 

「イリヤ、大丈夫?」

 

 そんな私の様子を見て気遣うネギだけど、その彼もまた身体の上半身がフラフラしている。

 

「そういうネギ君こそ、大丈夫なのー?」

「ふふっ、フラフラしとるえ、ネギ君」

 

 とりあえず、気遣ってくるネギに頷くと私が言うよりも早く、サクラコとコノカがフラフラと疲労を隠せないネギを微笑ましそうに気遣い指摘した。

 ネギは「あ…」と少し慌てた様子で背筋を伸ばし、周囲へ視線を泳がせて誤魔化すようにして言う。

 

「いや――その…でも、今日は東京も見れたし、楽しかったです」

 

 しかしそれは強がりだったのか、程無くしてネギは座ったままコクリコクリと舟を漕ぎながら眠り始めた。

 

「あははー、歩き疲れて寝ちゃうなんて」

「やっぱり、子供だね」

 

 そのネギの様子にクスッと頬を緩ませるサクラコとマドカ。私も疲労を忘れて頬が緩む―――途端、グラリ…と私の膝の上に影が被さった。

 ……と同時に重みも感じる。

 

「へ?」

 

 思わず間の抜けた声を零して視線を落とすと。

 私の膝の上に今ほどまで隣にあった筈のネギの顔が在る。

 

「ちょっ――!?」

「ああーー! 膝枕ーー!!」

 

 私が驚きの声を上げ切る前に、サクラコが大声で叫ぶ。

 

(しーっ)

 

 それを咎めるようにコノカが口元に人差し指を当てて、静かにというジェスチャーをする。

 慌てて両手で塞いで口を噤むサクラコ。

 それが功をそうしたという訳ではないと思うけど、変わらず私の膝の上でスヤスヤと寝息を立てるネギ。

 ――そして、硬直したように動けずにいる私。

 

 ……えっと…どうしよう? 何この展開…?

 コレってコノカの役目だったわよね。

 確かにネギの隣に私は座っている――というかネギが私の隣に座ったんだけど…けど、もう片側にはコノカも座っているのに……何これは?

 思わぬ展開に対応できず半ば呆然としてしまう。

 

「夕暮れ時、静かな公園で憩いの一時を過ごす美少女と美少年かぁ……いやー、なかなか絵になる光景ね。これは」

 

 イッ?

 ナニイッテルンデスカ? コノヒトハ…。

 私はギギッと錆びた機械の如く、不穏な言葉を発した主であるミサの方に首を振り向ける。

 彼女の顔はイヤラシイまでにニヤニヤと唇が歪んでいる。いかにも碌でもない事を考えてます、という表情。

 

「ねえ、イリヤちゃん。“友達”っていうけど、実際ホントの所どうなのよ? 新学期…ネギ君が正式に先生として働き始めた翌週には、麻帆良のトップである学園長から直々学園に招かれたってゆうし、何か関係があるんじゃない?」

 

 オーケー…予想通りだけど、予想外な質問ね。なんか恋人っていう話を飛び越してない?

 さて、こんな弛んだネジなぶっ飛んだ思考をするイマドキ娘のネジを締め直すには、どんな言葉を返してやるべきかしら?

 

「そういえば、ネギ君には“実は王子様でパートナーを探しに来た”っていう噂も在ったよね。…って、それじゃあ! イリヤちゃんはもしかしてお姫様とか!?」

 

 サクラコ…お前もか!

 というかコノカも興味津々っていう瞳で私の方を見ているし……今またサクラコの声、結構大きかったわよ。注意しなくて良いの?

 …はあ、まったく本当に何でこんな展開になってるんだか。

 

「ネギとの噂の事はコノカから聞いているけど、それは完璧に誤解よ。ミサとサクラコも可笑しな憶測をしないで」

「え~~、でも…ねぇ」

「うん」

「ネギ君とイリヤちゃん。2人ともお似合いやと思うけどな~」

 

 ――くっ…!

 否定するもミサが煽るような口調と視線を皆に向け、見事にそれに同調するサクラコとコノカ。

 不味いわね、このまま放って置くと噂が妙な方向に拡大しかねない。どうしたものかしら? ムキになって否定するのも逆効果になるだろうし…ここは――

 

「はあ……まあ、貴方達がどう思おうと自由だけど、とにかく余り変に吹聴しないでよね。ネギにしろ、私にしろ、妙な噂を流されると迷惑なんだから」

 

 とりあえずこうして過剰に反応せず、冷静に釘を打って置くしかないかな。……効果は余り期待できないけど。

 しかし、ミサは私のそんな反応が面白くないからか、しつこく喰い付いて来る。

 

「む、…じゃあ、そうしてネギ君を膝枕している感触はどう? こうなにか胸にグッと――」

「――はいそこまで。……美砂、いい加減にしなよ。静かにしてないとネギ君が起きるよ」

 

 言葉通りいい加減見兼ねたのだろう。マドカが少し語気を強めてミサを嗜める。

 そんなマドカに気圧されたのか? それともミサ自身も調子に乗っていたことを自覚したのか? 「う…ゴメン」と素直に謝る。

 

 …やれやれ、マドカには感謝ね。

 

 そう思い視線をマドカに向けると彼女と視線が合い、アイコンタクトというべきか、その意味を察した様子で「気にしないで」という感じで苦笑した目線を返してきた。

 それに――成程、苦労しているのね。

 と、恐らく3人の中ではストッパー役であろうマドカに同情めいた感慨を懐くのだった。

 

 

 

 眠ってしまったネギの為か、沈黙が私達の間に漂い。夕暮れ近い赤みを帯びつつある日差しの中、小鳥のさえずりだけが耳に入る。

 ネギはすっかり寝入り、私の膝の上でスヤスヤと健やかな寝息を立てて子供らしい無垢な寝顔を見せている。

 そんな無防備な姿は、まるで親猫に寄り添って眠る子猫を連想させる……だからか、無断で私の足を膝枕にして一寸した迷惑を起こした事も不快とは思えず、責める気もすっかり失せてしまった。

 そんな無垢なネギの寝顔に心の機微を覚えたのは私だけではなかったらしく、コノカが沈黙を破って口を開いた。

 

「ふふっ…新学期から少しは凛々しゅうなった思うてたけど。寝顔はやっぱ子供やな、ネギ君」

 

 そう微笑ましそうに独り語る。

 

「凛々しい…か、ネギは教職をしっかりこなせているのね」

 

 コノカに続いて私も口を開いた。

 原作では余り授業や仕事の様子など描かれていなかったので、どのようにネギが教職を行なっているのか今一イメージできない。

 この世界でも学園で私と話す時は、すっかり歳相応の少年に成っているのもその要因だ。

 そんな私の疑問に答えるかのようにコノカ、マドカ、ミサ、サクラコはそれぞれに言う。

 

「うん、がんばっとるよぉ」

「授業も分かりやすいしね」

「そうそう、十歳とは思えないわよね」

「それに、二年の最後の期末は学年トップだったしねー」

 

 絵空事(マンガ)ではなく、事実(げんじつ)として聞く3人の言葉に私は何ともいえない実感を覚える。

 それは、この四日間で幾度も懐いた感覚。

 絵空事(マンガ)現実(リアル)とのギャップ―――そう“此処”が確かな現実で、彼らの“生きている世界”であるという事への戸惑い。

 これまで“原作”という言葉を用いた表現――そして恐らくこれからも用いるだろうけど――しかし、“此処”は決して……誰かに描かれた物語の中では無い。

 だから――

 

「そう、偉いのねネギは…」

 

 気付けば眠るネギの顔を見、そう呟いて無意識に彼の頭を撫でていた。その手に柔らかな髪の感触を覚え、今更ながら自分の膝に彼の体温を感じていることを事実に気付く。

 なんだかね、と。

 漫然と自分に呆れた。

 ただ、正直このとき。私はどんな気持ちを懐いていたのか……明確には理解していなかった。まあ、だからこそ無意識での行動であり、呟きだったのだろう。

 

 

 私の呟きに三人組が頷いている気配を感じ、コノカも私の隣で頷いてネギの頬に手を伸ばす。

 

「そやね。…だから、そんな頑張っとるのに今日はちょっと無理をさせてもーたかな?」

 

 私がその言葉を聞き――あ…不味い、と原作でのことを思い出した時にはもう遅かった。

 

「疲れよ、飛んでけー」

 

 止める間も無く、既にコノカは人差し指を立てて手を振っており、「なんてな」などと言いながらも半ば本気であったのだろう。

 茶目っ気の積もりで行なった行為であろうと、身に秘めた魔法資質がその“意”を汲み取り、僅かに一瞬、振るった指先に柔らかい光が灯る。

 

 原作と同様の展開なんだろうけど、悪い事にコソコソと遠巻きに見ていたのと違い、3人組はそれを間近で見ている。

 実際、3人の方を見ると一様にギョッとした顔をしている。

 しかしまだ誤魔化し様が無い訳ではない。

 

「ねえ…今――」

「見つけましたわーーー!!」

 

 マドカが口を開き、私は予想される言葉への返事を思い浮かべた時――マドカの声を遮って遠くから大きな声が響いた。

 その声は明らかに此方を指向しており、視線を転じると西日の差す方角から2人の人影が走って近付いて来るのが見えた。

 

 …………それが誰か判り、頭痛を覚える。

 ――そうだった。すっかり忘れてた…というか油断していたわ。

 

「いいんちょ?」

「あ、ホントだ」

 

 マドカとミサが言う。

 そう一人はあの“いいんちょ”ことアヤカ。で、もう一人は……。

 

「明日菜もいるよ」

「え…何で?」

 

 サクラコの出した名前にマドカから疑問気な声が零れた。

 ホントなんでだろう。やっぱり修正力かしら?

 

「……もしかして、バレたんやろか?」

 

 コノカは何か危惧しているけど、多分違うわよ。声に出して言わないがそう確信する。

 そうしている間にも徐々に二つの人影との距離は縮まって行き――

 

「木乃香さ――ッ…ぶっ!!」

 

 人影の片方――金髪の女性が私の方を見た途端、いきなり噴き出した。

 見様によっては私に失礼な態度と言えるけど…これは私の方が迂闊よね。さっさとネギを起こすべきだったわ。

 

「あ、あああなた…」

 

 ぷるぷると全身を振るわせ、私を指差す金髪の女性――アヤカ。

 

「――…一体、何処の誰ですの! ネギ先生を膝枕など……など…わた、私がしたいですわ!!」

 

 と、悲鳴か怒号の如く大声で叫ぶ――というよりも魂の嗚咽ね、これは。

 ボンヤリとそう他人事のように思う……要するに現実逃避である。

 

「いいんちょ、落ち着きなさいって」

 

 今にでも飛び掛って来そうなアヤカを宥めるツインな頭の女性……まあ、アスナなんだけど、朝にコノカから写真を見せて貰ってるし、学園でもチラホラと見掛けているからある意味初見ではないし。

 そこにコノカが割って入り、少し不安げな表情でアスナに尋ねる。

 

「アスナ、どうして此処に来たん?」

「え? それはいいんちょに無理矢理――」

「ん――……」

 

 コノカがアスナに尋ねる最中、騒がしくした為か、私の膝の上でネギが身動いで瞳を薄っすらと開ける。

 その薄っすらとした視線と眼が合い、何気無く私は口を開く。

 

「おはよ、ネギ」

「あ、お…はよう、イリ――ヤ!?」

 

 寝惚け眼でネギは挨拶に応じるも、直ぐにハッとし私の膝から身を起こす。

 

「ご、ゴメン、イリヤ」

 

 顔を赤くして膝枕の事を謝っているらしいネギ。

 まあ、それはさっきも思ったけど、もうそれ程謝る事ではないんだけど…それより――

 

「ネギ先生から離れなさ~い!」

「え!? いいんちょさ――わ…うぷ!?」

 

 アヤカがこの場に居る事に驚くと同時に、ガバッとネギがその“いいんちょさん”に腕から引き込まれ、彼女の胸の中に顔を埋める。

 ――それより、もっと周りに気を配ったほうが…と言いたかったんだけど、遅かったわね。

 というか、私の膝の上から今度はアヤカの胸の中とは……やっぱり、そういう星の下に生まれたと言う事かしら? 男性なら羨ましい限りの状態だけど当人は苦しいのか逃れようともがいている。

 

「ちょ…どうして、いいんちょさんが?…って、明日菜さんまで!?」

 

 もがきながらネギはアヤカに問い掛けるが…途中、視界にアスナの姿を収めたらしく彼女の名前が出てくる。

 

「どうしたも、こうしたもありません! 明日菜さん達から木乃香さんと出掛けたと聞いて――先生と生徒が……2人っきり…で、デートなんて! 例え神と学園長が許したとしても! 3-Aクラス委員長であるこの私は許しません!!」

「え~~~!!?」

 

 ガーーと勢い良く捲し立てるアヤカに盛大に驚くネギ。

 対して私は冷静にこの状況へ至った理由にある種の納得…というか、推測が出来た。

 

 元々アスナは今日、ネギとコノカが出掛ける事自体は知っていた訳で……恐らく単純にそれを第三者に話したのだろう。

 そう、ネギとアスナとコノカはルームメイトであり、3人でセットのようなもの。

 それが休日に一緒に居る姿を見かけなければ、多分誰かしら「今日一人なの?」「あれ…木乃香は?」「ネギ君は一緒じゃないの?」とそんな感じで尋ねる事は容易に想像できる。

 そしてアスナがそれに答え、そこに運悪くアヤカが居合わせた、といった所だろう。

 「明日菜さん“達”から~」という言葉からも確実にそうね……多分に誤解を含んでそうだけど。

 ――となると第三者はアサクラかハルナ辺りかしら?

 そんな事を考えていると、アヤカの勘違いを解く為にネギは弁明する。しかし咄嗟である為に余計な事を口に仕掛け、

 

「で、デートだなんて、そんな…ご、誤解ですよ~! 今日、僕達は明日菜さんの――もがっ」

「――ばっ…バカ! 何口走っているのよ!」

「な!?」

 

 あ…迂闊。

 折角のプレゼント計画を自分でバラそうとするネギに思わず慌ててその口を塞いだ…けど。

 途端、その勢いでネギの身体がアヤカから離れ……彼女の顔が般若に染まった。

 本当に迂闊…今の行動って、アヤカが胸に抱くネギを私が取り上げたようにも見えるわよねぇ…。

 

「――貴方…本当にどなたですの? わたくしからネギ先生を引き剥がし、あまつさえ抱擁を交わすなんて…」

 

 怒りの表情で私を睨み、ジリジリと間合いを計るようにして躙り寄ってくるアヤカ。

 いやいやいや…抱擁なんて交わしてないから! どんな目をしてるのよこの人…!?

 冷や汗を流しながらジリジリと迫る彼女に合わせて私もジリジリと後退する。

 

「ネギ先生を放しな――」

「――だから落ち着きなさいって!」

 

 ダッと足を力強く踏み、飛び掛ろうとしたアヤカをアスナが羽交い絞める。

 それにバタバタと手足を振って抵抗するアヤカ。

 

「は、放しなさい明日菜さん!」

「うるさいっ!…っ、アンタも何時までネギを抱え――口を塞いでんのよ! 鼻まで塞がって、窒息するわよ!」

 

 あ…。

 指摘され、慌ててネギを解放する。

 

「ぶはっ!…し、死ぬかと思った…」

「ご、ゴメン」

 

 ぜーぜーと膝を突いて呼吸を整えるネギに反射的に謝る。

 そんな私達を尻目にアヤカを抑えるアスナに再びコノカが尋ねる。

 

「そ、それで、明日菜…何でここにおるん」

「あー、だから、いいんちょに無理矢理連れて来られたんだって――」

「――明日菜さん! いい加減に放しなさいっ!」

 

 コノカに応じようとするアスナの腕の中でアヤカが叫び、拘束を抜けようと抵抗を強める。その瞬間、アスナも眉と目を釣り上げて叫ぶ。

 

「…このっ! アンタこそいい加減に落ち着けぇーーっ!!」

 

 ゴッ!! と硬い物がぶつかり合う小気味良い鈍い音が周囲に響いた。

 一向に落ち着きを見せず、抵抗を強くする一方のアヤカを煩わしくなったアスナが羽交い絞めた状態のまま、彼女の後頭部に目掛けてヘッドバット――頭突きを咬ましたのだ。

 余程の威力だったのか? 悲鳴を上げる間も無くアヤカは無言で崩れ落ちた。

 うわぁ…死んだんじゃない? そう一瞬思ったけど、ピクピクと打ち上げられた魚のように痙攣しているのでどうやら生きているらしい。

 いや…これはこれで非常に危ない状態に見えるけど。

 

「――なんか、朝倉と木乃香達が出掛けた事を話してたら、そこにいいんちょが通り掛って話に加わったんだけどね……まあ、なんていうか。いいんちょがさっき言ってた通り、勘違いしてさー」

 

 ふう…と溜息を付き、アスナは昏倒し痙攣するアヤカを放置してコノカに向き合い話し始めた。

 ……結構良い根性してるわねアスナ。それとも“慣れ”なのかしら? まあ、助かったけど。

 アヤカにしても、ネギが「あわわ、大丈夫ですか! いいんちょさん!」と介抱しているし、役得だから悪い事じゃない…かな?

 

 

 

 ◇

 

 

 

 で、アスナのコノカに話す内容を聞くと、ほぼ私の予想通りだった。

 

(アスナにバレたわけじゃないのね)

(話を聞く限り、そうみたい)

(よかったね~、ネギ君)

(はい!)

 

 アヤカを介抱しつつ、ネギがマドカたちとヒソヒソと話す。

 

(アサクラって言う人が原因みたいね)

 

 私も話の輪に加わる。

 

(う~ん、朝倉か)

(分かるわねぇ)

(あはは、朝倉、パパラッチ娘だからねー)

(ぱ、パパラッチですか)

 

 マドカ、ミサ、サクラコの順で3人が苦笑し、ネギがむうと唸る。

 どうもその娘も原作同様の子らしい。在ること無いこと…いえ、この場合は無いことばかりをアヤカに吹き込んだというべきね。

 

(傍迷惑な話ね…もしかして、私とネギの妙な噂の出所もその人なのかしら?)

(確かにありえそうだけど…どうかな?)

(私は確か…鳴滝姉妹から聞いたけど)

(私は美砂からだから、円もそうなんじゃない?)

 

 何気無く、それでも一応少し探る積もりで聞いたけど、これでやはり少なくともクラス全体には広がっているらしい事が窺えた。

 そうなると…

 

(そこでノビてるアヤカって人も知ってる訳よね。なんだか、ネギに対して物凄い反応を示してたけど)

(あはは…いいんちょ、ショタコンだから)

(なるほど、そういう特殊な趣味の持ち主なのね)

 

 知ってはいたけど、答えてくれたサクラコに一応頷いておく。

 

「ところで、柿崎達が居るのも意外だったけど…その外国の子は誰なの?」

 

 コノカと一通り話し終えたらしく、アスナはそう言いながら私に視線を向けた。

 「あー、この子はな――」と答えようとするコノカを制し、一度お辞儀をして私は社交的な笑みを浮かべて自己紹介する。

 

「初めまして、私はイリヤスフィール・フォン・アイツベルンと申します。貴女の親友であるコノカさんの祖父、学園長で在らせられる近衛 近右衛門様の御好意で麻帆良学園へと招かれた客分です」

「え…えっと、あの、どうも、ご丁寧に…私は神楽坂 明日菜……です」

 

 外見上、子供な私の丁寧な挨拶に虚を突かれたらしく、面食らったようだけどアスナは戸惑いながらも何とか挨拶を返した。

 

「ええ、スプリングフィールド教諭から貴女の事はとても優しい方だと、よくお話を伺っております。これから宜しくお願いしますねアスナさん」

「へ? そんな優しい……じゃなくて、その…い、いえ、こちらこそ宜しくお願いしますイリヤスフィールさん」

「貴女の方が年上なのですから、そんな畏まらず…名前も気軽にイリヤと呼んで下さい」

 

 優しいと言われたのが効いたのか、顔を少し赤くにして受け答えるアスナに淑やかに宥めるように言葉を掛けた。

 そんなやり取りの後ろでミサが「私達の時とえらく対応違くない?」と、ぼやいていた。

 私は視線を転じ、

 

「あら、あの時は挙動不審な行動を取っていた貴女達に合わせただけよ。それとも今からでも――このように貴女達とお話させて頂いた方が宜しいかしらミサさん?」

「ウッ…! ……なんか今、ゾクッと悪寒がしたから今までどおりでいい…っていうかお願い!」

 

 にっこりと天使の如く微笑む私にミサは顔を顰めてそう言う。

 む…これはこれで失礼ね。一応、コノカに自己紹介した時もこんな感じだったのだけど。…まあ、もう少し優しく微笑んではいた気はするけど。

 

「あー…私の方も出来たら、もう少し普通に話してくれた方が…じゃなくて…えっと、話してくれませんか。なんていうか…そのとても話し難いですから…」

 

 アスナもミサのように少し顔を顰めてそのように言う。コノカもそれに同意して頷く。

 

「そうやね、ネギ君も随分丁寧にしゃべるけど、イリヤちゃんの場合はなんか高貴ってゆうかー、気品が在るゆうかー…コッチが畏まってしまう感じがするしな」

「そう?」

 

 コノカの言いように首を傾げる。今一自分では分からない。

 確かに本来のこの身体の持ち主こと…イリヤスフィールは、お姫様と言っても良いほどの貴族だけど、私は本人ではないし、寧ろ私の方こそコノカの柔らかな物腰や言動に何処となく品の高さを覚える。

 ついでにいえば、アスナは気品云々以前にそれこそ本物のお姫様……まあ、こちらは記憶を失ってる訳だから、言うだけ意味は無いのかも知れないけど。

 

「わかりました。そう仰られるのなら、アスナさんのお言葉に甘えさせて頂きます――それじゃあ、改めて宜しく、アスナ」

 

 脇に逸れつつあった思考を戻し、私は改めて挨拶する。アスナもそれに応えて笑みを浮かべ、

 

「うん、よろしくイリヤちゃん」

 

 挨拶を返す。なかなか優しい声色だった。

 アスナは子供嫌いという話だった筈だけど…どうやら私の第一印象はそれ程悪いものではないようだ。

 

「ふふ…そういえば朝もウチとこないなやり取りをしとったな」

 

 朝の事を思い出したらしくそうクスクスと笑うコノカ。

 その後、私がその直前である初対面時のコノカの暴走めいた行動を若干揶揄を込めて口にした為、アスナとマドカ達の興味を惹き、詳しく話す事と成った。

 コノカには恥ずかしい思いをさせて悪かったけど、お蔭でネギの口走り掛けた事が話題に上がる事を避けられたように思えた。

 

 まあ……更にその後――アヤカが目を覚まし、今日出掛けた事(デート疑惑)への追及やら噂に関する誤解とそれを解く説明。そして私に対する妙な対抗意識やら宣戦布告めいた宣誓やらと、一悶着…いえ、三悶着ほどあったけど。

 ネギのプレゼント計画をアスナ本人には知られず――アヤカには明かす事になったけど――何とか無事にその日を乗り越えられた。

 

 ――けど。

 

「――明日は盛大に祝いましょう」

 

 というアヤカの言葉を切欠に、私は済し崩し的に翌日のアスナの誕生日祝いパーティに強制参加させられる事となった。

 

 ……どうやらこれからは平穏ながらも騒々しい日々を過ごす事に成りそうね。

 

 そう思わせる一日だった。

 

 

 



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幕間その1――その日の爺と少女

 白い少女がフリルの付いたドレスのような白いワンピースにその身を包み、居候先から背を向けて出掛けて行くのを近右衛門はリビングの窓から微笑ましそうに眺めていた。

 その彼の背中に声が掛かる。

 

「いいのか?」

 

 声はこの家の主であるエヴァンジェリンの物だ。

 

「構わんじゃろう。ま、そう心配する事はあるまい」

 

 問い掛けの意味を察して近右衛門は答えた。

 白い少女はつい先日、この麻帆良に張り巡らされていた幾重もの結界を抜けて侵入を果たした不審人物だ。

 不審ではあるが記憶喪失ということもあり、一先ずこの麻帆良で保護してはいるが何処かの敵対する勢力ないし組織の間者か、工作員である可能性は否定出来ず、加えて詳細こそ不明であるも危険な力を持つとされ、更には、その力を狙う者が存在する可能性も憂慮される等と、非常に厄介な要注意・要監視対象者であった。

 にも拘らず、近右衛門は麻帆良郊外への外出を許可した。

 勿論、彼なりに理由はあるし対策も打ってある。

 

「出掛け先には、木乃香も付いて行くようだしのう」

 

 この言葉にエヴァは目の前の老人が言わんとする事を理解する。

 近衛 木乃香――近右衛門の孫である彼女には影に護衛が付いている。

 エヴァの脳裏に一人のクラスメイトの顔が一瞬過ぎる。

 それに近右衛門の口ぶりから察するに、今回は“護衛の彼女”だけが付いている訳ではなさそうである。大方、そのルームメイト辺りにも依頼しているのだろう。

 そのようにエヴァは考えた。

 色々と甘いとは思うが、エヴァの見立てでもあの居候は自分の立場を弁えている。監視が付くことぐらい理解しているだろうし、馬鹿な真似をする事はまず無いと考えられた。

 

(…まあ、どうでも良いがな)

 

 自分には余り関係無い些末事かと思考をそこで斬り捨てた。

 家や麻帆良に居る内ならば、エヴァは義理を果たす為に気に掛けて対処しただろうが、此度の事は近右衛門が許可したのだ。何かあったとしても責任は目の前のジジイに在る――そういう事だった。

 それよりも、

 

「で、この前に続いて珍しく何の用だ。ただ無粋に飯を食いに来た訳じゃないんだろ?」

 

 エヴァが気に掛かるのは、前回同様ジジイが態々自分の家に訪れた事だ。

 近右衛門は「ふむ」と一つ頷くと、リビングの窓から離れてソファーに腰を下ろしてからエヴァに答えた。

 

「大した事では無いんじゃが…そうじゃのう? 先ずはお主らが上手くやっておるのか見に来た…という所かの? 先程見た限り問題は無さそうじゃが…」

「ふん、子守らしく丁重に扱う、と言っただろう。問題なぞある筈が無い」

 

 エヴァは鼻を鳴らして小馬鹿にしたように応じるが、その眼には若干鋭さがあり、対面に座る近右衛門を強く睨んでいた。

 私が一度交わした約束を違えると思っているのか、と。その眼は語っている。

 

「そう怒るな、預けた身としては心配するのは当然じゃろう」

 

 エヴァの鋭い視線を受けて近右衛門はそう言いながら、やれやれと言わんばかりに嘆息する…が、次いで言葉を出す時には彼女同様、近右衛門の眼は鋭さを帯びており、真剣な表情でエヴァを見据えていた。

 

「お主に問題は無いのは判っておる。でなければ最初から頼まんよ。で――」

 

 近右衛門は一度言葉を切って尋ねる。

 

「――実際の所はどうなんじゃ? お主の見立てであ奴の方に問題は無いのか?」

 

 真剣な表情を作って自分を見る近右衛門を前にしてエヴァは逆に視線を逸らして上向かせ、ボンヤリと天井を見つめながら気の無い様子で応じた。

 

「……つまらん、と思うほど問題が無いな。麻帆良(ここ)への侵入者というから、多少緊張感がある生活が楽しめるかと期待したんだが…」

 

 そう言ってエヴァは、天井へ向けた視線を茶々丸の方へ送る。

 

「ハイ、現在の所、彼女の素行や言動にこれといった問題は見当たりません。夜間……主に就寝前に彼女の部屋から魔力反応が観測されますが、事前に鍛錬の為と申告されておりますし、恐らくその通り魔法の練習ないし実験を行っているものかと思われます。なお念話の類の魔法使用は無く、不審な電波の類も彼女からは感知されず、“外”への連絡や通信などは一切確認出来ませんでした」

 

 エヴァの命を受け、麻帆良に現れた白い少女と最も行動を共にしている機械仕掛けの少女が主人の意を察して答えた。

 エヴァも続けて口を開く。

 

「ということだ。私も今の所、アレがどこぞの工作員だとは思えんな。勘を信じるならば…ジジイ、お前と同様だ。仮に何かあるとしても、アイツ自身は麻帆良に害意を持っていないと私は見ている」

 

 2人の話を聞き、近右衛門は表情を和らげて「そうか」と軽く頷いた。何処となく納得したといった感じだ。

 しかし、エヴァはそんな近右衛門に眉を顰める。

 居候の件が聞きたいだけならこの家を態々訪問する必要はない。平日の放課後にでも呼び出して尋ねるだけで事は済む。

 それにだ。そもそもあの少女が現われ、預かってからまだほんの数日……一週間も経っていない。そんな短い時間で判断が付くことではない。

 だからエヴァは近右衛門に尋ねる。

 

「用件はそれだけか?」

 

 尋ねられた近右衛門は僅かに沈黙してから口を開いた。

 

「…………もう一つ。お前さんがタカミチに頼み、先日彼女を預かった時に渡された物の…事――」

 

 突如、見えざる凄まじい圧迫感(プレッシャー)を全身に覚え、近右衛門は言葉を封じられた。

 

「――お前には関係ない物だ」

 

 圧迫感は、近右衛門の対面に座るエヴァからは発せられていた。

 

「――ッ!!」

 

 近右衛門は全身が総毛立ち、額から嫌な汗が流れるのを自覚する。

 目の前のエヴァが発する圧力は、物理的な域にまで達しかねない程の濃密な気迫だった。まるで熱を……いや、極寒に閉ざされたかの如く空気と室内全体が凍て付き、軋んでいるようにさえ錯覚する。

 対してその気迫を放つ本人は、表情も静かで先に放った言葉も同様に冷静だが、対応を誤ればまず間違いなく恫喝程度に止まっているこれは、氷刃の如く冷たく鋭い殺意へと転化するだろう。

 近右衛門は久々に目の前に居る人物が、彼の“最強の魔法使い”にして600年の時を生きる最高位の魔物の一種である“真祖の吸血鬼”だという事実を実感した。

 例え封印され、全盛期とは程遠い最弱状態であろうと、この目の前の魔物は本気で殺すと誓えば、どのような手段を講じても必ずそれを果たすだろう。

 近右衛門はこの十数年の付き合いでそれをよく理解していた。

 

「……ま、まあ、落ち着け」

 

 それでも近右衛門はなんとか言葉を絞り出した。しかし目の前の濃密な冷たい圧力は減じない。

 

「私は落ち着いているが」

「そ、そうじゃな、ではそのまま落ち着いて聞いて欲しい」

 

 何処か冷酷さを感じる口調で告げ、処刑執行人のような眼をするエヴァに怖気を覚えながらも近右衛門は話を続ける。

 一度深く呼吸してから彼は言葉を紡いだ。

 

「タカミチがアレをお主に渡す前、悪いと思ったが一応中身を確認させて貰ったのじゃが、」

「ほう――」

「――まて! まてっ! 冷静に…! 冷静に聞くんじゃぞっ!!」

 

 近右衛門の話す言葉の中に気に入らなかった部分があったのか、エヴァは声を漏らすと共に気配をより濃密にし、近右衛門は焦った。

 

「そ、それでじゃ、わしはあのアレと同じ感じをさせる魔法具を見た事が在って――」

「――! 何っ! なんだと…ッ!?」

 

 途端、怖気さえ覚える濃密な気配が消えて冷静だったエヴァの顔も驚愕に染まる。

 近右衛門は唐突に圧力から解放された為、呆気にとられ……気付くとエヴァに詰め寄られていた。

 

「それは本当かっ!? どこだ! どこで見た!」

「ぐ」

 

 近右衛門は詰め寄るエヴァに襟を掴まれて呻く。

 しかし若干の苦しさを覚えるものの、今まで見た事が無いほど焦燥を抱いているエヴァの様子を見。事態を分析する為に彼は冷静に思考を働かせた。

 

 どうやら彼女は知らないらしいし、まだ見ていないようだ、と。そう内心で呟き――結論付けた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 襟を締め続けるエヴァンジェリンを茶々丸が諌め、解放された近右衛門は、

 

「近い内に分かるじゃろう」

 

 そう歳に似合わない悪戯小僧のような顔をしながら茶目っ気を含んだ口調で告げ、引き留めようとするエヴァを静かに見据えてからエヴァ邸を後にした。

 エヴァはなおも問い詰めたい様子であったが、「チッ」と舌打ちして引き下がった。

 先程までの我を忘れた行動が失態だと考え、これ以上近右衛門を家に置いておいては、より致命的な失態を招きかねないと直感したのだろう。

 

 

 帰り道、近右衛門はこれからを思い考えながら、ふと一人呟いた。

 

「……彼女が此処へ現れたのは案外、あ奴が何やら持つ因果によるものかも知れぬのう」

 

 近右衛門がエヴァに自分が知っている事実を教えなかったのは、その方がこの地へ現れた白い少女と、少女を預かるエヴァとの関係が良好に成るかも知れないと考えたからだ。

 その方が面白い事態になりそうだ、と思ったのもあるが。

 そう思うと知らずの内に何時もの「フォフォフォ」と彼特有の笑い声が口から漏れた。

 

「まあ…しかし、アレが何であるのか確認できなかったのは、少々気掛かりじゃが……」

 

 あ奴は幾ら問い詰めようが決して語らんじゃろうな、と途中から言葉を内心で続ける。

 だが収穫はあった。アレがエヴァにとって大切な……そう、あの裏社会にて伝説として語られるエヴァンジェリン・A・K・マグダウェルにとって譲れないナニカだという確信を得られたのだから。

 

 先日、タカミチが渡した時に尋ねようとすれば声を上げて遮り、従者である茶々丸に早々追い出される事になった程の代物だ。何か在るとは思っていたが予想以上の反応をエヴァは示した。

 

 今日態々訪問したのも呼び付けるよりは、そうした方がまだ印象的に口が軽くなると思っての事だ。無論、大した差ではないが、学園と自らの住処では警戒心というか心持ちが異なる。或いは隙が出来るものだ。

 自身の住居(テリトリー)に入られるという警戒感と、自身の住居(テリトリー)に居るという安心感のほんの僅かな心の隙間……そこを突こうとした訳である。

 容易い相手ではないが…いや、だからこそ僅かにでも付け入れる所があるならやっておくべきだろう。相手が秘して置きたい事を探るのであれば、尚更に。

 

「尤も、あの様子を見るに呼び付けたとしても、変わらぬ反応を示したかもしれんが、な」

 

 だが徒労とは思わなかった。

 それはあくまで可能性であり、今日尋ねたからこそあのような反応を現したのかも知れないのだ。

 それにエヴァンジェリンが自分の預けた居候と上手くやっているのかを直接確認出来たのも無駄ではない。

 

「ふむ…」

 

 そっちの方はエヴァの言う通り問題は無い。しかし良好とも言えないと言ったところだ。

 ギクシャクした感じは見受けられなかったが2人の間の会話が少なすぎる。むしろ従者である茶々丸との方が仲良さ気で会話が多かった。

 

 若干憂いが無い訳では無いが、同居が始まってからまだほんの数日であり、先程も思ったが進展する機会は近い内にあると近右衛門は見ている。

 どう転ぶかは未知数であるものの、そう大きく心配する必要は……少なくとも現状では見られなかった。

 

 



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第3話――日々の始まり、そのある一日 彼女の誕生日編

日刊ランキングの10位に入っていてビックリしました。
お気に入り数も500を超えてますし。
ただ贅沢を言うと感想も欲しいです。特に初見の方からは。
もしかすると今後の展開や改訂に参考になる意見が聞けるかも知れませんので。思う所があったら遠慮なくどしどし、と。


 東京からの帰りの電車内にてアスナの耳に入らないようにアヤカが言った言葉を思い出す。

 

『アスナさん――というのは些か気に障りますが、ネギ先生の為にも明日は盛大に祝いましょう』

 

 という発言から紆余曲折。

 当初は私も含め、クラスメイトの皆でという意見が出ていたけど、それに私が渋ると「やっぱ人の多いとこ、苦手なん?」とコノカが言い。

 それなら修学旅行を控えているし、その準備で皆も忙しいかも知れないから居合わせた面々でささやかに……と、そのように話が纏まった。

 

 正確に言えば、私は参加その物に抵抗を覚えていたが故に渋っていたのだけど、とんとん拍子にコノカとアヤカ……それにネギが話を勝手に進めて、いつの間にか断り難い状況になり――私の“アスナ、15歳の誕生日おめでとうパーティ”への参加が決定した。

 

「――はあ」

 

 独り、薄暗い部屋で溜息を吐く。

 今私が居るのはエヴァ邸での自室…六畳ほどの一間。

 そこで私は床に直接座り、瞑想するように胡坐を組んでいる。

 

 ――駄目ね…。

 

 今から行う事には集中を欠かせないというのに、どうにも精神が乱れていた。

 “コレ”自体が余りノリ気で無い明日のことに関係している為だろう。

 別に他人の誕生日を祝うのが嫌という訳じゃない。

 ただ今更感もあるけど、余りネギや彼のクラスメイトと関わるのは良いことではないと思えるのだ。私自身と彼の為にも。

 

 原作である“ネギま!”――ネギ・スプリングフィールドを主人公とした物語。

 私は、二次創作のようなオリ主としてそれに“介入”する気など全く無い。

 学園祭編に関しては、多分に気掛かりな点はあるけれど、基本的に物語はハッピーエンドに向って進行する。

 だから私が介入する必要なんて無いし、得られるメリットだって何も無いのだ。

 むしろ、介入なんて無意味にして英霊(カード)の力を行使する事態になる方が厄介で、危険だろう。

 そう、関われば自分の立場を危うくした上に、定められた彼の行き先(みらい)を大きく違える(変える)可能性が生まれるのだ。

 

 〝しかし、それでも――本当にそうなの? もう――――んじゃない? ()()は……―――――〟 

 

「…ッ! ふう、――はあ」

 

 眼を閉じて大きく深呼吸して乱れた精神を整えて、唐突に過ぎった余分な思考(ノイズ)を追い出す。

 そして今度こそ頭を……自己を透明(クリア)させる。

 脳裏に浮かぶのは自身の(なか)、全身を巡る血管と血液、鼓動を打つ心臓、そしてソコ(しんぞう)に潜む(スイッチ)

 精神を統一し呼吸を整えて集中する。

 そうして私は、体の裏に潜む擬似神経を叩き起こすソレ(スイッチ)を押す。

 

 ――途端、

 

 ザクン、或いはゾクンという現実には無き音が脳裏に響くと共に、心臓を裂いて硬質な貴金属(おうごん)で出来た茨が血液に代わって鋭い根のように血管を巡って全身を貫く――無論、現実ではない。そんなイメージが雷光の如く刹那に脳を突き抜ける。

 

 僅かに遅れて身体に苦痛が走る。体内に魔力が奔る。

 常人には耐え難い死と同義的な痛み。

 初めこそ、この予期しない苦痛に驚愕し暴走させかねないほど、(せいしん)を乱して文字通り死に掛けた。……しかしそれもこの数日、僅かな期間で慣れた。

 

 ――魔術を扱う者は、先ず死を受け容れなければ成らない。自己の死を容認し、常に殺し殺される覚悟を持たなければ成らない。

 

 確かそんな感じの『Fate』本編に出てくる言葉を思い返す。

 正直、ソレを本当に理解できているかは分からない。けど…それでも私は魔術を扱う危険性を否応無くこの痛みと共に識らされていた。

 

 そして今日はこの更に先、知識に在るだけの……まだ試していない。新たな魔術に取り掛からねばならない。

 だから慎重に繊細に、この数日で得た“慣れ”に任せるのでは無く、確かに律した思考と精神で魔力を汲み取り、術式を紡ぎ、外界へと働き掛けなければ。

 閉じていた瞼を開く。

 

 目の前に在るのは、床に敷かれた一辺50cm正方形の白い布。そこには直径30cm程の大きさの魔法陣が水銀で描かれている。

 魔法陣が表すのは、万物・物質の流転を示す紋様――つまりは錬金術を補佐・補強し円滑に行う為の魔術式だ。

 

 その中心に純銀のアクセサリーを置く。このアクセサリーは今日、原宿の装飾店にて購入した物でブレスレットが二つにペンダントが一つある。

 今置いたのはそのうちの一つのブレスレット。

 次に自身が坐する周囲の、手の届く範囲に在る様々な“材料”を……ある物は固形物であり、小瓶や試験官に入った粉末だったり、液体であったりするソレらをブレスレットがある魔法陣の中央へ天秤で分量を量って撒き、スポイトで一滴一滴慎重に垂らして行く。

 そうして必要な材料を全て投じたか? 間違いが無いか? 3回確認して確信を得るとブレスレットに――魔法陣の中心に手を掲げ、詠唱を始める。

 

「流動――交錯――変異――停滞――」

 

 小源(オド)のみならず、大源(マナ)をも取り込み。魔力へ変換・生成して術を紡ぐ。

 

「また流動――交錯――変異――停滞――繰り返す、繰り返す――」

 

 取り込んだマナに感覚が侵される。膨大な魔力の行使に魔術回路が白熱する。複雑な術式構成に思考すらも許されず塗り潰される。

 今の私は一個の機械。錬金術という条理より外れた神秘を成す歯車。魔術を成す為だけの装置。

 

 …………そうして自身が人であることも…ありとあらゆる思考を忘却しかねない……数瞬を幾度も重ねた永い刻を掛け――術が成った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ふあ…」

 

 長く同じ姿勢で居たのですっかり硬くなった身体を解す為、両手を上げて大きく伸びをする。同時に大きな欠伸が出た。

 窓に掛かったカーテンには白みが差しており、外からチュンチュンと雀らしき小鳥の鳴き声が聞こえる。

 ベッドの脇、枕元近くにある時計を見るとその針は5時を指していた。

 

「もう…朝かー……うう、流石に眠い」

 

 少しは眠れそうだけど、ほぼ完徹かぁ。

 ノロノロと体を動かして、魔法陣を初めとした魔術品を十数分掛けて片付ける。

 

「……ふあぁ」

 

 片づけを終えたらまた欠伸が出た………昨日、茶々丸には言ってあるから朝餉の仕度は独りでしてくれる筈だしー、10時までは寝かせてくれる筈ぅ。

 

「なわけで、私はねますぅ~~」

 

 おやすみー。

 べっどにとびこむ。

 

 …………―――――――――――――――――。

 …………………―――――――――――――――――――。

 ………………………―――――――――――――――――――――。

 

 

「おき……さい。イリ……ん。もう10…すぎて…す」

 

 ぐらぐらと身体が揺れる。

 誰かに揺すられている。でも眠い。

 

「ううううう…もう少し寝かせてぇ~。昨日は東京であるいてー、夜はけっこうー魔術を使ったから疲れてるのよぅ」

「はあ…でも……」

「お願い、五分だけでいいから~」

「……わかりました」

 

 ……………再び身体が揺すられる。

 

「五分経ちました、起きて下さいイリヤさん」

「う…」

 

 ……もう五分経ったの?

 重く感じる瞼を薄っすらと開けて何とか眼を覚ます。

 目の前に緑色の髪を長く伸ばしたの女性の顔が在る。

 

「……おはよー、茶々丸」

「はい、おはよう御座いますイリヤさん」

 

 何処か気の抜けた感じの挨拶をして、茶々丸の感情の起伏が感じられない返事を聞きながら身体を起こす。

 ボンヤリとする頭と身体に気だるさを覚え。う~~ん、と背筋を伸ばし、身体をほぐしてそれらを追い出す。

 チラリと時計を確認すると針は10時15分を過ぎた所を指していた。

 

「ふぁぁ――う…ありがとう茶々丸」

 

 欠伸を漏らしつつ、約束通り起こしてくれた茶々丸にお礼を言う。

 

「いえ、……それでは、私はリビングの方でお待ちしております。軽い食事を用意してありますので」

「うん」

 

 私が頷くと茶々丸はペコリとお辞儀をして部屋を出て行った。

 ベッドから立ち上がり、もう一度身体を伸ばして私は着替えに取り掛かっ――とその前に、

 

「…顔、洗おう」

 

 洗面所に向かう事にした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 リビングに入ると、胃と食欲を刺激する香ばしいスープの香りが漂っていた。

 その香りの元を辿って視線を巡らせると、テーブルの上にトレイに載った小さめの鍋があり、私の姿を認めた茶々丸がそこから皿へスープを掬い始めていた。

 その傍のソファーには、窓から差し込む陽光で長く伸びた金髪を輝かせている少女がうつ伏せに寝転がっている。

 私は目線で茶々丸に改めて挨拶をし、その少女――エヴァンジェリンさんに向かって声を掛ける。

 

「おはようエヴァさん」

「ん……やっと出てきたか」

 

 ソファーに寝転がり、分厚い本を読んでいたエヴァさんが私の挨拶に顔を上げた。

 しかし返事の挨拶は無く、その表情は憮然としており、私の遅い登場に機嫌を悪くしているらしかった。

 

「ゴメンなさい、遅くなって」

 

 非は自覚していたので素直に謝ってから席に着く。

 目覚めが少し遅れた事もそうだけど……その後、一度洗面所に向かった私は昨晩の魔術行使の為か、汗でベトついた身体に気付き、着替えを取りに戻ってシャワーを浴びる事に切り替えたのだった。

 当然その分、予定していた時間より遅れるわけで。

 で、何の時間かというと――

 

「ふん、まあいい。……それより昨日言っていた“護符(アミュレット)”の製作とやらは上手く行ったのか?」

 

 ――それは昨晩製作……というか加工した銀のアクセサリー。それをベースとした私製アミュレットの仕上がりをエヴァさんとの協力で確認する為の時間だ。

 私はエヴァさんの問い掛けに「ええ」と頷き、持ってきた紙袋から3つのソレを取り出してテーブルの上に置く。

 彼女は慎重な手つきでその中から2つあるブレスレットタイプのアミュレットの一つを選んで手に取った。

 

「ッ!――……ほう」

 

 手に取った瞬間、大きく眼を見開いて驚くも直ぐに表情が冷静な観察者といった風になり、エヴァさんは繁々とブレスレットを眺めて感嘆の声を漏らした。

 

「正直、余り期待はしていなかったのだが、………感じた事の無い異質な魔力に私も知らない未知の術式……ふむ――」

 

 エヴァさんは右手でブレスレットを掲げて眺めつつ、空いた左手で3つ中でも特色の強いペンダントの方を取って見比べる。

 

「こちらは見た目に劣らず更に複雑な術式構成をしているな。……出来も悪くなさそうだ」

 

 頻りに感心し、興味尽きない様子。

 無理も無いのかも知れない。

 吸血鬼として悠久の時を生き、そして封印によって15年もの間を麻帆良に閉じ込められているエヴァさん。

 無為に時を過ごす事、暇や退屈が最大の敵であろう彼女にとってこういった目新しく珍しい代物……云わば新鮮味というべきモノはその敵を凌ぐ格好の存在であり、“永遠の生”を与えられた日々の中では大きな潤いなのだろう。

 況してや麻帆良から出られない現状では尚更に。

 

「……なるほど」

 

 エヴァさんは神妙に呟くと視線をアミュレットから外して私の方へ向ける。その眼には明らかに好奇の光が灯っていた。

 

「コレがお前の得意とする“魔法”か」

「ええ…一応錬金術の一種だと考えて貰えればいいわ」

「ふむ、錬金術とは云い得て妙ではあるな。……実に――興味深い」

 

 舐めるような、そして探るような視線で私を見詰めてそう言うエヴァさん。

 まあ、実際の所、私の扱う“魔術”では一応ではなく、れっきとした錬金術なんだけどね。

 と、エヴァさんからの視線の意味をなるべく考えないようにして、茶々丸から受け取ったポタージュスープを啜りながら内心でそう呟く。

 

「ごちそうさま、美味しかったわ」

「どうも…お粗末さまでした」

 

 数分後。二度ほど御代わりをし、食べ終えて合掌する私に茶々丸が応じる。

 時計を確認すると11時前だった。ネギ達との約束時間は11時半だから少し時間が無いわね。

 視線を時計から茶々丸に移し、

 

「茶々丸悪いけど、洗い物は――」

「――お構いなく、この鍋とイリヤさんの食器だけですので」

 

 言いたい事を察していつもの静かな口調で承る茶々丸。

 すっかり家事をすることが当たり前と成りつつある私としては、朝から任せぱっなしというのは若干心苦しいけど、本当に時間が無いのだから仕方が無い。

 今度何かしらの形でお礼をしないと……横暴な家主以上にお世話に成っている訳だし。

 そう思いながら茶々丸に軽く頭を下げた。

 

「うん、お願い。……それじゃあエヴァさん」

「ん…」

 

 席を立ち、未だにアクセサリーを眺めているエヴァさんに声を掛けると、彼女も鷹揚に頷づいてソファーから立ち上がった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 エヴァ邸を後にし、私とエヴァさんは家から離れて周囲に在る人目の付かない森の中へと入った。

 

「準備は良いか?」

 

 生い茂る木々が開けた、ちょっとした広場を思わせるその場所で10mほど離れたエヴェさんに腕に付けたブレスレットを見せて叫ぶようにして言う。

 

「ええ、良いわ。……お願い!」

 

 エヴァさんはそれに軽く頷くと呪文詠唱に入る。

 

「リク・ラク、ラ・ラック、ライラック」

 

 始動キーを紡ぎ、そして何処からか液体の入った瓶と試験管――魔法薬を取り出し、

 

「氷の精霊10柱。集い来りて敵を切り裂け。魔法の射手・連弾・氷の10矢!」

 

 詠唱を終えると同時に放ると、瓶と試験管が空中で割れて魔法薬が混ざり――それを媒介に無数の氷の矢が私に向かって放たれた。

 

「―――…っ!」

 

 “強化”した視界の中、凄まじい速度で向かって来る氷の矢に一瞬恐怖を覚え、身体が本能的に避けようと足が動きかけ――たが、何とか自制しその場に踏み止まる。

 直後、無数の氷の矢は私の身体を貫く……事も無く、当たる先から掻き消えるように消失する。

 

「おおっ!」

 

 それを見たエヴァさんが感嘆の声を上げるも、当の私は実験の成功か? それともこの身が無事であった事への安堵か? そのどちらとも判断が付かない深い溜息を吐いていた。

 

 その後、3点のアミュレットの効果を幾つかの基本的な魔法と特殊な魔法薬で試してその能力を確認した。

 結果をいえば、全てのアミュレットが想定通り…いや、以上の効果を発揮し、実験は見事成功といえた。

 …けれど。

 

「まったく…本当に興味深いな。下位とはいえ、障壁無しでここまで魔法攻撃を無効化するとは。……それに本当にお前の言う通りの機能であれば、相応の実力者ならこのアミュレットを身に付けるだけで、魔法戦闘でかなりの優位を得る事になる」

 

 実験後の検討を終えると、エヴァさんが嘆息しながらそう感想を零した。

 

「私も正直驚いてる。ペンダントの方はともかく、試作品のブレスレットでもここまでの効果を現すのは予想外だったわ」

 

 私はエヴァさんの感想に頷きつつも、そう言葉を返した。

 いや、本当に驚いた。

 初めに行なった実験、エヴァさんの放った氷の矢を掻き消したこと。

 怪我する事を覚悟していたのに全くの無傷に済み、その後も武装解除などの魔法の矢と同ランク――魔術的に表すとDランク相当の“魔法”を悉く無効化した。

 多少の威力(ダメージ)軽減程度の効果しか期待してなかったというのに。

 全く、これは一体どういうことなのか? 幾ら何でも強力過ぎような。それともこれがこの世界の“魔法”と“魔術”の違い――差なのかしら?

 そう、実験中や検討の最中で幾度も思った疑問が再び過ぎった。

 しかし答えは出ない。

 

 まるで喉に魚の骨が引っ掛かったかのようなスッキリしない感じがある。

 とはいえ、此処は喜んで置くべきなのだろう。初行使の魔術でこれだけの成果を挙げられ、この世界の魔法に対する魔術の有効性も確認できたのだから。

 それにこれで学園長に対する借りを少しは減らせるかも知れないのだ。

 というのも、このアミュレット製作は学園での生活……いえ、正確にはこの先、この世界で私が生きて行く上で自立する為の手段として行なった面もあるからだ。

 要するに生活費を得るための商売と、社会(裏とはいえど)に溶け込む為の立場や職を獲得するためである。

 

 ぶっちゃけ元の世界で見ていた二次創作を真似た訳なんだけど。

 

 でも逆に学園長には迷惑を掛けるかも…?

 今回もそうだが、器材のみならず材料も用意してくれたのは彼で、今後も材料の調達に加えて流通や販売には結局、学園長の伝手を頼るわけだし。

 それに形として一応私は警護対象でもあるから、私の存在を注目させる事や麻帆良の外へ明らかになるような事は賛同できない…かな?

 とりあえず、それは話を通してからじゃないと判らないか。

 

 まあ、どうなるとしても製作したアミュレットとこの実験自体は無駄にはならないから良いんだけど。

 と。そこでふと気付いて携帯取り出し、時間を確認すると既に11時半――約束の時間を過ぎていた。

 

「まずっ!――エヴァさん!」

「ん…何だ?」

 

 思わず焦った声で呼び掛けると、俯き加減で顎に手をやって何やら考え込んでいたエヴァさんが顔を上げて怪訝な表情を見せた。

 そんな彼女に私は捲くし立てる。

 

「私もう時間が無い――っていうか、過ぎてるから…行くわ!」

「あ…おい! 忘れ物!」

 

 言い終るなり、駆け出そうとした所を呼び止められる。

 ――っと、いけない!

 駆け出す姿勢のまま、慌ててソレを手にして今度こそ駆け出した。

 

「――ブレスレットの一つは好きにして良いんだな!」

 

 その背後、遠ざかる私にエヴァさんが叫ぶようにして尋ねてくる。

 

「ええ、さっき言ったとおりよ! 実験のお礼だから構わないわ!!」

 

 それに私は顔だけを振り向かせて同様に叫んで答えるのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ―――sideネギ

 

 昨日訪れた原宿には当然遠く及ぶものではないものの、多くの人々で賑わう麻帆良の繁華街。

 尤も平日であり、放課後でもない今の時間帯では学生の姿を余り見かけることは無いので、普段此処を訪れる時よりも随分と人が少ないように思えた。

 ちなみに僕達―――というより、中・高等部の最上級生である3年生クラスは、修学旅行前日という事からその準備の為、特別に休日扱いになっている。

 それでも教師である僕は、しずな先生などの同僚の人達と最終的な打ち合わせや、日程とかの確認作業があったんだけど、それも何とか朝の内に予定通りに終わらせる事ができた。

 お蔭でアスナさんの誕生日を皆で祝う事ができる。

 

「おはようネギ、コノカ。遅れてごめんなさい」

 

 15分程遅れてイリヤは待ち合わせの場所にやって来た。

 時間に遅れて急いで駆けて来たせいだろう。イリヤは頭を下げて謝りながらもハァハァと軽く息を切らせていた。

 

「ううん、コレぐらいの遅れやったら、たいしたことあらへんよ。…な、ネギ君」

「はい。時間は在るし、木乃香さんの言うとおり、少しぐらい遅れても平気だよイリヤ」

 

 首を横に振りながらイリヤに応える木乃香さんに、僕も頷いてイリヤに言った。

 すると、

 

「ん…ありがと、2人とも」

 

 イリヤはそう言って笑顔を見せた。

 そして改めた挨拶を交わして後、僕達はいいんちょさんが待つ場所へと向かった。

 

 その途中、ふと隣を歩く銀の髪を持つ少女の顔を見て少し思い耽る。

 イリヤと会ったのは先週の水曜日。ほんの5日前の学園長室だった。

 明日の修学旅行…いや、関西に在るという呪術協会へ学園長から託された親書を届ける事を頼まれた時だ。

 

 その日、学園長室を訪ねたとき。

 僕のノックに返事がされて扉を開けた直後、彼女と眼が合った。

 初めて交わした言葉は「こんにちは」と当たり障りの無い挨拶だったと思う。

 確かそう言って軽くお辞儀をして、赤い―――宝石のような緋色の瞳と眼を合わせ、雪のように真っ白で綺麗な髪を持つ同年代の女の子と挨拶をした。

 

 今思えばその時イリヤが手にしていた書物は、魔法関係の教本だった筈。

 だというのに僕は、学園長がイリヤの居る前で魔法や木乃香さんの話をするのを不安に思い。そして言われるまでイリヤが“此方側”の関係者だと気付かなかったんだよね。

 学園長が無関係な人間の前で、あんな重要な話を洩らすような間抜けな事をする訳が無いのに―――ふと、赴任初日……間抜けにも明日菜さんに“バレてしまった時のこと”を思い出してしまう。

 もの凄い形相で問い詰められて焦った僕は記憶を消そうとして―――……。

 

 その時の事を思い出し、思わずブンブンと顔を思いっ切り横に振って、慌てて浮かんだ光景を脳裏から追い出す。

 

「ど、どうしたの?」

「どうしたん?」

 

 僕の突然の行動に驚いたらしいイリヤと木乃香さんが怪訝そうに見詰めてくる。

 僕は誤魔化すように―――というか誤魔化す為に目の前で右手を振って、もう片方の手で頭を掻きながら2人に答える。

 

「あ…いや、何でもないよ」

「「?」」

 

 2人は幾分か不思議そうに僕を見ていたけど、何も尋ねず直ぐに視線を外してくれた。

 胸中でホッと安堵の溜息を付く。

 

 ―――まさか、アスナさんのノーパン姿を思い浮かべていました、なんて言える訳ないし…。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ここやよ」

 

 そう言って、ある建物の前で木乃香さんは立ち止まった。

 そこに建っていたのは麻帆良では珍しくない欧風の建物だった。煉瓦造りでバランス良く濃淡な黒が配された品の良いモノトーンで、少し古風―――クラシックな感じを受ける喫茶店だ。

 モノトーンの為か、ほの暗さを感じさせるけど、不思議と温かみも覚えさせる印象がある。

 

「中々良い感じのところね」

「うん」

 

 イリヤも僕と似たような物を感じたのか、好意的な感想を述べて僕もそれに頷く。

 ただ、雰囲気の良い筈のこの喫茶店には人気(ひとけ)は無く。看板はあれど、メニューなどが掛かれた掲示板などは見えず、開店している様には見えない。

 それもその筈で、木乃香さんといいんちょさんの話によると、つい先日に店を閉めたばかりなのだとか。

 ただし、客入りが無くて潰れた訳ではないそうで、いいんちょさん達も詳しくは知らないとの事。経営者の都合で閉店したらしい。

 結構、学生さん達の中では人気の店だったらしく、閉店時には惜しむ声がとても多かった…とも言っていた。

 なんでも料理が美味しかっただけでなく、店員さん達…声の渋いダンディな店長さんや、可愛らしい2人のウェイトレスさんも魅力的だったとかで、男女問わず客足が絶えなかったとか。

 あと、時折奇妙なブサカワイイ猫のような店員……マスコットが居たとか、居なかったとか言ってたっけ? 無造作に置かれていた青色のケータイが変に喧しかったとか、へし折られていたとかも?

 

 

 

 木乃香さんに促がされて木製の扉を押し開くと同時に、カランカランと軽やかな鐘の音が鳴り響く。

 

「ネギ先生、木乃香さん、それにイリヤさん。おはようございま―――と。あら?…もうこんにちはですわね」

「はい、こんにちは。いいんちょさん」

「こんにちは」

「…こんにちは」

 

 鐘の音で僕達に気付いたいいんちょさんが時間を気にしつつ挨拶をし、僕達も応じた。

 店内はやはりお客さんや店員などの他の人の姿が見えず、カウンターにはマスターと呼べる人間も当然居なかった。

 なのに僕たちが此処にやって来たのは今日一日だけ、いいんちょさんがアスナさんの誕生日を祝う為にこの店を貸し切ってくれたからだ。

 

「ありがとうございます。いいんちょさん」

 

 頭を下げてその事にお礼を言う。

 

「あら、いやですわネギ先生。頭をお上げになって下さい。先生の為ならばこれ位は何の事もありませんのですから」

「え…いや、でも――」

 

 ハシッと、僕の両手を包み込むようにして握り、見詰めて来るいいんちょさんに途惑うも、何とか言葉を続ける。

 

「殆どは僕の我侭みたいな物ですし…明日からの修学旅行の準備だって―――」

「お気になさらないで下さい。僅か数ヶ月という間柄にも拘らず、お世話になっている明日菜さんへの感謝の為に誕生日を祝うという、先生の行為に感激しての自発的な協力なのですから―――それにわたくしも……あ、いえ…きっと明日菜さんもお喜びになりますわ」

「…いいんちょさん」

 

 言葉の後半にいいんちょさんの明日菜さんへの気持ちが見えた気がした。

 うん…僕だけじゃない。

 昨日、木乃香さんも言った通り、いいんちょさんも明日菜さんの事が大好きだから誕生日を精一杯祝いたいんだ。

 そんないいんちょさんの気持ちを考えると、これ以上遠慮したり恐縮したりするのは返って失礼になる。

 だから―――

 

「はい! ありがとうございます!!」

 

 僕も精一杯の感謝の気持ちを込めて、もう一度そうお礼を言った。

 

 

 しばらく店内には、僕達の雑談の声のみが響いた。

 

 お祝いの為の料理やケーキといった食べ物、飲み物は、既に厨房の方に用意されているらしく、後は此方に持って来るだけだそうだ。因みに調理を行なったのは、いいんちょさんの所―――雪広財閥お抱えのシェフだとか。

 その事を自信ありげに語るいいんちょさんを頼もしく思えるし、僕も少し一流のシェフが作る料理というものに興味があった。

 釘宮さんたちは、予定通り明日菜さんを呼びに行っている。

 明日菜さんは今日は珍しく午前中だけでも部活に顔出すと言っていたので、同じく部活動の為に校舎に用があるというチアリーダー3人組の釘宮さん達に迎えをお願いしたのだ。

 それと昨日のメンバーに続いて、いいんちょさんのルームメイトである那波さんと村上さんがパーティに参加する事になり、釘宮さんたちと合流して此処へ来るらしい。

 那波さんと村上さんは、修学旅行の準備を終えていたのでいいんちょさんは誘う事に躊躇が無かったようだ。

 僕と木乃香さんは、一緒に祝ってくれる人が増えて嬉しかったのだけど、イリヤはそうではないみたいだ。勿論口には出していなかったけど、新たにメンバーが加わると聞いて何となく顔を顰めていたように見えたからだ。

 

 ―――もしかしたら人見知りなのかも知れない。

 

 イリヤの顔を見ながらボンヤリとそんな言葉が浮かんだ。

 僕と初めて会った時も何処となく戸惑っていたように見えたし……あ、でも直ぐに打ち解けられたから違うかな?

 ふと昨日の事……木乃香さんと釘宮さん達、明日菜さん、いいんちょさんと会った時の事も思い返す。

 それを思うとやはり人見知りというのは、違う気がした。

 じゃあ木乃香さんの言うとおり、人の多い場所や状況が苦手なんだろうか?

 

 うーん、それも違う気がする。

 何と無くだけどイリヤにはそういった、物怖じするというイメージが似合わないのだ。

 まあ、明日菜さんや木乃香さん等、3-Aのクラスメイトを始めとした日本で知り合った殆どの人がそういった感じではあるけど、イリヤはそれとはまた違う感じ―――雰囲気が在る。

 

 知り合ってからまだ一週間にも満たないけど、僕の知る限りイリヤはとても“大人”なんだと思う。

 同じ歳なのに考え方は確りとしているし、僕の同僚の人達や明日菜さんよりも年上の怖そうなお姉さん達を相手にしても平然とした態度を崩さないし、普段からの立ち振る舞いや何気ない仕草にも穏やか―――いや、お淑やかさが在る。

 少なくとも故郷のアーニャや、魔法学校に居た同年代の女の子には居ない感じの子だ。

 特にアーニャとは比べる方がイリヤには失礼だと思う。生意気で口喧しくもないし、無理に背伸びをしている感じでもないんだし……むしろ、ネカネお姉ちゃんにも似た優しい雰囲気を感じさせるのだ。

 正直スゴイと思うし、ちょっと尊敬する気持ちもある。

 それを昨日言ったら(勿論、アーニャとネカネお姉ちゃんに~~云々という事までは言っていない)、

 

『それを言うなら、その歳で教師をしている貴方の方がよっぽどスゴイし、立派だと思うわ』

 

 と。心底感心した様子で褒めるようにして返された。

 イリヤにそう言われて嬉しいような、恥ずかしいような、なんとも言えないむず痒い気持ちを抱いたっけ。

 

 ………ともかく僕の知る―――いや、抱いているイリヤの印象は物怖じだとか、人見知りだとかをする性格では無い。それならきっと那波さんと村上さんが来ると聞いて顔を顰めたのは僕の気のせいだろう。

 

 

 ―――そう、僕は思うことにした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「明日菜さん…誕生日。おめでとう御座います!」

「「「「「「「「おめでとう!!」」」」」」」」

 

 僕の音頭と共にクラッカーが鳴り響き、皆が祝言を上げる。

 

「え?」

 

 明日菜さんは事態を飲み込めないようで呆然としたようだけど、僕と木乃香さんが昨日東京へ出掛けた本当の理由を打ち明け、皆がプレゼントを渡す頃には。

 

「あ、ありがとう。こんな…いきなり――」

 

 状況を理解して瞳を潤ませ、声を少し滲ませて、

 

 ―――私、嬉しいよっ…。

 

 そう感激の言葉を零した。

 

 その後は、いいんちょさんが用意してくれた料理を皆で囲んで再度明日菜さんの誕生日を祝してジュースの入ったグラスで乾杯を取り、食事に取り掛かった。

 お昼時という事もあって、皆の料理を口へと運ぶ手は思った以上に進んでいる。勿論、いいんちょさんが自慢する一流シェフが調理したという事もあって非常に美味しかったのもその一因だと思う。

 ただ、僕にとって多くの料理がお腹に入る原因は、

 

「―――はい、ネギ先生。今度はこちらのラム肉の香草焼きなどは…それとも、こちらの…」

 

 こんな感じで口に入り、咽を通り、その感想を告げる度にいいんちょさんが次々と料理を勧めて来るからだ。

 流石に少し……いや、かなりお腹が苦しくなってきた。

 

「あの…いいんちょさん。すみませんけど、僕もうお腹が一杯で…」

「あ、そうでしたか。……そう言われると確かに御顔が苦しそうですわね。此方こそ申し訳ありませんわ。直ぐに良い胃腸薬を御用意致し―――」

「ああ、いいです。少し休んでいれば、良くなりますから」

 

 そう言って席を離れる。

 心配そうないいんちょさんには悪いけど、もう胃腸薬を飲みこむ余裕も無さそうだった。

 とはいえ…うう、歩くのも苦しい状態。それでも御手洗いの方へ向かう。

 

 

 

 小さく感じた外観とは裏腹に店内は意外に広く、二度扉を抜けて御手洗い所へ入った。そこも思ったより広い。

 それに閉店時にも掃除を欠かさなかったのか、それとも普段から良く行き届いた為なのだろうか、意外にも清潔感を感じさせる。

 

「―――ふう」

 

 僕は大きな鏡に背を向けて洗面台に寄りかかり、一息を付いて身体を楽にさせた。

 それで少し余裕が出来たからか、先程の事を思い返した。

 

 明日菜さん、とても喜んでくれて……良かったなぁ。

 

 僕が音頭を取って、皆からプレゼントを渡されて嬉しそうに微笑んだ顔が脳裏に浮かんだ。

 明日菜さんのあんなに嬉しそうな表情は初めてだった。

 うん、一昨日に思い切って木乃香さんに相談して良かった。それにイリヤや釘宮さん達にいいんちょさん達、皆が祝ってくれた事も。パーティが終わったら改めてお礼を言わなきゃいけないよね。

 

「ネギ」

 

 思い耽っていると御手洗い所のドアが開いて僕を呼ぶ声と共に、誰かが入ってきた。

 チリンっと長い髪を左右で分けて頭の横で結び、飾っている鈴を鳴らして現れたのは今日の主役である明日菜さんだ……って!

 

「あ、アスナさん! 此処…男子トイレじゃ…!?」

「何言ってるのよ。男子トイレ…たって、男なんてアンタだけじゃない。そもそも閉店してるお店なんだし」

「で、でも――」

「まあ、確かに入るのに抵抗が無い訳じゃないんだけどさ」

 

 驚き慌てる僕と対照的に、落ち着いて何処か呆れたように答える明日菜さん。オマケに「ふーん。男の人のトイレってこうなっているんだ」などと、呟いて珍しげに視線を巡らせていた。

 

「それよりネギ、アンタ大丈夫なの? いいんちょに結構な量を無理矢理食べさせられてたみたいだけど」

「あ、はい。大丈夫です……というか、別に無理矢理という訳じゃあ―――」

「顔色が悪くなって苦しくなるまで断ろうとしないんだから、同じ様なものでしょう」

「う…」

「だいたいアンタは―――」

 

 心配そうに僕を見ていたのに、徐々に目を吊り上げ始める明日菜さん―――けど唐突に言葉を切る。

 そして力が抜けたように肩を落として、ハアと溜息を付いた。

 

「まったく、アンタを怒りに来た訳じゃないのに…」

「……アスナさん?」

「……あー」

 

 肩を落とす明日菜さんに首を傾げると、それを見た明日菜さんは今度はそわそわと意味も無く天井を見詰めたり、鏡を見たりと、視線を彷徨わせて落ち着かない様子を見せる。

 

「あー…その、ね」

「はい?」

「木乃香から聞いたんだけど、その……誕生日を祝おう、って言い出したのはアンタだって―――」

「…あ」

 

 思わずポカンと明日菜さんを見詰める。

 

「―――っ! だから、ありがとうネギ―――……それを言いたかったのっ! じゃっ!」

 

 そう言ってプイッと僕に背を向ける明日菜さん。そうしてドアへ向かいノブに手を掛けるが……直ぐに出て行かずにそのまま立ち止まり、チラッと顔を此方に向け、

 

「―――っと、アンタはもう少し此処で休んでなさい。まだケーキだってあるんだから。いいんちょにまた無理矢理食べさせられないようにして、十分にお腹を空けさせてから皆の所に来ること……良いわね!」

 

 一方的にそう捲くし立ててから出て行った。

 僕はそんな明日菜さんの言葉や行動に思考が付いて行かず、思わず唖然としてしまう。

 

「えっと―――」

「へっへっへっ…明日菜姐さんも、妙な所で素直つーか…なかなか可愛い所があるじゃねえか」

「カモ君!?」

 

 何時から居たのか、洗面台の上に白いオコジョ妖精こと―――僕の友達兼使い魔のカモ君が居た。

 

「カモ君、今のって…」

「へへ、要するに姐さんは兄貴に物凄く感謝してるって事でさぁ」

「……うん」

 

 ―――ありがとう、ネギ。

 カモ君に頷きながら事態を飲み込み。今さっき、そう明日菜さんが言った言葉を思い返した。

 でも―――

 

「でも、……僕の方こそ、麻帆良に来てから明日菜さんにはスゴク迷惑を掛けたり、助けて貰ったりしてるし、だから今日はその感謝とお返しでもあって、当然な訳で……それに、こうして盛大に祝えるのは殆どは木乃香さんといいんちょさんの―――」

「まあまあ、そんな深く考えずに。そういったもんでしょうよ、人どうしの関係っていうのは。何かをして、返されて返して、感謝したり、されたりっと―――云わば、持ちつ持たれつよ。だから兄貴も素直に姐さんの気持ちを受け取っていれば良いんですよ」

 

 何処から取り出しのか、カモ君は煙草から紫煙を曇らせて諭すように言う。

 

「んで、今日を皆でパーッと楽しめば良いんすよ」

 

 感謝して、感謝される……か。

 そうなのかな?

 こんな僕でも――――――ううん、誰かの為に精一杯、何かをするのは“偉大な魔法使い(マギステル・マギ)”を目指す人達にとって当たり前の事だ。

 それに―――

 

「駄目っすよ兄貴、そんな暗い顔してちゃあ。面白楽しくっすよ」

「うん、ごめん……でも、ちょっとまだ、お腹が苦しくてさ」

「ハハ、それじゃあ、しょうがねえか。あの金髪の姉さんも困り者だ」

「いいんちょさんも、親切でやってくれているんだと思うんだけどね」

 

 そうやって互いに苦笑し合う……だけど内心で。

 

 ―――ゴメン、カモ君。御免なさい、明日菜さん。

 

 と。何に対してか判然としないまま僕は謝っていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 十分ほど後、気分も良くなってきたので手洗い所を後にしようとドアに開いた。

 すると丁度、まるでタイミングを合わせたかのように、隣にある女子トイレの扉も開いて中から人が出てきた。

 

「あら?」

「ん?」

「あ、那波さん…とイリヤ?」

 

 出て来たのは、3-Aの生徒である那波 千鶴さんとイリヤだった。

 3-A生徒といってもその担任である僕は、那波さんとまだ余り話しことが無かったりする。今日も挨拶とイリヤの紹介ぐらいしか会話を交わした覚えが無かった。

 

「ネギ先生、もう気分は宜しいのですか?」

「はい、大丈夫です。ご心配をお掛けしました」

「いえ、ウチのあやかこそ、先生に迷惑を掛けて申し訳ありません」

 

 丁寧な仕草で頭を下げる那波さん。知る範囲において3-Aクラスの中では珍しくとても落ち着いた感じの人だ。それに年上だからだろうか? イリヤとはまた違う、より確かな大人な雰囲気を覚える。

 でも、ウチの……って、どういう意味だろう? えっと、いいんちょさんとルームメイトだからかな?

 …まあ、いいや。

 それよりイリヤとの組み合わせが気になる。僕自身が那波さんを余り知らないという事もあるけど、那波さん達が来る事になって顔を顰めていたように思えたイリヤが、昨日と同じく僕の生徒と打ち解けてくれたのかが心配だ。

 

「迷惑という事はありませんけど、それより那波さんとイリヤも楽しんでますか?」

 

 そう何気ないように2人の様子を窺う。

 

「ええ、あやかの用意した料理も美味しいですし、この様な機会で皆さんとお話しするのも楽しいです。それに何より明日菜さんのあの嬉しそうな笑顔は見ている私も幸せな気持ちに成れますから」

「そうね。あんな良い笑顔を見ること―――ううん、生み出せた事だけでもこの誕生日祝いは大きな価値があると思うし……来て良かったと思うわね」

「―――…………きっと、あやかも同じ気持ちでしょう」

 

 イリヤの言い回しに少しおかしな感じを受けたけれど、2人ともテンポ良く答えて会話を交わす様子にギクシャクした硬いものは無い。どうやら2人の間にこれと言った隔たりは無いようだ。

 良かったと、何となくホッとする。

 やっぱりイリヤが顔を顰めたのは僕の気のせいだったのだろう。

 

「まあ、それもネギのお手柄ね」

「そうね。先生が発案者なのですから明日菜さんとあやかも感謝しているでしょう」

 

 ―――ありがとう、ネギ。

 2人の言葉を聞いた一瞬、またさっきの明日菜さんの顔が脳裏に過ぎった。

 何だか不可解なモヤっとした感覚が胸に湧き出る。嬉しい事の筈なんだけど……スッキリとしない変な感じ―――。

 

「……」

「どうしました?」

「あ、いえ…何でもありません」

 

 尋ねてくる那波さんに判らないまま誤魔化すように答える。

 

「そうですか? もしまだ御加減が優れないのなら無理はなさらないで下さいね」

「はい、ありがとう御座います」

 

 心配する那波さんにこれ以上不安を掛けないよう笑顔で応じる。すると那波さんも笑みを見せてくれた。

 けど、イリヤはその隣でジッと凝視するように僕を静かに見詰め―――直ぐに視線を逸らした。何となくだけど嘆息しているようにも見える。

 

(ほっ)

 

 と。直ぐ近く―――僕の肩からも嘆息……じゃなくて、安堵したかのような溜息を聞こえた。カモ君だ。

 僕は傍の2人に聞こえないようにそっと話し掛ける。

 

(どうしたの、カモ君?)

(いや、…此れは恥ずかしい所を。ついイリヤ“お嬢様”に睨まれたと思うと、その…身体がですねぇ)

 

 ―――お嬢様。

 カモ君は何故かイリヤの事をそう呼ぶ。

 

 あれは、イリヤと知り合った翌日だっただろうか?

 朝のホームルームを終えて、早速カモ君に友達になったイリヤを紹介した後。

 

『兄貴が仕事の合間に俺っちは友人兼舎弟兼使い魔として、兄貴の為にもダチになったイリヤ嬢ちゃんと親交を深めて置くかねぇ……フフ…』

 

 とか言いながら、カモ君は怪しい笑みを浮かべて授業に向かう僕と別れ、図書室に篭るイリヤの所にそのまま残った。僕は教職の忙しさからその事をすっかり忘れてしまい、寮へ帰って暫くすると―――

 

『へ…へへへ……帰って来れた…兄貴……姐さん―――幾人の麗しい女生徒の匂いに導かれて……愛しき女性下着たちの夢に抱かれて……明日菜姐さんのパンツ達よ! 俺っちは帰って来たーーーーッ!!』

 

 ボロボロ傷だらけのカモ君がフラフラと朦朧としながら現れて、そんなワケの判らないことを叫んだ。

 直後、それを聞いていた明日菜さんに止めを刺されて完全に寝込んでしまったけど。

 そして、寝込んで魘されて―――

 

『や、助け、…た、食べないで、美味しくないから……ちょっ!? ぎゃっ! ご、ご勘弁をイリヤ嬢ちゃん…いや、お嬢さん。え、もう駄目?……って、ああっ!! 爛々と光る眼たちがっ!? ひぃいぃぃ~~…ゴメンなさいー! お嬢様~~! どうか御慈悲をーーー!!』

 

 そんな寝言を一晩中叫んでいた。

 正直、カモ君の事を知らない木乃香さんにコレを聞かれなかったのが不思議で堪らない。

 この翌日から…いや、寝言からカモ君はイリヤの事をお嬢様と呼ぶようになった。

 今も時々魘されているけど……一体、何があったんだろう?

 少し恐くも在るけど聞かずには居られない。けれどカモ君はガタガタ震えるだけで黙して語らず。

 イリヤにしても尋ねても「さあ」と、心底不思議そうに首を傾げるだけで未だに真相は闇のままだった。

 

 よく見ると今も僕の肩の上でカモ君の身体が少し震えていた。

 

(そんなに恐いの?……イリヤはとても優しい子だと思うけど、そんな酷い事するかな?)

(いやいやいや! …あ、兄貴! それは違う! アレを知らないからそう言えるだけで、イリヤお嬢様は()る時はとことん徹底的に殺るタイプの人間だ!! そもそもあのエヴァンジェリンと平気で同居しているようなお人……だから―――)

 

 恐怖に染まった眼の色と声を滲ませて必死に僕に訴えるカモ君。けど―――

 

(ヒィィィイィイ!!)

 

 突然、悲鳴を上げて最後まで言い切れずに言葉は途切れてしまう。

 気付くと、顔を逸らしていた筈のイリヤが振り返っており、女の子らしい仕草で首を傾げて「何?」と言いたげな視線を僕達に向けていた。

 でも険の篭った眼ではないし、悲鳴を上げるほど恐ろしい雰囲気は感じない。

 

(やっぱり、恐くないと思うけど。気のせいじゃ―――)

(……………)

 

 ―――ないかな、と言おうとしたけど、カモ君は無言で体を震わせるばかりで僕の声は聞こえてないみたいだった。

 

『♪~~……♪~~~』

 

 ふと気付くと、ホールに続く扉の向こうから音楽と誰かの歌声が聞こえていた。

 

「? カラオケ…?」

 

 昨日、帰りの電車に乗る前に立ち寄ったお店の事を思い出して思わず呟く。

 そんな機械この店に用意されていたっけ?

 その僕の疑問に那波さんが答える。

 

「ネギ先生が御手洗い方へ向かった後、あやかが用意していましたね」

「そうなんですか」

 

 そういえば昨日、釘宮さんか柿崎さんのどちらかが初めて触るカラオケの機械に戸惑っていた僕に、普通に家庭などでも使えるのがあるって言っていたような?

 それを持ってきたのかな?

 

「ええ、釘宮さん達が盛り上がるだろうとあやかにお願いしていました。それに何でもイリヤさんの歌がとても上手だそうで、また聞きたいとも言っていましたね」

「なるほど」

 

 確かにイリヤの歌は他の皆より飛び抜けて上手かった。何度でも聞きたいという気持ちは物凄く分かる。

 カラオケで歌っていたのはバラードとか、静かな感じの曲が中心だった。

 あと日本のアニメやゲームの曲にすごく関心を持っているみたいで、歌いたがっていたみたいだけど、何故か結局歌わなかったんだよね。何か酷く葛藤した様子で「自分のキャラじゃない」とかブツブツ言いながら。

 

「ネギ先生は、イリヤさんの歌を昨日聞かれたのでしたね」

「はい。那波さんの言うとおり、とても上手くて綺麗な声で、僕も皆さんも聞き入っていました」

「そうですか、それは私も楽しみです。ね、イリヤさん」

 

 僕の言葉に楽しそうに頷きながらイリヤに声を掛ける那波さん。

 

「う……そんなに期待されても……まあ、歌には自信がないわけじゃないけど―――その、ね…」

 

 言葉尻が小さくなり、イリヤは頬を薄っすらと紅潮させている。珍しく照れているようだ。

 会ってからまだ間もないけど、本当に珍しいと思い。何だか新鮮な姿だった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 カラオケに興じ、用意していたカードゲームやビンゴゲームなども行なった。

 そして程良くゲームに興じて腹ごなしが済んだ後、室内を暗くし、誕生日ケーキが明日菜さんの前に置かれた。

 蝋燭に火が灯された時には、イリヤが音頭をとって『ハッピーバースディ』を皆で歌い。明日菜さんが再び感激し、改めて今日は皆で誕生日を祝って良かったと思った。

 

 今、皆はケーキを食べながら談笑をしている。

 先のカラオケとゲームの余韻からか主にそれらに関する話題が上がっている。

 誰かの歌が、どの歌が上手かった、良かっただの。採点結果に不満があったり、満足していたり。

 ゲームの結果が悔しかったり、嬉しかったりしてその過程を、ああすれば良かったなどと、論じるように皆が話し込んでいる。

 

 しかし、しばらくすると話題も移り変わってきて村上さんが不意に思い出したようにイリヤに尋ねた。

 

「そういえば、イリヤちゃんってどうして麻帆良に来たの? 日本語も随分上手だし…留学?」

 

 その言葉に皆の視線がイリヤに集る。

 好奇めいた物が大半で、そんな注目を浴びるイリヤだけど動じる事無く。

 

「……まあ、そんな所ね」

 

 一瞬、考える素振りを見せてからそう答えた。

 しかしその答えに素っ気無さを感じたのか、柿崎さんが更に問い掛ける。

 

「それだけじゃ、ちょっと淡白すぎない? 答えるならどうして麻帆良を選んだのかー? とか、どの学部に入りたいーだとか、日本文化に興味があるーだとかさぁ、色々とないの?」

「麻帆良で日本文化は、ちょっと無理がありそう」

 

 問い掛ける柿崎さんの隣で釘宮さんがそんな尤もな事を呟いた。その意見は判らなくも無い。なにしろヨーロッパ文化そのものの風景ばかりだしね。

 まあ、そんな事より、問われたイリヤは少し困っているのかも知れない。表情には出していないけど、どう答えれば良いのか迷っているかのように沈黙している。

 詳しくは知らないけど、本人から聞いた話によるとイリヤは記憶喪失であり、麻帆良に居るのも記憶が無くて途方に暮れていた所を学園長の知人が保護し、その人が学園で預かってくれるように依頼した為だとか。

 今名乗っている名前も本当に自分の物だとかも判らないとの事で、その事も含めて色々と調査もしているらしく、学園長はしばらく様子を見る事に決めたらしい。

 そんな事情を簡単に話せる訳はないし、何より今日は祝い事をしており、その真っ最中だ。だからそんな重たい話をする訳にもいかない。

 なら適当に誤魔化すなり、話を逸らすなりすれば良いんだけど……3-Aの生徒達のバイタリティだと下手な答えは返って追求心を煽りかねない。だからといって嘘を吐くのも気が退けるだろうし。

 うーん、昨日、元々誘ったのは僕な訳だし助け舟を出すべきだよね。

 

「それとも、もしかしてホントにお姫様だとか? それで実は病気で療養の為に麻帆良を訪れているとか?」

「椎名さん。それならもっと自然豊かで静かな場所を選ぶでしょう……まあ、しかし、確かに名前にある“フォン”の称号はドイツの貴族に付けられるものですし、イリヤさん自身にも品格があり―――」

「えっ!? じゃあホントの本当にお姫様ってこと!?」

「ほえ~、すごいなぁ、イリヤちゃん!」

「それじゃあ、お城とか、宮殿とか、そんな豪華で羨ましい所に住んでるの?」

 

 やっぱり流石3-Aというべきか? 僕が口を挟む間も無く勝手に話が大きくなっていく。麻帆良の滞在理由から一転して素性の追求―――いや、もう勝手な確信に入っていた。

 詰め寄られて今度こそイリヤは、眉根を寄せて顔に困ったと表している。

 僕もどう口を挟んで良いか悩む。

 

「はいはい、みんな落ち着いて。イリヤさんが困っているわよ」

 

 そんなワイワイと騒がしく成りつつある中、穏やかなのに不思議と確り耳に響く声が那波さんから発せられた。

 途端、シンと静まる店内。

 

「イリヤさんはまだ麻帆良に来たばかりでそう落ち着いても無い状況よ。だからこの広い学園で何かするにしても、時間が掛かるのだと思うわ。それに何か言い難い事情も在るのかも知れないし、アレコレと変に詮索して騒ぐというのは……―――どうかしら?」

 

 ―――どうかしら?

 と。朗らかな笑顔を浮かべながら、穏やかな口調と声色で皆に判断を委ねる問い方だけど、「もうこの話題はお仕舞いにしましょう」という有無言わせない迫力が那波さんから感じられた。

 ……少し恐い。

 

「そ、そうだね。私もそんな…すごく聞きたいってワケじゃないし、何となく気になっただけだから…あ、アハハ…」

 

 話題の発端となった村上さんが引き攣った笑顔でそう答える。

 それに皆も無言で頷いて相槌を打つ。

 

「は、はは…昨日注意されたばかりなのに、つい調子に乗っちゃった……ゴメン、イリヤちゃん」

「確かに少し不躾でしたわね。すみません、イリヤさん」

 

 椎名さんと、いいんちょさんが軽く頭を下げて謝る。

 イリヤは「うん」と頷いて謝罪を受け取り、那波さんに視線を向ける。那波さんはその視線にホホホと笑みを向けるだけだった。けど…。

 

 ―――もしかして…。

 

 そのやり取りで那波さんは、イリヤの事情をある程度知っているのでは? と思った。

 

「わかってくれて嬉しいわ。さすが私のあやかと夏美ちゃんね」

 

 またしても今一理解できない言い様をして、にこやかに微笑む那波さん。

 その言い様に御手洗い所でイリヤと一緒に居た事が頭に過ぎった。

 それに今思い返すと料理を摘んでいたお昼時にも那波さんは、イリヤに積極的に話しかけていた筈。

 カラオケやゲームで遊んでいた時も、皆とイリヤの間を取り持って会話を絡めていたような気がする。

 

「あの那波さん、もしかしてイリヤのこと……」

 

 皆が気を取り直すように別の話題に移り、談笑する中で機を見計らって那波さんに話しかける。

 

「イリヤさんがどうかしましたか?」

「あ…えっと」

 

 よく考えるとどう尋ねればいいんだろう? 記憶喪失だと知っているんですか? なんて言えないよね。

 那波さんが本当は知らなかったら心配させるだけだろうし、黙って教えたとなんて思われたらイリヤもきっと怒るだろうし……うむむ。

 

「なるほど、ネギ先生もご存知なのですね……記憶喪失のこと」

「あ、はい」

 

 悩んでいる僕を見て聞きたかった事を察したらしく、那波さんはそれを口にした。

 そして僕の事を暫くジッと見詰め。

 

「うん、それなら余計な心配だったかしらね」

 

 一人納得したように、いきなり満面な笑顔でそんな事を言った。

 何だろうと思い尋ねたのだけど、那波さんは何でも無いと言うも「イリヤさんとしっかりと仲良くしてあげて下さい」と、さり気無くもまるで念を押すように続けて言って……村上さんの傍に行った。

 ただ、その仲良くしてと言われた時、にこやかな笑顔の中にさっき皆を注意した感じにも似た異様な迫力を僕は覚え……強く印象に残った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「あーー楽しかった。こんなに楽しかった誕生日は生まれて初めてね。……多分」

 

 帰宅した早々明日菜さんが両手を高く上げ、身体を解すように伸ばしながらそう言った。

 多分、楽しさの中に疲れを覚えたのだろう。

 

「うん、アンタにももう一度言っとくわ。……ありがとねネギ」

 

 今度は照れた様子を見せず、いつもの明るく見ている方が元気になるような笑顔だった。

 

「いえ、楽しんで貰えて良かったです」

 

 僕も今度は変な感じがせず、いつもの通りに返事をする事ができた。

 木乃香さんは、そんな僕達のやり取りを楽しそうに笑顔で見つめながら、今日の夕食をどうするか尋ねてきた。

 

「うーん、なんかお腹いっぱいな感じだし、いいわ」

「僕も遠慮しときます」

「ふふ、そやね。特にネギ君はいっぱい食べたもんなぁ」

 

 いいんちょさんに食べさせられた事を言っているのだろう。木乃香さんがクスクスと微笑ましそうに言う。

 そんなやり取りをしながらリビングに入り、それぞれが荷物を置いて。明日菜さんは中でも目立つ大きな紙袋を部屋の中央にあるガラステーブルの上に置いた。

 皆から貰ったプレゼントの入った袋だ。

 明日菜さんは丁寧な手つきで、紙袋から包装された様々な大さきの箱や包みを取り出していく。

 

 そんな姿を見ていると昨日、東京で皆が買っていた物を思い出す。

 僕と木乃香さんはオルゴールと衣服類で、釘宮さんは音楽CD。柿崎さんは化粧品。椎名さんは猫の写真集。イリヤは―――えっと…あれ? イリヤは何を買ってたかな?

 昨日立ち寄ったお店と、その中でのやり取りを必死で思い返す。

 むむむ…と、僕が内心で唸っている間に明日菜さんは包装を丁寧に剥がして開封していた。

 

「えっと、このオルゴールと服は、木乃香とネギのだったわよね」

「そやよ、CDと化粧と猫の写真はくぎみー達ので……このミニ天球儀は千鶴でぇ、厚い本…小説は多分、夏美ちゃんのやね」

「あの娘、演劇部だからね。でもこんな分厚い読み物。私、辞書ぐらいしか手にした事がないわよ」

「しっかり読んであげんといかんよ。―――と、これはあやかのやろか?」

「分かってる。ん…へぇ、アイツ……わざわざメッセージカードなんか付けて、まったく……言われなくても感謝してるわよ」

「ふふ、中は髪留めとブローチかぁ…いいんちょの贈り物って事は、結構な代物なんやろうなぁ」

「まあ、お金だけは無駄にあるものね」

 

 テーブルの上へ、所狭しにプレゼント広げてお喋りする明日菜さんと木乃香さん。

 よくよく思えば、別に考え込まなくても此処で直接見れば良いんだった。

 視線をテーブルの上に向ける。

 釘宮さん達のは昨日見ている。那波さんのミニ天球儀は小さいけど細工が確りとした立派な物だ。村上さんの小説は西洋古典だろう、明日菜さんが読むのは大変そう。いいんちょさんの髪留めとブローチは見た目こそシンプルだけど多分高価で何処かの有名なブランド品だろうか?

 ……で、イリヤのは。

 

「何だか随分と貧相というか…何処にでもありそう紙包みねぇ」

「…」

 

 明日菜さんの言葉に頷くだけの木乃香さん。

 2人の視線の先には小さな白い紙包み。

 

「……確か、時間が無くて包装とかする間もなかった…って言ってたような…?」

「ああ、そういえば約束の時間にも遅れて走って来とったなぁ」

 

 木乃香さんと2人、イリヤを弁護するような事を言ってしまう。

 

「ふーん、ちょっと意外ね。もっと確りした子だと思ってたんだけど」

 

 そう言いながら包みを開く明日菜さん。

 僕もその時に少し意外に思っていたんだけど、何かあったんだろうか? 今思うと遅れた理由を聞いていない。

 

「シルバーのアクセね」

「へぇ…綺麗やな。これはユニコーンやね……ええなぁ、これ」

「あ」

 

 包みから出てきたのは細工が立派な銀製のペンダント。このかさんの言うとおり、直径5cm程の楕円の盤にユニコーンが描かれて、その眼の部分には青い小さな宝石を飾り、盤の淵にはドイツ語と思われる言葉が彫られている。

 

 直訳すると…意味は「掛かる災厄から、貴方を護る」かな? これもしかして―――

 

「こういうグッズには目がないからねぇ、このかは…」

「あはは、…あれ、包みの裏に何か書いてあるえ」

「うん? 『出来れば、肌身離さず身に付けていて欲しい』…?」

「…!」

 

 明日菜さんの言葉に確信する。

 

 ―――やっぱり、そうだ。

 僕はつい嬉しくなる。この事を早く明日菜さんに伝えたい。でも木乃香さんが居るので言うことが出来ない。

 木乃香さんの事を邪魔だとか思うわけじゃないけど、なかなかにもどかしい。

 明日菜さんは大した物じゃないと思っているかも知れないし……いやいや、明日菜さんが人から受け取った誕生日の祝い物をそう思う訳は無いよね。あんなに嬉しそうだったんだし……失礼な考えだ。

 そんな事を考えていると、木乃香さんがお風呂を沸かしに立ち、シャワーで良いと言うアスナさんに、明日の修学旅行に備えてしっかり疲れを取っておかないと、と言い含めてリビングを出て行った。

 

「明日菜さん」

「ん、何?」

 

 木乃香さんがリビングから離れるのを見計らって声を掛ける。

 明日菜さんは、テーブルに広げたプレゼントや包装紙などを片付けながら返事をする。

 

「そのイリヤのペンダントなんですけど、それ本物の御守りだと思います」

「へ…本物って?」

 

 明日菜さんは片付ける手を止めて、僕の方へ振り返る。

 尋ねる明日菜さんを見て、ふと今更ながらに気付く。イリヤが魔法関係者だと言って良いんだろうかと。

 

「? どうしたのよ?」

 

 話しかけた筈の僕が黙り込んだので訝かしむ明日菜さん。

 う…でも、何だかんだ言って明日菜さんは僕の事を黙って居てくれるし、イリヤも多分、判って渡したのだと思うし……良いよね。イリヤには明日菜さんにバレた事を教えているんだから。

 そう結論付けて「いえ」と一度首を振ってから答える。

 

「言葉通りで、その…魔法の道具だという意味です」

「えっと……それって、イリヤちゃんもアンタと同じって事? それとも私に贈った物が偶然そうだったって事なの?」

 

 偶然……そういえば、そうとも考えられるか。

 でも、包みの裏に書かれていた文字の事を考慮すると違うだろう。

 

「僕と同じという事です」

「あーー…やっぱし、そういう事になるのか……うん、納得。アンタの知り合いなんだもんね」

 

 僕の答えを聞いて何故か? アスナさんは肩をガックリと落として返事をする。

 なんだろう? ガックリとする理由がわからず首を傾げる。

 

「まあ、いいわ。それでこのペンダントが魔法の道具ってどういうこと?」

 

 ペンダントを手にし、僕に見せ付けるようにして尋ねてくる明日菜さん。

 それに、これまで黙っていたカモ君が答える。

 

「さっき兄貴が言ってただろ。本物の御守りだって」

「そうだったわね。……じゃあ、何か御利益があるとか?」

「そこまでは、わかりませんけど…」

 

 そう言って僕はペンダントを渡してくれるようにお願いし、頷くアスナさんから受け取る。

 純粋に興味もあったけど、勿論確認する為だ。しかしペンダントからはとても変わった魔力を感じるばかりで、術式も複雑且つ知らない物だった。結局、詳しい事は判らない。

 ―――それでも害を与えるような邪な感じはないし、護りや厄除けらしい付与効果を何とか感知する事はできた。

 

「凄いな、これ」

「ああ、かなり高度な代物だ」

 

 僕の肩に乗って覗き込むようにして、ペンダントを見るカモ君が同意する。

 代わって魔法を知らないアスナさんは怪訝顔だ。

 

「何か判ったの?」

「いえ、見たことも無い術式で詳しくは」

「え~~」

 

 僕の言葉に得体の知れない物を対して不審を抱いたのか? 不気味そうな視線を向けて来る。呪いのアイテムに思われたのかも知れない。

 慌てて僕は誤解を解く。

 

「ただ、お守り―――護符(アミュレット)としての効果は確かですし、包みに書かれていた通り、身に付けていた方が良いと思います」

「そうなの?」

 

 それでも理解できない為だろう、アスナさんは懐疑的だ。

 そこにカモ君がフォローするように口を出す。

 

「兄貴の言うとおりだ、姐さん。これだけの物を身に付けないなんて損だぜ、妖精の俺っちも保証する」

「アンタに言われてもねぇ」

「あ、ひでぇなあ、真面目に答えてるのに…」

 

 カモ君の抗議に「ハイハイ」とおざなりに返事する明日菜さん。だけど、

 

「まあ、アンタ達がそこまで言うんだから信じてあげる。それに折角のプレゼントだしね」

 

 そう言って僕の手からペンダントを取り、その鎖と一緒に首に手を回してユニコーンの飾りを胸元にぶら下げた。

 

「よし…って、あんたヤケに嬉しそうね」

「はい、イリヤが昨日会ったばかり―――いえ、本当なら今日知り合う筈の明日菜さんの為に、こんな立派で凄いプレゼントを用意してくれましたから」

「んな、大袈裟な」

 

 明日菜さんは呆れたように苦笑する。

 だけど、僕は考えを変える積もりは無い。何故なら本物の御守り―――アミュレットを渡すって事は、その渡す人をしっかりと想い案じているという意味だから。

 僕の話でしか聞いていなかった筈の明日菜さんの事を、イリヤは大切に考えてくれたのだ。

 嬉しくない訳がなかった。

 

「いやいや、兄貴の言うとおりかもな」

 

 苦笑するアスナさんにカモ君は言うも、僕の考えと同じと言う訳ではなく。もっと別の意味でそれを口にした。

 それはアスナさんを驚かせ、僕も驚く事だった。

 

「あの金髪の姉さんの贈りモンは、正直よく判らねえけど、多分、それよりもずっと値が張る筈だぜ」

 

 では幾らなのか? カモ君から「これも推測だけどな」と注釈付で具体的な値段を聞き―――アスナさんはペンダントを身に付けるのに気後れし、返却するべきかを本気で悩みだし。

 僕は開いた口が塞がらず、木乃香さんがリビングを訪れるまでずっと思考が停止していた。

 

 結局アスナさんは、僕の説得と改めて強調して言うカモ君の注釈を信じて値段の事を考えないようにしたらしい。

 

 こうして夜が更け、アスナさんの15回目の誕生日は過ぎ去り、修学旅行当日の朝を迎える。

 ただ、僕は疲れを感じていたようで、意外にも直ぐに眠りにつき、目覚ましのベルが鳴るまでぐっすりと休む事と成る。

 

 ―――本当なら、もっと明日のことで目が冴えていても可笑しくない筈なんだけど……まあ、いいかな。

 

 

 




イリヤがカモに行なったお仕置きは…猫拳と答えて置きます。

カモはマタタビやカツオ節の粉を浴び、ウインナー等で作った鎖で拘束され……猫の集団に―――


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第3.5話――異邦人の過ごす一日

 ジリリ、ジリリと、けたたましさを覚える時計のベルを耳にして眼を覚ます。

 覚め切らない鈍い思考に代わって条件反射的な行動で手が伸び、クラシックな外見を持つ時計を軽く叩いてけたたましいベルを止めた。

 

「ふあ…」

 

 目覚めたばかりの為に欠伸が出るも、身を起こして私は両手を上げて思いっきり身体を伸ばし、

 

「うーん……よし!」

 

 気合を入れるようにして声を出した。

 毎朝そうする事で私は眼を覚ました実感を手にする。

 

 ベッドから降りて更に軽く屈伸運動をした後、部屋に備え付けられたクローゼットから着替えを取り出す。

 取り出したのは、麻帆良学園本校女子中等部の制服だ。

 どうして私が制服を持っているのかというと、学園長の許しがあるとはいえ、私服姿――しかもフリルたっぷりのゴスロリ服――で校内を歩き回るのは問題ではないかという指摘がなされた為だ。

 尤もそれ以前に、生徒でも無い少女が校舎を出入りすること自体問題ではないかという意見があったのだけど、そこは学園長の許可とそのお爺さんが私に与えた特別留学生なる肩書きが一応抑えてくれている。

 まあ、実際は学園長のゴリ押しと、その他教師陣達の妥協の産物というべき物なんだけど……ただ、私としても学内であんな目立つ姿で居るのは避けられるので、ゴリ押ししてくれた学園長と妥協してくれた諸先生方には、感謝以外の気持ちは持ちように無いのだけど…。

 

 そんな他愛も無い事を考えながらも着替えを済ませ、化粧台に付属する大き目の姿見で身嗜みを確認してから私は自室の扉を開けた。

 廊下を抜けて洗面所に向かい。洗顔などを済ませて再度身嗜みを整えると、今度は台所の方へ足を向ける。

 台所に続く扉を開けると、そこには私と同じく制服に身を包んだ同居人である機械の少女の姿があった。

 

「おはよう、茶々丸」

「はい、おはようございます。イリヤさん」

 

 挨拶をすると、彼女はいったん作業の手を止めてこちらに確りと振り向き、丁寧にお辞儀をしながら挨拶を返す。

 見る度に気軽に返事をするだけで良いのに…と思うのだけど、その一方でこの方が彼女らしくて良いかな、とも思って何となく笑みが零れた。

 そうして挨拶を交え、私はエプロンを身に付けると茶々丸の傍に立って彼女の作業――朝食の仕度を手伝い始める。

 そう、当然のように家事を手伝っている私だが、此処へ来た当初…手伝いを申し出た時、茶々丸は強く反対していた。

 彼女にしてみれば、主人の家でそのような雑事を行うのは従者である自分の役割であり、主が許し招いた客である私にそのような事させるのは言語道断なのだ。

 けれど逆に私にしてみれば、幾らお客扱いされようと実際はお世話になるばかりの居候の身に過ぎず、何もしない事は心苦しくまた我慢出来ない事だった。

 結果、若干揉めたものの、最終的に家主から「やらなくても良い事を、わざわざやりたいという奇特なこと言っているんだ。好きにさせたらどうだ」などと鶴の一声が出て、この居候先に於いて私の家事手伝いが認められた。

 とはいえ、私は茶々丸ように家事の知識が豊富に在る訳では無く、手際も良い方ではない。

 事実、料理の最中に鍋を焦がし掛け、洗濯物の脱水をうっかり忘れたり、掃除でも手の届かない所の埃を落とそうとして足場の椅子から転げ落ちそうになったりした。

 しかし、流石にどこぞの(タイガ)のように足を引っ張るほどでは無いと思う……――けど気の所為か? 茶々丸の傍に立つと嫁入りしたての娘が姑から家事を学んでいるような感じを覚える。

 茶々丸自身感情を表さないし、表情も基本的に無愛想だし、言葉にも出さないのだけど。何故かこうして一緒に家事をしていると彼女から学ばせようといった気迫を感じるのだ。

 

 ………気の所為かもしれないけど、教わることが多いのも事実な訳だし、ともかく頑張ろう。

 

 

 手伝いを始めてから20分ほど経過して仕度を終える頃になると、

 

「……おはよう」

 

 そんな眠たげな挨拶と共にこの家の家主であるエヴァさんが台所に顔を出した。

 ちなみに寝間着姿のままである。

 

「おはようエヴァさん」

「おはようございます。マスター」

 

 私は気軽な感じで返し、茶々丸は先と同様に丁寧な挨拶を返す。

 エヴァさんは返事の挨拶を受けると、視線を私達からキッチンの中央にあるテーブルの方に移した。

 

「今日は洋食か」

 

 目にした料理――切り分けられたフランスパン、アボカドとトマトとベースにしたサラダ、コーンクリームスープなど――を見て彼女はポツリと呟き、

 

「ふあ…」

 

 と、口元に手を当てて眠たげに欠伸を零した。

 

 

 

 仕度を終えてリビングへ出来上がった料理を運ぶ。

 エヴァさんは当然のように手伝う事は無く、先にソファーに座って料理がテーブルに並ぶのを待っていた。

 それに茶々丸と私も別に文句は無い。茶々丸にとっては仕えるべき主人であり、私に至っては単なる居候なのだ。

 

 テーブルに並んだ料理は2人分。

 エヴァさんと私の分だ。茶々丸は私達が食事を取っている間はまさに従者宜しくエヴァさんの傍で控える。

 私が目にしていた二次創作では、何かと理由付けて主人公は茶々丸にも食事をさせていたが、私はそんな気を起こさなかった。

 実際、茶々丸には食事は必要無く。それがそれほど意味のある行為に思えなかったからだ。

 第一――

 

「坊や達は駅前に集合している頃かな」

「集合は9時でしたので、まだかと……マスターは呪いの所為で修学旅行に行けず、残念ですね」

「…おい、何が残念なんだ。別にガキどもの旅行など」

「いえ、行きたそうな顔をしていたので……違いましたか?」

 

 ――と、このように食事の間にも彼女との会話はあり、エヴァさんは茶々丸を無碍に扱っている訳ではないのだ。

 それに――

 

「アホか。それより、お前は行っても良いんだぞ。行きたいだろ?」

「いえ、私は常にマスターのお傍に」

「……ふん」

 

 エヴァの問い掛けに応じる茶々丸。それに鼻を鳴らしながらも何処となく満更ではない様子を見せるエヴァさん。

 

 ――こうして見ると、この2人の“主従”と言う間には侵し難い確かな繋がり……絆が在るのだから、居候である以前に赤の他人に過ぎない私が口を挟むのは間違いだろう。

 

 また――

 

「それにしても融通の利かないっていうか…変な話よね。学校には通わせるのに、学業である筈の修学旅行には参加できず、なのに登校はその間にもさせるなんて。…休日や祝日なんかは確りと区別付けているのに」

「だからこその“登校地獄”なのだろう――と言いたいが……はぁ、馬鹿げた魔力で適当に且つ即興で術式を組んだ為だな。…奴らしいと言えばそれまでだが」

「サウザンドマスター……千の呪文を持つ魔法使いと呼ばれるのに、何とも似つかわしくないものですね」

 

 溜息を吐きながら私に答えるエヴァさんと無表情に感想を零す茶々丸。

 

 ――こうやって私が会話に交じる事も許し、まだ慣れない感はあるけれど、食事中にも3人で楽しく思える時間が在るのだから問題は無い。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 朝食を終え、エヴァさんが着替える合間に私は後片付けを行っていた。

 茶々丸は彼女の着替えを手伝うので後片付けは一人で行う事に成る。

 

「これでよしっ…と」

 

 最後の食器をキュッと拭き終え、次に種類ごとに分けて棚に戻す。

 その途中、

 

「こっちは終わったぞ」

 

 廊下からエヴァさんのやや大きめな声が聞こえた。

 

「こっちももうすぐ片付くから、ちょっと待って」

 

 そう私も大きめに声を上げて返事をし、片付けを急ぐ。

 程無く終えて玄関に向かうと2人が待っており、私の姿を見止めると、

 

「行くか」

 

 エヴァさんは、そう短く告げて玄関のドアノブに手を掛けた。

 

 

 

 登校は徒歩の他、麻帆良学園構内を走る電車も利用する。

 私達は同様に登校する他の生徒達の中に混じって、学園でも中央に位置する女子本校中等部の校舎へ向かう。

 

 そして十数分後、校門を潜って校舎に入ると私はエヴァさん達と別れる。

 

「ん…じゃあな」

「ええ、またお昼頃に会いましょう」

 

 エヴァさんは軽く手を振り、茶々丸はペコリと頭を下げ、2人は私が向かう先と反対の廊下を歩いて行った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 私が向かった先は学園長室だった。

 魔法学などの師事という理由もあるが、今日はまた別の用件があった。

 学園長と挨拶を交わすと早速その用件に話題が移る。

 私は腕にしていた銀のブレスレットを外し、学園長に手渡しながら口を開いた。

 

「これが以前から言っていた例の物よ」

「ふむ…どれ」

 

 学園長は受け取ったそれを昨日のエヴァさんと同様に注意深く鑑定する。

 そう、それは一昨日の晩に私が制作したあのアミュレットだ。

 彼にはエヴァ邸での居候が決定した翌日から、錬金術を使って魔法具の製作を行う事を相談しており、必要な道具や材料などを提供して貰っていた。

 ただし、それを職とする事までは相談しておらず、こうして出来栄えを評価して貰った後にそれを申し出る積りだった。

 

 暫くし、鑑定を行なう学園長に求められて、昨日の実験内容とその結果を話ながらアミュレットの機能を説明する。

 今回実験的に制作したこのアミュレットの機能は、所謂『魔除けの加護』――つまりは対魔力の付与である。

 昨日行った実験を見る限り、その性能は魔術的に言えば、Dランク相当……『魔法の矢』と同ランクの低位魔法であれば、例え至近…零距離でも完璧に無効化できる事が確認された。

 おそらく秘めた概念から考えるに、術者の魔力出力や魔法に込められた魔力量に関係無くDランク――低位以下と規定された魔法は完全に無効化される筈だ。

 また使用者の元々の対魔力ないし魔法抵抗値が高い場合は、更に上ランクの魔法にも多少の軽減効果を発揮すると思われる。

 尤もその場合、アミュレットに掛かる負荷が大きいから破損・損失する値も大きくなると思うけど。

 しかし、たかが低位魔法の無効化とはいえ、その機能を侮ることは出来ない。

 何しろこの世界の魔法戦闘に於いて、低位に位置する『魔法の矢』は戦闘の基本であり、戦術の応用性にも優れた汎用性の高い攻撃魔法なのだ。加えて無詠唱としても扱い易い。

 特に“魔法剣士”などスタイルを持つ魔法使いにとっては、使用頻度はとても高く、その他の詠唱の短い…もしくは無詠唱化し易い低位魔法はほぼ主力である。

 その低位魔法がアミュレットを身に付けるだけで、魔力値に関係なく無効化されて一切封じられるのだ。それがどれ程のアドバンテージであるかは大きく語るまでも無い。

 

「むう…」

 

 当然、学園長も理解できるのだろう。眉間に皺を寄せて難しげに唸った。

 

「……まったく、君から魔法具を制作すると聞いた時はどんな物が出て来るかと思ったが、予想以上にとんでもない物が出てきたのう」

 

 更に溜息を吐きながらそう言う。

 

「一応聞くが、製法を開示する気はあるのじゃろうか?」

「お世話になっている上、道具や材料を提供してくれた貴方には悪いけど…」

 

 学園長の問い掛けに私は首を横に振った。

 こんなまだ誤魔化しの効くアミュレットなどの魔道具や礼装ならば兎も角、“魔法”との違いが明らかで誤魔化し難い製法を――つまり“魔術”そのものを公開する気は無い。

 魔法理論とは異なる、魔術回路や魔術理論の存在を知られて厄介事を招くのは御免なのだ。

 勿論、このアミュレットを知れば製法を――技術に関心を抱き、欲する人間は出て来ると思う。しかし魔術という未知の技法が存在すると知られず、制作した……或いは、これから制作するアミュレット等がこの世界の魔法技術でも製作出来ると思われる内ならば、無茶をする輩はそう多くなく。危険も大きくは無い筈だ。

 多少楽観的かも知れないけれど、実際、魔力を使う以上は魔法とは似通った部分はあるし、材料もこの世界の物が使えたのだから、分析なり、研究なりすれば、魔法でもまた似たような物が作れる筈……性能までは流石に保証出来ないけど。

 それに製作者としては一応素性を隠して匿名を使う積もりだし、基本的に販売などの流通や材料などの調達も、この目の前に居るお爺さんを頼る積もりなのだ。

 彼なら製作者(わたし)の素性を大きく公にせず、魔道具や礼装を売りに出せるだろう。

 

「いや、構わんよ。公開する積りであったら逆に諌めておった所じゃ、賢明だと思う」

 

 事実、製法の開示を拒否する私の返答に、このように応じられる慎重かつ思慮深い人間であり、その上で善良な人格者でもある。信用は出来る。

 とはいえ……いや、だからこそ、やはり色々と疑問と不審に思う事もあるのだろう。

 

「しかし、このようなわしも知らぬ術式……以前見させて貰ったカードもそうじゃが、一体どこの系統の魔法なのかのう?」

「さあ? 私の覚えている範囲…というか知識じゃあ、人界との関わりを捨てた偏狭な魔法使いの一族が、錬金術の一種として研究していたらしい……という事しか判らないわ」

 

 何処となく探るような視線を向けてくる学園長に私はそう答えた。

 まあ、一応嘘でも誤魔化しでもないと思う。

 事実として頭の中にある知識では、その偏狭的な一族(アインツベルン)が扱い、研究していた技術となっているし、アミュレットもその技術――錬金術で制作した物なのだ。

 ただ“魔法”では無く、“魔術”であることを隠しているだけで。

 

「ふむ、君の失ったという記憶には興味が尽きぬな」

 

 学園長もそれを……隠し事はしていても嘘は言っていないと感じたのか、それだけを口にして追及はしなかった。

 代わりに別の事を尋ねてくる。

 

「そう言えば、昨日は明日菜君の誕生日にこれを贈ったのじゃったな」

「ええ…正確には、これよりももっと上等な代物をね。丁度出掛け先で質の良い銀細工も見つかったし、それがあの子の誕生日祝いの為という事にも縁を感じたし、それも製作を予定していた翌日だっていうのもね」

「……ふむ」

 

 私が答えると学園長は僅かに考え込む。

 

「?…どうかしたの?」

「ん…いや、そっちのアミュレットはどんな感じなのかと思ってのう。今手元にあるものより上等だというし」

「ああ、アスナのは『魔除け』の方はそれと大して差は無いけど、追加として幾つか高度な加護効果を付与してあるわ」

 

 学園長が抱いたものを何となく察するが、私はあえて気付かないふりをしてアスナに贈ったペンダント型のアミュレットの説明を行った。

 

 その説明後、学園長は私の申し出――アミュレット製作を職にする案を保留にし、私達は何時もの魔法学の講義に入った。

 保留した理由は詳しく話されなかったけど、とりあえずもう少し考えさせて欲しいとの事だった。

 若干残念に思ったものの、明確に否定された訳も無いのでそれだけ彼は慎重に検討したいのだろうと思い。私も理由を追及せずにあっさりと引き下がった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 学園長――関東魔法協会理事たる彼直々による魔法学の講義を終え、私は学園長室を後にする。

 基本、今日のように講義は午前のみで午後は無い。以前にも言ったが学園長はあれでも忙しい身の上なのだ。

 それにも拘らず、彼が私にこうして個人指導を行うのは、自分やエヴァさん等以外に私の事を任せるのが不安であるかららしい。

 口にはしないがそんな雰囲気を学園長からは覚える。

 

 

 さて、取り敢えず今日の講義は終わったけど、一人で家に戻るのは監視対象兼保護対象である私には問題がある。

 そういう事もあり、私はエヴァさんが帰宅する時間までこの校舎で過ごさなければならない。

 ふと腕時計を確認する。時刻は11時半で若干お昼には早い。まあ、何時もならそれでもこのままエヴァさんと合流するのだけど………ふむ。

 私は少し考え込み――屋上で暇を潰しているであろうエヴァさん達の下へ向かわず、踵を返してある場所へ行き先を転じた。

 

 

 

 程無くして目的の場所の前に辿り着いた。その出入り口であるドアの脇には“3-A”と書かれた掛札が見える。

 そう、私はネギ達が修学旅行で留守だという事から、クラスの面々に顔を合わせる心配が無いその間に、この3-Aの教室を見てみようと思い立ったのだ。

 なんというか、聖地巡礼を行うオタク的な気分と思考のようなものだろうか。

 この身体のキャラではないような気もするが、原作のファンとしては折角の機会を逃したくは無い。

 

 しかしこの時、浮かれ気味だった私はとても重要な事を失念していた。

 原作の展開に下手な干渉を行わない為にも、“彼等と積極的に関わらないで置こう”と考えていたというのに……。

 

 そして意気揚々と教室の扉を開け――それを目にした。いや……眼が合ったというべきか。

 

「……………」

「……………」

 

 予想外の何者かの存在を見、思わず互いに固まって無言で見詰め合う。

 そんな固まった空気の中、カランカランと音を立てて“彼女”の手から鉛筆がこぼれ落ちた。

 おそらく長年の暇潰しで、得意になった指での鉛筆回しを一人寂しく行っていたんだろう。

 

「……………」

「……………」

 

 ………確かに失念していた私が悪かった。けど、けれど…しかし、それでも何とか誤魔化そうと努力はした。

 顔が引き攣ろうとするのを何とか抑制し、視線も自然に、さも見えていないかのように装ってゆっくりと逸らした……逸らしたのだけど――

 

「わ、私! 相坂さよって言います!! 見えているんですよねっ!? 私のこと見えているんですよねっ!!?」

 

 と。彼女は足の無い足で脱兎の如く勢いで、瞬きする間も無いほどの一瞬で距離を詰め。教室の入り口に立つ私の目の前でそう叫んだ。

 

「―――――っ」

 

 無視しようかとも思った。

 けれど周囲で…或いは耳元でわーわー叫び、必死に自分の存在をアピールする彼女――サヨに半分呆れ、半分根負けして私は彼女に応えた。

 

「……うん、見えているわ」

 

 若干げんなりとしながら、そう彼女に告げると、

 

「うう…」

 

 サヨは嗚咽を漏らして「うわーん」と盛大に泣き始めた。

 突然泣き始めた彼女に驚き戸惑ったけど、直ぐにそれが嬉し泣きなのだと私は理解する。

 

 

 

 地味幽霊こと――相坂 さよ。

 まったく、彼女の事を忘れているなんて何と言う失態だろう。原作ファンとしては致命的ではなかろうか?

 地縛霊である彼女が此処に居るのは当然なのに、何を浮かれて教室に来ているんだか…私は。

 自分の迂闊さに呆れと怒りを覚える。

 けど、こうして知り合ってしまったのだから仕方が無い。今更無碍に放って置くのもどうかと思うので、とりあえず落ち着きを見せたものの、未だに涙で瞳を濡らしている彼女に声を掛ける。

 

「…貴女、大丈夫?」

「ハ、ハイ…すみません。急に泣き出したりして」

 

 滲んだ声を出して私に答えるサヨ。

 

「でも、見えているのが嬉しくて…うれしく……て――うう」

 

 再び嗚咽を上げて泣き出しそうになる彼女。

 私は、そんな様子のサヨに少し焦って宥める為に続けて声を掛ける。

 

「と、とにかく、嬉しいのは判ったから落ち着いて、泣かないで…」

「うう…す、すみません」

 

 はぁ…泣く子には勝てないって、案外ホントかも知れないわね。

 涙を浮かべるサヨを見てそんな事を思った。

 

 

 

「イ、イリヤちゃんって言うんですね。可愛い名前ですね。…あ、あの良かったら私とお友達になってくれませんか?」

 

 私も名乗り、自己紹介を済ませるとサヨはそんな事を言った。そして期待に瞳を輝かせてジッと私を見詰める。

 正直な所、どう言葉を返すべきか少し悩む。

 ここで彼女と知り合った事といい、今後これが”物語”どのような影響を与えるのか? 問題が無いのか考え――

 

「うう…」

「――ハッ!」

 

 気付くと彼女がまた瞳に涙を浮かべていた。

 …ホント泣かれると困るわね。私は苦笑する。

 

「そうね。こうして会ったのも何かの縁かも知れないし、友達になりましょうか」

 

 私は悩むのを止め――まあ、諦めたとも言うけど、涙を浮かべて不安そうにするサヨにそう告げた。

 

「―――あ、ありがとうございます! 私、嬉しいです!」

 

 私の返事を聞いたサヨは、幽霊とは思えないほどの明るい笑顔を見せ、また違った意味での…不安ではない色の涙を瞳の端から滲ませて、そう嬉しそうに大きな声で応えた。

 

 そして暫くそのまま教室で話し込み。

 

「――自分の死んだ原因が分からないの?」

「はい、それが全く覚えてなくて」

「でも、こうして地縛霊として括られているって事は、何か大きな未練があるって事よね?」

「う~~ん…どうなんでしょうね~? それも良く分からないんですよね~、何かあったような気はするんですけど」

 

 自分の大事なことの筈なのに全然気にした様子を見せず、可愛らしく首を傾げながらサヨは話す。

 彼女の死んだ理由は、少なくとも私の知る範囲に於いては…原作でも語られていない。残している筈の未練も同様だった。

 確か初期だか、旧設定とかでは、殺人事件に巻き込まれたと何かで見た記憶はあるんだけど……あと、学園長の級友だったとかいう話もあった筈。

 それならあのお爺さんに聞けば、何か判るのかしら?

 そんな原作での謎を考えるも、実はもう一つ気になっている事がある――というか、私の持つ知識面が盛大に喚いているのだ。

 

 そもそも幽霊とは、一体なんなのか?

 私の(なか)にある知識では、第三要素(せいしん)で構成された思念体だとされている。云わば死んだ人間なんかの残留思念に過ぎないという事であり、死んだ本人の魂が現世に留まって居る訳では無いのだ。

 しかし目の前に居るサヨは、とても未練などのある種の強い感情で動く思念体――そんな不安定な精神体には見えない。まるで生前の魂がそのままこの世に留まっているようにしか見えない。

 正直、在り得ない事だと思う。

 肉体が死に。何の器にも依代にも移さず、精霊の領域にも至っていない人間の魂が現世に留まるなど。

 そう、それではまるで――

 

「―――っ」

 

 私は思考を振り払う為に首を横に振った。

 此処は“ネギま!”の世界だ。神秘に異なる法則や常識ぐらいあってもおかしくは無い。

 そう思う事にする。

 でなければ……――

 

 

 

 そうしてサヨと話してしばらくするとチャイムが校内に鳴り響いた。

 それに気付き、教室の時計を確認すると正午を過ぎていた。

 

「お昼になったわね。それじゃあ、またね。私は――」

「――私も行きます!」

 

 サヨの席の隣――アサクラの席に座っていた私が別れを口にしてそこから立ち上がると、彼女は叫ぶようにして言った。

 

「えっと…サヨ?」

 

 戸惑う私であるが、サヨは気付く様子は無く。尚も一方的に言葉を続ける。

 

「大丈夫です。地縛霊だけど学校の近くまでは動けますから、昼食のお供をするぐらい何でもありません!」

「あ…そう」

 

 私はその有無を言わせない勢いに呑まれて、思わず頷いていた。

 そして学食で同居人達と合流すると、その同居人の一人――エヴァさんが目を丸くして私の方を見ていた。

 

「何と言うか…レアなイベントを引き当てたというか、惜しくも見逃したらしいな私は…」

 

 そんな感想を口にするからには、やっぱり彼女の目にも私の背後に文字通り()いているサヨの姿が見えているんだろう。

 しかしその隣では、

 

「何を言っているんです、マスター?」

 

 何時もの無表情で不思議そうに首を傾げている茶々丸がいた。その様子を見るに彼女の方には見えていないようだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「驚きました。まさかあの教室にこのような幽霊(ひと)が居たとは……」

 

 周囲に人気が無いテーブルに席を着くと、抑揚の乏しい声で茶々丸が私の方を見詰めながらそう呟いて驚きを示した。

 あの後、エヴァさんが何処からかゼンマイらしきものを取り出し、茶々丸の頭に嵌め込んで一巻きすると、彼女にもサヨの姿が見えるようになった。

 何でも、契約の因果線(レイライン)を使ってエヴァさんの霊感を茶々丸へ同調(リンク)させているのだとか。

 

「うう……嬉しいです。私が見えている人がまだ居たなんて…」

 

 その事実にサヨは再び嬉し泣きをする。

 そんな2人を余所に私とエヴァさんは、取りとめのない会話をする。

 

「しっかし、本当にレアなイベント引き当てたな、お前は…」

「……そうかも知れないわね。まさかこんな真っ昼間から、それも貴女達の教室で幽霊と出会うなんて想像もしてなかったわ」

 

 失念していた事が原因だとはいえ、ホント予想していなかった。

 エヴァさんの言葉を聞いて、サヨと出会った失態とショックがぶり返す。

 

「いや、私としてはよくコイツが見えたな、という感心もあるんだが」

「ああ、なるほど。サヨの話によると、どんな霊媒師にも霊能力者にも姿が見えなかったとか?」

「そうだ。コイツ……相坂 さよは、クラスに在籍する退魔師はおろか、魔眼持ちにすらこの2年以上見えていないという非常に地味な……いや、隠密性の高い幽霊だ」

 

 エヴァさんの指摘に私は、そういえばそうだったわね、と内心で呟く。

 まあ、深く考えても仕方ないけど、イリヤの一族は『第3法』を嘗て持っていた所だし、普通の魔術師も第2要素(たましい)第3要素(せいしん)を扱えない事も無いから見えても不思議ではないと思う。

 そんな事を考えていた所為か、エヴァさんが質問する。

 

「何か思い当たる事でもあるのか?」

「……どうなんだろう? 正直確証が無いから何とも言えないわ」

 

 そう答える。

 それはそうだろう。アインツベルンの知識やその技術の粋を結集したホムンクルス(イリヤ)の身体を持つからといって、サヨが見えていた明確な説明にはならない。ただ見えてもおかしくは無いという程度の話だ。

 エヴァさんも私が何とも言えない表情をしている為か、それ以上尋ねずに「そうか」と短く頷いた。

 

 そうして昼食の時間は、サヨの事をダシにしたお蔭で話題に事欠くことなく過ごせて、昼食を終えると再び私達は別れた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 私はこの女子中等部の校舎で過ごす時、学園長に師事が無い場合は図書室へ赴くことが多い。

 何故なら静かで自習や独学に向いており、休憩時間にも訪れる生徒はそう多くなく、人の目を気にする必要が無いからだ。

 ついでに言えば、時間を潰せる読み物に事欠かないという理由もある。

 当然のようにサヨが付いて来ている事を除けば、今日も何時も通りの自習か読書の時間になる……筈だった。

 というのも、テーブルの上に資料を広げる頃には――私の話を聞いた所為もあるが――魔法(オカルト)の実在を知った幽霊(オカルト)が好奇に瞳を煌めかせ、はしゃいで広げた資料に指をさしながら私に次々と質問をぶつけて来るからだ。

 とてもでは無いが勉強にならない。

 一応注意をして見たものの、キラキラと瞳を輝かせる彼女は中々言う事を聞いてくれない。

 実力行使して黙らせても良いんだけど、凡そ60年ぶりに出来た話し相手であり、友人である存在に感情を抑えきれないその気持ちは分からなくなかった。

 なので、私は溜息を吐きながらも仕方ないかと思い。今日は大目に見る事にしてサヨの質問に適当に応じる事にした。

 

「ん…?」

 

 そうしてしばらく過ごすと、視界の隅に生徒らしい少女の姿が入った。

 まだ授業中の筈では…と疑問を抱き、視界の隅から中央へその生徒の姿を収める。

 生徒の姿は2人。片方は本校の物だが、もう片方は本校では見掛けない制服を着ている。両者とも教科書、もしくは参考書らしい本と筆箱とルーズリーフを腕に抱えており、本棚へ視線を巡らせている。

 2人とも体格はやや小柄の方だが、容貌は整っており、可愛らしく美少女と言える。

 一人は、私と同じ本校の制服を着ていて、アスナにも似た栗色の掛かった髪をしており、彼女よりずっと短いもののリボンで結んで同じくツインテールにしている。

 もう一人は、十字のマークが入った学帽を被り、ブレザーではなくセーラータイプの制服を着ている。長く伸ばした黒髪を二つに分けて短く編んでおさげにしているのがチャーミングだが、顔に掛けた淵の大きいメガネが若干野暮ったい印象を与えている。

 その姿と髪型に、原作でも覚えがある気がして気に掛かって見ていると、2人の方からメイやらメグミやらと声が聞こえ――誰か思い当たり、

 

「あ…」

 

 思わず声を零した。

 するとその声が聞こえたんだろう。2人がこちらに振り返り…私と視線が合った。

 眼が合った私と2人は、互いに何となしに軽く頭を下げて挨拶らしきものを交わしたが、その後は言葉も交わす事は無く。私は自習という名のサヨの相手に。彼女達は本棚の物色に戻った。

 私はそう思ったのだけど、

 

「あの、イリヤスフィールさんだよね」

 

 数分後、ツインテールの少女にそう声を掛けられた。

 声を掛けられた事に一瞬戸惑うも、私は頷いて「ええ」と答える。すると彼女は、にっこりと少女らしい笑顔を浮かべて自己紹介してきた。

 

「私は此処の2年の佐倉 愛衣(めい)。隣に居るのは…」

「麻帆良芸大付属中学の2年生の夏目 (めぐみ)よ」

 

 眼鏡を掛けた少女も笑顔を浮かべて自己紹介する。

 その2人の自己紹介を受けて、私はやっぱりと内心で呟く。

 この子達は原作でタカネと一緒に出ていた脇役の二人だ。ただメイの方は比較的登場比率が高い事もあって覚えているのだけど、メグミの方は余り記憶に無い。

 たしか学園祭編の時しか出ていなかったような…?

 そんなこと思いつつ声を掛けられた理由が判らず、微かに首を傾げていると彼女達は「相席良い?」と聞いて来たので、それに私が頷くと2人は対面に席を着いた。

 

「何か御用でしょうか?」

 

 一応外見上では相手の方が年上という事もあり、敬語を使って私は尋ねた。

 それにメイが答える。

 

「うん、……と言っても大した用じゃないんだけど。最初に言って置くけど、イリヤスフィールさん――」

「イリヤと気軽に呼んで下さっても構いません」

「そう? じゃあイリヤちゃんはもう気が付いているかも知れないけど、私と萌は“アッチの関係者”なんだ」

 

 メイは自分が魔法協会所属だといきなり告げて来た。

 

「ええ、何と無くですが、見た時にそういった感じがありましたから、そうだと思っていました」

 

 メイに首肯しながら私はそう答えた。

 まあ、実際は原作で容姿に覚えがあったから気が付いたんだけど……にしても、わざわざ魔法関係者と名乗って私に話しかけるなんて、本当に何の用なのだろうか……?

 

「ごめんね。いきなり話し掛けられて戸惑っていると思うけど、ちょっと話をして見たかったから」

 

 メグミが私の思考を読んだかのように少し申し訳なさそうに言う。

 それでも戸惑いが抜けなかった私だったけど、話を続けて行く内にどうやらメグミの言う通り、彼女達は本当に私と“ちょっと話をして見たかった”だけだったようだ。

 要するに、あちらの関係者として職場に来た新しい同僚と交流を――と言うよりも、彼女達の感覚で例えるなら、クラスに来た転校生に物珍しさを覚えて声を掛けて見た、といった感じだろうか?

 

「じゃあ、記憶喪失って話は本当なんだ」

「ええ、知識の方は一応あるんだけど、欠落しているというか曖昧な部分も多くて…」

「だからこうして勉強しているんだ」

「大変そうだね」

「ふふ、ありがとう。でもそれほど大変というほどじゃないわ。少なくとも勉強の方は楽しく感じているし、生活の方も学園長が確りと保証してくれているから苦労も無いしね」

 

 意外にも私達の会話は弾んでいた。

 正直、今時の子とのガールズトークなんて良く分からない。けれど私自身もそうなんだけど、彼女達もこの会話を楽しく感じているようだ。

 私への印象も良いらしく。口調も敬語から普段のものを許してくれている。

 会話の中で、彼女達が図書室へ来た理由も分かった。

 メイの方は授業が急遽自習になったそうで、真面目な彼女は折角なので参考書が多くある此処を利用しようと思ったらしい。

 メグミは、あっち方面の関係で学園長が居るこの校舎に用があったのだが、思ったよりも早くそれが済んだ為。空いた時間を使ってこちらの図書室で自習しようとした所、友人であるメイと偶然居合わせたそうだ。

 そしてそこで声を上げた私に気付き、話をして見ようと2人は思い立ち――こうして今に至った訳である。

 

「仕事を回されるなんて危険じゃないの?」

 

 周囲に私達以外に誰も居ない所為か、次第に話が本格的にあちらの方へシフトして行き――私のした質問にメイが僅かに首を傾げながら答える。

 

「うーん……危険か、危険じゃないかって言われたら確かに危険なんだと思うけど、修行の一環でもあるし――」

「でも見習いの私達じゃあ、それほど危ないのは任されないよ。例えそんな任務をするにしても、任されるっていうよりは見学に近い感じだよね」

 

 メグミがメイに続いて言う。

 

「うん、基本的にガンドルフィーニさんや葛葉(くずのは)先生とか、ベテランの人達に同行して場合によっては、補佐をする…ってだけだもんね」

 

 メグミが何処となくホッとした感じで言ったのに対して、メイの口調には若干不満の色があった。眉根も少し依っている。

 

「なるほど、見習いの子供達には無暗に危険を犯させないよう、一応は徹底してる訳か…」

 

 2人の話に私は顎に手を当てて考え込むように呟いた。

 当然と言えば当然なのだろう。どうも原作の影響か、それとも二次作の影響なのか? 目の前に居るこの子達が危険な任務に身を置いているように思っていたけど、実際は違うらしい。

 考えてみれば、さっきも言ったように当たり前の話だ。

 どこの企業が社会勉強の為、体験入社した若者や学生に社員と全く同じ仕事を任せるだろうか? 私がさっきまで抱いていた考えは、そう言っているようなものだ。

 ……となると、ネギが今任されている修学旅行の件もそう捉えて良いという事なんだろうか? そういえば、原作でエヴァさんが事件を集束させた時に何かそれらしい事を言っていたような?

 そう考え込みそうになった私にメイが不満そうな声を出した。

 

「イリヤちゃんも子供なのに、それも年下なのに、そういうこと言っちゃうかなぁ…」

 

 むぅ…と、少し頬を膨らませて私を半眼で見る彼女。

 

「あ…ゴメン、メイ。そんな積もりは無かったんだけど、確かに気を悪くさせるわね」

 

 ついでに言えば、さっきの呟きは聞かせる積もりでも無かったんだけど…と内心で思う。

 メイは私の謝意の言葉に「うん、した」と冗談っぽく答えていた。けどその隣でクスクスとメグミが笑って、

 

「なんだか、どっちが年上何だか判らないわね」

 

 そう言い。「うう…めぐみさんまで、ひどい」とメイがこれまたふざけた口調で言ってクスクス笑ったので、釣られて私も自然と顔に笑みが浮かんだ。

 そうして魔法関係の話を交えながら談笑をするも私は、

 

 ――純粋な魔法学だけでなく、魔法が関わる常識や法律などの社会も深く学ぶ必要があるわね。

 

 彼女達との会話を顧みて、そう心にメモを付けていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「あ、萌君も此処に居たのか、丁度良かった」

「え、明石教授!?」

 

 3人で話をしていると、突然男性の声が私達に掛けられた。

 声の方へ視線を向けると、眼鏡を掛けた一人の男性が私達の方へ歩いて来た。

 メグミに教授と呼ばれていたが、その人物は外見的には良く言って駆け出し学者か、どこにでも居るサラリーマンにしか見えない青年男性だった。

 けれど、彼が“あの明石教授”であるなら、間違いなく麻帆良大に勤める教授であり、関東魔法協会に所属する“魔法先生”の一人であり――ついでに言えば、青年にしか見えない若作りな風貌もそう見えるだけであって、実際は40を越えた子持ち…というか、年頃の娘を持つ中年である筈だ。

 

「…………」

「教授?…どうしたんです。黙り込んで?」

「いや、何だか余計な事を言われた気がして」

 

 用がある様子だったのに、何故か一向に口を開かないアカシ教授にメグミが首を傾げ。教授は良く分からない返答をした。

 

「まあ、いいか。えっと…イリヤ君だったね。僕は麻帆良大に勤める講師なんだけど、これでも“あちら”の関係者でね。これを…」

 

 気を取り直した彼が私に視線を向けて、ファインダーされた書類と幾つかの本を渡して来る。

 

「これは?」

「学園長から預かったんだ。『イリヤ君にとって色々と参考になるだろうから、見掛けたら渡して置いて欲しい。多分、図書室に居るだろうから』…ってね」

 

 教授の言葉を聞いて私は「ふむ?」と多少怪訝に思いながらも、本の表紙と書類の中身をサッと簡単に目を通した。

 そして、なるほど、と納得して頷く。

 渡された書類と本は、魔法具とその素材や材料を種類や系統別に分けてここ近年の相場とその動向を記した物の他、販売・流通のルールといった法関連の書籍や、あちらの製造業に必要な関連免許の取得教材であった。

 これを見るに学園長は保留した割には、私の魔道具や礼装の製作に関して前向きに検討しているらしい事が窺えた。

 

「わざわざ届けて頂き、ありがとうございます」

 

 一通り確認を終えた私は、頭を下げて教授にお礼を言った。

 

「いや、どういたしまして……と、それで萌君」

「あ、はい。なんでしょうか?」

「さっきの件で少し――」

 

 教授は、私のお礼に応えるとメグミを呼び…徐々に話しながら私達から離れて行った。

 おそらく私達には、あまり聞かせたくない用件なんだろう。

 メグミが教授と話している間、私は渡された本と書類に関してメイから色々と質問や追及を受けたのだけど、秘密や内緒との言葉で誤魔化して話題を逸らしていた。

 

 それから数分後、教授とメグミが話し終わるのと前後してチャイムが鳴り、メイとメグミは、

 

「じゃあね、イリヤちゃん」

「またね」

 

 と。私に別れの挨拶をして図書室を後にした。

 私も手を振って2人を見送ったのだけど……で、さて――

 

「どうしたものかしら…ね」

 

 「ううう…」と、一人放置され。寂しげに床にのの字を書いて涙を流す地味幽霊(サヨ)の姿を見ながら、私はどう慰めるべきか思考を巡らせた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 何とか意気消沈するサヨを慰めて、再び彼女の質問タイムに突入したのも束の間。放課後のチャイムが鳴り響き、私はエヴァさんと茶々丸と共に帰宅する事になった。

 

「イリヤちゃん、茶々丸さん、エヴァンジェリンさん、また…また明日会いましょうね~~」

 

 そう“また明日”という部分を念押すように強調し、私達にしか聞こえない思念(こえ)を大きく出して、手を振るサヨの姿に背を向けて帰路に着く。

 肩越しに振り返って見るそんなサヨに、私は軽く手を振って応えながらも苦笑し。

 エヴァさんは、やれやれといった感じで肩を竦めて振り返る事も無く、足を前に進めていた。

 茶々丸は、私と同じく軽く手を振っているものの、その表情は何時もと変わらず感情が見えないものだった。

 

 帰り道、アカシ教授経由で学園長から渡された物にエヴァさんは興味を示し、幾つか本と書類を広げて意見を交換しながら歩いた。

 さらに途中、夕飯の買い物なども行い。日課と成っている猫達の世話をする為に帰路の最中にある教会前の広場に寄る。

 

「…私に擦り寄っても良い事など無いぞ。エサをやるのはアイツらなんだからな」

 

 私達の気配に気づいた猫達が姿を見せ、足元に甘えるかのように擦り寄って来る。

 エヴァさんは、そんな猫に邪険な言葉を向けるものの、その言葉とは裏腹にその場に屈んで優しく猫の頭を撫で始める。そうして見ると彼女は、まるで何処にでもいる無邪気な少女のようだ。

 私の知る限り、エヴァさんは何時もここではそんな感じだった。如何にも「仕方なく付き合っているんだ」と言いたそうな、或いは寄ってくる猫に鬱陶しそうな表情を作っているのに決して邪険にはせず、自分の傍から追っ払ったりしない。

 猫達もそんなエヴァさんに懐いている……が、

 

「はい、今あげますから…」

 

 茶々丸が買い物袋から猫缶を取り出す為に、ガサガサと音を立てると猫達が一斉に彼女の下へ集まり、にゃあ、みゃあと強請るように鳴き始める。

 当然、エヴァさんの傍にいた猫も離れる訳で、

 

「……現金な奴らめ」

 

 と。不満そうに齢600年を生きる少女は呟き、裏切り者を見るかのような眼で猫達を睨んでいた。

 ちなみにそんな視線は私にも向けられる…というのも――

 

「はいはい、今あげるから少しは落ち着きなさい」

 

 みゃあ、みゃあと鳴き、まだ中身が入っていないのにエサ皿に顔を突っ込もうとする猫達を宥め――私も茶々丸と同様にエサをやっているのでエヴァさんよりも懐かれているからだ。

 

「…チッ」

 

 背後から舌打ちが聞こえたけど、何時もの事なので私は気にしない事にして、エサ皿に入った中身に食い付く猫達の頭に手を伸ばしていた。

 エヴァさんもこちらに来れば良いんだけど、彼女的には自分の方から猫達に近寄るのは、らしくないと思っているっぽい。

 ただそれを指摘するのも勇気がいるので私は黙っているけど。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 猫達に別れを告げて帰宅すると、手洗いと着替えを終えるなり、私は直ぐに茶々丸と一緒に夕食の準備へ取り掛かる。

 エヴァさんは、何時もなら早々地下へと降りるのだけど、昨日に続いて今日も二階の自室で過ごすようだった。多分、呼び掛けるまで下りて来る事は無いだろう。

 

 夕食は和食――懐石料理だった。

 どうも茶々丸が気を利かせたと言うべきか、何時も以上に凝っていて料亭などで出されても可笑しくない程の出来だった。未だ手伝いの域を出ない私ではかなり苦労した。今回ほど調理に気を使ったことは無いと思う。

 何故そうなったのかは、私は勿論、エヴァさんも口には出さなかったけど……修学旅行に行けない主人を思って彼女が行動したのは明白だった。

 ただ茶々丸もそれを口には出さなかったのだけど、

 

 ――ありがとう、な。

 

 と。食事中にエヴァさんがそんな感謝の言葉を告げたのを私は聞き逃さなかった。

 

 

 そんな豪華な夕食とその後片付けを終えると、私はエヴァさんの後にお風呂を頂いて眠る事になった。

 普段ならば魔術の鍛錬を行なってからお風呂に入る所なんだけど、今日は早く入って早く寝る事にした。

 

 

 ただ少し、ネギ達は今頃どうしているかは気になったけれど……心配は要らない筈―――そうして今日という日を終えた。

 




この回は、イリヤが麻帆良でどんな一日を過ごしているかの“流れ”を書いていました。
その過程でイリヤが…ささらにとっても思わぬ行動を取ってしまい、さよが逸早く登場する事となったという、書いていて中々に印象深い回でした。


取り敢えず、本当に平穏だった日々はこれで終わりを告げ……いよいよ次回から物語の幕が開きます。


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第4話――運命と出合う 前編

この回から三人称になります。


 

 それは、ネギが修学旅行で京都へ赴いてから3日目の夜だった。

 

 

 パチッ、パチッと規則正しいようで正しくない。何か硬い物を打つ音のみが静寂に近い部屋の中で響いている。

 時間を経るごとにその音が鳴る間は開くようになり、やがて、

 

 ――バチィッ。

 

 と、一際大きい音が鳴った。

 

「ぬむ…? ま…」

「待ったは無しだ」

 

 音を鳴らしていた2人。碁石を打ち、碁盤を挟んで向き合っていた両者が言う。

 一人は古の仙人かという風貌の老人。一人は砂金の如き金髪を頭に飾る西洋人の幼い少女。

 2人のその外見とは裏腹に、盤上の石の並びは少女が優勢で老人が劣勢である事を表している。

 

「何じゃ、ケチじゃのう…年上のくせに」

 

 少女に対して奇妙な事を呟く老人――麻帆良学園・学園長及び関東魔法協会理事である近衛 近右衛門。

 しかしそれもその筈で彼の前に座り、碁打の相手をしているのは最強種とも呼ばれる真祖の吸血鬼。600年以上の時を生き、裏社会とその歴史の中で様々な伝説を残す“不死の魔法使い”エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルそのヒトなのだ。

 尤も現在は、十数年前にある魔法使いに敗北してチカラの大半を封じられ、この麻帆良の地に縛られているという本人にとっては不本意且つ屈辱的な状態であったりするのだが。

 手加減無しに碁を打つ、そんな年上などという範囲に収まらない相手にブツブツと文句と愚痴を零す近右衛門。

 しかし彼がそう言いたくなるのも無理は無い。人の寿命を遥かに凌駕する生を持つエヴェのその打つ碁……その一手と棋力は、既に人の域を超えているのかも知れないのだから。某神の一手を志した幽霊が知ればさぞかし彼女を羨むことだろう。いや、全ての棋士が羨むかも知れない。

 不平を口にしながら次の一手を思索する右衛門の懐から、トルルルゥと携帯電話の着信音が鳴り響く。

 

「もしもし、わしじゃが」

 

 思考を碁盤から離し、彼はすぐさま携帯電話に応対する。

 

「おお、なんじゃネギ君か!」

 

 電話の相手は、京都へ使者として送ったネギ・スプリングフィールドであった。

 

「ほう、親書を渡したか。いやいや、そりゃ御苦労、御苦労!」

 

 癖なのか? フォフォフォといつものバルタン笑いで応じて彼の任務達成を労う近右衛門。だが直後、

 

「何? なんじゃと!? 西の本山で……!?」

 

 笑いが止まり、只ならぬ雰囲気で話し始める。

 彼が耳にしたのは、関西呪術協会の中枢――西の本山での異変。

 ネギの話を纏めると。

 無事に任務を果たして安心したのも束の間。何時の間にやら気付けば本山に居た者は皆、高位魔法によって石と化しており、偶々訪れていたネギの生徒である少女達も巻き込まれた。

 しかし幸いにも、近右衛門の孫である近衛 木乃香と護衛の桜咲 刹那。それと親友――いや、とある本人すら知らない事情により、極一部の人間から学園でも最重要人物とされている神楽坂 明日菜の無事は確認できたとの事だった。

 一瞬……いや、数瞬の時間、安堵する近右衛門であったが、

 

「何と!! 西の長までが!!?」

 

 西の長の石化――これを聞いて近右衛門は背筋に直接氷水を注ぎ込まれたような錯覚を覚えた。

 

「それは一大事じゃぞ」

 

 それを知り、よくもこう直ぐに言葉を続けられたものだ、と近右衛門は自身に奇妙な感心を抱いてしまう。

 西の長――近衛 詠春。無敵と誉れ高いサウザンドマスターの盟友の一人にして、名高き“紅き翼(アラルブラ)”の一員。20年前の大戦を終結に導き、世界を救った英雄と称えられる一人。

 そんな確固たる伝説と実績に裏付けられ、世界最強クラスの実力者であるその彼が不意を受けたとは言え敗北したという事実は、老獪な近右衛門にしても心胆を震えさせるに足る物だ。

 全身から冷や汗が滴り始めたのを感じつつ、電話口から救援を求めるネギの言葉が耳に入る。

 

「助っ人か……しかしのう、タカミチは今海外じゃし……」

 

 冷や汗を流し、内心での焦燥感と苦々しい思いを抑えながらネギに返事をする近右衛門。

 もし本当に最強クラスの敵がいるのならば、現地や今学園にいる人材では対抗は難しい。そして対抗できそうな人物は口にした通り今出払っている。ならば自分が赴くべきかとも…つい考えてしまうが、出来るのであれば悩む事はない。

 近右衛門は、この麻帆良の統括者であると同時に有事の際……いや、“万一の事”が起きた時の“最後の砦”なのだ。そして事実として今現在、安全な筈の西の本山が襲撃を受けており、これと連動して西同様に安全である筈の麻帆良(この地)も何者かに襲われる可能性がある。故に近右衛門は此処から離れることは出来ない。

 安全な任務と高を括り、ネギに経験を積ませる良い機会だと考えて安易に送り出した自分を悔やんでしまう。

 だが、悔やんでばかりいても状況は変わらない。当然、近右衛門はそれぐらいの事は承知している。思考を巡らせて打開策を模索しつつ、ともかく今最善だと思われることを電話に告げる。

 

「今すぐ、そこへ急行出来る人材は……」

 

 ……いないので、とにかく自己の安全を優先して何とか本山から離れて身を隠すように、という難題を伝えようとし――

 

「ほ!」

「ん?」

 

 自分の向かいに座る彼女の存在に今更ながら気付いた。

 その彼女――エヴァンジェリンは、事態を打開する光明を見出した近右衛門の顔を見るなり、「何だジジイ、マヌケヅラして」と憮然に言い放っていたが。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 エヴァと共に学園長室にお邪魔していたイリヤは、読んでいた本から視線を外して予想通り……いや、自分の知る知識の通りに目の前で起きたその遣り取りを黙って静観していた。

 そして、友人であるネギが危機に直面しているというのに彼女は何故か平静であり、内心で安堵していた。何故なら、

 

 ――原作通りの展開……ならネギ達は無事という事ね。

 

 自身の知識通りという事なら、逆に彼らが京都での此処までの戦い――天ヶ崎 千草との対峙や犬上 小太郎の強襲などを無事に乗り越えられたという事を示しているからだ。

 勿論、本当にそれが在ったかは学園にいるイリヤには分からない。だがそれは“起きた筈”であり、ネギ達の無事も“確定した事象”なのだ。だからこそイリヤは思い込み安堵する……してしまう。

 内心での思いを表面に出さないイリヤの前で近右衛門がエヴァに西の本山で起きた事態を説明し、思いついた妙案を彼女に伝えていた。

 

「――で、私は学園から出られ、坊や達を助けに行ける訳だ」

「そうじゃ、あのナギの掛けた呪いじゃから、言うほど簡単に行くとも思えんが――と。時間が惜しい、早速取り掛からねば」

 

 にんまりと笑うエヴァを尻目に準備に立ち上がる近右衛門。そこで視線を室内で沈黙していたイリヤと茶々丸に向け、

 

「悪いが2人にも手伝って欲しいのじゃが?」

「ええ、いいわよ」

「私も……構いません」

 

 頼む近右衛門に断る理由も無いので即答するイリヤと、了承の頷きを示す主の姿を認めて応じる茶々丸。

 それを確認した近右衛門は、感謝するぞい、と言いながら再び携帯電話を取り出して何処かに連絡を入れる。

 

 電話を切ってから15分程した頃だろう。学園長室の扉がノックされた。

 

「お待たせしました」

 

 入室を許可されて扉を開けたのは、両腕から大きな鞄を下げる眼鏡を掛けた一見青年に見える40代の中年男性だった。

 イリヤはその男性を原作は当然として、この世界でもつい先日会っている。

 

「夜分遅くにすまんな、明石君」

 

 近右衛門は、先ず男性を呼び付けた事を謝った。

 男性は、麻帆良大学で教鞭を執る明石教授だ。ネギが受け持つ3-Aの生徒である明石 裕奈の実の父親でもある。イリヤは彼とは、同じく先日に友人となった魔法生徒である佐倉 愛衣と夏目 萌を通じて少しだけ親しくなっていた。

 その為という訳ではないだろうが、明石教授はこの場にいるイリヤへ一瞬視線を向けてから学園長……いや、関東魔法協会の理事である近右衛門と向き合った。

 

「いえ、それより西の本山が襲撃されたとは……一体何があったのです?」

「……残念ながら先程、電話で伝えた以上の事は不明じゃ。しかし状況を鑑みるに事態の推移しだいではこの麻帆良を含め、東全域……いや、日本全体に何かしらの影響を与える可能性は決して低くはなかろう。――で、明石君…」

 

 近右衛門が言葉を切り、明石に発言を促がす。

 

「はい。指示通り、国内に在る協会各方面部には連絡を入れました。当学園も警戒レベルを2段階引き上げ、現在職員が対応に当たっております。西に関しても葛葉さんを始め、此方にある伝手を使って本山の異常を伝えました。予測では明朝までには応援が駆けつけるとの事です」

 

 明瞭に答えて行く明石に一つ一つ首肯する近右衛門。

 敵の目的が不明な現段階で騒ぎ立てるのは、迂闊且つ取り越し苦労かも知れないが、備えを怠り防げる筈の被害を出してしまう方が問題であり、尚且つ愚かだろう。

 況してや既に見通しを誤り、ネギや生徒を危険に晒している上、後手を取らざるを得ないのだ。そこでこれ以上失態を重ねれば致命的な事態を招きかねなかった。

 

「――わかった。引き続き対応に当たって欲しい。それで頼んだ物は?」

「……はい、急でしたが何とか全て用意出来ました。……これで宜しいですか?」

 

 明石は、数瞬思案するように僅かな間を置いてから了解し、学園長室に呼び出された本題であろう両方の腕から下げた2つの大きな鞄を室内の中心にあるテーブルに置いて、その中身を見せる。

 鞄の中は、怪しげな液体の入った瓶やら、宝石っぽい鉱物やら、洋紙皮のような古めかしい紙束に本やらと、魔法関係の道具と資料がギッシリと詰まっていた。鞄の見た目以上に詰まっている事からおそらく容量の他、持ち運ぶ事を考えると重量も魔法で弄っているのだろう。或いはこの鞄自体が魔法具であるのか。

 中身を確認した近右衛門は、うむ、と頷き、御苦労と労ってから明石を退室させた。

 

「では……取りかかるとするか」

 

 そう言ってイリヤと茶々丸の2人に近右衛門は指示を出し始める。

 といっても二人のやる事はそう多くない。魔法陣を描くスペースを確保する為の簡単な片付けと、幾つかの液体と鉱物の混合とそれを用いた魔法陣の作成ぐらいだ。

 それでも2人が作業する時間を本来それを行なう筈の近右衛門が資料を当たり、解呪式を構築する為に利用できるのだから時間勝負の現状では、多くなくとも重要な作業といえる。

 

 小一時間程して作業は終わった。イリヤも伊達でこの世界の魔法知識を頭に叩き込んでいた訳ではなかった。逆に言えばこれまで学んでいなければ、もっと苦労して時間も掛かっていただろう。

 しかし肝心の近右衛門は、未だに解呪式の構築にすら手を掛けていなかった。

 30冊近い分厚い魔法書を広げては置き、また新たに広げては置く。それを繰り返してうんうんと唸っている。

 それを見ていたエヴァは痺れを切らしたのか、先ほどの機嫌の良さは何処かへ吹き飛び、それを苛立たしげに見ている。恐らく期待の大きかった分、早々に手間取っているという実情に納得し難いものを感じているのだろう。

 それでも文句を言わないのは、意味が無い事を理解しているからだ。

 彼女はチッと小さく舌を打ち、唸る近右衛門から顔を背けると、視界に自分の傍に転がっていた水晶玉が入った。

 

「ふむ……よし!」

 

 彼女は一瞬考え込むと何かを思い付いたらしく、その水晶玉を手に取った。

 作業が終わり、状況を座視していたイリヤはそんなエヴァの様子に気が付く。

 

「エヴァさん、何を?」

「ん……単なる暇つぶしだ。まあ、見てろ」

 

 怪訝な表情を向けるイリヤに、おざなりな感じでエヴァは応じ、適当に積み上げられた本を即席の台にして水晶玉を置き、それに手を翳して呪文詠唱を始める。

 詠唱を耳にし、イリヤはエヴァが何をするのか理解する。

 

「……遠見の魔法」

「――ああ。昔、(みやこ)……いや、京都には何度か足を運んだ事が有るからな。今は夜だし、この最弱状態の私の魔力でも一度行った事のある場所……この島国程度の範囲なら覗き見る事ぐらいは出来るさ」

 

 勿論、防諜系の結界さえ張られていなければな、と付け加えるもエヴァは自慢げにそう語った。

 イリヤは口に出さないものの驚き、今更ながらにエヴァの実力に感心する。

 簡単そうにエヴァは言ったが、イリヤの知る限り『遠見の魔法』で日本全域ほどの広さをカバーするのは、専用魔法具か、相応の高度な術式と魔力を必要とする筈なのだ。それを大した魔力を使わず一応魔法具とはいえ、適当に転がっていた水晶玉で可能だと言うのはとんでもない話だ。

 

 ――故に最強の魔法使い…真祖の吸血鬼……か。

 

 イリヤは内心で感嘆を込めて呟く。

 600年の永い生で得た知識から編み出した独自の優れた術式と同じく培った経験から基づく魔力の運用効率。その双方があって可能な事なのだろう。恐らくは同様に“無敵・最強”と言われるサウザウンド・マスターすら、そういった面での地力は遥かに及ばない筈だ。

 ただ、近右衛門は一瞬、何か言いたげに視線を向けていたのだが結局黙ったまま書物へと戻していた。後にイリヤも知る事であるが、原則的に西の管轄には“遠見”をはじめ、一部の探査系魔法の使用が禁じられているのだ。

 近右衛門が視線を向けていたのはその為だったのだが、恐らく言っても無駄だと悟ったか、もしくは彼自身も状況を知りたいが故に黙認したかのどちらかだろう。

 

 そんな事情を知らないイリヤがエヴァの技量にひたすら感心する間に、術は機能し水晶玉の内部に淡い光が灯り、何処かの風景を映し出す。

 先ず映ったのは、京都を上空から俯瞰した光景だ。夜間という事もあり、暗くもあったが都市部には夜空の如く人工の星々が輝いている。

 その光景は、徐々に地上へと迫り――いや、拡大して美しい夜景を演出する地上の星々を置いて都市郊外の近く……月明かり以外は、ほぼ暗闇が支配する森へと移った。

 

「さて、坊や達は無事かな?」

 

 エヴァは楽しみと期待の感情に加え、微量の心配を混合した声を零し、薄っすらと笑みを浮かべて水晶玉を見詰める。

 言葉と共に映ったのは明日菜と刹那。それに褐色長身の女性…いや、少女の龍宮 真名。金髪チャイナ服の少女の古 菲。この2人もネギの生徒で3-Aの一員である。

 しかし異様なのは、その少女達が鬼やらの人外と背中合わせでいる事だ。イリヤはその光景に息を呑む。

 

 ――そう、それはありえない事。

 

 本来なら鬼達は彼女と対峙し敵対する筈だった。なら何故、鬼と共闘するかのように背中合わせなのか? イリヤは脳に何か重い流動物でも詰め込まれたような嫌な感覚に陥る。

 

 ――ありえない。

 

 しかしエヴァはその光景に疑問を抱かない。当然のことだ。()()を知るのはこの世界でイリヤだけなのだから。だから呟いた、半ば呆然と――

 

「――そんな」

 

 その声を傍で聞いたエヴァが水晶玉から視線を外して、怪訝そうに振り返る。

 彼女のアイスブルーの瞳に映ったのは顔面が蒼白でありながら無表情に近く、だからこそ酷く動揺している事がわかるイリヤの姿だった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 その始まりは、一つの悲鳴からだった。

 

 木乃香が敵の手に落ち。限られた状況の中から刹那達は最善と思われる策を選び、実行に移した。

 ネギが人外の群れに向かい上位魔法――名前の如く嵐と化した雷を放って飛び去った十数分後……世にも悍ましいその悲鳴が刹那と明日菜、そして彼女らを囲む人外達の鼓膜を震わせた。

 同時に覚えたのは、背筋を震わせる悪寒と得体の知れない不吉な感覚だった。

 奮戦し意気揚々としていた刹那と明日菜は、敵中にありながらも凍りついた様に動きを止め。

 少女2人の意外な奮戦に驚嘆…或いは感心していた人外達もまた石像の如く固まった。

 その時――ほんの数瞬だけ、時が停止したかのように双方の動きが無くなり、この場にある全ての眼が悲鳴を発せられた場所へと向かう。

 

 しかし、刹那と明日菜には“ソレ”を見る事は叶わなかった。何しろ無数の人外どもが分厚い壁となり、視界を塞いでいたのだから。

 数瞬の静寂の後、再び悍ましい悲鳴が辺りを満たす。しかし今度は一度だけでは無い……重なるように幾度も続き、やがて悲鳴に混じって怒号が轟くようになり、

 

『ウフ…ウフフ……うふふ…卯腑…卯ふフ…うう腑腑う…■■■フフ腑ふフふ■■■■卯腑フふ■■■■■■■■■■ふふふうふ■■■』

 

 聞くに堪えない狂った音程を持つ不気味な哄笑が、四方全てからこの場に圧しかかって来た。

 

『■■■■■■■■■■■■――』

 

 今まで2人に敵意を向けていた筈の人外どもがその哄笑を聞くなり、一際大きい怒号を上げて別の何か――視界の遮られた向こうに居るナニカに敵意を超えた殺意を向ける。

 突然の異常と事態の急変に刹那と明日菜は、何が起きたのか直ぐには理解できなかった。

 ただ感じる悪寒と不吉さに……本能あるいは第六感ともいうべき勘が警鐘を鳴らして自然と2人に武器を構えさせ、視界の遮られた先へと意識が向かう。

 そして、人外の群れが押し返される様に大きく退き、その中で“ソレ”とナニカを見た。

 

「何、あれ…?」

 

 明日菜は、恐れと震えの混じった声を漏らした。

 ナニカは、烏賊にも蛸にも似て異なるヒトデのような等身大の不気味で奇怪な生物だった。

 生物はほぼ全体が毒々しい紫色で、その表面には黒い斑じみた紋様と滑りを帯びており、深海生物をも上回る生理的嫌悪を誘うグロテクスな外見を有していた。

 その上部に見える基部というべき中心には、細かく鋭い歯が無数に並ぶ巨大な口腔があり、そこから伸びる触手には棘が所狭しと生え、その裏には蛸と烏賊と同様の吸盤が見える。

 

 ――っああああぁぁあぁぁーー!!!

 

 触手に捕まった一体の鬼が恐怖から絶叫を上げ、必死に逃れようと足掻くも吸盤の着いた触手は一向に離れず、捕獲した獲物を締め上げる。そして人すら丸呑みできそうな基部に在る巨大な口腔へと運ばれ、

 

 ――ひぃぎ…がぁっ…ぁあああああーーー!!??!?!

 

 “ソレ”を見る事となる。

 明日菜と刹那はソレの余りの光景に思わず顔を背ける。しかし視界からは消えたものの、聞くに堪えない断末魔と、断末魔を上げる者を咀嚼する音だけは耳に入る。

 グチャグチャ、クチャクチャと肉を裂いて磨り潰す粘着質な音と、ボリボリ、ゴリゴリと骨を噛み砕く無機的な音。

 生々しさが強過ぎて逆にB級ホラー映画でも見ているんじゃないかと、明日菜は奇妙なほど現実味を欠いた錯覚に一瞬陥った。

 

 ――が、正に一瞬の事だった。

 

「明日菜さん!!」

「…!」

 

 刹那が叫び、明日菜は視界に迫る件の生物――怪異の姿に気付き、咄嗟にハリセンを構え…同時に銀光が奔った。

 

 ――ギイィイイイ…!!

 

 切り裂かれ血飛沫を撒き、金切り音にも似た奇怪な断末魔を上げて怪異が倒れる。

 いつ間にか野太刀を構えた刹那が明日菜の前に立っていた。

 

「あ…刹那さん、あ、ありがとう」

「いえ、お礼は後です!」

 

 未だ何処か、放心状態から抜け切れていない明日菜に背を向けて叱咤するように言う刹那。

 それにハッとし、明日菜は漸く現状を認識する。

 

「!……そうね、ゴメン。もう大丈夫よ」

「はい!」

 

 首肯するも、刹那は自分の不器用な叱咤のしかたに少し反省を抱く。

 だが明日菜に叱咤したように今は感傷に浸っている場合ではない。周囲は既に人外と怪異が入り乱れて混戦状態と成っているのだ。

 気を抜いて隙を見せれば巻き添えを受ける事となる。下手をすれば最悪、先ほどの鬼――いや、今も近くで餌食になっている人外どもと同じ末路を辿りかねない。

 周囲の所々から上がる悲鳴や断末魔を耳にして刹那は思う。

 

(そんな最後を迎えるなど……御免だ! 明日菜さんにも絶対迎えさせはしない!!)

 

 そう自身に活を入れ、決意を固める。

 しかし一方で疑問もある。

 

「この気味の悪い生き物は一体なんなの? あの猿女の呼んだ化物…をっ!! くっ!…このっ!! ――はぁ…化物を襲っているけど、これもゴキとかいうのと同じなの?」

 

 明日菜が迫る怪異を手にする金属質のハリセン――ハマノツルギでいなしながらも、背中を預ける即席の相棒に尋ねる。

 そう、それが刹那も抱く当然の疑問だ。

 

「っ…! セイッ!――分かりません。見たことの無い怪物としか。式神では無い事は確実です……が、どちらにしろ私達の敵であることは変わりません」

「――ッ! そうかも知れないけど…わっ!?」

 

 背中合わせで戦いつつ分からないなりに刹那は明日菜に答えるも、素人である彼女や自分の為にも目の前の事に集中できる様、余分な考えを捨てる為に分かりきった結論を敢えて告げ――怪異の接近を捌き切れなかった彼女を直ぐさまフォローする。

 背中の相棒が捌き切れないと悟った瞬間、刹那は手にする野太刀を素早く逆手に持ち変え、明日菜の脇下へ長い刀身を滑り込ませて彼女を捕らえんとした怪異に突き刺し、そのまま刺した勢いに乗せて気を叩き込んで怪異を吹き飛ばした。

 助けて貰った明日菜は、突然自分の脇下から伸びた鋭い刀身に驚き、顔を引き攣らせる。

 

「はは……流石、刹那さん」

「……今は目の前の事に集中して下さい!」

「……うん」

 

 先と同様、鋭い口調で再び叱咤する刹那。それに明日菜はバツが悪そうにしつつも真剣に頷いた。

 とはいえ、刹那は明日菜の持つ胆力に内心で感嘆していた。修学旅行初日や今日の狗族との戦いでもそうだったが、素人にも拘らず恐れも怯みも殆ど見せず、勇敢に立ち向かうさまは素直に驚きだ。

 先程の凄惨な光景にも最初は恐れと放心を見せていたが、それも既に無い。

 同様の事が今も彼方此方で起きているにも拘らず……自身もまた、そうなるかも知れないにも拘らずに。

 

(本当に大したものだ)

 

 持ち前の……或るいは潜在的な運動能力は勿論大事だが、このような精神面での強靭さこそ戦う者としては尤も重要で必要なものだ。ましてや明日菜はそのどちらも兼ね備えている。

 だからこそ感心する一方で微かに疑問もあった。

 

(本当に素人なのだろうか?)

 

 本来それらは長い訓練や修練で鍛えられ、そして多くの実戦という経験を経て開花する物だ。

 それは、刹那自身が辿った道でもあるのだから。

 だが、同時にその疑問に対する答えもまた刹那の中に存在した。つい先程、大事な親友の命運を託したネギ・スプリングフィールドも示していた。資質や才能という言葉の延長線上にある“天才”という言葉だ。

 それならば納得も出来なくもない。

 熟練(ベテラン)戦士並みの勇敢さと運動能力・反射神経を示す一方、その動きや体捌きは素人も同然…というチグハグ感は、何よりもその証明だと思えなくも無いからだ。

 

(明日菜さんは、戦士としての才能に恵まれた方なのだろう)

 

 今もまた明日菜は、複数の怪異を同時に相手取ったにも拘らず迫る無数の触手を危なっかしげにも見事に躱し、的確に退魔のハリセンを打ち込んで還した。

 自らも怪異を切り裂きながら刹那は、背にチラリと視線を向けてその勇ましくも頼もしい姿を目に焼き付けた。

 

 

 

 そうして……この外見醜悪極まる怪異を相手に、鬼を初めとした人外を相手にした時と変わらず奮戦する2人であったが。

 状況は悪く。その数は一向に減る様子が見えない―――いや、それどころか際限なく増殖しているように思える怪異によって埋め尽くされていた。

 この場で、それにいち早く気付いたのは怪異と真っ先に対峙した人外達だった。

 怪異は、殺された自らの仲間の骸や肉片、臓物、体液から湧き出して這い出てくるのだ。それも一体分の骸から幾つも幾つもだ。それこそ無限とも思えるくらいに。

 その為、最初は両手で数える事が出来る程度であった怪異は、殺しても、殺しても、数を減じさせず、むしろ殺すだけその数が増してしまった。その事実に気付いた時には既に手遅れで、彼等…人外達の数を遥かに上回り、周囲を埋め尽くすほどの数にまで達していた。

 

 刹那と明日菜も同様だった。

 数を増すばかりの得体の知れない怪異を相手に居ない場所、自身らの危険の少ない箇所を求めて動き回ることに気を取られ、その事実を察知した時には遅く。この場で最も怪異の少ない安全と言える場所は、自然とさっきまで敵対していた人外達の傍だけに成っていた。

 

 未だに残る人外達にしても、刹那達の傍こそが自分達を守るに適した一帯と化していた。

 周囲は既に怪異に溢れ、逃げ出す事も……いや、正確には逃げ先も無く。捕まれば通常の死よりも恐ろしい末路を辿り、しかもどういう訳か“還る”事を許されずに、真実“滅びる”事になるのだ。

 召喚主の意向で一方的に現世に呼ばれた身に過ぎない彼等にとって、そのような“生の終末()”は幾ら何でも御免被りたい。中には生きたまま喰い殺される事を恐れるあまり、自らに刃を突き立てる者も居たのだ。

 だが、自害とも言うべきそれは、例えこの地が現世なのだとしても自らの住まう世界―――自らを括る(がいねん)によって命を断つのと同義であり、結局“滅び”を選択するのと同じであった。

 

 故に距離的に物理的な意味でも歩み寄った刹那と明日菜。召喚された人外達の双方は、生存への意思を一致させ、共闘を結ぶ事と成った。

 尤も人外達には、刹那達の手に敢えて掛かるという手段もあったが、そこは彼等なりの矜持が許さなかった。

 

 先に共闘の提案を持ちかけたのは、人外達のリーダー格である大鬼だった。

 単純に1人よりも2人、2人よりも3人という数的意味合いもあったが、彼が先ず期待したのは神鳴流剣士である刹那だ。

 提案を持ちかけた直後、それを受け容れる事に躊躇いを持つ刹那に構わず、彼女に無防備な背中を向けて大鬼は怪異を振り払いながら一方的に刹那に語った。

 

「この得体の知れん奴らには召喚主が居る。そいつを仕留めれば状況は打開できるかも知れへん」

 

 その言葉に刹那は驚くも、彼はそれを気にする様子も無く言葉を続けた。

 そして話を聞くうちに、刹那と明日菜は召喚主という人物に思い当たる。

 木乃香が連れ去られ、猿女に一時追い付いた時の事だ。その場には猿女と白髪の少年と木乃香の他に“もう一人居た”。

 それは、漆黒に染まったローブを纏った人とは思えない奇怪な容貌を持つ不気味な男だった。誘拐の主犯である猿女こと…天ヶ崎 千草と攫われた木乃香を注視する余り、言われるまで刹那も明日菜もその男の事を忘れていた。

 思えば、異変が起きた時に聞こえた不気味な哄笑は男のものだった気がする。

 

「それで、その男は何処に?」

 

 驚きから気を取り直して尋ねる刹那に、大鬼はこの怪異の中に紛れ込んでいる、と答えた。

 

(成程、だからこそか)

 

 神鳴流剣士である刹那は、大鬼が自分を頼りにする理由を察し納得する。

 確かに奥義の中にある最大規模の技なら、怪異を“盾に”紛れる召喚主をそれごと吹き飛ばせるだろう……だが、一方で警戒心も抱く。件の男が猿女の仲間である以上、召喚された大鬼達もまたその男に協力しなければ為らないのではないか、或いは此方を嵌める計略―――罠ではないか、と。

 しかし、既にその警戒心を抱かなくては為らない相手に背中を任せてしまうほど状況は悪く。彼らにして見れば敢えて罠を仕掛ける必要も無い筈だった。

 それに……大鬼と他の人外どもが憤りを見せて口々に言うのだ。

 

 ―――アレに喰われたら、滅んでしまう。

 ―――多くの同胞(みうち)滅ぼ(ころ)されて、喚ばれた義理なんぞ果たせるかいっ!!

 ―――せめて、一矢…あんのキチ○イぶさいく野郎のタマでも取っとかんと、逝ったあいつらに顔向けできんわッ!

 

 それを聞いて刹那は提案を受諾した。彼らの抱く怒りが伝わり、本気である事を理解できたからだ。

 首肯する刹那に、大鬼は強面の顔には似合わない人懐っこい笑みを見せるが、次の瞬間、酷く真剣な表情を作って明日菜……正確にはその手に持つ得物に視線を向けて言う。

 殺しても増える敵を相手に唯一有効である、明日菜の持つ強力な退魔・式払いの効果を有する奇妙なハリセン―――ハマノツルギ。

 

「もしかしたら最悪、そいつがワシらの命綱になるのかも知れねぇな」

 

 それは何処と無く不吉な言いようで、悪い予感をさせる言葉だった。

 

 

 

 神鳴流の剣士たる刹那に状況の打開を託して数分。

 宙を旋回する1体の烏族が群がる怪異の中から、隠れ潜むようにしていた召喚主である黒いローブの男の位置を捉え、指を差して叫ぶとその方向へ刹那は大きく跳び、怪異達の頭上を大きく越えて遥か高く宙へと舞い上がった。

 そして、刹那もまた一瞬であるが視界に怪異群の中へ紛れた猫背姿勢の、奇妙な…魔導書らしき本を片手に持つ正気と思えない異様な輝きを眼に宿す男の姿を捉え、目標の位置を正確に把握する。

 

「奥義!―――」

 

 その位置に……男に目掛け、刹那は自身の誇る最大級の一撃を見舞おうとし―――直前、不穏な気配を察知したのか、男の狂気に憑かれた瞳が刹那に向いた。同時に溢れんばかりの怪異群が一斉に蠢き、組み体操の如く仲間の身体を繋げ、一瞬で分厚く巨大な壁を作り上げた。

 

「―――!!?」

 

 それを見、刹那は驚愕し硬直する。壁が出現した事もそうだが、より衝撃的なのは此方の意図を見抜いたかのように反応した事と、その対応への意外な俊敏さだ。

 しかし既に奥義を放つ体勢…気の練り込みも済んでいる。しかもこのまま何もせず地に足を着けようとすれば、足元の怪異群の上へと……その結果は、おぞましいものになる。

 

「ッ!―――真・雷光剣!!!」

 

 一瞬の硬直と迷いの直後、刹那は叫び奥義を放った。

 瞬間、名の通りに巨大な…直径40m以上はあろう雷が集束したかのような光球が生まれ、怪異どもを呑み込み。夜の闇を裂いた。その僅かな数瞬の間、周囲一帯が昼間と化し、熱を伴った轟音と衝撃が空気を震わせ貫き、地を揺らす。

 

「きゃあああっ!!!」

 

 急激な明度の変化に明日菜は目が眩み。轟音に痛む耳を押さえ、身を打つ衝撃と地の揺れに耐え―――直ぐに轟音と衝撃が通り過ぎて闇が戻った。

 明日菜の眩んだ視界も元に戻り、耳の痛みも遠退く。……ただ、風に乗って怪異の贓物臭に慣れつつあった鼻に、新たに不快なナニカの焼け焦げる匂いが衝くようになったが。

 漂う匂いに顔を顰めるも目に映った光景に明日菜は息を呑んだ。

 

「凄い…」

 

 明日菜が視界を向ける一帯―――距離幅ともに四十数mに亘って犇めいていた筈の怪異の姿が無く。浅瀬ながらも流れていた川の水が蒸発し、僅かに地形が変わっていた。しかし―――

 

「やったの?」

「いや…」

 

 明日菜の言葉に大鬼が首を横に振った。

 それだけの威力を見せ。多くの怪異を消し飛ばしたものの、刹那の技は召喚主には届かなかった。

 怪異の群れが自らを盾にして壁と成ったのは、無駄ではなかったという事だ。

 

「くっ…!」

 

 明日菜達から二十数mほど離れた地に足を着け、片膝を付いた姿勢で刹那は自身の技が届かなかった不甲斐無さか、凌いだ怪異への忌々しさからか、前方を強く睨んで口惜しむ。

 その時、彼女の視線の先、ほんの一瞬だけ犇めく怪異の隙間から嘲笑うような奇怪な顔をした男の笑みを見た―――気がした。

 

「…!」

「おのれぇっ!!」

 

 その顔を目にし、刹那が思わず息を呑むのと同時に先程男の位置を伝えた烏族が、怒りを篭めた叫びと共に刹那の見た方へと、獲物を狙う荒鷲が如き勢いで突撃した。

 この場に残った唯一の烏族であるその彼は我慢がならなかった。そのふざけた笑みを見た瞬間、彼の感情は限界に達して沸騰した。

 この得体の知れない怪異が出現して、真っ先に多くの(ともがら)が喰われたのは彼の属する烏族なのだ。例えそれが自ら等の決断故に生じた結果と犠牲であったのだとしても、その憤りが他の人外らよりも強まらない理由には為らなかった―――そう…男を直接狙ったのは、何も今だけではない。

 少女達と共闘するより前。怪異が無限に増殖する事を知り、その脅威が及ばぬ宙を舞う事ができる烏族たちは、それを活かして空から一斉に男へ強襲する策を講じたのだった。

 しかし、それは現状を示すとおり失敗に終わった。

 男へ迫る烏族たちに怪異は触手を伸ばし、或いは先の壁と同様に個が全と成るような動きを見せて阻み、そして喰らっていった。

 中には腕、足などの四肢を犠牲にし、傷を負いながらも男の下へ至った者も居たが、そんな欠けた身体では男自身が振るう西洋剣を躱す事も捌く事も出来る訳は無く……その者らは倒れていった。召喚主である男もまた相応の実力者だったのだ。

 ―――故に彼の突撃は当然無謀であり、喰われた仲間の後を追うことは必定である。

 

「止せぇー!!」

 

 仲間の制止する声が轟くか否や、

 

 ―――ぐがっ!? ぅうがぁぁあああああああ!!!

 

 伸びた無数の触手に捕まり、烏族の彼は蠢く怪異に中へ引き摺り込まれた。

 おぞましい悲鳴、断末魔が相も変わらず刹那と明日菜の鼓膜を震わせるが…もう感慨を抱くことは少なく。既に慣れたような感が2人にはあった。

 いや、単に感覚が麻痺しただけかも知れない。

 にも拘らず、何故か刹那は―――今度は彼女が、烏族が怪異に呑まれる光景から視線を動かせず……先の明日菜のように放心していた。

 刹那の目には、犇めき蠢く怪異の頭上で引き裂かれた烏族の黒い翼と、舞い散る黒い羽毛が映っていた。

 

「――しっか―! ―――かりして、刹那さん!!」

「―――とるんやっ! 嬢ちゃん! はよ逃げえぇ!!」

 

 ふと自分を呼ぶ声が聞こえて刹那は後ろへ振り向く。薄まった怪異の群れの向こうから明日菜と大鬼が必死に何かを叫び、怪異を斬り捨てながら此方に駆け出そうとしているのが見えた。

 それを阻むように左右から怪異どもが蠢き、薄まった群れの厚みを戻そうとし、奥義によって拓けたこの場をも―――

 

「―――!…しまっ――!」

 

 正気に戻った刹那は迫る危険を察知し、咄嗟にその場から転がるようにして前方へ飛び退く。間一髪、そこへ空気を裂く音ともに怪異どもの触手が振るわれたのを刹那は背後に感じ、僅かにゾッとする。

 直ぐにその悪寒を振り払い、足を立たせ明日菜達の下へ駆け出そうとして―――立ち眩みを起こしたかのように足が縺れて無様に転んでしまう。

 そこでようやく思い至る。大技を使った後の消耗が抜け切っていないのだと。

 より正確に言うならば、鬼やら怪異やらの大群と立て続けに戦い。疲労と消耗が蓄積していた所に大技を使用した為、この一時的な急激な“気”の低下を招いたのだ。

 また先の怪異の予想外の行動によって、焦り余計に“気”を篭めてしまった事もこの災いに貢献していた。

 

(拙い!)

 

 そう思うも―――もう遅い。

 転倒して出来た隙を突いて既に幾つもの怪異が押し寄せており、無数の触手が刹那目掛けて伸びていた。だが体勢を立て直すのも、逃れるのも、況してや剣を振るうなど―――もう間に合わない。

 

「あ―――」

 

 それを理解した瞬間、刹那は絶望し、次に諦観を抱き、直ぐに死を覚悟した。そして―――ゴメン、このちゃん……と目を閉じて大切な人に胸中で謝った。

 

 

「刹那さんっ!!!」

 

 怪異に阻まれながらも刹那の下へ駆け寄ろうとする明日菜は、その受け容れ難い光景を目にして絶望感に包まれ叫んだ。それでも―――ジクリと、何かを、大切で嫌な出来事(かこ)を訴える頭痛を堪え―――諦めず自分に迫る怪異を退けながら刹那の所へ向かう。

 大鬼の制止する声も聞こえず、一縷の望みを掛けて明日菜は駆け―――

 

 ―――ドンッドドンッ、ドンッ、と。連続した炸裂音が刹那の傍に魔法陣が輝くと同時に響いた。直後、ドスンッと重い音が起ち、その音が繰り返される度に彼女を囲んでいた怪異が凄まじい勢いで次々と吹き飛ばされて行く。

 

「え…?」

「なっ!? …っと!?」

 

 目を開き呆然とする刹那と、驚きつつも襲ってくる怪異に対処せざるを得ない明日菜。

 2人の向かう視線の先には、顔見知りの2人の姿があった。

 

「敵の前で目を閉じるなんて、らしくないじゃないか刹那?」

「うう…近くで見ると、もっとキモイね、このバケモノヒトデ…いやタコアルか?」

「どっちでもいいだろ、イカでもタコでも…」

 

 その2人は、3-Aクラスメイトの長身と褐色の肌が印象的な少女である龍宮 真名と、拳法一筋娘の留学生の(クー) (フェイ)だった。

 

「立てるか刹那」

「あ、ああ」

 

 自身の獲物である2丁の大型拳銃を周囲に向けながら、真名はシニカルさの中に親しみを含んだ笑みで促がすと、刹那は頷き立ち上がった。今度はふらつく様子も無い。

 刹那がしっかりと立ち上がったのを確認した真名は、傍で怪異を思う存分殴り蹴り飛ばしている古 菲に声を掛ける。

 

「クー、向こうと合流するぞ」

「了解ネ!」

 

 2人は怪異の群れを掻い潜り、明日菜と大鬼達の下へ駆け出した。刹那も当然その後に続いた。

 

 

 3人が合流を果たすと、明日菜は押し寄せる怪異を叩きながらも真名に向けて慌ただしく口を開く。

 

「何で龍宮さんが此処に!?…あとくーふぇも!? それになんかやたらと強いし!」

「今はそんな事を尋ねている場合ではないと思うがな、神楽坂」

「…なんか私は、ついで見たいアルネ―――おお! あのデカイ鬼さん結構やるネ」

 

 冷静に素っ気無く返事をする真名と、オマケ扱いと感じたにも拘らず快活な様子で鬼の戦いぶりに感嘆を表す古 菲。

 それでも真名は、刹那からも明日菜と同様の視線を向けられていた為か、簡潔にだが此処に来た経緯を答えた。

 

 それは、真名が自由行動の出掛け先から旅館へ戻った矢先の事だ。

 本山にて危うく難を逃れた綾瀬 夕映から長瀬 楓へ掛かってきた携帯電話の会話を真名は偶然聞きとめ、本山で起きた異変を端的であるが知る事となった。

 関西呪術協会の本部。云わば御膝元どころか胸元や頭部ともいうべき場所での非常事態。

 それに真名は、熟練の戦士ならではの勘ともいうべき物が疼き、また刹那からある程度事情を聞いていた事もあり、助けを求める夕映に応じる楓と古 菲の2人に同行することにした。

 

「じゃあ、夕映ちゃんは無事なんだ」

「ああ、今頃は楓が保護している筈だ」

 

 夕映が無事だと聞き。状況に似合わず、良かった~、と安堵を見せる明日菜。

 それに構わず真名は言葉を続ける。

 

「……綾瀬を探しに行った楓と別れた私とクーは、とりあえず此処…あからさまに異様な気配が放たれる方へ向かった。そしてその途中、行き先に巨大な光が瞬くのを見掛け……幾度か仕事を共にした事がある私は、直ぐにそれが刹那の技だと分かり、合流すべく急ぎ駆け付けてこうして参上した―――と言った訳だ」

 

 そこまで真名が言うと、今度は険しい顔をした刹那が口を開いた。

 

「まて! それなら何故、狙わなかった!? お前の“眼”と腕ならこの場の術者―――召喚主を見極め、狙撃する事が出来た筈だ。この状況が認識できなかったとは言わせないぞ!」

 

 実質、詰問とも言える口調を聞き。真名は怪異の群れに銃の引き金を弾き絞りながら、謂れの無い糾弾に呆れるようにして吐息する。

 

「勿論そうしようとしたさ。だが……駆けつけた途端、いきなり目の前でピンチになってくれた奴が居たお蔭でね。機を逸してしまったんだよ。手持ちの狙撃銃(ライフル)はボルトアクション……連射が利かないヤツだから―――」

 

 ―――あの大群から助けるには直接飛び込むしかなかった、と。続けて零す真名に、ピンチになった張本人である刹那は口を噤んだ。知らず内に救援に来た相手の足を引っ張り、しかもそれを解せずその相手に文句を口にした事に忸怩たる念を抱く。

 表情に悔いを浮かべる刹那を見て、真名は「こっちも言い方が悪かった」と軽く謝意を口にした。落ち込んで集中力が散漫となって貰っては困るからだ。

 刹那もその言葉から真名の意を汲み、表情を引き締めて軽く頷いた。

 

「―――で、龍宮。転移符はまだあるのか?」

 

 気を引き締めた刹那は、先ほど自分の窮地を救ったであろう一枚80万円という高価な魔法符の持ち合わせを尋ねる。もしまだ手元にあるのならば、状況打破に大きく繋がる。

 

「いや、残念ながらもう手持ちに無い。何分高価な物だからな、今さっき使ったアレ一枚きりだ―――アレの使い方をクーが知っていれば、状況はまた違っていたんだが…」

 

 というのも、古 菲は微妙に一般人側であり、魔法に関する知識を一切持ってなかったからだ。もしそうでなければ、刹那の危機に共に転移する必要は無く。古 菲だけを送り込んで助けさせ、真名自身は隠れて身を潜め、狙撃の機会を待っただろう。

 加えて言えば、幾ら西へ赴くとはいえ、毎年恒例の一般人が殆どの学業の一環に過ぎず。また実際は双方の上層部が争いを望んでいない事もあり、それほど大事にはならないと修学旅行前に踏んでいた事もこの武装の少なさに影響していた。

 事実、関西呪術協会に属する者の中で過激な行動へ打って出たのが、天ヶ崎 千草だけであった事からその思考自体もまたそう的外れでは無いと言える。

 

「そうか…」

 

 刹那は一応尋ねたものの、この状況で一向に使おうとしない事から半ばそれを察しており。真名の言葉に大きな落胆は見せず……いや、それでも、声には僅かに沈んだ響きがあった。

 

「悪いな―――ッ…!」

 

 と。応じた瞬間、真名は視界の端から迫る触手に気付き。銃床を使って捌き、更に捌いた勢いのまま身体を捻り、肉薄せんとする怪異に回し蹴りを叩きこむ。そして相手の怯んだ隙に退魔弾を撃ち込んだ。

 だが、弾丸の霊的・物理的な破壊力のみが怪異の身体に衝撃を与え、肉片と体液を撒き散らすだけで彼女の望んだ成果は出なかった。

 

「チッ…やはり効果無し、か」

 

 真名は、怪異を殺してしまう結果に舌を打ち、顔を顰める。

 彼女も既にこの怪異の特性に気付いていた。

 その為、式払い用の退魔弾を銃に装弾したのだが、見たとおり効果が無い。

 最初は気のせい…あるいは見間違いかと思ったのだが、間近で今見た結果に否応無しに確信してしまう。おそらく既知の魔法や呪術などとは異なる法則で呼ばれ、括られた魔物である為。従来の術式が施された退魔弾では効果が無いのだと、真名は“魔眼”より得られる情報からそう判断する。

 同時に明日菜のハマノツルギに関しては、栓無いので考えない事にする。

 

(分かりきっていた事だが、このままでは…)

 

 ジリ貧だな、と真名は内心で呟きながらも拳銃の弾倉を交換―――退魔弾の意味が無いことから殺傷力・破壊力優先の符術弾を装弾する。

 その間、彼女はこの場所を……刹那達の位置を正確に知る切欠となった巨大な光球の姿を脳裏に浮かべた。アレが何であり、刹那達が何をしようとしたか、真名は明確に洞察していた。

 

「刹那。さっきの技はまだ使えるか?」

「! あと一度ぐらいなら何とか全力で撃てるが、……どうする気だ? 認めるのも悔しいがアレでは…第一、同じ手が二度も通じると―――」

「それは分かっている。だが、このままではジリ貧だからな、一か八かになるが。“奴”の位置が特定できしだい、もう一度お前の技で“諸とも”を狙うしかない! …それで駄目なら、私がその直後の隙を上手く突いてヤツの額を撃ち抜く!!」

 

 語気を強く締めた真名の、多分に博打要素を含んだ打開策を耳にして刹那は黙り込んだ。

 それは、勝算がどれ程かと考えているのか、それとも迷い…決断を躊躇っているのかのどちらかに見えた。

 その時、刹那は大きい、とても大きな途方も無く凄まじい“力”の波動が遠くから放たれたのを知覚した。

 

「ッ! あ、あれは!?」

「何!? 光…の柱? あの方角…確かネギが飛んで行った方よ!」

「こいつはぁ……何か“デカイ”もんを喚び出す気やな。あの西洋魔術師の坊主は間に合わんかったのか?」

「―――!」

 

 力の波動を感知した方向に巨大な呪力…魔力を放ち、天へと伸びる光の柱を見て思わず叫んだ刹那に明日菜と大鬼が言い。刹那は今更ながらに状況が切迫しているのを自覚する。

 直ぐに真名へ視線を向け、刹那は提示された打開策への肯定の頷きを示し、

 

「分かった。確かにそれしか手は―――」

 

 と、刹那が答えようとした瞬間。

 

 ―――二刀! 極大・雷鳴剣~~!!

 

 間延びした少女の声が聞こえ―――この場において二度目となる轟音と衝撃が二つの雷と共にこの場に震わせる。

 自然現象ではまず在りえない極太の雷が地を打ち、怪異どもを焼き払い、薙ぎ飛ばし、先の雷光と同様に場の一帯を拓かせた。

 

「「―――…ッ!?」」

「―――ゃああ! ま、また!?」

「なっ! なにごとアルか!?」

「ぬう!? 神鳴流だと!?」

 

 それぞれが、その事態に驚きの反応を示す。

 そして夜空の中。怪異の頭上を高く越え、拓けた一帯にタンッと乾いた音を立てて一つの人影が舞い降りた。

 

「あ、あの子はっ!?」

「―――月詠!」

 

 雷撃で燃え盛る怪異の炎に照らされて顕になった人影―――ゴスロリ服を纏った少女の姿に明日菜と刹那が叫んだ。

 その敵意を帯びた声に真名、古 菲の2人と、大鬼たち人外は月詠と呼ばれた少女が瞬時に敵なのだと理解する。

 刹那達から敵意が籠った視線を向けられる中、その月詠と呼ばれた少女は不気味なほど静かに、穏やかに、数秒間じっくりと周囲を睥睨していたが……突如、奇妙と言えるほど頬と口角が歪ませ、

 

「フ…フフ、―――ぁっハ…ハハッ!! アハハハハッ…ハハッハハッハハハ!!!」

 

 その外見、10代そこそこの可憐な少女とは思えない。似つかわしくない哄笑を上げ始めた。

 

「―――ハッハハハハッ……木偶! 木偶木偶木偶!!……木偶といえども、こうもエライぎょうさん居ってぇ、切り裂かれてぇ……紅い血ぃ…と臭い臭い臓腑の匂いを流されるとぉ…もう…もう、ウチは、ウチはもう堪らんわぁ、どうにか成ってしまいそうやわーー」

 

 異様な輝きを灯す眼と異常な角度で歪みきった唇に、発せられる狂気を帯びた声に、明日菜と古 菲はビクリと体を震わせ、残りの一同も身を思わず引かせた。

 

「あぁ でも、でもぉ―――アカン……ウチをこんなに愉快に…悦ばせる木偶でもぉ…刹那センパイを美味しく食べさせるなんて勿体無い…いや、許されへん。センパイは、ウチが美味しく頂かんとぉ」

 

 まるで愛しい人に恋焦がれるかように身体を震わせ、頬を紅潮させて狂った言葉を発する月詠はギョロリと、闇色に変化し、瞳孔が爛々と金色に輝く魔性に染まった瞳を刹那に向けた。

 

「ウフフ…先輩もそう思いますやろぉ、木偶におぞましく食べられるよりは、ウチの剣に美味しく斬られる方が余程ええと…」

 

 見つめられた刹那はゾクリと凄まじい悪寒が奔り、酷く背筋が震えるの感じた。

 月詠の事を“戦闘狂(バトルマニア)”と刹那は昼間の戦いで評した……が、今は違う。この異様を見て、それは“違う”と理解した。戦いに喜びを見い出すと言う、そんな生易しいものではない。彼女は―――真実、殺し合い……いや、ただひたすら殺戮と流血のみを求める人の世に在ってはならない“狂人”なのだと。

 

「フフフッ―――! いきますええぇ!! センパイッ!!!」

「―――!」

 

 刹那を凝視する狂気の瞳が一際大きく見開いた瞬間、月詠の姿は掻き消えるようにブレて―――瞬動!と反射的に刹那はそれを解し、目前に現れた二対の銀の筋を野太刀で凌ぐ。

 上段より振り下ろされた一撃―――いや、二撃を繰り出した二つの刃の向こう…刹那の太刀と鍔迫り合う中、月詠の狂気に歪んだ笑みが見え、

 

「流石セン―――ぐっ…!」

 

 月詠が何かを口にしようとした直後、刹那は刀身に掛かる力をズラして相手の体勢を崩すと、その腹目掛けて鋭い蹴りを放った。

 月詠は呻いて吹き飛ぶも、寸前に気付いた彼女は自ら後方へ飛ぶことでその威力の過半を殺していた。

 宙で後方一回転し、着地した彼女は、

 

「ははっ…つれません―――」

 

 ―――なあ、と言葉を続けようとし、視界に追撃する刹那の姿を捉え。その言葉を飲み込み、直ぐ様に内心で訂正して表情に喜悦を浮かべた。

 しかし、一方で刹那としては苦渋の思いが内心を占めていた。それでも月詠の狙いがやはり自分なのだと知り、自ら追撃に出ざるを得なかった。それが真名の打開策を無にする大局的な失策だと理解しながらも。

 止むを得ない事だ。あのままでは皆を月詠との斬り合いに―――特に素人で体術的に未熟である明日菜を巻き込んでしまう恐れがあったのだから。

 

 

「―――ッ! 刹那の奴…早まった真似を…!」

 

 相談も無く勝手に大鬼達と組む円陣から飛び出した刹那の背を見て真名はそう愚痴った。しかし彼女もまたその行動自体は認めざるをえないと考えていた。

 理由は刹那のものと同様だ。怪異どもを相手にする中、自分達の隣や背中などの直ぐ傍で神鳴流剣士同士の激突―――殺し合いなどゾッとしない。だが独りで当たったのは失敗だ。真名と共同で月詠には当たるべきだったのだ。

 刹那と真名はルームメイトであり、幾つか仕事を共にした間柄なのだ。連携も十分に取れ、短時間に打倒できる可能性があった。

 だが、真名が加わるには間が悪く。そして遅かった。直後、押し寄せた怪異によって真名の視界から刹那の背が隠れ、遮られたからだ。

 それに矛盾するようではあるが、本当に短時間で打倒できる保証も無く。時間が掛かるほど残されるであろう明日菜達に危険が増して行く事も気掛かりであった。

 

「刹那さん!」

「刹那!」

「やめえっ!!」「止せ! お前達は目前の事への対処を優先しろ!」

 

 明日菜と古 菲が叫び、大鬼と真名はそんな飛び出しかねない二人に釘を刺す。

 それでも明日菜は先程の事もあってか、「でも…」と渋る。それを察して真名も安心させるように言う。

 

「刹那は、同じ失敗を繰り返すほど愚かな奴じゃない。大丈夫だ!」

 

 と言う真名であったが、実のところ抱く危機感は大きい。

 

(これは、詰んだかも知れんな)

 

 決して口には出さないし、諦めた訳でもないが、彼女は漫然とそう思った。

 刹那が月詠と対峙した以上、もう先程の策は使えず、この怪異どもを打倒する手段は無い。 

 残る手はこの場を離脱し逃げ出す事ぐらいだが……これも厳しい。

 おそらく群がる怪異の突破自体は不可能ではないだろう。しかしそうなると当然、怪異どもは追い掛けて来る。仮に大鬼を初めとした人外どもを囮にしたとしても同じだ。怪異の方が圧倒的に数は多く、二分して彼女達の方にも向かうのが道理だ。

 そもそも逃げ出した後、如何するべきなのか? この無限に近く増殖する怪異を放って置いて良いものなのか?

 だからこそ、刹那もこれまで逃げ出すという選択を取れなかった。況して今は月詠という“イレギュラー”も存在する。どう転ぶか判ったものではない。

 と、そこで真名はハッとしたかのように思う。

 

(いや、“イレギュラー”というべきモノは、あの神鳴流の女の方ではなく―――ひょっとして、この目の前の怪物と召喚主という“男”の方ではないのか?)

 

 何故か不可思議にも、確信に近い思いでそんな疑惑とも云うべき感慨を抱いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 動揺していた彼女は、それを飲み込み決意する。

 

「学園長、私をあの場所に転移させることはできる?」

 

 その“存在”は、自分がこの世界に“在る”に足る理由ではないかと予感し、知るべきだと直感したからだ。

 

「何じゃ、藪から棒に?」

 

 魔法書を捲りつつ凡そ軽いくらいの口調で近右衛門は彼女にそう応じたが、その内面は複雑で、様々な疑問が渦巻いていた。

 何故、顔を蒼白にするほどまでに異常な動揺を示したのか?

 何故、記憶が無い筈の少女が水晶玉に映るナニカに執心を見せるのか?

 何故、受動的であった筈の彼女がこれまでにない能動的な意志を眼に宿しているのか?

 そして何故、そんな彼女が危険なあの場所へ赴かなくてはならないのか?

 それらの疑問を近右衛門は尋ねようとし、彼女はそれを制して彼を睨むように見据え発言―――いや、宣言をした。

 

「私がエヴァさんに先んじて、ネギを―――あの子達の救援に向かう!……そう言ったのよ!」

 

 

 




Arcadiaではこの話は一つだったのですが、文章がやはり長いと思ったので前後編に分けました。


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第5話―――運命と出会う 後編

予約投稿失敗しました。すみませんonz


 奇妙な演舞が周囲を蠢く怪異を観客にして繰り広げられている。

 

「はぁあああ!!!」

「フフッ…ハハハ―――!!!」

 

 演舞を演じるのは2人の少女。神鳴流剣士である刹那と月詠。

 少女達の扱う一振りと二振りの刃金が一呼吸の間に幾度も交錯し激突する。固い金属音が鳴り響き、火花と共に両者の“気”が宙に弾け、闇夜の中に歪な星空を描いた。

 直ぐにも消え去るそれを何度も上書きし、繰り返し、両者は互いの脇を抜け―――

 

「どけぇぇっ!!」

「邪魔やぁぁっ!!」

 

 敵に背を向けたまま、囲み押し寄せ、自身らを襲わんとする観客たる怪異どもに鋭く容赦の無い剣戟を見舞う。

 2人は、まるで事前に申し合わせたかのように周囲の怪異を排除し。直後、

 

「ふっ!!」

「はあっ!!」

 

 お互いの隙を突き、怪異を相手に無防備である背を狙い、同時に振り向いて斬撃を放つ。そうして再び2人は交錯し、宙に歪な星空を描き始める。

 殺陣の如き呼吸の合った剣の応酬。敵対しつつも共闘するかのような両者の動き。

 殺し合う2人が助け合うようで、やはり命を奪おうとする奇妙な演舞が続く。

 

「フフ…ウフフフ―――愉しい! 愉しいわっ!! 刹那センパイッ!! 一歩でも間違えれば、凄惨な死が待ち受ける甘美で魅惑的なこの状況……命をめぐる鬩ぎ合い! ハハッ!! 正に“活きとる”という感じやっ!! 本当! 愉しいでおますやろ!! センパイッッ!!!」

「クッ―――!!!」

 

 恍惚と喜悦に満ちた狂笑を浮かべ、際限無く感情を昂ぶらせる月詠に対し。刹那は苦汁を飲んだかのような険しい表情で歯噛みした。

 月詠の言い分に同意できないのは当然だが、刹那の表情を険しくさせているのは、これまた当然の事であるが自らの置かれた状況にだ。

 怪異に囲まれ。打開策を無にし。皆を放り。こうして月詠と対峙しているという不本意極まりない状況にだ。そして更にいうなら―――悔しい事であるが、認めなくては為らなかった。

 自分の顔を尤も険しくさせているのは―――敵の振るう二刀と自身の振るう野太刀の有利不利を。敵の力量と自分の実力が拮抗している事を。そして条件的にも消耗した身体を勘案し、このままでは自分―――桜咲 刹那が敵の振るう凶刃の前に倒れる事を理解してしまったからだ。

 

「―――! だが…!」

 

 それでも負ける訳には―――倒れるわけには行かない!!

 刹那は弱気になっている自分に活を入れる。

 それでも想いだけでどうにか為るものではない。状況は秒単位で悪くなって行く。

 月詠の振るう剣は徐々に刹那の身体を掠め始め、怪異に囲まれた彼女の仲間…友人達も疲弊の色を見せ始めており、特にそれが酷い明日菜は危うく怪異の餌食に成り掛け、古 菲は先程までの陽気さがすっかり鳴りを潜め、真名も独特のシニカルさを湛えた余裕をとっくに捨てていた。

 大鬼達…人外らも同様で、刹那と明日菜に還されず残存していた70体も、その数を30近くにまで減らしていた。

 

 ―――どうする?

 

 もう何度目かに為るのか、その言葉が刹那と真名、そして大鬼の脳裏に過ぎる。

 しかし、言葉だけで肝心の手段(さく)が思い浮かばない。いや…その中で1人、刹那だけは違った。正確には2人なのだが、ここは刹那に焦点を当てよう。

 

 刹那は周囲に犇めく怪異を一瞥し、目の前から迫る月詠に対処しつつ思う。

 

(こうなったら…最早あの力を使うしか―――)

 

 そう、今の状態で互角だというのなら、■■の力を使えば獲物の有利不利に関わらず、拮抗している技量は覆り、月詠を打破できるように成る。そして忌まわしい自分の白い■でも上手く用いて今度は……より至近から奥義を撃ち込め、あの奇怪な男…召喚主にも届く筈だ。

 それが無理でも、その■で真名を伴ない怪異を振り切って一度彼女を離脱させ、狙撃の機会を設ける事だって―――無論、その合間は明日菜と古 菲と味方してくれる人外らに負担を掛ける事になるが…十分勝機がある。

 刹那はその思考の末―――抱く不安と恐怖……逡巡を振り払って―――決意する。

 

「ハッ…!」

「!?」

 

 刹那は、敵の打ち込みをそのまま受けると思わせ―――その実、野太刀の刃の上で受け流す様に二刀の刃を滑らせて月詠の太刀筋を捌き。瞬間僅かに出来た隙を突いて、身体を駒のように回して遠心力を加え、敢えて大振りにした一撃を見舞った。

 それは当然の如く防がれるが、その振り抜く勢いのまま、

 

「飛べぇーー!!」

 

 渾身の力で敵対する狂人(しょうじょ)を押し飛ばす。

 

「―――…ッ!?」

 

 月詠は飛ばされた先、犇めく怪異に飲み込まれる前に姿勢を整え、着地点とその周囲に居る怪異へ斬撃を浴びせる。

 ハァ―――と、刹那はその僅かに出来た休憩時間で呼吸を整え、己の内に潜む……本性へと意識の手を伸ばし、

 

 ―――聞こえる? 聞こえたなら支援するから、直ぐに皆一箇所に集って全力で防御を固めなさい! いい…“全力”でよ!

 

 途端、脳裏にそんな少女の声が響いた。

 直後、上空から月の光に照り返された無数の銀の筋が刹那の後方へ降り注いだ。それに驚く間も無く連続した轟音―――ナニカの着弾音が彼女の耳を弄し、地と空を揺るがす衝撃により身体を小刻みに震わせた。

 

「なっ!?」

 

 一瞬後、驚きを見せて振り向いた刹那の視界には細切れ…或いは、粉々に吹き飛ぶ肉片と地を穿つ無数の小さなクレーターが映り、それが明日菜達の下まで道を築くように続いていた。

 いや、築くようではなく。事実それは明日菜達の下へ「走れ」という見知らぬ声の主からのメッセージだった。

 しかし、声の主が誰かなどは分からない。本当に味方であるかさえも。

 ただそれでも刹那達を助けようという意志は確かに感じられた。だが、それは錯覚かも知れない。藁にでも縋りたい状況下でそう思いたいだけなのでは―――微かに刹那は迷い…。

 

「刹那!!!」

 

 同じく声を聞いていたであろう真名が鋭い声で呼び掛けた。刹那はその鋭い声を聞き、その意を決した真名の眼を見て決断し―――瞬間駆け出していた。今も自分を狙う狂気を纏う少女に背を向けて、躊躇う事無く。

 

「センパイ!! 逃げるなん…―――!?」

 

 背を向けた刹那を追おうとした月詠の言葉は途中で轟いた銃声によって遮られた。正確には音速を超えて飛来した銃弾によってだ。

 駆ける刹那越しに真名は月詠を狙い、二丁の大型拳銃(デザートイーグル)から銃弾を吐き出し続ける。しかし神鳴流に並みの飛び道具は通じない。真名の技量を持ってしてもその道理は容易に覆す事は出来ず、弾道を読み取った月詠は“気”で強化した刀身で、瞬く間に銃弾を弾き、或いは紙一重で躱してゆく。

 だが、それだけで、その僅かな時間だけでも……彼女を足止め出来ただけで十分だった。再び月詠が追撃を試みた頃には、刹那は全てを完了させていた。

 真名の援護射撃のお蔭で無事合流を果たした刹那は、懐から装具を取り出して術と印を紡ぐ。

 

 ―――神鳴流・退魔戦術絶対防御!! 四天結界・独鈷(どっこ)(れん)(かく)!!!

 

 “言われた”とおり全力・最大出力で“気”を注いで防御を固め、人外らも含めた皆を結界で覆う。見れば大鬼の同胞である狐面を被った女妖も呪を紡ぎ、刹那の張る結界の内に別の防御結界を展開していた。

 それでも月詠は諦めず、刹那に目掛けて疾走した。

 

 ―――が、再度、上空から銀の筋が降り注いだ。

 

 しかも今度は、この場―――刹那達が佇む位置以外の戦域全体へと。それはまるで銀色の流星雨で夜空という事もあって実に調和の取れた美しい光景だった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 数分前。

 

 彼女が転移を果たして目にした光景は、広大な森を俯瞰できる遥か上空だった。

 迫る地上を目にし、轟々と落下によって大気を裂く音を耳にしつつも彼女は冷静に深く息を吐いた。

 

 ―――どうやら、強引な長距離転移のせいで座標にズレが生じたようね。

 

 内心でそう呟く。

 このままでは彼女は大地と接吻どころか、轢かれた蛙の如く落下の衝撃で身体が潰れてしまうだろう。それでも彼女は心底冷静だった。

 腿にあるホルダーからタロットにも似たカードを取り出す。

 そのカードに描かれた絵は弓を構えた騎士(アーチャー)。その絵を見て思わず吹き出してしまう。

 

 ―――それとも、この“彼”の運命(Fate)に引き摺られたのかしら? なら……

 

 微笑み、そしてカードを手に彼女は紡ぎ始めた。

 

「―――告げる!」

 

 なら…と、彼女は思った。

 敢えて声にする必要は無い。言葉にする必要も無い。けれどこの先に待ち受けるかも知れない運命(Fate)に挑む覚悟と、その宣誓の意味を込めて、と。

 

汝なんじの身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理ことわりに従うならば応えよ。

 

 宣誓は高らかに、されど厳かに、空を裂く音に掻き消されながらも彼女は謳う。

 

「誓いを此処に! 我は常世総ての善と成る者! 我は常世総ての悪を敷く者!」

 

 視界が徐々に狭まり、地上が迫る。

 

「汝! 三大の言霊を纏う七天! 抑止の輪より来たれ! 天秤の守り手よ!」

 

 強い意を込めて、その決意を“世界”に告げるように彼女は最後の聖言を紡いだ。

 

夢幻召喚(インストール)!!!!」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 降り注ぐ銀の流星雨が怪異を大気と共に貫き、引き裂いて無残な骸へと変貌させる。

 着弾した銀光が地を穿ち、衝撃で怪異を吹き飛ばし、骸をより原型を留めない微塵の肉片と赤い体液へと晒して行く。

 その銀光の正体は、音速を優に超えて降り注ぐ“剣”だ。

 無数の剣は轟音と衝撃を伴ないながら怪異と大地に向かい、突き刺し、切り裂き、爆ぜさせ、両者を分別なく耕して次々と墓標の如く佇む。

 それは、空を月の輝きで照りかえる銀の流星雨で美しく彩りながらも、地には無残な骸と肉片をばら撒き、赤く血で染めて凄惨に描くという、実に相反する歪な場景だった。

 

 刹那達はその圧倒的な蹂躙に言葉を失い。息の呑み。次には呼吸も忘れて魅入った。

 いや、実際はそんな間も無い一瞬の出来事だったのかも知れない。

 そして、銀の筋が途絶え―――瞬間、全ての音が無くなり、視界が白く染まった。

 

「――――――ッ!!!?」

 

 それが起きた瞬間、刹那は圧倒的な光景に呑まれて自失しつつあった精神を再構築し、結界の維持に集中して全力を注いだ。

 突き刺さった剣群が馬鹿げた程、凄まじい魔力を伴なって炸裂・爆発したのだ。一応それは刹那達へは及ばないように配慮されていたが、その余波だけで彼女の張った結界は大きく揺らいでいた。

 結界の間近に居た為、流星雨の直撃を逃れていた怪異は、とうに血肉も残さずに吹き飛んでいる。

 ともすれば、強固である筈の神鳴流が誇る、この絶対的な守りが崩れかねない程だった。素で受ければ自分達もただでは済まない。

 必死に結界を維持する刹那の額に汗が浮かぶ。それを理解する真名も同様に汗を流した。

 しかしそんな彼女達以上にこの爆発や降り注いだ剣群に対して、冷や汗を流し、怖気を覚えているのは、大鬼を筆頭とする人外達の方だった。

 そう、彼等は本能と理性での両面で理解していた。

 あの怪異などとは比較するのもおこがましい、絶対的な(ほろび)の確信。

 そう…あの剣、一つ一つが自分達を幾度滅ぼしても余りある“神秘”であり、そして天敵となって久しい神鳴流よりも古く。郷愁にも似た懐かしい良き時代を想起させる“薫り”を持った貴き“幻想”なのだと。

 だからこそ、その内包した“神秘”と“幻想”を炸裂させた爆発に、刹那以上に必死の思いで結界の維持を図る女妖達。例え余波であろうと彼等に取っては致命傷に成りかねないのだ。

 だが、それもまた一瞬の事。秒にも満たぬ神経を擦り減らす時が過ぎ、静寂と共に視界が取り戻された。

 結界も解け、カランと渇いた音を立てて媒介としていた装具が地面に転がった。

 

「――――――何よ……これ?」

 

 言葉を失ったまま皆が絶句する中、明日菜だけがポツリと声を漏らした。それはこの場に居る誰もが抱いている思いだ。

 濛々と立ち込める熱気や蒸気と共に広がったそれは、刹那と月詠が放った技の跡とは比にならない圧倒的という言葉すら霞む破壊の痕跡だった。

 爆発があった範囲―――刹那達の立つ場所以外、戦域全体が樹木ごと薙ぎ払われ陥没し、クレーターと化して完全に地形が変わっていた。

 深さは全体的に4m以上で範囲は恐らく半径100mほど、少なくとも直径にして200m以上はある巨大なクレーターだ。

 地は黒く焼け焦げてガラス状と化し、蜘蛛の巣のように罅割れた個所すらあり、所々に炭化した黒い樹木の欠片が見えた。

 更にクレーターの周囲にある木々も悉くが圧し折れ、倒れており、葉が焼け落ちて黒く焦げていた。煙が見えても火の手自体が上がっていないのは、爆発が余りにも強力だった所為であろうか。

 

 この場に元から在った流れる川の水量を考えると時間は掛かるであろうが、このまま放置すれば、いずれ此処はちょっとした湖に成るかも知れない。

 ともかくこれは、“砲台”として火力第一の魔法使いの中でも、非常に高い魔力・出力を持つ人物が最上位の広域殲滅魔法を行使しないと不可能と思われる御業であった。

 そして長く裏世界に関わり、幾つもの戦場を見てきた真名でさえ、滅多に…もしくは全く見たことの無いものだった。魔法よりも、むしろ核のような現代の戦術・戦略兵器で為されたと言った方がまだ納得できるものだ…。

 

 当然、このような惨状では蠢く怪異の姿も気配もある筈が無く。僅かな瘴気の残滓が熱気や蒸気と共に大気に漂うだけであった。

 召喚主の男であろうと、月詠にしても、この爆発の直撃を受けて無事であるとは……生存しているとは思えなかった―――が、微かに動く影がクレーターの端に見え、彼女達と人外らの眼に捉えられた。

 

「■■■!? ■■■■■―――!!??」

 

 その影は、地面にのた打ち回りながら奇怪な呻き声を上げていた。

 纏う衣服は焼け焦げて襤褸と成り、皮膚は黒く炭化するか赤く焼け爛れているかのどちらかで、肉体の末端は欠けていた。

 その襤褸と顔の作りから辛うじてあの召喚主の男であることが判別できる。

 敵であるものの、その余りの凄惨な……半死半生の姿に明日菜は顔を背け、同情を抱いたが。一方でアレでよく生きているなぁ…と半ば感心めいた奇妙な感情を覚えた―――そう、既に彼女は、もう男に対して敵意をまったく抱いていなかった。

 

 と。明日菜は背けた視線の先に見覚えのある人の姿を捉えた。

 

「…イリヤちゃん?」

 

 明日菜は、熱気の漂うクレーターの中を歩くその人物の名前を呟いた。そうそれはついこの間、修学旅行の直前で知り合った少女だった。

 ただ明日菜の声に疑問が含まれていたのは、会った時とは随分とイメージが違う……というか似合わない赤い外套と黒い鎧のような物を身に着け、両手に白黒の短刀を持っている事と、脳裏に響いた声を聞いた時にも“まさか”と半信半疑だったからだ。

 それでもイリヤが“魔法使い”らしいという事は、ネギから聞いて居る訳で。それを考えるとその奇妙な格好と此処に居ること自体も不思議ではない……ないのだが―――

 

「イリ―――」

 

 明日菜は一瞬、頭に浮かんだ嫌な考えを振り払い。とりあえずイリヤに呼び掛けようとしたが。微かに此方を一瞥した彼女は、直ぐに鋭利ともいうべき視線を今ものた打ち回る男の方へ向けた為、思わず躊躇ってしまう。

 その僅かな間にイリヤは驚きの運動能力を示し、男の傍へと跳躍し距離が離れたため、明日菜は声を掛けるタイミングを逸してしまった。

 

 ―――そして、明日菜は先程浮かんだ嫌な考えが事実となる場面を見る。

 

 

 

 刹那や真名など他の者達もイリヤがこの場に現れたことは、当然気付いていた。

 しかし半死半生とはいえ、油断できない男の存在があり、また刹那と真名も学園内などの他、ある事情で修学旅行前に半日近く観察していたのだが、この見た目幼いイリヤスフィールという少女に気を許して良いのか、本当に味方であるのか判断が付かない為……況してやその実力も底が知れず、未知数であるので余計に警戒が解けず、声を掛けることも行動を取ることも出来ずに居た。

 イリヤもそれは分かっていたが、半ば意識的に無視して自分にとって優先すべき存在へと歩み寄った。

 

(これは……やはり駄目なようね)

 

 息も絶え絶えで足掻く男―――イリヤの知識に於いて4thキャスターともいうべき存在を間近で確認し、イリヤは残念そうにかぶりを軽く横に振った。

 学園長室で水晶球越しに見ていた時から確信に近いものを感じてはいたが、この4thキャスターは話しどころか口の利ける状態ではなかった。無論、時系列的に言ってそれは負傷の度合いを指している訳ではない。

 

「まさか本当に“黒化”…とはね」

 

 思わず口から零す。

 どういう訳か、この4thキャスターは黒化現象を起こしていた。

 そう、それは使役された英霊(サーヴァント)が“ある存在”により、汚染されて受肉化した状態の事だ。

 膨大な魔力が供給され、戦闘力こそ増すが、汚染という言葉通り、代償として悪性と凶暴性が高められてしまい。余程強固でなければ自我を喪失するというペナルティがある。

 さしずめ“狂化”スキルをより凶悪に高めたものと言えるだろう。

 そして目の前のサーヴァントは、どう見ても自我や理性を維持できているとは思えなかった。

 故に尋問を考えてギリギリで―――剣弾を敢えて外し、爆破も戦域離脱に達する瞬間を狙い―――彼を生かしたイリヤは、それを断念して……ふと今更ながらに気付く。

 

「いえ……よくよく考えると、理性が有ったとしても“これ”とは、まともに話は出来ないんだったわね」

 

 第4次聖杯戦争にて呼ばれたキャスター―――“ジル・ド・レェ”の保有スキル『精神汚染:A』とその錯乱振りに、会話が成立しない“Fate/zero”に於ける台詞のやり取りを思い出す。

 こんな簡単な事にも思い至らないとは―――心を逸らせ、平静さを欠いていた事を自覚してイリヤは吐息する。

 まあ、尋問などが出来なくともこうして黒化している事実や、サーヴァントの存在を直に確認できただけでも情報としては価値があった。

 そう気を取り直すと、もう用が無い目前で呻く焼け焦げた“物”をイリヤは冷然と見据え―――手に持つ中華刀を振るい、その首を刎ねた。

 

 

 

「――――――」

 

 ネギの下へ向かう前に一言お礼を言おうとイリヤの方へ足早に近づいていた最中、その容赦無く瀕死の重傷人の首を刎ねる彼女の姿を見て、明日菜は声無きナニカを口から洩らした。

 殺人―――という単語が脳裏を過ぎり…次の瞬間、明日菜は叫んでいた。

 

「イリヤちゃん! 何をっ…!?」

 

 明日菜は上げた己の声の思わぬ大きさに、自分で驚いてしまい言葉を切らした。

 傍にいる刹那達も突然叫んだ彼女に驚いているが、イリヤはそれに少し不思議そうな顔で見せつつも気に留めた様子は無く。明日菜達の方へ歩み寄って安堵するかのように笑顔を浮かべた。

 

「無事で良かったアスナ―――それに…ネギの生徒、よね?」

「……はい。桜咲 刹那といいます」

「龍宮 真名だ」

「……古 菲…アル」

 

 イリヤが明日菜の傍に立つ少女達へ視線を巡らせると、少女達は若干警戒しながらも、それぞれ順々に自分の名前を告げた。

 するとイリヤは軽くお辞儀をする。

 

「失礼。先に名乗るべきなのに…不躾だったわね」

「いえ、存じておりますイリヤスフィール」

「ああ、それもそうか……でも一応名乗っておくわ、私は―――」

 

 刹那の返事にイリヤは自己紹介を始める。

 そんな平然とした。そう、まるでほんの数日前の出会いを想起させる普段通りとも言うべきイリヤの様子を、明日菜は信じられない思いで見詰める。

 流石に怪訝に思ったのか、自己紹介を終えたイリヤは明日菜に尋ねる。

 

「どうしたのアスナ?」

「―――ッ…イリヤちゃん、自分が何をしたか分かっていないの?」

 

 やはり平然と尋ねてくるイリヤに一瞬、明日菜は得体の知れない怖気に似た感覚を覚えるも、何とか……応じた。

 

「? 何を…って、確かに下手をしたらアスナ達も吹き飛ばしかねなかったけど―――」

 

 明日菜の責めるかのような問い掛けにイリヤは首を傾げるも、直ぐに責められる理由……明日菜達を巻き込みかねなかった剣群の爆破に至り、弁明をし始めた。

 

 ―――が、明日菜が言ったのはその事ではない。

 

 勘違いし、少し体の悪い表情を見せて弁明するイリヤの姿に、明日菜は先ほどの得体の知れない感覚が再び沸き立った……今度は、彼女にも何となくであるが、それが自分の知る倫理観が揺らぎ侵される嫌悪感なのだと理解でき―――イリヤのことが怖くなった。

 そんな明日菜とイリヤの“ズレ”に真名は真っ先に気付いた。だから彼女は口を挟んだ。このままでは両者にとって健全的な事には成らないだろうと思ったからだ。

 

「違うぞイリヤスフィール。神楽坂が言ったのは、お前があの男の首を刎ねた事だ」

 

 真名の言葉に、明日菜は強張りつつあった身体をさらにビクリと震わせ、イリヤは弁明していた口を開いたまま唖然とする。

 唖然としたイリヤは、真名の言葉の意味を数秒掛けてゆっくりと咀嚼し、

 

「―――ああ、そっか」

 

 理解して、そう嘆くように呟いた。

 彼女は本当に今気付いた。人を容易に殺傷できる力を当然の如く振るえたこと。全身に火傷を負った瀕死の人間を見てもこれといった感傷を抱かなかったこと。そして―――何の躊躇いも無く人の首を刎ねたこと。

 普通に考えればそれは異常だ。真っ当な人間の感覚ではおかしいことだ。しかしイリヤはそれに悩む事も、考える事さえも無く。当然のように実行し、受け容れていた。その一方で明日菜が自分の何を責めたのか理解した。

 

「―――そのことか……明日菜。それは勘違いよ、何故なら“アレ”は人間じゃないから」

 

 だからイリヤは少し嘘を付く。―――実際の所、嘘という訳でもないのかも知れないが。

 恐怖の色を見せていた明日菜の眼から少しその色は失せるが、今度は懐疑的な色が加わった。

 明日菜だけではない。刹那と古 菲、そして魔眼を持つ真名すらも人間じゃないという言葉に疑惑を抱いた。いや、刹那と真名はアレが真っ当なモノではないと感じてはいたが、それでも人では在ると考えていたのだ。

 無事生き残った大鬼達もその2人と同様だった。そんな皆の抱く疑惑をイリヤは感じ取っていた。

 

「まあ、口で言うよりも……見て貰ったほうが早いわね」

 

 そう言ってイリヤは後ろを―――男の遺体が在るほうへと振り返る。

 それに釣られて皆の視線がそちらへ移った。

 明日菜は、あ…と声を漏らし、古 菲は、ナント!と零す

 ちょうどそれが起きていた。火傷を負い、首を刎ねられた男の遺体が光の粒子と化して徐々に消えて行くのだ。

 人間だと思っていた男の死体が消失して行く姿に刹那は驚いて静かに息を呑み。真名は、ほう…と感嘆に近い声を零した。

 

「驚きやな……なあ、異人のお嬢ちゃん。アレは何やったんや? もしかしてワイらと同じなんか?」

「そうね…似ているとも言えなくは無いけど、違うわ。どちらかというとアレは亡霊か怨霊の類ね」

 

 遺体がこの現世から完全に消えると、比較的驚きの小さい大鬼が質問し、イリヤも答える…が、

 

「馬鹿な、アレが怨霊だと!?」

 

 より驚きを大きくし、再度疑念を抱いてしまう云わば専門家である刹那。真名は考え込むかのように微かに眉を顰めている。

 

「…あくまでその類という事。でも他に適当な言い方は……無いわね」

 

 イリヤはそう言いつつ、内心では、

 

(使役された存在とは言えるけど。鬼や式神とは異なるし、だからといって受肉した英霊と言う訳にいかない。というかジル・ド・レェ(あんな狂人)をそう言うのは無理がある……やはり怨霊と言うしかないわよね)

 

 そう続けていた。

 

「いや…しかし―――な!?」

 

 それでも納得し難いといった然で顔を顰めていた刹那だったが、光の柱の方から再び強大な…されど先程よりも大きい力の流れを―――波動を知覚した。

 慌てて視線を向けると、光の柱から異様なまでに巨大な…数十mはあろう巨躯の鬼。いや、鬼神が現れるのを見た。

 

「な、何だあれは!?」

「こいつはまたぁ、とんでもないのが出て来よったな」

 

 刹那は驚き叫び。大鬼が暢気に言う。両者の反応は何となく立場を対極に現しているようにイリヤは思えた。

 とはいえ、イリヤもまた実際に感じる圧迫感(プレッシャー)に全身からじんわりと汗が流れる出るのを自覚していた。

 原作やその他、二次創作では割とあっさりと退場したりするリョウメンスクナであるが、

 

(よく、あんなのを撃退できるわね)

 

 イリヤはこうして現実で知覚し、あの鬼神が如何に恐ろしい存在なのかを識ってしまう。

 アレの“本質”は、まさしく神霊や神代の世にて災いを齎した魔物の領域にある“怪物”だ。そう、決して人間では打倒する事など出来ない。英雄と呼ばれる者が“世界”の後押し(バックアップ)を受けるか、もしくは人々の想念の結晶たる幻想―――宝具を手にしなければ、打ち勝てない絶対的な恐怖の具現だ。

 イリヤはそれを識って思わずゴクリと唾を呑んだが、明日菜と刹那がそれを知ってか、知らずか足を踏み出す。

 

「ネギ……助けに行かないと!」

「ええ! 急ぎましょう」

「―――待ちなさい」

 

 駆け出そうとした明日菜と刹那をイリヤは呼び止めた。別に鬼神の恐ろしさを知って止めようと思った訳では無い。何故ならまだアレは“不完全”だからだ。それに例え“完全”となっても打倒手段が無い訳ではない……ただ、少し梃を入れる必要があると感じだのだ。

 

 

 イリヤに止められて煩わしそうに2人は振り返ったが、次の瞬間、身体を包んだ柔らかな光と暖かさに驚きを表す。

 

「これは…」

「何これ?」

「治癒とちょっとした疲労回復よ」

 

 驚く2人にイリヤが両手を向けて答えると、言葉通り見えていた傷が塞がって行き、2人は覚えていた疲れが軽くなっていくの感じていた。

 

「これ、イリヤちゃんの魔法?」

 

 そう尋ねる明日菜の眼には、もうイリヤに対する不信や恐怖の色は無かった。

 それにイリヤは、明日菜の問いに頷きながらも安堵した。

 良好ともいえる関係を築けた彼女に嫌われるというのも勿論嫌ではあったが、何よりも今この時、事態が解決していない段階で明日菜の持つ果敢さが畏縮してしまう方が問題だと思えたからだ。

 況してやネギの救援に向かうという事は、あのフェイト・アーウェルンクスと対峙するという事でもある。僅かな不安要素でも残したくは無かった。

 それに―――この世界は明らかに原作(えそらごと)ではない、未来が不確かな現実(リアル)なのだ。どのような事が起こるか判らない。

 大きな齟齬を見た事でイリヤはそれを真実理解しつつあった。

 

「ん…? もしかしてペンダントを身に着けてくれているの?」

 

 原作を思い浮かべた為、ふと明日菜の格好―――浴衣姿に違和感を覚えてイリヤは言った。原作ではこの時、彼女は私服姿であった事を思い出したからだ。

 明日菜は首肯する。

 

「あ、うん」

「そっか……成程ね。何というか……贈っておいて幸いだったわ」

「へ?」

 

 イリヤの言い様のおかしさに思わず首を傾げる明日菜。しかしイリヤはそれに事件が片付いてから説明するとだけ答えた。

 あのペンダント―――アミュレットは対魔力のみならず、結構強力な幾つかの付与効果を持っており、その一つに石化を含んだ『耐物理異常』もある。その為、フェイトの石化魔法をより完全に無効化したのだった。また4thキャスターの海魔の骸や血から発生する瘴気に侵されずに済んだのも、アミュレットによる加護のお蔭であろう。

 

(そうなると、刹那は……退魔師である以前に烏族との混血だから、まだ分かる。けど―――)

 

 この2人はどうなんだろう? と。治癒魔術の行使を真名と古 菲へと切り替えたイリヤは、今更ながらにそんな疑問を抱いた。

 なお加えて言えば、明日菜が凄惨な光景を目にしつつも戦えたのも、低ランクではあるがアミュレットに付与されたスキル効果『勇猛』がある為だった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 4人の少女の治癒を終えると同時にネギからの念話が明日菜と刹那に入り、その2人はカードを媒介に転移した。

 これは原作でも描かれた事であったが、それでも4thキャスターというイレギュラーも在り、イリヤは漫然とした不安を感じてスクナの下へ向かおうとした。

 しかしそこにふらりと立ち塞がるようにして、ゴスロリ服を身に纏う見覚えのある少女が姿を現した。

 

「あら、生きていたのね…意外だったわ」

 

 イリヤはその少女―――月詠が現れたのが心底予想外だと思い。先のあれで生存していた事にも驚き、そして残念に感じていた。

 原作を参考程度に留めても、今後の事を思えば彼女の存在はネギとそのパーティの脅威か、障害にしかならないと考えたからだ。少なくともイリヤの持つ知識では月詠はネギ達の成長に何ら寄与していない。

 故に容赦無く、怪魔諸共吹き飛ばした筈だったのだが……。

 

「ええ、ホンマに危ない所でしたけどぉ、何とか無事にこうピンピンしておりますー」

 

 さっきまでの狂気は何処に行ったのか、月詠はまるで歳相応の少女のように受け答える。そこには昼下がりの会話のようなお気楽さがあった。

 しかし油断はならない。異常なまでの狂気を纏い刹那と互角に戦った神鳴流剣士なのだ。

 真名は既に銃を構え月詠にポイントしている。古 菲も同様で構えを取って臨戦態勢にある。

 大鬼達は既に関わる積もりは無いようだが、それでも遠巻きに油断無く此方を観察していた。

 気配で…いや、既に分かっているだろうに月詠は、ワザとらしく周囲を見回して残念そうな表情を作った。

 

「でも、センパイはおらんのですねー。残念やわぁ……―――せやからもし良かったら、代わりにお相手してくれますー? ええところをお嬢ちゃんが邪魔してくれはったようですしぃ」

 

 言葉途中…―――月詠の雰囲気が変わりその視線をイリヤに向けた。その眼は既に狂気が滲み出して魔に染まっており、闇色の眼の中心に金の輝きを見える。

 そんな彼女にイリヤは微かに溜息を吐く。

 

「やる気なの?」

「はいー、勿論ですー」

「驚きね。この私に勝てる積りなの?」

「うふふ、可愛らしいお嬢ちゃんやのにスゴイ自信ですねぇ。でもウチが求めとるのは、勝ち負けなんてつまらないモノと違いますー。多分お嬢ちゃんもそれは分かっとると思いますけどー」

 

 呆れた様子で言うイリヤに月詠はにこやかに応じる。ただその爛々とした眼と酷く歪んだ口元が異様であったが。

 そんな月詠に真名と古 菲の警戒心が最大限にまで高まる……が、イリヤは白い中華刀を持った右手を掲げてその2人を制する。

 

「そうね。……まあ、私としても貴女のような“怪物”に近い在り方をする人間なら良心は痛まないし、罪悪感に苛まれる事も無いだろうから―――そう、殺したとしても気が楽だし、遠慮なく戦えるわ」

「ふふ、酷い言い草ですね。ウチのような可憐な女の子を怪物やなんてぇ」

「…そう思うのは、貴女が本物の“怪物”とその定義を知らないからよ」

「……?」

 

 イリヤの言葉に引っ掛かりを感じたのか、月詠は狂気を滲ませながらも何処かキョトンとする。そして興味を誘うモノを感じたらしく不思議そうに尋ねた。

 

「本物の怪物に、定義ですか? ……興味深いですねぇ。教養に疎いウチとしては後学の為にも聞きたいところですけどー?」

「ふむ……貴方に後なんて無いと思うけど。ま、いいわ。冥土の御土産として特別に教授してあげる」

 

 イリヤは月詠の質問に少しだけ考え込むも、まあ、良いか、大した事では無いし、と気楽に思い答える事にした。

 

「なんでも―――怪物というのは、姿や外見ではなくてその在りよう。精神で決まる。それは本能ではなく、優れた理性で殺す者。人が及ばないその性能を持って、何の疑問も無く、微塵の躊躇も無く、喜びを持ってただひたすら殺すことにのみ傾ける、いるだけで毒を撒き散らすような害悪に成るモノ。人間社会の端から端まで否定する殺戮機構……だそうよ」

 

 イリヤは月詠を鋭く見据えて言う。

 

「貴女はこの全てで無いにしろ、かなり当て嵌まっているわ。そう―――本能に委ねるのではなく、自らの意思で外れ、常人には及ばない力を殺戮と流血を求めることにのみ注ぎ、そこには疑問も躊躇も無い。そして心の深奥では人の在り方を受け容れられず、侮蔑してもいる―――そうよね」

「――――――」

 

 イリヤの語る“怪物”の定義を聞き。自身を評された月詠は一瞬、眼を見開いて驚き表した。

 しかし直後、気配を一気に変貌させる。ただ刹那に挑んだ時とはまた異なる様子だった。

 

「ふふっ、ふふふ…なるほど、成程、勉強になりますなぁ。それが“怪物”ですかぁ……それにウチを、ふふっ…うふふ……ええわ、お嬢ちゃん。とてもええわぁ。ここまでウチを理解してくれはるのは、お嬢ちゃんがきっと初めてやわぁ」

 

 月詠はハァハァと呼吸が荒く。身体を悩ましげに捻らせ、頬を紅潮させ、瞳も潤ませて愛しげにイリヤを見詰める。

 まるで情事に誘う乙女のごとくである。ある意味、年齢不相応であり、相応とも言えなくも無い姿だ。もし相手がイリヤではなく、これが本当に情事を求める行為であったなら誘惑された男性は、甘い香りに誘われる蝶の如く誘いに乗ったことであろう。それだけ月詠は一見すると魅力的な美少女であるのだが……まことに惜しい事である。

 

「ウフフ―――あはぁぁ…お嬢ちゃんなら、お嬢ちゃんなら、ウチをきっときっと愉しませてくれる。だってそうですやろぉ、ウチが怪物でぇ、外れとるゆうんなら遠慮しないゆうた。きっと最後までウチと付きおうてくれる。そうでっしゃろ―――!!」

 

 情欲の染まった恍惚の表情を見せていたのも束の間、月詠はそう言い。口角の歪みきった凶悪な表情と喜悦を浮かべてイリヤに襲い掛かった。

 先の刹那へ初撃を浴びせたのと同様に瞬動で間合いを詰め、愛用の二刀を交差させるように左右から振るう。が―――

 

「は―――?」

 

 その瞬間、月詠は気の抜けたような声を零した。

 キンッと、刀の鞘の鯉口を切るかのごとき軽やかな金属音と共に、自分の振るう二刀の刀身が根元近くから切断されているのを眼に捉えたからだ。

 イリヤの持つ白と黒の双剣―――干将莫耶がいつの間にか振るわれ、彼女を切り裂く筈の二刀を逆に斬ったのだ。神鳴流剣士が“気”で強化した筈の獲物…それも式刀を、いともあっさりと野菜でも切るかのように。

 想像の埒外である予想だにしない、その()に思わず狂気が失せ。呆けそうになる月詠―――しかしイリヤが返す太刀で自身の身体を裂こうとしたのを感じ、

 

「―――!!」

 

 呆けかけた意思を戻し、月詠は鍛えられた剣士としての本能に、直感に従い。全力で相手の間合いから身体に刃先が掠めるのを感じつつ、瞬動で後ろに跳んでイリヤから離れ、―――途中、前方から凄まじい速度で回転しながら飛来する白い中華刀を見、―――地に足が着く間も惜しいとばかりに瞬動の勢いに任せるままに、―――倒れ込むようにして強引に身を仰け反らせた。

 それが自身を追い詰める結果に成るとしても、月詠が投擲された干将を避ける為にはそうするしかなかった。

 今一瞬先に上半身の在った所を白く鋭い軌跡が撫でるのを月詠は見た。更にその一瞬後には、そこには白い髪を流す幼い少女の顔が見え、半ば宙に仰向けという無防備に近い状態の自分に、白い髪の少女は黒い中華刀を首目掛けて振るう。

 黒い刃が迫る中、そんな間がある筈も無いのに奇妙にもその少女の声を聞いた気がした。

 

 ―――チェックメイト。

 

 と。

 

 

 

 結果として月詠は生き延びることが出来。イリヤは彼女を逃しこの場にて討ち取る機会を失った。

 

「転移符…か、些か侮っていたかしら?」

 

 イリヤは莫耶を振り切った姿勢のまま呟いた。

 そう、月詠は視界に飛来する干将を捉えた瞬間、自身にもう打つ手が無いと即断して離脱の為に転移符へと手を伸ばしていたのだ。そしてイリヤの振るう莫耶が彼女の首を刎ねる寸前に転移を果たした。

 今にして思えば、怪異ごと葬ろうとした時にも同様に転移符を使ったのだろう。月詠と対峙した時点でそれに思い至らなかったのはイリヤの大きなミスだった。故にこの帰結は当然なのかも知れない。

 それに―――

 

「自分で言っておきながら…はぁ、全く」

 

 狂気に染まり、感情を昂ぶらせたかのようで冷静ともいえる見事な判断と決断力。それはイリヤ自身が言った「本能に委ねるのではなく」という部分に通じていた。

 イリヤは自分でその事を指摘しておきながらも見誤り、月詠の剣を激したものと判断してしまったのだ。

 結局の所、イリヤは戦闘に於いては素人なのだ。だから状況認識が甘く。ミスを犯すし、判断を誤る。

 

(カードの力だけでは駄目ってことか……慢心したかな、無様ね)

 

 イリヤはその事実を痛感した。

 真名はイリヤの項垂れる背を見ながら、今繰り広げられた2秒にも満たない一連の攻防に戦慄していた。

 怪異を殲滅した攻撃と纏う魔力。そしてその佇まいから相当の実力者である事は理解していた積もりだったが―――本当に“積もり”でしかなかった事を思い知らされた。

 その付き合い故に刹那の実力を把握している真名にとって、その彼女と互角に戦う月詠の力も大まかにであるが測れていた。

 総合的にいえば刹那の性能(スペック)は真名を凌駕している。

 無論、状況や相性に経験といった容易に計れない部分があるから実際、単純に比較出来る物ではないのだが。基本として刹那は真名よりも強い、と考えても良い。

 真名の経験から鑑みても裏社会で十分上位の部類に入っている。その出自故、神鳴流に於いて階位が“末席”で“見習い”という扱いであってもだ。

 だからこそ、それと互角…或いは以上かも知れない月詠を―――結果的に逃がしたものの―――容易に撃退したイリヤが……この10歳程度の幼い少女が“異常”だと分かってしまう。

 月詠の初撃から撤退までの攻防……いや、攻防ですらない出来事の間にとったイリヤの対応と動作は、辛うじて視認…いや、それすらも危ういものだった。

 武器切断、斬撃、投擲、踏み込み、肉薄、また斬撃。それら全てが真名でも目で追えないのだ。傍から見ていて月詠はよく逃げられたものだと思えてしまう。しかもイリヤの様子を窺うにまだ大きく余裕を感じさせる。それほどまでにイリヤと月詠の間には大きな“開き”があった。

 

(10歳の子供がこれとは、まったく信じられないものだ…しかも無名だというのだから、なお驚きだ)

 

 まだ十代半ば程度の自分を棚に上げて真名はそんな事を思う。すると隣から「とんでもないネ」という嘆きにも似た呟きが耳に入った。古 菲だ。どうやら彼女も同様の事を考えていたらしい。

 しかし一方で、真名は内心で首を傾げていた。麻帆良でイリヤを見掛けた時には今のような佇まいはおろか、魔力もそれほど感じさせず、戦闘者としての片鱗すらなかったからだ。だから、大人びてこそいるが単なる見習い魔法使いだろうと考えていた。

 

 ―――だが、蓋を開ければこの結果。

 

(わからんな。仮に隠蔽していたのだとしても……こんなに“違う”もの、か?)

 

 自身の目利きへの自負も有り、拭い難い妙な“しこり”のようなものを覚え、真名は眉を顰める。それに、

 

(なんだろうな、この奇妙な感じは…?)

 

 白い少女の姿を見て、真名はあの男―――怪異を従えていた異相の召喚士の事が脳裏に過り、その時に感じた物と同じ疑念を抱いた。“在っては為らないモノ(イレギュラー)”という言葉を。

 だが、

 

(―――まあ、要注意である事は確かだ)

 

 覚えた“しこり”と疑念を無理にでも振り払う為か、胸中の奥底でそう呟いて今からそう遠くない時期に実行され、自らも加担する“計画”の事に……僅かな間、思考を傾け―――今、果たすべき仕事にその思考を戻した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 移動速度の関係からイリヤは、真名と古 菲を置いて独りネギ達の下へ先行していた。

 基礎能力(パラメーター)が然程高くない『アーチャー』とは言え、霊長最強の魂―――英霊の力をこの身に降ろしたのは伊達ではない。

 その駆ける速度は、常人はおろか一流アスリート、気を使う武の達人、高位の魔法使いでも追い付くのは至難であろう。可能だとしたらそれは、英雄とも呼ばれるような最強クラスの人物達だけである。

 ボンヤリと輝く鬼神の巨躯を目印に針葉樹の生い茂る森を抜け、桜に囲まれる湖までの距離が数十mまで迫った時、イリヤは強大な魔力を感知した。

 

「ッ―――!」

 

 小さく声を漏らしてイリヤは大きく跳躍する。

 僅かな風切り音を耳にしながら―――途中で白い翼を羽ばたかせて、木乃香を抱えて飛ぶ刹那を見かけ―――…一際高い桜の枝にイリヤは重量軽減の魔術を使いながら着地する。

 魔力の放たれる湖に視線を向けると、金髪の少女に殴られて水飛沫を立てながら吹っ飛ぶ白髪の少年の姿が目に映った。

 金髪の少女は言うまでも無くエヴァである。イリヤが感知した強大な魔力の源でもあった。その事にイリヤは安堵する。またイレギュラーではないかという心配があったからだ。

 一方、エヴァに殴り飛ばされた少年がイリヤの知識と状況的に、ネギの宿敵となるあのフェイト・アーウェルンクスであろう。

 イリヤは緩みかけた気を引き締めると、直ぐにその警戒すべきフェイトへと視線を向けたが、水飛沫が晴れるや否や既に転移を行なったのか、姿を補足出来ずイリヤは顔を渋め―――

 

「―――いえ、確かこの後…」

 

 と。短く呟いてその姿を気配と共に消した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 エヴァは15年という重い枷を掛けられた時間……その鬱屈と鬱憤を晴らすかの如く思う存分に力を振るい。伝説の大鬼神を氷漬けにして破砕し、打ち倒した。

 50mはある巨躯が凍り付き、砕けて崩壊し、津波のような大きな水飛沫を立てて湖へ沈む光景は圧巻であり、ネギと明日菜は感嘆の声と上げた。

 それは歓声へと変わり、その光景を作り出したエヴァへと向けられた。

 

「すごいよエヴァちゃん。やるじゃん! 最強とか自慢していただけあるわね。見直しちゃった!」

 

 特に明日菜はベタ褒めである。戦いの高揚感によるアドレナリンの影響か、ここ数日の疲労と徹夜に近い寝不足によるものか、若干ハイになっているのかも知れない。その一方でネギは、スゴかったです、と控えめながら素直な賞賛を口にした。

 後はイリヤも知る原作通りに状況が進んだ。

 登校地獄の呪いがあるエヴァが応援へ来られた疑問と答え。

 その理由を聞いて近右衛門を心配するネギと明日菜。

 そんな心配を“ジジイの見通しの甘さ”が事件の原因と一蹴するエヴァ。

 だが一方で、事件とネギの窮地のお蔭で15年ぶりに全力全開を出せた事への喜びをエヴァは表した。

 

 しかし、何か思うことがあったのか、それとも先達や年長者的な立場からか、直ぐにネギに対して釘を刺すように説教めいた事を口にし始める。

 

「―――次にこんな事が起こっても私の力は期待できんぞ。そこん所は肝に銘じておけよ」

「は…はい―――…?」

 

 ハァハァと息を切らせてネギは返事をし、何かに気付く。

 

「む…流石にキツそうだな、ぼーや。大丈夫か?」

 

 ネギの様子を体力と魔力消費によるものかとエヴァは気遣う。その背後に不審な水溜りが現れ、

 

「エヴァンジェリンさん!!」

 

 うしろっ…とネギは叫んで跳び、水溜りから現れた人影からエヴァを庇う為に抱きつく。

 エヴァは一瞬抱きつかれた事に驚き、抗議の声を上げようとして―――遅蒔きにその事に気付いた。

 

「障壁突破、『石の槍』」

「バカ、どけっ!」

 

 人影が行使した魔法……祭壇の床から延びて迫る『石の槍』にエヴァは自分を庇おうとするネギを逆に突き飛ばし―――途端、降り注いだ数本の剣がエヴァを貫かんとした石の魔槍を逆に穿ち砕いた。

 

「―――!?」

「これは!」

「これって…!」

「……剣!?」

 

 剣弾の穿つ破壊音が響く中、この攻撃を知る明日菜とエヴァに然程驚きは無い。だが初見であるネギと人影の驚きは大きい。

 それはネギは兎も角、襲撃者である人影にとっては大きなミスだった。そこには予想外という事もあったのだろうが、この機を狙い、剣弾を放った本人にとってそれは付け入るには十分な隙であった。

 

「―――!」

 

 何時の間に此処に現れたのか、人影―――フェイトの眼前に白黒の双剣を振るう赤い外套を纏う少女の姿が在った。

 左右から挟むように薙ぎ払われる双剣の斬撃をフェイトは咄嗟に後ろへ下がり、刃が微かに掠めるところを間一髪で避けて、

 

「―――ッ!?」

 

 幾重にも張り巡らせた障壁が切り裂かれたのを知覚した。既知感すら覚えるその感覚にフェイトは再び隙を、硬直を見せ。ズンと内臓にまで届く衝撃を、魔力が乗せられた少女の重い蹴りを障壁無しでまともに受け、彼は大きく後方へ吹き飛んだ。

 

「ぐっ!!」

 

 湖の水面を叩き、水飛沫を立てながら跳ねて彼は呻き声を上げる。これもまた既視感のある―――つい先程受けたエヴァ、明日菜、ネギが行った攻撃の焼き直しだった。

 

 水面に叩きつけられて、水切りの如く跳ねるフェイトを赤い外套の少女―――イリヤは、見届ける事もなくそのまま追撃する。その直前、彼女の名を呼ぶ声がしたが、かまわず駆け出していた。

 体勢を立て直して水面に着地するフェイトをイリヤは見据え、自身も水面の上へと足を踏みだした。

 湖の精霊の加護を有する彼の“剣の英霊”ならともかく、『アーチャー』には水上を駆ける能力(スキル)は無い。にも拘らずイリヤは水上を駆けていた。これは彼女の魔術…より正確に言えばその魔術特性による賜物だった。

 自身の魔力で届く範囲ならば、“理論・過程”を飛ばして“望む結果”を成立させるという万能の願望機の機能を小規模ながら再現した魔術回路。

 その機能を活かしてイリヤは、“水上を自在に歩き走る事を望んで”魔術として行使したのだ。

 ちなみに先のフェイトへの奇襲も同様に魔術による穏行と迷彩を使っての事だ。

 

 魔術の効果によって水上を自在に駆けるイリヤに、意外にもフェイトは退くこと無く挑んできた。

 魔法の矢を放ち、岩石で構成された魔剣を作り、遠近の双方でイリヤと激しい応酬を繰り広げるフェイト。それは彼にとっても意外であり、また自覚していない心情から生じた行動であった。

 その根幹は、この場には居ない彼に尽くす少女達であり、先ほどネギに入れられた拳であったり、今ほどそれを再現したかのようなイリヤの一撃であったりする。

 その当のイリヤがフェイトに挑んだのは勿論、可能ならば彼をこの場で討ち取る事でもあるが。それは実のところ二の次で今はまだそれより優先すべき目的があった。

 

「―――知っているなら答えなさい! あの男―――黒いローブを纏ったアレは貴方の仲間なの!」

 

 戦いの最中、雨の如く放たれる様々な魔法を避け。黒鍵を始め、様々な投擲用の武器の投影し、手ずから投擲して牽制しながら、肉薄を試みるイリヤが叫ぶように言う。

 4thキャスターに就いて彼が何かを知っていないか。或いはフェイトの…引いては“完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)”に加わっていたのではないかという疑念。

 そう、口の利けないアレから聞けなかった情報をフェイトから得ようと、得られるのではないかとイリヤは考えていた。

 幾度かの近接戦で魔力を通された尋常ではない剣―――強化を掛けたオーバーエッジ型の干将・莫耶にあっさりと切り裂かれる『岩の剣』から、近接での不利を悟ったフェイトは距離を取り、肉薄させないように遠・中距離魔法で迎撃、牽制し、間合いの維持を図りつつイリヤの問い掛けに応じる。

 

「だとしたら、どうだというんだい。こうして僕とたたか―――!?」

「アレは何!? 何処でアレと知り合ったの!」

 

 イリヤは『瞬動』を真似て肉薄に成功すると干将・莫耶を上段から振り下ろす。それをフェイトは『岩の剣』を使い捨ての盾として使い、防御を試みる。

 ―――僅かな…否、一瞬の拮抗の後、『岩の剣』は切り裂かれる……が、その一瞬の間でフェイトは斬撃を回避し、同時に水面に手を着いて『石の槍』を放つ。

 足元の水面から無数の石の魔槍が生え、イリヤに目掛けて先端を伸ばす。彼女は双剣を使いそれを切り裂き、或いは身を捻るようにしながら足を運んで避ける。

 その隙にフェイトは再度距離を取った。それにイリヤも再度肉薄しようとし、

 

「―――そうか」

 

 呟き、何の構えも見せずこちらをジッと見詰める彼の…その余りの無防備さに警戒を抱き、イリヤも動きを止めた。

 ただし転移での逃亡を許さない為に干将を破棄し、『偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)』を右手に投影する。弓にこそ携えていないが、空間ごと対象を捻じ切るこの改造宝具の威力なら魔力を通し、真名開放と共に投擲すれば転移であろうと仕留められる筈である。

 4thキャスターの情報も大事だが、逃亡を許すくらいならば、ここで―――

 

「言われて見れば、確かに似ている。……いや、瓜二つかな」

 

 そのフェイトの奇妙な言葉にイリヤは思考が中断され、「なにを…」と問い変えようとし、

 

「それはそうよ。…だって、私の愛しい“娘”なんだもの」

 

 背後からその声を聞いた。

 その声……優しげな女性の声を聞きいて、ドクンッとイリヤの心臓は鷲掴みされたように激しく鼓動を打った。

 

「―――!?」

 

 敵が目の間に居るにも拘らずイリヤは、本能的に背後へと振り向いてしまった。

 そして見た。

 新雪の如く真っ白で綺麗な髪を靡かせ、宝石とも見間違うような緋色の瞳を輝かせる自分と似た容貌を持つ妙齢の女性の姿を。

 距離は僅か2m先、湖の上に立って今時の婦人服を纏い。此方を見詰めながらゆっくりと歩き、近付いて来る。

 イリヤは動けなかった。その女性の見詰めてくる瞳に真っ直ぐと惚けた視線を返し、金縛りに在ったかのように立ち竦んだ。

 そして―――

 

「イリヤ、逢いたかった」

 

 間近に迫った女性は泣きだしそうな潤んだ声でそう言い。両手を広げてイリヤを優しく愛しげに抱擁した。

 その抱擁、女性の暖かさ、温もりに包まれたイリヤは―――イリヤスフィールで“ある筈に過ぎない”少女は、何故かそう言葉を零した。

 

「……お母様」

 

 と。

 

 無意識に頬を一筋の雫で濡らして。

 

 

 

 

 




 この回でイリヤの“敵”が姿を見せました。意外な人物という事もあり、初見の方は結構驚かられるかも知れません。まあ、そんなそれを狙っての事なんですが。


 少し長くなりますが、今回幾つか補足しますと。

 海魔の戦闘力に関しては、鬼達人外の平均よりは結構上と設定しています。
 大鬼などの刹那と互角に戦える別格クラスで無ければ、複数同時相手にするのは無理です。
 現状の明日菜も結構戦えているように見えますが、刹那のフォローやハマノツルギが無ければ、確実に海魔の腹に収まっていました。
 あと、ユニコーンの意匠の入ったイリヤのアミュレットが無くても同じです。

 このアミュレットの性能は、本文でも記したように『対魔力』付与の他、非常に高い毒、石化、麻痺といった物理系のステータス異常への耐性に加え、水属性魔法への耐性とDかCランク程度の『勇猛』スキルの付与による精神系のバッドステータスの回避と格闘攻撃の上昇があります。
 かなり高性能なアミュレットです。これを作れたのはイリヤにとっても意外な事に学園長が提供してくれた材料の中に、現実世界にかつて存在していた“本物”のユニコーンの鬣と涙などというレア素材があったからです。
 ただし学園長はそれらが本物なのか、半信半疑だったとしています。

 スクナに関してはFateの設定を重視し、基本的に”人間ではどうしようもない怪物”としました。
 これはネギま!初期にあった設定も考慮しての事です。
 西や東を陥落させられる大鬼神が最強クラスの人間一人でどうにか出来るほど弱い筈がありませんから。
 尤も、本作もエヴァにやられましたが、これはあくまで不完全だからです。完全体で復活していたらもっと苦戦していたでしょう。


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第6話―――今此処に在る訳、課せられた役割

初見さんの方々の感想や反応を見ると、何というか新鮮味のような嬉しい感じがあります。
皆様ありがとうございます。モチベも上がります。
勿論、Arcadiaで既読だった方々も見返して今になって思う所があれば、遠慮なくどうぞ。
…と言っても、ネタバレを避けながら書き込むのは難しいかも知れませんが。


「……お母様」

 

 優しい温もりに包まれ、無意識に零した言葉。思わず身を委ねたくなる暖かい感触。愛に満ちた抱擁。

 目元が熱くなり、視界が歪んで頬に熱い雫を流れるのを覚え……

 

「っ―――!!」

 

 イリヤは慌ててその抱擁を振り払い、目の前の女性から離れた。

 

(幻覚!? 幻影!? (なか)を覗かれた!?…でもどうやって? 何時の間に?―――そんな感覚はなかった筈……それじゃあ、何!?)

 

 脳裏に過ぎる思考と精神(こころ)を揺さぶる困惑。そしてイリヤは得体の知れない恐れを抱いていた。

 目の前の女性を見詰めながら、その恐れのままにイリヤは徐々に後ずさり、距離を取る。

 

(私と同じ白い髪、赤い眼……これは幻影じゃない。どうして?―――これは、何なの? だってお母様は…)

 

 沸き立つナニカに恐怖を覚え、武器を手離して自身の身体を両手でかき抱く。

 イリヤスフィールに“過ぎない筈”の“誰か”は気付かない。今の自分が“彼女”の想いを抱き、その感情を元に心を掻き乱している事を…。

 

「イリヤ…」

 

 女性が離れた距離を歩み寄ってくる。

 

「!―――来ないで!」

 

 近づいてくる彼女を拒むかのように叫び、イリヤは大きく後ろへ跳躍して女性が歩み寄ってくる以上の距離を取る。

 女性はそんなイリヤに心底悲しそうな、寂しそうな表情を見せた。しかし、何かに気付いたのか、ふと怪訝な顔を浮かべた。

 

「…そう、そういうこと」

 

 そう女性が呟くと、その姿がかき消え―――

 

「!?」

「…恐がらないでイリヤ。あなたが驚くのも、途惑うのも判るわ。……でも恐れる必要はないの」

 

 ―――気付くと。イリヤは目の前から消えた女性に背後から抱き締められていた。だがイリヤは驚くよりもその優しい語り掛けに耳を傾けてしまう。

 

「ただ、受け入れさえすれば良いの。此処にある私とそして―――何よりも貴女自身を…」

 

 私……自身?―――イリヤの口から無意識に声が零れた。途端、恐れにも似た何かが大きくなる。それでもイリヤは女性の言葉に耳を傾け、今度はその腕を振りほどこうとは、抱擁から逃れようとは思わなかった。

 

「そう、貴女は私と……あの人の、世界で最も愛する一番の宝物。ホムンクルスである私が授かり、お腹を痛めて生んだ大切な子……私にはそれが分かる。例え貴女の内側(なか)が■■していようと、私が――――」

 

 耳に入る、言葉が、混濁する、掠れて、遠ざかる、ような、近くで、喚かれて、いる、ような、聞こえ、なく、なる。 ただ、酷く、

 

「なに…? なにをいっているの? 私は…―――!」

 

 酷く、頭痛を覚えた。

 

 イリヤは襲い来る怖れと痛みに蝕まれている頭を抱え―――突然、その視界が暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 祭壇(そこ)に在ったのは柱の如く高く。地下にある故に限りある天へと伸びた黒き杯。頂点(いただき)に在るのは太陽のような黒い球体(あな)。孔から此方(せかい)を覗くのは、この世の全てを呪う(あいする)モノ。

 わたしはそこに向かって歩く。全てを終わらせる為に――――――ううん、違う。本当は……ようやく出会えたたった一人の家族。何処までも他人の為に自分を置き去りにしてしまえた馬鹿な“お兄ちゃん”。……でも(たにん)よりもずっと大事に想える人が出来て……心に定めて変われた■■■。

 それでもやっぱり、無茶をするのは変わらなくって―――だからそんな大切な“弟”が幸せに笑って生きて行けるように、

 

「じゃあね」

 

 と。わたしは、■■■に笑ってその(とびら)を閉じたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――…ぐうっうううぅぅう!!??!!??」

 

 脳を搔き乱す識らない(しっている)映像(きおく)がイリヤの内側(こころ)を駆け巡る。掻き乱す。

 胃が逆流するような、吐き気にも似たナニカが零れるような、溢れるような感覚が身体に奔り、女性の腕の中で全身を震えさせる。

 

「ううぅうぅうううぅ!!!???」

 

 こわい、いたい、あたまがわれる。われる。ちがう、ちがうそうじゃない。わたし、こわいんじゃない、いたいんじゃない。これは、かなしみ、よろこび、うれしいんだって、そうだ。だって、こんなにも、こんなにも―――

 

「―――大切な想い出(こと)を思い出せたんだからっ!!」

 

 それは産声にも似た、生誕の叫びだった。

 そう、『イリヤスフィール・フォン・アインツベルン』は、この時になって漸くこの世界に誕生したのである。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「イ、イリヤ…?」

 

 女性の腕の中で魘されるかのように呻き、苦しんでいた愛おしい我が子が突然叫んだかと思うと。今度はプツンと電池が切れた玩具のように全身を弛緩させ、身を預けるように自分に寄り掛かり……静かに沈黙する。

 それがどういう訳か女性を不安にさせる。背後から抱き締めた為に、さらに娘が顔を伏せている所為で表情が見えないのだから尚更だった。

 それを振り払うように女性は腕の中に在る愛おしい温もりをより強く優しくかき抱く。

 

 

 訪れた静寂の中。視界の先、湖に浮かぶ祭壇に眩しい光が灯った。その光はほんの数瞬で直ぐに消え去る。しかし一帯の風景は夜の闇へと戻ることは無かった。

 

「―――コノカの仮契約…か、もう夜が明けるわね」

 

 腕の中の娘が呟く。言うとおり東の空が白んできている。

 女性はコノカという人物のことを詳しくは知らない。ただあのチグサという女性と“彼”が標的にしていた強大な魔力を秘める少女であり、血筋のいい良家の出だという事ぐらいだ。

 

「アイリスフィール……お母様」

 

 娘が女性―――母の名を呼んだ。

 その呼び掛けに女性―――アイリは歓喜し、微笑みを浮かべて応じる。

 

「なに、イリヤ?」

「会えてとても嬉しいわ。こんな何処とも知れない世界でこうしてまたお母様の胸の中に抱かれるなんて――」

「ああ…! イリヤ! それは私もよ。また貴女に会えるなんて思わなかった!」

 

 沸き立つ嬉しさの余り、アイリはさらに強くイリヤの身体を抱き締め、その大切な温もりを噛み締める。

 

 

 

 イリヤもまた、されるがままにその失った母の温もりを堪能する。

 

「でも、」

「あ…」

 

 しかし程無くしてそっとその抱擁から、温もりから、優しくも強く自分を抱く腕から、イリヤはスルリと抜ける様に離れる。

 母はそれに寂しげな声を漏らし、イリヤは振り返ってそんな彼女(ははおや)の表情を見詰め、

 

「貴方が此処に、この世界に()るなんて思わなかったわ―――」

 

 ―――アンリマユ。

 

 “無いもの(カレ)”の名を呼んだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 目の前の母親は、悲しげに目を伏せている。

 こうしてイリヤが“カレ”と話すのは……多分、二度目。

 一度目は自分が居なくなった世界の先―――誰もが忘れ去る、微かな残滓としてのみ記憶に残る“繰り返す四日間の箱庭”の中だ。

 孔を閉じた為だろうか、それとも自分が生存する未来(かのうせい)が在るからなのか、或いはあの四日間が特別だからか、居なくなった筈の自分にもその思い出(きおく)がある。

 あの時は、カレの最後の日常の欠片(ピース)として、カレに(こたえ)を示し、本来“無いもの”であるカレの存在を認めた。

 尤もイリヤ自身は、そう大した事をしたとは思っていない。ただ―――楽しかった奇跡の日常を起こした。厳しくもお人好しの彼を最後の最後まで演じたカレに……ちょっとした、とびっきりの感謝を純真な本心で返したのだけ。

 それだけの事だ。

 それがカレにどれ程の報いであったかは…“イリヤ”の知る所ではない。

 

「やっぱり、判ってしまうのね」

 

 アイリスフィールが目を伏せて悲しげな表情で言う。

 

「ええ」

「そう、…当然よね」

 

 イリヤは頷き、アイリは顔をさらに伏せてしまう。

 “始まりのユスティーツァ”の系列であるアイリと同型のホムンクルスであり、その最新型である聖杯そのものとして調整・鋳造されたイリヤに……況してやあの大聖杯(あな)に入って閉じた彼女に、その中身である“アンリマユ”の存在と“アイリ”との違いを隠す事など出来ない。

 

「お母様は、第四次聖杯戦争で亡くなった」

「そうね、でも―――」

「判ってるわ。お母様、アンリマユ。貴方が“アイリスフィール”そのモノでも在るって事は……だからこそ、私が聞きたいのはどうしてこの世界(此処)にいるのかって事…そしてこの世界(此処)で何をしているかって事よ」

 

 そう尋ねるもイリヤは内心…本音を言えば、こんな問い掛けはどうでも良かった。目の前に居るのは、例え本物ではなくても確かに自分を愛してくれる母親なのだ。

 

(……ならそれで良い。目の前に大好きなお母様が居る。こんな問いかけに何の意味があるの?)

 

 そう思うのに…それでも何故か? 如何してか? 尋ねずには居られない。

 多分、聞けば悔いる事になる。聞かなければ良かった…とも。

 直感ではあるが、イリヤにはそれが判るのに―――知らなければ…とまるでナニカ、強迫観念に駆られていた。

 アイリは、少し考える素振りを見せてからその問いかけに答えた。

 

「……私にも分からない。気が付いたらこの世界に居たとしか言いようがないわ。…ただ、私のすべき事は見つかった。この見知らぬ土地で途方に暮れていた私の前に彼が現れてくれたお蔭で…」

「彼―――あの白髪の少年のこと?」

「ええ……彼はこの世界に飛ばされて何もない私に親切にしてくれた。そして彼ら共に過ごし、話をして。彼らの目指すものを知り、その果てにアイリスフィール(わたし)が願い、祈り、得られなかったものを此処でなら得られると思った」

「お母様の……願い?」

 

 嫌な予感がした。それはアイリと会って、いや…あの4thキャスターの姿を見た時から感じていたものだ。それがより一層高まる。

 そんなイリヤに気付く事無く。高揚…あるいは陶酔した様子で母が答える。

 

「そうよイリヤ! この世界でなら。彼らの目指す願いが成就すれば、あの人が願った“争いの無い平穏な世界”が実現できる! そしてそれが叶えば、私と貴女…それにきっと優しい貴女のお父さんも“そこ”に居る。家族で幸せな日々を過ごす事が出来る!」

 

 おかしい―――イリヤはそう思った。

 確かにそれは、アイリスフィールも抱いた願いだろう。

 

(でも…違う、それは元々キリツグが抱いた幻想の筈。決してお母様自身から零れ落ちたモノじゃない……お母様が本当に願ったのは、キリツグ自身がその願いを成就する事と、母としてあの戦争の果てに残される娘―――アインツベルンのホムンクルスである私がその呪縛…妄執から解放されることだ)

 

 ―――なのに、このズレは…何? この見知らぬ世界に来てから持った願い…ということなの?

 イリヤは疑問を抱く。いや…内なる不安が大きくなる。

 それとも“コレ”は、もう“無いモノ”であったものが、アイリスフィールという殻を被りながらも、その“聖杯としての機能(願いを受諾する物)”へ天秤が大きく傾き、フェイト達の企み(ねがい)に応えている?……或いはその殻を纏いながらも仮面(ペルソナ)が成長、いや…独走して新たに“異なる自己(カタチ)”を獲得しているのだろうか?

 

(ううん、それも違う……そもそもサクラやバゼットの時とは違う……アイリスフィールを真似るアンリマユが現れた第四次は、まだ外へ出るべきカタチ(ねがい)貰って(うけて)いない…だから、こうして“カレ”自身が外へ出る事なんて―――)

 

 イリヤの不安と思考を余所に、アイリスフィール(アンリマユ)は独演するように娘に語り続ける。

 

「―――だからイリヤ。私と貴女の持つ力があればその願いにより近付ける。彼もあの子達も優しいからきっと貴女を歓迎してくれるわ」

 

 そうして、行きましょう、と愛しい筈の母はイリヤに手を差し出す。それにイリヤは―――

 

「ゴメンなさい。お母様…」

 

 ―――その手を取らなかった。

 

 イリヤは悲しげに首を横に振り…理解する。

 否、初めから判っていた筈なのにそれから敢えて目を逸らしていた。“コレ”は―――“生まれ落ちる事が出来なかったモノの嘆き”なのだと。

 それは、第四次聖杯戦争で勝利者たる“衛宮 切嗣”の願いを受諾できずに零れた“残骸”―――云わば、助産を受ける事も出来ず、赤子(アンリマユ)として生まれる事も叶わず、子宮(せいはい)から羊水(のろい)だけが漏れ出したようなもの……或いは流産した“ナニカ”の成れの果てだ。

 原因は判らない。けれど、コレは冬木の街を焼いたモノと同じ“(のろい)”が、このアイリスフィールの(カタチ)をもって、“何故か”この並行世界に移動した“異物(モノ)”だ。

 

(アンリマユ…アヴェンジャーにも為りきれていない欠陥品か粗悪品……いえ、というよりも生まれ出る事が出来なかった“この世全ての悪”の呪詛(こえ)に過ぎないと言うべきか。解らない事はまだある。…けど、それでも―――)

 

 イリヤは出た結論から意を決し、再度『偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)』を投影して魔力を注ぎ、構える。

 

「イ…リヤ?」

「どうして“無いモノ(カレ)”ですら無い貴方がその(カタチ)を採ったのか、採れたのか。どうして此処に居るかは判らない……正直、感謝したい気持ちもある。…けど、貴女がこの世界に居て、願いを叶えようとするのは、きっとこの世界にとって異常であり、災厄なんだと思う」

 

 向けられる敵意に困惑する“母の姿”。

 それを苦しく思う自分がいる。泣き出したい自分がいる。それでもイリヤは目の前の存在がこれ以上、此処に在る事が許せなかった。

 アイリスフィールそのものでありながら違っている存在。それを容作っているのは“カレ”ですらないお粗末な悪性―――そして先に見た黒化英霊(ジル・ド・レェ)を使役し、明日菜と刹那の2人……いや、それどころか真名と古 菲、悪くすればネギと木乃香を加えた6人が犠牲に為り掛けた元凶である事が判ったから。

 この“母の姿をした呪詛”は、この世界にとって間違いようの無い異物であり、災厄なのだ。そう―――

 

「さようなら、お母様」

 

 ―――イリヤは理解した。この世界に自分がいる訳を。覚える恐れと不安の理由を。

 それはこの目の前に在る、愛すべき“異物(ははおや)”を、自身の手で排除する為だけに“世界”に喚ばれた存在だと……判り、そして解っていたからだ。

 だから―――

 

「―――偽・螺旋剣(カラドボルグ)!!」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 夢を見る。

 

 雪に閉ざされた白銀の世界で、大好きな父の肩に乗って森の中を進み。見つけたクルミの冬芽の数を競った。

 

『イリヤは待っていられるかい? 父さんが帰ってくるまで、寂しくても我慢できるかい?』

『うん! イリヤは我慢するよ。キリツグのこと、お母様と一緒に待ってるよ』

『…じゃあ、父さんも約束する。イリヤの事を待たせたりしない。父さんは必ず、直ぐに帰ってくる』

 

 そんな……果たされない遠い約束もした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見る。

 

 広い部屋。冬に閉ざされたお城。暖炉のお蔭で寒くない暖かな部屋の中、自分がサカヅキになるこわいユメを見て目を覚ました。

 

『お母様……キリツグはへいきかな? ひとりぼっちで、こわい思いをしてないかな?』

 ―――大丈夫。あの人はイリヤのために頑張るわ。私たち(アインツベルン)の祈りを、きっと彼は遂げてくれる。もう二度と、イリヤが恐い思いをしないで済むように―――

 

 自分の(なか)にいる(きろく)が安心させるように答えた。でも―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見る。

 

 吹雪が吹く森の中、狼の死体が散らばり、雪が赤く染まったそこで自分の血で赤く染まったわたしと、狼の返り血で赤く染まった鉛色の巨人とお互いを見つめ合う。

 

『―――バーサーカーは強いね』

 

 わたしはそう言った。巨人は答えず黙したまま。けれど繋がったラインと、その力強い眼が雄弁にわたしの問いに応えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見る。

 

 東の最果てある異国。冬木という名の都市。そこで大切な人と会った。私と(アインツベルン)を裏切った男の息子を名乗る父を奪った少年。―――とても憎くて、とても愛おしかった。

 

 夜の帳の下で一度だけ殺しあった。

 雪の降る街を一緒に散歩した。

 小さな公園で、当たり前のことで苦しんで悩んでいるのを慰めて諭した。

 黒い剣の騎士と暗殺者に老魔術士、そして■に襲われている所を助けられた。

 そんな少年を助ける為に、自分を差し出したのに。そんな自分を少年は自らを失いかけてまで助けだした。

 本当、そんな何処までも無茶をしてしまえる大馬鹿者。危険でアレだけ止めろと呼びかけたのに、大切な人のために魔法の一端にまで手を掛け、届かせた意地っ張り。

 

 そんな彼だったからこそ、わたしは―――

 

『……ええ。わたしはお姉ちゃんだもん。なら、弟を守らなくっちゃ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてオワリの夢を見た。

 

 孔の向こうに行ったワタシは、ただ一人、(やみ)の中。無の中で精神が散り散りに為ったわたしは、わたしを失って……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 見知らぬ天井の下でイリヤは目を覚ました。周囲を見渡すと、そこは何とも懐かしさを覚える和風模様の部屋。

 

「此処は…?」

 

 口に出すと共に思い出す。此処は関西呪術協会の本山にある屋敷の一室だ。戦闘で疲労した身体を休める為にイリヤが借りた部屋であった。

 “私”が知らない“わたし”にとって懐かしい夢を見た所為か、イリヤは微かに頭痛を覚えた。

 夢の内容は鮮明に覚えている。

 

(私は、イリヤ…イリヤスフィール・フォン・アインツベルン)

 

 その自覚はある。自分が本当に本物のイリヤだと。同時に以前の―――この世界に現れる前の、そう…元の世界にいた頃のイリヤとも違う事も自覚していた。

 それは、孔の向こうへ…閉じた先に行った影響。

 ■■の中で精神が散り散りに切り刻まれて溶かされた弊害。そして、その欠如した精神を補う為に入り込んだ何処かの世界―――『Fate』、『ネギま!』なる創作物が在り、知っている世界の人物の記憶ないし知識が混じって今のイリヤの人格(こころ)を形作っている為だ。

 それでも本人としては余り変わったという感じは無く。この変化をどう表すべきか、例えるべきかは判らない。強いて言えば“生まれ変わったような気分”としか表現が出来ない。

 ただ、肉体と魂に関しては本来のまま完全に無事だったらしい。もしくは修繕が行なわれたと言ったところだろう。

 その場合、敢えて精神を戻さずに別の世界の人間の知識をベースに人格を形成させたという事になる。

 

(いかにも“世界(アラヤ:ガイア)”らしいわね。こっち(ヒト)の都合なんかお構いなし……その方が“この世界”と“事態”に対応しやすいと判断したのでしょうね。それとも…元の“わたし”よりも、今の“私”の方がこの世界の人達に親しみを抱くと考えたのかしら?)

 

 ネギたちに愛着を持てば…或いは在れば、アイリスフィールの姿をした呪詛と敵対する確率は高まる。少なくともただ“無意識下に働きかける”よりは効果的であろう。

 イリヤが“世界の駒”として用意されたのも、おそらく殲滅対象がアイリの(カタチ)を持った“異物”で在った事に加え、“資格”の無いイリヤが大聖杯を通じて“外”へ出掛かり、排除ついでに此処で使い捨てるのに丁度良かったと判断した為だ。

 

(正直、気に入らない…けれど、まあ、良いわ。―――“あのお母様”を討つ事にもう迷いはない。本来なら死人ともいうべき私がこうして延命の機会を得られたのだ。シロウにもう会えないのは寂しいけど、キッチリと仕事こなす分だけこの世界での生を謳歌させて貰うわ)

 

 イリヤは既に決意している。ネギの応援へ向かったあの時、英霊(カード)の力を行使したあの瞬間からこの世界で待ち受ける運命(Fate))挑む事を。それに―――

 

(―――“世界”の思惑通りなのかも知れない。…それでも私はネギたちの事が…きっと大事で大切なんだ。“あのお母様”が彼らの脅威と成るなら、私は彼らを守りたい……いえ、必ず守らなくては)

 

 ……だからこそ、今更拒む事も降りる積りもなかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 未だに疲労の残る体をもう少し休めようと、イリヤが目を閉じた瞬間、障子戸が開かれる。

 

「ん…?」

 

 仕方なく視線を向けると、そこにはこの世界に来てから何かとお世話になっている緑の髪を持ったマシンドール…いや、ガイノイドの絡繰 茶々丸が居た。

 丁寧に作法通りに彼女は正座の姿勢で障子戸を開け、立って敷居を跨ぎ、また正座で障子戸を閉める。思わず見惚れるような見事なまでの動作だった。

 そういえば茶道部所属だっけ、と。丁寧な作法を見てイリヤはそんな事を思う。

 

「おはようございますイリヤさん。お目覚めでしたか」

「ええ、ついさっき眼が覚めたところ。おはよう茶々丸」

 

 挨拶をする茶々丸に応えながらイリヤは上体を起こす。そしていつもの癖で両手を挙げて伸びをし、起き抜けに身体をほぐす。

 

「うーん、…やっぱり、抜け切れないわね」

 

 本格的な戦闘…実戦を経験した為か、いつものようなスッキリとした感覚は得られない。この前のアミュレット製作とは異なる疲労感が在った。

 茶々丸はそんなイリヤの様子を見て、若干申し訳なさそうに口を開く。

 

「すみません。まだお疲れなのでしょうが、マスターと詠春様がお呼びです」

「うん、判ってるわ。だから気にしないで……そういえばネギたちは如何したの?」

 

 茶々丸が起こしに来た理由を察して頷きながら布団から出たイリヤは、ふと思い出してこの世界で出来た大切な友人達の事を尋ねる。

 

「先生達でしたら、一足早く宿泊先の旅館へお戻りになられました。なんでも身代わりを務めている筈の式神が暴走したとか…」

「やれやれ、昨夜に続いて中々大変ね、ネギも」

 

 苦笑するイリヤであるが、あんなイレギュラーの後で自分の知る原作通り微笑ましい展開が起きた事に内心で安堵する。

 

「…はい。それとイリヤさんには、ネギ先生から『助けに来てくれてありがとう』と伝えて欲しいと託っております」

 

 茶々丸の伝言を受け取ってイリヤは、うん、と頷きながら、どういたしまして、と此処に居ない少年に向けて呟いた。

 

 

 

 イリヤは茶々丸に案内されて詠春の所へ通された。

 事前に多くの人には聞かれたくないと申し出た事への配慮か、この広い屋敷の中でも奥まった一室で彼はエヴァと共に待っていた。

 畳の上、随分と座り心地の良い高価そうな分厚い座布団にイリヤが座ると、その向かいに座る和服姿の眼鏡を掛けた男性が口を開いた。

 

「まずはこの度の、我が娘と弟子。そしてこの本山の危機を救って頂いたことに感謝しますイリヤスフィール」

「大した事はして無い…と言いたいところだけど、此処は素直に受け取らせて貰います。近衛 詠春様」

 

 深く礼をして頭を下げる詠春に、年長者や関西の長としての立場を重んじて丁寧に応じるイリヤ。

 ただ、イリヤにして見れば余り感謝される謂れは無いとも感じていた。

 本来ならばネギたちの危機を知ってもイリヤは動く積りは無かったのだから、原作通りエヴァたちに任せる積りだった。

 それが4thキャスターの存在を機に事情が変わり、自分なりの目的を持って行動し、結果的にそれがコノカたちと本山の危機を救う事に繋がったに過ぎない。そもそも、あの異端があってもエヴァがいれば事は済んだ筈である。

 それでも此処で感謝を素直に受けるのは、関西への繋がりや、長に対して貸しとなるだろうと打算もあるからだ。勝手に恩と感じてくれるならば、それはそれに越した事はない。

 覚悟したとはいえ、昨夜はイリヤも素直に力を示しすぎた。加えてアイリの事を鑑みれば、今後厄介事を抱えるのは確実なのだ。それを考慮すると、近右衛門に加えて後ろ盾になってくれそうな存在が増えるのは、正直ありがたい。

 数秒ほど頭を下げた詠春が顔を上げる。

 

「では次に…恩人に対して些か不躾ではありますが、お約束どおり―――昨夜の一件…あの白髪の少年と女性に関して、何かご存知の事があるならお話して頂きたい」

 

 真剣で、どこか鋭さすら感じさせる視線でイリヤを見据える近衛 詠春。彼個人としては、あの老獪な養父が信ずるイリヤを己もまた信じてはいるが、立場的にもそうだが、事がことだけに尋ねない訳にも行かない。

 それにイリヤは僅かに嘆息し、視線を右へ…エヴァの斜め後ろで控えるように座る茶々丸へ送る。

 

(ホント、仕方がないわよね……正直に、話せる範囲で話すしかないか)

 

 何故なら、コノカの仮契約を終えた後の事―――アイリとの遣り取りのほぼ全てを茶々丸の手によって記録されているのだ。

 望遠機能搭載の高解像度のカメラは兎も角、高精度指向性マイクまで備えるとは……機能過多・高性能にも程があるわよ、とイリヤは言いたかった。

 そんな思いを抱きつつも、イリヤは一度背筋を伸ばして居住まいを正すと、詠春と同様真剣に彼に応じる。

 

「白髪の少年の方は、残念ですが私にも心当たりは在りません。ただ、あの無機質的な感覚から人形、もしくはホムンクルスに相当するものだと考えられます」

「ふむ…」

 

 不意打ちとはいえ、直接対峙した詠春にも思うところがあるのか、彼は静かに首肯する。

 

「…もう一人、私に似たあの女性は―――私の母…アイリスフィール・フォン・アインツベルンの姿を模した“存在”です」

 

 イリヤは、母の名を口にしても平静を保つ積りだったが、その意に反し眉間が険しくなっている事を自覚する。

 

「……記憶を取り戻したのだな」

「――ええ」

 

 正確には少し違うのだが、エヴァの確認の問いにイリヤは頷く。

 

「アンリマユ、と言っていたな。お前の母の姿をした“存在”とやらに…それは、あの―――」

「いいえ、エヴァさん。…追々話すけど、アレは貴女が今思い浮かべた存在とは…別物よ」

 

 魔法関係者、神秘を扱う人間にとって聞き逃せない言葉……名だからだろう。エヴァは僅かに逸った様子で尋ね、イリヤは否定する。

 エヴァもらしくないと思ったのか、沈黙して静かに聞く姿勢に入る。

 

「正直に言って、私にもどうしてそのような事象が発生したのか原因は解りません。ですがおそらくアレが此処にいる事情には、“私の居た世界”の出来事が関係しているのでしょう」

 

 未だに迷いは在ったものの、イリヤは並行世界に関して先ず話した。アイリとの会話を聞かれた以上、それを隠して話すのは難しい。

 況してや話す相手は、英雄と呼ばれる者の一人と600年の時を生きる老練な真祖の吸血鬼なのだ。そんな相手に隠し通すことや嘘を突き通すのは無理がある。しかも片方は同居人だ。

 まったく話さないという選択肢もあったが、今回の一件にここまで関与し、疑惑を持たれ、今後もネギと関わる以上は論外だ。第一、麻帆良との関係すら危うくなりかねない。

 イリヤは、自分の持つクラスカードの機能に自分の居た世界と。魔術・魔法の関係。神秘の在り方。そして秘儀を利用したある儀式―――聖杯戦争の事。特に此度と関係が深く。自分もよく知る第三回での過ちと第四回、五回目の顛末を大間かにであるが語った。

 無論、自分が聖杯で在る事までは言わないが、それを練成する一族・家系であることは、聖杯戦争との関わりやアンリマユの誕生の詳細を知るが故に説明せざるを得なかった。何より、エヴァの鋭い指摘や追求に誤魔化しは出来ない。

 ただし自分の転移原因も孔に落ちた事が要因の一つとある以外は、明確には解らないとして“抑止力”に関する話は伏せた。

 

「…にわかには信じ難い話です」

「そうだな。あの会話内容から異世界であると予想はしていたが、まさか並行世界だとは……だが嘘だとしても大袈裟すぎる。それにこれでイリヤスフィールの過去や足跡を幾ら調査しても見当たらない理由にも納得が行く。学園長(ジジイ)の奴もそのことに大分頭を悩ませていたようだからな。…まあ、これはこれで頭を悩ませる事になるだろうが」

 

 聞き終えた2人は実に対照的な反応を示した。渋い顔をする詠春と、ククッと愉快そうに笑うエヴァ。

 

「 “外”に至る事で得られる正に奇跡である“魔法”。万能の願望機なる聖杯。それを求める為の聖杯戦争。その結果が―――ただ災厄を振り撒くだけのどうしようもない最悪の呪いの生誕とは。まったく馬鹿げた話だが、魔術師というのはなかなかどうして……聞こえの良い偽善ばかりを建前に振りかざし、己らの所業を誤魔化しているこの世界の“魔法使い”どもよりも、よっぽど好ましい」

「エヴァンジェリン…不謹慎ですよ」

 

 心の底から愉しげに笑うエヴァを窘める詠春。

 目の前にいる少女の一族が関与し、しかも自分達のいる世界にも災厄を―――本山の事件にも母親の姿で関わっているのだ。真面目な詠春がそうするのも当然だろう。だがそんな彼にエヴァは不適な笑みを見せ、

 

「それにイリヤの手元には英雄の力を身に宿せる破格の魔法具まである。しかもその機能は実証済みだ。コレらを“本国”に居る連中が聞いたら、どんな顔をするだろうな……なぁ、詠春」

 

 先ほどとは異なる愉しげな、されど眼だけが鋭く笑っていないその表情を見、言葉を聞いて詠春は数瞬考え込む。

 

「…それは」

 

 いや、考えるまでも無く出た結論は、詠春の顔を十分険しくさせるに値するものだった。

 

「潔癖というか生真面目なお前らしいな。考えないようにしていたんだろうが……信じるにしろ、信じないにしろ。実物(イリヤ)が此処に在る以上、連中は“色々な”意味で興味を持つだろう。危険だと言い始め、真偽を定める為だとか、徹底管理すべきだとか、非人道的だとか、冒涜だとか、正義に反するだとか、何かしら聞き心地の良い建前を口にしてな」

 

 そういってエヴァはイリヤを見詰める。詠春もだ。

 間違い無くMM(メガロメセンブリア)元老院は、万人に聴こえ良い口実と難癖を付けて、この目の前にいる白い少女を自分達の手中へ収めようとするだろう。

 おそらく、多くの人間がその“正義”を信じて、勇んで少女を追い込み捕縛しようとする筈だ。悪魔に挑む聖者、魔王を打倒する勇者の如く。本人の人間性を欠片ほども考慮する事も無く。

 そして、少女を手にし真実だと知れば、元老院の中の……欲に塗れた連中は嬉々としてクラスカードの機能を利用し、更には万能の願望機を―――聖杯を求めて、そこに至る為にあらゆる悪徳を許容するに違いない。

 元老院の悪行……というよりも実体を知る詠春は、今まで以上に苦々しく渋い表情をする。逆にその事実を指摘したエヴァは平然としている。

 

「もっとも、そんな連中程度にイリヤを如何こう出来ると思えないが…」

 

 何故ならイリヤが行使した力を知ったということもあるが、今話に聞いた“魔術師”という者が自分たちが知る道理や常識、倫理という認識の枠外に在る人種だと理解したからだ。

 この興味深い少女は、元老院などの余人や俗物に扱いきれる代物でないことを確信している。自己を脅かす者が居るのならそれこそ遠慮も容赦もしないだろう。

 それに仮に手に落ちるなら、それまでの存在だったと割り切った考えもエヴァにはある。だからこそ心配なぞ端から彼女には無い。

 だが一方でエヴァは、何処と無く嘗ての自分を見るように…この世界の“異端”である少女を見詰め。この少女の行く末がそういった血塗られたもので無い事を……それにイリヤは間違いなく“アレ”を解く鍵に―――。

 

「―――以前にそうならないように、この話を此処で留めておけば良いだけでしょう。その辺りも考慮してこの場には私たちだけしか居ないのですから」

「……フッ、まあ…そのとおりだな」

 

 エヴァの心情を読んだ訳ではないだろうが、そう言った詠春の言葉に彼女は傍からは不敵にしか見えない……自分にも今一つ、如何な理由から零れたか、判断が付かない笑みが浮かんだ。

 しかし、当の言った詠春は頭痛を堪えるかのように愚痴とも言える言葉を零す。

 

「……とはいえ、ここまで話がややこしくなると申しますか、予想斜めに大きくなるとは思いませんでしたが」

「クッ」

 

 それにまた別の笑いを浮かべるエヴァ。

 直接目撃した者こそ少ないが、アイリとイリヤは親子―――正確には同系列のホムンクルス――というだけ在って非常に容姿が似ている。

 応援部隊の中には、本山の状況を確認する為に『遠見』を使用した術者もいたのだ。スクナ召喚とエヴァの大呪文などの影響(ノイズ)で音声は聞けず、映像も不鮮明になっていたが、それでも疑う者は出るだろう。それら部下の処置や関係各所への報告をどのように行なうかは、なかなかの悩みどころである。

 その苦労が判るからエヴァは笑ったのだ。詠春には同情するが、同じ苦労をするあのジジイにはいい気味だと。

 一頻り笑うと彼女は真面目な表情を作り、イリヤの話を纏めに掛かる。

 

「―――脱線した感はあるが纏めると。アレの正体はお前の母親の姿と人格を持ったアンリマユとやらの呪詛で。聖杯か…もしくは別の何かしらの要因で並行世界からこの世界に現れた。その目的は“争いの無い平穏な世界”を実現する事……それがどのような“もの(カタチ)”かは、この際捨て置くとして、その目的を果たす為にあの白髪の小僧に協力、あるいは互いに利用し合っている、というところか……だとすると」

「……問題は、あの少年が何処の何者か。そしてどのような思惑を秘めて天ヶ崎 千草に協力したのか、ですか?」

 

 エヴァの纏めに顎に手を当て思案する詠春。

 アイリの言葉の中には、少年を指す“彼”という言葉の他に“彼ら”というのもあった。つまり白髪の少年の裏には何かしらの組織が存在する可能性が高い。

 直接少年と対峙した詠春はその力量―――格が判る。この本山の結界を抜け、一線を引いたとはいえ、この自分を不意打ちではあるがほぼ一撃で倒した人物。それを思うとその背後にある組織も並では無いだろう。

 そして、イリヤの母親の姿をした存在が手を貸すに足る“目指す願い”―――早い話、目的がある。それも推察するにかなり大掛かりな…。

 

「ふむ…天ヶ崎 千草への尋問は始めたばかり、今のところは今回の主犯は自分であると…本人は証言してますが、それも―――」

 

 怪しく彼女は利用されたのでは…と、詠春は言おうとしてエヴァに口を挟まれる。

 

「その辺はスクナの封印共々任せる。それよりも私たちはもう行く。話すべき事は大体済んだからな、折角麻帆良の外へ出られたんだ。観光を楽しみたい……何か解ったことがあったら、また聞いてやる」

 

 その言葉には言外に、ナギの別荘に案内するという約束の時間まで一通りの調べは終えておけ、という意味が含まれていた。「首を突っ込んだ以上、何も知らないまま、というのも気分が悪いからな」とも続け、茶々丸と共に部屋を後にしようとするエヴァ。それを詠春と見送るイリヤ。

 しかし、

 

「何をしている? 行くぞイリヤ」

 

 障子戸の前で立ち止ったエヴァに呼びかけられる。

 へ? と怪訝な声を漏らすイリヤ。それにエヴァは呆れたようだった。

 

「忘れたのか? 私はお前のお守り役だぞ」

 

 当然のようにエヴァはそう言った。

 

「―――そうだったわね」

「…なんだ? 義理でお前の世話をしてやっているというのに随分な反応だな」

 

 今更思い至ったというイリヤの反応に不快気に眉を寄せるエヴァ。イリヤは素直に謝罪し、微かに笑みを浮かべる。

 

「ゴメンなさい、感謝しているわエヴァさん。―――ありがとう」

 

 元は、近右衛門にできた“借り”から始まった関係……同居生活であったが、それでもこの10日間近い日々で彼女はイリヤを受け容れたようだった。今も当然の如く共にいる事を口にした。

 だからイリヤも謝意だけではなく、ありがとう、と自然と感謝の言葉を口から出ていた。

 

「―――なら、少しは気を回せ。私が外にいられる時間は短いんだ。観光に付き合え……それに久し振りの京都だが、変わっていない所なら案内してやれるし、名所を教えてやれる。並行世界とはいえ、同じ外国人のお前なら色々楽しめるだろう。麻帆良の外に出た事がない茶々丸もな」

 

 イリヤの想いが伝わったのかプイッと顔を逸らし、面倒くさげに仕方なさそうにしながら、どこか照れくさそうに、楽しそうに言う吸血姫を見てイリヤは嬉しくなった。

 色々と遠回しに表現とするエヴァの様子に…素直じゃない彼女に微笑ましくなる。ああ、やっぱり―――

 

(私が好きなエヴァさんでもあるんだなぁ)

 

 と。自分のことを認めてくれているこの世界のエヴァンジェリンを改めて好きになった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 旅館「ホテル嵐山」へ突撃し、疲れ切って寝転び、睡眠を取ろうとするネギ達にエヴァを筆頭としたイリヤ達は強襲。彼等を叩き起こして京都観光へと洒落込む事となった。

 無論、ネギを始め、明日菜たちは寝不足と疲労に加え、市内各所を既にあちこち見回った事もあって抗議したのだが、唯我独尊が人の形を持ったような存在であるエヴァを止めるには至らなかった。

 そして、半ば観光という名の強行軍を強要されたネギと明日菜達であるが、寝不足と疲労が残る体にも関わらず、何とか乗り越える事に成功する。

 

「マスター、満足いきましたか」

「うむ、いった」

 

 公園のベンチに座る一行の中、眠気と疲労の大きいグロッキー気味なネギと明日菜達の横で、文字通り満足気に息を付くエヴァ。不死且つ不老の吸血鬼であるにも関わらず、その顔の肌は何処と無くいつも以上にツヤツヤと輝いているようにも見える。

 イリヤはそれに苦笑する。そんな様子を見ていると外見相応の少女にしか見えないからだ。とても裏世界で恐れられる元600万$の賞金首に見えない。それにしても―――

 

「―――エヴァさんがここまで京都…というか日本文化に詳しいなんて、少し驚きね」

 

 そう、イリヤが言うのもエヴァが京都の名所を見回った際に披露した知識が、観光パンフレットは愚か、仏閣マニアでもある綾瀬 夕映が驚くほど寺やら神社などの由来や歴史に通じていたからだ。

 但し、驚きであっても意外ではない。囲碁や将棋が好きであったり、茶を点てられたり、紅茶よりも緑茶が好きだったり、と。薄々気付いてはいたが、この欧州生まれの真祖の吸血鬼はかなりの日本贔屓らしい。

 

「ん、昔にちょっと…な。この島国の連中には少しばかり世話になっていた頃が幾度かあったんだ。勿論、異文化への興味という点も大きかったが…なんだろうな―――さしずめ、この国で言う“(えにし)”が在ったというところか…」

 

 曖昧な語彙を含み、そう言って空を見上げて何処か遠くを見つめるエヴァ。過去に思い馳せているだろう。

 先程まで外見相応の少女にしか見えなかった彼女が、まるで年輪重ねて老成した大樹のような雰囲気を纏う。

 

「―――――…」

 

 そうして何かを呟いたようでもあったが、その声はイリヤの耳には届くことは無かった。

 

 ―――或いは、この時、エヴァがもう少し踏ん切りを付けられ、もう少し声を大きくしていれば……未来が少し変わっていたのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 程無くして約束の時間となり、詠春に指定された場所へ赴く一行。

 ネギと明日菜は先程少し休息が取れた事もあってか、幾分か疲労を拭えたらしく顔色も良くなっている。特にネギは父の手掛かりを得られるかも知れないと感じている為か、さらに足取りが軽い。

 

「やあ、皆さん。休めましたか?」

 

 一足先に待っていた詠春がネギたちの姿を認め、声を掛けてくる。

 ネギも声に気付いて挨拶を返す。

 

「どうも―――長さん!」

 

 その直ぐ傍で明日菜が「私服もシブイ!」と呟き、刹那が軽くお辞儀を返している。木乃香は何か気付いたようで父の姿を認めるなり、駆け寄ると「タバコ、アカン~」などと言って詠春が手にしていた煙草を取り上げる。

 詠春は、そんな娘の行動を咎める事も無く、ただ苦笑を向けるだけに止め。木々の生い茂る道の奥へ指し示すように手を向けてネギに告げる。

 

「この奥です。三階建ての狭い建物ですよ」

 

 雑草や枝葉に侵食されつつある狭い道を歩き、その道中に詠春がエヴァに報告する。

 

「スクナの再封印は、完了しました」

「うむ、御苦労、詠春。面倒を押し付けて悪いな」

 

 スクナの事を聞いて鷹揚に頷くエヴァ。それに詠春も「いえ、こちらこそ」と相槌を打つ。

 そこにネギが口を挟む。その事件に関わるやり取りを聞いて気になったのだろう。自分が相対した歳の近い少年のことが。

 

「あの、長さん…小太郎君は……」

 

 敵であった相手にそんな気遣わしげな様子を見せるネギを好ましく思いつつ、微かに苦笑して詠春はこの優しい少年に答える。

 

「それほど重くはならないでしょうが、それなりの処罰はあると思います。天ヶ崎 千草についても、……まあ、その辺りは私たちにお任せください」

 

 ネギを安心させるように詠春は言う。

 

「それより、問題の小僧の方はどうなんだ?」

 

 一方、エヴァにとって雑兵に過ぎない狗族(ウェアウルフ)や、利用されていた事にも気づかない千草(おんな)の事などどうでもよかった。肝心の…裏で糸を引いていたらしい本命の方が気掛かりである。

 しかし、詠春は首を横に振る。

 

「現在調査中です。今の所は彼が自ら名乗った名がフェイト・アーウェルンクスであることと…一ヶ月前にイスタンブールの魔法協会から日本へ研修として派遣された事しか…」

 

 おそらく詐称でしょうが、と。実質何も判らず仕舞いの報告を無念そうに、そう締める詠春。

 同時にネギたちに気付かれぬように、念話でアイリの事が伝えられる。

 

(それと、あのアイリスフィールという女性の事は、天ヶ崎 千草と犬上 小太郎は何も知らないそうで、顔も合わせてないとの事です。キャスターという男に関しても白髪の少年に協力者として紹介された以上の事は知らず、彼女らも不気味な容貌の彼に積極的に関わろうとしなかったと…)

「――ふん」

 

 エヴァも半ば予想はしていたのだろうが、それでもその結果が気に入らないらしく不機嫌そうに声を零す。イリヤも予想通りからか沈黙しそのやり取りを静観していた。

 

 

 

 「ここです」

 

 道の奥にある天文台を備えるナギの別荘へとたどり着いた。

 ネギはそれを高揚した思いで見上げ、エヴァも想い人の名残を感じ取ろうとしているのか、熱い視線をそれに向ける。

 中に入ると先ず目立ったのが、巨大な本棚とそれに敷き詰められた大量の本であった。

 

「スゴーイ、本がたくさん」

 

 それに早乙女 ハルナを始め、興奮を隠せない図書館組。明日菜も全体的な雰囲気をオシャレと言い、他の面々も好印象を持ったようだ。

 ただ、エヴァだけは勉強嫌いで魔法学校も中退という事実と基本的に馬鹿っぽいという本人を知る所為か。らしくない、柄にもないな、と真面目に本を読むナギの姿を思い浮かべて可笑しそうに…また少し呆れたように見えた。

 

「彼が最後に訪れた時のまま、保存しています」

「ここに…昔、父さんが…」

 

 詠春の言葉に感慨深く一人呟くネギ。

 そうしてしばらくの時をこの別荘で一行は過ごす。

 ネギは、父の足跡を辿ろうと手掛かりを求め。エヴァはやはり彼の名残を感じ取ろうと見回り。明日菜たちと図書館組もそれぞれ思い思いに別荘内を巡った。

 そんな中、イリヤは別荘の最上部に設置された望遠鏡をボンヤリと見詰め、彼が調べようとした事に思いを巡らせた。

 

(…火星、造り出された世界。滅びに瀕する魔法世界)

 

 彼はそれを救う手立てを求めたのだろう。この世界が自分の識る原作(えそらごと)と近しいなら、きっとそうだろう。

 魔法も5、6個しか覚えていない。お世辞にも出来が良いとは言えない頭を振り絞って“全てを救う”ための回答を得ようと―――

 

「あ、イリヤちゃん」

 

 気付くと明日菜もこの最上部に居た。そして、やっほ、と挨拶するように軽く片手を振ると。直ぐに大きな望遠鏡の存在に気付き、珍しげに見回して覗き込もうとする。

 そんな子供めいた女子中学生の行動を見、微笑ましげにイリヤは言う。

 

「何も見えないわよ。天窓が閉まっているんだから」

「む…ほんとだ、何も見えないわね」

 

 それでも覗き込んだ明日菜は、残念、と口惜しそうする。直後に木乃香と刹那も現れ、明日菜は今しがたイリヤに言われた事を忠告するも、やはり覗かずにいられないのか、2人とも同じ行動を取って残念がる。

 その2人に明日菜とイリヤは顔を見合わせて苦笑する。そして見合わせたまま、思い出したかのように明日菜が言う。

 

「イリヤちゃん、あの時、危ないところを助けてくれて、ありがとね」

 

 それはイリヤがあの海魔を殲滅した時の事を指していた。

 唐突な明日菜のお礼にイリヤは微かに首を傾げる。

 

「ん?…どうしたの、急に」

「いや…何だかんだで、確りとお礼を言えてないなぁ…と思って。あの時も直ぐにネギを助けに行かなきゃいけなかったし、さっきもエヴァちゃんの観光も、えっと…ホラ、夕映ちゃんとハルナも近くにいたからさ」

「…そうね。特にハルナという娘は人間拡声器らしいしね」

 

 イリヤの言いように明日菜も、そうそう、と我が意を得たと言わんばかりに頷く。

 すると、刹那と木乃香もイリヤへ歩み寄って軽く頭を下げる。

 

「私からも、お礼を言わせて貰います。あの時は本当にありがとう御座いました!」

「ウチもや、明日菜とせっちゃんを助けてくれて…ありがとな。イリヤちゃん!」

 

 3人の行動に、何だか照れくさいわね、とむず痒くなるイリヤ。

 しかし刹那は少し思うところがあるのか、いや…やはり疑念があるのか。敬愛する師であり、西を纏める長が―――少なくとも自分達の前では―――何も言わないにも拘らず、出過ぎた事だと思いながらもイリヤに似た女性の事を口に出す。

 

「イリヤさん、助けて頂いた貴女には…その、失礼かも知れませんが、あの貴女に似た女性とは…」

 

 刹那の問い掛け方が詠春のものと同様なので、イリヤは思わず笑みを零す。

 

「師に似て、律儀な性格ね…セツナは」

 

 そのイリヤの言葉に詠春も尋ねた事が理解でき、やはり出過ぎた事か、と恐縮してしまう刹那。そんな彼女の心情を理解しながらもイリヤは答える。

 

「あれは…そうね。私のお母様の亡霊……のようなものかしら」

 

 その答えに刹那は怪異を使役していた不気味な男を思い出す。イリヤがあの男の事を亡霊・怨霊と言っていたからだ。

 

「それは、あの奇怪な魔物を召喚した男と同じ…という事ですか」

「……確かに、アレとも無関係ではないし、似たような存在とも言えなくはないわ」

 

 刹那の疑問に少し考えてそう口にするイリヤ。アンリマユとの関連やサーヴァントに近い肉を持った呪詛(れいたい)という事を思えば、そう言えなくも無い。

 

「でも、余り詳しくは話せない。正直、説明するには事情が複雑な上、話す事で私も含めて貴女達にも不必要なリスクを生じさせかねないのよ」

 

 エヴァが指摘したことではあるが、並行世界や聖杯戦争の事を知ること、知られることはイリヤは元より知る側にも危険があり、また責任も生じる。イリヤが抱える問題はそれだけの難物というか、厄介事でしかないのだ。

 それゆえに説明せずにイリヤは簡潔に刹那に言う。

 

「…言えるのは、あの女性は私の敵であるということ―――私がアレらの仲間では無い、という事ぐらいね。…だから安心してセツナ」

「う…恐縮です」

 

 出すぎた事と自覚していた上、恩人に対し疑念を持っていたことを指摘された為、今度は恥ずかしい思いで口に出して恐縮を示し、文字通りに身体を縮み込ませてしまう刹那。

 イリヤはそんな彼女に首を横に振り、貴女の疑念は尤もだし、それに―――

 

「―――コノカを大切に思うのであれば、当然の対応よね」

 

 と。刹那をフォローする。

 大事なお嬢様を、自分の命よりも重いと定めた大切な人を拉致し、利用しようとした一味の関係者かも知れないのだ。その心情は十分に察せる。例え師や周囲の人間が気を許していても、僅かでも疑念を払拭できないのなら警戒心も残るだろう。

 今のやり取りで一応信用を置いてくれるだろうが、それでも疑いを留める筈だ。

 木乃香の事を出されて頬を赤くし、顔を伏せる刹那を見つつそう思うイリヤ。

 

「でも…イリヤちゃんは、それでええの? お母さんと敵やなんて…」

 

 木乃香がふと思い付いたように心配げにイリヤにそう尋ねる。明日菜も不安そうな顔を見せている。刹那も顔を上げてイリヤを見詰める。

 茶々丸の記録した会話こそ聞いていないが、スクナの祭壇から遠目で見た限りではとても親しげにも見えたからだ。

 

「だからこそよコノカ。アレはお母様に近しいだけの偽者で―――この世界に在ってはならない間違った存在なのだから」

 

 イリヤは、内に秘めた決意から当然のようにそう即答した。

 木乃香はそのイリヤの答えに何か不安を覚え、何を言えば良いか悩んだ。いや…考えられなかったというべきかも知れない。

 そもそもイリヤは全てを話していない。亡霊という意味も、偽者という意味も木乃香には判らない。だがそれ以前にイリヤの言葉の中の母の亡霊だと、偽者だというヒトに対する確かな親しみを…もしくは愛情ともいえるものを感じられたからだ。同時に全く迷いが無い事も…。

 明日菜も同様だ。だからこそ不安になる。あの時、躊躇無く……自分たちの命を危険に晒した相手とはいえ、怪異を使役していた男の首を刎ねた冷然としたイリヤの姿を見たからこそ、木乃香以上の不安を抱き、そして恐れが在った。

 刹那は、ただ幼い少女らしくない強い決意ばかりを感じ取り、感心して内包された感情をそこまで深く汲み取れなかった。

 

 しかし結局、不安を抱いた2人は何も言えなかった。

 返すべき言葉が纏まらなかった事もあるが、口を開く前に詠春が彼女達に話があると呼び掛けて来たからだった。

 

 詠春の話は、ネギの父であるサウザンドマスターの事。20年前の大戦の一端などだ。だが結果的にはネギが望むような手掛かりは無く。父の存在をおぼろげに感じただけで、彼とってこの場所は、幼き日に見た背中の遠さを改めて想い起こさせるだけだったのかも知れない。

 

 それでも此処にきた甲斐はあった、と。ネギは言い。朝倉 和美の提案を受けて皆で記念写真を撮り、イリヤの姿もその写真に並んだ。

 

 

 

 ―――イリヤスフィールという少女がこの世界に居る事を、忘れ得ぬ大切な想い出をとして確かに刻んだのである。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 翌日、イリヤはネギ達と共に麻帆良への帰路に付いた。

 揺れる車内の中、うつらうつらと舟を漕いで半ば眠りにつきながらイリヤは、夢を見るように思い返していた。

 

 『偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)』を真名開放と共に投擲したあの時。

 残念ながらもイリヤは、あの場でアイリスフィールの姿を持つ呪詛の打倒に失敗した。

 

(まさか、弓に携えていないとはいえ、あの至近距離で『偽・螺旋剣(カラドボルグ)』が弾かれるとは思わなかった)

 

 空間を捻じ切りながら放たれたそれを、アイリの影から飛び出した人影―――その手に持つ“真紅の魔槍”が弾いたのだ。

 イリヤは驚きと共に瞬時にその正体を看破し、直ぐに距離を取った。

 確証はないが『アーチャー』の能力で“ソレ”と打ち合うのは危険だと判断したからだ。

 “真紅の魔槍”……真名を開放した『偽・螺旋剣』の放つ力を殺し、見事打ち払ったそれは、『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルク)』。あらゆる魔力・魔術的効果を遮断する“宝具殺し”の魔槍だ。

 その担い手はケルト神話に語り継がれるフィオナ騎士団の英雄ディルムッド・オディナ。騎士団随一の戦士として名を馳せた人物である。

 ただ“輝く貌”とも異名を持つ彼のその美貌は、ジル・ド・レェ同様に黒化の影響を受けたためか、それとも……かの戦いでの末路によるものか、憤怒や憎悪にも似た異相に染まり、見る影も無かった。

 その異様から直ぐにでも距離を詰めて襲い掛かってくるかと思えたが、アイリが止めたらしく。彼はその場から動く事はなかった。

 

「イリヤ、どうして!!?」

 

 代わりに驚愕と疑問が混じった悲鳴染みた声を上げて詰問してくるアイリ。だがイリヤはそれに答えず、両手に双剣を投影し、魔術回路に剣弾を待機させた。

 無言のまま、敵意しか見せない娘の様子にアイリは悲痛の表情を見せる。それでもイリヤは揺るがない。

 アイリには理解が出来ない。どうして娘が自分を拒絶するのか。平穏な世界を創り、家族皆で幸せに暮らすという願いを。アイリスフィールである事を認めてくれた娘が―――何故? と疑問しかない。

 イリヤは既に言葉を語る積もりは無い。母親に近かろうと、アレはもう言葉を尽くして語りかけても願いを捨ててくれる存在ではないと理解できるからだ。

 彼女の言う彼ら―――“完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)”がどのような目的を持ち、どのような手段を使うのかは知らない。

 予想や推測は出来ても確証は無い。そこまでの“原作”の知識が無いのだ……けれど、如何なる目的でも、手段であってもアイリ―――願望器より漏れ出た”願いを叶える呪い(悪意の泥)”が願いを叶える事は、この世界にとって必ず大きな…そして取り返しの付かない歪みになる。

 

「悲しいわ。イリヤ…貴女も、貴女なら、きっと判ってくれると思ったのに……お母様は―――“呪いたい”くらいに貴女を、イリヤのこと、許せなくなりそう。……でも、これが反抗期というものなのかしらね。なら、それを諌めるのも親の務めよね」

 

 穏やかなのに不穏な気配を放ち始めるアイリ。それに呼応し黒化した4thランサーが二槍を構え―――

 

「―――え? でも……、判ったわ。それなら仕方が無いわね。……それに確かに貴方の言うとおり、少し危険なようね」

 

 突然アイリは独りごとを…いや、誰かと念話らしき会話をはじめ、イリヤの背後…その向こうに視線を向けて頷いた。

 その視線の先には、強大な魔力を隠す事無く纏う金髪の少女の姿がある。そう、真祖の吸血鬼にして“最強の魔法使い”であるエヴァ。その危険性を理解したアイリはこの場は退く事を決めた。

 

「それじゃあイリヤ。この場は諦めるけど、近いうちに迎えを出すから。それまでよ~く考えておくこと、良いわね♪」

 

 そう言って、また会いましょうと朗らかな笑顔を浮かべてアイリスフィールは姿を消した。

 そして今更ながらにフェイトの姿がないことにイリヤは気付く。

 その後、ネギたちと合流するも、初の実戦で緊張と疲労が蓄積したイリヤは早々に休みを取ることにし、詠春たちに説明を約束して部屋を借りたのだった。

 

 

 ―――これがあの夜の顛末である。

 

 

 




タグにあるTS詐欺の訳はこれです。
憑依イリヤでは無く、実はHFルートを辿った本物のイリヤでした。
こうした半憑依状態にした理由は、本文にある通り、イリヤにネギ達に親しみを持たせる為です。女性口調と仕草だったのも無意識に自分が本当は女性である事を理解していた為です。

アイリもまた、さらに意外(かな?)な事に本人では無く。それを殻に被ったアベンジャーの出来損ないです。
ただ出来損ないと言っても、膨大な魔力を有し黒化英霊を従えるチートな強敵ですが。


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幕間その2―――暗躍者の2人

 

 京都の某所に在る廃ビルの一室。

 石膏や壁紙などが所々で剥がれ落ち、コンクリート地が剝き出しになっている寂れた部屋にて、穏やかでありながらも明るく軽やかな調子のメロディーが奏でられていた。

 

「♪~~」

 

 それを奏でているのは、退廃的と表するには新し過ぎ、質素や無機質としか言えない。この廃墟の一室にはとても似つかわしくない一個の芸術とも讃えられそうな美貌を有する女性の口元だった。

 その唇は艶やかな桜色で肌は滑らかな白皙であり、卵型の彫りの深い整った顔立ちを十分に引き立て。頭には新雪の如き輝きを持つ銀の髪を飾っている。

 奏でるメロディーに…鼻歌に集中している為か。眼は閉ざされているが、その瞼の下には正に宝石としか形容できない美しい緋の瞳が隠されていた。

 体付きは衣服の上からでも成熟した女性らしい豊満なものである事が判り、その均整は頭身も含めて完璧な比率と造形を見せている。

 そんな稀有な容貌と黄金比の身体を持つ彼女は、何処か幻想的な雰囲気や気品を有し、まるで御伽噺か叙事詩にでも出てきそうな麗しの姫君か令嬢、或いは天上から舞い降りた女神のようであった。

 

 ただ残念なのは、女性の纏う衣服が有り触れたごく一般的な婦人服である事だ。別に似合わない訳では無く。一応上品に取り繕ってはあるが、彼女の浮世離れした美貌を引き立てるには余りにも質素だ。

 加えて、廃墟というこの場所自体もそうではあるが、彼女が坐している物もこれまた何処にでもある簡素なパイプ椅子である。

 誰もが聞き入る(メロディー)を奏で、誰もが見惚れる美貌を持つ麗しい女性が。華麗に着飾る事も無く、廃ビルの一室でパイプ椅子に腰を着けている姿は不釣り合いとしか言いようがない光景だ。

 無論、そんな事で彼女が持つ美しさが損なわれる訳では無いのだが、見る者が見れば、やはり残念に思わずには居られないだろう。

 

「ご機嫌なようだね」

 

 奏でられるメロディーを遮るように、唐突にそんな声が女性に掛けられた。

 それは抑揚が乏しくも幼さを感じさせる少年の声で、扉を失った部屋の出入り口から聞こえてきた。

 日の届きが浅く、薄暗い影に覆われた扉無き扉から足音が徐々に女性の下へ近づき。コツコツと音が大きくなるにつれて、罅割れた窓ガラスから差し込む日の光に照らされ、影から浮かぶように声の主の姿が露わになる。

 それは、学生服のような衣服に身を包んだ、女性と似た白い髪と肌を持つ少年だった。

 その顔立ちは女性に劣らぬほど非常に整っているが、眼の色は青く容貌は似ていない。今滞在している国の人間―――日本人から見れば、家族か何かに見間違うかも知れないが、欧州の人間であれば、赤の他人だと評するだけの違いはあった。

 その少年が姿を見せた事で女性は閉じていた眼を開き、口遊む鼻歌(メロディー)も止めて、彼の問い掛けに応えた。

 

「ふふ…当然でしょう。もう会う事は叶わないと思っていた大切な我が子に会えたのだから」

 

 女性―――アイリスフィールがそう笑顔を浮かべて言う。心の奥底から嬉しそうにし、まるで花が咲いたかのような……或いは童女のような無垢な笑みを見せる。

 対して少年―――フェイトは自ら尋ねたにも拘らず、関心が無さそうな無表情な顔で女性の言葉を聞いていた。

 

「まあ、残念なことに一緒に来てくれなかったけど、そういう難しい年頃なんでしょうね」

「………」

 

 彼女の言葉と口調にはその言葉通り、残念そうな響きはあったが、それとは裏腹に表情の変化はまるで無く、笑顔のままだ。むしろ反抗された事に喜んでいるようにさえ見えた。

 フェイトにはアイリの言う事や、そのように笑みを浮かべる理由は理解できない。

 この目の前に居る“母”である女性と本山で見た“子”であるあの少女と、どのような会話を交わしたのか知らないという事もあるが、そういった人間関係に関わる心理の機微を今一つ分からないからだ。

 

「ところで此処に来たってことは、もう良いのね?」

「……ああ、呪術協会の警戒網は移動した。此方の撒いた囮に上手く引っ掛かってくれたよ」

 

 アイリの問い掛けにフェイトは頷いた。

 そう、昨晩の騒ぎから姿を暗まし、本山から上手く離れられた2人ではあったが、駆け付けた応援部隊―――関西呪術協会によって京都一帯に敷かれた包囲及び警戒網から“抜ける”までには行かなかったのだ。

 予想以上に呪術協会の手が早かったというのもあるが、その原因はフェイトの犯したミスにあった。

 それは、本山の結界を抜けて木乃香を攫いに行った時の事だ。

 あの時、屋敷の中で遭遇したネギ達をフェイトは明確な脅威と捉えず見逃した。その為、東の伝手から西へ今回の騒ぎが早々に伝達されてしまったのだ。

 

 だがフェイトがそのように対応―――或いは油断したのも無理は無い。アイリも責める気は無かった。

 そう、今回の計画は英雄と呼び名が高い“近衛 詠春”という最大の障害さえ抑えられれば、達成したも同然だったのだから。

 西に存在する他の強力な戦力は、常に人材と人手不足から本山から離れがちであり、更に標的でもあった木乃香が西に来ることが決まり、騒動を起こしそうな過激派を仕事を名目にし、残る主要な戦力もそれらの監視を兼ねて共に京都及びその近隣から離れていた。

 その為、脅威となるのは、サムライマスターとも呼ばれる近衛 詠春ただ一人である……筈だった。

 そう、在ろう事か全く予想外な事に、これまたネギを見逃したばかりに応援が駆け付けるよりも早く麻帆良―――東から強力な戦力が送り込まれたのである。要注意であったタカミチ・T・高畑が東を留守にしているという好都合な状況で在ったにも関わらずだ。

 そして今計画は失敗し、現状を示す通り2人は撤収にも手間取っていた。フェイトの一つの油断(ミス)が二重の失態―――東からの救援と西の早期応援―――を招いた為に。

 ただ―――

 

「仕方が無いわ。元々急遽実行に移した穴だらけの計画だったんだから…」

 

 アイリはそう納得していた。

 口には出さないがフェイトもそれには同意していた。何しろ近衛 木乃香が麻帆良を離れて西へ赴く事自体、まったく突然な話だったのだ。

 一応、彼女の存在と利用価値を考え。その動向は以前から注意していたが、麻帆良という厚い壁に阻まれた存在であったが故、その優先度は非常に低く。

 此度のような計画の素案も以前から在るにはあったが―――殆ど検討されておらず、事前の仕込みもされていなかった。

 仮に情勢が不安定な西に彼女が居たままであったなら……と考えなくもないが、それは仮定以前に現実を無視した意味の無い話だろう。

 

「……」

 

 しかしそれなりの手間と労力を注いだのだから、惜しむ位は良い筈だ。

 

 呪術協会内部でノーマークだった東に対して不平不満を抱える千草を見出し、間接的に焚き付けてその気にさせ。

 直前まで伏せられていた木乃香の京都行きの情報をさも自分の努力で手にしたと思わせて。更に護衛に付くのが見習い剣士や子供先生だとも教え、月詠や小太郎といった腕の立つ人間を与えて実行戦力の不安を解消させた。

 そして、間を置いてフェイト自身も千草の下に加わり、彼女の事の運びを監視し、また介入して状況を制御した。

 多少誤差は在ったものの旨く行っていた。安全な本山へ逃げ込んで油断していた所を突いて、詠春と本山そのものを無力化。標的の奪取に成功した。

 そう、途中まではほぼ計画の範囲…本当に旨く行っていたのだ。

 

 ―――ネギを見逃すという失態を除けば。

 

「ふう―――」

 

 知らず内に彼は溜息を漏らしていた。文字通りフェイトは気付いていない。無表情であるが犯した失態に対して反省を抱くならば兎も角、同時に“悔い”を感じているのを。

 

 アイリはそんな彼を見て微笑ましそうにし、声を出さずに笑みを浮かべた。

 アイリもそして“彼女達”も気付き、知っている。彼は自分が思っている以上に人間らしい事を。

 けれど、アイリはそれを指摘する積もりは無い。これは彼自身が気付くべき事柄だと考えているからだ。

 尤も“彼女達”の方はヤキモキしているのか、事ある毎にそれらしい言葉を遠回しに…或いは直接的に言ってはいるが、彼はそんな自分を否定していた。

 まあ、だからこそ彼自身が気付いて、納得して受け入れなければいけないのだが……。

 

(まったく、苦労するわね。あの子達も……)

 

 脳裏に彼を慕う少女達の姿を思い浮かべ、アイリは同情と応援の気持ちを抱く。

 

 そんな事を思うアイリの“彼等”との付き合いはもう4年程に成っている。

 特にまだ幼いと言える少女達―――“彼女達”に対しては、“母親代わり”だという自負と親しみを彼女は持っていた。またそんなアイリに対して“彼女達”も応えるかのように母や姉のようにアイリを慕っている。

 勿論、最初からそうだった訳では無い。出会ったばかりの当初、“彼女達”は得体の知れないアイリに警戒心を抱いていたし、アイリも見知らぬ世界へ来た事に途方に暮れていて心に余裕は無く。彼女達に気を配る事など出来なかった。

 それでも共に過ごし、事態を受け入れる余裕が出来ると互いに歩み寄るようになり―――

 

 ―――アイリは会えない娘への愛情を埋め合わせるかのように。

 

 ―――彼女達は失った親への愛情を求めるかのように。

 

 そうして気持ちを通じ合わせていった。

 

「アイリ、君に聞きたいんだけど」

「ん…何?」

 

 彼女達の事を思い、微笑ましく笑みを浮かべていたアイリにフェイトは視線を若干鋭くして尋ねる。

 

「キャスターのこと…」

「あ、あれは確かに失敗だったわね。抑えてはいたんだけど、どうもあの2人……女の子達の戦いぶりを見て琴線に触れるものが在ったみたいなのよ」

 

 フェイトの責めるような視線にアイリは少し狼狽えながら答えた。

 これは本山に離れる際にも行ったやり取りだった。フェイトは引き上げる時にキャスターの姿が全く見えない事から不審を抱き、アイリに彼の事を尋ねていた。

 アイリはその問い掛けに今と同じく申し訳なさそうに、気まずげに暴走した事を告げた。

 

 アイリにとってもキャスターの犯した行動は本当に予想外だったのだ。

 突然、此方の指示を無視し始め、制御下からも離れ、供給魔力を切ったにも拘らず……宝具までも使用した。いや、彼の宝具であったからこそアイリの魔力供給に関係無く使えたというべきか。あとは黒化に伴ない受肉した状態であった事もその抑えられなかった要因の一つだった。

 

 フェイトはその事実を聞いた時、やはり自分も足止めの為にあの場に留まるべきだったか、もしくはあの場にキャスターを残さず連れて行くべきだったか、と思ったが。優先事項であったスクナと木乃香の事を考慮すると、それはやはり無理な想定であった。

 万が一の事態に備えて鬼神復活儀式の警護を行わなければ成らず、その儀式を行う千草の意識と集中力を削がない為にも、彼女が嫌悪感を抱いていたキャスターをあの場に置いていくのは、最良の判断であったからだ。

 また、あの奇怪な召喚士を本山その物へ連れて行かないというのも、“保険”として機能させる場合の事を考えると選べなかった。

 “保険”である“アレ”を召喚制御するには強大な魔力が必要なのだから。

 もし木乃香の奪取に成功し、スクナの召喚に失敗した場合は彼女を“その核”に。

 彼女の奪取にも失敗していた場合は、本山の“魔力溜まり”―――龍脈に加え、本山に残る呪術師達という恰好の贄を利用する為に。

 

 だが…しかし―――もっと状況を見てからキャスターをこの作戦に参加させても良かったのでは?

 

 と。今もまたそこまで思考を巡らせたがフェイトは首を横に振り、栓の無き事だと覚えた感傷を捨て置き、続けてアイリに問い掛ける。

 

「それは聞いたよ。でもそれじゃあ“保険”として彼を使っていたら、貴女がこの計画を実行する前に言ったように被害を最小限に済ませられたのかい?」

「……そうね。無理かも知れなかった。けどその危惧(リスク)を負っても“保険”として彼を使う事を決めたのはデュナミスよ。それに今回の作戦を実行する以上、一般人にも危害が及ぶ可能性が高いのはとっくに分かっていた事でしょう」

「……そうだったね」

 

 アイリの返答にフェイトは顎に手を当てて考え込むようにして頷いた。しかし頷いてこそいるが、彼が納得していない事をアイリは理解していた。

 いや、キャスターの暴走の危惧だけで無く、今回の計画そのものに心底では納得していないだろう。

 “彼等”が基本的に“人間を殺害する事を禁じられている”という事は知っている…が、中でもフェイトは意味も無く無暗に“ヒト”の命が失われるのを嫌っている。彼がそれを自覚しているかは別として。

 アイリも母と成った身であり、切嗣と共に過ごして様々な事を学んだから命の尊さは理解してはいる。けど、魔術師の一族であり、また大きな力を扱う以上、奪う事と殺す事への“覚悟”は持っている。

 無論、フェイトにそれが無い訳ではないだろうが、アイリの感覚からすると、彼は何処か不覚悟な部分があるというか、“度”が過ぎている気がするのだ。

 

 今回の計画は、近衛 木乃香の強大な魔力によって伝説の大鬼神を復活・制御し、更に呪術協会の過激派を扇動して麻帆良へと進攻させ。その防衛力漸減と中枢結界の破壊…もしくは機能低下と極東の裏情勢の不安定化が目的であった。

 

 当然、これ程の……紛争とも言える規模の騒動を起こすのだから裏だけに止まらず、表…一般人にも人命が損なわれるような大きな被害が生じるだろう。

 その事に、フェイトは納得できないものを感じているのだ。

 しかしそれでも実行に移し、彼が参加したのは、この作戦が将来的な……より大きな計画への布石であると同時に、彼の地に匿われていると思われる“姫巫女”の炙り出し及び捜索も兼ねる非常に重要な作戦と成っていたからだ。

 

 彼の麻帆良の土地は、世界に12ヶ所しかない“聖地”であり、極東最大の霊地でもある為、その巡らされた結界もそれに相応しく。西の本山を遥かに凌ぐ非常に強固な物だ。

 フェイトクラスの実力者であっても外縁部ならば兎も角、中枢の結界を突破し侵入するのは不可能に近い。

 いや、外縁部の結界を抜けただけでも気付かれる可能性は低くなく。その場合、中枢へ至る以前に学園を束ねる極東…いや、“アジア圏最強の魔法使い”である近衛 近右衛門を含めた麻帆良の実力者達を相手する事になり……ただでは済まない。

 “アサシン”達でも全く気付かれずに潜り抜けるのは難しいだろう。何より黒化の影響で『気配遮断』がワンランク低下しているのが痛い。戦闘力そのものは向上しているのだが、彼等は間諜の英霊であり、さして意味があるものでは無い。

 そもそも彼等では中枢結界の突破と破壊は無理である。

 

 だからこその今回の作戦だった。

 スクナの強大な力によって直接的にか、或いは弱った個所を狙い―――西が麻帆良へと進攻するのを陽動にし、内部へ侵入―――破壊工作を実地して中枢結界を破壊。可能であれば“姫巫女”を捕捉し、確保する。

 またどちらも達成出来なかったとしても、西と東の双方を争わせた事によって極東に配置されている戦力は漸減され、情勢も不安定化するであろうから今後も付け込む隙が生じ、最低限の目的は果たせる筈だった。

 ついでに言えば、保険として予定されていた“アレ”であれば、最低限の役割……結界破壊は無理でも機能低下や、戦力の漸減及び情勢の不安定化は狙えると踏んでいた。

 更に状況次第では“アサシン”も投入して西と東の双方をより混乱させる事も出来ただろう。

 

 だが、本命はおろか保険の方まで“暴走”のお蔭で使えなくなる始末。

 ただフェイトにしてみれば、作戦の失敗や失態への悔いは在れど、幸いではないかと言う思いもあった。

 特にキャスターの暴走は彼を使う事への危険性が理解でき、結果としてその危険な保険に頼る事態は避けられたのだから。

 

 またアイリにしてもホッとしている部分はあった。

 彼等の世話になっており、また自身の“願い”の為にも協力は惜しむ積もりは無いのだが、今回の作戦は正直乗り気ではなかったのだ。

 何故ならどうしても“神秘”を多くの衆目に晒す事は避けられないのだから。“魔術師”として秘匿意識が“魔法使い”以上に高い彼女にしてみれば当然の思考だ。

 

 

「―――ふう…まあ、良い。過ぎた事を今考えても仕方が無い」

「……ええ」

 

 思う事を吐き出すように溜息と吐き、気持ちを切り替えるフェイトにアイリも同意して頷く。

 だが、フェイトはまだ気に掛かる事があり、それをアイリに問い掛ける。

 

「だけどもう一つ。貴女の娘……確か、イリヤだったね。彼女の事はどうする気だい? 最後は随分と反抗的なようだったけど」

「ふふっ」

 

 問われてアイリは笑った。楽しそうに、嬉しそうに、邪気のない笑顔でクスクスと。

 

「決まってるわ。聞き分けの悪い子はしっかりと叱りつけないと、況してやそれが自分の子供なら―――尚更に…ね」

 

 彼女の笑顔に合わせ、窓から入り込む日差しによって作られている彼女の影が、主の仕草や動作に関係無く。その笑みと声に応えたかのように怪しく揺らいだ。

 

 ユラユラ、ゆらゆら、と自らの出番を待ち望み、期待するかのように――――。

 

 

 

 




 この回は舞台の裏側―――アイリとフェイト達が事件の裏で何を目論んでいたかを書いています。
 ただ、原作ではここらの事情は全く明らかにされていないので完全にオリジナルと言えると思います。
 あと、解釈が結構強引だとも思ってます。

 アイリがこの世界でそれなりの時を過ごしている事も明らかにしています。
 いずれフェイトと従者の彼女達との出会いなどその辺の話も書きたい所です。


 4thキャスターについて少し捕捉しますと、彼が千草の仲間として加わり、表立って今回の計画に参加していたのは、千草がキャスターに仲間意識を持てるようにし、保険として扱い易くする為でした。
 その方が、木乃香を核とする状況になった場合、千草と余計な揉め事を起さずに済み。面倒が無く。
 また本山の魔力溜まりを利用する場合でも、呪術師である彼女の協力が在った方が楽であるとフェイト達が考えたからです。
 尤も千草(と小太郎も)はキャスターの不気味さのお蔭で、仲間意識を殆ど持てなかったので余り意味がありませんでした。
 恐らく木乃香を核とする事となった場合、仲間割れを起こしていたと思います。


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第7話―――影差せど、平穏なる日々

 

 京都より帰った翌日。

 イリヤは、近右衛門に記憶を取り戻した事と今後の事を相談する為、早朝から学園長室へ赴いていた。

 本当ならば昨日の内に済ませる積もりだったのだが、

 

「うむ…。取り敢えず記憶が戻ったことに関しては何よりじゃ。本国を初めとした関係各所への報告は、此方(わしら)で何とかしておくから安心して欲しい」

 「ええ……迷惑をかけるわ。―――というか大丈夫なの?」

 

 彼女は情報工作を掛ける手間に謝意を示しつつも、近右衛門の体調を心配する。

 というのも、この学園長室に布団一式が敷かれており、イリヤの目の前で彼が寝込んでいるからだ。

 その理由は言うまでもないが、24日の晩から26日の昼近くまで…凡そ三十数時間に亘ってエヴァの呪いを誤魔化す為に、“エヴァンジェリンの京都行きは学業の一環である”という書類に判子を押し続けていたからだ。

 そしてエヴァが学園に戻るなり近右衛門は帰宅する事も無く、そのままこの部屋で寝込んでしまい。イリヤの話は元より、ネギの報告を受ける事も、部下たちへの事件に関わる説明を果たすことも出来なかった。

 その間の―――判子を押し続けた時間も含め―――関東の関係者及び各方面には明石教授が対処・指揮を執っており、事後処理もある程度一任していた。

 

「木乃香が無事だったんじゃ…これぐらいは―――ぐうっ、アタタ!」

「大丈夫じゃないみたいね」

 

 強がって起き上がろうとする近右衛門に吐息するイリヤ。

 

「まあ…強がれるだけの元気があるなら、余り心配は必要ないわね」

 

 イリヤはそう苦笑するが見ても居られなくなったのか、治癒の魔術を近右衛門に掛ける。

 途端―――

 

「―――ぬ?」

 

 彼は痛みの酷い右腕と腰に柔らかい暖かさを覚え、同時に引いて行く痛みに驚きを見せた。

 ホムンクルスの鋳造や調整など、万物の流転をテーマ・研究する錬金術としては金属の扱い以外にも、生物の治癒―――細胞や体組織の代謝制御も比較的得意分野に入り、多少の怪我なら簡単に修復できる。

 

「…助かるイリヤ君」

「いいわよ。色々と世話になっている上に今後も迷惑をかけるだろうから…」

「ふむ」

 

 今度こそ寝床から起き上がり、近右衛門は腕を組んで考え込む。

 並行世界に、魔術と魔法、聖杯と聖杯戦争……等々、信じ難くとも本国に聞かせられない話の中。特に確実に証左が在るのが、イリヤの有する魔力量と過去に存在した英雄の力が行使可能なクラスカード。

 今、目の前で知覚したイリヤの魔術―――秘めた魔力に近右衛門は、長年魔法に関わり培った経験と直感から底が見えない程の奔流を感じた。それはナギやネギは愚か、極東最大の魔力を持つとされる孫の木乃香をも優に凌駕していた。

 

(…この感覚を信ずるならば、彼女の魔力はヒトが保有できる容量(キャパ)を超えておる事になる。おそらくは古今東西…世界中を探してもイリヤ君を上回る魔力を持つ人間は見つからんじゃろう。……いや、或いは神代の頃まで遡れば居るかも知れんが…まあ、考えるだけ無駄じゃな)

 

 下手をすれば、これだけでも本国側から召喚を受ける理由に為りかねない。オマケに彼女の話では、イリヤの母の姿をした呪詛とやらが狙って来るともある。

 

(確かに厄介ごとじゃ)

 

 麻帆良にしてみれば、災いを招く存在でしかないように思える。あくまでも事象を表層的に捉えれば…であるが。

 そう、近右衛門には彼女を放逐する積もりは微塵も無い。

 孫の木乃香を始め、ネギと明日菜など生徒らの危機を救ってくれた恩もあり、自身の信条に反するのは勿論、迂闊に放逐する方が却って危険が大きいからだ。

 もし何もかもを無かった事、見なかった事にして放り出した結果。MM元老院…もしくは協会規模の組織にイリヤの存在と秘密が知られれば、何らかの争いが発生する可能性は高く。下手をすれば、本当にこの世界で聖杯戦争か、それに近い出来事が引き起こされかねない。

 また、木乃香の例を出すまでもなく。イリヤの有する魔力だけでも十分な利用価値があるだろう。ならばこのまま麻帆良で彼女を匿う方が理にかなう。

 それに―――

 

(婿殿の話―――いや、報告によれば、石化の魔法を使った白髪の少年は“アーウェルンクス”と名乗っていた。それが事実であり、“彼奴ら”にイリヤ君の言う“呪詛”が協力しているのであれば……)

 

 近右衛門はイリヤがこの麻帆良に出現した事象に偶然ではない。運命(Fete)めいたものを感じていた。

 

(だとすれば、ナギの子であるネギ君に。アスナ君……いや、“アスナ姫”を守るには―――それに“アレ”に彼奴らを近付かせぬ為にもイリヤ君の力はどうしても必要になる)

 

 黒化した英霊を使役する存在。イリヤの推測では最悪あと6騎…少なくとも4騎の英霊がいるらしいとの事。

 それらが“あの組織”に手を貸しているとするなら、タカミチと自分、それに封印されたエヴァンジェリンに地下に居る“彼”だけでは心許無い。

 黒き英霊らが、イリヤが西の本山で示した力と同等―――世界最強クラスの戦闘力を有しているとなれば、他の人員では麻帆良に屍の山を築く事に成りかねない。本国などは兎も角……関東魔法協会の戦力が、決して他の協会や組織に劣る訳ではないのだが……。

 

(分が悪いのう……できれば、婿殿とワシの勘が外れておれば良いのだが)

 

 脳裏の浮かんだ暗雲を杞憂である事を彼は願った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「エヴァさんに弟子入り…ねぇ」

「はい」

「…まだ弟子にするとは決まってないがな。私の強さに感動したんだそうだ。全盛期の私を見れば、当然の反応だが…まあ、ぼーやのその素直さに免じてテストをしてやる事にした」

 

 近右衛門との話を終えてエヴァ邸に帰宅し、ちょっとしたティータイムを取ると。自然とイリヤが留守にしていた時分、ネギと明日菜がこの家を訪問した時のことが話題となった。

 

「入門テストってことね。どうするの?」

 

 原作のこの時点ではまだ決まっていない筈だが、イリヤは一応訊ねてみる。もし考えてあるなら、どのような物なのかという興味もあった。

 しかしエヴァは首を横に振り、

 

「まだ決めていない…土曜まで間があるからな。それまでにじっくりと考える積りだ。何しろぼーやは基本がまるでなってないからな」

「基本? 戦い方の?」

 

 確かに魔法学校を出たばかりの見習い魔法使いに、本格的な戦闘技能を求めるのは無理があるだろう。

 ネギ自身は、『雷の暴風』や『白い雷』などの攻撃魔法を始め、戦闘を視野に入れて魔法学校では本来教えられない。中位・上位魔法を独学で幾つか身に付けているようではあるが……それだけでは素人の域を出ないだろう。

 しかし天才と呼ばれ、優秀な成績を修めて首席で卒業しており、その分、魔法運用その物に関しての基礎・基本は確りしている筈である…と。イリヤはそう思っていたのだが、またもやエヴァは首を横に振った。

 

「いや、魔法と魔力の使い方もだ。ぼーやの戦いを見る限り、なまじ才能に恵まれたが故の弊害とも言えるのかも知れんが、持ち前の強大な魔力に頼り過ぎている。私と()り合った時もそうだが、先の一件でもな。……あれでは効率もへったくれもない。ただのゴリ押しだ」

「厳しいわね。…にしても魔法学校を首席で出たって聞いてたのに意外な話ね」

 

 そう答えながらもイリヤも思う所が無い訳ではない。直接見た訳ではないので確実とは言えないが。原作を思い返す限り、あの晩の戦いでは明日菜への魔力供給を継続し、足止めの小太郎に対して自身へも供給を行い消費したとはいえ、ネギの行使した魔法は両手で数える程度だ。

 それでも『雷の暴風』の二発と『風花旋風・風障壁』の一回とBランク(上位)相当の魔法を使用しており、まだ見習いの身である事を考慮すれば、十分に大した者なのだがエヴァは不満らしい。

 

「並行世界の人間であるお前に判らんのも無理はないが、幼年期に通う魔法学校など所詮万人向けの参考書程度のものだ。あのぼーやが教師をやっているごく普通の学校が、ガキ共に一般社会の常識を叩き込むのと同様にな。魔法社会で生きる上で必要な最低限の事しか教えん」

 

 エヴァはイリヤに説明くさく話をする。

 

「それに一流アスリートに専任のコーチが必要なように、個人の資質に左右されがちな魔法にも同じような事が言える。だからある意味、魔法学校の成績よりも、ぼーやが今経験している修行期間の方が余程重要なのさ。此処で良い師に付くか、もしくは自身の才覚のみで如何に効率的・効果的に自己を鍛えられるか……が“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”を目指す、見習い魔法使いどもの将来を決めるといって良い」

 

 ぼーやの父親が良い例だな。アイツは中退の馬鹿だったが…とも続ける。

 そう、何処と無く真面目に、そして饒舌に話すエヴァであったが、

 

「と…まあ、色々と弟子入りに乗り気で無いと仰っているマスターですが、ネギ先生の事をこのように心配し、懸命に考えてくれているのです」

「ケケケ、要スルニ照レ隠シッテコトダナ」

「違うわ!! このボケ従者ども!!」

 

 何時ものように茶々丸が本気か、からかっているのか判断の付かない言い様をし、チャチャゼロがそれに悪乗りする。エヴァは直ぐに突っ込みを入れるが、イリヤは茶々丸の言う事がそう的が外れていないので、そのやり取りに笑みが零す。

 しかし、それをエヴァは目敏く見止める。

 

「あ、イリヤ。お前まで何を笑っている!」

「え、あ! いえ…そうだ! 茶々丸、そろそろ店が開く頃だし、買い物に出ない?」

 

 矛先を向けられた事に若干焦るもイリヤは、誤魔化すように茶々丸に視線を転じ話を振る。

 

「…そうですね。まだお昼前ですが、今日はお休みな訳ですし、偶にはそれも良いかも知れません」

「コラッ! 待て! まだ…」

「じゃあ、決まりね。エヴァさんは花粉症だし、ネギの事で考えなくてはいけない事あるようだし、2人で行きましょ」

「なっ! く…イリヤ、お前もか…!?」

 

 普段のイリヤらしからぬ言い様に一瞬驚愕するエヴァであるが、直ぐに不遜な居候へ掴み掛からんとテーブルの向かいへ身を乗り出す。

 しかしイリヤはサッとその場から離れ、エヴァの手は宙を空振り、イリヤはリビングからそのまま外に出る。

 茶々丸もさり気無くも素早くそれに続く。

 

「それでは、行って参ります。マスター」

「ちょっ!? お前らぁ、逃げるなーー!!」

 

 花粉症の為、追おうにも家から出られず、ガーと吼えるエヴァの声を外で聞いてイリヤはクスリと笑う。

 実はちょっとワザとだったりする。何時も横暴な家主に対する軽い反撃と、場に乗じての悪乗りだった。

 

「まあ、後が少し恐いけど、たまには…ね」

 

 そうして、イリヤはほぼ日課となっている茶々丸との買い物に出掛け。途中で苦手だった筈の猫の世話をし。エヴァを宥めつつ昼食に掛かり、その後はまったりとした午後をこの世界で出来た家族と過ごして、夕食の仕度と風呂の準備をして、それを頂き、就寝に入った。

 

 この日はそんな有り触れた一日であった。

 

 イリヤは願う。

 運命に挑む覚悟を抱き、歯車が廻り始めたとはいえ、もうしばらくはこんな優しい平和な日常が続くことを―――さらに願うならば、全てが終えた時、無事に平穏が訪れる事を……ただ祈った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 翌日、イリヤはいつものようにエヴァと茶々丸と一緒に女子中等部を訪れ、近右衛門の指導の下で日課となっている魔法学に励み(尤もこの日は、先の事件の事後処理や情報工作の為に、近右衛門は時間を取られ、またいつもの如くイリヤは自習・独学となったが)。

 放課後、朝の通学と同様にエヴァらと帰宅しようと彼女達を校門で待っていた所、明日菜と木乃香の親友コンビと、その中に加わったばかりの刹那と出くわした。

 

「あら、こんにちは。3人とも今帰り?」

 

 挨拶し問い掛けるイリヤに、明日菜が挨拶に頷く他の2人を代表して答える。

 

「帰るって言うか、これから皆で何処か遊びに行こうかと思ってるんだけど…と。そうだ! 良かったらイリヤちゃんも来ない?」

「え…?」

 

 明日菜の唐突な誘いに思わず惚けた顔を返しそうになるイリヤ。そこに木乃香が明日菜の言葉を引き継ぐ。

 

「せっちゃん、カラオケやボーリングに行ったことないんやって。だからこれから皆で行こ…って話になったんよ。うん、もしカラオケに行くならイリヤちゃんが来てくれるとウチも嬉しいわ。イリヤちゃん、歌とても上手で、また聴きたかったし、せっちゃんにも聴かせて欲しいし……どやろ?」

 

 木乃香の説明とも言える言葉を聞いてイリヤは、そんな話も在ったわね、と原作を思い。普通の友達付き合いに慣れてなさそうな刹那の「お嬢様、私の事はべ、別に…あ、イリヤさんの歌を聞きたくないという訳ではないのですが」と若干頬を染めて照れた表情で言う、そんな言葉を聞き流してイリヤは誘いを受けるかどうか少し考え…。

 

「…そうね。いいわよ」

 

 誘いに応じる事にした。

 そう、今更彼女やネギ達と関わりを避ける理由は無い。イリヤが居り、アイリの姿をした脅威が存在するイレギュラー…この世界は原作(えそらごと)とは異なるソレに近しいだけの現実の世界なのだ。

 さらに言えば今のイリヤが知らないだけで様々な“違い”が存在する筈である。

 この先、アイリと対峙し、彼女がフェイト一味に関わっている以上、こうしてネギ達と信頼関係を築いた方が良いだろう。勿論、そんな打算めいた考えを抜きにしてもイリヤはネギ達と友誼を育みたいと思っている。

 

 明日菜達の誘いに返事をしたイリヤは、まだ校内にいると思われる茶々丸へ携帯に連絡を入れて用件を告げると、エヴァも了承したらしく『楽しんできて下さい』と電話口から茶々丸の声が聞こえてきた。

 

「悪いわね。夕食の仕度も一人で任せる事になるかも知れないけど」

『いえ、お気に為さらずに。それより夕食までには戻られるのですか?』

「ええ、一応そのつもりだけど…もし遅くなるようだったら、先に食べていて、とエヴァさんに伝えておいて」

『ハイ』

「じゃあ、切るわね」

 

 そうしてイリヤは電話を切る。

 そんなイリヤを明日菜は少し驚いた風に見ていた。

 

「イリヤちゃん…エヴァちゃん達と暮らしてたんだ」

「あれ? 言ってなかったっけ?」

 

 それに首を傾げるイリヤ。

 

「ネギとコノカには……教えていたわよね。 聞いてないの?」

「…聞いていないわよ。昨日エヴァちゃんちを訪ねたけど、居なかったし……」

 

 若干不機嫌そうにしてそう答える明日菜。昨日エヴァ邸を尋ねた時の事―――エヴァからネギに惚れたなどと、からかわれた事を思い出して眉を顰めたのだ。

 ちなみにその日は、原作にあった“惚れ薬入りのチョコ”を口にしてもいたのだが、イリヤから贈られたアミュレットのお陰でその影響を逃れていた。

 尤も木乃香が口にした事も変わらず、刹那に激しい求愛とも言うべき行動を取り、それを目撃した明日菜は危うく自分もそうなりかけた事実を知って、ゾッと背筋を冷たくすると共にネギとカモへ厳重な注意をした上で、件のチョコを廃棄していた。

 

「そういえば、ウチも言うの忘れとったな。てっきり明日菜はもう知っとると思いこんどった」

 

 アスナの不機嫌そうな態度をそれほど気にせず、木乃香は朗らか笑いながら言う。

 その後、道ながらに刹那もイリヤがエヴァと共に暮らしている事を知っていたと口にし、「それじゃあ、知らなかったのは自分だけなんだ」とワザとらしく少し拗ねた様子で明日菜は頬を膨らませ。言い忘れた木乃香を睨んだり、それを冗談と判りつつも窘める刹那とイリヤと、軽く「ゴメンなぁ」と謝る木乃香といった他愛も無いやり取りをしながら、ネギも誘う為に彼女達は世界樹広場へと向かった。

 彼が受け持つ授業の終了間際に、何やらその場所で話があると古 菲に言っており、彼女と待ち合わせている筈だからだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 明日菜と木乃香は、イリヤの歌を聞く事を楽しみにしていたようだが、結局はカラオケではなく。イリヤの識る通りに彼女達はボーリング場へ訪れる事となった。

 ネギと一緒にいた古 菲も誘ったところ、彼女が歌う事よりも身体を動かすボーリングを好み。そして―――

 

「ゴメンね。何故か、クラスの半分以上が付いて来てるし…」

 

 ―――と、気付けば明日菜の言うとおり大人数になってしまったからだ。二十数名もの団体を一室に収められるカラオケ店は流石にこの麻帆良にも中々無い。

 人付き合いに不慣れな所があり、騒がしいのも苦手とするらしい刹那を気遣って、幼馴染の木乃香は元より、あの事件で親しくなったネギや自分達だけで楽しもうと明日菜は考えていたのだが―――だから明日菜は刹那に謝っていた。ただ当の本人は気にしておらず「いえ…」と首を横に振っている。

 刹那としては、こうして木乃香の傍に居られる事。そして修学旅行を経て友人となった明日菜と一緒に、こうして遊びに来られた事に変わらないので不満と言えるものは無かった。

 また戸惑いはあるものの、他のクラスメイト達とも……そう、まるでごく普通の女子中学生のように過ごせているという事実に嬉しさを感じていた。

 以前の―――いや、つい最近……修学旅行前までは、そんな級友達を一歩も二歩も引いた位置から見ていただけであったとは思えない状況だ。

 

 云わば、“過ぎたる望外の幸せ”とも言えるものに刹那の心は包まれていた。

 

 尤も木乃香との和解を初め、周囲との関係の変化が急激的で在る為に、それを自覚しているかはまた別であるが…。

 

「うおっ!? くーふぇに続いて七連続ストライク!!」

「わ! スゴイなイリヤちゃん!」

「私とお嬢様は全く駄目でしたのに」

 

 ガコーンと特有の音が鳴り響くと共に全てのピンが倒れるのを見、今投じたイリヤへ歓声と称賛を向ける明石 祐奈と木乃香と刹那。

 

「ホント、スゴイわね。刹那さんと同じで初めてだって言ってたのに」

「…何かコツでもあるのですか?」

 

 レーンから戻ってきたイリヤに感心する明日菜。刹那も少し気にしていたのかイリヤに尋ねる。

 

「別にそう大した事はしてないわよ。フォームと投入時の角度さえ確りとしていれば、ストライクを狙うのはそう難しくは無いわ。ボーリングに力はそれほど重要じゃないのよ」

「むう…なるほど」

 

 イリヤは事も無げに本当に大した事なさそうに言い。先ほど刹那が「力加減が難しい」と漏らしていた事も聞いていたらしく、そのことも正した。

 刹那は頷き、そのまま続けられるイリヤの説明を聞いてフォームの手解きを受ける。その傍では同じく初めてであるらしいネギも熱心に聞いている。

 

「…というか本当に初めてなの?」

「やけに的確な指導よねぇ」

 

 イリヤの説明を聞いて、疑問というか疑惑を抱く円と美砂であるが、実際“イリヤ”は初めてである。

 ただ―――

 

「以前にテレビだか、何かで見た事を実践しているだけよ」

 

 その自分の(なか)に在る“知識”をそう言葉にして2人の疑いを否定した。

 そして視線を転じて、イリヤは古 菲に“勝負を挑んだ彼女達”を見る。そこには挑まれた古 菲と並んであやか、まき絵、のどか…の四人の姿が在った。

 

「アヤカのフォームなんかは中々理想的だと思うわ。真似をするなら彼女のものを参考にした方が良いわね」

 

 イリヤは、体格的に背の低い自分よりも刹那達と同じ年齢のあやかを引き合いに出してアドバイスを続ける。

 するとあやか達の出すスコアから疑問を感じたのだろう。桜子がそんなイリヤに尋ねる。

 

「くーふぇのは? 今のところ一度も外して無いんだけど」

 

 その言葉にイリヤは半ば呆れたように答える。

 

「…アレを真似できると思う?」

「いや、無理やって! あんなデタラメなん!」

 

 関西人の性っぽく、すぐさまにツッコミを入れるかのように亜子がイリヤの言葉に答えた。イリヤも直ぐに「でしょうね。それが正しい認識よね」と頷きながら、拳法一筋チャイナっ娘に何とも言えない視線を向けた。

 

「まあ、古 菲さんですしね」

「…って、理由になってないし、ちづ姉…いや、なんか判るけど」

 

 頷くイリヤに追従するような事を言う千鶴と。それに突っ込んだものの、3-Aの異様さが判る所為か、やはり納得出来てしまい、またその異様なクラスの中で平凡な自分を自覚できている為か、何となく肩を落としてしまう夏美。

 その場にいる面々の視線の先には、

 

 ―――すげぇぇっ! 八連続ストライク!!

 ―――何あの娘ーー!?

 

 周囲からそんな驚愕と歓声を上げるギャラリー達を背景に、出鱈目なフォームでストライクを決める古 菲の姿が在った。

 

 

 

 勘違いから始まった古 菲たちのボーリング勝負は、やはり彼女のパーフェクトゲームで勝利に終わり、勘違いな告白疑惑も誤解だと判明して終わった。

 

「―――こんな事だと思ったわよ」

 

 ネギが古 菲を呼び出した真相―――古 菲への拳法の師事の申し出だと知って、溜息を吐いて苦笑する明日菜。

 その視線の向こうでは人騒がせだと、勝手に勘違いしたにも拘らず、怒りを顕にして古 菲を追い回すあやかを筆頭としたクラスメイト達がいた。

 

「…にしても、くーふぇに拳法かぁ。アイツ、エヴァちゃんにも魔法を習おうとしているし―――」

 

 そう呟くと、明日菜は思うところがあるのか少し考え込む。

 彼女の脳裏に浮かんだのは修学旅行の事件と、その時に刹那に半ば勢い任せで言ったある言葉だった。

 

「うん…そうね!」

 

 そう意を決したかのように言うと明日菜は、視線を周囲に彷徨わせて目的の人物を探す。

 程無くしてその人物は見つかり、此方から背に向けている彼女に明日菜は声を上げて呼び掛ける。

 

「居た…刹那さん!」

 

 その声を聞き止めた刹那は、向かいの木乃香とイリヤから視線を逸らして明日菜の方へ振り返る。

 明日菜は自分の方から彼女達に駆け寄ると、怪訝な表情を浮かべる刹那に声を掛けられた。

 

「どうしました明日菜さん?」

「刹那さん。あの時…修学旅行で言った事を改めてお願いしたいんだけど…」

「え、何でしたか?」

 

 思い当たる事が無い為か、不思議そうに明日菜に再び尋ねてしまう刹那。

 明日菜はそんな忘れている様子の刹那に怒る事も、不愉快に思う事も無く。まあ、ノリで言った事だし、仕方ないかな、と内心で苦笑しつつあの時の言った事を再び口にした。

 

「刹那さん。私に剣道を教えて」

「あ…」

 

 その言葉に刹那は思い出す。

 あの晩―――木乃香が敵の手に落ちた夜を。鬼達を相手に2人で奮戦した最中に明日菜が冗談めかして同じ言葉を口にした事を。

 

「…そうでしたね」

「うん。またあんな事があるのも困るけど、無いとは言えないし―――」

 

 明日菜は一瞬言葉を切り、

 

(別にアイツの為だけって訳じゃない…けど―――多分)

 

 自分でも判らない感情から内心で言い訳をして、少し躊躇いつつも言葉を続ける。

 

「……それにネギもくーふぇに拳法を習うみたいだし、私も真剣に頑張ってみようかなって思ったんだけど…駄目かな?」

「なるほど…そういうことでしたら、私で良ければ喜んで」

 

 あの時とは違い。先の事件とネギの事を引き合いに出し、真面目に言う明日菜に得心して刹那は申し出に頷く。その返事を聞いて明日菜は表情を綻ばせる。

 

「ありがと、刹那さん」

「あ、い…いえ」

 

 明日菜の綻んだ表情と感謝の言葉に、若干頬と赤く染めて照れる刹那。

 

(原作でもそんな感じだったけど…やっぱり“ソッチ”の趣味なのかしら?)

 

 顔を赤くする刹那の…その交友関係の疎さを表す姿を見て、イリヤはそんな邪推をしてしまう。

 そうして微かに赤くなった刹那の顔を思わずジッと見詰めていると照れからか、チラッと明日菜から視線を逸らした彼女とイリヤは眼が合う。

 

 イリヤの何処か訝しむような表情を見た刹那は、イリヤの抱く心情(ぎわく)を察したらしく。誤魔化すようしてやや焦った口調で彼女に言う。

 

「いや! あの…別にこれは、そんなのではなくっ!」

「え? な、なに?」

 

 更に顔を赤く染めて突然、意味不明な事を口走る刹那に明日菜は訳が分からず疑問気に尋ねる。

 

「い、いいえ。何でもありません」

「そ、そう?」

 

 慌てた様子でブンブンと首を振る刹那に、明日菜は幾分か首を傾げて相槌を打つも、内心で「変な刹那さん」と呟いていた。

 

 木乃香は、そんなやり取りを何時もの朗らかな笑顔を浮かべて見詰め。こうして刹那という幼馴染と明日菜という親友の2人が、自分の傍で仲良く笑って一緒に居られる事実にとても大きな幸せを感じていた。

 そう、刹那が麻帆良に来てからずっと思い描き、願っていた事が叶い。まるで奇跡にでも遭遇したような幸福感が彼女の心を満たしていた。

 だからだろう。こんなにも当たり前で、平凡で幸福な日々がこれからも続いて行く事に彼女は疑いを懐かない。

 

 ―――うん、これからは、ずっと一緒や。

 

 木乃香は今在る幸せを噛み締めて心の中でそう呟いた。

 何も知らない、いや…知らされなかったからこそ、自分を取り巻く様々な事情を理解し得ぬまま、無邪気に笑顔を浮かべて……。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 4月のカレンダーが捲られて5月と成り、イリヤが麻帆良へ現われてから凡そ半月が経った。

 

 早朝、まだ日が出たばかりで街の人気(ひとけ)が薄い時間帯。

 イリヤはここ2日連続で通い。これからも日課的に通うであろう世界樹広場までの道程を1人歩いていると、後ろから覚えのある3人分の声が掛けられた。

 

「おはよ! イリヤちゃん」

「おはようございます」

「おはようアル!」

 

 イリヤもその声に振りかえって挨拶を返す。

 

「おはよう、みんな今日も朝から元気ね」

「はは、元気だけが取り得のような物だしね。私とくーふぇは…」

「ま、そうアルね」

「ふふ」

 

 イリヤの挨拶に、冗談めかして苦笑する明日菜に古 菲。刹那も釣られたのか少し可笑しそうに笑う。

 

 3-Aの皆とボーリングで遊んだ翌日からイリヤは、このように目の前にいる3人―――刹那、明日菜、古 菲と先に広場に居るであろう、もう1人と朝の一時を付き合っていた。

 それは先日のボーリング場で明日菜に剣道を教える事になった刹那が、その際にイリヤにも如何かと挑むような視線で誘ったのが始まりだった。

 

 ―――良かったら、イリヤさんもご一緒にどうですか? と。

 

 そう、白い少女に告げた刹那は確かめたかった。

 京都では、あの怪異を圧倒的な蹂躙で殲滅した“力”しか見ておらず、あの白髪少年との戦いも石化の危機に瀕したネギを気遣う余りに直接見る事は出来ず。

 更に言えば、その後に同居人である真名から自身が剣を交えて苦戦した敵―――月詠を全く歯牙に掛けなかった事も耳にしており、イリヤの持つ実力を知りたくなったのである。

 そこには、木乃香の護衛としての立場や、自身もまた常人とは違う強者としての矜持から刺激されるもの……例えば、先の戦いで月詠の前に膝を屈しかけた自分が、それを圧倒した相手に何処まで通じるのか試したいという思いがあった。

 いうなれば、刹那がイリヤを誘った大きな動機は戦いに身を置く者としての、もしくは剣士としての本能や闘争心である。

 

 一方、イリヤとしても刹那の誘いを受けるのは吝かではなかった。

 自分が刹那を始めとした剣士や戦士などと違って、直接戦う役目を持つ…謂わば戦闘員や兵士に向かない。あるいは向いていない人間だという事をイリヤは十分に承知していた。

 先の一件で月詠を取り逃がし、突如現れた母親(アイリ)の姿に動揺してフェイトも仕留めそこなった事実を鑑みれば尚更だ。

 少なくともイリヤは自分の事をそう評していた。

 しかし、今後の事を思うとどうしても自分の向き不向きに関係無く。そういった斬った張ったという事態に自ら飛び込まざるを得ないのは確実であり、刹那の挑むような顔からその意図も了解できた為、これ幸いとばかりに彼女のように若くも経験豊富な剣士と試合え、そして鍛錬と経験を積める機会に乗ったのである。

 なお、この刹那の誘いを受けて鍛錬に付き合うに到って、また不測の事態に備えてイリヤはクラスカードを常時夢幻召喚(インストール)する事にしていた。

 選んだのは魔力消費の観点や遠近双方での高い対応力を鑑みて、先の事件同様に『アーチャー』のカードである。

 

 そういった理由もあって、両者は明日菜が剣道を学ぶ傍らで互いに剣を交えていた。無論、大半は竹刀ではあったが。

 

「今日もよろしくお願いします。イリヤさん」

 

 刹那は歩きながらの談笑の中でイリヤに声を掛けた。その声色と口調とても丁寧で明らかな敬意が籠っていた。

 イリヤはそれに「此方こそ」と気軽に応じてこそいるが、その内心では困惑していた。

 しかし刹那はそれに気付かず、声と同じく敬意を篭もった瞳をイリヤに向け続ける。

 

 刹那は、この数日でこの白い少女と剣を交えた結果に…ただ一太刀も浴びせられない事実に悔しさを覚えつつも、清々しさも感じていた。

 彼女は、自分達と並んで歩くイリヤの姿を見つつ、ただ一度、実戦形式で交えた試合を思い返す。

 

 

 それは才気を全く感じさせない凡庸でありながらも、挫けず高みを目指して極められた太刀筋だった。

 二本の鋭い銀の筋が自身の振るう剣撃を巧みに捌き。そして剣撃を僅かにでも絶やし、或いは隙を見せれば容赦無く。その鋭い二本の刃が此方の剣撃に対して返すように振るわれ、的確に急所に一撃を入れて来る。

 

 それは膨大な経験に裏打ちされた状況把握と対応力だった。

 真っ向から打ち込んだ太刀も、奇を衒った変則的な技も、有無言わせぬ力と速さを持った一撃と奥義も。驚きを示す事はあれど、全て冷静に当然の如く尽く対処され、一太刀も届くことは無かった。

 

 それらは華やかさが欠けた武骨な剣技であり、実戦を重ねに重ねて得られた洞察力で成される技術の極みと言えた。

 一体どれ程の鍛錬を経て、如何なる数の戦場と修羅場を潜り抜けてそれらを会得したのだろうか? 

 刹那はイリヤが剣を取るその佇まいを見る度にそう思い抱いた。

 

 そう、彼女との試合は月詠のような明確な敵対者であり、力量が拮抗する相手と剣を交えるのとは違う。まるで尊敬する長や神鳴流師範代を相手にしたかのような……高く険しくも雄大な山への登頂を挑むような感覚だった。

 故に清々しい清涼とした思いと共に、それ程の実力者の胸を借りられること……云わば幸運に、武を嗜む一人として刹那は喜びを覚えていた。

 

 ―――そうだ。

 

 それはとても幸運で光栄な事だと刹那は思う。

 この見た目幼い少女と剣を交えて、その一挙一動を見、その振るわれる剣と自身の振るう剣が(ごう)を打つ度に、まるで鍛冶場で形に成っていない刀身のように焼き入れされ、玄翁で打たれ、鍛えられるかのような―――自分の技量が高められる感覚を得られるのだから。

 長や師範代に匹敵し、また異なる強さを持つこのような実力者と鍛錬できる機会にそのような感情を持てない訳が無い。

 勿論、だからといって明日菜に剣道を教えるという本分を忘れた訳でも、疎かにする訳でもないが、刹那はこの朝と夕の鍛錬時間に娯楽めいた楽しみを見出していた。

 それは、明日菜とイリヤという新しい友人…いや、“友達”と過ごせるという事実も含まれているのだろうが。

 

 しかしこの日は、何時もと違った光景を見た事から刹那にとって楽しみなその時間が流れる事となる。

 

 

 

 イリヤ達が世界樹広場の入り口に差し掛かると、何かを打ち付けるような音と悲鳴が耳に入り、微かに誰かが話す声が聞こえた。

 此処には、自分達よりも先に古 菲に拳法を師事するネギが来ている筈であり、心配した彼女達はやや早足で―――イリヤは思い当たる事があって―――階段を上ると、気を失って倒れるネギと顔を青くする佐々木 まき絵の姿があった。

 

「ネギ!?」

「ネギ坊主!?」

「ネギ先生!?」

 

 慌てて駆け寄る明日菜、刹那、古 菲。イリヤもそれに続き、動揺する明日菜達を諌めて簡単な診断と治癒魔術を―――当然、まき絵に気付かれない様にネギに掛ける。

 明日菜がそんなイリヤに心配そうに窺う。

 

「大丈夫なの?」

「ええ、大丈夫よ、軽い脳震盪で気を失っているだけだから。とりあえず余り身体を揺らさないようにして貴女達の寮へ運びましょう。これじゃあ、今日の鍛錬は無理だろうし…」 

 

 イリヤは朝の稽古を取り止めて、気絶したネギをこのまま女子寮へ運ぶ事を提案する。

 

「うん、そうね。いつ目を覚ますか判らないし…学校もあるしね」

「そうですね。無理に起こすのも負担になりますし、…仕方がありません」

 

 提案に明日菜は直ぐ頷いて賛同し、刹那もやや残念そうにするも同意する。

 古 菲もネギを心配そうに見ているが……首を傾げて、

 

「しかし、何があったアルか?」

 

 当然の疑問を呟くと、まき絵の方へ視線を向けた。

 自然、残りの面々もまき絵を見詰め。まき絵は「えっと…私?」と思わず自分を指差す。

 まき絵は困惑しつつも、私がやったんじゃないから、と一応弁明しつつ事の経緯を説明して皆を驚かせ―――イリヤはやっぱり、と内心で呟いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 朝の稽古を中止して帰宅したイリヤは家主の姿を見るなり、第一声で唐突に尋ねた。

 

「いいの?」

 

 と。

 イリヤが明日菜達の稽古に付き合っている事を了解しているエヴァは、先程の事情を耳に入れたと察し、その言葉の意味も正確に理解してリビングのソファーに寝転んだまま面倒くさげに返答する。

 直に登校しなければならないというのに、実にのんびりとした物である。

 

「構わんさ、元々弟子なんぞ取る気は無かったのだからな。これぐらいでへこたれる様ならそれまでという事だろう」

 

 その素っ気ない返事は原作の知識にもあるが、何よりもこの2日間、エヴァが何処となく不機嫌そうに過ごしていたので判り切った事だった。

 イリヤから朝と放課後の鍛錬の事を聞いており、またクラスでも例の拳法師事の件が話題に広がっているのだ。

 

「そう…」

 

 だからイリヤも素っ気無く頷いた。とっくに分かっていた事なのだから。それでも聞いたのは一応確認しておきたかったからだ。

 ただ、学園内―――協会でのエヴァの立場を思うと、“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”として将来を大きく嘱望されるネギを弟子に取る事はそう悪い事では無い筈なのだが、今更麻帆良の立ち位置ぐらいで一喜一憂する彼女では無いのだろう。

 むしろ思慮の対象ですら無いのかも知れない……少なくとも近右衛門が関東魔法協会のトップで居る間は。

 それに先のスクナの件で関西を…いや、ひいては日本全体の危機を救っているのだから、既に十分な貸しを持っているとも言え。加えて彼女の有事に於ける有用性も示せている。畏怖も在るだろうがその立場は今までに比べて格段に強化されている筈だ。

 

 エヴァの事はそれで良いだろうが素っ気無く応じたものの。イリヤとしてはこのまま弟子入りの話が潰れてしまうのは正直、困るのだった。

 アイリと対峙し、おそらく原作のようにフェイト一味とも戦う事に成る以上、ネギが力を付けてくれなければ、今後の事態に大きく響くのだ。

 無論、それ以前に起きるであろう事件にも影響は出てくる。

 しかし、そんな心配を懐く一方で自分やアイリなどのイレギュラー以外は、凡そ原作通りに推移している事から多分大丈夫だろうとも思っていた。

 それにネギならきっと乗り越えられる、と。あの頑張り屋の幼い友人への信頼もある。

 イリヤが心中でそのようなことをやや悶々としながら考えていると、今度はエヴァが唐突に意外なこと尋ねてきた。

 

「そういうお前はどうなんだ? 刹那は随分とお前に心酔しているようだが」

 

 それは、此処たった二日程の間で起きた出来事を指していた。

 イリヤには、全く理解できない事に明日菜の剣道……というか、鍛錬に付き合い一度刹那と派手に仕合ってからというもの彼女の態度は急変し、まるで師を仰ぎ見るような視線を向けてくるように成ったのだ。

 頭痛を堪えるようにしてイリヤは口を開く。

 

「…私は別に弟子を取った訳でも、師事されている積もりも無いわよ。むしろ教わる側よ。そもそも借り物の力なんだから教えられる物じゃないんだし……まあ、流石にそれでセツナがあんな目で私を見る事になるとは思わなかったけど」

 

 刹那の敬意以上のものが篭もった眼差しを思い出してイリヤは、はぁと深く溜息を付く。それを見てエヴァは愉快そうにククッと笑う。

 

「それならいっそ話したらどうだ? 自分の持つ力の事を。刹那はベラベラと他人の事情を喋るような軽率なヤツじゃない。人格的にも信用できる人間だ」

「……」

 

 イリヤは顎に手を当てて僅かに考える素振りを見せる。一考の価値があると思ったというよりは、刹那が向けて来る視線をそれでどうにか出来るなら……と、つい本気で考慮してしまったのだ。

 しかし、直ぐにイリヤはハッと一瞬浮かんだ馬鹿げた考えを放棄しようとしたが、エヴァはそんな彼女に畳み込むかのように言葉を続ける。

 

「流石に英霊を降ろせる事までとは言わんさ。ただドーピング的な力を持つカードとだけ答えておけば良い。幸いにもアーティファクトカードという物がこの世界にはあるんだ。似たような物だと思わせる事は出来るだろう」

「……だとしても、やっぱり無理があり過ぎるし、危険だわ。特殊な魔法具なのだと話すにしても、道具の持つ機能だけで“最強クラス”の力を得られる代物なんて」

「まあ、実際その通りの魔法具なのだから改めて考えるとそら恐ろしいな。……だが、いずれにしてもカードに頼る以上は、何らかの形で誰かしらに気付かれる可能性はあるんだ。今のうちに上手い言い訳を考えておくなり、身近にフォローしてくれる人間やコミュニティなりを作っておくべきだろう?」

 

 エヴァは愉快そうな笑みを潜めて、そう真剣な表情をして言った。それは確かにその通りで正しい指摘である。

 一応秘匿も兼ねて今のように常時夢幻召喚(インストール)を行なってはいるが、状況によっては思わぬ解除が起きたり、使用するカードを変更する時も当然あるだろう。

 だがもしそんな時、周囲に事情の知らない人間が居たら? そして見られたら?……カードの機能を追及されるかも知れない。

 英霊の力をその身に降ろせる魔法具。高価で貴重な触媒も、高度で複雑な術式も何ら消費も必要とせずに、ただ相応の魔力を対価とするだけで世界最高位に達しえる力を容易に得られるのだ。

 知れば何をしてでも欲しがる者は掃いて捨てるほど居る筈だ。

 イリヤとしては、少なくとも見ず知らずの相手なら誰であろうと追求されても話す積もりは無いが、件の状況に遭遇すれば、その人物は自分の圧倒的な力がそのカードによって齎されている事に気付く可能性は高い。

 そうなると、相手次第であるがその人物から情報が漏れる可能性も出てくる。口止めを行なったとしても何処まで信用できるかも怪しい。暗示や記憶消去という方法もあるが、それも必ずしも出来る訳ではないし、最悪、自分の手で口封じしなければ成らなくなる。

 命を奪う事に今更躊躇する積もりなど無いが、それは出来る限り避けたい事だ。

 

「…そうね、エヴァさんの言うとおりだわ」

 

 微かに嘆息してイリヤはエヴァの指摘の正しさを認めた。

 対策としては大間かに、このまま上手く常時夢幻召喚(インストール)を維持し続けるか、他のカードをなるべく使用しないか、もしくはエヴァの言うように予め誤魔化せるだけの事情をでっち上げる事と。イリヤのみならず、知る側にもリスクを負わせるのだとしても、近右衛門とエヴァなど以外にも傍に信用できる者の協力を取り付けることだろう。

 それも可能な限り多くの……。

 

「ああ、そう思うのなら急いだ方が良いだろう。私のような吸血鬼でもないお前がそんな見た目(ナリ)で、先日の修学旅行であれだけの力を見せ付け、尚且つ昨日、一昨日だかに神鳴流剣士である刹那を圧倒したというのだからな」

 

 聞いた話だとそれなりに話題になっているそうだ、ともエヴァは付け加えるように言う。

 

「え、それは…?」

 

 どういうこと? と。学園長が情報工作を約束してくれた事からイリヤはエヴァの言葉に疑問を持つが、直ぐに彼女は説明してくれた。

 曰く、やはり先の一件に於けるイリヤに関する情報を完全に隠蔽するのは難しかったという事だ。

 勿論、並行世界や聖杯と言った尤も重要な事は、知る者が限られているので一切漏れてはないのだが、イリヤという不可解な少女が麻帆良に存在する事や、関西の騒ぎで何かしらの役割が担った事が“裏”で知られつつあるのだという。

 その原因としてはまず、サムライマスターこと詠春の居る西が陥落しかけた事と、同じくサウザンドマスターと呼ばれる英雄ナギの息子である、ネギ・スプリングフィールドが事件に巻き込まれた事での話題性があり。

 次に、闇の福音と呼ばれ、恐れられるエヴァが一時的ながらもその封印が解除され、最強たる彼女が西の本山へと乗り込んで、復活しかけたリョウメンスクナという破格の鬼神と対決したという注目度があった。

 この2つの要因が事件に多くの耳目を集めさせており、そんな中でエヴァに先駆けて救援としてイリヤが赴き。更にその際に緊急時とはいえ、本来部外者であるイリヤに学園の転移ポートを使用させた為、学園内……引いては関東魔法協会全体から注目を集め。それらの情報が外部に拡散し始めているのであった。

 

「とまあ、そういうことだ。それでも麻帆良の外はまだ何とかなるが、これでは事情の多くを知る内側では隠し切るのは限界だ。ジジイの言い付けで学園内の魔法使い連中を抑えるのもな。些細な噂話でもお前に関わる事なら耳聡く聞き付けているらしい。さっきも言った刹那を云々というのもそういう訳だ」

「むう」

 

 イリヤは思わず唸る。

 そしてどうにもまた自分の知らない所で色々と厄介な噂なり、事態が進行しているらしい事に内心で頭を抱えた。しかも以前のようなネギとの恋人疑惑などという深刻さとは無縁な事とは全く違う。

 まあ、とはいえ……一応、このような事態は覚悟していた事であるから、それはそれで許容できるのだけど、と。そこでイリヤは今更気が付いたかのように関西の方はどうなのか尋ねる。

 

「ん、そっちの方は然程問題無いらしい。というのもあそこの連中は、基本的に一部を除いて江戸時代の日本以上に閉鎖的だからな。ふう……詠春も苦労する。あの“大戦”が起こるまでは改善が進んでいたんだがなぁ…まったく」

 

 エヴァは何やら複雑な事情を後半ブツブツと言うが、西に関してはとりあえず心配要らないとの事だった。

 安堵の溜息を吐きつつ、学園内での言い訳を考えて眉を寄せるイリヤ―――しかしそれにしても不思議に思ったのは、どういう訳か、今のエヴァの言葉の中に西に関して同情めいた響きを感じさせた事だ。

 

(私の知る限り、原作では語られなかったけど……先日の京都での事や日本贔屓な事といい。やっぱり過去に何か日本に対して深く思い入れを持つ出来事があったのだろうか?)

 

 エヴァが京都で見せた思慮深げな遠い視線を脳裏に浮かべ、イリヤはそんな事を思う。

 気にはなるが、半月程度の付き合いの自分が尋ねるべき事でもないとも思い。口には出さなかった。

 と。そこでエヴァを見詰めて、またふと気付く。

 

「エヴァさん」

「ん…なんだ?」

「どうしてエヴァさんが今のような事情を?」

 

 基本的にエヴァの学園内のアンテナは高くない。それは無頓着というよりもやはり先述のように余り興味が無いからだ。

 それに近右衛門が聞かなくても勝手に愚痴のような形で色々と漏らしてくるからだ。エヴァにとっては面倒な事でも。

 そして、今回もそういうことだった。

 

「…さっき、見回りの最中にジジイと会ってな。……全く、人が仕事中だというのにグチグチと……」

 

 それを聞いてイリヤは何気無い話から始まった会話であったが、エヴァなりに気を回して自分に警告してくれた事を理解した。

 それも刹那という身近な付き合いと成った人間を出し、クッションとして柔軟に受け止められるように。

 もし、いきなり本題―――イリヤが注目され、学園内で不穏当な視線で見られつつある事から告げられていたら、戸惑いばかりで考え込み。より頑なな思考に陥っていたかも知れない。

 些か誘導された感はあるが、前向きな結論を出せた事を思うと。ぐうの音も出ない上に素直に感謝せざるを得ない。

 

(まあ、エヴァさんにとっても学園長の思惑どおりに演じている事で、不満はあるんだろうけど…)

 

 そんな事も思う。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「―――と言ってたから、エヴァさんは本気みたいよ」

 

 イリヤが登校して図書室に篭もっていると。昼休みにネギと明日菜、刹那、古 菲の朝の稽古仲間の中に木乃香が加わってイリヤを訪ねて来た。

 ネギにしろ、明日菜にしろ、イリヤがエヴァと同居している事は知っているので今朝の事情を確かめに来たのだ。

 一応、エヴァ本人にも尋ねようとしたのだが、登校している筈なのに見掛けられず、授業どころかHRにも現われずサボっているのだから尋ねようが無かったのだ。

 そしてイリヤは、そんな彼らに今朝聞いたエヴァの言葉を繰り返すようにキッパリと答えたのだった。

 

「やっぱり、そうですか…」

 

 その答えにネギはガックリと肩を落とし、古 菲は「困った事になったアルね」と唸る。

 

「ネギ坊主は恐ろしく飲み込みは早いし、才能はあると思うが…2日だけでは如何にもならんアルよ」

「じゃあ、エヴァちゃんとこの弟子入りは駄目ってこと?」

「ネギ先生は、格闘については素人ですから…」

 

 明日菜が疑問を呈すると刹那はうーんと考えるように唸ってから答えた。

 すると木乃香が身を乗り出してイリヤに尋ねる。

 

「イリヤちゃん、ほんとに如何しようもあらへんの?」

 

 木乃香の言葉には、エヴァの考えが変えられないかというニュアンスが含まれており、それを察したイリヤは静かに首を振った。

 

「そんな~」

 

 イリヤの仕草に木乃香は悲鳴めいた声を上げる。すると今度は明日菜が不機嫌そうに口を開いた。

 

「でも、原因はくーふぇに拳法を習うことが気に入らなかったって事よね。それだってネギなりに考えて決めた事なんだから、エヴァちゃんも怒る前に少しは考えてくれても……ちょっと身勝手なんじゃない? もう一度そこの所を確りと話して―――」

「そうは言うけどねアスナ。話して分かって貰えたとしても……いえ、今朝は勢いでエヴァさんは言ったのかも知れないけれど。それは多分、理解していると思うわ。ネギが自分なりに考えた事だって」

 

 だからこの2日間、エヴァさんは不機嫌そうにしながらも黙っていたんだろうし、と言葉に出さずにイリヤはそう内心で思う。

 しかし明日菜としてはイリヤの言葉に余計に納得できないようで、より眉の角度を吊り上げ、

 

「だったら―――!」

 

 食って掛かろうとしたが、イリヤは遮って先程の言葉から続けるようにして穏やかな口調で嗜める。

 

「だけど、エヴァさんが一度口にした事を翻すと思う? それにどちらにしてもテストする事には変わりは無いんだし。例え今回の件が無かったとしても、出される課題の難易度はそんなに変わらなかったと思うわ」

「……」

 

 明日菜は思わず沈黙し憮然とする。イリヤの言葉に納得し切れなかったが、的を射ているとも感じたからだ。

 それでも明日菜は、反論する為に再び口を開く。

 

「それでも刹那さんの言うとおり、ネギは格闘技の素人よ! それじゃあ、幾らなんでもふこうへ―――」

「いえ…! 確かにイリヤの言うとおりだと思う」

「!…ネギ」

 

 ネギが明日菜の言葉を遮る。

 

「あのエヴァンジェリンさんが、簡単なテストをするとは思えませんし、これは自分の選んだ決断が招いた事なんですから。…なら自分の力で、嘆くよりも今出来る事を確りとやって、頑張って乗り越えないと…!」

 

 先程まで肩を落として浮かべていた情けない表情から一転し、決意に満ちた顔でネギはキッパリと宣言する。

 

 そうだ。此方は弟子にして貰う身なんだ。その為に出されるテストの課題に文句を言える立場なんかじゃない。例えそれがどんなに厳しくて困難な物でもだ。無理だって決め付けて、それを言い訳にして諦めるなんてのも…そうだ。

 それにくーふぇさんに拳法を習うのだって自分が必要だと思ったからだ。

 それを課題にされたっていうなら、それが必要だったんだって、間違いじゃないって、絶対に茶々丸さんに一撃を当てて認めて貰うしかない。

 

 ネギはそう思い決意を固める。

 

「ですから、必ず合格して見せます!」

 

 その宣言に一瞬周囲は唖然とするも、直後に感嘆が籠った声と息を漏らす音が彼女達の間に漂った。

 イリヤも同様に感嘆の思いを抱き、嬉しそうに笑みを浮かべ、

 

「頑張ってね。期待してるわよ」

 

 と、声援を幼い友人に送った。

 ネギは―――少なくとも彼にとっては―――同年代である女の子の友達の声援に笑顔で返事をする。

 

「うん。イリヤの期待に絶対応えてみせるよ!」

 

 

 そう、白い少女の緋色の眼に視線を合わせて力強く頷いた。

 

 

 




 再び日常回に戻りました。…イリヤの周辺がキナ臭くなっていますけど。

 イリヤが木乃香以上の魔力の持ち主というのは、魔力消費の激しいサーヴァントを従えて戦う聖杯戦争のマスターとして特化されたホムンクルスであり、肉体の七割が魔術回路で構成された聖杯であるから…そう設定しています。

 刹那のイリヤへの印象は…まあ、勘違いというやつです。それ以外に言いようがありません。
 本分でもあるようにイリヤはこれにかなり困っています。


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第8話―――彼女と彼女の事情 前編

今回と次回は結構オリジナル色が強いです。


 閉じていた目を開け、俯き加減だった視線を時計へと転じる。

 時刻は朝の5時過ぎ、それに彼女は何となく既視感を覚えたが、これといって気にする事もなく固まった身体を解そうと大きく背を伸ばして首を捻った。

 

「ふう…もう朝かぁ…。記憶が戻ったお陰か、以前と比べたら大分慣れた感はあるけど、やっぱり一晩掛けて魔術を使うのは堪えるわね」

 

 この2日間近くを此処で独りきりで過ごした為か、イリヤは独り言が増えたようで思考を無意識に口に出していた。

 

 そこは全面が石張りの小さな部屋だった。

 5m四方の狭い部屋で、飾り気は一切見当たらず、窓さえも無く。あるものと言えば天井近くの小さな換気口と壁に掛けられた時計ぐらいと、非常に殺風景な場所だった。

 

 ―――ただし、床に描かれた銀色の文様を除けばであるが。

 

 それは水銀で用いて描かれ、固定化された直径3m程の魔法陣だ。それだけでこの殺風景な部屋は、ある種の存在感が増して異質な雰囲気を漂わせていた。

 その魔法陣の中心にイリヤは歩を進め。そこに置かれた一振りの野太刀…正確には鍔や柄さえも無い、刀身のみのそれを手に取る。

 

「う~ん。上手く行っていると思うんだけど…」

 

 慎重に扱い、様々な角度から鋭利な白刃を見定める。

 

「こういう時こそ『アーチャー』の能力は便利よね。…解析開始(トレースオン)

 

 エミヤ特有の解析の魔術を使用する。

 そして、秒という時間も掛からずにその実態を把握する。

 

「うん! 最後に試しにやって見たけど、初めての武器加工にしては上出来ね! 上手く行った! あとはしっかりと拵えてセツナに試験的に使って貰うだけね」

 

 予想以上に上手く言ったことに喜びを隠さず、イリヤは満面の笑みを浮かべて頷いた。

 

 

 

 イリヤは仕上がった代物を保管に利用している隣室に移し、帰り支度を整えると階段を昇って地下である其処から上がり、その建物を後にした。

 当然、鍵を掛けて魔術的な施錠も忘れてはいない。

 その建物は、濃淡な黒で配色されたかつて喫茶店であった所だった。そう、以前、明日菜の誕生日を祝ったあの場所である。

 

 何故イリヤが閉店した喫茶店に居り、そこで魔術を使っていたのか?

 それは、つい先日記憶を取り戻した事と今後の相談を行ったあの日。イリヤが以前より近右衛門に申し込んでいた例のアミュレットの件が正式に認められ、工房としてこの物件……元喫茶店を借りる事が決まったからだ。

 その際に近右衛門は、より工房として扱い易く改築を行ない。その作業に“あちら側”の人間を投入したらしく。驚くべき事に僅か数日で先の地下室を築いていた。なおそれらの費用は全て彼自身が先行投資として負担している。

 イリヤとしては正直、普段からも様々な面で世話になっている近右衛門に、文字通りそのような大きな“借り”を作りたくは無かったが、現実として先立つ物も他に頼れる伝手も無く。

 また製作した魔術品…あるいは礼装の品質を拘るなら、如何してもこういった工房は必要だった。

 半ば仕方なく。作る以上は満足の行く物を作りたいという思いもあって、イリヤはソレらの厚意と施しを受け入れたのである。

 

 そして、ここで作られたアミュレットを初めとした魔術品は、全て近右衛門―――関東魔法協会が買い取る事となっており、その流通も学園内に留ませる積もりであった。

 それは、本来ならば必要となる各種免許などを近右衛門の監督下という建前で誤魔化す為でもあるが……もう一つ、イリヤの事は余り口外できない事情もある―――また言い方は悪いが彼女の事情を隠蔽し伏せながらも、その存在を利用してでも早々に戦力の強化は図らなくては成らない…という形振り構って要られない思惑もあった。

 勿論、それは西などと争う為ではない。純粋にこの学園の防衛の為だ。

 

 そう、先日の京都の事件以降、ある懸念が高まった近右衛門としては、それは急務な事案なのだ。

 そういった意味では、この工房の設置は学園側たっての希望と言え、貸し借りなども初めから無いと言って良いのかも知れない。

 

 

 

 エヴァ邸への帰路の途中、イリヤは同じく帰路に付いた思われるエヴァと茶々丸にバッタリと会った。

 

「エヴァさん達も今帰り?」

「ああ、お前もそうみたいだな。…む、かなり疲れているようだが、大丈夫か?」

「ええ、でも流石に一晩、というか…この2日ほど魔術を行使し続けたのは堪えたわ。お陰で何とかノルマはこなせたけど…」

「ジジイの奴も、なかなか無茶な注文を付けたからな…」

 

 エヴァとしては本当に珍しく気の毒そうな同情の視線を向けており、イリヤはそれに苦笑で応じるしか無かった。

 何しろその注文と言うのが、試作品のアミュレットの改良正式型ともいうべき代物と、魔法効果値の上昇ないし魔法出力を増幅させるタリスマンの製作……凡そ10ダース分をこの週内に納入して欲しい、というものだったのだ。

 その2種類の魔術品をそれぞれ10ダース。計240個もの製作を、しかもたった1人で…それがどれ程の無茶な依頼かは推して知るべしだろう。

 イリヤは疲労の籠った苦笑を浮かべつつも、今日あった筈の気になる事を尋ねる。

 

「それより、そっちはどうなったの?」

「ああ、弟子に取る事になった。ぼーやの粘り勝ちだ」

「…はい、とても立派でした」

 

 エヴァは呆れたように。茶々丸は感慨深げに答え。その頭の上でチャチャゼロも「ガキノクセニ良イ根性ダッタゼ。ナカナカ楽シカッタ。ケケケ」と笑っていた。

 

 ―――そっか、ネギは無事に合格できたか。

 

「良かった」

 

イリヤは安堵の声を零した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 帰宅し朝食を終えてイリヤがその片付けをしている最中。同じくキッチンにて片付けを行なっていた茶々丸が何処かソワソワした様子でイリヤに話し掛けた。

 

「あの…その、…疲れている所、本当に申し上げ難いのですが、…この後、お時間を頂けないでしょうか?」

 

 先のエヴァに続いて珍しい事に何時もの無表情ではなく、本当に困ったような表情を見せて言う茶々丸にイリヤは少し驚きながらも応じる。

 

「えっと…如何したの?」

「あ、その、……駄目でしょうか?」

「そうは言ってないけど」

 

 そう言いながらもイリヤは正直な所、身体中に圧し掛かる鉛のような疲労のため、非常にベッドが恋しかった。

 2日間近くを工房で過ごして魔術を行使し続けたというのもあるが、満足な睡眠を取れていないという理由もある。

 それは別に納品を間に合わせる為に寝る間を惜しんで…という訳では無い。

 では、何故か…というと―――あの工房にはベッドどころか布団すらも無かったのである。

 それなら持参するなり、街でその布団なり寝袋なりを購入すれば良かったのだろうが、当初はそれに気付かず、気が付いた時には疲労が蓄積した頃合で、買いに行くのも取りに戻るのも億劫に感じてしまい。彼女は固い床の上でシーツ一枚に包まって睡眠と休憩を取っていたのだった。着替えなどは忘れず持って来ていたのに…。

 今にして思えば、一度差し入れに来てくれた茶々丸に頼んでも良かったかも知れない…いや、携帯や念話で連絡しても良かったかも。幾ら忙しかったとはいえ、マヌケ且つ少し迂闊だったなぁ…とイリヤは内心で反省する。

 しかし、珍しくこうも困った様子の茶々丸を前にしては、それらを正直に告げるには抵抗があり、

 

「分かったわ。それじゃあ用件を聞かせて」

 

 結局、イリヤは疲労と睡眠欲を堪えて了承の返事をしてしまう。

 

「ありがとうございます」

 

 まあ、それでも……こうして感謝され、また珍しくも顔を変えて嬉しそうな表情を浮かべる茶々丸を見ると、良いかなと思ってしまうイリヤだった。

 

 

 

 そうして片付けを終えた後。茶々丸の頼みを引き受けて再びエヴァ邸から外出し訊ねたのは、ネギ達が住まう女子寮であった。

 その目的地であるネギ達の部屋の前でイリヤはチャイムを鳴らす。

 ピンポーンと独創性の無いありふれた音が鳴り響いて程無くし、「ハーイ」という返事と共に玄関のドアが開かれた。

 

「あれー、茶々丸さんにイリヤちゃんや、どうしたん?」

 

 出迎えてくれたのは木乃香だった。

 

「―――……あの、木乃香さん。ネギ先生は…」

「ネギ君? うん、いるえ」

 

 「おはよ、コノカ」と軽く返事をするイリヤの横で、やや口篭って尋ねる茶々丸に木乃香は答えると、後ろを振り向いてネギに呼び掛ける。

 はい、とネギの返事が聞こえ、直ぐに彼は玄関に現われた。

 

「あっ、ど、ど、ど、どうも、茶々丸さん。イリヤ…」

 

 昨晩から今朝に掛けてのこともあってか、茶々丸の姿を見とめたネギは少しどもりながら挨拶をする。

 

「おはよ、ネギ」

「……あ、ネギ先生。お傷のほうは、大丈夫ですか?」

 

 イリヤも挨拶をし、茶々丸は遅れて少し途惑った様子でネギに声を掛けた。

 ネギは、それに笑顔を浮かべて答える。

 

「ハイ、見た目よりも全然たいしたこと無かったです。茶々丸さんが加減してくれたお陰だと思います」

「そうですか、それは良かった」

 

 命令とはいえ、自分のやった事で怪我を負わせてしまった為に、そのネギの返事を聞いて普段と変わらない抑揚の乏しい声ではあったが、茶々丸は心底安堵したようだった。

 そうして、彼女は手にしていたお見舞いの品を渡し始める。

 イリヤは原作を知るが故に、そんな茶々丸自身にも自覚できていないであろう心の機微を察せ。微笑ましく彼女を見た後、ネギに視線を転じて思わずその顔をまじまじと見詰める。

 

(漫画じゃあ、実感は掴めなかったけど。こうして現実で見るとなんというか…結構酷い顔ね、これは…)

 

 顔の所々に張られた絆創膏に頬を覆う大きなガーゼ。左眼の下には青い痰が出来ている。

 ネギの幼いながらも、整っている美少年な顔立ちが見事台無しになっていた。もし、アヤカがこれを見たら倒れるんじゃないだろうか? とそんな事さえ思う。

 顔だけでコレなのだから、服の下も相当傷だらけ、痣だらけだろう。

 判っていた事だったとはいえ、実際にこのようになったネギを見て、イリヤは苛立ちにも似た何とも言えない感情が沸き立ち―――ふう…と、ソレを吐き出すように微かに溜息を漏らし……早速、此処に来た目的に取り掛かることにした。

 とはいえ、此処では人目に付く恐れがある。だからイリヤは木乃香とネギに声を掛ける。

 

「ネギ、コノカ。ちょっと部屋に上がらせて貰っても良い?」

「あ、うん」

「ええよ」

「あ…」

 

 イリヤの申し出にネギと木乃香は頷くも茶々丸は躊躇ったような声を漏らし、イリヤはそれを気にもせず、迎え入れてくれた部屋の住人達に続いてさっさと玄関の扉を潜った。

 茶々丸も若干逡巡したものの、その後に続いた。

 

 

 部屋には当然、明日菜が居り刹那もお邪魔していた。

 2人は修学旅行でお土産に買っていたらしい生八つ橋を口にしながら、イリヤ達に軽く頭を下げるだけで挨拶をし、イリヤと茶々丸もそれに応えると。生八つ橋を飲み込んだ明日菜は僅かに目を見開いて、この意外な客人達に口を開いた。

 

「珍しい…っていうか、2人とも私達の部屋に来るなんて初めてよね。どうしたの?」

「うん、ちょっとね。…ネギ、こっちに来て私の向かいに立ってくれない」

「いいけど…何?」

 

 イリヤは尋ねる明日菜に曖昧に答えつつ、自分の傍にネギを呼んで目の前に立たせる。そしてその彼の頬へ手を当てた。

 

「え…!? あ…!」

 

 一瞬驚いたネギであるが直ぐに自分の身体を包む柔らかな温かみに、イリヤが何をしているのか理解する。

 

「ほう」

「ん…?」

 

 刹那も判ったようで感嘆の声を漏らすが、明日菜は以前経験したにも拘らず判らない様で疑問気に首を傾げた。

 あの時のように暗ければ、ネギを包む微かに灯る光が見えて明日菜にも判ったかも知れないが、残念な事に太陽が高く上りつつある時間帯故に、部屋に入る日の光が強すぎた。

 ただ、木乃香はその資質から感じ取れたようで刹那と同じく感嘆の声を上げる。

 

「わあ、スゴイなぁ。これもまほーやの、ネギ君の怪我を治しとるん?」

「あ、そうなんだ」

 

 明日菜も木乃香の言葉を聞いて理解し、あの時の…修学旅行で自分に掛けられた事も思い出した。

 

「そういや、イリヤちゃんも…その、ホイミとかケアルっぽい回復魔法というのを使えたんだっけ」

「ホイミ…ケアル…って」

 

 その明日菜の某大作RPG的な例えに、イリヤは思わずガクリと力が抜けそうになった。

 内心で、まあ、確かにそのような物なんだけど、とも思ったが。

 すると、何故か脳裏に覚えの無いこと―――巨躯で逞しく、筋肉の鎧が頼もしいギリシャの大英雄…バーサーカー(ヘラクレス)に電池を買いに行って来るように命令する自分の姿が浮かんだ。

 

(―――!? ってなにそれは! そんな馬鹿げた事してないわよ!?)

 

 妙に実感的なソレに、半ば愕然としつつ慌ててそんな珍妙な妄想を振り払う。

 

 

 十秒ほどで治療は完了し、イリヤはネギの頬から手を離した。

 本来なら態々触れる必要は無いのだが。今のイリヤは疲労しており、魔力も消耗しているので負担軽減と魔力節約の為に直接触れて治癒魔術を掛けたのである。

 

「これでよしっと、…どう、まだ痛むところはある?」

「ううん、全然無い。イリヤの治癒は完璧だよ」

 

 ネギはそう答えて、顔の絆創膏やガーゼを外して治癒が効いた事を見せる。

 

「そう、良かったわ」

「うん、ありがとうイリヤ。僕はこういった魔法は得意じゃなくて、本当に助かったよ」

「ホンマ凄いな、顔の腫れや痣が見事に無くなって。ウチもまだまほーのことよう判らんから助かったえ。ありがとうイリヤちゃん」

 

 ネギに続いて我が事にように喜ぶ木乃香。もしかしたらこの時点で既にこういった治癒魔法―――誰かの為になる魔法への興味や憧れが芽生え始めており、直にそれを見られたので少し興奮しているのかも知れない。

 イリヤは木乃香の様子にそんな事を思う。

 

「どういたしまして…と。だけどお礼なら私だけじゃなく、茶々丸にも言ってあげて」

「え?」

「元々、貴方を治療して欲しいってあの子が言ってくれたから、私は今日此処を訊ねたのよ。もし茶々丸が申し出てくれなかったら、貴方が怪我した事に私は気が回らなかったと思うから…」

 

 実際、イリヤは直ぐにでもベッドに向かおうと思っていたのだから間違いではない。原作の知識でネギが怪我を負ったであろう事を知っていたのにも拘らず、その治療を考えもしなかったのだ。

 イリヤの言葉を聞いて、ネギは驚きつつも直ぐに笑顔を向けて茶々丸にお礼を言う。

 

「そうだったんだ。…ありがとうございます茶々丸さん」

「いえ…その、こちらこそ幾ら試合とはいえ、ネギ先生に…私、」

 

 思わぬネギのお礼を受けて、茶々丸は奇妙に戸惑いながらも謝罪の言葉を口にしようとし、

 

「そんな、気にしないで下さい…!」

 

 ネギがそれを遮る。

 

「あれはテストだったんですし、さっきも言いましたけど、茶々丸さんはしっかりと加減をしてくれたお陰で僕は大した怪我をせずに済んだのですから。それに、それでも茶々丸さんが手を抜かずに…半ば僕の我侭に付き合ってくれて、しっかりと相手をしてくれたから僕は合格する事が出来たんです!」

「ネギ先生…」

「だから、僕がお礼を言うのは当然で、役目を果たしてくれた茶々丸さんが謝る必要なんて無いんです」

「…ハイ。ありがとうございます」

 

 誤った謝意を示そうとする茶々丸を見て、ネギは―――それも彼女の優しさなんだ、と思いながらも―――必死で真剣に語りかけると、茶々丸は笑顔でお礼の言葉を口にした。

 ネギは初めて見た茶々丸の笑顔に一瞬見惚れるも、冗談めかしたふうに「ですから、お礼を言うのは僕のほうなんです」と、プッと吹き出したように笑いながら応じ、茶々丸も「そうでしたね」とやはり笑みを浮かべて答える。

 イリヤは、先程までの余所余所しげな茶々丸の様子を思い、やれやれ…ね、と内心で呟きながらも今の彼女を見て微笑ましげに苦笑する。そうでなくはわざわざ茶々丸に話を振った甲斐が無いと言うものだ。

 

「まったく、世話が焼けるわね」

「でも、やっぱり良い人だよね茶々丸さん。こうして心配して来てくれたんだから」

 

 手間の掛かる弟のようなネギの世話を焼いている為か、明日菜は直感的にイリヤの言葉の意味を察して、同様に苦笑してそう答えるかのように言った。

 そやね、と木乃香も言い。刹那も微笑ましげに頷いた。

 しかし、そんな温かくも穏やかな感慨を浸る間も無く。騒がしげに玄関からチャイムが鳴り響き、木乃香や明日菜がそれに応じるよりも早く扉が開かれ、2人の少女が部屋に上がって来た。

 

「ネギ君! ネギくーん! 私も受かったよーっ! 選抜テスト!!」

 

 現われたのはまき絵と、そのルームメイトである亜子だった。

 今回の弟子入り騒動の発端であり、その責任からネギを心配し応援していた一人と、やや暴走しがちだったその友人を心配してこの一件に付き添い。やはりネギの事も心配になったもう一人だ。

 特にまき絵はこの一件で、自身と似たような事情を偶然にも重ねたネギを応援し、また応援してくれた彼が懸命に頑張り、その常に進もうとする姿勢と合格した姿に勇気付けられ。それを糧に自分にあった壁を破り、またそれに伴いネギに対する心境を変化…あるいは発展させたようだった。

 その彼女がここを尋ねたのは弟子入りへの一件の関わりや、怪我の心配とその心境に加え、今しがた彼女が言った通り、自分も無事合格したという報告の為であった。

 

「えーっ! 本当ですか!? まき絵さん!」

「うん! やったよネギ君!!」

「おめでとうござます!」

 

 盛大に喜ぶまき絵に釣られてか、ネギも大袈裟に驚き。まき絵がVサインして続けた言葉に今度は同じく喜びを表して祝いの言葉を告げた。

 そして、まき絵の事情を理解していた面々…明日菜と木乃香も無事合格できた事を喜ぶ。

 

「へー、丁度良かった。今さっき茶々丸さんが美味しいお茶を持って来てくれたんだし、お祝いのお茶会を開こうよ!」

「あ、えーな。それ!」

 

 その2人の言葉にまき絵と亜子も反射的に頷くが―――直後、今の明日菜の言葉の中に含まれた人物の名と、部屋にいる件の彼女の存在に気付いた。

 

「「―――って、わぁぁあ!! 茶々丸さん!!?」」

 

 彼女たちの主観では、容赦なくネギを叩きのめしている様に見えていただけに、2人は悲鳴を上げて後ずさる。

 それに明日菜は「コラコラとホントは良い人なんだから」と2人に注意する。

 イリヤは、そんな彼女らを微かに苦笑しながら残念そうに言う。

 

「ふふ、…私も一緒に祝いたい所だけど。今日はもう帰らせて貰うわ」

「え? もう…」

「もうちょっとゆっくりして行ってもええやん」

 

 明日菜は疑問気に、木乃香はやや不満そうに言った。

 そんな2人とは対照的にネギと刹那は、気付いたようだった。

 

「イリヤ、ひょっとして…」

「…お疲れなのですか? 昨晩もそうですが、もしやこの2日ほどお会い出来なかったのも…」

 

 イリヤは、「まあ、ちょっとあってね」とだけ言い。それ以上は何も答えなかった。

 疲れているのにも関わらず、治療しに来たと知られて余計な気を遣わせたくなかったからだ。尤も2人は察してしまったのだから余り意味は無いのだが。

 明日菜と木乃香も気付いた様子で、やや気遣う様な目線でイリヤを見ていた。

 それらのネギ達の様子にイリヤは、上手く顔色を取り繕っていた積もりだったけど…と口惜しみつつ、向けられる目線を気にしない振りをして笑顔で茶々丸に告げる。

 

「それじゃあ、私は先に帰るわ。茶々丸は代わりに…と言ってはなんだけど、ゆっくりして行ってね」

「…ハイ、ありがとうござました。イリヤさんこそ、家でゆっくりとして下さい」

「うん」

 

 頷いてからイリヤは玄関へ向かうと、ふと気付いて振り返る。

 

「そういえば、まだ言ってなかったわね。―――ネギ、合格おめでとう。これからも大変だろうけど、頑張ってね。…あ、マキエもね。部活頑張って、応援してるから」

「うん、ありがとう、イリヤ。頑張るよ!」

「あ、ありがとう、イリヤちゃん」

 

 お祝いの言葉を述べて声援も送り、イリヤは「じゃあ、また明日ね」と別れの挨拶を交わして女子寮を後にした。

 

 だが、

 

 ……後にして思えば、もう少しこの場に留まるべきだったのかも知れない。

 それは例え、身勝手なエゴなのだとしても、興味本位で魔法へと関わろうとする少女達の事を思い忘れていなければ在り得て。

 平凡で退屈であろうと、平穏な世界に彼女達を置いておく事が出来た可能性だった。

 しかし一方で、それはそんな事では覆すことなど出来ない意味の無い思索なのかも知れなかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 翌々日。

 一日休みを置いて、またもや朝から工房に閉じ篭り、魔術品や礼装の製作と研究に取り組んでいたイリヤであるが、近右衛門も―――魔術への理解が未だ乏しいが故に驚いて―――イリヤに掛かる負担を知っては、流石に依頼を控え……それにて急ぎの仕事も無い事から、先日と異なって日が暮れる頃には彼女は帰宅する事ができた。

 

「―――お前たちの魔力容量は強大だ。これはトレーニングなどでは強化し難い天賦の才。ラッキーだったと思え」

 

 帰宅し珍しく人の気配が濃いなぁ、とイリヤは思いつつ気配がする二階へ上がると、そこにはエヴァと茶々丸の他にネギ、木乃香、刹那の3人の姿があった。

 エヴァはその3人の前で黒板を背景に、何処かの“赤いあくま”を髣髴させるように普段は身に付けていない眼鏡をわざわざ掛け、何やら講義めいた事をしていた。

 それを見、彼女もそんな変な風に形から入るタイプなのだろうか? とイリヤは密かに思う。

 

「但し、それだけではただデカイだけの魔力タンクだ。使いこなす為にはそれを扱う為の“精神力の強化”。あるいは“術の効率化”が必要になって来る。…どっちも修行が必要だな」

 

 エヴァは黒板に筆を走らせて、図や文字を使って更に説明を続けようとし―――

 

「ちなみに“魔力”を扱う為には主に精神力を必要とし、“気”を扱うのは体力勝負みたいな所があるんだが―――」

 

 途中で、ピシッと手にしたチョークが折れ、彼女は生徒である筈のネギと木乃香の2人に唐突に大声で怒鳴る。

 

「人の話を聞け! 貴様らーーっ!!」

 

 叫んでテーブルにダンッと両手を叩き付けるエヴァ。

 その怒鳴り立てられた件の2人はというと。

 

「あううー…明日菜さんとけんかしちゃった……どうしようぅ」

「まーまー、ネギ君」

 

 1人は半泣きで、床にのの字を書きながら情けない声を出して項垂れ。もう1人はそう深刻に捉えていないのか、お気楽そうにそれを慰めており。全く聞いている素振りが窺えなかった。

 何のコントよ、これは…とイリヤは思わず呆れた。

 いや、原作でもこういう事があったというのは理解していた。…けれど、実際にして見ると、やはりまた違った感想が出てくるのであった。

 やっぱり、工房に閉じ篭らずにエヴァさんの誘いを受けて、ネギの修行に付き合うべきだったかしら?……でも、結果的にこの喧嘩(?)を経て、明日菜との絆が深まる訳で……あの場に居たら何か口を出してしまいそうだったし……それに原作と違って例えそうならなくとも、この件を引き摺って何時までも仲違いし続けるほど2人は物分りが悪い訳じゃあないしね。

 ……でも、男の子がこうも情けなくウジウジと半泣きする姿は、見苦しい物があるわね。

 と。そんなこと考え、思いながら、はぁと溜息を付くイリヤに、

 

「お帰りなさいませ」

 

 と茶々丸が、

 

「む、帰ったか」

 

 と、一度こちらに振り返ってエヴァも今更であったが挨拶をしてきた。

 

「うん…ただいま…」

 

 イリヤも内心の思いを押し込めて一応それに応える。

 だが、いい加減ウジウジと項垂れるネギを見かねたのか、エヴァはまた怒鳴り付け。一方で明日菜と仲違いする様を「いい気味だ、もっとやれ」などと言って、クククッと楽しそうに笑い飛ばすという矛盾する姿を見せた。

 

「あうう」

 

 それに更に落ち込むネギ。

 エヴァはその様子を見て本格的にもう相手に成らないと感じたのか、対象を木乃香へと変えて話題も切り替える。

 

「木乃香、お前には詠春から伝言がある」

「父様の?」

「真実を知った以上、本人が望むなら魔法についても色々教えてやって欲しい、との事だ」

 

 あー、何で私がこんな面倒な事を…と、内心で呟きながらもエヴァは言葉を続ける。

 

「確かにお前のその力があれば、偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)を目指す事も可能だろう」

「マギ…それってネギ君の目指しとる…?」

 

 木乃香は魔法に触れてまだそれほど間は無く。知識が皆無な為に実感も薄いからか、唐突な話に表面上余り驚きを示さなかったが、それでも神妙にエヴァの言葉を受け止めたようだった。

 エヴァは頷いて、彼女もいつに無く神妙な様子で木乃香の疑問に答える。

 

「ああ、お前の力は世の為、人の為に役に立つかも知れん。考えておくと良い」

 

 エヴァの言いように、木乃香は唸りながらも顎に手を当てて真剣に考え始める。

 

「お嬢様…」

 

 刹那はそれを心配するように声を掛けて彼女の傍に寄る。しかしその声には、剣を振るうしか能がない自分がその悩みに如何様な言葉を掛けるべきか判らない、という迷いも篭もっていた。

 

「…さて、次はぼーやだ」

 

 エヴァは、木乃香に対して考える時間を与えるように、ようやく落ち着いた様子を見せたネギに再び話題を転じた。

 

「これからの修行の方向性を決める為、お前には自分の闘い方のスタイルを選択して貰う」

 

 完全に落ち着いたネギは、そのエヴァの問い掛けにまじまじと考えつつ説明を聞いて行く。

 エヴァの提示したスタイルは2つ。

 

 従者に前衛を任せた、安定した後衛型である“魔法使い”。

 

 従者と連携して自身も直接、敵に当たって戦い。また状況次第で後衛にも移る汎用型の“魔法剣士”。

 

 前者は、常に後衛に位置し文字通り魔法の行使と状況を見極める事に集中でき、機を見て的確な呪文…または大呪文の行使が比較的容易なスタンダートさがあり。

 後者は、前衛にも対応出来る反面、臨機応変さを要求され、高度な身体強化や体術という戦士の能力に加え。手早く魔法をこなせる“魔法使い”としての能力も必要なやや難解なスタイルだった。

 

「どちらも長所短所がある。小利口なお前は“魔法使い”タイプだと思うがな」

 

 その通りだろう。先の説明に加え、前者は後衛に専念するが故に前衛が倒れるか、抜かれた時点で負けが濃厚となるが。後者はその心配が無く、どちらにも対応できる分、身体強化に魔力を取られ、更に無詠唱などの手早い魔法が求められるが故に、どうしても火力に欠けるのだ。

 ネギの強大な魔力を活かす事と、これまでの戦いを見る限りでは、どちらかと言えば前者の方が向いている筈である。

 しかし、エヴァ自身は強制する積もりは無いようだった。

 ネギの才能から、どっちを選んでも無難にこなせると見越しており、また本人のやる気にも関わる事であるので、多少なりともネギの意思を尊重しているのだ。

 それに、どちらを選択しようとそれなりに“モノ”になるまでは、一切の反論・反抗を許さずに徹底的に扱く積もりなのだから、方向性を選び取るだけの自由は与えなくては…などという、やや穏やかではない考えもあった。

 

 ネギは僅かに黙考すると尋ねる。

 

「父さ……サウザンドマスターのスタイルは…?」

 

 エヴァはその言葉を聞いて、自然に頬が緩んで笑みが零れた。

 このぼーやにして、やはりあのナギ(バカ)の存在を無しには語れないか…と、内心で呟いてから答える。

 

「…私やあの白髪の小僧の戦いを見ればわかるように、強くなってくればこの分け方はあまり関係無くなってくる―――が、あえて言うなら、奴のスタイルは“魔法剣士”。それも従者を必要としない程、強力な…だ」

「―――…」

 

 ネギは答えを聞いて、何処か満足気に納得したように頷いた。

 

「やっぱり、という顔だな」

 

 エヴァはネギの顔を見てからかうように笑い。父を意識した事に恥ずかしさを覚えたのか、ネギは慌てて誤魔化すように首を振る。

 そんな彼に早まって即決しないようにエヴァは「ま、ゆっくりと考えればいい」とやんわりと釘を刺して、木乃香に視線を転じた。

 

「木乃香、お前にはもう少し詳しい話がある。下に来い」

「あ、うん。了解やエヴァちゃん…」

 

 さっきの事を蒸し返すように話を振られた為か、木乃香は少し途惑うも直ぐに返事をしてエヴァに続いて階段に向かう。

 ―――が、誘ったエヴァが不意に立ち止まり、イリヤに肩越しに顔を向ける。

 

「イリヤ、お前も来てくれないか?」

「え…私? …いいけど」

 

 我関せずと黙っていたイリヤは、突然声を掛けられて驚きと疑問を抱くが、向けられるエヴァの真剣な視線から直ぐに応じ、木乃香の後に続いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 イリヤと木乃香がエヴァに連れて来られたのは、この家の地下だった。

 下というのだから、てっきり一階のリビングで話をするのかと思っていた2人はやや面を食らったが。黙ってエヴァに促がされるまま、地下の一室…上に比べると、随分と印象の異なる高価そうな調度品が並ぶ部屋へと入り。その中心近くにあるソファーに2人は腰を下ろした。

 そして黒檀のテーブルを挟んで向かいにあるソファーにエヴァが座ると、木乃香が一番に口を開いた。

 

「この家、地下なんてあったんや」

「ああ、魔法使いとしての嗜みのような物だ。色々と一般人には見せられない“こと”や“モノ”を隠す為にも、こういう人目に付き難い地下室や秘密の部屋というのは必要なんだ」

 

 少し驚いた様子の木乃香に、簡単に答えるエヴァ。

 イリヤは既に知っていたことなので何も言わない。わざわざ地下にまで来た理由もある程度察していたが。それでも自分が呼ばれた理由には見当が付かなかった。

 一方、木乃香はまったく判る筈も無く。エヴァに尋ねる。

 

「でも、何でわざわざ此処へ下りて来たん?」

「…此処ならぼーや達に聞かれる心配が無いからな」

 

 疑問の答えに、まあ、そうなんだろうな、とイリヤは内心で頷く。

 

「みんなに聞かれたらアカンことなん?」

「どうだろうな? その判断は木乃香…お前自身に任せる」

「……それって、此処で聞いた事をウチが話してもええって思ったら、皆にも話してもええってこと?」

「ああ」

 

 エヴァは肯定して頷く。

 何処かそんな悠然としたエヴァとは対照的に、木乃香は僅かに身を固くして緊張した様子だった。何となくであるが直感的にあまり楽しくも無い、好ましくも無い、重い話がこれからされるのを理解したからだ。

 すると部屋の扉が開かれて、まるで計ったようなタイミングで茶々丸が紅茶を出してきた。

 ほのかに良い匂いが漂い、口に運ぶと舌に感じる軽やかな甘味と嗅覚へ広がる優しい香りに、木乃香の緊張が微かに解れた。

 それを見、エヴァは茶々丸にネギ達を此処へ近付けさせないように命じてから下がらせ、話し始める。

 

「…さて、先ず言っておくが、これから話すのは直接魔法に関わる事ではない。早い話先程まで行なっていたような知識を教唆する授業めいた物ではない」

 

 顎に手を当て、考え込むような素振りを見せてからエヴァは口を開いた。

 

「お前が…近衛 木乃香が、今後魔法に関わらないと決めたとしても、“此方の世界”を知り、自らの資質を理解した以上は頭に入れて置かなければならないことだ」

 

 やや難解な言いようだが、其処に選択権が無いというニュアンスが含まれている事は木乃香にも理解できた。

 そんな木乃香の様子を窺いつつエヴァは、真剣な面持ちで語り始める。

 

「お前の父は、旧姓を“青山”といって、刹那も扱う“神鳴流宗家”の家柄の出だ。加えてその本人はその実力と実績……先の“大戦”で英雄と評された事から、西の長にと関西呪術協会から輩出された人物。そして祖父は麻帆良の土地の守護を任じられた分家とはいえ、“近衛”という名が示すとおり、この国の裏にて“最も貴き御方”を傍で代々守護してきた名家。家系だ…」

「っ…―――!?」

 

 木乃香は思わず息を呑んだ。

 神鳴流というのは未だよく判らないが、“最も貴き御方”というのが何を指すか理解できるからだ。あの祖父や自分がそんな大それた家の出自だとは思っても見なかった。

 

「まあ、だからこそ(みやこ)から遷った“彼の御方達”を守る為に“近衛家”が指名され、今の東京へ渡った訳だが―――」

 

 驚きに目を見開く木乃香を前にしつつ、エヴァは構わずに話を続ける。

 

「―――神鳴流も元は今の京都…云わば“彼の御方達”が居られた(みやこ)を守護する為に組織された集団。だが自分達と差して変わらぬ立場である筈なのにそれを置いて、わざわざ“近衛”が指名された事に神鳴流は思うところが在り過ぎたらしい。他の西に残った…或いは残らざるを得なかった退魔師の大家も同様だった。……いや、“彼の御方達”を東京へと遷す事自体が不遜だと思ったのかも知れん。それがこの国の裏事情が西だと東だと分かれる切欠にもなった。……尤も私から言わせれば、これは最近叫ばれるようになった問題で、あの天海の奴が徳川の幕府で権力を振るい始めた頃から軋轢が出始めていたと思うが…まあ、これは蛇足だな」

 

 余計な事を言ったな、と言わんばかりに一度言葉を切り、エヴァは紅茶を口に含んでから再度話し始める。

 イリヤは、天海という所でエヴァが忌々しそうに、また知っているような口振りに成ったのが、僅かに気になったが何も言わずエヴァの話を聞くことに専念した。

 

「その後、明治政府が自国を守る為に。また列強と対する為に積極的に西洋文化を取り入れて、“魔法”もこの国へ本格的に入って来た…それを政府同様に東は積極的に取り込んだ。外来の脅威を理解する為にも、対処する為にも当然の成り行きであるが、それを西は先の事情から厄介な感情を抱いて邪道と蔑み、伝統への冒涜だと非難した。この両者の争いは、主張の食い違いや罵り合いに始まり、遂には互いに血を流すまでに到った」

 

 まったく些細な事で…どうしようもない、とエヴァは内心で呟いて呆れ、また憐れみを懐いた。

 

「だが、それ自体は長くは続かなかった。年号が大正へと入る前後から、時の“彼の御方”が自身らの不徳により端を発した苛烈化した争いに嘆かれて調停に入っていたからだ。幸いにもそれは上手く事が進み、両者は和解した。無論幾つかのしこりは残ったが、時が経てばそれも薄れて消え行く筈だった。しかし―――」

 

 今より22年前。ある大戦の勃発により事態は急変する。

 

「勿論、それは表の歴史にある60年以上前に起きた戦争を指している訳ではない。魔法使いの世界で起きたものだ。当時、その大戦はどうしようもない泥沼の様相を呈していたそうだ。私は僻地で隠遁していたから詳しくは知らんが、な。…ともかく“本国”と称される魔法使いの国家が、その泥沼な戦局を打開する為に戦力を欲し、自分達と関係が深い“こちら側”の各国に存在する魔法協会に戦力の抽出を求めた」

 

 しかし、それは実質恫喝に近いものだった。

 

「平和と平等、自由と正義。それら聞こえの良い建前を口にしながらも、自分達に好意的な者達には、戦後の優遇処置や利権などを見せ付け。中道・穏健の立場を取る協会には、派兵しなければ利敵行為と見なす、と与えられていた自治権の縮小や剥奪をチラつかせた。その対象は本来なら関係が無い…“本国”の協定や法を批准しない、この国の西にも当然のように向けられた」

 

 皮肉にも当時から破格の戦闘集団と勇名を誇った神鳴流の存在が逆に仇となり、“本国”の注目を浴びて身勝手にも期待されたのだった。

 

「しかも悪辣な事に応じなければ、東と共同で“本国”と他の協会も武力行使に踏み切ると示唆したそうだ。東や他国の協会にして見れば、まさに寝耳に水な事で陰謀に利用されたに過ぎなかったが。結果、当時の西の長はそれを信じた。恐らく表で起きた世界大戦の事もあって連想してしまったのだろうな。その予測される圧倒的戦力と物量から『このままでは伝統を守り、古来より育まれた日本独自の魔法…呪術、陰陽道が踏み躙られる』と。または、『東と西。我々…日本人同士が相打つ事に成る』とも考えて、当時の西の長は屈した。そして彼等の多くは嫌々ながらも自分たちには何ら関係が無い戦場へ引っ張り出され、倒れて行った」

 

 京都で木乃香を拉致した天ヶ崎 千草の両親もその犠牲者という訳だった。

 

「以来、大戦が終わってから20年間。西との関係は再び悪化した状態となった。事の経緯と事実を知る者達は、それを収めようと勿論動いているが余りにも犠牲が多く。それに列なって恨み、憎しみもまた大きかった。これも蛇足だが、ついでに言うと、詠春やジジイがよく人手不足と口にするのはそういう理由でもある。何もこの国に限った事ではなく“本国”の派兵に応じた協会は、何処も大戦で多くの人材を失い、陰謀に巻き込まれ、少なからず禍根を残している」

 

 エヴァは一息つくと、また紅茶に手を伸ばす。

 イリヤも紅茶で喉を潤して考える。この世界に来て以来、勿論ある程度、裏の歴史も学んで居たが初耳な事も多かった。

 特に近衛家のことや、西が未だに恨みを懐く本当の背景……つまり何故、関西呪術協会と神鳴流が魔法世界の戦争に関わったのか―――その裏事情だ。

 公式では“本国”の求めによる善意の協力だと記されている以上の事は無かった。

 やはり、メガロメセンブリア元老院の陰謀…というか、一部独善的な人間達が原因かぁ。まあ、それだけを原因にして悪人にするのは短絡的なんだろうけど。原作といい、エヴァさんの話といい、現時点で良い印象は持てないわね。

 でも…案外、例の“完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)”が絡んでいる可能性もあるし…などとイリヤは黙考した。

 

「…と。長くなったが、ここまでは前座だ。本題を理解し易くする為のな」

 

 エヴァは紅茶の入ったカップを空にすると、そう言葉を紡いだ。

 

「そんな事情が続いてきた今、木乃香…お前が生まれた」

 

 その言葉に木乃香の身体がビクリと震えた。

 木乃香とて、ここまでの話で何となくであるが理解しつつあった。自分がとても複雑な立ち位置に在る事を。

 

「西の青山。東の近衛。この国の裏を守護し続けた名家であり、半ば袂を割ったとも言える両者の血を合わせた子が。しかも現在において双方の長を務める2人の息女、孫として誕生した。この意味は決して小さくなく、その価値は計りようも無い程に高い。加えて潜在的な魔力と資質も非常に希有ときている」

 

 エヴァは微かに溜息を付いて、何処か呆れたように言葉を紡ぐ。

 どうして詠春が“近衛”の血筋の女性を娶ったのか、“青山”の長男である彼が何故婿養子となったのか、今一つ理解し難いからだ。自身らの抱える複雑な背景(じじょう)を理解している関わらず、しかもあの堅物がだ…。

 尤も、そんな答えは分かり切ったものであろう。エヴァも理性ではなく感情では納得していた。恐らくそれだけ木乃香の母を愛していたのだ。

 

「この資質は元より、血脈や歴史をも重要視するのは、神秘に属する私たち魔法使いにとって至極当然のことだ。況してや“近衛家”は遥か遠縁ながらも“彼の御方達”の血筋だ。扱いによっては、その影響力はこの日本や極東のみに止まるまい。故に詠春はお前に何も教えなかったのだろう。周囲の反対を押し切って麻帆良に預けたのも…な。未だ恨み、憎しみが募る西に居たままではどのように利用されるか……リスクが大き過ぎる。だから組織を纏める者として未熟だと自覚のある自分よりも、老練な祖父の傍に居る方が守れると考えた」

 

 自分の立場を悪くする事は判っていただろうに。

 聞いていたイリヤと、話すエヴァは詠春に対して口に出さずに同じ事を思った。

 事実、詠春は西の運営に難しい舵取りを迫られる事となった。ただ幸いにも呪術協会の上層部は、本国の仕組んだ陰謀を知っており、彼を懸命に支えている。神鳴流も同様だ。

 近右衛門にしても可愛い孫を守る事に異存は無かった。義理の息子が立場を危ぶめてまで決断して託したのだから尚更だ。

 また近右衛門は、木乃香を守る為に一つの策を弄していた。

 それは多分に彼の悪戯心も含まれていたが、ただ趣味で孫にお見合いを仕組んでいる訳ではなかった。

 良からぬ考えを持つ輩を孫に近付け難くし、陽動という意味合いがあった。それは功を奏し、近右衛門の趣味と孫にお見合いを勧める話を聞き付けた魔法関係者の多くが、孫よりも彼にそういった意味での接触を図っている。

 そうして、不遜な輩を目の届く範囲に集め続ける彼は、それらに狡猾に且つ丁重に釘を刺して諦めさせ、もしくは陰謀を駆使して孫に近付けぬようにしている。

 あるいは、本当に良縁に巡り合える事を期待しているのかも知れない。何も知らぬまま魔法に関わらずに平穏に暮らせる事を願って…。

 

「だが、お前は魔法の存在を知り、此方の世界に関わる事に成ってしまった。その内に秘める資質もな。だからこそ、自覚し認識し背負い。覚悟を持たなければならない。自分の今ある立場と2つの持つ血の流れと家系…それら刻んだ背景(れきし)と抱える問題を。そしてこれから押し寄せてくるであろう様々なものを…」

 

 木乃香はその小柄な身体を震わせて、自分を守ろうとするかのように両手で自身をかき抱く。

 

「気持ちは判らなくもない。お前はまだ15になったばかりの小娘だ。動揺もするだろうし、大の大人でも簡単に受け入れられる事ではない。正直、私自身とて時期尚早という気がしなくもない。しかしお前の持つ価値がそれを許してくれん。何よりも現実というのはそういうものだ。本人の意思など容易く無視してくる。それでも例え足りぬ準備、覚悟しかなくとも、踏み締めて、耐え抜き、乗り越えねば成らん。お前はそういう位置に立たされ、そして幾度もそういった状況を迎える立場なのだ。……京都での一件を鑑みても、それは判るだろう」

 

 続けざまにぶつけられる言葉に、木乃香は振り絞るように声を出す。

 

「…でも、ウチは、ウチや…今は単なる女子中学生で……この間まで、魔法がホンマにあるなんて…思わんで……青山だとか、近衛だとか、そんなん判らんし、関係あらへん…!」

「ああ、判っている。そう言わずに居られない事もな。…それでもだ。周囲はお前をそういう目で見る」

 

 エヴァは泣き言を漏らす木乃香を責める事無く淡々と言う。

 今はこれで良いとも思うからだ。突きつけられた事実に悲嘆するのも、否定するのも良い。知ったばかりでは思考が付いて行かず、纏まらないであろうから。

 かつて自分も似たような経験が在るから……―――判る。

 だから直ぐにでも無くても良い。時間を掛けてでも…掛けすぎても良くはないが、じっくりと考えながら受け容れて行けば良い。それが普通なのだから。

 ああは言ったものの、“一部の事柄”を除けば、まだそう切迫している訳でもないのだ。

 エヴァはそう思い、何処か懐かしげにそう考えた。

 しかし、だからこそまだ言って置かなくてはならない事がある。

 

「それに、お前の立場は…いや、今後示す行動は、お前の大切なアイツ…刹那の今後にも影響する」

「!?―――せっちゃんの!!?」

 

 大事な幼馴染の名前を聞いて木乃香は驚き、俯かせていた顔をハッと上げる。

 

「更に言えば、イリヤもだ」

「え? イリヤちゃん…も?」

 

 不思議そうな視線を向けてくる木乃香を意識的に無視しつつ、イリヤはエヴァを鋭い視線で突き刺す。

 何を言う積もりなのか、と…だがエヴァは取り合う積もりは無く。まあ、黙っていろという感じで、イリヤの視線を平静に受け止める。

 

「そうだな、気になって仕方がないだろうから、先ず刹那の事だな―――」

 

 

 

 




 この回も元は一つだったのですが、此処で一度切った方が切りが良いと思い。前後編に分けました。話自体はそう長くは無いのですが。

 ネギの弟子入りテストは前回あのような引きでありながらカットしました。楽しみされていた方にはすみません。
 代わりにイリヤが麻帆良で工房を手にした経緯を書きました。
 この件は、学園長や協会側に本文にある通り何やら思惑があります。ただこれでイリヤは収入源を確保し、魔法鍛冶として職を手にする事が出来ました。

 …借金まみれですが。



 関東魔法協会と関西呪術協会などの日本の裏事情ですが、エヴァに語らせる形で自分なり考察・解釈して書いていきました。
 ささらとしては、こういう設定を考えるのは好きなようで、執筆当時は非常にノリ良く書けていたのが思い出深いです。妄想が過ぎているような気もして、読者の方々がどう思われるか不安でもあります……どうなんでしょうか?


 後編は、木乃香の事情に続いて刹那の抱える事情になります。結構重たい話に成っていると思います。


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第9話―――彼女と彼女の事情 後編

 

 相容れぬ互いに許さぬ者同士が運命の気まぐれか、それとも悪戯か? 引き寄せられ、惹かれ合い、恋に落ちる事がある。

 だがそういった物語の最後というのは、大概は悲惨なことで締めくくられる。

 云わば悲恋。シェイクスピア然り、ワーグナー然りである。

 だが、そこに更なる悲劇が生まれ落ちることもある。

 

 そう、そんな悲恋の末に彼女は生まれた。

 

 彼女が物心付く頃には既に両親の姿は無く。

 人目から遠ざけられるように彼女は彼等の一族の集落の外れにある、寒さと風雨を凌げる程度の簡素な小屋に1人で住まわされていた。

 両親の無い彼女がそれまで1人で生きられた訳は無く……要は集落でも変わり者など、人の良い者などに何とか庇われる形でその生を許されていた。

 

 何故、親がいないのか?

 何故、1人なのか?

 

 そんな僅かな疑問さえ、幼い彼女は抱かなかった。

 そもそも話す機会さえ少ない為か、同年代の子供に比べて言葉すらも余り学べず、まともに喋れず、両親だとか、孤独だという意味すら彼女は理解していなかった。

 それでも物心が付いてそう暫くしない内に、よく訪れる優しい人や時折来る恐い人の姿を見るにつれて、自分が“違う”事を理解した。

 顔付きが全く異なり、肌の色が違い、一族で特徴的な黒い筈の翼さえも白かった。

 

 そして余程難しい物で無ければ、言葉も理解できるようになっていた。

 そうして言葉を理解できるようになって幾日―――彼女は捨てられた。彼女の一族から…。

 ただ、最後まで優しくしてくれた誰か、或いは誰か達が、彼女に泣きながら謝って涙を流しながら赦しを請い。身勝手だと思いながらも、それでも彼女に幸ある事を願って人間の世界に置いていったのは確かであった。

 

 そうして白い翼が美しい彼女は拾われた。或いはそうなるようにもう記憶に無いその優しい誰か、誰か達が仕向けてくれたのかも知れない。

 

 だからと言って彼女の全てが救われた訳ではない。

 確かに拾ってくれた人は、人格者で彼女を半ば我が子のように扱い。名前を与え、生きる術を教え、自分の進むべき道を示してくれた。

 だが、幼い心に負った傷は決して癒されなかった。

 むしろ、新たに生きる事となった世界でも彼女は自分が周りと“違う”事を見せ付けられ、よりその意味を深く理解して行き、その傷も深さが増してしまった。

 

 何故、自分には両親がいなかったのか?

 何故、1人で集落から離された小屋に住まわされていたのか?

 そして、何故、一族から捨てられたのか?

 それらの“何故”の意味を彼女は知ってしまった。

 

 知った以上は、周りとの“違い”を意識せずに居られなくなった。

 白い翼を隠し、同じく髪も黒く染めた。赤い目の色も同様だ。なるべく周りと同じに合わせた。自身の違いが決して浮き彫りにならないように……一族に居た時のように蔑まれ、そして捨てられない為にも。

 拾ってくれた人の計らいで、初めて出来た友達にも明かさず、ひたすら隠し続けて彼女は過ごしていった。

 

 しかしそれでも、幾ら修練を積もうと。成果を上げようと。彼女の修める道の階位が上がる事は認められず、何時までも見習いのままだった。

 末席というのはまだ良かった。実際、彼の流派では拾われたに過ぎない新参者であり、明確な歴史を担っていないのだから。

 だが、昇級も認められず見習いのままというのは、やはり納得が出来なかった。

 

 だから一度だけ、師範代に食って掛かった事がある。

 

 “何故”と。

 

 すると師範代であるその女性は、本当に申し訳無さそうな表情をして彼女に頭を下げた。

 何時も厳しく言いたい事は容赦なく口にする尊敬する女性が、ただ黙って深く、深く―――頭を下げ続けた。

 

 彼女はそれで理解した……いや、とうに判っていた事だった。

 それでも食い下がったのは、きっと自身の甘えだったのだろう。厳しくも優しいこの人……母親のように思っていたこの人ならば、無条件で如何なる万難が立ち塞がるのだとしても、快く受け容れて自分を認めてくれると。

 理解した彼女は、女性のように黙ってただ一礼してその場を下がった。

 

 ―――頭を下げたままだった師範代の女性が、悔いるように涙を堪えていたのを知らずに。

 

 こうして、またも自身が“違うモノ”なのだと思い知らされた時に、彼女は拾ってくれた父代わりの恩人の頼みを受けて東へと渡った。

 

 東へ行く―――仕事や修行以外での、その意味を理解しながら……それでも彼女に躊躇いは無かった。

 その恩人の頼みと行く先に居る大事な人との約束のみが、この世界で唯一残された縋るべき心の拠り所だったから。

 

 ―――そうして、一つの悲恋から生まれた少女である桜咲 刹那は今に到っている。

 

 しかしその人生は悲劇で幕を閉じるのか。それとも優しい誰かが願ったように、幸に恵まれたもので迎えるかどうかは―――まだ定まっていない。

 

 

 

 ◇

 

 

 

(自分自身のこともそうやけど……ウチ、友達やのに、大事な親友で幼馴染なのに、せっちゃんのこと何にも知らんかったんやな)

 

 エヴァ邸からの帰路の途中、既に日が沈んだ空の下で。隣を歩く刹那の姿を横目でチラチラと見ながら木乃香はそう内心で呟いた。

 

「…あの、お嬢様。どうなさいました」

 

 先程から見られていた事に気付いていたらしく、刹那はその視線の意味を図りかねてやや躊躇いがちに木乃香に尋ねた。

 

「ん…せっちゃんが傍に居るなぁと思ってな」

「え…?」

 

 木乃香は誤魔化す積もりも無く。自然に本心で笑顔でそう答えた……ただ、考えていた事を口にしなかっただけだ。

 刹那は、疑問の声を上げながらも木乃香の笑みを見て頬を紅潮させ、心臓の鼓動を高めた。

 そんな刹那の様子に木乃香は、やっぱり笑みを浮かべてクスクスと声を漏らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その静寂に満ちた地下の部屋でエヴァは言った。

 

 ―――桜咲 刹那はその出自と、生まれ付いた特異な資質を持つが故に誰にも認められていない、と。

 

 烏族と人間の間に生まれた子。忌むべき白子(アルビノ)

 人でも魔でも無いと生まれた一族と、育った世界の双方から半端者と蔑視され、白い翼を持つが故に畏怖されて遠ざけられた。

 どちらか片方でも厄介視されるというのに、その両方を持ってしまった不幸。

 無論、木乃香は反発した。少なくとも自分と父様は彼女の存在を認めている。明日菜達だってそうだ、と。

 

「ああ、個人的なものではその通りだろう。しかし集団、組織、そして社会といったコミュニティでは当然だが違う。それにお前達が幾ら友達だ、親友だと認め。口にしたとしても根本的に刹那を苛んできた傷を癒すことは出来ない。何より刹那自身が受け容れまい」

「…っ、そんなこと―――!」

「無い、…と言いたいのだろうが、事はそう簡単ではない。確かにその言葉を聞けば笑いもするし、喜びもするだろう。だが刹那が烏族とのハーフである事実。アルビノである事実は決して“覆らない”。その事実の所為で一族から捨てられた事も、人々からも蔑ろにされた事も無くならない。その負い目が消える事もない。お前達がどう思っているかではなく、刹那自身がそれをどう感じているかが問題なんだ。表層的な部分ではなくて“根”のところでな。考えても見ろ、幼少から、物心が付く前から“違うもの”だと言われ続け、その意味を知って見せ続けられたのだ。そんな人間の心が想像できるか? 出来ないだろう」

「……」

 

 木乃香は噤んだ。反論する言葉が見付からないからだ。

 

「だから空虚なんだ。判らない人間がそれに苦しみ続けた事に口を出しても、な。ただの感傷にしかならない」

「…でも、そうやったら―――」

 

 どうしたら、ええの?

 木乃香は消え入りそうな声でそう呟いた。

 

「―――無理だな。今も言ったが刹那が抱く負い目である“事実”はどうやっても消えない。一生涯付き纏う呪いのような物だ。…だが、先程とは矛盾するが、それを含めて刹那の存在を容認してくれるお前や、その友人どもが居る事は確かな救いになる。それ自体は否定しない。後は刹那自身が如何にしてどう向き合うか、折り合いを付けるか。結局はそこになる」

 

 木乃香たちには、これ以上何も出来ないという事だ。

 

「と、脱線したな」

「…?」

 

 エヴァの唐突な言葉に木乃香は首を傾げた。それを見てエヴァは軽く溜息を付く。

 

「あのな。刹那の奴が勝手に懐いて抱える苦悩など、赤の他人…周囲の者達には関係が無いんだ。さっき私が言ったのは、お前の今後しだいでどうして刹那の今後も影響されるか、と。その上でアイツの持つ背景を語ったに過ぎない」

「…えっと、うん…」

 

 刹那の悩みをどうでも良いふうに言われ、今一納得出来ないが、とりあえず頷く木乃香。

 

「ま、大事な親友の事だから感情的になるのも判る。それでも落ち着いて聞け」

 

 エヴァも取り敢えずは、諭すように言ってから話し始める。

 イリヤは黙っていたが、エヴァもまた柄にも無く熱くなっていたようだったので、それを棚に上げてよく言うなぁ、などと思っていたが。

 

「問題は、刹那が認められていないという点だ。先程は木乃香…お前が口を出して脱線したが、これは親しいお前達や詠春という個人らの感情を除いたものだ」

「ふむ…それは、神鳴流に関西呪術協会。それに此処…関東魔法協会といった組織を含めて―――いえ、魔法社会全体に置いてかしら?」

「…いや、そこまでではない。異種混血(ハーフ)というのは、確かに蔑視される傾向は強いが。“あちら側”の世界ではそう珍しい事ではないからな。受け容れる国家や地域は山ほどある。アルビノも地域によっては良い意味で解釈する所もあるしな」

 

 確認するように口を挟んだイリヤに、エヴァは首を振って答えた。

 

「ということは、やっぱりあくまで相互に影響を持つ“こっち”の世界と“本国”が抱える問題か……“幽世”や“魔界”もセツナが捨てられた事を見るとそう見たいね」

「ああ。刹那はあくまで“こちら側”の人間で、その人生の軸もこっちだ。もし何の柵も無いのであれば、いっそ“あちら側”へ行って、生きた方が幸せに成れる機会に恵まれるだろう―――が…」

 

 エヴァはそこで言葉を切って、意味ありげに木乃香に視線を向ける。

 

「…そんな考えは端からアイツの中には無いだろう。だが“期限”が来たらアイツは、誰にも行き先を告げずに姿を眩ますかも知れん。或いはそれでも留まって、例え顔を合わせられなくとも、話せなくなるとしても、遠くからでも守れるなら―――とかなどの“悲壮な決意”とやらみたいなものを懐きかねんな。刹那なら…」

 

 イリヤは、これまでの話とその言葉でその大凡の事情を理解した。同時に原作で知る以上に厄介で複雑であるとも思ったが……。

 

「成程…ね」

「どういうことなん…?」

 

 頷くイリヤに、不安そうに木乃香が尋ねる。

 期限だとか、行方を暗ますという言葉がそれを煽っていた。

 

「単純な話よコノカ。貴女は西と東の……云わば、この国の裏の重要人物。これは判るわね」

 

 若干不本意そうであったが木乃香は黙ってコクリと頷く。

 

「その重要人物の護衛に…そうね。例えば後ろめたい過去や経歴を持つ、犯罪者や元犯罪者なんかを付ける?」

「―――!!」

 

 イリヤの言葉を聞いた瞬間、木乃香は顔を真っ赤にし、これまで見たことが無い怒りの形相を作った。

 

「せっちゃんを犯罪者呼ばわりするんか!!! いくらイリヤちゃんでも、そんなんゆうんは許さへん!!!」

 

 イリヤの襟元に掴み掛かって、烈火のごとく怒りを顕にする木乃香。

 だが、

 

「!…あっ―――!?」

 

 一体何をどうされたのか、木乃香は気が付いたら腕を捻られて、ソファーにうつ伏せに身体を押し付けられていた。

 動こうにも身体はピクリともしない。

 

「落ち着いてコノカ。言い方が悪かったのは認めるけど…」

 

 まあ、怒るのも判っていたんだけど。でもいきなり襟を掴むなんて、普段のコノカからは信じられない行動…流石に少し驚いた。

 イリヤはそう内心で思い。木乃香が力を抜くのを感じてその拘束を解く。

 そんな2人を見つつ、エヴァは先程のイリヤの言葉を補足するかのように言う。

 

「例えは極端だったが概ね間違いではないな。魔と人の間…禁忌から生まれた子供という認識なのだからある意味、犯罪者というのは的を射てるとも言えなくはない」

 

 姿勢を戻した木乃香はその言葉に再び眉を寄せるも、膝の上で拳を握り締めて浮き出しそうになる腰をグッと堪える。

 

「だから、せっちゃんがウチの傍から離されるっていうん?…」

 

 木乃香は沸騰しそうになる感情を抑え付けてなるべく冷静に言う。

 

「ああ、恐らく早ければ中等部卒業辺りか、遅くとも高等部の半ば辺りを目処にな。代わりに西と東…その双方の穏健派から新しい護衛が抜擢される筈だ。刹那はお前と顔を合わせる事すら許されなくなるだろう」

「そんなん、理不尽や! せっちゃんは何も悪い事してへんのに…!」

「お前にとってはそうだろうが、それ以外の人間…西にしても東にしても、その方が道理に適うんだ。魔とのハーフ…それも忌み嫌われるアルビノの子が東西関係のキーマンであり、将来自分たちの頂点に立つやも知れない人物の傍に居る方が不自然且つ不安なのだ。無論、面子といった事もあるだろうが…」

「父様とお爺ちゃんは、それを認めるん?」

「その心情はともかく、認めざるを得んだろうな。お前もいい加減、これまでの話で判っているだろう。…刹那もある程度は覚悟している筈だ」

「…………」

「さて、この話はここまでだ」

 

 打ちのめされた様に沈黙する木乃香に、エヴァはお開きだと言わんばかりに立ち上がる。

 木乃香はそれに慌てて声を掛ける。

 

「あ、待っ―――」

「残念だが、ここまでだ。本来ならイリヤに関する事も話す積もりだったが、思った以上に堪えたようだからな。…刹那については話すべき事は全て話した。後はお前次第だ。縋られても私に出来る事など無い。……まあ、もう暫くここで寛ぐ分には一向に構わんが」

 

 取り付く間も無くそう言ってエヴァは部屋を出て行った。ただ去り際に残した言葉には、微かながらも気遣いが見られ。思いも因らぬ事情を聞かされた木乃香に、多少也にも落ち着ける時間を与えたようにも見えた。

 

「………………」

 

 残されたイリヤに木乃香は自然と視線を向けた。

 何処か縋るような視線を受けてイリヤは少し考え、口を開いた―――。

 

 

 

 

 

 

(せっちゃんは誰にも認められへんかった。それが原因だとゆうんなら。ハーフや、アルビノや、何て些細な事やと。せっちゃんが誰にも認められるようにすればええ。それはきっとウチにしか出来ないこと……かぁ)

 

 夜の帳に覆われた街の中。

 街灯の下で頬を赤く染めて自分を見詰める大切な幼馴染の姿に、木乃香はイリヤに言われた当たり前で簡単な……しかし成し遂げるには非常に困難な結論(こたえ)を脳裏に反芻した。

 そうなのだろう。様々な理不尽なしがらみを、今ある出来上がった仕組み(システム)を変えるには、強い“力”が必要だ。

 だがそれは、暴力とか武力だとか目に見える力ではない。人の意識を変える為の“何か”だ。

 強いて挙げれば啓蒙運動がそれに当たるだろうが、そんな事をしている悠長な余裕は無い。

 しかし、この日本における東西関係の鍵を握る木乃香には確かにその為の―――因習めいたものを変えるだけの力が在る筈なのだ。

 それをイリヤは言っていて、エヴァもそれを木乃香に期待している節があった。

 

『セツナは、負い目が強いから簡単には自分を変えることが出来ないし。多分、認めて貰うという事に諦観も懐いていると思う。だからコノカ。貴女がそんな彼女を引っ張って行くしかないでしょうね』

 

 とも言われている。

 刹那が胸の奥深くに隠した傷。それを理解する事はきっと木乃香にはできない。それはエヴァにも言われた事。

 それでもその傷を癒して、或いは癒せなくとも開かぬように、痛まぬように支え。ともすれば大切な人からも離れて独りで強く在ろうとする彼女を決して独りにしないように、独りで無い事を示し続けなければ行けない。

 

(うん、イリヤちゃん。ウチ頑張るえ。東やとか西やとか、青山とか、近衛とか…過去の諍いとか、血とか家とかも、全部相手にしても負けへん! せっちゃんも今度はウチが守る! 守ってみせたる!! そして、ずっと、ずっと傍に居られるようにする…!)

 

 そう、木乃香は決意を胸にする。

 無論、不安も大きく。これからの事を思うととても恐い。そして明確な方策すら…まだ無い。けれど―――

 

 深く思い耽っていた所為か、気付くと刹那は訝しげに自分を見詰めていた。

 木乃香はそれに何時ものように笑うと、その彼女の手を取った。

 

「あ!」

「行こ、せっちゃん!」

 

 そうして繋がった手から、互いに暖かな感触(ぬくもり)を覚えながら、木乃香と刹那は日が暮れた街を歩いていった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「別にエヴァさんが話さなくとも……学園長でも良かったんじゃない?」

「そう思うのは当然だが、客観性を持つ第三者から先ず話した方が良いと詠春の奴からも説得されてな。まったく面倒を押し付けてくれる。だがまあ、いいさ。こうして要求通りの対価を用意してくれたんだからな」

「―――っ! なっ!?……こ、これはまた、とんでもない代物を!!」

「ふふ…流石に判るか、そうだろう。面倒に応え、詠春に示唆してやった甲斐があったというものだ。―――……実の所、本当に見つけるとは思わなかったが」

「……なるほど、何百年も前から日本に足を運んでいる貴女なら在り処を知っていても不思議は無いけど。詠春さんもさぞかし驚いたでしょうね。でも、いいの? こんなものを…黙って貴方に渡して。歴史的大発見よ…!」

「判っている。その内、相応の対価で然るべき所へ返す積もりだ。是ほどの物を手放すのは若干惜しいが、詠春にもそう約束している。流石に後ろめたさもあるしな…」

「……対価は取るのね。…はは、まあ、エヴァさんらしいけど」

 

 木乃香との話の最中、エヴァ邸を訪れたタカミチが詠春からのお土産である菓子に紛れて入っていた“封印箱”。

 その中身を見て、イリヤは今日あった出来事が全て忘れてしまうような衝撃を覚え―――その日を終えた。

 

 

 




 前回のあとがきでも言いましたが、刹那の設定は原作よりも重い感じです。
 尤も原作でも詳細は不明ながらも、そういったものを色々と抱えている感じはありましたが。

 前回の木乃香の独自設定も結構重い感じです。
 その為、木乃香お嬢様には色々と決断して貰う事になります。


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第10話―――異端の少女と見習いの少女達

 

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。

 当関東魔法協会の理事である近衛 近右衛門の知人によって、東欧の紛争地域にて保護された記憶喪失の少女の名前である。

 近右衛門と同様、老体の身でありながら今も“悠久の風(AAA)”に身を置き、現役で活動するその知人の依頼を受けて、この麻帆良で預かる事と成った彼女のその名は、本人の申告も在って本名で無いと思われていた。

 しかし先月に起きた京都の事件に関与した事で失われていた記憶を取り戻し、その名は本人の物であるという事が明らかとなった。

 そして、名前と共に彼女―――イリヤスフィールは己が何者かも知った。

 この麻帆良……関東魔法協会の理事にして代表者たる近衛 近右衛門が直々に保護し、監督している事から彼が直接確認した彼女の詳細は以下の通りである。

 

 イリヤスフィールの出身はその名が示す通り、ドイツである。

 ただし国籍・本籍などは無く。彼女はドイツ国内に存在したという隠された秘境―――人造世界―――にて、魔法研究を独自に行っていた一族の長…その孫娘であるという。

 その一族―――アインツベルンなる一族は当魔法協会を始め、当事国の同組織さえも知らず、本国(MM)も認識していない正に未知で未開の魔法伝承者達であった。

 そう…“あった”。過去形である。

 これは、我が関東魔法協会が認識した故からでは無く。その一族がイリヤスフィールをただ一人残し、滅んでしまったという彼女の証言からそう記す事と成った。

 彼女の証言によると、アインツベルンは大掛かりな魔法実験を行い失敗し、術式の暴走事故を発生させた。これは相当大規模なものであったらしく、彼等の住まう秘境全体に及び完全に“消滅”させたという。

 それ程の大規模な事故にも拘らず、イリヤスフィールが生存していたのは事故の影響が拡大する直前、一族の中でも最も若く、後継者である彼女を逃がす為に転移魔法が使用された為だ。

 記憶を失っていたのは、その緊急時の強制転移ないし暴走事故の影響によるものだと思われる。

 

 またこれに関連してドイツの協会に確認した所。

 同国の某地方の山間部にて、現地時間2003年4月12日の12時57分に非常に大きい魔力波が観測されており、これは彼女の証言を裏付けるものと………―――。

 

 

 と。まあ、こんな感じかのう?

 そう呟いて書類の上に目を落とす近右衛門。

 学園長室で執務を行う中、彼は己が作成したイリヤに関する“公式”報告書の出来具合を確認していた。

 秘境に隠れ住んでいた未知の魔法使い一族という部分は、多分に厄介な注目を集めると思うが止むを得ないだろう。

 なにしろ、

 

 ―――……2003年4月24日に於いて発生した関西呪術協会・本山襲撃事件の最中で確認されたイリヤスフィールに似た容姿・容貌を持つ女性は、上記の魔法実験事故の際に生じた怨霊の類であり、彼女の母親―――アイリスフィール・フォン・アインツベルンの姿形と記憶をベースにしているとの事である。

 その詳細は別項にて記すが、当魔法協会……いや、我々魔法社会にとって由々しき事にその女性は先の大戦の引き起こしたとされる“あの組織”……―――。

 

 と。

 先の事件で確認され、多くの人間が目にした“呪詛(アイリスフィール)”の存在のお蔭で下手な誤魔化しが出来ないのだ。

 加えてイリヤが超絶的な力を振るった事や扱う魔法…“魔術”という特異性もある。これではただの戦災孤児や外れ魔法使いなどの言い訳で通すのは難しい。

 故にイリヤの隠す事情を……真実を織り交ぜつつ嘘で塗り固めるしかなかった。

 それに、

 

 ―――……以上の重要事項が絡む事から、本文書ないし記録を閲覧可能な者は、AA級以上の情報閲覧資格を有する当協会所属員のみに限定する。

 

 とも、一応情報を麻帆良内に止め、機密指定にもするのだ。

 ドイツの魔法協会や“悠久の風”に居る友人達にも個人的な伝手で協力を仰いでいるが、これは“貸し借り”の範囲で片を付けており、互いに要らぬ詮索は行なわない約束に成っている。

 ともかく、麻帆良内での彼女の立場は、これらのカバーストーリー(でっち上げ)で何とか守れるだろう。

 正体不明な不審な魔法使いという霞みが掛かったあやふやなものから、世に知られていなかった外来の魔法使いという、まだクッキリとした認識像に成るのだから。

 それに、秘境で隠れ住んでいた一族の唯一の生存者。事故のショックで記憶を失っていた悲劇の少女……などなどと同情的な見方も期待できる。

 また、未知の魔法を扱う者というのは確かに彼女や麻帆良に厄介な注目を集めるが、一方で麻帆良の属する事実は打算的に見れば悪くなく。関西は勿論、“本国”や他の魔法協会に対するアドバンテージを得られるメリットもある。

 事実、彼女によって齎される魔術品はこの麻帆良の戦力を大きく向上させており、加えて言えば、本人が先の事件で示した戦力も魅力的に捉える見方も出ている……無論、あくまで防衛の為ではあるが―――

 

「……度し難い考えじゃな、我ながら」

 

 浮かんだ自身の信条には沿わない思考に嘔吐にも似た嫌悪感を覚え、それを吐き出すかのように彼は呟いた。

 しかし、それが組織を纏める者として必要なものである事も彼は当然理解していた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 麻帆良でイリヤの公式情報が5月3日を以て、関東魔法協会に所属する幹部職員らを対象に開示されてから四日が経過した5月7日の水曜日。

 エヴァによるネギの初修行が行われた翌日。

 

 麻帆良学園の繁華街をやや浮かない顔持ちで、頭の左右から伸びる二つの髪房を揺らして歩く少女と。何処となく自信に満ちた凛々しい表情を浮かべ、腰まで伸ばした金髪を歩を進める度に靡かせて悠然と歩く少女の姿が在った。

 二つの髪房を揺らすツインテールの少女は、若干背の低い小柄な身体に本校女子中等部の制服を着る日本人の少女で。長くの伸ばした金髪を靡かせる少女は、平均よりやや高めの身長で聖ウルスラ高等学校の制服を着ており、その容貌は欧米の出身を思わせた。

 その2人の少女達が向かっているのは、この繁華街の外れ近くに在るかつて喫茶店であった建物だ。

 

(うう…どうして、こうなっちゃったのかなぁ?)

 

 ツインテールの少女は悠然と自分の前を歩く、姉のように慕う年上の少女の背中を見ながらそう思った。

 

 

 事の切っ掛けは先月の24日…凡そ二週間程前。自身も通う学校の最上級生である3年生達が修学旅行に出掛けてから三日目が過ぎようとした時の事であった。

 日が過ぎようとした時間帯…つまりその日の晩、夜が最も深まった時分に眠りに付いていた彼女達は、急遽協会の一員として呼集が掛けられ、夢の中より叩き起こされた。

 通常なら先ずあり得ない異様な事態であったが、彼女と姉と慕う少女の二人は詳しい事情を説明されないまま、外部から襲撃の可能性が在るとされて学内の警備を命じられた。

 勿論、見習いという事もあり、襲撃となれば真っ先に前線と成る学園都市の外縁では無く。内部でも重要性の低い…今も歩いているこの繁華街の一区画が彼女達の担当となった。

 尤も、ここ数日でこの区画は何故か重要性が増したようであったが、彼女達にその理由は判らない。

 ともかく。仕事を命じられ、襲撃という穏やかでない言葉もあり、彼女達はその一夜を緊張した面持ちで過ごしたのだが―――結局何の異変も起きず、これも修行か訓練の一環だったのか、と思いながら睡眠不足で辛い翌日を過ごした。

 

 しかしその更に翌日に成ると、見習いの彼女達にもあの夜に関する説明が行われて、その重大な事件を知る事と成った。

 驚くべき事に、あのサムライマスターが長として居る西の本山が襲撃されて陥落しかけたのだという。その危急の事態を受けて麻帆良もあの夜は警戒レベルを引き上げたのだった。

 

 勿論、それには驚愕した…けど、本当に驚くべき事はその後に広がった噂の方だ。少なくともツインテールの彼女にとってはそうだった。

 その噂の内容は―――

 大戦の英雄の一人であるサムライマスターの敗北に、その盟友であるサウザンドマスターの息子が事件に巻き込まれた事。

 この麻帆良に封印されていたあの“闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)”が、その封印を一時解除されて救援の為に西へ赴き、何でも復活したとんでもない大鬼神とやらと戦い、文字通り粉砕したという事実。

 

 でも、これだけだったら別にただ驚愕するだけでよかった。彼女に信じられない程の驚きを与えたのは、もう一つの噂だ。それは―――

 

 麻帆良に身を寄せている記憶喪失の少女が、闇の福音に先んじて西の本山へ救援に向かい。最強クラスの戦力を示したらしい、という話であった。

 

 その記憶喪失の少女であるイリヤとは、彼女―――佐倉 愛衣はほんの数日の間柄であるが、既に友達とも言える意識を持てる程の良好な関係を築いていた。

 だから本当に信じられない話だった。

 確かに外見以上にずっとしっかりした子だとは思っていたけれど。それでも自分よりも小柄…と言うよりも小さい年下の幼い少女が、サムライマスターさえ敗れて危機に陥った西の本山へ向かい、戦って世界最高クラスの力を振るっただなんて。

 しかし、ガンドルフィーニや葛葉といった尊敬する先生方も確かだというのだから本当に本当の話なのだ、と。愛衣は感じていた。

 だから愛衣は判らなくなった。

 あの幼い同性の友人にどんな顔をして会えば良いのか? と。

 愛衣にしてみれば、イリヤに対する認識は幼い後輩の少女であり、先輩として自分が手本を示さなければ成らない相手だった。

 

 だというのに―――本当は自分など及びも付かない実力者で、協会にも一目置かれる存在だったのだ。

 

 短い付き合いで何も知らなかったとはいえ、先輩風を吹かせていた自分が恥ずかしいというのもある。けどそれ以上に…そんな相手にどう接すれば良いのか? どんな顔をすれば良いのか? 何時ものように友達としてで良いのか? それとも先達である“魔法先生”―――正規の職員の方達のように敬意を払って接するべきなのか?

 いや、そもそも会うべきですらないのでは? これまでの関係を無かったことにして、例えすれ違っても簡単な挨拶を交える程度に。

 確かにそれは一番楽な考えであり、選択だった。だが愛衣には選べない考えでもある。善良で真面目な彼女にとって、それはとても不義理な行為だと思うからだ。

 なら、これまで通りに……とも思うのだが、彼女は同時にそれが簡単に出来るほど器用な性格でも無く。またその自覚も在ってその自信を抱けなかった。

 

 ―――きっと私は何時ものように振る舞えず、イリヤちゃんにも気まずい思いをさせてしまう。

 

 そう、後ろ向きに考えてしまうのだ。

 そして、また会うべきか、会わざるべきか、などとイリヤとの関係にグルグルと彼女は思考を空回りさせるのだった。

 更に悪い事に、一昨日には「イリヤ嬢は記憶を取り戻したが、家族を魔法実験の失敗で失った事も思い出し。天涯孤独と成った過酷な事実を突き付けられたばかりだ」……などという悲惨な話を愛衣は聞いてしまった―――彼女達のような見習いや平の職員には、そのように一族を家族と置き換え、魔法実験の方も一般社会における火災や交通事故など比較的小規模なありふれた不幸として情報が広められていた。

 そんな話もあり、尚更に愛衣はイリヤと顔を会わせ辛く感じ。また噂が広まった5月に入ってからは、その悩みの種である白い少女の姿が全く見えなくなった事からも悶々とした日々を過ごしていた。

 

 だが、

 

 同じ魔法使い見習いであり、愛衣の先輩であり、姉貴分だと自覚しているウルスラに通う年上の少女―――高音・D・グッドマンは、そんな可愛い妹分の悩む姿を見ていて色々と思う所が在ったらしく。

 直情的な性格の彼女はこの数日間、愛衣を見守っていた反動もあってか、最近女子中等部では全く見かけないというイリヤの居場所を―――()()()側の情報関係の道を進む夏目 萌から―――聞くなり、即刻行動を取ってその場所へ愛衣を半ば引っ張るように強引に連れだしたのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 工房、地下三階の一室―――書庫とした部屋でイリヤは、本校女子中等部の旧制服を着ている……いや、幽霊である彼女にそう表現するのは正しいか判らないが、やや古めかしいセーラー服を着込んださよと向かい合っていた。

 

「何とか上手く行ったわね。こっちの魔法術式の応用実験も兼ねていたから少し心配だったけど……まあ、満足な結果ね」

「まだ良く分からないですけど、上手く行って良かったですね。じゃあ次は―――」

「待って、次のそれは馴染んでからよ。今は上手く行っているように見えても、そうじゃないかも知れないんだから。そうね……一週間ほど経過を見てからにしましょう。その間は馴染ませる意味でも他の―――」

 

 イリヤはさよとそう話しながら視線を一瞬、テーブルに置いてあるカードの方へ送った。

 置かれているカードは6枚で、足りない1枚は今もイリヤの(なか)に在る。

 

 クラスカード。

 英霊を自身の魂の外郭として覆い、その能力を肉体に宿す破格の礼装……いや、宝具といっても差し支えない“アーティファクト”だ。

 ただし、これはイリヤの“記憶”に在るアレとは違う―――正直、それを思うと自分にあんな可能性が在る事自体、複雑且つ驚きなんだけど……と。彼女は思うのだが、それは今は置いておこう。

 あの“並行世界(マンガ)”に於けるカードは、それを触媒に英霊の座に接続(アクセス)して、英霊の力を高度な礼装や自分の肉体に降ろす物であるのだが、今この世界に在るカードは違う。

 先述にもある通り、コレは英霊を自分の魂に覆う物……より正確に言えば、“既に召喚された英霊の核”を魂の外郭とするのだ。

 そういった意味では夢幻()()という言い方は不適切なのかも知れない。

 まあ、それは些細な事なのでイリヤは気にしないようにし、今更言い換えるのも面倒なので呼称に関しては放置した。ただ敢えて彼女を弁護するならば、それを知ったのは記憶を取り戻した後、こうして魔術の研究が本格的に可能になってからだという事だ。

 その研究と解析の結果。判明したカードの正体は、あのイリヤも参加した第五次聖戦争で召喚された“彼等”の核がクラスという“(はこ)”に収まった状態でカードへと置換されたというものであった。

 おそらく大聖杯という強力なバックアップが無いこの世界では、サーヴァントとして現界させて戦闘を行うには魔力等の制限が厳しいから、このような形に成ったのだと思うのだが……その確証までは無かった。

 幾ら現界させないとはいえ、運用時の魔力消費量の効率が異様に良く、僅か3分の1程度と非常に少ないからだ。

 しかし、未知の部分はあれど、お蔭で解決した疑問もあった。

 それは、ライダーのカードだけが何故か使えないというものだ。

 イリヤにはその原因に思い当たる事があった……そう、自分が大聖杯に身を落としたあの戦い(話のルート)では、ライダーは最後まで敗れずに召喚者であるマスターの下へ留まった。

 恐らく後に解体されたという大聖杯が無くなった後も―――その為、此処に在るライダーのカードだけが空っぽなのだ。

 

(……しかし、そんな疑問は解決した所で心は余り晴れない…というか、むしろ痛い事実が発覚したというべきね)

 

 イリヤは、カードの事を反芻する度に思う。

 それはそうだろう。全く使えないカードであるという事実は、イリヤにとって文字通り手札を1枚失っているという事で、貴重な戦力を欠いている訳なのだから。

 

(…まあ、それはそれで、最初から無い物として割り切るしかないんだけど、中身の無いカードだけが手元に在るっていうのはねぇ…)

 

 反芻した事実に溜息を吐き。何とか使えないものかと考え―――

 

 カランカラン、と。軽い鐘の音が工房全体に鳴り響いた。

 スピーカーも無いのに鳴り響いた鐘の音。これは、

 

「お客様のようね」

 

 イリヤは目の前で音源も無く、突然響いた鐘の音に驚いているさよにそう告げるかのようにして言った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 工房と成った元喫茶店だった建物は、その外観や地上部分の内装にはそれほど変化は無く。表のフロアや奥の厨房やロッカー室や応接室などはそのままで。違いがあるとすれば、店長が使っていたと思われる事務室が仮眠室兼地下への入口に改装された位である。

 工房そのものである地下の方は、一階は全体が外敵の侵入を排除するための防衛機構として使われており、空間を弄って異界化させ、各種結界やトラップは勿論、熱砂の砂漠や極寒の雪原を始め、底なしの毒沼と同じく毒の霧が漂う樹海や、隆起する剣山に埋め尽くされた落雷が絶えない山岳などといった様々な環境を再現し。

 また竜牙兵やこちらの世界で入手した式神やゴーレムなどの“兵隊”も配置された正に侵入者には容赦しない迷宮(ラビリンス)と成っている。

 イリヤ本人か、開錠の術を知らない人間にはまさに死地でしかない。

 ちなみに神代の魔女である『キャスター』のカードを使用して、イリヤはこれらを構築していた。

 二階は、半分が一階同様の迷宮で、もう半分は倉庫などを兼ねているが将来的な拡張スペースともしている。

 三階は、先の書庫に、実験室、試料室、器材倉庫などの他、イリヤのプライベートルームが在る。

 

 以上。規模もそれなりに在って中々に整った工房であるのだが、これだけ広いと流石にイリヤ一人で管理するのは当然難しく。その為、イリヤはエヴァに頼んで譲って貰った物があった。

 その一人が、此処を訪れた二人を出迎えていた。

 

「当工房へどのようなご用件でしょうか?」

 

 二人がインターホン(呼び出す術)も無い、閉まりきった元喫茶店の扉を前に立ち往生し、少々悩んだ挙句ノックをすると。ベルの鳴り響く音に僅かに遅れて扉が開き、そのような感情の無い声と共にやはり感情の見えない表情をしたメイド服を着込んだ女性…あるいは少女が姿を現した。

 外見は二十歳前後で、緩く波が掛かった長い黒髪を持ち、整った顔立ちに感情の無い表情を浮かべるそのメイドの存在に、イリヤを訪ねた二人―――愛衣と高音は直ぐに気が付いた。目の前に居るのは“人形”だと。

 

 そう、イリヤがエヴァから譲って貰ったのは、茶々丸の姉達であるハウスメイドドール『チャチャシリーズ』だった。

 その数は、稼働しているのが8体で予備を兼ねた研究用の素体が3体と、計11体である。

 彼女達は、現在イリヤをマスターとして工房の管理を命じられており、また“兵隊”としての役目を担っている。

 動力としての魔力は、工房内に設置された―――工房の下を奔る地脈を利用した―――魔力炉から得ており、工房の外へ出ない限りは半永久的に稼働する事が出来、外へ出る場合でも通常行動ならば6~8時間まで問題無しとされていて。またレイラインからイリヤの魔力も供給可能である。

 目立つ関節部は衣服や幻術を使い隠されている為、外見から人間と区別をつけるのは難しいが、その分、微弱な魔力を帯びているので一般人ならば兎も角、魔法使いには割とアッサリと看破される事が多い……今の二人のように。

 

「貴女は……いえ、コホンッ…失礼、私は高音・D・グッドマンと申します。イリヤスフィールさんは今こちらに居られますか?」

 

 思わぬ魔法人形の登場に唖然とした二人であったが、高音は逸早く気を取り直して目的のイリヤの事を尋ねた。

 現在のマスターの事を尋ねられたハウスメイドは、無表情ながらも何処か視線を鋭くして二人を見据え。警戒した様子で高音の言葉には返答せず、再度先の言葉を口にした。

 

「どのような御用件でしょうか? これといった用件が無いのであれば、お引き取りを」

 

 加えて、つまらない用事であるなら帰れと穏やかながらもストレートに言う……いや、警告した。

 高音はそんなメイドの素っ気ない態度に加えて、その対応が余りにも融通が利かないもの―――正確には勘で悪意や敵意めいたもの―――を感じた為にカチンと来たが、此処の管理のみならず警備を行う人形の彼女にしてみれば、当然の対応だった。

 高音は、そんなメイドに対して食って掛かるように言うが、

 

「ですから、イリヤさんに用が在るのです…!」

「どのような御用件でしょうか? その内容をお答え出来なければ、これ以上承ることは出来ません、お引き取りを」

「彼女に話があるのです。会わせて貰わなければ、用は果たせないでしょう!」

「どのようなお話でしょうか? 私が託りますので差し支えなければ、ここでお話し下さい」

「…何故、貴女に? 本人で無くては意味が在りません…!」

「では、やはりお引き取り―――」

「ですから―――!」

 

 ―――と、似たようなやり取りを何度か繰り返し、

 

「本当、融通の利かないお人形ですわね。なら―――!」

 

 高音の剣幕につい口を挟む事を躊躇ってしまい。半ば静観していた愛衣は、敬愛するお姉様が不穏な気配を纏って強引な手段を取ろうとしたのを感じて、慌ててメイドに告げる。

 

「―――わッ…あの、わたし…佐倉 愛衣って言います。イリヤちゃんの友達で…!」

 

 すると人形の鋭い視線が愛衣の方へ向き、

 

「失礼しました愛衣様」

 

 突然、態度を改めてペコリと深く丁寧にお辞儀をした。変わらず感情が見えないので誠意が籠っていないようではあったが。

 高音は、態度を急変させたメイドにそれはそれでムッとしたが、始めから愛衣の事を出さなかった自分にも非を覚えたので何も言わず、愛衣はそんな落ち着いた様子を見せる高音にホッと安堵の息を吐いた。

 そのように彼女達は、愛衣が名乗った事でメイドが態度を改めたように思ったが…違う。実の所、そのタイミングでイリヤからの念話を受けた為、人形の彼女は態度を変えたのであったりする。

 

「どうぞこちらへ、マスターがお会いになるそうです」

 

 そう告げてメイドは訪問者の二人を工房内へ引き入れた。

 

 

 

「これといって変わった所は無いようね」

「はい」

 

 工房と聞いたので内装に変化を見受けられるかと思っていた高音と愛衣は、以前より見ていた喫茶店であった頃と変わらない中の様子にそう感想を零した。

 そうして工房内を観察しつつ途中外見の異なる2体の人形を見掛け、お辞儀するそれらに何となく彼女達も軽く頭を下げながら、自分達を先導する人形の後を追って応接室の扉を潜った。

 

「いらっしゃい、何日か振りねメイ。それと……初めまして私はイリヤスフィール・フォン・アインツベルンと申します。メイには良くお世話になっており、麻帆良に来て日が浅い私には、随分と参考となる話を聞かせて頂け、深く感謝しております」

 

 応接室で待っていた白い少女が座っていたソファーから立ち上がって愛衣には軽く、初対面の高音には丁寧に一礼して挨拶をする。

 それに愛衣は気まずさもあって応え難く感じてつい黙ってしまったが、高音は彼女の歳の割には様に成っているその振る舞いに、何処か感心した様子で彼女も丁寧に応じた。

 

 

「ご丁寧な挨拶痛み入ります。初めまして私は高音・D・グッドマンと申します。聖ウルスラ高等学校に通う2年生でありますが、ご存じの通り、愛衣共々この麻帆良で修業させて頂いている見習い魔法使いでもあります。此方こそこの子に良くして頂けて感謝しております」

 

 この国での暮らしや祖母や家族の影響もあって、身に着いた日本的なお辞儀をする高音は、今ほど見たイリヤの振る舞いに確かな品の高さを覚え。彼女が名前に含まれるフォンの称号の通り、貴族などの上流階級の出自で相応の教育を受けた人物だと納得し、確信した。

 この幼い少女は由緒ある魔法使いの家柄の出なのだ、と。

 ただアインツベルンなどという家名は寡聞にして聞いたことは無く。故あって偽名を使っているのでは? 耳にした話では家族を皆失っているらしいし、隠さなければならない事情があるのかも? とも考えを巡らせていた。

 

 挨拶を交えると、一同はソファーへと腰を掛け、案内をしてきた人形はイリヤの後ろへと控え。イリヤとこの部屋に元から居た別の人形が用意されていた紅茶をカップに注ぎ、彼女達の前にある木製のテーブルの上へ並べ始める。

 一同全員の前に良い香りを運ぶ湯気が立ってから幾秒ほどし、イリヤが先ず口を開いた。

 

「それで、本日は一体どのような御用件でしょうか? なんでも私に話があるとの事ですが…」

 

 イリヤの丁寧な口調のままでの問い掛けに、高音は少し思う所を感じてそれには答えず。

 

「はい。ですがその前に…不躾なお願いですが、先ずは互いに畏まった態度と言葉は改めるべきかと思います。このままではお互い窮屈でしょうし、特に愛衣には息が詰まるものを感じさせますから」

 

 高音は格式高い家の出だと思える少女に対し、些か不愉快な提案かとも不安に思ったが、それでもそう口にした。

 愛衣から伝え聞いた人柄から大丈夫だろうと思えたからであるが……その見立て通り、抱いた不安は杞憂だった。

 どこかの令嬢か姫君の如く気品に満ちた少女は、高音の提案に好ましい物を覚えたらしく優しく微笑んだからだ。そして普段通りの口調で彼女のそれに答えた。

 

「ええ、かまわないわ。タカネがそれで良いんだって言うならね。私もその方が気楽だし、メイの為というなら尚更にね」

 

 その言葉に高音は少し安堵する。感じられる品の良さは余り変わらないが、それでも先程までの堅苦しい雰囲気が消えて和らいだのだから。

 愛衣もそうだが自分も話し易くなる。多分、このイリヤという少女もそうなのだろう。

 

「それで、改めて何の用かしら? 工房に来たって事は何かの依頼?」

「あ、いえ―――」

 

 そこでふと今更ながらに高音は気付く。

 

「―――すみませんが、先ず確認したい事が…」

「ん?」

「ここの喫茶店が工房と呼ばれる場所に成ったというのは何となく理解しましたが、もしかして貴女が運営しておられるのですか?」

 

 高音の問い掛けに首を傾げていたイリヤが、それを聞いて表情を少し驚かせる。

 

「え…知っていて来たんじゃないの?」

「はい。此処が工房なる物に成ったというのも先程知ったばかりで、運営者がどなたなのか、何を制作しているのかも知りません」

 

 イリヤはその高音の言葉を聞いた途端、額に手を当てた。

 如何にも何か失敗したといったその仕草に、高音は何か拙い事を聞いたのか…と感じて思わず尋ねる。

 

「どうしました? 何か―――」

「いえ、何でもないわ。気にしないで。ちょっと自分の馬鹿さ加減に気が付いただけだから」

「はあ?」

 

 懊悩としたイリヤの返事に高音は曖昧に頷くが、次にその彼女が口を開くと、此処が工房である事と自分が主である事を余り吹聴しないように…と。高音と愛衣にお願いした。

 それに高音は直感するものを覚えた。学園側の…しかもかなり上の方と何らかの隠れた繋がりが彼女とある事に―――いや、噂を耳にしてからそれは薄々感じていた事だ。むしろこれはつい一昨日、自分と愛衣に“支給された代物”と関係あるのでは、と。

 同じ見習いの中でも事情通の萌によると、イリヤという少女がこの元喫茶店へ出入りするように成ったのもつい最近で。今も身に付けている“コレ”が学園に支給され始めたのもこの数日中だというのだ。

 

「………………」

 

 高音はその直感と……そして、これまで耳にして来たこの少女の噂の事が脳裏に浮かび―――ジクリと胸に痛むモノを感じて思わず黙り込んだ。

 

 

 

 そこに、黙り込んだ高音に代わってイリヤを目にしてから口を閉ざしていた愛衣が漸く口を開いた。

 この数日間、思い悩んでいたものを払おうと意を決して愛衣はイリヤに言う。

 

「あ、あのそれでイリヤちゃんに…その、言いたい事っていうか、確かめたい事があるというか……えっと、私たち―――」

 

 が、

 

「―――イリヤさん!」

 

 横から語気の強い声が発せられて、愛衣の言葉は遮られた。

 声を出した高音はイリヤを強く見据えて尋ねる。

 

「お聞きしますが、貴女が京都で起きた事件に関わったというのは本当ですか?」

「―――! お、お姉様!? それはっ…!」

「噂はあって、先生方も否定はしませんでしたが、確証も在りません! 私は本人の口から聞きたいのです…!」

 

 突然の不可解な高音の様子に愛衣は驚き、イリヤは質問に眉を顰める。

 

「で、でもイリヤちゃんにも言い難い事や守秘義務もあると思いますし、そもそもあんな重大な事件の事を修行中である私たち見習いが訊くなんて…」

 

 慌てながらも高音を宥めようとする愛衣。

 だがその内心では、こうなったお姉様を自分では止められない…という悲しい現実を彼女は理解していた。

 勿論、自分も高音が尋ねた事はイリヤから訊けるなら聞きたい事ではあるが……一体、その何が、どのように作用して、この敬愛する姉貴分の琴線(スイッチ)に触れたのかは判らなかった。

 イリヤはただ黙ってそんな高音を見詰めていた。

 

「何も仰らないのですね。やはり見習い風情の未熟な私達には何も聞かせられないと…」

 

 高音は沈黙して自分を見詰めるイリヤをより強く見据え…いや、睨んでそう言う。

 

「ですが一応尋ねます。先の事件では彼の名高き“赤き翼(アラルブラ)”の一員である現在の西の長…あのサムライマスターが不意を受けて敗れたそうですが、貴女はその不意打ちした敵と互角に戦って撃退したと聞いています。これも事実ですか?」

 

 この問い掛けにイリヤはまたも眉を顰めた。それは質問その物というよりは、そんな詠春が敗北した情報までも彼女達…見習い魔法使いの間に広がっているらしい事に呆れると同時に迂闊なものを覚えたからだ。

 同時に高音が、何故自分を睨んでそんなことを尋ねるか。そして自分にどのような感情を抱いているかも察していた。

 しかし、イリヤには答えようが無い。質問の事もそうだが、高音が抱くものは彼女自身が納得できる形に納めなくてはならないものだからだ。

 そう思いイリヤは高音を見詰め。高音は返事を待つように睨み。そうして二人が見据え合い……十数秒、高音はソファーから立ち上がる。

 

「分かりました。答えられないというのであれば、答えられるようにするまでです。イリヤさん―――」

 

 立ち上がってそう言いながらイリヤを見据え直し、

 

「―――私と勝負して頂きます!!」

 

 高音は、向かいに座るイリヤに指を差してそう宣言……宣戦布告した。

 その言葉に愛衣は意味が理解できず、或いは事態に付いて行けず「え? え…?」とオロオロするばかりだ。

 イリヤは少し黙考し―――この二人が原作に於いてネギとそれなりに関わり、魔法世界編にも顔を出していた事を思い出して、その力量を見ておくのも悪くないと判断し…高音の宣告に頷いた。

 

「ええ、いいわよ」

 

 と。

 またこれで彼女の心情が納得行く形に成るのなら、ともついでに思って。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 場所を移動してネギがエヴァから昨日修行を受けた場所―――周囲を森で囲まれた煉瓦造りの朽ちた建物が並ぶ旧市街で、イリヤと高音・愛衣コンビは対峙していた。

 多少派手にやっても問題無いように当然ながら、人払いと認識阻害の結界は設置済みである。

 

 イリヤは相変わらず『アーチャー』を夢幻召喚(インストール)しており、今はその“彼”と同様の赤原礼装と呼ばれる赤い外套を纏い。手には今回の模擬戦の為に投影した一本の日本刀が握られていた。

 その日本刀は魔剣や妖刀の類でこそ無いが、一応世に知られた名工の業物で刃挽きはされておらず、その刀身は優美な波紋と共に鋭利な輝きを放っている。

 模擬戦であるのだから、このような真剣など持ち出さず、安全面からも竹刀や木刀などを選んだ方が良かったのだろうが、しかし恐らくそれでは、今の高音は納得しないであろう。

 況してや直情的な傾向がある彼女では、それを気遣いや嘲りなどと挑発的に受け取り、頭に血を登らせて冷静さを失う可能性が高く。そうなってはその力量を正確に計れなくなる。

 その為、イリヤはこうして抜身の刃を彼女達に見せているのだった。加えて言うと片刃の日本刀なら峰打ちも容易で、二人に大きく怪我をさせずに済むという考えもある。

 なお、言うまでも無いのだが、干将莫耶始めとした宝具は強力過ぎるので当然使う積りは無い。

 

 高音と愛衣は、制服姿のままであるが愛衣は箒型のアーティファクト『オソウジダイスキ』を手にしており、ここへ来るまで表情に見せていた躊躇は無くなっており、何時に無く凛々しい顔をイリヤに見せている。

 高音の説得を受けてやる気を出したのか、それともただ単に已む無しとして覚悟を決めたのかのどちらかだろう。

 高音の方は無手であるが、工房に居た時から変わらずイリヤを強く睨み付けており、既に準備万端といった様子だ。

 

 暫く両者らは動かず、30mほど離れた先に立つお互いを観察するように睨み合い……先に動いたのは高音と愛衣だった。

 愛衣が後方へ下がり、高音が僅かに前へ出る。

 どうやら高音が前衛で愛衣が後衛に付くように見え―――途端、周囲の建物や草木などの影に不審な“像”が浮かび上がり、ソレがイリヤに目掛けて駆け出した。

 ソレは影が形に成ったような黒装束で全身を覆った長身の人型―――高音が得意とする魔法『操影術』によって召喚された文字通り影の使い魔だ。

 

 数は全部で17体、現状高音が使役できる限界数である。

 

 使い魔はイリヤを囲むように、幾つかのグループに分かれて彼女の左右前後、時間差を付けて攻撃を仕掛けた。

 そんな小賢しい戦術に態々付き合う必要は無いのだが、イリヤは動かず敢えて受ける事にした。

 グループは律儀に3体ずつに分かれて四方から迫り、残りの5体は高音の前を固めている―――これを見るに前衛はこれら使い魔で固め、高音自身は中衛に位置する積りらしい、とイリヤは判断した。

 そう思考している内に前方の3体が接近、常人を遥かに上回る俊敏さと膂力で打ち出される攻撃を、イリヤは魔力を帯びさせた日本刀で捌き、或いは交わし―――遅れて4秒後に背後からも3体が、更に4秒後には左右から攻撃が来た。

 この時点でイリヤはまだ1体も使い魔を斬っておらず、受けに徹してその使い魔の能力の把握に努める。

 

 使い魔の戦い方は、人型の形状から当然四肢…或いは五肢を駆使した格闘で、また指先が鋭く鉤爪になっており、それを使いイリヤの身体を切り裂こうとする。

 しかし、常人を凌ぐ身体能力はあれど、その動きは単調で読みやすく。此方のフェイントにもアッサリと掛かり、また仕掛けて来る事も無い。

 ただ連係自体は悪くは無いのだが……それも当然であり、元々この手の使い魔は数を投入し、その物量で戦果を上げるもので、一体一体の能力は然程重視されていないのだ。

 

 それに敵は使い魔だけでは無い―――

 

「―――我が手に宿り敵を喰らえ、『紅き焔』!」

 

 愛衣の力ある言霊が発せられるとほぼ同時に、使い魔の包囲の一角が開き、そこから赤い閃光が奔った。

 轟ッと。魔法の火炎が迫る直前、イリヤは瞬く間も無い一瞬で、自身を取り囲む影達を切り裂きながら右に跳んで避け、

 

「そこっ!」

「まだっ!」

 

 高音と愛衣が叫び、イリヤの避けた先に3つの赤い光弾と無数の黒い鞭が伸びた。

 無詠唱魔法による火炎系の魔法の矢と操影術による影槍。

 

(……定石通りだけど悪くは無いわね)

 

 使い魔で前衛を固めて敵を包囲・足止めし、後衛が呪文詠唱を完了させて中位以上の高威力の魔法を放って決めに掛かる。また油断せず、避けられた場合や耐えられた状況も想定しており、素早い追撃を見せた。

 基本に準じた定石通り戦法ではあるが、2人の息は合っており、自分が避けた後の狙うタイミングと位置もまずまずだ。

 12体もの使い魔に取り囲まれても、平然と余裕を持って対応する自分の姿に焦りと動揺を抱いたにも拘らず……。

 

 迫った火の矢と影の矛先に、その影槍だけに対応しつつイリヤはそう思考する。

 

 

「私の矢がッ!?」

「くっ! 考えてみれば当然でしたわね」

 

 愛衣は自分の放った魔法の矢がイリヤに当たる先から霧散するのに驚き、その驚きに答えるように高音が若干悔しげに言う。

 

「!――イリヤちゃんも!?」

 

 高音の言葉に思い当たる事があって愛衣はハッとする。

 

(そういう事よ愛衣。これでは魔法の矢などを使った低位魔法での牽制は意味が無いわ。貴女は中位以上の魔法を打ち込める機を伺う事に集中して。私がソレら牽制を全面的に引き受けるから)

(…っ、はい、お姉様!)

 

 高音は、残った使い魔たちをイリヤに差し向けながら念話でそう妹分を指示し、自分は持ち得る最大の手札を切る。

 その魔法の特性上、衣服の上からでは得られる効果は落ちるが―――脱ぎ捨てる時間など無いのだから仕方が無い。

 高音は意識を…それを扱う為に瞼を一瞬閉じ、開くと同時にソレが自分の意に応えて背後に現れたのを知覚した。

 自身の身の丈よりも二回りか三回りほど大きい使い魔が召喚され、同時に纏う衣服がドレスのような物に変化する。

 

 操影術による近接戦闘最強奥義『黒衣の夜想曲』。

 背後に付き添う大型使い魔の直接的な援護を受けられ、その膂力と敏捷性をも自身の身体能力に付与する非常に高度な魔法だ。

 加えて言えば、操影術自体をよりフルスペックに扱えるようになる。

 

 更に自身が抜かれた場合も考えて愛衣にも制服の上から『影の鎧』を被せてその衣服を黒く染める。愛衣の近接戦闘力を考慮してもそれが何処まで有効か、正直疑問だが……やらないよりかはマシだろう。

 

 それ程までに今相手にしている少女は尋常でないのだ。

 

 未だ余裕を持って使い魔達を相手にし、今も欠けた使い魔の補充も兼ねてイリヤの直ぐ傍…足元に在る木陰から不意を打つように死角を狙って複数の使い魔を呼び出し、同時に攻撃を仕掛けさせた……にも拘らず、彼女は予期したかのように鮮やかに捌き、躱されてしまった。

 

「くっ…」

 

 思わず高音は呻く。悔しさの混じった声で―――だから全力を持って挑む。

 

「―――『百の影槍』!!」

 

 高音が叫んだ瞬間、背後の使い魔から鞭の如く無数の黒い影が伸びる、文字通りそれは百にも到達し…或いは超える影の槍だ。

 それを変幻自在に操り、様々な角度と方角からイリヤへと向ける。魔法の矢や銃弾と変わらぬ速度を持って、今も彼女を囲み攻撃を仕掛ける自身の使い魔達に当てぬように掻い潜らせ―――。

 

 その攻撃にイリヤは驚きの表情を浮かべ―――それを見、高音は思わず笑みを浮かべた……が。

 クスリとイリヤは一瞬で表情を驚きから楽しそうな笑みに変え、

 

「フッ―――!」

 

 影槍を躱しながら先と同様、瞬く間に無数の使い魔を切り裂いて行き―――次の瞬間、高音の背後からこれまた先と同様に赤い閃光がイリヤに向けて奔り、彼女は余裕を持ってそれを避ける。その動きを封じんとする高音の百を超える影の槍に晒されながらも…。

 そんな余裕な……楽しそうな笑みを浮かべる彼女を見て、

 

「―――ッ!」

 

 ギリィッと耳障りな音が高音の耳に入った。

 それは考えるまでも無く自分が歯軋りした音だった。どうやら自分でも気づかぬ内に顎に力が入っていたらしい。

 そんな自分に高音は恥じ入る物を感じたが、この湧き上がる不愉快な感情―――悔しさを始めとした負の念を否定できなかった。

 イリヤスフィールという少女の実力は間違いなく本物だ。自分の持ち得る最大の攻撃をああもアッサリと躱したのだから……だから、それは認めるしかない。

 

 けれど、けれど―――

 

 湧き上がる感情の中で彼女―――高音は思う。理不尽な現実に対する憤りを。

 

 

 

 高音・D・グッドマンは魔法世界に在る“本国”で生まれた。

 幼少の頃から魔法を隠す必要のない社会(せけん)で育ち、何ら気に留める事もなく魔法の存在を当然と受け止め、当然のように触れてその神秘なる御業を学んできた。

 彼女自身が裕福な良家の生まれという事もあるが、その学習環境は現実世界に在る魔法学校などよりも充実したものでエリート候補と呼んでも差し支えないほど恵まれたものだ。

 物心付く以前から“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”の資格を持つ人物から英才教育を……しかも一人の人間から学ぶのでは偏りが出来るとして、複数のそれら優秀な魔法使いから受けて来た。

 それ程までの環境が用意されたのは、家の方針という事もあっただろうが、高音が並の魔法使いよりも優れた資質を持ち、更に影属性という稀有なものに高い適性があり、将来が期待されたからだ。

 高音自身もその期待に応え、教育の成果を示して()()魔法学校で常に優秀な成績を修め続け、ついには首席での卒業を果たした。

 ネギなどの田舎とは違い、多くの生徒が通い犇めく“本国”に在る一流の学校を…だ。

 だから自負が在った。

 

 自分が優れた資質を持ち、優秀である事に。それをより良く育める恵まれた環境にあった事に。

 そしてそれに胡坐を掻かず常に努力してきた事に。

 

 この修行の地である麻帆良に来てからもそうだ。

 “本国”出身で、首席で卒業したエリート候補だという事を鼻に掛けず、見習いとして謙虚に与えられる課題と訓練や任務に励んできた。

 優れた先達の方々を敬い。愛衣や萌といった後輩たちの良い手本となるように心掛けても来た。

 

 そう、だからこそ自負以上に自信も在った。

 

 自分の優れた才覚と研鑽の成果に。修行中の見習いであっても正規の魔法使いと同等の働きが出来ると。愛衣という可愛い後輩…修行中の相棒(パートナー)である彼女も並以上に優秀だ。

 だからいずれは、自分のその才覚と成果が認められ、愛衣という優れた相棒と共に―――見習いの中でも群を抜いて優秀な自分達に正規の任務が与えられて、一任されるだろうという期待が在った。

 しかし、そんな淡い期待は修業期間の終了が迫った今と成っても訪れる事は無かった。

 

 やはり見習いの身では仕方ないとも思ったが、それでも秘めた自信から諦め切れず……期待を残し、また協会への不満が少しずつであるが芽生えていた。

 

 他の見習い達よりも頭を二つ三つ抜いた実力を持ち、修行で成果を出す自分達を正当に評価してくれていないのではないか? 或いは他の見習い達と全く変わらない評価なのでは? 

 

 などと。

 他にも、新任の正規の魔法使いが任務先で失態を犯せば、あのような見習いの域を出ない者よりも、自分達に任せてくれた方が余程上手く熟せるというのに…とさえ内心で罵った事もある。

 それでも見習いという身を弁えて表に出す事も無く、高音はずっと堪えていた。

 

 そんな時だ。愛衣の友人と成ったイリヤなる後輩と思わしき幼い少女が、京都で起こった重大な事件の解決に貢献したという噂を耳にしたのは。

 最初は性質の悪い噂だと思った。自分は話した事も無いがその姿は見掛けていたのだ。

 愛衣よりもずっと小さい御伽噺にでも出てきそうなお姫様か妖精のような少女の姿を。

 そんな虫も殺しそうにない可憐な子が、危機に陥った西の本山に乗り込んだ、というのは……本当に性質の悪い噂だった。

 

 ―――尊敬する麻帆良の先達の話を聞き、事実であるらしいと知るまでは。

 

 以来この数日間、高音の中には燻り続けるものがあった。

 それを確かめる為に彼女はイリヤの下を尋ねた。勿論、愛衣の為でもある事に偽りは無い……少なくとも彼女自身はそう思っていた。

 そして、噂の根源である白い少女……イリヤと対面し話をして―――その燻ったものに火が付いた。

 

 自分と同じ名のある魔法使いの家柄で。恐らく同じく素質に恵まれ、高度な教育を受けたであろう彼女。

 

 その幼さと家柄の格式以外は自分と何ら変わり無さそうなイリヤスフィールという少女。

 

 自分よりも幼い事から見習いの身である筈…いや、そうでなければおかしいその少女が……―――学園の、麻帆良の、協会の信任を受けている現実。

 

 京都での緊急性を要した事件以外にも今、麻帆良に普及しつつある全く新しいアミュレットの製作者…つまり関東魔法協会御用達の魔法鍛冶に抜擢されたらしい事。

 

 自分と似たような立場でありながらも、自分と違って任務を託されて確かな業務を任される彼女。しかも自分よりもずっと幼い子供であるのに……。

 そう、ずっと年上で見習いとして努力してきた自分が認められない事を、ほんの少し前に麻帆良に預けられた年下の彼女が成し遂げ、認められているのだ。

 

 ―――これを理不尽と言わず何と言うのか。

 

 そうして火が付いた感情のまま、高音はイリヤを問い詰め。答えない彼女に更に火が燃え盛り、勝負を挑んだのであった。

 

 それは要するに認められているイリヤへの嫉妬でもあり、認めてくれない協会への不満でもあり、八つ当たりだった。

 これはこれで八つ当たりされたイリヤには、理不尽で迷惑な話ではあったが、高音はそんな自分の非も自覚していた。それが判らないほど彼女は良識の無い人間では無い……しかしそれでも燃え盛ったその感情は止められなかったのだ。

 

 いや―――或いはこの少女に挑み勝てれば……もしくは勝てなくとも善戦出来さえすれば、自分も認められるのではないか? 

 

 そんな甘い思考と誘惑も在ったのかも知れない。

 

 

 

 イリヤは、そんな高音の心情をある程度は察していた。

 しかし、それをただの嫉妬だの、八つ当たりなのだと悪し様に断じる積りは無かった。

 それは理解出来なくも無いという共感的なものであるし、この年頃の少年少女が持つ特有の情緒の揺らぎなのだと考えているからだ。

 そう、誰にしろ悩みを抱えて深みに嵌まる事はある。特に若い内はそうだろう。

 またこうして悩み、行動に打って出たのも、それだけ熱心にその道に歩んでいるという証明であり、魔法使いとして強い自覚と誇りを持つ故なのだと裏返して見る事も出来る。

 イリヤとしては、高音のその思いを断じるよりも、むしろ評価しても良いとさえ考えていた。

 

 まあ、感情に任せた直情的な部分はどうしようもない欠点だとも思ったが。

 

 

 

 轟ッ!と。三度目の『紅い焔』がイリヤが先程まで居た場所を焼き―――ただし、派手に見えても出力は模擬戦という事もあって抑えられており、障壁を随時展開している魔法使いならば、直撃を受けても少し熱い程度で済むそれを見て、そろそろ締め時かなとイリヤは考える。

 それを放った愛衣には、一度も掠りすらしない事実から諦観の表情が見え。高音も焦りからか攻撃にむらが生じて自身もジリジリと前に出て来ており、現状のスタンスを崩して中衛から前衛に飛び出しかねない様子だ。

 イリヤの圧倒的過ぎる戦力に二人とも打開策が見えないのだ。

 そう見えた事からもイリヤは決断し、

 

「―――え?」

 

 と、目の前で呆然とする愛衣の腹へ掌底を伸ばし、

 

「ごふっ…!?」

 

 ドスンッと、重い音と共に障壁と影の防護越しに伝わった激しい衝撃に彼女は呻いて倒れ伏す。

 

「愛衣っ!?」

 

 数秒遅れて高音がそちらに振り向き、直前まで前衛に居た筈のイリヤの姿をそこに捉え、後衛の相方が倒れた事に気付いた。

 今のイリヤの視点から高音の背後―――つまり前衛に居た影の使い魔たちの身体が2つ3つに分かれ、バラバラと黒い霞に成って霧散するのが見える。当然、イリヤが愛衣を倒す前に切り伏せたのだ。

 目で捉えるより…或いは脳が認識するより早くそれを成し、自分の脇を抜けて愛衣を倒したという末恐ろしい事実を理解したらしく。高音の顔色は青くなってその表情が引き攣った。

 それでも彼女は、思考を硬直させず影槍を伸ばしてイリヤを討たんとし、

 

「ハ―――」

 

 それをさせまいとイリヤは瞬動で一挙に接近して刀を振り払った―――が、

 

「…ッ!―――ふっ…この『黒衣の夜想曲』は、その程度の斬撃では簡単に破れません」

 

 冷や汗を流しながらもそう言う高音の言葉通り、イリヤの打ち込んだ太刀は影の自動防御によって阻まれていた。空かさず高音はこの至近での機会を逃すまいといった感じで大型使い魔に攻撃をさせつつ、百を超える影槍も浴びせに掛かり、

 

「む―――!」

「なっ!?」

 

 全方位ほぼ同時、その背にさえ回って突き刺さんとした影槍も含めて凄まじい速度で放たれた高音の攻撃を、イリヤは全て刀一本で防ぎ、高音はその鉄壁な剣捌きに驚愕する―――しかし、彼女にはそんな間さえ与えないと言わんばかりにイリヤは、高音の攻撃を凌ぐと防御から攻撃へと切り替える。

 

「っ―――!? くううう!!!」

 

 防御で示した剣捌きが攻撃でも示され、高音は防御に集中せざるを得なくなる。自動防御だけでは対応できない程の速度で繰り出される連撃。

 使い魔との意識の同調を高め、その連続した斬撃を捉えようと、防ごうとする―――が、

 

「あ、―――うぐっ!!」

 

 使い魔十数体に加え、百を超えんとした影槍に対応し続けた剣撃と体捌きに付いて行ける筈も無く。胴に一撃を貰って彼女も愛衣と同じく地に伏す事と成った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「―――ここは…?」

 

 気付くと夕暮れで赤く染まった空が見え、彼女は自分が野外で仰向けに倒れている事実を認識した。

 何故? と思う間も無く。眼を覚ました彼女に気付いた誰かの声が耳に入った。

 

「お姉様…」

 

 普段から良く耳にしている声に彼女―――高音は上体を起こして声の方へ視線を向ける。

 そこには足を抱えて地面に座る妹分が気落ちした表情で自分を見ていた。

 そんな愛衣の様子に高音は眼を覚ます前の事を思い出した。

 イリヤという少女に模擬戦を挑み。善戦どころかただ一撃も浴びせる事が出来ず―――

 

「私達は…私は……負けたのですね」

「…はい」

 

 高音の言葉に愛衣は頷き、高音は視線を逸らし……いや、愛衣から顔を背けてその表情を隠した。

 

「……うっ…く」

 

 声が漏れて慌てて口を押える。自分を慕う妹分には見せたくなかったし、気付かれたくも無かった。けど―――

 

「……くう……う、うう…」

 

 どうしようもなく目元が熱くなり、そこから流れ出る滴を止めることも、情けなく漏れ出る声も抑えることは出来なかった。

 

 悔しい、悔しい、とても悔しい。

 これまでの自分は何だったのか?

 才能があると持て囃され、許される限りの教育環境が整えられ、幾人もの優れた先達から多くを学んだ。

 それを無駄にすまいと常に全力を尽くして、それら家庭教師や魔法学校の出す課題を優れた成績で修め。多くの生徒が通い、優れた才覚を持つ同級生が居並ぶ一流の魔法学校を、それら幾人もの才能ある同年代の少年少女を抑え、首席を勝ち取って卒業した。

 そして麻帆良に独り来てからも決してそれに驕らず心構え、それまで以上に力を入れて修行に努めて来た。

 

 なのに、なのに―――

 

 自分よりもずっと幼い少女に全く及ばなかった。敵わなかった。

 全力を尽くしたにも拘らず、文字通り正面から完全に打ち砕かれた。

 協会や“本国”に勤めるような正規の魔法使い相手ならばともかく、同じ見習いという立場であり、おそらく自分と似た境遇であった筈なのに、どうしてこんなにも差が在るのか? 或いは出たのか?

 

 悔しくて、判らなくて、打ちひしがれて―――ただ、ただその現実に高音は涙を流し、声を押し殺して泣く事しか出来なかった。

 

「……お姉様…」

 

 愛衣はひたすら声を押し殺して涙を流す尊敬する姉貴分に何か言う事も、何もする事も出来ずそう呟くしかなかった。

 そして先程まで此処に居た、あの恐ろしいまでの圧倒的な力を見せ付けた幼い友達の事を思い返す。

 イリヤは言った。

 

『きっとタカネは泣くだろうから、私は此処から消えるわ。此処に残ったままだと彼女は泣けないと思うし……メイ、ごめんね』

 

 彼女の言った通り高音は泣いている。聞いた時は想像も出来なかった。これまでもお姉様が泣くなんて考えた事も無かった。

 でも、気持ちは判らなくもなかった。自分も悔しいのだから…けど、自分はそれ程でも無い。大きなショックは無い。

 それはきっと尊敬するお姉様と背負っているモノが違うからだ。

 

 そう愛衣は思った。

 

 彼女は修業中の期間だけとはいえ、一応高音のパートナーなのだ。当然、高音が“本国”でも名のある家の出だという事情は知っている。

 勿論、その背負ったモノがどれ程重いものであるのかまでは知らないし、魔法使いである事以外は平凡な家庭で育った愛衣には理解できない……が、漫然となら判らなくはない。

 それは本当に何となくという想像でしかなく、言葉にも出来ないような―――麻帆良に来てからずっと高音の傍に居て、その努力してきた姿を見続けていたから感じる勘のようなものだ。

 そう、自分も含めて愛衣が知る見習いの中では、誰よりも一途で懸命で、心から人々の為に成る“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”目指す、そんな高音の頑張る姿を見て来たから。

 だから、この尊敬する年上の少女が受けた衝撃の大きさを愛衣は、漫然と感じていた。

 

 このように愛衣があの怖いほどの力を示した白い少女に対し、比較的小さな衝撃を抱く程度で済んでいるのは、このような高音への心配と背負うモノが無い分、素直に感心出来るからである…が、何よりもそうさせているのは、そう思える愛衣自身の善良且つ純真な人柄の賜物であろう。

 

 ―――またイリヤを“友達”として受け入れているからでもある。

 

 それは、イリヤが此処から立ち去る時の事だ。

 

『…あ、あのイリヤちゃん』

『ん?』

『えっと、あの…その―――また模擬戦してくれるかな?』

『え? うーん…いいわよ。メイとタカネに、メグミだけならね』

 

 本当は別の事を―――私達、友達だよね?と―――言いたかったんだけど、つい言い難くて模擬戦をして欲しいなんて。後から考えたら随分と図々しい事だったけど、イリヤちゃんは少し考えるだけで良いと言ってくれた。

 でも、それよりも、

 

 ―――萌さんのことも忘れずに言った。

 

 つまりイリヤちゃんの中では、自分も含めてそう認識してくれているのだ―――きっと友達…だって。

 

 その事実に愛衣は、嬉しさを覚えると共に隔意を覚えていた自分を改められそうだと感じていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「高音さん、やっぱり泣いているようでしたよ」

「そっか……悪いわね、覗きなんてさせて」

「いえ、私も少し心配でしたし」

 

 工房への帰り、途中立ち寄ったカフェテラスでイリヤはさよと話をしていた。

 当然、さよの姿は見えないので一人でしゃべっているように見えるが、そこは無通話状態の携帯を耳に当てて誤魔化している。

 魔術を使っても良いのだが、何でもそれで対応すれば良いという訳では無い。使わずに済む方法があるのであれば、その方法を取るべきだろう。

 

「あの人、大丈夫かな。随分と落ち込んでいるような感じだったけど」

 

 誰とも言うなしといった感じでさよが言う。

 そこはイリヤとしても心配な所ではあるが、自分の事も含めて色々と溜め込んでいるように思えた高音を鑑みれば、遅かれ早かれこういった事は起きたと見ていた。後は彼女自身で解決…乗り越えなくては成らない問題だ。

 唯一懸念すべきは、これがネギとの関わりにどう影響するかだ。

 

「ま、成るようにしかならないわ」

 

 そうイリヤは、さよの言葉と抱いた懸念に対して口にした。

 多少無責任かも知れないが、やはりアレは高音自身の問題なのだ。

 それに傍には愛衣という優しい相棒もいる。まあ…それでも折を見て様子を見るなり、明石教授辺りに相談しておくべきかな、ともイリヤは思ったが。抱いた懸念は、それほど大事に関わるとも思えないので深く心配する必要は無いだろう……―――少なくともこの時はそう思っていた。

 ならば、そんな事よりも、

 

「それよりも、帰ったら実験の続きよサヨ」

「あ、はい。頑張ります」

 

 今は他にやるべき事があり、イリヤはさよに声を掛けて席を立ち、カフェテラスを後にして工房へ足を向けた。

 

 

 




ライダーのカードが使えないのに、あらすじに与えられた七騎とある件。


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第11話―――穏当ならざるバカンス 前編

この回は文章量が多かったので2つに分けてます。その方が修正の為のチェックも楽なので。


 

 見上げれば、そこに在るのは果て無き青い空。輝く暑い太陽。流れる白い雲。周囲を見渡せば、白い砂浜と青い海が広がり、彼方には何処までも続く地平線。ここはまさに南国の楽園…!

 

 

 そんなありふれた安っぽいフレーズがイリヤの脳裏に浮かぶ。

 そう、彼女は何故か南国……といっても国内にある南の島だが、あやかの実家が経営する雪広グループのリゾート施設を訪れていた。

 

「いや…ほんとう。どうしてなんだろう?」

 

 昨晩まで確かに工房に居た筈なのだ。

 それがなんで? とイリヤは海を目の前にして首を傾げるばかりだった―――が、結論から言えば、拉致されたからだ。

 

「…………」

 

 イリヤは目の前の光景から視線を逸らし、無言で後ろを振り返った。

 

「♪~~」

「………………」

 

 そこにはニコニコと上機嫌な表情を見せる木乃香と、申し訳なさそうに顔を俯かせる刹那が居た。

 

 

 彼女達は昨晩工房を訪れ、遅まきながらも工房の開店祝いと称して、豪勢な料理が詰まった4段重ねの重箱を2つ持って来た。

 イリヤは事前の約束も連絡も無く。突然訪問した二人に驚いたものの歓迎した。

 そしてさよと合わせた彼女たち四人は夕食時だった事もあって―――幽霊のさよは当然食べられないが―――重箱の料理へ箸を伸ばしながら歓談に興じた。

 

 ―――のだが、

 

 重箱と同じく差し入れに、木乃香が持って来た玉露を彼女が勧めるままに食後の一服としてイリヤは美味しく頂き……幾秒ほどして、何故か急に瞼が重くなり―――ニヤリ、とらしくない不敵な笑みを浮かべる木乃香の顔を見たのを最後に……その意識が途絶えた。

 

「――――――」

 

 イリヤはそれら昨晩の出来事を思い出し、恐らく主犯であろう木乃香を半眼で見詰める。

 口には出さないがその目は明らかに、どういうつもり? と問い掛けていた。

 その無言の圧力と剣呑さは刹那さえ一歩引いてしまう程で「事と次第によってはただじゃすませねえ」とも言いかねない雰囲気があった。

 友人と信頼する相手に薬なんぞ盛られたのだから当然の反応だろう。

 しかし、木乃香は一向に悪びれる様子は無く。

 

「いや~、イリヤちゃん。ここん所、疲れとるんやないかなぁ~と思うて」

「お、お嬢様…」

 

 朗らかな笑顔のままあっけらかんとそう言う木乃香に刹那が焦り、その彼女とイリヤの間でチラチラと視線を往復させる。

 そんな木乃香にイリヤはムッとした表情を見せる。

 

「だからって随分強引じゃない」

 

 イリヤは怒りを隠さずに木乃香を睨むが、彼女はそれにも動じず、

 

「こうでもせんと、此処へ連れて来れへんと思うたから。実際イリヤちゃん、昨日も誘ったのに全然乗り気や無かったやん」

 

 笑顔のまま…されど何処か真剣に木乃香は答える。

 

「それにこの3日程は殆ど姿を見せへんで、せっちゃん達との稽古にも顔を出してないんやろ?……これも昨日言うたよね」

「それは…」

 

 笑顔で穏やかなのに何処となく責めるかのような……独特の気配とその口調にイリヤは戸惑いを覚え、抱いていた怒りを思わず消沈させてしまう。

 

「イリヤちゃんが大変だと思う気持ちは判るけど、少し根を詰め過ぎやない?」

 

 イリヤは木乃香の言葉を受け、僅かに黙考すると一つ溜息を吐いた。

 木乃香の指摘通りだと思ったからだ。工房を開いてから忙しさを理由にしてずっとそこへ籠っていたが、そこには焦りがあるからかも知れないと感じたのだ。

 そう、確かにイリヤは恐れている。あのアイリの手によって―――黒化英霊によってネギ達が犠牲に成り、麻帆良の人々にも危害が及ぶことを。

 だから、工房で研究と製作に勤しんでいる訳なのだが……木乃香に指摘され、改めてその事に思い巡らせると。胸の底で何処か重く冷たい氷の塊ようなものが圧し掛かる感じを覚え、その恐れがより大きくなった気がした。

 

 ―――どうも自分は考えている以上に、その想像する最悪の事態が訪れる事に恐怖しているらしい。

 

 そうイリヤは、今更ながら自分の中に焦りがある事に気が付かされた。同時に全身に怠い重みがある事にも気付き、疲労が蓄積している事を自覚する。

 

「はぁ…」

 

 思わずまた溜息が出た。

 指摘されてこうして工房を離れるまで、そんな自分の精神状態と肉体の疲労に気付けなかった自分に呆れたのだ。

 

(……確かに根を詰め過ぎていたのかもね)

 

 イリヤは反省するかのようにそう内心で呟く。

 

「ありがとうコノカ。気を使ってくれて―――ただ、薬を盛ったことには思う所が無い訳ではないけど…」

 

 気に掛けてくれた木乃香へお礼を言いつつもジロリと彼女を見据える。

 木乃香はそれに嬉しそうに頷きながらも、今度は素直に頭を下げた。

 

「ふふ、ゴメンな。もうせえへんから堪忍な」

 

 その謝罪にイリヤは「当たり前よ!」と応じてムッとした顔を再び覗かせたが、木乃香は嬉しそうな顔を崩さなかった。

 木乃香としては、根を詰めて無理をしようとするイリヤがそれを改めてくれれば良く。この休日を楽しんでさえくれれば満足なのだ。

 そうなってくれるのであれば、このように怒りを向けられるくらいの事は甘受する積りだ。

 イリヤにしても木乃香の行動が自分を思っての事だと理解しているので、それ以上は責めなかった……が、少し気に掛かる事が在り、それを尋ねた。

 

 

「……そういえば、人形(あのこ)達はどうしたの? 私の命令以外は基本的に聞かない筈だけど」

「ん? そうでもなかったよ。疲れているイリヤちゃんを休ませるためやって説明したら納得して、むしろイリヤちゃんの着替えを用意してくれたりと、進んで協力してくれたえ」

「……まったく、あの子達は…」

 

 木乃香のその意外な返答に、イリヤは主人(マスター)に忠誠を尽くし、その主の身を尊重する命無きメイド達に呆れるか、感謝すべきかどっちとも付かない念を覚えた。

 

 

 刹那は、大事な幼馴染である木乃香と、敬意を払うべき由緒ある異世界の魔術師であるイリヤの二人が穏やかな会話を始めたのを見て、ホッと安堵の息を吐いた。

 木乃香の“共犯者”となった彼女ではあったが、流石に薬を使ってまでイリヤをこの南の島へ連れて来るのはやり過ぎだと思っていたからだ。

 しかし一方で、そうまでした木乃香の思いもまた理解していた。

 “先日の一件”……といってもほんの3日ほど前だが、それ以来まともに話も出来ず、工房へ引き籠ったまま姿を見せないイリヤの事は非常に気掛かりで、少し心配だったのだ。

 

(―――そうだ。あのようなとんでもない話を聞かされたのだから……)

 

 と、刹那は思う。

 それでも昨日まで訪ねなかったのは、忙しいらしいという話を学園長から耳にし、理由も無しに工房で作業しているイリヤの下を訪問するのは失礼になると抵抗を感じていたからだ。

 だが、そこに昨日……南の島へのバカンスにイリヤを誘う、という口実に成りそうな材料を得られ。丁度、木乃香も開店祝いという口実(いいわけ)を―――重箱の料理という形で―――作っていた事もあり、刹那達はイリヤの所へ足を運ぶ事と成った。

 しかしその自分達の誘いに対して、イリヤは全くと言って良いほど興味を示さなかった。

 

『私はやる事があるから行けないわ。貴女達は楽しんで来てね』

 

 そうやんわりと言いながらも、何処か他人事のように彼女は即答したのだ。

 刹那はそんなイリヤの態度に僅かながら腹立たしい感情を覚えた。おそらく木乃香も同様だろう。

 だから、木乃香はあのような暴挙とも言うべき行動へ打って出たのだ。

 

 ―――工房(ここ)に居る限り、どんなに言葉を尽くしても、例え納得させたとしても、イリヤはきっと何かしら理由を付けて自分達の誘いに乗らない。

 

 お茶を口にした途端、意識を失っ―――…眠りに落ちたイリヤに驚く刹那に、そのように木乃香は語った。

 その言葉に刹那は先の苛立っていた感情もあって共感を覚え。木乃香の犯した暴挙も一時忘れて……大事なお嬢様に命じられるまま、大型のボストンバックを調達し、薬で眠るイリヤをそれに詰め込み。

 工房から運び出して、日が沈んで人気のない麻帆良の市街を誰にも見つからないように抜けた訳である……が、こうして思い返すと自分のしていた事が犯罪的に―――いや、客観的にどう見ても犯罪者……幼女誘拐犯にしか見えない事実に深い後悔の念とイリヤへの申し訳無さが出て来てしまう。

 

 そんな後悔と謝意の感情でいっぱいには成るのだが、今蒸し返すのは何と無く気まずくなりそうなので、取り敢えず刹那は共犯者と成った事を心の内で謝って置いた。

 

(本当、すみませんでした。イリヤさん)

 

 と。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 多少…いや、かなり強引な招待ではあったが、せっかくの木乃香の気遣いや好意を無碍にしない為にも、イリヤは抱いた怒りを完全に忘れる事にしてこの南の島でのバカンスを楽しむことにした。

 ちなみにさよは憑いて来ていない。もう数日ほど時間が在れば、麻帆良の外へ出しても良かったのだが……それは本人もイリヤの助手として自覚していたので、泣く泣くイリヤを見送ったらしい。

 

(帰りに何かお土産を用意しないといけないわね)

 

 イリヤはそんな助手として自覚を持ち、自分の信頼に応えようとする健気なさよの事を思いながら、風に乗って潮の匂いが運ばれる白く輝く砂浜に足跡を残した。

 

 

 

「よくよく考えると“わたし”って海初めてなのよね。泳ぐのも随分と久しぶりのような気がするし…」

 

 故郷たるアインツベルンの土地や聖杯戦争中は元より。あの“四日間”の記憶でもせいぜいプールだったし……季節柄、海で泳ぐのは無理だったからか、そんな“日常の断片”も生まれなかったみたいね。

 そんな事を考えながら、イリヤは初めて見る南国の美しい海を泳いで堪能する。

 なおその彼女が着込む水着は、古式ゆかしい伝統のスクール水着である。

 それに、なんとなく意図的な思惑を感じなくも無いイリヤであったが、木乃香と刹那も同様なので深く考えないようにする。

 そうして濁りが全く見えない透明度の高い海を、水中を進む魚と戯れるように泳いでいると。

 

「イリヤちゃん。泳ぐの上手やなぁ、まるで人魚様みたいや!」

「ええ! とても見事で素晴らしいです。お嬢様の仰られるとおり、人魚の如く水中にいる事が当然なのだと、思わずそう錯覚してしまいそうです…!」

 

 傍で泳ぐ木乃香と刹那の二人に絶賛される。

 

「ふふ…ありがとう。少し過大な評価だと思うけど、泳ぎには自信があるからやっぱり褒められると嬉しいわね。でもそういう二人こそ中々上手じゃない」

「ええ、まあ…」

「ふふ、…昔ちょっとあったからなぁ。水泳は結構頑張ったんよ」

 

 照れながらも素直に賞賛を受け止めるイリヤの返事に、刹那と木乃香は懐かしそうに頷いた。

 イリヤもそんな二人に、ああ、幼い頃に溺れた事があったんだっけ、と。原作のエピソードを思い出して納得する。

 そう他愛も無い会話をしつつも三人は、一緒に居るもう一人…心此処に在らずといった様子の明日菜に気付かれないように視線を送る。

 

「―――………」

 

 明日菜は今の会話も余り耳に入ってないようで、ただ黙々と泳いでおり、何となくイリヤ達と一緒に居るといった感じだ。

 その様子や先程見掛けたネギへの態度を鑑みるに、原作通りこの三日程を…いや、今日で四日となる間。ネギとまともに会話をしていないようであった。

 元から大した問題で無いという事もあって、この件には関わらないとイリヤは決めていたものの―――それもあって工房に篭もって居たのだが―――友人がこうも不機嫌そうな姿でいると、やっぱり口の一つや二つ出したくなってくる。

 

「アスナ、茶々丸から話を聞いて訳は察したわ。貴女が怒るのも判るけど、ネギは確りしていてもまだ10歳の子供なんだから、言葉が足りない事もあるわよ。ネギもそんな積もりで―――」

「判ってるわよ! ……でも、私の勝手でしょ!」

 

 出したくなるのでつい言ってしまったが、取り付く島も無い。

 原作同様にネギに「関係ない」と言われて、明日菜がカチンと来たのは今言ったように知っている。

 イリヤは気付かれないように微かに溜息を付いて、やっぱりもう少し冷却期間が必要かぁ、と静かに呟いた。

 木乃香と刹那も一様に仕方が無いといった感じで、少し困った表情を浮かべていた。

 

 

 

「アスナさん! アスナさーん!!」

 

 場の雰囲気が悪くなった事もあってか、一時休憩を取ろうと海から出ると、長く伸びた金髪と今日はまた水着ゆえか、均整の整ったプロポーションがより印象的となった美貌の少女―――あやかが明日菜の名を大声で呼びながらイリヤ達の所へ駆けて来た。

 

「た、た、大変ですわ! ネギ先生が深みで足を取られて! 今度は本当に溺れてしまってっっっ!!」

 

 焦燥に駆られた表情で息荒げに告げるあやか。

 

「「…っ!」」

「―――!?」

 

 木乃香と刹那は驚き。明日菜は言葉を聞くなり顔を青くし―――その次の瞬間、明日菜は一気に駆け出した。直感的にあやかが駆けて来た方へ向かって。

 その一目散な姿にあやかも慌てて案内する為にその後を追う。

 当然、心配した木乃香と刹那もそれに続くが…多分これも原作と同じだろうと、あやかの演技を冷静に見抜いたイリヤは、落ち着いた足取りでゆっくりとその方向へ歩いて行った。

 

 

 

 ドンと地面が微かに揺れたのを感じると同時に、ザァァァとけたたましい水飛沫の音が辺りに鳴り響いた。

 イリヤがそこに到着して目にしたのは、明日菜の一太刀によって浅瀬の海が割られた瞬間だった。

 

「サメ、なんかーーー!!」

「う、海が割れたーーーっ!!?」

 

 明日菜の雄叫びと、朝倉 和美の驚愕の叫び声が耳に入る中、イリヤは、

 

「あ、なるほどこれが咸卦法……なんだ」

 

 小さく呟き、知覚した“力”の奔流にこの時点で明日菜の潜在能力が覚醒しつつあるのを感じていた。

 一部を除き、そんな余りにも不可解な現象に皆が呆然とする中で、明日菜は直ぐにネギの下へ駆け寄ってその無事を確かめようと―――直後、視界にサメの着ぐるみと一緒にその内臓の人であった古 菲と村上 夏美の姿が入る。

 

「へ―――?」

「え―――?」

 

 ネギと明日菜の口から間の抜けた声が漏れて―――同様の何かが抜けたポカンとした空気が辺りに漂ったが、

 

「―――これは……どーゆーことかしらねえ……」

 

 そう間を置かずに、明日菜の必死に何かを堪えるような声がこの場に集まった皆の耳に入った。

 

「いえっ、これは…あのっ」

「違いますのよ、アスナさん。これは、そのっ…!」

 

 それを怒りだと感じたあやかとネギは弁明しようとするが、原作を知るが故にイリヤは気付いた。

 

「このクソガキッ…!」

 

 振り向いた明日菜は腕を振り上げ、ネギの頬を打とうとし。ネギは来るであろう平手打ちに身構えたが―――その手は振り抜く前から勢いを失い……弱々しくぺチンとネギの頬を軽く鳴らすだけだった。

 

「?」

「……こんな……イタズラして…ホントにっ……心配する、じゃない…バカ……」

 

 不思議そうに顔を上げるネギに、涙を流して嗚咽を漏らすような声で明日菜は言い。

 その涙に動揺したネギは、結局…バカッ!!と、罵声と共に頭に拳を喰らってその場に倒れ伏した。

 

 それを見てイリヤは思う。

 

 怒りも勿論あったんだろうけど、明日菜がそれ以上に胸中で懐き堪えたのは、騙すような(あやかと千鶴の発案であるが)真似をしてまで自分と仲直りしようとしたネギへの、悔しさと呆れ…そして喜びや嬉しさを含めた諸々の“想い”なのではないか、と。

 それら感情がネギの無事を確認した安堵と共にオーバーフロー気味となり、その負荷を処理する為に涙となって流れた。

 要は、それほどネギに抱く感情が強く。彼が大切だからそうなったという事だ。

 しかし、

 

「な、泣いてましたか? 明日菜さん」

「ああああ?」

「やっぱり、少しやり過ぎたでしょうか?」

「ススス、スミマセン。ネギセンセイ……」

 

 この場に居る殆どの人間はそれに気付いていないようだった。

 イリヤはそんな疎さを見せる周囲に若干呆れたものの、ネギと明日菜の間に在る絆の強さを確信し、

 

「やっぱり心配はいらないわね」

 

 そう、独り静かに呟いた。

 ただその呟きは、周囲の騒がしさに掻き消されてイリヤ自身以外には、誰にも届かなかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 陽射しが高まるお昼時。

 太陽が燦々と輝きを強める中、その空の下では対照的に暗い黄昏を醸し作っている一人の少年が居た。

 3-A貸切となったリゾート施設で従業員以外に少年というべき存在はたった一人であり、それは言わずと知れた担任のネギ・スプリングフィールドであった。

 彼は、ビーチに張り巡らされた桟橋の一角で沈んだ表情を俯かせ、膝を抱えて座っていた。

 いわゆる体育座りの状態だ。

 

 仲直りに失敗して完全に落ち込んでしまったそんなネギの姿に、あやかを筆頭にどう声を掛けるべきか悩む女生徒の面々……だったが、

 

「―――どうか、どうかなにとぞ」

「………」

 

 イリヤはそれらを尻目に、この目の前の恐れを知らないフェレット…でははない淫獣にどうお仕置きをすべきか考えていた。

 

 

 ―――凡そ十分前。

 

「!?…―――こ、これは! す、スク水!? イ、イリヤお嬢様の…! ローティン小学生のスクール水着姿だとっぉ!!? くっ…! このか姉さんや刹那姉さんのも良かったが! やっぱりマジもんのローティン美少女のこの素晴らしさには敵わねぇ! この日本でとうとう本物のこの(エロス)を拝める時が来るとは!!」

 

 くわっ!と小さな目を見開いてイリヤの姿を凝視するなり、そう叫んだのはオコジョの妖精ことアルベール・カモミールである。

 ネギの使い魔である彼は、この世に突如舞い降りた女神の姿にまさに至福の喜びを噛み締めている最中であった。

 しかし、彼はその(エロス)とやらを体現する女神こと……イリヤの蟀谷が、ピクピクと痙攣している事に当然の如く気付いていなかった。

 思わぬ眼福に、ヒャッハー! ムハハッ!! と興奮がうなぎ登りな状態の彼には、彼女が笑顔を浮かべる姿しか見えていない。

 いや、実際イリヤは非常に穏やかで綺麗な笑顔を浮かべてはいる―――その怒りを表す蟀谷を除いて。

 それに気付かない彼は、さらに雄叫びの如く目の前に存在する至高―――彼および一部の者にとって―――の美を語る。

 

「だが…! だが…! 惜しむべきは黒髪が艶やかな純粋な日本の美幼女で無い所…! いや…! それでも! しかし! 北欧の銀髪ロリっ娘の! 白磁のような肌の上にピッチリと着込んだため! その独特の紺色の布地と白い肌が見事合わさり! また色合いによって相反するコントラストが実に絶妙で美しい!! くぅぅぅ…!! 素晴らしすぎる!!! 肌の白さが眩しい北欧美幼女のスク水姿というのも―――っもぎゃ…!!?」

 

 そして彼は懐く望外の幸福の中で美の女神ならず、断罪の魔女の手に囚われた。渾身の力で握りこまれて…。

 それは聞くに堪えない、品性の欠片も無い言葉の羅列をこれ以上口から出させない為でもあったが、このエロガモが人語を解する姿を誰かに見られない為でもあった。

 

 ―――そして、今。

 

「ど、どうかお願いします。その麗しい貴女様のスクみ…じゃなかった御姿を。どうか、どうかなにとぞ、このわたくしめのカメラに収めさせて下さい…!」

 

 その小さな身体を恐怖で震わせながらも、目の前の(エロス)を永遠の物とせんが為、土下座をしてカモは懲りずにイリヤに懇願していた。

 

 故にイリヤが答えにとった行動は一つだけだった。

 

 にっこりと笑顔を浮かべたイリヤは、白魚の如く美しい左右の手の平で包み込むように、カモの体毛豊かなその小さな身体を優しく掴み取り、

 

「ぎゅぅべぇりぃぃっ…!!!???」

 

 雑巾を絞るようにした。

 

 

 

 

 

 

「はぁ、まったく」

 

 イリヤはトマトを握り潰したかのように、手にこびり付いた赤い液体を振り払いながら溜息を吐いた。

 足元でピクピクと蠢くモノに唾棄すべきものを感じ、

 

「この中年エロ親父的趣向は、どうにか成らないものかしら…」

 

 とも呟いた。

 イリヤのソレに対する印象はまさに今、口にした通りの物だ。

 外見は可愛らしい小動物の癖に、その中身はセクハラ大好きな不良中年そのものなのだ。

 出会ったその日には、ネギとキッスさせようと執拗に勧めて興奮した下卑た面持ちを見せ。今日は……―――今のそれを思い出して忌々しい感情が湧き上がり……思わず自分の身体を見下ろす。

 

(悪かったわね。どうせスク水くらいの水着しか似合わない幼児体型よ。私は…!)

 

 あのいやらしい視線と気持ち悪いくらいの興奮を見せた姿もそうだが、凹凸の無い自分の身体をそれなりに気にしているイリヤにして見れば、先程までのカモの言葉は心底許せないものだ。

 とはいえ、気にするのも馬鹿馬鹿しい事も分かっており、そんな内心で沸き立つ感情のうねりをどうにか落ちつけようと、息を大きく吐きだし―――

 

「ん?」

 

 自分の傍に近寄る気配とその人物の影が自分に掛かった事に気付き、視線を向け、

 

 「!――――」

 

 ピシッと石化したかのようにイリヤは固まった。

 

 目にしたそれは、例えるなら連なる大きな山であり、飲み込まれそうな深い谷間でもあり、薄い生地を張り上げて千切らんばかりに溢れた2つの果実であった。

 そう、男性多くはその丸い果実如き柔らかそうな巨大な2つの山に甘い味を連想させ、許しが在れば誘惑に耐えられず自らその深い谷へと飛び込むだろう。

 

「よしっ! 喧嘩ね! 喧嘩を売っているのね!! 判ったわ。今なら言い値で買ってあげるから、遠慮なく掛かって来なさい!!!」

 

 それを見たイリヤは思わず、目の前の連なる山…もとい胸元に―――いや、人物に指を突き付けて叫んだ。

 

「え…あの、何を言ってるのイリヤさん?」

 

 挙動不審なイリヤに目を白黒させてそう言ったのは、3-Aの中では最も豊満なバストを誇る千鶴だった。

 その彼女の怪訝そうな声と表情に、イリヤはハッとして思わず投影しようとした夫婦剣を慌てて破棄する。

 

「――――…コホンっ、な、何でもないわ。き、きっとこの暑さのせいね。だ…だから気にしないで」

「?」

 

 イリヤは咳払いし、冷静さを装いながらも動揺を隠せず、やや滅裂とした言葉を並べ立てて千鶴の首を更に傾げさせた。

 そのイリヤは、思わずらしくない言動と行動を取った自分に対して恥ずかしさを覚え、内心で頭を抱えながら、穴があったら入りたいわ!と盛大に喚いていた。

 

 

 

 千鶴は、咳払いして顔を赤くするイリヤを不思議そうに見詰めていたが、その本人の言葉に従って気に掛けるのを止めて用件を告げる事にした。

 

「イリヤさん、良かったらお昼をご一緒にしません?」

「あ、そういえば、もうそんな時間だったわね」

 

 千鶴の言葉にイリヤは、太陽の位置と高さを確認するように空を見上げながら答えた。

 

「ええ、だからイリヤさんが良ければだけど……ネギ先生の気分転換を兼ねて」

 

 そう言いながら千鶴は、今も膝を抱えているネギへと視線を向けた。

 その彼女の表情はやや影を差しており、先の一件での自分の演出が事態を悪化させたと強く責任を感じていた。

 目の前に居る白い少女はそれを鋭く察したらしく、責任を感じる彼女の為に口を開いた。

 

「チヅルが気に病む必要は無いわ。悪いのは素直になれず意地を張っているアスナなんだから」

「……そうかも知れないけど、あやかが取り持とうとした折角の機会を台無しにしてしまったのは、やっぱり私だと思うから…」

 

 フォローしてくれるイリヤには悪いが、千鶴はどうしてもそのように捉えてしまい。その女性らしい華奢な肩を落とした。

 イリヤはそれに仕方なさ気に軽く嘆息する。

 

「気持ちは判らなくはないけど、過ぎた事を余り悔やんでも仕方が無いわよ。とりあえず、昼食の誘いは受けるから食事にしましょう。ネギだけで無く貴女の気分を変える為にもね」

「そうね。すみませんイリヤさん」

 

 千鶴はイリヤの気遣いに軽く頭を下げながら頷いた。

 

 この二人―――千鶴とイリヤの仲はそれなり良い方で、エヴァと茶々丸を始めとした明日菜や刹那、木乃香といった魔法に関わる面々を除けば3-Aの中では特に親しい間柄と言える。

 先月の修学旅行から戻り、工房が整うまでイリヤはネギ達と同様毎日のようにこの大人びた女生徒と顔を会わせ、話をしていた。

 

 

 ―――いや、より正確に言えば、千鶴がイリヤを気に掛けていたというべきだろう。

 

 

 修学旅行の前日。

 明日菜の誕生日パーティに参加したあの日、千鶴は同じく参加していたイリヤという少女に対して“孤独”を見出していた。

 あのパーティの最中、皆があやかの用意した料理を口にし、楽しそうに談笑しているというのに。誰もが目を引く美しく可憐な容貌を持つその白い少女だけが場を彩るただの飾りのように皆の輪から外れ、部屋の片隅で一人黙々と料理を食べていたのだ。

 だが、別にその少女は内向的でも人見知りをしている訳でもない。それは互いに挨拶をし、自己紹介した時に覚えた印象から判っていた事だった。

 しかしイリヤと名乗ったその少女は、皆が楽しんでいる中で“独り”を良しとしていた。

 それは、談笑しているクラスメイトの輪に加われないのではなく。その少女は自ら距離を置いて輪に加わろうとしていない、という事であったが―――千鶴には…もっと何か。例え難いが……孤独である事が当然というか、その少女は世界から隔絶されたような気配というか…この世界に独りだけ残された迷い子のような寂しさが垣間見えたのだ。

 

 そのように感じた事から千鶴は自ら輪に加わらず独りで在り、在ろうとする孤独を当然のように纏うその少女へ声を掛けた。

 

 ―――そう、千鶴にとってそれは許容できない事だから。

 

 そして気乗りしないイリヤに構わず、皆の間を取り持ちつつ会話を交わして彼女の事情を幾分か知り、自分の担任である子供先生こと…ネギもその事情を解している事を知って―――安堵した。

 それは直感的なものであった。

 いつも真っ直ぐで一生懸命な頑張り屋の子供先生が傍に居るなら、イリヤは決して独りには成らない、と。

 

「…ネギ、元気を出して。そう落ち込んだ姿を見せていたら皆が心配するでしょ?」

「あ、うう…イリヤ」

「貴方は仮にもみんなの先生なんだからシャキッとしないと。私も後で相談に乗ってあげるから」

「そ、そうだね、ゴメン。ありがとう、イリヤ」

 

 今もイリヤが差し出した手を取って立ち上がった自分の担任と、そうして繋がった二人の手を見て改めて思った。

 

 ―――うん、きっと大丈夫。…でも、出来れば先生が手を差し伸べる側の方がより安心できるのだけど。

 

 まあ、仕方ないわね、イリヤさんの方が確りしているんだし、とも千鶴は内心で呟いた。

 まるで姉のように優しく慰めるイリヤと、弟のようにそれに甘えて笑顔を浮かべるネギ。その仲良さ気なやり取りを微笑ましく眺めて。

 

 ただ、

 

「むむむ……やはり年上のわたくし達よりも同じ年頃のイリヤさんの方が―――」

 

 と。傍で眉を寄せて口をへの字に歪めながら唸り、そう呟くルームメイトの姿が色々と台無しな雰囲気を作っているのが残念な感じであった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 昼食を取り、あやかと千鶴や夏美と―――先程の事や明日菜の事を触れずに――――楽しく談笑できた為か、幾分元気を取り戻したネギにイリヤは約束通り相談に応えていた。

 ただし、あやか達の姿は無かった。魔法が絡む事もあり、出来れば二人で相談したいとネギが告げた為だ。

 その言葉を受けたあやか達は…いや、あやかだけは若干渋ったものの、千鶴の説得もあって、昼食に利用したこの桟橋に建てられたカフェから離れて行った。

 残されたイリヤとネギは、そのまま席に残って彼の相談に入った。

 

「えっ!? 僕…そういう積もりで言ったんじゃ…!」

「その積もりは無くても、そう受け取れるってこと」

 

 イリヤは原作通り、ネギの言葉の解釈の違いを指摘する。

 図書館島の地下にネギが明日菜を連れて行かなかった訳を―――

 

 ―――ネギは、元々一般人である明日菜に迷惑を掛けたくない、と明日菜の身を案じて言い。

 ―――明日菜は、無関係な一般人なのだからもう関わるな、とネギに否定されたように聞こえた。

 

「そ、そんなぁ」

 

 指摘を受けたネギは余程意外且つショックだったのか、眼尻に涙を浮かべて項垂れる。

 或いは否定と受け取った明日菜の気持ちを考えているのかも知れない。

 そうして暫く何度も、そうだったんだ、そっかー、などと確認するかのように呟き。気を取り直したのか、顔上げるとイリヤにお礼を言った。

 

「……ありがとう。イリヤは凄いね。僕もそうだったけど、刹那さんや茶々丸さん達も全然わからなかったのに…」

「ふふ…刹那は人付き合いが浅い方だし、茶々丸はロボットで…ああ見えてもまだ生まれて2年程度だしね。貴方もまだ10歳なんだから、そういう機微を察するというのは……まあ、仕方ないが無いことよ」

 

 目尻の涙を拭いながら感心するネギに、イリヤはクスクスと笑みを浮かべながら答えた。

 

「イリヤも僕と変わらない歳でしょ、…だから凄いと思うんだけど」

 

 イリヤの言葉にネギは一瞬、むう…としたが、直ぐに溜息を吐いてやはり感心するようにそう言った。

 それにイリヤもまたクスクスと笑ったが半分は苦笑でもある。

 原作でこの問題の事情と答えを知っていたからだ。無論、それが無くとも答えられる自信はある…が、それも常識の範囲内なのだから何の自慢にもならない。それにこんなナリでも一応ネギや刹那達よりも年上なのだ。

 

 しかし、当然そんなことを知る由も無いネギとしては感心するしかない。

 同じ年なのに大人の雰囲気を持っていて、今のように物事の機微を確りと理解出来るのだ。

 それに―――とても強い…あの刹那さんが全く敵わなくて、聞いた話によると父さん達にも匹敵するとか。

 

 ―――僕と同じように■■を失ったイリヤがそうなんだ。僕も頑張らないと。

 

 ネギは思わずグッと拳を握りしめ、座っていた椅子から立ち上がる。

 先ずは明日菜さんと仲直りだ、とネギは思い。

 

「それじゃあ、僕は明日菜さんに謝って来るよ―――」

「―――今は止めといた方が良いんじゃない?」

 

 片手を上げてイリヤに別れを告げ、明日菜を探しに行こうとするネギを彼女は引き留める。

 ネギは「え、何で?」と怪訝そうな顔をし、イリヤはそれに呆れたように答える。

 

「…あんなことがあったばかりなのよ。今行って落ち着いて話を聞いてくれると思う?」

「あ、」

 

 溜息を吐きながら言うイリヤにネギは口を開いて唖然とした。

 

「そういえば、そうだった。さっきも全然話を聞いてくれなくて……逃げられていたんだ」

 

 あの偽鮫事件の後、誤解を解くために明日菜を追い駆けながら弁明していたのを思い出し、ネギは全身の力が抜けたようにふら付いて…ドスッと再び席に腰を着けてズーンと項垂れた。

 そんな感情の波引きを極端に示すネギに、イリヤは内心呆れたままであったが笑顔を作って一応フォローする。

 

「そう落ち込まなくても大丈夫よ。少し時間を置いて話をすればいいんだから」

「うん、あ…!」

 

 慰めの言葉にネギは俯きながらも頷き―――ポンッと、軽く頭に置かれた優しい感触に驚く。

 

「きっとネギの気持ちも分かってくれるから…ね」

 

 そう言ってイリヤが頭を撫でる感触にネギは恥ずかしさを覚えたが……不思議とそれを振り払おうとは思わなかった。

 

(イリヤ―――ネカネお姉ちゃん…)

 

 その感触に、懐かしい故郷に居る筈の優しい姉の姿が脳裏に過ったから…かも知れない。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「あの…ありがとうイリヤ。相談に乗ってくれて」

「うん、どういたしまして」

 

 カフェを後にして暑い日差しの下に出ると、ネギは改めてイリヤにお礼を言う。その顔は先程の事もあって何処となく恥ずかしげで頬も赤かったが、イリヤはそれを気にすること無く応じる。

 

「アスナとの仲直り、頑張ってね」

「うん、夜にでも明日菜さんの所を尋ねてみるよ。その頃には話を聞いて貰えるかもしれないし」

 

 そう言うと互いに手を振って二人は別れる。

 ネギとしては、一人で明日菜との事をもう少し考えたいと思ったからだ。

 ただしイリヤは、そんなネギに考えすぎないように忠告をしておいた。彼の性格上、考えすぎると何かと深みに陥り易いからだ。

 そんな忠告にネギは素直に頷いている。どこまでそれを理解しているかは怪しかったが。

 

「大丈夫かしらね」

 

 さっきまでの落ち込みは何処へ行ったのか、元気良く駆けて行くネギの背中を見送りつつイリヤは呟いた。

 明日菜との仲は心配していないが、先も言ったようにネギが変に考えすぎないかが少し不安だった。

 しかし、それも余り心配は無いかな、と思いつつ、自分もネギの事を言えないわね、とも何かと不安を抱く自らの事を自省し。振っていた手を下げ―――ふとさっきの事が頭に浮かんだ。

 落ち込んだ様子を見せるネギの頭を、その手でつい撫でてしまったのを…そうするのは二度目であるが……。

 

「あの赤毛のせいかしら…」

 

 シロウと重ねてしまったのだろうか? とイリヤは自問する。明日菜の事で悩み項垂れるネギに―――あの時の…雨に濡れた夜の公園の事を?

 

「まあ、確かに弟っていうのはあんな感じなのかも知れないし」

 

 そう、苦笑した。

 自分の行いに今更ながらに羞恥を覚え。浮かんだ出来事と深刻さが全く違う事から、それは無いわね、と頭を振ってソレを誤魔化すように。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 日の傾きが大きくなり、夕焼けによって空が赤く染まった頃。

 存分に海を堪能したイリヤは、桟橋に掛かる梯子を上って……途中、その声を耳にした。

 声は昼間相談に乗ったあのネギと、余り聞き覚えの無い二人のもの。

 

「……折り入って先生に相談があるのです」

「え?」

「いいですね、のどか」

「うん」

 

 イリヤは思わず登る手を止めてその場で沈黙し、耳を立てた。

 

「あの…その、私達も……魔法使いというものに、なれないものでしょうか?」

「へ?」

 

 その戸惑いと緊張の篭もった声にネギは間抜けな声を漏らし、続いて驚愕する。

 

「ええーーー!? 魔法使いに!?」

「頑張って勉強します―――…」

「やはり、駄目ですか? 一般人では駄目……とか?」

 

 ネギの驚愕に、弱々しい声と理知的な声色の問い掛けが続く。

 

「いえっ……必ずしもそうではないですが…」

「では、是非!」

「はあ、その…」

 

 問いかけに戸惑い答えるネギであるが、直ぐにハッとして気付く。

 

「じゃなくて、駄目ですよっ! 明日菜さんのこともそうですけど、無関係な貴女達生徒を危険な目に合わせる訳には行きません!」

「ええ…ですから、危険と冒険に満ちた“ファンタジーな世界”に、足を踏み入れる決意をしたということです」

「ハルナにも話したいんですけど―――ホントは…」

 

 イリヤは、それらの声を聞きながら自らの心が冷えていくのを感じた。

 

「あのドラゴン(トカゲ)を倒すのを全部先生達に任せるのもムシが良い話しですし…」

「私達も何か力になりたいんですー…」

「夕映さん。のどかさん…」

 

 二人の決意染みた言葉にネギは感じ入るものがあったのか、感慨深げに彼女たちの名を口にした。

 そのやり取りに……夕暮れとはいえ、まだ暑さを覚える南の島の空気で在る筈なのに、イリヤは寒いほどの涼しさを自らの身体に覚えた。

 その背に唐突に声が掛けられた。

 

「確かイリヤちゃん…だったね。どうしたの? 私も上がりたいんだけど…」

「あ…、ええ、ごめんなさい。今上がるわ」

 

 声を掛けてきた少女―――朝倉 和美に押される形でイリヤは梯子を上がった。

 和美も上がると、彼女もそこにネギと二人の少女―――綾瀬 夕映と宮崎 のどかの仲良し親友コンビがその場に居ることに気づいた。

 

「やっほー、何の話をしてるんだい?」

「おっ、朝倉の姉さんに…に、いりやおじょうさま…」

「ん? どうしたのカモ君。変な声を出して?」

「あっ、いや…な、なんでもねえ。そ、それより、じ、実は夕映の姉貴が、兄貴と仮契約したいつってよ…」

 

 カモミールは声を震わせながらも、和美の問いかけに答える。

 

「へー、いいじゃん。やっちゃいなよ」

「……」

 

 何ら思慮が感じられないそのお気楽な言葉にイリヤは身体をピクリ震わせた。

 しかし、それに気付かない和美は更に言葉を続ける。

 

「そーそー、仮契約すると、もれなく一人に一つ。面白アイテムが付いてくるんだよね。私も何か欲しかったんだよなー」

「……―――」

「ネギ君。私とも仮契約してみない~~」

「…えっと―――」

「ん?」

 

 ンフフ、と。艶めいた仕草で笑みを浮かべて迫る和美であったが、予想した反応を返さないネギに不審がる。自分ではなく、どこか別のところを見ているようだった。

 その彼の視線を追うと、さっき自分が声を掛けた白い少女の姿が目に留まった。そこで和美も気付いた。

 イリヤと呼ばれる魔法使いの一人らしい可憐な少女が、笑顔なのに恐ろしいまでの不穏な気配を放っていることに…。

 和美は思わず腰が引けて、この場から逃げ出したい衝動に駆られた―――が、

 

「なかなか、愉快で無い事を話しているわね。貴方達―――」

 

 その少女の静かな声と紅玉のような緋色の眼の鋭さよって、それが許されない雰囲気が出来上がってしまった。

 

 

 



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第12話―――穏当ならざるバカンス 後編

「先ず、改めて自己紹介をするべきね。私はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。一応麻帆良に籍を置く魔法使いの1人よ。“皆は既に知っているようだけど”…」

 

 そう自ら名乗ってからイリヤは、此処に居る全員の顔を確かめるかのように一人一人に視線を向けた。

 

「……」

「あう、う…」

「あ、あはは」

 

 イリヤの不穏な視線を受けた夕映、のどか、和美はそれぞれ異なる反応を示し、それにふむ…とイリヤは一度頷くと、最後にネギに視線を向けた。

 イリヤの放つ気配に訳が分からないネギは、その不穏当な視線にビクリと身体を震わせてイリヤの顔を窺う。

 

「あの…イリヤ…」

「ネギ。…私は貴方に色々と聞かなくてはならない事があるみたい」

 

 ネギはイリヤの言葉の意味を直ぐには理解できず、首を傾げ……数秒ほどしてからハッと声を漏らした。

 

「あっ!」

「判ったみたいね」

「あ…っ、いや…これは、」

 

 ネギは額から汗を流して、弁明を試みようと必死に頭を働かせる。

 ど、ど…ど、どうしよう。宮崎さんに夕映さん。それに朝倉さんに魔法の事がバレていたのをイリヤに知られちゃったよ~~! 以前、明日菜さんにバレた事を話した時にも注意されていたのに! 拙い、拙い、まずい! このままじゃあ。オコジョにされちゃう~~!

 と、もうパニックである。

 無論、原作を知るイリヤはこうなった経緯は凡そは知っている。だが、それとこれとは別で在り。またそれが全く同じであるかも判らない。

 此処は漫画の世界では無く、あくまで現実の世界なのだ。修学旅行のイレギュラーや先日の木乃香の一件もある。

 だから、

 

「言い訳は良いわ、ネギ。在った事を正直に全て話して…」

「は、ハイ!」

 

 問い詰めるイリヤの鋭さを覚えさせる視線を受けて、ネギは反射的に思わず背筋を伸ばした。

 

 

 …――――。

 ……――――。

 ………――――。

 

 

 改めてネギの口から、補足としてカモ、夕映、のどか、和美の説明を含めて聞き終えると、イリヤは頭痛を堪えるように眉間を揉む仕草をする。

 一言で言えば、原作とほぼ同様であった。……つまり問題だらけなのだ。

 イリヤは気を落ち着けるように一つ大きく息を吐いた。

 それに不安そうな面持ちを見せるネギと彼の生徒である少女達。そしてガタガタと身体を震わせるカモ。

 

「先ず、カズミに発覚した経緯は情状酌量の余地はある。けど直ぐに処置を行なわなかったのは問題ね。例え脅されていたとしても、それぐらいで魔法が世に明らかにされるほどこっちの仕組み(システム)は脆弱ではないわ。躊躇わずに実行すべきだった。―――問題は次のノドカとの仮契約に関してね」

 

 身体を震わせるカモへイリヤは視線を送った。

 

「これは致命的過ぎるわ。本人の同意も無く、一方的なもので。またこちら側に関する説明義務が一切成されていない。しかもその際に多くの一般人へ無差別に対象を広げ、危うくそれらの者達に秘匿漏洩の恐れがあった、と」

「あう!」

「ま、待ってくれ、イリヤお嬢様! あれは俺っちが勝手にやった事で……あ、兄貴は…!」

「ええ、使い魔への監督不行き届きも加わるわね」

「っ…!?」

 

 震える身体に鞭を打って弁明しようとするカモにイリヤは冷然と言い放ち、カモは絶句する。

 

「魔法学校を出ているなら分かっている筈よ。本契約、仮契約を行なう際は本人への同意は勿論、契約者が魔法を一切知らない一般人である場合、その説明の義務を要するという事は……それを全く守らずに行なうなんて想像の埒外だったわ」

 

 半ば知っていたとはいえ、確りと法があり、そして機能している現実の世界で本当に原作と変わらない事態が進行していたとは……イリヤは本気で頭痛を覚えていた。

 

「以前から感じていたけど、魔法の扱い以外は……ネギ、貴方はどうも不思議な事に“こっち”の世情にかなり疎いようね。本来、そういう魔法使いを補助すべき“小さき知恵者”である妖精種の使い魔であろう者までもがそれを諌めず、逆に仕えるべき魔法使い(しゅじん)の意向を無視するというのも……驚きというか、前代未聞だけど」

 

 ネギは顔を青くして言葉も出ない。カモも同様だ。

 そこにのどかはネギの為に勇気を振り絞って口を出す。

 

「あ、あの、私は仮契約に…べ、別にそ、その嫌じゃなくて、もう…同意していると言うか―――」

「残念だけど、契約の同意には先ず説明の方が先に来るものなのよ。当たり前の話だけど、貴方は何の為のものか、どんな条件があるのか教えられないのに―――いきなり契約して下さい、と頼まれたらどうするの? 直ぐに同意する? 証文にサインをする?」

「そ、それは…」

「実際、魔法がどんな物か、何に使うか、何が出来るか、そして何を目的とするのか、そこにどのような危険があるのか……ノドカ、貴女は教えられているの? 知っているのなら答えて」

「う、うう…」

 

 事実何も教えられていない為、殆ど何も知らないのどかはイリヤの問い掛けに答えられる訳が無く。辛そうに言葉に成らない声を漏らすだけだった。

 それを援護する為か、今度は夕映が発言する。

 

「なら、それが逆であるというのは、本当に認められないのですか?」

「事後承諾と言う事?……そうね。緊急時であれば、適用は認められるわ。でも、それはあくまでも緊急時……つまり主に術者が余程切迫した状況で無ければ、適用されないものよ」

 

 これは修学旅行より前に起きた事件―――ネギがエヴァに狙われた時のことが一応当て嵌まるだろう。微妙な範囲ではあるものの、そのお陰で明日菜に魔法がバレた事も含め、彼女との仮契約も学園では認められていた。ネギ本人はその事を知る良しも無いのだが。

 夕映はイリヤの答えを受けて更に発言を続ける。

 

「のどかから聞いた話ではあの時、ネギ先生は特別な任務に就いていた、という事です。現地で任務上必要を感じ、可及的速やかに状況に対処する為、その説明を怠ってしまう事は在り得るのでは無いでしょうか? また事実として先生はのどかと仮契約したお陰で危機を脱しています。これは適用範囲に当たりませんか?」

 

 成程、確かに賢いわね。良く頭が回る、と挑むような視線で話す夕映にイリヤは感心する。けど…。

 

「それじゃあ結果論よ。それが認められるなら、従者の契約に関してどのような拡大解釈も可能になってしまう。到底認められないわ。何より仮契約を試みた時分の状況では、説明義務を事後に回すほど切迫してない。事前に説明できたと判断される。更に言うなら、任務上必要に成ったからといって無分別に仮契約者を無数に確保しようなどと言うのは―――言語道断よ…!」

 

 イリヤは、夕映の主張を同じく論理で切り捨てる。

 夕映は、思わず唸るがそれでも食い下がる。

 

「む、むう…しかし説明、説明と言いますが、それほど重要な物なのですか? 私達のような魔法を知らない一般人にして見れば言葉だけでは実感はし難いですし、直にその貴方達の世界を体験しなければ理解も納得も得られない筈…です」

 

 何も知らない一般人ならではの意見である。

 尤もらしくも聞こえるが、むしろこれはその他大勢の為の意見では無くて、彼女自身の本心…本音なのだろう。だからこそイリヤは“魔法”に関わる“魔術師”として受け容れられない。

 

「……魔法とは何か、何に使うか、何が出来るか、魔法使いが何を目的にするのか、どんな危険があるのか……一般人が契約対象の場合、主にこれ等の説明が課せられているけど、前者の方は省くわ。言うべき事は後者の二つ、先ず契約者あるいは仮契約者は従者と成る以上は当然、主となる者の目的を知る権利がある。でないとその人物に生涯掛けて付き合おうだなんて思わないからね、普通は。そして、もう一つ。最も重要なのはコレな訳だけど、ネギもさっき言っていたわよね」

 

 チラリと顔を青くするネギの方に視線を向ける。

 

「一般人を危険な目に合わせる訳には行かないって…」

 

 そう、これこそが最も重要だろう。何も知らない一般人をこちらの世界に引き込むのが、如何に危険であるか、どのようなリスクが伴なうのか、説明し理解させて、して貰わなければ。無責任という所ではない。殆ど詐欺になる。

 

「確かにネギ先生の目指す物が何かは知りません。ですが危険だと言うのは承知しています。それでも―――」

「―――構わない。決意しているって言うんでしょう。聞いたわよそれも」

「……その通りです」

 

 言いたい事を言われた為か、夕映は拍子抜けしたように言葉少なく頷いた。

 

「問題はその危険が何かって事よ。言ったわよね。“どのような”、“どんな”、危険が在るのかって…そう。ただ危険があると言うだけじゃあ、説明になんてならない」

 

 言葉遊びのような言い方であるが、夕映ものどかもこの場に居る全員がイリヤの言いたい事は理解していた。だから夕映は真っ先に口を開いた。

 

「その危険も多少理解している積もりです。修学旅行で皆が石にされた事。学園の地下でトカゲ…ドラゴンにも襲われました。狼の少年がネギ先生達と戦っていた事も」

「…命の危険がある。それは判っている、と言いたいの?」

「!…そうです」

 

 夕映は一瞬、イリヤが自分を嘲笑ったような気がして語気を強めて睨みつける。

 だがそれは夕映の勘違いだ。たったそれだけで、分かった気になっている少女の勘違いと同じでただの誤解に過ぎない。イリヤは夕映を哀れんで眉を顰めると共に、ふう…と軽く溜息を付いただけだ。

 それでもイリヤは一応、分かっているという前提でやんわりと諌めに掛かる。

 

「判っていると言うのなら止めなさい。こちらに関わろうなんて。ただでさえ、魔法と関わりの無いごく普通の日常である貴女達の世界にだって危険は在るのだから、こっちに関わって何も余計に……いえ、敢えて倍以上に増やす必要は無いわ。こちらの事は忘れてそのまま平穏な日常で過ごした方が良い」

 

 平穏な日常が如何に尊く。掛け替えの無い物か。その価値を多少なりとも理解するが故にイリヤは諭すようにそう言った。

 

「…日常にも変わらず危険が在るというのなら尚更です。例えそれが増すのだとしても平穏で退屈なこちらで過ごすより、刺激に満ち溢れたそちらで過ごした方が万倍にも満たされる筈です」

 

 だがイリヤの言葉も、尊く掛け替えの無いその価値を、正しく理解していない退屈だと言い切る少女には届かない。

 結局判っている気になっている少女を“判らせる”しか納得させる方法は無いのだろう。

 イリヤはもう何度目になるか判らない溜息を吐くと、視線をあさっての方に向けた。

 

「……木乃香、刹那。そこにいるんでしょう?」

「え?」

 

 唐突にイリヤが言った言葉に、議論をしていた積もりの夕映は疑問の声を上げた。

 

「やはり、気付いていましたか」

「流石、イリヤちゃん」

 

 その聞こえた二人分の声に皆の視線がそこに集まる。桟橋にある屋根を支える柱―――とても二人の人間が隠れられるとは思えないその影から木乃香と刹那が姿を現した。

 

「なかなか見事な『隠形』ね。…木乃香の術?」

「うん、でもアッサリ見付かってもうたな。やっぱまだまだ未熟やなウチ…」

「そうでもないわ。ネギはまったく気付かなかったようだし、少なくとも成長途中の天才魔法少年を欺く程度には上出来よ」

「褒められとるんかな? それ…」

「ええ…実質、僅か3日程でこれほどなのですから十分大したものかと」

「そっか、せっちゃんもそう言うなら―――」

 

 驚きで固まる皆を置いて、イリヤと木乃香と刹那の三人は話し込み……一早く驚きから脱した和美が代表して尋ねる。

 

「二人とも、いったい何時から居たの!?」

「んー? イリヤちゃんがネギ君に全て話して…って言った時からや」

 

 木乃香が考え込むように人差し指を顎に当ててそう答えた。つまり殆ど初めからという事だ。

 木乃香と刹那の二人は当初、魔法に関する質問をする為にネギとイリヤを捜して此処へ来たのだが、イリヤの放つ不穏な空気に当てられて咄嗟に隠れたのだ。

 

「で、今まで出ようにも出られずに隠れていた訳ね…」

「あはは」

「はい…そういう訳です」

 

 イリヤの何処か呆れたような口調に、笑って誤魔化そうとする木乃香と申し訳無さそうにする刹那。

 

 夕映とのどかは、その二人…特に木乃香の方を複雑な眼で見ていた。

 同じ図書館島探検部に所属し、クラスメイトの中でも親しい友人が魔法使いである―――少なくとも二人の認識では優秀だと思われる―――イリヤとまったく臆する事無く平然と仲良さ気に話す姿に理解が付いて行けず、不可解であり、また羨ましく感じていた。

 木乃香が魔法使いの家に生まれている事は既に判っていたが、このおっとりほんわかとした友人は何時の間に本格的にそちらへ足を踏み入れたのだろう? 少なくともほんの数日前までは、自分達とほぼ同じ立ち位置に居た筈なのだ。

 そんな疑問が羨望と嫉妬めいた思いが、夕映とのどかの心を占めていた。

 疑問を抱くのは何もこの二人だけではなかった。

 和美もそうだがネギもカモも同様だった。その一人と一匹はなまじ魔法の事が判るからこそ…今、木乃香から感じられる“様々な変化”に驚きを禁じ得なかった。

 

「木乃香さん…いったい?」

「あ、うん。ウチなあれから考えて、やっぱり魔法使いになる決心をしたんよ。今のはその勉強の成果や」

 

 尋ねられずに居られなかったネギに、それを察して木乃香は答えた。

 その答えに、ネギはこの数日やたら彼女の帰りが遅かったのを思い出した。てっきり部活か何かかと思っていたが、どうやら違っていたらしい。

 そのネギの推測は当たっていた。

 木乃香は先日のエヴァ邸での一件以来、彼女の祖父を始め、明石教授や葛葉 刀子といった面々などの魔法関係者と積極的に顔を合わせており、時に話し合い、時に手解きを受けていた。

 

「悪いけど、今はその話は後にして」

「あ、そやね。ごめんな」

 

 ネギの様子に加え、夕映とのどかも聞きたそうにしていた為にイリヤは脱線を恐れて口を挟んだ。

 正直、余り気が進まなかったが、イリヤは木乃香にさっき頼んだ事を実行するようにお願いし、木乃香は頷くと手にしていたポーチから数枚の呪符…或いは魔法符を取り出して術を紡ぐ。

 木乃香の先程示した力量から不安は余り無い。傍には刹那もいるのだから失敗してもフォローはしてくれるだろう。

 

 幾秒ほどし、木乃香の手にした符は彼女の術と意に従って宙を舞い。イリヤ達の居るこの場所を囲むように桟橋の各所に張られた。それは人払いと認識阻害の結界だった。

 術が完成すると共に不可視の膜がこの周囲を覆う。同時に感じたその確かな感覚にイリヤは改めて感心する。まだ呪符の補助が大きいとはいえ、たった数日でこれを行なえたのだから。

 師匠(がくえんちょう)が優秀という事もあるのだろうが、木乃香もまたネギと同様、その内なる魔力が示すように非凡だという訳か、と内心で感嘆を込めて呟いた。

 

「じゃあ、次は私ね」

 

 イリヤもまた、魔術を扱う為に内に潜む回路を起こす。

 先ずは、夢幻召喚(インストール)済みの『アーチャー』の能力を使って複数のアゾット剣を投影。それを円を描くように基点と成る場所へ突き刺す。次にナイフを投影してそれを自身の腕に向けて軽く振る。

 

「「わぁっ!?」」

「「「「きゃあっ!?」」」」

 

 腕を切り裂いた事と勢いよく流れ出た赤い色を見て、刹那以外の悲鳴が聞こえるがイリヤは無視して呪文を紡ぐ。

 

 その呪文が紡がれると、深く切られた傷口から滴る血が流れ、自ら意思を持ったかのように動き。赤い蛇の如く桟橋の床を這いまわって一つの文様を描いて、先のアゾット剣と共にこの桟橋の一角に魔法陣を形作った。

 イリヤは傷を癒しながら、視線を魔法陣へ向けてその出来を確認する。

 

「―――っ! イリヤちゃん。大丈夫なん!」

「ええ、大丈夫よ。すこし驚かせたようで悪かったわね。でも仕方が無いわ。魔法陣を描く為の触媒が他になかったんだから」

「そやけど…ホンマにビックリしたわ」

 

 刹那以外の他の面々が顔色を悪くする中で木乃香がいの一番に問い掛け、彼女は心配してイリヤの傷が在った腕を手に取った。

 木乃香の手にはアーティファクトカードが握られており、傷がまだ在ったらそれを使う気だったが、既にイリヤの傷は完治していた。

 それに口にしたように、知識で判っていても実際に血を使って魔法陣を描くのを見て彼女は非常に驚いていた。ネギも口にはしていないが、余り経験が無い為にその驚きは等しい。

 

「さて、と。準備も整った事だし……気が進まないんだけど、始めましょうか?」

「えっと、何をです?」

 

 イリヤに見つめられた夕映が尋ねる。

 

「さっき話していた事よ。こちら側の世界にどのような危険があるのか―――いえ、“あった”のか見せようと思ってね。例えるなら、リアリティー満載な劇場へ招待しようと言ったところかしら」

 

 気が進まないというイリヤは、その通りに心底嫌そうな顔をしてそう答えた。それでネギとカモもイリヤ達が何をしようとしているのか理解する。

 ついでにイリヤは、魔法知識皆無な彼女達に一応警告する。

 

「言っておくけど、かなり凄惨よ。やめて置くなら今の内だけど―――」

「―――望むところです! 先程も言いましたが、言葉だけでは実感も納得も得られないですので…!」

「お、お願いします…!」

「うーん。私も見ておきたいような。止めておきたいような……でも真実の為なら…」

 

 和美の返答は兎も角、予想通りの返事にイリヤは若干眉を顰めて頷き、魔法陣の中心で刹那と向かい合う。刹那はイリヤに背丈を合わせる為にその場で膝を着く。二人は互いに額を合わせて目を閉じる。

 若干刹那の顔が赤くなっていたが、彼女にとって幸いなことにそれに気付いた人間はいなかった。

 

「では、皆を我が夢の中へ―――」

 

 そのイリヤの声がこの場全員の耳に入り、次に聞き慣れない言語が入った瞬間―――皆の視界は一変した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 それは、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

 

 烏賊か蛸にも似た異形の怪異の群れが様々なアヤカシ達を喰らわんと襲い掛かり、またそのアヤカシも喰らわれない為に抗い怪異へ襲い掛かっていた。

 

 怪異に喰われる悲鳴と断末魔が轟き。肉を咀嚼して骨を噛み砕く生々しい音が耳を不愉快に弄する。

 

 アヤカシが討った怪異が聞くに堪えない奇怪な断末魔を挙げ。肉を切り、突き刺し、血が吹き出す…生々しい音が鼓膜を奇妙に震わせる。

 

 残飯のように喰い残されたアヤカシの物らしい肉片が赤い液体共に辺りに散乱し、現世に留まれなくなったそれは霧のように消え失せるが、その間際の赤黒くピンク色をした様々なモノが目に留まる。

 

 引き裂かれた怪異の骸が赤い体液を流しながら破裂するように膨らみ、新たな無数の怪異が聞くに堪えない歪な産声を上げ、条理に沿わないおぞましい生誕を繰り返す。

 

 そこは…その地獄絵図は命を掛けた戦場であり、異形同士が凄惨に殺し合う現世を犯す異界の顕現であった。

 

 

 そんな見るに耐えない狂気に満ちた世界が、正常な視野と思考を蹂躙するように三人を襲った。

 

「…ああ、ああ―――ああっ!」

 

 のどかは言葉に成らない声を上げながら、いやいやと首を振って後ずさり、その場でへたり込んだ。

 

「―――ッ…こ、こんな…」

 

 夕映は顔を青くし、声と身体を震わせて呆然と佇んだ。

 

「ぐ―――っうぷ…」

 

 和美は夢の中にも拘らず、腹の奥底からせり上がるものを感じて思わず口を押さえた。

 

 何も知らなかったその少女達の精神は、この世とは思えない光景を眼にして僅か数秒で打ちのめされて屈しつつあった。

 それでも、ギリギリで留まっていられたのは、その光景の中に自分たちの知る友人の姿があったからだ。

 

 刹那と明日菜。二人は怪異とアヤカシが入り乱れる異界と化した戦場で互いに背を合わせて戦っていた。

 だから思考が停止していた三人と違ってネギはそれに気づいた。

 

「これ…もしかして修学旅行の時の……」

「そうよ」

 

 掠れながらも確信の篭もった声で出されたネギの言葉に、イリヤの声が肯定した。

 ネギは愕然とする。

 

「あの時…こんな、こんな事になっていたなんて……聞いてなかった」

「すみませんネギ先生。お話しするべきだったのでしょうが、この怪異の事は余り口外すべきでないと長達に判断されてしまって……ただ明日菜さんにしても、気にはしていないようで。特に話す事でもないと思っているみたいですが」

 

 刹那はフォローするが、余り慰めにはなっていなかった。

 光景の中の明日菜と刹那は所々に傷が見え、怪異の返り血でその身を赤く染めており、特にやはり一般人である明日菜は傷の割合が多く、戦い方も危なげで幾度も足や腕を怪異に絡め取られては、餌食に成りかけている。

 もし刹那がいなければ、無残な姿を晒して……いや、怪異の腹の中に納まって晒す事すら出来なかっただろう。

 

 木乃香は何も言わない。ネギと違って刹那から、そして近右衛門とイリヤから聞かされていたからだ。

 だからこそ黙ってこの光景を見詰め、受け入れていた。これは自分の身が狙われて引き起こされた事態なのだと、何も知らずに居られない立場だと戒めるように強く意識して。

 

 

 

 夢から現実へと覚めた直後。

 三人の少女達は同時に桟橋の端へ向かって駆け出した。そして胃から込み上げてくる物を海に向かって吐き出す。

 

「「「―――……」」」

 

 吐き出した後もそのままの姿勢で膝を着いたまま、三人は項垂れるようにして青い顔を海へ向けて無言で佇んだ。

 

 夕映とのどかのショックは大きかった。

 思い描いていたファンタジーは、その幻想という綺麗な言葉などとは程遠い、無慈悲な“幻想”に粉砕されていた。

 

 ―――石にされた。

 

 ―――ドラゴンに襲われた。

 

 ―――狼の少年との戦いを見た、聞いた。

 

 まさしくファンタジー的な出来事だ。

 だが、今見たのはナニカが違う。

 血と肉が飛び散る異形同士の凄惨な命の奪い合い。その中で同じく命がけで必死に血で赤く濡れながらも戦う友人たちの姿。

 

 そんなものは違う。自分はもっと綺麗で、心を震わせる、胸を打つ感動を、好奇心を満たせる出来事を―――それを求めていた。

 

 確かに危険で過酷な現実もあるだろうと覚悟もしていた。それでも、そこには夢ある世界が広がっていると確信していた。

 

 ―――そう思っていたのだ。

 

 朝倉 和美も同様だ。

 夕映達ほど期待はしていなかった。

 そこまで夢を見るような子供ではないと、ジャーナリストを志す人間として彼女達と違い過酷で凄惨な現実が待ち受けているものだと、自分はそれを理解して覚悟を持っているのだと。

 

 そう、何処か夕映達を嘲笑するように考えていた。

 

 だが、自分もまた彼女達と同様に幼かった。そして甘かった。

 どんな物を見せ付けられようと、それが当然だと何時ものように平静に受け止められると勝手に確信していた。ただ魔法という世界に隠された“真実”という美味しい果実を味わえると。

 

 しかし、好奇心は猫を殺す。

 

 余計な事に興味本位で首を突っ込んだが故に、和美は一生涯知らなくても良い。忘れられないものを見てしまった―――見せられてしまった。

 

(……当分、肉は食えない)

 

 一方でそう思えるのだからまだ夕映たちに比べれば衝撃は軽く、余裕もあるのだろう。しかしアレを見せられた以上は関わるべきか本気で悩んでいた。

 本能的には既に関わるべきではない、命が幾つ在っても足りないと分かっていたが…。

 

 自失に近い状態から逸早く復帰したのは衝撃の軽い和美であった。

 

「たしかアレ、修学旅行であった“あの夜”に起きた事だって言ってたよね。…マジなの?」

「ええ」

「はい、事実です」

 

 イリヤと刹那は、真っ直ぐに視線を向けて彼女の問いに頷いた。

 和美はその二人の視線を受けて実感が強まり、いつに無く真面目に言う。

 

「……あの時、本当にヤバかったんだ。明日菜も桜咲さんも…ネギ君も。なんかホント、今更って感じだね。真実を求めるとか言いながら……私は結局、何も知らなかったまま…って事か」

 

 何時にない真面目な口調で出されたその言葉には、自身に対する呆れと同時に苛立ちも含まれていた。

 

「いや、実際は知ろうとも思わずに楽しんでいた…だけなのかも、それとも隠されている事だからって深く考えずに無謀に首を突っ込んだだけか。…ジャーナリスト失格ね」

 

 そんな和美の様子は普段がお気楽過ぎる所為か、落ち込み具合が半端でないように見えた。自虐的にもなっているようだった。

 だがイリヤとしては、そう思ってくれた事に安堵もする。裏に関わる刹那と関わる事を決意した木乃香も同様だ。

 特にクラスメイトである二人は、和美が持つ無駄にある行動力と、記者魂と自称する好奇心の大きさに不安を覚えていたのだから。

 

「ネギ君もゴメンね。なんか勝手に盛り上がって迷惑を掛けて…」

「あ、いえ…その」

 

 珍しく素直というか、元気が無いというか、意気消沈した和美の姿にネギは戸惑って曖昧に応じる。

 いや、ネギにしてもショックが小さくなく。それでも三人の落ち込む姿を見てそれについて考えるべきか、彼女たちを慰めるべきか、どうしたら良いのか判断が付かずに困惑しているのだった。

 そこでようやく動く気になれたのか、それでもノロノロとふら付きながらも夕映が近づいてきた。

 僅かに表情を固くしながら彼女は尋ねる。何かに縋りつくように…。

 

「危険なのは、わかり…ました……ですが、ああいった事は、魔法の世界でも日常茶飯事という訳ではないのでは?」

「そうね。アレはちょっと極端な例ではあるわ」

 

 そのイリヤの言葉に何処かホッとする夕映。だがイリヤは予想だにしない言葉を続ける。

 

「でも、ある意味ではマシな部類でもあるとも思う」

「え? あれが…!?」

「ええ、だってあんな怪異じゃなく、相手が人間の場合もあるんだから。ごく普通な貴女達から見ればマシなほうでしょう」

「……!」

 

 夕映はまた顔を青くした。想像してしまったのかも知れない。怪異の変わりに人間が切り殺され、またアヤカシに変わって人間が怪異に喰われる姿を―――或いは……人間を手に掛ける明日菜や刹那の姿を…。

 それは夕映も全く考えなかった可能性ではない。修学旅行の時にネギが戦った相手には人間がいて、あの小太郎という狼の少年も普通の人間と何ら変わりがないように思えた。

 ただ、のどかと二人で相談していた時もそうだが。それは考えても口には出さなかった事だ。

 

 そう、危険な目に合うという事は危険をもたらす相手が居るという事でもある。無論、ヒトが関わらない事。偶発的な事も在るだろうが、それだけを口にするのは逃げだろう。

 だが、夕映はその逃げに縋っていたのではないだろうか? そう彼女は自問した。

 

 夕映の目下の目的は自身がトカゲと称する図書館島の地下に巣くうドラゴンだ。

 それを相手にするのは良い。けど…いざその時になって本当にその命を刈り取れるのだろうか? 命を奪うという行為の重さに耐えられるだろうか?

 況してや、それがあの小太郎という少年ように人と同じ姿をしていたら? だったら死なせないようにする? でもそれで済ませられなかったら? いや、それ以前に自分はヒトとなんら変わりない者を相手にし、傷付ける事すら躊躇わずに戦えるだろうか?

 考える事を避けていた事が次々と脳裏に浮かぶ。答えが出せないまま……。

 

「ユエ、貴女は危険な目に合う。命を落とす決意が在ると言った。けど…その危険をもたらして、命をも脅かそうとする要因に対して“立ち向かう”決意は在ったのかしら? 私はこの二者は同義で等しいものだと思っているんだけど」

「………………」

 

 まるで心を読んだかのように告げられたイリヤの言葉に夕映は答えられなかった。

 代わりに答えたのは、のどかだった。

 

「じゃ…じゃあネギ先生には、そういうのはあるって言うんですか! その“立ち向かう”決意とか…そんな覚悟みたいなものが!」

「それは私が答えられる事じゃあないわ。でも……修学旅行で貴女は見た筈よ。ネギが敵対する相手に屹然と立ち向かうのを」

「っ…!」

 

 のどかはその言葉で夢から覚まされた気分になった。

 まるで少年向けの冒険小説を読んでいたみたいだったソレに、何処か冷静とも言える思考が脳裏に奔る。

 その通りだった。ネギは確実に相手を傷付け、或いは殺傷すら可能な力を振るい、躊躇する事無く相手にぶつけていたではないか、と。

 青かった顔が更に青くなる。頬を叩かれて、何時まで夢を見ていたいんだ、と叫ぶ自分が心の何処かにいた。

 

 戦うことが無ければそれが一番良い―――ほんの数時間前にそう言った自分がそうだった。アレはただネギの身を案じて出た言葉では無い。

 

 のどかも判っていた事なのだ。“危険の意味”を。

 だけど、それでも大好きなネギと関わりたくて、魔法という不思議で素敵な言葉と世界に惹かれて、必死に塗装して見ぬ振りをしようとした。

 ―――夕映と同様に。

 

「……僕は正直、イリヤの言う決意っていうのはよく判っていないんだと思う。けど…危険な目に皆が、守りたいと思う皆さんがそれに晒されるなら、イリヤの言う通り立ち向かう積もりです。エヴァンジェリンさんに狙われた時は、恐くて身を守りたいという気持ちと彼女を止めたい。勝ちたい……という気持ちが強かった。修学旅行の時は、親書を届ける事で西と東を仲良くさせられるって思えたし。木乃香さんを悪い人から守る為、助ける為だから戦えた」

 

 ネギがイリヤとのどかの言葉を受けて黙っていられなくなったのか、独白をし始める。それはまるでこれまでの事を確認しているかのようでもあった。

 

「でも、それが、その為の力が、守るだけじゃなくて、傷付ける物なんだって事も理解していて、出来ればそんな事はしたくない……けど…けど、それでも、僕は…僕は―――」

「―――うん、それ以上言わなくても良いわ。判ってるネギ。貴方がそういう真面目な子なんだって。でも、だからって答えを出す事に急ぎ過ぎる必要は無い。今はまだ、その力のもたらす結果への理解とその立ち向かおうとする勇気があるだけで良いから」

 

 イリヤは、振り絞るように言葉を出そうとするネギを諭す。

 しかしそれは半ば直感的なものだった。イリヤにはネギの独白が自傷行為に思えて、このままではいけないと感じた。だから咄嗟に思い付いた先から言葉を並べてその危うい行為を諌めた。

 

「―――そう、かも知れない…」

 

 咄嗟に並べた言葉であったものの、ネギは独白を止めて自信無さげにしながらも静かに頷いた。

 

 イリヤは、ホッとしつつもネギの消沈する姿を見たお蔭か、逆に柄にもなく自分が熱くなっている事を今更ながらに自覚した。

 先程、ネギと夕映達のやり取りを立ち聞きした時に覚えた心の冷たさや体の寒さが嘘のようだ。その心情の機微をイリヤは冷静さに傾いた頭で考え……その答えは直ぐに出た。

 

 ―――それはおそらく羨望や嫉妬に怒りだ、と。

 

 そう、平穏な世界に労する事も無くそこに居られる夕映達に……そんな羨ましい位置に居る夕映達が妬ましく、なのにそれをあっさりと捨てて安易にこちらへ関わろうとする事が許せなくて自分は怒っているのだ。

 “魔術師”であり、“魔法使い”の一員としてその危険を理解する事と、それに伴なう秘匿と漏洩の防止などの義務感もあるが、一番の理由はその私情…もしくは私怨というべきものだ。

 

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンが神秘に属する事と、この世界での役割から決して得られないであろうモノを持つ夕映達が―――羨ましくて、妬ましくて、なのにそれを簡単に破棄しようとする事が許せないのだ。

 

(……別に魔術師の一族に、ホムンクルスとして生まれた事に恨んでいる訳でも後悔している訳でも無いし、これからもする積りは無いけど。それでも……彼女達は私と違って―――相応の■■を持って平穏に■きられるのだから、危険が満ちるこちらに敢えて関わる必要なんて無い)

 

 自覚に伴い、イリヤはそう強く思った。

 しかし、それを自覚したからといって見過ごす訳にも行かない。その私情や私怨を抜きにしても彼女達が興味本位で関わろうとするのを良しとはしない。

 原作では確かに彼女たちは結果的に成長し、覚悟を持ち、戦い抜く力を得てネギを支えた。

 けれど、何度も言うが此処は漫画の世界ではない。極めて似ているが違う。それに今後も漫画と同じだとは限らない。しかも時を経るごとにその“物語”は、展開に過酷な面が加えられていったのだ。

 なら、現実であるこの世界ではどれほど過酷で厳しい事態が待っているのか?

 それに敵として立ちはだかるのはフェイト達だけでは無い。黒化英霊やアイリまでいる。とてもではないが彼女達の無事で済むとは思えないし、済ませる保証が無かった。

 そう感じたからイリヤは、覚える義務感や私情と同等以上に一般人である彼女達が平穏な世界で生きる事を望んでいた。

 

 だからこそイリヤは魔術をも使って凄惨過ぎる現実を叩きつけ、こうして厳しい態度で彼女達に接している。

 

(エヴァさんに笑われそうね。大した偽善だって…)

 

 不意に脳裏に不敵に笑う吸血姫の姿が思い浮かび、釣られてイリヤも知らずに苦笑を零す。

 夕映は、その笑ったイリヤの顔をどう捉えたのか、先と同様に嘲笑ったと感じたのか、必死に考えて言葉を紡ぐ。

 

「でも、でも……日常茶飯事で無いとも言いました。確かに認識が甘かったかもしれません。ですが、やはり言葉のみの説明では実感が得られず、納得が出来ない事に変わりは在りません。今のように見せられたとしても、ただ打ちのめされる事しか出来ません。……これでは一方的過ぎますし、一般人に従者を求める事なんて―――」

「―――ええ。その通りよ。現代において一般人を従者に持つ魔法使いは極少数と言えるわ」

「え?」

 

 夕映は思わぬ言葉に一瞬惚けた。

 ネギの事からてっきり魔法使いの多くが、自分たちのような一般人から従者を選んでいると思い込んでいたからだ。

 

「当然でしょ。自分が魔法使いなのだと明らかにするリスクがあるし、何より自分の過ごす世界のその危険性を理解しているからこそ、従者を必要とする魔法使いはまず間違い無く一般人を選ぶ事を避けるわ」

 

 況してや多くの試練を乗り越え。また危険に身を投じる“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”を志す者であれば尚更に。

 

「それは、同じ魔法使いから従者を選ぶという事ですか?」

「そう言ってるのよ。確かに刹那のようなこちらに属する剣士や戦士なども居るけど、総じて魔法使いと呼ばれる彼等にも様々なタイプがあるの。簡潔に言えば従者向きの魔法使いだっているわ。基本的にはそういった人達は自ら進んで従者としての道を進むか、文字通り一時的に仮契約を結んだりする用心棒的な仕事に付く事が多いみたいね。その上で仕えるに値する…もしくは見込みのある相性の良い魔法使い(パートナー)を探す人もいるそうよ」

「…………」

「加えて言えば、一般人が選ばれない理由には知識が皆無で一から教え、鍛えなければいけない…という手間もあるかららしいわ」

 

 夕映は完全に打ちのめされた。イリヤの話が道理に適い過ぎているからだ。

 自分が仮に魔法使いになるとしても恐らくは数年の時間を要するであろう。仮契約を行なうにしても即戦力になれると断言出来るほど自信が在る訳ではない。

 先程見せられた光景から刹那は元より、明日菜のようにも戦えるとは到底思えなかった。

 

(なるほど、無力な一般人に過ぎない私は足手纏いにしかなれない…ですか)

 

 夕映はそう内心で呟き、さっきネギに申し出たことが急に恥ずかしく思えた。

 

 ドラゴンを倒す? 力になりたい? 戦力に成る? そんなのは何も知らない愚か者の戯言……とんだ妄想だ。

 

 まったく、本当に愚かしい限りです!

 無責任な発言をした怒りと、浅慮で無知な自分への悔しさから様々な感情が芽生えて彼女は憤った。

 

「ゆ、ゆえ…」

 

 そんな夕映の姿にのどかも落ち込み、何も言えなくなった。

 自身が踏み込もうとした夢のように思えた世界にも、どうしようもない現実が在ってそれにどう立ち向かうか、立ち向かって良いか、のどかは判らなくなった。

 本来ならそういった彼女を支えて的確に助言してくれるのが夕映の役目だったからだ。

 その自分を助け、道を示してくれるコンパスが打ちひしがれて針を刺さなくなった事で、のどかも自らの考えを停止させざるを得なかった。

 ただ友人を心配するのみだ。

 

「それに日常茶飯事で無いというけど。今魔法使いが関わる裏の世界は現状、正直芳しくは無いわ。20年ほど前に起きたある事が原因でその情勢は不安定に成っているの」

 

 その原因が原因なだけにイリヤは心底呆れ、また困ったように嘆息する。

 

「管理地域や秘境から逸れた…もしくは封印されていたそれら魔物や魔獣といったものの出没や、さっきも示唆したけど、同じ魔法使い…つまり人間を相手にする事件などの魔法犯罪者が増えていて治安は悪化の一途……いえ、最近低下の兆しを見せているけど、このまま沈静化するかは微妙で、現状のこちら側は中々に緊張しているわ。そういった意味では今ほど一般人と契約をするのに向かない時期は無いのよ」

 

 そう、あの20年前に終結した大戦が原因で、その戦争の犠牲によって人員と人材を欠いた結果。協会の取り締まり…云わば警察力というべきものが低下しているのだ。

 口には出さないが、ついでに言えば向こうが冷戦状態で人材が“本国”に取られがちである事もこれに拍車を掛けており。また何時戦争が再開してもおかしくは無く、再び協会に戦力の抽出を迫る可能性……つまりネギもまた、戦争に引っ張り出される事が在り得るのだ。当然従者もその対象になるだろう。

 

「そうだったんだ…」

 

 ネギもまたショックを受ける。

 自分が田舎育ちで世間に疎い事は感じていたが、実践的な魔法に偏りすぎて大事である筈の魔法社会の勉強を疎かにしていたのが、ここまで影響して皆に迷惑を掛けているのを理解したからだ。

 それでも魔法学校を首席で出たという自分に、何処か慢心を懐いていたのかも知れない……そうも考えた。

 

 

 ―――――――………。

 

 沈黙が辺りを支配した。

 夕映とのどかは落ちん込んだままで。和美も黙って何かを考え込んでいるようだった。

 言うべき事を大体終えたイリヤは、魔法陣の消去に取り掛かっていた。それを終えるとネギの方へ視線を移す。

 

「さて、ネギ」

「はい」

 

 イリヤの声にネギは姿勢を正す。いい加減自分の過失を理解しており、多少なりとも覚悟を決めたのだ。

 それでもやはり緊張は消えず、顔色は優れない。

 

「最後のユエに明らかになった経緯に関しては、魔法に関わる事を理解しながら、それを深く考えずに依頼したという失態がある」

「はい…」

「けど、修学旅行の一件も絡んでいるからカズミの時と同様に情状酌量の余地はあるわ。最終的な判断は貴方を監督すべき学園長が下すと思う」

 

 イリヤは一度言葉を切って意識も切り替える。“麻帆良に属する魔法使い”として私情やネギへの同情を抑制する為に。

 

「ただ…現在麻帆良に籍を置く魔法使いであり、漏洩の監視を担う立場にある私の判断として、アサクラ カズミおよびアヤセ ユエ。この両名には『記憶消去』ないし『行動制限処置』の即刻適用の必要アリと判断します」

「あ……は、はい」

 

 口調と共に雰囲気も変わったイリヤに、一瞬ネギは途惑うが返事をする。

 

「多々問題はあるものの、既に仮契約済みのミヤザキ ノドカに関しては、その事情から私に判断を下す権限が在りません。私の報告と今後、協会による貴方への事情聴取も含めた結果、結論が下される事でしょう」

「っ…はい」

「ただし、重大な規約違反が濃厚である為、現場の緊急処置としてミヤザキ ノドカはカードを一時没収。貴方には逃亡の恐れを鑑み、監視として発信術式の刻印と、現場責任者となる私とサクラザキ セツナが常に傍に付く事になります。以上ですが何か質問は在りますか?」

「……夕映さんと、朝倉さんへの処置はどちらを行うつもりですか?」

 

 この質問に、一般人である三人の少女達の元からあった緊張が更に高まった。

 イリヤはそれに気付くも無視し、ネギの質問に少し考える素振りを見せる……が、既に決めていた考えを述べる。

 

「私は記憶消去の適用が妥当だと思います。セツナ、貴女の判断は?」

 

 決めていたとはいえ、そして色々とネギ達に言い聞かせたとはいえ、この世界の事情を完全に精通している訳ではなく。また実質こういう経験が初めてなイリヤは、一応刹那にも意見を求める。

 

「……そうですね。宮崎さんへの判断と処置が当面保留される事を見ると、制限処置の適用が妥当かと。理由は綾瀬さんがクラスメイトであり、ルームメイトで親しいからです。仮に消去を行なったとしても宮崎さんがそれを口にする事で、綾瀬さんが信じる可能性が非常に高いと思われます。朝倉さんもほぼ同様の理由です」

 

 なるほど、とイリヤは刹那の尤もな意見に頷く。

 のどかに対する権限が無い以上、刹那の意見の方が理に適う気がするのだ。イリヤは私情抜きに考えて判断を下す。

 

「分かったわ。セツナの判断を尊重します」

 

 その決断にネギはホッとし、三人の少女達も比較的穏当な処置なのだと感じて同様に安堵を示す。

 イリヤはネギに向き直り、もう一度問い掛ける。

 

「もう質問はありませんか?」

「…はい。ありません」

「では、発信術式を刻みます。抵抗はしないように」

 

 そう言うとイリヤは木乃香から一枚の符を受け取る。彼女はこの世界の魔法の殆どが使えないので、それほど高度な術でなくても魔法符は必要不可欠だった。

 木乃香はネギに申し訳なさそうな表情を向けた。

 

「ゴメンな。まさかネギ君にこれを使う事になるなんて…」

「いえ……―――っ!」

 

 謝る木乃香に軽く首を振るネギ。そこに彼は自分の身体に異物(まほう)が流されるのを感じ、呻いた。

 

「―――完了です。今貴方の体内の何処かに発信術式が刻まれました。効果は凡そ一週間。それまでこの術式は監視の為、10分おきに貴方の魔力を使用し、特殊な魔力波を半径約20kmの範囲に放ちます。なおこの術式の無断解呪は重大な処罰の対象となりますので留意するように…」

「はい、分かっています」

「では、次に…」

 

 イリヤは、ネギの中で機能し始めた術式の確認を終えると。三人の少女達の下へ歩み寄ってのどかから仮契約カードを渡すように促がし、

 

「おかしい…! おかしいです!!」

 

 途端、のどかが叫んだ。

 何時も前髪に隠れがちな、優しげであろうその瞳から涙を潤ませてイリヤを睨み。その彼女に加担するクラスメイトの二人にも視線を巡らせて。

 

「こんな…! ネギ先生を犯罪者みたいに扱うなんて! 木乃香も桜咲さんも……それに貴女だっ―――!?…あ、」

 

 しかし、唐突に言葉を切ってのどかはたじろいだ。

 彼女のその涙が浮かんだ瞳にはイリヤの顔が映っていた。その睨みつけた筈の相手の表情を見て、のどかは声を詰まらせた。

 

「……カードを渡して」

「あ、うう」

 

 静かに告げるイリヤに、のどかは一瞬逡巡したが……何も言わずに渡した。

 カードを受け取ったイリヤは残る二人に視線を合わせる。

 その二人。夕映と和美は突然声を荒げたのどかに気を取られ、イリヤを視界から外していた為にその級友がどうして怒りを収め、素直にカードを渡したのか訳が判らず、微かに首を傾げるもそれを考える間も無く。

 

「う―――?」

「え―――?」

 

 イリヤの赤い目を見た瞬間、二人は麝香にも似た甘い香りを覚え、頭…というかその中を、まるで直接脳を触られているような奇妙な錯覚を感じて眩暈を起こした。

 桟橋に備え付けられたベンチに座っているにも拘らず、夕映と和美は地面に倒れそうになる。倒れまいと踏ん張り、足と腰へ力を入れ……直後、眩暈が消えた。頭に感じた奇妙な違和感もだ。

 消えた気味の悪い感覚に呆然とする中でイリヤが告げた。

 

「ん―――終わりました」

 

 その言葉に二人は顔を見合わせ、身体をあちこち動かして違和感が無いか確認する。だが何も無くて逆に恐くなった二人は同時に尋ねる。

 今、何をしたのか? と。

 

「貴女たちの言動と行動に制限を掛けさせて貰いました。簡単に言いますと、魔法に関して口述する事、記述する事などが特定条件下以外では不可能になったと考えて下さい」

 

 具体的な事は何も告げず、イリヤはその効果だけを説明した。

 今イリヤが使ったのは、純粋な“魔術”だった。

 ポピュラーな暗示を使ってある種の言動および行動を制限する魔法を―――正確にはその効果だけを再現したのだ。

 

 次にイリヤは木乃香と刹那に視線を向けて、最後に残った問題を告げる。

 

「コノカ。セツナ。貴女達にも本件に関わる報告義務を怠ったとして処罰が下される可能性がありますが、これも酌量の余地はあるので大事には成らないと判断し、私からは何も行ないません」

「はい、すみません」

「うん、わかっとる。イリヤちゃんにも迷惑を掛けてゴメンな」

 

 二人はややバツが悪そうにしながらそれを了解した。

 事実上、イリヤは二人の立場を考えて見逃したといえる。あとは彼女達が自己申告して累が及ばないようにこの件に関わる工作を進める必要が在るだろう。それは木乃香と学園長の仕事だ。

 

 ちなみにネギは後に知る事であるが、自分がバレたと考えているもう三人―――古 菲。長瀬 楓。龍宮 真名に関しては、問題がないことが明らかになる。

 真名に関しては言うまでも無く既に関係者であり。残りの二人にしても彼女達本人は知らないが、その実家および一族は魔法の存在を知っており、彼女達の成長と共に学園で魔法に関する裏事情も学ぶ協定が、関東魔法協会の上層部と彼女達の実家や一族の間で交わされていた。

 

 

 

「―――あ、いけない。危うく忘れる所だった」

 

 イリヤは唐突にポツリと呟く。

 木乃香と刹那の問題を最後にしてもう一人…いや、もう一匹重要参考人(?)が居ることを忘れていた。

 イリヤは木乃香に頼んだ結界の解除に待ったを掛け、その一匹を探して周囲を見渡し―――

 

「ヒィィ―――ッ!」

 

 悲鳴とほぼ同時にドスドスッという物騒な音が聞こえ、逃亡を図ろうとした白い小動物の進路が塞がれた。

 小動物―――カモの周囲には、彼と閉じ込める檻のように無数のアゾット剣が突き刺さっていた。

 

「主人を置いて何処へ行く積もりかしら? この駄妖精オコジョは…」

 

 背後から掛かるその優しげな声にカモは恐る恐る振り向くと、そこには彼とって絶対的恐怖の対象である“断罪の魔女イリヤお嬢様”の姿が己の想像通りに在った。

 周囲に居る人間から向けられる視線もどこか白かったが、彼は気に成らなかった。それ以上にクスクス笑う魔女の自分を見る紅い眼の方が恐ろしかったからだ。

 

「ああ、ああ…あ」

 

 体の震えが凄まじく、彼の視界は地震が起きたようになっていた。恐怖が圧倒的過ぎてもうまともにその魔女の姿も見ることが出来ない。耳も震える体のガクガクとした奇妙な音しか捉えられず。嗅覚も何故か溢れる鼻水によって閉ざされ、触覚も肌が泡立って駄目になっている。

 もうまともに感じられるのは、魔女の放つ今までに無い強大なプレッシャーだけだ。

 だが…もう逃げる事はできない。逃げる事なんて叶わない。この場から逃げるには、この過酷すぎる現実から逃避するには………………クルウシかなかった。

 

「ああ、アア…あアあ―――あーーーーッ!!!!」

 

 そうして彼は発狂した。その告げられる罪状も処罰を聞く事も無く。その場で狂った絶叫を上げて――――倒れた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 東の空が白んで地平線の向こうから日が昇るのを見ていた。

 

「綺麗ね…」

 

 空と海に青みが帯び、澄んだ水面が日の光をキラキラと反射させる南の島の朝の情景にイリヤは見惚れ、呟いた。

 あれから一晩。イリヤはネギに告げたように彼の監視の為、その近くに居た。

 ただ、イリヤ自身も内面が複雑でネギの寝泊まるロッジには入らず、その屋根の上で夜を明かしていた。

 刹那もこれに付き合おうとしていたが、

 

『貴方はコノカに傍に付いて居て上げて、あの子も今回の事で色々と思う事があるだろうから…』

 

 イリヤのこの助言に従って彼女は何時ものように木乃香の傍に居る事を選んだ。イリヤの配慮に深い感謝の一礼をして…。

 

「はぁー……」

 

 美しい光景に心を動かされたのも束の間、イリヤは深く溜息を吐いた。

 ネギに対して厳しく辛く当たったというのも大きいが、今後これがどう影響するかというのも気になるからだ。

 確かに色々と複雑な感情や義務感もあるが、夕映達が平穏な世界で暮らして欲しいというのも本音だ。だから彼女達にも容赦無く苦言をした。

 

 しかし、彼女達がネギに関わらないという未来もまた不安なのである。

 

 それは結局、現実の世界だと理解しながらも、やはり原作知識を当てにしている部分もあり、それと外れつつある現状に…そして本来ならば居ない筈の自分が関わって余計な事をしたのではないかという危惧があるからだ。

 

 だが、覆水盆に返らず。

 やってしまった以上は後悔しても仕方が無い。行なった事には責任を持って今後に備えなければ、と理解はしているのだが……。

 

「ふぅー……」

 

 溜息が止む事はなさそうだった。

 ちなみにカモの事は欠片ほども気にしてはいない。どう考えても自業自得だからだ。まあ、まだ生きているのなら、麻帆良に帰る時に拾って行くのも吝かではない。()()でも一応ネギの使い魔であり、友達なのだから…。

 

「…うん?」

 

 不意に気配を感じてイリヤは視線を転じると、明日菜が海から泳いでネギのロッジに近付いて来るのを目にする。

 彼女は神妙な様子でこちらに気付いた様子は無い。さすがに屋根の上に人が居るとは思わないから当然だろう。

 イリヤもまた声を掛けることは無く、そんな彼女を見過ごす。

 明日菜がここに来た理由は分かっており、原作通りならネギと仲直りしに来た筈だからだ―――が、それもまたイリヤの心に影を落とす。

 昨日の事が“これ”にも響かないか不安なのだ。

 しかし、これといった妙案も浮かばず、イリヤは暫く状況を静観する事にした。

 

 

 

 ネギがトントンと固い物を叩く物音を耳にして目を覚ますと、ベランダに窓をノックする明日菜の姿が在った。

 ケンカをしていた筈の相手の姿がいきなり在った事に驚いたネギだったが、明日菜に誘われるままにベランダを出て、そこに階段から繋がる海に放り出された。

 投げ出されたネギは、その唐突な明日菜の行動に抗議する間も無く。水を含んで咽る姿を笑われて、飛び蹴りから始まる彼女のじゃれ合いに付き合わされた。

 

 ―――…。

 

「あはは」

「いきなり、ひどいじゃないですか―――」

 

 なんなんですかもう、と。微かに身体をふら付かせてようやく抗議するネギ。

 

「……別にぃ。せっかく南の島に来たのに、あんたと遊んであげなかったと思ってさ……」

「え?」

 

 ケンカをしていた相手からの思わぬ言葉に、ネギは思わず疑問の声が漏らし、次に無言でズカズカと…もとい水の中なのでバシャバシャと近付いてくる明日菜に驚き。また昨日の様にぶたれると思いネギは腰が引けて思わず目を瞑る。

 ―――が、

 

 「え……あ、明日菜さん?」

 

 予想に反し、自分を包んだ暖かく柔らかな感触に途惑って目を開けると、ネギは自分が抱き締められているのを理解する。

 

 ―――悪かったわよ。

 

 耳元でそう明日菜が囁いたのを聞いた。

 直後に照れ隠しなのか、サバ折を受けてネギは苦しんだが明日菜の謝罪はまだ続いた。

 

「……しばらく無視していて、悪かったわよ。謝る……ごめん…」

「え?…えっ」

 

 ネギは彼女の謝罪に戸惑いが大きくなるも、次第にその謝罪の意味を理解し自分もまた謝る。

 

「あ! あっ、あの。えとっ…いえ、ぼ、僕の方こそ関係ないとかひどいこと言っちゃって、ご、ごめんなさいっ…」

「もーいいわよ、それは…」

 

 明日菜は本当に気にした様子もなく、そう答えてネギの謝罪を受け容れた。

 

「それに……それだけじゃないのっ」

 

 グッと明日菜の抱き締める力が強まり、ネギはまた苦しくなって微かに呻く。

 しかし明日菜の力は緩まず、彼女は言葉を続ける。

 

「……私、心配なのよ。あんたのことが、ちょっと前から何でか…わかんないけど……」

 

 微かに言葉が切れ、ネギは頬に温かい雫があたるのを感じた。

 

「私の見て無いところで大ケガしてんじゃないか……死んじゃうんじゃないかって……」

 

 無謀すぎんのよアンタは…

 そう言い明日菜は身体を離し、零れた雫を拭い目元を擦る。

 

「―――どうせ、止めろって言っても。お父さんを追うの、諦めないでしょ? だから……あんたの事を守らせてよ。私を…」

 

 涙を拭い切って笑顔を向けて言う。

 

「あんたのちゃんとした。パートナーとして見て―――ネギ」

 

 ネギは一瞬その笑顔に見惚れ、パートナーの意味に思考が及んで顔を真っ赤にさせたが……それは僅かな間で、昨日の事が脳裏に過ぎって頬に感じていた熱さが引いて行くのを感じた。

 ネギは俯いて視線を下げた。それに不審を覚えた明日菜は、どうしたの?と尋ねようとしたが、それより先に彼が口を開いた。

 

「あの……明日菜さんは、いいんですか本当に…」

 

 その言葉に明日菜は折角の決意を踏み躙られたように感じ、何を今更!と。先日のように一瞬ムッとしたが、直ぐにネギの様子があの時とは大違いであることに気付き、戸惑いとやはり不審を覚えた。

 明らかにネギは落ち込んでいる。これまでも幾度も落ち込んで悩む姿は見て来ていた。

 ……けど、今のネギはそれまでとは明らかに一線を画していた。

 少なくとも明日菜はそう直感した。

 自分の知らない間に何かあったのだろうか? と明日菜は不安を懐いて訊ねた。

 

「どうしたの、何かあったの?」

「……修学旅行の…あの夜の時のこと…イリヤと刹那さんに聞きました」

 

 ネギは微かに躊躇ってから答える。

 

「あんな、本当に危ない目にあったのに…僕、全然知らなくて……」

「あ、あれは別にネギの所為って訳はじゃあ―――」

「それにイリヤに言われたんです。魔法使いの僕がその世間…社会のことが分かってないって……」

 

 そうしてネギは昨日あった事をポツリポツリと話し始めた。

 夕映とのどかに魔法使いになりたいと相談されて、それをイリヤに聞かれてしまい。夕映達に魔法がバレていた事も知られて彼女達と一緒に様々な警告を受けたこと。そして近い内に処罰が下るであろう事などを。

 

「明日菜さんが今言ってくれた事は、とても嬉しいんです。……でも、そんな碌に知りもせず、考えもしなかった僕が……危険に巻き込んだ形で明日菜さんと仮契約した僕にそんな資格なんて…きっとないんです。それに処罰の内容次第では、故郷に帰されるかも知れません……最悪、オコジョにもされるかも―――」

「!―――…何よ、それっ!!」

 

 話を聞いた明日菜が発した第一声はその怒声だった。

 今のネギの自虐的な言葉にも腹は立ったが、それとは別の怒りだった。

 最初、ネギが迂闊にイリヤに聞かれたのは仕方がないと思った。イリヤがバレた事に追求するのも警告するのも分かる。まあ、魔法使いの立場というのはよく分からないが……兎も角、確かにあんな危険がある世界に夕映やのどかのような普通の女の子が関わる事に反対するのは理解できるから。何しろ明日菜には実感があるのだから余計に。

 自分もきっと同じ事をする…というか、つい先日、学校の図書室で夕映とちょっとしたやり取りがあってそう強くではないけど、一応注意していた。

 けどネギにした。まるで犯罪者のような扱いには我慢が出来なかった。

 

「イリヤちゃん! 近くにいるんでしょっ…!」

 

 だから明日菜は叫んだ。そう扱った人間に対して怒りを隠さず、今のネギの話しで監視のため、傍に居る事は分かっているから。

 

 

 

 呼ばれたイリヤは、また溜息を吐いた。やっぱりこうなってしまったか…と。そこには予感が的中した事への憂鬱感があった。

 正直、明日菜が何を言って来るのかも、ある程度予想が付くので答えたくは無かったが……それでは明日菜が納得出来ないであろうから、仕方なく呼びかけに応じる。

 

「ここよ、アスナ」

「イ―――」

「―――待って…! 外では誰に聞かれるか分からないから、話なら中でしましょう」

 

 屋根の上にいた筈のイリヤは既にベランダに移動しており、そこから呼び掛けに応じていた。

 そして明日菜が大声で怒鳴りそうな気配を感じ、慌ててそれを制すると中へと誘った。今までネギが長々と話していたのを思うと若干今更感を覚えたが、明日菜が放つ怒気からそうせざるを得なかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「一体、どういうつもりなのっ!?」

 

 ロッジの中で全身から滴る水滴を拭き取ろうともせず、詰め寄った明日菜の発した言葉はイリヤの予想していた通り、そんな怒声だった。

 一応これを予想して遮音結界を張ったイリヤは、溜息が出そうになるのを堪えて冷静さを装って返事をする。

 

「どういうつもり、と突然言われても何を指しているのか判らないわ?」

「ッ…!」

 

 そのどこか惚けようとする態度を、話を拒もうとしているように感じて明日菜の怒りは更に強まった。

 それは確信に満ちた直感だった。イリヤは明日菜の言う意味を察せないほど頭の巡りが悪い子供ではない。非常に聡い子だ。それが分かるから明日菜は怒りを大きくしたのだった。

 

「なら、言ってあげるわ…! どういう積もりでネギにあんな真似を…まるで発信機を仕込むようなことをして、監視なんてするの! 確かにアンタ達―――魔法使いにしてみたらネギは許されない事をしたのかも知れない! でも…だからって、やり過ぎよ!」

 

 そう区切ってから、明日菜はギリッと奥歯が軋むほど顎を噛み締めてイリヤを睨んだ。

 

「だいたい、ネギが逃げる訳ないじゃない! そんな自分がしでかした事から敢えて目を逸らすような奴じゃないって…! イリヤちゃんだってそれぐらい分かってるんでしょ!?」

「……」

「それに…! そもそも何でネギをそんなふうに扱えるの!? さっきも言ったけど、確かに本屋ちゃんの仮契約の事や夕映ちゃんと朝倉にバレたのは問題なのかも知れない! けれど…三人とも秘密を守るって言ってくれてる! なのに、なんで……どうして、イリヤちゃんは―――」

「―――見逃せない事だからよ。私は一人のまじゅ…魔法使いとして。その世界の法と秩序を順守する立場の人間として」

 

 イリヤは冷静に、あくまでも冷静に答えた。

 

「だからって…分かっているの! そんな固い考えの所為でネギは故郷へ帰ることになるのよ! オコジョにされるかも知れない!…ううん、それよりもネギが目指すマギ…何とかっていうのにも成れなくなる! あんなに頑張ってるのに……犯罪者みたいに扱って、イリヤちゃんは良いのそれで―――貴女、友達なんでしょ!!」

 

 友達なんでしょ―――この言葉を聞いた瞬間、イリヤは自分の中で何かが軋んだのを感じた。

 我慢しようとした、耐えようとした、……でも駄目そうだ。

 

「だから、見逃せと。…分かって無いアスナ。…黙って見逃して、それで済むと言うの?……だったら、私もそんな真似しないわ」

 

 イリヤは、壊れたような、悲しそうな笑みを浮かべた。

 

「私が見逃したとしても他の誰か、麻帆良に居る私やセツナ以外の関係者が気付く可能性だってあるのよ。それじゃあ、ただの問題の先送りになる―――…それに! 此処で厳しく当たらなかったら! 間違った事を…間違いだって! 確りと指摘しないと、また同じ過ちを繰り返すかも知れない!」

 

 冷静だった筈の仮面が剥がれて、叫ぶように捲し立てる。 

 

「もし私以外の誰かが気付いて……それが今回のように忠告し、罰しようする形ならまだ良い。けど……ナギ・スプリングフィールド―――サウザンドマスターの息子だからって甘い判断を下して…結果! 取り返しの付かない事が起こるかも知れない!! それこそ、興味本位で魔法に近づいたあの子達が犠牲になる可能性だってある!」

 

 イリヤは叫ぶようにそう口にし、そんな見た事も無い彼女の姿に明日菜は面食らい黙り込む。次に一拍於いて気を落ち着けるように息を吐くとイリヤは静かに言葉を続ける。

 

「…もしそうなったとしたら…本当にそうなったら……ネギと本人や、その周りに取っても、とても不幸な事…」

 

 事実……とは言い難いが、原作ではあの堅物なイメージがある黒人魔法教諭のガンドルフィーニが「さすが、“彼”の息子だよ」と超 鈴音を見逃す事になっていた。

 

「危ういのよネギは……このままこっちの世界の厳しさを知らないままじゃあ」

 

 イリヤは辛そうに言う。

 

「本来、魔法学校を出たばかりの子が、これまでのような事態やそういう社会の厳しさに直面し、理解するのには余裕がある筈なの。けど、ネギの…“英雄の息子”であるという事実と、或いは運命という物なのかしら、ね……それが許してくれない。まるでコノ…―――」

 

 危うく口が滑りそうになり、咄嗟に誤魔化す。

 

「―――いえ…実際、エヴァさんに襲われている。そしてアスナと仮契約をも交わした。……命のやり取りに仮契約。その両方とも魔法学校を卒業したての子供が経験する筈が無いような事……けど、ネギのお父さんが残した因縁でそうなってしまった」

 

 イリヤの顔を見て、言葉を聞いて、明日菜は頭をガツンと殴られた気分になった。

 

「……私は、何も好きでネギに…厳しくしている訳でも、責めている訳じゃあないわ…! 好きで大切と思える友達を…友達を……犯罪者みたく扱う訳ないじゃない!!」

 

 だから聞きたくなかった。のどかもそうだった。ネギの扱いに…犯罪者を扱うようだって責めるのが分かっていたから。同じ大事に思える“この世界に訪れる事でできた”友達のアスナからはそんな言葉を聞きたくなかった。

 

 

 そんなイリヤの心情が現われた壊れそうな辛そうで泣きそうな表情と。激しく波打った感情を吐き出しているような言葉が、明日菜から怒りを吹き飛ばして強い後悔を抱かせた。

 

「ご、ゴメン…! ゴメンなさいイリヤちゃん」

 

 明日菜だって良く考えれば判っていた筈だった。だけど、ネギの話を聞いて芽生えた怒りに……感情と思考が捕らわれて、それを優先してしまった。

 いつも冷静で屹然として、ネギどころか自分よりも大人だと感じさせ。時には冷酷だと思う事もある彼女だけど、それでも自分たちと変わらない少女であり、根も優しい子なのだ。それは判っていたのに…。

 明日菜は頭を下げながらイリヤの気持ちを考えられなかった、怒りに捉えられていた自分に本気で後悔し、また今度は自分自身に怒りを覚えた。

 私の馬鹿…ッ! イリヤちゃんだって辛いのに…!と自身を罵った。

 

「イリヤ…ごめん」

 

 明日菜の剣幕に押されて、止められなかったネギも頭を下げて謝った。

 明日菜を止められなかった事もそうであったが、イリヤにもこんな辛い思いさせた自分が改めて情けなくて許せなくなった。

 そんな二人にイリヤは静かに首を振った。

 

「私こそ…ゴメン。みっともない所を見せたわね」

 

 感情的になり、泣きそうなった自分が恥ずかしく思えたのか、それともらしくないと思ったのか、イリヤは今一自分でも判断が付かなくてそう言った。

 あまつさえ木乃香の事を危うく口にしそうになり、余計な事を口走ったような気がしていた。

 

「イリヤ…」

「イリヤちゃん…」

 

 頭を上げても気まずそうな二人にイリヤは笑顔を向ける。

 

「そんな顔をしないで、アスナが怒るのも分かるから。…ネギもそんなに気に病まないで、私はもう気にしてないから…」

「「……………」」

 

 二人は無言で頷いたがその表情は晴れず、まだ何かを言いたそうにしていた。どうしたって気にしてしまうからだ。

 その為、イリヤは二人の前から退散するべきと思い。出入り口にと足を向けた―――その際、

 

「ネギ…アスナの申し出は受けても言いと思う。貴方は知らないようだけど、学園では既にアスナと仮契約を行なった事は認められているから」

「え…」

「故郷に帰される心配も要らないと思うしね。何より、アスナはアスナなりに、魔法に関わる危険と真剣に向き合って考えて―――あんな目に在ったにも拘らず、ああも『パートナーとして見て』なんて告白したんだから。それを踏まえてネギも真剣に受け止めて答えなさい……今回の事を思うなら尚更に。いいわね」

「え、え…」

「…それに案外お似合いかもね」

 

 そう告げてクスリとワザとらしく笑ってから、イリヤは玄関の扉を開けてロッジから出た。

 その数瞬後、不意打ちのように放った言葉の所為か、気まずい空気が何処に吹き飛んだらしくイリヤの背後から何やら大声で喚くネギと明日菜の声が聞こえ……イリヤもまた先ほどあった気分は何処に言ったのか、安心して軽やかに笑った。

 

 うん、この二人なら何があっても―――と。

 

 そうこの先の未来を思い、願って……。

 

 

 




 ネギには厳しくも何処か甘いのに、夕映達にはきつく当たるイリヤ。それも彼女達の事を思っての優しさなんですが。

なおカモには本当に容赦が無く。彼は簀巻きにされて木に吊るされ、フクロウやミミズクなんかの夜行性動物の餌になり掛けてます。

次回、ネギに処罰が下ります。


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第13話―――その指針が示す先は……

 

 

 麻帆良学園都市の一角。武蔵麻帆良と呼ばれる区域に広大な敷地面積と全高70mにも達する尖塔を持つ、一際大きな教会が建っていた。

 一般的に無神論者が多い日本ではあるが、彼の一大宗教の信者はやはり居る者で。信仰に厚い者は足繁く通い、さほど厚くない者でもこの壮大な教会を見れば、まず間違いなく主の存在を身近に感じられずにはいられないだろう。

 

 だが、コンクリート造りながらも宮殿の如く外観を有し、信仰を誘い、深めさせるこの立派な教会もその実、飾りに近く……ある種の人間達のカモフラージュとして扱われている事を知る者は少ない。

 そう、真実この教会の実態を示している場は、信者たちが祈りを捧げる聖堂ではなくその地下に在った。

 歴史の裏に潜む魔法使い達が―――異質なる者、異端たる者であるが故に火星の地を寄り代にした世界へ多くの者が逃れるように移ったにも拘らず。それでも故郷たる地球の大地を忘れらない…或いは、意識せざるを得ない彼等はその大地を人間界と称し、その世界の裏で未だ多くの影響力を有し、行使していた。

 いや、現代でも多く残る魔法関連の遺跡に、魔獣や幻獣が住まう秘境。そして世界各地に封印された悪魔や鬼神といったものなど、そういった神秘と幻想の痕跡がある限り、彼ら―――魔法使いの組織は、この人間界にもやはり必要なのだ。

 その内の一つである関東魔法協会の本部にして、“本国”の下部組織である「魔法使い(メガロメセンブリア)・人間界日本支部」というのが、この教会の真の姿であった。

 

 

 イリヤがその地下施設を訪れるのは、今回で二回目である。

 一度目は、京都での一件でネギ達の救援に赴いた時だ。その一件で長距離転移を行う為に、此処の転移ポートを利用させて貰った。

 二度目である今日は……。

 

「やあ、イリヤ君」

「タカハタ先生…帰っていたの?」

 

 目的の部屋に向かう途中、背後から掛けられた声に振り向くと、タカミチ・T・高畑の姿がそこに在った。

 この前、顔を合わせたのはエヴァ邸で京都土産―――いや、詠春からとんでもない代物を送られた時だったから、凡そ9日ぶりになる。

 なお、彼が京都へ赴いていたのは、例の修学旅行の一件について関東を代表して事後処理に当たる為であった。その処理が一段落し、一度麻帆良に戻ってエヴァ邸を尋ねたのだが、直ぐにまた何処かへ出張に赴いていた。

 イリヤが聞いた話では、京都の事件に関わった黒幕…つまりはフェイトの足跡を追っていたらしい。

 

「余り元気が無さそうだね。やっぱり彼のことが心配かい?」

「……ええ、自分が見咎め。報告した事とはいえ…ね」

 

 彼は今日の此処へ召集が掛けられた事情を理解しており、イリヤの表情の険しさを見たタカミチは窺うように尋ね。イリヤも彼相手に隠す事に意味が無いと感じて正直に答えた。

 

「でも…暫定ではあるけど、今回の事でネギ君を重く処罰しようという動きは無いようだし、心配は要らないんじゃないかな」

「判っているわ。ネギには先日の京都の騒ぎでの功績もあるし、“英雄の息子”として期待している人も多いから……そうなるでしょうね」

「ふむ―――」

 

 タカミチは、答えるイリヤの様子を見て少し考え込む。

 

(ネギ君の事は心配していない。いや、今言ったように全くという訳じゃあないだろうけど、彼の身を案じる必要は無いと考えているか。そうなると―――)

 

 イリヤの表情の険しさ…不機嫌さに思い至り、口に出す。

 

「夕映君達の事か。納得がいかないのかい?」

「……………」

 

 タカミチの言葉を受け、イリヤはこの二日の間に行なわれた会議の事を思い返す。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 イリヤ達が南の島から戻った翌々日、5月13日の火曜日。

 その日の放課後、麻帆良女子中等部の校舎にてある会議が行なわれた。

 表向きには、各学部の教師を集めた意見交換会と銘打たれたそれは、この麻帆良に所属する魔法先生達による南の島で発覚した見習い魔法使い―――ネギの魔法漏洩問題の検討会であった。

 

「―――これ等の件はネギ君に重く処罰を求めるほど、彼の責任は大きくないと思う」

 

 イリヤの口頭報告を終えた直後に出た発言がこれだった。

 それは皆が納得する言葉であり、意見であった。和美と夕映への発覚経緯はイリヤが言うように酌量の余地があり、のどかとの仮契約は使い魔であるカモが主な原因なのだ。

 

「まあ、イリヤ君の言うとおりこの使い魔への監督不行き届きと、記憶消去処置を直ぐに行なわなかったのは確かに問題だけど。彼はまだ幼いし、この妖精のカモ君だっけ? この使い魔君とも友達で、バレた相手も彼が受け持つ生徒だったからね。色々と躊躇うのは判るよ」

 

 そう微笑ましそうに笑顔で言ったのは、魔法先生と称される者達の中でも若手である瀬流彦だ。

 彼は、問題提訴しながらもさり気無くネギを弁護した。此処にいる大半の者はそれを理解し、同意しつつも若くまだ甘さを持つ彼らしい穏当な言いようだと思った。

 

「そうだな。だが問題であることも無視できない事実だ。これをどう処理すべきかだが…」

「私的に言わせて頂ければ、ネギ先生本人への厳重注意と反省文の提出で済む事だと思います。勿論、反省が足りなく二度、三度と繰り返すようであれば、この限りでないことも示唆する必要はありますが」

 

 オールバックの黒髪に口元から顎にかけて見事に飾った髭と、掛けた黒いサングラスが印象的な厳つい男性…教師というよりも何処かの高級バーの用心棒やボディガードを言った趣を持つ“グラヒゲ”“ヒゲグラ”と生徒たちから親しまれる(?)神多羅木(かたらぎ)が発言し。

 続けて、長く伸びた白髪が印象的で、掛けた眼鏡と常に冷静な佇まいから知的な雰囲気を醸し出すクールな美人教師として、中高及び大学の男子生徒に人気のある葛葉 刀子が、彼女らしい生真面目な言い様で対処案を提示した。

 

「私もそれに異論は無いな。イリヤ君の話や事情聴取の時もそうだったが、彼は既に深く反省している。……むしろ、彼本人よりもこの使い魔の方が問題だ。―――何だ、この下着2000枚を盗んで服役中だったというのは…! 何故こんなのが彼の息子の使い魔をやっている!?」

 

 この集まった一同では珍しい黒人魔法教師であるガンドルフィーニが驚愕混じりに発言した。

 その発言もまた、皆が等しくする思いだった。

 犯罪者? それも下着泥棒!? ケット・シーに並んであの由緒正しい小さな知恵者であるオコジョの妖精が! しかも服役中だったという事は脱獄? 逃亡者なのか!?……と、イギリスの魔法協会から送られてきたアルベール・カモミールに関する資料に目を通すなり、皆が懐いた感想だ。

 

「いや…まあ、なんというか。スマン、わしのミスじゃ。ネギ君に“大事な友達だからどうしても”と請われてのう」

 

 一同を纏める関東魔法協会の最高責任者である近衛 近右衛門が、東の長として、上に立つ者として在ろうとする場では本当に珍しく、心底申し訳無さそうに口を開いた。

 

「「「「――――……」」」」

 

 それに一同は、一斉になんとも言い難い表情を浮かべた。

 カモの所業を知りながら使い魔として受け入れたネギが悪いのか、それとも同様に承諾した近右衛門が悪いのか、判断が付かないからだ。

 コホンと、その形容しがたい空気を打ち払う為か、近右衛門に次いで麻帆良の魔法使いたちの纏め役を担っている明石教授が咳払いし、発言する。

 

「―――ともかく、使い魔に問題があったというのなら、そのオコジョの妖精…アルベール・カモミールをネギ先生から外すべきでしょう。ただでさえ、元は服役中であった身の上なのです。今回の問題で彼は“小さな知恵者”として、使い魔として、魔法使いの補助を担うには不適格だと明確に成ったのですから……処罰の必要も確定しているのですし」

「………」

 

 明石の言葉にイリヤはどうするべきか考える。カモの行動に問題があるのは確かだ。しかし一方で私欲もあるだろうが、ネギを思ってその行動を起こしたのも間違いない。

 それに、カモという―――他の従順な妖精とは随分異なる助言者がネギの傍にいる意味合いも無視できない。やや真っ直ぐ過ぎるきらいがあるネギを補助するのは、カモぐらいの悪人に決して成れない人が良い不良妖精がピッタリな気もするのだ。

 ただ、自分とは決して相容れられないだろうけど……とも思うが、そこはネギの為を思えば我慢は出来る。既に我慢など何処吹く風でカモを散々な目に遭わせて於いて、身勝手にもイリヤはそう考えた。

 自身の内で結論を下したイリヤは、ふむと一つ頷いて発言する。

 

「明石教授の言うとおり…ではあると思います。ですが、その結論は少し待って頂けないでしょうか?」

「それは、どういうことかな。イリヤ君?」

 

 明石が表面上では冷静に尋ねた。その内面ではイリヤがカモを快く思っていない事を知るだけに、その彼を庇う彼女のこの発言には驚いていたが。

 

「はい、この件で明らかになったようにネギは、非常にこちら―――私達の社会に関して理解が乏しいです」

「ふむ」

 

 明石は頷く。他の面々も同様で手元にある資料の一つ、ネギの魔法学校での成績とその性向を記された書類に目をやる。

 例えるなら数学に当たる術式の構築。理科や化学に当たる錬金術。国語に当たる古代言語。体育とも言うべき魔法の実践。これ等は全てトップに入っているのだが、何故か歴史や政治構造に法律などの社会学の成績がギリギリ及第点に留まっている。

 無論、メルディナ魔法学校の教師もこの事を一応注意していたらしいが、他の成績が群を抜いて良かった為にそちらに目が行き過ぎて軽視してしまったらしい。或いは身を持って体験する今の修行期間で学んでくれるだろうと、期待したようだった。

 しかし、結果は現在の通りで、魔法の天才でありながらも社会に不適格だという、ある意味、歪とも言える見習い魔法使いを誕生させてしまった。

 

「―――ですから、それを補う為にはどうしてもネギにはカモのような知恵者である使い魔が必要になります」

「…なるほど、確かに。―――しかし君の言いようでは、他の…代わりの使い魔では駄目だとも言っているようにも聞こえるが…」

 

 ガンドルフィーニが同意するように頷いてから、感じた疑問をイリヤに問い掛ける。

 

「ええ、ガンドルフィーニ先生。私はそう考えます。理由は今回の件でカモを使い魔から外したとしても、ネギが今後、新しい使い魔を受け入れるとは思えないからです」

 

 それは理性的な問題ではなくて、感情の問題だ。

 幾らカモの素行が悪く、使い魔失格なのだとしても、ネギにして見れば彼は掛け替えの無い友人であり、間違いなく信頼を置ける唯一無二の使い魔であろう。

 今のように他の人間が問題で在ると言い。不適格だと言おうが、これまでその彼のサポートを受けていたネギにとってそれは変わらない普遍の事実なのだ。

 だから、言われて他の使い魔を補助に付けたとしても……いや、付けようとしてもネギは断る筈だ。カモに対する負い目を覚えるだろうし、どうしても新しい使い魔にもカモを意識してしまう。

 そうなれば、エヴァに小利口とも評される真面目な性格を持つネギのことだ。恐らくその使い魔にも失礼だと、無責任だと、主人失格だとか負い目を懐く。悪ければそれが使い魔にも不信を与え、信頼関係の醸成に相当手間取る事に成る。

 

「……故に更正の機会をまた与えようという訳か」

 

 イリヤの意見を無視出来ないものと捉え、顎に手を当てて考えながらガンドルフィーニは答えた。

 

「はい。日本には3度目の正直という言葉もありますし、下着泥棒の件に脱獄の件。そして此度の問題…今、更正の機会を与えれば、その3度目という事になります。カモ自身も自分のみならず、仕えるべき主人に迷惑を掛け、いい加減に懲りている筈です。もし…これで駄目なら―――その意味は、彼にも流石に理解できるでしょう」

「「「「…………」」」」

 

 イリヤは最後にクスクスと笑い。可憐な筈のその笑顔を見て、何故か此処にいる全員は沈黙したまま何も答えられず、室内の温度が急激に下がった錯覚に背筋を震わせた。

 イリヤにして見れば、これまでの事を水に流して庇っているのだ。もしその厚意を無碍にするような事があれば……今度は本当に彼の生涯に幕を降ろさせる積もりだった。

 

「と、ともかく。イリヤ君の意見には一考の余地はあると思う。…ただ、ネギ君自身にも知識不足を補う努力をして貰う必要はあるだろう」

「そうだな。折を見て短期間の集中講義という形で場を設け、その使い魔にも出て貰い。性格等をより見極めるべきだろう。更正が可能かどうかの……」

 

 ガンドルフィーニがやや冷や汗を掻きながら言い。神多羅木はそれに頷き、恐らく冷や汗を流す彼も考えたであろう意見を被せる。

 神多羅木の意見は、事情聴取で既にカモの性向などの把握に努めていたが、より念を押して更正の見込みがあるか見極めようということだった。

 

 そうしてその日の会議は、ネギはほぼ不問で厳重注意処分と反省文の提出。加えて社会学の集中講義が処罰として暫定的に決定された。カモは更正可能か不可能かのどちらか次第で、最終的な処罰を決する方針が立てられた。

 

 その翌日。

 のどかとの仮契約の継続と。夕映、和美の両名の処置について議論された。

 

「宮崎 のどか…か。性格は人見知りで内向的とやや問題ではあるが、成績を見る限り、頭は良い方だな。運動能力も図書館探検部に所属しており、悪くは無い。危険察知などの状況判断や洞察力も同様に鍛えられている」

「加えて、アーティファクトも『いどの絵日記』と、非常に希有と来ているかぁ……これは悩みますね」

 

 ガンドルフィーニの呟きに瀬流彦が応じた。

 

「性格的にアーティファクトを悪用する事もないだろうしな…まあ、だからこそ与えられたのだろう。今後の成長次第では良い従者に成りそうだ」

「ですが、その性格が荒事に向いていません。これでは“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”を志す魔法使いの従者には不向きなのでは?」

「だから成長次第という事だ。今は不向きに見えても、人はどのように化けるか判らんからな」

 

 神多羅木と刀子が互いに言い合う。そこにイリヤが発言する。

 

「私としては、トウコさんの意見に賛成です。あの争いごとに不向きな優しい子には平穏な世界に生きて欲しい…」

 

 イリヤは漫画とはいえ、あり得たかも知れない未来を識る為に内心で複雑な思いを懐きながらもそう言った。

 ネギの助ける力になる可能性を摘み取る事への不安と、のどかの秘めた可能性をも奪うかも知れない事に忸怩たる思いがある。

 しかし、それ以上に自分では決して得られない平穏な世界で暮らして欲しいという思いのほうが強かった。

 

「うむ、そうだな。イリヤ君の言葉が真っ当なんだと思う。世の平穏を守らんとする魔法使いの一人として、私も賛成だ」

「僕も同意見だ」

 

 ガンドルフィーニと明石が頷く。―――が、瀬流彦が反対意見を出す。

 

「でも、やっぱり勿体無くないですか? 性格は不向きだといえ、身体能力と判断力も悪くなく。あの『いどの絵日記』ですよ! 神多羅木さんの言うとおり、人は成長次第でどうにでもなるじゃないですか。……今は不向きだからって、彼女の将来に関わる事をそれだけで判断するなんて、ちょっと乱暴だと思います」

 

 瀬流彦の言葉に一同は僅かに沈黙し考える素振りを見せる。そこに自分の名を出された事もあってか、神多羅木が再び意見を言う。

 

「……将来などというのは誰にも判らんことだ。だから俺はもう少し様子を見るべきだと思う。この子が従者…或いは本人が志向したように魔法使いとしての適正を計る為にも、しばらくこのまま協会で面倒を見るべきだと…」

 

 刀子もそれに思う所を感じたのか、考えを改めて賛意を示す。

 

「確かに、この宮崎という少女の在学前と在学後…より正確に言えば、図書館探検部に所属してからの身体能力などの成長過程を見るに見込みはあるかも知れません」

 

 手元ののどかの資料を見つつ、彼女は言葉を続ける。

 

「将来性というのは、先のこと差し示すが故に不確実なものではあります。ですが、だからといって無視して良い要素でもありません。神多羅木さんの言うようにこの麻帆良で彼女を指導し、様子を見るのは悪くない提案だと思います」

 

 やや思惑とは違う方向に会議が向かうのを感じ、イリヤは微かに眉を顰めた。

 皆は神多羅木と刀子の意見を聞いて、各々に黙考したり、唸ったり、近くの者と相談したり、と悩んでいる様子だ。

 既にイリヤによって魔法に関わる危険性が説かれており、それ以前に修学旅行の一件に関わった事。ネギの窮地を救った機転を見せた事などもあり、のどかを容認しようとする雰囲気が生まれていた。

 そこに決定的な意見が近右衛門によって投下される。

 

「ワシとしては、『いどの絵日記』が彼女…宮崎君のアーティファクトに選ばれた時点で受け入れざるを得ないと考えておる。皆も良く分かっていると思うが、『読心能力』と言う物自体が非常に稀有で強力な物じゃ。ならばそれを可能とするアーティファクトに選ばれる宮崎君自身も同様であろう」

 

 近右衛門は一度言葉を切り、鋭い視線で一同を見渡す。

 

「さて、そこで皆に問いたい。宮崎君がそんな強力な能力を持つ、或いは持つ事が出来ると知って彼女を放って置けるかのう? 魔法使いであるならば、これ程まで有能な能力を持つ従者を仕えさせたいと思わんか? もしくは自身以外の魔法使いの従者になるという事をどう思う?」

 

 その東の長が言う言葉に一同は息を呑んだ。

 イリヤもだ。

 今までその事に全く気付かなかった己を内心で激しく罵る。

 学園長の言う通りだ。道具の力とはいえ、使いこなせば表層どころか内面深くまで心を読めるという強力な能力を持つ人間が居ると知ったらどうするか?

 大抵の者は放って置く事など先ず出来ない。味方に出来るなら味方に付けたいと思うだろうし、出来ないなら確実に消したいと考える。況してや心に疾しいものが在る者……特にネギに敵対する者や、害意を持つ者達にとっては……。

 のどかの穏やかな性格をなまじ知っていたからか、その有効性以上にもたらす危険性を見過ごしていた。

 原作でもフェイトは、のどかの読心能力を…その危険性を理解するなり、直ぐに排除に掛かっていたのに。

 本当に迂闊だ。思わず頭を抱えたい衝動にイリヤは駆られた。

 

「皆が思った通りじゃ。宮崎君の資質……アーティファクトに『いどの絵日記』を授与される才能を知れば、それを欲する輩。危険視する輩は限りなく居るじゃろう。無論、ワシは此処に集まった者達を信じておる。宮崎君をそのような目で見る者達で無いとも、この情報を吹聴する人間でも無いと……」

 

 学園長…いや、関東魔法協会のトップの言葉を聞いて、この場の魔法使い達は皆表情を引き締めた。その重要性を理解したからだ。

 彼等にしても、のどかの性格から悪用は無いと判断し、さらに英雄の息子であるネギと主従関係を結んだという事実に目が行ってしまい。己等を纏める上司が今、口にした可能性を考慮しなかった。

 そうしてイリヤ同様、自らの思慮の浅さに反省を抱き、気を引き締める教師陣であるが、当のイリヤはそれ以上に後悔とも言うべき感情と思考に囚われていた。

 

 何しろ、この一件で学園―――関東魔法協会内部にのどかが『いどの絵日記』の所有者であるという情報を拡散させてしまったのだ。近右衛門の言う危険性に気付かず、イリヤが報告した事で……原作では多くに知られて無かった事を。

 イリヤにして見れば、近右衛門ほど彼等を信用できない。善良であるというのは判るがそんなものは保証に成らない。彼らのいずれからのどかの情報が漏れるか、気が気でないのだ。

 修学旅行の一件でフェイトには、既に知られている事とはいえ、敵と成りうるのは彼等だけではない。学園側から漏れる事でどのような影響が現われるか……最も恐れるべきは、ネギに隔意を持つであろう“本国”の人間に知られる事だ。

 彼らがこれを知り、どのような対応と行動を取るか……?

 イリヤは今後を憂い心底、自身の迂闊さに頭を抱えていた。

 

 こうして学園長の意見が決定的となり、イリヤ、ガンドルフィーニ、明石などの反対意見は覆り、のどかはネギの従者及び魔法使い候補に認められる事と成った。

 イリヤはこの結論に、悔恨の表情を浮かべながらも受け入れざるを得なかった。

 

 続いて夕映と和美に対しては、早々に結論が出た。

 

「綾瀬 夕映君に関しては、宮崎君と親友との事であるし、彼女の処遇が決まった以上、綾瀬君も魔法使い候補として受け入れても良いと思う」

 

 これを言ったのは意外にも、先程のどかに関して反対の立場を示していた明石だった。

 イリヤは驚きながらも尋ねる。

 

「何故ですか?」

「うん。一言で言えば、綾瀬君は非常に鋭い。修学旅行の一件に関わって学園に張られた認識阻害の結界の効果が薄れたというのもあるけど、その途端に直ぐに普通に考えれば、非常識としか思えない僕達…魔法使いの存在を言及している」

「ですが、それも記憶消去を行なえば…」

「そうなんだろうけど、親友である宮崎くんがこちら側に来る事となり、またネギ君が担任として傍にいる以上、何かしらの切欠で再度認識阻害の効果が薄まる可能性は高い…」

「しかしそれを言うのであれば、他の生徒も同じなのでは?」

 

 イリヤが疑問を呈する。

 その理屈ではネギのみならず、魔法生徒や魔法先生の傍にいる一般生徒に教師。それどころか、この麻帆良に暮らす全ての一般人に露呈する危険性がある事になるからだ。その程度の事で発覚するなら認識阻害の結界自体意味が無い。

 が、明石はイリヤにも驚きの事実を明かす。

 

「そう、だから言ったのさ。綾瀬君は鋭いってね。これは何も彼女の頭の巡りの良さを言っている訳じゃあないんだ」

 

 明石は、やや下がった眼鏡を指で掛け直してイリヤを見据え、不満を隠せない彼女を諭すかのように語る。

 

「学園に入学した時に一応検査していたから判っていた事なんだけど、綾瀬君はどうにも資質が非常に高いみたいでね。その察知能力や感性も並じゃない。もし彼女が魔法使いの家庭か何かに生まれていたら、多分今頃は一人前の魔法使いになっていたと思う。……いや、もしかすると“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”へ大きく足を踏み出していたかも知れない。そう思わせる程なんだ」

 

 その話にイリヤは思い当たる事があった。原作での夕映の活躍だ。

 ネギパーティーの一般人の中で尤も早く魔法を使った事。更にアーティファクト『世界図絵』があったとはいえ、ほぼ独学に過ぎなかった彼女がアリアドネーで有望な騎士団候補生となり、しかもその過程で下位ではあるが、れっきとした―――幻たる魔法世界の個体だが―――竜種に連ねる鷹竜(グリフィン・ドラゴン)を打倒した事だ。

 その漫画にあった設定ないし活躍が、この現実の世界でも反映されるのなら確かにあり得ない事ではない。

 そして、麻帆良学園―――ひいては関東魔法協会は、夕映のその才能を知っていた。それも判らなくもない。学園を本拠に構える以上、そこに出入りする人間を調査しない訳がないからだ。

 イリヤは、それでも反論しようとして口を開いたが、

 

「―――…」

 

 止めた。

 仮に記憶消去を行なったとしても、夕映がその資質の高さから認識阻害の効果を払い除け、魔法の存在に気付く可能性がある限り、危険はどうしても付き纏う。

それどころか、自分たちの関わらない所でこちら側の事件に巻き込まれ、より危険な…それこそ本当に命を落とす事態に遭遇するかも知れない。

 それに気付いたから、イリヤは反論する事を諦めた。

 

「次に―――朝倉 和美君だけど……」

「…正直、“また”と言った感じですね」

 

 何故か言い難そうな明石の言葉に答えたのは瀬流彦だ。彼も眉を寄せて何処か微妙な表情をしている。

 

「もう、これで5度目、でしたっけ…確か。彼女の熱意というか行動力というか、好奇心の大きさには驚きを通り越して呆れるか脱帽する思いですよ」

「そ、それって…」

 

 イリヤは、その言葉で思い当たった自分の予想にまたも驚いた。

 それに答えたのは、ガンドルフィーニだ。

 

「ああ、君の思ったとおりだ。彼女に記憶消去を行なうのは……まだ決まった訳ではないが、これが初めてじゃない。瀬流彦君の言ったとおり、5度目になる」

 

 ガンドルフィーニは心底疲れたように言う。イリヤはその事実に絶句する。慌てて手元の資料を確認すると、“過去に記憶消去の処置アリ”、と最後の欄に短く書かれていた。

 

「な、なによ、それは…っ!」

「いや、まあ…そう言いたくなるのも判る。こんな言い訳はしたくは無いが……ハァ、うちの生徒達に並外れた行動力があるのは判っている積もりだ。……朝倉君は、その中でも群を抜いているとしか言いようが無い。この学園に入ってから2年程度で5度も記憶消去を行なった人間は前例に無いんだ。2度までは判らなくもなかった。3度目からは彼女への注意と警戒を強めた。4度目は監視も付けていた―――それが、よりにもよって学園の外で修学旅行中にとは……どんな運命の巡り会わせだ!」

 

 ハア、ハアと息を乱して肩を揺らすガンドルフィーニ。

 鬱屈して語っているうちに、何か降り積もった物が出てしまったらしく、つい怒鳴ってしまったようだ。

 

「ま、まあ、落ち着いて下さい。ガンドルフィーニさん」

「…いや、スマン。彼女の余りの理不尽さに、少し…な」

「あ、いえ……それは、僕にも判らなくもありません」

 

 宥めた瀬流彦と宥められたガンドルフィーニの2人は、ハァァ…とそろって大きく溜息を吐いた。

 ガンドルフィーニは責任感の強さゆえに。

 瀬流彦は女子中等部の教諭であり、クラスが違えども和美の学年を担当している。彼女に対して尤も警戒を強めていたのは彼で、ガンドルフィーニ以上に色々とショックが大きいのだった。

 イリヤは、恐る恐る尋ねる。

 

「まさか、カズミまで魔法使いの資質があるとか言わないわよねぇ…」

「いや、それは無い。…無い筈だ。彼女は文字通りその行動力と情報収集力、或いは分析力と推理力のみで認識阻害の効果を跳ね除けてこちら側の存在に辿り着いていた。少なくともこれまでの状況からはそう考えられている。尤もその意味では綾瀬よりも非常に驚きで、脅威というか異常なのだが…」

 

 イリヤの問い掛けに神多羅木が答えたが、冷静な態度とは裏腹に先の二人と同じく、和美の理不尽さに呆れと嘆きが言葉に込められていた。刀子がそれに応じるように意見を告げる。

 

「もう彼女も認めるしかないのかも知れませんね。京都の事件は命の危険が相当高かったですし、このまま記憶消去で朝倉 和美に対処し続けるのは却って危険だと考えます。それに5度目とも成ると、さすがに本人への齟齬も大きくなるかと、前例に無い事から何とも言えませんが……今回は、発覚から大分時間が過ぎているようですし」

「むう。已むを得ないのか…」

「…ですね。既にイリヤ君が最低限の処置として行動制限を掛けてますし、こちら側の危険も認識しているみたいですから。後は再度僕達の方から改めて注意を促がせば良いでしょう」

 

 ガンドルフィーニは諦めたように呟き。瀬流彦も頷いて意見を口にした。

 残りの面々も肯定するかのように沈黙する。ただやはりガンドルフィーニと同様に何処か諦めの雰囲気を漂わせていたが。

 

 こうしてのどか、夕映、和美の三名は、結局イリヤの思いと裏腹に魔法に関わる裏世界に留まる事が認められた。

 勿論、まだ本人達の意思を確認した訳ではないが、イリヤは何となく原作の事もある為に、彼女達はネギを中心としてこちら側に関わって行くのだろうと確信した思いを懐いていた。

 

 同時に、このような原作に沿う形に成るであろうこの現実に、何とも言い難い理不尽も感じていたが……。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 教会の地下にある会議室―――白い石造りの壁面で覆われた広い部屋で、先日での結論を書類にて最終確認を行なうと、皆で決を取る。

 

「うむ。反対者は居らぬ様じゃな」

 

 近右衛門が会議室にロの字を書いて並べられた、重厚な木製の机に居並ぶ面々を見て言った。

 麻帆良ではそう高い立場に無いイリヤも本件の報告者という事もあって、一応この場にいるが先日とは異なり意見を出せる権限は無い。

 ただ、内心での思いを押し殺して結果を受け入れるだけだ。

 

「よろしい。ではネギ君」

「はい」

 

 この部屋の扉近く…云わば下座に座るネギに近右衛門が告げ、ネギは起立する。

 

「此度の件での処罰を言い渡す。先ずは厳重注意処分。次に反省文の提出。次に足りない知識を補う為に短期間であるが講義を受けて貰う」

「はい」

「注意処分には関係書類の受け取り、署名などが必要なのでこの後、別室にて直ぐにその処理に取り掛かって貰う。反省文は本日…5月13日から18日までの間に出すように。講義は翌日から10日間。君の授業が空いた時間……もしくは融通して時間を作り、行なうつもりじゃ。本来なら放課後にでも行なうべきなのだが、“ある方面から”苦情が来てこの処置となった。以上じゃ…質問は無いかのう」

「いえ」

 

 ネギの返事に近右衛門は頷き、手元の書類を捲りながらネギに着席を促がす。

 

「では、次にアルベール・カモミールへの処分を言い渡す」

「は、はいぃ!」

 

 ネギと同じく下座の位置で、机上で緊張した面持ちで器用にも背筋を伸ばして起立するオコジョの妖精。

 近右衛門は、彼を一瞥すると手元の書類に視線を戻してから口を開く。

 

「仮契約に於いて主人たるネギ君の意思を無視し、重大な規約違反を行なった罪は、魔法使いの助言者足らん“小さな知恵者”である使い魔として見過ごせないものがある。よって本来ならば直ぐにでも収監、投獄すべき所である……が、本件の報告者であるイリヤスフィール君の『ネギ君の使い魔はアルベール・カモミール以外の適任者はいない』という提言もあり、その検討の結果、それらの重い処分は見送る事とする」

「へ…?」

「ただし、ネギ君と同様に厳重注意および反省文の提出は行ない、講義の方も共に出てもらう事になった。また今回が君にとっての“最後の更正の機会”でもあるから十分に留意するように。以上じゃ…質問は無いかのう」

「あ、ありません! この機会とご配慮に誠心誠意、精一杯尽くさせて貰う所存であります!!」

 

 意外な結果に驚き惚けるも、“最後の更正の機会”と強調されて言われた言葉を真摯に受け止めたのか、ビシッと何故か敬礼してカモは答えた。

 半分以上はこの部屋の片隅に居るイリヤから受ける視線からの、恐怖による行動と発言だったが、彼はこの時、本気で命の危険を感じていた。これを裏切ったら自分は本当に殺されるだろうと、故に深く肝に銘じる事にした。

 

「さて、最後に仮契約者である宮崎 のどか。他、綾瀬 夕映。朝倉 和美の両名であるが、取り敢えずは現状のままとする。また危険を知り、その上でもこちらに関わりたいと申し出るならば、宮崎君、綾瀬君の二人には、本人たちが希望するように魔法使いとしての道を示すことも吝かではない」

「え…!?」

「また朝倉君に関しては、資質は乏しいのでその道は厳しいであろうが、こちら側の職員…まあ、その見習いじゃが、それとして招く用意も検討している」

「あ、あの! それは、どういう事でしょうか!?」

 

 ネギは、カモの時以上の意外さを覚えて驚きをもって尋ねる。

 

「文字通りの意味じゃ。宮崎君は君との仮契約を継続し、尚且つ魔法使いに成る事を認め。綾瀬君も魔法使いを勧めるということじゃ。無論、先にも述べたとおり、本人の意思次第じゃがな。朝倉くんに関しては、やや厄介な事情があってのう。先の両名の事を含めて、その事情はイリヤ君に詳しく尋ねれば良かろう」

「…わかりました」

 

 釈然としないものの、とりあえずネギは頷いた。

 

「まあ、ついで一応簡単に言うと、朝倉君には魔法使いの家庭に生まれても、資質に乏しい…或いは皆無な者達と同じ仕事を与えるかも知れんと言った所かのう」

「???」

 

 ネギは、それも判らないようで首を傾げる。

 近右衛門はそれを見て思わず唸る。

 このような事も知らぬとは、やはり世情に疎いというのは本当のようじゃな、と改めて呆れ、友人であるメルディナ魔法学校の校長に憤るが、一方でネギの素性からそう慎重に扱わざるを得なかった彼に同情した。

 

「ふう―――それもイリヤ君に尋ねれば良かろう。講義のこともあるしな。では……本日はこれまでとする、解散!」

 

 近右衛門は、内に芽生えた感情を吐き出すように一つ息を吐くと、そうネギと周囲の面々に告げた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 教会の地下ではなく、地上二階にある小さな祭壇が置かれた一室で、彼女達は不安な面持ちで目の前の“魔法使い”の少女の言葉を聞いていた。

 

「―――以上よ。後は貴女達の意思で処遇が決まるわ」

 

 より正確に言えば、魔法使いではなく“魔術師”…それも並行世界から来訪した異端の少女であるイリヤは、近右衛門に押し付けられた役目を引き受けて彼女達―――のどか、夕映、和美の三人に今日出た結論を告げた。

 やや後ろめたい気持ちもあったが、これは自分が招いた事態であり、責任を感じてイリヤは少女達に顔を合わせていた。

 告げられた少女達は、自分達の抱いていた考えと異なる思わぬ結果に驚いた様子で困惑し、また考え込むように沈黙していた。

 数分が経って最初に発言したのは、やはりこちらの世界に関わる事に強い意欲を見せていた夕映だった。

 

「…あの、それは今、どうしても答えなければいけないのでしょうか?」

「いえ、別に期間は定められていないわ。けど―――特にノドカはさっき説明した通りだけど。ユエ…貴方も、その秘めた資質は非常に高いと見られている」

 

 イリヤは諦めたように、若干悲しげに言う。

 

「私個人としては平穏な世界で生きて欲しいけど、その優れた資質から何も知らないままだと返って危険かも知れない…ユエの持つ資質が魔法に関わる事件か、もしくは何か良く無いモノを招き寄せる可能性があるの。だから私情抜きで考えれば、貴女は魔法使いを目指すべきだと思う。何時か来るかも知れない脅威を払い除けるだけの力を身に付ける為にも」

 

 それは、まるで厄介事だとしか思えないような言い方だった。それに夕映は、

 

「………もう少し考えさせて頂けませんか」

 

 先日見せていた意欲とは真逆にも、イリヤの言葉に身体を強張らせてそう答え、また言葉を続ける。

 

「あれから、イリヤさんに言われた事を考えました。あの時にも言ったかも知れませんが、私は貴女達の居る世界に対して認識が甘かったです。愚かにも軽々しく危険に身を投じる決意があると言い。その実、その意味を深く考えて無かったのです」

 

 視線を下げて、顔を伏せて夕映は言う。

 

「正直、今は簡単に口には出せません。その勇気が無いのです。恐くなったのです。自分が恐ろしい目に遭う事が、得体の知れない化物に襲われる事が、そして場合によっては戦い、傷付け合って、命すら張り合わなくてはならない事が…」

「…ゆえ」

「ゆえっち…」

 

 身体を震わせて語る夕映の姿にのどかと和美は心配げに見詰め。また自分の今の気持ちを代弁してくれているように思え、心中が複雑だった。

 イリヤもまた複雑だった。夕映をこんなふうに追い込んだのは間違いなく自分のせいだからだ。少なくともイリヤはそう思った。ネギが巻き込んだとも見られるし、夕映自身が興味本位で首を突っ込んだ自業自得とも考えられるのに。

 

「ユエ、悪かったわ。確かにムシが良い話よね。あれだけ散々警告しておいて、今度はこちら側に関われって言っているんだもの。大丈夫よ。どうしても嫌だと言うのなら―――」

「―――いえ、違うのです。イリヤさん…! 貴女がああして辛辣に言ってくれたのは正しいのです。何も知らない私達に知っている者がそれを告げるのは間違っていません。私達の事を思って言ってくれたのも、今は判っていますから……それに嫌という訳でもありません。ただ時間が欲しいんです」

 

 頭を下げようとしたイリヤを夕映は遮って、捲し立てるように言った。

 

「もう少し考える時間があれば、決意を改める時間を……認識は確かに甘かったですが。あの時、ネギ先生の力に成りたいと思ったのも本気でしたから。その力が得られるというのなら、私はそちらの世界にも踏み込みたいとも思っているのです……でも、今は突然な話への困惑と…その…恐怖の方が強いですから……」

 

 イリヤは複雑な心中であることに変わり無いものの、この前とは違いより確かな真剣さが篭もったこの夕映の言葉を聞いて奇妙にも安心感を覚えた。無論、彼女が関わる事を全面的に良しとした訳ではないが……取り敢えず頷く。

 

「分かったわ。学園長にも伝えておく。もう少し考えさせて欲しいって…」

「はい、申し訳ないですけど。お願いします」

 

 夕映は頭を深々と下げた。すると、のどかと和美も同様の返答をした。

 

「わ、私も、夕映と一緒にもう少し考えさせて下さい」

「私も、悪いと思うけど、ちょっと…お願い」

「そう、わかった。……あ、ノドカにはこれを返しておくわ」

 

 返答を聞いたイリヤもまた頷くと、ふと思い出してスカートのポケットからそれを取り出す。

 それを見て、のどかは声を零す。

 

「あ…仮契約のカード」

「ええ、協会が認めた以上、これは貴女の物よ」

「あ、は、はい!」

 

 心中複雑ながらもカードを渡すイリヤから、のどかはそれを受け取ると頬を綻ばせた。

 イリヤから聞かされた話で、自分のアーティファクトに対する恐怖はあったものの、それでもやはり大好きなネギとの思い出であり、大切な繋がりであるのだから手元に戻ってくるのが嬉しかった。

 それに―――

 

 そこで部屋のドアがノックされ、イリヤが返事をすると、扉が開けてネギが入って来た。隣にはタカミチの姿もあった。

 

 「…皆さん」

 「やあ、久し振り…かな?」

 

 ネギは何とも言い難そうにし、タカミチは元担任という事もあって気安く声を掛けてきた。

 一瞬、安堵と気まずさが混じった微妙な空気が漂ったが、

 

「ネギ先生…! 良かった!」

 

 突然発せられたのどかの涙ぐんだ声によって、その微妙な空気が霧散した。

 

「のどかさん…わっ!」

「―――、良かった…本当に良かった…!」

 

 ネギは、涙を滲ませるのどかの声に答えようとして彼女に抱き締められた。

 抱き締められたネギは息苦しいのか、それとも別の理由なのか、顔を真っ赤に染めて彼女に声を掛ける。

 

「の、のどかさん」

「良かった…もう会えなくなるかと……思っていたから、本当に…」

 

 涙を流しながら、のどかが言う。

 彼女にして見れば、南の島より帰ってからのこの4日間は、僅か15年程の人生で最も辛い日々だった。

 イリヤから厳しい警告を受け、自分の所為で大好きな人を、それも生まれて初めて恋をした相手の人生を駄目にして、最悪、罪人のように裁かれてしまうかも知れなかったのだ。

 しかも、その彼に関わる大切な思い出さえも、消されるかも知れないという恐怖もあった。

 大切な人を追い詰めてしまった事で自分を責め、その辛い気持ちを含めた彼に関わる楽しかった事も全て消される事に大きな不安を覚えていた。

 

 だから、のどかにとってこの4日間は本当に辛い時間だった。

 

 碌に眠る事もできず、食事も咽に通らない。学校も休んでしまった。その為、夕映やハルナを始め、多くの友人達にも心配を掛けてまたそんな迷惑な自分を責め、不安に陥るという悪循環に陥りつつあったのだ。

 

「のどか…」

 

 夕映は、内気な親友が人目も憚らずネギを抱き締めるのを見て安堵めいた声を零した。

 その辛そうなのどかの姿を、事情を知る人間として傍から見ていただけにネギが故郷に帰ることに成らず、心底安心していた。

 ただ、胸に引っ掛かる奇妙な物も感じていたが…。

 

 そうして暫くして、ここ数日の張り詰めていた物が切れた所為なのか、それとも泣き疲れた為なのか、のどかはネギを抱き締めたまま眠ってしまい。倒れそうに成ったその彼女の身体をネギは慌てて支え、部屋に備えられた長椅子に横たえた。

 

「ネギ先生……よかった…」

 

 寝言でもそう呟くのどかに、ネギは改めて自分が皆に迷惑を掛けたことと、心配してくれた事に謝罪と感謝の言葉を零す。

 

「ごめんなさい…ありがとう」

 

 そう口にしつつネギは決意も新たにする。自分の軽率な行動と考えを反省し、“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”を……あの日に見た背中に追いつく為にも、ただ魔法を上手く使える事だけじゃなく。もっと多くの様々な事を学び理解しようと。

 もう二度と、自分の浅はかさの所為で誰かに辛い思いをさせない為にも……。

 

 

 イリヤは少し離れた位置からそんなネギと眠るのどかの姿を見て、夕映の時と同様に複雑な思いを懐いた。

 一体自分は何をしているのか? ネギと彼女達を苦しませただけで、何一つ彼等の為になる事をして上げられなかった。ネギを迷わせてしまい。夕映ものどかも和美も平穏な世界に置く事が出来なかった。

 ただ、本当に意味の無い余計な事をしただけではないのかと自虐的な気分に陥る。

 

(本当…何をしているんだろう、私は…?)

 

 彼女は本格的に落ち込んだ。この世界に来て以来初めての事で、イリヤはただ自らの行いを悔いるだけに思考が囚われていた。

 そこに何となくそれを察したタカミチはそんな彼女を慰める為に、ポンと彼女の頭を撫でるように軽く叩くようにして置いた。

 

「タカハタ先生…?」

「まあ、君の気持ちは分かるよ。僕だって出来たらあの子達には平穏な日常の中で暮らして欲しいと思っているんだ。でも今回というか、彼女達にとってはある意味で運が無かった」

 

 ネギたちへの配慮か、タカミチの囁くような小声でイリヤに語る。その表情は何処か困ったように苦笑していた。

 

「のどか君は与えられたアーティファクトが稀有且つ強力で。夕映君は魔法使いとして優れた資質があって。朝倉くんはその行動力だけで僕達の存在に行き着いてしまう放置するには見過ごせない人間だったんだ。……簡単に割り切れる事じゃあないけれど―――しょうがないよ」

 

 しょうがないよ―――およそ気楽にさえ聞こえる言葉だったが、それに込められたモノがそんな単純なものでないと察し、イリヤは黙って頷いた。

 タカミチが言うようにイリヤが落ち込んでいるのは、彼女達を平穏な世界に置くことが出来なかった事もある。けれど、それは半分だけだ。先にも上げたように原作という物語を知るが故に、余計な事をしてネギ達を苦しめてしまった、と思った事が心を沈み込ませるもう半分の要因だ。

 しかし、そんな事を分かる筈が無いタカミチは、分からないまま言葉を続ける。

 

「なら、僕達が出来る事は、関わる事になってしまったあの子達を誤った方向へ行かないように気を付け、正しく指導し、守り、危険を避けられるようにする事……少なくとも彼女達が自分で身を守れるだけの力が付くか、判断が出来るようになるまでは、ね」

「ええ、そうね…」

 

 結局はそれしかないんだろう。悔やんだ所で何も解決はしない。タカミチの言うとおり、割り切って彼女たちのこれからを考えてイリヤは出来る事をするしかないのだ。

 魔法へ、ネギへ関わる事になり、訪れるであろう運命から夕映達を守る為には。

 そんな当たり前な事を言われるまで忘れていた自分を恥じ、それに気付けないほど気落ちしていた自分に気を遣ってくれた事にイリヤは感謝する。

 

「ん…ありがとう。タカハタ先生」

 

 笑顔で言ったイリヤに、タカミチも無言ながらも笑顔でそれを受け取った。

 

 

 タカミチは、気に掛かって見に来た甲斐があったと思った。

 ネギへ処罰が言い渡される前、会議室に向かう廊下でイリヤと話した時から何となくこうなるのではないかと感じていたからだ。

 そして案の定―――勿論、ネギへの心配もあったが―――彼に付いて様子を見に来ると彼女は落ち込む姿を見せていた。

 

(それだけ、ネギ君を含めてあの子達を心配し、大事に思ってくれたんだろう)

 

 そう思うとネギの友人であり、夕映達の元担任であったタカミチとしては嬉しくも感じるが、一方でネギは兎も角、顔を殆んど合わせた事も無い夕映達をそこまで気に掛けるのは不可思議にも感じた。

 タカミチの見立てでは、イリヤは確かに基本優しい面を見せて普段を過ごしているが、顔も碌に知らない見ず知らずの赤の他人を気に掛けるような殊勝な子ではない。矛盾するがむしろその本質は冷徹な娘だと……いや、単純な善悪の二次言論や一般的な道徳では計れない“根”が在るのだと感じていた。

 話に聞く“魔術師”と言うものの価値観なのかも知れないが、少なくともこのような事で気に病むタイプではない。

 

(う~ん…ネギ君の生徒って事で、気に掛けているという事なんだろうか? でも、違うような…)

 

 今一納得できず、答えの出せない疑問にタカミチは内心で首を傾げた。

 しかしそれも無理は無いだだろう。まさか自分たちの世界の事が漫画として描かれている世界があって、今のイリヤの人格がその漫画に愛着を持っていたなど、夢にも思わない事なのだから。

 

 

 イリヤとタカミチのやり取りに気付かなかったネギは、三人…といっても一人は眠っているので、夕映と和美に向き合って迷惑と心配を掛けた事を再度謝っていた。

 のどかの突然の行動に面食らった物の、元々その為に此処へ来たのだ。

 

「すみません。皆さんには本当に迷惑を掛けてしまって…」

 

 頭を下げるネギであるが、二人は首を横に振る。

 

「いえ、こちらこそ、私達の考え無しの行動と発言で先生には御迷惑をお掛けしました」

「うん、綾瀬の言うとおりだよ。いや…本当、私なんてただ一人で騒いで迷惑を掛けただけだもんね」

 

 そう言って二人もまた頭を下げた。

 とは言えこの二人は、京都の一件ではそれなりにネギの力になっており…というか、何気に刹那と明日菜の恩人であったりする。

 もしあの時、和美が機転を利かせてフェイトの石化から夕映を逃さなければ、そして夕映が楓に連絡を取らなかったら、刹那はあの無限に増殖する海魔の餌食に成っており、そうなればドミノ式であの場に居た明日菜も喰われていただろう。

 そうなると残されたネギと木乃香は、エヴァとイリヤの救援で助かりはするだろうが、二人を失った事を知れば、その受ける精神的な傷は計り知らない。

 そのように見れば、やはりこの二人もまたネギを助けていたと言えるのだった。

 

 それはネギも理解できるので二人を迷惑だとは思っていない。

 むしろ、巻き込んだ上に助けて貰ったのだと、そんな感謝と申し訳無さがある。

 そう思い彼は口にする。

 

「そんな事はありません。修学旅行のとき、二人が居なかったら……朝倉さんが夕映さんを逃がしてくれて、夕映さんが助けを呼んでくれなかったら、僕達は無事に済まなかったのですから…」

「いや、あの時は咄嗟に何となく取った行動で…今思うと、ゆえっちに助けを呼べって言うのも、ネギ君達を当てにしてたんだし…」

「私も状況がよく分からず。正直、先生達を助けるというよりも、のどか達を助けたくて藁にも縋る思いで連絡を取っただけで…そんな感謝される事ではないです」

 

 ネギの謝罪と感謝に恐縮してしまう二人。

 

「それでも、僕たちが助かったのは事実ですから―――…それで、のどかさんもそうですけど、お二人はどうするんです?」

 

 ネギは、恐縮する二人にそんな事はないと。もっと強く訴えたかったが、それでは水掛け論になるだけど思い。グッと堪えて話題を変え……尋ねた。今後も魔法に関わるのかと不安げに…。

 その問い掛けに夕映と和美の二人は何となく視線を交わし、お互いに困惑した表情を浮かべているのを見た。言葉にしなくても思っている事も同じだった。視線をネギの方へ戻して二人はそれを口にした。

 

「先程、イリヤさんにも言いましたが―――」

「―――もう少し考えたいんだ。私達…」

 

 困惑した表情でありながら、神妙というか有無を言わせない気配を感じさせるその言葉と声色にネギは「…そうですか」と短く答えて沈黙した。

 ネギは本音を言えば、先と同様言いたい事があった。危険が多く潜むこちらの世界に関わるのは、止めて欲しいといった事等だ。

 しかし、無知から巻き込んだ自分にそれを言う資格は無いとも思え、また既に魔法協会で結論が出された以上、口を出して彼女達の考えと意思を改めさせようとするのは違う気がした。

 

 その後、ネギは二人からものどか程ではないが重い処罰が課せられなかった事を安堵され、イリヤからは改めて二人が魔法に関わる事を許される事情を教えられた。

 ネギは夕映が魔法使いとして優れた才能を持つ事と、和美が既に何度も記憶消去を受けていた事実に驚いたが、話を聞いてイリヤと同様に渋々ながらも納得した。

 また夕映と和美は、元担任であるタカミチも魔法使いの一員であることに驚きを隠せなかったようで、改めてこの麻帆良が魔法使いの組織によって運営されている事実を認識した。

 

 

 こうして、南の島で明るみになったネギの問題と、夕映、のどか、和美の魔法に関わる問題は幾分か清算された。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「そういえば、カモはどうしたの?」

「ああ、一応不問に近い扱いに成ったとはいえ、彼の行動は問題がありすぎたからね。念を入れてより厳重注意中…といったところかな」

「あとイリヤに申し訳なさ過ぎて、不義理かも知れないけど今は顔を合わせられない…みたいな事を言ってたけど」

「そうそう、確か―――『便宜を図ってくれたお嬢様には感謝しても、感謝しきれない。だから俺っちの代わりにお礼を言っておいて欲しい』とも言っていたね」

「うん! 僕もカモ君を庇ってくれたって聞いて嬉しかったよ…ありがとう、イリヤ」

「―――…! べ、別にネギの為だけって訳じゃあ無いわよ。そ、そう、ただこのまま友達をこんな形で別れさせたんじゃあ。私の寝覚め…というか後味が悪いからよ!」

 

 と。帰りの間際、カモがネギの傍に居ない事がふと気に掛かって尋ね。

 それに答えるネギとタカミチであったが、感謝の言葉と共に向けられたネギの笑顔を見て、イリヤは何故かおかしな言い訳を口にしてネギの首を傾げさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、そう間を置かずネギは己の過去と対峙する事と成り、彼と関わる事となる三人の少女達も麻帆良に訪れるネギの“仇”―――そして、イリヤに関わる因果を目にして、この日に迫られた選択を定める事となる。

 

 




 原作通りではないものの、暫定的に夕映達は魔法に関わる事が決定しました。

 最後の文章で次回からヘルマン編に入るかと思われますが、幕間と余話が間に入ります。


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幕間その3―――酒の席での一時

今回は魔法先生達の話で、前回の合間にあった事です。


 麻帆良市内でも珍しく近代的な建物が多く見受けられる歓楽街。

 その大通りに向かって表を構える数々の店の中、より珍しい和風の趣きの建物が在った。

 空が夕闇に包まれ、星が瞬き始める頃合いから開くその店は、人気がある為か、それともその珍しい趣きゆえか、日が沈んだばかりにも拘らず、既に多くの客で店内は満たされており、賑わいを見せていた。

 

 その店―――居酒屋の一室に彼は足を踏み入れた。

 二階に在る団体客用の部屋に案内してくれた従業員―――店の雰囲気に合わせ、作務衣姿の男性に彼は軽く一礼し、従業員もそれに応じて頭を下げて、立ち去るのを確認してから彼は自分よりも先に部屋を訪れていた客達へと声を掛けた。

 

「ゴメン、待たせたかな」

「いえ、僕達も今来たところですから明石教授」

 

 時間に遅れた事を謝る彼―――明石に真っ先に瀬流彦が答え。彼と同じくテーブルを囲んでいた他の先客達も頷いた。

 

 長身の黒人男性のガンドルフィーニ。

 サングラスに黒スーツという近寄りがたい雰囲気を持つ神多羅木。

 キャリアウーマン的な外見を有する妙齢の美女である葛葉。

 ふっくらと丸く豊かな体型を持つ男性の弐集院。

 そしてその中でも若くまだ学生気分が抜け無さそうな青年の瀬流彦。

 

 そう、この面々を見れば分かる通り、そこに集まっていたのは俗に魔法先生と呼ばれる関東魔法協会に所属する職員達だった。

 

「…と、言ってももう始めているがな」

 

 瀬流彦に続いて並々と中身が注がれたビールジョッキを掲げて言う神多羅木。

 それに思わず喉が鳴りそうなるのを堪え、明石は空いた席へ―――畳の上にある座布団へ座ってテーブルに置かれていたジョッキを手にし、瀬流彦が空かさずビール瓶を持ちそれに中身を注いだ。

 

「お、悪いね」

「いえ…」

 

 注がれる泡立つ黄金色の液体に明石は礼を言い。瀬流彦は軽く頷いた。

 で、さっそく注がれたそれを口元へ運び、喉へ通す。

 

「くうっ―――旨い! 仕事の後はやっぱり格別だね…!」

 

 心地良い苦みと炭酸が舌を打ち、良く冷えたそれがゴクゴクと音が鳴る度に喉の奥へと流れて行くのを堪能し、明石は言った。正に生き返ったような気分だ。

 

「ははっ、気持ちは判るけど、今は程々にしてくれよ。これでも一応会議なんだから」

「ええ、判っていますよ。」

 

 弐集院がおかしそうに言い。明石も笑みを浮かべてそれに応じた。

 その弐集院の手元には幾枚かの書類が見受けられた。それに気付いた明石が尋ねる。

 

「それは…今日の?」

「うん」

 

 明石の問い掛けに弐集院は頷く。

 彼は昨日と本日の会議―――例のネギの問題に関する検討会に事情があって出られず、その結果を今此処で議事録を見て確認していた。

 

「ネギ君は、どうやら重く処罰されずに済みそうだね。彼が重大な違反を行ったと聞いた時は随分と驚いたけど……」

「ええ、まあそれも主な原因は彼自身というよりも、使い魔に在った訳なんだけど」

「うん」

「……とはいえ、“此方”への認識が不足していた事は変わりなく。問題と成ったのは無視できない事実でもあるし」

「確かにそれも驚きではあるね」

 

 明石と弐集院の二人は、そう言いつつ互いに頷きあった。将来有望な“偉大な魔法使い(マギステル・マギ)”候補と目されていた少年の意外な失態と、首席で魔法学校を出た筈の優等生であるその彼の世間知らずの有様に驚きを隠せずに。

 その二人の間に声が割って入る。

 

「その話題はもう良いでしょう。あの場に居られなかった弐集院さんには申し訳ありませんが……」

 

 と、葛葉が言う。

 手に持つグラスには生真面目な彼女らしくビールなどの酒類では無く、フルーツ系らしい飲み物が入っていた。一応会議であるというのを意識しての事だろう。

 

「そうだね、じゃあ早速だけど―――」

 

 明石は彼女の声に首肯すると、持って来ていた鞄から業務用の封筒を取り出して中の書類を皆に配りつつ言った。

 

「皆は彼女の事をどう思ってる?」

 

 彼女―――外来の魔法使いと思われているイリヤの事だ。

 此度の集まりは、主に彼女に関するもので当然、瀬流彦を除いて集まった面々はAAクラス以上の情報閲覧資格(クリアランス)を有している。瀬流彦に至ってもこれでも将来を期待される若手である。その為、学園長の許可の下で彼等から情報は得ていた。

 先ず、口を開いたのは神多羅木だった。

 

「俺は挨拶以外に碌に会話をしたことが無かったからな。開示されている以外の事は余り多く言えんし、昨日今日の会議の席で見た彼女の様子だけでは何とも判断できん」

 

 その言葉は、常に冷静かつ慎重であろうとする彼らしい言いようだった。

 続けて、瀬流彦が言う。

 

「僕はこれまで何度か話をしましたけど、礼儀正しくて良い子だと思いましたね。年齢の割には確りとしているし、何というか大人と余り変わりないっていうか、“様”に成っているって感じてました。ただ―――あんな力を持っていると思いませんでしたけど…」

「私も瀬流彦君とほぼ同意見だな。正直、荒事に向いているとは思ってなかった……が、雰囲気だけは見習いと違うように感じてはいた。まあ、それも今と成っては覆り、納得でもあるんだが」

 

 瀬流彦に続いてガンドルフィーニが答える。

 二人は、あの白い少女を大人びた礼儀正しい子供という以上の感想は無かった―――京都での事件が起こるまでは。

 

「……まあ、あの会議では、ネギ君や彼の生徒を気に掛けているようで好ましく思えたな」

「そうですね。英雄の息子である彼に何の色眼鏡も無く友人として接していて、今回の件で厳しく当たりはしても彼や彼の生徒たちを優しく気に留めています。それにハーフである刹那にも良くしてくれているようですし、悪い子では無いのでしょう」

 

 ガンドルフィーニの言葉に続いたのは葛葉だ。

 彼女は、刹那と同じく神鳴流の使い手で元は西の人間だ。その出自から麻帆良に来た刹那の面倒を剣の先輩としては当然で、私生活の方でも見ており、自分同様に偏見無く彼女と接しているイリヤを好ましく見ていた。

 

「ふむ、なるほどなぁ」

 

 弐集院は考え込むようにして頷いた。

 彼は、イリヤと神多羅木同様、挨拶を交わす程度しか彼女と接した事はなく、先の会議にも出席していない事から判断材料に欠けており、こうして皆の印象や議事録に記録された彼女の発言からイリヤの為人を推測するしかなかった。

 ただ、同僚たちの意見を聞くに善良か、もしくはそれに近い人間なのだろうとは考えていた。すると神多羅木も同じように頷いているのを弐集院は見た。

 

 明石はそれらの同僚の反応を見て僅かながら安堵していた。

 あの故郷を失ったという哀れな少女が、こうして受け入れられつつある事実が喜ばしいからだ。

 彼もまたイリヤを善良で礼儀正しい子だと認識していた。彼女と幾度も会話し、相談を受けているという事もあるが、魔法生徒の中でも比較的親交がある高音と愛衣に萌の……特に愛衣の話を聞くにそう判断できた。

 しかし―――

 

「だが、腑に落ちない点は多いな……いや、彼女が悪人で無い事は確かなのだろうが」

 

 神多羅木が髭を撫でるように顎に手を当てて言う。

 

「人知られず秘境に住まう魔法使いの一族の生き残り……そして、あの年齢であの圧倒的な力――――どうにも、学園長も何か隠している様だし…な」

 

 そう言いながら、彼は明石から渡された手元の書類から一枚を抜いてテーブルの中心に置いた。直後、ある光景が立体的な映像としてテーブルの上に浮かんだ。

 

 夜間、月の光を照り返しながら地上へと降り注ぐ銀の輝き、まさに星の数に匹敵せんばかりに落ちる流星の如きそれは、大小様々な無数の剣だ。

 それらが地上に犇めく異形の化け物を穿たんと凄まじい速度で迫り―――大地を耕しながら赤く染めて幾秒ほど……映像が白く染まった。

 

 その突如現れた白い画像に見た面々は、画面に眩しさを覚えて目を細める。

 

 次に映ったのは、巨大なクレータと焼け焦げた大地だった。画面を白く染めた爆発の影響の為、映像は不鮮明となっており、歪なレンズでも通して撮ったかのように陽炎の如く常に揺らめき、見づらくはあったが、ほんの数秒前までそこに在った川と森は見る影も無い。先程の異形の化け物共々吹き飛んだのは想像に難くなかった。

 

 「何時見ても……とんでもない、と思うな」

 

 魔法使いが汎用的に使うペーパータイプの記録媒体が投影する映像に、そう感嘆を込めて呟いたのはガンドルフィーニだ。

 この威力と破壊の惨状もそうだが、『遠見』がノイズと成って漂う魔力の残滓によって不鮮明になった事にもだ。これでも記録として落としたコレには解析と映像処理を掛けており、鮮明にした方なのだ。つまり―――

 

「この後の闇の福音とあの大鬼神がやりあったのもそうだったな」

 

 不鮮明な映像に神多羅木が呟く。

 そう、リョウメンスクナが復活し、エヴァンジェリンが最上位の攻撃魔法を行使した時も『遠見』はこのような不鮮明な映像を映す事に成った―――つまり大鬼神の呪力とエヴァの最上位魔法を併せたものに匹敵するか、凌駕する巨大な魔力(ノイズ)をあの爆発は生じさせたという事だ。

 

 映像は続き、場面が切り替わるも不鮮明なままだった。

 それは、先に神多羅木が言ったスクナとエヴァがやりあった後だからだ。

 その不鮮明な映像の中で、イリヤと思われる紅白の人影が、同じ大きさの人影と対峙し激突していた。ただ不鮮明な上、お互い素早く激しく常に動いている為に具体的に何をし、どのようにして戦っているかまでは分からない。

 

「―――はぁ」

 

 それに何処となく残念そうな溜息が漏れる。

 それを吐いた者以外、映像を見ていた面子がさり気無くその声の方へ視線を送ると、葛葉のやや残念そうな顔を捉えた。

 剣士である彼女にとって、同じく剣を取っているであろうイリヤの戦いぶりを鮮明に見る事が出来ないのは、やはり残念に感じるのだ。況してや刹那と、月詠という敵方の神鳴流剣士をも降したというのだから尚更であろう。

 それは程度の差はあれ、残りの面々も同様だ。そんな彼女と彼等の無念そうな心境を読んだように、明石が新たに鞄から一枚の記録媒体を取り出して言う。

 

「つい先日、高音君と愛衣君がイリヤ君と模擬戦を行ったんだけど、誰か知ってるかな?」

「「「!?」」」

 

 その言葉に映像を見ていた他の者達が、一斉に明石の方へ顔を向けた。

 

「いえ、知りませんが、それは本当ですか!?」

「何時です。教授…!」

 

 ガンドルフィーニと葛葉が驚きの声を上げる。

 

「うん、本当だ。一週間前だったかな、確か…?」

「じゃあ、そのソレは…」

「うん、そういうことだ」

 

 驚きを示す二人の問い掛けに明石は答え、そこに尋ねる瀬流彦にも彼は頷いた。

 

「二人は余り良い顔をしなかったんだけど、少し無理を言ってお願いしたんだ」

 

 明石はその時の二人の様子を思い浮かべた為か、苦笑してそう言う。

 記憶の記録及び映像化―――難易度自体はそれほど高くないのだが、それなりに手間(コスト)の掛かる魔法である。

 これに受けるに当たって高音と愛衣はかなり渋った。

 というのも、あの良い所無しの模擬戦を映像化されることに恥ずかしさを覚え、抵抗を感じたというのもあるが、イリヤに対する義理めいた感情もあったからだ。

 明石はそれを説き伏せ……というよりは文字通り、申し訳なく思いつつも頭を下げてお願いし、記憶を抽出させて貰い。記録化したのであった。

 丁寧に折りたたんであったその記録媒体を広げ、再生メニューを押してそれをテーブルの上に置いた。先程から再生が続く映像は一端停止させる。

 

 30mほど距離を取ったイリヤと高音たち、不意に高音が僅かに前に出て、愛衣が下がる。同時に周囲にある様々な影から飛び出す人型―――高音の使い魔。

 時間差を付けて一斉に襲い掛かる十二体の使い魔に囲まれるイリヤだが、慌てる事も無く冷静に対処する。

 そこに詠唱を完了させた愛衣が、中位規模の魔法を放つもイリヤはそれまで一体も斬り伏さずにいた自らを囲む影達を一瞬で同時に五体切り裂き、あっさり避ける。

 

 その映像に、ほお、むう、と関心と感嘆の混じった声が室内に響いた。

 その後も高音は『黒衣の夜想曲』を展開して全力を攻め、愛衣も機を見て魔法を放つが余裕を持って避けられてしまう。

 そして、イリヤが二人を気絶させて決着をつけると映像は終了した。

 

「なるほど、判り切っていた事だったが……確かにこれは“本物”だ」

「ええ、最低でもAAクラス……もっとも高音と愛衣の二人では、相手に成っていないのですから、正確に測る事など出来ませんが……やはり、高畑先生と同等の実力者と見るべきでしょう」

 

 ガンドルフィーニは額にうっすらと汗を浮かべて言い。葛葉も何時も以上に固い表情を見せながらこの信じがたい事実を受け入れる。

 

「あんな子供が……しかもあの青山…いや、近衛 詠春を不意打ちとはいえ、破った相手と互角以上に戦ったというのだろう。ならば…タカミチ以上の―――」

「……それはこの映像では断言できないけどねぇ」

 

 神多羅木が戦慄したかのように、弐集院が動じていないかのように暢気そうに言う。対照的な二人であったがその表情は互いに厳しいものを見せていた。

 それから暫く、各々が考え込むかのように沈黙した為、室内には静けさが漂い。外から他の客の話し声や騒ぎ声がやたら大きく聞こえた。

 防諜系の結界のお蔭でこの部屋から音や声が漏れる事も呼び掛けなければ、店員さえ訪れない部屋であるが、このように外からの音は遮断されていなかった。

 

「ふう―――頼もしいと言えば、頼もしい事なんだけどね」

 

 その静けさの中にある重苦しさを払うように明石が口を開いた。事前に記録を確認していた彼はそれほど驚きを感じていなかった。

 尤も、初めて見た時は今の同僚たちと同じく重苦しい顔を浮かべていたんだろうけど、と内心でそう思っていたが、イリヤに対する不信そのものは抱いていない。

 確かに映像でも見受けられるような自分達をも圧倒するであろう戦闘力を、十歳程度の少女が持っているのは大きな疑問だ。しかしあの老獪な上司たる近右衛門がその事実を放置している筈は無く。頼りになる同僚のタカミチも信用を置いているのだ。

 それに自分も彼女の事は嫌いで無い。学園や此方の事で相談を受け、ネギ君の使い魔に対する愚痴を漏らし、そしてあの模擬戦で塞ぎ込んだ高音を心配して自分にフォローを頼んだ優しげなイリヤの姿を彼は見ている。

 

「そ、そうですよ。学園長が隠し事をしているっていうのも、それは僕達に敢えて知らせるような事じゃないって考えての事なんでしょうし」

Need Not to Know(知る必要のないこと)…か、まあ、そうだろうな。あの学園長が意味も無く隠し事をする訳は無いからな」

 

 瀬流彦が明石の言葉に同意し、ガンドルフィーニが意味深げにその瀬流彦に応えるが、

 

「だからと言って思考を停止させる訳にもいかんさ」

「そうだな」

 

 神多羅木の言葉にも彼は首肯した。葛葉も弐集院もそれに続いて無言で頷く。

 といっても、彼等とてイリヤに不信を抱いている訳では無い。明石と同様、自分達を纏める協会のトップである近右衛門を信用している。ただそれでも僅かながら疑惑も在り、一応警戒して置いて損は無いとも考えているのだ。

 尤もその中で葛葉だけは内心では多少複雑に思っていた。元は西の人間であった彼女もこのように警戒されていた時期が在ったからだ。

 

「とりあえず、情報を整理しましょう。先程の明石教授のようにお互い知らない事はまだあるかも知れません。出来る限り彼女について知っている事は口に出した方が宜しいかと…」

 

 その葛葉が、自分同様にイリヤが麻帆良で信頼を得られる事を願ってか、率先する様に皆へそう提案した。

 

 

 しかし―――、

 

 木製のテーブルの上に幾つかの空のビール瓶が並び、同じく酒肴が乗っていた皿も何枚も重ねられるほど時間を掛け、意見を交換し、開示されている情報を見直したが結局、明石が持って来た映像以外、目新しい情報は出ず。彼らの話はイリヤの持つ力から昨今、彼女が開いた工房の件と製作された魔法具へと移っていた。

 

「―――じゃあ、ガンドルフィーニさんもあそこに行ってみたんですか?」

「ああ、あの子について分かっている事は本当に少ないからな。少しでも何か分かるかと思って……まあ、私の扱う銃の強化も可能かどうかも知って置きたかったが…」

 

 瀬流彦の問い掛けにガンドルフィーニは応じながら葛葉の方へ視線を向け、

 

「私の刀は別に強化された訳ではありませんよ」

 

 と、その視線の意味を解した彼女が答える。

 それにガンドルフィーニは頷く。

 

「それは判っている。言葉のアヤだ。…けど、刀が新しく強力に成ったのは事実だろう」

「そうですが…」

 

 ガンドルフィーニがそんなつもりが無いのは判っているが、葛葉は何となく彼の言葉に含むモノを覚えて憮然とした表情を見せる。

 

 

 それは何日か前の事だ。

 久しぶりに刹那と稽古する事に成った葛葉は、その時に仮初の師弟関係と成った彼女からその刀を渡された。

 神鳴流が扱うものと同じ長さと肉厚を持つ野太刀。おそらく自分達が御用達としている刀鍛冶が打った式刀をベースに何らかの付与処理が施された魔剣。

 それを手渡され、見定めた時に感じたのは……今でもその時の―――背筋に奔った感覚を葛葉は忘れられなかった。

 そう、刀身の出来やその優美さは、自分が長年愛用してきた太刀とそれほど変わり映えしないのに……そこから放たれ、感じ取れる濃密な気配というか、存在感は今まで目にして来た式刀とは“別格”としか言いようがなかった。

 それに戦慄めいた畏怖を覚え、これ程の業物をどこから? と疑問に思う彼女に刹那が察したかのように答えた。それは、あのイリヤスフィールが加工・製作した武器だという。

 そう説明する彼女によると、元は刹那に使って貰おうと作ったらしいのだが、その当人である刹那は恩師である西の長から直々に譲り受けた刀を手離すことは出来ず、まだ未熟な自分には不相応な代物と考えて受け取りを拒否したという。

 

 半ば恐縮しながらそう言う刹那を彼女らしいと葛葉は苦笑したが、次に出た―――

 

『ですから、刀子さんに使って頂けたら……イリヤさんも構わないと仰ってましたし』

 

 ―――との言葉に驚いてしまった。

 

 流石にその言葉は予想外であり、今度は葛葉が恐縮する番だった。

 それはそうだろう。業物である事もそうだが、刹那の為に作ったものなのだ……にも拘らず、自分に譲るというのだ。何の対価も無しに。

 だが、それも察したのか刹那は若干照れくさそうに、

 

『刀子さんには此処に来てからというもの、ずっとお世話に成っていましたから……その…お礼と思って――あ、いえ…私が用意したものでは無く、あくまでイリヤさんが打ってくれたものですので、誠意が籠ってないようにも思えるのですが…』

 

 俯き上目づかいで、年相応の少女のように可愛らしくそう言うのだから、葛葉は思わずつい頷いてしまい受け取る事に成った。

 と、なし崩し的にこの魔剣を扱う事に成ったとはいえ、刹那の心遣いも嬉しくもあり、それはそれで悪くない出来事のように葛葉は思っていた。

 それに……長年愛用してきた得物を手離し、代える事に抵抗を覚えない訳では無かったが……いや、正直に言えば、長年扱っていたからこそ―――様々な思い出が……それこそ“苦いもの”があったから、この刹那の申し出を渡りに船としてありがたく感じているのかも知れない。

 

 

 だから、自分が西から東に渡る事と成った事を―――今では“苦い思い出”となったソレを知っているガンドルフィーニが、口にした言葉に含むモノを葛葉は覚えてしまうのだった。

 葛葉はかぶりを振ってそんな考えを振り払うと、今度は逆にそのガンドルフィーニに尋ねる。

 

「それで、貴方の方はどうだったのですか、ガンドルフィーニ先生」

「…残念ながら保留中と言った所かな。何でも銃の事は勝手が判らないとかで……これからの研究の結果次第だそうだ」

 

 そう、首を横に振って答えるガンドルフィーニであるが、

 

「そう言う割には、あまり残念そうではありませんね」

「ああ、元々過度に期待してなかったというのもあるんだが、楽しみでもあるからかな…? 要求された銃の資料や知識を提供した時、彼女は随分意欲を見せていたからね」

 

 苦笑しつつも言葉通り、楽しそうに彼は言った。

 それを何となく少年っぽい笑みだな、と葛葉は思ったが、戦闘スタイルと相性の他、趣味もあって銃を扱う彼にとってはやはり楽しいことでもあり、嬉しいことなのだろうとも思った。

 そんな微笑ましいものを見るかのような気配を感じ取ったのかガンドルフィーニは、ハッとして誤魔化すように咳払いする。

 

「ゴホンっ…まあ、それはともかく、あの工房で気になる事といえば、メイドとして使われている人形が、彼の“闇の福音”謹製の物である事だが……」

「それは、それほどおかしな事では無いでしょう。イリヤさんは彼女と同居している訳ですし」

「そう…だが」

 

 葛葉の言葉に曖昧に頷くガンドルフィーニ。そこに神多羅木が何処か呆れたように言う。

 

「魔法使いとして生きる以上、あのエヴァンジェリンの伝説を耳にし、恐れるのは判るが……それは考え過ぎだろう」

「だね、警戒する気持ちは判るけど。今は封印された身であるし、仮にも僕らの一員でもあるんだ。その働きは確かなもので、人手不足な僕たちにとってかなり助かっている。それに……そもそも彼女が悪行を大きく重ねたのは吸血鬼と成ってから数十年から百年程度……勿論、現代における人間の一生分か、それを超える時をそうして生きた訳ではあり、それが大きな罪である事も変わりないけど、ね」

 

 弐集院も続けて言い。過去の事に囚われ過ぎて目を曇らせるのはどうか…と、軽く注意しているようだった。その隣では明石と瀬流彦も頷いており、ガンドルフィーニはバツの悪さを感じて素直に頭を下げた。

 

「すみません。―――にしても結局、イリヤ君の工房の中は見られず、制作されるアミュレットも未知の術式が使用されている事以外、詳しく判らないのは少し不安でもありますね」

 

 話を軌道修正するように頭を上げた彼はそう言う。

 

「そうだな、効果は確かなのだが…」

「それも仕方ありません。世に知られていなかった魔法使いの達の秘儀であり、研究成果なのですから、おいそれと開示出来るものでは無いでしょう」

「うん、学園長がそれに協力しているのは、公表した時の影響も考えての事なんだし」

「そうそう、今麻帆良で支給されているアミュレットだけでも世に広まれば、ちょっとした革命になるからね」

「確かに……今ある戦術や戦技を見直す必要が出てきますものね」

 

 神多羅木、葛葉、明石、弐集院、瀬流彦の順で口を開き。

 そして、イリヤが提供する魔術品その物の検討もそこそこに、「麻帆良(うち)も色々と試行錯誤しないといけないな」と自然に戦技研究などの討論に移り、またしも新たに空の酒瓶を追加し、酒肴で腹を満たしながら意見を出し合い……数十分後。

 話題は再びイリヤの事へと戻った……というよりも、戻したというべきだろう。

 つい討論に白熱した一同であったが、逸早くそれに気付いたのは酒を口にしなかった葛葉だった。他の面々もほろ酔いに留めてはいたのだが、酔いは酔いである。目の前に事に気を取られがちで、それに熱くなり過ぎたのだった。

 葛葉の指摘を受けてイリヤの事を思い出した彼等は、テーブルの上に置きっぱなしになっていた記録媒体……停止させていたそれを再生した。

 

 静止し、互いに睨み合うイリヤと敵の姿。そこに突如イリヤの背後に新たな人影が現われ、その人影に気付いたイリヤが振り向く。近づく人影に無抵抗に捕まるイリヤだが、直ぐに振り払って距離を取り―――人影の姿が転移したかのようにそのイリヤの背後に現れ、再度彼女抱き抱える。

 

 そこで映像が再度停止される。

 

「問題はこの人物……イリヤ君の話では、彼女の母親の姿を取った亡霊や怨霊の類だとか…」

「彼女の一族が行った実験が原因で生じた存在だそうだね。イリヤ君自身もハッキリとした正体は判らないそうだけど」

 

 明石と弐集院の二人が顎に手を置き、考えるかのように言う。

 

「ソレに偽りは本当に無いのか?」

「その心配は無いでしょう。学園長が直接イリヤさんの記憶を確認したそうですから」

「…うむ、その学園長が何かを隠しているのは確かだろうが、これに関しては真実だろう。隠すメリットなど無いからな」

「ですよね」

 

 ガンドルフィーニも顎に手を置いて難しげな表情で言い。それに葛葉が答え、神多羅木と瀬流彦が続いた。

 その葛葉の言葉通り、開示された情報にはイリヤの記憶を学園長が確認している事になっている。そういう意味では神多羅木の言った言葉はある意味では当たっているが、外れてもいるとも言えた。

 

 

 映像は再度再生され、夜が明けてイリヤとその怨霊と言う女性は暫く対峙し―――その途中で不鮮明だった映像が幾分か鮮明になり、女性の容貌も大まかに判別できるようになる。その直後、イリヤが手にした武器を投擲…と呼ぶには凄まじい魔力と力の奔流であるが、攻撃を行い。その攻撃を女性の影から飛び出した二槍を持つ男性の人影がそれを弾いた。

 

 そこで映像は途切れる。

 

「厄介だな」

「ええ、あの怨霊と呼ばれる女性と似た存在で、恐らく最強クラスの力を持つと推測される“何か”」

 

 神多羅木の呟きに首肯する葛葉。その表情は極めて深刻なものだ。

 

「それに、これの前にイリヤ君と戦っていたのは、あの“完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)”の一員だとほぼ確定している。しかもあの事件から推測するに狙いは西の本山だけでは無く、この麻帆良も視野に入れられていた」

「あの西の長が破れた事と言い。その彼等と戦い続けた長自身の話ですから…間違い無いんでしょうね。この麻帆良を狙う具体的な理由は良く分かりませんけど…」

 

 憂鬱そうなガンドルフィーニと瀬流彦の言葉。

 

「学園の戦力の見直しが図られ、イリヤ嬢の魔法具が支給されて確かに麻帆良の防衛力は強化された。またこれから更に強化向上は続けられだろうが……想定される仮想敵は西や逸れ(アウトロー)の連中では無い、況してや“本国”の特定勢力でも無く―――」

「“完全なる世界”の残党…」

 

 深刻さと憂鬱さ以上に何処か気を引き締めんとする様相で言う神多羅木と弐集院。

 

「イリヤ君の話では、あの怨霊たちも女性の物を除いてあと4~6体ほど存在するとの事。そしてそれらはその残党に手を貸している。敵は残党とはいえ、決して侮れない戦力を有している。しかもかつてとは違い小規模になったからこそ、その動きがより掴み難くなっている」

 

 明石がその引き締めんとした二人の意を汲むように厳しげな表情と声で告げ、弐集院がその言葉に頷く。

 

「明石の言う通りだ。明日帰還するタカミチから届いた報告でも彼等の手掛かりや動向は全く掴めなかったようだし、イスタンブールに在った記録は意味無い物だったそうだ。つまり奴らの情報工作の手際は健在な上、その規模の縮小というデメリットすらも上手く利用している。本当に抜け目のない連中だ」

「だが、それは壊滅したと思われていたという……云わば“死んだふり”をしていた所為でもあるのだろう」

「ああ、勿論それもあるけど、言った事を翻す積りは無いよ。“完全なる世界”は以前より増して“見えない組織”に成っている。ある意味では以前以上に手強いと言えるだろう」

 

 神多羅木が途中挟んだ意見に答え、弐集院は断言する。

 そう、彼が先のネギに関する会議に出られなかったのは、タカミチや西に各国の魔法協会から届いた資料や報告書を纏め、精査・分析を行っていたからで、今の言葉はそれから出た結論なのだ。

 その結論に部屋の空気は再び重苦しいものと成った。イリヤに対する畏怖や警戒意識以上に明確な脅威が確かに存在し、認識せざるを得ないのだから当然だろう。

 

「……だからこそなのでしょうね。最近の学園…いえ、関東魔法協会の動きは…」

 

 重苦しい空気のまま葛葉が口を開いた。

 それに瀬流彦が訪ねる。

 

「西との関係の改善ですか…?」

「そうか、葛葉はそっちの交渉に関わるんだったな」

 

 神多羅木も捕捉するように言い。葛葉は「ええ…」と頷いた。

 

「脅威が明確な以上、西との関係修復は急務です。情報の共有を始め、戦力等の援助や応援を円滑にする為には必要な事ですから。それにお嬢様が“此方”の表舞台に立たれる決意を為された事もあります」

「なるほど、我々裏世界の事でこの日本に脅威が迫った訳だから、それを理由に西と東は団結できる訳か……そして、それを理由……いや、利用というべきかな、それを口実にして学園長は長年抱えていた問題を一気に片付ける積りなのか」

「…根が深い問題ですからそう簡単には行かないでしょう。ただこの機にその道筋(レール)は敷いて置こうという事なのだと思います。お嬢様の為にも」

 

 ガンドルフィーニの確信の籠った言葉に葛葉は答える。その彼女に弐集院が尋ねる。

 

「それで交渉は上手く行くのかな? 確かに学園長のお孫さんが表舞台に立たれるというのなら…光明あると思うが」

「ええ、おそらくある程度は纏まるでしょう。親書を送った事に加え、先の事件での(わたしたち)の貢献もありますから、西は此方の申し出に誠意を見せなければ成りませんので」

「ふむ」

「それに、東に属しながらも西と交流の深いあの浦島が交渉の―――」

「―――と、待った! あそこの当主は今、日本を留守にしているのでは?」

 

 葛葉の告げた言葉を遮るように驚きを示して尋ねる弐集院。

 

「いえ、どうも協会の動きを察知したようでつい先日、帰国したそうです。学園長はその事を聞いて嬉しそうに笑っていました……あそこの当主は学園長と幼馴染と聞いていますから、お互いに言わずとも何か通じるものが在るのかも知れません」

「ふぅむ……では、交渉は浦島が取り持つ事になるのか」

 

 答えを聞いた弐集院は腕を組んで難しげに唸った。

 

「学園長は襲撃に備えなければならず、麻帆良を動けませんから……その代役という意味もあるのでしょう。あの家の者達ならばそれは十分に果たせます。またお嬢様も舞台に立たれますし…」

 

 葛葉はやや憂鬱そうにそう言葉を締めた。

 それは、“完全なる世界”の事や交渉の成否では無く。長たちの娘・孫とはいえ、このような政治の舞台にあのような十代半ばの少女を担ぎ出すという事に思う所があるからだ。

 木乃香が(まつりごと)に関わる事自体は別に否定してない。この日本の裏に関わる一人として彼女の持つ“血の重み”を思えばそれは当然だと思っている。

ただ、それでもまだ早すぎる……性急過ぎるようにも感じるのだ。しかし一方で、一刻も早くこの日本の裏に潜む東西関係を纏めなくてはいけない事を、その必要性も理解しているので葛葉はそれを口にする積りは無かった。

 

「―――しかし、何ていうか“動いている”って感じがしますね」

「んん?」

 

 瀬流彦が唐突に言った言葉にガンドルフィーニが訝しげに唸り、他の者達も同様に眉を寄せて彼に視線を向けた。

 それに瀬流彦は困ったかのように口を開いた。

 

「いえ、その何て例えればいいのか……京都の事件にあの“完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)”が関わって、そこにその彼等の宿敵である“赤き翼(アラルブラ)”の一員である西の長のみならず、サウザンドマスターの息子であるネギ君が居合わせ、麻帆良で保護されていたイリヤ君が救援に向かい。そこで彼女の一族の…その、実験体でしょうか? そんなものまで関与して、その事件が切っ掛けに木乃香お嬢様が此方に関わる事に決意を固められ……西との関係改善まで進めようっていう今が―――」

「―――なるほど、確かに大きく動いているな」

 

 瀬流彦の言わんとする事を察して、ガンドルフィーニは大きく首肯した。

 それに明石と葛葉が続く。

 

「そうだね、因果というか、偶然や必然などを超越した事象の巡り……運命というべきか…」

「…或いは歴史のうねり、でしょうか? 確かにこうして一連の出来事を見るとそういった物を覚えますね」

 

 魔法使いという神秘に関わる故に、そう言った運命などの超常的な物事の変化と進みを否定せず、肯定的に受け止め、考え込むかのようにして二人は言った。

 神多羅木も頷く。

 

「……22年前、俺達はまだ若く、世情など碌に知らなかったが、思い返してみれば確かに今のような雰囲気が在ったな」

「ああ、そう言われてみれば、そうかも知れない。今はまだそこまででは無いだろうけど、あの当時もこうしてピリピリとした張りつめたものが在ったように思えるよ」

 

 弐集院が神多羅木の言葉に同意した。

 まだ二十歳前後だったあの頃、ほとんど何も知らない青二才で麻帆良の運営に携わる事も無かった未熟な自分達。

 それでも魔法世界で戦争に成り、それに協会も関わるかも知れない。西も巻き込まれるかも知れないという話を耳にし、当時自分達の上役だった魔法関係者たちと同様、若かった二人も緊張したものだった。

 明石もその二人と同じだからか、その当時の事を思い返しながら頷いており、葛葉はより複雑そうな顔をしていた。彼女はまだ十代そこそこという幼い時分に、本国の陰謀に屈した西の意向で戦場を渡り歩くことになったからだ。

 そんなベテランたちを若手の瀬流彦は黙って見つめ、彼等の放つその当時の匂いというべき気配の残滓に思いを馳せた。

 

「……これから、またそういった厳しい困難な事態が訪れるのかも知れないな」

 

 明石は当時の事を―――そして、十年前に亡くなった妻の事を想い……そう独り呟いた。

 出来れば、何も失う事など無く、此処に居る同僚たちや高音たちのような見習い達と、麻帆良の人々が無事に平穏に過ごせることを祈りながら……。

 

 

 そうして程無くしてこの夜の会議は、張りつめた空気を持ったまま解散に向かった。

 麻帆良に現れた白い少女の情報を見直し、討議する筈であった集まりは、元より彼女に対する疑惑が少なかった事もあって一応無難な収まりを見せたが、その過程で麻帆良を……日本の裏を守らんとする彼等は、来るべき危険への警戒と認識を強め、大きなうねりを見せる現状を理解する事と成った。

 

 そのうねりを―――重なった偶然と必然、あるいは因果と運命ともいうべきものに漫然とした不安と覚えつつも、それを打ち伏すべく、固く意を決して、

 

「これからも互いに頑張ろう」

 

 と、短くも普段通りの言葉で、その集まりの末でそう音頭を取り、ジョッキやグラスを掲げて皆で乾杯を交わした。

 

 




 魔法先生達がイリヤへの印象を語り、同時に原作よりも早くフェイト達の動きに警戒を抱きました。
 第7話の時点でそうだったんですが、逸早いこの警戒の高まりがバタフライ的に後々に影響していきます。



 忘れていた捕捉を少し追記。
 刀子さんですが、原作では魔法世界に行った事が無いとされていますが、本作では大戦に参加しており、魔法世界に行った事があります。
 大戦時の年齢は12~14歳ぐらいとしています。
 ちなみに弐集院、神羅多木は明石教授と同年代で彼等も大戦に参加したと設定しています。


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余話その1―――ひなたの地にて

向こうでは余り評判が良くなかった木乃香がメインの話です。


 神奈川県内を通る高速自動車道。

 そこを白亜に塗装された一台の高級車…所謂、リムジンが前後を黒塗りの車に挟まれ、警護を受けて走っていた。

 周囲を走る車両に対して近付け難い雰囲気放つそんな“いかにもな(カタギではなさそうな)”自動車を自家用とし、黒塗りの車を警護に付けている家の令嬢―――近衛 木乃香は、振動を全く感じさせず、余裕を持った広くゆったりとした作りの車内から、流れる外の風景を窓越しに見詰め……今自分が此処にこうしている事の始まりを思い返していた。

 

 

 

 十日前…5月6日に於いて、エヴァから聞かされた己とその血が抱える背景(じじょう)に、大事な幼馴染が秘めていた傷とその在るかも知れない行き先(みらい)

 

 木乃香は始め、教えられた自分が背負うべき事実に対し、困惑と共に怖気づき、否応無く押し寄せるであろう“業”に体を震わせ、拒絶しようとした。

 しかし、大事な……とても大切な幼馴染が胸の内に隠したモノを。そしてそのモノがもたらす理不尽により、その大切な友人が自分から離れ、仲を引き裂かれる現実も知って木乃香は拒絶しようとした自身に課せられた“業”へ立ち向かう意思を固めた。

 

 そう―――大切な者を守り、今在る幸福と未来に続くであろう幸せを失わない為に。西の青山と東の近衛の血を併せ持って生まれた木乃香は決意したのだ。

 

 その夜、木乃香は刹那と話をしてその旨を告げた。

 

 ―――己の進むべき道を。抱いた覚悟と決意を。

 

 それを聞いた刹那は泣いた。自分の為に大事な友達が…己が命よりも大切な人が、万難が立ち阻む険しい道を歩むことに、辛く悲しくも……―――それ以上に嬉しかったから。

 

 翌日。

 意志を固めた木乃香は授業を終えた放課後、刹那を伴って祖父が居る学園長室を訪れた。

 近右衛門に呼び出されていたという事もあったが、そこで彼女は魔法社会へと関わる決意を表明した。

 

「今も正直、青山やとか近衛やとかそーゆーのは判らんし、実感も無い。けどそれがウチに課せられるモノで、せっちゃんとずっと一緒に居られる為にどうしても乗り越えて行かなあかん事やってゆうなら―――ウチはそれに立ち向かう! どれだけ大変な事で、どんなに辛い事があっても絶対に負けんへん! 戦って打ち勝って見せるえ!!」

 

 それが十五にも成ったばかり少女の、身に課せられた重い現実に対して出した精一杯の答えだった。

 祖父は、そんなまだ幼いと言える孫娘の宣言をどう受け止めたのか、表情を変えずに木乃香の姿をジッとただ見据え、静かに頷いてその言葉を受け入れた様だった。

 その祖父の心中は如何なるものだったのか。それを量るのも察するのも今の木乃香には無理だった。

 当然、その場に居た刹那にも判らなかった。尤も幼馴染の彼女は、大切なお嬢様が勿体無くも自分の為に決意された事を改めて聞いて、押し寄せる情動の波に耐えるのに必死で、近右衛門の心中どころかその顔を窺う余裕さえなかったのだが。

 

 木乃香と近右衛門の対面に居合わせたのは刹那だけでは無かった。

 木乃香と刹那と同じく女子中等部の制服を着ながらも、初等部の生徒と変わらない背格好を持つ金髪碧眼の少女―――エヴァンジェリン・A・K・マグダウェルもその場に居た。

 彼女も近右衛門同様、ただ黙ったままで木乃香を見詰めてはいたが、その孫娘とは違い近右衛門の心中をある程度は察していた。

 恐らくは、平穏とは程遠い人生を歩ませることに苦い思いを覚え、それでも孫の決意に水を指さぬ為、表情に出さず耐えているのだろう。

 とはいえ、口にするのも野暮であろうから言う積りは無いし、ジジイに同情する気は毛頭無かった。木乃香そのものに対しては同情の念も在るし、その歩む道程を応援する気持ちや、報われる物であるように祈る思いは少なからずあったが、

 

「フン…昨日はあれだけ、それこそ今にでも泣き出さんばかりの情けないツラを見せていたのだから、てっきり怖気づいてそのまま諦めるだろうと思っていたが―――まあ、良い。お前の意思は判った」

 

 口を開けば内心での思いを欠片ほども見せる事無く、エヴァは鼻で笑いながらそう言った。

 もしここに茶々丸がいればそんな彼女に即座に突っ込みを入れ、色々と…彼女の尊厳が台無しになったであろうが、幸いな事に珍しくもその忠実である筈の従者の姿は今この場には無かった。

 

「……では、すっかりと落ち着いたようだし、早速だが、昨日の続きとするか」

 

 エヴァは先の言葉に続けてそう言い。木乃香は首を微かに傾げるが、あっ…と声を上げる。

 

「もしかしてイリヤちゃんの事…?」

「ああ」

 

 木乃香の問い掛けにエヴァは頷き。近右衛門も僅かに唸るように、うむ…と鷹揚に頷く。

 

「ウチが魔法に関わる事がイリヤちゃんにも何か影響が在る…みたいなことをゆうとったけど」

「…刹那に比べれば些細なものだがな」

「しかし、その事情はかなり複雑だがのう」

「…?」

 

 続けて問う木乃香に、エヴァと近右衛門は互いに矛盾するような事を言い。彼女の首の傾きが大きくなる。

 そんな怪訝そうな木乃香に構わず、エヴァはイリヤのその複雑だという事情の説明を始めた。近右衛門は余り乗り気では無さそうではあったが、やむなしと判断してエヴァの説明に加わった。

 

 並行世界。魔術と“魔法”。魔術師。アインツベルン。聖杯と英霊。聖杯戦争。この世すべて悪(アンリマユ)。そして―――その世界での去る結末と今に至る事情。

 

 エヴァと祖父の話を聞いた木乃香は、その余りに濃厚な内容に緊張からか喉の渇きを覚え、知らず内に喉を鳴らしていた。

 魔法という超常的な…非日常的なものを受け入れたにも拘らず、それでも信じ難い話であったが、話す二人の表情と文字通り鋭さを感じさせる真剣な言葉と語りを聞き。木乃香はそれが本当の事なのだと実感に近い思いを抱いた。

 異世界人で人々の為の在らんとする“魔法使い”とは違う、己が目的をただ求めんと如何な手段も取る冷徹な“魔術師”。

 それも千年もの歴史を誇る由緒ある家系。聖杯戦争と呼ばれる殺し合いの結果、この世界に跳ばされて自分の母親の姿をした呪いと対峙する事に成った少女……いや、年上の女性だろうか?

 

「それがイリヤさんの…秘密。あの振る舞いや圧倒的な戦力の訳……なるほど、それなら合点が行く」

 

 刹那が零した言葉が木乃香の耳に入った。

 どうも幼馴染の彼女は、ただ圧倒されて驚愕に囚われ、思考が停止していた自分と違い、アレコレと考えていたらしい。

 そこで木乃香の思考も動きだしたのか、頭に疑問が浮かび上がった。

 

「どうして、そんな話をウチに? それにこんな大事なこと…イリヤちゃんは了解しとるん?」

「イリヤの了承は得ている。アイツは気が進まないようで渋ったが―――」

 

 疑問にエヴァが答える。

 

「―――それでも、お前には知って貰っておいた方が良いと考えてな。納得して貰った」

「うむ。先程説明した通りイリヤ君の真実を知る者は、ワシとエヴァを含めてタカミチの他、あとは西に居る婿殿を合わせての四人…いや、茶々丸を含めて5人だけじゃ」

「うん、イリヤちゃんの本当の事が知られたら、大変なことになるかも知れへんから、秘密にしてるんやよね?」

「ああ、特に厄介なのは、聖杯関連に纏わることだが……あのカードの事もな」

「高度な触媒や複雑な儀式と術式を必要とせず、英雄と呼ばれる伝説上の人物の力を何の労も制約も無く得られる魔法具……確かに恐ろしくもありますが、それ以上に魅力的でしょうね」

 

 異なる世界から来訪した事実。その異世界の“魔術”と呼ばれる異端の魔法技術を有する事。聖杯戦争などと呼ばれる万能の釜を作り出す儀式。英霊を己の身に宿して最強クラスの力を得られる破格の魔法具。

 これ等の事柄は興味深く非常に魅力的で、多くの者の注目を集めるに十二分に価する物だ。良い意味以上に悪い意味で。

 だからこそ、木乃香には判らない……いや、世間に疎い自分でも判る。秘密は知る人間が少ない方が、誰かに知られる可能性が低いことぐらいは……。

 木乃香の脳裏に浮かんだその疑問に答える為と言うか、さっきそれを尋ねた事もあってエヴァがその訳を説明する。

 

「これらの事情を話したのは、お前が此方に関わる決断をした事が何よりの理由だ」

「それって…?」

「ウム、単刀直入に言えば、木乃香…お前にはイリヤの本当の意味で味方になって貰いたい」

 

 そうエヴァに告げられたものの木乃香には今一ピンと来ず、頭を悩ませるばかりだったが、直ぐにエヴァは言葉を続けて詳しい説明に入った。

 

「アイツは正確な素性が表に出せない上、外来の人間という事もあってその立場は色々と微妙だ。一応、先日開示したカバーストーリーのお蔭で多少改善に向かってはいるが、それも此処に居るジジイの庇護……つまり後ろ盾が在っての事だ」

 

 エヴァは近右衛門の方へチラリと視線を一瞬向け、

 

「その為、イリヤには、魔法(こちら)に関わりながらも、力に成ってやれるヤツが身近に付いてやる必要があるんだ。色んな意味でな」

「うむ、ワシは立ち場が立場じゃし、身近に付いてやることは出来ん。そう言った意味では木乃香は適任じゃろうからな」

 

 大きく首肯しながら近右衛門がエヴァの言葉に続いた。

 木乃香は、そのエヴァと祖父の意味深な言葉に、「なるほど…」と半ば直感的に理解した。

 未だ自分の立場を正確に把握してはいないが、自分が魔法社会に於いてとても重要な人物である事は判っている。つまり木乃香の行動や発言は協会の人間達には無視出来ないものなのだ。

 そんな自分があやふやな立ち位置にあるイリヤと親交を深め、上手く立ち回れば、周囲が懐く警戒を薄れさせ、不審の眼からも庇い守れる―――という事なのだろう。

 早い話、近右衛門同様にイリヤの後ろ盾に成るという事でもあるのだが、学園長と違うのは理事やら上司などという圧力を麻帆良の魔法関係者に覚えさせずに済む事や、木乃香自身の人徳……というかその愛嬌(そとづら)の良さがそれに代わる武器になる事だ。

 そして何よりも友人、友達という身近な位置でイリヤに直接的なフォローも行なえる事が大きい。

 

「つまりイリヤちゃんの傍でおかしく思う人がおったら嗜めてぇ、変だって思われることが起こっても怪しまれんように助けに成れってことやね」

「まあ……そういう事だな」

 

 エヴァは本当に理解しているのかと、疑わずにいられない感じの木乃香の返事を聞いたが、表情が真剣な事もあり、理解したものと判断して首肯した。

 

「それに加えまだ、理由はあるがな」

「……」

 

 続けて言うエヴァに近右衛門は黙したまま若干表情を渋めた。その老人の顔を見るにこれからエヴァが語る事は本当に気が進まない事のようだった。

 

「このジジイに何かあった時の事だ」

「え、爺ちゃんに…?」

「余り想像は出来んが、見ての通りこのジジイはジジイというだけあって歳だからな、何時どうなるかは全く判らん。ある日、突然ポックリと逝く可能性は否定出来ん」

「……」

 

 一切遠慮の無いエヴァの言葉に近右衛門は益々表情を渋める。エヴァはそんな事なぞお構いなしに話を続ける。

 

「それ以外にも、不測の事態というのはあるだろう」

「…京都の事件で西の長がやられたようにですか?」

 

 東の長である学園長への不測の事態という言葉に、西の長である自分の師が敗北した事実を思い出したのか、刹那がそう尋ねていた。

 

「そうだな。幸いにもあの事件の方は解呪可能な石化程度で済んだが、今後もその程度で済む保証は無い。永久石化……を受けるかも知れんし、動く事すらままならない怪我を負うかも知れん……死ぬこともな」

 

 脅威が明確に成った以上、その可能性は決して低くはない。

 あの“完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)”が関わり、そして黒化英霊も居るのだ。いざ襲撃が在るとすれば、エヴァやタカミチだけでなく。状況次第ではあるが、麻帆良のトップ…云わば司令官である筈の近右衛門も前線に赴き、それらに対処する必要が出て来るだろう。

 

 ―――そう、本当に死を迎える可能性は低くないのだ。

 

 それに近右衛門はある覚悟を抱いている。“完全なる世界”と対峙し、麻帆良が戦場と化し、多大な犠牲者が出る成くらいならば、“己一人”だけで全て済ませる…と。

 その近右衛門の秘めたる覚悟を知るのはエヴァだけだ。

 

 だがその結果、近右衛門が倒れた場合どうなるか?

 

「言うまでも無く、麻帆良及び関東魔法協会は混乱に陥るだろう。襲撃してきた敵はこちらとの交戦で損害を受け、引き下がる……或いは、上手く殲滅できるかもしれん…が、その隙を本国の連中は決して逃すまい。色々と口実を作り、こちらへの介入を図る筈だ。その政治的な危機を回避する為にも木乃香…お前には麻帆良のトップに立って貰わなくてはいけなくなる」

「え…?」

「しかし…それは!?」

 

 エヴァの唐突な―――木乃香が協会の代表を務めるなどという言葉に呆然とする本人と、驚き口を挟んでしまう刹那。

 

「安心しろ何の実績も経験も無い小娘だけに任せるという話じゃない。あくまで次期代表候補とした暫定的なものだ。木乃香の立場が確固たるものに成るまでは、実質運営を行うのはタカミチに成る」

「ですが…」

 

 フォローするように言うエヴァにそれでも納得し難いのか、刹那は顔を顰めたままだ。

 

「気持ちは判る。組織のトップが曖昧に成りかねず、指揮系統にも影響が出掛けないからな。それならタカミチ一人に任せた方が……と思うだろうが、それでは立場が弱いんだ。アイツ自身は元々麻帆良……関東魔法協会の人間ではないし、魔法使いとして先天的に致命的な欠陥(デメリット)を持っている。一応“赤き翼(アラルブラ)”の一員であるという大きな肩書きを持つが、それは外では有効だが。東と西…日本全体の内側では些か“弱い”。ならばより適任な他の人間ならば…とも思うだろうが、実力と実績に優れた信用のおける人間はタカミチの他に居ないんだ……いや、居る事には居るのだが―――」

 

 と。そこでエヴァは言葉を切り。ふう、と溜息を零して近右衛門がそれを引き継ぐ。

 

「その者は、何というか自由奔放過ぎてのう。協会のような大きな組織のトップには向いておらんのじゃ。……まったくそれさえなければ、何の問題も無かったのじゃが……信頼も出来るし、政治的な手腕も確かじゃし…」

 

 近右衛門は惜しむかのようにそう言い。エヴァも同意するように軽く溜息と吐き、再度口を開いた。

 

「まあ、それは兎も角、そういう理由もあって木乃香には、タカミチとは別に象徴的な意味で奴の上でトップに立って貰わねばならん。その上でジジイに代わってイリヤの後ろ盾に成って貰う為にも、アイツの抱える正確な事情を知って置く必要があった」

 

 その説明を聞いても刹那の表情は晴れなかった。

 木乃香が経験を浅いまま、(まつりごと)に…それも協会のトップとして関わる事への不安もあったが―――

 

「大丈夫だ、ソレが起こってもお前の立場は当面予定通りと成る筈だ」

 

 それを見透かしたかのようにエヴァが言った。

 それに「あ…」と声を零し、僅かに刹那は恐縮してしまう。言外で指摘された通り、自分が木乃香の護衛から外される事への恐怖が大きかったからだ。

 そんな刹那にエヴァはフッと不敵に笑うが、直ぐに木乃香に視線を戻して不機嫌そうに先程の続きを話す。

 

「お前やタカミチ…そして件のあの婆さん以外でトップに立てそうな奴は今一信用できんからな。一応善人なんだろうが……素性を教えるには不安であるし、教えなかったらなかったで碌に考えもせず、イリヤを本国に売り渡しかねん。あの明石 裕奈の父親か弐集院とかいう太っちょにもう少し経験と実績が在れば、また話は変わって来るんだが」

 

 何処となく憤りさえ感じさせる言いようだった。

 

「……そういうな。あ奴はあ奴なりに協会の事を真剣に思い尽くして―――」

「ハッ、そういう奴こそ一番性質が悪いんだ。自分を正しいと信じ、間違っているとは思わない。あの頭の中には脳ミソの代わりにコチコチに硬い石でも詰まっているんだろうよ」

 

 部下という事もあり、近右衛門は一応庇おうとするが、エヴァ鼻で笑って吐き捨てる。

 

「だからお前も麻帆良から離したんだろ。“彼の御方”の下への栄転という事にして、近衛の本家に面倒を押し付けてまで」

「…………」

 

 図星を指された為か、思わず近右衛門は黙り込んだが、数秒程の間を持って再び口を開いた。

 

「栄転である事は間違ってはおらん。何しろ“彼の御方達”のお傍に仕えるのじゃからな。それにあ奴の実直な性格を思えば、あちらでの任務が向いているのも確かじゃ」

 

 そう淡々と言う近右衛門にエヴァはフン…と鼻を鳴らした。言い訳がましく思ったのだろう。

 木乃香には、そのやり取りの意味は良く判らなかったが、自分と元担任である高畑先生以外に頼りになる人物がいない事だけは理解した。

 その事実に不安も芽生え……20年前の戦争が原因で麻帆良…いや、協会の人員―――人材が不足しているらしいという言葉を思い出し、その影響なのだろうかと漫然に思い。その不安を大きくさせたが、今更泣き言は言えないと胸中に過った不安を、首を振るようにして追い出そうとした。

 その仕草に気付いた近右衛門は、木乃香の心情を察して安心させるように言う。

 

「ま、これは万が一のことじゃ、それに今すぐ如何こうという話でも無いしのう」

「だが、何時どうなるか判らないのも確かだ。備えておく必要はあるだろう」

 

 穏やかに笑みを向けてくる近右衛門の言葉を楽観的だと感じたのか、エヴァが口を挟み。近右衛門は微かに唸りながらも「分かっておる」と言い。木乃香が表舞台に立つ以上、機会が在れば経験を積ませる、とも彼は言った。

 そうして、エヴァと近右衛門に向けられる視線に、木乃香はイリヤの事も含めて了解するように無言で頷いた。

 

「……………」

 

 ただ、そう無言のまま言葉を口に出せなかったのは、やはりこれからの―――見えない未来に対して芽生えた不安を振り払い切れなかった為だった。

 覚悟を決めたとはいえ、そのような精神的な未熟さは一朝一夕でどうにかなる物でないという事だ。

 

 その後、刹那だけが席を外すように言われ、祖父は更にとんでもない事実を告げた。

 

「イリヤ君の事情を話し、ワシの身に何かあった事思えば……この事も話して置くべきじゃろうな―――」

 

 そのように口火を切って自分のみならず、エヴァも驚く事実が開かされた。

 この麻帆良で出来、長い付き合いと成っている親友が持つ大きな…そう、途方も無く大きな秘密が語られたのである。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 木乃香は半ば物思いに耽りながら走行中の車内から外を見詰めていると、深緑の木々で遮られていた風景が唐突に途切れ、代わって空の青さをユラユラと波打つ水面に映す大海が彼女の視界一面に広がった。

 

「もう直に到着します」

 

 そう木乃香に告げたのは同乗した白髪の女性……刹那と同じ麻帆良でも珍しい神鳴流の使い手である葛葉 刀子だ。

 木乃香は、この男子生徒から人気のある美人教師と刹那が親しい事は、その幼馴染と和解する以前から知っていた。

 あの当時…刹那が麻帆良へ来た頃。木乃香は大事な幼馴染である彼女と何とか昔のような関係に戻りたくて、それとなく刹那の行動や麻帆良での交友関係を調べていたのだ。

 剣道部に所属している事は当然として、ルームメイトである真名の他、クラスメイトの中でも長瀬 楓や古 菲と比較的親しいらしい事、そして真名と時折一緒に麻帆良の外へ出掛けている事も知っていた。

 とはいえ結局、それら分かった事をこれといって活かす機会は得られず、京都の一件を経てようやく和解したのだが……まさか学内でも有名な美人教師である葛葉が魔法使いの一員であり、刹那と同じ神鳴流の剣士であり、麻帆良で師の真似事をしている等とは思ってもみなかった。

 しかし、彼女と同じ教師達の上司である祖父が魔法使いなのだ。そう考えるとそうおかしな事では無く。今では学園が魔法使い達の手によって運営されている事を含めて葛葉の事も納得していた。

 

 そして、木乃香は―――祖父からもだが―――今ここに居る彼女の指導を受けて魔法と呪術を学んでいる。

 事前に行なわれた適性検査によれば、自分は祖父と同様、西洋の魔法と東洋の呪術、その両方に高い資質が在るとの事だった。とはいえ、どちらかと言えば呪術寄りである為、今の所は学習効率も考えて基礎以外はそちらを学ぶことに重点を置いている。

 葛葉は剣士という事もあって、刹那と同じく呪術は補助程度にしか身に付けていないが、その技術は兎も角、知識の方は豊富で高位の呪術師にも引けを取らないものらしい。それに剣士……つまり前衛を担う視点からでの意見や実戦に裏打ちされた指導は中々に為になる物だ……と、これは葛葉の同僚であるタカミチや神多羅木が言った言葉だが、木乃香は素直にそれを受け取って葛葉から意欲的に呪術を学んでいた。

 

 

「お嬢様。今一度確認しますが、此度の交渉は私と弐集院さんが全面的に担当します。木乃香お嬢様は―――」

「うん、わかっとるよ。ウチは座っておるだけでええんやよね。で、もし話しかけられても愛想良く適当に応じればええ…と」

「はい。幸い此度の席で前面に立たれる御方は話の分かる御人ですから、そうおかしなことは無いと思いますが……」

「同席する周りの人間が、どうするか判らんってことやよね」

「…はい」

 

 葛葉は木乃香の言葉にやや厳しい表情で頷く。

 出来れば木乃香こと―――“大事”なお嬢様に不安を与えたくは無いのだが、楽観的に交渉の席に望んで痛い目にあって欲しくも無かった。

 それでも不安だけを与えたくは無く、安心させるために次の言葉を続けた。

 

「勿論、私と弐集院さんもフォローは致します。おそらく向こうの代表もこちらの意図を汲んでくれるでしょう」

 

 そう、今回の交渉は半ば出来レースのようなものなのだ。

 水面下で行われた根回しや非公式で行われた事前協議などで既に話は纏まっており、木乃香が東に属する立場にある複雑な事情も汲んでくれる筈なのだ。

 また交渉の方も既に最終的な詰めにまで進んでいた。あとは最終的な確認と合意ぐらいである。

 しかし合意にまでは至らない、と交渉に参加する葛葉と弐集院はもとより、東西共にその上層部は見ていた。

 せいぜい確認を重ねた確認程度と叛意を持つ者達への牽制という意味合いで終わるだろう。合意は今回の“交渉を行なった”、“友好的に進んだ”という“事実”から周囲が示す反応を見てから成る。

 その為の“木乃香(お姫様)”の同席であり、そうまで慎重に成らなければいけないほど西の情勢は不安定なのだ。

 

(初舞台としては優しい方だとは思うが……それでも厳しく思わざるを得ない。…これが良き経験に成ってくれれば良いが……そうするのも私達の仕事か)

 

 葛葉は、いつもの朗らかな笑顔を顔に浮かべながらも緊張を滲み出している木乃香を見てそう思い。

 

(刹那にもこちらに同乗して貰うべきだったか?)

 

 とも思い、後方の黒塗りの車両に視線を送った。その車内にはお嬢様の大事な親友であり、葛葉にとっても大事に思える剣の後輩が乗っている。

 専属の護衛であり、親友である刹那が別に成ったのは例の厄介な事情の所為だ。

 葛葉はそんな差別意識の持ち主ではないが、向かう先で刹那が木乃香の傍に居る所を余り目に触れさせたくない、と上は判断したのだ。出来れば今回の同行も避けるべきだという意見もあったが、それは木乃香の精神衛生が考慮されて却下された。或いは学園長の意向……孫娘を想っての妥協の結果かも知れない。

 だが、こう離れていては今一つ中途半端な気がしないでもないが…

 

(…いや、それでもマシな方だ。お嬢様は緊張こそされているが、その精神状態は十分安定しているのだから……)

 

 心配し過ぎだな、と僅かに反省し、葛葉は一時間もしない内に始まる交渉へと意識を向け、脳内で手筈の確認をもう一度行ないつつ、自分もまた傍に居られない刹那に代わってお嬢様を安心させる為、木乃香との会話を続けた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 高速を降りた車両の一団はその都市へ入った。

 太平洋側に面したその都市は、日本や国外では名を知られた温泉街や観光地であり、また魔法を知る人間ならば霊地としてもその名を知り、高い価値をその土地に見出していた。

 無論、麻帆良や京都などに及ぶものでは無く。霊的城塞として築かれた江戸…もとい東京にもある側面からでは及ばないのだが。

 

 車両はその霊地の中心である山沿いに在る温泉街の方へ向かい、まるで山の頂上まで伸びるかのように高く長く伸びた石造りの階段の前で止まった。

 護衛についている人間の一人が車のドアを開け、葛葉が先に降りて護衛の警戒に加わる。木乃香も彼女に続いて車内から出る。途端、柔らかい風を感じ、その流れる空気に不思議と郷愁にも似た懐かしい雰囲気を覚えた。

 車に掛けられていた護法に遮られ、今まで感じられなかったソレ―――優しくも清浄な…心が洗われるような不可思議な気配。

 魔法を知り、学んだ為だろうか、木乃香はこの土地が霊地であるという意味を確かな感覚として実感していた。

 麻帆良でも似た感覚を感じるようには成っていた。お蔭で霊地としての格が麻帆良よりも低いのも判る……けれど、此処は麻帆良とはまた違う、心をより温かくさせ、洗う力に満ちているように木乃香は思えた。

 

 ―――ひなた…或いは日向。

 

 それがこの土地の名称だ。

 その名が脳裏に浮かび木乃香は、なるほどと思った。確かにその通り、此処は日向のような暖かさと心を穏やかにさせる柔らかな雰囲気―――霊気もしくは神気と呼ばれるモノがそのような優しいカタチとなって満ちている。

 

「うん、ほんま日向ってゆう感じやわ」

 

 そうであるからその名が付いたのか、それともその名が付いてそのような土地に成ったのかまでは判らないが、この地に相応しい名称だ。

 そんな事を考えながら木乃香は周囲を観察するように見回し、自分を警護する黒服の男性たちに混じって彼等と同じく辺りを警戒している女子中等部の制服を着る少女を確認した。

 

「せ―――っ…!」

 

 一瞬、視線が合って何時ものように声を掛けそうになったが―――寸前で堪えた。

 今の自分の立場は交渉に赴くVIPで、制服の少女こと刹那はその護衛の一人に過ぎない。それは事前に注意されていた事だ……木乃香にとっては不愉快この上ない話だったが、今の自分の“力”ではそれを受け入れるしかない。

 しかし、それでも…そう、そこに居て、ほんの少し眼が合っただけで木乃香は身を包む緊張が和らいだ気がした。刹那が目で「お嬢様。頑張ってください」と応援してくれているのが判ったからだ。

 

「それじゃあ、行こうか」

 

 気が付くと前を走っていた車に乗っていた弐集院が傍に来ており、にこやかに皆にそう言うと長く伸びた階段の先へ視線を向けた。

 

 

 

 

 

 

 警護の凡そ半分を車両の方へ残して、もう半分ほど…刹那を含めた四人を率いて木乃香、葛葉、弐集院の三名は階段を上り、目的の建物の前へ赴いた。

 そこで目にしたのは、3階建ての古めかしい木造の建築物だった。

 その建物はこの土地と同様、不可思議な暖かさを感じさせる…何処となく懐古的な郷愁を誘う外観を持っていた。ただ―――

 

「……旅館やよね」

 

 と。交渉の場と聞いていたその建物の意外な外見に木乃香はそう呟いていた。小さな声であったが辺りが梢のさえずり以外に音が無かった事もあり、聞こえたらしく葛葉がそれに答える。

 

「はい。この建物は確かに旅館でしたが―――…!? お下がりをッ!!」

 

 言葉の途中―――突然、眼が鋭くなり、木乃香を庇うように葛葉は前へ出て、何時でも太刀を抜き打てるように構えを取り。弐集院もその体格から似合わぬ素早さで葛葉同様に木乃香の前に立ち、杖を抜いた。その直後―――

 

「―――ええ、今は旅館では無く女子寮と成っています」

「え…?」

「「「―――!?」」」

 

 声に気付くと、自分達の前方…葛葉の直ぐ眼の前に女性の姿が在り、木乃香は唖然とした声を漏らし、その他の護衛達は驚きで一瞬固まる。刹那もだ。どうやら彼女を含めた警護の者は、女性の接近に気付かなかったらしい。

 本当に何時から木乃香達の前に居たのか、その女性―――エヴァの私服と似たようなゴスロリ風の衣服に身を包んだ二十歳前後と思われる彼女は、長い黒髪を揺らしながら丁寧なお辞儀をして、

 

「私は浦島家次期当主の浦島 加奈子と申します―――ようこそ、ひなた壮へ。歓迎致します麻帆良の御一行様」

 

 そう名乗り一同に向けて挨拶した。

 葛葉の鋭い剣気と弐集院の視線を受けながらも一切動じることなく平然とし。無表情でなまじ整っている為か、人形めいた印象を与える美貌を向け、赤い色の眼で皆を見詰めて。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「先方は既に到着し、大広間の方で皆様をお待ちしております」

 

 気配を一切感じさせず現われた浦島家次期当主なる可奈子という女性は挨拶の後にそう言い。木乃香達を旅館…ではなく、女子寮だという古めかしい建物の中へ誘って西の人間達が待つ大広間へと案内した。

 その途中、こちらの護衛にも似た雰囲気を持つグレーのスーツに身を包んだ男性たちの姿を見掛け、それが西の護衛だと理解した木乃香達は一礼すると、そこで自分達も護衛である刹那と黒服たちと別れた。

 

 大広間には四人の人間の姿が在った。

 近右衛門と同年代と思しき老人一人に、中年の男性が二人に20代半ば程の若者が一人。

 先程見掛けた護衛と違い皆和風の出で立ちで、修学旅行で帰省した時に見たお父様と似た姿やなぁ…と木乃香は思い。あんな時代劇に出て来る貴族みたいな恰好で街ん中におったらスゴク浮くんやろうなぁ、とも考えた。

 かくいう此方も、普段通りの恰好である葛葉と弐集院はともかく。木乃香は以前起きたお見合い騒動での豪奢な着物と同じ物を着込んでおり、顔も薄く化粧が施され、髪も合わせて飾っていたりする。

 その持前の容姿も相俟ってまさにお姫様と言っても過言でない姿だが、彼ら同様、街中に居たら浮く事は勿論、色々な意味で注目の視線を集めるだろう。

 ……蛇足であるが、その着飾った姿の彼女を見た時、たっぷり一分ほど放心状態に陥った護衛が一名居たり、居なかったりする。

 

 広間の中心を挟んで木乃香と西の者達は向かい合い。上座と下座が出来ないように広間の奥側の席―――上座に位置する畳の上に敷かれた座布団に可奈子が座る。

 そうして皆が席に着く間、何とも言えない静けさが漂い。

 可奈子が先ず頭を下げると、続いて西と東の面々が互いに挨拶するかのように頭を下げて一礼した。

 

「この度は、この重要な会談に当家のこの……寮を御利用して頂け、まことに感謝致します。また多忙な現当主に代わって、不肖たるわたくしの見届け役を心深く御了承して下さったことも同様に感謝致します」

 

 そう誠実に聞こえ、そうでないような…無表情且つ感情の籠っていない言葉を可奈子は告げて―――交渉が始まった。

 

 

 ―――とは言うものの、既に内実は決まっている為、本当に確認だけの作業に近く。意見を交換し協議や討論するにしても事前の既定(シナリオ)に沿ったものであり、関係者に公開する議事録(アリバイ)を作成する為でしかなかった。

 彼等の話す言葉は、見届け役と成った可奈子の左右に広げられた巻物(スクロール)が自動に―――誰も手を触れていないにも関わらず、筆も無いのに墨で書かれたかのような達筆な黒い文字が浮かび記録して行く。コレを元に議事録が作成されるのだ。勿論、この巻物自体も後の資料として保管される。

 今回の交渉内容は、改善の一歩として情報の共有化と公式の伝達網の確立と整備に加え、特使の常駐案及びそれらに関する条件・条項の締結である。

 尤も先述のように合意は、この交渉の後の更なる交渉を経て成される予定なのだが……。

 

「ま、こんなところじゃろう」

 

 と。今回西を代表している老人が唐突にそう言った。

 それはこの出来レース的な交渉が終了したことを意味しており、それに葛葉と弐集院は同意の頷きを示し、西の他の面々も首を静かに首肯する。記録用の巻物もその機能を停止させた。

 木乃香はそれら終わりを告げる言葉と皆の様子を見て、身体を弛緩させるようにホッと溜息を吐いた。時折話を振られ、意見などを求められたもののコレと言った物は無く。危惧していたような事も無かった。

 どうやら西はこちらに……というよりも自分に相当配慮したらしい、と気遣わしげな視線が時折向けられたのを感じた事もあり、木乃香は漫然とそう思った。

 

「しかし、上手く行くとは限らんじゃろうな」

 

 老人は呟くように続けて言い。他の三人も溜息を吐くようにして「はい」「ですね」「まったくだ」と応じた。

 それに木乃香は首を傾げ、葛葉と弐集院も訝しげな…されど、やはりといった表情を見せる。

 

「やはり、そちらは反対する意見が多いですか」

 

 余り疑問を含んでいない葛葉の確信の籠った言葉。

 

「うむ、葛葉君は此方の出だったから実感的だろうが……今、君が思っているのとは別の事情が絡んでおる」

「?…それは一体」

 

 老人の言葉に今度は弐集院が尋ねた。

 

「知っておるじゃろう。先の事件の際、我らが長殿が敗れたのを…」

「ッ…なるほど、責任を追及する声が在るという事ですか」

「そうだ。主戦力の大部分を京都から動かした事も含めてな」

 

 弐集院が納得したかのように言うと、中年男性の片方がそれに答えた。

 

「奴らの主張よると、自分達や主力の者達が居れば本山が危機に陥る事も、長が敗れようとも大事は無かった。東の助けなど必要なかった、との事だ」

「呆れたものだよ。彼等は自分達が騒動の種に成りかねないという自覚が全くないようだ。事件の後もそうだが、取り逃がす事になったのは先走ったアイツらが無様にも、敵の囮に引っ掛かった為だというのに」

「ええ、彼等の混乱した情報のお蔭でまんまと攪乱された挙句、救援に人を割く必要に成りましたからね。アレが無ければ包囲に穴が開く事も無かった。…まあ、開かなかったら開かなかったで、その時は敵も別の手を打ったでしょうが」

 

 続けてもう一人の中年男性と若者が口を開いた。その声には現状を理解し、乗り越えようとしない輩に対する明らかな怒りと苛立ちがあった。

 本来ならば言う必要の無い、西の事情をこのように愚痴めいた形で零しているのだ。その憤りは相当なものなのだろう。

 現在の長である詠春が敗れた情報を意図的に流し、その権威を貶めようとしている事もある。今、西が揺らぐ事がこの日本の魔法社会にとってどれほど危険な事なのか、まるで分かっていない。表に出る影響もだ。

 勿論、反対派の全員がそうである訳では無いが、そう言った愚かしい者達の声の方が大きいのは事実であり、流される人間も多いのもどうしようもない現実だった。

 

 

 

「憎しみは未だ晴れず…か」

 

 思わず葛葉はそう言葉を零していた。

 かつて西に居り、幼い時分に大戦に参加していた事が在った為だろう。その厄介である筈の反対派の思いが理解できるのだ。

 あの大戦で多くの仲間が死んでいった。見知らぬ異郷の地で故郷と残した家族を思いながらも無念に果てて逝った。自分達にとって何の益も無く大義も無い、そのような戦場で…。

 そんな多くの命が失われた戦火の中で自分は―――葛葉 刀子は生き残った。

 それ故に…生き残ったが故に、彼女はそれを覚えている。無念と絶望を抱えて散って行った者達の声を……あんな場所へ送り込んだ者達―――“本国”と東に加え、西の上層部さえも恨み憎む声を……。

 また生き残った者達も同様だった。多くの者が憎悪を抱いた。葛葉も嘗てはその一人であった。

 だから東と和解し、差し迫った有事に備えること以上に、西に居る者達が怒りと憎しみを優先する気持ちが判ってしまう。しかし―――

 

「ふう…」

 

 憂鬱な感情が湧き上がり、思わず溜息が零れた。

 

 ―――しかし、そんな自分が今こうして東に居る。その事実を逝ってしまった彼等…かつての仲間が知ったらどう思うのか?

 

 葛葉は大戦の事を思い返す時、たまにそんな事を思う。

 死んだ者達はもう何も言えない、だから分かる筈も無いが…少なくとも喜びはしないだろう、とは思う。なら自分と同じくあの大戦に参加し生き残った者達はどうだったか。

 言うまでもない、自分の事を裏切り者だと罵り、怒りを向けて来た。東へ渡る際、引き留める声以上にそういった罵る声の方が多かったのだ。

 しかしだからといって後悔はしていない。顔向け出来ないとも思っていない。

 

 東に行くことに成った時の……あの想いは、確かなもので間違っていたとは思わないからだ。あの時の自分はそれ以外の選択肢を持っておらず、それに……そう、今でこそ苦い思いもあるが確かに幸せだったのだ。一人の女性(おんな)として。

 

 それに“噂”が真実であったと確信した事もある。“本国”の一部の人間が懐いた欲望によって齎された現在の状況を。修復されつつあったこの日本の裏を二つに引き裂いた謀略を。

 だからこそ葛葉は東に属する元西の人間として、また大戦に身を投じた一人として東西関係の改善に尽くそうと思った。

 それこそが陰謀を仕組んだ連中への意趣返しと成り、異郷で散った者達への供養と仇討ちになると固く信じているからだ。

 だが、葛葉のそんな決意に水を指すように、西の者は先程彼女が零した言葉に答えるように口を開いた。

 

「憎しみ…か。確かにその通りじゃ、しかしそれだけならば…のう」

「?」

 

 西の老人の言葉に葛葉は疑問の視線を投げかける。

 

「一番の問題はそれを利用せんとする者達がおる事じゃ。知っての通り、ワシを始めとした…云わば西の重鎮たちは、“本国”の仕組んだ謀略と真実を知っておる。だがその皆が皆、長を支えようと、東との関係改善に尽力しようとしている訳では無い」

「!?……それはつまり」

「うむ、現在の対立状態やこれら東や“本国”の連中へ抱く隔意的な感情を利用し、権勢を高めようとする輩も居るという事じゃ……真実を理解した上でな」

 

 葛葉の疑問に答えて漏らしたその言葉は苦み切っていた。それら不届き者に対して如何なる感情を抱いているのか葛葉には良く理解できた。

 恐らくは―――侮蔑だろう。

 西には“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”為る言葉や称号こそないが、根本的に志しているものは同じだ。

 そう、人の世を魑魅魍魎と悪鬼などの魔の手と凶事や災厄から守るという思いを胸にし、ヒトならざる力を振るうのが呪術師の役割であり、神鳴流の役目なのだ。

 だが、その本分を二の次にし、襲い来る災いを前に権力闘争に没頭するなどあっては成らない。言語道断だ。とてもではないが捨てて置けない輩だ。

 葛葉は思考が白熱するほどの怒りを覚え、歯が砕けかねない程の強い力を顎に込めた。

 大戦を生き抜き、多くの同胞の死を看取って来た彼女にして見れば、そのような輩は万死に値する存在でしかなかった。

 無念に異郷で果てた彼等を利用する行為―――まさに冒涜であり、本当の意味での裏切りだ。陰謀を巡らせた“本国”の連中と何ら変わらない……いや、同じ西の者で在る事を思えば尚更性質が悪い。

 芽生え、体の内で荒れ狂う怒り…憤怒という大きな激情(エネルギー)を抑制する為か、葛葉は無意識に首が下がって俯き加減と成り、その視線は畳の上に固定されたが、彼女の瞳には見知らぬ顔を持つ“敵”の姿が映っていた。

 

 

 そんな葛葉の姿はやや心配であったが、西の老人の話を聞いていた木乃香はやや不可思議に感じ、ついそれを口に出して尋ねていた。

 

「その“本国”…メガロメセンブリアやったけ? そこが西や東に仕掛けた陰謀って皆知らへ……知らないのですか?」

 

 それが木乃香の感じた疑問だった。

 明治から大正に掛けた諍いならいざ知らず、今現在こうして東西が決裂している原因は本国の仕掛けた陰謀が発端なのだ。ならそれを皆が知り、理解すれば互い争う事も無くなり、和解も難しくなくなるのでは? と木乃香は思うのだ。

 しかし、

 

「端的に言えば、陰謀論という形でその話自体は広まっており、殆どの者が知っておりますな。東もまた本国に嵌められた、と」

「そうですか…でしたら―――」

 

 それなら、と木乃香は一瞬楽観的な思考を巡らせたが、

 

「無理でしょう。それら広まった話は皆、噂程度という認識しかなく、信頼性も皆無に近く、東の言い逃れと捉える人間の方が多いのが実際の所なのですじゃ」

 

 そう思わぬ事を言われ、続ける言葉を失った。

 

「言い逃れ…」

「そうです木乃香様。戦後…いや、戦中から“本国”の陰謀という噂は広まっていました。しかし確証は示されず、噂のみが先行し、東……近右衛門殿も当時は公式的な見解を出せず。それが結局、陰謀論という悪質なものに落ち着かせる事と成り、気付けば言い逃れという風聞が立っていたのです」

「陰謀を裏付ける物的な証拠が無いですからね。当時は東も本国派と協会派に別れ、色々とゴタゴタしていましたから、その間隙を突かれてしまったという面もあるのでしょう」

 

 木乃香の漏らした声に中年の一人と青年が答えた。

 

 

 あの当時、“本国”は使者を西に送り出し、書簡に口頭を添えて要求を伝えた。例の「味方に加わらなければ、東及び各国に在る魔法協会と共に西を攻める」という恥知らずと言って良いほどのものを。

 当時の西の長は結果的にそれを信じたものの、仮にも組織のトップに立てた人間である。当然、無能な訳は無く、関東魔法協会を通じて厳重な抗議と交渉を呼びかける為に行動を取った。

 しかし、その東を通じて得た情報が却って西の長を懊悩とさせる事と成り、大戦の参加を決断させてしまった。

 つまり東と各国の魔法協会は本気だと、要求の拒絶を口実に関西呪術協会に戦争を吹っかけて制する気だと、そのような確証を得てしまったのである。

 

 何故そうなったのか? 東も各国の協会もそんな積もりは一切無く。また西へそうした要求がなされた事自体知らなかったにも拘らず。

 

 その原因は、当時の東の情勢…関東魔法協会が二派に別れていた事に在る。

 その頃、東は大戦への関わりを最低限の支援に留めるべきか、それとも積極的に参戦するかの、どちらを選択すべきか決断を迫られていた。

 ただ意外であると思うが、当時も長という立場に在った近右衛門は積極的な参戦を支持していた。しかしだからといって彼は本国派という訳でもなかった。古くから日本の裏を守り手として尽力してきた“近衛”の人間であり、その為に協会の自治を保ってきた家系なのだ。当然、“本国”の影響下に置かれる事を是とする訳がなく。

 あからさまに利で釣ろうとする“本国”の態度にその真意が透けて見え。近右衛門は正直呆れと共に素直に頷けないものは在ったのだが、それでも泥沼と化して一向に終結の兆しが見えない状況を打破し、戦争の早期終結を計るという観点では間違っていないと彼は考えたのだ。

 加えて言えば、敢えて積極的に協力して発言力を確保した方が―――勿論、その機を見計ってだが―――講和なり、和平なりを提言できるのでは? という狙いもあった。

 そう、あくまでも近右衛門は私情や己が利益の為では無く。世のため人のためと成る“偉大な魔法使い”の信義や理想、そして現実的な観点に基づいて戦争の早期終結を図る為に参戦を支持し、決意したのだ。

 無論、協会の利益も多少なりとも考慮してはいただろうが、それは二の次であった。

 そして協会派の消極的な面々も近右衛門の説得とその言い分に納得し、最後は頷く事に成った。

 

 だが、大戦に積極的に関わるというその決定を本国派に利用されてしまう。

 

 本国に積極的に協力するという東の姿勢を、例の脅しの確認する為に連絡を取って来た西に対して本国派は歪曲した返答を伝えたのだ。そして西の長はそれを鵜呑みにした。

 無論、西は何度も確認を行った…が、しかし“本国”及び本国派の工作によってその歪曲した情報は是正されず、また近右衛門も見事に騙され、西も自分たち同様、早期終結の為に“本国”の派兵要請に応じたものだと思い込んだ―――いや、そう吹き込まれた。

 そうして事実を知ったのは、条約の締結した後、西と東の双方が戦力を魔法界へ送り出して、暫くした時だ。

 

 その時にはもう遅かった。

 “本国”が西へ使者と共に送ったあの恥知らずな文面が書かれた書簡は“何時の間にか”紛失しており。工作に関わった東の本国派の人間も魔法界へ渡った後、消息が不明となるか、所属を協会から“本国”に“正式”に異動ないし移籍しており、法的に召還不可能と成っていたのだ。

 本国の陰謀を示す証拠と証人を西と東は失ったのである。

 その為、直後に広がり始めた噂を公式に東は認める事が出来なくなった。何を言っても“本国”に対しては言い掛かりにしかならず、悪くすれば、派兵した者達が悲惨な目に遭いかねなかったからだ。そう、戦力としてのみならず人質としても利用されたのだ。

 そして西に対しても既に“本国”の恫喝が蔓延していた上、東が積極的に協力した事実もあり、広がった陰謀論―――噂は言い逃れにしか聞こえず、しかも公的に「関東魔法協会はMM元老院の意を受け、関西呪術協会に派兵を要請し、呪術協会は善意でそれに応じた」と記された事もあって。“本国”と共に本当に西を脅したと認識され、今更嵌められた等という言い訳は通じなくなっていた。

 

 その後、東は大戦終結後に本国派を完全に排する事になんとか成功し、西の上層部の誤解も解く事は出来た。

 それは近右衛門を始めとした東の上層部が件の陰謀劇の末に一本化され。またそんな東を西の上層部が信用できると判断し、“本国”への疑惑と不審を一致させたからである。

 しかし20年経過した現在でも、互いの上層部が連携した甲斐も空しく改善は遅々として進んでいなかった。

 私欲から改善を望まぬ一派と、憎しみを拭えない者達によって。

 

 ―――しかし、近衛と青山の血を併せ持った木乃香が台頭の動きを見せた事と、壊滅したと思われた“完全なる世界”という恐るべき敵がこの国に現れた事で、停滞気味であった流れが急激に進み始めた。

 

 そう、二つの血を受けた木乃香の秘める求心力(カリスマ)と露わに成った明確な脅威(てき)の存在は、恨みと憎しみに囚われていた者達に少なくない影響を及ぼし始めたのだ。

 ただ、それを苦々しく思う勢力が在ることも事実なのだが……急激に進む流れによって、堰き止められていた状況に変化が生じつつあるのも確かな事であった。

 

 

 木乃香は、それらのより深い事情を聞いて自分の存在が如何に大きく重要か改めて認識…いや、思い知らされた。

 押し寄せて来る言い知れぬ重圧に身体があの時…エヴァから話を聞いた時のように震えそうになるのを自覚し、必死に堪えた。

 

(駄目や…そんな無様な姿は見せられへん、見せたらダメ…)

 

 そう、内心で繰り返して耐え、身体の震えは何とか抑えることは出来たが、血の気が下がり、顔が蒼白に成り、嘔吐感が込み上げて来るのを感じ、悔しさと情けなさを覚えて涙が出そうになった。

 これでは気付かれてしまう、失望されると思ったからだ―――しかし、

 

「すまんのう」

 

 肩に優しく手を置かれたのを感じると同時に、そんな優しい声が直ぐ傍から聞こえた。

 木乃香は、ハッとして下がっていた視線を上げると目の前には、すまなそうにしながらも安堵を覚えさせる笑みを浮かべる老人の顔があった。

 席を立って傍に来た彼は、労るかのような視線を木乃香に向ける。

 

「儂らが不甲斐無いばかり、このような重荷を背負わせて本当にすまん…木乃香」

 

 そう、謝意と共に優しくも親しみが籠った声が老人の口から発せられた。

 途端、疑問が木乃香の脳裏に過ぎる。先程もそうだが、交渉の時も敬語を自分に向けていたのに…どうして―――?

 

「あ―――」

 

 ふと、思い出した。自分はこの人を知っていると。

 昔…小さい頃、まだせっちゃんと会う前。寂しく一人で遊んでいた自分に良く話しかけ、綾取りや毬つきなど遊びに付き合い、コツを教えてくれ、時には羊羹やお煎餅などの菓子を持って来てくれたお爺さん……その顔を思い出した。

 木乃香の眼が驚きに見開かれる。

 

「……ゲン爺ちゃん…」

 

 そう気付かぬ内に呟くと、老人はフフォフォと自分の祖父の物とよく似た笑い声を静かに上げた。

 

「うむ、懐かしい呼び名よのう」

 

 笑い声と共に嬉しそうに老人は言い。木乃香の頭に手を置いた。

 

「大きくなったの、木乃香」

 

 短くも感慨深げに言いながら頭を撫でる。優しくも何処となく不器用様な若干乱暴にも思える手付きだった。だが木乃香はされるがままにした。自分もまた懐かしさを覚えたからだ。

 そのお蔭で木乃香は身を包んでいた重圧が消え、身が軽くなったように感じた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 老人が気遣ってくれた事もあり、木乃香は完全に落ち着きを取り戻し、他の面々も安堵すると共に重苦しい気配は無くなり、大広間は情報交換を交えた談笑の場と化した。

 食事も運ばれ、会食に移ると皆は更に饒舌に成った様で軽口や冗談も出てきて木乃香は思いのほか、大人に囲まれたその時間を楽しく過ごせた。

 特にゲン爺と呼ぶ老人との会話は木乃香にとって懐かしい思い出も手伝ってとても弾んだ。

 無論、彼らなりに木乃香を気遣った事もあるのだろう。木乃香も流石にそれは察したが口には出さず、情けない姿を晒した事を反省するのは後にしようと思った。

 

 こうして木乃香の初めての公務は大した難事も無く、無事終わりに向かった。

 

 

 ―――のだが、

 

 

 それは、その帰り際の事だ。

 西と東の双方が大広間を後にし、先に外で待機していた護衛と合流した時、

 

「あの者は…」

 

 制服姿の小柄な少女を目にした西の老人…ゲン爺が呟くと、他の西の面々も何かに気付いた様子で制服の少女こと刹那に視線を向け、数秒ほど彼女を凝視し、

 

「―――の小娘か…」

「―――…!」

 

 その中の誰かが小さくも吐き捨てるかのように言い。その声を聞いた…聞いてしまった木乃香は身体をピクリと震わせ、思わず視線を彼等の方へ向け―――見てしまう。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「では、またいずれお会い出来るのを楽しみにしております。木乃香様」

 

 そう、恭しく頭を下げて別れの言葉を告げる西の者達に木乃香も「こちらこそ」と、丁寧に返事をして白亜のリムジンに乗り込んだ。

 そうして、来た道を辿って東の一団は帰路へと付いた。

 

 木乃香は来た時と同様、ボンヤリと窓の外を見つめ、先程から脳裏から離れない出来事を反芻した。

 

『烏族の小娘か…』

 

 そう言ったのは中年の男性であったが、その他の西の面々もその男性と同じ目をしていた。汚らわしく卑しいモノを見る目だった。

 

(ゲン爺も…同じやった……)

 

 ショックだった。

 刹那がハーフで差別を受ける存在である事は理解していた積もりだ。

 けれど、それでも……あの優しいゲン爺まで、ああもハッキリとした嫌悪の表情を刹那に向けるとは思わなかった。

 他の西の人間にしても未熟な自分に敬意を示し、また木乃香個人に対しての気遣いも見せていた……そう、大きい器量のある人間だと思ったのに、

 

(せっちゃん……)

 

 後方を走る車に視線を向けて内心で大事な幼馴染の名前を呟いた。

 その時、当人である刹那は気にした様子を見せなかった。向けられる好意的とは言い難い真逆な視線を受けながらも平然とし、そんな目を向けて来る彼等に敬意を払うかのように頭を下げてお辞儀すらして見せた。

 しかし刹那の態度を彼等は見えなかったかのように無視し、彼女から視線を外した西の者達は木乃香と葛葉、弐集院たちと先程まで続いていた歓談へと戻った。

 

(あれが……現実…なんやろうか?)

 

 西が向ける刹那への態度。それを当然とする刹那の姿勢。

 未だ多くの事を知らず、学んでいる最中である木乃香にとって、これが初めて明確に眼にした“敵”の姿だった。

 そう、押し寄せるであろう多くの困難の中でも恐らくは最大級のモノで、必ず打ち勝たなくてはならない大敵(ラスボス)

 

 刹那と同様、独り広い屋敷に居た自分の孤独を癒してくれていたあの優しい老人すらも囚われているモノ。

 

 けど―――

 

(確かにショックやった。あんなのを見せられてを辛くて悲しかった。けど…いや、だからこそ負けへん。負けられへん)

 

 これからもきっと何度もそう言った思いをするだろう。けどそれは、せっちゃんがずっと…それも何倍もの大きさで経験してきたことなのだ。

 だから、自分も挫けてはいけない。それ程度でへこたれて居ては刹那に顔向けなんて出来ない。

 戦って、乗り越えて、打ち勝ってもうそんな思いをしなくても良い“何時か”を手にする為に―――

 

 ―――絶対に負けない!!

 

 そう、木乃香は改めて誓った。

 大切な幼馴染を守る為。ずっと傍に居られる幸福に満ちた未来の為に……或いは、木乃香も知らない刹那の幸せを願い、彼女を生かした優しい“誰か”の祈りに応える為。

 

 

 




 以前、エヴァに語らせた設定を煮詰めた感じのものです。
 外伝的な話ですが一応、本作の本編にも大小様々な形で関わって来ます。

 そしてまさかの可奈子登場。
 向こうでの連載時ではぼかしていたのですが、此方では明確にしてます。今回は余り出番はありませんでしたが。
 でも、もう15年も前の作品の登場人物ですし、知らない人も多いでしょうね。特に若い方達は。


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第14話―――少年の過去

間に合わないませんでした。取りあえず少し遅れましたが定期更新です。


 

 

 ネギらの処分が下ってから凡そ一週間が経った5月21日の水曜日。

 その処罰である社会学の講義を幾分か予定より早く終える事が出来、ネギは晴れて発信術式などの様々な制約から解放された。勿論、彼の使い魔であるカモも同様だ。

 

(ふう…―――よしっ!)

 

 その事実に彼は、教壇に注目する生徒たちに気付かれないようにホッと息を吐くも、今から―――このHRを終えた放課後より始まる。ここ数日ですっかり日課と成ったエヴァ邸での修行を思い起こし、気を引き締めた。

 

 処分が下る際、近右衛門が言った“ある方面からの苦情”というのはエヴァからであった。

 エヴァにして見れば、ネギの犯した違反やその処分はどうでもいい…というか、些末事に過ぎず、そのような事で自らの時間を割いてまで行おうという修行に横やりが入り、滞ることの方が大事だったのだ。

 その抗議を受けた近右衛門は、京都の一件での大きな借りや今後への対策を考慮し、已む無く折れて本来ならば放課後などに回すべきネギへの講義(しょばつ)を、彼が本来行うべき授業を削ってまで進め、放課後を空けたのである。

 罰という割には本末転倒な気もするが、近右衛門としてはエヴァの機嫌を損ねる方が問題であったのだ。

 

 

 

 HRを終えたネギは教室を出ると、校舎の昇降口…下駄箱の前で師であるエヴァと落ち合う。

 

「お待たせしました。師匠(マスター)!」

「…うむ」

 

 ここ数日で蓄積した疲労を堪えて彼は明るく挨拶を交わし、エヴァはそれに鷹揚に応えた。

 挨拶を交えると2人は直ぐに靴を履きかえて並んで校舎を後にした……のだが、その彼と彼女をこっそりと追跡する集団が居ることに2人は気が付かなかった。

 

 

 

「ちょっと、ちょっと、これじゃ尾行に成らないでしょ」

 

 と。暫くしてネギとエヴァを追う集団の先頭に立つ少女―――明日菜が、自分の後ろを歩く面々に抗議の声を上げた。

 何故、彼女がこのような探偵の真似事をしているのかというと、ここ数日に掛けて何かと気に掛かるルームメイトであり、担任教師であり、また弟分のような存在であるネギが、エヴァとの修行を終えて帰宅する度にやたらと疲れた様子を見せるので心配になったからだ。

 本当なら、その原因を自分一人だけで探る積もりだったのだが、気に掛かったのは彼女だけでは無かったようで明日菜の行動に気付いたクラスメイト達が次々と加わり……結果、思わぬ集団となってしまった。

 しかも妙にコソコソとした異様な姿から道すがら人々から訝しげな視線を受け、

 

「ママー、アレなにやってんの?」

「シッ、見ないの!」

 

 などと子供に指を向けられてその子供を諌める母親にも不審者を見るような視線を向けられ、周囲の注目を集めていた。

 明日菜が後ろの面々―――勝手に付いて来た木乃香、刹那、古 菲、夕映、のどか、和美といったクラスメイトの友人達に抗議するのも無理は無い。

 明日菜は、周囲の目線を気にしつつネギ達に気付かれないか、ヒヤヒヤしながら視界に収めた2人を追って行き―――

 

「―――何をしているの貴女達?」

 

 後ろから唐突に掛けられた声に振り返ると、白い銀の髪を持つ少女が赤い眼を僅かに見開き、自分達に不可解そうな視線を向けていた。

 

「イ、イリヤちゃん…」

 

 尾行という行為に後ろめたさを感じていた事もあり、見知った人間にそれを見られた明日菜は思わず動揺し、ドモった声でその少女の名を呼んでしまった。

 

 

 

 工房に籠りがちに成ったイリヤは、半ばエヴァ邸への居候を脱した様に成っていたが、その心情は未だエヴァの保護下にある時と変わらず、自分は彼女の身内であるという思いを抱いていた。

 並行世界に跳ばされ、頼るべき家族が居ないイリヤの事情を思えば、それは当然な心理の働きであろう。

 まあ、だからと言って工房が新たな住居と化したのも確かな事実であり、無駄な行為を極力是としないイリヤが何の意味や理由も無くエヴァ邸を尋ねる訳は無く。

 ネギがこの日、幾分か早く予定されていた講義を終える事を知っていた彼女は、その労い兼ねて彼の修行の様子を窺おうと思い立ち。

 ついでに製作した礼装などの実験もエヴァに協力して貰おうと考えて、エヴァ邸を訪ねることにした。

 

 そうして、留守をメイドとさよ達に任せてエヴァ邸へ向かったのであるが……その途中でイリヤは、挙動不審な一団とエンカウントしてしまった。

 

「何をしているの貴女達?」

 

 周囲の注目集めるその不審な集団とは出来れば他人のふりをしたい所であったが、向かう先は同じなようであり、顔見知りである以上は無視出来ず、半ば仕方なくそう尋ねると、

 

「イ、イリヤちゃん…」

 

 先頭に居たツインテールの少女が振り返り、左右色違いの瞳を向けて気まずげな視線を向けて来た。

 それを見るに、どうやら自分達が挙動不審である事に自覚が在ったようだとイリヤは思った。

 

 

 

 昼間の晴天が嘘のように空が陰り、ポツポツと雨が降り始めた為、傘を持つ自分とは別に、持っていない明日菜達にイリヤは投影を使い、人数分の傘を用意して渡す合間、彼女達の不審な行動の訳を聞いた。

 

「なるほど、それでどんな修行をしているか、気になった訳か」

 

 色とりどりの傘を差した一同が―――目標を見失った為、イリヤに従って―――エヴェ邸へ向かう中、事情を聞いたイリヤがポツリと呟くように言った。そう、呟く彼女は原作の事を思い返していたが。

 

「うん……それでなんだけど。エヴァちゃんとの修行ってそんなにハードなの?」

 

 イリヤに明日菜は若干身を乗り出すようにして尋ねる。

 明日菜の問い掛けに、イリヤはうーんと少し考え込み、少し間を持ってから答える。

 

「ゴメン、私もネギが修行で疲れているらしいのは知ってるけど、詳しくは判らない」

「え、どうして?」

「私、ネギの修行に付き合ってないから」

 

 その返答を聞いて明日菜は意外に思った。てっきりイリヤはネギの修行を見ている、或いはエヴァと一緒にネギに稽古を付けているのだと思い込んでいたからだ。

 それは自分がそうなので思い込んでいたところもある。始めてまだ日は浅いものの、明日菜にとって既に当たり前の日常と化した早朝のバイトを終えた後の剣道の稽古には、刹那のみならず、イリヤもまた自分に色々と指導してくれているのだ。

 だから自然とイリヤは、ネギの修行にも加わっていると明日菜は考えていた。

 

「意外ね。イリヤちゃんの事だから、エヴァちゃんと一緒にネギをシゴいていると思ったのに」

 

 明日菜は、そう思ったままの事を口にした。

 

「まあ、私にも都合はあるし、そもそも私が扱う“魔法”は特殊でネギに教えられるものじゃ…ないしね」

「それは確かに……しかし、戦闘訓練ならまた違うのではないですか?」

 

 苦笑して明日菜に答えるイリヤに横から刹那が口を出した。

 刹那にしてみれば、当然の疑問だ。

 魔法に関して教えられない事は―――まあ、判るのだが、戦闘訓練……つまり模擬戦などならば話は別の筈だ。実際、刹那自身がそうなのだ。イリヤの扱う魔法の事など分からなくとも、彼女と対峙し、その一挙一動を見、剣を合わせ、鍔を競り合うだけでも、自分の益と成り、技量の向上に役立っている。

 故に、刹那の問い掛けの中には、まるでネギの修行の役に立たないと言わんばかりのイリヤに対し、微かに憤りめいたものがあった。まるで自分との鍛錬まで否定されたようにも感じたからだ。

 刹那のそんな微かな非難をイリヤは感じたのか、弁明する。

 

「セツナの言う事も分かるけど、ネギはエヴァさんの正式な弟子な訳だし、許可も無く参加は出来ないわ。それに古 菲との一件もあるしね」

「あ、なるほど」

「確かにそうアルね」

 

 古 菲に拳法を習う際のエヴァとの揉め事を思い出して刹那は頷き。その発端を担った古 菲もまた納得するように相鎚した。

 古 菲に拳法を師事するだけでもあれだけエヴァと拗れたのだ。なのにイリヤがしゃしゃり出たらどうなるか? 況してや今は正式な師弟関係なのだ。

 もしそうなったら、今度はどうのように拗れるのか、想像が付かないようで付くような……微妙に悩ましいが、何かしらの問題が発生するのは確実に思えた。

 とはいえ、イリヤの実力……というか、力を知る刹那を始めとした朝の鍛錬組としては、やはり彼女がネギの修行に加わらない、もしくは加えないというのは勿体無いとも思い。明日菜が真っ先にそれを口にした。

 

「なら、エヴァちゃんから許可を貰えば良いんじゃない。イリヤちゃんなら多分、許して貰えそうな気がするし」

「ええ、それが良いかと」

「ウム」

 

 その提案ともいうべき言葉に刹那と古 菲も同意して頷く。

 イリヤは、そんな3人に苦笑し、

 

「ま、時間が在れば、それも良いんだけどね」

 

 ―――それだけを口にした。

 

 

 

 「……話が少しズレているような気がするのですが」

 

 夕映が口を開いた。

 彼女にしてみれば、明日菜の剣道の鍛錬や古 菲との一件を詳しく知らず、話に理解が及ばないという事もあるが、話が脱線しつつあるのを感じたのだろう。

 明日菜もハッとして当初の目的を思い出す。

 

「と、そうだった。でもイリヤちゃんもネギが疲れている理由どころか、どんな修行をしているのか知らないのよね」

「ええ、詳しくはね」

 

 明日菜の言葉にイリヤは頷いた。

 

「結局、エヴァちゃんの所へ行って直接確かめるしかない訳かぁ」

 

 仕方なさ気に明日菜はそう言って視線を向かう先―――エヴァ邸の在る方へと向けた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 降りしきる雨の中を歩いて、イリヤ達はエヴァ邸へ到着したのだが、

 

「誰も居ない…の?」

 

 と、薄暗い屋内と人気(ひとけ)の無さから明日菜が一人呟き。

 

「ええ、気配を感じられません」

「確かにまったく無いネ」

 

 刹那と古 菲がそう答えた。

 他の面々も首を傾げる中、イリヤだけが家の中を迷いなく進んで行き。

 

「こっちよ」

 

 一同へ誘うようにそう告げた。

 そうして彼女が先導して行き着いたのは地下の奥深くにある一室だった。

 実の所、イリヤとしては勝手に“エヴァの別荘”へ明日菜達を連れて行くのは抵抗が在った。何しろ魔法使いが隠す秘儀を明かすような物なのだから。

 “魔術師”の観点からしても確実にアウトな所なんだけど…とも思うが、ネギパーティのメンバーである彼女達ならば遅かれ早かれいずれ知る事であろうし、基本お気楽な3-Aの人間達ならばエヴァはそれほど目くじらを立てる事も無い…とも思ったのである。

 それに今後の事を思えば、原作同様のこの時期に知って置いた方がプラスに成るとの考えもあった。

 

(とはいえ、無断で明かすのは間違いないのだから、何かしらの対価は払っておくべきよね)

 

 ともイリヤは密かに思い、何が良いかと思考を巡らせていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 軽く身を打つ風と、その風によって運ばれる潮の香り。見上げれば燦々と輝く太陽に白い雲と青い空が、周囲には一帯を囲む海が見え、その彼方先には地平線がある。気温も夏場の如く高い。

 この前、訪れた南の島を思わせるその場所に明日菜達は呆然と立っていた。

 

 

 

 イリヤに案内されて明日菜達が連れてこられたのは、ログハウスの地下の一室だった。

 円形の空間の為か、やや広めに感じられるその部屋は何の飾り気も無く。中央にポツンと台座が一つあり、その上には異様に大きいボトルシップのようなものが置かれていた。

 ただしボトルシップとはいったものの、ワイン等が入った円柱のボトルでは無く。フラスコのような大きな丸い硝子瓶で、その中も船の模型では無く、底の方に海を思わせる水と共に在るのは、塔のような白い建物や小島などといった精巧なミニチュアだった。

 これが何なのか? 明日菜達は疑問に思ったのだがそれを問う間もなく。イリヤに言われるまま彼女達はそのボトルシップに近づき―――

 

 ―――気付くと、前述の場所に居たのである。

 

 

「ど、何処なのよ。ここは…!?」

 

 突然、地下の殺風景な風景から煌めく太陽の下に、しかもどう見ても南国としか思えない光景に変わり、明日菜は絶句した。

 そんな混乱した様子の明日菜の隣で、対照的に至極冷静な姿を見せる夕映が感嘆した様子で呟く。

 

「この場所は、あのミニチュアの中ですね」

 

 洞察力の高い彼女は、目の前の光景が先程まで見ていたボトルシップの中身と同じだと直ぐに気付いた。

 イリヤはそれに肯定して頷く。

 

「ええ、此処はさっき見ていた瓶の中の世界よ」

「わあ、スゴイ! 瓶の中に世界を造って、その中に入れちゃうなんて…!」

 

 イリヤの言葉を聞き、のどかも感嘆の声を上げた。

 その声にはイリヤに指摘される前まで思い描いて居た。正に御伽噺に出てくるファンタジー的な事象を目にしたという感動が込められていた。

 これが魔法なんだぁ、と。

 勿論、イリヤの受けた警告をそれで忘れた訳では無い。けど、それでもこうして憧れた夢みたいな出来事に遭遇した以上、昂る感情は抑えられない。

 

「……もう何があっても驚かない積もりだったけど―――」

 

 これまで散々非常識な目に遭ってきた明日菜も瓶の中という事実と、目の前の光景に言葉通り、うひゃ~~と声を漏らして驚きを隠せないようだ。

 

「でも見た所、ここでもネギ君達の姿が見えないけど……あの建物の中かな?」

 

 和美も一般人として驚きを隠せず、好奇心の命ずるままに周囲を見渡し、持っていたデジカメで風景を撮影しながら言う。

 彼女の持つカメラのレンズには、今居る場所から伸びる白いコンクリ製と思われる橋を渡った向こうの、同じく白色に染められた大きな塔の上に建つ小さな宮殿、もしくは祭殿のような建物が映っていた。

 

「多分そうね。行きましょう」

 

 イリヤが和美に答え、彼女達を先導するように出入り口である転移用魔法陣から歩きだした。

 途中、明日菜が橋を渡る際、こんな高い場所―――塔と同じ高さの少なくとも100mはある高所に架かる橋なのに、手すりがまったく無い事に抗議の声を上げ。他の面々…特にのどかがコクコクと引き攣った表情で必死に首肯して同意して足が遅々として前に進めなくなり。それを図書館島で散々似た経験をして来た、と宥める夕映であったが、それでも屋内と屋外とは違うと、夕映の震える足を指摘しながら、のどかが抗議するなど。ちょっとした騒ぎはあったが……兎も角、怪しげな尾行集団であった一行は、目的であったネギの下へ辿り着いた。

 

 で、さらなる目的であるネギの疲労の原因も、明日菜達の妙な勘違いによる騒ぎを挟んで判明する。

 

「授業料に血を吸わせてもらっているだけだよ。献血程度のな。多少魔力を補充せんと稽古も付けてやれんし」

 

 とのエヴァの言に加え、一時間に一日という時間を圧縮する、もしくは遅滞させる“別荘”の機能を利用してネギにその一日…つまり24時間を徹底した修行に充てていた事が原因であった。

 和美曰く。「一日ぶっ続けで修業(トレーニング)した後に、血まで吸われたらヤツれもするわな、そりゃ」と、その言葉が全てを表していた。

 

「ネギ、アンタまたそんな無茶して…」

 

 話を聞いた明日菜は、本当に心配そうにネギに声を掛けた。

 しかし、ネギは心配いらないとばかりに答える。

 

「大丈夫ですよ、明日菜さん。それにまた修学旅行みたいなことがあったら困るし。強くなるためにこれぐらいの事でへこたれていられませんよ!」

 

 決意の固そうな真っ直ぐな目で語るその言葉を聞き、明日菜は思わず黙り込む。

 自分もまた似たような気持ちで刹那に剣道を教わり、今ではイリヤにも指導して貰っているのだからこれ以上は言い難くあったのだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ん~、うまいアル」

「あ、コラ! お前ら、それは私の秘蔵食料…―――わ、バカ! 未成年がそんなもん飲むんじゃない!」

「え? だってジュースって書いてあるよ」

「ただのジュースじゃないんだよ!」

「まあ、まあ、固いこと言わないのエヴァちゃ~~~ん」

 

 ネギの修行の様子を見学して、この別荘の日が暮れる頃。つまり夕食の時間帯と成り、茶々丸が食事を用意するとテンションの高い3-Aらしく、半ば外泊状態という事も加わってか、ただの夕食がものの数分でどんちゃん騒ぎのお祭り状態に変貌していた。

 

 そんな騒ぎに乗じて…もしくはエヴァの言う特殊なジュースによる勢いを借りてか、真剣な表情でイリヤに話し掛ける2人が居た。

 

「―――決意した、と?」

「いえ、決意などと言う程大したものでは無いです。ただ今のままではウジウジと悩むばかりで、時間だけが無意味に過ぎてしまうと思いましたので…」

「だ、だから、せめて時間を無駄にしない為にも、取り敢えず、魔法を少しだけでも良いから教わって置こうって、夕映と話したんです」

 

 魔法を教えて欲しいと切り出した2人―――夕映とのどかにイリヤは問い掛けると、彼女達はそう返した。

 イリヤは、2人の表情を見つめ思う。

 決意は持っていないという彼女達であるが、今の真剣な顔と声色を見る限り、それなりに意思を固めているように見えた。南の島の時とは違い“こちら側”の危険を認識し、理解しようと心掛けた上で前へ進もうと。歩き出そうと。

 

「ふむ」

 

 まだ小さな…そう、決意とも覚悟とも言えない。とても小さな意思に過ぎないものなのだろうが、イリヤは2人の眼の中に灯る光とその真っ直ぐな視線に思わず感心し、顎に手を当てて唸った。

 そんな彼女に夕映が言葉を続ける。

 

「正直、まだ怖いという感情はあります。ですが以前言った通り、ネギ先生の力になりたいという気持ちもやっぱり変わらないのです」

「うん、怖いけど。ネギ先生の力になりたいし、成れないのは辛いから……このまま何もしないでいるのも苦しい」

 

 のどかも親友の言葉に同意して頷いた。

 こうしてイリヤと話す間にも―――面と向かってかつて自分達の思いを否定し、敢えて苦言を呈してくれた白い少女に告げる事によって2人は意思をより固くしようと、決意と覚悟を持とうとしているのだろう。

 イリヤはそんな2人の意を汲み取って頷く。

 

「…わかった。学園長には貴女達が“こちら”に関わる事を決めた、と伝えて置くわ」

 

 ただ―――“どのみち協会が容認している以上、私に2人の意思を否定する意味は無いのだから”などという、未練がましく浮かんだ言葉は出さず、イリヤは飲み込んでいた。

 

(ホント、我ながら女々しいわね。既にこの子達が“こちら”に関わる以上は、割り切ってこれからに備えると決めた筈なのに)

 

 とも、彼女は自嘲する。

 夕映とのどかは、イリヤの沈んだ様子に気付かず、彼女が自分達の意思を汲んでくれたのを素直に喜び「はい、ありがとうございます」「お願いします」とそれぞれイリヤに軽く頭を下げていた。

 

「それで、さっそくなのですが、イリヤさん」

「ん?」

 

 夕映は下げた頭を上げてズイッとイリヤに寄り、イリヤが疑問気に声を漏らす。

 

「貴女に魔法を教わりたいのですが」

「へ…?」

 

 身を乗り出して意気込んでいう夕映に、イリヤは今度はマヌケな声を漏らし、

 

「えっと…それは無理」

 

 反射的にそう答えていた。

 当然、夕映も反射的に問い掛ける。今さっき、魔法に関わる事に頷いた当人が行き成り否定するような事を言ったのだから。

 

「どうしてですか!?」

「……どうしてと言われてもねぇ。此処に来る途中で話していた事、覚えてる?」

「あ、」

 

 悩ましげに言うイリヤにのどかが声を上げる。

 

「た、確か、イリヤさんの魔法は何か特殊だから、ネギ先生に教えられないって言ってたような…」

「そういえば」

 

 のどかの言葉に夕映も思い出す。

 

「だから、無理…ですか?」

「まあ、そうよ。といってもネギ達の扱う“魔法”の知識も有るから、全くという訳じゃあないんだけど」

 

 夕映に答えながら、イリヤはつい反射的に無理だと口にした自分の事を苦笑する。

 

「では、無理ではないのですか?」

「ええ、私が教えるなんて考えもしなかったから、つい無理だなんて言ってしまったけどね」

 

 そう、まさか自分が夕映達に魔法を教えるなどと、“魔術師”として想像の埒外な事を乞われるとは考えてもいなかった。だから思わず呆けてしまった。

 そんな自分にイリヤは可笑しさと、夕映達が自分に抱いている印象を思えば、当然なのかと、思い至れなかった自分に間の抜けた感を覚え。

 また、今言ったように知識はあるのだから無理ではないのに、とも思い。それらが混ざって苦笑いが零れたのだった。

 

「それに、私なんかよりも適任なのは他にもいるしね」

 

 イリヤは、苦笑した表情のままそう言い。振り返って視線を此処に居る“魔法使い”達へ向けた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 半ばどんちゃん騒ぎと化した夕食と、“ネギの一般人から始める魔法講座”を終えてから数時間後。この圧縮された時の世界に夜が訪れ。空には銀光を放つ月と宝石のように散らばる星々が深遠な闇の中で輝いていた。

 本来ならば、夜も更けた事もあり、皆は眠りに付いて居る筈なのだが…実際、ほんの少し前までベッドの上でヒュプノスの誘いに身を委ねていた者が多数だった。

 しかし、その者らも含めて今は、幼子(おさなご)の姿をした2人のヒュプノスの誘いによって、条理とは異なる夢の中へと彼女達は旅立とうとしていた。

 

 それの起こりは、一度トイレの為に眼を覚ました明日菜が夜更けにも拘らず、一人鍛錬を続けるネギを見掛け、話し込んだ事が切っ掛けだった。

 話の中、ふいにネギがやや思いつめた表情で聞いて欲しい事があると明日菜に言った。

 

「お話しておいた方が良いと思うんです。“パートナー”の明日菜さんには…」

「え……べ、別にいいけど。……何の話?」

 

 パートナーと言われて明日菜は思わず動揺し、照れくさく感じたのか、頬を僅かに赤くして彼女は尋ねた。

 ネギはそんな明日菜の様子に気付かず、思いつめた表情のまま答えた。

 

「僕が頑張る理由……6年前。サウザンドマスターと出会った時、何があったのかを」

 

 明日菜は戸惑う。ネギがどうして急にそんな話をしようと思ったのか判らなかったからだ。

 

「なんでイキナリそんな話?」

 

 疑問に思い。また尋ねると今度はネギが戸惑ったかのように動揺を示した。

 

「いえ、他の皆にも聞いて貰った方が良いかなとも思うんですけど……あの、明日菜さんがパートナーとして見てくれって言ったので…そのっ…話した方が良いかなって…」

 

 パートナーという意味を少し意識したのか、ネギは先程の明日菜同様に軽く頬を赤くして、どもりながら返事をした。

 ネギはどうやら南の島で明日菜が告げた言葉をアレから自分なりに考えていたらしい。処罰やら修行とかで忙しく大変であったにも拘らず、真剣に受け止めて。

 その答えが、今こうして話そうとした事に繋がったのだろう。

 明日菜はそれを理解すると、自然に笑みが零れた。

 

 が―――。

 

「そうか、それなら私達にも聞かせて貰おうじゃないか」

 

 そんな明日菜の笑みに水を差すように、そんな尊大な声が二人の間に入った。

 

「え…」

 

 声に2人が振り向くと、何時から居たのか。上半身が黒のネグリジェで下半身は黒のパンツとパンストという下着姿のエヴァと、フリルの着いた薄手の白いナイトガウンを纏うイリヤの姿があった。

 

「以前にナギの奴と会った事がある、生きていると…坊やに聞いてはいたが。詳しい事は何も聞いていないからな」

「……」

 

 エヴァはネギの父―――ナギに対して執着がある為、有無を言わせない迫力を滲み出しており、イリヤは何処となく眠たそうにして静かに沈黙していた。勿論、イリヤにしても興味が無い訳では無い。

 

「師匠……分かりました」

 

 エヴァの迫力に屈したわけではないが、ネギは頷いた。

 先程言った通り、どの道皆には話す積りだったのだ。…問題は無い。

 エヴァもネギの返答にウムと頷き返す。しかし、意外な言葉を続ける。

 

「…だ、そうだ。お前はどうする?」

 

 と、振り返らずにその背に向けて尋ねる。すると、

 

「あ、ううう」

 

 エヴァの問い掛けが自分に向けられたものだと理解したのだろう。気弱そうな声と共に一人の少女が恐る恐るといった様子で、傍に在る石柱の陰から姿を現した。

 

「あ、のどかさん」

「本屋ちゃん」

「あ、あの、その…べ、別に覗き見する積りは無かったんです。お、お手洗いに行っていたら、話し声が聞こえたから……つい、ご、ごめんなさい…」

 

 声を掛けたネギと明日菜にのどかはしどろもどろに答え、頭を下げて謝る。

 ネギはそれに気にしてないし、怒ってないと言った感じで宥め。そんなやり取りを見つつエヴァは言う。

 

「この際だから、此処に居る奴ら全員に話して置いた方が良いか? コイツ見たく話の途中で出て来て、その度に遮られては適わんし」

「……そうね」

 

 眠たげにイリヤは欠伸をしながらそれに応じた。

 ただ、明日菜は何処となく憮然とし、エヴァちゃんがそれを言っちゃうかな、と先程話を遮られた事もあってか、内心でそう呟いていた。

 

 

 程無くして。

 

 星の天幕の中で輝く月の銀光の下、ネギが修行に使うテラス前の広場に直径5mほどの魔法陣が輝き、その中央でネギとイリヤが目を閉じて向かい合い、互いに手を取って額を合わせていた。

 その周囲には魔法陣から身体が出ないように3-Aの少女達が床に腰を下ろし、座り込んで眠ったように目を閉じている。

 

 エヴァの提案からこの前の南の島の時と同様、イリヤの魔術によって少女達はネギの過去―――記憶の世界へ(いざな)われた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 それは、始まりだった。

 少年が父を求め、偉大なる魔法使いを目指し、力を求める事への理由。

 

 少年が思うその切っ掛けは、本来ならば従妹である義理の姉が口にした言葉だった。

 

『あなたのお父さんはねー。とっても有名な英雄(ヒーロー)、スーパーマンみたいな人だったのよ』

 

 誰かの危機には、何処からともなく颯爽と現れてみんなを助けてくれる正義の味方。

 少年の姉は、そう父の事を語った。

 

 小さな幼い少年は、それをどう受け止めて解釈したのか。

 死んだと聞かされ、悪ガキだったとも聞かされ、それでも姉の言葉を信じ、“会えなくなった”という“死んだ”という言葉を否定したくて、正義の味方だったという父を証明したくて、そしてそれ以上にただ会いたくて少年は無茶を繰り返した。

 繋がれた犬の紐を切って敢えて追い回されたり、高い木の枝から飛び降りてみたり、果てに冬の冷たい湖の中に飛び込んで見せて自分の危機を演出した。

 

『ピンチになった僕を助けにお父さんは来てくれる』

 

 と、幼い感情からそう信じて。

 

 しかしそんな無茶が過ぎた為に、姉に酷く心配を掛けて泣かせてしまい。少年は反省したのか、以来無茶をすることは無くなった。

 

 けれど、

 

 『ピンチになったら現われる~~♪ どこからともなく現われる~~♪』

 

 何気なくそんな歌を口遊むことが在るのだから、少年の心には未だ無茶をしていた頃と変わらない想いがあったのだろう。

 

 そして、その時が訪れる。

 山に緑が見え、水も凍りつく事が少なくなった春が近づいたある日の事だ。

 その日は、春の到来が迫ったにも拘らず。やや寒さが強く、珍しく雪が降っていた。

 優しい姉が一月ぶりに帰ってくる。少年にとってその日は楽しい一日になる筈だった。

 

 だが、出掛け先から姉が帰って来る事を思い出し、村に戻った少年の目には燃え盛る炎が映っていた。

 幼い心にその光景はどのように映ったのか、ただ危険であることは理解出来ただろう。

 それでも……いや、だからこそ、炎に包まれた自分の住む村へ帰って来た筈の優しい姉と、父代わりである叔父を探して―――その中に飛び込んだ。

 

 しかし、そこで見たのは―――

 

 

 

 

 

 

 少年は涙を流して自身を責め立てた。

 

『ぼ、僕がピンチになったらって思ったから…? ピンチになったらお父さんが来てくれるって……僕があんなコトを思ったから……!』

 

 そんな泣き叫ぶ少年の前に無数の影が現われる。

 ソレは異形だった。俗に悪魔と呼ばれる人の世に災いをもたらす在ってはならない忌み嫌われた存在。数十にも数百にも届かんばかりに居並ぶソレらの姿を見た少年は、恐怖に震える事しか出来なかった。

 向けられる殺意と振り下ろされる巨躯の悪魔の拳に、恐怖に包まれ、後悔に苛まれ、それでも、

 

『お父さん…お父さん』

 

 父が此処に来てくれること、助けに来てくれることを願い―――その願いは儚くも叶った。

 

 少年が見たのは圧倒的な暴力。理不尽としか言いようがない絶対的な力。その圧倒的な理不尽によって悪魔達を一方的に殲滅する男性の姿だった。

 

 けれど、少年はその男性が何者か気付かず。寧ろその振るわれた力に改めて恐怖を覚えて、その場から逃げ出してしまった。

 

 しかし、逃げた先にも悪魔の姿があり、襲われた少年は先程まで探し求めていた姉と近所に住む老人に庇われる。

 その結果、姉は石化によって足を失って気絶し。老人は全身を石に変えられた。

 老人は石へと変貌して行く間際、少年に言葉を残す。

 

『頼む。逃げとくれぃ…どんなことがあっても、お前だけは守る。それが……死んだアイツへのワシの誓いなんじゃ』

 

 普段から父を悪く言っていた筈の老人が、そう小さく笑って最後に残した言葉。

 父のみならず、自分にも悪態を吐いていた彼が本当は父と自分をとても大切に思っていた事を、思っていてくれた事を少年は知った。

 

 少年は老人の願いの通り、姉と共に無事に炎に包まれる村から逃げる事が出来た。

 

『……そうか、お前が……ネギか……』

 

 悪魔達を殲滅した男性の助けによって。

 

『大きくなったな』

 

 大きな手で頭を優しく撫でられ、

 

『…お、そうだ。お前に……この杖をやろう。俺の形見だ』

 

 そう優しげに言われて、ようやく少年―――ネギは目の前に居る男性が、自分が追い求めて止まなかった父だと理解した。

 

『……お、父さん』

 

 信じられない思いでネギは呟いた。

 渡された形見だという杖の重みを感じつつ、姉は大丈夫だという父にネギは駆け寄ろうとする。しかし―――

 

『お父さん』

『悪いな。お前には何もしてやれなくて、こんな事を言えた義理じゃねえが……元気に育て、幸せにな!』

 

 まるで今生の別れを告げるかのように、父は宙へと舞い姿を消した。

 

 

 

 この三日後、ネギと姉であるネカネは救助され、以後。ネギは魔法学校へ通いながらウェールズの山奥にある魔法使い達の街で過ごす事になる。

 

 

 

 少年は夢の中で語る。

 

 僕はあの雪の日の夜の事がこわくて、こわくて……何故だか、すごい勢いで勉強に打ち込むようになっちゃいました。

 

 ただもう一度、父さんに会いたいって……僕を助けてくれた……立派な魔法使いだった父さんに会いたいって思って……。

 

 でも、僕は今でも時々思うんです。

 

 あの出来事は、「危機(ピンチ)に成ったら、お父さんが助けに来てくれる」なんて思った。僕の天罰なんじゃないかって……。

 

 

 

 

 

 

 夢から覚めた直後、明日菜は怒鳴るかのようにネギに詰め寄った。

 

「何言ってんのよ! そんなことある訳ないじゃん!!」

 

 額を合わせていた為、抱擁を交わすかのような体勢だったイリヤとネギの間に割って明日菜は叫んだ。

 

「今の話にアンタの所為だったところなんか、一つも無いわ!! 大丈夫!! お父さんにだってちゃんと会える!! だって生きているんだから!!」

 

 我が事のように涙を浮かべて言う明日菜に、ネギはただ戸惑い驚く事しか出来ない。

 

「任しときなさいよ! 私がちゃーんと、あんたのお父さんに会わせてあげるから!!」

 

 明日菜は、そう力強く宣言する。

 驚き戸惑っていたネギは、ただ頷くことも、返事をすることも出来なかった。明日菜に続いて木乃香と刹那がその宣言に続いたからだ。

 

「ウチも協力するえ、ネギ君のお父さんを探すの!」

「私も先生への恩義に報いる為、力になります!」

 

 明日菜と同じくネギに詰め寄って力強く言う2人にネギは更に戸惑うも、彼女達は気付かず、意気投合する。

 

「そうと決まったら、私ももっと頑張らないと。刹那さん、これからも剣道の練習、よろしくお願いね!」

「はい。お任せください!」

「うん! ウチも明日菜とせっちゃんと一緒に探すためにもっと頑張らな!」

 

 そう言って気炎を上げる3人であるが、そこにようやく戸惑いから抜けたネギが声を掛ける。

 

「あ、アスナさん。ありがとうございます。でも、やっぱり色々と危険があると思いますし、本当に―――」

 

 いいんですか? と言おうとしたが、 

 

「私は一応…あんたの、その……ぱ、パートナーだしね。それに前にも言ったけど。ホント、今更でしょ」

 

 若干、照れながらも明日菜はそう言って笑顔でネギに答えた。

 ネギはそれに答えず、今度は木乃香と刹那に視線を向ける。口にはしないが、ネギの眼は明日菜の告げたのと同様の問いを投げ掛けていた。

 2人はそれに明日菜と同じく笑顔で答え、頷いた。

 

「……ありがとうございます」

 

 向けられた3人の笑顔に、ネギは改めて頭を下げてお礼を言った。

 

 ―――ただ、明日菜の勢い込んだ宣言の所為でバランスを崩して転び掛けたイリヤは、その明日菜達と同様、「私も出来得る限り手伝うわよ」とネギへの協力を口にしたが。

 ほろりとした様子の茶々丸の隣で、俯き考え込んでいるエヴァと、他の面々も同様に深刻そうに考え込んでいる原作との違いが気に掛かっていた。

 

(ユエ達は判らなくも無いけど……エヴァさんは…?)

 

 直感的に引っ掛かるものを覚えて、イリヤもまた僅かに考え込む。無論、考察するには材料が足りないので答えが出る筈は無いのだが……。

 

『イリヤ、話したい事がある』

 

 と、気付くと自分に視線を向けていたエヴァから、そう念話が送られた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 月より降り注ぐ銀光が、相も変わらずこの限定的な南国の世界を照らしている。

 魔術によって紡がれた夢から覚めた少年少女達は、今は本当の…自らの意識が紡ぐ夢の中へと眠り落ちていることだろう。

 そんな中、未だに床に就かず。塔内にある一室で開き切った窓から月と星々を見詰める2人が居た。

 窓から吹き込む風で、金と銀という対照的な長く伸ばした髪を揺らし、2人は瞬く星空を見上げながら無言のまま、室内の窓の傍にある丸いガラステーブルを挟んで向かい合っていた。

 今この時、2人で居る事を望んだのは金の髪を揺らすエヴァだった。

 しかし、2人っきりになってから既に数十分。エヴァは何も言わず、星を見上げたままだった。雰囲気から何かを言いたそうにしているのは確かなのだろう。ただ彼女にしては異様に緊張しているように見えたが。

 余程言い難い事なのだろうか? エヴァさんにしては珍しい、と思いながら銀の髪を持つイリヤは彼女の口が開くのを気長に待つことにした。

 

 その合間、思い返すのはやはり先程見たネギの過去だ。

 大凡は原作を知る通りであったが、違いもあった。

 

 イリヤの脳裏に浮かんだのは、中でも印象的な赤く燃える炎に焼かれた村の光景だった。

 

 嘗て居た世界の“魔術師”としては、あのような村一つ街一つ消える等という惨劇は珍しいと思うものでは無いのだが、それは知識としてだった。

 アインツベルンは閉鎖的で基本外界との接触を断っている魔術師一族だ。

 況してやイリヤは、その領域の外へ出たのは第五次聖杯戦争が開始された時が初めてである。当然、あのような惨劇を目にする機会など無く。耳にする事さえなかった。

 といっても、魔術師の一族の中で育まれた倫理観では、やはりあの程度の惨劇は動じるに値しないのも確かだ。

 

 故に思う事は限られた。

 秘匿でも何でもなく、ただの政治的陰謀で村一つ消し去ったこと、それもネギの暗殺が目的である事だ。

 それはイリヤにとって嫌悪を抱かせるに十分なものだ。

 自らの犯した過ちを認めたくなく。その罪から発生した自らの権力を危ぶめんとする潜在的な脅威(ネギ)への恐怖から奔った行動。

 私欲と権力の為に女性一人を追い詰め、失敗し、その幼い子供まで暗殺してでも守ろうとせんとする見苦しいまでの保身行為。無論、愛国心から行ったという面もあるのだろうが、アリカならまだしもネギをも村ごと葬ろうとした事実を鑑みると、果たしてその一念は本物であるのかも怪しい所だ。

 

(ホント、俗物的よね…)

 

 何れにせよ、何かしらの報いを与える必要はあるだろう。

 イリヤは内心でそう決意した。

 どうせネギに敵対する連中なのだ。アイリや“完全なる世界”相手にするついでに潰してしまおう、と。“本国”の特定勢力と呼ばれる一部元老院に代表される者達を刈り取る事を。

 その感情の大部分は嫌悪以上に大切な友達(ネギ)を不幸にした事に対する義憤が占めていた。

 

 そしてもう一つ気に掛かったのは。

 原作との違い……あの燃え盛る炎に中で見たもの。

 花のように咲き散る赤い斑の絨毯に、燃えて炭化した枯れ木のようなモノ。引き裂かれ、捻じれ、拉げ、潰された無数の死体(ナニカ)

 

(そうね、現実的に考えれば、あのような惨劇に遭って石化だけで済む筈は無い)

 

 アレを見れば、夕映達が深刻な顔を見せるのは当然だ。あの南の島の時のように吐かなかっただけマシに成ったのだろうが、アレがどう彼女達に影響するか……。

 それを思うと明日菜が勢い込んだ方が可笑しいのだろう。修学旅行で海魔を相手にした所為か、それともネギの自虐への反発が大きかったためなのか、もしくはアミュレットの効果のお蔭なのかは判らないが、取り敢えず怖気づか無かったことは喜ぶべきだと思う。

 刹那はともかく、木乃香も意外であったが、彼女は彼女なりに此方に関わる覚悟を決めているからなのだろう。

 惨劇を体験した本人……ネギに対しては、

 

(原作以上に傷が深いのかも知れないわね)

 

 と、心配が大きく。話をすべきかも知れないと強く思った。

 

 

 そうしてイリヤが思い耽る中、どれ程の時間が経っただろう。

 エヴァが沈黙を破って、やや躊躇いがちに口を開いた。

 

「イリヤ……私が初めてお前の魔術というべきものを見た時…あのアミュレットを見た時に私が言った事を覚えているか?」

 

 問い掛けにイリヤは答えず怪訝に首を傾げた。勿論、忘れている訳では無い。一言一句という訳では無いが覚えている。

 首を傾げたのは、エヴァのその問い掛けの意図が判らないからだ。

 エヴァはそんなイリヤを察し、言葉を続ける事にした。

 

「あの時、私はお前の作ったアミュレットを見て、初めて見る術式だと言ったが、アレは嘘だ」

「え?」

「いや…少し違うか。確信が持てなかったという事あるが、あの術式を見るのは初めてではあるな」

「エヴァ…さん?」

 

 イリヤは益々怪訝な表情に成る。エヴァの言いようが不可解であるからだ。

 エヴァは、怪訝に眉を顰めるイリヤを見て可笑しく感じたのか、フッと笑みを零す。

 

「そうだな。こう言った方が良いか…―――イリヤ、私は“魔術”を見た事があるんだ。ずっと、ずっと、遠くの昔に…な」

 

 エヴァはそう言って星を再び見上げる。決して手に届かない煌めきを目に映して、けれど手を伸ばしながら……その言葉を呟いた。

 

「―――」

 

 その瞬間、イリヤの目が大きく見開かれた。

 

「いま……なん…て」

 

 表情が驚愕に固まり、見開かれた眼と視線でイリヤはエヴァの顔を見る。

 夜風に美しい金色の髪を揺らし、彫刻の如く整ったその顔は何かを憂いるかのような形を見せていた。

 

 

 

 




 今回は原作を小説化しただけのような内容です。これと言って手を入れる所が無かった為…というのは拙い言い訳ですね。

 次回はエヴァにちょこちょこあった伏線の回収ですが、ささらは相変わらず予想斜めに不意を突きに行きます。


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第15話――――――その遠い過去。在りし運命

向こうでは余話扱いだったのですが、重要な話の上、イリヤも出ているので本編扱いとしました。


 ある日、彼女は眼を覚ますと、自らの身体に起きた突然の異変に気付いた。

 貴族の姫君である彼女に相応しい豪奢な自室。その窓から上等なカーテン越しに差し込む日の光に何故か恐怖と苦しさを覚え。目覚めたばかりだというのに異様な食欲……今まで感じた事も無い異常な苦痛とも言えるほどの飢えと渇きに襲われた。

 

 その唐突な異変に驚きと混乱に陥り、日の光の苦しさと異常な衝動とも言える欲求を堪えるのに必死であった彼女は、直後襲った脅威に気付けず、抵抗する事も出来ず、その異変の原因である男の手によって囚われてしまう。

 

 

 床、壁、天井の全て煉瓦地が剝き出しの素っ気ない部屋。

 昼間は日が一切差し込まず暗く、夜には外の風景が見える不可思議な大きなガラス張りの窓だけが、その無機質な部屋を彩る飾りだった。

 そこは、彼女の住まう城の何処かの一室なのだろう。彼女は鈍い鉄の光沢を持つ固く冷たい鎖と枷で縛られ、身動きをも許されず、牢獄としか言えないその部屋に閉じ込められた。

 

 抵抗する意思は、3日としない内に失せた。

 鎖と枷を外されるのは、夜間の食事の時だけ。

 一つだけある部屋の出入口の扉が開かれ、人が入って来た時だ。

 部屋の窓と同様、どういう仕組みなのか彼女には分からない。けれどその時だけ、彼女が縛る鎖と枷が意思を持つかのように自ら外れる。

 扉が閉まり、入室してきた人が彼女の前にまで歩み進むと彼女は動く事が許された。

 だが、彼女は喜ばない。牢獄から出されず真に自由で無いという事もそうだが、何よりこれでは“耐えられない”。目の前にある人を―――

 

 ――――途轍もなく甘くて、

 

 ――――漂う美味しそうな匂いに、

 

 ――――我慢できないのだから。

 

 そして気付くと、彼女は目の前の人の首筋に喰らい付いている。

 

 ああ、と彼女は涙を流す。口内に広がる甘い香りと舌を打つ甘美な味に。人を食らったという命を奪ったという罪悪感に。

 飢えと渇きが満たされる喜びと、犯した罪悪による悲しみと嘆きが彼女の心を打ちのめす。

 そんな歓喜と慟哭に翻弄される彼女に、生き物のように動く重い鎖と枷()は微塵の関心が無いかのように無機質に再び縛り付ける。

 

 ……抵抗はしない。

 

 彼女が、初めて喰らったのは自分に仕える侍女の一人だった。

 まだ10代半ばで、素朴ながらも可愛らしい印象の顔立ちを持っており、まるで春の陽光のような優しく暖かい笑顔をする少女だった。幼い自分にとって姉のようでもあり、主従という関係と身分の差を越えて仲が良かった。

 もうすぐ、幼馴染の男性と結婚するのだと嬉しそうに語っていたのを覚えている。

 

 なのに―――

 

 何も知らない様子で牢獄を訪れた姉のように慕った少女を、

 

 私は―――

 

 襲い来る衝動を耐えようと、苦しむ自分を見て、心配して助けようとしてくれたその少女を、

 

 殺して(たべて)しまった―――

 

 驚愕に見開かれた少女の瞳。抵抗を有らん限りの力で抑え。組み敷き、首筋に噛み付いた。それに恐怖し、助けを懇願する声。

 

 今でも覚えている。目と耳にこびり付いたように―――

 

 やがて聞こえなくなる声。力を失い冷たくなってゆく身体。恐怖に歪んだまま、生気を失い白くなった大好きだった少女の顔。

 

 ―――私は、そうして理解した。自分は化け物に成ってしまったのだと。

 

 それから何度も同じことを繰り返した。

 彼女が知る人間が、部屋を訪れる度に。

 時には、初めて食した少女のように何も知らず。

 時には、何かに操られたような人形のような歩みで。

 時には、事情を知った者が彼女を助けようと。

 しかし、その皆全てが恐怖の表情と懇願の声を残して彼女の血肉へ成っていった。

 

 

 

 どれ程の時が経ったのか、知っている人間が部屋を訪れることは無くなった。

 それでも、彼女の食事は続いていた。

 つまり、それは―――そういうことなのだろう。

 

 10歳を迎えたばかりの彼女の幼い心は、死に掛けていた。

 繰り返される日々に抵抗する意思は既に無く。部屋を包む闇のような絶望しか此処にはない。こんな惨状に自らを叩き落とした元凶に復讐どころか、見苦しく哀願する気力も湧かなかった。

 

 けれど、

 だけど、

 それでも、

 

 夜。窓から見える星や月のように、闇の中でも細やかに輝く光を見て思ってしまう。

 闇の中で輝く一抹の光。細やかな輝きでも漆黒の天蓋に灯ることで人々に安堵を与えてくれるように。

 どれ程か細い可能性だとしても、絶望を振り払える希望が何時か訪れるのでは無いかと。

 

 その願いは届いたのか。

 ある夜、それが起きた。

 

 固い戒めにより動けない彼女が、一人祈る思いで微かな希望を求めて夜空を見上げていた時、何処からともなく赤い光の滴が固い音を立てて彼女の目の前に落ちた。

 その瞬間、起きたのは嵐のような何かだ。視界が閉ざされ、耳も何も捉えられなくなり、強風が身を打つような感覚を全身に受けた。

 

 それは、ほんの数秒だった。

 轟々と吹き荒れ、牢獄のような部屋で荒れ狂うナニカ。

 突如襲った嵐に混乱する間も無く。それは消え去り、次の瞬間―――彼女の目の前には、圧倒的な存在感を放つ何者かが何時の間にか立って居た。

 

 檻のような部屋に差し込む月明かりの中、赤い外套を靡かせる猛禽の如く鋭い双眸を持つ男性の姿。

 剣を持たず、甲冑も身に纏わないのに、不思議と騎士という言葉を連想させる清冽な佇まい。

 

「問おう。君が私のマスターか」

 

 静かだが、重い。身を引き締めさせるような清澄な声。

 それはきっと瞬く間の出来事だった。それでも彼女は今でも鮮明に覚えている。

 おそらく、永遠に忘れることは無い。この先、何があろうと。この光景は決して記憶から消えることは無いだろう。

 

 そして彼女は現われた男性の手によって、闇に覆われた部屋と共に絶望から解き放たれた。

 

 されど、彼女の見出した希望はまさに星の瞬きのように儚く。何時でも消え去りかねない微かな灯であり。事実として彼女は、後の世に“闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)”を始めとした様々な禍々しい二つ名で呼ばれる事となった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 驚愕の表情を張り付かせて問うイリヤの疑問に、童女の姿を持つ吸血姫はその始まりの“出会い”を語った。

 自身を吸血鬼にした男の手に囚われて、実験動物のように扱われ…いや、ただ観察され、望まぬまま親しかった者達を次々と糧にした絶望の日々。

 そして、奇跡とも言うべき“彼”との出会いによって、その日々から脱した事をエヴァはイリヤに話した。

 話を聞く内に、イリヤの顔は驚愕から呆然とした様に変わっていた。

 在り得ない―――と思う一方、自分が今この世界に居る現実から可能性は否定できない、とも考える。

 

 しかし一体、どうして…? どうやって…?

 

 英霊の召喚自体は確かに可能だ。高度な魔術であるが不可能では無い。けれど、サーヴァントのように実体を……肉体を持たせ、現世に物理的に干渉できるようにするには冬木の聖杯システムと同様の―――『第3法』にでも足が掛かった“魔法”に匹敵する奇跡が必要だ。

 加えて言えば、魔力も相応に、だ。

 優れた霊地である冬木の霊脈を利用して魔力を蓄積し、60年ごとの周期で聖杯戦争が行われていた事からも、それは明白だ。

 勿論、一騎だけであるなら単純計算でその7分の1で済む訳だが、それでも膨大な量になる。

 

「悪夢としか思えない日々から解放された私は、アイツ……あの人と共に住んでいた城と故郷から離れた。それから暫く……少なくとも5年程の間は、平穏だった」

 

 イリヤが考える間にもエヴァの話は進む。

 

「来訪者も稀な。小さな村で私達は静かに暮らした。幸いにも魔法…というか吸血鬼の能力として簡単な暗示が使えたし、彼も基本的な魔術を身に着けていたから、私達が一向に成長しない…老いない事は幾らでも誤魔化せた。人口が100人にも満たない小さな村で、来訪者が稀な事もこれのプラスに成った。まあ、それを狙って、あの村を住処に選んだ訳なんだけどね……」

 

 話が進む内にエヴァの声色と口調が変わった。何時もの不敵で不遜なナリが潜まり、何処となく柔らかい感じの女性らしい……そう、少女的なものだ。

 

「だけど、そんな穏やかな…幸せな日々も長くは続かなかった。稀に村を訪れていた……確か行商人だったかな? 一年に一度訪れるかも分からない人間が私達に不審を抱いたことが発端だった。村ごと異端の嫌疑を掛けられて、私達は追われる身に成った」

 

 声に陰りが帯びて顔を俯かせる。表情も何かに悔いるかのようだ。

 

「一か所には定住できない。長くいる事も出来ない。なかなか大変な日々だったけど。それでも辛くは無かった。あの人が傍に居てくれたから、支えてくれたから、守っていてくれたから……なのに」

 

 ギリッ、と軋む音がエヴァの口から聞こえた。

 

「ずっと傍に居ると言ったのに…! 私の命が在る限り、守ってくれると言ったのに…! 彼は消えてしまった……ううん、殺された! 人間どもに……ッ!」

 

 声色と口調が戻る。瞳に強い怒り……いや、憎悪の光が灯ったように見えた。

 

「あれ以来、私は人間を許せなくなった。アイツはそんな事を望んでいないとも理解していた。だが憎しみは容易に消えてはくれなかった。後はお前も知っての通りだ。裏の世界の歴史に知られているように―――奪って、殺して、犯して、侵して、人間どもに悪行の限りを尽くして、その尊厳を踏み躙ってやった! あの時は楽しかったぞっ!!」

 

 口角が歪みに歪み、エヴァの表情は喜悦に満ちた。

 

「私の姿と繰り広げる所業を見て、悲鳴を上げて、狼狽え、怯え、逃げ惑い、慈悲を請い、絶望に染まった顔を見せて皆くたばって行った! 男も女も子供も老人も誰であろうと関係無いっ!! ああ! 確かに私はあの時、既に多くの人を糧にしていた。けど、それでも城を出た後は何もしなかった。その必要も無かった。なのに奴等は…! ただ平穏に暮らしたかった私達に…! 何もしなかった私達に…! 身勝手な正義を振りかざして…! 私の大切な者を殺したんだっ!! 報いを受けるのは当然だろう!!…ククッ、ハハッ」

 

 喜悦を浮かべる笑顔の中に憤怒と憎悪が混じり、エヴァの表情は限りないほど歪み。狂った笑い声がその歪み切った唇から上がった。

 

 まさに闇だ、とイリヤは思った。

 

 真祖の吸血鬼、エヴァンジェリン・A・K・マグダウェルの心の奥深くに潜む大きな闇。600年の時が経ても消えない負の情念。

 自身の身体を魂ごと変異させられ、絶望に捕らえられて負い。そこから救い出してくれた大切な人を、希望を与えてくれた存在を奪われて出来た心の傷。

 普段は決して外へと出さない。見せないであろうソレが今、表に出ている。

 恐らくこうして誰かに語る事も、言葉にする事も無かったのだろう。多分、茶々丸も知らない。もしかしたらチャチャゼロもそうかも知れない。

 だから、長い年月を掛けて淀み溜まったソレが、その僅か一端であろうがこうして吹き出している。

 

 イリヤは自分の身体が強張り、身体が震えているのを。血の気が下がり、顔が蒼白になっている事を自覚する。

 眼の前に居る“真祖の吸血鬼”に恐怖しているのだ。

 エヴァの事を怖いと思った事は幾度もあった。けれど、恐ろしいと思うのは初めてだ。

 

 ―――此処に居たら殺されてしまう!

 

 無意識に覚える恐怖から頭の何処かでそう感じ。一瞬、脳裏に憎悪に濡れた双眸と三日月の如く歪んだ唇を浮かべるエヴァの鋭い爪によって、胴体を真っ二つに切り裂かれる映像が過ぎった。

 

「…っ!」

 

 イリヤは思わず身構え、エヴァから距離を取りそうになる自分に気付き、必死でそれを制止した。

 もし、僅かでも敵意を今のエヴァに向ければ、取り返しの付かない事態になる、と直感したからだ。

 しかし、エヴァは敏感にイリヤの気配を察したのだろう。一瞬、凶悪な鋭い視線をイリヤに向け―――

 

「―――スマン。少し…いや、随分と“引き摺られて”しまったようだ」

 

 ポツリとそう言葉を零し、発していた不穏な気配を消した。

 射殺せそうな視線を受けて、拙いと思い身を硬直させたイリヤはそれに拍子抜けするも……ホッと安堵の溜息を漏らした。

 

「イリヤ、私は“魔術”を知っていた。だが、お前には知らない振りをした。確証を持てなかったからでもあるが。この世界には存在しない筈の……或いは過去に淘汰された遺失した技術が、今更都合よく目の前に在るなどと思えなかったからだ」

 

 エヴァは、話を戻そうとしているようだった。

 

「だから―――驚いた」

 

 ジッとイリヤを見詰め。エヴァは呆れたかのように、または感嘆したかのように言う。

 

「京都でぼーや達を助けに言ったお前が、アイツの―――“シロウ”の力を行使した時は…」

 

 シロウ―――その名は、変わってしまった今のイリヤにとっても大事な……忘れられない大切なお兄ちゃんと呼んだ弟の名前。

 もう驚きを表すことは無いが、正直エヴァの口から聞く度に内心で受ける衝撃は変わらない気分だ。

 大切な人であるという事もあるが、この世界にどうしてどうやって現われたのか分からない…という大きな疑問がある所為かも知れない。

 そんなイリヤの内心に構わず、エヴァは話を続ける。

 

「しかし、怖かったのだろうな。都合よく現われたシロウに繋がる手がかりが……そうでなかったら、と。確信を得たというのにそこから一歩も踏み出す勇気が出ず、この時までお前に話すのを避けてしまった」

 

 エヴァは顔を伏せて自嘲するに様に言う。

 自他ともに傲岸不遜と認められる性格故に、らしくなく迷い逡巡した事が情けなく無様に感じているようだ。

 

「……ぼーやに感謝しなくてはな。あの過去を見たお蔭で踏み出す意思を……いや、忘れていた大事だったものを思い出せたのだから」

 

 伏せていた顔を上げてエヴァはイリヤを見詰める。

 

「シロウと坊やの源泉は似ている赤い炎に包まれた死に満ちた風景。そして父と呼ぶ人間から受けた影響。ただ経緯もそうだが、その根や本質は異なるのだろうが……重ねて見てしまう部分は多い」

 

 それはイリヤも感じている事だ。シロウとネギは似通っている部分が在る。ただその事情を深く知れば違うともいえるのだが……しかしエヴァがそう口にするという事は―――自分に向けられる視線の意味を察し、イリヤは言った。

 

「“見た”のね」

「ああ、シロウが居た頃……“契約”があったからな」

 

 エヴァは頷き、答える。

 

「本当…忘れていた。大事に思っていた筈なのに…な。アイツの過去のこと……その中にイリヤ―――」

 

 ―――お前の姿が在った事を。

 

 

 エヴァは知っていた筈だった。それが並行世界などと言う想像だしない異なる世界の事であったにしろ。単騎で数千、数万の戦力に匹敵する英霊が幾人も召喚され、激突する聖杯戦争という儀式を。

 彼が身を投じたその戦争(バトルロイヤル)に、この目の前に居る白い少女が敵として立ち塞がったのを。敵である少女を大事に思い助けようとしたらしい事も。兄と呼んで来る幼く見える少女が姉である事実も。

 自身に仕えてくれた無銘の英雄の記憶を垣間見る事で……だが。

 

 幾ら彼の記憶が摩耗し明瞭でなかったとは言え、何故忘れていたのか? 大切であった人の記憶を。これほどまでの大事を。

 

(考えるまでも無いか……)

 

 その程度で忘れるほど薄情でも、軽いものでは無いと言いたくもあるが、自分はそれ程までに長く生きてしまった。

 しかし、それでも……

 

(忘れてはいない。目を閉じれば今でもハッキリとその姿を思い返す事が出来る。告げられた声も……)

 

 エヴァは脳裏に、月光の下で起きたあの日の光景が浮かぶ。

 それは鮮烈にまで心に焼きついた奇跡としか思えない出来事だ。

 

(共に過ごした日々も)

 

 わずか数年であったが平穏と呼べた日々。已む無く放浪の旅へ……追われながらも、楽しくもあった東を目指した逃避行。

 こちらは、おぼろげに成ってはいるが、忘れ得ぬ大切な思い出だ。

 

 だから―――

 

 意識を過去に在った彼との日々から、今へと戻してイリヤを再度見詰める。

 遠い過去に従者であった大切な人の記憶に在ったままの容姿を持つ聖杯の少女を見、シロウの手掛かりへの確証と確信を深め―――それを告げた。

 

「イリヤ……私はシロウに会いたい。もう一度を話をしたい。声が聞きたい。姿が見たい。大きなあの手で私の頭を撫でて欲しい。抱きしめて欲しい」

 

 それは嘆願。

 

「なあ、イリヤ。お前なら…お前なら……それを叶えられるだろう。お前の中には今、アイツが居るんだろう……頼む! 何だってする。どんな代償でも払う! 私をシロウに会わせてくれ! お願いだ!」

 

 

 縋りつくような声だった。乞いへつらうような……エヴァさんにはとても似合わない姿だ。

 イリヤはそう思った。

 けど、

 それを指摘しようとも思わなかった。

 必死の表情で希う彼女が……まるで年相応としか言いようがない幼い少女の、その姿に感じるものがあったからだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 開け放たれた窓から緩やかな風が入って、美しい光沢を持つ白いシルクのカーテンを揺らしていた。

 時刻は未だ夜間。月明かりに照らされたその部屋はカーテン同様、白を基調として配色されており、清いイメージと同時に室内を飾る様々な調度品によって、豪奢且つ絢爛な雰囲気を持たされていた。

 

 そのエヴァの私室でガラステーブルを挟んで座る2人。

 イリヤは、目の前で懇願するエヴァに頷く事は出来なかった。

 

 当然だ。幾らイリヤが聖杯であり、クラスカードという形で『アーチャー』を所持していても彼を顕現させるのは難しい。出来るのであれば、とっくに行っている。置換されたこの英霊の核(カード)は未だ判らない部分が多いのだ……いや、それ以前にエヴァが求めるシロウとこのエミヤが別人だ。

 例え魂が全く同じ物であろうと“英霊の座”から別々に複製されて召還された存在なのだ。故にこの自分の内に在るエミヤはエヴァのシロウと連続した繋がりは無く、彼女の事を知る筈も無い。

 だからイリヤはエヴァの願いに応えられず、首を横に振ろうとし、

 

「判っている、難しいだろうというのは……しかし、手段は―――その手掛かりはある」

 

 エヴァはそう言い。イリヤが自分の願いを否定しようとするのを阻止した。

 エヴァは席を立つと室内を飾る調度品の一つ、美しく彫刻された金箔張りの化粧台の引き出しから見覚えのある小さな箱を取り出した。

 記憶に引っ掛かりを覚えたイリヤは、直ぐにそれが何だったのか思い出した。それは初めてエヴァ邸を訪れた時に見たタカミチがエヴァに渡した古めかしい木製の箱だった。

 席に戻ったエヴァはイリヤが木製の箱へ視線を注ぐのを確認し、開いてその中身を見せた。

 

「!―――それは…!?」

 

 箱の中を見たイリヤは困惑と驚愕の混じった声を上げた。

 窓から差し込む銀光を受けて輝く罅割れた赤い宝石。銀製と思われる細い鎖が繋ぐそれは見覚えのある代物だ。

 そう、それは、

 

「リンの…トオサカの家宝……」

 

 イリヤはシロウの名を聞いた時と同様の驚愕に囚われて、半ば呆然と呟いた。

 呆然とし、思考が停止したイリヤにエヴァは箱から取り出したソレを渡す。

 思わず渡されるまま受け取り、イリヤの耳にチャリと小さく金属が擦れる音が入った。

 

 イリヤは手の平に収まった宝石をまじまじと観察する。それは間違いなくかつて居た世界で見た赤い宝石だった。

 罅割れて無残な姿に成っているが、覚えのある“彼女”と同じ魔力をイリヤは宝石から微かに感じ取っていた。

 そして、覚えのあるこの宝石が変質しているのも解った。

 

 一体どのような経緯が在ったのか?

 遠坂家の家宝であるアーティファクトは、その秘めたるキャパシティの限りを使って魔術的加工が成されていた。

 それも信じられない事に、その加工作業にはどうも並行世界の自分(イリヤ)が関わっているらしい。

 エミヤ式及び本来の『解析』魔術を併用して確かめたのだから間違いは無いだろう。

 その『解析』の結果、宝石に施された加工―――術式にはアインツベルンの魔術が使用されているのを確認した。

 リンの持つ伝手と、あの閉鎖的を通り越して排他的な自身の一族の事を思えば、それ以外に考えられなかった。

 並行世界の自分(イリヤ)は、リンと協力してこの宝石の加工を行った。

 何の目的があったのかは判らないが、それも大聖杯に使われた技術を流用して、だ。

 

 その経緯は判らないが、お蔭で過去…エヴァの前に英霊エミヤが召喚された事情は多少であるが分かった。

 このアーティファクトが本来持つ魔力の蓄積容量。サーヴァント召喚システムの組み込み。そしてエミヤとこのペンダントの縁。

 つまり、召喚魔力量が解決し技術面の問題も解決。召喚対象もこの宝石を使う以上、半ば固定されたようなものだ。

 というか、これを見る限り、この遠坂家のアーティファクトは英霊エミヤを召喚する為だけに加工されたとしか思えない。

 

(本当、一体どんな理由と目的があったのか。本来ある汎用性を殺し、希少なアーティファクトを喪失しかねないリスクまで負ってこんなものを作るなんて…)

 

 イリヤは何処か呆れを感じながらも、そんな可能性(せかい)に思いを馳せずいられなかった。

 ともかくその製作理由もこの世界に落ちて来た原因も解らないが、この宝石がこの世界に英霊エミヤを呼び寄せたのは事実なのだろう。

 

(はあ、訳が分からないわね)

 

 驚きの連続の所為か、イリヤは自分の頭が少々混乱しているように思えた。

 エヴァが原作と異なり、吸血鬼にした人間の手に囚われていた事、それを救ったのが偶然なのか必然なのか、この世界に落ちて来た“遠坂の宝石”で、召喚された英霊エミヤことシロウ。

 続け様に明らかに成ったそれら原作との乖離。それも自分が居た世界…いや、また別の並行世界が関わっている現実。加えてエヴァからはシロウとの再会をお願いされているという。

 

 本当に、その意味が解らず訳が分からなかった。

 

 

 

 混乱を治めるためか、考えを纏める為か沈黙するイリヤにエヴァは話す。

 

「その宝石が、シロウを呼び。この世界に留める触媒である事は判っていた。だが、アイツが消え去る際……私はそれを無くしてしまった」

 

 悔いるかのような表情でエヴァはそう言った。

 

「しかし、今から数か月前の事だ」

 

 地中海に面するカジノや観光で有名な某国で開催される魔法関係者も参加する骨董オークションに、この罅割れた赤い宝石のペンダントが出品されるのをエヴァは知った。

 蛇足であるが彼女は、過去に築いた伝手と関係でそれなりにこの手のオークションなどに顔が利き、今でもお得意様の一人として情報やらパンフレットが送られてくるのである。

 恐れられる筈の“闇の福音(エヴァ)”を信望、あるいは崇拝する者達も魔法社会を含めた裏の世界には居るという事だ。

 パンフレットを見た彼女は受けた衝撃が過ぎると直ぐに行動を起こした。開催先の国に偶然にもタカミチが出張する事もそれを後押しした。

 溜め込んでいた貴重な宝石や貴金属類の幾分かを惜しげなく売り払い。オークションへの参加及び落札資金を調達してタカミチに託した。通話を使った非出席形式の参加でも良かったのだろうが、それでは今一不安であったし、事が事だけにエヴァは万全を尽くしたく彼に頼んだのだった。

 タカミチとしては仕事ついでという事で一向構わず、アッサリと了承した。

 そうして、オークションに参加した彼はエヴァに代わって目的の宝石を落札し、イリヤが初めてエヴァ邸を訪れたあの日にその宝石をエヴァに渡した。

 

 話を聞いたイリヤは更に考え込まずに居られなかった。

 ある意味、異世界人である自分がエヴァの所へ転がり込むと同時に、同じく異世界から来た代物がエヴァの下に渡るという偶然に。

 

(これも運命(Fate)なのかしら……?)

 

 手渡された赤い石を見詰め、そう内心で呟く。

 この一件―――600年も前に起きた事象が、現在自分に与えられた役割に関係しているのか、訝しんで。

 そんなイリヤの心情を察することなく、エヴァは話を続ける。

 

「だが、手にしたものの成果は全く得られなかった。研究の為にこの別荘を使ったにも拘らず、シロウを呼び出す方法が判らなかった。私に魔術の知識が無く、使えないというのが、やはり原因なのだろうが」

 

 そう、あの日、イリヤが訪れ、宝石がエヴァの手に渡った時から彼女は宝石に使われている術式の解明と研究に勤しみ、幾度も実験を行っていた。

 しかし言う通り、芳しい結果は得られず徐々に苛立ちが募り始めたある朝、アミュレットを制作すると言った居候が持ってきた“ソレ”を見た。

 

「本当に驚いた、あの時は……お前の作ったアミュレットを見た瞬間、心臓が止まるかと思った。驚愕を押し殺すのが大変だった」

 

 その言葉にイリヤはその時の事を思い出す。確かにエヴァは息を呑み、一瞬硬直した様子を見せていた。でも、

 

「……隠す必要なんてなかったんじゃあ」

「今にして見ればそうだろうが、あの時はさっきも言った通り、確証は無く、信じ難い思いの方が強かったんだ。こんな都合良く“魔術”を知る人間が直ぐ傍に居るなどという事は」

 

 余りに出来過ぎだと、却って疑念の方が大きかったぐらいだ、とエヴァは言いながらも、同時に期待も小さくも無かったが、とも続けた。

 

 

 

 話すべき事が無くなったのか、エヴァは沈黙し、イリヤも何も言わず静寂が室内を包んだ。

 エヴァはジッとイリヤを見詰める。何も尋ねないのは答えを聞く事が怖いからだろう。エヴァにとって自分を救いだし、命を掛けて尽くしてくれたシロウは誰よりも大きな存在だ。それこそネギの父親であるサウザンドマスターよりもだ。

 もし再会が叶わず、それが否定されたら……そう考えるだけで目の前が暗く成り、体の芯が震え、凍りつくかのような錯覚を覚えてしまう。

 彼が居なくなり、絶望と共に芽生えた憤怒と憎悪に身を任せ、復讐に奔った後。再び東を目指し、日本へ赴いたのは何も自分を討たんとする連中から逃れるだけでは無い。例え時代が違っていてもその地がシロウの故郷である事を知っていたからだ。少しでも失ってしまった彼の気配に近付きたくて、東の最果てにある島国へ足を踏み入れたのだ。

 

(そして私はまた、人を信じられるようになった。この国の人々と過ごす事で……)

 

 これもシロウのお蔭だとエヴァは思っている。

 そう考えてしまうほど、エヴァのシロウへの想いは強く、執心は大きい。

 だから何としても彼を取り戻したい。もしイリヤが無理だと言っても、自分は諦めないだろう。一時的に絶望するだろうが、少なくとも魔術の手掛かりは目の前に在る。

 それも―――

 

 ―――目の前に在るのはあの“聖杯(イリヤ)”なのだ。叶わぬ願いなど無い。いざとなればイリヤ(せいはい)その物を解剖(ちょうさ)し、研究すれば良いのだから。

 

 強すぎる執心の余りに浮かんだそんな冷酷な思考を口に出さず、その気配も悟らせずにエヴァは黙ってイリヤを見詰めた。

 

 

 

 イリヤは罅割れて美しさを損なってしまった赤い石を見詰め、結論を出していた。

 

(多分、エヴァさんの望みを叶える事は出来る……と思う)

 

 宝石の『解析』を行なって気付いた事だ。破損し大聖杯(第3法)の術式にも影響は出ているが……

 

(まだ“残っている”)

 

 そう、“存在”が重いのだ。微かに残る魔力の共に宝石の中核に混じっているものが、いや…留まっているモノが在る。エヴァもそれに気付いたからこれを手掛かりだと言ったのだろう。

 

(それも半壊状態だけど……“英霊の核”がまだ在る)

 

 恐らくこれは召喚の触媒のみならず、英霊の核を内包しサーヴァントを現世に留める器でもあるのだ。『第3法(ヘブンズ・フィール)』の一端を流用している事を考えれば、大聖杯同様にマスターの負担を軽減するバックアップ機能も在るだろう。

 

(なら宝石と核を修復し…術式も……それで魔力を蓄積すれば、行ける筈…でもその為には―――)

 

 宝石を修復する材料が必要だ。術式の方は……多分自分でも何とか出来る。“英霊の核”は……宝石の修復の目途が立ってからに成るだろうが。

 イリヤはその結論をエヴァへ伝える。手間も時間も掛かるだろうが可能だと。その瞬間、

 

「―――本当か!? 本当に出来るのか!? シロウにもう一度会えるんだな!!」

 

 エヴァはイリヤに詰め寄り、肩を痛いほど掴んで身体を揺さぶり、何度も可能なのか、とそう繰り返し訪ね。その都度にイリヤは首肯し、肯定の返事をした。

 とても封印を受けているとは思えない程の力の強さに、掴まれた肩から手を振りほどけず、痛みと揺さぶられる苦しさに堪えて何度も返事を繰り返した。

 

 しかし、無償という訳にはいかない。

 エヴァはどのような対価も払うと言った。ならそれ相応の要求を聞いて貰わなくては……。

 イリヤはそう内心で言い。エヴァからの興奮が落ち着くのを見計らって、それ告げた。

 

「エヴァさんに聞いて欲しい事がある」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 その話を聞いたエヴァは憮然とした表情を見せた。

 

「“抑止力”…か、またとんでもない話が出たものだ」

 

 エヴァは憮然としつつ苦みの籠った声を零した。

 

「ええ、だからお願い」

「確かにその話が本当だとすると、ぼーやを……いや、ぼーや達を急ぎ鍛える必要があるな」

 

 イリヤの言う“抑止力”……“世界の意思(ガイア:アラヤ)”が滅びの事態に反応し、動くという事は既にそれが起こっているか、近い内に事態が発生するという事を示している訳に成る。

 それがあの“アンリマユの呪詛”であり、それが協力する“完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)”の暗躍なのだろう。

 そして、それを阻止する抑止力()が―――

 

「お前であり、ぼーや達か…」

「恐らくね。私の方は確実だけど、ネギがそうであるかまでは断言できないから―――」

「いや、それも確実だろう。ぼーやは何しろ“完全なる世界”の宿敵であるナギの息子なんだ。その潜在的な力や先の事件での運命的な巡り合わせを思えば、尚更にな。それに―――」

 

 と。脳裏に浮かんだ英雄の息子とは別に、その傍に居るオッドアイの少女の顔が過ぎったが―――その事を口にするのは止める。

 エヴァは一度頭を振ると表情を憮然としたものから、不機嫌なものにした。

 イリヤが焦り、どこか急ぐのは抑止力の所為なのだと理解したからだ。それを優先せざるを得ない以上、当然自分の願い…シロウとの再会もその分後回しに成ってしまう。オマケに―――

 

「大丈夫なのか、本当に?」

「…それ位の猶予は在る筈よ。約束は必ず守るわ」

 

 イリヤは不機嫌な視線を受けるも自信を持って首肯して答える。

 その返事にエヴァは、やれやれと首を振って溜息を吐き、頷いた。

 

「分かった。私の方は…ジジイの許しが必要になるだろうが問題ない。むしろありがたいくらいだ。ぼーや達の件も何とかやってみよう。そっちはアイツら次第でもあるが、な」

 

 そうしてニッと不敵に笑ってイリヤの頼みと申し出を快く承諾した。無論、若干の不安と憂いも在ったが……。

 

 




 エヴァの設定を改変捏造し、紅茶の存在を加えました。
 元々これは本作を構想する前に、エミヤを主役として考えていたクロスネタでした。しかし没にするのは勿体無かったのでこの「聖杯の少女」に流用したのです。

 この展開はかなり予想外だったと思います。伏線も曖昧でしたし、イリヤの『アーチャー』の能力を見た時のエヴァの反応も書いてませんしね。
 その辺を予め書いてしまうと、バレバレになる恐れもありましたから……今にして思うと意表を突きたいささらの心情的に、それもあってArcadiaでもその辺を書かなかったのかも知れません。
 いずれはその時のエヴァの様子を書きたいと思います。


 次回からヘルマン編に入ります。このエピソードは複数回に分けて書いているのですが、一話、一話文章が長くなっている上に一部加筆を加えたいので更新は時間が掛かりそうです。
 その為、昨日と同様、定期更新時間としている午後7時に間に合わないかも知れません。それでも何とか0時までには更新したいのですが……それも厳しいかも知れません。どうか御了承ください。


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第16話―――訪れる暗雲(前編)

戦闘シーンをArcadia版より加筆修正しました。その為かちょっと繋がりがおかしい気も……。


 白亜の塔の上に煙の如く白い粉塵が舞い上がる。

 穏やかに流れる南国の風が緩やかに白粉の煙を運ぶも、その風の流れでは直ぐに吹き晴れる筈も無く。視界が覆われたこの状況を魔法の矢の乱射で生み出した少年は、目標へと距離を詰める。

 当然、目標にも魔法を―――下位では全く通じないので中位の『白い雷』をぶつけている。その直後に『遅延呪文』でストックしていた『光の矢・28本』を牽制も兼ねてこの状況を作る為に解放したのだ。

 目標が動いていないのは判っている。白く染まった視界の中でも目立つ“彼女”が纏う赤い衣装がうっすらと見えているから……けど、この奇策も本当に通じるのかは正直怪しい。

 それでも少年は目標へ駆ける。本当なら『雷の暴風』などの大呪文……それが無理でも先の『白い雷』のような中位魔法でもストック出来ていれば良かったのだが、今の彼では『遅延呪文』による魔法のストックは一つが限界だ。詠唱を再度行うにしても、そんな僅かな時間でも折角生み出せたこの煙は晴れてしまう。

 だから彼は接近戦を選んだ。距離が開いたままでは彼女の正確な投擲と射からは逃れられず、的に成るしかないのだ。

 先ず、“あの夜”…白髪の少年を相手にした時のように自分の杖を囮に目標へと向けて飛ばし、一拍遅れて一気に接近。

 

 パンッ

 

 と。乾いた音が大きく響き、少年の打ち出した拳は赤い外套を纏う少女の手に弾かれる。傍を通り過ぎた杖に気を取られる事も無く、この奇襲を予期したかのような余裕を持った手捌き。

 少年は微かに動揺するもやはりとも思い。動きを止めずに学んだ型と套路を活かし、四肢を駆使して連続で少女へ打撃を打ち込む。

 その都度、乾いた音が周囲に響き渡る。

 

 周囲の粉塵が晴れ、魔法の矢による破壊で景観がみすぼらしく成った闘技場が露わに成る。

 中心に在った石柱は半ばから折れて倒れ、囲む周囲の柱にもその痕跡が見え、白い床も所々が砕けて陥没している。

 

「!?―――…ッ」

 

 四肢をぶつけ合いながら応酬する2人、闘技場の上をジリジリと移動していた片方―――少女が陥没した地面に足を取られ、バランスを崩した。

 

 ―――貰った!!

 

 少年は内心で叫び、その隙を逃さず足を鋭く相手の胸の中心へと延ばす―――が、惜しくもその蹴りは少女の両腕に阻まれ狙いには届かなかった。

 しかし、体勢を崩していた為だろう。小柄な体格の少年から放たれたとは思えない重い一撃を受け、少女の身体が大きく吹き飛び―――数m後方で膝を着き掛けながらも何とか着地する。

 構えも取れていない。まだ姿勢も安定していない少女の姿。

 続く好機に少年は追撃を掛け、前屈みの姿勢で此方に顔すら向けていない白い髪の少女に拳を大きく振りかぶり―――

 

「―――駄目アル!!」

 

 遠くから生徒でもある拳法の師の声が耳に入った。

 途端、脳裏に過ったのは一つの既視感(デジャブ)。エヴァへの弟子入りテストでの一幕。

 テストで相手にした茶々丸にクリア課題である一撃を入れる為の策。

 

「しまっ―――」

 

 ―――た! これは誘い!!

 と。思い叫ぶ間も無く、既に身体は動いており、拳を放ち―――伸ばした拳は未だバランスを崩していたと思われていた少女に簡単に躱され…いや、避けると同時に少女は少年の伸びた腕を掴んで引き込み、円を描くかのように体に捻り入れて大きく踏み込み、鋭い肘を打ち込んで来―――

 

「カハッ…!」

 

 腕から体を引き込まれ、震脚を効かせた一撃が吸い込まれるかのように胸へと突き刺さり、衝撃と痛みと共に肺から空気が抜ける。

 完璧なカウンターだった。

 あの時に決められなかった一撃が……作戦が再現されて、少女に決められた。

 

「ぐうっ…」

 

 見事に突き刺さった胸への一撃を受けて吹き飛び、呼吸が乱れて呻きながらも何とか地面に足を着く。痛みと苦しさから思わず胸に手を当ててしまうが、それでも顔を伏せる事は無く、視界に相手の姿を収め―――

 

「!―――」

「フッ―――!!」

 

 既に至近に在った相手が放つ、下から突き上げるかのような貫手を咄嗟に左へと飛んで―――

 

「へ…!?」

 

 飛んで躱した先に金属質の光沢を持つ物が一瞬目に捉えられ、ジャラリとそれが首に絡まった。

 まるで蛇のように巻き付いた冷たい感触を持つそれが首を絞めつけ、ぐえ、と蛙のような声が漏れて苦しさを覚え―――途端、全身に抑え付けられるかのような力が加わり、視界が青く染まった。

 風を感じて流れる光景の中、白い雲と燦々と輝く太陽が見え、それが空だと認識した瞬間、今度は視界が白く染まり、凄まじい勢いで自分へと迫るソレが闘技場の床なんだと思った直後、凄まじい衝撃と共に全身に痛みを感じ―――彼の意識は暗転した。

 

 

 

「―――ふう」

 

 赤い外套を纏った少女―――イリヤは軽く息を吐いて、顔を上げて前方を見た。

 もうもうと粉塵が立ち上り、砕けて陥没した白い床の上にうつ伏せに倒れて気を失ったネギの姿が在った。

 彼の首からは鈍色の鎖が長く伸びており、それはイリヤの手に続いている。

 

「ね、ネギーー!!」

 

 明日菜の声が聞こえ、祭殿めいたテラスの方で見学していた彼のクラスメイト達が此方の方へ駆けてくる。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「……相変わらず容赦が無いアルね」

 

 古 菲が額から薄っすらと汗を浮かべてイリヤに言う。

 それは先の模擬戦のラスト。イリヤがカウンターを決めて追撃した時の事だ。彼女は貫手を避けられるままに何故か前へと駆け抜けたと思えば、避けた筈のネギの首に何時の間にか……いや、躱す方向を予期したのか、直前に杭のような物が付いた鎖を投擲しており、傍から見ればネギは自らその鎖に首を絡められに行った様に見えた。

 そしてイリヤは前へと駆ける勢いのまま鎖を引いてネギの身体を宙へと舞い上げ、遠心力を乗せて地面へと叩き付けたのだ。

 その光景の凄まじさは、衝撃音と共に噴火したかのように舞い上がった粉塵を見た瞬間、古 菲はネギが死んだと本気で思ったほどだ。

 

「まあ、仕方ないわ。アレぐらいしないと矯正出来そうになかったんだもの」

 

 イリヤは、額に汗を浮かべ引き攣った顔を浮かべる古 菲にやれやれと言った感じでそう答え、視線をネギの方へ向ける。

 

「―――ったく、だから言っているだろう。その左へと躱す癖は直せと…!」

「は、はいっ…す、すみません!」

 

 木乃香の治療を受けて眼を覚ました彼は、正座を強制させられてエヴァの説教を受けていた。

 その顔は青く染まっており、身体もかすかに震えていた。それはエヴァからの説教だけが原因では無かった。

 そう、眼を覚ましたネギは直ぐにその寸前の事を思い出し、さらに反省として模擬戦の記録映像を見せられ、その時の恐怖を思い出しているのだ。

 首を思いっきり絞めつけられ、千切れんばかりの痛みも奔り、首の骨が折れそうになる程の軋みを覚え。その上、自分の意思と関係無く凄まじい速度と力で宙へと放り上げられ、混乱し、訳の分からないまま迫り来る地面を見―――それと激突したのだ。

 その恐怖は如何程であったのか……恐らく、当分は忘れられないだろう。夢にも見るかも知れない。

 が、イリヤとしてもそこまでしたのは訳が在る。今もエヴァが彼に言った通り、どうにもネギには左へ左へと避けようとする癖が在るようなのだ。

 一応、師であるエヴァと古 菲は注意しており、改善はされつつあるのだが、戦いが長引いたり、咄嗟の事と成るとその癖が出て来てしまうのだ。

 その為、イリヤはここらで思い切ってショック療法的に敢えて強引というか乱暴というか、恐怖を刻み込む方法で癖が出た瞬間に叩きのめしたのである。

 

「しかし、やり過ぎではないかと……」

 

 刹那も額に汗を浮かべて言う。

 彼女としてもイリヤの言わんとする事は判るが、返って悪化するのではないかと心配にもなる。今度は躱す際に迷いが生まれるのではないかと。

 それに古 菲も頷く。

 

「ウム、迷って身体が硬直し、動けなくなる方が拙いネ」

「……」

 

 そう指摘を受けると、イリヤとしても少し不安に成る。

 まだ十代半ばとはいえ、熟練の武芸者と言える2人の意見をこうして聞くと、ウーム、やり過ぎたかしら…と。

 だが、そんなイリヤを援護するかのように此方の話が聞こえていたらしいエヴァが口を挟んだ。

 

「いや、それぐらいでどうにも成らなくなるのであれば、そうなる奴が悪い。このぼーやが何時までも癖を直さないんだから、尚更にな」

 

 不機嫌そうにネギの頭を乱暴にグリグリと押さえつけながら言う。

 

「あうう~、す、スミマセン、師匠(マスター)。以後気を付けます」

 

 目じりに涙を浮かべ、泣きそうな声を上げるネギ。

 

「フン、何度それを聞いたかな、ええっ!」

「あう、う」

 

 泣きそうなネギをさらに追い詰めようとするエヴァ。頭に掛ける力も増しているようでネギはさらに辛そうな声を上げる。

 

 そうして暫くネギの悲鳴がテラス内にBGMの如く響き。

 散々苛め抜いて気が済んだのか、エヴァはうな垂れて伏してしまった……正座の所為で足が痺れて動けなくなったネギを余所目にイリヤに再度視線を向ける。

 

「それにしても……無手でも戦えるとは判っていたが、予想以上に出来るのだな」

 

 何処となく確認するかのように……いや、微かに視線を上向かせ、遠い記憶を掘り返すかのようにエヴァはイリヤに尋ねた。

 

「まあ…ね、才能が無い分、より多くを学ぶことに費やした訳だしね」

「ふむ」

 

 エヴァは納得するかのように頷く。才能に恵まれず“一”を極められない“彼”の事を思えば、より多くの手数を有しておくのは当然なのだろう。況してや、その特異な“魔術”の事を思えば尚の事に。

 

「以前から見ていた限り、無手の時のイリヤは八極拳と空手が混じった我流っぽいアルな。それを軍隊や警察で使われるCQCへと昇華している感じネ……何処となく銃器の扱いも想定しているように見えるヨ」

 

 顎に手を当ててこれまでの見て来たイリヤの動きを、脳裏で反芻するかのように古 菲は言い。八極拳や空手はともかく、CQCなんてあまり一般的とは言い難いものへどういった経緯で至ったのか、気になるネ、と言った感じでイリヤに尋ねるが、さあね、とイリヤは曖昧に答えた…というか、そう答えるしかない。

 

「まあ……だが、最後のは少しルール違反だな。その意図は判ったが……投擲用の武器以外は使わない約束だったはずだが?」

 

 なおも聞きたげにしていた古 菲の追及を遮る為か、エヴァはやや強引に割ってイリヤに尋ねる。

 今回、イリヤがこの別荘を訪れた事もあり、せっかくなので一日の修行の締めであるエヴァ達との実戦形式の模擬戦を彼女に任せたのだが。

 その際、士郎に稽古を付けていたセイバーを真似てネギの二段階上を想定した他、杖以外は無手である彼に合わせる為にイリヤは遠・中距離以外は武器を使用しないと制限していた筈だった。

 

「それについては謝るしかないわね。私も使う気は無かったんだけど……ああ何度も癖が出るようじゃあ、ね」

 

 イリヤは、少し申し訳なさそうにしながらも苦笑しそう言い訳した。

 そんなイリヤを見、エヴァは仕方なさ気に嘆息する。

 

「はあ、それを言われると師としては反論し辛いな。まあ、仮にも実戦形式ともしている訳だし、事前の取り決めを鵜呑みにしたのも悪いか……」

 

 そうして鋭くネギへと視線を向けると、それに気付いたネギはビクリと体を震わせた。

 傍で心配し、介抱していた明日菜と木乃香はサッと離れる。この師弟関係については口出ししないと今日一日、ネギに課せられる厳しい修行風景を見て彼女達は誓ったのだ。とばっちりを恐れたとも言うが……。

 

「こうして見るとエヴァちゃんってやっぱり怖いわね」

「う~ん、所謂、スパルタっていう奴なんやろうなぁ」

 

 2人はそう感想を零すが、イリヤとしては“最強の某奴隷剣闘士”である人物の言う“ドS”な趣向だからだと思っている。

 尤も肝心な恋愛ごとになるとまた別なようだけど……とも感じている。一見積極的ではあるけど……いざ、相手から求められると弱い……或いは受け手に入るみたいな。

 

 その後、不興を買った為か、本来なら締めである模擬戦が延長され、今度は何時も通りエヴァを相手にした訓練(しごき)をネギは受ける事と成った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 時間が訪れて一同は別荘を後にし、エヴァ邸のリビングに上がる。

 

「あ、本当に一時間しか経ってないえ」

 

 時計を目にした木乃香が言うと、同じく携帯を開いて専用ネットに繋げて確認した明日菜も同意する。

 

「ホント、日付もそのままだ」

「だから言っただろう」

「はは…別に信じていなかった訳じゃないんだけどね」

 

 呆れた様に言うエヴァに明日菜は苦笑して応じる。そう、こういうのはやはり確かめたくなる物なのだ。

 

「じゃあ、エヴァちゃん。テスト勉強の時間が足りなくなったらまた使わせてよ」

 

 ネギの修行の見学をしつつ、折角出来た時間を無駄にしない為に刹那との鍛錬の他、中間テストにも備えたい明日菜は続けて言う。

 

「別に構わんぞ……ぼーやのついでにお前達にも稽古を付けてやろうと思っていた所だしな。特に神楽坂―――お前には…」

「―――え゛!?」

「何だその反応は?」

 

 意外なエヴァの返答に明日菜は思わず、盛大に腰を引かせる。そんな彼女にエヴァは胡乱な視線を向ける

 

「いや…だって―――」

 

 あのエヴァちゃんが何で私に? ネギの弟子入りだってやっと…って感じだったのに? と疑問も過ぎるが。それ以上にネギに行なわれた厳しい修行(しごき)が自分にも課せられる事への恐怖もあった。

 言葉にしなくても顔に出て判り易い明日菜である。表情からそれを読み取ったエヴァは、

 

「ほう、この私が直々に稽古を付けてやろうと言うのに不満があるのか?」

 

 鋭く明日菜を見据えて凄む。

 抱いた疑問以上に自分への恐怖を敏感に感じ取ったのか、どうやらSっ気が刺激されたらしく、弄ってやろうと思ったようだ。

 

「え、その…あはは、は…ゴメン、それはまた今度お世話になる時にね。ホラ、雨もこれ以上酷くなったら困るし、急いで帰らなきゃ」

 

 エヴァの先程ネギに向けていたような不穏な気配を感じた為か、明日菜は嫌な予感を覚えてそそくさと彼女から離れ、玄関の方へ向かう。

 

「む……まあ、いいか」

 

 折角、弄り甲斐があり、楽しめそうであったが、その楽しみは彼女の言う通りまた今度に取って置こうとエヴァはこの場で明日菜を見逃すことにした。

 そう、機会は在るのだから―――

 

「それではエヴァンジェリンさん。また明日」

「またなエヴァちゃん」

 

 刹那がお辞儀をし、木乃香は軽く手を振って別れを告げ、明日菜の後に続いて玄関へと向かい。残ったクラスメイトも古 菲以外の面々はやや沈んだ様子で挨拶をしながら玄関へと向かった。

 ネギも、

 

「それでは師匠(マスター)、僕も失礼します」

「ああ」

 

 刹那と同様、丁寧なお辞儀をして玄関へと向かうが、イリヤが此方に向かって軽く手を振っているのに気付いて立ち止まる。

 

「あれ? イリヤは行かないの?」

 

 既に工房の方に住居を移しているらしいイリヤが帰ろうとしない事をおかしく思って尋ねると、彼女は「ええ」と頷き、

 

「それじゃあね、ネギ」

 

 そう笑顔で返されたのでネギは思わず「う、うん」と頷いて、彼女と同じく「それじゃあ」と挨拶をして玄関から出て行った。

 軒先から「ひゃあ、スゴイ雨やなぁ」「わっ! 今光ったわよ!」と木乃香と明日菜の声が聞こえ、イリヤの姿が無い事を疑問に思う言葉も聞こえたが、ネギが何やら説明したらしく彼女達はそれほど気にした様子を見せず、そのままエヴァ邸から離れて行った。

 

 

 

 窓からエヴァ邸から離れて行くネギ達を見送り、イリヤはネギとやっぱり話をしておくべきだったかな? と微かに悔いめいた感情を覚えたが、修行に張り切る彼の姿と何処となく気を引き締めた様子でその師事に身を入れるエヴァの姿を見、気後れしたものを感じて機会を窺う事にしたのだ。

 或いはこの後に起きる“事件”の後の方が、良いのかも知れないと直感したのもある。夕映達のことを含めて―――

 

「ん…」

 

 エヴァが唐突に声を漏らしたのが聞こえ、イリヤも回路を通じて意識に触れるものを感じ、

 

(来たわね)

 

 内心で呟き、背後からのやり取りを―――「どうしました?」と尋ねる茶々丸に、「気の所為か」と答えたエヴァの言葉を否定する。

 

「いえ、“こっち”の警戒網にも掛かったわ」

 

 そう、近右衛門の依頼を受けて学園の各所に設置した探知魔術に反応した事を2人に告げた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 イリヤの有事を告げる言葉を受け、「やれやれ、面倒事か…」とエヴァは呟くと、言葉通り心底面倒くさそうにしながらも茶々丸に指示を出した。

 

「茶々丸、準備だ。侵入者は“例の連中”の可能性がある。完全装備で出るぞ」

「了解です。マスター」

 

 茶々丸は頷くと、つい先程まで居た地下の方へ再度降りて行った。

 完全装備との言葉に応じて武装を取りに行ったのだ。その間にイリヤは携帯電話で近右衛門に連絡を取る。

 どうしたイリヤ君? と暢気そうに電話口から尋ねて来る彼にイリヤは単刀直入に事態を伝えた。

 

「“こっちの網”に今反応が在ったわ」

『む!…それは―――』

 

 暢気そうな雰囲気から一変し、言葉の意味を理解した近右衛門が電話越しに息を呑んだのが感じられた。

 

「ええ、エヴァさんの張った結界でも反応は僅かだったみたいだから、かなり『隠形』に長けているみたいね。間違いなく“彼等”だと思う」

 

 近右衛門が息を呑んだ理由―――学園の結界に反応が無かったであろう事を察してイリヤは答えた。

 

「取り敢えず、こっちはエヴァさんと一緒に対処に向かうわ」

『わかった。こちらも警戒レベルを引き上げよう……気を付けるんじゃぞ』

「了解……そちらもね。何が起こるか分からないから…」

 

 と、互いに注意し合い電話を切るとイリヤはもう一度、別のダイヤルへ連絡を入れる。

 

 

 

 40秒ほど経過して茶々丸は地下から姿を現した。

 彼女の肩や手には、アタッシュケースやショルダーバックにボストンバックなどの幾つもの種類の鞄が見えた。

 その中身の大半は銃器や魔法薬などなのだが、アミュレットとタリスマンを始めとしたイリヤの製作した魔術品と礼装も入っている。

 この礼装に関してはエヴァの要求と提供された材料もあって特注の代物と成っている。

 

 エヴァと茶々丸の2人が防護用の礼装として身に付けるのは、600年の時を生きた真祖の吸血鬼たるエヴァの血を、同じく彼女がコレクションしていた年代物の宝石に混ぜつつ溶かし込んだ黒い外套で、彼女の髪も魔的な意味と概念を込めて織り込んである。

 その防護効果は下位魔法の無効化は勿論、中位及び上位魔法までのダメージを半減出来るという非常に強力な物なのだが、ただしエヴァ本人か、彼女と契約の繋がりがある眷属以外は纏う事が出来ないという大きな欠陥が在る。

 

 武器は茶々丸には2本の西洋風の剣(ロングソード)を用意しており、これも元はエヴァが過去に集めた業物でイリヤの手により、『アーチャー』の持つ知識を使って真銀(ミスリル)と過去にエヴァが退治し採取したという、とある魔獣の牙を用いた魔術的な鍛造がなされており、退霊及び退魔の呪文処理も施されている。高位の魔法使いの障壁でも容易に斬り裂け、例え英霊(サーヴァント)相手でも急所を狙えば致命傷を狙える代物だ。

 

 エヴァの方はアゾット剣にも似た赤い刀身を持った短剣である。効果もアゾットに似たようなもので用途は武器というよりも杖であり、タリスマンと同様、彼女の魔法を補強・増幅する機能を持たせている。

 コレのお蔭で今の最弱状態でも並の魔法使い程度の出力に止まるが、中位までならば魔法薬無しでも魔法の行使が可能と成っている。封印された身にとっては限りなく心強い礼装であろう。

 ただし主と成った材料はかなり特殊な物で、不老不死且つ再生能力が在る彼女にしか提供出来ないものなのだが……なんと“真祖の吸血鬼(エヴァンジェリン)”の左腕の骨を丸々一本使っていたりする。その為、これも外套同様、エヴァ本人かその眷属にしか扱えない欠陥が在るが、前述の通り彼女にとっては頼もしいもので強力な代物だ。

 

 主従共に黒い外套を羽織り、腰のベルトには魔法薬の入ったポーチと共に剣を差す。

 茶々丸は、更に銃器などの火器の選別に取り掛かり。エヴァは腰から短剣を抜いて品定めするかのように刀身を観察し、指で柄から先端に向けて腹を撫でると、

 

「『火よ灯れ』!」

 

 軽く一振りして始動キー無しの無詠唱で初歩の魔法を行使する。途端、ボウッと切っ先に松明ほどの大きな火が燃え上がったが……直ぐにライターが起こす程度のサイズに成る。

 

「ふむ…」

 

 改めて試しに魔法を使って感触を確かめたが、やはり今の状態では並み魔法使い程度の出力しか維持できないか……と内心で呟きながら軽く嘆息する。

 

「まあ、ありがたい事も確かなんだがな…」

 

 この最弱状態の自分にとって心強いのは理解しているが、かつての力を自覚するが故に不満も混じるのだった。

 

 茶々丸は火器の選別を終え、メインにM4A1を選択する。弾薬は5.56mmな上、付与が『障壁貫通』である為、やや威力は欠けるのだが、市街戦の可能性を考慮すると小銃としては比較的銃身が短いこの銃の取り回しは有用で、近接時にもそれは活かせる筈である。また遠・中距離時の援護も威力に不安はあるが可能だと判断していた。オプションはフォアグリップのみでM203などは選ばず、そこは別途に用意した手榴弾(グレネード)で補う。

 サブとしては、グロック21を選択。こちらは装弾数と威力の双方のバランスを取った結果だ。イリヤ謹製の剣で障壁を斬り裂ける事から45APC弾には『障壁貫通』では無く、威力重視の付与が成されている。障壁を斬り裂ける斬撃とこの銃による組み合わせで近接に対応する積りだ。

 

 準備の整った2人の姿を見、イリヤは自分の製作した礼装を身に纏った彼女達に妙な感慨を感じた。

 なんというか照れくさいような、恥ずかしさと共に礼装の出来の良さによる自信と頼もしい2人の姿に期待めいた高揚を覚えたのだ。

 自分の存在もあり、これならヘルマンに後れを取る事は無いだろう。

 そう、原作知識から思うのだが、あの変態紳士たる伯爵閣下の存在はネギの成長を促す要素でもあり、自分達が対処に出て良いのか? と迷いもある。

 しかし、

 

(これがお母様の刺客である可能性は否定できない)

 

 ヘルマンがフェイトの依頼で動いていた事から、ほぼ確信に近い危惧があってこうして対処に動かざるを得なかった。

 それを思うと今更ながらイレギュラーである自分達の存在に不安と共に苛立ちさえ覚えるが、

 

(ま、なるようにしかならない、か……)

 

 そう無理やりにでも納得するしかなかった。

 

 そして―――いや、しかしイリヤはこの時の判断を後に悔やむ事になる。如何に自分の覚悟が懐く恐れと危惧に比べて不十分だったか、認識が不足していたか思い知るのである。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 侵入者の位置は、比較的にエヴァ邸から近くにあり、準備を終えたイリヤ達はわずか数分で“彼”の前に立つことに成った。

 分厚い雲で陽光が遮られて雨が降り、やや冷え込んでいるとはいえ、この季節には似合わない分厚い黒いコートを着込み、頭にはソフトハットを被った体躯の良い初老近くの男性。それはイリヤの記憶に在る通りの姿だった。

 

「ふむ、これはこれは名高き彼の闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)殿にお目に掛かれるとは……」

 

 エヴァの姿を見、彼は心底感嘆した様子で此方に語りかけて来た。

 そこにはとても脅威と遭遇した恐れどころか緊張感すらも見えない。無論、最弱状態のエヴァを侮っている様子も無く。その背後に居るイリヤの纏う気配にも気付いていない訳でもないだろう。

 だが、彼は余裕を持った大仰な芝居めいた口調と仕草を止めることは無かった。

 

「と、いけませんな。私とした事が名乗りもせず。どうかご無礼をお許し下さい」

 

 深く反省するかのように頭から帽子を取り、男性は丁寧な動作で頭を下げた。

 

「私はヴェルヘイム・ヨーゼフ・フォン・ヘルマン伯爵……まあ、伯爵などと言っても没落したしがない身ではありますが、以後お見知りおきを…」

 

 そうして慇懃に名乗り、頭を上げてエヴァに穏やかな笑みを向ける。

 エヴァは、そんな芝居じみた真似をする敵に対し、フンと鼻を鳴らす。

 

「爵位を持った上級悪魔とはな。だがそんな“ナリ”で麻帆良に入り込むとは……此処の結界の探知を抜けるステルス能力は見事だが―――それでどうする? まさかそんな“姿”で私達を相手にどうにか出来ると思っているんじゃないだろうな」

 

 エヴァは、目の前に居る敵が―――名乗りの割には“矮小”な存在でしかない彼が間違いなく上級悪魔だと看破するが、その理由を霊格の高い存在を封じ込める麻帆良の結界の影響を逃れる為、自ら弱体化し、力を封じている所為だと見抜いていた。

 彼女の的を射た言葉にヘルマンと名乗る上級悪魔が愉快そうに笑い上げる。

 

「ふふ…ははっ、いやいや、全く申し上げられるとおり、真祖の吸血鬼たる貴女に挑むなど……例え万全な状態であろうとも避けたい事。まさに悪夢ですな。況してや“今”の私では大人しく敗れ去るしかありませんからな」

 

 ヘルマンの愉快そうな言葉にエヴァは警戒を強める。エヴァ邸で茶々丸に言っていた事だが、今麻帆良にこうしてちょっかいを掛けるのは、西以外では“あの組織”の可能性が最も高いのだ。式神でも鬼でも無く、この“悪魔”という刺客を見る限り、恐らく間違いは無いだろう。

 となると、コイツには自分達を含めた麻帆良の強力な戦力を相手にする手札が在る筈だ。

 

(奴が余裕なのはそれを示している…と思うが、それともハッタリか? いや―――)

 

 よくよく考えてみると、周囲は木々に囲まれた森の中だ。始めは侵入が悟られないように人目を避ける為に此処を通っているのだと思ったが、

 

(まさか、誘われたか? 此方の探知に気付いて?)

 

 人目に付かないという事は―――あくまでも仮にだが―――逆に自分達が敗れても誰の目にも触れられず、気付かれないという事にもなる。

 念話をさせる間も無く、妨害(ジャミング)系の魔法を使い『遠見』による観測も防げば―――その場合、麻帆良はどう判断する?

 

(私なら少なくとも簡単に敗れるとは考えない。交戦中で敵の足を止められているのだと判断し、健在だと考える。私やイリヤが簡単に敗れる筈が無いのだから)

 

 勿論、それでも斥候などを送るだろうから遅からず事態は把握できるだろう。しかしその合間……情報伝達が遅れ、正確性も欠く事に成る。それがどのような影響を齎すか…。

 

(なら―――)

 

 手札を切る前に仕留めるべきだ。そう判断し、念話で茶々丸とイリヤに呼び掛け―――背後から甲高くも重い金属音が響いた。

 

 

 

 それに逸早く気付いたのはイリヤだった。

 エヴァのような推測にこそ達してはいないが、やはり彼女のように警戒はしていた。

 脳裏に過るのは、京都でアイリが自分に向けて行った言葉。

 

 ―――近いうちに迎えを出すから、それまでよ~く考えて置くこと、良いわね♪

 

 あれから一月余り、そろそろ行動を起こしてもおかしくはなく、この機に乗じる可能性は非常に高い。

 だからエヴァ、茶々丸がいる面々で最もイリヤは警戒していた。原作知識からヘルマンはフェイト…引いては“完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)”との関わりが在るのは確実だと知っているのだから。

 だが―――

 

「グッ―――…」

 

 完全に予想外だった。

 突然、横から感じた気配に振り向き、辛うじて双剣による防御が間に合い。受けた重い一撃に身体を大きく飛ばされながらもそう思った。

 余裕な態度を見せるヘルマンに付いているのは、結界の探知を抜けたのもそうだが、気配を全く感じさせない事から“アサシン”ではないかと判断していたのに―――

 しかし驚いている間は無かった。間に合わないとも思ったが、それでも叫ばずには居られなかった。

 

「エヴァさん―――!」

 

 自分に斬撃を浴びせた黒い影が、自分を吹き飛ばすと同時に前方に居たエヴァ達の方へ疾風の如き勢いで向かっていた。

 茶々丸がヘルマンの方へ踏み出していたのも悪かった。

 

「―――っ!?…ガッ…ハ」

 

 イリヤの叫びというよりは、先の金属音によるものだろう。エヴァは素早く振り返ったが、防ぐまでには行かなかった。

 空気を裂く音と共に敵の放った横払いはエヴァの身体―――胴を見事に捉え、生々しい音を立てながらイリヤ同様、彼女の身体は吹き飛び、その先の在った木に叩き付けられた。

 斬撃によって身体が真っ二つに成らなかったのは、敵の持つ剣が彼本人の本来の獲物では無く、刃挽きされた物で鈍器と化していた為であったが、イリヤの礼装とそれによって強化されていた自前の障壁のお蔭でもあった。

 

「―――マスター!!」

 

 ヘルマンの方へ駆け出していた茶々丸が背後を振り返り、主が倒れたのを見て思わず叫ぶ―――が、「茶々丸、ダメッ!!」とイリヤが注意する間も無く、気を取られた彼女は敵の接近を許してしまう。

 

「―――!」

 

 結果、距離取ろうと敵の攻撃を防ごうとするも間に合わず、

 

「っ―――!!?」

 

 主と同じく横払いの一撃受けて吹き飛んだ。ただしエヴァとは違い。腹部から砕けるかのように二つに身体を引き裂かれ、様々な部品とオイルや冷却液、衝撃吸収材などの液体を撒き散らしながら……。

 それは同じ礼装による加護があれど障壁が無かった為なのか、それともエヴァを仕留められなかった事から同じ外套を纏う茶々丸に対して反省し、より重い一撃を浴びせたからなのか……或いはその両方か。

 ともかく、主従二人は一瞬にして敗北してしまった。イリヤの渡した礼装を活かす事も出来ずに。

 

「くっ……! やってくれるじゃない…!」

 

 その事実にイリヤは悔いるかのように歯噛みする。

 この世界でお世話に成った親しい彼女達が無残にやられた事もあるが、それ以上に不意を受けたとはいえ、彼女達の援護すらままならなかった自分に対する怒りの方が大きかった。

 しかし、脳裏の冷静な自分が告げてくる。

 不意を突かれて自分が無事なのは幸いだと。あの敵を相手にして―――イリヤは倒れたエヴァと半壊した茶々丸に視線を向けず、その敵を睨んだ。

 全身が鋼鉄に覆われた甲冑姿の黒い騎士。目を離すには危険な相手。第五次同様、化け物ぞろいの第四次聖杯戦争の中でも屈指の身体能力(パラメーター)を誇り、宝具無しの純粋な戦闘力では間違いなく最強であろう英霊(サーヴァント)

 彼の騎士王に仕えた円卓の騎士に名を連ね、その誇る武勇と数々の冒険を熟した偉業と伝説から、この世で最も誉れ高き最高の騎士と現在でも知られる“湖の騎士”―――サー・ランスロット。

 その脅威と感じる圧力(プレッシャー)にイリヤは肌に泡立つ物を覚えるが、引っ掛かる物も感じて思わずソレに意識を傾ける。

 

(―――にしてもバーサーカーのクラスで呼ばれた彼が気配を感じさせないなんて……)

 

 俄に信じ難い事実だった。“隠形符”を使用していた可能性もあるがその程度の魔法具では、あれだけの距離で自分が気付けないとは思えない。なによりも黒化を受けて狂化し、理性を失っている彼にそれを使えるとも思えな―――…いや、『無窮の武錬』を持つ彼ならそれも可能だ。しかしそれでもあの魔法符程度で自分が接近を気付けないとは思えない。

 なら考えられるのは彼の宝具の一つ『己の栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)』を利用したものなのか?

 だがイリヤは、その答えに内心で首を振る。

 

(アレは自らの正体(ステータス)を隠すためのモノ……『気配遮断』の真似事が出来るとは思えない。況してやバーサーカーのクラスのままじゃあ―――ッ!!)

 

 イリヤは思考を中断する。

 黒き甲冑を纏った騎士が、より黒い魔力を全身から溢れさせて突進してきたからだ。

 イリヤは干将莫耶を構え、まさに狂戦士と言うにふさわしいソレを迎え撃つ。

 

 ――――直後、森の中で激しい連続した金属音が木霊した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「……ふう」

 

 ヘルマンは、金属音を響かせて離れて行く暴風の如き気配を見送り、軽く溜息をした。

 上手く難を逃れた事への安堵の溜息だった。尤も対彼女用であったとはいえ、本当にあのイリヤスフィールという幼い少女があの凶獣のような騎士―――彼にとって信じ難い話ではあるが、彼の伝説の“湖の騎士”殿―――の一撃を凌いだ事実は驚きだったが。

 

「まあ、ともかく状況を切り抜けられたのは僥倖……侵入が気付かれたのは痛いが―――止むを得んな」

 

 彼は微かに無念そうに呟くと口に閉ざしたまま外へと念話(こえ)を飛ばした。侵入が察知された場合に備え、雇い主が敷いた布石を動かす為に。

 物事を完璧に運べなかった彼にとっては些か不本意な事では在ったが。

 

「―――さて」

 

 念話による合図を送った彼は視線を黒い騎士によって倒れた2人へ向ける。

 

「ぐぅっ…貴様! よくも―――!」

 

 口から血を零し、それでも怒りと闘志を込めてこちらを睨みつけて来る真祖の吸血鬼。

 骨…肋骨は恐らく粉砕しているだろう。内臓も甚大な損傷を負っている筈だ……にも関わらず、斬撃を受けた個所を手で押さえながらも立ち上がる彼女には敬意を表したくなる。幾ら不死の身であろうと今の彼女では再生も遅々としたものであり、その身を襲う痛みも相当なもので、とうに意識を手離していてもおかしくないのだから。

 しかし、だからこそ彼女を放って置くことは出来なかった。そうするには危険な存在なのだ。この数々の二つ名を持つエヴァンジェリン・A・K・マグダウェルという伝説は。

 

「彼の騎士殿の攻撃をまともに受けて立ち上がれるとは流石ですな。ですが―――」

「チィッ―――」

 

 ヘルマンが踏み込み。エヴァは対応しようとするが、傷を負った身体は思うように動いてはくれない。

 瞬く間に良いようにされ、外套や短剣のみならず、腕の付けたアミュレットやタリスマンを含めた武装が剥ぎ取られ、

 

「では、眠って頂きましょう。私には貴女を滅ぼす手段が在りませんし、石にするのも許されていないのでね」

「……おのれぇ」

 

 再び倒れたエヴァは、それでも『眠りの符』を向けて来るヘルマンを睨みながら……その符を貼られて眠りに落ちた。

 

「…マ、スター」

「ほう、まだ動けたか」

 

 大破のショックによって緊急停止(スリープ)していた茶々丸であったが、何とか再起動をする事が出来た。しかし既に遅く。何かを為す間も無く、主人が敵の手によって眠りに落ちるのを見過ごすことに成った。

 

「流石は技術大国ニッポン。魔法人形では無く、君のようなロボットが存在し、彼の“人形遣い(ドールマスター)”に仕えていようとは……まあ、魔法学も導入されている様だが…」

「……」

「ふ…主人に良く似ているというべきか、忠実というべきか、そのような身でありながらも闘志は衰えぬか」

 

 エヴァ同様、傷付きながらも不屈の意思が籠った視線を向けて来る機械仕掛けの人形(ロボット)にヘルマンは感心する。彼女の主人と同じく敬意を覚えるも、やはりその強い意思を見た以上は野放しにすることは出来なかった。

 

「君も危険だな。況してや機械に疎い私としては、どのような機能が在るのかも覚束ない。だから―――」

 

 ―――念を入れて破壊させて貰う。

 

 そうヘルマンは告げた瞬間、彼は大破しうつ伏せで地に倒れる茶々丸の頭部目掛けて空手でいう下段突きを放った。

 

「!―――」

 

 纏うコートと同色の黒い皮手袋で覆われた拳が迫るのを見、茶々丸は残された両手と動力(ちから)を使い。身体を捻るようにして避けようとし、同時に目に仕込まれた光学兵器(レーザー)を敵に目掛けて撃ち出す。

 

「ぬう…!?」

 

 それは機械に疎いと言った彼にとってまさに予想外というのもあったが、拳を振り降ろした最中の反撃(カウンター)な為、避ける事も防ぐ動作を取る事が出来ず、ヘルマンへまともに直撃した。

 凄まじい魔力(エネルギー)を持ち、一点に集中された眩しい光の線が高熱を伴い胸へと突き刺さるが―――

 

「あぐっ―――!」

 

 茶々丸も拳を避け切る事は出来ず、顔の凡そ左半分にヘルマンの大きな拳を受けて左頭部が砕けて吹き飛び、人間の脳と同様、頭部に在る重要なパーツである量子電脳が損傷しその機能を停止させた。

 

「ぐむぅ……見事なものだ」

 

 頭部の約半分を失い完全に力を失った彼女を見てヘルマンは唸った。

 

「このような手札を……起死回生の一手を打とうとは……」

 

 魔力が篭った熱線で焼けた胸を押さえながら彼は、それを行なった相手に感服した。

 何時でも撃てた筈のレーザーを此方が避けようの無いタイミング―――恐らくはそれを誘う為もあって、あのように強い視線で闘志を向けて来たのだろう。

 そう、止めを刺さんとした自分の攻撃の瞬間を狙った相打ち覚悟の一手を。それがこの絶望的な状況での最良の手だとこの機械仕掛けの少女は判断したのだ。

 

「まったくもって見事。決して諦めないその不屈の意思。思い切りの良さ。流石は闇の福音の従者だ。しかし―――」

 

 残念な事にヘルマンを倒すには至らなかった。恐らくは大破した為に出力が不足したか、照射途中でヘルマンの拳を受けてレーザーが途切れた為だろう。

 もしそれが無ければ、この場で自分は倒れていたかも知れない。本当に残念な事だ……奇妙な話ではあるが、ヘルマンは自身を危険に及ぼした相手にも拘らず、そうまでして果たせなかった彼女の無念を思うと、そう何とも感傷めいたものを覚えるのだった。

 

「ふふ…」

 

 僅かに笑い声が零れた。

 我が事ながら何とも矛盾した理解しがたい心の機微だと可笑しくなったのだ。そこには彼の持つ趣向に対しても向けられていた。

 才能の在る者を見出すと、その者の先を成長した姿を見たいと思いながらも、それを摘み取りたい。未来を奪いたいというどうしようもなく歪んだ想い。或いは欲求。

 

「まあ、ともあれ。仕事に移るとしよう」

 

 彼は思考を切り替えるかのように言うが、その顔に浮かんだ笑みは変わらず、

 

 ―――あの少年は、この歪な想い(ねがい)に応えてくれるだろうか。

 

 そう、期待を膨らませて内心で呟いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 寮への帰宅途中、携帯よりイリヤから連絡を受けた刹那は、友人たちを急がせて帰路を進んだ。

 学園の中でも屈指の堅牢さを持つ安全な寮へ避難する為に、イリヤから借りた傘が余り役目を果たさなくなるのも構わず駆け足で。

 なにしろ、

 

(侵入者は“完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)”……京都でお嬢様を狙った一味である可能性が高い)

 

 だから自然と声に出して皆に呼び掛けていた。

 

「皆さん急いで」

 

 と。

 幸いにも運動を苦手とするメンバーで無かった事もあり、息を切らせる者は居たものの皆は一度も足を止めること無く、然程時間を掛けずに刹那達は寮へ無事辿り着く事が出来た。

 寮の玄関を潜り、建物の中に入った刹那は微かに安堵のため息を吐いたが―――直ぐに気持ちを切り替える。寧ろこれからが本番だと。

 寮へ張られた結界に不安は無いが、それでも警戒はするべきでこの周囲を見張らなくては……そう考え、彼女は装備を整える為に部屋へ急ぎ向かおうとした。

 が、そこにネギが尋ねて来る。

 

「刹那さん。あの…侵入者って一体…?」

 

 エヴァ邸からの帰りの途中、電話を受けた刹那がそれを終えるなりに告げたその言葉は、ネギにして見れば全く突然な話だった。勿論、刹那にして見てもそうなのだが、彼と違って持っている意識や認識が……いや、情報量が違った。

 そう、京都の事件に関わり活躍したとはいえ、ネギはまだ見習いなのだ。あの事件で遭遇した(フェイト)が“完全なる世界”という父達の宿敵であった組織の一員で、事件の黒幕だとは知らされておらず、それが麻帆良に襲撃してくる等というのは想像さえ出来ないのだ。

 ネギに尋ねられた刹那はその事に思い至り、どう答えるべきか迷い沈黙してしまう。恩人であるネギに隠し事を……それも彼が求めて止まない父親にも関わる重要な事を知りながらも黙っているというは、刹那の誠実な性格もあり、後ろめたさがあった。

 しかしそれでも…いや、だからこそ、

 

「……言葉通りです。麻帆良に悪意を持った不逞な輩が侵入したという事です」

 

 数秒間の沈黙を挟んで刹那はそう答えた。“完全なる世界”の事は麻帆良……もとい協会内でも見習いを始め、戦闘要員以外の下級職員には機密扱いの事項であり、迂闊に話せるもので無いのだ。

 それに父に関わる事であると知ってこの真っ直ぐでありながらも、何処か歪に無茶を良しとする少年が、どう行動を起こすかも正直なところ不安であった。

 少なくとも今現在知る必要は無い。恩が在るからこそ彼の事を大事に思って刹那はそう判断した。尤も恩が在ろうとなかろうと、前者の機密事項という点から同じ結論を下したであろうが。

 

「そういう訳ですから私は、周囲の警戒に付きますのでこれで失礼します」

 

 と、ネギに答えた刹那はそう言ってペコリと頭を下げるが、直ぐにその場を離れようとはしなかった。ほんの僅か…数拍ほど頭を上げるのを遅らせ、

 

「あ、それなら僕も―――」

 

 予想通りの言葉を何事にも一生懸命な少年が言うのを聞き、刹那は頭を上げてその言葉を遮るかのように言う。

 

「いえ、ネギ先生。それはご遠慮ください」

「え? でも…」

「今回は、修学旅行の時とは違います。此処は本職である“私達”にお任せください」

 

 強い視線でキッパリという刹那に、ネギは思わず息を呑んだ。

 目の前に居る生徒である少女が眼に宿しているのは、ある種の覚悟であった。まだ見習いに過ぎないネギが持つ事が出来ない職務を背負った物が持つ責任感……云わばプロ意識とでもいうべきものだ。

 それを感じ取り、同時に理解する。未だ自分は見習いの身であり、彼女には遠く及ばない立場なのだと。

 ついこの間、先月の修学旅行で共に戦い。背中を合わせた事で仲間意識を―――対等な戦友関係に在るのだと考えて今回も彼女が戦おうというのなら、自分もと当然のように思ってしまったが、けれどそれは思い上がりなのだと自覚する。

 

「すみません。確かにそうですね。京都の時とは違いますし、麻帆良には正規の魔法使いが大勢いるんですから」

 

 自分の申し出が出過ぎた事だと理解した少年は、直ぐに自分の非も理解して頭を下げた。

 前回とは違って見習いの自分が敢えて関わる必要は無く。また見習いに過ぎない自分では足を引っ張りかねない、とそんな当たり前の事に至らなかった浅慮さに恥ずかしさを覚えながら。

 刹那は、そんな聡くも素直なネギを好ましく感じて微笑ましそうに笑みを浮かべた。

 

「はい、ご理解頂けて何よりです。しかし、勘違いなさらないで下さい」

「え―――?」

「私は別にネギ先生の事を頼りないとも、足手纏いなどとは決して思っていません。確かに今回は私達の仕事ですが、万が一という事もあります。もし寮内で何かあった時は―――」

 

 刹那の意外な言葉にネギは戸惑ったが、続けて言われた言葉にハッとした様に気付いた。先程は否定してしまったが、彼女は自分を仲間だと対等な戦友なのだと、信用し信頼してくれているのだと。

 確かに今起こっている事は基本、刹那達のような正規の職員が前面に立つべきものなのだろう。しかし見習いでも見習いなりに役割が在るのだ。そう、仮にも協会に籍を置く魔法使いである以上、担うべき責任はあり、事が起きているのを知った限りは、それに備えるべきなのだ。

 だから彼は頷いた。

 

「わかりました。その時は必ず木乃香さんと皆さんを守って見せます」

 

 刹那の向けて来る視線に応えて、ネギもまた強い視線を返した。

 刹那もまたそれに満足して頷き、笑顔で言う。

 

「はい、宜しくお願いします」

 

 と。

 

 だが―――

 

 その後、イリヤから同じく連絡を受け、正式な仕事依頼として刹那と合流し、寮の警戒に付いた真名と同様の楓であったが、

 

『くっ! どういう事だアレは!?』

「判らん…と言いたいが、既に敵に先手を取られていたという事だろうな」

 

 寮の屋上から大型狙撃銃――バレットM82A2のスコープ越しの光景を見つつ、真名は刹那の念話に応えた。

 スコープのサイトに捉えられているのは、西洋人と思しき風貌を持つ男性。その衣服は黒一色で統一されており、何処となく不吉な物を連想させた。

 

(いや、事実アレはそういう存在だ)

 

 真名は己が秘める特異性からそれを見抜いた。その血を半分受け継ぐ“自分達”に近しくもより深く邪な存在。

 

(“悪魔”とは…厄介なモノが出て来たな。しかも非常にらしい悪辣な手を使ってくれている)

 

 そう思い…刹那が焦燥する原因(わけ)を見る。スコープの倍率を下げて視界を広げると件の悪魔の傍には透明な硝子のようなドームがあり、中には何故か全裸で閉じ込められているクラスメイト達の姿が在った。

 綾瀬 夕映、宮崎 のどか、朝倉 和美、そして古 菲まで。

 

「陳腐な手だが、確かに有効だ」

『だが、寮には幾重もの結界が―――』

『抜けられたという事でござろう』

「そうだろうな、どうやってか…までは判らんが」

『くっ!』

 

 信じ難く考え辛い事であったが、真名と楓の言葉を受けて刹那はそれを認めざるを得ず、唇を噛んだようだった。

 それでも一抹の希望を求めて、刹那は真名に尋ねる。

 

『龍宮、アレは間違いなくクー達なのか?』

 

 と、良く似せた偽物か、映像の類ではないかと。しかし真名は否定する。

 

「残念だが本物だ。裸である所を見るに浴場にでも居た所を不意を突かれて襲われたんだろう」

 

 あそこなら先ず間違いなく武器などを携行することは無いし、何かと気も緩みやすい。狙うなら絶好の場だしな、とも付け加えた。

 尤も言う本人は、銃器を隠し持って行ったりするのだが、それは言っても詮は無いだろう。

 

「おそらくだが、イリヤスフィールの“護り”を警戒したと見るべきだな。まだ綾瀬達に支給されてはいないようだが……」

 

 イリヤの革新的な魔法具の事はまだ魔法社会では大々的に広がってはいないが、情報に聡い者達なら何かしら掴んでいてもおかしくは無い。真名の言葉はそう考えてのものだった。

 

(しかし、どうしたものか? 距離は100mも無い。狙撃自体は十分可能だが……危険だな。奴の身に何かあった途端、綾瀬達の身にも危害が及ぶ仕掛けが在ると見るべきだ)

 

 そう考えて囚われたクラスメイト達の姿を見る。その胸には呪符が張られている。恐らく本人たちには剥がせない物だろう。

 だが、このまま見過ごせば、自分達を含めて彼女達の他にも被害が及ぶ。ならばいっその事―――と、そこまで思考を巡らせた時、脳裏に声が響いた。

 

『既に見えていると思うが、此方には人質が居る。私としてはこのような幼い娘達を盾にするような真似は余り好まないのだが、今の私では君たちの相手は少々骨だ。特に神鳴流の君は』

 

 そういって悪魔は、刹那の方へ視線を向けた。

 念話を通じて刹那の歯軋りが聞こえた気がした。次に悪魔はこちらに視線を向けて来る。穏行符で気配を絶ち、都市迷彩でカモフラージュしている筈の真名の方へ。

 そして真名が危惧していた事を告げた。

 

『そこから問答無用で私を狙い撃っても良いが、その場合、彼女達の身の安全は保障出来ない。あの娘達に張ってあるのは文字通り呪いの符でね。死に至る事は無いだろうが、相当苦しむ事に成る』

 

 真名は思わず舌打ちする。自分の位置がバレている上に悪い予想が当たった事からだ。

 更に彼は追い打ちをかける。

 

『無論、このままでも同じ事だ。時間稼ぎをされても困るのでね。今のままでも呪いは徐々に彼女達の身体を蝕んで行く。数分もしない内に死んだ方がマシな状態に成るだろう』

 

 チッ、真名は再度舌を打った。中々に用意周到だと。この状況を生み出し、此方の動きを制限した事もそうだが、長距離の念話は勿論、寮内への念話も妨害が掛けられているらしく全く繋がらないのだ。

 

『貴様の狙いは何だ!』

 

 刹那が悪魔に尋ねる。此処までするのだから敵には何かしらの要求か目的が在る筈だと思っての事だ。時間稼ぎが無駄な以上…いや、クラスメイトを苦しめたくは無く。刹那は早々に敵の話に応じる事にしたようだった。そこには明らかな悔しさも篭っていたが。

 ただ、素直に答えてくれるかまでは不明だったが、

 

『ふむ、私の目的はネギ・スプリングフィールドとカグラザカ アスナの2人……』

 

 意外にも返答が帰って来た。

 

『ネギ坊主はまだ判るが、明日菜殿に?』

 

 楓の疑問に満ちた声が念話に割って入った。

 

『残念ながらそれ以上は答える事は出来ないが、用が在るのはこの2人だけだ、他には無い。その用さえ果たせれば、彼女達は無傷で解放する』

「それを信用しろと?」

『信用できない気持ちは判るが、そういう依頼だ。それでも信用できぬなら―――このヘルマン伯は、我らが主たる偉大なる“御方”に誓って約束しよう』

「!!?」

 

 真名は心底驚いた。この悪魔は本気であの2人以外には危害を加えないと言っており、“地獄の主”の名に於いて“誓約”したのだ。

 まさに不意を突かれる思いがあった。

 念話越しに伝わる気配から刹那も同様なのだろう。楓も彼が言った意味の深さは判らないが、その本気を感じた様だった。

 

『理解してくれたようで何よりだ。では武装を解除し大人しくして貰えるかな?』

 

 此方の気配を感じ取ったのだろう。そういって彼が懐から取り出したのは数枚の『眠りの符』と『封縛符』だった。

 スコープから目を離し、玄関前に居る刹那の方へ視線を向けると、彼女は苦渋の表情を浮かべているのが見えた。近くの木に潜む楓も表情を殺しているが同様の気配が滲み出ていた。

 真名にしても打開策が見えず、要求を呑まざるを得ないと感じている。

 だが、ネギと明日菜の身とクラスメイト達の4人。どちらが重いのか? その判断が付かず、更に言えばそのような天秤に計る行為自体、刹那は嫌悪していた。

 

『まだ迷いがあるようだ……ふむ、ではもう一つ、ネギ君とアスナ嬢の2人に対しても命を取る積りは無い、と付け加えて置こう。特にアスナ嬢には丁重にと念を押されている』

 

 ―――どうするかね?

 

 そう、最後に告げられて刹那は力を抜き、その愛刀を手離して自らの意思を示した。

 その相方の様子に真名もやれやれと言った感じで観念し溜息を一つ吐くと、彼女と同じく武装を解除して屋上を飛び下りて力を抜いた刹那の隣に並んだ。

 楓もそれに続いた。

 3人の様子にヘルマンは満足げに頷くと、雨に濡れた地面から幼い少女……というよりは文字通り幼児が姿を現し、無抵抗の彼女達のボディチェックを終えるとヘルマンから預かった2種類の符を真名たちに使った。

 

 そうしてその場に残ったのは、黒衣の男の姿のみだった。抵抗を排した彼は悠々とした足取りで寮の玄関を潜った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 イリヤから連絡を受けた近右衛門は、彼女に告げた通り直ぐに協会職員に命令を発して警戒レベルを引き上げた。京都の時と同様に。

 そして十数分後、半ば予測された事態が起こった。

 学園内の幾つかの箇所にジャミングが掛かり、遠見や念話及び電話回線すらも通じなくなったのだ。その上、学園外縁部に無数の魔力反応が掛かり、

 

「召喚か…」

『はい、確認された限り、鬼を始めとした妖怪の類です。数は凡そ最低でも500にも達しております。現在も増大中です』

「ぬう…多いのう。術者が居るとすれば30人前後になるな」

『西の手の者だとお考えで?』

「……君はどう思う」

 

 近右衛門は電話先の明石の問い掛けに逆に尋ねる。

 明石は数秒程黙考してから答えた。

 

『……可能性は低いでしょう。それだけの術者が動けば幾ら何でも西の上層部が気付きます』

「じゃろうな、しかし彼奴らの手にしても……鬼というのは、些か腑に落ちんな」

『西の仕業と見せ掛けて、和解を妨害しようとしているのかも知れません』

 

 うーむ、と唸る上司に明石が言うが、近右衛門は首を横に振った。

 その線もありえるが、今一しっくり来ないのだ。

 

「まあ、考えるのは後じゃ、取り敢えず対応せんと……たとえこれが陽動であろうとも、な」

『はい…』

 

 近右衛門の言葉に明石は沈んだ声で同意した。

 そう、この外からの襲撃は、既に内側に入り込んだ本命が動き易くする陽動だと彼等は認識していた。

 恐らく外から圧力を掛けて内に回す手を封じようとしているのだろう。

 ありきたりの手だが、それ故に有効だった。事実それを理解していても手を打ち、少なくない戦力をそれに振り向ければいけないのだ。

 オマケに敵戦力の全容が判らないという問題もある。既にこれだけの戦力を投入している以上、無いとも思いたいが、そうも行かなかった。

 その為、遊兵を作る事に成るが更なる別働隊に備えた予備部隊を編成する必要もある。

 

「ふう、取り敢えず、現在現われた敵の陽動にはガンドルフィーニ君と瀬流彦君を中心とした(チーム)を当て、弐集院君の班は予備に。明石君達はこのまま学園中枢の防衛及び警戒網の監視と各班への情報支援の他、各方面部と西への連絡を任せる」

『了解です。……高畑先生の方は?』

「刀子君と神多羅木君と共に女子寮の方へ向かって貰う―――どうも胸騒ぎがする」

 

 エヴァも居るし、大丈夫だとは思うが―――近右衛門は白い少女の事を思い浮かべて抱いた不安が杞憂である事を祈った。

 自分はまだ動けないのだ。万が一の……中枢への侵入と、いざという時の為にも―――。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 森の中で黒い影と赤い影が激突する。

 黒い影は理性無き狂戦士のクラスに呼ばれた彼の“湖の騎士”の英霊。赤い影は錬鉄の英霊たる『アーチャー』をその身に宿す異端の少女。

 バーサーカーとイリヤは互いに剣を持ち、人の身には余り過ぎる性能(チカラ)を持って切り結んでいた。

 轟々と大気を切り裂く音を立てて、音の速度を優に超えて刃金同士を激突させる。

 魔力を乗せた互いの剣撃は激突する毎に衝撃を生み、大気を揺らし、地を響かせ、周囲に在る枝と梢を震わせる。剣を振るい、それを生み出す本人達が傷付かないのが不思議なほどの凄まじい応酬だ。

 

 だがそれを行なう片方…イリヤは、それを応酬だと言うことは出来ない心境だった。

 とてもではないが、そう言える訳がない。

 何しろ攻め続けるのはバーサーカーで、自分はほぼ防戦一方なのだ。一方的に攻撃され、受けに徹する状況を応酬している等とは決して誇れなかった。

 

「くぅ…」

 

 正直、唸る余裕さえ惜しいのだが、つい声に出てしまう。

 狂化しながらも洗練された剣技を、狂化された凶暴且つ凶悪な筋力を余すことなく乗せて繰り出して来るのだ。しかもただでさえ高い基本性能(パラメーター)が黒化でさらに高められているのだ。

 打ち合ってからもう…いや、まだ数分であるが、能力(ステータス)がさほど高くない『アーチャー』で此処まで持っているのは奇跡に等しい。

 

(まったく、もう何本の剣を弾き飛ばされた―――か…っ!)

 

 思った瞬間に右の干将が手元から離れ―――いや、離した。

 イリヤは『アーチャー』の眼を持ってしても視認不可能な剣撃を『心眼』による戦闘理論に従い。剣を振るう敵の体捌きからその剣筋を読んで、自ら隙を作って誘導した個所へ誘う事で受け流すように防いでいるのだが、十合に一度程度の割合で受け流し切れないものが在り、その瞬間、圧倒的な膂力による攻撃を受け止めないように敢えて剣を手離しているのだ。

 もし受け止めてしまえば、伝わる衝撃が大きく腕ごと弾かれる上に痺れて次の攻撃を捌けなくなるのだ。だからその場合はギリギリ身体を掠める程度にまで成るまで見極めて受け、剣を弾かせた後に失った剣を再度投影していた。

 その為、この数分で既にイリヤの身体のあちこちは傷だらけに成っていた。

 

「―――っ」

 

 また干将を弾かれた瞬間。イリヤは微かに呼気を吐き。

 

(―――停止解除(フリーズアウト)! 全投影連続層写(ソードバレルフルオープン)!!)

 

 回路に待機させていた無数の剣弾を解放し、“今度”は敵の直上…僅か3mの高さから一斉に放った―――だが意味は無い。

 

「■■■■■―――!」

 

 バーサーカーは大きく踏み込み。防戦一方のイリヤはそれに押し込まれる。そして押し込んだ分だけ、黒い甲冑は前へと進みでて、その背後に剣弾が降り注ぐ。そう、この狂戦士はそのようにして“先程”も剣弾を強引に躱したのだ。

 何とか距離を開けようと、バーサーカーの後退を狙って斜め側面から剣弾を投射した瞬間、技巧よりも力と速度を優先し、剣技が荒々しくなるのも構わず…恐らくそれでもイリヤが攻勢に出られないと踏んで、イリヤにより間合いを詰め、彼女を押し込む事で。まるで距離を取りたがっているイリヤの思考を読むかのように―――見事に躱し切った。

 

 だから意味は無い。剣弾での牽制はこの距離に詰められた時点―――最初の遭遇の時点でその意味を失くしている。

 

「―――いえ…!」

 

 短く呟いた―――否と。

 このように躱される事など分かっていた。先と同様にこの狂戦士は押し込んでくるだろうと、だからイリヤは直上から剣弾を叩き付けた。

 そして前へ進み出た彼の背後に剣弾は降り注ぎ、地を穿ちそこに突き立つ―――瞬間、

 

(―――壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム))

 

 イリヤの念を受けてバーサーカーの背後で剣弾がその内にある幻想と神秘を炸裂させた。

 その炸薬量(しんぴ)は、自分を巻き込まない為に低ランク宝具を使った事もあり、比較的少ないがそれでも爆発力は軽く数十m程の範囲を焼き払い、形あるものを吹き飛ばすだけの威力はある。

 そしてそれを真っ先に受けたバーサーカーは大きくバランスを崩し、だが倒れずに居たが―――隙が出来、爆発のタイミングを当然理解していたイリヤは、寸前に大きく後方への跳躍の姿勢を取っており、爆破とほぼ同時にバランスを崩す彼に合わせて跳んでいた。

 

(―――取れた!)

 

 距離が!…イリヤは二度ほど大きく跳躍して出来た200m近い敵との間合いに内心で喝采を上げる。

 無論、この程度の距離は英雄であり、英霊であるバーサーカーなら秒という間もなく。詰められるだろう。だが仮にも此方も英霊だ。その秒という間もない時間で十分。これで『アーチャー』の本領を得られる。そう思い。それでも距離を縮められない為にも、

 

(―――投影開始(トレースオン)全投影工程完了(ロールアウト)投影装填(トリガーオフ)!…全投影連続層写(ソードバレルオープン)!!)

 

 未だ態勢を整いられていない、爆炎に包まれた敵に目掛けて二十以上の剣弾を投射する。

 イリヤの魔力を受けて一瞬で超音速を越えて極超音速に達したソレを、

 

「■■■■■■ーーーー!!!」

 

 直後、態勢を整えた黒い狂戦士は吶喊し、手にした漆黒の剣で飛来するソレを弾きながらイリヤへ迫らんとする。凄まじい速度と運動量の乗った重い鋼の剣をものともしない勢いで。だが―――させない!

 

(―――投影開始(トレースオン)!)

 

 イリヤの呪文(イメージ)を受けて剣弾に続き、バーサーカーの眼前に壁が出現する。凡そ人間が振るうどころか、持つ事も出来ないであろう無数の巨剣の群が大地に深く突き刺さって並び、彼の進む道を阻む。それに対し―――■■■■■!!

 

―――狂獣のような雄叫びと共に彼は跳んだ。

 

 今、手にする刃挽きされた剣では…『騎士は徒手にて死なず(ナイト・オブ・オーナー)』で宝具と化した武器でも、狂化と黒化を受けて上昇した筋力(パラーメーター)でも、この北欧の巨人族が使った巨剣は砕けないと判断して。

 しかしすると当然、

 

(―――幾らスキルで武技は冴えて戦力は十全でもやっぱり狂戦士。複雑な思考は出来ず、本能を優先し目の前の敵に喰らい付くのみか…)

 

 そうイリヤが内心で呟くと同時に、迂闊にも跳躍し巨剣を跳び越えんと宙へ舞い上がった彼を捉えた。異質なカタチを持った剣を番えた弓で―――

 

「―――赤原猟犬(フルンディング)!!」

 

 巨剣の影から飛び出した黒い甲冑が視界に入った刹那の瞬間、真名を唱えてソレを放った。イリヤの持つ膨大な魔力を受けた渾身の一撃(取っておき)を。

 

 音を遠く彼方へ置いてソレは空を疾走する。極超音速をも優に超える赤い閃光となって、凄まじい衝撃波を放ちながら―――ソレを、

 

「■■■■■■ーーーッ!!」

 

 巨剣を飛び越えたバーサーカーは吼え、漆黒に染まった剣を振るって迎撃する。その脅威を理解しマスターから供給される魔力を燃やしながら渾身の力を籠めて―――瞬間、

 

 異音が全てを揺らした。

 

 空と大地を、周囲の木々を、森を、天上高くある雲を、降り注ぐ雨粒を、

 

 イリヤが放った赤い閃光と黒い禍々しい魔光の剣戟が激突し、生じた余波(おと)によって。

 

 その余波を身に受けつつ、イリヤは動じることなくそれを見た。

 未だ衝撃を伴いつつ空を疾走する赤い閃光とそれを迎撃し続けるバーサーカーを。

 

 そう、渾身の魔力を受けた『赤原猟犬(フルティング)』は、その刀身()の赤さを示すように血に飢えた猛犬の如くバーサーカーを追い立てる。何度も飛び付き、何度も弾かれようと、取って翻してはその硬い甲冑を喰い破り、首へと喰らい付き、引き千切らんとする。

 それを阻まんと…否、むしろ逆に捕って喰らってやらんとするかのように黒い狂戦士は剣を振るう。禍々しい魔力を纏い、燃やし、手にする剣に乗せて赤い猛犬に叩き付ける。

 

 その光景は、まるで狂った猛獣同士の激突だ。

 周囲に見境なく破壊の痕跡を刻み、ただ、ただ、お互いを喰らわんとする原初的な競い合い。

 己が先の事など考えない。後先考えない力のぶつけ合い。力の尽きた方が倒れるという単純な闘争。故に―――

 

(―――! これを凌ぐの…!?)

 

 黒い魔光の剣戟を受け、赤き魔剣がその(ひかり)を失うのを見て、イリヤは驚愕する。

 僅か数秒の間、数十を超える魔剣の猛追を全て迎撃して、耐えるバーサーカーの姿に戦慄する。そして―――

 

「ッ―――マズ」

 

 完全に魔剣の力が尽きるか否かという所で黒い甲冑は再び地を駆けた。イリヤの方を目掛けて、それに彼女は…。

 

(迎撃を―――!? 距離を―――!?)

 

 それは一瞬の迷いだった。

 再度迫る狂戦士を見、双剣で迎え撃つか、後方へ跳ぶか迷い―――

 

(―――馬鹿ッ!)

 

 遅まきにそれに気付く。己の迂闊に。迷いを抱いた愚かさを。勝手に勝利を確信してしまっていた馬鹿さ加減を!!

 

「くっ!」

「■■■■■■■■■■■■■ーーーッッ!!!」

 

 イリヤは、折角の優位(きょり)を詰められて振り出しに戻る事となった。

 そして幾数分―――

 

(ぐうっ! やっぱりアーチャーじゃあ、とてもではないけど、打ち合えない……! けど―――)

 

 先程以上に猛攻を続けるこのバーサーカーが相手では、再度本領である遠距離に持ち込むのは無理だ。同じ手が通じる訳が無いし、カードを切り替える隙も無い。

 理性を失おうと、彼は騎士の中の騎士である騎士王に仕え、最高の騎士だと謳われるサー・ランスロットなのだ。

 そんな相手に二度も不意を突けるなんて思えない。

 

(拙いわね……何とか打開しないと―――)

 

 それでもイリヤは何とか対策を練ろうと防御に徹しながらも(アーチャー)の淵にある剣の丘に意識を伸ばす。

 

(そう、シロウ(かれ)は戦う物では無く、作る者。戦う相手は目の前の敵では無く、己の内に在るのだから…!)

 

 『アーチャー』こと英霊エミヤ シロウ―――自分の大切な弟の未来の一つ。その彼の一度の敗北も無く、その生涯を戦い抜いた力の本質を知るが故に、イリヤは諦めずそれを信じて打ち勝つ手段を模索する。

 

 それにあのヘルマンの動向もそうだが、あの場に残した―――バーサーカーの猛攻によって離されたエヴァ達も心配なのだ。

 だから何としてでも彼を打倒し、この状況を切り抜けなければ……そう決意を固め、イリヤは勝機を得るための手札を引き寄せようとした。

 それは必ず在るのだから。もう二度と油断はしないと強く念じながら。

 

 だが、イリヤは気付かなかった。目の前の強敵を相手にその猛攻を凌ぐのに精一杯であったが為に、この場に自分達以外に他の誰かが居る事を……その小さなミスが致命的である事を。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 それを見掛けたのは偶然だった。

 己の力が不足している事を痛感させられた白い少女との一戦。

 例え模擬戦であろうと…いや、だからこそ全く力を出していない少女に負けた事実は彼女の心に大きな影を落とした。

 

 それから数日、盛大に落ち込んでいた彼女―――高音・D・グッドマンは、相棒の愛衣や年下の友人である萌。そして教師の中でも親しい明石教授の励ましもあって気力を取り戻した。勿論、持ち前の気丈さのお蔭もあるのだろうが。

 しかし、イリヤに対する淀んだ鬱積した思いや覚えさせられた苦い敗北をそう簡単に忘却する出来る訳は無く。高音はそれを晴らさんが為に今まで以上の鍛錬と研鑽に励んだ。

 

 それは傍から見れば無茶としか言えないオーバーワークだった。

 

 魔力が底付くまでの連続した魔法行使を始め、規定値を大幅に超えた魔力負荷環境での訓練や瞑想に、連休を利用して丸二日間不眠不休で模擬戦用の魔法人形を相手に戦い続けた事さえもあった。

 

 彼女を慕う愛衣と萌は当然心配した。

 けれども、高音は止めなかった。愛衣達に心配を駆けるのは心苦しいが、幼い頃から英才教育を受け、努力を重ねてきた自分の持つ実力は既にその年齢に見合った物であり、生半可な方法では劇的な成長は望めないと感じていたからだ。

 無論、まだ己には先が在るとも、まだ限界では無いという確信もあった。いや、だからこそ高音は今の殻を破る切欠を…或いはその何かを掴みたくて足掻いているのだ。

 もしかしたらこの無様に足掻き苦しんだ先に、力を得る為の鍵が在るのではないかと。

 

 この日もそんな過酷な鍛錬を行なう筈だった。

 その為、雨の中を歩き、郊外に在る森の方に向かっていたのだが、唐突に緊急の念話が入り、それは中止する事と成った。

 

「麻帆良に侵入者……」

 

 直接の上司……というよりは、自分たち見習いを纏める指導教官から伝えられた内容を反芻する。

 

「…お姉様」

 

 愛衣が此方を不安気に見上げているのを見て高音は苦笑する。それは侵入者の存在よりも無茶を続けている自分が暴走するのではないかと、心配している為だと判ったからだ。

 

「大丈夫よ、愛衣。立場は弁えているわ」

 

 苦笑した後、安心させるように高音は言った。

 愛衣は「はい」と頷いてホッと安堵の溜息を吐いた。その様子見ると自分が如何に無茶をしているのかを改めて自覚してしまう。愛衣や萌に掛ける心配もだ。

 しかし、無茶と言われようと今も続けている鍛錬だけは止める訳には行かない。

 白い少女の姿を脳裏に浮かべて高音は内心でそう呟いた。

 とはいえ、今日は中止せざるを得ない。有事とはいえ、安全な所に配置される気乗りしない任務であっても大事な仕事には違いない。

 高音は気を取り直して、愛衣に声を掛ける。

 

「さあ、仕事に向かいますわよ。め―――」

 

 ―――い、と続けようとした瞬間、ザワッと木々の枝が揺れて甲高い音が行き先の森から聞こえた。

 

 その異常を目撃して「まさか侵入者?」と2人は考えたのは当然の事だった。

 木々は絶えず揺れ、金属がぶつかり合うような甲高い音も途絶える事も無く耳に入り続けるのだ。更に途方も無い強大な魔力さえ感じる。

 この事態に一瞬、躊躇した高音ではあったが、気付けば彼女は駆け出していた。言い訳するかのように―――

 

「―――愛衣、確認するわよ」

 

 と。相棒である後輩に告げて偵察という名目を掲げ、念話を行なわなかったのも逆探を避けて侵入者に気付かれない為だと心中で言い聞かせながら。

 愛衣も直ぐにその後を追い駆けて来た。

 

 

 その愛衣は、一度高音を制止しようと声を上げようとしたが、侵入者が本当に近くに居るのならばそれは逆に危うい行為だと気付いて止めた。

 その為、仕方なく高音の後を追った。少なくとも自分が傍に居ればそう無茶な事はしないだろうし、諌められるかも知れないと思ったからだ。

 

 

 

 そうして2人は見た。

 全身を黒い甲冑で覆われた騎士と赤い外套を纏う自分達の知る白い少女が戦っている姿を。

 両者が剣を持っている事は判った。けれどどのように足を運び、腕を振り、剣を扱っているかまでは判らない。2人の眼にはほぼ残像しか映っておらず、その腕と剣を持つであろう手の先は殆ど目に映らないのだ。

 

 高音と愛衣は物陰から動けず、自分達の認識の外に在る戦いを見詰める。

 両者は凄まじい魔力を放ち、見えない速度で打ち出す剣戟に乗せてぶつけ合っていた。

 その威力は如何程なのか?

 絶えず響く金属音と風切音と共に、大気と地面がビリビリと震えるのを感じ、周囲の草木は激しく揺れているのだ。両者が立っている場所などは形を失いまるで台風の爪痕のような様相で、今もまた剣が激突し魔力が弾ける度にその破壊の爪痕を拡大させている。

 こんな物に巻き込まれれば、愛衣の張る障壁や防御魔法はおろか高音の持つ『黒衣の夜想曲』も恐らく何の役にも立たない。秒という間も無く解体されて塵すらも残らないかも知れない。

 

 ―――これは完全に自分達の知る領域を超越した戦いだ。

 

 そう彼女達は思った。

 同時に判る範囲で彼女達が認識出来た事があった。

 戦いを傍観する内にイリヤの方が劣勢に―――信じられない事に、あの恐ろしい程の強さを見せた少女がどうやら防戦一方に立たされ、押されているようなのだ。

 

 それを見て、目の前の戦いに恐怖を覚えながらも愛衣は思ってしまった。

 直感的に、イリヤちゃんがこのままだとやられてしまう。何とか助けられないだろうか、と。

 

(でも、そんな力、私には無い。とてもじゃないけど、足を引っ張るだけ……けど、イリヤちゃんが―――)

 

 震えそうな身体を抑えて友人を助けたいと願い葛藤する。自分の力が足りない事を理解していても。

 

 

 それに答えた訳では無いのだろうが、高音もイリヤの危機を覆す為に行動を起こすべきでは? と感じていた。

 そう、イリヤが危機でも恐らくほぼ互角の状況。ならば僅かでも敵に隙を作り出せれば、逆転できるのでは? と。それは確かな直感であった。

 

(イリヤさんは、きっとそれが出来る子。不利な状況でも逆転の芽が在れば、必ずそれを掴み取ってくれる筈……なら―――)

 

 そう考えると抱く恐れを振り切って、高音は行動を起こす事を決意した。

 

「愛衣、貴女はここから離れなさい」

「えっ、お姉様……? !―――まさか!?」

 

 唐突に声を掛けられた愛衣は、高音の言葉に一瞬訝しむも直ぐにその意図を察して驚きを示した。

 愛衣の驚きに高音は頷き、強い意思を込めて語りかける。

 

「ええ、私はイリヤさんを援護します。ですが上手く行くかどうかは判りません。ですから貴女はここから離れて念話が探知されないと判断した所で応援を呼んで」

「そ、そんな! でも…!」

「大丈夫、上手く行かせて見せるから―――」

 

 決意した高音は愛衣に万が一の事を頼むと飛び出した。

 危険を訴える愛衣の声を無視し、自分にまだそこまでの力は無いと理解せず―――或いはこの状況下でもイリヤを見返したいという思いが何処かに在り、それが正しい判断を奪ってしまったのか。

 

 ともあれ、状況は動いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「な―――!?」

 

 イリヤは驚愕の声を漏らした。

 視界の向こう、バーサーカーの背後に在る数十m先の茂みから見覚えのある少女が飛び出したからだ。

 その少女―――高音は、一瞬にして黒い制服を更に漆黒に染めて背後に巨大な使い魔を出現させる。同時に雨空の下に在りながら更に暗い周囲に在る物陰から最大数である17体の使い魔を呼び出した。

 

「―――『百の影槍』!!」

 

 高音の力ある言葉に応じ、彼女の背にある使い魔から影槍が伸びる。鞭のようにしなやかにされど鋭く。イリヤと打ち合う黒い甲冑の騎士の背に向かい。呼び出した他の使い魔と同時に迫った。しかし―――

 

「―――っ!!?」

 

 高音は驚愕し硬直する。

 自分の放った攻撃が全く受け付けられず、百もある黒き槍は全て弾かれ、四肢を武器に攻撃を仕掛けた使い魔達も同様に吹き飛ばされ。無傷の敵はそれを気に留めた様子も無く、イリヤに変わらず猛攻を繰り出しているからだ。

 

 しかしイリヤは見ていた。高音の攻撃は確かに直撃し、強かにバーサーカーの身体を打ったのを。

 それが弾かれたように見えたのは、彼の繰り出す剣撃の余波……いや、その動作によって生じる激しい運動力そのものがその身に当たった高音の攻撃を打ち返したからだ。

 

 イリヤは理解する。この狂戦士と化した湖の騎士は高音の攻撃に気付いたものの、それでは自分の耐久力を貫けないと瞬時に判断し、脅威と捉えず無視して目前の敵―――イリヤを優先し、此方への攻撃を続行したのだと。

 

(まったく、ホントとんでもない怪物だわ。バーサーカーとはとても思えない判断力……いえ、それともらしい本能というべきかしら…ね)

 

 イリヤは舌を巻いた。アレで気が逸れてくれれば、好機が訪れたかも知れないのに……と。

 そう、少しだけでも高音に力が在れば、本当にイリヤは巻き返しの手を打てたかも知れない。だが残念な事に彼女にはそれ程の力は無く、その結果―――

 

「え―――?」

 

 突然、猛攻が止み。加わる圧力(ちから)が無くなり、イリヤは戸惑った。

 その急変に彼女の反応は遅れてしまった。

 眼前に居た筈のバーサーカーの姿が離れており、彼は何故か背中を向けて脅威では無い高音の方へ駆け出し、

 

「!」

 

 イリヤ以上に反応が遅れた高音は、数十mの距離を瞬動の如く一瞬で接近したバーサーカーに当然対処出来る筈も無く。一刀で背後の使い魔が切り伏せられるのを覚え―――イリヤが漸く反応した時には、視界には高音の身体が凄まじい勢いで飛んで迫って来るのが見えた。

 高音の使い魔を斬り伏せたバーサーカーが呆然自失とする彼女の首を掴み、そのまま振り向く勢いのままイリヤに向けて放り投げたのだ。

 背中からこちらに迫ってくる高音をイリヤは咄嗟に受け止めた。

 危ういバランスで地に足を付ける高音越しに、イリヤはバーサーカーが剣を突き出して来るのを見る。

 

「――――っ」

 

 距離は既に至近、彼の持つ圧倒的な敏捷性が威力を発揮したようだった。高音の身体のほんの十数cm先にバーサーカーの剣先が在る。幾ら刃挽きされた剣だと言ってもその先端はほぼ変わらずに鋭い。このままでは彼女ごと自分は串刺しに成ってしまう。

 しかし防御をしようにも目の前に在る自分よりも体格の大きい高音が邪魔で。躱すにしても彼女の身体を抱えなければ行けない。だが彼女の身体を抱えていては次の行動は確実に遅れ、バーサーカーの攻撃への対処はまず無理……これは―――

 

 ―――詰んだ。

 

 イリヤはそう思った。或いは高音を見捨てれば良いのかも知れないが―――イリヤはその非情な選択を選べなかった。

 だから、せめて高音だけでも……と、剣先が自分達へ迫る僅かな時間を彼女の身体を横に突き飛ばすのに費やした。

 

 

 

 「あ―――」

 

 その瞬間、高音は見た。

 全身に甲冑を纏った黒い騎士が剣先を向けて来たその時、強い力で肩が掴まれて押し飛ばされるかのように左横へと体が流れ、崩れるバランスを無意識に立て直そうと足が動き、振り返るように視界が右の方へ向き―――

 

 あの子が、自分よりもずっと強く。幼くとも遠い存在のように思えた白い少女が―――イリヤスフィールという愛衣の友人が、甲冑を纏った騎士の剣で腹を貫かれたのを。

 

 ゾブリッ

 

 と、ナマナマシイ音を聞いたような気がシタ。

 

「あ、アア、ア―――」

 

 それはあんまりな光景だった。

 血管のように脈打つ赤い文様が奔るおぞましい黒い剣が、可憐で美しい少女の腹へ突き刺さり、背中から鮮血に染まった刀身が貫き出ているのだ。

 その原因は自分の拙い判断であり、この光景はその結果。

 

「そんな―――うそ、ソンナ、こんな…コト―――うっ…」

 

 後悔、懺悔、悲哀、憤怒、様々な感情が高音の中を駆け廻り、己へと向けられる。

 この最悪の結果をもたらした愚かな自分を責め立てんと。

 そして光景そのものに対するショックもあり、多くの感情に呑まれた高音はその意識を手離した。

 

 ―――タカネ、逃げて……

 

 と、腹を貫かれながらも、苦しそうに自分を気に掛ける声を耳に残して―――

 

 




 加筆修正部分が久しぶりのまともな執筆な感じだった為、妙に手間取ったというか疲れました。戦闘シーンでしたし……やっぱり難しいです。

 一度書いた文を崩した事もあって前書きにある通り、繋がりがおかしい気がしますし。

 次回もちょっと手を加えるかも知れませんので、更新も遅れるかも…?


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第17話―――訪れる暗雲(中編)

今回は結局殆ど手を入れませんでした。


 刹那がヘルマンの手に落ち、狂戦士によってイリヤが倒れたのと同時刻。

 

 陽光を遮る分厚い雲が空を覆い。稲光を見せて地に冷たい雨を降らせる中。衣服が濡れるのも構わず、街中を駆ける3人の男女の姿が在った。

 内2人は男性だ。麻帆良でも屈指の戦闘力を有するタカミチと彼に及ばなくとも他の男性職員の中でも群を抜く実力者である神多羅木。残る1人は女性でありながらも神鳴流と呼ばれる流派を修める剣士の葛葉であった。

 彼等は、麻帆良を覆ったこの雷雨を降らせる黒い雲の如く、麻帆良に暗澹とした気配が漂う事態を受けて上司である学園長……関東魔法協会の理事・近衛 近右衛門より、中高の女子生徒達の多くが生活を営む学園女子寮へ急ぎ向かうように命じられ、雨中の市街へ何の雨具を持たず、身に着けずに駆け出したのだった。

 

 そしてその道中、数分も経たない内に件の女子寮とその周辺一帯が強力なジャミングを受けたとの連絡が入り、外から襲来があるこの状況下で自分達をこちらに振り分けた信頼に足る上司の采配が正しいと理解したが、同時に彼等は大きな焦燥感を抱く事と成った。

 何しろ、その事実が意味するのは敵が女子寮付近に接近したという事であり、悪ければ既に敵が目的―――恐らく近右衛門の孫である木乃香、そしてサウザンドマスターの息子であるネギとの接触―――を果たしている可能性が高いのだ。

 

 寮には、幾重にも張り巡らされた強固な結界に加え、刹那や真名という手練れが居るのだから易々とそれを許すとは……とも思いたいが、敵の正体がもし予想通りであれば、その考えは余りにも楽観的だとしか言えない。故に神多羅木と葛葉の抱く危惧は大きかった。

 だが、それ以上に焦燥を膨らませているのはタカミチだ。

 彼は協会内でも数少ない重大な機密―――件の女子寮で木乃香とネギのルームメイトとして暮らしている神楽坂 明日菜の重要性を知っているのだから。

 勿論、それだけでは無い。今はもう会えない亡き恩師から託された想い。その彼への誓い。そしてその少女の成長を見守って来た……不出来だとの自覚もあるが、言わば親代わりを務めてきた親愛の情から出る想いもある。

 

(明日菜君……)

 

 彼の脳裏に浮かんだのは快活な笑顔を良く見せる今の彼女の姿と、人形のような表情に乏しい…何処か達観して物事を見詰める幼い頃の彼女の姿だった。

 どちらも同じ彼女―――“アスナ”ではあるが、彼は見ている方が幸せな気分にさせてくれる明るい笑顔を浮かべる今の彼女の方が好きだった。

 例えそれが記憶を奪った事から生じたものだと、自分の身勝手なエゴの押し付けなのだとしても、タカミチはその彼女を守りたかった。

 彼女自身が手にしている現在の、そして何時かそう遠くない未来に掴むであろうより大きな幸せの為にも―――

 

 しかし―――

 

 カッと稲光が行き先に瞬き、微かに遅れて轟音が大気を震わせた瞬間。その眩しい雷光を背景に鴉と思しき羽ばたく鳥のシルエットを空に見た。

 

(この雷雨の中を…?)

 

 別段、鳥の生態に詳しい訳ではない。だから雷雨の中でも鳥が飛ぶことをおかしく思う必要は無い。そういう事もあると普段なら気に掛ける必要は無かっただろう。しかし取るに足るに無い出来事の筈なのにタカミチは違和感を覚えた。

 同時にその飛び立った鴉の顔がこちらに向き、視線を感じ―――直後に気付いた。前方から放たれる濃密な魔力と圧迫感さえ覚える敵意に満ちた気配に。

 

「!?―――アレは…!」

 

 その姿と気配に全身が強張り、緊張と共に思わず声が出た。

 凡そ50m先、行き先の街路の中央に一人の男性の姿があった。

 単車に乗る際に着こむボディスーツにも似た奇妙な衣装に身を包み、右には赤い長槍を、左には黄の短槍を携える異様を持つ青年。

 一体何に対してなのか? 憤怒と憎悪に濡れた顔に敵意を混ぜて視線を向けて来るその人物は―――

 

「ランサー……か」

 

 その姿を見、立ち止まった3人の中で神多羅木がやや掠れた感じの強張った声を零した。

 そう、イリヤがもたらした情報から黒化英霊……麻帆良では怨霊・亡霊とされている彼等には聖杯戦争と変わらず同じ名称(コードネーム)が付けられていた。

 勿論、その脅威もイリヤは伝えており、特にこの“ランサー”に関しては、その正体―――仮初とはいえ、現代に蘇った過去の英雄……英霊だと気付かれる可能性が高くなると理解しながらも、その危険性の高さ故にその特徴的な二槍……宝具の能力が協会職員達に開示されていた。

 今の所、その情報から黒化英霊やイリヤそのものへの追及の声が上がってはいないのだが……ともかく、その世界最高クラスの戦力を有する脅威が彼等の行く先へ立ちはだかっていた。

 

「見逃してはくれないだろうね」

「…ええ、交戦は避けられないでしょう」

 

 タカミチが言い。葛葉が首肯する。2人の声も神多羅木と同じく強張っており、強い焦燥が篭っていた。立ちはだかる敵に対する脅威だけでは無く、待ち伏せされていたと思われる事からも。

 恐らく先程見た鴉は使い魔の類であったのだろう。ジャミングされた一帯に近づく人間を警戒し、主人や仲間に知らせる役目を担っていた。ランサーが出現したタイミングを思うとそう考えられた。

 しかしそれは裏を返せば、

 

「だが、まだ間に合うかもしれんな」

 

 神多羅木が言う通りだ。警戒して待ち伏せし、こうして足止めが現われたという事は学園内部に侵入した敵はまだ目的を果たせていないという事に成る。

 とはいえ、単なる足止めというには目の前に立ちはだかる存在は余りにも強大だ。……いや、或いは今こうして急行する“悠久の風(AAA)のタカミチ”の動きを想定してのものかも知れない。

 

(内部への侵入者は複数……少なくとも3人以上。けど大人数では無い筈だ。精々もう2人程度か。それ以上は幾ら『隠形』に優れていても結界を誤魔化すのは難しい。幾つかのグループに分割しても同様だ。それに此方も侵入に気付き、警戒を高めた限り、その後は探知されずに侵入するのは困難。多分、今もエヴァとイリヤ君が交戦している奴と、女子寮に接近している者、そしてこの目の前に居る奴で全て…)

 

 ついでに言えば、足止めが現われ、敵が目的を達していない状況を見るにイリヤが察知する以前の侵入は無いと見て良い。タカミチは目前の敵を見てそう考えた。同僚たちも同様の考えだろう。

 その考えはほぼ当たってはいたが、彼等にその推測を確かめる術はない。その上、現状では然程意味を為すものでも無かった。

 そう、自分達の果たすべき役目を―――女子寮の防衛ないしネギ達の保護の達成に貢献するものでは無いのだ。

 今彼等がそれを果たすに必要なのは、考え推測し、現状を分析する事では無く。前に進む事だ。目の前に立ちはだかるランサーと呼ばれる存在を排して…。

 

 だが、赤と黄のニ槍を持ち、これまで挑んできた敵とは異質で異常なまでに重たいプレッシャーを向けられ、タカミチ達は正直呑まれ掛けていた。まるで根が張ったかのように足を動かせないのだ。

 雨に打たれて冷たくなっていた身体が更に凍えるかのように冷え込む―――そんな錯覚さえ覚える。いや、確かな事に彼等の背筋は向けられる重圧によって先程から途切れる事も無く悪寒が奔っていた。

 

 出来るならこのまま背を向けて走り出したい。逃げられるものなら逃げ出したい……そのような考えさえ頭の何処かで―――或いは、より根源的な本能の部分が訴えていた。

 

 しかし、程無くして動かせなかった筈の足は動き、ランサーとの距離が詰まり始めた。

 誰から足を踏み出したかは判らない。けれど足は確かに進み。始めはゆっくりと歩み、徐々に速度を上げてやがて早足に。そして距離がもう半分までとなった瞬間、彼等はついに地を蹴って駆け出した。

 そう、例え勝機が薄い強敵であろうと彼等は逃げ出す事は出来なかった。職務に対する責任感や自身が持つ矜持。そして何よりも守るべき者の為に。

 タカミチ、神多羅木、葛葉の3人は胸中から湧き出る恐怖と本能の訴えを振り払い―――英雄(でんせつ)に挑んだ。

 

 

 

 街中にも関わらず周囲には人気は無かった。

 降り続ける雨のお蔭でもあるが、警戒レベルを上げると同時に発動した認識阻害の結界を応用した魔法の効果の所為でもあった。

 麻帆良の住人達の意識に無意識下から働き掛けて外出しようと、そして外の風景を見ようと思わなくさせており、耳の方も普通では在り得ない奇妙で明らかにおかしな音を捉えても気の所為だと思ってしまうのだ。魔法使いや余程勘の良い人間でない限りは。

 

 だから彼等はこの麻帆良の街の中で人目を気にする事無く、遠慮なく人ならざる力と技を振るう事が出来た。

 

 先手を切ったのはタカミチだった。

 地を駆けた彼は、ランサーの間合いに入る数歩前で高く跳躍しその敵を真下に捉えた。

 左手には“魔力”。右手には“気”を……呪文の如く何度も心で念じて行使してきた『咸卦法』という名の力。本来ならば相反するその二つの“陰陽の気”を融合する事で莫大なエネルギーを生成・出力する高等技法。

 生成した身から溢れんばかりの“咸卦の気”を何時ものように制御し、ポケットに入れたまま―――先ずは右手に集中…瞬間、加速・集束されたエネルギーが抜刀された刀の如く、ポケットから打ち出された拳と拳圧に乗って放たれた。

 極限まで集束されたにも拘らず、2mもの直径を持つ極太のレーザーとなって咸卦の気はタカミチの真下に居る敵に向かって振り降ろされる。

 様子見も手加減も無い最速最大にして全力全開の一撃。直撃すれば並の人間ならば本当に塵ひとつ残らず消え、地面には深い大穴を築く事に成るであろう破壊の顕現―――だが、

 

「―――!?」

 

 大気を裂く轟音を伴い放たれたそれは、素早く前方に円を描くように振られた赤い魔槍の穂先に触れた途端、解れるかのように霧散し、ランサーの身体に届く事も地を穿つ事も無かった。

 勿論、タカミチは彼の持つ槍の特性は理解していた。しかし“咸卦の気”にまで効果が及ぶというのは正直予想外であった。

 だがもしここにイリヤが居れば、また違う考察を彼女は行い。然程驚くことは無かったであろう。タカミチに忠告する事も出来た筈だ。“魔力”にしろ“気”にしても相反するとはいえ、その違いは陰陽の概念によるものでその源流は基本的に同じなのだ。魔力を断つ彼の赤い槍がその効果を『咸卦』にも示すのは何もおかしな事では無い。

 しかし、自らの戦闘スタイルを。恩師の形見というべき技法を信じ頼みにして来たタカミチの動揺は小さくは無かった―――そう、それはランサーが相手では十分過ぎる程大きな隙であった。

 

「■■■――!」

 

 奇怪な叫び声を上げ、真下に在る敵が腰を落とし、未だ宙に…真上に居るタカミチへ跳躍し…動揺するタカミチでは回避不可能な一撃を見舞わんと、寸前―――

 

「―――させん!」

「■■…!?」

 

 声が響くか否やタカミチの方へ跳ばんと腰を落としたランサーの体勢が崩れた。

 神多羅木がランサーの足元を狙い。無詠唱で放った風の刃でその足場である地面を砕いたのだ。

 彼はイリヤから提供された情報を鑑み、大呪文ないし上位魔法以下は受け付けない高い対魔力を持つであろうランサー自身は敢えて狙わず、このような牽制でタカミチと葛葉の支援に徹する事を選んだ。

 そこには威力が大きく範囲も広い上位魔法ないし最上位魔法は、市街地では使い難いとの判断もある。

 彼のそのアシストでタカミチは難を逃れ、ランサーはバランスを崩した。それを狙うかのようにタカミチより一拍遅れて距離を詰めていた葛葉が斬り掛かる。

 

「奥義―――」

 

 気を込めて抜刀し、胴を狙うと軽くフェイントを入れて、その真逆の方向から奥義で逆胴を叩き込む。

 

「―――雷鳴剣っ!!」

 

 雷を纏った一閃、それは姿勢を崩した敵の胴体へ吸い込まれるかのように伸びるが、

 

「―――■■ッ!」

「な―――!?」

 

 如何にして扱ったのか、長く伸びた赤い槍の穂先が刀身に帯びた雷撃を掻き消し、彼の胴にあとほんの僅かにまで迫った刃を打ち払った。

 葛葉の眼でもその槍捌きを捉えることは出来なかった。確実に入ったと思った一撃が何時の間にか弾かれており、その直後の敵の腕の位置と伸びる赤い長槍の穂先の位置からそれが打ち払ったらしいと漸く認識出来たのだ。

 

(―――速く…それに巧い! それも恐ろしいほど…!)

 

 このまま敵の間合いに居ては危険だと瞬時に悟り、葛葉は自らの太刀が弾かれた力さえも利用して距離を取ろうとした。

 槍使い相手に剣士が自らの適した間合いを捨ててまで距離を取るなど本来なら在り得ない選択だ。だがそんな常識に囚われていてはこの敵にやられるだけだ、と判断しての事だった。

 当然、間合いを取るにしても危険だが、そこは、

 

「ぬん!」

「フッ―――!」

 

 ランサー自身とその足元を狙う攻撃が同僚二人から打ち出され、その援護で彼女は追撃を受けずにランサーの間合いという危険領域から脱した。それが無ければ彼女は確実に敵の二槍に身を貫かれていた筈だ。

 先のタカミチ同様、九死に一生を得た葛葉は流れ出る冷や汗と怖気を振り払うかのように強く敵―――足場を崩されながらも無音拳の拳圧と、それに紛れて放たれる咸卦の砲弾を赤い槍で打ち払うランサーを睨んだ。決して呑まれまいと強い意思を込めて。

 

 

 

 緒戦の攻防から凡そ2、3分が経過し、戦場は女子寮へ続く街路からその近くに在るこの一帯の住人にとって憩いの場である公園へと移っていた。

 だが、そこは既に見る影は無く。地面に整然と敷かれていた石畳は所々が砕け、穿たれ、剥がれて、黒い土色を剝き出しにしながら大小様々なクレーターや轍の如き溝などを見せ。中央にある噴水は勿論、幼児達が楽しむ遊具や見る者の心を潤す花々が咲き誇った花壇と緑の彩りを与える木々も、無残な破壊の痕跡に刻まれ…もはや公園は憩いの場とは呼べない瓦礫置き場という様相と化していた。

 普段からこの公園にお世話に成っている近隣の住民が見れば、さぞ悲しむであろうそんな光景を作り出しながらタカミチと葛葉は無情にも気に留める事は無く―――いや、それを気に留める余裕は無く。神多羅木の援護の下で敵の間合いの境界ギリギリに位置し、神速を持って繰り出されるその槍捌きを必死に凌いでいた。

 

 無手であるタカミチは黄槍を持つ左に。太刀を持つ葛葉は赤槍を持つ右に。ランサーを挟み込むかのように2人は攻防を繰り広げていた。

 

 タカミチは無手ではあるが、その両手には黒い革手袋が嵌められていた。勿論、彼の戦闘スタイル―――俗に居合拳と呼ばれる一風変わった武術を阻害しないよう、表面には工夫と加工が施されている。

 それはイリヤから授かったグローブ型の魔術礼装だ。

 主な材料は真銀(ミスリル)の糸で編んだ素地と、ある龍の角と鱗を錬成した合成革で、素地の上に張り込んである。

 その強靭さは素で刃や銃弾は勿論、魔法の矢さえも一切受け付けず、例え宝具と打ち合おうと簡単に傷付き破れることは無いとイリヤは保証している。

 そう、麻帆良でも有数の戦力であり、真っ向から黒化英霊と立ち向かう可能性の高いタカミチの為に彼女はこの礼装を制作したのである。

 しかし、その強靭さの大部分は素材そのものの強度というよりも、素材が持つ魔術的な概念や神秘に頼ったものであり、その為、あの赤槍―――あらゆる魔術効果を無効化する『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』が相手では非常に相性が悪い。

 故に彼は、より危険である筈の黄槍―――決して癒えぬ傷を相手に与える『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』と打ち合う事を選びランサーの左に回ったのだ。あの黄槍であれば、この礼装の強靭さと咸卦の守りで凌げると考えて。

 

 無論、赤槍を握る敵の右に立った葛葉にしてもその刀はイリヤ謹製の礼装だ。

 龍馬(りゅうば)という日本では余り名を知られていない珍しい霊獣ないし竜……いや、“龍”種の角と髭を刀身の芯部に封入した非常に高い神秘を持つ、ちょっとした宝具に匹敵する真に“古代遺失物(アーティファクト)”とも言える領域にある極めて強力な礼装だ。

 その能力は駿馬という由来を持つその名から使用者の敏捷性を高め。黄河から姿を現して波を渡ったという逸話から水の性質を与えると共に何の技法も無く水上を歩む事が出来るようになり。

 さらに()()の合間を駆けたという伝承から陰陽の象徴とされている為、魔的ないし呪的な加護も非常に高く。当然、陰陽道を始めとした呪術とは相性が良く、“魔力”及び“気”の働きを増幅する力もある。

 だが、それら神秘性を抜きにしても、元が業物である式刀の強度と用いた素材の強度が加わった物理的な強靭さはかなりのもので、素で宝具と十二分に打ち合える武具と成っている。

 ただ葛葉自身は宝具という存在のことを明確に知らされてはいなかったのだが、彼女はそれを経験と勘から何と無く察して魔を断つ赤槍と打ち合う事を担った。

 

 またタカミチの礼装に使われた角と鱗もこの龍馬の物でほぼ同様の効果を持っている。

 お蔭で彼の技法―――“陽の気”たる“魔力”、“陰の気”たる“気”を融合させる『咸卦法』が強化され……いや、彼専用のという事から黄河の逸話が齎す神秘性を排し、その分を咸卦の働きを促進・増幅させる陰陽の象徴という伝承―――その神秘性と概念の効果を高める方向性へ“ズラして”、咸卦法の効果をより強化している。

 葛葉の霊刀が“気”の働きを1.5倍にまで上げるのであれば、タカミチの物は凡そ1.8~2.2倍にも成る。

 尤もタカミチ本人としては、2倍前後にまで増幅された力を使いこなすのはまだ無理が在り、現状では礼装が与える効果を持て余し気味なのだが。

 またその彼ほどで無いにしても葛葉も似たようなもので、高まった“気”の運用効果を把握し、習熟し切っていない感覚が在った。

 しかしその礼装が在るお蔭で、この強敵と何とか戦えているのも確かな事実だった。

 

 

 

 だが正直な所、ランサーと戦う3人の心境は極めて複雑であった。

 タカミチは言うにしかず、葛葉も神鳴流の使い手という事もあり、彼と近右衛門を除外すれば近接戦では麻帆良…いや、関東魔法協会の中でも随一の実力者だ。神多羅木にしても同様に上から数えた方が早い位置に在る実力を有する手練れである。

 その3人が共に戦い。連携しても一見互角…いや、そう見えるだけで実質は手も足も出ない。一歩…いや、半歩でも間違えれば、命を失う綱渡りの状況に置かれてしまっている事実。

 この短い攻防で目の前に居る敵が最高クラスの実力者だと完全に理解し、それでもソレを相手にまだ1人も倒れずに戦えている現状。

 そう、敵に一太刀も浴びせられぬと不甲斐無く憤れば良いのか、この難敵を相手に己が身と味方がまだ無事であることを喜んで良いのか、判らない感覚があった。

 ただ、危機的状況にあるであろう女子寮と学園の事。そしてやはり同じく危機にある自分達の事を思えば、そんな複雑な感情以上に焦燥の方が強くなるのだが……芽生えたその奇妙な心境は振り払えなかった。

 

 特にタカミチに至ってはその正体を知っているからか、尚更複雑でより一層深い焦燥感が心に渦巻いていた。

 ディルムッド・オディナという神話の時代に生き。真実…伝説の英雄として語り継がれる人物の力が誇張の無い確かなものなのだと実感させられ、そして憧れた何時かは追い付きたいと願う彼等―――かつて共に在ったが故に彼の“赤き翼(アラルブラ)”のメンバーに匹敵するか、それ以上のものなのだと認識させられ、打ちのめされるからだ。

 

 ―――まだ自分はあの人達に追い付いていないのか? まだその背すら捉えられていないのか?

 

 と。

 例え理解していた事だとしても、まざまざと見せつけられる自分の実力に。

 3人掛りで漸く互角だという自分単独では決して敵わないと思い知らされる現実に。

 焦がれた彼等の立つ場所の遠さをタカミチはランサーを通して実感する。

 加えて、この困難を打倒しない限り、守りたい…いや、守ると誓った大切な“少女(ひと)”を守れないかも知れないという焦れがその思いを加速させた。

 

(ナギさん…師匠……僕は―――僕は、)

 

 ―――まだこんなものなのか……っ!!

 

 かつてない強敵を前にし、その背に守るべき“誰か”を負った彼は心の中で叫んだ。尊敬するかつての仲間の姿を思い浮かべ、表情に焦燥と共に悔しさを露わにして。

 きっと憧れの彼等なら不敵に笑って乗り越えて行くであろう危機に、自分は手も足も出ていないという事実にタカミチは―――

 

 

 

 ◇

 

 

 

「―――?」

 

 刹那に従い寮内に待機し、自室で明日の準備をしながらも万が一に備えて警戒感を抱き、何処か気を張りつめていたネギはその気配に気付いた。

 荒事がこの寮内で起きたらしい事に。

 ただ今一気配がハッキリとしない事から確信は無かった。

 しかし刹那から何か起きた時は―――彼女に宜しくお願いしますと信頼を向けられて言われた事もあり、ネギは直ぐに寮内の探索に出る為、作業を中断してデスクから離れて立ち上がった。

 「兄貴…」と彼をサポートする使い魔であるカモも、異変に気付いた様子でネギに呼び掛けながら主人の肩へと駆け上る。

 

「どうしたのネギ?」

 

 勉強の為、机に向かっていた明日菜が杖を取ったネギの様子に気付いて振り返った。

 それに、「いえ…あの…」とネギは思わず口籠る。

 

 南の島での一件以降、色々と悩んだ彼は考えた末…やはり自分は未熟だと思う一方で、何でも一人で抱える事も駄目だと何となく感じ。パートナーとして見て欲しいと、そしてエヴァの別荘で父を探すのに協力すると言った明日菜を一先ず受け入れる事にした。刹那と木乃香もだ。

 

 そういった結論が出たのは、同じく南の島でイリヤが明日菜の申し出を真剣に考えるように言った影響も小さくは無い。

 けれど、やはり危険に巻き込む事への躊躇いも大きくこうして躊躇ってしまうのも彼らしい事実だった。勿論、明日菜の気持ちも判ってはいるのだが。

 そんなネギの心情を読み取った訳では無いだろうが、明日菜は鋭くネギが何か異変を感じ取ったのでは? と直ぐに思い至ったようだった。そこには先の刹那とネギのやり取りを見ていた事もあるだろう。

 

「もしかして何かあったの?」

 

 だから明日菜は杖を持ったネギにそう尋ねていた。

 

「…はい」

 

 ネギは躊躇いながらも頷いた。気付かれてしまった以上、誤魔化すことは出来ない。何しろ彼女は勘が良い方だ。下手に誤魔化しても先日の二の舞になるだけだろう。

 やや諦観しつつもネギはそう思った。実際、ネギの言葉を受けた明日菜は机から離れており、手には早くも仮契約カードが握られているのだ。

 此処で置いて行くなどという選択肢を取れば、彼女は絶対怒るだろうし、無理にでも付いて来る筈だ。それを無視して置いて行っても後から追い掛けて来ることであろう事も容易に想像が付く。

 そんな明日菜の強引さを思うとネギは溜息を吐きそうになったが、そこに木乃香が唐突に言った。

 

「ネギ君、行くなら早くした方がええと思う」

「木乃香さん?」

 

 木乃香の言葉にネギは明日菜から彼女の方に視線を向ける。

 

「ネギ君が席を立った時から試しとるんやけど、一向に念話が通じへん」

 

 手に符を持った木乃香が、ネギの疑問気の声に答えるかのようにそう続けて言った。

 

「!―――それって!?」

 

 ネギは木乃香の言葉の意味を理解し、慌てて仮契約カードを取り出して念話を試み、

 

「通じないっ!?」

「本当だ。外にも通じねぇ!」

 

 言葉通り刹那に繋がらず、カモもより遠くに居る筈の学園長か、恐れながらも信頼するイリヤ辺りにでも取ろうと試みたのか驚愕混じりに叫んだ。続けてネギは携帯を取り出して試すも結果は同じだった。

 

「そんな、電話まで…!?」

「―――残念なお知らせや、夕映達にも繋がらへん」

「え?」

 

 ネギ同様、携帯を耳にする木乃香が言い。動揺していたネギは一瞬呆然としたが、直ぐに玄関の方へ駆け出した。

 明日菜達も遅れて後を追って部屋の玄関に向かう。

 

「ネギ君、落ち着き! ただ慌てとっても何にもならんよ!」

「!?」

「木乃香…?」

 

 玄関で靴を履く3人の中で木乃香がやや語気を強めて言い。そこで漸くその彼女が冷静である事に残りの2人は気が付いた。

 一瞬、「でも…」と反射的に反論しそうに成ったネギであるが、肩に乗るカモも木乃香に同意して頷いているのが判り、彼女の言う通りだと気を落ち着けることにする。確かに慌てても碌な事には成らないと、納得したからだ。

 明日菜にしてもネギほどで無いが動揺する思いが在った。連絡が付かないという友人達の身が心配なのだから当然だ。

 だからだろう、逆に冷静そうな木乃香が奇妙に思えた。

 

「木乃香、あんたは妙に落ち着いているわね」

「うん、ネギ君に言った通りや。慌てとっても何にもならんから。何が起こっとるのか把握できんように成るし、考える事も出来んようになる…」

 

 その親友の様子に明日菜は驚いて目を軽く見開き、ネギは感嘆してスゴイと木乃香の事を見直した。カモもだ。

 

 

 だが、木乃香は言う程……表層に見えるほど冷静では無かった。必死に取り乱しそうになる自分を抑えているのだ。

 そう、何よりも大切で大事な幼馴染と連絡が付かないのだ。激しく動揺するのは当然だ。しかし口にした通りそれに任せて感情を暴発させても仕方が無い。

 何よりそんな有様では、何か在ったかも知れない幼馴染が本当に危機を迎えていたとしても助けられない。

 だから冷静に行動すべきだと、懸命に自分に言い聞かせていた。

 

(せっちゃん、どうか無事で居って……)

 

 そう刹那の安全を祈りながら。

 

 しかし結局のところそれは冷静さを装っていただけでしかなかったのだろう。

 外に念話が通じず、電話回線も同様。この建物が孤立した状態にあり、麻帆良には侵入者が居り、守りに付いて居る筈の刹那達にも連絡が付かず、寮内に居る筈の夕映達もそうだというのに暢気にそこを探索しようというのだ。

 木乃香はもとより、落ち着きを見せたネギと明日菜も迂闊と言えよう。カモもこの状況の拙さを感じてはいたが、夕映達の無事を先ず確認するのは悪くないと、もし無事であればのどかのアーティファクトが使え、この事態に上手く対処出来るかも知れないという考えがあった。

 また彼女達の部屋が比較的近くに在るというのも、カモにそのような楽観を抱かせる要因であっただろう。

 

 だからネギ達は、夕映達の部屋へ向かおうと通路を進んだ先に外に居る筈の“刹那”の姿が見て、安堵すると共に駆け寄ってしまった。

 

「「刹那さん!」」

「せっちゃん!」

 

 呼びかけると此方に気付いた刹那が笑顔を向けて来るのを見、傍へ駆け寄った明日菜は笑顔を浮かべる彼女の無事な姿に緊張感が緩み……思わずホッと息を吐いたが、

 

「え―――?」

 

 首に鋭い痛みが奔り、―――気付くと刹那が自分の胸の辺りに手を伸ばしており、引き戻したその手から切れた細い銀の鎖が伸びているのが見え、それがイリヤから贈られたペンダント…アミュレットの物で、その握られた手の中にはユニコーンが描かれた本体が在るのだと理解し、―――刹那が自分からアミュレットを取り上げたらしいと、何故そんな事をしたのか頭に疑問が掠め。

 ジュウと水が蒸発するような音と共に、刹那のアミュレットの握る手から白い煙らしいものが立ち昇るのが見え―――

 

「―――アカンっ!」

「―――明日菜さん、木乃香さん、離れてっ!!」

「―――姐さん!?」

 

 慌てて叫ぶ木乃香とネギとカモの声が聞こえると同時にペンダントを手離した刹那がニヤリと不敵に笑って、彼女の身体が爆発したかのように弾けた。

 

「!!―――」

 

 友人の身体が弾けた異様な光景に驚き、明日菜は身体が硬直した。

 弾けた刹那の身体は一瞬にして大量の透明な液体と成り、

 

「明日―――」

 

 自分を……恐らく助けようと突き飛ばそうとする木乃香と共に液体に飲み込まれた。

 

 

 

「あ、明日菜さんっ! 木乃香さん!」

 

 大量の液体に飲み込まれようとする明日菜と木乃香を助けようと、ネギは彼女達に手を伸ばしたものの間に合わず、二人の姿は飲まれてトプンッと水音を立てて姿を消した。

 そこに残ったのは小さな水溜りと明日菜の首に在った銀のペンダントだけだった。

 

「…っ! そんな」

 

 ネギはガクリと膝を着いた。

 そんなネギの肩からカモは素早く降りると残った水溜りを調べる。

 

「チッ…あん時と同じかよ。兄貴…こいつは水を利用した『(ゲート)』だ!」

「…!」

 

 カモの言葉を聞いた途端、ネギの脳裏に修学旅行の一件が蘇った。あの時も木乃香が拉致され、それを行なった人間は水を利用した転移を使った。そしてその敵は言っていた。

 

 ―――やめた方が良い。今の君では無理だ。

 

 それは自分の力が小さい。誰かを助けるのに不足しているという事だ。

 その敵―――白髪の少年は自分と戦うには……という意味で言ったのかも知れないが、ネギにはそういう意味に聞こえた。或いはそういった自覚が在るからかも知れない。

 あれからまだ一月程度。修行だって始まったばかり……まだ力不足だっていうのは十分に分かっている。けど、あの時と違って木乃香さんは勿論、明日菜さんも傍に居て、あの白髪の少年のような手に負えない脅威も無かったのに……。

 

「くっ…」

 

 強敵の姿も無く、手に届く所に居たにも拘らず、同じような事を繰り返してしまった事実からネギは悔しさを覚え―――直ぐに彼は頭を振った。いや、同じような事だって言うなら、あの時と同様に助けられる筈だと。

 

(そうだ。まだ諦めちゃいけない! 刹那さんと約束したんだ。みんなを守るって…!!)

 

 そう内心で自らに言い聞かせ、悔やむ心を叱咤する。

 そうして顔を上げると明日菜のペンダントが目に入り、今はこの場に居ない手にすべき持主に代わってそれを拾い。カモに尋ねる。

 

「カモ君。明日菜さん達の行先…転移先は判る?」

「ん…もう少し待ってくれ、今やってる。刹那の姉さんのように上手く追えるか判らねえが、俺も兄貴たち魔法使いをサポートする妖精の……“小さき知恵者”の端くれだ。正確には無理でも方向と大まかな距離なら……」

 

 そう言ってカモは水溜りに小さな前足を伸ばし、目を閉じて意識を集中させた。その時―――

 

「きゃあああ―――!!」

 

 そう遠くない場所から悲鳴が聞こえた。

 

「! この声…村上さんの!?」

「兄貴、行ってくれ。こっちは何とか逆探知して見るからよ」

「わかったよ。カモ君」

 

 悲鳴を聞いて思わず立ち上がったネギにカモが言い。ネギは頷いた。もしかしたら2人を浚ったモノと関係あるのかも知れないと思い。

 

 記憶にある寮内の見取り図を頼りに夏美の部屋へ向かうと、その部屋は何故か扉が開いたままになっていた。防音がしっかりと整っている寮内で悲鳴が聞こえたのもコレの所為だろう。

 ただ不用心にもそうなっているという事は、やはり何かが起こっているとしか考えられず、ネギは急ぎ確認の為に中を除くと玄関にはあやかが倒れていた。

 

「いいんちょさん!」

 

 その姿に慌てて駆け寄ったが外傷は無く、直ぐに魔法によってただ眠らされているだけだと判り、ネギはホッと安堵の溜息を吐いた。

 しかし、気を抜くのはまだ早いと一度抱えたあやかの身体をゆっくりと―――正直、女性の扱いとしては少し躊躇を覚えたが―――廊下の床に横たえると、彼は杖を構えて警戒しながら奥の方へ進んだ。

 

「やあ、遅かったね。ネギ・スプリングフィールド君」

「!?」

 

 進んだ先、部屋のリビングには黒い衣装で身を固めた初老前と思われる長身の男性の姿が在った。

 名前を呼ばれたが自分の方には彼の姿に覚えは無いが、その男性の腕の中には、

 

 「な……那波さん!?」

 

 自分の受け持つ生徒の姿が在り、彼女が悲鳴を上げた夏美と玄関で倒れていたあやかと同室である事を頭の隅に浮かべながら、ネギは思わず叫んだ。

 

「その人を離して下さい!」

 

 しかし、そのような道理が叶う筈も無く。男性は「うむ」と一つ頷き。

 

「君の仲間と思われる人間を預かっている。無事返して欲しくば、私と一勝負したまえ」

「!?」

 

 それはつまりこの黒衣の男性が明日菜と木乃香を浚った張本人だという事だ。勿論、連絡が付かない夕映や…もしかすると刹那達も。

 その事に思い至り、ネギは詳しく事情を聞こうとしたが、男性は一方的に告げる。

 

「学園下の巨木の下にあるステージで待っている。仲間の身を案じるなら助けを請うのも控えるのが賢明だ……尤も此処の魔法使い達はそれ所ではないかも知れないがね」

 

 そう言い。床からうねり持って立ち昇る幼子のような笑い声が上げる奇妙な水―――先程見たもの同じ液体に男性は身を包み、ネギが制止の声を上げるもやはり先と同様、トプンッと水溜まりを残して姿を消した。彼の生徒である千鶴と共に。

 

「くっ…」

 

 その水溜りを見てあの男性が犯人だと確信し、また全く無関係な千鶴までもが浚われた事にネギは悔やむが先と違って気を沈めることは無かった。

 正体不明であった犯人が明確と成り、その行き先も丁寧に教えられたからだ。目的は判らないがその言葉に偽りは無いと感じたのもある。

 そこに更なる確信が来た。

 

(兄貴…)

 

 自分の身体を駆け上がる親しみささえ覚える感覚が、肩にまで這い昇ると耳元でそう小さく自分を呼ぶ声が聞こえた。

 

「カモ君」

 

 信頼する白いオコジョ妖精の彼の名を呼ぶ。それに答えカモが言う。

 

(聞いたぜ、あの黒い野郎の言う事は先ず間違いじゃあねえ。姐さん達を飲み込んだ水溜りも奴の言う所に通じているみてえだからな)

 

 その言葉を聞くにどうやらカモは、あの水溜りを調べ終えるなり、急ぎ駆け付けて自分と黒衣の男性の会話している最中に此処へ辿り着いたらしかった。

 ただヒソヒソと内緒話をするかのような彼の声に疑問を抱き、それを尋ねようとし、

 

「あわ…あわわ……」

 

 今更ながらに此処へ来る切欠と成った悲鳴の主の姿に気が付いた。

 男性と千鶴に気を取られ、思わず夏美の事を頭の隅に追い遣ってしまっていたが、ただならぬ様子にネギは声を掛ける。

 

「大丈夫ですか村上さん!」

 

 声を掛けながらサッと目で状態を確認するとあやか同様、外傷は無いようで軽く錯乱しているだけのようだった。

 その事実にこれまたあやかの時と同様、ネギは安堵する。

 そこに肩に乗ったカモが相も変わらず囁きながらも驚きの声を上げた。

 

(オイ、兄貴。こいつは……!)

「―――え、あ!」

 

 カモの声に釣られて振り向くと、そこには見覚えのある自分と同年代の少年が倒れていた。

 

 京都で出会い。敵対した犬上 小太郎。

 罰を受けてその出会い先の京都で拘束されている筈の彼の姿が在る事にネギは驚いたが、眼を覚ました小太郎も記憶が若干曖昧に成っており、詳しい事情や経緯は覚えていないようだった。

 ただしあの男性―――ヘルマンという人物と敵対した事や自分が狙いであるらしい事だけは覚えていた。

 その曖昧ながらもそう覚えている事を話す彼の言葉を聞いて。ネギはエヴァとの事を思い返しながら父との因縁がまた関係しているのかとも考えたが、その詮索は後だった。

 何処か見覚えのある陶器製らしい“小さい瓶”を彼から渡されながらもネギは言った。

 

「―――ともかく、みんなを助けに行かなくちゃ」

 

 と。

 しかし正直な所、忠告は受けたものの本当に1人で助けに行って良いのか。助けを求めるべきでは…と不安は在った。

 自分の力が不足しているという自覚もあるのだから尚更に。

 だが連絡がまともに取れない今、救援を求めるには時間が掛かるし、ヘルマンという男性が言った言葉もある。学園はそれ所では無いと。

 

(なら、狙いは僕なんだし、それに応じるしかない…)

 

 実際、念話も通じない異常事態なのだ。学園が此方に手を回す余裕が無いのは本当なのかも知れない。

 ネギはそう考えて行動を起こすことにした。

 が、彼の助勢は思わぬ所から来た。直ぐ傍に居る小太郎がネギの言葉に、

 

「おうっ、俺も行くわ!」

 

 そう、応えたのだ。

 それに若干驚き、ネギは怪我の心配もしたが、

 

「千鶴姉ちゃんを巻き込んだんは俺の責任や。助けてくれた恩義もある……俺も行く!!」

 

 そう強い眼差しを向けて言う小太郎にネギは直ぐに言葉を返せず、思わず沈黙した。

 エヴァ邸から此処に帰って来た時のやり取りで、刹那が見せた物に通じる雰囲気を一瞬彼から感じたからだ。無論、刹那が見せた物に比べれば、その内にある重みや気迫ともいうべきものはずっと小さいようにも思えたが。

 けど、その意思の強さは十分伝わってきて、ネギはその意を汲みたいと思った。だから―――頷いた。

 

「わかった」

「よっしゃあ! ほな、共同戦線やな。勝負はお預けや!!」

 

 ガッツポーズと取って子供らしくも豪快な笑みを見せる小太郎にネギは再度頷き。一人残る夏美に小太郎と一緒に千鶴を必ず助ける事を約束し、魔法で眠らされたあやかの事も頼んで。二人は寮を飛び出した。文字通りネギの杖に乗って。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 近右衛門は学園長室で険しい表情で机上を睨んでいた。

 イリヤとエヴァへ連絡は取れず、タカミチ達との連絡も先程途絶えた。恐らく彼等もまた敵と交戦に入ったのだろう。女子寮へ近づく前にその一帯にある妨害範囲が広がった事もそれを裏付けている。

 彼の見る机上には学園全体を俯瞰した映像が投影されており、様々な情報がリアルタイムで表示されていた。

 しかしそれは完全とは言い難く。女子寮や世界樹付近や学園外縁の一部が灰色で塗り潰され、妨害圏である事を示しており、状況不明との文字が浮き出ていた。

 結界への影響こそ出てはいないが『遠見』や『千里眼』などの魔法に加え、ごく普通の望遠手段での探知は勿論、遠隔操作型の使い魔や式神での探索も不可能な状態だ。

 正直、人を送り込みたい所ではあるが―――

 

「手強いのう」

 

 近右衛門は思わず呟く。

 郊外の一角に視線を送り、交戦状態を示す赤く染まった区画を見る。こちらも当然妨害が掛かってはいるが、中継点を設置し、更に自立型の使い魔などによる伝令を使い情報網は維持が出来ていた。

 そこから齎される情報によると日本古来からの(アヤカシ)で構成された敵勢は、その物量に加えて個としても想定より手強いらしく。ガンドルフィーニ達はやや苦戦しているとの事だったが、それは然程問題では無かった。問題はそれら妖が還す度に新たに召喚されている事であり、その数が一向に減じない事だ。

 これではそこから戦力を動かせない上に、予備の重要性も増すばかりだ。

 そう、予備である弐集院達を状況を見極めてガンドルフィーニ達の援軍に向かわせるか、それとも消耗と疲労が何れ蓄積するであろう彼等の交代に使うかのどちらかによって恐らく戦局が決まる。迂闊に動かすことが出来ないのだ。

 

「だからといって明石君の所を割く訳には行かんし…」

 

 情報関連と結界関連などの後方支援(バックアップ)要員で明石の班は占められている。明石を含め、戦闘員やそれに耐えられない者が居ない訳では無いが、学園中枢近くという重要な位置にある彼等はやはり動かせない。

 外へ連絡を取り、救援も要請はしているが、向こうの状況や事情もあり、有力な戦力の召集と到着には転移を使っても20分は掛かる見通しだ。

 これを早いと取るか遅いと取るかは、

 

「……微妙じゃな」

 

 近右衛門はそうして現状を確認すると、止むを得ん…と呟いて地下に居る者へ念話を送ろうとし、自らも重い腰を上げんと足に力を入れ―――

 

「―――む」

 

 気配を感じて振り返った。

 彼が座るデスクの背後、ポツポツと雨を打つ窓の外に一羽の黒い鴉が居た。窓の枠に降り立ちジッと近右衛門の方を見詰めるソレが使い魔だと近右衛門は直ぐに気付いた。勿論、職員たちが放ったものでもないと。

 

「……」

 

 その鴉のいる外の方は無論、室内にも気を張り巡らせて近右衛門は警戒する。彼の脳裏には“アサシン”という単語が浮かんでいた―――が、その危惧は杞憂に過ぎた。

 突然、鴉は大きな鳴き声を上げると、その眼からプロジェクターにも似た光を放ち、窓をスクリーンにして一つの光景を映し出した。

 

「ぬ…!」

 

 近右衛門は半ば愕然とした。

 投影された映像には、覚えのある少女達の姿が在ったからだ。

 ガラスのような透明なドームの中に在る少女達……ネギと関わった3-Aの生徒だ。刹那や真名が見たものと同じメンバーであるが、そこに彼の孫である木乃香と―――彼女より優先すべき守護対象である明日菜の姿が加わっていた。

 

「うぬう」

 

 思わず呻き、近右衛門は歯軋りした。

 そこに目の前の鴉からだろう…感覚的に直ぐ近くから脳裏に念話の声が響いた。

 

『見ての通り、ネギ君の仲間と思われる彼女達は此方の手中に在る。此方が目的を果たすまで出来れば貴方には動かないでいて欲しくてね』

「……目的? 彼女達を浚った事から見るに狙いはネギ君か?」

 

 念話の言葉の内容に、もしや明日菜君の事に気付いていないのか? と疑問が過るもそれをおくびに出さず近右衛門は慎重に尋ねた。

 

『ウム、お察しの通り依頼主が確認したいとの事だ。あのサウザンドマスターの息子の実力…いや、その潜在能力かな? それを確かめたいそうだ』

 

 近右衛門の内心に気付いていないのか、素直に問い掛けに応じる姿見えぬ声の主。

 

『それさえ叶えば、彼女達は無傷で開放する。無論、貴方のお孫さんも』

「その保証は在るのかのう?」

『ああ、それは約束しよう。我が偉大なる主の名に懸けて…』

 

 近右衛門は訝しんだ。明日菜の事や彼女達の解放が果たされる事への疑問もそうだったが、声の主がその約束を違えないという雰囲気……侵し難い尊寿すべき強い意思…いや、力―――もしくは『言霊』が込められていたからだ。

 そしてそれは信じるに値するものだというのも分かった。

 しかし―――

 

「守るべき生徒が捕らわれて学園の長であるワシに動くなとは、随分と無茶な注文じゃな」

 

 近右衛門は鴉を睨んで言う。この使い魔を通じてこの場を見ているであろう敵を鋭く見据えんと。

 

『確かにその通り。この学園と魔法使い達の双方の責任者で、何よりも正義を尊び後進の鑑で在らなければならない貴方にして見れば無茶な要求だろう。だが極東は愚かアジア圏最強とも言われる貴方が動くともなれば、此方も相応に…いや、必死に成らなければならない。当然、そうなれば、このお孫さんを含めた少女達の安全は保証出来なくなる。無論、それ以外にも――――お判りでしょう』

 

 敵の言葉に眉を顰められずに居られなかった。

 その言葉は近右衛門が動けば、木乃香達を盾に使うと暗に示しており、更に言えば、戦況がより激化する…否、そうさせると告げていた。

 

『私…いや、私を含めて今この麻帆良に居る異分子達は、目的さえ叶えば皆引き下がる事に成っている。そして彼―――ネギ・スプリングフィールドを誘い奮起させる役割を持つ少女達も無事解放される』

 

 声に近右衛門は益々自分の眉間に皺が寄るのが判った。

 要するに選べという事だ。この状況を修めるのにネギ1人を贄にするか、より多くを巻き込むのかを。

 近右衛門は逡巡した。心情的には呑むべきではないと感じてはいるが、木乃香や明日菜が無事帰るという事や膠着した戦況を維持できる事、そして自らが動かぬとも時間さえあれば状況を覆せる手立てが在る事―――無論、そんな時間は無い可能性は高いが―――それら打算を考え、この場は大人しくすべきでは、と。

 そこに彼の思考を読むかのように声は付け加える。

 

『…ネギ君にしてもその命までは取るなと厳命されている』

 

 と、

 無論、五体満足だとも言ってはいないが、近右衛門を葛藤させるには十分な言葉だった。

 

 使い魔たる鴉は、そんな険しい表情を見せる老人をジッと見詰める。鳥故に彼と違って何の表情を見せる事も無く、無関心であるかのように。それを通じて葛藤する老人の姿を見ている何者かの意思も表す事無く。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「む、あれは…」

 

 神多羅木は、女子寮を目前にしてそれを目にした。

 杖に乗って寮から文字通り飛び去って行く少年たちの姿を。その後ろに乗っている一人には見覚えは無いが、杖を操る少年は間違いなく彼の英雄の息子であるネギ・スプリングフィールドだ。

 

 何処か急ぐかのようなその姿を見つつも念話を試みるが、高速で飛行する彼等は既に視界の遠くに在り、妨害が掛かっているこの一帯ではまだ視認距離で在ったにも拘らず届かなかった。

 直ぐに後追うべきかとも思ったが、距離とネギの飛行速度を思うと追い付くのは難しいと判断し、先ずはこの場に居る筈の刹那達に念話で呼び掛けて見るが、

 

「やはり、無駄…か」

 

 内心で舌を打ちつつ彼はそう呟いた。

 ネギが飛び去った事からもそうなのではないかと予感はしていたが、こうして突き付けられると様々な意味で苛立った感情が擡げてくる。

 急ぎ駆け付けながらも足止めを食らい。その立ち阻んだ脅威が大きいにも拘らず同僚2人に託して、この場へ先行しながらも間に合わなかった自身の不甲斐無さが情けなかった。

 だが頭を振って一つ大きく息を吐き。その後ろ向きな感情を追い払うと彼は状況を確認する為に寮の周囲を見回った。

 長年の勘から既に此処での荒事は済んだと感じたが、それでも万一を考えての事だった。

 

「神多羅木先生…!」

 

 その彼の背中に少女の声が掛かった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 戦況は完全に膠着していた。

 

「ふう…」

 

 指揮官でありながらも戦域を駆け回り、率先して戦い続けたガンドルフィーニは漸く出来た小休止に軽く溜息を吐いた。

 そう、戦況は膠着していた。ただしそれは敵の攻勢が止み、単なる睨み合いという状況と成ったからだ。

 それまで異常とも言うべき好戦的な攻勢を続けていた敵の軍勢が、突然攻撃を停止して後退し、僅か50m先ではあるがその場に佇み此方の様子を窺うかのように見詰めるだけに成ったのだ。

 その不気味な後退にこちらも下手な追撃をせず、合わせて人員を下げたのだが、

 

「……どういう事でしょうか?」

「わからん」

 

 直ぐ隣で自分同様疲労し、唐突に出来た休憩時間に呼吸を整えていた瀬流彦が言い。ガンドルフィーニは正直に首を振った。

 原因は判らないが敵は攻勢を停止した。お蔭で此方も疲労した肉体を休めさせ、負傷者を治癒や重症者……それに■■を安全に後方へ下げられるが、

 

「……何とも不気味だな」

 

 落ち着いた事でこの長くも無い戦闘の間で起きた出来事が脳裏に過ぎって苦悩しそうになったが、振り払うかのようにそう独り呟き。前方に佇む敵の様子に再度意識を向ける。

 鬼を始めとした日本古来から人に仇を成してきた妖怪たち。同時に人々を守らんとする陰陽師を始めとする東洋の術者に使役されてきた彼等。

 米国生まれの両親を持ちながらもこの国に籍を置き、長年その(アヤカシ)を退治してきたガンドルフィーニは、今回相手にした彼等の異様とその凶暴性…そして奇妙な強靭さに戸惑いを覚えていた。

 

 先ず、召還された彼等は“黒かった”。呪詛めいた魔力を全身から匂わせて、より黒い奇妙な文様が体に刻まれている。眼には正気が無く、爛々とした輝きを宿しており、その動作も非常に荒々しいものでソレに相乗するかのように凶暴性と共に膂力を始めとした個々の能力も増しているようだった。

 召喚時に何かしらの付与(エンチャント)を行なったのだとは思うが、その様子を見るにとても真っ当な物だとは思えなかった。

 

(恐らく感じた通り“呪い”だろう。それも一般的な“呪術”とは違う本質的にそういう“モノ”での)

 

 ガンドルフィーニはそう思った。

 同時にそういうモノに括られた鬼達に憐れみを覚える。

 これまで幾度も対峙し還してきた彼等ではあるが、何処となく憎み切れないのだ。

 そう、人に仇成す筈の妖怪達であるが人懐っこい者も少なくない。特に術者に召喚される者達にそういった傾向が強かった。

 術者に使役される形と云えど“人側”に立って戦って来た事が影響しているのかも知れない。無論、それを快く思わない者も同じほど居るのだろうが、彼等の性格や気質なのだろう。余程の因縁や確執でもない限り、大らかに過去の出来事は水に流すのである。

 中には再度敵として会ったにも拘らず、酒の席に誘おうとする者まで居るのだ。人に仇成すとして退治され、時には道具として良いように使役されて来たというのに。彼等の多くは人間を憎もうと思わず好んでいるようなのだ。或いはそういった人間との関係さえも、その人ならざる生に於いて娯楽にしてしまっているのかも知れない。

 ガンドルフィーニを始めとした大抵の人間には理解出来ない事ではあるが、その性根と奇妙な関係を嫌えないのも確かだった。

 勿論、こうして敵対する以上は容赦する気も無いのだが、

 

「ともかく、今の内に弐集院さんの所に人員の補充をお願いしよう。場合によっては予備全体の投入も検討しなくてはいけない」

「そうですね。負傷者だけでは無く、疲労や魔力の消耗が大きい人も居ますし……次に動く時が決戦に成るかも知れませんから」

 

 瀬流彦の応答にガンドルフィーニは「ああ」と気を引き締めるかのように頷いた。

 ただこの時の彼は、自分の知る所以外で事態の帰趨が決まる可能性が在る事を完全に頭の隅へと追い遣っていた。

 いや、後方に在る弐集院などの先達や近右衛門という上司を信頼していたが故に、“現場での最善”を優先して意識と思考を巡らせていたのかも知れない。

 

 

 だから彼は知らなかったし、知ろうとも思わなかった。

 黒く呪いを帯びた(アヤカシ)が動きを止めたのは、信頼する司令官たる近右衛門がこの騒動を引き起こした者に脅され、苦渋の決断を強いられたが故だという事を。

 

 

 




 前回のあの終わり方で申し訳ないですが、決着は後編の次回です。

 刹那達に少女に続き、学園最強の手札であるお爺さんを人質で脅すヘルマンマジ悪魔。
 

 …にしても今回はイリヤ謹製の礼装の説明がくどい…かなと心配です。ちなみ霊獣の素材については、例の如く学園長からの提供だったりします。

 あと次回はやっぱり決着という事もあって戦闘シーンを加筆できたら…と思ってます。


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第18話―――訪れる暗雲(後編)

今回は結構長いです。あと冗長な部分があるように思います。
戦闘シーンの加筆は諦めました。


 淀んでいた意識が浮上して行くのを感じ―――明日菜は眼を覚ました。

 

「ここは…?」

 

 寝起きのような霞みかかった感覚は無く。覚醒した頭は直ぐに此処が見慣れた女子寮(じぶんたち)の部屋では無い事を理解し、数秒も立たずに彼女はこの場所がどこなのか見当を付けた。

 

「学祭で使うステージ? 大学部の……」

 

 呟き、思わず明日菜は足を踏み出そうとしたが…グッと両腕が引っ張られて、そこで自分が拘束されている事に気付いた。

 ちょっとした縄と同じぐらいの太さを持つ、柔らかくも丈夫で透明な蔓のようなナニカが両腕に絡まり、それがステージの天井まで続いているのだ。

 

「何よ、これ…っ!?」

 

 何とか解こうと腕や身体全体に力を入れ、奇妙な蔓を千切らんとするが…一向に外れない。

 それでも諦めずに前へ踏み出そうする明日菜だが、そこに声が掛かった。

 

「やあ、目が覚めたようだね。お嬢さん」

「!」

 

 先程まで誰も居なかった筈の自分の目の前……一段下にある小ステージとも言うべき場所に、黒衣を纏った長身の男性の姿が在った。

 初老に差し掛かった頃合いの、彫が深く整った顔立ちを持つ西洋人の男性。

 明日菜にとって十分好みの範疇に入る容貌であるが、流石にこの状況下では見惚れることは無かった。寧ろ警戒心が先行し―――途端、目覚める直前の出来事を思い出し、

 

「このっ…!」

 

 直感的に自分と木乃香を飲み込んだ“ニセ刹那(モノ)”と関係していると察して、自由が効く足で蹴りを見舞った―――が、

 

「ハハッ、流石はネギ君のパートナー候補筆頭だ。生きが良くて大変宜しい」

 

 明日菜の渾身の蹴りは余裕を持って受け止められ、彼の手に足首を掴まれてしまう。

 

「ッ…放しなさいよ!!」

 

 その余裕と笑みが酷く癪に障った明日菜は、自身の置かれた状況にも構わず怒鳴り、威嚇した。

 

「ウム、本当に生きが良いね。他のネギ君のお仲間はどうにも大人しすぎて……眠らされた神鳴流の剣士達や東のお姫様は兎も角」

「! 仲間…!?」

 

 未だ足首を放さない男性の言葉に、自分と一緒に飲み込まれた木乃香の事が先ず脳裏に浮かび。次に連絡が付かなくなった刹那や夕映達の事を明日菜は思い出した。

 その途端、足から手を放した男性の視線が自分では無く、その後ろの方へ向いている事に気付いて、明日菜も身体と首を捻って後ろへ視線を向けた。

 

「みんな…!」

「彼女達は観客だ」

 

 明日菜の視界に入ったのは、ガラス……いや、微かに泡立つのが見えた事から、液体で作られたと思われるドームに閉じ込められた夕映達と木乃香。加えて個別に分けられて同様の物に閉じ込められて眠る刹那、真名、楓にエヴァ。それに―――

 

「―――あれは那波さん!? どうして!?」

「真祖殿や神鳴流の剣士たちは危険なので眠って貰った……まあ、そのお嬢さんは成り行き上の飛び入りでね」

 

 無関係の那波さんまで…コイツどういう積もり?

 そんな疑問が過ったが、それ以上にある意味気になったのは夕映達が全裸である事だ。一瞬、この男性に剥かれたのかと不穏なことを思ったが、木乃香と自分が私服のままである事を見ると違うと思い。では何だろうと考えて彼女達の姿を改めて見て―――ふと気付いた。

 木乃香が口元を引き締めて自分や刹那達の様子を窺いながらきつく敵を睨んでいるのは判らないでもない。勿論、他の友人たちも表情を沈ませて若干顔が青いのも判る。けど木乃香を除いたその友人達の視線が一定の方向で固定されていた。

 ステージ前方の方だ。

 

「ん…―――ッ!!?」

 

 明日菜は友人達の様子に少し嫌な予感を覚えながらもそこを見て、驚愕に表情を染めた。

 

「そんな…っ!?」

 

 なぜ今まで気付かなかったのか?

 ステージの直ぐ前、観客席とステージの間に黒い甲冑を纏ったナニカと、地面に伏して腹部を赤く染める白い少女の姿が在る事を。

 

「―――イリヤちゃん!!」

 

 思わず彼女の名を叫び、明日菜は自分の顔が血の気を引き、青くなって行くのを自覚した。

 そこには勿論、傷付いたイリヤへの心配もあった。だがそれ以上に彼女が地に伏し、身体を赤く……血で汚しているという意味を…そう、それが何を意味しているのか理解したからだ。

 

「そ、そんな…」

 

 明日菜はもう一度、その言葉を零した。

 ただしそれは先と違い、イリヤへの心配や驚愕に伴う疑問的な意味では無く、絶望とも言うべき感情から出たものだった。

 

(あのイリヤちゃんが……最強だっていうエヴァちゃんも認める。とんでもなく強いあのイリヤちゃんが負けたの?)

 

 と。

 そう思うと夕映達の顔が青い理由も判った気がした。無論、こうして捕まった事への不安や血で赤くなったイリヤの姿もその理由なのだろうが。

 明日菜は以前から刹那に聞いていたし、夕映達も数時間前にあの“別荘”でエヴァがまるで我が事のように自慢気に語っていたのを聞いている。

 イリヤは英雄であるネギの父親達と並ぶ“力”を有しており、この学園でまともに戦え、勝負に成るのは全盛期の力を取り戻した自分か学園長ぐらいなのだ…という話しを。

 それはつまり、救援を望むのは絶望的だという事だ。

 そのエヴァが捕まっている事もそうだが、学園長こと近右衛門が来たとしてもイリヤが倒れている……つまり敗れたらしい事実を見ると、この状況から助かるとはとても思えなかった。イリヤを破った相手……恐らくはあの黒い甲冑がそうだろう。そんなイリヤ以上の強者かも知れない存在に近右衛門が勝てるのだろうか?

 

(多分、無理…よね)

 

 倒れたイリヤの直ぐ傍に立つ黒い甲冑が纏う得体の知れない……いや、以前、そう京都の時にも感じた覚えのある禍々しい雰囲気とその内にある圧倒的な力を直感し、明日菜はそう思った。

 幼い時分から見知っているあの飄々とした老人を侮った訳では無いのだが、この禍々しい気配を放つ甲冑姿の敵に打ち勝つビジョンはどうしても浮かばなかった。

 

(イリヤちゃん……)

 

 明日菜は悲嘆した思考から俯き掛けた顔を上げて、地に伏している少女を見つめた。

 傷付いて身体を血で汚し、僅かだが地面も赤く染める彼女。それでもそのイリヤの実力と普段から見せる自信にあふれた姿を知る為か、幼いながらも頼りになるその少女に対し……心配の感情以上にこの状況を何とかしてくれるのではないかと期待を抱いてしまう。

 そんな身勝手な自分の思考に当然、嫌悪感も懐いたが、明日菜はそう祈り願うしかなかった。

 その明日菜の視線をどう捉えたのか黒衣の男性が言う。

 

「心配はいらない。私も彼女に死なれては困るのでね……まあ、少し危なかったが出血も止めた。命に別状はない」

 

 それは明日菜にも判っていた。

 少し距離はあるが、眼の良い彼女にはこのステージの上からでもイリヤが呼吸をしているのを見て取れたからだ。ただその男性の言葉はやはり癪に障った。

 自分達を捕らえただけでなく、そのイリヤを傷付けたのは彼等なのだ。なのに恩着せがましく言うのは腹が立った。

 だから明日菜は状況も悪さを忘れて、気丈に男性を睨み付けた。

 

「イリヤちゃんが怪我したのはアンタたちの所為でしょうが! こんなことして何が目的なのよ!!」

「尤もな意見だが……なに仕事でね。“学園の調査”が主な目的だが、“ネギ・スプリングフィールドと”」

 

 男性は笑みを浮かべて明日菜の怒りに答えつつ、意味深に彼女を見つめ―――

 

「君…“カグラザカ アスナが今後どの程度脅威と成るか”も調査内容に含まれている」

 

 ―――そう、明日菜にとって全く予想外の事を告げた。

 

「え……―――どういう事よ!?」

 

 一瞬、唖然とし明日菜は直ぐに問い返したが、男性は笑みを深くするだけでそれには答えず、懐から見覚えのある銀のブレスレットを取り出した。

 

「それは…木乃香の―――?」

「ウム、あの東の姫君が身に付けていた物だ。君が目的であったというのに、割り込んできた彼女のお蔭で危うく転移に支障を来たすところだった」

 

 そう答える男性に何処からか「アタシの心配は無しカヨ! すっげー痛かったのに…」との抗議の声が聞こえたが、明日菜は気に留めず。そのブレスレットを見てイリヤから贈られた自分のペンダントが囚われる寸前に首から奪われ、放り捨てられた事を思い出していた。

 同時にそれがただのペンダントでは無い事も。

 

「聞いていた通り、見事な護符(アミュレット)だ」

 

 そう、ネギがあの誕生日に言った通りペンダントは魔法のお守りだった。

 送り主であるイリヤもそれは認めている。

 

 

 

 それはネギの父親の別荘で記念撮影を行なった後の事だ。

 デジカメで写真の写り具合を確認した時、自分の首からぶら下がるペンダントを目にしてイリヤに尋ねたのだ。ペンダントの事を事件が片付いた後に話すと言っていたのを思い出して。

 

『―――ネギが言った通りよ。それは魔法などの神秘的な力を持ったお守り…所謂、護符(アミュレット)と呼ばれる代物よ』

 

 ナギの別荘からの帰りの道で、帰路に着いた集団の最後尾―――当時は魔法の事を知らない筈の夕映達に聞かれない為―――に位置して、イリヤは隣で歩く明日菜の問い掛けに答えた。

 

『あの時……確か、“贈って置いて幸いだった”とか言ってたけど、どういうこと?』

『うーん、そうね。……アスナは不思議に思わなかった? 自分があんな異常な状況に―――得体の知れない怪物に襲われて命が掛かった状況に放り込まれて。それも生きたまま喰われるかも知れず、辺りには血と肉が散乱して、臓物臭が漂う凄惨な光景が繰り広げられたというのに平然……とまでは行かなくとも、心を乱さず戦えた自分を変に思わない?』

 

 そう、逆に問い返されて明日菜は、漸くその昨晩の出来事に疑問を抱いた。

 確かにあんな状況に立たされ、吐き気を催すような光景が繰り広げられたにも拘らず、自分はそれほど動揺してなかったように思えた。勿論、全くでは無い。恐怖はあったし、呆然と足を止めて危機に陥ったりもした。

 けど、あんな目に合えば普通なら錯乱してもおかしくは無い。いや、絶対に錯乱する。でも自分はそうならなかった。

 

『それが、このお守りのお蔭ってこと?』

『ええ、それには持主の意思を昂らせるというか、“勇猛”にさせる効果が在るんだけど……判り易く言えば、それのお蔭でゲームなんかで言う“混乱”だとかいう精神系のバッドステータスを回避出来るの』

『…へえ』

 

 判り易い例えに明日菜は思わず頷いた。

 尤もそう言ったゲームは―――身寄りも無く、学生である為。限られた時間でのバイトが主な収入源な事もあり、ふところ事情が色々とキツイ―――自分は余りしたことは無いのだが、美砂や鳴滝姉妹などのイマドキっ娘たちの部屋で見掛けたり、プレイさせて貰った事はある。

 

『勿論、それだけじゃなく。魔法に対する耐性や物理的な―――毒や石化などと言ったステータス異常の回避もあるわ。まあ、そのアミュレットはそちらの方が本命なんだけど』

 

 と。イリヤは説明を続けて、あの得体の知れない怪物が出した“瘴気”という物からも明日菜を守っていたとも言った。もしそれが無かったら自分は瘴気の混じった空気を吸い、肺を始めとした内臓が腐っていたらしいとも。

 

『ホント、贈って置いて良かったわ。製作者としては甲斐が在ったとも言えるけど……正直、世の中何がどう幸いするか判らない、みたいな釈然としない感じも在るわね』

 

 安堵しつつも何処となく複雑そうな表情でそう言うイリヤだったが、それら事実を聞いた明日菜としては随分と背筋を寒くすると共に、アミュレットをプレゼントしてくれた彼女には勿論のこと、身に付けるように進言してくれたネギとカモにも非常に感謝したものだ。

 ただ、

 

『あ、そういえば、カモの奴が言ってたんだけど……コレってもしかしてとても高かったり…する?』

『…………』

 

 カモの話を聞いて気になっていた事を贈り主であり、製作者であるというイリヤに尋ねたのだが、白い少女は何故かその質問には答えてくれなかった。

 

 

 

 つい数日前に木乃香が受け取ったブレスレットも、自分の物と同じ材料を使った代物でユニコーンの絵が彫刻され、その効果も同様らしいが―――回想を終えた明日菜は、それらアミュレットが自分の事……男性の目的にどう関係しているのか判らず、再度問い掛けていた。

 

「どういう事…? そのアミュレットっていうのが私とアンタの目的に何の関係があるのよ」

「フム、それは―――…と、来たようだ」

 

 男性は明日菜の問いに答えようとしたようだが、不意に何かに気付いたように振り返って明日菜に背を向け。ステージの向かい……薄暗く曇った空の向こうへと視線を転じ、

 

「―――今、それが確かになる。まあ、依頼主の目利きが正しければ…だが」

 

 やはり明日菜には理解出来ない意味深な言葉が返されて、その疑問は濁された。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ネギが姿を現わした事により、明日菜はまた顔を青くする事と成った。

 だから隣に見覚えのある頭に犬耳を生やす少年の姿がある事を疑問にも思わず叫ぼうとした。ネギの魔法が防がれた瞬間に何故か身体を襲った奇妙な苦しさを堪え、

 

 ―――ネギ、駄目! アンタじゃあコイツらには勝てない。私達の事はいいから逃げて!!

 

 彼等が自分達を助けに来たのだと判るからこそ、そう必死に告げようとした。

 何しろエヴァと刹那や真名たちだけでなく、あのイリヤが敗れた化け物が居るのだ。

 だが、それを察したヘルマンの指示でその言葉は途中で遮られた。幼女の姿をした魔物が彼女の口に手を押し付けて、そのままガムテープのようなもので口を塞いだのである。

 

 その後は正にイリヤが言う所の原作通りの展開と言えた。

 ネギと小太郎が変に張り合って言い争う漫才染みた事は流石に無かったが。

 

 ネギの問い掛け―――ヘルマンが何者なのか、何故こんな事をするのか? その目的は? との言葉にヘルマンは自らの正体は明かさず、人質を取ったのはネギを誘い全力を出して貰う為であり、目的はネギの実力を見たいだけなのだと答えた。

 無論、自分が倒れれば彼女達は解放されるとも。

 しかし実の所、“調査”さえ無事終えれば、勝敗に関係無く明日菜達は解放されるのだが、当然そこは伏せられた。それではネギは全力を出さないであろうから。

 ネギは自分が狙いらしい返答を受け。それに生徒達を巻き込んだ事に忸怩たる念が芽生えると同時に、此処へ向かう直前に感じた事―――父との因縁が関係しているのかとも思い。それを尋ねようとしたがその問い掛けを口にする前にヘルマンが指を鳴らし、それを合図に幼女姿の魔物(スライム)がネギと小太郎へ襲い掛かり、戦端が切られた。

 

 

 

 バーサーカーの手によってステージに上げられて明日菜の背後、木乃香達が囚われる水牢の前に転がされ、何故か自身の身体を隠すようにして被せられたヘルマンのコートの下で―――また彼女には分からない事だが、エヴァの入った水牢も濁りガラスのようになり、吸血姫の姿も隠されていた―――イリヤは周り状況を音と気配を頼りにし、それらの事態を大凡把握していた。

 

 イリヤが目覚めたのは明日菜とほぼ同時だった。

 その時、一瞬眼を開きそうになったが、腹部から背中に奔る熱い痛みと、直ぐ傍に在るバーサーカーの重圧(けはい)を感じ、状況を察して気を失ったふりを続けた。

 当然、機を窺う為だ。

 ヘルマンと明日菜の会話を耳にしつつイリヤは思考を巡らせた。

 先ず自分の居る場所だが―――これは直ぐに分かる。原作と同様であるなら世界樹付近に在るステージだろう。

 次に敵の戦力だが―――気配を探る限り、近くに居るバーサーカーとステージ上のヘルマン……他には、やはりオマケ的な幼女型スライムと思われる気配がある。

 ただ先の一戦の時、バーサーカーが気配を消していた事を思うと、この他にも敵がいる可能性は在るが……ともかく、この判る範囲の状況で打開手段を模索するしかない。

 一番のネックは―――

 

(やっぱり、バーサーカーね)

 

 腹部の熱さと全身に感じる痛みにイリヤは当然のようにそう判断する。

 あの後……高音を見捨てられず串刺しにされた直後、イリヤはかなり手荒く扱われた。

 腹に刺さった剣が乱暴に引き抜かれると同時に抵抗する間も無く、首を圧し折らんばかりに強く掴まれて、そのまま地面に背中から思いっきり叩き付けられ、さらに追い打ちとばかりに傷を負った腹を堅い鉄で覆われた足で踏まれ、同じく硬い手甲で覆われた拳で額まで殴られた。

 そこでイリヤの意識が途絶えた訳なのだが……

 

(……ほんとう容赦がない。幾ら狂戦士だからって、仮にも騎士なんだから女の子は優しく扱うべきじゃない?)

 

 敵であり、狂化の上に黒化までして理性が無いのは判っていたが、最高の騎士とも讃えられる彼の“湖の騎士”がその正体だとを思うと、そう文句を言いたくなる。

 イリヤは聖杯戦争に関わる身として、また神秘に触れる者として、彼の有する伝説とその偉業を重ねた彼自身にはそれなりに理想を抱いていたのだから。

 それに父親(キリツグ)が使役するのが、彼の騎士王という事もあってか、幼い時分に母親(アイリ)がそれに纏わる円卓の騎士たちの物語をよく読んで聞かせてくれ。そこから芽生えた憧憬も少なからずある。

 

(まあ……そんな幻想(りそう)は、セイバーを見てからとっくに砕けているんだけど…)

 

 聖杯戦争以上にあの“四日間”とそれを補完するかのように刻まれた在る筈の無い、それまでの“半年間”の記憶が脳裏に蘇ってそう思った。

 シロウに稽古を付けたり、買い物などの家事を時折すれど、基本的には衛宮邸で食べて寝て過ごすだけの騎士王(かのじょ)の姿は、正に“ぶろーくんふぁんたずむ”であった。

 尤もイリヤ自身もお嬢様な為、何かこれといった生産的な事はしておらず、シロウに対して我が侭し放題、甘え放題といった日々だったのだが。

 

(―――と、いけない。つい思い耽ってしまって思考が逸れたわ)

 

 内心で頭を振り、イリヤは慌てて思考を戻す。今は過去を懐かしむ余裕も時間も無いのだから。

 

(とにかく、この4thバーサーカーに隙を生じさせない限り、私は動けない)

 

 恐らく自分に対する警戒なのだろう。甲冑を纏った狂戦士は自分の傍に佇み動く様子は無い。

 もしこの状態で下手に動こうものなら、意識を失う直前のように凶暴に踏み付けられるか、その手に持つ剣でまた串刺にされ、地面に張り付けられるかのどちらかだろう。

 その高い敏捷値を思えば、此方が何かをする前にそうなるのは確実だ。況してや今のイリヤの状態―――夢幻召喚(インストール)が解除された身体では尚更に。

 

(というか、そんな状態でさっきと同じような事をされたら、確実に死ぬわね)

 

 そう、急所を外したとはいえ、串刺しにされたあの刺突は音速を遥かに超えた速度を持っていたのだ。

 剣の重量及び質量に加え、バーサーカー本体のソレが加わった超音速の刺突や剣戟。英霊化していなければ、とてもではないが耐えられない。常人であれば余波で生じる衝撃で胴体真っ二つどころか、その部位が丸ごと粉砕して肉片と体液を周囲に撒き散らすだろう。

 英霊化していない今のイリヤも、それを受ければ当然そうなる。

 

(……冗談じゃないわ)

 

 思わず想像し、背筋に悪寒が奔らせながら内心で呟く。

 勿論、バーサーカーに此方を殺す気が無いのは、手にする刃挽きされた剣や急所を外した事からも判る。恐らくアイリの指示なのだろうが、狂化と黒化で理性が無い彼はどこまでそれを尊重するか?

 

(やはり今は動く事は出来ない…か)

 

 ただ『アーチャー』は解除されて手元には無いが、幸いにも他のカードはある。

 カードの存在自体に気付かなかったのか、それとも敢えて無視したのかは判らないが、腿に在るホルダーの中身に手は付けられて居ないようだった。

 目は閉じているし、当然手探りした訳でも無いがイリヤはカードがそこに在るのが判った。サーヴァントとの契約程では無いが、細くもハッキリとしたラインの繋がりが在る為だ。

 となるとイリヤの打つ手は、先ずバーサーカーの気を逸らして再度夢幻召喚(インストール)を行なう事だ。そして人質と成っている明日菜達を救出し、バーサーカーとヘルマンを相手にしながら彼女達を逃がさなければならない。

 かなりの難題だが、

 

(明日菜達を逃がすまでは何とかなると思う)

 

 イリヤはそれなりに勝算が在ってそう考えた。

 バーサーカーを打倒出来るかまでは一度敗れた身としては、不安で在ったが。

 

(けど、何とかやってみるわ。せっかく“一対一”の好機なんだから)

 

 そう、“複数対一”ではなく“一対一”である。最悪残り6体とも考えられる黒化英霊を確実に削れる機会とも言えるのだ。

 ヘルマンと幼女スライムも居るが、弱体化している悪魔や最弱モンスター程度などは如何とでもなる。この機を逃す訳には行かない。勿論―――

 

(―――さっきのバーサーカーのように、他に気配を消したサーヴァントが居なければだけど……)

 

 ただし、その場合の対策も一応はある。尤もそうなれば打倒は難しくなり、撤退を優先する事に成るだろう。それに―――出来れば使いたく無い手でもある。

 しかし、自分や明日菜達の身を考えると出し惜しむ訳にも行かない。

 イリヤは分の悪さを感じて内心で溜息を吐いたが、覚悟を決めてラインを通じた念話を開く。

 魔力の波に頼らないそれは、予想通りジャミングの影響を受けずに彼女の契約下に在る者達へと繋がった。

 

 しかし―――

 

(間に合うかしら…?)

 

 ネギが姿を現した状況を鑑みてイリヤはそう焦燥感を覚えた。この事件の収束が近い事に―――このまま動けないまま、帰結に向かう事に大きな不安を感じて。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ひゃ…ああああああぁぁぁぁっっ!!!」

 

 突然、明日菜の悲鳴が一帯に響いた。

 苦しさを感じさせながらも何処か艶を帯びた奇妙な悲鳴。

 ネギは敵を目の前にしながら思わず明日菜に振り返って彼女の名を呼び、水牢に閉じ込められていた木乃香も友人の名を叫んだ。

 

「明日菜さんっ!?」

『明日菜ーー!?』

 

 同時に金属を擦り付けるかのような異音が響き―――バシッと、何かを叩くかのような音が、この直前にヘルマンに向けて使った『封魔の瓶』から放たれ、宙に浮いていたそれが床へと転がり落ちた。

 何が起きたか木乃香にもネギにも判らなかったが、カモがそれを口にした。

 

「封印の呪文が掻き消された!?」

 

 信じられない物を見たかのように彼は叫んだ。

 『封魔の瓶』は非常に強力な魔法具だ。本来は滅ぼす事が出来ない上位悪魔や霊格の高い存在に対する為に作られた高位のアーティファクトで、その威力は絶対である。

 一度呪文が行使されれば、それこそ地獄を統べる悪魔王か、それに準ずる存在でも無ければ逃れることは出来ない。勿論、低級悪魔用の(ランク)の低い劣化版(デットコピー)の“瓶”も存在はするが、ネギが使った“瓶”は数少ないオリジナルとほぼ遜色の無い代物である。

 だというのに、封印の失敗どころかその効果が無効化されたのだ。故にカモの驚愕は大きかった。魔法の矢程度ならいざ知らずに……と。此処に到着する寸前に見たもの―――機先を制する為、杖の上からネギが放った魔法の矢が防がれた現象と同様である為に。

 

 しかし木乃香は違った。この現象に思い当たる節があるからだ。

 祖父から聞かされた親友が持つ重大な秘密。先程までのヘルマンと明日菜の会話。そしてこの現象が生じると同時に苦しむ親友の姿。

 それらから至る結論に木乃香は表情を険しくする。

 

(明日菜のこと気付かれとったん…いや、確証を得に来たんか?)

 

 魔法が通じないというネギの不利や現状の心配より、真っ先に思い浮かんだのはその危惧だった。

 “敵”が明日菜の秘密……むしろ正体というべきか、それに薄々気付き。確かめに来たらしい事。

 それが何を意味するのか理解する木乃香は、途方も無く大きな焦燥感が胸中から湧き出るのを覚えた。

 そう、明日菜という友人への不安や心配もあったが、それ以上にその事実が招く今後の事態を想像し、肩に圧し掛かった強迫観念染みたナニカ―――自覚してまだ薄いが、“近衛 木乃香”としての責任感や義務感。そしてその道を歩むことを覚悟し抱いた義憤……“正義感”が彼女の中で大きく唸りを上げていた。

 だが、今の木乃香は無力だ。

 術の媒介である符はアミュレットと共に取り上げられ、隠し持っていた杖も同様である。その為、行き場の無いその衝動は木乃香の胸中でただ渦巻くだけで、険しく深刻な表情を浮かべながらもヘルマンを睨むことしか出来なかった。

 

 

 

 そんな木乃香の視線を気付いている筈だが、ヘルマンは意に介した様子も無く。ただカモの驚愕に答えるかのように語る。

 

「実験は成功のようだね。放出型の呪文に対しては完全だ。正直、不安は在ったのだが―――これで確証は得られた訳だ」

「…!?」

 

 ヘルマンの言葉にネギの瞳が不可解そうに揺れた。

 それに気付いたのであろう。彼はネギを見据えて言葉を続ける。

 

「マジックキャンセル…魔法無効化という奴だよ。一般人である“筈”のカグラザカアスナ嬢……彼女が“何故か”持つ魔法無効化能力。極めて希少(レア)かつ極めて危険な能力だ。それを逆用させて貰ったのだよ」

「!…」

 

 ネギは眼を見開いて驚くも、以前から何と無くそうではないかと思っていた事もあり、こうして他者からの説明を受けてようやく腑に落ちた感じがした。

 カモも同様だった。

 やはり、明日菜の能力は彼女が持つアーティファクトやイリヤのアミュレットによるものだけでは無かった、と。

 そう、ネギ達にして見ればその兆候は以前からあったのだ。

 麻帆良へ赴任初日の忘却魔法の失敗を始め、その後の幾つかの騒動や事件―――ネギの作った惚れ薬の効果が彼女だけに効果が無かったり、彼女を杖に乗せると何故か飛びにくくなったり、エヴァとの対立時にはその真祖の吸血鬼たる彼女の持つ障壁をものともせず、見事な蹴りをぶつけていた。

 そのいずれも明日菜はアーティファクトを所持しておらず、イリヤと出会う以前の出来事だ。ネギは京都の事件と南の島の一件を経てカモと相談を重ねる内にその疑問も話していた。

 

「カモ君…!」

「ああ!」

 

 だからヘルマンの告げられた話に魔法使いの少年とその使い魔は、互いに確信するように頷き合った。

 

 

 

 しかし、ネギ達はともかく明日菜本人に取っては全く予想外の話だった。

 

「私…の持つ、力……? アーティファクトや……イリヤちゃんのペンダントの効果じゃなく…て?」

 

 何時の間にか……さっきの叫び声の所為か口を塞いでいたモノが剥がれており、明日菜は苦しく呼吸を乱しながらも半ば呆然と呟いた。その途端、頭に軽く痛みが奔った。

 ズキッというよりもギシッと何かが軋むような痛み。

 そう、まるで固く閉ざされた古めかしい木製の扉を開けるかのような―――それともずっと昔…子供の頃にでも仕舞った大切にしていたモノを入れた宝箱を開けるかのような―――パタンと閉じた音が聞こえ―――て…………そんな痛みがあった気がした。

 明日菜は何処か視線が定まらずボンヤリとしていたが、ヘルマンはソレに気付いていないのか、構わず彼女の呟きに答えるように言葉を向けていた。

 

「その通りだアスナ嬢。私の依頼主はその確信が何よりも欲しかったようでね。こうして手荒に扱っているのも。ペンダントについてすまない事をしたのもその為だ。私が言うのもなんだが少し謝罪させて頂くよ―――“姫君”」

「―――ッ!!?」

 

 ヘルマンの言葉が耳に入った瞬間―――また軋んだ痛みが頭に奔り、明日菜のボンヤリとした意識と視線が定まった……が―――彼女は、何故か淀みかかった思考を振り払う為に頭を振ってヘルマンを強く睨んだ。

 “ソレ”に呑まれては行けないと訴える(はたらく)意思(さよう)に従って。

 勿論、自分にそのような不可思議な力が在る事やそれが原因で、皆を危険に晒したらしい事は大きなショックだったが、それに打ちひしがれる姿をこの敵に見せるのは嫌だった。

 

「ふむ…」

 

 その気丈な姿にヘルマンは満足げに見える表情をしながらも、不満そうにも聞こえる声を漏らした。

 ヘルマンの相反する表情と声に明日菜とネギは訝しんだものの、その心情を計る事は出来ず微かに眉を顰めた。しかし、

 

「まあ、良い。実験は成功しアスナ嬢に対する目的はほぼ果たせた。次は君の番だ」

 

 気を取り直した様子でそうヘルマンは告げ、ネギを鋭く見据えた。

 ネギは身構え、明日菜は逃げるように再び叫ぼうとしたが―――

 

「そろそろ本気でやらせてもらうとしよう。ネギ・スプリングフィールド君」

 

 そう宣言した途端、黒衣の男性の姿が掻き消え―――

 

 ―――背後に回り込んだヘルマンの一撃が掠めてネギは吹き飛び。

 ―――目の前に現れた幼女に明日菜は開こうとした口を再度塞がれた。

 

 

 

 ヘルマンが動いた事でスライム達を相手に果敢に攻めていた状況から一転し、ネギと小太郎は一方的に攻められる側に立たされた。

 魔法が通じないというハンデもあるだろうが、それを抜きにしてもヘルマンは圧倒的だった。

 ネギと小太郎を同時に相手をし、余裕を持って対応出来る体捌きと素早さ。そしてそれを活かして繰り出される四肢による重い攻撃に、詠唱も無く放たれる魔法の矢を優に凌ぐ魔弾や中位魔法相当に当たる範囲攻撃。

 これらにネギと小太郎は防戦もままならず、打ちのめされ、致命的な一撃を避けるのに精一杯であった。

 

 そんな劣勢を少しでも覆そうとカモはネギから離れ、イリヤが贈った物に代わって明日菜の首に掛かる宝石の付いたペンダントを奪いに行った。

 そのペンダントが明日菜の持つ魔法無効化能力を利用している(キー)だと判断したからなのだが―――焦りなのか、油断なのか、姿を隠す事も無く行動した為。幼子の姿を取ったスライムの手に敢え無く捕捉されてしまう。

 

「捕まえマシター」

「うおお、しまった!? 放しやがれーーっ!!」

 

 奇妙なイントネーションで話す幼女の両手に掴まれ、カモは抜け出さんとジタバタと足掻く。

 明日菜はそのカモの無様かつ間抜けな姿に悪態を吐きたかったが、口が塞がれていてはそれすらも出来ない。

 

「てめーもこの中、入ってナ」

 

 挙句、別のスライムにボールを扱うかのようにパスされてカモは木乃香達が囚われる水牢へと放り込まれた。

 そしてスライム三体の内、二体が水牢の傍でまるで明日菜や木乃香達に聞かせるかのように話し始める。

 

「ククク、あの二人のガキはもうダメダナ」

「ええ、もったいないデスケドネー」

 

 小生意気そうな雰囲気を持つ頭に短いツインテールをしている幼女と、丁寧な口調で淑さを感じさせる眼鏡を掛けた幼女が言葉を交わす。

 その言葉が持つ不穏さに気づき、水牢に囚われた青い顔をした少女達が尋ねる。

 

 ―――どういう事です。

 

 と。

 ただし明日菜と同様、余計な事をネギ達の耳に入れられない為にその声は水牢の外にまでは響かなかったが、その造り主であるスライム達には彼女達の声が聞こえた様だった。

 

「安心シナ、お前らは無事返してヤル。タダノエサダカラナ」

「調査の結果はどうあれ、ネギ君には暫く戦えないようにしておけって命令が出てマス」

「しかしヘルマンのおっさんの石化は強力だカラナー。まあ、悪くすると片手と片足、永久石化かも知れネェナ」

 

 コタローってガキもな、と。楽しそうに話す魔物二体の会話はそう締められ、水牢に囚われた青い顔をした少女達の顔は更に青くなった。

 特に京都の一件でクラスメイトの友人達が石にされるのを目の辺りにしていた夕映、のどか、和美は。

 

 

 

 ヘルマンが大きく足を踏みしめ、ズシンッと地面が罅割れ砕けると同時に弓を引くように構えた拳が輝き―――次の瞬間、振り上げた拳と共に地から登り立つような魔力が衝撃を伴って放たれた。

 事前の大振りな動作もあり、ネギと小太郎はそれの直撃を避けることは出来たが、その一撃でステージ周辺の観客席が大きく吹き飛び、舞い上がる粉塵と瓦礫によって視界が僅かに塞がれ、その僅かな間にネギ達はヘルマンの姿を見失う。

 

「「!?」」

 

 気付くと背後に敵の気配があった。

 攻撃の気配も察し、振り向くと同時に二人は防御を固めるが咄嗟の事もあり、放たれた拳の連打を受け切れず、いくつもの打撃がネギと小太郎の顔や胴体を強かに打ち。防御が完全に崩れて姿勢すらも取れなくなった所で尚重い蹴りがヘルマンから放たれる。

 まともにそれ受けた2人は吹き飛び客席を巻き込みながら派手に地面に叩き付けられた。

 

「くっ…」

「くそっ、つええ!」

 

 重い一撃をまともに受け、更に受け身も取れずに地面に叩き付けられた所為か、ネギと小太郎は直ぐに起き上がれず。呻き、悪態を吐いた。

 その二人にヘルマンは追撃もせず、余裕を持った雰囲気で佇むが小太郎はともかく、彼のネギを見つめる彼の目は失望に彩られていた。

 

「……やれやれ、この程度かね」

 

 彼は溜息を吐きながら言う。

 

「先程までの―――“瓶”を使うまでの動きは中々良かったが……どうやら私が手を下す程でも無かったようだね。残念だよネギ君」

 

 そう、それは深い失望が込められた言葉だった。

 その言葉にネギはどう感じたのか? 悔しさを覚えたのかも知れないし、ヘルマンがそうまで自分にそのような感情を向ける事に戸惑いを覚えたのかも知れない。

 ただ確かなのは、実力差を見せつけられ、力が足りないと感じたにも拘らず、諦めずに立ち上がった事だ。

 

「小太郎君、大丈夫!?」

「アホッ、まだ行けるわ! …チッ、変化が使えりゃあな」

「行くで!」

「うん!」

 

 その姿に抱いた失望感が若干ではあるが軽くなったのをヘルマンは感じ、ネギと小太郎による攻撃を軽くいなしつつ不意に思い付いた事を口にした。

 

「いや…違うな、ネギ君。思うに君は―――」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 隣に居た即席の相方……小太郎がヘルマンの一撃を受けて大きく吹き飛んだ直後、ネギはヘルマンから思いもよらない言葉をぶつけられた。

 

「―――本気で戦っていないのではないかね?」

「!?」

 

 疑問的でありながら確信が籠った敵の言葉を聞き、ネギは何故か一瞬、胸を透くものを感じた。だが直ぐに反論した。

 

「な、何を…? ぼ、僕は本気で戦っています!!」

 

 胸に突き刺さった鋭い感覚を振り払うかのようにネギは言う。

 ヘルマンはそれに「そうかね?」と首を傾げる。どこか愉快そうに可笑しげに。

 

「……サウザンドマスターの子供がなかなか“使える”と聞いて楽しみにしていたのだがね」

 

 ネギから離れ、無防備に背を向けてステージの方へゆっくりと歩きながらヘルマンは語る。

 

「彼とはまるで正反対。戦いに向かない性格だよ」

「!?」

 

 父と引き合いにされてネギの動揺は大きくなる。

 そこにヘルマンはさらにネギの不意を突くように尋ね、言葉を向ける。

 

「君は何のために戦うのかね?」

「な、何のために…?」

「そうだ。小太郎君を見たまえ、実に楽しそうに戦う」

「……」

「君が戦うのは? 仲間の為かね。下らない実に下らないぞ。ネギ君、期待外れだ。戦う理由は常に自分だけのものだよ。そうでなくてはいけない」

 

 身振り、手振りを使い芝居がかったかのようにヘルマンは大仰に語りかけ、ネギは思わず耳を傾けてしまう。

 

「“怒り”、“憎しみ”、“復讐心”などは特に良い。誰しも全霊で戦える。或いは健全に“強くなる喜び”でも良いね、小太郎君みたいにね。そうでなくでは戦いは面白くならない」

「ぼ、僕は別に戦うのが面白いなんて…」

 

 ネギは口を開いた。戦う事に面白さなんて求めていない。好きで誰かを傷つける真似何てしたくはない。そう、イリヤも言っていた。自分の“力”がもたらす結果を理解していなくては、と。

 そうだ。戦って誰かを傷つける事はとても辛くて悲しい事なのだ。けど、それでも―――

 

「僕が……僕が戦うのは―――」

「一般人である彼女達を巻き込んだ責任感かね。助けなければという義務感?」

 

 その通りだ。“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”を志す魔法使いとして、また教師としての役割や仲間としてもそれは当然の思いだろう。刹那との約束もある。

 それにこれまでの―――エヴァとの対決や京都の事件もそういった意思で戦ったのだ。

 だからネギは頷こうとしたが、続けて言うヘルマンの言葉に遮られる。

 

「義務感を糧にしても決して本気には成れないぞ、ネギ君……実につまらない。いや…それとも君が戦うのは―――」

 

 そしてさらに続けられる衝撃的な言葉にネギの思考は停止する。

 

「―――あの雪の夜から逃げる為かね?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ネギの頭の中は白く染まって行った。

 まるで深々とあの日のように雪が降るかの如く―――後の……数分間での出来事は良く覚えていない。

 白く染まる思考と視界に。異様なまでにドクドクと大きく脈を打つ心臓の音だけがネギの記憶に深く残っており。ナニカを尋ねた自分の声に……ヘルマンと、呼ばれる男性が―――帽子を、取って、その顔が……見覚え、のあるモノで、何かを言いながら、心底可笑し、そうに…ユカイに嗤う、ワラウこえ、が。とても、ミミ障りで……

 

「―――そうだ。君の仇だ、ネギ君」

 

 悪魔が、フカイ笑みを浮かべて言うのを、キイタ。

 ジリジリと白く染まった思考を―――降り積もった雪を解かそうと熱く赤いモノが脳裏に過る。

 アクマはまだナニカを言っていた。シャクイ級の上位アクマだとか、おじさんとムラの人タチを石にしたとか、スタンお爺ちゃん(あのろうじん)にしてやられただとか―――

 

「どうだね。自分の為に戦いたくなったのではないのかね?」

 

 瞬間、ジリジリとしていた赤いモノが轟ッと一気に燃え広がり、炎の如く思考と視界を赤一色に染めた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ヘルマンは歓喜に打ち震えていた。

 動きはまだ荒く未熟そのものであったが、ネギが今示している“力”と性能(スペック)は明らかに自分を圧倒している。

 例え力の大半を抑えた今の己ではあるが、それでも眼に追えぬ速度を持ってこの身に確かなダメージを与える打撃は十分に満足行くものだ。

 

「ふふ…ははは、いいね! すばらしい!! これだ! これが見たかったのだよ!! それでこそサウザンドマスターの息子だ!!」

 

 ネギの突き上げる掌底を受け、まるでロケットの如く凄まじい勢いで打ち上げられ、続く拳撃による怒涛のラッシュで全身を撃ち付けられながらも、ヘルマンは歓びに満ちた笑い声を上げた。

 これを確かめたかったからこそ、彼はこの依頼を受けたのだ。幼くまだ青い未成熟な花開く前に見せる才能溢れる者の輝き。それも英雄と称えられるサウザンドマスターの実の子供。

 

(うむ、素晴らしい。惜しい才能だ。将来を見てみたい)

 

 才能に恵まれ、さらに英雄の子という肩書きを背負い。多くを期待され、それに恥じない力の片鱗を見せる幼い少年。それに直に触れられる機会。

 彼との因縁も含め、非常に自分好みで美味しい依頼であり、“報酬”だ。

 

 ―――そう、こうしてその幼くも眩しい輝きを放つ才能を、己が身を持って確かめられ。

 

(だが、しかし…)

 

 ―――そう、その将来性を確信し、他の多くの者と同じく嘱望を抱き。

 

(そういった才能が潰えるのを見るのもまた…)

 

 ―――そう、その才能をこの手で摘み取り、将来を奪うという悲嘆と快感を得られるのだから。

 

(私の楽しみの一つなのだよ!!)

 

 そう、没落した爵位級悪魔のヘルマン伯にとってこの仕事は依頼であると同時に報酬でもあるのだ。

 故に、果てしなく怒涛の如く続く打撃を受けつつ、彼はその身を変貌させて本来の姿を―――異様に長い手足の体躯の背に、黒い蝙蝠に似た羽と鏃のような尾を持ち、頭には羊のものにも見える角を飾る禍々しい異形を―――取り、己が最大の悦びを得んと口腔を大きく開き、才能溢れる少年へ向けた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 それは、ほんの数秒前に起きた僅かな時間の出来事だった。

 

「―――!」

 

 自分に迫る無数の敵意の塊に黒い甲冑の騎士―――バーサーカーは直ぐに気付いた。

 空気を裂いて常人どころか高位の魔法使いや武の達人であっても視認不可能な速度で迫るソレの気配を。バーサーカーはその鍛えられた鋭敏なレーダーのような感覚で先ずソレを捉え、次にソレを直接目で“視認”した。

 数は6つ。円錐状で大の大人の親指ほどの太さを持つ鈍い金属質の物体。秒の間も無い間隔で連続して放たれたソレ。

 彼はソレを見た事がある。銃と呼ばれる物体から飛び出す主に鉛で出来た物質―――銃弾だ。理性無き思考から彼はソレを理解する。先の“戦争”でその銃という代物を扱った事がある故に。

 

 ソレ自体は然程脅威では無かった。

 凡そ音速の5倍。極超音速で迫る銃弾であろうと神秘が薄く、込められた魔力も乏しいのであれば彼を傷つける事は叶わないのだ。

 

「■■■…!!」

 

 しかし彼は、唸り声を上げてソレを迎撃した。

 ステージの床が軋み、足場を踏み砕きながら巧みな剣捌きを持って、音速を遥かに凌駕する速度で迫る弾丸を打ち払う。

 まともにソレを受けては、例えダメージが無くとも悪魔が羽織っていた黒いコートの下に隠れる“対象(イリヤ)”の傍から衝撃で吹き飛ばされ、引き離されてしまうからだ。

 視認していた無数の弾丸が黒い剣を振るう度に火花を散らせてあさっての方向へ飛んで行く。

 1つ、2つ、3つ、4つ、5つ、6…―――瞬間、

 

「■■―――!!?」

 

 バーサーカーの右側頭部に衝撃が奔った。

 ガァァンと複数の銃声に混じり、フルフェイスの兜が甲高い音を鳴らし、彼の身体は側転しながら吹き飛ぶ。途中、少女達が囚われる水牢にぶつかり、跳ねるかのようにして飛ぶ方向が変わり、正面から見てステージの右端の方へ身体が叩き付けられる。

 そこでネギの猛反撃に気を取られていた明日菜、木乃香を始めとした囚われの少女達とカモ、小太郎が銃声に気付き。バーサーカーに起きた異常事態を認識したが、理解は追い付かず、ただ突然の事に表情を驚愕に染めるだけだった。

 

「■■■■―――!」

 

 何の脈絡も無く突如襲った衝撃にバーサーカーの理性無き思考にも驚愕が奔ったものの、床に叩き付けられた身体をすぐさま起こし、同時に視界に捉えられたソレ―――先の物より二回り以上も大きい“気配を感じさせない”銃弾を手放さずに済んだ剣で打ち払った。

 ソレを打ち払えたのは全くの偶然だった。理性無き知性がそう判断する。

 そう、身を起こし、傍から引き離されてしまった重要対象(イリヤ)の動きに注意しようと、そこへ視線を送ろうとした瞬間、その“気配無く迫る銃弾”が偶々視界に入ったのだ。

 

「――――」

 

 バーサーカーはその飛来方向……弾道を辿り―――狙撃主の姿を確認する。

 直線距離にして凡そ二百数十m。高く太く伸びた木の枝の上で大型の狙撃銃を構える女性。その恰好は武骨な銃を持つには似合わない白と黒を基調としたメイド服で、腰には鞘に収まった二本の長剣を差している。

 その隣には同じ格好をした女性の姿が一人在る。おそらく二人一組なのだろう。狙撃主とその護衛兼観測手。この直前の6つの銃弾を放った弾道の先にも同様の2つの人影があったことから彼はそう判断した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 視界の多くを遮る枝葉の合間を縫って、ステージ上と“我らが主”に不貞を働いた厄介な標的―――バーサーカーなる黒い騎士の様子を見詰める彼女の頭に念話が響く。

 

『上手く行きましたね』

「はい」

 

 弾んだ少女の声に、長く伸びた緩く波掛かった黒髪を揺らして彼女は頷き短く答えた。

 無論、その声の主はここからは見えぬ位置に居り、此方を見ている訳では無いのだが…彼女はつい首を動かしてしまったようだった。

 “人形”でありながらも思わずそのような“人間っぽい”仕草を取ってしまうのは彼女の製作者の技量の高さか、それともヒトを模倣し擬態する役割故なのか、いや……或いは仮初とはいえ、“魂”が宿っている為なのか?

 それは彼女自身にも判らない。

 ともかく、上手くマスター(イリヤ)の傍からあの不逞な輩を引き離せた事に安堵を覚えたのは確かだ。

 

 そう思いつつ彼女は隣で、この枝の上で器用に片膝を着きながら今し方、バーサーカーを狙撃した“妹”の一人と、その腕に抱える大型狙撃銃を一瞥する。

 今の我らが主であるイリヤスフィール・フォン・アインツベルンが改造……いや、魔術を使い文字通り“魔改造”した対物狙撃銃―――Mag-Fed20mm(アンツィオ20mm対物ライフル)

 それは最早銃というよりも砲と呼ぶべき代物だ。

 およそ人が扱う上では、様々な意味で最大級を誇る携帯火器と言え。その口径と20×102弾という弾薬やそれから生じる威力と反動は勿論なのだが、全長も2m(銃身1.24m)と平均的な成人男性よりも大きく。重量も27kgと7、8歳前後の子供を抱えるようなもので、有効射程に至っては5000yd(4572m)と人による狙撃の領域を明らかに逸脱しているのだ。

 尤もその使用弾薬のサイズから装弾数は限られ、3+1と4発でしかないのだが……しかしイリヤが何故このような実用性皆無なトンデモ銃を入手し魔改造したのかというと、先の南の島での一件よりも前、麻帆良の中でも数少ない銃使い…ガンドルフィーニの依頼が事の発端であった。

 

 端的にいえば、自身の戦闘力向上を求めての銃の強化がガンドルフィーニの依頼であったのだが、イリヤにはその要望に応えるだけの銃器の知識が無かった。

 しかし今後を備える意味では、麻帆良でも有能な戦力として数えられるこの黒人教諭がより“使える”ようになるのは歓迎であり、また切嗣(ちちおや)が銃器を扱っていた事もあって魔術による近代火器の強化は―――魔術師としては思う所はあるが―――イリヤ個人としては十分興味を引く事柄であった。

 その為、今すぐには無理だが、追々可能だろうとガンドルフィーニに返事をし、イリヤは火器類の研究に取り掛かった。

 その過程で此方の世界での神秘と火器の組み合わせは、銃が大きく発展した19世紀…主にトライゼ銃が登場した頃から行われているらしい事が判り、イリヤはそれを参考に研究を進めた。

 そして表裏問わず様々な種類の銃を学園長の協力で超法規的に収集しつつ、それらの改造試作と実験を繰り返して行く内にこの世界で嘗て行われていたある研究がイリヤの目に留まった。

 ただし、それは銃その物では無く。

 

 『隠形弾』と呼ばれる弾薬の研究であった。

 

 隠形弾―――つまり文字通り、探知も察知されないステルス仕様の弾頭の事だ。

 所謂、英雄などと呼ばれる者に比類する最高位の魔法使いや超一流に達した武の達人というのは、一般的な到達点とも言える高位の魔法使いや一流の達人とはより逸した超常的な感覚や勘を有しており、例え狙撃主が気配を完璧に消したとしても射出された後の弾丸に籠った気配―――“意”ともいうべき物を感じ、避けるか、防いでしまうのだが。その最高位ないし超一流の相手に気付かれず完全に不意を突いた狙撃を実現し、労せず無力化しようと試みられたのがこの隠形弾であった。

 しかし、穏行弾そのもの自体は当時から隠形符などが普及していた事もあり、それらを転用する事によって比較的容易に開発出来たのだが、致命的な問題として決定的な威力を持てず、障壁貫通どころか魔力や気によって守られた肉体を傷つけるには至らなかったのである。

 そう、弾丸その物に隠形系術式を付与出来たのは良いが、意外にもそれに“容量(キャパ)”が喰われ、他の付与効果までは込められず、威力が不足し、さらに込められたとしてもその別の付与効果が隠形弾の性質を損なうという本末転倒な結果となったのだ。

 

 無論、研究者たちは問題解決に取り組んだ。弾丸の素材をミスリルやオリハルコンにアダマンタイトなどの希少な魔法金属や高度な合金を使用して“容量”を増加させ、その上で隠形と障壁貫通や威力増加などの各種付与を行い。また付与結合し易い新たな隠形術式やその他、付与魔法の新たに研究開発し問題の改善を図った。

 だが、どうしても隠形の効果をその他、付与効果を両立させる事は出来ず研究は徐々に先細り、今や誰も取り組まない分野と化していた。元より一つの銃弾に二種類以上の付与を籠める事自体難しく、手間の掛かる事なのだ。

 加えて最強クラスないしそれに準じる最高位の魔法使いや超一流の戦士などの実力者を不意打ちとはいえ、銃弾一つで如何にかしようという発想自体無理が在ると、ここ二十年余りで結論付けられた事もそれに拍車をかけていた。

 

 しかしその発想と有用性は、その最強クラスを相手にするイリヤにとって非常に興味深いものであった。

 当然、それで一撃必殺と成る事や致命的なダメージを与える事は出来ないだろうが、最強クラスの化け物たちの不意を一度でも完全に突けるならば何かしらの手札にはなる……そう考えての事だ。

 元より“魔術による銃の強化”という研究だった事もあり、イリヤは思い切ってその発想―――隠形弾による戦術論をやや転換しつつ、より極端に、

 

『隠形の付与で銃弾に他の付与の制限が掛かるなら……銃弾の方に威力を付与するのではなく。銃弾を放つ銃その物で威力を引き上げれば良いじゃない?』

 

 と進め。

 その為のベースと成る銃を―――最高位の魔法使いの張る障壁をぶち抜き、超一流の戦士による気に守られた鋼の肉体を打ち貫ける域にまで達せる銃を求めて。

 結果、20×102弾という携帯火器では最大級の質量を最大級の運動エネルギーを持って打ち出せるMag-Fed20mmなどというゲテモノ銃に行き着きついたのである。

 そしてその魔改造の結果、銃身内部とライフリングにイリヤが編み出した独自の術式が施され、魔力そのものを加速源としつつ魔術理論による概念的な側面からもレールガンの如く銃弾を追加速させて極超音速以上…秒速2700mという音速の8倍近くで射出し、それによって得られる運動エネルギーで物理的な破壊力を高めていた。

 その威力は見ての通りだ。例え霊的・魔的なダメージが期待できない隠形弾―――しかも魔法では無く、よりステルス性の高い“魔術”仕様―――であっても、直撃を受けた英霊(バーサーカー)は見事吹き飛び。掛かる余りにも大きい衝撃から宙で姿勢を整えられず、不意打ちであった事から受け身も取れずにステージの床へと叩き付けられた。

 もしこれがエーテルによって第二要素(たましい)を核に構成された英霊(サーヴァント)では無く、普通に肉体持つ人間ならばどうなっていた事か。

 

 ジャコッとボルトを引く音と共に“妹”が手にする対物ライフルから排莢され、次弾が装填される。同時に視界の先に捉えたバーサーカーに別方向―――彼の左側…ステージほぼ正面から銃撃が襲った。

 この場に居る自分達と同じ人形―――“妹達”の手によるものだ。あちらも同様に魔改造されたM82A2を使用しているが銃弾は隠形弾では無く、通常の巫術弾を装填している。

 先程、あちらが此方よりも先にバーサーカーに銃撃を加えたのは、こっちの隠形弾を確実に叩き込むための陽動だった。

 

 ちなみにイリヤは初め、対物ライフルとしては有名で実用性の高いそのバレットM82で隠形弾を運用する積りだったのだが、魔改造しても期待していた程の威力…せいぜい音速の5倍程度の速度・運動量しか出せ無かった為に、実用性を無視してMag-Fed20mmというキワモノに走ったという経緯もあったりする。

 とはいえ、両者に施した改造はかなり無茶なものであり、強引に威力を引き上げている訳だから、当然その負荷は大きく。Mag-Fed20mmの方は凡そ8、9発、2ケース分。M82A2の方も12発、1ケース分程度が限界であり、それ以上の射撃は銃身の歪みが酷く、良くて狙いが付かなくなるか、最悪銃身破裂を起しかねず、整備分解及び銃身の交換が必要であった。

 この問題を解決する為には魔術的工程による強化・鍛造だけでは無理だとイリヤは判断しており、素材や設計の見直しが必要だと結論していたが、完全に門外漢である為、今後は専門家の意見や協力が必要不可欠だとも考えていた。

 なお、この二つの銃は反動が非常に大きい事もあり、慣性制御の魔術も程されていたりする。

 

 

 別方向から銃撃を受け、それに対応するバーサーカーの隙を再度突き、彼女の隣から三度目の銃声…いや、砲声とも言うべき重い音が響く。

 その音が耳に入るか否かと同時に今度も直撃するかと思われた隠形弾による狙撃は、彼の振るう剣によってステージ正面から飛来するM82A2の12.7mm弾共々防がれてしまう。

 フルフェイスで分かり辛いが、おそらく此方も視界に入れていたのだろう。

 思わず彼女は表情を歪めそうになるが―――

 

 ―――良くやったわね。上出来よ。

 

 そう、脳裏に響いた声に不愉快に歪みそうになった口元を喜びの笑みへと変えた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 あの子達が間に合ってくれた。

 ガンドルフィーニ先生にも助けられたわね。彼の依頼が無かったらどうなっていた事か……。

 イリヤは、工房から急ぎ駆け付けて来てくれた従者達と、思わぬ助けと成った頼みをしたガンドルフィーニへそう内心で感謝を告げ。安堵しながらも焦燥の表情を浮かべ、自身に被さる黒いコートの下で腿に付けたホルダーに手を伸ばす。

 

告げる(セット)! 夢幻召喚(インストール)!!」

 

 周囲に轟く銃声が途切れると同時にイリヤの声がステージに響き―――直後に彼女が居た場所が爆ぜた。

 

 爆発めいた音にステージ上の面々と小太郎は、銃撃を受けていたバーサーカーからその音のした方へ視線を移したが、小太郎と明日菜以外は、その原因を全く捉えられず砕けて陥没した床を見ただけであった。また件の2人にしても“青い人影”の残像を辛うじて捉えたに過ぎない。

 

「―――ッ!?」

「何やッ!?」

 

 明日菜は塞がれた口から呻き声を上げ。小太郎は叫んだ。

 残りの面々も声を上げた二人が顔を上向かせているのに気付き、遅れて視線を上向かせた。

 

「―――!?」

「アレはッ!?」

 

 水牢に囚われた少女達は驚きを示す―――だが同時にやっぱり…という安堵にも似た思いもあった。爆音が生じた場所には悪魔が羽織っていた黒いコートがあり、その下には……見知った白い少女の身体が隠れていたのだから。

 彼女達の視線の先には悪魔に立ち向かうネギを背景にし、此方を背にして跳んだイリヤの姿があった。

 

 

 

 そのイリヤの身体は私服から新たな衣装に包まれていた。

 全身に密着する青い装束を纏い。長く伸ばした白銀の髪を銀の髪留めで尾のようにして一つに纏め。手には血の如く深紅に染まった一本の長槍を持っていた。

 そう、彼女がホルダーから取り出したのは、槍を手にする騎士が描かれたランサーのカードだった。

 

(ッ―――間に合え!)

 

 彼の光の御子を身に宿した瞬間、現状の拙さを感じていたイリヤは、バーサーカーを無視して直ぐに駆け出し、飛び上がっていた。

 本来なら小太郎が担った役割を―――銃撃を受けたバーサーカーに気を取られ、起きた窮地に気が付かなかったその彼の代わりに“主人公”を助ける為に。

 鋭い矢の如く飛翔したイリヤは空気を切り裂き、雨滴を吹き散らし、異形を持つ悪魔とそれに対峙する幼い少年へ凄まじい速度で迫り―――

 

「「!?」」

 

 半ば体当たりするように少年の身体をイリヤは抱え、背に悪魔が口から放った不吉な魔力の奔流が至近で通り過ぎるのを感じ―――“宙”を蹴って彼女は悪魔から距離を取りながら地面へと降り立つ。

 

 ズシンッと幼子二人分とはいえ、高所からの落下した人の重量を受けて地面が軋み、周囲の水溜りが飛沫を上げる。

 

「ふう―――」

 

 ―――ギリギリ間に合ったわね。

 イリヤは思わず溜息を吐く。これも原作に近しいといえば、そうなんだろうけど……とも思いながら。

 

「あ…う、い…今?」

 

 イリヤの腕の中でネギが呻いた。呆然と自分の手を見つめて我を忘れた己が、何をどう思って、ナニしようとしたのか、それを想起して顔を青くしている。

 その様子を見るに恐らく自分がイリヤの腕に…所謂、お姫様抱っこされている事も気付いていないのだろう。

 そんなネギにイリヤはまた軽く溜息を吐くと、ネギを放した。

 

「わ…! っ…イ、イリヤ!」

 

 地面に落とされた痛みで彼は、漸くイリヤの姿が在る事に気付いて我を取り戻したようだった。

 自分を見つめるネギにイリヤも視線を返すも、直ぐに逸らしてバーサーカーを見据える。狂獣のような重圧(けはい)を向けながらも不思議と動く様子の無い彼に若干訝るが、好都合だとも思いイリヤは、我を忘れて無謀を起こしたネギに…無論その心情も判るのだが、注意をしようと口を開き―――

 

「この―――アホーーッ!!」

「へぶ!?」

「アホ!! 幾ら(パワー)があってもあんな闇雲に突っ込んでったら、返り討ちを喰らうんは当たり前や!! 確かにお前の魔力の底力がスゴイのは判ったわ! 判ったけどな…今の戦いは最低や!! 周り見えてへんし、結局決め手も入れてへん!! あんな力押し俺でも勝てるわ!! ったく、頭良さそうな顔しとるくせに! 仇か知らんけどおっさんの挑発に簡単に切れよってからに!! ガキ!!」

 

 今更ながらに先程までの状況を思い出し理解したのだろう。小太郎はイリヤとネギの元に駆け寄るとネギの頭を殴りつけて一気にそう捲くし立てた。

 口を開けかけたイリヤは突然の横やりに思わず唖然とし掛けたが、小太郎のその原作通りの言い回しが自分の言いたかった事と大体合っていた事もあり、肩を竦めて開けかけた口を黙って閉じた。

 元より、それが小太郎の役割であろう事もある。

 勿論、イリヤは、イリヤなりにまだ言いたい事はあるが、それはこの件が片付いた後でも……いや、この場を乗り越える為にネギに釘を打てる以上は、どちらかというとその方が良いと思えた。

 そう思いイリヤは二人を見て考えていると、小太郎が此方に視線を向けて来る。

 

「確か、イリヤ…言うたか? “姉ちゃん”」

「ええ」

 

 小太郎の問い掛けにイリヤは―――微かに違和感を覚えたが―――頷くと。彼は若干の間を持って青い衣装を纏う同年代に見える幼げな少女を探るかのように観察すると、視線を転じて此方を睨んで動かない黒い甲冑…バーサーカーの方へ向ける。

 

「アンタはアレの相手をするんやな」

 

 バーサーカーの頭部全体を覆う兜のスリット。小太郎はその奥から向けられる視線がイリヤに固定されているのを感じてそう言い。イリヤはそれにも肯定して頷いた。

 

「そか」

 

 イリヤが首肯するのを見、小太郎は再度黒い甲冑に視線を送る。

 この敵の存在はこの場に来た時から気付いていた。即席の相方と成ったネギとその使い魔であるカモは、甲冑が此方に何ら意識を向けていなかったから気付かなかったようだが、幼くも修羅場を潜って来た小太郎はバーサーカーを見て、直ぐに「アレはマズイ」と本能と勘が凄まじい警鐘を鳴らすのを感じ、その脅威を理解していた。

 

 ―――アレは“死”そのものだと。

 

 そう、決して手を出してはならない。近づいては成らない。此方に興味を誘ってはいけない。そうなれば自分とネギは有無言わせず、抵抗する間も無く一瞬で殺されると。

 だが、それを理解してもこの場から引かず、ヘルマンに対して向かったのは、そう感じた自分の臆病さを認めたくなくて反発したのと。ヘルマンを相手にする限りあの恐ろしい敵はこちらに手を出してこないと直感したのが大きかった。

 しかし、それも確実とは言えず、こうしてイリヤが相手をしてくれるという事を知れたのは正直に言って有難く。大きく息を吐いて胸を撫で下ろしたいほどの安堵を覚えさせた。

 無論、一方でこんな小柄な少女(おんな)を頼り、安堵してしまう事実に情けなさと不甲斐無さもあったが。

 ともかく―――

 

「―――オラ…という訳や」

 

 小太郎は自分の説教を受け、反論できない事実を突かれて「むむ…」と眉を寄せるネギの胸を拳で小突いて告げる。

 

「この頼りになる白い姉ちゃんは助けにならん。だから―――“俺達二人”でおっさんをブッ倒すんや。共同戦線ゆーたやろ」

 

 そう小太郎は、その言葉以上に目線で告げた。独り闇雲に突っ込むな。此処には頼りになる仲間(じぶん)が居るのだ。簡単に頭に血を登らせてそれを忘れるな。そんなんじゃあ、勝てる戦いにも勝てない。手強くとも自分達二人ならきっと此奴にも勝てる……と。

 小太郎の言葉を受けたネギは何故かこの場に居るイリヤの存在もあり、一瞬その言葉と目線に込められた意思を理解出来ず戸惑ったが、それでも飲み込み頷く。

 

「うん…そうだね。小太郎君」

 

 凛々しく表情を引き締めてネギは小太郎を見つめ返した。

 そこにヘルマンが悠然とした様子で口を出した。

 

「ふむ…良い仲間を持ったようだねネギ君。だがどうするね……君達二人で私に勝てるのかな?」

 

 彼の姿は先程見せた本性では無く、人間然としたものに戻っていた。その方がこの学園結界の影響を受けずに済むからなのだろう。

 況してや…一見するとそう見えないが、オーバードライブを起こしたネギから受けたダメージも残っている。無論、それでもヘルマンの優位はまだ揺るがないのだが……。

 

「は、何を聞いていたんだか、二人はあなたを倒すと…勝つと明言したのよ。“どうするね”、“勝てるのかな?”なんて疑問は口にするまでも無いでしょ」

 

 イリヤがヘルマンに対して答えた。

 その声にヘルマンはネギ達から視線を逸らしてイリヤへ移す。

 

「ほう、大した自信…いや、信頼ですな。イリヤお嬢様」

 

 そうして悪魔と白い少女は睨み合う。

 

「そういえば、何時お目覚めで? 貴女には出来ればゆっくりと眠って頂いて欲しかったのですが」

 

 その言葉は言外にヘルマンはイリヤに対してもエヴァ達同様、眠りの符を使用したと言っており、当然イリヤはそれに気付いた。しかし、

 

「そう思うなら、もう少し静かにするべきだったわね。ああも騒がしくすれば嫌でも目を覚ますわよ」

 

 と、あっさりと受け流した。敵に態々答えてやる義理は無いという事だ。

 ヘルマンにしては予想だにしない事だろう。彼が知る“魔法使い”とは違い“魔術師”…それもイリヤのような由緒ある魔術師というものが、“魔術刻印”という半ばの独立した生き物のような器官を体内に持ち、その器官が術者の意思に寄らず自動で治癒を行ない不浄な魔力の作用を打ち消すなどとは。

 しかも治癒が始まっていたイリヤの傷をヘルマンが止血した為に、魔術刻印にその分余裕が生まれ。彼が掛けた“眠り”の解呪が早まったのだ。

 

(なんとも皮肉ね)

 

 その事実にイリヤは、そう内心で呟いた。

 

 

 

 イリヤの挑発的な態度にヘルマンは彼女の自信を見て取り、一度敗れた相手―――湖の騎士に打ち勝つ算段があるのか? ネギ達が自分を退けられると本気で思っているのか? と微かに訝しむが……此処に至ってやるべき事は変わらない。

 

「……仕方ありませんな。では貴女にはもう一度彼の相手をして頂きましょう」

 

 抱いた疑問を胸にしまい。ヘルマンはバーサーカーと呼ばれる彼の騎士に視線を向け、

 

「■■■■■■―――!!」

 

 獣の如き咆哮が一帯に轟いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 獣の咆哮が轟く寸前、イリヤはネギの顔を一瞥した。

 

「―――ネギ」

 

 僅かな視線の交錯と短い呟き。

 だが、イリヤの視線と自分の名を呼ぶ声に込められた意味をネギは理解したらしく力強く頷いた。先程ヘルマンに告げた言葉の中に秘められた自分への信頼。それに必ず答えてみせるとネギの見詰め返す眼はそう言っていた。

 

 イリヤはクスッと笑みを零した。

 正直、自分の方は兎も角、ネギ達に対する不安は大きい。ヘルマン相手に勝ちを拾えるか、原作同様上手く状況が転がるか、判らないのだ。

 それでもイリヤは、ヘルマンの言葉に自然とあのように返していた。ネギ達はこんな所で負けはしない。あの悪魔にきっと勝利すると確信して。そして今も見せたネギの凛々しく頼もしさを感じさせる顔を見、不思議とその信頼が高まった。

 

(うん……大丈夫。ネギは必ずアイツに勝つ)

 

 ただ……その時、イリヤの脳裏に浮かんだのは誰だったのか? 彼を通して“誰か”の姿を見た事に彼女はこの時気付かなかった。

 

 イリヤはネギを一瞥し、視線を吼えるバーサーカーの下へ向けると、同時に紅き長槍を持つ手とは逆の左手に木筆を取る。一見すると、それは先端が尖っただけの10cm程度の黒檀にも似た色艶を持つ短い木の棒だ。

 しかし一応それは歴とした魔術品である。

 イリヤはそれを両肩、胸、両膝、そして右手の槍へ素早くも目にも止まらぬ速さを持って正確に奔らせ、無数の“印”を刻んだ。単体でも何かしらの意味を持つ特殊な文字―――古より伝わる“ルーン”を。

 そう、木筆はルーンを刻むと同時に魔術的染色を行なう為の染料が含まれた専用の魔術道具であり、影の国でルーン魔術を修めたランサーこと“クランの猛犬(クー・フーリン)”の持ち物だ。

 マスターに恵まれなかった不運と根っからの戦士とも言うべき彼の性分から、聖杯戦争中では殆ど用を為さなかったそれをイリヤは惜しみなく使った。

 言峰がマスターであった状態よりもランクが向上しているとはいえ、それでも現状の能力(ステータス)のままでは、黒化したバーサーカー(ランスロット)を相手にするのは危険だと感じた事もあるが、元より彼女は魔術師なのだ。折角保有するスキル『ルーン魔術』を行使する事に躊躇いは無いし、無駄にする理由も無かった。

 

 筆を奔らせ終わり、木筆を手離し、槍に両手を添えた瞬間―――ステージ上に在ったバーサーカーの姿が消えた。いや、周囲にそう見えただけでイリヤに飛び掛かったのだ。

 先程、ネギを救出したイリヤと同じくステージの床を砕き、イリヤへ一足飛びに突進する。イリヤもまた地を砕かんばかりに足を踏み締め、前へ飛び出す。

 

「■■―――!!」

「はあ―――っ!!」

 

 黒い軌跡と紅い軌跡が激突し火花を散らす、様々な角度から振るわれる黒い帯のような軌跡が、一直に伸びる線の如き赤い軌跡に弾かれる。

 秒という間に幾十、幾百ほど閃光が瞬き、雨雲によって暗く影を差した一帯を連続した稲光のように照らす。

 

 ―――行ける! 戦える!

 

 イリヤは喝采を上げたいほどに高揚感に包まれ、胸中で叫んだ。

 歴代の聖杯戦争に於いてマスターとして最高の性能を誇るイリヤにより十全の性能を発揮するランサーの能力。それに加え、ルーンで引き上げられた各種パラメーター。

 そしてアーチャーとは違い才能に恵まれ、神話の時代で幾つもの武勇譚と共に鍛えられた技量は、黒化したバーサーカーを相手にしても引けを取らないものだった。

 元々彼は―――クランの猛犬(クー・フーリン)は、数あるサーヴァントの中でもトップクラスの英霊なのだ。

 

「ふっ…」

 

 知らずに笑みが零れた。

 自らを溢れんばかりに満たす力の高まりに、際限なく高まる高揚感に、心の奥底からそれこそ魂までもが荒ぶるかのようにイリヤは歓喜し、その美貌には似合わない獰猛な笑みを浮かべ。

 

 

「…、ああ――――ッ!!」

 

 吼えて思うがまま、猛るままに槍を握る手に力を籠め、更に鋭く、より速く、より精緻に振るった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 呼吸が大きく乱れているのをタカミチは自覚していた。

 喉に荒く息が通る感覚は久々だった。ここ数年で経験した戦闘が特別温いという訳ではなかったが、このような強者……それも明確な格上を相手にする事は無かったのだ。

 

「く…!」

 

 視認不可能に近い恐ろしい速度で、顔目掛けて迫る黄槍の先端を半ば勘任せで強靭なグローブで包まれた拳で捌き、軌道が逸れたそれを躱す。

 ギリギリ、こめかみを掠めんばかりに過ぎる黄槍の先端を感じ、背筋に怖気が奔った気がした。

 

(今のは、危なかった…!)

 

 癒えぬ傷を与える魔槍という事もあるが、それ以前に対応出来ていなければ頭部を貫かれ即死していた所だ。

 しかし安堵する間も無く、黄槍は突き出されたまま払いに入り―――タカミチはこれも半ば経験則から来る勘に任せて身を低く屈めて、頭頂部に風を切って過ぎる槍の気配を感じた。

 本来なら此処で払いの動作で身体が流れ、槍を引き戻す隙を突いて反撃に転じる所であるが、

 

「っ―――!」

 

 荒げる呼吸を僅かに整えるだけが精一杯で、まるで戻りが無かったかのように繰り出される槍捌きの対処に追われ、師より受け継いだ無音拳を放つ事も出来ず、防戦を強いられてしまう。

 それも文字通り片手間でだ。

 そう、今も彼の向かい―――ランサーを挟んだ先には、同僚である神鳴流の葛葉がこの敵の右腕から繰り出される赤槍を捌き、隙あらばその手にする太刀を打ち込まんとしているのだ。自分同様に。

 タカミチは改めて思う。

 

 神話の時代に生き、現代にして英雄と語り告げられるこの敵の恐ろしさを。

 異様とも言うべき二槍を用いた戦闘技術とその巧みな冴えを。

 此方の打つ手に的確に対処する戦術眼を。

 そして何よりもそれらを活かす反応の良さと動作の速さを。

 これが伝説、神話の世界に名を刻んだ英雄なのだと。

 

 それでもタカミチ達は綱渡り……いや、細い糸の上を歩くに等しい戦闘を継続していた。

 それは経験と意地のなせる技なのだろう。タカミチも葛葉も幼い時分から“大戦”に関わり、幾つもの戦場を見て渡り、生き抜いて来た強者だ。そしてそうして得て、身に付けた力に対して自負と矜持があるのだ。

 例え打倒できなくとも此処でこの敵を釘付けに出来れば、それだけでも意味が在る。

 この敵によって麻帆良に出る筈である犠牲者を抑えられるであろうし、ランサーを押し留めて送り出した神多羅木の助けにも成っている筈なのだ。

 

 

 葛葉は、タカミチ同様防戦を強いられ、苦境に立たされながらも徐々に“慣れ”…或いは馴染んで来ているのを感じていた。

 あの白い少女が制作したという畏れるほどの業物。刹那から贈られた霊刀のもたらす効果―――“気”の運用と身体の軽さに対応し、先程よりも巧く剣を扱えるように成っているのが判った。

 本来ならばまだ時間が掛かるであろうそれが成せているのは、この手に負えない強敵を相手にし、得難いほどの経験を得ている為だ。

 タカミチも葛葉の剣技と体捌きにキレが出て来ているのを感じていた。その事実は確かに今ランサーを相手にしている現状から見ても有難く喜ばしい事なのだが、正直僅かに嫉妬めいた感情も彼は覚えていた。

 タカミチにしてもランサーという強敵を相手にし、経験を得ているのは同じなのだ。しかし彼の方は葛葉に比べて未だイリヤから授かった礼装を使いこなせておらず、葛葉 刀子という才能ある女性剣士を羨ましく思ったのだ。

 

 しかし当然ではあるが、その程度の技量向上では劣勢を覆すまでには至らない。若干、タカミチと葛葉自身の負担が軽くなった程度だ。

 それでも、軽くなった分を利用し葛葉は機を窺い―――程無くしてランサーの槍が伸びきった僅かな…ほんの微かな合間に出来た隙とも言えない隙を見、自分の懐へ手を伸ばした。

 

「―――っ」

 

 彼女が取り出したのは三枚の符。人差し指と中指の間に挟んだそれに最速で“気”を注ぐ。槍と腕が伸び切りランサーの攻撃が緩んだほんの刹那の時間に彼女はそれを成す。イリヤ謹製の霊刀のお蔭で増幅され、運用効率が高まった“気”によって初めて可能な事だった。

 

「…!?」

 

 ランサーが赤槍を引き戻した瞬間、彼は突然現れた赤い光と身を焼く灼熱感に囚われて動きを止めた。

 それまでの怒涛の如く繰り出されていた二槍も嘘のように停止し、轟々と赤く揺らめく炎が彼とその周囲を覆っていた。

 それを放った葛葉は勿論、彼女と連携し呼吸を合わせてタカミチも同時にランサーから距離を取っていた。

 

「■■…■■■―――!!」

 

 紅蓮に撒かれたランサーが悶えるかのように蠢き雄叫びを上げる。

 彼の周囲には三羽の鳥が舞っていた。体長は人の半分ほどで赤く輝く…いや、全身に炎を纏ってランサーの至近で旋回し、彼と周囲をその炎で赤く染め、熱く焦がしている。

 その鳥は四神としても良く知られ、彼の安倍晴明も使役したと云われる式神…十二神将の一柱と数えられる朱雀の分御魂だ。

 葛葉の持つ呪符の中でも最大の手札であり、彼女が唯一使役する戦闘用の式神である。

 

「よし…やった!」

 

 叫び悶えるランサーを見て彼女は自分の勘が正しかった事を理解し、普段のクールな佇まいからは想像も付かない高い声を上げて綻んだ笑みを見せた。

 葛葉は、対魔力が高い事からランサーには大規模な魔法以外は効かないと聞き、実際に神多羅木の魔法を掻き消すのを見て納得はしたが、では召喚されて実体を持った幻獣や式神自身はどうなのか?…と、この短い戦闘の最中でふと思い至り、勘に任せて行使に踏み切ったのだ。

 しかし、これが決め手に成る訳が無い。確かに幻獣による魔力の籠った攻撃は通った。ランサーにダメージが入ったのも見ての通りだ。しかし朱雀の分御魂とはいえ、葛葉は術師としては一流に程遠い人間だ。

 最強クラスであるこの難敵がその程度の火力……剣士である葛葉の呪術で倒れる筈が無かった。

 故に―――

 

「奥義―――!」

「極状―――!」

 

 幻獣の炎に不意を突かれて撒かれ、動きが止まったこの一瞬が唯一のチャンスだった。

 圧倒的な強者に対して不意を突けた喜びも僅かに、油断も懐かず間髪入れずに葛葉とタカミチは構えを取り、極限にまで高めて圧縮した気の剣戟と咸卦の砲弾を赤く燃ゆる人影に向けて―――放つ。

 

「―――真・雷光剣、縮!!」

「―――大槍・無音拳!!」

 

 ―――直後、何の変哲も無い公園である場所に恒星が生まれた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「な! 何だ!?」

 

 前方に並び立つ鬼達を見据えていたガンドルフィーニは、振り返って思わず叫んだ。

 見るとその周囲の部下や同僚達も一様にして同じ方向を見て驚愕を露わにしている。

 彼等の視線の先には黒く厚い雲に照りかえった光があった。

 恐らく上空高くある雲に届くほどの光源が地上に生じたのだろう。膨大な魔力ないし気の反応が感知できるのを見るにそう彼は判断した。

 

「あの位置は…確か女子寮の近くですよね」

 

 雲に照りかえった光と感じ取った気配から瀬流彦が言う。

 ガンドルフィーニは首肯する。

 

「ああ、高畑君達が向かった所だが……」

 

 街中にも拘らず、あれ程までの力が必要に成るとは……一体何が起きている?

 途轍もなく尋常では無い不穏さを覚え、ガンドルフィーニは表情を険しくし、目に届かぬ遠くを見通さんとするかのように件の方向を睨んだ。

 傍で明石や弐集院たちへ状況確認の為に連絡を取ろうとする瀬流彦の声を耳にしながら。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 公園であった場所は完全に形を失い。クレーターと化していた。

 それはまるで京都でイリヤが行った物の規模を抑えて再現したかのようだった。範囲は勿論のことだが、剥けた大地もガラス状にまでは成っておらず、黒く焦げた程度で熱気も少なく空気は生暖かい。

 しかしこの惨状を見れば、その威力は想像に難くない。

 最高クラスに準じるタカミチと神鳴流剣士の中でも一流である葛葉の最大級の攻撃が放たれたのだ。直撃してただで済む訳が無い。

 

 そう―――

 

「う…ぐっ…」

 

 ―――直撃していればだ。

 

「ばっ…そんな……!」

 

 地に仰向けに倒れていた葛葉は、身を起こして見たその光景に愕然とする。

 左手の甲が裂けて血を滴らせ、右肩を赤く染めるタカミチの姿を視界に捉えて。

 

「ぐぅ…っ」

 

 致命的だった。

 タカミチは傷付いたにも拘らず、甲が裂けた左手で赤槍の柄を握りしめ。肩が傷付いた右手で今もまだそこに刺さったままの“黄槍”の柄を握りしめていた。

 目の前に居るランサーを睨み。決して放さない。逃がさんと言わんばかりに両手で敵の武器を掴んでいる。

 

 タカミチは最大の一撃を放った直後―――炎に撒かれた筈の…否、炎で身を焦がしながらも槍を構え、此方を見据えて駆け出したランサーを見た。

 思えば此方へと接近するランサーの姿を見たのはそれが初めてであった。これまでの長くも無いこの戦闘では、彼を抑えようと、その動きを止めようと、決して同僚のいずれかと単独で当たらせぬようにと、此方から果敢に槍の間合いに位置し続けたのだ。

 だから彼が両足を踏みしめて全力で動く姿を知らなかった。

 まさにそれは疾風だ。

 目に捉えられたのはほぼ残像のみ。自分達の放った雷を凝縮した剣閃と極限にまで圧縮された咸卦の砲弾を紙一重で避けて一瞬で接近する敵の姿。

 そのランサーに対して全く反応を見せなかった為なのか、葛葉を狙って彼は彼女に迫り、赤と黄の槍を突きださんとした。

 タカミチはそれらを見……いや、見たという以上に本能的な部分と超常的な感覚で捉えて、思考するよりも早く脊髄反射的に咄嗟に行動した。

 葛葉を庇おうと彼女を突き飛ばし、代わって自分の心臓を刺さんとする赤槍を左手で弾き―――甲が裂け。続けて伸びる黄槍は防御が間に合わず、体をずらす事で人体の中心部から肩へと狙いを逸らし―――穿たれた。

 

 結果、致命傷は避けられたが―――致命的だった。

 タカミチの戦闘力は著しく減じ、ランサー相手には無力に等しいレベルにまで落ちてしまった。

 左手は深く裂けており、赤槍によって頼りになる礼装も損傷し、何よりも黄槍で右肩を貫かれて利き腕がほぼ使い物にならなくなったのは痛かった。

 いや、この際治癒出来ようが出来まいが関係無い。ランサーとの交戦が続いている以上は、黄槍で傷を負った事すら些末事だろう。

 治癒する隙など、この敵は与えてはくれないのだから。

 

(葛葉…)

 

 だからタカミチは覚悟を決め、槍を掴む手をより強くして視界の端に在る同僚をランサーに気付かれないように一瞥した。

 葛葉は、一瞬交錯した視線にその意図を理解した。タカミチは自分諸共この敵を討てと言っている。それがこの状況での最善の策だと。

 それに彼女は即断した。躊躇が無かった訳では無い。しかしこの敵の討つ機会を逃す方が危険だと判るからこそ、その非情な選択を選ぶ事が出来た。

 それに余裕も無い。ランサーがタカミチを直ぐにでも引き離すかも知れないのだ。

 葛葉は手元近く落ちていた自分の大太刀を素早く拾い。同時に瞬動で一挙に接近し―――気を練り上げて最速で打ち出せる最も威力ある一撃を浴びせんとし、

 

 ―――あきまへん、見え見えでおますなぁ。

 

 そんな声が聞こえた途端、ランサーがタカミチを蹴り飛ばし―――刀を振り被る葛葉を貫かんとするのを…中断、即その場から離れ、直後彼の居た場所に銀閃が通り過ぎ、衝撃音と共に地面に大きな溝……断層のような跡が刻まれた。

 

「今のは…」

 

 葛葉は思わずたたらを踏み、瞬動からの急停止で崩れそうになる姿勢を堪えながらも今の出来後と声に思考を巡らせる。

 

「―――斬空閃改……弐の…太刀?」

 

 半ば唖然として呟く。

 神鳴流の基本技の上級版。それも極めて高錬度…彼女がこれまで見た中では最も洗練された一太刀―――いや、そうでは無い。見た事がある。剣の道を歩み、神鳴流を学ぶ過程で、大戦の最中で、幾度も目にしていた。

 こんな一太刀を、技を持てるのは葛葉の知る中では一人しかいない。

 

 先程耳にした声を思い出す。

 

 知らず内に身体が震えた。

 

 凛とした鈴の音が聞こえた。

 

 そうだ。こんな事が出来るのは―――葛葉の脳裏に一人の人物が思い浮かぶ。

 

「お久しゅう、刀子はん」

 

 明瞭に聞こえたその声に気付かない内に俯かせていた顔を上げ―――目の前にその人物が居た。

 

 

 

 チリンと軽やかな場に沿わない鈴の音が響いた。

 蹴りを受けて吹き飛んだタカミチは鈴の音を聞き、身を起こして視線をその音の方へ向ける。

 

「―――…!」

 

 思わず目を見開き、表情が驚愕に染まった。

 それは一言で言えば、

 

 ―――伝説である。

 

 神話や伝承で語られる物で無く。現代の世に生まれ、裏の世界のみと言えど、確固たる実話として語られ、畏怖される存在だ。

 

 何処からか風が吹き、凛とした軽やかな鈴の音をまた聞いた。

 

 白い胴衣と赤い袴を着こなす彼女。音は彼女が手にする大太刀の柄に結ばれた二つの鈴から鳴り響いている。

 風に鈴が揺れて軽やかな音色が響く度に彼女の長く美しい黒髪も艶やかに靡き、その整った麗しい美貌がより際立った。

 靡く髪を空いた左手で乱れまいとするかのように押さえ、彼女は葛葉に向けていた顔をタカミチへ向けて淑やかに微笑んだ。

 

「タカミチはんも、お久しゅう」

 

 微笑み、場違いなほど暢気に挨拶をし会釈する彼女。

 それは、何処か心を惑わせるしっとりとした妖艶さと、全てを受け入れる慈愛的な包容力というべき相反する魔性と母性を併せ持った笑みだった。

 男性であろうと女性であろうと真っ当な美的感覚の持ち主であれば、ほぼ間違いなく見惚れるだろう。

 

 だが、彼女を知る者からすれば、それは全くの擬態だと、詐欺だと言いたくなるほど彼女の本質は異なる。

 

 そう、彼女の本質は妖艶な美貌と寛容な包容力を併せ持った魔性的かつ母性的な雰囲気では無く。手にする大太刀からも判る通り剣士としてあり、その剣を振るう時の苛烈さにこそあった。

 知己の仲でもあり、過去に仕事を共にした事もあって、当然タカミチも彼女の本性は知っている。

 判らないのは、

 

「なぜ貴女が……鶴子さんが此処に?」

 

 現役を退き、西の本家に住まう筈の彼女がこの場に居る理由だ。

 すると鶴子と呼ばれた彼女は、その質問が余程可笑しかったのか口元に手を当ててクスクスと微笑んだ。

 

 鶴子―――その名字は青山。

 そう、神鳴流宗家である西の名家、あの青山家の長女であり、そして彼のサムライマスター、旧姓青山である近衛 詠春の実の妹にして、彼をも“圧倒”する実力を持つ元・神鳴流師範代だ。

 特筆すべきは、数百年にも及ぶ彼の流派の歴史の中でも1、2を争う強さを持つと言われ、この現代に於いては世界を救った英雄の一人として讃えられる兄のサムライマスターを差し置いて、まがうことなく“最強の剣士”として勇名を馳せている事だろう。

 世界的な名声こそ、流石に赤き翼(アラルブラ)の一員である兄には及ばないが、裏社会に於いてはまず知らぬ者は無く。その実力と実績からこの平成日本にて、やんごとなき彼の御方様方から敬意を持って“剣聖”とさえ称えられ、兄と同様の…いや、ある意味では兄以上の生きた伝説だ。

 

 ―――しかし、最強の……かつて仲間であったサムライマスターをも圧倒する剣士というのはタカミチも認めざるを得ないが、剣聖と彼女が称えられるのは、彼個人としては素直に賛同できない思いがあった。

 

(そう、むしろアレは剣聖などの尊敬すべき対象では無く、剣の鬼……剣鬼だ)

 

 タカミチは鶴子が災厄の如く猛威を振るった戦場を脳裏に思い起こし、内心で身震いしながらそう呟いた。

 そんなタカミチの心情を知ってか知らずか、鶴子は彼の先程の問い掛けに答えた。不気味なほど変わらず微笑んだままで。

 

「おかしいどすなぁ? もう通達されとるものと思ってたんやけど……」

 

 笑みを表情に張り付けたまま、彼女は小首を傾げたが、

 

「まあ、よろしいやろ。赴任先での初仕事からして――――」

 

 スウッと鶴子の眼が鋭く細まり、タカミチはハッとし彼女の眼が向いた方へ自分も視界を転じた。

 二槍を振るう英霊…ランサーが居るのを失念しかけていた。

 ランサーは此方を…いや、鶴子を見据えて構えを取っていた。恐らく鶴子が姿を現してからずっと警戒していたのだろう。彼女の視線を受けた彼は今まで以上の気迫と重圧を感じさせ、タカミチは身が竦みそうになるが、

 

「―――中々楽しませてくれそうやしなぁ」

 

 と、重圧をぶつけられた鶴子自身は平静なまま言葉通り楽しげにそう言い。笑みを深めてランサーと等量の濃密な重圧を纏った。

 タカミチは突如場に顕現した二つの気配に今度は本当に身を竦ませ、ふと見ると同僚の葛葉もとても青い…青い……見た事も無いほど顔色を悪くしていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 その二人…いや、三人というべきか、彼と彼女達は隠形符を使い学祭ステージ周辺のオブジェクトの陰に隠れて状況を窺っていた。

 人質に取られた生徒達に。ヘルマンと名乗る悪魔と交戦する英雄の息子と狗族の子供。そして悪魔の配下の魔物にバーサーカーと呼称される怪物。

 此処へ辿り着いた時には、悪魔と幼い子供達の戦闘は始まっており、出来れば立ち向かう彼等を援護してやりたかったのだが、あの白い少女が敗退したという黒い甲冑の騎士……ランサーと同等の存在の姿がある以上、彼―――この場の三人を纏める神多羅木は迂闊に飛び込む指示を下せなかった。

 

「……………」

 

 ただ彼に同行し、同じく物陰に隠れる少女―――愛衣は、敗北しバーサーカーに連れ去られたというイリヤの姿が見えない事に心配を募らせて、直ぐにでも飛び込みたそうな顔をしていたが、彼女もまたバーサーカーの脅威を理解するが故に大人しく神多羅木に従っていた。

 しかし彼女はイリヤの救出を諦めた訳では無い。敬愛する姉貴分が無謀を行なった所為で危機に陥った友人を何としても助けたく。気絶した高音を寮へ運んでいた途中、たまたま居合わせた神多羅木に無理を言って同行したのだ。

 

『わ、私も行きます! お願いします神多羅木先生ッ! もしかしたらそこにいるかも知れないから! イリヤちゃんを助けたいんです!』

 

 と。

 彼としては生徒であり、見習い魔法使いである愛衣を連れて行くのは論外であったのだが、問答する時間も惜しく、無理にでも付いて行こうとする彼女に逆に危険を覚えて已む無く同行を許可した。

 ただし一方で手数が足りない事もあり、見習いの中でも比較的優秀である彼女が思わぬ役を果たす可能性も僅かではあるが期待していた。

 そしてもう一人……というべきなのか。武装解除され、ヘルマンの手に落ちる直前、女子寮に来るかも知れない救援への言伝の為、刹那が密かに呼び出した自律型式神である“ちびせつな”は、何とか眠りに落ちた本体に干渉しようと念を飛ばしていたが、

 

(やはりダメです。届きません)

 

 そう囁きながら落ち込む姿を見せて、その試みは失敗に終わったと悟らせた。

 しかし、確かに戦闘力を殆ど持たない斥候・連絡用の式神ではあるが、彼女は決して役立たずという訳では無かった。

 この式神が居たお蔭で気配を隠せる隠形符を本体(せつな)の部屋から調達出来、さらにか細く繋がった本体とのラインもあって神多羅木と愛衣は迷うことなく此処へ来られたのだ。そういった意味では現状最も役に立っているのはこの式神(かのじょ)だろう。

 

 尤もこの面々を束ねる神多羅木は実際の所、分の悪さを見て取り、この場は大人しく隠れ情報収集に徹しようと……つまりネギ達を見捨てようと考えていた。

 イリヤが敗北した事を愛衣から聞き及び、ちびせつなからヘルマンが人質を取った経緯を聞き、手に負えない強敵と手段を問わない敵の行動を思うに、手札を欠いた現状では手を出す事は危険過ぎ、不可能だった。

 故に最低限、どう事態が転ぼうとせめて情報だけは持ち帰る必要があり、その為に自分達の身の安全を優先するべきだと神多羅木は判断していた。

 協会の一員として“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”の流儀を胸に秘め、またタカミチ達から託された信頼を思うとかなり苦しい決断ではあるが、後の為を思うとそのような選択を取らなくてはならなかった。

 勿論、諦めた訳でもない。だから彼は愛衣たち共々身を隠し、状況を観察して訪れるかも知れない機会もまた窺っていた。

 

 そして、彼と彼女達の思いは届いたのか、事態は動き出し……機が訪れた。

 

 イリヤが姿を現し、バーサーカーに再戦を挑み。尤も厄介な敵が彼女に引き付けられた。

 ヘルマンもネギと小太郎と再度火蓋を切り、そちらに意識が行っている。

 

(チャンスだ!)

 

 神多羅木は胸中で呟いた。

 視線で愛衣に合図し、彼女が確りと頷くのを見て、神多羅木は彼女と供に物陰から飛び出した。

 バーサーカーがステージ上から離れ、ヘルマンがネギ達に気を取られているこの数瞬が勝負だった。

 目指すべきは、人質と成っている生徒達。

 

「「「!!」」」

 

 突然現れた思わぬ闖入者の存在は、ヘルマンとバーサーカー…そして、ステージ上に残っていたスライム達も当然、気付いた。

 だが、ネギ達とイリヤを相手にする前者の二人はともかく、三体の魔物はこの予想だにしない事態に判断が遅れた。

 もとより、ヘルマンがネギ達の相手をした以上、スライム達の役目は上司とも言うべき上位悪魔の仕事を邪魔しようとする輩の警戒と対応であった。

 しかしそのいざという状況が生まれたにも拘らず、彼女等は即座に動けなかった。

 それは油断以外の何者でも無かった。初手で学園の侵入が探知された失態があったにも拘らず、それでも彼女等自身は仕事を順調にこなし、困難である女子寮の結界を抜け、ネギの仲間と思われる少女達を拉致し、ヘルマンの寮内への手引きも済ませ、重要目標であるアスナ姫の確保も成功した。

 その為、此処に至ってスライム達は驕って完全に楽観してしまい、イリヤの復帰を目にしてもバーサーカーが居る以上、問題だとは全く思わなかった。つまり精神的に緩み切っていたのである。

 そしてそれが彼女等の命取りと成る。

 

「メイプル・ネイプル・アラモード!」

 

 愛衣は自分の前を駆け出し、盾になるかのような神多羅木の後方で始動キー唱えつつ、同時に無詠唱で3矢の火炎を放つ。それは赤い軌跡を持って個々別々に曲線を描き、頼れる教師の背中を三方から越えて、ステージの上で動揺し一ヶ所に固まる三体のスライムに向かい―――散開を誘発させない為に狙いを逸らし、敢えて彼等が佇む周囲へ着弾させ、爆炎を上げた。

 透かさずそこに、

 

「目醒め現われよ、燃え出づる火蜥蜴、火を以てして敵を覆わん―――」

 

 詠唱で生じる間と隙を無詠唱の火矢で牽制した愛衣は、爆炎で動きを鈍らせた敵を完全に封じんと戒めの魔法を放った。

 

「―――『紫炎の捕らえ手』!!」

 

 力ある言葉と共に愛衣の翳した腕の先から、渦巻き進む紫の火柱が宙を奔り先程の火の矢同様、曲腺を描いて先行する神多羅木の背を飛び越し、スライム達へと伸びる。

 

「ちょ…!」

「コレは…ッ!?」

「……詰んだ」

 

 迫り来る火柱を目にしスライム達が各々に声を上げ―――彼等は愛衣の生み出した円筒状の火柱に飲み込まれ、彼女の意図通りその動きを完全に封じられた。

 

「や、ヤベェ」

「は、はわわ」

「……ふぅ」

 

 彼等を囲こんだ火柱とそれが作る結界を抜けるのは、スライム達の力では無理であった。

 渦巻く炎の壁を抜けようにも、吹き飛ばそうにも、こうも“決まっている”上、魔力の出力差も歴然であり、それ以前に内部に生じた結界が強固で炎の壁に触れる事すらできない。転移もまた同様だ。結界の干渉力が強過ぎて(ゲート)を開くのもままならない。

 これは愛衣の生来の才もあるだろうが、それまで怠らず伸ばして来た今日までの努力の成果に加え、イリヤ謹製のタリスマンによる魔力増幅・出力向上のお蔭であった。

 

「や、やった!!」

 

 思いの外上手く行った為か、愛衣が喝采を上げる。

 彼女がスライム達の相手をした分、風使いでもある神多羅はその身のこなしの軽さをより活かせ、素早くそれを成し遂げる事が出来た。

 無論、彼ほどの実力者ならばスライム達ぐらい物ともしなかっただろうが、この数瞬が勝負だと考えた彼にとって僅かにでも手間取るというのは旨いと言える話では無かった。

 故に彼女の実力ならば可能だと、スライム達の牽制を任せたのだが……正直予想以上の手際の良さで思わず唖然と立ち止まりそうに成り、逆に時間をロスしてしまう所だった。

 スライム達が油断し反応が鈍かったのもそれが上手く行った要因であろうが、この小柄な女生徒が既に見習いの域を脱し、一端の魔法使いの領域に達しているのは確かだった。

 

「フッ…なら教師である俺が、その働きに応えられなくてどうする―――!」

 

 一瞬で客席の奥からステージ上へと駆け抜け、感じる手応えの確かさと同時に幾つもの水の弾ける音を耳にしながら、神多羅木は不敵に口元を歪めてそう言い放った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 突然の闖入者により配下のスライム達が無力化され、少女達を捕らえる水牢が弾けて割れ、更に蔦を切られて自由を得た明日菜が自らの能力を利用するペンダントを引き千切ったのを見、ヘルマンは驚愕する。

 

「何とっ!?」

 

 同じくそれを気配と視界の端で捉えたイリヤは、思わず口笛を口遊みそうになったが、流石にバーサーカーを相手にした状況ではそのような余裕は無い。

 それでも表情や口に出さずに内心で感嘆の声を上げた。

 

(カタラギ先生はともかく、メイもやるわね。見直したわ)

 

 と、やはりあの大人しそうな少女の意外な活躍に感嘆の占める割合は大きいのだが、それより……

 

(二人が何時からこの場に居たかは知れないけど……恐らく、今この直前という事は無いわね)

 

 ヘルマンやバーサーカーに手を出さず、ネギ達と自分の援護に回らずに迷いなく人質の救出に走った事からそれなりに状況を観察し、機を窺ったのを見て取れ。その判断力と忍耐―――そして果断さにイリヤは感心していた。

 そう、イリヤは神多羅木が最悪自分達を見捨てようとした事を察していた。勿論、責めるつもりは無い。その事情も察せるからだ。

 バーサーカーという怪物が居る以上、迂闊に手を出さないのは正解であるし、情報収集に徹するのも賢明である。またその判断が彼にとって苦しい物であるのは想像に難くない。

 しかしにも拘らず、彼は機会が訪れるや否やそれらを捨てて即行した。このタイミングを逃せば人質の救出とイリヤ達の救援は困難だと判断して。

 

(思い切ったわね。彼も判ってはいる筈なのに……バーサーカーが此処に居る以上、他の黒化英霊もこの場に居る可能性が在る事を……けど―――)

 

 その可能性は高くない。

 

(あの子達に危害を加えられていないものね)

 

 バーサーカーを狙撃しイリヤに再戦の機会を与えてくれた人形(メイド)達。その狙撃直後もそうだが、待機させた彼女達に未だ何ら攻撃を加えられて無い状況を見ると、此処にはもう他に戦力は無いと考えられた。幸いな事に。

 神多羅木も同じ判断をしたのだろう。だから思い切って行動に打って出たのだ。

 あとは彼等が人質を連れて離脱してくれれば、イリヤとしては色々な意味で“やり易くなる”。

 神多羅木も無理はせず、そう判断する筈……そこを本来ならば、彼等の果たした役割を担わせる予定であったメイド達に支援させ―――そこまで思考を巡らせた所でイリヤは、水牢から解放された木乃香が離脱に移らず、神多羅木の制止を振り切って未だ眠りに陥っている刹那を視線で気に掛けつつ、それとはまた異なる方向へ駆け出すのを見て。彼女の意図を察するが、

 

「ッ―――!」

 

 状況を見届ける余裕はそこまでだった。

 

「■■■■―――!!」

 

 イリヤが周囲の動きに気を取られ、微かではあるが槍捌きが鈍ったのを感じ取ったのだろう。間断無く突き出され、止まらぬ槍の速度が緩むのに合わせ、バーサーカーは踏み込みながら右の片手のみで剣を振るいつつ、左手でイリヤの槍の柄を”掴まん”とし、

 

「チィ―――ッ!」

 

 イリヤは強引に槍の軌道を変え、槍が“掴まれる”難を辛うじて逃れるが―――姿勢が崩れて槍捌きも乱れ、それを見て取ったバーサーカーがその隙を見逃す筈が無く。左手を素早く戻し、さらに踏み込んで再び両手で握った鋭い剣戟を間髪入れずにイリヤに打ち込み。

 

「な―――」

 

 死線ともいうべきバーサーカーの間合いに捉えられ、僅かでも崩れた姿勢では回避は間に合わず。乱れ泳ぎ遊んだ感のある槍とそれを支える腕力の流れでは、上段から振り降ろされた重い一撃は防ぎ切れない、捌けないと瞬時に判断し、イリヤは何を思ったのか自分でも判らず。今度は己が槍から手を―――しかも両方放し、

 

「―――んとーッ!!!」

 

 叫んだと思った刹那の瞬間、両の掌に熱い摩擦を感じ、冷たくも硬い金属の感触を覚えた。

 見ると、反射的に掲げた両腕―――両手でバーサーカーの黒い剣を挟んで受け止めていた。所謂、真剣白刃取りだ。

 

「はぁ―――」

 

 ほんの数cm先……左の首元から肩口の合間を狙い、僅か寸前にまで迫った刃挽きされた黒い刀身が停止したのを見、イリヤは安堵の息を吐き、

 

「―――ぁああっ!」

「■■■■…ッ!」

 

 それも束の間、互いに押し合って腕に力を込め。自身の腕と黒い刀身が小刻みに震え―――フッとその腕に加わる力が消え。瞬間、二人は同時にお互いの腹部目掛けて蹴りを放っていた。

 

「ぐっ!?」

「■■――!?」

 

 全くの偶然だった。

 腕と刀身を通じて力を競合わせた二人は、同時に膠着状態を脱しようと考え、示し合せたかのように全く同じタイミングで同じ行動を取ったのだ。

 それは当然、互いに思わぬことであり、イリヤとバーサーカーの双方は掛かっていた腕への負荷が突然消えたのに驚きつつも次に行うべき動作を中断せず、躊躇わず蹴りを放ち―――脚に手応えを感じると共に、自身の腹部に奔る衝撃と苦痛に喘ぎ、その場から吹き飛んでいた。

 

「っ―――」

 

 腹へ奔った衝撃と痛みにイリヤは表情を歪めた。

 ランサーを夢幻召喚(インストール)した後、刻印に頼らず自前の治癒魔術で塞いだものの、腹に在ったのは背中を貫くまで達していた深い傷だ。未だ完治はしておらず応急的な処置に止まっており、傷が開いたのではと思う程の鋭い痛みを覚えていた。

 しかしイリヤは、気に留める事も……そんな余裕が在る筈も無く。衝撃を逃すように後転…宙で姿勢を整えて着地し、足裏を地面に擦過しながら掛かる勢いを完全に殺すと―――前へ跳んだ。

 目指す先は、バーサーカーの剣を止める為に已む無く手離した紅い槍が転がる彼と力を競り合った地点。

 イリヤとバーサーカーにして見れば、これらの一連の行動は十数秒という体感を持つ攻防であったが、それは傍から見ればほんの数秒も無い数瞬の出来事に過ぎない。黒い影と一瞬激突し、弾かれて飛ばされた青い影が逆再生した映像のように戻ろうとしているにしか見えなかった筈だ。

 

 黒い影もまたそうであるから余計に。

 

 そう、バーサーカーもイリヤと同じく宙で姿勢を整え着地して直ぐに元の場所―――敵の獲物である紅い槍か、それともそれを拾わんとする敵の隙を突かんと跳んでいた。

 しかも悪い事に体格差と鎧を纏う重量の為か、バーサーカーはイリヤよりも大きく飛ばされず、その着地点は紅い槍に比較的近かった。

 これではイリヤが槍を回収する前にバーサーカーが手にする方が早い。

 

 だが、

 

(悪いわね)

 

 イリヤは不敵に嗤う。

 この状況に至ったのは偶然だが、彼女は跳ぶ寸前、戦闘に合わせて高速で思考し続ける脳裏にふと浮かび。自らの本分を活かす好機の到来に気付いた。

 自分同様、一直線に紅い槍の方へ一足で跳ばんとする敵を見、相対的な位置と距離に速度…そしてソレを成し上げる時間を半ば直感的に計算―――瞬時に可能だと判断すると、イリヤはソレを行なっていた。

 

(私は貴方のような騎士では無く、この身に宿った戦士でも無い。そう―――)

 

 イリヤは宙を跳びながら手を背中へ回し、二本の指を擦り合わせ、弾くように中指の先で親指の付け根を叩いた。

 

(―――魔術師よ!)

 

 途端、パチンッと指の鳴る音がイリヤとバーサーカーの耳に届くよりも早く、イリヤの背後に小さな光球が生まれ、暗雲で陽光が届かぬ―――この一帯に限ってだが―――地上を太陽に代わって眩しく照らした。

 直視すれば眼が眩むほどの眩しい光だが、別に目暗ましを狙った訳では無い。そんな小細工でバーサーカーこと湖の騎士たるサー・ランスロットをどうにか出来るとは流石に思っていない。

 そもそも光球はイリヤの背後にあるのだ。バーサーカーへは眼が眩むほどの光は届かない。むしろ彼女に遮られて影が出来るだけである―――それがイリヤの狙いだ。

 

「■■…!?」

 

 イリヤは自らの生み出した光によって足元に影が生まれ、同時に迫るバーサーカーへ自分の影が長く伸びた瞬間、彼が宙を駆ける姿勢のまま、硬直したのを確認し、旨く“掛かった”事を理解した。

 光球に照らされ、自分の足元から伸びる“影がバーサーカーを捕らえた”のだと。

 そう、イリヤが使ったのは自分の影を通じて対象(てき)に干渉し束縛する魔術だった。

 

(予想通り、対魔力は皆無なようね)

 

 思惑通りの結果にイリヤは不敵な笑みをより深くする。

 バーサーカーの対魔力は最低値(Eランク)であり、魔術に対する抵抗は僅かな軽減のみ。さらに黒化の影響(デメリット)でそれすらも喪失している可能性は高い。

 イリヤの見立て……というか今覚えた感触では、喪失したというのが確実だと思えた。

 勿論、こうしてバーサーカーに魔術を上手く当てる事、掛ける事は容易では無い。通常であればその高い敏捷値から当てるのは至難であり、掛かる直前に回避されてしまうのがオチだろう。

 

(けど……旨く“嵌まった”と言った所かしら、ね)

 

 イリヤはそう思う。

 今の“影縛り”にしても敵にしろ、自分にしろ、先程までの戦闘のように縦横無尽に常に動き回る状況ではまず狙えないであろうし、距離的な制約もある。基本的に動きを止めている相手の不意を突いて使う術なのだ、これは。

 それでも今回こうして上手く行ったのは、敵の動く方向が明確であり、みすみす有効範囲に入り、そのタイミングが適切に計れた為だ。ついでに言えば影すらも作らないこの天候の悪さと夕暮れ時……暗がりのお蔭もあった。でなければ光球を作っても影の伸びる方向など決められなかっただろう。

 

「ふ―――!」

 

 影によって束縛され、満足に動けないまま滑空するバーサーカーが槍の上に到達し、地に足が付きそうになるのと同時に槍の2、3歩手前まで迫ったイリヤは、跳躍した勢いを存分に乗せ―――

 

「―――っ飛べぇ!!」

 

 ―――地面に足先を引っ掛けて、無様に転倒し掛ける黒い騎士へ再び蹴りを叩き込んだ。

 

「■■■■―――!!」

 

 とても人が繰り出した打撃とは思えない硬く巨大な何かが激突し合うかのような衝撃が空気を震わせ、一方的な打撃を無防備に腹へ受けたバーサーカーは、鎧を軋ませながら再度吹き飛んだ方向へ逆再生……いや、逆再生していたのを再生に戻すかの如く吹き飛んだ。

 尤もその速度と飛距離は随分と段違いであったが。

 イリヤは素早く槍を拾うと、直ぐに宙を飛ぶバーサーカーを追撃する。視界の先で喘ぐかのようにして宙で姿勢を整える敵。恐らく防御もままならずまともに直撃した為、甲冑越しとはいえ、多少なりともダメージが入っているのだろう。しかし流石と言うべきか、見事姿勢を整えると彼は地面に足を向け―――

 

「■■■■■■―――!!」

 

 着地の衝撃で地面を削り、砕き、無数の客席を残骸に変えつつバーサーカーは、咆哮を上げて追撃するイリヤを迎え討たんとし―――イリヤは再び嗤う。その勝機の訪れに、

 

「その心臓、貰い受ける―――!」

 

 敵へと迫り、長く極限にまで引き延ばされた一瞬を体感する最中、構えた槍が周囲の魔力を貪欲に吸い上げるのを感じ、イリヤは彼の槍の担い手の如く獰猛にそう告げ、

 

刺し穿つ(ゲイ)―――」

 

 完全に間合いに捉え、着地したばかりで姿勢が低く大きく回避行動の取れない敵の状況、例え宝具の発動を感知し予測したとしても、即その場から離れて間合いを取る事は困難。故に迎撃を選択した彼に、

 

「―――死棘の槍(ボルク)!!」

 

 そう、念を入れて敵の選択の幅が限られた瞬間を狙いイリヤは、因果を逆転する不可避の槍を放った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「―――!?」

 

 低い槍の軌道…まるで足元を刺すかのような不可解な槍の伸びに、バーサーカーの理性無き思考に戸惑いが生まれ―――

 

「■■―――!」

 

 気付いた瞬間、彼の胸に槍が突き刺さっており――――見えた急速に変化した赤い軌跡を防がんと剣を振るっていた。

 槍が胸へ……“既に到達して”心臓を喰らっているのに、黒い騎士は歪で奇妙な軌跡を描いて“未だ迫る”槍の穂先を打ち払わんとした。

 その矛盾の意味―――とうに身体へ突き刺さっているというのに、虚空を駆けて向かってくる矛先がある訳。

 耳にしたその真名(ことば)を思い起こし、突き刺さった穂先から生えた無数の茨によって心臓が破裂する音を聞きながら、死の淵に捉われ、理性を取り戻しつつある思考によってそれを理解した。

 

「―――…ッ!」

 

 破裂した心臓から肺へと入った血液の所為で咽て声を上げるのは難しかった。

 それでもこの禍々しい呪いと狂獣の如く思考を塗り潰す(はこ)から自分……いや、自分達を呪いと柩から解放するであろう白い少女に言葉を伝えようとし……―――果たせず意識は混濁し、闇に覆われた。

 

 ―――無念……。

 

 それがバーサーカーこと高潔な騎士であるランスロットがこの場で最後に思ったことだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 嘆き苦しむような声を漏らし、イリヤへと伸ばして宙を掻いた手が力なく地に垂らしたのを最後にバーサーカーは動きを止め、徐々に霞みと成って輪郭を薄くし……程無く姿を消した。

 

「ふーっ…」

 

 難敵が排除できたこと、どうにか勝利できたことを受け、イリヤは大きく息を吐いた。

 ただし僅かに気が緩んだものの油断はしていない。ネギ達の方は決着が付いておらず、低くは成ったがまだ敵がいる可能性はゼロでは無いのだ。

 しかし弛緩してしまうのも無理は無かった。

 あのバーサーカー…黒化英霊を一騎仕留められ、退場させられたのだ。

 

(まったく…ホント上手く行ったものね。黒化の影響(デメリット)で対魔力のみならず、幸運値も下がっていると見込んだけど、当たりみたいだったし……)

 

 正直な所、Bランクと高めの幸運値を持つバーサーカーに対し、イリヤはランサーを使うのに一抹の不安があった。

 それでも“クランの猛犬(クー・フーリン)”を夢幻召喚(インストール)したのは、必中必殺が狙える事や先述のように黒化で幸運がランクダウンしている可能性があった事。そして仮にBランクのままであっても、高い直感スキルを持つセイバーでさえ『刺し穿つ死棘の槍(ゲイボルク)』を躱し切れず手傷を負った事実がある為だ。

 例え心臓を穿てなくても直感スキルが無い分、深手を負う確率は高いとイリヤは目論んだのである。

 

(それに―――)

 

 イリヤは視線をバーサーカーの姿があった正面から逸らし、観客席の一角…遠い端の方を見据え―――

 

(折角来て貰ったのに悪かったわね。ご苦労様)

 

 と、目線と念話で告げて軽く手を振った。

 すると、姿見えぬ相手から念話で「いえ…」と返されてお辞儀する気配が窺えた。何となく緊張している雰囲気も感じられ、まあ、無理も無いか、とイリヤは危急の事態とはいえ、彼女を実戦に参加させて――――結局…いや、幸いにもこの時点で切る事は避けられたが―――重要な役目を与えた自分を若干反省し苦笑する。

 

(いずれ経験する事ではあったけど、いきなり黒化英霊との戦闘は……やっぱり厳しいか。元々性格的に向いてない事だろうし……)

 

 そう、反省を抱きつつ苦笑してイリヤは振り返り、視線をネギ達の方へ向けた。

 イリヤが戦っていた逆の方―――ステージ正面から右側で彼等は戦っている……いや、“いた”というべきか、彼等の方も片が付きつつあった。

 

 原作同様、小太郎が影分身を使い前衛を担い。ネギが決め手を入れる為の隙を作ったようだった。

 イリヤが見たのは小太郎が作った隙を狙い、ネギが攉打頂肘なる震脚を効かせた肘打ちに雷の矢を乗せた一撃をヘルマンに入れた所だった―――本来ならこの後、ネギは雷系の上位古代魔法語魔法である『雷の斧』を決めてヘルマンを打倒する筈なのだが。

 

 しかし―――

 

「ネギ君!!」

 

 肘打ちが決まった直後、木乃香の大きな声がネギに向けられた。同時にネギの眼前に小瓶が躍り出て―――木乃香の手によって投げ込まれたソレを……目の前に飛び込んだ『封魔の瓶』をネギは地面に落ちるよりも早く反射的に空中で拾い上げ、

 

「五芒の星よ、六芒の星よ、悪しき霊に封印を―――!」

「ぬうっ!?」

 

 考える前にネギは本能的に詠唱を行ない。ヘルマンは身に奔った雷撃と打撃に苦しみながらもソレに気付いて焦る。

 

「―――させんっ!!」

「―――『封魔の瓶』!!」

 

 ヘルマンの叫びとネギの力ある言葉が重なった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 クレーターの中に更に大小様々なクレーターが穿たれ、塹壕のような溝が幾つも掘られ、焼け焦げた一帯は更に地形を変化させていた。

 そんな無残な破壊の痕跡を、既に元公園とも言うべき場所に現在進行形で築いているのは二人の男女。

 

「■■―――!」

 

 男は過去、神話の時代にて知られ、英雄として語られる二槍の使い手―――今世でランサーと呼ばれる英霊ディルムット・オディナ。

 右に赤い長槍を、左に黄の短槍を手にし自在に操り、疾風の如く地を駆け抜け、果敢にその対峙する相手に立ち向かっていた。

 

「はあぁぁ―――!!」

 

 女は現在、この時代に於いて勇名を誇り、英雄と並び伝説として裏の世界で語られる剣聖―――元・神鳴流師範代にして最強の剣士、青山 鶴子。

 右に愛刀である自身の式刀を握り、左にはかつて門弟の一人であった葛葉から借りたイリヤ謹製の刀が握られ、相手の二槍の異様に対して大太刀二刀という異質なスタイルで受け立っている。

 

 二人は激突する度に、槍を振るう度に、剣を振る度に、衝撃を生んで大気を震わせ、地を穿ち削り揺らした。

 過去と現代の違いはあれど、伝説として語られる実力者の戦闘は正に圧巻だ。

 しかしそれを見るのは、この場には二人のみ。つい先程までその片方であるランサーと戦いを繰り広げていたタカミチと葛葉はもはや単なる観客と化して、ある意味で出来の悪い劇ともいうべき、この悪夢のような光景を半ば呆然とクレーターの外から見詰めていた。

 

 そう、それは憧れという感情が吹き飛んでしまう畏怖と恐怖を抱かせるものだ。

 互いに伝説として名を刻み、刻んでいるという真実、最強クラスの化け物。人外の境地。そんな人の(ことわり)から逸脱し切った……云わば完全に“振り切れた”者同士の戦い―――破壊行為なのだ。

 況してや、一方は呪いを帯びた禍々しい魔力を放ちながら憎悪と憤怒に濡れた異相を見せ。もう一方も狂気めいた苛烈さと鬼の如き形相を浮かべて凶刃を振るっている。

 恐怖を感じない方がおかしいだろう。

 

 ―――しかし、

 

「ん?」

 

 それも終わりが来た。

 鶴子はランサーが突然離れ、向けられていた身を切り刻まんとする程の鋭さを持った敵意と殺意が急速に薄れるのを感じ、思わず動きを止めて首を傾げた。

 そして考える間も無く、ランサーは踵を返して背を向けると、一気に駆け出して彼女の視界から消えて行った。

 

「やれやれ、存外釣れないおヒトやなぁ。途中で女性を放って一人行ってしまうやなんて」

 

 鶴子は軽く溜息を吐きながら、そう独り語った。

 それまでの激しい嵐のような戦闘が嘘であったかのように辺りは静寂に包まれ、その終わりは異様なほど呆気ない物だった。

 

 

 

 同時刻。ガンドルフィーニが仕切る一隊の前に展開していた鬼達も姿を消し、術者の意向で現世から彼等の住まう元の世界へ還らされた。

 半ば唖然とそれを見詰める麻帆良の魔法使いたちを置いて。

 

 それは暗雲と共に麻帆良を覆った不穏な気配が去った事を意味しており。

 同時にまるで示し合わせるかのようにその上空にある厚い雲も晴れ、夕刻から夜に差し掛かった空に月が映え、僅かながら瞬く星が見える様になった。

 

 そう、暗雲は晴れて事態は収束したのである。

 

 




 釈然としない締めですが。とりあえず決着です。


 少し長くなりますが、今回幾つか補足しますと。
 イリヤがヘルマンのコートの下に身体を隠され、エヴァの姿も曇った水牢で隠されたのはネギに見せないためです。この二人までヘルマン達の手に落ちた事を知ったらネギが完全に畏縮してしまうとヘルマンが考えたからです。

 『ランサー』のカードでランスロットと互角に戦えたのは、本文にある通りイリヤというマスターの力とルーンによるランクアップのお蔭です。
 イリヤのお蔭で筋力と耐久がワンランクアップし敏捷に+補正が加わり、さらにルーンで宝具を含めた全パラメータがワンランクアップしている、としてます。
 ちなみに『アーチャー』も幾分イリヤの影響を受けているとしてます。

 鶴子さんについてですが。一応知らない人の為に簡単に説明しますと「ネギま!」と同じく赤松作品の登場人物で、「ラブひな」のヒロインの1人…青山 素子という人物の姉であり、神鳴流の使い手です。
 神鳴流の歴史上1、2を争う強さを持つというのも公式の設定でして宗家「青山」の長女というのも公式です。ただ詠春が兄というのはこちらの独自解釈ですが、彼を圧倒する実力を持つというのは先述の設定がある為です。
 その為、ネギま!勢の中でもエヴァと同様、破格の戦闘力を持っている事にしました。実質、兄の詠春どころか他の赤き翼のメンバーをも上回る実力者(ばけもの)です。ただし主人公補正を発揮したナギには絶対に勝てないともしています。

 最後に銃器の登場部分は自分の趣味的な所が大きいです。
 Arcadiaから移るに当たってこの部分は冗長だと感じて何とか端折ろうとしたのですが……何度書き直そうとしても上手く行かなかったのでそのままとなりました。
 無駄に長いと感じられた方には、すみませんとしか言いようがありません。


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第19話―――暗雲晴れて

 

 

 

 麻帆良の魔法関係者が震撼し、慌ただしさが未だ抜けないその翌日。

 

 

 この日は前日と打って変わって快晴であった。

 空は透き通った青い色を見せ、白い雲も眩しく輝く太陽も眼を覚ました時分から見えていた。

 いや、昨日も早朝から夕刻に差し掛かる前まではこのように太陽の輝く姿が空に在り、黒々とした暗雲が頭上を覆ったのは日が傾き、沈み切る前の一時だけだった。

 だというのにこうして太陽の照らす光に目を細め、青々とした天幕を見るのを久しく感じるのは何故なのか?

 

「ふう…」

 

 ネギは溜息を零し、そんな取りとめの無い事を頭の隅でボンヤリと考えていた。

 ただしその胸の内と頭の思考の大部分は、この晴れ渡った空とは異なり、未だ灰色の雲に覆われているようであったが。

 

 ネギは視界を空から下ろして足を進め、自身が住まう寮から離れる。そうして暫く歩き……ふと視線を正面から外し、左へ動かしてそれを見詰めた。

 地味な色合いのつなぎを着込み、頭に黄色い作業用のヘルメットをかぶった人達が道路の片隅に停車した複数の中型トラックの荷台から、小型のショベルやらブルドーザーなどの作業機械を降ろしている。

 その如何にも工事業者だと云わんばかりの人々が居るのは、ネギが住まう寮の近くにある公園の前だ。

 ネギは、大きく声を張り上げて忙しそうに動き回る作業員達から目を逸らし、公園の方へ視界を移す。

 立ち入り禁止のロープが張られ、工事中と書かれた看板やフェンスなどで出入り口が塞がれた園内は一見するといつもと変わりは無い。

 しかしネギは知っている。昨日の事件を終え、皆を連れて帰宅するその途中で見掛けた。その場所が無残なクレーターと化していたのを。

 

「……」

 

 ネギは立ち止まって公園を凝視した。

 視界は相変わらず何時もの平凡な公園の姿を映してはいるが、同時に薄っすらと陽炎のようにソレが揺らめき、平凡な公園の姿を“被った”荒れ地やらクレーターのある光景が霊的な視覚で捉えられていた。

 

 そう、今この場所には幻影魔法による迷彩が施され、人払いの結界で一般を立ち入れないようにし、事件の痕跡が明るみにならないように隠されていた。

 当分、この状態は続くだろう。自分達のような魔法使い以外の人々には改装工事と伝えられ、業者に扮した魔法使い達によって隠蔽を兼ねた修繕……というか、新たな公園が築かれるのだ。

 恐らく同様に戦闘の被害があったというこの近辺や、ネギ達が戦った学祭ステージなども似たような作業が行われている筈だ。

 

(昨日の事件での……爪痕)

 

 幻影で隠された惨状を見、内心でそう呟くと胸中を覆う雲がより澱んだ気がした。

 

 

 

 やがてネギは繁華街に辿り着き。目的地である元喫茶店―――イリヤの工房の前に立った。

 平日であるこの日、まだお昼前であるこの時間帯。本来ならばネギは教壇に立って教鞭を振るわなくてはならない筈なのだが、今朝早くに学園長直々に休むように連絡を受け、代わりにイリヤの下を訪ねるように言われたのだ。

 昨日の今日という事もあり、自分を休ませる意図は判らなくも無いネギであるが、中間テストを来週に控えている事もあり、仮にも教師である彼としては休むのは抵抗があった。しかし近右衛門は頑なに応じず、しかも上司として命じられては頷く事しか出来ない。

 

(でも…それで休むのは良いとして、どうしてイリヤの所に……なんだろう?)

 

 ネギは、疑問に首を傾げつつも目の前にあるドアを押し開いて、工房内へと足を踏み入れた。

 

 

 カランカランと鳴り響く鐘の音を耳にしながら見た内装は、明日菜の誕生日を祝った頃と変わらない―――カウンターの上やその向こうにも食器の類や調理器具などが見えない事からも―――閉店し閑散とした喫茶店そのものだった。

 だが同時に、

 

「いらっしゃいませ、ネギ様。お待ちしておりました」

 

 と、給仕に見えるメイド服を着込んだ女性の姿があり、挨拶して来るのを見るとまるで営業中の喫茶店のようにも思えた。

 

「……ど、どうも」

 

 ネギは数秒掛けて彼女をまじまじと観察してしまい。挨拶を返すのが遅れてしまった。

 モノトーン配色の衣服とこのメイド―――“人形”の持つ独特の静かな気配が、黒を基調とした仄暗い店内の雰囲気にとても合っていた為だ。その光景を思わず目で楽しんでしまったのだ。それに魔法人形そのものへの好奇心も少なからずあった。

 ネギはそんな不躾な自分にバツを悪く感じたが、メイドの彼女は気にした様子は無く。短く「…此方へ」と告げてネギを先導する。

 そしてネギが案内されたのは、嘗てこの工房を訪れた見習い二人組がイリヤと対面した所と同じ応接室だった。

 

「―――…」

 

 応接という人を招く場所の為か、部屋にある調度品はどれも見栄えが良く、そして格式の高そうな物で飾られていた。実用品以外にも美術品…絵画や彫刻や陶磁器に金細工などもあるが、代物が良いのか、それとも配置がそう計算されているのか、不思議と成金めいた嫌味で下品な感じは受けなかった。

 以前、家庭訪問―――という口実で元気付け―――に訪れたあやかの邸宅の一室にも劣らない…いや、それ以上の風格があるように思えた。

 だが、そう思えたのは何もそれら調度品や美術品の所為だけでは無い。何よりもこの場には浮世離れした美貌と凛とした品格を持つ、お姫様然とした麗しい少女が居るためだ。

 

「おはよう、ネギ」

 

 そんな部屋を彩る美術品の一つのように美しい白い少女の口から、竪琴の音色にも劣らない綺麗な声が奏でられ―――

 

「!―――お、おはよう、イリヤ」

 

 雰囲気に飲まれ、イリヤを見詰めたまま惚けていた意識を戻してネギは挨拶に応えた。

 しかし先程のメイドとは違い。イリヤはネギの様子がおかしかったのを見逃してはくれなかった。

 

「どうしたのネギ?」

「え、あ、いや…べ、別にどうもしてないよ」

 

 ネギは思わず誤魔化してしまう。

 正直に今のイリヤに見惚れてしまったとは、自分でもどうしてか判らず、何故か言えなかった。

 これまでも彼女の姿を見ているのに学校や街中では無く、この場―――まるでお城の一室とも思わせる格調の高い雰囲気の中に在るイリヤが……それも見慣れた制服では無く。薄い桜色のロングドレスを纏っているもあって、とても様に成っていて綺麗だと感じたのだ。

 

(と…いけない。いけない)

 

 改めてそう思い。意識した為かネギは頬が熱くなるのを自覚して、気を落ち着けるために深呼吸する。

 何がいけないのかも、それも判らないままに。

 

 ちなみに彼には本当に分からない事ではあるが……元の世界で由緒正しい貴族のお姫様であったイリヤは、その記憶を取り戻した事と、さらにエヴァ邸を離れた事で。この私邸とも呼べる工房内で身に付ける衣服が以前の……つまり、アインツベルンで暮らしていた頃の趣向を反映した物―――いわば庶民的な感覚から逸脱した上流階級の人間が普段身に付ける物と成っていた。

 その為、今イリヤが当然の如く着ているドレスも一流ブランドによる一品もの…オーダーメイドの高級品であったりする。ネギが今のイリヤにお姫様然とした雰囲気を覚え、様に成ると感じるのも無理は無いだろう。

 貴族に恥じない気品と風格を持つイリヤとっては、これがごく当たり前であり、自然な姿なのだから。

 尤もネギが見惚れたのは、それら貴族的…或いはお姫様然とした品格の所為だけでは無いのだろうが。

 

 閑話休題。

 イリヤは続けて見せるネギの挙動不審な様子をやはりおかしく思ってはいたようだが、それほど気に掛ける必要も無いとも思ったらしく。彼の様子を見るのも程々にして部屋で待機しているメイドに飲み物を頼んだ。

 生粋の英国人であるネギの事を考えたのか、紅茶が用意され、時間帯もお昼前(イレブンジィズ)という事もあり、お茶請けにはビスケットやクラッカー類が選ばれた。

 イリヤの対面に席を着き、メイドが入れる紅茶の甘い香りが鼻腔をくすぐらせると、ネギは平静を取り戻す事が出来た―――のだが…程無くして用が済んだ為かメイドが退出し、そう広くも無い空間にイリヤと二人きりと成ってしまい。何処となく落ち着かない空気が自分を包み込んだようにネギは感じていた。

 

「ん…―――ふう」

 

 その空気を払うように砂糖の他、ミルクを注いで薄茶色に変化した紅茶を啜って……何とか一息吐くと、ネギは尋ねた。

 

「それでイリヤ。今日は何か僕に用事が在るの? 学園長からは、休みを取って午前中は君の所を尋ねるように言われただけなんだけど…」

「……ん、そうね」

 

 イリヤもまたネギと同じくミルクティーとし、カップの中身を啜っていたがネギの質問にカップから口を離してそれに答えようとした。

 

「取り敢えずは―――」

 

 イリヤは唐突に対面からネギの方へ身を乗り出し、彼の顔へ手を伸ばし―――

 

「あ」

 

 覚えのある感覚にネギは声を零す。

 以前にも感じた身体を柔らかく包み込む温かさ……『治癒』を掛けられているのを理解する。

 

「……思ったとおり今のコノカじゃあ、傷は癒せても内面に掛かった身体の負荷までは直し切れないようね」

 

 魔力の暴走(オーバードライブ)で掛かった肉体の負荷。体表は当然として内部からも“見難い”ソレをイリヤは鋭く察知したようで見逃さず癒して行く。

 身体を包み込んだ温かさがネギの内部へ浸透し、魔力や気が巡らせる為の“経路”をイリヤの魔法が優しく撫でるかのように辿り、痛み傷付いた箇所が塞がれて行くのをネギは感じていた。

 

「ふう、これで良し…っと」

「…ありがとう、イリヤ」

 

 治癒が終わるなり、イリヤは以前と同様の言葉を告げて自分の顔から手を離し、ネギはお礼を言う……が、ふと思い出した。

 あの時、イリヤはこの工房の仕事で蓄積した疲労を隠していた。では今日はどうなのだろう? ネギは昨日の事件もあってそう思った。

 イリヤは見習いの自分とは違い。元部外者でありながら学園長からの信任も厚く、工房を構える事もあって既に正規の職員…或いはそれ以上の立場に置かれている。当然、昨日の事件の事後処理に関わって忙しくしている筈だ。それに酷い怪我を負っていたらしい事もある。

 だからネギは尋ねた。

 

「イリヤ、もしかして疲れてない?」

 

 そう言い、注意深く目の前に居る少女が無理をしていないかその顔を窺った。

 視線を受けたイリヤもまた以前のことからネギが心配する理由を察したのだろう。

 

「いえ、大丈夫よ。確かに疲れはあるけど、心配するほどでは無いわ」

 

 そう、気にする程ではないと笑顔でイリヤは言い。続けて「ありがとうネギ」と気に掛けてくれた事にお礼を口にした。

 ネギはそれでも少し心配ではあったが、彼女が言う通り顔色は悪くなく、疲労もそれほど無いように見えたので取り敢えず納得する。

 そして気を取り直すかのように互いに紅茶を啜り、カップを空にするとイリヤが本題を切り出した。

 

「それじゃあ、今日ここへ来て貰った理由だけど。ネギ、貴方と話をしたかった……というか、話をすべきだと思ったからよ」

「話を?」

「ええ、けれど正直、貴方にとっては余計な事だと、触れて欲しく無い事だと思えるから、私としても言い難く…また訊ね難くはあるんだけど……」

 

 イリヤは躊躇するように眉を顰めるも真剣な表情でネギを見詰め、若干間を置いてから言葉の続きを口にした。

 

「今回の事件は、貴方の過去に深く関わる物があった。そして偶然にもアスナを始め、私もその過去を見、鮮明に記憶したばかりだったわ」

「…」

「だからと言って貴方の気持ちが判る訳では無い。判るなんて簡単に言える事じゃない。けど、その胸の内に抱いた複雑な心境はある程度は察せる。だから、ネギ―――」

 

 それは彼女の言う通り、余計なお世話で余り触れて欲しく無い事……そう言う気持ちがあったのも事実だ。けれど―――イリヤは言った。言ってくれた。

 多分、心の何処かでそう誰かが優しく口にしてくれるのを願っていた事を。

 

「―――言いたい事があるなら聞いて上げる。その胸に吐き出したい思いがあるなら口に出して欲しい。貴方が……自分が今苦しいんだって見てあげられて、受け止めてあげる為にも」

 

 そう、自分が…ネギ・スプリングフィールドという10歳の子供には、余りにも不相応に心へ圧し掛かった重石から―――例え一時であろうと―――解放される、楽にしてくれる言葉を白い少女が掛けてくれた。

 同年代だとはとても思えない、大人びた優しい笑顔を見せて。

 

「あ、」

 

 それは唐突な事であり、言葉だった―――だが、だからこそネギはそれを受け入れられたのかも知れない。

 前もってこういう話をされると判っていたら、この場には来なかったかも知れないから。或いは少女の言葉を頑なに…そして、やんわりと拒絶していただろう。

 

 ―――大丈夫ですから。僕は平気です。

 

 と、本心からでは無い。見せ掛けだけの取り繕った笑顔を作って誤魔化し、心配してくれる相手を安心させようとするのだ。

 だけど、今この時はそんな自分がとても嫌らしく、卑怯な気がした。

 だって結局はそれだって、“逃げている”事に変わりないのだ。

 あの悪魔が言ったようにあの雪の日から―――そして、こうして自分に弱音を吐けるように優しく声を掛けてくれたイリヤからも。

 ああ、だから―――

 

「―――い、イリヤ……僕は、ぼくは………逃げていたんだ」

 

 正直に思った事を口にしていた。

 彼女の優しい言葉を聞いた途端―――眼が熱く熱くてしょうがなく。胸が苦しくてどうしようもないから、それを振り絞りだして楽に成りたくて、泣き叫んだ。

 

「あの雪の日から、村が得体の知れない化け物達に襲われて、それが自分の身勝手な願いの所為なんじゃないかって思って、そう思う事で。……でもそれだって伯父さんが…スタンお爺ちゃんが……アーニャのお父さん達が石にされて! 沢山の村の人達が死んでいった訳が判らなかった出来事を、自分なりに判り易い形にしたかっただけな気もして! だから、だから……」

 

 縋った。

 夢に見た父の姿。怖くもあったけど、姉が言ったようにピンチの時に現れて自分とその姉を助けてくれたヒーロー。“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”の姿に。

 あの白く降り積もった雪の日…赤い絶望に覆われた世界(なか)で見た、大きな背中とその怖いくらいの強さに憧れ、死んだという彼が……絶望の中で見たその希望がまだ何処かに居るであろうと信じて、それを探す為に……或いはその希望が確かに存在していたのを確認する為に自分も彼と同じ“偉大なる魔法使い”を目指し、勉学に打ち込んで魔法学校を卒業し、麻帆良での試練を……教師として頑張った。

 

「―――そう、頑張った。父さんに会いたいって! あの人のような偉大な魔法使いに成る為だって! あの時に見た希望は確かにあったんだって証明したくて頑張ったんだ!!……けど、あのヘルマンっていう悪魔(ひと)の言う通り…それは逃げていただけだった。僕はただあの日の事が怖かっただけなんだって…! 魔法使いになる為の勉強も…! 強く成る為の修行も…! あの雪の日の出来事から目を逸らしたくてッ! 魔法が上手く使えて強く成りさえすれば! もうあんな怖い日の出来事に怯えて震える必要は無くなるって思っていたからなんだッ!!」

 

 そうきっと―――父に会いたいという想いも、その父のように成るという目標も、父が死んだという事実を覆すという願いも、皆偽りの看板でしかなく。本心はただ自分の身を襲った恐怖から…その体験から逃れたいだけ。

 目を合わせず、向き合う事も無く、ただただ我武者羅に振り返る事も疎らに、前へ前へと暗闇の中を自分でも定か(ほんしん)では無い、不明瞭な灯り(もくひょう)を掲げて朦朧と歩いていただけだ。

 いや―――…一つだけ確かな目標が在る。自分でも気付いていなかった……否、それも違う。本当は分かっていた。それは……。

 

「……でも、それだけじゃないんだ。僕は逃げて、敢えて目を逸らしていたのは…イリヤ、僕はあの時、ヘルマンっていうヒトを許せなくて、仇だって思って本気で―――」

 

 その言葉をネギは心底悔いて血を吐くような思いで吐き出した。

 

「―――殺そうとしたんだ!」

 

 湧き出る衝動に、膨れ上がる憎悪に身と心を任せ、明確な殺意を持って暴力を振るったという事実に―――そんな自分にネギは恐怖していた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 両手で顔を覆い、テーブルへ伏すかのように頭を俯かせ、身体を震わせるネギを見詰めてイリヤは思う。

 やはり彼の中に在る傷は深いのだろう……と。

 今更思うまでも無い事ではあるが、それでも改めて考えてしまう。

 

 平穏な日々の中を突如襲った悲劇。

 自分の住む村が赤く燃え盛り、建物という建物が焼け落ちる中をさ迷い歩き。見知った人々が変わり果てた姿で倒れ伏した凄惨な光景を目にし、それでもお世話に成っている伯父や幼馴染の家族…そして大好きな姉の無事を確かめたく勇気を振り絞って歩いた。

 しかしその先で待っていたのは石にされた伯父を始めとした村人達と得体の知れない化け物の群れ。

 ……逃げ出し、九死に一生を得たのも束の間。心休まる筈は無く。さらに悲劇は続き、自分を守ろうと老人と姉が犠牲と成って老人は石と化し、姉は足を失った。

 だが、それでも姉共々ネギは助かった。

 

 けれど―――

 

(村は焼け落ち、村民の殆どが犠牲と成り、救助までに―――三日間…か)

 

 イリヤは昨日、事後処理に伴う忙しさの合間を縫って近右衛門とネギに関する話をしていた。別荘で見た彼の過去とヘルマンの事件があったからだ。

 その折、例の事件でネギの救助された直後の様子が語られていた。

 近右衛門にしても当然人伝から聞いた話なのだが、それによると―――救助された時のネギは酷く衰弱しており、憔悴の極みに達していたらしく、その顔はまるで死人のようであったとの事だった。

 当然と言えば当然な話だろう。

 命は助かったとはいえ、故郷は炎に飲まれ、村人の殆どが犠牲と成ったのを目にし…その上、三日間もの時間を4、5歳程度の幼い子供が足を失って動けなくなった姉と二人きりで過ごしたのだ。しかもまだ春先の寒空の下で。

 勿論、最低限の暖を確保する為に村の近辺にあった猟師小屋へ何とか移動したらしいが、心を落ち着ける事は出来なかった筈だ。

 襲い来る空腹と喉の渇き、何時また現われるやも知れない悪魔たちへの恐怖。恐怖から犠牲に成った村と人々の姿が脳裏に呼び起され。優しく頼りになる筈の姉も満足に動けない状態。

 寒さは姉と身を寄せ合って凌げたかもしれないが、飢えと渇き…そして恐怖から満足な睡眠は取れず。同様であろう姉の健気な励ましも果たしてどれほど届いたか。

 いや…或いは、足を失いながらも健気に振る舞うそんな姉の姿が、却ってネギの不安と恐怖を余計に煽ったのかも知れない。

 

 原作でも昨日別荘で見た記録(ゆめ)でもネギは見せなかった事だが、それは少し考えれば容易に想像が付く事だった。

 尤もこれらはイリヤの勝手な想像に過ぎない。その自覚もあるが、しかし―――飢えと渇きにそして恐怖に見舞われたネギが心を押し潰されそうになり、ネカネが懸命にそれらに抗いながらも弟を健気に励ました、などというのは……彼と彼の姉の性格や、その状況下での心理状態を思うに然程違いは無いと思えた。

 

(本当…惨いわね)

 

 平穏を壊され、故郷を失い、見知った人々と親しい人達も喪い。さらにその絶望と恐怖を抱えた極限状態で短くも無い時間を孤立した状況で過ごした二人。

 命は助かっても、その心に負った傷は一体どれだけの物なのか……察するに余りある。

 

(けれど……こう言うのもなんだけど、傷は負うだけで済んで心が“死なず”に済んだのは―――ネギが“希望”と言った通り、そうなのだろう)

 

 何時また襲い来るかも知れない恐怖に抗い。脳裏に刻まれた絶望的な光景に呑まれずその三日間を耐えられたのは、自分達を救ってくれた父の姿があったからだ。

 

(それがネギの心を支えた)

 

 原作でもそれらしい描写はあった。

 クルトに己が傷であるその事件の映像も見せられ、真相を知って心を追い詰められ、闇魔法を暴走させても飲まれずに済んだのは―――その希望が…光として焼き付いていた為。

 

(―――でも、それでもネギの負った傷を拭い去ることは出来ないんだろう。そう、幾ら希望を見出してもあの事件…ネギに絶望をもたらした悲劇そのものが覆る訳でも、消える訳でも無いのだから)

 

 イリヤは内心で一人語ると、ネギに気付かれないように小さく溜息を吐いた。

 今の思った言葉にふと覚えがあり、友人と成った彼の生徒の一人…白い翼を持つ少女の事が脳裏に浮かんで、ネギと重なったからだ。

 これも刹那が抱える物と同様、癒えない傷なのかしらね、と。こういったトラウマとも呼ばれる心の深い傷…心的外傷を抱えるヒトは皆共通した苦しみを持っているのかも知れないとも感じながら。

 また更に言えば、刹那がこちらの世界で生きる中で己と他者の“違い”を見せつけられ、傷の深さが増したのと同じく。ネギのもまた傷がより深く、闇がより濃くなる性質の悪い物だ。

 今回のヘルマンの件に原作のクルトの例もそうだが、ネギはこれから先、あの事件に纏わる真実と現実を叩き付けられて行く。原作と同様に…或いはそれ以上に過酷な形で。そしてその度にこの少年の心に巣食う傷と闇は、痛み黒さを増して行くのだろう。

 だがしかし、そんなネギに対してイリヤが出来るのは、こうして話を聞く事ぐらいだ。

 そうやって彼の中に在る闇を理解しつつ、傷に溜まった膿を吐き出させ、彼自身にそれらと向き合える精神的な余裕を持たせる事。そして自らの抱える闇の深さを自覚させると同時に内にある光も確認させ、その輝きが決して闇に飲まれぬように消えないように強くしなくては成らない。

 自分や明日菜達といった周囲の存在が、深まる闇に対抗出来るように内にある光をより強く輝かせる糧と成れるように。

 

(けど、もしネギがより闇が深くなると自覚して、それでも“ソレ”を望むのなら―――)

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ネギは、あの悪魔の事が憎くて恨んでいるのね」

「―――っ!」

 

 ネギは、そのイリヤの言葉に肩を大きく震わせて俯かせていた顔を跳ねるようにして上げた。

 一瞬、その事に…ヘルマンへ殺意を向けた事を、負の感情に飲まれた事を責められるのかと思い。辛い叱責を受けるのか、或いは軽蔑されるかと怯えたネギであるがイリヤは優しい笑顔を浮かべたままだった。

 怯えが表情に出ていたのか、イリヤはネギの内心を察したようで首を横に振る。

 

「私は別にそれが悪い事だと思っても無いし、咎める積りも無い。むしろその過去を思えば当然だと、正当な権利だと考えているわ」

「正当…? イリヤはこれが…こんな醜い感情が、僕があのヘルマンっていうヒトを殺そうとした事を正しいと思ってるの!?」

 

 ネギは、意外なイリヤの言葉に愕然として尋ねる。

 

「ええ、貴方は故郷を失い…いえ、奪われて親しい人達を傷つけられ、亡くした。ならそれを行なった者達を赦せない、憎いと感じるのは人として真面な感情だから」

「―――で、でも」

「そうね。それを醜悪だと、過ちだという考えも間違いでは無いと思う」

 

 ネギは判らなかった。

 憎くて誰かを赦せない、殺したいと思う程の黒い感情が正しいと言われ。それを醜くおぞましい、許されない事だと思うのも間違いでは無い…とも言われて困惑した。

 そんな困惑するネギの様子に構わずイリヤは言葉を続ける。

 

「ネギ、判っているとは思うけど、それでも聞いておくわ。貴方は今、あの悪魔を手に掛けようとした事に恐れを感じ、そんな事は許されないと思っている。―――けど、なら貴方は本当にそれだけで彼がした事を、村に人を、貴方の姉を、そして貴方を見守ってくれていたスタンというお爺さんを手に掛けた事を赦せるの? 憎む事も止めて、恨みにも思わずに彼の犯した罪を水に流せるの?」

「そ、それは―――」

「貴方は、自分にそれが出来ると思っているの?」

「――――――」

 

 ネギは困惑した頭の中で考える。

 あのヘルマンという悪魔は、ただ召喚されただけで彼個人の意思で村を襲った訳では無い。今回の事件でもそうだし、皆を直接傷付ける真似はしていない。

 だからああして戦いはしたけど、悪いヒトには思えなかった。しかし、

 

(―――本当に?)

 

 そうも思った。

 関係の無い那波さんを巻き込んで、躊躇いも無く自分を石にしようとしたのに? 村を襲った事や村の人達を手に掛けて石にした事にも全く罪悪感を抱いていない様子だったのに?

 そう、ただ分かった気に成って、碌に知りもしない相手なのに、本当は悪いヒトじゃないと、どうしてそう思える?

 

(―――っ! …そっか。僕はまた目を逸らそうと、逃げようとしているんだ。適当に分かった風な言い訳をして、憎もうと殺そうと思った自分が怖く過ちだと感じて)

 

 唐突にネギは理解した。

 憎悪を抱いてヘルマンに殺意を覚えて本気で手に掛けようとした事を認めていながらも、それでも自分は否定したかったのだと。

 手を汚そうとした事を、罪深い行為に奔った自分を、そうさせる自分の中に在る恐ろしい負の感情を何とかして振り払いたい、無くしたいと愚かにも思ってしまったのだ。

 こんな黒くて醜いものが自分の中に在る事が耐えられなくて。

 

「―――イリヤの言う通りだ。僕はあのヒトの事を赦せないと思うし、今もとても憎い。幾ら召喚されて命じられただけなんだとしても、あのヒトが…あの悪魔達が村を襲って沢山の人を手に掛けたのは事実なんだから……だから、仇を討ちたい。皆の無念を晴らしたい……ううん、それも違うか、自分の恨みを晴らしたいんだ」

 

 つまりは復讐。

 判っていた事だった。それが自分の中で…あの雪の日から芽生えた最も大きな願望(もくひょう)であり、決して否定できない感情だ。

 その為に血を滲むような、いや…吐くような思いまでして身に余る“あの呪文”を覚えたのだから。

 

「……」

「あ、でもだからって―――」

 

 不思議と落ち着いて告げられたことに内心で驚いていたが、頷くイリヤを見てネギは慌てて言葉を続けようし、それを遮ってイリヤは言う。

 

「―――判っているわよ。それが正しいとも思えない…でしょう」

「うん、復讐を果たしたいとは間違いなく思ってはいるんだけど、やっぱりそれではいけない、怖いって忌避感もあるんだ」

 

 そう、ヘルマンに手を掛けようとした事が過ちで、憎しみは囚われてはいけない感情だという考えその物は変わらない。

 先回りされて言われてしまった事にネギはバツが悪く感じながらも首肯した。この十年に成るかならないか程度の幼い価値観や倫理的な側面からそう考えてしまう訳だが……それ以上にそうなれば自分は取り返しの付かない事に成ると何となく判るからだ。

 ネギの言葉を聞いたイリヤは微笑む。

 

「ネギらしいわね」

 

 と、やれやれと言った感じで僅かに肩を竦めて。

 しかし肩を竦めるのもソコソコにイリヤは、優しげな笑みを浮かべつつも真剣な目でネギを見詰めて尋ねる。

 

「それじゃあネギ、貴方はあの日から逃げる為だと言い。心の奥底で復讐を願ってこれまで努力して来た訳になるけど。ならそれもまた本当に過ちだと、間違いだと思っているの? 貴方がその努力のお蔭でこの麻帆良を訪れてから成して来た事もただの逃避であって……本当に無意味だったと思うの?」

「―――ううん」

 

 ネギは、今度は即答出来た。

 イリヤに向けて胸の中に降り積もった物が吐き出せたお蔭なのか、尋ねられて脳裏に過ったこれまでの日々を直ぐに纏められ、結論が出せた。

 

「―――確かに逃げていただけなのかも知れない。でも間違いなんかじゃ無いし、決して無意味じゃないと思う。そのお蔭で僕はこの麻帆良で、京都で皆の力に成れたんだから。それにそんな思いでいたら僕の為に仮契約してくれた明日菜さんや刹那さんに木乃香さん、それに巻き込んでしまったのどかさんや夕映さん達。弟子にしてくれた師匠(マスター)…エヴァンジェリンさんや(クー)老師にも失望され……ううん、きっとそれ以上に怒られ、呆れられてしまうだろうから」

 

 そう告げてネギはイリヤを見詰め返す。

 話を聞いてくれた感謝を込め。イリヤにも失望されないようにこれからも変わらず頑張るのだと決意して。

 イリヤもその思いを理解したのだろう。彼女はネギの答えに満足したのか、飛びっきりの笑顔を見せて言った。

 

「うん、そうよ。例え復讐心から手にしたのだとしても、例えそれが自分を誤魔化す為に掲げた願いだったとしても……ネギ、それは誰かの為に成る確かな力で、そしてそれを支え育んだ確かな意思よ。だからこれからも頑張って」

 

 それは先程から見せていた何処か大人びていた優しげな笑顔では無く。外見相応な無邪気で、明るくまるで太陽を思わせる朗らかな笑みで―――ネギは心を覆っていた暗雲を吹き払われ、陽光が差し込んだかのような暖かな感じを覚えていた。

 

 ―――何故か高まった心臓の鼓動が大きく耳を打つのを聞きながら。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ネギに笑顔を向けながらイリヤは内心でホッと安堵の息を吐いていた。

 

(ネギはやっぱり、“ソレ”を―――復讐を選ばないか)

 

 いや、単に真実を知らず、至っていない所為なのかも知れないが……それでも安堵したのは確かだ。

 仮にソレを選んでも協力する気は変わらなかっただろうが、この少年が安易にその道を選ぼうとする素振りを見せなかったのは率直に喜ぶべき事だった。

 

(それを選べば、きっとネギは傷をより深くするだけ……憎悪そのものは消えても、代わりにネギの心に根付くのは罪悪感……負の感情を向ける対象が“誰か”では無く、己自身と成るだけで胸の中に在る闇も晴れることは無い。根が真面目で人が良すぎるくらいに優しいこの子のことだから…多分そう成る。先程見せたように憎しみに駆られるままに誰かを手に掛けたことを罪に思い、きっと生涯に亘って苦しみ続ける)

 

 それが判るからイリヤはネギが復讐心を認めつつも、ソレにのめり込まない姿勢を見せた事に顔を綻ばせたのだ。

 尤も半ば煽るような物言いこそしてしまったが、それはネギが自分の胸の深奥に在るものと確りと向き合い、受け止めて欲しかったからだ。

 しかし一方で、先にも言った通りイリヤは復讐を否定していない。そこにある怒りも憎しみも…そしてその対象に抱く殺意さえもだ。例えソレが過ちで不毛だと、意味の無い空しい行為だと他人が…いや、明日菜や木乃香などの親しい誰か、或いはネギ本人が言ったとしてもイリヤは決してその考えを変える事は無いだろう。

 何故なら、そもそもイリヤは一般的な道徳や倫理、価値観を理解は出来てもそれを必ずしも尊重する必要は無いと認識しているからだ。

 自身の矜持に反しない限り、彼女は必要なら平然とそれを犯す。それが最も罪深いとされる殺人であろうとだ。イリヤの育った環境が―――魔術師的な価値観がそう彼女の在りようを形成していた。

 

(魔術師なんて者は碌で無しの集まりだ…とはよく言ったものよね。ま、今更なんだけど)

 

 そう己の在り方の異質さを改めて理解し呆れてしまう。その事を自覚してもそれを変えようと毛の先程も思わない事を含めて。

 ただそんな自身の在りようの他にもう一つ復讐を肯定する訳が在った。

 それは復讐は必要な行為だという考えだ。

 これも空しいだとか無意味だとか、復讐を否定するときに使われるようなありきたりの言葉ではあるが―――結局の所、それを果たさなければ憎しみが晴れず、それを抱えた人間は何時までもそれに囚われてしまい。過去を乗り越えられないからだ。

 勿論、全てがその限りではないだろうが、それを抱えた大半の人はそうだろう。人間はそれほど強くも無いし簡単に割り切れる生き物では無い。特にネギのような凄惨で重いモノであればあるほど、それを割り切って振り切るのは難しい。

 だからネギは復讐を果たすべきだともイリヤは思っている。それに―――

 

(―――ネギの持つ事情を思えばそうせざるを得ない訳だし…)

 

 とある深刻な事情からイリヤはそう内心で呟く。

 しかしだからといってそれは直接的な手段である必要は無い。

 今はまだネギには言えない事ではあるが、あの事件を引き起こしたのはMM元老院の一部―――といっても大多数を占める主流派―――勢力だ。

 仮にも為政者であり、権力者である以上難しい手段ではあるとは思うが……つまり法を持って彼等を裁くのだ。

 況してやネギ自身の存在とその秘める価値が彼等を追い詰める手札に成り得るという事もある。法という正当な手段をもってネギが元老院を糾弾し、弾劾し、裁きの場に立たせる。

 それがネギに纏わる禍根を断て、ネギの復讐心も晴らせる最良の手段だろう。原作のクルトを真似る積もりは無いのだが、

 

(それでも私は惜しむつもりは無い。何れ事実に行き付き、ネギが望めば…いえ、望まなくとも―――)

 

 そこまで思考を巡らせ―――イリヤは首を横に振った。

 まだ気が早いと感じたのだ。ネギがその答えを知るのはまだ当分先なのだから。にしても―――

 

(―――ネギには悪い事をしているわね。事実を…あの事件の真相と彼の仇を識っているのに私は黙っているんだから……これも今更か)

 

 思わずため息が漏れそうになった。

 復讐そのものに関してどうこうよりも、むしろその事に対してイリヤは罪悪感を覚えた。それに、

 

(昨日も学園長と話している時に思ったけど。漫画…原作という絵空事とはいえ、仮にも未来を知っているというのに……迂闊に明かせず活かし切れないというのは―――)

 

 それが傲慢なのだとしても……歯痒くあり、また―――もっと自分は上手く出来たのではないかと、或いは出来るのではないかと、エヴァや近右衛門にだけでもこの所謂“原作知識”なるそれを明かして置けば、このヘルマンの襲来も……とイリヤは思ってしまう。

 己やアイリというイレギュラーは既に在るものの、原作からのそれ以上の乖離を恐れ、ネギの成長に関わる事だとも考え、今回の事件が起こるのを土壇場まで“見過ごした結果”からイリヤは、そう後悔を抱き、以前からあったジレンマが大きくなっていた。

 

(……覚悟していた筈なのにね)

 

 自嘲するかのようにイリヤは胸の内で呟いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 紅茶に続いて昼食…イリヤ手製のオムライスを御馳走に成り、食事を終えるとネギは早々に工房を後にする事にした。

 長い時間お邪魔するのは、事後処理が片付いていない現状から良くないだろう思ったのもあるが、それと昼食時の歓談もそうだったが、話し込むとどうしても昨日の事件の関する事に及んでしまい。恐らく話せない事もあるのかイリヤは難しげな表情で口籠りがちになり、また自分も―――事件への関心とは別に―――楽しく思えず、歓談とは程遠い雰囲気に成るからだ。

 ただイリヤの方は、可能な限り応じようとそれはそれで構わないという様子だったが……弱音と胸の奥に積み重なった重石を吐き出させて貰ったばかりな事もあって、今はこれ以上彼女の厚意に甘えるのは心苦しかった。

 

「その…今日は本当にありがとうイリヤ」

「さっきからそればっかりね、私は貴方の話を聞いただけで、お礼を言われるような事はしていないっていうのに…」

 

 玄関というか喫茶店であった工房の表に出ると、ネギは見送りの為に同行して来たイリヤにお礼を言い。お礼の言葉を受けた彼女は少し困ったように苦笑した。

 イリヤの言う通りネギはもう何度もありがとう、とお礼を口にしているからだ。

 苦笑を浮かべるイリヤにネギは更に言う。

 

「それでも僕はやっぱり嬉しかったから」

 

 と。照れたように後頭部に掻くような仕草をし、微かに顔を俯かせ、若干頬を赤くしてネギは嬉しそうな笑みを浮かべた。

 すると俯かせた頭にポンッと軽く暖かい物が置かれた。

 

「まあ、良いわ。それでネギ…貴方の気分が晴れたなら私も嬉しいし、話をした甲斐があったと喜べるしね」

 

 感触に思わず目線を上げるとイリヤはそう言い。今日幾度目かの優しげな笑みを見せて、その笑顔に合わせるかのように優しく自分の頭を撫でた。

 以前の南の島で自分の相談に乗って慰めてくれた時と同じ感触にネギは、その時と同じくされるがままその暖かく優しい感触を堪能した。

 ただ―――

 

(イリヤにして見れば、やっぱり僕はまだまだで……子供なんだな)

 

 そう、微かにささくれ立った気持ちと共にそんな言葉が内心で零れていた。

 

 

 

 イリヤに見送られて工房を後にしたネギは、その足で麻帆良でも最も大きい教会―――関東魔法協会本部の方へ向かった。

 昨日の事件に関する報告や事情聴取を受ける為だ。

 数十分程して武蔵麻帆良へと差し掛かり、最大で70mもの高さを持つこの一帯で一際大きく目立つ、白い件の建物が見えて来ると、

 

「ネギ!」

 

 自分を呼ぶ声が後ろ方から聞こえた。

 覚えのある声に振り向き、ネギは予想通りの人物を視界に捉えた。

 

「あ、明日菜さん」

 

 何時もながらの見事な健脚を持って此方の方へ駆けて来る年上の少女にネギは手を振る。

 その間にも彼女は瞬く間に距離を詰めてネギの傍で足を止めた。今歩くこの歩道の長さと彼女の足の速さ、そして声を掛けたタイミングを思うと恐らく50m近くをほぼ全力で駆けた筈なのだが、明日菜は息一つ乱していなかった。

 そんな明日菜にネギは少し感心しつつ、隣を歩き始めた彼女に声を掛けた。

 

「明日菜さんも今からなんですか?」

 

 それは明日菜も昨日の事件について事情聴取を受ける事を意味していた。

 元々一般人であり、自分が巻き込む形で此方に関わらせたことを思うと、それはネギとしては正直眉を顰めたいことではあったが、元という言葉が付くように彼女は既に一般人とは言い難く、一応協会も認めた此方側の関係者だ。

 明日菜にしてもそれなりに覚悟を固め。ネギの処罰が下った後に協会から魔法社会に関わる説明が成されて意を決した以上、こうして生じる義務や責任にネギが口出しできる筈も無い。

 だからネギは未練がましく湧き出る不甲斐無い感情を抑えて尋ねていた。

 明日菜はそんなネギの内心に気付く様子は無く、普段通りに答える。

 

「うん。アンタもそうなんでしょ?」

 

 そう、大して気にしたようでも無く。だがネギが「はい」と頷くと、彼女は少し顰め面を見せて。

 

「しかし、めんどくさい話よね。こうして事情聴取やら報告やら…しかもその後にも報告書とやらも出さないといけないなんて」

 

 授業も休まなきゃ行けなくなったし、もうじきテストもあるのに…とも言いながら明日菜は溜息を零してそう話した。

 そんな明日菜にネギは先程の感情もあってか思わず恐縮して謝る。

 

「す、すみません」

 

 しかし、頭を下げるネギに対して明日菜は首を傾げた。

 

「何であんたが謝るのよ…? って…ああ、別にそういう意味じゃないわよ。ただの愚痴よ、愚痴」

 

 彼女は一瞬不思議そうにしたが、直ぐにネギが感じる必要も無い責任感を覚えているのを理解し、やや呆れながら言葉を続ける。

 

「まったく、らしいっていえばそうなんだろうけど。アンタが責任を感じる必要は無いの。何度も言うけど私はもうトコトン付き合うって決めたんだから、自分の意思でね」

「あ、ハイ。すみません」

 

 ネギは睨まれるように強く見据えられてまたも謝ってしまった。明日菜を侮辱したと今更ながらに思ったからだ。

 明日菜は、懲りずに謝罪を口にするネギに、そこは「判りました」と答えるかただ頷くだけで良いのよ、と言い。それにもまた頭を下げたネギにやはり呆れるも、それ以上はネギに強く言わなかった。

 ただしネギの耳には聞こえない程度で「まったくコイツは…まあ、これはこれでコイツの良い所でもあるんだろうけど、でもこれじゃあ、気軽にさっきのように愚痴やら冗談も言えないわねぇ」とブツブツと呟いていたが。

 聞こえないにしてもその姿を見、呆れているのが判ったネギは反省する。

 

(本当、いい加減にしないと。明日菜さん自身が決めて、僕だってそれを受け入れようって納得したんだから)

 

 南の島で突き付けられた失態とそこで明日菜が告げた言葉。それらを考えて自分の過去も見せ、そして危険があるに関わらず協力してくれると言ってくれた事を思い出し、ネギは未だに悩み迷いを抱える自分を叱咤した。

 それに昨日もあのような目に遭ったというのに、全く臆した素振りを見せないこともある。

 

(いや、それは僕が麻帆良(ここ)へ来た頃からずっと…かな。ほんとスゴイな明日菜さんは)

 

 エヴァとの対決に京都での事件のことも思い出してネギは感嘆し、明日菜の持つ精神的な強さに改めて尊敬を覚えた。同時にそんな彼女に対して水を指すように変に気を回して何時も怒らせ、呆れさせる自分が情けなく思った。

 そうしてまたウジウジと悩んでいたのが顔に出ていたのだろう。ネギの沈んだ表情を見た明日菜が尋ねる。しかし何を勘違い…或いは思い違いをしたのかそれは意外な言葉だった。

 

「……ねえ、もしかしてやっぱり嫌なんじゃない?」

「え?」

「昨日の事件の事を聞かれるのが」

 

 突然の言葉に何の事か判らずキョトンとするネギに、明日菜が続けて言った事はネギにとって本当に意外な言葉だった。

 

「えっと、確かにその…辛い事はありましたから、色々と事情を聞かれるのが怖いって感じもありますけど、そんな嫌って程じゃないですよ」

「へ? そ、そう…」

 

 キョトンとした様子に加え、平然と答えるネギに今度は明日菜が面を喰らったようで意外そうな顔を作った。

 

「で、でもネギ、アンタは今朝もなんか元気無さそうだったし、掛かってきた電話で事情聴取を受けるって聞いた時も辛そうにして無かった?」

「え、あ…それは……気付いていたんですか?」

 

 落ち込んでいたのを気付かれていた事にネギは驚きつつも恥ずかしさを覚え、声をやや尻つぼみにしながらもネギは明日菜の顔を窺う。

 それに明日菜は、何故か顔を赤くしてネギの視線から顔を逸らして言う。

 

「!―――う、そ、そりゃあ、私はアンタのパートナーなんだし、相方を気に掛けるのは…と、当然でしょ! 一応言って置くけど、ミニ…なんとかっていう魔法使いのパートナーとしてであってそれ以上の他意は無いから、そこは勘違いしないでよね!」

 

 本当にネギにとっては何故か判らないが捲くし立てる様に彼女は言った。

 ネギは「は、はあ」と明日菜の様子に訳が分からず、とにかく頷いて気に掛けてくれた事に「ありがとうございます」ととりあえずお礼を言って置いた。

 そのお礼に明日菜はまたも顔を逸らして表情をさらに赤くさせたが、咳払いを一つするとネギに視線を戻した。

 

「コホン…そ、それでアンタ、ホントに平気なの?」

「あ、ハイ。言われた通り今朝は落ち込んではいましたけど、もう大丈夫です」

「ふーん―――」

 

 ネギの返事に明日菜はジッとネギの顔を見詰め、

 

「―――そっか、なら良かったわ」

 

 そう言って、納得したのか彼女は頷いた。

 

「正直、心配だったからさ。昨日の今日で事情聴取だとか言ってアンタの過去に関わる……なんていうか色々な事を尋ねるなんて」

「そうですね。僕もホントの事を言うと少し…いえ、とても不安でした」

 

 明日菜の言葉にネギは素直に同意する。

 彼女の言う通り、事情聴取を行う旨を告げられてネギは不安で一杯だったのだ。あの雪の日に絡んだ昨日の事件のことを尋ねられ、自分は取り乱さずに平静でいられるのか自信が無く。無理だと思っていたから。

 

「やっぱり、そうよね」

「はい、でもイリヤが―――」

 

 うんうん、と頷く明日菜にネギは不安を取り除いてくれたイリヤとの事を口にしようとし―――

 

「ああ、イリヤちゃんの所に行くように言われたんだったわね」

「……」

「ん? どうしたの?」

 

 ―――気付いた。

 そうか、その為でもあったんだ、と。

 学園長が気を回してくれたのかも知れない。けど多分…違う、きっと彼女がそう気遣ってくれたのだろう。

 ネギはそう思った。自分の過去を、記憶を見て、いや……皆に見せた事で自分に精神的な負担が掛かったのを察していて、その負担が消える間も無く発生した事件で自分が大きなショックを受けたのも、それが判ったから事情聴取が行われる前にイリヤは―――

 

「ネギ…!」

「!?―――あ」

「どうしたのよネギ、急にボーっとしちゃって…もしかしてやっぱり―――」

「あ、大丈夫です。ちょっと急に思い付いたことがあって、つい考え込んでしまっただけですから」

 

 心配げに問い詰める明日菜にネギは慌ててそう答えて誤魔化した。

 明日菜はそれでも少し不審そうだったが、ネギが直ぐに笑顔を見せた為、大丈夫なのだろうと感じたらしく追及はしなかった。

 

「それよりも先を急ぎましょう。聴取にどれだけ時間が掛かるか判りません。もしかしたら日が暮れる前に帰れなくなるかも知れませんから」

 

 そう言って元気よく足早に道を歩きだしたのもある。明日菜は首を傾げながらも黙ってネギの後に続いた。

 ネギはそんな明日菜の様子に気付く事無く。教会に続く道を歩いた。

 

 ―――ありがとう、イリヤ。

 

 そう、自分を胸の中の澱みと重石を取り除いてくれた少女の陽光のような笑顔を思い浮かべ、改めて深く感謝して。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ふう…」

 

 工房にある私室でイリヤは溜息を吐いた。

 昨夜はほぼ完徹であった為、少し仮眠を取ろうとベッドに転がったのだが、そこに置きっ放しにしていた書類があった所為で、つい手に取ってまた目を通してしまったのだ。

 それは昨日も見た筈の中途報告書だ。今回の事件で出た被害に付いて主に纏められて記されている。

 

「出来ればネギに知らせたくないわね」

 

 そう思う。

 それでもそう間を置く事も無く、彼も知る事に成るだろう。

 一応、今日話をして此度の事件で疼いた傷の痛みは一時にしろ、鎮静できたとは思う。溜まった膿も吐き出せたし、心の深奥にある闇の深さも灯った光も自覚させられたとも思う。

 けど……事件を引き起こした一端が自分にあると感じている彼がこれを知ったらどう思うか。

 

「……不安ね」

 

 正式な発表は四日後……調査が一段落ついた頃とされているから少なくとも今日は大丈夫だろう。協会も判っている筈だ。無暗にネギを動揺させることは無いと。

 勿論、彼に限らず高音、愛衣の見習いを含め、明日菜や夕映達にも事情聴取が行われる今日明日に通達はされない。

 

「まあ、結局は先延ばしで何の解決にも成らないんだけど…」

 

 イリヤは憂鬱げにそう呟いた。

 この結果がどう後に…ネギ達に影響を及ぼすのか?

 イリヤはそれを考える度に“万全を尽くさなかった己”に対して悔いが大きくなるのを感じて――――目を閉じた。

 今は眠ろうと、寝不足気味の頭で考えても碌な事に成らないと……半ば逃避気味に―――逃げようなんていう積もりも無いし、目を逸らす積りも無いけど、と。

 頭の隅でそんな無意味な思考をしながらイリヤは眠りに付いた。

 

 

 眠りに付き、イリヤの手から書類が零れ落ちる。ベッドの上と床へ散乱した数枚の書類。そのうちの一枚…彼女の目を通した個所にはこう書かれている。

 

 ―――重傷者18名…の内、意識不明のまま昏睡状態であるのが5名。更にその内、回復の見込みが無いのが3名。

 ―――戦闘最中に於ける殉職者7名。重傷を負い治療が間に合わず殉職した者が2名。

 

 と。

 

 

 麻帆良を覆っていた暗雲は確かに晴れ、陽光が差し込んだ。

 しかし強く降り注いだ雨水は深く地に染み込み、乾き切らず、空を漂う雲の行き先も未だ定かでは無かった。

 

 




 精神科医イリヤな話。
 原作では事件後、五月が少し担った所をイリヤが思いっ切り踏み込んだ感じになってます。
 お姉ちゃんな所も全面に出ている感じです。


 尤もそのイリヤ自身は、事件のことで色々と思い悩んでいるのですが…。


 次回は幕間です。久しぶりにアイリの出番です。以前の時と同様、事件の舞台裏が描かれます。


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幕間4―――暗雲を招いた者達

 

 

 埼玉県某市の外れに建つマンションの一室に彼女達は居た。

 そこは彼女達…ひいては“完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)”が、この日本に用意した数あるセーフハウスの一つである。

 

「すぅー…はぁー」

 

 ベランダに佇み、外の景色を堪能ながら彼女は大きく深呼吸した。

 隣接する建物が無く、小高い丘に上に建つ物件であるお蔭でベランダからは町の一角が広く見渡せた。

 この場所は、郊外付近という事もあって見える一帯は都市部のような人工的な灰色の光景では無く、民家などの小さな建物が点々と疎らに在るだけで活気に欠け、だからと言って緑豊かでも無い。何処か閑散とした風景なのだが……彼女はそれに何とも情緒的なものを覚えた。

 緑溢れる自然の雄大さも無く。整然と建造物が群を成して並ぶ圧倒感も無い。自然を侵そうとしながらも侵し切れない半端なヒトの手の入りにノスタルジーを感じたのだ。

 

「ふふ…」

 

 可笑しなことだと思った。

 自分は元々田舎…というか、自らの一族以外はヒトが住まない僻地の出であり。自然を切り開き、土地を開拓して近代的な文明や都市を築いた人々とは程遠い存在である筈なのに……まるでそれら開拓者か、その子孫のような感慨を抱くのが不思議だった。

 そんな事を思いつつ深呼吸を続け、早朝の新鮮な空気を取り入れる。

 人工物が少ない都市の外縁部だとはいえ、やはり人が住まう領域である以上、汚れの―――比較的にだが―――無い空気を味わえるのはこの時間帯だけなのだ。

 先も述べたが彼女は本来、未開とも言える僻地のヒトであり、この4年間の大半も魔法世界の僻地で隠れ暮らした彼女にとって、二ヶ月近い間、空気の汚れた都市部で過ごすのはそれなりにストレスなのだ。

 その為、それを緩和する意味でもこうして早朝の新鮮な空気を吸うのが半ば彼女の日課と成っていた。

 ただ麻帆良同様、この街も昨日雨が降っていた所為か、今朝の空気は若干湿り気があり、特有の匂いもあったが……それはそれで味わいがあるので彼女は十分に新鮮な空気を楽しむ事が出来た。

 

「―――ふう」

 

 そうして最後に肺からより大きく息を吸って吐き出すと、彼女は一度かぶりを大きく振って一帯を睥睨し、やや注意深く視線を巡らせてから部屋へ戻った。

 窓を閉めて続けて白いレースのカーテンも閉じ、外からの眼の入りを閉ざすと彼女は掛けていた伊達メガネ―――認識阻害の魔術の掛かったソレを外し、長く伸びた銀の髪を結い上げている同様の効果を持つ髪留めも取り外した。

 

「……ん?」

 

 ふと気配を感じて振り向き、リビングを見渡すと、二十代半ばに差し掛かった頃合いの女性が部屋の中央にあるソファーに腰を掛けていた。

 胸元を大きく肌蹴させ、裾にスリットが入っている着物を大体にアレンジしたような和装を纏っており、その容姿は悪くなく。整った顔立ちを持つ形の良い頭部には長く伸ばした艶やかな黒髪を飾っており、首から下もバランスのとれた女性らしい体付きをしているのが衣服の上からも見て取れ……まあ、美人と言えた。というのも銀の髪を持つ彼女と比較すると幾分も見劣りし、引き立て役にしかならないからなのだが。

 

「チグサ、おはよう。眼を覚ましたのね。もう少し時間が掛かると思っていのだけど…」

「…アイリはんのお蔭さまでな、おおきに」

 

 銀の髪を持つ彼女こと…アイリスフィールの挨拶と言葉に、チグサ―――天ヶ崎 千草は返事をしたが、その態度はどこか刺々しく、口調も皮肉気だった。

 実際、彼女はつい一昨日まで京都の一件に於ける処罰によって牢獄に幽閉されていた為、アイリと付き合いと呼べるものは殆ど無く、信頼関係は皆無であった。そもそも千草がそうなった経緯と原因の一端はアイリを含めた彼等……“完全なる世界”にあるのだ。

 アイリは彼女の不遜な態度に軽く溜息を吐くが、その理由が判るので嗜めることも追及もせず、

 

「何か食べる? 簡単なものなら直ぐに用意できるけど」

 

 未だ疲労が色濃い千草を気遣ってそう尋ねた。

 千草はそれをどう受け取ったのか、或いはどう反応して良いのか判らなかったのか。微かに眉を寄せるだけで何も言わずただ無言で頷いた。それを見、アイリは朝食の準備に取り掛かった。

 

 

 

 アイリが用意したのはトーストの他、トマトとレタスを中心にしたサラダ、白身魚のムニエルにコーンスープといった洋食だった。

 その内容に更に眉を寄せて一瞬不満そうな表情を覗かせた千草であったが、疲労に伴う空腹が強かったのか、それとも気遣って作って貰った為なのか。彼女は不平も文句も口にせず、手を合わせて合掌するとアイリの用意した朝食に黙って箸を付けた。

 そんな彼女の様子にアイリは内心で苦笑する。不満そうな表情を見せながらもそれでも文句一つ言わず、それどころか食事を用意した自分に感謝めいた感情を向けたのが何となく判り、その有り様が如何にも日本人らしい謙虚さに思えたのだ。またつい洋食にしてしまった自分への反省もあったが……。

 

「ごちそうさまでした」

「食後はコーヒーで良いかしら?」

 

 朝食を終えると先の反省からアイリは千草に食後の一服の確認を取ると、千草は構わないらしく今度は不満を覗かせる事も無く鷹揚に頷いた。単に洋食の後だからそちらの方が良いと思って妥協しただけなのかも知れないが。

 そしてコーヒーを用意し、その味と香りを楽しみつつ、アイリは千草の気分が和らいだのを見計らって話しかけた。

 

「身体の調子はどう? 疲労が抜けていないのは判るけど、他に何か異常はないかしら?」

「……まあ、疲れとる以外はこれと言ってないなぁ。…いや、ちょっと頭が重いか?」

 

 千草は一瞬躊躇したようだがアイリの問い掛けに素直に応じ、確かめるかのように自分の額へ手を当てた。

 アイリはそんな彼女を注意深く見詰め、

 

「あと熱もあるみたいね」

 

 と、僅かながら千草の頬が赤くなっている事に気付く。

 昨日、仕事を終えた直後に気を失い倒れた事といい。やはり負担が大きかったのだろう。もう2、3日は此処で安静にし、回復に努める必要がある。まあ、それでも―――

 

「この程度で済んで良かったわ」

「……」

 

 アイリは安堵するかのように笑みを浮かべ。千草は押し黙った。

 

 

 

 千草はテーブル越しに目の前に座る女神の如き美貌を持つ銀髪の美女を見詰めながら考え、思い耽った。

 関西呪術協会に属していた天ヶ崎 千草は、先にもある通り京都で起きた事件―――近衛 木乃香誘拐並び本山襲撃に関与…或いは主導した罪により処罰され、西日本の某所…日本海の何処かに浮かぶ孤島の牢獄へと文字通り島流しにされていた。

 同様に処罰を受け、京都近郊にある施設へ放り込まれた犬上 小太郎とは比べようも無い明らかに悪い扱いだが、それも当然だろう。

 何しろ根無し草の彼とは違い、千草は呪術協会の正式な一員だ。そんな彼女が木乃香という重要人物を浚い。利用を目論み、西を混乱に陥れたどころか東への侵攻をまで画策していたなどと、れっきとしたテロ…体制に対する反逆行為を自らの明確な意思で実行したのだ。

 例え裏で“完全なる世界”が手を引いていたのだとしてもそれは変わらない。千草が東を、魔法協会を、本国ことメガロメセンブリアを憎んで復讐を企んだのは確かな彼女自身の意思によるものなのだから。

 

(けど…ウチは、今こうしてのんびりとコーヒーを啜って居られる。このアイリという女とあの白髪の小僧のお蔭で……)

 

 そうは思っても……しかし、あの大戦を引き起こした元凶が“完全なる世界”である事は、勿論、千草も知っているし、目の前の西洋人の女やあのフェイトという白髪の小僧がその一員である事も判っている。

 彼等も東や“本国”と同じく両親を奪った憎い仇なのだと……だが、

 

(くそっ!)

 

 内心で口汚く罵る。

 フェイトは言った。あらゆる力が剥奪され、封じられる牢に閉じ込められた自分に、

 

『じゃあ、貴女はこのまま、一生をそこで過ごし、ただ老いて朽ちて行く事だけに成るね』

 

 そう、協力を求める彼を反射的に拒否した直後、千草はそう告げられた。

 両親を死に追い遣った発端を担い。自分をも利用した組織の人間を前にしてカッとなっていた千草はその言葉に冷静ならざるを得なかった。

 何故なら、それは紛れも無い事実だからだ。

 アレだけの騒ぎを引き起こし、西の本山を危機に陥れ、西のみならず東…引いてはこの日本に於ける極めて重要な人物に対して不敬では済まない真似をし、重罪人と成った自分はまず間違いなく二度と日の目を見ることは無い。

 東への恨みからと同情の声も無くは無かったが、それでも許されず―――特に木乃香の件については穏健、過激派共に激怒させたという事もあり―――酌量の余地は一切無しとして裁かれた。

 故に千草に選択肢は無かった。

 彼の差し出す手を取らなければ告げられた通り、自分は残された人生の全てを冷たい牢獄の中で過ごし、孤独に誰にも知られぬまま老いて朽ちる事に成る。

 

(…っ! そんなん耐えられるか! 何の意味も無く、ただ年老いて人生を終えるやなんて納得できる訳ないやろ!!)

 

 再び内心で罵った。冷たく自分を見据えて冷酷な事実を告げたフェイトを前にした時に抱いたものと同じ言葉で。

 そして千草は彼に協力を誓い。決して裏切らないように、逃げられないように強制証文(ギアスペーパー)による契約という名の枷を嵌められ―――今に至った。

 正直に言えば、本当にそうするしかなかったのか? という思いもある。可能性は低いがほとぼりが冷めれば贖罪の機会が与えられたかも知れない。

 罪を犯したとはいえど、それまでは西の一員として真っ当に職務に励んでいたのだ。人手不足、人材不足な今の協会の現状を考慮すれば在り得なくは―――

 

(……いや、それはあらへんな。木乃香お嬢様を狙い。傀儡にまで仕立てようとしたんや。仮にあったとしてもお嬢様や西へ忠誠を示す為に十中八九、ウチの力量では達成困難、生還がほぼ不可能な任務が与えられる筈や。それに例えそれを乗り越えられたとしても、その後もきつい任務ばかり回され。実質、捨て駒と変わりない扱いになる)

 

 千草は已む無くとはいえ、あの“完全なる世界”に協力する事を選んだ後悔からか、ふと浮かんだ都合の良い考えを直ぐそう放棄した。

 そう言った意味では、もしかするとマシなのかも知れない。強制証文での契約の際、せめてもの抵抗にと、対等の仲間として捨て駒として決して扱わないように申し出て、白髪の小僧(フェイト)は―――意外な事にあっさりと―――それを受け入れたのだから。

 

 

 

「―――対策を取って置いたのが上手く功を奏したようね」

 

 思い耽る千草の前でアイリスフィールという白人の女性が先程の言葉に続けてそう言った。

 その言葉に千草は意識を思考の淵からアイリへ移した。

 

「…の割には、随分ときつかったんやけど」

 

 と言い。千草は首に掛かるペンダントを始め、両手首と両手の人差し指、中指、そして髪留めなどの身体の各所に身に付けていたアクセサリー…銀の光沢を持つアミュレットを思い浮かべた。

 目の前の白き女性と契約を交わし、魔力供給を受ける事と成った際に渡された未知の術式によって作られた護符。彼女自身が制作したというそれは千草の身を確かに守ったのだろう。

 しかし―――

 

「訳判らんわ、あんなきっつい呪いを帯びた魔力を持つやなんて、一体何なんや? アンタはそれを持って何で平気なん」

 

 それは当然の疑問だった。

 今回、千草は彼女の力を借り、その膨大な魔力に任せて幽世(かくりよ)から呼べる限りの鬼やら烏族やら妖狐やらの異形の軍勢を召喚した。

 その今までにない。かつて木乃香お嬢様から借り受けた時以上の力の奔流と術の行使に千草は酔いしれ、限りない高揚を覚えた。

 だが同時に身を焼き焦がす…或いは熱く溶解させられるような苦痛が身体の内深くから奔り、召喚した軍勢も身悶えすると同時に身を黒く染め、異様な変貌を起こした。

 苦痛と共に精神を苛む正に猛毒や麻薬としか言いようがない魔力……千草がそれに耐えられたのは、アミュレットの効果と事前にそうなるとだろうという話を聞いていたからだ。

 尤も聞いた時は、アイリの持つ風貌と穏やかな雰囲気から大げさだと話半分程度に受け取っていたのだが、こうして体験し実感した以上は認識を改め、尋ねずには居られない。

 

「それにバーサーカーやら、ランサーやら、とんでもない化け物までアンタは使役してる。ほんま何もんなんや?」

 

 

 

 千草の訝しんだ視線と問い掛けを受け、アイリは僅かに考えるかのように瞼を閉じ……そうして間を置いてから千草に答えた。

 

「……“アイリスフィール”は“魔術師”よ。確かにあなたが知る“魔法使い”とは違うし、生まれも特殊だけど、そう大した力は無いわ。ただ“今の私”はとある儀式の結果、強大な力を持つ彼等を使役できるようになり、膨大な魔力持つ代わりに呪いをも持っている。そういった存在―――としか言えないわね」

 

 結局、アイリは千草の疑問に答えなかった。

 それはフェイト達も対しても同じだった。彼等に拾われ、世話に成っている恩もある。そして自らの持つ呪いに不審を抱いている事も分かっている。けれどアイリはアンリマユ(じぶん)の正体を明かす積もりは無い。

 だから並行世界からの来訪者であり、彼等にとって未知の神秘を扱える以上の事は詳しく話してはいない。サーヴァントに関しても聖杯戦争の事は伏せてある。

 ある儀式によって召喚された神話や伝承に名を刻んだ過去に存在した英雄達だとしか説明していない。

 ただデュナミスは高い興味を示し、非常に詳細に聞きたそうにしていたが、“第三法(まほう)”に至らず足も掛かっていないこの世界では英霊の召喚は不可能だと言うと、これといって問い詰める事も無く、何か納得した様子で諦めた表情を見せていた。

 

「…さよか」

 

 千草もまたアイリに答える気が無い。もしくは答えたくない事なのだと察したらしく、短くそう呟くとアイリから視線を逸らしてレースのカーテン越しに見える窓の風景へ顔を向けた。

 アイリは彼女の横顔を見詰め、その心情を推し計りつつ今度は自分が問い掛けた。

 

「それはそうと、チグサ。召喚したあの鬼達を上手く御せなかったようだけど、やっぱり負担が大きかったせいかしら?」

 

 そう言うのは、麻帆良に少なくない数の死者を出してしまったからだ。

 先の京都の一件の影響で“完全なる世界”は、当初あった計画を修正せざる得なくなっており、その一環として麻帆良への被害は極力抑えるようにと方針を切り替えていた―――その筈なのだが、

 

「凡そ十人前後。…確認出来た範囲でそれだけの被害が出てる。勿論、鬼達にまで私の魔力(のろい)の影響が出たのは予想外だったし、貴方自身にも影響はあったとは思う。けど―――」

 

 けど―――そう言葉を切ってアイリは千草を凝視する。

 千草はその視線に動じず、窓の方へ顔向けたままで一見すると平然としているかのように思えたが、アイリの眼を誤魔化す事は出来なかった。

 目の前の呪符使いの表情は微かに強張っており、動悸が高まったのか微かに呼吸が乱れているのが見て取れた。

 アイリは軽く溜息を吐いた。その様子を見るに答えは明白だからだ。

 千草は東に恨みを持っている。つまりあの被害は彼女の私情によって齎されたもの。

 無論、アイリが言うように“この世すべて悪(アンリマユ)”の呪いの影響で鬼達までもが黒化を起し、彼女の恨みや憎悪といった負の感情が増幅され、焚き付けられた所為もあるだろう。

 しかしそれでも抑える事は可能だった筈だ。その為のアミュレットであり、可能な限りの“濾過”でもあったのだ。けれど、まあ―――

 

「―――ふう…まあ、いいわ。私も人の事は言えないしね」

 

 京都でキャスターを抑えられなかった自身の失態を思い出して追及を止めた。

 それに千草にとってみればその京都の件以来ずっと不本意な状況に置かれている。況してや仇である組織に身を置く事に成り、その上、同じく仇だと思い込んでいる東の本丸である麻帆良を目の前にしたのだ。

 それを思えば、責めるのは酷に思えた。とはいえ…

 

「…でも、今後は注意して」

 

 一応そう注意して置いた。

 彼女には今後も自分達に協力してもらう積りだ。足を引っ張る真似はこれ以上して欲しくは無い。

 千草は、恐らく経験が不足している所為なのだろうが。判断力や精神面に未熟な所こそ見えるも、呪符使いとしては一流の域に手が届いている。木乃香や自分の魔力の提供があったとはいえ、数百体の鬼を召喚し従えられる事からもそれは確かだ。そんな彼女の加入は人員不足の今の“完全なる世界”にとって得難いものだ。

 だからこそ千草には気を付けて欲しいと思う。強制証文の縛りこそ在れど、余り此方の意を沿わない行動を繰り返すようであれば、切り捨てざるを得なくなるのだから。

 やや厳しい視線で注意するアイリに千草は振り向き、口を開き掛けて一瞬何か言いたそうにしたが―――アイリの険の籠った視線を受けて口を閉じ、俯いて大人しく頷いた。

 気丈にも平静を取り繕おうとしているようだったが、今度はアイリでなくとも誰にでもハッキリとした狼狽が窺えるほど表情が硬くなっていた。

 そこにあるのは明らかな怯え…恐怖だ。

 それは千草がアイリの事を訪ねた時…いや、リビングで彼女を目にした時から何処となく感じていたものだ。

 

(当然と言えば当然よね)

 

 裏社会に於いて悪名高いあの“完全なる世界”の仲間であり、膨大な魔力と共に強大な呪いを身に宿し、圧倒的な力を持つ英霊(かいぶつ)を何体も使役しているのだ。

 人並みならぬ技と力を持ち一流に手が掛かっている呪符使いと言えど、人外とは言えないまだ人の領域にある千草にとって、アイリスフィールというのは得体の知れない恐ろしい存在(かいぶつ)でしかない。

 勿論、味方であるという事も理解しているだろうが、付き合いが皆無の現状。そんなものは抱く疑念と恐怖を振り払うには微々たるものだろう。

 

 千草の自分に対する恐れを敏感に感じ、アイリはまた溜息を吐きそうな思いを抱いたが、魔法世界に残った自分を慕う少女達も出会った頃はこのような感じであったこと思い出し、

 

(これも時間が解決してくれるかしらね。怯えられても嫌悪されている訳じゃあ無さそうだし…)

 

 そう、取り敢えず前向きに結論付け、千草との事はこれ以上考えないようにして、気持ちを切り替える為に手元のカップを口元へ運び、コーヒーを味わおうとした途端―――レイラインを通じて呼びかけるものを覚えた。

 アイリは視線を湯気が立つカップから逸らし、正面の千草から右側の奥……日当たりの悪い、影掛かった部屋隅へと向けた。

 すると部屋の片隅……暗い影から浮き出る様にしてソレが現われた。

 影の暗さに身を潜めるかのような黒い肌を持ち、同様に黒い装束を纏い。しかし相反して…いや、敢えて際立たせ、誇示するかのような不気味な白い髑髏の面を被った異装の女性。

 それは、アイリが使役するアサシンと呼ばれる英霊。とある暗殺教団の長に受け継がれる山の翁とも言われるハサンの名を襲名した一人だ。ただ彼女ないし彼は生前、多重人格であったが故に魂が分割され、個にして群たる英霊―――尤もハサンは正確にはそこまで高次の存在に昇華されていないのだが―――として存在している。

 この女性の個体はその分割した魂……群体の統率者的な立ち位置にある。

 アイリは表情の見えない彼女を見詰めると、アサシンは無言であったがその意を理解したかのようにアイリの視線に頷き返した。

 千草は、背後に位置しているので突如出現したアサシンに気付いておらず、俯いたままテーブルの上にある自分のコーヒーカップをぼんやりと見つめていた。アイリにしても敢えて口にする必要は覚えず、アサシンに姿を消すように視線で命じると千草に告げた。

 

「彼が来たわ」

「へっ!?」

 

 何の脈絡も無く告げた為に千草は眼を瞬かせて顔を驚かせた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ご苦労様。アイリ、千草さん」

 

 アイリが脈絡のない言葉を発してから数分後、部屋にはアイリと千草に加えてもう一人…白髪が特徴的な幼い少年―――フェイトの姿があった。

 言うまでも無い事ではあるが、彼は今回の作戦に直接参加してはいない。では何をしていたかと言うと。

 彼は、千草と小太郎を西の監視下から解放した後、そのまま西を転々とし、東との和解に向けた動きがどのように今の西に影響しているのか、その情勢を密かに探り続け、また今回引き起こした騒動での西と東…双方の動向をアイリと別行動を取ることでより広い範囲で観察し、情報の収集と分析に当たっていたのだった。

 なお、この消極的とも言える行動には、前回の騒動におけるフェイトの失態により自分達―――“完全なる世界”が今もなお健在であり、今尚暗躍している事実が知られた事が大きく影響していた。

 

 そう、残党と化した“完全なる世界”の統率者(リーダー)という立場に―――不本意であっただろうが―――現在あるデュナミスは、協力者とはいえ、あくまでも外来の人間にすぎないアイリはともかく、フェイトという最も信用できる手札を“アジア圏最強の魔法使い”が居座る麻帆良に投入し、万一にも損失する訳にはいかなかったのである。

 

「フェイトもご苦労様」

 

 フェイトの労いの言葉にアイリは笑顔で答え、千草は黙ったままフェイトをややきつい視線で睨んでいた。

 そんな正反対な態度の二人を前にし……アイリは兎も角、千草の視線をも気にしていないのか、フェイトは何時もの感情の見えない表情でアイリが用意したコーヒーを啜った。

 

「……」

 

 口には出さなかったが、アイリはフェイトの口元が微かに緩んだのを見逃さなかった。

 隣に席を移り、同様にフェイトと対面している千草が気付かない程度の本当に微かなものだったが、アイリは彼が自分の入れたコーヒーに合格点を出したのを理解し、嬉しく感じていた。

 

(シオリに学んで苦労した甲斐があったわね)

 

 と。アイリは内心で呟いて妹分兼娘代わりである少女達の一人に感謝した。

 そうしてフェイトがコーヒーを堪能するのを見、彼のカップが空に成ると、

 

「報告の方はアサシンの一人から一応受け取っている訳だけど……改めて今回の件を聞かせて貰えるかな」

 

 フェイトはそうアイリに尋ねた。

 改めてそのようにフェイトが報告を求めるのは、自分達の存在が明るみに成り、警戒が強まった所為で念話などを通じた通信や情報伝達を迂闊に行えなかったからだ。もし警戒厳と成っている今のこの日本で不審な魔力波はないし霊波を飛ばせば即探知され、両協会に捕捉されかねないのだ。

 そういった厄介な事情もあり、別行動を取っていたフェイトへの連絡は報告書…というか手紙という形でアサシンを使いに出して簡潔に行っていた。

 フェイトの静かな問い掛けにアイリは浮かべていた笑みを潜め、意識を切り替えると表情も引き締める。

 

「そうね。……手紙の方でも伝えたけど、取り敢えず結果から言えば目的はほぼ達した…と言って良いと思う。“姫巫女”の存在に“英雄の息子”の潜在能力……脅威度の確認。そのネギって子の無力化は失敗したけど、それはあの悪魔の力に制約を課した事から、まあ…予想されていた訳だし。麻帆良にある戦力の方は貴方達の分析頼りなんだけど―――」

 

 そう、結果から入るアイリの報告にフェイトは耳を傾ける。

 

 アイリの言う通り今回の一件での主な目的は、彼等―――“完全なる世界”の最終的な目的達成に必要不可欠な(かなめ)……“黄昏の姫巫女”の存在の確証と、天敵であった“赤き翼(アラルブラ)”の中心人物……ナギ・スプリングフィールドの息子の脅威度の測定とその無力化であった。

 

 黄昏の姫巫女については、 “赤き翼”との関係や彼等と行動を共にしていた経緯もあり、兼ねてから件の英雄御一行様の一人であるタカミチ・T・高畑が身を落ち着けた麻帆良に在ると目星を付けていた。

 無論、同様に青山…もとい近衛 詠春が長を務める呪術協会や、消息は不明だが、生存が確定しているJ・ラカンの下に匿われている可能性もあったが、最後に姫巫女を捕捉した時、共に行動していたのがガトウ・K・ヴァンデンバーグとタカミチで在る事は判っていた。

 

 しかしその直後、それまでの幾度に渡る天敵らとの戦闘によって疲弊していた“完全なる世界”は、メガロメセンブリアとヘラス帝国が有する特殊部隊などの諸々から執拗な追跡と攻勢を受け、現実世界は愚か魔法世界での活動も厳しくなり、更に数年後には止めとばかりに“悠久の風”に加わったタカミチの徹底した追撃が加わり。事実上壊滅状態に追い込まれ、麻帆良へ手を出す余裕を完全に失ってしまい。昨今まで動く事が出来なかったのである。

 

 尤も昨今活動を再開したとはいえ、その悪名の高さ故にほとぼりが冷めることは未だ無く。大々的に動く事も組織力を回復させる事も不可能に近い事もあり、今後も“死んだふり”を続けて地下深く暗躍する積もりであったのだが―――それも京都での計画の失敗により、己らの存在が明らかに成った現在では難しくなっていた。

 ただ怪我の功名というべきか、その一件のお蔭で―――そう、まさかあのような突発的な計画の中で姫巫女らしき人物……神楽坂 明日菜を見出すという思わぬ僥倖を得られたのも事実だった。

 勿論、その時点では例のアミュレットも在って確証は得られなかったが、麻帆良に在る可能性が高いと踏んでいた事や容姿が近い事から限りなくクロだと思われた。

 

 そして今回、その確証を得る事を始め、様々な目的を含んだ本作戦を実行し……結果、神楽坂 明日菜が姫巫女である事が確定した。

 ただし目的の一つであったネギ・スプリングフィールドの無力化の失敗は想定の範囲内とはいえ、天敵の息子である彼の健在は“完全なる世界”としてはやはり残念な事であった。況してや秘める潜在能力が判明し、京都でフェイトに一撃を入れたのはまぐれで無かったという事なのだから尚更だろう。

 『蛙の子は蛙』もとい『鳶の子は鷹にならず』もとい…“鷹の子はやはり鷹だった”というべきか、最終目的の達成と“彼”の復活を大きく阻む危険性が高く、注意すべき事である。

 またもう一つ……厄介な事に今回も急遽作戦を―――本来なら学祭時期を狙って行なう筈だった計画を繰り上げて―――実行した所為か、思わぬ事態が生じ、小太郎が裏切った事によりヘルマンが麻帆良に捕獲され、情勢を変化させうる不確定要素が生まれてしまったのも大きく留意すべき事であった。

 

 フェイトはアイリの報告の耳にし。黄昏の姫巫女を特定したという成果に自分の目利きが間違ってなかったという満足感を覚え、注意すべきだとしてもネギが無力化しなかった事実に高揚を感じ、留意すべき不確定要素にどう対応すべきかに思考を割いていた。

 そうしてアイリの報告が一通り終えると、ご苦労様と改めて彼女を労い、千草に視線を向けた。

 

「思った以上の損害を与えてしまったのは、残念だったけど。まあ、仕方が無いね。コレはこちらのミスだけという話では無いだろうし、千草さんもアイリとの契約直後での初めての呪術行使な訳だからね」

 

 麻帆良に死人が出たのは、戦闘である以上当然そう言った結果は付きまとう事であり、麻帆良の魔法使い達の運や判断の善し悪しもあるから仕方ないとフェイトは言外で言いつつ、アイリと同じく視線で釘を刺すかのように問題のある呪符使いに目を向ける。

 千草はフェイトの視線に顔を怯ませたが、アイリの時のように大人しく頷かず……恐らく京都の件もあって含む感情が強かったのだろう。すぐさま怯みを隠すと反感を込めた視線を返し、挑発的な口調で小馬鹿にするように言葉を発した。

 

「フン…にしても、えらく回りくどい、面倒なやり方やな。“姫巫女”ゆーのが重要なもんならあのまま浚ってしまえばええのに。今だってこうして逃げられ、隠れられとる、変に気をまわし過ぎや」

 

 千草にして見ればそれは小さくない疑問であり、慎重過ぎると感じる事だった。

 彼女の言葉にある通り、“完全なる世界”は、自分達の再起が知られた事から姫巫女の奪取を延期していた。

 何故なら迂闊に姫巫女を奪取してしまうと、“完全なる世界”は身を隠す直前と同様、多くの組織から執拗な追跡を受けかねず、悪ければ今度こそ壊滅し、良くても追跡を躱すのに精一杯となり、計画達成どころでなくなる可能性が高いと考えられたのだ。

 もしこれが己らの存在が発覚する以前であれば、麻帆良に対しては“本国”などの仕業に見せかける事も出来、互いに争わせるように仕向ける事も可能だっただろう。

 ……しかし、知られた今と成れば、まず間違いなく筆頭候補として麻帆良は自分達に疑惑の目を向ける。

 無論、“本国”の方へも向けるだろうが、疑惑を向けられた“本国”にしても事が明らかになり、事態を把握すれば、麻帆良―――“人間界・日本支部”が姫巫女の存在を秘匿していた事を追及する以上に、筆頭候補である自分達の警戒と追跡へまず間違いなく力を入れる。

 

 そうなると後の祭りだ。姫巫女の存在とその価値を知る様々な組織、国家が自分達を目標したフォックスハンティングに乗り出す。

 恐らく麻帆良を始め、比較的真っ当な思考を持つMM元老院の良識者による派閥やヘラス帝国の第3王女を筆頭とした勢力が水面下で手を組み、各国と共闘という形に誘導するだろう。

 何しろ“完全なる世界”の最終目的―――その行為の行方は自らの住まう世界の“崩壊”だ。その危険性…危機感と恐怖を煽り利用すれば状況をコントロールするのはそう難しい事では無い。

 

 千草にはそれらを含め、姫巫女を今手中に収めるのは危険だと一応説明してあるのだが、彼女はその辺の機微がどうも判らないらしい。京都の件にしても多少は煽ったとはいえ、彼女の行動と思考はどうも楽観的と言うか安直であった。

 今も、逃げ切れさえすれば良い。さっさと計画とやらを進めてしまえば此方のもの、と。どうも安易に考えているようなのだ。

 アイリとフェイトは溜息を吐きたい思いに駆られる。それが出来るのであれば苦労はしないと。

 両世界の殆どを敵に回し、自分達に対する監視と警戒網が引かれる中で出来る訳が無い。幾ら我が“完全なる世界”が情報工作が得意なのだとしても限界はあるし、その手の長さも最盛期とは比べようも無いほど短いのだ。

 だからこそ脅威度を低く見せ、小規模な残党という不名誉に甘んじて敵に侮らせ、決して多くの耳目を集めぬように状況を整え、そして機を定めて一挙に計画を達成しなくてはならない。

 

「千草さん。油断は禁物だよ。自己過大に評価し、敵を侮れば痛い目に見ることになる」

「そうよ、貴女も京都で身を持って体験しているでしょう?」

「う…」

 

 厳しい視線を向けて告げる二人の言葉に思い当たる事があり過ぎる千草は思わず呻いた。

 まったくもって事実だからだ。

 京都の事件で自分の力を過信し、ネギを子供と侮り、刹那を見習い剣士と嘲り、油断して痛い目に遭った。

 それを思い出した為か、千草は肩を沈ませ。それを見たアイリも肩を竦ませた。

 

「ま、これもチグサの事は言えないんだけど…」

「……京都の件に関しては僕も人の事は言えないけど―――アイリのは、やっぱりあの子の事かい?」

 

 フェイトの問い掛けにアイリが首肯する。

 

「ええ、まさかあのバーサーカーを退けるなんて、少しあの(イリヤ)の事を甘く見ていたわ。まさに油断大敵よね」

 

 少し悔しげな表情を見せるもののアイリは、前回同様何処か楽しげに嬉しそうに言った。

 相変わらずフェイトには理解し難い事である―――が、そう感じると共に彼の脳裏に自分の顔に拳を打ち込んだ赤毛の少年の姿が浮かび、同じく腹へ重い一撃を入れた件の白い少女の顔が何故か過ぎり、アイリの抱くものとは違うと思いつつ、何と無く彼女の抱く感情が理解できた気がした。

 しかし、理解できたとして―――気付かぬ内に高揚感が湧いたとして―――も、ネギの無力化の失敗と同じく…いや、それ以上にアイリの娘の確保失敗は大きな痛手であり、予定外な事態だ。とても喜べるものでは無かった。

 あの少女が有する戦力は勿論のこと、少女が秘める“魔術”なる異世界の技術体系が麻帆良で活かされている現状は……そしてそれらが麻帆良の枠を超えて広まる可能性は無視できない事だ。

 

「……」

 

 それを判っているのだろか? と。フェイトは若干訝しみながら悔しそうでありながらも口元に笑みを浮かべるアイリの顔を見詰めた。

 その視線に気付いたのだろう。アイリは訝しげな彼を安心させるかのように言う。

 

「大丈夫よ。あの子の考えが変わらず、次もおいたをするようなら親として私が確りと躾けるから」

 

 楽しげな笑みは潜まり、アイリは腕を組むと真面目な表情を見せた。

 そして千草の方に視線を一瞬送り、

 

「それに、私達―――“アインツベルンの技術”の方も、イリヤも多くに識られる事は快く思ってはいない筈だし、今の状況を見る限り、麻帆良の上役も慎重に扱っているみたいだから、少なくともアミュレットや関連する“技術”が外に出回る心配は無いと思う」

 

 既に知るフェイト達は兎も角、余り“魔術”に言及したくない思惑もあって千草に悟られないようにアイリは遠回しにフェイトにそう言葉を続けた。

 それらアイリの言葉を受け、フェイトは訝しげな視線こそ収めたが…軽く溜息を吐き。今度は眉を寄せ…微かではあるが鉄面皮な彼にしては珍しい渋面を作った。

 

「…気楽に言うね。アイリの力を疑う訳じゃないけど、でも事実バーサーカーは敗れて、君の娘は京都の時とはまた別の力を見せている。言うほど簡単に行くかな? “技術”の方にしてもそれだけで出回る心配が無いという保障は無い訳だし、肝心の麻帆良から彼女も技術も遠ざけられないのはやっぱり問題だよ」

 

 フェイトと“完全なる世界”にして見れば、今回の作戦でアイリの娘の確保は既定路線であった。確かにあの少女の見せた力は彼でも勝利を得るのは難しいほど強大なものだったが、それでもアイリが従えるバーサーカーやランサーといった一級の英霊には大きく及ばないものだ。

 だからこそフェイトはバーサーカーを差し向ける事から、イリヤが此方の手に落ちるのは確実だと見ていた。しかし―――

 

「……そうね」

 

 アイリは頷く。

 今回、イリヤの見せた力はアイリにしても予想外のものだった。

 イリヤが何らかの方法で英霊の力を身に宿している事は判っていた。聖杯戦争の仕組みに錬金術を応用すれば理論上は可能であるし……或いは“アイリスフィール”が関わった四回目の戦いの後にルールや召喚方式が変わったのかも知れないとも彼女は考えていた。

 その為、イリヤが京都で示した力はアインツベルンが五回目に用意した英霊のものであり、その一騎のみを娘は扱っているのだとアイリはその先入観から思い込んでしまっていた。

 

(本当…迂闊よね。あの子もまた聖杯の守り手……いえ、より洗練された設計を持つ次世代のホムンクルス(せいはい)で在る事を考慮せず、見過ごすなんて)

 

 昨日イリヤが見せた別の英霊―――確か……ゲイボルグと言ったわよね―――の力を思い起こし、アイリは反省する。聖杯の守り手であった自分同様、聖杯その物として造られたあの愛しい娘もまたこの世界では複数の英霊の力を扱えるのだろうと認識を改めて。

 

(……もしくはそんな事はあり得ないのに、イリヤが聖杯であって欲しく無いと無意識に願っていたのかしら?)

 

 アイリであってアイリでない彼女はそうも思い。愚かな考えね、と。内心で嘆息する。

 ともかく、フェイトの杞憂は判らなくはない。

 アーチャーだと思われる赤い外套の装いを持つ、規格外の『投影』を駆使できる英霊も基礎能力(パラメーター)はそうでもないが、その能力は第四次のアーチャー並みの脅威を有する可能性はあり、ランサーであろうアイルランドの光の御子も間違い無く一級の英霊だ。

 もし残りのクラスの英霊の力も扱えるのだとしたら、幾らイリヤ一人だとはいえ、それら英霊の能力次第では次も思わぬ反撃を受けるかも知れない。

 アイリは視線を落とすとテーブルの下に隠れる自分の足元……己の影を、更にその(なか)に在るモノを見通すかのように目を細め、

 

「……でも安心して、イリヤが如何なる力を持って阻むのだとしても私が何とかするわ―――必ずね」

 

 アイリは顔を上げると、渋面を見せるフェイトを強く見据え、宣誓するかのように自信を持ってそう断言した。

 

「…………――――ふう、分かった。君の娘が僕たちの前に立ちはだかり、戦う事に成るようであれば……アイリ、全面的に君に任せる事にする。デュナミスにもそう伝えておくよ」

 

 アイリと十秒ほど見詰め合った後、フェイトは根負けしたかのように溜息を吐いてアイリの言葉に頷いた。元より現状ではイリヤの相手はアイリに任せるしかないという問題もそこにはあるのだろうが。

 アイリはフェイトが首肯した事が嬉しかったのか笑みを浮かべる。

 

「ふふ、ありがと」

 

 表情を綻ばせて礼を口にし、続けて次の問題についても再び話す。

 

「それと、“技術”の方は確かに完全には保障出来ないし断言も出来ないけど、それでも大きく普及することが無いのは、確実よ」

「根拠はあるのかい…?」

「ええ、フェイトは知っているわね、私とイリヤは“魔法”を使う上で“特殊な方法”を用いているのを」

 

 所謂、魔術回路による魔力生成や基盤を通じた魔術行使の事だ。彼女と出会い程無くして聞いた事であるから当然、フェイトは首肯する。

 

「先ずその方法なんだけど、使える人間がとても少ないのよ。それこそ万人に一人、十万人に一人と言うくらいにね。そしてもし仮に居たとしても殆どの場合、私やイリヤのように世代を重ねた一族や家系でないと大して術も使えないし、力を発揮することも出来ないわ」

 

 そう、アイリ達が居た世界でさえ、魔術回路を持つ人間は稀有な物であったのだ。そして回路を持っていたとしても魔術師として代を重ねていなければその本数は少なく、扱える魔術は勿論のこと運用や効率もまた非常に限られてしまう。

 アイリは知る事では無いが、魔術師の家系の生まれでは無いにも拘らず、特化した才を見せた第五次に参戦した切嗣の息子や、先天的に素養に恵まれた埋葬機関第七位などは例外中の例外なのだ。

 

「つまり、技術を学べる人間、使える人間は限定されているから広めようと思っても広められない…と、出来たとしても長い年月が必要という訳か」

「そういうこと。まあ…術式に応用できる部分はあるけど、イリヤや私が作るような高性能なアミュレットは勿論、これまでの魔法体系にも劇的な変化は起きないわね…多分」

「…ふむ」

 

 フェイトは顎に手を当てて頷く。先程の事とは異なり、納得できる部分が強い為か、表情もどこか腑に落ちたといった風に見えた。

 しかしアイリには、まだ明かしていないイリヤが魔術を広めないと考える訳……秘匿する理由があった。

 アイリはこの数年間、この並行世界で過ごし“魔法”と“魔術”について調査と研究を進め。その過程である推測を行なっていた。

 それは、嘗てこの世界にも元の世界と同様に“魔術”が存在し、“魔術師”こそが神秘を成す人間の主流であったというものだ。

 

 恐らく、この世界は神話の時代。神代の頃に根源から“魔術”という秘儀を汲み取り、そこから数百年から千年ほどの経過した後、何者かが―――或いはそれも魔術師なのかも知れないが―――更に根源から“魔法”と言うカタチの別の秘儀を世界に汲み込んだ。

 そして時を経るごとにその汎用性や難度から神秘を扱う者達の主流が“魔術”から“魔法”へ取って代わっていった。

 

 ―――そう、神秘を成すという手段そのものに固執して、根源への到達という本来在るべき目的が忘れ去られて、だ。

 

 アイリは元の世界と変わらずある神話や伝承に神秘と秘儀の足跡。変わって存在する魔法学やその歴史の他、倍前後にこの世界に満ちる大源(マナ)の量と神秘の変遷など―――類似性と非類似性を比較してほぼそう確信していた。

 

(……イリヤも気付いているでしょうね)

 

 地下に潜り隠遁している彼等の下よりも恵まれた環境に置かれた愛娘(イリヤ)は、自分が至った推測に既に辿り着いているだろう。

 だから判っている筈だ。

 広く普及し一千万単位の人間に識られて扱われる“魔法”よりも、今や誰一人識らず扱われない“魔術”の方が断然神秘が色濃いのだと。魔術で作られたアミュレットが高い効果を発揮したのはその一端なのだと。

 そう、イリヤが魔術を広めないとアイリが考えた最も大きな理由は、“魔法”に対する“魔術”のその優位性がある為だ。

 確かにこの世界の“魔法”は魔術と比較すると極めて扱い易く。危険性も少なく。少ない魔力でも世界に在る精霊の力を借り受けられる為に、一部自然干渉などの及ぼす“現象の結果”はとても大きい。魔術の持つ制限の大きさや命を天秤に掛けなければならない危うさ、多大な手間を掛けてまで起こせる“現象の結果”との差などは理不尽にすら思える程だ。

 だが、比較に成らないそれら諸々故に“魔法”は普及し過ぎ、イリヤの知る世界の“魔術師”以上に“魔法使い”の数は増え、“秘するべき純度”を損なってしまった。

 その扱い難さから可能性は低いが、もし魔術の存在がまた識られ、扱える人間が現われ、魔術師が増える事に成れば、純度は薄まりその“(ランク)”は低下し、それだけ“魔法”への優位性は縮まるだろう。

 

(要するに自然干渉や汎用性に劣る“魔術”では、自然干渉と汎用性に勝る“魔法”が引き起こす“物理的な現象”…その“結果”に迫り勝れない以上、対等に渡り合う為にも神秘の純度…“(ランク)”の差ともいうべき最も大きなアドバンテージをわざわざ手離す事はあり得ないって訳だけど)

 

 ついで言えば、魔術という源泉をほぼ独占し使い放題な現状を自ら手離すのも“魔術師”としては非常に惜しく選び難い事だ。アイリもその(さが)から逃れられないのか、自然とそう思うし、恐らくイリヤもそうだろう。

 

(なんだか度し難いというか、少し悪い気もするわね)

 

 アイリとしても魔術の優位性を捨てたくは無く、また魔術師の性から生じる欲望もあり、フェイト達にも自身の推測ないし推論を黙っている事に彼女は僅かに気後れしたものを感じた。

 

 それら魔術と魔法に関する思慮に耽っていたアイリであったが、ふと気付いて意識を話し相手であるフェイトの方へ戻した。

 

「…………」

 

 彼は顎に手を当てた姿勢のままであったが、納得して頷いていた表情は消え去っており、何時もの無表情でアイリの同様に何処か思慮を巡らせているようだった。

 アイリは首を傾げ、彼が口を開くのを待つべきか、それとも何を考えているか此方から尋ねるべきか、迷い……フェイトが呟いた。

 

「もしかすると、君の娘が麻帆良に残ったのは幸いなのかも知れない」

「え?」

 

 突飛な言葉にアイリは唖然とした声を零した。

 

「麻帆良に姫巫女を残すもう一つの理由は分かっているよね」

「え?……ええ、彼女を確保する事が私達に困難な状況を招く以上、来るべき時までこれまでと同様、麻帆良に姫巫女を守って貰うためでしょ? その為になるべく彼等に損害を与えない方針を取ったのだから」

「そう、麻帆良―――関東魔法協会には、僕らに代わって姫巫女を守り続けて貰わなくてはいけない。彼女を狙う組織は数多に存在するのだから」

 

 それは判っている。けど―――アイリは戸惑い。フェイトに疑問を投げかける。

 

「でも、イリヤが必要という事は無いと思うわ。確かに想定外の損害を与えてしまったけど、それでも麻帆良はこちらの世界の中でも屈指の守りを持っていて、戦力に恵まれているのでしょう? それに例の西との協力体制もある訳だし……そもそも姫巫女の居場所に確証を得ているのは麻帆良と赤き翼のメンバー除けば、私達だけの筈―――」

「――――そうだね。アイリの言う通りなのかも知れない。けれど今回の事件で“本国”は間違いなく、麻帆良に対して大きなアクションを取る。いや、取らざるを得ない」

「…それは―――」

 

 どういうこと? とアイリは問い掛けると、フェイトは無表情で抑揚に乏しいにも拘らず、何処か深刻に感じる声色でそれに答えた。

 

「ヘルマン伯……ネギ君と因縁のある彼を刺客として差し向けたのは失敗だった」

 

 そうフェイトは言うと、アイリに六年前…ネギを狙って起きた愚かな陰謀劇とその末路を語り。それによる今回の失態が如何なるものか、どう転じるか判らない旨を告げ、

 

「こう言うのは君にとって不愉快だろうけど、ネギ君の存在共々、君の娘が目暗ましになってくれることを期待しなくてはいけない」

 

 と、自らの言葉を締めくくった。

 

 

 




 原作では修学旅行編でしか登場しなかった千草が再登場(本作では初ですが)。本文にある通り、人材を欠いたフェイト達がそれを補う為に確保しました。
 戦力としては一流に一応届く物の、実戦不足で荒削りで精神的に未熟としています。

 アイリが語った魔法と魔術の関連の設定は突っ込みどころ満載で結構苦しいと思いますが、強引なクロスオーバーである以上、少し見逃して欲しい所です。

 ヘルマンついては原作を読まれ、18話の決着部分を見て…その結果がもたらす問題について気付かれた方は多いと思います。次回はその部分も触れます。

 


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第20話―――葬送の日。明かされる秘密

今回と次回は原作にある設定や謎の考察及び独自解釈する説明回みたいなものです。
面白みが無く、つまらないと感じる人も多いと思います。
設定厨な自分はこういうのを考え、読むのも好きなんですが。


 

 事件から4日後の5月25日(日)。

 その日の午後、関東魔法協会本部である武蔵麻帆良の教会にて、麻帆良で勤務…或いは修行に励む多くの魔法関係者たちが集っていた。

 

「―――彼等と親しく、また世話になった者は一昨日、昨日と取り行なわれた葬儀にて既に別れの挨拶を済ませておるだろう。しかし今一度、今日この場にて麻帆良を……いや、世の平和を守らんとする魔法使いとして尽力し、命を賭した彼…もしくは彼女達の事を思い遣って欲しい。そして勇敢であった彼等を知らぬ者達もまた志を共にした同じ魔法使いとして、仲間として冥福を祈って欲しい。正しき思いを胸に勇敢に戦った彼等の御霊が安らかに眠られるよう、また良き来世を迎えられるように…」

 

 聖堂に在る壇上で近右衛門が告別を述べ。幾拍か間を置き、彼の隣に立つ木乃香が僅かに前へ出て短く言葉を発する。

 

「……これより黙祷を捧げます。全員起立! 黙祷!」

 

 木乃香の声が聖堂に響くと人々は一斉に席を立ち、目を閉じてやや顔を俯かせた。

 鮮やかなステンドグラスを通して差し込む光の下で整然と列を成し、祈り耽る人々の存在は、ただでさえ神に近しい…心を近づかんとする聖堂をより厳かに、より神聖なものに強調させるかのようだ。

 

 不躾で且つ不謹慎ながら、密かに薄目を開けて周囲を窺っているイリヤはそんな感想を持った。

 

 イリヤはそのまま周囲に悟られないように静かに視線を巡らせ、気に掛かる幼い少年こと―――ネギとその彼が受け持つ生徒達の背中を捉えた。

 彼等の後ろに席を持ったこともあり、ここからは当然、彼と彼女達の表情を窺い知ることは出来ない。壇上の脇に立つ木乃香の方はそうでもないが、彼女に関しては刹那や真名、楓と古菲らと併せて然程心配してはいない。

 実際、この告別式の直前に顔を合わせた時も、木乃香は今と同じく表情こそ重苦しくさせていたが、気に病んでいるような気配はほぼ無かった。

 しかし、やはりと言うべきか。それ以外の面々……ネギと明日菜、そして夕映とのどかに和美は。

 

(予想していた事だけど……)

 

 当初の予定に反して調査が順調に進んだ事もあり、昨夜、関係者に事件の大まかなあらましが通達され、ネギ達は今回の件で生じた損害……犠牲者が出た事を知った。

 その事実はイリヤが危惧していた通り、彼と彼女達をかなり堪えさせたようだった。

 木乃香と顔を合わせた時に見たネギと明日菜達の表情は一様に暗く。イリヤの挨拶にも声を出さずに軽く頭を下げるだけで、とてもあの3-Aの面々とは思えない澱んだ雰囲気を醸し出していた。

 ネギと明日菜は今回の事件と自らの関わりに悩む部分もあり、夕映達にしても事件に巻き込まれたショックがあるだろう。

 

(…やっぱりフォローは必要よね)

 

 ネギと明日菜は当然だが、今後“此方”の世界に関わる、関わらないにしろ夕映達とも話をして置くべきだ。

 しかし、今日はこの後にも予定がある。長々と話をする時間は取れそうに無く。その用事も長引く可能性は高い。場合によってはその後も考えを纏める為に多くの時間を割くかも知れない。

 

(けど、あの子達の心中を察すると余り間を空けるべきじゃないとも思うし、夜分でも迷惑に成らないのなら訪ねようかしら?)

 

 そう、ネギ達を気に掛けるイリヤではあるが、その彼女自身にしても今回の事件で思う所は少なくない。

 原作の知識から事件が起こり得るのを知っており、事前に警告する事も確かな対応や対策も彼女は立てられなくは無かった筈なのだ―――なのに自分は……と、過ぎ去り今更どうにもならない、出来ない事に対してイリヤは抱く忸怩たる念を未だ強く燻らせていた。

 イリヤは、視線をネギ達から外すと壇上の奥に浮かぶ。宙に投影された画像……殉職者の生前の姿を映した写真に目が留めた。

 

(……)

 

 イリヤの脳裏に浮かんだのは、遺影を抱えて喪服姿で静かに涙を流す妙齢の女性と、その女性の手に強く握る泣き腫らした顔を見せる幼子の姿。

 それは昨日、半ば気紛れに訪れた葬式の場に見た光景だった。

 

 果たして逝ってしまった者は、自分がそうなり、愛すべきその者達を置いて悲しませる不幸を覚悟していたのだろうか? 果たして残された女性と幼子もそうなる事を、危険が伴う職場に勤める愛する人が自分達を置いて逝く可能性が在る事を理解していたのだろうか?

 夫を亡くした妻と父を亡くした子。そんな二人を見て、イリヤは胸に痛みを感じながらそんな取り留めない疑問が過ぎり、

 

―――……意味の無い考えね。例え覚悟や理解をしていたとしてもそれが簡単に受け止められない、辛く悲しいものであることに変わりは無いのだから。

 

 愚かしい事を考えたとばかりにかぶりを振った。そして―――

 

 ―――それを齎したのは……きっと私…。

 

 胸に感じる強い痛みと沸き立つ自責から己を罪深く思った。

 あの親子はまだマシな方だ。夫であり、父である愛する人が魔法関係者である事を、その不幸が何故起こったのか知る事が出来るのだから。

 しかし犠牲となった者達の家族の中にはそうでない者もいる。それら家族には事故として規定(マニュアル)に沿ってでっち上げられた話(カバーストーリー)が告げられ、事実を知る事は出来ず、理不尽にもその虚偽を真実として唐突に訪れた不幸を受け止めなくてはならない。

 それを思うとイリヤは尚更やり切れないものを覚える。

 防げた筈であり、亡くなった彼等を犠牲にする事もなく。残された者達から幸せを奪い、不幸を振り撒く事も無かった。自分にはそれが出来た筈だった。もしくはこの世界によって異物(よけい)である自分達さえ居なければ……。

 それが高慢な考えだと、自惚れだと、意味の無い仮定なのだという事は判ってはいるし、自覚も勿論ある。けど、それでも――――

 

(……………)

 

 イリヤは薄く開けていた眼を閉じると、戒める様に強く拳を握りこんだ。

 感傷に囚われている事に、今更どうにもならない事に未練がましく後悔している事に、らしくない。情けないと憤りを感じたのだ。

 しかし、そう幾度振り払ってもこの感傷と後悔は一向に消える気配は無く。今のように気付くとイリヤの思考を覆い。心を苛ませ。またその度に自分はそのような奇特な人間であっただろうかとも彼女を悩ませるのだった。

 おそらく“今のイリヤ”に成ったが為に生じたものなのだろうが。

 

(この迷いや甘さとも言える精神(こころ)と思考の在り方は、何時か致命的なものを招くかも知れないわね)

 

 イリヤはそれを不具合と捉え、その弊害を危惧した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 解散が告げられ、集まった人々が聖堂を後にする。

 神へ祈りの捧げる神聖な場には相応しくないざわめきが漂い。人だかりは無数のグループに別れて雑談を交わしながら外へと向かって行く。

 イリヤの耳に入った幾つかの言葉から察するに、それらのグループの少なくない数がこれから各々に逝ってしまった仲間と友人を悼む為にささやかな宴を執り行うらしかった。

 犠牲となった者達の死を受け止めるのは何も親族や家族だけでは無いという事なのだろう。

 

「そうよね…」

 

 思わず声に出して呟く。

 近右衛門が黙祷の前に述べた通り、彼等の中には犠牲者と親しかった者や世話になった者も居る……。

 

「――――――」

 

 かぶりを大きく振る。

 また心が囚われ思考が泥沼に陥りそうになっている事に気付いたのだ。

 

(何時までも……本当にらしくない! これじゃあネギの事を言えないわよ!)

 

 怒りを覚えてイリヤは己を叱咤し、そんなことよりも…と。聖堂にまだ居るであろう今胸中に浮かんだ人物の姿を探して辺りに首を巡らせ―――途中、視線の先に此方を見詰める金髪の少女と眼が合った。

 場にふさわしい喪服にも見える黒い制服姿の少女。高音・D・グッドマンだ。彼女はイリヤと眼が合うと何かを言おうと一瞬口を開き掛けたが、

 

「ぁ、……っ―――!」

 

 何も言わずに目を伏せ、踵を返して早足で外へ去って行った。

 その隣には何時もの如く相方の愛衣の姿もあったが、彼女も微かに迷う素振りを見せたものの、結局イリヤに申し訳なさそうに一礼すると、急ぎ高音の後を追い駆けて行った。

 イリヤも後を追うべきかと迷ったが、やはり天秤の傾きはネギ達の方が重く、二人の背を追うことは無かった。ただ今度は明石教授や愛衣に任せるだけでは無く。機会を設けて自分も高音としっかり話をする必要があるとも肝に銘じたが。

 そうして再び辺りに視線を巡らすと、ネギ達は思っていた通りまだ聖堂に残っていた。割り当てられた席から動いておらず、項垂れる様に椅子に座るネギを中心に明日菜を始めとした生徒達の姿がある。ただ元より出席していない真名と楓はともかく、木乃香と刹那の姿も無い。

 木乃香は、近右衛門と共に式に参加した協会上層部の見送りに出ており、刹那は別件で真名と楓の下へ向かったのだろう。少し薄情に見えるかも知れないが……それはついては仕方ないとして―――

 

「ネギ」

 

 彼が座る席の背後に立ってイリヤは声を掛けた。

 

「あ、イリヤ…」

 

 声にネギが首を振り向かせると、それを合図とするかのように周囲の少女達もイリヤの方へ顔を向けた。

 彼等の顔は式の開始前に見た時とほぼ変わっていない。沈んだ表情だ。いや、古 菲だけは比較的落ち着いており、暗い表情を見せるクラスメイト達を前にどうすれば良いのか判らない、といった困った様子だった。

 その為か、イリヤの姿を見て何処か安堵しているようにも見える。

 イリヤはそんな古 菲に気付いて、年下の少女という事に成っている自分を頼りする彼女に呆れを覚えたが、内心で肩を竦めるだけにして古 菲への文句は抑え、ネギに改めて声を掛けた。

 

「ネギ、貴方が何に悩んでいるかは大体判っているわ。だから言うけど、もしそれで責任を感じているなら、それは間違いで勘違いよ」

「!」

「アスナも、ね」

「えっ!?」

「今回の件で貴方達には責任を負う所は無い。あるとするならそれは学園長を始めとした協会上層部の方」

 

 決して強い口調という訳では無いが、断言とも言えるイリヤの一方的な言葉にネギと明日菜は驚き戸惑った。思わず「で、でも…」と二人は同時に口を開いて反論を試みようとし、しかしそれを続けるよりも早くイリヤが言う。

 

「そうね。今回の件で標的にされたネギとアスナにして見れば、確かにこんな言葉では納得し難いものが在るんでしょうね。でもこれは“そういうもの”なのよ。アスナについては私も詳しい事は聞いて無いけれど、協会上層部は貴方達二人の“価値”を理解し、それに伴うリスクも当然承知していた筈。そしてその上で麻帆良に受け入れていた。だから今回のような事態が起こりうる可能性も当然想定されていたし、その見込みが甘く結局対応し切れなかったのなら、当然それも彼等の責任になる」

 

 それはつまり、今回の件で二人が悩んでいる事の本質と問題は、ネギと明日菜の意思や手には届かないかけ離れた所に在るという事だ。

 そもそも前回の京都の件にしてもそうであった。あれも標的にされた木乃香自身に責任を負うべき所は無く。彼女の価値を知っている筈の近右衛門が見通しを誤った為に起きた事だとも言えるのだ。

 その事を理解した為か、それとも当時そのような事を言ったエヴァの言葉が思い返されたのか、ネギと明日菜は告げられた言葉が冷然とした事実なのだと感じ、例え健全とはいえない物であったとしても抱いた思いが否定されたように思えて、あんまりだと言いたげな表情を見せた。

 

「勿論、言ったようにそんな理由では貴方達が納得できないのも、苦しさや蟠りを解消できないのも判るんだけど、ね」

 

 イリヤも二人の思いが分からなくもない為、厳しげであった表情を緩めて優しげに言う。

 

「…それでも、これだけは言わせて貰うわ―――ネギ、アスナ、確かに貴方達は今回の事件で狙われ、標的にされていた。けどそれは貴方達の所為だけで起きた訳じゃない。犠牲者が出たのも“別の要因”。“ソレ”の所為…これは本当よ。貴方達は決して悪くない」

「「…………」」

 

 イリヤの言葉に二人は何も答えなかった。イリヤから告げられた事が恐らく正しいと感じても、だからといって納得出来ない。消えないわだかまりがあるのも確かなのだから。

 その為、イリヤが心配してこうして話し掛けてくれた事が判っていても考えが纏まらず、直ぐに返すべき言葉が見つけられないのだろう。

 正直、イリヤにしてもこの件に関してネギと明日菜へのこれ以上のフォローは難しかった。犠牲が生じたのはイリヤの楽観と尽力不足にこそあるが、事件の発端に関する要因が二人にあるのも事実だからだ。

 だからせめてあるべき責任の所在を明示して抱える悔やみを緩和させる事しか出来ない。

 問題はそれを二人が素直に受け入れられるかだが―――イリヤはネギと明日菜から視線を外して夕映、のどか、和美の方へと順に見詰め、ネギの方へ戻し、

 

「―――後で寮へお邪魔するから、その時にまたゆっくり話しましょう」

 

 時間が押している事もあり、この場は一度引く事にした。

 それに今見たネギ達の反応や気の沈みようから―――間を置き過ぎてもやはり良くは無いが―――もう少し時間を置いて気が落ち着いた頃を見計らった方が良いと感じたのもある。

 暗い雰囲気を放つ級友の中で取り残される古 菲には少し気の毒ではあるが、

 

(仕方ないよね)

 

 と。助けを乞う子犬のような目を向けて来る拳法一筋娘に気付かないふりをしてネギ達と別れた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ネギと別れ、イリヤが向かったのは教会の外では無く。その内部…地下深くまで続く螺旋階段であった。

 曲線を描く煉瓦造りの古めかしい壁に設置された蝋燭の灯りで照らされたそこは、原作で超 鈴音の仲間だと嫌疑を掛けられたネギを救出する為に明日菜達が通った場所だ。

 

 地下30階。

 人目を避ける様に螺旋階段の下り切り、イリヤは今日此処へ来るように自分に言い付けた人物を待ち―――十数分ほど経過し、

 

「スマン、待たせた」

 

 件の人物―――近右衛門が姿を現した。

 彼は飛行魔法を使ってゆっくりと宙を下りてイリヤの前に立つ。その左右には木乃香とタカミチが居り、背後には西より駐在特使として派遣された青山 鶴子の姿があった。

 しっとりとした笑みを浮かべてイリヤに会釈してくる元・神鳴流師範代である彼女とは、事件の後始末の合間を縫って顔を合わせている。

 

 両協会が正式な協定を結び、互いに駐在員を派遣するという話はイリヤも聞いていた事ではあったが……まさか、西の最大戦力であり、現役を退いた鶴子がその特使に任命されたのは―――同じ世界観とはいえ、別作品の登場人物だということもあるが―――非常に驚きだった。

 

 だが、西にして見ればあの“完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)”……特にその手強さや、得体の知れない黒化英霊の存在を知る詠春の思いと憂慮を鑑みれば、当然の判断であり。

 その他の穏健派のみならず過激派にしても、万が一にも東が陥落し混乱に陥るのは望んでおらず……というか、それイコール日本の魔法社会の崩壊だという認識はしている。

 余程の愚か者で無い限り、現状の西だけで日本の裏を支えられるなどとは流石に思っていない。その為に―――そう、問題は東だけで済まないからこそ、彼等は持ち得る最大の手を打ったのだ。

 尤も、近右衛門と鶴子自身の話によれば、そういった後先考えない愚か者や、和解を快く思わない者達に対する牽制も兼ねての“最強の剣士”の麻帆良行きだとの事らしいが。

 

 まあ、それらの事情はともかく、イリヤとしてもランサーを相手に互角に戦ったという鶴子が麻帆良に留まるのは心強く思う……のだが、彼女が特使という話を聞いた時に見せた刹那の引き攣った顔や葛葉の怯えた表情。そして自分を見る眼に何となく不穏な気配と不安を感じるのは―――非常に気の所為だと思いたかった。

 

「ゴメンなイリヤちゃん、待たせてしもたようで」

 

 学園長の魔法で降りて来た木乃香が、祖父に続いて遅れた事を謝った。

 

「いえ、いいわ。遅れた理由も判るから。お疲れ様、コノカ」

 

 近右衛門共々遅れた訳、各省庁並び財界から出席した協会上層部の人間の見送りに絡んで色々と立て込んだ事を予想し、イリヤは慣れない(まつりごと)に苦労している彼女を労った。

 木乃香はそれに、ありがと、と言いながら苦笑し。近右衛門も、すまんのう、と言って同じく苦笑を浮かべた。

 

 この祖父と孫は、一昨日から麻帆良に訪れた協会上層部のメンバーと角を突き合わせて議論と討論などといった舌戦を幾度も繰り広げていた。

 無論、事態の深刻さを皆共有している事もあって基本、建設的に会議は進んだのだが。それでも結界を抜けられた事を始めとした事前の対策不足や事件最中の対応の拙さ、生じた損害を非難され、学園の責任を求める声も当然あった。

 ただ、近右衛門に大きく責任を課す積もりが無いのは会議の前から結論付けられており、今後の調査結果とより万全な対策案及びその実証を示す事で責を果たすようにとの沙汰が出ていた。

 事実、実務面や内外の魔法使いの信望(カリスマ)を考慮すると、近右衛門以外に代表を務められる人間が居ないのだから仕方が無い。

 それに麻帆良の地を任せられる近衛分家の後継者が現状では木乃香しか居ないという問題もある。

 

「ま、何にしても貴方に咎が及ばなくて良かったわ」

「……………」

 

 近右衛門に向けて言うイリヤの安堵の言葉に、彼は何も答えず沈黙する。

 その心情をイリヤは察した。

 今の言葉は彼にとって何の慰めにも成らないかと。協会のトップとして犠牲が生じた事に、対応を誤った事にこの老人は強く心を痛めているのだから。

 

「学園長―――」

「―――分かっておる…」

 

 思わず苦言と呈そうとするイリヤを制して近右衛門は神妙に頷いた。

 自分に課せられた責任はそれで辞せるほど軽いものでは無いと。自分の果たすべき事はまだ多くあり、これからも積み重なるのだと。そう答えるかのように。

 

「―――なら良いけど」

 

 イリヤは頷く近右衛門を見て言葉を切る。

 彼の声と強い意思が篭った眼を見、彼にとっては言うまでもないかとも今更ながら感じて。

 近衛の人間であり、長く代表職を務めてきた彼にして見れば、このような重圧は日常茶飯事……で無いにしても、きっと幾度も経験して来た事なのだろう。

 

 そんな老練な彼が今更弱音を吐き、心折れる訳が無い。

 

 第一、周囲がそれを許してくれない。今回の事件で誤りはあったとしても近右衛門が持つ信頼は全く揺らいでいないのだ。“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”としての積み上げた名声に“アジア圏最強の魔法使い”と呼ばれる実力。言わばナギ・スプリングフィールドと同様、多くの魔法使いにとっては彼もまた“英雄”なのだ。

 麻帆良に居る魔法使い達の耳にも此度の件で上層部が緊急の会議を開き、学園長に責任を問う声が上がっている程度の話しぐらいは入る。

 そしてその英雄が自分達を纏める地位から追い遣られる事に彼等はどれほど不安を覚え。地位に留まった事にどれ程の安堵を覚えたか。

 今回の件で事情を知る遺族からも心中では皆無でないにしろ、表立って非難の声が上がらないのは、それだけの信望と期待があるからだ。

 近右衛門は、それに応え続けなくてはならない。

 それは本人の意思では左右できない。ある意味では、責任を問われ、地位を追いやられる事よりも辛いものだ。それでも彼は自ら辞することは無いし、無責任に放り出すことは決して無いのだろう。

 

(……まったく、普段は喰えない困った人間だと思わせる事もあるのに―――見習わなくちゃいけないわね)

 

 本人には絶対に言わない事をイリヤは敬意を持って胸中で呟き、己も不安定に揺らぐ心に負けず強く在ろうと密かに意を決した。

 

 

 

「お、他は皆来ていたか」

 

 近右衛門たちの到着から数分遅れて更に一人、長い螺旋階段を下りて姿を見せた。

 

「エヴァさん、随分遅れたわね」

「悪い、余り他の魔法使い連中と顔を会わせたくなかったからな。人の姿が無くなるまで外で待っていたんだ。それに仮にも教会だからな、此処は…」

 

 最後に姿を現したエヴェにイリヤは声を掛けると、エヴァは素直に謝意を口にした。

 イリヤは、別に咎める積もりは無かったんだけど、と彼女に応じつつ、周囲の様子を軽く窺うと鶴子を除いた三人は意外な物を見たと言わんばかりの驚いたような表情をしていた。

 その三人の内―――タカミチは意外さの理由を訪ねようと思ったのか、エヴァに向かって問い掛けようと口を開き掛け……しかし近右衛門がそれよりも早く、全員揃った事もあってか、

 

「うむ、では行くとするか」

 

 早速皆の移動を促した。

 或いは、余計な事を言って素直なエヴァの機嫌を損ねるのを避けたかったのかも知れない。

 

 

 

 通路を抜け、幾つもの閉ざされた扉を潜り、更に階段を下り、近右衛門の案内を受けたイリヤ達は学園の地下を更に深く潜って行く。

 地上とは比べ物に成らないとても濃密な―――しかし不思議に生々しさは無く、寧ろ地上よりもずっと澄んだ感じがある―――魔力(マナ)をイリヤは地下に漂う空気に覚え……半ば確信しながらも先頭を歩く近右衛門に尋ねた。

 

「もしかして世界樹……いえ、神木・蟠桃だったわね。その樹の方に向かいながら地下へ降りているの?」

「そうじゃ、黙っておったがワシらの行く先は蟠桃の真下…その地下の奥深くにあるこの麻帆良の中枢―――」

 

 答える学園長の言葉に耳を傾ける一同、その彼等の背後から―――

 

「―――の更に中枢ともいうべき、学園長と私以外は足を踏み入れない秘密の空間ですよ」

 

 そう、聞き覚えの無い穏やかな男性の声が掛かった。

 何の前触れも無く現われた突然の気配にイリヤは驚き振り返り、より大きな驚愕が篭った声が彼女の耳朶を打った。

 

「な―――!」

「―――に!」

 

 声はタカミチとエヴァのものだった。

 二人は信じられないものを見たかのような……正に幽霊でも目撃したかのような愕然とした表情を顔に張り付かせており、突然現れた男性はそんな二人の様子を楽しむように笑みを浮かべてじっくりと見詰める。

 その人物は、整った中性的な作りの顔を持ち、纏う法衣にも似た衣装の上からでも判る細い体付きと、胸下にまで垂れた一房に纏めた黒い艶やかな長髪もあって、女性にも見間違いそうなほどの美丈夫だった。

 イリヤもまたエヴァ達に続いて驚きを強くする。先程の知る筈も無い声に覚えがあり、京都のナギの別荘で見た写真やこの世界を調べる際に見た資料などで目の前の男性の姿を見た事があったからだ。

 

「―――アルビレオ・イマ」

 

 まさかの彼の登場にイリヤは思わずその名を呟いた。

 すると男性―――アルビレオは、イリヤの方に視線を移してその穏やかな笑みをより深めた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「イリヤさん。木乃香お嬢様。初めまして既にご存知でしょうが私はアルビレオ・イマと申します」

「……初めまして、イリヤよ」

「初めまして木乃香です。……あのアルビレオさんは、確かネギ君のお父さんの……」

「ええ、彼の父。サウザンドマスター…ナギ・スプリングフィールドは我が盟友であります」

 

 先程まで足早に歩いていた―――学園長と鶴子を除き―――一行は突如姿を見せたアルビレオに困惑と動揺が隠せず固まり、その不意を突くかのように彼の拙速な案内に誘われるまま、中枢近くに設けられたという談話室へと導かれた。

 暖かな魔法の光に照らされ、中央に円卓が置かれたその部屋は接客と或いは職員のレクリエーション施設を兼ねているのか、様々な観葉植物によって彩られていた。

 

「タカミチ君、エヴァンジェリン、それに鶴子さんもお久しぶりです」

「…まさか、アル…貴方が学園(ここ)に居たとは」

「まったくだ。お前の事も随分と探したんだぞ」

「すみません。色々と事情がありまして。それに基本的に私は学園の地下から出られませんので―――と、鶴子さんは驚いていないようですが?」

「ウチは兄上から聞いておりますから」

「って、待て! 詠春の奴は知っていたのか!?」

「…………詠春さんまでもか。……学園長やアルだけでなく、みんな人が悪い」

「スマンな、タカミチ君。アルの言う通り少々事情があってのう」

 

 円卓に向き合った面々はアルビレオの挨拶を機に沈黙を破り、思うままに言葉を口にした。

 特にタカミチとエヴァにして見れば、彼の登場は心底驚くべき事だった。況してや行方を暗ましてからこの学園に留まって居たらしいのだから尚更である。

 鶴子の方は、兄から聞かされた時にはやはりそうであっただろうが、それでも二人程では無かっただろう。彼女にとっては然程気に掛かる相手では無いからだ。

 木乃香にしても驚きは当然あるが、それよりもネギが探し求める父親への手掛かりがこうも身近にあった事……それを祖父共々隠していた事への疑問の方が大きい。

 無論それは、驚愕の大きい二人にしても同じだ。

 タカミチは頭を下げる上司にやや訝しげに視線を向ける。

 

「―――事情…ですか?」

「うむ、じゃがそれはもう少し後にしよう。気に掛かるお主やエヴァにも悪いが此度の件とも些か関わりが在る故、順を追って話していった方が良いからな」

 

 タカミチに頷いてそう言う近右衛門に彼は勿論、エヴァも仕方ないと応じる。

 ただ人目を避けるだけでなく、わざわざ学園中枢部まで訪れての話し合いだ。余程重要な事なのだろうと二人は思い。茶々を入れるのを避けたのだ。

 

「まあ、その前にイリヤ君。鶴子殿に君の事を明かしておきたいのじゃが……」

「―――…そうね。………いいわ。どの道、近い内に他にも事情を話さなきゃいけない人達いる訳だし、ツルコに明かすのも構わないわ」

 

 近右衛門の許可の求めにイリヤは渋々頷いた。それにこれから近右衛門とアルビレオが話すであろう重大な機密の対価だと考えれば悪くは無い。

 しかし、イリヤの事情を鶴子に話し終えると……その考えを少し後悔する事に成った。何故なら、

 

「なるほど、兄上がウチを特使に押す訳や」

 

 事情を聞き終えた途端、彼女は短く呟き―――イリヤを意味深に見据え、

 

「……となると、英霊(てき)に対抗する為にもイリヤはんには、色々と手解きを受けたい所どすなぁ」

 

 等と可愛らしく人差し指を頬に当てながら言い。イリヤはぶるりと背筋に悪寒が奔るのを感じたからだ。「剣の英霊と言うのも気になりますし」と言葉に付け加える事から鶴子がイリヤに何を期待し、目論んでいるかは明らかだろう。

 

「―――鶴子さんにとってはやっぱりそれが一番重要、か……」

 

 そう、しみじみとしたタカミチの声と向けられた憐れんだ視線が妙に印象に残った。

 ただ一応救いであるのは、彼女が月詠とは異なり“怪物”にも似た在り方では無く。やや矛盾しているが分別を持った単なる戦闘狂……剣の鬼である事だ。

 まあ、災難である事に変わりはないのだが……。

 

 ―――コホン。

 

 と、近右衛門が咳払いする。

 

「鶴子殿がイリヤ君の事情を理解した所で―――次に移ろう」

 

 おかしな方向に流れそうな…弛緩した雰囲気が振り払われた。

 

「事件に関しては皆が知っての通り、“完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)”の手のよるものである事が明らかに成った」

 

 近右衛門に言葉にイリヤは首肯する。

 

「ええ、コタロウの証言もあるけど、スライム達が意外にもあっさりと口を割ってくれたからね」

「……うむ、やり方はともかく、予想されていたそれが早々に確証を得られたのはイリヤ君…君のお蔭じゃ、しかし―――」

 

 褒めるように言いつつも近右衛門はイリヤに非難の視線を向ける。だが、

 

「? 別に私は何もしてないけど…?」

 

 当人は不思議そうに首を傾げた。

 確かに事後処理と調査の一環としてイリヤはスライム達の尋問の場に居合わせたが、言う通り何も……そう、非難されるような事はしていない。

 ただ、人間が2、3人ほど入れそうな大きな鍋を3つ用意し、中で煮えたぎる鉛と水銀と銅を見せて黙秘する彼女等(ようじょ)達に「どれが良いかな?」と尋ねただけだ。

 それだけなのに何故かスライム達は恐慌し、訊きもしないのにベラベラと事件に関わるあらゆる事を勝手に喋ったのである。

 イリヤは単にどの鍋が“あの時行おうとした実験”に適しているのか参考に少し意見を貰おうとしただけであって、結局、“彼女等が素直に喋ってくれた”ので、それも取り止めのだから責められる謂われは無い筈だった。思う所があるとすれば、折角、面白い“実験材料”があったのにそれが使えなかったのが残念だと感じた事だろう。

 そんな悪びれる事も無く惚けるイリヤの様子と、うんうんと首肯するエヴァの姿を見て、近右衛門は溜息を吐くが気を取り直して話を続ける。

 

「“完全なる世界”……彼奴らついては今更言うまでもないじゃろう。魔法社会にある様々な組織に浸透し20年前の大戦を裏で操った真の黒幕。魔法世界の崩壊を目的に暗躍した巨大秘密結社―――と言ってもエヴァとイリヤ君にはそれだけではまだ疑問があるじゃろうが」

「ああ、魔法世界の崩壊が目的だと言われても、肝心な“その目的が何の為であったのか?”についてはまったく触れられていないのだからな」

 

 それは多くの人間が気付いていない事だ。

 魔法社会の大衆は“完全なる世界”をファンタジー創作物によくある“悪の大魔王が率いる闇の勢力”のような、世界を破滅させんとした狂人達の類なのだと捉え、そこで思考を停止させている。

 無論そこには、隠蔽の為にそう意図した各国の積極的な喧伝工作に加え、それに都合よくマッチした“世界を救った勇者たち”……つまり“赤き翼(アラルブラ)”の活躍という、大衆にウケが良くて非常に判り易い英雄譚が実在する影響もある。

 しかし、エヴァなどの周囲の声に流されず物事を洞察できる識者達は違う。公表された事実を…“完全なる世界”の目的を不可解に思うし、それに関する何かを隠蔽しようとする前述のような働き(ちから)がある事も感じ取っている。

 

「―――況してや京都でイリヤの母親の姿をした“アンリマユの残滓(おんりょう)”が言う“平穏な世界の実現”などという戯言と矛盾していれば尚更だ。お前といいアルビレオといい…いや、タカミチと詠春もか。お前たちは何を隠して、何を知っている?」

「それについては先程の事情も含め、後程纏めてお話ししましょう」

 

 問い詰めるエヴァにアルビレオが応じる。エヴァは一瞬鋭く彼を見詰めたが……気を落ち着けるように軽く息を吐くと、「分かった。いいだろう」と大人しく矛を収めた。

 近右衛門が再び口を開く。

 

「さて、アルが言うように彼奴らの真の目的が何であったかは後に話すとして……今回の事件での敵の目的ついては、まあ、これも此処に居る者達は知っていよう」

 

 近右衛門の問い掛けに皆が頷く。

 刺客であるヘルマン伯は語った。事件の最中と尋問でも。

 

「ネギ君の脅威度の測定に明日菜君の……」

 

 苦い表情をしたタカミチが呟く。

 

「そうじゃ、他にも学園の警備状況や戦力の調査もあったが、主目的はそれであった」

「…で、学園長、この前尋ねた事だけど話してくれるのよね?」

 

 タカミチの呟きに答えた近右衛門にイリヤが尋ねる。

 そう、事件の後でイリヤは尋ねていた。既に識っている事ではあるが知らない筈の事を。以前からこの時期が頃合いだと考えていたそれを。

 近右衛門は頷き。アルビレオが言う。

 

「勿論構いません。貴女にも知って貰った方が良いでしょうからね。彼女―――明日菜君……いえ、アスナ姫の事を」

 

 そうしてアルビレオと近右衛門、それに苦渋の表情を浮かべたタカミチは、イリヤと大戦に関わりながらも今日まで事情知らされなかった鶴子に語った。

 神楽坂 明日菜。そう呼ばれる何の変哲も無い女学生に過ぎない筈の少女の真実―――アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアという魔法世界で最も古く尊い一族、“黄昏の姫巫女”と呼ばれる“始まりの魔法使い”の末裔たる幼き姫君の事を。

 

 それは大凡、イリヤの識る通りのものであった。

 魔法世界にて二千年以上もの歴史を有し、20年前の大戦にて滅亡した国家―――ウェスペルタティア王国の“最後の王女”としてアスナは生を受けた。

 ただ、眠りと覚醒を繰り返しながら実質100年以上は生きているらしい事や、彼女が生誕した後にも代替わりする王族から“他の王女”が在った事からも、“最後の王女”と呼ばれるのはもっと別の深い意味があり、

 

「それが『完全魔法無効化能力』を保持する事―――“黄昏の姫巫女”たる資質を持つが故、か…」

「そうです」

 

 イリヤの呟きにアルビレオが首肯した。

 

「彼の古き王国を統べる一族は、アスナ姫のような『完全魔法無効化能力』を持った女性が度々生まれていました。しかしその確率は非常に稀であり、その為―――」

「眠り…いえ、封印というのが正しいかしら。そして解放を繰り返させられた。恐らく魔法を無効化できる強力な兵器の老朽化を避け、損失させない為に。有事の際の切り札として何時でも投入できるように」

「ええ。此方の世界の歴史が血塗られた戦いの繰り返しであるように、あちらもまた…或いはそれ以上に不安定で戦乱の絶えない世界です。彼女が生まれた当時にしても領土を拡大するヘラス帝国と周辺国へ影響を高めるメガロメセンブリアの軋轢は大きくなる一方でしたからね」

 

 そして今から22年前。それがついに暴発し二国は戦争状態に突入した。それは魔法世界を二分する程と成り、中立を謳うウェスペルタティア王国にも当然、火の粉が及んだ。

 歴史こそあれど小国にまで国力が衰退していたウェスペルタティア王国は、ヘラス帝国の侵略を抑えられず瞬く間にその喉元……王都にまで侵攻を許し、この時の為に取って置いた“切り札”を使用するに至った。

 だがそれこそが“完全なる世界”の狙いであった。帝国に王国を侵略させて切り札を切らせる状況に追い込み、封印の地からアスナ姫を解放させたのである。

 

「それが彼女と私達の出会いでした」

 

 そこにアルビレオ達……ナギ・スプリングフィールド率いる赤き翼が介入した。

 

「尤もその時は彼等の思惑どころか存在すら気付いておらず、彼女と行動を共にするようになったのもそれらが片付いた随分後であり、今の彼女に成るまで色々とあるのですが…」

「……詠春さんが西の長に就任する事に成り、僕も15年前に麻帆良へ預けられた。その後もナギさん達は世界を転々としながら奴らと戦い続けた。それから4年後、僕はイスタンブールで赤き翼と合流し、その時にアスナ姫と初めて顔を会わせた。正直、あの時は、またあの人達との冒険の毎日だと、大変だろうけど楽しい日々が再び始まるのだと、そう心が浮き立っていた。けれど程無くしてナギさんと貴方は姿を暗まし、師匠も……」

 

 ちらりと一瞥するアルビレオに答える様にタカミチは語る。

 

「師匠に彼女を託された僕は、遺言に従ってアスナ姫の記憶を封印した。そして師匠とナギさんが彼女に願った幸せの為に麻帆良に戻った。アスナ姫を…明日菜君を普通の女の子として生きて行けるように守る為―――……そう、僕はあの子にそう生きて欲しかった」

 

 俯き一つ一つ何かを確認するかのような淡々としながらも、何処か寂しげな口調だった。

 近右衛門とアルビレオ、それにエヴァと木乃香は思う所があるのか黙り込み。イリヤも未だ語られていない隠された部分を思い沈黙した。

 その一同の様子をやや窺い一分程間を置いて鶴子が口を開いた。

 

「…ふむ、明日菜はんの秘密。その特別な事情が狙われた理由なのは分かりました。タカミチはんの想いも。…しかし、せやったら―――いや、学園長もタカミチはんも本当は判っておりますのやな。それが無理な願いやと」

「「…………」」

 

 鶴子の問い掛けに二人は沈黙を保った。辛そうな表情で、それが答えを明確にしていた。

 イリヤは鶴子が言葉を切る前に何を言おうとしたのか察しがついた。それはこの世界に来る以前―――イリヤの中に入り込んだ人格が疑問に思っていた事だからだ。

 アスナ姫を魔法と関わりに無い世界に…ただの一般人として平凡な世界に過ごさせる積もりであったのなら麻帆良という魔法に関わり易い土地では無く。もっと別の土地で信頼のおける一般人の家庭にでも養子に預ければ良かったのではないかと。

 近右衛門の人脈を使えばそれぐらいの事は容易い筈だ。だが―――

 

「そうじゃな。鶴子殿の言う通り、それが無理な願いであるという予感があった。それに―――」

「―――何よりも不安だった。明日菜君を目が届かない。いざという時に守る事の出来ない、何の防備も無い遠い場所へ置く事に……」

 

 そう、予感と不安。

 明日菜の持つ力は非常に稀有で強力なものだ。どのように生きようが必ず魔法世界に関わるナニカを招きよせる事になる。そしてそれを理解しておきながら、手の届かない所に彼女を置いて良いのだろうか? 置いて安心できるだろうか?

 それが分かるからこそ“イリヤ”は、かつて抱いた疑問を否定していた。

 

「ふう―――明日菜君については取り敢えずここまでで良かろう。あの子が“黄昏の姫巫女”であり、その為に狙われていると認識して貰えれば、な」

 

 大きく溜息を吐きながら近右衛門は言った。

 未だ腑に落ちぬことは多いが、それらの話をする前にまだイリヤ達に知って置いて欲しい事…或いは復習というべきか、認識を高めて貰いたい事があるのだろう。

 

「……此度の事件の実行犯、爵位級上位悪魔であるヴィルヘイム・ヨーゼフ・フォン・ヘルマン伯爵じゃが」

 

 近右衛門が告げた名を聞き、エヴァの表情が渋くなる。

 バーサーカーの不意打ちがあったといえ、いいようにしてやられ。頼れる従者(茶々丸)をも破壊した相手なのだから当然の反応だろう。

 イリヤも同様、不意を許した事もあって苦い思いが胸に広がった。

 幸いにも大破した茶々丸は修復可能だとの事で、電脳(いしき)を復旧させた彼女も「気にしないで下さい」と言ってくれたが、それでも無残に破壊されたその姿を思い出すと、どうしても責任を感じて気が重くなってしまう。

 近右衛門は、そんな二人の様子に気付いたようだが構わず話を続ける。

 

「―――先のスライム共々、彼がネギ君の故郷である魔法使いの隠れ里を襲撃した悪魔(デーモン)達の一体だというのは、イリヤ君にネギ君達の証言と本人の自供から明らかなのだろう……鶴子殿はあの事件に関して何処まで知っておる? 今此処に居る他の者達は大凡の事は理解しておるが…」

「詳しい事は知りまへん。ただ英国に在った隠れ里が壊滅した事は当時有名な話しでしたし、ナギはんの息子がそこに居た事も兄上から耳にしております」

「…では犯人については?」

「それは知りまへんし、兄上も言及は避けましたが、……ナギはんとその奥方…の息子はん―――と、ネギ君の事情から察すると、見当はつきますなぁ」

 

 鶴子は慎重に問いに答え。近右衛門は頷く。

 

「ふむ、鶴子殿の察しの通り、我々…関東を含め、各国の協会上層部はあの事件の首謀者をMM元老院だと目しておる。先日、事後処理の合間に木乃香とエヴァ、イリヤ君には話したが―――」

 

 当時、隠れ里への襲撃を察知した英国の魔法協会は当然直ぐに救援を送り出そうとした。

 しかし本国から思わぬ横槍が入り―――曰く「“完全なる世界”の残党が大規模なテロを計画しており、隠れ里の襲撃はその一環との疑いがある」、と称して救援及び調査の協力を求めつつ主導権を握ろうとしたのである。

 

「……ホント強引な話しよね」

「あの頃はまだ奴らの残党が活動していたからね。一応名目は立つのさ」

 

 イリヤの呟きに、タカミチが忌々しそう答えた。

 無論、英国の魔法協会は自治と主権を盾にして簡単には頷かなかった。

 派遣された部隊が残党の殲滅を担う特殊部隊でなかった事や、元々疑わしいかった部分があった為なのだろうが、その背後に在るのがアリカ女王を陥れた一派である事も程無くして明らかになったからだ。

 しかし彼等の携える辞令はMM国防省からの正式な―――正確には「人間界における“完全なる世界”の動向と実態及びテロの可能性、有無の調査」という拝命者の解釈次第でどうとでも扱えるような内容だった―――ものであり、その協力要請を完全に無視し、拒否するのも難しい事であった。

 その為、互いに“出し抜く”のを警戒して協会の救援部隊と本国の派遣部隊が牽制し合い、睨み合うなどという事態が発生し、交渉を経て共同任務として救援が送られるまで三日間もの時間を要する事に成った。

 つまりネギが姉と三日間も孤独に過ごす事に成った理由もそれにある。

 

「愚か…だな」

「確かにこれがただのメンツ争いであれば不毛な事で…と、ネギ君とネカネ君を余計に痛ましく思いますね」

 

 エヴァが嘆息し、アルビレオがやや困ったかのように言う。

 そして救援が派遣されたその日。英国魔法協会に属する救援部隊はネギとネカネを発見し二人の保護に無事成功する。

 ただし主導権や指揮系統を協会が握る事は出来たとはいえ、本国部隊の独自性も一部認める妥協が成された為に彼等がどのような調査活動を……いや、隠さずに言えば、恐らく行ったであろう証拠隠滅を掌握し切ることは出来なかった。

 

「その一つがヘルマン伯の封じられていた例の“瓶”という訳じゃ。ネギ君とネカネ君の証言や記憶からスタン老がそれを使い、悪魔を封じた事は分かっていた。じゃがしかし…何故かそれは見つけることは出来なかったと調査に向かった双方の所属部隊は言っておった。不思議な事にのう」

「…つまりどちらが嘘を付いていたという訳どすな。けど協会の方にその理由は無い。となると―――」

「―――ま、そう考えるのが普通じゃろう。だが本当の所はどうじゃろうな?」

 

 鶴子の応じる言葉に、それを言った本人が疑問気に小首を傾げた。タカミチは訝しげに尋ねる。

 

「……どういう事です?」

「救援が送られるまで三日間もの時間があったんじゃ。ならばその間に事件に気付いた“他の何者か”がおり、先に調査に向かっていても不思議は無かろう」

「なるほど、可能性としては確かに在り得ますね。だとしたら本国の奴らはかなり焦ったでしょうね。重要な証拠であり、証人が封じられた瓶が第三者の手に渡ったのですから」

 

 あくまで可能性じゃがな、と。頷くタカミチに近右衛門は言い。

 

「ヘルマン伯が還されていない事からもそれは低くはなかろう。本国が回収したのであれば、そのような証拠となる存在はとっとと消えて欲しいじゃろうしな。加えて件の部隊の目的は、証拠隠滅よりもネギ君の生死の確認か、もしくは念を入れた暗殺…もしくは拉致じゃろうし。それも失敗した以上、本国の連中は余計に事が明るみに成るのを恐れておる筈じゃ」

 

 アリカ女王への冤罪とその処刑の失敗から始まり、続いたネギの暗殺未遂とその隠滅の失敗。

 しかも前者はMM元老院にあった“完全なる世界”との関与疑惑まで押し付けており、後者は隠れ里の住人を犠牲にしてまで実行している。

 その一つ一つのどれもが真相が明らかに成れば、政治生命どころか人生そのものが断たれてしまう程の大事だ。関与した議員らは勿論だが、関与していない当時の主流派の議員や高級官僚たちにしても厄介事だろう。飛び火は避けられないのだから。

 

「………けど、ヘルマンゆう伯爵はんは、事の解明に繋がる証言や自供はまだしてへん。記憶の読み取りも抵抗が固くて上手く行ってない。でも無理にやれば今の伯爵はんの状態やと還りかねんよ」

「まあ…のう。爵位級の上位悪魔とも成れば召還と契約、依頼時の宣誓は絶対じゃ、容易に裏切ることは出来ん。……しかしだからこそ、そこに虚偽が入り込むことは無い。契約及び依頼内容は勿論、召喚者と依頼主たちの名前と姿…その魂の(かたち)すら彼の(なか)には間違いなく刻まれておる」

 

 孫の木乃香の悩ましげな言葉に、近右衛門は唸りながらも決意を感じさせる声色で答えた。この件に関しては絶対に引く気は無い。これ以上、本国の横暴を許す積もりは無い。そう言わんばかりの口調だった。

 木乃香はそんな祖父を心配げに見詰めたが静かに首肯する。祖父の気持ち……憤りが判るからだろう。彼女しても日本の裏を別つ原因を生み。今もネギを苦しめているMM元老院のやり方は許せないのだ。

 アルビレオも同感なのか、大きく頷いて賛意を示す。

 

「伯爵位ほどの上位悪魔への願い事(依頼)ともなれば、他者を介するのは先ず不可能ですからね。証人であり、証拠である彼を握ったこの好機をみすみす逃す訳には行かないでしょう」

 

 そう言い、アルビレオは何故かイリヤに視線を送った。

 その意味あり気な視線に釣られ、他の面々も彼女の方を見詰める。皆に見詰められたイリヤはその意味を察して真面目に頷いた。

 幸いにも方法に思い当たる所があり、ネギに協力する以上はそれも己の役割だろうと考えて。

 

「―――助かります」

 

 首肯するイリヤに、アルビレオは表情を綻ばせると頭を下げて感謝した。

 誠実さを感じさせるその態度を見て、原作で知る彼のこともあってイリヤは少し意外に思ったが直ぐに考えを改めた。彼もまた赤き翼の一人だ。共に戦った仲間の―――アリカ王女の名誉やナギの息子を案じる思いは強いのだろう。

 ただ、元老院の不正を正す事自体は多分重要だと考えていないとも感じたが。そういったヒトの持つ業すらも愉しんで観察する性格の持ち主だと直感したからかも知れない。

 

「……ふう」

 

 隣の席から微かに吐息が漏れるのをイリヤは聞いた。

 エヴァのものだ。

 話しの流れから一瞬ヘルマンに対するものか、元老院の所業への呆れによるものかと思ったが、一瞥して窺った表情が複雑そうに歪んでいるのが判り、ナギとアリカ王女の関係に対する物なのだと察した。

 先日、この事件について話した時、エヴァは初めてアリカ王女の事を……想い人が出会った時には既に既婚者であった事実を知ってしまった。

 その為、ヘルマンに対する怒りも重なり、エヴァは酷く不機嫌となっていた。だが嫉妬を表に出すのを見っとも無いと思ったのだろう。感情を露わにすることは一応無かった―――いや、傍から見れば一目瞭然であったのだが、イリヤと木乃香、近右衛門もそれを指摘する勇気は無く、努めて無視していた。敢えて獅子の口に首を突っ込むような真似はしたくないという事だ。

 しかし一方で宜しくないとも思い。イリヤは慰める意味も兼ねて彼女を刺激しないようにある事を行なっていた。

 正直、上手くいくか不安は小さく無かったのだが……成功し、取り敢えずはエヴァの機嫌も良くなり、イリヤはホッと胸を撫で下ろす事と成った。

 教会の地下で彼女が姿を現した時、近右衛門達が驚いていたのは遅刻した事に素直に謝意を示した事だけでなく、それらの所為でもあった。

 

「―――元老院はやはり動くでしょうか?」

 

 アルビレオと同様、イリヤの首肯に顔を緩ませていたタカミチは、表情を引き締めるとそう尋ねて近右衛門に視線を送った。ネギだけの事だけでなく、明日菜の事もある為かその表情は深刻だ。

 

「そうじゃな。あの事件で失敗して以来、それを繰り返すのを恐れ、そして証拠も無かったが故に大人しくておったが……まず間違いなく積極的になるじゃろう。例え容易に記憶を覗けんとしても―――ヘルマン伯がワシらの手の内に在ると知れば、のう」

「…問題はその場合やね。せっちゃん達が上手くやれてれば、ええんやけど……」

 

 近右衛門の答えに木乃香が不安そうに言う。

 彼女がそう言うのは、古 菲を除いた3-Aの武術四天王が麻帆良の内通者…長期潜入員(モール)を抑えに掛かったからだ。以前より見逃されてきたそれを今回捕縛するのは、ヘルマン伯がそれほど重要で慎重に扱うべき情報である為だ。

 なお手練れとはいえ、生徒である彼女達を動かしたのは、正規の職員を動かすと察知される危険性が高いと判断された為である。

 ちなみ小太郎もこれに加わっている。裏稼業の中でも汚れ仕事を多く熟して来た彼はこの手の仕事で中々鼻が効くらしく、相応に向いているとの事だ。

 

「いえ、木乃香お嬢様。仮に彼女達が上手くスパイを捕らえたとしても漏洩の危険はどうしても付き纏います。此処は漏れるものとして対処を考えるべきでしょう」

「アルの言う通りじゃな。教会の方への義理も果たさなければならんし、そこから探りを入れられる可能性は在る。……シャークティ君達にも立場があるし、何時までも黙らせて置く事は出来んしのう」

 

 悪魔の捕獲…それも爵位級ともなれば彼の一大宗教は無視することができない。ヘルマン伯の名まで教える必要は無いが、最低限の情報……上位悪魔を捕らえた事ぐらいは通達しなくてはならなかった。

 近右衛門は嘆息する。

 もし通達せずに黙っていれば余計な騒動を招きかねず、それをきっかけに“本国”に付け込む隙を与える事態にもなり兼ねない。ただでさえ麻帆良には“闇の福音(きゅうけつき)”が居るのだ。

 此処はこちらから適度に情報を開示して、大人しくして貰うしかないだろう。必要であれば何かしらの譲歩や要求を受け入れるのも吝かでは無かった。

 

「あとは敵から漏れる可能性も―――…いや、それは無いか。“完全なる世界(奴ら)”にしても元老院に明日菜君の存在を気付かれたくは無いだろうし」

 

 タカミチは敵側から情報が渡る可能性に気付くも、すぐさま頭を振った。

 それに近右衛門が冗談めかした口調で言う。

 

「―――じゃな、そうであれば、彼奴らの情報工作に期待したい所ではあるな。せいぜい元老院の連中を振り回して欲しいものじゃ。まあ、此方も振り回される可能性もあるがのう」

 

 そう言う近右衛門の声には言葉通り若干期待があるように思えた。

 尤も衰えた“完全なる世界”が元老院にどこまで影響力が及ぼせるかは甚だ疑問である。それ以前に彼の組織をあてにする考え自体が真っ当でない。その為、冗談めかして言ったのだろう。

 そして一つ息を吐くと、

 

「―――元老院への対処についてはまた後日、職員らと……彼等にはこの会談での内容は殆ど話すことは出来んが、元より“本国”への警戒は必要である故、彼等との会議に盛り込む事として……」

 

 近右衛門は席を立ち、アルビレオもそれに続いて一同を見渡す。

 

「では、だいたい話すべき事は話しましたし、行きましょうか。私と学園長…そして関東魔法協会の上層部のごく一部のみが知る。今の麻帆良に在る最大の秘密が眠る場所へ」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 そこを訪れた時、まるで深い海の底に居るようだとイリヤは思った。

 濃密だった魔力は更に濃くなり、肌に感じる空気は強い圧力があり、まるで水のように身体を圧迫する感覚がある。

 しかしだというのに、やはり不思議と不快さは無く。大聖杯があった地下空洞のような生命力を凝縮したスープのような生々しさも無く。より澄み渡った…神聖さすら覚える静謐な気配が満ちていた。

 そこは麻帆良の最深部。聖地と呼ばれるこの土地に満ちる魔力を生む龍脈の源泉だ。

 周囲の光景はあまりこれまでと変わらず、世界樹の太い根が幾つも見え、白い石材の壁に覆われている。

 ただ地下にも拘らず、やたら広大なコロシアムのような空間が作られ、その一帯は複雑に何重にも術式が重ねられた立体式の巨大な魔法陣が輝いていた。

 その眩しささえ覚える魔法陣の中心に何かが在る。

 

「――――――――――」

 

 近右衛門とアルビレオ以外の皆が愕然とし、まるで言葉を忘れたかのように立ち尽くしていた。

 コロシアムに例えるなら観客席の最前列…そこからイリヤ達はそれを見ている。

 

 

 それは奇妙なオブジェクトだった。いや、美術品とも言うべきか。例えるなら鋭利で美しい透明度の高い氷か、水晶で造られた大樹だ。その根は大地に根付かんとするかのように床へ張り付き、直径5mはあろう太い幹から伸びる枝は高い天井を突き刺すかのように四方へ広がっている。

 魔法陣の放つ光に煌々と照らされ、より美しさを際立たせているその結晶樹の幹の中に―――ヒトのカタチをしたものがあった。

 イリヤはそれが何か判った。恐らく愕然している他の者達もそうだろう。

 魔力で水増しした視力で観客席に当たる遠い場所からでも見て取れた。何かと気に掛けるあの赤毛の少年が健やかに育てば、きっとこうなると思わせる整った容貌を持つ赤毛の青年。

 

 そう、それは―――、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――――――………ナギ・スプリングフィールド……」

 

 気付くとイリヤはそう呟いていた。

 

 

 




 前回の幕間でフェイトが危惧したヘルマンの問題は、MM元老院の主流派にとって政治的ダメージが洒落にならない代物が麻帆良に転がり込んだ為です。
 もし元老院の主流派が、麻帆良がヘルマンを抑えたと知ったら何もせずには居られない筈です。


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第21話―――語られる真実

説明回続きという事もあり、二話連続投稿です。


「―――――――――………ナギ・スプリングフィールド……」

 

 呆然と零れる己の声。まるで他人が発したかのように思えた。

 イリヤは、確かに原作の全てを知らない。だからネギが探し求める(ナギ)が今何処に居るのか、果たして生きているのか、それとも死んでいるのかさえも判らなかった。

 ただ、漫然と生きてはいるんだろうなぁ…という思いはあったが―――しかし、

 

「―――っ! どういうことだっ!?」

 

 イリヤの思いを代弁するかのようにエヴァが叫び、アルビレオと学園長に剣呑な眼差しを向ける。

 

「アル…っ、学園長……、何故…?」

 

 タカミチも擦れた声を漏らし、信頼する上司とかつて共に戦った仲間に困惑した視線を向ける。

 二人の視線を受け、アルビレオが口を開く。

 

「20年前―――」

「また昔話かっ! そんな事よりもこの状況を…! アレが何なのか説明しろ!!」

 

 怒りの形相でアルビレオを睨みながら、結晶樹に指を突き付けるエヴァ。

 だが、彼は涼しげな表情で受け流してエヴァの問いに答える事も無く話を続けた。

 

「大戦の混乱と自国への侵攻を利用し、当時のウェスペルタティア国王は消極的であった宮中の人間を納得させ、王都オスティアに在る封印の地―――墓守人の宮殿からアスナ姫を解き放ちました」

「アルビレオ…! 貴様っ!!」

 

 無視されたエヴァはアルビレオに掴みかからんとする―――が、イリヤはそれを制する為に彼女の肩に手を置く。

 

「―――っ! イリヤ…!?」

 

 驚き振り返るエヴァにイリヤは眼を合わせ、落ち着くように視線で訴える。

 エヴァは一瞬、くっ…と声を漏らし、悔しげに表情を歪めて俯き、感情を抑える為か拳を強く握り締ると。ふう、と息を吐いて身体から力を抜いた。

 イリヤはエヴァが落ち着きを見せた事を確認すると、アルビレオに応じて口を開いた。

 

「……賢王と讃えられていたウェスペルタティア王は、乱心し“完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)”に通じていたとされ、大戦末期に自らの娘…アリカ王女に弾劾され、クーデターを起こした彼女に殺害された。けどその実、“完全なる世界”に通じていたのは王女の方であり、父王に正体を気付かれた為、王女は逆にその罪を押し付け。それを口実にクーデターを起こして父王諸共、真実を葬り去ろうとした―――それがMM元老院の打ち立てた“事実(ストーリー)”だった」

 

 イリヤが言ったのは、魔法社会において公式に表明されている話だ。

 アルビレオが何を語ろうとしているかは今一つ判らない。しかしこれから彼が語る事…先程の会談で伏せられているまだ明かされていない部分に触れるには、これを言う必要があるとイリヤは直感していた。

 

「ええ、ですが既にご存知の通り、その前半部分のみが(まこと)の事実に当たります。彼の古き国の王は“完全なる世界”に通じ―――いえ、実質、総帥代行ともいうべきトップに近い地位にありました」

「……奴等の意向に従いウェスペルタティア王は勅命によって“黄昏の姫巫女”の解放を行なおうとした。しかし長い歴史の中で魔窟とも毒蛇の壺とも呼ばれるようになったオスティア宮中では、王の一存だけで墓所にあるアスナ姫の封印を解くのは不可能に近かった」

 

 エヴァと同様、感情を抑えた表情でタカミチがアルビレオに続いた。

 タカミチにしても言いたい事はある筈だが、此処はもう少しこの強かな戦友に付き合うべきだと思ったのだろう。或いはそうする事で困惑する思考と感情を落ち着けようとしているのかも知れない。

 

「……だからこその王都侵攻。一歩間違えば自らが治める国を滅びしかねない真似を平然に……」

 

 イリヤはふと原作での―――アリカ女王の処刑が執行された時、彼女が思い浮かべた父王の言葉を思い出す。

 

 ―――人の世も、この世界も、全ては儚い泡沫の夢に過ぎぬ。

 

 世の中を達観…或いは絶望しているとしか思えない言葉だ。

 おそらくそこに動機があるのだろう。果たして賢王と讃えられる程の執政を行なっていた彼の目にはどのようにして己の国と“世界”が見えていたのか。

 イリヤは魔法世界の真実を知るが故に、何となくそれが理解でき……若干憐れに思った。

 その感傷が顔に出ていたのか、アルビレオがイリヤを訝しげに、されど興味深げな視線を向ける。

 

「―――っ!」

 

 アルビレオの視線に気付き、イリヤはハッとし表情を取り繕う。それに彼は、ふむ…と意味あり気に頷くも何事も無いようにイリヤから顔を逸らした。

 

「その事実に気付き、彼等がアスナ姫―――“黄昏の姫巫女”の力を用いて世界を無に還そうとしている事を知ったのは、それから2年後の大戦末期でした。アリカ王女はクーデターを起こして父王を弾劾し。ナギを筆頭とする私達…“赤き翼(アラルブラ)”は墓守の宮殿にて行われる儀式―――『世界の始まりと終わりの魔法』の阻止を図りました」

「2年か、……随分と間があったものだ」

 

 エヴァがポツリと言う。本題に入らない為かその声色には苛立たし気な感情が滲み出ていた。

 

「儀式に必要な魔力を蓄えるにはそれほどの時間が必要だったようです。戦乱を引き起こしたのはその魔力を集まりや儀式の準備から目を逸らす意味もあったのでしょう」

 

 エヴァの様子に気付いていない訳は無いのだが、アルビレオは先程と変わらず涼しげに答える。

 

「儀式の場へと乗り込んだ私達は、あのフェイト・アーウェルンクスと名乗るタイプに匹敵するホムンクルス達と激闘を繰り広げ、打倒し、いよいよ儀式の阻止も間近という所まで来ました。しかし―――」

 

 言葉を切り、アルビレオは結晶樹の方へ……その中に封じられたナギを見詰める。

 

「“彼”―――創造神、造物主(ライフメイカー)とも呼ばれる“始まりの魔法使い”。“完全なる世界”の本当の黒幕がそこに姿を見せたのです」

「何っ!?」

 

 聞き逃せない言葉であったのかエヴァが苛立ちも忘れて驚きの声を上げる。木乃香も思わずといった様子でアルビレオの方へ身を乗り出す。

 

「どういうことなん!? それって明日菜のご先祖さんで、ウェスペルタティアを建国したってゆう大昔の人じゃ!? 幾ら魔法使いで王族やゆうても…2600年以上も前に生きとった人間が…!? まさかホンマに神様やとでも―――いや、そう言われる偽物……?」

 

 “始まりの魔法使い”―――魔法社会の歴史の中でも創世記に記された御子…もしくは彼の一大宗教で例えれば聖人に当たる存在の登場に木乃香は狼狽し、信じ難い物を見るような目でそれを口にしたアルビレオを見る。

 それにその存在が関わる以上……遥か遠縁とはいえ、やんごとなき方々の血が流れ、彼の御方を守り奉る家の者として些か無視する事は出来ない。

 

「いえ、神ではありませんし、偽物でもありません。“始まりの魔法使い”その人ですよ……一応は」

「…一応?」

 

 木乃香の疑問にアルビレオは答え、エヴァが微かに首を傾げる。そんな彼女にアルビレオは若干おかしげクスリと笑うが、その表情は直ぐに神妙なものと成り―――

 

「―――ときにキティ…あなたもかつては普通の女の子だった筈ですよね」

 

 何の脈絡もなくエヴァにそう尋ねた。

 突然の話にエヴァは眉を顰める。

 

「あん、なんだ唐突に…? 昔話が地雷なのは知っているよな?……というかその名で呼ぶな!」

「あなたを今の貴女へ変えてしまった人物について、何かご存知ですか?」

 

 エヴァの不機嫌な答えと突っ込みを無視してアルビレオは表情を崩さずに尋ねる。

 そのいつに無く真面目な彼の様子にエヴァは舌打ちすると仕方なさ気に応じた。

 

「知るか。おおかた不死の秘法の研究にでも嵌まった頭の悪い魔法使いだろう。ふん、もうとっくに死んだ。興味も無い」

 

 不機嫌に、苛立たしげに、つまらなそうに言うエヴァ。―――だがイリヤはその表情にある悲哀、苦悩、そして誰か想う強い感情を見えて。大丈夫だろうか、と気に掛かった。

 無意識なのだろう、胸元に手をやり、キュッと拳を握る仕草からもエヴァが懐くモノが窺える。正直、声の一つも掛けたい所ではあるが、そのような事…少なくとも人目の在る所では彼女は望まないだろうし、続くアルビレオの言葉を遮るのも憚れた。

 

「……では、その人物が死んでいなかったらとしたら?」

「! 死んでいなかった…だと? そんな筈はあるまい。元々不死を得ていたのならば、私を使い―――あのような…っ、真似を…」

 

 ギリッと強く歯を噛み締める音が聞こえた。

 エヴァが地雷と言うのは当然だ。原作とは違い、彼女がどのような凄惨な目に遭ったか知るイリヤは尚更そう思った。

 友人として親しく仲が良かった者。臣下として礼を尽くしてくれた者。麗しの姫君としてただ慕ってくれた者。顔すら知らぬ無関係な者々…民草。そんな人々を望まぬまま餌と与えられ、次から次へと己の糧にしてしまった日々への悔い。

 それは今でもエヴァの中に在る闇を構成する要素の一つとして心に留まり、彼女を苛ませている。

 掘り返されるそれを堪え……エヴァは言葉を紡ぐ。

 

「―――あのような真似をして研究する必要は無い……っ」

 

 堪えて発せられた言葉。

 らしくないエヴァが気に掛かったのか、木乃香が心配げな表情で傍に寄ろうと…もしくは声を掛けようと口を開くのが見え、イリヤは直前に木乃香の口の前に手を添えるように翳し、それを制した。

 え? といった感じで驚き此方を振り返る木乃香にイリヤは無言でかぶりを振った。その意図を呼んだのか木乃香は大人しく引き下がる。

 アルビレオも触れる気は無いようで、何事もなかったかのような口調でエヴァに答える。

 

「そうですね。確かにそれは矛盾です。しかし―――その彼が“不死”では無く、“不滅”だったとしたら?」

「! それはっ!?」

「―――まさかっ!?」

 

 アルビレオが言う意味深な言葉を理解したエヴァに続いて、気付いたイリヤも驚きの声を発した。

 不死では無く…不滅―――その言葉に聞いた瞬間、イリヤは脳裏に電光が奔ったかのような錯覚を覚え、その意味を悟っていた。

 それは、仮にも失われた第三法(ヘブンズ・フィール)の復活を志すアインツベルンの一員として聞き逃せない事だったからだ。

 

「そう、600年前に貴女の報復を受けて死を迎え。20年前、墓守の宮殿に姿を現して我々に討伐された“彼”は同一の存在です。その肉体を除いて」

「―――つまり、精神……魂のみで…生きられる…?」

 

 イリヤは自分の声が固く強張っているのを自覚する。

 肉体(うつわ)が死に絶えても、なお不滅の存在…魂を依るべにして世に干渉出来る存在。しかも考えられるに2600年もの時を―――イリヤはアインツベルンの一族、或いはユスティーツより代々受け継いだ因子(きろく)の所為か、否定したい思いが心の奥底から沸き立つのを感じた。

 その思いが通じた訳では無いだろうが、アルビレオはまるでイリヤの思いを汲み取ったかのように首を横に振った。

 

「いえ、“彼”にとって肉体は必要不可欠なようです。少なくとも生きたヒトとして世界に関わるには。―――私はそう見ています。キティ……エヴァンジェリンの事からもそれは明らかでしょう」

 

 つまり『天の杯(ヘブンズフィール)』は成就していない。魂だけでは物質的に存在できず、肉体を渡り歩くしかないという事か? 彼の“アカシャの蛇”のように? いや、転生とは違うのだろうが、その為に不死の肉体を欲していた。しかし二千年以上もの間、留まり続けられるという事は“魂の劣化”を止める事には成功していると見るべきだろうか……?―――いや、待て。肉体(うつわ)を渡る?…それって、

 ふと気づき、イリヤはアルビレオにそれを訪ねようとし―――それよりも一早く元・同居人である彼女が言った。

 

「……じゃあ、“奴”は今もまだ存在しているのだな」

 

 感情を押し殺した声を零し、エヴァは信じられないもの見るような眼で結晶樹にゆっくりと視線を向けた。

 

「!―――っ、アル…まさか!」

 

 半ば傍観して話を聞いていたタカミチも気付いたようだ。

 エヴァに続いて愕然とし、結晶樹の方へ身体ごと振り返る。アルビレオは静かに頷く。

 

「10年前……イスタンブールでの束の間の休息を経て、私とナギ、ガトウは挑みました。20年前とは別の肉体(うつわ)を持った“造物主”に。そして―――」

 

 静かに語るアルビレオはこの場の中心へと振り向き、封じられたナギの姿を見詰める。

 

「―――…その戦いの末、我が盟友の犠牲によって“彼”は封印され、此処へ括られたのです」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 重い沈黙が降りていた。

 余りの衝撃に打ちのめされているというべきか。

 多くの者達に死んだと伝えられる英雄であり、ネギが探し求める行方知れずの父親がまさか魔法協会に匿われており、その息子が今滞在している街―――麻帆良に居るという事実。

 まるで狐か、狸に化かされているような気分だ。

 少なくともイリヤはそう感じていた。

 何しろ原作では彼の手掛かりを求めてネギは奔走し、京都の別荘を訪れ。学園の地下を探ろうとし。今目の前に居る父の友人の言葉を受けて、故国イギリスを経由して魔法世界にまで赴いたのだ。

 灯台下暗しとは言うが…………――――うん、正直これは無い、とそんな感想が衝撃一杯である頭の隅に浮かんでいた。

 勿論、理由はあるだろうし、イリヤもそれは分からなくはない。イリヤはゆっくりとかぶり振って気を取り直すと、それを確かめる為にアルビレオと近右衛門を半ば問い掛けるように口を開いた。

 

「―――ナギ・スプリングフィールドは生きている。けれど彼は彼で無くなっている……或いは無くなりつつある。事実上、死んでいるのと変わりない。だから死亡した事にし、ネギやネカネといった彼と親しい人達にも何も告げられなかった。それは貴方達にとっても辛い事ではあったとは思う、けど―――」

「はい。そう受け入れるしかありませんでした。無敵だと、最強だと豪語していたナギ自身も覚悟していたのですから」

 

 アルビレオはどこか遠くを見つめるような目をしながら寂しげに言う。

 イリヤは覚悟していたという言葉に、ふと原作で見た武道会の決勝でのこと―――ナギがアルビレオに遺言を託していた事を思い出す。それでサウザンドマスターとも呼ばれた英雄が犠牲なる事を考慮し、本当に覚悟していたのだと理解でき、今のアルビレオの語る言葉に偽りが無いのだと強く感じた。

 

「ですから、彼は死んだものとしてネギ君がどのように成長しようとも、このようなカタチでナギが生存している事は伏せて置こうと考えていました。しかし―――」

「―――6年前、ナギの奴はぼーやの前に姿を現した」

 

 エヴァがアルビレオの言葉に続いた。アレはどういう事なのか? と言わんばかりに彼を見据えて。況してやエヴァはアルビレオのアーティファクトが持つ能力を知っている。

 言外にあるそれを読み取ったのだろう。アルビレオはエヴァの疑問に明確に答えた。

 

「いえ、あの時私は何もしていません。そもそも今言ったように私はナギの生存を伏せておく積もりだったのです」

「では、何だと―――」

 

 エヴァはアルビレオに詰め寄ろうとしたが、それに先んじて近右衛門が応じる。

 

「……うむ。未だ詳細は分からんが考えられる事は一つ、一時ではあるが封印が綻びたという事じゃろう」

 

 近右衛門は結晶樹の方を見詰めながら言う。

 

「あの封印は“造物主”に対抗する為に用意されたものじゃが、(オリジナル)は『封魔の瓶』のような上位悪魔や鬼神などの霊格の高い存在を封じる呪文。それを“奴”専用に特化させて調整したもの……故に、もしナギの意思が“奴”の意思を抑え、その魂もまたナギ寄りに偏在した場合―――つまり存在がナギへと戻る訳じゃから“造物主”を対象にしている呪文の効果は当然薄まり、封印に綻びが生じる可能性は在ると思う。無論、疑問としてネギ君が住んでおった村の襲撃をどのように察知したのかまでは判らん。じゃがナギは感じたのだろう、息子や故郷の者達の危機を。そして封印を一時破り駆け付けた」

「だと思います。そういった理不尽な所は如何にもナギらしいですし」

 

 アルビレオは思わずといった風に苦笑を浮かべる。恐らくナギに関わってから幾度もそういった不条理な場面を見て来たのだろう。

 

「まあ…ともかく、そうしてナギはネギ君に姿を見せてしまいました。しかも形見だと言って自分の杖まで渡した。……正直に言えば、幼い心に負った傷の事もあり、アスナ姫同様にネギ君の記憶も封じるか、消してしまう事も考えましたが…」

 

 語末にどこか濁すかのようにアルビレオは口籠った。逡巡し、迷い、自信が欠けたような…確信の乏しさを感じさせる表情だ。今日初めて顔を会わせたものの、イリヤはそれに何となく彼らしくない印象を覚えた。

 エヴァも同様に感じたのか、怪訝な表情でアルビレオを見る。

 

「……感傷に過ぎないのでしょうね。ナギがネギ君を助けた意味を。“彼自身の口で”我が子に告げた遺言を無かった事するのは躊躇いが大きく、私には出来ませんでした」

 

 選んだその選択が客観的に正しく無いと感じているのか? 迷いを感じさせる声色でアルビレオは言った。

 癒えぬ傷をネギに刻んだままである事。事実上死んだとも言える父親が生きているという希望を与えてしまった事。復讐という黒い感情を放置した事。一方で明日菜に対しては容赦なくそういった処置を行っている事などを思えば、そう感じるのは判らなくはない。

 しかしイリヤは一瞬、そう思い―――ふと或いは……と、自分でも答えは出せない何か引っ掛かる物をアルビレオの言葉に覚えた。

 

 

 

「アル…」

 

 タカミチは嘗ての戦友に複雑な視線を向ける。

 師の遺言に従ったとはいえ、辛く悲しくとも大切な過去(おもいで)を明日菜から封じた為に感じるものがあったのだろう。

 だからその事を責める積もりは無い。だが、

 

「ネギ君の記憶を消さず、ナギが生きている事も明かさなかったのは分かった。でも…それでも僕には話してくれて良かったんじゃないのか? 共に戦った仲間である僕には…ッ!」

 

 タカミチの声は若干荒げていた。同じ赤き翼の一員であるのに……という思いが強いのだろう。何処か裏切られたように感じているのかも知れない。

 そうして詰め寄られたアルビレオは、申し訳なさそうな表情をするも平静な声でタカミチの疑問に答えた。

 

「黙っていた事は謝ります。ですがそれがガトウの望み……いえ、これも遺言ですね」

 

 と。

 師の名前を出され、タカミチは一瞬、え…?と唖然とする。

 

「10年前のあの時。造物主との戦いでナギが犠牲となり、私も満足に動けない状態となり、唯一戦闘可能であったガトウもまた消耗が激しく、残存した(ホムンクルス)を相手にするのは厳しい状況でした」

「彼はのう。その時に決断したそうだ。自らが囮と成りアスナ姫をタカミチ君に託して逃すと。そしてこう言ったそうじゃ」

 

 ―――幼くとも仮にも女一人を守り背負わせるんだ。未熟な弟子(アイツ)にはさぞかし重い荷物になるだろう。だからタカミチの奴には悪いがナギの事は伏せてやって欲しい……多分、俺も逝くだろうしな。聞けば怒るかも知れねえが今のアイツには色々と重くなり過ぎる。いずれ話すにしろ、それはアイツが一人前と成り、あのお嬢ちゃんが立派なレディと成った時の方が良い。

 

「―――とな。まあ、尤も明日菜君は立派なレディと言い難いじゃろうからこの遺言を完全に守れた訳ではないが、現状が現状だしの。それに今のお前さんなら大丈夫じゃろう」

「…………師匠…」

 

 学園長から遺言とも言える言葉を聞き、タカミチは如何なる思いを抱いたのか、何かを噛み締めるような表情を見せた。

 

 

 

「―――それでやっぱりネギ君にはまだ秘密にしとくん?」

 

 再び降りた僅かな沈黙の後、木乃香がそう祖父とアルビレオに尋ねた。

 

「うむ、彼には悪いが…」

 

 近右衛門が答え、アルビレオも静かに首肯する。

 その答えに木乃香は顔を顰める。

 イリヤはその気持ちが判らなくは無かった。先日、アリカの事を聞いた時も同様にネギには秘密にして欲しいと念を押すようにして言われたばかりなのだ。

 ルームメイトという事もあり、幼い彼を傍で見。明日菜と同じく弟のように接して親しくしている木乃香とって思う所は大きいだろう。またその明日菜にも本人に関わる重大な隠し事をしているのだ。

 幾ら義務や責任が伴うとはいえ、大切な友人達に関わる大事を知りながらも告げられないという現実は、十代半ば程度の少女に過ぎない木乃香には心苦しく受け入れ難いものだ。

 勿論、受け入れなくてはならないとも理解しているだろうが……。

 

(……そう、ネギとアスナに関わる事だと言っても、何の考えも無しに迂闊に話せる事じゃないしね)

 

 アリカ女王、造物主、黄昏の姫巫女、英雄サウザンドマスターの現状、どれもこれも魔法社会にとって重大な事柄だ。とてもでも無いが安易に吹聴して良いものでは無い。もし明るみに成れば魔法社会に与える影響も計り知れないのだ。

 無論、未熟なネギ達にとっても受け止めるには重いものだ。ただそれでも―――

 

「―――まあ、いずれはあの子達にも話すべき時が来るでしょう」

 

 アルビレオはそう言った。

 原作の事からもイリヤはそれがそう遠くない時期に訪れると感じ、恐らく今言った彼も同じくそう感じているだろうと思った。

 同時に先程のアルビレオの言葉の引っ掛かりが何なのか理解出来た気がした。だが、あくまでも“気がした”だけで確証は無い。けれど、

 

(―――そうね。その可能性が在るのなら賭けたい…いえ、託したいわよね)

 

 イリヤは、アルビレオの思惑を読み。それを確信する。

 

 

 

 そして考え込み、思考の奥深くにイリヤは意識を沈ませる。その間、近右衛門に促されて一同はこの場を後にする事に成った。

 思索に囚われ、半ば無意識にそれに従い歩くイリヤは気が付かなかったが、扉も無いぽっかりと大きく開いた出入り口である門―――というよりはトンネルを潜る僅かな時間、誰もがナギの方へ視線を振り向かせていた。

 

 封印術式による結晶樹で造られた棺の中で死んだように眠る英雄。

 

 眠るナギを見詰める各々がどのような心境であったのか、思考に没したイリヤにはそれを察することは出来なかった。

 ただアルビレオと近右衛門は無表情を貫き。エヴァはきつい視線を向け。タカミチは強く口を噛み絞め。木乃香は痛ましげな様子で。鶴子は何故か慇懃に頭を下げていた。

 彼を何とか助けられないか、救えないかとは誰も口にしなかった。出来るのであればとうの昔にやっている事ぐらい簡単に想像が付くからだ。

 そして何故この場に自分達が連れて来られ、執拗なまでに説明が繰り返されるかも判っていた。

 敵―――“完全なる世界”の危険性と、彼等が麻帆良を重要視する理由をより強く認識して欲しいからだ。麻帆良の防衛の要であり、信頼出来る人物であるイリヤ、エヴァ、タカミチ、鶴子。そして後継者である木乃香に。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「イリヤ、さっきから何を考えている?」

「え? ああ、うん。ちょっとね」

「んん? ハッキリしない言いようだな。らしくないぞ」

 

 再度談話室へと向かう道の最中、エヴァがずっと俯き加減なイリヤの様子に気付き尋ねていた。

 勿論、エヴァを含めた他の者達も思う所が大きく、思考に没する所はあったが……いや、だからこそエヴァはイリヤと少し話をしたくて彼女に声を掛けたのかも知れない。

 言葉を濁したイリヤにエヴァは視線を強め、それを感じたイリヤは謝るように軽く頭を下げると、エヴァに確りと答える為に改めて言葉を口にする。

 

「…幾つか気に成る事はあるんだけど、その一つに、先程までの話の中でウェスペルタティアの王都―――オスティアの事が出ていたけど、今は廃墟となったその旧オスティアは、確か麻帆良と繋がっていたわよね」

「ああ」

「…そうじゃが」

 

 エヴァが頷くと同時に近右衛門も答えた。どうやら彼もイリヤが何を考えているのか気になっていたらしい。

 

「この麻帆良―――図書館島の地下には旧オスティアと繋がるゲートがあった。じゃが20年前、旧オスティアが崩壊すると同時に封印……いや、廃墟に埋もれたまま破棄されておる。『終わりと始まりの魔法』による魔力消失現象の影響も長くあり、再度機能させるのも手間であったし、政治的にもまあ…色々とあるからのう―――む、まさか?」

「ええ、もしかすると……ね。旧オスティアは敵の本拠地だったみたいだし」

 

 近右衛門のハッとした声にイリヤは首肯した。

 何度も言うようだが彼女は原作の全てを知ってはいない。その前後は曖昧に成っているがネギ達が墓守の宮殿へ突入した辺りまではそこそこ記憶に在り、“完全なる世界”が原作で旧オスティアのゲートを利用したらしい事は覚えていた。

 尤も仮に知らなくとも、この世界の事を学び、魔法世界と旧世界を繋ぐゲート…ひいては麻帆良と旧オスティアを繋ぐゲートの事を知れば、その程度ことは容易に予想できたと思うが。

 

「なるほど。強固な結界で覆われた麻帆良を外から侵入するのは普通に考えれば至難だ。今回の一件では上手く行ったが、それで警戒と防護が高まれば二度は難しい。しかし破棄され、監視が緩んでいるゲートを使うのであれば裏を掛けるかも知れん」

 

 エヴァが得心するかのように言う。

 しかし、対してアルビレオは首を横に振った。

 

「まあ、在り得なくはないと思いますが、しかしキティが言うほど今もゲートの監視と警戒は弛んでいません。図書館島は一般的に言われている通り、世界中から集められた希少本の他、秘蔵された魔道書などの盗難・盗掘を防ぐ為に無数の対策が敷かれています。地上近辺や階層の浅い部分は兎も角、地下深くにあるそれらは元々ゲートからの侵入者や密航者を想定して施されたもの。その警戒網と防護力は学園結界とそう大差ありません。それに―――」

 

 ―――私の今の住所はそこですから、とアルビレオは己の言葉を締めた。

 

 そういえば、そうだった、とイリヤは内心で呟く。彼がドラゴンと共に図書館島の地下に居るのは、己を保つ為の魔力(マナ)の濃さと大量の本が貯蔵された“図書館の中”という概念的なものだけでなく、ゲートの監視も含まれているのだろう。

 アルビレオが居れば、ゲートからの侵入者が例え“完全なる世界”の一員であろうと容易に突破出来ない筈だ。

 図書館島にある結界がどれ程のものかは判らないが、少なくとも彼の戦力と合わせればこちらが態勢を整えるなり、応援が駆けつけるまでの時間は、英霊が相手でも稼げるかも知れない。

 とはいえ、

 

「それでも油断は禁物よ。判っているとは思うけど」

 

 イリヤとしては、敵のゲートの利用はほぼ確実なのだ。こうして怠らず注意を促しておくに越したことは無く、また可能であれば事が起こる前に先手を打っておきたい。ヘルマンの件での失敗は繰り返したくは無いのだ。

 

「ふむ、そうじゃな。こちらの警戒を強めると同時に話の分かる人間を通じて“本国”の方にも伝えておくべきじゃな」

「……僕もアイツに言っておくべきかな。アイツの事だからそういったゲートの事なんかも視野に入れて新オスティアの総督に成ったんだろうし」

 

 イリヤの忠告を真剣に受け止めた近右衛門を見て、タカミチも頷いた。

 タカミチの言う“アイツ”が何者なのかイリヤは察しが付いたが、今の所それほど気に掛ける必要は無いかな、と取り敢えず聞き流す事にした。

 と、ふいに彼が右肩を擦る様子が目に入った。

 

「タカミチはん、大丈夫どすか?」

「え、ああ、大丈夫です……とは、まあ…はっきり言い辛いんですが」

 

 気付いた鶴子に声を掛けられ、タカミチは若干慌てて擦っていた肩から手を離した。

 声を掛けられた瞬間、肩に視線を落としてハッとした様子を見るにどうも無意識であったらしく、肩を擦っていた事自体自分で気付いていなかったようだ。

 アルビレオはその様子を見て難しげな表情をする。

 

「……話しには聞いていましたが、イリヤさん本当にタカミチ君の治療は無理なのですか?」

「何度も言うようだけど、無理ね」

 

 唐突に話を振られたイリヤは即答する。

 

「呪いの傷を新たな傷で上書きして治癒…っていうのは勿論だけど、腕ごと切り落として再生させたとしても、例え義手にしたとしても、その新たな腕や義手に傷が出来るわ。あの黄槍の概念(のろい)はそれほど強力なの。解呪するには―――」

「―――槍を折るか、本人を倒すしかない、だろ」

 

 タカミチは横から口を挟んだ。

 

「ええ、残念だけど、やっぱり『キャスター』の知識を持ってしてもそれ以外の方法は見つからなかったわ」

「そうか、まあ…仕方ないさ」

 

 イリヤの申し訳なさそうな言葉にタカミチは気にしてないとでも言うような口振りで答えた。

 彼としては、戦う以上こうなる覚悟はあったのだ。それに全く戦えない訳では無い。傷の痛みと出血は…負った傷を焼き、敢えて火傷を治さない事と、魔法技術で造られた特殊な包帯で覆う事で抑えている。

 多少無理をすれば右腕は使えなくは無く―――無論、全力で拳を撃てず、無音拳の威力と速度も半減しているが―――フェイト・アーウェルンクスが相手でも後れを取らない自信が彼にはあった。

 流石に英霊相手は無理だろうが―――……。

 

 一方イリヤは無理と答えたが……実の所、件の『キャスター』を夢幻召喚(インストール)し、彼女(メディア)の知識から治療及び解呪法を探る時に奇妙な違和感を…引っ掛かりを覚えて、彼の治癒に届くのではないかという感覚があるのだ―――が、ノイズが掛かった様にどうしてかその知識までには手が届かず。仕方なく可能性は在れど、無理だと答えていたりする。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 談話室に着いた一同は、先刻と同じ席に着いて軽く休憩を挟んで一服し……。

 

「さて、あの場に赴く前に出された疑問について答えるかの」

「といっても、私が麻帆良に居り、それを今まで隠していた事情は大体見当が付いたでしょうが」

「ああ、忙しいジジイの補佐。封印されたナギ―――いや、造物主とゲートの監視だろう。私達にまで行方を隠していたのは……碌でもない性格のお前達の事だから半分は趣味だろうが…」

 

 近右衛門とアルビレオに答えるエヴァは言葉を切ると一瞬、タカミチの方へ視線を送り、

 

「…ナギの死亡に真実味を与える為だな」

 

 そう、彼女は告げた。

 それにタカミチは、ああ! と今しがた納得したように声を上げた。

 

「そうか、ラカンさんはともかく、同じ旧世界出身で赤き翼の一員である僕がナギさんの死亡に疑いを持たず、アルの行方を全く知らなければその信憑性は大きくなるのか」

「……実際、私がそうだった。今は兎も角、昔のお前は腹芸の出来る人間ではなかったからな。まあ、今も向いているとは言い難いが―――せいぜい、善良なあの小娘を騙し通せる程度か…くく」

 

 タカミチの反応にエヴァは皮肉気に笑う。まんまと騙された自分にか、それとも仲間からも欺かれたタカミチの間抜けさにか、もしくはその両方に対してか。彼女はくつくつと笑った。

 

 

 

 笑うエヴァの姿を見てタカミチはあの頃の事を思い出す。

 十年前、ナギの死亡説が魔法社会に駆け巡った当時、呪術協会の長の座に就いた詠春、そして麻帆良に姿を見せたタカミチに各種メディアやゴシップの取材が殺到した。

 ラカンは隠居し姿を見せない事からその取材攻勢から免れられ、詠春も閉鎖的な西の所属な上、立場が立場ゆえに取材は難しくコメントを出すのも疎らであった為にその分、タカミチの方へマスコミの視線は向けられた。

 

(あの頃は大変だったな)

 

 尊敬する仲間と師を失い。託されたものの重さに心の整理もまだ付かなかった最中にも関わらず、そんな事はお構いなしに取材を求めるメディアに戸惑い、苛立ち、鬱陶しさが積もり、何度もそれを爆発させそうになった。

 

(それでも庇ってくれる学園長や暖かく迎えてくれた同僚たちのお蔭で冷静に対応出来た。……まあ、学園長は先の思惑もあっての事だったんだろうけど、それは別に恨むほどの事でも無い)

 

 訳も理解できるし、過ぎた今となっては敢えて蒸し返す必要は無い。

 タカミチはそう割り切って苦笑し、水に流す事にした。それが出来ない程もう子供では無いし、未熟でも無い積りだ。

 

(でないと、師匠に呆れられそうだ)

 

 

 

 自虐と皮肉が入り混じった笑い見せるエヴァと仕方なさ気に苦笑するタカミチ。

 その二人の様子に思う所はあれど納得したらしいと見て、近右衛門はでは、次の疑問じゃが、と言葉を切りだす。

 

「“完全なる世界”の真の目的に関しては……アル」

「ええ、やはり私からお話した方が良いでしょう。ですが……その前に―――」

 

 アルビレオはイリヤに視線を向ける。エヴァに過去を尋ねた時と同様の神妙な目で。

 

「イリヤさん。まだ何か気に掛かる事があるのではないですか?」

「……突然ね。それは勿論あるけど」

 

 イリヤは向けられた視線に探る物を感じて警戒する。

 

「…………」

「…………」

 

 二人は静かに見詰め合い。やがて、

 

「では、こちらから尋ねましょうか。ウェスペルタティア前王が―――賢王と讃えられていた彼が自ら進んで治める国を滅ぼしかねない危険を平然と犯したその訳……民を思い遣っていた彼の王が“完全なる世界”などという世界を危機に陥れる秘密結社の幹部となった理由…」

「……」

「貴方はその理由に気付いているのではないですか?」

 

 アルビレオの問い掛けにイリヤは沈黙する。代わって木乃香が口を開いた。

 

「どうゆうことなん? ウェスペルタティアの建国者は“完全なる世界”の黒幕…“始まりの魔法使い”その人やないの。ならその子孫が幹部で組織に協力するのは、そうおかしいことや無いと思うけど」

「いや、だからといって世界を滅ぼし、治まるべき国と守るべき民草を犠牲に強いる事に手を貸すとは限らん。況してや賢王とも言われるほどの施政を敷いていた人格者だったんだ。事実、娘のアリカ女王は納得できず翻意している。これまで聞いた話から察するに王族である彼女は自国に秘められた裏側……“完全なる世界”との関わりに薄々気付いていたようだしな」

 

 木乃香の疑問をエヴァが翻す。遠い過去の事とはいえ、領主の姫君であった彼女には感じる所があるのかも知れない。

 イリヤは、アルビレオの視線を受け止めながら少し考える。

 自分が漫画で描かれたこの世界の事を知っている……いわゆる“原作知識”を持っているなどとは流石に思ってはいないだろう。しかし、どういう訳か自分がこの世界―――魔法世界の真実か…或いはそれに近しい何かを察していると彼は確信しているようだ。

 

「……アルビレオ・イマ。それは貴方の勘かしら」

 

 イリヤは逆に探りを入れるように尋ね返す。

 

「そうですね、それもありますが。イリヤさん…貴女は本当の意味で別世界の人間です。しかも慎重で非常に頭の回りの良い賢い人です。そんな人物ならば突然迷い込んだ異世界…世界観が近しい並行世界とはいえ―――いえ、だからこそ己の世界と異なる未知が在るこの世界を深く客観的に見れ、ふと思わぬ秘密に気付くのでは? とそう思ったのです」

 

 アルビレオの答えにイリヤは本気で言っているのであれば買い被りだなと思い。本当にそう思っているのかという疑念も強く感じていた。

 これも原作知識による影響か、どうも油断ならない胡散臭い印象が拭えない為、彼の言を素直に受け止められない……が、彼相手には下手に誤魔化すのも拙いと思い、イリヤは迂闊に感じながらも素直に応じる事にした。

 

「判ったわ。これはただの推測だけど…」

 

 正直にいう訳にもいかないのでそう嘯きつつ話す。

 

「ウェスペルタティア前王は、絶望していたんだと思う」

「絶望?」

 

 唐突な言いように木乃香が思わず声を零した。

 

「ええ、良き執政を行ない。善政を敷き。万民の為成る王と力を尽くして来たにも拘らず、避けられぬ運命によってすべて水泡に帰すのだと知って」

「……ふふ、流石はイリヤさん、やはり気が付いていましたか。そう、だからこそウェスペルタティア前王は、諦観し全てを造物主に委ねたのです」

 

 イリヤの言葉にアルビレオは感心する。

 しかし木乃香は二人の回りくどい言い方もあって疑問に頭を悩ませるばかりだ。そこに鶴子が姪の悩みを解消させるように口を出した。

 

「ウチにも今一理由は分かりまへんけど、つまり前王は世界が滅びる事は避けられないと知ったんどすな。それも何千、何万年先の遠い時代の事やなく、己が代か、次代の治世で」

「え、滅…びる…? それって“完全なる世界”が滅ぼそうとしているから…という意味やないよね?」

 

 ニュアンスの違いに気付いて木乃香が言う。

 

「そうよ、コノカ。多分だけど魔法世界はそいつらが滅ぼすまでも無く、それ以前に滅びが確定していたんだと思う。それもツルコが言ったようにそう遠くない未来にね」

「ッ―――! そんな!?」

 

 鶴子に答えに続くイリヤの言葉に木乃香は愕然とし、途端、黙って聞いていたエヴァがハッとした様子で顔を上げた。

 

「! そうか…見えて来たぞ! 魔法世界は―――」

 

 そう呟き、エヴァは確かめるようにイリヤの方に視線を向ける。それに彼女は頷き答えた。

 

「人造異界。それも火星一つ丸々依代にした極めて大規模な」

 

 それはイリヤにとって元々は原作の受け売りに過ぎなかった。

 しかし、今は少し違う。原作を前提に考えてイリヤは魔法の研究を進めると共にその事実を確認した。原作と同様、この世界に在る魔法世界も人造異界だという可能性を。

 

「ウェスペルタティアの建国…年代……文明発祥の土地。祖たる始まりの魔法使い…その末裔、黄昏の姫巫女……始まりと黄昏…始まり、終わり……では滅びの儀式というのは―――………確か前世紀の初頭に見た論文に……火星の表面積、質量は?……魔力総量と維持の比率……いや、だとするとおかしい、まだ先の筈だ。何かが足りないのか? あ、そうか、姫巫女が………それと大戦期に行なった儀式で……く、何故今までこれに気付かなかった!」

 

 俯き顎に手を当ててぶつぶつと呟き、エヴァは確信を深めると愕然する。彼女にしても想像の埒外であったのだろう。その衝撃はかなり大きいらしい。

 イリヤは、その様子に少し場違いだと思いつつも原作でネギがその事実に気付いた場面と似ている事から、この師あってあの弟子あり……と、そんな言葉を内心で呟いていた。

 

「イリヤ、お前は何時からこれに気付いていた?」

 

 キッと睨むようにし、やや詰問口調でエヴァはイリヤに尋ねる。

 イリヤは困った。まさかこの世界に来る以前から……とは言えない。取り敢えず当たり障りなく、

 

「京都の一件が終わった後よ。女子中等部の校舎の図書室で気晴らしに手に取った天文学の本…火星の項を読んで引っ掛かりを覚えてね」

 

 原作であった天文部所属のルームメイトを持つ夏美の発言を真似てイリヤは答えた。

 

「それで調べた訳か」

「ええ、地表面積や地形に地名…余りにも重なる部分があったものだから気に成って、で…さらにその後で工房を開く事になった訳だけど、侵入者対策で地下の一部を異界化させる際、参考にこちらのその手の魔法理論を調べる内に……まあ、色々とその可能性に気付いたのよ」

 

 イリヤはそう適当に誤魔化しながら言葉を続けた。

 

「なるほどな。だがそれなら教えてくれても良かっただろうに」

「悪かったわ。けどその時は確証に乏しかったし……それを得たのは今日の話を、アスナや造物主の事を聞いて漸くよ。それにエヴァさんならとっくに気付いているものだと思っていたし、少し意外ね」

 

 エヴァにそう言うも、正直に言えばその疑問は何も彼女だけを対象にしたものでは無い。他の魔法使い達にも言える事だった。何しろ魔法世界に赴いたごく普通の女子中学生が持っていた俄か知識で気付ける程度ものなのだ。

 

「仕方ないだろう。まあ、疑問は全く無かった訳ではないが、魔法世界は私が生まれる前よりも遥か過去、紀元前からあったものなんだ。それがまさか人造異界だなんて誰が思う」

「キティの言う通りですね。魔法世界というのは我々魔法使い……魔法社会にとって謂わば“常識”なのです。遥か遠い昔に発見された旧世界とは異なる次元にある新世界だと」

 

 悪態を吐くように言うエヴァをアルビレオは弁護した。

 

「その固定観念ゆえに大抵の人間は気が付かない訳…か」

「そういう事です。その上、火星…惑星全体を依代にして異界を造るなどという発想自体、狂気の沙汰……普通に考えればとても馬鹿げた話でしょう」

 

 ふむ、と唸りイリヤはアルビレオの言葉に尤もかと納得した。

 確かに魔法使い達にして見れば、遥か昔から当たり前に存在している広大な魔法世界が人工的なものだとは考え難いだろう。旧世界(ちきゅう)の者達は勿論、旧世界を殆ど知らない魔法世界(かせい)の当事者たちならば尚更だ。むしろ原作のように何も知らない一般人の方が気付き易いのかも知れない。

 ネギが気付けたのは、その他にもそれまでに様々なヒントを得ていたからだろうが。

 

「あ、そ、それで火星が魔法世界で、滅びるってどういうことやの? それが本当で避けられないっていうなら王様が絶望するのも判るけど、でも“完全なる世界”は滅びるのに滅ぼそうとしとって…アルビレオはんやネギ君のお父さん達はそれを阻止して滅びから世界を救っとって―――あー、うー、なんか訳判らんようなってきたえ」

 

 余りの事に理解が追い付かないのだろう、木乃香は混乱気味にそう言うと頭を抱える。

 

「つまりじゃな、木乃香。簡単に言えば魔法世界は遥か昔…ウェスペルタティアの建国とほぼ同時に“始まりの魔法使い”達が火星にて創造した物だったのじゃ。創造神や造物主と呼ばれる所以はこれにある。しかし本来ならば滅多に無い事じゃが、“彼ら”の造った人造異界には限界があった」

「…限界?」

「うむ、人造異界というのは言うなればそれ一つが大規模な魔法じゃ、当然魔法である以上魔力が必要に成る。それを造った土地に満ちる魔力…或いは地脈・霊脈が何らかの理由で枯渇し維持に必要な魔力が不足するようになれば―――」

「魔法の効果は消える。そういうことやの?」

「そうじゃ。通常であれば人造異界は大きくとも一地域…地方が精々であり、星の魔力の循環機能やそれに伴う魔力の再生成によってまず消滅する事は無いのじゃが。しかし造物主の造った魔法世界は火星全域に及んでおる。これでは循環機能は働きようが無く、火星(ほし)に巡る魔力は常に消費される一方に成る。その結果は―――言うまでも無かろう」

 

 木乃香の顔が強張る。魔法世界には12億あまりのヒトが住み。数多の動植物が生息しているのだ。

 それが世界諸共消える。

 木乃香の脳裏に大地や空と共に罅割れて砕け、消え行く麻帆良や故郷…京都の凄惨な光景が一瞬浮かんだ。知識だけの見知らぬ世界である為に不意に自分の知る世界と置き換えて考えてしまったのだ。

 

「それじゃあ、本当にいつか…」

「その“いつか”が何時訪れるかは判らんが、今すぐという事は無い。ただ残念ながら止める手立ても無いがのう」

 

 顔色の悪い孫の様子に表情を顰めながらも近右衛門は冷静に答える。

 

「そして、いざ崩壊が訪れたとしても魔法世界の人間全てを旧世界が受け入れる事も難しいじゃろう。他にも問題があるしの」

「……じゃあ、“完全なる世界”がやろうとしている事ってなんなん? エヴァちゃんはさっき滅ぼそうとしとるって言っとったけど、平穏な世界を作ろうとしているとも言っとったよね」

 

 “完全なる世界”の真の目的。木乃香はそこに一抹の希望が在るのでは……と自分でも本気でそう思ったのか定かではなかったが、彼女は気付くとそう口にしていた。

 それは先に尋ねたエヴァもそうだが、イリヤも知りたい事だ。二人は“完全なる世界”の目的にアイリが、抑止力がどう関わっているのか気に掛かっているのだ。

 

「…では魔法世界の真実を知ったことですし、お話しましょう。“完全なる世界”…彼等の目的は―――」

 

 一言でいうのであれば、それは世界の再編です。

 

 そう言い、アルビレオは語った。

 黄昏の姫巫女(あすな)の力によって魔法世界を一度消滅させ、全ての人々を肉体より解脱し、魂に穏やかな眠りを与え、望む夢だけを見て過ごせる世界卵―――小さな箱庭世界へと新生させるのだと。

 

「『始まりと終わりの魔法』。それが叶えば魔法世界の人々は現実で敢えて辛く苦しく生きる必要は無くなり、各々は魔法にて用意された小さな揺り籠のような世界でただ眠り、見せられる幸せな夢の現実に置き換えて生きる事に成る訳か…」

「ふん、前世紀末で見たアニメや映画のような話だな…と、映画の方は昨今続編が出ていたか? まあ、それはいいか。要は場所も取らない狭っ苦しい檻の中に閉じ込めて無理矢理眠らせて、生かさず殺さず目覚めさせぬまま永遠に都合の良い夢だけ見せ続けるってことだな」

「飾らずに言えばそうですね」

 

 イリヤの感想はともかく、身も蓋も無いエヴァの言いようにアルビレオは苦笑する。

 

「まあ、そう言った世界に書き換えれば、確かに魔力の消費は格段に抑えられるし、火星の魔力(マナ)も枯渇する心配も無くなるわね。生成と消費が逆転する訳なんだから」

「…けど、それって……」

「そうね、コノカ。とてもではないけど“生きている”とは言えない。謂わば究極の逃避…もしくはヒキコモリかしらね。今在る魔法世界も結局は崩壊させる訳だし……―――」

 

 とはいえ、イリヤとしては正直な所、その手段を非難する気も否定する積もりも無かった。

 

(争いの無い平穏な世界の実現。お母様が京都で言った言葉に偽りは無かった訳か。……例えそれが夢幻(ゆめまぼろし)で築かれたモノだとしても)

 

 そう、それはそれで最善ではないにしろ、最良の方法ではないかとも思えるのだ。12億やら6700万人もの人間を地球に移住させて途方も無い人口問題や難民問題、人権問題を引き起こし、もしくは100年にも渡る終わりの見えない戦争を勃発させるよりは遥かに良い。しかし、

 

(でも、そのお母様―――アンリマユの残滓が関わる以上、果たして何が起こるか。とてもじゃないけど望む結末が訪れるとは思えない。それに儀式の際に集まる濃密な魔力の事も……少し気に掛かる。まずあり得ないと思うけど…けれど、もしも万が一にでも“汚染”されるような事態が起きたら―――)

 

 イリヤは考え得る最悪の事態を想像し、悪寒と共に全身が身震いするのを感じた。

 もしそうなれば、自分の手には負えなくなる。魔法世界は呪いに溢れて崩壊する前に地獄と化し、恐らくゲートを通じて此方側にも溢れ出すだろう。

 

(やっぱりネギ達と共に“完全なる世界”を…お母様を止めるしかない)

 

 イリヤは覚悟を改める。と同時にふと脳裏に浮かぶものがあった。

 

(……あの子はこの難題。魔法世界の問題をどう解決するのかしら?)

 

 知りようが無かったネギ・スプリングフィールドの―――原作とは異なるのかも知れないが―――物語の行く末を見届けられる可能性に少し思い馳せた。

 物語の中では父の意志を継ぐと言った幼い彼。果たしてこの世界(げんじつ)でもそうなるのか。

 この途方も無い問題を前にして魔法世界の全てを救う道を選べるのか……父の背中を追い続ける彼が、父の目指した道程を信じてその先を歩けるのか。

 

「ネギ君のお父さん…ナギさんは、そんな夢の中に逃避するような事が嫌で戦ったんかなぁ」

「…というよりも、より単純に抗う事を止めて諦めた事が許せなかったんでしょうね」

 

 と、声を耳にして物思いから意識を浮上させると、木乃香とアルビレオがそのネギの父の事を話していた。

 

「アルビレオはんも?」

「さて…どうでしょう? 盟友たる彼の意志には賛同していましたが……」

 

 木乃香の問い掛けに、フフ…と笑みを浮かべながら応じるアルビレオ。そんな彼をイリヤの隣に座るエヴァが胡散臭そうに見ている。

 イリヤは元・同居人であり、この世界で最も頼りしている彼女を見て決断する。

 つい先日、エヴァの原作とは異なる過去を知った後に提案した事をこの機会……危機意識が強まっているこの機に乗じて近右衛門に許可を得ようと。

 

(まあ、人の良いこのお爺さんの事だからそう強く反対はしないと思うけど、立場や食えない所があるし…うん、渋られるのも困るし、条件付けや対価の要求を避ける意味でも今が好機よね)

 

 そう胸中で呟きながらイリヤは近右衛門に口を開く。

 

「学園長、一つお願いがあるんだけど」

「む、何じゃ?」

 

 近右衛門がイリヤの何処となく改まった感じの声を聞いて訝しげな表情をする。そして次に告げられた言葉にその顔が強張ったものとなり、彼は絶句する事と成る。

 

「エヴァさんの封印を解こうと思っているんだけど、関東魔法協会理事としてその許しと尽力を得られないかしら?」

 

 

 




 原作よりも早く“完全なる世界”の残党の暗躍を察知し、ヘルマンの捕獲に伴うMM元老院への警戒も必要な以上、学園長達がイリヤやエヴァ、木乃香などに対して原作同様に多くの秘密を隠すのは不自然に思え。
 また作者的にもキャラクターを通して原作での疑問点を独自解釈で消化しつつ設定を纏めたかった事もあって(お蔭で話の流れに強引な部分が多々出てしまいましたが)当時はこの話を書きました。
 その為、アルビレオの登場とナギの秘密が明らかに成るのが早まりました。

 あと蛇足ですが、木乃香が“始まり魔法使い”に過剰反応したのは……原作の2600年という言葉やら、明日菜と木乃香を差して新旧両世界のお姫様と言ったフェイトの台詞、そしてオスティアに繋がるゲートが麻帆良…というよりも日本にある事から―――まあ、察しの良い方はその理由に気付くと思います。遥か遠縁とはいえ、木乃香がやんなごとなき御方の血を引いている事も含めて。


 次回はネギ達の様子が描かれます。


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第22話―――懊悩と決意と

重い感じのシリアス続きです。


 

 その日。教会を後にしたネギとその生徒達は何をする訳でも無く、時間を無駄に浪費するようにボンヤリと過ごしていた。

 本来ならば明日から始まる中間テストに備え、準備や予習なり復習なりして置くべきなのだろうが、とてもでは無いがそんな気には成れなかった。

 

 

 

「…はぁ」

 

 その一人、ネギは寮の室内にある自身のプライベートエリアと化したロフトの、備え付けたデスクに頬杖を突き、静かに溜息を吐きながら物思いに耽っていた。

 先日の事件で殉職者が出ていた事……彼はそれを知り、小さくない動揺と衝撃を受けていた。その為、事件後にイリヤと言葉を交わして晴れた筈の彼の胸の内がまた淀み始めていた。

 あの悪魔―――ヘルマンなる人物は言った。自分の戦力評価が麻帆良で騒動を起こした目的だと。

 それ故に、死者が出た事実は、ただでさえ生徒を巻き込んだと考えているネギにとって、更に重く圧し掛かるモノを与えた。しかし、

 

 ―――それは間違いで勘違いよ。

 

 つい先程、教会で告げられたイリヤの言葉が脳裏に浮かぶ。

 

 ―――今回の件で貴方達に責任を負う所は無い。あるとするならそれは学園長を始めとした協会上層部の方。

 

 そうして続いた彼女の言葉は恐らく正しいのだろう。

 ネギとて、いい加減気付き、理解している。あの南の島でイリヤが泣き叫ぶようにして言った日からカモと相談を重ねてそれを考えて来た。

 

 自分の持つ価値と業を。サウザンドマスターこと英雄…ナギ・スプリングフィールドの息子である事の意味を。

 

 ネギは、自分に与えられた日本で教師をやるなどという奇妙な課題―――この麻帆良での修行が各国協会上層部の思惑によって決定された事なのだと、今に成って漸く気付いたのだ。

 

 ―――極東の島国。東と西で複雑に絡み合う情勢がある国。

 

 魔法使い達の本場である西洋から中東、中央アジアなどの大陸の他勢力圏を挟んで遠く離れ、その情勢故に余所から魔法使いの来訪は否応なく目立ち、動き辛く、手が出し難い日本という最果ての地。そしてその国の中でも鉄壁を誇る麻帆良学園。

 そんな場所が修行地に選ばれた理由。

 それは恐らく日本での修行というのは半ば口実であり、その実、英雄の息子たるネギを安全な場所へと送り出して保護させる為の処置なのだ。彼が一人前と成り、己が力で脅威を振り払えるまでの。

 無論、そこに在るのは善意だけでは無いだろう―――これはネギではなく、カモの考えだが―――将来有望な魔法使いを…それこそ、世界最高クラスの実力を得る可能性のあるネギを確実に“協会側”が取り込みたい事。世界を救った英雄の息子の“名”を何かしら利用したいという打算も在る筈だ。

 そういった意味では春先でのエヴァとの対決や、もしかすると弟子入りまでも魔法協会の思惑の一環なのかも知れない、とネギとカモはそこまで考えを巡らせていた。

 

「……」

 

 黙したままネギは思う。

 協会は―――麻帆良は打算こそ在れど、英雄の息子という名の価値と重みを承知し、自覚の薄い自分に代わって受け持つ覚悟を持っていた。

 その身を狙う何かしらの脅威によって何らかの被害を、犠牲が生じる可能性が在る事を十分理解した上で。

 

(だからきっとイリヤの言う事は正しくて、事件での被害や犠牲者…ううん、事件が起きた事そのものに対して僕に責任と罪が無いのは、その通りなんだろう。でも…)

 

 ―――そんな理由では貴方達が納得できないのも、苦しさや蟠りを解消できないのも判るんだけど、ね。

 

 と、これまたイリヤのそんな言葉が過ぎり、ネギはそれに頷くようにしてデスクに視線を落とした。

 

 

 

 一方、同室の明日菜もネギと同様に自分の机に頬杖を突いて視線を落としていた。

 その目線の先には参考書や問題集などの教材がある。ウジウジ悩んで時間を無駄にするのも嫌になったので、テストが始まる明日に備えて勉強をしようと彼女は思い立ったのだ。

 しかし結局は集中し切れず、教材を目に映しつつも頭には入らず、ボンヤリと胸の内に蟠るものに思い悩む事となっていた。

 そう、明日菜もまたネギと同じく殉職者が出た事に、その事件の要因が自分にある事実にショックを受けているのだ。それも『完全魔法無効化能力』などという魔法に詳しくない彼女でも、とんでもないと判る得体の知れないチカラが自分にある為にだ。

 

(私…ただの女子中学生の筈なのになぁ)

 

 愚痴の様にそう内心で呟く。

 無論、今更本気で言っている訳では無い。魔法に関わり、散々非常識な目に遭い、自らの意志でそんな世界に踏みこむ事を決めたのだ。

 だが、それでもネギのように普通でないチカラを自分も実は持っていて、そんな自分が原因であんな事件を招いて、死人まで出した何ていうのは―――

 

(……堪えるわね)

 

 そう思いながら背後を振り返る。

 明日菜の視界にロフトの上で項垂れるネギの小さな背中が捉えられた。

 それを見て、ネギの事を言えないな、などと彼女は思った。

 

(偉そうにあんな啖呵を切って置きながら…)

 

 ネギの過去を見た直後、明日菜は彼に言った。

 あの雪の日の惨劇の原因は自分にある。自分が悪いんだと言わんばかりのネギに「アンタの所為じゃない!」と言い切った。

 

(だっていうのに―――)

 

 ―――情けない、と彼女は思う。

 こうしていざそう言った位置に己が立たされると、そのネギのように責任感やら罪悪感やらを覚えているのだ。

 本当に悪いのは、事件を引き起こしたあの悪魔や黒幕らしいフェイトとかいう生意気そうな子供(ガキ)だっていうのに。それに―――

 

(―――イリヤちゃんの言う通りなんだろうし)

 

 自分が秘める価値。自分が持っていたチカラの事を幼い頃からよく知る学園長や保護者である高畑先生も知っていたのだろう。幼くも大人びた雰囲気を持つあの白い少女が言うように。

 それを認識した上で学園長達は自分を引き取ったのだ。

 保護者である二人に直接聞いた訳ではないが、明日菜は“勘”でそう確信していた。

 

「…ん」

 

 途端、微かに頭痛を覚えて明日菜は額を軽く押さえた。

 自分の持つチカラの事を考える時、何故かいつも頭痛を感じるのだ。まるで“考えてはいけない”と訴えるかのように。

 だから彼女は“考える事を止める”。

 とはいえ―――明日菜は“頭痛を堪えて”思う―――どうしても気に掛かる。

 自分がネギ達のような魔法使い側の人間であるらしい事や、学園長と高畑先生がそのチカラを知っていると窺える事が。だから何処か打算があって孤児である自分を引き取ったんじゃないかとの疑惑があり、そして学園に来る以前の記憶が無い事も―――妙に落ち着かない、不安な気分にさせた。

 ある意味、事件で犠牲者が出たこと以上に気掛かりで、強い衝撃があった。

 

「………」

「………」

 

 そうして二人はただ沈黙し、静まった部屋で答えの無い、割り切れない感情を抱えて懊悩し続ける。

 

(兄貴、姐さん…)

 

 カモはそんな二人を黙って見つめる事しか出来なかった。勿論、始めは励まそうと元気付けようとした。

 

 「兄貴や姉さんの所為じゃない」「イリヤお嬢様の言う通りですよ」などと。

 

 だがそれだけだ。根本的に彼等の悩みを解決できる言葉をカモは思い付くことは出来なかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 夕映とのどかの二人は寮へ戻らず。ダビデ広場のベンチに座り、何と無しに揃ってぼんやりと空を見上げていた。

 

「…今日も、いいお天気だよね」

「……ええ。お出かけには絶好の日和ですね」

 

 空を見続け、そんな取りとめのない言葉を彼女達は交わす。

 しかし二人の目に映り、脳裏に描かれているのは、青い快晴の空では無く。4日前の出来事―――エヴァ邸で見たネギの過去と、暗雲に覆われた空の下で起きた事件のことだ。

 

 

 

 赤い炎に包まれた雪の日の惨劇、想像すらも出来なかった過酷な少年の過去。

 それは、魔法に関わる世界に潜む恐ろしさを知り、それでもその世界へ進もうと考えていた矢先の事だった。

 正直、まだ考えが甘かったと、そう思わざるを得なかった。

 

 ―――ネギ先生が過去にあんな酷い思いをしていたなんて…。

 

 のどかが、そう漸く口に出せるようになったのは別荘で一夜を明かした後だ。

 あの過去を見た直後は、凄惨な光景ばかり目に焼き付いてただ俯き、震えている事しか出来なかった。とてもでは無いが――情けなく、悔しいことに―――明日菜のようにネギを気に掛けて励ます心の余裕なんてなかった。

 そして、夕映とすら言葉を交える気力も出ず、戻ったベッドの上で焼き付いた凄惨な光景に震えている内に気付かぬまま眠り落ちた。

 

 夕映もまた同様だ。

 別荘での翌日になってから漸くのどかと言葉を交わす余裕を持て、互いにネギの過去の事を話し合ったが…。

 

 ―――私とのどかは本当に魔法に関わるべきなのでしょうか?

 

 話し合ったが、結局そう疑問を呈する事しか出来なかった。

 見せられた光景を思い出す。

 何処からともなく這い出る無数の恐ろしい異形の群れ。だが、それ自体は姿形こそ違えど以前にも似たものを見た。だから怖気を覚えたのは寧ろ…そう、動かぬ骸と化したネギの故郷の人々の姿だ。

 こう言うのもなんだが、2年前に亡くなった祖父の遺体は綺麗なものだった。まるで穏やかに眠っているようで、呼び掛ければ今にも眼を覚ましそうな、生きている時とほぼ変わらない姿だった。

 しかしそれに比べて赤い炎に撒かれた村で見たモノは―――焼かれ、ひしゃげ、潰され、千切られ、裂かれ、切り刻まれ、撒き散らされて―――無残で人のカタチを保っているものは殆ど無く。まるで人としての尊厳が踏み躙られているような酷い有様だった。

 

(あんな風に人が死んで行く世界。魔法に関わればそれが身近になる)

 

 夕映達は、まだ触り程度ではあるが、魔法社会について既に幾分か学んでいる。

 その学んだ知識よると、この世界の魔法使いの多くは各国にある魔法協会に所属し、各地にある神秘の足跡や魔物の封印、古い遺跡などを監視しながら人知れず世に仇成す悪霊や妖怪…或いはあの悪魔などの他、外道に堕ちた魔法使いなどと戦い。また表向きに何らかの政府の機関か、もしくはNGOなどの非政府組織で活動し、世界各地の大きな事故や災害現場、そして戦場に赴いて人々を守っているのだという。

 当然、事故、災害、戦場などの処理や救援となれば、そこで目にするものはネギの過去と同様、凄惨で過酷な光景ばかりの筈だ。勿論、そういった活動を行う事ばかりが魔法使い達の仕事ではないのだが……。

 

(“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”。ネギ先生のお父さんがそう呼ばれ。ネギ先生自身もまた目指しているもの…)

 

 “偉大なる魔法使い”―――そう呼ばれ、敬意を持って讃えられる彼等は、例外なくそういった過酷で凄惨な現場を渡り歩いている。

 それを志願するネギの傍で助けに成りたいと願う以上、夕映とのどかもまたその過酷な道程を進む事に成る。

 況してや、のどかはネギと既に仮契約を交わしている。しかも非常に貴重で強力なアーティファクト『いどの絵日記』に選ばれたというとんでもないオマケまで付いている。

 また夕映の方にしても、非常に優れた資質を持っている事から、協会の次世代を担う貴重な人材・戦力と目されており、ネギ同様その将来は“偉大なる魔法使い”だろうと高い期待と評価を受けている。無論、本格的に魔法に関わるのであればの話だが…。

 

「………」

「………」

 

 そして、思い悩む2人を嘲笑うかのように悪夢のような事件が起き。彼女達は“敵”―――恐らく魔法協会に敵対…もしくはネギ先生の故郷を襲撃した勢力と思われる一味の手に囚われた。

 それは、寮の大浴場で雨に濡れた身体が温まり、悩める心を落ち着かせようと気を抜いた瞬間の事だった。

 周囲の湯が突然溢れ返り、夕映とのどか達は一瞬にしてソレに呑み込まれた。

 呑まれた湯の中…いや、得体の知れないおぞましいナニカの体内(なか)で悪意が篭った笑みを浮かべる貌を見て、笑い声を聞き、意識を失い……気付いた時には自分達は人質にされていた。

 一糸纏わぬ姿で囚われた事に羞恥を覚える間も無く。その所為で刹那、真名、楓の三人までも囚われの身と成り、無関係な千鶴、夏美、あやかまでも巻き込み、敵の思惑のままネギを誘き寄せる事となった。

 無様だったと思う。

 何の抵抗も出来なかった無力な自分達が情けなく屈辱に感じたし、友人達と助けに成りたいと思った人を危機に陥れた己に対する怒りもあった。

 

(けど…)

(でも…)

 

 しかしそれ以上に二人の心を大きく占めたのはそんな無力感や屈辱と怒りでは無く、況してやネギと友人達への心配でも無かった。

 そう、何よりも大きかったのは敵に囚われ、何をされるか判らない状況に置かれた事への恐怖だ。

 あの時、脳裏に強く浮かんだのは、夢で見たネギの故郷で息絶えた無数の無残な骸だった。そして……こうも思った。

 

 ―――ひょっとして私達もあんな無残な姿に、人の尊厳を踏み躙るような殺され方をするのだろうか?

 

 と。

 だから震えている事しか出来なかった。

 自分達と同じく囚われた友人達の姿を。傷付き倒れ伏したイリヤの姿を。自分よりも強大な力を持つ敵に挑むネギを見ても。

 そして救援によって水牢から解放された直後も。

 気力も湧かず、動けず、見ている事しか出来なかった。

 

 

 そうして気力が抜けたまま日が過ぎ、今日になって事件で亡くなった人達がいた事実を知らされた。

 もしかすると自分達もその中に加わっていたかも知れない―――ヘルマンは夕映達を傷付けないと“主”の名に懸けて誓っていたが、彼女達して見れば、どこまで信じられるか判らないものだ―――そう、血の気が下がる思いと共に夕映達は考えてしまった。

 

 本当、改めて思い知らされた感があった。

 世界の裏、魔法が関わる社会に潜む危険性と自分達の認識の浅はかさを。

 

 しかし、それでも―――

 

「のどか。私は魔法使いになろうと思います」

 

 夕映は隣に座る親友に視線を向けずに、そう彼女へ告げた。

 のどかは唐突な親友の言葉に「え…」と声を漏らして夕映の方に顔を振り向かせる。

 

「夕映?」

「今回の事件を受けて改めて思いました。魔法の在る世界は未知と冒険が広がる小説のようなファンタジーな世界では無いと。魔法という要素が加わっただけのどうしようもない現実が横たわる世界なのだと。いえ…むしろ、イリヤさんが以前言ったように、そういった不可解な要素がある分、きっと何倍もリスクが潜む世界なのでしょう」

 

 今回の件を経て突き付けられた現実は、夕映から魔法という未知に未だ在った夢と憧れを完全に打ち砕く出来事だった。

身を持って経験した為だろう。以前、イリヤに見せられた記録(ゆめ)と告げられた言葉以上の迫力と説得力を覚えたのだ。

 

「しかし……だからこそ、私は魔法使いに成らなければいけないのです」

 

 腕を組むように身を縮ませて肘を抱え、まるで身を守るような仕草をしながら夕映は言う。

 

「本音を言えば、成るのは怖いです…とても。でものどかも知っての通り、私には魔法使いとして優れた才能があって、関わらなくともあのような事件にいずれ巻き込まれるか、招き寄せる危険性が在ると言われてます。いえ、詭弁ですね。確かにそれもあるのですが、本当の所は、そんな世界が在ると知った以上は力を持たないと、持っていないと不安で堪らないのでしょうね。私は…」

 

 それはある意味、戦う力を持つ事で雪の日の恐怖から逃れようとしたネギと同じだと言えた。

 もしこの場にイリヤが居たら、彼女はさぞかし顔を顰め、悔やんだ事だろう。今回の一件が夕映のトラウマに成りつつあるのだと。やっぱり関わらせるべきじゃなかった、確りとヘルマンに対処すべきだったと。

 しかしイリヤはこの場に居らず、例え居合わせたとしても今更だろう。既に零れてしまった水を戻すことは出来ないのだから。

 夕映は、きつく唇を結ぶと改めてその意思を口にする。

 

「私は、魔法使いに成るです。もうあんな何も出来ず無力なまま、恐怖に震えるだけなのは嫌ですから…!」

 

 夕映は意を固めた。

 ネギの助けに成るという思いが消えた訳ではないだろうが、何よりも魔法社会に潜み、己の身に降り掛かるであろう恐怖に抗う為に、そして―――

 

「……ですが、のどか。貴女は魔法に関わらず普通の生活を歩んで欲しいです」

「!?」

 

 正面を向いたままの為、顔は見えないが、躊躇しつつも口にした自分の言葉に親友が驚き、顔を強張らせているのが夕映には分かった。

 身勝手で、エゴだという自覚はある。けど、大切な親友をあのような危険な世界にこれ以上関わらせたくなかった。

 

「自分が酷い事を言っているのは判ってます。ですが分かって欲しいのです。のどかにはこのまま今までのように平穏な世界で生きて欲しいのです」

 

 本当に身勝手で嫌な友人だと思う。

 ネギ先生との契約を切って、想いを捨てろと言っているようなものなのだ。それに自分との関係もこれまでだとも聞こえているだろう。

 

「……」

「『いどの絵日記』についても大丈夫です。協会もその重要性は理解していますし、イリヤさんがきっと何とかしてくれる筈です」

 

 黙り込むのどかに夕映は顔を彼女の方へ振り向かせながら、そう言葉を続けた。

 その内心では、自分ものどかを守ると決意しながら―――そう、何も恐れや自分の身を守る為だけに夕映は魔法使いに成ろうとしている訳ではなかった。大切な親友が持つ、強力なアーティファクトに選ばれる稀有な資質を狙い。利用しようとする輩から守れるように成る為にも、彼女は力を得ようと決めたのだ。

 

 

 

「……夕映」

 

 俯いていた顔を上げて此方を見詰めながら言った夕映に、のどかは何を言うべきか直ぐに言葉が出なかった。

 ただ、危険を理解しながら魔法使いに成ると決意した親友が自分の事も案じて話をしているのは判った。

 正直に言えば、その言葉に甘えてしまいたい気持ちがある。

 

 魔法―――不思議な事を、不思議な法則で、世界に作用する夢のような神秘の力。

 

 その存在を知り、それを見た当初は冒険ファンタジーや小説・漫画の世界に入り込んだかのような、ワクワクドキドキした浮き立つ気持ちがあった。

 あの南の島でどうしようもない現実があると知って、危険があると理解して、深刻に受け止めても、のどかには何処かそんな夢の世界に居るような感覚が抜け切れなかった。

 

 ―――ネギの過去を見、今回の事件に巻き込まれるまでは。

 

 真実、自分の身に危険が迫り、人死にが出て、己の命すら失われていたかも知れない過酷な体験。それを感じてのどかは夕映と同じく、抱いていた幻想が修復不可能なまでに粉砕されてしまった。

 だから夕映の関わらなくて良いという、思いもよらぬ言葉に彼女の心は大きく揺れた。

 

(もうあんな怖い目に、酷い目に遭わなくていい…? 魔法の事を忘れて悩む必要も、怯えて過ごす必要も無くなるの…?)

 

 親友の優しい言葉に逆らわず、頷きさえすれば……―――きっと、そう、楽に成れる。

 けど、それは、

 

(ネギ先生との関係も終わりで、これまでの日々と思い出を捨てるという事。魔法使いに成る夕映とも隔たりが出来る。今までのような日々は過ごせなくなる……そんなの―――)

 

 嫌…!

 怖い目に遭いたくは無い! あんな目に遭うならもう魔法になんて関わりたく無い! 化け物に殺されるなんて想像したくも無い! でもネギ先生との関係を断つのも嫌! 夕映とずっと友達でいたい!

 ……怖い。でも捨てたくない。一緒に居たい。けど怖い事に関わりたくない。でも―――傍に居たい。離れたくない。でも酷い目に遭いたくない。けど……。

 

 感情と思考がグルグルと回り、出口の無い回廊と化した頭の中で走り続ける。

 ネギへの想いはとても大切で。親友との絆も掛け替えのないものだ。のどかにはそれを手離す事など出来ない。しかし、彼女には恐怖や困難に抗う勇気は無く。逃げられる道が在るならそれを安易に選び取ってしまう弱い心しかない―――けど、

 

(―――けど、そんな自分が嫌だった。キライだった。引っ込み思案で気が弱い私は周りの視線が気に成ってばかりで、人と眼が合うのも怖くて髪で目元を隠して、いつも俯いて、目立たないようにクラスの皆からも一歩引いた位置に居た。そうして自分は何も口にしないで周りの意見に流されるままにして来た。夕映とハルナだけの時でも自分の意見を強く出した事は余り無かったと思う)

 

 けれど、そんな自分を―――変えようと思いもしなかった、そんな嫌いな自分を変えたいと思わせる出来事が起きた。この春、担任となった幼い少年と出会った事で。

 

 そう、普段は年相応に子供にしか見えないのに、どこか頼りになる年上のような印象があって、何時も一生懸命で年上の自分達にも無い明確な目標を持っていて、常に前を向いて進もうとするその少年を見て、

 

 ―――すごいと思った。

 

 大人が働く職場で、年上の生徒(じぶん)たちを相手に、そんな大変な状況の中で子供なのにめげずに頑張れる事が。

 自分に置き換えて例えるならそれは、中学生にも拘らず大学の講義を行なうようなものだろう。

 幾ら天才だと言っても、僅か10歳の子供がそんな事を…教師をやるなんて、とても勇気のいる行為の筈だ。しかも遠いイギリスから単身日本に乗り込んでだ。

 少なくとも自分には出来ない。無理だと思う。もし自分がそうだったらきっと初日も持たない。何とか独り外国に行けたとしても、赴任の挨拶で何十人も居並ぶ生徒達を前にしただけで緊張し切って声も出せず、立っているだけでも精一杯になってしまう。いや、教室のドアさえ開けられず、アワアワと目を回しているかも知れない。

 

 ―――だからすごいと思い。素直に尊敬した。

 

 自分よりも年下なのに自分には出来ない事をしている少年に。失敗を重ねながらも前を向こうとするその勇気ある姿に。

 そうしてのどかは、そんな彼の姿を見て励まされているような感じが……自分にも勇気が湧いてくるように思え―――

 

(憧れて、好きに成って、私もネギ先生のように成りたいって…ううん、成れなくても、ただ皆の後を付いているだけの引っ込み思案な自分を少しでも変えられたら良いって、ネギ先生の何分の一でもいいから勇気を持った人に成りたいって思った)

 

 そう、それなら、本気でそう思い願うのならば―――自分は変わる為に選ばなくてはならない。

 夕映と一緒に居る為にも、ネギ先生の傍に居る為にも、ありったけの勇気を振り絞って、弱い心に負けないように、逃げたいっていう気持ちを振り切って恐怖に立ち向かわなければ行けない。

 だから、のどかは重く閉じた口を開き、親友に向き直ってそれを伝える。

 

「……夕映、ありがとう。でも私は逃げないよ」

 

 強張っていた筈の喉から何とか声が出せ、言葉を聞いた親友は驚いたように僅かに眼を見開いた。

 

「のどか…ですが」

「うん、私も夕映と一緒で……すごく怖い。大きな怪我をするかも知れないし、死んじゃうかも知れない。それ以上のもっと酷い目に遭うかも知れないんだもの。でも、それでも此処で逃げたら後悔すると思うから。ううん、望めばきっと後悔する事が無いように全部忘れさせて貰えると思う。けど、無かった事に何てしたくない」

 

 これまでの事に背も向けて後悔するのも、思い出を忘れて無かった事にするのも、嫌で出来ない。

 

「それに夕映がこうして頑張ろうとしているのに、私が頑張らない訳にはいかないよ」

 

 自分の事を思ってくれる大切で掛け替えのない優しい親友を見詰め。今も脳裏に浮かぶ光景に震えそうになる身体を抑えながら、恐怖と迷いを振り払うように屹然とのどかは言う。

 

「ネギ先生の助けに成ってお父さんを探す手伝いをする為に、夕映とずっと仲の良い友達でいる為にも私は逃げない。目の前の出来事から目を逸らさずに、確りと前を向いて歩いて行こうと思う」

 

 それはのどかの決意表明だった。

 

 

 

 夕映は前髪の隙間から除く、意志の強さを感じさせる親友の(まなこ)に思わず息を呑み、それを理解した。

 

(…強くなったですね、のどかは)

 

 お世辞でも社交的・積極的とは言えない臆病で控えめな性格の親友。

 そんな性格だったものだから、本当にしたい事、やりたい事、そして欲しいものがあっても中々言い出せず、行動に移せず、強引にでも引っ張ってあげなければ一歩も踏み出せない、その場で足踏みをしてしまうような彼女。

 そんな彼女が変わり始めたのは……その要因は夕映にも判っている。

 

(ネギ先生のお蔭ですか)

 

 突如現れた僅か10歳の子供先生などという常識外れの存在。

 以前、のどかに彼の事を男性の中でもマトモな部類と評し、好意的に言った事はあったが、正直、その頃の夕映にはネギの何処が良いのかよく判らなかった。

 せいぜい頭の賢い天才児で良くできた子供という程度の認識で、件の言葉も控えめな親友の初恋を応援し、発破を掛ける意味合いしかなかった。

 だが、今ならはっきりと判る気がする。

 のどかの言うように、どこか年齢不相応な大人びた面影があり、自分達と同年代の少年達にも無い確りとした目標を持ち、何事にも一生懸命に取り組み、見ている自分達にも同じように頑張ろうとやる気を―――のどか風に言うなら勇気を湧かせてくれるのだ。

 そんな彼に影響され、そしてのどかは……。

 そう、あれは修学旅行の二日目の事だ。ネギにアプローチするクラスメイト達の中に割って入ってまで、のどかは彼を自由行動に誘い。更にその日の内に自らの想いをも告白した。

 幾ら焚き付けた所があったとはいえ、それはそれまでの彼女からすれば信じられないくらい大胆な行動だった。あれがのどかが変わったと感じた初めての出来事だったように思う。

 

「分かったです。のどか…」

 

 夕映は頷いた。

 きっとその時のように勇気を出し、決意を告げて、選んだ道へ踏み出そうとする親友の言葉と想いを無碍にしたくないと思ったから。

 

「もう関わるなとは言いません。一緒に頑張って行きましょう」

 

 そう、笑顔で夕映はのどかに応えた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 和美は自室に独り篭り、愛用のノートPCのディスプレイを半ばぼんやりと、されど何処か真剣な表情で見詰めていた。

 マウスを操作しカチカチとクリックボタンを押して、画面に映る画像に目を通しながら次から次へと切り替え、表示して行く。

 

 その画像、無数のウインドウに分けられて映っているのは―――、

 

 荒れ地の中で動かぬ無数の骸。片足が無く杖を突いて歩く老人や子供。血が滲んだ包帯に全身を覆われた重症人。ミイラのように痩せこけて生死も定かでない人々。泣き叫び何かを訴える表情をした幼子……等など。

 どれも国外の戦争、災害などといった現場で撮られたものだ。凄惨というには余りあるそれら写真の数々は、とてもでもないが花の女学生が好んで見るものでは無い。

 

 では、そんなものを和美は何故見ているのか……?

 

 彼女は麻帆良学園で大学部・高等部との共同の報道部に所属している事もあり、ジャーナリストを自称し、クラスメイトなどの多くの生徒にパパラッチ娘と揶揄されながらも、情報を取り扱う学生記者として広く認知されていた。

 その活動は“あの麻帆良学園”の報道部という事から、かなり本格的なもので、学園内、麻帆良市、県内に活動範囲が主に限られているがプロにも差し迫る物がある。

 何しろ代々の先輩たちの成果のお蔭か、麻帆良学園・報道部の腕章と所属証明書があれば、少なくとも県内…或いは一部国内では、取材先も学生の部活動などと侮らず本業同様に対応をしてくれるのだ。

 和美は、そんなプロにも劣らぬ環境の中で経験を積み、素人ながらも記者として鍛えられてきた。だが―――

 

(―――それも結局の所、あくまで“プロ並み”止まり。学校の部活動……気楽な学生身分のごっこ遊びの延長でしかないのかもね)

 

 ここ最近、あの南の島での一件から和美はそう思うようになっていた。

 

(ウチら中等部にも、地方紙や県発行の情報誌なんかに掲載枠を与えられたり、月一か二、程度で夕方のニュース番組に十分程の時間枠が貰えたりするけど、基本的に対象としている読者や視聴者は同じ学生達。自然と内容はそういった若い学生たちが好むものか、自分の興味の在るものばかりに成るんだし…)

 

 無論、大学部ともなればまた違っては来るが……和美は正直、まだまだ先の事だと中学生(こども)らしくそう考えてしまっていた。

 愚かな事にこれまでさんざん周囲に自分の事をジャーナリストだと一人前(プロ)のように吹聴しておきながら。将来はその道へと進路を定めていながらも、まだ十代半ばの世間を知らない未成年の少女…中学生という立場に甘んじていたのだ……無意識の内に。

 

(そう、それに気が付いて…自覚した時、我が事ながら私は愕然とした)

 

 PCを操作する手を止めて、ふう…と一つ溜息を吐き。何気なく窓の方へ…青い空へ視線を向けると、和美は己の思考に意識をより沈ませた。

 県内でも名の知られた麻帆良の報道部に所属し、その本格的な活動と環境に触れ、自分の進むべき道がコレだと天啓を受けたかのように思っていながら……振り返って見れば、自分がそこで行ってきた事は己の好奇心と欲望を満たすだけのものだった。

 

 だが―――

 

 それは別に悪い事では無いだろう。所詮は学生たちの部活動で、あくまでも素人達による記者の真似事なのだから。公序良俗に反しないのならば責められるような事では無い。

 第一、自分の趣味―――世に知られていない秘密や未知を探り、暴き立てて得られるスリルや快感―――と、実益―――自分に賞賛と注目が集まるという成果―――が叶うからこそ、和美は報道部に所属し記者の真似事をしているのだ。

 ならそれで良いし、これからもそうすれば良い。

 

 と、そのように心の中の悪魔というべきか、欲望に忠実な部分が甘く囁いている。

 

 しかし―――

 

 そうじゃない。確かに好奇心から来る趣味はある。実益を求める欲望も否定しない。けどそれだけを目的にして記者に成りたいと思った訳じゃない。

 スクープを捜し、見つけ、記事にし、世にそれを知らしめるのは自分の為だけじゃない。そう、それはそれに目を通す読者の為でもある筈だ。情報を扱いそれを発信する側として、それは決して自己満足の為だけであっては成らない。

 

 甘い囁きに頷きそうになる一方で、そう青臭くも強く思ったからこそ和美は改めて考えた、自分が成りたかった記者(ジャーナリスト)という将来の姿(ゆめ)を。

 

 故に彼女は己を見詰め直す意味を兼ねて、同じジャーナリスト達の…いや、尊敬すべき先達らが世界の在る悲劇、惨劇の場で切り取った写真や映像をPCのディスプレイを通して見ていた。

 また、こういったものを敢えて選んだのは、魔法使い達が世界の裏でこのような場所で活躍していると知った影響もある。

 これらを撮り、世に伝える彼らの殆どは、ただ欲望を―――富や名声を求めて活動している訳では無いと和美は聞いている。

 危険地帯である事から当然リスクも高く、フリーや駆け出しなんかは得られる報酬も小さく、寧ろ赤字である事の方が珍しくないという。

 しかしだというのに、その彼等の大半は安全な筈の故国を幾度も離れ、それも渡航、滞在、現地のガイドやボディガードを雇う費用を別の仕事やバイトまでして蓄えて赴くのだ。

 

「……そこまでしてその人達が、現場まで赴くのは―――」

 

 呟き、和美にはその思いが分かる気がした。

 勿論、その彼等も自らの記事や論説などでその思いを答え、語っている。端的に言えばそれは使命感だ。

 彼等が伝えたいと思ったナニカ。自分の身を危険に晒してまで人々に知って貰いたい事実と真実があると思うから、彼等は活動し、それを今も何処かで続けているのだ。それが自分達―――ジャーナリストが全うすべき役目だと考えて。

 

「…………」

 

 きっとそれは自分が成りたかった、夢に見た将来の姿……在るべきジャーナリストの姿だ。

 

「…ホント、何時から忘れていたんだろう?」

 

 振り返って見たこれまでの自分の行動を思い起こし、和美は考えてしまう。

 何時の間にか、スクープやら特ダネやら追い求める事だけを。人々をあっと驚かせる事ばかり考えるように成った己の姿。手段がすっかり目的と化した情けない自分。そして―――

 

「今になって思うとネギ君の事を知った時の私って、本当に最低だったな」

 

 それを思い出し、和美は頬が熱くなり赤面する思いに駆られた。

 何しろ、降って湧いたスクープとそれに伴う富と名声を得られるチャンスに、すっかり欲望に眼が眩んでしまい。思いっ切り先走った行動を取ったのだ。

 

「オマケにネギ君を泣かせちゃったしね」

 

 欲望に囚われた愚かしい自分に苦笑し、乾いた笑い声を零す。

 

「でも……魔法、か」

 

 ネギとの事を想起し、その過去や先日の事件、今日の出来事、魔法使い達の活動を思い、改めて考え込む。

 一人のジャーナリストとして…いや、正直今と成ってはそう自称するのは恥ずかしさを覚えるので、あくまでもそれを志す見習いとして、それら世に隠された“真実”を知って、その“事実”とどう向き合うべきか?

 

(少し前の私なら眼の色を変えて、スクープだとか言って意地でも記事に仕立てようとしたんだろうけど……)

 

 口を閉じ、PCの画面に視線を移して思索する。

 もしもだ。仮に魔法協会を出し抜いて世の中に報道出来たとして―――それで自分が得られる物は? ネギやクラスメイト達、そして世に与える影響はどのようなものだろうか?

 答えは簡単だ。

 成功しようがしまいが自分は間違いなく協会に捕らえられる。ネギ君もオコジョにされて虜囚の身に。クラスメイト達も彼と離れ離れに…いや、悪ければ関係者と成った明日菜や夕映たちにも累が及ぶだろう。もしかすると学園長達…麻帆良の関係者も同様かも知れない。

 魔法の存在を知った世界は混乱に陥る事は確かだろうが、率直に言って想像が付かない。

 それでも和美の考えられる範囲でも宗教的な諍いや民族的な対立が起こり得る程度の事は分かる。

 教義や信仰に対する揺らぎと反発。魔法使いという“新たな民族”…或いは“種族”の誕生による動揺と隔意。幾ら政界や財界、宗教界の一部や上層部が認知していたとしても、それらがもたらす混乱を避ける事はきっと難しい。

 他にも亜人と悪魔や妖怪、魑魅魍魎などの実在が知れ渡る問題がある。

 

(そんな問題や混乱が起きるのを理解して置きながら、安易に報道なんて……幾ら何でも無責任だし、ジャーナリストとしても失格よね)

 

 和美はそれまでの反省からか、そう結論を下す。

 そこには昨今の―――報道の自由などという言葉を己の都合よく便利に振り翳すマスコミの姿勢に対する反発も少なからずある。色々と思うようになった為か、今の和美の認識ではそれは正直、眉を顰めたいものがあった。

 無論、彼等が言う事も判らないではない、が……―――では、その責任は無いのか? とも思うのだ。

 世の中には、自由に責任が伴うという言葉には矛盾があると、哲学的な指摘を行なう人間もいるが、今の和美はそれには素直に頷けなかった。あくまでこれは彼女個人の考えだが、やはり自由と責任は表裏一体なのだ。

 そう、自由とは、己の行動を正当化する免罪符では無い。報道の自由を主張するのであれば、報道に伴う責任も持つべきだろう。

 

「まあ、けど…」

 

 彼らの……魔法使い達の命を賭した活動や、ネギの故郷で起きた惨劇…それも村一つ虐殺されたとも言える大事件が、そして麻帆良で死者まで出した今回の事件が、世に知られず隠蔽されている事実は―――正直、思う所が大きい。

 これ等は世の人々が知るべき事では無いのだろうか? と和美はとても強く……ジャーナリストを志す人間として、先に挙げた使命感というべきものが心の内から訴えて来るのを感じていた。

 

 そんな報道者として担うべき責任と、胸の内から湧く使命感に板挟みされて和美は葛藤する。魔法に関わってしまった自分が進むべき、選び取るべき道を。

 己が在るべき将来(ジャーナリスト)の姿に思い馳せながら……―――。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 日が暮れ、空に月と星々が輝き始める時間帯。

 イリヤはネギ達に告げた言葉を守る為に、彼と彼女達が住まう寮を訪れた。

 寮内は防音設計が整っているお蔭もあり、非常に静かであったがその理由はそれだけでは無いだろう。明日から始まる中間テストに備えて机に向き合っている生徒が多いのだ、とイリヤは静けさに満ちた寮内を歩きながら思った。

 そこまで考えて、イリヤは思わずふと呟いた。

 

「…明日菜や夕映達は大丈夫かしらね」

 

 その精神状態もそうだが、その影響が明日からのテストにどう出るか、今もまともに机と向き合っていられるのかも心配だった。

 すると、

 

「ん…?」

 

 近づく気配を感じ、足と止めて振り返ると、丁度廊下の角から件のネギの生徒である夕映とのどかが姿を見せた。

 

「あ」

「イリヤさん」

「…二人とも、今朝方振りね」

 

 短く声を零すのどかと自分の名を呼ぶ夕映にイリヤは挨拶すると、二人の方もこんばんはと頭を下げた。

 

「二人も、もしかしてネギの所へ?」

「はい、イリヤさんもですか?」

「ええ」

 

 そう夕映と言葉を交わし、イリヤは二人と一緒にネギの部屋へ向かう。彼女達の用件は大体予想が付くので態々尋ねない……のだが、イリヤは二人の様子を窺い、微かに首を傾げた。

 今朝と同様、重く堅苦しい空気を彼女達は纏ってこそいるが、何処となく朝と比べると軽いというか、振り切れた感じがあるのだ。

 

(それはつまり、何かしら結論を出したって事なんだろうけど…)

 

 果たしてそれがイリヤにとって望ましい、好ましいものであるかまでは流石に判らない。

 

(…というか私自身、この子達にどう在って欲しいのか。このまま魔法に関わって欲しいのか? それとも平穏な日常に帰って欲しいのか? 結局どっちなんだろうか?)

 

 ネギの事や原作を思えば関わってくれた方が良いと思える。しかしそれがネギと彼女達にとって本当に良い事なのか、原作と同様の展開を招き、本当に良き結末を導くかはイリヤには判らない。

 また私情を言えば、やっぱり関わらないで日常に帰って欲しいという思いの方が強い……と、多分、自分はそう感じている……筈だ。

 

(自分の事なのに今一、心の機微が分からないわね)

 

 そうして悶々とした思いを抱えたまま、イリヤはネギの部屋の前に立つとインターホンを鳴らした。

 

 

 

 出迎えたネギの表情は今朝見たものとそれほど変わらなかった。明日菜の方も同様だ。カモは頼りになるイリヤが姿を現した事に何処となく安堵しているようだ。

 また、部屋のもう一人の住人である木乃香の姿は見えないが、恐らく彼女はまだ祖父の所に居るのだろう。

 

(さて、どう話し掛けたものかしら?)

 

 気に掛かり、こうして様子を見に来たもののイリヤは僅かに迷った。正直、今朝掛けた言葉以上の慰めの言葉を彼女は持っていなかった。

 彼らの顔を見れば、少しは言葉が出て来るかと思ったが―――イリヤは考え、取り敢えず今朝の言葉を更に被せるようにネギと明日菜に責任が無い事を改めて告げようとし、

 

「あ、あの―――」

 

 それよりも先にのどかが唐突に口を開いた。

 

「少しお話しても良いですか?」

 

 イリヤとネギ、その二人の方に交互に視線を向けながらのどかは言う。

 何時もの変わらない控えめな口調であり、表情は緊張しているのか強張っている。けれど、前髪に半分隠れた彼女の目線には普段とは違う力強さが込められているように思えた。

 イリヤは、そんな見た事が無い彼女の姿に感じるもの覚えて、思わず「ええ…何かしら?」と頷き、ネギものどかの話を聞こうと彼女の方へ視線を向けて首肯した。

 途端―――

 

「あの、そ、その―――ごめんなさい!」

 

 いきなりのどかは、頭を下げて謝った。

 それにイリヤとネギはそろって「「え?」」と唖然とする。明日菜とカモもポカンとして口を開けている。夕映は少し困ったような表情だ。

 訳が分からないと言った感じの夕映を除いた面々を余所に、のどかは頭を下げたまま言葉を続けた。

 

「この前の事件の時、何の役にも立てなくて、それどころかネギ先生や刹那さんの足を引っ張って、先生の力に成りたいって言いながら何も出来なくて、イリヤちゃんにも散々危険だって言われていたのに自覚が薄くて……その、真剣に受け取っていた積もりなのに、真面目に受け止められないで居て、ようやく今に成ってそれを本当に分かって―――」

 

 のどかは捲くし立てるように言い、やや言葉が滅裂に成っている。しかしこの場の皆は、何と無く彼女の言いたい事が分かった。

 要するに、事件で役に立てず却ってネギ達の危機を招き、迷惑を掛けた事とイリヤの警告をどこか軽んじていた事に反省し悔やんでいるのだろう。

 

「のどか、少し落ち着くです」

 

 必死というか、テンパった様子の親友を見かねたのか。夕映がその彼女の肩に手を置いて優しく声を掛ける。

 

「うう…ゴメン、夕映。……でも大丈夫だから」

 

 涙目になりながら夕映に答えるのどか。それに夕映は頷くと「頑張です、のどか」と彼女を応援する。

 その様子を見るに、どうやら夕映は自分達の伝えたい事を親友に任せる積りのようだ。何時もならこの逆なのだが……此処に来る前に何かしら話し合い。そう、のどかの意思を尊重し、その背中を押す事に夕映は決めたのだろう。イリヤは二人の事をそのように予想した。

 のどかは、深呼吸するように大きく息を吸って吐いて、イリヤとネギに確りと向き直ってから言葉を続けた。

 

「…それで、夕映と相談して改めて考えて決めたんです。足を引っ張らずに先生達の助けに成る為にも、あんな目に遭っても震えて何も出来ず居るなんて事が無いように、本気で魔法使いに成ろうって、だから―――」

 

 キュッと胸元で強く拳を握り締め、目の前の白い少女と赤毛の少年を見据えてハッキリとのどかは告げた。

 

「ネギ先生! イリヤさん! 改めて宜しくお願いします! 力も知識も無くて、きっとまた迷惑をお掛けする事に成ると思いますけど、何れはそうならない為に、そして貴方達の力に成る為にも、どうか私達に魔法とその社会(せかい)の事を教えて下さい!」

 

 そう告げて、のどかは再び頭を下げた。その背後に居た夕映も同様に「お願いします!」と言って頭を下げる。

 イリヤはそれを静かに見詰め、ネギは唖然としていた表情をさらに唖然と……放心したような顔を見せていた。その二人の胸の内にある言葉は同じだった。

 

 ―――あんな目に遭いながらどうして…。

 

 と。

 ただしかし、イリヤは良く決断できたわね、という感嘆の思いに占められ。ネギは何故、そんな風に決断できるのか? という疑問しか無かった。

 その為だろう。ネギは呆然としながらその胸の内の言葉を小さく呟いていた。

 

「どうして……? あんな酷い目に遭って、これからも危険な目に遭うかも知れないのに……のどかさんと夕映さんは…?」

 

 小さな声であったが、その呟きが聞こえたのだろう。決意を滲ませた二人の少女達が答える。

 

「今も言いましたけど、私達はネギ先生の助けに成りたいんです」

「のどかの言う通りです。直ぐには無理でしょうが、その為に頑張る積りです」

 

 そう、答える二人にネギは俯く。

 

「そんな…! 僕の為に危険な目に遭う必要なんて無いのに……!」

 

 彼は愕然とした声を上げる。

 自分の為に彼女達が危険な世界に足を踏み入れるなんて間違っている!と言いたげに、そして反射的に説得しようとネギは口を開くが―――しかし、

 

「いえ、それだけでは無いです」

「うん、確かに先生の為って気持ちもあるけど、自分の為でもあるんです」

 

 先んじるかのように言う彼女達にネギの言葉は封じられた。そして―――

 のどかは言う。

 

「―――ここで逃げたらきっと後悔する。ずっと俯いたまま私は一生を過ごす事に成る。先生の事が好きだっていう気持ちも嘘に成ってしまう。そう思うんです。そんなのは嫌だから、そんな自分に成るのが嫌だから、自分自身の為にも逃げたくないんです」

 

 夕映は言う。

 

「―――私は無力でいる事が怖いです。世の中にあんなモノが居て、事件が在って、何時か自分が…そしてのどかやハルナなどの大切な人がそれに巻き込まれる可能性が在ると知って、力を持たないままでいる事が。ですから魔法使いに成る事を決めたのです」

 

 そう、強く言った二人にネギは何を言うべきか直ぐに言葉が出なかった。

 あくまでネギの為であるというなら言うべき言葉が…二人を諌める言葉も出ただろう。しかし彼女達が自分自身の為だというなら…その理由があるのならば、ネギにそれを止める資格は無い。諌める言葉が無い。

 危険を理由に訴えようにも、それはイリヤの言葉や先の事件で十分に伝わっているのだ。これ以上何かを言うのであれば、それはのどかと夕映の二人を否定するだけになる。そうなれば、先立って認めた明日菜の決意も遠回しに踏み躙る事になってしまう。

 ネギはそれが分かるから、口を閉じる事しか出来なかった。

 

「…ふう、そっか。ユエとノドカは決意したんだ。今度こそ本当に…」

 

 ネギに代わって溜息と共にイリヤが呟いた。

 

「…それで良いのね? 特にユエ、貴女はチカラを強く求めるようだけど、それが何を意味しているのか―――それを分かっての事よね」

 

 イリヤは二人を見据える。

 

「はい」

「…です」

 

 イリヤの視線に目を逸らさずに二人は首肯する。

 

「力を持つ事の意味。それを使う意味。判っています」

「自分が傷付くだけじゃなく、私達が誰かを傷付けて……もしかするとその誰かを死なせるかもしれない…って事だよね」

 

 そう答え。微かに逡巡の感情が混じるも、相変わらず強い意思が篭った眼差しを返す彼女達を見て―――イリヤは笑顔を浮かべた。

 ネギはその嬉しそうな顔を見て微かに驚く。南の島ではあれだけ強く反対の姿勢を見せ、処罰が下った直後は関わる不幸(こと)に諦観と憐れみの感情を彼女達に向けていたのを覚えていたからだ。

 

 ネギにその理由は判らなかったが、別段大した事では無い。

 単純にイリヤは吹っ切れたのだ。自分の意志を明確に見せて今までとは違う、確固たる根のある覚悟を秘めた夕映とのどかの姿を見て。未だ彼女達が関わる、関わらないで乱れていた筈の心情が軽くなったのだ。

 ただし、この心情の変化の理由をイリヤは自分自身でも良く判っていなかった。ただ何となく覚悟を固めた少女達の姿を見て、ようやく割り切れた解放感というべきか…不安や不満が何故か消えたのだ。

 

(自分の事ながらやっぱり判らないわね。この感情の機微は)

 

 イリヤは自分の事に内心で首を傾げた。だが―――もし、

 

 もしイリヤが魔術師ではなく、アインツベルンの住まう僻地で生まれず、孤独に過ごさなければ―――普通の女の子として平穏に生き、多くの人々に囲まれ、友人に知人に恵まれてさえいれば、その理由が直ぐに判った筈だ。

 イリヤは認めたのだ。原作知識が在る故に気に掛けてこそいたが、それでもただ一般人で巻き込まれただけの無力で無関係な子供としか見ていなかった夕映とのどか達を。その抱く覚悟に触れて、戦う者の眼をした彼女達を見て……ネギや明日菜ら同様、自分達側に立った事で、ようやく対等な仲間と成る事を認め、受け入れたのだ。

 

 ―――そう、つまり仲間……“友達”だと、彼女達とそんな関係に成りたいと心からそう思ったのだ。

 

 ただそれだけの当たり前で、簡単な理由だった。イリヤが自分に生じたその想いに気付くのは後々の事だ。

 

 

 そんなイリヤの感情を理解できないネギは戸惑う一方だ。あのイリヤが笑顔で自分の生徒達を受け入れる訳が判らなかった。

 だから本人にも理解出来ていないそれを訪ねようとし、口を開き掛けたが―――

 

「ああああ! もう! 本当に止めた! ウジウジ悩むの!」

 

 突然、そんな叫びが自分の直ぐ後ろから聞こえた。

 明日菜だ。ネギは驚き振り返ると、ルームメイトの彼女は両手を振り上げて天井を睨むかのように顔を上向かせていた。

 そして視線を下ろして眼を閉じ、腕を組んで考え込むようにしてブツブツと何事かを呟き始める。

 

「―――まったく、本屋ちゃんと夕映ちゃんがこう頑張ろうとしているのに…ほんと情けない。落ち込んでウジウジ、ウダウダ悩んでもなんも解決しないって事は判り切ってるのに…」

 

 怒りが含んだ苛立たしげな口調だ。

 

「ネギ!」

「え? はっ、ハイッ! 何ですか明日菜さん?」

 

 睨まれ、強い口調で名前を呼ばれてネギはビクリしながら返事をする。

 明日菜はそんなネギに構わず告げる。

 

「起きてしまった事は仕方が無い…とまでは言わないけど、もうどうにもならないのもホント。私達が目的だって言っても、イリヤちゃんが言った通り私達に責任が無いのも事実なんだろうし、悪いのはあの悪魔やきっとフェイトっていう奴等よ」

「で、でも…」

「うん、分かってる。私も多分、同じだから―――」

 

 強く言う明日菜の言葉にネギは反論しようするが、明日菜はそれを制止ながらも同意の頷きを見せ、話を続ける。

 

「―――でも、だからって悔やんで悩んでそれだけでどうなるっていうの?」

「そ、それは―――」

「きっと何にも成んない。それは悪い事じゃないんだろうけど、答えを出さなきゃ意味が無い。事件のことで、今日知った事が辛くて、苦しくて、怖く思っても、立ち向かわないと。それでどうしたいのか、考えてきちんと決めないと、本屋ちゃんと夕映ちゃんのように」

 

 感情の赴くまま、思い付いた言葉を並べ立てるかのように明日菜は言った。

 それは彼女自身、クラスメイト二人の言葉と決意に触発され、何かを決断したという事だ。

 明日菜はそれを口にしなかったが、訴えかけるかのようにネギを強く見据えた。

 

「―――……」

 

 そんな明日菜の視線を受けてネギは戸惑いつつも考える。

 直感的には直ぐに答えは出た。いや、とうに出ていた筈だった。

 確かに事件で、殉職者が出ていた事はショックで、自分の持つ価値がそれを招いた事に罪悪感はある。けど―――

 

(だからってただ悩んで立ち止まっても意味が無い―――そう、決めたじゃないか、これからも頑張るって、もう逃げないってイリヤの前で決めたじゃないか。悩んで悔やんでばかりいたらそれと変わらない。逃げているのと同じに成る)

 

 そこでネギは、そうか、と理解した。同じなんだ、と。

 

(……また僕は、何度も繰り返そうとして)

 

 自分の所為だ、責任だって、悩んで苦しんでいるのは、そうやって言い訳して立ち止まる為の……進むべき道から、困難から目を逸らす為の口実なのだと。あの雪の日の出来事から逃げ出す為、我武者羅に勉学に打ち込んだ事と同様に。

 ただ今回、その頃と違うのは何ら建設的なものが無いという事だ。

 

 ―――だってその方が楽なのだから。

 

 降ろせないモノを辛く背負いこんでその場で突っ伏すよりも、重く背負って前へ進む方が苦しいのだ。その方が疲れるし、進めば進むほどきっと背負わなければいけないモノが増えて行くと、この日本での日々で彼は知ってしまったのだから。

 

(明日菜さんは勿論、のどかさんや夕映さん達を巻き込む事に成ったように……僕が原因で事件が起きて、亡くなった人が出たように)

 

 そして事件で突き付けられ、明らかに成った己の持つ業の深さを自覚し、怖気付いたのもあるだろう。

 

(……改めてそれを理解して逃げたくなった、逃げたいってそう心の何処かで思ってしまったんだ)

 

 しかし、それでも逃げる事を選択出来なかったのは、深奥に焼き付いた父の姿を追う事を諦められず、背負ってしまったモノも放り出せないからだ。

 

(情けないな…僕は)

 

 抱いたわだかまりに向き合って立ち向かう勇気が出せず、だからといって放り出して逃げ出すともできない。

 だから中途半端に答えを出そうとせずに悩み続けようと、そこに何時までも留まろうとした。

 

(責任感や罪悪感を覚えるなら、それこそ自分が確りしてその事実に向き合わなくちゃいけないのに……そして明日菜さんのようにどうしたいのか、悩むだけでなく決めないと)

 

 ネギは改めて考える。

 事件は自分が原因で起きた部分がある。その所為で死者も出た。けれど、責任が自分だけに全面的に在る訳では無い。自分や明日菜がどういった存在か理解し、襲撃を予期していた協会の力不足による部分もある。また戦いに赴く事を選び、その上で戦い抜けなかったその魔法使い自身にも在るだろう。

 勿論、一番悪いのは明日菜の言う通り、ヘルマンを始めとした麻帆良を襲撃した敵だ。

 だけど、それらを理解しても自分は納得できず、割り切れないでいる。しかし―――

 

「―――明日菜さんの言う通りですね。わだかまりはどうしても消えませんし、残りますけど、それを理由にして何時までも悩んで塞ぎ込んでいたら駄目ですよね。僕らが幾ら落ち込んでみせても起こった事実が変わる訳じゃありませんし、解決もしないんですから」

「うん。だから私は、これからも確りと顔を上げて、立ち止まらずに前へ進んで行こうと思う」

 

 ネギの言葉に明日菜は大きく頷いた。

 あんな事で、事件でのことに負けちゃいけないと。こんな事の所為で自分は折れてはいけない。だって、そうでなくては―――こんなツミブ■いワタシのシア■セをネガってくれた、ギセ■にナった■ギや■トウさんが■かばれない――――明日菜は頭の奥底で訴えかけるように疼く痛みを堪えながら言う。

 

「そして、アンタと一緒にあんな事件を起こした奴等に文句を言ってやろうと思う。何が狙いで私とネギを狙ったのか、あんな事件を起こしたのか、いつか必ず問い詰めて…とっちめてやる。こういうのも何だかアレだけど、きっとそれが私達…っていうか、麻帆良を守る為に―――(あのフタリのように)―――戦って亡くなった人達の報いに成るだろうからさ」

「……明日菜さん」

 

 相棒(パートナー)と成ってくれた彼女の言葉を受け、ネギは感慨深げに首肯する。

 自分達が亡くなった人達の事を想い、事件に責任を感じるのならそうする事が正しいのかも知れない。脳裏に炎に包まれた故郷の事と、炎の中で亡くなった故郷の人々の事も思い浮かべ―――背負うモノが増えたのを感じながらネギはそう思った。

 

(―――その為にもやっぱり落ち込んではいられない)

 

 そうして、ネギは消えないわだかまりを胸に抱えながらも、振り切るようにして意を固めた。だが―――

 

 だが、今回の事件のことが故郷の惨劇とヘルマンとの関わり以外に、父たる英雄ナギの行方と名も知らぬ母の存在。それに纏わる元老院の陰謀。“完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)”と“赤き翼(アラルブラ)”の因果。魔法世界の秘密……それら様々な事柄と密接に関係しているなどとは、この時の彼には思いも依らない事だった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 表情が引き締まり、眼に力が灯ったネギを見て、イリヤはホッと溜息を吐いた。

 わだかまりは消えなくとも何とか割り切れたようね、と。

 そして、夕映とのどかの方を一瞥し、明日菜へと視線を向けた。

 

(この子達のお蔭か。やはりネギには彼女達の存在が必要なのね)

 

 自分という異物が物語(げんさく)に介入する、介入しないに関わらず、それが彼と彼女達に在る運命(Fate)なのだろう。

 ただ、元々此方側である明日菜…と、今この場には居ない木乃香、刹那に関してはそうだが、夕映やのどかに関しては本来一般人である以上―――いや、夕映の資質を思うとのどかだけかも知れないが―――ここまで深くネギに関与する事は……少なくとも魔法に関わらない可能性は在っただろう。

 その場合、二人は日常サイドからネギに高い影響を及ぼしていた筈だ。

 魔術師的な勘によるものか、仮にも“第二魔法”の一端を体現した為か、何となくイリヤがそんな並行世界(かのうせい)があるように思えた。

 

(…あるいは、そう思いたいのか)

 

 この場に居ない原作でネギに深く関わった少女達の姿を思い浮かべながら、そう内心でやや憂鬱げに呟いた。

 勿論、夕映とのどかの二人の事は吹っ切れたし、今は歓迎したい気持ちがある。が、しかし―――

 

(―――問題は、あの子ね)

 

 親友である彼女達がこうなった以上、図書館探険組の最後の一人である彼女―――早乙女 ハルナも同様に関わってくる可能性は高い。

 ネギは、自分と協会からの警告もあって慎重に成っているし、夕映とのどかも危険性を明確に理解しているから積極的に関わらせようとはしないだろうが……―――それを思い。イリヤは頭痛を覚えたような気がした。件の彼女の思考やら性格やらを思うに自分とは相性が最悪に思えるのだ。

 

(別にああいったノリの良い性格が嫌いって訳では無いんだけど……タイガの例もあるし)

 

 だがそれは、あくまでも一般人という線引きがあっての話だ。もしくは…ブルマでも履けば―――っと何故か過ぎった阿呆な思考を軽くかぶりを振って振り払う。第一、あの“虎”は、あんなのでも物事の分別を弁えた人徳厚い人間なのだ。

 

(…いや、実は人間じゃなくて、UMAなのかも知れないけど…ってまた思考が変な風にズレてるわね)

 

 逸れそうになる思考に再び首を振る。

 ともかく、イリヤとしてはあの軽薄なノリの彼女とは余り深く関わりたくはなく、出来れば除外したかった。

 ただし、もう一人……排他的でありながらも、何処かそれを徹底出来ない面倒見の良い、不器用な性格である“電脳使いの少女”の方は―――それでも可能な限り関わらせない方針だが―――ここ最近、ネギと話し合った頃から、関わらせるべきではないかとイリヤは考えるようになっていた。

 

(ネギの心の深層にある闇を思えば、原作で見せたあの子の献身的な支えは……それに、全てを終えた後に……―――)

 

 

 

 そう、だんまりと考え込むイリヤの様子に周囲の面々は気付き、ただならぬ雰囲気を纏っている事が気に成ったのか、声を掛けようとし、

 

 ―――ピンポーン

 

 と、呼び出しベルが部屋に鳴り響いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「こんばんは、ネギ君、明日菜、それにカモ君……と、イリヤちゃんや図書館組の二人も来てたのか」

 

 そう言い、部屋に姿を見せたのは和美だった。

 そこには今朝見せた暗い表情は無く、何時もの快活とした笑顔があった。その様子を見るに彼女もまた何かしらの決断を下したのだろう。

 イリヤや他の皆もそう思っていると、彼女は短刀直入にそれを告げた。

 

「皆が居るならちょうど良いや。イリヤちゃん、ネギ君―――私、決めたよ。協会の誘いを受けてみようって」

「朝倉さん…」

「……」

 

 ネギは何気なく彼女の名を呟き、イリヤは静かに首肯しながら続きを促す。

 

「…まあ、と言ってもネギ君には悪いけど、お父さん探しに協力しようって訳じゃないんだ。あ、勿論、出来る範囲ではする積りでもあるんだけど…」

「つまり、ネギの仲間というよりも協会の一員という立場を重視する訳ね」

「うん、私は明日菜や桜咲と違って一緒に戦えそうにないから。そもそも武器を取って戦うなんて柄じゃないし、ユエっちみたいに魔法の才能が高くも無ければ…っていうか殆ど無いみたいだし、運動能力も探検部所属ののどか以下だしね。これじゃあ、とてもじゃないけど、“偉大な魔法使い(マギステル・マギ)”を目指すネギ君と行動を共にするなんて…無理」

 

 イリヤの問い掛けにそう答えて話す和美。

 その口調も表情も普段の飄々とした軽い感じものだが、何時に無い真剣さもあった。ただの好奇心や遊びから来るものじゃないとでも言うような雰囲気を彼女は纏っている。

 だが―――イリヤは、ふむ…と短く唸ってから敢えて尋ねた。

 

「…で、その心は? 真実を追い求めるジャーナリストだと称する貴女が魔法へと関わる動機は何かしら?」

 

 そう尋ね、ジッと見詰めるイリヤに和美は微かに怯むモノを覚えたが、

 

「―――そうね。色々と考えたし、考えさせられたんだけど。やっぱり知ってしまった以上はただ傍観する事ができない…からかな? 魔法が本当に在って、私達の住まう社会(せかい)の裏にはそれが関わる事件が在って、表に知られている事件の中にもそれが隠されている事が在って、そんな事実を…こうして知ってしまったら、ね」

 

 和美は葛藤を吐露するようにして、そう答えた。

 

「例えそれが公表する事が出来ない……そうする事で社会に要らぬ混乱が齎せるものだって、安易に報道出来ない物だって判っても見過ごせないんだ。私は……」

 

 固い決意の中に含まれる葛藤の言葉に、イリヤは神妙に感じるものを覚え、顎に手をやって少し考え、

 

「……なるほど、カズミは“探る者”としての性分…あるいは衝動が強く。ある意味、そのしがらみに囚われているのかも知れないわね」

 

 と、そう何気なく、まるで無意識から零すように言葉を口にした。

 耳慣れない言葉に和美は首を傾げる。

 

「……探る者?」

「ええ、ある人が言うには、人間の性質は創る者と探る者、使う者と壊す者…その二系統二属性に分かれるそうよ。正直、少し乱暴というか、極端な例えのようにも思わなくもないけど、そう提示する彼女の考え…人間の性質っていうのも判らなくはないから、否定も出来ないんだけど―――とにかく、その彼女が言う持論からすればカズミは、探る者に該当するわ」

 

 イリヤの説明を聞いた和美は、少し虚を突かれたような表情を見せたが…途端、可笑しそうに笑った。

 

「ハハッ、そっか、探る者…か。聞き慣れない言葉だけど、何かしっくり来るし、イリヤちゃんが言うならなんか納得だわ。うん、そうなのかもね。だからどうしてもこの目と耳で見て聞いた事実に見て見ぬ振りが出来ないで、そのままそっぽ向くのが我慢できないのかも………―――世の中に真実を報道する、しないなんて二の次で…ただ…ホントは」

 

 一頻り笑って、そう和美は言った。ただ…その語末の呟きはとても小さく、聴力に優れた明日菜の耳にすら届かなかったが。その一瞬で覗かせた表情をイリヤは見逃さず、彼女が未だ大きな悩みを抱えている事を察した。

 しかしその内容は推測も付かないので言うべき言葉は見つからなかったが…。

 

(…まあ、この子はネギと余り深く関わらず距離を置くようだし、所属予定の部署から鑑みても、そう、大きな危険に巻き込まれる心配は無い…かな?)

 

 取り敢えず微かに不安は在ったものの、和美に関してはもう暫く様子見にする事にした。

 

 

 

 

 そうして2時間ほど……夕食を挟んで話し合い。皆が寝静まる時間が迫った事からイリヤは寮を後にした。

 今回は余りネギ達の役に立てず、意味の無い訪問と成ったが、イリヤとしては決して無駄ということでも無かった。

 塞ぎ込む様子を見せていたネギと明日菜が前向きになった事を確認でき。和美については保留したが、夕映とのどかに抱いていた不安と不満もほぼ解消できたのだから。それでもその二人については、平穏な世界で幸せを掴んで欲しいという気持ちもまだ残ってはいるが―――

 

「―――けど、不思議と以前のような未練は感じないのよね。むしろ逆に今それを選ばれると残念、寂しいって気持ちが在るような…?」

 

 玄関から出て歩いて暫く。そんな彼女達の居る寮の方へと振り返りながらイリヤは不思議な面持ちのまま呟いた。そして首を傾げなら帰路を歩いて行った。

 

 

 己が内に芽生えた感情に気が付かぬままに―――。

 

 

 




 今回を経てようやく夕映達が魔法社会に関わる事が正式に決まりました。今更という気もしますが。


 次回からは更新間隔が伸びると思います。来週から…と言いますか、明日から少し忙しくなりそうなので。どうかご了承ください。


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第21.5話―――福音は再び齎される

今回はArcadiaでは未公開だった話で、サブタイトルの通り第21話と第22話の合間にあったものです。割と短めです。


 イリヤの突然の申し出に近右衛門は絶句していたが、ハッとして気を取り直す。

 

「エヴァの封印を…解く……じゃと?」

 

 近右衛門は確認するように白い少女へ問い掛けると、彼女は「ええ…」と当然のように頷いた。

 

「イリヤ…」

 

 頷くイリヤをエヴァが何とも言い難い表情で見詰める。

 それにイリヤは、エヴァに笑顔を向けてここは私が話を付けるから、と告げるように彼女にも静かに頷いて見せた。

 その両者のやり取りにアルビレオは興味深そうに視線を向けるが、イリヤは気にせず近右衛門に話を続ける。

 

完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)にアンリマユの呪詛、そしてMM元老院……これらに対するには強力な戦力が必要になる。言うまでも無い事だけど、ね」

「………うむ、それは判る。先の事件に置いてもエヴァの力が封じられておらなければ、あのような事態にまで至る事は無かったからのう」

 

 そう、バーサーカー(ランスロット)にエヴァが不覚を取ろうとヘルマンに敗れる事は無く。イリヤは彼女の援護の下で容易に…いや、ランサー(ディルムッド)も同行していた為、そうとまでは言えないがそれでも駆け付けたタカミチ達とも合流できて比較的楽に撃退出来た筈だ。

 尤もその場合は敵側も計画失敗と判断して撤退を選び、此方はバーサーカーを仕留める事もヘルマンを捕縛する事も出来なかっただろうが。

 そう考えると、あれはあれで怪我の功名と言えるのかも知れない。

 

 ―――とはいえ、

 

 今後もそのような運任せという訳には行かない。

 今回は凌げたが次もそう上手く行くとは限らないのだから。下手をすればネギは石化し、イリヤも敵の手に落ちたかも知れなかったのだ。

 ただ、明日菜に関してはどうしてか、ヘルマンの証言によると現段階では完全なる世界は手中に収めようと考えていないらしいが…。

 

「じゃが…」

 

 しかし、近右衛門はそれら事態の深刻さを理解しながらも顔を渋めた。その彼の表情を見てイリヤは問い掛ける。

 

「反対なの?」

「…………」

 

 イリヤのその言葉は、疑問を呈する様でありながら口調にそういった響きは殆ど篭っていなかった。それを聞いて近右衛門は溜息を吐きたい思いに駆られた。

 

「イリヤ君。分かっていて言っておるじゃろ」

 

 はぁ…と、実際に溜息を吐いて答える近右衛門。

 

「エヴァの……“闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)”の封印を解くとなれば、身内たる我が関東魔法協会を含め、否応なく様々な所から色々な意味での声が上がり、向けられる。…賢い君ならそれぐらい事は承知していよう」

「まあね、エヴァさんの働きを知る麻帆良の魔法使い達にしても全面的に賛成はしないでしょうね」

 

 そう、それだけ最強と名高い伝説の吸血姫は恐れられているのだ。なのに折角封印されている闇の福音(かのじょ)を解放しようなどと……そのような事を知れば、多くの魔法使い達は正気を疑うだろう。

 特に麻帆良に住まい、関東魔法協会に所属する魔法使い達は彼女を縛った事への報復が来る事を恐れ、余所の魔法使い達や協会組織にとってもその矛先が向けられるのではないかと平静では居られなくなる筈だ。

 

「じゃからワシは“封印を解く事には”賛成じゃ」

 

 一部言葉を強調しながら近右衛門は奇妙にも矛盾するような事を言う。だがイリヤはそれほど考える間もなく、その含み意味を直ぐに理解して、ふむ…と頷く。

 

「それは制限付きで…って事ね」

「そうじゃ、知っての通りエヴァの力の封印は『登校地獄』に連動した学園結界の作用じゃ。ナギの奴が賭けた呪いは云わば楔……学園結界の力をエヴァに打ち込む為のな」

「だから有事の際にのみ、エヴァさんに向けられている学園結界の力を解除すべきだと言いたい訳ね。呪いを解かずに普段は現状のままという事で…」

 

 近右衛門はイリヤの言葉に無言で首肯する。

 協会や魔法社会全体に与える影響を思えば、確かにそれがベストな結論だろう。関東魔法協会は要らぬ嫌疑や非難を受けるのを避けられ、他の協会や多くの魔法使い達は魔王とも恐れられる彼女が今も力を失い、封印されている事実に安堵する筈だ。

 

 だが―――

 

「それで私が納得すると思っているの学園長?―――いえ、関東魔法協会理事にして代表たるコノエ コノエモン」

 

 そう告げた途端、スウッとイリヤとの目が鋭くなった。

 

「…!」

 

 その怪しくも冷たく輝く緋色の双眸を向けられて近右衛門の背筋に寒気が奔る。イリヤが彼を学園長と呼ばず、その名前を口にするのはこれが初めてで…その声色にも鋭さと冷気が篭っているような険呑さがあった。

 

「勿論、私は貴方の公の立場も判っているし、魔法社会に与える影響も理解しているわ。けど―――」

 

 イリヤが口を開き、言葉を発する度に近右衛門は己の寿命が縮むような奇妙な錯覚に陥っていくような気がした。視界の端に捉えた孫娘も同様のものを感じているのか、顔を青くして身体を震わせている。

 

「“そんな事”で……()()()()()()()()()()、エヴァさんの自由を奪い、麻帆良に縛られ続ける事に()は納得できないし、許す事は出来ないわ」

 

 荒げている訳でも無く、意図して冷然と告げている訳でも無い―――にも拘らずイリヤの声は氷のような冷たさがあり……そう、矛盾するようだが熱さがあった。

 その冷たさに中に在る確かな熱を感じ取り、近右衛門は理解する。

 

「それを理由にして縛り続けたら、それこそエヴァさんの忌み名を払拭できない。そこに込められた“呪い”のような意味を払えないし、変えられない」

 

 平然とした声色であるが……イリヤは怒っているのだ。それも近右衛門という老獪な魔法使いが恐れと怯えを覚えるほどに途轍もなく。

 それを理解し、近右衛門は額に汗が浮かび、背中もジワリと汗ばむのを自覚する。下手な受け答えをすれば、その怒りが…恐らく凄まじいであろうそれがどのように転化するか想像が付かないのだ。

 

(ひょっとしたら此処で死ぬかも知れんのう…ワシ)

 

 そんな事さえ思う。

 

「コノエモン……貴方も公人としてそれは正しいと考えていても、私人としては間違っている事は判っている筈よ」

「……」

「打倒され、封印されているという今在るその結果だけではこれ以上は変えようが無いって事を。……確かに麻帆良での働きはあるけど、それにしたって広く認知されている訳でも無い。何時までもそれじゃあ……そのままじゃあエヴァさんは本当の意味で―――」

 

 ―――光に生きられない。

 

 イリヤは近右衛門を鋭くも強く見据えて、そう言った。

 

「―――!?」

 

 イリヤのその言葉を聞いた途端―――

 

『―――じゃあ、エヴァの事は頼んだぜジジイ。3年後には…アイツの卒業する晴れ姿が見れる頃には必ず…………いや、何とか戻るからよ。その頃にはエヴァの奴も…―――』

 

 最後に見た、在りし日の赤毛の青年(ナギ)の姿が脳裏に浮かんだ。

 そして同時にこの目の前に居る白い少女が何故怒っているのか理解した。

 ただ一個の戦力としてしか、脅威に対する手札としかエヴァを見ず、扱おうとしたからだ。

 それを解し、近右衛門は己を恥じた。いや、確かにそれは公人としては正しく、恥じる事の無い考えであり、判断なのだが……―――果たして“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”たる己が信条に沿ったものであっただろうか?

 更に言えば、真実そう讃えられるサウザンドマスター…ナギ・スプリングフィールドが自分に託し、望んだ事であろうか?

 

「……………そうじゃな」

 

 近右衛門はポツリと呟くと深く頷いた。

 

「元は3年という約束じゃったんじゃ。じゃというのにこの14年余り、エヴァはワシらに…この麻帆良を守る為に良く尽くしてくれた。十分と言うには本当に余りある働きじゃ。感謝する事はあれど、もっともらしい理由を付けて不当に縛る事などあっては為らぬ事じゃった」

 

 そう言葉を続けると、近右衛門は再び深く頷いた。

 

「うむ…―――関東魔法協会理事にして代表たるこのワシ…近衛 近右衛門が責任を持ってそれに付随するあらゆる問題に対処しよう。本日をもって真祖の吸血鬼、エヴァンジェリン・アナスタシア・キティ・マグダウェルの封印の解放をする。そしてその楔である呪いの解呪をイリヤ君……君にお願いする」

 

 その宣言にイリヤは頷き答える。

 

「ええ、その尽力の言葉と許可に感謝します。そしてその期待に必ず応えましょう、コノエ代表」

 

 イリヤは協会の一員として、そしてエヴァの身内…家族の一人として近右衛門の決断に深く一礼した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ただ……14年という月日は確かに長いが、エヴァの背負ったその罪業を償うにはとても短い期間だろう。況してや彼女は600年という時を生き、これからも永遠に近い時を生きられるのだ。

 医療が発達し人々の生活が―――先進諸国に限ってだが―――豊かに成った現代に置いても100年生きられるかどうかも判らない…しかも華ともいえる時間がより短い人間の、人生(ソレ)をエヴァは復讐という私怨で大量に奪ってきた。

 だと言うのにたった14年余りの贖罪で自由を得て、その罪もまた許されるものだろうか?

 

「………………」

 

 無論、イリヤは元より近右衛門もそれは判っているし……エヴァも十分承知している。

 だから…だからこそ、人の世に恐れられる吸血姫(かのじょ)は、今こうしてイリヤと向かい合っている。

 イリヤは短いスカートの裾の少し下…腿にあるホルダーから一枚のカードを取り出す。法衣を纏う杖を持った老人が描かれた物を。

 

告げる(セット)。クラスカード『キャスター』夢幻召喚(インストール)

 

 文字通りイリヤがそう“告げた”途端、彼女が光に包まれ―――黒のローブと紫色の法衣を纏った白い少女の姿がそこに現れた。

 あの後、近右衛門は言った。

 

『…許可した後に言うのもなんじゃが…イリヤ君、本当にあのナギの呪いを解く事が出来るのかのう?』

 

 と。

 それにイリヤは、

 

『問題無いわ。何しろ今回使うのは、こと契約やら魔術やらの縛りと成立を断つ事に関して、右に出る者がない程の英霊(ひと)なんだから』

 

 そう、自信を持って答えた。その名を持って―――

 

「それがコルキスの王女メディアか」

 

 エヴァは目の間に立つ紫色の衣装を纏うイリヤの姿を見、内に秘める力を感じ取ってその“彼女”の名を口にした。

 

 黄金の羊の毛皮を求め、彼女の住まう国を訪れた人物(えいゆう)の為に国を裏切り、国の宝たる金羊毛を渡す手助けをし、逃亡を助け、故郷を離れ。そして追っ手となった国の兵士と自らの父である国王の目の前で、自分を慕って付いて来てくれた弟を裏切って父の前で切刻んで海へと流し、父王の呆然とする隙と切り刻まれた弟の身体を掻き集めんとする兵達の不意を突き、彼女と金羊毛を求めた人物(えいゆう)達はその場を逃れたという。

 それが彼女を象徴とする尤も有名な伝承(エピソード)だろう。

 そして、その後も彼女はそのような不逞を繰り返し、悪業に満ちた人生を送ったとされ……後の世に魔女として人々に蔑まれ、その名を呼ばれている。

 

「裏切りの魔女…か。人々にそう恐れられ、蔑まれる者の力が同様に恐れられ、蔑まれる吸血鬼(わたし)の呪いを解こうとは…」

 

 その事実にエヴァは口元が皮肉気に歪むのを自覚した。

 そんなエヴァの様子を見て、イリヤは静かに首を振る。

 

「エヴァさん、そう自分を貶めるのは良くないわ」

「イリヤ…」

 

 白い少女が悲しそうに自分を見詰める。

 

「貴女がそう思い、考えずにいられない気持ちも判るけど…」

「…いや、大丈夫だ。すまないイリヤ、先程のジジイとの事もそうだが、私の為にこうして尽くし、力を使ってくれているというのにな」

 

 見詰めるイリヤの痛ましげな視線にバツの悪さを覚えてエヴァは軽く頭を下げた。些か自虐的になり過ぎたようだ。このような事でこの家族と思える少女を悲しませたくは無いのに……何とも迂闊な事だ。

 エヴァは反省する。そう思える自分の心の在り様の変化を余り自覚せず。

 

 

 

 そんな殊勝なエヴァの様子に先のアルビレオ同様、近右衛門は興味深そうにするが…以前、エヴァ邸を訪問した時に予感したモノもあり、何処か納得したようにも…また満足げに顎の髭を撫でながらウムウムと頷いていた。

 エヴァにイリヤ君を預けて正解じゃった、とそう思いながら。

 ただその隣ではタカミチが意外そうな表情をやはり見せていたが、それでも彼なりに元同級生であり、友人とも呼べるエヴァのその態度に思うものを感じたのか、ソレに関しては何も言わず、代わりに別の事を訪ねる。

 

「魔女メディア……イリヤ君、そんな(ひと)を身体に降ろして大丈夫なのかい? 君を信用していない訳じゃあないけど、彼女の伝説は―――」

「―――そうね。裏切りと謀殺と報復…そんな悪逆に彩られた伝承……いえ、人生もしくは生涯と言うべきかしらね」

 

 タカミチの抱く不安を理解して一つ首肯するイリヤ。だが直後に首を横に振っても見せる。

 

「けど、その伝承に伝えられる通り、発端はその時代に崇められた一人の女神の呪いにあった。勿論、その呪いが解けた後に彼女が行なった所業は紛れもなく彼女自身が望み、悪意を持って行った事だけど…」

「…………」

「でも…それでも私は、彼女が根っからの悪人だとは思えない。むしろ本当はとても純粋で善良な人なんだと思う」

 

 思い深げにイリヤは言った。

 そう告げる彼女の眼の色にタカミチは少し圧倒されるものを覚えて黙り込んでしまう。

 

「…ふむ、なるほど。確かにコルキスの王女メディアは卑劣な裏切りと苛烈は復讐に奔った悪女として以外にも、悲劇の女性としても知られていますからね。神の気紛れに翻弄され、不遇に陥り、人生を狂わされた人物だと。そしてイリヤさんはそれを実感できる訳ですか、クラスカード…英霊の力を通じて」

 

 黙り込んだタカミチに代わってという訳ではないだろうが、アルビレオが感想を零しながらもイリヤに疑問を呈して来る。

 

「…実感というほどでは無いわ。けど…そうね、力を通じて知識を得て、その記憶と感情が伝わってくる事も確かにある」

「!―――大丈夫なのかイリヤ君、本当に!?」

 

 イリヤの言葉を聞いて黙り込んでいたタカミチが若干慌てた様子で心配する。その感情に引っ張られて呑まれるのではないかと考えての事だろう。何しろ英霊と言うのは人という存在を凌駕し、伝説となり、信仰を受ける強大な存在なのだ。

 タカミチの脳裏に雨中で戦った黒い槍兵の姿とその圧倒的な存在感が過ぎる。

 

「大丈夫よタカハタ先生。伝わると言っても本当にそれだけだから。意思を操られるような事も思考を誘導されるような事も無いわ。ただちょっと感傷的になる程度ね」

「…そうか。それなら良いんだけど」

 

 イリヤの確信が篭った声にタカミチは息を吐くように安堵の言葉を口にした。

 尤もイリヤの眼が先程から変わらず深い色を見せているので気になる部分は残るのだが……それが感傷という事なのだろうと納得する。

 魔女とも呼ばれる女性がイリヤの言う通り、本当に純粋で善良というのであれば……―――なるほど、伝説に記された通りなら辛いものであったのだろう、その記憶を垣間見るイリヤも同様に辛いものがあるかも知れない、などと考えて。

 

「…それにしても王女メディアの力に知識ですか……彼の魔道の女神に師事したと言われる人物の…」

「あら、興味があるの?」

 

 安堵しつつも考え込むタカミチを横にして、アルビレオは先程の自分の言葉に続けるように言うと、イリヤがやや首を傾げて尋ねた。

 それに彼は大きく頷いた。

 

「ええ、それはもう! 魔術…もとい魔法を扱う一人として、また神秘に携わる者としては当然でしょう!」

 

 やや大仰な彼の返事にイリヤは軽く溜息を吐く。その様子に…いや、裏にある狙いに思い当たるものがあるからだ。

 

「…加えて言えば、その人生…善良だった一人の少女が魔女と蔑まれていった過酷な生涯を過ごした過去を知れる事も?」

「…! 分かりますか? ……私の趣味について話した覚えは無いのですが」

「まあ…ね、そんな匂いがするっていうか、似たような趣向を持つ似非神父(ひと)と雰囲気がそっくりだもの……特に今歪んでいるその口元が、ね」

 

 イリヤは脳裏に浮かぶ人物の姿に眉を顰めながらも、そう指摘する。

 

「………私とした事が。どうやら、らしくもなく興奮しているようですね」

 

 イリヤの指摘にアルビレオも、むむ…と眉を寄せて顔を顰める。恥じているらしい。

 その彼の表情にイリヤは内心で首を傾げる。半ば嘯いて誤魔化したアルビレオの趣味の事もそうだが、原作ではそういった大人気ない姿を外聞も気にせず―――主にエヴァをからかう事で―――見せていたからだ。なのに奇妙な所で恥じ入るのがおかしかった。

 

「うーん、ウチはそういった西洋の神話などには疎いどすから、何とも言えまへんなぁ」

「ウチも鶴子叔母さ…―――鶴子さんと似たようなもんやえ、占い研の部活で一応ちょこっと名前やその人の伝説を聞いたことはあるんやけど…」

 

 イリヤ、タカミチ、アルビレオとのやり取りを見ていた鶴子と木乃香が言う。お互い頬に指を当てて首を傾げている姿はまるで姉妹のようだ。血の繋がりがあるお蔭で顔立ちに似た部分があるから余計に。

 ただ木乃香が言い掛けた様に実際は二回り近くも歳が離れた叔母と姪の関係なのだが……―――鶴子が叔母さんと呼ばれ掛けた時の眼の怖さは傍から見て尋常では無かった。

 

(…美人だし20代前半程度と若く見えるんだから、そんな気にする事は無いと思うんだけど)

 

 その尋常でない鶴子の様子を見たイリヤはそう思うが、鶴子本人としては複雑なのだ。5年以上も前に結婚をし、32歳になる今になっても子宝に恵まれていない現実もそこに関係しているのかも知れない。

 

(ふむ……確かにそう考えると、実の兄の娘から叔母さんと呼ばれるのは抵抗を覚えるのかも…?)

 

 そうとも思った。途端―――

 

「―――!?」

「………」

 

 そんなことを考えていた所為か、鶴子の不穏な視線が此方に向けられており、気付いたイリヤはビクリと身体を震わせる。

 勘が良いと言うべきか、鋭いと言うべきか、ニコニコとした良い笑顔なのに眼だけは明らかに笑っていない。確実に自分の思考が読まれているとイリヤは直感し、背筋に冷たいものを覚えた。

 

「さ…さて、取り敢えず始めましょうか」

 

 身の危険を覚えたイリヤは、悪寒を振り払って誤魔化す意味でもそう皆に告げた。万が一でも彼女に斬り掛かれでもしたら『キャスター』を夢幻召喚(インストール)している今の状態では、対応できる自信が無いのだ。いや、先手を取れ、転移を使う事さえ出来れば何とか逃げられるかも知れないが……兎も角、

 

「…タカハタ先生をこれ以上変に不安にさせるのもなんだし―――アルビレオ…貴方にそんな物欲しそうな眼で見られ続けるのも……ちょっとアレだしね」

 

 鶴子ほどでは無いが、イリヤはアルビレオにジロリとやや鋭い視線を向ける。

 

「…そのような眼をしてましたか?」

「自覚無し…か。まったく、残念だけど貸す積もりも無ければ、触らせる気も一切ないわよ」

「それは本当に残念です。……―――どうしても、ですか?」

「…………どうしても、よ。神代の魔道の知識なんていう核兵器の原理や製造法みたいなモノを迂闊に教えるような真似をする訳には行かないし、幾ら意識が無い霊核だけの存在だとはいえ、彼女(メディア)の記憶も本来なら本人の同意なしで見せて良いものじゃないわ。見ている私だって正直良い気分じゃないんだから…!」

 

 イリヤに指摘されながらも、尚もしつこく眼と言葉で訴えるアルビレオをイリヤは念を押すように拒絶する。

 そこには神代という括りだけではなく、“魔術”そのものを広めたくない、その秘める純度や優位性を損ないたくはない…という事情もあるが―――実の所、イリヤはアルビレオを余り信用していなかったりする。

 無論、悪人では無いと思うし、戦力的にも頼りになり、期待もしているが……性格や性根の部分に相容れないものがあるようにイリヤは感じるのだ。

 例えるなら悪乗りした時のカモだとか、自分も知るあの腹黒外道似非神父や年老いたゾォルケンが薄っすらと笑みを浮かべる時のような…………後者は言い過ぎかもしれないが、何処となくそんな雰囲気を彼に覚えるのだ。

 ただ、先にも言ったように決して悪人では無いのだろうが……―――イリヤは取り止めない考えに陥りそうに思えて、そんな余分な思考を溜息を吐いて追い出し、惜しむようにこちらを見るアルビレオからエヴァに向き直る。

 

 イリヤの手には何時の間にか歪な形を持ったナイフが握られていた。

 

「それは…?」

 

 物体召致(アポーツ)の魔法のようにイリヤの手に現れた奇妙な刃物を見てタカミチが問う。

 

「『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』。あらゆる魔術と契約の成立を無効化する裏切りと否定の剣。これが王女メディアの宝具よ」

「ほう、故国コルキスから逃亡する時に使った弟の身体を切り刻んだという刃物(ナイフ)と同じ代物かのう?」

 

 淡々と答えるイリヤに近右衛門が何処か感心したように尋ねるが、イリヤは首を横に振る。

 

「さあ、それはどうかしらね。こんな短い刃物で人体を切断して解体できると思う?」

「…長さもそうどすが、形状も物を切る事に適しているとは言い難いでおますし、普通に考えれば…まあ、無理どすなぁ」

「同感ですね。ただ王女メディアは稀代の魔女とも言われた方ですし、それを思うと色々と方法はあると考えられますから、断言はできませんが…」

 

 イリヤの問い返しに鶴子とアルビレオが答える。

 

「確かに魔術を使えば可能だと思うけど、実際は違うわ。ただその逸話が影響した可能性も完全に否定は出来ないけど…でもこれは彼女の伝承が具現化した宝具(もの)に過ぎない」

「…ふむ。宝具というのは、英霊が生前持ち合わせた武器以外にも、その英霊に纏わる有名な逸話や象徴的な出来事が想念の結晶となって具現化するもの…だったな。それもそういった想念(モノ)の一つという訳か」

「ええ、これは彼女の生前の在り様が昇華されて“結晶(カタチ)”になったものよ」

 

 エヴァの言葉にイリヤが頷いた。

 

「故に裏切りと否定の剣……か、魔術と契約の成立を無効化する。…なるほど、それで私に掛けられた呪いを解くのか」

「そういう事。勿論、呪い以外の他の…例えば茶々丸や他の人形達の間にある契約なんかは解かないわ。『アーチャー』を夢幻召喚(インストール)した時に使う投影した贋作(ほうぐ)の真名解放と違って、『キャスター』本人を降ろして、その本人の真作(ほうぐ)と力を使う訳だから対象とする魔術や呪いなんかの選択は自由に行えるんだし」

「……………」

 

 イリヤがエヴァの問いに答えると、何故か彼女は黙り込んで神妙な様子でイリヤをジッと見詰める。

 

「ん、どうしたの?」

「…あらゆる魔術を無効化……ならイリヤ、それを使えばもしかすると私の――――…………いや、やっぱり何でもない」

「………」

 

 首を振って俯くエヴァが何を言いたかったのか、イリヤは察しが付いた。

 だが、イリヤはソレについて何か言おうとは思わなかった。今のように濁さずにその言葉を全て口にしない限り言ってはならないと感じたからだ―――が、しかしもう一つ理由がある。

 端的に言えば、この稀代の魔女メディアの宝具『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』でもソレは不可能だと判断したからだ。

 今こうしてメディアを身体に降ろし、エヴァを目の前にしているから判る。この魂にまで及んだ“病”を治療する事は宝具の力と神代の知識を持ってしても難しい、と。

 だから顔には出していないが正直、非常に驚いている。

 

(―――恐らく…いえ、確実に死徒化とは違う。具体的な事はより詳細に調べないと判らないけど、この感じる神秘の濃さや肉体と魂の蝕み方からして考えると……この世界には裏にシフトしていない精霊も多いようだし…………でも、そんな事があり得るの? あ、でもこれを施した造物主(ライフメイカー)は少なく見積もっても2600年以上前の人物。そんな時代に生きた人物ならその方策を識る可能性は在るのか……いえ、確か造物主は…………だとすると―――)

 

 エヴァを見詰め、密かに彼女に気付かれないように『解析』を使ったイリヤは考え込む。

 

「?…イリヤ」

「―――あ! ……御免なさい。彼女の象徴となる宝具を取り出した所為か、少し“感傷”に引っ張られ過ぎたみたいね」

 

 エヴァに声を掛けられてイリヤはハッとして咄嗟にそう誤魔化した。

 殆ど勘のような物であり、確証に欠ける現状で話すべき事ではないからだ。こんな思わぬ形で“ヒント”を手にしたかも知れない事への動揺や驚きもあるが―――いや、それすらも意図された、仕組まれた可能性もあるが……。

 

「それじゃあ、これで一突きする訳だけど……」

 

 誤魔化したイリヤは、疑問を挟ませない為にもエヴァに歪な刃物を掲げて見せ、続けてそう告げる。

 

「…けど、一応確認するわ。エヴァさん本当に良いのね。貴女に掛けられた呪いは彼…ナギ・スプリングフィールドによるもの。彼が貴女の事を想って掛けた貴方達二人を繋ぐ大切な絆でもあるのだと私は思っている」

「…………」

「それを解くという事は、その絆を断つという事にもなる。……本当に良いのね」

 

 何処か慎重さを感じさせる声色で二度尋ねてイリヤは確認する。大切な事だからだろう。

 エヴァはその言葉を聞き、眼を閉じて考える。そう思ってくれるイリヤの想いが嬉しくて、そう大事に言ってくれた言葉を良く考える為に。

 

「――――」

 

 ナギの奴が自分に何を願って忌まわしいと感じていたこの呪いを掛けたのかは判っている。昨日、イリヤと話をしてようやく理解した事だ。勿論、それを本人に確かめた訳では無い。けれど…きっとナギの事だからそれは確かな事実なのだろう。

 

(大丈夫だ。アイツ自身の手で無くともこの呪いを解かれる事はその願いに繋がっているんだ。決してそれが断たれる訳じゃない)

 

 そう内心で呟き、エヴァは頷いた。

 

「ああ、それでアイツとの関係が終わる訳ではないからな。もしそれがあるとすれば…あのままアイツが“奴”に呑まれて存在が消えるか、もしくは目覚めたアイツにその“答え”を問い質し、私達が至った“答え”と間違っていた時だ。そしてその答えを得る為にもこの呪いと封印からの解放は不可欠だ。でなくては今もアイツの……その身体に封じられた“奴”を…造物主(ライフメイカー)を狙う連中に対処出来んのだからな。だから―――」

 

 ―――構わないイリヤ、お前の手でこの呪いを破戒して(断って)くれ…!

 

「分かったわ」

 

 強く意を決して頷くエヴァに、イリヤも確りと頷き返してその手に握られた刃を振り上げて―――

 

「――――破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)!!」

 

 その真名と共に振り降ろし、エヴァの胸へと突き立てた。

 

「――――…ッ!!!」

 

 その紫色の歪な刃が胸に突き立った瞬間、エヴァの身体が光に包まれ、枷のように彼女の身体を環状に覆う呪文が幾つも、何重に浮かび―――パシンッ、パシンッと高い音を立てながら火花を散らすよう一つずつ弾けて消えて行く。

 そして―――

 

「―――ハッ、ハハハ…」

 

 呪文がすべて消えた直後……文字通りそれはやはり枷だったのか、解放感に打ち震える少女が黄金の髪を揺らして歓喜の笑い声を上げた。

 彼女が立つ場所を中心に風が巻き起こり、この談話室全体に不可視の魔力が荒ぶるように渦巻くのが感じられた。

 

「ああ、この感覚………ぼーやと()り合った時とは違う。京都で不完全な鬼神を砕いた時とも違う。本当に久しぶりだ」

 

 呪いという見えぬ重い枷が真実消えたのだと……その身体―――肉、霊体、精神、魂に感じる軽さからエヴァは実感した。

 

 ―――これで私は自由なんだ。縛るものが無くなった訳ではないけど…、

 

 そう胸中で呟く。同時に―――

 

「―――あ、」

 

 どうしてか自分でもその理由が判らずに眼元が熱くなり、銀の滴が頬を伝って零れ―――

 

「―――エ、エヴァ…さん!?」

 

 気が付くと目の前に居る白い少女の胸元に縋るように飛び付いていた。背丈は似たようなものだからやや屈んだ状態で。そして―――

 

「ありがとうイリヤ…ありがとう、本当に…」

 

 そう自然とエヴァはイリヤに感謝の言葉を口にしていた。

 

「…………」

 

 イリヤは無言で微笑むと、そんな彼女の身体を抱きしめて頭を…胸に飛び込んだ幼い少女のその綺麗な金の髪を梳くように黙って撫でた。

 

 ―――ただ、優しく労わるように。

 

 

 

 この翌日。

 近衛 近右衛門は魔王とも呼ばれた“闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)”の封印を解いた事と、その呪いが解けた事を関東魔法協会及び“本国”を含めた世界各国の魔法協会へ通達した。

 それに伴う様々な余波を己が責任を持って引き受けて。

 その上で、彼女―――エヴァンジェリン・アナスタシア・キティ・マグダウェルが今後も関東魔法協会に協力する事、変わらず属する事も公表した。

 

 斯くして闇なる福音は世界に再び齎された。

 

 

 

 ―――が、それは嘗てのように決して世に恐怖と災いをもたらすものでは無かった。

 

 それを人々が知るのはそう遠くない未来の事であり、そしてその忌まわしき名もその意味を変えて行く事と成る。

 

 

 

 




久し振りに丸々一話執筆という事であまり上手く書けていないような気がして文章に少し自信がありません。

エヴァとイリヤの関係がより親しげなのが気になる方も居られると思いますが…その理由はもう何話かしたら判ります。


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第23話―――新たなる日常。その始まり

前回から結構時間が飛んでます。


 

 

「え、私達のクラスに編入生ですか?」

「それでネギ先生は今日…」

「うん、だからアイツは先に学校へ行ってるの。なんか急に決まったらしくて、ネギも昨日知らされたばかりとか…」

 

 登校の時間、夕映とのどかと珍しく一緒に成った明日菜は、そう彼女達の疑問に答えていた。

 

「こんな時期にとは、何ともおかしな話ですね」

「せやね、先週テストがあったばっかりやし」

 

 そう相槌を打ったのは何時も明日菜と登校を共にしている刹那と木乃香だ。

 二人の言う通り、中間テストも過ぎたこの半端な時期に転校生とは奇妙な話しだった。その所為か、二人の声色には微妙な緊張が含まれていた。

 何しろ、あんなゴタゴタが在ったばかりなのだ。“本国”から何か干渉が在っての事ではないかとの疑惑があった。特に木乃香にしてみれば、急な決定で且つ“ネギと明日菜の居るクラス(3-A)”というのは尚更そう思わせる物だ。

 片やそういった機密(トップシークレット)を知らない刹那にしても“本国”と魔法協会の隔意と確執は理解している。況してやあの噂―――“西”の大戦への派兵に纏わる陰謀が事実だと知っていれば尚の事に。

 とはいえ、

 

「まあ、でも確かに珍しいけど、まったくあり得へんって事でもないと思うし……ネギ君にお爺ちゃんの連絡が遅れたんもここん所、忙しかった所為やろうし」

 

 木乃香は杞憂だとでも言うように自らの懸念を考え過ぎだと振り払った。

 もし情報が洩れたとしても、実際、動くにはまだ時間が掛かる筈だ。“ゲート”の開閉周期の事もある。

 第一、明日菜やヘルマンの事が簡単に外部に流出するとは思えない。それらの重大事項を知る人間は木乃香から見ても信用できる者達だけなのだ。

 それによくよく考えてみると、学園に干渉出来る明確な口実が無い……と言うか弱い。

 明日菜とヘルマンに関わる件は“本国”としても表沙汰に出来ない事であり、万人を納得させる表向きの口実には使い難い。仮に使えるとしたら鉄壁を誇る筈の学園都市への襲撃事実そのものだろうが……―――それだけなら協会の自治の範囲、内政干渉で拒否できる案件だ。

 勿論、口実など必要としない裏方専門の部隊なり、工作機関なり、人員を動かすのならまた話は別だが……それなら表立ったクラス編入という凝った手段は使わないだろう。協会の警戒を無駄に煽るだけだ。

 

「……うん」

 

 木乃香は独り納得すると、頷く。

 それを見た刹那も何となくそれに追従して首肯した。政治には疎い為、自分よりも聡い木乃香が納得を示したことで取り敢えず問題は無いと判断したのだ。

 そんな二人の様子に明日菜とのどかは不思議そうな顔をし、夕映は若干訝しげな表情を見せていた。

 

 そして、話題を変えるように木乃香が「どんな子が来るんやろなぁ」と口にした事で普段の和気藹々とした雰囲気に戻り、それぞれ勝手な予想と言うか、妄想を交えながら明日菜達は通学路を進んだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 明日菜達が新たな生徒がどういった人物か想像を巡らせながら登校している一方、その生徒と顔を会わせたネギはというと、

 

「―――えっ!…え、ええっ!?」

 

 驚愕の余り叫び、固まっていた。

 

「え? え?……どうして?」

 

 口をパクパクさせながらも何とか疑問の言葉を口に出すネギ。だが、

 

「うむ、そういう訳じゃから彼女達には君のクラスに入って貰う」

 

 一体何がそういう訳なのか、近右衛門の説明が耳を素通りしたネギには判らなかった。

 その為、「え、いや…」と再度ネギが尋ねようとするが、

 

「ええ、そういう事だからこれから宜しくね」

「よろしくお願いします! ネギ先生!」

 

 と。にこやかに言う小柄な彼女と、溌剌と元気よくお辞儀しながら言う少女にネギは戸惑いながらも、

 

「こ、こちらこそ、よ、宜しく…お願いします」

 

 そう、お辞儀して答えるしかなかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 明日菜は教室の扉を開くと……その目に入った光景に戸惑った。一緒に登校していた背後から続く友人達もそれを見て、一様に表情を困惑させた。

 

「な、何してるですか? ハルナ」

 

 そう呟いたのは夕映だ。

 珍しくいそいそと、自分とのどかを置いて先に出掛けて行った友人の、クラスメイト達にしていること―――制服から…なんというか、メイド服のような物への着替えを手伝っている姿を見て、夕映は明日菜と同様にやはり困惑した表情を張り付かせている。

 それに「え、見て判らない?」と逆に尋ねるハルナ。

 

「ほら、私達のクラスってまだ出し物が決まってないじゃない」

「あ、学祭のですか?」

 

 ハルナの言葉に思い当たることが浮かび、困惑は消えないものの取り敢えず夕映は頷いた。

 

「そうそう、それで朝早く集まったクラスメイト達と相談して、メイドカフェが良いんじゃないかって決まったのよ」

「え? 決まっちゃったの!?」

 

 ハルナの続く言葉にのどかが驚く。

 確かに3-Aの生徒達は殆どが部活をしており、朝早くから練習やらミーティングなどを行う部に所属しているクラスメイトの数は少なくない。だからそれら朝の部活を終えた生徒達が逸早く教室を訪れる事はある。

 そういった事情の生徒も含め、今此処にいる面々の賛同を取り付けたのならば、確かにクラスの過半数を超える事には成る。いや…それ以前にメイドカフェなる案に、無条件に賛成しそうな面子で構成されているのが3-Aというクラスだ。

 それを思うと確かに決まったも同然であり、ハルナの言葉に間違いは無いのかも知れない。

 明日菜もそう思ったのだろう。溜息を吐きながら仕方なさそうに頷くも、それでも晴れない疑問があるので、ハルナに尋ねる。

 

「はあ、何となく事情は分かった。けど、それでどうして今着替えてる訳? それにだいたい何処から…いつの間にメイド服なんて取り寄せたのよ」

 

 そう、今朝決まったばかりならそれは今後用意しなければいけない物なのだ。だというのに既にあるというのはどういう事なのか? 前もって用意していたとしか思えない。

 ハルナがいそいそと出掛けたのを聞いている事もあって、明日菜は疑わし気に3-A騒動屋の一角である彼女を厳しく見据える。

 が―――

 

「―――ふ、このわたくしが居るというのに、そんな事も判らないなんて相変わらず頭がお猿さんですわね、明日菜さん。流石、中間テストで我がクラス最下位を取っただけの事はありますわ」

 

 その声…言葉を聞いて、明日菜はこめかみにピキッと奔るものを感じながらも理解する。ああ、そうかこの馬鹿(コイツ)の所為か…と。そして見る。

 

 ―――バカと金持ちは使いよう。

 

 とでも言そうな、新世界を築こうとした某少年…或いは青年のような笑みを浮かべるハルナの顔を。

 それを見て明日菜は爆発しそうになった怒りが鎮まるのを覚えた。良いように使われてるわね…と、あやかに僅かに憐れんだ気持ちが芽生えたのだ。

 その為、明日菜の怒りが向けられない事もあってか、あやかは調子付いたように言葉を続ける。

 

「正直、メイドカフェというものがどのようなものかは判りませんが、皆様たっての希望です。この雪広あやか、3-Aの学級委員長として精一杯…―――いえ、ネギ先生の為にも、先生のクラスに恥じない! まさしくこれぞ麻帆良祭に相応しいと! 相応しかったと! 子々孫々まで語り継がれるような立派な出し物に仕立てる為! 命を賭して奮闘させて貰う所存です!!」

 

 グッと拳を力強く握り締めて翳し、長い金髪を振り回すようにして仁王立ち、その瞳の中と背景に燃え盛る炎が映りそうな意気込みであやかは言った。

 

「―――……うわぁ」

 

 明日菜はそんなあやかの姿にドン引きする。夕映やのどかなどの他のクラスメイトの大半がそうだが……ほんの一部、ハルナや裕奈といったあやかを煽った生徒達は不敵な笑みを益々深めていた。

 

 ―――計画通り…!

 

 と、言い出しかねない雰囲気を醸し出しながら。

 

 

 

 そのような騒ぎが続き、分刻みでクラスメイト達の数も増え、より騒がしくなって―――暫く、教室に担任教師たるネギが姿を見せた。

 

「おはようございます―――わああっ!? な、何ですかこれは!?」

 

 当然のことながらメイド服を纏う生徒の姿や教室に持ち込まれたソファーやらテーブルなどの備品の他、数多の飲み物の存在にネギは驚く。

 

「「「いらっしゃいませー、ようこそ、3-Aメイドカフェ、“アルビオーニス”へ!!」」」

 

 ネギの驚きも余所に、あやかを筆頭とした生徒達はそんな事を平然とのたまった。

 

「3-Aの出し物がメイドカフェに決まりましたの」

「ウチの学校、お金儲けして良いからね」

「お小遣い稼ぐならこれだよ!」

 

 驚きから抜け出せないネギの様子に構わず生徒達は口々にそう言う。

 そしてネギが教室を訪れるまでに、出し物に関する話題でテンションが高まっていたのか、桜子と美砂を始めとした幾人かがネギの腕をやや乱暴に取った。

 

「そうだ! ネギ君、お客第一号になってよ」

「練習、練習―――っ」

 

 突然そんなこと言い。あやかが調達した思われるソファーの方へネギを引っ張り込もうとする―――が、何時もの彼なら此処で流されていただろう。しかし、今しがた入って来た教室のドアの向こうから感じる気配……いや、向けられる視線が気に掛かって、額に汗を浮かべて焦り、

 

「ま、待って下さい! 出し物が決まったというのも初耳ですけど……皆さんそれより今はHRの時間ですよ」

 

 取られた腕を振り払って、何とかそう生徒達に告げる。

 

「え~~、そんなこと言わないでさぁ。たっぷりサービスするからお客役やってよぉ」

「そうそう、お姉さんがたっぷりと楽しませて上げるから、ね」

 

 不満そうに言いながらも桜子は似合わない“しな”を作って色気をアピールし、美砂は慣れた様子でウインクしながらそれに続く。

 ネギは迫る二人に思わず後ずさるも、かぶりを振って先生らしく叱り付けるように言う。

 

「駄目です! 椎名さん、柿崎さん、変な風に言わないで…!―――他の皆さんももう席に着いて下さい! それに今日は新しいクラスメイトが入るんですから、その紹介もあるんです」

 

 そう、本人は精一杯言っているのであろうが、やはりどこか子供っぽさは抜けない。だがネギの言葉の中にある……つまり新しいクラスメイトという言葉は、騒動好きの彼の生徒達の琴線に触れるものがあったのだろう。

 

「え? もしかして転校生っ!?」

「こんな時期に…?」

「どんな子なの!」

「男の子? 女の子?」

「女子に決まってるでしょうが!」

 

 瞬く間に学祭の事は彼女達の頭から吹き飛び……でもやはり静かにはならず、別の意味で教室は騒がしくなる。

 ネギは、詰め寄らんばかりに質問をぶつけて来る生徒達に半ば辟易しながら、それでも落ち着かせようと声を張り上げる。

 

「皆さん、とにかく席に着いて下さい! 今紹介しますから!」

 

 そうして暫く……2分ほど経過して教室は落ち着きを見せる。しかも何故かあった筈のソファーやらテーブルなどの備品を始め、ドリンク類なども何時の間にか片付けられていた。

 おそらく楓や茶々丸あたりの仕業だろう。流石に服を着替える時間までは無かったが。

 

「ええ…コホン。では出席は―――まあ、全員居るようですし、時間も惜しいですから省略するとして……入って来て下さい」

 

 気を取り直すように咳払いし、教室を一度見渡してからネギはそう扉の向こうに声を掛けた。

 カラリッと静かな音を立てて扉が開かれ、麻帆良女子中の制服を着た二人の人物が入ってくる。途端―――

 

「え…?」

 

 と、幾人かの声が重なった。

 

「皆さん、えっと…初めまして、相坂 さよと言います。よろしくお願いします」

 

 一人がそう皆に挨拶をしてぺこりと頭を下げる。しかし席に着いた生徒達の大部分は彼女に視線を向けていなかった。

 無論、見知らぬ新たなクラスメイトである彼女―――さよも稀有で整った容貌な事もあって、十分注目に値する人物ではあるのだが、もう一人……小柄な彼女がこのクラスに来た事の方が驚きであり、注目すべき事だった。

 その少女がさよに続き、

 

「皆さん、初めましての方もいれば。そうでない方もいますが―――」

 

 一度言葉を切ると、彼女は丁寧にお辞儀をし、

 

「私はイリヤスフィール・フォン・アインツベルンと申します。本日よりこの3-Aのクラスで皆さんと一緒に勉強させて頂く事に成ります。どうぞ宜しくお願い致します」

 

 そう、誰もが見惚れるような淑やかな笑みを浮かべて白い少女が挨拶した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 挨拶の直後、当然3-Aは大きな騒ぎになった……いや、成りかけた。それこそ放って置けばネギに出し物を告げた時以上の騒動に成っていただろう。

 だが、

 我先にクラスの多くが質問をしようと、イリヤへと詰め寄ろうとしたが―――

 

「今は大切な朝のHRの時間よ。それが終わってからの方が良いでしょう」

 

 そう、淑やかな笑みのまま微かに眼を細めて告げるイリヤの…小柄な少女が放つその不可思議な迫力に呑まれ、席から腰を上げようとした生徒達は誰もが腰を落とす事となり、大きく成ったであろう騒動は未然に防がれた。

 尤もその分、妙にギクシャクした雰囲気に成ったが……ネギは何とかHRを続ける。

 

「えー、それで相坂さんですが、彼女は元々僕達のクラスの生徒でして、本来なら皆さんと一緒にこのクラスで勉強して来た筈なのですが、一学年の頃…入学前に入院する事となった為、今日まで学校へ通えなかったそうです。ただ学力に心配は無いとのことですが……やはり学校で過ごす面では不慣れな所があると思いますので、皆さんその辺の事をフォローしてあげて下さい」

 

 ネギはさよの事をそのように話すが、勿論でっち上げ(ウソ)である。

 実は幽霊で、このクラスにずっと居た(憑いていた)という事情を隠すための方便だ。一応、学力に遅れが無いのは事実だが、学校に不慣れという事は無い。何しろ60年近くもこの校舎に居たのだから。

 

「で、イリヤ―――じゃなくて、すみません。えっと…アインツベルンさんですが、ご存知の方も多いと思いますが。彼女は海外の…ドイツからの留学生でして、こちらも事情があってこれまで決まったクラスや学年に編入されていなかったのですが、つい先日そちらが解消されて、本人の希望を汲んで今日から僕達のクラスに入る事になりました。年の頃は僕と同じですが、相坂さんと同じで学力に問題はありません」

 

 そう、イリヤについても話すネギではあるが、戸惑いが抜け切れない為に若干声が強張っていた。或いは“歳の近い”友達が生徒になった事実―――イリヤに先生として振る舞う姿を見られる事に意識が行き過ぎているのかも知れない。

 そんなネギの様子を察して、イリヤは少し可笑しそうにクスリと笑って彼の方へ視線をチラリと向ける。

 それに気付いたネギは、自分の心境を見抜かれたように感じて頬を軽く赤くする。しかし、かぶりを振って気を取り直してHRを続け―――…………

 

「ふう…」

 

 と、無事に終えて安堵めいた溜息を吐きながらネギは、後ろ髪が引かれながらも生徒に見送られて教室を後にした。教師という立場や仕事があるのだから仕方の無い事だ。その直後、

 

「ねえ、イリヤちゃん。どうしてうちのクラスに?」

「ネギ君とは、ホントの所どうなの?」

「貴族って本当なの~?」

 

 イリヤに見据えられた緊張は何処に行ったのか、彼女の周りには人だかりが出来ていた。

 しかも何故か席が離れたさよまで傍にいる。オマケに廊下の窓越しに他のクラスの生徒の姿が徐々に見える様になり、こちらに視線をチラホラと向けている。

 どうやらイリヤの編入は一瞬にして学年全体…もしくは校舎全域に広まったらしい。何処のクラスにも属さず女子中等部に通う妖精の如く可憐な白い少女の事はそれなりに有名なのだ。

 イリヤは軽く溜息を吐くと、目の前のクラスメイト達の質問に手早く答える事にした。早々この状態を何とかしないと隣の席であるエヴァの……既にこめかみをピクピクさせている彼女の機嫌が最悪になりそうだからだ。

 

「このクラスに入ったのは、そう大した理由は無いわ。単純にこの麻帆良に来てからネギやコノカ、アスナを始めとした3-Aの人達と縁があったからよ。折角、知り合えた人達が多いんだから、編入するならそこが良い…ってね」

「そっか、そうだね。明日菜の誕生日の時もそうだったけど、この前の南の島のリゾートやボーリングなんかも一緒だったし、確かネギ君とくーふぇとの拳法の稽古にも付き合ってるんだっけ?」

 

 イリヤの返答に美砂がウンウンと頷きながら納得する。

 続いて桜子が尋ねる。

 

「それじゃあ、何で今になってこう本格的な生徒に成ろうと思ったの? 聞いた噂じゃあ、生徒に混じって勉強するのが嫌だって事だったし、実際イリヤちゃんを見掛けるようになってから一ヶ月くらい経つけど、その間、どのクラスにも入らずに居たよね」

「それについては少し答え辛いわね」

 

 桜子の問いにイリヤはそう言いつつ、

 

「こう見えても私は高卒以上、大学生程度の学力があるんだけど、この国じゃあ原則的に飛び級は認められていないのよ。でも私はドイツ国籍な訳で…日本のそれに従うのも、ね」

 

 などと嘯き。近右衛門と話し合って適当に決めた設定を述べる。

 

「だからその辺りの事で、県の教育委員会や文科省が色々とゴタゴタしてしまってね。そもそも私のような年齢で高卒以上の学力を持つ例自体が少ないらしいから、認可やら妥協点やら……と。まあ、こうして編入に時間が掛かったのよ」

 

 そんな曖昧に濁しながら話すと、聞いていたクラスメイト達は、はぁ~と納得したような、していないような微妙な声を漏らした。

 しかし適当とはいうものの、その辺のアリバイ作りの為に協会上層部を通じた文科省と外務省…さらにドイツの方とも交渉し、その協力を得て、イリヤの表の経歴と国籍は偽造されていたりする。

 ちなみにネギが教師をしていられるのも、そういった政治力学(パワー)が作用しての事だ。

 

「それで、ネギ先生との関係はどういったものなのでしょうか?」

 

 イリヤの説明に余り得心がいかない、微妙な表情をしているクラスメイト達を押し退けて、そう改めて尋ねたのはあやかだ。

 相変わらず強く、挑むような視線でイリヤを見る彼女に対しては、以前にもその答えを言っている筈なのだが―――その表情と目線から察するに、どうも自分の知らない所でネギと進展、或いは関係が発展したのでは?…と疑っているようだ。

 イリヤはやや呆れる。

 

「以前言った通り、友達以外の何者でもないわよ。アヤカの気持ちは判らなくも無いけど、少し勘ぐり過ぎじゃないかしら。大体、10歳の子供にそんな感情を求める方がおかしいわ」

 

 素っ気なくイリヤは答える。しかしあやかは納得できないらしく、

 

「…ですが、どうもネギ先生の貴女を見る目が―――」

「―――それは、私があの子の周囲でも親しみやすい、同じ年齢の子供だからでしょ?」

 

 喰い掛かるあやかの言葉をイリヤは遮るように否定する。だが、

 

「いえ、確かに以前はそうでしたが、しかしここの所、何処か……」

 

 尚も何か言い募ろうとあやかは言葉を続ける。

 その二人のやり取りに他のクラスメイトもネギとの事がやはり気の掛かるのか、黙って傍観しようとするが―――

 

「ま、いいじゃない、あやか。イリヤさんはネギ先生を友達と言い、先生もそうだって事で」

「千鶴さんっ! ですが…」

 

 あやかを宥めるように千鶴が口を挟み。それに反論しようとするあやかの口を塞いで彼女の耳元で何かを囁いた。

 その内容は当然イリヤは勿論、他のクラスメイトにも聞こえず―――ネギ先生が本当にそうだとは限らない。なのにそれをイリヤさんに知られるのは返って危険よ。もしイリヤさんが意識するように成ったりしたら、自覚の薄いだけかも知れないネギ先生にも貴女にとって好ましくない影響が出るかも、等との言葉に―――渋々といった態度であやかは千鶴に首肯した。

 

「…わかりました。千鶴さんの言う通りですわね。これ以上は言わないでおきましょう」

「ええ、分かってくれて嬉しいわ。流石はアヤカね」

 

 納得してくれたあやかに千鶴は心の底から嬉しそうな笑顔を見せる。

 イリヤは、その千鶴の表情に……菩薩のような笑顔の筈なのに何故か―――そうまるで、目の前に今にも爆発しそうな爆弾でも置かれたかのような不穏なものを覚え、あやかからこちらの方へ視線を移す彼女を警戒してしまう。

 

「それにしてもイリヤさんが私達のクラスに来てくれるなんて思いませんでした。改めてこれからも宜しくお願いしますね」

「…ええ、こちらこそ、チヅル」

「それと相坂さん…でしたね。長い事入院されていたそうですが、お加減はよろしいので?」

 

 声を掛けて来る千鶴に警戒を高めたイリヤであったが、意外にも彼女はあっさりと自分からさよへと話題を転じた。

 そのさよの方は、これといって何も感じていないらしく、嬉しそうに千鶴の言葉に応じる。

 

「はい、もう大丈夫です。皆さんとこうしてお話しできますし、確りと地に足を付けて歩く事も走る事も出来ますよ」

「そうですか。詳しい事情をお聞きするのは流石に憚れますが、確か入学前ですから……2年以上にもなるのですか? そんな長い間、入院生活は大変だったでしょう」

「あ、はい。その……大変でした。あ、でもでも…お医者様や看護士さんとかが良くしてくれましたから」

 

 千鶴の問い掛けに実際、入院などした事も無いさよは曖昧に言葉を紡ぎながらも何とか答える。

 そんな彼女にクラスメイト達は心配げに声を掛けながら、退院できた事、学校に通えるようになった事などを我が事のように喜ばしげに、良かったね、と言いながら励ました。

 

「うんうん、これからは相坂さんも一緒か。イリヤちゃんもだけど」

「でも、さよちゃんは本当なら1年生の頃から私達のクラスメイトだった筈なんだよね」

「そんな寂しいこと言わないの……まあ、事実なんだけど」

 

 裕奈が頷きながら言い。桜子がやや憐れんだように。円がそんな桜子を叱りつけるように言いつつも、少し思うように呟く。

 

「それならさよちゃんが居なかった分をこれから取り戻せばいいじゃん」

「そうだよ。中学の卒業までまだ時間はあるんだから」

「そうだね。じゃあ今年の麻帆良祭をさよちゃんの快気祝いと二人の歓迎会を兼ねて派手にやって、そして楽しもうよ!」

 

 鳴滝姉妹が桜子と円に反発するように元気よく言うと、まき絵が姉妹に賛同するかのように提案する。

 すると、クラスメイトの殆どが口々に「いいね!」「うん、精一杯やろう」「今から楽しみですね」「わたくしも委員長として微力を尽くしますわ」などと賛成の声を上げる。

 さよは、そんなクラスメイト達を見て、

 

「う…」

「サヨ?」

 

 突如、呻き声を上げた彼女にイリヤは気付く……が、

 

「私、本当に皆さんとお話しできているんですね。クラスメイトとして……クラスのみんな…と、こんなに歓迎してくれて…私の為に……」

 

 目元に浮かんだ光るものを見て、イリヤは心配するような事では無いと思うも…ずっと高い位置に在る彼女の頭に手を伸ばして背伸びをし、労わる様に優しく撫でた。

 途端、さよの目元に浮かぶ光るものが零れ落ちて泣きだし、クラスメイト達を驚かせて心配させたが、イリヤの説明もあって嬉し泣きだと判り、彼女達は安堵すると共にさよの歓迎と快気を兼ねた麻帆良祭への意気込みを高めた。

 

 ただ、イリヤは泣くさよを見て、初めて会った時の事を思い出して静かに苦笑し、そんな彼女とクラスメイト達を黙って見つめた。

 

 ―――良かったわね、サヨ。

 

 と、口に出さずに胸中で呟いた。

 あの時、間の抜けた事だと思った自分を妙に恥ずかしく思い。出会えたことがさよにとって幸運だったと感じて。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 昼休み。

 燦々と輝く太陽の下で各々は弁当を開き、彼と彼女達は校舎の屋上に集まっていた。

 

「それで、イリヤちゃんがウチのクラスに来た本当の理由ってなんなの?」

 

 明日菜は木乃香手製の弁当に箸を伸ばしながら、イリヤに尋ねた。

 イリヤもまた自分で用意した弁当箱に箸を伸ばしながら答える。

 ただ何時もの面々―――イリヤとエヴァを始め、ネギと明日菜とカモ、木乃香に刹那、夕映とのどか、和美、古 菲―――の中に茶々丸と新たに加わった筈のさよの姿は無い。

 さよは今、他のクラスメイト達と昼食を取っている。

 というのも、イリヤが明日菜達に今回の事を説明する用があり、彼女達と一緒に取ると言った為。新しいクラスメイトと楽しくお喋りをする機会を失った従来のクラスメイト達は非常に残念がり、それならば、せめて自分が…と、さよがそちらに応じる事を申し出たのだ。

 そして茶々丸も、万一の事を考えてそんなさよのフォローをする為に付いて行った。

 本当ならば、こちらに来る筈だったのだが―――気を使ってくれた二人に感謝しつつ、イリヤは明日菜に向かい合う。

 

「一言で言うと、貴方達の監督ね」

「監督…?」

 

 イリヤの言葉にネギが首を傾げる。それにエヴァが頷く。

 

「ああ、多少紆余曲折はあったが、神楽坂 明日菜を含め、綾瀬 夕映、宮崎 のどか、そして古 菲の数名が新たに見習いと成ったからな。その担当をする指導役や監督官が必要になったんだ。で、その担当として私とイリヤが抜擢された」

「え、エヴァちゃんもっ!?」

「そうよ。アスナとノドカはネギを(あるじ)とした仮契約(パク・ティオー)を交わしていて、そのネギ(あるじ)の師匠はエヴァさんでしょ。だから弟子の仮契約者の面倒も自然と見ることに成る訳。それにユエとクーともクラスメイトで一応近しいから」

 

 明日菜の驚きに、イリヤはさも当然とばかりに答えた。

 

「そして、今朝も似たような事を言ったけど、私は貴方達とそれなりに関わりが―――縁が在るから担当に選ばれた訳」

「加えて言えば、お前たちの精神衛生上のことも考慮しての処置だな。あんな事件があったばかりだし、此方側へと関わる切欠もお前達は特殊だ。色々と不安に思う事があるだろう。そこに見知らぬ人間を担当に付かせるのは問題だと考えられたのさ。イリヤがわざわざ私達のクラスに編入したのも、その辺の事情…公私に渡る心理的なサポートを任された面もある」

 

 二人の説明を受けて、なるほど、とその場の全員が首肯した。

 イリヤはその内の一人、和美に視線を向ける。

 

「まあ、カズミについてはまた少し違うんだけど……」

「あ、うん。そうだね」

 

 イリヤの言葉に、和美は今気が付いたように先程に続いて首肯する。

 和美の立ち位置は、彼女の希望通りネギとは距離置いたものに成っており、別の担当官が既に付いている。

 

「でも、何か相談事が在ったら遠慮なく行って頂戴。出来る限りサポートはするから」

「うん、ありがとイリヤちゃん。その時はお願い」

 

 イリヤの気遣いに和美は素直に頭を下げる。実際の所、自分の希望とはいえ、ネギ達と距離を置いた事にやはり不安はあるのだ。だからイリヤの申し出は和美にとって非常に心強かった。

 その心情は距離を置かない明日菜達にしても同様だ。何にしろ、頼りになるイリヤが傍に付いてくれる事実に今言われたように安心感を覚えているのだから。

 しかし、そう思う一方で、

 

「でも、イリヤさんには更にお世話を掛ける事になりますね」

「分かってた事だけど、ほんと迷惑を掛けちゃうよね」

 

 夕映とのどかは揃ってションボリと俯いて、そう言う。

 今までの事もあるが、自分達よりも年下だと思っているこの白い少女に世話を掛けて、迷惑を掛けっぱなしという事実は情けなく、申し訳ない気持ちで一杯なのだ。

 同じ思いなのかネギと明日菜も眉を顰めている。

 そんな彼等を見てイリヤは、やれやれといった感じで軽く頭を振る。

 

「気にすることは無いわ。それが先達たる者の務めなんだから」

 

 イリヤの言葉にエヴァも同意する。

 

「まったくだ。未熟なお前たちが今どうこう言う事じゃない。頼れる所は存分に頼れば良い。そしてそれを恩だと思うなら力を付けた時に返せばいいだけだろう」

 

 そのように頼れば良いと、頼る事を恥だと思うなといった風に言うエヴァだが、その言葉には多分に厳しさが込められていた。そう、“頼れる所は”という部分が曲者なのだ。

 それは裏を返せば頼り過ぎるなという意味でもある。自らの出来る事で、その時分の力と知恵で乗り越えらえる事なら己だけでその道を切り開けという事だ。

 

「「は、はい」」

 

 エヴァの鋭い言葉に夕映とのどかはこれまた揃って返事をする。その言外に秘められた意味を察してだ。二人とてエヴァが厳しい人間だという事は理解している。

 ネギと明日菜も無言だがそれに神妙に頷いている。

 

「ん、分かれば良い」

 

 図書館組の二人やネギと明日菜の主従コンビの首肯に、エヴァは鷹揚に頷いた。

 

 

 

「しかしイリヤお嬢様が学校に来て、ほんと良いんですかねぇ?」

 

 話しが一段落した為、弁当の中身へと皆が意識を集中させつつも、それを具材に楽しく団欒していた途中、カモが唐突に言った。

 それにイリヤは首を傾げる。

 

「ん?」

「いや…イリヤお嬢様は頼りになりますし、来てくれるのは兄貴や姐さん達にとって良い事だとは思うんですが……」

「ああ…カモ君が言いたいのはそういう事やね。これまでイリヤちゃんは協会の仕事やら、工房での研究やらで忙しかったからなぁ」

「そう、それ。木乃香姉さんの言う通り、それで大丈夫なのかと思ってよ」

 

 木乃香の得心のいった言葉にカモは大仰に頷く。

 教師の仕事や修行に忙しいネギに代わって、使い魔らしく色々と学園内や協会などの情報収集を一手に引き受けているカモの知る限り、イリヤの仕事量はかなりのものだった筈だ。

 事件が起こる前は研究や魔法具の開発を主にし、それら魔法具を応用した新戦術・戦技の考案を魔法先生達に混じって行い。警備任務を一部引き受けて、独自の結界システムを運用・維持していた。

 そして事件後には、事件の教訓を踏まえた新たな警備システムの構築を近右衛門や明石、弐集院などを交えて行っており、それらの各種実験や運用試験の他。先述の新戦術・戦技の構築を兼ねた魔法先生達への教導訓練を自ら企画し、実施し始めている。

 正直、コレらを知った時、カモは感服した思いに駆られた。

 頼りにしても居たが、基本的に畏怖と恐怖の対象でしかなかった“断罪の魔女(イリヤ)”に対して初めて本当の意味で敬意を抱いたのだ……だからカモはその彼女に庇われ、贖罪の機会を与えてくれた恩義に報いられるよう決意を新たにした―――しかし、

 

 ―――大丈夫なのだろうか、イリヤお嬢様は…?

 

 とも思った。

 そう、ただ者で無いにしろ、それら数多の業務はとてもでは無いが、こんな小柄な10歳の少女が担う重責(モノ)では無い。カモの心配は当然と言う物だ。

 

「そうね、確かに忙しくはあるけど、この一週間で大分片付いているし、ウチのメイド達にも任せられる部分があるから大丈夫よ。サヨもいるしね」

「なら、いいんですけど、余り無理しないで下さいよ。幾らただもんじゃないって言ったってお嬢様も兄貴と同じくまだ子供なんです。ナマ言うかも知れませんが、辛い時は辛いって言って下さい。俺達も自分で出来る事は自分でしますし、さっきエヴァ…さん…は、ああ言いましたが、今の未熟な兄貴達や俺でもお嬢様の助けになれる事はあると思いますから」

「カモ……」

 

 何時にないカモらしくない様子と言葉に、イリヤは僅かながら眼を見開く。

 真剣に自分を心配する彼に胸打つモノが在ったという事もあるが、やはり意外だったからだ……いや、これでもカモは元々義理堅く、人情に厚い精神を持った(オス)だ。

 下着泥棒などという不名誉な罪から逃れる為でもあったとはいえ、根本的にネギの使い魔に成り、彼の助けになろうとしたのは、過去に受けた恩を返す為なのだ。

 それに気が付き…正確には思いだしたイリヤは、カモの言葉を確りと受け止め、心配してくれた彼に「うん…」と感謝の念を込めて重く頷いた。

 首肯のみではあったが、イリヤが重く受け止めた事を理解したのだろう。カモはイリヤが自分の進言に感謝している事に照れた様子で、その短い手…前足で頭を掻く仕草をする。

 すると木乃香も頷き。

 

「うん、イリヤちゃんも何処か無理する所があるからな。ウチらが助けに成れることがあったら遠慮せずに言って欲しいわ」

「…木乃香お嬢様の仰られる通りです。私もイリヤさんには返す事が出来ない程の恩義があります。助けが必要でしたら遠慮なく申し出て下さい!」

 

 刹那も親友に続いてイリヤに力強い口調で訴えかけるように言った。

 木乃香は、祖父とエヴァからの―――イリヤの助けになって欲しいとの―――頼みもあるが、自分や刹那、明日菜などの親友を助けてくれた恩人だ。それにイリヤも今や彼女にとって大切な友達なのだ。

 刹那にしても同様だ。自分と木乃香を助けてくれた恩人で、自分という存在を認めてくれる大切な人だ。ただ独りで身を削るような事していれば何としても止めたいし、困っていれば如何な危機や難関が阻もうと必ず助けに成ると誓っている。

 イリヤは、カモと同様、自分を何処か大袈裟に―――懸命に心配する彼女達に思わず苦笑が零れるも、

 

「―――ありがとう。頼りにさせて貰うわ」

 

 そう、偽りなく心の底から答えた。

 イリヤとて理解している。独りだけでは限界があると、何もかも出来る訳では無いと。

 だからエヴァに協力を求め、近右衛門の要請に応え、この一週間の内に魔法協会の一部……タカミチの他、明石や弐集院といった信用できる魔法先生達に事情を開示した。

 そして―――ネギと彼の仲間達。

 自分の傍で共に戦う事になるであろう、彼等が力を付ける為に尽力しており―――その時が来たら存分に頼ろうと思っている。

 そう近い時に起こる彼等のクラスメイト…ないし友人が招く騒動と。更にその先、夏の間に起きる事件……或いは冒険となるかも知れない日々と、そして来るであろう決着の時に。

 

 イリヤは、いずれ来るその時に少し思いを馳せ―――自分を気遣うように見詰める木乃香と刹那から視線を移し、ネギを視界に収め、

 

「ふふっ」

 

 何と無しに笑みを零した。

 それは微笑みにも見えたし、苦笑しているようにも見えた。

 ネギはそんな笑みを零すイリヤに困惑する。

 

「イリヤ…?」

「頼りにしているわね、ネギ」

 

 戸惑ったネギの呼び掛けに、イリヤは繰り返すようにしてそう答えた。

 ただ、イリヤ自身にも笑みが零れた理由は判らない。それが微笑みであったのか、苦笑であったのかもだ。

 或いは、この赤毛が特徴的な…十に成るか成らない程度の幼い少年が自分の隣に立って、背中を任せて戦う姿に……そんな本来なら在り得ない筈の未来におかしさを覚えたのかも知れない。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 クスクスと笑うイリヤにネギは何故か憮然とした表情を浮かべた。

 釈然としないというのなら…まだ判るが、ネギはどうしてか憮然としないものを……不満を覚えていた。

 

 ―――頼りにしているわね。

 

 そう、イリヤに……あのイリヤにそう言われたのなら本当は喜ぶべきだ。嬉しく思うべきなのだ。その筈だ。けど―――耳に届いた声色は、そんな言葉通りに自分を頼りにしているような響きは無かった。

 少なくともネギはそう感じた。だが、

 

「…うん、僕もイリヤに出来る事があるなら、必ず助けになるよ」

 

 そんな感情の“しこり”と、浮かべていた自分の表情を自覚出来ず、ネギはそうイリヤに首肯していた。

 傍から見れば、それは神妙に頷いているだけに見えただろう。ネギにしても胸に不快感が過ぎったのは一瞬であった為、それほど気に掛けなかった。

 

 ただエヴァは、そんな彼の様子をジッと見詰めていたが……。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「そういえば、さっきも言っていたあのサヨという娘はイリヤの何アルか? 随分と親しげダッタガ…」

 

 先程のイリヤの言葉にさよの名が入っていた為か、古 菲が首を傾げながらそんな事を口にした。エヴァと木乃香と刹那を除いて、ネギ達はさよと顔を会わせるのは初めてなのだ。

 古 菲の言葉に、明日菜も今気付いたかのように少しハッとして言う。

 

「そうそう、そうだった。私もそれを聞きたかったのよ。HRの時のネギの様子やイリヤちゃんとの仲を見ると“此方側”の人間って事は分かるんだけど…?」

 

 そう言い、古 菲と同様に首を傾げる明日菜。

 残りの面々…夕映、のどか、和美も疑問は同じなのだろう。イリヤの方を興味深げに見詰めて言葉を待つ。

 

「あ…! もしやイリヤの弟子アルか?」

 

 だが、イリヤが疑問に答える前に古 菲が確信を突くように言った。

 イリヤは微かに驚くも、否定せずに頷いた。

 

「ま、一応そうよ。貴方達と同じ見習いだけど、色々と教えているし、私の助手をして貰っているわ」

「ホウ…」

「へぇー」

 

 イリヤの肯定に古 菲と明日菜が感嘆の声を漏らした。ネギや他の生徒達も一様に心底驚いているようで、感心の表情を見せている。

 何しろ彼女達にとってイリヤは、可愛らしい年下の少女や友人であると共に、年齢に見合わない敬うべき目上…或いは遥か格上だという思いのある人物なのだ。

 その敬意すべき白い少女の弟子で助手。それも確かな信頼が篭った風に言われたのだから、明日菜達の反応は―――少なくとも彼女達にしてみれば―――大袈裟では無かった。

 尤もイリヤ本人にして見れば、大袈裟以外の何者でもないのだが……、

 

「大袈裟ね」

 

 苦笑するだけに留め。イリヤは彼女達の反応をこれといって否定する事も無かった。

 そう思ってくれるなら、それはそれでやり易い事もあるだろうとの思惑があるからだ。

 それに年下と……半ば黙認しているとはいえ、10歳の子供だと思われている事からそのバランスを取る意味も―――と、言い訳しているが、子供と見られている事実への抵抗感や反発。そして成長しない身体から来るコンプレックスも正直、理由にあった。

 早い話、年長者としての意地というか、お姉さんぶりたいと言うべきか、年齢相応に“大人”に見られたい感情があるのだ。

 

(はあ、情けない代償行為…ね)

 

 イリヤは、ネギと明日菜達の目上の見るような視線を受けて、満たされる物を感じつつも空しさを覚えてしまい。内心で溜息を吐いた。

 気付くと、無意識に自分のほぼ平らな胸へ手をやっていたのも、その内心に拍車をかけた。

 

 ともあれ、イリヤの口に出せない恥ずかしい理由にネギ達は気付くことは無く。一頻り感心すると、さよの話題を続けた。

 

「さよちゃんが私達のクラスに来たのも、そう言ったこっちの関係者っていう事情があるからなんだろうけど……うーん」

 

 感心していた一同の中で、和美が逸早く言葉を切りだしたが……途中で唸って首を捻る。

 

「何か私、あの娘と初めて会った気がしないのよね。さよちゃんの席がずっと隣りに在ったからって訳じゃないだろうし……―――あ、」

「どうしたです?」

 

 首を傾げて、独り言のように呟いていた和美が突然驚きの声を上げ―――直後、額に脂汗を浮かべ始めたので、夕映が怪訝そうにする。

 それに和美は徐々に顔色を悪くしながら答える。

 

「いや、そういえば、あの席って……私はずっと隣だったから気にも留めなくなっていたけど―――…………」

「…けど?」

 

 言葉を切り、直ぐに続きを口にしない和美にのどかが小首を傾げる。そして―――

 

「―――座らずの席」

 

 と、ポツリと和美が呟いた。

 

「「「「あ…」」」」」

 

 和美の短い呟きに明日菜、夕映、のどか、古 菲の四人が同時に声を漏らした。

 何故それにすぐ気が付かなかったのか……そう、それは彼女達の使う教室に伝わる話―――麻帆良女子中…いや、学園全体でもかなり有名な怪談だ。

 彼女達が中学に入る前から、それも何十年も前から長く言われてきた事。

 

 そう、曰く。

 

 ―――教室には幽霊が出ると。

 

 曰く。

 

 ―――窓際の一番前の席に座ると何故か必ず悪寒を覚え、

 

 曰く。

 

 ―――耳元に囁くような恨めしげな声が聞こえ、

 

 曰く。

 

 ―――夜な夜な枕元に白い影が立つようになり、呪われ、取り憑かれるという。

 

 そして、その教室に出る幽霊と枕元に立つ幽霊の姿は、

 

 ―――中学生くらいの背丈の女子で、

 

 ―――長い白い髪を持ち、

 

 ―――ぼんやりと輝く赤い目でジッと見詰めて来るという。

 

 そんな一連の噂を脳裏に浮かべた3-Aの彼女達は、自然とさよの容姿も思い浮かべていた。

 そう、噂にある“座らずの席”に座る事と成った件の彼女は、自分達と同じ歳で、腰まで長く伸びた白い髪を持ち、特徴的な赤い目をしているのだ。

 

「「「「「…………………」」」」」

 

 思わぬ符合に気付いて無言となり、彼女達の間に奇妙な緊張感が漂った。

 

 ―――加えて、さよは自分達の“一年生の頃”からクラスメイトであったとか。

 

「―――いやいや…! まさかぁ。そんな事ある訳ないじゃない」

「そうです!」

「うん! うん!」

「朝倉も人が悪いネ。冗談でもそう言うこと言わないで欲しいアルヨ…!」

 

 明日菜がブンブンと大きくかぶりを振って言い。夕映が妙にキッパリとそれに賛意を示し、のどかが何度も力強く頷き、古 菲が突飛な事を言った級友に頬を膨らませて非難する。

 そんな友人たちの必死の反応に和美も同意し、ふと頭に浮かんだ馬鹿な考えを彼女達と同じく否定するように「ゴメン、ゴメン、つい…」と謝ろうとした―――が、しかし、

 

「残念やけど、和美の……」

「……ええ、朝倉さんの考えている通りなのです」

 

 和美の言葉を遮って木乃香と刹那がそれを事実だと言った。

 ただ、何処か言い難そうなのは、皆の事を思ってというよりは専門家である刹那も、ここ最近まで幽霊(さよ)の存在に気が付かなかったからだ。

 刹那は初歩的なミスを告げるような恥じ入りがあり、木乃香はそんな親友の心情を思い遣ってである。逆に知っていたエヴァは、その様子にククッとおかしげに笑いを零していたが。

 しかし、その二人の心境を「えっ!?」と驚き固まる明日菜達は当然、察せない。

 イリヤは、そんな彼女達の様子に軽く溜息を吐くが、構わず事情を判り易く説明する為にもネギに声を掛けた。

 

「ネギ、頼んだ物は持って来ている?」

「え? あ、うん!」

 

 イリヤの問い掛けの意味を察したネギは、頷きながらそれを皆に見える様、自分達が座る輪の中心で広げた。

 

「これ出席簿…?」

「はい。皆さんここを…出席番号一番の所を見て下さい」

 

 怪訝そうな和美に頷きつつ、ネギは出席簿に貼られた右端の白黒写真の方へ指を伸ばした。

 

「あ、これ」

「セーラー服の相坂さん? それに―――」

「―――1940年…? 席を動かさない事…? ですか」

 

 さよの欄を見た明日菜、のどか、夕映が続けて言う。

 

「このセーラー服……ちょっと分かり辛いけど、確か昔の麻帆良の制服だった筈。報道部の資料で見た覚えがある。それに席を…って、言われてみれば私達のクラスって入学時の始めだけで、その後は一度も席替えをしてない。あと1940年…って―――」

 

 和美が顎に手を当てて、考えるようにして言葉を紡ぎ出す。

 

「もしかしてさよちゃんが生まれた年…? ううん…違うか。亡くなった年ね。ネギ君、これらの文字って誰が書いたの?」

「えっと、タカミチだと思います」

「やっぱそうか、ネギ君の前任だもんね。だとすると…」

 

 ネギに質問し、その答えを聞いた和美は更に考えに沈みこんだ。

 

「ちょっと…朝倉?」

「…………」

 

 明日菜はそんな彼女を見て、訝しげに声を掛けるも和美は余程考え込んでいるのか沈黙したままだ。

 皆もそうだが、イリヤも少し気に掛かったが、和美の事はそのままにして話を進める。

 

「ま、これを見ての通り、あのクラスにある噂の正体はサヨな訳」

「うわっ!…じゃあ、さよちゃんは本物の幽霊って事?」

「そうよ」

 

 若干引き気味の明日菜にイリヤは頷く。

 そんな明日菜の…いや、皆の不安を取り除くようにして刹那とエヴァが言う。

 

「ですが、そう心配することはありません。多少風変わりな……私も初めて見る形式(タイプ)の幽霊ですが、人に仇成すような悪霊や怨霊の類では無いので」

「刹那の言う通りだな、私の知る限り……この14年間、悪さをしたという話は聞いた事が無い。というか出来るような幽霊(にんげん)ではないな、さよの奴は」

 

 木乃香もその二人の意見に首肯する。

 

「うん、さよちゃんは良い子やよ。クラスに居った間もウチらに何の悪さもしてないし、噂の方も殆どデマやし」

「木乃香と刹那さんがそう言うなら……イリヤちゃんとエヴァちゃんも信用してるみたいだし」

「うん…」

「…です」

「……ウム、確かに見た感じでは、悪い幽霊には見えなかったネ」

 

 木乃香の言葉に考え事をしている和美を除き、皆は納得したようだ。

 

「…けど、どうして幽霊の筈のさよちゃんが―――……って、それは魔法のお蔭か」

 

 明日菜は何か疑問に思ったようだが、言った自分で答えを見つけて勝手に納得したらしく、首を傾げては直ぐに頷くという奇妙な仕草をした。

 その言いたかった内容も皆、大体察しが付いていた。

 恐らく幽霊なのにまるで生きている人間と変わらない姿、様子なのが気に掛かったのだろう。

 幾ら非常識な事に慣れたとはいえ、実体を持った幽霊というのは……いや、だからこそ魔法という不可思議な現象であれば、簡単に解決できるのだろうと疑問が吹き飛んだようだ。

 夕映とのどかは、それはそれで疑問というか興味もあるのだが、詳しい事は座学の時にでも聞けばいいと、今は頭の中にメモするだけに留めた。

 そこで考えが纏まったのか、和美が俯かせていた顔を上げた。

 

「んー、イリヤちゃん」

「…何かしら?」

「さよちゃんの事、協会は知っていたんだよね。なのに―――」

「…………」

 

 和美の問い掛けにイリヤは口を噤み、やっぱりそこに気付くわよね、と内心で呟いた。どうやら和美が思考に没頭していたのは、その理由を色々と推理していた為のようだ。

 さて、どう答えたものか? とイリヤは難しげに、むむ…と表情を歪める。

 するとイリヤの様子に気付いた和美は微かに、しまった、という表情を顔に張り付けた。

 

「……えっと、もしかして言い難い事?」

「あー…うん、まあ……ちょっとプライバシー…プライベートに関わる事だし…」

「ん、プライバシー…? プライベート?」

「…ええ、そう……って、ああ…! だから大丈夫よ。和美が考えているような機密だとか、そんな大仰なものじゃないから」

「あ、そうなんだ。それもそうだよね。良かったよ。また拙いネタを引っ掛けたのかと思った」

 

 イリヤと和美はそう二人して話す。しかし主語というか、具体的な本題に触れていない所為で何の事を話しているのか、その事情を知っている木乃香と刹那、エヴァを除いたネギ達にはさっぱりだ。

 だが、少し間を置いて―――頭の回転の速い夕映は流石に気付いた。

 

「あ、そうですね。さよさんは何故、成仏…と言いますか、彼女(ゆうれい)に気付いていた魔法協会はどうして60年以上もの間、さよさんをそのままにしていたのでしょうか?」

「…確かにそうだ。幾ら相坂さんが悪霊(イービルスピリット)じゃないって言っても、この世にさまよう霊を鎮め、払うのも僕達の仕事なのに」

 

 夕映の言葉で、ネギも今更ながらに気付く。

 幽霊であると知らされていながら、そんな当たり前の事に気が付かないとは……ネギは少し迂闊だと思うも、それも仕方が無いと言えよう。

 関東魔法協会のトップたる近右衛門から幽霊である筈のさよを平然と紹介され、イリヤも当然のように彼女が居る事を受け入れているのだ。ネギがそれに疑問を覚えないのは決しておかしい事では無い。

 況してや、非常に幽霊らしくない生きた人間と変わらない今のさよの姿を見れば尚更だ。

 

「うーん、疑問に思うのは判るんだけど。出来たら余りその事は言わないで上げて欲しいかな。他の魔法関係者にもそうだけど、サヨにも…」

 

 夕映とネギの疑問を含んだ言葉にイリヤは少し困ったような表情を見せる。だが一方でその隣に座るエヴァはやれやれといった様子だ。

 

「私としては、かまわずに言ってやりたい所だが……まあ、勘弁してやるさ。イリヤもこう言っているし、さよに要らん迷惑を掛けるのも気が進まんしな―――どのみち、この連中にも近い内に知られるんだろうし、その方が楽しめそうだ」

 

 そう、エヴァは言葉通り、乗り気で無さそうに言うが、小声で呟いた言葉の後半は明らかに邪気が含まれており―――とても楽しげだった。

 隣に居るイリヤは当然耳に入り、

 

「……エヴァさん」

 

 げんなりした様子で彼女の名を小さく呟いた。

 ただ、エヴァの言う事も判らなくないので、さよと“彼”の命運の行き先を麻帆良の中心部にそびえ立つ巨大な樹に祈った。

 

 ―――どうか、おかしな事になりませんように。

 

 と。その言い伝えられる御利益を信じて。

 “彼”の事はどうでもいい―――いや、良くは無い―――のだが、さよの為にも強く…そうとても強く思った。

 

 

 




 イリヤとさよが3-Aに編入されました。
 その事情は本文にある通りです。さよは元々クラスメイトですが。
 ただ学園長としては他にも思惑があるようです。それが叶うかは少し微妙な気もしますけど…。
 


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第24話―――イリヤのアトリエ

 

 

 昼休み。

 校舎の中庭でさよは、クラスメイト達と昼食を取りながら歓談に興じていた。

 屋上でネギ達と話をしているイリヤの事も多少気に掛かってはいたが、さよは級友との会話を楽しんでいた。

 

「―――…だから今はイリヤちゃんと一緒に暮らしているんです」

「へえ、あの子と…」

 

 さよの返事に裕奈が頷く。

 つい先程、さよの両親の事や住所に付いて裕奈は尋ね。さよは両親が既に居ない事、天涯孤独の身の上である事を告げた為、気まずそうにしていたのだが、さよの気にしないで欲しいとの言葉や今のあっけらかんとした返事に裕奈はホッとしたようだ。

 

「はい、私の両親がイリヤちゃんのご家族と親しくしていたそうで…その関係で私の身元を引き受けてくれたんです」

「それは―――……大変でもありますが、良かったですね」

 

 千鶴はさよの話し(カバーストーリー)を聞き―――顔に笑みこそ浮かべてはいるが、どこか難しげな様子で相槌を打つ。

 彼女はイリヤと親しい為に記憶喪失であった事、それを取り戻した事、既にイリヤの両親が亡くなっている事などを本人から聞いており。内心では眉を顰めたい感情を抱いているのだ。

 クラスメイト達の手前、こうして表情にも口にも出せないのだが。

 そんな千鶴の様子に気付く事なくさよは、はい…と明るく笑顔で返事をするので、千鶴は尚更思う所を言いづらく感じてしまう。

 仕方なく、千鶴は追及を避けて話しを続けた。

 

「そうなると、さよさんはあそこでイリヤさんと暮しているのですか」

「あそこかぁ…」

 

 千鶴の言葉の意味を察して、夏美がやや感慨深げな声を零した。ついこの間の事―――修学旅行の前の出来事を反芻しているようだ。

 

「ん? 何…二人して? さよちゃんの家が何処だか知ってるの?」

「ええ、まき絵さん。イリヤさんは春先に閉店したあの喫茶店に今は住んで居られるのです。それ以前はエヴァンジェリンさんの所でお世話になられていたそうですが…」

 

 まき絵の疑問に千鶴と夏美に代わって、“いいんちょ”ことあやかが答えた。

 千鶴と仲の良い友人であり、ルームメイトという事からイリヤの事情をある程度聞いているのだ。無論、そこには強力な恋敵―――と、あやか的にそう思える人物―――の動向が気掛かりという警戒心もある。

 ただ、流石に雪広グループの総力を挙げた調査まではしていない……―――そのぐらいの分別はあった。

 答えを聞いたまき絵は、あやかと千鶴との仲を理解しているので、直接尋ねられた訳ではないあやかが千鶴に代わって答えた事を気に留めず、へぇ…と声を漏らし、

 

「…あそこかぁ。あの喫茶店のこと…閉店した所為かな? 目にしていた筈なのに全然気が付かなかったよ……今はイリヤちゃんの家になってるんだ」

 

 若干、不思議そうにまき絵はそう言った。

 続いて美砂も小首を傾げながら言う。

 

「…あの辺りにはよく行ってるけど、私もイリヤちゃんが居るなんて全然気が付かなかった」

 

 そんなまき絵と美砂の反応に、他のクラスメイト達も引っ掛かるものを感じたらしく、一様に不思議そうな表情を浮かべる。

 その皆の様子にさよは、あ…これは少し拙いかな、と思うが、

 

「仕方が無いと思います。イリヤさんと親しくしているのは私を含めて校内ではごく一部でしたし、お店の方もやはり閉店した所ですから。そう、気に掛からなくとも不思議では無いでしょう」

 

 さよをフォローする為に彼女に付いて来た茶々丸が皆にそう告げた。

 その言葉にクラスの皆は、そういったものかと、取り敢えず納得した表情を見せる。

 

「そうだね、私もこれまでイリヤちゃんとは話したこと無かったし」

「ウチもちょこっと顔を合わせた程度やったしな。それに言われてみれば、幾ら人気があったゆうても、閉店したお店を何時までも気に掛けるのは、ちょっと変やし」

 

 アキラと亜子が皆を代表するようにして言う。

 そうして頷くクラスメイト達に、さよは安堵の息を吐いて視線で茶々丸に感謝する。

 

「……」

 

 さよの視線を受けた茶々丸は静かに首肯し、その感謝を受け取った。

 この一連のやり取りで分かるように、イリヤの工房と成ったあの元喫茶店には人払いの結界が張られ、関係者以外の人間の目に留まらないようにされていた。

 その理由は勿論、魔術師の工房に人を近付かせない為だ。

 尤も、今は解除されているのだが……それも理由がある。

 

「でも、どうしてあんな場所に? それも喫茶店に…? 改装すれば住居として使えるのは判るけど、学園(うち)の繁華街の中にわざわざ家を構えるっていうのは、どういう事なの?」

 

 その疑問を口にしたのはハルナだ。

 夕映とのどかという親友達が今この場に無く、最近ネギ―――と、知っているかは判らないがイリヤ―――と行動を共にしている事実を果たしてどう思っているのか? さよは伝え聞く…または幽霊として教室で見ていた二人との仲の良さからそんな考えが過ぎったが、ハルナの顔からはその思いを窺うことは来ない。

 さよは内心で首を振って判らないものを考えても仕方が無いと思考を止め、ハルナの疑問に応じる。

 

「それは、想像が付くと思いますけど―――」

「―――まさか本当にお店を開く為なのですか?」

 

 ハルナに返答しようとしたさよに、あやかが驚いた様子で横から口を挟んだ。

 それにさよも驚く。

 

「えっ!? あやかさん、知っているんですか?」

「え、ええ、雪広(わたくし)の所の業者にイリヤさんの所から資材の発注がありましたから……」

 

 あやかが戸惑ったように答える。

 それを知ったのは偶然と言うか必然と言うか……別にイリヤの事で聞き耳を立てていたからという訳ではない。繰り返すようだが、流石のあやかでもイリヤに対してそこまで調査の手は入れていないのだ。

 だが、驚きの表情を張り付けたさよを見て、後ろめたさを覚えたのか、あやかは言い訳するように事情を話した。

 

「えっと、わたくしこう見えてこの学園を始め、麻帆良市や県内などで、ちょっとした事業をしていまして…」

 

 というのも、あやかは次女とはいえ、世界に名だたる大企業の娘であり、経済や経営の何たるかを実地で学ぶ為、麻帆良市や埼玉を中心として活動するある企業を任されているのだ。

 勿論、雪広家の子息、子女の全員がこの幼い…未成年の時分でそういった経験をさせられる訳ではない。あやかが兄妹の中でも才媛であるからだ。

 ちなみに同じく大手企業の娘である千鶴もこれに協力しているのだが……ただ彼女の方は家の事業を引き継ぐ積もりも、関わる気も無いらしい―――それは、ともかく。

 あやかが任された事業は県内での流通関係であり、特に学園内に関しては自分の目で確認する事が多く、その為、上がって来た書類でイリヤの工房が資材を発注しているのを見たのだった。

 

「―――まあ、そういうことですの」

「ほへぇ……あやかさん凄いんですねぇ」

 

 思わぬ自慢する事になった為か、恥ずかしそうにするあやかにさよは半ば呆然と感嘆の声を零した。

 見ると、既知であった千鶴と夏美を除いた周囲の面々も同様だった。

 

「いや、まあ、その…わかってたけど、ホントにほんとのお嬢様なんだね」

「うんうん、普段は、こう……“アレ”なのに…」

「ちょっと見直した…かも」

 

 美砂と裕奈がウムウムと顎に手を当てながら何度も頷き、円が言葉通り感心した様子で呟くのを筆頭に、あやかに尊敬の篭った視線が注がれる。

 

「な、なんですか、その目は…っ!? それに“アレ”ってどういう意味ですの!? 貴女達一体わたくしを今までどのような目で見ていたのですかっ!?」

 

 あやかは再び戸惑い。叫ぶようにしてクラスメイト達に問い掛ける。すると、

 

「いやぁー、何ていうか」

「うん」

「まぁ…ね」

 

 口を開いた三人を始め、3-Aの生徒達は気まずさそうに互いにチラチラと視線を交わし――――思いを一つにして一斉に視線をあやかの方へ向けた。

 すなわち、

 

 ―――残念お嬢様、もしくはお馬鹿令嬢。

 

 と。

 彼女達は、そう心の中で呟いた。

 

 

 

 それから暫く。

 委員長として、また友人として信頼するクラスメイト達にアホの子を見るような目線に向けられ、感情を爆発させようとしたあやかを千鶴とさよが何とか宥め―――話しが戻り、

 

「それじゃあ、イリヤちゃんは喫茶店をやろうとしているの?」

「あ…いえ、喫茶店ではないんです」

 

 イリヤが開くという店について3-Aの生徒達はさよに尋ねていた。その脇では、未だ腹立ちの収まらないあやかがクラスメイト達を怒りの形相で睨んでいたが……。

 

「勿論、整った厨房が折角あるんですから、それを活かしたいともイリヤさんは考えているみたいですけど―――」

 

 さよの言葉の中に一瞬、幾人かの生徒は違和感を覚える。しかし、それを考える前にさよが話しを続ける。

 

「―――喫茶店のような飲食のお店ではなく……その、アクセサリーを…正確にはジュエリーというのが正しいそうですけど、それらを扱う宝飾店を開くんです」

 

 それが工房周囲の結界を解除した理由だった。

 何時までも人通りの多い場所に結界を張り続ける魔力や手間はやはり勿体無く。生半可な異常ならば学園結界の阻害効果によってやり過ごせるのだから、それなら自前の結界を使ってまでして、人の眼を遠ざけて隠れるのではなく、店を開く事によって周囲に紛れて隠してしまおうと、イリヤは考えを変えたのだ。

 それに、人通りの良い繁華街の表通りに在る立地を活かさないのは勿体無いと感じたのもある……まあ、工房の設備が整い、錬金術という文字通り黄金(きん)を錬成できる“釜”も完成し、貯蔵しているので何かあっても先ず金銭に困る事はないのだが―――いや、だからこそか。

 

(…イリヤちゃんは、借金を返すまでなら兎も角、必要以上に金を市場にばら撒くのは拙いって、使う時は選ぶべきだって言ってたし…)

 

 正直、さよにはその辺の経済やら市場の動きなどは判らないのだが、イリヤが言っていた事なので、とりあえず魔術を使って無節操にお金を稼ぐのは良くないと彼女的に捉えて、頷いていたりする。

 

「…なるほど、ですからあのような資材が多いのですか―――」

 

 さよの宝飾店という言葉に真っ先に反応したのは、先程まで顔を怒らせていたあやかだった。

 

「―――しかし、その割には外部からその辺の……店頭に並べる品々を委託していませんわね」

「それは必要が無いからです」

 

 あやかの疑問にさよはすぐさま応じた。

 

「基本的に店に出すのは、イリヤさんの手作りですから」

「!…イリヤさんがお作りになるのですか!?」

 

 さよの答えにあやかは驚き眼を見開いた。

 当然の反応だった。幾ら普通の子供ではないと判っていても、それでもまだ10歳の幼い少女なのだ。そんな年齢の子が様々な工作技術を必要とする装飾品を手掛け、あまつさえ学園都市の内部とはいえ、店を構えようというのだ。

 他のクラスの面々もそんなあやかの驚きに続いた。

 

「え、イリヤちゃんが指輪だとかピアスだとかを作るの?」

「そんな事が出来るんですね、流石はイリヤさん」

「…びっくりだけど、確かに言われると、あの子なら出来そうとも思えるわね。それにちょっと興味あるかも。歌も上手かったし、そういった芸術的センスは良いみたいだから、なんか凄いのを作ってそう」

「むぅ…そういった物は、正直興味ないのでござるが……あの御仁の作る物なら…」

 

 まき絵、千鶴、美砂、楓に始まり、生徒達は口々に言う。

 

「凄いなー、見てみたいなー、さよちゃん何時お店に行けるようになるのー?」

「うん、開店は何時からなの? それとももう開いているのかな?」

 

 桜子がテンション高く大きく口を開けて、アキラが控えめながらもやはり女性なのか若干眼を輝かせながら言った。

 

「えっと、開店は一応、明日からになってますけど……あ、そうだ! ちょっと待って下さい」

 

 二人…いや、皆が向ける興味津々な視線にさよは少し戸惑うが……ふと思い付き、眼を閉じて考え込む仕草を取った。

 

(―――イリヤさん。聞こえますか?)

(ん…何か用? それとも問題が起きたの?)

 

 さよが取ったは念話だ。

 今のさよは、イリヤとレイライン(パス)が繋がっているのだ。

 

(いえ、何も問題はありません。ちょっと尋ねたい事があって、今お時間大丈夫ですか……)

 

 と、一応断りを入れてから、さよは先程のクラスメイト達とのやり取りを話し―――ある提案をする。

 

(…………)

(あ、あの…やっぱり駄目ですか?)

 

 黙り込んで返答が無い事にさよは不安に成る。しかし、

 

(その事は良いわ。皆を呼んでも)

(あ、よ、良かった。じゃあ皆さんにそう伝えますね)

 

 意外にも了承の返事を貰えてさよは安堵するが―――直後、イリヤの怒りの含んだ声がさよの脳裏に響いた。

 

(―――でもね、サヨ。こんな事で念話を使うなんて、一体どういう積もりなのかしら?)

(ヒッ…!)

 

 サヨはその声―――穏やかで優しくありながら、ゾッとする氷のような冷たさがあるソレを聞いた途端、身体が一瞬硬直し……震え始め、額からブワッッと汗が浮くのを自覚した。

 

(念話が便利なのは判るわ。けどこんな用件なら携帯で十分でしょう? 今は緊急時でも非常時でも無く、内容も魔術や魔法絡みの話しじゃないんだから)

(はうはうはう、あう……すみませんすみません、ゴメンナサイ、考え足らずでした! 許してください! 反省しますから…っ!!)

 

 イリヤの先程の沈黙と怒りの意味を理解し、さよは身体を大きく震わせながら必死で謝った。

 魔術師たるイリヤにとって、日常と非日常の切り替えを出来ない、裏と表の境界に線を引かない、自覚に乏しい行為は許し難い失態である。況してやさよは、その辺の事情を弁えてイリヤの弟子と成り、助手を務めているのだ。

 当然、そうなると失態に対するその罰も重く―――……

 

(嫌ぁ…またカモ君みたい成るのは……あんな事なるのは…いやぁ)

 

 さよは、考えるのも恐ろしいと脳裏に浮かびそうになる光景を振り払う。

 つい最近、工房でエライことを仕出かしてエライ目に遭った上に、更にイリヤの怒りでエライ罰を与えられたさよとしては、それは死んでも避けたい事だ。

 

 ―――……もう既に死んでいるのだが。

 

 その祈りが神に通じたのか……いや、さよの泣きそうな声がイリヤに届いた所為だろう。念話先から呆れた様子の溜息が聞こえ、怒りの気配も遠ざかった。

 

(はぁ、まったく……分かったわ。今日は貴女にとって目出度い日な訳だし、本当に反省してるようだから特別に許してあげる。けど以後気を付ける様に)

(は、は、はいっ! ありがとうございます、師しょーっ!)

(…! 師しょー…って、どこからそんな言い方を…っ!? いえ…とにかく、許して上げるからその言い方は止めて、どこかの塗りの甘いトラを思い出して良い感じがしないから…)

 

 あとお母様のように袴姿で薙刀なんて振るわないから……等とイリヤが言うのを聞きながら、さよは謝罪が通じた事に心底安堵して念話を切り……大きく息を吐いた。

 

「はぁぁ…良かった」

「さよちゃんどうしたの? 急に黙り込んだと思ったらすんごい汗掻き始めるし…」

「あ、いえ、大丈夫です。何でもありませんから」

「そ、そう…なんか震えとったし、泣きそうになっとったように見えたんやけど」

 

 イリヤのお蔭で尋常じゃない様子を見せたさよを裕奈と亜子が心配するが、さよは軽く手を振って大丈夫だとアピールし、それよりも…と、先程イリヤから承諾を得た事を皆に提案する。

 

「…皆さん、開店は明日からですけど、良かったら今日うちに来て見ませんか?」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 HRを終え、放課後と成り、3-Aの生徒達のほぼ全員が繁華街へと繰り出していた。

 凡そ30名にもなる大所帯であるが、目的は違えど繁華街へ赴く学園の生徒は多いので、彼女達の姿は特別周囲から目立つことは無かった。

 ただ様々な容姿(タイプ)の綺麗所が揃っているので、通り掛かりの男子達の視線が幾分寄せられてはいたが……。

 

 

「なんだかおかしな事になりましたけど、本当にこれで良いのでしょうか……?」

「まあ、良いじゃないかしら。そういうのも3-A(わたしたち)らしくて」

 

 そう言葉を交わしたのは、あやかと千鶴だった。

 この二人を含め、お祭り好きの幾人かの生徒達はネギの赴任時と同様、新たなクラスメイトであるイリヤとさよの歓迎会を放課後に開こうと密かに画策していたのだが―――昼休み、さよの突然の提案によって元喫茶店であるイリヤの工房でそれを行なう事になった。

 しかし、つまりそれは……“歓待しなくてはいけない二人の住居を会場にして歓迎会を催す”などという、世にも奇妙な珍事が現在進行真っ盛りという事である。

 勿論最初、真面目なあやかは当然として、企画していた他の生徒達もそのような珍事を避ける為に抵抗を覚えた―――覚えたのだが……サプライズの為、本人達に内緒で進めていた事や、自分の提案に賛同を求めるさよの期待の視線を前に中々口には出せず。

 提案に渋っていた事を察した彼女に泣きそうな顔をされ、已む無く歓迎会の事を明かし―――……それが一体何がどう作用したのか。

 

 ―――私の為に歓迎会ッ!? 嬉しいです!!

 

 さよは泣き顔から一転、パアァッと擬音でも付きそうな輝かんばかりの笑顔と成り、異様なハイテンションで「それじゃあ、私達のうちでやりましょう」と皆に告げ、その奇妙な申し出に「え? それでいいの?」「二人の歓迎会なのに?」「それは何か違うんじゃあ」「さよさん、落ち着いて下さい」と忠告するように言うクラスメイトや、オロオロとフォローしようとする茶々丸の声に感激の余り暴走したさよは一向に耳を貸さず―――………現在の状況へと至っていた。

 60年もの間、幽霊として孤独に過ごした事を知らないクラスメイト達にして見れば、あの時のさよの反応はさぞかし過剰で、大袈裟で、理解不能なものにしか見えなかっただろう。

 ……で、そのさよはと言うと、

 

「あ、貴女って娘は…」

「はうう…す、すみません」

 

 愕然とした様子で額を抑えながら歩くイリヤの隣で俯き、身を縮める様にして歩いていた。

 片や、今になって先の事情を聞いた所為であり。片や、今になって自分が引き起こした所業が如何なるものなのか気付いた為であった。

 イリヤは、身内の暴走と歓待者である自分が歓待の場を提供するという珍事の片棒を気付かぬ内に担がされた事に頭痛を覚えており。

 さよは、自分の馬鹿げた行動もそうだが、恩人であり、今や師とも言えるイリヤに恥をかかせるような真似をした事に恐縮しているのだった。

 

(嬉しいのも、はしゃぎたくなる気持ちも判るんだけど。もう少し貞淑とまでは言わないけど…落ち着きを持てないものかしら?)

 

 イリヤは隣で縮こまるさよを横目で見ながらそう思う。

 そう感じるのは、こうして彼女に思わぬ形で振り回された事が幾度もあった為だろう。

 出会って早々の事も、彼女の過去に関しても、その秘めた特性の事も、先日の工房での騒動も……―――最後のはほんと洒落に成らない事件だったし、こうも簡単に感情を暴走させるようでは……仮にも魔術師(じぶん)の弟子なのだから、これでは本当に困る。

 

(とはいえ、今更無碍には出来ないし、見放す積もりもないんだけど……それに自分で招き、請け負った責任もあるし……ま、仕方ないわね)

 

 イリヤは胸中で抱いた思いを何とか整理し、覚える頭痛と吐きたい溜息も堪えて過ぎた事は仕方ないと気を取り直す。

 そうして額から手を放し、顔上げると―――明日菜が声を掛けて来た。

 

「ゴメンね、イリヤちゃん」

「ん?」

「いや、聞いた限りじゃあ、ウチのクラスの生徒も最終的には…あやかとかは別にして、騒動好きの奴らはさよちゃんの暴走(ていあん)に面白半分に乗っちゃったみたいだし、さ」

 

 困った表情で明日菜はそう言い、さよの方をチラッと一瞥した。

 その様子から察するに、余りさよちゃんの事を責めないであげて、と彼女は言いたいようだ。

 イリヤはそれに頷く。

 

「判ってる。でもそれならアスナも謝る必要は無いわ。貴女は何も知らなかったんだし、許可したのは結局の所、私なんだから……でも、ありがと」

「ううん、こちらこそこんな押し掛けるような形になったのに……ありがと、イリヤちゃん」

 

 イリヤと明日菜は互い頷き合い、共に感謝の言葉を口にした。

 ただそれを向けたのは、明日菜が謝意を示した事や、姦しいクラスメイトを迎え入れたイリヤの寛容さにではなかった。いや、勿論それもあるのだろうが、何よりもさよに対してだ。

 イリヤは、知り合ったばかりである筈のさよを気遣ってくれた事を。明日菜は、自分の意図を察してさよを許してくれた事にである。

 イリヤは、明日菜の気遣いに嬉しさを覚えて笑みを零すと、明日菜もまた釣られたのか、可笑しそうに笑った。

 さよもそんな二人の様子に何となく許して貰えた事を理解し、ホッと安堵の溜息を吐いていた。無論、反省も忘れず念話の件もあって、確りしなくちゃ…と自戒していたが。

 

 そうして暫く、昼休みに話しをできなかった鬱憤を晴らすようにクラスメイト達はイリヤに話し掛け、適当にイリヤはそれに答え―――

 

「…ふむふむ、それじゃあイリヤちゃんの両親はドイツに居て、麻帆良じゃ一人で暮らしているんだ。大変そう……って、ゴメン、さよちゃんが居たわね」

「いえ、気にしないで下さい」

「そうね、サヨも居るけど。一応、お付きのメイド達も居るから一人って訳じゃないわ」

 

 ハルナの言葉にさよが首を振り、イリヤはでっち上げた設定を話す。

 そんなやり取りをしている内に目的の場所に3-Aクラスメイト御一行は到着する。

 

 

 

「見た目は以前と変わってないね」

 

 店を前にしたネギがイリヤの傍に小走りに寄りながらそう言った。

 その背後であやかが「あっ…」と小さく声を上げているが、ネギは勤めて聞こえない振りをする。

 それというのも、此処に来るまでイリヤの傍に寄ろうと、声を掛けようとする度に彼女が何かと邪魔をするように遮ったり、話し掛けて来たりするものだからネギは少し鬱陶しく―――いや、率直に言って怒っているのだ。

 無論、あやかを邪険に扱いたくはなく……その為に彼女の行動を容認していたのだが、やはり限度というものはある。

 今こうしてイリヤの声を掛けられたのは、工房を前に立ち止まった時のほんの僅かな隙を縫ったお蔭だった。

 

「ええ、一時はこの表通り側にショーウインドウを設置しようかと思ったんだけど、この穏やかな雰囲気を壊すのは嫌だったから」

 

 イリヤがネギに答えた。

 それに漸く言葉を交わせた為か、ネギは若干心が浮き立つのを感じながらイリヤに続けて話し掛ける。

 

「その気持ち凄く判るなぁ。けど、看板も以前の…前の店のままなんだけど?」

「ああ、そっちは明日の午前中の内に取り換える予定よ。開店は明日からなんだけど、お客は学生が主になるんだから放課後までに開けられれば良いんだし」

「そっか、なるほど」

「だから当然、商品の方も学生が手を出せる手頃な物ばかりにしているわ。小学生でも買えるお祭りの屋台に並ぶような安物から、大学生が背伸びして買えそうなそこそこ高価な物までを、ね」

 

 勿論、大人をターゲットにした……妻や夫、恋人などへのプレゼント、定年を迎えた自分祝いに相応しい物なんかも注文限定で用意する積もりだけど…と、イリヤは言い。

 

「ま、立ち話もなんだから中に入りましょう。内装は今日は…私とサヨの……いえ、とにかく。皆を招待する為にまた喫茶風に少し戻しているけど、それでもどんな感じの店かは判るだろうし、商品も見られるから」

 

 そう、言葉の途中で複雑そうな表情を見せながら、イリヤはネギを始めとした3-Aの皆を店内に招き入れた。

 が、しかし―――

 

「ただいま」

「帰りましたー」

 

 イリヤとさよが店内に向けて告げ、

 

「おかえりなさいませ、マスター、サヨ様。それにいらしゃいませ、3-Aの皆様。グランドマスター(エヴァンジェリンさま)もお久しぶりです、お変わりないようで何よりです」

 

 店内のメイド達が二人とネギ達に一斉に頭を下げて、以前此処を訪れた時にネギを出迎えたメイドが代表して挨拶の言葉を発し―――直後、ネギは思わぬ人物を目にして驚く。

 

「―――え?」

「オッス、ネギ。一週間ぶりやな」

 

 惚けた表情を見せて目を見開くネギに、関西弁で挨拶する少年。

 

「こ、コタロー君…?」

 

 そう、それは京都で出会い、対峙し、先日の事件で共闘した狗族と人間との混血(ハーフ)の少年―――犬上 小太郎であった。

 予想だにしない同じ年の友人の登場にネギは完全に固まってしまう。

 

「おう、どうしたんや? そんな鳩が豆鉄砲を食らったような顔して」

 

 ネギの驚きを余所に、小太郎は馴れ馴れしい笑みを浮かべてそうネギに話しかけた。

 

「い、いや…だって、どうしてコタロー君が此処に?…イリヤの家に居るの?」

「あ? どうしてってそりゃあ……って、もしかしてイリヤ姉ちゃん話してないんか?」

 

 ネギの疑問の声に怪訝な表情を浮かべながらも答えようとし……小太郎はハッとしたようにイリヤの方へ首を振り向かせた。

 

「ええ、伝える必要がどうしてもあった訳じゃないから……―――それに、今こうして知ったんだから良いじゃない」

「……イリヤ姉ちゃんも人が悪いなぁ」

 

 さも当然の様ににこやかに答え、驚いた表情を見せるネギを何処となく満足そうに見詰めるイリヤに、小太郎は若干肩を落として溜息を吐いた。

 そこに先ほど言葉を発したメイドが小太郎に鋭い視線を向ける。

 

「コタロー様。マスターに向かってそのような口を訊くのはマスター御自身の寛大な許しもあり、認めはしましたが……お迎えの挨拶ぐらいきちんとなさってはいかがです?」

「う…わ、分かったわ。………お帰り、イリヤ姉ちゃん、さよ姉ちゃん」

 

 きつい視線を向けられ、小太郎はたじろぎながら素直にそれに従った。

 そんな彼にイリヤはクスクスと笑い、釣られてさよも可笑しそうに笑うが二人とも「ただいま」と小太郎に挨拶を返す。

 ただ今一しゃんとしない小太郎の態度に件のメイドは、目尻を下げなかったが―――

 

「―――ウルズラ…」

「っ……失礼致しました。では皆様を席へ御案内致します」

 

 イリヤの意を受けて大人しく引き下がり、店の出入り口に集まるクラスメイト達に声を掛け、姉妹達と共に彼女達を店内へと案内する。ただメイドの彼女―――ウルズラにして見れば、小太郎を許したというよりは客人の前で主人に恥をかかせる訳にはいかないと考えての事だ。

 その彼女の案内を受けて、小太郎の登場とそのやり取りに色々と口を出したがっていた3-A一同は、丁寧に応対するメイド達を前にそう騒ぐのを失礼に思ったのか、それともプロのメイドという存在に臆したのか、あの3-Aの生徒とは思えない謙虚さでそれに従った。

 尤もあやかや木乃香、千鶴はもとより、その彼女達と親しい明日菜と刹那、夏美などはそんなメイド達の慇懃な応対に慣れた様子だったが。

 

 そうしてウルズラが傍から離れた事で小太郎はホッと息を吐く。彼は普段の素行と行儀の悪さから、生真面目な人格を持つあの人形(かのじょ)にすっかり目を付けられてしまい、此処に来てから何かに付けて小言を言われているのだ。

 

「ご愁傷様」

 

 イリヤはそんな彼を見て気の毒そうにそのように言うが、顔は笑っている。

 小太郎とウルズラのやり取りに元の世界での―――自分の世話役であったセラの事…そしてリズの事を思い出すからだ。

 イリヤ自身もそうだが、リズもよくセラにこのように小言を言われていたなぁ、と。

 

(でも、コタロウは男の子な訳だから、どちらかというとシロウとの関係の方が近いのかも知れないけど…)

 

 あの四日間(きせき)の日々も思い出して、そんな事も思う。

 そうしてややバツが悪そうにする小太郎と自分と同じく微笑ましそうに笑うさよを連れて、イリヤは皆の後に続こうとしたが、その直前に唖然とした状態から立ち直ったネギが口を開いた。

 

「あ、えっとイリヤ。それでどうしてコタロー君が此処に? それにお帰り…って?」

 

 ネギはそう尋ねるが、その言葉から鑑みるに半ば勘付いているようだった。

 イリヤはそれに頷き、答える。

 

「ん…まあ、その言葉から判る通り、コタロウは今私の預かりに成っていて一緒に暮らしているのよ。一応、西から派遣された扱いにも成ってはいるけど…」

 

 ネギはその言葉を聞き、やっぱりという表情を浮かべる。

 

「…俺としては、独り暮らしの方が性に合ってるんやけど、こればっかりはなぁ。元々獄中入りの身だった訳やし」

 

 イリヤに続いて小太郎も答えるが、言葉の内容に反してその声色と口調は気楽なもので嬉しげな響きさえあった。

 さよはそんな彼の様子に気付く事無く、心配そうに若干眉を寄せて言う。

 

「コタ君も大変ですね」

 

 と。

 何しろ小太郎はテロに加担した犯罪者だったのだ。先の事件の功績と情報提供という貢献もあって、司法取引的に仮釈放と成ってはいるが、それでもイリヤや鶴子などといったお目付け役が必要とされ。以前ネギが受けたものとはまた異なるが、あの『発信術式』も体内の何処かに刻まれ、行動に制限が科せられている。

 それにこの麻帆良に居るのも半ば済し崩し的ではあるが、脱獄という本人にとっても、西にとっても面白くない事情を正式な派遣という形で体裁を取り繕っており、これに関しても彼は東と西の両協会の一部からやや白眼視されている……そこには狗族との混血(ハーフ)というのもあるだろうが。

 だが、やはり小太郎はあっけらかんと言う。

 

「はは、ありがと、さよ姉ちゃん。けどこんな扱いは何時もの事やし、俺はなんも気にしとらんから平気やって」

 

 本人は心配させまいと言っている積もりなのだろうが、その言葉を聞いてさよは余計に心配げな表情をし、何を思ったのか彼の小柄な身体を抱き寄せた。

 

「ちょっ!? さよ姉ちゃん!?」

 

 突然、ギュッと抱き締められ、小太郎は驚きの声を上げるが、さよは黙って抱き寄せた彼の頭を優しく撫でるだけだ。

 

「………………」

 

 これに最初は無理にでも引き剥がそうと思った小太郎であったが、先の事件の時に似たような事をして千鶴に怪我を負わせた事を思い出し、躊躇い。しかし抗議の声を上げても聞きそうに無い事から、どうしたものかと、さよの胸に顔を埋めながら考える。

 それに―――正直に言えば別段、嫌という訳でも無い。

 男のプライドがどうとか、ライバルのネギの前だとか、そんな事も思わなくもないのだが―――包まれた暖かくとても優しい温もりと柔らかい感触を感じ、鼻に良い匂いを覚えながら―――それでも何も出来ず、この数日で泣き虫だと知ったこの姉ちゃんを如何に傷付けず引き離すか、小太郎はそれを考える事しかできなかった。

 

 

 イリヤはそんな二人の様子に肩を竦める。

 長い孤独を経験したさよが、孤独を抱える小太郎に同情する気持ちは判らくも無いので放置といった所だ。

 

(―――“彼”にはサヨのこんな姿を見せられないわね)

 

 また色々な意味でそんな事を思いもしたが、

 

「ん?…何、どうしたのネギ」

 

 隣を振り向き、イリヤはネギに尋ねた。

 彼が自分の方へ強い視線を向けているのを感じた為だ。

 何か言いたい事があるのだろうか? とネギの視線と思い詰めたような表情から思うイリヤであったが、ネギは首を振り、

 

「…………ううん、何でもないよ。ちょっとびっくりしただけで、コタロー君がイリヤとさよさんと一緒に暮らしているとは思わなかったから……」

 

 そう明らかに何でも無いなどという事は無い、作った笑顔で彼は言った。

 イリヤはそのネギの様子に微かに顔を顰めるが、事件直後のような重い感じでは無いので、追求するほどじゃないかな、と判断し、彼の言葉に首肯しつつも一応注意する。

 

「そう。でももし何かあるなら言った方が良いわよ。中には言い難い事もあると思うけど、相談できる事ならなるべく相談すべきよ。貴方は内で溜め込んで爆発させるタイプなんだから、その自覚はあるでしょ?」

「……う、うん、分かった。気を付けるよ、ありがとイリヤ」

 

 注意を受けたネギは、その言葉に思い当たる節がある……いや、あり過ぎる為か、苦笑を浮かべながらも素直に頷いた。

 イリヤは、素直な彼の返事に満足し―――次に横から向けられる助けを求める小太郎の視線に応える事にする。さよの気持ちは判るといっても、何時までも放置しておく訳には行かない。

 

「サヨ…」

 

 彼女の名を呼び、制服の襟を掴んで強引にさよの体を引っ張る。

 喉が絞まった為だろう。うっ…と僅かに呻き声を上げて、さよは小太郎から引き剥がされた。

 

「イ、イリヤちゃん!?」

「まったく、直ぐに感情に任せるんだから。小太郎を心配する気持ちは判るけど、突然そんな事をされたら戸惑うだけで迷惑になるでしょう。時と場合を考えなさい」

「え? あ…」

 

 背後のイリヤに引っ張られた事に驚いたさよは、続けて叱られるように言われて今になって周囲の様子に気付く。メイド達の案内を受けて席に着いたクラスメイト達が一様に自分の方へ視線を向けている事に。

 今はイリヤに襟を掴まれてはいるが、小太郎を抱擁していた時から目線を集めていたのだろう。

 学ラン姿の少年の方にも視線が向けられ、一部級友からは何処かニヤニヤした明らかに小太郎と自分の関係を邪推しているっぽい顔が見られた。

 それを察してか小太郎も苦い表情を浮かべていた。

 

「…コタ君、ゴメン。イリヤちゃんも」

「まあ…ええけど」

「……」

 

 慌てて頭を下げるさよ。それに小太郎は苦い顔を引っ込めて仕方なさげに息を吐き。イリヤも責めるのも何なので静かに溜息を吐くだけに留めた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「―――些か珍妙な事(会場が)になりましたが、イリヤさんとさよさん。新たな学友を迎えた事を祝して、」

 

 ―――かんぱーいっ!!

 

 クラス委員長のあやかの音頭を合図にグラスのかち合う音が響き、クラスメイトの声が響いた。

 直前まで、担任であるネギが音頭を取るべきだという意見もあったのだが、むしろ同じ勉学の友と成る生徒の方が相応しいという意見が通り、委員長であるあやかが取る事になったのだ。

 

「改めてよろしくね、イリヤちゃん、さよちゃん」「よろしくー」

 

 乾杯に続いて店内の彼方此方からそのような声が本日の主役である二人に次々と掛かる。

 そして店内の様子や周囲に見えるジュエリーを話題に雑談に興じる声が混じり、各々は飲み物を口にしながらテーブルの上に並んだ料理―――ではなく、菓子に手を伸ばす。

 歓迎会という事もあり、クラスメイトである彼女達がそれぞれに菓子類や飲み物を用意して持ち込んだのだ。主にあるのはポテチやクッキーなどのスナック、一口チョコ、ケーキなどの市販品だが、所々にイリヤが普段から口にしているお茶請けもある。

 

「うわっ、美味っ!」

「何これ、ほんと美味しいし!?」

「イリヤちゃん、何時もこんなの食べてるんだ。くうぅぅ羨ましすぎる! 私も優雅且つ自堕落な貴族生活を堪能したいっ!」

 

 そんな声がイリヤのお茶請けがテーブルから消える度に聞こえる。

 当然と言えば当然だろう。イリヤの貴族としての目に…いや、口に適う物ばかりなのだ。それは海外―――欧州から取り寄せた高級品を始め、日本に置いては某T国ホテルに宿泊されるVIP相手に出される物だ。

 値段的にもそうだが、身分的にもあやかと千鶴や木乃香以外はまず口にした事が無いだろう。

 

(いえ、あの三人と付き合いの親しいアスナやナツミ辺りも口にしてそう。…でもそれだと、余り気にしないアスナは美味い美味いって喜ぶだけで済むかも知れないけど、平凡過ぎるほど平凡な普通の子であるナツミは逆に気の毒かもね。恐縮し切って困ったように遠慮する姿が目に浮かぶわ)

 

 そう思った事もあり、自然とイリヤの視線は夏美の方へ向かい―――あ、やっぱりそうなのか、と確信を深めた。イリヤの菓子を見詰めて彼女が複雑そうな顔をしているのが目に入ったからだ。恐らくイリヤの想像したような事が過去に在ったのだろう。

 クラスメイトを観察しながらそんな事を考えていると、

 

「イリヤちゃんっ! 私にもイリヤちゃんの両親を紹介して! 私もさよちゃんのように―――…もぐっ!?」

 

 何故か美砂が詰め寄って来て、

 

「ゴメン、イリヤちゃん。美砂の言うことは気にしないで…!」

「な、なんか酔っ払っちゃったみたいで、お菓子に入っていたお酒にやられたのかな…! は、はは」

 

 慌てた様子の円が美砂を羽交い絞めて口を塞ぎ、桜子も乾いた笑みを浮かべて何かを誤魔化すように言い、美砂の脇を固め、

 

「じゃあ、私達ちょっと御手洗いに行くから」

「あはは、また後でお話ししようね」

「二人とも放してっ! イリヤちゃんに大事な話しがあるんだか「「美砂は黙ってて!」」らぁ……」

 

 そう言って円と桜子が美砂の脇を挟んで遠ざかって行った。その間際―――

 

 ―――私の優雅なっ、自堕落な貴族生活がぁぁーーーっ!!

 

 と。

 そんな誰かしらの叫びが聞こえた気がしたが……イリヤは聞かなかった事にする。

 正直、何をどう勘違いしたのか? そんな風に見られるのは不本意だと思うし、さよも決してそんなのではない。いや、まあ……彼女が自分とさよにどんな想像を巡らせたのかは、ハッキリしないのだけど……

 

「……碌でも無い事には違いないわよね」

 

 彼女達が消え去った方を見ながら呟く。

 見ると店内に居る一同もほぼ全員が手洗いの方に顔を向けていた。此処がほんとに漫画の中であれば、それらの頭には縦線が入り、大きな汗が浮かんでいただろう。

 

「はは、おもろい人達やなぁ、ネギのクラスの奴らは…」

「コ、コタロー君…」

 

 イリヤの近くに席を取った小太郎が笑うと、同じく席の近いネギは居た堪れない様子で俯いた。受け持った生徒のあんまりの行動にやはり担任としては他人事ではいられないらしい。だがそれはイリヤも似たような物だ。

 

「…そのクラスに入った私としては笑えないんだけど。……ほんと一体どういう風に見られているのやら」

 

 思わず吐露する。

 するとイリヤの席の周囲の面々―――ネギパーティー及び、それと親しい生徒達が申し訳なさそうな顔をしたり、困ったような苦笑を浮かべ……向かいの席に座っているエヴァが口を出した。

 

「やれやれ、これで思いやられる様ではあの連中と一緒にやって行けんぞ。この程度の騒ぎなんぞ日常茶飯事なのだからな、あのクラスは」

「…………そうなんでしょうね、うん」

 

 エヴァの忠告めいた言葉に原作を思い返してイリヤは困ったように首肯する。心配の種が大きいネギと明日菜に対してもそうだが、夕映達の事を思って編入したのに、早まったかなとも思ってしまう―――とはいえ、

 

(チャオ・リンシェンの事も観察したかったし、ね)

 

 皆と同様、この歓迎会に参加した件の人物の方を一瞥してイリヤは内心で呟く。

 その彼女は五月と話しをしている。どうやら他の生徒達と同じくイリヤの出したお茶請けに付いて意見を交わしているらしい。

 そう、ネギ達の心配の他に、それもイリヤが編入した理由の一つだ。“敵”である彼女の人物像を近くで見定める為に、原作との相違点を見極める為に、だ。

 さよと人形(メイド)達にも超 鈴音が協会から要注意人物に指定されている事は伝えてある。今もそれとなく警戒し、観察している筈だ。たださよは少し判らないが……忘れていないか少し心配になる。

 

「そっか、そうやった。イリヤ姉ちゃんもネギの生徒になるんやったな。うん、笑ってスマンかったわネギ。あと姉ちゃんも大変やな、あの様子だと」

 

 エヴァの言葉を聞いて、イリヤがこのクラスメイト達の一員になる事を今になって思い出したらしく、小太郎は同情の視線をイリヤに向ける。

 ただ自分をそう気に掛ける一方で今の台詞を聞くに、ネギが自分を生徒に受け持つ事に哀れんでいるようにもイリヤは思えるのだが。

 しかしそれを追及する前にネギが口を開いた。

 

「……さっきから気に成っていたんだけど…」

「ん?」

「なんや?」

「どうしてコタロー君は、イリヤの事を“姉ちゃん”って呼んでるの?」

 

 首を傾げて、純粋に疑問気に尋ねるネギ。

 

「あ、それは私も気に成りますね」

 

 聞き耳を立てていたのか、それとも偶々耳に入ったのか、千鶴も興味深げな表情を見せてイリヤ達のテーブルに近付いて来る。あやかと夏美もだ。

 当然、イリヤの席に近い明日菜や夕映達もイリヤと小太郎に好奇の視線を向けている。

 小太郎は先の事件の最中…フェイト一味を出し抜いてネギに警告を発する為に麻帆良へ向かう前に、イリヤの事をある程度アイリから聞いており、イリヤが本当は明日菜や千鶴よりも年上だと知っているのだ―――が、しかし、

 

「いや、千鶴姉ちゃん。そんな視線を向けられても別に大した事やないで、単に同い年の俺よりもずっと確りしとって、さよ姉ちゃんよりも“姉ちゃんっぽい”からだけやって」

 

 イリヤからの口止めもあって、向けられる無数の視線に対して小太郎は平然とそう嘯いた。一応事実を言っている為だ。勿論、本当の事を言っている訳でも無い。

 千鶴は答えた彼の様子を何時もの笑顔のまま、しかし僅かにジッと窺うかのように見詰め―――

 

「なるほどね、その気持ち良く判るなぁ。私も時々イリヤちゃんを自分よりも年上じゃないかって思う事があるもの」

「明日菜の言う通りやね。イリヤちゃんホント確りしとるからなぁ」

「そ、そうですね。私もイリヤさんにお世話になる一方ですから、そう感じていますし」

 

 小太郎の返答に明日菜は大きく頷いて同意し、空かさず木乃香と刹那がそれに便乗した。

 無論、明日菜は本当に年上だとは知らず、後者の二人は知っている。明日菜には悪いが知らない彼女が言う納得の言葉を出汁にその事実を覆い隠そうという事だった。尤も嘘が苦手なのもあり、刹那の言葉は若干硬くなっていたが。

 その甲斐もあってか、少し考えるような仕草をした後、千鶴も納得した様に頷いた。

 

「―――そうね。イリヤさんはそんな感じをさせる子よね。だから小太郎君を安心して任せられるのだし…」

「………千鶴姉ちゃん」

 

 相変わらずの笑顔だが、後半の言葉は若干寂しげにも聞こえた。だからイリヤは少し申し訳なく思う。原作での本来の役割を奪ったという感覚があった。

 

「悪いわね、チヅル」

「いいえ、イリヤさん気になさらないで下さい。詳しい事情は分かりませんが、私が預かるよりも貴女の傍の方が良いという事は判りますから。小太郎君の為にも、そして恐らくは私達の為にも…」

 

 そう、この世界では小太郎の身元引受人はイリヤとそして鶴子になっているが、原作同様、千鶴も彼の身元引き受けを申し出ていたのだ。

 しかし、そこは裏の世界が関わる所。それに巻き込まれた千鶴の実感は決して小さくは無く、イリヤと近右衛門の説得を受けて已む無く辞退したのだった。また先の言葉から判るようにイリヤへの信頼も少なからずある。

 尤も千鶴にしても、イリヤの存在は非常に不可解で、言うなれば怪しくもあるのだが……それ以上に頼れるナニカを感じているのだ。

 ただ、そのナニカを信じて頼り切るのも危ういと、イリヤに覚える孤独が強まるような不吉な予感も無くは無いのだが―――千鶴はかぶりを振る。そのイリヤの纏う孤独を払う為に小太郎を任せた側面もあるからだ。だから、

 

「…ですので、小太郎君を立派に育てるのをお願いしますね」

 

 だから千鶴は、胸の内に秘めた想いを被せてそう告げ、イリヤに改めて彼を託した。

 

「り、立派に育てるって、千鶴姉ちゃん……」

 

 千鶴の言葉を聞き、小太郎は何とも言えないような渋い表情をする。

 彼としては、独りでも努力してこれまで生きて来た自負はあるのだが、お天道様に胸を張れるような真っ当な生き方を出来なかった負い目があり、正にそういった真っ当な生き方をさせるとでも言うその言葉に反論し辛いのだ。

 それまで苦労し、泥臭くも生き抜いて来た人生を否定する訳ではないが、小太郎自身、本音を言えば出来る事なら真面な人生を歩みたいとも思っている。

 その生まれ故に裏の世界から抜ける事は出来ないだろうが、イリヤの下に居れば、少なくとも正道に立ち、薄汚く生きる必要は無くなるだろう。

 そういった意味では、千鶴の立派に育てるという言葉はあながち間違いでは無い。

 イリヤもまたそれは判っている。

 

「ええ、チヅルに確り顔向けできるように立派に育てるわ」

 

 判っているからイリヤは、満面の笑みで若干冗談めかしながらもそう確かな答えを返した。

 

「イ、イリヤ姉ちゃんまで……」

 

 イリヤの返事を聞き、小太郎はガックリと肩を落とす。何となく自分の立場がどんなものか、二人に良いように弄られてるなぁ…と、文字通り飼い犬にされたような気分を覚えたのだ。

 その彼の様子と千鶴とイリヤのやり取りに重くなった雰囲気が解けたのを感じ……プッと明日菜が噴き出す。それに釣られて周囲の面々も笑い声を上げる。

 

「なんか色々と複雑な事情や経緯があるようだけど、犬上君は那波さんからイリヤちゃんに里親が移った訳か」

「さ、里親っ!? ぷぷ…まあ、間違ってないわよね」

「うん、言い方はちょっと悪いけど、小太郎君はやっぱり犬っぽいし」

「とんだ野良…いえ、駄犬ですが、良い飼い主が出来て良かったですね。何しろイリヤさんなのです。貴方には勿体無いくらいです」

「ぐ…! 明日菜やのどかの姉ちゃんが言った事は許せるが…コラッ! チビ助! オマエが言った事は許さへんぞっ! 誰が野良の駄犬やねん! このデコッパチがぁっ!」

「そういって直ぐにムキに成るガサツな所が野良みたいで駄目って事でしょうに。少しはネギ先生を見習いなさい。でないとイリヤさんから見放されますわよ」

「そうです。そうやって単純且つ感情的な所が原因で言いように使われ、油断を招いて……結果、周りに迷惑を掛ける事になるのです。いい加減少しは学んだらどうです? あとチビ助というのは百歩譲って認めなくもありませんが、デコッパチというのは訂正して貰います」

「うぐぐ…このチビ、何時か泣かす」

「できる物ならやって見ろです。何時でも受けて立つですよ」

 

 ハルナが面白げに言い。明日菜がまた噴き出し、のどかは申し訳なさそうに言って、夕映が鼻で笑いながら続き、小太郎は怒りのボルテージを上げるが、あやかが叱りつけるように宥め、夕映は呆れた様子で彼を見下げ、的確な反論が思い付かない小太郎は悔しそうに歯噛し、夕映は余裕で挑発する。

 イリヤはそれらのやり取りを、やれやれと肩を竦め、千鶴はホホ…と微笑ましげに見詰め。さよは睨み合う夕映と小太郎にオロオロし、周囲のクラスメイトは夕映と小太郎の突然の対決に恒例のトトカルチョを始め、何故かメイドの一部がそのトトカルチョの仕切りを行う。

 そんな混沌の坩堝に成りつつある状況を見て、溜息を吐きながらも。

 

「まったく、イリヤが加わっても変わらない……相変わらず騒々しい事この上ないな、この連中は。まあ……そんなお気楽な奴らと過ごす日々も―――」

 

 ―――最近は、悪くないと思わなくも……―――そう、そうか。悪くない、…ものなのだな。

 

 そう、エヴァは周囲に聞こえないように―――眼を見開いて、口から零れた自らの発言に驚きながら―――感慨深げに呟き。茶々丸のみがそれに頷いていた。

 

 

 騒動から一時間ほど経過し、大きく騒いで疲れたのか会話も交える声も疎らと成り……彼女達は代わりに店内の壁際とカウンターに設置されたショーケースに静かに視線を向ける事が多くなっていた。

 以前の喫茶店に近い状態に戻された店内において、それら壁際とカウンターであった場所に在るショーケースの存在が、この店が宝飾店と成った事を明確に示していた。

 金、銀、銅、鉄、真鍮、宝石などの多くの素材を元に、動物、植物、天体、武具などの様々なモチーフを持って作られた多種多様なアクセサリーがより映える様にライトに照らされ、ガラスで覆われたケースの中で輝いている。

 それらは全てイリヤが手掛けた品だ。今後は徐々にさよと分担し、人形達にも手伝って貰う積りだが、開店始めという事もあって今ケースに並んでいるのはイリヤが制作し、念を入れて厳選した物だけである。

 

「うーん、ほんと凄いわね。これ全部イリヤちゃんが作ったんでしょ」

「…プロ顔負けね。いや、プロなんだろうけど……雑誌で見る物や渋谷の専門店で見る物となんら遜色がないわね」

「円が言うんなら確かなんだろうね。少なくとも私と美砂が見るよりは」

 

 そう話すのは先程お手洗いに逃げ込んだ。チアリーダー部所属の今時っ娘3人組だ。

 特に円はシルバーアクセサリーを好み、よくその手の店を覗いている事もあって熱心に品評している。イリヤが様子を伺うに感触は悪くないようだ。

 

「うん、気に入ってくれて何よりだわ」

「あ、イリヤちゃん」

 

 イリヤは3人組に話し掛ける。

 

「正直、今の子達がどういった感じのデザインを好むか判らなかったから不安だったのよね」

「そうなの。あ…さっきはゴメンね、変なテンションに成っちゃって」

 

 美砂が先程の事を謝る。

 イリヤはかぶりを振り、気にしてないとでも言うような態度を示すものの、一応注意するように彼女をきつく一瞥する。

 

「う…」

「えーと…それで、好みが判らなかったっていうのは?」

 

 睨まれて呻く美砂を庇うように円がイリヤに訊く。

 

「まあ、なんていうか。余り他所の影響を受けたくなかったから、他店の物を始め、そういった有名なデザイナーやブランド、職人の事とかを詳しく調べなかったの」

「え! それじゃあ、此処に在るのは全部イリヤちゃんが一からデザインしたオリジナルなの?」

「あー、でもそうとも言えないかな。アインツベルン(うち)専属の職人の物をリスペクトしている部分もあるだろうし、気付かない内に目にしたものを参考している事もあると思うから」

 

 円の質問にイリヤは、うーんと顎に指を当てながら考え込むようにして答えた。

 実際、イリヤは一応自分で考えはしたが、結局は魔術の延長な―――というか目的もあって、魔術を用いて製作している―――事もあり、その辺(アインツベルン)の知識を元にデザインしている感が拭えない。また数多の宝具を投影する“錬鉄の英雄”たるアーチャーや、高度な魔術品を作製できる“神代の魔女”であるキャスターを夢幻召喚(インストール)して受けた影響も多分に在る筈だ。

 それに、そもそも人間というのは自分が経験し、得た知識を反映してナニカを生み出す事しか出来ない生き物だ。況してや“ここまで”文明が高度に発達し、多くの物と様々な情報に溢れた現代の世ならば尚更だろう。故に完全なオリジナルだと言い切るのは、イリヤ的にはどうにも違和感しかなかったりする。

 そんな事を思った……一瞬、脳裏に究極の原典(オリジナル)コレクターたる彼の黄金の我様(サーヴァント)の姿が浮かんでしまう。途端―――

 

「っ―――!」

 

 そんな厄介な半神半人(じんぶつ)を思い浮かべた所為か、イリヤは胸に強烈な幻痛(いたみ)を覚えた。

 

「え…!?」

「どうしたの!?」

「大丈夫、イリヤちゃん!」

「―――…あ……」

 

 突然奔った強い幻痛に胸を押さえると、美砂たちが倒れ掛けたイリヤの身体を肩から支える。

 イリヤは遠退き掛けた意識を取り戻すと、肩を支えてくれた彼女達に直ぐに笑顔を向けた。

 

「……何でもないわ。大丈夫よ」

「ホント? なら良いけど」

「心配させてゴメン。ふふ……“誰かさん”の様にお菓子に入っていたアルコールにやられたのかしらね」

 

 三人を心配させたことを誤魔化す為にイリヤは冗談めかして答えた。すると、うえっ…と美砂の口からバツの悪そうな声が零れ、円と桜子も可笑しそうに笑みを零した。

 そうして三人の視線が外れた合間に、イリヤは幻痛の在った胸の辺りを擦って何も異常が無い事を確認する。

 

(―――そういえば、アイツには胸を抉られて心臓を取り出されたのよね。ある並行世界(かのうせい)(ばあい)だけど……その所為かしら?)

 

 イリヤは、不可解な幻痛にやや釈然としないながらも―――そう思った。

 

「イリヤ、大丈夫…?」

「マスター、お加減が悪いのですか?」

 

 先程の事を見ていたのだろう。声の方を振り返ると心配げな様子でネギとウルズラ、その他にエヴァや明日菜、夕映といった面々も傍に寄って来た。

 

「大丈夫よ」

 

 心配げな表情した皆に先程と同じくイリヤは笑顔でそう告げる。

 

「…ですが」

「大丈夫よ、ホントに何とも無いから」

 

 ウルズラは従者らしく簡単に納得しなかったが、念を押すように繰り返し大丈夫だと言うと大人しく引き下がった。

 エヴァも眉間に眉を寄せていたが、イリヤがかぶりを振って問題無い事を示すと、仕方なさげに頷いて渋々納得した様だった。

 他の面々もイリヤの浮かべる笑みに安堵しつつも何処か心配げだ。

 

「…と、そうだ」

 

 イリヤはそんなおかしくなった雰囲気を代える為に、やや大袈裟にポンッと手を打ち、

 

「折角だからクラスの皆にはサービスして、一点だけこの店の物をプレゼントしようかしら」

 

 そう、唐突ながら提案した。

 

「えっ…良いの!?」

「ええ、気に入った物を一つだけね。遠慮は無用よ。日本では引っ越しした際、お世話になる隣人にお裾分けするそうだから、そういった物と思えば…」

「や、それって引っ越し蕎麦の事やよね……そんなんとは違うような」

 

 突然の提案に驚くアキラにイリヤが答えると、亜子が突っ込みを入れた。日本文化に多大な誤解があると思ったのだろう。

 勿論、イリヤも“誰か”の精神(きおく)が混ざった影響をあってそれは理解している。だから敢えておかしく誤解している風に言ったのだ。彼女達が受け入れやすいように。

 

「どうしても気が咎めるなら……そうね、八割引きで応じても良いし、口コミで店の事を宣伝してくれたら嬉しいかな」

 

 加えてそう更に受け取り易いように皆に言う。

 それでも「うーん…でも」「良いのかな?」「うん、目にした限り、今ここに在るもので安い物が無いし」と若干渋る様子を見せていたが、

 

「なら、ええかな。イリヤちゃんの好意を素直に受け取らせて貰うえ」

「ええ、私も遠慮なく受け取られて頂きます」

 

 そう、木乃香と千鶴が言った事を口火に他の生徒達も気が軽くなったのか、次々と申し出る。

 

「じゃあ、タダはやっぱり申し訳ないから八割で…」

「私も」

「どんなのでも良いの~?」

「では、拙者もお言葉に甘えて…」

「イリヤちゃん、太っ腹ー!」

「ふとっぱら~」

 

 喜ぶクラスメイト達の姿を見、イリヤはその切欠を作ってくれた木乃香と千鶴を一瞥する。

 気を使ってくれて、ありがと、と内心で感謝と告げながら目を向けると、その感謝を察した二人は笑みで答えた。

 

 

 

 ―――そして、

 

「今日、此処に来なかった生徒達分も一応選んでおかないと……」

 

 皆がそれぞれ気に入った物を選び、店を後にする生徒達を見送りながらイリヤはそう静かに呟いた。

 視線の先には此方を振り返り、手を振るクラスメイトの姿がある。

 「じゃあねー」「また明日」「歓迎会楽しかったよ」「プレゼントありがとね」…等々とイリヤとさよに言いながら彼女達は帰路に付く。

 

「……やっぱり、訳があったんや」

 

 と。

 生徒を見送るイリヤの背後から先程の呟きに答えるかのように声が掛かる。

 まあね、とイリヤはそれに応じながら振り返る。

 そこに居たのは木乃香だ。他にも明日菜や夕映達も居るが…ネギの姿は無い。残ろうとするとあやかが強引にでも居座りかねなかったからだ。その為、彼には先に帰って貰っている。

 エヴァも今日は所用がある為、帰宅しており。親友達を置いて行く事になったハルナは、学祭を控えた今月の“修羅場(原稿)”対策の為にだ。

 

「プレゼントした物もそうだけど、この店に在るのはちょっとした護符(アミュレット)なのよ」

「やはり、そうですか」

 

 先程の質問に皆と店内に戻りながらイリヤは返答すると、夕映が納得気に頷いた。

 

「ま、とは言っても貴方達に渡した物や、協会員が身に付けている物とはかなり違うし、比較的簡素なものなんだけど」

「でも、アミュレットには違いないんですよね。どういった物なんですか?」

 

 のどかは興味深げにしつつも真剣な様子で尋ねる。

 

「一言で言うと、よくある幸運のお守りよ。怪しい通販とかでもよく在るヤツ…ね。勿論、効果は本物だけどそういった物の宣伝文句ほど大袈裟じゃなくて、せいぜい失せ物が見つかったり、怪我や病気に掛かり難かったりする簡単な厄払い程度の代物よ」

「……つまり手にしようと、していまいと大した事にならない物、ですか?」

 

 説明を聞いた刹那が首を傾げて言う。

 そんな物を売りに出して何の意味があるのか? 無論、“本物”を簡単に売り捌くのも問題だが、その程度ならわざわざ護符に仕立ててこの学園の生徒達に販売する理由が無い。普通のアクセサリーなりジュエリーなりにした方が無駄が無く、実利的な筈だ……そう刹那の顔は言っている。

 要するにそれではイリヤらしくない、本当の目的は何なのか? という事だ。

 イリヤはそんな物言いたげな刹那の顔に苦笑しつつ、その問いに答える。

 

「個人が持つだけなら刹那の言う通りになるわ。だからこうして大々的に売りに出そうとしているわけ。この店の品物―――アミュレットの本当の効果は一定の範囲に複数広まる事で発揮されるの。ヒトが所有する事で、弱く、薄くとも確かに在るそのヒトが得る幸運を広める事でね」

 

 そう告げるが、皆は抽象的な言いようもあって顔を難しげに顰めるだけだ。しかし流石というか、木乃香が気付く。

 

「…結界やね。人の持つ無意識や何気ない感情に作用し、利用した概念的な結界……効果は、やっぱり悪意と邪気を払い清めて、幸運を呼び込む文字通りの厄払い…」

「えっと……?」

「……つまりどういう事アルか?」

「明日菜、くーふぇ、多分イリヤちゃんの狙いは、この前の事件のような襲撃を避ける為の……ううん、もしそれが起こったとしても被害を抑えるのが、本当のとこやね?」

「うん、そうよ。よく出来ました、コノカ」

 

 むむ、と顔を顰める明日菜と古 菲に答えた木乃香に、イリヤは教え子を褒める教師のように言った。

 

「この店の品物は、“所有者”の元から持っている幸運とアミュレットで招いた幸運を複数で共有、拡大し、厄払いの結界を構築するのが本当の効果なの。目的はコノカの言う通り、先日の事件のような事態をそういった幸運や厄払いで少しでも遠ざけ、被害を抑制する為ね」

 

 そう、“幸運”と呼ばれるモノは一種の因果干渉なのだ。来たるべき運命や在るべき結果を変え得るチカラ。彼の騎士王が因果をも()る心臓を貫く不可避の一撃を退けた様に、強ければソレを捻じ伏せられるのだ。

 無論、そこまでの幸運を持つ者は非常に稀だ。イリヤが施したこの事前策も言う程の効果は期待できないだろう。学園が敵に目を付けられている事実は変えられないし、ネギや明日菜の持つ因果や運命は途方もなく大きいのだ。無いよりもマシ程度の効果しか示さないだろう。

 

(……けど、その無いよりマシ程度でも、備えられる事ならやるべき、少なくとも被害を抑制することは出来るのだから…)

 

 内心でイリヤは呟く。

 先日の犠牲者とその遺族達の姿を脳裏に思い浮かべて。

 

「それじゃあ、このお守りは広まれば広まるほど、効果が在るんだよね?」

 

 明日菜が問い掛ける。

 

「ええ、ただ一応上限みたいなものはあるけど…ついでに補足すると、常に身に付けるんじゃなくて、“所有”する事自体が術式の起動条件になっているわ」

「それなら、いっそのことタダで配ったりした方が良いんじゃない? あと本当に効果のある幸運のお守りだー!…って大々的に宣伝してさ、多くの人に知って貰えばもっと―――」

「―――あ、それはアカンよ明日菜」

「ですね、宜しくないかと」

「へ…?」

 

 疑問を呈しながらも名案とばかり言う明日菜に、木乃香と刹那がダメだしする。イリヤも無言で頷く。

 

「明日菜、訊くけど……タダで貰ったもんを大事にしたりする?それも唐突に理由も無しに配られたりした物を?」

「それは…」

「その上、幸運のお守りだなんて言われても信用しませんね、普通は」

「あ、あー……ゴメン、確かに思い入れは持たないし、怪しいわ。私だったら受け取らないかも、或いはすぐに捨てるかも知んない」

 

 友人の二人に言われて明日菜は項垂れる。

 

「今日、クラスの皆に配ったのは、イリヤちゃんとさよちゃんとの事や、そのプレゼントって意味でそれなりに大事に思うやろうから問題ないしな」

「うん」

「それと、幸運のお守り…という案についてはもう一つ。仮にそう宣伝し売りに出して、本当に効果が在ると周知されても、それを目的にイリヤさんの護符を求めに来ては意味がありません。そういった下心は悪意と邪気を呼びますから……最悪、効果が裏返りかねません」

「げっ! それって運が悪くなるって事…!?」

 

 更なるダメ出しを受けて仰け反る明日菜に、刹那はええ…と首肯する。イリヤさんの事だからその辺りの対策は勿論されているでしょうが、とも言うが、明日菜は自分の安易な考えに気を落とす事を止められなかった。

 イリヤは、そんな彼女を慰める意味でも口を開く。

 

「そう気落ちすることは無いわよアスナ。貴女は……いえ、ユエとノドカ、クーもこっちの世界に足を踏み入れたばかりで、知識も碌に無いんだから」

「そうアルヨ。私なんて聞いてもよく判らなかったのに。正直、学校の勉強だけで手一杯……もう逃げだしたいくらいネ」

「…………それは駄目よ」

「わ、判ってるネ。だから睨まないで欲しいアルヨ、真面目にやってるから、勘弁して欲しいネ」

 

 小柄な幼い外見の少女に睨まれて、イリヤちゃん怖いアルーッ!と涙目になる古 菲を見て、明日菜は笑みが零れるのを自覚する。元よりそんなに落ち込んで無い事もあり、

 

「それじゃあ、頑張りますか。イリヤちゃん、今日は宜しく!」

 

 と、前向きに元気良く今日の講義を受ける事にする。そう、だから明日菜を含めた彼女達は工房…もとい明日から表向きには宝飾店となるイリヤ宅に残ったのだ。昨日まで連日、例の別荘でエヴァがやっていたものをイリヤから受ける為に。

 イリヤも古 菲から目を外すとそれに頷く。

 

「ええ、では今日の座学を始めましょうか。テキストは持って来ているわよね……うん、大丈夫みたいね。では―――」

 

 そうして、歓迎会の会場であった店内を即席の教室にし、魔法社会の講義を始める。

 何時もなら先の通り、エヴァが講師でネギが助手を務めるそれを、イリヤとさよが代わりに務め、小太郎が生徒に加わって。

 

 

 そうして彼女達はイリヤの家に泊まる事と成り、やがて夜が更ける頃にはネギも再度訪れ……事件を経て変わり始めた日常から、また更に一風変わった一日を過ごし、その日を終えた。

 

 




 イリヤのアトリエこと宝飾店がオープン。
 結界で魔術工房の存在や閉店した喫茶店にひと気がある事を誤魔化していましたが、本文にある通りそこそこ手間が掛かり、立地も中々勿体無かったのでイリヤは店を構える事にしました。
 これでイリヤは本格的にエヴァ邸から引っ越した事になり、小太郎がそこに転がり込こんで今度は自分が居候を抱える事になりました。
 なお、さよは身内扱いなので居候とは余り言えないようです。









 おまけ―――本編に関係無いようであるような余談。


「そういえば、サヨ」
「なんですか?」
「昼間の師しょーっていうのは…何? 何であんな呼び方を?」
「…あれですか。えっと…昨日…ううん、一昨日の晩だったかな? その…夢を見たんです」
「夢?(あれ…? 何かすごく嫌な予感が…)」
「はい。どうしてか私は道場みたいな所に居て、竹刀を持った剣道着姿の女性が目の前に居て……その人が弟子一号だとか、変な事を何の脈絡もなく突然話し始めて…とても長い口上でしたから内容はよく覚えてないんですけど、とにかくブルマ…じゃなくて、イリヤさんの弟子になるんだったら、そう呼んだ方が良いとか言ってたんです。なんだか夢とは思えないくらいに妙に生々しくて。…私、お告げか何かかと思ったんですけど―――…って、どうしたんですかイリヤさん!? 顔真っ青ですよ! 大丈夫ですか!?―――きゃああっ! 確りしてください!? 気を確かにっ!」
「―――あ………あたま痛いわ」



 そうしてイリヤは夜も更けたその日の晩に突然倒れ。
 さよの慌てた声を聞きつけたネギと明日菜達は、顔を青くして倒れたイリヤを目にし、騒然となった―――とか、ならなかったとか。





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幕間その5―――吸血姫の想い。隠された少女の心

こっちに移るにあたり、本編扱いとするか…迷ったものの幕間のままにしました。

今回は著しいキャラ改変があります。


 

「…オ、御主人(マスター)。帰ッタカ」

「ああ、チャチャゼロ。留守番ご苦労」

「ア…?」

 

 帰宅し、古馴染みの従者の出迎えに答えると、その従者は何故か表情の無い顔を怪訝そうに傾げた。エヴァは構わずに続けて背後に付き従う最新の従者にも告げる。

 

「私は部屋で休む。夕食はいらんから……茶々丸、お前も適当に休んでいろ」

 

 一方的にそう言うと、エヴァは返事も聞かずに階段を上り、自室へ向かった。

 その背を見送り、

 

「何ダ? 何時モト様子ガオカシイナ。何カアッタノカ?」

「はい、姉さん。…ですが心配いらないと思います。少し一人にしてあげましょう」

 

 ひょこひょこと茶々丸(いもうと)の方へ歩きながら主人の様子を尋ねるチャチャゼロ(あね)に、妹は何も心配する事は無いとかぶりを振った。

 

 

 

 エヴァは自室へ入ると、着替えもせずに制服のタイとベストを脱ぎ捨てて、スカートも床に放ってベッドへと身を投げ出した。

 

「ふう…」

 

 一息吐き、俯せの姿勢からコロリと身を捻って仰向けに成り、天上をしばし見詰め………イリヤの工房を出てからずっと手にしていたそれ―――クラスメイト達へのプレゼントに紛れて渡された古めかしい小さな木箱を開く。

 チャリっと金属の擦れあう音が小さく鳴り、赤い宝石が細い銀の鎖に釣り下がってエヴァの視界に収められる。

 

「………………」

 

 エヴァは黙したまま、されど愛おしげに……正に大切な宝物を見るような眼差しで赤い宝石を見詰めた。

 それは以前の無残に罅割れたものでは無く、彼女が初めて見た時と同じ元の美しさを取り戻していた。

 

 ―――アイツも忙しいだろうに…。

 

 同居人であった白い少女の顔を脳裏に浮かべる。

 協会に積極的に協力し、多くの仕事を抱えながら魔術の研究をし、店を開く事に成ったイリヤがその合間を縫って、こんなにも早くこの大切な宝石(たからもの)を治してくれた事にエヴァは深く感謝する。

 本人は、あの時の―――先日の事件で湖の騎士の不意打ちを許し、自分を負傷させ、従者(ちゃちゃまる)を大破させた失態の償いだと言ってはいたが……アレは自分の失態でもあり、気を回し過ぎだと感謝の念の方が大きく、

 

「―――この借りはしっかりと返さんとな」

 

 そう、口に出した。

 一週間以上前、学園襲撃事件の事後処理の最中に彼女が行ってくれた気遣いを思い返しながら―――

 

 

 

 ◇

 

 

 

 その日。エヴァは沸き立つ際限の無い腹立たしさと苛立ちに、感情の抑えが利き辛くなっていた。

 それ故、“その事”を告げたジジイやその孫娘、元学友である老け顔のまだ青年と言える教師―――尤もエヴァ的には裏の仕事を優先している為、すっかり不良教師という印象になっているが―――まで彼女に近付かなくなっていた。

 普段ならば、それでも茶々丸が傍に付いていただろうが……生憎これまた腹立たしい事に、あの不届きな侵入者によって動けない状態にされ、現在修復(りょうよう)中だ。

 

 ―――勿論、分かってはいた。

 

 ぼーや(ネギ)という存在がある以上、サウザンドマスターこと…あのナギ(バカ)にその“相手”がいる事ぐらいは。

 

「だが―――っ!」

 

 くそっ! と口汚く罵る。

 共に行動したあの3年間―――少なくともエヴァの視点からは―――如何にも女に興味ありませんという態度を取っていながら、

 

「―――あんな…っ!」

 

 そう、それは正に御伽噺のような話だった。

 悪辣な罠に陥り、在らぬ嫌疑を掛けられて謀殺されそうになった亡国の姫君を。

 全てに諦観し、絶望の淵に在ったその女性(ひと)を、己が身を挺して救い出し―――想いを遂げるなどという、そんな古くからある騎士とお姫様の王道的な恋愛劇(ロマンス)の末に結ばれているとは、エヴァには思いもよらぬ事だった。

 しかも、そうして自分と出会った時には、既に夫婦の契りを結んでいたという。

 

「それならそうと言えばいいだろうがッ!!」

 

 叫び―――ドカンッと。歩いていた校舎の廊下の角を曲がる寸前、丁度良く目の前に現われた壁を思いっ切り殴り付けた。

 壁は深く陥没し、大きく罅割れ、パラパラと砕けた壁材が床へと崩れ落ちる。

 とてもでは無いが、力を封じられた彼女の―――10歳の少女のそれと変わらない膂力から繰り出されたとは思えない程の威力だ。

 無論、エヴァの拳もタダでは済まなかったが……ふん、と鼻を鳴らすと踵を返し、感じる痛みを無視して曲がった先にある階段を下った。

 

 ―――裏切られた、と。やはりそう感じているのだろうか?

 

 校舎を出て、ドシドシと道を歩き、不機嫌さを隠せない様子を周囲に振り撒きながら、頭の中の冷静な部分が思う。

 3年間という長くも無ければ、短くも無い時間。此方の世界もそうだが、魔法世界にもナギに付き纏って旅をした。“偉大な魔法使い(マギステル・マギ)”と讃えられ、そう呼ばれる彼の活動を傍観するようで、気紛れのように手伝いながら……。

 

 そんな中で自分は何度も―――初めの頃は遠回しに……1年も過ぎた頃には隠さずに直に好意を口にするようになった。

 

 尤も素直になれない面もあり、言葉はやや乱暴になってはいたがそれでも好意は伝わっていた。

 その度に呆れた様子で困ったように断られていたが…………それでも本当の意味で迷惑では無いと、拒絶されている訳では無いと思っていた。

 だから―――そう、だから思った。いつかは届くのだと。この思いを添い遂げられるのだと信じていた。

 

「―――クッ…!」

 

 なのに―――あんまりだった。

 自分は端から相手にされていなかったのだ。

 黙って旅に付いて行くのを許してくれた事も、思わせぶりに優しくしてくれた事も、アルやラカン、ガトウ、詠春、タカミチらと共に仲間として…その一員として扱ってくれた事も、この学園で“光に生きてみろ”と言ってくれた事も……事も、事も―――!

 

「ハッ! かわいそうで寂しげなお子様に同情しただけだった、という訳だ!!」

 

 辛い過去を背負った憐れな子供…それ以上でも無ければ、以下でも無い。自分は彼にとってその程度の存在だったのだ。“偉大な魔法使い”として、旅の中で救ってきたそんな人々と変わらない程度の…!

 

 ―――そう、拒絶しなかったのも、優しくしてくれたのも、仲間として迎えようとしてくれたのも、そんな憐憫の感情からのモノ。

 

 既婚者だと口にしなかったのも傷付けない為の配慮なのだろう。ナギ達と同行し、“光の道”へと戻り掛けた自分がそれを機にナギ達から離れ…また孤独へと、光の当たらない道へと戻らない為の……。

 

 ―――それを、何を勘違いしたのか、私は…?

 

 自分を少しはそういう風に―――子供扱いしながらも一人の女性として見てくれていると、困ったようにしながらも真面目に想いを受け止めてくれていると、彼に期待した。そう、その真意を推し量る事も無く。そのように勝手に解釈していたのだ。

 

「……とんだ道化だな」

 

 怒りの感情が薄れ、意気消沈して思わず嘆いた。

 恋という感情に浮かれていた自分。盲目に相手にも同じその感情を求め、身勝手にもそれを期待していた事。そういった自分本位な考えに気付き、自覚した所為だ。

 この近年、この日本でもようやく認知され始めた“ストーカー”という単語が脳裏に過った。そんな犯罪者まがいな行動と変わらないのかも知れない、とさえ思った。

 

「―――ハァ」

 

 先程までの怒りは何処へ行ったのか、エヴァは気付くと溜息を零していた。

 無論、既婚者であった事を言わず、その真意を語らなかった想い人(ナギ)への怒りが完全に消えた訳では無い。ブスブスと焦げ、燻っている。

 しかしそれ以上に恋に浮かれ、盲目と成っていた自分への呆れと嫌悪が大きかった。

 

「ハァ…」

 

 と、二度零れ―――

 

「エヴァさん」

 

 名を呼ばれて俯き掛けた頭を上げると、そこには良く知る白い少女の姿があった。

 

「……イリヤか、何の用だ?」

「…なんか急に落ち込んでいるわね」

 

 用件を尋ねるエヴァに、イリヤは意外そうな表情を見せてそれには答えなかった。エヴァと共に近右衛門の話を聞き、怒りと不機嫌を振り撒くエヴァの姿を見ていた為だろう。

 

「ふん、私が落ち込もうが、落ち込んでいまいが私の勝手だ。お前には関係ないだろう。それとも何か? 私が落ち込むのがいけないか? それとも珍しいと、おかしいと笑いに来たか?」

「…………」

 

 八つ当たり気味にやさぐれたように言うエヴァ。イリヤはそれに沈黙するだけだ。

 だが、エヴァには分かった。イリヤが内心で呆れ、肩を竦めているであろう事が。恐らく「重症ね」とでも胸の内で溜息を吐いているのだろう。

 エヴァ自身、客観的に今の己を見ればそう言わざるを得ない。そんなみっともない自覚はあった。

 それが余計に自分の情けなさを煽り、エヴァは再度苛立ちが大きくなるのを感じ、

 

「イリ―――」

「―――エヴァさん、大事な用があるわ」

 

 白い少女を目の前から追っ払おうと声を荒げようとした途端、エヴァは真剣に告げる少女の緋の瞳に呑まれて口を噤んだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 イリヤが用があると告げてから暫く。二人はエヴァ邸の地下に居た。

 既にエヴァの胸には苛立ちも怒りも無い。代わりに在るのは―――

 

「良い? 始めるわよ」

「―――…………ああ」

 

 僅かな高揚と押し潰されそうな不安と逡巡だった。それに負けまいとエヴァはイリヤの呼び掛けに確りと頷いた。

 今、二人を挟んでこの地下の部屋の中央にあるのは、金銀細工の古びた台座に魔法陣が描かれた古い羊皮紙。そして羊皮紙の上に置かれた罅の入ったあの赤い宝石のペンダントだ。

 自然と喉が鳴った。

 用があると言い、イリヤが見せたそれ。これから行う事の説明を聞き、エヴァは喜ばしい感情を覚えると共に強い恐怖を覚えた。

 こちらの世界の“魔法”を応用した“魔術”による精神世界―――“幻想空間(ファンタズマゴリア)”を通してペンダントに留まる“英霊の核”への接触(アクセス)。要するにそれは、

 

(シロウに会うという事……)

 

 再び彼に会える。自分を救ってくれたあの人に。

 そう思うだけで胸が張り裂けそうな嬉しさが湧き、歓喜に身が包まれる。しかし―――

 

(……怖い、怖い)

 

 優しく傍に居てくれた彼。命を賭して守ってくれた愛しい人。

 だから、胸が潰されそうな怖れがあり、恐怖に身が竦んだ。それはそうだろう―――

 

「―――、――――、…、―――」

 

 詠唱するイリヤの前でエヴァは己が手を見詰める。

 二度と会えぬと思った誰よりも大切な人に、“今”の己の姿を見せるのだ。

 

「…………っ!」

 

 エヴァは、見詰めた自分の手が赤く血に染まっているのを幻視する。

 彼を失い、奪われた憎悪に身を焦がし、奪った人間共(やつら)に復讐に奔り、狂気と殺戮に酔った自分。

 そんな事を、そんな自分の姿を、彼は―――シロウは望む筈が無いのだから。

 変わり果てた今の己の姿を見て、みて、ミテ、見られて、もしも、モシ、もしかしたら―――

 

(―――失望するカモ知れナい…サレルかも知れなイ)

 

 そんな強い、とても強い、気が狂ってしまいそうな強い恐怖があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗転し、気が付くとエヴァはそこに居た。

 何処までも続く、地平線すら見えない果ての無き荒野。

 空はくすんだ灰色で、今にでも雨が降って来そうな澱んだ気配が漂い。そして―――

 

「――――ああ、」

 

 思わず声が零れた。

 それは何時か見た光景に似ていた。

 彼と別れる直前の戦い。教会の騎士団と魔法協会…いや、当時は聯盟だったか? その混成部隊との戦闘開始直後に彼はこれとよく似た“世界”を造った。

 灰色に覆われた果ての無い荒野に、墓標のように突き立つ数えきれない数の剣、剣、剣―――剣群を見て思い出す。それは……―――

 

「……無限の剣製(アンリミテッド・ブレイドワークス)

 

 彼は“それ”の事をそう言った。

 “墓標”は錆び付き、空には印象的だった巨大な歯車も無い。けれどエヴァには判った。

 

「―――此処は、この光景はシロウの造った“世界”…」

 

 そう彼の名前を口に出した所為か? 何もない荒野に風が吹いた。

 強くも無い緩やかな突風。しかし微かに埃が舞い。エヴァは目を細め、風の吹いた方向へ視線を向け、

 

「―――!」

 

 とうとう彼の姿を見つけた。見つけてしまった。

 もう二度と見る事が叶わなかった筈の赤い外套を纏った彼。遠く距離があるのにエヴァは彼が石像のように佇み、静かに目を閉じているのが分かった。

 恐怖はあった、先程以上に。…この幻想の世界に入る前よりも強くあった。なのに―――

 

「―――シロウッ!!!」

 

 エヴァは彼の姿を目にした途端、駆け出していた。

 

「シロウ! シロウッ!―――シロウッ!!」

 

 遠い距離を何度も彼の名を叫んで駆ける。立ち止まる事無く進む。そして―――

 

「シロウッ!!!」

 

 一際大きく叫び。錆び付いた剣群を避けて、石像の如く動かぬ彼の胸へと飛び込んだ。

 幾ら小柄とはいえ、当然そんな勢いが付いた幼い少女の身体を…それも無防備な状態の彼では支えられる筈も無く―――

 

「う…!」

 

 筈も無いのに、赤い外套の彼は―――シロウは、僅かに声を漏らすと、胸に飛び込んだ少女の身体を倒れる事無く自然に受け止めた。

 エヴァは動く気配の無い彼が動いた事に一瞬驚くも、当然のようにも思い。小柄な自分の身体に確りと受け止め、背に回された逞しくも優しい腕の温かみに涙が零れそうになった。

 

「……エヴァ…か?」

「あ、」

 

 忘れ得ぬ懐かしい声が聞こえた。確かに自分の名を呼ぶ声が…彼の口元から、

 

「うん、そう……エヴァよ。エヴァンジェリンよっ! 貴方のマスターのっ!」

 

 直ぐにそれに応えた。精一杯に叫ぶようにして。

 

「……エヴァ、此処は?…固有結界…? オレの? いや、そもそも一体何が…状況は?―――む…どうした、エヴァ?」

 

 今の状況……正確には“自分の状態”を把握できていないのだろう。シロウはエヴァを胸に抱えながら周囲を探るように見渡し―――己に縋り付くエヴァが尋常な様子でない事に気付いた。

 

「…ロウ。シロウ、ごめ、ごめ…んなサイ」

「エヴァ?」

「ごめん、なさい。御免なさい……シロウ。私、わたしは……う、ぅ…く」

「どうしたんだ。どうして謝る? 何を泣いているんだ」

「く…ぁ、ぅぅ…ごめんなさい……」

 

 シロウは優しく呼び掛けるが、エヴァは一向に泣き止まなかった。

 ただ何度も謝りシロウの名を呼ぶ、まるでそれは―――いや、まるででは無く、明らかにエヴァは懇願していた。

 そして、泣きながらシロウの胸に縋り付いたままエヴァはポツリ、ポツリと語った。シロウが消えた後の復讐に彩られた罪業の日々の事を。許されない事ではあるが、それでも許しを、免罪を求めるように彼に感情に任せるまま話した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 イリヤはそれを黙って見ていた。

 幻想世界から一つ区切った場所……今、エヴァのいる世界全体を俯瞰出来る位置から。

 

「エヴァさんには悪いけど……仕方ないよね」

 

 プライバシーを覗き見る後味の悪さを覚えて思わず呟く。

 何しろ一応実験済みとはいえ、完全に確立されていない試験段階の魔術を使っての事なのだ。いつ何が起こってもおかしくは無く。いざという時に対応する為にもこうやって離れた位置―――幻想空間より次元的に高い位相から全体を観測する必要があったのだ。

 それが結果的にこうしてエヴァの泣きじゃくる姿を覗く事になろうとも、だ。

 

「……後でしっかり話して謝らないといけないわね」

 

 黙っている事も出来るが、エヴァなら直ぐにこの事実に気付くだろう。黙って覗いていたなどと妙な誤解は与えたくないし、変に気を使われたなどと思われれば、エヴァは侮辱と受け取りかねない。

 それでは、せっかく彼女の機嫌を直す為にこの魔術を使った甲斐が無い。

 

「ふむ……ま、とにかく上手く行っているようね―――……サヨも連れて来るべきだったかしら?」

 

 現状、魔術が正常に機能している事に安堵しつつ、最近出来た弟子の事を思う。彼女にとって勉強になるだろうし、観測を任せられた部分もあっただろう。

 つい一人でやってしまったが、何でもそうやって一人でやろうとするのは余り良くない傾向だ。

 一人の魔術師としては、それはそれで良いのかも知れないが、弟子を持つ一人前の魔術師としては余り宜しく無い。弟子の面倒を見、その成長を確りと考えなくては。

 

「…師としてはまだまだ未熟って事…か。…でも今回はエヴァさんにとって大切な事の訳だし、他人に知られたくない面もあるから……これで良いのかな?」

 

 手持ち無沙汰の所為か一人呟いて考える。勿論、観測は抜かりなく続けているが、問題が無いが故の余裕というか、現状から僅かに逸れた思考だった。

 そう考えている内に、赤い外套の男性が胸に抱えたエヴァを地面へと降ろすのを見る。そして不安げに見上げるエヴァの眼にある涙を拭い、苦笑を浮かべると、金の髪を飾るその頭に手を置いて優しく撫でた。

 

「―――シロウ」

 

 その仕草と苦笑を浮かべる顔を見。イリヤは思わず大事な弟の名を口にした。

 背は高く、髪は白く、眼は鈍色で、肌は浅黒く、顔付きも面影が消えるほど変わっている。けれど―――ああ、やっぱり“お兄ちゃん”なんだな…と。彼の浮かべる笑みを見てイリヤは感慨深く思った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ゴメンな、約束を守ってやれなくて、ずっと傍に居てやれなくて。苦労をさせて、そんな辛い思いをさせてしまって」

「…シロウ」

 

 苦笑し、優しく頭を撫でる彼の言葉。

 エヴァは拭って貰った涙がまた零れそうになるのを感じた。しかしそれを我慢する。シロウが苦笑を消して真剣な目で見詰めて来たからだ。

 

「…だけど、エヴァを許してはやれない。それはオレの出来る事じゃないし、オレなんかの言葉で許される事じゃない。決して許されない事だから。そう、それを出来るのはエヴァの犠牲になった人達だけで、その人達はもういないのだから」

 

 真剣にそのように宣告する彼にエヴァは静かに頷いた。

 そう、エヴァもそれは分かってはいる。未来永劫背負わなくてはいけない。過去に刻まれ、自分が生きて行く限り何時までも残る罪なのだから。

 それでも乞うように許しを求めたのは自分の弱さ、甘さの所為だろう。シロウという縋るべき存在に対してだけ感じ、見せられる行為(かんじょう)だ。

 何故なら―――

 

「でもな、オレはエヴァが幸せに成ってはいけないとは思わない。罪があれば罰を受けなければいけないとは思う。けど、それがエヴァが笑ってはいけないと、幸せを感じては成らないという事とは違う」

 

 そう、それは―――

 

「あの時も言ったよな。罪が重くて生きるのが苦しくとも、それでも背負って生きるべきだって、感じる罪を悔い、罰だと思うのなら償えるように生きて、その上でそれだけに囚われないように、心から笑えるように、自分が幸せになれる方法も考えるべきだって。でなくては、それこそ犠牲になった人達に意味が無くなるって」

 

 あの忘れ得ぬ。月下の光景(であい)があった日に言ってくれた―――赦しは無くとも、受け止めてくれるこの言葉があったからだ。

 幾重の命を喰らい、罪を重ね、化け物として生かされた地獄の日々。彼に救われ、安堵したのも束の間。改めてそれを自覚した後、死を懇願する自分にシロウは厳しくそう言った。

 ただ、それが優しさだと判らなかった幼い当時の自分にとって、その言葉は正に死の宣告よりも辛いものだった。

 

「相変わらず厳しいよね、シロウは…けど―――」

 

 それを思いだして、嘆くように呟いた。

 失望され、拒絶されるよりも、ずっとマシであるとはいえ、許されず罰を背負って生きろという彼の言葉。

 その言葉を受けて、彼と共に在った初めの頃はどれほど悪夢だったか。文字通り寝ては夢に魘され、起きていても犠牲者達の声が、耳にこびり付いた断末魔が絶えず聞こえ、眼に焼き付いた彼女等と彼等の死に顔が離れなかった。

 そして、ようやくそれを乗り越え、いずれ行う贖罪の旅に備えながら、心を休めるように小さな村で静かに暮らしていたのに。村ごと焼かれ掛け、罪無き村人さえも巻き込んでしまい、それも重く圧し掛かった。

 その出来事()はシロウと共に背負う事で軽くなったが、その後は追われる日々が続き。自分が罪人だと常に言われているような思いで過ごした。

 しかしそれでも―――

 

 ああ―――それでも、私は笑えていた。

 

 辛く苦労ばかりが続く逃避と贖罪の日々だったけど、自分はシロウと在る事で幸せだった。

 自分が化け物で、重い罰を背負った罪人であろうと、拒まず、否定せず、理解して傍に居てくれる彼が在ったから―――私は心から笑う事が出来た。

 決して赦してはくれない。厳しいけど、全てを受け止めてくれた優しい彼が居たから、在ったから………。

 

「―――…やっぱり優しいわね。貴方は、」

 

 そんな日々を思い出して優しく微笑んだ。先の言葉に繋げて、“今の自分”にもこうして“あの時と変わらず”叱ってくれるシロウに感謝して。

 だから、彼の胸にまた飛び込んだ。拒絶せずに受け止めてくれることが分かっているから。

 

「シロウ…」

「……エヴァ」

 

 ギュッと抱きつく自分を柔らかく受け止めて、抱き締め返してくれる彼。

 それは、ずっと欲しかった、本当に懐かしい、久々の感触だった。

 

 

 

 ◇

 

「―――――――………」

 

 イリヤはそのやり取りを見て……深刻(ヘビィ)真面目(シリアス)な雰囲気なのに……そんな場面の筈なのに…何と言えばいいのか。

 妬けるというか、羨ましいというか、爆発しろ!…というか、まあ……とにかく複雑だった。

 だからだろう―――

 

「―――壁が欲しいわ」

 

 と。

 口に詰まった砂糖を……そう、とても甘いものを吐き出すような口調で、そんな自分らしくない言葉が気付くと零れていた。

 今イリヤが居るのは剣群が突き立つ荒野―――幻想空間の内側だった。術式の安定に確信出来たので降り立った訳なのだが。

 見せつけられた“二人の世界”に入りがたいモノを覚えて、立ち尽くしているのだった。

 

「……ま、元から邪魔する気なんて無いのだけど…」

 

 とはいえ、“このシロウ”と話を一応して置きたいのだが―――どうしたものかしら? と抱擁を交わす二人を見詰める。

 繰り返すようだが、邪魔する気は無い。けど、しかし……なんだろう? 無性にぶち壊してやりたい、殴り付けてやりたいという衝動があった。

 

「―――はぁ…やっぱり嫉妬なんだろうな」

 

 思わず呟く。

 元の世界でサクラとの事は許せたのに、あの士郎とこのシロウは別人なのに……いやいや、あの二人は自分の前でこうイチャイチャするようなことはしなかったし―――等々と思考を巡らせるも、今一つ自分の感情(おもい)が判らなかった。これも入り込んだ人格(きおく)の影響なのだろう。

 自分の事ながら呆れて、ハァ…と。また溜息を吐いた。

 

 そうして数分ほど無為に過ごし。エヴァとシロウはようやくイリヤの姿が在る事に気付いた。

 

「!―――い、イリヤ…」

「なっ―――に…!」

 

 自分の方を見、恥ずかしそうに彼の胸元から離れるエヴァ。そして眼を剥いて驚きの表情を見せるシロウ。

 イリヤは、そんな二人に「やっほー」と感情の籠ってない声で呼びかけながら、投げやりな様子で手を振った。そして二人の傍に歩み寄ると、

 

「み、見ていたの。イリヤ……」

 

 と、エヴァは益々恥ずかしそうにし、

 

「――――――」

 

 と、無言で何とも言い難い表情でイリヤを見詰め、シロウは唖然と立ち尽くす。

 イリヤはエヴァの方は構わず、立ち尽くしているシロウを一瞥し、

 

「その様子だと私が誰かしっかりと判るようね、“シロウ”」

「あ! ああ―――…イリヤ」

 

 話し掛けるとシロウは戸惑った様子で応じた。イリヤはその彼の様子に、ふむ、と顎に手をやる。

 

「シロウと呼ばれるのは嫌? アーチャーと呼んだ方が良いかしら? それとも―――」

「―――いや、シロウで構わない……が、」

「ええ、色々と積もる話もあるけど、先ずは説明が必要よね」

 

 複雑な物言いたげな表情のシロウに、イリヤは真剣な面持ちで首肯した。

 

 

 ………―――――――

 ……………―――――――

 …………………―――――――

 

「なるほどな。冬木に在った“あの悪質な宝箱”の中身が、このエヴァのいる世界に零れた…か、それでイリヤが“抑止力”の使いに……守護者の代理とはな」

 

 現況を聞いたシロウがギリッっと歯を鳴らす。

 “悪質な宝箱”―――聖杯というものに対する因縁によるものか、イリヤが抑止力(せかい)に使われている事に対してか。シロウは怒りを滲ませ、憤りの表情を見せる。

 しかし軽く頭を振ると、直ぐに冷静な面持ちとなり、イリヤに再度視線を向けて問う。

 

「それで、オレに何か出来る事はあるのか? 話を聞いた限り現界は無理そうだが」

「正直、余り無いわね。宝石に施された術式…第三法に手が掛かった大聖杯(ユスティーツァ)の魔術式を修復してシロウを600年前みたいに実体化させるには、やっぱり同じ聖杯(ユスティーツァ・タイプ)たる私の魔術回路を削らなきゃいけないし…」

「そうすると、こういう言い方は好ましくないが―――イリヤが機能不全に陥りかねない、か」

「ええ、だから現状、それは上手い手では無いわ。シロウが復活する対価に見合うかどうか…」

「……だな。イリヤの持つ機能はある意味、英霊の力よりも稀有で価値のあるものだ。それを損なうのは得策では無い。それに―――」

 

 言い掛けてシロウは口を噤み、顔を顰め。それを見たエヴァが首を傾げる。

 

「それに…?」

「―――それにだ。抑止力がイリヤを選んだ意味がそこに在るかも知れん。“聖杯”としてのイリヤを、な」

 

 過程を飛ばして結果を出す。願いを叶える聖杯として組み上げられた特殊な魔術回路。そこに抑止力がイリヤを“使う”理由があるという事だ。

 イリヤもそれには同意見だ。

 

「そうね。私自身その可能性を否定できない」

 

 そう答えた途端、沈黙が降りた。

 何となくその“意味”に不吉なモノを覚えたからだろう。シロウは宙を見上げ、忌々しげに此処に無いナニカを睨み。エヴァは痛々しそうに、不安そうにイリヤを見る。

 イリヤは、そんな雰囲気を払うかのように頭を振る。

 

「……けど、それを考えても仕方が無いわ。とにかく万全を尽くして出来る事をやるだけよ。幸いこの幻想空間なら問題無くシロウは在りのままで居られる。なら―――」

「―――わかった。今後は此処で稽古を付けて欲しい、という事だな」

「ええ、どうも私は貴方のもそうだけど、他の英霊(カード)の力を使いこなせて無いみたいだから」

「了解した、イリヤ。……いや、“姉さん”と呼んだ方が良いかな?」

 

 イリヤの返事に同じく雰囲気を変える為か、少し冗談めかして言うシロウ。

 それにクスッとイリヤは笑い、

 

「それは嬉しいけど、ちょっと似合いそうにないし、こんな大きな弟にそう呼ばれるのはシュールだから遠慮しとくわ……―――ね、“お兄ちゃん”」

 

 シロウに応じて冗談めかして答えた。

 ただ、そんな仲の良い姉弟のようなやり取りを見せられ、エヴァは少しムッとしていたが。

 

「それと今さっき思い付いたんだけど―――」

 

 と、イリヤはムスッとするエヴァの様子に気が付かないのか、ふと浮かんだ考えを提案し説明する。そして―――

 

「―――ほう、確かにそれが出来るのなら、今のオレでも少しは力に成れそうだ」

「―――イリヤ、可能なの?」

「……うん、多分。エヴァさんとのパスは今回のコレで繋ぎ直ったみたいだし、あとは入れ物のペンダント自体を直せば……なんとかなると思うわ。術式も少し弄るけど、不完全には変わりないから現界はやっぱり無理なんだけど…」

「ふむ」

「わぁ…!」

 

 イリヤの説明を聞き、流石だと感心するシロウと嬉しそうに笑うエヴァ―――というか、シロウのエミヤっぽい雰囲気はともかく、エヴァさんの純真な少女っぽい雰囲気は何とも慣れず、非常に引っ掛かる。況してやこの幻想空間に入った途端、ゴスロリ服ではなく、清楚なドレス姿になっているのも違和感あるし……似合うけど。

 これが本来の彼女なのだろうが、

 

(……以前も思ったけど、まるで別人ね。いや、おかしな記憶(じんかく)が混じった私が言うのもなんだけど……変わり過ぎじゃない? あ、だからシロウは放って置けなかったのかも?)

 

 冷徹な掃除屋であるシロウ―――いや、英霊エミヤが、人の血肉を喰らって生きる化け物を助け、面倒を見た理由がそこにあるのでは? とイリヤは勘ぐる。

 だが、それは半分程度の理由であり、後にイリヤがシロウ本人から聞く話であるが、もっと別の大きな要因があったりする。

 だがそれはその文字通り、別の“世界”の話だ。

 

 ともあれ。

 一通り話を終えた事もあり、

 

「それじゃあ、シロウ」

「…………」

「ああ、またなイリヤ。……だからエヴァもそんな顔をするな、近い内にまた会えるのだから、な」

「…ん」

 

 別れの挨拶をするが、エヴァは名残惜しそうにシロウをジッと見詰めた為、シロウは幼子をあやすようにその彼女の頭を撫でる。それに満足したのか、エヴァは頷くとシロウからようやく離れ、

 

「シロウ、またね」

 

 と、小さく手を振った。

 そんな、やはり純真な少女としか言えないエヴァの可愛らしい姿にイリヤは、うむむ…と複雑な表情をしながら短く詠唱し―――魔術を解いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 再び景色が暗転し―――気付くと二人はエヴァ邸の地下室に居た。

 いや、ずっと此処に居た訳なのだが、これは認識の問題である。

 イリヤは無事、魔術が上手く行ったことにホッと息を吐き。腕時計を確認すると時間の経過は殆ど無かった。

 

(エヴァさんの“別荘”のようなもの……もしくはどこかの加速世界(アクセルワールド)のようなものね。そっちの方が近いかな?)

 

 そんな事を思うも、実験時とほぼ同様の結果なので今更な感想だ。

 次いで、顔を上げてエヴァの方を窺うと、彼女は眼を閉じて胸元に両手を当てて、まるで祈るような姿勢で静かに佇んでいた。

 イリヤは一瞬、何か声を掛けるべきかとも思ったが、感慨深げな彼女の姿に黙って見守る事にする。

 

 

 

 どれほど時間が経過しただろうか、部屋のソファーで寛ぐようにしてエヴァの様子を伺っていたイリヤは、彼女がゆっくりと眼を開くのを見。その眼が此方を捉え、

 

「イリヤ、ありがとう。シロウに会わせてくれて……嬉しかった」

 

 エヴァは微笑み。年相応……いや、外見相応の少女のような可憐さにイリヤは思わず見惚れた。

 先程まで在った違和感は不思議と覚えず。イリヤは見惚れた事もそうだが、礼を言われた事を照れ臭くて頬が熱くなるのを自覚する。喜んで貰えて甲斐があったな、とも思ったが。

 

「エヴァさんにはお世話になったから……うん、それをこれで少しでも返せたなら、良いわ。感謝されるのもまだ早い気がするけど……」

「そんなこと無いよイリヤ! 今日の事だけでも私は、わたしは……報われたから」

「…エヴァさん」

 

 少女の在り様のまま、エヴァは言う。

 

「シロウが殺され、奪われて復讐に奔った罪も、悪としてしか生きられなくなった事も、全部知って貰えて赦されなくとも受け止めて貰えて。償う為に、贖罪に生きろ、と言うのに―――それでも、あの人が私の幸せを願ってくれる事を知ったから。それをこうして知る事が出来たから…」

 

 そう語り、そしてエヴァは言う。

 

「―――だから、これで、これだけでも生きて来て良かったって。これからも頑張って生きて行こうって心から思えたから…」

 

 そう、満足げな……まるで、充実した一日を過ごした人が、就寝前に見せるような笑みで言った。

 

 

 

 だが、それは、その言葉はイリヤにとって全く予想だにしないものだった。

 イリヤは、詩のように優しく穏やかに響いたその声を聞いた途端、愕然とした。

 

(それはつまり―――エヴァさんは……)

 

 生きる事が、これまで生きて来た事が苦痛で、その長く積み重ねた年月一切が絶望の時間であったという事だ。

 それは、ただ不死によって生きる事に飽いていただけでは無い。イリヤは先のシロウとエヴァのやり取りを覗いていた事もあり、直感的にソレ(こたえ)を理解した。

 

(エヴァさんにとって、この世界は“地獄”なんだ)

 

 と。

 決して抜け出す事が叶わない。死ぬ事もままならず、無限に苦痛と絶望だけが与えられる牢獄。少なくとも人の世の中―――人間社会ではそうなのだ。

 そう、エヴァにとって人間(ヒト)という存在そのものが自らの罪の象徴だ。

 彼等(ヒト)を喰らい、糧とした事。彼等に仇なす化け物である事。復讐の対象であった事。それら厳然たる事実(つみ)を、その“人間(ヒト)”の在るこの世界と関わる事で常に見せられ続けているのだ。

 であれば、その心に圧し掛かる、苦しさ、痛み、重みは相当な筈だ。

 けど、彼女はそんな地獄(にんげん)の世界から離れられない。関わる事が辛く苦しい、生き地獄でしかないのに離れる事が出来ない。何故なら―――吸血鬼(ばけもの)である以前に、少女(にんげん)のままでありたいと、心の深奥で願っているからだ。

 

(……だとすると、そうね。純真で無垢としか言いようが無い、“この目の前にいる少女(エヴァンジェリン)”には耐えられないわね―――なのに……シロウも罪深いわ)

 

 “耐えられない”筈のこの純真な少女(エヴァンジェリン)が内面で留まり、消えず。その地獄たる(にんげんの)世界を“耐えてしまった”のは、シロウという依るべき存在の影響だ。

 エヴァという人物(キャラクター)にとって、それが原作との最大の相違点だろう。

 

 原作では吸血鬼(ばけもの)としての己を認め、受け入れて。そのようにしか生きられないと、その罪を含めて人々が忌み嫌う“悪”を誇りとし、矜持とする事と成ったエヴァと。

 

 吸血鬼と自覚しながら、自分は人間(しょうじょ)だと、そうであろうと願い。己が罪をヒトとして罰と捉え、それ故にそれを背負った“悪”たる自分を嫌悪し、贖罪を求め、抗おうとしているエヴァンジェリンとの。

 

 その性質は正に真逆といえよう。恐らく原作に近しい普段表層に出ている性格(かのじょ)は、純真な少女たる本来の自分を守る為に出来上がった(よろい)なのだ。

 

(シロウという理解者(ヒト)が傍に在ったが故に生じたイレギュラー…か。せめて彼女自身が願ったようにずっと傍に居れば、こうも歪に乖離する事は無かっただろうに。なんて半端な…)

 

 いっその事、原作同様にヒトと相容れぬ吸血鬼(ばけもの)として、忌むべき“悪の魔法使い”として擦れてしまえば、エヴァにとっても、そして原作を基準に物事を捉える自分にとっても楽だったろうに…と。イリヤは思ってしまう。

 そう、気付いた思い掛けないこの事実に対し、イリヤはエヴァと今後どのように接すれば良いか少し判らなくなったのだ。これまで彼女を“悪”として誇りを持つ吸血姫と思い、そのように接してきた―――だが、

 

(それはエヴァさんにとって本当は苦痛でしかなかったんじゃあ?)

 

 そう思った。一方で、

 

(でも、その程度で出来上がった(よろい)が傷付き、通る訳も無い…の、かしら?)

 

 とも思えた。

 しかし、幾らその纏う殻が硬く、数百の年月を掛けて塗り固められたモノだとしても。こうして本当のエヴァを知った以上は……だからイリヤは躊躇いを覚えた。

 これまでのように彼女―――……この少女と接する事に。

 

(だってそうでしょ……それだけ纏う(よろい)が硬く強固であるという事は、それだけ重くて辛いって事で。心に圧し掛かる負担が大きいって事。なら―――)

 

 そんな重く枷のような殻が必要で無くなる事が……纏う必要が無いって教えて脱がせる事こそが、エヴァンジェリンという少女にとって救いであり。そうして有りの侭の少女として生きて行ける事が、シロウの願うエヴァの幸せの条件の一つなのだから。けど、

 

(……けれど殻を脱ぐという事は、傷付き易くなるという事でもある。その時、エヴァさんの心は…純真な少女でしかないその心は耐えられるだろうか? 真祖の吸血鬼…忌むべき“闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)”として見られ、扱われる事に傷付かずに済むだろうか?)

 

 恐らく傷付かずに済む事は出来ない。しかし耐える事は出来るだろう。エヴァの中にはシロウの言葉と想いがあるのだ。先にも考えたがそうやって耐えてしまう。(せいしん)を削り、見えぬ血を流しながら……

 

(……けど―――)

 

 ―――けど、それは麻帆良という居場所が無く、自分達が傍に居なかった場合の話だ。

 

(そう、少なくとも私が居て、学園長やタカハタ先生が味方である限り、それほど心配することは無い。ネギ達もそうだけど…多分、この麻帆良の主だった魔法先生達もそう時間を掛けずにそんなエヴァさんを受け入れてくれる筈…)

 

 この麻帆良という場所は基本、そういったお人好しとも言える善良な人ばかり集まっているのだ。

 それに既にエヴァを容認する土壌も出来上がっている。これも原作と異なる部分だが、麻帆良での彼女立ち位置は悪くなく、寧ろ評価されている所が多々あるのだ。

 無論、“闇の福音”という濃い色眼鏡はどうしても消えないが、イリヤの見解ではそれに差し引かれても十分余るように思えた。

 伊達に14年間もの間、封印されてこの地に縛られていないという事…―――!?

 

「―――…なるほど、…そっか。そういう事なのかしらね」

 

 途端、イリヤはハッとし、またも理解した。

 ただ、それが本当に“彼”が意図しての事なのか、考え無しの馬鹿という風評を思うに直感的なものなのだろうと。イリヤには思えたが、

 

「…流石は、王道的主人公(ヒーロー)って所か」

 

 そう、得心もした。

 故にイリヤは、エヴァとの関係を新たにする事を決意した。シロウとその“彼”が願うであろう少女(エヴァジェリン)の幸せの為に。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 自分の言葉を聞き、何処か驚いたような表情を見せて、黙り込んだ白い少女にエヴァは小首を傾げ。どうしたのかと尋ねようと口を開こうとし、

 

「…なるほど、…そっか。そういう事なのかしらね。流石は、王道的ヒーローって所か」

 

 そう、納得気にイリヤは首肯した。

 

「イリヤ…?」

 

 唐突な言葉にエヴァは更に首を傾げざるを得ない。

 そんな彼女に答える為か、イリヤは笑顔を見せてエヴァに話し掛けた。

 

「彼―――ネギのお父さん、ナギ・スプリングフィールドは貴女の事を確かに想っていたのね」

「!―――ナギ、アイツが…?」

 

 突然出た名前にエヴァは、ピクリとこめかみが引き攣るのを感じると共に、脱げていた心の殻(よろい)を取り繕おうとし―――イリヤの続く言葉に再びその殻を纏う事をつい止めてしまった。

 

「シロウがエヴァさんの幸せを願うのと同じで…」

「え…シロウ……?」

 

 その言葉には、纏い掛けていた殻の欠片をするりと掬い取るような感覚(チカラ)があった。

 イリヤは、そんなコロコロと変わるエヴァの雰囲気におかしさを覚えたのか、苦笑を浮かべるも話を続ける。

 

「本当の所は勿論判らない。ネギのお父さんが“今の貴女”に気付いていたのか…は。でも、苦しんでいた事は見抜けたんでしょうね」

 

 そう言い。苦笑を潜めて言葉を切ると、イリヤはエヴァを見詰めた。

 「あ…、」と。声を漏らし、エヴァは思わず両腕で自らをかき抱き、後ずさる。イリヤの視線に強く“見透かす”ものを感じたからだ。

 だから咄嗟に否定の言葉を口にした。その仕草が、その反論こそが、それの証明だというのに。また幻想空間でシロウとのやり取りを覗かれていたにも拘らず。

 

「く、苦しんでいた? 見抜けた…? 気付いていたのかって、何を? 別に私は何も苦しんでなんて―――」

「―――エヴァさん…いえ、エヴァンジェリン。それはウソね」

 

 イリヤは、その見透かすような強い視線のまま断言した。

 

「…! な、そんな! 何を根拠に…!?」

「そう? じゃあ“人形遣い”、“悪しき音信”、“過音の使徒”…そして“闇の福音”。聞くのも不吉なそれら―――多くの二つ名を与えられ、魔王とさえ呼ばれ、人々から恐れられている事を貴女は本当に心から誇りに思っているのかしら?」

「と、と―――」

 

 ―――当然だ。

 普段なら、何時もの自分であったなら、エヴァはそう言うだろう。けれど、言うことは出来ない、出来なかった。シロウに縋り付いていた姿を見られていた事に思い至ったのもあるが、それ以上に……

 

(当たり前じゃない…! だってそう呼ばれ、人々から恐れられるのは、それだけ私が悪行を重ねてしまったって事で、犯した罪が大きいって事なんだもの…)

 

 心を守る(よろい)が無いが為に……そう、苦しく、誤魔化せず、赦せなかったからだ。

 不本意とはいえ、己が大事な友の、従者の、騎士の、兵の、民草の生命(いのち)を糧として喰らった事。一時の休息の為に名も無き村の人々を巻き込んだ事。シロウが殺されて憎悪に身を焦がし、その感情の赴くままに虐殺に奔った事。

 

(―――その全てに悔いているんだから…! そんな罪の証である二つ名を誇れる訳が無い!!)

 

 ギシギシと。締め付けられるように胸が痛くて、心が痛くて、気が付くとエヴァは両手で胸を押さえていた。

 そんなエヴァの様子が分かっている筈なのにイリヤは言う。先程言い掛けたエヴァの言葉を代弁するように。

 

「―――当然…と、そう言いたいのエヴァさん? 様々な二つ名で呼ばれ、恐れられ、世に仇なす化け物として、“悪の魔法使い”として人々の間で語られる事が誇らしいって? そう言いたいの、エヴァンジェリン」

 

 それは、何処か冷然とした言葉だった。ズキリ、と。胸の痛みが一層強くなり。

 

「…止めてッ! やめてよ…イリヤ。もう判っているでしょ! 貴女の言う通りだから…!」

 

 堪らず叫んでいた。

 分かり切った罪業の在りかを告げられる事が、胸が苦しく痛む事が、冷たく皮肉る様に言われる事が、そして何よりもイリヤの口から言われるのが、嫌で―――だから認めた。

 

「そう、本当は辛い。苦しくて、苦しくて思い返すだけで胸が痛い。愚かだったって後悔もしている。でも許されない。赦す事なんて出来ない! 自分自身でも! だからそう呼ばれる事も、恐れられるのも仕方が無い事だって甘受している。だけど、それでも、それでも…―――それだから、私は…! わた…しは……!」

 

 眼元が熱くなり、ついには涙が零れ、

 

「…だから、だ…から……そう、呼ばれるのが……嫌で…呼ばれ…るのが、嫌で……頑張ろうとした、罪が……在っても、恐れ…られて……も、……頑張って、シ…ロウの……言う通りに…つぐ、償って……いけば、いつかは…何時かは、報われるって……報われるん……だって信じ……たから…」

 

 頬に涙を流し、口から嗚咽を零して、泣きながらエヴァは……いや、ごく普通の、純真な少女たるエヴァンジェリンは言った。厚く重い、鋼の如く硬い(よろい)を心に纏わずに有りの侭の彼女の姿で、イリヤの刃のように思える言葉に耐えながら。

 それは茶々丸は愚か、チャチャゼロも知らない彼女の姿だ。

 犯した罪を悔いるエヴァンジェリンという幼い少女の、不遜な態度で悪を振る舞い(演じ)ながら贖罪を願い生きてきた少女の本心。

 

「…けど、いくら頑張っても…頑張っても…これで償える、報いる事が出来ると思っても……罪と、与えられた忌み名はどこまでも付いて来た…」

 

 嗚咽を堪えて、頬を伝う涙を拭いながらエヴァは言う。

 

「……そう、頑張って、頑張って、人々を助け、救う為に幾ら頑張っても、私を討たんとする人は……追っ手は、一向に止まなくて。逃げるように訪れた東の最果ての国。この日ノ本にさえその名が知られ、追い遣られた」

 

 俯き、グッと唇を噛み絞め。彼女の表情に無念と悔しさが浮かぶ。

 

「……中には、庇ってくれる人や匿おうとしてくれる人もいた……けど、だからこそ、そんな優しい人達に迷惑を掛けない為に。私は逃げるしか、離れるしかなかった……そうやって独りで生きて行くしかなかった…」

 

 俯いた顔に、その青い瞳からまた光る物が零れる。

 

「……イリヤ、私が責められるのは仕方が無いと思う。それだけの事をして来たから。……けど、どうして? 満足? 愉しいの? そうやって暴き立てて、私に罪を突き付けるのが。貴女もそんな人だったの……?」

 

 零れて頬を伝うものを拭うのも忘れて言う。悲しげに信じられないとばかりの口調で。

 そして信じられない事にイリヤは首肯した。

 

「そうね」

 

 と。

 エヴァは愕然とし、俯いた顔を上げるが―――途端、身を包む柔らかく暖かな感触と、耳元に入る優しげな声に驚かされる。

 

「―――満足ではあるかな。ただ愉しいと言う訳では無くて、嬉しいっていうのが正しいけど…」

「イ…イリヤ……?」

 

 気付くと白い少女の姿が目前に在り、ギュッと優しく抱き締められていた。

 

「本当のエヴァさん…ううん、エヴァンジェリン。貴女を知る事が出来て、確信が持てたから」

「…………」

 

 告げられ、突然身を包んだ暖かな感触に、エヴァは戸惑うばかりで直ぐに言葉を返せなかった。そしてイリヤは更に言った。

 

「ねえ、エヴァンジェリン。貴女はこれまでずっと自分を偽り、隠して、そうやって独り耐えて頑張って来た。そうして心を守ってきた。でも、もう―――」

 

 ―――もう大丈夫だから。

 

 フッと耳に入り、頭に……いや、胸に響く言葉。

 

「今、此処には私が居る。シロウも傍に居てくれる。そして麻帆良には学園長やタカハタ先生が居る。それにまだ頼りないけど、優しい“あの子”達が居る。皆きっとエヴァさんを、エヴァンジェリンを裏切らない。その罪も罰も含めて貴女を否定せず、受け入れてくれる……いえ、それ以上に、もしかすると“贖罪を手伝う”なんて言って、貴女の罪を一緒に背負いかねないような人達よ。だからエヴァンジェリン―――」

 

 ―――貴女はもう独りじゃないの。決して独りにはならないわ。そう、もう心を偽って独りで頑張る必要は無いのよ。

 

「ネギのお父さん―――ナギ・スプリングフィールドが貴女に願ったように陽の当たる世界に……“光に生きられる”の」

 

 胸に響いた言葉。(よろい)の無い剝き出しの心に、正に光のように差し込む白い少女の言葉。それを聞いてエヴァは自分の眼が見開くのを感じ―――理解した。

 

「―――ああ、そっか…そうなんだ……」

 

 “光に生きてみろ”―――そう彼が…ナギが言い。麻帆良に自分を置いて行ったその真意が、イリヤの言葉を受けてようやく分かった。

 表の世界に触れ。普通の女の子のように学校に通い、友達を作り、学生生活を体験してみろ、という訳では無い。そうでなかったのだ。

 いや、それも同情や憐憫で生まれたものでしかないのかも知れない。けれど―――

 

「それでもナギは私の事を確りと見てくれていて、幸せを考えてくれていたんだ」

 

 そう、“闇の福音”と呼ばれている自分を“一度打倒する事によって”受け入れてくれる場所を、独りで在る必要が無い居場所(いえ)友人(なかま)を作れる時間を作ってくれたのだ。

 麻帆良という優しい人達が住む、暖かな世界に留まらせる事で。

 魔王とも恐れられる“闇の福音(じぶん)”を“英雄(ナギ)”の名で降し。そしてもう既に大切な人(最愛の女)を抱えてしまった(ナギ)の傍に居て、拘ってはそれは得られない、と。

 きっとそう考えて麻帆良の地に封印し、置いて行ったのだ――――……だが、それにはまだ理由がある事をエヴァは後に知る事になる。この翌日、隠された真実を彼の盟友であるアルビレオと近右衛門の口から語られ、“始まりの魔法使い”に挑んだ彼の末路を知る事によって。しかしそれはあくまでもこの後の話だ。

 

「イリヤ、ありがとう、本当に。私……分かったから。ナギの想いも、もう大丈夫だってことも…今、イリヤが居て、シロウも傍に在って、そして皆が居れば、きっと幸せに生きていけるって…分かったから」

「うん」

「だから、ありがとう。教えてくれて、気が付かせてくれて……―――ありがとう。イリヤ」

 

 エヴァは何度も感謝の言葉を繰り返した。想い人の真意を、大切な事を、掛け替えのない居場所と仲間が出来ている事を教え、気が付かせてくれた事を。

 イリヤは、それに笑顔で応えた。

 

「お礼はいいわ。だって当たり前の事をしただけなんだから。貴女はシロウの……大切な弟のパートナーなんだもの。だったらお姉ちゃんとしては、そんな妹分の面倒はしっかり見ないと、ね」

 

 クスクスとそう笑顔で、こんな年上の妹が出来るなんて思わなかったけど、とも言いながら。

 

「お、お姉ちゃん…って?」

 

 エヴァは少し驚き、戸惑った声を漏らした。

 冗談のようにも聞こえるが、本気で言っているようにも思えたからだ。

 

「うん? 何…? やっぱりダメかしら。妹って言われるのは嫌? 抵抗ある?」

「え…ううん、そんなこと無い―――あ、」

 

 残念そうに言うイリヤに、エヴァは咄嗟に首を振ってそう答えてしまい…ハッと口元を手で押える。それを見たイリヤは何処どなく不敵に見える笑みを浮かべた。

 

「ふふ…嫌じゃないんだ?」

「う…うう…」

 

 怪しく大人びた笑みを見せて問い掛ける白い少女にエヴァは口籠り、それでも何か言おうと口を開こうとするが、言葉に成らず鯉のようにパクパクとする事しか出来なかった。

 

 その後、イリヤはしばらくニヤニヤしながらエヴァの髪を優しく梳いたり、頭を撫でたりし。無言でされるがままのエヴァを堪能して満足したのか、それとも顔をトマトのように真っ赤にしている事に勘弁したのか。解放した後はこの件に触れず、今後の事を幾らか話し―――そして自身の工房へと帰宅した……のだが。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 思い出し、頬が熱くなったのを自覚してエヴァは両手で顔を覆っていた。

 部屋には自分以外に一応誰も居ないのだが、恥ずかしさの余りそうせずにいられないのだ。

 

「ううう…嫌って訳じゃないんだけど」

 

 反芻していた為だろう。遠い昔の口調でそう呟いた。

 本人(イリヤ)には、結局言わなかったが……いや、言えないが、それが本音だ。“少女”の自分としては、信頼する大人びた雰囲気を持つあの白い少女をそう呼びたい、と内心で思っているのだ。

 

「…イリヤ、お姉ちゃん……」

 

 と。

 しかし、試しに口に出したものの、やはり恥ずかしさから悶えそうになる。仮にも数百年の時を生きて来た、途方もない年長なのだから当然と言えよう。

 そうしてまた先程と同じく顔を覆い、恥ずかしさから逃げるようにゴロゴロとベッドの上で転げ回る。

 そして、このままじゃいけないと。下から茶々丸が上がってきた場合の事を考え、深呼吸し、

 

「―――まったくイリヤもとんでもない事を言うんだから」

 

 そう、原因となった少女に文句を口にする事で気を落ち着けた。

 しかも本気で言い。外見に似合わずその貫禄も十分なのだから性質が悪い。事実こうして悪くないと思ってしまっているもの、とエヴァは内心で呟く。

 ともあれ、イリヤのお蔭で念願が叶いシロウと会え。ナギの真意も―――尤もこれは半ば推測であり、何れは本人に問い質したいのだが―――分かった。

 それに、

 

「『火よ灯れ』」

 

 言葉を発すると同時にボッと文字通り指先に火が灯り、直後、松明のような大きな炎と成る。

 つい先日までであれば、魔法薬の触媒やイリヤ謹製の礼装がなければ出来なかった事だ。

 

「こうして封印も解けたしね」

 

 一週間ほど前、あの地下の深奥で近右衛門の許可を得て、そのままあの場の面々の立会いの下でイリヤはナギによる『登校地獄』の呪いと、それに連動した力の封印を解いた。

 “裏切りの魔女”とも言われるコルキスの王女の力を身に宿したイリヤの手によって。

 それらの多大な恩を思い、そして溜息を零しながら呟く。

 

「…お世話になった借りだとか、不意打ちを許した償いだとか言うけど……本当、こっちの方が借りは多いわね」

 

 おまけにこの解呪にしても、ナギとの絆を断つような所がある等と申し訳なさそうにしていたし……と、エヴァは言う。

 正直、このままではちょっと自分としてはやり難いものがある。お姉ちゃん気取りな所や実際、麻帆良の最深部での気遣いもそれっぽくあり、イリヤに対して頭が下がる一方なのだ。

 

「ホント確りと返さないと。ううん、その前に借り…いえ、貸しだって事を自覚して貰わないと」

 

 そうでないと、何時までも向こうは借りっ放しだと勘違いしたままで、こっちの空回りに成ってしまう……と思った途端、同意する声が直ぐ傍から聞こえた。

 

『ふむ。確かに健全とは言い難いな』

「っ! シロウ! もう“起きて”いたの!?」

 

 驚き、エヴァは銀の鎖に繋がった手元の赤い宝石を見詰める。

 

『つい今程な。多分、エヴァが魔法を使った所為だろう』

「あ、アレで私の魔力に当てられたから…?」

 

 先程試すように使った初歩の着火魔法を思い出して言うと、ああ、と。宝石から肯定の返事がされた。

 

「……シロウ」

 

 思わず宝石をギュッと握り締めた。

 勿論、手の平に返って来るのは硬く、温かみも無い無機質な石の感触だ。それでもそこに居るのだという感覚は在った。意思を表に出したシロウがそこに在るのだと確かめられた。

 そう、これがあの時、幻想空間でイリヤが提案した事だ。姿形、肉体は与えられなくともこうして現実空間でも言葉を交わせるようにする事―――

 

『…嬉しいのは判る…が、余り力を入れないでくれると助かる。今のエヴァの力じゃ、幾ら聖遺物(アーティファクト)級の代物(れいそう)とはいえ、壊れかねない』

「あ、御免なさい。でも…」

「先にも言ったが、分かっているさ。嬉しいのは」

「…うん」

 

 返事をし、今度は優しく握り締めた。そんな自分に彼が苦笑を浮かべているのがエヴァには見えたように思えた。

 そうして一分程、余韻に浸るように沈黙し……宝石の中に居るシロウが声を発した。

 

『エヴァ、先程の事だが』

「イリヤへの貸し借りの事?」

『ああ、大体その原因は想像付くのだが……―――』

 

 その推測を聞き、エヴァは再び沈黙するしかなかった。ただ先程と違い表情は暗く、沈痛なものだ。

 それでシロウは自分の予想が当たったのだと確信したらしい。

 

『そうか、やはり…』

 

 シロウの呟きを聞き、エヴァは仕方なく頷いた。

 

「……うん、イリヤから直接聞いた」

『だからだな。だからイリヤは―――クッ…!』

 

 エヴァの首肯に宝石から悔しげな声が響いた。肉体が在れば恐らく歯が砕けんばかりに顎が噛み絞められ、血が滴り出るほど強く拳を握り締めていた事だろう。

 だからこそ、彼は言った。

 

『エヴァ……イリヤを―――姉さんを頼む』

 

 短くも強い意思が篭った言葉で、肉体を持てない自分の代わりに、と。そして自分には出来ない事が出来るであろう、“最強の魔法使い”の力をその為に駆使して尽くして欲しい、と。そう告げていた。

 エヴァは当然とばかりに頷いた。

 

「うん、言われなくてもそうする。イリヤには余りある程の借りがあるし―――私はシロウの(マスター)…ううん、掛け替えのない半身なんだもの。なら困ったお姉ちゃんを助けるのは、きっと妹分(わたし)の役割よ」

 

 そう、強く真剣に応えた。

 今や恩人であり、大切なシロウの姉であり、自分にとっても同様に家族同然の白い少女。その力となり、必ず助けになると宣誓するように。

 

 その為なら、“闇の福音”とも、“魔王”とも恐れられた力と知識を余すことなく振るい…使おう。

 シロウに会わせてくれ、その約束を守ろうとしている大切なイリヤ(かぞく)に報いる為に。

 

「だから、任せてシロウ。イリヤは必ず私が守って、助けるから…!」

 

 

 




 白エヴァ爆誕な話。

 原作との違い、シロウと出会った事による影響を考えた結果、エヴァはこうなりました。
 正直、この話に手が付くまでここまで変化するとは思っていなかった事もあり、当時は書きながら自分でも愕然としたのを覚えています。

 それもあって、この改変を読者様方がどう思われるのかもかなり不安です。

 ちなみにこの白エヴァとは真逆な黒エヴァと言えるのは復讐に走った魔王だった頃と考えています。
 普段エヴァは硬い殻を纏って取り繕った感じなので殻エヴァと言った所です。


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余話その2―――小太郎の去る日の出来事

21.5話や前回の幕間その5のように時系列が戻ります。
感想を見るに、困惑されている方も居られるというのに……すみません。


「え…!?」

「「コレは…!」」

 

 外での用を終わらせて帰宅し、地下工房へ行こうと階段を降りた直後―――イリヤは周囲の景色が一変し、辺り一帯が濃い霧が漂う森…いや、樹海に成った事に驚き、硬直してしまう。

 傍にいる人形(メイド)も同様だ。それが致命的だった。

 

「!?―――いけないっ!」「ッ!? 危ないマスターッ!」

 

 腕から引っ張られてイリヤは、その場から倒れそうになりながら数歩下がり―――目の前をゴウッ、と。重い旋風をたてて人間大以上の巨大な刃が通り過ぎた。

 錨のような形をしたソレは鎖に繋がれて霧で見えない果てなき空からぶら下がり、振り子のように右へ左へと大きく揺れていた。

 

「なっ、なんでっ!? どうして防衛システムが働いているのよ!?」

 

 毒の混じった霧が身体に纏わり付かないように魔術で守り、また念を入れて魔術で“強化”したハンカチで口元を覆いながらイリヤは驚愕混じりに叫んだ。

 そう、この毒霧の樹海―――異界に放り込まれた現状は、工房の対侵入者用の防衛機能(セキュリティ)が起動した事によるものだ。それも何故か主たるイリヤを対象にして。

 しかも間が悪い事にこの数日、魔力消費が多かった事から回復に努める為、夢幻召喚(インストール)を解除していた。

 

「ッ…………」

 

 背筋に冷たいものが伝い、イリヤは思わず今も振り子のように揺れ動く巨大な刃をジッと見詰め、ゴクリと息を呑んだ。

 

「た、助かったわ。ありがとう」

 

 周囲を警戒するように自分を挟んで左右に立っている二体の人形に、先程腕を引っ張ってくれた事を感謝する。あれがなければ冗談抜きで真っ二つとなって無惨に死んでいた所だ。

 

「いえ、当然の事をしたまでですよ」

「姉さんの言う通りです。それよりも早く夢幻召喚(インストール)を……出迎えが来ましたよ」

 

 長い金髪を左右で纏めた、俗に言うツインテールにした双子型の二人が言う。

 その二人の視線の先には霧の中に浮かぶ無数の影の姿が在った。どうやらトラップの類だけでなく、竜牙兵や怨霊、式神などの“兵隊”も起動したらしい。

 状況を察したイリヤは二人に頷く。

 

「そうね―――まったく…!」

 

 頷き、カードを取り出して夢幻召喚を行いながら、イリヤは苛立たしげに念話で弟子であるさよに連絡を試みた。恐らくコレの元凶であろうと予感を覚えて……。

 

 

 イリヤの予感は当たっていた。

 事の切っ掛けは、イリヤが出掛けた後にある。留守を任されたさよは自習に励みながら少しでも早く(イリヤ)の役に立つ為にも工房の器材及び機器の扱いに慣れようと、その与えられた権限―――副管理人として工房に張り巡らされた統括用の術式に接続(アクセス)し、工房に備えられた各々の機能を試していた。特に留守番という事もあってか、侵入者を想定した警戒・防衛システムを集中的に試した。

 頼れる師匠の姿が無い事に勿論不安は在ったが、既にイリヤの指導の下で何度も行っている事なのでそう心配はいらない―――少なくともさよはそう思っていた。しかし、

 

「は、はわはわわ、ど、ど、どうしましょうウルズラさん…!」

 

 工房地下3階の一室。

 さよは縋るような目で事態を察知し、駆け付けて来たウルズラの顔を見ていた。

 だがウルズラは困ったように戸惑い表情を顰めるだけだった。彼女では対処できない事態であるからだろう。その内心では目の前で涙目な少女と同様、焦りで一杯であったが。

 

 それは、イリヤが帰宅した直後だった。

 

 工房の結界(セキュリティ)が感知し、イリヤが帰った事に気付いたさよは出迎えようと意識を逸らし―――うっかり防衛システムの機能を戻すのを忘れてしまった。それも扱い方が悪かったのか、工房の全権限がイリヤからさよへ完全移行する障害(エラー)が発生した為、工房の本来の主であるイリヤを敵と見なしているのだ。

 まるでどこかの“あかいあくま”が引き起こすような大ポカである。

 

「と、とにかく、何とか止めないと…!」

 

 さよは再度意識を集中し統括用の術式(システム)に接続を試みるも、冷静さを失った彼女にまとも扱える訳が無く、イリヤからの念話にも気付かず事態は加速度的に悪化して行き。さよが術式に手を入れる度にイリヤと警護に付いているメイド達の悲鳴が工房内で響く事になった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 小太郎は自分の監察役である鶴子の言い付けを受けて、イリヤと呼ばれる少女の住居へ向かいながら麻帆良の街をゆっくりと眺めるように歩いていた。

 古き良き時代の欧風の建物がそのまま残ったような……正確には再現されたその街並みは小太郎にとって非常に珍しいもので、未だ街に馴染めない彼に飽きさせない新鮮味を与えていた。

 その為か、

 

「西洋ゆうのも、中々悪いもんやないな」

 

 感嘆するように、そう自然と口に出していた。

 

 彼が鶴子の所からイリヤの所へ移る事になったのは一言で言えば、小太郎自身への配慮である。

 というのも、東…関東魔法協会に特使として派遣された鶴子ではあるが、元より“完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)”へ対する戦力としてのみしか期待されておらず。

 本来特使として必要とされる折衝だとか、調整やらの、そういった交渉能力や事務能力は乏しく―――事実、本人も剣一筋の人生を歩み、学が無い事から認めており―――その実際の業務を担うべく…或いは補佐する為に幾人もの部下が付いた訳なのだが。件の彼ら…或いは彼女達は、日本の裏の行く末を左右する大事な役目を担う自分達の中に、ひょっこりと加わった小太郎に良い感情を持てずにいた。

 無論、東との関係改善が目的である事から開明的・柔軟的な思考を持つ人間が選ばれてはいる。

 しかしそんな特使達一行もテロに加担し、脱獄を計った犯罪者…それも狗族との混血(ハーフ)だという子供は受け入れ難いのだ。加えて言えば、西の面子や政治的事情から脱獄自体をもみ消す意味で、正規の人員として自分達の中に加わった事に対する反発もやはりある。

 そういった事情から特使たる鶴子の傍にいるのは、小太郎にとって望ましくないと判断した近右衛門の提案で新たな監察役を設ける事となり―――イリヤがそれに立候補したのだった。勿論、そこにはイリヤなりの打算や思惑が在る。

 そしてその過程で些か揉め事は在ったものの、程無くしてイリヤに預けられることが正式に決まったのだった。

 

「イリヤ…確かイリヤスフィール言うんやったか…?」

 

 麻帆良の景色を眺めながら小太郎が呟く。

 鶴子から追い出すような形になった事を申し訳なさそうに詫びられ、その白い少女の下へ行く事になったのだが、小太郎は別段不満を感じていなかった。

 そのような扱いはこれまでずっとそうであったのだから。だからむしろ鶴子に頭を下げられた事の方が驚きだった。しかもあの“剣聖”と謳われる最強の剣士に、である。

 正直、名前を聞くまであんな美人で“優しげな”女性が、音に聞く“最強の剣士”だとは思わなかった。無論、初見で感じた佇まいから只者では無いと―――あの“黒い甲冑のバケモン”と同じく、挑む以前に絶対に勝てない相手だとは判ったが。

 

「“アレ”や剣聖と同じくらい強いんやよなぁ、あのイリヤっていうんは……」

 

 不満が無い理由にはそれもあった。

 厳しい環境に置かれ、育まれた彼の価値観にとって“強い”という事は、絶対的な真理であり、唯一の生き甲斐……いや、某神父や金ピカ風に言うなら追い求める愉悦なのだ。

 故に本当は年上だと理解していても、自分と変わらぬ年恰好で且つ女でありながら最強クラスの力を持つというイリヤには非常に興味があるのだ。

 

「へへ……楽しみやな」

 

 と、犬歯を剝き出しにして不敵に笑う程に。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「此処か…」

 

 麻帆良の景色を楽しむように歩いた小太郎は、件の喫茶店風の建物の前に辿り着いた。

 おかしなことに不思議と存在感が希薄で、まるで幽霊屋敷を前にしたかのような人気の無さが感じられたが、直ぐにその理由を看破する。

 

「人除けの結界やな。魔法使いの住処やし、当たり前……か?」

 

 一瞬納得しかけ……首を傾げる。

 学園に備えられた広大な認識阻害の結界がある為だ。だというのに更に人目を遠ざける目的の結界が張られているのが奇妙に思えたのだ。

 

「ま、ええわ。ほな邪魔するで」

 

 首を傾げるのも僅かに小太郎は考えても仕方ないと、何故か開けっ放しになっていた扉を潜って中へと入る―――途端、

 

「ひゃっ!?」

「おわっ!?」

 

 目の前にセーラー服姿の少女が飛び込んで来て、ぶつかりそうになった。

 白髪、赤眼とお世話になる少女と似た稀有な特徴(アルビノ)の持ち主だが、風貌は日本人のそれであり、外見も幾分か年上だ。

 十代半ばと思えるその少女は小太郎の存在にかなり驚いているようで、硬直していたが、

 

 ―――サ~~ヨ~~

 

 と、店の奥から聞こえる声にビクリと身体を震わせると、小太郎の背後…つまり開きっ放しの扉の方へ駆け出そうとし―――バタンッ! カランッカランッ!!…と、乱暴な音と共にカウベルが喧しく鳴り響かせながら扉が閉まった。

 同時に店内の壁、天井、床の全てに重苦しさを感じさせる不可視の圧力……魔力が奔り、店全体が内向きの結界に覆われるのを感じた。

 

「あ、あわわ…こ、このままじゃ……」

 

 絶望に満ち、震えた声が少女の口から零れた。

 しかし少女は諦めまいと辺りを見渡すと跳躍して天井へと張り付き。小太郎に視線を向けると、人差し指を口元に当てて、

 

「し~~」

 

 などと静かに黙っていてとジェスチャーを取る。

 小太郎は事態を把握できず、困惑しっぱなしで少女に「一体何なんや?」と尋ねようとしたが……如何なる魔法なのか? 幾秒と経たぬ内に少女の姿は空気に溶けるように見えなくなった。

 直後、

 

 ―――くっ! さすが逃げ足は一流ね。ランサーでも追い付けないなんて…!

 ―――でも、結界は間に合いました。まだ建物の何処かに居る筈です。

 ―――そうね。なら表の方ね。

 ―――確かにさよ様は正直な方ですから、十中八九、正面の出入り口から逃げようとするでしょう。

 

 と、やっぱり店内の奥からそんな話し声が小太郎の優れた聴覚に捉えられた。

 そして幾秒としない内に乱暴にカウンターの向こうに在るドアが開け放たれ、五人の女性が姿を現した。

 

「あ…」

「ん?」

 

 小太郎は彼女達の中心に居る小柄な少女と視線が合い。視線の先の人物は先程の少女のように驚いた表情を見せた―――が、キッと表情を引き締めると、小太郎から視線を逸らして周囲を注意深く見回し、

 

「気配の消し方もやっぱり完璧か。でも……サヨ! 大人しく出て来なさい! 今、出て来るなら少しは大目に見て上げるわ!―――さあっ!!」

 

 言葉始めを小さく呟くと、そう大きく叫んだ。

 シン、と静寂が店内を包み込み……………十秒ほど。何の応答も無かった。

 

「そう。あくまでも逃げようというのね。なら、仕方が無いわね」

 

 小柄な少女は溜息を吐く。

 

「サヨ、忘れているようだけど。貴女と私の間にはパスがあるのよ」

「―――…!」

 

 何処からか息を呑む声が聞こえた。先程、セーラー服の少女が消えた所からだ。

 

「だから、何処に隠れようとも、どんなに上手く気配を消そうとも、私には貴女の居場所が判るの……ふふ」

 

 小柄な少女がクスクスと笑う。いや……嗤う。愉しげに不穏に。そしてある方向へと指を差す。

 

「マグダ! レギ!」

「はい!」

「了~解~」

 

 小柄な少女の両隣にいた金髪ツインテールの二人の女性が、少女の指差した方向へ手にしていた小銃を向け―――火を噴きながら弾丸を吐き出した。

 

「きゃあああぁぁっ―――!!」

 

 店内に銃声及び着弾音と共に悲鳴が響き渡った。

 そして鈍い音を当てて床に何か……さよと呼ばれる少女が天井より落ちた。落下した少女は俯せに倒れ、瀕死の虫の如く手足をもがく様にして必死に動かしているが、

 

「ふふ…」

「か、身体が…? これ、もしかして…」

「そう、対霊用の特殊弾。それも魔術仕様のね。これで動く事は勿論、霊体化も不可能よ。さあ、これで―――」

「ひっ……イ、イリヤさん……ゆ、ゆるし―――」

 

 不敵に嗤う小柄な少女こと…イリヤに、さよは顔面を蒼白にして許しを請うが、

 

 ―――これでもう逃げられないわ。たっぷりお仕置きして(かわいがって)あげるから覚悟しなさい!

 

 叶う筈も無く、無慈悲にそう告げたのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ネギは唖然とするしかなかった。聞かされた奇妙な騒動とイリヤらしくない様相に―――いや、南の島で一度……カモに折檻する姿を見てはいるが、何故か記憶が曖昧な為―――思考が付いて行かないのだ。

 

「はは、俺もそんな感じやったんやろな」

 

 ネギの顔を見て小太郎が言う。

 今、この二人が居るのはイリヤ宅の小太郎の部屋だ。

 放課後の歓迎会の後で魔法社会の勉強と成ったのだが、ついエヴァの別荘に居る気分で行った為、長居し過ぎて帰宅するにはすっかり夜が更けて遅くなってしまい、一泊する事になったのだ。

 それで女性陣は一階の仮眠室へ。ネギは小太郎の部屋に泊まる事が決まり。男二人っきりに為ると彼等は自然とこうして話し込む事と成った。

 話題は前述で判る通り、小太郎がイリヤ宅を訪れた当日の事である。

 

「なんていうか……スゴイね」

「ああ、多分一生忘れんと思うほどインパクトが在ったわ。イリヤ姉ちゃんがもうホンマ怖いこと、怖いこと……今でも思い出すとブルッと来るな」

 

 唖然とした様が抜けないまま感想とも言えない感想を口にするネギに、小太郎は苦笑しつつも身体を震わせながら答えて、その続きを話す。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 さよと呼ばれる少女が金髪ツインなメイド二人に両脇を抱えられ、引き摺られるようにして店の奥へと消えて行く。その顔は涙に塗れ、絶望に染まり、小太郎に助けを求める視線を向けており……何処か哀愁を漂わせるものだった。

 ドナドナ、と言う単語(?)が小太郎の脳裏に浮かぶ。

 

「はあ、まったく要らない苦労をさせてくれるわ。逃げ出した事もそうだけど……ほんと全部元に戻すのに一体どれだけの手間とお金が掛かる事やら…」

「…しかし、さよ様も元はマスターの事を思っての事で。余りきつく当たられるのは…」

「駄目よウルズラ。何も私達への被害や工房の損害だけの事じゃないわ。もしあのまま魔力炉が暴走し、異界化の歪みが拡大し続けていたら麻帆良には大きな穴が開いていたんだから…! 多分、深さ100m、直径1kmぐらいの…」

「…! そ、それほど危険な状況だったのですかっ!?」

 

 何やら不穏な会話がなされ、白い少女のとんでもない話を聞いたウルズラという黒髪のメイドは表情を引き攣らせる。

 小太郎も詳細は判らないが、どうやら恐ろしい災厄が発生しかけていたらしい、と理解して表情を強張らせた。

 

(アカン、俺…もしかしたら、とんでもなくヤバイ所へ来たんちゃうか?)

 

 そう思わざるを得ない。

 

「とにかく、今後私が工房を留守にし、サヨを一人にする時はあの子から目を離さないようにして。勿論、私からもこんな事はもう無いようにきつく―――…ええ、とてもきつく言って置くけど」

「はっ、承知いたしました」

 

 主の言葉を受け、ウルズラは残されたもう一人のメイドと共に深々と頭を下げた。

 と、そこで小太郎の存在に今気付いたかのように視線が向けられる。

 

「悪いわね。見苦しい所を見せて、無視するような事になってしまって」

「あ、いや…」

 

 唐突に話しかけられた事や先程の騒動の事もあって、小太郎は意識が付いて行かず生返事をしてしまう。

 その戸惑いを理解しているのか、いないのか、白い少女―――イリヤは尚も話を続ける。

 

「貴方が今日こっちに来ることはツルコから聞いてる。でも続けて悪いんだけど、見ての通り今は立て込んでいてね。だから部屋は用意してあるから、そこで少しゆっくりして貰えると助かるわ。良いかしら?」

「ああ、うん。別にかまわへんけど…」

 

 尋ねられ、戸惑いが抜け切らない小太郎は思わず頷く。

 イリヤは了解する彼を見ると、何処かホッとしたような笑顔を見せた。

 

「そう、良かったわ。なら……ロッテ」

「はい」

 

 イリヤの呼び掛けに、ウルズラとは別のメイドが答える。

 

「休んでいる間、この子を貴方に付かせるわ。何か入り用が在ったら彼女に言って……それじゃ、お願いね」

 

 そう小太郎に言い、メイドにも言い付けるとイリヤはウルズラを伴って店の奥へと消えた。それを見送ると小太郎は自分の脇に立ち、消えた主の方へ頭を下げるロッテというメイドを見詰める。

 ウルズラと呼ばれたメイドと同じ黒髪だが、長さは首筋に当たる程度のショートで、容貌は冷たい印象しかなかったウルズラよりも幾分柔らかげだ。体付きも豊満なウルズラと正反対でスレンダーである。

 そこまで観察して小太郎は気付く。

 

(ん? コイツ…いや、あの他のメイド達も含めて全員人間やないな。もしかして人形…か)

 

 過去の経験からそう判断する。にしては異様に“良く出来ている”とも思うが。

 だが、それを考える前に頭を上げたメイドが小太郎に仰々しく言う。

 

「では、小太郎様。お部屋をお連れ……いえ、お部屋に案内致します」

 

 何か恐ろしげな事が起こりそうな言い間違いをしつつ、ロッテは小太郎を先導した。

 

 

 

 案内された場所は俗にいう屋根裏部屋だった。普通であれば物置にしか使われない部屋とも呼ばないような場所なのだが、

 

「申し訳ございません。本来ならば確りとしたお部屋を用意すべき所なのですが…」

 

 やはり仰々しく頭を下げてロッテというメイド(にんぎょう)は言う。

 

「何分、余っている部屋は仮眠室を除いて此処か地下にしか無く、地下は大半がマスターの工房施設ですので小太郎様を招くには多々問題が……危険もありますし」

 

 そう頭を下げて事情を説明するロッテだが、小太郎はこれといって不満は抱かなかった。

 確かに採光の窓は小さく、天井も低く、全体的にこじんまりとしているものの部屋の体裁は整えてある。清掃は十分行き届いており、埃は一欠けらも無く、清潔さを感じさせる白い壁紙が張られ、床には厚みのある薄緑色のカーペットも敷かれている。

 その他、家具や調度品も一通り用意され。恐らく突貫であったのだろう、真新しい配線の工事跡が若干見えるが、蛍光灯や換気扇は勿論、テレビ、エアコン、ミニ冷蔵庫などの家電まで在った。

 不満が出よう筈も無い。これまでの彼の生活水準を考えれば恵まれ過ぎているとさえ言えるのだ。

 小太郎は一つ大きく頷くと、申し訳なさそうにするロッテに答える。

 

「いや、十分やわ。これだけ立派なら不満は無いで」

「ありがとうございます。その言葉を頂ければマスターも安堵される事でしょう」

 

 ロッテはホッと息を吐くようにして頭を上げ、

 

「では、私は部屋の外で控えます。御用が在ればお呼び下さい」

 

 そう言うと、彼女はまた深く頭を下げて部屋を退出した。

 小太郎は、パタンと扉が閉まる音を聞きながら部屋を改めて見回した。用意された物に過ぎず、自らの手で勝ち取ったものでは無いとはいえ、“自分の為だけに在る部屋”という物を。

 

「なんか、夢のようやわ」

 

 こじんまりとした部屋が妙に広く思えて、気が付くとそう自然と言葉に出していた。

 

 

 

 イリヤの休んでいてという言葉通り、小太郎は与えられた部屋で寛ぎ、ベッドの上でウトウトと眠りこけていた。

 

「小太郎様。昼食のお時間です。マスターが食堂でお待ちしております」

 

 トントン、とノックの後にドア越しでそう告げる声が聞こえ、小太郎は浅い眠りから目を覚ました。

 眼を擦りながらベッドの脇に置かれた時計に視線を向けて、短針と長針が共に12の数字を若干越えているのを見。もうそんな時間か…と呟くと。

 

「分かった、今出るわ」

 

 そう、ドアの向こうに居るロッテに告げてベッドから起き上がった。

 

 

 

 ロッテに案内されたそこは、元は従業員の休憩室だったという凡そ12畳ほどの長方形の空間に大きな長テーブルが置かれた部屋だ。

 先程の待っているという言葉通りイリヤの姿は既にあり、テーブルに席を着いていた。

 

「改めてまして、こんにちはコタロウ。ロッテから聞いたけど、あの部屋を気に入ってくれたようで何よりだわ」

 

 小太郎はロッテに勧められて席に着くと、イリヤは挨拶混じりにそう口を開いた。

 

「ああ、少し狭いけど。なかなか良い部屋やったし、感謝するで」

 

 イリヤの言葉に小太郎は、少年らしい屈託の無い笑みを見せて素直に感謝を示した。

 そしてメイド達が料理をテーブルに並べる中、二人は話しを続ける。

 

「さて、知っての通り、私はツルコと同じく……いえ、実質、貴方の監察役をツルコに代わって引き継ぐ事になった訳だけど…」

「ん。剣聖の姉ちゃんから聞いとる、俺の立場が色々とややこしいからアンタのとこに押し付ける形になったって」

 

 ピクリ、と。小太郎が首肯して答えると、イリヤの右後ろに控えるメイド―――確かウルズラと言うんやったな―――が、何故か肩を震わせた。

 

「ええ、貴方にとって理不尽な事にね。貴方自身は気にしてはいないみたいだけど」

「何時もの事やからな。気にしてもしゃあないわ」

「……そうなんでしょうね」

 

 先程の笑顔のように屈託なく言う小太郎に、イリヤは何故か溜息を吐きながら相槌を打った。

 彼には判らない事だが「そう考え、捉えてしまう事その物が不幸だというのに、その自覚を持てない…いえ、忘れ、摩耗したと言うべきか」と。この時、イリヤはそう内心で呟き、哀れに感じていたのだ。同時にそうやって哀れむ事が、何の意味の無い同情や感傷だとも理解していたが。

 

「ま。とにかく、その事情から貴方の身柄を預かる事になったけど……とりあえず先ず言って置くわ。私は観察の役割を引き受けたけれど、別段、貴方を監視しようとも行動を縛ろうとも思ってない。妙な事をしない限り過度に干渉する気は無いわ。貴方も自分の立場を弁えているでしょうし……ね」

 

 そうでしょ? と、そう言うようにイリヤは小太郎を見据える。

 

「勿論や、今更アンタに言われんでもそれぐらい分かっとる。この東の連中にもそうやけど、西にも迷惑を掛けるような真似をする気はもう無いで!」

 

 やや探るような目線を受け、心外だと言わんばかりに小太郎は若干憤慨する。麻帆良に来てから似たような言葉を散々言われ、注意された為だ。

 その小太郎の言いようにまたピクリとウルズラは震える。

 

「ええ、それは信用してるわ。貴方は騙され易いだけであって、根は善良だし、賢くは無いけど、バカじゃないから」

「…………それ、褒めとらんやろ」

 

 小太郎はジト目でイリヤを見る。しかしイリヤは彼の視線を気にする事も無く、微笑ましげな様子で平然と言う。

 

「そんなこと無いわよ。常に真っ直ぐで、愚かしくも無く、男らしいって褒めているんだもの」

「…ホンマにそう思っとるんか?」

「ふふ、ホンマよ」

「……………」

 

 小太郎は憮然とする。イリヤの言いようにそれが本音なのか今一つ判断が付かないからだ。いや、むしろ小馬鹿にされているように思えた。

 イリヤはそんな小太郎の感情を察しているのか、いないのか。「さ、これ以上の話は後にして冷める前に食べましょう」と、並び終えた料理を目にしながら食事を促した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「―――そう、やっぱり“あのお母様”から私の事を聞いているのね」

「ああ、アンタが娘で、本当は二十歳近いらしいって事や“変わった魔法”を使うって事もな」

「……………」

 

 報告書などから小太郎が知る“完全なる世界”の情報を見聞きしてはいるが、それでも一応と言って尋ねるイリヤにそれを話すと、彼女は顎に手を当てて考え込む仕草を見せた。

 

「……私が見た調書には、貴方はその事に触れてなかったけど…?」

「あんま言う必要が無いって思ったからな。そもそも協会が訊いて来るのはあの連中に関する事ばっかりやったし……ってゆうか、本人が此処に居るんやからアンタの事はアンタ自身から聞けばいいだけやろ?」

「…………それもそうね」

 

 小太郎の言葉にイリヤは一応納得したらしい。ただ……若干、眉根は寄ったままだったが。

 その白い少女の表情に小太郎は勘違いをする。話した敵の事……“完全なる世界”の情報がほぼ皆無だからだ。

 そう、先の事件の際、フェイトに協力…いや、協力するフリをした彼だが―――だからこそ態度に出てしまった為に―――与えられた情報は殆ど無く。僅かに知っていたのはネギと明日菜、それとイリヤが標的であった事や京都の事件で雇い主であった天ヶ崎 千草が仲間に加わっている事ぐらいである……というか、フェイトが悪名高きあの“完全なる世界”の一員である事自体、事件後の聴取時に初めて知ったのだ。

 故に小太郎は、自分が満足に情報を持っていない事にイリヤは不満を覚えているのだと勘違いしていた。

 

「それで、他に私の事を何か言ってた?」

「ん? ああ! そうやな、確か―――」

 

 勘違いに気付かぬまま尋ねられた質問に、小太郎はふと脳裏に過るものが在り―――途端、犬歯を剝き出しにした笑みを見せる。

 

「アンタは恐ろしく強いから死にとうなかったら絶対に手を出すな! ヘルマンのオッサンに付いた特別な助っ人……あの黒い甲冑のバケモン…バーサーカーに任せろ!―――ってな事を何度も念を押すように言われたわ」

 

 そう、へへっ…と笑いながら小太郎は不敵に言った。

 その表情に浮かぶのは、新しい玩具を前にした正に子供のような期待に満ちた眼差しだ。ただ敵意に近い、好戦的なモノもその瞳の中で輝いているが。

 イリヤは呆れたように溜息を吐く。小太郎の意図を察した為だ。

 

「聞いた通りのバトルマニアね。何を考えているのか手に取るように判るわ」

「へっ、なら話が早いな。女は殴らん主義やったけど、楓の姉ちゃんや剣聖の事もある。女でも俺より強い奴は幾らでもおるからな」

 

 イリヤが“乗った”と思い嬉しそうに言う。すると感心したような声が返って来る。

 

「へえ、意外ね。もっと固執するものかと思ってたのに……なるほど、さっき言ってはみたけど、本当に愚かでは無いみたいね」

 

 その言葉は先程同様、小馬鹿にしたように思え。小太郎は先程と同じくムッとするものを覚えたが、しかし、

 

「ええ、貴方の言う通りよ。女だからと言って侮るのは良くないわ」

 

 そう言われ、口調から判断するにどうやらイリヤは本当に感心しているらしい。おまけに「これなら…驕りや慢心といった過信も早々に矯正されるかもね」などという何処か期待が篭った小さな呟きも耳に入る。言った本人は聞かれていると思ってないようだが、狗族の聴覚では十分捉えられる声量だ。

 その言葉に引っ掛かる物を覚えたが……小太郎としては中々痛い指摘だった。

 京都の時と言い、先の事件と言い、それら驕りや慢心…つまり過信が原因で不覚を取ったのだ。幸いにも前者は甘ちゃん(ネギ)が相手であり、後者は殺意が無かったお蔭で最悪の事態にこそ成らなかったが。正直、このままでは拙いと思っている。何れ致命的な事になるであろうと。

 だから、ムッとした反発や奇妙な引っ掛かりを覚えたものの言葉を返せなかった。指摘が的を射てる上に自覚こそ在れど、改善…イリヤの言葉を借りれば、矯正できる自信が無いのもある。

 

(…性格つーか癖と言うか。ホンマ、自覚はあるんやけど……)

 

 生来の気性ゆえの自らの浅はかさに落ち込み掛け……内心で慌てて首を振る。アカンアカンそれよりも、と。イリヤを見ながら。

 

「そや、アンタの言う通りや。女ゆうてももう油断はせんし、強いんなら遠慮もせえへん。さあ、勝負や!」

 

 ネギとの再戦をお預けされた分や「忙しゅうて、相手をする暇がありまへん、」と断られた鶴子の分をぶつける様に、小太郎は指を突き付けて言い放った―――が。瞬間、ブチッと何かが切れる音が聞こえた気がし、

 

「無礼なッ!!」

 

 怒声が食堂に響いた。

 

「黙って聞いていれば何処までもつけ上がって…! たかがハーフの……下等な人狼(ウェアウルフ)の分際でマスターに対して何という口の訊き方! 何という態度! いい加減、我慢の限界です!」

 

 先程から小太郎が口を開く度に肩を震わせていた人形(メイド)ことウルズラが吼えるよう言う。何時も無表情である顔を憤怒に歪めて。

 

「ウルズラ、私は別に―――」

「―――成りません! 幾らマスターの御意志でもこれだけは譲れません。彼には己の立場を……高貴なる御方との、イリヤ様との確固たる差……格の違いを理解して頂かなければ…!」

 

 諌めようとするイリヤの事を制してウルズラは尚も言う。

 

「斯様に下賤な者が千年の歴史を有する魔術の大家…由緒正しい貴族であるイリヤ様と対等に口を聞き、好き勝手振る舞うなど! 許されざる事です! そう、例え古の神々が許そうとも、我らを造りし“偉大なる主(グランドマスター)”が許されようとも、この私が許しません!!」

「ウ、ウルズラ……」

 

 イリヤは唖然とし、頭痛を堪えるように額を抑える。いや、実際本当に頭痛を覚えているのかも知れない。小太郎の耳に「……なんか既知感が…ちょっと前にどこかで聞いたような台詞ね」という呟き声が入る。

 

 小太郎が後に聞く話だが、この時イリヤは、ウルズラがこのような選民思想の持ち主だったとは…と。驚くと共に呆れていたらしい。加えて言えば、堅物で融通の利かない性格であるのは判っていたが、その根はそこから派生したモノのようだ、との事で。云わば高貴なる者は斯在るべしと、その風格に相応しい正しい規律を持ち、下々の者はそれを規範として高貴なる者を敬い、従うべきだ―――と。まあ、そのような思考が根付いているのだ。

 無論、そんな理屈が現代の世に通じる訳も無い事は彼女とて承知しており、大抵の事は受け流すか、許容出来るのだが、小太郎の不躾な態度は―――むしろ相性的なものなのかも知れないが―――その限度を容易く踏み越えたのである。

 

「ハッ! 許さんてゆうなら、どうするちゅうんや! 俺はなんも悪い事をしてへん、普段通りの態度で話をしとるだけやで。―――な、お人形はん」

 

 一方、小太郎にしてもカチンと来るものがウルズラに対して在った。その見下し切った視線や目上過ぎる言葉……これまでの生活から慣れっこである筈の侮蔑と差別がこの時、無性に頭に来たのだ。

 魔法使いの道具に過ぎない人形風情が!…という考えもあっただろうが、何よりも“自分の為の部屋”を用意してくれ、分け隔てなく“人間(ヒト)”として扱ってくれ、良い気分に浸っていたのが台無しにされた。それもよりにもよって楽しみにしていた“勝負”を邪魔するようにして、だ。

 

「敢えて言うまでもありませんが。素行が悪く、家畜程度の頭しかない貴方には特別に判るように言って差上げましょう。当然、身を持って判らせるのです!」

「!―――よう言った…上等や! 相手になってやる! 判らせられるもんならやってみい木偶人形ッ!」

 

 明確な敵意を見せるウルズラに、小太郎は勢いよく席を立つと同じく敵意を持って応え―――彼女を鋭く睨んだ。

 ウルズラは嘲笑う。

 

「ふっ、その言葉せいぜい後悔しないように。己の然るべき態度というものを肉体のみならずその魂にまで躾け、刻み込んでさし上げます。……ロッテ。貴女も付き合いなさい」

「え!?」

 

 突然、話しを振られて小太郎の背後、扉の傍で待機していたロッテが驚きの声を上げた。

 その顔には、何故私まで…? と書かれていたが、ウルズラは気に留めずに告げる。

 

「貴女も高貴なるイリヤ様に仕える従者なのです。なら無礼な客人……いえ、居候への躾は当然の仕事でしょう」

「はぁ……分かりました姉さん」

 

 言葉通り、さも当然の如く言う姉にロッテは仕方なさげに頷いた。尤もさほど躊躇が無い所を見ると彼女もまたウルズラと同じく小太郎の態度に思う所が在ったのかも知れない。

 それに小太郎はさらに意気込みを見せて不敵に笑う。

 

「2対1か…へっ、木偶人形相手ならそれぐらい楽なもんや。なんならもっとハンデ付けてええで、イリヤ相手の前の準備運動ぐらいになって貰わんとつまらんからな」

 

 あからさまに挑発だった。その言葉にロッテは本気に成ったようで小太郎の方を厳しい視線を向け始めた。

 バチバチと火花が散ってもおかしくない3つの視線が交錯して食堂は険悪な雰囲気に包まれるが。イリヤはそんな中で考え込むように黙り込み―――彼と従者(メイド)達の決闘を認める。

 

「ふう…仕方ないわね、水を差すのもなんだし……いいわ。なら外に出ましょう。貴方の力もどれ程の物かこの際見せて貰うわ」

 

 そう、小太郎を観察するように見ながら言った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「……メイドさん達と決闘って…」

 

 小太郎の話を―――勿論、口止めされたイリヤの年齢の事や、表沙汰に出来ない工房暴発未遂の件(通称・さよクライシス事件)は伏せている―――聞いたネギは、またも唖然と……いや、呆れたような顔をした。

 

「んな顔するな! あっちから喧嘩を吹っかけて来たんやぞ!……俺は普通にしとっただけやのに」

「あ、うん…コタロー君の気持ちも分からなくは無いけど、でも先にイリヤに喧嘩を売ろうとしたのは小太郎君だし、それもこの家でお世話になるっていうのに……幾ら何でもソレは失礼じゃないかな?」

 

 うーん、と腕を組んで悩ましげにネギは言った。

 その指摘に小太郎は呻いた。そして考える。今にして思えば、確かに失礼だったと。これから世話になる身でありながら畏まりもない態度であったと。

 まだ一週間程度ではあるが、この家と麻帆良で不自由なく恵まれた生活を送れたのは、間違いなくイリヤを始めとした彼女達のお蔭だ。しかもそれをただ享受する立場でありながら―――

 

(―――うん、確かに無いわ、あの態度は。こんな立派な部屋も用意してくれとったのに……ウルズラが怒るのも無理ないな)

 

 今居る部屋を見回しそう胸の内で呟く。あの時にその事に思い至らなかった事に悔恨を覚えて。

 だが、一応小太郎を弁護すると。これまで独りで誰にも頼る事無く一匹狼で生きてきた彼にして見れば、余計なお世話だという思いもあの時にはあったのだ。

 原作でも麻帆良で暮らす事と成った直後、ネギに独り暮らしする旨を告げて「仕事すれば食い扶持ぐらい稼げる」と言ったように。そういった苦労を当たり前として来たが故、独りでも何とか出来るという自立心…もしくは、自負が年齢不相応に強いのだ。

 その為、感謝の念がありながらもそれを受け入れる事に反発を覚えてしまい。物乞いのように施しをされていると侮辱も感じたのかも知れない―――あの時は。

 

「それで、その後はどうなったの?」

 

 反省し考え込んでいると、ネギが話の続きを尋ねて来た。

 小太郎はそれにバツが悪そうな顔をする。そうつまり決闘の話をする事になるのだ……が、小太郎は盛大に溜息を吐く。

 

「どうにもならんかった」

 

 そう、無念そうにも恥じ入るように言って。

 唐突な言いように当然、ネギは首を傾げる。

 

「? それってどういう意味…?」

「そのまんまや、どうにもならんほどコテンパンに負けたんや」

「え? ええっ…! ま、負けたの!? コタロー君がッ!!」

 

 溜息を吐く小太郎に、ネギは信じられないとばかりに大きく驚きの声を上げた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ネギが初めてエヴァの修行を受け、イリヤが高音と愛衣コンビと模擬戦を行った麻帆良学園の旧市街区。

 朽ちて崩れ、かつて建物であったものが並ぶ廃墟と化した一帯で小太郎はハウスメイドドールと対峙した。売られた喧嘩を買うように意気揚々と挑んだ決闘―――だが、

 

「―――ガッ!?……くっ、このッ!」

「甘い!」

 

 腹に重い剣戟を受け、それでも踏ん張り反撃を試み…左から鋭く伸ばした爪を懐に居るウルズラに振るうも、上体を逸らすようにしてアッサリと避けられ―――

 

「ふっ!」

 

 上体を逸らすと同時に地面から振り上げられた足…鋭い蹴りが小太郎の顎を捉えた。

 

「―――ッ!!?」

 

 顎から頭の芯まで衝撃が伝わり、小太郎は宙へ跳ね上げられながら仰け反り―――受け身も取れずに背中から地面に倒れた。

 卓越した戦闘技能と言う他なかった。己よりもずっと小柄な小太郎の懐へ姿勢を低くして飛び込み、そんな姿勢にもかかわらず膂力と体重を十分に乗せた一撃を入れ。さらに咄嗟の物とはいえ、出された反撃を一撃振り抜いた直後であるのに、余裕で且つ予測していたかのように避けて逆に反撃に繋げたのだ。

 そこには人形であるが故と言うべきか、迷いと澱みが一切無い冷静且つ的確な動作と対応力があった。

 

「なるほど、確かに年齢に見合わない見事な体捌きと気の練りですが―――それだけですね。その場その場で一応考えて動いてはいますが、荒々しさが目立ち本能的過ぎます。人狼(ウェアウルフ)ならではの動物的勘の良さと反応の高さを頼りにした戦法なのでしょう。しかし猛獣、魔獣の類との戦闘を多々経験している者なら十合も交えれば、十分に対処し切れるレベル(ていど)の未熟さです」

 

 倒れた小太郎を見下すように見据えてウルズラが言う。

 

「…況してや“最強”と謳われるグランドマスターに造られた人形達(わたしたち)であれば、その半分…五合もあれば済ませられます。まあ、此度は実戦ではありませんので少々様子を見させて頂きましたが―――ふう、しかし、この程度とは正直呆れました。もう少し善戦できると思っていたのですが。この程度でどうしてマスターに挑もうなどと考えられるのか……イリヤ様の力の一端は目にしているでしょうに」

 

 呆れながらも心底不思議そうに彼女は首を傾げる。小太郎の持つ価値観を今一つ理解できない為だ。そういった戦闘狂という趣向を持つ人間(やから)がいる事自体は認識してはいるのだが。

 

「……く、くそ…」

 

 ウルズラの聞きようによっては叱責とも言える言葉を耳にし、小太郎は悪態を吐き。まだグラグラと揺れる頭で考える。

 油断と慢心は確かに在った。

 魔法使いのたかが小道具に過ぎない人形が相手であり、力量も気配や立ち振る舞いから計る事が出来なかった為と言うのもある。しかしそれは言い訳にはならない。癖のようなものだとはいえ、自覚し矯正しようと心掛けていた矢先の事だし、決闘を始めて幾合か剣と拳を交え、手強さを認識した後は獣化こそしなかったが、それでも本気で挑んだのだ。

 それが全て通用しなかった。

 遠間からの気弾は、躱され、切り払われ、掠りもせず、牽制にもならず。近接では狗族が持つ敏捷性と小柄な体格を活かし、分身まで使って攪乱を仕掛けたが……ヘルマンにも通じたそれは人形故の冷静さに動揺を誘えず。その上、体格的にある意味、優位で在る筈の“避け易さ”“捉え難さ”も、自慢の“速さ”とそれを活かした連撃(ラッシュ)も、それ以上の敏捷力と反応と何よりも“巧さ”で上回られた。

 しかも一方的になり過ぎた為に、途中から2対1から1対1(サシ)で向かい合うという“気遣い”までされた。

 

(在り得へんやろ…こんな人形に、道具なんかに…負けるやなんて……)

 

 思わぬ結果とその戦闘経緯に内心で愚痴る。

 そう考える小太郎には判る筈も無かった。

 

 最初期型であるチャチャゼロから代々継承し蓄積された数百年に及ぶ戦闘経験と、その膨大な年月と共に世代を重ねて発展・改修されてきた人形の性能。その二つが合わさって生み出された彼女達の力を。

 たかが人形だと、魔法使いの造った道具だと言い切るには、それは余りにも規格外の存在なのだ。

 

 それが判らないからこそ彼の受けた衝撃は大きかった。本来なら雑兵に過ぎないそれに及ばず、敗北した事実は文字通り天狗になっていた鼻を折られたようなものだ。

 

 だが、

 

 一方でウルズラにしてみれば、彼の敗北は当然のものであった。

 そう、彼女にとっては小太郎の方こそ雑兵に過ぎないのだ。

 ウルズラは……いや、彼女達“チャチャ・モデルシリーズ”は、彼の“最強の魔法使い(ダークエヴァンジェル)”が手ずから制作し、その眷属に名を連ねる擬似的ながら“魂”をも持つ人形なのだ。

 そう、ビスクドール以前のマネキン人形の発祥とほぼ時を同じくし、現代に於いて“魔法人形の礎”とも言われる“吸血姫(ドールマスター)”が生み出した技術を穢れなく純粋に継承した“姉妹(じぶんたち)”を、有象無象の魔法使いが扱う“紛い物”と一緒にされるなど大きな侮辱である。況してや人狼の小童風情に敗れ、後れを取るなど先ず在りえない。

 故に、そう自負する彼女にとってこの結果は当然であり、別段誇るべき事でも、自慢すべき事でも…否、それ以前に勝利という程の物ですら無かった。

 ただグランドマスター(エヴェンジェリン)が認め、自身も仕えるに値すると忠を誓った高貴なるマスター(イリヤ)に無礼を働いた分を弁えない野良犬を、躾を兼ねて懲らしめただけ。

 

 それだけの事だ。

 

 

 

 倒れ、ウルズラの見下した……侮蔑の籠った視線に小太郎は歯噛みする。

 そんな眼で見られるのは、普段の事で、今更で、とうの昔に慣れっこだ。しかし、

 

(……………)

 

 それは、そういった眼をする奴らの大半は大したモンやないと、自分の方が“強い”のだと、“弱い”連中の負け犬の遠吠えだと、そう思えたからだ。

 そう、生きる為に日々闘争のような毎日を過ごし、何度も何度も地に伏し、血反吐を吐き、死の淵に落ちかけても足掻いて這い上がり、力を付けて“強く”なり―――ある時にふと、それに気が付いたのだ。

 強ければ、侮られる事は無く。差別されようと軽んじられる事も無くなり。何よりも“劣った(よわい)”連中の声なんぞ気にする必要は無いのだと。

 それを理解した時、小太郎の価値観は決定付いた。

 

 ―――“強さ”こそが、この世界で誰もが認める絶対不変の真理なんだと。

 

 十に成るか成らないかの、その短くも過酷な人生で“強さ”を誇る事で自身の価値を示し、日々の糧を得、馬鹿にする連中を黙らせ、襲い来る脅威を払い除けて来た事から小太郎はそう結論していた。

 故に拘った。喧嘩や闘争という単純な力比べに。どちらが上かどちらが下かという強者と弱者の序列に。勝者と敗者という立場に。

 だから、だから―――

 

(認めへん…! こんな簡単に認める訳にはいかん!)

 

 “弱さ(負け)”を認めるという事は、相手に…それとも他所の“誰か”に―――何時か何処かで、薄汚い半妖(ハーフ)の子供だと自分を嘲笑った“誰か達”に侮蔑される事を、差別される事も認めるという事なのだ。彼にとっては。

 そこに矛盾があることは承知している。剣聖と讃えられる鶴子やアイリが従えるバーサーカーという怪物染みた存在や、近右衛門やタカミチを始めとする麻帆良の実力者などの“本物”には及ばない事は理解している。

 しかし実際に戦った訳ではないし、“負け”を認めた積もりは無い。第一、仮に戦い負けたとしてもそれらの人物達(ほんもの)は自分の実力を認め、決して“弱い”とは捉えない―――その筈だ。

 けど、

 

(コイツは違う、この人形はそうは考えん。このまま負けを認めれば、“弱い奴”だとしか俺を見下さへん)

 

 ウルズラの己を見る目線から小太郎にはそれがよく分かった。だから―――

 

「まだ、や…!」

 

 自らのアイデンティティを守る為に脚に力を入れ、未だグラつく視界を堪えて立ち上がりウルズラを見据えた。

 

「ほう―――」

 

 小太郎の闘志の衰えぬ視線を受けてウルズラと―――見守るイリヤも声を漏らした。ただその声色には随分と温度差があったが。

 

「往生際の……いえ、頭の悪い犬ですこと。そこらの野良犬ですら彼我の戦力の差を理解できるでしょうに。ま、だからこそ駄犬なのでしょうが」

 

 ウルズラは心底呆れた様に嘆息する。

 

「そもそも、まだ…と言いますが決着は明らかです。実戦であれば、先程貴方が倒れた時点で止めを刺していますし、それ以前にこの私が手にする剣が刃挽きされず、本身であれば、とっくに貴方は四肢を失い、胴が二つに分かれています」

 

 そう言うと、ウルズラは見せ付ける様にヒュッと左右二対の剣で空を斬り、華麗に舞うように素振りをしてみせる。一流の剣士にも劣らぬ見事な剣筋だ。

 しかしその手に在る刃渡り60cmほどの長剣は彼女の言う通り、刃は潰れて輝きは若干鈍く、見る者が見れば何の迫力や脅威を覚えないものだ。

 もし実戦であれば、それはイリヤ謹製の真銀(ミスリル)の魔剣に代わり、繰り出される剣戟は小太郎程度の気の練りでは一撃であろうとも耐えられなくなる。場合によっては『アーチャー』の力による投影宝具を使う事もあるのだから尚更だろう。

 

「ッ…」

 

 小太郎は口を悔しそうに噤んだ。ウルズラの言葉が正当なものだと思ったからだ。そう、基本的に戦いに二度は無い。実戦であれば尚の事だ。

 例外があるとすれば、引き分けるか、負け切る前に無様であろうと逃げ延びるか。もしくは―――小太郎は悔しげな顔を引っ込めると、一転して不敵に笑う。

 

「…せやな、確かにアンタの言う通りや。俺は倒れ、実戦やったら致命的な隙を晒した。けど、アンタは“見逃した”。勝ったと思い込んで止めを刺さそうともせんかった」

 

 小太郎の言葉にウルズラは眉を微かに寄せる、その言葉の意味に気付いて。

 

「……なるほど、それも道理です。己の力を過信し一時の勝ちに―――優位に驕り、止めを怠る事は実戦でも十分に在り得えます」

「そうや。ついでに言うと、その手に出来る獲物かて今のように万全のモンとは限らんやろ……ま、屁理屈やけど、な」

「ふ、いえ…貴方の言う通りです。確かに武器を常に携行している訳ではありませんし、『取り寄せ(アポーツ)』も妨害される事はあるでしょう。仮に近場に代わりになる物があったとしても、マスターの製作される物に並ぶものなど都合良くないですし…」

 

 何が琴線に触れたのか、ウルズラは微かに笑みを浮かべて小太郎の指摘に同意した。

 

「しかし」

 

 笑みを消し、再び構えを取りながらウルズラは尋ねる。

 

「その想定で敗北を免れ、こうして仕切り直したとして。貴方と私の間に在る力の差は明白です。これを覆すのは容易ではありませんが…さて、どうなさるお積もりです?」

 

 見据えるウルズラに小太郎は沈黙し、直ぐには答えられなかった。

 正直に言えば手は無いのだ。悔しさと認められぬ矜持から立ち上がりはしたものの、勝つビジョンは全く浮かんでこない。

 我武者羅に突っ込んで行ったとしても先の二の舞であるし、獣化してもせいぜい2、3分長く持ちこたえられるかどうかだろう……いや、それも怪しい。先程までの戦いを見るにウルズラは随分と余裕があったのだから。それ程までに自分と彼女の戦力差は大きい。

 それでも諦める気は無く。結局一か八かで今度は初っ端から獣化で我武者羅に…と、分の悪い賭けに出ようとし―――

 

「―――そうね」

 

 と。

 静観していた白い少女が口を挟んだ。

 

「マスター?」

「ウルズラの言う通り力の差は明白。なら条件を代えましょう」

 

 口を出した主に怪訝そうな表情を見せるウルズラに、口を出した本人は構わずに言う。

 

「一撃よ」

「は…?―――! それはもしや…!」

「ええ、この勝負は一撃でもウルズラに入れられたら、コタロウの勝ちとするわ」

 

 イリヤの出した突飛な言葉に一瞬、ウルズラは唖然とするも直ぐにハッとその意味を察し、イリヤはそれに頷き答えた。

 

「ちょっ!? 待てや! そんな勝手に―――」

 

 思わぬ横槍に小太郎はつい抗議の声を上げるが、

 

「―――受け入れなさい、コタロウ」

「ッ!!」

 

 白い少女の鋭い視線とその有無を言わせない迫力に黙らされた。

 

「事実として貴方はウルズラ一人にどうあっても及ばない……少なくとも今はね。なら…及ばないならば、戦力に埋めようの無い差が在って対等の勝負にさえならないのであれば、その差を縮める為の、対等と成る条件を付けるしかない」

「……それは…やけど…」

「ま、貴方の気持ちは大体察しが付くし不満も判るけど、これはこれで実戦でも在り得る事なのよ。一撃当てるだけで致命的なダメージやら状態異常(バッドステータス)なんかを与える魔法具は現実に存在するし、特に人形であるウルズラ達には、天敵と成る武器は結構多いしね。実力が及ばない以上、そういった手段で戦力差や不利を補うのは戦いの基本でしょう」

「……………」

 

 イリヤの提案と言葉に小太郎は即座に反論できなかった。

 白い少女の言う通り不満は色々ある。横槍された事自体そうであるし、道具やらの手段に頼り力の差を埋めるという事への忌避感もある。卑怯だとか男らしくないだとか、そんな思いがあるが……手前勝手に屁理屈を並べ、負けを認めなかった引け目があった為に否定し切れない複雑な感情もあった。

 第一、実際そういった手段(じょうけん)が無ければウルズラには勝つ所か足元にも立てないのだ。

 

「………………………せやな」

 

 長い沈黙の後で小太郎は頷いた。

 よくよく考えるまでも無く。これまでに彼は何度も汚く、石に噛り付いてでも生きる為に“勝ち”を拾ってきた。真っ向勝負にのみ拘るなんぞ今更だ。

 ハッと息を吐き、迷いを振り払うように小太郎は意気込みを高めた。

 

「納得したようね」

 

 イリヤは微笑ましげに言い。この決闘に勝機を見出した彼の中に灯った闘志を更に燃え上がらせる燃料を投じた。

 

「そうそう。そういえばネギも少し前に同様の条件で格上の相手に勝負を挑んで――――勝って見せたわよ」

 

 と、そう告げて。

 

「―――!」

 

 一瞬脳裏にライバル視する同い年の赤毛の少年の顔が浮かび、落雷を受けたかのように硬直し眼を見開き。次の瞬間には口角を吊り上げ、

 

「へっ…なら俺も負ける訳には行かん、なっ!」

 

 獰猛な笑みを浮かべて構えるウルズラに向かって地を蹴った。

 

「うおおらあああっ!!」

 

 勢いよく飛び込んだものの当初の予定と違い獣化は無し、機を見て確実な一撃を入れる為にも体力を温存する積もりだ。

 

「―――おおおおおっ!!」

 

 だが慎重に悠長に様子見に徹しても駄目だ。こんな経験が豊富そうで堅実な相手にそれをやるのは愚策。却って状況を良いように制御されて気付かぬ内に詰みかねない。

 だから攻勢を止めず、相手の手の内に踊らされないようにしなければ――――そう考え、小太郎は拳、足、肘、膝、肩、頭。五肢のすべてを駆使して猛攻を続ける。

 先程の焼き直しのようなものだが、その前の戦闘で唯一有効そうであったのが、この無謀とも言える近接でのラッシュだったのだ。

 

 だが、それ故にウルズラにとってそれは予想出来た展開だ。

 

 彼女は面白げもない様子でさして意味も無い小太郎の猛攻を受け止め―――

 

「―――ハァァアッ!」

 

 彼の五肢を駆使した猛撃を両の剣で捌き、余裕の動作で容易に見出せた相手の間隙に剣戟を叩き込む。

 先と同様、姿勢を低くして懐に入り、小太郎の腹目掛けての払い。それを―――

 

「―――グッ!?」

 

 反応も出来ず、防御もままならずに受け……しかし、先と異なり踏ん張らずに痛みと衝撃に持ってかれそうな意識を引き留め、耐えて、剣戟を受けた勢いを利用して後方へ大きく飛ぶ。

 グラついた態勢でこの場に留まるのは危険だと判断したからだ、が―――

 

「甘い…!」

 

 やはり読まれていたのだろう、下がる小太郎にウルズラは直ぐに追撃を掛け、彼が着地する前に距離を詰めて一気に叩き込もうとし、

 

「―――!」

 

 その彼と彼女の間に出来たほんの僅か数mの距離の間に突如、壁となるように“無数の小太郎”が現われた。

 

「分身!?―――ですがッ!」

 

 一瞬虚を突かれたように見えたウルズラだが、そこはやはり人形。冷静に対処し眼前に現れた分身を瞬く間に斬り捨てる。剣戟をまともに受けて気の練りが不足した事もあるのだろう。一秒と持たずに5体いた分身は全て霞のように消える。だが、

 

「オラァッ!」

 

 その秒にも満たない時間で持ち直したのか、小太郎は分身を切り裂きできたウルズラの僅かな隙を逃さずに瞬動で接近し、最小の動作で最速の一撃たるジャブを打ち込む。威力も碌に無い軽い拳だが、件の勝利条件ならば、これだけで十分である……が―――

 

「―――…ふ」

 

 これも予想範囲で在ったのだろう。最良のタイミングで放たれた最速の一撃は予期していたかのようにあっさりと左の剣で弾かれ―――逆に喉目掛けて右の剣から突きが放たれる。ジャブを放った直後……いや、ほぼ同時の見事なカウンターの為、これは、

 

「! や―――」

 

 ヤバ…と言い掛けて彼は声を上げる事が出来なくなった。

 

「―――――!!!!」

 

 決闘を始めて受けた中でも最大の痛みと苦しみに小太郎は喉を抑えて悶え、地面に転げ回った。当然だ。幾ら刃挽きされた剣とはいえ、その先端の鋭さは殆ど変わらないのだ。

 気のよる防護が在っても貫かれていてもおかしくは無い。だが苦しみ、痛みに悶えている暇は無い。ウルズラが両の剣を逆手に持ち返るのを視界の端で捉えたからだ―――直後、

 

「~~~~!!」

 

 声なき声を上げてその身を捻り、地面を穿つ二本の刃を躱す。ドスッというよりもドガッと重い音を立てて直ぐ近くの地面に刃が突き刺さる音を聞く。しかし実際に突き刺さったのかを確認する余裕は無い。

 捻る勢いに任せて小太郎は瞬時に起き上がる。

 

「ぅ…ゴホ…ッ、い、幾ら何で…も、よ…容赦無さ過ぎやろ!」

 

 漸く声が出、咽ながらも小太郎は抗議の声を上げる。本気で殺す気なのかとでも言うように。

 ウルズラは地面から突き刺さった剣を抜きながらフッと笑い。

 

「何を今更、真剣勝負なのですから当然でしょ―――」

「―――ゴメン、私もちょっと引いた。遠慮しないのは良いんだけど、喉を狙うなんて……それも殺傷力の高い突きで。もしかして殺す気満々なのかと疑わざるを得ないわ」

「―――! マ、マスター…そ、そんな、誤解です!」

 

 観戦するイリヤがジト目に成るのを見てウルズラは酷く動揺する。その脇に控えるロッテも同意するように何度もコクコクと頷いていた。

 

「…………」

 

 出来た相手の思わぬ隙に小太郎はこのまま攻めるか少し悩むが……いやいや、それは流石にアカンやろ、と内心で首を振る。そう若干迷い躊躇していると、何故かキッとウルズラが小太郎を恨めしげに睨んだ。

 

「くっ…貴方の所為でマスターに余計な誤解を与えたでは無いですか! あの程度のカウンターぐらい避けて見せなさい。もしくは耐えなさい。世の中には一流の戦士が振るう剣やら槍やらを幾ら受けても平然としている人間が一人ぐらいはいるのですから!」

「な…無茶言うなや!…っていうか、何やその理不尽な八つ当たりは!?……つーか、それは誰や!? って一人しかおらんのやろ! どんな人間やねん!? いや、気の練りを極めれば出来ん事も無いのかも知れへんけど…!」

 

 ぐぬぬ、と睨み襲い来るウルズラに対応しながら、小太郎は理不尽且つ意味不明な彼女の言葉に関西人の性から突っ込まざるを得なかった。

 幸いにも人形らしくなく冷静さを欠いているので、何とか捌く事が出来たが―――それも冷静さを取り戻すまでだった。

 

 

 どれほどの時間が経過したのか、少なくとも二時間近くは経って居る筈だった。

 

「……粘りますね」

「ハァ、ハ…ァ、当たり前や。負ける訳には行かんのや、アンタみたいな見下した視線の奴には…」

 

 荒く息を吐きながら小太郎は答える。

 

「そ、それにアイツが……ネ、ネギの奴が、同じ条件で勝ちを拾ったって言うんやったら、やったら……お、俺かて」

 

 それ以上の言葉は口から出せなかった、呼吸する事自体もそうだが、喋る事は尚も苦しいし、疲れるのだ。

 

「…………なるほど、その信念は認めます―――が、手は抜けません。いえ……それで手を抜かれても貴方は嬉しくはないのでしょうね」

「………」

 

 ウルズラの言葉に声を出さずに首を僅かに動かして答える。

 正直な所、こうして呼吸が整うのを待って貰っているのだから“手加減”はされているのだろう。

 だが、小太郎はそれを非難しようとは思わなかった。彼女がこの決闘に真面目に応じ始めているのが何となく感じるからだ。

 だから、そうだから……ある意味、小太郎の目的は達していると言えた。ウルズラは小太郎を見下す態度を改めてはいないが、それでも“雑兵”や“弱者”などから一端の“戦士”だと、“強者”たる資格を持つ見込みある少年だと、この決闘を通じて認めたのだから。

 しかし、それとこれは別だ。小太郎が認められようと、認められまいと勝負である以上は決着を付けなくてはならない。

 

 整ってきた呼吸に更に意識を集中し、下腹部の丹田と呼ばれる場所に入って来た息吹(ちから)を流す。

 丹田でまるでエンジンの回転のようにグルグルと回る熱い“流れ”を腹部から徐々に上へ上へと通し、心臓、額に達した所で全身へと行き渡らせる。

 “気”と呼ばれる不可思議な神秘の力。それが全身へと廻り、更に高まったのを感じると。今度は決まった“式”を描いて一部“在りよう”を変える。

 それを自らと相性の良い影を通じて、地面へと周囲へと伝えてソレを完成させる。

 

「また分身ですか、一つ覚えと言いたい所ですが……この短時間でよくもこう錬度と密度を上げられるものです。疲労も蓄積しているでしょうに」

 

 出来上がった“(カタチ)”を持った“気による影”を見、ウルズラは心から感心した。

 彼女がそういった態度を見せるのも無理はないだろう。この長くも無い時間で小太郎は巧みに分身を使いウルズラの鋭い剣戟を凌いできたのだ。

 そう、防御を無数の分身達に一手に引き受けさせ、或いは遠間からの牽制に振り分け、時には相手の動きを封じるようにし、小太郎(ほんたい)は近接での攻撃にのみ徹してウルズラを攻め続けた。

 この戦法を使った当初は、分身は碌にウルズラの動きに付いて行けず、一撃も捌けず、壁にも成れずに霞と成っていたが、時間を経るごとに……それこそ秒を重ねる度にその動きは鋭く成り、ウルズラの動きと剣戟に対応し始め、上がった密度は数度の剣戟を耐えるほどの“固さ”を分身に持たせていた。

 その上、小太郎自身の“気の廻り”は変わらず、練りも2、3段ほど繰り上がっているのだ。

 

「まるでどこかの戦闘民族ね。それともこれが狗族の持つ性質…いえ、コタロウの才能なのかしら?」

 

 観戦していたイリヤもそう思わず唸らずにいられない程の成長ぶりだ。

 その脳裏では彼にとっての修行が実戦を重ねる事らしいとの魔法世界編(げんさく)記憶(きろく)が過ぎり―――狗族は本当に漫画的な戦闘民族なのかも知れない、等と半ば本気でそう思っていた。

 

「……とはいえ、もう限界でしょうね、これ以上は身体が持たない。頑丈な狗族であろうとも」

 

 イリヤのその言葉通り小太郎は限界だった。いや、とうに限界など超えている。二時間にも亘る戦闘と気の酷使と、受け続けたウルズラの剣戟で身体は内外共にボロボロだ。如何に生命力が高く、自然治癒力も高い狗族であろうとこれ以上の無理は確実に後遺症が出る。

 その為、イリヤは次の激突がどのような結果になろうと止める積りだった。例え小太郎が勝利を得られず立ち上がり、尚も決闘の継続を望もうともだ。

 

 

「…………」

「…………」

 

 対峙する二人は機を見計らうように互いの姿を見る。

 衣服の彼方此方が破け、見える肌は痣や擦り傷だらけの小太郎。対して決闘を開始した頃と変わらぬ完璧な従者姿のウルズラ。

 小太郎もウルズラも次が最後だと判っていた。イリヤが見立て通り、小太郎の身体が限界に達するに余りある状態だという事から。

 

「いくで―――!」

「ええ、いざ―――!」

 

 間を合わせる様に互いに声を掛け合う。

 小太郎は何時もの我流スタイルで拳を掲げて構え、ウルズラはだらりと両手を下げた構えとも思えない構えを取り、

 

「「勝負」や!!」

 

 瞬間、両者の立つ地面が爆ぜた。二人の踏み締める力を受け止めて土が勢いよく舞う。まるでロケットの噴射炎のごとく二人の吶喊に力を与える様に。

 

「―――!」

 

 速い…! と。ウルズラは此処に来て小太郎の速度が尚も段違いに上がった事に内心で驚愕する。見ると小太郎の姿が今までの物と異なっていた。

 体格が二回りほど大きく成人男性並みと成り、ボロボロだった衣服が更に破れて、鍛え抜かれた鋼のごとき筋肉で身体が盛り上がっている。髪もすっかり変わり、何処か人の物と異なる艶と色を帯びて長さも腰下まである。よく見れば腕や足の体毛も伸びており、薄い手甲や足甲を身に付けた軽戦士のような印象があった。

 

 ――――獣化!

 

 限界を超えた身体で切り札を切った事にウルズラは、心中で驚き以上に不安が擡げる。同時に怒りも。

 幾ら真剣な勝負とはいえ、こんな所でこんな無茶をするとは! これでもし後遺症が残るような事になったらどうするのか! こんな一戦で己の将来を捨てる気なのか! マスターにまた要らぬ心配を掛けるではないか!

 沈着冷静な彼女の中に烈火の如き感情が駆け巡る。だから―――

 

「―――こんのッ…大馬鹿者がぁ!!!」

 

 らしく無い口調で吼えて、両の剣を思いっ切り上段から振りかぶった。

 

 

 

「ッッ―――!?」

 

 な!? は、速い!! と小太郎は今までにないウルズラの神速の剣戟が迫るのを見、驚愕に眼を見開いた。

 如何なる理由によるものか。会って間もないが、その短い中でも見た事の無いほど眉が吊り上っており、これ以上と無いほどまでに憤怒に顔が染まっていた。

 無礼者!!…と叱責された時や理不尽な八つ当たりをされた時以上の怒りをそこに感じた。同時に背に奔る悪寒と共に本能が凄まじい警告を発しているのを自覚し―――理解した。

 

 ―――手加減抜きの、これがウルズラの全力…!

 

 彼女に余裕があるのは理解していたが、獣化しても辛うじて視認出来……しかし反応すらままならないものだとは思わなかった。

 驚愕と本能が訴える危機感に身体が硬直しそうになるのを必死に制し、もう遅いと判りながらも分身を盾にしようと、そして回避しようと試み……―――痛みすらも通り越した凄まじい衝撃を両肩から胸に受け、

 

「――――………!!?」

 

 声なき悲鳴と言うべきか? 肺から息が抜けて行く音が口元から聞こえたのを最後に小太郎の記憶は此処で途切れた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ホンマ、完敗やったわ。あれだけ意気揚々と決闘を挑んで、手も足も出えへんかったんやから」

「……信じられない。あのメイドさん達がそんなに強いなんて…」

「まあ、そうやろうな。俺かて決闘するまで“良く出来てはいる”が、それでもそこいらにある人形とそんな変わらんと思っとったんやし」

 

 もう何度目か、呆然とするネギに小太郎は苦笑を返すしかない。

 

「けど、後で話聞いて納得やけどな」

「え?」

「イリヤ姉ちゃんや本人達が言うには、ウルズラらはあの“真祖”の従者で、作品やってゆうんやから。そらあんだけ強いのも納得やって」

 

 小太郎はあの後……というか、眼を覚ました翌日にその話を聞いて驚くと共に納得した。ウルズラ達は彼の“最強の魔法使い”の従者で“魔法人形の礎”を作ったと言われる“人形遣い(ドールマスター)”が手掛けた正に一級品の魔法具なのだ。

 狗族のハーフで多少実力が在るとはいえ、未熟な子供が端から勝てる相手では無かったのだ。

 

「勿論、負けて悔しいのも確かなんやけどな。お前が出来た事が出来んかった訳やし……はぁ」

「…………」

 

 溜息を吐いて落ち込む小太郎にネギは沈黙するしかなかった。

 確かに自分は同様の条件で茶々丸に挑んで“勝ち”を拾った。けど、しかし、それは―――最後の最後で茶々丸が気を逸らしたお蔭だ。

 あの時は必死だったから気が付かなかったが、後でクラスの皆や師匠(エヴァ)から聞いてネギはそれを知った。勿論、それが不当な結果だという事は無い。そうやって勝ちを得られたのはネギが懸命に粘ったからであり、それで茶々丸が負けたのであれば、気を逸らして隙を見せたその茶々丸本人が悪いのだ。

 それにイリヤの言う通り、格闘戦に限れば茶々丸は確かに格上であったし、魔法無しでは今も勝てる気がしない。だから条件にそれほど違いは無く、気に病むことは無い……のだが、ネギは何処か釈然としないものを覚え、“勝ち”を拾えなかった小太郎に“負けた”と感じていた。

 そんなネギの懊悩とした内心に気付いていないのか、小太郎は悔しげにしながらも笑みを浮かべ。

 

「ま、このまま負けっぱなしも癪やからな、何時か再戦して今度こそ一撃を……いや、きちんとウルズラに勝って見せるわ」

 

 そう快活に笑った。

 それにネギは更に何とも言えない感情が大きくなった……が、思考と感情に整理が付かず、結局それについて何も言うことは出来なかった。

 代わりと言うか、カモが黙り込むネギに気付いていないのか、口を開いた。

 

「にしても流石はエヴァンジェリン……いや、“人形遣い(ドールマスター)”の人形(いっぴん)と言うべきか」

「あ、カモ君居たの?」

「ん、ああ…ついさっき戻ったところですよ兄貴」

 

 先程から姿が見えなかった使い魔の姿が何時の間にかある事にネギは少し驚く。

 

「どこ行ってたの? お風呂の時から見てないけど……ってまさか!?」

「いやいやいや、兄貴! それは誤解ですよ!―――っていうか、お嬢様の家でそんな迂闊なこと言わないで下さいよ! マジで命に関わるから!!」

 

 仕える主人が自分に如何なる疑惑を抱いたのか察し、カモは慌ててそれを否定してネギにそれ以上言わないように懇願する。例え誤解であろうと疑いが掛かり、断罪の魔女(イリヤ)に知られるのは心底勘弁して欲しい。下手すれば冤罪であろうとお仕置きを受けかねない。

 そんなカモの必死な様子にネギは彼にその疑惑は無いと判断する。よくよく考えればイリヤの居る所でカモが不埒な事をする訳が無い。

 

「じゃあ、何処行ってたの?」

「ん…えっと、まあ、ちょっとさよ嬢ちゃんと……その…少し話を……」

「?」

 

 疑惑は晴れたというのに何故かカモはネギから挙動不審な様子で視線を逸らした。言葉も非常に曖昧だが―――

 

「―――兄貴、すまねえ。こればっかりは言えねえ。同類相憐れむ…つーか、同じ境遇に在った奴しか判らねえんで…」

 

 そう言い。申し訳なさそうに頭を下げるカモにネギは黙って頷き、追及を避ける事にした。何となく聞くのは非常に良くない、拙い…いや、近い将来、ナニカ危険な騒動に巻き込まれるような―――とても嫌な予感がしたのだ。

 しかし後にネギはこの時の判断を後悔する事になる。

 もしこの時に話を聞いていれば事態を事前に阻止できたかも知れず、イリヤとエヴァが怒髪天を衝いた鬼神と化すことは無かったのだから―――尤も阻止に失敗すれば確実に厄介な事の中心に立つのだろうが―――幾ら英雄の息子で在ろうと、神ならざる人の身であるネギにそんな未来に起こりうる悲劇…ないし喜劇の事など分かる筈もなかった。

 

「ところでカモ君」

「なんです?」

師匠(マスター)の人形ってそんなにスゴイの? 流石とか言ってたけど……あ、勿論、師匠が凄いのは判ってるんだけど」

 

 未来の事など分からぬネギは覚えた不吉な予感を内心で首を振って追い出し、小太郎の話を聞いて疑問に思った事を訪ねた。

 それに小太郎は意外そうな顔をする。

 

「なんや知らんのか、西洋魔術師なのに。それに弟子なんやろ?」

「う、うん」

 

 小太郎の驚きにネギは気まずそうにする。どうやら余程おかしい事らしい、とネギは思った。

 

「まぁ…仕方ないっすよ。あの“闇の福音(ダークエヴァンジェル)”の伝説に関わる事だし、魔法学校の子供に教えるにしても怯えさせる事になるでしょうしね。それに兄貴の苦手な歴史の分野ですから、一応」

 

 むむ…と眉を寄せるネギをフォローするようにカモが言う。すると小太郎が、ふーんと若干不思議そうに相槌を打つ。

 

「そないなもんか…?」

「ああ、日本じゃどうか判らねえが、欧州(こっち)じゃ親が子供の躾のダシにして夜な夜な聞かせるくらいだし…」

「……ナマハゲみたいなもんか」

「お、日本の妖怪だな。有名だから聞いた事が在るぜ、“悪い子はいねえかー”って子供を浚う奴だったな。確かにそんな感じだ」

「ほお」

「―――ねえ! それであのメイドさん達…師匠の人形の事なんだけど」

 

 話が脱線して行くのを感じて、ネギが若干語気を強めて二人の会話に割り込む。

 

「と、いけね。その話だった。悪い兄貴」

 

 カモはややばつが悪そうにしてネギに謝り、それじゃあ、と気を取り直して魔法人形の纏わる話を、エヴァの伝説の一端を話した。

 

「兄貴、“人形遣い(ドールマスター)”ってのは知っているよな」

「うん、師匠の数ある二つ名の中の一つだよね」

「ああ、エヴァンジェリンは嘗て数百体にもなる人形の軍勢を従えて中世ヨーロッパの数多くの街と都市、貴族の所領を襲い、火の海へと変えていったんだが……実はソレが別にその名の由来って訳じゃねえんだ」

「…どういう事? 師匠は沢山の魔法人形を従えられたからそう呼ばれたんじゃないの?」

「いや、それがちゃうんやわ。もっと根本的…つーか原点的なものやねん」

 

 ネギの疑問に小太郎が首を振り、カモがああ、と同意する。

 

「そもそも今、魔法使い達が使っとる人形が普及し始めたのは意外にも結構最近なんやわ。えーと確か……何時やったか?」

「1800年代の半ば…19世紀頃だ。それ以前は石や土なんかの鉱物で作ったゴーレムがその手の使い魔の主流だった筈だ」

「そうそう、せやった。んで、その頃に普及し始めた人形―――オートマタとも呼ばれる魔法人形をいっちゃん最初に作ったんが、真祖なんや」

「……え、え!? それほんとなの!?」

 

 魔法使いである自分達にとって身近な道具であるソレの思いがけない事実の判明に、大きく目を見開いてネギは小太郎に問い掛けるが、それに答えたのはカモだった。

 

「ほんとだぜ、兄貴。かくいう俺っちもこれらを知ったのは兄貴がエヴァンジェリンに弟子入りした後なんだが―――」

 

 そう、カモは“小さな知恵者”として、補佐すべき主たるネギが伝説の“闇の福音”に弟子入りしたのを機にエヴァの事を改めて調べたのだ。

 

「それで分かったんだが、ほんと驚いたぜ。“人形遣い”と呼ばれる所以が今や魔法社会で当たり前に使われている魔法人形(マジック・オートマタ)の創始者だってんだから。しかもそうなるとあのチャチャゼロが正真正銘、魔法人形の原典って事になるんだものな」

「チャチャゼロさんが…!?」

「んー…というか、同じく19世紀以降に登場したビスクドールやら球体間接人形なんかは、“(こっち)”の職人が表向きの仕事で制作したのが始まりって話しだから、“表”のそれらを含めての祖先(オリジナル)って事になるのか……まあ、これは言い過ぎなのかも知れねえが」

「………!」

 

 ネギの驚愕は留まる所を知らない。師匠……エヴァンジェリンさんって本当に凄い、としか考えられない。だが、首を振って気を取り直すと、直ぐに疑問に思った事をぶつける。

 

「でも、魔法人形が使われるようになったのは19世紀頃なんだよね。けど師匠が生まれたのは―――」

「ああ、兄貴の言いたい事は判る。エヴァンジェリンが生まれ、“闇の福音(ダークエヴァンジェル)”としてその名が知られたのは600年前…15世紀の100年戦争と言われる期間の真っ只中だ。チャチャゼロもその頃に作られているし、アイツの姉妹達(モデルシリーズ)の多くも同様だ。普及が始まった時期とズレ過ぎているのは確かなんだが、そこには事情があるんだ」

 

 エヴァは“闇の福音(ダークエヴァンジェル)”として悪行の限りを尽くし、先程カモが言ったように多くの街と都市を灰塵に変えて、大地を血で赤く染め上げ、骸の絨毯でそれらの土地を覆った。つまり―――

 

「早い話、禁忌…タブー視された訳や。真祖に挑み討たんとする過程で多くの魔法人形が鹵獲されたけど、災厄を招いた悪しき吸血鬼の忌まわしい道具やら技術やらとされて殆どが破棄され、研究も細々としかされんかったらしい」

「で、再び日の目を見たのは、そういった忌まわしい記憶が薄まり、ほとぼりが冷めたその4世紀後だったって訳だ。破棄を逃れたエヴェンジェリンの人形を発見したある魔法使いが新たに研究を始めたことでな」

「じゃあ、“人形遣い”って二つ名もその時代に付いたんだ」

「そうなるな。勿論、過去の…人形の軍勢を引き連れた事も含まれてはいるんだろうが……」

 

 ネギにそう答えるカモだが―――微妙に異なり、実の所“人形遣い(ドールマスター)”という二つ名自体は、中世の頃の時点で既にエヴァに付けられており、“悪しき音信”、“過音の使徒”、“闇の福音”などほどメジャーに成らなかっただけであったりする。

 そしてその異名が注目を浴び、広まったのがエヴァ謹製の人形が発見・研究され、その技術が普及し、爆発的な流行(ブーム)を生んだ19世紀頃であった為、魔法人形の創始者である事実も重なって現在の一般的な魔法使い達にエヴァが“人形遣い”という名が付いたのは、その頃だという“勘違い”ないし“誤認”を引き起こし、込められていた意味も変わって行き、現在ある多くの資料にそう記載されてしまったのだった。

 無論、歴史家……特に“闇の福音を研究する史家”はその“事実”を正しく理解しているが、広まった“誤認”が余りにも大きいが為に是正にまでは至っていない。

 またエヴァ本人もこれといって訂正していない事もその原因……いや、彼女の“本心”を思うに“悪しき吸血鬼としての人形遣い”という忌み名よりも、“魔法人形の祖としての人形遣い”と称賛される方が喜ばしい為に敢えて訂正していないのだろう。その方が自らの罪業を薄められ、贖罪に繋がると考えて。

 

「…本当凄いんだね、師匠もチャチャゼロさん、ウルズラさん達も……あ、茶々丸さんもそうなのかな?」

「あー、それはどうなんだろうな。茶々丸はなんか違う気がするんだが……ロボだし―――って、いやいや! それはそれで凄いんだが…」

「つーか明らかにおかしいやろ、ロボは……色んな意味で。どこかの大企業や有名な大学の研究室でも歩行がやっとの筈やなのに…麻帆良って…」

 

 ネギの感心した言いように、ふと技術的に在り得ない異常な存在が現実に在る事に気付いてカモは愕然とし、小太郎は何処か遠い目をする。

 魔法技術が動力系や兵装以外にこれと言って使われている様子がない事に気付いて…もしくは聞いていたからこその反応だった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ウルズラとの決闘の翌日。

 陽が上がってから眼を覚まして、“負けた”事実を聞き、受け入れながらも落ち込んだ彼にイリヤは、

 

「十分大した物よ。手加減していたとはいえ、ウルズラを―――エヴァさんの人形を相手にあれだけ持ち堪えられたのだから。それも10歳という年齢で…うん、合格よ」

 

 と、慰めるように言い。続いて対峙した当人であるウルズラは、

 

「まあ、多々未熟で無茶し過ぎるきらいは在りますが……マスターや私に向かって粋がって吼えるほどの事はあります。ですがそれに驕らず精進を続けるように」

 

 そう褒めているのか、貶めているのか、それとも説教しているのか判らない言いようをする。

 そうして食堂で朝食を取っている中、

 

「で、合格のご褒美なんだけど―――貴方の望み通り相手をしてあげるわ」

「………え…?」

 

 思わぬ言葉に小太郎は直ぐに意味が理解できず若干反応に遅れるも、ポカンと口を開け―――

 

「―――と…っとと!」

 

 口の中の食べ物が零れそうなり、慌てて口元を手で抑えながら閉じる。

 その行儀の悪さにイリヤの後ろで控えるウルズラの眉が危険な角度を描くが、彼女が何かを言う前にイリヤが続けて告げる。

 

「コタロウ、どうやら貴方は常人よりも戦いを…それも手強い相手であればあるほど、その経験を手早く糧に出来るタイプのようだから」

「それは、つまり―――」

 

 口の中のものを飲み込み、小太郎はイリヤの意図する所を言う。

 

「俺に稽古を付ける、って事か」

「ええ、そうよ」

 

 イリヤは微塵の躊躇いもなく頷く。

 

「イリヤ、アンタが直々に―――」

「―――小太郎様!」

 

 眼を見開いて戸惑いながらも歓喜に目を輝かせ、イリヤに何か言おうとした小太郎に鋭い声が掛かる。

 

「う、な…なんや?」

 

 昨日の事もあってか小太郎は僅かに怯み、声の主―――ウルズラの方を見る。

 

「貴方の事を少しは認めましたが、そのマスターに対する不躾な態度まで認める気はありません」

「…ウルズラ。私は…」

「成りません! 昨日も言いましたがマスターが幾ら認めようとこればかりは譲る気は在りません。マスターの弟子であり、友人で在らせられるさよ様さえ、確りと敬意と礼儀を持ってイリヤ様に接しておられるのです。だというのにただの居候である彼がこれでは示しというものがつきません」

 

 イリヤの咎める声にウルズラは己が意見を曲げない。

 その頑固な態度にイリヤは困ったものだと言いたげな表情を覗かせるが、ウルズラの自分を思っての考えも理解できるのだろう。どうしたものかといった様子で考え込む……が、

 

「せやな。うん、わかった。ウルズラの言う事は尤もや」

 

 小太郎は納得して頷き。その物分りの良い意外な言葉にイリヤとウルズラは思わずといった様で小太郎の顔をマジマジと見る。そんな主従二人の視線を気にする事無く小太郎は言葉を続ける。

 

「でも態度はともかく、言葉使いはなぁ……行儀の良い言葉なんて使ったことは無いし」

「……そうね。じゃあ、呼び捨てを止めるだけでも大分違うけど…」

「そっか。それじゃあ―――」

 

 物分りの良い小太郎の態度に少し戸惑いながらもイリヤは提案すると、小太郎はそれに乗り……口の中で小さく「イリヤスフィールさん?…イリヤさん?」と呟くもしっくりと来ず、「年上やし、一応姉ちゃん…なんか?」よし、それなら―――

 

「―――イリヤ姉ちゃん」

 

 と、言葉を告げた瞬間、イリヤは何故か固まった。

 

 「―――――――……」

 

 どうや? と小太郎が続けて言った声など耳に入らない様子でイリヤは眼を見開いている。

 呆然とするイリヤに小太郎は首を傾げるが…………この時、イリヤは、

 

(姉ちゃん、お姉ちゃん…つまりは姉=年上の女性=大人のレディ…)

 

 キタ―――(゜∀゜)―――!!

 

 そう、10歳の少女という立場(せってい)に色々と思う所がある彼女とって、念願籠ったその言葉を―――それも小太郎のような悪ガキ風であるものの中々顔立ちの整った美少年から―――聞き、そんな珍妙な喜びに満ちた叫びがイリヤの脳裏に過っていたのだった。

 それに気付かないウルズラは、小太郎同様に不思議そうに首を傾げる。

 

「マスター…?」

「ハッ…! いえ、何でも無いわ」

 

 ウルズラの声に何処か空虚なものに見えた瞳に光が戻り、イリヤは首を振った……そして、苦々しげな表情を浮かべると頭痛を堪えるように額を指先でグリグリと抑えた。

 そんなイリヤの表情と仕草に小太郎は呼び方が拙かったかと思い、再度尋ねたが、

 

「大丈夫よ。問題無いわ」

 

 とだけ答えた。

 しかし、何故か答えた直後、「なんでこんなフラグ臭の漂う台詞を言ってしまうのか…? いや、言葉自体おかしい所は無いから、そう考えてしまう自分がおかしくなっただけなの…かしら?」とまた額を抑えていた。

 

「と、とにかく。私への態度や呼び方はそれで良いとして…コホン」

 

 額から手を放すとイリヤは咳払いし、話を戻す。

 

「貴方に稽古―――いえ、というよりもひたすら模擬戦というべきかしら、修行としてそれを行なおうと思うのだけど」

「おう! 望むところや! アンタ…じゃない―――イリヤ姉ちゃんと戦えて強くなれるんやったら、何時でも、幾らでもドンと来いや、で」

 

 一瞬、呼び方を間違えてウルズラの視線が怖くなった事に気付いて言い直し、拳を自分の眼前に掲げる。如何にもやる気満々といった感じだ。昨日の今日でイリヤの治癒魔術で怪我は治ったとはいえ、非常に元気だ。

 イリヤはそんな小太郎に満足げに頷き。

 

「良い返事ね。それなら望み通り今日から始めましょう。地下もまだ一部だけど大分安定した事だし―――貴方の目指す“先”と言うものを見せて上げるわ」

 

 そう告げて―――白い少女は、狗族の聴覚でも辛うじて捉えられる小さな声で、

 

 ――――同じ野生の獣の如き強さを持つ“クランの猛犬”の力でね。彼の戦い方は恐らくこの子にとって良い教材(てほん)になるでしょうし。

 

 と、呟くのを聞いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 何時までも話し込んでいるのをいい加減見咎め(聞き咎め?)たらしく、例によって例の如くウルズラに注意されて小太郎とネギは布団の中に潜り込んだ。

 当然、小太郎は自分のベッドの上で、ネギは部屋に備えられたソファーで眠っている。

 

「クランの猛犬……か」

 

 それが何の意味を持つか、誰を指すのかは知らない。いや、そもそも人を指してのものかさえも、教養の無い彼には判らなかった。しかし―――

 

「イリヤ姉ちゃんの力がそう言うんか…?」

 

 脳裏に浮かぶ青い衣装を纏う白い少女の姿。無手でも当然で、武器を…特に槍を振るえばより圧倒的で、足元にも及び付かない強大な力を振るう……そう、獣臭すら感じる野性味あふれた戦い方―――それが此処の所、眠りに付く前の小太郎の脳裏に何時も思い浮かんで……いや、

 

「―――眠る前だけやなくて、気付くと最近ずっとそうやな。暇さえあったらその事ばっか考えとる」

 

 イリヤは言った。聞かれたとは思っていないようだが“良い手本”になると。

 確かにその通りだと思う。イリヤが示す戦い方は自分が思い描く理想に近い……のだと感じる。

 だからこそ気に成った。

 

「―――クランの…猛犬」

 

 その言葉を呟く。

 妙に印象に残る響きが…或いは、強い言霊が秘められているのか、イリヤの見せる戦い方と共にこの言葉が小太郎の頭から焼付いたように離れなかった。

 

 どこかその戦い方を、己の戦う姿(スタイル)と重ねて。

 

 




 余話という割には結構長めで、小太郎の強化フラグとその布石のような回となっています。

 人形については簡単にちょっと調べた所、マネキンはエヴァの生まれた時代に重なり、フランス人形や球体間接人形などは19世紀頃らしく、妄想を進めた結果…今回のような設定になりました。

 若干長くなりますが設定の捕捉として、今回目立ったイリヤ宅のメイド長にして長女であるウルズラに付いて少し。
 髪型は波がかった癖のある長髪で黒。目の色は青。顔立ちは言うまでも無く美人ですが眼元が鋭く、冷たく鋭利な印象があります。
 体型は、平均以上にグラマーで身長は165cm程。体重は意外に重く成人男性と近接で競合って負けない為に80kg~90kg程あります。
 性格は非常に生真面目で表向きは冷静沈着そのものですが、その内心は熱血思考。頭は回りますが行動がやや脳筋気味となっています。
 特にマスター至上主義でイリヤにぞっこんなので、イリヤに関わる事となると暴走しかねない危険性が在ります。
 戦闘スタイルは全人形に共通しますが、前衛タイプで一応、武芸十八般に通じるあらゆる武器と格闘術を使えますが、基本はエヴァの記憶と経験から再現されたエミヤ式二刀流の亜種となってます。
 また製造年代が1890年代と茶々丸を除いて最も新しい型なので年代的な神秘性は薄いものの、技術的には新鋭な為にかなり高性能に仕上がってます。

 話に挟む間が無かったエライ事を仕出かしたさよのお仕置きについても一応補足しますと、ラクー○シティ+0な日本屋敷+時計な塔などの世界観が混じった脱出不可能な幻想空間に彼女は放り込まれました。
 幽霊なのにホラーが苦手なさよにとっては正に地獄だったと思います。

 あと活動報告の方に黒化英霊とイリヤのステータス設定とアミュレットの設定みたいなものを載せました。興味がある方は覗いて見て下さい。
 追記。
 設定などを小説ページに載せるか迷っていたのですが、大丈夫だとの意見を頂いたのでステータス設定などは活動報告から小説ページに移しました。


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サーヴァントステータスその1……他、アミュレットの設定など

小説ページに載せても大丈夫との意見を頂いたのでこっちに移しました。
好ましくないと思われるようであれば、また活動報告の方へ戻します。

追記…少し思う所があって副題を変更しました。


 

 黒化サーヴァントステータス。

 

 

 

 『キャスター』真名:ジル・ド・レェ

 

 筋力:C 耐久:D 敏捷:C 

 魔力:A++ 幸運:E 宝具:A+

 

 クラス別能力

 陣地作成:E

 道具作成:-

 

 保有スキル

 精神汚染:A+

 芸術審美:-

 魔力放出:E

 

 宝具

 螺湮城教本(プレラティーズ・スペルブック)

 

 備考。

 黒化により筋力、耐久値、敏捷がワンランクアップし、アイリの膨大な魔力によって魔力値が大幅に向上している。更に転移した世界が元の世界よりも大気に満ちる大源(マナ)が豊富な為、『魔力放出』スキルが追加された。

 ただし本来保有していないスキルという事に加え、黒化(のろい)の悪影響で理性が完全に失われて『精神汚染』が進んだ為、まともに扱うことは出来ずランクは最低値に成っている。また『陣地作成』はランクが低下して『芸術審美』も喪失している。

 京都の事件の際、烏族の接近に対応出来たのは生前の騎士としての経験と向上したパラメーターのお蔭である。なおその時に手にしていた剣は、元々騎士であった事を知っていたアイリが用意した物であり、何気に真銀(ミスリル)製の業物であった模様。

 

 

 

 

 

 『ランサー』真名:ディルムッド・オディナ

 

 筋力:A+ 耐久:A 敏捷:A+ 

 魔力:A++ 幸運:E 宝具:B

 

 クラス別スキル

 対魔力:C

 

 固有スキル

 心眼(真):C

 愛の黒子:-

 狂化:C

 魔力放出:B

 [無窮の武錬:B+]

 

 

 宝具

 破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルク)

 必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)

 

 備考。

 黒化の影響と敢えてその呪いを受け入れる事によって追加された『狂化』により筋力、耐久ランクが大幅に向上し、敏捷値もランクにこそ反映されていないが底上げされている。

 その上、何故か追加された『無窮の武錬』によって黒化前と変わらず卓越した武技を振るう事が可能であり、またキャスター同様に追加された『魔力放出』を使いこなせる。

 ただし反面、『対魔力』及び『心眼』はランクが低下し、より強い黒化という呪いによって生前からの呪いこと『愛の黒子』を喪失している……のだが、向上したパラメーターと追加されたスキルが相まって結果的には、黒化前に比べて非常に高い戦闘力を持つに至った。

 

 

 

 

 

 『バーサーカー』真名:サー・ランスロット

 

 筋力:A+ 耐久:A+ 敏捷:A+ 

 魔力:A++ 幸運:D 宝具:A++

 

 クラス別能力

 狂化:A

 

 固有スキル

 対魔力:-

 精霊の加護:E

 無窮の武錬:A+

 魔力放出:B

 [気配遮断:B+]

 

 宝具

 騎士は徒手にて死なず(ナイト・オブ・オーナー)

 己の栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)

 無毀なる湖光(アロンダイト)

 

 備考。

 黒化により『狂化』スキルがランクアップした上に効果が相乗し、筋力、耐久、敏捷に+補正が追加され、幸運及び固有スキルの『対魔力』と『精霊の加護』が喪失ないし低下している。

 しかし幸運は兎も角、元より最低値である『対魔力』と効果が限定的な『精霊の加護』の喪失や低下は大したデメリットとは成らず、加えてランサー同様に原因不明ながら追加された『気配遮断』によって彼は第四次聖杯戦争時以上の戦闘力を得たと言える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『アヴェンジャー(?)』真名:アイリスフィール・フォン・アインツベルン

 

 筋力:E 耐久:A+++ 敏捷:E 

 魔力:EX 幸運:A 宝具:?

 

 クラス別スキル

 不明

 

 固有スキル

 魔術:A

 他不明。

 

 備考。

 とある並行世界における第四次聖杯戦争の結果にて誕生したアンリマユの成りそこないの成りそこないであり、厳密にはサーヴァントでは無い。妄執や怨念がカタチを持った存在である。

 第四次の終結の際、何かしらの異常事態(イレギュラー)が生じて、大聖杯から漏れ出た極大の(のろい)がアイリのペルソナを纏ったまま現在の世界に転移したものと思われる。

 異様なまでに高い耐久値と膨大な魔力の他、アインツベルンの魔術を有する以外は詳細な能力は不明。恐らく泥がカタチに成った事から保有する魔力量が耐久値に反映されていると考えられる。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 イリヤの夢幻召喚(インストール)時のステータス。

 

 『アーチャー』真名:エミヤ

 

 パラメーター

 筋力:D 耐久:C 敏捷:(C)B

 魔力:A+ 幸運:(E)D 宝具:?

 

 クラス別スキル

 対魔力:(E)C 

 単独行動:(C)-

 

 固有スキル

 心眼:(真)B

 千里眼:(C)C+

 魔術:(C-)A

 魔力放出:A

 カリスマ:D

 

 宝具

 無限の剣製(アンリミテッド・ブレイドワークス)

 

 ※()内にあるのが第五次における本来のランク。

 

 備考。

 イリヤの影響によってパラメーターは敏捷、魔力、幸運が上昇。クラススキルの対魔力も同様であり、単独行動は意味が成さないので削除されている。

 固有スキルの魔術はイリヤの魔術師としての力と知識が反映され、『強化』の精度が上がり、千里眼の効果値が上昇している。

 魔力放出の追加は黒化英霊と同様に、ネギま!世界の大気中の大源(マナ)量が豊富な事とイリヤの膨大な魔術回路が影響して追加された。黒化した4thバーサーカーと正面から何とか打ち合えたのは、この追加されたスキルのお蔭もある。

 

 カリスマの追加は、イリヤの貴族としての風格の現われ。

 隠遁した魔術師一族とはいえ、やはり支配階級の生まれという事から人を惹きつけ、圧するような魅力を有し、他者を扱う事にそれなりに有利に働く模様。

 Dランクであれば、千人単位の組織・集団を率いるには十分であり。仮に統率者で無くとも組織に属すれば、その組織の者達は無視する事、無碍に扱う事は難しくなる。

 

 

 

 

 『ランサー』真名:クーフーリン

 

 筋力:(B)A 耐久:(C)B 敏捷:(A)A+ 

 魔力:(C)A+ 幸運:(E)D 宝具:B

 

 クラス別スキル

 対魔力:C

 戦闘続行:A

 仕切り直し:C

 ルーン魔術:B

 矢除けの加護:B

 神性:B

 魔力放出:A

 カリスマ:D

 

 宝具

 刺し穿つ死棘の槍(ゲイボルグ)

 

 ※()内にあるのが五次における本来のランク。

 

 備考。

 言峰がマスターで在った時よりもパラメーターが生前の状態に近付いたものと推測される。魔力と幸運はイリヤ本人の物が反映されている。

 4thバーサーカー戦時にはさらにルーン魔術で各パラメーターをワンランク上昇させていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 魔法の型月風ランク。

 

 E――基礎。「風よ」「光よ」「火よ灯れ」、など。

 D――基本と下位。「武装解除」「魔法の矢」「風楯」など。

 C――応用と中位「風陣結界」「風障壁」「眠りの霧」「風霊召喚」「風塵乱舞」「白き雷」「雷の斧」「雷の投擲」「断罪の剣(+)」など。

 B――発展と上位。「風花旋風・風障壁」「雷の暴風」「闇の吹雪」など。

 A――最上位。「千の雷」「巨神殺し(+)」「おわるせかい」など。

 

 「闇の魔法・術式兵装」は、魔法というよりはスキルとして判定される。

 

 イリヤが製作する護符(アミュレット)は、所有者の「魔法抵抗値」及び「属性耐性値」を向上させ。中には「状態異常(バッドステータス)耐性」を付与した物もあり。見習い魔法使いレベルでも敵対者の魔力値に左右される事無く、障壁無しでDランクまでの魔法攻撃をほぼ完全に無効化する。

 また所有者の「魔法抵抗値」が規定より高い場合、効果は増大し、ランクの枠を超えてダメージ数値の大幅な軽減が可能となる。ただし、その場合アミュレット自体の負荷も大きくなる為、魔法攻撃を受ける度に破損・損失する値が大きくなる。

 「状態異常耐性」はアミュレットの種類によって違いが在り、基本的に物理系(毒、麻痺、石化、病気など)、精神系(幻惑、混乱、恐怖、睡眠など)のどちら片方…ないし両耐性備える3種類が存在する。

 「属性耐性」もほぼ同様で、一系統特化型や複数系統へ対応する汎用型が存在……稀に特殊性能を付与した物もある。

 

 その例としてアスナの誕生日に贈ったペンダントは、基本の「魔法抵抗」はもとより、強力な「水耐性」と高い「耐全物理異常」を有し。更に特殊性能の「勇猛」スキルの付与によって、ある程度の「耐精神異常」をも持つ非常に優れた一品である。

 

 

 魔符(タリスマン)は、魔法その物のランクは上げないものの、行使した魔法のダメージ数値や効果値を上昇させ、所有者の魔力ランクをワンランク向上ないし+補正を追加させる。

 こちらも一属性に特化させたタイプや複数の属性に対応した物が存在する。

 

 

 

 

 

 




 現時点で登場した黒化英霊と夢幻召喚時のイリヤのステータスの他、魔法とアミュレットの設定ようなものを公開。
 スキルや宝具などの説明は省きました。

 こういった設定を考えるのも結構楽しくもありますが、公開するのも恥ずかしくあります。
 二次創作小説を投稿して置いて今更ですが。




 寝る前にチェックした所、活動報告からコピペの際にルビがおかしくなった模様。慌てて修正。
 原因は一体何なのでしょうか? 謎です。


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第25話―――封じられた記憶。現在の彼女(前編)

後書きを忘れたので追記しました。


 ネギと小太郎だけでなく、明日菜と木乃香といった女性陣もまた夜遅くまで話し込んでいたのか。眠そうな顔をし、欠伸を噛み殺しながら一同は、一度寮へと帰宅してから学校へと登校した。

 

 で―――

 

 その日、3-Aの一限目の授業はネギが受け持っていた事もあり、その時間を使って昨日決められなかった麻帆良祭の出し物を決めようと、云わば臨時の学級会となった訳なのだが……。

 

「ひぃ…駄目です! そんなお化け屋敷なんてっ!!」

 

 文化祭でも定番なアイディアが出された途端、さよが悲鳴を上げて叫んだ。

 

「そう、お化けなんて…幽霊なんて居ないんです! いたとしても、見掛けたとしても、そんなのは気の所為です! 幽霊の正体見たり枯れ尾花です! そうなんです! きっとそうなんです!!」

 

 叫び、全身をガクガクと震わせながらさよは必死な様子で言う。

 そんな突然且つ余りにも酷い怯えっぷりにクラスの皆は戸惑い唖然とする。

 

「え、えっと……さ、さよさん」

「―――いないんです…いないんです……幽霊なんて…ゾンビなんて…怖いストーカーさんなんて……だからだから、やめて下さい、止めて―――」

 

 ネギが声を掛けるもさよは聞こえていないようで、俯いてブツブツと呟きながら見えない何かを振り払うように、しきりに首を振って嗚咽を零し、

 

「―――ごめんなさいごめんなさい、反省してますから、ほんとに反省してますから、許して下さい、許してお願い……ここから、ココから…カラ 出して…出して下さい……出してぇ、ダシテヨォ…う、うう、ダシテください。もう…ユルして……ぐす」

 

 とうとう涙を零して泣き出してしまう。

 さよの尋常じゃない姿に、周囲の唖然とした雰囲気がドヨドヨとしたざわめきに変わる。そんな生徒達の中で一人―――

 

「あー…」

 

 気まずげな声を零してイリヤが額を抑えていた。

 

「……イリヤ、お前…」

 

 席が隣のエヴァはそのイリヤの仕草と表情を見て、何となく事の次第を察する。

 

「うん…ゴメン。これ多分、私の所為……ちょっとこの前のお仕置きが過ぎたみたい」

 

 イリヤは周囲に聞こえないように小さく呟く。

 さよクライシス事件のお仕置き―――尋問・拷問用に試作した幻想空間こと“ごちゃ混ぜホラーゲーム世界体験の旅”によって、どうもトラウマを植え付けてしまったらしい、とイリヤは反省する。

 

「一応、本番であるHARD以上は避けてNORMALモードにしたんだけど……EASYにするべきだったかしら?」

「いや、そういう問題じゃないと思うぞ……多分」

 

 イリヤのピントのズレた反省の言葉に、エヴァは溜息を吐きながら突っ込みを入れた。

 ただその呆れの一方で、今聞いた件の幻想空間に興味が湧き、

 

(イリヤに頼んで今度私もプレイさせて貰お。…それとも自分で作ってみようかな?)

 

 と、ゲーム好きな所為か。エヴァもそんなズレた事を少女的な内面で思っていた―――後にそれが悲劇ないし喜劇の発端となる事など露知らずに。

 

 

 

 数分掛けてさよは落ち着きを見せ。

 

「と、取り敢えず、お化け屋敷は駄目…と」

 

 額に汗を浮かべてネギは、黒板に“お化け屋敷”と書かれた白いチョークの文字を消す。

 

「…にしてもさよちゃん。幽霊とかそういうの苦手だったんだ」

「そ、そうみたいだね」

 

 未だ顔の青いさよの姿を見ながら言う美砂の言葉に本人ではなく、その隣の席に座る和美が何とも言い難い表情で答える。和美としてはさよがそんな幽霊そのモノである事を知っている為、なんとも形容し難い思いがあるのだ。

 見ると同様にネギや明日菜、木乃香といった事情を知る面々も似たような表情を浮かべていた。

 

「ま、幽霊やオバケが怖いって気持ちは判るけどね。ほんと…」

 

 イリヤの前の席に座る裕奈が妙に感慨深げに言った。

 それにイリヤは「ん?」と首を傾げた。何となく気に掛かる物を覚えたのだ。それを確かめる為に裕奈へ話しかける。

 

「もしかしてユウナはそういうのを信じる方なの。少し意外なんだけど」

 

 突然話し掛けた事に裕奈は驚く事も無く、身体ごと振り返ってイリヤに答える。

 

「あー、うん……まぁね。ちょっと否定し切れないから…自分でも意外だとは思うけどさ」

 

 イリヤの問い掛けに裕奈は曖昧に苦笑しながらそう答えた。その微妙な表情にイリヤは、へえ…と相槌を打ちながらも内心で彼女の父親と原作での事を思う。

 

(判っていたけど、やっぱり教授(ちちおや)の方針で“此方側”と関わってないのね。原作を思い返すと幼少の頃…多分、母親が亡くなる10年前までは、“こっち”に関わせる事を考えていたみたいだけど)

 

 恐らくその幼い頃の思い出がある為に、そういった不可思議(オカルト)な事に対して裕奈は否定的になれないのだろう。

 原作を思い返し、素質はあるのに何とも勿体無い事だ、とイリヤは思う。この子が順当に能力を高めていれば、さぞネギの力に成っただろうに…と、この資質を次代へ渡さないなんて…とも。

 ネギの友人として惜しむように、また魔術師的な観点から嘆くように…胸中でそう呟いた。

 

「だけど、そんなことを言うって事は、ひょっとしてイリヤちゃんも信じるタイプ? だとしたら意外……って訳でも無いか、イリヤちゃんなら」

「……少し引っ掛かる言いようだけど、まあ、そうよ。私はこれでも信心深い性質だから」

 

 ある意味だけど…と、口に出さずに内心で続ける。“神秘”を学び、“神が在った時代”を確かに識る魔術師として。

 しかしそんな内心での言葉など分からない為。

 

「やっぱ、外国の人ってそうなんだね」

 

 そう、裕奈は宗教的な解釈で勝手に納得していた。

 

 

 

 その後、さよの事も影響してか、結局出し物は決まらずネギの授業を潰した意味が無くなり。昼休みにイリヤとさよは彼に愚痴られる事になる。

 イリヤはそれに責任を感じて「悪かったわ」と謝り、さよも自分の所為でと恐縮して「すみません」と頭を下げるばかりだった。

 

 そして放課後、ネギ達はエヴァ邸での修行と成り。イリヤとさよは宝飾店“アトリエ・アインツベルン”の開店初日の業務をメイド達と共に励む事と成る。

 

 その翌日。

 再びネギが自分の授業を潰す事でようやく出し物が決まり―――3-A一同は、学祭までの短い猶予期間をさよを主役とした映画製作に追われる事と成る。

 なお、そうなった経緯については、2年以上も入院生活を強いられ、学生生活を有意義に過ごせなかったというカバーストーリーを信じたクラスの皆が…特に裕奈や美砂などがさよちゃんの為にと、張り切ってその案を押した事にある。

 その事に当人たるさよはでっち上げた話(ウソ)という事もあって申し訳なさそうにしていたが、60年もの間、孤独に過ごした事実を思えば、あながちそう的外れでは無いので、イリヤを始めとした事情を知る面々がそんなさよをフォローしたお蔭で彼女も納得したようだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 「――――――」

 

 眠りから眼を覚まし、ボンヤリと寝ぼけた思考のまま明日菜は内心で呟く。

 

 また、この夢…と。

 

 それは奇妙な夢だった。ネギのお父さんと思わしき青年と、高畑先生と似た雰囲気の中年の男性と旅をしている夢。

 何時から見始めたのかは何故かはっきりとしない。つい最近からのような気がするし……本当はもっとずっと昔からだったような気もした。

 何故か判らないが奇妙にもそう思えるのだ。けれど……きっと、それも十分と経たない内におぼろげに成る。見た内容と共にそんな夢を見たんだという感覚以外忘れる。

 忘れた事だけど、決して忘れてはいけない事なのだと葛藤するように迷うかのように……変に半端に―――

 

「―――っ!…いけないバイトバイト!」

 

 寝ぼけた意識が覚醒すると明日菜は慌ててベッドから起き上がり、着替えて部屋から飛び出していった。

 

 

 

 学祭の出し物が決まってから既に一週間が経過していた。

 明日菜はバイトを終えると直ぐに学校へと向かう。すっかり日課と成った朝の鍛錬は此処の所ずっと休みだ。

 

 というのも―――

 

「ゴメン遅れた!」

 

 教室に駆け込むなり明日菜は、自分よりも早く教室へと集まっていたクラスメイト達に挨拶よりも先に謝罪を口にした。

 今朝は特に夢の事が頭から離れず、ボンヤリし過ぎてうっかり配達コースを外れてしまい、何時もより時間が掛かったのだ。

 

「遅いですわよ、明日菜さん! 今朝はどうしても貴女の場面(シーン)を取らなくてはいけないというのに…! これでは時間が……貴女がアルバイトで忙しいのは判っていますが、今日ぐらいはやはりお休みにしてもら―――」

「―――はいはい、いいんちょ。叱るのは後にして、ほんと時間が押してるんだから……あと、明日菜おはよ」

「うん、おはよ円。遅れてごめんね」

「いいよ。事情は分かってるから。それよりも早く着替えて来て」

「ん、了解」

 

 突っ掛かって来るあやかを抑えて言う円に促され、明日菜は急いで用意された衣装へと着替えに掛かる。

 

 ―――と、これらのやり取りから分かる通り学祭の準備の為だった。

 厳しいスケジュールの中での映画の製作…撮影の敢行。一分たりとも無駄に出来ないのだ。

 

 

 

 午前の最後の授業終了と共に昼休みを告げるチャイムが鳴る。

 

「昼休み返上で学祭の準備なんて私達も殊勝だねぇ~~」

「そーせんと、間に合わんだけやん」

 

 作り掛けの衣装を手に言う裕奈に亜子がやんわりとどうしようもない現実を言う。その突っ込みを入れた彼女も手に裁縫道具を持っている。

 これといった配役が無い…もしくは撮影の時間から外れたクラスメイト達は、このように空いた時間を衣装や小道具作りに当てていた。

 

「ねーねー、これ見た!? コレ! 今朝の麻帆良スポーツ」

 

 そんな忙しくしている面々に、比較的手が空いていたまき絵が唐突に裕奈達に話し掛ける。

 その声に裕奈は一時手を止めて、裁縫道具の代わりにまき絵が手にしているそれを受け取る。

 

「あ、これか」

 

 学園内他、麻帆良市で発行されている新聞の一面記事を見て裕奈が短く呟く。

 

「うん、ほら世界樹伝説ホントに効果アリだって。いまあちこちで話題だよ!」

「うーん…ホントかなぁ? まほスポってウソ記事多いし…」

 

 まき絵の若干高揚した言葉に反して、裕奈は疑わしげに落ち着いた口調で言う。幾らオカルト話に否定的で無いといっても、嘘か真か判らない事を節操なく書き綴るゴシップ誌や三流新聞の記事は流石に受け入れ難いらしい。ただその隣では亜子が興味深げに記事を読んで「世界樹伝説かぁ」と、ほう…と熱く息を吐くように呟いていた。そこに、

 

「あ…でもね。麻帆高に行った2つ年上の先輩の話なんだけど―――」

 

 三人の会話を聞いていた美空が口を出し、それを機に口火を切ったかのようにクラスメイト全体が噂話に持ちきりになる。

 先輩から始まり教育実習生やらアイドルやらに告白が成功しただの。世界樹の魔力があらゆる障害や困難を突破するなどと。カップルの成立率が高くその後の安定度も高いと。思春期の少女達らしく話題に欠く事無く話は広がり、尽きる様子は無かった。

 

 無論、時間の厳しさを理解している事もあり、作業の手が止まる様子も無かったが。当然として明日菜と木乃香、刹那といった役者でありながら今撮影が入っていない面々にもその話題が広がった。

 

「せっちゃん、今好きな人いーひんの?」

 

 最初にそれを口にしたのは木乃香だった。

 尋ねられた刹那はこういった話題に初心なのか? 頬を赤くして焦った様子で答える。

 

「えっ…私は特にそういう男性は……し、強いて言えばネギ先生ですね、今は」

「ネギ君かー、ネギ君はえーよなー、ただ歳がなぁー」

 

 刹那の答えに同意するように頷く木乃香であるが、彼女達にして見れば身近にいる男性が彼というだけなのだろう。まだ幼くも器量良しの彼女達の美貌を思うと、何というか実に勿体無い青春である……まあ、まだ15と若く、そういった時間を得るには十分余裕はあるのだが。

 

「あ、明日菜さんはどうなんですか? ほら高畑先生とか」

「え―――?」

 

 刹那の話題の振りに明日菜は虚を突かれたように惚ける。

 

「明日菜は駄目なんよー、去年も一昨年も学祭で告白しようとしたけど、緊張して声すらかけられず仕舞いで……ん?」

「―――……」

「明日菜…?」

 

 茶化すように言う木乃香であったが、明日菜の何時になくボンヤリとした様子に気付き、僅かに不審そうにする―――が、

 

「何かクラスの皆して騒がしいわね…って、何時もの事か」

「あ、イリヤちゃん。撮影終わったん? さよちゃんも」

「ええ」

「はい、何とか……上手くやれているかは、判りませんけど」

 

 教室に戻ってきたイリヤとさよの登場に木乃香は明日菜から彼女達へ視線を移した。そこにさらに二人の人物が加わる。

 

「やれやれ、毎年の事ながら良く飽きないものだ」

「あらゆる障害を突破……」

「ん? 何か言ったか茶々丸」

「いえ、何でもありません」

 

 エヴァと茶々丸だ。どうやらクラスメイト達が何の話をしているか察したらしく、毎年の恒例ともいえる光景にエヴァは溜息を。茶々丸は気掛かりな言葉があるようで意味深に呟いていた。

 

「エヴァンジェリンさんと茶々丸さんも御苦労様です」

「私は別にこれといって何もしてないがな。配役も無いし…衣装の方にも問題は無かったからな」

「はい。撮影は順調でした」

 

 刹那の労いの言葉に答える二人。エヴァは衣装監督であり、衣装制作の指揮のみならず撮影時の役者の着こなし具合のチェックも担っており。茶々丸は撮影機材の扱いを―――つまりカメラ担当だった。

 人形作りから始まり様々な裁縫技術を身に付けているエヴァと、その存在故に機械に強い茶々丸を上手く活かした見事な采配だった。尤もそれを推薦したのは役者及び総監督たるあやかでは無くイリヤなのだが。

 そのイリヤは、噂話に持ちきりのクラスメイト達の様子を見回していた。

 

「ふーん、世界樹伝説…ね」

 

 クラスメイトの話を聞き、原作の事もあってか顎に手を当てて考え込む。

 原作通りこの布石を打ってくるか。こっちの対応策も耳に入っているでしょうに…と、超 鈴音の方を彼女に悟られないように一瞥しながら。

 そう、原作を見れば分かる通り、世界樹の噂…22年に一度の発光現象の事も含め、不自然なまでに噂が拡大しているのは天才少女たる彼女の仕業なのだ。魔法協会の人員を告白妨害へと割かせて自分達が動き易い状況を作る為の。

 その為、イリヤは先日、近右衛門から世界樹の件について相談を受けて、これ幸いと早速対処に動いていた。

 その準備や手間を考えると、原作のように学祭が差し迫った頃に話を持ちかけられていたら、間に合わなかったかも知れない…と密かに安堵して。

 

(…といっても相談されなかったら、こっちから早めにそれとなく話を持ちかける積りだったんだけど……けど、その場合、変に勘ぐられそうだし、ほんと良いタイミングだったわ)

 

 その時覚えた安堵感を振り返りつつ、近右衛門の判断の良さ―――己等と魔法で如何にも出来ないならば…と考えて、早々に余所者である“魔術師(じぶん)”に目を付けた思い切りの良さを称賛する。流石は協会のトップね、と。まあ、そうは言ってもエヴァの呪いを解いた事を含めて今日までの実績を思えば、当然の判断なのだが……。

 

(……でも、チャオ・リンシェンの布石に対してはそれで良いとして。まさかあんな厄介事が来るとは……私の介入もそうだけど、麻帆良祭では原作とかなり異なる事態が起きそう…いえ、既に起きているわね。だからこそあのお爺さんは私に早々相談する事にしたんだろうけど)

 

 相談時に聞かされた世界樹とは別の案件に関してイリヤは眉を顰める。

 厄介事としか言いようが無い“ソレ”。原作にも無い事であり、予想外な事態でもある為、正直イリヤは良い対処案が浮かばず。事を企む超もまたソレについてどう考え、動く積もりなのかも気に掛かった。策謀を巡らせる彼女もその件を耳にしているであろうと思い。

 

(まったく、これ以上原作を当てにするのはホント危険ね。この前の襲撃事件やヘルマンの事からもよくよく考えてみれば十分あり得る事なんだし、“先入観”が無ければ予想も出来たと思うし……いえ、何れは来るかもと予想はしていたけど…まさかこうも早く動き、学園で騒動を控えたこのタイミングに重なるとは―――やっぱりいっその事、“こと”が起こる前にチャオを……)

 

 そのように難しげに眉を寄せて考え込むイリヤがどう見えたのか、世界樹伝説と呟いた事もあってか木乃香は暢気そうに尋ねる。

 

「もしかしてイリヤちゃんも好きな人おんの?」

 

 そう、刹那にも言ったように。

 

「へ?」

「あ、それは私も気に成ります」

 

 唐突な言葉に考え込んでいたイリヤは不意を突かれ、一瞬思考が付いて行かずポカンとし。そこに意外にも刹那も食い付いた。剣一筋な生き方をしているとはいえ、やはり彼女も女の子という事なのだろう。

 

「…………」

 

 イリヤは先程までの考えを一時忘れる事にし、どう答えるべきかと僅かに沈黙するが、

 

「まあ、別に隠すような事じゃないか。……うん、いるわよ」

 

 言葉通り隠す必要は無いと考えて、正直に答えた。

 

「え、ほんと! イリヤちゃんに好きな人いるの!?」

 

 余程予想外の返答だったのか、先程様子がおかしかった明日菜が如何にもビックリしたという顔で身を乗り出してイリヤに聞き返す。

 木乃香も刹那、さよも同様に非常に驚いた表情を見せている。茶々丸も無表情ながら何処か唖然とした様子だ。

 

「む…本当よ。何かすんごく心外なんだけど……貴女達のその反応は、一体どういう意味なのかしら?」

 

 明日菜達の反応にイリヤは憮然とし、僅かに鋭く眼を細めて彼女達を見据える。

 

「いや、だって…」

「イリヤちゃんやし」

「はい。正直意外としか言えません」

「うん、うん」

「同感です」

「……あ、貴女達ねぇ」

 

 友人と思う彼女達の一様の返答にイリヤは顳顬を引き攣らせた。

 失礼にも程がある。これでもれっきとした年頃の乙女なのだ。だというのにこの子達は……。

 

「私の事をどう見ているのよ。そもそも聞いたのはコノカ、貴女からなのに…」

「う、そうやけど…やっぱイリヤちゃんやし、ホンマ意外やとしか―――」

「―――だからどういう意味なのよ、それは…!」

 

 狼狽える木乃香に対し、イリヤは声に若干怒気を込める。

 

「ま、まあ、落ち着いて下さい。確かに失礼だとは思いますが、決して悪意が在っての事ではありませんから、どうか気をお静め下さい」

「プッ…くく」

「…………分かったわ。刹那に免じて勘弁して上げる」

「あ、ありがとうございます」

「う、うん、ゴメンなイリヤちゃん」

 

 大切なお嬢様がこのままでは危ないと思ったのか、刹那は必死な様子でイリヤを宥め。イリヤはムッとしたものの、エヴァが可笑しげに笑う姿を見て、何処か悔しそうにしながらも仕方なさげにそれを受け入れ。刹那は深く感謝して木乃香も頭を下げた。残った面々も何処となく申し訳なさそうだ。ただ―――

 

(―――でも仕方ないじゃない。こういっちゃなんだけど、イリヤちゃんは可愛くて綺麗なんだけど近寄り難いっていうか、迂闊に触れたら切れそうな…本当に怪我しそうな雰囲気があるんだもの。それに…今のようにスゴク怖い時があるし、とてもじゃないけど誰か男の人を好きになるってイメージが湧かないよ)

 

 などと明日菜は、当人に決して悟られないように胸中の奥深く…そうとても深い所で思っていた。恐らく彼女の友人達も似たような思いを持っているだろう。

 ともあれ、そんなイリヤが知りようのない彼女達の内心はともかく。

 

「それでイリヤさんの好きな方とは、どなたなのですか?」

 

 つい今程まで怒りを見せていたイリヤへの恐れなど知らない、とでも言うように茶々丸は平然とそれを口にし、明日菜は一瞬ギョッとしてイリヤの怒りに再度触れないか心配するも、当人はこれといって表情は変えていないので安堵する。そして明日菜もまた茶々丸に続いて口を開いた。

 

「ネギ―――……な訳無いか」

 

 脳裏に魔法使いの相棒(パートナー)兼担任教師兼居候の弟分の顔を思い浮かべて―――明日菜は即座に却下した。

 ネギの方はどうか判らないが、イリヤはそんな感情をネギに対して見せていない。恋愛に関して聡い方では無いがこれぐらいは察する事は出来る……というか、感覚的にイリヤのネギへの態度は自分のものに近しい感じなのが判るからだ。つまり姉弟(きょうだい)といった所なのだ。それ以上でも無ければそれ以下でも無いだろう。

 その感想は木乃香も同様なのか、明日菜の言葉に深く首肯している。

 

「せやね。それじゃあコタ君も違うやろうから―――」

 

 木乃香は若干考えるように首を傾げ―――

 

「―――……あ、そや! エヴァちゃん!」

「「ブッ―――!?」」

 

 思わぬ名前の登場にイリヤと出された当人が同時に噴き出す。

 

「ちょっ!? な、なんでさ!?」「い、いったいどういう思考の末にその結論に至った!?」

 

 同時に叫び、驚きの余りにイリヤは(シロウ)の口癖が零れ、エヴァは木乃香の脳構造を疑わんばかりに眼を見開いて朗らかな笑みを浮かべる彼女を見据えた。

 すると木乃香は朗らかな表情を一転させて驚き。

 

「え…ちゃうん?」

 

 心底、意外な様子でそう言った。

 そんなキョトンとした表情を見せる木乃香にイリヤは噛みつかんばかりの勢いで言う。

 

「違うわよ。私にそっちの趣味は――――」

 

 いや、まあ…“以前”は在ったような、無かったような気がするけど……少なくとも今は―――

 

「――――全然無いわよ! 同性愛なんて不毛だし、本気で在り得ないわ!」

 

 そう、内心での言葉を隠してイリヤは全力で否定する。

 

「……いや、イリヤ。そこまで断言するのもどうかと思うが―――」

 

 そっか、お姉ちゃん(イリヤ)にはそっちの趣味は無いんだ。そこまで否定するなんて―――

 

「―――まあ、私もノーマルだ」

 

 エヴァはイリヤの勢いに若干引きつつもそれに続いた―――イリヤ同様、内心の言葉を隠して。

 イリヤは、“以前の自分”に若干その気があったように思えて身震いし。

 エヴァは、同性愛を明確に否定する“姉と思える人”の言葉に何となく消沈するものを覚え。

 この両者の心情は…デレ期にあるエヴァはともかく、イリヤはやはり入り込んだ“誰か”の精神(きろく)の影響である。無論、本人もその自覚はあるのだが……。

 

(……心底、嫌なのに同性(おとこ)にモテて、セクハラやら痴漢やらを多々経験し。一度、綺麗な異性(じょせい)に好かれたかと思ったら……ガチの同性愛者(レズ)同性(おんな)だと思われていて、異性(おとこ)だと知られた途端、手痛いしっぺ返しを受け…―――っていうかあんなことする普通…? 悪意を持って騙した訳でもないのに……その事件の所為でカウンセラーに通う羽目になってるし。オマケに最後は最後で男性にストーカーされた挙句、そのストーカーのとち狂った凶行から親友を庇って刺殺……なんて終わりを迎えているんだもの。……これじゃあ死ぬほど否定したくなるわよ! “わたし”でも…!)

 

 余りにも印象的で強くトラウマに刻まれた“精神(きろく)”の思い出にイリヤは、身震いしながら“変わってしまった己”を弁護する。

 “誰か”の大学時代に在った辛い恋愛体験とそれから繋がった最悪最低の事件と。同性への劣情という如何しようもない思い余った感情を持て余した犯人を、ついお人好し的にその犯人を傷付けまいと思い庇って拗れて起きた死因(けっか)を理解する故に。

 

 ―――あんな事は、もう本当に勘弁して欲しい。

 

 だから否定する。同性愛なんて不毛で実りの無い行為なのだと。恋をするなら、もし出来るのであれば、今度こそは真っ当な恋愛をしたいのだと訴える“内面(だれか)”の想いから。

 

 そんなイリヤの断言と怖気の籠った表情に、うわ…本当に嫌なんだ、と明日菜達は内心で呟く。

 ただ気持ちは判らなくも無いと思っている者達と、そこまで嫌がるモノかと考えている者達とに別れていた……誰が誰かとは敢えて明かさないが。

 

「んー、それでは誰なのでしょうか?」

「異性…男の人って事は、私達の知らない人なのかな?」

「あ、夕映ちゃん、本屋ちゃん」

 

 背後から声が掛かり、振り向いた明日菜は図書館組の二人の姿に気付く。

 

「何時の間に…っていうか、何処から聞いていたの?」

「えっと…木乃香がイリヤさんに好きな人がいる?…って訊いた時かな?」

「ですね。にしてもイリヤさんがあんなに感情をむき出しにしたのは、正直ビックリです」

 

 明日菜の問い掛けにのどかが答え。それに続いて夕映が先程のイリヤの様相に僅かに驚きを滲ませた。

 

「私にも色々あるわよ、ユエ―――まあ、それは兎も角として…」

 

 夕映の驚きにイリヤは何処か他人事のように溜息を吐くと、気を取り直すように話す。

 

「私の好きな人に関してはノドカの言う通りね。だから気にはなるだろうけど、その人については言っても仕方が無いわ。それに――――…………もう会えないしね」

「あ…」

 

 イリヤは寂しげに言うと、“本当の事情”を知る木乃香と刹那、さよは勿論。故郷を魔法の実験で失った“表向きの事情(カバーストーリー)”を聞いている他の面々もバツが悪そうな顔をする。

 

「せやった。…ゴメン、イリヤちゃん」

「すみません。失念していました」

 

 木乃香と刹那が頭を下げる。異世界…並行世界の住人であった事を忘れ、迂闊な事を尋ねてイリヤを傷付けたと思い。

 だが、イリヤは無言でかぶりを横に振った。気にしないで良いとでも言うように。

 木乃香達はそれに更に申し訳なさそうにするが……何も言わなかった。頭を下げて謝る以上の事は出来ず、イリヤが許すというのだからそれ以上の言葉は藪蛇だ。

 

 しかし一方で、彼女達の中に芽生える思いがあった。

 この敬意と尊敬に値する少女が好意を寄せるほどの男性とは如何なる人物なのかと。きっと彼女に相応しい大人で素晴らしい男性なのだろうと。

 そんな興味と好奇心が、勘違いとしか言いようがない想像と共に明日菜達の胸中に廻った。

 

 

 

 目の前の友人達が自分の想い人へ如何なる想像を巡らせているか気付かず、イリヤはその想い人こと士郎の事を想い……その尊さは兎も角、“正義の味方”なんて碌でも無い夢を忘れて恋人(さくら)と幸せに、そして無事平穏に過ごせているだろうかと考え―――視界の端に引っ掛かる金髪を見て…ふと脳裏に過ぎるものを感じ、その金髪の持ち主であるエヴァの方を見た。

 

 エヴァはその過去にて士郎……シロウと共に在った。その為、原作と異なり内面に10歳の当時の彼女……純真な少女としての“在り方”を残す事と成った訳だが、それを思うとシロウと別れてナギ・スプリングフィールドと出会うまで―――いや、馬鹿げたことを考えているとは思う。…けれど、しかし、原作では色々と“豊富”そうだったが、この少女は…………?

 

 ――――うん、非常に気に掛かる。

 

 脳裏に過ぎった疑問を振り払えず、イリヤはジッとエヴァを見詰める。

 

「な、何だ…? イリヤ、どうした…? 私に何か用があるのか…?」

 

 何故か自分の方を凝視するイリヤに、エヴァは不穏なものを覚えたのか僅かに狼狽える。

 それにイリヤは「うん」と重大な決断を下すように一つ頷くと。

 

「ねえ、エヴァさん。貴女って――――」

 

 そう、一度声に出して、

 

『―――ひょっとして……処女?』

 

 などと、念話で尋ねた。

 

「――――――――――――」

 

 数瞬の沈黙、

 

「な、な、なっ…―――!?」

 

 イリヤの言った言葉の意味が直ぐに理解できなかったのだろう。沈黙後、エヴァは青い瞳を大きく見開いて言葉にならない声を上げ――――

 

『―――な、何を!? 突然何を言ってるのよッ!!? イリヤ!!』

 

 一瞬で顔を茹蛸のようにして念話で大きく抗議の声を上げた。

 動揺しながらも念話であった為に念話で返したのか? 返せたのか? イリヤにしてみれば明日菜達…初心な未成年者達(じょしちゅうがくせい)の耳に入れさせない意味と、それ以上にエヴァの不意を突いて本音を引き出す思惑もあって念話に切り替えたのだが、この反応を見るに見事功を奏したようだ―――なおこの時、エヴァの体面やら尊厳やらは一切考えていなかったりする。

 もし天才脳科学者の某クリスティーナのようにテンパって「処女(バージン)で悪いか!」などと口に出していたら、明日菜達のエヴァに対するイメージは盛大に暴落していただろう。

 

「やっぱり。もしかしてとは思ったけど、そうなんだ」

 

 エヴァの反応にイリヤは納得気に、そして満足げに何度もうんうんと頷く。

 

「~~~~~~~~!!!」

 

 エヴァは羞恥と侮辱に顔を真っ赤にしたまま、声なき声を上げてイリヤを睨む。何処か半泣きだ。そしてついに、

 

『くぅ~~何、処女で悪い!? それでイリヤに何か迷惑かけた! 仕方ないじゃない! こんな成長しない身体で10歳の誕生日で成長が止まって―――』

 

 念話の中とはいえ、件の某天才少女のような事を言い。さらに爆弾発言をしてしまう。

 

『―――“初潮(あの日)”すら、ずっと来ないんだものッ!!……―――あ、』

 

 エヴァは慌てて口元を抑える。いや、口には出していないのだが、ついそんな仕草をしてしまったのだ。

 イリヤはそれを聞いて何とも言えない微妙な表情をする。ナニカ生々しく感じたのもあるが、女として色んな意味でホントにもう先が無いんだ、という哀れみや同情もあった。勿論、そこまで聞く気は無かったというのもある。

 

 ………処女かどうかなんぞ聞いておいてなんだが。

 

「……その、うん……ゴメン。悪かったわ」

「ぅ…」

 

 イリヤはエヴァから気まずそうに視線を逸らして謝罪を口にする。エヴァは本当にもう泣きそうだ。無論、明日菜達に気付かれないように表情を取り繕ってはいるが、イリヤには取り繕った表情の下に涙目な彼女の顔が透けて見えた。

 もしこれでエヴァの胸に在るペンダントこと、シロウが“起きて”いたらどうなっていた事か? 取り繕う事も出来ずに本当に泣き出していたも知れない。

 学校生活を見られる事を―――居眠りとサボリばかりの不良生徒で成績が落ちていた為―――エヴァが恥ずかしがり、校舎内では彼に眠って貰っていたのだが、それが幸いした。

 だが、このままだと直ぐにボロが出そうだと感じ、イリヤは必死に表情を取り繕う泣きそうなエヴァの手を取る。

 

「ちょっと場所を変えましょう」

 

 そう言い、明日菜達にも「エヴァさんと大事な話があるから、少し出て来るわね」と告げて、掴んだ手を半ば引っ張るようして教室を後にした。

 

 そして人気のない屋上の片隅へ移動するなり、エヴァが口を開いた。

 

「―――そう言うイリヤこそどうなのよ…! 貴女だって似たようなものでしょ? そんな見た目で18歳だって言うし…!」

 

 周囲に人の気配が全く無い所為か、エヴァは内面に在る少女の―――素の様相を顕にしてイリヤと相対した。その表情はイリヤが先程透けて見た涙ぐんだものだ。

 

「…確かに成長は止まっているようなものだけど、月のものはあるわ。処女には違いないけど。でもエヴァ、貴女が600年間も経験が無いのは流石に…いえ、その理由(わけ)は判らなくも無いし、貞淑なのも悪い事では無いと思うけれど」

「…………仕方ないじゃない」

「だからゴメンって、判ってるからそう拗ねないで。むしろ私は安心した部分もあるんだから」

 

 涙目で拗ねるエヴァにイリヤは優しく宥める。

 

「こういった言い方はなんだけど、闇の福音とか呼ばれて魔王扱いされるほど色々と自棄に奔ったのに、そういった所だけでもエヴァはきちんと自分を大事にしたんだって、ね」

 

 と、イリヤはそれらしく言うも。実の所、エヴァのような少女然とした…どう見ても10歳程度の女の子が原作のように経験豊富そうであったり、非処女だったりなんかしたら……こう何と言うか、動揺すると言うか、ザワザワと落ち着かない気分があるのだ。倫理的な感覚から。

 紙の上に描かれた二次元(まんが)(せかい)では無く、現実の世界で直に実感を持って接しているから尚更に。

 

(いや…本当、現実(リアル)で見ると、小学の高学年にも差し掛かっていない容姿と体格なんだもの。そんな可憐で無垢そうな幼い金髪の少女が……“経験済み”且つ“豊富”…だったらなんて、ねぇ)

 

 眼の前にあるエヴァの幼い身体を改めてマジマジと見詰めながら内心で呟く。もしそうであったらホント複雑だと言わんばかりに。だからそうでなくて心底安堵した、とでも言うように。

 そんなエヴァにとっては失礼とも言える内心の考えを一切おくびに出さず、イリヤは話を続ける。

 

「あと、それにシロウとの事もあるし」

「…? どうしてそこにシロウの名前が出て来るの?」

 

 シロウの名が出てエヴァは小首を傾げてキョトンとする。

 

「どうして…って、それは勿論、大事な弟の事を任せる以上、その女性(ヒト)にはシロウに一途で貞淑であって欲しいじゃない、姉としては。だからこその妹分でもあるんだし」

 

 さも当然のようにイリヤは言う。先程のものは隠したがこれもまた同様に…いや、それ以上に大事な本心だ。大切なシロウの事を任せる以上は彼を一番に想って欲しい―――が、それを言った直後、

 

「え――――?」

 

 エヴァは意味が分からないといった風に声を零し――――瞬間、再び顔を真っ赤に染めた。

 

「なっ!?…ち、違っ……シ、シロウと、私は、そ…そんな、関係じゃッ…!?」

 

 余程動揺したのか、殆ど言葉にならない口調で必死に否定する。

 

「シ、シロウは、あ、あくまでも兄のようなもので……! そ、そんな対象じゃないからッ!」

 

 そんな必死の否定に今度はイリヤが不思議そうにキョトンとする。しかし直後、ふーん、と意味深に頷くとニンマリとした笑みを浮かべた。

 

 

 

「……兄のようなもの、ねぇ。…本当にそうなのかしら?」

「…!」

 

 イリヤの浮かべる笑みにエヴァは警戒を覚える。目の前の白い少女が碌でも無い事を考えているのでは? と予感したのだ。

 

「へ、変な勘繰りは止めてよ! シロウとはホントにそうじゃないから…!」

「そう? それじゃあ―――……私が代わりに貰ちゃおうかな?」

 

 顔を赤くして否定するエヴァに、イリヤはどこか妖艶さを感じさせる声色で囁くようにして言う。その笑みも色香を帯びた艶を感じさせるものに変わった。

 

「―――!!」

 

 イリヤの言葉の意味を理解し、エヴァは先程覚えた警戒を忘れて眼を大きく見開いた。

 

「うん、そうね。身体を現界させた際、お礼に恋人として付き合って貰うのは悪くないわね。あのシロウも大切な“お兄ちゃん(シロウ)”には代わりないんだし、“初めて”を捧げるのも……それに―――」

「―――ダメッ!! そんなの絶対駄目ッ…!!」

 

 イリヤの思わぬ言葉にエヴァは彼女のその言葉を遮って叫び、イリヤを強く睨んだ。

 ただこの時、エヴァは胸に湧いた感情が如何なるものか明確に理解してはいなかった。唯一判るのは“代わり”だと言い、妥協したようにシロウと付き合うと言った事に対する怒りだけだ。

 

「幾らシロウだからって、このシロウはイリヤの知っているヒトじゃない! そんなの許されない!」

「そんなこと無いわ。シロウはシロウよ。例え世界が違っていても……私の大切な人よ。きっとシロウの方も私をそう思ってくれているわ」

「ッ―――……それは…! そうだけど…」

 

 イリヤの返しにエヴァは僅かに怯んで声を沈ませる。何故ならイリヤの言葉は事実だからだ。

 “自分のシロウ”はイリヤを大切に想っている。姉として妹として家族として、イリヤの言う通り例え世界が違おうとも……確かに“愛して”いるのだ。

 その事は彼の口ぶりからも明らかだし、間違いない。

 

「なら良いじゃない。私が好きになっても、好きであっても、そして付き合っても。シロウも多分拒まないわ。まあ、ただ付け込むようなカタチになるだろうから、少し悪いとは思うけど―――……けど、これぐらいのサービスはせめて欲しいわ」

「…………」

 

 反論の言葉が思い浮かばずエヴァは唇を固く結んで俯く。

 もしイリヤの言う通りシロウが拒まず、二人が付き合う事になったら……それはきっと祝福すべき事だ。恩人であり大切な家族とも言うべき人達がどのようなカタチであれ、想いを通わせるのだ。

 

 ―――でも、

 

 想像する。

 シロウとイリヤが二人っきりとなり、誰も居ない場所で肩を寄せ合い、恋人のように語らい、抱き合い、唇を寄せ合い、そして更には―――

 

「…!」

 

 そんなのは嫌だった! シロウが! 自分を想い守ってくれたシロウが! 自分以外の他の女性と―――……例えそれが姉だと思える大切な人であっても、そんなのは認められない。

 

「く……!」

 

 考えるだけで眼元が熱くなって涙が零れそうになり、胸が苦しくなって心臓に嫌な動悸が奔り、どうしようもない焦燥感が全身を覆って心が潰れそうになる。それが独占欲からなるモノだというのは判る。

 

 ―――けれど、

 

 それが父や兄に対する親愛によるものか、それとも異性への情愛によって齎されるものなのかはエヴァには判らない。

 ただ、どうしても嫌だとしか、認められない、受け入れられないとしか、そんな強く嫌な感情(おもい)が在る事しか判らなかった。

 ナギにアリカという女性がいた事を知った時は、こんな…ここまで強く、酷く、苦しくは無かったというのに。

 

 

 

「……ふむ」

 

 俯き顔を苦しそうに歪めるエヴァのそんな様子を見て、イリヤは少し考える。

 その様子を見る限り、エヴァの中にシロウに対する独占欲があるのはよく判った。尤もそれ自体は彼女の過去を思えば容易く想像出来るものだ。だからこそイリヤは、エヴァにシロウに対して異性に抱くあらゆる感情があるのだと見ていた。

 そう、厳しく見守ってくれる父であり、優しく助けてくれる兄であり、想い寄せる恋人であり、そして…生涯に亘って共に歩んでくれる夫たる男性なのだと。

 

 しかし、

 

 10歳の幼い少女……いや、エヴァンジェリンという純真な少女は思いの外、自分の感情に鈍いらしい、とイリヤはそう思った。正確に言えばそう思えたと言うべきだろうか。あくまでもイリヤの感想なのだから。

 つまりイリヤが感じたのは、エヴァはどうやら自分に指摘されるまでシロウの事を父や兄以上の存在だと、恋愛対象だという自覚が無かったのだ。

 その存在が余りにも近しかったが故に。例えるなら恋愛小説やギャルゲーにでもよくある“幼馴染”という奴だろう。

 だから、現在エヴァがイリヤの言葉に惑わされ、葛藤しているのは、それを自覚した…させられた混乱と戸惑いによるものだ。

 

 と、言ってもこれはやはりイリヤ個人の感想のようなものだから、何とも確実な事は言えないのだが……イリヤにしても、(なか)に入り込んだ“誰か”にしても、語れる程の恋愛経験は無いのだ。

 だからという訳ではないが、イリヤは少し切り口を変えて更に揺さぶりを掛けて見る事にする。

 

「なるほど。エヴァは私がシロウと付き合うのは嫌みたいね」

 

 ちょっと意地悪な小悪魔的な口調で話す。

 

「なら……そうね。じゃあシロウの方から貴女に迫って来たらどうする?」

「え…?」

 

 唐突な切り出し…いや、話題内容の切り替えにエヴァは戸惑う。先程までイリヤが付き合うみたいな事を言っていたのだから当然だ。

 

「もしシロウにエヴァが好きだ、付き合いたい、恋人になって欲しい…って言われたらどうする?」

 

 惚けたような表情のエヴァにイリヤは繰り返すように言った。

 

「!―――なっ…そ、そんな事……」

 

 三度(みたび)、顔を真っ赤にしてエヴァは有り得ないと言うように首を振る。

 

「…ありえないっていうの? そうかしら? だってシロウって結構、私やエヴァのような小さい子も好みみたいよ」

 

 本人が聞いたら凄まじく抗議を上げそうな事を言う。その為か、顔は赤いままだがエヴァは何処か冷めたような引き攣った表情を見せる。

 

「……それはそれで、物凄く嫌なんだけど」

 

 どう聞いても変態(ロリコン)です。本当に有り難う御座ました、とでも言いたげだ。もしくはシロウはそんな変態という名の紳士じゃないと言った所だろう。

 イリヤも言ってからそれに気付いたのか、額に薄っすらと汗を浮かべて「そ、それもそうね」と曖昧な笑みで言う。

 凄烈な出会いと印象があったとはいえ、小柄なセイバーに見惚れた事実と。あの“四日間”で“中身(なか)”が違うとはいえ、基本的に“本人”であるシロウが自分の水着姿が一番などと褒めた為につい口にしたのだが……確かに今考えると前者はともかく、後者は非常に危険な言いようだ。

 下手すれば「お巡りさん、この人です!」といった事案が発生しかねない……というか、セイバーやリン、サクラに聞かれたら本気で血の雨が降りかねない。

 が、イリヤは顳顬から垂れる汗を拭いながらも気を取り直して話を続ける。

 

「ま、まあ、けど…それでも、もしシロウが“君が欲しい”って言って迫って来たら―――」

 

 一拍間を置き、冗談めかした口調と表情から一転して真面目なものに変えてイリヤは告げる。

 

「―――エヴァはそれを拒める?」

「!―――――――――」

 

 真面目に且つ真剣な様子で言われ、エヴァは直ぐに応えられなかった。しかし……内心ではほぼ即答していた。

 想像する。

 イリヤが今言ったように“欲しい”等とシロウから言われたらきっと拒めない。いや、仮に自分と付き合う事になり、恋人関係になったとしてもそんな節操の無い事など言わないと信じているが―――もし、もしも本当に言われ、強引にでも“求められたら”。

 

「…………拒絶、なんて……出来ないよ」

 

 本人の意図しない所で無意識にポツリとそう口から零れた。今まで以上に顔を真っ赤に染めて。

 

 

 

「ふむ…」

 

 小さく零れたその声を耳にしてイリヤはまたも唸って満足げに頷いた。これでエヴァのシロウへの想いに確信が持てた事もあるが、本当にシロウを、そしてエヴァをお互いに任せられると思ったが故だった。

 尤も端から心配して気に掛けるような事でも無かったのだろうが……―――それでも将来の事を考えると、こうして逸早く自覚して貰えた事にホッと安堵せざるを得ない。

 

 ―――アスナ達に大事な話なんて嘯いて、ほんとにそうなるとはね…。

 

 そんな事を胸中で思って。

 

 そのあと、イリヤは冗談だと「シロウと付き合うなんて嘘よ」なんて言ってシロウとの事を撤回し、エヴァが再度イリヤを涙目で睨むなどといった事になるも。

 

「―――私が、“貴女の大好きな”シロウを取る訳無いじゃない」

 

 なんて言葉を、イリヤが一部分を強調して言った為にエヴァは思考が停止したように硬直し、その不意を突かれて白い少女に手を掴まれて此処に来た時と同様、反論も抗議も許されず教室へと引っ張られていった。

 

 傍から見るとまるで、本当に仲の良い姉妹に見えるような恰好で―――。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 教室を後にしたイリヤとエヴァの背中を見送り、大事な話とは一体何なのだろうと思いつつ、再びクラスメイト達の噂話を耳にして、明日菜達も色恋に話題を咲かせる。

 

「…それにしても、イリヤちゃんの好きな人かぁ」

「聞き辛い事ですけど、何時かは聞かせて貰いたいものです」

「せやねー、事情は判るけど、やっぱ知りたいわぁ」

「はい。イリヤさんが想いを寄せるほどの御仁…さぞかし素晴らしい男性なのでしょうね。とても気に成ります」

「ええ…」

 

 のどか、夕映、木乃香、刹那といった順に口を開き、茶々丸が同意して頷く。

 そして茶々丸が頷く様子に目が行った為か、木乃香がふと思い出したように、

 

「そういや、茶々丸さんにも好きな人がおったんやよね」

 

 つい数日前、麻帆良工科大で発覚した事実を口にして「え?」「そうなのですか!?」と、のどかと夕映の図書館組コンビが食い付き。茶々丸をオロオロさせる事と成り、さらに撮影を終えた古 菲と和美が加わってネギパーティーの面々は騒がしくなる。

 無論、明日菜も皆の輪に加わって、色恋沙汰に話を咲かせたり、暴走しそうになる友人達を刹那と共に諌めたりもしたが―――

 

(―――ホント、どうしたら良いんだろう。でも、何時までもこのままっていう訳にも行かないし……)

 

 などと。目の前の色恋沙汰の所為で想い人こと高畑先生の姿が脳裏に浮かび、恐らく自分の稀有な“特異能力”の事も知っているのだろうと連想し……密かに懊悩していた。

 

 何時もより強く残る今朝見た夢の内容と共に、頭痛を覚えながら。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 放課後―――明日菜は美術部に顔を出していた。

 バイトなどの事情からサボリがちな自分がここ連日顔を出している為、部員達から―――苦学生である事を理解しているので陰湿さは無く、冗談めかした程度に―――からかわれたりしたものの、真面目に筆を取って画板に向かい合っていた。

 

 いや、真面目に向かってはいたが集中さは欠いており、気が漫ろになっているというのが正しいか。

 

「…………ふう」

 

 漫ろに成りながらも画板に向かい合い一時半間ほど………筆を止めて溜息を吐く。

 画板に描かれているのは、一人の人物……そう、彼女の想い人であり、育ての親とも言えるタカミチだ。

 だからこそ、筆を振るう手は今一つ進まず、止まりがちに成り、真剣に向かい合おうとしても…………どうしても駄目だった。

 止む無く明日菜は筆を放し、画板からも視線を逸らしてその場から立ち上がった。このままじゃ行けない。学祭にも間に合わないと理解しながらも。

 

「情けないなぁ」

 

 何と無く窓際へと足を運び、夕陽に染まった空を見上げて思わず愚痴るように呟く。

 既に他の部員の姿は無く、宙にそのまま消える筈の、自分以外の誰の耳に入る事も無い独り言……その筈だったが、

 

「―――何がだい?」

「!?」

 

 背後から突然に掛けられた声に明日菜はビクッと身体を大きく震わせた。誰も居ないと思い込んでいた事もあるが、それ以上にその声には覚えがあり過ぎたからだ。

 

「た、高畑先生…」

「やあ、明日菜君」

 

 驚き、振り返るとそこにはやはり顔見知りの彼の姿があった。

 

「え、あ…っと、ど、どうして此処に…?」

「はは…まあ、仕方ないか。顧問だと言っても余り顔を出していないからね」

「あ、」

 

 尋ねた明日菜はタカミチの言葉を聞いてその疑問に思い当たる。彼は自分の所属する美術部の顧問なのだ。色々と忙しくしている事もあって、言う通りめったに顔を見せず、活動や運営を先輩方に殆ど任せっぱなしにしてるが、それでも明日菜は入部から暫くはタカミチ手ずから絵の教えを受けていた。

 

「す、すみません。つい…」

「いや、いいよ。こればっかりは自業自得だしね」

 

 思い至り、失礼な態度だったと頭を下げる明日菜にタカミチは返って申し訳なさそうにする。彼にしても理由は在れど、不良教師という自覚は無くも無いのだ。

 

「いえ、そ、そんな…こと…!」

 

 明日菜は首を振ってそんなことは無いと、高畑先生は立派な教師だと言おうとするが中々言葉にならない。しかしタカミチは察したようで苦笑を浮かべる。

 

「ありがとう、まあ…でも、それよりも―――」

 

 そう、明日菜の気遣いに礼を言って、今度は彼の方から気遣いの言葉が出される。

 

「落ち込んでいるように見えたけど、どうかしたのかな?」

「あ…それ、は……」

 

 今までと変わらない、自分の知る好きな…大好きな優しげな瞳で見詰められ、明日菜は言葉が詰まった。

 緊張が全身を包み込み、ドキドキと心臓が鼓動を打つ音が聞こえる……だが、それは何時ものモノとは違う。恋する感情から湧き出る、苦しくも何処か心地良さのあるモノとは異なる強張った物だった。

 数秒程見詰め合い、タカミチはそれに気付いていないのか、ふいに視線を逸らして、おや…?と呟き。

 

「へえ、これは僕かい。僕なんて描いても面白くないだろ」

 

 明日菜の描いていた未だ完成の見えない絵を見つけて、感心するように言う。

 

「でも、ありがとう嬉しいよ。明日菜君、絵が上手くなったねー…」

 

 自分の画板に向かい背中を見せるタカミチに明日菜は……何度も口を開いては閉じ、開いては閉じてを繰り返し、

 

「……ッッッ!! すみません! 今日はこれで失礼します…!」

「え? あ―――」

 

 叫ぶかのような声にタカミチの驚きの表情を見せるも、明日菜は構わず急ぎ部屋の隅に在る自分の荷物を取ると、画材を片付ける事も無く外へと足早に駆け出していた。

 

 

 

「ハァ、ハァ……ホント、私って情けないなぁ」

 

 走って校門を出て暫く、明日菜は歩道の脇にある街灯に背を預け、空に向かってまたそう呟いた。

 陽の傾きは先程のよりも強まり、東の空は大分暗く、黄昏時の印象もより深めている。

 何となく、それが落ち込んだ自分の心情を表しているように明日菜は思え―――あ、と気付く。

 

「しまった。後片付け…」

 

 今更ながらに美術室に画材道具一式を放りっぱなしな事に気付いた。これでは明日一の授業で美術室を使うクラスや生徒に迷惑を掛けてしまう。

 とはいえ、まだタカミチがいるかも知れないあの場所に戻る勇気は無かった。

 

「―――ハァァ…」

 

 情けなさと黄昏た心情が大きくなり、盛大に溜息を吐く。

 

 

 

 そうしてさらに暫く、

 落ち込んで俯き、地面に視線を落としていると小走りに誰かが……いや、誰か達が自分の方へ近づいて来る足音が聞こえた。

 

「ああん、明日菜。せっかくのチャンスやったのに……」

「あんなに勇敢な明日菜さんが…」

 

 自分の直ぐ傍で足音が止まり、顔を上げるなり近付いてきた二人―――木乃香と刹那が言った。

 木乃香は勿体無い、と。刹那は意外です、と。言葉尻に付け加える。

 

「あ…見てたんだ……」

 

 明日菜は二人の登場に少し驚きながらもこの友人達が懐く勘違いに気付く。どうやら自分がついに告白か、学祭にタカミチを誘おうとしていたのだと思ったらしい、と。

 

「…………」

「ん? どうしたん、明日菜」

「ううん、何でも無い」

 

 木乃香達の勘違いにどう言ったものか少し悩んだ明日菜だったが、ただ首を振るだけに留めた。この親友達には自分の問題で余計な心配を駆けたくないと思ったのだ。

 そんな明日菜に木乃香と刹那はどう思ったのか、何時になく元気が無く憂鬱そうな明日菜の様子にやはりタカミチに告白や学祭デートに誘う勇気が持てなかった事が堪えていると……若干、付き合いの長い木乃香は違和感を覚えたが、取り敢えず思い当たるものがそれしか無く、そう考えて明日菜を慰める。

 

「でも、大丈夫やよ。まだチャンスはあると思うし、直で無くとも電話やメールって方法もあるえ。勇気を出して頑張や」

「……うん」

 

 親友の言葉に明日菜は、億劫な気持ちはあったものの少し元気を出して頷いた。

 

「そうです。明日菜さんならきっと大丈夫ですから。まあ、そういった踏ん切りが付かない気持ちは判らなくもありませんが……確かに考えてみると鬼や悪魔と立ち向かう勇気とは違いますね。そっちの方が私も楽な気もしますし…」

「……それもどうかと思うぜ、刹那姉さん」

 

 木乃香に続いて慰めの言葉を言う刹那であるが、その肩に掴まるカモがそのあんまりな言いように肩を竦めて突っ込みを入れる。

 そしてどう思ったのか、やれやれと彼はかぶりを振ると。

 

「しょーがねえな、此処は俺っちが姐さんの為に一肌脱ぐか」

「ん、カモ君。高畑せんせーを誘う、何か良いアイディアあるん?」

「ああ、修行さ」

「修行…?」

「おう。今、姐さん達がエヴァンジェリンの下で修行しているように恋愛でも修行するのさ。要は男を相手する経験を積もうって事だ。姐さん達はずっと女子校育ちのようだし、あんまり男子と接する機会は無かっただろうからな」

 

 尋ねる木乃香と怪訝そうな表情する刹那に、カモは得意げにそう言った。

 明日菜はそんなカモの様子に、昨今すっかり鳴りを潜めたが今までの所業もあって酷く不安を覚えたが……反対する意欲も無かった為、状況に任せるままに流される事にした。

 

 それに―――

 

(―――それに今日は、“別荘”にイリヤちゃんが来るっていうし)

 

 頼れる白い少女の姿が脳裏に過り、胸の淵に澱むこの鬱屈した感情を晴らす機会が在るかも知れないと、そう思えた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 場所は別荘へと移り。

 

「赤いあめ玉、青いあめ玉、年齢詐称薬~~♪」

 

 どこかの青だぬ……もとい未来から来た耳の無い青猫がポケットから道具を取り出すような口調で、カモはその短い手で赤い玉と青い玉の入った瓶を高らかに掲げた。

 

「ほう、これまた懐かしい物が出て来たな」

「へぇ、これが……実物は初めて見るわね。薬品レシピや術式なんかは見た事が在るけど…」

 

 それを見て真っ先にそう口を開いたのはエヴァとイリヤだ。

 

「なんかイキナリ犯罪っぽい名前のアイテムが出たわね。詐称って…」

 

 そう言うのは明日菜だ。その表情は早くも不安的中といった様相だ。そのいかがわしい名前に後ろ暗いものを感じたらしい。

 それを察したのかエヴァとイリヤは苦笑する。尤もイリヤは原作で見た台詞そのものである事も苦笑の理由だが。

 

「ま、確かに名称は如何にもという風に怪しいがな」

「そうね。でも市販されている物なら、注意すれば見習い未満の魔法学校の生徒でも見破れる程度の幻術だっていうし……一般人は兎も角、“こっち”じゃ犯罪に使えるものじゃないわ」

「……それはそれで、“あちら”では使い放題なナニカ抜け穴一杯な気がするアルが…?」

 

 エヴァに続いたイリヤの説明感漂う台詞に、古 菲がウムムと難しげな様子で疑問を口にする。

 

「そうなんだが、一応この手の魔法薬は管理が厳しくなっていてな。先ず未成年は購入不可能だし、買い手には身分証明書の提示が義務付けられている…まほネットでもな。だから購入者の記録はバッチリ各国協会や“本国”のデータバンクに残るんだ」

「なるほど、ですからこの詐称薬を使った犯罪が発生し、明らかに成ったら真っ先に購入者が容疑者候補に成る訳ですか」

「ああ、そうなると後は通常の警察捜査と変わらん。事件発生地域や近隣の購入者、別地域の購入者のアリバイや移動記録なんかを洗って被疑者を絞る訳だ。まあ、それでも穴はあるということ自体に変わりは無いんだが……それ以上取締りを厳しくするならこの薬その物を禁止指定するしかないな」

「けど、実際そうなる事は無いでしょうね。市販されている物を始め、余程高位の術者が作らない限り、幻術によって身体を覆う魔力と術式は結構簡単に感知できるし……だから魔法社会への実害は皆無な訳で―――」

「―――法規制も現行のままという訳ですか、となると表社会への被害も考えられる程多くないのですか?」

「ええ、外見年齢を変えられるとなると使い道は色々とありそうなものだけど、逆に言えば、それだけな訳だし。感知も容易だから各種インフラ設備に敷かれた対魔法犯罪用セキュリティにも簡単に引っ掛かるしね」

「フーム、なるほどネ」

 

 エヴァ、イリヤと真面目な夕映に加え、何時になく興味を示す古 菲が交じって講義めいた話に成る。

 それを見たカモは少し焦る。これじゃあ普段の座学と変わらない事になる。何時まで経ってもこっちの本題に入れないと、そう思ったのだろう。

 

「あー、すみませんが、そこまでにしてくれませんかね」

 

 カモは遠慮がちな口調ながらも、若干語気を強めて件の面々に声を掛ける。

 

「っと、そうだった。スマン」

「ゴメン、カモ」

 

 変に熱中した所為か、監督官である二人がバツが悪そうに頭を下げる。

 それにカモは、いえ…と答えつつもイリヤは兎も角、何か最近丸くなったように思えるエヴァに逆に不気味なものを感じてしまう。

 が、カモは深く考えると恐ろしい事になりそうだとも思い、それを振り払うように一度咳払いする。

 

「コホンッ…ともかく、コイツはお嬢様たちが言った通り外見年齢を調整できる薬だ。で、コイツを使って大人になった兄貴と姐さんはデートして、姐さんに男を相手にする経験を積んで貰おうって訳さ」

 

 明日菜に向かってカモは語る。

 

「さっきも言ったが、(いくさ)も色恋も“慣れ”だかんな。場数さえ踏めば何とかなるもんだ。」

「…まあ、言いたい事は判らなくも無いけど……」

 

 詐称薬を取り出す直前に言った言葉を繰り返すようにして、明日菜に言うカモにイリヤは少し首を傾げる。

 その背後で「ネギ先生とデート…」「…です」「……」と変にソワソワしている面々が三名ほどいるが、カモは怪訝そうにして畏怖し敬愛する白い少女に尋ねる。

 

「イリヤお嬢様、何か?」

「うん、男性と接する機会の無いアスナに経験を積ませるって意味では、カモの提案は悪くないと思うんだけど…」

「…やけど?」

 

 尋ねるカモに首を傾げたまま答えるイリヤに、それを真似るようするに木乃香が小首を傾げる。イリヤはそんな彼女に視線を移しながら続けて答える。

 

「ネギっていうのは無理が在るんじゃないかな…って、思って」

「え、どうして…?」

 

 イリヤの言いように、ネギは引っ掛かる物を覚えて疑問の声を上げた。

 

「ネギには悪いけど、やっぱり子供の貴方じゃあ無理が在るような気がするのよ。幾ら外見を大人にしても中身はどうしても追い付かないんだから」

「あ…」

 

 イリヤは原作抜きで思った事を口にしただけだった。それにネギが寂しそうな声を上げるがイリヤは気付かず、明日菜の方へ視線を向ける。

 

「それに根本の原因は別にあるんだろうし……―――そう、本命を…タカハタ先生を前にするのとはやっぱり違うでしょ?」

「―――…ぁ」

 

 向けられた白い少女の緋色の瞳に明日菜は身が竦むような思いを感じて小さく声を零し、イリヤに何かを言おうと口を開く―――が、自分のアイディアを試そうともせず、否定された事に反発を覚えたカモが先にイリヤに反論した。

 

「かも知れませんが、外見が変わるだけでも印象ってのは意外と変わるもんでしょう? 女が髪を切ったり、伸ばしたりするだけで男が目の色を変えたりするように。普段身なりを気にしないだらしない男がそれを整えるだけでガラリと雰囲気が変わって女が見方を変えたりするように」

「……うん、それは否定しないわ」

「だったら試す価値はありますよ。きっと男慣れしていない姐さんの役にも立ちますって―――ねえ、兄貴」

 

 イリヤの首肯する姿を見て、カモは気を良くしたようにネギに話を振る。

 それにネギは一瞬戸惑い狼狽えるが、イリヤの向ける目線―――何気ない、これといった期待も込められていない瞳―――に気付き、力強く頷いた。

 

「―――うん…! 協力するよ。明日菜さんの為にも!」

「おう、その意気だぜ、兄貴…!」

 

 意気込むネギに、カモは更に気を良くして応援するように声を掛ける。

 ただ何故かネギの視線が協力すべき明日菜の方では無く、イリヤの方へ向いたままで、強く挑むようになっていたが……イリヤは訳が分からず再び首を傾げるだけだった。

 それを傍から見ていたエヴァは何故か溜息を吐き。夕映とのどか、茶々丸も何処か複雑そうにし。木乃香は何かピンと来たように眼を見開き、直後に納得した様子で頷いていた。

 刹那と古 菲は、ぼんやりと成り行きを見ていた明日菜に声を掛け、

 

「では、明日はカモさんの言うようにネギ先生とデート…という事になるのですか?」

「……デート、アルか。しかしやはりイリヤの言う通り、ネギ坊主が相手だとそんな気分になれるとは思えないネ」

「っていうか、そもそも私はデートするって受け入れた訳じゃないんだけど……アレ? そういえば明日の撮影スケジュールってどうなっていたっけ?」

 

 明日の事と聞き、明日菜はハッする。

 本来、明日は休日なのだが学祭までの日程が厳しい事もあって、休み返上で映画製作に取り掛からなくては行けないのだ。

 事実、放課後の時間帯である今も撮影は行われており、主役のさよの姿は此処に無い。本当なら今日はイリヤ同様、“別荘”を訪れる所なのだが。なお和美も同様で茶々丸と同じカメラ担当の一人として撮影に忙しくしていたりする。

 

「えっと…少し待って下さい。今確認しま―――」

「―――いえ、大丈夫です。明日は明日菜さんの撮影はありません。今此処にいる方々の殆どは手が空く予定です」

 

 明日菜の問い掛けに、刹那は学生手帳に掛かれたメモを見ようとポケットに手を伸ばすが、それよりも早く茶々丸が答えた。

 

「あ、助かります」

「あ、ありがとう、茶々丸さん」

 

 突然の横からの声に少し驚くも手間が省けて刹那は礼を言い、明日菜はすぐさま教えてくれた事に感謝する。それに茶々丸は短く「いえ…」と答えて、小さくかぶりを振った。

 

「なら、デートは問題無いという事アルか。何というか良いタイミングだったネ。良かったアルな明日菜」

「……いいなぁ」

「………まあ、今回は仕方ないですよのどか。明日菜さんの為なのですから」

 

 問題無さそうだという事を聞いて古 菲はあっけらかんと素直に喜び。のどかは羨ましげにして、夕映が慰めるようにその親友の肩を叩いた。

 そんな友人達の様子を見て、明日菜は微かに眉を寄せる。

 

「私、デートするなんて一言も言ってないのに…」

 

 そう呆れた様に小さく呟くも。

 

「明日菜さん、明日はしっかりと大人の男性としてリードできるように頑張りますから! 明日菜さんの恋を叶える為にも…!」

 

 と。

 妙に意気込みを見せるネギに断るのもなんだと感じ、気乗りしないものの受けるしかないかと諦める事にした。

 

 

 

「それで、実際この薬効果あるん?」

 

 ネギの意気込みを聞いてデートが決まったと見た木乃香が、いざ明日必要になると思われる瓶を見詰めて言う。

 カモはそれに頷く。

 

「確かにそうだな。大丈夫だと思うが、俺っちも使った所は直に見たことはねえし……それじゃあ少し試してみっか」

 

 そう言うと、カモはネギの持つ瓶へと彼の身体を上って駆け寄り、両の手で器用に蓋を開けて中の丸薬を取り出す。

 

「ほら、この赤いので大人の姿になれるぜ」

「なら、ウチが試してみてええ?」

「ん? まあ…いいか。じゃあ木乃香姉さん」

 

 身を乗り出す木乃香にカモは一瞬ネギの方を見たが、乗り気の木乃香に断るのも悪いと思ったのか、彼女に薬を渡す。直後―――

 

「わっ!?」

 

 如何なる演出なのか、木乃香が薬を口入れた途端、煙が彼女の身体を包み込み、直ぐに晴れて……二十歳前後に見える日本的黒髪美女が姿を現した。

 

「うっ…制服がきつ、目線も高くなっとるけど……ウチどうなったん?」

 

 幻術であるのに…いや、だからこそ幻覚で感覚も体格に合わせてフィットさせているのか、サイズの合わなくなった制服に身体を締め付けられて木乃香が苦しげな表情をする。

 エヴァとイリヤを除いて一同は姿の変わった木乃香に唖然とし、冷静なエヴァがイリヤに催促されて『物体召致(アポーツ)』で鏡を―――大き目の姿見を呼び寄せる。

 

「わ…!? これがウチ…?」

 

 金細工の縁を持った見た目からして如何にも高価そうな2m大の長方形の鏡を前にし、木乃香が感嘆の声を上げた。

 背が高くなり、顔付きも大人っぽく見事に美少女から美人になっているが、何よりも目が行ったのは……身を締め付ける苦しさからベストは脱ぎ、タイを緩め、ブラウスのボタンも外した為に大きく強調される事と成った胸元だった。

 

「わっ! わっ! 見て見て! ウチ、ナイスバディや~!」

 

 ブラもブチっと外れた事も気にせず、木乃香が皆に見せ付けるように喜びを露わに言った。

 

「た、確かにこれは…」

「ハイ…スゴイです」

「お…お嬢様……」

 

 明日菜と夕映が驚き固まりながらも素直な感想を零し、刹那は何故か鼻を抑えている。

 イリヤはそんな刹那の反応にゲンナリするが敢えて何も言わなかった。自分の身に降りかからないなら問題視する気は無い……無論、それで良いのか? という思いは無くは無い。花の乙女たる彼女達の将来を思うと尚更に。

 

「ヨシ、次は私ネ…!」

「…あ、わ、私も…!」

 

 見て驚くだけでは我慢できなくなったのか、古 菲が未だネギの手に在る瓶に腕を伸ばし、のどかもそれに続く。カモはそれに「え、あ…ちょっ!?」と声を上げるが―――遅く。2つの煙がボンっと立つ。

 

「あー、高えクスリなのに……」

 

 カモはガックリと項垂れる。

 イリヤはその彼の姿に原作と違う物を覚える。漫画の方でも似たような台詞はあったが、こんな落ち込みようは見せなかったからだ。

 そしてその違和感は当たっていた。

 カモはイリヤへの発覚の恐れと、彼女のお蔭で芽生えた使い魔たる己が立場の自覚から、ネギの口座では無く自分の持つ口座で詐称薬を購入していたのである―――なのにこうも後先考えず高価な薬をポンポンと呑まれては……故郷への仕送りもある中で苦労して遣り繰りしている彼にして見れば、正にご愁傷様と言った所だ―――が、

 

「……カモ君。後で僕の方から購入分のお金を出すから…」

「あ、兄貴ィ…」

 

 カモの様子から察したのだろう、ネギが費用を出すといった事でカモは感激するように涙を流した。半ば興味本位で購入した物に主人が必要経費として落としてくれる気遣いに、流石は自分の見込んだお人だと言わんばかりに。

 しかし、これでネギは預金を大きく減らす事と成り、後に今度は彼が別の意味で涙を流す事と成る。

 

「お、おお…!」

「あ、ッ…く、苦し……!」

 

 木乃香の姿を見ながら後先考えずに薬を飲んだ為、古 菲とのどかは木乃香と同じ目に遭って締め付けられる身体に苦しそうにするが、直ぐに制服を緩め、

 

「これが大人になった私カ」

「…………」

 

 二人は鏡に映った自分の姿を観察する。

 古 菲は伸びた背と均整の良い体付きに満足げな笑みを浮かべてホウホウと何度も頷き。のどかは何処か落ち込んだ表情を見せていた。大人っぽく美人となった顔付きや伸びた背丈は兎も角……主に胸の方を見て。

 

「―――まあ、必ずそう育つって訳でもねえんだが」

 

 落ち込んだのどかの姿を見かねたのか、カモがフォローするように言う。エヴァもそれに頷く。

 

「ああ、あくまでも幻術だからな。今在る使用者の姿とイメージ…深層心理を汲み取って反映しているに過ぎない。……だから、何だ、そう気にするな。そうなったのは“大きくなった”自分の姿が思い浮かばなかっただけなんだから、な」

 

 エヴァは捕捉するように言うと、気にするなといった感じでのどかの肩を優しくポンッと叩く。しかし―――

 

「―――な、慰めになってないよー!」

 

 そ、それって自分の成長に自信を持っていないって現われなんじゃ!?と。将来への不安やら体型にコンプレックスを抱いているのだと指摘……いや、暴露されたようなものである為―――しかも好きな人(ネギ)の目の前で―――のどかは愕然として叫んだ。

 尤もそれを見て、中学生らしくない体格を持つ彼女の親友はホッと安堵の息を吐いていた……興味本位で手を出さなくて良かったです、と密かに呟いて。

 その親友を除き、のどかの愕然とした哀れな様子に他の面々は苦笑を浮かべていたが―――刹那が不意に言った。恐らくイリヤの秘密を知る故に気に掛かったのだろう。

 

「イリヤさんは試さないのですか?」

 

 と。

 本当は18歳だという彼女がネギと変わらない背格好である事に思う所が在るのでは? とでも尋ねるように―――それが失言だとも気付かず。

 直後、イリヤの身体がピクリと震え、ギギギッと音を立てるようにゆっくりと彼女の首が刹那の方へ向く。その表情は笑顔……そう、とても良い笑顔だったが、顳顬の辺りがピクピク…いや、ピキピキと引き攣って青筋が浮かんでいた。

 

「……それはどういう意味なのかしら? セツナ」

「ヒッ…!」

 

 その慈愛に満ちたようなイリヤの表情と声色で、刹那は己が失言を口にした事に気付いた。

 何しろ「もう大人なのにそんな子供みたいな姿で可哀想ですね」と迂遠に言っているようなものなのだ。それはこれでも色々と気にしているイリヤにして見れば、正に地雷である。

 刹那はそれを思いっきり踏ん付けたのだ。これがもし明日菜などの事情を知らない人間であれば問題は無かった。普通に「大人の姿になるのを楽しまないの?」といった程度に成るのだから。

 しかし、刹那は違う。事情をこれという程無く理解している。しかも何気なく口にしたという事は―――

 

「なるほど、セツナは私をそう思っていたんだ。大人なのに子供そのものだって―――それが私への本音なのね」

 

 ガシッと刹那の肩を掴んで力尽くで屈ませ、耳元で彼女にしか聞こえない小さな声でイリヤは囁いた。恐ろしいほどの優しげな口調で。

 それが刹那を心の底から震えさせた。まるで剣鬼たる“師範代(鶴子)”の科すお仕置きを前にしたように。血が凍ってしまったかのように全身が寒く、身体が震え始める。

 

「ふふ…今度の鍛錬が愉しみね。特別にたっぷり可愛がってあげる。だから貴女も楽しみにしていてね」

 

 クスクスと優しく嗤い、耳に入って来る囁き声を聞いて刹那はイリヤの手が離れた瞬間、腰が抜けたように尻もちを着いた。

 

 顔を青くし、身体を震わせて膝を着いてへたり込んだ刹那の姿に、そして何故か良い笑顔のイリヤに。一同は何が起きたか察しが付くようで、付かないような……考えたくないといった微妙な表情をする。

 ただし、エヴァと木乃香は刹那同様に事情を知る故に、直前の刹那の台詞もあって嫌でも察する事と成り、表情を引き攣らせていた。

 

(お姉ちゃん(イリヤ)…怒ると本当に怖いなぁ。私が“闇の福音”なら、お姉ちゃんは“白雪の恐姫(はくせつのきょうき)”って所なのかも…)

(せっちゃん……ゴメン、ホンマにゴメンな。幾らウチでも怒ったイリヤちゃんからは助けらへん。どうか無力なウチを許してや…)

 

 顔を引き攣らせた二人はそんな事を思っていた。

 

 




 さよが怯えた為に原作と変わって3-Aの出し物がお化け屋敷から映画製作になりました。
 これもある意味、彼女にとっては予想外なのですがイリヤの介入と言えるかも知れません。ただ自分としては狙いがあって変更しています。
 一応、あるサーヴァントの登場フラグにする予定です。

 イリヤの精神に混じった人物について少し触れていますが、本編に大きく関わる事は無いと思います。
 その彼女…もとい彼(?)については、興味を持たれる方は少ないと思いますが、活動報告の方か何かで設定をなりを何れ公開するかも知れません。

 エヴァの処女かどうかについては兎も角、向こうの連載中でも指摘されましたがイリヤに月ものがあるかどうかは、アニメ版UBWの見るに無さそうなので変更すべきか悩んだのですが…そのままにしました。
 ある可能性も並行世界的に在り得ると思いましたので。


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第26話―――封じられた記憶、現在の彼女(後編)

改めて見直すと今回は特に詰め込みすぎな気がします。
前回もそうですが、切り分けた方が良かったかも…切りも悪かったですし。


 エヴァ邸の地下に在る“別荘”。その白亜の塔の天頂に在るテラスの中で複数の深い溜息が零れていた。ただし、

 

「―――――――――」

 

 と。

 目の前に在る存在に呑まれ、圧倒された言葉にも声にも成らない非常に静かなものだった。

 

 

 

 その切欠はネギの言葉だった。

 

「イ、イリヤが何を怒っているのか判らないけど……ぼ、僕は見てみたいな。イリヤが大人になった姿を―――」

 

 何を思って彼がそれを口にしたのか? 

 イリヤの怒りを鎮めようとしてなのか、それとも怒らせた刹那に助け舟を出す為であったのか、今一つ判断が付かなかったが、それにほぼ全員が賛同の声を上げた。

 理由の判らない怒りを見せる白い少女への恐れは勿論あったが、それでもやはりこの妖精の如き可憐さと美しさを持つ少女の成長した姿というのは、例え不興を買ってでも見たいものであった。

 イリヤとしては、大人の姿というと今はあの愛する母の姿を持つ“呪詛(アイリ)”が頭に浮かんでしまい、正直躊躇う気持ちは大きかったのだが。向けられる友人達の期待の籠った視線と躊躇こそあれど、薬一つで簡単に大人の姿に……幻術を高度に応用したほぼ実体に近い大人の“身体(にくたい)”を持てるという誘惑は、成長できない我が身の事を考えると非常に抗い難かった……尤も大人の姿を魔術で“被せる”事自体は冬木の地で実は何度か行っているのだが―――それはそれとして、

 

「…はぁ、わかったわ」

 

 溜息を吐くと、半ば諦めるように頷いた。

 すると何故かエヴァが興奮した面持ちでイリヤの方へ身を乗り出した。

 

「よし、ならばさっそく着替えを用意しよう! 木乃香やクー、のどかの姿を見れば分かる通り、そのままの衣服では身体が締め付けられて大変な事になるからな…!」

 

 そう言い。鼻息荒くしてイリヤの手を取ると、テラスの奥…いや、塔の奥へと彼女を引っ張って行った。

 ふふふ…こんな事もあろうと集め、制作していた我がコレクションを見せる時が来た!…と今まで見た事が無いほど明るく楽しげな笑顔を見せて。

 イリヤは妹分のそんな笑顔を見て、この後の自分の身に起きる事を想像し、はは…と若干頬を引き攣らせて苦笑するしかなかった。

 

 そして―――

 

「待たせたわね。どう似合うかしら?」

 

 声と共にテラスに姿を見せたイリヤの姿に一同の時が止まった。

 待つ間に軽く飲み物と菓子に手を付けながら、おしゃべりに興じていたネギと彼女達は一斉に惚け。その手にしていたお茶やジュースの入ったカップやグラスを床へと落とし、口へ運ぼうとしていたクッキーやスコーンを指からポロリと零した。

 

 グラスとカップが床にぶつかって、ガラスと陶器の割れる音すら気に成らなかった。

 

 その目に入ったのは一つの芸術だった。

 何時の間に薬を飲んだのか、白い髪と白皙の美貌を持つ十歳程度の少女は二十歳前後の大人の姿と成り、その身にはウエディングドレスにも、法衣にも似た純白の衣装を纏っていた。

 

 陽の当たった新雪のように輝く銀の髪は、大きな櫛の形を持った金の髪飾りで後頭部に纏められて馬の尾のように背へと流され、前頭部には大きな翠玉と無数のダイヤを飾る黄金のティアラが乗り、両の耳には一粒の桃真珠のピアスを、首には紅玉をあしらったネックレスを、腕には蒼玉が収まった黄金の腕輪を付け。纏う豪奢なドレスは全体に細かな無数の水晶が散らばされており、シルクにも似た不可思議な光沢持った純白な布地と併せて陽光を反射させて輝き、それを纏う女性の美しさを引き立てている。

 

「―――――――――」

 

 誰かが……いや、もしかするとこの場の全員が声無き溜息を零すと、白亜に輝くドレスを纏った女性―――白き女神は優雅に一礼し、

 

「ふふ…」

 

 見る者を蕩けさせる微笑を浮かべた。

 その赤い紅を塗った形の良い唇と、瞼の薄く青いシャドウによって強調された緋色の眼は妖艶で、誰しもが魔的な魅力に囚われ……だというのにその輝くような美貌に神々しさを覚え、畏怖した。

 聖と魔―――相反すべきそれが調和したものが確かにこの場に存在していた。

 黄金と純白で飾り立てたその高貴な清澄な佇まいは神聖さが在り。その整い過ぎるほど整った魅惑的な美貌は、施された化粧でより映えて、魔性めいた危うい色香を纏っている。

 

 そんな彼女の超然とした人の身では決して届かない、天上の至宝に足る美しさを前にしてネギ、明日菜、木乃香、刹那、夕映、のどか、古 菲。そして機械である茶々丸さえ溜息を零して見惚れていた。

 

 そして、魔に魅入られ、神々しさに心が囚われ平伏した彼と彼女達は、そのまま時の流れに取り残されるかと思ったが――――

 

「―――ふ、どうだ。見事なものだろう」

 

 突然テラスに響いた声によって、静止した時の中に飛び込みかけた精神(いしき)を現世へと戻した。

 何処か傲岸さのあるその声に、皆はハッとして何故か互いの姿を確認するように見合わせ。白い女神の如き女性―――イリヤもまた、演技で浮かべていた微笑を消して、はぁぁ…と緊張を解くように深く溜息を吐いた。

 

「ふふ…ははッ、やはり私の見立てに間違いは無かったな。皆、お前に見惚れ、心を奪われていたぞ…! まあ、当然か。私が手にし、仕立てた物の中でも最高級の物を選びとってイリヤの完璧な美貌をより完璧に際立てるように着飾ったのだからな! 心を囚われ、魅入られない方がおかしい…!」

 

 エヴァは、ネギ達の知る普段通りの態度と口調で自身の生み出した芸術品を自慢するように言う―――が、その心の中は「どう、私の作った衣装を纏ったお姉ちゃんは? 綺麗? 綺麗よね。勿論、綺麗でしょう!」と言わんばかりにはしゃいでいる状態であったりする。

 衣装を選び、着替え、自分の姿を見た時のエヴァの―――興奮して何度も綺麗、綺麗だと、流石は私のお姉ちゃん(イリヤ)などと子供のように喜ぶ―――様相を知るイリヤは、そんな彼女の胸の内を正確に把握していた。

 

(なんていうか……本当に自慢の姉を紹介しているような感じよね)

 

 シロウの意識と接触したあの日以降……自分の態度にも原因はあるのだろうが、二人っきりのときに「またお姉さんぶって」などとムッとして文句を言う事が多々ある癖に、その内面ではすっかり妹気分なのだ。

 その所為で、ここ最近のイリヤのエヴァに対するイメージは大幅に変わってしまっていた。だからこそ昼休みのような話が成される訳なのだが……。

 

「まあ、いいんだけどね」

 

 エヴァがそれで喜んでくれるのなら、シロウの望む幸せを得るべき本来の彼女に戻りつつあるという事で自分も嬉しくあるし……それに、伝説と謳われる“最強の魔法使い”として頼りになる事実は変わっていないのだから。

 

 エヴァがドヤ顔で胸を張り、イリヤがそんなエヴァの様子を半ば呆きれながらも微笑ましく見ていると。

 

「な、なんていうか。こんな事って本当にあるんだ」

「せ、せやね。じ、時間が止まるゆーか。意識がハッキリしとるのに不確かになるってゆーか…」

「はい。呼吸すら忘れ、心臓が止まり、まるで全てが自分の物じゃなくなるかのような……生の実感が確かに在るというのに、生きた心地がなくなったかのようでした」

 

 明日菜、木乃香が動揺するように言い。刹那が恐れをも含んだ声色で言う。

 

「…目にした物に心を奪われるなどという言葉は、本なんかでも良く見ましたが……こんな感じなのですね」

「うん、凄かった。苦しくないのに…苦しいっていうか、心臓が止まっちゃったかと思った」

 

 夕映とのどかが互いに頷き合った。

 

「…ホントにコレは在り得ないほどの反則ネ。不意打ちにも程があるヨ」

「ハイ、イリヤさんの今の姿は男女問わず……いえ、意思あるモノであれば、何であろうと意識を取られ、眼を止めずにいられないと思います」

 

 古 菲が褒めているか判らない言いようで僅かに顔を赤くしてイリヤを見。茶々丸もイリヤに視線を固定して深く頷いた。

 

「みんな大袈裟ね」

 

 明日菜達の感想にイリヤはそう謙遜して言うが、褒められるのは悪くないし…実の所、こう言うのもなんだが、彼女達の反応に納得していた。

 メイドに任せず、エヴァ自ら着飾った己の姿を鏡で確認した瞬間、見違えたなと、我が事ながら見惚れたのだから。

 ユスティーツァという原型(オリジナル)が在り、その系譜(コピー)―――正確には発展型(バージョンアップモデル)―――である事は判ってはいるが、それでもやっぱり自分は素晴らしく美人なんだなぁ…と正直思った。

 そんな本音が今の言葉に滲み出ていたのか、明日菜が若干ジロリとした表情でイリヤを睨む。

 

「イリヤちゃん、それ本気で言ってないでしょ?」

「あ、判る?」

「うん。言葉だけで態度が全然謙遜してないんだもの」

 

 イリヤが少し意外そうに言うと、明日菜は大きく頷き、むぅ…僅かに頬膨らませた。どうやらイリヤの態度が鼻持ちならないと感じたらしい。驚きが薄れた事で今更ながらに絶対的な容姿の格差に女としてのプライドが刺激されたのだろう。

 明日菜の性格であれば、容貌・容姿の差など気にしないと思っていたイリヤは本当に意外だと感じた……が、それは結局の所、持てる者(しょうしゃ)の余裕に過ぎない。

 

 確かに明日菜はそう言った事を気にする性質では無いが……やはり女性としての性は在り、全く皆無という訳では無いのだ。

 ガサツで可愛げの無い性格だという自覚もあるが、これでも女として髪やら肌やらに気を使っているし、あやかと千鶴を筆頭とした様々なタイプのきれい所が揃う3-Aの生徒達の中でもそう劣ってはいない、負けてはいない、とスタイルや顔立ちに相応の自信があったのだ。

 だというのに―――

 

「ホント、綺麗すぎるよイリヤちゃん。いや、うん……判ってた事なんだけどさ」

 

 まさに女神の如き超絶的な美貌を前にして、明日菜は欠けなしの自信が砕ける音を聞こえたような気がした。

 勿論、エヴァの手掛けた衣装や装飾品の他、薄くも施された化粧のお蔭もあるのだろうが……自分が同じように着飾ってもイリヤのように成れるとは絶対に思えなかった――――というか、より無残な現実を叩き付けられかねない。

 そうしてがっくりと肩を落とす明日菜に、気持ちはとても判るといった表情をした木乃香と刹那が慰めるようにその落ち込んだ肩にそっと手を置いた。

 残りの面々も、エヴァと茶々丸の主従コンビを除いて深々と同意するように頷いて―――…?

 明日菜は女性陣がそうしている気配を感じつつ、そういえばネギとカモは…と。この場に居た男性二名のことを思い出した。

 衝撃的なイリヤの登場もあるが、彼等が一切言葉を出さないものだから忘れていた。

 

「ネ―――」

 

 ―――ギ、と。彼の方を振り向いて名を呼ぼうとして、明日菜は口を噤んだ。

 

「――――――――」

 

 幼い彼は未だ無言で立ち佇み、首と目線だけを動かしてイリヤの動く姿を視線で追い駆けている。ついでに言うとその肩に乗るカモも似たような放心状態だ。

 先程までそうであった己の姿を客観的に見せられて明日菜は絶句し、同様にそれを見た木乃香は、あちゃ~、とでも言うように明日菜とはまた異なった意味で額に手をやっているが、明日菜は親友のそんな仕草など気付かず、

 

「ちょっと! ネギ、大丈夫。確りしなさいよ!」

 

 心神喪失とも言える状態のネギが心配になり、慌てて駆け寄って声を掛ける……が、

 

「―――――――」

「ちょっ―――!?」

 

 ネギは呼び掛けに何の反応を示さず、明日菜は愕然して焦る。

 これは、いよいよヤバイ!とそう感じ。明日菜は自分でも何故そうしようと思ったのか判らなかったが、咄嗟に身体を動かし―――

 

「―――ぬおっ!?」

 

 目の前のネギの肩に乗る放心状態のオコジョを掴み―――突然のそれに驚き、ハッとするカモの叫びを無視し、

 

「うりゃあ…!!」

 

 勢いよく惚けて開きっ放しになっていた彼の口の中へ、毛むくじゃらの白いオコジョの身体を頭から突っ込んだ。

 

「――――! …!? ……!!?」

「………!? ――――! …!? …!!?」

 

 突然、口の中に物が張り込んだ違和感と口内へ広がった得体の知れない感覚にネギは驚愕に目を見開き、モガモガと喘ぎ。

 モガモガとネギが喘ぐ度にカモは、主人たるネギの口から飛び出ている足と尻尾をばたつかせる。恐らく彼は何が起こっているかも判っていないだろう。

 掴まれ、振り被られて視界が高速で動いた為に、ネギの口に放り込まれた事どころか、明日菜に掴まれた事すら気付かず。純白の女神に見惚れていたと思ったら突然、暗闇に閉ざされ、何故か生暖かい……しかも生々しく動く穴倉へと頭から身体の半分近くが入っていた…という謎の状態なのだ。

 一方、ネギにしても口の中に在る異物がなんなのか理解していない―――というか、カモと同様、大人の姿になったイリヤに見惚れていたと思ったら、良く判らない毛むくじゃらで……それもモゾモゾと動くモノを口にしていたと、訳の分からない状況なのだ。

 

「―――…! ぷはぁ…!」

「!?―――どはぁ…!」

 

 喘ぎながらもネギは訳の分からないモノを吐きだし。カモは謎の状態から解放されて硬い石質の床へと叩きつけられる。

 

「!―――え、カモ君ッ!?」

「痛…―――…って! 兄貴ッ!?」

 

 若干、コホコホとせき込みながらも口から出た物に確認したネギと、叩き付けられながらも自分が何処から落ちたのか見上げたカモが互いの姿を見て驚きの声を上げる。

 

「「なっ…なんでッ!?」」

 

 正気に戻り、驚愕する二人を見つつ明日菜以外の面々は唖然としていた。

 

「あ、明日菜…?」

「何で、あ、あんな…カモを……?」

 

 自失状態であったネギとカモの正気に戻す為とはいえ、明日菜の取った行動が余りにもイミフ…もとい不可解だったからだ。本当に漫画の世界で在れば、眼が点になっていた所だ。

 そんな疑問と困惑の目線を皆から一点に受ける明日菜は、正気の戻ったネギを見てホッと安堵の溜息を吐いて、これまた何故か一仕事を終えた後のような額を拭う仕草をしていた。

 

 

 

「まったく、ひでぇぜ姐さん」

「そうですよ、明日菜さん」

 

 怒りの籠った口調と視線で一人と一匹は明日菜の顔を睨む。

 一人は、別荘に常駐するハウスメイドの持って来た水でうがいをしては洗面器に吐き出す事を繰り返しながら。

 一匹は唾液に濡れた自身の毛並みを同じくメイドが持って来た濡れタオルで拭いながら。

 

「ハハ…ゴメンゴメン」

 

 居候たる男子二名のジロリとした視線に明日菜は苦笑して軽く頭を下げる。

 一見すると、反省していないように見えるが……その苦笑は何故あんな突飛な―――カモをネギの口にねじり込むという奇妙なことを仕出かした自分に向けられていた。

 

(…本当どうしてなんだろう?)

 

 そう首を捻るしかない。正気に戻す方法なら他にも幾らでもあるだろうに……しかし、ああするのが一番だと、手っ取り早いと自分は思ったのだ、あの時は。

 事実、身に起こった余りにも不可解なその出来事…いや、インパクトのある衝撃のお蔭でネギとカモは一発で浮世から離れかけた意識を取り戻した。

 

「まあ、気持ちは判るけど、そんなに怒らないで。こう見えてもアスナは反省しているみたいだし……ね」

 

 苦笑しつつも不思議そうに首を捻っている明日菜を見かねてか、イリヤが仲裁に入る。

 イリヤとて明日菜の突飛な行動には驚きはしたが、悪気や邪気が在ってのものでなく、今も反省の念がある事が判るからだろう。「…ね」と語尾で微笑みながら優しくネギを宥めた。

 

「…! イ、イリヤ…」

 

 未だ、美しく着飾った二十前後の姿を持つ白い少女に傍に寄られて顔を近付けられ……ネギは顔を赤くし、真正面で合いそうになる視線を逸らした。

 

「う、うん…わ、わかったよ」

 

 たどたどしくそう言うのが精一杯だった。その肩に乗るカモはまたも惚けている。

 イリヤは視線を逸らしたネギに少し不思議そうにするも、ネギの返事を聞いてホッとしたようだ。

 

「やっぱりネギは素直で良い子ね」

 

 そう、ネギの心情を察する事も無く微笑んだまま言い。こういった所で素直に寛容な態度を取れる彼の心根を褒めた。この年齢の男子であれば変に根を持ったり、意固地になったりする子が少なくないからだ。

 同時にもう少し子供らしく我が侭であっても良いんだけど、とも思わなくもないが―――

 

(―――いや、我が侭な所も相応に在るかな…?)

 

 原作でのムキになったり、変に我を張ったりする場面(すがた)を思い出して少し訂正した。それでも、それ以上に周りに遠慮している所が多いので子供らしくなくて困ったものだとも、立派だとも思ってしまうが。

 

 そうして微笑むイリヤの顔をネギは真っ直ぐには見られないものの、チラチラと見やり。明日菜は挙動不審な……いや、イリヤに見惚れるネギの姿にこんな一面があるんだと驚きを覚えるが……その意味を考える前に横から木乃香が感慨深げに言った言葉に気を取られる。

 

「それにしても……ホンマ、イリヤちゃんキレイやわぁ~。それに何時もよりもなんか様になっとるし」

「そうですね。言われてみればこちらの方が自然に感じますね」

 

 木乃香の言葉に刹那が同意して頷く。

 そう、華美に着飾っている事は兎も角、大人になったイリヤの立ち振る舞いは何時も以上に“らしく”見えるのだ。

 普段から仕草や言動が大人の物である為、幼い少女然とした姿の時よりも威厳に確かさがあるというか、実感が強まったというか、説得力やカリスマが増しているように思えたのである。

 木乃香と刹那はイリヤの実年齢を知っているから尚更に。

 イリヤはイリヤで、その二人の言葉に「普段はどう見ても子供だ」「無理に大人を演じている」と言われているようで先の刹那の失言と同質の不快さを覚えたが……二度目という事もあり、此処は怒りを抑えた。無論、後々追及する積もりだが。

 

 一方、他の皆も木乃香と刹那の言葉の意味を察したらしく。

 

「確かに今のイリヤちゃんは、本当に大人だよね」

「ですね。こうしてみるとやはりネギ先生と同じ歳だとは……いえ、ネギ先生も確りしているとは思うのですが…その、ともかく……私達よりも年下だとはとても思えないです」

「ウム、普段の子供の姿の方が魔法を使った変身だと疑ってしまうネ」

 

 事情を知らないのどか、夕映、古 菲の三人が口々に言う。

 事情を知るエヴァはその三人の反応に何とも言い難いものを感じて内心で苦笑し、茶々丸は無表情・無言であるが内心では主人と同じく苦笑した思いがあるの知れない。

 明日菜も茶々丸同様に無言であったが、むしろエヴァちゃんと同じで子供に見えるだけで本当は……などと、正解に近い事を考えていた。

 

 そして当の本人は自分に集まる視線に少し辟易したものと、今更ながらに気恥ずかしさを覚えた。

 幾ら自分の容姿に自信が在り、貴族として人前に立つ事に臆することなど無いはいえ、友人だと思う少女達から観察するようにマジマジと見詰められるというのは………流石に気後れしてしまう。

 

 そうイリヤが、先程の惚けた物とは異なった集中する視線に僅かに表情を引き攣らせていると。木乃香が突然元気よく声を上げる。

 

「そや! 折角やから写真に撮らせ―――」

「―――駄目だ!」

 

 スカートのポケットから携帯を取り出そうとする木乃香の声を遮ってエヴァが即却下する。青い眼を鋭くし、正に射殺さんばかりにギロリとした視線で。しかも見ると彼女周囲には無数の氷の矢が浮かんでいる。下手に携帯を取り出そうすれば即射貫かれかねない……いや、木乃香自身では無く、携帯の方だが。

 

「エ、エヴァちゃん…?」

「今のイリヤの姿を写真に収めるだと…? そんな事を私が許すと思ったか? 馬鹿め…!」

 

 唖然とする木乃香に構わずエヴァは静かな怒りを込めてそう言い放った。

 

「え、えっと…エヴァちゃん。い、一体何に怒ってるの?」

 

 機嫌が良かったエヴァの、突然の謎の豹変に周囲はドン引きするも、勇気を出して明日菜が恐る恐るといった様子で尋ねた。

 それに木乃香から明日菜へとギロリとした視線を移し、その怒気の篭った眼に「ひっ」と怯え後ずさる彼女へエヴァは答えた。

 

「何に…か。決まっているだろう。私に無断でイリヤの写真を撮る事に、だ!」

「え? え~と…?」

「判らないか? なら聞くが今のイリヤの姿を写真に収めてどうする? それをどうしようというんだ!?」

 

 エヴァの剣幕に明日菜は「え? え?」と困惑するしかない。

 そりゃあ、写真に撮るって事は今見た物なんかを思い出にするって事で、他に何が在るのか? 明日菜にはエヴァの言う事が…いや、抱く危惧がさっぱり判らなかった。無論、明日菜だけでは無い。他の皆も同様だ。

 

「あ~、う~ん……もしかして魔法を知らないクラスの皆に見せびらかす事を心配してるの? だったら心配いらないわよ。幾ら見習いに成ったばかりの私達でも、それぐらいの分別は―――」

「―――そんなのは当然だ! 未だそのような事を理解していないようであれば、とっくに串刺しにしている!……勿論、殺しはしないが、地べたに這い付くぐらいの目には遭って貰う」

 

 エヴァは周囲に浮かぶ氷の矢を数十本とさらに増やして冷酷に告げる。

 それに流石に拙いと思ったのだろう、イリヤが宥めに掛かる。

 

「エヴァさん、落ち着いて…っていうか、本当に何に怒っているのよ。私を写真に撮る、撮らないかなんかで……?」

「なっ!?」

 

 イリヤの言葉を聞いてエヴァが愕然とする。当の彼女本人が理解していない事にショックといった様で。

 

「イリヤ、判らないのか!? 本当に!?」

「……………ゴメン、エヴァさん。貴女が何を不安に…心配に思っているのか、私には判らないわ」

 

 そのイリヤの困惑した言葉が更にショックだったのか、エヴァは呻きよろめく。

 

「アー、御主人。ソレハ流石ニ如何カト思ウゼ」

 

 そこに何時から居たのかチャチャゼロが塔内に続くテラスの奥から姿を見せて、感情の無い声で…しかし何処か呆れた様子で己の主人に向かって言った。

 

「チャチャゼロ? 一体エヴァさんは何を…?」

 

 幼児程の小柄な人形の突然の登場に少し驚くも、イリヤは短い脚でちょこちょこと自分達の所へ歩いて来る彼女に尋ねた。

 

「アア、御主人ガ心配シテルノハ、ソノアレダ。今ノオ前ノ姿ヲ写真ニ収メタラ……イヤ、今ノ姿ジャナクテモカモ知レネーガ。色々ト“我慢”出来ナクナルッテ思ッテルンダロウヨ」

「…??」

「ン、コウ言ッテモ判ンネーノカ? ツマリヨ。写真ニ収メタ連中ハキット事アル毎ニ、オ前ノ姿ガ写ッタソレヲ見詰メテハ、ニヤニヤシタリハァハァト息荒ク可笑シナ妄想ヲスルンジャネーノカッテ事ダヨ」

 

 今ノイリヤ嬢ハ特ニ綺麗ダカラナ、マア、俺ダッタラ、ンナ事ニ使ウヨリモ、色欲旺盛ナ男ドモニ売リ捌イテ一稼ギスルケドナ、などともケケケと笑いながら変態な事をのたまい。イリヤは「ハアァッ!?」と眼を見開いて叫んだ。

 そして直後、明日菜達の方を見る。何処か身震いし怖気の篭った眼で。

 チャチャゼロの言葉もあってその視線の意味を直ぐに察し、明日菜と木乃香達は首をブンブンと思いっ切り横に振る。

 

「「「「「「いやいやいや…!? そんな可笑しな事に使わない(です)(ネ)から!!」」」」」」

 

 息を合わせたかのように彼女達は一斉に同じ言葉を言う。

 ネギはそれをハテナ顔で見、カモは「気持ちは判らなくもねぇがなぁ」と内心で呟くだけに留めていた。

 少年は幼いが故に性的な感覚が今一つ判らず、小動物(オコジョ)の彼はそんな目でイリヤを見るなど恐れ多いからだ。

 

「…そ、そうよね」

 

 皆の必死の否定にイリヤは胸に手を当てて、ほぅ…と安堵の息を吐く。何故か息が熱く艶めかしい感じで……本人にはその気は全く無いのだが、明日菜達はイリヤの見せた仕草にそのようなナニカを掻き立てる感覚(しげき)を覚え―――知らず内にゴクリと生唾を呑んだ。

 

 結い上げられた髪のお蔭で良く見える白いうなじは齧ると如何にも甘そうな汁が滴りそうで。

 息が零れた紅い唇もまるで甘い果実のようであり。

 手が置かれた胸元は品の良い色香を演出する為に大きく開かれてこそいないが、双丘の豊かな膨らみは明らかで、覆う布地の質の高さもあってか、その暖かな柔らかさは見るからに伝わってくる。

 その胸元の上に置かれた細く白い指とて、爪に塗られた桃色のマニキュアとの色合いもあって可憐な花ようで、舐めると甘い蜜を吸える気がする。

 

 だからこそ思う。この白き女神のような女性―――否、穢れなき純白の少女を決して逃れられないように力の限り抱き締め、抱き寄せてそれを味わってみたいと。甘く匂い立つ白いうなじと赤い唇にむしゃぶりつき、豊満な双丘に手を這わせ、顔を埋めて暖かな柔らかさを堪能し、その桃色に染まった指先にある蜜を思うがさまに啜ってみたいと。

 いや、出来る事ならその白い衣装の下に隠された肢体を見て―――と。そう、口内に溢れる唾液を呑み、咽を鳴らして十代半ばの少女達は考えてしまった。気付かぬ内にイリヤの身体を舐めるように上から下まで見て……無意識に。

 だが―――

 

「―――ふん、どうだかな」

 

 イリヤの安堵に反して発せられるエヴァの不穏な気配と言葉。そしてジロリと向けられる視線に無意識に抱いていた嫌らしい考えに気付かされて、明日菜達はビクリと身体を震わせる事と成る。

 そして、怒りを滲ませる吸血姫(エヴァ)と視線は合わせていないが、その気配と言葉は否応なく悟らせる。

 

『イリヤの美貌に見惚れるのは良い。美しさに平伏すのも良い。しかし嫌らしい……情欲に塗れた穢れた眼で見る事は絶対に許さん。それ以上そのような眼で“私の”イリヤを見るというなら無残な死を覚悟しろ。世に生まれた事を後悔するほどこの上なく残酷に殺してやる…!』

 

 と。

 エヴァがそう無言で告げているのを―――その為、

 

「や、やっぱ写真は止めとこ」

「そ、そうね。もしかしたらやっぱりクラスの誰かに見付かったら騒ぎになるかも知れないし」

 

 木乃香は携帯のカメラにイリヤの姿を収めるのを止め、明日菜も即同意した。刹那や夕映達も「はい」「です」「うん」等と深く頷き合った……思わぬ事で迫った濃厚な死の気配を回避する為に、必死に。

 しかし、エヴァの気配(さつい)が異様なまでに指向性を持っていたのでイリヤは気付かずに、

 

「…別に良いのに? 見付かっても言い訳なんて幾らでも出来るんだから」

 

 そう、可愛らしく傾げて言い。明日菜達はその仕草に再び刺激を受け、悶々と葛藤させたが―――

 

「―――いいんだ!」

 

 何時になく力強く言うエヴァの言葉にイリヤは「まあ、いいか」と納得する事にし。明日菜達は今度こそ諦めた……諦める事が出来た。

 

 のだが―――

 

「だ、誰ですか!? って、ええっ!? もしかしてイリヤさんですか!?」

「わっ!? 何その綺麗な人…ッ!? えっ? い、イリヤちゃんなの!?」

 

 遅れて別荘に姿を見せたさよ、和美の二人の騒ぎが切っ掛けで……エヴァの懸命の反対によって“イリヤだけ”を撮る事はできなかったものの、京都に在ったナギの隠れ家の時のように集合写真と言うカタチで女神とも言うべき大人となったイリヤの姿は、和美のカメラ……とても学生が持つような物では無い、高価な一眼レフへと収められた。

 尤も、エヴァだけはきっちりと写真…というよりも、立体投影用の魔法具にイリヤの姿を記録していたりするのだが……それが明らかに成るのは後の事である。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 滲ませた怒りが発散されず籠ってしまった為か、それともお仕置きであったのか、本日の別荘での修行は何時も以上に厳しいものと成り、ネギと明日菜達は精根尽き果てて深く眠りに付く事と成った―――のだが、

 

「やっぱ、流石に頑張り屋のネギでも今日は無理だったか」

 

 疲労困憊の身体に鞭打って明日菜は鍛錬場に一人赴いていた。

 そして塔の屋上とも言えるテラス前の広場の端の方まで歩き、高く空を見上げた。

 

「何時見ても綺麗よねぇ。とても魔法で作った人工の世界だなんて思えな…―――ううん、魔法だからこそ、か」

 

 思わず呟く。

 夜空は星々と月で明るく彩られ、初めてこの別荘を訪れたあの日―――ネギの過去を知った時に見た光景と変わらないものだった。

 そうして、瞬く星々と銀に輝く月が作る美しい情景を楽しみながら明日菜は待つ。

 何となくだがあの日、自分がネギと神妙に話す事と成ったように今日此処に来れば、今度は自分がこの胸に抱えたものを晴らせるように思えたのだ。

 そう、頼るになるあの不思議な白い少女が、頭痛と共に残る“モノ”が強い今日に限って此処を訪れたのだから。

 

 ―――その予感は当たり、

 

「眠れないの? 随分疲れているように思ったけど…」

 

 思った通り、背後から良く通る綺麗な声が明日菜の耳へと入った。

 

「……イリヤちゃん」

「…いえ、お待たせ、と言った方が良いのかしらね」

 

 声に振り返って少女の姿を見とめて名を呼ぶと、彼女の方もまた自分とこの場で会う事を予期していたように言った。

 いや……実際待っていると判っていたのだろう。修行中の合間に何度も彼女へ意味あり気に視線を送っていたのだから。

 

(高畑先生だけじゃなく、イリヤちゃんにまで……ほんと情けないなぁ)

 

 勇気を出せずに声を掛けられなかったのに、こうして意図察してくれた事に感謝しつつも消沈する。

 そんな事を思っている間に白い少女は自分の直ぐ隣まで歩いて来て……明日菜はドキリとし、鼓動がトクトクと早く胸を打つのを自覚した。何故なら―――

 

「…やっぱり此処の星空は綺麗ね。麻帆良じゃあ都会程じゃないけれど、地上の光が強いもの」

 

 そう言って、隣に立った彼女は撫でる風によって銀の髪を揺らす。

 何故なら、そのイリヤの姿は変わらず大人のままだからだ。ただ今は流石に着飾っても居らず、化粧もしてはいないが、それでも透けるように薄い白のナイトガウンは彼女によく似合い、その薄さゆえに身体の線が際だって非常に魅惑的であり、その美貌は化粧が無くとも…いや、無いが故に魔性的な印象が失せて自然な美しさだと思えた。

 

(ホントすっごい美人よね。それにエヴァちゃんが言うにはこの姿は魔法による幻術だけど、イリヤちゃんが成長した場合のものをほぼ偽りなく反映したものだっていうし、くーへぇじゃないけど……うん、在り得ないほどの反則よね)

 

 生来の眼の良さと明るい月明かりのお蔭でハッキリと見えるイリヤの姿に、明日菜は相談すべき事を一時忘れてそんな事を思う。絶世の美女っていうのはこの少女(イリヤちゃん)のような人の事を言うのだろう、とも内心で呟いて。

 その見惚れた視線に気付いたのか、イリヤは微かに苦笑を浮かべる。

 

「御免なさい。確かにちょっとこの姿は話し辛いわね。普段とは印象が違うでしょうし、でもエヴァさん特性の魔法薬だから効果が切れなくて…」

「あ、うん、大丈夫よ。気にしないでイリヤちゃん」

 

 イリヤの言う通り、彼女が大人の姿のままなのは着飾る際にエヴァ自前の詐称薬を呑まされた為だ。それももう暫く大人のイリヤを見ていたいという我が侭から解呪も許されていなかった。

 

「ふふ…まったく困ったものよね」

「そうね、最近のエヴァちゃんは特に…ううん、元から困った所はあったから特に…じゃなくて別の意味で、かな?」

 

 愛らしい金髪の少女の姿を脳裏に浮かべて、二人はクスクスと笑い合う。

 明日菜も理由は知らないが何となく判る。最近エヴァが丸くなっていて、何故かイリヤに甘えているような感じなのが。だから木乃香は昼休みの時に変な勘違いをしたのだ……まあ、それを含めてエヴァにその態度を指摘すると後が怖そうなので黙ってはいるが。

 

「ふふ、エヴァさんに聞かれると大変だし……この話題はここまでにしましょうか―――」

 

 イリヤは一頻り笑うと、微笑ましげな表情をやや真剣なものに切り替え、

 

「―――で、私に何か話したい事があるの、アスナ?」

 

 そう明日菜を赤い宝石のような目で見据えた。

 

 

 

 ジッと向けられる赤い眼に明日菜は直ぐに口を開くことは出来なかった。

 当然だ。

 そんな簡単に言える事であれば、こんな何時までもウジウジと葛藤する訳が無い。例え言うべき相手が“違っていても”。

 

 けど―――

 

(それじゃあ、本当に何時まで経っても何も変わらない。あのネギだって覚悟を決めて自分の過去を…口にするのも辛い出来事を話したんだから。なら私だって―――)

 

 知らず内に胸元に置いていた両の手をグッと握り、明日菜は一度深呼吸してその重たい口を開いた。静かに己の言葉を待つ…いや、待っていてくれる白い少女に向かって。

 

「……夢を見るんだ」

「夢…?」

「うん、夢。最近……ううん、本当はずっと昔からかも知れない。そんな感じがする不思議でおかしな夢―――」

 

 そうして明日菜はゆっくりと、

 

「それを自覚したのは、きっと大変だった修学旅行が終わった後―――」

 

 一つ一つ確かめるかのように語って行く。

 

「ホントおかしな夢なの、私は見た事もない所に居て、写真でしか見た事がない人と―――」

 

 無表情なのに、何処か泣いているかのように、

 

「…人達と、高畑先生に似た渋いオジサンと、あのネギのお父さんだと思う人と―――」

 

 泣きそうなのに、何処か嬉しそうにも見える顔で―――

 

「子供の私は、その二人と一緒に色んな所を旅しているんだ」

 

 寂しく、懐かしそうに語った。

 

 その夢の内容は他愛のないものだった。

 ある時は、星空を天蓋に寝具も碌に無い場所で夜を明かし。

 ある時は、その日の食事にも困り、適当に狩って来たネズミやモグラ、もしくは雑草にしか見えない野草を食べ。

 ある時は、ネギのお父さんが馬鹿をやって、それをオジサンが呆れ怒って、後ろから追い駆けて来た猛獣やら怪獣から逃げまどい。

 ある時は、見知らぬ街の中で迷子になり、自分を見つけた彼等に勝手に動き回るなと叱られ。

 ある時は、些細な事で珍しく怒った自分に大の大人の二人が情けなくも平謝りしていて。

 ある時は―――

 ある時は―――

 ある時は―――

 

 そんな、他愛のない日常が続く夢だ。

 

 けれど―――

 

「―――うん。他愛のない日々だけど、楽しそうなんだその二人は。きっと私も……子供の私も顔には出してないけど、楽しいって思っていたんだと思う」

 

 泣きそうで、嬉しそうで、寂しそうで、懐かしそうで、色んな感情の混じった複雑な声と表情で明日菜はそう締めるように言った。

 そして、

 

「何時もなら起きて暫くしたら忘れちゃうのに、何だか今日はハッキリと覚えているんだ。だから楽しい、楽しかったって確かに思えるんだと思う。ねえ、イリヤちゃん―――」

 

 明日菜はイリヤを見詰め、一転してまるで感情の欠いた光の無い瞳と真っ白な紙のような無表情な顔で尋ねる。

 

「これってなんなのかな? 本当に夢なのかな?」

 

 と。

 

 

 

「ッ―――!」

 

 その能面のような感情の無い顔を見た途端、イリヤはゾワッと背筋に寒気が奔るのを感じた。あらゆる感情を削ぎ落した無色の……まるで人形のような顔に。その癖、そこには幼子が疑問を口にするような無邪気な“色”があるのだ。

 正直、得体の知れない怪物を目の前にしたような恐怖が在った。

 そう、下手な答えを返せば、取り返しの付かない事が起こってしまう怖さみたいなものがあった。

 

(…いえ、“みたい”じゃなくて事実そうね)

 

 イリヤはそれを確かな予感として覚えた。

 修学旅行の事件が切っ掛けなのか、それとも先のヘルマンの一件が決定的だったのか、明日菜の記憶の封印は確実に綻んでおり、己自身への疑問とタカミチ達への疑惑、そしてそこに在る多くの感情(おもいで)と共に溢れだそうとしている。

 恐らくは、壊れかけた堤防やダムのように神楽坂 明日菜という今の(かのじょ)亀裂(ひび)を入れて。ほんの少し力を入れて叩くだけで簡単に決壊し(こわれ)てしまう程に。

 

(尤もそれ自体は予想していたんだけど……ここまでなんて。思った以上に酷い状態ね)

 

 明日菜の様相にイリヤは内心で愚痴り、歯噛みする。もっと早くに話をすべきだったと、自分もそうだが、タカミチと学園長にアルビレオもだ。忙しさを理由にのんびりし過ぎた。いや、その内、一名は暇人なのだが……それは兎も角、原作知識による先入観や元気そうな彼女の様子からまだ余裕があると見ていたのもその原因だった。

 

(ユエとノドカが此方の道を進む事に覚悟した時に多少は吹っ切れたように見えたけど―――私の観察力もまだまだね。アレは一時凌ぎ…空元気に過ぎなかったって事か)

 

 空元気も元気の内…なんて言いもするけど、当てになるものじゃないという事なのだろう、とも思う。

 やや消沈し、気分が落ち込むも。そうもしてられないとイリヤは気を入れ直す―――が、

 

「―――イリヤちゃんは知っているんじゃないの?」

 

 イリヤが返答を考えるよりも先に、明日菜の方が続けて再度問い掛けて来た。

 

「この夢の事、私の力の事……ううん、どうして孤児(みなしご)なのか? 昔の事も……私がどんな過去を持っているのか? 全部知っているんじゃないの? だってイリヤちゃんは魔法協会の正規の職員で、学園長の信頼も厚いんだもの―――」

 

 ガラス玉のような色の無い無感情の眼で、されど色濃い疑問と疑惑の籠った声色で明日菜は言う。

 

「―――ねえ、イリヤちゃん。どうなの? 本当の所を教えて…?」

 

 明日菜の問い掛けにイリヤは数秒ほど顔を伏せて考え……うん、と一つ頷く。誤魔化さずに真っ正直に思うままに話す事にした。それが自分にとって今の彼女に出来る最善の事であると信じて。

 

 

 

「―――ええ、知っているわ。貴女の見る夢が何であるのか、その力がどのような物か、孤児である理由も、その過去も…全部」

 

 僅かに伏せていた顔を上げて彼女はそう言った。

 そして真っ直ぐ向けられる緋色の瞳に明日菜は、あ…と小さく声を零した。

 ただしかし、尋ねた事、知りたい事、それらを全部知っていると言われて、次にどうすべきか、何を言うべきかは判っていなかった。

 疑問に思っていた事の答えが直ぐそこに……目の前の白い少女が持っているというのに、その答えを促す為の言葉が出せなかった。

 そう、踏ん切りを付けようと、勇気を出して一歩踏み出そうとしたのに躊躇してしまった。恐らく判っているのだろう…自分でも。そこへ踏み出したらもう戻れないと。

 

(けど、進まなきゃ行けない。私は知らないといけない。だってそうじゃないと…)

 

 夢の事をイリヤに話した所為か、何時になく胸に強い焦燥感があり、何かに急かされるようにそう思う。

 しかし―――

 

(でも、敢えて進む必要なんて無い。知る必要なんて無い。だってそうでないと…)

 

 頭の芯から響く痛みが今までに無いほど強く、急かす心を引き留めようと訴えて来る。

 

(だって、だって―――)

 

 ―――そうじゃないと、

 

 ―――そうでないと、

 

(―――あの“二人”が、“彼等”が……ギセイとなって、シアワセを願ってくれた“あの人達”が報われないもの)

 

 明日菜の中で相反しつつも願いを同じくする想いが鬩ぎ合う。ギシギシと音を立てて、互いにもう片方の想いを潰そうとするかのように。

 その葛藤と鬩ぎ合いの結果がその双方の想いを共倒れに押し潰し、己を破綻させてしまう事になるとは気付かずに。

 

 明日菜は胸の苦しさと頭痛……自覚出来ないその葛藤故に問うべき言葉を出せず。イリヤはそれに気付いているのか、いないのか……いや、ある程度察しは付いているのだろう―――が、気付かない様子で躊躇する明日菜に構わずに言葉を続けた。

 

「けど、私からは言えない。教える事は簡単だけど……出来ないわ」

「え…?」

 

 思わぬ言葉に明日菜は惚けた。胸に在る苦しさと頭痛も安堵するかのように一時消える。

 

「それは私の役割じゃないから…―――この意味、判るわよね」

「あ…」

 

 再度声を零した。同時に理解出来るその“意味”に胸の苦しさと頭の痛みも疼いた。

 明日菜は再発したソレに堪えられず、右の手で頭を、左の手で胸を抑える。そんな辛そうな様子を伺いつつもイリヤは尚も言った。

 

「アスナ、貴女はそれを知りたいと思っているし、知りたくも無いと思っているんだと思う。私は知っているから判る。その迷いと葛藤が、貴女が何に怯え、何に急かされているのか…が」

「イ、イリヤちゃん…」

 

 苦しさと痛みに何とか堪えて伏せそうになる顔を上げて、助言者たらんとする白い少女の顔を見詰める。

 大人の姿となった事で普段とはまた違う、非常に大人びた貫録に満ちた彼女の顔。真っ直ぐ見詰め返して来る紅玉のような綺麗な瞳に吸い込まれそうで……明日菜は苦しさと痛みを忘れる事が出来、その整った唇から出る言葉に落ち着いて耳を傾けられた。

 

「だから良く聞いて、考えて―――」

 

 吸い込まれそうなほど綺麗な眼で見詰められ、

 

「怯え、急かされ、迷い、葛藤するそれはとても大事なモノだから―――」

 

 心地良く入ってくる声に気が楽に成り、

 

「大事なそれは、これから行く貴女の運命を決めるモノだから―――」

 

 母の(かいな)の中に居るように落ち着けられた。

 

「拒絶せず、否定せずに、向き合いなさい。進みたいと思うのなら。受け入れず、忘れ、今在るものにだけに眼を向けなさい。それが本当に願いだと思うのなら。この二つの選択が運命を決める分岐点。進む事を選べば、貴女の在る世界は一変する。或いはそれが願いだと選ぶのであれば、“夢”となって貴女の世界は戻る」

 

 だから良く聞けて、考えられた。この不思議な白い少女が言う抽象的な言葉の数々の意味を理解して。

 

 前者を取れば、後に引けない運命へと、平穏な世界に戻れなくなり、己に課せられた原罪の道へと流転するのだと。

 

 後者を取れば、何も知らない春先の頃へと、平穏な世界へと戻り、今日まで在った騒がしかった全ての日々が泡沫の夢になるのだと。

 

「イ、リヤ、ちゃん…」

「“アスナ”、どちらを取るかは貴女の自由よ。タカハタ先生に向き合うか、それとも無かったモノとして背を向けるか……結局、私にはそれしか言えない。貴女に在る問題は、貴女自身とタカハタ先生の二人が答えを出すモノだから」

 

 そう言い、白い少女は自分に頭を下げた。何処か申し訳なさそうな辛そうな顔で。

 彼女が言う通り、結局はそういうモノなのだから。明日菜とタカミチが決めるべき事であり、不人情だと言われようとイリヤが勝手に答えを口にするのは不義理なのだと。

 明日菜……“アスナ”は、そんな少女の考えを「もう勝手に決めてくれれば良いのに」「だったら楽なのに」「だから話したのに」と頑なだと不満に思ったが、

 

「ありがとう、イリヤ」

 

 気付くとそう感謝の言葉を口にしていた。頑なであろうとそれが少女の優しさと誠意だと感じた故に。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「―――ありがとう、イリヤ」

 

 感謝の言葉に驚き、頭を上げるとそのオッドアイの少女は既に背を向けており、夢遊病者のようなフラフラとした足取りで鍛錬場を後にしようと、テラスの方へ向かっていた。

 そして、背中越しに彼女は言う。

 

「“明日菜”と話して彼女に全部任せる。“わたし”はもう邪魔しない」

 

 と。

 更に驚かせることを。

 

「―――!?」

 

 驚愕に目を見開いたイリヤは一瞬どう返事をしたものか迷ったが……別段、返事を求めての事では無いのだと直ぐに察し、そのまま黙って少女の背中を見送った。

 

「はぁぁ―――」

 

 明日菜の背中が視界から消えると、イリヤは大きく息を吐いた。

 どうやら良い結果に向かいそうだと…いや、それはまだ判らないが、どうにか“アスナ達”を壊さずに済んだと安堵したのだ。

 途中、辛そうな彼女に危うさを覚え、今の状態ならば抵抗される事は無いだろうと『暗示』を使ったのだが、

 

「もしかすると、それが上手く作用したのかしらね」

 

 確かに明日菜のみならず、アスナにも呼び掛ける積もりで言葉を掛けたが、まさかこうもハッキリと表に出て来るとは思わなかった。

 

「やっぱりそれだけ記憶の封印が綻んでいたって事…か」

 

 呟き、それを意味する事を思う。

 封じられていた筈のそれが…記憶が零れ、(なか)に在る過去の彼女―――アスナに目覚めつつ…いや、戻りつつあった状態であるにも拘らず、今日まで明日菜に僅かな影響しか及ぼしていなかったのは……。

 

「多分、内に在る過去の“あの子”自身がそれを望んでいたって事…」

 

 神楽坂 明日菜として何も知らない普通の女の子として生きて行きたかった、と。

 

「でも……今在るあの子はそれを望まなかった」

 

 解れた封印の影響で見た夢によってアスナ(かこ)の事を気付いた明日菜が捨てては行けない、忘れては行けない大事なモノだと無意識ながらも受け入れようとしたのだろう。

 

「なんていうか…矛盾というか、皮肉というか」

 

 普通の女の子として“平穏に生きて来た自分自身”が、よりにもよって否定する普通じゃない“平穏に生きられない自分”を大事だというのだから。

 イリヤは思わず肩を竦める。如何にもあの真っ直ぐな性格を持った明日菜らしい事だと。まあ、ともあれ―――

 

「“あの子”が納得した以上、明日菜は前を進む事を選ぶでしょうね。なら後は―――」

 

 ―――“彼”次第だ。

 

「…頑張りなさいよ」

 

 イリヤは放課後……別荘を訪れる前に自分の所へ姿を見せたその“彼”に声援を送った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 それは放課後の自分の撮影が終わった後の事だ。

 夕陽も半ば沈んだ黄昏が深まった時分の事である。

 

「…イリヤ君、話があるんだけど、少し良いかな」

「タカハタ先生…?」

 

 帰り支度を終えた自分の前に、灰色に近い銀髪を持った彼が教室に姿を見せた。

 教室に居る生徒は自分だけで、先程まで一緒だったエヴァと茶々丸は先に昇降口へ向かっており、今頃は校舎の前で自分が出て来るのを待っている筈だ。

 最近の様子を思うと、今か今かと昇降口とこの教室の方へ視線を交互に向けながら自分が彼女の視界に姿を見せるのを待っている事だろう。

 正直、それなら一緒の教室を出ればいいと思わなくも無いのだが、それで支度が遅れた自分を教室で待つというのは、どうもエヴァ的には如何にも一緒に下校したがっていると、あからさまなようで恥ずかしいらしい。

 イリヤには今一つ理解出来ない事だが、年上の妹分の心情は何とも複雑である。

 

「良いけど、何の用かしら?」

「うん……」

 

 イリヤはエヴァの事を頭の片隅に置いてタカミチに向き合い。彼はホッとした様子で頷くも……なかなか口を開こうとしない。

 その様子にイリヤは眉を顰めるが、何とも言い辛そうな表情である為、黙って待つ事にする。

 数十秒の沈黙の後、タカミチは一度溜息を吐くと、何処か呆れたような表情をし……次に苦い表情を浮かべて話を切り出した。

 

「明日菜君の事なんだけど…最近の彼女は……その、どうなのかな、と思ってね」

「…………」

 

 今度はイリヤが沈黙する。具体性の欠いた問いに意図が解らなかった訳では無い。彼と明日菜の関係やその過去の事情を知っていれば、考えるまでも無い事だ。

 加えて、先の襲撃事件の事もある。

 あの事件で明日菜は自分の持つ力の事を知った。無論、全てでは無い。ウェスペルタティア王族の末裔たる“黄昏の姫巫女”である事は知らない―――が、それでも彼女は自分の持つチカラが極めて異質だと気付いた…いや、敵の標的にされ、人死にまでも出た事件の引き金となった為に気付かされた。

 イリヤはその場に居合わせた事もあり、明日菜が疑問を抱いた事を知っている。それに事件後の彼女の聴取や報告書でもそういった疑問を抱いている様子が見受けられたとも聞いていた。

 ちなみに明日菜のみならず、事件に巻き込まれたネギパーティー一同の調書を取ったのは、近右衛門の信任が厚い協会の幹部クラスである明石と弐集院だ。その為、情報漏洩の心配は無い……その代わりに件の二人は色々と気付く事になったが。

 

 考えるまでの無い事であったが、イリヤは最近の明日菜の様子を少し思い返してタカミチの問いに答える。

 

「そうね。元気に振る舞ってはいるけど、思い悩んでいるようでもあるわ。あと…頭を押さえている姿を此処の所よく見るわね。コノカも気付いていないフリをしているけど、随分心配しているわ」

「…そうか」

 

 軽く息を吐きながらタカミチはイリヤの言葉に頷いた。

 

「実はさっき、久し振りに明日菜君と会ってね。だから彼女が思い悩んでいるのは分かっていたんだ」

 

 明石教授と弐集院さんからも話は聞いているし、一応報告書にも目を通したし…とタカミチは続ける。しかし、

 

「―――ふう」

 

 再度息を吐くと彼はそのまま沈黙した。その姿は如何にも迷い悩んでいます、と言ったさまだ。そんな良い歳した中年男性の情けない有様に今度はイリヤが溜息を吐いた。

 

(それで私の所に来た訳か…)

 

 明日菜の身近にいる人間の中でも詳しい事情を知り、最も頼りに成る自分の所へ彼女の様子を伺う事をついで…いえ、それを建前にして相談に来たのだ。このオジサンは…。

 そんな事を思った為か、イリヤの眼はやや鋭くなり、そのジロリとした視線にタカミチは思わず半歩後ずさって「う…」と呻いた。

 それを見るに今の己が……三十路近い―――いや、“別荘”での修業期間を含めると事実、30過ぎているオッサンが10歳程度(見た目は)の少女に頼ろうという情けない姿に自覚があるのだろう。

 イリヤは二度(にたび)溜息を吐くが、こうして相談に来た彼を無碍に扱えないと、また明日菜の為でもあるので仕方なく真面目に応じる事にした。

 

「…まったく、判ったわ。取り敢えず相談に乗って上げる」

「す、すまない。自分でも情けないのは判っているんだが……」

「いいわよ。貴方の気持ちは判らなくもないし、こうして頼られるのは嫌いじゃないしね。…でも貸しよ、これは。無償で引き受けるほど私はお人好しじゃないから」

「ああ、それでも助かるよ」

 

 応じるイリヤにタカミチはホッと息を吐きながらも苦笑した。

 

「それじゃあ、先ず肝心なのは貴方がどうしたいのか…ね。アスナにこのまま何も教えないのか? それとも教えるのか? 教えるにしても全てなのか? 一部なのか?」

 

 苦笑するタカミチをイリヤはジッと探るように見詰めた。

 しかしイリヤは実の所、だいたいどのような結論を出しているのかは察しが付いている。原作では何故かおざなりになってしまったが、彼は明日菜との学祭デートの最中に教えるような事を仄めかしていた。

 こうして相談している事といい、迷いを見せている事といい、色々と原作とは異なる事が多いこの世界だが、恐らく根本にあるこの考えは変わらないだろうとイリヤは思っている。

 何故なら襲撃事件以降、“頭痛を覚える明日菜”にタカミチも近右衛門も“何もしていない”のだ。自分に尋ねるまでも無くとっくに“ソレ”に気が付いている筈なのに、何か対処しようとする動きが一切無い。

 ならそれを意味するのは―――

 

「―――話そうと思う……全てを」

 

 逡巡するように口を噛み、それを振り払うように左右にゆっくりと頭を振った後で彼はそう答えた。けれど……。

 

「……けど、それでも迷っているのね。決めたのに、そう結論を出したのに」

「ああ、だから今日何とか彼女と顔を合わせたというのに……本当に良い歳して情けない。全てを話すにしても学祭前にしておけば、後の学祭で騒いで落ち込んだ気分が少しは晴れると思ったんだ」

「…微妙な判断ね」

「うん、正直そうも思うよ」

 

 楽しい学祭前に重い話をされて楽しく騒げるか?…と聞かれればYESとは言い難い。むしろマイナスな気がする。況してや今はその準備で忙しい盛りである。ここで明日菜に落ち込まれたら3-Aクラス一同の今日までの頑張りが無駄になりかねない。

 かといってタカミチの言葉もまた否定は出来ない。落ち込んだ時に忙しく、また楽しく騒げば気分が楽になる場合も確かにあるのだから。

 

「まあ、それは良いわ…とは言えないか。出来るなら前よりも学祭の最中か、後にした方が良いわね」

「…確かにその方が良さそうだね。クラスの出し物は上映会で…その撮影を頑張っているようだし…」

「ええ、お願い。それに水を差す事になったら、それこそアスナが後悔するだろうから…」

 

 イリヤの念の押しにタカミチは首肯する。

 

「……それで、話す事を決めたのに、貴方はいざそうしようとしても怖じ気づく、と」

「うん、何度も言うようだけど……情けない事に、ね」

 

 イリヤが改めて尋ねると、タカミチは自嘲ぎみに答えた。

 

「…話す事自体は良いんだ。それで僕が非難されようと、記憶を奪った事や過去の事を黙っていた事で明日菜君が僕を責めるのは……いや、卑怯だな。責められた方が楽になれるとさえ、僕はそう何処かで思ってしまっている。それでこの重石を下ろす事が出来るのならって……勿論、嫌われ、避けられる事を考えると辛くもあるけど」

 

 目線を伏せてタカミチは尚も語る。

 

「だけど、やはり怖いんだ。僕が傷付くよりも、楽になれるって卑しい感情よりも……それ以上に明日菜君が笑えなくなるのが…」

 

 そこで彼は何かを深く思うように一拍黙り、

 

「全てを知って思い出す事で、その過去に…重い運命に翻弄にされて、もし押し潰されてしまったら……ナギさんと師匠が命を掛けて守った彼女が、あの二人が願った幸せを明日菜君が…アスナ姫が得られなくなるかも知れない事が……怖い」

 

 ギリッと歯を鳴らす音が聞こえた。

 

「確かに記憶を…大切な思い出を消そうとしたのは大きな罪なのかも知れない。師匠の…いや、もしかするとナギさんもかも知れない。残した遺言が在ったとはいえ、それは僕が行い、背負った罰だ。安易に許される事じゃない…! けどそれは必要な事だったと思う。でないとアスナ姫はあの時に生きる意欲を失い、心を完全に閉ざしていただろうから…!」

 

 グッと拳を握りしめてタカミチは、思いの丈をぶつける様にしてそう静かながらも熱く語った。だがその直後にまたも目を伏せて自嘲する。

 

「…しかしこれは、エゴなの…かな? 勝手な思い込み、身勝手な押し付け、逃避の言い訳なのかな…?」

 

 そう言い、表情に影を落とした。

 イリヤはそれに頷くと同時に、首を横に振った。

 

「そうね。でも間違ってもないでしょうね。あの子が麻帆良で今こうして屈託なく笑っていられるのは、忘れられていたお蔭なのだから」

 

 重い運命、許されぬ罪、過酷な過去を背負った黄昏の姫巫女であった“アスナ”に救いの手を伸ばし、希望を…生きる意味を与えようとしてくれた大切な人達を目の前で失ったのだ。その絶望と傷心を思えば、記憶を消してでも救いたい、幸せにしたいと思う気持ちは判らなくはない。

 

(…そう、ただでさえ、“物”として扱われ、“何も無かった”と言って心を殺していた子供だったというのに……そんな絶望に晒されたら、それこそネギどころか、シロウのように本当に心が死んで“歪”になりかねなかったと思う。だからガトウ・カグラか、ナギ・スプリングフィールドか、その二人の判断は間違っていない。アスナの将来を思えば……でも、)

 

 最愛のシロウ(おとうと)のどうしようもない事例が在るからイリヤは思う。けれど……否、だからこそ思う。そんな過酷な過去から眼を背けず、歪ながらも歩んだ弟の事を知るからこそ―――それでも何が大切か、幸せの意味を確かに掴んだ“自分が別れを告げた(あのせかいの)”シロウを知っているからこそ言う。

 

「それを清算し、向き合う時が来た…って事でしょうね」

「それは……判っているよ。ネギ君と関わり、こちらの世界に足を踏み込んで…“奴ら”も動いているんだ。何時までも知らないままでは居られない」

 

 タカミチは暗い表情のまま、イリヤに答えるが…彼の言葉にイリヤは再度首を横に振った。

 

「いえ、それは違うわ……ううん、違わなくも無いけど、私が言いたいのはそれとは別の意味でよ」

「…?」

「はぁ……存外鈍いというか、見えていないというか、考えが足りない―――いえ、考え過ぎて見えなくなっているというべきか……まったく」

 

 何を…? という訝しげに首を傾げるタカミチに、イリヤは「シロウといい、ネギといい、何で私の回りにいる男の人達はそんなのばかりなのか」と溜息を吐く。

 

「師の遺言を果たす時が来たって事よ。貴方は聞いたでしょ? 学園の地下でアルビレオと学園長から……ま、残したガトウ・カグラはもっと大人になってからと思っていたんでしょうけどね……多分」

「…ッ」

 

 イリヤの言葉にタカミチはハッとする。

 

「師匠の遺言…」

「ええ、アルビレオと学園長の話を聞く限り、ガトウ・カグラもまたアスナに何れは話す時が……彼女が全てを受け入れるほどの“強さ”を持つ時が……知ったとしてもそんな辛い過去(こと)には負けない、“何も無かった”あの子が負けずにそれを望めるだけの、手にしたモノを手離したくないと思うほど、幸せの意味を理解する時が来る…って信じたのよ、きっと」

「…!」

「魔法を使えず、才能が無くとも諦めず努力を続ける貴方が―――タカハタ・T・タカミチが立派に成長し、何時か遠くない未来に、ただの称号や資格としてでは無く。自分達のような本当の意味で世の為、人の為となる“偉大な魔法使い(マギステル・マギ)”なると信じた様にね」

「……イリヤ、君」

 

 タカミチは呆然とした表情でイリヤを見詰める。

 そんな彼の表情を見。イリヤは正直、喋り過ぎたかな? と思わなくもない。ガトウなる人物を知っている訳でも、明日菜の過去を姿や言葉を見た訳でも聞いた訳でも無いのに、それを知りもしないと言えない事を口にしているのだ。

 しかしイリヤは言葉を止める積もりは無かった。迷いを抱えた彼を見てられない、もどかしいと思ったのだろう。これで自分が奇異の視線で見られるかも知れないというのに……。

 

(さっきはあんな事を言っておいて……ほんと随分とお人好しになったものね…私も。他人をこうも気に掛けるなんて…)

 

 イリヤは内心で溜息を吐くが気付いていない。エヴァや明日菜達と同様、タカミチを自分の友人……身内として捉えている事を。幾ら変わろうと本当に他人と考えているのであれば、気には掛けてもイリヤはここまでしない。或いはネギと同様、何処か自己を置き去りにしている彼に士郎と似通ったものを感じた為か。

 それに気付かぬまま、イリヤは言う。

 

「―――で、聞くけど、タカハタ……いえ、タカミチ。貴方はアスナを信じる事が出来る? 師が望んだ幸せの意味を理解し、過去を乗り越えられる程の大人…とはまだ言えないけど、強い少女になったと思う? それとも―――」

 

 スッとやや目線を鋭くしてイリヤは告げる。

 

「―――貴方にとってはまだ彼女はあの頃のままなのかしら。“何も無かった”頃の達観したように全てを…自分の明日さえも信じられないと諦観していた幼い子供のままなの?」

 

 

 

 タカミチは直ぐに答えることは出来なかった。

 まるで弾劾するかのようなその眼と、言葉に。

 

 ―――そんなことは無い!

 

 と。

 反論しようとしたが出来なかった。

 そう、今にしてタカミチは思い知らされたのだ。自分は彼女を守る対象として、その傍で成長をする姿を見守って来たというのに……いや、だからこそ自分はあの頃と変わらない、守るべき幼い子供としてしか見てなかった。

 

「ああ…そうか、なんて」

 

 思わず言葉を零す。

 本当の意味で彼女の見せる幸せそうな笑顔と、その成長を理解してなかったと。

 

「…未熟、無様なんだろう、僕は……」

 

 嘗ての頃と比べ物になれない程の力を身に付け、多くの経験を得て、酸いも甘いも知り、とうに大人と呼ばれるほどの歳を過ぎているというのに――――……自分は全く成長出来ていなかった。

 赤き翼(アラルブラ)の皆に憧れた頃の……憧れた彼等の背中を追っていた頃と、師と死別した頃となんら変わっていなかった。

 しかし―――

 

「―――別に良いんじゃないのかしら? それでも」

 

 それを気付かせた、弾劾してきた筈の白い少女が言った。

 

「…未熟、無様だと思っていたからこそ貴方は強くなれた。努力出来た。師が望んだ“偉大なる魔法使い”の姿になれた。例えそれが“何も出来なかった”贖罪の気持ち(おもい)からのモノであっても、それが貴方を成長させた」

「……イリヤ君」

「ええ、貴方は確りと成長出来ているわ、立派にね。その未熟な少年のままの心で。だからこそ真っ直ぐにね」

 

 ま、多少過去を引き摺り過ぎているのが玉に瑕だけど…とも言うが、

 

「だってそうだからこそ、アスナはあんなにも明るく元気な良い子に育ったんだもの。そう頑張って来た貴方の…親代わりだった人の背中を見てね」

 

 優しい笑顔でイリヤはタカミチを称賛した。そして―――

 

「―――だから貴方も勇気を…自信を持って向き合いなさい。自分を見て育った彼女がどんな少女に育ったか、本当に強くなれたのか、過去に押し潰されないぐらいに幸せに笑えるようになったかを、しっかりと理解する為に」

 

 そう、笑顔のまま厳しく叱咤するように言われた。そこに―――

 

『やれやれ、男なら何時までもウジウジと悩むんじゃねえ…それでも俺の弟子か! 一人前の男に成ったってんならそれらしくバシッと決めやがれ。そしてあの嬢ちゃんを紳士らしく立派なレディに成ったって褒めてやれ。それをお前が守り育てたんだ!…って自信を持ってな』

 

 そう怒る亡き師の姿を見た。

 白い少女の背後に立つように……無論、それは錯覚に過ぎず、自分が勝手に都合良く思い浮かべた妄想(まぼろし)なのだろう。未熟を脱せない自分が師の言葉による後押しを欲しての。

 けれど、

 

(はい! 師匠…!)

 

 例え錯覚でも、妄想でも、未熟さから来る弱さでも…いや、だからこそ己に負けない為に、師に向かってタカミチは心中で力強く答えた。

 その返事に納得したのか、それとも死んだ後も面倒掛けさせやがって、と呆れたのか、幻の師は「フ…」と口元を不敵そうに歪めて……消えていった。

 愛飲の煙草を咥えて、紫煙を燻らせながら振り返って背を見せ、その場から立ち去るように…軽く手を振りながら。

 

(ありがとうございます。師匠…)

 

 消え行く師の姿にタカミチは目礼し、その背中を見送った。

 

「ありがとうイリヤ君。こんな情けない僕の話を聞いてくれて…だけど、もう大丈夫だ。明日菜君ときちんと向き合うよ。不出来とはいえ、親としては子供に無様な所は見せられないから、確りと自信を持ってね」

「ええ…頑張ってね」

 

 明るい笑顔を浮かべてタカミチは言い。イリヤも笑顔で応援した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「でも凄いなイリヤ君は。色んな事が見えて……まるでナギさんやアルのようだったよ」

「そう? 貴方や学園長、アルビレオから聞いた話から感じた事、思った事を言っただけなんだけど…」

 

 余り疑問に思っていないようだが先程のイリヤの言葉をやはり不思議に感じたのだろう。何処か妙なものを見る視線で言うタカミチにイリヤは適当に嘯いた。探る様子の無い彼の態度に警戒する必要は無いと思ったのだ。

 恐らく彼の言葉にある通り、ナギという“勘で物事の本質を当てる”人間と、アルビレオという“一を知り十を知る”という諺を体現したヒトを前例として知っている為だろう。それに先日の地下での事もある。

 

「これでまだ18だって言うんだから……ホントどちらが年上なのやら―――……もしかして本当はもっと年上だとか、僕よりも…」

 

 嘯くイリヤにタカミチは一瞬苦笑し―――ハッとしてそんなことを言う。張り詰めていたものが切れて気が緩んだせいだろう。イリヤはその言葉にピクリと眉を動かす。

 

「それは、私がオバサンっぽいとか、お婆さんっぽいとか言いたい訳…? 子供扱いされるのは慣れたものだけど…ふふ、中々新鮮な言われようで―――…こう、“捻り”たくなるわ」

「なっ…何を、何をひね…!? い、いや…じゃなくて、別にそういう意味じゃあ…」

 

 笑顔なのに黒いオーラを感じさせる顔を見て、タカミチは慌てて首を振った。

 慌てる彼の姿にイリヤは気を落ち着ける。タカミチの言葉に自分なりにふと思う所が在った為だ。

 

「まあ、良いわ。勘弁して上げる。自分でも此処の所、老成してきたような気がしていたし……アインツベルンの最後のさ…コホン、継承者として受け継いだものが多すぎるしね」

 

 作品(ホムンクルス)と言いそうになり、イリヤは咳払いし、訂正して言った。

 その言葉にイリヤが自分の事を語る事に珍しさを感じたのか、それとも単なる興味か、好奇心を露わにタカミチが尋ねる。

 

「確か千年を超える魔法使い…いや、魔術師の一門だったね。やっぱり色々と多く…学ぶ物があるのかい?」

「学ぶ…か、そうであったらまだ良かったのかもね」

「…どういう意味だい?」

 

 タカミチの問いにイリヤは眼を閉じて微かに考える。秘密主義な魔術師の一族たる自分が何でこんな事を話す気分でいるのか、を。

 

(ま、考えるまでも無いか。こんな世界に来て、ネギ達の助けになるって決めた事もそうだけど―――)

 

 僅かな間に結論を出してイリヤはタカミチの疑問に答える事にする。

 

「学ぶまでも無く識っているって事よ。生まれた時から…いえ、生まれる前……母の胎内に居た時からね」

「!―――そ、それって…」

「ええ、だいたい想像通りよ。そういう風に私達は世に誕生すると決まった瞬間から手を加えられるの。後の世代に相応しい…或いは先代が望んだ機能・性能を発揮出来るように必要な知識と力を与えられるのよ」

「ッ…、だがイリヤ君! それは…ッ!」

 

 イリヤの答えを聞いて驚愕の表情を浮かべたタカミチは、直ぐに険しい表情でイリヤを見据えた。

 温和な彼が怖いと思うくらいの表情。その怒りが何に向けられているのかは明らかだ。アインツベルンという魔術一族であり、それを平然と受け入れているイリヤ自身にだ。

 だが、イリヤはそれを苦笑するだけで受け流す。

 

「だけど勘違いしないで、魔術師の家系が何処も彼処もそうしている訳では無いわ。私達…アインツベルンが特更、特殊なだけ…」

「いや、問題はそういう事じゃないだろ…!」

「判っているわ。世の為に在らんとする貴方達魔法使いにして見れば異常だと、非人道的だって言うのは……けど、魔術師っていうのはそういうものなの。極端に行ってしまえばその一族、家系そのものが道具なのよ。魔術を成し、根源へ至る為の手段や装置、或いは機械……もしくは工場かしらね。だからそれが効率的だと、目的に近付ける最善の方法だと言うなら、それを何よりも優先するわけ。そこに人道…道徳観、倫理観なんていう人間性(モノ)は余分なの」

「そ、そんな事は、しかし…だが―――くっ…!」

 

 苦笑し冷然と言うイリヤの言葉にタカミチは反論しようとしたが―――悔しそうな表情をするだけで歯を噛み締めるだけに留めた。

 あくまで並行世界の事であり、自分達と価値観(ルール)が違うといってしまえばそれまでの事なのだ。

 そしてタカミチから見れば、その非人道的な行いの被害者とも言えるイリヤが納得しているのであれば……彼も受け入れるしかない―――少なくともこの時はそう思った。

 そして、十秒ほどして彼が深く息を吐き、気を落ち着かせたと見たイリヤは話を続ける。

 

「さっきも言ったけど、特に私の家系はその極致に在るのよ。だからイリヤスフィール(わたし)は生まれた後も色々と、幾度も繰り返し調整を受けて来た。その用いる千年にも亘る技術の粋を結集して、アインツベルンという工場が造るモノの“最後の後継者(ラストオーダー)”として」

「……………」

「…受け継いだっていうのはそういう事なの。私には一族が千年掛けて研鑽し、積み重ねた経験・知識・技術といった“歴史”が文字通り身体に刻まれている……いえ、7割がそういった魔術的なモノで構成されているって言った方が良いかな? 残り3割の部分に余分(にんげん)の機能を付加して、一族の悲願を叶えるために、ね―――だけど…」

 

 だけど、と思う。

 結局そんなモノに意味なんて無かった。そこまでしても目指した奇跡(ヘブンズフィール)は成らず、望んだ人類(ニンゲン)の救済は出来ず、何も結果を出せず、時代遅れの価値の無いモノだと私達(アインツベルン)は結論された。

 だから私…わたしは、せめて…この世界で―――

 

「だけど…?」

「―――いえ、何でも無いわ」

 

 苦い表情を浮かべながらも途切れた言葉の続きを問い掛けるタカミチに、イリヤは静かにかぶりを振った。

 これは言う必要が無い事だからだ。極めて個人的で、そうであって欲しい、在りたいという身勝手なネガイなのだから。

 

(ま、そのネガイの為にこんな話をしておいてなんだけどね)

 

 そう、思わなくも無かったが……ホント身勝手よね、とイリヤは自嘲した。

 

 

 

 イリヤが黙った為に重い沈黙が二人の間に漂う。

 タカミチとしては、興味があったが故にイリヤの話を聞いた訳なのだが……若干それに後悔しつつも思う。イリヤが何故こんな話をしたのか判らない、と。

 彼女の様子を見るに“何となく”と言った感じだが、魔術師が秘密主義だという事を聞いていた事もあり、正直あまり統合性の無いようにも思え、今一納得し難かった。

 だからどのような言葉を返すべきか、判断しかねた……いや、“何となく”話した事に返事など求めてはいないのだろうが、少しでも軽い空気に換える為に強張っていた表情を緩めて口を開く。

 

「…つまりイリヤ君には千年分の経験があるも同然って訳だ。成程ね…」

 

 なるべく明るい口調で、やや冗談めかしたように。

 

「納得したよ。それじゃあやっぱり僕よりも年上な訳だ…ある意味。うん、」

「?…タカハタ先生……」

 

 明るい表情で、うんうん、と頷くタカミチにイリヤは訝しげな表情をする。不思議なものを見るように。

 タカミチはそんな小首を傾げるイリヤに、彼女にしては察しが悪いな、と思いつつ言葉を続ける。

 

「タカミチで良いよこれからは。イリヤ君にそう、“先生”なんて呼ばれるのは何だかこそばゆいしね」

「…ん、そう?」

「うん、僕なんかよりもずっと大人っぽいし、教師姿も似合いそうだしね」

「…あ、―――ふふ、どうかしらね。こんなナリだし、無理じゃないかしら?」

 

 一瞬、ポカンとし―――クスクス笑ったイリヤにどうやら意図を察しくれたとタカミチはホッとする。

 重くなった空気を換えようと、また少しながら気分を沈ませていたイリヤを励まそうとしたのだ、タカミチは。

 

「見た目なんて問題じゃないよ。ネギ君だって出来ているんだ。ならイリヤ君が出来ないことは無いだろう」

「そうかもね。でも人に教えるなんて本当に柄じゃないから遠慮しておくわ。教え子ならサヨとアスナ達だけで十分よ」

「それは残念、実に惜しいね。イリヤ君ならきっと…少なくとも僕よりはずっと立派な教師に成れるのに」

 

 自分に合わせて冗談めいた口調で話すイリヤに、タカミチは本音も織り交ぜる。

 いや、本当にこの白い少女なら見事に教師役を熟し、教壇に立つ姿が似合うだろうと。今後も…これからも麻帆良で彼女が過ごすのなら、表の立場としてそれも悪くないのではないかと。工房主や宝飾店のオーナーとしてだけでなく、そんな将来も在っても良いのではないかと思って。

 

(うん、今度学園長に提案してみよう)

 

 だからタカミチはそう思った。自分の冗談に付き合って楽しげに笑顔を見せるイリヤの顔を見て。また―――

 

(―――これで外見も年齢通りだったら、僕も放って置かなかったんだけど…)

 

 と、若干俗な事も思った。

 この白い少女ならこんな自分でも良き道を示し、支えてくれるだろうと感じて……思いを寄せる女性が居ながら、目の前にいる少女が魅力的だと気が付いた為か、浮気心が出て、ついそんな事を考えてしまった。

 

 

 

「それにあのエヴァが頼りにする理由も判ったよ」

 

 冗談染みた何気ない会話にクスクスと応じる自分にタカミチはそうも言った。

 

「千年…十世紀分の経験を持っているも同然だっていうなら、600年の時を生きる彼女も年下のようなものだからね」

「あー、タカハ……タカミチもそれに気付いているんだ」

 

 それはエヴァが妹分として自分に甘えている、という事までは流石に判らないだろうが…多分。それでも以前よりも親しげな様子だという事がそれとなく知られているという意味だ。

 タカミチは頷く。

 

「まあね。エヴァがすっかり君に懐いているようだって事は結構広まっているから……ここだけの話、エヴァを警戒する以上に協会には彼女のファンも……非公式なファンクラブがあるからね。あと君のも最近出来たっていう噂も…」

「ああ、やっぱり…―――え゛…?」

 

 頷くタカミチの予想通りの返答と―――予想外な返事にイリヤは変な声を出してしまう。

 まったく想像だにしない事に驚いてギョッとするイリヤにタカミチは再度頷き、そして顎に手を当てて何処か神妙な様子で考え込む。

 

「エヴァが気付いていないとは思えないんだけど……いや、うーん…どうなのかな? そういうのは無頓着そうだし……ああ、そういえばイリヤ君も最近ウチの協会に入ったばかりだ……それなら一応言って置いた方が良いのかな?」

「何? どういう事…?」

 

 イリヤは、非常に嫌な予感しながらも尋ねる。

 

「なんていうか。麻帆良…いや、麻帆良だけじゃなく各国の協会には水面下に幾つかの非公式な会員制のクラブ組織みたいなものがあってね。その大半が余り口に出せないような……勿論、犯罪では無い…いやいや、やっぱ犯罪か? ま、まあ…兎も角、表に出せないというか、表沙汰にしたくない活動をしているんだ…“色んな意味”で、“ある意味”のだけど―――――――だから…まあ……その、イリヤ君も気を付けた方が良いよ」

 

 そう、歯切れの悪い口調で言い。何とも言い難い表情してタカミチは、呆れた様なのに真剣という奇妙な表情でイリヤの肩にポンと手を置いた。

 

 

 

「―――アレって、結局どう意味だったのかしら…?」

 

 回想を終え。彼との別れる前の会話を思いだして、イリヤは星々と月が輝く夜空の下で首を捻って呟いた。

 背筋に奇妙な悪寒を覚えながら、その“意味(こたえ)”が既に直ぐ傍に…好奇心の塊のような“彼女”が伴っている事に気付かずに。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 気付くと明日菜はそこに居た。

 ぼんやりとした暗くセピア色の不可思議に景色が広がる空間。ぼやけて霞む光景の為、地平線さえ在るのか無いのかハッキリしない場所。

 ただ何となく見覚えがあるような気がした。

 見た事の無い様式の造りを持つ強大な宮殿の一室から、窓ガラス越しにこれまた古めかしい欧風とアジア風が入り混じり、調和した不可思議な建築様式を持った町並みを見下ろしている。

 

「ここは…?」

 

 呟くも返る返事は無い。人気は一切ないのだから当然だ。だが―――

 

「…明日菜」

 

 突然の背後の気配と声に明日菜は驚き振り返る。

 

「―――貴女は…!」

 

 そこに居たのは自分だった。夢で見た自身の幼い頃の小さな少女。

 

「初めまして…ううん、久し振りだね、明日菜」

 

 驚き固まる明日菜に構わず少女は挨拶する。無表情で何も映していないような空虚な目で。

 明日菜はそれに何て答えたらいいのか、どう反応すれば良いのか判らず、驚愕に目を見開いたまま少女を見つめるだけで―――

 

「―――ん、」

 

 握手するように無造作に出されたその小さな手を、思わず反射的に握り返し―――

 

「あ!…――――あああああああっ!!!?」

 

 その手から流れ込むように頭に入り込むソレに悲鳴を上げた。

 

 

 

 物心が付くか、付かないかの幼い時分に兵器として価値を見出され、その価値を維持する為に文字通り氷のように冷たい結晶の中で眠らされた日々。

 故郷たる国に危機が訪れ、その度に兵器として駆り出された日々。敵も味方も、どちらも多くの命が消えるのを見た。

 それを幾度も、何度も繰り返し……ある時、彼等と出会った。

 

「よう、嬢ちゃん。名前は?」

「ナ、マエ…?」

 

 兵器として扱われ、ずっと姫巫女と呼ばれていたからナマエ……名前を訪ねられたのは随分と久しぶりだった。だから直ぐに意味は解らず、答える事が出来なかった。

 それでも、

 

「アスナ……アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア」

 

 それでも忘れずにいた、長い自分の名前を間違えられずに口にする事が出来た。

 彼も同様に長いと思ったようだが、

 

「なげーなオイ。けど…アスナか、良い名前だ」

 

 正直、名前に良いも悪いのか在るのか判らなかったが、褒めてくれたのは悪くない気がした。それだけが“何も無かった”自分に唯一“在ったモノ”だったから。

 出会ったのはそんな短いやり取りをした僅かな時間だ。けど―――

 

「―――よし、アスナ待ってな。直ぐに終わらせてくる」

 

 そう約束でも無い言葉を残して、彼は戦場に数多くいる敵に立ち向かって行った。

 そうそれは、約束でも何でも無かった。何気ない会話…言葉のやり取りだった。なのに―――

 

「待たせたな、アスナ」

 

 そう言って、ほぼ全てを終わらせて来た彼は……もう青年と呼べる程成長していた赤毛の彼は、自分を冷たい結晶(ろうごく)から解放した。もう眠る必要も無いと言って、多くの人達と同じように楽しく笑って幸せに生きて行けるとでも言うように。

 だけど、私は知っている。

 私の為に多くのヒトが争い。死んで行き。多くの命と国が……自分の生まれた国さえも犠牲に成った事を。

 

「それは嬢ちゃんの所為じゃねえよ」

 

 何時も私が嫌いな煙草ばかりを吸っている人…ガトウが言った。

 

「確かに力を持っているのは嬢ちゃんだ。だが本当に悪いのはそれを都合よく利用した連中の方さ。何の選択権も無く、抵抗も出来なかった嬢ちゃんが責任を感じる必要はねえ」

 

 そうなのだろうか? 私が居るだけで、生きているだけで多くのヒトが、命が消えて行ったのに。不幸になったのに。今も苦しんでいるのに。

 そう言うと、ガトウは何も言わずに私の頭を撫でるだけだった。ただ―――

 

「思いやりのある優しい子ですね。そして賢い。きっと良い子に育つでしょう」

 

 傍で見ていた怪しい、そうとても怪しいヒト…アルビレオが何時ものように「フフフ…」と胡散臭くて作ったような笑みを浮かべて言った。

 だから私はその言葉を信じなかった。だって本当に怪しいから。

 自分が優しいだなんて思わなかったし、頭が良いとも、人に褒めて貰えるほど良い子に成るとは思えなかった。そう思ったのに―――

 

「ああ、アスナはきっと良い女に育つぜ。この俺が保証してやる。男なら誰もが放って置かない程の優しくてとびっきりの美人になるってな」

 

 私を救ってくれた、誰よりも信じられる赤毛の彼―――ナギが当然のように言った。何時ものように考え無しの馬鹿っぽい笑顔で。

 そう、だから。ナギがそう言うなら信じてみようと思った。彼が言った事は決して間違わないから…いや、時々、スゴク間違っている事もあるけど……きっと私は彼の言う通り、優しい美人な女性になるのだろう。

 

 そうして暫くは彼等と一緒に色んな所を見て回った。

 私を狙って追い駆けて来るあの“カナシイヒト”が造った“モノ”や信望する人達が来たり、それ以外のどこかのソシキの追っ手が襲ってきたりした事が在ったけど、怖くは無かった。誰かが犠牲になる事も、命が消える事も無かった。

 だってナギ達はそれだけ強かったから。カナシイヒトのモノには容赦は無かったけれど、それ以外のヒトには敵であろうと優しかった。

 きっと私に命が消える所を余り見せたくなかったのだ。

 

 そんな優しく強い彼等が居たから何の心配もいらなかった。辛く苦しく大変な時もあったけれど、楽しく彼等が見せる光景を見て、色んな事を知る事が出来た。

 

 けど…けど……けど………ゴメンナサイ。

 

「ゴメンナサイ…わたしの、私の所為で」

 

 イスタンブールという何処かの国の古い都での休息を最後に――――カナシイヒトにナギが……そしてアルも動けなくなって、

 

「私の所為で………ゴメンナサイ……もっと私が、わたしが上手く…チカラを……私が上手く出来なかったから…」

 

 二人が居なくなって、生き残ったモノから私を庇って――――ガトウが、

 

「幸せに成る資格があるって言ってくれたけど……私にそんな資格なんて―――」

 

 ―――チガウ…ちがう、違う……だからって、皆が犠牲に成ったからって、そうやって否定したら良いの? 違うでしょ! 犠牲になって、命を掛けて守ってくれたのにそうやって諦めてどうするの? それじゃあ、それこそ意味が無い! 何のためにナギさんとガトウさんは犠牲に成ったの? 魔法の国で消えた人達に…私の力が原因で不幸になった人達にどうやって償うっていうの? 不幸ぶって悲劇のヒロインを気取って塞ぎ込んでいたら何も出来ないじゃない!!

 

「だから私は諦めない。そうやって塞ぎ込んでいたって何も解決しないから。幸せに成る事だって……ううん、今こうして幸せだって思える事を手離すなんてしない! 犠牲に成った人達に報いる事も、幸せを掴む事も諦めない! 絶対に! ぜったいに―――諦めないんだからッ!!」

 

 長い記憶の旅から戻った明日菜はセピア色の世界に戻って叫んだ。しかし……

 

「ッ――――――」

 

 今見たモノの殆どが叫んだ途端に記憶から抜け落ちていた。まるで強い風に捲かれた砂のようにザラッと頭から零れて行った。

 何時ものように大切な思い出(モノ)を見たという感覚だけを残して。

 

「そう、それが明日菜(わたし)の答えなんだ」

 

 目の前の小さい自分が言った。

 

「貴女…」

「そっか。ナギとアル、ガトウが言った通り、優しくて良い子になったんだわたしは…」

 

 小さい自分が無表情で寂しそうに…けれど、嬉しそうに言う。

 明日菜は、それにやはり戸惑うしかない。この小さな自分が何なのかを理解しながらも言葉が出せない。

 

「ありがとう。明日菜(わたし)。幸せに成ってくれて。そう言えるように空っぽだったわたしに色んなモノ(こと)を詰めてくれて……―――本当にありがとう」

「……貴女」

 

 無表情な顔に微笑が浮かぶ。

 明日菜はそれに何を言うべきか、記憶を持たない自分は直ぐに言えずにいて、それでも考え、考えて………ようやくそれが見つかった。

 

「ううん、私の方こそありがとう。アスナ(わたし)。こんな独りっきりの場所に置き去りにしたのに消えずに、ずっと忘れずにいてくれて。貴女が此処に居てくれたお蔭で私はきっと幸せを知る事が出来たんだから……―――だから、ホントにありがとう」

 

 そう、想いを込めてとびっきりの笑顔を昔の自分へと向けた。

 未だ自分には過去の記憶は無い。なのにそう言えた。それが不思議だったが―――いや、何も不思議なことは無い。二重人格のように別れてしまってはいるが、決してそうでは無い。自分達は同じ精神(こころ)に住まう者同士(アスナ)なのだから。別れているように見えても繋がっているのだろう、私達は。

 

「ううん、貴女からのお礼はまだ早い。私はまだ此処に残るから……貴女が向き合って彼と―――タカミチと話すまでは…」

「…そっか。うん、そうだね。その方が良いのかもね。いや…まあ、私には判んないんだけど……」

「それはわたしも同じ。でも…きっとそうした方が良いんだと思う。明日菜(わたし)とタカミチの為にも」

 

 お互いに要領を得ないまま何となく頷き合う。そっか、と。

 記憶の無い明日菜は、タカミチが当事者の一人だという実感が乏しいが為に。

 記憶を持つアスナは、タカミチが当事者である事を知るも、今の明日菜との関係が今一つ判らない為に。

 しかし互いに納得した。今しばらくは……タカミチから全てを話してくれるまでは―――別れていようと。

 

 そして納得した明日菜は、この夢から醒めようとした―――が、

 

「明日菜、それと―――」

 

 

 

 ◇

 

 

 

「―――それと……なんだっけ?」

 

 塔内の一室…皆と一緒に与えられた寝室で明日菜は呟いた。

 ボンヤリとした思考のまま、セピア色の世界で幼い自分とあった事、これまで見続けた夢の意味を知った事は理解している。

 無論、まだ記憶は戻ってはいない。けどそれは良い。納得しているから。

 なのに―――

 

「…っ、うぅ…くぅっ!」

 

 胸から強い、とても強い痛みがあった。

 どうしようもなくて、苦しくて、辛い哀しい痛みが。

 けれど、それが何なのか判らない。それがもどかしかった。大切な、自分の過去や記憶とは違う何か大事なことを教えられた…識った筈なのに。

 それが判らない筈なのに、思い出せないのに、とても哀しくて、悲しくて明日菜は眼から溢れ出る熱い涙を止められなかった。

 

「…っっ、くっ、ぅ…うあああああっ!!」

 

 泣き出して眠っている皆を起してしまう程に。哀しくて、悲しくて、辛くて、どうしようもないくらいに。

 

 なのに―――明日菜は結局思い出すことは出来なかった。その時が来て、過ぎ去った後にも、この日、夢で識った事を…………。

 

 

 




 原作よりもかなり早く明日菜が自分の過去と向き合いました。

 年齢詐称薬はイリヤが飲んだ場面にもっと上手い見せ方があるような気がして何となく不完全な気がします。ただ今後も飲ませる予定があるので、その時にリベンジしたいと思ってます。

 少し蛇足のような感がありますが補足しますと、元の世界…もとい聖杯戦争中に魔術で大人に姿を取った事が在るというのは、独自解釈です……ヒントはアイリのベンツ。流石にお子様の姿でそれは拙いと思いましたので。



 活動報告の方へも書きましたが、一応ここに書いておきます。

 自宅のPCが逝ってしまいました。
 購入してから五年ほどたっていましたので、おそらく寿命だと思います。
 前回と今回は前後編の話でしたので、何とかこの一話だけでも投稿しようと今回はネット喫茶から投稿しました。
 しかし、このまま続けてネット喫茶通いというの難なので、しばらく更新は無理だと思います。
 多分、再開できるのは2ヵ月後だと自分は考えています。

 それとバックアップを確認した所、向こうでの掲載分の最後の数話が保存されていませんでした。
 一応サルベージを試みますが、望みは薄いと思われます。これもあってさらに遅れるかもしれません。
 

 楽しみにされている方には申し訳ありませんが、どうかご理解ください。




 あと、感想返しなどはスマホから行いますので問題ありません。


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第26.■話――― 一夜限りの記憶。避けられぬその結末…オワリ















「―――明日菜、それと…」

 

 セピア色の風景の中で幼い自分が言う。

 

「あの子―――イリヤの事なんだけど…―――」

「?……何、イリヤちゃんがどうしたの?」

 

 口を開き、何処か躊躇う様子を見せる少女(じぶん)に、明日菜は小首を傾げながる。

 

「うん、あの子は……イリヤは、とても大事なことを私達に隠している」

「え…? あ、うん。そりゃあ、まあ…私もそれは判るけど。年下とは思えないほどしっかりしているし、とても大人だし、物事を深く良く考えてるし……私と同じでとんでもない秘密や過去があっても―――」

「―――そうじゃない。明日菜が言っているのとは違う」

 

 戸惑いながらも明日菜は、あの白い少女に妙な不思議さがある事を理解している風に言うと、幼い自分はかぶりを振った。

 

「確かにイリヤには明日菜が言うように色んな秘密がある。だけど、それはいいの。何時か話してくれるかも知れないし、話してくれないかも知れない……そのどちらの可能性もあるけど、それはどうでも良いの」

「…………何が言いたいの?」

 

 俯き、これまでにない深刻な…とても辛そうな、悲しそうな表情を、それも基本的に無表情である自分(わたし)が見せるそんな不吉な様相に明日菜は嫌な感じを覚える。

 

「イリヤは自分の過去を……自分の居た“世界”の事を話しても絶対にこの事は言わない。今こうして話せているけど、この夢から醒めれば、わたしはきっと忘れるし、明日菜も聞いた事を忘れる」

「……一体、何を…?」

「だから話しても意味は無いのかも知れない。今はこの場所―――人の無意識領域…“霊長の意思(アラヤ)”に近い場所に居られるから、それが判るのだから」

 

 明日菜の疑問の声に答えずに少女は言葉を続ける。

 

「だけど、判るからこそ言って置かないといけない。知って置かないといけない…私達は。そうして置けばもしかしたら何とか出来るかも知れないから。そう、私達の為に…明日菜(わたし)が幸せに生きて行けるようにイリヤが…―――」

 

 一度グッと顎を噛み締め、

 

「―――イリヤが、イノチを使うから…!」

 

 そう、絞り出すように自分が言った。

 

「え――――?」

 

 耳には入った言葉に明日菜は唖然とした声を零す。

 

「い、イノチを使う…そ、それって……ど、どういう事……?」

「……………」

 

 唖然としながら尋ねるも、幼い自分は無言に目を伏せるだけだった。だから思わず詰め寄る。

 

「―――ねえっ!!」

 

 詰め寄って、その小さい肩を掴んだ瞬間―――

 

「――――!」

 

 見た。

 それを―――。

 

 

 

 それは先程と変わらないセピア色の風景だ。ただしぼやけてもおらず、霞んでもいない鮮明な光景となっている。

 エヴァ邸の庭で、そこに見覚えの無い一本の大きな梅の木があり、満開に花をさせている。その美しい木の下で一人の少女が眠るように幹に寄りかかって背中を預けている。

 その周りにはネギが居て、カモが居て、木乃香が居て、刹那が居て、エヴァが居て―――そう、自分の知る友人達が姿が在って、当然…明日菜(じぶん)も居た。

 

 きっと梅の花が咲くという事は、春先かだろうか。卒業式を迎えた辺りなのかも知れない。

 それでも陽気に入ったこの季節。しかもこんなにも満開で見事な梅の花の下なら、少し早い花見と称して楽しく騒いでいても良い筈だ。

 

 なのに―――

 

 

「な、なんで……?」

 

 擦れた声で思わず呟く。

 

「……どうして…どうして……皆泣いているの?」

 

 そう、自分が、自分の知っている皆が悲しそうな顔をして一様に涙を流していた。特にネギなんかは……少女の……梅の木に寄り掛かる白い少女の……イリヤの身体に縋り付くように号泣している。

 

 ―――だけど、

 

 その抱えた何度も身体を揺さぶり、耳元で涙を流して叫んでいるというのに、眠っている白い少女の眼は一向に開く様子が無い。つまりそれは―――

 

「うそ…そんなのウソ、だってこんなことある訳無いじゃない。イリヤちゃんが、あのイリヤちゃんが―――」

 

 それを理解し呆然として明日菜はかぶりを振る。目の前の風景から後ずさり、必死に否定して。なのに―――

 

「―――嘘じゃない。確かにこれはまだ先の事だけど“起きる”事なの」

「―――!?」

 

 声に振り返るとそこには幼い自分が居た。

 

「イリヤは文字通り、身を削って私達とあの滅び掛けた世界を救う…救うために自分を使う。それが自分を殺す事になるって理解していながら」

「ッ…そんなっ! だったら止めさせないと! そんな事をしても私は嬉しくない! 世界を救う方法だってきっと他に―――」

「―――それは私も一緒。嬉しくなんて無い…とてもカナシイ。けど…他の方法では私達が犠牲にならないと行けない。100年以上も眠る事になって、みんなと同じ時間を生きられなくなる。それじゃあ幸せに成れない」

「ッ、でもだからって―――!!」

 

 辛そうにしながらも淡々と言う自分に明日菜は抗議するが―――それを遮るように幼い自分は尚も言った。

 

「―――それにどのみち、イリヤには先が無いから」

「―――!?」

 

 更なるその言葉に明日菜は抗議の声を上げるのを止めた。この不思議な…過去も未来も曖昧な場所の所為か、その意味が直ぐに理解できたからだ。その明日菜の反応にアスナは頷いた。

 

「そう、イリヤの命は…残りの時間はとても少ない。多分、生きられたとしても、もう1年か、長くて2年が限界…」

「……だから、なの?」

 

 アスナの残酷な言葉に明日菜が問うと、幼い少女は首肯する。

 

「うん。だからイリヤは自分に残された時間を捨てた……ううん、違う。未来の在る私達とネギとみんなの為に使った。その幸せな将来の為に活かした。それが一番良いって、自分の事を知るこの世界で出来た家族の人達に笑って後を託して……私達には黙って逝った―――逝く事になる」

 

 それが未来。確定した事象。待ち受ける運命。避けられぬ結末―――オワリ。

 

「そんな…そんな事って……」

 

 明日菜は知らず内に涙を流した。余りにカナシイ運命の結果に。胸が痛く、眼元が熱く、どうしようもなかった。

 

「ゴメンナサイ、明日菜。こんなことを教えて。直ぐに忘れてしまうけど、悲しませて。だけど…だけど、忘れるけれど、知っていれば避けられるかも知れないから、思い出してもっと良い方法が思い付くかも知れないから、イリヤが残った時間を…短くとも精一杯生きられるかも知れないから―――だから、」

 

 うん、と。明日菜は頷いた。

 こんなどうしようもない事を教えられて少し恨みそうになったけど、アスナ(じぶん)の言いたい事が、そうして置きたかった理由も良く判ったから。

 だから―――

 

 ―――うん、任せて。忘れずにきっと良い方法を考えてみせるから。

 

 そう、強く頷いた。

 それが叶わないと理解しながらも、この幼い自分のように諦めずにそれを望み、願って――――――そしてやっぱり忘れて……夢から醒めた。

 

 




 元々今回の話はネタバレが大きかった事もあり、Arcadiaでは一夜限定で公開していたものです。こちらでも公開すべきかは悩みましたが薄々気付いている人も居そうですので投稿しました。
 で、これが拙作の聖杯の少女におけるイリヤの結末となっています。彼女はネギ達の未来の為に己を犠牲します。元の世界で士郎の幸せの為に“扉”を閉めた様に。
 ですが一応、救済用のラストエピソードもあります。ただそれが本作のイリヤにとってそうであるかは微妙な気もしますが…しかし、ネギ達は亡くなった筈のイリヤと何とか再会する事が出来ます。

 あと、これとは別に現時点においてもう一つ結末があったりします。此方の方は本当にイリヤに救いは在りません。
 魔法世界での最終決戦で“失敗し”、イリヤはネギ達の為に己を構成する7割全ての魔術回路を限界を超えて行使し、決戦の地に集まった魔力や黒アイリの魔力とその中に再現された“器”に加え、黒化英霊とカードの英霊の核をも使って“聖杯”と化して自分以外の全てを救う…というものです。
 しかもその後、世界を救ったものの“聖杯”は残り、救われた人々も残された聖杯を巡って争いを始め、魔法世界のみならず現実世界にも波及し。ネギもまた初恋の人を目の前で失って心に大きな傷を負い、明日菜を始めとした仲間達から離れ……死者蘇生の邪法を求めます。そして“聖杯”を奪取せんとしたが為にエヴァとシロウの手によって始末されます。
 考えた自分が言うのもなんですが、本当に救いがありません。

 それと投稿が遅れてすみません。
 遅れた事情ですが実は今、別のサイトにssを公開してましてそちらを優先していた為です。
 『聖杯の少女』執筆のリハビリの積り初めは書いていて、短く5、6話ほどで終わらせる予定だったのですが、進めている内にネタが膨らんでしまい予想外にも長編になってしまって……(汗
 そちらのでの評判も悪くないですし。
 まあ、とりあえず、今後は二足の草鞋となりますが、待たせた分はこちらをちょっと優先する積りです。次回の更新は出来るだけ早くします。


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第27話―――試し合いなる死合

今回から暫くは向こうでのストック分は見直しつつ、切りよく分けて投稿する積りです。



「―――チッ!」

 

 直ぐ視線の先から迫り、頬を掠めて行った一条の銀光と遅れて頬に感じる痛みに思わず舌を打つ。

 危うかった今のが決まっていたら……と。

 

 が、

 

 それを考えるよりも先に身体は素早く回避行動を取っていた。

 左に右に、上に下に、雲一つない蒼穹(そら)を立体的に且つ高速で飛び続け、ほぼ間を置く事無く連続で注ぐ刃金の雨…機銃ように迫り来る無数の銀光を必死に避ける。空中であるが故に十分に開けた空間を活かして縦横無尽に駆ける―――が、だからこそ不利だった。

 遮蔽物の無い空中だからこそ自由に飛び回れるが、逆に言えば身を隠す場所は無いのだ。

 

「…クッ! これでは良い的だ!」

 

 銀光がまたも身体を掠め、感じる痛みに愚痴るかのように罵る。

 この銀光を放つ“敵”との距離は凡そ2km。腕前は尋常では無く、放たれるそれを回避してもほぼ至近か、身体を掠めて躱すのが精一杯。しかも今戦場と成っている場所は砂漠だ。この空中のみならず地上もなだらかな砂丘が在るだけで真面に身を隠せる所は無い。

 

 おまけに―――

 

「!―――ガッ!?」

 

 瞬間、避けられぬ一撃と思い。反射的に前方へ五重の障壁を展開するも、あっさりと貫通されて脇腹から“持って行かれた”。

 文字通りごっそりと腹部の半分が粉砕され、肉片を撒き散らしながら消し飛び、その中身が…血と内臓が零れ落ちる。

 

 ―――おまけに、敵の攻撃は己の強固な…それも何重にも重ねた障壁を無効化し、その威力は容易くこちらに致命傷を与えて来る。

 

「……!」

 

 それでも彼女は歯を食い縛り、激痛と共に零れ落ちるモノを無視して致命傷を負ったにも拘らず、今も容赦なく迫る銀光を避ける為に回避行動を続ける。

 この程度なら大したことは無いのだ。彼女にとっては。しかし相手もそれは判っている。この次の瞬間には致命傷であった筈の怪我は何事も無かったかのように治っているのだから。

 そう、彼女にとって障壁を無効化し如何な威力を持とうと然程意味は無いのだ。例え頭を貫かれようとも、心臓を打ち抜かれても、首を断たれようとも、だ。その不死性ゆえに。

 

「だが、このままではジリ貧である事に変わりは無い」

 

 身体を掠め、ひやりとする攻撃が続く中で彼女は独り呟く。

 自分も、そして相手の方も決定打が無い。

 それを確かめるかのように迫る機銃の如き銀光を避け続け、空を縦横に駆けながら彼女は呪文を唱え―――

 

「――――吹雪け、常世の氷雪……―――闇の吹雪!!」

 

 高まる魔力と詠唱を終えたのを察知した事による動揺か、間断なく襲い来る銀の弾幕が僅かに薄れ……彼女はその僅かな機を逃さずその名が示すような漆黒に染まった濃密な雪嵐を……上位魔法を遠方の銀光を放つ敵に目掛けて放った。

 2kmもの先を秒という間も無く詰めて敵に、こちらに弓を構える赤い外套を纏う銀髪の少女に闇色の雪嵐が直撃―――するかと思われた瞬間、

 

「…やはり、か」

 

 予想通りの結果に青い眼を細めて彼女―――漆黒の衣装を纏う吸血姫…エヴァは苦い表情を浮かべる。

 自身の大呪文。それも最強の名を冠する彼女が全力を持って放った魔法は、直撃する寸前に銀髪の少女の目の前に展開した幾学的な文様を輝かせる銀の魔法陣によって防がれ、霧散した。

 恐らく敵の弾幕が薄まったのは、動揺では無くこの防御壁を展開する為だったのだろう。

 

 話には聞いていた。

 彼女の作るアミュレットもそうだが、“向こうの魔術”によるそれは“此方の魔法”が持つ神秘と比べて“純度”が段違いなのだと。

 物理的な破壊力や引き起こせる現象の結果は、此方の魔法の方が遥かに効率的且つ上であるものの、その秘すべき神秘が“広まり薄まり過ぎている”のだという。反面、此方の世界に満ちるマナは異様に濃く、精霊の多くが“裏へシフト”していないのもそれが関連しているらしい。尤もそれは今はあまり関係が無いので兎も角―――神秘は更なる神秘の前に意味を失くす、と銀の髪の少女は言っていた。

 つまり齎すその効果や結果の差がどうであれ、神秘が薄まった此方の魔法では向こうの魔術には抗しえない。ぶつかり合えば容易に掻き消されてしまう。

 そうなれば当然、魔法と魔術の打ち合いと成れば、此方の魔法使いは向こうの魔術師に圧倒的な不利を強いられる。無論、いざ戦闘となればそんな単純な理由で結果が決まる事は無いだろうが、純粋に魔法では魔術を打破するのは、無謀とまでは言わないが非常に困難である。況してや特化型とはいえ、一級の魔術回路を持つ一流の魔術師である銀の少女―――イリヤに挑むのであれば尚更だろう。

 それを証明するかのようにイリヤの前面に展開していた魔法陣が姿を…いや、形状を変えて二本の剣のカタチと成り―――

 

「―――ッ!?」

 

 銀光……弓から放たれる矢よりもその速度はかなり遅いが、瞬く間に迫った剣のカタチを持ったソレが二度(にたび)展開した五重の魔法障壁の内、四枚を完全に貫いて五枚目で漸く止まった。

 眼前……鼻先でギリギリ止まったその切っ先を見、エヴァは眼を見開いてギョッとする、してしまう。

 最強の魔法使いと自他ともに認める己が張った障壁を容易く貫いたのだ。先程から続く宝具の矢であるならまだしも、ただの魔術である筈のソレに。高位の魔法使い…例え千の呪文を持つ男(サウザンドマスター)による最上位呪文すら通さない魔法障壁を。……エヴァが表情を引き攣らせるのも無理は無い。

 しかし、ソレ―――銀の糸…いや、もしや髪か?……で剣状に編まれた魔術弾ともいうべきコレから感じる迫力と魔力を思えば当然かとも納得してしまう。如何な魔法も持ち得ない濃厚な存在感を放ち。巨大で何処か怖気を感じさせる異質な魔力が込められているのだ。

 

「ふ…これ程とは」

 

 苦笑し強張った表情のまま称賛の声を零す。

 自分達のような超一流の魔法使いが使う災害規模とも言える最上位呪文に比べれば、その物理的な破壊力はちょっとした突風程度に過ぎないソレが、如何な障壁や気の守りであろうと防げず致命傷を負わせる力を持っている事実。魔術の優位性を―――そう感嘆する他ない……まあ、自分は一応防げているのだが…。

 

「にしても…」

 

 驚愕と感嘆の時間を僅かに再度銀光と共に迫る宝具の矢を避けながら思う。本職に徹したアーチャー(シロウ)の力を。

 

「分かってはいたが」

 

 距離を開けられるとこうも厄介だとは。

 宝具という破格の神秘を使い捨ての矢弾とする彼のチカラ。愛すべき彼の力をいざ敵に回すとここまで難物だとは…と思わざるを得ない。

 先が示す通り、魔法の守りなぞ紙切れ…とは言わないまでも、銃弾を薄板で防ごうとするような気休め程度にしかならず、避けようにもその狙いはほぼ正確で且つ速く絶え間なく、更には誘導性の物まである。

 

「遠間では流石に不利。仮にも弓兵の名は伊達では無いという事か……だが」

 

 このまま甘んじる積もりは無い。

 お互い決定打を欠いている状況とはいえ、座視すれば此方が敗れるのは確実。ならば―――と。取るべき打開策はそれしかないと考え、矢弾が迫るにも構わずその場で停止し、スッと眼を細めてイリヤを正面から強く見据える。そしてエヴァは両の掌に何の術式も使わずに魔力を集中し、剣道の正眼にも似た開手の構えを取った。

 

 

 ◇

 

 

 遠い視線の先、豆粒以下の大きさに映る相手を眼にし、投影した剣を…絶えず弓に番えながらイリヤは、漸く優位的な状況を得られた、と密かにホッと安堵していた。

 何しろ近接戦ではまるでこちらに勝ち目は無いのだ。

 エヴァのスペックと技量はそれ程だ。守り上手なアーチャーの技術を持ってしても、そして宝具による優れた武具を手にしていても、それを圧倒してくるだけのチカラが在る。

 

 ―――ホント、とんでもないと思う。

 

 踏み込む速度は獣の如く敏捷な最速たるクー・フーリン(ランサー)を凌ぎ、その膂力は幾つもの魔物を屈服させたヘラクレス(バーサーカー)にも負けず、一撃一撃に込められる魔力の重みは赤き竜の化身であるアルトリア(セイバー)の魔力放出に匹敵するのだ。

 宝具を相手にする不利も『断罪の剣』では打ち合えないと判断するや否や、あっさりと無手と成り、徒手空拳で肉が裂かれるのも構わず此方の剣戟を捌き、人の身では届かない長き年月を経て研鑽された体術で巧みに対応してきた。

 

 ―――正直、これ程とは思っていなかった。

 

 今も矢を放つが、『心眼』ともいうべき恐るべき読みで、確実に中る筈の狙撃を避けるエヴァの姿を見つつ畏怖する。

 六百年の時を生きる吸血姫。魔王と恐れられ、最強の魔法使いと呼ばれる所以。確かにこれは―――

 

「―――人の手に負えない。英雄と呼ばれる人間だけが打倒し得る怪物ね」

 

 決して舐めていた訳でも、侮っていた訳でも無いが改めてそう思う。

 ネギのお父さん(サウザンドマスター)は勝ちを得たというが、それは原作のようによっぽど油断していた所為だろう。或いはエヴァ自身全くやる気が無かったか。

 

「けれど…」

 

 “今回”は優位を得られた。

 幸運にも相対する距離は遠く離れ遠距離戦に持ち込めた。向こうの遠距離手段……魔法は下位は勿論、最上位ものまで防ぐ自信がイリヤには在る。

 先程は、呪文詠唱を許してしまった事、そして本当に最強たる彼女の魔法を防げるか不安が在った為に動揺したが……むしろそのお陰で確信を得た。この距離ならば自分は先ず負けることは無い。距離を詰められさえしなければ此方の勝ちは揺るがない。

 イリヤは微かに笑みを零す…が、

 

「!?」

 

 驚愕に眼を見開く。

 先程、最上位魔法に対して返礼するように放った髪で編んだ使い魔…剣弾(デーゲン)が多重障壁を貫き切れずバレルを失って解れるように自壊したその幾秒後、突如エヴァの動きが止まったと思ったら―――瞬間、イリヤの放った矢が止められた。

 

「…な―――!」

 

 一呼吸の間に十以上、魔力を込めて放った投影宝具の矢が受け止められた!…否、“掴み止られた”!!

 そう、驚愕するイリヤの赤い瞳に映ったのは、飛来する無数の矢を開いた手で器用に正面から掴み取っては中空に放り捨てるエヴァの姿だった。

 

「ッ…そ、そんなっ!?」

 

 非常識にも程がある。放った矢は全てが超極音速以上…音速の八倍から十一倍に達しているのだ。イリヤの魔力回路はシロウの比では無い。彼では十秒から数十秒かかる“溜め”も一瞬で済ませられ、威力も優に上回っている。

 

「―――そ、それを掴んで止めるって!?」

 

 しかも2kmの距離であれば秒にも満たない。正に一瞬……刹那の時間でこちら矢はエヴァの下へ到達している。それも十矢以上の数が…!

 それを剣などで弾き、捌くならまだしも掴み取るなんて…そのような芸当はあの“狂化した湖の騎士(ランスロット)”でも不可能な御業だ。

 

「ッッ…なんて化け物!」

 

 信じ難い光景にイリヤはゾッと背筋に冷たいものを覚え、思わず吐き捨てるようにそう言葉にしていた。

 無論、エヴァとてタダで済んではいない。よく見ればその小さな手の平からは鮮血が流れ飛び散り、指はあらぬ方向に曲がっている。恐らく手首と肘、肩の方も無事では無いだろう。

 だが彼女は不死たる吸血鬼だ。負った傷は瞬く間に回復する。だからこそ行えた無理であり、無茶なのだろう。

 ここでイリヤが驚愕に囚われず、大きく動揺せずに続けて矢を射れば…もしくはその掴んだ矢を……投影宝具(げんそう)を炸裂させればこの時点で結果は決まっていた筈だった。

 

「!―――ッ、マズっ!」

 

 掴んだ最後の矢を放り捨てたエヴァは次の瞬間、上空から地表へと向かって落下…いや、激突せんばかりに頭から突撃していた。

 

「くっ!」

 

 エヴァの意図に気付いたイリヤは動揺していた精神を建て直し、それをさせまいと再び弓に矢を番え―――

 

 

 ◇

 

 

 迫る地面。何処からか吹く風によって砂が舞い上がる黄土色の砂丘。

 高い空からそこに近づくに従って直下に黒いものが薄っすらと浮かび、徐々に濃く大きくなる。それは影だ。砂漠の上空に在って熱く輝く太陽によって作られるエヴァ自身の影。

 

「ふ―――」

 

 地面へ、自身の影へと激突する僅かな瞬間、エヴァの顔に不敵な笑みが浮かぶ。

 イリヤが再度、自分を狙う気配を感じながらもエヴァは脅威に思わなかった。そう―――

 

「―――もう遅い」

 

 勝機を得たと確信を込めて呟き。砂丘へと…己が作った影へと飛び込んだ。

 

 影を使った転移。

 エヴァが得意とする魔法の一つだ。無論、彼女ほどともなれば、自然に在るものを使うまでも無く。何も無い空中に魔法で影を作りそれを利用する事も出来る。

 だが、それでは遅い。並の相手であれば、それでも十分間に合うだろうがイリヤ(シロウ)クラスの使い手では影を作る数秒の間が大きな隙と成るし、仮に造り出してもその幻想の籠った矢で射貫かれて容易に霧散させられる。

 だから自然に在るものを使うのが最も理に叶う。

 勿論、最初からそうすれば良かったのだろうが、戦闘を開始しイリヤの眼に捉えられた直後、狙撃を躱す為に上空へと迂闊にも舞い上がってしまった。容易に空を飛べる吸血鬼としての半ば癖のようなものであり、ナギのつまらないトラップに嵌められた過去からの教訓でもあったが……今回はそれが見事に裏目に出てしまった。

 そして空へと舞い上がった後は、イリヤは決して地面へと近づかせてはくれなかった。“これまでの経験”からエヴァの転移がどれほど厄介か良く知るためだ。

 

 その為、距離を取られたままジリ貧に追い詰められたのだが、

 

 ―――随分、狼狽えたものだ。

 

 と思う。

 膨大な魔力を注ぎ込んで一呼吸する間に十を超える数を放ち、超極音速に達した宝具の矢。まさかそれがあのように止められるとは思わなかったのだろう―――が、それでもエヴァが予想する以上にイリヤは動じた。

 まだまだ戦士として戦う者として未熟。経験が浅いという事だ。

 勿論、エヴァとてそのような失態を…相手の未熟を当てしていた訳では無い。躱せないのであればと考え、あんな無茶な手段を取り、あのまま放たれる矢を掴み続けて、受け止めながら強引に距離を詰めつつ地表へと降り、影の中へと飛び込むか、一気に吶喊する積もりだった。

 しかしそれを強行するまでも無くイリヤは隙を晒した。

 

「……ふふ、“今度”もお姉ちゃん(イリヤ)の負けね」

 

 (ゲート)を潜った直後、転移門ならではの不可思議な緩慢さがある空間と時間の暗中(せかい)でエヴァがクスリと笑う。

 

 笑いを浮かべ―――エヴァの視界に光が戻る。

 暗闇(ゲート)を抜け、荒涼とした砂漠が広がる日の下に出て……居た!

 

()った!」

 

 辺りを見回すまでも無く目の前―――僅か10m先、ほぼ至近と言える距離に白い少女の姿が在った。位置は彼女の右側面、砂丘の影から姿を現した此方に気付いてはいるが、その表情には迷いが見える。手にする弓に矢を番えるか、それとも得意の二刀に切り替えるか……愚かにも判断を迷わせている。

 エヴァは口角をニィィと歪ませると、一足で距離を詰め―――

 

「フッ―――!」

 

 指先から伸ばした漆黒の爪で容赦なくその首を刎ね―――た…?

 

「―――!?」

 

 エヴァの眼が驚きに見開かれる。

 振るった爪には何の手応えも無く。爪を受けたイリヤの姿にも何の変化が無い。確実に刎ねた筈の首は繋がっており、傷一つ見えない。一瞬前から変わらず迷いの表情で身体を固まらせている―――それを見、気付いた!

 

「しまっ―――」

 

 ―――た! これは幻影!

 

 驚愕の声を零すや否や気配を感じ、咄嗟に回避へと態勢移行しつつも振り返った先―――凡そ100m程先に紅白の人影を見、同時に迫る一条の銀光が眼前に迫っ…て―――

 

 

 ◇

 

 

「はぁ…」

 

 エヴァの頭部が矢に射貫かれて爆ぜ消えたのを見て、イリヤは安堵めいた溜息を吐いた。

 何とか上手く行った、と。

 あの瞬間…エヴァが影に潜り込まんとしてそれを阻止するのは無理だと。転移で距離を詰められてしまうと悟った瞬間、イリヤは狼狽える心を抑えて直ぐに思い付いたその手段を選択した。自身に幻術による迷彩を施してその場に幻影の囮を作り、即そこから離れた。

 ギリギリだった。幻術を使い、幻影を作り、今の場所に位置し弓に矢を番えたのは。

 ほんの微か…コンマ数秒でも遅れていればエヴァが囮に引っ掛かったとしても、位置は悟られ、矢は躱され……或いは矢を番える前には瞬動で距離を詰められて本当に首を刎ねられていただろう。

 けど、

 

「…勝てた。うん…“今度”は文句無しにこっちの勝ちね」

 

 その言葉が聞こえた訳ではないだろうが、頭部を失いぐらりと倒れそうであったエヴァの身体が地面を踏みしめて確りと立ち。失った頭部…首から上を白い煙が覆い―――煙が晴れたそこに再生させた頭部を見せて彼女が言う。

 

「…してやられたな。私相手に見事一本取ったなイリヤ」

 

 不覚を取った己に対してか、軽く肩を竦めながらエヴァがイリヤの方へ歩み寄って称賛の言葉を向ける。

 

「ま、何とかね。正直、幸運と偶然に助けられた部分が大なんだろうけど…」

「そうだな。しかし勝ちは勝ちだ」

「そうね。これで何とか立つ瀬があるかしらね?」

「ああ…」

 

 若干自信なさ気に言うイリヤにエヴァは鷹揚に頷く。合格だと言うように。

 それはイリヤがアーチャーの力を使いこなしつつある事や戦う心構えや……そして―――

 

「…ぼーや達もこれでイリヤの実力を改めて理解しただろうさ」

 

 ―――そしてエヴァの言う通り、これを観戦していたネギ達に先達として面目を立てられたかという事だ。

 

 

 ◇

 

 

 その戦いは五回繰り広げられた。

 戦場(ステージ)適当(ランダム)に選択され、相対(スタート)する位置もこれまた気紛れ(ランダム)に決まる模擬戦(ゲーム)

 

 最初は麻帆良にも似た欧州の街並みだった。路地が複雑に入り乱れ、建物が並び立つ遮蔽物の多い場所。

 初手を打ったのはイリヤだ。建物の中でも一際高い箇所に陣取った彼女は1km先にて空を飛ぶエヴァの姿を捉えるや即狙撃に移り、咄嗟に回避したエヴァの肩を撃ち抜いた。

 しかし追撃を行なわず地上に落下する彼女をそのまま見過ごし、落下直後に更なる一手を打とうとした時、イリヤは己が失態に気付いた。

 落下地点にはエヴァの姿は無く、慌ててその姿を探して左右に目線を動かそうとした直後、背後に気配を感じ取るが…しかし、振り返る間さえも無くエヴァの貫手でイリヤは背中から胸…心臓を貫かれて息絶えた。

 

 二度目の戦場は極寒の雪山。標高は高く、空気が薄く、辺り一面が冷たく白く覆われた世界。

 イリヤにとっては不運にも相対する位置が近かった。僅か300m程と彼女達にとって秒という間もなく接近できる距離だった。

 触れた物に相転移現象を引き起こさせる魔刃『断罪の剣』を手から伸ばして接近するエヴァに対し、何時もの双剣で迎え撃つイリヤ。

 これは断罪の剣がイリヤの持つ双剣…干将獏耶と打ち合う事すら許されずに“断たれる”事からイリヤが有利かと思われた。しかし結果としてはエヴァが圧倒した。

 断罪の剣が役立たずだと理解した直後、エヴァは驚くべき事に素手でこれに対処して巧みにイリヤを翻弄。剣筋を読んで刀身の横腹を打って剣戟を逸らし捌き、その拳や掌にてイリヤの身体を撃ち、掴み、投げを繰り返し、その体内…内側もある骨と内臓の他、関節を破壊してエヴァはイリヤを降した。

 

 三度目は暗い闇夜に覆われた森の中。針葉樹と広葉樹が奇妙に入り交ざった迷宮のように木々が立ち並ぶ狭い空間で二人は戦った。

 これはほぼ先と同様の展開だ。

 夜という状況が吸血鬼たるエヴァに有利に働いたのか、続けて負った手痛い敗北を引き摺っていた為か、エヴァの接近を警戒するイリヤは狙撃と天使の歌(エルゲンリート)を駆使して遠・中距離戦を維持しようとするも失敗。エヴァはそれらに翻弄される事無くあっさりと距離を詰め、イリヤは不本意にも近距離戦を強いられ―――二度目よりは長く持ったものの、エヴァのスペックと技術に対処し切れずまたも身体の内側を破壊されて倒れた。

 

 四度目は、周囲全てが硬い岩壁に覆われた洞窟の中という極めて特殊で狭い空間だった。

 それでもイリヤは距離が取り辛い状況の中で粘り強く防戦し、空間が広く開けた地底湖の在る場所にエヴァを誘引。そこで接近と転移は許さないと言わんばかりの剣弾の嵐と狙撃で迎え討ち……更に宝具を爆破。洞窟の崩落に巻き込んでまでエヴァにダメージを与えたが、それが返って拙く。崩落時に姿を見失った為に不意を打たれ、イリヤは首と胴体が泣き別れする事と成った。

 

 そして五度目、結果は先の通りだ。

 熱砂の砂漠という環境の中、遮るものが無い場所故にイリヤの優位に流れ、それに驕り転移を許したものの咄嗟の機転で危うくも勝利条件―――エヴァの心臓もしくは頭部の破壊というルールを満たした。

 

 幻想空間であろうと肉体に与える影響と模擬戦というあくまで試合に過ぎない為に、使える武器や能力に制限を掛けながら事であったが、お互いほぼ全力で挑んだ戦いである事に違いはない。

 

「………………」

 

 それを観戦したネギは無言で難しい表情を浮かべていた。

 幻想空間の片隅で実態を持たない精神体で見せられた戦い。明らかに模擬戦の枠を超えた試合…否、試合は試合であってもはや“死合”というべきものだった。

 少なくともネギにはそうとしか思えなかった。

 それはそうだろう。イリヤとエヴァは確実に相手を殺傷しえる攻撃を繰り出し、互いに殺しに掛かっているのだ。事実、イリヤは四度の死を迎え。エヴァは最後に頭を吹き飛ばされている……尤もその程度では不死たる彼女は死には至らないが。

 

 初めは二人が模擬戦を行うと聞いて、それを観戦出来ると言われて心が逸っていた。

 最強の魔法使いである師匠(エヴァ)とそれに並ぶ実力を持つというイリヤの戦い。きっと見応えのある凄いものに成るだろう。学び得られる物も多くあると楽しみに感じていた。

 

 しかし、

 

 確かに想像通り凄い戦いだったし、学ぶ物もあったとは思う。でも……ああ、あんなのを楽しみだなんて、どうしてそんな馬鹿な事を思ったのか?

 一度目の戦いはまだ良かった。けど…そう、特に二度目と三度目は酷かった。正直、見ていられずに何度も目を逸らし閉じては、どうしようもない、いても居られない感情に陥った。

 

 防戦に追い込まれ、エヴァの鋭く重い徒手による攻撃を防ぎ切れず、肉を打たれ、骨を砕かれ、関節を捻じり曲げられ、血反吐を撒き散らしながらも苦痛を堪えて必死にエヴァと相対するイリヤの姿。

 見える肌は顔を含めて赤黒く腫れ上がり、綺麗な白い髪も血で赤く塗れて、可憐で妖精のように美しい彼女の姿が台無しだった。

 

 正直、直ぐにでも止めたかった。実体が在り、動かせる身体であればまず間違いなく自分は彼女達の間に割って入っただろう。

 模擬戦に過ぎず、幻想空間であって現実では無いとしてもあんなにイリヤが傷付く姿なんて見たくなかったし、平然とそれを行なう師の姿も見たくなかった。

 

 だけど……うん、分かってる。

 

 これが戦うという事なのだと。

 二人が……特にイリヤが仮初と言えど、“死”を体験してまで自分達にこの死合を見せたのはそういう事なんだろう。

 傷付き、傷付け……殺し、殺される。戦う力を求める事の先にある結果。その覚悟。頭で分かっていても理解には及ばないまだまだ遠くに在る筈の……何れ通るであろう道。

 そういった事を少しでも理解し、持てるように、と。その為に二人は殺し合って見せた。

 他にも理由はあるのかも知れないけど、自分達にそれを観戦させたのは……そういうことなのだ―――

 

「―――だから、確りとその意味を考えて受け止めないと」

 

 ネギは薄れる景色…消え行く幻想空間を見ながら、現実へ帰還する時に覚える微かな意識の揺らぎの中でそう小さく呟いた。後ろ向きに否定的に捉えるばかりでは駄目だと己に言い聞かせるように。

 

 ただ、

 

 それでもイリヤの傷付く姿は見たくなかった。だからこんな事でも無い限りもう二度と……………その為にも―――と。

 

 

 ネギはそれを見た時に覚えた焦燥感と胸の痛み思いだし、そう強く思った。

 




模擬戦という事もあってイリヤは投影宝具はCランクまで制限を掛けて、エヴァもまた一部能力に制限を掛けてます。

 ちなみにエヴァのステータスはこんな感じで設定してます。

【パラメータ】

 筋力(B+)A++ 耐久(C)EX 敏捷(B)A+ 魔力(A+)A++ 幸運C+ 宝具-

【スキル】、
 真祖の吸血鬼A+ 心眼(真)A 闇の魔法A 人形遣いA+ 数在る忌み名A

 『真祖の吸血鬼』
 年月経過と吸血鬼特有の弱点を克服して行く事でランクが向上。エヴァは600年の時を生き、ほぼ全ての弱点を克服している為に最高ランクと成っている。
 効果は、強靭な肉体とそれに適応した魂を持つ事による全パラメーターのワンランクアップと+補正に加え、吸血鬼の持つ各特殊スキル『吸血』『飛行』『魔眼』『怪力』『霧化』『変化』などの修得及び不死の身体による規格外(EX)の耐久である。
 これを持つ彼女を討ち倒すには『禁呪』を用いる以外は―――“不死殺しの鎌”か、“星の聖剣”による全力の一撃か、“世界を切り裂いた乖離剣”などが必要となる。なお彼の槍による“不治の呪い”はこのスキルの本来の在るべきカタチ…『■■の■』と『■の■』の機能が未完成ながらも在る為に無効化される模様。
 正に破格の能力(スキル)であり、最強種の名に恥じない力である。
 なおパラメーターの()内のランクがこのスキル補正が外れた本来の彼女のランクとなる。

 『闇の魔法』
 原作同様、敵を打ち倒すべき攻撃魔法を自分自身に取り込み、己が力に代える特殊技法。
 魔法を取り込む事によって自己のパラメーターをアップさせ、スキルを付与する。
 パラメーターアップと付与スキルは取り込む魔法によって上昇値や効果が異なる。ただし適性が無く、ランクも低い場合は使用に大きな代償(デメリット)が伴い、自身の行動ターン終了の度に『精神汚染』の負荷判定を受ける。
 この判定の抵抗に失敗し続けると『精神汚染』をスキル修得してしまう。なお失敗する毎に判定が厳しくなり、『精神汚染』ランクが上がり切ると、自身の内に潜む“心の闇”に喰われて理性無き魔物と化す(ただしパラメーターは大幅にアップし自身の“心の闇”と変化した魔物の性質に見合った新たなスキル修得が可能となる)。
 エヴァは既に吸血鬼という魔物であり、自身が生み出した固有技法というだけに問題無く最高値に至っており、最上位魔法も何のデメリットも無く取り込めるようだが……彼女が目指した完成形はさらに先に在るらしく、原作同様により極めれば敵の攻撃をも取り込める……かも?

 『人形遣い』
 魔法人形の製作及び操作に関するスキル。ランクが高いほど高度な人形が制作でき、多くの人形を高い精度で扱える。
 エヴァはこの世界における人形制作の創始者とも言われるだけに最高ランクと成っている。
 彼女は独自の技術を有しており、擬似的な魂を人形に吹き込め、高度な知性を持った人格を人形に与えられる。当然その性能は他の追随を許さない物であり、高位の魔法使いに匹敵するか、凌駕する戦闘力を持つ。
 またエヴァは最大で1800体程度(原作の6倍)の人形契約が可能であり、周囲4km圏内に同時に転移召喚出来る。
 高位の魔法使いでも苦戦し敵わない魔法人形をそれだけ率いられる事が魔王と恐れられ、最強の魔法使いと謂われる所以の一つである。

 『数在る忌み名』
 もし彼女が死を迎えて英霊化したら『無辜の怪物』と成るスキル……なのだが、生きている間に彼女自身に与える影響は無く。彼女と戦場で対峙し、その当人(かいぶつ)だと理解する対象や部隊に恐怖や混乱などのバッドステータスを与え易くなる程度である。

 仮に聖杯戦争に呼びだされた場合のエヴァンジェリンの適正クラスは『キャスター』『バーサーカー』或いは『アサシン』である……が、型月世界で召喚されることは先ずあり得ない。
 呼び出す為の触媒…縁と成るモノが彼女の世界以外に存在しない為だが、もし可能性があり得るとすれば、彼女が救ったのが英霊エミヤである事から衛宮士郎に縁が生じる可能性が在る。もしくは彼女の大切な宝物である“宝石”の持ち主に生じる。
 所有する宝具に関しては、恐らくは彼女が生前に制作した数千…或いは万に達する数の人形が昇華されて、彼女達の具現化が可能になると考えられる。

 以上です。最強に恥じないチートなパラメーターとスキル設定にした積もりです。
 あと本作のエヴァは江戸時代以前に日本を訪れているので原作と異なり、その頃から日本で武術を学び研鑽している為、相当な技量を持ってます。もしかすると鶴子でも敵わない可能性があります。


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第28話―――武芸とある技法の話 福音の失態

今回は半ばぐらいまで冗長かな?と思いつつも投稿。


 幻想空間から現実へと戻り、眠っていたイリヤ達は眼を覚ますとテラスへと場を移し軽く休憩を取る事にした。

 幻想空間内の事とはいえ、現実の肉体にも影響は幾分か在り、五度に渡る“極めて実戦的な模擬戦(ゲーム)”は精神的な疲労をそれなりに蓄積させるものだ。況してやイリヤは格上のエヴァを相手に緊張感を強いられ、四度も殺されている。

 

「ホント、何度経験しても慣れないものよね。中々にキツイわ」

 

 イリヤはふう…と。テーブルを囲んだ椅子に腰を下ろして、そう呟きながら軽く息を吐いた。

 シロウが目覚めた時に言ったようにイリヤは彼に幻想空間で幾度か稽古を付けて貰っていた。そして今の言葉からも判る通り、イリヤはシロウ相手に何度も敗北し“死”を体験している。

 そのイリヤの言葉を聞き、明日菜がうぇぇ…と年頃の娘が出すべきでない声を漏らす。

 

「イリヤちゃん。あんなのを今回だけじゃなくて、もう何度もやってるんだ」

「まあ、ね」

 

 明日菜の問い掛けに頷くと、イリヤは視線を彼女の方へ向ける。その顔は、どこか引いたようなウンザリとしたものではあったが、ひどく感心しているようでもあった。

 明日菜としては、あの見るからに痛く辛そうな…いや、そんな程度では済まない体験はまさに“死んでも”御免ではあるのだが、同時にネギのパートナーを続ける限り―――そして己が過去の清算の為にも―――何れ必要ではあるし、恐らく…いや、絶対にあのエヴァちゃんの事だから自分達もアレを体験させられると確信的に予想でき、それを平然と熟す白い少女の事をやっぱりイリヤちゃんは凄いなぁ、と思ったのだ。

 

「それにしても改めて感服致しました。善戦されたイリヤさんもそうですが、流石はエヴァンジェリンさんです。最強の魔法使いと謳われる実力…その技巧。噂高いそれをあのような形で拝見できるとは。…とても勉強に成りました。このような機会を頂けて誠に嬉しく思います」

 

 言葉通り心底感服しているのだろう。刹那は椅子から立ち上がるとエヴァの傍に膝を着いて頭を下げる。

 

「う、ウム…まあ、当然だが…」

 

 膝を着く刹那に対してエヴァはどう答えたものか、曖昧に言葉を濁してその表情を引き攣らせた。

 普段ならそう褒め称えられれば、不敵な笑みを浮かべて見せて、さも当然と言わんばかりに尊大に受け止める所なのだが、刹那の大仰な態度や称賛は却ってやり辛いものが在る。いや……というか、むしろ恥ずかしい。針の蓆に立たされたような感じだ。

 六百年前、まだ領主の姫君だった頃は、日常のようにその様な礼を使える騎士やら従者やら民草から受けてはいたが、今の時代でそんな中世の芝居めいた事は―――いや…もうほんとに勘弁して欲しい。

 周囲の少年少女達から向けられる奇異な視線と居心地の悪さに、エヴァは内心で若干赤面しながらそう思った。

 

「ま、まあ…刹那の気持ちは判らないでもないアルな」

 

 そんな大袈裟な反応をするのはどうかとも思うが…などとも小さく呟きながら、古 菲が刹那に続いて口を開く。

 

「最強の魔法使いと聞くからてっきり魔法だけかと思たガ、ホント驚いたヨ。日本の武術ダカラ流派は流石に判らないケド、全く見事な功夫だったネ。いや、いつも無駄のない自然な呼吸をして、身体の重心にブレも無い事からかなり出来るとは思てたガ…」

 

 これほどとは…と。古 菲は深く感心する。

 

「肉体に練り込む気……いや、魔力の扱いもそうだったガ、その技…技量もワタシは愚か、故郷(くに)の我が師をも遥かに凌駕しているヨ」

「そ、そうなんですか!?」

 

 仲間内で無手において並ぶ者は居ないと思っていた古 菲の言葉にネギが驚く。

 

「ウム、これ程に武を極めた者ならあの時…ネギ坊主がワタシに弟子入りすると言って怒るのも無理無いアル。正直、余計な事をしたというか、教えるべき事を横取りしたというか、分を弁えない事をしたようで申し訳ない気分と恥ずかしい気持ちで一杯ネ」

 

 エヴァの方へ顔向けて敬意を示しながら、古 菲は謝るようにしゅんと頭を下げる。

 

「…いや、そう気にする必要は無い。あの時も…弟子入りテストが終わった時にも言ったが、理屈っぽいぼーやにはお前の拳法の方が似合っている。同じ東洋の武術とはいえ、無手で私が扱う武……柔術という奴は永き修練よる“理合”を掴んでこそモノだ。“合理的”に動きを繋げるだけでも“技”と成せる中国拳法とは似て異なる」

「……かも知れないが、我等が中国拳法もその“理”を()る事で“技”から“術”と成るネ。だから―――」

「―――なるほど、だからそれを直弟子として学ぶ貴重な機会を奪った事に悔いる訳か」

 

 言いたい事を察して言葉を続けたエヴァに古 菲はコクリと頷く。

 

「だが、お前も武に携わる…いや、純粋にその道一筋を極めんとする者だ。だから判るだろう。ぼーやにはそれは無理だ、と。私に師事した所で理合を識ることは出来ない、と」

「…………」

「先程も言ったがこのぼーやは理屈っぽい、非常にな。頭の回転が恐ろしく早く柔軟な発想や応用力もあるが……それだからこそか。直感を信じ感覚を頼りにするよりも思考する事を優先する。無論、それを持たない訳ではないし、思考も大事だろうが、やはりそれ以上に考える事を先にし、物事の解を得てしまう」

「だから拳法の方が合っている、アルか?」

「ああ、長い歴史の中で生まれた多種多様な型と套路を身に沁み込ませ、合理的に解法を導くように拳闘を行う大陸発祥の拳法がな。無論、私の扱う日本の武も相応に歴史は在り、大陸にも劣らぬほど多様に型はあるが……見ての通り、在りし解法をなぞる理合を識らなければ型も活かせぬし技にすらまま成らん。事実、ここ百年余りの歴史で誕生し、理合の極致とも言える合気を実戦に通じるまでに活かせた者は私を含めて僅か3、4人程だ。恐らく稀代の武術家であろうお前でもそこまでは至れまい」

 

 突然始まった武術談義に周囲はどう口を挟んだものか、判らないと言った様相で表情を顰める。ただ刹那は納得した様子でうむうむと頷き、ネギも真面目な様子で理解しようと努めていた。しかしネギは理解に及ばない言葉もあり、難解そうにそれを口にする。

 

「理合…合理的とは違うのかな?」

 

 まさに日本語の難しさに直面した外国人のように呟く。

 

「合理っていうのは“理に合っている”という事で、理合っていうのは“合っている理”って事よ。文字の並びは逆だけど、そういう意味らしいわ」

 

 同じ外国人でもあるイリヤが意外に答えた事でネギは「え?」と驚いた表情を彼女に向ける。

 

「武術で言えば、合理はその通り最適な体の動きを取る事で、理合はより適した状況・状態を見出すって所かしら。」

「………?」

「まあ、そうよね。こう言った所で分かり難いわよね」

 

 眉を寄せるネギにイリヤは嘆息するように言う。生粋の武術家ではないイリヤにしてもこういった事は正直理解が及ばない。

 が、及ばないなりにネギになんとか説明する。

 

「私も詳しい事は判らないけど、日本の武術…武道には“剣の理合”というものが在るわ。刀を扱う時の操法。重心の取り、構え、呼吸、握り、間合い、狙い、振り、それぞれに定まった道筋…必ず功を成せる(ことわり)が在り、それを身に付けさえすれば自然と剣を、武を扱える型と動作が成り。身に付かなければ全く扱えず型にも成らないって考え、或いは概念。禅にも通じる思想じゃないかしら?」

 

 そう言うと、イリヤは「どう?」とでも尋ねるようにその道に詳しい刹那の方へ顔を向ける。すると刹那は頷き。

 

「はい。イリヤさんの解釈は大体合っています。古来、日本の武道というのは刀の操法から始まり、そこから様々な武芸へと派生して行き、全ての武芸に刀の操法の応用が利きます。つまり剣の理合を知る事は剣術のみならず、徒手を含め、槍術、杖術などその他、全ての武芸の入り口に立つという事でもあります。そういった意味でも刀が武士の魂というのは正しくその通りな訳です。故に我が神鳴流を始め由緒ある古流武術の門下生は正しい刀の操法…剣の理合を身に付ける術を先ず教わります。ですが…」

「ああ、これがまた言うが易しというか、奥が深いと言うか。正しい操法が身に成り、数多の技術を身に付け、一人前に扱えるように成ったと思ってもそこで終わりが無い」

 

 刹那の話にエヴァが続く。

 

「ふとある時に気付くんだ。鍛錬の中で何百、何千と鯉口を切り、抜刀し、剣を振る事を繰り返す内に“身に成ったと思った操法が以前よりも今の方が正しく出来ている、これまでのモノは正しいものでは無かった”と。同時に“今正しいと思ったものが本当に正しい操法なのか? 理合であるのか?”と。先程イリヤが言った通り禅だ。悟りを開くために延々と終わりの無い瞑想を行なうような。……何処までも続く先の見えない道を進むようなものだ。そしてその果ての無い道を一歩、また一歩と踏み締める毎に“理”が掴め、己が武の技巧が深まり高まる。無手であろうと、剣以外の武器術であろうとも選別なく、だ」

「…………」

 

 イリヤ、刹那、そして続いたエヴァの話にネギの表情は難しげになるばかりだ。何と無く型稽古を繰り返せば身に付くものだとは思うのだが……

 

「やはりネギ坊主には判らないアルか」

 

 ネギの表情を見て取り、古 菲が嘆くように言う。

 

「だから理屈っぽいと言っただろう。教えれば頭で概要までは理解できるだろうが、理合はそれだけで身に成るモノじゃない。長い修練の中で“掴む”モノだ。しかしぼーやでは型にしろ、套路にしろ、攻守の為に合理的に体を動かす為の最適解としか捉えられない。勿論、精神の鍛練という意味合いも分かっているのだろうが、それだって集中力の向上の為だと解釈している。そういう風にしか理解できないんだ。なまじそれが間違っておらず、妙に“嵌まって”しまうから尚更にな」

「……だとすると、京都の件で中国武術に興味を持てたのは幸いだったのかも知れませんね。型に重きを置いた合理が先にある大陸由来の拳法と、観点による理合から入る日本武道との違いを思うと」

「同感だな。もし私に武道を学ぶ事になっていたらモノに成るまでどれ程の時間が掛かるか。況してやこの合気という奴は特更、理合を追求したものだ。まあ、最低限のイロハは教えられると思うが、…それでもぼーやには日本武道は合わなかっただろう。こう言うのもなんだが、そういった意味ではあの白髪のガキには感謝だな」

 

 刹那の言葉を受けてエヴァは同意しつつも複雑そうに溜息を吐いた。

 イリヤは三人の話を聞き、ふむ、と思う。正直な所、エヴァ達の話す内容は理解できない。ただなんとなくだが中国武術は型から始まる合理から道筋である理合へ繋げ、日本武道は道筋たる理合を経て合理たる型へと成るものなのだと考えられた。

 

(中国武術は型を学んで身に沁み込ませてからそれを相対する敵へ活かす術を教わり。日本武道は敵に相対する概要を学び理解してからそれに合った型を身にする。……とそんな感じかしらね)

 

 無論、一概にそうとは言えないのだろうが、多分、中国武術と日本武道はほぼ全般的にそうなのだろう。そして互いに逆の方向から同じ結果へと至る道を進んでいる。

 合理と理合。日本にしても中国にしても武の目指す先の究極―――肉体を通じて天地陰陽との……自己と自然との“合一”は同じ筈なのに入る向きがこうも異なるとは。文化的に近しい東洋の国々なのに若干不思議に感じてしまう。

 

(ま、それを言ったら“合一”…すなわち“根源”に至ろうとする私達も同じ魔術の道を歩みながら各々によって至る手段が違いすぎるんだけどね)

 

 そんな事も思った。

 

「……うーん」

 

 尊敬する先達達から評を下されたネギは相も変わらず難しげにしていた。

 それを見、エヴァはやれやれと肩を竦める。

 

「色々と言った手前悩むのは仕方ないが難しく考える必要は無い。ぼーやはぼーやの思うままに拳法に打ち込めば良い。或いはその先でそれを掴む時が来るかも知れないからな」

 

 まあ、無理に掴む必要は無いという事だ…とも付け加えながら、エヴァはそうネギを諭す。それに刹那も古 菲も頷く。

 

「ええ、ネギ先生の求める戦う力には、それは必ずしも身に付けなくてはならないという事では無いでしょうし」

「そうアルな。ネギ坊主の才能ならば武道家…いや、格闘家としてはそれだけで十分強くなれるネ。下手に今聞いた事を考えるよりもこれまでのように身体を動かし、型と套路を身に沁み込ませる事を考えるがヨロシ。それがネギ坊主が強くなる一番の近道アル」

「ハ、ハイ!」

 

 取り敢えずといった様子だがネギはエヴァ達三人の言葉に力強く返事した。悩み過ぎる彼の事だからそれでも考えてしまうのだろうが、エヴァと古 菲の二人の師の忠告を含んだ言葉の意味は理解出来ている筈だ。

 迷いは在れど、力強い弟子の返事にエヴァは頷き返す。

 

「では、その意気込みを確かめる為にも本日の修行の締めと行くか。今回は特別講習として魔法無しの近接戦だ。ぼーや、広場へ出ろ! 短くも今日まで積んだその功夫で私から見事一本取っても見せろ! イリヤのようにな!」

「はい! 精一杯やらせて頂きます。宜しくお願いします! 師匠!」

 

 檄を飛ばすようにエヴァが告げると、ネギは先と同様に…いや、それ以上の意気を見せて大きく頷き、師へ礼をした。

 

 

 

  ◇

 

 

 結局、ネギはエヴァから一本取ることは出来なかった。

 

「痛ぅ…」

「……フン」

 

 自分に遅れて身体を引き摺るようにしてテラスに戻ったネギをエヴァが不機嫌そうに一瞥する。

 別段、一本取る事を期待していた訳ではない。自分とネギの技量差は比べるまでも無く明らかなのだ。幾ら反則的に恵まれた才能があるとはいえ、この一月程度の鍛錬で成せる功などたかが知れている。

 だから彼女が不機嫌なのはそれ以外に理由がある。

 

「ネギ君、今治すえ」

 

 散々痛めつけられて辛そうにするネギに木乃香が駆け寄って治癒魔法を施す。

 木乃香が呪文を唱えると、外から差し込む日の光で今一つ見え難いが、柔らかな光が杖に灯りネギの身体を徐々に覆って行く。

 先の事件以降、エヴァの別荘に入るようになってから彼女はこのように率先してネギを始め、仲間が修行で負った傷を癒やす役目を担っていた。

 よほど酷いものでない限り、アーティファクトには頼らず自力で治癒を行っているお陰か、此処暫くで木乃香の治癒魔法はメキメキと上達している。

 

「ん、これで大体は良うなったかな?」

「はい、もう大丈夫です。何時もありがとうございます」

 

 一、二分ほどすると身体に見えていた傷や痣はすっかり消え、ネギは確かめるように腕や足を動かしながら木乃香に礼を言う。

 

「……それにしてもナントいうか…」

「ああ、実力差こそ大きく一方的ではあったが、ネギ先生の動きは“良く出来ている”から傍から見れば如何にもといった感じの中国拳法と日本武道の異種格闘技対決……と。中々に見応えのある一戦だったのだが……」

「ええ、最後のアレはちょっとねぇ。意表を突かれたというか、予想斜めというか―――」

 

 古 菲が弟子の様子を伺いながら言うと刹那がそれに頷き。イリヤも二人に同意するように歯切れ悪く言葉を紡ぐと―――ポツリと夕映がそれを口にした。

 

「―――バックドロップ」

 

 と。

 その言葉を耳にした古 菲、刹那、イリヤ。そして告げた夕映を含めた四人は苦みを帯びた表情で互いの視線を交わした。何というか見た目甘そうなお菓子を口に入れたら渋い苦みがしたというか、思い描いた期待と異なるものを見た為、不満に似た感情が彼女達の胸の内に漂っていた。

 そう、彼女達…正確には模擬戦を行っていた当人達を除いた一同は、その予想外な最後に釈然としない思いを抱いていた。

 何しろ嵐のように怒涛の如く激しい“動”を持った拳法で攻めるネギを、柳のような沈着な“静”を持って受け流し返すエヴァという、正に活劇やアクション映画にでもある殺陣の見本とでもいえる光景を観戦していたのだ。

 そうなると当然、その最後もそれに沿った相応しい決着であるべきだと。「御見事!」と言いたくなる場面(ラストシーン)を想像していたのだが……

 

「……ホント、なんでそこでプロレス技になるのよ?」

 

 明日菜が不満ありありと言った様相で眉を寄せた。見応えのある試合が色々と台無しだ、と言わんばかりに―――というも、このバックドロップも一般的にはプロレス技という印象が強いものの、日本武術にも裏投げとして列記される投げ技の一種である。

 だが、それを知らない明日菜としてはそれを見た時、本当に唖然としてしまい。はぁ?…と乙女らしくなくあんぐりと大きく口を開けてしまった。

 刹那と古 菲は無論、裏投げだという事は理解してはいるが…しかし、エヴァに攻撃を捌かれ、いなされ、返されて、ダメージが蓄積し動きにも精彩を欠き。限界近いネギがここまでだと次で決まりだと思った瞬間―――合気の技で投げられて地に沈むネギの姿を思い浮かべたのだが…何故か? どうしてか? それまでの洗練された動作を打ち捨てるようにエヴァは強引にネギの背後に回り込み、両腕で彼の腰を挟み込むと「ふんぬっ!」といった感じで反り返ったのだ。見惚れるような整った体捌きとは一転、ただ力任せに乱暴にネギを頭から地面に叩き付けた。

 そんな何処か雑というか技とは言えない荒々しかない決め手だったので、刹那としても古 菲にしても先の模擬戦に微妙な評価をせざるを得ないのだった。

 これがエヴァという完成された武の持ち主で無ければ、また違った評を出せたのかも知れないが……やはり刹那も古 菲も何処か納得できない惜しさが先の試合にあった。

 ちなみにその決め手の際、

 

 ――――淑女のフォークリフト…!?

 

 イリヤの口からそんな良く判らない謎の言葉が零れていたが、予想外な結果と頭半分を地面に埋めるネギの姿に唖然とし過ぎて、皆その言葉の意味を問うことは出来なかった。

 

「まったくね。エヴァさんの機嫌も悪いようだし……何かあったの?」

 

 そのイリヤが明日菜の言葉に続けるようにしてエヴァに若干不可解そうに聞く。

 

「む? イリヤ、気が付かなかったのか? ……刹那もクーもか?」

 

 イリヤの問い掛けにエヴァは不機嫌なナリを潜めて意外そうな様相を見せる。それに刹那と古 菲は互いに顔を見合わせてから首肯すると、エヴァは「そうか。確かに近くで見なければ気付かんかも知れんな」と言いながら軽く溜息を吐く。

 そして彼女はジロリとネギに視線を向けると心底呆れた様子で言った。

 

「このぼーやはな。私の真似をしようとしたのさ」

 

 視線を受けて「う…」と気まずげに唸る弟子を無視してエヴァは話す。

 

「身体強化に使う魔力供給呪文…『戦いの歌』を解除して魔力を体内で“練ろう”としたんだ」

「へ?」

「それはつまり…」

「魔力をワタシや刹那が使う気のように使おうとした…という事アルか?」

 

 イリヤ、刹那に続く古 菲の言葉にエヴァは頷く。

 

「ああ、馬鹿な事にな。大方、私のそれを見てそっちの方が効果的且つ効率的だと思ったんだろうが―――」

 

 エヴァは目を吊り上げてギロリとネギを睨む。

 

「―――戦士でも武術家でもない。拳法を学び始めたばかりの半端者がっ…! そんな小難しい理屈先行型魔法使いのお前にそれが出来ると思ったのか!? この戯けめッ!」

 

 怒鳴り、エヴァはガシッとネギの顔をアイアンクローで掴むと、凄まじい握力でギリギリと締め付けて彼の身体を持ち上げる。

 

「あうあうぅ……す、すみませんっ!…ごめんなさい師匠(マスター)!」

 

 足が床から離れ、宙に手をバタつかせながらネギは必死に声を上げて謝罪する。頭蓋が割れんばかりに軋んで痛むので本当に必死だ。

 

「そうやってなんでも謝れば許されると思うか…ああ! 物分り良さそうに返事をして置きながら……オ・マ・エという奴はぁ!」

「ひ…ひぃ!?」

 

 エヴァの指が更に食い込み、痛みが増すと共にミリミリと嫌な音が耳に入ってネギは悲鳴を上げて更に手足をバタつかせた。

 

 

 

 

 

「…ったく」

 

 数分後、エヴァはイリヤの宥めによって漸く落ち着きを見せた。

 ただしそれはイリヤにしてもネギの為というよりは、あわあわと怯えるのどかやオロオロとする茶々丸の為であった。イリヤもネギに対して少し呆れた気持ちが大きかったのだ。

 

「まあ、そういった何事にも挑もうとする精神(スピリッツ)自体は嫌いでは無いがな。しかしもう少し事を考え、地力を活かせる土壌を持ってからにしろ。今のお前ではアレはナマクラ刀…いや、付け焼刃以下の棒切れのようなものにしかならん……というか余計な事をせず普通に供給呪文を使え」

「はい。すみませんでした」

 

 改めて落ち着いて説教するエヴァにネギはひたすら頭を下げ続ける。

 ネギが反省したのを見て取りエヴァはふう…と一息つくと、彼女に横から声が掛かった。

 

「それでどういう事なのです? 魔力を気のように使うと言ってたですが?」

 

 夕映だ。魔法使いに成る決意が固く。向上心旺盛な彼女としては気に掛かる話題だったのだろう。

 

「うん? まあ、言葉通りの意味だが……そうだな」

 

 フム…と。エヴァは顎に手を当てて考え込むような仕草をしながら答える。

 

「座学の方で魔力を制御するには精神力。気を扱うには体力任せな所が在る…と。入りにそう大まかに教えた事があっただろう」

「はい」

 

 それは、

 魔力は、大気中にある“大源(マナ)”の取り込みと操作に常に念じるような高い集中力と感応力が必要であり。

 気は、自らの体内にある“小源(オド)”を己が肉体の一部…身体に当然としてある一つの器官(ないぞう)として捉える高度な感覚力を得る必要がある。

 というような事だ。

 

「更に詳しく言えば、魔法という現象は呪文詠唱と共に術式構築のイメージを描きながら、精霊と交信し外界に働き掛けて制御し形にする……要は常に思考し続けて脳を働かせているようなものだ。それに対して気を使った技法は身体に力を籠めて筋肉を硬く膨張させるかのように練り上げ、俗にチャクラとも言われる体内全体にある霊的経路を通して己が筋力のように伝達させて形にする……正に自身の肉体の一部ないし延長、もしくはその物として扱う訳だ。西の呪術や楓の分身技のような例外はあるが」

 

 話を聞き、夕映は納得したように頷く。

 

「つまり精神…思考する事で動かしていた魔力を、体力…肉体の動作そのものとして動かすという事ですか」

「…ざっくり言えばな」

 

 夕映の言葉に頷き返すエヴァ。しかし夕映は再び疑問を呈する。

 

「しかしそんな事が可能なのですか? 例えるならそれは頭で思考する事でしか解けない複雑な計算問題を筋力だけで解くと言っているようなものなのですが?」

「それはそれだ。例えのような物だからな。数式である魔法であればそうだが、純粋なエネルギーである魔力なら別だ。魔法による現象は言わばエネルギーをより効率的且つより効果的に変換した結果であり、術者はそれを成す術式を…演算処理を行う電子制御を導入した原動機だと思えばいい」

「なるほど。では術式に頼らずに(エネルギー)を扱う刹那さんや古 菲さんは完全機械式と言った所ですか」

「…まあそうだな。ただ機械式といってもこの二人の技量ならば、電子制御式にも負けない恐ろしく精緻かつ効率的な原動機という事になるがな」

 

 それでも流石に出力は大源(マナ)を取り込む電子制御式(まほうつかい)には及ばないが……どこぞの世界に居る“筋肉馬鹿(チートバグ)”は兎も角として、ともエヴァは言う。

 

「…でだ。魔力を気のように扱うというのは、無意識的な部分も含めてこれまで(せいしん)や術式に任せていた魔力というエネルギーの運用をそれから切り離して完全に肉体(たいりょく)の制御下に置いたと言った所だ。私ほどになると分けているという方が厳密には正しいのだろうが、取り敢えずはそう考えた方が良いだろう」

 

 ちなみに無意識的な部分というは、ネギも普段から行っている魔力の水増しによる簡易的な身体強化の事や、魔法使いが常時展開している魔法障壁などの事である。

 

「ふーん。でも聞くと結構簡単そうに思えるんだけど。いや、勿論、桜咲やクーみたいに体を鍛えて厳しい修練を積む必要はあるのは判ってるけど。拳法をやって体を鍛えているネギ君ならそのうち出来るんじゃ? どうもエヴァちゃんの話す様子を見るとそれも無理って言っているように思えるんだよね。…どうしてなの?」

 

 そう言ったのは和美だ。彼女は不思議そうにエヴァの説明に小首を傾げている。

 

「…無理とは言わんが、ぼーやのような生粋の魔法使いには向かん。慣れと言うか日常的に(せいしん)でそう魔力を扱っているからな。それも便利な電子(じゅつしき)制御というサポート付きでこれまでずっとだ。なのにいきなりそれを捨てて使おうとしても無理だろう。それに魔力は己が内にある小源(まりょく)を呼び水にし、大源(マナ)という文字通り余所にある大きな源泉からエネルギーを汲み取っているんだ。高位の魔法使いであろうと碌に訓練も無く、そんなでかいエネルギーを術式などのサポート無しで扱えば身体がただではすまん。過剰供給で魔力暴走(オーバーロード)を起すのが関の山だ。そうなれば身体の一部を壊すだけならまだしも、最悪半身不随やら全身不随やらの植物状態になる」

 

 答えるエヴァのその表情は非常に不愉快げだ。致命的な後遺症を残す可能性が在るのだから当然だろう。

 

「そもそもぼーやには必要ないんだ。魔法使いとして高い素養があり、魔力にも恵まれている以上はな」

 

 …どこかの不良教師と違ってな、と小さく呟きつつ言葉を続ける。

 

「だから無駄な事をしてリソースを割く必要は無い。もしそれをやるなら余生の楽しみにとっておけ。私とて身体強化の可能性を探る一つとして思い付き、暇潰しで行なっていた事だ。ま、それでも懸命に打ち込んだが、モノに出来るまで60年程掛かったな…」

 

 どこか懐かしそうに言いつつエヴァはネギの方を見る。

 ネギはその視線を受けてすみませんと頭を再度下げるが、今のエヴァの言葉が気になったのだろう。

 

「……でもそう言うって事は、その魔力を扱い方って師匠独自の技法なんですね」

 

 それを聞き、エヴァは微かに苦笑する

 

「いや、そうでもない。同じような事を考える奴はやはりいる者でな。尤もそいつは私とは別の意図……ある高等技法をより高める為に始めたそうだが。結局、私はその人物に教えを乞う事でモノに出来た」

 

 もう400年ほど前の事だ、とエヴァは言う。

 普段通りの口調だが、言葉にはその人物に対して強い尊敬の念が感じられた。

 

「へぇ、エヴァさんの師って訳ね」

「ああ、その一人だ。中でもそいつは飛び抜けた実力者だった。私の知る限り戦士や武芸者としては最高峰の頂点に立つ。当然、その時代に亡くなってはいるが、もし存命しており、再び立ち合う事になったら……遠間は兎も角。正直、近接戦では今の私でも勝てる気がせんな。とはいえ、あいつ相手に何時までも距離を維持できるとは思えんし……チャチャゼロ達で前衛を固めれば十分勝ち得るだろうが、単独ではやはり難しいな」

「そ、それほど…なの。……どんな化け物よ」

 

 敬意を見せるエヴァに珍しげにイリヤが尋ねると、誇らしげに言うエヴァのとんでもない返答にイリヤは表情を引き攣らせた。

 投影宝具をCランクまでに制限を掛けていたとはいえ、エヴァに一方的に追い詰められたイリヤにして見れば「本当にそれはどんな化け物だ」としか言えない。時代的に件の“人物(えいゆう)”が何者なのか、幾つか心当たりが無い訳ではないのだが……何となく訊くのが怖かった。

 同様に周囲の面々も…特に刹那と古 菲は驚愕を通り越して愕然としている。

 

「しかしなるほど。という事はアレは気弾と同じなのね」

「ん? アレって?」

 

 引き攣った表情を収めてイリヤが呟くと、ネギが怪訝な表情をする。

 

「幻想空間の模擬戦でエヴァさんは、私や私が持つ剣に打ち込みを入れる度に魔力を叩き付けていたんだけど、ただの魔力放出にしては何ていうか、異様に指向性があって重かったから……つまり―――」

「―――その通りだ。術式を介した魔法ではアミュレット等の加護に無力化されるし、遠間では直線的なそれは容易に躱されるからな。零距離から直にぶつけさせて貰った。それでも幾分か軽減されてしまったがな」

 

 エヴァの言葉にイリヤはやっぱりと呟き。

 

「魔力だけを純粋に固めて撃ち出す物理攻撃…か、まったく器用な事をするわね。そんな何も意味やカタチを持たせられない事を…よくもまあ」

 

 イリヤは感心したような、呆れたような声を零す。

 魔術師として、何の加工も施さない魔力をよくそんなに上手く扱えるものだという感嘆が在り、等量にそんな非効率的な勿体無い事をよく出来るものだという憤りがあった。

 無加工な魔力に方向性を持たせる難しさは勿論だが、なによりソレを成せる程の魔力があるなら加工してもっと効率的に意味を持たせて効果的に使うものだ、という思いがそこにある。

 

「まあ、そうする理由も判るんだけど…」

 

 外套…聖骸布とアミュレットの守りの事を考えてそうも思った。あと一撃一撃にセイバーの魔力放出に匹敵する重さが乗せられている事にも納得できた。

 

「…えっと……?」

 

 イリヤとエヴァのやり取りに今一つ意味が掴めないのかネギが首を傾げる。するとエヴァが席を立ち、

 

「こういう事だ」

 

 そう言うと手の平を前方に向け、

 

「波っ!!」

 

 叫びと共に彼女の手から拳大くらいの大きさの光弾が放たれ、外にある広場の石柱の一つを砕いて半ばから圧し折った。

 

「わっ!」

「ひゃ!?」

「こ、これは…!?」

 

 風圧と衝撃を伴いテラスの中を駆けて飛び出した光弾そのものに対してか、それとも石柱を砕いた結果によるものかそれぞれの面々が驚きの声を上げる。

 

「ぼーやも話から想像は付いていただろう」

「は、はい。でも本当に無詠唱どころか何の術式も使わずにこんな魔法の矢みたいな事が……」

「原理はさっき説明した通りだ。気のように体力面から魔力を練り上げ、方向性を持たせて放出している」

 

 エヴァの行いに驚愕するネギに、エヴァは彼の“近くに合った席”に座ると再度教え諭すように言う。

 

「だが、何度も言うようだが真似をしようとは思うな。エネルギーが大きく扱いが難しい大源(マナ)を用いた魔力でこんな事をすれば身体がもたん。ただの人間がこれをするには長い肉体の鍛錬は勿論、その為の独特の修練が必要だ。オマケに使いこなせれば供給呪文よりも身体強化こそは格段に“上”になるが、術式制御のような安定性は無く今のように砲弾として放つ場合の効率も悪い。アレ一つに並の戦士が使う平均的な気弾と同量に当たる魔力を籠めたが、術式や呪文の補助を加えればもっと大きな威力が出せる……並の魔法使いの中位相当か、それ以上の呪文に成る」

 

 同じ量のエネルギーでの結果の違い。それだけ外界への干渉では術式と精霊による相乗効果は大きいという事だ。この部分が―――大源(マナ)から魔力を汲み取り、術式による効率・最適化への演算処理ができ。精霊契約による高い火力を生み出せる所が―――彼等、魔法使いが“砲台”といわれる由縁だ。

 

「私のように長い時を生き、多くの鍛錬と修練を積んだものであればいいが、そうでなければ身体を壊す事になるし精神面と体力面での制御を分ける技術は得られん。仮に今モノに出来たとしてもどっちつかずの不完全なモノにしかならんだろう」

 

 魔法使いは魔法使いとしての方法で強くなるべきだ、という事だ。

 

「…………」

 

 ネギは無言ながらも頷く。さっき真似をしようとし失敗した事を思い出したのだ。

 確かにあの時ヤバイものを感じた。一瞬であったが全身に熱い鉛が注ぎ込まれたような痛みがあった。もしあのまま師匠が強引にでも止めなければ……と、そこまで考えて背筋に寒くなった。

 ただしかし、それなりの計算は在ったのだ。先の事件でもエヴァと同じ事をしていた人物を相手にし、先程の模擬戦でエヴァがやはり可能としていた事で出来ると思った。

 それを訪ねると―――

 

「…成程、あの時は私も眠らされていたからな」

 

 ネギからその事を聞いてエヴァは若干決まり悪げに顔を顰める。その相手に不覚を取った為だ。その彼女の“頭の上で”イリヤも同様に顔を顰めた。その責任の一端が自分にあると思ったからだ。

 

「…だが奴は、ヘルマンなる男は悪魔だ」

「そうね。ネギが真似をしようと思うのは間違いよね」

 

 そう、“悪魔”。

 あの事件で現世に関与する為に肉体こそ持っていたが、その正体と本質の形無き精神…もしくは想念などの霊体だ。

 

「それを容れる実体を持った肉体自体が魔力を凝固したもの。だから―――」

「―――奴らの行うその動作、高い身体能力自体が肉体を構成する魔力の流動の結果だ。己が肉体のように魔力を扱うのは当然の話だ」

 

 在り方自体、肉に頼る人間と違うのだ。ただ呼吸一つするだけで大量の魔力を動かし、手足を一挙一動させるだけで魔法めいた奇跡や神秘を自然に行使できる精霊に似て異なる存在。

 

「…………お前も悪魔がどのような存在か学んでいるだろうに」

 

 エヴァが心底呆れた様子で言う。

 ネギがそれに項垂れる。それを見てエヴァは仕方なさそうに肩を竦める。

 

「まあ、既に散々注意したし迂闊に弟子の前で技を見せた私にも責任は在るか。これ以上責めるのは酷だな」

 

 そう呟いて“柔らかく暖かな背凭れ”に背中を預けながらエヴァは師として反省する。

 そうして気持ちを切り替えて、今度は先の不始末部分を除いた模擬戦でのネギの反省会を行なおうとし―――

 

「―――ところでマスター」

 

 茶々丸がその前に口を挟んだ。

 ん?…と。従者の無遠慮な横やりに訝しげにするエヴァだが、それに構わず無機質な口調で茶々丸は尋ねる。

 

「どうして“そのような所”へ座っておられるのですか?」

「…?」

 

 エヴァは首を傾げる。この鉄面尾な従者の言う事の意味が判らないからだ。

 それは誰も尋ねたくても尋ねられなかった事だ。

 相手が相手だけにという事もあるが、迂闊に突っ込んではいけないというか、気にしたら負けという雰囲気があったからだ。

 しかしそこは空気を読めない……いや、敢えて読まない所がある機械仕掛け(ロボット)の彼女だ。例え主であろうと容赦なく踏む込むところは踏み込む。

 

「もしかして気付いておられないのですか?」

「…何が言いたいんだ?」

「やはりそうなのですか」

 

 エヴァの不可解そうな表情にちらりと一瞬だけ、茶々丸は彼女の頭上に視線を移し―――己が仕える主に告げる。

 

「どうしてイリヤさんの“膝の上”に腰を掛けておられるのですか?」

 

 と。

 

 ――――――――――――――。

 

 

 数秒ほど時が凍ったような雰囲気が辺りに漂った。

 

「…………」

「…………」

 

 エヴァは視線を……首の角度を限界まで上げて、その背を預ける相手…イリヤの俯いて此方を見る緋色の瞳と目線を交わせる。そのように小柄なエヴァの目線が上向く通り、イリヤは未だ大人の姿であった。

 先程の模擬戦、幻想空間では本来の子供の姿ではあったが、現実では昨日―――別荘内時間にて―――からずっと詐称薬を呑んだままの状態が続いていた。

 理由は言うまでもない。エヴァの我が侭からだ。このままの姿の方が甘え甲斐があるのだ。その嬉しくも恥ずかしい感情は昨晩べったりとくっ付いて、同衾してから高まるばかりである。

 こうして大きく暖かく柔らかく身を包んでくれる安らぎは逃すには惜しく、非常に離れ難いのだ。

 

「…………―――――」

 

 気が付くとこうしてイリヤ(おねえちゃん)の間近に身を置いてしまう程に。

 

「―――――!!!」

 

 指摘されて己の状況に気付いた瞬間、エヴァは自分の顔からボンッと湯気が立ち昇る錯覚に陥り、耳まで顔が真っ赤に染まったのを自覚した。

 

「あう…こっ…これっ……ち、違…くて……」

 

 見上げた視線の先にある緋色の双眸を見詰めながら、エヴァは言葉にならない声を零しながら口をパクパクとさせる。

 

「エ、エヴァ…落ち着い―――」

「――――だ、だ…から違……! そ、んな気は無く…てっ!!」

 

 顔のみならず首まで赤く染め、接触するエヴァの身体の体温が急速に上がるのを感じてイリヤは落ち着かせようと声を掛けるも、エヴァは揺れる感情と沸騰する頭で耳に貸せる状態にない。

 

「だからッ! 気が付いたらっ、で…!」

 

 彼女は必死に何か弁明しようと声を上げ、手をあわあわと宙を泳がせてパニックと陥り。

 

「師匠!?」

「エ、エヴァちゃん!?」

 

 そんな姿を見たネギと明日菜他、イリヤを除いた面々が驚く。

 その驚きの声にエヴァは「ヒッ…!」と今更ながら周囲にネギ達がいる事に気付いたように肩をビクッと震わせる。いや、気付いてはいた筈だ。だからこうして羞恥心でエヴァは一杯一杯になっているのだ。

 

「違…! だ、だから違う…ぅ!」

 

 取り繕おうとするも顔は熟したトマトのようになり、完全に芯まで沸騰した頭では碌に言葉にならない。

 大人姿のイリヤの膝の上であわあわと落ち着きなく手を振り、首を振り、何度も「違、違う、違くて」という意味の無さない言葉を繰り返している。

 もはや普段の彼女はそこには居なかった。殻の剥けて隠れた少女の面影がひょっこりと出ているような状態だ。

 

「か…かわええ……」

「うん……可愛い…」

 

 狼狽えるエヴァを見てどう思ったのか、木乃香とのどかが思わずといった感じでそんな言葉をポロッと零した。同意なのかやはりイリヤを除いた女性陣全員が無意識にもコクリと頷いていた。

 ただ、ネギとカモはこの世のものとは思えない。何か恐ろしいものを見たように青い顔をして表情を引き攣らせていたが……

 

「…ッ!」

 

 男性二人(一人と一匹?)を除き、向けられる何処か暖かな視線にエヴァはまたも肩を震わせる―――途端、俯き。

 

「…ク、ラク…ック・…イラック」

「あ! エ…エヴァ!?」

 

 イリヤは気付く。膝の上で項垂れた姿勢でいるエヴァが小さく震えながらも呪文を唱えているのを…!

 

「ちょっ!…待ち―――!!」

 

 イリヤは、エヴァが詠唱を終えるのを阻止しようと口を塞ごうとするも―――

 

「―――――き、記憶を失えーーーーーッ!!!」

 

 遅く。エヴァの渾身の叫び声が別荘全域に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――あれ?」

 

 ネギは唐突に首を傾げる。

 

「兄貴?」

「ん。どうしたんネギ君?」

「あ、いえ。別に何でもありません」

 

 手には飲みかけの紅茶があり、目の前にはテーブルを挟んで談笑を楽しむ彼の生徒達が姿があった。

 別段何もおかしいことは無い。馬鹿な真似をして師の叱責を受け、その後でその失態を除いた模擬戦の反省会を行なってもう一人の師である古 菲も交えて改善点と今度の訓練方針を確認した……のだ?

 

「その筈……だよね?」

「…?」

「んん?」

「あ、いえ」

 

 思わず呟き、再び怪訝そうな顔をする木乃香とカモにネギはまたも何でも無いように首を振る。

 

「…変なネギ君」

 

 木乃香が可笑しそうに笑うと、その隣に居た刹那が心配そうな顔を見せる。

 

「もしや今になって頭を打った影響が…?」

「ム、それはいけないネ」

「大丈夫ですかネギ先生?」

「辛いなら横になった方が良いですよ」

 

 刹那の言葉を聞いた古 菲とのどか、夕映が続いて心配げに声を掛けて来る。

 

「それなら木乃香か、イリヤちゃんに見て貰った方が良いんじゃない?」

「ならまずウチが…」

 

 和美も気に成った様子でネギの顔を覗き込みながら言うと、朗らかな笑みから一転して真剣な表情と成った木乃香がネギの方に手を伸ばす。

 ネギはそんな彼女達に慌てて首を振る。

 

「いえ、ちょっとボーっとしただけで本当に大丈夫ですから…!」

「…そう? けど一応見とくえ」

「…あ、すいません」

 

 ネギの言葉を今一信用しなかったのか木乃香はネギの頭に手を触れた。ネギは無茶をする己に自覚があるのか大人しくそれを受け入れる。

 

 

 

 

 

 それをテラスの隅から見詰める四人。

 

「エヴァ…」

「エヴァちゃん」

「マスター」

「す、すまない」

「は、ははは…」

 

 イリヤ、明日菜、茶々丸にエヴァ。そしてさよ。

 前者の三人は何処となくエヴァを責める様子であり、その当人は居た堪れない様子で俯いている。さよは自分も良く騒動を起こす事もあってか苦笑を浮かべるしかないといった様相だ。

 

(でも、本当……大変だったなぁ)

 

 さよは苦笑しつつ内心で呟く。

 あの後…思い余ったエヴァが忘却魔法を行使した後。対象外だったイリヤは当然として、明日菜は持ち前の異能から。茶々丸は機械の体と電脳故に。そしてさよはイリヤの弟子と成っているのは伊達では無く、膨大な魔力で上位魔法に匹敵する形で放たれたソレを無事抵抗(レジスト)できた。

 しかし―――

 

「一時はどうなる事かと思ったわよ。皆が皆、記憶喪失になるなんて…」

 

 心底疲れたように明日菜が呟く。

 それにさよは深く頷くも、同時にやや否定的にも思う。

 

(うん、けど記憶喪失なんて生易しいものじゃないよね。あれは……)

 

 さよの内心を呼んだのかイリヤが同意するように言う。

 

「そんな可愛いものじゃないわよ。あれは記憶“喪失”っていうよりも記憶“全失”よ」

「……或いは幼児退行というべきかも知れません。皆赤ん坊のような状態でしたから」

 

 イリヤに続いて茶々丸がそう言った。

 その言葉の通りエヴァの魔法を受けたネギとカモと少女達は、記憶の何もかも全てを失って精神が真っ白の赤ん坊となってしまった。

 

「ですね。本当大変でした。此処が別荘で良かったです」

 

 茶々丸の言葉に頷いてさよも口を開いた。

 

「そうね。あとサヨが居た事も幸いだったわ。私一人だけだったらもっと手間が掛かってたもの」

「お役に立てて何よりです」

「……こんなことで役に立てる気は無かったんだけどね。でも、貴女を弟子に取っていてホント良かったわ」

 

 イリヤは僅かに苦い表情を浮かべつつはぁぁ…と、息を吐くようにして安堵の表情を作った。

 

「……本当にすまない。特にイリヤとさよには迷惑を掛けて……」

 

 エヴァが身を縮めて頭を下げる。

 記憶を全失して魔法を受けた面々が幼児退行を起こした事に気付いたイリヤは、未だ混乱しているエヴァと慌てる明日菜とオロオロする茶々丸を余所に、さよを叱咤して共に記憶を失った皆の精神を直ぐに幻想空間に隔離し肉体を冬眠状態に置いた。

 そして肉体の管理を明日菜と吸血鬼主従に任せ、さよと一緒に記憶全失したネギカモコンビと少女達の“治療”を幻想空間で行った。

 

「……まったくよね」

 

 頭を下げるエヴァにイリヤは安堵の表情を引っ込めると嘆息した。

 その呆れきった声に内心でエヴァは泣きそうになる。

 

 ――――ううう…お姉ちゃんが許してくれない。

 

 と。

 だがそれも仕方が無い。別荘時間で丸一日を費やしてイリヤとさよは治療を行なったのだ。その数倍の体感時間……いや、複数名の記憶の為にそれ以上に時間を伸ばして二人は皆の治療に当たった。

 その体感時間は凡そ三ヶ月にもなる。イリヤが呆れ切って簡単に許さないのも当然だ。

 

「もう少しここで休みます?」

「……帰るわ。一応外はまだ夕刻だし食事も睡眠も取れるから…」

 

 さよが尋ねるとイリヤはそう疲れた声で返事をした。疲労の為に酷く落ち込んだ様子でいるエヴァに気付かずに。

 

 

 ◇

 

 

 別荘を出てイリヤや明日菜などの一部を除いた者達は、何故か“二時間”も過ぎている事に疑問の表情を見せていたが、「別荘の機能に不具合が出ていたらしい」「古いものだし仕方が無い」「チェックしておく」などのイリヤとエヴァの誤魔化しに納得したようで気にする事無く帰路に付いた。

 

 そして―――

 

「―――で、どうしたら良いかな?」

 

 夕食と風呂を頂いた後、エヴァは自室のベッドの上で彼女には大きすぎるように思える愛用の枕を胸に抱えて、誰よりも頼りにする“彼”にそう尋ねていた。

 

『どう?…と言われてもな』

 

 エヴァの不安気な声に彼は若干困ったように応じる。

 

『確かにイリヤは呆れたかも知れんが怒ってもいなかった。そう気にすることはないと思う。というか彼女自身もう気にしてはいまい』

「そ、そうかなぁ。あれから帰るまでずっと不機嫌そうに眉を寄せていたし……」

 

 赤い宝石から返る声にエヴァは納得できないように顔を俯かせる。

 そんな彼女を見て赤い宝石こと…シロウは溜息を吐く。いや…身体は無いから気持ち的にだ。

 

(ふむ……)

 

 事態は見させて貰ってはいた。

 学校では眠っている彼だが、それ以外ではシロウは基本的に起きている。

 だが、声を出すことは無いし思念でエヴァと会話する事も稀だ。迂闊に声を掛けると彼女は素の姿をネギ達などの前で出しかねないからだ。先程テンパった時のように。

 正直、別に明らかにしても良いのではないか、と思わなくもないのだが。素の自分をまだ隠しておきたいというエヴァの意向を汲み取るならば、シロウはそうするしかない。

 それにネギ達のこれからの成長と育成を鑑みても、威厳のある彼女のままでいた方がプラスだというエヴァとイリヤの意見も判るのだ。

 

(時間も無く未熟な彼と彼女らを急ぎ鍛える必要がある事を考えれば、直ぐ傍に頼れる先達…或いは先導者がいる事は非常に重要だ。あの振る舞いのエヴァとそしてイリヤはそれに適任だろう。外見的な要素……変に大人という意識をさせない所は特に…)

 

 そう、大人に対する配慮やら遠慮を覚えさせないのは大きな利点だ。同年代の少女的な外見やクラスメイトという身近な立場……つまり親身さが持てるのだ。

 無論、先達や師たる者に敬いを持たなくなる弊害も出そうだが、エヴァの威厳とイリヤの振る舞いからその心配は余りない。幻想空間で行った模擬戦の効果も出ているだろう。

 

(そうなると自分が余り表に出て、あれやこれやと口に出すのはやはり避けるべきか)

 

 シロウの存在をネギ達に教えてアドバイスを貰い易くした方が良いのでは?…という意見も一時は出されたが、エヴァの素面を隠す必要性もあって様子見的に保留しており、シロウは改めてまだ当面現状を維持すべきだと判断する。

 

(それに……あれから六百年だ。あの幼かったエヴァも成熟した魔法使いと成り、戦闘経験も…少なくとも生前のオレよりは豊富だ。そんな彼女なら指導を誤ることは無いだろう)

 

 感慨深げに…そして複雑そうに胸中で呟く。

 娘のように思っていた少女の成長した姿を見られた喜び。その成長を見届けられなかった無念。過酷な道程を歩ませた悔い…それらを混ぜて。

 

「シロウ…聞いているの?」

『ん? いや……すまない。少しぼうっとしていたようだ』

 

 過去に思い馳せていた所為で彼女の話しを耳から素通りさせてしまったようだ。

 

「むう」

 

 エヴァが頬を膨らませて宝石を睨む。

 怒ってはいるが可愛らしい表情を見せるのでシロウは苦笑してしまう。が、真面目にも答える。

 

『それほど気になるのであれば、明日にでももう一度イリヤに謝りに行ってはどうだ? それに休日なのだろう。謝罪を兼ねて何か遊びに誘うのも手だ―――と、待て。そう言えばイリヤには仕事があるのだったか?』

「あ…うん。明日は丸一日時間が空くからそれを目一杯使って協会の仕事を片付ける、って確かイリヤもそう言ってた」

 

 疑問への答えを聞きシロウは、むむ…と唸る。

 学祭が近いことからこれまた急ぎの仕事なのだ。何かとイリヤが無理を重ねているのを知っているので止めたい気持ちはあるが、学祭時期に伴う厄介な問題を理解する為に止むを得ないという複雑な感情があった。

 

『是非もないか』

 

 シロウが呟くとエヴァはがっくりと肩を落とす。先程のシロウのアイディアに非常に乗り気だったからだ。お姉ちゃんとの折角のデートの機会が…と小さく残念そうな声が聞こえた。

 シロウはそんなエヴァに微笑ましいものを感じながら、それなら、と。次の解決案を出す。

 

『では、その手助けをするというのはどうだ。朝一に謝りに行って迷惑を掛けた分、仕事を手伝わせて欲しいと』

「あ…」

 

 再度出された案を聞き、沈んでいたエヴァの表情が綻ぶ。

 

「うん! それ良い! ちょっと面倒だけど……それならきっとイリヤも許してくれるよね」

 

 明るい笑顔でそう言い。

 

「じゃあ、今日は早めに寝よっと……ありがとうシロウ」

 

 相談してくれたシロウに礼を告げてエヴァはベッドへ横になった。

 

 




 武術の話は個人的な解釈によるにわか知識です。本気で受け止めないで頂けると助かります。

 魔力と気の運用法に関しては一応後々の為の布石になってます。


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第29話―――見習い少女の立ち直り

 翌日。

 元喫茶店である宝飾店アインツベルンことイリヤ宅をエヴァは訪れたのだが―――

 

「……………」

「……………」

「……………」

 

 店前で自分を見、強張った表情をする二人の人物と睨み合っていた。

 一人は長い金髪の白人であやかに似たお嬢様めいた雰囲気を持つ少女。もう一人はツインテールした栗色掛かった髪を頭に飾る可愛らしい容貌を持つ日本人の少女だ。

 前者は休日でありながら聖ウルスラの制服を着ているのに対して、後者は休日らしく朱色の薄手のカーディガンに桃色のワンピースという組み合わせの私服姿である。

 

「「「――――――――」」」

 

 睨み合って幾ほど経ったか……エヴァは溜息を一つ吐くと。

 

「何なんだ。お前らは…?」

 

 そう、今更ながらに尋ねた。そもそも何故に自分達は……いや、むしろ2人が一方的に睨んでくるのかという疑問もある。

 まあ、大体想像はつくのだが……ともエヴァは内心で呟く。

 その予想は当たっていた。金髪の少女が険しい表情でエヴァを殊更睨み、

 

闇の福音(ダークエヴァンジェル)……貴方こそ、どうして此処に?」

 

 エヴァの問いに答えずそう忌み名を口にした。

 

「…………」

 

 エヴァは思わず顔を顰めそうになった。

 イリヤやネギなどの親しい者や一部を除き、エヴァはそれらの異名で呼ばれたくないのだ。彼女と彼等以外はその名を口にするたびに明らかな恐怖、畏怖、敵意が込めてくるのだから。

 心が硬い殻に覆われているからこそそれに耐えられるが、それでも贖罪と幸福を望むただ一人の少女(エヴァンジェリン)としては中々に辛いものが在る。

 

 特に昨今においてはイリヤという優しい理解者を得たから尚更に。

 

 エヴァは少女達から向けられる怯えと敵意に耐えながら再度問い返す。

 

「人にものを訪ねるならそれなりの態度があるだろう。先ずは名乗れ、お前達は私の事を知っているが、私はお前達が何者か知らん。協会に属する見習い魔法使いだとは判るが……それだけだ」

「何故、貴方などに…?」

「……嫌うのは勝手だがな。これでも私は正規の協会職員だ。言わばお前達の先達であり、直接ではないが一応上司でもあるんだ」

 

 なら判るだろう、と言うようにエヴァは言葉を続けずに金髪の少女に視線だけを向ける。するとその隣にいる日本人の少女は肩を震わせ、金髪の少女も怯みを大きくして半歩下がったが……エヴァの言葉が道理だと理解したのか、納得したように頷く。

 

「…確かにそうですね。……失礼致しました。私は高音・D・グッドマンと申します。隣にいるのは私のパートナーの佐倉 愛衣。お察しの通りこの麻帆良で見習いとして修行中の身であります。以後お見知りおきを」

「よ、宜しくお願いします。エヴァンジェリンさん」

 

 見習い魔法使いの少女達は揃って頭を下げる。そこにはエヴァに対する恐怖や畏怖などだけでなく、不躾な己への確かな自省が在った。

 己が非を理解してくれたらしく、エヴァはそんな素直な彼女達に最初の印象を修正して好感を抱く。

 

「ああ、宜しく。で、どうして此処に?……と。これはそっちが先にした質問だったな」

 

 エヴァは二人の挨拶に鷹揚に頷くと、先の質問に答える。

 

「まあ、察しは付いているだろうが。此処の宝飾店……というより工房主に用があってな」

 

 やや不遜であるが、その穏やかなエヴァの口調と反応が意外に思えたのだろう。見習いの二人は驚いた表情を浮かべる。それに構わず今度はエヴァが問い掛ける。

 

「それでそっちは? 魔法具の製作依頼か? だがこういうのもなんだが見習いの立場では―――」

「―――あ、いえ、違います。それとは別に自分達も工房主に用がありまして」

 

 金髪の少女こと高音が驚きの表情のまま、エヴァの言葉を遮って訂正するように答える。

 

「ふむ…もしかして協会の仕事での件か?」

「そうです。だからイリヤちゃ……じゃなくて工房主さんに資料を届けに来たんです」

 

 エヴァに対してどのような印象変化が起きたのか、怯みが完全に失せて人懐っこい明るい笑顔で愛衣が答えた。

 その笑顔を見てエヴァも表情を綻ばせる。ただイリヤの名を親しげに呼ぼうとしたのが……とても気に掛かった。

 

「…もしかしてイリヤと知り合いなのか?」

「はい! お友達です!」

「ええ…まあ、」

 

 快活に愛衣が言い。高音は何処か躊躇いがちに首肯する。それにエヴァは―――

 

「……………そうか」

 

 少し間を置いてからそう短く返事をした。

 表には出さなかったがその内面では、何か面白くないという釈然としない感情を抱えて。

 

 

 ◇

 

 

 

 店を訪れたエヴァ、高音、愛衣たち三人の姿にイリヤは意外そうな表情をする。

 

「…随分珍しい組み合わせね」

「ああ…―――いや、店の前で偶々一緒になっただけだ」

 

 イリヤの問い掛けに一瞬頷き掛け―――首を振って答えるエヴァ。

 

「ふーん、茶々丸は?」

「アイツは別の用があるそうだ。……その方が都合が良いだろうからな」

「…? まあ、いいわ。と…挨拶がまだだったわね。おはようエヴァさん、タカネ、メイ」

 

 エヴァの言葉にイリヤは少し首を傾げるが、挨拶が遅れた事を思いだして三人の客人に頭を下げる。

 

「ん。おはよう」

「おはようございます」

「おはよう。今日はよろしくね。イリヤちゃん」

 

 イリヤの挨拶にエヴァは首肯を返し、高音と愛衣はイリヤと同じく頭を下げた。

 場所は既に応接室で。高価な調度品で整えられた室内に慣れた様子のエヴァと高音は兎も角、愛衣は珍しさが未だ抜けないのか、チラチラと彼方此方に視線を移している。

 イリヤはそんな友人の様子を気にする事無くメイドが用意した紅茶を啜り、口内を潤してから三人に話し掛けた。

 

「それで、タカネとメイが此処へ来た理由は判るけど。エヴァさんが来たのは?」

「む、それは……」

 

 テーブルに向かいに座るイリヤからの問い掛けにエヴァは言葉に詰まる。

 理由は言うまでも無く、昨日の失態への謝罪だ。だが……横目でチラリとエヴァは隣で自分と同じソファーに腰掛ける見習いの少女達を見る。

 この少女達の前でそれを言うのは憚られ、僅かに躊躇するも―――エヴァは確りと頭を下げた。

 

「昨日の事だ。イリヤには本当に迷惑を掛けた。……すまない」

 

 失態の事自体は言わずにそう謝罪の言葉を口にした。

 

「別に気にしなくても良いのに。誰だって失敗はあるんだから、大事なのは過ちを繰り返さないように確りと反省する事であって、エヴァさんはそれが出来る人でしょ」

 

 イリヤは若干驚いたような、謝られた事が意外だとでもいうような様子だ。

 シロウの言う通りイリヤはエヴァの失態を既に気にしていないのだ。アレは偶々な出来事であり、またエヴァがあのような事を何度も起こす訳が無いと、敢えて怒り叱りつける必要も無いと信頼していた。

 

「……イリヤ」

 

 それを―――イリヤの言葉に込められた想いを感じてエヴァの肩が震えた。お姉ちゃんが怒っていない、許してくれた! それどころか信じてくれている…!と。もう感激の余りに飛び上がらんばかりの感情に耐えていた。

 もし此処に高音と愛衣、そして控えているメイド達の姿が無ければエヴァはイリヤの胸に飛び込んでいただろう。それがとても惜しい…エヴァは心の底からそう思うも我慢する。

 

「イリヤ…それでもケジメは付けたい。だから迷惑を掛けた分、今日はお前の為に働かせて貰おうと思う」

 

 飛び付きたい感情を我慢して言うと。イリヤは大きく首を傾げて「成程、だから茶々丸は来なかったのか……うーん」と小さく呟きつつも唸り、

 

「分かったわ。それでエヴァさんの気が済むなら。私も助かるしね」

 

 了承した。

 エヴァが思いの外、昨日の事を気にしているのを察したらしい。イリヤの口調からそれを感じ取り、エヴァは少し忸怩たる思いを抱いた。

 昨日の件を改めて謝罪し、イリヤの助けになる為に来たというのに……返って気を遣わせてしまったと。

 だが、エヴァはその事を口には出さなかった。出せばイリヤと堂々巡りの会話を繰り返すだけだし、なら気を遣わせてしまった分も行動で返せば良いと考えたのだ。

 

 

 

 そのやり取りを見て、高音と愛衣はどう思ったのか。

 

(なんだか、思ったよりも良い人みたいですね。エヴァンジェリンさん)

(ええ、悪名高い真祖の吸血鬼がどのように恐ろしいヒトなのかと警戒しましたが…どうやら確りとした良識を持たれる御方のようですね)

 

 念話でそのようにこっそりと会話する二人。若干礼を欠いた事のようにも思われるが別段咎められる事では無い。こういった内緒話はお偉方の会談の場でもままある事だ。

 

(……元々は普通の人間で意図せずに吸血鬼となってしまって、已む無く悪行に手を染めた…って説もありますし)

(魔女狩りや異端審問から逃れる為にという奴ですね。正直、今を生きる魔法使い(わたしたち)には実感が薄いものですが、あの当時は魔法社会への風当たりも相当だったようですし、吸血鬼である彼女に対しては尚更苛烈だったでしょう)

 

 そう思うと二人はエヴァに同情を覚えた。迫害を受けた被害者を目にしたように。

 勿論、それでエヴァが魔王と恐れられるまで至った罪業が許されるものでは無いとも思うが、同時にやはり遠い過去の出来事に過ぎず、当時の事を知識としてしか知らず、現実感を持てない以上は彼女を強く非難する気には成れなかった。

 況してや会話を交わし穏やかな姿を見、今もイリヤに対して何やら反省して頭を下げているのだ。

 

(風聞だけで判断出来るものではありませんね)

(そうですね)

 

 罪を犯しはしたが決して悪人ではない。まだ一面しか見てはいないが取り敢えずエヴァに対して彼女達はそう結論付けた。

 

 ただし、イリヤと出会わずシロウと再会していなければ……この評価を得られたかは分からない。

 

 

 

 

 そして高音は尚も思う。イリヤに謝罪し頭を下げるエヴァを見て―――先日の事を。

 

 凡そ一月前、学園が正体不明のテロリスト―――表向きにはそうなっている―――の襲撃を受けたあの日。高音は愚かな失態を演じた。

 己が実力も理解出来ず、高慢にもそれが可能だと考えて実行し…………一人の少女を危機へ陥れてしまった。

 

 その日から高音は無気力になってしまった。

 何をするにしても身に入らず、機械のようにただ黙々と眼の前にある出来事を片付ける日々。

 学校の授業も、魔法の修行も、協会の仕事も……淡々と。

 何処かこの世に在るもの全てが希薄に思えた。

 

 ―――己自身さえも………。

 

 価値が無いと思ったのだ。

 持って生まれた才覚も、これまでの努力も、それを活かそうと願った信念も。

 だからそれらを向ける世界(しゃかい)にも興味(かち)が無くなった。

 

 心の底からそう思った―――同時に眩しくも思った。

 

 己と違い、成果を上げた相棒の愛衣が。

 危機に陥った……己が陥らせた友人(イリヤ)を助けに行き、見事役目を果たしたという妹分が。

 

 だから疎ましく思った。

 無気力な自分を気に掛け、心配し、励まそうとする彼女が。

 自分程ではないにしろ才覚に恵まれ、努力を怠らずそれが実った愛衣が。

 

 所謂、魔法先生達…正規の魔法職員達の評価は絶賛だった。

 未熟な見習いと自覚しながらも友人の危機と見過ごせずに考え、動き、そして機を得て大役を果たしたのだから当然だろう。

 

 ―――彼女こそ“偉大な魔法使い(マギステル・マギ)”を夢見る幼き魔法使い達の鑑。彼の偉大なる英雄の息子…ネギ・スプリングフィールドと並び我らが魔法使いの将来を担う貴重な人材だ。

 

 そのような声さえ一部では上がっているという。

 そんな多くに認められる価値ある少女が、価値の無い自分を支えようとする事実。

 

 だから…だから……だから疎ましくて、励まそうとする彼女の眼がまるで価値が無い自分を哀れんでいるように見えて。惨めさを覚え、増して―――

 

『愛衣、もう私の事は放って置いて下さい。ええ…無能な自分に何時までも構っていては損でしょう。貴女は私と違って期待されているのです。だから……もう解消しましょう。そして貴女は貴女に相応しい優れたパートナーを新しく見つけなさい。あの噂の子供先生(えいゆうのむすこ)のような…』

 

 目に入れるには眩しく、傍に居られるのが疎ましくて。遠ざける為に自分を心配する彼女にそう言った。

 ただ本音を言えば、もっときつく当り散らしたかった。

 

 ―――そんな心配したふりをして周囲に良い眼で見られたいだけでしょう! 同情し哀れんでいながら本当は優越感に浸っているのでしょう! そんな嫌らしい目的で私を見るな! 傍に侍るな! もう貴女の顔など見たくもありません!

 

 等と、そう感情の赴くまま罵りたかった。

 でもそれは…それだけは越えてはならない一線だと、己に言い聞かせて暴発しそうになる感情を抑制した。

 しかし先の言葉もまた言ってはいけない事だった。

 

 愕然とした愛衣の顔を思い出す。

 パートナー解消という言葉から……もう自分と二度と関わるなという疎ましさを感じ取ったのだろう。或いはそれを聞くまでもなくそれまでの態度から薄々感じていたのかも知れない。

 そんな感情を直に向けられてショックを受けた愛衣は顔を青白くして涙を浮かべ、信じられないものを見るような目で自分を見詰め―――取り返しの付かない言葉を口にした事に気付いた自分は、逃げるようにして彼女に背中を向けてその場から去った。

 

 そして後悔しながらも反省は出来ず、そんな自分に嫌気も覚え。どうしたら良いのか判らずに悶々と自室で一人孤独にソファーに項垂れていたら……あの子が来た。

 ドカンッと蹴破るような勢いで部屋のドアが開け放たれ、ズカズカと誰かが上がり込んで来たと思ったら―――目の前に白い少女がいた。

 

 その少女―――イリヤと顔を合せるのは高音は怖かった。

 だからあの事件の在った日から決して会わないように彼女の住居がある繁華街は避け、女子中等部本校にも近付かず、登校時以外はなるべく外を出歩かなかった。

 会えば否応なくそれを思い出してしまうから。犯した過ちを突き付けられるから。どうしても頭から離れない…夢だと、性質の悪い夢だと思いたい光景―――無残に漆黒の剣で貫かれた幼い少女の姿―――が現実だと思い知らされるから。

 

 そんな言いように無い恐怖と……そして自責に怯える高音に彼女は怒鳴った。

 

「いい加減にしなさいっ!!」

 

 その怒声にビクリと身体が震えて委縮すると同時に、高音はこの寮の部屋が一人部屋で良かったなどと場違いな事を思ってしまった。

 もし他の部屋同様にルームメイトがいたら何事かと思われ、迷惑を掛けていた筈だ。それ程までに少女の声は大きく。怒りの様相は凄まじかった。

 

「貴女が自分の失態に傷付き、落ち込んでいるのは知っていた。それに気付いていながら今日までフォローしなかった私も悪かったわ。けど―――!」

 

 グイッと襟を掴まれてソファーから腰が持ち上がり、顔が近づいて高音は至近でイリヤと赤い双眸を見る事になる。

 十歳の少女とは思えない力だ、と。身体を持ち上げられて高音はそんな事を思いつつ、赤い眼から目線を逸らそうとし…

 

「何、その無様な有様は!」

 

 襟を掴む右手の反対、彼女の左手で逸らそうとした顔を…顎を掴まれて抑えられた。

 

「タカネ、私は貴女がそんな人間だとは思わなかった。もっと責任感の強い。義を重んじる誠実な人だと思ってた! だから遠くない内に私の所に来るものだと思っていた!」

 

 緋色の双眸が強く睨んでくる。

 

「なのに―――そんな何もかも、物事の全部に眼を逸らして逃げようとするなんて! 挙句にメイに“八つ当たり”までして!」

「―――…!」

 

 高音の身体がまたもビクリと震えた。

 

「め…愛衣が……言った、のですか」

「ええ、今さっき聞いたわ」

 

 信頼する相棒だった妹分に告げ口のような真似をされた事が…それもよりにもよってこの白い少女に――――それが衝撃的だった。だがそれ以上に“見抜かれた”事が怖かった。感情を抑えてやんわりと関係解消を告げたその真意を察しられた事が。どうしようもない卑屈な本音が知られた事が。

 

「泣いていたわよあの子。貴女に嫌われた、ただ元の貴女に戻って欲しかっただけなのに、もうどうしたらいいのか判らないって…」

「…………」

 

 高音は、きつく睨んでくる赤い眼から目を逸らした。顎を掴まれているので眼だけを動かして。

 

「…ふん、自分に非があるって事は判っているようね」

 

 後ろめたそうな高音の態度にイリヤは言う。

 

「なら分かるわね。自分がどうすべきか」

 

 そう告げるとイリヤは高音から手を放す。ポフッとソファーの上に高音の腰が落ちる。

 そうして暫く無言で時が過ぎ。高音は気まずげにソファーの上で俯いたまま、イリヤはそんな高音を立ったまま見下ろしていた。

 そして―――

 

「判っています。あの娘は…愛衣が何も悪くないという事は。だからあの娘には謝ります。ですが―――」

 

 高音は五分ほど経過した後、俯いたまま小さく呟くように言った。

 

「―――………パートナーの解消を、撤回する気はありません」

 

 それを告げるとこの白い少女は再び怒るかと思った為、若干躊躇ったが―――それでも言った。少し震える声で口にした。しかし意外にも少女に怒り気配は無かった。

 

「どうして?」

 

 ただそう短く尋ねられた。

 

「…………自信が無いのです。もう…」

 

 高音はポツリと口を開き、

 

「…愛衣に合わせる顔が無いというものありますが……そう、私は魔法使いとしてやっていける気が、これまでのように“偉大なる魔法使い”を目指して行ける自信が無いのです」

 

 静かに言葉を続ける。

 

「そんな自分が傍に居ては、頑張っているあの娘には迷惑にしかならないでしょう。だから愛衣には別の……」

「…………」

 

 最後まで続けずに高音は言葉を切った。そんな彼女にイリヤは考えるように沈黙する。そして一分程して、

 

「タカネ、自信が無くなったっていうのは本当なのでしょうね。でもそれ以上に貴女は怖くなったんじゃない?」

「―――!?」

 

 微かに沈黙したイリヤがそれを告げた途端、高音は胸に押さえられるような苦しさを感じてドキリとした。

 それは恐らく無意識に理解していながらも、表層では気付いていなかった心の深奥を指摘された驚き。

 

「そうね。考えてみれば当然よね。貴女は自分の起こした行動の所為で私に危機を招いて―――最悪、死なせるところだったんだもの」

「あ―――」

 

 高音は息を呑み、胸の苦しさが強くなったのを自覚する。

 

「だから貴女は自分の行いに……それに伴う結果に恐怖した。そしてそれをまた繰り返すんじゃないかと更に恐れた。協会の魔法使いとしての仕事、役目、任務……“偉大なる魔法使い”を目指す過程で望まぬ結果(しっぱい)に出くわす事が怖くなった。今回、私は助かったから取り返しは付いた。けれど今度は…またはいずれは本当に取り返しの付かない事になるかも知れないと。自分の行いで助けようと思った誰かが…或いは仲間が傷付き、救えず、死ぬ事になるのでは―――という理想から離れた“現実”を感じた」

 

 そう、高音は“現実”を知った。

 自己と周囲の求める理想が高く。その理想に応え、叶えるだけの力と才覚をなまじ持っていた為に挫折も失敗も殆ど経験する事無く。これまで順風満帆に過ごしてきた彼女は、此処に来て世の中は甘いそれだけで出来ている訳ではないという過酷な現実を味わい。辛く苦いそれを再び口にする事を恐れた。

 イリヤという壁はまだ良かった。辛くもそれを試練だと、目指すべき目標だと考えられたから。

 だが、此度の失態は違う。誰にも非難されるであろう大きな失敗。一人の人間を……いや、もしかするとより多くの人間を不幸に落としたかも知れず、取り返しの付かない事態に招く可能性が高かった。だから重すぎるソレを受け止めきれず、直視する事が出来ず―――逃げた。

 

 求める理想とは異なる過酷な現実から……心を空虚にする事で。自信を失ったという言い訳で。そんな現実へと引き戻そうとする愛衣を遠ざける事で逃避した。

 両親、家族、親族らが寄せる期待と理想に応えて来た過去も。“偉大なる魔法使い”を志し重ねた研鑽の日々も。同年代や後輩が寄せる信頼も。

 こんな苦い現実を味わうくらいならと捨てようとした。諦めて楽になろうとした。

 

「あ―――…!」

 

 そんな醜い卑劣な本心を、逃避していたが故に自覚してなかった図星を突かれ……

 

「…ああああぁぁ――――!!!」

 

 高音は言葉にならない慟哭の叫びを上げた。

 

 

 

(これまでの人生が順調……安易過ぎたのです。“失敗は誰にでもある”。先程イリヤさんが言った言葉。当たり前の事なのに、私はそんな当たり前のことを経験した事が無かった。……いえ、全く無かった訳ではありませんが、気に留めるほども無い小さく些細なものでした。だから本当の意味で重い…他人(ひと)に迷惑が及ぶ失敗は凡庸で浅慮な人間が犯すもので、自分とは無縁なものだと、心の何処かで私はそう考えていた)

 

 イリヤに頭を下げるエヴァの姿を見て、反芻するように高音は思う。

 

(何と高慢で愚かな事だったか。そんなだから私は初めて経験した本当の意味での失敗に……それもとても大きな、大きな過ぎる失敗に心が挫けてしまった。それまでの懸命に努力し積み重ねてきた日々を、志した信念を捨てようとして、大事なパートナー…掛け替えのない親友である愛衣に八つ当たりしてしまう程に自棄に成って拗ねたのだ。本当に馬鹿馬鹿しいことに自身の愚行と失敗を直視せず、イリヤさんにも謝りに行かずに―――幼い子供のように逃避してしまった)

 

 或いは世間知らずの箱入りお嬢様が思い通りに行かない出来事を前に癇癪を起しているようなものだろうか? 高音は自分の出自的にそっちの例えの方がしっくりくるように思えた。

 

(そしてそれに気付かされた時、私はショックの余りにただ叫び、嗚咽を零して泣く事しか出来なかった)

 

 どうしようもなく卑怯で卑劣で醜い自分の心に、感情と思考を処理できなくなったのだ。

 そんな自分に彼女…イリヤは言った。

 

『貴女はそのままで良いの? 本当に諦めて良いの? 怖いから…自分の行いが正しいものでは無く、過ちとなるかも知れないから、必ずしも理想に届く訳でもないからってこれまでの努力した日々を……頑張って来た自分を捨てるの? 否定して良いの?』

 

 と。

 そして白い少女は自分の腹の辺りを撫ぜて、

 

『―――私を傷付けた事を、あの時の判断を反省せずに、私に謝らずにいたいの?』

 

 そんなとても…自分にとってとても辛く、心に痛い言葉を向けて部屋を後にした。

 今度は塞ぎ込んだふりなどせず、自らの行いを確り直視して考えて答えを出しなさい…と。まるでそう告げるかのように。

 

 今にして考えると、その言葉には冷たさと温かさの両方があったように思う。

 突き放すようでありながら励ましているようであり、非難するようでありながら労わりがあり、選択を強制されているようでそうでは無かった。

 

(恐らくどのような答えを出そうと、イリヤさんは責めずに受け入れたと思う)

 

 例え諦め、捨てる方を選んだとしても仕方ないと残念そうに言いつつ、愛衣を説得してくれて自分が麻帆良を去るのを優しく見送ってくれただろう―――高音は何となくそう思った。

 けど、そうはならなかった。

 

(そう、私は“立ち上がった”)

 

 部屋に閉じこもり、白い少女の言う通りに自分の仕出かした事を向き合い直視して、二日、三日と泣いて悩んで悔やんで……出した答えは諦めない事だった。

 

 取り返しの付かない程の失敗であろうと…まだ一度の失敗。それに失敗したのであれば次で取り返せば良い! いや、その失敗以上の働きを示すべきだ! 塞ぎ込んだまま、逃げたままではそれは出来ない! それにこのままでは本当にイリヤに顔向けできないし、愛衣との友情もお終いだ。そんなのは我慢できないし、このまま愚かな自分で居るのは嫌だ!

 

 自問自答を繰り返し、己が精神を建て直して行く内に―――そのように逃避した惨めで情けない自分が許せなくなり、元来の気丈さを取り戻した高音は、立ち直ったその日の内に愛衣とイリヤに会って頭を下げた。

 

 愛衣にはパートナー解消を撤回して心配を駆けた事、疎ましく思い遠ざけようとした事を謝った。

 イリヤには今回の事と事件での無謀を反省した旨を告げて、危機に陥れた事を確りと謝罪した。

 

 二人とも笑って許してくれて、立ち直った自分の姿を見て喜んでくれさえした。

 

「………………」

「…お姉様?」

 

 思い耽っていた高音に愛衣が怪訝な様子で声を掛ける。

 

「あ、何でもありませんよ愛衣。少し考え事をしていただけ…」

 

 適当に取り繕って答えると愛衣は尚も不思議そうに首を傾げたが、そうですか、と。頷いてそれ以上は尋ねて来なかった。

 

(本当、良い娘ですわね)

 

 何か察して気を使ってくれたのだろう、と。そう思い―――

 

(そんな愛衣のためにも確りしなくては…)

 

 ―――とも。

 優しい彼女…妹分が麻帆良内で名が高まり、有望視されるようになった事も考え…誓うように改めて強くそう思った。

 



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第30話―――布石 Ⅰ

 

 イリヤはエヴァの申し出を了承し、今日の仕事に取り掛かる為にも先ず高音達が持って来た資料に目を通した。

 

「ふむ…」

 

 カサリとページをめくり、紙媒体のファイルを読んで行く。

 

「―――…設置後の経過観察は良好…と。でもこの分だと学祭が始まった後は少し大変かしら? 世界樹の本体の方も…やっぱり結界の強化を…ううん、一度見直した方が……けど…」

 

 考えを纏めるようにブツブツと呟き、顎に手を当てて唸る。

 

「…うーん。そもそもこの土地の霊脈や大気に満ちる大源(マナ)が異様なのよね。まるで神代(かみよ)の……いえ、そこまで行かなくとも西暦千年に入るかどうかの頃に……他の“聖地”も同じなのかしら? ううん、やはりあの樹の原因と見るべきか…」

 

 そんな考え込むイリヤの対面にいる面々は興味深げに彼女を見ていた。

 エヴァはイリヤの考える内容が如何なるものか、高音と愛衣は今日の仕事に関わる内容を漏れる言葉から少しでも掴もうと耳を立てていた。

 そうして暫く、イリヤはファイルにペンを走らせて何やら書き込むと控えていたメイドに渡す。

 

「地下に居るサヨにこれを渡して目を通すように言っておいて」

「はい」

「それと目を通して準備が済んだら直ぐに表に出るようにとも…ね」

「承りました」

 

 書類を渡されたメイドは会釈すると部屋を後にする。

 それを見届けるとイリヤは席を立ち、エヴァ達に告げる。

 

「それじゃあ、行きましょうか」

 

 

 

 店の表通りで暫く待ち、さよも出てくるとその背後から小太郎も顔を見せて来た。

 

「イリヤ姉ちゃん。俺も付いて行ってええか?」

「…いいけど、貴方にはつまらないと思うわよ。ウルズラ達に稽古を付けて貰った方がまだ有意義なんじゃないかしら?」

 

 小太郎の意外な登場と随伴の申し出にイリヤは少し首を傾げながら答えた。

 ここに来て以来、小太郎はイリヤのみならずウルズラを始めとした他の人形(メイド)とも模擬戦を繰り返している。

 カードを使うイリヤ程では無いが未だ隔絶した実力差があり、武芸十八般と人形とは思えない引き出しの多さから、ウルズラ達と拳を交える小太郎の経験値はみるみる上昇している。

 それもあってか、小太郎は首を傾げるイリヤに頷く。

 

「まあ、そうなんやろうけど…」

 

 そう、イリヤの言う通り非常に有意義であり、為にはなる……なるのだが―――小太郎の視線が何処か遠くを…宙を見詰めるようになる。

 

「……………」

 

 何とも言えない表情で沈黙する小太郎に、イリヤは何となくその心情を察した。

 

(ああ、嬉々として痛め付けてる感じだものねぇ)

 

 Sっ気があるのか、小太郎との模擬戦や訓練というよりも一方的な扱きと化した鍛錬(?)にウルズラが何処か愉しそうなのだ。

 今にして思えば、あの最初の模擬戦でも容赦なく咽を突いたりとその片鱗があったような気がする。

 

「分かったわ。私の仕事を見学するのも勉強になるだろうしね」

 

 自分も厳しい方だが……ウルズラの薄っすらと浮かんだ笑みを思い出し、若干哀れに感じてイリヤは小太郎の同行を許可した。言葉にはしなかったが彼が望むようにたまには休んでも良いだろうと思い。

 首肯したイリヤは、次に初対面である小太郎の事を訪ねたそうにしていた高音と愛衣に彼の事を紹介する。

 

「…タカネ、メイ。紹介するわ。この子は犬上 小太郎。西との交流の一環で派遣された駐在員よ。ただ見た通りの年齢だから見習いの交換学生みたいな位置付けなんだけど、訳あって私が身元を預かっているの。…あと狗族との混血よ」

 

 そう二人に告げるとイリヤは小太郎に目配せする。それに小太郎はハッとした様子で慌てて口を開く。

 

「あ、えっと……紹介にあった犬上 小太郎や…いや、です。西の出でこっち事はあんまり知ら…しりませんので、色々と迷惑を掛けると思いますけど、宜しくお願いや…じゃなくてお願いします」

 

 慣れない敬語を使って挨拶して頭を下げる小太郎。そんな彼に微笑ましいものを覚えたのか、高音と愛衣はくすりと笑う。

 

「私は佐倉 愛衣。よろしく小太郎君」

「私は高音・D・グッドマンと申します。こちらこそ宜しくお願い致しします。あと敬語を無理に使わなくても構いません。最低限の礼儀を忘れなければ、此方は気にしませんので」

 

 挨拶を返す二人。加えて拙い敬語した小太郎に高音は年上の先輩らしく優しく無理をする必要な無いと告げた。愛衣もそんなお姉様の言葉に同意して頷く。

 

「そっか、助かるわ。高音さん、佐倉さん。改めて宜しくな」

 

 不躾な自分に気を使ってくれた事に感謝しつつ小太郎は再度頭を下げる。

 そこには半人半妖(ハーフ)という事を聞いても差別的な眼を向けなかった事も含まれていた。

 

「うん、よろしく」

「宜しくお願いします」

 

 再度頭を下げる小太郎と同様に二人も再度そう宜しく告げ、イリヤはそんな彼と彼女達を見て小太郎が混血(ハーフ)である事を隠さなかったのを正解だと思った。

 言わなかったら後になって変に拗れるかも知れないと考えたのもあるが、高音と愛衣ならば小太郎を蔑むような真似はしないと信じたのだ。原作でそんな様子を見せなかった事もある。

 

「嬉しそうだなイリヤ」

「ええ」

 

 イリヤが笑みを浮かべていたのを―――お姉ちゃん大好きっ娘であるが故、当然―――エヴァは見逃さず、イリヤは素直に頷いた。その背後ではさよも嬉しそうに小太郎と見習い少女達のやり取りを見ていた。

 

「あの子、ネギくらいしか友達って言える子がいないから…」

 

 エヴァに首肯しながらそうも言った。

 生まれから仕方がないとはいえ、孤独であった彼が友人を作れる機会を得た事、人との関わりや交流の大切さを理解できるようになっていくのが、何故か嬉しく思えたのだ。

 自分も…さよも長く孤独の中で過ごした所為だろう。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 イリヤ達が先ず向かったのは近場にあるフェアテル・アム・ゼー広場だ。

 宝飾店と同じ繁華街に在るその広場は、学園都市内で六ヶ所ある魔力溜まりの一つだ。世界樹と呼ばれる神木・蟠桃が地中深く根を張って造るそれは、まさに霊脈と言っても過言でない代物であり、線で結べば綺麗な六芒星が出来てしまうほど互いに均等な位置にある。

 長らく管理を任されている分家・近衛の当主たる近右衛門から聞いた話や古くからの資料によれば、彼ら魔法使い……正確には(いにしえ)の神職者や陰陽師達がこの地に足を踏み入れた時から蟠桃は世界に並ぶ物がない巨大樹であり、その古の時代からこの大樹の根による緻密なネットワークともいうべき霊脈は築かれていたとの事だった。

 

 当然ながらイリヤを始め、過去の魔法使い達はこのあからさまな魔力溜まりの配置に人為的な意図を覚えたものの、その理由や目的はいまだ謎に包まれている……と表向きにはされている。

 

 ―――或いは、最も古くこの地の管理者であった尊き血を持つ御方達が秘蔵する文献の中には、その答えが記されているのかも知れないが…。

 

「……栓の無い話よね」

 

 余所者であるイリヤは勿論だが、現在の管理者である近右衛門でも踏み込めない領域…否、次元にある事だ。

 思考し推測する事は許されるが、其処へ踏み込んでの調査は決して許されない。イリヤとしても……いや、“イリヤ”ならば兎も角、内面に日本人的な意識を抱える今のイリヤとしては恐れ多くて踏み込む気にはなれない。

 

(まあ、魔術師的にも二千年以上の歴史を有する血筋の方々に、無遠慮に探りを入れるなんてのも憚れるんだけど…)

 

 だが、以前の“自分”ならこんな好奇心を刺激する事柄に対して我慢できるだろうか?とも思ってしまう。

 

 それは兎も角として。

 幾つものカフェテラスに囲まれた広場は休日という事もあってか人が多く、学祭準備期間という事も重なり何処か慌ただしい賑わいを見せていた。

 

「学祭が始まったらもっと騒がしく賑わうんですけどね」

「特に今年は二十二年ぶりだという例の発光現象がありますし、…まったく一体何処から漏れたのか。本来ならば来年である筈のそれが、近年の異常気象の影響で早まった事が一般の方々に知られていますから」

 

 雑談を交わす中で愛衣と高音がそのように言った。

 愛衣は何気なくといった感じだが、高音はどこか憂鬱そうだった。

 

「あー…」

 

 そのお姉様の顔を見て愛衣も表情を曇らす。イリヤはその理由を察する。

 

「来場者数が増える。つまりそれだけ人が多くなり、人口の密集率が高まる訳だから…当然、諍いも起こり易く、大きく成るものね。お祭り気分で浮かれ、気が昂っている人も多いでしょうし…」

「ええ、しかも諍いによる事件だけでは無く、事故の件数も増えます。麻帆良は生徒達のバイタリティの高さもあって無茶な出し物が多いですし…」

「…成程。大変なのね」

「あ、はは…」

 

 事情を理解し同情するイリヤに愛衣が渇いた笑みを浮かべた。

 そう、過去…これまでの学祭期間中での諍いや事故の件数に比較して死人が出ず、負傷者が少ないのは彼女達を含めた麻帆良の魔法使いのお蔭なのだ。

 ちまたでは世界樹の加護だとも言われているが、真実は彼女達の頑張りにあった。

 

「外での仕事に比べれば、圧倒的に危険度が少ないからな。この学祭期間中の雑事はお前たち見習いに経験を積ませる良い機会なんだ」

 

 憂鬱そうな高音と苦笑を浮かべる愛衣を見つつエヴァは今の言葉に続けて、大変だろうが頑張れ、と。余り気の無い声援を送った。

 彼女の言葉にある通り、この手の比較的緩い任務や仕事は見習いである彼女達によく回される物だ。ただ緩いと言っても学祭時期の事故や事件は人命に関わる場合もあり、重要な仕事なので高音にしても愛衣にしても遣り甲斐はあると感じてはいるのだが……それでも憂鬱な顔を見せ、苦笑してしまうのは―――

 

「それは判っております。自分達の為でもあるのですから勿論頑張りますが―――」

「―――でも、ほんと大変なんですよ。対応しなくてはならない事が多過ぎますし。担当箇所もころころと変えられて学園中を駆けずり回されて……私なんて毎年学祭が終わる頃にはもうヘトヘトで…」

 

 ―――そう、憂鬱になり苦い笑みが出てしまうのは。毎年発生する問題の件数の多く、さらに広い学園内を実質マラソンさせられるからだ。しかも学生としてクラスや部活の出し物も熟さなければならないというハードルまである。

 

「けど、その大変さを含めての経験積み……修行という事なんですよね?」

 

 さよが小首を傾げながら言った。

 何を当たり前な…と。高音は一瞬そう口にしかけたが、さよの言葉のニュアンスに違和感を覚えた。

 小さくも多くの事件と事故に対応して実践的な経験を積むというだけで無いような、これまでの認識とは異なる意味があるように思えたのだ。

 

「どういう意味ですか。さよさん?」

 

 だから高音は尋ねた。

 さよは、高音の疑問げな様子に僅かに戸惑ったようだったが直ぐに答えた。

 

「えっと、話を聞いて考えたんですけど、そうやって敢えて多くの問題を…時には同時に処理させられるのは、その処理能力や対応力の向上とその限界を自分に見定めさせるのが目的で。転々と場所を移動させるのも同じ現場に居続けると気が緩むっていうか、慣れと共に緊張感が欠けて注意散漫になってしまうからで、常に異なる状況下に置かせる事でそれを抑制し緊張を持続させる術と、臨機応変な思考力…高い判断力を身に付けさせる為に思えるんです」

 

 そのさよの答えに高音は眼を見開いた。愛衣も唖然とした様子だ。思い当たる節があるからだ。

 

 確かに初めて学祭の警備任務に就いた時、多発する問題にただやみくもに……加減も判らずに一つ一つを懸命に気負って事に当たって直ぐにへばってしまい。正規の職員に後を託してはちょくちょく休憩を取る事と成っていた。

 突然の配置転換もそうだ。ようやくその場に慣れが出来て安堵を覚えた頃に移動するように言われ、緩みそうになっていた気持ちに冷や水を浴びせられたようになり、慌てて気持ちを立て直そうとも上手く行かず、次の箇所で起こる問題に対処し切れず、正規職員のフォローに何度も助けられた。

 

 元々小さな事件・事故ばかりと言う事もあり、何れも些細な事で見習いなのだから始めはこんなものだと、誰もがそうだと、当時の指導教官にそう軽く笑いながら当然のように言われたから気付かなかった。

 そしてその次の年は、前年の事を踏まえてかなり上手く動けた。

 

 多発する問題にやみくもにならず、冷静に己が限界を考えて一つ一つ確実に問題を片付け、何でも自分だけでやろうと気負わずに無理そうだったら素直に正規の方々にお願いしたりもした。移動を命じられる事を考えて常に気を張りつつ、次の担当箇所を予想しながら、そこではどのような問題が起こり易いのかも想定して挑んでいた。

 多少気を張り過ぎ為に前年よりも精神的疲労は大きかったが、それでも肉体的には余裕を持って発生する問題に対処出来た。その時に昨年の“経験”が活きたとは思っていたが……しかし―――

 

「……そういう事でしたか」

 

 今になって気付いた―――いや、気付かされた。それが“経験を積む”という事なのだと。

 さよは何もこれまでと異なる認識を口にした訳では無い。実践的な経験を積むという事の意味をより細かく明瞭しただけだ。

 高音は途端、恥ずかしくなった。数年も同じ事を繰り返し、更に言えば学祭以外でも簡単な仕事や任務を熟して来たというのに経験を積むという意味を―――それらにどんな意図が…如何に自分達を鍛えて成長させようとしていたのかを殆ど理解してなかった己の浅慮さに。

 愛衣も同様なのだろう。僅かに顔を赤くして俯いている―――が、程無くして顔上げてさよを尊敬するような目で見た。

 

「凄いですね、さよさん。私、学祭警備にそんな深い考えがあるなんて全然気が付きませんでした。イリヤちゃんの弟子なだけありますね」

「え? そ、そうですか?」

 

 愛衣に向けられる視線と言葉にさよは戸惑う。彼女にして見れば当たり前な事を言っただけなのだ。

 だが高音にしてみれば、愛衣にまったく同意だ。流石はイリヤさんの弟子で助手を務めるだけの事はある…と。見た目はトロそうな印象なのに大した考察力の持ち主だとも。

 或いはこれが六十年もの歳月を幽霊でありながらも過ごした人間の経験なのか…とも考えた。そのように考えるように一応、高音も愛衣などの彼女たち見習いにもさよの正体を知らされてはいる。無論、詳しい事情は教えられてはいないのだが。

 

「ちょっとびっくりしたわ。見直したでさよ姉ちゃん。普段は何処かぽけーとして頼りないのに。こうなんつーか確りと物を考えとるんやな」

「コ、コタ君まで…それにそれあまり褒めてないよね」

 

 高音の感心を知る事も無く、小太郎のあんまりな言いようにさよは頬を膨らませる。それだけを見るとやはり外見相応の十代半ばの少女としか思えなかった。

 

「だけど、今年からはその大変な仕事も多少楽に成る筈だ」

「え?」

 

 エヴァの思いがけない言葉に高音は彼女に尋ねるような視線を向ける。

 それに答えるようにエヴァは言葉を続けた。

 

「イリヤが宝飾店で売り出しているアミュレットがかなり広まっているからな」

「あ、それって…“幸運のお守り”の事ですか? 明石教授や他の魔法先生方から聞きました。イリヤちゃんが協会の承認を得て、あのお店から密かにそんな“本物”を販売しているって」

 

 愛衣がそう尋ねるとエヴァは鷹揚に頷いた。

 

「その通りだ。アレの効果を知っているなら判ると思うが、複数在るアレらが上手く機能し厄除けと幸運寄せの結界が作られれば、学祭時期にあるような不幸な諍いや事故はグッと減るだろう。特にこう言った祭り…祭事という奴はそういった概念を招き、形成し易いから尚更にな。…実際、龍宮神社では毎年学祭の無事を願う祈祷を行なっている」

「なるほど……ではもしや、それを見越してイリヤさんは…!」

 

 高音はそれに気付いてイリヤの方を見ると、イリヤは首肯した。

 

「…今年は発光現象の他にも妙な厄介事が舞い込むみたいだしね―――まあ、とはいっても正直、宝飾店が好評だったり、こうも早く順調に学園へ広まるとは思ってなかったけど。……流石はカズミね」

 

 協会の広報部門が優秀という事もあるんだろうけど…とも。イリヤは言葉尻でポツリと呟くが小太郎以外には聞こえなかった。

 高音は厄介事が…という言葉に若干眉を寄せていた。凡そ一週間前に麻帆良…いや、日本の及び各国の魔法関係者に向けて突然公表された事だが。それに関して彼女はある私事が抱えており、少し憂鬱めいた思いあった。無論、それを嬉しく思う感情がない訳では無いのだが……。

 

「ハア…」

 

 それを考えるとやはり溜息も零れた。

 

 

 ◇

 

 

 そうして雑談に興じながら広場の中央付近にまでイリヤ達が近づくと。

 

「おはようイリヤ君」

 

 長身の黒人男性が声を掛けて来た。

 

「おはようございます。ガンドルフィーニ先生」

 

 黒人男性こと麻帆良の教職員にして魔法協会の職員であるガンドルフィーニにイリヤは丁寧に挨拶を返す。

 年齢に似合わない淑女然としたそのイリヤの振る舞いにまだ慣れないのか、それとも彼女の背後にあるエヴァの姿を見てか、ガンドルフィーニは僅かに動揺した。

 それ感じ取り、イリヤは挨拶で下げた頭を上げて機先を制するようにエヴァの事を説明した。

 

「すみません。今日はエヴァさんに手伝って貰う予定だったのです。長い時を生きた博識な彼女に色々と意見を頂こうと思いまして。それを忘れ、連絡を怠った事……申し訳ありません」

 

 今朝になってエヴァから申し出があった事を隠し、そう嘯いて再度頭を下げる。

 

「あ、いや…頭を上げてくれ。それ程の大事という訳でもないのだから。むしろ彼女の助力を得られるのは有難い事なのだし」

 

 ガンドルフィーニは慌てた様子で言う。

 元々は部外者とはいえ、イリヤは非常に優秀な人材であり、ある意味では自分以上の実力の持ち主であり、色々な方面で頼りにしている協力者なのだ。

 そんな余りにも無碍に出来ない人物に頭を下げられるのは非常に居心地が悪い。おまけにその見た目は幼い可憐な少女だ。こんな人通りの多い中でそんな事をされるのは恐ろしく気まずい。

 それに―――ここ最近の麻帆良では近右衛門、タカミチに続くナンバー3の実力者として見る風潮が出来つつあるのだ。正式な立場や権限では自分の方が上なのだが、少なくともこの麻帆良内では、カリスマとも言える“威”的な意味でイリヤの発言や立場は学園長並に無視出来なくなっている。

 

「ありがとうございます」

 

 それ所以のガンドルフィーニの困った様子に気付いているのか、いないのかイリヤは屈託の無い笑みで感謝を告げた。

 実際、イリヤは全く気付いていなかった。ただ何となく自分の意見が通り易くなったけど、学園長やタカミチに木乃香、そして西の長たる詠春と大使である鶴子の後ろ盾のお蔭かな?と。漫然に思っているだけだったりする。

 思いの外、イリヤは人間関係において他者からの関心に無頓着なのだ。大事なのは自分の方が誰かに関心があるか無いかだ。無論、その関心対象が自分をどう思っているかも大事には思っているのだが……基本的に無頓着な為か、変に鈍い所がある。

 

「それで先程、愛衣達からレポートを受け取りましたが……今の状態は?」

「ん、ああ…私はそっちの方面は門外漢だからな。瀬流彦君が今見ている。…うむむ、やはり口頭で説明するより、君に直接見て貰った方が早いだろう」

 

 イリヤに質問を受けてガンドルフィーニから動揺が抜ける。気を取り直したようだ。仕事に意識が向いた為だろう。若干何処か苦悩するような難しげな様子だったが。

 そして彼とイリヤ達は広場の中央に向かう。

 もうあと30mほど先と、その僅かな間にガンドルフィーニは、高音達やさよと小太郎にエヴァに挨拶を済ませた。流石にエヴァに相対する時はまた緊張する事と成っていたが、普通に挨拶を返されたお蔭でホッと安堵していた。

 

 

 広場の中央には学祭準備中の麻帆良では良く見かけられる飾り物(オブジェクト)があった。

 高さは凡そ6m。幅も6m程のずんぐりとした猫をモチーフにした巨大なぬいぐるみのような物。毛皮で覆われたそれは雨天対策の防水加工が施されているのか妙に艶やかに見える。

 そして奇妙な事にそのぬいぐるみを大きく避けるように人々が行き交い、こう言った代物が好きそうな幼子達も全く近づこうとしない。必ず2m以上の距離を取っており、まるで見えない壁でもあるかのようだ。

 

「一般人対策は万全のようですね」

「まあ、流石にこれくらいはな」

 

 イリヤの言葉にガンドルフィーニが頷く。

 人除けにもよく使われる意識誘導・認識阻害の結界だ。それが広場の中央に張られていた。

 

「……何か強い魔力を感じますね」

「ええ、この広場自体が世界樹の影響下にある魔力溜まりだとは聞いていますが……」

 

 そう言った愛衣と高音の視線が猫のオブジェクトに向かう。元より魔力溜まりの中心にあるのだから強い魔力を感じるのは何もおかしい事では無い……無いのだが―――

 

「―――強すぎるな。いや、集まり過ぎているというべきか? ふむ…」

 

 エヴァはポツリと呟きながら考え込むように顎に手を当てるが、その答えはイリヤにあると判っているのだろう。その青い双眸が白い少女の方へ向かう。

 

「ふふ、まあ…見てからのお楽しみと言った所かしらね」

 

 エヴァの視線に答えて少し茶化すように言うとガンドルフィーニに尋ねる。

 

「それで、やっぱり背中から入るのですか?」

「ああ、こっちだ」

 

 ぬいぐるみ…というよりは着ぐるみを連想したとも思われるイリヤの問い掛けに、当然のようにガンドルフィーニは答え。巨大なぬいぐるみ…もとい着ぐるみに見える様になったそのオブジェクトの背後に回る。イリヤ達もそれに続いた。

 

 

 

 オブジェクトの裏にはやはりファスナーがあり、それを開いてイリヤ達は中に入った…が、

 

「…う」

 

 むわっとした暑い空気にイリヤは思わず呻く。

 直径6m程と幾分余裕のある円形の空間であったが、それでも密閉されている場所だ。しかもこの六月の気候。麻帆良は梅雨にしては雨が少なく余りジメジメとしないとはいえ……いや、だからこそ陽が中々に強く熱気が籠っている。

 

「やはり空調の事も考えるべきだな」

 

 イリヤの顰め面を見たのだろう。ガンドルフィーニが言う。それにイリヤは同意を示そうと口を開き掛けたが、

 

「はは、全くですね。学祭時期は不思議と快晴が続きますし、その中での作業を考えると…」

 

 そんな若い男性の声に遮られた。

 

「瀬流彦先生…」

「やあ、おはようイリヤ君。高音君と愛衣君も。エヴァンジェリンさんもどうもです。相坂さんと犬上君とは初めましてかな?」

 

 このむわっとした熱気の中に長く居たの所為だろう。額の汗をハンカチに拭いながら瀬流彦はイリヤ達に挨拶する。

 彼はスーツの上着を脱ぎ、袖を大きく捲っていた。見様によっては何ともだらしのない格好だが、イリヤは気にする事無く「暑い中ご苦労様です」と挨拶を返すと早速オブジェクトの中に在るものを確認する。

 

「…………」

 

 そこにあるのは中央に黒い石質の台座が置かれた魔法陣だ。このオブジェクト内の地面敷き詰めるように大きく複雑に描かれて青く仄かに発光していた。見るからに強烈な魔的さを覚えさ、台座の真上…数十cmほど離れて宙に浮かんで輝く、直径1m強の翡翠色の光球がその雰囲気をさらに強調させている。

 

「こ、これは…!」

「…な、何これ…!?」

 

 イリヤが魔法陣の状態をチェックしていると、高音と愛衣が驚きの声を上げる。

 

「あの緑色の光の球にも凄い魔力を感じるけど…けど、魔法陣も…こんな……見た事も無いくらい複雑な術式なのに…こんなのって……」

「…ええ、見ているだけで肌が泡立ってきます。一つ一つが恐ろしいほど細かく複雑だというのに……精緻に整然と並んで単純化されていて、それら無数の術式が完全に一体になるように組まれています。これほど複雑なのに単純などと…こんな矛盾したかような魔法式があるなんて…!」

 

 二人の顔色は何処か悪く見え、声も僅かに震えていた。まるで遥かな高所から深い谷底を覗いているような感じだ。

 

「…数人が数日掛けて行うような大掛かりな儀式魔法を……時間的にも規模的にもこのサイズの魔法陣に収めているのか。……なるほど、こうも末恐ろしい術式構成に成る訳だ。これが…―――」

 

 ―――神代の魔術…か。

 

 エヴァがそう小さく呟いたのをガンドルフィーニは聞いた。

 

「………………」

 

 恐らくたまたま彼女の傍に居た彼以外には聞こえなかっただろう。

 ガンドルフィーニは思う。

 遠い過去、神話の時代に忘れ去られたという魔法……いや、“魔術”というモノを―――そんなものが在るという事実を知る事となった切っ掛けを。

 

 それは葬送の日の翌日の事だ。

 未だ自分の指揮の下で逝った仲間と同僚達の事で心の燻りが強く残っていた時分、上司たる近右衛門から召集が掛かった。ガンドルフィーニを含めた親しい同僚達……関東魔法協会の要所たる麻帆良で日々業務に励む職員の中でも、幹部クラスである弐集院、明石、神多羅木、葛葉の五名にだ。

 事前の連絡も無く突然呼び出された事に彼等は顔を合わせるなり、訝しげな表情で互いの様子を伺ったが……その予感は以前からあった。

 

 忌まわしい事件の事後処理に忙殺されながらも、こういった何か意味深な出来事が近々に起こると。

 

 いや、正確に言うならば予感というよりも予想だろうか…?

 酒を酌み交わしながらも白い少女の事で話をし、サウザンドマスターの息子の事や“完全なる世界”の動向。西との急速な和解。木乃香お嬢様の決意などから“何かが動いている”との思いを皆が抱き、共感した矢先に起こった事件だったのだ。

 そして高畑、神多羅木、葛葉が直接対峙した黒き槍兵に。神多羅木から聞いた白い少女が示した力。

 それらの事からこういった日が来るのだという事は想像が付いていた。

 尤も…近々とは言ったものの、麻帆良の襲撃事件を含めてこれほど性急に事態が動くのは正直、予想外でもあったのだが。

 

 兎も角、召集を受けた一同は麻帆良本校女子中等部にある学園長室を訪れた。

 防諜の整った武蔵麻帆良の協会本部では無いのが些か不思議ではあったが、学園長室も東の長が執務を行なう部屋だ。それなりに高い防諜設備はあるのでそれほど気にする事では無かった。

 ドアをノックして入室の許可を得て部屋に入ると、そこには近右衛門の他にタカミチと西からの大使である鶴子と…そして例の白い少女の姿があった。

 

「忙しい中、急な呼び出しに応じて貰えた事を感謝するぞい」

 

 ガンドルフィーニ達の姿を見た近右衛門は、先ずそう口火を切って此度の召集の理由を……用件を話した。

 

 聖杯戦争と呼ばれる儀式に英霊。その儀式における重大なミスによって生じた呪いに黒化英霊との関連性。そしてイリヤスフィールが持つ“魔術”という異質な魔法系統と“力”の正体。

 

 主にそれらが語られた。また白い少女の素性に関して明かせない部分がまだあるとも言ったが、それに関しては然程重要では無いとも言われた。

 これ等の話を聞いたガンドルフィーニ達は一様に戸惑う事しか出来なかった。

 それだけ信じ難い事だったからだ。あの伝説に語られる万能の釜とも聖者の血を受けた杯とも言われる願望器―――強力な聖遺物の再現もそうだが、死者蘇生としか言えない…それも神話、伝承、史実に名を残す英雄の現界など不可能な御業なのだ。

 しかし、

 

「なるほど、納得した」

 

 沈黙する一同の中で真っ先に口を開いたのは神多羅木だった。彼は言った。

 

「あの時、イリヤ嬢が示した“力”…あの恐ろしい力を持つ黒い騎士と対等に戦い、打倒した一撃。あの不可解な……そう、魔法とも技とも言えぬ“現象”。“ゲイボルク”との言葉。その意味がようやく判った。あれこそが―――」

 

 ―――伝説・神話に語られる“真の英雄”の力なのだな、と。

 

 そう、神多羅木はそれを見ていた。見てしまった。英雄と呼ばれる者の世界最高クラスの戦力のみならず、伝説に記される逸話を―――蒼き槍兵に扮したイリヤが紅き魔槍を振るい引き越した“奇跡の具現”を。確かな幻想を。

 だから信じた。

 無論、それだけではない。その前に二槍を構えた黒き槍兵とも手を合わせているのだ。アレと直に対峙して感じた脅威を思えば納得する他ない。況してや近右衛門にしてもイリヤにしてもこんな嘘を付く理由が無い。

 

「そう…ですね」

 

 次に葛葉が頷いた。

 彼女もまた黒化英霊と直に対峙し彼の者が振るう槍と剣を合わせている。だから神多羅木同様に納得できるものを感じていた。アレはそういった今の世に在る人間とは一線を画した存在だと。ただ英雄と呼ばれるだけでない。より高次にある存在が確かなカタチになったものなのだと。

 剣士として退魔師としての勘でそう確信した。

 

 しかし逆にそれを直に見ておらず、直接対峙していないガンドルフィーニと弐集院、明石は信じ難い思いが拭えなかった。

 近右衛門達がこんなつまらない嘘を吐く理由が無い事は判っているし、神多羅木と葛葉が語る感覚も理屈抜きで正しいと感じるのだが……それでも納得し切れなかった。

 それを雰囲気から察したのだろう。近右衛門とイリヤが事情を話している間、ずっと沈黙を保っていた鶴子が口元に微笑を浮かべた。

 

「ふふ、信じられないと仰るのならお三方も見たらええと思います。そうすれば何か感じるもの、判るものが在りますでしょう」

 

 そう告げるとイリヤの方へ目配せして。白い少女は溜息を吐きながら不承不承といった様子で頷いた。

 そしてそれを―――英雄の力を身に宿し銀の甲冑を纏うイリヤと剣聖と謳われる鶴子との二人の戦いを見る事と成り、ガンドルフィーニ達も信じ難い話を受け入れる事にした。

 

 

 

(で、今度は“コレ”だ)

 

 ガンドルフィーニは思考を回想から戻して目の前の魔法陣を改めて見る。

 この手の魔法陣や結界などは専門ではないが、彼も協会指折りの一流の魔法使いだ。並以上の知識は持っているし、専門で無いにしても相応にこういった魔法も身に付けてはいる。

 だから高音と愛衣たち以上に、イリヤが……“神代の魔術師”の知識と力を使って敷いた魔法陣の術式や機能のとんでもなさが判る。

 例えるならこれは、真空管の製造に目途が付いた所に超々LSIを持って来られたようなものだ。ハッキリ言って完全にオーバーテクノロジーの類の代物だ。

 

(イリヤ君は言った。彼女の魔術と我々の使う魔法を含め、神秘というものは過去に向かって疾走する物だと。現在も日々研究され、発展し続ける魔法学・魔法技術だが。結局の所、古代や神代にあるモノには幾ら研究を重ねても及ぶ事は無いと。進んでいるようで遠ざかり、本当の意味で魔法と…奇跡といえる確かなモノは淘汰、駆逐していっているのだと。特にこの世界の魔法はそれが顕著で、本来あるべき真理を忘れているのだという)

 

 麻帆良の防衛の見直しや新たな戦技研究や教導で仕事を共にし、彼女と本格的に関わるように成り。時折見せる神代の魔術に……大昔、紀元前にあったという技術の途方もない高度さに驚く自分達に彼女はそう諭すようにして言った。

 その言に現代を生きる魔法使いであるガンドルフィーニは反発したい思いがあった。

 

 では、今日(こんにち)まで我々が研鑽し探求し高めて来た魔法とは一体なんだったのか? 無意味だとでもいうのか? と。

 

 それはイリヤの世界でも同様だ。もし何かしらの事で現代の魔術師が“神代の魔女”が使う…否、命じる魔術を見れば似たような思いを抱く筈だ。恐らくは苛烈な嫉妬と共に。

 だが勿論のこと、ガンドルフィーニはそれを知る由は無いし、この世界の魔法使いであるが故に嫉妬も懐くことはない。その代りというか…反発以上に納得出来る思いがあった。

 過去の聖遺物や遺跡で発見される(いにしえ)の魔法や太古の魔物などを封じる呪文の中には、現在の魔法では及びつかない高度なものが在るからだ。

 それにほんの百年から数十年前にまであった筈の呪文やその形式が何時の間にやら散逸し、完全に失われている事が度々確認されている。

 また仮契約で与えられるアーティファクトもそうだろう。アレらの中には何時作られたか判らず、現代の魔法理論と技術でも解析不能・再現不可能な代物が幾つか存在する。

 その事実を、イリヤの言葉から改めて知らされるように付き付けられた。正直、彼女の話を聞くまでは、単に技術が“追い付いていない”と不足していると考えていたのだが……まさか“遠ざかっている”などとは全く予想外な事実だった。

 故に、

 

 ―――ならばこの先、我々魔法使い達の未来はどうなるのか?

 

 そんな不安や焦燥にガンドルフィーニは駆られた。イリヤの話を聞き、彼女の使う魔術を見る度に。それらの途方もない高度な神秘(ぎじゅつ)を見せつけられる度に……その感情は大きくなる一方だ。

 しかしそれを口に出したことは無い。近右衛門や信頼する同僚達にも…イリヤにも尋ねた事は無い。

 上司たる近右衛門も同僚も恐らく自分と同じものを抱えている筈だが、自分と同様イリヤに尋ねた節は無い。多分、あの少女はその答えを知っているのだと判るからこそ、恐ろしくて尋ねられないのだ。

 

 

 その所為か、ガンドルフィーニは白い少女に隠されていた謎を知った事を後悔…いや、もしかすると少し恨んでいるのかも知れなかった。それを語った近右衛門とイリヤを。そしてそれを確かな真実だと判断する己が勘も含めて。

 だがしかし、秘められていたそれを知りたいと思っていたのも事実だ。

 

 突如、麻帆良に姿を見せた不可思議な少女が京都の事件で力を示し、尊敬する上司が高く評価して信用を置き。未知の術式を持つ護符が彼女の手で作られ、麻帆良にそれが広まった事から。その驚異的とも言える強力な効果を知ったから。

 この地を守る協会の一員として、世の為にならんとする魔法使いの一人として少女に隠された素性と秘密を知るべきだ、と。

 

 だからあの時、学園長室に呼ばれ。知れば自分はどうしようもない、今までにない程の重い秘密を抱えると予知的に理解しながらも自分は近右衛門とイリヤ達の言葉に耳を傾けた。

 それが責務だと信じて。それぐらいの覚悟は協会に長く務めてきた自分には今更だと思い―――だから恨むなどというのは明らかに筋違いだろう。

 

「―――いやぁ、本当に凄いよイリヤ君! こんな魔法式を構築出来るなんてさ! 僕もこういうのは得意なんだけど、これが隠れた魔法使い一族の秘儀って奴なんだろうね。学園長が頼りにするのも判るなぁ。ホント流石だよ!」

 

 そう、魔法陣のチェックを終えたイリヤに興奮混じりに話し掛けているのは瀬流彦だった。

 こういった魔法陣を介した術や結界を得意とする彼としては、やはり昂る感情を抑えられないのだ。しかし無遠慮にも見えるがこれでも一応自重している方だ。それなりに彼と付き合いのあるガンドルフィーニにはそれがよく判った。

 本音を言えば、イリヤに教えを乞いたいのだろうが―――表向きには―――彼女の一族の秘儀という事なので無理だと我慢しているのだ。イリヤの技術を見られただけでも為になる、儲けものだと思う事で。

 

「ハァ…」

 

 思わず溜息が出た。

 瀬流彦はイリヤの隠された事情を知らないから仕方ないが、それでもそのように無邪気に喜ぶだけでいられるのが羨ましく思えた。

 尤もガンドルフィーニほどの地位や立場ともなると事情を知らなくとも、こんな恐るべき魔法(ぎじゅつ)が麻帆良に在るというだけで頭は痛いのだが。

 これが他国の魔法協会や本国が知られたらどうなるか……いや、近右衛門もイリヤもとっくに知られる事は覚悟しているのだろう。だから平の職員や見習いの高音と愛衣も此処にいるのだ。

 

(まあ、それなりに勝算があるだろう)

 

 魔法使いには魔法使いなりのルールがあるし、その家や一族が伝来とする秘術・秘儀を尊重するのは一応法的に明記されている事だ。

 その辺りで何とか押し通す積もりなのだろう。ただ邪法であったり、禁忌に触れるものなどの場合は例外と成ってしまうが。

 

(聖杯戦争や英霊召喚がこれに引っ掛かる。後者はギリギリ躱せる代物だろうが、前者の聖杯の再現はかなり拙い)

 

 失敗しどうしようもない呪いを誕生させた事も相当だが、聖杯(しょうひん)を餌に呼び出した英雄達を……召喚した英霊を騙し生け贄にしてその賞品(せいはい)の中身を満たすなど悪辣にも程がある。

 信仰され、敬意を払うべき英雄達への明らかな冒涜であり、確実に禁忌として見られる事だ。

 

(それもあって学園長達は秘匿していたのだろうな…)

 

 知られなければと言うか…バレなければ罪にはならないと言うべきか。

 それを知り、加担するようになった事もあって正直、犯罪者を匿っているような気分ではある。

 しかしどのような事情がまだ明かされていないにせよ。イリヤの一族が魔法協会や本国の敷く法治下でそれを行なった訳では無い事は確かなのだろう。本当かは判らないが、多分真実の筈。イリヤ達一族が人知れぬ異境の魔法使いで我らの世界と関わりが無かったのは。

 ならば例え冒涜的で外道な儀式を行なおうと、協会の法で罪を問うのは無理な話だ。それは他国の法律の在り方に文句を付けられても、その国で起きた犯罪を自国で裁く事が出来ないのと同じ事だ。

 

(だとしても黒化英霊の存在がネックになるが。アレが麻帆良……我らの世界で騒動を起こし被害を与えた事実は、イリヤ君に矛先が向きかねない案件だ)

 

 一瞬、ガンドルフィーニの脳裏に殉職した者達の事が過ぎる。

 自らの指揮の下で命を賭した仲間達。その死が聖杯戦争という悪辣な儀式に関連しているのであれば……―――ガンドルフィーニは首を横に振った。

 

(…イリヤ君に責任は無いし罪も無い。彼女の一族が行った事とはいえ……いや、だからこそ彼女個人に止める権利など無かっただろうし、そんな組織的な行為の責任は個人に押し付けるものでは無い。第一、聞いた話ではイリヤ君自身、一族が懐いた妄執の被害者でもあったようだし、“呪い”が―――“この世すべて悪(アンリマユ)”が世界に解かれないように命を賭けて最悪の事態を防いだのだともいうし)

 

 更に言えば、今もこうして漏れ出てしまった“呪いの残滓”をどうにかする為に戦い。それ以外の事でも自分達に様々な協力をしてくれているのだ。それに―――

 

(―――それに彼女に責任を問うのならば、先の事件を招く要因となったネギ君とそして明日菜君……アスナ姫にも問う事になってしまう)

 

 根本的に被害者であるあの二人にも。

 それはあってはならない事だ。上層部の意向とはいえ、そのリスクを承知で自分達協会と麻帆良はネギと明日菜の保護を引き受けたのだから。

 イリヤの事情を聞いた後、さらに続けて明かされた重大な機密―――“黄昏の姫巫女”の事を思い出しながらそう思う。

 

「ガンドルフィーニ先生…? 何か気に成る事でもありましたか?」

 

 気付くと件の白い少女に声を掛けられていた。小首を傾げて怪訝そうな表情で。

 考えに集中してずっと黙ったままだった為か、どうも不審に思われたらしい。

 

「…いや、少し圧倒されただけだ。門外漢とはいえ、この魔法陣の凄さは判るからね」

「もう何度も見ているのに…ですか?」

「ああ。何度見ても慣れる事なんて無いよ。これ程までに高度な術式は」

「………そうですか」

 

 ガンドルフィーニの返事にイリヤはまだ不審そうだったが、納得するように首肯した。

 

「………………」

 

 その彼女…イリヤを、幼げな白い少女の姿を見て―――酷だな、と。子供にしか見えない、その小さな身体からは想像も付かない不相応なものを背負っている事に対して唐突に哀れみを覚えた。

 色々と驚嘆させられ、ともすれば大人の自分が尊敬を抱いてしまう程の強い在り方を窺わせる少女だが、それでも…と。

 世の為、人の為ならんとする“偉大なる魔法使い”たる流儀を信じ、硬く正義を求める彼は……そう願い。思わざるを得なかった。

 

 ―――彼女が歩く道の先、行き着く先に幸福に笑える未来があって欲しい。

 

 と。

 どうしてか、そう強く祈るように思った。

 恐らくは彼女の真実の一端に触れる事と成った信頼する同僚達も何処かそう感じているのではないか? とも感じて。

 

 




一部教師陣にイリヤの秘密を暴露。そして超相手に積極的な動きを見せるイリヤ。


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第31話―――布石 Ⅱ

読者の皆様、誤字報告ありがとうございます。自分は本当に多いので非常に助かってます。
特にイルイル様、アシマ様、多くの報告感謝いたします。


 

 ガンドルフィーニの返事に納得したように頷いたイリヤだったが、彼が自分に抱く複雑な内心にはある程度察しが付いていた。

 魔術なるこの世界の魔法とは系統が異なる神秘の存在。聖杯戦争という愚かしい儀式の事。英霊と呼ばれる霊長最強の力を持つ存在。

 SFめいた並行世界の事を隠したとはいえ、それでもそれらの事柄は信じ難いものだった筈だ。

 しかし、現実として黒化英霊というモノが京都の事件と先の襲撃事件で現われ。英霊の力を宿した自分の戦いぶりを見。今もこうして破格の神秘を見せ付けられて、信じざるを得ないのだ。

 だが、それらを明かしてそれほど時間を経ているとは言い難く。まだ色々と思い、悩み、動揺する気持ちが抜けないのだろう。

 

(学園長やコノカのお蔭だけでなく。多分、そういった所も私の意見が通り易くなった要因なんでしょうね)

 

 訳の分からない儀式を行った一族の人間で、得体の知れない高度な技術を持ち、英霊の強大な力を扱える自分にどう接すれば良いのか、無碍にするのは拙いといったような恐怖や畏怖を感じている為。

 そしてそれを覚えるガンドルフィーニを始めとした麻帆良の幹部クラス達の持つ雰囲気や態度が、他の職員に敏感に伝わっている為に。

 

(麻帆良で動き易くなったのは良いけど。…あんまり良い気分じゃないわね)

 

 襲撃事件で黒化英霊と対峙した神多羅木と葛葉の様子や事件の渦中でランサーの力を行使した場面を見られた事から、全て隠しておくのは不興や不信を買いかねないと考えて部分的ながらも明かしたのだが……どうも自分は隔意的な感情を買ってしまったらしい。

 イリヤはそう思った―――実際は違うのだが。

 

(まあ…良いわ。不興やら不信なんかを買うよりはずっとマシだし、一応信用はされているようだし…ね)

 

 ガンドルフィーニの向ける気遣わしげな視線に気付かなかった彼女は、取り敢えずそう前向きに考える事にした。

 

「それよりも今は……と」

 

 やるべき仕事を思い出してイリヤは魔法陣中央にある台座に近付き、浮かぶ翡翠色の光球を見詰めて台座へ軽く手を触れる。

 途端、黒曜石で出来た台座を囲うように環状の魔術式が奔り、上昇しながら球形の魔法陣と成って台座の上にある光球を包み込んだ。その直後、光球の放つ翡翠色の輝きが一瞬強まり―――

 

 ―――ピシッ…と。何か硬い物が罅割れるような音が大きく響いた。

 

 音と共に球状の魔法陣が消えて光球も消失し……代わりに台座の上にあるのは翡翠色の透明な宝石だった。ただし形は原石そのままのように整っておらず、大きさも人間の拳大の一回りぐらいと在り得ないサイズだ。

 

「…ふむ」

 

 イリヤは慎重にそれを手に取り―――質感、色、透明度、屈折率を見て出来を確かめる。

 

「問題無し…」

 

 技術的に自信はあったがやはり問題は無い。レポートで確認した物と同様、上質な“結晶”と成っている。

 

「イリヤ姉ちゃん。それは…?」

 

 背後から小太郎の声が掛かる。

 イリヤは振り返ると彼は傍に寄ってきて、彼女の肩越しに手にした翡翠色の結晶を見詰めた。

 

「…綺麗なもんやな」

 

 男らしさに妙な拘りを持ち、こういった光物に興味が無さそうな彼の意外な台詞。何処か見惚れるようなその声色にイリヤは少し同意する。

 魔法陣の放つ仄かな光に照らされる結晶は、確かに宝石のような美しい輝きを見せている。男女問わず少なからず魅了されるものがあるだろう。そしてそれが何であるか知り、価値を理解する魔術師や魔法使いであれば尚魅力的に映るだろう。小太郎は魔法に関わる人間として本能的にそれを察知したのかも知れない。

 

「これは魔力……此処の霊的スポットに溜まる世界樹の魔力と大気中の大源(マナ)を凝縮したものだよ」

 

 僅かに思考が逸れた内にさよも傍に寄って来て、イリヤに代わって小太郎の疑問に答えた。

 

「…つまり魔力が固まって形に成ったモノって事か?」

「ええ、魔力の結晶…さしずめ“マナプリズム”と言った所かしら」

「なっ…!?」

 

 答えを聞き、なお興味深げに結晶を見詰める小太郎にイリヤが頷くと、高音の驚愕の声が狭いオブジェクトの中で響いた。

 

「魔力…いえ、大気中のマナを純粋な形に……物質化したというのですか…?」

 

 続く呆然とした彼女の声。それにイリヤは首肯する。

 

「…魔力の物質化自体は現象としては普通の魔法でも起こせる事よ。火や水、雷なんかも言ってしまえば魔力が物質化した物だし、地魔法なんて特にそうね。だからそれほど驚くような事では―――」

「―――そんな訳ないでしょう! アレは魔法式と精霊の力のよる一時的な現象……ものによって半永久的な物もありますが、基本的に“魔力を対価とした起きた結果”であって、魔力という燃料を魔法式によって加工し変化・変質させた別物です。魔力そのものではありません。イリヤさん、それでは薪で起こした火を薪だと言っているようなものです!」

「そうね。だからそれほど驚くような事では無い―――と、言いたい所だけど…」

 

 抗議する高音にイリヤは意地悪そうにくすりと笑って言葉を続ける。その笑みを見た高音はイリヤにちょっとした悪戯を仕掛けられたのだと気付く。同時に大袈裟に驚く自分をそれで落ち着かせようとしたのでは……とも彼女は思った。

 事実、一度抗議の為に激昂しかけたというのに意地悪そうなイリヤの笑みの所為で、激しかけたそれが呆れたような気の抜けた感情に置き換わっていた。

 

「……こうして魔力を純粋に物質化させる事は通常では無理ね」

 

 更にそう続く白い少女の言葉に、高音は軽く嘆息して応じる。

 

「……はい。天然に取れる宝石や一部鉱石などが魔力物質などと呼ばれる事はありますが…あくまで石や金属に魔力が付随したものですし、何かしらの方向性や性質もある為に純粋とは言えません。一応これまでの研究や実験でもマナの物質化―――結晶化の成功例はありますが、その為に必要となる儀式場の規模に資材、詠唱時間、そしてその儀式を行う為の魔力。どれも途方もないほど大きく、長く、消費が伴います。しかしそれほどのコストを掛けても―――」

「―――得られる結果、イリヤが今手にしている結晶には遠く及ばない。ちょっとした砂粒程度…良くても小石ほどのものがやっとだ。つまり採算に全く見合わない…というか大赤字だな。いや、それすらも生温い有様だ」

 

 高音の言葉にエヴァが続いた。現象としては“魔術”よりも効率的・効果的という“魔法”でもその辺りの技術的難解さは余り変わりないのだ。

 

「そもそも魔力というのは大気中はもとより、万物のあらゆるものに大なり小なりとあるものだが、我々魔法使いが持つ霊的視覚はともかく、普通の眼には捉える事はできない。二十二年に一度ある世界樹の発光…その魔力の光とて先程グッドマンが言った“魔力を対価にして起きた結果”に過ぎない。視認可能な魔力などというものの正体の大体がそれだ。一見、肉眼で魔力が見えているようで実はそうではない」

「錬金術の科目でそう習いましたね…確か」

「まあ、謂わば特定の環境下や条件にて発生した化学反応を見て、見えている気になったといった所だ。観測手段としてはそれで十分なのだろうがな。ついで言えば霊的視覚というのはそういった反応や変化を捉えやすい特殊機材だと思えば良い。物理的な干渉を及ぼす魔力は見様によっては物質的なエネルギーでもあるが、やはり基本構造は霊的寄りだからな。……だが、これ以上詳しく知りたいなら錬金術を専攻する奴に訊くべきだ」

 

 エヴァの説明を聞いて愛衣が首を傾げると。少し説明するも面倒だとも思ったのか、エヴァは中途半端に切って此処に居ない誰かへと投げた。勿論、イリヤはその錬金術の専門家なのだが……意図的としてか? エヴァはイリヤの名前を出さなかった。

 

「…やったらイリヤ姉ちゃんの手にあるこれはどういう事なんや? 確かに此処に在るし、確りと普通に眼に見えとるで」

「それは―――」

「―――それは簡単な話だが……まったく少しは考えろ」

 

 次に小太郎に投げ掛けられる問い掛けにさよが答えようとするが、エヴァは呆れたような言葉と溜息に遮られる。

 イリヤはそんな彼女をまあまあ…と宥めながら、さよとエヴァに代わって説明する。

 

「普通は眼には見えない。けど魔法と言う現象が起こる以上、魔力がそこにあるのは確実。なら単純な話しよ。見えないのはそれだけ細かくて密度が薄いって事」

「……空気のようなもんって事か?」

「―――…そのような物って事ね。まあ、実際はそう単純な物じゃないし、それ以上に細かい特殊な粒子なんだけど」

 

 イリヤは小太郎の例えに何か言いたげにしたが、あながち間違いでは無いので取り敢えず首肯した。

 

「つまりそんだけ細かくて薄いもんを見えるようになるまでに集めて固めた訳やろ。なんや始めに俺が言った事やないか。ホンマに簡単な話しやん」

「……貴方にとってはそれで良いんでしょうけどね。まったく…」

 

 小太郎のあっさりとした言いように今度は高音が溜息を吐いた。

 

「分かっているのですか? その魔力……細かく密度も碌に無い特殊な粒子は一応、私達では観測も出来ますし、干渉し掴まえる事も出来ますが。しかし観測方法は兎も角、干渉し掴まえる方法はその粒子自体を大量に消費してしまい、さらには別の状態に変質させてしまいます。ですから粒子本来が持つ性質や状態のままで形に……霊的構造を維持したまま裏返して確かな物質として手にする事は、とても難しい…いえ、ほとんど不可能なのですよ!」

 

 小太郎に半ば詰め寄るようにして高音は言う。

 

「う…いや、でもだからイリヤ姉ちゃんはこうして……」

「だから驚いているのではないですか! 幾ら精緻で高度な魔法式とはいえ、こんな場所に収まる程度の魔法陣で、大した労力も設備も魔力も必要とせずにあっさりと純粋な魔力結晶を作ったのですから! それもこんな大の大人の拳ほどもある大きさで…!」

「お、お姉さま…す、少し落ち着いて」

「そ、そうですよ。高音さん…落ち着きましょう」

 

 先程、抑えられた感情は何処に行ったのか、高音は吼えるような勢いで後ずさる小太郎に詰め寄り。愛衣がそんな高音を落ち着けようと声を掛け、さよも小太郎を庇おうと彼女の前に出ようとする―――が、

 

「まあ、そこまでだ。気持ちは判るが、愛衣君と相坂さんの言う通り少し落ち着こう高音君」

 

 パンパンッと軽く拍手するように両の手の平を打ち、小太郎と高音の間にガンドルフィーニが割って入った。

 

「で、ですが、ガンドルフィーニ先生…!」

「もう一度言う。気持ちは判る。僕もこれを初めて見た時は非常に驚いたのだから。いや、僕だけじゃないそこにいる瀬流彦君達もだ」

 

 食って掛かろうとする高音から視線を外して、彼は周囲に居る瀬流彦と他、三人の同僚達に目を向ける。視線を受けた彼等は一様に首肯して同意を示す。

 

「今まで困難…不可能事とされていた事がイリヤ君。彼女の持つ技術はそれを可能とする。そう考えて納得する他ないよ。少なくとも今はね。細かい議論や検証は後々にしよう」

 

 そう、彼は生徒に優しく諭すように言うと、高音はしゅんとした様子で「はい。申し訳ありませんでした。犬上君も…」と尊敬する教師であり先達であるガンドルフィーニと後輩たる小太郎に素直に頭を下げた。

 

「…私は技術を開示する積もりは無いけどね」

「判っている。見て学べ…いや、盗めるものなら盗んでみろって事だろう」

「ええ、見て解析するだけでもある程度は、“そちら”の“今”の技術でも応用や参考に出来るものが在るでしょうし、ね」

 

 イリヤは丁寧な敬語ではなく、普段の口調でガンドルフィーニに釘を刺すように…また期待するようにも言った。

 

「……それにしても本当にこの純度でこれだけの結晶が取れるなんて。世界樹の事は聞いていたし、“錬成陣(これ)”を仕掛けた私が言うのもなんだけど。…確かこれより前に結晶化を行なったのは半日前なのよね?」

「ああ、今は……午前八時。今回は君が来る予定だったから二時間遅れになるが。前回は手順に従って昨夕十八時に結晶化を行なった」

 

 理論と技術的な事は殆ど分からないものの、魔法陣…もとい錬成陣の使用方法はイリヤから教わり、手引書も用意されている。彼を含めた協会職員はそれに従って錬成陣が設置された一昨日の晩から十二時間置きに集まった魔力の結晶化を行なっていた。

 

「たった半日程でこれか…」

 

 人の拳…ソフトボールほどの大きさを持つ高純度の結晶を改めて見詰め、イリヤは感嘆したように…呆れたようにも呟いた。

 

「そうだ。しかも学祭当日……最終日に近付くにつれて魔力の集まりは大きくなる。二十二年…いや、二十一年前のデータを参考にすると一日目、二日目は三倍。三日目の最終日はこの五倍ほどになると見られている」

「それは…また凄いわね。それはもう―――……」

 

 神代の頃に近いわね…という言葉飲み込みながらイリヤは言葉を続ける。

 

「けどそれなら一日、二日目は四時間置きに。最終日は二時間置きに結晶化を行った方が良さそうね。錬成陣に問題は起きないと思うけど、他の結界には影響が出ると思うし、結晶の回収もその方が楽でしょうし」

「同感だな。そうしよう」

 

 イリヤの言葉にガンドルフィーニは大きく頷いた。

 大き過ぎる魔力の渦はイリヤの言う通り、この一帯に張り巡らせた結界に悪影響を出し兼ねず。普通の石と殆ど重さが変わらない魔力結晶もこれ以上大きくなられてはいちいち手にするのもちょっとした苦労になるだろう。置き場所や外への運搬は空間圧縮と重量軽減を掛けた鞄なり、箱なりを使うから問題は無いのだが。

 

「あと折角の対策なのに、それが無駄になるかも知れませんしね」

「そうだな。広域への影響はそれでも抑えられるだろうが、この広場はそうなりかねんな」

 

 イリヤとガンドルフィーニの首肯を見て瀬流彦がそう言うと。その意見にまたもガンドルフィーニは頷いた。

 するとそれらやり取りを見ていた他の一同の中で愛衣がハタっとした様子で口を開いた。

 

「対策……やっぱりそれって例の“恋愛関連に置いては絶対に叶ってしまう”っていう世界樹の魔力の事ですよね?」

「は? なんやそれ…!?」

 

 愛衣は、先程までの話の内容もあるがこの場所―――魔力溜まり来た時からそれを予想していたのだろう、世界樹関係の問題の事を。だがその言葉の内容が思いもよらないものだったのか、横から小太郎が驚きと呆れが混じった声を上げた。

 そしてその件を知らなかった小太郎は説明を聞いて、さらに驚きつつも完全に呆れた表情を見せた。

 

「なんやねんそれは…一体どういう理屈や? 即物的な願いは叶わんゆうのに、事恋愛に関しては絶対…って?」

 

 神木つーのはアホなんか?とさえ小太郎は言ったが、ガンドルフィーニを始め瀬流彦や他の職員もこれと言って咎めなかった。恐らく同意する思いが少なからずあるのだろう。

 

「…まあ、そうよね」

 

 イリヤも小さく呟いて同意するも、如何なる理由でそんなおかしな方向に世界樹が…ある種の願望器ともいえる機能が歪められたのか大体察しが付いていた。

 聖杯程に無いにしろ、人の願いを叶える程の代物なのだ。即物的というよりも悪質な願いを叶えるのを阻止する為の改変であり、またこの世界に嘗てあったと思われる“温泉旅館だった某女子寮の別館”と同じく、時の権力者や有力者などの政略結婚に利用していたのだろう―――イリヤはそのように当たり付けていた。

 また近右衛門にこれを訊ねた時に彼は明言こそしなかったが、微妙な表情で気まずげに目を逸らしていた事からもほぼ正解に近いと思われる。

 

「コホン…兎も角だ。そんな心を捻じ曲げるような事は、倫理的に道徳的にも許せるものでは無いから、我々はイリヤ君に協力して貰っているんだ」

 

 ガンドルフィーニもあの時の近右衛門のように微妙な様相で気まずげにそう言った。瀬流彦もその説明に続いて口を開く。

 

「それでこの魔法陣って訳だね。そのままにして置くとこの溜まり場(スポット)から拡散してしまう世界樹の魔力をこうしてイリヤ君が敷いた魔法陣で集めて防ぎ、尚且つ有効活用しよう…って考え」

 

 そう、その為にイリヤは神代の魔術―――『キャスター』の知識を使って錬成陣を敷いた。

 告白阻止などという重要だが、馬鹿馬鹿しい問題に協会の人員が割かれてしまう事と超 鈴音の思惑……最終日に仕掛けられる彼女の計画を阻止する為に。

 無論、瀬流彦の言ったようにこれだけの魔力が集まるのをただ座視するのが勿体無かったという面もある。ただ世界樹…神木・蟠桃その物には強固な神秘性と物理的な要因もあって錬成陣を敷く事は無理だったが、それでも結界で対策はしてある。

 

「しかしそれで対処できるのであれば、似たような方法でこれまでの事も防げたのでは? 聞いた話では二十二年前…前回の発光現象の時は相当大騒ぎだったようですが? 当時は大戦という有事の問題もありましたし…」

 

 高音は当然の疑問としてそれを訪ねた。イリヤの錬成陣のように魔力の結晶化は無理でも拡散を防ぐ事は可能だったのでは?…と。

 だが、瀬流彦は頭を横に振る。

 

「無理だったらしいよ。世界樹…神木が学園都市全体に張り巡らせる根による……自然か意図的かは不明だけど、その根が構築する複雑な霊脈的繋がりの所為か、神木その物が持つ神秘性の所為か、或いはその両方があってか、そういった試みは一度も成功しなかったそうだ。僕達の使う既存の魔法と技術では神木の魔力を抑えこむ様な干渉は無理なんだ」

「他にも、集めたり抑制する事が無理なら消費してしまおうという考えもあったそうだが……神木が宿し学園全域に広がる濃密且つ膨大な魔力を消費し続けられる魔法出力をどのような方法で持って来るかが問題だったとの事だ。複数人必要であろう高位の術者達を如何に確保するかもそうだが、やはり技術的にも非常に難解だったらしい。それにそれ程の魔力を如何なる魔法(カタチ)とするのかも問題だ。あと魔力炉へ転換するのも同様に出力的な観点から無理だそうだ」

 

 瀬流彦の返答に補足するようにして、難しげな表情でガンドルフィーニもそう高音に言う。

 

「………それでイリヤさんの協力、ですか」

 

 高音は納得したように頷くも複雑な顔してイリヤの方を一瞥した。

 

「……そうだ。彼女が持つ魔法技術ならどちらの方法も可能ではないか?と。学園長が考えてね」

 

 高音の心境を察してガンドルフィーニもまた複雑な様相で告げた。不可能を可能とする奇跡的な御業を有する白い少女へ向ける心情に共感して。

 尤もガンドルフィーニはイリヤの事情をある程度知る為、高音ほど不可解さ、異質さを抱いていない……その代わり、より複雑で且つ深刻な悩みと思いがあるのだが。

 

 

 

 イリヤはその二人の雰囲気を感じて肩を竦めたい気分を覚えた。

 

(気持ちは判らなくもないけど、ね)

 

 彼等の心情を大袈裟だと呆れて溜息を吐きたい所だが、神代の魔術なんてモノを持って来た以上、無理はないとも思った。

 千年の歴史を誇り、永く研鑽を続けてきたアインツベルンの最高傑作にして集大成たる自分でも理解し切れない理論と神秘の塊なのだ。ただ『キャスター』を夢幻召喚(インストール)した影響もあってか、理論は完全に理解出来なくとも技術的な再現はほぼ完璧に行えるのだが。

 

(そう、夢幻召喚をしていない今の状態でも…)

 

 『キャスター』を夢幻召喚している状態なら理論すらも完全な状態だが、それを解除した時はそういった知識の多くが霞掛かったかのようにおぼろげになる。

 ただそれでも、先にもいったように感覚的に……技術的側面からは彼女―――王女メディアの魔術を扱うことは可能だ。小聖杯としての特異な機能があるお陰か、それとも自分以外の凡百の魔術師やこの世界の魔法使いであろうと同様なのかは判らない。少なからず魔術回路や起源特性と属性に左右されるとは考えられる。

 しかし夢幻召喚時には王女メディアが持つ魔術回路も外付けのハードディスクのように接続される感覚があるので正確な事は何とも言えない。解除した後もそこからコピペ形式のように知識・技能が己が脳や精神、魔術回路にある程度写っている可能性も否定できないのだ。

 さよという信頼出来る弟子もいるので、彼女を使って色々と確かめたいという思いもあるのだが……躊躇う気持ちの方が大きい。

 

(後々の事を考えると、やっぱり識って置いた方が良いとは思うのだけど……迂闊に伝えて良いものでは無いでしょうし。それになりたての見習いだし)

 

 内心でそう呟く。それを考えるのはもう何度目か、これもまたイリヤの抱える大きな悩みの一つだ。答えとしてはさよの成長をもう少し待つ。見守ってからと決めてはいるのだが―――今後の事を考えると焦燥が出てしまう為にどうも迷いがあった。

 また『ランサー』にも同様の事が起きている。“影の国”を守り統べる女王から数多の武術と魔術―――原初のルーンを学んだ彼の知識もまたイリヤの頭の中に刻まれていた。

 

「…………」

 

 聖杯という道具として生まれ、聖杯戦争という一大儀式の為に調整された“器物(モノ)”とはいえ、仮にもイリヤは魔術師だ。だからそのような神秘の深奥を識れるのは本来なら喜ぶべき事の筈だ。

 自分にとって大きな力となり、ネギ達の助けにも成る。けど―――

 

(―――不安にもなる。英霊の力を行使して置きながら今更だし、覚悟も決めているけど。それでも大き過ぎる力を持つというのは……とても、そうとても…)

 

 …怖いもの。

 

 そう強く不安に感じる。

 ただ、そのように感じられる内はきっと大丈夫なのだろうとも思う。慢心せずに慎重で居られ、過信せずに自分を戒められ、誤った事には使うことは無いだろうと。

 

 

 ◇

 

 

 愛衣は高音とガンドルフィーニと、そしてイリヤ自身が纏った隔意的な雰囲気を感じて胸中にもやっとした嫌な感覚が沸き立つのを覚えた。

 勿論、愛衣も分かっている。イリヤが持つ異質さは。

 けれど、彼女はそんな色眼鏡をしてイリヤを見るのが嫌だった。

 自分では及びもつかない力と知識を持っているとはいえ、それでもイリヤを信じているからだ。

 

(うん…友達と言ってもそんな深い付き合いがある訳じゃない。学園を案内した事もあったけど、学校の休み時間や電話で時折会話し、メールなんかで軽くやり取りをするぐらいの関係だ。でも―――)

 

 ――――とても良い子なんだって私は知っている。

 

(あの模擬戦の後で私達を気に掛けてくれた事もそうだけど。この前の事件でもお姉様を見捨てようとはしなかった)

 

 愛衣は確かにあの時、それを聞いた。

 敬愛する姉貴分が無謀を試みて、その所為でイリヤは危機に瀕して串刺しにされたというのに…「逃げて」と動かない高音に懸命に呼び掛けたのを。

 だから愛衣はイリヤを優しい良い子なんだと心から思えて、そんな子を助ける為に恐怖で震えそうになる身体を堪えて、無理を言って神多羅木に同行をした。

 

(それに…そう)

 

 事件の後に愛衣は知った。

 事件当初で目撃したあの戦闘は、確かにイリヤは不利であったが決定な勝敗はまだ着いておらず、逆転の眼が合ったというのを。そして無謀を行なった高音を庇わずに見捨てていればそれが成せた可能性が高く。もっと楽に事件が片付いたというのを。

 しかしイリヤは庇い見捨てなかった。

 庇った結果、敗北した敵の手に落ち。麻帆良から連れ去られるかも知れないというのに―――それが判っていたのにイリヤは見捨てなかった。

 

(自分の事よりもお姉様を守る事を取って、気に掛けてくれたイリヤちゃん。だから私はそんなイリヤちゃんを信じたい。……ううん、信じる!)

 

 あんな風に誰かを…友達を守って気に掛けてくれた人を疑うなんて真似はしたくない―――愛衣はそう思うのだ。

 

 だが、それは世の中を知らない子供で居られるからこそ、清濁を併せ呑む大人の考えをまだ知らないからこそ、持てるモノなのだろう。

 十四歳に成るか成らないかの少女が持つ純真さ。或いは潔癖さ。そんなとても綺麗で真っ白な心の在り方。

 もしイリヤやガンドルフィーニなどの大人が知れば、思わず目を逸らし己を恥じ入ってしまうような眩しい心根。もしくは歪んだ大人であれば、馬鹿にして嘲笑するであろう幼い無垢な情動。

 だがそれは、何時までもそうではいられない事が判っていながらも、そうでありたいと願い思う。清く正しく優しいという、ヒトが本来在るべき…或いは目指すべき姿なのかも知れない。

 

 そんな少女らしい素直さを持つ愛衣は、尊敬する教師と姉貴分と信頼する友人であるイリヤの三人が纏う雰囲気を祓うように明るい口調で話し掛けた。

 

「本当凄いねイリヤちゃんは。先生やお姉様もそう思いますよね?」

 

 そう、なるべく無邪気に装って。

 

「ん? まあ…」

「え、ええ…」

 

 唐突な愛衣の明るい声に不意を突かれたのか、ガンドルフィーニと高音の二人は若干戸惑った様子を見せる。そこに瀬流彦が愛衣の言葉に首肯して続いた。

 

「うん、うん。まったく同感だよ。さっきも言ったけど流石だよね。正直、一族の秘儀じゃなければ教えを乞いたいくらいだ。まあ、イリヤ君のような子供に大人の僕が師事するなんてシュールな光景なのかも知れないけどさ」

 

 その声色は、若者らしいハキハキとした口調で先の愛衣のような無邪気があり、イリヤに対する真っ直ぐな尊敬と信頼が感じられた。そこに疑惑や隔意は全くない。

 それを確かに覚えて愛衣は少し驚いた。若手とはいえ、やり手の魔法職員である瀬流彦がイリヤに負に近い感情を一切向けない事にだ。

 しかし同時に彼らしいとも思った。自分の通う女子校の教諭という事もあって、話す機会の多いからその為人は大体知っている積もりだ。

 学園でも有名な鬼の新田と呼ばれる厳しい教師とは正反対で、生徒が悪さをしても怒らずに優しく許してしまう教師なのだ。勿論、注意はするし、余程悪質であったり、繰り返したりすれば罰を受けさせられる……という話だが、愛衣は彼が怒った所を見た事は無かった。

 そんな温和な性格でどこか包容力のある彼の事だから、異質で疑わしい部分も含めて割り切って受け入れているのかも知れない。それはそれ、これはこれといった感じで。

 

「……瀬流彦先生」

「うん?」

「あ、いえ。なんでもありません」

 

 瀬流彦がイリヤに向ける確かな信頼に、同様に信頼している愛衣は少し感極まって彼を思わず見詰めてしまったが、訝しげな顔をされたので誤魔化した。

 

「はぁ…やれやれ」

「ふう…そうですね」

 

 愛衣以上に邪気のない声を聞き、毒気を抜かれたような顔を見せて、何やら納得した様子のガンドルフィーニと高音。

 二人にしても多少疑惑を持ったり、複雑な心情を抱いたりしても、イリヤを信頼しているのも確かなのだ。変に疑問を抱いてそれに囚われても仕方が無いと考えを改めたり、思い直したのだろう―――そう、余りにも邪気の無い瀬流彦の様子に呆れながらも自省しているようだった。

 

(良かった)

 

 愛衣は二人の隔意的な雰囲気が消えて密かに安堵の息を吐いた。そしてイリヤの方を見ると彼女も何だか困ったように苦笑して瀬流彦を見ていた。

 瀬流彦の―――若い青年が向ける邪気の無い感情と尊敬というか憧れるような目に、こそばゆいものを感じているのかも知れない。それにも愛衣は安堵する。

 ただ、

 

(何だか良い所を持って行かれたような気も…?)

 

 そう、瀬流彦の言動のお蔭といった感じな為、そんな不満めいた感情が残ってしまったが。

 

 



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第32話―――見習い少女達の弟子入り…?

 

イリヤは黒曜石の台座を即席の作業台として、投影した金槌で軽く叩いてマナプリズムを砕く。

 

「サヨ、瓶を」

「はい。これですね」

「ん」

 

 イリヤは無色透明な瓶…というか試験管のようなものをさよから受け取る。そして封を開けると砕いた結晶の欠片の一つを入れた。指先ほどの欠片は瓶の中にある液体―――瓶と同様、無色透明で真水のように見えるそれに浸る。

 

「――――」

 

 イリヤは欠片が液体に浸ったのを確認すると、小さく呪文を唱えた。直後、瓶に薄紫色の光が淡く灯り…欠片は溶けて行き、瓶を満たす液体が赤色へと変わった。

 

「うん、できたー」

 

 調合の成功にイリヤは満足げな声を上げる。錬金術師的に。

 それらの作業を脇で見ていたエヴァがほう…と唸る。

 

「…魔法薬(ポーション)か。これがさっき言っていた有効活用の事だな」

「ええ、活用方法の一つね。魔力(エネルギー)資源として見るだけじゃなく、色々と使わないと勿体ないし」

 

 エヴァの問いにイリヤは肯定しつつ瓶に蓋をし、またもや短く呪文を唱えて瓶と蓋を溶接する…と言っても密閉するだけのもので、蓋を少し強めに捻るだけで綺麗に剥がれる軽い程度ものだが。

 

「これで良し…と」

「ふむ…瓶と蓋の素材は…水晶か。魔力の気化を抑えて封じ込める為だな」

「ええ、普通の硝子じゃあこれ程の魔力は留めて置けないから。経年劣化を考えるとエメラルドを使うのが一番なんだけど…」

「…それだと瓶だけで相当値が張る事になるな。使うのは天然ものの石なんだろう? 勿体無さ過ぎる。それに保存を考えるなら何もこの瓶だけに頼る必要はあるまい。専用の収納庫を用意すれば良いだろう」

「まあ…そうね」

 

 イリヤはエヴァの指摘に同意すると。続けて先と同じ要領で10本ほどポーションを作る。その内、4本をさよに渡し。

 

「ガンドルフィーニ先生」

「ああ」

 

 ガンドルフィーニを呼ぶと残りの6本を彼に渡した。

 

「一昨日にも説明したけど、今回は基本的な回復薬として作ったわ」

「……基本というには、魔力の結晶なんてトンデモナイものを使っているがな。溶かし込んだ液体だって“君が作った”霊薬だろ」

「そう言わないで。それでも一応ポーションとしては疲労回復、傷の治癒といったよくある効能の代物なんだから。…まあ、確かにこれほどの結晶を使っている以上、効能は劇的だろうし副次的に魔力回復も見込めるけど…」

 

 ガンドルフィーニの言いようにイリヤは苦笑するも尤もだという様相を見せた。

 霊薬もまた『キャスター』の知識を元に起こしたレシピで作った物で、その効果は四肢などの肉体の欠損以外はあらゆる怪我を治癒し、ある程度の不浄…毒なども癒せる。おまけに魔力結晶のお陰で副次的に魔力回復も出来、ネギクラスの魔法使いでも枯渇状態から全回復した上で余る程のものだ。某大作RPG風に言えばエリ○サーのようなものだろう。

 また余談ではあるが魔力回復に関しては、この世界の魔法薬では肉体の魔力循環を活性させて回復を早めるのが精々にすぎず即効性は殆どない。

 魔力というものを物体に純粋にそのまま留めて置くのは、それほど難しい事なのだ。

 勿論、この世界でも遠坂が得意としていた“宝石魔術”と同様、天然の宝石に魔力を移す魔法(ぎじゅつ)はあるのだが、宝石に則した属性に変質してしまう上、余程の物でも限り最上位呪文の1、2回分の容量(キャパ)しかない。故に回復魔法を籠めた『魔石』を作ったとしても、高純度の魔力結晶を使ったイリヤ謹製のポーションに及ぶ事は決して無い。イリヤしかまともな結晶化技術を持たない以上、希少度はこちらの方が上なのだからそれも当然と言えるかも知れないが…。

 

「…まあ、仕方が無いな」

 

 先程の瀬流彦の事もあってガンドルフィーニは悩んでも意味が無いと、割り切った様だった。

 そんな肩を竦めたそうなガンドルフィーニにイリヤは注意するように言う。

 

「取り敢えずそっちでも実験できるように渡したけど、いきなり人で試さないように。判っているとは思うけど」

「勿論だ。そんな無謀な事はしない。慎重にマウス実験から始める積もりだ」

 

 イリヤの言葉にガンドルフィーニは真剣に頷く。

 そう、便利そうに思えるものであろうと、薬である以上その扱いには気を使わなければならない。況してや見るからに濃厚な魔力を秘めていると判るような代物だ。回復薬などと銘打っているが、人体に悪影響を及ぼす劇物の可能性もあるのだ。

 それに他にも気を使うことがあるかも知れない。それも確りと調べなければ……と彼は考える。

 

「そう。それじゃあ、レポートの方も宜しく。こっちの実験結果も問題が無さそうなものは提出するから」

「了解した。何にしろ君の判断は重要だからな。こちらの検証データは余す事無く伝える積もりだ。…少し不平等にも思えるがその方が良いだろうしな」

 

 ガンドルフィーニは仕方無さそうな言葉も口にするが、遺恨のない表情と口調で素直に応じる事を示す。

 イリヤはそれに頷くと、次にさよとエヴァと共に錬成陣に問題が無いか再度チェックする。

 

「どうですイリヤさん。私からは何も問題無いように思いますけど…?」

「ええ、私も問題無いように見えるわ。エヴァさん…そっちの方はどう?」

「ふむ。この錬成陣の術式や構成は初めて見るものだから正直、断言はしかねるが……恐らく問題無いだろう。此処の魔力溜まりへの干渉及び接続は確りしている。神木との方もな。これといったおかしな乱れ(ノイズ)は見られない」

「そう。サヨが見て、エヴァさんもそう言うなら大丈夫ね」

 

 頼りにしている弟子(さよ)妹分(エヴァ)の言葉にイリヤは安堵するように言う。自信はあるし、それなりに実験していたとはいえ、初めての試みでもあるので不安は在るのだ。

 

「だが、一応今後もイリヤ自身が定期的にチェックする必要はあるだろう。幾ら手引書があり、優秀な魔法使いが揃っている麻帆良とはいえ、やはりイリヤしか根本的な事は理解出来ていないからな」

 

 その不安を見透かしたかのようにエヴァが言う。

 

「そうね。瀬流彦先生もかなり優秀みたいだけど、理解できない部分が多い以上、何か問題があっても気付かない可能性があるし…」

 

 エヴァの言葉にイリヤは同意した。当分、忙しい日々が続きそうだとも思いながら。

 

 

 ◇

 

 

「―――それではこれで。私達は他の所を回ってきます」

「ああ、ご苦労だった」

「そちらこそ、お疲れ様でした」

 

 魔術師からの意識(スイッチ)が切り替わった為か。イリヤは再び敬語でガンドルフィーニに別れの挨拶をして広場を後にしようとする。…が、ガンドルフィーニは思い出したようにその背に。いや、その隣の人物に声を投げ掛けた。

 

「と―――エヴァンジェリン、ちょっといいか?」

「む」

 

 突然声を掛けられた為か、それとも別の要因によるものか、エヴァは如何にも不機嫌ですといった表情で振り向く。

 そんなエヴァの様相を見、ガンドルフィーニは緊張するも……彼女に手招きする。

 

「……なんだ」

「すまない。少し確認したい事があってな」

 

 不機嫌ながらも自分の傍に来たエヴァに軽く頭を下げてからガンドルフィーニは尋ねる。その際、自分の傍に寄りつつイリヤ達へ背を向けるようにした為、エヴァは不機嫌そうな表情の上に訝しげなものも張り付ける。

 

「気を悪くしないで聞いて欲しい……と言っても無理かも知れんが―――超 鈴音の事だ」

「…、そのことか」

 

 エヴァは思い当たる節がある為に小さく舌打ちした。

 

「確かに私は茶々丸開発の件で奴に協力していたが……―――それだけだ。元々ギブ&テイク。イーブンな関係だ。茶々丸その物を対価に技術提供をしただけで、それ以上でも以下でも無い」

「…そこは此方も判っている。その件のみならず、他の技術開発や研究に協会も幾分か情報や技術を彼女に提供しているからな。別に貴女を疑っている訳では無い。…少なくとも私や明石教授達は。イリヤ君も弁護しているしな。だが―――問題はその茶々丸だ」

 

 ガンドルフィーニの懸念はそれだ。開発者たる生みの親……超に恐らく茶々丸は逆らえない。原作知識を持つイリヤが忠告するまでも無く、要注意人物である件の天才少女が学祭の裏でこそこそと動き、何かを目論んでいるらしい事は既に掴んでいるのだ。

 エヴァは彼の抱く懸念を理解して真面目に頷いた。表情にも不機嫌さが消える。

 

「成程……なら安心してくれ。それもあって今日はアイツを連れて来なかった。仮にも私は協会職員だ。従者であろうと安易に情報を漏らす気はない。だが逆に言えば、アイツもそうだろう。親の恩義に反する事はしまい」

「そうか。それなら良いが…いや、貴女から茶々丸を通じて超 鈴音の情報を得られないのは残念だが……しかし、従者とその様な関係で貴女自身はそれで良いのか? 場合によっては―――」

 

 真面目に答えたエヴァの言葉が本気だと感じたのだろう。ガンドルフィーニは納得するも…それでもエヴァの心境を鑑みて、もう一度確認するように尋ねるが―――

 

「―――ああ。構わん」

 

 エヴァは即答した。

 一瞬の迷いも無い返答にガンドルフィーニは戸惑ったものの、短いその言葉に感じるものを覚えてそれ以上は追及せずに、

 

「判った。余計な事を聞いたようだ。……それではな。手間を取らせて悪かった。続けてイリヤ君の補佐を頼む」

 

 そう告げ、「当然だ。言われなくともイリヤを助けるさ」と答えて腰まで届く長い金の髪を靡かせて立ち去るエヴァの背中を見送った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ガンドルフィーニ先生は何の用だったの?」

「当たり前のこと言っただけだ。イリヤの補佐を頼む…とな」

「…そう?」

「ああ」

 

 イリヤが尋ね、首を傾げるもエヴァは短く首肯するだけだった。

 

 

 

 その後、イリヤ達は残りの魔力溜まりを時計回りに順に見回り、正午を半ば過ぎる頃には最後の箇所である世界樹前広場を訪れていた。

 

「こんにちは、イリヤ君」

 

 そこでそう挨拶して来る明石とイリヤ達は会った。そしてイリヤ達も挨拶を返すと、

 

「お昼は済ませたかい? もしまだだったら一緒にどうかな?」

 

 そう、仕事前に食事を取る事を提案された。

 

 

 

 世界樹が見える高台の一角にレジャーシートを敷き、その上にイリヤとさよは持参してきた弁当を広げていた。

 そのテキパキと動く二人の様子を見て、

 

「うーん、皆にご馳走する積もりだったんだけど……この広場の前にある店は評判が良いし」

 

 逆にご馳走される事になるとは、なんだか悪いね、と。決まり悪げに明石は指で頬を掻きながらシートへ上がり、イリヤの隣に座ろうとする。

 

「…!―――まったくだな。教師たる者が女子生徒に声掛けて馳走になろうとは」

 

 イリヤの隣に席を着こうとする明石にエヴァは嫌味を言いながらそこに割って入る。その視線は冷たくも「何を勝手にお姉ちゃん(イリヤ)の隣に座ろうとするか、この中年親父は…! 先程の声の掛け方もそうだが、良い歳してナンパの積もりか…一度死ぬかゴラァッ!」と熱く威嚇している様であった。

 そんな謂われなき誹謗が込められた視線を受けて明石は「う、おぉ…」と顔を引き攣らせて青くする。彼の恐怖の代名詞たる“闇の福音”からガン付けられているのだ。当然と言えよう。

 

「まあまあ、エヴァさん。明石教授だって悪気がある訳じゃないんだから」

 

 剣呑な雰囲気を発するエヴァをイリヤが宥める。

 

「ふん、どうだか。イリヤを含めてこんな見栄えの良い女子達に囲まれているんだ。内心でどんな事を考えているか知れたものでは無い」

「は、はは…」

 

 イリヤに気安く声を掛けた―――エヴァ視点的にはナンパの真似事をした―――事が余程気に喰わないのか、容赦の無い言葉をぶつけられて明石は苦笑するしかなかった。

 実際、イリヤ、エヴァと妖精とも言える可憐な見た目の少女達に。さよ、愛衣といった可愛らしい顔立ちの美少女に加え、欧風の顔立ちから実年齢より幾分年上な容姿端麗且つスタイル抜群な美女にも見える高音といった五人の女子に囲まれているのだ。

 一応、小太郎も居るとはいえ、一体周りからどのように見えているか……考えると少し恐ろしくなってくる。世間的にも、社会的にも、教師的にも。

 

(いやいやいや、大丈夫だ。仲の良い生徒達とのコミュニケーションの一環と考えればそれほどおかしい事じゃない。瀬流彦君だって良く女子生徒達に昼食に誘われているんだし…)

 

 そう己を弁護するが、瀬流彦の場合は顔立ちも美形と中々に整っており、人の良い性格が外見からも滲み出ているのでそういった如何わしい雰囲気を抱き難いのだ。それに彼には何よりも“若さ”がある。

 明石も勿論人格者であるし、優しげな風貌で年齢の割には若くも見えるが……時折、娘が嘆くように中年男性特有のくたびれ感というか、悲哀というか、哀愁というか、年齢相応の気苦労も多い所為か、そういった雰囲気が拭えない。

 結果、明石は周囲の人々からチラチラと胡乱な視線を向けられていた。中には明石を見知っている者もいるだろうが、広い学園内の事…全てという訳には行かない。或いは知っているからこそ、こんな休日に女生徒を囲っている事を訝しげに思う者もいるだろう。

 

「はは…は」

 

 明石は何となく背筋に寒いものを覚える。今になって色んな意味でこの状況の拙さに気付いたのだ。だが、そんな明石の様子に気付かずにイリヤは尚もエヴァを宥める。

 

「教授がそんな事を考える訳無いでしょう。流石に少し失礼じゃないかしら?」

「そうです。教授は麻帆良の教師や…協会職員の中……でも特に優れた立派な人格者なのですから」

 

 一部の言葉を潜めて高音もイリヤの弁護に加わる。その隣に座った愛衣も同意してコクコクと頷いている。

 

「む…まあ、確かに言い過ぎたか。悪かった」

 

 イリヤに続いて見習いの二人にまで責めるような目を向けられて頭が冷えたのか、エヴァは明石に軽く謝る。しかし当の本人は、

 

「いや、エヴァジェリンの言葉もあながち間違いってないような気がするし……ご馳走になる身としては…ね」

 

 現状の気まずさの余りか、力無い声で明石はそう答えた。

 

 

 

「多めに作ったからたくさん食べてね」

 

 そう言ってイリヤが3つある弁当の蓋を開ける。

 

「お、サンドイッチか」

 

 中身を見てそう言ったのは気を取り直した明石だった。

 その通り、開けられた弁当の中で並ぶのは食パンに様々な具材を挟んだサンドイッチだった。

 

「タマゴにカツ、ツナ、野菜、ポテト…定番が揃っているな」

「分厚いベーコンとチーズを組み合わせたのもあるで。肉類が充実しとるのはええ事や」

「あ、小豆とクリームが挟まったのもある。私これ結構好きなんですよ」

「私もです。…普通に果物と組み合わせたデザートの類も抜かりなくありますね」

 

 エヴァ、小太郎、高音、愛衣が弁当の中身を見て思い思いに言う。

 

「今回は変わった物はなるべく避けた積もりよ。タカネとメイの好みが判らなかったから。…エヴァさんとアカシ教授が加わったのは予想外だったけど、何か不味いものはあるかしら?」

「大丈夫だ」

「僕もだ」

「ええ、私達もこれといって嫌いな物はありません」

「うん」

「早よ食べようや」

 

 イリヤの言葉にエヴァと明石、高音と愛衣が首肯し。我慢出来ないのか小太郎が逸り、それら見てイリヤは頷き、

 

「そう。なら―――召し上がれ」

 

 笑顔で皆に告げ、いただきます!…という声が彼女達の間に響いた。

 

「…美味しいですね」

「ええ、広場の前にある店にも負けていませんね。先程、教授が仰ったようにあそこは評判の店ですのに…」

「これ、イリヤ君が作ったのかい?」

「まあ、一応ね。半分はウチのメイドが手掛けてるから全てじゃないけど。…ホントは自分で全部作りたかったんだけどね」

「それは無理な話だな。アイツらにとって仕えるべき主人にそのような事をされるのは、苦痛に近いものが在るだろうからな」

「そうなんですよ。それでウルズラさんと何時も揉めて大変なんですよね」

「何時も…?」

「せやな。それでメシの時間がずれるのはちょい勘弁して欲しい所やな」

「サ、サヨ…!? コタロウ…!? その事は…!」

 

 イリヤの言葉を受けて合掌し弁当を頂く一同は、そうして談笑に興じる。

 

「良いじゃないですか。そんな恥ずかしがるような事じゃないんですし」

「そうやでイリヤ姉ちゃんは十分上手やし、自慢してもええくらいや。昨今の女子の中には真面に料理できん奴が多いっていうしな」

「そ、そうかも知れないけど……」

「ん。なんだ? どういう事だ?」

 

 無邪気に言うさよと絶賛する小太郎にイリヤは言葉に詰まり、エヴァが訝しむ。

 

「実はですね。イリヤさんはこう見えて料理が趣味みたいなんですよ。それでほぼ毎日私達の夕食を用意しているんです」

「そうなのですか!?」

「わっ! ちょっと意外…」

「へえ、確かに少し意外だけど、女の子らしくて良いじゃないか」

「…教授の言いようは偏見っぽい気がするけど、…まあ、自分でも意外だと思わなくもないし、褒められたと思っておくわ」

 

 さよの暴露に高音と愛衣は驚き、明石はうんうんと頷きながら微笑ましそうにする。それにイリヤは何とも言い難い表情を見せる。自分で言ったようにらしくないと感じている為、三人の反応を否定できないのだ。

 エヴァも三人に同感なのか、珍しげにイリヤを見る。

 

「料理か…」

「ええ、正直あまり趣味っていう感覚は無いのだけど、貴女の所でお世話になっていた時、茶々丸に教わっていたし、それなりに頑張っていたから無駄にするのも嫌だったしね。それに―――……楽しいのかなって思って」

 

 そう言ったイリヤの脳裏には、厨房…と言うには小さい一軒家の台所に向かって包丁やらフライパンやらの調理道具を振るう赤毛の少年の背中が浮かんでいた。

 本人は仕方なく…と言うが、やはり楽しそうに料理するその姿は―――まだほんの二ヶ月程前の事なのに、それがとても懐かしく遠い昔の光景(できごと)のように思えた。

 

「…イリヤ」

 

 その懐かしいものを見るような目を見て、エヴァは何と声を掛ければ良いか分からなかった。ただそんな目をして欲しくないと、その目が堪らなく嫌だとは思った。

 今、此処では無い何時かを。自分の知らない場所を見詰めてそこへ行きたそうな…自分の姿が無い所へ居場所を求めているような仕草が嫌で―――とても怖く感じた。

 しかしそれが我が侭だというのもエヴァは判っている。誰だって過去を懐かしく思い、故郷や嘗ての居場所へ戻りたいと思う事はあるだろう。

 特に自らの意志に関係無く、この世界に迷い込んだイリヤは……きっと―――。

 

「エヴァさん…?」

「あ、いや…これは…!?」

 

 ―――気付くとエヴァはイリヤの手を取って握り締めていた。途端、慌てて離そうとしたが……。

 

「……ゴメン、イリヤ…」

 

 離す事が出来ず、イリヤにしか聞こえない程度に小さくそう呟くのが精一杯だった。

 

「…まったく、本当にしょうがない子ね」

 

 小さくやはり自分にしか聞こえない声で呟くイリヤの声がエヴァの耳には入った。

 

 

 

 どうもエヴァにおかしな心配を掛けたらしい、とイリヤは思った。

 過去を思い返してもそこへ帰る事など出来ないというのに。またそれを覚悟して“(とびら)”を閉じたというのに……エヴァは自分が彼女の傍を離れて行ってしまうと感じたようだ。

 杞憂としか言えない…想像でしかない事だが、エヴァにとってはどうしても拭え切れない現実的な不安なのだろう。

 長い孤独を経験し独りだった辛さを、忌み嫌われて誰にも心の内を打ち明かせず己を理解されない痛みを―――それらを強く知っているから、例え僅かでも“そうなるかも知れない”というネガティブな可能性が怖いのだ。

 

 長い孤独から解き放ってくれた理解者。心から信じられるイリヤスフィールという大切な少女(ひと)が、今にも自分を置いて消えるかも知れない…と。

 

 そこまで想ってくれるなんて正直大袈裟ではないかとも、自意識過剰だとも思わなくはないが―――そうなのだろうとイリヤは考える。だから言う。

 

「大丈夫よ。私は此処にいるから。エヴァに黙って何処かへ行こうなんて思わないから」

 

 自分もまた信頼し妹のように思う少女(エヴァンジェリン)の不安を拭い、安心させる為に手を握り返しながら彼女の耳元でそう優しく囁いた。

 エヴァはその言葉に一瞬目を見開くも……黙って頷き、イリヤの手を離す。

 そして、突然の奇妙な雰囲気に首を傾げていた高音と愛衣とさよと小太郎にイリヤと共に何でもないと言って誤魔化した。

 

 

 

 

 明石はそんな二人の様子を間近で見て、

 

(……変わったものだ)

 

 そう内心で呟いていた。

 どちらが…とは言わない。エヴァとイリヤの両方だ。

 

 エヴァは、触れれば切れてしまいそうな鋭利で威圧的な雰囲気が消えて何処か丸みを帯びて。

 イリヤは、より大人に…以前以上に凛とした雰囲気を纏い、身体に確りとした芯が通った気配を持つようになった。

 

(けれど…)

 

 エヴァに関しては良い。あの恐るべき闇の福音たる彼女が、彼の英雄が望んだように光の当たる世界で生きようとしているという事なのだから。

 しかしイリヤに関しては……。

 

(初めて会った時から確りした子で。非常に大人びた少女であったが、何処かフラフラとした自己が定まっていない雰囲気があった)

 

 それ自体は無理も無いだろう。何しろ記憶を失っており、自分が何者か判らず正体があやふやだったのだ。

 

(だから記憶を取り戻した事は喜ぶべき事の筈……だ)

 

 記憶が戻り、己が何者か悟り、成すべき事が見つかり、目標が定まった。

 明石も記憶が戻った事を始めは喜んでいた……。

 

(それで凛とし、言動や振る舞いに芯が通ったと言えば確かに聞こえは良いんだけど…)

 

 しかし、それは張り詰めたというべきかも知れない。まるでパンパンに空気が詰まった風船のように、今にも破裂しそうな何処か余裕の無い危うい感じがある。

 事実、記憶が戻る前に比べてイリヤは明るく笑う事が減ったように思う。それほど頻繁に顔を合わせている訳ではないがそう見える。これも無邪気さが消え、より大人びたとも言えるが。

 

(…実は18歳だというから、それも納得して良いのかも知れないが……)

 

 つい最近明らかに成った事やその幼い外見の所為で忘れそうになるが、その事実を思い出しながら明石は胸中で呟く。

 

(でも、だからといってそんな大人として振る舞う姿だけが、イリヤ君の本当の姿では無い筈だ、多分…)

 

 確かに彼女の大人びた振る舞いはらしくあるし、様にはなっている。けれど外見相応に子供のように無邪気に笑い、振る舞っている方がイリヤの在るべき姿では?…とも思えるのだ。

 

(大体、今日日の女子高生や女子大生だってそんなに固くなる事なんて無い)

 

 社会に出る間際という事もあって、ある意味では遊び盛りとも言える年頃なのだ。大学で教鞭を取ってそんな学生達を相手にしている事や、明石自身も若い頃に覚えがあるから尚思ってしまう。

 

(けど、記憶を取り戻し、魔術師として研究に勤しみ。協会員として僕達に協力し共に仕事をするようになったイリヤ君には、本来持っているであろう無邪気さも今時の若者達が持つ雰囲気すらほぼ無い)

 

 それが明石にはどうしようもなく気に成るのだ。何しろこんな雰囲気を持っている人物をもう一人身近で知っている為に余計に…。

 尤もその彼はイリヤのように幼いとか、少女…いや、少年だとは言えない年齢なのだが。

 

(そう、どこか彼に―――タカミチ君に似ているのだ)

 

 かつて共に戦った仲間と尊敬する師を失い、残された事に罪悪感を覚え……最近知った事だが、“姫巫女”の守護という重荷を背負っていたという彼に。

 面倒を見ていた後輩であり、今や頼れる同僚と成ったタカミチ。

 その彼が纏う気配。そしてその重く抱える心情をそれなりに知る為、明石はそれに似たものを纏うイリヤが心配だった。

 

(できれば、その胸の内を明かしてくれれば良いのだけど)

 

 母の姿をした“この世全て悪(アンリマユ)の残滓”と黒化英霊。その存在が協力している完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)

 それらとの対策や対決に胸中で複雑に抱えるものがあるのだろう。それにまだ隠している事情もきっとある筈だ。

 それら全てを独りで抱えず話してくれれば年輩者として、仲間として、何か言葉を掛け、支えになれるのかも知れないが。

 

(まだそこまで深く話せる関係じゃない…か)

 

 知り合ってまだ二ヶ月程度。付き合いと呼べるものもほぼ無く、あくまで仕事仲間という浅い仲では難しい事だ。

 

(時間を掛けて信用と共に信頼を得て行くしかないな)

 

 口にマスタードが効いたカツサンドを運びながら、その味に満足すると共に自身の考えを納得させるように明石は頷いた。

 そしてその一環として先日イリヤに提案した件を改めてお願いする。それも彼女の為になると思って。

 

 

「折角、エヴァンジェリンが居るんだし……改めてこの前の話をさせて貰って良いかな?」

 

 明石は口にあるカツサンドを紙コップに汲んだ烏龍茶と一緒に飲み下してから、そうイリヤに向かって声を掛けた。

 

「この前の…? ああ、なるほど。それで…」

 

 明石の言葉にイリヤは僅かに首を傾げるも、直ぐに思い出して納得したように高音と愛衣の方を見た。

 

「えっと…」

「なんでしょうか?」

 

 イリヤから意味あり気な視線を受けて見習いの二人が戸惑う。その思わぬ反応にイリヤが「おや…?」と怪訝そうな顔をする。

 

「…もしかして聞いて無いの?」

「あ、その…」

「えっと…」

 

 イリヤが尋ねるも、二人の戸惑いは大きくなるばかりで困ったように互いに顔を見合わせるだけだ。

 その様子にイリヤは溜息を吐く。

 

「アカシ教授…」

「す、すまない。彼女達にも予め話して置くべきだった…」

「今日、うちに来てこうして仕事を見学させているのは、その件もあっての事かと思ったのに…」

 

 明石のバツの悪そうな表情と言葉にイリヤは呆れる。

 

「いや、まあ…君とエヴァジェリンの了解を得てなかったし、それで高音君達に変な誤解や期待を与えるのも拙いかな…と」

「確かに…それもそうね」

 

 バツが悪そうな明石の言い訳だが、イリヤは尤もかと納得する。

 

「で、何の話だ」

 

 自分の名前を出された為かエヴァが尋ねる。その表情は何処か不愉快そうだ。自分を蚊帳の外に置いて進んだらしい事、イリヤが即返答をしなかったらしい事から、かなりの面倒事か厄介事だと考えたようだ。

 高音と愛衣も非常に気に成るのか、次に出る言葉をジッとイリヤと明石の方を見ながら待っている。

 

「うん。先日…一昨日の事なんだけど、イリヤ君にお願いをしたんだ。高音君と愛衣君の指導、監督をしてくれないかな…って」

「え!?」

「それはっ!」

「…………」

 

 イリヤから教師たる貴方から話すようにと一瞥を受けた明石の言葉に、高音と愛衣は当然驚きを見せ、エヴァは沈黙して何か考えているようだ。

 

「つまりイリヤ姉ちゃんの弟子になるゆう事か。さよ姉ちゃんや俺みたいに」

 

 小太郎が言う。

 そう言葉にするように彼はイリヤを師だと思っている。無論、魔術師…もとい魔法使いとしてでは無く、戦士的な物としてだ。そこら辺はさよとは違うし、正式とは言い難いとも自覚しているが、それでも小太郎は戦いに関して誰に指導されたか尋ねられれば、我流であると前置きしながらもイリヤの名を上げるだろう。

 イリヤは小太郎の言葉にある思いを察して苦笑してしまう。胸中に何ともくすぐったく感じたからだ。

 

「私というよりもエヴァさんの弟子かしらね」

 

 苦笑浮かべながらもイリヤは言う。

 

「前にネギやアスナ…別の子達には言ったけど、私の使う魔法は独特で教えてあげられないから」

 

 英雄の息子であり子供先生として有名なネギは兎も角、明日菜達とまだ会っていない事を踏まえて言葉を言い直しながら答えた。

 

「…ふむ」

「エ、エヴァンジェリンさんの…弟子ですか?」

「へ、へぇ…」

 

 イリヤの言葉にエヴァは尚も考え込むように唸り、高音と愛衣は表情を引き攣らせる。

 二人にしてみれば噂ほどの恐ろしさは今の所は感じられないとはいえ、それでもやはり音に訊く闇の福音本人なのだ。仮に弟子となったらどのような事になるのか……得体の知れない不安があった。

 それを察したのだろう。明石が高音達に言う。

 

「まあ、二人の不安は判らなくはないけど。魔法使いの師と仰ぐとすれば彼女に並ぶ者はそうはいない。他に身近に居るとすればうちの学園長ぐらいだろう。悪い話じゃないと思うのだけど」

「それは、そうなのかも知れませんが……」

 

 明石の説得めいた言葉に高音は同意するも歯切れ悪い。その彼女の態度に当のエヴァ本人が尤もだという風に頷く。

 

「グッドマンが全面的に同意しないのは当然だ。いざ魔法社会に出る事を考えると“闇の福音(ダークエヴァンジェル)”たる私が師というのは体裁が悪過ぎる。況してやグッドマンは“本国”の魔法学校首席で家柄も良いエリートなのだろう?」

 

 どこぞの考え無しのぼーや(ネギ)でもあるまいし、そんな将来を約束された人間がすき好んで私を師と仰ぐような愚かな事はしまい…ともエヴァは呆れ、小馬鹿にする様に言うが―――実の所これは高音の事を思っての言葉である。

 イリヤはそう思う。硬い殻を纏った一人の少女の素直に出せない遠回りな優しさ。エヴァの本当の姿を知る為にイリヤにはそれが判った。

 だが、同時に試してもいるのだろう。エリートとして約束された安易な道を行くか、それともそれを捨てて、世の為人の為成らんとする“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”の信念を貫く為の力を得る機会を取るか……を。

 エヴァの言葉に逡巡する高音を見て、そしてそんな高音の様子を窺うエヴァも見て―――そうも考える。

 

「だが、判らんな。何故私とイリヤに突然そんな話を持ちかける?」

 

 逡巡する高音の答えを待つよりも疑問の方が気に掛ったらしく、エヴァが明石に尋ねる。するとさよも小首を傾げて見せた。

 

「私もそれが不思議です。高音さんはエヴァさんも言ったようにエリートでその実力も既に十分見合ったものを持ってます。それに見習いとしての修行期間も今年の秋頃で終える筈です。なのに今更こんな話が出るなんて…」

 

 奇妙です、と。さよは言った。

 それはイリヤも同意見だ。道は約束され、この歳で実力も並の魔法使いを大きく上回っている。本人は伸び代に悩んでいるようだが…敢えて新しく師を受け入れる程では無い。本職(プロ)の現場で実践を積み重ね、実戦を詰んで行けば自然と培った物が芽生えて行く筈だ。その下地は十分なのだ。

 

「うん。相坂さんの言う通りなんだが…」

 

 明石は、さよの言葉に大きく頷きながらも、チラリと高音に何か確認するように一瞥し…彼の視線を受けて悩むの一次取り止め、高音は構いませんというように首肯する。

 

「高音君から申し出があってね。修行期間を延長したい…とね」

「えっ! そうなんですかお姉様…!?」

 

 明石の言葉に愛衣が驚く。

 

「ええ、愛衣には話していませんでしたね。御免なさい」

「で、でも…漸く修行を終えて苦しんでいる人達の為に頑張れるって…力に成る事が出来るって…」

「そうね。張り切っていました。ですけど決めた事なんです」

 

 驚く妹分に高音は優しく諭すように言う。

 

「タカネ…」

「あ、イリヤさんとの事は関係……いえ、ありませんとは言えませんね。やっぱり…」

 

 事件での事が気に掛かってイリヤが声を掛けると、やはり高音はそれを認めた。

 

「私はあの事件で未熟だという事を思い知り、このまま一人前の魔法使いとして世に出る事に納得出来なくなりました。勿論、これが我が侭だと贅沢という事は判ってはいますが…」

 

 気掛かりそうなイリヤに高音は理由を…或いは言い訳か、そう告げた。

 一流には及ばないとはいえ、十分に魔法社会でやって行けるだけの力がありながらも見習いに留まろうとしている卑しさ。より力を求めて明石を始めとした職員にその方策を願い出て迷惑を掛けている自分の甘え―――とても恥ずかしい事だ。破廉恥だと罵られても文句は言えない。恐らく見習い課程修了後に予定……否、用意されていた先への着任は勿論、恵まれたエリート…キャリアとも言える待遇も望めないだろう。

 それでも―――と。高音はイリヤを見る。だがそれに答えたのは銀の髪を持つ彼女では無かった。

 

「なるほどな。とうに約束された花道を捨てる覚悟はあった訳か」

 

 その隣に座る黄金の髪を靡かせる吸血姫だった。

 修業期間の延長という普通であれば、謂わば留年ともいう未熟の烙印を押される事を顧みず、さらに正規職員達へ要らぬ迷惑を掛ける体の悪さを受け入れてまでの決意。

 

「良いだろう。正式な弟子に向かえるかはまだ決めかねるが、指導の件は引き受けよう。みっちり鍛えこんで一人前の魔法使いに仕立ててやる」

 

 エヴァは大きく頷いて高音に告げ、明石に了解の視線を送る。

 

「そうか。それじゃあお願いするよ。……愛衣君もそれで良いかな」

「え、えっと……はい」

 

 明石は安堵したようにエヴァに応じると愛衣にも確認し……それに思わず頷いてしまう愛衣。だが―――

 

「―――諦めなさいタカネ。エヴァさんがああ言った以上断れないわ」

「そ、そんなっ!!」

 

 エヴァが了解し明石が返事をする中で「え? いえ、だからといってイリヤさんや闇の福音(エヴェンジェリンさん)の教えを乞うとは……もっと別の方にお願いして…」と。エヴァの機嫌を損ねるを恐れて小さく口を動かしていた高音にイリヤがそう声を掛け、高音はガックリと項垂れていた。

 

 

 と、まあ…多分に誤解をあったもののエヴァは高音に心意気を買い。愛衣を交えた見習い二人の指導を及び監督役を担う事と成った。

 その裏にはエヴァなりに思惑…いや、期待だろうか。何やら考えがあるようだが、イリヤが知るのはもう少し後の事である。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「でも、タカネの課程修了の延期なんて良く認めたわね」

 

 イリヤが明石にそう尋ねたのは昼食後の事だ。

 世界樹前広場に設置した錬成陣…やはり猫を模したオブジェクトの中にあるそれをチェックしながらイリヤは言った。傍に高音達はいない。さよとエヴァ共にこの周囲に在る結界のチェックを任せている。

 その疑問が出たのは、高音の実力が十分である事以外にも彼女の家柄的な事情がある為だ。エリートとして期待され、花道とも言うべき将来が用意されているのは何も実力だけでは無いのだ。彼女場合は。

 その辺の圧力はどうなのか? とイリヤは尋ねている。

 

「ま、確かに揉めに揉めたみたいだね。主に学園長を始めとした上層部が対応したから僕も詳しい事は判らないけど……」

 

 途中で言葉を切り、イリヤの傍で明石はこそっと言う。

 

「……やはり前回の事件での彼女の早まった行動が影響しててね。そこら辺を突いたらしい。精神面で不安を抱えているみたいに言って配属予定先の部署や彼女の家を納得させたのさ。本人もそれを望んでいる事も言ってね」

「…なるほど。確かタカネの配属先は……メガロメセンブリア、国務省・外交保安局の第三課だったわね。精神面での弱さがあってはそこでは使い辛いと思わせた訳か」

 

 メガロメセンブリア国務省・外交保安局は、旧世界の某大国の同名の部署とほぼ同様の警察機構でその活動は多岐に渡っており、第三課は旧世界を主に担当している。その活動は世界各国の情勢や情報の収集・分析を始め、一般人への魔法漏洩の隠蔽工作や国際手配された犯罪者やテロリストの追跡・捕縛も含まれている。それ故、実働部隊は戦闘力の他、高い判断力と強靭な精神力を求められている。

 なお明石教授の亡き妻も嘗てはそこに所属していたらしく、諜報や防諜活動を担う部署にも拘らず、意外な事に三課は旧世界各国にある魔法協会と関係が良好というリベラルな組織であった。

 それもあってMMは三課とは別に、旧世界への諜報を担っている部署が当然持っているのだが……それは兎も角。

 

「で、タカネをそうしてまでこっちに引き留めたのは……引き抜く為かしら?」

「はは…やっぱり判るか。うん…まあ、正直それもある。こちら生まれの愛衣君との仲は深まっているし、このままより長く此処(まほら)に留まってくれれば、“協会”への愛着も強くなるだろうし、将来的にこっちに留まる事も望むかも知れないからね」

「修業期間の延長…留年という傷を付けたのも、それを選び易くする為ね」

 

 喰えない事で、ともイリヤは言う。

 高音の申し出は、関東魔法協会にとって優秀な人材を確保する良い口実でもあった訳だ。けど…

 

「エリート候補の…それも影属性を持つ稀有で優秀な人材を取られる事となった三課からは恨まれない? 折角良好な関係だっていうのに。それにそうしたって延長期間中にタカネが成果を上げて再び花道へ返るかも知れないし、タカネの方だって花道が無くとも故郷(くに)勤めを望むかも知れないわよ」

「その辺は大丈夫だ。三課もこちらの裏は判っているようだしね。多分貸しを作る気なんだろう…もしくは借りを返す為でもあるかな…? 高音君が戻る場合になっても損は無いよ。どちらにしても彼女の実家や親類を通じた本国との強固な伝手(パイプ)を作れる訳だから。そういった繋がりは幾らあっても足りないぐらいなんだし」

 

 抜け目ない言葉にイリヤは半ば感心する。

 明石の話を聞く限り、高音が魔法世界ではなく旧世界の麻帆良で修業する事になったのは、始めからグッドマン家を通じた本国へのパイプを築く為であったらしい事が窺えるからだ。

 

(となると、祖母が日本人で興味があったから麻帆良での修行を希望したみたいにタカネは言ってたけど……そう誘導されたのかも知れないわね)

 

 その血の繋がりを意識させるように周囲の人間……家を出入りする業者や客人の他、魔法学校の教師や家庭教師などにそれとなく日本の事を話させ、卒業を控えた頃に麻帆良が見習い魔法使いの受付やら募集をしているという広報を幼い高音の下に流した、と言った所だろう。

 当然、三課もそれを察知して……いや、もしかすると麻帆良に進んで協力していたのかも知れない。高音という人材を精神面の不安を理由にあっさり手放したのもそれが理由か? その方が三課や国に益があると見たのか? それとも三課の方からグッドマン家に伝手を作ること協会に持ちかけたか? 或いは三課そのものが関東魔法協会にそのように誘導された可能性もある―――あの老獪な近右衛門や、その幼馴染だというこれまた油断ならない妖婆めいた“浦島 ひなた”の姿を思い浮かべてイリヤはそう思う。

 

「まったく。本当に喰えないわね」

 

 とはいえ、イリヤもその暗闘や謀略を嫌悪する気は無い。そこまで悪質という訳ではないし、本国の連中にしても似たような事はしているのだから。寧ろそういった手段をきちんと取り、躊躇わない協会を褒めたいくらいだ。善良過ぎる所が玉に瑕な麻帆良の人間を見て、これでMM元老院の特定勢力と対峙できるのか?と不安が擡げて来る事が多々ある為に。

 

(どんな世界であれ、綺麗事だけで通る事なんて無いんだし)

 

 イリヤは結構な事だと内心でうむうむと頷いていた。

 ただ、政治的に色々と利用され、これからもされるであろう高音に同情の念と罪悪感も懐いたが……それは明石や近右衛門も同じだろう。

 それもあってか、

 

「タカネには立派に成長して貰わないとね」

 

 そう、口に出していた。

 覚えた罪悪感を少しでも払拭する為、彼女が確りと強くなれるように、確かな力を持てるようにエヴァと共に指導しようと思って。

 

 



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幕間6―――遠き未来より、今という過去に救いを求めて。

今回は原作の考察も兼ねて今まで以上にオリ設定満載です。


 

 そこは白い世界だった。

 起きて眼を覚まし、周囲を見れば壁も天井も床も部屋を照らす照明も、今自分が横になっているベッドのシーツと枕も全てが白色だ。

 部屋の外へと通じる扉も白く。その向こうの廊下も他の部屋も同様に全てが白色で統一されている。

 

 その当時の自分は知る由も無かったが、今になって振り返ればまるで病院のようだったと思う。

 尤もその世界は、そんな人の命を救う為の施設とは程遠い物だったのだが……――――いや、その施設を運営する者達にとっては、偏りはあるものの多くの人々を救う為の重要な施設だったのだろう。

 

 いつもと同じ時間に目を覚ました自分は、先ず部屋に備え付けられたお手洗い場で用を足し、次に同じく備えられた“洗浄室”で身体を清め、何時の間にか新たに用意された清潔な衣服に…これも白い簡素な服だ……それに着替える。

 朝、昼、夕、晩、凡そ四回程…その日にある実験次第では更に洗浄室のお世話になる回数は増える。なるべく清潔さを保つようにこの施設にいる大人達に言われ―――否、命じられているからだ。

 身体を清潔にした次にする事は、部屋にある小さな冷蔵庫から幾つかの瓶や容器やケースを取り出し、その中に在るカプセル状の栄養剤とドリンク、ブロッククッキーを食べて飲む事だ。

 それが朝食だった。

 簡素で量も大してなく。味も良い訳でも無く。ドリンクとクッキーには甘みがあるが……それが返って何の温かみも無い無機質さをより強調しているようだった。

 

 だが自分はそんな事に何の疑問を抱くことは無かった。

 

 その白い世界ではそれがごく普通の事で、日々続く当然の日常であったのだから。

 そう、例え、

 

609(ろくまるきゅう)、部屋から出ろ』

 

 番号で呼ばれ、

 

『…拘束はそれで良い―――では始めるぞ』

 

 じっけんしつ…と呼ばれる所で身動きできないように寝台の上に縛り付けられても、

 

「ぁああああ――――!!! くぅ…っ―――うぁああああああああーーーー!!!」

 

 じっけんと称するナニカによって咽が枯れるほどに悲鳴を上げ、痛みと苦しさと辛さを訴えても、

 

『やはりダメか』

『ああ、この被験体には魔力の発現が認められないからな』

『しかし…遺伝子や霊的因子は極めて―――』

『―――そうだ。だから人工発現プログラムの方に回す。遺伝子や霊的因子が優れているのは確かなんだ。投薬とナノマシン注入による呪文処理を行なえば或いは…』

 

 悲鳴を上げる自分を…幼い子供を見ても助ける様子は無く、淡々と会話を交わす白衣の大人達がいても、

 

 

 ―――何の疑問を抱かなかった。それが自分の知る“世界”であったから。

 

 

 だが、そんな日々が続いたある日の事だ。

 

『よし、良いぞ。想定していた以上の数値が出ている』

『凄いぞこれは…! 記録にある嘗ての“英雄”に匹敵―――いや、上回る数値だ!』

『素晴らしい! 素晴らしいぞ! これが成功し、計画が順調に行けば我が軍の兵達もいずれは…! いや! 我らが民、全てに…! そうなれば失われた嘗ての時代…我々の世界を取り戻せる! 忌まわしい旧世界人どもを殲滅し―――なんだ…っ!!?』

 

 痛く、苦しく、辛い中で悲鳴を上げるのを堪えて頑張っていると、何時になく褒められ、自分を見て喜ぶ大人達にどうしてか顔が綻び、胸が暖かくなるのを感じていた時―――ドカンッと、遠くから聞いた事も無い大きな音が聞こえ、室内全体が震えた。

 

『どうした!? 何があった!!』

『大変です! B5-2区画の第3実験場で被験体が暴走を―――!』

『な!?…馬鹿な! 地下150mもある区画だぞ、そこは…! それが何故、この地表近くの区画まで爆発音と衝撃がっ!?』

『おい、今そこでは何の実験をしていた!』

『た、確か……300ナンバーの運用試験をしていた筈です。実戦投入前の最終テストだとの事で…』

『300ナンバーだと!? ホムンクルスの調整体達かっ!? 制御を誤ったな彼奴ら…! だから俺は始祖の遺産に手を出すのは反対だったんだ! クソッ…これは拙いぞ!』

 

 大人達が異様に慌てだした。

 

『アレが相手ではガードロボやオートマタは元より、戦闘要員でも対処は無理だ。最悪この研究施設が吹っ飛ぶぞ!』

『やむを得んな。国防省に連絡を取れ! 軍の出動を要請しろ! 我々は退避準備だ! 急ぎ資料を纏めろ! 可能な限りデータを持ち出せ。出来そうない物は破棄しろ! 被験体達もだ!』

『! この609も!』

『馬鹿を言え! 何を勘違いしている! 貴重なサンプルをみすみす失う気は無い! この被験体を含め重要な物は持ちだすんだ! 警報と共に施設全域に放送を掛けろ! 急げっ!!!』

『りょ、了解!』

 

 そうして大人達が慌ただしく動き回り……自分は、

 

「急げ609! 此処から出るぞ!」

「…出る? ここ…から?」

「ッ…! 良いからこっちだ!」

 

 一人の大人に手を引かれ、走る彼に言われるまま付いて行き―――…世界の全てが白いもので無い事を初めて知った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 西暦2035年。

 人類は初めて火星の地に降り立つ事に成功した。

 2005年以降、日米露が諸問題を抱えながらも克服し、経済協力の下に勧められ、欧州も加わった宇宙開発が僅か30年という短い時間で実を結んだのだ。……いや、計画を推進していた者達にとっては、ようやくと言うべきだろう。そう、ようやく目的達成の為の一歩を踏みせたのであった。

 

 そうしてそこから更に30年ほど。

 2060年代には、日本国が提唱した火星の緑化計画―――地球においてアフリカ並び中東やオーストラリア、南米などで試行錯誤を重ねながら成功し、それを真似た―――テラフォーミングも大気層の改良は60%。土壌開発と動植物の適応と生態系構築は20%にまで進み、僅かではあるが火星表面で人間が住まう環境が整い。この20%を土台に一気に10年以内には70~80%まで計画を進め、火星を地球と変わらぬ青く美しい緑溢れる星へと変革させる予定だった。

 なおこの時点で既に地下コロニーにて、凡そ3000万人もの人間が移住並び世代を重ねて火星で生活しており、宇宙航行技術の発達に応じてその人口は増加傾向にあった。

 

 しかし―――

 

 この第二の地球を開拓し、平和に暮らしていた人々の平穏は突如として破られた。

 そう、姫巫女が自らを犠牲にして眠りに付き、維持に努めていた魔法世界が原因不明の崩壊を起こし、火星の異なる位相に存在していた“魔法世界人”が、彼等の住まう都市や町村と共に現実世界の火星に出現したのである。

 直後、生じたのは混乱であった。

 魔法の存在が明るみに成った事もそうだが、何より切実な事情として火星に住まう“地球人”のほぼ倍の人口が現われたのだ。

 人が生きる上で先ず何が必要かと言えば、水と食料だ。

 しかし増加する人口に備えていたとはいえ、当時の火星は……いや、それから数十年経過した後の時代でも変わらないが。3倍に増えた人口を賄える十分な食料…穀物、野菜、肉類を生産することは出来ず。地球から送ろうにもそれだけの物資を集積するのは時間が掛かり、直ぐ輸送しようにも距離があり過ぎた。

 次に必要なのは土地だった。

 だが、これも同様に問題だった。火星地表のテラフォーミングは未だ20%程度。住まう事が出来る土地もあるにはあるが、とても限られ、人が満足に過ごせる大地はそのパーセンテージの100の1に達するかどうかだった。

 地下コロニーにしても無理である。現在居住する3000万人で一杯一杯であり、地上環境が整うに連れて新たな移住者も含め、増加する人口を地下で受け入れる予定だったのだ。

 

 これら問題に対して魔法世界人と地球人は当初対話を持って解決に望んだが―――…やはりというべきか、幾度かの交渉を経て決裂した。

 

 決裂の原因は、一言でいえば地球人側の無理解。或いは認識力の不足である。

 地球人……火星行政府と言われる、地球各国政府から委任されたこの統治機構は事態を相当楽観視していた。

 食糧に関しては、時間は掛かるが何れは届くものと解決の目途が立っており。魔法世界人が現われた土地も多少空気(さんそ)が薄く、気温も低く、不毛な荒野であろうと少し我慢すれば住めなくは無く、

 

「ある程度は環境が整った部分も分けてやっても良い」

「そもそも幾ら文句を言うと彼等が頼れるのは結局自分達だけなのだ。何を言おうが最終的には向こうが折れる」

 

 と。高慢ながらも考えていた。

 またこの時点で魔法世界人が軍事的オプションを選択する可能性は全く考慮されていなかった。それほどまでに火星は争いとは無縁な平和な世界であったと言う事なのだが…。

 

 だが、

 

 翻って魔法世界人……メガロメセンブリアはかなり焦燥し、怒りを蓄積させていた。

 飢えと寒さと薄い酸素の中で人々は苦しみ、平穏だった社会の治安は日に日に乱れて犯罪が横行。苦しみと絶望の余り自ら死を選ぶ者も現われていた―――だというのに、その実情を幾ら訴えようにも火星行政府はのらりくらりとまともに取り合わず、此方に足を運んで実情確認すらしない始末。

 確かに食料は配給制にし、幾らか支援も受けられたので地球から届くまで持つかも知れないが。土地の寒さは兎も角、酸素の薄さはどうにもならなかった。

 今でも住めているから大丈夫だろう。少し我慢すれば良いだけだという意見は浅慮にも程があり、MM政府の怒りは高まるばかりだった。

 高所や高山に住まうのとまるで訳が違うのだ。しかもそんな場所に居住するのは少数人で構成されるような村落ではなく、7000万人もの人間がいる都市や町である。消費する酸素の量は一体どれほどか。

 食料となる作物や家畜も、寒さや大気と土壌の変化で枯れ果てて死に絶える状況なのだ。当然、新たに育てるなど論外である。

 とてもでは無いが、人が生きて行ける環境では無い。

 

 その為、MMは食料の提供は最低限度…いや、最悪無くても構わない。居住可能な土地さえあれば対応可能だと判断し。今後の経済活動や広がるであろう居住可能な土地の優先譲渡や地下資源の権利などをかなり譲歩し、引き換えに今存在する緑の大地を求めた。

 地球からの移住者の一時停止や地下コロニーの新たな建設で、火星行政府も人口問題に対処出来ると判断しての事だ。

 

 しかし結果は前述の通り、火星行政府の無理解と認識不足のより決裂した。そこには突然現れたごく潰しの厄介者が、自分達が努力して開発した土地を奪うなどもっての外だ、という怒りもあっただろう。

 

 が―――それを聞いて寧ろ怒りたいのはMMの方であった。

 

 そう、火星行政府が認識を欠いていたというのはそれもある。

 何しろ火星まで地球人類が到達し、地表を開発できる程のテクノロジーを得られたのは魔法世界から関連技術と資材の提供があってこそなのだ。

 そして我慢と焦燥と怒りが限界に達したMMは、とうとう武力を持っての事態打開を選ぶ。

 

 

 

 かくして魔法世界人と地球人の戦争の火蓋が切られた。

 

 

 

 開戦初頭。優位に立ったのは先手を取った魔法世界人だった。

 元々火星に移住した地球人には軍事力と呼べるものは殆ど無く、警察に毛が生えた程度のものしか無かった。地球から遠く離れ、争いとは無縁であったのだからこれは当然の事だった。

 故に反撃すらままならず火星行政府は一週間も持たずに倒れ、火星に移住していた地球人は魔法世界人の管理下に置かれ―――捕虜というべき立場となった。

 勝利し、居住可能な土地を獲得し、地球人を地下に押し込めて管理下に置く事が出来。目的を達成したMMは矛を収める為に地球そのものに…国連を通じて講和交渉を申し込んだ。

 

 そして月にて行われた講和会議にて、地球側は開戦に至るまでの経緯を改めて確認し、非は火星行政府にあると判断した。

 さらにMMは食料を除き、現在ある土地以上のものは求める積もりは無く、火星行政府に譲歩したものとほぼ変わらない条件が妥協案として示し。賠償もなく管理下に置いた地球人を即解放する事も提示したので、地球側は前向きに講和を受け入れようとした。

 

 地球各国の政府としても火星行政府の下手から生じ、続けても何の利益を生まない、無意味な争いなど早期に終結させたかったのだ。軍事力と呼べるものがほぼ皆無だった事が逆に幸いして人的被害が少なかったのもある―――が、しかし。

 そこに地下より脱出した元火星行政府の人間達がフォボスの衛星基地に辿り着き、とあるメッセージを地球に送ってきた。

 

 曰く、平和的な解決を望んでいたのに突然の宣戦布告と共に騙し討ちを受けた。

 曰く、碌な軍備を持たなかったから虐殺とも言える一方的な攻撃を受けた。

 曰く、地下に閉じ込められて多くの人々が飢餓に苦しみ、今も死に瀕している。

 曰く、魔法世界人は、文明人とは程遠い卑怯卑劣な蛮族の如き悪逆な人種である。彼等の目的は我らが多大な費用と資源と人材を投入し、開発した火星を野蛮な盗賊のように奪い取り、火星に住まう我々を奴隷とする事にある。

 同じ地球人類を救い、我らの火星を取り戻す為にも。どうか、どうか、地球に住まう人々よ、同胞達よ、私達に力を貸して欲しい。

 

 と。

 そのような演説を“悪逆たる魔法世界人”の蛮行を示す、それらしい映像付きで地球に向けたのである。

 これを地球各国のマスメディアは積極的且つ活発に報道し、ネット上も遠い火星の事もあって情報が不足しており、真偽不確かなまま信じる声が多数を占め。世論は沸騰し、打倒魔法世界人! 魔法世界人の非道を許すな!との声が高まり、講和交渉はそんな世論の流れによって決裂してしまう。

 

 そうして戦争は継続するも、片道四ヶ月から半年以上という長い距離を貴重となった宇宙船―――重要な機材や資材、核心部品の多くを魔法世界の技術に依存していた為―――で戦力と物資を送らねばならぬ地球側と、総じても7000万人程度の魔法世界人もとい火星側では、互いに決定打を欠き。また重力が半分以下という火星環境に対応した兵器の開発や戦訓の反映に時間が掛かった事。テラフォーミングが未完了な事から戦場が限られ、大規模な破壊兵器の使用を避ける必要がある為に、数十年経ても戦争は終わりが見えぬ泥沼化した状況が続いていた。

 そして戦争に物資が消費される事で、テラフォーミングを含んだ火星開発は完全に停滞…いや、寧ろ戦争と言う破壊行為の影響を受けて、整いつつあった環境に悪化の兆しが出始めていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 生存の為、緑の大地を手にする為、長い戦いで降り積もった恨みと憎しみを晴らす為に―――戦争は今も続いていた。

 この世界は地獄だと思った。

 限られた食料、限られた水、限られた空気、安全な住処―――それら求めて相争い、殺し、命を奪い合う此処はまさしく聖書や経典などで人が伝える冒涜と咎に満ちた地獄(せかい)なんだと。

 こんな世界に比べたらあの白い世界は天国だ。

 確かに痛い事も、苦しい事も、辛い事もあったが……それでも寒さと飢えに苦しむ事も、命を取り合う事も、明日が無いかも知れない事に怯える必要はなかったのだ。

 

「…大丈夫だ。もう少し、…この街を抜けて西を進めば味方の領域に着く。そうすれば安心だ」

 

 不安と恐怖に俯いていると、自分の手を引いて壊れた世界(てんごく)から連れ出した彼が言った。辛い状況なのに何故か自分に笑顔を見せて。

 

「…………」

 

 彼以外の大人達は皆居なくなっていた。

 白い世界の破壊に巻き込まれた人、ホムンクルスと呼ばれる恐ろしいモノに襲われた人、深い傷を負って動けなくなった人、敵と呼ばれる大勢の人達の攻撃を受けて死んでいった人。

 そうして自分は彼と二人きりになってしまった。

 

「ふう…やれやれ、施設の援軍の為に防衛線が薄まった隙とホムンクルスとの戦闘で生じた損害の所為で、この一帯の占領を許す事になるとはね。自業自得と言うべきか、あんな実験をしていた我々への罰かなこれは……いや、それは無いか。罰が下るというなら敵さんもだ。奴さん達も似たような事はしているだろうし」

 

 何も言わない自分に彼はそんなこと言う。いや、ただの独り言なのかも知れない。

 けど、色々と教えようとしているようにも思う。地球の事、火星の事、宇宙開発の事、戦争の事、味方や敵の事などを沢山。でもそれに何て答えればいいのかなんて自分には判らない。人と話す事なんてこれまで殆ど無かったからだ。

 話を聞き、暫くするとうつらうつらと首が縦に動くようになり、瞼が重くなる。

 

「…疲れたか。無理も無い。この二日間、殆ど休めなかったからな。強化された身体でも辛いわな。分かった横になって眠れ。見張りは俺がやっておくから」

 

 ぽんと頭を撫でられ―――言われるままに横になると、直ぐに眠りに落ちた。

 その瞼が落ちる直前、

 

(ここは灰色だ)

 

 隠れた廃墟の一室の壁を見て、意味も無くそんな事を思った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「………懐かしい夢を見たアルな」

 

 時計を見るとデジタルの数字は午前3時50分丁度を示していた。アラームが鳴る10分前だ。

 役目を果たす事が無かったアラームを解除すると、ベッドからのそのそと彼女は出て、

 

「さて、今日も一日頑張るネ!」

 

 そう背伸びをしながら言った。

 見た夢の事を忘れ、振り切るように。

 

 

 

 超包子の開店は早朝6時である。

 学祭期間中の限定とはいえ……いや、だからこそ希少性があり、早く、美味く、安いこの出店はとても繁盛していた。

 5時からの仕込みを終えて簡単な味見をし、満足な出来にうむうむと頷いていると、

 

 ―――超さん。

 

 別の鍋を任せていた五月から声を掛けられた。

 

「ん? 五月、そっちはどうネ。問題ないカ?」

 ―――はい。大丈夫です。そちらは?

「うむ、ばっちりネ。これなら今日も完売間違いなしアル。流石は五月ヨ。今日明日は土日ととても忙しいが頑張るネ。頼りにしてるアル」

 ――――……………。

「ん? どうしたネ? やっぱり何か問題ガ?」

 

 元気よく答える超に五月は黙り込み、ジッとオーナーである彼女の顔を見る。

 

 ―――いえ、何でもありません、が。超さんこそ何かあったのでは?

「!――――…………いや、これといってなにも無いヨ」

 ―――…そうですか。分かりました。ですが何かあるようでしたら遠慮なく頼って下さい。先程あなた自身が言ったように。…勿論、超さんの事情も分かっていますから言えない事があるのも理解してます。でもだからと言って一人で何もかも抱える必要は無いと思いますよ。

「……まったく五月には敵わないアルな。分かったヨ。肝に銘じておくネ」

 

 この時代で出来た友人の鋭さに超は内心で舌を巻きながらも。何時もの調子でアハハ…と誤魔化すように笑って頷いた。

 

 

 

 

「さて、何とか街を抜けられたし、水と食料…衣服も調達出来た。移動手段(くるま)も上手いこと手に入ったのは僥倖だが…どうしたものか?」

 

 占領された街には無数の敵の兵士が配置され、外に通じる道という道には厳しい検問が敷かれていたが…捕まらずに無事街を出る事が出来た。

 当時の自分には、どのようにして彼がそれを成したのかは判らなかった。

 検問に引っ掛かり、怖い顔をして鋭い目を向けて来る兵士達が彼と話しをして暫くすると、どうしてかにこやかな笑みを浮かべて怖くなくなり、直ぐに解放してくれたのだ。

 その時、それを不思議に思って車の助手席から運転席に座る彼の顔を見上げていたら、

 

『どこの軍隊にだって出来の悪い兵士ってのはいるもんさ。この時間帯にそんな奴らが此処に回されるのは、この数日の観察で分かっていたからな』

 

 そう自分には理解できない説明をしたので、尚も不思議に思って彼を見ていると、

 

『お前さんには、まだそういうのは判らないか。まあ、子供なんだしそれで良いさ』

 

 苦笑しながらそう言ってまた頭を撫でられた。

 白い世界から逃げ出してからもう何日経ったのか、彼はそうして事ある毎に自分の頭を撫でてくる。

 嫌という訳では無い。寧ろ……―――何だろうか? 良く判らないが胸の辺りが少し暖かく感じるのが不思議だった。

 

「…やっぱり、そう幸運は続かないよな」

 

 親指と人差し指で作った輪を覗き込みながら彼がポツリと言う。千里眼という魔法を使っているのだろう。

 

「ドローンの奴が嫌というほどウロウロしている上に攻撃ヘリまでいる…か。奴らにとって敵地である西へ民間車両(このくるま)が向かって行くのを見たら、確実に不審に思うよな。まったくホントどうしたものか?」

 

 何時もの独り言のようにそう呟くと彼は、運転席のハンドルの上に広げた地図を難しい顔で睨んだ。

 

 

 

 

 身体を揺すられる感覚。車が荒れ地を走っている時のものとは違う。優しい揺さ振り。

 

「超さん、超さん」

「う…」

「あ、眼を覚ましましたか?」

「ん……」

 

 掛けられた声に彼女が顔を上げると、そこには眼鏡を掛けた見慣れた少女の顔があった。

 

「ハカセ…?―――と、ワタシもしかして眠っていたノカ」

 

 朝の忙しい集客時間が過ぎ、一息吐こうと客の空いたテーブルに席を着いたのだが……どうやらそのまま転寝をしてしまったらしい。

 

「はい。何だか幸せそうなのに、魘されているっていう…なにか良い夢を見ているのか、悪い夢を見ているのか良く判らない感じで」

「…―――そうカ、覚えていないから何とも判らないネ。そんな変な顔してたカ、ワタシ?」

 

 葉加瀬の顔に心配そうな様子が見えたので超はムムム…と腕を組んで眉を寄せ、大袈裟にわざとらしく如何にも悩んでいますといった様子を見せる。

 

「え、ええ…」

「そっか、しかし忘れるぐらいのものだし、どうせ大したことではないヨ。…ま、元々夢というのものは大半が5分もすれば忘れるものダガ」

「………………」

 

 誤魔化す自分を無言で見詰める葉加瀬。五月同様…いや、それ以上に付き合いの深い彼女には、何処となく自分がの様子が可笑しいのが分かるのだろう。しかし超は敢えてそれに気付かないフリをして尚も言葉を続ける。

 

「と、そんなことより、急いで片付けないと。授業が始まってしまうネ」

「……超さん。今日は土曜日ですよ」

「あ―――そうダタ!」

「超さんらしくないですよ。本当に大丈夫ですか。お疲れなのでは?」

「だ、大丈夫ネ。今のはちょっと寝ぼけていただけアルから」

 

 更に心配そうにする葉加瀬に、超は誤魔化し続けた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 夢見の悪さか、それとも変にうたた寝をした所為か。超は何度も出そうになる欠伸を噛み殺しながら歩き、予定通り龍宮神社の方へと向かった。

 時折、訝しげに自分の顔を窺う葉加瀬と共に。

 

「…………」

「…………」

 

 何となく互いに無言で歩き、居心地が悪かった。

 何時もであれば、実験やら研究やらサイエンス誌などの事や、超包子の新メニューなどの事で楽しくお喋りするのだが……何となく沈黙が続く。

 

(ここは、ワタシから話を振るべきなのだろうガ)

 

 しかし今一つそんな気には成れなかった。

 そしてその自分の様子に気付いての事なのだろう。葉加瀬もまた進んで話そうとしないのは。

 いや、正確に言うと研究一辺倒な所為で人間関係の機微に疎く。こう言った時にどう話しかけ、どんな話題を振れば良いのか分からないのだ。

 

(ある意味デハ、気遣われているというワケでもあるのダガ……何というか互いに不器用なモノネ)

 

 そう思った途端、超はクスリと笑みを浮かべた。

 科学を信望し、同志とも言える関係で、天才と呼ばれる二人(じぶんたち)が似た者同士だという事が何となく可笑しく感じたのだ。

 

「ふふ、ははっ」

「ちゃ、超さん…!?」

「いや、なんでもないネ。ちょっとナ……ふふ」

 

 突然笑い声を上げた超に葉加瀬が驚く。そんな如何にもと言ったビックリ顔に超はさらに笑いが込み上げて来て笑い続けた。

 何とも奇妙な情動だった。今一つどうしてそんな風に笑み浮かび、心に嬉しさを感じているのか。天才と言われる頭脳でもその理由は判らなかった。

 そんな自分を見て、葉加瀬は心配そうだったが……。

 

「おかしな超さん。……でも良かった、かな?」

 

 そう、溜息を吐きながらも安堵した様子だった。

 

 

 

「あらあら、チャオちゃんにハカセちゃん、いらっしゃい」

「お、おはようございますネ。真名のママサン」

「……おはようございます。お邪魔しますね」

 

 神社の境内に入ると箒を持ち、掃除をしている女性に声を掛けられて挨拶を返す。

 30半ばから40歳の間と年齢通りの外見持つ優しそうな中年の女性だ。細身で少し美人な感じでもある。そして超が言った通り彼女は真名の母親だ。勿論、血の繋がりは無い―――が、

 

「マナちゃんに御用? ああ! あの子の行っていたお客ってやっぱり貴女達なのね。もういつも素っ気ないんだから、しっかりと言ってくれたら良いお茶とお菓子を用意したのに…寮から久しぶりに顔を見せたと思ったら……ほんとにもう!」

 

 柔らかな口調のままプンスカという擬音が似合うほど娘に対して怒って愚痴を零す女性だが、そこには確かな親愛の情が感じられた。

 そう、例え血の繋がりが無かろうと、この優しげな女性は真名を愛しているのだ。自分の娘として。

 そして―――

 

「おや、超君に葉加瀬君か。久しぶりというほどでもないか? 少し振りと言うべきかな…うん?」

「あら、あなた」

「あ、パパサン、おはようございますネ」

「お邪魔してます」

 

 今度は宮司である真名の養父が姿を見せた。義母と同様、40歳程に見える中年男性だ。ただ細身で年齢に見合った感じの美人な妻に比べると、良い意味では恰幅の良く、悪い意味では小太りな体型で頭部も禿げ上がっており、容姿は余り良いとは言えない……が、顔には愛嬌があってそこは妻とも似合う優しげな雰囲気を覚えさせた。

 

「娘に御用かな? うん、なるほど。珍しく顔を見せたと思ったら君達と内緒話という訳か…うん」

 

 彼の癖なのだろう。何度も何度も頷きながら口を動かす。

 そんな所にも愛嬌を感じる。

 

「娘は本殿の方に居る。何時になく真剣に何やら祈っているようだが……うん―――無愛想な子だが、あの子をよろしく頼むよ。これからも仲良くしてやって欲しい。うん」

 

 そう、そのように告げる彼もまた、真名を実の娘のように大切に想っているのだろう。超と葉加瀬は真名の養父の言葉に頷き。娘がいるという本殿に向かった。

 その道の途中、

 

「あの夫婦には悪い事をしてるネ」

「はい。本当に申し訳ないです」

 

 自称“悪の科学者”コンビはそう呟いていた。

 何しろ、あの夫婦は麻帆良にある神社を任されているという事からも判る通り、本来ならば協会側なのだ。なのに自分達の行動を黙認し、半ば協力して貰っているような関係にある。

 

 ―――“娘”とその友達からのお願いを訊いて。

 

 だから超と葉加瀬は、出来る限り龍宮夫婦に累が及ばないように何も知らせていないし、娘の真名も両親に詳しい事は話していなかった。

 しかし自分達が要注意人物としてマークされている事は麻帆良の魔法使い達にとって周知の事実であり、その自分達がこうして揃って神社に出入りしている事から、夫婦にも疑いの目を向けられるのは避けられないだろう。

 

(それが少し…うむ、ほんの“少し”だけダガ……辛いネ)

 

 超は誰にも聞かれないにも拘らず、“少し”という言葉を強調しながらそう内心で呟いた。胸に覚える痛みを無視して。

 

 

 

 本殿に入る前に超と葉加瀬は真名と出くわした。

 

「ああ、二人共もう来ていたか」

 

 巫女姿の彼女は、養父の言う無愛想な顔を向けてくる…何時ものように。

 そんな余りにも普段通りの真名を見て、超は唐突に強い反発心を覚えた。自分らしくないという冷静に考える思考もあったが、それでも―――

 

「―――真名。ママサンとパパサンにワタシ達が来る事を伝えなかったアルカ。パパサンは兎も角、ママサンはとても怒っていたヨ…!」

「ん。そうか」

 

 やや怒気を込めて言うも、真名は真面目に受け止めていないようだ。それが余計にらしくない超の感情を刺激した。

 

「そうか…って、真名! 御両親としっかり話をしているアルカ…! まさか家に帰ってからずっとそんな態度でいたのカ!」

「…超さん!?」

 

 声を荒げると隣で葉加瀬が驚きの声を上げ。無愛想だった真名の顔にも驚きの表情が浮かぶ。そして目を見開いて超をマジマジと見る。彼女もここに来て超が普段とは大分様子がおかしく、らしくないと感じたようだ―――しかし、

 

「そうだな。超が怒るのも無理は無いか……分かった。久しぶりに家に帰ったんだからな。あとでしっかりと親孝行に務める事にしよう」

 

 超のらしくなさを指摘する事も無く、真名は少し目を伏せて自嘲するような笑みを浮かべて超の言葉を真摯に受け止めた。

 その冷静な返しに超の頭が冷える。自分のらしくなさに今更ながら気付き、また真名に心内を見透かされた事に情けなさを覚えた。

 だが、その一方で真摯な真名の姿勢に暖かなものを胸に覚えたのも確かだ―――同時に僅かな妬みも。

 そんな複雑な心境を抱く超の顔を、葉加瀬は不安な面持ちで見ていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 初めからではないかと超は思った。

 

 この時代に跳ぶと決めてから超は、この時代…西暦2000年から自らが生きた100年後の時代までのあらゆる事柄を己が脳に記憶し、またPCや携帯端末などに記録し入力していた。それら未来知識を可能な限り手にしている事こそが未来人を未来人足らしめる最大の優位性(チート)なのだから。

 

 そしてこの時代に跳び。その記憶と記録通りに事実が積み重ねられ、今に至る―――……筈だった。

 

 異なる出来事が起こったのは今年の2月。まだあの“英雄”が麻帆良を訪れる前の事だ。

 一年後に起こる筈の世界樹の発光現象―――麻帆良の聖地に魔力の満ちる時―――が今年に起こる可能性が高いと予測された。彼女の記憶にも持ち込んだ記録にも来年に起こるとされていた事が何故か早まったのだ。

 この事実に超の受けた動揺は決して小さく無かった。

 計画を一年早めなくては行けなくなった事もそうだが、そうなった原因に心当たりがあったからだ。麻帆良の魔法使い(かんりしゃ)達は近年の異常気象が地脈にも乱れが生じさせたのでは?と考えているようだが、それは違う。恐らく原因は自分だ。

 100年後の世界樹の魔力を使ってこの時代に跳んだ影響…未来の世界樹との共振か或いは時空震が原因だ。正直、超にも断定は出来ないが“勘”でその可能性が最も高いと判断していた。

 

 しかしこの程度ならばまだ修正が効く。時間的余裕が無くなり、茶々丸開発のノウハウを投入した戦力(タナカシリーズ)の試験運用も、さらにその先を見据えた次世代型完全自律ガイノイド(ネオ・チャチャシリーズ)の試作もまだだが。時間跳躍弾の検証とカシオペアの戦闘運用シミュレーションは済んでいる。

 学祭までには急げば何とかなる筈だ―――そう思った。

 

 だが、しかし。

 

 世界樹の発光の早まりを皮切りにしてか、記録に無い事が起こり始めた。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンと名乗る白い少女の出現。京都で確認された黒い禍々しき存在に白い少女の母の姿をしたという呪いの存在。

 そして“完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)”の活動と復活の兆しを魔法協会が認識した。

 白い少女や黒化英霊と呼ばれる存在と少女の母の姿をした呪いの存在も非常に驚きだったが、“完全なる世界”を協会が認識したのは何より超の予想を覆す出来事だった。

 自分の識る記録では、この年の夏に起きる魔法世界でのテロ事件に続く、新たな英雄達である“白き翼(アラ・アルバ)”と“新生・完全なる世界”の戦いの最中でその事実を確認する筈なのだ。

 

 

 その識るべき記録との違いの結果―――

 

 

「――――――京都で起きた事件を機に麻帆良の魔法使い達……関東魔法協会の警戒が高まった為、去年の学祭に続き、今年も行っていた物資の搬入……工科大を始め、麻帆良で実際に活動している各サークルや此方が用意したダミーサークルの発注に紛れ、私達の下へ運び込まれていた物資の存在が5月の頭早々に協会に察知されました」

 

 龍宮神社にある一室。

 カーテンを閉め切り、電灯も付けていない暗い部屋に浮かぶ映像を背に葉加瀬が説明する。

 魔法を使わず宙に投影される映像には、ここ一ヶ月余り…学祭準備期間中に搬入し、消費した物資の状況やら、それらを使い製造している器材の目録や数量などの様々なものがグラフとして表示されていた。

 

「その為、物資の搬入は制限され。タナカシリーズ及び多脚兵器の生産が大きく遅れ、次世代型ガイノイドの方は完全に停止し、学祭までに揃えられる兵力は予定の5割を下回り。更には鬼神制御用の躯体パーツも4割程度しか調達出来ないという有り様となっています」

「そうなると、鬼神の方も六体の内の二体しか使えないのか?」

「いえ、鬼神用の躯体は計画の要ですので工科大にある余剰資材を工面し、何とか予定数を揃える積もりです。ただ…」

「ただ…?」

「…………」

「葉加瀬?」

「―――ただし間に合わせの粗悪なパーツを使う事になるカラ、残りの四体の能力は40~45%程度になってしまうネ。装甲とフレーム以外は殆ど張りぼてのようなモノヨ。だから出力も機動力も低く、戦うとなったら防御で手一杯になってしまうネ」

「それはつまり実質戦闘では使い物にならないと言う事か」

 

 言い難そうにする葉加瀬に代わって超が答えると、真名がやや憂鬱そうな表情を浮かべる。

 超は、そんな真名に誤魔化しても仕方ないので、そうなるネ…と素直に答えた。

 

「なおこうなった要因には、協会の警戒が高まる共に学園地下の警備状態の見直しと改善が行われた事もあります。これによって私達が密かに設置していた製造ライン及び格納庫としていた地下施設を閉鎖ないし縮小する事になりました。つまり生産速度が低下し、製造を行なった兵器群の管理も困難になったという事です」

 

 そう言うと同時に葉加瀬の背後に投影された映像が学園地下の図面を写し、その多くが赤く染まる。龍宮神社の地下と他6か所程だけが安全を示す青色のままで、他にも注意を示す黄色やどっちともつかない灰色が見えた。

 

「さらにこれに付随して、計画実行時に予定していた戦力投入ルートである麻帆良湖に通じる地下空洞も結界で封鎖されてしまいました」

「あそこは鬼神の巨体も抜けられる程の大穴が開いているカラネ。警戒を高めた麻帆良としては封鎖するのは当然ヨ」

「はい。また当然と言うと、これらの件で私達は完全にマークされてしまいました」

「…焦っても仕方が無いとはいえ、そう淡々という事でも無いがな。あれだけの物資を協会に黙って搬入し、集積していたのがバレたからな。正直―――……」

 

 真名はそれ以上口にしなかったが、彼女が何を言いたかったのか…それはこの場に居る者達には分かっていた。

 

 ―――正直、その時点で詰んでいる、と。

 

 一応、学祭の出し物の為だという言い訳で物資搬入の件を誤魔化したとはいえ、協会がそれを真正直に受け止め、信じているとは思えなかった。これまで協会に対して行ってきた諜報活動の件もあって完全に眼を付けられた。

 それ故、世界樹の例の噂を意図的に拡大していた事もバレバレであったらしく先日に釘を刺された。これも予てからの事であり、先の事情により必要性が高まった為、マークされていると知りながらも已む無く行なった訳だが……これがむしろ決めてとなったと言えるかも知れない。

 

 超一味(じぶんたち)が学祭期間中に何かしらのアクションを取る、と判断されたのは。

 

 だがそれでもやはり…それは必要な事だった。

 警戒が高まる協会のリソースを少しでも割き、疲労による消耗を誘う為にも。しかし―――

 

「―――次に、昨今の協会の動きですが。非常に厄介な事に世界樹を中心とした六ヶ所の魔力溜まりに用途不明な魔法陣が敷かれました。ただし用途不明と言いましたが、ドローンや上空にある飛行船からの偵察並び観測の結果。本来なら魔力溜まりから周囲に拡散する筈の魔力が拡散されず、その場に留める効果があるらしい事が確認されています」

 

 映像が切り替わり、六ケ所の地点が幾つもの画面に分けて映され、ずんぐりとした巨大な猫のぬいぐるみが画面中央に特に大きく映り、サーモグラフィのように色彩が分布されたものが重ねられる。

 それを見ながら真名が小首を傾げる。

 

「………あるらしい、というのは? ハッキリとした言いようではないが」

「はい。それは…この巨大猫を捉えた『魔力可視化映像(マナグラフィ)』の時間的推移を見て頂ければ、判るかと」

「ふむ……――――なるほど。十二時間毎に高まった魔力が何故か消えているな。留まり続けているなら猫の中心部が濃くなり、大きくなる一方である筈だが…」

 

 早回しされる映像を見て、真名が理解したようだ。

 青を地とする映像の中心部が緑、黄、赤、白、と時間を経る事に濃くなって行くのに、ある時間に達すると色が低い数値を示す緑色に戻るのだ。

 

「先程も言いましたが、一昨日から設置されたこの魔法陣の用途は不明で。この魔力の変化の原因についても現段階では不明です。ですが…」

「ウム…これでは、噂を広めた意味が無いネ」

「はい。学祭中の私達の動きから目を逸らす為の陽動として、ネットや新聞を始めとした各種の情報媒体に世界樹の噂を麻帆良を始め、関東一帯の観光業界に浸透させたのですが。これで無意味となりました」

 

 超が落胆したように言うと、葉加瀬は捕捉するように答えた。

 超は溜息を吐きそうな雰囲気だ。無理も無い。二年余りの月日を費やして進めてきた計画がここに来て暗雲に覆われたのだ。

 そんな憂鬱そうな雇い主を見ながら真名が尋ねる。彼女にとってはそれが一番の懸念だ。

 

「…世界樹の魔力を抑えられたという事は、時間跳躍弾は使えないのか?」

「いえ、それに関しては大丈夫………―――だと思います」

「…言葉に間が開いたのは気に掛かるが、取り敢えず大丈夫だと判断した根拠を聞こう」

「はい。では…今度はこれを見て下さい」

 

 画面が切り替わり、今度は麻帆良学園を全体的に俯瞰する画像が映り、それにもマナグラフィが重ねられる。

 

「これは麻帆良の高々度上空にある飛行船から捉えた物ですが、これによる魔力観測を見る限り、あくまでも例の魔法陣が抑制しているのは六ヶ所にある霊的スポットの魔力だけで、世界樹を通じて麻帆良の土地そのものに満ちる魔力はそのまま……いえ、世界樹にもこれまた未知の結界が張られているので想定値は下回りますが、使用可能な数値には達する…筈です」

「…ふう。“大丈夫だと思う”に続いて、“達する筈”と来たか―――やれやれ」

 

 説明を聞いて真名は肩を竦めた。安心材料を得たかったのに当てが外れたと言った感じだ。

 それも無理は無い。何しろ、

 

「やはりあの少女……イリヤスフィール。そいつの仕業なんだろ?」

 

 用途不明な魔法陣やら未知の結界やらと聞いて、例の白い少女に思考が行き付いたらしい。もしくは予め彼女なりに情報収集に努めての判断か。

 

「ハッキリ言って“アレ”は手強い。その有する戦力や未知の魔法を扱うという事も勿論だが、頭の方もな。そんな奴が魔法使いとして魔力溜まりを協会公認の上で押さえた以上、ただ魔力を抑制しているだけで無いのは確実だ。しかも六ヶ所全てのポイントに仕掛けを施しているんだ。線で引けば綺麗な六芒星にも円にも成る霊的スポットをだ。だとすると奴も…」

 

 その可能性は超も葉加瀬も考えている。

 イリヤスフィールもまた最終日に高まる魔力を使って何らかの大規模な魔法か儀式を行う可能性があると、しかも協会の認可を受けて。

 これまで様々な要因から、扱いが難しかった世界樹の膨大な魔力を白い少女の協力を経て扱えるとなれば、関東魔法協会……いや、より正確に言えば日本の魔法社会を管理する東西の上層部はその試みに高い関心を寄せ。また彼等も少女に進んで協力するだろう。その技術とノウハウを取得する為に。

 だとすると計画は既に破綻していると言って良い。魔力溜まりを押さえられ、仕掛けられた魔法陣を撤去できるのかも怪しいのだ。いや、例え霊格が低かろうが麻帆良に封印されている鬼神を触媒にするのだから出来ると信じたいが―――あの少女は、それを覆すだけの力を秘めていても何ら不思議では無い。

 

「分かっているアル。手強いというのは……何しろあの闇の福音(エヴァンジェリン)が認め、彼女の封印をも解呪したバケモノネ。その上、何を考え、何を目的にし、どのような行動を取り、どんな手札を持っているのか……まったく“ワタシにも判らない”のダカラ」

「「………………」」

 

 その超の言葉……その意味する所を、未来人である事を知る葉加瀬と真名には良く判った。

 あれほどの人物を、確実に裏社会の歴史に記録されるであろう偉人に足る人間を超が知らない事実―――真名は以前、京都の事件の際、あの少女に不可解な物を感じた事が在った。

 

 ―――在り得ないモノ(イレギュラー)ではないかと?

 

 そしてそれは当たっていた。

 絡繰 茶々丸から得た情報だ。製造者―――生みの親たる超と葉加瀬に逆らえない…逆らおうなど考えない機械(かのじょ)は、余す事無くイリヤスフィールに関して知り得た情報を二人の親が問うままに全て話した。

 

 魔術、聖杯、英霊、聖杯戦争―――そして並行世界。

 

 そう、イリヤスフィールは正真正銘この世界には存在し得ない人間だった。そして超が知らないという事は……。

 

(そうアル、分かっているヨ。その事が何を意味しているのカ…)

 

 その意味…答えは、白い少女に関する情報の中に在った。

 

 即ち―――並行世界。

 

 これに気付いた時、気付かされた時。超は自分足元が、踏み締める大地ごとガラガラと崩れて行くような感覚を覚えた。

 勿論、その可能性を考えた事が無かった訳では無い。この時代に跳ぶ前から幾度も考えていた。

 SF小説や映画などで散々描かれ、科学者の間でも思考実験の一つとしてタイムパラドックス論と共に何度も呈され、数多の論文の具材に成った話だ。

 未来から過去へ移動した人物が居る世界は、本当にその人物が居る未来に繋がっているのか? 未来からその人物が移動した時点で変化が生じている訳だから既に繋がりの無い異なる世界では無いのか? もしくは時間移動…過去転移そのものが異なる世界…所謂、並行世界の移動手段ではないのか? 等などと、正に空想めいたそんな話だ。

 だが、それが現実になった時―――現実だと思い知らされた瞬間。改変の望み、起きてしまった絶望を回避しようと…無かった事にしようと願い、過去へ移動した人物はどう思うか?

 

 ―――変えられない…いや、変えられなかったという事カ。あの悲劇を、絶望を……ならワタシは、ワタシは一体何のタメニ…?

 

 悲劇が起きた世界から過去が似ただけの別の世界に移動しただけ。そんな世界で幾ら力を尽くそうとも似ているだけの別の世界である以上……繋がりが無い以上、自分の故郷たる世界に起こった悲劇は無くならない、消す事は出来ない。

 超の心は折れ掛けた。貴重な資材を費やし、時間を費やし、大切な仲間を何人も犠牲にし、皆の希望を受けて時を越えたというのに………――――――何の意味も無かったと突き付けられて。

 

 或いは……それを認め。折れたままに心を挫けさせ、膝を着いてしまえば楽だったのかも知れない。

 

 だが、超にはそれは出来なかった。

 まだそうと決まった訳では無い。未来にあった記録が間違っていたのかも知れないし、繋がりが無いと断定された訳では無い。

 犠牲になった未来の仲間と託された希望の為に、そして何よりも悲劇を回避する為にも絶対に諦める訳には行かなかった。

 だから超は、突き付けられた重い現実に挫けず、抗おうと今もこうして計画達成の為に心を奮わせ、膝を着かずに立っていた。

 

 しかし…現実というのは非情である。

 

 自分の心を挫けさせたイレギュラーが如何に手強く、厄介なのか。超は思い知らされた。

 英霊の力を宿す破格の戦闘力は勿論脅威だが、外敵の存在を利用し協力を持ち掛けて麻帆良で信頼を築き上げた手腕も恐ろしく。魔術という既知から外れた神秘によって協会戦力の強化を行なったため、対麻帆良を想定した戦闘シミュレーションの見直しを迫られ、さらには此方の打つ手を無力化し…計画を破綻させかねない要素まで持ち込まれてしまった。

 

 思うにイリヤスフィールという存在がやはり最大の要因なのだろう。麻帆良と対峙する障害という意味だけでなく。魔法協会が“完全なる世界”の復活を察知し、逸早くその脅威を認識して警戒を高め、さらには西との和解を進ませる等の、記録に無い事態を招いているのは……―――恐らく白い少女と同様、並行世界から訪れた“呪い”という存在を併せて。

 

「ホント、厄介で手強いネ。でも諦める気は無いアル」

 

 思考の淵から意識を戻し、葉加瀬と真名に向き直って超はそう決意を新たにする。

 多くを犠牲にし、物資と時間を費やして此処まで来た彼女は、もう後には退けないのだから。

 

 

 だが、そんな超に対して不安を隠せない葉加瀬は、曇らせた表情で彼女に言う。

 

「ですが、問題は山積みです。戦力の充足が望めず、陽動の手を潰され、要たる魔力溜まりが先に押さえられました。カシオペアや時間跳躍弾の使用にも不安があるという最大の問題もそうですが、麻帆良の戦力が強化されている現状も無視できません。あの少女が作ったアミュレットとタリスマンによる底上げ。警戒強化による職員の増員や西との協定締結による呪術協会からの人員派遣と連携……特にこの青山 鶴子が麻帆良に居るのは非常に脅威です」

 

 彼女の背後にある映像にその問題の女性が映る。その経歴や戦歴と共に。

 

「神鳴流の数百年に及ぶ歴史の中で最強とも謳われる剣士。その実力は大戦で英雄と呼ばれる事となった兄である近衛 詠春やネギ先生のお父さん…ナギ・スプリングフィールドをも凌駕し、真実最強であるエヴァンジェリンさんに匹敵するとまで言われています。事実10年前、行方不明になる前のナギ・スプリングフィールドが近衛 詠春と共に復活し掛けたリョウメンスクナを封印したと言われる事件が――――実は、完全復活したリョウメンスクナに二人が追い詰められた所を、彼女が単独で封印したという事が此方の調べで明らかに成っています」

 

 それを示す場面が画面に映る。

 負傷し衣服を赤く血に染めながらも、漆黒に染まる眼の中に爛々と黄金に輝く瞳を見せ、凶悪な笑みを浮かべて巨大な鬼神に斬りかかる黒髪の女性。

 麻帆良が西との和解を進める事を聞き。呪術協会の情報を得る過程で偶然極秘ファイルから入手出来た映像だった。

 京都の事件で不完全な状態であったそれとは訳が違う。画像からでも伝わる凶悪な威圧感を放つ“受肉を果たした”巨躯の大鬼。だがそれを鶴子が見事真っ二つに切伏せるという信じ難い映像があった。

 

「幾ら真名さんが優れた狙撃主で、如何なる防御も無効化できる時空跳躍弾とはいえ、“その程度の物”が彼女に通じるとは思えません。どれほど強力な攻撃でも当たらなければ効果は無いのですから」

 

 葉加瀬には、鶴子に挑むのはどう考えても無謀としか思えなかった。

 狙撃を行なったとしても、直前に察知されるか、或いは躱されるか。……そしてその幾瞬か、幾秒後には真名は確実に切伏せられる。

 

「それに先程、真名さんも超さんも手強いといったあの娘も……」

 

 茶々丸を通して得た京都でイリヤスフィールが示した力の記録。そして襲撃事件の騒動の裏でドローンを使って密かに得たバーサーカーと呼ばれる黒い騎士との戦闘記録。

 率直な所、葉加瀬は侮っていた。カシオペアと時空跳躍弾という破格の切り札(チート)があれば、最強クラスと呼ばれる魔法使いや達人であろう意味は無い。これがあれば必ずこちらが勝つ、と。

 だが、極秘ファイルから入手した鶴子と先の事件で得たイリヤの戦闘記録を見て、その考えが如何に甘かったか、間違いであったのかを思い知った。

 

(あんなのは人間じゃない―――!)

 

 音速か超音速の領域で身体を動かし、時には超極音速すら超えてその手に握る原始的な武器―――剣や槍を振るって行われる攻防は、さながら台風か竜巻の如き災害であり、周囲に齎す破壊の痕跡は凄まじいの一言だ。そんな人間の姿をした災害が好きに暴れまわれば、その一帯の地形は容易に変わり、建物があれば廃墟や瓦礫と化すしかない。

 魔法使いや気を扱う武芸者が超人的な力の持ち主だとは判ってはいたが、最強クラスと呼ばれる彼女達は本当に別枠……いや、規格外だ。

 時空跳躍弾は当たるとは思えず。カシオペアにしても扱うのは開発者の超本人だ。強化服で筋力や瞬発力を超人並に引き上げる積もりだが、それでも彼女たち化け物に及ぶ訳が無く。動体視力と反射速度に関しては素のままだ。

 これではカシオペアで擬似的な空間転移を行なおうとも、彼女達の反応速度の前に“追い付かれる”―――否、“追い抜かれる”。そう、時間移動を利用した座標軸移動を使い、不意を付いて背後に回ろうが、回避の為に距離を取ろうが、その次のアクションを取る前に彼女達の方が早く動くのだ。それも人の域を遥かに超えた神速を持って。

 ただ一応、連続時間停止による無敵化(ぜったいぼうぎょ)は彼女達の攻撃にも有効だと思うが……それも何処までか。

 

「……………」

 

 葉加瀬が淡々と説明に終始していたのは、その為だ。

 戦力を欠き、計画の布石が潰され、要所の既に抑えられている状況下にあり。そんな中で切り札が切り札に足りえないという重い事実。

 端的に言えば、彼女は計画達成を諦めていた。この状況を覆す術は無い。いや、絶対(ぜろ)という事は無いから難しいというべきだろう。

 だがその可能性は幾程か? 10%…5%もあるかどうか…。

 それに更に不確定な要素がある。

 彼女は手元の端末を操作し、ある情報を映し出す。

 

「…これは?」

 

 映された画像…新聞や雑誌記事のように並ぶ文字の羅列や写真を見て、真名が眉を顰めて不可解そうにする。

 

「およそ一週間前、MM本国並び現実世界にある各国魔法協会が内向けに発表したものです」

「MMから使節団?…人間界・日本支部に親善訪問…だと、まさか此方の世界に元老院の議員や高級官僚が来るのか…!」

 

 葉加瀬の言葉を受け、内容を確認した真名は驚きを含んだ声を上げた。この一世紀近く全く無かった出来事なのだからその驚きも当然と言える。

 

「はい、そうです。大戦終結から20年。あちらは言うまでも無く、此方もその影響を受けて魔法社会が不安定になっていましたが、それも改善しつつあり、平和に向かっていますので、それを魔法社会全体に大きくアピールする為に、そしてその平和をより安定させる為にも本国…MMに不審を持つ各国魔法協会に信頼回復を求め、此方の世界に使節団を送るそうです―――ここ麻帆良へと…多くの観光客で賑わう学祭時期に紛れて…」

「だが、そのようなアピールの為なら麻帆良で無くとも良い筈だ。むしろ本場である欧州の方が……観光地の多い地中海に面した国々ならば…」

「そうですが、なんでも『彼の大戦の最中、自分達の要請によって“不幸な行き違い”が生じ、関係が悪化していた日本の東と西の両協会が和解に向かっている。喜ばしい事だ。切欠となった我らも謝意を兼ねてこれに協力しよう』と日本の両協会に打診したそうです。“これも平和の為”と銘打って。恐らく直にマスメディアを通じて両世界の魔法社会に大々的に報道されるでしょう」

「……なるほど、平和の為の親善という看板により意味を持たせ、強める為にもか。極東の不仲は魔法界でもそれなりに知られた話だからな。その和解の手助けをするとなると向こうの民衆にはウケが良いだろう。……にしても原因となった連中が“仲を取り持ってやろう”とは。それを聞いて両協会の上層部がどんな顔をした事やら……まあ、大体想像は付くがな」

 

 真名は思いっ切り不敵に、そして皮肉そうに笑う。

 恐らく顔を赤くし、こめかみを引き攣らせて「余計なお世話だ! 何様の積もりか! 馬鹿野郎!」…などと口から泡を飛ばしながら激怒しただろう。

 

「だが、それも表向きの話ネ。それだけが理由なら麻帆良は断れたアル」

「…だろうな。親善だとか、信頼回復の為とか言いながら火に油を注ぐ事をしているんだからな。…となると、やなり先の事件が原因か」

「ウム、あの事件で結界を抜かれ、侵入を許した事をMMは不安に思っているそうネ。封印されたオスティアのゲートが麻帆良の地下にある事を含めて―――学園長は向こうのゲートから麻帆良に侵入される事を不安に思ったそうダガ、本国は本国で逆の事を心配したそうヨ」

「その辺の詳しい事情は私には判らんが……噂に聞く墓守の宮殿とやらの封印にそこから到達される事を心配しての事か?」

「さて、ネ―――兎も角、この件を出されると麻帆良は本国からの使節団…という名の“視察団”を強く断れないのは確かアル」

 

 超は、真名の疑問にワザとらしく誤魔化し―――話を続ける。

 

「断れば、未だ対策が万全では無い、保安が不十分だと言っているようなモノ。表向きとはいえ、此方の世界も安全だと平和になりつつあるとアピールしたい“使節団の”面子にも泥塗る事になるネ。関東魔法協会と学園長の信頼も大きく下がると思われるヨ」

「それは私達が騒ぎを起こしても同じです」

 

 超の話に葉加瀬が割り込む。

 

「使節団…いえ、視察団が滞在する中で麻帆良に騒動が起これば、関東魔法協会の信頼は間違いなく落ち。学園長は先の事件に続く失態の責任を取らされて確実に失脚するでしょう。そうなれば日本の魔法社会は混乱し、本国が付け込むに十分な隙が出来ます」

 

 そう言って葉加瀬は超をジッと見据える。

 確かに麻帆良で騒動を起こし、学園長の失脚を始め、関東魔法協会の多くの魔法使いが責任を取らされ、本国に拘束されるのは計画に含まれている事だ。

 だが、だが…それは、自分達の計画が成功した場合―――つまり超がその後の混乱を含めた世界情勢をコントロール出来る状況にある事が前提だ。

 しかしその前提は既に崩れつつある。それでも当初の想定通りならば問題は無かった。もし失敗し計画が阻止されても騒動は学園内に留まり、自治の範囲として学園長の政治的手腕で対処できると考えられていたから。

 だから葉加瀬は尋ねる。

 

「……超さん。諦めないと仰いましたが……“分かっての事”なんですよね」

 

 このまま計画を進め、麻帆良に騒動を起こせば日本の魔法社会は確実に混乱に陥る。失敗した場合の“保険”は働かない。視察団を通じて本国の眼に触れられ、自治の範囲を超えてしまい。保険である学園長が失脚する可能性が高まるからだ。仮に失脚しなくともその権勢は大きく落ちるだろう。

 そうなれば本国の介入を招き、関東魔法協会は西と再び対立する事になりかねず。ネギの身柄も元老院の特定勢力に押さえられる可能性がある。さらに悪ければ……“姫巫女”に手が及ぶ事も…。

 そうなったら―――勿論、全てを知っている訳ではないが―――超の居た未来以上の悲惨な未来が訪れるのは確実だ。代わりに“悲劇”は起こりようも無くなるかも知れないが……流石にそんな形で超も“無かった事”にしたくはないだろう。

 

「諦めないというのなら、私達は絶対に成功しなくてはいけません。でないと…」

 

 繰り返すようだが、超の過ごした時代よりも悲惨な未来が築かれてしまう。

 

 

 葉加瀬の問い詰めるような言葉に、超はこれが最後の分岐点なのだと感じていた。

 進むか、諦めるか、どちらかの。

 考えるまでも無い。超は既に決めている―――そう、自分の進む先は血に塗られた修羅の道。決して振り返る事も戻る事も許されない…否、出来ない。そう、託された希望を裏切れないのだから。

 例えその先に望む未来が無かろうとも……。

 

「“分かっている”ネ、ハカセ。確かに不利な状況に追い込まれ、色々と予想外な事態が重なってしまた。しかし全く勝機が無い訳でも、逆転の手が無い訳でもないネ。それに―――多分、ハカセの心配は無用アル。…だからワタシは諦めずに進むネ」

 

 そう答えて超は葉加瀬に首肯した。

 それは勘のような物だ。葉加瀬が危惧する事態になることは無い……脳裏に厄介な敵である白い少女の姿が浮かび、彼女が何とかしてしまうと信じられるナニカを感じたのだ。

 或いは―――

 

「いっその事、彼女を―――イリヤスフィールを味方に引き込めれば…ホントに心配が無くなり、此方の勝ちが決まるのダガ」

 

 感じたナニカを自らの手元に置きたいと思い、そう呟く―――が、

 

「―――それは無理だと思います」

 

 薄暗い部屋の入り口からそんな声が耳に入った。超と葉加瀬、真名が声の方へ顔を振り向かせる。

 

「茶々丸…」

「すみません。遅れました」

 

 会議に遅れた事に頭を下げる茶々丸。

 

「いや、それは構わないが……今の言葉はどういう意味アル?」

「それは…マスターからの伝言です。『もしイリヤを味方にと考えるなら無駄だ。アイツは決してお前には協力しない。魔法(しんぴ)を世に明らかにする事は魔術師にとって最大の禁忌だからな。ついでに言えば―――いや、これが最も大きいか。お前が未来人だと知られ、望みが過去改変だと知られたら、イリヤは絶対にお前を受け入れないだろう。だから目的を達したいと思うのならイリヤに余計な事は言うな』との事です」

 

 レコーダーのように主の声色と口調を再現して、茶々丸は超の問いに答えた。

 

「…そうか。イリヤスフィールを味方に引き入れるのは難しいカ」

「残念です。あの子が味方になってくれれば、ホントに此方の勝ちが決まりましたのに…」

 

 超は伝言にある言葉の中に気になる物がある為、茶々丸の言葉に頷きながらも顎に手を当てて悩む様子を見せ。葉加瀬はなお勝利が遠い事実が確認されて落胆する。

 真名は超同様、考え込むように腕を組んで、

 

「未来人と知られ、過去改変が目的だと知られたら……か」

 

 そう呟き、それが耳に入った超の肩が微かに震えた。それが彼女の気になる言葉だからだ。

 

「それともう一つ伝言があります――――………」

 

 落胆し、難しそうな顔をする三人の様子を気にしていない様子で茶々丸が再度口を開くが―――

 

「ん?」

「…どうしたの茶々丸?」

 

 何故か言葉を切って途中で黙り込み、超と葉加瀬が訝しむ。

 

「…………」

「どうした? 言い難い事なのか?」

「あ、その……ハイ……いいえ、ですが…」

「んん?」

 

 黙り込む茶々丸に真名も問い掛けると、茶々丸は機械(AI)らしくない曖昧な返答をする。尤も機械がそんな人間のような曖昧さを持てる事こそが凄いのだが……。

 そんな迷いを見せる茶々丸に超は何とも不安を覚え、彼女に声を掛ける。

 

「茶々丸―――?」

「……すみません。改めてお伝えします」

 

 生みの親にこれ以上心配を掛けてはいけないと思ったのか、姿勢を正して茶々丸はしっかりと主からの言葉を伝えた。

 

「……『超、葉加瀬。私はお前達が如何なる騒動を起こそうとも、麻帆良を困らせようとも、世界を混乱に陥れようとも関係無いと静観する積もりだった―――が、悪いな。それは出来なくなった。私は私の為に協会に……いや、イリヤに付く。だがそれを知り、もしお前達がイリヤに何か…そう、危害を加えようと思うなら止めて置け、私はどのような事をしても必ずその代価は払わせるだろう。……先程の事も含め、これらを伝えるのは義理だ。超…お前には少しばかり世話になったからな。以上だ。それら肝に銘じて置く事だ』との事です」

 

 茶々丸からの二つ目の伝言。それを伝えられて室内は重たい雰囲気に包まれた。

 

「そ、そんな……こ、これじゃあ…」

「……闇の福音(ダークエヴァンジェル)―――エヴァンジェリンが敵となるのか…!」

「……想定外もいい所ネ…」

 

 三者三様に驚愕して表情を強張らせた。ただでさえ低い勝率が下がった上に“伝説”と対峙しなくてはならないのだ。裏を知る者なら誰もが恐れ、対立を忌避する吸血姫と。

 特に超にしては、驚愕の他に当てが完全に外れたという思いもある。

 交渉や条件次第ではエヴァは味方に引き込めると考えていたからだ。無論、その代償は高いだろうが、計画達成を思えばどのような物でも……例え自分の命や魂であろうと、安いものだと差し出す覚悟だった。いや、むしろ永遠の命を持ち、富や名声に興味が無い相手だからこそ、そういった命を賭した覚悟を示す事が吸血姫を唯一動かせるものだろう―――だから本気で全てを賭ける積もりだった。

 だというのに……

 

「くっ…!」

 

 歯噛みする。此方が勝機を手にする最大の手札が失われた。

 

「いや…! まだ、まだアル!」

 

 故に超は脳裏に浮かんだそれに望みを託す事にした。エヴァの忠告にもあるように可能性は低いかも知れない。しかし試みる価値はあるだろう、何もしないよりはマシだと考えて。

 無論、それだけでなく。現状のプランを見直し、推し進められるだけの方策を講じるが。

 

「まだ、負けたと決まった訳じゃ無いアル…!」

 

 立ちはだかる重い現実と心を覆う不安に潰されないように、彼女はそう己を鼓舞した。

 懐に隠した懐中時計(カシオペア)を無意識にも握り締めて。

 

 

 

 ―――だが、やはり初めからではないかと思った。

 

 自分が識る世界とは異なるズレがあり、計画が崩れていたのは……―――今になってそう思うのだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 色々な事が在った。

 白い世界が壊れ、そこから彼に手を引かれて逃れ、街を抜けた先でドローンやヘリからの攻撃と追跡を振り切り。安堵したのも束の間、MMでも火星行政府軍でもない第三の勢力に捕まり……保護とも言える扱いを受け、自分を守ってくれる彼とその勢力の下で過ごした。

 戦争に加わらずテラフォーミングを再開し、進めようとするその勢力の活動に共感して彼と共に頑張った。

 

 多くの事を学び、実践し……多くの事を成せたと思う。

 

 けど、けど……戦う力も少ない。それでも身を守るだけの力がある自分達。

 日和見的に戦争に加わらない、どちらの勢力にも手を貸さない事が、徐々に賛同者が増える事が気に入らないと言われ―――ある日、そこは炎に包まれた。

 

「…ここまでか…駄目だなこりゃ…」

「そんなこと無い! 大丈夫、大丈夫だから! 早く、早く逃げよう!」

 

 彼を肩から担いで必死に歩く。以前とは逆だ。私が彼を引っ張って逃げている。だけど―――

 

「……ありがとうなリン。けど……けど、な。…やっぱ、大丈夫じゃ…ないみたいだ」

「ッ!」

 

 彼の腹部…シャツが真っ赤に染まり、ズボンも塗れ、ポタポタと地面に赤い斑が出来る。

 それを見て、私は彼を担いで歩きながらも治癒魔法を使った。

 途端、激痛に身体が覆われる。代謝を活性し血を止めて、傷口をなんとか塞げる程度の低位の回復魔法で、魔力も大して使わないというのに、身体中に施された呪刻が熱く疼く。

 

「…よ、止すんだ…ゴフッ! …こっ、この程度の……ま…魔法じゃあ……どうにもならない……返って…魔力が探知され……敵に見付かる…だけだ」

 

 彼の身体から力が抜けて行く。青い顔をし、咽込んで赤い血を口から吐きながらも喋る。

 

「……だから、な」

「!―――ヤダッ」

 

 何を言いたいか察し、強く首を横に振る。

 

「き、聞き分けない事を…言うな。分かって……いるだろ」

「いやッ!」

 

 とうとう彼は膝を着く。ポタポタと落ちる赤い滴が大きくなり、水溜りのように地面に大きく広がる。

 もう助からない、治癒しても手遅れ―――それは判っていた。けど私は首を何度も横に振った。ヤダだとかダメだとか立ってだとか、幼い子供のように我が侭を言った。

 そんな私に彼は笑って言う。痛い筈なのに、苦しい筈なのに、辛い筈なのに。しっかりとした口調と声で。

 

「行くんだ。俺を置いて……そうすればリン、お前は生き延びられる。そしてきっと多くの事を成せる。きっと多くの人を助けられる。きっとこの明日が無い星を……希望がとても儚いこの世界を変えられる。だから―――」

 

 ―――いきなさい。

 

 最後のその言葉は日本語だった。

 生きなさい、行きなさい、と。そう二つの意味を込めて言ったのだろう。私はそれに―――

 

「―――ハイ。いきます」

 

 そう答えた。

 さっきまでの見苦しいまでの我が侭はなんだったのか、という程にあっさりとハッキリした声で。

 だってそれが最後の言葉だって、彼の遺言なんだって分かったから。それを子供のような我が侭めいた言葉で返す事なんて出来なかった。

 

 だから私は最後に頬が濡らしながらも笑顔で―――

 

「ありがとう。あの時、私の手を引っ張ってくれて。これまで守ってくれて。本当にありがとう。私は貴方の事が大好きで―――心から愛していました」

 

 ―――感謝の言葉を秘めた想いと共に告げた。

 

 

 

 私は生き残った。

 勿論、私だけでは無い。散り散りになりながらも多くの仲間が生き延びた。そして新たな戦いが始まり、私は彼の遺言を果たす為に―――いや、本当はただ取り戻したかっただけなのだろう。

 

『―――リン』

 

 そう自分の名前を呼んで笑い。頭を優しく撫でてくれる“赤い髪をした彼”との日々を。

 

 だから本当は私は、私は―――…未来を救うことなんて……けど、それでも背負ったものの為に、託されたものの為に…私は。

 

 ―――今という過去…この時代にいるのだ。

 

 

 




 イリヤとアイリというイレギュラーの影響で策士たる超鈴音が戦う前に詰んでしまってます。
 代わりに原作と異なる問題も生じてます。


 今回のあとがきは長くなりますが、宜しければお付合い下さい。

 本作は独自解釈や拙いながらも考察を行ない、原作を補完するように設定を作っているのですが、今回に当たってはかなり悩みました。
 というのも、原作では超が経験した悲劇ついては殆ど(全く?)描かれず、何処にでもあるありふれた出来事と言うだけでした。そして魔法世界の崩壊とそれに続く地球との戦争についても全く経緯が謎です。
 特に後者については2012年に崩壊したとあり、この年代で魔法世界人が火星に投げ出されては、とても生き延びられると思えず、また魔力が枯渇し崩壊した以上、地球とのゲートも機能するとも考えられず、どのような過程を経て地球と戦争に至ったか本当に謎でした。

 考えられるとすれば、MM上層部が崩壊を予測し、シェルターなどを建造していたと言った所でしょうか?

 しかし、この時点では地球人は火星に到達できたとは考えづらく。地球と戦争になるとは思えません。
 となると、何とかしてゲートを開いたか、宇宙船を建造して地球に赴いたかのどちらかでしょうが。それでも僅かに生き残った魔法世界人と地球人が戦争になるかと言えば―――恐らくは成らないでしょう。
 魔法使いが幾ら一般人よりも戦力的に優れていたとしても、その多く者が近代兵器で身を固め、訓練を積んだ兵士には及ばないのですから。況してや魔法世界人の生き残りは少ないのです。
 戦端を開けば戦争にすらならない一方的な虐殺となるでしょう…というか、魔法世界人に戦争を挑むほどの余力があるとは思えません。交渉して何かしらの対価を支払って援助と保護を得るのが普通です。
 まあ、代わりに難民問題が発生(生き残った人数が少ないと思うに数十~百万人程?)し、ある程度の衝突は起こるかも知れませんが。やはり“地球との戦争”という規模にはならないでしょう。

 そして原作の超曰く、今後100年で火星は人の住める星になるとの言葉。
 これを思うに地球人は火星に到達して…そこで魔法世界人と戦争に至り、“悲劇”も火星で起きたと考えられます。超も自称“火星人”ですし。ただ、起こった戦争と悲劇も前述の過程(魔法世界人の火星脱出後、地球への移住)を経て、到達した地球人同士が相争ったという可能性もあるのですが(むしろその可能性の方が高い? 真名が参加する火星独立戦争?)。
 しかし原作の流れを見ると、MMと地球人との戦争のように自分的には思われ……今話にあるように魔法世界が崩壊したのは原作の記述よりも後で、明日菜が眠りについて魔法世界の延命を図り、ネギ発案のテラフォーミングがある程度進んで地球人が少なからず移住した時では無いかと設定しました。
 で。様々な問題に直面し、本文にある通り戦争に至り……泥沼化しました。
 ついでに言うと、崩壊を回避出来なかったのは、プランを出したネギの計算と予測が甘かったのでは?とその世界では言われています。

 更についでに言うと、講和交渉の際、地下から脱出した火星行政府の人間達は、私怨であの演説と訴えを行なっています。
 自分達の政治的失態でMMに武力行使を選択させ、戦争となった責任を何とか逸らしたいという思惑と、開戦時の戦闘で子息などが犠牲になった怨念を晴らす為です。
 そして地球各国も世論に流されながらも慎重な意見も少なくなかったのですが、MMとの国力と軍事力の差から簡単に片が付くのではないかと。嘗ての火星行政府と同様の轍を踏んで楽観視して戦争のGOサインを出しました。
 火星と地球との距離や今後の宇宙船のパーツが貴重になる事実を余り考慮に入れずにです。ただ軍事関係者はこれを理解して反対しており、政治家がこれを軽視したともしてます。

 とまあ、色々とそれらしい設定を捏造しましたが、結構強引だと思ってます。戦争の発端や講和が決裂して泥沼に至った状況まで全て。

 あと、開戦時に人が住まう事が可能な土地はフィリピンぐらいの陸地面積分は一応ありますし、魔法世界人と地球からの移住者は総じても9000万~一億人程度ですから。
 多少きついですが、お互い我慢すれば本当に争う必要はありませんでした。

 超の過去については……彼女が戦う理由により肉付けしたかったのと、設定厨な自分の趣味以外何でもありません。これを言うと上記の事もそうなんですが…。

 最後の方の“彼”の遺言にある、あの言葉は某有名ラノベ作品からパクりました。
 あの台詞と場面は、数ある小説やラノベの中でも屈指の名言、名シーンだと自分は思っています。ただそれを堂々とパクった事を不愉快に思われる方も居られると思いますので、此処で謝罪させて頂きます。

 本当にすみません。最後の部分を書いていたら何故かあの作品のその場面が浮かんでしまい。借用せずにはいられなくなったのです。
 ただ悪意は無い積りです。あの作品が好きで、あのシーンが印象的だったからこそです。どうかご容赦下さい。


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第33話―――自覚、芽生え

「それじゃあネギ君。デートしっかりな。せっちゃん、カモ君、フォロー任せたえ」

「はい、お役に立てるかは判りませんが、出来る限りサポート致します」

「え?」

「あれ、木乃香姉さんは来ないんですか?」

 

 朝、ネギカモコンビと刹那と一緒に寮を出た木乃香が足早に一同よりも前に出て手を振ると、事情を知る刹那は頷き返し、ネギとカモが不思議そうに首を傾げた。

 

「付いて行きたいのは山々なんやけど、今日はエヴァちゃん所とは別の修行があってな」

「別……ですか?」

「うん、西から来た人にちょっと陰陽術を教わる事になっとるんよ。イリヤちゃんからも勧められて早めに覚えんならん術があるんやえ」

「イリヤお嬢様が……?」

 

 答える木乃香にネギとカモは尚も疑問の表情を浮かべるも、木乃香はそれに気付かず急いでいるのか、「じゃあ、行ってくるえ」と登校時にも使うローラースケートで素早く道を駆けて行った。

 

「では、私達も急ぎましょうか。明日菜さんを余りお待たせるのもなんですし」

 

 刹那もまたネギ達の疑問気な様子を気に掛けずにそう促した。

 

 

 

 待ち合わせまでの道の途中で一度人気のない路地裏に入り、ネギは素早く着替えて詐称薬を飲む。寮で使わなかったのは大人になった姿を誰かに見られるのを警戒しての事だ。この人気のない路地裏にも人払いの結界を張っている。

 

「どうかな?」

 

 目線が高くなった為、薬の効果が出ているのは間違いないのだろうが、一応ネギは確認するため刹那とカモに尋ねた。

 

「……ええ、大丈夫です。十代半ばか後半ほどに見えます」

「うーん、出来れば姐さん好みの歳にしたかったんだが。この薬が安もんの所為か上手く調節できねえからなぁ。…いや、安もんって言っても普通の薬よりはずっと高ぇんだが。やっぱお嬢様みたくエヴァンジェリンの薬を分けて貰うべきだったか」

 

 刹那は何故か頬を赤らめながら問題無い事を告げ、彼女の肩に乗ったカモは不満そうに愚痴を零す。

 

「今更言っても仕方ないよカモ君。それにこんな事で師匠の助けを借りたりしたら後が怖いし……それじゃあ、問題なさそうなので行きましょうか」

「あ、いえ。ここからは別れた方が良いでしょう。ネギ先生はお先に。私達は後から付いて行きます」

 

 カモの愚痴に苦笑しネギは待ち合わせ場所へ向おうとするが、刹那が待ったを掛けてネギに先を急がせる。

 ネギは頷き、

 

「そうですね。それじゃあ僕は先に明日菜さんの所へ行って来ます」

 

 そう言って、刹那とカモに軽く手を振りながら路地裏から表通りに出て行った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 明日菜は麻帆良駅前にあるスターブックスというカフェの前でネギを待っていた。

 

「……といってもねえ」

 

 明日菜は思わずポツリと呟く。

 昨日も言っていたが正直、明日菜はネギとデートする事に乗り気では無かった。

 ネギを相手にしても仕方が無いという思いもあるが、別荘でイリヤと話し、夢で幼い自分と話した事で色々と吹っ切れたからだ。

 勿論、それなりに緊張やら二の足を踏みそうになる恐怖はある。それでも昨晩、部屋の皆が寝静まる頃には何とか踏ん切りを付けられ、タカミチに連絡を取れたのだ。

 そう、既に学祭での約束は取り付けていた。

 

「けど、まあ…これといって予定がある訳じゃないし。たまにはネギと二人で遊ぶのも良いか。今日は学祭前の最後の休日な訳でプレオープンしている店や出し物なんかもあるだろうし、アイツの大人姿を見てからかってやるのも一興かな?」

 

 乗り気でない己を納得させて楽しむ事を考える。

 

 そうして時折、声を掛けて来る同年代の男子やら大学生ぐらいの男性を適当にあしらい――誘った男性も待ち合わせと知ると大人しく引き下がってくれるという出来た麻帆良の生徒な為――明日菜はこれといってトラブルも無くネギを待ち。十五分程経過して彼と顔を会わせた。

 

「すいません。お待たせしました明日菜さん」

「――!」

 

 十代半ば過ぎ……いや、欧風の顔立ちの所為でさらに幾分上に見える彼の姿に明日菜は一瞬既視感を覚える。

 ナギ…!と思わず声が零れそうになり――明日菜は慌てて自分の口を塞いだ。

 それはまだ早い。ネギに自分とナギの関係を知られるには早過ぎる……と、内なるアスナ(おのれ)の訴えが聞こえたからだ。

 

「? 明日菜さん、どうかしましたか?」

「あ、ううん、なんでもない。ちょっとびっくりしただけ、またナンパかと思ったからさ」

 

 明日菜はそう誤魔化す。

 

「ナンパですか…?」

「そ、さっきからちょくちょく声を掛けられてね」

「なるほど、明日菜さんは美人で綺麗ですしね」

「び、美人……綺麗って!? 多分違うわよ。学祭が近くて世界樹の噂もあるからこの時期には、手当たり次第に声を掛けるそういった軟派な奴が結構多くてね」

「そうなんですか?」

「うん、世界樹の例の噂話や学祭の雰囲気に浮かれて乗っちゃう女子も少なからずいるみたいだし、遊び半分でそんな男子を釣る女子も中にはいるしね」

「はあ?」

「だから私もこんな学際前の休日で一人寂しく佇んでいたから、そういった女子の一人だと思われたのよ……きっと」

「むむむ……」

 

 明日菜の話にネギは理解できない……と言いたげな表情を浮かべる。

 薬で外見こそ大きく成ったが、やはり10歳の幼い彼にとって女性に手当たりしだい声を掛ける男子やら、遊び半分で男性の誘いに乗る女子の考えが判らないのだ。

 どちらも不誠実だとしか思えない……のだが、

 

「ま、私もそういうのはどうかと思うけど。……でも中には真面目だったり、切実な理由があったり、そこから真剣な付き合いになる事もあるんだから、全くは否定できないんだけどね」

「……そういうもの、ですか」

 

 否定を含みながらも肯定的にも言う明日菜の意見にネギはむう……と難しげに眉を寄せる。しかしそれでも頷いて見せて、男女関係の仲は難しいのだなと取り敢えず納得する事した。

 そんなネギの表情を見て、やっぱり外見だけで中身は子供のまんまね、と。明日菜は半ば呆れた様に内心で呟き、ナギの面影を見た動揺が抜けて行くのを自覚する。

 

「そうよ。だいたいアンタだって私と木乃香や刹那さん、本屋ちゃんと何人もの女の子と仮契約しているでしょ」

「あ、そ…それは……うう、そうですね」

 

 明日菜の指摘を受けてネギが言い訳を口にしようとするが……余り弁明できないと思ってか肩を落とした。

 仮契約が志を共にし、同じ道を歩んでくれる従者(パートナー)を探す以外の目的……恋人探しの口実に使われているのは確かな事実なのだから。そんな対象を複数人抱えている自分は……と、ネギは今更ながらに気付かされて落ち込んだ。

 そうして肩を落として俯くネギに明日菜はクスリと笑う。やはり普段と変わらないネギだと思って――動揺は完全に抜けた。

 

「……じゃあ、行こうか。何時までも立ち話をしているのもなんだしね。学祭本番はもうちょっと先だけど、プレで色々と面白いものが見られるからさ」

「あ、ハイ……って、待って下さいよ明日菜さん!」

 

 先に歩き出した明日菜をネギは顔を上げて慌てて追い駆けた。

 

 

 ―――――――――――と。

 

 

 それを影から見ていた者達がいた。

 先程までネギと一緒に居た刹那とカモ。そしてそれとは別に明日菜の後を付けていた夕映とのどかだ。この二人に気付いたのは、流石は一流どころの剣士というべきか……刹那であった。

 物陰に潜み、明日菜に向けられる奇妙な視線に察知して件の図書館コンビを見つけたのである。

 この二人がこの場に居る理由は明白だ。のどかは想い人たるネギが友人と言えるクラスメイト……明日菜とデートする事が気に掛かり、夕映もまたそんな親友の様子が気に成り――或いは密かに芽生えつつある想い故に――明日菜の後を隠れて追ったのだった。

 

「……にしても姐さん思ったよりも平然としてんな。兄貴を見た時に一瞬動揺したみてぇだったが、なんか色恋的なものとは違うようだったし、ナンパ連中も慣れた様子で追っ払ってたし」

「うん、私だったらあんなカッコいい先生に傍に寄られたら緊張しちゃって真面に顔も見られなくなるよ……」

「……気持ちは判りますが。のどか、それではいけませんですよ。貴女も学祭に向けて頑張らなくてはいけないのですから」

 

 カモの言葉に答えるようにのどかが言い、夕映が弱気な彼女を何時ものように嗜める。

 

「明日菜さんはやはり綺麗ですからね。休日に出掛けると先程のように男性に声を掛けられる事はよくあるんですよ」

「てえと、思ったよりも男に免疫があるって事か。少し意外……でもねえか、よくよく考えたら姐さんならあり得るな、確かに…」

 

 刹那の話に納得するように頷くカモ。

 ちなみに刹那がそんな事情を知る背景は、この二年余りを影から木乃香を護衛していた為で。明日菜と共にその大事なお嬢様が男性にナンパされる場面を幾度となく見ていたからだ。当然、その度に刹那は激しそうになる感情を抑制しなくてはならなかったが。

 しかし中学生に声を掛けるナンパ師というのは同年代ならば兎も角、大学生や大人までとは――中々のチャレンジャーだなオイ……と、カモは明日菜の容姿を認めながらもそんな事を思う。

 

「と、いけね。俺っち達も行かねえと」

 

 話し込んでいる間に明日菜とネギの背中が随分遠ざかっている事に気付き、カモ達は急ぎ二人の後を追う。慣れているにしろ慣れていないにしろ、これは明日菜が本番に備えた予行演習(デート)なのだ。その本番の為に確りとサポートしなくてはとカモは意気込む。

 

 

 ―――――――――のだが、

 

「何か普通に楽しんでますね」

「……うん」

「……です」

「……ああ」

 

 あれから凡そ二時間近く経過し、カモは念話でネギにそれとなく明日菜に顔を寄せさせたり、それっぽい甘い言葉を口にさせたりしたのだが、

 

「駄目だ。何か上手く行かねえ! 動揺したにしてもほんの一瞬だし、それほど大きくもねえ……! 姐さん本当に男慣れしてんじゃねえのか!?」

 

 カモがそう愚痴る程に思惑通りにいかなった。

 

「うーん、やはりイリヤさんも言われてましたが、ネギ先生というのが良くなかったのかも知れませんね。傍から見ると恋人の逢引のように見えますが、二人の事を知る私達からすると仲の良い姉弟のやり取りのようにも見えます」

「確かにそうですね」

「うん、そう言われるとそうとしか見えなくなって来ちゃった」

 

 刹那の感想に夕映とのどかが同意する。

 それも仕方が無い話である。幾らネギが同年代や大人の姿になったとしてもその正体は十歳の子供。そしてそれは明日菜にも判り切った事なのだ。片やネギにしても気安い明日菜の前では何時もと変わらない普段通りの振る舞い……口調や仕草が十歳の子供のままである。

 これでは明日菜にネギを男性として意識しろといっても土台無理があろう。

 

「ぐぬぬ……こうなったら思い切って大胆に攻めて見るか…! よし……兄貴――」

「あ、カモさん。余りやり過ぎるのは――」

 

 イリヤが注意したように思い通りに行かない事実に腹が据えたのか、カモは気炎を上げてネギに念話を送り。刹那が不穏な予感を覚えてそんなカモに注意を促す――が、

 

「きゃあああああーーーーぁっ!!!?」

「えええええーーーーっ!!?」

 

 刹那の予感は外れず、トラブルが発生して明日菜が悲鳴を上げ、ネギが驚愕の声を上げる。そして、

 

「このっ…! 何すんのよーーっ!」

「うも゜っ!!」

 

 スカートの中に顔を突っ込んだネギに明日菜が拳を振りかぶり――思いっ切り殴り飛ばす。

 

「ろめぬけもぽこれーーーっ!!!」

 

 まるで大型トラックに跳ねられたかのようにネギは派手に吹き飛び、訳の分からない悲鳴を上げながらカモ達の前に飛び込んでくる。

 

「ヒッ……ネ、ネギ先生ーー!!?」

「あ、あわわ…わ」

 

 突然の悲劇(いや、喜劇か?)にのどかも悲痛な声を上げ、夕映は顔を青くして声を震わせた。何しろ明日菜が無意識に魔力やら気やらを籠めて放った一撃なのだ。ネギに魔力の水増しによる身体強化と魔法障壁が無かったら危うく死んでいた所である。

 それを理解しているのか、していないのか? 肩を怒らせて明日菜が此方へ…追撃を加える為か、ネギが吹き飛んだ方へと歩いて来る。

 幾ら子供とはいえ、スカートの中に顔を突っ込まれては思春期の少女として寛容に許すことは出来ない――が、

 

「あんた達…!」

「「「ヒッ」」」

 

 明日菜は、自分の怒りの形相を見て怯える一同の中から元凶らしき人物…否、畜生を見出しソレに鋭い視線を向ける。

 

「アンタの仕業ね! このエロガモーーーっ!!」

「ゆ、許して……姐さーんっ!!」

 

 ハマノツルギ(ハリセン)を取り出して繰り出す叩きからカモは必死に逃げる。

 

「許すかぁっ!! 避けるなぁっ!!」

「ヒィイイ……お、お助けーーっ!」

 

 そんな、どこぞの仲良くケンカしな♪的な猫と鼠のようなやり取りを見て――刹那は溜息を吐くも、

 

「カモさん、この事はイリヤさんにシッカリと伝えておきますから」

 

 無情にもカモにとって最悪最凶の宣告をする。

 

「そ、そんなーーーっ!!!……ぐぇあ!?」

 

 無慈悲な宣告を受けて愕然と固まる彼に、早くも断罪の一撃が明日菜より下された。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「まったく、あのエロガモは……最近は随分大人しくしていたと思ったら――後でシッカリとイリヤちゃんに叱って貰わないと」

「す、すみません。でも出来たらお手柔らかにお願いします」

「それはイリヤちゃん次第ね」

 

 騒動の後、明日菜とネギは龍宮神社の近くにある芝生公園で休憩を取っていた。

 なお騒動を引き起こしたカモを始めとした刹那達一同は、カモを止められなかった事と覗き見ていた気まずさもあってか、そそくさと退散していた。

 明日菜なりに周囲の気配を窺う限り、確かに刹那達の気配は無い。勿論、未熟な彼女では断言はできないのだが……大丈夫だろうと思う。

 

「それでネギ、大丈夫。さっきは手加減できなかったから。アンタがあんな事するのも久しぶりだったし」

「あ、はい。大丈夫です。師匠(マスター)や古老師に鍛えられていますから」

 

 明日菜の言葉にネギは芝生に横たえていた身体を起して答える。

 

「はは、くーへは兎も角、エヴァちゃんは厳しいもんね。私達も結構無茶させられてるし」

 

 別荘に出入りするようになってからの事を思い出して明日菜は苦笑する。

 ネギや刹那と一緒になって何度硬い地面の上に沈んだ事か。

 夕映やのどかは基礎の基礎段階だからまだそんな怪我するような目には遭ってないのだが……元々、同じ素人であった身としては、ネギと刹那と同等の訓練をさせられる事に少し理不尽に思わなくもない――そう考えていたが、それも昨晩までだ。

 何しろ……――

 

「あの、……明日菜さん」

「――ん……何?」

 

 ネギに何処か改まった口調で声を掛けられ、明日菜は沈みかけた思考の淵から意識を浮上させる。

 

「明日菜さんは何でタカミチを好きになったんですか?」

「―――――」

 

 ネギの唐突な問い掛けに明日菜はあらゆる思考が止まり、一瞬意識が真っ白になった――が、

 

「――いきなり単刀直入ね。またどうしてそんな事が気になったのよ?」

 

 一瞬に留めて明日菜は、直ぐに精神を立て直して逆にネギに問い返した。

 今の明日菜にはその問いに返すべき言葉が見当たらないからだ。胸に渦巻く複雑な感情と自身の秘密故にこの胸中にある思慕にも自信どころか確信すら持てなくなったから。

 少なくともタカミチと話すまでこの曇った感情は晴れないのだろう。

 普段通りの取り繕った表情でそれを上手く隠せたのか、明日菜の一瞬の思考の漂白には気付かずネギは彼女の問い返しに答える。

 

「その、好きになるっていう事が……よく分からなくって」

「あ、なるほど。流石はガキ…ね」

 

 言葉が足りず、何処となく抽象的なネギの言葉の意味を察して明日菜は少し呆れる。まあ、確りしているようで十歳の子供なのだからそれも仕方ない……とも思うが。

 

「すみません。でもやっぱりどういう事なのか分からなくて」

「やれやれ、本屋ちゃんもこれじゃあ苦労するわね」

「はい。重ねてすみません。のどかさんには失礼だと思ってます。一生懸命に勇気を出して告白してくれたっていうのも判るんですけど、でもやっぱり……――分からなくって」

「……」

 

 しょぼんとした様子で語るネギに、明日菜は何故こんな質問をして来たのか何となく理解出来た。

 単純な好奇心や恋愛ごとへの関心もあるのかも知れないが、想いを寄せてくれるのどかの為にもそういった事を理解しようと思って尋ねたのだ。

 

「……うーん」

 

 思いの外、真面目な理由があると判断して明日菜も真面目に考える。

 自分の例を出すのはさっきも思ったが色々とあってその気にはなれない……というか、自分の場合はずっと傍で見守ってくれたその感謝の念が昇華したモノだろうし、色々と失い……ショックを受けた心を埋める代償的な部分もあると思うし、とてもじゃないが参考にはならない。

 表層意識と深層にある無意識を混ぜてそんな風に考える明日菜。

 

 ――と。

 

「あれ……?」

 

 好きになる……人を好きになる……好きな人……と――脳裏に言葉を繰り返し、ふと最近聞いた話を連想して思い出す。ネギと同じ歳で好きな人がいると言っていた人物の事を。

 だからつい口に出してしまった。

 

「そっか、ならイリヤちゃんに訊けば何か参考になる話が聞けるかも……」

「え、イリヤ……?」

「あ……!」

 

 気付いて明日菜は慌てて自分の口を塞ぐ。

 自分達女子には話してくれたとはいえ、こんなプライベートな事を本人の了承も無く言いそうになるとは……迂闊過ぎる。もしイリヤちゃんに知られたらと、“断罪の魔女”を恐れるカモの様相を思い出して明日菜は背筋を寒くするが、

 

「イリヤに……どうしてです?」

 

 既にもう手遅れなのかも知れない……そう明日菜は思った。

 ジッと真剣に探るように見るネギの眼に誤魔化すのは悪い気もする……それにここに至って気になったのだ。昨日ネギがエヴァの別荘で見せた反応や、何かとイリヤをライバル視しているあやかの事。

 あやかに関してはただの言い掛かりだと、勝手な勘違いだと思っていたからそれ程気にしては無かったのだが……だが、しかし、よくよく考えてみるとイリヤちゃんは全く興味無さそうでも……ネギの方は本当の所はどうなのか? 同じ歳のあんな綺麗な娘が傍にいて何も思わないものだろうか?

 

「…………」

 

 数瞬の沈黙。ネギが黙った明日菜に不思議そう首を傾げる。

 明日菜は僅かに躊躇ったが……それを口にした。

 

「……イリヤちゃん好きな人がいるんだって。あんな確りした子だし……うん、やっぱ大人だよね。ガキなアンタとは違ってさ」

 

 少し意地が悪い風に敢えて言う。その方がネギの感情を揺さぶれ、引き出し易いと思ったからだ。その演技が功を奏したのか、

 

「へ――?」

 

 ネギは呆然とした表情を一瞬見せ――

 

 

 

 ◇

 

 

 

「あれは……――セツナにユエ、ノドカじゃない」

「え? あ、イリヤさん! それにエヴァンジェリンさんも…!」

 

 世界樹前広場にある魔力溜まりをチェックし終わったイリヤ達は、次に学園外縁部に設置されている結界を見回ろうと移動していた所、ネギと明日菜と別れた刹那達の背中を見掛け、イリヤは足早に近づきながらその背に声を掛けていた。

 

「こんにちはですイリヤさん。エヴァンジェリンさん」

「こ、こんにちは」

「イ、イリヤ…お嬢様に……エヴェンジェリン…さん、こ、こんちわっす」

 

 背後から声を掛けられて少し驚く刹那の隣から挨拶する夕映とのどかに……刹那の肩の上でギクリと硬直するカモ。先程の事がある為だ。

 刹那も遅れて挨拶をし、イリヤとエヴァもそれに返事をしたのだが、

 

「――ん、どうしたのカモ?」

 

 目聡くイリヤは、動揺を見せる駄オコジョを見逃さなかった。これまでの彼の所業から何と無く嗅覚が効くのだ。

 

「え、いや、その……! 別に何でもありま――」

 

 ジロリとした胡乱げな緋色の双眸を向けられ、カモは焦るも何とか誤魔化そうとするが――

 

「――イリヤさん、実は…」

 

 先程、刹那が言ったように彼女の口からイリヤにそれが語られた。

 

 ――数分後。

 

「どうか、どうか……なにとぞ、なにとぞ、御慈悲を……御慈悲を…!」

「…………」

 

 刹那の肩から降り、地面に正座して頭を擦り付けて土下座するカモ。オコジョの身体で実に器用である。

 周囲の眼もあり、場所は人気の無い裏通りへと移っている。

 イリヤは土下座するカモを見下ろし……一呼吸して、

 

「…ギルティ」

「NOーーーーーー!!!」

 

 ポツリと有罪であると告げると、カモは叫び声を上げてムンクの名画のような名伏しがたい表情をする――が、

 

「冗談よ」

「へ?」

 

 思わぬ言葉が断罪を下す魔女(イリヤ)の口から零れ、オコジョの彼は唖然として立ち尽くす……いや、途端ペタンと腰を付け…でもなく、仰向けに倒れてイリヤを見上げた。

 

「というか、今回は見逃がすって所かしら。意図しての事でもなさそうだし、完全な不可抗力みたいだし」

「お、おお……!」

 

 イリヤからの免罪に慈悲が通じたと思いカモは感極まった声を漏らす。しかしそれを釘刺すようにイリヤはカモを見据える。

 

「けど、アスナに迷惑を掛けてネギがとばっちりを受けたのは事実なんだから、もう一度確り謝る事……――良いわね」

「あ!……ハイ。誠に申し訳ありませんでしたお嬢様」

 

 イリヤの目線と告げられる言葉に緩みかけた意識を引き締めてカモは再度頭を下げた。

 

「うん、素直でよろしい」

 

 反省して頭を下げるカモにイリヤは満足げに頷いた。

 そのイリヤの顔を見て、刹那は珍しげにする。

 

「……意外でした」

「ん、何が?」

「いえ、てっきりもっときつく叱るのかと思っていましたから……何時ものように」

「……そうだな。イリヤは怒ると本当に容赦が無いからな」

 

 刹那の言葉にエヴァが同意する。

 

「……さっきも言ったけど、今回は不可抗力だから。それにそんなに大きな害も無かったんだし。大体エヴァさんがそれを言う?」

 

 イリヤは、自分に珍しいものを見るような眼を向ける二人に憮然とする。まるで鬼か悪魔……カモが言うように魔女だと思っているような、失礼なもの二人の視線に感じたからだ。

 だが、そう考えてしまうようにイリヤとてその自覚が全く無い訳ではない。確かに自分はカモに対して“少し”酷いのかも…?と思う事はある。

 ただ、あくまでもそのように“少し”と思っている所を見るにやはり自覚は薄いのだろう。実際、カモの受けるお仕置きは少し所では無く、Z18指定なほど凄惨なのだから。

 カモはイリヤのお仕置きを受けて猫の集団に食い殺され掛けたり、雑巾のように身体を絞られたり、梟やミミズクなどの野鳥の餌として簀巻きで木の枝に吊るされて一晩放置……などと何度も血塗れになって死に瀕しているのだ。

 正直、よく死なずに済んだなと褒めても良いほどの目に遭っている。

 尤もそれを理解しながら先の所業を平然とイリヤへ告げた刹那も刹那だが……――兎も角、イリヤは乏しいものの一応自覚はあった。また今回は被害が自分に向かず小さかった事もあり、その為手厳しく当たらなかったのだ。

 しかし端的に言えばそれは、“そんな気になれなかったから今回は見逃した”という……イリヤ生来の猫のような気紛れさによるものと言える。場合によっては、例えば先程の現場を目撃していたら、何時ものように凄惨な断罪を下していたのかも知れないのだ。

 

「……まあ、いいけど」

 

 ともあれ、イリヤはそんな乏しい自覚もあってか、刹那とエヴァに向けていた憮然とした表情を引っ込めた。ただしカモにこれまで下したお仕置きに関して自省している訳でも無ければ、今後も控えようとも考えている訳でも無かった。

 

 そう、それよりも……と、刹那の隣に視線を移し、

 

「紹介するわ。この二人はタカネとメイ。貴女達と同じ見習いの魔法使い……といっても魔法学校で確りと学び卒業し、麻帆良(ここ)できちんとした修行を積んでいる先輩だから、偶発的に此方の世界に踏み込んだ貴女達と全く同じではないんだけど」

 

 イリヤは、同行している高音と愛衣を気に掛かった様に眼を向ける夕映とのどかに見習いの二人を紹介する。初対面であろうと思っての事だったが…、

 

「はい。存じております。……お二人ともどうもです」

「うん。……高音さん、愛衣ちゃん。こんにちは」

 

 意外にも既に図書館コンビの二人は知り合っていたらしく、見習いの二人に親しげに挨拶した。

 顔を合わせて数分経過していた為、若干間を外した感のある挨拶だったが挨拶を受けた高音と愛衣は気にする事無く「こんにちは」と挨拶を返した。

 

「一体、何時の間に…」

 

 夕映と高音達の様子にイリヤは少し目を見開く。

 原作と異なる出来事にはいい加減慣れが出来たとはいえ、それでも驚きはどうしてもある。夕映とのどかにしても、高音と愛衣にしても、主立った活躍を見せたり、脇を固めたりした人物(キャラクター)なので、それなりに気に掛けているのだ。それなのに彼女達が接点を持っていた事に気付かなかったのは――本当に驚きだった。

 そんな唖然とした様子のイリヤを気遣った訳ではないだろうが、実は……と夕映がその経緯を話しだした。

 

「先の事件で足を引っ張り、役に立てなかった私達を助けてくれたのが、神多羅木先生と愛衣さんでしたので、イリヤさんに決意を告げた後日にその事でお礼を言いに行ってたのです」

「そうなんです。愛衣ちゃんとは同じ学校だから、少し前にイリヤちゃんと図書室で話しているのを偶々見掛けて……その時に助けて貰った事を思い出して、その日の放課後に夕映と一緒にお礼を言ったんです」

 

 夕映の話にうんうんと頷きながらのどかも言う。

 

「……何時ぐらいの事?」

 

 イリヤはふむ……と、首肯しつつ尋ねる。

 

「えっと、確か出し物が決まる前ですから……一週間前です」

「うん。出し物が決まった前日の筈」

「……ああ、さよの奴がお化け屋敷の案に取り乱して、イリヤの店が開いた日だな」

 

 夕映、のどかの返答にエヴァが続いた。その隣ではさよが取り乱した事を思い出したのか、恥ずかしそうにあはは……と力なく苦笑している。

 

「そういえばあの日は、イリヤの店を覗きに行くから修行は無しにしたんだったな」

「なるほど、あの日ね……」

 

 エヴァの言葉にイリヤはその日の事をふと思い出す。

 その日は宝飾店の開店初日であり、しかも広告が上手く行った事もあって非常に忙しかったのをイリヤは覚えている。

 一見さんばかりという事から、客の大部分は買い物よりも冷やかしや様子見といったウインドウショッピングが多数だったが…だからこそ、客一人一人に丁寧に対応しなければならなかった。訪れる客の印象を良くし、評判を広げ、リピーターや馴染み客を作る為に。

 無論、ウィンドウショッピングが目的な客だけでなく、小学生や中学生でも手が届く手頃な物もあったから購入者も多数いて、売れ行きもそれなりにあった。ちなみにその日、店の売り上げに一番貢献したのはエヴァだったりする。

 これもイリヤが忙しいと感じた理由だ。何しろ高級品どころか中級品というべき物まで危うく彼女に買い占められる所であったのだ。例の“幸運のお守り”の拡散こそが目的だと言うのに……しかも従業員(にんぎょう)達はグランドマスター(せいさくしゃ)たるエヴァに対して強く出れない為に押し切られそうになり、余計にイリヤが彼女の相手をしなくてはならなかった。

 

(何とか宥められたから良かったけど、エヴァはなんであそこまで暴走したんだか…?)

 

 その日の事を思いだしてイリヤは頭痛を堪えるようにこめかみに指を押し当て、店の物を全部独占しようとした年上の妹分の意味不明さに内心で溜息を吐く。未だに全く謎だし、本人に聞いても言葉を濁すばかりなのだ。

 

(まあ、良いけどね。……兎に角、ユエとノドカがタカネとメイに接点を持ったのが、あの日なら私が気付かないのも道理か……いや、店が忙しくとも忙しくなくとも放課後以降の時間帯に接していたら判らない、かな?)

 

 イリヤは首を傾げる。それでも今日まで気付かないなんて事はあるのだろうか?と。

 彼女達が接点を持った以上、気に掛けている自分が気付かない事は無いと思うからだ。特に愛衣とは学年こそ違うが同じ女子中等部に通っているのだ。なのに――

 

「――知り合っている事にまったく気付かないとは…」

 

 不思議そうにそう呟く。

 

「それは仕方が無いかと、愛衣さんと高音さんと会って話をしたのはその日だけですので」

 

 イリヤの呟きに夕映が答えた。それもまたイリヤは意外に思った。

 

「そうなの?」

「はい。あくまでも事件でのお礼を言いたかっただけですから。それに愛衣さんとは校内では学年が違いますし、高音さんとはそもそも通い先が違います。それで放課後に会おうにもお互いどうも忙しく、時間も合いませんでしたし……」

「そうですね。綾瀬先輩達は上級生ですから尋ねに行き難いものがありますし、それに今は学祭時期です。放課後もその準備に加えて、私とお姉様は協会の仕事があって忙しいですから」

「うん、私達もエヴァちゃんの所で修業だから」

「なるほど…」

 

 夕映、愛衣、のどかと続いた彼女達の言葉にイリヤは納得する。

 

「一応、携帯の番号やメールアドレスも交換していましたが……余りやり取りは出来ませんでしたね」

「はい。色々と話したい事はあるのですが、何とかお互い時間の都合を出来ないかと連絡する程度で。結局それも無理そうですから学祭が始まるか、過ぎてからまた……という約束になりましたね」

 

 さらに続いた高音の残念そうな言葉に夕映も残念そうに答える。

 

「せめてまほネットか、此方専用の通話回線の使用権を持っていれば、気にせず魔法の事も交えて貴女達と話せて、相談にも乗れたのですが……」

「仕方ないです。私とのどかは魔法に関わったばかりでまだ見習いにすら成れていないのですから」

 

 そうして会話を続ける二人。その様子を見るに僅か一日……放課後の時間だけとはいえ、それなりに友好を結べたらしい。イリヤはそう思う。

 恐らくは夕映とのどかは同年代の見習いの存在に親近感と安堵を覚え。高音はそんな彼女達の思いを感じて先輩として面倒を見ようとし。愛衣は素直に歳の近い“こちら側”の友人が新たに出来た事が嬉しくて進んで接したいと思ったのだろう。

 愛衣は兎も角、気難しい高音がこうも二人を受け入れられたのは正直驚きなのだが。まあ、その理由……いや、原因は察しが付く。恐らく自分の事も含め、色々と精神的なものが重なって丸くなった為だろう。或いは原作の彼女とは元から異なっていたのかも知れない。

 

「…………」

 

 イリヤは沈黙しつつ考える。

 ともあれ、何とも幸先が良いと言うべきか。高音と愛衣の指導・監督役を引き受けた直後に接点を……それも良好に見える関係を築いているのが知れた事が。それも人見知りのが強いのどかと本人は否定するかも知れないが、初対面の相手には警戒を抱く夕映の二人である。

 のどかの人見知りは言うまでも無いが、夕映もまた結構人と接する事を苦手とするタイプ……いや、無関心とすると言うべきか、あまり積極的ではなく、対象に興味や好意を抱かない限り事務的に接する人間だ。

 だからこの親友コンビが、新たな修行仲間となる見習い二人と早々良好な関係を持ててたのは幸いだった。

 

(とはいえ、その切欠を思うと余り喜べないんだけど)

 

 そうあの事件、切っ掛けとなる事――愛衣が夕映達を助ける事となったのは、イリヤが迂闊にもバーサーカーとの戦いを傍観している者に気付かず、その為に不覚を取ったからだ。

 それを思うと何とも苦い感情もあり、イリヤとしては手離しに喜べる事でもなかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 刹那達のイリヤの仕事を見学したいという申し出を受け、イリヤはそれを了承し、一行は裏通りの人気の少ない道を進んで学園郊外に向かっていた。

 その最中、イリヤは改めてネギと明日菜のデートの様子を尋ね。ほぼ原作通りでありながらも姉弟止まりの雰囲気だといった刹那達の話を聞き、イリヤはそうだったかな?と原作での事を思い返しながら内心で不思議そうに首を傾げていたが、

 

「ネギが明日菜の姉ちゃんとデート……か―――ハッ」

 

 小太郎がそうポツリと言い、鼻で笑った。

 

「なんです。その言いようは?」

 

 如何にも馬鹿にした口調である小太郎が気に障ったらしく、夕映が睨みつける。

 

「何、チャラい事してんなぁ……と思っただけや。幾ら明日菜姉ちゃんの為ゆーても女にかまけるなんて軟弱やってな」

「…………」

 

 小太郎の言葉に夕映がムッと眉を寄せる。

 

「無関係な貴方が口出しする事では無いでしょう。それに軟弱と言いますがああして明日菜さんの為を思って快く承諾したネギ先生をそう貶めるのは間違いです。どのような事であれ、誰かの為に進んで行動できる人が本当に弱いと思うのですか…貴方は?」

「……」

 

 夕映の言葉に今度は小太郎が眉を寄せる。

 

「そもそも女性にかまける事が軟弱というのが意味不明です。何ら根拠のない事です」

「んなもん、根拠があるに決まっとるやろ! 女に(うつつ)を抜かしてデートだとかくだらん事しとって、浮ついた心でフラフラとしとったら弱なるに決まっとる!」

「……やはり根拠の無い、浅慮で身勝手な妄想ですね。確かに気になる異性が出来、その事で悩み、心乱れる事はあるでしょうが――それ以上に人は、その大切な人の為に己を磨こうと……または変えようと努力し、強くなる事が出来ます。大切なその人の為に頑張ろうと、守ろうと幾らでも前へ進む事が出来るのです…!」

 

 ――ええ、そうして愛する事を知ってこそ本当の強さが手に入るのですから。

 

 グッと拳を握って夕映は力強く言う。

 そんな彼女の様子にイリヤは思わずほう…と声を漏らした。

 原作で見た夕映の祖父が言った言葉を引用しての台詞だという感慨もあるが、恐らく親友であるのどかがネギの為に努力し自分を変えようと、強くなろうとしている事も含んでの台詞だと判るからだ。

 

「!……ッ」

 

 夕映の確信の籠った言葉に小太郎が歯噛みした。本能的に夕映が今の台詞に確かな実感を覚えている事、そして正しいと判るから反論の言葉が浮かばず、自論――反射的に言った事なので自論という程では無いが、いや、だからこそ掲げた信念・信条的なものが揺らいでしまったのだ。

 イリヤはそうして狼狽する彼にクスリと笑みを浮かべて、夕映の自信に満ちた顔を見る。

 

「そうね。ユエに同意するわ。愛があったお蔭でどうしようもない困難を打破した人達も世の中には確りと居るし、愛というのは最強だって何処かのお人好し……いえ、お節介な悪魔も認めているしね」

 

 懐かしげにイリヤは言う。

 その強い感情が在った故に救われない筈の少女(サクラ)を救った少女の姉(リン)と、その少女を想う少年(シロウ)が居たから。

 そしてそんな少年を大切に想っ(愛し)たからこそ自分は全てを終わらせようと思えたのだから。

 だからなのだろうか? その事を知っていたからあの出来損ないの悪魔(アンリマユ)は、愛をこの世で最も強いものだと認めたのは。

 ……いや、それは違うか。人の世(ニンゲン)を憎むと同時にどうしようもないほど世界(ヒト)を愛している彼はただ始めから識っていただけだろう。

 

「私も同意します。イリヤさんの仰るお節介な悪魔というのは判りませんが……『愛する事を知ってこそ本当の強さが手に入る』。大変含蓄があって良い言葉だと思います」

「はい、流石は夕映さんです。哲学に深い造詣を持たれるだけはあります。私も感銘を受けました」

 

 高音が夕映の言葉を称え、刹那が感服した様子を見せる。のどかや愛衣、カモもうんうん頷いている。

 

「ふっ……何とも恥ずかしく青臭いものだが、……私にも覚えがあるから否定はしない。愛というのは本当に素晴らしく強い感情だからな。まあ、だからこそ――」

 

 エヴァも苦笑しつつも深く頷き、誰にも聞こえないように小さくこうも呟いた。

 

 ――制御も利かず、時には己が意思を離れ、憎悪や怒りなどの別の強い感情に容易く裏返ってしまう非常に厄介なものなんだが……と。

 

 そう、愛という感情は強いが故にある種の切っ掛けで制御の利かない別の感情へ裏返る事があるのだ。

 エヴァはそれを良く知っている。六百年前、シロウへの愛情が強かったが為にそれを奪った者達(ニンゲン)に裏返ったその感情を――激しい憎悪と憤怒をぶつけた事を。

 そして愛があったからこそ最後の最後まで堕ちずに済み。憤怒が消えて憎悪もさらに裏返り……重い罪悪感と共に深い後悔を抱く事になってしまった。

 本当にあらゆる意味で最強の感情だ。正の意味でも負の意味でも。強ければ強いほど何処までも行ける万能感を得られるが、深ければ深いほど間違えれば取り返しの付かない事態を招くのだから。

 

(――できればこの子達には、正の意味での愛を持ち、貫いて欲しいものだけど……ま、心配はいらないかな?)

 

 素の少女の面持ちでエヴァはそう思う。

 尤も昨今ではイリヤの事で暴走しがちな自分では、そんな心配をしても余り説得力が無いとも思ったが、それは…………―――仕方が無い事だ。何しろイリヤは……エヴァはその浮かんだ嫌な考えを首を振って振り払う。今考える事ではないからだ。

 

「イリヤ姉ちゃんや真祖……エヴァさんまでそう言うんか…」

 

 小太郎は顔を顰めながらも、むむ…と唸り考え込む。愛というのは何なのかと、師と思うイリヤと裏の者なら誰もが認める真に最強たるエヴァの言葉を受け。

 だが、

 

「考えても判るものじゃないわよコタロウ。こればっかりはね」

「イリヤ姉ちゃん、やけど……」

「大丈夫、きっと貴方にも判る時が来るわ。必ずね」

 

 幾ら思考を巡らせても判るものでは無いと諭すように言うイリヤに、小太郎は納得し難い表情をしながらもイリヤが言うのなら……と、取り敢えず「分かったわ」と首を縦に振った。

 しかし同時に小太郎は、自分を諭すイリヤの顔を見てふと脳裏に過ぎるものが在った。

 

(ひょっとしてイリヤ姉ちゃんも誰か好きな奴……愛する人がおるって事なんか…?)

 

 愛というモノを否定せず、解ったように言う白い少女の言葉からそう疑問に思わざるを得なかった。彼女のそんな姿を想像出来ないとも感じながら。

 

 

 

 一方、夕映は皆の反応を受け。今更ながらに大人げない態度で恥ずかしい台詞を口走っていた事に気付いて全力で猛省中だった。

 

(うう……ついカチンと来て、年下の……子供相手にムキに成って偉そうに……亡くなったお爺様にも悪い癖だと忠告されていたというのに)

 

 穴があったら入りたいです…とも胸中で呟く。

 しかし周りからは絶賛である。

 

「本当良い言葉だよ夕映。うん……なんか実感があったし、ちょっと感動しちゃった」

「綾瀬先輩、私も感動しました。ただ私はまだ……その、誰かを愛すると言うのは……多分、判っていませんけど、本当の強さを手に入れる為にも今の言葉を決して忘れないようにしますね」

 

 親友とのどかと後輩の愛衣が文字通り感激したかのように、どこかキラキラとした夕映に眩しい視線を送る。だが夕映にしてみれば寧ろ羞恥心が増すばかりである。

 とはいえ、紛れもなく先の言葉は夕映の本心から出たものなので否定するのも何か違う……と、只々顔を赤くし猛省しなくては……と胸の内で呟くので精一杯だった。

 そんな夕映の耳にポツリと嘆くような呟き声が聞こえた。

 

「愛が人を強くする……か。……そうだよね。それだけ強い想いだから私は……――それ自体は忘れちゃってたのに……」

 

 背後から聞こえたその小さな声に振り向くと、上の空な様子でぼんやりと宙を――いや、どこか遠くを見詰めるようなさよがいた。

 夕映は気に掛かり、声を掛けようとしたが、

 

「――と。いけない、少し駄弁りすぎてるわね。時間も惜しいし……急ぎましょう」

 

 そう、一行の足を急かすイリヤによって訊ねそこなった。

 

 

 ◇

 

 

「――イリヤに…好きな人……?」

 

 その言葉の意味が一瞬理解できなかった。しかし、

 

「……それって本当ですか!?」

 

 理解した次の瞬間にはネギは明日菜にそう叫ぶように詰め寄っていた。

 もしかすると……と予想していた反応であったが明日菜は少し驚きながらも首肯した。

 

「うん、本当よ。イリヤちゃんがそう言ってたから」

「……、」

 

 明日菜の返答にネギは何かを言おうとしたが、喉に何かが詰まったかのように苦しさを覚えて言葉にならず、それでも何とか振り絞るように声を出す。

 

「……だ、誰なんです、その、イリヤの好きな人……って」

 

 彼女の名前を口にした途端、どうしてか? 脳裏に白い少女の……いつか自分に差し向けてくれた笑顔が過った。同時に胸が苦しくなり、目の奥が熱い。

 明日菜はそんなネギの様子を神妙に伺いながらも答える。

 

「ごめん、分かんない」

「え……?」

「イリヤちゃん、そこまでは答えてくれなかったから」

「…………」

 

 そんな……と、モヤモヤした感情が沸き立つのを覚えつつネギは誰なのかを考えてしまう。しかし身近にいる男性の知り合いは少ない。タカミチか小太郎ぐらいだが……それはないと判断する。タカミチはずっと年上だし、明日菜さんの思い人だし、コタロー君とは知り合って間もない。それじゃあ一体……?と、そこまで考えて……イリヤの知り合いで身近な男性として自分がそうなのでは?と思い、一瞬浮かれた感情が胸に過ったが、

 

「でも、もう会えないって言ってたから、多分イリヤちゃんの故郷に居た人なんだと思う」

 

 明日菜の言葉に一瞬過った感情が消えてガッカリしつつ……ホッとした安堵も抱き、良かったと思い――ネギは嫌悪感を覚えた。ホッと息を吐きそうになって、喜んでしまった自分に。

 

(イリヤの故郷は……もう会えないって事は……)

 

 それは偽りに過ぎないカバーストーリーであるが、そう間違ってはいない事実だ。イリヤは故郷へと戻ることはできず、愛しい大切な人には二度と会うことは叶わないのだから。

 そのことに安堵し、一瞬でも喜んでしまった自分が酷く醜く思えて自己嫌悪にネギは思わず俯いた。

 

「…………」

 

 俯くネギを見て明日菜は、ドンピシャかぁ……と確信した。ネギはイリヤを意識しており、恋愛感情を抱いている事を。

 しかし、確信したもののそれを知ってどうするかまでは考えていなかった。

 

(……うーん)

 

 俯くネギを放って顔を上向けてぼんやりと青い空を見詰めながら明日菜は考える。

 

(……本屋ちゃんには悪いけど)

 

 しばらく考えて結論を出し、クラスメイトであり、仲間であるのどかに申し訳なく思うが、明日菜はうん、と頷いてネギに告げる。きっとそれがこの弟のように思える少年の為になると信じて。

 

「ねえ……ネギ、イリヤちゃんをデートに誘ってみない?」

「え?」

 

 明日菜の唐突な提案にネギは俯かせていた顔をハッとして上げる。困惑と驚きが混じった表情。それを見ながら明日菜はもう一度言う。

 

「イリヤちゃんとデートしてみない?」

「え、え?……ええぇぇーー!?」

 

 明日菜の言葉を再度理解するのに時間が掛かったのか、困惑の後に意味を飲み込んだネギは顔を真っ赤に染める。

 

「な、ど……どうして? 僕がイリヤと!?」

「……したくないの? デート? イリヤちゃんと。嫌なの?」

「え? いや、そんな事は……!」

 

 どこか畳み掛けるように続く明日菜の言葉にネギはますます顔を赤くしてワタワタと手を振り、首を振って慌てる。詐称薬を飲んで十代半ば…いや、欧風の顔立ち故に二十歳近くにも見える男性には不釣り合いな姿だ。

 そんなおかしな姿に明日菜は込み上げる失調感を堪えて尚も言う。

 

「ネギ、イリヤちゃんのこと好きなんでしょ?」

 

 そう、決定的な言葉を。

 

「……!――あぅ」

 

 その言葉を耳に入った瞬間、ネギは胸に強く苦しく鼓動を打つのを感じた。頬の熱さと共にそれを自覚しながらもネギは明日菜に抗議するかのように言う。

 

「そ、そんな……イリヤのことはべ、別に……」

「そんな事ないでしょ。違うっていうならイリヤちゃんに好きな人がいるって聞いた時、どう思った?」

 

 抗議……否定する言葉を口にしようとしたネギに明日菜は軽く首を振りながら言う。

 

「苦しく思わなかった? 辛い、悲しいって感じなかった?」

「そ、それは……」

「もしイリヤちゃんが知らない誰かを好きだと言って、男の人と付き合う事になったらどう思う? 考えて想像して見て」

「……!」

 

 ネギは明日菜の言葉を考えてしまう。

 誰かなんて分からない。けど空想の中で自分とは違う……きっとイリヤが好きなるであろう大人な男性と肩を並べ、嬉しそうな笑顔をその見知らぬ男性……誰かへ向けるイリヤの姿。腕の組んで自分に背を向けて歩くイリヤと見知らぬ誰か――そんなのは……。

 

「うん、嫌よね。そんなのは考えるのも苦しくて辛くて悲しいわよね」

 

 明日菜がネギの思考を読んだかのようにその感情を代弁した。

 

「そう感じるのなら、そういう事よ。……ネギ、アンタは――」

 

 その先の言葉は聞くまでも無かった。ネギは頬を赤くしながらも明日菜に頷き、

 

 

 

 ――そっか、僕……イリヤの事が好きなんだ。

 

 

 

 その想いを自覚して呟いた。

 途端、先ほどまで辛く恥ずかしく感じていた胸の苦しさと頬の熱さも不思議と心地好くなった。

 

「イリヤ……」

 

 今まで何度も口にしたその言葉。名前がとても……とても大切なものに思え、今直ぐにでもその名を持つ白い少女の顔が……綺麗な笑顔を見たいと、見に行きたいと思えた。

 

 それが好意、恋、愛……人を好きになるという事なのだと理解して。

 

 胸の奥、種となって埋まっていたモノが少年の心に芽吹いた。

 

 




 想いの自覚。
 学祭時期が丁度良く思えたのでネギに恋心を抱かせました。
 まあ、実際は結構前からあったのですが…色々と抱えてるものが多い所為か、自分の事となると鈍いというか、どこか無頓着な所があって自覚してなかった訳で。まだまだ幼い子供という事もありますが。

 これで、のどかや夕映などの他にネギに恋心を抱く面々は実質フラれた事になります。

 …にしてもネギと明日菜の会話は結構強引だったかも……書いていて照れも在りましたし…。


 今回以降は完全新規の話になると思いますので次回の更新も少し間が空きます。別のサイトの話も進めたいですし。

 あと読者の皆様、誤字報告もありがとうございます。多い自分としては本当に助かってます。


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第34話━━悩める白い少女(1)

お久しぶりです。短いですが投稿


 夕刻前、空に赤みが差し始めた頃にはイリヤ達は一通りの見回りを終え、仕事の締めとばかりに学園長の元へ赴いていた。

 女子中等部の校舎の方ではなく、関東魔法協会本部である教会の方だ。

 執務室の扉を叩き、ノックの返事に木製のそれを開くと、

 

「ご苦労さまじゃイリヤくん、さよ。それにエヴァも」

「……」

 

 顎から長く伸びた白い髭を撫でながら労いの言葉を掛ける近右衛門と、挨拶なのかペコリと丁寧にお辞儀をする見知らぬ黒髪の女性の姿が見えた、かなりの美人だ。

 近衛右門はデスクに座り、その少し前に女性の姿がある。

 女性とは顔を合わせた事のないイリヤであるが、その二十歳前後と思われる彼女には心当たりがあった。

 向けられる視線の中に赤い瞳が見え、エヴァもよく好むゴスロリ風の衣装を着込んでいる事から……。

 

「ウラシマ、カナコ……?」

「はい、初めまして。浦島家次期当主の浦島可奈子と申します。以後お見知りおきを…」

 

 思い至り、思わず呟いてしまったイリヤに可奈子は再度丁寧なお辞儀を見せる。

 

「失礼、私はイリヤスフィール・フォン・アインツベルンと申します。此方こそ宜しくお願い致します、カナコ様」

 

 不躾な呟きへの謝意も込めてイリヤは挨拶と共にお辞儀を返した。

 その背後で初対面であるらしいエヴァも鷹揚に宜しくと言い、さよもお辞儀と返事をしている。

 そんな風に挨拶を交わし、例の如く互いに堅苦しいのはそれまでにしようと少し話し……。

 

「それでカナコはどうして此処に? あのお婆さんは?」

 

 イリヤが尋ねる。呼び捨てで構わないとの事から名前で。お婆さんとは可奈子の祖母であり、浦島家現当主の浦島 日向(ひなた)の事だ。

 

「お婆ちゃんは今、西の方へ赴いてます」

「うむ、ひなたの奴には本国からの例の件もあって……まあ、何というか事情説明じゃな」

「なるほどね」

 

 麻帆良祭に託けて親善を建前に“本国”から視察団が訪問してくる件。

 東こと関東魔法協会以上に恨み骨髄な連中がこの日本へ足を踏み入れるのだ。関西呪術協会にしてみれば穏やかな心情でいられないのは当然と言える。尤もそれは関東魔法協会にしても同じなのだが……ともかく、宥める為に西と親睦の深い浦島家とその当主が出張っている訳だ。

 そんな理由を聞いて何となく気が重たくなりイリヤはため息を吐くと、エヴァもまた「やれやれ、だな」と呆れた声で相槌を打つ。

 

「それでカナコが此処(まほら)に代理でいるのね」

「はい、これも次期当主の役目という事で近衛お爺ちゃんのお手伝い(サポート)をしています」

 

 近衛お爺ちゃんと聞き慣れない呼び方にイリヤは僅かに目を見開くも、そういえばヒナタと学園長は幼馴染というのだっけ?と“原作”からでも知りようにない事を思い出す。そして可奈子とはその関係で知己であり、親しいのだろうとも。

 となると“兄”の方ともこの学園長は顔見知りなのかも知れない。

 

「ところでイリヤくん、状況はどうじゃった」

 

 かつての世界で見た絵空事に少し思い馳せていると、やや唐突だが今日の見回りのことを尋ねられた。元々この報告のためにイリヤは此処を訪れたのだが。

 無論、後でイリヤ他、諸先生方から提出される報告書に目を通すのであろうが、口頭にて先ずは確認をという事だ。

 

「エヴァさんとさよと一緒に各所を見回った限りでは異常はないわ。今朝上がってきたレポートはそっちも見ているのでしょう? 基本はそのまま……現状の体制で大丈夫だと思う」

「そうか。ありがたいのう、イリヤくんの協力に改めて感謝じゃな」

 

 なんせ、発光現象の度になかなかに忙しい事態に毎回なっておったからのう、とも言いながらウムウムと頷いて近右衛門は安堵した様子を見せる。

 世界樹の呪いめいた(ばかげた)願望器機能の事だ。ウン十年と麻帆良で過ごした経験と多くの記録を見て来た事から思うものがありすぎるのだろう、何処か一つ肩の荷が下りたような様子が窺えた。

 

「使節……視察団の事もあるしね」

「そうじゃな、幸運のアミュレットが広まった事もあるし人員を麻帆良祭の巡回の方に多く割かずに済むのは本当に助かる」

 

 イリヤの言葉に「まったくイリヤ君、様様じゃの」と少し煽てた風に冗談っぽく答える近右衛門。

 しかしイリヤはそれに応じず真面目な面持ちを見せる。

 

「で、その視察団……引いては本国の動きはどうなの?」

「……ふむ」

 

 イリヤの面持ちに近右衛門も表情を引き締める。

 

「思いの外に静かといった所じゃな。工作員や諜報員などの類を送り込んでくる気配も……ま、今のところは無い。ゲート開閉周期の問題もあるのじゃろうが」

「まあ、周期の事はあるのだろうが、連中の手先には古くから今も地球(こっち)に潜む奴らがいる。そっちはどうなんだ?」

 

 エヴァが問い掛けた。

 

「それも含めてじゃな、元よりそれらは大戦後に殆どが顔や身分が割れておるからな。それを理解しておってか、動きたくても動けんのじゃろう。我が国に潜伏する者に限らずにのう」

 

 旧世界こと地球の各国にある魔法協会は、アレルギーとまでは行かないものの、本国もといMM元老院の事をかなり嫌っている。

 それ故に地球に潜入している諜報員らは、この20年の間に徹底的に調査され、その動向は厳しい監視下に置かれている。

 地球を旧世界と呼び、何処か見下した風潮があるのも要因であろうが、長年降り積もったそういった交流関係に大戦時の横暴が切っ掛けで火が付いた面もこれにはある……というのは近右衛門やエヴァにアルビレオより聞いた言だ。

 まあ、イリヤにとっては正直それはどうでもいい事である。問題は━━

 

「じゃあ、視察団は本当に視察が目的という事?」

 

 今現在、麻帆良へ害を成すか、目下にある麻帆良祭への影響だ。

 そう、原作に無いこの要素がどのように状況を変え、今後に及ぶかが問題である。

 

「ふむぅ……」

 

 イリヤの問いに近右衛門は表情を渋らせる。

 

「正直読めん。何かしらの政治的思惑があるのは確かじゃろうが、連中の……本国にいる政治家や官僚らがこのような団体で此方へ訪れるのはワシが生まれてから無かった事。エヴァとてそう多く知らんじゃろ」

「ああ、500年は生きた私だが両手の指に数えられる程度の覚えだ。そもそも魔法世界の連中の基本的なスタンスは旧世界が自分達に害を及ぼすか及ぼさないかの警戒だけ、だから自らの存在の明るみに繋がる魔法の隠匿に敏感で強く法を敷き、各国の魔法協会へ圧を掛けている。それ以外の事には余り興味は持たん。……魔法世界の真実を知る者やそこに危機感を抱いている者はまた別かも知れんが」

 

 ふむ、とイリヤは顎に手を当てる。

 視察団も気掛かりであったが、今のエヴァの言葉に引っ掛かりを覚えたからだ。

 

(チャオ・リンシェンの目的は魔法の存在を世界へ、一般的な表社会へ拡散する事だと原作では強調されていたけど……もしかして)

 

 不意に過ぎった思考。

 

(勿論、MM(メガロメセンブリア)や新世界の存在もそこには加わっているのでしょうけど……そこから━━)

 

 しかし━━

 

「ま、警戒するに越したことはない。ネギ君に明日菜君……ヘルマン伯の事もあるからのう」

「そうね」

 

 思考は中断されてイリヤは同意して頷く。

 視察団の件は以前にも話し合っており、同様の結論を出すしかなかった。情報が少なく向こうの出方しだいで対応するしか無いのだ。

 

「受けに回るしかないのは仕方ないけど、何とか“後の先”は取りたい所ね」

「じゃな」「だな」

 

 不安を混じらせたイリヤの呟きに、今度は近衛右門とエヴァが頷いた。

 

「イリヤ君、そう不安を覚えている所に申し訳ないのじゃが、此方からも報告がある」

「ん、何?」

「今しがた可奈子から受け取ったものなのじゃが……」

 

 首を傾げるイリヤに近右衛門は、机の上にあるA4ほどの茶封筒を開いて中から取り出した書類を渡す。

 受け取ったイリヤは、それに目を通す。

 

「先日、君から受けた依頼をひなた……いや、浦島の方に適任者と伝手があってな、急ぎ頼んだ。しかし━━」

 

 近右衛門の言葉を耳に入れつつ目を通す書類には、幾つかの写真があり、その多くは地面が掘り返された塹壕らしきものが見え、周囲はそれを囲むようにロープなどが張られている。一見すると土木作業の現場を写したかのような風景だ。

 そしてそこが何処で、どのような土地であるのかも書類には当然記載されていた。

 

「書類をご覧の通り、英国の“コーンウォール”地方にある件の遺跡は、既に手を付けられた後でした」

 

 引き継ぐかのように可奈子が告げたその言葉に、書類へ目を落としたままイリヤは愕然とする。

 

「……なんてこと」

 

 それは最悪とも言える事実だった。

 そう、イリヤの居た世界にてコーンウォールに秘匿されていた『魔法の鞘』。この世界においても同様にあると思われるそれが何者かの手によって発掘されたのかも知れないのだ。

 そして、その何者かは恐らく“イリヤと同じで”そこに『鞘』があると確信していた“彼女”であろう。

 

  

 

 

「これは、全くまいったわ」

 

 書類内容を読むに発掘されたのは既に1年以上前、考古学専門を名乗るグループ数名がコーンウォールにある自治体へ申請した記録や現場の検証からそれらは明らかであり、当国の魔法協会が見過ごしたのは件の場所に重要な遺物なり遺跡なりがあると考えておらず、あくまで一般人達の学者グループによる簡易的な調査と思い込んだ為であるとの事だった。

 

(お母様がこの世界へ現れたのは、私よりもずっと前というのは察してはいたけど……)

 

 イリヤは視線を書類へ向けたまま渋面を浮かべる。だがその目には既に書類の内容は映ってはいない。ただ思考の淵にある自らに似た白い女性と過去に相対した黒き剣士の姿を見詰めていた。

 

「イリヤ君、どうした? いや、その地には一体何があったのじゃ?」

 

 問い掛けにイリヤは思考の淵から対面に座る近右衛門の顔へ視線を向ける。

 

「そうね、それを話してなかったわね」

 

 先日……エヴァの封印を解いた日に依頼した時には、物が物だけに詳細は伏せて探索をお願いしたのだ。何しろ迂闊に知られては英国の魔法協会に差し押さえられかねない。

 だから伏せつつも更に念を入れて向こうの協会には通さず、信頼できる何処かのフリーランスなりに仲介をしてと近右衛門に依頼した。

 それがまさか浦島の伝手……というか、“考古学者の兄”とは思いもよらなかったけど、と頭の隅で書類に記載された名前を浮かべてそんな事も考える。

 

投影開始(トレース・オン)

「ぬ?」

 

 見せた方が事は早いと思いイリヤは、自らに宿す弓の英霊ないし大切なお兄ちゃん(おとうと)の呪文を唱えた。

 すると白い少女の手から黄金の装飾を施された群青色の物体が現れる。無論、それはガワだけのものだ。彼の特異な投影魔術であろうと容易に届くものではないのだから。

 

「これは?……イリヤ君から渡されたメモに書かれていた物か…?」

「綺麗ですね、まるで美術品のよう」

 

 近右衛門は疑問げに、可奈子はほうっと何処か蕩けた声で呟く。

 可奈子のそんな見惚れた様子を見るに、ガワだけのものでもそれなりに感じ入るものは秘められているらしい。

 

「こいつは……鞘か!?」

 

 だが流石というべきか、エヴァは直ぐに気付いたようだ。顔を引き攣らせている。

 或いはシロウの入れ知恵かしら……エヴァの首から掛かるペンダントの赤い宝石を見てイリヤは思う。

 

「鞘じゃと!!?」

 

 エヴァの言葉に近右衛門は驚愕し「む、確かに先端に刃を収めるようなスリットがある」とも言う。

 イリヤはその言葉に答えずに近衛右門の執務机の上に丁寧に鞘を置く。

 

「じゃがしかし、これが鞘として、コーンウォールの……イリヤ君が調査を依頼した場所にはそれがあったというのか!?」

 

 近右衛門は酷く動揺している。

 それを落ち着かせる為か、イリヤは今度は口を開く。

 

「ええ、これは見せ掛けだけの偽物だけど、コーンウォールの遺跡には本物があったの。少なくとも私のせ……いえ、記憶が確かならね」

 

 私の世界と言おうとして訂正する。可奈子がいるからだ。先の挨拶の際に並行世界の事までは話していないと近右衛門から念話で言われていた。

 

「何という事じゃ! であれば一大事じゃぞ!」

 

 近衛右門の動揺は落ち着かない。

 

「落ち着けジジイ!」

「これが落ち着いておられるかエヴァ! 鞘じゃぞ! それも英国の! コーンウォールでの! ならばそういう事じゃろ!」

 

 エヴァの叱責を受けてもお爺さんの血圧は天井知らずに鰻登りだ。

 しかしそこに、何処からか「はぁ」とため息を吐く声が聞こえ━━

 

「━━ふん!!」

「ぐほぉっ!?」

 

 可奈子の掛け声と共に興奮いっぱいのお爺さんが机に座る椅子を巻き込んで吹っ飛んだ。

 

「……」

「ふむ、流石はあのひなた婆の直弟子で浦島家の跡取り、見事な掌打の一閃だ」

 

 唖然とするイリヤの横でエヴァが感心する。

 

「こ、このくーんっ!!!」

 

 その更に隣では、さよが悲痛な叫びを上げて近衛右門の方へ駆け出していた。

 

 




本当にお久しぶりの投稿です。
お待たせしてすみません、この数年仕事などの忙しさや個人的に悩みなどもあって執筆に手が付きませんでした。
オマケに小説を保存していたPCやメモリなどの端末を開けなくなったり、データを紛失したりと続いてしまって。
加えて今回はサルベージも失敗……。

今後は思い出しながら少しずつ執筆と投稿済みの話を手直しして行く積りです。
また一話一話の文字数は少なめで短く分割していくと思います。

で、本編ですがラブひな勢から何気にさらっと可奈子という結構強力な戦力が麻帆良に追加。
一方、イリヤには頭の痛い問題が追加されました。


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第34話━━悩める白い少女(2)

 久しぶりの執筆に小説を書く文章に鈍りを覚えます。それでも週一か隔週に一度は投稿出来るように頑張ります。


 完全に不意打ちとなった為か近右衛門は可奈子の一撃で気を失ってしまい、イリヤ達一同は執務室に備えられた来客用のソファーへ白目を剥いた彼の老体を運んだ。

 

「酷いです可奈子さん! いきなりあんな事するなんて!」

 

 近右衛門を横たえて皆がソファーへ腰を掛けると、さよが可奈子へ糾弾の声を上げた。

 

「この(くん)を落ち着かせる為だからって、でも他にも方法はあるのに…! 殴るなんてほんと酷すぎます!」

 

 これまで見た事もないさよの様相にイリヤは再び唖然としていまい言葉が出せない。エヴァにしても「むう」と困惑したように唸るだけだ。

 そして、本日初対面であり、責められている当の本人たる可奈子にしても如何に対応していいものか困惑している様相が窺える。

 

「えっ……と?」

 

 いや、むしろ何か言いたげでそれどう言葉にして告げるべきか迷っているように見える。

 

「ハッ!」

「あ、この君大丈夫?」

 

 近右衛門が目を覚まして気付いたさよが俯き屈んで、彼の顔を覗き込むように視線を近づける。彼女の()()()()ある彼の顔へと。

 つまり近右衛門はさよの膝枕を受けていた。そして木製のテーブルを挟んでその対面にあるソファーにイリヤ達残り三人は席を付いている。

 

「さよ? あ、()……いや、大丈夫()

「本当? 痛いところは無い?」

「ああ…」

「そう、良かった。イリヤさんに習った魔術が効いたみたいで」

「そっか、治療してくれたのか」

「うん、でも大した怪我じゃなくてほんと良かった」

「はは、相変わらず心配性()()()()は」

 

 ホッと安堵するさよに、近右衛門はまるで年若い()()が浮かべるような顔で笑いかけ、「けど、ありがとう。助かったよ、さよ」等と言って彼女のアルビノの白い髪に覆われた頭を優しく撫でた。

 それに「あう」と声を溢して照れて赤く表情を染めるも嬉しそうに目を細めるさよ。

 

「「「…………」」」

 

 そんなやり取りを対面のソファーから見せられるイリヤとエヴァと可奈子の3名の中、一番後者の彼女が絶対零度の声で呟く。

 

「……見損ないましたお爺ちゃん」

「「はっ!」」

 

 冷たい声と視線に気付いて固まる少女と老人の二人。

 

「まさか麻帆良学園の長であり、教育者の鑑で在らんとすべき者が生徒に手を出すなんて…。それもそんな歳で」

 

 可奈子は何か汚いものを見るような侮蔑が籠もった眼で、さよの膝の上にある近右衛門の顔を見下ろす……膝枕されているという位置的な意味でもそうならざるを得ない。

 これに学園長は流石に慌てる。

 

「待て待て待てッ!! 可奈子……お主、今物凄い誤解をしておるぞ!!?」

 

 バッと跳ねるように身体を起こしてテーブル向かいの可奈子へ近右衛門は詰め寄らんとする。

 

「誤解ぃ…? 女子中学生の膝の上で介抱されて、年甲斐もなくあんな風にデレデレとした表情で笑い掛けて、頭まで撫でて、イチャイチャしておいて?」

 

 うわぁ、と詰め寄る近右衛門に引きながら可奈子は冷たい口調のまま告げた。

 シッシッと手を振って「近寄らないで下さい、この変態(ロリコン)教師」と言いたげなジェスチャーまで見せる。

 

「…………」

 

 そんな可奈子の取り付くシマのない態度に、近右衛門は泣きそうな顔してイリヤとエヴァの方へ顔を向ける。

 何とかしてくれぇ、と無言ながらそんな助けを求める声が聞こえた気がした。無論、念話ではない。

 一瞬、イリヤはエヴァと顔を見合わせる。さて、どうしたものかしら? 流石に放置は可哀そうか?とこれまた念話を使わずにアイコンタクトで銀と金の髪を持つ二人の少女は会話する。

 で、同時にコクリと頷き合い。

 

「でもサヨと良い仲なのは確かだし」

「そうだな。相思相愛なのは明らかだしな」

 

 そう、今や姉妹の如き関係を持つ二人の少女達は告げた。直後──

 

「ちょっとまてぇぇぇーーー!!!」

 

 御歳78となる老人の口から渾身の絶叫が轟いた。

 

 

 

 

「……さよさんは過去に亡くなった幽霊で、近衛お爺ちゃんの同級生?」

 

 携帯電話に握り、110番をプッシュしようとした手を止めて可奈子は訝しげに尋ねた。

 

「ま、そういう事。ただ見ての通りただの同級生という関係ではないけどね」

 

 事情説明したイリヤは、隣に座る可奈子へそう答えつつ視線を対面の方へと向ける。

 

「ごめん、この君。つい昔みたいに……」

「いや、()の方こそ済まない。場を弁えず昔の気分でいて悪かった」

「ううん、私こそ……」

「いやいや、だからさよは悪くないって、俺が……」

 

 先程のように老人と少女は何かこう……イチャイチャしていた。

 …………正直に言えば何か腹が立つ。内心イリヤはそう思う。

 

(もう第二の生を得たようなものなのに……)

 

 人目を憚らずに甘ったるい空気を出す事に「リア充爆ぜろ!」という気持ちもなくはないのだが、さよも今更あんな老人を選ぶ必要はないのではないかと思うのだ。

 その新たな生を与えた家族であり、弟子に取った師匠としての親心にも似た感情から。

 一方で、何処かお似合いであり、生前の無念を果たせる事や、人の恋路に首を突っ込むのも野暮だとか、何だかんだで幸せなのだろうと理解できる事から──とっととくっ付いてしまえ!とも思う。

 そう、こうも二人でイチャイチャしたやり取りをし、相思相愛と傍から見ても明らかなのに、この二人は付き合っていない……友人以上恋人未満の関係なのだ。さよが生前の頃から。

 

(互いに踏ん切りが付かないというのも……分かるけどね)

 

 方や死んだ時のまま姿形と精神が止まった少女。方やそれから60年と生きて老成を重ねた老人。

 例え想い合って心を通わせようと、色々と考え悩むものは多いのだろう。

 

「……分かりました。いえ、まだ納得できないものはありますが、とりあえず追求はしないで置きます」

 

 携帯電話をしまい込み、可奈子は眉を顰めて釈然としない様子ながらもそう言った。

 

 閑話休題。

 

「それで“鞘”というのは、()()鞘ですか」

「あら、知っているの? “剣”の方はこの国でも知名度が高くて知ってる人は多いけど」

 

 可奈子の言葉にイリヤは少し意外そうにする。

 

「はい、私。中世ヨーロッパの時代の事が好きで、お婆ちゃんと海外を回っていた時には結構その頃の遺跡やお城とかを観光してました。ですから記録や伝承なんかも人並み以上には知っている積もりです」

 

 イリヤは覚えていないが、浦島 可奈子が中世ヨーロッパを好きな時代としているのは“原作”公式であったりする。

 

「“アーサー王伝説”の逸話の一つ、マーリンの剣か鞘どちらが大切かの問い掛けにアーサーが敵を打ち倒す剣が大事と答え、彼の魔術師はそれに対してそれを護る鞘にこそ価値がある、鞘がある限り王は、その身から一滴の血を流す事もないでしょう。決して鞘を手放さないように……と、そのように忠告する伝承(はなし)も見聞きしています」

 

 そう話す可奈子の口調に一瞬、夕映の姿が過ぎるイリヤ。今の説明っぽい所や抑揚の欠いた口調の所為もあるが……声が非常に似ている為だ。

 “中の人(声優さん)”が同じな訳だし……等とそんな事を思ってしまう。

 

「そして、鞘が盗まれる事を予言した事も。……これは書かれた媒体によって様々ですが。王が信用する者が奪う等もありますし」

 

 そう言って可奈子は赤い瞳を学園長の机から此方のテーブルへと移した『魔法の鞘』──そのハリボテだが──に向ける。

 

「そう、だからこそじゃ」

 

 気を取り直した近右衛門が此方へ顔を向ける。口調も普段の老人然としたものに戻っている。

 

「数多の優れた騎士を従える彼の王は、鞘を失い……そこから円卓が崩れ始めた」

 

 要因はそれだけではないのだから、正確には円卓崩壊の切っ掛けの一つというべきじゃが、とも言い、

 

「その失われた筈の鞘が凡そ1500年後のこの現代までまさか残っておるとは……誰が予想する!」

 

 言葉を荒げる。また動揺が出ていた。

 

「当時を生きたアーサー王殿も探さぬ訳ではなかったであろうし、今イギリスにある魔法協会とてそうじゃ! だというのに発見に至らず、見過ごした等という怠慢の為に誰とも知れぬ輩にこの歴史的大発見と言うべき遺物を……! いや……まて? 誰とも?…知れ……ぬ?」

 

 言ってその考えに行き着いたらしい。逆に頭が冷えたのか落ち着きが見える。

 そうして対面に座る白い少女を近右衛門は見詰めた。

 

「そうか、そういう事か。イリヤ君が知っておるという事は……」

「ええ、学園長が今考えた通りよ」

「今更気づいたのかジジイ…」

 

 イリヤの返答とエヴァの遅すぎると言わんばかりの呆れに「ぬう…」と老人は呻く。

 

「正直、イリヤ君から依頼を受けた段階でブリテンの伝承や伝説……彼の王のものを含めて纏わる何かの調査とは考えてはおったのじゃが……」

「……それは私も同様だがな。まさか現存する聖遺物で、伝説にある失われた『魔法の鞘』の探索依頼だったとは驚きだ」

 

 近右衛門とエヴァは互いに嘆息するかのように話す。そこに可奈子も続ける。

 

「しかも既に発掘されてしまった後、ですか。“あの彼等”に」

 

 可奈子もここまでくれば事情は察せる。若くとも関東魔法協会の重鎮でもあるのだ。持っている……或いは明かされている情報は多く、質も高い。それに浦島家は元より護衛、交渉事などの他、諜報活動も専門に担う一族だ。忍者の系譜とも伝えられている。

 

「うむ、恐らくはな。これは本当に厄介な事になったのう」

「それでイリヤ、お前はこの一件をどのように影響すると見ている?」

 

 難しげな表情で腕を組む近右衛門。その丁度対面に座りイリヤの隣にあるエヴァが横に顔を振り向かせて尋ねる。

 弟子であり、多くを知らされているさよは既に察しているのか、非常に不安げな顔をしているのをイリヤは視界の端に収めながら問いに答える。

 

「そうね、先ず魔法の鞘──アーサー王が想い描いたとされる『全て遠き理想郷(アヴァロン)』という名の付いた聖遺物であり、宝具であるそれが敵の手に渡ったのを見るに、お母様が従える黒化英霊に彼の王──“騎士王”がいるのはほぼ確定したわ」

 

 当然セイバークラスでね、とイリヤは言い。それに周囲が息を呑む。

 

「お前の知る聖杯戦争……四回目の戦いの結果、いないと考えていたものが……?」

「そう。ほぼであり、多分とも言えることなのだけど、(えん)となる聖遺物が手元にあるのだからあの戦いの結果に依らず、新たに召喚が可能だと私は考えてる」

 

 可奈子が並行世界の事まで知らないので慎重に言葉を選んでイリヤは話す。

 もし知っていれば、あのアイリスフィール(アンリ・マユ)が自分の知る第四回とは異なる結果を迎えた並行世界の存在である可能性も話したし、“発掘済み”の鞘を使ってイリヤの世界にて召喚されていた事にも触れていただろう。

 

「あのアンリ・マユ(おかあさま)が何処までの機能(のうりょく)を持っているかは完全には分からない。だけど少聖杯として(わたし)の直感では必要な魔力があれば十分届くと感じてるわ」

 

 京都での一件で直接相対した感触と、先の襲撃事件で間接的に感じ取った気配と魔力……そこからイリヤは勘でそう判断した。

 英霊をサーヴァントとして召喚・現界させる聖杯(第三法)としての機能を高くはないもののしっかり有しており、実体化を維持させるだけの(まりょく)も確実にあると。

 

「それで彼の騎士王の脅威度だけど……」

 

 そこでイリヤは言葉を切る。緋色の眼を閉じて腕を組み、渋面というのは余りにも渋すぎる顔をする。

 非常に難しげで「うーーーん」と苦しそうに唸る。

 近右衛門とエヴァは思わず視線交わせて互いに首を横に振る。短い付き合いの中でもそれなりに親睦のある二人は、このようなイリヤを見た事あるかと視線で尋ね合い、お互い否定したのだ。

 可奈子はイリヤとそんな二人の様子に若干困惑する。

 代わってイリヤと似た白い髪と赤い瞳を持つ弟子が答えた。

 

「イリヤさんがそう唸るのは仕方ありません」

「む?」「さよ?」「え?」

 

 突然のさよの言葉に師であるイリヤ以外の三人が戸惑う。

 

「ハッキリ言って脅威というものでは済みません。この『鞘』を持った騎士王……真名(しんめい)アルトリア・ペンドラゴン。“彼女”の前ではイリヤさんとエヴァさんに鶴子さん、それにこの君とアルビレオさん、それら最強クラスを含めた今ある麻帆良の戦力の全てを投じても打倒するのは不可能です」

 

 さよは見た。この世界に在らざる魔術師の弟子という立場を得て、師であるイリヤから厚遇されて、その白い冬の少女の記録を……そう、老魔術師の暗躍で何かが狂ってしまった第五回目の戦いを。

 だから分かってしまう。黒く呪われた剣士(セイバー)が如何に恐ろしく理不尽な強さを持っているのかを。

 そして、『鞘』の持つ正に『魔法』としか言いようがない機能(しんぴ)()らされている。だから断言する、してしまう。

 

「あれに勝つ事なんて絶対に出来ません!」

 

 シンっと重苦しい雰囲気が室内を包んだ。

 さよの迫真に満ちた言葉に、それを否定せずに沈黙するイリヤ。

 それらが事実であると物語っているからだ。

 

「……そうか、不死身なのか!」

 

 誰もが言葉を噤んだ僅かな静寂の後、エヴァが口を開いた。

 見ると首から垂れる赤い宝石を握り締めている。イリヤはその様子を見て察する、今度は本当にシロウの入れ知恵があったのだと。

 

「エクスカリバーと魔法の鞘の逸話、マーリンの助言にもある効果。鞘は持ち主に傷を負わせるのを防ぎ、負ったとしても癒しを与えるというそれが機能するのだな」

 

 エヴァの言葉には微かに焦り……いや、怖気や畏怖が含まれていた。

 その言葉に応じるようにイリヤは、さよに目配せをする。師の意図を理解してさよは頷く。

 

「はい、その通りです。『鞘』を展開する事で所有者である騎士王は、その場に在りながらこの世界から隔離されて彼の王が想い描いたという理想郷、或いは妖精郷とも云われる世界へと概念的にその身を置く事になり、この世界からの攻撃……いえ、より高度な次元からの干渉すら一切遮断する絶対的な護りを得ます。攻撃が“効かない”、“防ぐ”のではなく、“届かなくなる”んです、空間的にも時間的にも次元的にも。仮に世界が滅びるような事態……そうですね、空から月が落ちて来てこの地球が砕けたとしても鞘を展開した“彼女”には、何の被害も及ばず無傷で済みます」

「は? なんじゃそれは!?」

「いくら何でも出鱈目過ぎます……」

 

 あんまりな宝具の性能に絶句する近右衛門と可奈子。

 

「その上、向こうからの攻撃は可能だったり、鞘を展開して無くともただ所持しているだけでも強力な治癒効果のお陰で即死するような傷を……いえ、例え本当に死んだしても一瞬で再生するか、息を吹き返して蘇ります」

「……」

 

 同じく不死身の力を有する吸血鬼たるエヴァはもう言葉が出ない。

 イリヤはため息を付くと、弟子のさよに次いで言葉を紡ぐ。

 

「つまりこと守りにおいては最強の宝具。そういう訳で対処がとても困難なのよ。倒す方法があるとすれば、『全て遠き理想郷(アヴァロン)』を展開される前に肉体を塵一つ残さない高出力・大火力の……それこそ彼の王が持つ聖剣『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』のような一撃を与えて、再生を行うほんの一瞬、僅かな隙に鞘を奪うなりしないと無理でしょうね」

 

 心底ウンザリした口調でそうイリヤは告げた。

 

「とはいえ、何とかしないといけないのも事実な訳だし、勝つなんて絶対無理という泣き言ばかりで終わる訳にもいかないし──」

 

 ──学園長、タカミチとツルコ。それにアカシ教授達をこの教会へ呼んでくれないかしら。

 

 




 アヴァロンが先に奪われてどうしたものか?という回。
 あと今回は、さよに少しスポットを当ててます。
 学園長との関係については、原作の初期設定にあったものと最終巻で触れられていた物を拾った感じです。
 イリヤと近しいのは……また後々で。
 切っ掛け事態は本作序盤にあったイリヤの大ポカですが。それが返って功を奏してます。

 可奈子に付きましては、以前の鶴子同様に一応説明致しますと。
 ネギま!の前に赤松先生が描かれていたラブひなの登場人物で、そちらの主人公と血の繋がらない妹でありヒロインの一人です。
 また赤松作品において神鳴流に並ぶと考えられる浦島流柔術という古武術の使い手で、本作においてはオリ設定でひなたお婆さんの後押しを受けて浦島家の跡取りとしてます。
 浦島家と血縁で無いこともあってこの辺りには複雑な事情を抱えているともしています。そっちも今後の出番しだいで書くかどうか…。
 戦力的には刹那や真名以上でタカミチ未満、刀子さんや神多羅木先生クラスとしてます。ただ鶴子の妹であり、潜在的な才能は姉以上とされる素子と互角に戦えるライバルである事を考えると、それ以上の実力者かも知れませんが…。


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第34話━━悩める白い少女(3)

 

 日が没して黒いヴェールが空を徐々に覆い、俗に一番星と呼ばれる煌めきが天上に見え始めた頃。

 陽光の残滓に照らされるログハウスの屋根の下、まだ残る影からより色濃い暗闇の像が浮かび上がった。まるでそこに穴でも開いてるかのように床から……。

 

「……」

 

 浮き出た像は確かな人の形を持っており、それは首を軽く振って金の髪を揺らしながら辺りを見渡す。

 見える風景から自宅へ帰った事を理解した彼女は軽くため息を吐く。

 

「ふう…」

『疲れたのかエヴァ?』

 

 ため息をすると彼女──エヴァンジェリンの首に掛かる赤い宝石から音無き声が響いた。

 

『あ、うん』

『イリヤの仕事の手伝い……簡単な見回りと作業だけで終わると思っていた所に最後にアレだからな、無理もない』

『かなり派手にやったしね。それにまさかイリヤがあんな切り札を持っていたなんて』

 

 頭に響いた声──宝石に在るシロウからの念話に念話で応じるエヴァ。

 

『……さよ、という娘もな。あれには本当に驚かされた。イリヤがわざわざ身内(でし)に取った理由が分かった。率直に言ってあれだけでお釣りが来るのではないかと思ったぞ、オレは』

『……』

 

 それはエヴァも同感だった。

 

『でもまだ慣れていないようだったし、イリヤも不足と……いえ、不安を感じているようだった』

『……そうだな』

 

 仕事の仕上げの仕上げともいうべき事が終わった後、白い少女が見せた顔はどこか冴えないものだった。

 恐らくイリヤには見えていて、自分達には見えていないものがあるのだろう。

 それを直ぐに話してくれない事にもどかしさがある。ただ必要であればイリヤは自分にはずっと黙ってはいないし、何れは話してくれると信頼して、また信頼されていると思うからエヴァは尋ねなかった。

 

「あ、やっぱりエヴァちゃんだ。おかえりー」

「おかえりなさい師匠(マスター)

 

 シロウと話して少し思い耽っていると、近くの窓が開かれてログハウスの中から覗く2つの顔が見える。

 明日菜とネギだ。

 

「ああ、待たせた。ただいまだ。……転移を使えるのは、やはりありがたいな」

 

 転移の出現の際に何か物音でも聞きつけたのだろう……或いは気配を感じ取ったのか、ひょっこり顔を出して挨拶する二人に意識を切り換えてエヴァは応える。

 その後にボソリと呟いたのは、全盛期の魔力を取り戻せた事と思いの外、帰宅が遅れたのをそれで取り戻せた事に対してのものだ。

 

「さて、本日の修行だが……その前に」

 

 自宅の扉を潜ってからの第一声。室内にいる面々からも挨拶は来るがそれに軽く手を振って応じつつ、

 

「そちらの自己紹介は済んでいるのか?」

 

 そう、エヴァは弟子として引き受けた彼女達に視線を送る。

 

「はい、師匠が帰られる前にお互い済ませました。高音さん、愛衣さん、改めて宜しくお願い致します!」

 

 ネギが何処か上機嫌にハキハキとした様子で答えると、「こちらこそ宜しくお願い致します」「よ、よろしくおねがいします」と返る二つの声。

 明石教授から引き受け、新たに弟子とした高音・D・グッドマンと佐倉 愛衣である。

 思い立ったが吉日という事で、夕映とのどかの図書館コンビと刹那の三人に案内させてエヴァより先にこのログハウスへ行かせたのである。

 

「そういえば、茶々丸はどうしたネ?」

 

 何時もように修行メンバーに加わっている古菲が言った。エヴァに付き従っている筈の機械仕掛けの少女の姿が傍に見えないからだ。

 

「……彼奴(あいつ)は今日は外泊だ。葉加瀬の所でな」

 

 エヴァの返答に古菲は納得するように首肯しながらも「ほう、珍しいアルな」と意外そうに言う。

 続けて「あれ? でもメンテナンスとかはつい先日受けてたような?」とネギが小さく呟き疑問げにしていたが、エヴァは敢えてスルーした。

 

「挨拶が済んでいるならとっとと行くぞ。幾ら『別荘』を使うとはいえ、遅くなれば明日……いや、今日のお前らの帰宅時間に響く事には違いないんだ」

「は、はい…!」

 

 エヴァのやや強めの口調に、ネギは背筋を伸ばして答える──が、

 

「──あの、それでィ、イリヤの姿も見えないんですけど」

 

 緊張の含んだ声でそう幼い少年が尋ねてきた。室内の電灯に照らされたその顔は何処となく赤みを差している。

 ただエヴァは先に前を出ていた為、その顔色には気付かずに。

 

「イリヤなら今日は来ないぞ。というか……普段からこちらには余り来ないだろ」

 

 それを今更知らん訳ではないだろうに、とでも言うようにエヴァは振り向かず地下へと降りて行く……だから先程のハキハキした様子と打って変わって、肩を落とし意気消沈している幼い弟子の姿には気付かなかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 別荘内時間において昼間から夕刻にかけての教導を終えると、エヴァは溜まった疲労──とでもいうべきものは吸血鬼の身体には実際余りないのだが──を取る為に食事前に湯浴みをする事にした。

 よりゆったりとした雰囲気を味わう為にも本日は檜風呂を選んだ。日本贔屓の彼女が凝りに凝って内装を決め、設計を依頼し作らせた別荘内でも自慢の一部屋。

 全面を檜張りにした浴室、漂う湯気と共に感じられる独特の香りを楽しみながら、彼女は同じく檜で作られた湯桶に掬った暖かなお湯でさっと身体の汚れを流し落とすと、広い湯船へと身を落とす。

 幼いながらもその外見に見合った絶妙な均整を持った肢体を伸ばし、筋肉の解れを覚える頃には彼女の白磁器のように美しい白い肌は、湯の熱さによって薄っすらとした桃色に染まっていた。

 

「はぁ〜〜堪らない。少し前のアニメであった台詞だけど、命の洗濯とはよく言ったものよね」

『……』

 

 独り言なのか、問い掛けなのか判断は付かないが宝石の中にいる彼は沈黙を貫いた。

 迂闊に声を出してはならないと、彼の第六感が警鐘を鳴らしているのもある。“あかいあくま”やら、“金ドリル”やら、“黒い桜”やら、“銀の毒舌シスター”やらと、その他にも多くの女性に悩まされた経験がサイレンを鳴らすかのように大声を上げているのだ。

 

 ──生前のことは殆ど記憶にない? 確かにそのような事を何処かで言った覚えはなくもないが……ハハッ、そんなのは詭弁だよ。ただ記憶しておくのが辛かったための言い訳だ。

 

 無造作に湯船の端に立つ事になった(置かれた)彼は、何故かそんな言葉を言いたくなった……いや、声には出せないのだが。

 エヴァは、そんなシロウの心情に気付いていないかのように惜しげもなく一糸纏わぬ生まれたままの姿を晒しており、湯で濡れてやや上気した白い肌と、それに絡んで張り付く金色の髪が幼いながら妙な艶かしさを醸し出している。

 

 ……それを近場で見せ付けられているからこそ、シロウは迂闊に何かを言わないのだが。

 髪は湯船に付けずに結い上げるべきだ、と小言すらも。

 

 そんな彼に対してエヴァの心情はといえば、沈黙を貫くシロウに残念というか、失望と言うか……そんな思いがある。

 実の所、これらの行動はわざとであり、彼女なりのアピールであるからだ。

 姉のように慕う白い少女に告げられた先日の言葉に焚き付けられた感はあるが、シロウへの想いを自覚したエヴァは彼がどう自分を見ているのか図りたくあった。だから羞恥心を堪えてこのような行動に出たのだが……。

 

(はぁ……やっぱり、こんな幼い身体の私じゃ、そういう対象にはならないかぁ……)

 

 内心でため息を吐いて、どんよりとした気持ちになる。

 無論、この幼い身体にあからさまな劣情を催されていても困るのだが、もう少し慌てるとか、はしたない行動に苦言を呈するとか、そんな何かしらの反応は欲しかった。

 だから残念であり、自分の成長のない身体に失望感を懐き、意識されない事が悲しかった。

 幻術を使えば大人の身体を見せ付けられるだろうが、それで望んだ反応を得られたとしても何か違うし、きっと虚しくなるだけ……ともエヴァは思う。

 ちなみに着替えやお手洗いの際は、色々と見られないよう聞かれないように……特に後者に関してはエヴァは物凄く気を付けている。

 

 それはともかく、

 

「……もうそろそろネギの修行には、ステップアップが必要な頃かしら」

 

 気を取り直して思考を切り替え、本日の行った稽古内容を振り返る。

 いつも通りの体力向上のトレーニングと魔力効率向上の瞑想の他、せっかくなので高音と愛衣の実力を見るのも兼ねてネギと模擬戦をさせたのだが。

 一対一においては高音とは互角に戦い、もう一手欠いて……というか互いに決め手を欠いてのドロー。

 愛衣相手ではほぼ一蹴。接近戦はネギの体術が優に上で、捌き切れない愛衣を圧倒してほんの数秒で打ち勝ち。遠距離もネギの膨大の魔力の前では打ち合いにすら成らず、ゴリ押しでも余裕であった。

 だが高音・愛衣コンビの二人が相手になると、前衛中衛を担う高音の対応に精一杯となってしまい、後衛に位置する愛衣の魔法の一撃をまともに受けるか牽制されて、その隙に高音に決め手を入れられて敗北している。

 

「……魔法学校を出たての子が、卒業後に長年修行してきた先輩相手にそれだけ戦えれば十分と言えるのだけど」

 

 だけど……ネギの取り巻く状況と今後を思うと決して予断は許されない。

 まだ10と満たない子供が背負い、また迫る運命が何と厳しく大きいことか……一瞬、そんな同情も過ぎる。

 それは過去のエヴァ自身にも言える事ではある。明日菜、刹那、木乃香、そしてイリヤにも。

 

「先ずは瞬動を、それが身に付いたら早々に虚空瞬動と並行して飛行魔法……手数を増やす為にも中位呪文も幾つか覚えさないと……クーの意見も聞いて……あ、そういえば、あの娘もまだ虚空瞬動は身に付いてないようだから覚えさせて、そこから……」

 

 そうしてエヴァは思考に没頭する。ネギだけでなく無論、明日菜達へも意識を向けて……。

 

「失礼致しますマスター、入浴中の所に申し訳ありません。ネギ様がお訪ねです。如何致しましょうか?」

 

 思考に没頭するエヴァにそんな声が掛かった。

 別荘に常駐する魔法人形(ハウスメイド)からだ。

 

「む?」

 

 怪訝そうな返事をするエヴァに、要件はハッキリ致しませんが何か話があるらしいとメイドは言った。

 

「分かった。とりあえず通しておけ、私も直ぐに出る」

 

 修行や魔法について何か聞きたい事でも出来たか?……などと思いつつそう伝え、エヴァは浴槽から上がると魔法を使って手早く身体を洗って浴室を後にし、乾燥も魔法で済ますと下着とバスローブだけを纏ってネギと応対する。

 

「あ、師匠、こんばんは。突然の訪問すみません」

 

 部屋へ赴くとエヴァの姿を見るなり、座していたソファーから立ち上がってネギはお辞儀をする。

 エヴァはそれに答えるように鷹揚に軽く首肯し、

 

「ぼーや、夕食はどうした?」

「えっと、既に頂いてます」

「そうか、私はまだだ。こっちが食事しながらでも良いなら話を聞いてやる」

「はい、ありがとうございます。お願いします」

 

 部屋を移動して二人は食堂へ。

 長テーブルに向き合い、エヴァの元へ前菜が運ばれる。食事を済ませているネギの元へは軽い物としてノンアルコールのシャンパンとドライフルーツを使ったプディングが置かれた。持て成しが全く無しなのはどうかというエヴァなりの気遣いだ。

 

「それで要件は何だ? 修行に関しての泣き言なら聞かんぞ」

 

 からかい気味にクスリと笑ってエヴァは冗談めかして言い、トマトソースやドレッシングで酸味を利かせたサラダを口に運ぶ。

 

「いえ、伺ったのは修行とかそういうのでなく……イリヤのことで。師匠はイリヤとても仲良いですから」

「んん!?」

 

 予想が外れて思わぬ名前が出た事で、エヴァは若干動揺して口の中のサラダを咀嚼もそこそこに変な風に嚥下してコフっと軽く咽る。

 思わず吹き出しそうになったのもあって汚れた口元をナプキンで拭う。

 

「イ、イリヤがどうした?」

 

 食べ物が若干喉に引っ掛かった感覚も在るので、それを飲み流そうと今度はシャンパンを口元へ運びながら尋ね返し──

 

「えっと、イリヤの好みっていうか、イリヤはどんな人っていうか、その……どういった男性が好きなのか師匠は知らないかと思っ──」

「──ブフォッ!!?」

 

 飲みかけたシャンパンを盛大に吹き出した。

 何!? 話ってつまり()()()()事!!?と胸の内で驚愕しながらネギの表情を窺う。

 

「…!?」

 

 こちらのシャンパンの吹き出しに向こうも驚きの表情をしているが、頬には赤みが差しており、照れというか恥ずかしげな様子も見える。

 

「……コホンッ」

 

 再びナプキンで口元を拭いつつ咽返る喉を整えて少し考える

 正直に言えば尋ねる事ではないとは思う。以前から何となくそうではないかと察していたからだ。それでも敢えて言う。

 

「どういう積りでそんな事を聞く」

「あ、いえ……その、イリヤには好きな人がいるって耳にしたもので……気になって」

 

 エヴァの問い掛けに吃りつつ、顔を赤くして何処かモジモジしながら答えるネギ。

 そんなネギの姿を見て、何処からそんな話が?……と、ふと気付いた。つい先日、世界樹の噂がクラスメイトの間に出た時にそのような事をイリヤ自身が話していたのを思い出す。

 となると、その際に居合わせた明日菜や木乃香達辺りから聞いたのかと判断する。

 内心で舌を打ち、人のプライバシーを言い触らすような真似をした事に少し憤るが、それはこの際置いておく。

 エヴァは「はぁぁ」と強くため息を吐くと、少し眼を吊り上げてネギを睨む。

 

「随分、遠回しな言いようじゃないか」

「え?」

「人に対しては、かってに夢を覗き見てそういった事情に土足で踏み込んだというのに」

「あ、」

 

 それはネギ達のクラスが無事進級を果たした矢先の事だ。風邪で寝込んだエヴァに『夢見の魔法』を使って過去の出来事を盗み見ていた。

 それが切っ掛けでサウザンド・マスターことネギの父、ナギ・スプリングフィールドへのエヴァの想いをネギは知ったのだが。

 

「だというのに、お前は自分の想いを隠そうという訳だ。当の私にはあんな事をしておいて」

「うう…」

 

 指摘を受けたネギは、すみませんとばかりに俯いて肩を縮こませる。

 落ち込むネギの姿を見るもエヴァは、よりによってイリヤとは。また難儀な問題を自ら抱えようとするわねこの子は……と、本来の少女の面持ちを持って胸中でそう思った。

 

 

 

 ◇

 

 

 始めは大切な親友であり、信頼する使い魔であり、また生物間の違いはあれど同性であるカモにその胸の内は明かそうと、また相談しようとネギは考えていた。

 しかし──

 

「オッス、お疲れさまっス兄貴、ヒック……いやぁ流石は500年も生きる伝説の吸血鬼……ヒック、揃えてる酒も良い塩梅に熟成された名品ばかりで……ヒック」

「オオ、ヤッパ良イ飲ミップリダナ、オ前。ホラドンドン行ケ」

「ありがてぇチャチャゼロ、こんなチンケなオコジョ妖精にこれほどの酒を汲んでくれるなんて……ヒック」

「気ニスンナ、御主人(マスター)ハ溜メ込ムダケデ、ドウセ嗜ム程度ニシカ飲マネエンダカラ。ソノ癖……イヤ、ダカラコソカ。味ニハ拘ルガ」

「そうなのか? ザルのように飲むと思ってたんだが何か意外だな……ヒック」

「オオヨ、ナモンデ、モッパラ飲ムノハ俺ノ役目サ。他ノ連中(人形)達ハ全然ダシナ……ダカラヨ、オ前ノヨウナ飲ミ仲間……(ダチ)ガ出来ルノハ素直ニ言ッテ俺ハ嬉シイシ、楽シイノサ……ケケッ」

「かーっ! そう言ってくれるとは……ヒック。いやぁ俺もさ、兄貴も含めて周りは女子供ばっかで正直……ヒック、酒坏を組み合わせられる相手が居ない事が寂しかったもんでさ」

「ソレジャ、オ互い寂シカッタ者同士コレカラハ仲良クヤッテイコウゼ! カモ!」

「おう! 宜しくなチャチャゼロ!……ヒック」

 

 このような会話を交えながらチャチャゼロとワインやらウィスキーやらをチーズやナッツなどのツマミと一緒にガブガブと飲み干し、すっかり出来上がってしまった為に断念。

 それで他に話せる相手を、誰か相談できる人を求めて考えて……この麻帆良に置いて想い人である白い少女と一番親しい人物であり、頼もしい自分の師であり、人生(?)経験豊富であろう吸血姫の元を訪ねたのだが。

 

「フン……」

 

 強くは無いものの明らかに怒りを込められた蒼い眼を向けられてネギは少し後悔してしまう。

 勿論、その怒りが正当であるのは理解している。過去に彼女にした行為は褒められた事ではないし、話そうと思ったのに結局土壇場で躊躇してしまったのも悪い。

 

(うう……師匠の言う通りだ。少しでも良いから素直に言えば良かったのに……)

 

 こうも“想いを告げる事”が大変だなんて……とネギは心底感じていた。

 そう、たった一つ好きだっていう言葉が重くて怖い。

 友達に向けるモノとは近いようで明確に違うナニカ。

 それが愛だと恋だという言葉や意味なのだとは分かるが、それでもまだ十歳……いや、年齢云々以前にそういった恋愛事に疎いネギには、それをどのように自分自身の(感情)として表現すれば良いのか、扱えば良いのか朧気でまだ掴めずに居た。

 同時にのどかが修学旅行の時に自分へ告白した事に尊敬の念を覚え、また後ろめたさも感じた。

 そうして1分か2分間程か、項垂れて縮こまっていると、

 

「……まあ、良い。あの時の事は今更責めた所でどうしようもない。あれはあれで私にも落ち度はあっただろうし」

 

 たかが風邪と油断した自分が情けない、とまでエヴァは言って彼女は怒りを収めた。或いは、

 

「それに、そう臆病になる気持ちも分からん訳ではないからな」

 

 その言葉の通り、ネギに共感する部分があるからだろう。

 ネギはそんな師の態度に少し恐縮していまい、今度は別の意味で肩を縮こませた。自身の過去の不躾な行いと今の臆病さを見逃されたからだ。

 

「で、確認するがお前はイリヤの事が好きなんだな? 友達だとか尊敬する魔法の先達だとかそういうのではなく。一人の()として見たい、話したい、触れ合いたい。そして自分を一人の()として見て欲しいという事なんだな」

「……」

 

 改めて自分の“想い”を指摘されたようでネギは逡巡したかのように声が詰まり、言葉が出なかった。

 ()()という言い方や触れ合いたいという部分に生々しさを覚えた事もあるかも知れない。

 

「……フム」

 

 返事をしなかったネギにエヴァにこれと言って怒りは見えない。今度は隠したり誤魔化したりした訳ではなく図星を付かれたからこその沈黙だと分かった為だろう。

 しかしネギとしては、また自分の感情(おもい)を覆ったと思われたかも……と感じて、

 

「あ、その……そうなんだと、“好き”なんだ……と“思います”」

 

 しっかり口にするつもりだったのに“躊躇い”が出てしまった。

 そんな自分にネギは戸惑ってしまう。今度はそんな積りはなくイリヤを真っ直ぐ好きだと言いたかったのに、どうしてか“恥ずかしい”という感情が出て遮られた。

 自分の感情の働きに戸惑うネギを、エヴァは少しジッと見詰めてやれやれと苦笑する。

 

「ま、ぼーやには初体験の情動だ。しっかり表にはできんか」

 

 ネギの感情を見透かしてクツクツと金色の髪を揺らして笑うエヴァ。呆れと滑稽さが混じった声色だった。

 それに「あ、いえ、そんな事は……」とネギは少し慌てて言おうとするも、エヴァはその言葉を制するように微笑を浮かべたまま口を開く。

 

「ククッ……大いに悩め少年。それも成長には必要なものだ。……ともかくお前の想いは理解したし、聞きたい事……イリヤが好きだという人物に思い当たる者はいるが」

 

 そこで彼女は真顔になり、

 

「誰かまでは言えん」

「え!?」

 

 ネギも内心での情動が収まって今度は別の意味で動揺する。「そんな」と驚きの中に落胆が混じった顔を見せる。

 

「ぼーや、そもそもそれを知った所でどうする? その人物を真似て気を引きたいのか? 自分を偽って?」

「それは……」

 

 正直に言えば、そういう考えもありはした。

 イリヤが好きだという人物が誰なのか、その性格をよく知れば、彼女の好みに合わせて近づけられると。

 ただ同時に浅はかな考えだと、それは違うとも思った。それでも──

 

「そうだな。自らを偽った所で結局は苦痛であるし、そんな方法で築いた関係など直ぐに破綻する。しかし知りたいという思いも分かる。ただ単純に気になるという事もあるだろうしな」

 

 ネギの思考を察してエヴァは続け、

 

「……はい」

 

 ネギは首肯した。

 そう、とても気になる……気になってしまう。

 何処か大人びていて尊敬すら覚えるあの白い少女が好意を寄せる程の男性だ。いったいどんな凄い人なのか、自分はそんな人に()()()のか……そんな不安が、恐怖があった。

 そこまで考えて、ネギは胸中に鉛のような重いものが溜まっていくような感覚に襲われた。

 その葛藤もエヴァは見透かしたのだろう。

 

「……普通の、とまでは言えんが一見すると何処にでもいるような男だよソイツは。ただ他人(ひと)よりも何倍も何倍も頑張り過ぎる、優しいだけのな」

 

 少し寂しげに呆れたようにエヴァは言う。

 

「容姿にしても絶世とか、そのようなとびきりの美男子という訳ではないし、まじゅ……魔法の実力も凡庸な人物だ」

「そ、そうなんですか」

 

 エヴァは尋ねた事に少しだけ返答してくれたのだと理解して、その事に驚きながらもネギは意外そうにする。

 

「ああ、顔だけならきっとぼーやの方が良いだろうし、魔法を扱う才能だってずっと上だろう。こうあんまり褒め過ぎるのもどうかとは思うが、お前は確かに天才で、何れは大成し後世に名前を残すのだろうよ、あの馬鹿……父親であるナギと同じくな」

 

 本当に少しだけだがエヴァは、その人物の事をそうネギに言い聞かせ、ネギの事も評した。

 それは正確ではないが、間違った評価ではない筈だ。少なくともエヴァの表情は偽りを言っているようには見えなかった。

 

「だから誰かと比較などするな。ぼーやはぼーやでありのままで良い」

「は、はい!」

 

 ネギはエヴァに褒められた事が嬉しくなって大きく返事をした。だが、

 

「……とはいえイリヤとはな。以前からそうだとは思ってはいたが、随分と難儀な相手に恋をしたなお前」

 

 エヴァは、少し前に見せたように大きなため息を吐いて苦い表情を浮かべた。

 それにネギは疑問げな顔をする。

 

「それってどういう……?」

「どうもこうもない、言葉通りの意味だ。口説き落とすハードルがとんでもなく高い相手だとな。私の好きなTVゲームに例えるなら、恋愛物のアドベンチャーで初回からフラグすらハッキリしない、在るかどうかも分からない隠しルートに挑むようなものだ」

 

 呆れたような、或いは哀れむかのようにエヴァは言い、思い出したかのようにフォークを手にしてテーブルの上にあるサラダを頬張った。

 それを見てネギも思い出したように先割れスプーンを握ってプディングを口へ運ぶ。舌に広がる甘味と鼻に感じる甘い匂いが何処となくホッと気分を落ち着かせる。

 

「ただ逢瀬を重ね、多くの時間を共にし、互いに好みを知り合い、趣味趣向を理解する……などというごく普通のやり取りだけではアイツの心を掴み、想いを育む事はまず出来ない」

 

 ま、何しろあのイリヤだしな、と半ばボヤくように小さな呟きを挟んでエヴァは話す。

 

「ぼーや……いや、ネギ。イリヤを本当に好きだと、彼女を心の底から欲しいと、自分だけを見てくれる(モノ)にしたいと望むなら覚悟する事だ」

 

 エヴァは、これまでネギが見た事が無い程の真剣な眼差しで告げる。

 

「イリヤの抱える事情はとても大きく重い。ともすればそれは、お前が『偉大な魔法使い(マギステル・マギ)』を目指しこの先、父親(ナギ)を探し求めて歩く道よりも……或いはその胸の内にある黒い感情(復讐)晴らす(叶える)事よりも辛く厳しく険しいモノかも知れない。故に──」

 

 故に心せよ。

 我が弟子、ネギ・スプリングフィールド。

 あの白雪のように美しい冬の娘を手にしたくば……全てを得て、全てを捨てる覚悟。それを同時に持つ事だ。

 でなければお前は、後悔を残して涙するだけになる。

 

 

 

 ◇

 

 

 

『……まるで予言者のようだったな』

 

 ネギは自分の寝室へと去った。

 勿論、告げた言葉の後で更に幾分か会話を交わして助言もした。

 

「もとより私達は神秘を繰る魔法使い、そのような者でしょう。確かにさっきはそう敢えて気取り(カッコつけ)はしたけど。……でも、告げた事はそう間違ってもないでしょ?」

 

 赤い宝石へエヴァは語りかける。自室の寝台へと転がりクッションを背もたれにし、指に挟んで目元まで持ってきた美しい光を煌めきさせるソレを見詰めて。

 

『……ふう、だけど良いのか?』

 

 エヴァの語りに意図して答えずシロウは尋ねる。話題を変えるかのように。

 

『ネギを焚き付けて助言するような真似をして? オレはてっきりエヴァは嫌がると思ったんだが……』

「イリヤを好きだとか、恋愛対象に見られる事?」

『ああ』

 

 返る言葉に肯定するシロウ。

 エヴァは顎に手を当てて考える仕草をする。

 

「そうね、シロウの言うように大好きなお姉ちゃん(イリヤ)をそう見られる事に抵抗は覚えなくもない」

『だったら……』

「それが碌でも無い男だったら、ね」

『む?』

 

 やはり嫌なのではないかと思った所でエヴァは頭を振って見せ、シロウは口籠もる。

 

「ネギは明らかにまだまだ未熟で頼りなさはある。でも考えてみて、あの子は十歳と幼いわ」

『なるほど、逆に言えばまだ幼い十歳の子供であれ程と…』

「そういう事。英雄と呼ばれる男の息子で、その素質は抜群に受け継いでいて、更に馬鹿だったナギと違って正真正銘、頭脳明晰の天才児。人格は善良で器量も良く将来性はかなり有望。先にも言ったように大成するのはほぼ間違いなし。この時代、この世代の子であれ程見込みのある男は他に……そうは居ない」

『ベタ褒めだな。しかし的を射ている』

 

 ふむ……とシロウは納得する。

 エヴァの言う通りネギは凄まじい。魔法に関しては魔術との体系が違い過ぎて言及は難しいが潜在的な魔力はエヴァに匹敵しているのは分かる。今はゴリ押し気味だが成長は早く、その腕前が一流に届くのはそう遠くないと思わせる。

 体術に関しては既にプロ級。魔力無しでもスタミナを考慮しての一本勝負であれば表社会の一流アスリートが相手でも十分勝ち得る。武術に限っては同じく天才で生粋の拳法家たる古 菲が反則程の飲み込みだと舌を巻くほどなのだ。

 だが、一番凄まじいのは彼の頭脳だ。僅か十歳で大卒認定を受け、正式に教員資格を得られる程の知力・学力を持っている。聞く所によれば他にも学問に関して幾つか難しい資格を取得しているとか……そこまでくれば凄いと言うよりは、もはや異常と言っていい。

 魔法も武術もその成長と飲み込みの早さは、そういった異常なまでの頭の良さが何よりも担っている……のだろうとシロウは分析していた。

 

「ふと思うのだが、ネギ少年は“偉大な魔法使い(マギステル・マギ)”とやらを目指すよりも学者になるべきではないか? もしくは政治家か? 表にしろ裏にしろ。彼ならそのどちらの世界にも席を置いて兼任できるだろうし、その方がよっぽど世の中の為にもなり、人類の発展に貢献できる気がするが』

「……それは正直、私も時々思う」

 

 何とも言えない沈黙が二人の間に漂う。

 こう、何というか気付いては行けない事に気付いたような……敢えて見ようとせず、目を逸らしていた物を見詰めてしまったような感覚があった。

 しかし、その感覚は尤もだと言うべきモノである。

 ネギは、男性らしく心の根に熱いものを持った少年ではあるが、基本その性格と気質は穏やかで優しいものだ。

 先日学園を襲ったとある悪魔が語ったように本来は戦いに向かない繊細な人間である。

 そう、或いは今、彼が進んでいる道は誤っているのかも知れない……──いや、

 

『いや、すまない。脱線させた』

「ううん、とりあえず──」

 

 取り留めない事を言ったのをシロウは謝罪し、エヴァは仕方なさげに軽く首を横に振り、話を戻す。

 

「──そういう訳だからネギがイリヤの隣に立とうとする事に不満は……百歩、いえ……五十歩くらい譲れば無いわ」

『……それでも譲らないと駄目なのか…』

 

 謎に──平たくぺったんな──胸を大きく張りながら、えへんとするエヴァ。それに呆れた口調を返すシロウ。

 恐らくエヴァ的には譲歩してあげて偉いでしょう……という寛容さを示した積もりなのだろう。

 

『……まあ、エヴァに不満がないというか、不満が少ないのは分かった。しかしイリヤにとっては──』

「うん、分かってる。イリヤの方がどう思うかは別だっていうのは。あと彼女に対しては迷惑でしか無いのかも知れないって事も」

 

 そう互いに言うと、また沈黙が二人の間に降りる。

 だからこそ難儀な恋をしたという事であり、予言なのだ。

 イリヤはネギへの恋愛感情は皆無であろうし、何よりそのような事に心を割く余裕はない。

 やるべき事の大きさに気を取られてるというのもあるが、そもそもとして白い少女は己に“時間が無い”事を……“先”が無いが理解している。

 だから恋をしようなどとは思いもしないし、出来るとも思っていない。どうあっても悲恋で終わるだけだと、或いはそういった未練を残したくないと割り切り達観しているのかも知れない。

 

「でも思うの、私は。例え押し付けがましい考えだとしても……」

『……』

 

 しばらくの沈黙の後でエヴァは言う。

 

「まだ希望があって、イリヤが生きられるのなら……そんな未来があるなら、この世界で幸せを得られるならって。そして恋をして、その時に隣に立ってくれる男性がいるのなら、愛する人が出来るのなら──それは誰にも負けないくらい、凄く素晴らしい誰にも自慢出来る良い男であって欲しいって」

 

 それは言葉というよりは祈りであった。

 生まれながらにして運命が定められ、それを果たせずただ小さな……けれど大切な誰かへの願い(イノリ)だけを残して世界から悲しく去り(死に)、そしてこの新たな世界でも逃れられぬ運命を与えられて短く去る(死ぬ)だけの白い少女に、あの冬の娘に──どうか救い在れと。

 福音の名を持つ吸血姫は、そう心から祈っていた。

 吸血姫に仕える騎士で在らんとする赤き弓兵は、それに何も答えず静かに無言であるが、別断否定している訳ではない。ただ肯定も難しいと、理想と現実の違いを生前に嫌というほど見せ付けられた彼なりの人生観が容易に頷かせなかった。

 尤もそれは500年の時を生きた彼女とて同様の筈なのだが──否、だからこそだ。

 

「だって、それが叶う方法も見つかったかも知れないから──」

『──なんだって!?』

 

 そのまったく突然の言葉に……希望を紡ぐエヴァの声にシロウは驚きを返す。

 

『エヴァ、それはどういう事だ!? イリヤが助かるのか!』

「うん、方法はあると思う。これまでに聞いたソレの事から考えると人並みの寿命は無理かも知れないけど……少なくとも十年……もしくは二十年は延命できると思う。それだけ生きられるならきっと──」

 

 そう希望を話す。シロウはエヴァからその方策と手段を聞き……。

 

『ならば余計に遅れを取る事は出来ないな、連中には──』

 

 かつての世界……生前にあった無念の一つをこの世界で取り返せると考え──無論、それが自分の知る白い少女ではない別の彼女だと、代償行為に過ぎないとも理解はしているが、それでも──シロウは決意する、己が今出来る事を、すべき事を。

 

『エヴァ、提案がある』

 

 そうして彼は主たる吸血姫にそれを話し、承諾を得る。

 

『それにだ。イリヤばかりに驚かされるというのも癪ではあるしな』

 

 本日訪れた魔法協会本部での最後に、エヴァや鶴子に魔法先生らを相手にしてイリヤとさよが披露した物を思い出しながら、シロウはそうも言った。

 

 

 

 

 

 何処で遠くで小さくカチリと何か欠片(ピース)が収まった音を聞いた。

 

「でもこれは既定の路線……」

 

 深い夢の世界の中で佇む姫巫女と呼ばれる幼い少女は呟いた。

 

「そう、問題は此処からさ」

 

 自分だけしか居なかった筈の夢の世界に何時の間にやら住み込んでいた老人(青年)が言った。

 

欠片(ピース)はまだ足りない。彼等、或いは彼女等はそれらを見付け、果たして埋められるのか……」

 

 心配だねぇ……と、まったくそう思っていない軽薄な口調で老人は困った笑いをする。

 少女はその顔がどうしてか無性にムカついたので、

 

「……!」

「ぐふっ」

 

 無言で蹴りを入れてやった

 

 




 所々問題はありますが、実はそれ以上にイリヤと恋人になるには、エヴァに認められなくてはならないというのが、この本作世界の男性達には一番の高いハードルだったりします(ついでに言えばシロウにも…?)。

 原作の学際編は、恋愛模様の割合が多いのでこっちでも色々仕込みに掛かってます。
 ネギの出番はもう少し入れる積もりでしたが、見送りました。
 そして主役たるイリヤの出番は無し……次回の登場で34話はようやく終わります。


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第34話━━悩める白い少女(終)

 

 

 

 久しぶりに落ち着いた夜を迎えているとイリヤは思った。

 ここ数日は、特に学園内各所にある魔力溜まりを押さえる為の結界や魔法陣の構築と、その前段階での実験やらでかなり忙しかった。

 それもようやく一段落付いた。

 

「……」

 

 地下三階にある私室の中央にあるソファーに座り、右手の人差し指でテーブルを叩き、トントンと軽く音を鳴らしながら彼女は思考を巡らせる。

 取り敢えず、先ずは目下に迫った学際の事だ。

 

(原作に置いて暗躍していたチャオの手は、ほぼ封殺出来たと思う)

 

 修学旅行を機にした学園の警備体制の見直し──この辺も少しイリヤは提言をしていた──によって超鈴音(チャオ・リンシェン)の兵力及び兵站能力を奪い。

 魔力溜まり……霊穴を先んじて押さえて世界樹に対しても結界を張り、魔力拡散を抑制し彼女の目論む『強制認識魔法』の発動を不可とした。

 超包子(チャオパオズ)の経営の他、株式投資などの経済活動による資金調達こそ敢えて見逃してやったが……計画の肝は潰したと見ていい。

 正直な所、超鈴音の計画を潰すべきかはかなり悩んだ。

 原作において重要な“イベント”であったからだ、ネギとそのパーティー達にとって。

 しかしそれを強く意識した為に前回の襲撃事件にて後手を踏むどころか、原作以上の悲惨な結果を齎した。油断し判断を誤ったのだ。

 その反省もあり、今回は徹底した。

 無論、他にも理由はある。

 私怨めいているが未来人による超鈴音のエゴは認め難いものであるし、上から目線で支配者気取りなやり方も気に食わない。魔術師として神秘を明らかにしようという行為にも嫌悪感がある。

 それに──

 

(ヘルマンを捕獲できたのは、僥倖と言えるのかも知れないけど……あれは私が介入して得たものとは言い難いし)

 

 何かしらのバタフライ的な作用が起きたとは思うが、今一つイリヤには腑に落ちない感があった。

 その襲撃事件の反省と共に覚えた予感……つまりは“勘”に従って動いた。

 あの悪魔の捕縛が齎す影響が読めないのもある。

 

本国連中(メガロメセンブリア)が動いた要因がコレなのかも知れないし」

 

 結果として勘は当たり、原作にはない本国の介入などという出来事が起こった。

 

「これでチャオの好き放題にさせていたら、とんでもない状況になっていたでしょうね」

 

 協会に独立した自治権はあれど、それでも政治的にも法的にも上位の組織として扱われているメガロメセンブリア(MM)……しかもその組織のお偉方が訪問している最中でテロの勃発とか悪夢でしかない。

 各国の協会もドン引きだろうし、幾ら本国嫌いとはいえ、擁護はしてくれない……というかしようがないだろう。

 

「ほんと、事前に徹底して動いておいて幸いだったわ」

 

 ただ本国の介入などという新たに舞い込んだ厄介な問題そのものは何ら解決していない。

 学園長はMMの動きや思惑が“読めない”とは言ったが、これは政治的狙いの他、ヘルマンの捕縛を元老院が掴んでいるか、掴んでいないかまだ判断できていないという事も含まれている。

 ならば他に要因はあるのだろうか? 先の襲撃事件での失態を口実に動いているように見えているが、原作でも襲撃事件そのものは在りながらそれでもそういった動きは見せなかった。

 ではヘルマン捕縛の他に誘引する要因があるだろうか? イリヤは原作を振り返りながら相違点を考える。

 

「やっぱり襲撃事件での被害の規模? 闇の福音(エヴァンジェリン)の封印の解除? 『完全なる世界』の存続の判明? ……或いは、私という異物の存在?」

 

 ふむぅ……と悩ましく唸る。

 なるほど、どれも動くには十分な理由に思える。魔法世界の人々にとっては『完全なる世界』の動向は無視し難い。襲撃事件はただ口実だけでなく本気で調査なり、直接情報を確認したいのかも知れない。

 闇の福音に関しても同様と言える。日本に渡る前にそっちで一度大暴れした過去があると本人が話していた。何でもシロウの仇が逃げ込んでいたとかで追い詰めて殺す為に“戦争”をしたらしい。

 そして、イリヤという存在については……

 

「これは、何処まで私の情報を把握しているかによるわね……」

 

 平行世界や聖杯や聖杯戦争の情報が漏れているとは考え難い。知る人間が非常に限られ、その誰もが信用に値する──現状、心苦しい事に茶々丸は除かれるが──人物だからだ。

 その上、イリヤはそれらの人物の“動向を把握して”いる。

 ただイリヤの持つ『力』はある程度推測されている可能性はある。

 『クラスカード』を行使……夢幻召喚(インストール)している瞬間を信用のない者に見られた記憶は無いのだが、それでも未知の『アーティファクト』か、その類の高度な魔道具による力ではないか?と考察している人間はいるだろう。

 何しろイリヤが麻帆良で工房を開き、魔法鍛冶をしているという話は既に広まっているのだ。それも未知の魔法一族に伝わる秘匿された特殊な技術を持つ者として。

 流石に『英霊』の存在までは行き着いていないだろうが……。

 

「……となると、私の持つ『力』の実態と制作した礼装の機能を調査し、取り込もうという腹積もりはある得るか」

 

 嫌だなぁと心底思う。政争の具材に思いっ切り利用されるだろうし、確実にその渦中に巻き込まれる。

 それに“未知の魔法一族の最後の生き残り”というカバーストーリーの件もある。そこから予想するに取り込む手段として“碌でも無い話”が十中八九、ほぼ間違いなく持ち込まれる。

 魔法協会へ圧力を掛け、近右衛門を通してだけでなく、イリヤ自身にも直接に。誰もが認める見た目麗しい可憐な美少女であるのもより拍車を掛けるだろう。

 

「ほんと嫌よねぇ」

 

 それを予感してイリヤは、悪寒を覚えてブルッと身体を震わせた。

 一方それが目的にあるなら、こちらもそれを利用する方法は考えられる。

 嫌ではあるが、この身一つで何かしら優位な政治的材料を作れるかも知れないのだ。

 

「ふむ……」

 

 そうなると木乃香も……と似たような立ち位置になりそうだ、思い。

 ああ、そういえば、

 

「あの子の台頭も原作との相違点よね」

 

 それも影響していそうではある。

 推測混じりではあるが、幾つかの魔法史の文献や論文をあたった所、どうも彼女……いや、この極東の島国は魔法世界の発端と関係があるようなのだ。彼らの文化などは欧州に端を発して主流もそっちであるというのに……実に不思議な事である。

 そして木乃香は近衛家の出自で遠縁ながら、この国で最も古く尊きやんごとなき方々の血筋で、魔力とその資質は当代随一と来ている。

 修学旅行で『完全なる世界』が木乃香を狙ったのはその辺りの事情も恐らくある。

 

「当然そうなると、MM元老院も注目する」

 

 尤も元老院の連中が何処まで魔法史の秘められた鍵(ソレら)に気付いているかによるが……歴史の裏で『完全なる世界』が暗躍していた事、ウェスペルタティア王国が旧首都を巻き込み文字通り“消滅”した事とアリカ女王を迂闊に追い詰めた事で、得るべき多くの情報が散逸ないし喪失してしまい、この辺りを難解にしていると考えられる。

 しかしまさか、この極東に解明のヒントがあるとは思いもしないだろう。

 MMや多くの魔法使い達から見れば、辺境も辺境……遥か遠い外れた地域なのだ。

 あのネギにしても少なからず偏見があった程に。

 ただし、近右衛門と今や跡継ぎとなった当の木乃香は知っているようだが、これは何かしらの口伝なり近衛家だけが有する文献なりがあるのだろう。

 イリヤは木乃香の様子からそれに気づいたからこそこの秘密に至った。……原作にあった“二千六百年”という単語も含め。

 

「まあ、要注意には変わりないけど、これはあのお爺さんが対応する問題……かしら?」

 

 基本、近右衛門任せで良いと判断して、それとなく注意するだけにする。

 

「……で、他に要因があるとすれば、あの子達か」

 

 ネギと明日菜。

 これは原作との相違点云々という訳ではない。この二人の重要性が故だ。

 

「ネギに対しては、MMにとって藪蛇になる所もあるからそう深くは突っ込んで来ないとは思うけど……」

 

 アリカ女王やネギの故郷の一件は、元老院の特定勢力にとっては大きな爆弾である。迂闊に接触した結果、それらが明るみになる恐れは大きい筈だ。

 それでも少しばかりの──英雄の息子として見たアプローチはあると考えられるが……思い切った手段にはでない、と思う。

 

「各国の協会側も証拠こそ得られなかったもののほぼ確実視され警戒もされている訳だし、わざわざこっちの世界にまで来て、敢えて疑惑の種を撒く真似はしない……わよね?」

 

 今一つ自信が持てない。構わず暴挙に出る可能性は無きにしもあらず……か?

 

「明日菜は……」

 

 こちらも多少、不安はある。

 前回の襲撃事件における彼女らの調書記録は無かった事にされ、ヘルマンが語った言葉やあの悪魔が明日菜で行なった実験等は闇に葬られた。

 調書担当者は明石教授であり、当然コピーの類は一切作らず、その原本はアルビレオの書庫に紛れ込ませて厳重に保管されている。

 つまり公的記録として扱わず、最高機密文書(トップシークレット)どころか本当に“無い物”となっているのだ。

 そして公的には、学園に侵入した悪魔を偶然居合わせた“英雄の息子である見習い魔法使い”と“協力者である白い少女”が力を合わせて撃退に成功した……と記されている。

 無論、その為に様々な改竄は行われており、情報が多少漏れたとしても明日菜が『姫巫女』であるという確証と証拠を得られる心配はまずない。

 

「あの子の名前が、ガトウのカグラから来ていたり、そのままアスナだったりとするけど……」

 

 ただ逆にここまであからさまだと囮とも考えるだろうし、その為の情報工作はイリヤがこの世界に訪れるずっと以前から行われている。

 だが、『完全なる世界』が関与したと思われる学園襲撃……その目的を本国がどのように推理したかによっては注意が必要と言える。

 

(こうして改めて考えられると、思いの外に要因が多いわね)

 

 近右衛門が“読めない”と言った理由も改めて分かるというものだ。

 本国からも視察団の滞在期間は、学祭の三日間とそれにプラスして送迎に関わる行事で半日といった所。

 その短い日程で上げた全ての問題に向こうが突っ込んでくるか、或いは絞って来るのか……。

 

(うーん、やっぱり出方を窺っての、後手に立つしかないか……)

 

 

 軽く溜息を吐く。

 勿論、誘発要因はこうして予想が出来るのだから、それに対する手も考える事は出来る。傾向と対策という奴だ。

 

「学園長も気付いてはいるでしょうし……あんな態度だったけど」

 

 あの飄々とした茶目っ気のある老人は存外に食えない。

 飄々とした振る舞いも半分は素であるが、半分は擬態に近い。そう演じる事で油断を誘っているのだ……敵に対しても、“味方”に対しても。

 そして、イリヤにはあの老人が今回に関して妙に生き生きしてるように感じられるのだ。まるで水を得た魚のよう……でいて、水の底でジッと隠れ潜む大鯰(おおなまず)のように。

 

「……まったく何を目論んでいるのやら」

 

 イリヤの脳裏にフォフォフォとバルタン笑いをする老人の姿が浮かんだ。

 実際の所、彼の行動は怪しい。

 原作に置いてではあるが、あの老人はこの学祭編では殆ど何もしていないのだ。やった事といえば、学園祭最終日で未来から戻ってきたネギの作戦を手助けしたくらいである。

 そもそもとして近右衛門は何故、超鈴音をこの学園に席を置く事を許し、魔法に関する情報を開示していたのか?

 

(これも推測するに……)

 

 取引を行ったというのが打倒だろう。

 超鈴音が学園に入学する際、当然彼女は偽装工作を行ったであろうが、完全に学園の眼を誤魔化せたとは思えない。情報管理の全てが電子化されているであろう未来とは違うのだ。彼女の手が及ばない範囲は必ずある。

 そして彼女もそれに気が付かない程、愚かでないし楽観主義者でもない。

 となれば、時空転移の直後、学園のトップである近右衛門に直接接触……いや、転移と侵入に気付いた近右衛門の方から接触された可能性の方が高い。イリヤがこの世界に現れた時のように。

 

(チャオは、100年後の世界樹の魔力を利用して跳んだ筈。それ程の長距離……もとい超長時空間移動ともなれば、アンカーとしてこの時間軸の世界樹を目星にしないと厳しいと思える)

 

 人間が移動する際、目印になる物があった方が迷わずに済むのと同じだ。高い木とか、山とか、空の星座や太陽の位置などのような。

 将来的にはGPSみたいに技術の進歩でそれも解決出来るのかも知れないが、超の使用した航時機(カシオペア)は、原作を見るにまだそこまでは到達出来てはいない。学祭編に入ったばかりの頃に理論実証の試験機という感じの台詞もあった気がする。

 だから、超は現代のこの学園を──世界樹を未来から“着地点”にせざるを得なかった筈。

 そして侵入が見つかり、已むを得ず近右衛門と交渉となり、学園で過ごす事や堂々と魔法研究を行う材料を提示した……と考えられる。

 

(交渉内容を具体的に推理するのは難しい、でも提示した材料は推測できる……それイコール交渉と言えるのかも知れないけど)

 

 恐らくは彼女自身が持つ天才的な頭脳と部分的ながら未来──というのは伏せながら──技術の提供を持ちかけたのではないだろうか? 茶々丸開発研究がその技術の一つであり、麻帆良学園にある各大学や研究所で見られる数多の論文や明らかに進みすぎてる機械類がそれだ。

 

「“スゥ”の故郷であるモルモル王国や、あの“プログラマー兄妹”が在籍するMITの研究室からも技術協力を得ているようだけど」

 

 内にある『誰か』の記録を掘り返しながら思う。

 

(そういえば、モルモル王国って何となく魔法世界の……特にヘラス帝国側が似ているような気がする。魔法に関わるような遺跡群もあるし、外見的特徴から人種も何処か……一度そっちも詳しく調査すべき? ──いえ、それは今はいいから)

 

 ともかく──

 他にも不可解な事がある。

 超の計画が成功した世界線において、彼女を追い詰めたのはタカミチであり、近右衛門はその時も何もしてないようなのだ。

 あの老人であれば、タカミチと共同であたっても、単独であたっても超を捕らえるのは容易である。だというのに……では、

 

(マナの狙撃──時空跳躍弾の直撃を受けるとはまず思えないし、ならエヴァに足止めされた?)

 

 その可能性は低い。原作のエヴァは傍観者に徹していたし、超に手を貸す事は良しとしていなかった。ネギと超の直接対決の土壇場に咄嗟に動き掛けた近右衛門を制止してはいたが……それはまた別問題だ。

 それにエヴァと近右衛門という最強クラス同士がやりあえば互いにただでは済まない。その周辺に及ぶ被害もだ。相当派手な戦闘が起こり、目撃者は当然多い筈。

 しかし、罠に嵌って時空を飛ばされたネギ達の前に現れた魔法先生達は誰もその事に言及していない。最後まで超の前に立ち塞がったタカミチもだ。

 そして、超の計画が成った後は責任を追求されて本国の召喚にあっさり応じている。これも老獪な近右衛門らしくない行為だ。

 

「……」

 

 思えば、超鈴音は最大の脅威としてタカミチを想定し、近右衛門は敵として頭数に入れていない様子だった。

 葉加瀬も武道会に現れたアルビレオを脅威とした時に引き合いに出したのは、エヴァの名前だけ……これは偶々だろうか?

 真名(まな)が時空跳躍弾による狙撃を行なった際、タカミチを指して“最優先目標”としたのも? 近右衛門という“学園最強”を差し置いて?

 

 あの老人は、ネギが帰還した世界線では若者に任せて、失敗すれば自分が責任は取ると宣っていたけど……超の計画が成功した世界線でも同様だった?

 ネギは帰還せず情報はなく、ロボット軍団による突然の大襲撃も魔力溜まりを押さえる目的も『強制認識魔法』だと分からない筈なのに?

 あれだけの膨大な魔力をより危険な目的に使うとまったく考えずに見過ごした?

 

 ──本当に?

 

「………………よし、分かった。確信した」

 

 学園長を取っちめる!

 思索の末、あのジジイは何か隠してるな、と確信したイリヤは、あの老体をドツキ回してでも吐かせる事を決意する。

 しかし今日はもう遅い。それに考えたい事はまだある。

 本来あったと思われる“本当の正史”についてだ。

 

「……相違点というとこれも気になるのよね。“チャオの居ない”歴史が」

 

 これを考えるのは、あの“自称悪の天才科学者”がいなかった歴史があるとすれば、学祭からズレが大きくなる筈だからだ。

 

「まあ、先ずチャチャマルの不在というのがあるけど……」

 

 ここは学祭前までは、そう大きなズレは無いと思われる……多分。

 せいぜい燃費の良いタイプの人形を魔法薬を飲みながら運用を維持しての代理バッターという所だろうか?

 ただ学祭入ってからの影響は大きい。

 何故なら機械仕掛けの少女がいる事で長谷川 千雨がネギに大きく関わりその仲間に加わったからだ。

 あの二人が奇妙な友情を成立させて。

 

(まほら武道会の事もあるでしょうけど)

 

 千雨が加わらなかった世界線でのネギは、ナニカが不足するように思える。

 まほら武道会も成長の切っ掛けではあるが、あれは後でも取り戻せる範囲だろう。

 アルビレオは何だかんだでネギと接触するのは確実であるし、エヴァの修行も続くのだ。

 

「チサメ……ね」

 

 一般人の加入に思うところのあるイリヤだが、個人的には彼女に興味がある。

 パーティの中で後発組と言える彼女がネギにとって思いの外支えとなった事もそうだが、電子情報に魔法的に介入できるアーティファクトに選ばれた事もだ。

 正直に言えば、その能力が欲しい。

 “月で聖杯戦争がある世界”の事を知っているから尚更に。

 魔術回路を用いて電子の海へと渡れる可能性は非常に興味があるのだ。

 こっちの世界の魔法が積極的に電子世界を利用しているのもある。もし魔術でも可能であれば確実に手札を増やせる。

 

「まあ、それは一旦置いて……」

 

 夢想から思考を戻す。

 学祭編の他のズレは、多分発光現象が起こらない事。

 あれは超の時空転移の際の影響、未来の世界樹との共鳴だという事はイリヤもまた推測していた。

 そうなると、告白阻止等という警備が無くなり時間的余裕が出来る。

 まほら武道会もなく、そっちでも時間的余裕が増す。

 二日目は、これといった大きなイベントは無し。

 三日目は……まあ、語るまでもない。二日目と同様であろう。

 

「……なら、航時機が無くともスケジュールは無難に熟せたと見れるかも知れない」

 

 ただそれだけで精神的成長が大きくなされたかまでは分からず不安定。それなりに充実した学祭を過ごせただろうが。

 

「うーん……取り敢えず、次……」

 

 はっきりしたものが見えないので思考を移す。

 魔法世界編はどうなるか……。

 フェイトによる強制転移が最初の難題だが、茶々丸に千雨が不在であれば、転移地点が大きく変化する可能性が高い。

 代理で刹那繋がりで真名が同行する可能性もある。或いは学祭編の変化で別の生徒が加わっている可能性もだ。

 しかし、そうなると……。

 

「はぁ……こっちもはっきりはしないわね。考えるだけ意味がないかしら? 何か見えて来るものがあるかと思ったのだけど」

 

 煮詰まった感を覚えて、軽く溜息を吐く。

 

「……ん、少し一息入れよう」

 

 呟くと、ウルズラに念話を送って紅茶を頼む。

 程なくして部屋の扉にノックがなされ、イリヤが返事をすると、

 

「お待たせしました」

 

 ピンクのサマーセーターとデニムのショートパンツという私服姿のさよが姿を見せた。両手で銀のトレーを携えて。

 意外な彼女の登場にイリヤは少し驚く。

 

「サヨ?」

「ウルズラさんでなくて驚きましたか?」

「ええ、少し。てっきりもう休んでいたものかと思ってたから」

 

 イリヤの返事に答えず、クスッと苦笑するだけでさよは銀のトレーをウォールナット製のテーブルの上に置くと、慣れた様子でトレーにある陶器製のソーサーとカップ、お茶菓子入った皿を並べ、同じくトレーにあるティーポットからやはり少し手慣れた(さま)でカップに中身を注ぐ。

 助手だから、弟子だからって張り切って覚えたものね、とそのさよの様を見ながらイリヤは思い……小首を傾げる。

 

「……ローズヒップティー?」

「はい、カフェインが入ってない方が良いかと思って。気分も落ち着きますし、疲労回復と健康に良く美容にも効きます」

 

 カップに入った赤いバラ色と薄く漂う酸味ある香りから紅茶でないと気付いて、さよが答えた。

 

「私は頭を冴えさせたかったのだけど……」

「ダメです。イリヤさんはお疲れでしょう、今日はゆっくり休んで欲しいんですから」

 

 抗議の意味で言葉を口にしたが、逆に抗議されてしまい、さよは若干強めの口調でムッとした様子だ。

 

「ここ数日は特に忙しかった上に今日の()()です。隠しているようですけど、私は気付いていますよ。顔色悪かったの。帰ってからは気が抜けたのか勝手口の方で一瞬膝を付きそうに成ってましたよね」

「……」

 

 自分とは異なる赤い瞳で強く見詰められてイリヤは僅かに口籠る。事実だからだ。

 教会に出る前から肉体に来るものとは異なる気持ち悪さがあり、帰宅した瞬間には立ち眩みを覚えてふらついてしまった。

 今日行った()()は思いの外、負担が強かったらしい。魔力消費にこそ問題はなかったのだが……むしろ相性が良過ぎるせいか解除反動での僅かな消費しか無かったくらいだ。ただ──

 

「私は大丈夫。それはきっとサヨの気の所為よ」

 

 誤魔化した。

 

「イリヤさん…!」

「サヨ、お茶が冷めるわ。せっかく貴女が気を利かせて用意してくれたのに勿体ないわ」

 

 追及を躱す為に彼女が持って来てくれた物を口実に使う。それに今度はさよが口籠った……悔しそうな顔で。

 

「そういえば、コタロウはどうだった? 食事の後でウルズラと鍛錬に入っていたようだけど」

 

 話題もついでに変えた。さよが鍛錬に付き合っていた事もある。

 

「……ウルズラさんにとうとう一発当てていました。見事な一撃で」

 

 渋々といった様子だが答えてくれた。

 それを聞いてイリヤは満足気に頷く。短期間でかなり上達したと、これなら今の古 菲が相手なら良い勝負をするかも知れない。

 獣化を使えば或いは上回れるか? いや、動きがより獣的……本能に沿ってしまうデメリットを突かれて逆に危ういか? クーの対獣戦の経験値が分からないから何とも言えないか。空腹の虎と一戦交えるくらいの事はやってそうな気はするけど……などなども考える。

 そこに、

 

「……イリヤさん、私はそんなに頼りになりませんか? 確かに失敗もしますし迷惑を掛ける事もあります。でも、」

 

 悲しく悔しさに耐える声が小さく響いた。

 

「でも、力になりたいんです。今の私がこうしてあるのはイリヤさんのお陰だから。誰にも見られず一人ずっとずっと気付かれない地縛霊だった私を見てくれて、声を聞いてくれて……友達なってくれた。記憶も取り戻せた。そして、」

 

 潤んだ声で独白が続く。

 

「もう帰る所がなかった私に居場所をくれた、帰る場所を用意してくれた。命をくれた」

 

 幽霊だった少女は自らの胸……心臓のある場所に手を当てる。そこに大事なものがあるかのように。

 

「弟子にして貰って、家族として迎え入れてくれた。私は嬉しかった。だから──」

 

 言葉が強くなる。

 

「──だから、イリヤさんに恩を返したい。もう一度生を与えくれた貴女に報いたいんです」

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 相坂 さよ。

 彼女は凡そ60年前……1940年の時。僅か十五歳という若さでその人生を終えた。

 死因は──“殺人”である。

 犯人は捕まらずに逃亡。遺体の第一発見者は近衛 近右衛門。

 そう、現在の麻帆良学園の最高責任者であり、関東魔法協会の理事。

 二人は当時共学であった麻帆良女子中等部の校舎で出会い、共に学生時代を過ごした仲であった。つまりは同級生。

 否、二人は非常に仲睦まじく。ただの級友や友人とは言い難い関係であった。尤も恋仲ともやや言い難く、周囲からは焦れったい仲だとも思われていたようであった……。

 

 しかし、その辺の事情は今は割愛しよう。

 

 60余年も地縛霊として過ごした彼女は己の記憶を擦り切らせていた。

 死因も忘れ、かつての自分も忘れ、自分が幽霊だという自覚のみでただただ無為に時を過ごした。自分と同じ年頃の少年少女達が青春を謳歌するのを脇目にしながら。

 それがどれだけ彼女の孤独感を掻き立てたものか? それは今となっては彼女自身も分からない。何故ならそう感じる事すら擦り切らせかけていたから。

 幽霊だからと諦め、仕方ないと何処か達観してもう考えないように、感じないように努めていた。だって死んだ人間なんだもの。今更苦しんだってどうにも成らない

 

 ──そう思っていた。いや……必死に思い込んでいた。

 

 そんなある日の事だ。

 何時ものように寂しく教室で佇んでいたら、白い可憐な……そう、まるでお伽噺にでも出てくる妖精のような女の子と眼が合った。そう、自分の存在に気付いて貰えたのだ。

 正直、その時の事ははっきり覚えていない。とにかく驚きと嬉しさでいっぱいでその子にずっとくっ付いて、もしかして迷惑ではなかっただろうかと後になって不安になって後悔したりもした。

 

 ──でも、その子は少し困ったように笑うだけであっさり受け入れてくれた。迷惑でないとも言ってくれた。

 

 もう泣いた。嬉しくて嬉しくて涙が止まらなかった。幽霊なのにこんなに眼が熱くなってぼろぼろと頬が濡れるなんて思いもしなかった。

 

 ──友達が出来て、私は忘れていた感情を取り戻した。

 

 そしてその子は、びっくりした事に“魔法使い”だった。

 まあ、幽霊の自分が居るのだから、そういうのもあってもおかしくないと直ぐに思ったけど。同時に本当に妖精みたいだとも思った、魔法なんて不思議な事が出来て、と。

 そしてその子は、魔法を使って自分の身体を調べた。幽霊なのに『思念体(第三要素)』ではなくて『(第二)』のままこの世に留まれるなんてどういう事?と、当時の自分には分からない奇妙な言葉を言って。

 そして──

 

『……驚いた。こんな奇跡があるなんて、それに魔術回路がある。本数も……ってなにこれ!? 稀にある規格外っていう奴なの!? 何処かのカレーシスターみたいに! それとも──』

 

 自分も魔法使いだったらしい事を知った。

 

『しかも肉体に依らず魂だけの存在って……何て事。“起源”特性から取り敢えずはあり得るかもって納得はするけど、……うん、決めた。サヨ、貴女を──』

 

 悩ましそうにしながらも、弟子にする、とその子はそう言って有無を言わせず自分を身内に引き入れた。

 

 ──家族を忘れていた私に大切な家族ができた。

 

 そうしてしばらく一緒に過ごして、その子は工房を用意して招き入れてくれた。

 

 ──帰る場所がなかった私に返るべき家が出来た。

 

 工房が出来た事で更に詳しく自分の身体の事を調べられて、研究もされて、

 

『これで良しかな? 安定もしたようだし……うん、大丈夫ね。どうその身体は? これで貴女は新しい生を得られたも同然になったわ』

 

 そう、嬉しそうにその子は笑って、幽霊だった筈の自分が肉を得たように自由になった。

 

 ──もう感じなくなっていた実感。これまでも目と耳も聞こえていたし、不確かながら物に触れる感覚もあった。だけど……私は、生の実感を……生きるという感覚を取り戻せた。

 

 同時に直後に襲ったナニカ……形容はし難い、ただただ苦しくて頭が掻き乱される痛みがあって、ああ──!!

 

──私は忘れていた記憶を、思い出を取り戻した。

 

 泣いた。また強く強く感情が揺さぶられて頬を濡らして、傍で見ていたあの子が心配したけれど、泣き止む事が出来なくて──

 

 ──私は、名前以外もう何もかも失っていて。この子に失った全てを再び与えられたのだと理解した。

 

 

 相坂 さよ。

 彼女は凡そ60年前……1940年の時。僅か十五歳という若さでその人生を終えた。

 若くして生を終えた彼女に悲しむ人は当然ながら多く居た。戦時中の日本では半ばその感情は麻痺していたが、それでもだ。

 彼女には多くの友人がおり、家族がおり、親族が居た。

 そしてそれから60余年が経過した現在。

 それらの多くの人々は相坂 さよという亡き少女の事を思い出として仕舞い、忘れ、或いは彼女同様に生を終えている者も少なくない。

 後継者を失った家は断絶しており、親族達はその由緒ある家名を維持する事が出来なかった。

 

 

 そして、ネギのクラスに復帰という形で編入されるほんの少し前の事である。

 その日、さよは生家を訪れていた。イリヤと近右衛門も同行して。

 

『──ただいま』

 

 誰も居ない朽ち掛けた広く大きな日本邸宅。一人玄関を潜った彼女はそう小さく長い間、告げられなかった挨拶をして。

 

『──ごめんなさい』

 

 それが何に対する謝罪であったのか、寂しく玄関に立つ彼女の背中越しに聞いたイリヤと近右衛門には分からなかった。

 その表情も窺い知る事は叶わなかった。

 ただ、ポツポツと彼女の足元に落ちる雫だけを見た。

 そのあと、同行者の二人は邸宅に入らずに静かに待った。

 そうして日が暮れた頃だろうか、

 

『何もなかったけど、これだけありました』

 

 手に小さな毬を持って玄関から出てきた。目元は赤く腫れていたがそれを指摘はせず、外で待っていた二人は揃って頷き返すだけにした。

 その毬は、彼女の墓石を開いてその中に置いてきた。

 

『いいの?』

『……うん、いいんです』

 

 思わず訪ねたイリヤに、さよはそう短く、けれど吹っ切れた様子で返した。

 そう、全てを失った彼女は、今ある物を大事に抱えて前へ進む事にしたのだ。

 未練は勿論ある。それが彼女を“今”に繋がるまで支えたものであり、今の彼女を作ったものだから。

 でも、だからこそ──

 

(怖い。また失う事が……)

 

 友達、家族、帰るべき家……居場所。

 それを再び与えてくれて、それらの支柱ともいうべき白い少女の存在。

 彼女を失う事が怖い。

 でも、分かっている。この少女の命が短い事も。

 だから、だから……大切にして欲しい。その身体を大事に、大事にして少しでも長く生きて欲しい。

 無理なんてせず、辛いなら、苦しいならしっかり休めて欲しい。

 そして、そう話して欲しい。

 

「だからお願いですイリヤさん。私は貴女が好きなんです」

 

 さよは告げる。胸の内にある恐れから。

 

「だって友達だから、家族だから、大切な大切な恩人だから。それなのにお世話になるだけで、ただ与えられるだけで何も返せないなんて嫌なんです」

 

 とうとう涙が溢れる。

 こんな泣きじゃくる姿なんて見せたくないし、また迷惑になるのに。

 だけど止まらなかった。

 

「もう大切な人達に未練だけなんて持ちたくないんです」

 

 大切な友達であり、大事な家族であり、大きな恩のある白い少女。

 彼女はいつか居なくなる、どうしようもない別れが来る。

 それは仕方のない事なのかも知れないけど……だけど、せめてその時に自分は大好きなこの子に“何も出来なかった”なんて思い(みれん)を抱きたくなかった。

 

 二度とそんな思いをしたくなかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 馬鹿だな私。

 涙を流して頬を濡らし、自分を真っ直ぐ見詰めて来る白い幽霊(しょうじょ)を前にしてイリヤは思う。

 心配を掛けまいとして自分の事しか考えてなかった。実に愚かしい事だ。

 

「サヨ、ごめんなさい。もう貴女とは大切な家族なのに……その気持ちを考えてなかった」

 

 だから素直に謝罪した。頭を下げて。

 いや、それだけではない。きっと弱みを見せたくなかったのだろう。

 だって──

 

「イリヤさん……」

 

 自分の言葉に少し安堵したようなのにまだ涙を流して赤い瞳を潤ませている……そう、泣き虫な弟子には、情けない所を見せたくもないし、見せたらまた泣いてしまうと思ったから。その心配も本当だ。

 だけど、結局は泣かせてしまっている。ほんとに馬鹿だし、それこそ情けない事だ。

 

「正直に話すから、だから泣かないで」

「は、はい」

 

 涙を拭って笑顔になる。でもまた泣いてしまって、ごめんなさいと彼女も謝るが、イリヤはハンカチを渡して、ううん……と首を横に振った。気にしないで私が悪いから、と。そして続けて話す。

 

「サヨの指摘した通り、疲れているし今も余り気分は良くない」

「……やっぱり」

「行使中は、全然そういうのは来なかったのだけど……いえ、使った瞬間にギシリと“重さ”はあったわね」

「それはそうですよ。未熟な私でも想像が付きます。『クラスカード』はそういうものなんですから」

 

 イリヤの言葉に気を持ち直したさよが相槌を打つ。涙の跡こそ残すが一転してキリッとした真面目な……魔術師然であろうとする表情だ。

 『クラスカード』……イリヤの知る魔法少女のタイトルを持つあの物語のカードとは違い、第五次において召喚済みの『英霊の核』を置換し、使用者の『魂』の外殻として纏って自らを英霊とする……いや、より正確に言うなら自らの魂をそう偽装し、肉体へ出力している。

 第一要素(にくたい)というものは魔術的には、魂に寄って形作られているとされている。つまり『クラスカード』の機能の大凡の正体は、魂を英霊の核により偽装する事で、それに寄る肉体をも騙し誤魔化しているというものだ。

 それがこの世界にある『クラスカード』による英霊化の概要である。

 

「要は無理やり英霊(べつじん)の身体に作り変えられているようなもの、という事ですね」

「まあ、それ自体は良いんだけど。魔術的なものとしてあくまで肉体は寄ってるという物質的には仮初の話だから。それに出来上がった身体というのは存外に頑丈なものだし」

「……それはそうなんですけど」

「問題は、結局は魂の方…」

 

 それでも心配だという顔のさよに対してイリヤは問題の根幹に触れる。

 

「それ一つで何百、何千人分の魂の結晶とも言える霊長最強の魂を外殻とし、偽装の為にその力を使用者の魂を媒介にして入力される。それが如何に人の魂にとって重くて負担になる事か」

 

 小型原子炉を無理やり直結させた車のエンジンのようなものだ。それでも魔力という緩和剤があれば安定はさせられる。また車の方にしても大型艦船……むしろパワードスーツ、いや……モ◯ルスーツ? ガ◯ダムを着込んだようなもので、車の状態のままでもないのでイリヤが言ったように存外安全である。

 

「だから魔術師であれ、魔法使いであれ、魔力を相応に扱え、カードの構造をある程度理解していれば、危険性は然程ない。そういう術式構成になっている」

 

 このよく解らない奇妙な仕様に関しては、まだまだ謎が多い。合理的な所もあれば、非合理的な所もあるチグハグでヘンテコと言うしかない術式となっていて半ばブラックボックス化。もうそういうものだとしか言えない。

 一方で、勘や直感ではその正体が薄っすら何か見えている気はするのだが……まるで喉に魚の小骨が引っ掛かったように惑おうしく至れずにいる。

 

「そうですね……安全といえば安全です。でも……それが──」

「──サヨ、ごめんなさい。それでもそれは使える手であるし、どうしても必要になると思うから」

 

 イリヤは『クラスカード』の運用にさらなる先を見せた。

 通常の聖杯戦争でもその方法は使われた事があるから思いついた手段。いや、今現在敵対する黒き呪い(アンリマユ)も使っているからとも言える。

 ただ負担が思いの外に大きかっただけ……ある程度“重い”とは予測はしていたが。

 

「貴女に心配をかける事は本当に悪いとは思う。でも……どうか分かって」

「イリヤさん……」

 

 さよはまた泣きそうな顔をする。

 そんな顔をして欲しくないとイリヤは思う。それでも、

 

「サヨ、どんな事になっても私は精一杯生きるから、決して黙って死んだりはしないから。それに貴女が居てくれるから私は賭けられるの。弟子なってくれた貴女が居るならきっとこの先も……って」

 

 貴女を信頼し頼りにしてると笑顔を向けた。例え泣かせてしまうとしても、こればかりは……。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 白い少女の居る部屋の扉を閉めて出た。そして扉を背に寄りかかって小さく呟く。聞かれたいのか、聞かれたくないのか、自分でもその心情は分からない。

 ううん、分かっている。聞かれたくないから面と向かって言えずにいる。こうして吐露している。

 

「イリヤさん気付いていますか? 今の貴女はどこまでも自分を置き去りにしてるって」

 

 周囲を見ているようで見ておらず、自分があるようで自分がない。考えるのは自分以外の誰かを助けることばかり。

 

「そっくりですよ。貴女の記憶で見た“あの少年”に……」

 

 だから怖い。あんな行動原理が壊れている少年のようになって行きそうで。

 例え大切な人を見つけられたのだとしても……あの彼は異常なのだ。それが分かるから怖い。

 あんなにあんなに傷付いて、心が酷く壊れかけても止まらず走り続けたあの少年の姿が怖い……それが白い少女に重なりそうで…………。

 

「……」

 

 腿にあるホルダーから取り出して『カード』を握った。

 そのカードには強い想いが未だに残されている。あの子も同様にそうだろう。それでもこの身体を持ってしばらくして自分にコレを預けた。

 その意味を彼女は……さよはずっと考えていた。

 

「大丈夫。どこまで貴方の代わりを出来るか分からないけど、イリヤちゃんは必ず私が護るから、何があっても。だから貴方も力を貸して一緒に……」

 

 そう告げて目に映るカードの表面(ひょうめん)を──“狂った戦士”が描かれた絵をそっと撫でた。

 

 するとカードは黄金に輝き──。

 

 

 

 




 今回は34話(1)の補足も混じえたまとめ並びに考察回のようなものになってます。
 そして何故だか学園長が怪しいぞ?となりました。
 イリヤさんにしてみれば「犯人はヤス」みたいな思いがある事でしょう。
 本当は感想の方でもツッコミされていたアヴァロンに付いても付け足すべきかもと考えたのですが、ちょっと挟みようがありませんでした。またの機会とします。

 そして、さよに対してまたスポットを当ててます。そろそろ彼女に付いても色々と明かしていかないと拙いですので。
 原作では半ば朝倉和美の付属物や背景キャラと化していましたが、本作では重要な位置にいます。
 原作で余り重要でなかったからこそ、こういう扱いが出来るキャラという面も正直あったりします。

 他にもこの34話はいわゆる“匂わせ”が多いのですが、その辺りのイリヤの切り札やさよの力などは学祭最終日までには明らかとなります。シロウの決断も。


 スゥとモルモル王国に関しては「ラブひな」繋がりです。
 彼女は金髪碧眼で褐色肌と何故かヘラス帝国人や魔法世界人に近しい容姿を持つヒロインの1人で、謎多きモルモル王国の王女様というキャラです。

 プログラマー兄妹はラブひなより更に前の赤松先生の作品「A・Iが止まらない!」に登場していた主人公とそのブラコン妹の事です。
 茶々丸に搭載されているAIの基幹部分は、その作品に出ているAIヒロイン達がベースになっているような事をネギま!第9巻で葉加瀬が若干語ってたりします。
 恋が出来るのはその影響だとも……。


 あと、さよの事にも触れましたので以下も開示。

 
 ――サーヴァント情報が更新されました。

『ライ■ー』■名:相坂 さよ

 筋力:E- 耐久:E- 敏捷:E-
 魔力:?? 幸運:D 宝具:■

 クラス別能力
 騎乗:E-

 保有スキル
 気配遮断:A 魔力放出:?? 魔術:E

 宝具:無し。

 備考。
 相坂 さよは英霊ではない。
 死して魂だけの存在となった彼女をイリヤが残していた中身の無いライダーの『クラスカード』に押し込めてエーテル体で肉体を構成し『人間のサーヴァント』としている。
 これを可能としたのは、やはり彼女が魂のみで生存しているという特異な状態である事。
 クラスカードが謂わば英霊に仮初めの肉を与えて実体化させる第三魔法の欠片(FGO風に言えば聖杯の雫を更に割ったようなもの)である事。
 主にこの二つである。
 パラメータが全体的に低いのは、生前の状態ほぼそのままである為。

 騎乗スキルがあるのはライダーのカードを元にした名残であり、彼女自身はそういった経験が皆無な事もあって最低以下のランクとなっているが、それでも現代にある大抵の乗り物には補正が掛かり、操縦なり操作なりの物覚えが良くなる……つまり乗り物に対してのみ『取得経験値の上昇』の効果があり、彼女の努力次第であるが幻想種を除くどのような乗り物でも人並みかプロ級の技量を身に付けられる。
 これは一般的なロードバイクや乗用車などの他、船舶や航空機は勿論、戦闘機や戦車などの特殊な乗り物にも適応される(ただし特殊なものほど難易度は高く、習熟に必要となる経験値も多い)。
 保有にある気配遮断スキルは、生前からの能力及び体質によるものと長い幽霊生活の中で培われたもの。何気に最高ランクとなっているが、そこには何かしらの秘密がある……らしい。魔力放出も同様である。
 魔術スキルは、成り立ての見習い故に最低ランク。ただしイリヤの直の指導やサポート下であればDないしCランクにまで上昇する。

 なお彼女の“魂在る幽霊”という奇妙な状態に関しては、イリヤ曰く『まさに奇跡的で稀有な例』『物質化こそ成せなかったが不老不死の体現』との事。
 当然その事実は分析したイリヤ自身を愕然とさせた。

 あとがきに入れるのもどうかな?と思いますが以上です。
 これらは型月設定とネギま!設定との擦り合せの結果ともなってます。
 特に「魂」の扱いが難しい……です。どっかの妖精郷のゴーストは維持していたような気もしますが。

 ともかく、悩める白い少女“二人”の話は一旦終わりです。
 誤字脱字報告してくださった方、ありがとうございます。助かります。

 それと前回の(3)の仕込みは特に隠しているという訳ではなく、演出として実験的に入れました。
 本来は予定になかった事でもありますが。


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第35話━━子供先生の恋煩い

 

 

 

 早朝、寮の部屋の窓から覗く空は今日も青く晴れやかだというのに、それを見るネギは心をどんよりと曇らせて溜息を吐いた。

 

「はぁー……また明日菜さんを怒らせちゃった」

 

 昨晩にまた気付かぬ内に明日菜の布団に潜り込んでしまい、更にどうも寝ぼけて失礼な事をしてしまったらしくベッドから叩き出されて怒鳴られてしまった。

 挙げ句、

 

『もう十歳になるのに子供過ぎ! こんなんじゃイリヤちゃんにも好かれないわよ!』

 

 そうも厳しい事を言ってバイトへと繰り出して行った。

 うう……確かにそうかも、と明日菜の台詞と共に大人びた雰囲気を持つ白い少女の姿を思い浮かべ、尤もだとネギは落ち込む。

 

「まあまあ、元気出しいネギ君」

 

 そんなネギに手早く朝食の準備を終えた木乃香が励ます。

 テーブルの上に焼いたトーストとサラダを添えたスクランブルエッグとコンソメを使ったオニオンスープが並ぶ。

 

「はい…」

 

 トーストにバターを塗って並んだ食事を頂いて励ましに頷くが気持ちは晴れない。何故なら、

 

『……む、少し匂うなぼーや、風呂嫌いは相変わらずか。不潔なのはそれだけで女性にとっては論外だ、清潔感を持て。いつまでもそんな子供気分ではイリヤに相手をして貰えないぞ』

 

 ま、子供なんだがな……と、やや呆れた風に師であるエヴァンジェリンから注意をされていた。先の相談の際に。

 つまり何時までも甘ったれているなという事だ。子供である事実は変わらなくとも少しはシャンとしろと。

 だから肩を落とす。ほんの二日前、師の助言を受けた矢先にこれなのだ。

 無論、他にも色々とエヴァから助言を頂いている。

 イリヤをデートに誘うという明日菜伝いの提案に関しては、

 

『学祭でデートか。それもアリではある。ただいきなり付き合おうだとか、告白しようだとか、恋人になりたい等という先走った考えで行うべきではないな。軽くちょっと出掛けようというくらいの気分で臨んだ方が良い。イリヤとはこれまで友達ではあったが、二人きりでそういった遊びに出るなんて事はなかった訳だしな』

『な、なるほど』

『──それにだ。ぼーやも自分の気持ち……イリヤを好きだという感情に向き合う為にもな。ともかく焦らない事だ』

 

 そのように言われた。これも尤もだと思った。

 確かにデートだ!と気負っておかしな事になってイリヤに変に思われたら最悪だ。明日菜との予行デートの時のように──あれはカモが原因だが──胸を触ったり、スカートの中に顔を突っ込むなんて事になったら……考えるだけで怖くなってくる(いや、ちょっと嬉しいかも知れない……と何処かそんな風に思う彼が心の奥底にいたが、無理やり抑え込む)。

 ただ、あの予行は参考にはなる部分はある。要はあの時みたいに普通に遊べば良いのだろう。

 ネギはそう思った。

 そして、向き合うというのは、そういったイリヤとの触れ合いで自分の感情を上手く扱えるようになれという事なのだとも考える。

 それだけでもないような気もするが……そこまで考えて続けて思い出す。

 

『忘れている訳ではないと思うが、お前を好いた人間がいる事もよくよく考える事だ。あの雪広の娘やまき絵という頭の軽そうな小娘もそうだが、何より宮崎 のどかの事をな。他にもまだ誰かしらいるかも知れんが……のどかの奴は明確に好意を示しているんだ。そこを置いたままにしては駄目だ。……ま、分かっているとは思うが』

 

 向き合う事にはそれも含まれている。それを思うとネギはズッシリとした重いものがお腹に……胃の辺りに入るのを感じた。勿論、木乃香の出した朝食の事ではない。

 

『とはいえ、それも答えを急ぐ必要はない。のどかともまだ向き合っているとは言い難いだろうし……重ねて言うが、焦らずじっくりとよく考える事だ』

 

 無論、イリヤと二股なんぞ賭けたら許さんが。もしその積もりならお前の股にあるちんけなモノを切り落とす事になるな、と助言と共に脅しめいた事も言われている。

 脅されるまでもなくネギにはそんな気はないが…………──うう、と悩み唸ってしまう。

 

(のどかさんの事もどうしたら良いんだろ?)

 

 僅か十歳と幼く、恋愛経験値ゼロの少年にはまさに難題であり、答えを出せずに居た。幾ら天才でもこればかりは……というべきだろうか。

 木乃香はそうして苦悩するネギを見て、何故かニコニコと普段と変わらない朗らかな笑顔をしていた。

 事情を既に親友の刹那と共に既に聞いている彼女としては微笑ましく見えるかも知れない。エヴァ同様に以前からネギの気持ちを察していて驚きが少ないのもあるのだろうが。

 

 ちなみに同じく事情を聞いた人物もとい小動物のカモは、一度起きたのだが二度寝に入り、まだ一人……いや、一匹呑気に夢の中で「ムッヒャーわはは、これぞ下着パラダイス、お嬢様のパンティーもゲットだぜ……ムニャ」と不穏な寝言を溢していた。

 勿論、寝床は普通のクッションであって、かつてのような女子の下着の山ではない。もし未だにそうであったら彼の命はとう昔に無くなっている。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 多くの生徒が忙しなく駆けて行く中、ネギ達も同様に登校しているのだが、

 

「まったく……もー」

「すみません、朝は寝ぼけてしまって」

 

 寝起きの事を愚痴る明日菜に謝罪するネギ。

 

「はぁ、良いわ。これからは気を付けてよね。何時までもそんなんじゃほんとイリヤちゃんに……って、そういえば」

 

 仕方なさげにネギを許すと、彼女はふと思い立ったように尋ねる。

 

「イリヤちゃんを誘ったのアンタ? もう直に学祭だけど」

「うっ……」

 

 ギクリと足が止まりかけるネギ。

 それにおや?と明日菜も駆ける速度を緩める。

 

「連絡出来てないの? イリヤちゃんの連絡先を知らない訳ないわよね?」

「あ、はい。それは勿論知ってます」

 

 明日菜の問い掛けに一応担任でもありますし、工房の方も……ともネギは言うが、頬を赤くして何とも困った表情をしている。

 

「……高畑先生とのこと、アンタ結構私に色々言ってなかった? それなのに」

「ア、アハハ…」

 

 ジト目を向けてくる明日菜に、ネギは額に汗を浮かべて苦笑で誤魔化す事しか出来ない。

 それでも間をおいて、明日菜さんの躊躇う気持ちが分かりました、と何とか返す彼。

 続けて、それに……と言い、

 

「昨日はイリヤ、凄く機嫌が悪かったから……」

 

 その言葉に、あー…と明日菜は同意するような声を漏らす。

 それもあって言い出すのも連絡するのも躊躇ったのだ。

 

「何て言うか、僕達があやかさんの招待で南の島へ行った時のような……のどかさん達に魔法バレしていたのが知られた時みたいにピリピリした雰囲気だったから」

「確かに何か怖かったよね、昨日のイリヤちゃん。一見すると普通だったし、私達以外のクラスの皆は殆ど気付いてなかったけど」

 

 昨日は月曜であり、予行デートの翌日であったのだが、クラスでイリヤと顔を合わせた途端、明日菜達一同……いわゆる“関係者達”は思わず腰を引いてしまった。後から教室に来たネギもHRで教壇に上がった際にビクッと身体を震わせた程だ。

 明日菜が言うように一見普通なのに、白い少女からはその可憐な外見から程遠いピリッとした雰囲気が発せられていた。

 

「さよちゃんも何や元気あらへんかったよね、こっちもふつーやったけど」

 

 明日菜達の後ろを走る木乃香が言う。するとその隣に並ぶ刹那が続けて発言する。

 

「あ、その事なのですが、どうやらお二人は昨日の朝早く……私達より早い時間に登校されて、学園長に面会を取っていたとか。それで何かあったようです」

「え、そうやの?」

「はい、気になって少し調べまして、刀子さんにも尋ねたらそのような話が出てきました」

 

 刹那の話を聞いた木乃香はバツが悪そうな顔をする。お爺ちゃん何かしたんの~?と困った様子で額に手を当てている。

 

「そういえば、昼食の時にエヴァちゃんと一緒にどっか行ってたよね? さよちゃんとも」

「撮影の休みに3人で姿を暗ましていました。……何か関係あるんでしょうか?」

 

 明日菜とネギは揃って首を傾げていた。

 

「そんな事より兄貴、何とかお嬢様を誘わないと拙いぜ。学園祭は明々後日(しあさって)からだ。こんなデートにピッタリな祭りで機会を逃すとほんと真面目に後悔するかもだ」

 

 脱線しかけた所で刹那の頭に乗るカモが言う。割りとお気に入りなのか、特にここ最近はこの若き女剣士の頭や肩に乗っている事が多い。達人クラスの腕前もあって体幹が良く、揺れが少ないからかも知れない。

 

「う……分かってるよカモ君」

 

 カモから指摘されて、うーん……と難しそうな表情を見せるネギ。

 

「なんなら俺っちがナシ付けに行っても……いいんだが……よぅ」

 

 信頼する主人の唸る様子を見てどう思ったのか、声を震えさせながらも提案する。

 あ、兄貴の為なら命を張るぜ……と小さな呟きもあり、それが耳に入った刹那はハ…ハハッと困った苦笑を浮かべている。

 

「ありがとう。でも大丈夫だよ。自分で何とかするから。それにそうじゃないときっと駄目なんだと思うし」

 

 カモの気遣いにお礼を言いながらも、恋に悩む少年はそう告げた。

 

 その後、途中でタカミチと出会い。

 何故か互いに「学祭では宜しくお願いします」「いや、こっちこそこんなオジサンに時間を取って貰って悪いね」とそんな風にぎこち無く挨拶する明日菜と元担任の姿をネギ達は見るのであった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 昼休憩に入った教室は相変わらず学祭の準備でバタバタしていた。

 原作と異なり映画撮影となったものの、ここらは余り変わらない様子だ。

 

「ダメだー! やばいよ!」

「もう間に合わないよーっ!」

 

 祐奈と亜子が悲鳴を上げていた。手には大工道具が握られている。

 既に映画に使う小物作りや大道具作りは終えているのだが、展示の為の準備が終わっていなかった。

 そう、撮影関係は大凡目処が──これもギリギリだが──付いていた。映像の公開は映画研究部の協力を取り付けて大型ステージを始め、学園内の各校にある体育館や視聴覚室などで行われる段取りが済んでいたが、3−Aは3−Aで自分達の教室で撮影に使った衣装や一部道具を展示を行う予定である。PVやメイキング映像を流す液晶モニターの配置もだ。

 その為、教室もまたそれに見合った改装をしなくては成らない。

 

「あああ、だからもっと早くに決めるべきだと言ったのに……」

「これじゃ今日も明日も明後日も徹夜だよー!」

 

 委員長であるあやかが級友たちに指示を出しながら頭を抱え、内装の設置に取り掛かるまき絵が半ば泣きそうな声で叫んでいる。

 

「こんにちはー、皆さんどうですか?」

 

 そんな修羅場の中、ネギが様子伺いに姿を見せる。

 すると生徒達は次々を彼の名前を呼び、別の意味でよりいっそう慌ただしくなる。

 ネギにも手伝って欲しいと訴えるものがいれば、それを良しとしない責任感とネギ愛の強いあやかが制止し、赴任一年目のネギ先生は学祭をゆっくり楽しんで欲しい旨を告げる……と、それに触発されたのだろう桜子が口を挟んだ。

 

「あ、そうだネギ君! 私達学祭でライブイベントに出るんだよー」

「そうそう、先生見に来てよ」

「うん、私達三人と亜子が出るからさ」

 

 美沙と円も言い出し、チアリーダー三人組がネギを囲んで誘う。

 それを切っ掛けにネギ巻き込んで更に教室は騒がしくなり、誰もが幼い担任教師を学祭における自分達の出し物へ誘いをかけ始めた。

 それに戸惑い、慌てる子供先生。押し寄せる生徒達の姿と言葉に焦りを浮かべる。彼には彼で何より優先したい事があるのだ。それが叶ったのか……。

 そう、本来であればここでカモが和美を使って場を取り仕切るのだが……。

 

「はい、そこまで!」

 

 パンッと乾いた音と共に響いた声にクラスの誰もが動きを止めて静寂が漂う。視線も一斉に音と声がした方に向けられた。

 そこには白い少女の姿があった。

 音は手の拍手するように打った為だろう、両の手が合わさっている。

 

「少し落ち着ついて。……アヤカも自分でつい先程ゆっくり楽しんで欲しいと言ってたのに」

 

 冷静で落ち着いた声がクラスの皆の耳朶を打つ。それに引き込まれたのか誰もが口を閉ざす。或いはその幼い外見に見合わない貫禄に飲まれたのか。

 

「皆がネギの事を大好きなのは分かるけど、なら自分の都合だけでなく、彼の都合も考えてあげて。学祭だって今年だけのものじゃ……いえ、勿論、毎年同じな訳でもないし一年一年が大事な思い出であるのでしょうけど、だからこそ、この麻帆良で初めてのお祭りはゆっくり楽しんで貰った方が良いと思わない? ね?」

 

 そう言ってネギの方へ視線を送り、そしてあやかも見る。

 

「そ、そうですわね。申し訳ありませんネギ先生。先程はああ言ったにも拘らず押し付けがましいことを……」

 

 自省してネギに頭を下げるあやか。それに、あ、いえ…と反射的に首を振るネギ。

 それを見て、イリヤはふふっと笑う。

 

「分かって貰えたようでなにより。でもネギはネギで担任として皆の出し物を見て回りたいって思っているでしょうから、皆お互いに話し合って決めるといいわ。……落ち着いてね」

「う、うん、そうだね。私もゴメンねネギ君。体操部の方は一日目のこの夕暮れの少し前にあるんだけど、時間大丈夫かな?」

 

 あやかに続いてまき絵も謝りながらネギに問い掛けた。「あ、なら…」と彼女の言葉を切っ掛けに再びネギに押し寄せる生徒達であるが、今度は口調も声も落ち着かせて一方的に喋るのではなく、ネギの言葉を待つように会話をしている。

 そんなクラスメイトの様子を見て、やっぱりイリヤは笑顔であった。

 

「やれやれ、騒がしいのは何時もの事だろうに……」

「でもやっぱり見てられないし、収集を付けるのが大変そうだったから。それにネギに学祭を楽しんで欲しいのも本当だから」

 

 だからこれぐらいの軽い暗示は良いでしょう、気付かれてもいないし……と白い少女は、隣に立つエヴァに答えた。

 

「と言っても色々と立て込む可能性はあるんだけど……」

 

 そうもイリヤは言い。笑顔から神妙な顔へと変わる

 エヴァはそんな冬の娘の様子を黙って横目にする。その内心は複雑であった。

 

(楽しい学園祭かぁ、ほんとそれで終わると良いんだけど)

 

 表に出せない素の内面、闇の福音と呼ばれる少女は心の内では硬い鎧を纏わなくなりつつあった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 放課後、女子中等部校舎の近くにあるダビデ広場。

 ネギは教職の疲れを取るように石像前にある石階段に腰を置いていた。

 手には学生簿が持たれており、それに挟んだスケジュール表を見ている。

 

「のんびりできるかと思ってたけど、行く所が多くなってきたな。こりゃちゃんとスケジュール決めねえと」

 

 脇から表を覗きこむカモが言う。

 

「お嬢様のお陰で多少纏まった感じではあるけど、これ全部回るのは大変だぜ兄貴」

「うん、でもイリヤの言う通りクラスの皆の出し物は全部行くつもりだったし……」

「で、そのイリヤちゃんとはどうするの? 今日は機嫌大丈夫そうだったけど」

 

 カモに答えるネギに同行していた明日菜が尋ねた。

 

「……ア、アハハ」

「その笑い方、今朝も見たわよ。誘えてない訳ね結局」

 

 誤魔化しで苦笑するネギにツッコミを入れて嘆息する。

 

「まあ、そこは仕方ねえよ姐さん。撮影があるからって直ぐに出ていったんだし……つーてもこのままじゃあやべーな」

「そういえばカモ。意外にアンタは大人しくしてるわよね、ネギがイリヤちゃんの事を好きだって聞いても驚かなかったし」

「ああ、それは。言ってなかったけど、俺っちには人の感情つーか、好意っていうのをある程度測れる能力があるんだ」

「え、そうなの!?」

「まあな、魔法使いをサポートする俺ら妖精たちの特技みたいなもんだ。のどか嬢ちゃんみたいな読心術師には遠く及ばねえ劣化したもんだがよ」

 

 カモの思わぬ能力に驚く明日菜。同時に納得もする。

 

「だから、ああいった仮契約とかも扱うんだ。好意を測れるんなら誰と契約しやすいのとか、それを切り出すタイミングなんかも分かりそうだし……変化する感情の動きを見て性格的な波長とか相性とかも測れそうよね」

「ああ、……って何か姐さんにしては理解力良くね!?」

「どういう意味よそれ?」

 

 愕然と驚くカモに明日菜はイラッとする。

 しかし、実のところ明日菜自身もスルッと出た自分の考えにちょっと驚いていたりする。その理由も察しついてはいたが……あの夢の影響よね、と。

 彼女の脳裏に一瞬、一見無表情なのに何処かドヤッとした顔でピースサインをしている幼い自分の姿が浮かんだ。

 

「それでネギがイリヤちゃんを好きだって事も……」

「え?」

「そういうことだ。言うのは野暮だったし、あと……あのイリヤお嬢様だからなぁ」

 

 驚くネギを尻目にカモはオコジョの顔を難しげに歪ませて頭を掻く。

 

「そ、それって…」

「ご察しの通り、イリヤお嬢様から兄貴にはそういった感情は皆無なんだ。好意はあるにはあるんだがよ……」

「つまり、友情や家族みたいな親愛のものって事よね」

 

 恐る恐ると尋ねるネギに正直なところを述べようとするカモ。それに明日菜が答えを出した。

 

「…………」

「なもんで、迂闊に俺っちも動けなかったんだわ。お嬢様の感情は測れてもその機微が掴めきれないし、何がどう転ぶか分からねえし、下手すりゃ最悪死ぬかもだし」

 

 肩を落とす主人をおいて、取り敢えずはという感じでカモは所感を語った。ぶっちゃけ相当の難物だぜイリヤお嬢様は、と。

 なお、何がどう転ぶかという部分には、ネギとイリヤ以外の人物たちを含んでいる。特にネギへ異性として好意を抱く人間に対して。

 そこには年齢的に正契約にはまだ制限がある御主人から、仮契約者候補となりえる人間(人材)を無為に減らしたくないという思惑もあった。

 

「でも、兄貴的には諦める気はねーんだろ」

「も、勿論だよ」

 

 ネギはショックで俯きかけた顔を上げる。

 

「なら、俺っちとしてはそれを手伝うだけさ。皆無とは言ったけど嫌われてる訳じゃねーんだ。それに物事ってのは1からではなく、0から始まるんだ芽が無い訳でもねえぜ、きっとな」

「うん、頑張るよカモ君」

 

 気を取り直してネギは力強く頷く。

 ただ、明日菜だけは気付く。あれ、何気に本当にゼロって断言してないコイツ?と。しかし決意を固めるネギには酷かとも思い黙る事にした。

 

 そこに……間が悪いと言うべきか、

 

「あ、あの──……こんにちはー、ネギ先生…」

 

 学祭準備中の教室から休憩掛けに抜け出してきたのだろう、のどかが声を掛けてきた。その背後には夕映とハルナの姿も見える。

 それに予感するものを覚えて、ネギは一瞬戸惑いギクリとした。そして──

 

「──キャー、すいませーん。……言っちゃった」

 

 顔を赤くして駆け出すのどかの背中を見送る事となる。

 三人からの図書館探検部の誘い、漫研や児童文学研究会、哲学研究会などの誘いに続き、のどかからのデートの誘いを告げられて、だ。

 おまけに本人には返事を出来なかったが、強く念押しする彼女の親友二人に釣られてしまい、つい大丈夫ですとOKの返事を出してしまった。

 

「…………ネギ、アンタ……」

 

 去り行く三人を見届け、ジロリと何とも言えない視線を向けて来る明日菜にうっかり者のネギは、

 

「……」

「兄貴、これは擁護できねえぜ」

 

 黙りこくってしまい、合わせる顔が無いとでも言うように顔面を両手で覆っている。カモは我が事のように頭を抱えて、お嬢様相手に二股なんてエヴァンジェリンに殺されるかも知れねえ……と震えてさえもいる。

 それに対してネギは、だ、大丈夫、師匠(マスター)はのどかさんの事もわかっているからこれくらいは見逃してくると……思うよ? と半ば自分に言い聞かせるように迂闊な自分を弁護する。自信なさげに。

 

「……マスターがどうかなさいましたか?」

「え?」

 

 声に気付くとネギ達の背後に茶々丸の姿があった。珍しく和装姿で朝顔の刺繍が入った着物を着ている……茶道部の手伝いをしているようだ。

 

「ちゃ、茶々丸さんこんにちは。……えっと、師匠の事は何でもありません。もしかしたらまた怒らせるかも、というだけでして」

 

 のどかの事で少し動揺と混乱があるらしく若干滅裂な事を言ってしまうネギ。

 

「怒らせる、ですか……何かあったのですか? 逆にマスターが意地悪な事をしたのとかは?」

 

 小首を傾げて、意外に……いや、割とある事だが(あるじ)に随分な言いようをする機械仕掛けの従者。

 ネギはそれに慌てて首を振る。

 

「あ、いえ。僕はイリヤの事が好きなのに。よく考えもせずにうっかりのどかさんとデートの約束「え?」をしてしまっ……?」

 

 言葉の途中、呆然と固まった(フリーズした)茶々丸の姿にネギも疑問気な様子で固まる。

 そんな二人の側で明日菜がアチャーと小さく呟いており、カモもあららという様子だ。

 

「先生が、イリヤさんの、事を……?」

「はい。あれ? 師匠から聞いてませんか? 一昨日の晩に相談に伺って話をしたんですけど」

 

 ネギとしてはエヴァに相談した時点で茶々丸にも知られていると思い込んでいた。更に言えば、彼はこの恋する機械仕掛けの少女のAI()の内に芽生えた想いに気付いていない。

 

「あ、う」

「茶々丸さん?」

「し、失礼しました。これを……茶道部の野点の招待状です」

「え? あ、ありがとうございます。茶々丸さんの点てたお茶飲んでみたかったんですよ、師匠もよく褒めてますし」

「そ、そうですか。では私はこれで──」

「は──い?」

 

 茶々丸は一瞬で視界から遠ざかって行く。俗にローラーダッシュという某装甲騎兵で見られる機能を用いて素早く駆けたのだ。

 ネギは何故そんなに急いで?という疑問があったが、残り一人と一匹は「ねえ、茶々丸さんってもしかして」「ああ、そういう事だぜ」「なんて事……可哀想に」「まあ、兄貴は気付いていないからこれは仕方ねえ」とヒソヒソ会話をしていた。

 

「おーい、ネギ!」

 

 そこに更なる来客が訪れる。まるでネギに悩む暇も考える時間も与えないかのように。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

「これで撮影も全部終わりだね、ご苦労さまイリヤちゃん」

「カズミもね、お疲れさま」

「はは、私は撮影の方の担当だからイリヤちゃんほどじゃないし、部活で慣れた所もあるから……」

「でもこれから編集班の方に加わるんでしょう。 大変じゃない?」

「そっちも部活で慣れてるから大丈夫。それに幸いにもうちの組にはそういう作業が得意な長谷川さんもいるし」

「……チサメね、PCの扱いに詳しいものね」

 

 帰宅の為に荷物を取りに校舎へ向かうイリヤと和美、そしてエヴァとさよもいる。

 

「15年も学生なんぞやって飽きが来ていた身としては、何年ぶりかに充実した準備期間だったという感じだな私は」

「エヴァさんもお疲れ様でした。どの衣装も見事な仕立てで流石です。ちょっと憧れてしまいますね」

「600年の生で人形を扱うついでに手慰めに覚えたものであるが、そう褒められると悪い気はしないな。それに3−Aの連中はまだ子供なりに皆見栄えが良くてスタイルもなかなかであるし、作り甲斐も着せ甲斐があった」

 

 さよの労いと褒め言葉に、エヴァは満足げな様子である。

 そんな会話をしながら周囲の人影が少ない路地に差し掛かった所で、和美が首をキョロキョロと動かす。本当に人目が無いか確認して。

 

「で、(チャオ)のことってマジなの?」

 

 イリヤにそう尋ねた。

 それを肯定して、ええ…と頷くイリヤ。その彼女も周囲の気配を探り警戒している。

 

「状況証拠から学園長を問い詰めて聞き出したから間違いないわ」

 

 無論、イリヤはこの世界に来た時から識っていた事なのだが──それは昨日の朝早くの事である。

 学園長こと近右衛門にアポを取り、さよと一緒に面会してその昨晩に決意した事を実行した。

 ただ流石にいきなり暴力に物を言わせようとはしなかった。

 原作知識によるカンニングめいた推論と茶々丸という明らかに進みすぎた科学技術の産物の他、麻帆良工大などにある機械類や未知の素材類に、こちらが洗った超 鈴音の経歴を提示しながら問い詰めた。

 

『――特にあそこまで小型化した高性能量子コンピューターは明らかにやりすぎね。ニューロコンピュータや対話型AIや自律歩行可能な二足歩行ロボットまでならともかく。……オマケに常温超電導体なんて物まであって、筑波大との共同プロジェクトでは核融合炉の臨界も極秘で成功との話が出ているし』

 

 正直、ただ『天才』だからでよく周囲の人間は……他の魔法先生達は納得したものだとは思う。はっきり言ってただの技術革命だけではすまない、どれも“世界が変わる”くらいの代物なのだ。

 恐らく超が入学してからの二年半の間でじっくりと感覚を麻痺させてきたのだろう──或いは超や葉加瀬自身も研究漬けの中で注意しながらも感覚がズレてしまったか──モルモル王国やMITとの繋がりはその辺りの仕込みであるとも考えられる。

 しかし、本当の意味で異世界(他所)から来たイリヤには違和感が大きい。幾ら“原作”という物を識っていようともだ。いや、識っているからこそか?

 

『それで、チャオ・リンシェン……この時代にはあり得ない、進みすぎたそれらの技術を麻帆良へ提供する彼女は、果たしていったい何者なのかしら学園長?』

 

 そう、言外に分かっているぞと含みを持たせて言ってやった。冷徹に。

 それでも近右衛門は吐かなかった。多少ブラフが入っていると見抜かれた事や状況証拠だけでは確証に乏しいとシラを切ろうとしたのだ。

 なのだが……

 

『このくん……』

 

 同席していたさよの存在が彼を揺さぶった。同時に近右衛門と彼女という組み合わせを見、不意にイリヤの脳裏に閃きが走った。

 

 ──航時機(カシオペア)でネギ等とともに大戦中の麻帆良学園に行ったりなんだりの紆余曲折の後、麻帆良学園地縛霊から解放される。

 

 原作の何処かで……記憶にない筈の最終話でのナニカが電流の如く過ぎった。

 航時機? 学祭編の最中で壊れたそれは何処から? ハカセが残骸から復元? チャオが残したデータベースから再度制作した? それともチャオが一時帰還して協力を──……待って協力? いえ、まさか!

 この時、イリヤの頭の中でナニカが繋がり、

 

『──学園長、貴方……悪魔の囁やきに耳を傾けたわね』

 

 気付いたらそう眼の前の老人に告げていた。

 その時の白い少女がどのような顔で、どんな眼でこの右衛門を見据えていたかは……さよはイリヤの方を見て身体をビクッと大きく震わせ、近右衛門は向けられた視線と言葉に込めれた意味を察して苦汁を飲んだように頷き、声を絞らせて答えた。

 

『彼女は……チャオくんは儂に……俺にこう言ったよ。もしそれが可能な力が、その方法があるなら…と、不幸な過去を変えてみたいとは思わないか? 私に協力しないか、とな。その誘惑に、俺は、儂は──』

 

 それはイリヤの言い分を認める言葉であり、彼女が予想していた言葉……(チャオ)お馴染みの台詞だった。原作でのネギやタカミチらへ向けた蜜の如く甘い言葉()

 だから氷のように心が冷たくなると同時に煮え燃えた溶岩のような感情があった。

 そして……それを、その言葉の意味を理解したさよは──

 

 

 

 

「それで未来人と知った学園長は、超の行動と目的を黙認しているって事? 他の先生達には内緒にして」

「ええ、学園長は“チャオの行動に対して積極的に動かない”、という密約を交わしている」

 

 つまり、近右衛門は超の学園での自由や目論見を可能な限り目を瞑り許すが、部下……他の魔法先生がどうにかするのも、上がった報告から何かするのも仕方ない、という彼の立場を慮る契約が結ばれたのだ。

 超にしてみれば、学園で計画を練れれば十分であり、その──イリヤらがいない当時としては──最大の障害となりうる近右衛門を縛れるのなら文句なしの妥協だったのだろう。

 和美にそのように答えたイリヤは、続けて懐に手を入れて、

 

「タイムマシン……この時航機(カシオペア)試作零号機(・・・・・)と引き換えにしてね」

 

 それを取り出してパパラッチ娘へと見せた。

 契約の前払いという事で近右衛門に渡されたそれは、超がこの時代に来る際に使った物とは別の古い試作機……正確にはその前段階の技術実証機であり、現在は1号機、2号機水準に改修済みという原作には出ていない代物だ。

 イリヤは半ば怒りと勢いもあったが無理やりそれを奪い取った。本当は叩き壊してやりたかったのだが……今は堪えた。

 思い出して、この場でも怒りを滲ませるイリヤであるが、一方タイムマシンという為か、洒落を効かせたように懐中時計を模した機械を目にした和美は、思わずゴクリとした様子を見せている。

 

「魔法の存在だけでも驚きだったのに……未来人にタイムマシン……か。突拍子もない話だけど、イリヤちゃんが言うからには本当なんだろうし……トンデモない事ね」

 

 少し遠い目をする和美。今更ながらにこれまでの常識が通じないおかしな世界に首を突っ込んだものだ、などと呆れにも似つかない感想と感情を抱いているのかも知れない。

 

「それでお願いなんだけど…」

「OK! 事情は分かったし他でもないイリヤちゃんの頼みだし、引き受けるわ」

 

 和美は笑顔を見せて片目をパチリとウィンクする。任せて…と。

 

「そう、助かるわ。……でも危険を感じたら直ぐに──」

「うん、無理はしないから大丈夫」

「……気を付けてね」

 

 少し心配げに言うとイリヤは和美に携帯用のジュエリーケースとハードカバーのメモ帳を手渡した。

 そのやり取りをさよは黙って、エヴァもまた複雑な内心を伏せてやはり沈黙して見ていた。

 ただ、

 

『少し意外……朝倉の事を信用するのね、イリヤ』

『うん、まあ……この子とは深く話をする機会がちょっとあってね。カズミにもこっちの世界に関わる為の芯があると、いえ……芯が出来上がったのが分かったから。ノドカとユエのように』

 

 エヴァの念話にイリヤは少し嬉しそうに答えた。

 それでも余りこのような依頼はしたくはなかったのだが、しかし和美がこちらに関わると決めた以上は彼女がどうその道を歩み、これからを判断するか見たいとも思って助力を求めた。

 超が相手ならば危険性は少ないと、今回は良い試金石になるとも考えて。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 イリヤ達は校舎を眼の前にし、ダビデ広場に通り抜けようとすると、

 

「ナ、ナギ!!?」

 

 エヴァが目を見開いて突然叫んだ。

 そして、思わず駆け出そうとする彼女をイリヤがその肩を掴んで止める。

 

「落ち着いて、違うわよ彼じゃない。よく()て」

「あ、」

 

 イリヤの制止にエヴァも気付く。幻術か……と呟いてガクッと肩を落とす。

 そうよ、とイリヤは頷くも、彼女が引っ掛からずに済んだのは魔術師としての“眼”の良さの他に原作知識もあるからだ。

 そんな白い少女は、どのような感情にしろナギ・スプリングフィールドへの未練はやっぱりあるわよね、と思いながらエヴァの視線の先を改めて確認する。

 明日菜と一緒に広場の中央……石像の傍に二人の男性の姿がある。

 

(忘れていていた訳じゃないけれど、少しうっかりしていたわね。この状況だとアコの誘いはもう受けてしまった後か……)

 

 男性らは十代半ば過ぎくらいだろうか。西洋人の赤毛の少年に東洋人の黒髪の少年……いや、その正体はとっくに分かっている。言うまでもなく──はぁ、とイリヤは軽く溜息を吐く。

 

「ネギ、コタロウ、どうしてまたそんな姿をしているの?」

 

 事態を分かっていながらも知らない風を装って広場の中央にまで歩いて尋ねた。そう年齢詐称薬を飲んだ彼等に。

 

「あ…」

「イリヤ姉ちゃん。オッス」

 

 外見年齢が上がり、背も伸びた小太郎に“姉ちゃん”呼ばわりされた事に何とも言えない違和感を覚えてしまう。

 周囲に人が少ない……聞こえる範囲に他人が居ない事が幸いと言うべきか、聞こえたらどう思われる事やら、とそんな他愛も無い思考が少し過ぎる。

 

「祭りで格闘大会があるって聞いて参加しようとしたんやけど、困った事に年齢別に制限があるんやわ。それで──」

「──なるほど、だいたい事情は分かったわ。子供部門に出たくないから詐称薬を使ってそれを誤魔化そうって訳ね。で、その試し飲みと」

「流石、イリヤ姉ちゃん。その通りや」

 

 小太郎が言いたい事も識っているので先回りして答えた。

 

「……格闘大会か。にしても紛らわしい。ぼーや、一瞬ナギの奴(あの馬鹿)が現れたのかと思ったぞ」

「す、すみません師匠」

「……いや、別に謝らなくても良いんだが」

 

 イリヤの方へ視線をチラチラ向けながら頭を下げるネギに、非難する積もりでなかったエヴァは若干バツが悪そうにする。それを誤魔化す為か小太郎が手に持つ格闘大会のチラシへ目を向け、

 

「む?」

「どうしたの、エヴァちゃん?」

 

 首を傾げたエヴァに明日菜が尋ねた。

 

「いや、この大会に出るのかと思ってな」

「そうやけど」

「……賞金額が10万円ぽっちとは随分とショボいな。麻帆良祭の規模を考えると大きな所の出し物は100や200万辺りが賞金としては普通なんだが」

「「え!? 100万円!!?」」

 

 ネギと小太郎の声がハモる。明日菜は「あ、そういえば」という表情をし、カモは「おほっ」と声を上げている。

 和美も小太郎の手にあるチラシを見て、

 

「確かにそうだね。参加するならもう少し調べてからがいいよ小太郎君。この賞金額だと参加者のレベルも低いだろうし」

「いや、でも朝倉の姉ちゃん。これもうエントリー締め切りやっていうし、他ん所もそうなんちゃう? 今から別のを探して見つかるか?」

「それは多分大丈夫。大きい所は参加者に余裕を持って見積もっているし、当日の飛び入り枠も学園内の人は勿論、外から来た人の為にもあるから。それでも受付はその日の午前中までだろうけど」

「そっか。なら後でちょっと探してみるわ。教えてくれてサンキューや」

 

 小太郎のお礼に軽く手を振るだけで答える和美。でも伝統はあるんだよねこの大会……とも呟いている。

 それらのやり取りを見聞きしながらイリヤは考える。

 さて、”彼女”は動くかしら?と、計画に関わる事はほぼ封殺したがそれでも足掻くか……この大会の動向で分かるだろう。

 正直、超自身の身柄も出来れば早々押さえてしまいたいのだが現状ではそこまでの名目が立たない。だからと言って近右衛門の密約を明かす訳にもいかない。いっそ独断で捕縛に動いて監禁するのもアリかと考えるが、

 

(私もしがらみが増えている訳だし)

 

 もしバレてしまったら学園で築き上げた立場や交流関係に罅を入れてしまう。そうなると今後に差し障りが出る。ならばと言って誰にも知られず暗殺するのも同様だ。胸の内にある彼女への怒りを晴らす事にもなるし、それが一番手っ取り早い方法ではあるのだが……仮にも重要な人物(キャラクター)である。

 それに……──ネギへ視線を向ける。

 

(この子を余り悲しませる真似をするのも良くないし)

 

 自分が超を手に掛けたなど万が一にも知られたらどうなる事か。その不安もある。

 それは何もネギだけには限らない。イリヤを信頼してくれる多くの人物が悲しみ、彼女に失望を抱き軽蔑するだろう。

 

(私一人の力でお母様を止められるなら、それも必要な事だと割り切るのだけど……いえ、)

 

 一瞬そうも考えるが直ぐに内心で首を振った。

 ネギ達を悲しませるのはやっぱり違うと、本意ではないと。

 特にさよ、エヴァは今や自分にとっては大切な身内だ。この二人は決して裏切りたくはない。

 

「イリヤ、どうしたの?」

 

 ネギに眼を視線を向けた事に気付いたらしく問い掛けられる。

 

「ん……? ああ、仮初の物とはいえ、ネギ達の成長した姿が珍しかったから、ちょっとぼうっと見てしまったわ」

 

 本当は考え事をしていたのだが、イリヤはそう嘯いた。

 すると和美が少し誂うような口調で続く。

 

「今の姿のネギ君と小太郎君カッコいいもんね。見惚れるのはわかるなぁ」

「別にそういうのではないのだけど。……まあ、そうね。思ったよりも様にはなってるわね。というか、カズミこそ今のネギみたいなイケメンがタイプのようね」

 

 今どきの子らしい……とも付け加えて誂いに乗らず切り返すと、和美は少し苦笑しつつ、

 

「うん、まあね。……あ、でもこれが数年後のネギ君の姿なら全然アリだよね。私もパートナーに立候補しようかな」

 

 ンフフフ……と色っぽくネギに笑い掛けて彼を「えっ!!?」と驚愕させる。

 

「ちょっと朝倉!」

「アハハ、冗談冗談。そんな怖い目で見ないでよ明日菜」

 

 ネギの仮契約者であり、パートナー候補である少女のオッドアイの双眸に睨まれて和美は誤魔化そうとするが、傍でそれを見るイリヤは、半分冗談でも半分本気よね、と和美の内心を見抜いていた。本気の割合が結構大きいと。

 なので、

 

「モテる色男は大変ねネギ」

 

 思わずそう彼へ告げていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 何気ないその言葉を告げられた瞬間、ネギは胸が締め付けられたように不快に苦しくなった。

 悪意も邪気もない本当に何気もない言葉なのに、

 

「はぁ──」

 

 胸の内に淀む苦しさを吐き出すように溜息を吐き出す。

 既に空には星が瞬いており、一人になりたかったネギは女子寮の屋根の上へと昇って夜空をぼんやり見上げていた。

 そして不意に、無意識に。気付くと星々へ向けて手を伸ばしていた。

 

「──遠いなぁ」

 

 伸びた手に気付いて呟いた。

 自分はあの娘の事が好きだと言うのに、彼女はそうではない。

 使い魔である友人の言っていた言葉が心に重く伸し掛かった。イリヤは自分への恋愛感情は持っていない。

 だから遠い。空に煌く星のように、手に届きそうに見えて届かない。

 ネギにとって白い冬の娘はまさにそうだ。ただ星と違って触れようと思えば触れられるし、その姿もずっと傍で見られる。

 けれど……その心は、

 

「僕に掴めるのかな?」

 

 星のように決して届かないのではないか? その不安が大きくなる一方だ。

 

 

 ダビデ広場ではあの後、何も言えなくなったネギに代わってという訳ではないが、小太郎がイリヤへ話し掛けており、

 

『そういやイリヤ姉ちゃんは大会にでーへんの? 多分大人部門やと男女混戦はないと思うしパパッと優勝できて賞金も楽に手に入ると思うんやけど』

『……出ないわ。お金には困ってないし、あればあるほど良いとは思うけど、そういう目立つ真似はしたくないから。それに……戦闘好き(バトルマニア)の貴方にこう言うのは少し悪いとは思うけど、私は元々戦う事が好きって訳でもないし』

 

 格闘大会へ誘ったが断わられて小太郎はそっか、と残念そうにする。

 この時はネギは気分が沈んでいた事もあって、この同性の友人の心情を尋ねなかったが後ほど聞くに、師(と小太郎がほぼ一方的に思う)である白い少女が戦う姿が見たかった事と、そんな師が麻帆良最強の女子だとバシッと優勝を決める姿を見たかったのだという。

 エヴァと鶴子が出場する事はないだろうから……とも言っていたが、ともかく師と敬う少女の誇らしく思える姿を眼に収めたいが故の提案だったらしい。

 ただネギとしては、カッコいいイリヤも見てみたい気持ちも少なからずあるにはあるが、それ以上に戦う姿は正直似合わないと感じていた。しかしそれがどういった意味で湧いた感情や心理なのか自己分析出来ずにいる。

 彼女への想いを自覚する前であれば、小太郎の意見に賛成していたような気はする……のだが、そこでその感情に迷いめいたモヤッとした自信の無さが出てくる。

 

「自分の感情へ向き合え……か」

 

 エヴァが繰り返し言っていた言葉を思い返す。

 イリヤが好きだという事はハッキリと分かる。けれどそれに纏わる情動と心理が己自身の事なのに朧気だ。まるで霞を掴もうとするかのように。

 だから必要な事なのだろう。向き合う為にも知る為にも。

 ネギは携帯電話を取り出す。日本ではありふれた折りたたみ式のその機械を開いて。

 

「……」

 

 震えそうになる指を抑えてボタンを操作する。

 直ぐに待機場面が液晶に映り、トゥルルルと着信を待つ音が聞こえる。

 出て欲しい、出ないで欲しい……期待と恐れが交錯して待機画面を見る間、矛盾する気持ちが胸中を駆けた。

 そのどちらの気持ちが強かったのかは分からない。それを考える時間はなかった。

 

『はい、もしもし』

「あ、イリヤ……僕だけど、えっと……あの」

『うん、どうしたの?』

「学祭の事で……えっと、二人で一緒に回れないかなと思って、それで日時の都合とか聞きたくて──」

 

 胸の高まる鼓動と上ずりそうになる声を抑えて──その約束を取り付けた。

 

 

 




 航時機・試作零号機は、言うまでもなく本作オリジナル要素です。
 理論実証の他、作動原理及び耐久性の試験などを行った物である為、ネギと超が持っていた1号機と2号機と比べてフレーム等が厚くなっていて外見が若干大きくゴツくなっています。
 これを本作でオリ要素で入れたのは、前回や今回の本文にもあるように原作において学園長が積極的に超 鈴音へ対処してない事から彼女の正体なり目的なりを彼はある程度知っていて、裏で何やら取引があったのでないか?と推測した筆者の妄想からです。
 学園長ほどの立場にある人間が仮にもテロリストである超に協力する利とは何なのか?と考えた結果と、最終話にあるさよのその後を加えたものとも言えますが……そういった心の隙を付くのが超の十八番でもありますので。
 これを知ったイリヤは何故か凄まじく激おこ。完全に敵と認定しました。元々敵対相手ではあった所でダメ押しとなってます。

 ちなみに今回、当初はイリヤに詐称薬を飲ませる予定でありましたが……流れ的入れられずにお蔵入り。またの機会ですね。


 誤字脱字報告された方、ありがとうございます。本当助かります。


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