麻帆良に現れた聖杯の少女の物語 (蒼猫 ささら)
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Arcadiaにあったものを一時削除し、此方に掲載する事にしました。


 

 

 ――ここは何処だろう。

 

 呆然としながら周囲を見渡す。

 薄い光に照らされて視界に写るのは木々のみ。ふと見上げれば、葉が生い茂る梢の切れ目から、星空とぼんやりと輝く月が見えた。

 夜間の最中、森の中に独りポツンと立つ自分。

 

 ………………なんで?

 

 訳が判らない。どうしてこんな場所にいるのだろう?

 そう考えて、ここに至る経緯を思い出そうとし―――気付く。

 

「記憶…喪失…」

 

 え……ちょっと待って!? 洒落になってませんよ!

 途端、焦燥感に包まれて混乱に陥る私。

 そんな訳ない、と懸命に頭を捻るも自分の名前すら出てこない結果に更に焦る。

 

「ど…どうしよう」

 

 焦り、混乱しながらも手掛かりが無いか改めて周囲を見渡し、身元の確認が出来る物が無いか自身の着衣も弄る。

 そこで新たな事実に気付く。

 

「すかーと?」

 

 視線を足元に転じると、すらりと伸びる素足が見え、やたらとスウスウする下半身の感覚。

 そういえば、声も随分高いような気がする。

 もしかして、と思いスカートの上から自分の股に手を触れて――

 

「な、無いーーー!?」

 

 愕然とする。

 

 ―――記憶喪失にTS展開って、どんだけー? テンプレ過ぎない!?

 

 と、ショックを受けながらも思考の隅でそんな考えが過ぎった。

 

 

 ◇

 

 

「はあ」

 

 もう何度目だろうか? トボトボと当ても無く森の中を彷徨いながら溜息を吐く。

 自分が何かしらの創作小説的な展開に陥ったらしい事を理解して鬱になったのだ。

 

 ―――読む分には、まだいいけど。

 

 でも現実に記憶喪失に陥り、女の子に成ったなどというのは結構なショックだった。記憶を失うなら自分が男だった事も忘れていれば良いのに……中途半端だよね、とそう思わなくも無い。

 

「……いや、それはそれでやっぱり嫌かなぁ…はあ」

 

 また溜息が漏れる。

 ただ、幸いなのは自分に関する記憶は無いのだけど、知識はあるという点だろう。お蔭でまだ現況に馴染める土壌――つまりオタ知識がある。

 多分だが、さっきも考えたとおり、私はネット小説などで良く見られるような展開に巻き込まれたのだろう。だからこそ鬱に成る一方で妙な余裕があった。

 

「ん?」

 

 視界の先、奥で何かが光った。直ぐに消えたので一瞬気のせいかと思ったが、断続的に光が瞬くのを確認し、見間違いでない事を確信する。

 

「行く当てもありませんし…」

 

 と。呟きながらも闇に包まれた森の中に居る事に不安を感じていたのか? 自覚する以上の早足でその光の瞬く先へと向かった。

 

 

 早足から駆け足となり、断続的に瞬く光に向かって歩を進めると程無くして森を抜け、開けた視界の先に大きな橋が見えた。

 

「あれは…」

 

 記憶に何となく見覚えがある欧風な趣きを持つ立派な石造りの橋。その上で―――此処からでは豆粒のような大きさだが―――四人の人影が見えた。

 辛うじて見える範囲では、二人は子供だと判る。

 しかも片方は浮いているように……いえ、どう見ても浮いていた。

 浮いている子供―――黒衣を纏う金髪の少女が手から光と共に何かを放ち、もう片方が子供―――少年も、ソレに対峙して手から光を放って対抗する。

 その二人から離れた所では、幾分か先の二人より年上であろうと思われる少女達が格闘じみた応酬を繰り広げていた。

 これだけで此処が何処なのか理解出来た。判った。

 

「…ネギま、よね」

 

 時期的には多分3巻。そしてアレはネギ・スプリングフィールドとエヴァンジェリンの対決。

 うん、本当に、本気で、此処は二次元の世界らしい。

 非現実的な事実を前に若干頭が重くなった気がするが、何と無くそうなんだろうな、という思いもあったので愕然とする程の衝撃は無い。ただ、それよりも安堵の気持ちの方が大きかった。

 何故なら、自分の知っている原作作品であり、どこぞの殺し愛(誤字に在らず)上等な厨二チックな某伝奇物やら、訳の分からない敵対的な異星生命体に人類が蹂躙されている御伽噺のような―――そんな致死率が高い世界で無いからだ。

 勿論、それらの作品は好きだし、かなりハマッたゲームだ。けど憑依だとか転移だとかは流石にカンベンして欲しい。即効で死ねる自信がある。

 でも“ネギま”なら比較的平穏に過ごせる筈、……多分。

 

 ―――そう思っていたんだけどな。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 唐突であるが、場所変わって学園長室。

 二次創作でも良く言われているけど、なんで女子中等部に在るんだろう? このおじいさんの趣味なんだろうか?

 そう思いながら目の前の居る人物に視線を向ける。

 崑崙山にでも居そうな容姿を持つ老人―――麻帆良学園・学園長にして関東魔法協会理事の近衛 近右衛門。

 

「記憶喪失…のう」

「一応そうなるわ」

 

 訝る様子で私を見詰める学園長。

 さて、何故この学園長室に私が居るかだけど……単純に言えば見つかったからだ。

 ネギとエヴァンジェリンの戦いに見入り、気を取られていた私は背後からこの老人に自分が見られていた事に気が付かなかった。まあ、原作によると学園最強というし、気付いていたとしてもどうにか出来たとも思えないけど…。

 そして、背後からいきなり声を掛けられた私は有無言わされず此処に連れて来られた。

 途中、検査を受けて事情説明に至ったのだけど、そこで気付いた事が在った。

 先ず自分の頭の中に得体の知れない神秘の知識があったこと、次に容姿が銀髪赤目のちびっ娘だったこと、更に身体全体に膨大な本数の魔術回路があったことだ。

 早い話、驚いた事に私の身体はFetaのイリヤっぽい存在に成ってしまったらしい。いや、少し違うかな? だって何処かで見た七騎士が描かれた七枚のタロットカードみたいな物を持っていたんだから。

 プリズマで魔法少女なイリヤさん……だろうか?

 しかし、あの“人工天然精霊”だとか“愉快型魔術礼装”は無いし、着ている衣服も見た限りではFate本編の物みたいだし、どうも半端な気がしないでもない。

 ―――いや、まあ…あんな禍々しい代物は無い方が良いんだけどね。

 

「確かめさせてもらっても良いかの?」

 

 と。思慮に耽っていた私に穏やかな声でそう言う学園長。けどその反面、何とも言えない威圧感が発せられていた。明らかに警戒されている様子。

 でも―――

 

「だめ」

 

 ―――と即拒否する。

 何故なら学園長の〝確かめる手段〟というのが、どのような方法か察しが付くからだ。

 

「なんじゃ、何か後ろめたい事でもあるのかの? それとも記憶喪失というのは嘘じゃったか?」

「記憶喪失なのは本当よ。でも“(なか)”を見られるのはゴメンだわ」

 

 確かに警戒を解かせる為には“(なか)”を見せた方が良いのだろうけど、それは出来ない。

 

「ふむ…確かに覗かれるのは好い気はせんじゃろうが、おぬしの疑いを晴らすには一番手っ取り早いし確実じゃ、それに記憶が無いならそれ程気になることでも―――」

「それでもだめ。さっきも言ったけど、私は知識だけは確りとあるのよ」

 

 遮るように私は言う。

 

「むう、先ほどのカードのことかの?」

「……そうね。この短い遣り取りでも貴方が人格者であるらしい事は分かるわ。でもあのカードの事を知って無用な欲に駆られないかまでは、私は貴方の事を知らない」

 

 まあ、原作を()る限りそんな人物とは思えないけど。

 

「それほど危険な物なのかのう?」

「持ち主しだいよ」

 

 そう言うと学園長は腕を組んで考え込む。

 勿論、カードだけが理由ではない。原作(みらい)を知っているという事も含まれる。尤もそれでも重要なのはやはりカードと私の身の安全の事だ。

 魔法協会が善人の集り…とまでは言えないかも知れないけど、それに準じる組織だと考えても英霊の力を行使できる破格のアイテムと魔術回路などという、恐らくこの世界では異質で希有な存在を有する私の事を知ってどう扱うかは判らない。ましてやその上層である本国―――正確にはMM(メガロメセンブリア)元老院も中々に“人間らしい”連中なのだ。

 此方も警戒するに越した事は無い。

 まあ、それでも―――

 

「貴方が力尽くで―――というのなら、私は抵抗のしようも無いけど」

 

 ただし、英霊(カード)の力を使わなければ……だけどね。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 近衛 近右衛門は悩む。

 

 彼の英雄―――ナギの息子の成長を見届ける為に彼の“最強の魔法使い”との戦いぶりを傍観していた所、突如結界を抜けて現れた“白い少女”。

 外見は北欧系と思われる白人で、歳は10を越えるか越えないといった頃。しかし話をしてみた感触ではその見た目通りの年齢ではない事が判る。では亜人の類なのかとも考えたが、検査の結果は白…いや、灰色といった所だろうか? しかし混血(ハーフ)とも異なる。

 

 ―――では何なのか?

 

 近右衛門は老体というその見た目の通り、それなりの年月を生きて相応に世界の表裏を見聞しており、またその血筋から“魔法使い”としての実力と実績も非常に高く、それに比例して知識面に置いても魔法界随一と言える。しかしその近右衛門でも“少女”の正体に至る事が出来ない事実。

 そして構造不明・用途不明の高度な魔法具と思われるカード。アーティファクトカードにも似た感じをさせるが、明らかに異なる絵柄に異質な魔力と存在感。相当強力な代物であると考えられた。

 悩みを深くする要因はまだある。

 それは、少女が記憶喪失だという点だ。

 直感だが、近右衛門はそれは真実であり、少女が麻帆良学園や関東魔法協会に害を成す存在ではないとも感じていた。しかし一方で少女が何かを隠している事も察していた。

 

「貴方が力尽くで―――というのなら、私は抵抗のしようも無いけど」

 

 成程、少女の言うとおりそれは簡単だろう。此処に至るまで少女の素振り、立ち振る舞いを見る限り荒事に向いている様子はない……或いは全くの素人である事は想像に難くない。

 だが迂闊にそれを実行しては成らない、とこれまた近右衛門の勘が警鐘を鳴らすのだった。

 それは、少女がこの状況で不利を承知で隠している事情ないし事実。それを知るという事は相応の責を負わなくては成らないという事だ……いや、それ以前に実力行使に訴え出た途端、少女は先と矛盾するようではあるが、打倒し難い敵と成るのではないか? という危惧も感じていた。

 無論、生徒の安全を守る学園長という役職。そして関東の裏を守る魔法協会の理事という役職を鑑みれば、この不審人物の隠す事情を……況してや危険物とも取れるカードの事を考えれば、尚更に実力行使してでも知って置くべきではないかとも理知的な面も訴えて来ている。

 しかしそう考える度に先の“少女が害の成す存在ではない”という勘が大きく疼くのだった。

 そうして微かな時間、それでも熟考して近右衛門は結論を下す。

 

「それは止して置こう。君のような可愛らしいお嬢ちゃんを相手に力だけで事を収めるのは、我ら世の平和を守らんとする“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”の流儀に外れるしのう」

 

 近右衛門は己の勘を信じることにした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「―――それを踏まえて君には、この麻帆良に留まって貰う」

 

 矛を収めた形にした学園長に少し意外に思うも、次に出たその言葉で真意を察する。

 

「なるほど、強固な結界を抜け、危険そうなカードを所持し、尚且つ記憶喪失なんて言う不審者を手元に置いて監視しようという訳ね」

「まあ、そういった面も無くもないが、君が記憶喪失という点をわしは信じておってのう。そういった子供を無碍に扱って放逐するというのも……ほらなんじゃ、流儀に反するじゃろう」

 

 更に出てきた意外な言葉に呆気に取られる。何故ならその言葉には全く裏を感じさせない、そう…本当に善意のみで出たものだと理解できたからだ。

 そんな私を見て、ほっほっほっ、とバルタン笑いをする学園長。

 

 ―――こうして麻帆良学園に留まる事となり、此処で一夜を明かした私は翌日思っても無い事態に直面する事になる。

 

 



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第1話―――遭遇、出会い

 

 

 

「おぬし名前は如何する?」

 

 この世界の二日目の朝、挨拶を交わした直後、学園長が唐突に尋ねて来る。

 

「名前?」

 

 思わずオウム返しに聞き返す。

 

「うむ、何時までも“お主”やら“君”やらでは不便じゃからのう。まさか名無しのまま過ごす訳には行くまい」

 

 尤もな話だ。とはいえ名前ねぇ。

 うーん、やっぱりイリヤかなぁ、正直それしか浮かばないし。

 ……でもそれだと問題かな? むう、と思わず唸り首を傾げる。そこに学園長が口を開き。

 

「悩むようならわしが考え―――」

「遠慮しとくわ」

 

 学園長の予想通りの申し出を即却下する。

 

「……せめて最後まで聞いてくれても良かろうに」

 

 寂しげに言うお爺さんを無視して考えるも、結局良い名前は思いつかず。

 

「イリヤ…イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」

 

 そう名乗る事にする。

 

「本名かのう?」

「さあ? 多分違うわ。思い付いた物から適当に選んだだけだし」

 

 嘘ではない…だろう。相変わらず自分の事は思い出せず、この身体も名前も借り物のような物なのだから。

 しかしこのお爺さんは思う所を感じたのか、長く伸びた白い髭を撫でながら言う。

 

「ふむ。一応少し調べて見るか。もしかしたお主の事が何か分かるかも知れんし、記憶を取り戻す手掛かりになるやも知れんしな」

「……そうね。お願いするわ」

 

 一応並行世界とも言えなくないし、もしかしたら本当に何か出てくるかも…そんな微かな不安と期待を入り混ぜて私は学園長にそう応えた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 これといってすることも無い為、私は学園長室にそのまま留まり、借りた魔法関係の書物を読み耽って時間を潰していた。時折、教師らしい人物が部屋を訪れ、訝しげな視線を向けられたりもしたけど、挨拶を交わす以上の事は無かった。

 そうして、幾度目かの軽快なチャイムが校内に鳴り響き……放課後に成った頃―――“彼”がこの学園長室を訪れた。

 

「失礼します学園長先生…あっ、こんにちは」

 

 ドアから聞こえたノック音に学園長が応えると扉が開き、視線が合った私に挨拶をしてくる10歳ほどの西洋人の少年。

 挨拶された私の方はというと、その聞き覚えのある声と目にした容貌に驚きの余り硬直していまい。挨拶を返すのが遅れ…少年が怪訝な表情をするか否かといった所で漸く返事をする事ができた。

 

「……ええ、こんにちは」

 

 挨拶を返しながら思わず彼を見詰める。赤毛が特徴的なまだ凛々しいと言うよりも、可愛らしい言える顔立ちの利発そうな少年。彼が―――

 

「おお、ネギ君、待っとたぞ」

「学園長先生、お呼びだそうですけど、何か御用が…」

 

 学園長の呼びかけに応える少年。

 やはり彼がネギ・スプリングフィールド。あの“物語”の主人公。

 

「うむ…実は来週の修学旅行の事なのだが―――」

 

 

 暫くして、

 

「え……し、修学旅行の京都行きは中止ーーー!?」

「うむ、京都がダメだった場合は、ハワイに……」

 

 きょ…きょうとーー…

 と、ここへ来た時に見えていた機嫌の良さは何処に行ったのか? ショックの余りに涙を流しながらフラフラくるくると奇行…じゃなくて項垂れるネギ。

 そういえば、エヴァンジェリンとの対決の翌日ってこんな話だったっけ? 確かこの後、関西の組織に親書を渡す話になって、更にその後、買い物先でエロオコジョことカモに唆されてコノカとスカカードを出すんだったかな?

 …にしても、ネギのこの落ち込み方は傍から見ると面白いわね。さっきの利発そうなイメージが見事に吹き飛んだって感じ。

 

「コレコレ…まだ、中止とは決まっとらん。ただ、先方が―――」

 

 予想通り…じゃなくて、原作の記憶にある通りに話が進んで行く。

 ……って、部外者で且つ不審人物である私の前でする話しなんだろうか? まあ、いいけど。

 程無くして学園長の説明が済み、

 

「ネギ君にはなかなか大変な仕事になるじゃろ……どうじゃな?」

「…わかりました。任せて下さい、学園長先生!」

 

 一瞬逡巡のような物を見せたが、学園長の顔を確りと見据えてそうハッキリと力強く応えるネギ。

 

 ―――へぇ、これはなかなか。

 

 と、ちょっと感心してしまう。私の座るソファーの位置からでは横顔しか見えないが、その表情は10歳児とは思えない意思や気概といったものを確かに感じさせた。

 

「ほ…良い顔をするようになったの、新学期に入って何かあったかの?」

 

 学園長も同様に感じたらしい。とはいえ、“何かあったかの?”とは学園長もとんだ狸よね。実の所、何があったか知っているくせに。

 

「え、い、いえぇ、別に何もありませんよ」

 

 だというのに、片や焦って挙動不審に見えて誤魔化すどころか返って怪しいし。

 まったく、感心したばかりで呆れさせるのもどうだろう? 学園長も「そうかの?」と言いながら言外に呆れているのを感じさせる。

 

「京都と言えば孫の木乃香―――」

 

 だが余計な突っ込み……いや、詮索はせず、学園長はコノカに魔法の事がバレてないか、親の方針が……云々と話を変え―――ん?

 何故か? そこでネギが何かに気付いたように私の方をチラチラと見るようになる。

 

「では、修学旅行は予定通り行う。頼むぞネギ君」

「あ…はい」

 

 さっきと同様意気込んで返事をするかと思いきや、妙に曖昧に答えるネギ。学園長も不審に思ったのか眉を顰める。

 

「如何したんじゃネギ君?」

「あ、いえ…その、あの子の前で魔法とか協会とか、それに…木乃香さんの事まで話していたから…」

 

 と私に視線を向けて言うネギ。

 成程、だから私の方を見ていたのか。

 

「ああ、その子なら大丈夫じゃ。一応こちら側の人間だしの」

「あ、そうなんですか」

 

 学園長の言葉にほっと安堵するネギ。すると私の方へ向き直り。

 

「あの…改めてこんにちは、僕はネギ・スプリングフィールドと言うんだけど、君は?」

「え、私…」

 

 何だか妙に人懐っこい笑顔を浮かべて気安く声を掛けてくるネギ。もしかして私、同年代だと思われてる?

 

「えっ…と、私はイリヤスフィール・フォン・アインツベルンって言うけど」

 

 戸惑いながらも何とか答える。

 

「イリヤスフィール…さん。ドイツの人? それにフォンってことは…貴族なの?」

 

 なんか子供らしい無邪気で朗らかな笑顔で話しかけてくる。

 

「えっと…それは」

 

 ネギの態度に戸惑いが抜けず、つい言葉を濁し…ふと気付く。

 そういえば、原作でネギの周りには年上ばかりだとかで、気安く話したり出来る同年代の友達が居ないとか言ってたような? コタローがその役割の筈なんだけど、修学旅行編で出会うからまだ会って無くて、それに友人と言える関係になるのはあの悪魔が襲来してからの筈―――だから私にお鉢が回って来ていると?……はぁ。

 

「……まあ良いか」

「?」

 

 こんなナリだし、しょうがない。それに彼と“お友達”というのも悪くはないだろうし…。

 私はこの時、余り深く考えずにそう結論を下し、頭の上にクエスチョンマークを浮かべるネギに笑顔を向けた。

 

「イリヤスフィールは長いからイリヤで良いわ、ネギ」

「あ、うん!」

「それじゃあ、これから宜しくね」

 

 そう言って右手を差し出す私。

 すると、ネギは無邪気な笑顔を浮かべてもう一度「うん!」と頷いて、躊躇い無く私の右手を掴んで握手を交わす。

 

「宜しくイリヤ!」

 

 こんなネギの様子を見ると本当に子供にしか見えない。こっちが素の彼な訳か、と会って間もないのに妙な感慨に耽る。

 考えてみれば、原作では主人公として奮闘する彼が主に描かれている訳だし、私がそういった感慨を覚えるのも当然なのかも知れない。

 

「ああ、それでネギ君―――」

「あ、はい。学園長先生、親書の事は任せて下さい!! すぐ修学旅行の準備に取り掛かりますから、じゃあ、またねイリヤ!」

「ええ、またねネギ」

 

 そうして意気込んで扉を開いて駆けて行くネギ。子供らしく元気の良いことだと微笑ましく思う。でも一方で仮にも教師が廊下を走っていくのはどうかなとも思ってしまう。

 

「………」

「どうしたの、学園長?」

 

 ドアの向こうに消えるネギを見送り、読書の続きに戻ろうとし……視界に学園長がまるで石化の魔眼(キュベレイ)でも受けたかのように、ネギを呼び掛けた時の右手を挙げた姿勢で固まっているのが見え、思わず首を傾げる。

 学園長は、固まったまま呟くようにして私に向けて口を開く。

 

「なあ、イリヤ君」

「なに?」

「…ワザとじゃろ」

「は?」

 

 意味が解らず首を傾げたが―――その後、学園長の話を聞くと、どうやら私を彼のクラスに編入させようと企んでいた事が判明した。

 私の承諾を得る前に転入生としてネギに紹介し、なし崩し的に強引に事を進める心積もりだったらしい。しかし今や同年代の女の子、もしくは友達としてネギは私を認識してしまい。今更、実は年上で生徒に成る子だとは言い出し辛くなったという塩梅である。

 まあ、ネギのあの喜びようを見れば尚更よね。

 

「仕方ない。この際、初等部でも―――」

「へぇ、そんなに死期を早めたいのね」

 

 些か聞き逃せない―――何処となく邪気の含んだ声色で見過ごせない事を発言しようとする学園長を睨み。スカートのポケットにしまったクラスカードに手を伸ばす。

 取り出した物には『槍兵』の絵が描かれていた。

 

「じょ、冗談じゃ…だから早まるでない」

「それがこの世に残す最後の言葉で良いかしら?」

 

 私の殺気を感じ取ったのか、それともカードに不吉なモノを捉えたのか、顔を青くし心底焦って後ずさりする学園長。

 

「待て! 待てっ! 分かったっ! 二度と勝手な真似はせんから、許してくれい!!」

 

 

 

 ◇

 

 

 

「まったく心臓に悪いのう。老い先短い老人のちょっとした茶目っ気なのだから、そんなに目くじら立てんでも良かろうに」

「悪いけど貴方相手に遠慮をしていたら、良い様に振り回されそうだから御免よ」

「同感だね、学園長は直ぐに悪乗りしたがるから、言うべき時はやはり屹然とした態度で釘を刺すべきだろうね」

「むう…労りが欲しいのう」

 

 学園長室に一人増え、私の向かいのソファーに30歳前後の男性が座っていた。

 あの後、直ぐに土下座して平謝りした学園長に免じて矛を収めた私だが、間が悪い事にそこへこの男性……ネギの友人を自称するあのタカミチこと、タカハタ先生が駆け込んで来たのだった。

 駆け込んで来たというのは学園長の悲鳴じみた声が聞こえ、余談を許さぬ危急な状況と勘違いしたからだ。しかし、いざ踏み込んで見れば、10歳程度の可憐な少女に土下座している東の長の姿。

 なんとも理解し難い滑稽な状況に思わず固まるタカハタ先生であったが、事情を聞くに及び、呆れた視線を私と学園長に向けてくれた。

 まあ、そんな様子を見せた彼も普段の学園長の行いを知っているので、大まかの元凶は学園長と認識しているっぽい。

 

「しかし困ったの」

「何がです?」

 

 唐突に学園長は唸るように口を開き、タカハタ先生が応じる。

 

「うむ、確かに面白半分もあったがの。イリヤ君の住処を考えると、あの女子寮が最適であったのも本当なのじゃ」

「ああ、それは確かに……だから彼のクラスに?」

「そうじゃ」

 

 二人して頷き合う。私はそれにやや置いてけぼり感を受け、思わず眉を顰めて疑問の言葉を口にする。

 

「何、どういうこと?」

「ああ、一応説明しておくべきだね」

 

 タカハタ先生の説明よると、この学園でネギの暮らすあの女子寮は、年頃のうら若い少女達が住む事もあって保安面で適した位置に建てられており、また“とある事情”から魔法などの裏社会が絡む方面に対しても学園内でも屈指の堅牢さと防衛力を持てるよう、数年前に大規模な改装が行なわれたとの事。

 そして茶目っ気こそ多分に含んではいたものの、記憶を弄られた可能性と未知の魔法具を持つ私を狙う何者か、或いは何者達が居るのではないかと危惧する学園長は、警護の為にもその強固な守りを持つ女子寮へ私を生徒とする事で違和感無く暮らせるように計らう積もりだった。

 それが先の一件での本当の目的なのだという。

 

 詳しくは説明してくれなかったけど、“とある事情”というのは多分、アスナやコノカが学園に来た事を指しているのだろう。数年前の改装という言葉からその可能性は低くないと思う。もしかしたらネギの事も含まれているかも知れない。

 重要人物を一箇所に集めて守り易くするのも至極当然の事だろうし。

 あと、セツナ、タツミヤが居るのも万が一の事態に対処させ易いからではないだろうか?……と、流石にこれは穿ちすぎかな。

 私は少々脱線しつつある思考を戻し、本当の目的を明らかにした学園長に向けて皮肉気に笑う。

 

「でも、そんな目論見も学園長の趣味のお蔭でご破算してしまった、と」

「ぐ」

 

 痛い所を突かれたかのように学園長は呻いた。

 そんな学園長にタカハタ先生も日頃の行いに苦言を呈するように言う。

 

「そうだね、妙な茶目っ気を出さず、予めイリヤ君に話しておけば、ネギ君の勘違いもその場で正す事が出来ただろうし」

「ぬぬぬ……しかし、言っておれば、拒否したのでないかのイリヤ君は」

「うーん、そうね。中学生をやるというのは確かに抵抗があるわね」

 

 まあ、実際中学生に限った話では無いんだけどね。正直に言えばもう一度、学生だなんて……まあ、ちょっと懐かしいというか、もう一度あの頃になんて思わなくも無いけど、やっぱり面倒くさいし。

 

「じゃろう」

「でもそれ以前に……私が言うのもなんだけど、警護の為とはいえ、生徒達の中に不審人物を混ぜるなんて、他の魔法関係者は良い顔しないんじゃない? 学園長は私をそれなりに信用してくれているようだけど。…あとタカハタ先生もそうみたいね」

 

 理由はよく分からないけど、学園長は何故か私を無害と考えているのよね。タカハタ先生も今此処で初めて顔を合わせたばかりだけど警戒している様子は無いし、ホント何故なんだか?

 でも、他の魔法先生……特にあのガンドルフィーニとか、堅物そうな人は納得しないんじゃないかな?

 そう考える私に学園長は、ん?と微かに首を傾げたかと思うと、突然ポンッと何かを思いついたように手の平を打つ仕草をする。

 

「ああ! そう言えばイリヤ君にはまだ言ってなかったのう。実は君が侵入した事を知っておるのは、わしとタカミチ君だけなのじゃ」

「は…なんで?」

 

 それじゃあ、監視も警戒も出来ないんじゃ?

 

「追々と思っての、取り敢えずタカミチ君にだけ話して置いた、といった所かの」

「他の関係者は、私が侵入した事に気付いてないの?」

「うん、外から無理矢理結界を破って侵入した訳じゃ無いからね。突然、内側に…それも魔力の気配、痕跡も殆ど感知させず、残さずに現れたらしいから、学園長ぐらいしか気が付かなかったんだと思うよ」

「だったら尚更―――あ、だからか」

 

 感知も出来ず、強固な結界を物ともせず、その内側に入り込む方法がある……しかも痕跡といった侵入の証拠も残さずに。

 そんな事を浅慮に周囲に漏らせば、この土地の防衛に神経を尖らせている麻帆良の魔法関係者達は、上から下への大騒ぎとなる。

 それに問題は麻帆良学園だけに止まらず、本国だとか他の魔法組織にも知れ渡る事になるかも知れない。無論、本来ならば、こういった危機管理に繋がる情報は協会と関連の在る組織には通達するべきなんだろうけど。

 しかしそうなると、実際に入り込んだ私にも厄介な追求が入る。先に説明された私に関する危惧とネギとアスナという出自に曰くが在る者を預かる―――云わば、懸念を抱える学園長としてはそういった事態は歓迎できないだろう。

 だから冷静に物事を見据えられ、万が一の時にも対処可能で信の置ける人物や“筋”にだけ伝えて置くと。

 まあ、もう少し状況を見極めたいという思惑もあるのかも知れないけど。

 口には出さなかったが、私の表情から事情を察したことを読み取ったらしい学園長は頷く。

 

「うむ、理解が良くて助かるの。そういう訳じゃからイリヤ君。当面は君の事は、知人の娘を預かった、とでも周囲に言っておくからその積もりでの」

「わかったわ。…でも、一応聞くけど、私以外に侵入者は居なかったの?」

「昨夜からそれと無く警戒命令を出しているけど、今の所それらしい報告は上がってないね。…それに“学園長が感知していない”なら、無いと考えても良いと思うよ」

「うむ」

 

 私の質問にタカハタ先生が答え、学園長がそれに自信を持って頷いた。

 

「そう」

 

 なんとなくした質問。

 予想通りの返答だったけど……よくよく考えると私は何なのだろうか?

 突如、麻帆良に現れた異邦人。でも何のために? ネギ・スプリングフィールドの物語に介入する、させる為?……それこそ何のために?

 判らない。しかも私に残る記憶では原作も完結してない……一体何をしろというのだろうか? それとも意味など無いのかしら?

 

「……話を戻すが、イリヤ君の安全…それに監視も考えるとやはりあの女子寮が一番なのじゃが―――」

 

 学園長の言葉に思考に沈みかけた意識を浮き挙げ、遮るように口を開く。

 

「―――学生をする気は無いわよ。それにネギの事情を鑑みると、気掛かりの無い友人が必要なのも確かなんじゃないかしら」

 

 学園長の盛大な土下座―――クラス編入云々の時にネギの修行の事は聞いている。原作通りに幼くして故郷から遠く離れた異国の土地で、魔法の修行もとい教師をしているという無茶な話を…。

 

「うーん、イリヤ君の言う事も分からなくはないね。僕も彼とは友達だけど、見ての通り大人だし、麻帆良(ここ)を留守にしてばっかりだから傍に居てやれないからね」

「そうじゃのう。さっきのネギ君の反応を見るにしても、そういった相手を求めておるかも知れんしな」

 

 タカハタ先生が同意し、学園長は思う所があるようにしみじみと言う。

 ネギのあの笑顔や、初対面に対する―――同年代だけど仮にも異性である私に―――妙に人懐っこさを見せた様子を思うと学園長の見解も無理は無い。というか私自身そう考えなくも無い。

 

「仕方ない、イリヤ君のクラス編入は諦めるかの」

「初等部編入も無しよ」

「わかっとるわい…じゃから、殺気を向けるのは止めてくれんかのう……全くまるでエヴァみたいじゃ」

「…それなら、いっその事その彼女に頼んでみては? あそこならある意味安全ですし」

 

 あ、何かものすごく嫌な予感。…彼女って? やっぱり…

 

「ある意味では危険じゃがな……しかし妙案でもあるのう。ちょうど貸しもある事だし、良いかも知れん」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 学園長とタカハタ先生に案内されて行き着いた先は、洒落たログハウスだった。

 

「何だ、ジジイの方から訪ねて来るとは、珍しい事もあるものだ」

 

 ああ…やっぱりか。

 リビングに通され、目の前でソファーに座り、偉そうにふんぞり返っていたのは、金髪碧眼の見た目は10歳ほどの西洋人の美少女―――つまり、あのエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだった。

 原作では一番好きなキャラなんだけど……現実でお世話になるのはちょっと、ね。…だって、なんていうか確かに可愛らしいんだけど怖いイメージもあるし、それにこうして実際会って判ったけど、何か身の危険がひしひしと感じるのよね。

 

「で、何のようだ?」

 

 初対面の私を一瞥しつつ、学園長に用件を促がす彼女。

 

「お前さんにちょっと頼みがあってのう」

「面倒ごとならゴメンだぞ」

「昨晩、ちょっとした“騒ぎ”があった事を知っておるか?」

「…それがなんだ。お前の頼み事とやらに何か関係があるのか」

 

 エヴァンジェリンは一瞬、眉を動かすも平然とそう切り返し、テーブルに置かれたカップに手を伸ばして紅茶を啜る。

 

「いや、そっちは“どうでも良い”のじゃが、その騒ぎの際に“別の厄介ごと”が舞い込んで来ての。お前さんも騒ぎの方に気を取られていたようだし、仕事が“疎かになる事も”……ま、あるじゃろう」

 

 そう言って意味ありげに、例のバルタン笑いをしながら私に視線を向ける学園長。

 

「チッ…で、その小娘をどうしろと」

「お前さんの方で預かってくれんか。ちょっとした訳ありでの、彼女の身の安全と監視…その双方を含めて出来る限りの配慮をしておきたいのじゃ」

「……私に餓鬼の子守をしろ、と」

 

 忌々しそうに表情を歪める幼げな少女と、飄々としたな態度の老獪なお爺さん……実に対照的な構図である。

 

「そういえば、ここ最近、桜通りになにやら…と、妙な噂があったかのう」

「……いいだろう、引き受けてやる」

「そうか、いや…助かるのう。ふぉふぉふぉ」

 

 学園長を睨みつつ「この狸が…」と呟くエヴァンジェリン。だがそれには意を返さずに変わらずバルタン笑いを続ける学園長。

 はー…成程ね。

 昨晩の“騒ぎ”―――ネギとの決闘の事を仄めかしつつも“どうでも良い”と言って責を追及せず、“別の厄介ごと”と警備員を務める彼女に侵入者(わたし)の存在を告げて、またそれも“疎かになる事も”と言いながら不問にし、さらに桜通りの一件も問わない。……けどその代わりに私の事を引き受けろ、という訳ね。

 原作の彼女のプライドの高さから考えると確かに効果的でもあるかも知れない。こういった“借り”とも言うべきものを無償で施されるのを好しとする性格ではないだろうし…。

 でも、ちょっと対価としては払い過ぎな気も…?

 

「そこまでして何故私に押し付ける? その小娘には何があるんだ」

 

 エヴァンジェリンも私と同じ疑問を感じたのか、そう学園長に尋ねた。

 

「さて、の」

 

 学園長は惚けるようにそう言いながらも、どこか鋭くエヴァンジェリンを見据えた。エヴァンジェリンもその鋭い視線に目線を合わせるも―――

 

「…まあ、いいさ」

 

 程無くして彼女から視線を逸らし、そう呟いた。

 

「引き受けると言った以上、子守らしく丁重に扱ってやる。…それで良いんだな?」

「うむ」

「それじゃ頼むよエヴァ、それと……これ、この前に渡しそびれたから」

「む?―――ああ!」

 

 学園長と共に頷きつつ、エヴァンジェリンに何か白い小さな紙袋を渡すタカハタ先生。

 なんだろう? と思っていると受け取った彼女は直ぐに紙袋を漁り、中から長方形で木製の小さな箱を取り出した。箱自体は何の飾り気も無い代物だが、相当古いのか表面の光沢は鈍く、傷も見え、何処となく年期を感じさせた。

 私からはその中身は見えなかったけど、その箱を開いたエヴァンジェリンが一瞬、驚愕にも似た表情を見せ……何とも表現できない顔をする。

 

「本物…のようだな…まさか……とは思ったが…」

 

 エヴァンジェリンが震えた声を出す。そんな彼女の様子を目にした学園長とタカハタ先生は、やや目を見開き、驚いたような感じの珍妙な顔をする。おそらく相当珍しいのだろう。

 

「エヴァ、それ――」

「ああ! タカミチご苦労だったな、残った金は好きにして構わん。報酬として受け取ってくれ」

「え? あ、いいのかい? 結構なが―――」

「では、用件はそれだけだな。居候も出来たし、部屋の準備やらで忙しくなりそうだから長居はして欲しくないのだが」

 

 先程から一転。突然、何か妙に機嫌が良くなった…というか、ハイな感じをさせるエヴァンジェリン。

 思わずと言った感じで顔を見合わせる学園長とタカハタ先生だが、そんな二人の途惑った様子を他所にエヴァンジェリンに命じられたロボっ娘―――絡繰 茶々丸に促がされ、二人は玄関から押し出されていった。

 そして二人の姿が見えなく成るや否や、エヴァンジェリンは即行でリビングを後にし…多分地下へと降りていった。

 

 で、ログハウスを訪れてからというもの、終始放置されっぱなしだった私なんだけど。

 

「…お部屋をご用意致しましょうか?」

 

 その後も放置され続け、半刻ほどした後にやっとこうして気を遣うような、申し訳なさそうな雰囲気を感じさせる茶々丸に声を掛けられた。

 

「……お願い、するわ」

 

 紅茶と洋菓子のみで得られた満腹感と、何ともいえない精神的な空虚感を懐きつつ私は返事をした。

 

 ――――ただこの時、既に重要な事が目の前で発生していたというのに、私は気が付いていなかった。

 

 

 



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第2話―――日々の始まり、そのある一日  お出掛け編

こちらに移るにあたり、本作に初めて目を通される方々に一応補足しますと、自分を元男性だと思っているこのイリヤは、自分の仕草や口調が完全に女性のものとなっている事に気付いていなかったりします。その自覚が無いのです。


 

 エヴァ邸で過ごす事が決まってから四日。

 私はこれと言った難事に遭遇する事無く、無事平穏な日々を過ごしていた。

 

 さて、平穏とはいえ、する事がなければ人間は死んでしまうもの……いや、言葉通りの意味ではなく、主に精神的な意味でだ。要は腐るだとか、ダメ人間だとか、ニートという感じである。

 型月厨の中でそういった扱いを受け、印象(イメージ)を与えたあの“食っちゃ寝王(セイバー)”ですら、確か“hollow”ではキャスターの内職を時折手伝っていたとかいうし、買い物なども言われればこなしていたようだし―――何より私自身そういった何もしない日々には耐えられない。

 

 故に私はこの数日、この世界の神秘を学ぶ事に時間を費やしている。

 

 なにしろ異邦人であり、この世界にとって異端の神秘を内包する(もつ)身なのだ。何時何処で、どのような厄介事に巻き込まれるか知れたものではない。

 だから最低限、自分の身を守れるように知識と力を付ける必要あると考えたのだ。またこの世界で生きて行く上…ひいては魔法社会での将来を見据えての事でもある。

 そしてそれに関連して、私はエヴァジェリンさんと共に学園に通っていたりする。

 勿論、生徒としてでは無い。学園長に師事して魔法学を学ぶ為だ。また警護・監視対象である者が独り家で留守番というのも問題だという意見もこれに絡んでいる。

 とはいえ……まあ、アレでも学園経営者兼関東魔法協会理事なのだから、中々に忙しい身の上であるらしく、教えを請う時間は余り取れないのだけど。

 その為、大半の時間は独学・自習と為っている感が強い。

 尤も、私としてはその方が都合が良いという面も無くはない。

 表向きには、記憶喪失の影響で知識に齟齬と欠落があり、その補完と確認のための再学習としているのだ。

 長々と個人指導を受けては、知識不足が露呈したり、或いは魔術面の知識をうっかり披露する様な事をしたり、と不審を買う危険が大きくなりかねない。

 しかし、一方で大半が独学である事に不安もあった。

 

 そういう訳もあり―――正直、後が少し怖いけど―――それを補う為に、エヴァンジェリンさんに師事するとまでは行かなくとも、せめて家で過ごす合間にでも魔法関係の話を聞ければ、助かると思ってはいるんだけど……一体何をしているのか? 

 毎日帰宅するなり、殆どの時間をどうにも地下か、あの“別荘”で過ごしているらしくそれは叶わない。

 原作でも好きなキャラとほぼ会話できず、残念な気がするような、身の危険を感じられずホッとするような、何とも複雑な心境だ。

 その代わり…と言ってなんだけど、茶々丸とは結構親交が深められていると思う。主に家事を手伝ったり、猫の世話をしたり、一緒に買い物に行ったり、とそんな感じで。

 

 あと、学園に顔を出しているお蔭でネギともあれから毎日のように顔を合わせている。

 今日の授業はどうだったとか、寮での生活はこうだったとか、修学旅行が楽しみだとか、ありふれた会話をしながらお互いにちょっとした身の上も教えあったりもした。

 ついでにあのオコジョ―――エロガモは、紹介された直後、あろう事か私に仮契約を迫って来たりしたので、きっついお仕置きをしておいて上げた。

 

 そんな日々の中、未だに少し気になっているのはこの家に来た翌日の朝のこと。

 タカハタ先生から何かを受け取り、ハイになった筈のエヴァンジェリンさんがまた一転して不機嫌を絵に描いたような表情をしていた事だ。おまけに憔悴しきった有様で足取りもフラフラしていた。

 それは例えるなら、“遠坂 凛、寝起きの一幕”と言った感じだろうか?

 原作では色々とイジられる場面も在ったけど、それでも屹然としたイメージをある彼女がそんな姿を見せたのは、妙に印象に残った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「人……ホント多いわね」

 

 麻帆良ではまず見かけることは無い、ガラス張りの近代的な建物が周囲に立ち並ぶ中。目の前を過ぎる黒山の人だかり―――雑踏に少し辟易してしまう。

 今日は4月20日の日曜日。一般的に休日であるこの日、私は麻帆良学園から離れて東京・原宿を訪れていた。

 

「僕もこの国に来た時、同じ事思ったよ」

 

 と言うも、私と違い物珍しさに好奇心一杯という様子で周囲を楽しげに見回す赤毛が特徴的な幼い少年―――ネギ。

 

「ここは都心やしなぁ。麻帆良と比べると、やっぱなー」

 

 と、同意するような事を言う日本人形の様に整った長い黒髪を持つ女子中学生―――近衛 木乃香。

 

「…………」

「? どうしたのイリヤ?」

「ん? もしかしてイリヤちゃん、人多いとこ苦手なん?」

「そんなことないわ、コノカ。…ただ、ちょっとね」

「「?」」

 

 曖昧に返事をする私に2人は不思議そうに首を傾げた。

 何故この二人と東京に来ているのか?

 それは数時間前。

 先日、学園長から渡されたばかりの携帯電話―――早朝、それに掛かってきた一本の通話から始まった。

 

 

『ねえ、イリヤ。今日東京に行くんだけど、君もどうかな』

 

 電話越しでの朝の挨拶もそこそこに、ネギがそう切り出した。

 出会ってから初めての休日にデートの誘い……? 意外に積極的ね。とそんな冗談染みた感想を懐くも口には出さなかった。

 まあ、十歳児である彼にそんな考えがある訳も無く、ただ友人として親交を深めたいのだろう。

 しかし、私は色々と事情を抱えており、学園から離れるのは……。

 それに正直、私自身、今は遠出をするのは気が乗らなかった。だから折角の誘いに悪いと思いながらも断ろうとした。しかし――

 

「行って来たらどうじゃ」

 

 何故か? 朝早くからエヴァ邸を訪れて居て、しかも堂々と無遠慮に朝食にまで口を付けている学園長がそんなことを言い放ったのだ。

 どういう積もり?と睨む私に、学園長はバルタン笑いするばかりで真面目に答えもせず、「折角の友達の初めての誘いじゃ、無碍にするのもどうかのう」という言い分から始まり、「遠い異国で――」「おぬしが友人として――」とかなどと気乗りで無い私にそんな事ばかりを穏やかな口調でありながら、チクチクと責めるかのように言うのだ。

 どうやら、この前の土下座の一件をまだ根に持っているらしい。

 それに溜息を吐きながらも私は―――

 

(まあ、学園長のお墨付きがあるのなら、それもいいかな。この前借りた“先立つ物”もまだ余裕があるし)

 

 と、前向きに思考を切り替える事にしてネギの誘いを受けるのだった。

 

(―――それに態々早朝から訪ねて来た学園長にとって、私が今日此処(エヴァ邸)に居ると都合が悪いようだし)

 

 そう感じたのも理由の一つだった。

 ちなみに私が出かけるのに気乗りしない理由の一つに、私服がエヴァから与えられた(強制された)フリフリたっぷりのゴスロリ服ばかりしか無いこともある。

 そんな如何にも少女趣味全開な衣服を渡された時には、思わず固まってしまったのだけど、横暴な家主曰く「私の作った服に何か文句でもあるのか、無いなら居候らしく家主の言う事には従え」と凄まれて拒否権の発動出来ず、元から着ていた服も何やら「参考にする」とか言われて取り上げられてしまった。

 まあ、だからこそ“先立つ物”―――学園長から借りたお金にも余裕があるのだけど……女の子の服って結構値が張るのをつい最近知りました(しかし後に、とてもたかーい高級ブランドを扱うお店を敢えて茶々丸に紹介させた事が発覚する)。

 

 

 こうして止むを得ず、羞恥心を押し殺しつつ私は、外出用の白さが眩しいフリフリの“私服”に着替えて約束した時間に学園中央駅前を訪れた。

 そこには既にネギと、同行するというルームメイトで彼の受け持つクラスの生徒である少女が待っていたのだけど―――。

 

「この娘が噂のネギ君の恋人のガールフレンドぉ? やーん! ホントお人形さんや妖精さんみたいに綺麗でかわええな~♪」

 

 挨拶をする間も無く。

 突然、開口一番にルームメイトの少女―――つまりコノカが、瞳を爛々と輝かせてこのような言葉を発しながら私に抱き付き。さらに、

 

「ウチらの知らん内に、こんな美人な子と仲良くしとるなんて、ネギ君もなかなか隅に置けんなぁ」

 

 こう続けて私とネギの顔を真っ赤にさせた。

 ネギはコノカの冗談めかした言葉に。私はコノカの柔らかい女の子の感触にである。

 

 いえ、これでも私は元成人男性であった訳でして、幾ら中学生とはいえ、このように女子―――それも美少女に抱き付かれては……その…色々と大変なのですよ?

 ましてや胸だとか、頬とか、顔に押し付けてきたり、スリスリされたりするのは…良い匂いが…って違くて…嬉しいような気が…ってそれも違……けど、その…ね。

 

 抱き付かれ、このように困惑しつつヒートする自分の思考を押しのけ、コノカの冗談めかした言葉へのネギの抗議をBGMに私は何とか彼女を引き剥がすと。

 未練がましく残念がるコノカを宥め、何とかお互いに自己紹介を済ませ。私達は東京へと向かう電車に乗り込んだのだった。

 

 

 ―――にしてもガールフレンドはともかく、ネギの恋人とはね。

 

「なな、コレなんか、どやろ?」

「あーーー! いいですねー。可愛いと思いますよ」

「私は本人を直接知らないから、なんとも言えないわ。…でも良いんじゃない?」

 

 ネギとコノカ。2人と共に原宿に立ち並ぶ様々な店を巡り、歓談しながらも先の事を思う。

 麻帆良を訪れてから四日。僅かな期間ながらどうにも私に対して妙な噂が広がっているっぽい。

 東京行きの電車の中でその事を尋ねると、

 

 ―――コノカ曰く「クラスの皆して、言うとるよ」とのこと。

 

 しつこいようですけど私は元成人男性な訳で、流石に少年を愛でるような趣味は持ち合わせていない。

 しかし、コノカをはじめ周囲は当然それを知る由も無く。このような―――自分で言うのもなんだけど―――目を惹く希有な容貌の美少女が同年代の…しかも学園でも有名な“子供先生”と仲の良い姿を見せていれば、何かしら噂の一つや二つ吹聴するのは、仕方の無い成り行きなのかも知れない。

 

 とはいえ、喜ばしい事ではないのは確かよねぇ。

 ……果たして噂の範囲はどれ位なのだろうか? ネギのクラス3-Aの中だけ? それとも女子中等部―――もしくは学園全体までに及んでいるのかしら? いえ、3-Aに広まっているという事は既にそうなっていると考えるべきなのかも。

 あのクラスには、人間拡声器やらパパラッチ娘やらと噂の拡大に関しては事を欠かない人物が多いんだし。

 …まあ、3-Aに広がっているだけでも十分厄介……というかドタバタとした珍妙な事態に陥るのは確実なんだろうけど。

 例えば、図書館島探検部の3人娘だとか、びっくりリボン使いの女子体操部員とか、ショタ趣味の委員長だとかが主に絡んで……って、あれ? 確か修学旅行前の話って―――

 

「―――ん……?」

「どうしたん、ネギ君?」

 

 歩きながらの談笑の最中、突然ネギが後ろを振り向いた為、会話が途切れて私の思考も中断された。

 

「あ、いえ、何か変な気配があったもので……でも気の所為―――」

「―――気の所為じゃないわよ」

 

 何でもありません、というようにコノカに返事をするネギを制して、私は彼の振り返った方へ視線を転じながら言う。

 それに「え?」とネギも再び振り返る。

 すると視線先―――路傍に在る物影から「やばっ!」「気付かれた!?」「に、逃げよっ」と、微かに複数の女性の声が聞こえた。

 そして、声の主達はタッと駆け出そうとするような足音を立てる。けど―――

 

「別に逃げる必要は無いんじゃないかしら?」

 

 ―――遅く。“強化”した脚で私は素早く彼女達の先を回り込んだ。

 

「わあ!?」「んなっ!?」「い、いつの間にぃ!?」

 

 逃げ出そうと振り返った先へ突然現れた私に、物陰に潜んでいた彼女達―――ネギの生徒である釘宮 円。柿崎 美砂。椎名 桜子は三者三様の驚きを見せた。

 そして、そんな3人の背の向こうで、

 

「へ? あれー、くぎみー?…それに」

「柿崎さんと椎名さん?」

 

 ネギとコノカも意外な尾行者の存在にそれぞれ困惑した表情を見せていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 丁度お昼に差し掛かった頃合いであった為、私達は立ち話もなんだと思い。遭遇した3人を連れて近くの飲食店へと足を運んだ。

 

「やっぱり、ネギの生徒だったのね。……私はイリヤ、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。ネギの()()よ」

 

 店員に席へと案内されて注文を済ませた後。テーブルの向かいに座る3人の紹介をネギから受けた私は、初めて彼女達の事を知ったかのように装いながら敢えて()()と強調して自己紹介し、呆れたように半眼の視線をチアリーダー3人組へ向けた。

 

「…あははっ、どうも」

「よ、よろしくね、イリヤちゃん」

「…同じく、よ、よろしくねー」

 

 私の視線の意味を察したのか、“尾行者”の3人は焦ったように引き攣った笑みを浮かべた。

 そんな3人組の不審さを気にせず、或いは気付かないのか? ネギが普段通りの様子で3人に尋ねる。

 

「それで皆さんは、修学旅行の準備で東京に?」

「えっ? あー、そうね…そうよ」

「ネ、ネギ君たちもそうなの?」

 

 マドカが動揺した様子で焦ったように頭を掻きながらネギに答え。サクラコが誤魔化すように尋ね返した。

 

「いえ、僕たちはその…えっと…」

 

 今度はネギが途惑って口篭り、コノカの方へチラッと視線を向ける。

 どうやら話して良いか迷い、コノカへ伺いを立てているらしい。そんな困った感じのネギを察してコノカは頷く。

 

「別にええんやない? 今日一日、内緒にして貰えばええだけやし。―――って、ゆーか…」

 

 そう朗らかにネギに応じるも、途中で首を傾げて不思議そうな顔をマドカたち3人へ向ける。

 

「それが気になっとたん? なら別にウチらに隠れて覗いとらんで、直接聞きに来たらええのに?」

「「「「う…!?」」」

 

 コノカは先の事を疑問に感じていたのか、そのように問い。問われた3人は申し合わせたかのように揃ってビクリと…或いはギクリと身体を震わせた。

 

「い、いやー、それは…なんというか…」

 

 マドカは何とか答えようと言葉を紡ぎ出そうとしているが中々出せず、より焦って再び頭を掻く仕草を取り。

 その隣席では、此方に聞こえないようにミサとサクラコがヒソヒソと話し込んでいるのが窺える。

 

(ど、どうしよう)

(ま、まさか二股デートか! とか思い込んで()けていたなんて言えないし)

(冷静に考えれば、ありえないっていうのは判っていたんだけどねぇ)

(うう…ノリに任せて面白半分でやったのが悪かったか)

(そ、それに、なんかあの子…イリヤちゃんにはバレてるみたいな感じだし…)

 

 イリヤイヤーは地獄の耳~♪

 というのは冗談だけど、ヒソヒソ話をする2人と同じ壁側に席に座ったお蔭か、反響の関係でボソボソとした感じでミサとサクラコの会話内容が私の耳に届いていたりする。

 当然、彼女たちはそのような事を知る由は無く。しかし幸いなのは聞こえているのが私だけらしく、隣に座るネギとコノカの2人はマドカ達3人の様子を不思議そうに見ているだけだ。

 

 内心で溜息を付き、手元のドリンクをストローで飲み干しながら思う。

 まさかとは思ったけど、二股デートとはね。

 私もさっき似たような発想をしていたけど、先の噂の話といい、実際に他人……いや、学園の人間。それも3-Aの生徒からそんなふうに見られるとちょっとゾッとしなくもない。

 ―――けど、この3人をあの場で抑えられたのは幸運だったかも。

 記憶によれば確かネギが尾行を勘ぐったあの時点では、アスナへ一度目の電話を入れたばかりでまだあの“いいんちょ”に今日のこと(デート疑惑)を知られていない筈。

 もし、あのまま“いいんちょ”が3人組の言う二股デートなどという話を知ったら―――しかもコノカの言う噂を聞き及んで、その当事者である私がネギと一緒に出掛けているなどと耳にすれば……例えデートが誤解であっても絶対なにか一悶着が起きた筈。

 うん、先延ばし感が在るような気がしないでもないけど、妙な噂が広がっている間は出来る限り顔を合わせるのを避けるべきね。

 明後日には修学旅行という学園からの不在期間も在るし、旨くすればその間に噂やらも払拭されるかも知れないし。

 

 それにこのまま無事平穏に今日を乗り切るのは、原作と異なるけどネギの本来の目論見通り―――アスナの誕生日を当日に祝うことへ繋がる訳だし、悪い事ではないわよね。

 そんなことを思いながら、やや薄っすらと額に汗を浮かべるマドカを見て、いい加減に哀れに思えてきたので助け舟を出す事にする。

 

「まあ、いいんじゃない。それより私達が原宿(ここ)を訪れたのはプレゼントを買いに…という事らしいわ」

「ぷ、プレゼントって?」

 

 一見何気無いように言うサクラコ。けど、彼女にも額に薄い汗が見えたり、どもったりしている様を見ると、内心では藁を掴む思いで疑問を返しているのかも知れない。

 

「なんでも、ネギとコノカのルームメイト―――ああ、貴方達のクラスメイトでもあるのよね。そのカグラザカ アスナって人が明日、誕生日なんだそうよ」

「あー、そういえば!」

「それで一日、内緒にして欲しい…ってワケね」

 

 私の答えにサクラコはポンと手の平を打ち、ミサは自分達の追及が逸れた事への安堵か、それとも得心したからか笑みを見せて返事をする。

 それに「ええ、そうなんです」「そうなんよ~」とネギとコノカがそろって頷いた。

 そんなやり取りの隅で、ホッと安堵の溜息を吐いていたマドカが仲の良い友人2人に視線を向けて口を開く。

 

「それなら私達もソレに付き合わない?」

「いいわよ。ちょうど私もそう思ったところ」

「うん、私もいいよー」

 

 マドカの提案に同意するミサ、サクラコ。

 

「え…いいんですか?」

「いいわよ。修学旅行準備のついで…というのもアレだけど、クラスメイトのよしみ…私達も友達だしね」

 

 途惑う尋ねるネギに笑顔で答えるマドカ。ミサとサクラコもうんうんと頷く。

 こうして私達の買い物にチアリーダー3人組も加わる事と為った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「御利用、ありがとうございました。またの御来店をお待ちしておりま~す♪」

 

 食事を終え、女性店員―――ウェイトレスの挨拶を背に私達は店を後にする。

 そして店巡りを再開しようとした矢先、コノカのバックから携帯電話の着信音が鳴り響いた。

 

「あ、いいんちょからや」

 

 ―――え、なんで?

 手に取った携帯のディスプレイを見て発したコノカの言葉に思わず身体が硬直してしまう。 

 そんな私の様子にコノカは気付く事無く、着信ボタンを押して携帯を耳に当てる。

 

「もしもし、いいんちょ……え? 今、原宿やけど……うん、そやけど、……今から? ほんなら、待ちあ……って、切れてもーた」

 

 相手の声は聞こえなかったけれど、どうやら相手はあの“いいんちょ”に間違いないらしい。

 

「ど、どうしたのコノカ?」

 

 嫌な予感をしながらも私は尋ねる。

 それに切れた筈の携帯をまだ何か操作しながらコノカは答える。

 

「うん、いいんちょ―――ゆうてもイリヤちゃんには分からんよね。えっと…雪広 あやかっていう、ウチらのクラスの委員長さんで、ウチと明日菜の昔っからの友達なんやけど。その人が今からコッチ来るって」

 

 嫌な予感大当たり!

 これは歴史の修正力というヤツなのでしょうか? それとも運命…!?

 

「あ、もしかして、いいんちょさんも明日菜さんのプレゼントを買いに…」

「うん、そやなー、なんだかんだ言って、いいんちょも明日菜のこと大好きやしなー」

 

 内心で戦慄する私を余所に、暢気にそんな会話するネギとコノカ。

 そうだといいんだけど……でも絶対違うと思う。

 

「でも、途中で電話が切れてしもーた。合流場所もまだ決めてへんかったのに…」

「言い忘れたのでしょうか?」

「…そーおもて掛け直し取るんやけど、繋がらへんのや」

「なにそれ…?」

 

 携帯を耳に当てながら答えるコノカにミサが疑問の声を上げ、コノカが携帯を切るのを見ると自らも掛ける。

 

「……何でか、電源を切ってるみたいね」

「気付けば、向こうから掛けて来るんじゃない?」

 

 先のコノカと同様、耳に携帯を当てて答えるミサにマドカが言う。

 それに「そうですね」「そやね」とネギとコノカをはじめ皆が同意する。

 私としては、出来れば気付かずに延々と原宿を彷徨っていて欲しいんですけど……まあ、この分だと無理な願いよねぇ。

 

 その後、些か不安を抱く私の思いを別にし、原宿巡りと買い物は順調に進み。

 ネギとコノカはアスナのプレゼントとして、原作のオルゴールの他にペアの服を買い。

 3人組も―――

 ミサは「明日菜、こういうの疎そうだからね」と流行のお勧め化粧品を。

 サクラコは「プレゼントっていうのは、自分が贈られたら嬉しいものって言うしー」と可愛い猫の写真集(中古プレミア?)を。

 マドカは「アスナの趣味に合うか分からないけど、桜子と同じ意見かな…」と洋楽のCDをそれぞれ購入し、当初の目的―――修学旅行への買い物を行い。私達もそれに付き合った。

 またその最中に、お約束として男子禁制(精神的に)の領域にネギが強引に連れ込まれたり、私と共に着せ替え人形の如く様々な衣服を試着させられたり、何故か? それらの店の売り上げに貢献してしまったりしたけど……まあ、楽しく過ごせたと思う。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 買い物を終え、陽の傾きが大きくなった頃。

 朝から変わらず朗らかな笑みを浮かべているコノカと、「よし、このままカラオケにでも行こうかー」と未だテンションの高いミサ達の中……。

 

「ふう…」

 

 と、私の隣を歩くネギが独り気だるそうにして大きな溜息を吐いた。

 気付いた私は少し体を前屈みに傾けて、彼の顔を下から臨み込むようにして訊ねる。

 

「ネギ、疲れたの?」

「あっ…いや、そんなこと無いよイリヤ」

 

 女の子(一応外見は)の私に疲れたと思われたのが恥ずかしかったのか? それとも心配されたのが照れくさかったのか? 少し頬を赤らめて「ほら」と、腕を掲げてグッと拳を握る動作で元気だとアピールして強がるネギ。

 そんな歳相応に“男の子”を見せようとするネギを微笑ましく感じ、思わずクスッと頬が緩む。

 

「あ、何笑っているのさ」

 

 今度はムスッとし、ネギは顔を顰める。

 そんな彼に益々微笑ましさが増す。けど、ここはネギの“男の子”としてのプライドを尊重して立てることにする。

 

「ううん、別に、…私はもう足が棒みたいで、すっかりくたびれているのに。さすが男の子だなぁ、と思ってね」

「そ、そうかな。うん、イリヤは女の子だもんね…大丈夫なの?」

「そうね、少し休みたいわね」

 

 私の煽てにまた頬を赤らめて照れたように応じるも、心配そうに私を窺うネギ。

 それに私は正直に答えた。この身体(イリヤ)に成ってからこれほど歩いたのは初めてなのだ。「棒のみたいに~」というのも本当でもう足の裏だとか、脹脛だとかが、今結構痛かったりする。

 どうやら、イリヤスフィール(この身体)は余り運動に向いていないらしい。

 

「ほんなら、ちょっと静かなところ探して休んでこか、…円たちも、ええ?」

 

 そんな私達の様子に気付き、見ていたコノカが提案して三人組に伺う。

 

「うん、いいよ」

「イリヤちゃん、大丈夫ー?」

 

 3人を代表して同意するマドカと私を気遣うサクラコ。

 

「じゃあ、私、何か飲み物買ってくるよ」 

 

 そして自販機を探しにいくミサ。

 

「美砂、私も付き合う。この人数分は一人じゃ持っていくの大変だから」 

 

 するとマドカもミサに続き、その後を追った。

 

 

 

 そうして人気の無い広場に着き、短い階段をちょっとした椅子代わりにして私達は座り込んだ。

 

「――ふう」

 

 先程のネギのように思わず息が漏れ、自身の疲労の具合を自覚してしまう。

 少し訂正―――運動に向いてない…というよりも、すっかり子供の体力みたいね。これは…。しっかりと魔力で水増しして置くんだった。

 そう思いつつミサには悪いけど、折角買って来てくれた飲み物に手を付けず。私は痛む足首や脹脛を揉み解すことに専念する。

 

「イリヤ、大丈夫?」

 

 そんな私の様子を見て気遣うネギだけど、その彼もまた身体の上半身がフラフラしている。

 

「そういうネギ君こそ、大丈夫なのー?」

「ふふっ、フラフラしとるえ、ネギ君」

 

 とりあえず、気遣ってくるネギに頷くと私が言うよりも早く、サクラコとコノカがフラフラと疲労を隠せないネギを微笑ましそうに気遣い指摘した。

 ネギは「あ…」と少し慌てた様子で背筋を伸ばし、周囲へ視線を泳がせて誤魔化すようにして言う。

 

「いや――その…でも、今日は東京も見れたし、楽しかったです」

 

 しかしそれは強がりだったのか、程無くしてネギは座ったままコクリコクリと舟を漕ぎながら眠り始めた。

 

「あははー、歩き疲れて寝ちゃうなんて」

「やっぱり、子供だね」

 

 そのネギの様子にクスッと頬を緩ませるサクラコとマドカ。私も疲労を忘れて頬が緩む―――途端、グラリ…と私の膝の上に影が被さった。

 ……と同時に重みも感じる。

 

「へ?」

 

 思わず間の抜けた声を零して視線を落とすと。

 私の膝の上に今ほどまで隣にあった筈のネギの顔が在る。

 

「ちょっ――!?」

「ああーー! 膝枕ーー!!」

 

 私が驚きの声を上げ切る前に、サクラコが大声で叫ぶ。

 

(しーっ)

 

 それを咎めるようにコノカが口元に人差し指を当てて、静かにというジェスチャーをする。

 慌てて両手で塞いで口を噤むサクラコ。

 それが功をそうしたという訳ではないと思うけど、変わらず私の膝の上でスヤスヤと寝息を立てるネギ。

 ―――そして、硬直したように動けずにいる私。

 

 ……えっと…どうしよう? 何この展開…?

 コレってコノカの役目だったわよね。

 確かにネギの隣に私は座っている―――というかネギが私の隣に座ったんだけど…けど、もう片側にはコノカも座っているのに……何これは?

 思わぬ展開に対応できず半ば呆然としてしまう。

 

「夕暮れ時、静かな公園で憩いの一時を過ごす美少女と美少年かぁ……いやー、なかなか絵になる光景ね。これは」

 

 イッ?

 ナニイッテルンデスカ? コノヒトハ…。

 私はギギッと錆びた機械の如く、不穏な言葉を発した主であるミサの方に首を振り向ける。

 彼女の顔はイヤラシイまでにニヤニヤと唇が歪んでいる。いかにも碌でもない事を考えてます、という表情。

 

「ねえ、イリヤちゃん。“友達”っていうけど、実際ホントの所どうなのよ? 新学期…ネギ君が正式に先生として働き始めた翌週には、麻帆良のトップである学園長から直々学園に招かれたってゆうし、何か関係があるんじゃない?」

 

 オーケー…予想通りだけど、予想外な質問ね。なんか恋人っていう話を飛び越してない?

 さて、こんな弛んだネジなぶっ飛んだ思考をするイマドキ娘のネジを締め直すには、どんな言葉を返してやるべきかしら?

 

「そういえば、ネギ君には“実は王子様でパートナーを探しに来た”っていう噂も在ったよね。…って、それじゃあ! イリヤちゃんはもしかしてお姫様とか!?」

 

 サクラコ…お前もか!

 というかコノカも興味津々っていう瞳で私の方を見ているし……今またサクラコの声、結構大きかったわよ。注意しなくて良いの?

 …はあ、まったく本当に何でこんな展開になってるんだか。

 

「ネギとの噂の事はコノカから聞いているけど、それは完璧に誤解よ。ミサとサクラコも可笑しな憶測をしないで」

「え~~、でも…ねぇ」

「うん」

「ネギ君とイリヤちゃん。2人ともお似合いやと思うけどな~」

 

 ―――くっ…!

 否定するもミサが煽るような口調と視線を皆に向け。見事にそれに同調するサクラコとコノカ。

 不味いわね。このまま放って置くと噂が妙な方向に拡大しかねない。どうしたものかしら? ムキになって否定するのも逆効果になるだろうし…ここは―――

 

「はあ……まあ、貴方達がどう思おうと自由だけど、とにかく余り変に吹聴しないでよね。ネギにしろ、私にしろ、妙な噂を流されると迷惑なんだから」

 

 とりあえずこうして過剰に反応せず、冷静に釘を打って置くしかないかな。……効果は余り期待できないけど。

 しかし、ミサは私のそんな反応が面白くないからか、しつこく喰い付いて来る。

 

「む、…じゃあ、そうしてネギ君を膝枕している感触はどう? こうなにか胸にグッと――」

「―――はいそこまで。……美砂、いい加減にしなよ。静かにしてないとネギ君が起きるよ」

 

 言葉通りいい加減見兼ねたのだろう。マドカが少し語気を強めてミサを嗜める。

 そんなマドカに気圧されたのか? それともミサ自身も調子に乗っていたことを自覚したのか? 「う…ゴメン」と素直に謝る。

 

 …やれやれ、マドカには感謝ね。

 

 そう思い視線をマドカに向けると彼女と視線が合い、アイコンタクトというべきか、その意味を察した様子で「気にしないで」という感じで苦笑した目線を返してきた。

 それに―――成程、苦労しているのね。

 と、恐らく3人の中ではストッパー役であろうマドカに同情めいた感慨を懐くのだった。

 

 

 

 眠ってしまったネギの為か、沈黙が私達の間に漂い。夕暮れ近い赤みを帯びつつある日差しの中、小鳥のさえずりだけが耳に入る。

 ネギはすっかり寝入り、私の膝の上でスヤスヤと健やかな寝息を立てて子供らしい無垢な寝顔を見せている。

 そんな無防備な姿は、まるで親猫に寄り添って眠る子猫を連想させる……だからか、無断で私の足を膝枕にして一寸した迷惑を起こした事も不快とは思えず、責める気もすっかり失せてしまった。

 そんな無垢なネギの寝顔に心の機微を覚えたのは私だけではなかったらしく、コノカが沈黙を破って口を開いた。

 

「ふふっ…新学期から少しは凛々しゅうなった思うてたけど。寝顔はやっぱ子供やな、ネギ君」

 

 そう微笑ましそうに独り語る。

 

「凛々しい…か、ネギは教職をしっかりこなせているのね」

 

 コノカに続いて私も口を開いた。

 原作では余り授業や仕事の様子など描かれていなかったので、どのようにネギが教職を行なっているのか今一イメージできない。

 この世界でも学園で私と話す時は、すっかり歳相応の少年に成っているのもその要因だ。

 そんな私の疑問に答えるかのようにコノカ、マドカ、ミサ、サクラコはそれぞれに言う。

 

「うん、がんばっとるよぉ」

「授業も分かりやすいしね」

「そうそう、十歳とは思えないわよね」

「それに、二年の最後の期末は学年トップだったしねー」

 

 絵空事(マンガ)ではなく、事実(げんじつ)として聞く3人の言葉に私は何ともいえない実感を覚える。

 それは、この四日間で幾度も懐いた感覚。

 絵空事(マンガ)現実(リアル)とのギャップ―――そう“此処”が確かな現実で、彼らの“生きている世界”であるという事への戸惑い。

 これまで“原作”という言葉を用いた表現―――そして恐らくこれからも用いるだろうけど―――しかし、“此処”は決して……誰かに描かれた物語の中では無い。

 だから―――

 

「そう、偉いのねネギは…」

 

 気付けば、眠るネギの顔を見、呟いて無意識に彼の頭を撫でていた。その手に柔らかな髪の感触を覚え、今更ながら自分の膝に彼の体温を感じていることを事実に気付く。

 なんだかね、と。

 漫然と自分に呆れた。

 ただ、正直このとき。私はどんな気持ちを懐いていたのか……明確には理解していなかった。まあ、だからこそ無意識での行動であり、呟きだったのだろう。

 

 

 私の呟きに三人組が頷いている気配を感じ、コノカも私の隣で頷いてネギの頬に手を伸ばす。

 

「そやね。…だから、そんな頑張っとるのに今日はちょっと無理をさせてもーたかな?」

 

 私がその言葉を聞き―――あ…不味い、と原作でのことを思い出した時にはもう遅かった。

 

「疲れよ、飛んでけー」

 

 止める間も無く、既にコノカは人差し指を立てて手を振っており、「なんてな」などと言いながらも半ば本気であったのだろう。

 茶目っ気の積もりで行なった行為であろうと、身に秘めた魔法資質がその“意”を汲み取り、僅かに一瞬、振るった指先に柔らかい光が灯る。

 

 原作と同様の展開なんだろうけど、悪い事にコソコソと遠巻きに見ていたのと違い、3人組はそれを間近で見ている。

 実際、3人の方を見ると一様にギョッとした顔をしている。

 しかしまだ誤魔化し様が無い訳ではない。

 

「ねえ…今――」

「見つけましたわーーー!!」

 

 マドカが口を開き、私は予想される言葉への返事を思い浮かべた時―――マドカの声を遮って遠くから大きな声が響いた。

 その声は明らかに此方を指向しており、視線を転じると西日の差す方角から2人の人影が走って近付いて来るのが見えた。

 

 …………それが誰か判り、頭痛を覚える。

 ―――そうだった。すっかり忘れてた…というか油断していたわ。

 

「いいんちょ?」

「あ、ホントだ」

 

 マドカとミサが言う。

 そう一人はあの“いいんちょ”ことアヤカ。で、もう一人は……。

 

「明日菜もいるよ」

「え…何で?」

 

 サクラコの出した名前にマドカから疑問気な声が零れた。

 ホントなんでだろう。やっぱり修正力かしら?

 

「……もしかして、バレたんやろか?」

 

 コノカは何か危惧しているけど、多分違うわよ。声に出して言わないがそう確信する。

 そうしている間にも徐々に二つの人影との距離は縮まって行き―――

 

「木乃香さ――ッ…ぶっ!!」

 

 人影の片方―――金髪の女性が私の方を見た途端、いきなり噴き出した。

 見様によっては私に失礼な態度ともいえないけど…これは私の方が迂闊よね。さっさとネギを起こすべきだったわ。

 

「あ、あああなた…」

 

 ぷるぷると全身を振るわせ、私を指差す金髪の女性―――アヤカ。

 

「―――…一体、何処の誰ですの! ネギ先生を膝枕など……など…わた、私がしたいですわ!!」

 

 と、悲鳴か怒号の如く大声で叫ぶ―――というよりも魂の嗚咽ね、これは。

 ボンヤリとそう他人事のように思う……要するに現実逃避である。

 

「いいんちょ、落ち着きなさいって」

 

 今にでも飛び掛って来そうなアヤカを宥めるツインな頭の女性……まあ、アスナなんだけど、朝にコノカから写真を見せて貰ってるし、学園でもチラホラと見掛けているからある意味初見ではないし。

 そこにコノカが割って入り、少し不安げな表情でアスナに尋ねる。

 

「アスナ、どうして此処に来たん?」

「え? それはいいんちょに無理矢理―――」

「ん―――……」

 

 コノカがアスナに尋ねる最中、騒がしくした為か、私の膝の上でネギが身動いで瞳を薄っすらと開ける。

 その薄っすらとした視線と眼が合い、何気無く私は口を開く。

 

「おはよ、ネギ」

「あ、お…はよう、イリ―――ヤ!?」

 

 寝惚け眼でネギは挨拶に応じるも、直ぐにハッとし私の膝から身を起こす。

 

「ご、ゴメン、イリヤ」

 

 顔を赤くして膝枕の事を謝っているらしいネギ。

 まあ、それはさっきも思ったけど、もうそれ程謝る事ではないんだけど…それより―――

 

「ネギ先生から離れなさ~い!」

「え!? いいんちょさ―――わ…うぷ!?」

 

 アヤカがこの場に居る事に驚くと同時に、ガバッとネギがその“いいんちょさん”に腕から引き込まれ、彼女の胸の中に顔を埋める。

 ―――それより、もっと周りに気を配ったほうが…と言いたかったんだけど、遅かったわね。

 というか、私の膝の上から今度はアヤカの胸の中とは……やっぱり、そういう星の下に生まれたと言う事かしら? 男性なら羨ましい限りの状態だけど当人は苦しいのか逃れようともがいている。

 

「ちょ…どうして、いいんちょさんが?…って、明日菜さんまで!?」

 

 もがきながらネギはアヤカに問い掛けるが…途中、視界にアスナの姿を収めたらしく彼女の名前が出てくる。

 

「どうしたも、こうしたもありません! 明日菜さん達から木乃香さんと出掛けたと聞いて―――先生と生徒が……2人っきり…で、デートなんて! 例え神と学園長が許したとしても! 3-Aクラス委員長であるこの私は許しません!!」

「え~~~!!?」

 

 ガーーと勢い良く捲し立てるアヤカに盛大に驚くネギ。

 対して私は冷静にこの状況へ至った理由にある種の納得…というか、推測が出来た。

 

 元々アスナは今日、ネギとコノカが出掛ける事自体は知っていた訳で……恐らく単純にそれを第三者に話したのだろう。

 そう、ネギとアスナとコノカはルームメイトであり、3人でセットのようなもの。

 それが休日に一緒に居る姿を見かけなければ、多分誰かしら「今日一人なの?」「あれ…木乃香は?」「ネギ君は一緒じゃないの?」とそんな感じで尋ねる事は容易に想像できる。

 そしてアスナがそれに答え、そこに運悪くアヤカが居合わせた、といった所だろう。

 「明日菜さん“達”から~」という言葉からも確実にそうね……多分に誤解を含んでそうだけど。

 ―――となると第三者はアサクラかハルナ辺りかしら?

 そんな事を考えていると、アヤカの勘違いを解く為にネギは弁明する。しかし咄嗟である為に余計な事を口に仕掛け、

 

「で、デートだなんて、そんな…ご、誤解ですよ~! 今日、僕達は明日菜さんの―――もがっ」

「―――ばっ…バカ! 何口走っているのよ!」

「な!?」

 

 あ…迂闊。

 折角のプレゼント計画を自分でバラそうとするネギに思わず慌ててその口を塞いだ…けど。

 途端、その勢いでネギの身体がアヤカから離れ……彼女の顔が般若に染まった。

 ―――本当に迂闊…今の行動って、アヤカが胸に抱くネギを私が取り上げたようにも見えるわよねぇ…。

 

「―――貴方…本当にどなたですの? わたくしからネギ先生を引き剥がし、あまつさえ抱擁を交わすなんて…」

 

 怒りの表情で私を睨み、ジリジリと間合いを計るようにして躙り寄ってくるアヤカ。

 いやいやいや…抱擁なんて交わしてないから! どんな目をしてるのよこの人…!?

 冷や汗を流しながらジリジリと迫る彼女に合わせて私もジリジリと後退する。

 

「ネギ先生を放しな―――」

「―――だから落ち着きなさいって!」

 

 ダッと足を力強く踏み、飛び掛ろうとしたアヤカをアスナが羽交い絞める。

 それにバタバタと手足を振って抵抗するアヤカ。

 

「は、放しなさい明日菜さん!」

「うるさいっ!…っ、アンタも何時までネギを抱え―――口を塞いでんのよ! 鼻まで塞がって、窒息するわよ!」

 

 あ…。

 指摘され、慌ててネギを解放する。

 

「ぶはっ!…し、死ぬかと思った…」

「ご、ゴメン」

 

 ぜーぜーと膝を突いて呼吸を整えるネギに反射的に謝る。

 そんな私達を尻目にアヤカを抑えるアスナに再びコノカが尋ねる。

 

「そ、それで、明日菜…何でここにおるん」

「あー、だから、いいんちょに無理矢理連れて来られたんだって―――」

「―――明日菜さん! いい加減に放しなさいっ!」

 

 コノカに応じようとするアスナの腕の中でアヤカが叫び、拘束を抜けようと抵抗を強める。その瞬間、アスナも眉と目を釣り上げて叫ぶ。

 

「…このっ! アンタこそいい加減に落ち着けぇーーっ!!」

 

 ゴッ!! と硬い物がぶつかり合う小気味良い鈍い音が周囲に響いた。

 一向に落ち着きを見せず、抵抗を強くする一方のアヤカを煩わしくなったアスナが羽交い絞めた状態のまま、彼女の後頭部に目掛けてヘッドバット―――頭突きを咬ましたのだ。

 余程の威力だったのか? 悲鳴を上げる間も無くアヤカは無言で崩れ落ちた。

 うわぁ…死んだんじゃない? そう一瞬思ったけど、ピクピクと打ち上げられた魚のように痙攣しているのでどうやら生きているらしい。

 いや…これはこれで非常に危ない状態に見えるけど。

 

「―――なんか、朝倉と木乃香達が出掛けた事を話してたら、そこにいいんちょが通り掛って話に加わったんだけどね……まあ、なんていうか。いいんちょがさっき言ってた通り、勘違いしてさー」

 

 ふう…と溜息を付き、アスナは昏倒し痙攣するアヤカを放置してコノカに向き合い話し始めた。

 ……結構良い根性してるわねアスナ。それとも“慣れ”なのかしら? まあ、助かったけど。

 アヤカにしても、ネギが「あわわ、大丈夫ですか! いいんちょさん!」と介抱しているし、役得だから悪い事じゃない…かな?

 

 

 

 ◇

 

 

 

 で、アスナのコノカに話す内容を聞くと、ほぼ私の予想通りだった。

 

(アスナにバレたわけじゃないのね)

(話を聞く限り、そうみたい)

(よかったね~、ネギ君)

(はい!)

 

 アヤカを介抱しつつ、ネギがマドカたちとヒソヒソと話す。

 

(アサクラって言う人が原因みたいね)

 

 私も話の輪に加わる。

 

(う~ん、朝倉か)

(分かるわねぇ)

(あはは、朝倉、パパラッチ娘だからねー)

(ぱ、パパラッチですか)

 

 マドカ、ミサ、サクラコの順で3人が苦笑し、ネギがむうと唸る。

 どうもその娘も原作同様の子らしい。在ること無いこと…いえ、この場合は無いことばかりをアヤカに吹き込んだというべきね。

 

(傍迷惑な話ね…もしかして、私とネギの妙な噂の出所もその人なのかしら?)

(確かにありえそうだけど…どうかな?)

(私は確か…鳴滝姉妹から聞いたけど)

(私は美砂からだから、円もそうなんじゃない?)

 

 何気無く、それでも一応少し探る積もりで聞いたけど、これでやはり少なくともクラス全体には広がっているらしい事が窺えた。

 そうなると…

 

(そこでノビてるアヤカって人も知ってる訳よね。なんだか、ネギに対して物凄い反応を示してたけど)

(あはは…いいんちょ、ショタコンだから)

(なるほど、そういう特殊な趣味の持ち主なのね)

 

 知ってはいたけど、答えてくれたサクラコに一応頷いておく。

 

「ところで、柿崎達が居るのも意外だったけど…その外国の子は誰なの?」

 

 コノカと一通り話し終えたらしく、アスナはそう言いながら私に視線を向けた。

 「あー、この子はな――」と答えようとするコノカを制し、一度お辞儀をして私は社交的な笑みを浮かべて自己紹介する。

 

「初めまして、私はイリヤスフィール・フォン・アイツベルンと申します。貴女の親友であるコノカさんの祖父、学園長で在らせられる近衛 近右衛門様の御好意で麻帆良学園に招かれた客分です」

「え…えっと、あの、どうも、ご丁寧に…私は神楽坂 明日菜……です」

 

 外見上、子供な私の丁寧な挨拶に虚を突かれたらしく、面食らったようだけどアスナは戸惑いながらも何とか挨拶を返した。

 

「ええ、スプリングフィールド教諭から貴女の事はとても優しい方だと、よくお話を伺っております。これから宜しくお願いしますねアスナさん」

「へ? そんな優しい……じゃなくて、その…い、いえ、こちらこそ宜しくお願いしますイリヤスフィールさん」

「貴女の方が年上なのですから、そんな畏まらず…名前も気軽にイリヤと呼んで下さい」

 

 優しいと言われたのが効いたのか、顔を少し赤くにして受け答えるアスナに淑やかに宥めるように言葉を掛けた。

 そんなやり取りの後ろでミサが「私達の時とえらく対応違くない?」と、ぼやいていた。

 私は視線を転じ、

 

「あら、あの時は挙動不審な行動を取っていた貴女達に合わせただけよ。それとも今からでも―――このように貴女達とお話させて頂いた方が宜しいでしょうかミサさん?」

「ウッ…! ……なんか今、ゾクッと悪寒がしたから今までどおりでいい…っていうかお願い!」

 

 にっこりと天使の如く微笑む私にミサは顔を顰めてそう言う。

 む…これはこれで失礼ね。一応、コノカに自己紹介した時もこんな感じだったのだけど。…まあ、もう少し優しく微笑んではいた気はするけど。

 

「あー…私の方も出来たら、もう少し普通に話してくれた方が…じゃなくて…えっと、話してくれませんか。なんていうか…そのとても話し難いですから…」

 

 アスナもミサのように少し顔を顰めてそのように言う。コノカもそれに同意して頷く。

 

「そうやね、ネギ君も随分丁寧にしゃべるけど、イリヤちゃんの場合はなんか高貴ってゆうかー、気品が在るゆうかー…コッチが畏まってしまう感じがするしな」

「そう?」

 

 コノカの言いように首を傾げる。今一自分では分からない。

 確かに本来のこの身体の持ち主こと…イリヤスフィールは、お姫様と言っても良いほどの貴族だけど、私は本人ではないし、寧ろ私の方こそコノカの柔らかな物腰や言動に何処となく品の高さを覚える。

 ついでにいえば、アスナは気品云々以前にそれこそ本物のお姫様……まあ、こちらは記憶を失ってる訳だから、言うだけ意味は無いのかも知れないけど。

 

「わかりました。そう仰られるのであれば、アスナさんのお言葉に甘えさせて頂きます―――それじゃあ、改めて宜しく、アスナ」

 

 脇に逸れつつあった思考を戻し、私は改めて挨拶する。アスナもそれに応えて笑みを浮かべ、

 

「うん、よろしくイリヤちゃん」

 

 挨拶を返す。なかなか優しい声色だった。

 アスナは子供嫌いという話だった筈だけど…どうやら私の第一印象はそれ程悪いものではないようだ。

 

「ふふ…そういえば朝もウチとこないなやり取りをしとったな」

 

 朝の事を思い出したらしくそうクスクスと笑うコノカ。

 その後、私がその直前である初対面時のコノカの暴走めいた行動を若干揶揄を込めて口にした為、アスナとマドカ達の興味を惹き、詳しく話す事と成った。

 コノカには恥ずかしい思いをさせて悪かったけど、お蔭でネギの口走り掛けた事が話題に上がる事を避けられたように思えた。

 

 まあ……更にその後―――アヤカが目を覚まし、今日出掛けた事(デート疑惑)への追及やら噂に関する誤解とそれを解く説明。そして私に対する妙な対抗意識やら宣戦布告めいた宣誓やら…と。一悶着…いえ、三悶着ほどあったけど。

 ネギのプレゼント計画をアスナ本人には知られず―――アヤカには明かす事になったけど―――何とか無事にその日を乗り越えられた。

 

 ―――けど。

 

「―――明日は盛大に祝いましょう」

 

 というアヤカの言葉を切欠に、私は済し崩し的に翌日のアスナの誕生日祝いパーティに強制参加させられる事となった。

 

 ……どうやらこれからは平穏ながらも騒々しい日々を過ごす事に成りそうね。

 

 そう思わせる一日だった。

 

 

 



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幕間その1―――その日の爺と少女

 

 白い少女がフリルの付いたドレスのような白いワンピースに身を包み、居候先に背を向けて出掛けて行くのを近右衛門はリビングの窓から微笑ましそうに眺めていた。

 その彼の背中に声が掛かる。

 

「いいのか?」

 

 声はこの家の主であるエヴァンジェリンの物だった。

 

「構わんじゃろう。ま、そう心配する事はあるまい」

 

 問い掛けの意味を察して近右衛門は答えた。

 白い少女はつい先日、この麻帆良に張り巡らされていた幾重もの結界を抜けて侵入を果たした不審人物だった。

 記憶喪失ということもあり、一先ずこの麻帆良で保護してはいるが、何処かの敵対する勢力ないし組織の間者か、工作員である可能性は否定出来ず。加えて詳細こそ不明であるも危険な力を持つとされ、その力を狙う者も存在する可能性も憂慮される、要注意・要監視対象者である。

 にも拘らず、近右衛門は麻帆良郊外への外出を許可した。

 勿論、彼なりに理由はあるし、対策も打ってある。

 

「出掛け先には、木乃香も付いて行くようだしのう」

 

 この言葉にエヴァは言わんとする事を理解する。

 近衛 木乃香―――近右衛門の孫である彼女には影に護衛が付いている。

 エヴァの脳裏に一人のクラスメイトの顔が過ぎった。

 それに近右衛門の口ぶりから察するに、今回は“護衛の彼女”だけが付いている訳ではなさそうだった。大方、そのルームメイト辺りにも依頼しているのだろう。

 そのようにエヴァは考えた。

 色々と甘いとは思うが、エヴァの見立てでもあの居候は自分の立場を弁えている。監視が付くことぐらい理解しているだろうし、馬鹿な真似をする事はまず無いと考えられた。

 

(…まあ、どうでも良いがな)

 

 自分には余り関係無い些末事かと思考をそこで斬り捨てた。

 家や麻帆良に居る内ならば、エヴァは義理を果たす為に気に掛けて対処しただろうが、此度の事は近右衛門が許可したのだ。何かあったとしても責任は目の前のジジイに在る―――そういう事だった。

 それよりも、

 

「で、この前に続いて珍しく何の用だ。ただ無粋に飯を食いに来た訳じゃないんだろ?」

 

 エヴァが気に掛かるのは、前回同様ジジイが態々自分の家に訪れた事だ。

 近右衛門は「ふむ」と一つ頷くと、リビングの窓から離れてソファーに座ってからエヴァに答えた。

 

「大した事では無いんじゃが…そうじゃのう? 先ずはお主らが上手くやっておるのか見に来た…という所かの? 先程見た限り問題は無さそうじゃが…」

「ふん、子守らしく丁重に扱う、と言っただろう。問題なぞある筈が無い」

 

 エヴァは鼻を鳴らして小馬鹿にしたように応じるが、その眼には若干鋭さがあり、対面に座る近右衛門を強く睨んでいた。

 私が一度交わした約束を違えると思っているのか、と。その眼は語っている。

 

「そう怒るな、預けた身としては心配するのは当然じゃろう」

 

 エヴァの鋭い視線を受けて近右衛門はそう言いながら、やれやれと言わんばかりに嘆息する…が、次いで言葉を出す時には彼女同様、近右衛門の眼は鋭さを帯びており、真剣な表情でエヴァを見据えていた。

 

「お主に問題は無いのは判っておる。でなければ最初から頼まんよ。で―――」

 

 近右衛門は一度言葉を切って尋ねる。

 

「―――実際の所はどうなんじゃ? お主の見立てであ奴の方に問題は無いのか?」

 

 真剣な表情を作って自分を見る近右衛門を前にして、エヴァは逆に視線を逸らして上向かせ、ボンヤリと天井を見つめながら気の無い様子で応じた。

 

「……つまらん、と思うほど問題が無いな。麻帆良(ここ)への侵入者というから、多少緊張感がある生活が楽しめるかと期待したんだが…」

 

 そう言ってエヴァは、天井へ向けた視線を茶々丸の方へ送る。

 

「ハイ。現在の所、彼女の素行や言動にこれといった問題は見当たりません。夜間……主に就寝前に彼女の部屋から魔力反応が観測されますが、事前に鍛錬の為と申告されておりますし、恐らくその通り魔法の練習ないし実験を行っているものかと思われます。なお念話の類の魔法使用は無く。不審な電波の類も彼女からは感知されず。“外”への連絡や通信などは一切確認出来ませんでした」

 

 エヴァの命を受けて、麻帆良に現れた白い少女と最も行動を共にしている機械仕掛けの少女が主人の意を察して答えた。

 エヴァも続けて口を開く。

 

「ということだ。私も今の所、アレがどこぞの工作員だとは思えんな。勘を信じるならば…ジジイ、お前と同様だ。仮に何かあるとしても、アイツは麻帆良に害意を持っていないと私は見ている」

 

 2人の話を聞き、近右衛門は表情を和らげて「そうか」と軽く頷いた。何処となく納得したといった感じだ。

 しかし、エヴァはそんな近右衛門に眉を顰める。

 居候の件が聞きたいだけならこの家を態々訪問する必要はない。平日の放課後にでも呼び出して尋ねるだけで事は済む。

 それにだ。そもそもあの少女が現われ、預かってからまだほんの数日……一週間も経っていない。そんな短い時間で判断が付くことではない。

 だからエヴァは近右衛門に尋ねる。

 

「用件はそれだけか?」

 

 尋ねられた近右衛門は僅かに沈黙してから口を開いた。

 

「…………もう一つ。お前さんがタカミチに頼み、先日彼女を預かった時に渡された物の…事―――」

 

 突如、見えざる凄まじい圧迫感(プレッシャー)を全身に覚え、近右衛門は言葉を封じられた。

 

「―――お前には関係ない物だ」

 

 圧迫感は、近右衛門の対面に座るエヴァからは発せられていた。

 

「―――ッ!!」

 

 近右衛門は全身が総毛立ち、額から嫌な汗が流れるのを自覚する。

 目の前のエヴァが発する圧力は、物理的な域にまで達しかねない程の濃密な気迫だった。まるで熱を……いや、極寒に閉ざされたかの如く空気と部屋全体が凍て付き、軋んでいるようにさえ錯覚する。

 対して、その気迫を放つ本人は、表情も静かで先に放った言葉も同様に冷静だが、対応を誤ればまず間違いなく恫喝程度に止まっているこれは、氷刃のような冷たく鋭い殺意へと転化するだろう。

 近右衛門は久々に目の前に居る人物が、彼の“最強の魔法使い”にして600年の時を生きる最高位の魔物の一種である“真祖の吸血鬼”だという事実を実感した。

 例え封印され、全盛期とは程遠い最弱状態であろうと、この目の前の魔物は本気で殺すと誓えば、どのような手段を講じても必ずそれを果たすだろう。

 近右衛門はこの十数年の付き合いでそれをよく理解していた。

 

「……ま、まあ、落ち着け」

 

 それでも近右衛門はなんとか言葉を絞り出した。しかし目の前の濃密な冷たい圧力は減じない。

 

「私は落ち着いているが」

「そ、そうじゃな、ではそのまま落ち着いて聞いて欲しい」

 

 何処か冷酷さを感じる口調で告げ、処刑執行人のような眼をするエヴァに怖気を覚えながらも近右衛門は話を続ける。

 一度深く呼吸してから彼は言葉を紡いだ。

 

「タカミチがアレをお主に渡す前、悪いと思ったが一応中身を確認させて貰ったのじゃが、」

「ほう―――」

「―――まて! まてっ! 冷静に…! 冷静に聞くんじゃぞっ!!」

 

 近右衛門の話す言葉の中に気に入らなかった部分があったのか、エヴァは声を漏らすと共に気配をより濃密にし、近右衛門は焦った。

 

「そ、それでじゃ、わしはあのアレと同じ感じをさせる魔法具を見た事が在って―――」

「―――! 何っ! なんだと…ッ!?」

 

 途端、怖気さえ覚える濃密な気配が消えて冷静だったエヴァの顔も驚愕に染まる。

 近右衛門は唐突に圧力から解放された為、呆気にとられ……気付くとエヴァに詰め寄られていた。

 

「それは本当かっ!? どこだ! どこで見た!」

「ぐ」

 

 近右衛門は詰め寄るエヴァに襟を掴まれて呻く。

 しかし若干の苦しさを覚えるものの、今まで見た事が無いほど焦燥を抱いているエヴァの様子を見。事態を分析する為に彼は冷静に思考を働かせた。

 

 どうやら彼女は知らないらしいし、まだ見ていないようだ、と。そう内心で呟き―――結論付けた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 襟を締め続けるエヴァンジェリンを茶々丸が諌め、解放された近右衛門は、

 

「近い内に分かるじゃろう」

 

 と。歳に似合わない悪戯小僧のような顔をしながら茶目っ気の含んだ口調で告げ、引き留めようとするエヴァを静かに見据えてからエヴァ邸を後にした。

 エヴァはなおも問い詰めたい様子であったが、「チッ」と舌打ちして引き下がった。

 先程までの我を忘れた行動が失態だと考え、これ以上近右衛門を家に置いておいては、より致命的な失態を招きかねないと直感したのだろう。

 

 

 帰り道、近右衛門はこれからを思い考えながら、ふと一人呟いた。

 

「……彼女が此処へ現れたのは案外、あ奴が何やら持つ因果によるものかも知れぬのう」

 

 近右衛門がエヴァに自分が知っている事実を教えなかったのは、その方がこの地へ現れた白い少女と、少女を預かるエヴァとの関係が良好に成るかも知れないと考えたからだ。

 その方が面白い事態になりそうだ、と思ったのもあるが。

 そう思うと知らずの内に何時もの「フォフォフォ」と彼特有の笑い声が口から漏れた。

 

「まあ…しかし、アレが何であるのか確認できなかったのは、少々気掛かりじゃが……」

 

 あ奴は幾ら問い詰めようが決して語らんじゃろうな、と途中から言葉を内心で続ける。

 だが収穫はあった。アレがエヴァにとって大切な……そう、あの裏社会にて伝説として語られるエヴァンジェリン・A・K・マグダウェルにとって譲れないナニカだという確信を得られたのだから。

 

 先日、タカミチが渡した時に尋ねようとすれば声を上げて遮り、従者である茶々丸に早々追い出される事になった程の代物だ。何か在るとは思っていたが予想以上の反応をエヴァは示した。

 

 今日態々訪問したのも呼び付けるよりは、そうした方がまだ印象的に口が軽くなると思っての事だ。無論、大した差ではないが、学園と自らの住処では警戒心というか心持ちが異なる。或いは隙が出来るものだ。

 自身の住居(テリトリー)に入られるという警戒感と、自身の住居(テリトリー)に居るという安心感のほんの僅かな心の隙間……そこを突こうとした訳である。

 容易い相手ではないが…いや、だからこそ僅かにでも付け入れる所があるならやっておくべきだろう。相手が秘して置きたい事を探るのであれば、尚更に。

 

「尤も、あの様子を見るに呼び付けたとしても、変わらぬ反応を示したかもしれんが、な」

 

 だが徒労とは思わなかった。

 それはあくまで可能性であり、今日尋ねたからこそあのような反応を現したのかも知れないのだ。

 それにエヴァンジェリンが自分の預けた居候と上手くやっているのかを直接確認出来たのも無駄ではない。

 

「ふむ…」

 

 そっちの方はエヴァの言う通り問題は無い。しかし良好とも言えないと言ったところだ。

 ギクシャクした感じは見受けられなかったが、2人の間の会話が少なすぎる。むしろ従者である茶々丸との方が仲良さ気で会話が多かった。

 

 若干憂いが無い訳では無いが、同居が始まってからまだほんの数日であり、先程も思ったが進展する機会は近い内にあると近右衛門は見ている。

 どう転ぶかは未知数であるものの、そう大きく心配する必要は少なくとも現状では無かった。

 

 



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第3話―――日々の始まり、そのある一日 彼女の誕生日編

日刊ランキングの10位に入っていてビックリしました。
お気に入り数も500を超えてますし。
ただ贅沢を言うと感想も欲しいです。特に初見の方からは。
もしかすると今後の展開や改訂に参考になる意見が聞けるかも知れませんので。思う所があったら遠慮なくどしどし、と。


 東京からの帰りの電車内にて、アスナの耳に入らないようにアヤカが言った言葉を思い出す。

 

『アスナさん―――というのは些か気に障りますが、ネギ先生の為にも明日は盛大に祝いましょう』

 

 という発言から紆余曲折。

 当初は私も含め、クラスメイトの皆でという意見が出ていたけど、それに私が渋ると「やっぱ人の多いとこ、苦手なん?」とコノカが言い。

 それなら修学旅行を控えているし、その準備で皆も忙しいかも知れないから居合わせた面々でささやかに……と。そのように話が纏まった。

 

 正確に言えば、私は参加に抵抗を覚えていたが故に渋っていたのだけど、とんとん拍子にコノカとアヤカ……それにネギが話を勝手に進めて、いつの間にか断り難い状況になり―――私の“アスナ、15歳の誕生日おめでとうパーティ”への参加が決定した。

 

「―――はあ」

 

 独り、薄暗い部屋で溜息を吐く。

 今私が居るのはエヴァ邸での自室…六畳ほどの一間。

 そこで私は床に直接座り、瞑想するように胡坐を組んでいる。

 

 ―――駄目ね…。

 

 今から行う事には集中を欠かせないというのに、どうにも精神が乱れていた。

 “コレ”自体が余りノリ気で無い明日のことに関係している為だろう。

 

 別に他人の誕生日を祝うのが嫌という訳じゃない。

 ただ今更感もあるけど、余りネギや彼のクラスメイトと関わるのは良いことではないと思えるのだ。私自身と彼の為にも。

 

 原作である“ネギま!”―――ネギを主人公とした物語。

 私は、二次創作のようなオリ主としてそれに“介入”する気など全く無い。

 学園祭編に関しては、多分に気掛かりな点はあるけれど、基本的に物語はハッピーエンドに向って進行する。私が介入する必要なんて無いし、得られるメリットだって何も無いのだ。

 むしろ、介入なんて無意味にして英霊(カード)の力を行使する事態になる方が厄介で、危険だろう。

 そう、関われば自分の立場を危うくした上に、定められた彼の行き先(みらい)を大きく違える(変える)可能性が生まれるのだ。

 

 〝しかし、それでも―――本当にそうなの? もう――――――んじゃない? ()()は……―――――――〟 

 

「…ッ! ふう―――はあ」

 

 眼を閉じて大きく深呼吸して乱れた精神を整え、唐突に過ぎった余分な思考(ノイズ)を追い出す。

 そして今度こそ頭を……自己を透明(クリア)させる。

 脳裏に浮かぶのは、自身の(なか)。全身を巡る血管と血液。鼓動を打つ心臓。そしてソコ(しんぞう)に潜む(スイッチ)

 精神を統一し呼吸を整えて集中する。

 そうして私は、体の裏に潜む擬似神経を叩き起こすソレ(スイッチ)を押す。

 

 ―――途端、

 

 ザクン、或いはゾクンという現実には無き音が脳裏に響くと共に心臓を裂いて、硬質な貴金属(おうごん)で出来た茨が血液に代わり、鋭い根のように血管を巡って全身を貫く―――そんなイメージが、雷光の如く刹那に脳を突き抜ける。

 

 僅かに遅れて身体に苦痛が走る。体内に魔力が奔る。

 常人には耐え難い死と同義的な痛み。

 初めこそ、この予期しない苦痛に驚愕し暴走させかねないほど、(せいしん)を乱して文字通り死に掛けた。……しかしそれもこの数日、僅かな期間で慣れた。

 

 ―――魔術を扱う者は、先ず死を受け容れなければ成らない。自己の死を容認し、常に殺し殺される覚悟を持たなければ成らない。

 

 確かそんな感じの『Fate』本編に出てくる言葉を思い返す。

 正直、ソレを本当に理解できているかは分からない。けど…それでも私は魔術を扱う危険性を否応無く、この痛みと共に識らされていた。

 

 そして今日はこの更に先、知識に在るだけの……まだ試していない。新たな魔術に取り掛からねばならない。

 だから慎重に繊細に、この数日で得た“慣れ”に任せるのでは無く。確かに律した思考と精神で魔力を汲み取り、術式を紡ぎ、外界へと働き掛けなければ。

 閉じていた瞼を開く。

 

 目の前に在るのは、床に敷かれた一辺50cm正方形の白い布。そこには直径30cm程の大きさの魔法陣が水銀で描かれている。

 魔法陣が表すのは、万物・物質の流転を示す紋様―――つまりは錬金術を補佐・補強し円滑に行う為の魔術式だ。

 

 その中心に純銀のアクセサリーを置く。このアクセサリーは今日、原宿の装飾店にて購入した物で、ブレスレットが二つにペンダントが一つある。

 今置いたのはそのうちの一つのブレスレット。

 次に自身が坐する周囲の、手の届く範囲に在る様々な“材料”を……ある物は固形物であり、小瓶や試験官に入った粉末だったり、液体であったりするソレらをブレスレットがある魔法陣の中央へ天秤で分量を量って撒き、スポイトで一滴一滴慎重に垂らして行く。

 そうして必要な材料を全て投じたか? 間違いが無いか? 3回確認して確信を得るとブレスレットに―――魔法陣の中心に手を掲げ、詠唱を始める。

 

「流動――交錯――変異――停滞――」

 

 小源(オド)のみならず、大源(マナ)をも取り込み。魔力へ変換・生成して術を紡ぐ。

 

「また流動――交錯――変異――停滞――繰り返す、繰り返す――」

 

 取り込んだマナに感覚が侵される。膨大な魔力の行使に魔術回路が白熱する。複雑な術式構成に思考すらも許されず塗り潰される。

 今の私は一個の機械。錬金術という条理より外れた神秘を成す歯車。魔術を成す為だけの装置。

 

 …………そうして自身が人であることも…ありとあらゆる思考を忘却しかねない……数瞬を幾度も重ねた永い刻を掛け――――術が成った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ふあ…」

 

 長く同じ姿勢で居たのですっかり硬くなった身体を解す為、両手を上げて大きく伸びをする。同時に大きな欠伸が出た。

 窓に掛かったカーテンには白みが差しており、外からチュンチュンと雀らしき小鳥の鳴き声が聞こえる。

 ベッドの脇、枕元近くにある時計を見るとその針は5時を指していた。

 

「もう…朝かー……うう、流石に眠い」

 

 少しは眠れそうだけど、ほぼ完徹かぁ。

 ノロノロと体を動かして、魔法陣を初めとした魔術品を十数分掛けて片付ける。

 

「……ふあぁ」

 

 片づけを終えたらまた欠伸が出た………昨日、茶々丸には言ってあるから朝餉の仕度は独りでしてくれる筈だしー、10時までは寝かせてくれる筈ぅ。

 

「なわけで、私はねますぅ~~」

 

 おやすみー。

 べっどにとびこむ。

 

 …………―――――――――――――――――。

 …………………―――――――――――――――――――。

 ………………………―――――――――――――――――――――。

 

 

「おき……さい。イリ……ん。もう10…すぎて…す」

 

 ぐらぐらと身体が揺れる。

 誰かに揺すられている。でも眠い。

 

「ううううう…もう少し寝かせてぇ~。昨日は東京であるいてー、夜はけっこうー。魔術を使ったから疲れてるのよぅ」

「はあ…でも……」

「お願い、五分だけでいいから~」

「……わかりました」

 

 ……………再び身体が揺すられる。

 

「五分経ちました、起きて下さいイリヤさん」

「う…」

 

 ……もう五分経ったの?

 重く感じる瞼を薄っすらと開けて何とか眼を覚ます。

 目の前に緑色の髪を長く伸ばしたの女性の顔が在る。

 

「……おはよー、茶々丸」

「はい、おはよう御座いますイリヤさん」

 

 何処か気の抜けた感じの挨拶をして、茶々丸の感情の起伏が感じられない返事を聞きながら身体を起こす。

 ボンヤリとする頭と身体に気だるさを覚え。う~~ん、と背筋を伸ばし、身体をほぐしてそれらを追い出す。

 チラリと時計を確認すると針は10時15分を過ぎた所を指していた。

 

「ふぁぁ―――う…ありがとう茶々丸」

 

 欠伸を漏らしつつ、約束通り起こしてくれた茶々丸にお礼を言う。

 

「いえ、……それでは、私はリビングの方でお待ちしております。軽い食事を用意してありますので」

「うん」

 

 私が頷くと茶々丸はペコリとお辞儀をして部屋を出て行った。

 ベッドから立ち上がり、もう一度身体を伸ばして私は着替えに取り掛かっ―――とその前に、

 

「…顔、洗おう」

 

 洗面所に向かう事にした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 リビングに入ると、胃と食欲を刺激する香ばしいスープの香りが漂っていた。

 その香りの元を辿って視線を巡らせると、テーブルの上にトレイに載った小さめの鍋があり、私の姿を認めた茶々丸がそこから皿にスープを掬い始めていた。

 その傍のソファーには、窓から差し込む陽光で長く伸びた金髪を輝かせている少女がうつ伏せに寝転がっている。

 私は目線で茶々丸に改めて挨拶をし、その少女―――エヴァンジェリンさんに向かって声を掛ける。

 

「おはようエヴァさん」

「ん……やっと出てきたか」

 

 ソファーに寝転がり、分厚い本を読んでいたエヴァさんが私の挨拶に顔を上げた。

 しかし返事の挨拶は無く、その表情は憮然としており、私の遅い登場に機嫌を悪くしているらしかった。

 

「ゴメンなさい、遅くなって」

 

 非は自覚していたので素直に謝ってから席に着く。

 目覚めが少し遅れた事もそうだけど……その後、一度洗面所に向かった私は昨晩の魔術行使の為か、汗でベトついた身体に気付き、着替えを取りに戻ってシャワーを浴びる事に切り替えたのだった。

 当然その分、予定していた時間より遅れるわけで。

 で、何の時間かというと―――

 

「ふん、まあいい。……それより昨日言っていた“護符(アミュレット)”の製作とやらは上手く行ったのか?」

 

 ―――それは昨晩製作……というか加工した銀のアクセサリー。それをベースとした私製アミュレットの仕上がりをエヴァさんとの協力で確かめる為の時間だ。

 私はエヴァさんの問い掛けに「ええ」と頷き、持ってきた紙袋から3つのソレを取り出してテーブルの上に置く。

 彼女は慎重な手つきでその中から2つあるブレスレットタイプのアミュレットの一つを選んで手に取った。

 

「ッ!―――……ほう」

 

 手に取った瞬間、大きく眼を見開いて驚くも、直ぐに表情が冷静な観察者といった風になり、エヴァさんは繁々とブレスレットを眺めて感嘆の声を漏らした。

 

「正直、余り期待はしていなかったのだが、………感じた事の無い異質な魔力に私も知らない未知の術式……ふむ―――」

 

 エヴァさんは右手でブレスレットを掲げて眺めつつ、空いた左手で3つ中でも特色の強いペンダントの方を取って見比べる。

 

「こちらは見た目に劣らず更に複雑な術式構成をしているな。……出来も悪くなさそうだ」

 

 頻りに感心し、興味尽きない様子。

 無理も無いのかも知れない。

 吸血鬼として悠久の時を生き、そして封印によって15年もの間を麻帆良に閉じ込められているエヴァさん。

 無為に時を過ごす事、暇や退屈が最大の敵であろう彼女にとって、こういった目新しく珍しい代物……云わば新鮮味というべきモノはその敵を凌ぐ格好の存在であり、“永遠の生”を与えられた日々の中では大きな潤いなのだろう。

 況してや麻帆良から出られない現状では尚更に。

 

「……なるほど」

 

 エヴァさんは神妙に呟くと視線をアミュレットから外して私の方へ向ける。その眼には明らかに好奇の光が灯っていた。

 

「コレがお前の得意とする“魔法”か」

「ええ…一応錬金術の一種だと考えて貰えればいいわ」

「ふむ、錬金術とは云い得て妙ではあるな。……実に―――興味深い」

 

 舐めるような、そして探るような視線で私を見詰めてそう言うエヴァさん。

 

 まあ、実際の所、私の扱う“魔術”では一応ではなく、れっきとした錬金術なんだけどね。

 

 と、エヴァさんからの視線の意味をなるべく考えないようにして、茶々丸から受け取ったポタージュスープを啜りながら内心でそう呟く。

 

「ごちそうさま、美味しかったわ」

「どうも…お粗末さまでした」

 

 数分後。二度ほど御代わりをし、食べ終えて合掌する私に茶々丸が応じる。

 時計を確認すると11時前だった。ネギ達との約束時間は11時半だから少し時間が無いわね。

 視線を時計から茶々丸に移し、

 

「茶々丸悪いけど、洗い物は―――」

「―――お構いなく、この鍋とイリヤさんの食器だけですので」

 

 言いたい事を察し、いつもの静かな口調で承る茶々丸。

 すっかり家事をすることが当たり前と成りつつある私としては、朝から任せぱっなしというのは若干心苦しいけど、本当に時間が無いのだから仕方が無い。

 今度何かしらの形でお礼をしないと……横暴な家主以上にお世話に成っている訳だし。

 そう思いながら一度、茶々丸に軽く頭を下げた。

 

「うん、お願い。……それじゃあエヴァさん」

「ん…」

 

 席を立ち、未だにアクセサリーを眺めているエヴァさんに声を掛けると、彼女も鷹揚に頷づいてソファーから立ち上がった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 エヴァ邸を後にし、私とエヴァさんは家から離れて周囲に在る人目の付かない森の中へと入った。

 

「準備は良いか?」

「ええ、良いわ。……お願い!」

 

 生い茂る木々が開けた、ちょっとした広場を思わせるその場所で、10mほど離れたエヴェさんに腕に付けたブレスレットを見せて叫ぶようにして言う。

 エヴァさんはそれに軽く頷くと呪文詠唱に入る。

 

「リク・ラク、ラ・ラック、ライラック」

 

 始動キーを紡ぎ、そして何処からか液体の入った瓶と試験管―――魔法薬を取り出し、

 

「氷の精霊10柱。集い来りて敵を切り裂け。魔法の射手・連弾・氷の10矢!」

 

 詠唱を終えると同時に放ると、瓶と試験管が空中で割れて魔法薬が混ざり―――それを媒介に無数の氷の矢が私に向かって放たれた。

 

「―――…っ!」

 

 “強化”した視界の中、凄まじい速度で向かって来る氷の矢に一瞬恐怖を覚え、身体が本能的に避けようと足が動きかけ―――たが、何とか自制しその場に踏み止まる。

 直後、無数の氷の矢は私の身体を貫く……事も無く、当たる先から掻き消えるように消失する。

 

「おおっ!」

 

 それを見たエヴァさんが感嘆の声を上げるも、当の私は実験の成功か? それともこの身が無事であった事への安堵か? そのどちらとも判断が付かない深い溜息を吐いていた。

 

 その後、3点のアミュレットの効果を幾つかの基本的な魔法と特殊な魔法薬で試してその能力を確認した。

 結果をいえば、全てのアミュレットが想定通り…いや、以上の効果を発揮し、実験は見事成功といえた。

 …けれど。

 

「まったく…本当に興味深いな。下位とはいえ、障壁無しでここまで魔法攻撃を無効化するとは。……それに本当にお前の言う通りの機能であれば、相応の実力者ならこのアミュレットを身に付けるだけで、魔法戦闘でかなりの優位を得る事になる」

 

 実験後の検討を終えると、エヴァさんが嘆息しながらそう感想を零した。

 

「私も正直驚いてる。ペンダントの方はともかく、試作品のブレスレットでもここまでの効果を現すのは予想外だったわ」

 

 私はエヴァさんの感想に頷きつつも、そう言葉を返した。

 いや、本当に驚いた。

 初めに行なった実験。エヴァさんの放った氷の矢を掻き消したこと。

 怪我する事を覚悟していたのに全くの無傷に済み。その後も武装解除などの魔法の矢と同ランク―――魔術的に表すとDランク相当の“魔法”を悉く無効化した。

 多少の威力(ダメージ)軽減程度の効果しか期待してなかったというのに。

 全く、これは一体どういうことなのか? 幾ら何でも強力過ぎような。それともこれがこの世界の“魔法”と“魔術”の違い―――差なのかしら?

 そう、実験中や検討の最中で幾度も思った疑問が再び過ぎった。

 しかし答えは出ない。

 

 まるで喉に魚の骨が引っ掛かったかのようなスッキリしない感じがある。

 とはいえ、此処は喜んで置くべきなのだろう。初行使の魔術でこれだけの成果を挙げられ、この世界の魔法に対する魔術の有効性も確認できたのだから。

 それにこれで学園長に対する借りを少しは減らせるかも知れないのだ。

 というのも、このアミュレット製作は学園での生活……いえ、正確にはこの先、この世界で私が生きて行く上で自立する為の手段として行なった面もあるからだ。

 要するに生活費を得るための商売と、社会(裏とはいえど)に溶け込む為の立場や職を獲得するためである。

 

 ぶっちゃけ元の世界で見ていた二次創作を真似た訳なんだけど。

 

 でも逆に学園長には迷惑を掛けるかも…?

 今回もそうだが、器材のみならず材料も用意してくれたのは彼で、今後も材料の調達に加えて流通や販売には結局、学園長の伝手を頼るわけだし。

 それに形として一応私は警護対象でもあるから、私の存在を注目させる事や麻帆良の外へ明らかになるような事は賛同できない…かな?

 とりあえず、それは話を通してからじゃないと判らないか。

 

 まあ、どうなるとしても製作したアミュレットとこの実験自体は無駄にはならないから良いんだけど。

 

 と。そこでふと気付いて携帯取り出し、時間を確認すると既に11時半―――約束の時間を過ぎていた。

 

「まずっ!―――エヴァさん!」

「ん…何だ?」

 

 思わず焦った声で呼び掛けると、俯き加減で顎に手をやって何やら考え込んでいたエヴァさんが顔を上げて、怪訝な表情を見せた。

 そんな彼女に私は捲くし立てる。

 

「私もう時間が無い―――っていうか、過ぎてるから…行くわ!」

「あ…おい! 忘れ物!」

 

 言い終るなり、駆け出そうとした所を呼び止められる。

 ―――っと、いけない!

 駆け出す姿勢のまま、慌ててソレを手にして今度こそ駆け出した。

 

「―――ブレスレットの一つは好きにして良いんだな!」

 

 その背後、遠ざかる私にエヴァさんが叫ぶようにして尋ねてくる。

 

「ええ、さっき言ったとおりよ! 実験のお礼だから構わないわ!!」

 

 それに私は顔だけを振り向かせて同様に叫んで答えるのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ―――sideネギ

 

 昨日訪れた原宿には当然遠く及ぶものではないものの、多くの人々で賑わう麻帆良の繁華街。

 尤も平日であり、放課後でもない今の時間帯では学生の姿を余り見かけることは無いので、普段此処を訪れる時よりも随分と人が少ないように思えた。

 ちなみに僕達―――というより、中・高等部の最上級生である3年生クラスは、修学旅行前日という事からその準備の為、特別に休日扱いになっている。

 それでも教師である僕は、しずな先生などの同僚の人達と最終的な打ち合わせや、日程とかの確認作業があったんだけど、それも何とか朝の内に予定通りに終わらせる事ができた。

 お蔭でアスナさんの誕生日を皆で祝う事ができる。

 

「おはようネギ、コノカ。遅れてごめんなさい」

 

 15分程遅れてイリヤは待ち合わせの場所にやって来た。

 時間に遅れて急いで駆けて来たせいだろう。イリヤは頭を下げて謝りながらもハァハァと軽く息を切らせていた。

 

「ううん、コレぐらいの遅れやったら、たいしたことあらへんよ。…な、ネギ君」

「はい。時間は在るし、木乃香さんの言うとおり、少しぐらい遅れても平気だよイリヤ」

 

 首を横に振りながらイリヤに応える木乃香さんに、僕も頷いてイリヤに言った。

 すると、

 

「ん…ありがと、2人とも」

 

 イリヤはそう言って笑顔を見せた。

 そして改めた挨拶を交わして後、僕達はいいんちょさんが待つ場所へと向かった。

 

 その途中、ふと隣を歩く銀の髪を持つ少女の顔を見て少し思い耽る。

 イリヤと会ったのは先週の水曜日。ほんの5日前の学園長室だった。

 明日の修学旅行…いや、関西に在るという呪術協会へ学園長から託された親書を届ける事を頼まれた時だ。

 

 その日、学園長室を訪ねたとき。

 僕のノックに返事がされて扉を開けた直後、彼女と眼が合った。

 初めて交わした言葉は「こんにちは」と当たり障りの無い挨拶だったと思う。

 確かそう言って軽くお辞儀をして、赤い―――宝石のような緋色の瞳と眼を合わせ、雪のように真っ白で綺麗な髪を持つ同年代の女の子と挨拶をした。

 

 今思えばその時イリヤが手にしていた書物は、魔法関係の教本だった筈。

 だというのに僕は、学園長がイリヤの居る前で魔法や木乃香さんの話をするのを不安に思い。そして言われるまでイリヤが“此方側”の関係者だと気付かなかったんだよね。

 学園長が無関係な人間の前で、あんな重要な話を洩らすような間抜けな事をする訳が無いのに―――ふと、赴任初日……間抜けにも明日菜さんに“バレてしまった時のこと”を思い出してしまう。

 もの凄い形相で問い詰められて焦った僕は記憶を消そうとして―――……。

 

 その時の事を思い出し、思わずブンブンと顔を思いっ切り横に振って、慌てて浮かんだ光景を脳裏から追い出す。

 

「ど、どうしたの?」

「どうしたん?」

 

 僕の突然の行動に驚いたらしいイリヤと木乃香さんが怪訝そうに見詰めてくる。

 僕は誤魔化すように―――というか誤魔化す為に目の前で右手を振って、もう片方の手で頭を掻きながら2人に答える。

 

「あ…いや、何でもないよ」

「「?」」

 

 2人は幾分か不思議そうに僕を見ていたけど、何も尋ねず直ぐに視線を外してくれた。

 胸中でホッと安堵の溜息を付く。

 

 ―――まさか、アスナさんのノーパン姿を思い浮かべていました、なんて言える訳ないし…。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ここやよ」

 

 そう言って、ある建物の前で木乃香さんは立ち止まった。

 そこに建っていたのは麻帆良では珍しくない欧風の建物だった。煉瓦造りでバランス良く濃淡な黒が配された品の良いモノトーンで、少し古風―――クラシックな感じを受ける喫茶店だ。

 モノトーンの為か、ほの暗さを感じさせるけど、不思議と温かみも覚えさせる印象がある。

 

「中々良い感じのところね」

「うん」

 

 イリヤも僕と似たような物を感じたのか、好意的な感想を述べて僕もそれに頷く。

 ただ、雰囲気の良い筈のこの喫茶店には人気(ひとけ)は無く。看板はあれど、メニューなどが掛かれた掲示板などは見えず、開店している様には見えない。

 それもその筈で、木乃香さんといいんちょさんの話によると、つい先日に店を閉めたばかりなのだとか。

 ただし、客入りが無くて潰れた訳ではないそうで、いいんちょさん達も詳しくは知らないとの事。経営者の都合で閉店したらしい。

 結構、学生さん達の中では人気の店だったらしく、閉店時には惜しむ声がとても多かった…とも言っていた。

 なんでも料理が美味しかっただけでなく、店員さん達…声の渋いダンディな店長さんや、可愛らしい2人のウェイトレスさんも魅力的だったとかで、男女問わず客足が絶えなかったとか。

 あと、時折奇妙なブサカワイイ猫のような店員……マスコットが居たとか、居なかったとか言ってたっけ? 無造作に置かれていた青色のケータイが変に喧しかったとか、へし折られていたとかも?

 

 

 

 木乃香さんに促がされて木製の扉を押し開くと同時に、カランカランと軽やかな鐘の音が鳴り響く。

 

「ネギ先生、木乃香さん、それにイリヤさん。おはようございま―――と。あら?…もうこんにちはですわね」

「はい、こんにちは。いいんちょさん」

「こんにちは」

「…こんにちは」

 

 鐘の音で僕達に気付いたいいんちょさんが時間を気にしつつ挨拶をし、僕達も応じた。

 店内はやはりお客さんや店員などの他の人の姿が見えず、カウンターにはマスターと呼べる人間も当然居なかった。

 なのに僕たちが此処にやって来たのは今日一日だけ、いいんちょさんがアスナさんの誕生日を祝う為にこの店を貸し切ってくれたからだ。

 

「ありがとうございます。いいんちょさん」

 

 頭を下げてその事にお礼を言う。

 

「あら、いやですわネギ先生。頭をお上げになって下さい。先生の為ならばこれ位は何の事もありませんのですから」

「え…いや、でも――」

 

 ハシッと、僕の両手を包み込むようにして握り、見詰めて来るいいんちょさんに途惑うも、何とか言葉を続ける。

 

「殆どは僕の我侭みたいな物ですし…明日からの修学旅行の準備だって―――」

「お気になさらないで下さい。僅か数ヶ月という間柄にも拘らず、お世話になっている明日菜さんへの感謝の為に誕生日を祝うという、先生の行為に感激しての自発的な協力なのですから―――それにわたくしも……あ、いえ…きっと明日菜さんもお喜びになりますわ」

「…いいんちょさん」

 

 言葉の後半にいいんちょさんの明日菜さんへの気持ちが見えた気がした。

 うん…僕だけじゃない。

 昨日、木乃香さんも言った通り、いいんちょさんも明日菜さんの事が大好きだから誕生日を精一杯祝いたいんだ。

 そんないいんちょさんの気持ちを考えると、これ以上遠慮したり恐縮したりするのは返って失礼になる。

 だから―――

 

「はい! ありがとうございます!!」

 

 僕も精一杯の感謝の気持ちを込めて、もう一度そうお礼を言った。

 

 

 しばらく店内には、僕達の雑談の声のみが響いた。

 

 お祝いの為の料理やケーキといった食べ物、飲み物は、既に厨房の方に用意されているらしく、後は此方に持って来るだけだそうだ。因みに調理を行なったのは、いいんちょさんの所―――雪広財閥お抱えのシェフだとか。

 その事を自信ありげに語るいいんちょさんを頼もしく思えるし、僕も少し一流のシェフが作る料理というものに興味があった。

 釘宮さんたちは、予定通り明日菜さんを呼びに行っている。

 明日菜さんは今日は珍しく午前中だけでも部活に顔出すと言っていたので、同じく部活動の為に校舎に用があるというチアリーダー3人組の釘宮さん達に迎えをお願いしたのだ。

 それと昨日のメンバーに続いて、いいんちょさんのルームメイトである那波さんと村上さんがパーティに参加する事になり、釘宮さんたちと合流して此処へ来るらしい。

 那波さんと村上さんは、修学旅行の準備を終えていたのでいいんちょさんは誘う事に躊躇が無かったようだ。

 僕と木乃香さんは、一緒に祝ってくれる人が増えて嬉しかったのだけど、イリヤはそうではないみたいだ。勿論口には出していなかったけど、新たにメンバーが加わると聞いて何となく顔を顰めていたように見えたからだ。

 

 ―――もしかしたら人見知りなのかも知れない。

 

 イリヤの顔を見ながらボンヤリとそんな言葉が浮かんだ。

 僕と初めて会った時も何処となく戸惑っていたように見えたし……あ、でも直ぐに打ち解けられたから違うかな?

 ふと昨日の事……木乃香さんと釘宮さん達、明日菜さん、いいんちょさんと会った時の事も思い返す。

 それを思うとやはり人見知りというのは、違う気がした。

 じゃあ木乃香さんの言うとおり、人の多い場所や状況が苦手なんだろうか?

 

 うーん、それも違う気がする。

 何と無くだけどイリヤにはそういった、物怖じするというイメージが似合わないのだ。

 まあ、明日菜さんや木乃香さん等、3-Aのクラスメイトを始めとした日本で知り合った殆どの人がそういった感じではあるけど、イリヤはそれとはまた違う感じ―――雰囲気が在る。

 

 知り合ってからまだ一週間にも満たないけど、僕の知る限りイリヤはとても“大人”なんだと思う。

 同じ歳なのに考え方は確りとしているし、僕の同僚の人達や明日菜さんよりも年上の怖そうなお姉さん達を相手にしても平然とした態度を崩さないし、普段からの立ち振る舞いや何気ない仕草にも穏やか―――いや、お淑やかさが在る。

 少なくとも故郷のアーニャや、魔法学校に居た同年代の女の子には居ない感じの子だ。

 特にアーニャとは比べる方がイリヤには失礼だと思う。生意気で口喧しくもないし、無理に背伸びをしている感じでもないんだし……むしろ、ネカネお姉ちゃんにも似た優しい雰囲気を感じさせるのだ。

 正直スゴイと思うし、ちょっと尊敬する気持ちもある。

 それを昨日言ったら(勿論、アーニャとネカネお姉ちゃんに~~云々という事までは言っていない)、

 

『それを言うなら、その歳で教師をしている貴方の方がよっぽどスゴイし、立派だと思うわ』

 

 と。心底感心した様子で褒めるようにして返された。

 イリヤにそう言われて嬉しいような、恥ずかしいような、なんとも言えないむず痒い気持ちを抱いたっけ。

 

 ………ともかく僕の知る―――いや、抱いているイリヤの印象は物怖じだとか、人見知りだとかをする性格では無い。それならきっと那波さんと村上さんが来ると聞いて顔を顰めたのは僕の気のせいだろう。

 

 

 ―――そう、僕は思うことにした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「明日菜さん…誕生日。おめでとう御座います!」

「「「「「「「「おめでとう!!」」」」」」」」

 

 僕の音頭と共にクラッカーが鳴り響き、皆が祝言を上げる。

 

「え?」

 

 明日菜さんは事態を飲み込めないようで呆然としたようだけど、僕と木乃香さんが昨日東京へ出掛けた本当の理由を打ち明け、皆がプレゼントを渡す頃には。

 

「あ、ありがとう。こんな…いきなり――」

 

 状況を理解して瞳を潤ませ、声を少し滲ませて、

 

 ―――私、嬉しいよっ…。

 

 そう感激の言葉を零した。

 

 その後は、いいんちょさんが用意してくれた料理を皆で囲んで再度明日菜さんの誕生日を祝してジュースの入ったグラスで乾杯を取り、食事に取り掛かった。

 お昼時という事もあって、皆の料理を口へと運ぶ手は思った以上に進んでいる。勿論、いいんちょさんが自慢する一流シェフが調理したという事もあって非常に美味しかったのもその一因だと思う。

 ただ、僕にとって多くの料理がお腹に入る原因は、

 

「―――はい、ネギ先生。今度はこちらのラム肉の香草焼きなどは…それとも、こちらの…」

 

 こんな感じで口に入り、咽を通り、その感想を告げる度にいいんちょさんが次々と料理を勧めて来るからだ。

 流石に少し……いや、かなりお腹が苦しくなってきた。

 

「あの…いいんちょさん。すみませんけど、僕もうお腹が一杯で…」

「あ、そうでしたか。……そう言われると確かに御顔が苦しそうですわね。此方こそ申し訳ありませんわ。直ぐに良い胃腸薬を御用意致し―――」

「ああ、いいです。少し休んでいれば、良くなりますから」

 

 そう言って席を離れる。

 心配そうないいんちょさんには悪いけど、もう胃腸薬を飲みこむ余裕も無さそうだった。

 とはいえ…うう、歩くのも苦しい状態。それでも御手洗いの方へ向かう。

 

 

 

 小さく感じた外観とは裏腹に店内は意外に広く、二度扉を抜けて御手洗い所へ入った。そこも思ったより広い。

 それに閉店時にも掃除を欠かさなかったのか、それとも普段から良く行き届いた為なのだろうか、意外にも清潔感を感じさせる。

 

「―――ふう」

 

 僕は大きな鏡に背を向けて洗面台に寄りかかり、一息を付いて身体を楽にさせた。

 それで少し余裕が出来たからか、先程の事を思い返した。

 

 明日菜さん、とても喜んでくれて……良かったなぁ。

 

 僕が音頭を取って、皆からプレゼントを渡されて嬉しそうに微笑んだ顔が脳裏に浮かんだ。

 明日菜さんのあんなに嬉しそうな表情は初めてだった。

 うん、一昨日に思い切って木乃香さんに相談して良かった。それにイリヤや釘宮さん達にいいんちょさん達、皆が祝ってくれた事も。パーティが終わったら改めてお礼を言わなきゃいけないよね。

 

「ネギ」

 

 思い耽っていると御手洗い所のドアが開いて僕を呼ぶ声と共に、誰かが入ってきた。

 チリンっと長い髪を左右で分けて頭の横で結び、飾っている鈴を鳴らして現れたのは今日の主役である明日菜さんだ……って!

 

「あ、アスナさん! 此処…男子トイレじゃ…!?」

「何言ってるのよ。男子トイレ…たって、男なんてアンタだけじゃない。そもそも閉店してるお店なんだし」

「で、でも――」

「まあ、確かに入るのに抵抗が無い訳じゃないんだけどさ」

 

 驚き慌てる僕と対照的に、落ち着いて何処か呆れたように答える明日菜さん。オマケに「ふーん。男の人のトイレってこうなっているんだ」などと、呟いて珍しげに視線を巡らせていた。

 

「それよりネギ、アンタ大丈夫なの? いいんちょに結構な量を無理矢理食べさせられてたみたいだけど」

「あ、はい。大丈夫です……というか、別に無理矢理という訳じゃあ―――」

「顔色が悪くなって苦しくなるまで断ろうとしないんだから、同じ様なものでしょう」

「う…」

「だいたいアンタは―――」

 

 心配そうに僕を見ていたのに、徐々に目を吊り上げ始める明日菜さん―――けど唐突に言葉を切る。

 そして力が抜けたように肩を落として、ハアと溜息を付いた。

 

「まったく、アンタを怒りに来た訳じゃないのに…」

「……アスナさん?」

「……あー」

 

 肩を落とす明日菜さんに首を傾げると、それを見た明日菜さんは今度はそわそわと意味も無く天井を見詰めたり、鏡を見たりと、視線を彷徨わせて落ち着かない様子を見せる。

 

「あー…その、ね」

「はい?」

「木乃香から聞いたんだけど、その……誕生日を祝おう、って言い出したのはアンタだって―――」

「…あ」

 

 思わずポカンと明日菜さんを見詰める。

 

「―――っ! だから、ありがとうネギ―――……それを言いたかったのっ! じゃっ!」

 

 そう言ってプイッと僕に背を向ける明日菜さん。そうしてドアへ向かいノブに手を掛けるが……直ぐに出て行かずにそのまま立ち止まり、チラッと顔を此方に向け、

 

「―――っと、アンタはもう少し此処で休んでなさい。まだケーキだってあるんだから。いいんちょにまた無理矢理食べさせられないようにして、十分にお腹を空けさせてから皆の所に来ること……良いわね!」

 

 一方的にそう捲くし立ててから出て行った。

 僕はそんな明日菜さんの言葉や行動に思考が付いて行かず、思わず唖然としてしまう。

 

「えっと―――」

「へっへっへっ…明日菜姐さんも、妙な所で素直つーか…なかなか可愛い所があるじゃねえか」

「カモ君!?」

 

 何時から居たのか、洗面台の上に白いオコジョ妖精こと―――僕の友達兼使い魔のカモ君が居た。

 

「カモ君、今のって…」

「へへ、要するに姐さんは兄貴に物凄く感謝してるって事でさぁ」

「……うん」

 

 ―――ありがとう、ネギ。

 カモ君に頷きながら事態を飲み込み。今さっき、そう明日菜さんが言った言葉を思い返した。

 でも―――

 

「でも、……僕の方こそ、麻帆良に来てから明日菜さんにはスゴク迷惑を掛けたり、助けて貰ったりしてるし、だから今日はその感謝とお返しでもあって、当然な訳で……それに、こうして盛大に祝えるのは殆どは木乃香さんといいんちょさんの―――」

「まあまあ、そんな深く考えずに。そういったもんでしょうよ、人どうしの関係っていうのは。何かをして、返されて返して、感謝したり、されたりっと―――云わば、持ちつ持たれつよ。だから兄貴も素直に姐さんの気持ちを受け取っていれば良いんですよ」

 

 何処から取り出しのか、カモ君は煙草から紫煙を曇らせて諭すように言う。

 

「んで、今日を皆でパーッと楽しめば良いんすよ」

 

 感謝して、感謝される……か。

 そうなのかな?

 こんな僕でも――――――ううん、誰かの為に精一杯、何かをするのは“偉大な魔法使い(マギステル・マギ)”を目指す人達にとって当たり前の事だ。

 それに―――

 

「駄目っすよ兄貴、そんな暗い顔してちゃあ。面白楽しくっすよ」

「うん、ごめん……でも、ちょっとまだ、お腹が苦しくてさ」

「ハハ、それじゃあ、しょうがねえか。あの金髪の姉さんも困り者だ」

「いいんちょさんも、親切でやってくれているんだと思うんだけどね」

 

 そうやって互いに苦笑し合う……だけど内心で。

 

 ―――ゴメン、カモ君。御免なさい、明日菜さん。

 

 と。何に対してか判然としないまま僕は謝っていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 十分ほど後、気分も良くなってきたので手洗い所を後にしようとドアに開いた。

 すると丁度、まるでタイミングを合わせたかのように、隣にある女子トイレの扉も開いて中から人が出てきた。

 

「あら?」

「ん?」

「あ、那波さん…とイリヤ?」

 

 出て来たのは、3-Aの生徒である那波 千鶴さんとイリヤだった。

 3-A生徒といってもその担任である僕は、那波さんとまだ余り話しことが無かったりする。今日も挨拶とイリヤの紹介ぐらいしか会話を交わした覚えが無かった。

 

「ネギ先生、もう気分は宜しいのですか?」

「はい、大丈夫です。ご心配をお掛けしました」

「いえ、ウチのあやかこそ、先生に迷惑を掛けて申し訳ありません」

 

 丁寧な仕草で頭を下げる那波さん。知る範囲において3-Aクラスの中では珍しくとても落ち着いた感じの人だ。それに年上だからだろうか? イリヤとはまた違う、より確かな大人な雰囲気を覚える。

 でも、ウチの……って、どういう意味だろう? えっと、いいんちょさんとルームメイトだからかな?

 …まあ、いいや。

 それよりイリヤとの組み合わせが気になる。僕自身が那波さんを余り知らないという事もあるけど、那波さん達が来る事になって顔を顰めていたように思えたイリヤが、昨日と同じく僕の生徒と打ち解けてくれたのかが心配だ。

 

「迷惑という事はありませんけど、それより那波さんとイリヤも楽しんでますか?」

 

 そう何気ないように2人の様子を窺う。

 

「ええ、あやかの用意した料理も美味しいですし、この様な機会で皆さんとお話しするのも楽しいです。それに何より明日菜さんのあの嬉しそうな笑顔は見ている私も幸せな気持ちに成れますから」

「そうね。あんな良い笑顔を見ること―――ううん、生み出せた事だけでもこの誕生日祝いは大きな価値があると思うし……来て良かったと思うわね」

「―――…………きっと、あやかも同じ気持ちでしょう」

 

 イリヤの言い回しに少しおかしな感じを受けたけれど、2人ともテンポ良く答えて会話を交わす様子にギクシャクした硬いものは無い。どうやら2人の間にこれと言った隔たりは無いようだ。

 良かったと、何となくホッとする。

 やっぱりイリヤが顔を顰めたのは僕の気のせいだったのだろう。

 

「まあ、それもネギのお手柄ね」

「そうね。先生が発案者なのですから明日菜さんとあやかも感謝しているでしょう」

 

 ―――ありがとう、ネギ。

 2人の言葉を聞いた一瞬、またさっきの明日菜さんの顔が脳裏に過ぎった。

 何だか不可解なモヤっとした感覚が胸に湧き出る。嬉しい事の筈なんだけど……スッキリとしない変な感じ―――。

 

「……」

「どうしました?」

「あ、いえ…何でもありません」

 

 尋ねてくる那波さんに判らないまま誤魔化すように答える。

 

「そうですか? もしまだ御加減が優れないのなら無理はなさらないで下さいね」

「はい、ありがとう御座います」

 

 心配する那波さんにこれ以上不安を掛けないよう笑顔で応じる。すると那波さんも笑みを見せてくれた。

 けど、イリヤはその隣でジッと凝視するように僕を静かに見詰め―――直ぐに視線を逸らした。何となくだけど嘆息しているようにも見える。

 

(ほっ)

 

 と。直ぐ近く―――僕の肩からも嘆息……じゃなくて、安堵したかのような溜息を聞こえた。カモ君だ。

 僕は傍の2人に聞こえないようにそっと話し掛ける。

 

(どうしたの、カモ君?)

(いや、…此れは恥ずかしい所を。ついイリヤ“お嬢様”に睨まれたと思うと、その…身体がですねぇ)

 

 ―――お嬢様。

 カモ君は何故かイリヤの事をそう呼ぶ。

 

 あれは、イリヤと知り合った翌日だっただろうか?

 朝のホームルームを終えて、早速カモ君に友達になったイリヤを紹介した後。

 

『兄貴が仕事の合間に俺っちは友人兼舎弟兼使い魔として、兄貴の為にもダチになったイリヤ嬢ちゃんと親交を深めて置くかねぇ……フフ…』

 

 とか言いながら、カモ君は怪しい笑みを浮かべて授業に向かう僕と別れ、図書室に篭るイリヤの所にそのまま残った。僕は教職の忙しさからその事をすっかり忘れてしまい、寮へ帰って暫くすると―――

 

『へ…へへへ……帰って来れた…兄貴……姐さん―――幾人の麗しい女生徒の匂いに導かれて……愛しき女性下着たちの夢に抱かれて……明日菜姐さんのパンツ達よ! 俺っちは帰って来たーーーーッ!!』

 

 ボロボロ傷だらけのカモ君がフラフラと朦朧としながら現れて、そんなワケの判らないことを叫んだ。

 直後、それを聞いていた明日菜さんに止めを刺されて完全に寝込んでしまったけど。

 そして、寝込んで魘されて―――

 

『や、助け、…た、食べないで、美味しくないから……ちょっ!? ぎゃっ! ご、ご勘弁をイリヤ嬢ちゃん…いや、お嬢さん。え、もう駄目?……って、ああっ!! 爛々と光る眼たちがっ!? ひぃいぃぃ~~…ゴメンなさいー! お嬢様~~! どうか御慈悲をーーー!!』

 

 そんな寝言を一晩中叫んでいた。

 正直、カモ君の事を知らない木乃香さんにコレを聞かれなかったのが不思議で堪らない。

 この翌日から…いや、寝言からカモ君はイリヤの事をお嬢様と呼ぶようになった。

 今も時々魘されているけど……一体、何があったんだろう?

 少し恐くも在るけど聞かずには居られない。けれどカモ君はガタガタ震えるだけで黙して語らず。

 イリヤにしても尋ねても「さあ」と、心底不思議そうに首を傾げるだけで未だに真相は闇のままだった。

 

 よく見ると今も僕の肩の上でカモ君の身体が少し震えていた。

 

(そんなに恐いの?……イリヤはとても優しい子だと思うけど、そんな酷い事するかな?)

(いやいやいや! …あ、兄貴! それは違う! アレを知らないからそう言えるだけで、イリヤお嬢様は()る時はとことん徹底的に殺るタイプの人間だ!! そもそもあのエヴァンジェリンと平気で同居しているようなお人……だから―――)

 

 恐怖に染まった眼の色と声を滲ませて必死に僕に訴えるカモ君。けど―――

 

(ヒィィィイィイ!!)

 

 突然、悲鳴を上げて最後まで言い切れずに言葉は途切れてしまう。

 気付くと、顔を逸らしていた筈のイリヤが振り返っており、女の子らしい仕草で首を傾げて「何?」と言いたげな視線を僕達に向けていた。

 でも険の篭った眼ではないし、悲鳴を上げるほど恐ろしい雰囲気は感じない。

 

(やっぱり、恐くないと思うけど。気のせいじゃ―――)

(……………)

 

 ―――ないかな、と言おうとしたけど、カモ君は無言で体を震わせるばかりで僕の声は聞こえてないみたいだった。

 

『♪~~……♪~~~』

 

 ふと気付くと、ホールに続く扉の向こうから音楽と誰かの歌声が聞こえていた。

 

「? カラオケ…?」

 

 昨日、帰りの電車に乗る前に立ち寄ったお店の事を思い出して思わず呟く。

 そんな機械この店に用意されていたっけ?

 その僕の疑問に那波さんが答える。

 

「ネギ先生が御手洗い方へ向かった後、あやかが用意していましたね」

「そうなんですか」

 

 そういえば昨日、釘宮さんか柿崎さんのどちらかが初めて触るカラオケの機械に戸惑っていた僕に、普通に家庭などでも使えるのがあるって言っていたような?

 それを持ってきたのかな?

 

「ええ、釘宮さん達が盛り上がるだろうとあやかにお願いしていました。それに何でもイリヤさんの歌がとても上手だそうで、また聞きたいとも言っていましたね」

「なるほど」

 

 確かにイリヤの歌は他の皆より飛び抜けて上手かった。何度でも聞きたいという気持ちは物凄く分かる。

 カラオケで歌っていたのはバラードとか、静かな感じの曲が中心だった。

 あと日本のアニメやゲームの曲にすごく関心を持っているみたいで、歌いたがっていたみたいだけど、何故か結局歌わなかったんだよね。何か酷く葛藤した様子で「自分のキャラじゃない」とかブツブツ言いながら。

 

「ネギ先生は、イリヤさんの歌を昨日聞かれたのでしたね」

「はい。那波さんの言うとおり、とても上手くて綺麗な声で、僕も皆さんも聞き入っていました」

「そうですか、それは私も楽しみです。ね、イリヤさん」

 

 僕の言葉に楽しそうに頷きながらイリヤに声を掛ける那波さん。

 

「う……そんなに期待されても……まあ、歌には自信がないわけじゃないけど―――その、ね…」

 

 言葉尻が小さくなり、イリヤは頬を薄っすらと紅潮させている。珍しく照れているようだ。

 会ってからまだ間もないけど、本当に珍しいと思い。何だか新鮮な姿だった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 カラオケに興じ、用意していたカードゲームやビンゴゲームなども行なった。

 そして程良くゲームに興じて腹ごなしが済んだ後、室内を暗くし、誕生日ケーキが明日菜さんの前に置かれた。

 蝋燭に火が灯された時には、イリヤが音頭をとって『ハッピーバースディ』を皆で歌い。明日菜さんが再び感激し、改めて今日は皆で誕生日を祝って良かったと思った。

 

 今、皆はケーキを食べながら談笑をしている。

 先のカラオケとゲームの余韻からか主にそれらに関する話題が上がっている。

 誰かの歌が、どの歌が上手かった、良かっただの。採点結果に不満があったり、満足していたり。

 ゲームの結果が悔しかったり、嬉しかったりしてその過程を、ああすれば良かったなどと、論じるように皆が話し込んでいる。

 

 しかし、しばらくすると話題も移り変わってきて村上さんが不意に思い出したようにイリヤに尋ねた。

 

「そういえば、イリヤちゃんってどうして麻帆良に来たの? 日本語も随分上手だし…留学?」

 

 その言葉に皆の視線がイリヤに集る。

 好奇めいた物が大半で、そんな注目を浴びるイリヤだけど動じる事無く。

 

「……まあ、そんな所ね」

 

 一瞬、考える素振りを見せてからそう答えた。

 しかしその答えに素っ気無さを感じたのか、柿崎さんが更に問い掛ける。

 

「それだけじゃ、ちょっと淡白すぎない? 答えるならどうして麻帆良を選んだのかー? とか、どの学部に入りたいーだとか、日本文化に興味があるーだとかさぁ、色々とないの?」

「麻帆良で日本文化は、ちょっと無理がありそう」

 

 問い掛ける柿崎さんの隣で釘宮さんがそんな尤もな事を呟いた。その意見は判らなくも無い。なにしろヨーロッパ文化そのものの風景ばかりだしね。

 まあ、そんな事より、問われたイリヤは少し困っているのかも知れない。表情には出していないけど、どう答えれば良いのか迷っているかのように沈黙している。

 詳しくは知らないけど、本人から聞いた話によるとイリヤは記憶喪失であり、麻帆良に居るのも記憶が無くて途方に暮れていた所を学園長の知人が保護し、その人が学園で預かってくれるように依頼した為だとか。

 今名乗っている名前も本当に自分の物だとかも判らないとの事で、その事も含めて色々と調査もしているらしく、学園長はしばらく様子を見る事に決めたらしい。

 そんな事情を簡単に話せる訳はないし、何より今日は祝い事をしており、その真っ最中だ。だからそんな重たい話をする訳にもいかない。

 なら適当に誤魔化すなり、話を逸らすなりすれば良いんだけど……3-Aの生徒達のバイタリティだと下手な答えは返って追求心を煽りかねない。だからといって嘘を吐くのも気が退けるだろうし。

 うーん、昨日、元々誘ったのは僕な訳だし助け舟を出すべきだよね。

 

「それとも、もしかしてホントにお姫様だとか? それで実は病気で療養の為に麻帆良を訪れているとか?」

「椎名さん。それならもっと自然豊かで静かな場所を選ぶでしょう……まあ、しかし、確かに名前にある“フォン”の称号はドイツの貴族に付けられるものですし、イリヤさん自身にも品格があり―――」

「えっ!? じゃあホントの本当にお姫様ってこと!?」

「ほえ~、すごいなぁ、イリヤちゃん!」

「それじゃあ、お城とか、宮殿とか、そんな豪華で羨ましい所に住んでるの?」

 

 やっぱり流石3-Aというべきか? 僕が口を挟む間も無く勝手に話が大きくなっていく。麻帆良の滞在理由から一転して素性の追求―――いや、もう勝手な確信に入っていた。

 詰め寄られて今度こそイリヤは、眉根を寄せて顔に困ったと表している。

 僕もどう口を挟んで良いか悩む。

 

「はいはい、みんな落ち着いて。イリヤさんが困っているわよ」

 

 そんなワイワイと騒がしく成りつつある中、穏やかなのに不思議と確り耳に響く声が那波さんから発せられた。

 途端、シンと静まる店内。

 

「イリヤさんはまだ麻帆良に来たばかりでそう落ち着いても無い状況よ。だからこの広い学園で何かするにしても、時間が掛かるのだと思うわ。それに何か言い難い事情も在るのかも知れないし、アレコレと変に詮索して騒ぐというのは……―――どうかしら?」

 

 ―――どうかしら?

 と。朗らかな笑顔を浮かべながら、穏やかな口調と声色で皆に判断を委ねる問い方だけど、「もうこの話題はお仕舞いにしましょう」という有無言わせない迫力が那波さんから感じられた。

 ……少し恐い。

 

「そ、そうだね。私もそんな…すごく聞きたいってワケじゃないし、何となく気になっただけだから…あ、アハハ…」

 

 話題の発端となった村上さんが引き攣った笑顔でそう答える。

 それに皆も無言で頷いて相槌を打つ。

 

「は、はは…昨日注意されたばかりなのに、つい調子に乗っちゃった……ゴメン、イリヤちゃん」

「確かに少し不躾でしたわね。すみません、イリヤさん」

 

 椎名さんと、いいんちょさんが軽く頭を下げて謝る。

 イリヤは「うん」と頷いて謝罪を受け取り、那波さんに視線を向ける。那波さんはその視線にホホホと笑みを向けるだけだった。けど…。

 

 ―――もしかして…。

 

 そのやり取りで那波さんは、イリヤの事情をある程度知っているのでは? と思った。

 

「わかってくれて嬉しいわ。さすが私のあやかと夏美ちゃんね」

 

 またしても今一理解できない言い様をして、にこやかに微笑む那波さん。

 その言い様に御手洗い所でイリヤと一緒に居た事が頭に過ぎった。

 それに今思い返すと料理を摘んでいたお昼時にも那波さんは、イリヤに積極的に話しかけていた筈。

 カラオケやゲームで遊んでいた時も、皆とイリヤの間を取り持って会話を絡めていたような気がする。

 

「あの那波さん、もしかしてイリヤのこと……」

 

 皆が気を取り直すように別の話題に移り、談笑する中で機を見計らって那波さんに話しかける。

 

「イリヤさんがどうかしましたか?」

「あ…えっと」

 

 よく考えるとどう尋ねればいいんだろう? 記憶喪失だと知っているんですか? なんて言えないよね。

 那波さんが本当は知らなかったら心配させるだけだろうし、黙って教えたとなんて思われたらイリヤもきっと怒るだろうし……うむむ。

 

「なるほど、ネギ先生もご存知なのですね……記憶喪失のこと」

「あ、はい」

 

 悩んでいる僕を見て聞きたかった事を察したらしく、那波さんはそれを口にした。

 そして僕の事を暫くジッと見詰め。

 

「うん、それなら余計な心配だったかしらね」

 

 一人納得したように、いきなり満面な笑顔でそんな事を言った。

 何だろうと思い尋ねたのだけど、那波さんは何でも無いと言うも「イリヤさんとしっかりと仲良くしてあげて下さい」と、さり気無くもまるで念を押すように続けて言って……村上さんの傍に行った。

 ただ、その仲良くしてと言われた時、にこやかな笑顔の中にさっき皆を注意した感じにも似た異様な迫力を僕は覚え……強く印象に残った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「あーー楽しかった。こんなに楽しかった誕生日は生まれて初めてね。……多分」

 

 帰宅した早々明日菜さんが両手を高く上げ、身体を解すように伸ばしながらそう言った。

 多分、楽しさの中に疲れを覚えたのだろう。

 

「うん、アンタにももう一度言っとくわ。……ありがとねネギ」

 

 今度は照れた様子を見せず、いつもの明るく見ている方が元気になるような笑顔だった。

 

「いえ、楽しんで貰えて良かったです」

 

 僕も今度は変な感じがせず、いつもの通りに返事をする事ができた。

 木乃香さんは、そんな僕達のやり取りを楽しそうに笑顔で見つめながら、今日の夕食をどうするか尋ねてきた。

 

「うーん、なんかお腹いっぱいな感じだし、いいわ」

「僕も遠慮しときます」

「ふふ、そやね。特にネギ君はいっぱい食べたもんなぁ」

 

 いいんちょさんに食べさせられた事を言っているのだろう。木乃香さんがクスクスと微笑ましそうに言う。

 そんなやり取りをしながらリビングに入り、それぞれが荷物を置いて。明日菜さんは中でも目立つ大きな紙袋を部屋の中央にあるガラステーブルの上に置いた。

 皆から貰ったプレゼントの入った袋だ。

 明日菜さんは丁寧な手つきで、紙袋から包装された様々な大さきの箱や包みを取り出していく。

 

 そんな姿を見ていると昨日、東京で皆が買っていた物を思い出す。

 僕と木乃香さんはオルゴールと衣服類で、釘宮さんは音楽CD。柿崎さんは化粧品。椎名さんは猫の写真集。イリヤは―――えっと…あれ? イリヤは何を買ってたかな?

 昨日立ち寄ったお店と、その中でのやり取りを必死で思い返す。

 むむむ…と、僕が内心で唸っている間に明日菜さんは包装を丁寧に剥がして開封していた。

 

「えっと、このオルゴールと服は、木乃香とネギのだったわよね」

「そやよ、CDと化粧と猫の写真はくぎみー達ので……このミニ天球儀は千鶴でぇ、厚い本…小説は多分、夏美ちゃんのやね」

「あの娘、演劇部だからね。でもこんな分厚い読み物。私、辞書ぐらいしか手にした事がないわよ」

「しっかり読んであげんといかんよ。―――と、これはあやかのやろか?」

「分かってる。ん…へぇ、アイツ……わざわざメッセージカードなんか付けて、まったく……言われなくても感謝してるわよ」

「ふふ、中は髪留めとブローチかぁ…いいんちょの贈り物って事は、結構な代物なんやろうなぁ」

「まあ、お金だけは無駄にあるものね」

 

 テーブルの上へ、所狭しにプレゼント広げてお喋りする明日菜さんと木乃香さん。

 よくよく思えば、別に考え込まなくても此処で直接見れば良いんだった。

 視線をテーブルの上に向ける。

 釘宮さん達のは昨日見ている。那波さんのミニ天球儀は小さいけど細工が確りとした立派な物だ。村上さんの小説は西洋古典だろう、明日菜さんが読むのは大変そう。いいんちょさんの髪留めとブローチは見た目こそシンプルだけど多分高価で何処かの有名なブランド品だろうか?

 ……で、イリヤのは。

 

「何だか随分と貧相というか…何処にでもありそう紙包みねぇ」

「…」

 

 明日菜さんの言葉に頷くだけの木乃香さん。

 2人の視線の先には小さな白い紙包み。

 

「……確か、時間が無くて包装とかする間もなかった…って言ってたような…?」

「ああ、そういえば約束の時間にも遅れて走って来とったなぁ」

 

 木乃香さんと2人、イリヤを弁護するような事を言ってしまう。

 

「ふーん、ちょっと意外ね。もっと確りした子だと思ってたんだけど」

 

 そう言いながら包みを開く明日菜さん。

 僕もその時に少し意外に思っていたんだけど、何かあったんだろうか? 今思うと遅れた理由を聞いていない。

 

「シルバーのアクセね」

「へぇ…綺麗やな。これはユニコーンやね……ええなぁ、これ」

「あ」

 

 包みから出てきたのは細工が立派な銀製のペンダント。このかさんの言うとおり、直径5cm程の楕円の盤にユニコーンが描かれて、その眼の部分には青い小さな宝石を飾り、盤の淵にはドイツ語と思われる言葉が彫られている。

 

 直訳すると…意味は「掛かる災厄から、貴方を護る」かな? これもしかして―――

 

「こういうグッズには目がないからねぇ、このかは…」

「あはは、…あれ、包みの裏に何か書いてあるえ」

「うん? 『出来れば、肌身離さず身に付けていて欲しい』…?」

「…!」

 

 明日菜さんの言葉に確信する。

 

 ―――やっぱり、そうだ。

 僕はつい嬉しくなる。この事を早く明日菜さんに伝えたい。でも木乃香さんが居るので言うことが出来ない。

 木乃香さんの事を邪魔だとか思うわけじゃないけど、なかなかにもどかしい。

 明日菜さんは大した物じゃないと思っているかも知れないし……いやいや、明日菜さんが人から受け取った誕生日の祝い物をそう思う訳は無いよね。あんなに嬉しそうだったんだし……失礼な考えだ。

 そんな事を考えていると、木乃香さんがお風呂を沸かしに立ち、シャワーで良いと言うアスナさんに、明日の修学旅行に備えてしっかり疲れを取っておかないと、と言い含めてリビングを出て行った。

 

「明日菜さん」

「ん、何?」

 

 木乃香さんがリビングから離れるのを見計らって声を掛ける。

 明日菜さんは、テーブルに広げたプレゼントや包装紙などを片付けながら返事をする。

 

「そのイリヤのペンダントなんですけど、それ本物の御守りだと思います」

「へ…本物って?」

 

 明日菜さんは片付ける手を止めて、僕の方へ振り返る。

 尋ねる明日菜さんを見て、ふと今更ながらに気付く。イリヤが魔法関係者だと言って良いんだろうかと。

 

「? どうしたのよ?」

 

 話しかけた筈の僕が黙り込んだので訝かしむ明日菜さん。

 う…でも、何だかんだ言って明日菜さんは僕の事を黙って居てくれるし、イリヤも多分、判って渡したのだと思うし……良いよね。イリヤには明日菜さんにバレた事を教えているんだから。

 そう結論付けて「いえ」と一度首を振ってから答える。

 

「言葉通りで、その…魔法の道具だという意味です」

「えっと……それって、イリヤちゃんもアンタと同じって事? それとも私に贈った物が偶然そうだったって事なの?」

 

 偶然……そういえば、そうとも考えられるか。

 でも、包みの裏に書かれていた文字の事を考慮すると違うだろう。

 

「僕と同じという事です」

「あーー…やっぱし、そういう事になるのか……うん、納得。アンタの知り合いなんだもんね」

 

 僕の答えを聞いて何故か? アスナさんは肩をガックリと落として返事をする。

 なんだろう? ガックリとする理由がわからず首を傾げる。

 

「まあ、いいわ。それでこのペンダントが魔法の道具ってどういうこと?」

 

 ペンダントを手にし、僕に見せ付けるようにして尋ねてくる明日菜さん。

 それに、これまで黙っていたカモ君が答える。

 

「さっき兄貴が言ってただろ。本物の御守りだって」

「そうだったわね。……じゃあ、何か御利益があるとか?」

「そこまでは、わかりませんけど…」

 

 そう言って僕はペンダントを渡してくれるようにお願いし、頷くアスナさんから受け取る。

 純粋に興味もあったけど、勿論確認する為だ。しかしペンダントからはとても変わった魔力を感じるばかりで、術式も複雑且つ知らない物だった。結局、詳しい事は判らない。

 ―――それでも害を与えるような邪な感じはないし、護りや厄除けらしい付与効果を何とか感知する事はできた。

 

「凄いな、これ」

「ああ、かなり高度な代物だ」

 

 僕の肩に乗って覗き込むようにして、ペンダントを見るカモ君が同意する。

 代わって魔法を知らないアスナさんは怪訝顔だ。

 

「何か判ったの?」

「いえ、見たことも無い術式で詳しくは」

「え~~」

 

 僕の言葉に得体の知れない物を対して不審を抱いたのか? 不気味そうな視線を向けて来る。呪いのアイテムに思われたのかも知れない。

 慌てて僕は誤解を解く。

 

「ただ、お守り―――護符(アミュレット)としての効果は確かですし、包みに書かれていた通り、身に付けていた方が良いと思います」

「そうなの?」

 

 それでも理解できない為だろう、アスナさんは懐疑的だ。

 そこにカモ君がフォローするように口を出す。

 

「兄貴の言うとおりだ、姐さん。これだけの物を身に付けないなんて損だぜ、妖精の俺っちも保証する」

「アンタに言われてもねぇ」

「あ、ひでぇなあ、真面目に答えてるのに…」

 

 カモ君の抗議に「ハイハイ」とおざなりに返事する明日菜さん。だけど、

 

「まあ、アンタ達がそこまで言うんだから信じてあげる。それに折角のプレゼントだしね」

 

 そう言って僕の手からペンダントを取り、その鎖と一緒に首に手を回してユニコーンの飾りを胸元にぶら下げた。

 

「よし…って、あんたヤケに嬉しそうね」

「はい、イリヤが昨日会ったばかり―――いえ、本当なら今日知り合う筈の明日菜さんの為に、こんな立派で凄いプレゼントを用意してくれましたから」

「んな、大袈裟な」

 

 明日菜さんは呆れたように苦笑する。

 だけど、僕は考えを変える積もりは無い。何故なら本物の御守り―――アミュレットを渡すって事は、その渡す人をしっかりと想い案じているという意味だから。

 僕の話でしか聞いていなかった筈の明日菜さんの事を、イリヤは大切に考えてくれたのだ。

 嬉しくない訳がなかった。

 

「いやいや、兄貴の言うとおりかもな」

 

 苦笑するアスナさんにカモ君は言うも、僕の考えと同じと言う訳ではなく。もっと別の意味でそれを口にした。

 それはアスナさんを驚かせ、僕も驚く事だった。

 

「あの金髪の姉さんの贈りモンは、正直よく判らねえけど、多分、それよりもずっと値が張る筈だぜ」

 

 では幾らなのか? カモ君から「これも推測だけどな」と注釈付で具体的な値段を聞き―――アスナさんはペンダントを身に付けるのに気後れし、返却するべきかを本気で悩みだし。

 僕は開いた口が塞がらず、木乃香さんがリビングを訪れるまでずっと思考が停止していた。

 

 結局アスナさんは、僕の説得と改めて強調して言うカモ君の注釈を信じて値段の事を考えないようにしたらしい。

 

 こうして夜が更け、アスナさんの15回目の誕生日は過ぎ去り、修学旅行当日の朝を迎える。

 ただ、僕は疲れを感じていたようで、意外にも直ぐに眠りにつき、目覚ましのベルが鳴るまでぐっすりと休む事と成る。

 

 ―――本当なら、もっと明日のことで目が冴えていても可笑しくない筈なんだけど……まあ、いいかな。

 

 

 




イリヤがカモに行なったお仕置きは…猫拳と答えて置きます。

カモはマタタビやカツオ節の粉を浴び、ウインナー等で作った鎖で拘束され……猫の集団に―――


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第3.5話―――異邦人の過ごす一日

 ジリリ、ジリリと、けたたましさを覚える時計のベルを耳にして眼を覚ます。

 覚め切らない鈍い思考に代わって条件反射的な行動で手が伸び、クラシックな外見を持つ時計を軽く叩いてけたたましいベルを止めた。

 

「ふあ…」

 

 目覚めたばかりの為に欠伸が出るも、身を起こして私は両手を上げて思いっきり身体を伸ばし、

 

「うーん……よし!」

 

 気合を入れるようにして声を出した。

 毎朝そうする事で私は眼を覚ました実感を手にする。

 

 ベッドから降りて更に軽く屈伸運動をした後、部屋に備え付けられたクローゼットから着替えを取り出す。

 取り出したのは、麻帆良学園本校女子中等部の制服だ。

 どうして私が制服を持っているのかというと、学園長の許しがあるとはいえ、私服姿―――しかもフリルたっぷりのゴスロリ服―――で校内を歩き回るのは問題ではないかという指摘がなされた為だ。

 尤もそれ以前に、生徒でも無い少女が校舎を出入りすること自体問題ではないかという意見があったのだけど、そこは学園長の許可とそのお爺さんが私に与えた特別留学生なる肩書きが一応抑えてくれている。

 まあ、実際は学園長のゴリ押しと、その他教師陣達の妥協の産物というべき物なんだけど……ただ、私としても学内であんな目立つ姿で居るのは避けられるので、ゴリ押ししてくれた学園長と妥協してくれた諸先生方には、感謝以外の気持ちは持ちように無いのだけど…。

 

 そんな他愛も無い事を考えながらも着替えを済ませ、化粧台に付属する大き目の姿見で身嗜みを確認してから私は自室の扉を開けた。

 廊下を抜けて洗面所に向かい。洗顔などを済ませて再度身嗜みを整えると、今度は台所の方へ足を向ける。

 台所に続く扉を開けると、そこには私と同じく制服に身を包んだ同居人である機械の少女の姿があった。

 

「おはよう、茶々丸」

「はい、おはようございます。イリヤさん」

 

 挨拶をすると、彼女はいったん作業の手を止めてこちらに確りと振り向き、丁寧にお辞儀をしながら挨拶を返す。

 見る度に気軽に返事をするだけで良いのに…と思うのだけど、その一方でこの方が彼女らしくて良いかな、とも思って何となく笑みが零れた。

 そうして挨拶を交え、私はエプロンを身に付けると茶々丸の傍に立って彼女の作業―――朝食の仕度を手伝い始める。

 そう、当然のように家事を手伝っている私だが、此処へ来た当初…手伝いを申し出た時、茶々丸は強く反対していた。

 彼女にしてみれば、主人の家でそのような雑事を行うのは従者である自分の役割であり、主が許し招いた客である私にそのような事させるのは言語道断なのだ。

 けれど逆に私にしてみれば、幾らお客扱いされようと実際はお世話になるばかりの居候の身に過ぎず、何もしない事は心苦しくまた我慢出来ない事だった。

 結果、若干揉めたものの、最終的に家主から「やらなくても良い事を、わざわざやりたいという奇特なこと言っているんだ。好きにさせたらどうだ」などと鶴の一声が出て、この居候先に於いて私の家事手伝いが認められた。

 とはいえ、私は茶々丸ように家事の知識が豊富に在る訳では無く、手際も良い方ではない。

 事実、料理の最中に鍋を焦がし掛け、洗濯物の脱水をうっかり忘れたり、掃除でも手の届かない所の埃を落とそうとして足場の椅子から転げ落ちそうになったりした。

 しかし、流石にどこぞの(タイガ)のように足を引っ張るほどでは無いと思う……―――けど気の所為か? 茶々丸の傍に立つと嫁入りしたての娘が姑から家事を学んでいるような感じを覚える。

 茶々丸自身感情を表さないし、表情も基本的に無愛想だし、言葉にも出さないのだけど。何故かこうして一緒に家事をしていると彼女から学ばせようといった気迫を感じるのだ。

 

 ………気の所為かもしれないけど、教わることが多いのも事実な訳だし、ともかく頑張ろう。

 

 

 手伝いを始めてから20分ほど経過して仕度を終える頃になると、

 

「……おはよう」

 

 そんな眠たげな挨拶と共にこの家の家主であるエヴァさんが台所に顔を出した。

 ちなみに寝間着姿のままである。

 

「おはようエヴァさん」

「おはようございます。マスター」

 

 私は気軽な感じで返し、茶々丸は先と同様に丁寧な挨拶を返す。

 エヴァさんは返事の挨拶を受けると、視線を私達からキッチンの中央にあるテーブルの方に移した。

 

「今日は洋食か」

 

 目にした料理―――切り分けられたフランスパン、アボカドとトマトとベースにしたサラダ、コーンクリームスープなど―――を見て彼女はポツリと呟き、

 

「ふあ…」

 

 と、口元に手を当てて眠たげに欠伸を零した。

 

 

 

 仕度を終えてリビングへ出来上がった料理を運ぶ。

 エヴァさんは当然のように手伝う事は無く、先にソファーに座って料理がテーブルに並ぶのを待っていた。

 それに茶々丸と私も別に文句は無い。茶々丸にとっては仕えるべき主人であり、私に至っては単なる居候なのだ。

 

 テーブルに並んだ料理は2人分。

 エヴァさんと私の分だ。茶々丸は私達が食事を取っている間はまさに従者宜しくエヴァさんの傍で控える。

 私が目にしていた二次創作では、何かと理由付けて主人公は茶々丸にも食事をさせていたが、私はそんな気を起こさなかった。

 実際、茶々丸には食事は必要無く。それがそれほど意味のある行為に思えなかったからだ。

 第一―――

 

「坊や達は駅前に集合している頃かな」

「集合は9時でしたので、まだかと……マスターは呪いの所為で修学旅行に行けず、残念ですね」

「…おい、何が残念なんだ。別にガキどもの旅行など」

「いえ、行きたそうな顔をしていたので……違いましたか?」

 

 ―――と、このように食事の間にも彼女との会話はあり、エヴァさんは茶々丸を無碍に扱っている訳ではないのだ。

 それに―――

 

「アホか。それより、お前は行っても良いんだぞ。行きたいだろ?」

「いえ、私は常にマスターのお傍に」

「……ふん」

 

 エヴァの問い掛けに応じる茶々丸。それに鼻を鳴らしながらも何処となく満更ではない様子を見せるエヴァさん。

 

 ―――こうして見ると、この2人の“主従”と言う間には侵し難い確かな繋がり……絆が在るのだから、居候である以前に赤の他人に過ぎない私が口を挟むのは間違いだろう。

 

 また―――

 

「それにしても融通の利かないっていうか…変な話よね。学校には通わせるのに、学業である筈の修学旅行には参加できず、なのに登校はその間にもさせるなんて。…休日や祝日なんかは確りと区別付けているのに」

「だからこその“登校地獄”なのだろう―――と言いたいが……はぁ、馬鹿げた魔力で適当に且つ即興で術式を組んだ為だな。…奴らしいと言えばそれまでだが」

「サウザンドマスター……千の呪文を持つ魔法使いと呼ばれるのに、何とも似つかわしくないものですね」

 

 溜息を吐きながら私に答えるエヴァさんと無表情に感想を零す茶々丸。

 

 ―――こうやって私が会話に交じる事も許し、まだ慣れない感はあるけれど、食事中にも3人で楽しく思える時間が在るのだから問題は無い。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 朝食を終え、エヴァさんが着替える合間に私は後片付けを行っていた。

 茶々丸は彼女の着替えを手伝うので後片付けは一人で行う事に成る。

 

「これでよしっ…と」

 

 最後の食器をキュッと拭き終え、次に種類ごとに分けて棚に戻す。

 その途中、

 

「こっちは終わったぞ」

 

 廊下からエヴァさんのやや大きめな声が聞こえた。

 

「こっちももうすぐ片付くから、ちょっと待って」

 

 そう私も大きめに声を上げて返事をし、片付けを急ぐ。

 程無く終えて玄関に向かうと2人が待っており、私の姿を見止めると、

 

「行くか」

 

 エヴァさんは、そう短く告げて玄関のドアノブに手を掛けた。

 

 

 

 登校は徒歩の他、麻帆良学園構内を走る電車も利用する。

 私達は同様に登校する他の生徒達の中に混じって、学園でも中央に位置する女子本校中等部の校舎へ向かう。

 

 そして十数分後、校門を潜って校舎に入ると私はエヴァさん達と別れる。

 

「ん…じゃあな」

「ええ、またお昼頃に会いましょう」

 

 エヴァさんは軽く手を振り、茶々丸はペコリと頭を下げ、2人は私が向かう先と反対の廊下を歩いて行った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 私が向かった先は学園長室だった。

 魔法学などの師事という理由もあるが、今日はまた別の用件があった。

 学園長と挨拶を交わすと早速その用件に話題が移る。

 私は腕にしていた銀のブレスレットを外し、学園長に手渡しながら口を開いた。

 

「これが以前から言っていた例の物よ」

「ふむ…どれ」

 

 学園長は受け取ったそれを昨日のエヴァさんと同様に注意深く鑑定する。

 そう、それは一昨日の晩に私が制作したあのアミュレットだ。

 彼にはエヴァ邸での居候が決定した翌日から、錬金術を使って魔法具の製作を行う事を相談しており、必要な道具や材料などを提供して貰っていた。

 ただし、それを職とする事までは相談しておらず、こうして出来栄えを評価して貰った後にそれを申し出る積りだった。

 

 暫くし、鑑定を行なう学園長に求められて、昨日の実験内容とその結果を話ながらアミュレットの機能を説明する。

 今回実験的に制作したこのアミュレットの機能は、所謂『魔除けの加護』―――つまりは対魔力の付与である。

 昨日行った実験を見る限り、その性能は魔術的に言えば、Dランク相当……『魔法の矢』と同ランクの低位魔法であれば、例え至近…零距離でも完璧に無効化できる事が確認された。

 おそらく秘めた概念から考えるに、術者の魔力出力や魔法に込められた魔力量に関係無くDランク―――低位以下と規定された魔法は完全に無効化される筈だ。

 また使用者の元々の対魔力ないし魔法抵抗値が高い場合は、更に上ランクの魔法にも多少の軽減効果を発揮すると思われる。

 尤もその場合、アミュレットに掛かる負荷が大きいから破損・損失する値も大きくなると思うけど。

 しかし、たかが低位魔法の無効化とはいえ、その機能を侮ることは出来ない。

 何しろこの世界の魔法戦闘に於いて、低位に位置する『魔法の矢』は戦闘の基本であり、戦術の応用性にも優れた汎用性の高い攻撃魔法なのだ。加えて無詠唱としても扱い易い。

 特に“魔法剣士”などスタイルを持つ魔法使いにとっては、使用頻度はとても高く、その他の詠唱の短い…もしくは無詠唱化し易い低位魔法はほぼ主力である。

 その低位魔法がアミュレットを身に付けるだけで、魔力値に関係なく無効化されて一切封じられるのだ。それがどれ程のアドバンテージであるかは大きく語るまでも無い。

 

「むう…」

 

 当然、学園長も理解できるのだろう。眉間に皺を寄せて難しげに唸った。

 

「……まったく、君から魔法具を制作すると聞いた時はどんな物が出て来るかと思ったが、予想以上にとんでもない物が出てきたのう」

 

 更に溜息を吐きながらそう言う。

 

「一応聞くが、製法を開示する気はあるのじゃろうか?」

「お世話になっている上、道具や材料を提供してくれた貴方には悪いけど…」

 

 学園長の問い掛けに私は首を横に振った。

 こんなまだ誤魔化しの効くアミュレットなどの魔道具や礼装ならば兎も角、“魔法”との違いが明らかで誤魔化し難い製法を―――つまり“魔術”そのものを公開する気は無い。

 魔法理論とは異なる、魔術回路や魔術理論の存在を知られて厄介事を招くのは御免なのだ。

 勿論、このアミュレットを知れば製法を―――技術に関心を抱き、欲する人間は出て来ると思う。しかし魔術という未知の技法が存在すると知られず、制作した……或いは、これから制作するアミュレット等がこの世界の魔法技術でも製作出来ると思われる内ならば、無茶をする輩はそう多くなく。危険も大きくは無い筈だ。

 多少楽観的かも知れないけれど、実際、魔力を使う以上は魔法とは似通った部分はあるし、材料もこの世界の物が使えたのだから、分析なり、研究なりすれば、魔法でもまた似たような物が作れる筈……性能までは流石に保証出来ないけど。

 それに製作者としては一応素性を隠して匿名を使う積もりだし、基本的に販売などの流通や材料などの調達も、この目の前に居るお爺さんを頼る積もりなのだ。

 彼なら製作者(わたし)の素性を大きく公にせず、魔道具や礼装を売りに出せるだろう。

 

「いや、構わんよ。公開する積りであったら逆に諌めておった所じゃ、賢明だと思う」

 

 事実、製法の開示を拒否する私の返答に、このように応じられる慎重かつ思慮深い人間であり、その上で善良な人格者でもある。信用は出来る。

 とはいえ……いや、だからこそ、やはり色々と疑問と不審に思う事もあるのだろう。

 

「しかし、このようなわしも知らぬ術式……以前見させて貰ったカードもそうじゃが、一体どこの系統の魔法なのかのう?」

「さあ? 私の覚えている範囲…というか知識じゃあ、人界との関わりを捨てた偏狭な魔法使いの一族が、錬金術の一種として研究していたらしい……という事しか判らないわ」

 

 何処となく探るような視線を向けてくる学園長に私はそう答えた。

 まあ、一応嘘でも誤魔化しでもないと思う。

 事実として頭の中にある知識では、その偏狭的な一族(アインツベルン)が扱い、研究していた技術となっているし、アミュレットもその技術―――錬金術で制作した物なのだ。

 ただ“魔法”では無く、“魔術”であることを隠しているだけで。

 

「ふむ、君の失ったという記憶には興味が尽きぬな」

 

 学園長もそれを……隠し事はしていても嘘は言っていないと感じたのか、それだけを口にして追及はしなかった。

 代わりに別の事を尋ねてくる。

 

「そう言えば、昨日は明日菜君の誕生日にこれを贈ったのじゃったな」

「ええ…正確には、これよりももっと上等な代物をね。丁度出掛け先で質の良い銀細工も見つかったし、それがあの子の誕生日祝いの為という事にも縁を感じたし、それも製作を予定していた翌日だっていうのもね」

「……ふむ」

 

 私が答えると学園長は僅かに考え込む。

 

「?…どうかしたの?」

「ん…いや、そっちのアミュレットはどんな感じなのかと思ってのう。今手元にあるものより上等だというし」

「ああ、アスナのは『魔除け』の方はそれと大して差は無いけど、追加として幾つか高度な加護効果を付与してあるわ」

 

 学園長が抱いたものを何となく察するが、私はあえて気付かないふりをしてアスナに贈ったペンダント型のアミュレットの説明を行った。

 

 その説明後、学園長は私の申し出―――アミュレット製作を職にする案を保留にし、私達は何時もの魔法学の講義に入った。

 保留した理由は詳しく話されなかったけど、とりあえずもう少し考えさせて欲しいとの事だった。

 若干残念に思ったものの、明確に否定された訳も無いのでそれだけ彼は慎重に検討したいのだろうと思い。私も理由を追及せずにあっさりと引き下がった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 学園長―――関東魔法協会理事たる彼直々による魔法学の講義を終え、私は学園長室を後にする。

 基本、今日のように講義は午前のみで午後は無い。以前にも言ったが学園長はあれでも忙しい身の上なのだ。

 それにも拘らず、彼が私にこうして個人指導を行うのは、自分やエヴァさん等以外に私の事を任せるのが不安であるかららしい。

 口にはしないがそんな雰囲気を学園長からは覚える。

 

 

 さて、取り敢えず今日の講義は終わったけど、一人で家に戻るのは監視対象兼保護対象である私には問題がある。

 そういう事もあり、私はエヴァさんが帰宅する時間までこの校舎で過ごさなければならない。

 ふと腕時計を確認する。時刻は11時半で若干お昼には早い。まあ、何時もならそれでもこのままエヴァさんと合流するのだけど………ふむ。

 私は少し考え込み―――屋上で暇を潰しているであろうエヴァさん達の下へ向かわず、踵を返してある場所へ行き先を転じた。

 

 

 

 程無くして目的の場所の前に辿り着いた。その出入り口であるドアの脇には“3-A”と書かれた掛札が見える。

 そう、私はネギ達が修学旅行で留守だという事から、クラスの面々に顔を合わせる心配が無いその間に、この3-Aの教室を見てみようと思い立ったのだ。

 なんというか、聖地巡礼を行うオタク的な気分と思考のようなものだろうか。

 この身体のキャラではないような気もするが、原作のファンとしては折角の機会を逃したくは無い。

 

 しかしこの時、浮かれ気味だった私はとても重要な事を失念していた。

 原作の展開に下手な干渉を行わない為にも、“彼等と積極的に関わらないで置こう”と考えていたというのに……。

 

 そして意気揚々と教室の扉を開け―――それを目にした。いや……眼が合ったというべきか。

 

「……………」

「……………」

 

 予想外の何者かの存在を見、思わず互いに固まって無言で見詰め合う。

 そんな固まった空気の中、カランカランと音を立てて“彼女”の手から鉛筆がこぼれ落ちた。

 おそらく長年の暇潰しで、得意になった指での鉛筆回しを一人寂しく行っていたんだろう。

 

「……………」

「……………」

 

 ………確かに失念していた私が悪かった。けど、けれど…しかし、それでも何とか誤魔化そうと努力はした。

 顔が引き攣ろうとするのを何とか抑制し、視線も自然に、さも見えていないかのように装ってゆっくりと逸らした……逸らしたのだけど―――

 

「わ、私! 相坂さよって言います!! 見えているんですよねっ!? 私のこと見えているんですよねっ!!?」

 

 と。彼女は足の無い足で脱兎の如く勢いで、瞬きする間も無いほどの一瞬で距離を詰め。教室の入り口に立つ私の目の前でそう叫んだ。

 

「―――――っ」

 

 無視しようかとも思った。

 けれど周囲で…或いは耳元でわーわー叫び、必死に自分の存在をアピールする彼女―――サヨに半分呆れ、半分根負けして私は彼女に応えた。

 

「……うん、見えているわ」

 

 若干げんなりとしながら、そう彼女に告げると、

 

「うう…」

 

 サヨは嗚咽を漏らして「うわーん」と盛大に泣き始めた。

 突然泣き始めた彼女に驚き戸惑ったけど、直ぐにそれが嬉し泣きなのだと私は理解する。

 

 

 

 地味幽霊こと―――相坂 さよ。

 まったく、彼女の事を忘れているなんて何と言う失態だろう。原作ファンとしては致命的ではなかろうか?

 地縛霊である彼女が此処に居るのは当然なのに、何を浮かれて教室に来ているんだか…私は。

 自分の迂闊さに呆れと怒りを覚える。

 けど、こうして知り合ってしまったのだから仕方が無い。今更無碍に放って置くのもどうかと思うので、とりあえず落ち着きを見せたものの、未だに涙で瞳を濡らしている彼女に声を掛ける。

 

「…貴女、大丈夫?」

「ハ、ハイ…すみません。急に泣き出したりして」

 

 滲んだ声を出して私に答えるサヨ。

 

「でも、見えているのが嬉しくて…うれしく……て―――うう」

 

 再び嗚咽を上げて泣き出しそうになる彼女。

 私は、そんな様子のサヨに少し焦って宥める為に続けて声を掛ける。

 

「と、とにかく、嬉しいのは判ったから落ち着いて、泣かないで…」

「うう…す、すみません」

 

 はぁ…泣く子には勝てないって、案外ホントかも知れないわね。

 涙を浮かべるサヨを見てそんな事を思った。

 

 

 

「イ、イリヤちゃんって言うんですね。可愛い名前ですね。…あ、あの良かったら私とお友達になってくれませんか?」

 

 私も名乗り、自己紹介を済ませるとサヨはそんな事を言った。そして期待に瞳を輝かせてジッと私を見詰める。

 正直な所、どう言葉を返すべきか少し悩む。

 ここで彼女と知り合った事といい、今後これが”物語”どのような影響を与えるのか? 問題が無いのか考え―――

 

「うう…」

「―――ハッ!」

 

 気付くと彼女がまた瞳に涙を浮かべていた。

 …ホント泣かれると困るわね。私は苦笑する。

 

「そうね。こうして会ったのも何かの縁かも知れないし、友達になりましょうか」

 

 私は悩むのを止め―――まあ、諦めたとも言うけど、涙を浮かべて不安そうにするサヨにそう告げた。

 

「――――あ、ありがとうございます! 私、嬉しいです!」

 

 私の返事を聞いたサヨは、幽霊とは思えないほどの明るい笑顔を見せ、また違った意味での…不安ではない色の涙を瞳の端から滲ませて、そう嬉しそうに大きな声で応えた。

 

 そして暫くそのまま教室で話し込み。

 

「―――自分の死んだ原因が分からないの?」

「はい、それが全く覚えてなくて」

「でも、こうして地縛霊として括られているって事は、何か大きな未練があるって事よね?」

「う~~ん…どうなんでしょうね~? それも良く分からないんですよね~、何かあったような気はするんですけど」

 

 自分の大事なことの筈なのに全然気にした様子を見せず、可愛らしく首を傾げながらサヨは話す。

 彼女の死んだ理由は、少なくとも私の知る範囲に於いては…原作でも語られていない。残している筈の未練も同様だった。

 確か初期だか、旧設定とかでは、殺人事件に巻き込まれたと何かで見た記憶はあるんだけど……あと、学園長の級友だったとかいう話もあった筈。

 それならあのお爺さんに聞けば、何か判るのかしら?

 そんな原作での謎を考えるも、実はもう一つ気になっている事がある―――というか、私の持つ知識面が盛大に喚いているのだ。

 

 そもそも幽霊とは、一体なんなのか?

 私の(なか)にある知識では、第三要素(せいしん)で構成された思念体だとされている。云わば死んだ人間なんかの残留思念に過ぎないという事であり、死んだ本人の魂が現世に留まって居る訳では無いのだ。

 しかし目の前に居るサヨは、とても未練などのある種の強い感情で動く思念体―――そんな不安定な精神体には見えない。まるで生前の魂がそのままこの世に留まっているようにしか見えない。

 正直、在り得ない事だと思う。

 肉体が死に。何の器にも依代にも移さず、精霊の領域にも至っていない人間の魂が現世に留まるなど。

 そう、それではまるで―――

 

「―――っ」

 

 私は思考を振り払う為に首を横に振った。

 此処は“ネギま!”の世界だ。神秘に異なる法則や常識ぐらいあってもおかしくは無い。

 そう思う事にする。

 でなければ……―――

 

 

 

 そうしてサヨと話してしばらくするとチャイムが校内に鳴り響いた。

 それに気付き、教室の時計を確認すると正午を過ぎていた。

 

「お昼になったわね。それじゃあ、またね。私は―――」

「―――私も行きます!」

 

 サヨの席の隣―――アサクラの席に座っていた私が別れを口にしてそこから立ち上がると、彼女は叫ぶようにして言った。

 

「えっと…サヨ?」

 

 戸惑う私であるが、サヨは気付く様子は無く。尚も一方的に言葉を続ける。

 

「大丈夫です。地縛霊だけど学校の近くまでは動けますから、昼食のお供をするぐらい何でもありません!」

「あ…そう」

 

 私はその有無を言わせない勢いに呑まれて、思わず頷いていた。

 そして学食で同居人達と合流すると、その同居人の一人―――エヴァさんが目を丸くして私の方を見ていた。

 

「何と言うか…レアなイベントを引き当てたというか、惜しくも見逃したらしいな私は…」

 

 そんな感想を口にするからには、やっぱり彼女の目にも私の背後に文字通り()いているサヨの姿が見えているんだろう。

 しかしその隣では、

 

「何を言っているんです、マスター?」

 

 何時もの無表情で不思議そうに首を傾げている茶々丸がいた。その様子を見るに彼女の方には見えていないようだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「驚きました。まさかあの教室にこのような幽霊(ひと)が居たとは……」

 

 周囲に人気が無いテーブルに席を着くと、抑揚の乏しい声で茶々丸が私の方を見詰めながらそう呟いて驚きを示した。

 あの後、エヴァさんが何処からかゼンマイらしきものを取り出し、茶々丸の頭に嵌め込んで一巻きすると、彼女にもサヨの姿が見えるようになった。

 何でも、契約の因果線(レイライン)を使ってエヴァさんの霊感を茶々丸へ同調(リンク)させているのだとか。

 

「うう……嬉しいです。私が見えている人がまだ居たなんて…」

 

 その事実にサヨは再び嬉し泣きをする。

 そんな2人を余所に私とエヴァさんは、取りとめのない会話をする。

 

「しっかし、本当にレアなイベント引き当てたな、お前は…」

「……そうかも知れないわね。まさかこんな真っ昼間から、それも貴女達の教室で幽霊と出会うなんて想像もしてなかったわ」

 

 失念していた事が原因だとはいえ、ホント予想していなかった。

 エヴァさんの言葉を聞いて、サヨと出会った失態とショックがぶり返す。

 

「いや、私としてはよくコイツが見えたな、という感心もあるんだが」

「ああ、なるほど。サヨの話によると、どんな霊媒師にも霊能力者にも姿が見えなかったとか?」

「そうだ。コイツ……相坂 さよは、クラスに在籍する退魔師はおろか、魔眼持ちにすらこの2年以上見えていないという非常に地味な……いや、隠密性の高い幽霊だ」

 

 エヴァさんの指摘に私は、そういえばそうだったわね、と内心で呟く。

 まあ、深く考えても仕方ないけど、イリヤの一族は『第3法』を嘗て持っていた所だし、普通の魔術師も第2要素(たましい)第3要素(せいしん)を扱えない事も無いから見えても不思議ではないと思う。

 そんな事を考えていた所為か、エヴァさんが質問する。

 

「何か思い当たる事でもあるのか?」

「……どうなんだろう? 正直確証が無いから何とも言えないわ」

 

 そう答える。

 それはそうだろう。アインツベルンの知識やその技術の粋を結集したホムンクルス(イリヤ)の身体を持つからといって、サヨが見えていた明確な説明にはならない。ただ見えてもおかしくは無いという程度の話だ。

 エヴァさんも私が何とも言えない表情をしている為か、それ以上尋ねずに「そうか」と短く頷いた。

 

 そうして昼食の時間は、サヨの事をダシにしたお蔭で話題に事欠くことなく過ごせて、昼食を終えると再び私達は別れた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 私はこの女子中等部の校舎で過ごす時、学園長に師事が無い場合は図書室へ赴くことが多い。

 何故なら静かで自習や独学に向いており、休憩時間にも訪れる生徒はそう多くなく、人の目を気にする必要が無いからだ。

 ついでに言えば、時間を潰せる読み物に事欠かないという理由もある。

 当然のようにサヨが付いて来ている事を除けば、今日も何時も通りの自習か読書の時間になる……筈だった。

 というのも、テーブルの上に資料を広げる頃には―――私の話を聞いた所為もあるが―――魔法(オカルト)の実在を知った幽霊(オカルト)が好奇に瞳を煌めかせ、はしゃいで広げた資料に指をさしながら私に次々と質問をぶつけて来るからだ。

 とてもでは無いが勉強にならない。

 一応注意をして見たものの、キラキラと瞳を輝かせる彼女は中々言う事を聞いてくれない。

 実力行使して黙らせても良いんだけど、凡そ60年ぶりに出来た話し相手であり、友人である存在に感情を抑えきれないその気持ちは分からなくなかった。

 なので、私は溜息を吐きながらも仕方ないかと思い。今日は大目に見る事にしてサヨの質問に適当に応じる事にした。

 

「ん…?」

 

 そうしてしばらく過ごすと、視界の隅に生徒らしい少女の姿が入った。

 まだ授業中の筈では…と疑問を抱き、視界の隅から中央へその生徒の姿を収める。

 生徒の姿は2人。片方は本校の物だが、もう片方は本校では見掛けない制服を着ている。両者とも教科書、もしくは参考書らしい本と筆箱とルーズリーフを腕に抱えており、本棚へ視線を巡らせている。

 2人とも体格はやや小柄の方だが、容貌は整っており、可愛らしく美少女と言える。

 一人は、私と同じ本校の制服を着ていて、アスナにも似た栗色の掛かった髪をしており、彼女よりずっと短いもののリボンで結んで同じくツインテールにしている。

 もう一人は、十字のマークが入った学帽を被り、ブレザーではなくセーラータイプの制服を着ている。長く伸ばした黒髪を二つに分けて短く編んでおさげにしているのがチャーミングだが、顔に掛けた淵の大きいメガネが若干野暮ったい印象を与えている。

 その姿と髪型に、原作でも覚えがある気がして気に掛かって見ていると、2人の方からメイやらメグミやらと声が聞こえ―――誰か思い当たり、

 

「あ…」

 

 思わず声を零した。

 するとその声が聞こえたんだろう。2人がこちらに振り返り…私と視線が合った。

 眼が合った私と2人は、互いに何となしに軽く頭を下げて挨拶らしきものを交わしたが、その後は言葉も交わす事は無く。私は自習という名のサヨの相手に。彼女達は本棚の物色に戻った。

 私はそう思ったのだけど、

 

「あの、イリヤスフィールさんだよね」

 

 数分後、ツインテールの少女にそう声を掛けられた。

 声を掛けられた事に一瞬戸惑うも、私は頷いて「ええ」と答える。すると彼女は、にっこりと少女らしい笑顔を浮かべて自己紹介してきた。

 

「私は此処の2年の佐倉 愛衣(めい)。隣に居るのは…」

「麻帆良芸大付属中学の2年生の夏目 (めぐみ)よ」

 

 眼鏡を掛けた少女も笑顔を浮かべて自己紹介する。

 その2人の自己紹介を受けて、私はやっぱりと内心で呟く。

 この子達は原作でタカネと一緒に出ていた脇役の二人だ。ただメイの方は比較的登場比率が高い事もあって覚えているのだけど、メグミの方は余り記憶に無い。

 たしか学園祭編の時しか出ていなかったような…?

 そんなこと思いつつ声を掛けられた理由が判らず、微かに首を傾げていると彼女達は「相席良い?」と聞いて来たので、それに私が頷くと2人は対面に席を着いた。

 

「何か御用でしょうか?」

 

 一応外見上では相手の方が年上という事もあり、敬語を使って私は尋ねた。

 それにメイが答える。

 

「うん、……と言っても大した用じゃないんだけど。最初に言って置くけど、イリヤスフィールさん―――」

「イリヤと気軽に呼んで下さっても構いません」

「そう? じゃあイリヤちゃんはもう気が付いているかも知れないけど、私と萌は“アッチの関係者”なんだ」

 

 メイは自分が魔法協会所属だといきなり告げて来た。

 

「ええ、何と無くですが、見た時にそういった感じがありましたから、そうだと思っていました」

 

 メイに首肯しながら私はそう答えた。

 まあ、実際は原作で容姿に覚えがあったから気が付いたんだけど……にしても、わざわざ魔法関係者と名乗って私に話しかけるなんて、本当に何の用なのだろうか……?

 

「ごめんね。いきなり話し掛けられて戸惑っていると思うけど、ちょっと話をして見たかったから」

 

 メグミが私の思考を読んだかのように少し申し訳なさそうに言う。

 それでも戸惑いが抜けなかった私だったけど、話を続けて行く内にどうやらメグミの言う通り、彼女達は本当に私と“ちょっと話をして見たかった”だけだったようだ。

 要するに、あちらの関係者として職場に来た新しい同僚と交流を―――と言うよりも、彼女達の感覚で例えるなら、クラスに来た転校生に物珍しさを覚えて声を掛けて見た、といった感じだろうか?

 

「じゃあ、記憶喪失って話は本当なんだ」

「ええ、知識の方は一応あるんだけど、欠落しているというか曖昧な部分も多くて…」

「だからこうして勉強しているんだ」

「大変そうだね」

「ふふ、ありがとう。でもそれほど大変というほどじゃないわ。少なくとも勉強の方は楽しく感じているし、生活の方も学園長が確りと保証してくれているから苦労も無いしね」

 

 意外にも私達の会話は弾んでいた。

 正直、今時の子とのガールズトークなんて良く分からない。けれど私自身もそうなんだけど、彼女達もこの会話を楽しく感じているようだ。

 私への印象も良いらしく。口調も敬語から普段のものを許してくれている。

 会話の中で、彼女達が図書室へ来た理由も分かった。

 メイの方は授業が急遽自習になったそうで、真面目な彼女は折角なので参考書が多くある此処を利用しようと思ったらしい。

 メグミは、あっち方面の関係で学園長が居るこの校舎に用があったのだが、思ったよりも早くそれが済んだ為。空いた時間を使ってこちらの図書室で自習しようとした所、友人であるメイと偶然居合わせたそうだ。

 そしてそこで声を上げた私に気付き、話をして見ようと2人は思い立ち―――こうして今に至った訳である。

 

「仕事を回されるなんて危険じゃないの?」

 

 周囲に私達以外に誰も居ない所為か、次第に話が本格的にあちらの方へシフトして行き―――私のした質問にメイが僅かに首を傾げながら答える。

 

「うーん……危険か、危険じゃないかって言われたら確かに危険なんだと思うけど、修行の一環でもあるし―――」

「でも見習いの私達じゃあ、それほど危ないのは任されないよ。例えそんな任務をするにしても、任されるっていうよりは見学に近い感じだよね」

 

 メグミがメイに続いて言う。

 

「うん、基本的にガンドルフィーニさんや葛葉(くずのは)先生とか、ベテランの人達に同行して場合によっては、補佐をする…ってだけだもんね」

 

 メグミが何処となくホッとした感じで言ったのに対して、メイの口調には若干不満の色があった。眉根も少し依っている。

 

「なるほど、見習いの子供達には無暗に危険を犯させないよう、一応は徹底してる訳か…」

 

 2人の話に私は顎に手を当てて考え込むように呟いた。

 当然と言えば当然なのだろう。どうも原作の影響か、それとも二次作の影響なのか? 目の前に居るこの子達が危険な任務に身を置いているように思っていたけど、実際は違うらしい。

 考えてみれば、さっきも言ったように当たり前の話だ。

 どこの企業が社会勉強の為、体験入社した若者や学生に社員と全く同じ仕事を任せるだろうか? 私がさっきまで抱いていた考えは、そう言っているようなものだ。

 ……となると、ネギが今任されている修学旅行の件もそう捉えて良いという事なんだろうか? そういえば、原作でエヴァさんが事件を集束させた時に何かそれらしい事を言っていたような?

 そう考え込みそうになった私にメイが不満そうな声を出した。

 

「イリヤちゃんも子供なのに、それも年下なのに、そういうこと言っちゃうかなぁ…」

 

 むぅ…と、少し頬を膨らませて私を半眼で見る彼女。

 

「あ…ゴメン、メイ。そんな積もりは無かったんだけど、確かに気を悪くさせるわね」

 

 ついでに言えば、さっきの呟きは聞かせる積もりでも無かったんだけど…と内心で思う。

 メイは私の謝意の言葉に「うん、した」と冗談っぽく答えていた。けどその隣でクスクスとメグミが笑って、

 

「なんだか、どっちが年上何だか判らないわね」

 

 そう言い。「うう…めぐみさんまで、ひどい」とメイがこれまたふざけた口調で言ってクスクス笑ったので、釣られて私も自然と顔に笑みが浮かんだ。

 そうして魔法関係の話を交えながら談笑をするも私は、

 

 ―――純粋な魔法学だけでなく、魔法が関わる常識や法律などの社会も深く学ぶ必要があるわね。

 

 彼女達との会話を顧みて、そう心にメモを付けていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「あ、萌君も此処に居たのか、丁度良かった」

「え、明石教授!?」

 

 3人で話をしていると、突然男性の声が私達に掛けられた。

 声の方へ視線を向けると、眼鏡を掛けた一人の男性が私達の方へ歩いて来た。

 メグミに教授と呼ばれていたが、その人物は外見的には良く言って駆け出し学者か、どこにでも居るサラリーマンにしか見えない青年男性だった。

 けれど、彼が“あの明石教授”であるなら、間違いなく麻帆良大に勤める教授であり、関東魔法協会に所属する“魔法先生”の一人であり―――ついでに言えば、青年にしか見えない若作りな風貌もそう見えるだけであって、実際は40を越えた子持ち…というか、年頃の娘を持つ中年である筈だ。

 

「…………」

「教授?…どうしたんです。黙り込んで?」

「いや、何だか余計な事を言われた気がして」

 

 用がある様子だったのに、何故か一向に口を開かないアカシ教授にメグミが首を傾げ。教授は良く分からない返答をした。

 

「まあ、いいか。えっと…イリヤ君だったね。僕は麻帆良大に勤める講師なんだけど、これでも“あちら”の関係者でね。これを…」

 

 気を取り直した彼が私に視線を向けて、ファインダーされた書類と幾つかの本を渡して来る。

 

「これは?」

「学園長から預かったんだ。『イリヤ君にとって色々と参考になるだろうから、見掛けたら渡して置いて欲しい。多分、図書室に居るだろうから』…ってね」

 

 教授の言葉を聞いて私は「ふむ?」と多少怪訝に思いながらも、本の表紙と書類の中身をサッと簡単に目を通した。

 そして、なるほど、と納得して頷く。

 渡された書類と本は、魔法具とその素材や材料を種類や系統別に分けてここ近年の相場とその動向を記した物の他、販売・流通のルールといった法関連の書籍や、あちらの製造業に必要な関連免許の取得教材であった。

 これを見るに学園長は保留した割には、私の魔道具や礼装の製作に関して前向きに検討しているらしい事が窺えた。

 

「わざわざ届けて頂き、ありがとうございます」

 

 一通り確認を終えた私は、頭を下げて教授にお礼を言った。

 

「いや、どういたしまして……と、それで萌君」

「あ、はい。なんでしょうか?」

「さっきの件で少し―――」

 

 教授は、私のお礼に応えるとメグミを呼び…徐々に話しながら私達から離れて行った。

 おそらく私達には、あまり聞かせたくない用件なんだろう。

 メグミが教授と話している間、私は渡された本と書類に関してメイから色々と質問や追及を受けたのだけど、秘密や内緒との言葉で誤魔化して話題を逸らしていた。

 

 それから数分後、教授とメグミが話し終わるのと前後してチャイムが鳴り、メイとメグミは、

 

「じゃあね、イリヤちゃん」

「またね」

 

 と。私に別れの挨拶をして図書室を後にした。

 私も手を振って2人を見送ったのだけど……で、さて―――

 

「どうしたものかしら…ね」

 

 「ううう…」と、一人放置され。寂しげに床にのの字を書いて涙を流す地味幽霊(サヨ)の姿を見ながら、私はどう慰めるべきか思考を巡らせた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 何とか意気消沈するサヨを慰めて、再び彼女の質問タイムに突入したのも束の間。放課後のチャイムが鳴り響き、私はエヴァさんと茶々丸と共に帰宅する事になった。

 

「イリヤちゃん、茶々丸さん、エヴァンジェリンさん、また…また明日会いましょうね~~」

 

 そう“また明日”という部分を念押すように強調し、私達にしか聞こえない思念(こえ)を大きく出して、手を振るサヨの姿に背を向けて帰路に着く。

 肩越しに振り返って見るそんなサヨに、私は軽く手を振って応えながらも苦笑し。

 エヴァさんは、やれやれといった感じで肩を竦めて振り返る事も無く、足を前に進めていた。

 茶々丸は、私と同じく軽く手を振っているものの、その表情は何時もと変わらず感情が見えないものだった。

 

 帰り道、アカシ教授経由で学園長から渡された物にエヴァさんは興味を示し、幾つか本と書類を広げて意見を交換しながら歩いた。

 さらに途中、夕飯の買い物なども行い。日課と成っている猫達の世話をする為に帰路の最中にある教会前の広場に寄る。

 

「…私に擦り寄っても良い事など無いぞ。エサをやるのはアイツらなんだからな」

 

 私達の気配に気づいた猫達が姿を見せ、足元に甘えるかのように擦り寄って来る。

 エヴァさんは、そんな猫に邪険な言葉を向けるものの、その言葉とは裏腹にその場に屈んで優しく猫の頭を撫で始める。そうして見ると彼女は、まるで何処にでもいる無邪気な少女のようだ。

 私の知る限り、エヴァさんは何時もここではそんな感じだった。如何にも「仕方なく付き合っているんだ」と言いたそうな、或いは寄ってくる猫に鬱陶しそうな表情を作っているのに決して邪険にはせず、自分の傍から追っ払ったりしない。

 猫達もそんなエヴァさんに懐いている……が、

 

「はい、今あげますから…」

 

 茶々丸が買い物袋から猫缶を取り出す為に、ガサガサと音を立てると猫達が一斉に彼女の下へ集まり、にゃあ、みゃあと強請るように鳴き始める。

 当然、エヴァさんの傍にいた猫も離れる訳で、

 

「……現金な奴らめ」

 

 と。不満そうに齢600年を生きる少女は呟き、裏切り者を見るかのような眼で猫達を睨んでいた。

 ちなみにそんな視線は私にも向けられる…というのも―――

 

「はいはい、今あげるから少しは落ち着きなさい」

 

 みゃあ、みゃあと鳴き、まだ中身が入っていないのにエサ皿に顔を突っ込もうとする猫達を宥め―――私も茶々丸と同様にエサをやっているのでエヴァさんよりも懐かれているからだ。

 

「…チッ」

 

 背後から舌打ちが聞こえたけど、何時もの事なので私は気にしない事にして、エサ皿に入った中身に食い付く猫達の頭に手を伸ばしていた。

 エヴァさんもこちらに来れば良いんだけど、彼女的には自分の方から猫達に近寄るのは、らしくないと思っているっぽい。

 ただそれを指摘するのも勇気がいるので私は黙っているけど。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 猫達に別れを告げて帰宅すると、手洗いと着替えを終えるなり、私は直ぐに茶々丸と一緒に夕食の準備へ取り掛かる。

 エヴァさんは、何時もなら早々地下へと降りるのだけど、昨日に続いて今日も二階の自室で過ごすようだった。多分、呼び掛けるまで下りて来る事は無いだろう。

 

 夕食は和食―――懐石料理だった。

 どうも茶々丸が気を利かせたと言うべきか、何時も以上に凝っていて料亭などで出されても可笑しくない程の出来だった。未だ手伝いの域を出ない私ではかなり苦労した。今回ほど調理に気を使ったことは無いと思う。

 何故そうなったのかは、私は勿論、エヴァさんも口には出さなかったけど……修学旅行に行けない主人を思って彼女が行動したのは明白だった。

 ただ茶々丸もそれを口には出さなかったのだけど、

 

 ―――ありがとう、な。

 

 と。食事中にエヴァさんがそんな感謝の言葉を告げたのを私は聞き逃さなかった。

 

 

 そんな豪華な夕食とその後片付けを終えると、私はエヴァさんの後にお風呂を頂いて眠る事になった。

 普段ならば魔術の鍛錬を行なってからお風呂に入る所なんだけど、今日は早く入って早く寝る事にした。

 

 

 ただ少し、ネギ達は今頃どうしているかは気になったけれど……心配は要らない筈―――そうして今日という日を終えた。

 




この回は、イリヤが麻帆良でどんな一日を過ごしているかの“流れ”を書いていました。
その過程でイリヤが…ささらにとっても思わぬ行動を取ってしまい、さよが逸早く登場する事となったという、書いていて中々に印象深い回でした。


取り敢えず、本当に平穏だった日々はこれで終わりを告げ……いよいよ次回から物語の幕が開きます。


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第4話―――運命と出合う 前編

この回から三人称になります。


 

 それは、ネギが修学旅行で京都へ赴いてから3日目の夜だった。

 

 

 パチッ、パチッと規則正しいようで正しくない。何か硬い物を打つ音のみが静寂に近い部屋の中で響いている。

 時間を経るごとにその音が鳴る間は開くようになり、やがて、

 

 ―――バチィッ。

 

 と、一際大きい音が鳴った。

 

「ぬむ…? ま…」

「待ったは無しだ」

 

 音を鳴らしていた2人。碁石を打ち、碁盤を挟んで向き合っていた両者が言う。

 一人は古の仙人かという風貌の老人。一人は砂金の如き金髪を頭に飾る西洋人の幼い少女。

 2人のその外見とは裏腹に、盤上の石の並びは少女が優勢で老人が劣勢である事を表している。

 

「何じゃ、ケチじゃのう…年上のくせに」

 

 少女に対して奇妙な事を呟く老人―――麻帆良学園・学園長及び関東魔法協会理事である近衛 近右衛門。

 しかしそれもその筈で、彼の前に座り、碁打の相手をしているのは最強種とも呼ばれる真祖の吸血鬼。600年以上の時を生き、裏社会とその歴史の中で様々な伝説を残す“不死の魔法使い”エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルそのヒトなのだ。

 尤も現在は、十数年前にある魔法使いに敗北し、チカラの大半を封じられ、この麻帆良の地に縛られているという本人にとっては不本意且つ屈辱的な状態であったりするのだが。

 手加減無しに碁を打つ、そんな年上などという範囲に収まらない相手にブツブツと文句と愚痴を零す近右衛門。

 しかし彼がそう言いたくなるのも無理は無い。人の寿命を遥かに凌駕する生を持つエヴェのその打つ碁……その一手と棋力は、既に人の域を超えているのかも知れないのだから。某神の一手を志した幽霊が知れば、さぞかし彼女を羨むことだろう。いや、全ての棋士が羨むかも知れない。

 不平を口にしながら次の一手を思索する右衛門の懐から、トルルルゥと携帯電話の着信音が鳴り響く。

 

「もしもし、わしじゃが」

 

 思考を碁盤から離し、彼はすぐさま携帯電話に応対する。

 

「おお、なんじゃネギ君か!」

 

 電話の相手は、京都へ使者として送ったネギ・スプリングフィールドであった。

 

「ほう、親書を渡したか。いやいや、そりゃ御苦労、御苦労!」

 

 癖なのか? フォフォフォといつものバルタン笑いで応じ、彼の任務達成を労う近右衛門。だが直後、

 

「何? なんじゃと!? 西の本山で……!?」

 

 笑いが止まり、只ならぬ雰囲気で話し始める。

 彼が耳にしたのは、関西呪術協会の中枢―――西の本山での異変。

 ネギの話を纏めると。

 無事に任務を果たして安心したのも束の間。何時の間にやら気付けば、本山に居た者は皆、高位魔法によって石と化しており、偶々訪れていたネギの生徒である少女達も巻き込まれた。

 しかし幸いにも、近右衛門の孫である近衛 木乃香と護衛の桜咲 刹那。それと親友―――いや、とある本人すら知らない事情により、極一部の人間から学園でも最重要人物とされている神楽坂 明日菜の無事は確認できたとの事だった。

 一瞬…いや、数瞬の時間、安堵する近右衛門であったが、

 

「何と!! 西の長までが!!?」

 

 西の長の石化―――これを聞いて近右衛門は背筋に直接氷水を注ぎ込まれたような錯覚を覚えた。

 

「それは一大事じゃぞ」

 

 それを知り、よくもこう直ぐに言葉を続けられたものだ、と近右衛門は自身に奇妙な感心を抱いてしまう。

 西の長―――近衛 詠春。無敵と誉れ高いサウザンドマスターの盟友の一人にして、名高き“紅き翼(アラルブラ)”の一員。20年前の大戦を終結に導き、世界を救った英雄と称えられる一人。

 そんな確固たる伝説と実績に裏付けられ、世界最強クラスの実力者であるその彼が、不意を受けたとは言え敗北したという事実は老獪な近右衛門にしても心胆を震えさせるに足る物だ。

 全身から冷や汗が滴り始めたのを感じつつ、電話口から救援を求めるネギの言葉が耳に入る。

 

「助っ人か…しかしのう、タカミチは今海外じゃし……」

 

 冷や汗を流し、内心での焦燥感と苦々しい思いを抑えながらネギに返事をする近右衛門。

 もし本当に最強クラスの敵がいるのならば、現地や今学園にいる人材では対抗は難しい。そして対抗できそうな人物は口にした通り今出払っている。ならば自分が赴くべきかとも…つい考えてしまうが、出来るのであれば悩む事はない。

 近右衛門は、この麻帆良の統括者であると同時に有事の際……いや、“万一の事”が起きた時の“最後の砦”なのだ。そして事実として今現在、安全な筈の西の本山が襲撃を受けており、これと連動して西同様、安全である筈の麻帆良(この地)も何者かに襲われる可能性がある。故に近右衛門は此処から離れることは出来ないのだ。

 安全な任務と高を括り、ネギに経験を積ませる良い機会だと考えて安易に送り出した自分を悔やんでしまう。

 だが、悔やんでばかりいても状況は変わらない。当然、近右衛門はそれぐらいの事は承知している。思考を巡らせて打開策を模索しつつ、ともかく今最善だと思われることを電話に告げる。

 

「今すぐ、そこへ急行出来る人材は……」

 

 …いないので、とにかく自己の安全を優先し、何とか本山から離れて身を隠すように、という難題を伝えようとし―――

 

「ほ!」

「ん?」

 

 自分の向かいに座る彼女の存在に今更ながら気付いた。

 その彼女―――エヴァンジェリンは、事態を打開する光明を見出した近右衛門の顔を見るなり、「何だジジイ、マヌケヅラして」と憮然に言い放っていたが。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 エヴァと共に学園長室にお邪魔していたイリヤは、読んでいた本から視線を外して予想通り……いや、自分の知る知識の通りに目の前で起きたその遣り取りを黙って静観していた。

 そして、友人であるネギが危機に直面しているというのに彼女は何故か平静であり、内心で安堵していた。何故なら、

 

 ―――原作通りの展開……ならネギ達は無事という事ね。

 

 自身の知識通りという事なら、逆に彼らが京都での此処までの戦い―――天ヶ崎 千草との対峙や犬上 小太郎の強襲などを無事に乗り越えられたという事を示しているからだ。

 勿論、本当にそれが在ったかは学園にいるイリヤには分からない。だがそれは“起きた筈”であり、ネギ達の無事も“確定した事象”なのだ。だからこそイリヤは思い込み安堵する……してしまう。

 内心での思いを表面に出さないイリヤの前で、近右衛門がエヴァに西の本山で起きた事態を説明し、思いついた妙案を彼女に伝えていた。

 

「―――で、私は学園から出られ、坊や達を助けに行ける訳だ」

「そうじゃ、あのナギの掛けた呪いじゃから、言うほど簡単に行くとも思えんが―――と。時間が惜しい、早速取り掛からねば」

 

 にんまりと笑うエヴァを尻目に準備に立ち上がる近右衛門。そこで視線を室内で沈黙していたイリヤと茶々丸に向け、

 

「悪いが2人にも手伝って欲しいのじゃが?」

「ええ、いいわよ」

「私も……構いません」

 

 頼む近右衛門に断る理由も無いので即答するイリヤと、了承の頷きを示す主の姿を認めて応じる茶々丸。

 それを確認した近右衛門は、感謝するぞい、と言いながら、再び携帯電話を取り出して何処かに連絡を入れる。

 

 電話を切ってから15分程した頃だろう。学園長室の扉がノックされた。

 

「お待たせしました」

 

 入室を許可されて扉を開けたのは、両腕から大きな鞄を下げる眼鏡を掛けた一見青年に見える40代の中年男性だった。

 イリヤはその男性を原作は当然として、この世界でもつい先日会っている。

 

「夜分遅くにすまんな、明石君」

 

 近右衛門は、先ず男性を呼び付けた事を謝った。

 男性は、麻帆良大学で教鞭を執る明石教授だ。ネギが受け持つ3-Aの生徒である明石 裕奈の実の父親でもある。イリヤは彼とは、同じく先日に友人となった魔法生徒である佐倉 愛衣と夏目 萌を通じて少しだけ親しくなっていた。

 その為という訳ではないだろうが、明石教授はこの場にいるイリヤへ一瞬視線を向けてから学園長……いや、関東魔法協会の理事である近右衛門と向き合った。

 

「いえ…それより、西の本山が襲撃されたとは…一体何があったのです?」

「……残念ながら先程、電話で伝えた以上の事は不明じゃ。しかし状況を鑑みるに事態の推移しだいではこの麻帆良を含め、東全域……いや、日本全体に何かしらの影響を与える可能性は決して低くはなかろう。―――で、明石君…」

 

 近右衛門が言葉を切り、明石に発言を促がす。

 

「はい。指示通り、国内に在る協会各方面部には連絡を入れました。当学園も警戒レベルを2段階引き上げ、現在職員が対応に当たっております。西に関しても葛葉さんを始め、此方にある伝手を使って本山の異常を伝えました。予測では明朝までには応援が駆けつけるとの事です」

 

 明瞭に答えて行く明石に一つ一つ首肯する近右衛門。

 敵の目的が不明な現段階で騒ぎ立てるのは、迂闊且つ取り越し苦労かも知れないが、備えを怠り防げる筈の被害を出してしまう方が問題であり、尚且つ愚かだろう。

 況してや既に見通しを誤り、ネギや生徒を危険に晒している上、後手を取らざるを得ないのだ。そこでこれ以上失態を重ねれば致命的な事態を招きかねなかった。

 

「―――わかった。引き続き対応に当たって欲しい。それで頼んだ物は?」

「……はい、急でしたが何とか全て用意出来ました。……これで宜しいですか?」

 

 明石は、数瞬思案するように僅かな間を置いてから了解し、学園長室に呼び出された本題であろう両方の腕から下げた2つの大きな鞄を室内の中心にあるテーブルに置き、中身を見せる。

 鞄の中は、怪しげな液体の入った瓶やら、宝石っぽい鉱物やら、洋紙皮のような古めかしい紙束に本やらと、魔法関係の道具と資料がギッシリと詰まっていた。鞄の見た目以上に詰まっている事から、おそらく容量の他、持ち運ぶ事を考えると重量も魔法で弄っているのだろう。或いはこの鞄自体が魔法具であるのか…。

 中身を確認した近右衛門は、うむ、と頷き、御苦労と労ってから明石を退室させた。

 

「では…取りかかるとするか」

 

 そう言ってイリヤと茶々丸の2人に近右衛門は指示を出し始める。

 といっても二人のやる事はそう多くない。魔法陣を描くスペースを確保する為の簡単な片付けと、幾つかの液体と鉱物の混合とそれを用いた魔法陣の作成ぐらいだ。

 それでも2人が作業する時間を、本来それを行なう筈の近右衛門が資料を当たり、解呪式を構築する為に利用できるのだから時間勝負の現状では、多くなくとも重要な作業といえる。

 

 小一時間程して作業は終わった。イリヤも伊達でこの世界の魔法知識を頭に叩き込んでいた訳ではなかった。逆に言えばこれまで学んでいなければ、もっと苦労して時間も掛かっていただろう。

 しかし肝心の近右衛門は、未だに解呪式の構築にすら手を掛けていなかった。

 30冊近い分厚い魔法書を広げては置き、また新たに広げては置く。それを繰り返してうんうんと唸っている。

 それを見ていたエヴァは痺れを切らしたのか。先ほどの機嫌の良さは何処かへ吹き飛び、それを苛立たしげに見ている。恐らく期待の大きかった分、早々に手間取っているという実情に納得し難いものを感じているのだろう。

 それでも文句を言わないのは、意味が無い事を理解しているからだ。

 彼女はチッと小さく舌を打ち、唸る近右衛門から顔を背けると、視界に自分の傍に転がっていた水晶玉が入った。

 

「ふむ……よし!」

 

 彼女は一瞬考え込むと何かを思い付いたらしく、その水晶玉を手に取った。

 作業が終わり、状況を座視していたイリヤはそんなエヴァの様子に気が付く。

 

「エヴァさん、何を?」

「ん…単なる暇つぶしだ。まあ、見てろ」

 

 怪訝な表情を向けるイリヤにおざなりな感じでエヴァは応じながら、適当に積み上げられた本を即席の台にして水晶玉を置き、それに手を翳して呪文詠唱を始める。

 詠唱を耳にし、イリヤはエヴァが何をするのか理解する。

 

「…遠見の魔法」

「―――ああ。昔、(みやこ)……いや、京都には何度か足を運んだ事が有るからな。今は夜だし、この最弱状態の私の魔力でも一度行った事のある場所……この島国程度の範囲なら覗き見る事ぐらいは出来るさ」

 

 勿論、防諜系の結界さえ張られていなければな、と付け加えるもエヴァは自慢げにそう語った。

 イリヤは口に出さないものの驚き、今更ながらにエヴァの実力に感心する。

 簡単そうにエヴァは言ったが、イリヤの知る限り『遠見の魔法』で日本全域ほどの広さをカバーするのは、専用魔法具か、相応の高度な術式と魔力を必要とする筈なのだ。それを大した魔力を使わず一応魔法具とはいえ、適当に転がっていた水晶玉で可能だと言うのはとんでもない話だ。

 

 ―――故に最強の魔法使い…真祖の吸血鬼……か。

 

 イリヤは内心で感嘆を込めて呟く。

 600年の永い生で得た知識から編み出した独自の優れた術式に、同じく培った経験から基づく魔力の運用効率。その双方があって可能な事なのだろう。恐らくは同様に“無敵・最強”と言われるサウザウンド・マスターすら、そういった面での地力は遥かに及ばない筈だ。

 ただ、近右衛門は一瞬、何か言いたげに視線を向けていたのだが、結局黙ったまま書物へと戻していた。後にイリヤも知る事であるが、原則的に西の管轄には“遠見”をはじめ、一部の探査系魔法の使用が禁じられているのだ。

 近右衛門が視線を向けていたのはその為だったのだが、恐らく言っても無駄だと悟ったか、もしくは彼自身も状況を知りたいが故に黙認したかのどちらかだろう。

 

 そんな事情を知らないイリヤがエヴァの技量にひたすら感心する間に、術は機能し水晶玉の内部に淡い光が灯り、何処かの風景を映し出す。

 先ず映ったのは、京都を上空から俯瞰した光景だ。夜間という事もあり、暗くもあったが都市部には夜空の如く人工の星々が輝いている。

 その光景は、徐々に地上へと迫り―――いや、拡大して美しい夜景を演出する地上の星々を置いて都市郊外の近く……月明かり以外は、ほぼ暗闇が支配する森へと移った。

 

「さて、坊や達は無事かな?」

 

 エヴァは楽しみと期待の感情に微量の心配を混合した声を零し、薄っすらと笑みを浮かべて水晶玉を見詰める。

 言葉と共に映ったのは明日菜と刹那。それに褐色長身の女性…いや、少女の龍宮 真名。金髪チャイナ服の少女の古 菲。この2人もネギの生徒で3-Aの一員である。

 しかし異様なのは、その少女達が鬼やらの人外と背中合わせでいる事だ。イリヤはその光景に息を呑む。

 

 ―――そう、それはありえない事。

 

 本来なら鬼達は彼女と対峙し敵対する筈だった。なら何故、鬼と共闘するかのように背中合わせなのか? イリヤは脳に何か重い流動物でも詰め込まれたような嫌な感覚に陥る。

 

 ―――ありえない。

 

 しかしエヴァはその光景に疑問を抱かない。当然のことだ。()()を知るのはこの世界でイリヤだけなのだから。だから呟いた、半ば呆然と―――

 

「―――そんな」

 

 その声を傍で聞いたエヴァが水晶玉から視線を外して、怪訝そうに振り返る。

 彼女のアイスブルーの瞳に映ったのは顔面が蒼白でありながら無表情に近く、だからこそ酷く動揺している事がわかるイリヤの姿だった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 その始まりは、一つの悲鳴からだった。

 

 木乃香が敵の手に落ち。限られた状況の中から刹那達は最善と思われる策を選び、実行に移した。

 ネギが人外の群れに向かい上位魔法―――名前の如く嵐と化した雷を放って飛び去った十数分後……世にも悍ましいその悲鳴が刹那と明日菜。そして彼女らを囲む人外達の鼓膜を震わせた。

 同時に覚えたのは、背筋を震わせる悪寒と得体の知れない不吉な感覚だった。

 奮戦し意気揚々としていた刹那と明日菜は、敵中にありながらも凍りついた様に動きを止め。

 少女2人の意外な奮戦に驚嘆…或いは感心していた人外達もまた石像の如く固まった。

 その時―――ほんの数瞬だけ、時が停止したかのように双方の動きが無くなり、この場にある全ての眼が悲鳴を発せられた場所へと向かう。

 

 しかし、刹那と明日菜には“ソレ”を見る事は叶わなかった。何しろ無数の人外どもが分厚い壁となり、視界を塞いでいたのだから。

 数瞬の静寂の後、再び悍ましい悲鳴が辺りを満たす。しかし今度は一度だけでは無い……重なるように幾度も続き、やがて悲鳴に混じって怒号が轟くようになり、

 

『ウフ…ウフフ……うふふ…卯腑…卯ふフ…うう腑腑う…■■■フフ腑ふフふ■■■■卯腑フふ■■■■■■■■■■ふふふうふ■■■』

 

 聞くに堪えない狂った音程を持つ不気味な哄笑が、四方全てからこの場に圧しかかって来た。

 

『■■■■■■■■■■■■―――』

 

 今まで2人に敵意を向けていた筈の人外どもがその哄笑を聞くなり、一際大きい怒号を上げて別の何か―――視界の遮られた向こうに居るナニカに敵意を超えた殺意を向ける。

 突然の異常と事態の急変に刹那と明日菜は、何が起きたのか直ぐには理解できなかった。

 ただ感じる悪寒と不吉さに、本能あるいは第六感ともいうべき勘が警鐘を鳴らし、自然と2人に武器を構えさせ、視界の遮られた先へと意識が向かう。

 そして、人外の群れが押し返される様に大きく退き、その中で“ソレ”とナニカを見た。

 

「何、あれ…?」

 

 明日菜は、恐れと震えの混じった声を漏らした。

 ナニカは、烏賊にも蛸にも似て異なるヒトデのような等身大の不気味で奇怪な生物だった。

 ほぼ全体が毒々しい紫色で表面に黒い斑じみた紋様と滑りを帯び、深海生物をも上回る生理的嫌悪を誘うグロテクスな外見を持ち。上部に見える基部というべき中心には、細かく鋭い歯が無数に並ぶ巨大な口腔があり、そこから伸びる触手には棘が所狭しと生え、その裏には蛸と烏賊と同様の吸盤が見えた。

 

 ―――っああああぁぁあぁぁーー!!!

 

 触手に捕まった一体の鬼が恐怖から絶叫を上げ、必死に逃れようと足掻くも吸盤の着いた触手は一向に離れず、捕獲した獲物を締め上げる。そして人すら丸呑みできそうな基部に在る巨大な口腔へと運ばれ、

 

 ―――ひぃぎ…がぁっ…ぁあああああーーー!!??!?!

 

 “ソレ”を見る事となる。

 明日菜と刹那はソレの余りの光景に思わず顔を背ける。しかし視界からは消えたものの、聞くに堪えない断末魔と、断末魔を上げる者を咀嚼する音だけは耳に入る。

 グチャグチャ、クチャクチャと肉を裂いて磨り潰す粘着質な音と、ボリボリ、ゴリゴリと骨を噛み砕く無機的な音。

 生々しさが強過ぎて逆にB級ホラー映画でも見ているんじゃないかと、明日菜は奇妙なほど現実味を欠いた錯覚に一瞬陥った。

 

 ―――が、正に一瞬の事だった。

 

「明日菜さん!!」

「…!」

 

 刹那が叫び、明日菜は視界に迫る件の生物―――怪異の姿に気付き、咄嗟にハリセンを構え…同時に銀光が奔った。

 

 ―――ギイィイイイ…!!

 

 切り裂かれ血飛沫を撒き、金切り音にも似た奇怪な断末魔を上げて怪異が倒れる。

 いつ間にか野太刀を構えた刹那が明日菜の前に立っていた。

 

「あ…刹那さん、あ、ありがとう」

「いえ、お礼は後です!」

 

 未だ何処か、放心状態から抜け切れていない明日菜に背を向けて叱咤するように言う刹那。

 それにハッとし、明日菜は漸く現状を認識する。

 

「!…そうね、ゴメン。もう大丈夫よ」

「はい!」

 

 首肯するも、刹那は自分の不器用な叱咤のしかたに少し反省を抱く。

 だが明日菜に叱咤したように今は感傷に浸っている場合ではない。周囲は既に人外と怪異が入り乱れて混戦状態と成っているのだ。

 気を抜き、隙を見せれば巻き添えを受ける事となる。下手をすれば最悪、先ほどの鬼―――いや、今も近くで餌食になっている人外どもと同じ末路を辿りかねない。

 周囲の所々から上がる悲鳴や断末魔を耳にし、刹那は思う。

 

(そんな最後を迎えるなど…御免だ! 明日菜さんにも絶対迎えさせはしない!!)

 

 そう自身に活を入れ、決意を固める。

 しかし一方で疑問もある。

 

「この気味の悪い生き物は一体なんなの? あの猿女の呼んだ化物…をっ!! くっ!…このっ!! ―――はぁ…化物を襲っているけど、これもゴキとかいうのと同じなの?」

 

 明日菜が迫る怪異を手にする金属質のハリセン―――ハマノツルギでいなしながらも、背中を預ける即席の相棒に尋ねる。

 そう、それが刹那も抱く当然の疑問だ。

 

「っ…! セイッ!―――分かりません。見たことの無い怪物としか。式神では無い事は確実です……が、どちらにしろ私達の敵であることは変わりません」

「―――ッ! そうかも知れないけど…わっ!?」

 

 背中合わせで戦いつつ分からないなりに刹那は明日菜に答えるも、素人である彼女や自分の為にも目の前の事に集中できる様、余分な考えを捨てる為に分かりきった結論を敢えて告げ―――怪異の接近を捌き切れなかった彼女を直ぐさまフォローする。

 背中の相棒が捌き切れないと悟った瞬間、刹那は手にする野太刀を素早く逆手に持ち変え、明日菜の脇下へ長い刀身を滑り込ませ、彼女を捕らえんとした怪異に突き刺し、そのまま刺した勢いに乗せて気を叩き込み、怪異を吹き飛ばした。

 助けて貰った明日菜は、突然自分の脇下から伸びた鋭い刀身に驚き、顔を引き攣らせる。

 

「はは…流石、刹那さん」

「……今は目の前の事に集中して下さい!」

「…うん」

 

 先と同様、鋭い口調で再び叱咤する刹那。それに明日菜はバツが悪そうにしつつも真剣に頷いた。

 とはいえ、刹那は明日菜の持つ胆力に内心で感嘆していた。修学旅行初日や今日の狗族との戦いでもそうだったが、素人にも拘らず恐れも怯みも殆ど見せず、勇敢に立ち向かうさまは素直に驚きだ。

 先程の凄惨な光景にも最初は恐れと放心を見せていたが、それも既に無い。

 同様の事が今も彼方此方で起きているにも拘らず……自身もまた、そうなるかも知れないにも拘らずに。

 

(本当に大したものだ)

 

 持ち前の…或るいは潜在的な運動能力は勿論大事だが、このような精神面での強靭さこそ戦う者としては尤も重要で必要なものだ。ましてや明日菜はそのどちらも兼ね備えている。

 だからこそ感心する一方で微かに疑問もあった。

 

(本当に素人なのだろうか?)

 

 本来それらは長い訓練や修練で鍛えられ、そして多くの実戦という経験を経て開花する物だ。

 それは、刹那自身が辿った道でもあるのだから。

 だが、同時にその疑問に対する答えもまた刹那の中に存在した。つい先程、大事な親友の命運を託したネギ・スプリングフィールドも示していた。資質や才能という言葉の延長線上にある“天才”という言葉だ。

 それならば納得も出来なくもない。

 熟練(ベテラン)戦士並みの勇敢さと運動能力・反射神経を示す一方、その動きや体捌きは素人も同然…というチグハグ感は、何よりもその証明だと思えなくも無いからだ。

 

(明日菜さんは、戦士としての才能に恵まれた方なのだろう)

 

 今もまた明日菜は、複数の怪異を同時に相手取ったにも拘らず、迫る無数の触手を危なっかしげにも見事に躱し、的確に退魔のハリセンを打ち込んで還した。

 自らも怪異を切り裂きながら刹那は、背にチラリと視線を向けてその勇ましくも頼もしい姿を目に焼き付けた。

 

 

 

 そうして……この外見醜悪極まる怪異を相手に、鬼を初めとした人外を相手にした時と変わらず奮戦する2人であったが。

 状況は悪く。その数は一向に減る様子が見えない―――いや、それどころか際限なく増殖しているように思える怪異によって埋め尽くされていた。

 この場で、それにいち早く気付いたのは怪異と真っ先に対峙した人外達だった。

 怪異は、殺された自らの仲間の骸や肉片、臓物、体液から湧き出して這い出てくるのだ。それも一体分の骸から幾つも幾つもだ。それこそ無限とも思えるくらいに。

 その為、最初は両手で数える事が出来る程度であった怪異は、殺しても、殺しても、数を減じさせず、むしろ殺すだけその数が増してしまった。その事実に気付いた時には既に手遅れで、彼等…人外達の数を遥かに上回り、周囲を埋め尽くすほどの数にまで達していた。

 

 刹那と明日菜も同様だった。

 数を増すばかりの得体の知れない怪異を相手に居ない場所、自身らの危険の少ない箇所を求めて動き回ることに気を取られ、その事実を察知した時には遅く。この場で最も怪異の少ない安全と言える場所は、自然とさっきまで敵対していた人外達の傍だけに成っていた。

 

 未だに残る人外達にしても、刹那達の傍こそが自分達を守るに適した一帯と化していた。

 周囲は既に怪異に溢れ、逃げ出す事も……いや、正確には逃げ先も無く。捕まれば通常の死よりも恐ろしい末路を辿り、しかもどういう訳か“還る”事を許されずに、真実“滅びる”事になるのだ。

 召喚主の意向で一方的に現世に呼ばれた身に過ぎない彼等にとって、そのような“生の終末()”は幾ら何でも御免被りたい。中には生きたまま喰い殺される事を恐れるあまり、自らに刃を突き立てる者も居たのだ。

 だが、自害とも言うべきそれは、例えこの地が現世なのだとしても自らの住まう世界―――自らを括る(がいねん)によって命を断つのと同義であり、結局“滅び”を選択するのと同じであった。

 

 故に距離的に物理的な意味でも歩み寄った刹那と明日菜。召喚された人外達の双方は、生存への意思を一致させ、共闘を結ぶ事と成った。

 尤も人外達には、刹那達の手に敢えて掛かるという手段もあったが、そこは彼等なりの矜持が許さなかった。

 

 先に共闘の提案を持ちかけたのは、人外達のリーダー格である大鬼だった。

 単純に1人よりも2人、2人よりも3人という数的意味合いもあったが、彼が先ず期待したのは神鳴流剣士である刹那だ。

 提案を持ちかけた直後、それを受け容れる事に躊躇いを持つ刹那に構わず、彼女に無防備な背中を向けて大鬼は怪異を振り払いながら一方的に刹那に語った。

 

「この得体の知れん奴らには召喚主が居る。そいつを仕留めれば状況は打開できるかも知れへん」

 

 その言葉に刹那は驚くも、彼はそれを気にする様子も無く言葉を続けた。

 そして話を聞くうちに、刹那と明日菜は召喚主という人物に思い当たる。

 木乃香が連れ去られ、猿女に一時追い付いた時の事だ。その場には猿女と白髪の少年と木乃香の他に“もう一人居た”。

 それは、漆黒に染まったローブを纏った人とは思えない奇怪な容貌を持つ不気味な男だった。誘拐の主犯である猿女こと…天ヶ崎 千草と攫われた木乃香を注視する余り、言われるまで刹那も明日菜もその男の事を忘れていた。

 思えば、異変が起きた時に聞こえた不気味な哄笑は男のものだった気がする。

 

「それで、その男は何処に?」

 

 驚きから気を取り直して尋ねる刹那に、大鬼はこの怪異の中に紛れ込んでいる、と答えた。

 

(成程、だからこそか)

 

 神鳴流剣士である刹那は、大鬼が自分を頼りにする理由を察し納得する。

 確かに奥義の中にある最大規模の技なら、怪異を“盾に”紛れる召喚主をそれごと吹き飛ばせるだろう……だが、一方で警戒心も抱く。件の男が猿女の仲間である以上、召喚された大鬼達もまたその男に協力しなければ為らないのではないか、或いは此方を嵌める計略―――罠ではないか、と。

 しかし、既にその警戒心を抱かなくては為らない相手に背中を任せてしまうほど状況は悪く。彼らにして見れば敢えて罠を仕掛ける必要も無い筈だった。

 それに……大鬼と他の人外どもが憤りを見せて口々に言うのだ。

 

 ―――アレに喰われたら、滅んでしまう。

 ―――多くの同胞(みうち)滅ぼ(ころ)されて、喚ばれた義理なんぞ果たせるかいっ!!

 ―――せめて、一矢…あんのキチ○イぶさいく野郎のタマでも取っとかんと、逝ったあいつらに顔向けできんわッ!

 

 それを聞いて刹那は提案を受諾した。彼らの抱く怒りが伝わり、本気である事を理解できたからだ。

 首肯する刹那に、大鬼は強面の顔には似合わない人懐っこい笑みを見せるが、次の瞬間、酷く真剣な表情を作って明日菜……正確にはその手に持つ得物に視線を向けて言う。

 殺しても増える敵を相手に唯一有効である、明日菜の持つ強力な退魔・式払いの効果を有する奇妙なハリセン―――ハマノツルギ。

 

「もしかしたら最悪、そいつがワシらの命綱になるのかも知れねぇな」

 

 それは何処と無く不吉な言いようで、悪い予感をさせる言葉だった。

 

 

 

 神鳴流の剣士たる刹那に状況の打開を託して数分。

 宙を旋回する1体の烏族が群がる怪異の中から、隠れ潜むようにしていた召喚主である黒いローブの男の位置を捉え、指を差して叫ぶとその方向へ刹那は大きく跳び、怪異達の頭上を大きく越えて遥か高く宙へと舞い上がった。

 そして、刹那もまた一瞬であるが視界に怪異群の中へ紛れた猫背姿勢の、奇妙な…魔導書らしき本を片手に持つ正気と思えない異様な輝きを眼に宿す男の姿を捉え、目標の位置を正確に把握する。

 

「奥義!―――」

 

 その位置に……男に目掛け、刹那は自身の誇る最大級の一撃を見舞おうとし―――直前、不穏な気配を察知したのか、男の狂気に憑かれた瞳が刹那に向いた。同時に溢れんばかりの怪異群が一斉に蠢き、組み体操の如く仲間の身体を繋げ、一瞬で分厚く巨大な壁を作り上げた。

 

「―――!!?」

 

 それを見、刹那は驚愕し硬直する。壁が出現した事もそうだが、より衝撃的なのは此方の意図を見抜いたかのように反応した事と、その対応への意外な俊敏さだ。

 しかし既に奥義を放つ体勢…気の練り込みも済んでいる。しかもこのまま何もせず地に足を着けようとすれば、足元の怪異群の上へと……その結果は、おぞましいものになる。

 

「ッ!―――真・雷光剣!!!」

 

 一瞬の硬直と迷いの直後、刹那は叫び奥義を放った。

 瞬間、名の通りに巨大な…直径40m以上はあろう雷が集束したかのような光球が生まれ、怪異どもを呑み込み。夜の闇を裂いた。その僅かな数瞬の間、周囲一帯が昼間と化し、熱を伴った轟音と衝撃が空気を震わせ貫き、地を揺らす。

 

「きゃあああっ!!!」

 

 急激な明度の変化に明日菜は目が眩み。轟音に痛む耳を押さえ、身を打つ衝撃と地の揺れに耐え―――直ぐに轟音と衝撃が通り過ぎて闇が戻った。

 明日菜の眩んだ視界も元に戻り、耳の痛みも遠退く。……ただ、風に乗って怪異の贓物臭に慣れつつあった鼻に、新たに不快なナニカの焼け焦げる匂いが衝くようになったが。

 漂う匂いに顔を顰めるも目に映った光景に明日菜は息を呑んだ。

 

「凄い…」

 

 明日菜が視界を向ける一帯―――距離幅ともに四十数mに亘って犇めいていた筈の怪異の姿が無く。浅瀬ながらも流れていた川の水が蒸発し、僅かに地形が変わっていた。しかし―――

 

「やったの?」

「いや…」

 

 明日菜の言葉に大鬼が首を横に振った。

 それだけの威力を見せ。多くの怪異を消し飛ばしたものの、刹那の技は召喚主には届かなかった。

 怪異の群れが自らを盾にして壁と成ったのは、無駄ではなかったという事だ。

 

「くっ…!」

 

 明日菜達から二十数mほど離れた地に足を着け、片膝を付いた姿勢で刹那は自身の技が届かなかった不甲斐無さか、凌いだ怪異への忌々しさからか、前方を強く睨んで口惜しむ。

 その時、彼女の視線の先、ほんの一瞬だけ犇めく怪異の隙間から嘲笑うような奇怪な顔をした男の笑みを見た―――気がした。

 

「…!」

「おのれぇっ!!」

 

 その顔を目にし、刹那が思わず息を呑むのと同時に先程男の位置を伝えた烏族が、怒りを篭めた叫びと共に刹那の見た方へと、獲物を狙う荒鷲が如き勢いで突撃した。

 この場に残った唯一の烏族であるその彼は我慢がならなかった。そのふざけた笑みを見た瞬間、彼の感情は限界に達して沸騰した。

 この得体の知れない怪異が出現して、真っ先に多くの(ともがら)が喰われたのは彼の属する烏族なのだ。例えそれが自ら等の決断故に生じた結果と犠牲であったのだとしても、その憤りが他の人外らよりも強まらない理由には為らなかった―――そう…男を直接狙ったのは、何も今だけではない。

 少女達と共闘するより前。怪異が無限に増殖する事を知り、その脅威が及ばぬ宙を舞う事ができる烏族たちは、それを活かして空から一斉に男へ強襲する策を講じたのだった。

 しかし、それは現状を示すとおり失敗に終わった。

 男へ迫る烏族たちに怪異は触手を伸ばし、或いは先の壁と同様に個が全と成るような動きを見せて阻み、そして喰らっていった。

 中には腕、足などの四肢を犠牲にし、傷を負いながらも男の下へ至った者も居たが、そんな欠けた身体では男自身が振るう西洋剣を躱す事も捌く事も出来る訳は無く……その者らは倒れていった。召喚主である男もまた相応の実力者だったのだ。

 ―――故に彼の突撃は当然無謀であり、喰われた仲間の後を追うことは必定である。

 

「止せぇー!!」

 

 仲間の制止する声が轟くか否や、

 

 ―――ぐがっ!? ぅうがぁぁあああああああ!!!

 

 伸びた無数の触手に捕まり、烏族の彼は蠢く怪異に中へ引き摺り込まれた。

 おぞましい悲鳴、断末魔が相も変わらず刹那と明日菜の鼓膜を震わせるが…もう感慨を抱くことは少なく。既に慣れたような感が2人にはあった。

 いや、単に感覚が麻痺しただけかも知れない。

 にも拘らず、何故か刹那は―――今度は彼女が、烏族が怪異に呑まれる光景から視線を動かせず……先の明日菜のように放心していた。

 刹那の目には、犇めき蠢く怪異の頭上で引き裂かれた烏族の黒い翼と、舞い散る黒い羽毛が映っていた。

 

「――しっか―! ―――かりして、刹那さん!!」

「―――とるんやっ! 嬢ちゃん! はよ逃げえぇ!!」

 

 ふと自分を呼ぶ声が聞こえて刹那は後ろへ振り向く。薄まった怪異の群れの向こうから明日菜と大鬼が必死に何かを叫び、怪異を斬り捨てながら此方に駆け出そうとしているのが見えた。

 それを阻むように左右から怪異どもが蠢き、薄まった群れの厚みを戻そうとし、奥義によって拓けたこの場をも―――

 

「―――!…しまっ――!」

 

 正気に戻った刹那は迫る危険を察知し、咄嗟にその場から転がるようにして前方へ飛び退く。間一髪、そこへ空気を裂く音ともに怪異どもの触手が振るわれたのを刹那は背後に感じ、僅かにゾッとする。

 直ぐにその悪寒を振り払い、足を立たせ明日菜達の下へ駆け出そうとして―――立ち眩みを起こしたかのように足が縺れて無様に転んでしまう。

 そこでようやく思い至る。大技を使った後の消耗が抜け切っていないのだと。

 より正確に言うならば、鬼やら怪異やらの大群と立て続けに戦い。疲労と消耗が蓄積していた所に大技を使用した為、この一時的な急激な“気”の低下を招いたのだ。

 また先の怪異の予想外の行動によって、焦り余計に“気”を篭めてしまった事もこの災いに貢献していた。

 

(拙い!)

 

 そう思うも―――もう遅い。

 転倒して出来た隙を突いて既に幾つもの怪異が押し寄せており、無数の触手が刹那目掛けて伸びていた。だが体勢を立て直すのも、逃れるのも、況してや剣を振るうなど―――もう間に合わない。

 

「あ―――」

 

 それを理解した瞬間、刹那は絶望し、次に諦観を抱き、直ぐに死を覚悟した。そして―――ゴメン、このちゃん……と目を閉じて大切な人に胸中で謝った。

 

 

「刹那さんっ!!!」

 

 怪異に阻まれながらも刹那の下へ駆け寄ろうとする明日菜は、その受け容れ難い光景を目にして絶望感に包まれ叫んだ。それでも―――ジクリと、何かを、大切で嫌な出来事(かこ)を訴える頭痛を堪え―――諦めず自分に迫る怪異を退けながら刹那の所へ向かう。

 大鬼の制止する声も聞こえず、一縷の望みを掛けて明日菜は駆け―――

 

 ―――ドンッドドンッ、ドンッ、と。連続した炸裂音が刹那の傍に魔法陣が輝くと同時に響いた。直後、ドスンッと重い音が起ち、その音が繰り返される度に彼女を囲んでいた怪異が凄まじい勢いで次々と吹き飛ばされて行く。

 

「え…?」

「なっ!? …っと!?」

 

 目を開き呆然とする刹那と、驚きつつも襲ってくる怪異に対処せざるを得ない明日菜。

 2人の向かう視線の先には、顔見知りの2人の姿があった。

 

「敵の前で目を閉じるなんて、らしくないじゃないか刹那?」

「うう…近くで見ると、もっとキモイね、このバケモノヒトデ…いやタコアルか?」

「どっちでもいいだろ、イカでもタコでも…」

 

 その2人は、3-Aクラスメイトの長身と褐色の肌が印象的な少女である龍宮 真名と、拳法一筋娘の留学生の(クー) (フェイ)だった。

 

「立てるか刹那」

「あ、ああ」

 

 自身の獲物である2丁の大型拳銃を周囲に向けながら、真名はシニカルさの中に親しみを含んだ笑みで促がすと、刹那は頷き立ち上がった。今度はふらつく様子も無い。

 刹那がしっかりと立ち上がったのを確認した真名は、傍で怪異を思う存分殴り蹴り飛ばしている古 菲に声を掛ける。

 

「クー、向こうと合流するぞ」

「了解ネ!」

 

 2人は怪異の群れを掻い潜り、明日菜と大鬼達の下へ駆け出した。刹那も当然その後に続いた。

 

 

 3人が合流を果たすと、明日菜は押し寄せる怪異を叩きながらも真名に向けて慌ただしく口を開く。

 

「何で龍宮さんが此処に!?…あとくーふぇも!? それになんかやたらと強いし!」

「今はそんな事を尋ねている場合ではないと思うがな、神楽坂」

「…なんか私は、ついで見たいアルネ―――おお! あのデカイ鬼さん結構やるネ」

 

 冷静に素っ気無く返事をする真名と、オマケ扱いと感じたにも拘らず快活な様子で鬼の戦いぶりに感嘆を表す古 菲。

 それでも真名は、刹那からも明日菜と同様の視線を向けられていた為か、簡潔にだが此処に来た経緯を答えた。

 

 それは、真名が自由行動の出掛け先から旅館へ戻った矢先の事だ。

 本山にて危うく難を逃れた綾瀬 夕映から長瀬 楓へ掛かってきた携帯電話の会話を真名は偶然聞きとめ、本山で起きた異変を端的であるが知る事となった。

 関西呪術協会の本部。云わば御膝元どころか胸元や頭部ともいうべき場所での非常事態。

 それに真名は、熟練の戦士ならではの勘ともいうべき物が疼き、また刹那からある程度事情を聞いていた事もあり、助けを求める夕映に応じる楓と古 菲の2人に同行することにした。

 

「じゃあ、夕映ちゃんは無事なんだ」

「ああ、今頃は楓が保護している筈だ」

 

 夕映が無事だと聞き。状況に似合わず、良かった~、と安堵を見せる明日菜。

 それに構わず真名は言葉を続ける。

 

「……綾瀬を探しに行った楓と別れた私とクーは、とりあえず此処…あからさまに異様な気配が放たれる方へ向かった。そしてその途中、行き先に巨大な光が瞬くのを見掛け……幾度か仕事を共にした事がある私は、直ぐにそれが刹那の技だと分かり、合流すべく急ぎ駆け付けてこうして参上した―――と言った訳だ」

 

 そこまで真名が言うと、今度は険しい顔をした刹那が口を開いた。

 

「まて! それなら何故、狙わなかった!? お前の“眼”と腕ならこの場の術者―――召喚主を見極め、狙撃する事が出来た筈だ。この状況が認識できなかったとは言わせないぞ!」

 

 実質、詰問とも言える口調を聞き。真名は怪異の群れに銃の引き金を弾き絞りながら、謂れの無い糾弾に呆れるようにして吐息する。

 

「勿論そうしようとしたさ。だが……駆けつけた途端、いきなり目の前でピンチになってくれた奴が居たお蔭でね。機を逸してしまったんだよ。手持ちの狙撃銃(ライフル)はボルトアクション……連射が利かないヤツだから―――」

 

 ―――あの大群から助けるには直接飛び込むしかなかった、と。続けて零す真名に、ピンチになった張本人である刹那は口を噤んだ。知らず内に救援に来た相手の足を引っ張り、しかもそれを解せずその相手に文句を口にした事に忸怩たる念を抱く。

 表情に悔いを浮かべる刹那を見て、真名は「こっちも言い方が悪かった」と軽く謝意を口にした。落ち込んで集中力が散漫となって貰っては困るからだ。

 刹那もその言葉から真名の意を汲み、表情を引き締めて軽く頷いた。

 

「―――で、龍宮。転移符はまだあるのか?」

 

 気を引き締めた刹那は、先ほど自分の窮地を救ったであろう一枚80万円という高価な魔法符の持ち合わせを尋ねる。もしまだ手元にあるのならば、状況打破に大きく繋がる。

 

「いや、残念ながらもう手持ちに無い。何分高価な物だからな、今さっき使ったアレ一枚きりだ―――アレの使い方をクーが知っていれば、状況はまた違っていたんだが…」

 

 というのも、古 菲は微妙に一般人側であり、魔法に関する知識を一切持ってなかったからだ。もしそうでなければ、刹那の危機に共に転移する必要は無く。古 菲だけを送り込んで助けさせ、真名自身は隠れて身を潜め、狙撃の機会を待っただろう。

 加えて言えば、幾ら西へ赴くとはいえ、毎年恒例の一般人が殆どの学業の一環に過ぎず。また実際は双方の上層部が争いを望んでいない事もあり、それほど大事にはならないと修学旅行前に踏んでいた事もこの武装の少なさに影響していた。

 事実、関西呪術協会に属する者の中で過激な行動へ打って出たのが、天ヶ崎 千草だけであった事からその思考自体もまたそう的外れでは無いと言える。

 

「そうか…」

 

 刹那は一応尋ねたものの、この状況で一向に使おうとしない事から半ばそれを察しており。真名の言葉に大きな落胆は見せず……いや、それでも、声には僅かに沈んだ響きがあった。

 

「悪いな―――ッ…!」

 

 と。応じた瞬間、真名は視界の端から迫る触手に気付き。銃床を使って捌き、更に捌いた勢いのまま身体を捻り、肉薄せんとする怪異に回し蹴りを叩きこむ。そして相手の怯んだ隙に退魔弾を撃ち込んだ。

 だが、弾丸の霊的・物理的な破壊力のみが怪異の身体に衝撃を与え、肉片と体液を撒き散らすだけで彼女の望んだ成果は出なかった。

 

「チッ…やはり効果無し、か」

 

 真名は、怪異を殺してしまう結果に舌を打ち、顔を顰める。

 彼女も既にこの怪異の特性に気付いていた。

 その為、式払い用の退魔弾を銃に装弾したのだが、見たとおり効果が無い。

 最初は気のせい…あるいは見間違いかと思ったのだが、間近で今見た結果に否応無しに確信してしまう。おそらく既知の魔法や呪術などとは異なる法則で呼ばれ、括られた魔物である為。従来の術式が施された退魔弾では効果が無いのだと、真名は“魔眼”より得られる情報からそう判断する。

 同時に明日菜のハマノツルギに関しては、栓無いので考えない事にする。

 

(分かりきっていた事だが、このままでは…)

 

 ジリ貧だな、と真名は内心で呟きながらも拳銃の弾倉を交換―――退魔弾の意味が無いことから殺傷力・破壊力優先の符術弾を装弾する。

 その間、彼女はこの場所を……刹那達の位置を正確に知る切欠となった巨大な光球の姿を脳裏に浮かべた。アレが何であり、刹那達が何をしようとしたか、真名は明確に洞察していた。

 

「刹那。さっきの技はまだ使えるか?」

「! あと一度ぐらいなら何とか全力で撃てるが、……どうする気だ? 認めるのも悔しいがアレでは…第一、同じ手が二度も通じると―――」

「それは分かっている。だが、このままではジリ貧だからな、一か八かになるが。“奴”の位置が特定できしだい、もう一度お前の技で“諸とも”を狙うしかない! …それで駄目なら、私がその直後の隙を上手く突いてヤツの額を撃ち抜く!!」

 

 語気を強く締めた真名の、多分に博打要素を含んだ打開策を耳にして刹那は黙り込んだ。

 それは、勝算がどれ程かと考えているのか、それとも迷い…決断を躊躇っているのかのどちらかに見えた。

 その時、刹那は大きい、とても大きな途方も無く凄まじい“力”の波動が遠くから放たれたのを知覚した。

 

「ッ! あ、あれは!?」

「何!? 光…の柱? あの方角…確かネギが飛んで行った方よ!」

「こいつはぁ……何か“デカイ”もんを喚び出す気やな。あの西洋魔術師の坊主は間に合わんかったのか?」

「―――!」

 

 力の波動を感知した方向に巨大な呪力…魔力を放ち、天へと伸びる光の柱を見て思わず叫んだ刹那に明日菜と大鬼が言い。刹那は今更ながらに状況が切迫しているのを自覚する。

 直ぐに真名へ視線を向け、刹那は提示された打開策への肯定の頷きを示し、

 

「分かった。確かにそれしか手は―――」

 

 と、刹那が答えようとした瞬間。

 

 ―――二刀! 極大・雷鳴剣~~!!

 

 間延びした少女の声が聞こえ―――この場において二度目となる轟音と衝撃が二つの雷と共にこの場に震わせる。

 自然現象ではまず在りえない極太の雷が地を打ち、怪異どもを焼き払い、薙ぎ飛ばし、先の雷光と同様に場の一帯を拓かせた。

 

「「―――…ッ!?」」

「―――ゃああ! ま、また!?」

「なっ! なにごとアルか!?」

「ぬう!? 神鳴流だと!?」

 

 それぞれが、その事態に驚きの反応を示す。

 そして夜空の中。怪異の頭上を高く越え、拓けた一帯にタンッと乾いた音を立てて一つの人影が舞い降りた。

 

「あ、あの子はっ!?」

「―――月詠!」

 

 雷撃で燃え盛る怪異の炎に照らされて顕になった人影―――ゴスロリ服を纏った少女の姿に明日菜と刹那が叫んだ。

 その敵意を帯びた声に真名、古 菲の2人と、大鬼たち人外は月詠と呼ばれた少女が瞬時に敵なのだと理解する。

 刹那達から敵意が籠った視線を向けられる中、その月詠と呼ばれた少女は不気味なほど静かに、穏やかに、数秒間じっくりと周囲を睥睨していたが……突如、奇妙と言えるほど頬と口角が歪ませ、

 

「フ…フフ、―――ぁっハ…ハハッ!! アハハハハッ…ハハッハハッハハハ!!!」

 

 その外見、10代そこそこの可憐な少女とは思えない。似つかわしくない哄笑を上げ始めた。

 

「―――ハッハハハハッ……木偶! 木偶木偶木偶!!……木偶といえども、こうもエライぎょうさん居ってぇ、切り裂かれてぇ……紅い血ぃ…と臭い臭い臓腑の匂いを流されるとぉ…もう…もう、ウチは、ウチはもう堪らんわぁ、どうにか成ってしまいそうやわーー」

 

 異様な輝きを灯す眼と異常な角度で歪みきった唇に、発せられる狂気を帯びた声に、明日菜と古 菲はビクリと体を震わせ、残りの一同も身を思わず引かせた。

 

「あぁ でも、でもぉ―――アカン……ウチをこんなに愉快に…悦ばせる木偶でもぉ…刹那センパイを美味しく食べさせるなんて勿体無い…いや、許されへん。センパイは、ウチが美味しく頂かんとぉ」

 

 まるで愛しい人に恋焦がれるかように身体を震わせ、頬を紅潮させて狂った言葉を発する月詠はギョロリと、闇色に変化し、瞳孔が爛々と金色に輝く魔性に染まった瞳を刹那に向けた。

 

「ウフフ…先輩もそう思いますやろぉ、木偶におぞましく食べられるよりは、ウチの剣に美味しく斬られる方が余程ええと…」

 

 見つめられた刹那はゾクリと凄まじい悪寒が奔り、酷く背筋が震えるの感じた。

 月詠の事を“戦闘狂(バトルマニア)”と刹那は昼間の戦いで評した……が、今は違う。この異様を見て、それは“違う”と理解した。戦いに喜びを見い出すと言う、そんな生易しいものではない。彼女は―――真実、殺し合い……いや、ただひたすら殺戮と流血のみを求める人の世に在ってはならない“狂人”なのだと。

 

「フフフッ―――! いきますええぇ!! センパイッ!!!」

「―――!」

 

 刹那を凝視する狂気の瞳が一際大きく見開いた瞬間、月詠の姿は掻き消えるようにブレて―――瞬動!と反射的に刹那はそれを解し、目前に現れた二対の銀の筋を野太刀で凌ぐ。

 上段より振り下ろされた一撃―――いや、二撃を繰り出した二つの刃の向こう…刹那の太刀と鍔迫り合う中、月詠の狂気に歪んだ笑みが見え、

 

「流石セン―――ぐっ…!」

 

 月詠が何かを口にしようとした直後、刹那は刀身に掛かる力をズラして相手の体勢を崩すと、その腹目掛けて鋭い蹴りを放った。

 月詠は呻いて吹き飛ぶも、寸前に気付いた彼女は自ら後方へ飛ぶことでその威力の過半を殺していた。

 宙で後方一回転し、着地した彼女は、

 

「ははっ…つれません―――」

 

 ―――なあ、と言葉を続けようとし、視界に追撃する刹那の姿を捉え。その言葉を飲み込み、直ぐ様に内心で訂正して表情に喜悦を浮かべた。

 しかし、一方で刹那としては苦渋の思いが内心を占めていた。それでも月詠の狙いがやはり自分なのだと知り、自ら追撃に出ざるを得なかった。それが真名の打開策を無にする大局的な失策だと理解しながらも。

 止むを得ない事だ。あのままでは皆を月詠との斬り合いに―――特に素人で体術的に未熟である明日菜を巻き込んでしまう恐れがあったのだから。

 

 

「―――ッ! 刹那の奴…早まった真似を…!」

 

 相談も無く勝手に大鬼達と組む円陣から飛び出した刹那の背を見て真名はそう愚痴った。しかし彼女もまたその行動自体は認めざるをえないと考えていた。

 理由は刹那のものと同様だ。怪異どもを相手にする中、自分達の隣や背中などの直ぐ傍で神鳴流剣士同士の激突―――殺し合いなどゾッとしない。だが独りで当たったのは失敗だ。真名と共同で月詠には当たるべきだったのだ。

 刹那と真名はルームメイトであり、幾つか仕事を共にした間柄なのだ。連携も十分に取れ、短時間に打倒できる可能性があった。

 だが、真名が加わるには間が悪く。そして遅かった。直後、押し寄せた怪異によって真名の視界から刹那の背が隠れ、遮られたからだ。

 それに矛盾するようではあるが、本当に短時間で打倒できる保証も無く。時間が掛かるほど残されるであろう明日菜達に危険が増して行く事も気掛かりであった。

 

「刹那さん!」

「刹那!」

「やめえっ!!」「止せ! お前達は目前の事への対処を優先しろ!」

 

 明日菜と古 菲が叫び、大鬼と真名はそんな飛び出しかねない二人に釘を刺す。

 それでも明日菜は先程の事もあってか、「でも…」と渋る。それを察して真名も安心させるように言う。

 

「刹那は、同じ失敗を繰り返すほど愚かな奴じゃない。大丈夫だ!」

 

 と言う真名であったが、実のところ抱く危機感は大きい。

 

(これは、詰んだかも知れんな)

 

 決して口には出さないし、諦めた訳でもないが、彼女は漫然とそう思った。

 刹那が月詠と対峙した以上、もう先程の策は使えず、この怪異どもを打倒する手段は無い。 

 残る手はこの場を離脱し逃げ出す事ぐらいだが……これも厳しい。

 おそらく群がる怪異の突破自体は不可能ではないだろう。しかしそうなると当然、怪異どもは追い掛けて来る。仮に大鬼を初めとした人外どもを囮にしたとしても同じだ。怪異の方が圧倒的に数は多く、二分して彼女達の方にも向かうのが道理だ。

 そもそも逃げ出した後、如何するべきなのか? この無限に近く増殖する怪異を放って置いて良いものなのか?

 だからこそ、刹那もこれまで逃げ出すという選択を取れなかった。況して今は月詠という“イレギュラー”も存在する。どう転ぶか判ったものではない。

 と、そこで真名はハッとしたかのように思う。

 

(いや、“イレギュラー”というべきモノは、あの神鳴流の女の方ではなく―――ひょっとして、この目の前の怪物と召喚主という“男”の方ではないのか?)

 

 何故か不可思議にも、確信に近い思いでそんな疑惑とも云うべき感慨を抱いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 動揺していた彼女は、それを飲み込み決意する。

 

「学園長、私をあの場所に転移させることはできる?」

 

 その“存在”は、自分がこの世界に“在る”に足る理由ではないかと予感し、知るべきだと直感したからだ。

 

「何じゃ、藪から棒に?」

 

 魔法書を捲りつつ凡そ軽いくらいの口調で近右衛門は彼女にそう応じたが、その内面は複雑で、様々な疑問が渦巻いていた。

 何故、顔を蒼白にするほどまでに異常な動揺を示したのか?

 何故、記憶が無い筈の少女が水晶玉に映るナニカに執心を見せるのか?

 何故、受動的であった筈の彼女がこれまでにない能動的な意志を眼に宿しているのか?

 そして何故、そんな彼女が危険なあの場所へ赴かなくてはならないのか?

 それらの疑問を近右衛門は尋ねようとし、彼女はそれを制して彼を睨むように見据え発言―――いや、宣言をした。

 

「私がエヴァさんに先んじて、ネギを―――あの子達の救援に向かう!……そう言ったのよ!」

 

 

 




Arcadiaではこの話は一つだったのですが、文章がやはり長いと思ったので前後編に分けました。


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第5話―――運命と出会う 後編

予約投稿失敗しました。すみませんonz


 奇妙な演舞が周囲を蠢く怪異を観客にして繰り広げられている。

 

「はぁあああ!!!」

「フフッ…ハハハ―――!!!」

 

 演舞を演じるのは2人の少女。神鳴流剣士である刹那と月詠。

 少女達の扱う一振りと二振りの刃金が一呼吸の間に幾度も交錯し激突する。固い金属音が鳴り響き、火花と共に両者の“気”が宙に弾け、闇夜の中に歪な星空を描いた。

 直ぐにも消え去るそれを何度も上書きし、繰り返し、両者は互いの脇を抜け―――

 

「どけぇぇっ!!」

「邪魔やぁぁっ!!」

 

 敵に背を向けたまま、囲み押し寄せ、自身らを襲わんとする観客たる怪異どもに鋭く容赦の無い剣戟を見舞う。

 2人は、まるで事前に申し合わせたかのように周囲の怪異を排除し。直後、

 

「ふっ!!」

「はあっ!!」

 

 お互いの隙を突き、怪異を相手に無防備である背を狙い、同時に振り向いて斬撃を放つ。そうして再び2人は交錯し、宙に歪な星空を描き始める。

 殺陣の如き呼吸の合った剣の応酬。敵対しつつも共闘するかのような両者の動き。

 殺し合う2人が助け合うようで、やはり命を奪おうとする奇妙な演舞が続く。

 

「フフ…ウフフフ―――愉しい! 愉しいわっ!! 刹那センパイッ!! 一歩でも間違えれば、凄惨な死が待ち受ける甘美で魅惑的なこの状況……命をめぐる鬩ぎ合い! ハハッ!! 正に“活きとる”という感じやっ!! 本当! 愉しいでおますやろ!! センパイッッ!!!」

「クッ―――!!!」

 

 恍惚と喜悦に満ちた狂笑を浮かべ、際限無く感情を昂ぶらせる月詠に対し。刹那は苦汁を飲んだかのような険しい表情で歯噛みした。

 月詠の言い分に同意できないのは当然だが、刹那の表情を険しくさせているのは、これまた当然の事であるが自らの置かれた状況にだ。

 怪異に囲まれ。打開策を無にし。皆を放り。こうして月詠と対峙しているという不本意極まりない状況にだ。そして更にいうなら―――悔しい事であるが、認めなくては為らなかった。

 自分の顔を尤も険しくさせているのは―――敵の振るう二刀と自身の振るう野太刀の有利不利を。敵の力量と自分の実力が拮抗している事を。そして条件的にも消耗した身体を勘案し、このままでは自分―――桜咲 刹那が敵の振るう凶刃の前に倒れる事を理解してしまったからだ。

 

「―――! だが…!」

 

 それでも負ける訳には―――倒れるわけには行かない!!

 刹那は弱気になっている自分に活を入れる。

 それでも想いだけでどうにか為るものではない。状況は秒単位で悪くなって行く。

 月詠の振るう剣は徐々に刹那の身体を掠め始め、怪異に囲まれた彼女の仲間…友人達も疲弊の色を見せ始めており、特にそれが酷い明日菜は危うく怪異の餌食に成り掛け、古 菲は先程までの陽気さがすっかり鳴りを潜め、真名も独特のシニカルさを湛えた余裕をとっくに捨てていた。

 大鬼達…人外らも同様で、刹那と明日菜に還されず残存していた70体も、その数を30近くにまで減らしていた。

 

 ―――どうする?

 

 もう何度目かに為るのか、その言葉が刹那と真名、そして大鬼の脳裏に過ぎる。

 しかし、言葉だけで肝心の手段(さく)が思い浮かばない。いや…その中で1人、刹那だけは違った。正確には2人なのだが、ここは刹那に焦点を当てよう。

 

 刹那は周囲に犇めく怪異を一瞥し、目の前から迫る月詠に対処しつつ思う。

 

(こうなったら…最早あの力を使うしか―――)

 

 そう、今の状態で互角だというのなら、■■の力を使えば獲物の有利不利に関わらず、拮抗している技量は覆り、月詠を打破できるように成る。そして忌まわしい自分の白い■でも上手く用いて今度は……より至近から奥義を撃ち込め、あの奇怪な男…召喚主にも届く筈だ。

 それが無理でも、その■で真名を伴ない怪異を振り切って一度彼女を離脱させ、狙撃の機会を設ける事だって―――無論、その合間は明日菜と古 菲と味方してくれる人外らに負担を掛ける事になるが…十分勝機がある。

 刹那はその思考の末―――抱く不安と恐怖……逡巡を振り払って―――決意する。

 

「ハッ…!」

「!?」

 

 刹那は、敵の打ち込みをそのまま受けると思わせ―――その実、野太刀の刃の上で受け流す様に二刀の刃を滑らせて月詠の太刀筋を捌き。瞬間僅かに出来た隙を突いて、身体を駒のように回して遠心力を加え、敢えて大振りにした一撃を見舞った。

 それは当然の如く防がれるが、その振り抜く勢いのまま、

 

「飛べぇーー!!」

 

 渾身の力で敵対する狂人(しょうじょ)を押し飛ばす。

 

「―――…ッ!?」

 

 月詠は飛ばされた先、犇めく怪異に飲み込まれる前に姿勢を整え、着地点とその周囲に居る怪異へ斬撃を浴びせる。

 ハァ―――と、刹那はその僅かに出来た休憩時間で呼吸を整え、己の内に潜む……本性へと意識の手を伸ばし、

 

 ―――聞こえる? 聞こえたなら支援するから、直ぐに皆一箇所に集って全力で防御を固めなさい! いい…“全力”でよ!

 

 途端、脳裏にそんな少女の声が響いた。

 直後、上空から月の光に照り返された無数の銀の筋が刹那の後方へ降り注いだ。それに驚く間も無く連続した轟音―――ナニカの着弾音が彼女の耳を弄し、地と空を揺るがす衝撃により身体を小刻みに震わせた。

 

「なっ!?」

 

 一瞬後、驚きを見せて振り向いた刹那の視界には細切れ…或いは、粉々に吹き飛ぶ肉片と地を穿つ無数の小さなクレーターが映り、それが明日菜達の下まで道を築くように続いていた。

 いや、築くようではなく。事実それは明日菜達の下へ「走れ」という見知らぬ声の主からのメッセージだった。

 しかし、声の主が誰かなどは分からない。本当に味方であるかさえも。

 ただそれでも刹那達を助けようという意志は確かに感じられた。だが、それは錯覚かも知れない。藁にでも縋りたい状況下でそう思いたいだけなのでは―――微かに刹那は迷い…。

 

「刹那!!!」

 

 同じく声を聞いていたであろう真名が鋭い声で呼び掛けた。刹那はその鋭い声を聞き、その意を決した真名の眼を見て決断し―――瞬間駆け出していた。今も自分を狙う狂気を纏う少女に背を向けて、躊躇う事無く。

 

「センパイ!! 逃げるなん…―――!?」

 

 背を向けた刹那を追おうとした月詠の言葉は途中で轟いた銃声によって遮られた。正確には音速を超えて飛来した銃弾によってだ。

 駆ける刹那越しに真名は月詠を狙い、二丁の大型拳銃(デザートイーグル)から銃弾を吐き出し続ける。しかし神鳴流に並みの飛び道具は通じない。真名の技量を持ってしてもその道理は容易に覆す事は出来ず、弾道を読み取った月詠は“気”で強化した刀身で、瞬く間に銃弾を弾き、或いは紙一重で躱してゆく。

 だが、それだけで、その僅かな時間だけでも……彼女を足止め出来ただけで十分だった。再び月詠が追撃を試みた頃には、刹那は全てを完了させていた。

 真名の援護射撃のお蔭で無事合流を果たした刹那は、懐から装具を取り出して術と印を紡ぐ。

 

 ―――神鳴流・退魔戦術絶対防御!! 四天結界・独鈷(どっこ)(れん)(かく)!!!

 

 “言われた”とおり全力・最大出力で“気”を注いで防御を固め、人外らも含めた皆を結界で覆う。見れば大鬼の同胞である狐面を被った女妖も呪を紡ぎ、刹那の張る結界の内に別の防御結界を展開していた。

 それでも月詠は諦めず、刹那に目掛けて疾走した。

 

 ―――が、再度、上空から銀の筋が降り注いだ。

 

 しかも今度は、この場―――刹那達が佇む位置以外の戦域全体へと。それはまるで銀色の流星雨で夜空という事もあって実に調和の取れた美しい光景だった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 数分前。

 

 彼女が転移を果たして目にした光景は、広大な森を俯瞰できる遥か上空だった。

 迫る地上を目にし、轟々と落下によって大気を裂く音を耳にしつつも彼女は冷静に深く息を吐いた。

 

 ―――どうやら、強引な長距離転移のせいで座標にズレが生じたようね。

 

 内心でそう呟く。

 このままでは彼女は大地と接吻どころか、轢かれた蛙の如く落下の衝撃で身体が潰れてしまうだろう。それでも彼女は心底冷静だった。

 腿にあるホルダーからタロットにも似たカードを取り出す。

 そのカードに描かれた絵は弓を構えた騎士(アーチャー)。その絵を見て思わず吹き出してしまう。

 

 ―――それとも、この“彼”の運命(Fate)に引き摺られたのかしら? なら……

 

 微笑み、そしてカードを手に彼女は紡ぎ始めた。

 

「―――告げる!」

 

 なら…と、彼女は思った。

 敢えて声にする必要は無い。言葉にする必要も無い。けれどこの先に待ち受けるかも知れない運命(Fate)に挑む覚悟と、その宣誓の意味を込めて、と。

 

「汝の身は我に! 汝の剣は我が手に! 聖杯のよるべに従い、この意この理に従うならば応えよ!」

 

 宣誓は高らかに、されど厳かに、空を裂く音に掻き消されながらも彼女は謳う。

 

「誓いを此処に! 我は常世総ての善と成る者! 我は常世総ての悪を敷く者!」

 

 視界が徐々に狭まり、地上が迫る。

 

「汝! 三大の言霊を纏う七天! 抑止の輪より来たれ! 天秤の守り手よ!」

 

 強い意を込めて、その決意を“世界”に告げるように彼女は最後の聖言を紡いだ。

 

夢幻召喚(インストール)!!!!」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 降り注ぐ銀の流星雨が怪異を大気と共に貫き、引き裂いて無残な骸へと変貌させる。

 着弾した銀光が地を穿ち、衝撃で怪異を吹き飛ばし、骸をより原型を留めない微塵の肉片と赤い体液へと晒して行く。

 その銀光の正体は、音速を優に超えて降り注ぐ“剣”だ。

 無数の剣は轟音と衝撃を伴ないながら怪異と大地に向かい、突き刺し、切り裂き、爆ぜさせ、両者を分別なく耕して次々と墓標の如く佇む。

 それは、空を月の輝きで照りかえる銀の流星雨で美しく彩りながらも、地には無残な骸と肉片をばら撒き、赤く血で染めて凄惨に描くという、実に相反する歪な場景だった。

 

 刹那達はその圧倒的な蹂躙に言葉を失い。息の呑み。次には呼吸も忘れて魅入った。

 いや、実際はそんな間も無い一瞬の出来事だったのかも知れない。

 そして、銀の筋が途絶え―――瞬間、全ての音が無くなり、視界が白く染まった。

 

「――――――ッ!!!?」

 

 それが起きた瞬間、刹那は圧倒的な光景に呑まれて自失しつつあった精神を再構築し、結界の維持に集中して全力を注いだ。

 突き刺さった剣群が馬鹿げた程、凄まじい魔力を伴なって炸裂・爆発したのだ。一応それは刹那達へは及ばないように配慮されていたが、その余波だけで彼女の張った結界は大きく揺らいでいた。

 結界の間近に居た為、流星雨の直撃を逃れていた怪異は、とうに血肉も残さずに吹き飛んでいる。

 ともすれば、強固である筈の神鳴流が誇る、この絶対的な守りが崩れかねない程だった。素で受ければ自分達もただでは済まない。

 必死に結界を維持する刹那の額に汗が浮かぶ。それを理解する真名も同様に汗を流した。

 しかしそんな彼女達以上にこの爆発や降り注いだ剣群に対して、冷や汗を流し、怖気を覚えているのは、大鬼を筆頭とする人外達の方だった。

 そう、彼等は本能と理性での両面で理解していた。

 あの怪異などとは比較するのもおこがましい、絶対的な(ほろび)の確信。

 そう…あの剣、一つ一つが自分達を幾度滅ぼしても余りある“神秘”であり、そして天敵となって久しい神鳴流よりも古く。郷愁にも似た懐かしい良き時代を想起させる“薫り”を持った貴き“幻想”なのだと。

 だからこそ、その内包した“神秘”と“幻想”を炸裂させた爆発に、刹那以上に必死の思いで結界の維持を図る女妖達。例え余波であろうと彼等に取っては致命傷に成りかねないのだ。

 だが、それもまた一瞬の事。秒にも満たぬ神経を擦り減らす時が過ぎ、静寂と共に視界が取り戻された。

 結界も解け、カランと渇いた音を立てて媒介としていた装具が地面に転がった。

 

「――――――何よ……これ?」

 

 言葉を失ったまま皆が絶句する中、明日菜だけがポツリと声を漏らした。それはこの場に居る誰もが抱いている思いだ。

 濛々と立ち込める熱気や蒸気と共に広がったそれは、刹那と月詠が放った技の跡とは比にならない圧倒的という言葉すら霞む破壊の痕跡だった。

 爆発があった範囲―――刹那達の立つ場所以外、戦域全体が樹木ごと薙ぎ払われ陥没し、クレーターと化して完全に地形が変わっていた。

 深さは全体的に4m以上で範囲は恐らく半径100mほど、少なくとも直径にして200m以上はある巨大なクレーターだ。

 地は黒く焼け焦げてガラス状と化し、蜘蛛の巣のように罅割れた個所すらあり、所々に炭化した黒い樹木の欠片が見えた。

 更にクレーターの周囲にある木々も悉くが圧し折れ、倒れており、葉が焼け落ちて黒く焦げていた。煙が見えても火の手自体が上がっていないのは、爆発が余りにも強力だった所為であろうか。

 

 この場に元から在った流れる川の水量を考えると時間は掛かるであろうが、このまま放置すれば、いずれ此処はちょっとした湖に成るかも知れない。

 ともかくこれは、“砲台”として火力第一の魔法使いの中でも、非常に高い魔力・出力を持つ人物が最上位の広域殲滅魔法を行使しないと不可能と思われる御業であった。

 そして長く裏世界に関わり、幾つもの戦場を見てきた真名でさえ、滅多に…もしくは全く見たことの無いものだった。魔法よりも、むしろ核のような現代の戦術・戦略兵器で為されたと言った方がまだ納得できるものだ…。

 

 当然、このような惨状では蠢く怪異の姿も気配もある筈が無く。僅かな瘴気の残滓が熱気や蒸気と共に大気に漂うだけであった。

 召喚主の男であろうと、月詠にしても、この爆発の直撃を受けて無事であるとは……生存しているとは思えなかった―――が、微かに動く影がクレーターの端に見え、彼女達と人外らの眼に捉えられた。

 

「■■■!? ■■■■■―――!!??」

 

 その影は、地面にのた打ち回りながら奇怪な呻き声を上げていた。

 纏う衣服は焼け焦げて襤褸と成り、皮膚は黒く炭化するか赤く焼け爛れているかのどちらかで、肉体の末端は欠けていた。

 その襤褸と顔の作りから辛うじてあの召喚主の男であることが判別できる。

 敵であるものの、その余りの凄惨な……半死半生の姿に明日菜は顔を背け、同情を抱いたが。一方でアレでよく生きているなぁ…と半ば感心めいた奇妙な感情を覚えた―――そう、既に彼女は、もう男に対して敵意をまったく抱いていなかった。

 

 と。明日菜は背けた視線の先に見覚えのある人の姿を捉えた。

 

「…イリヤちゃん?」

 

 明日菜は、熱気の漂うクレーターの中を歩くその人物の名前を呟いた。そうそれはついこの間、修学旅行の直前で知り合った少女だった。

 ただ明日菜の声に疑問が含まれていたのは、会った時とは随分とイメージが違う……というか似合わない赤い外套と黒い鎧のような物を身に着け、両手に白黒の短刀を持っている事と、脳裏に響いた声を聞いた時にも“まさか”と半信半疑だったからだ。

 それでもイリヤが“魔法使い”らしいという事は、ネギから聞いて居る訳で。それを考えるとその奇妙な格好と此処に居ること自体も不思議ではない……ないのだが―――

 

「イリ―――」

 

 明日菜は一瞬、頭に浮かんだ嫌な考えを振り払い。とりあえずイリヤに呼び掛けようとしたが。微かに此方を一瞥した彼女は、直ぐに鋭利ともいうべき視線を今ものた打ち回る男の方へ向けた為、思わず躊躇ってしまう。

 その僅かな間にイリヤは驚きの運動能力を示し、男の傍へと跳躍し距離が離れたため、明日菜は声を掛けるタイミングを逸してしまった。

 

 ―――そして、明日菜は先程浮かんだ嫌な考えが事実となる場面を見る。

 

 

 

 刹那や真名など他の者達もイリヤがこの場に現れたことは、当然気付いていた。

 しかし半死半生とはいえ、油断できない男の存在があり、また刹那と真名も学園内などの他、ある事情で修学旅行前に半日近く観察していたのだが、この見た目幼いイリヤスフィールという少女に気を許して良いのか、本当に味方であるのか判断が付かない為……況してやその実力も底が知れず、未知数であるので余計に警戒が解けず、声を掛けることも行動を取ることも出来ずに居た。

 イリヤもそれは分かっていたが、半ば意識的に無視して自分にとって優先すべき存在へと歩み寄った。

 

(これは……やはり駄目なようね)

 

 息も絶え絶えで足掻く男―――イリヤの知識に於いて4thキャスターともいうべき存在を間近で確認し、イリヤは残念そうにかぶりを軽く横に振った。

 学園長室で水晶球越しに見ていた時から確信に近いものを感じてはいたが、この4thキャスターは話しどころか口の利ける状態ではなかった。無論、時系列的に言ってそれは負傷の度合いを指している訳ではない。

 

「まさか本当に“黒化”…とはね」

 

 思わず口から零す。

 どういう訳か、この4thキャスターは黒化現象を起こしていた。

 そう、それは使役された英霊(サーヴァント)が“ある存在”により、汚染されて受肉化した状態の事だ。

 膨大な魔力が供給され、戦闘力こそ増すが、汚染という言葉通り、代償として悪性と凶暴性が高められてしまい。余程強固でなければ自我を喪失するというペナルティがある。

 さしずめ“狂化”スキルをより凶悪に高めたものと言えるだろう。

 そして目の前のサーヴァントは、どう見ても自我や理性を維持できているとは思えなかった。

 故に尋問を考えてギリギリで―――剣弾を敢えて外し、爆破も戦域離脱に達する瞬間を狙い―――彼を生かしたイリヤは、それを断念して……ふと今更ながらに気付く。

 

「いえ……よくよく考えると、理性が有ったとしても“これ”とは、まともに話は出来ないんだったわね」

 

 第4次聖杯戦争にて呼ばれたキャスター―――“ジル・ド・レェ”の保有スキル『精神汚染:A』とその錯乱振りに、会話が成立しない“Fate/zero”に於ける台詞のやり取りを思い出す。

 こんな簡単な事にも思い至らないとは―――心を逸らせ、平静さを欠いていた事を自覚してイリヤは吐息する。

 まあ、尋問などが出来なくともこうして黒化している事実や、サーヴァントの存在を直に確認できただけでも情報としては価値があった。

 そう気を取り直すと、もう用が無い目前で呻く焼け焦げた“物”をイリヤは冷然と見据え―――手に持つ中華刀を振るい、その首を刎ねた。

 

 

 

「――――――」

 

 ネギの下へ向かう前に一言お礼を言おうとイリヤの方へ足早に近づいていた最中、その容赦無く瀕死の重傷人の首を刎ねる彼女の姿を見て、明日菜は声無きナニカを口から洩らした。

 殺人―――という単語が脳裏を過ぎり…次の瞬間、明日菜は叫んでいた。

 

「イリヤちゃん! 何をっ…!?」

 

 明日菜は上げた己の声の思わぬ大きさに、自分で驚いてしまい言葉を切らした。

 傍にいる刹那達も突然叫んだ彼女に驚いているが、イリヤはそれに少し不思議そうな顔で見せつつも気に留めた様子は無く。明日菜達の方へ歩み寄って安堵するかのように笑顔を浮かべた。

 

「無事で良かったアスナ―――それに…ネギの生徒、よね?」

「……はい。桜咲 刹那といいます」

「龍宮 真名だ」

「……古 菲…アル」

 

 イリヤが明日菜の傍に立つ少女達へ視線を巡らせると、少女達は若干警戒しながらも、それぞれ順々に自分の名前を告げた。

 するとイリヤは軽くお辞儀をする。

 

「失礼。先に名乗るべきなのに…不躾だったわね」

「いえ、存じておりますイリヤスフィール」

「ああ、それもそうか……でも一応名乗っておくわ、私は―――」

 

 刹那の返事にイリヤは自己紹介を始める。

 そんな平然とした。そう、まるでほんの数日前の出会いを想起させる普段通りとも言うべきイリヤの様子を、明日菜は信じられない思いで見詰める。

 流石に怪訝に思ったのか、自己紹介を終えたイリヤは明日菜に尋ねる。

 

「どうしたのアスナ?」

「―――ッ…イリヤちゃん、自分が何をしたか分かっていないの?」

 

 やはり平然と尋ねてくるイリヤに一瞬、明日菜は得体の知れない怖気に似た感覚を覚えるも、何とか……応じた。

 

「? 何を…って、確かに下手をしたらアスナ達も吹き飛ばしかねなかったけど―――」

 

 明日菜の責めるかのような問い掛けにイリヤは首を傾げるも、直ぐに責められる理由……明日菜達を巻き込みかねなかった剣群の爆破に至り、弁明をし始めた。

 

 ―――が、明日菜が言ったのはその事ではない。

 

 勘違いし、少し体の悪い表情を見せて弁明するイリヤの姿に、明日菜は先ほどの得体の知れない感覚が再び沸き立った……今度は、彼女にも何となくであるが、それが自分の知る倫理観が揺らぎ侵される嫌悪感なのだと理解でき―――イリヤのことが怖くなった。

 そんな明日菜とイリヤの“ズレ”に真名は真っ先に気付いた。だから彼女は口を挟んだ。このままでは両者にとって健全的な事には成らないだろうと思ったからだ。

 

「違うぞイリヤスフィール。神楽坂が言ったのは、お前があの男の首を刎ねた事だ」

 

 真名の言葉に、明日菜は強張りつつあった身体をさらにビクリと震わせ、イリヤは弁明していた口を開いたまま唖然とする。

 唖然としたイリヤは、真名の言葉の意味を数秒掛けてゆっくりと咀嚼し、

 

「―――ああ、そっか」

 

 理解して、そう嘆くように呟いた。

 彼女は本当に今気付いた。人を容易に殺傷できる力を当然の如く振るえたこと。全身に火傷を負った瀕死の人間を見てもこれといった感傷を抱かなかったこと。そして―――何の躊躇いも無く人の首を刎ねたこと。

 普通に考えればそれは異常だ。真っ当な人間の感覚ではおかしいことだ。しかしイリヤはそれに悩む事も、考える事さえも無く。当然のように実行し、受け容れていた。その一方で明日菜が自分の何を責めたのか理解した。

 

「―――そのことか……明日菜。それは勘違いよ、何故なら“アレ”は人間じゃないから」

 

 だからイリヤは少し嘘を付く。―――実際の所、嘘という訳でもないのかも知れないが。

 恐怖の色を見せていた明日菜の眼から少しその色は失せるが、今度は懐疑的な色が加わった。

 明日菜だけではない。刹那と古 菲、そして魔眼を持つ真名すらも人間じゃないという言葉に疑惑を抱いた。いや、刹那と真名はアレが真っ当なモノではないと感じてはいたが、それでも人では在ると考えていたのだ。

 無事生き残った大鬼達もその2人と同様だった。そんな皆の抱く疑惑をイリヤは感じ取っていた。

 

「まあ、口で言うよりも……見て貰ったほうが早いわね」

 

 そう言ってイリヤは後ろを―――男の遺体が在るほうへと振り返る。

 それに釣られて皆の視線がそちらへ移った。

 明日菜は、あ…と声を漏らし、古 菲は、ナント!と零す

 ちょうどそれが起きていた。火傷を負い、首を刎ねられた男の遺体が光の粒子と化して徐々に消えて行くのだ。

 人間だと思っていた男の死体が消失して行く姿に刹那は驚いて静かに息を呑み。真名は、ほう…と感嘆に近い声を零した。

 

「驚きやな……なあ、異人のお嬢ちゃん。アレは何やったんや? もしかしてワイらと同じなんか?」

「そうね…似ているとも言えなくは無いけど、違うわ。どちらかというとアレは亡霊か怨霊の類ね」

 

 遺体がこの現世から完全に消えると、比較的驚きの小さい大鬼が質問し、イリヤも答える…が、

 

「馬鹿な、アレが怨霊だと!?」

 

 より驚きを大きくし、再度疑念を抱いてしまう云わば専門家である刹那。真名は考え込むかのように微かに眉を顰めている。

 

「…あくまでその類という事。でも他に適当な言い方は……無いわね」

 

 イリヤはそう言いつつ、内心では、

 

(使役された存在とは言えるけど。鬼や式神とは異なるし、だからといって受肉した英霊と言う訳にいかない。というかジル・ド・レェ(あんな狂人)をそう言うのは無理がある……やはり怨霊と言うしかないわよね)

 

 そう続けていた。

 

「いや…しかし―――な!?」

 

 それでも納得し難いといった然で顔を顰めていた刹那だったが、光の柱の方から再び強大な…されど先程よりも大きい力の流れを―――波動を知覚した。

 慌てて視線を向けると、光の柱から異様なまでに巨大な…数十mはあろう巨躯の鬼。いや、鬼神が現れるのを見た。

 

「な、何だあれは!?」

「こいつはまたぁ、とんでもないのが出て来よったな」

 

 刹那は驚き叫び。大鬼が暢気に言う。両者の反応は何となく立場を対極に現しているようにイリヤは思えた。

 とはいえ、イリヤもまた実際に感じる圧迫感(プレッシャー)に全身からじんわりと汗が流れる出るのを自覚していた。

 原作やその他、二次創作では割とあっさりと退場したりするリョウメンスクナであるが、

 

(よく、あんなのを撃退できるわね)

 

 イリヤはこうして現実で知覚し、あの鬼神が如何に恐ろしい存在なのかを識ってしまう。

 アレの“本質”は、まさしく神霊や神代の世にて災いを齎した魔物の領域にある“怪物”だ。そう、決して人間では打倒する事など出来ない。英雄と呼ばれる者が“世界”の後押し(バックアップ)を受けるか、もしくは人々の想念の結晶たる幻想―――宝具を手にしなければ、打ち勝てない絶対的な恐怖の具現だ。

 イリヤはそれを識って思わずゴクリと唾を呑んだが、明日菜と刹那がそれを知ってか、知らずか足を踏み出す。

 

「ネギ……助けに行かないと!」

「ええ! 急ぎましょう」

「―――待ちなさい」

 

 駆け出そうとした明日菜と刹那をイリヤは呼び止めた。別に鬼神の恐ろしさを知って止めようと思った訳では無い。何故ならまだアレは“不完全”だからだ。それに例え“完全”となっても打倒手段が無い訳ではない……ただ、少し梃を入れる必要があると感じだのだ。

 

 

 イリヤに止められて煩わしそうに2人は振り返ったが、次の瞬間、身体を包んだ柔らかな光と暖かさに驚きを表す。

 

「これは…」

「何これ?」

「治癒とちょっとした疲労回復よ」

 

 驚く2人にイリヤが両手を向けて答えると、言葉通り見えていた傷が塞がって行き、2人は覚えていた疲れが軽くなっていくの感じていた。

 

「これ、イリヤちゃんの魔法?」

 

 そう尋ねる明日菜の眼には、もうイリヤに対する不信や恐怖の色は無かった。

 それにイリヤは、明日菜の問いに頷きながらも安堵した。

 良好ともいえる関係を築けた彼女に嫌われるというのも勿論嫌ではあったが、何よりも今この時、事態が解決していない段階で明日菜の持つ果敢さが畏縮してしまう方が問題だと思えたからだ。

 況してやネギの救援に向かうという事は、あのフェイト・アーウェルンクスと対峙するという事でもある。僅かな不安要素でも残したくは無かった。

 それに―――この世界は明らかに原作(えそらごと)ではない、未来が不確かな現実(リアル)なのだ。どのような事が起こるか判らない。

 大きな齟齬を見た事でイリヤはそれを真実理解しつつあった。

 

「ん…? もしかしてペンダントを身に着けてくれているの?」

 

 原作を思い浮かべた為、ふと明日菜の格好―――浴衣姿に違和感を覚えてイリヤは言った。原作ではこの時、彼女は私服姿であった事を思い出したからだ。

 明日菜は首肯する。

 

「あ、うん」

「そっか……成程ね。何というか……贈っておいて幸いだったわ」

「へ?」

 

 イリヤの言い様のおかしさに思わず首を傾げる明日菜。しかしイリヤはそれに事件が片付いてから説明するとだけ答えた。

 あのペンダント―――アミュレットは対魔力のみならず、結構強力な幾つかの付与効果を持っており、その一つに石化を含んだ『耐物理異常』もある。その為、フェイトの石化魔法をより完全に無効化したのだった。また4thキャスターの海魔の骸や血から発生する瘴気に侵されずに済んだのも、アミュレットによる加護のお蔭であろう。

 

(そうなると、刹那は……退魔師である以前に烏族との混血だから、まだ分かる。けど―――)

 

 この2人はどうなんだろう? と。治癒魔術の行使を真名と古 菲へと切り替えたイリヤは、今更ながらにそんな疑問を抱いた。

 なお加えて言えば、明日菜が凄惨な光景を目にしつつも戦えたのも、低ランクではあるがアミュレットに付与されたスキル効果『勇猛』がある為だった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 4人の少女の治癒を終えると同時にネギからの念話が明日菜と刹那に入り、その2人はカードを媒介に転移した。

 これは原作でも描かれた事であったが、それでも4thキャスターというイレギュラーも在り、イリヤは漫然とした不安を感じてスクナの下へ向かおうとした。

 しかしそこにふらりと立ち塞がるようにして、ゴスロリ服を身に纏う見覚えのある少女が姿を現した。

 

「あら、生きていたのね…意外だったわ」

 

 イリヤはその少女―――月詠が現れたのが心底予想外だと思い。先のあれで生存していた事にも驚き、そして残念に感じていた。

 原作を参考程度に留めても、今後の事を思えば彼女の存在はネギとそのパーティの脅威か、障害にしかならないと考えたからだ。少なくともイリヤの持つ知識では月詠はネギ達の成長に何ら寄与していない。

 故に容赦無く、怪魔諸共吹き飛ばした筈だったのだが……。

 

「ええ、ホンマに危ない所でしたけどぉ、何とか無事にこうピンピンしておりますー」

 

 さっきまでの狂気は何処に行ったのか、月詠はまるで歳相応の少女のように受け答える。そこには昼下がりの会話のようなお気楽さがあった。

 しかし油断はならない。異常なまでの狂気を纏い刹那と互角に戦った神鳴流剣士なのだ。

 真名は既に銃を構え月詠にポイントしている。古 菲も同様で構えを取って臨戦態勢にある。

 大鬼達は既に関わる積もりは無いようだが、それでも遠巻きに油断無く此方を観察していた。

 気配で…いや、既に分かっているだろうに月詠は、ワザとらしく周囲を見回して残念そうな表情を作った。

 

「でも、センパイはおらんのですねー。残念やわぁ……―――せやからもし良かったら、代わりにお相手してくれますー? ええところをお嬢ちゃんが邪魔してくれはったようですしぃ」

 

 言葉途中…―――月詠の雰囲気が変わりその視線をイリヤに向けた。その眼は既に狂気が滲み出して魔に染まっており、闇色の眼の中心に金の輝きを見える。

 そんな彼女にイリヤは微かに溜息を吐く。

 

「やる気なの?」

「はいー、勿論ですー」

「驚きね。この私に勝てる積りなの?」

「うふふ、可愛らしいお嬢ちゃんやのにスゴイ自信ですねぇ。でもウチが求めとるのは、勝ち負けなんてつまらないモノと違いますー。多分お嬢ちゃんもそれは分かっとると思いますけどー」

 

 呆れた様子で言うイリヤに月詠はにこやかに応じる。ただその爛々とした眼と酷く歪んだ口元が異様であったが。

 そんな月詠に真名と古 菲の警戒心が最大限にまで高まる……が、イリヤは白い中華刀を持った右手を掲げてその2人を制する。

 

「そうね。……まあ、私としても貴女のような“怪物”に近い在り方をする人間なら良心は痛まないし、罪悪感に苛まれる事も無いだろうから―――そう、殺したとしても気が楽だし、遠慮なく戦えるわ」

「ふふ、酷い言い草ですね。ウチのような可憐な女の子を怪物やなんてぇ」

「…そう思うのは、貴女が本物の“怪物”とその定義を知らないからよ」

「……?」

 

 イリヤの言葉に引っ掛かりを感じたのか、月詠は狂気を滲ませながらも何処かキョトンとする。そして興味を誘うモノを感じたらしく不思議そうに尋ねた。

 

「本物の怪物に、定義ですか? ……興味深いですねぇ。教養に疎いウチとしては後学の為にも聞きたいところですけどー?」

「ふむ……貴方に後なんて無いと思うけど。ま、いいわ。冥土の御土産として特別に教授してあげる」

 

 イリヤは月詠の質問に少しだけ考え込むも、まあ、良いか、大した事では無いし、と気楽に思い答える事にした。

 

「なんでも―――怪物というのは、姿や外見ではなくてその在りよう。精神で決まる。それは本能ではなく、優れた理性で殺す者。人が及ばないその性能を持って、何の疑問も無く、微塵の躊躇も無く、喜びを持ってただひたすら殺すことにのみ傾ける、いるだけで毒を撒き散らすような害悪に成るモノ。人間社会の端から端まで否定する殺戮機構……だそうよ」

 

 イリヤは月詠を鋭く見据えて言う。

 

「貴女はこの全てで無いにしろ、かなり当て嵌まっているわ。そう―――本能に委ねるのではなく、自らの意思で外れ、常人には及ばない力を殺戮と流血を求めることにのみ注ぎ、そこには疑問も躊躇も無い。そして心の深奥では人の在り方を受け容れられず、侮蔑してもいる―――そうよね」

「――――――」

 

 イリヤの語る“怪物”の定義を聞き。自身を評された月詠は一瞬、眼を見開いて驚き表した。

 しかし直後、気配を一気に変貌させる。ただ刹那に挑んだ時とはまた異なる様子だった。

 

「ふふっ、ふふふ…なるほど、成程、勉強になりますなぁ。それが“怪物”ですかぁ……それにウチを、ふふっ…うふふ……ええわ、お嬢ちゃん。とてもええわぁ。ここまでウチを理解してくれはるのは、お嬢ちゃんがきっと初めてやわぁ」

 

 月詠はハァハァと呼吸が荒く。身体を悩ましげに捻らせ、頬を紅潮させ、瞳も潤ませて愛しげにイリヤを見詰める。

 まるで情事に誘う乙女のごとくである。ある意味、年齢不相応であり、相応とも言えなくも無い姿だ。もし相手がイリヤではなく、これが本当に情事を求める行為であったなら誘惑された男性は、甘い香りに誘われる蝶の如く誘いに乗ったことであろう。それだけ月詠は一見すると魅力的な美少女であるのだが……まことに惜しい事である。

 

「ウフフ―――あはぁぁ…お嬢ちゃんなら、お嬢ちゃんなら、ウチをきっときっと愉しませてくれる。だってそうですやろぉ、ウチが怪物でぇ、外れとるゆうんなら遠慮しないゆうた。きっと最後までウチと付きおうてくれる。そうでっしゃろ―――!!」

 

 情欲の染まった恍惚の表情を見せていたのも束の間、月詠はそう言い。口角の歪みきった凶悪な表情と喜悦を浮かべてイリヤに襲い掛かった。

 先の刹那へ初撃を浴びせたのと同様に瞬動で間合いを詰め、愛用の二刀を交差させるように左右から振るう。が―――

 

「は―――?」

 

 その瞬間、月詠は気の抜けたような声を零した。

 キンッと、刀の鞘の鯉口を切るかのごとき軽やかな金属音と共に、自分の振るう二刀の刀身が根元近くから切断されているのを眼に捉えたからだ。

 イリヤの持つ白と黒の双剣―――干将莫耶がいつの間にか振るわれ、彼女を切り裂く筈の二刀を逆に斬ったのだ。神鳴流剣士が“気”で強化した筈の獲物…それも式刀を、いともあっさりと野菜でも切るかのように。

 想像の埒外である予想だにしない、その()に思わず狂気が失せ。呆けそうになる月詠―――しかしイリヤが返す太刀で自身の身体を裂こうとしたのを感じ、

 

「―――!!」

 

 呆けかけた意思を戻し、月詠は鍛えられた剣士としての本能に、直感に従い。全力で相手の間合いから身体に刃先が掠めるのを感じつつ、瞬動で後ろに跳んでイリヤから離れ、―――途中、前方から凄まじい速度で回転しながら飛来する白い中華刀を見、―――地に足が着く間も惜しいとばかりに瞬動の勢いに任せるままに、―――倒れ込むようにして強引に身を仰け反らせた。

 それが自身を追い詰める結果に成るとしても、月詠が投擲された干将を避ける為にはそうするしかなかった。

 今一瞬先に上半身の在った所を白く鋭い軌跡が撫でるのを月詠は見た。更にその一瞬後には、そこには白い髪を流す幼い少女の顔が見え、半ば宙に仰向けという無防備に近い状態の自分に、白い髪の少女は黒い中華刀を首目掛けて振るう。

 黒い刃が迫る中、そんな間がある筈も無いのに奇妙にもその少女の声を聞いた気がした。

 

 ―――チェックメイト。

 

 と。

 

 

 

 結果として月詠は生き延びることが出来。イリヤは彼女を逃しこの場にて討ち取る機会を失った。

 

「転移符…か、些か侮っていたかしら?」

 

 イリヤは莫耶を振り切った姿勢のまま呟いた。

 そう、月詠は視界に飛来する干将を捉えた瞬間、自身にもう打つ手が無いと即断して離脱の為に転移符へと手を伸ばしていたのだ。そしてイリヤの振るう莫耶が彼女の首を刎ねる寸前に転移を果たした。

 今にして思えば、怪異ごと葬ろうとした時にも同様に転移符を使ったのだろう。月詠と対峙した時点でそれに思い至らなかったのはイリヤの大きなミスだった。故にこの帰結は当然なのかも知れない。

 それに―――

 

「自分で言っておきながら…はぁ、全く」

 

 狂気に染まり、感情を昂ぶらせたかのようで冷静ともいえる見事な判断と決断力。それはイリヤ自身が言った「本能に委ねるのではなく」という部分に通じていた。

 イリヤは自分でその事を指摘しておきながらも見誤り、月詠の剣を激したものと判断してしまったのだ。

 結局の所、イリヤは戦闘に於いては素人なのだ。だから状況認識が甘く。ミスを犯すし、判断を誤る。

 

(カードの力だけでは駄目ってことか……慢心したかな、無様ね)

 

 イリヤはその事実を痛感した。

 真名はイリヤの項垂れる背を見ながら、今繰り広げられた2秒にも満たない一連の攻防に戦慄していた。

 怪異を殲滅した攻撃と纏う魔力。そしてその佇まいから相当の実力者である事は理解していた積もりだったが―――本当に“積もり”でしかなかった事を思い知らされた。

 その付き合い故に刹那の実力を把握している真名にとって、その彼女と互角に戦う月詠の力も大まかにであるが測れていた。

 総合的にいえば刹那の性能(スペック)は真名を凌駕している。

 無論、状況や相性に経験といった容易に計れない部分があるから実際、単純に比較出来る物ではないのだが。基本として刹那は真名よりも強い、と考えても良い。

 真名の経験から鑑みても裏社会で十分上位の部類に入っている。その出自故、神鳴流に於いて階位が“末席”で“見習い”という扱いであってもだ。

 だからこそ、それと互角…或いは以上かも知れない月詠を―――結果的に逃がしたものの―――容易に撃退したイリヤが……この10歳程度の幼い少女が“異常”だと分かってしまう。

 月詠の初撃から撤退までの攻防……いや、攻防ですらない出来事の間にとったイリヤの対応と動作は、辛うじて視認…いや、それすらも危ういものだった。

 武器切断、斬撃、投擲、踏み込み、肉薄、また斬撃。それら全てが真名でも目で追えないのだ。傍から見ていて月詠はよく逃げられたものだと思えてしまう。しかもイリヤの様子を窺うにまだ大きく余裕を感じさせる。それほどまでにイリヤと月詠の間には大きな“開き”があった。

 

(10歳の子供がこれとは、まったく信じられないものだ…しかも無名だというのだから、なお驚きだ)

 

 まだ十代半ば程度の自分を棚に上げて真名はそんな事を思う。すると隣から「とんでもないネ」という嘆きにも似た呟きが耳に入った。古 菲だ。どうやら彼女も同様の事を考えていたらしい。

 しかし一方で、真名は内心で首を傾げていた。麻帆良でイリヤを見掛けた時には今のような佇まいはおろか、魔力もそれほど感じさせず、戦闘者としての片鱗すらなかったからだ。だから、大人びてこそいるが単なる見習い魔法使いだろうと考えていた。

 

 ―――だが、蓋を開ければこの結果。

 

(わからんな。仮に隠蔽していたのだとしても……こんなに“違う”もの、か?)

 

 自身の目利きへの自負も有り、拭い難い妙な“しこり”のようなものを覚え、真名は眉を顰める。それに、

 

(なんだろうな、この奇妙な感じは…?)

 

 白い少女の姿を見て、真名はあの男―――怪異を従えていた異相の召喚士の事が脳裏に過り、その時に感じた物と同じ疑念を抱いた。“在っては為らないモノ(イレギュラー)”という言葉を。

 だが、

 

(―――まあ、要注意である事は確かだ)

 

 覚えた“しこり”と疑念を無理にでも振り払う為か、胸中の奥底でそう呟いて今からそう遠くない時期に実行され、自らも加担する“計画”の事に……僅かな間、思考を傾け―――今、果たすべき仕事にその思考を戻した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 移動速度の関係からイリヤは、真名と古 菲を置いて独りネギ達の下へ先行していた。

 基礎能力(パラメーター)が然程高くない『アーチャー』とは言え、霊長最強の魂―――英霊の力をこの身に降ろしたのは伊達ではない。

 その駆ける速度は、常人はおろか一流アスリート、気を使う武の達人、高位の魔法使いでも追い付くのは至難であろう。可能だとしたらそれは、英雄とも呼ばれるような最強クラスの人物達だけである。

 ボンヤリと輝く鬼神の巨躯を目印に針葉樹の生い茂る森を抜け、桜に囲まれる湖までの距離が数十mまで迫った時、イリヤは強大な魔力を感知した。

 

「ッ―――!」

 

 小さく声を漏らしてイリヤは大きく跳躍する。

 僅かな風切り音を耳にしながら―――途中で白い翼を羽ばたかせて、木乃香を抱えて飛ぶ刹那を見かけ―――…一際高い桜の枝にイリヤは重量軽減の魔術を使いながら着地する。

 魔力の放たれる湖に視線を向けると、金髪の少女に殴られて水飛沫を立てながら吹っ飛ぶ白髪の少年の姿が目に映った。

 金髪の少女は言うまでも無くエヴァである。イリヤが感知した強大な魔力の源でもあった。その事にイリヤは安堵する。またイレギュラーではないかという心配があったからだ。

 一方、エヴァに殴り飛ばされた少年がイリヤの知識と状況的に、ネギの宿敵となるあのフェイト・アーウェルンクスであろう。

 イリヤは緩みかけた気を引き締めると、直ぐにその警戒すべきフェイトへと視線を向けたが、水飛沫が晴れるや否や既に転移を行なったのか、姿を補足出来ずイリヤは顔を渋め―――

 

「―――いえ、確かこの後…」

 

 と。短く呟いてその姿を気配と共に消した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 エヴァは15年という重い枷を掛けられた時間……その鬱屈と鬱憤を晴らすかの如く思う存分に力を振るい。伝説の大鬼神を氷漬けにして破砕し、打ち倒した。

 50mはある巨躯が凍り付き、砕けて崩壊し、津波のような大きな水飛沫を立てて湖へ沈む光景は圧巻であり、ネギと明日菜は感嘆の声と上げた。

 それは歓声へと変わり、その光景を作り出したエヴァへと向けられた。

 

「すごいよエヴァちゃん。やるじゃん! 最強とか自慢していただけあるわね。見直しちゃった!」

 

 特に明日菜はベタ褒めである。戦いの高揚感によるアドレナリンの影響か、ここ数日の疲労と徹夜に近い寝不足によるものか、若干ハイになっているのかも知れない。その一方でネギは、スゴかったです、と控えめながら素直な賞賛を口にした。

 後はイリヤも知る原作通りに状況が進んだ。

 登校地獄の呪いがあるエヴァが応援へ来られた疑問と答え。

 その理由を聞いて近右衛門を心配するネギと明日菜。

 そんな心配を“ジジイの見通しの甘さ”が事件の原因と一蹴するエヴァ。

 だが一方で、事件とネギの窮地のお蔭で15年ぶりに全力全開を出せた事への喜びをエヴァは表した。

 

 しかし、何か思うことがあったのか、それとも先達や年長者的な立場からか、直ぐにネギに対して釘を刺すように説教めいた事を口にし始める。

 

「―――次にこんな事が起こっても私の力は期待できんぞ。そこん所は肝に銘じておけよ」

「は…はい―――…?」

 

 ハァハァと息を切らせてネギは返事をし、何かに気付く。

 

「む…流石にキツそうだな、ぼーや。大丈夫か?」

 

 ネギの様子を体力と魔力消費によるものかとエヴァは気遣う。その背後に不審な水溜りが現れ、

 

「エヴァンジェリンさん!!」

 

 うしろっ…とネギは叫んで跳び、水溜りから現れた人影からエヴァを庇う為に抱きつく。

 エヴァは一瞬抱きつかれた事に驚き、抗議の声を上げようとして―――遅蒔きにその事に気付いた。

 

「障壁突破、『石の槍』」

「バカ、どけっ!」

 

 人影が行使した魔法……祭壇の床から延びて迫る『石の槍』にエヴァは自分を庇おうとするネギを逆に突き飛ばし―――途端、降り注いだ数本の剣がエヴァを貫かんとした石の魔槍を逆に穿ち砕いた。

 

「―――!?」

「これは!」

「これって…!」

「……剣!?」

 

 剣弾の穿つ破壊音が響く中、この攻撃を知る明日菜とエヴァに然程驚きは無い。だが初見であるネギと人影の驚きは大きい。

 それはネギは兎も角、襲撃者である人影にとっては大きなミスだった。そこには予想外という事もあったのだろうが、この機を狙い、剣弾を放った本人にとってそれは付け入るには十分な隙であった。

 

「―――!」

 

 何時の間に此処に現れたのか、人影―――フェイトの眼前に白黒の双剣を振るう赤い外套を纏う少女の姿が在った。

 左右から挟むように薙ぎ払われる双剣の斬撃をフェイトは咄嗟に後ろへ下がり、刃が微かに掠めるところを間一髪で避けて、

 

「―――ッ!?」

 

 幾重にも張り巡らせた障壁が切り裂かれたのを知覚した。既知感すら覚えるその感覚にフェイトは再び隙を、硬直を見せ。ズンと内臓にまで届く衝撃を、魔力が乗せられた少女の重い蹴りを障壁無しでまともに受け、彼は大きく後方へ吹き飛んだ。

 

「ぐっ!!」

 

 湖の水面を叩き、水飛沫を立てながら跳ねて彼は呻き声を上げる。これもまた既視感のある―――つい先程受けたエヴァ、明日菜、ネギが行った攻撃の焼き直しだった。

 

 水面に叩きつけられて、水切りの如く跳ねるフェイトを赤い外套の少女―――イリヤは、見届ける事もなくそのまま追撃する。その直前、彼女の名を呼ぶ声がしたが、かまわず駆け出していた。

 体勢を立て直して水面に着地するフェイトをイリヤは見据え、自身も水面の上へと足を踏みだした。

 湖の精霊の加護を有する彼の“剣の英霊”ならともかく、『アーチャー』には水上を駆ける能力(スキル)は無い。にも拘らずイリヤは水上を駆けていた。これは彼女の魔術…より正確に言えばその魔術特性による賜物だった。

 自身の魔力で届く範囲ならば、“理論・過程”を飛ばして“望む結果”を成立させるという万能の願望機の機能を小規模ながら再現した魔術回路。

 その機能を活かしてイリヤは、“水上を自在に歩き走る事を望んで”魔術として行使したのだ。

 ちなみに先のフェイトへの奇襲も同様に魔術による穏行と迷彩を使っての事だ。

 

 魔術の効果によって水上を自在に駆けるイリヤに、意外にもフェイトは退くこと無く挑んできた。

 魔法の矢を放ち、岩石で構成された魔剣を作り、遠近の双方でイリヤと激しい応酬を繰り広げるフェイト。それは彼にとっても意外であり、また自覚していない心情から生じた行動であった。

 その根幹は、この場には居ない彼に尽くす少女達であり、先ほどネギに入れられた拳であったり、今ほどそれを再現したかのようなイリヤの一撃であったりする。

 その当のイリヤがフェイトに挑んだのは勿論、可能ならば彼をこの場で討ち取る事でもあるが。それは実のところ二の次で今はまだそれより優先すべき目的があった。

 

「―――知っているなら答えなさい! あの男―――黒いローブを纏ったアレは貴方の仲間なの!」

 

 戦いの最中、雨の如く放たれる様々な魔法を避け。黒鍵を始め、様々な投擲用の武器の投影し、手ずから投擲して牽制しながら、肉薄を試みるイリヤが叫ぶように言う。

 4thキャスターに就いて彼が何かを知っていないか。或いはフェイトの…引いては“完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)”に加わっていたのではないかという疑念。

 そう、口の利けないアレから聞けなかった情報をフェイトから得ようと、得られるのではないかとイリヤは考えていた。

 幾度かの近接戦で魔力を通された尋常ではない剣―――強化を掛けたオーバーエッジ型の干将・莫耶にあっさりと切り裂かれる『岩の剣』から、近接での不利を悟ったフェイトは距離を取り、肉薄させないように遠・中距離魔法で迎撃、牽制し、間合いの維持を図りつつイリヤの問い掛けに応じる。

 

「だとしたら、どうだというんだい。こうして僕とたたか―――!?」

「アレは何!? 何処でアレと知り合ったの!」

 

 イリヤは『瞬動』を真似て肉薄に成功すると干将・莫耶を上段から振り下ろす。それをフェイトは『岩の剣』を使い捨ての盾として使い、防御を試みる。

 ―――僅かな…否、一瞬の拮抗の後、『岩の剣』は切り裂かれる……が、その一瞬の間でフェイトは斬撃を回避し、同時に水面に手を着いて『石の槍』を放つ。

 足元の水面から無数の石の魔槍が生え、イリヤに目掛けて先端を伸ばす。彼女は双剣を使いそれを切り裂き、或いは身を捻るようにしながら足を運んで避ける。

 その隙にフェイトは再度距離を取った。それにイリヤも再度肉薄しようとし、

 

「―――そうか」

 

 呟き、何の構えも見せずこちらをジッと見詰める彼の…その余りの無防備さに警戒を抱き、イリヤも動きを止めた。

 ただし転移での逃亡を許さない為に干将を破棄し、『偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)』を右手に投影する。弓にこそ携えていないが、空間ごと対象を捻じ切るこの改造宝具の威力なら魔力を通し、真名開放と共に投擲すれば転移であろうと仕留められる筈である。

 4thキャスターの情報も大事だが、逃亡を許すくらいならば、ここで―――

 

「言われて見れば、確かに似ている。……いや、瓜二つかな」

 

 そのフェイトの奇妙な言葉にイリヤは思考が中断され、「なにを…」と問い変えようとし、

 

「それはそうよ。…だって、私の愛しい“娘”なんだもの」

 

 背後からその声を聞いた。

 その声……優しげな女性の声を聞きいて、ドクンッとイリヤの心臓は鷲掴みされたように激しく鼓動を打った。

 

「―――!?」

 

 敵が目の間に居るにも拘らずイリヤは、本能的に背後へと振り向いてしまった。

 そして見た。

 新雪の如く真っ白で綺麗な髪を靡かせ、宝石とも見間違うような緋色の瞳を輝かせる自分と似た容貌を持つ妙齢の女性の姿を。

 距離は僅か2m先、湖の上に立って今時の婦人服を纏い。此方を見詰めながらゆっくりと歩き、近付いて来る。

 イリヤは動けなかった。その女性の見詰めてくる瞳に真っ直ぐと惚けた視線を返し、金縛りに在ったかのように立ち竦んだ。

 そして―――

 

「イリヤ、逢いたかった」

 

 間近に迫った女性は泣きだしそうな潤んだ声でそう言い。両手を広げてイリヤを優しく愛しげに抱擁した。

 その抱擁、女性の暖かさ、温もりに包まれたイリヤは―――イリヤスフィールで“ある筈に過ぎない”少女は、何故かそう言葉を零した。

 

「……お母様」

 

 と。

 

 無意識に頬を一筋の雫で濡らして。

 

 

 

 

 




 この回でイリヤの“敵”が姿を見せました。意外な人物という事もあり、初見の方は結構驚かられるかも知れません。まあ、そんなそれを狙っての事なんですが。


 少し長くなりますが、今回幾つか補足しますと。

 海魔の戦闘力に関しては、鬼達人外の平均よりは結構上と設定しています。
 大鬼などの刹那と互角に戦える別格クラスで無ければ、複数同時相手にするのは無理です。
 現状の明日菜も結構戦えているように見えますが、刹那のフォローやハマノツルギが無ければ、確実に海魔の腹に収まっていました。
 あと、ユニコーンの意匠の入ったイリヤのアミュレットが無くても同じです。

 このアミュレットの性能は、本文でも記したように『対魔力』付与の他、非常に高い毒、石化、麻痺といった物理系のステータス異常への耐性に加え、水属性魔法への耐性とDかCランク程度の『勇猛』スキルの付与による精神系のバッドステータスの回避と格闘攻撃の上昇があります。
 かなり高性能なアミュレットです。これを作れたのはイリヤにとっても意外な事に学園長が提供してくれた材料の中に、現実世界にかつて存在していた“本物”のユニコーンの鬣と涙などというレア素材があったからです。
 ただし学園長はそれらが本物なのか、半信半疑だったとしています。

 スクナに関してはFateの設定を重視し、基本的に”人間ではどうしようもない怪物”としました。
 これはネギま!初期にあった設定も考慮しての事です。
 西や東を陥落させられる大鬼神が最強クラスの人間一人でどうにか出来るほど弱い筈がありませんから。
 尤も、本作もエヴァにやられましたが、これはあくまで不完全だからです。完全体で復活していたらもっと苦戦していたでしょう。


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第6話―――今此処に在る訳、課せられた役割

初見さんの方々の感想や反応を見ると、何というか新鮮味のような嬉しい感じがあります。
皆様ありがとうございます。モチベも上がります。
勿論、Arcadiaで既読だった方々も見返して今になって思う所があれば、遠慮なくどうぞ。
…と言っても、ネタバレを避けながら書き込むのは難しいかも知れませんが。


「……お母様」

 

 優しい温もりに包まれ、無意識に零した言葉。思わず身を委ねたくなる暖かい感触。愛に満ちた抱擁。

 目元が熱くなり、視界が歪んで頬に熱い雫を流れるのを覚え……

 

「っ―――!!」

 

 イリヤは慌ててその抱擁を振り払い、目の前の女性から離れた。

 

(幻覚!? 幻影!? (なか)を覗かれた!?…でもどうやって? 何時の間に?―――そんな感覚はなかった筈……それじゃあ、何!?)

 

 脳裏に過ぎる思考と精神(こころ)を揺さぶる困惑。そしてイリヤは得体の知れない恐れを抱いていた。

 目の前の女性を見詰めながら、その恐れのままにイリヤは徐々に後ずさり、距離を取る。

 

(私と同じ白い髪、赤い眼……これは幻影じゃない。どうして?―――これは、何なの? だってお母様は…)

 

 沸き立つナニカに恐怖を覚え、武器を手離して自身の身体を両手でかき抱く。

 イリヤスフィールに“過ぎない筈”の“誰か”は気付かない。今の自分が“彼女”の想いを抱き、その感情を元に心を掻き乱している事を…。

 

「イリヤ…」

 

 女性が離れた距離を歩み寄ってくる。

 

「!―――来ないで!」

 

 近づいてくる彼女を拒むかのように叫び、イリヤは大きく後ろへ跳躍して女性が歩み寄ってくる以上の距離を取る。

 女性はそんなイリヤに心底悲しそうな、寂しそうな表情を見せた。しかし、何かに気付いたのか、ふと怪訝な顔を浮かべた。

 

「…そう、そういうこと」

 

 そう女性が呟くと、その姿がかき消え―――

 

「!?」

「…恐がらないでイリヤ。あなたが驚くのも、途惑うのも判るわ。……でも恐れる必要はないの」

 

 ―――気付くと。イリヤは目の前から消えた女性に背後から抱き締められていた。だがイリヤは驚くよりもその優しい語り掛けに耳を傾けてしまう。

 

「ただ、受け入れさえすれば良いの。此処にある私とそして―――何よりも貴女自身を…」

 

 私……自身?―――イリヤの口から無意識に声が零れた。途端、恐れにも似た何かが大きくなる。それでもイリヤは女性の言葉に耳を傾け、今度はその腕を振りほどこうとは、抱擁から逃れようとは思わなかった。

 

「そう、貴女は私と……あの人の、世界で最も愛する一番の宝物。ホムンクルスである私が授かり、お腹を痛めて生んだ大切な子……私にはそれが分かる。例え貴女の内側(なか)が■■していようと、私が――――」

 

 耳に入る、言葉が、混濁する、掠れて、遠ざかる、ような、近くで、喚かれて、いる、ような、聞こえ、なく、なる。 ただ、酷く、

 

「なに…? なにをいっているの? 私は…―――!」

 

 酷く、頭痛を覚えた。

 

 イリヤは襲い来る怖れと痛みに蝕まれている頭を抱え―――突然、その視界が暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 祭壇(そこ)に在ったのは柱の如く高く。地下にある故に限りある天へと伸びた黒き杯。頂点(いただき)に在るのは太陽のような黒い球体(あな)。孔から此方(せかい)を覗くのは、この世の全てを呪う(あいする)モノ。

 わたしはそこに向かって歩く。全てを終わらせる為に――――――ううん、違う。本当は……ようやく出会えたたった一人の家族。何処までも他人の為に自分を置き去りにしてしまえた馬鹿な“お兄ちゃん”。……でも(たにん)よりもずっと大事に想える人が出来て……心に定めて変われた■■■。

 それでもやっぱり、無茶をするのは変わらなくって―――だからそんな大切な“弟”が幸せに笑って生きて行けるように、

 

「じゃあね」

 

 と。わたしは、■■■に笑ってその(とびら)を閉じたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――…ぐうっうううぅぅう!!??!!??」

 

 脳を搔き乱す識らない(しっている)映像(きおく)がイリヤの内側(こころ)を駆け巡る。掻き乱す。

 胃が逆流するような、吐き気にも似たナニカが零れるような、溢れるような感覚が身体に奔り、女性の腕の中で全身を震えさせる。

 

「ううぅうぅうううぅ!!!???」

 

 こわい、いたい、あたまがわれる。われる。ちがう、ちがうそうじゃない。わたし、こわいんじゃない、いたいんじゃない。これは、かなしみ、よろこび、うれしいんだって、そうだ。だって、こんなにも、こんなにも―――

 

「―――大切な想い出(こと)を思い出せたんだからっ!!」

 

 それは産声にも似た、生誕の叫びだった。

 そう、『イリヤスフィール・フォン・アインツベルン』は、この時になって漸くこの世界に誕生したのである。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「イ、イリヤ…?」

 

 女性の腕の中で魘されるかのように呻き、苦しんでいた愛おしい我が子が突然叫んだかと思うと。今度はプツンと電池が切れた玩具のように全身を弛緩させ、身を預けるように自分に寄り掛かり……静かに沈黙する。

 それがどういう訳か女性を不安にさせる。背後から抱き締めた為に、さらに娘が顔を伏せている所為で表情が見えないのだから尚更だった。

 それを振り払うように女性は腕の中に在る愛おしい温もりをより強く優しくかき抱く。

 

 

 訪れた静寂の中。視界の先、湖に浮かぶ祭壇に眩しい光が灯った。その光はほんの数瞬で直ぐに消え去る。しかし一帯の風景は夜の闇へと戻ることは無かった。

 

「―――コノカの仮契約…か、もう夜が明けるわね」

 

 腕の中の娘が呟く。言うとおり東の空が白んできている。

 女性はコノカという人物のことを詳しくは知らない。ただあのチグサという女性と“彼”が標的にしていた強大な魔力を秘める少女であり、血筋のいい良家の出だという事ぐらいだ。

 

「アイリスフィール……お母様」

 

 娘が女性―――母の名を呼んだ。

 その呼び掛けに女性―――アイリは歓喜し、微笑みを浮かべて応じる。

 

「なに、イリヤ?」

「会えてとても嬉しいわ。こんな何処とも知れない世界でこうしてまたお母様の胸の中に抱かれるなんて――」

「ああ…! イリヤ! それは私もよ。また貴女に会えるなんて思わなかった!」

 

 沸き立つ嬉しさの余り、アイリはさらに強くイリヤの身体を抱き締め、その大切な温もりを噛み締める。

 

 

 

 イリヤもまた、されるがままにその失った母の温もりを堪能する。

 

「でも、」

「あ…」

 

 しかし程無くしてそっとその抱擁から、温もりから、優しくも強く自分を抱く腕から、イリヤはスルリと抜ける様に離れる。

 母はそれに寂しげな声を漏らし、イリヤは振り返ってそんな彼女(ははおや)の表情を見詰め、

 

「貴方が此処に、この世界に()るなんて思わなかったわ―――」

 

 ―――アンリマユ。

 

 “無いもの(カレ)”の名を呼んだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 目の前の母親は、悲しげに目を伏せている。

 こうしてイリヤが“カレ”と話すのは……多分、二度目。

 一度目は自分が居なくなった世界の先―――誰もが忘れ去る、微かな残滓としてのみ記憶に残る“繰り返す四日間の箱庭”の中だ。

 孔を閉じた為だろうか、それとも自分が生存する未来(かのうせい)が在るからなのか、或いはあの四日間が特別だからか、居なくなった筈の自分にもその思い出(きおく)がある。

 あの時は、カレの最後の日常の欠片(ピース)として、カレに(こたえ)を示し、本来“無いもの”であるカレの存在を認めた。

 尤もイリヤ自身は、そう大した事をしたとは思っていない。ただ―――楽しかった奇跡の日常を起こした。厳しくもお人好しの彼を最後の最後まで演じたカレに……ちょっとした、とびっきりの感謝を純真な本心で返したのだけ。

 それだけの事だ。

 それがカレにどれ程の報いであったかは…“イリヤ”の知る所ではない。

 

「やっぱり、判ってしまうのね」

 

 アイリスフィールが目を伏せて悲しげな表情で言う。

 

「ええ」

「そう、…当然よね」

 

 イリヤは頷き、アイリは顔をさらに伏せてしまう。

 “始まりのユスティーツァ”の系列であるアイリと同型のホムンクルスであり、その最新型である聖杯そのものとして調整・鋳造されたイリヤに……況してやあの大聖杯(あな)に入って閉じた彼女に、その中身である“アンリマユ”の存在と“アイリ”との違いを隠す事など出来ない。

 

「お母様は、第四次聖杯戦争で亡くなった」

「そうね、でも―――」

「判ってるわ。お母様、アンリマユ。貴方が“アイリスフィール”そのモノでも在るって事は……だからこそ、私が聞きたいのはどうしてこの世界(此処)にいるのかって事…そしてこの世界(此処)で何をしているかって事よ」

 

 そう尋ねるもイリヤは内心…本音を言えば、こんな問い掛けはどうでも良かった。目の前に居るのは、例え本物ではなくても確かに自分を愛してくれる母親なのだ。

 

(……ならそれで良い。目の前に大好きなお母様が居る。こんな問いかけに何の意味があるの?)

 

 そう思うのに…それでも何故か? 如何してか? 尋ねずには居られない。

 多分、聞けば悔いる事になる。聞かなければ良かった…とも。

 直感ではあるが、イリヤにはそれが判るのに―――知らなければ…とまるでナニカ、強迫観念に駆られていた。

 アイリは、少し考える素振りを見せてからその問いかけに答えた。

 

「……私にも分からない。気が付いたらこの世界に居たとしか言いようがないわ。…ただ、私のすべき事は見つかった。この見知らぬ土地で途方に暮れていた私の前に彼が現れてくれたお蔭で…」

「彼―――あの白髪の少年のこと?」

「ええ……彼はこの世界に飛ばされて何もない私に親切にしてくれた。そして彼ら共に過ごし、話をして。彼らの目指すものを知り、その果てにアイリスフィール(わたし)が願い、祈り、得られなかったものを此処でなら得られると思った」

「お母様の……願い?」

 

 嫌な予感がした。それはアイリと会って、いや…あの4thキャスターの姿を見た時から感じていたものだ。それがより一層高まる。

 そんなイリヤに気付く事無く。高揚…あるいは陶酔した様子で母が答える。

 

「そうよイリヤ! この世界でなら。彼らの目指す願いが成就すれば、あの人が願った“争いの無い平穏な世界”が実現できる! そしてそれが叶えば、私と貴女…それにきっと優しい貴女のお父さんも“そこ”に居る。家族で幸せな日々を過ごす事が出来る!」

 

 おかしい―――イリヤはそう思った。

 確かにそれは、アイリスフィールも抱いた願いだろう。

 

(でも…違う、それは元々キリツグが抱いた幻想の筈。決してお母様自身から零れ落ちたモノじゃない……お母様が本当に願ったのは、キリツグ自身がその願いを成就する事と、母としてあの戦争の果てに残される娘―――アインツベルンのホムンクルスである私がその呪縛…妄執から解放されることだ)

 

 ―――なのに、このズレは…何? この見知らぬ世界に来てから持った願い…ということなの?

 イリヤは疑問を抱く。いや…内なる不安が大きくなる。

 それとも“コレ”は、もう“無いモノ”であったものが、アイリスフィールという殻を被りながらも、その“聖杯としての機能(願いを受諾する物)”へ天秤が大きく傾き、フェイト達の企み(ねがい)に応えている?……或いはその殻を纏いながらも仮面(ペルソナ)が成長、いや…独走して新たに“異なる自己(カタチ)”を獲得しているのだろうか?

 

(ううん、それも違う……そもそもサクラやバゼットの時とは違う……アイリスフィールを真似るアンリマユが現れた第四次は、まだ外へ出るべきカタチ(ねがい)貰って(うけて)いない…だから、こうして“カレ”自身が外へ出る事なんて―――)

 

 イリヤの不安と思考を余所に、アイリスフィール(アンリマユ)は独演するように娘に語り続ける。

 

「―――だからイリヤ。私と貴女の持つ力があればその願いにより近付ける。彼もあの子達も優しいからきっと貴女を歓迎してくれるわ」

 

 そうして、行きましょう、と愛しい筈の母はイリヤに手を差し出す。それにイリヤは―――

 

「ゴメンなさい。お母様…」

 

 ―――その手を取らなかった。

 

 イリヤは悲しげに首を横に振り…理解する。

 否、初めから判っていた筈なのにそれから敢えて目を逸らしていた。“コレ”は―――“生まれ落ちる事が出来なかったモノの嘆き”なのだと。

 それは、第四次聖杯戦争で勝利者たる“衛宮 切嗣”の願いを受諾できずに零れた“残骸”―――云わば、助産を受ける事も出来ず、赤子(アンリマユ)として生まれる事も叶わず、子宮(せいはい)から羊水(のろい)だけが漏れ出したようなもの……或いは流産した“ナニカ”の成れの果てだ。

 原因は判らない。けれど、コレは冬木の街を焼いたモノと同じ“(のろい)”が、このアイリスフィールの(カタチ)をもって、“何故か”この並行世界に移動した“異物(モノ)”だ。

 

(アンリマユ…アヴェンジャーにも為りきれていない欠陥品か粗悪品……いえ、というよりも生まれ出る事が出来なかった“この世全ての悪”の呪詛(こえ)に過ぎないと言うべきか。解らない事はまだある。…けど、それでも―――)

 

 イリヤは出た結論から意を決し、再度『偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)』を投影して魔力を注ぎ、構える。

 

「イ…リヤ?」

「どうして“無いモノ(カレ)”ですら無い貴方がその(カタチ)を採ったのか、採れたのか。どうして此処に居るかは判らない……正直、感謝したい気持ちもある。…けど、貴女がこの世界に居て、願いを叶えようとするのは、きっとこの世界にとって異常であり、災厄なんだと思う」

 

 向けられる敵意に困惑する“母の姿”。

 それを苦しく思う自分がいる。泣き出したい自分がいる。それでもイリヤは目の前の存在がこれ以上、此処に在る事が許せなかった。

 アイリスフィールそのものでありながら違っている存在。それを容作っているのは“カレ”ですらないお粗末な悪性―――そして先に見た黒化英霊(ジル・ド・レェ)を使役し、明日菜と刹那の2人……いや、それどころか真名と古 菲、悪くすればネギと木乃香を加えた6人が犠牲に為り掛けた元凶である事が判ったから。

 この“母の姿をした呪詛”は、この世界にとって間違いようの無い異物であり、災厄なのだ。そう―――

 

「さようなら、お母様」

 

 ―――イリヤは理解した。この世界に自分がいる訳を。覚える恐れと不安の理由を。

 それはこの目の前に在る、愛すべき“異物(ははおや)”を、自身の手で排除する為だけに“世界”に喚ばれた存在だと……判り、そして解っていたからだ。

 だから―――

 

「―――偽・螺旋剣(カラドボルグ)!!」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 夢を見る。

 

 雪に閉ざされた白銀の世界で、大好きな父の肩に乗って森の中を進み。見つけたクルミの冬芽の数を競った。

 

『イリヤは待っていられるかい? 父さんが帰ってくるまで、寂しくても我慢できるかい?』

『うん! イリヤは我慢するよ。キリツグのこと、お母様と一緒に待ってるよ』

『…じゃあ、父さんも約束する。イリヤの事を待たせたりしない。父さんは必ず、直ぐに帰ってくる』

 

 そんな……果たされない遠い約束もした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見る。

 

 広い部屋。冬に閉ざされたお城。暖炉のお蔭で寒くない暖かな部屋の中、自分がサカヅキになるこわいユメを見て目を覚ました。

 

『お母様……キリツグはへいきかな? ひとりぼっちで、こわい思いをしてないかな?』

 ―――大丈夫。あの人はイリヤのために頑張るわ。私たち(アインツベルン)の祈りを、きっと彼は遂げてくれる。もう二度と、イリヤが恐い思いをしないで済むように―――

 

 自分の(なか)にいる(きろく)が安心させるように答えた。でも―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見る。

 

 吹雪が吹く森の中、狼の死体が散らばり、雪が赤く染まったそこで自分の血で赤く染まったわたしと、狼の返り血で赤く染まった鉛色の巨人とお互いを見つめ合う。

 

『―――バーサーカーは強いね』

 

 わたしはそう言った。巨人は答えず黙したまま。けれど繋がったラインと、その力強い眼が雄弁にわたしの問いに応えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見る。

 

 東の最果てある異国。冬木という名の都市。そこで大切な人と会った。私と(アインツベルン)を裏切った男の息子を名乗る父を奪った少年。―――とても憎くて、とても愛おしかった。

 

 夜の帳の下で一度だけ殺しあった。

 雪の降る街を一緒に散歩した。

 小さな公園で、当たり前のことで苦しんで悩んでいるのを慰めて諭した。

 黒い剣の騎士と暗殺者に老魔術士、そして■に襲われている所を助けられた。

 そんな少年を助ける為に、自分を差し出したのに。そんな自分を少年は自らを失いかけてまで助けだした。

 本当、そんな何処までも無茶をしてしまえる大馬鹿者。危険でアレだけ止めろと呼びかけたのに、大切な人のために魔法の一端にまで手を掛け、届かせた意地っ張り。

 

 そんな彼だったからこそ、わたしは―――

 

『……ええ。わたしはお姉ちゃんだもん。なら、弟を守らなくっちゃ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてオワリの夢を見た。

 

 孔の向こうに行ったワタシは、ただ一人、(やみ)の中。無の中で精神が散り散りに為ったわたしは、わたしを失って……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 見知らぬ天井の下でイリヤは目を覚ました。周囲を見渡すと、そこは何とも懐かしさを覚える和風模様の部屋。

 

「此処は…?」

 

 口に出すと共に思い出す。此処は関西呪術協会の本山にある屋敷の一室だ。戦闘で疲労した身体を休める為にイリヤが借りた部屋であった。

 “私”が知らない“わたし”にとって懐かしい夢を見た所為か、イリヤは微かに頭痛を覚えた。

 夢の内容は鮮明に覚えている。

 

(私は、イリヤ…イリヤスフィール・フォン・アインツベルン)

 

 その自覚はある。自分が本当に本物のイリヤだと。同時に以前の―――この世界に現れる前の、そう…元の世界にいた頃のイリヤとも違う事も自覚していた。

 それは、孔の向こうへ…閉じた先に行った影響。

 ■■の中で精神が散り散りに切り刻まれて溶かされた弊害。そして、その欠如した精神を補う為に入り込んだ何処かの世界―――『Fate』、『ネギま!』なる創作物が在り、知っている世界の人物の記憶ないし知識が混じって今のイリヤの人格(こころ)を形作っている為だ。

 それでも本人としては余り変わったという感じは無く。この変化をどう表すべきか、例えるべきかは判らない。強いて言えば“生まれ変わったような気分”としか表現が出来ない。

 ただ、肉体と魂に関しては本来のまま完全に無事だったらしい。もしくは修繕が行なわれたと言ったところだろう。

 その場合、敢えて精神を戻さずに別の世界の人間の知識をベースに人格を形成させたという事になる。

 

(いかにも“世界(アラヤ:ガイア)”らしいわね。こっち(ヒト)の都合なんかお構いなし……その方が“この世界”と“事態”に対応しやすいと判断したのでしょうね。それとも…元の“わたし”よりも、今の“私”の方がこの世界の人達に親しみを抱くと考えたのかしら?)

 

 ネギたちに愛着を持てば…或いは在れば、アイリスフィールの姿をした呪詛と敵対する確率は高まる。少なくともただ“無意識下に働きかける”よりは効果的であろう。

 イリヤが“世界の駒”として用意されたのも、おそらく殲滅対象がアイリの(カタチ)を持った“異物”で在った事に加え、“資格”の無いイリヤが大聖杯を通じて“外”へ出掛かり、排除ついでに此処で使い捨てるのに丁度良かったと判断した為だ。

 

(正直、気に入らない…けれど、まあ、良いわ。―――“あのお母様”を討つ事にもう迷いはない。本来なら死人ともいうべき私がこうして延命の機会を得られたのだ。シロウにもう会えないのは寂しいけど、キッチリと仕事こなす分だけこの世界での生を謳歌させて貰うわ)

 

 イリヤは既に決意している。ネギの応援へ向かったあの時、英霊(カード)の力を行使したあの瞬間からこの世界で待ち受ける運命(Fate))挑む事を。それに―――

 

(―――“世界”の思惑通りなのかも知れない。…それでも私はネギたちの事が…きっと大事で大切なんだ。“あのお母様”が彼らの脅威と成るなら、私は彼らを守りたい……いえ、必ず守らなくては)

 

 ……だからこそ、今更拒む事も降りる積りもなかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 未だに疲労の残る体をもう少し休めようと、イリヤが目を閉じた瞬間、障子戸が開かれる。

 

「ん…?」

 

 仕方なく視線を向けると、そこにはこの世界に来てから何かとお世話になっている緑の髪を持ったマシンドール…いや、ガイノイドの絡繰 茶々丸が居た。

 丁寧に作法通りに彼女は正座の姿勢で障子戸を開け、立って敷居を跨ぎ、また正座で障子戸を閉める。思わず見惚れるような見事なまでの動作だった。

 そういえば茶道部所属だっけ、と。丁寧な作法を見てイリヤはそんな事を思う。

 

「おはようございますイリヤさん。お目覚めでしたか」

「ええ、ついさっき眼が覚めたところ。おはよう茶々丸」

 

 挨拶をする茶々丸に応えながらイリヤは上体を起こす。そしていつもの癖で両手を挙げて伸びをし、起き抜けに身体をほぐす。

 

「うーん、…やっぱり、抜け切れないわね」

 

 本格的な戦闘…実戦を経験した為か、いつものようなスッキリとした感覚は得られない。この前のアミュレット製作とは異なる疲労感が在った。

 茶々丸はそんなイリヤの様子を見て、若干申し訳なさそうに口を開く。

 

「すみません。まだお疲れなのでしょうが、マスターと詠春様がお呼びです」

「うん、判ってるわ。だから気にしないで……そういえばネギたちは如何したの?」

 

 茶々丸が起こしに来た理由を察して頷きながら布団から出たイリヤは、ふと思い出してこの世界で出来た大切な友人達の事を尋ねる。

 

「先生達でしたら、一足早く宿泊先の旅館へお戻りになられました。なんでも身代わりを務めている筈の式神が暴走したとか…」

「やれやれ、昨夜に続いて中々大変ね、ネギも」

 

 苦笑するイリヤであるが、あんなイレギュラーの後で自分の知る原作通り微笑ましい展開が起きた事に内心で安堵する。

 

「…はい。それとイリヤさんには、ネギ先生から『助けに来てくれてありがとう』と伝えて欲しいと託っております」

 

 茶々丸の伝言を受け取ってイリヤは、うん、と頷きながら、どういたしまして、と此処に居ない少年に向けて呟いた。

 

 

 

 イリヤは茶々丸に案内されて詠春の所へ通された。

 事前に多くの人には聞かれたくないと申し出た事への配慮か、この広い屋敷の中でも奥まった一室で彼はエヴァと共に待っていた。

 畳の上、随分と座り心地の良い高価そうな分厚い座布団にイリヤが座ると、その向かいに座る和服姿の眼鏡を掛けた男性が口を開いた。

 

「まずはこの度の、我が娘と弟子。そしてこの本山の危機を救って頂いたことに感謝しますイリヤスフィール」

「大した事はして無い…と言いたいところだけど、此処は素直に受け取らせて貰います。近衛 詠春様」

 

 深く礼をして頭を下げる詠春に、年長者や関西の長としての立場を重んじて丁寧に応じるイリヤ。

 ただ、イリヤにして見れば余り感謝される謂れは無いとも感じていた。

 本来ならばネギたちの危機を知ってもイリヤは動く積りは無かったのだから、原作通りエヴァたちに任せる積りだった。

 それが4thキャスターの存在を機に事情が変わり、自分なりの目的を持って行動し、結果的にそれがコノカたちと本山の危機を救う事に繋がったに過ぎない。そもそも、あの異端があってもエヴァがいれば事は済んだ筈である。

 それでも此処で感謝を素直に受けるのは、関西への繋がりや、長に対して貸しとなるだろうと打算もあるからだ。勝手に恩と感じてくれるならば、それはそれに越した事はない。

 覚悟したとはいえ、昨夜はイリヤも素直に力を示しすぎた。加えてアイリの事を鑑みれば、今後厄介事を抱えるのは確実なのだ。それを考慮すると、近右衛門に加えて後ろ盾になってくれそうな存在が増えるのは、正直ありがたい。

 数秒ほど頭を下げた詠春が顔を上げる。

 

「では次に…恩人に対して些か不躾ではありますが、お約束どおり―――昨夜の一件…あの白髪の少年と女性に関して、何かご存知の事があるならお話して頂きたい」

 

 真剣で、どこか鋭さすら感じさせる視線でイリヤを見据える近衛 詠春。彼個人としては、あの老獪な養父が信ずるイリヤを己もまた信じてはいるが、立場的にもそうだが、事がことだけに尋ねない訳にも行かない。

 それにイリヤは僅かに嘆息し、視線を右へ…エヴァの斜め後ろで控えるように座る茶々丸へ送る。

 

(ホント、仕方がないわよね……正直に、話せる範囲で話すしかないか)

 

 何故なら、コノカの仮契約を終えた後の事―――アイリとの遣り取りのほぼ全てを茶々丸の手によって記録されているのだ。

 望遠機能搭載の高解像度のカメラは兎も角、高精度指向性マイクまで備えるとは……機能過多・高性能にも程があるわよ、とイリヤは言いたかった。

 そんな思いを抱きつつも、イリヤは一度背筋を伸ばして居住まいを正すと、詠春と同様真剣に彼に応じる。

 

「白髪の少年の方は、残念ですが私にも心当たりは在りません。ただ、あの無機質的な感覚から人形、もしくはホムンクルスに相当するものだと考えられます」

「ふむ…」

 

 不意打ちとはいえ、直接対峙した詠春にも思うところがあるのか、彼は静かに首肯する。

 

「…もう一人、私に似たあの女性は―――私の母…アイリスフィール・フォン・アインツベルンの姿を模した“存在”です」

 

 イリヤは、母の名を口にしても平静を保つ積りだったが、その意に反し眉間が険しくなっている事を自覚する。

 

「……記憶を取り戻したのだな」

「――ええ」

 

 正確には少し違うのだが、エヴァの確認の問いにイリヤは頷く。

 

「アンリマユ、と言っていたな。お前の母の姿をした“存在”とやらに…それは、あの―――」

「いいえ、エヴァさん。…追々話すけど、アレは貴女が今思い浮かべた存在とは…別物よ」

 

 魔法関係者、神秘を扱う人間にとって聞き逃せない言葉……名だからだろう。エヴァは僅かに逸った様子で尋ね、イリヤは否定する。

 エヴァもらしくないと思ったのか、沈黙して静かに聞く姿勢に入る。

 

「正直に言って、私にもどうしてそのような事象が発生したのか原因は解りません。ですがおそらくアレが此処にいる事情には、“私の居た世界”の出来事が関係しているのでしょう」

 

 未だに迷いは在ったものの、イリヤは並行世界に関して先ず話した。アイリとの会話を聞かれた以上、それを隠して話すのは難しい。

 況してや話す相手は、英雄と呼ばれる者の一人と600年の時を生きる老練な真祖の吸血鬼なのだ。そんな相手に隠し通すことや嘘を突き通すのは無理がある。しかも片方は同居人だ。

 まったく話さないという選択肢もあったが、今回の一件にここまで関与し、疑惑を持たれ、今後もネギと関わる以上は論外だ。第一、麻帆良との関係すら危うくなりかねない。

 イリヤは、自分の持つクラスカードの機能に自分の居た世界と。魔術・魔法の関係。神秘の在り方。そして秘儀を利用したある儀式―――聖杯戦争の事。特に此度と関係が深く。自分もよく知る第三回での過ちと第四回、五回目の顛末を大間かにであるが語った。

 無論、自分が聖杯で在る事までは言わないが、それを練成する一族・家系であることは、聖杯戦争との関わりやアンリマユの誕生の詳細を知るが故に説明せざるを得なかった。何より、エヴァの鋭い指摘や追求に誤魔化しは出来ない。

 ただし自分の転移原因も孔に落ちた事が要因の一つとある以外は、明確には解らないとして“抑止力”に関する話は伏せた。

 

「…にわかには信じ難い話です」

「そうだな。あの会話内容から異世界であると予想はしていたが、まさか並行世界だとは……だが嘘だとしても大袈裟すぎる。それにこれでイリヤスフィールの過去や足跡を幾ら調査しても見当たらない理由にも納得が行く。学園長(ジジイ)の奴もそのことに大分頭を悩ませていたようだからな。…まあ、これはこれで頭を悩ませる事になるだろうが」

 

 聞き終えた2人は実に対照的な反応を示した。渋い顔をする詠春と、ククッと愉快そうに笑うエヴァ。

 

「 “外”に至る事で得られる正に奇跡である“魔法”。万能の願望機なる聖杯。それを求める為の聖杯戦争。その結果が―――ただ災厄を振り撒くだけのどうしようもない最悪の呪いの生誕とは。まったく馬鹿げた話だが、魔術師というのはなかなかどうして……聞こえの良い偽善ばかりを建前に振りかざし、己らの所業を誤魔化しているこの世界の“魔法使い”どもよりも、よっぽど好ましい」

「エヴァンジェリン…不謹慎ですよ」

 

 心の底から愉しげに笑うエヴァを窘める詠春。

 目の前にいる少女の一族が関与し、しかも自分達のいる世界にも災厄を―――本山の事件にも母親の姿で関わっているのだ。真面目な詠春がそうするのも当然だろう。だがそんな彼にエヴァは不適な笑みを見せ、

 

「それにイリヤの手元には英雄の力を身に宿せる破格の魔法具まである。しかもその機能は実証済みだ。コレらを“本国”に居る連中が聞いたら、どんな顔をするだろうな……なぁ、詠春」

 

 先ほどとは異なる愉しげな、されど眼だけが鋭く笑っていないその表情を見、言葉を聞いて詠春は数瞬考え込む。

 

「…それは」

 

 いや、考えるまでも無く出た結論は、詠春の顔を十分険しくさせるに値するものだった。

 

「潔癖というか生真面目なお前らしいな。考えないようにしていたんだろうが……信じるにしろ、信じないにしろ。実物(イリヤ)が此処に在る以上、連中は“色々な”意味で興味を持つだろう。危険だと言い始め、真偽を定める為だとか、徹底管理すべきだとか、非人道的だとか、冒涜だとか、正義に反するだとか、何かしら聞き心地の良い建前を口にしてな」

 

 そういってエヴァはイリヤを見詰める。詠春もだ。

 間違い無くMM(メガロメセンブリア)元老院は、万人に聴こえ良い口実と難癖を付けて、この目の前にいる白い少女を自分達の手中へ収めようとするだろう。

 おそらく、多くの人間がその“正義”を信じて、勇んで少女を追い込み捕縛しようとする筈だ。悪魔に挑む聖者、魔王を打倒する勇者の如く。本人の人間性を欠片ほども考慮する事も無く。

 そして、少女を手にし真実だと知れば、元老院の中の……欲に塗れた連中は嬉々としてクラスカードの機能を利用し、更には万能の願望機を―――聖杯を求めて、そこに至る為にあらゆる悪徳を許容するに違いない。

 元老院の悪行……というよりも実体を知る詠春は、今まで以上に苦々しく渋い表情をする。逆にその事実を指摘したエヴァは平然としている。

 

「もっとも、そんな連中程度にイリヤを如何こう出来ると思えないが…」

 

 何故ならイリヤが行使した力を知ったということもあるが、今話に聞いた“魔術師”という者が自分たちが知る道理や常識、倫理という認識の枠外に在る人種だと理解したからだ。

 この興味深い少女は、元老院などの余人や俗物に扱いきれる代物でないことを確信している。自己を脅かす者が居るのならそれこそ遠慮も容赦もしないだろう。

 それに仮に手に落ちるなら、それまでの存在だったと割り切った考えもエヴァにはある。だからこそ心配なぞ端から彼女には無い。

 だが一方でエヴァは、何処と無く嘗ての自分を見るように…この世界の“異端”である少女を見詰め。この少女の行く末がそういった血塗られたもので無い事を……それにイリヤは間違いなく“アレ”を解く鍵に―――。

 

「―――以前にそうならないように、この話を此処で留めておけば良いだけでしょう。その辺りも考慮してこの場には私たちだけしか居ないのですから」

「……フッ、まあ…そのとおりだな」

 

 エヴァの心情を読んだ訳ではないだろうが、そう言った詠春の言葉に彼女は傍からは不敵にしか見えない……自分にも今一つ、如何な理由から零れたか、判断が付かない笑みが浮かんだ。

 しかし、当の言った詠春は頭痛を堪えるかのように愚痴とも言える言葉を零す。

 

「……とはいえ、ここまで話がややこしくなると申しますか、予想斜めに大きくなるとは思いませんでしたが」

「クッ」

 

 それにまた別の笑いを浮かべるエヴァ。

 直接目撃した者こそ少ないが、アイリとイリヤは親子―――正確には同系列のホムンクルス――というだけ在って非常に容姿が似ている。

 応援部隊の中には、本山の状況を確認する為に『遠見』を使用した術者もいたのだ。スクナ召喚とエヴァの大呪文などの影響(ノイズ)で音声は聞けず、映像も不鮮明になっていたが、それでも疑う者は出るだろう。それら部下の処置や関係各所への報告をどのように行なうかは、なかなかの悩みどころである。

 その苦労が判るからエヴァは笑ったのだ。詠春には同情するが、同じ苦労をするあのジジイにはいい気味だと。

 一頻り笑うと彼女は真面目な表情を作り、イリヤの話を纏めに掛かる。

 

「―――脱線した感はあるが纏めると。アレの正体はお前の母親の姿と人格を持ったアンリマユとやらの呪詛で。聖杯か…もしくは別の何かしらの要因で並行世界からこの世界に現れた。その目的は“争いの無い平穏な世界”を実現する事……それがどのような“もの(カタチ)”かは、この際捨て置くとして、その目的を果たす為にあの白髪の小僧に協力、あるいは互いに利用し合っている、というところか……だとすると」

「……問題は、あの少年が何処の何者か。そしてどのような思惑を秘めて天ヶ崎 千草に協力したのか、ですか?」

 

 エヴァの纏めに顎に手を当て思案する詠春。

 アイリの言葉の中には、少年を指す“彼”という言葉の他に“彼ら”というのもあった。つまり白髪の少年の裏には何かしらの組織が存在する可能性が高い。

 直接少年と対峙した詠春はその力量―――格が判る。この本山の結界を抜け、一線を引いたとはいえ、この自分を不意打ちではあるがほぼ一撃で倒した人物。それを思うとその背後にある組織も並では無いだろう。

 そして、イリヤの母親の姿をした存在が手を貸すに足る“目指す願い”―――早い話、目的がある。それも推察するにかなり大掛かりな…。

 

「ふむ…天ヶ崎 千草への尋問は始めたばかり、今のところは今回の主犯は自分であると…本人は証言してますが、それも―――」

 

 怪しく彼女は利用されたのでは…と、詠春は言おうとしてエヴァに口を挟まれる。

 

「その辺はスクナの封印共々任せる。それよりも私たちはもう行く。話すべき事は大体済んだからな、折角麻帆良の外へ出られたんだ。観光を楽しみたい……何か解ったことがあったら、また聞いてやる」

 

 その言葉には言外に、ナギの別荘に案内するという約束の時間まで一通りの調べは終えておけ、という意味が含まれていた。「首を突っ込んだ以上、何も知らないまま、というのも気分が悪いからな」とも続け、茶々丸と共に部屋を後にしようとするエヴァ。それを詠春と見送るイリヤ。

 しかし、

 

「何をしている? 行くぞイリヤ」

 

 障子戸の前で立ち止ったエヴァに呼びかけられる。

 へ? と怪訝な声を漏らすイリヤ。それにエヴァは呆れたようだった。

 

「忘れたのか? 私はお前のお守り役だぞ」

 

 当然のようにエヴァはそう言った。

 

「―――そうだったわね」

「…なんだ? 義理でお前の世話をしてやっているというのに随分な反応だな」

 

 今更思い至ったというイリヤの反応に不快気に眉を寄せるエヴァ。イリヤは素直に謝罪し、微かに笑みを浮かべる。

 

「ゴメンなさい、感謝しているわエヴァさん。―――ありがとう」

 

 元は、近右衛門にできた“借り”から始まった関係……同居生活であったが、それでもこの10日間近い日々で彼女はイリヤを受け容れたようだった。今も当然の如く共にいる事を口にした。

 だからイリヤも謝意だけではなく、ありがとう、と自然と感謝の言葉を口から出ていた。

 

「―――なら、少しは気を回せ。私が外にいられる時間は短いんだ。観光に付き合え……それに久し振りの京都だが、変わっていない所なら案内してやれるし、名所を教えてやれる。並行世界とはいえ、同じ外国人のお前なら色々楽しめるだろう。麻帆良の外に出た事がない茶々丸もな」

 

 イリヤの想いが伝わったのかプイッと顔を逸らし、面倒くさげに仕方なさそうにしながら、どこか照れくさそうに、楽しそうに言う吸血姫を見てイリヤは嬉しくなった。

 色々と遠回しに表現とするエヴァの様子に…素直じゃない彼女に微笑ましくなる。ああ、やっぱり―――

 

(私が好きなエヴァさんでもあるんだなぁ)

 

 と。自分のことを認めてくれているこの世界のエヴァンジェリンを改めて好きになった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 旅館「ホテル嵐山」へ突撃し、疲れ切って寝転び、睡眠を取ろうとするネギ達にエヴァを筆頭としたイリヤ達は強襲。彼等を叩き起こして京都観光へと洒落込む事となった。

 無論、ネギを始め、明日菜たちは寝不足と疲労に加え、市内各所を既にあちこち見回った事もあって抗議したのだが、唯我独尊が人の形を持ったような存在であるエヴァを止めるには至らなかった。

 そして、半ば観光という名の強行軍を強要されたネギと明日菜達であるが、寝不足と疲労が残る体にも関わらず、何とか乗り越える事に成功する。

 

「マスター、満足いきましたか」

「うむ、いった」

 

 公園のベンチに座る一行の中、眠気と疲労の大きいグロッキー気味なネギと明日菜達の横で、文字通り満足気に息を付くエヴァ。不死且つ不老の吸血鬼であるにも関わらず、その顔の肌は何処と無くいつも以上にツヤツヤと輝いているようにも見える。

 イリヤはそれに苦笑する。そんな様子を見ていると外見相応の少女にしか見えないからだ。とても裏世界で恐れられる元600万$の賞金首に見えない。それにしても―――

 

「―――エヴァさんがここまで京都…というか日本文化に詳しいなんて、少し驚きね」

 

 そう、イリヤが言うのもエヴァが京都の名所を見回った際に披露した知識が、観光パンフレットは愚か、仏閣マニアでもある綾瀬 夕映が驚くほど寺やら神社などの由来や歴史に通じていたからだ。

 但し、驚きであっても意外ではない。囲碁や将棋が好きであったり、茶を点てられたり、紅茶よりも緑茶が好きだったり、と。薄々気付いてはいたが、この欧州生まれの真祖の吸血鬼はかなりの日本贔屓らしい。

 

「ん、昔にちょっと…な。この島国の連中には少しばかり世話になっていた頃が幾度かあったんだ。勿論、異文化への興味という点も大きかったが…なんだろうな―――さしずめ、この国で言う“(えにし)”が在ったというところか…」

 

 曖昧な語彙を含み、そう言って空を見上げて何処か遠くを見つめるエヴァ。過去に思い馳せているだろう。

 先程まで外見相応の少女にしか見えなかった彼女が、まるで年輪重ねて老成した大樹のような雰囲気を纏う。

 

「―――――…」

 

 そうして何かを呟いたようでもあったが、その声はイリヤの耳には届くことは無かった。

 

 ―――或いは、この時、エヴァがもう少し踏ん切りを付けられ、もう少し声を大きくしていれば……未来が少し変わっていたのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 程無くして約束の時間となり、詠春に指定された場所へ赴く一行。

 ネギと明日菜は先程少し休息が取れた事もあってか、幾分か疲労を拭えたらしく顔色も良くなっている。特にネギは父の手掛かりを得られるかも知れないと感じている為か、さらに足取りが軽い。

 

「やあ、皆さん。休めましたか?」

 

 一足先に待っていた詠春がネギたちの姿を認め、声を掛けてくる。

 ネギも声に気付いて挨拶を返す。

 

「どうも―――長さん!」

 

 その直ぐ傍で明日菜が「私服もシブイ!」と呟き、刹那が軽くお辞儀を返している。木乃香は何か気付いたようで父の姿を認めるなり、駆け寄ると「タバコ、アカン~」などと言って詠春が手にしていた煙草を取り上げる。

 詠春は、そんな娘の行動を咎める事も無く、ただ苦笑を向けるだけに止め。木々の生い茂る道の奥へ指し示すように手を向けてネギに告げる。

 

「この奥です。三階建ての狭い建物ですよ」

 

 雑草や枝葉に侵食されつつある狭い道を歩き、その道中に詠春がエヴァに報告する。

 

「スクナの再封印は、完了しました」

「うむ、御苦労、詠春。面倒を押し付けて悪いな」

 

 スクナの事を聞いて鷹揚に頷くエヴァ。それに詠春も「いえ、こちらこそ」と相槌を打つ。

 そこにネギが口を挟む。その事件に関わるやり取りを聞いて気になったのだろう。自分が相対した歳の近い少年のことが。

 

「あの、長さん…小太郎君は……」

 

 敵であった相手にそんな気遣わしげな様子を見せるネギを好ましく思いつつ、微かに苦笑して詠春はこの優しい少年に答える。

 

「それほど重くはならないでしょうが、それなりの処罰はあると思います。天ヶ崎 千草についても、……まあ、その辺りは私たちにお任せください」

 

 ネギを安心させるように詠春は言う。

 

「それより、問題の小僧の方はどうなんだ?」

 

 一方、エヴァにとって雑兵に過ぎない狗族(ウェアウルフ)や、利用されていた事にも気づかない千草(おんな)の事などどうでもよかった。肝心の…裏で糸を引いていたらしい本命の方が気掛かりである。

 しかし、詠春は首を横に振る。

 

「現在調査中です。今の所は彼が自ら名乗った名がフェイト・アーウェルンクスであることと…一ヶ月前にイスタンブールの魔法協会から日本へ研修として派遣された事しか…」

 

 おそらく詐称でしょうが、と。実質何も判らず仕舞いの報告を無念そうに、そう締める詠春。

 同時にネギたちに気付かれぬように、念話でアイリの事が伝えられる。

 

(それと、あのアイリスフィールという女性の事は、天ヶ崎 千草と犬上 小太郎は何も知らないそうで、顔も合わせてないとの事です。キャスターという男に関しても白髪の少年に協力者として紹介された以上の事は知らず、彼女らも不気味な容貌の彼に積極的に関わろうとしなかったと…)

「――ふん」

 

 エヴァも半ば予想はしていたのだろうが、それでもその結果が気に入らないらしく不機嫌そうに声を零す。イリヤも予想通りからか沈黙しそのやり取りを静観していた。

 

 

 

 「ここです」

 

 道の奥にある天文台を備えるナギの別荘へとたどり着いた。

 ネギはそれを高揚した思いで見上げ、エヴァも想い人の名残を感じ取ろうとしているのか、熱い視線をそれに向ける。

 中に入ると先ず目立ったのが、巨大な本棚とそれに敷き詰められた大量の本であった。

 

「スゴーイ、本がたくさん」

 

 それに早乙女 ハルナを始め、興奮を隠せない図書館組。明日菜も全体的な雰囲気をオシャレと言い、他の面々も好印象を持ったようだ。

 ただ、エヴァだけは勉強嫌いで魔法学校も中退という事実と基本的に馬鹿っぽいという本人を知る所為か。らしくない、柄にもないな、と真面目に本を読むナギの姿を思い浮かべて可笑しそうに…また少し呆れたように見えた。

 

「彼が最後に訪れた時のまま、保存しています」

「ここに…昔、父さんが…」

 

 詠春の言葉に感慨深く一人呟くネギ。

 そうしてしばらくの時をこの別荘で一行は過ごす。

 ネギは、父の足跡を辿ろうと手掛かりを求め。エヴァはやはり彼の名残を感じ取ろうと見回り。明日菜たちと図書館組もそれぞれ思い思いに別荘内を巡った。

 そんな中、イリヤは別荘の最上部に設置された望遠鏡をボンヤリと見詰め、彼が調べようとした事に思いを巡らせた。

 

(…火星、造り出された世界。滅びに瀕する魔法世界)

 

 彼はそれを救う手立てを求めたのだろう。この世界が自分の識る原作(えそらごと)と近しいなら、きっとそうだろう。

 魔法も5、6個しか覚えていない。お世辞にも出来が良いとは言えない頭を振り絞って“全てを救う”ための回答を得ようと―――

 

「あ、イリヤちゃん」

 

 気付くと明日菜もこの最上部に居た。そして、やっほ、と挨拶するように軽く片手を振ると。直ぐに大きな望遠鏡の存在に気付き、珍しげに見回して覗き込もうとする。

 そんな子供めいた女子中学生の行動を見、微笑ましげにイリヤは言う。

 

「何も見えないわよ。天窓が閉まっているんだから」

「む…ほんとだ、何も見えないわね」

 

 それでも覗き込んだ明日菜は、残念、と口惜しそうする。直後に木乃香と刹那も現れ、明日菜は今しがたイリヤに言われた事を忠告するも、やはり覗かずにいられないのか、2人とも同じ行動を取って残念がる。

 その2人に明日菜とイリヤは顔を見合わせて苦笑する。そして見合わせたまま、思い出したかのように明日菜が言う。

 

「イリヤちゃん、あの時、危ないところを助けてくれて、ありがとね」

 

 それはイリヤがあの海魔を殲滅した時の事を指していた。

 唐突な明日菜のお礼にイリヤは微かに首を傾げる。

 

「ん?…どうしたの、急に」

「いや…何だかんだで、確りとお礼を言えてないなぁ…と思って。あの時も直ぐにネギを助けに行かなきゃいけなかったし、さっきもエヴァちゃんの観光も、えっと…ホラ、夕映ちゃんとハルナも近くにいたからさ」

「…そうね。特にハルナという娘は人間拡声器らしいしね」

 

 イリヤの言いように明日菜も、そうそう、と我が意を得たと言わんばかりに頷く。

 すると、刹那と木乃香もイリヤへ歩み寄って軽く頭を下げる。

 

「私からも、お礼を言わせて貰います。あの時は本当にありがとう御座いました!」

「ウチもや、明日菜とせっちゃんを助けてくれて…ありがとな。イリヤちゃん!」

 

 3人の行動に、何だか照れくさいわね、とむず痒くなるイリヤ。

 しかし刹那は少し思うところがあるのか、いや…やはり疑念があるのか。敬愛する師であり、西を纏める長が―――少なくとも自分達の前では―――何も言わないにも拘らず、出過ぎた事だと思いながらもイリヤに似た女性の事を口に出す。

 

「イリヤさん、助けて頂いた貴女には…その、失礼かも知れませんが、あの貴女に似た女性とは…」

 

 刹那の問い掛け方が詠春のものと同様なので、イリヤは思わず笑みを零す。

 

「師に似て、律儀な性格ね…セツナは」

 

 そのイリヤの言葉に詠春も尋ねた事が理解でき、やはり出過ぎた事か、と恐縮してしまう刹那。そんな彼女の心情を理解しながらもイリヤは答える。

 

「あれは…そうね。私のお母様の亡霊……のようなものかしら」

 

 その答えに刹那は怪異を使役していた不気味な男を思い出す。イリヤがあの男の事を亡霊・怨霊と言っていたからだ。

 

「それは、あの奇怪な魔物を召喚した男と同じ…という事ですか」

「……確かに、アレとも無関係ではないし、似たような存在とも言えなくはないわ」

 

 刹那の疑問に少し考えてそう口にするイリヤ。アンリマユとの関連やサーヴァントに近い肉を持った呪詛(れいたい)という事を思えば、そう言えなくも無い。

 

「でも、余り詳しくは話せない。正直、説明するには事情が複雑な上、話す事で私も含めて貴女達にも不必要なリスクを生じさせかねないのよ」

 

 エヴァが指摘したことではあるが、並行世界や聖杯戦争の事を知ること、知られることはイリヤは元より知る側にも危険があり、また責任も生じる。イリヤが抱える問題はそれだけの難物というか、厄介事でしかないのだ。

 それゆえに説明せずにイリヤは簡潔に刹那に言う。

 

「…言えるのは、あの女性は私の敵であるということ―――私がアレらの仲間では無い、という事ぐらいね。…だから安心してセツナ」

「う…恐縮です」

 

 出すぎた事と自覚していた上、恩人に対し疑念を持っていたことを指摘された為、今度は恥ずかしい思いで口に出して恐縮を示し、文字通りに身体を縮み込ませてしまう刹那。

 イリヤはそんな彼女に首を横に振り、貴女の疑念は尤もだし、それに―――

 

「―――コノカを大切に思うのであれば、当然の対応よね」

 

 と。刹那をフォローする。

 大事なお嬢様を、自分の命よりも重いと定めた大切な人を拉致し、利用しようとした一味の関係者かも知れないのだ。その心情は十分に察せる。例え師や周囲の人間が気を許していても、僅かでも疑念を払拭できないのなら警戒心も残るだろう。

 今のやり取りで一応信用を置いてくれるだろうが、それでも疑いを留める筈だ。

 木乃香の事を出されて頬を赤くし、顔を伏せる刹那を見つつそう思うイリヤ。

 

「でも…イリヤちゃんは、それでええの? お母さんと敵やなんて…」

 

 木乃香がふと思い付いたように心配げにイリヤにそう尋ねる。明日菜も不安そうな顔を見せている。刹那も顔を上げてイリヤを見詰める。

 茶々丸の記録した会話こそ聞いていないが、スクナの祭壇から遠目で見た限りではとても親しげにも見えたからだ。

 

「だからこそよコノカ。アレはお母様に近しいだけの偽者で―――この世界に在ってはならない間違った存在なのだから」

 

 イリヤは、内に秘めた決意から当然のようにそう即答した。

 木乃香はそのイリヤの答えに何か不安を覚え、何を言えば良いか悩んだ。いや…考えられなかったというべきかも知れない。

 そもそもイリヤは全てを話していない。亡霊という意味も、偽者という意味も木乃香には判らない。だがそれ以前にイリヤの言葉の中の母の亡霊だと、偽者だというヒトに対する確かな親しみを…もしくは愛情ともいえるものを感じられたからだ。同時に全く迷いが無い事も…。

 明日菜も同様だ。だからこそ不安になる。あの時、躊躇無く……自分たちの命を危険に晒した相手とはいえ、怪異を使役していた男の首を刎ねた冷然としたイリヤの姿を見たからこそ、木乃香以上の不安を抱き、そして恐れが在った。

 刹那は、ただ幼い少女らしくない強い決意ばかりを感じ取り、感心して内包された感情をそこまで深く汲み取れなかった。

 

 しかし結局、不安を抱いた2人は何も言えなかった。

 返すべき言葉が纏まらなかった事もあるが、口を開く前に詠春が彼女達に話があると呼び掛けて来たからだった。

 

 詠春の話は、ネギの父であるサウザンドマスターの事。20年前の大戦の一端などだ。だが結果的にはネギが望むような手掛かりは無く。父の存在をおぼろげに感じただけで、彼とってこの場所は、幼き日に見た背中の遠さを改めて想い起こさせるだけだったのかも知れない。

 

 それでも此処にきた甲斐はあった、と。ネギは言い。朝倉 和美の提案を受けて皆で記念写真を撮り、イリヤの姿もその写真に並んだ。

 

 

 

 ―――イリヤスフィールという少女がこの世界に居る事を、忘れ得ぬ大切な想い出をとして確かに刻んだのである。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 翌日、イリヤはネギ達と共に麻帆良への帰路に付いた。

 揺れる車内の中、うつらうつらと舟を漕いで半ば眠りにつきながらイリヤは、夢を見るように思い返していた。

 

 『偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)』を真名開放と共に投擲したあの時。

 残念ながらもイリヤは、あの場でアイリスフィールの姿を持つ呪詛の打倒に失敗した。

 

(まさか、弓に携えていないとはいえ、あの至近距離で『偽・螺旋剣(カラドボルグ)』が弾かれるとは思わなかった)

 

 空間を捻じ切りながら放たれたそれを、アイリの影から飛び出した人影―――その手に持つ“真紅の魔槍”が弾いたのだ。

 イリヤは驚きと共に瞬時にその正体を看破し、直ぐに距離を取った。

 確証はないが『アーチャー』の能力で“ソレ”と打ち合うのは危険だと判断したからだ。

 “真紅の魔槍”……真名を開放した『偽・螺旋剣』の放つ力を殺し、見事打ち払ったそれは、『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルク)』。あらゆる魔力・魔術的効果を遮断する“宝具殺し”の魔槍だ。

 その担い手はケルト神話に語り継がれるフィオナ騎士団の英雄ディルムッド・オディナ。騎士団随一の戦士として名を馳せた人物である。

 ただ“輝く貌”とも異名を持つ彼のその美貌は、ジル・ド・レェ同様に黒化の影響を受けたためか、それとも……かの戦いでの末路によるものか、憤怒や憎悪にも似た異相に染まり、見る影も無かった。

 その異様から直ぐにでも距離を詰めて襲い掛かってくるかと思えたが、アイリが止めたらしく。彼はその場から動く事はなかった。

 

「イリヤ、どうして!!?」

 

 代わりに驚愕と疑問が混じった悲鳴染みた声を上げて詰問してくるアイリ。だがイリヤはそれに答えず、両手に双剣を投影し、魔術回路に剣弾を待機させた。

 無言のまま、敵意しか見せない娘の様子にアイリは悲痛の表情を見せる。それでもイリヤは揺るがない。

 アイリには理解が出来ない。どうして娘が自分を拒絶するのか。平穏な世界を創り、家族皆で幸せに暮らすという願いを。アイリスフィールである事を認めてくれた娘が―――何故? と疑問しかない。

 イリヤは既に言葉を語る積もりは無い。母親に近かろうと、アレはもう言葉を尽くして語りかけても願いを捨ててくれる存在ではないと理解できるからだ。

 彼女の言う彼ら―――“完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)”がどのような目的を持ち、どのような手段を使うのかは知らない。

 予想や推測は出来ても確証は無い。そこまでの“原作”の知識が無いのだ……けれど、如何なる目的でも、手段であってもアイリ―――願望器より漏れ出た”願いを叶える呪い(悪意の泥)”が願いを叶える事は、この世界にとって必ず大きな…そして取り返しの付かない歪みになる。

 

「悲しいわ。イリヤ…貴女も、貴女なら、きっと判ってくれると思ったのに……お母様は―――“呪いたい”くらいに貴女を、イリヤのこと、許せなくなりそう。……でも、これが反抗期というものなのかしらね。なら、それを諌めるのも親の務めよね」

 

 穏やかなのに不穏な気配を放ち始めるアイリ。それに呼応し黒化した4thランサーが二槍を構え―――

 

「―――え? でも……、判ったわ。それなら仕方が無いわね。……それに確かに貴方の言うとおり、少し危険なようね」

 

 突然アイリは独りごとを…いや、誰かと念話らしき会話をはじめ、イリヤの背後…その向こうに視線を向けて頷いた。

 その視線の先には、強大な魔力を隠す事無く纏う金髪の少女の姿がある。そう、真祖の吸血鬼にして“最強の魔法使い”であるエヴァ。その危険性を理解したアイリはこの場は退く事を決めた。

 

「それじゃあイリヤ。この場は諦めるけど、近いうちに迎えを出すから。それまでよ~く考えておくこと、良いわね♪」

 

 そう言って、また会いましょうと朗らかな笑顔を浮かべてアイリスフィールは姿を消した。

 そして今更ながらにフェイトの姿がないことにイリヤは気付く。

 その後、ネギたちと合流するも、初の実戦で緊張と疲労が蓄積したイリヤは早々に休みを取ることにし、詠春たちに説明を約束して部屋を借りたのだった。

 

 

 ―――これがあの夜の顛末である。

 

 

 




タグにあるTS詐欺の訳はこれです。
憑依イリヤでは無く、実はHFルートを辿った本物のイリヤでした。
こうした半憑依状態にした理由は、本文にある通り、イリヤにネギ達に親しみを持たせる為です。女性口調と仕草だったのも無意識に自分が本当は女性である事を理解していた為です。

アイリもまた、さらに意外(かな?)な事に本人では無く。それを殻に被ったアベンジャーの出来損ないです。
ただ出来損ないと言っても、膨大な魔力を有し黒化英霊を従えるチートな強敵ですが。


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幕間その2―――暗躍者の2人

 

 京都の某所に在る廃ビルの一室。

 石膏や壁紙などが所々で剥がれ落ち、コンクリート地が剝き出しになっている寂れた部屋にて、穏やかでありながらも明るく軽やかな調子のメロディーが奏でられていた。

 

「♪~~」

 

 それを奏でているのは、退廃的と表するには新し過ぎ、質素や無機質としか言えない。この廃墟の一室にはとても似つかわしくない一個の芸術とも讃えられそうな美貌を有する女性の口元だった。

 その唇は艶やかな桜色で肌は滑らかな白皙であり、卵型の彫りの深い整った顔立ちを十分に引き立て。頭には新雪の如き輝きを持つ銀の髪を飾っている。

 奏でるメロディーに…鼻歌に集中している為か。眼は閉ざされているが、その瞼の下には正に宝石としか形容できない美しい緋の瞳が隠されていた。

 体付きは衣服の上からでも成熟した女性らしい豊満なものである事が判り、その均整は頭身も含めて完璧な比率と造形を見せている。

 そんな稀有な容貌と黄金比の身体を持つ彼女は、何処か幻想的な雰囲気や気品を有し、まるで御伽噺か叙事詩にでも出てきそうな麗しの姫君か令嬢、或いは天上から舞い降りた女神のようであった。

 

 ただ残念なのは、女性の纏う衣服が有り触れたごく一般的な婦人服である事だ。別に似合わない訳では無く。一応上品に取り繕ってはあるが、彼女の浮世離れした美貌を引き立てるには余りにも質素だ。

 加えて、廃墟というこの場所自体もそうではあるが、彼女が坐している物もこれまた何処にでもある簡素なパイプ椅子である。

 誰もが聞き入る(メロディー)を奏で、誰もが見惚れる美貌を持つ麗しい女性が。華麗に着飾る事も無く、廃ビルの一室でパイプ椅子に腰を着けている姿は不釣り合いとしか言いようがない光景だ。

 無論、そんな事で彼女が持つ美しさが損なわれる訳では無いのだが、見る者が見れば、やはり残念に思わずには居られないだろう。

 

「ご機嫌なようだね」

 

 奏でられるメロディーを遮るように、唐突にそんな声が女性に掛けられた。

 それは抑揚が乏しくも幼さを感じさせる少年の声で、扉を失った部屋の出入り口から聞こえてきた。

 日の届きが浅く、薄暗い影に覆われた扉無き扉から足音が徐々に女性の下へ近づき。コツコツと音が大きくなるにつれて、罅割れた窓ガラスから差し込む日の光に照らされ、影から浮かぶように声の主の姿が露わになる。

 それは、学生服のような衣服に身を包んだ、女性と似た白い髪と肌を持つ少年だった。

 その顔立ちは女性に劣らぬほど非常に整っているが、眼の色は青く容貌は似ていない。今滞在している国の人間―――日本人から見れば、家族か何かに見間違うかも知れないが、欧州の人間であれば、赤の他人だと評するだけの違いはあった。

 その少年が姿を見せた事で女性は閉じていた眼を開き、口遊む鼻歌(メロディー)も止めて、彼の問い掛けに応えた。

 

「ふふ…当然でしょう。もう会う事は叶わないと思っていた大切な我が子に会えたのだから」

 

 女性―――アイリスフィールがそう笑顔を浮かべて言う。心の奥底から嬉しそうにし、まるで花が咲いたかのような……或いは童女のような無垢な笑みを見せる。

 対して少年―――フェイトは自ら尋ねたにも拘らず、関心が無さそうな無表情な顔で女性の言葉を聞いていた。

 

「まあ、残念なことに一緒に来てくれなかったけど、そういう難しい年頃なんでしょうね」

「………」

 

 彼女の言葉と口調にはその言葉通り、残念そうな響きはあったが、それとは裏腹に表情の変化はまるで無く、笑顔のままだ。むしろ反抗された事に喜んでいるようにさえ見えた。

 フェイトにはアイリの言う事や、そのように笑みを浮かべる理由は理解できない。

 この目の前に居る“母”である女性と本山で見た“子”であるあの少女と、どのような会話を交わしたのか知らないという事もあるが、そういった人間関係に関わる心理の機微を今一つ分からないからだ。

 

「ところで此処に来たってことは、もう良いのね?」

「……ああ、呪術協会の警戒網は移動した。此方の撒いた囮に上手く引っ掛かってくれたよ」

 

 アイリの問い掛けにフェイトは頷いた。

 そう、昨晩の騒ぎから姿を暗まし、本山から上手く離れられた2人ではあったが、駆け付けた応援部隊―――関西呪術協会によって京都一帯に敷かれた包囲及び警戒網から“抜ける”までには行かなかったのだ。

 予想以上に呪術協会の手が早かったというのもあるが、その原因はフェイトの犯したミスにあった。

 それは、本山の結界を抜けて木乃香を攫いに行った時の事だ。

 あの時、屋敷の中で遭遇したネギ達をフェイトは明確な脅威と捉えず見逃した。その為、東の伝手から西へ今回の騒ぎが早々に伝達されてしまったのだ。

 

 だがフェイトがそのように対応―――或いは油断したのも無理は無い。アイリも責める気は無かった。

 そう、今回の計画は英雄と呼び名が高い“近衛 詠春”という最大の障害さえ抑えられれば、達成したも同然だったのだから。

 西に存在する他の強力な戦力は、常に人材と人手不足から本山から離れがちであり、更に標的でもあった木乃香が西に来ることが決まり、騒動を起こしそうな過激派を仕事を名目にし、残る主要な戦力もそれらの監視を兼ねて共に京都及びその近隣から離れていた。

 その為、脅威となるのは、サムライマスターとも呼ばれる近衛 詠春ただ一人である……筈だった。

 そう、在ろう事か全く予想外な事に、これまたネギを見逃したばかりに応援が駆け付けるよりも早く麻帆良―――東から強力な戦力が送り込まれたのである。要注意であったタカミチ・T・高畑が東を留守にしているという好都合な状況で在ったにも関わらずだ。

 そして今計画は失敗し、現状を示す通り2人は撤収にも手間取っていた。フェイトの一つの油断(ミス)が二重の失態―――東からの救援と西の早期応援―――を招いた為に。

 ただ―――

 

「仕方が無いわ。元々急遽実行に移した穴だらけの計画だったんだから…」

 

 アイリはそう納得していた。

 口には出さないがフェイトもそれには同意していた。何しろ近衛 木乃香が麻帆良を離れて西へ赴く事自体、まったく突然な話だったのだ。

 一応、彼女の存在と利用価値を考え。その動向は以前から注意していたが、麻帆良という厚い壁に阻まれた存在であったが故、その優先度は非常に低く。

 此度のような計画の素案も以前から在るにはあったが―――殆ど検討されておらず、事前の仕込みもされていなかった。

 仮に情勢が不安定な西に彼女が居たままであったなら……と考えなくもないが、それは仮定以前に現実を無視した意味の無い話だろう。

 

「……」

 

 しかしそれなりの手間と労力を注いだのだから、惜しむ位は良い筈だ。

 

 呪術協会内部でノーマークだった東に対して不平不満を抱える千草を見出し、間接的に焚き付けてその気にさせ。

 直前まで伏せられていた木乃香の京都行きの情報をさも自分の努力で手にしたと思わせて。更に護衛に付くのが見習い剣士や子供先生だとも教え、月詠や小太郎といった腕の立つ人間を与えて実行戦力の不安を解消させた。

 そして、間を置いてフェイト自身も千草の下に加わり、彼女の事の運びを監視し、また介入して状況を制御した。

 多少誤差は在ったものの旨く行っていた。安全な本山へ逃げ込んで油断していた所を突いて、詠春と本山そのものを無力化。標的の奪取に成功した。

 そう、途中まではほぼ計画の範囲…本当に旨く行っていたのだ。

 

 ―――ネギを見逃すという失態を除けば。

 

「ふう―――」

 

 知らず内に彼は溜息を漏らしていた。文字通りフェイトは気付いていない。無表情であるが犯した失態に対して反省を抱くならば兎も角、同時に“悔い”を感じているのを。

 

 アイリはそんな彼を見て微笑ましそうにし、声を出さずに笑みを浮かべた。

 アイリもそして“彼女達”も気付き、知っている。彼は自分が思っている以上に人間らしい事を。

 けれど、アイリはそれを指摘する積もりは無い。これは彼自身が気付くべき事柄だと考えているからだ。

 尤も“彼女達”の方はヤキモキしているのか、事ある毎にそれらしい言葉を遠回しに…或いは直接的に言ってはいるが、彼はそんな自分を否定していた。

 まあ、だからこそ彼自身が気付いて、納得して受け入れなければいけないのだが……。

 

(まったく、苦労するわね。あの子達も……)

 

 脳裏に彼を慕う少女達の姿を思い浮かべ、アイリは同情と応援の気持ちを抱く。

 

 そんな事を思うアイリの“彼等”との付き合いはもう4年程に成っている。

 特にまだ幼いと言える少女達―――“彼女達”に対しては、“母親代わり”だという自負と親しみを彼女は持っていた。またそんなアイリに対して“彼女達”も応えるかのように母や姉のようにアイリを慕っている。

 勿論、最初からそうだった訳では無い。出会ったばかりの当初、“彼女達”は得体の知れないアイリに警戒心を抱いていたし、アイリも見知らぬ世界へ来た事に途方に暮れていて心に余裕は無く。彼女達に気を配る事など出来なかった。

 それでも共に過ごし、事態を受け入れる余裕が出来ると互いに歩み寄るようになり―――

 

 ―――アイリは会えない娘への愛情を埋め合わせるかのように。

 

 ―――彼女達は失った親への愛情を求めるかのように。

 

 そうして気持ちを通じ合わせていった。

 

「アイリ、君に聞きたいんだけど」

「ん…何?」

 

 彼女達の事を思い、微笑ましく笑みを浮かべていたアイリにフェイトは視線を若干鋭くして尋ねる。

 

「キャスターのこと…」

「あ、あれは確かに失敗だったわね。抑えてはいたんだけど、どうもあの2人……女の子達の戦いぶりを見て琴線に触れるものが在ったみたいなのよ」

 

 フェイトの責めるような視線にアイリは少し狼狽えながら答えた。

 これは本山に離れる際にも行ったやり取りだった。フェイトは引き上げる時にキャスターの姿が全く見えない事から不審を抱き、アイリに彼の事を尋ねていた。

 アイリはその問い掛けに今と同じく申し訳なさそうに、気まずげに暴走した事を告げた。

 

 アイリにとってもキャスターの犯した行動は本当に予想外だったのだ。

 突然、此方の指示を無視し始め、制御下からも離れ、供給魔力を切ったにも拘らず……宝具までも使用した。いや、彼の宝具であったからこそアイリの魔力供給に関係無く使えたというべきか。あとは黒化に伴ない受肉した状態であった事もその抑えられなかった要因の一つだった。

 

 フェイトはその事実を聞いた時、やはり自分も足止めの為にあの場に留まるべきだったか、もしくはあの場にキャスターを残さず連れて行くべきだったか、と思ったが。優先事項であったスクナと木乃香の事を考慮すると、それはやはり無理な想定であった。

 万が一の事態に備えて鬼神復活儀式の警護を行わなければ成らず、その儀式を行う千草の意識と集中力を削がない為にも、彼女が嫌悪感を抱いていたキャスターをあの場に置いていくのは、最良の判断であったからだ。

 また、あの奇怪な召喚士を本山その物へ連れて行かないというのも、“保険”として機能させる場合の事を考えると選べなかった。

 “保険”である“アレ”を召喚制御するには強大な魔力が必要なのだから。

 もし木乃香の奪取に成功し、スクナの召喚に失敗した場合は彼女を“その核”に。

 彼女の奪取にも失敗していた場合は、本山の“魔力溜まり”―――龍脈に加え、本山に残る呪術師達という恰好の贄を利用する為に。

 

 だが…しかし―――もっと状況を見てからキャスターをこの作戦に参加させても良かったのでは?

 

 と。今もまたそこまで思考を巡らせたがフェイトは首を横に振り、栓の無き事だと覚えた感傷を捨て置き、続けてアイリに問い掛ける。

 

「それは聞いたよ。でもそれじゃあ“保険”として彼を使っていたら、貴女がこの計画を実行する前に言ったように被害を最小限に済ませられたのかい?」

「……そうね。無理かも知れなかった。けどその危惧(リスク)を負っても“保険”として彼を使う事を決めたのはデュナミスよ。それに今回の作戦を実行する以上、一般人にも危害が及ぶ可能性が高いのはとっくに分かっていた事でしょう」

「……そうだったね」

 

 アイリの返答にフェイトは顎に手を当てて考え込むようにして頷いた。しかし頷いてこそいるが、彼が納得していない事をアイリは理解していた。

 いや、キャスターの暴走の危惧だけで無く、今回の計画そのものに心底では納得していないだろう。

 “彼等”が基本的に“人間を殺害する事を禁じられている”という事は知っている…が、中でもフェイトは意味も無く無暗に“ヒト”の命が失われるのを嫌っている。彼がそれを自覚しているかは別として。

 アイリも母と成った身であり、切嗣と共に過ごして様々な事を学んだから命の尊さは理解してはいる。けど、魔術師の一族であり、また大きな力を扱う以上、奪う事と殺す事への“覚悟”は持っている。

 無論、フェイトにそれが無い訳ではないだろうが、アイリの感覚からすると、彼は何処か不覚悟な部分があるというか、“度”が過ぎている気がするのだ。

 

 今回の計画は、近衛 木乃香の強大な魔力によって伝説の大鬼神を復活・制御し、更に呪術協会の過激派を扇動して麻帆良へと進攻させ。その防衛力漸減と中枢結界の破壊…もしくは機能低下と極東の裏情勢の不安定化が目的であった。

 

 当然、これ程の……紛争とも言える規模の騒動を起こすのだから裏だけに止まらず、表…一般人にも人命が損なわれるような大きな被害が生じるだろう。

 その事に、フェイトは納得できないものを感じているのだ。

 しかしそれでも実行に移し、彼が参加したのは、この作戦が将来的な……より大きな計画への布石であると同時に、彼の地に匿われていると思われる“姫巫女”の炙り出し及び捜索も兼ねる非常に重要な作戦と成っていたからだ。

 

 彼の麻帆良の土地は、世界に12ヶ所しかない“聖地”であり、極東最大の霊地でもある為、その巡らされた結界もそれに相応しく。西の本山を遥かに凌ぐ非常に強固な物だ。

 フェイトクラスの実力者であっても外縁部ならば兎も角、中枢の結界を突破し侵入するのは不可能に近い。

 いや、外縁部の結界を抜けただけでも気付かれる可能性は低くなく。その場合、中枢へ至る以前に学園を束ねる極東…いや、“アジア圏最強の魔法使い”である近衛 近右衛門を含めた麻帆良の実力者達を相手する事になり……ただでは済まない。

 “アサシン”達でも全く気付かれずに潜り抜けるのは難しいだろう。何より黒化の影響で『気配遮断』がワンランク低下しているのが痛い。戦闘力そのものは向上しているのだが、彼等は間諜の英霊であり、さして意味があるものでは無い。

 そもそも彼等では中枢結界の突破と破壊は無理である。

 

 だからこその今回の作戦だった。

 スクナの強大な力によって直接的にか、或いは弱った個所を狙い―――西が麻帆良へと進攻するのを陽動にし、内部へ侵入―――破壊工作を実地して中枢結界を破壊。可能であれば“姫巫女”を捕捉し、確保する。

 またどちらも達成出来なかったとしても、西と東の双方を争わせた事によって極東に配置されている戦力は漸減され、情勢も不安定化するであろうから今後も付け込む隙が生じ、最低限の目的は果たせる筈だった。

 ついでに言えば、保険として予定されていた“アレ”であれば、最低限の役割……結界破壊は無理でも機能低下や、戦力の漸減及び情勢の不安定化は狙えると踏んでいた。

 更に状況次第では“アサシン”も投入して西と東の双方をより混乱させる事も出来ただろう。

 

 だが、本命はおろか保険の方まで“暴走”のお蔭で使えなくなる始末。

 ただフェイトにしてみれば、作戦の失敗や失態への悔いは在れど、幸いではないかと言う思いもあった。

 特にキャスターの暴走は彼を使う事への危険性が理解でき、結果としてその危険な保険に頼る事態は避けられたのだから。

 

 またアイリにしてもホッとしている部分はあった。

 彼等の世話になっており、また自身の“願い”の為にも協力は惜しむ積もりは無いのだが、今回の作戦は正直乗り気ではなかったのだ。

 何故ならどうしても“神秘”を多くの衆目に晒す事は避けられないのだから。“魔術師”として秘匿意識が“魔法使い”以上に高い彼女にしてみれば当然の思考だ。

 

 

「―――ふう…まあ、良い。過ぎた事を今考えても仕方が無い」

「……ええ」

 

 思う事を吐き出すように溜息と吐き、気持ちを切り替えるフェイトにアイリも同意して頷く。

 だが、フェイトはまだ気に掛かる事があり、それをアイリに問い掛ける。

 

「だけどもう一つ。貴女の娘……確か、イリヤだったね。彼女の事はどうする気だい? 最後は随分と反抗的なようだったけど」

「ふふっ」

 

 問われてアイリは笑った。楽しそうに、嬉しそうに、邪気のない笑顔でクスクスと。

 

「決まってるわ。聞き分けの悪い子はしっかりと叱りつけないと、況してやそれが自分の子供なら―――尚更に…ね」

 

 彼女の笑顔に合わせ、窓から入り込む日差しによって作られている彼女の影が、主の仕草や動作に関係無く。その笑みと声に応えたかのように怪しく揺らいだ。

 

 ユラユラ、ゆらゆら、と自らの出番を待ち望み、期待するかのように――――。

 

 

 

 




 この回は舞台の裏側―――アイリとフェイト達が事件の裏で何を目論んでいたかを書いています。
 ただ、原作ではここらの事情は全く明らかにされていないので完全にオリジナルと言えると思います。
 あと、解釈が結構強引だとも思ってます。

 アイリがこの世界でそれなりの時を過ごしている事も明らかにしています。
 いずれフェイトと従者の彼女達との出会いなどその辺の話も書きたい所です。


 4thキャスターについて少し捕捉しますと、彼が千草の仲間として加わり、表立って今回の計画に参加していたのは、千草がキャスターに仲間意識を持てるようにし、保険として扱い易くする為でした。
 その方が、木乃香を核とする状況になった場合、千草と余計な揉め事を起さずに済み。面倒が無く。
 また本山の魔力溜まりを利用する場合でも、呪術師である彼女の協力が在った方が楽であるとフェイト達が考えたからです。
 尤も千草(と小太郎も)はキャスターの不気味さのお蔭で、仲間意識を殆ど持てなかったので余り意味がありませんでした。
 恐らく木乃香を核とする事となった場合、仲間割れを起こしていたと思います。


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第7話―――影差せど、平穏なる日々

 

 京都より帰った翌日。

 イリヤは、近右衛門に記憶を取り戻した事と今後の事を相談する為、早朝から学園長室へ赴いていた。

 本当ならば昨日の内に済ませる積もりだったのだが、

 

「うむ…。取り敢えず記憶が戻ったことに関しては何よりじゃ。本国を初めとした関係各所への報告は、此方(わしら)で何とかしておくから安心して欲しい」

 「ええ……迷惑をかけるわ。―――というか大丈夫なの?」

 

 彼女は情報工作を掛ける手間に謝意を示しつつも、近右衛門の体調を心配する。

 というのも、この学園長室に布団一式が敷かれており、イリヤの目の前で彼が寝込んでいるからだ。

 その理由は言うまでもないが、24日の晩から26日の昼近くまで…凡そ三十数時間に亘ってエヴァの呪いを誤魔化す為に、“エヴァンジェリンの京都行きは学業の一環である”という書類に判子を押し続けていたからだ。

 そしてエヴァが学園に戻るなり近右衛門は帰宅する事も無く、そのままこの部屋で寝込んでしまい。イリヤの話は元より、ネギの報告を受ける事も、部下たちへの事件に関わる説明を果たすことも出来なかった。

 その間の―――判子を押し続けた時間も含め―――関東の関係者及び各方面には明石教授が対処・指揮を執っており、事後処理もある程度一任していた。

 

「木乃香が無事だったんじゃ…これぐらいは―――ぐうっ、アタタ!」

「大丈夫じゃないみたいね」

 

 強がって起き上がろうとする近右衛門に吐息するイリヤ。

 

「まあ…強がれるだけの元気があるなら、余り心配は必要ないわね」

 

 イリヤはそう苦笑するが見ても居られなくなったのか、治癒の魔術を近右衛門に掛ける。

 途端―――

 

「―――ぬ?」

 

 彼は痛みの酷い右腕と腰に柔らかい暖かさを覚え、同時に引いて行く痛みに驚きを見せた。

 ホムンクルスの鋳造や調整など、万物の流転をテーマ・研究する錬金術としては金属の扱い以外にも、生物の治癒―――細胞や体組織の代謝制御も比較的得意分野に入り、多少の怪我なら簡単に修復できる。

 

「…助かるイリヤ君」

「いいわよ。色々と世話になっている上に今後も迷惑をかけるだろうから…」

「ふむ」

 

 今度こそ寝床から起き上がり、近右衛門は腕を組んで考え込む。

 並行世界に、魔術と魔法、聖杯と聖杯戦争……等々、信じ難くとも本国に聞かせられない話の中。特に確実に証左が在るのが、イリヤの有する魔力量と過去に存在した英雄の力が行使可能なクラスカード。

 今、目の前で知覚したイリヤの魔術―――秘めた魔力に近右衛門は、長年魔法に関わり培った経験と直感から底が見えない程の奔流を感じた。それはナギやネギは愚か、極東最大の魔力を持つとされる孫の木乃香をも優に凌駕していた。

 

(…この感覚を信ずるならば、彼女の魔力はヒトが保有できる容量(キャパ)を超えておる事になる。おそらくは古今東西…世界中を探してもイリヤ君を上回る魔力を持つ人間は見つからんじゃろう。……いや、或いは神代の頃まで遡れば居るかも知れんが…まあ、考えるだけ無駄じゃな)

 

 下手をすれば、これだけでも本国側から召喚を受ける理由に為りかねない。オマケに彼女の話では、イリヤの母の姿をした呪詛とやらが狙って来るともある。

 

(確かに厄介ごとじゃ)

 

 麻帆良にしてみれば、災いを招く存在でしかないように思える。あくまでも事象を表層的に捉えれば…であるが。

 そう、近右衛門には彼女を放逐する積もりは微塵も無い。

 孫の木乃香を始め、ネギと明日菜など生徒らの危機を救ってくれた恩もあり、自身の信条に反するのは勿論、迂闊に放逐する方が却って危険が大きいからだ。

 もし何もかもを無かった事、見なかった事にして放り出した結果。MM元老院…もしくは協会規模の組織にイリヤの存在と秘密が知られれば、何らかの争いが発生する可能性は高く。下手をすれば、本当にこの世界で聖杯戦争か、それに近い出来事が引き起こされかねない。

 また、木乃香の例を出すまでもなく。イリヤの有する魔力だけでも十分な利用価値があるだろう。ならばこのまま麻帆良で彼女を匿う方が理にかなう。

 それに―――

 

(婿殿の話―――いや、報告によれば、石化の魔法を使った白髪の少年は“アーウェルンクス”と名乗っていた。それが事実であり、“彼奴ら”にイリヤ君の言う“呪詛”が協力しているのであれば……)

 

 近右衛門はイリヤがこの麻帆良に出現した事象に偶然ではない。運命(Fete)めいたものを感じていた。

 

(だとすれば、ナギの子であるネギ君に。アスナ君……いや、“アスナ姫”を守るには―――それに“アレ”に彼奴らを近付かせぬ為にもイリヤ君の力はどうしても必要になる)

 

 黒化した英霊を使役する存在。イリヤの推測では最悪あと6騎…少なくとも4騎の英霊がいるらしいとの事。

 それらが“あの組織”に手を貸しているとするなら、タカミチと自分、それに封印されたエヴァンジェリンに地下に居る“彼”だけでは心許無い。

 黒き英霊らが、イリヤが西の本山で示した力と同等―――世界最強クラスの戦闘力を有しているとなれば、他の人員では麻帆良に屍の山を築く事に成りかねない。本国などは兎も角……関東魔法協会の戦力が、決して他の協会や組織に劣る訳ではないのだが……。

 

(分が悪いのう……できれば、婿殿とワシの勘が外れておれば良いのだが)

 

 脳裏の浮かんだ暗雲を杞憂である事を彼は願った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「エヴァさんに弟子入り…ねぇ」

「はい」

「…まだ弟子にするとは決まってないがな。私の強さに感動したんだそうだ。全盛期の私を見れば、当然の反応だが…まあ、ぼーやのその素直さに免じてテストをしてやる事にした」

 

 近右衛門との話を終えてエヴァ邸に帰宅し、ちょっとしたティータイムを取ると。自然とイリヤが留守にしていた時分、ネギと明日菜がこの家を訪問した時のことが話題となった。

 

「入門テストってことね。どうするの?」

 

 原作のこの時点ではまだ決まっていない筈だが、イリヤは一応訊ねてみる。もし考えてあるなら、どのような物なのかという興味もあった。

 しかしエヴァは首を横に振り、

 

「まだ決めていない…土曜まで間があるからな。それまでにじっくりと考える積りだ。何しろぼーやは基本がまるでなってないからな」

「基本? 戦い方の?」

 

 確かに魔法学校を出たばかりの見習い魔法使いに、本格的な戦闘技能を求めるのは無理があるだろう。

 ネギ自身は、『雷の暴風』や『白い雷』などの攻撃魔法を始め、戦闘を視野に入れて魔法学校では本来教えられない。中位・上位魔法を独学で幾つか身に付けているようではあるが……それだけでは素人の域を出ないだろう。

 しかし天才と呼ばれ、優秀な成績を修めて首席で卒業しており、その分、魔法運用その物に関しての基礎・基本は確りしている筈である…と。イリヤはそう思っていたのだが、またもやエヴァは首を横に振った。

 

「いや、魔法と魔力の使い方もだ。ぼーやの戦いを見る限り、なまじ才能に恵まれたが故の弊害とも言えるのかも知れんが、持ち前の強大な魔力に頼り過ぎている。私と()り合った時もそうだが、先の一件でもな。……あれでは効率もへったくれもない。ただのゴリ押しだ」

「厳しいわね。…にしても魔法学校を首席で出たって聞いてたのに意外な話ね」

 

 そう答えながらもイリヤも思う所が無い訳ではない。直接見た訳ではないので確実とは言えないが。原作を思い返す限り、あの晩の戦いでは明日菜への魔力供給を継続し、足止めの小太郎に対して自身へも供給を行い消費したとはいえ、ネギの行使した魔法は両手で数える程度だ。

 それでも『雷の暴風』の二発と『風花旋風・風障壁』の一回とBランク(上位)相当の魔法を使用しており、まだ見習いの身である事を考慮すれば、十分に大した者なのだがエヴァは不満らしい。

 

「並行世界の人間であるお前に判らんのも無理はないが、幼年期に通う魔法学校など所詮万人向けの参考書程度のものだ。あのぼーやが教師をやっているごく普通の学校が、ガキ共に一般社会の常識を叩き込むのと同様にな。魔法社会で生きる上で必要な最低限の事しか教えん」

 

 エヴァはイリヤに説明くさく話をする。

 

「それに一流アスリートに専任のコーチが必要なように、個人の資質に左右されがちな魔法にも同じような事が言える。だからある意味、魔法学校の成績よりも、ぼーやが今経験している修行期間の方が余程重要なのさ。此処で良い師に付くか、もしくは自身の才覚のみで如何に効率的・効果的に自己を鍛えられるか……が“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”を目指す、見習い魔法使いどもの将来を決めるといって良い」

 

 ぼーやの父親が良い例だな。アイツは中退の馬鹿だったが…とも続ける。

 そう、何処と無く真面目に、そして饒舌に話すエヴァであったが、

 

「と…まあ、色々と弟子入りに乗り気で無いと仰っているマスターですが、ネギ先生の事をこのように心配し、懸命に考えてくれているのです」

「ケケケ、要スルニ照レ隠シッテコトダナ」

「違うわ!! このボケ従者ども!!」

 

 何時ものように茶々丸が本気か、からかっているのか判断の付かない言い様をし、チャチャゼロがそれに悪乗りする。エヴァは直ぐに突っ込みを入れるが、イリヤは茶々丸の言う事がそう的が外れていないので、そのやり取りに笑みが零す。

 しかし、それをエヴァは目敏く見止める。

 

「あ、イリヤ。お前まで何を笑っている!」

「え、あ! いえ…そうだ! 茶々丸、そろそろ店が開く頃だし、買い物に出ない?」

 

 矛先を向けられた事に若干焦るもイリヤは、誤魔化すように茶々丸に視線を転じ話を振る。

 

「…そうですね。まだお昼前ですが、今日はお休みな訳ですし、偶にはそれも良いかも知れません」

「コラッ! 待て! まだ…」

「じゃあ、決まりね。エヴァさんは花粉症だし、ネギの事で考えなくてはいけない事あるようだし、2人で行きましょ」

「なっ! く…イリヤ、お前もか…!?」

 

 普段のイリヤらしからぬ言い様に一瞬驚愕するエヴァであるが、直ぐに不遜な居候へ掴み掛からんとテーブルの向かいへ身を乗り出す。

 しかしイリヤはサッとその場から離れ、エヴァの手は宙を空振り、イリヤはリビングからそのまま外に出る。

 茶々丸もさり気無くも素早くそれに続く。

 

「それでは、行って参ります。マスター」

「ちょっ!? お前らぁ、逃げるなーー!!」

 

 花粉症の為、追おうにも家から出られず、ガーと吼えるエヴァの声を外で聞いてイリヤはクスリと笑う。

 実はちょっとワザとだったりする。何時も横暴な家主に対する軽い反撃と、場に乗じての悪乗りだった。

 

「まあ、後が少し恐いけど、たまには…ね」

 

 そうして、イリヤはほぼ日課となっている茶々丸との買い物に出掛け。途中で苦手だった筈の猫の世話をし。エヴァを宥めつつ昼食に掛かり、その後はまったりとした午後をこの世界で出来た家族と過ごして、夕食の仕度と風呂の準備をして、それを頂き、就寝に入った。

 

 この日はそんな有り触れた一日であった。

 

 イリヤは願う。

 運命に挑む覚悟を抱き、歯車が廻り始めたとはいえ、もうしばらくはこんな優しい平和な日常が続くことを―――さらに願うならば、全てが終えた時、無事に平穏が訪れる事を……ただ祈った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 翌日、イリヤはいつものようにエヴァと茶々丸と一緒に女子中等部を訪れ、近右衛門の指導の下で日課となっている魔法学に励み(尤もこの日は、先の事件の事後処理や情報工作の為に、近右衛門は時間を取られ、またいつもの如くイリヤは自習・独学となったが)。

 放課後、朝の通学と同様にエヴァらと帰宅しようと彼女達を校門で待っていた所、明日菜と木乃香の親友コンビと、その中に加わったばかりの刹那と出くわした。

 

「あら、こんにちは。3人とも今帰り?」

 

 挨拶し問い掛けるイリヤに、明日菜が挨拶に頷く他の2人を代表して答える。

 

「帰るって言うか、これから皆で何処か遊びに行こうかと思ってるんだけど…と。そうだ! 良かったらイリヤちゃんも来ない?」

「え…?」

 

 明日菜の唐突な誘いに思わず惚けた顔を返しそうになるイリヤ。そこに木乃香が明日菜の言葉を引き継ぐ。

 

「せっちゃん、カラオケやボーリングに行ったことないんやって。だからこれから皆で行こ…って話になったんよ。うん、もしカラオケに行くならイリヤちゃんが来てくれるとウチも嬉しいわ。イリヤちゃん、歌とても上手で、また聴きたかったし、せっちゃんにも聴かせて欲しいし……どやろ?」

 

 木乃香の説明とも言える言葉を聞いてイリヤは、そんな話も在ったわね、と原作を思い。普通の友達付き合いに慣れてなさそうな刹那の「お嬢様、私の事はべ、別に…あ、イリヤさんの歌を聞きたくないという訳ではないのですが」と若干頬を染めて照れた表情で言う、そんな言葉を聞き流してイリヤは誘いを受けるかどうか少し考え…。

 

「…そうね。いいわよ」

 

 誘いに応じる事にした。

 そう、今更彼女やネギ達と関わりを避ける理由は無い。イリヤが居り、アイリの姿をした脅威が存在するイレギュラー…この世界は原作(えそらごと)とは異なるソレに近しいだけの現実の世界なのだ。

 さらに言えば今のイリヤが知らないだけで様々な“違い”が存在する筈である。

 この先、アイリと対峙し、彼女がフェイト一味に関わっている以上、こうしてネギ達と信頼関係を築いた方が良いだろう。勿論、そんな打算めいた考えを抜きにしてもイリヤはネギ達と友誼を育みたいと思っている。

 

 明日菜達の誘いに返事をしたイリヤは、まだ校内にいると思われる茶々丸へ携帯に連絡を入れて用件を告げると、エヴァも了承したらしく『楽しんできて下さい』と電話口から茶々丸の声が聞こえてきた。

 

「悪いわね。夕食の仕度も一人で任せる事になるかも知れないけど」

『いえ、お気に為さらずに。それより夕食までには戻られるのですか?』

「ええ、一応そのつもりだけど…もし遅くなるようだったら、先に食べていて、とエヴァさんに伝えておいて」

『ハイ』

「じゃあ、切るわね」

 

 そうしてイリヤは電話を切る。

 そんなイリヤを明日菜は少し驚いた風に見ていた。

 

「イリヤちゃん…エヴァちゃん達と暮らしてたんだ」

「あれ? 言ってなかったっけ?」

 

 それに首を傾げるイリヤ。

 

「ネギとコノカには……教えていたわよね。 聞いてないの?」

「…聞いていないわよ。昨日エヴァちゃんちを訪ねたけど、居なかったし……」

 

 若干不機嫌そうにしてそう答える明日菜。昨日エヴァ邸を尋ねた時の事―――エヴァからネギに惚れたなどと、からかわれた事を思い出して眉を顰めたのだ。

 ちなみにその日は、原作にあった“惚れ薬入りのチョコ”を口にしてもいたのだが、イリヤから贈られたアミュレットのお陰でその影響を逃れていた。

 尤も木乃香が口にした事も変わらず、刹那に激しい求愛とも言うべき行動を取り、それを目撃した明日菜は危うく自分もそうなりかけた事実を知って、ゾッと背筋を冷たくすると共にネギとカモへ厳重な注意をした上で、件のチョコを廃棄していた。

 

「そういえば、ウチも言うの忘れとったな。てっきり明日菜はもう知っとると思いこんどった」

 

 アスナの不機嫌そうな態度をそれほど気にせず、木乃香は朗らか笑いながら言う。

 その後、道ながらに刹那もイリヤがエヴァと共に暮らしている事を知っていたと口にし、「それじゃあ、知らなかったのは自分だけなんだ」とワザとらしく少し拗ねた様子で明日菜は頬を膨らませ。言い忘れた木乃香を睨んだり、それを冗談と判りつつも窘める刹那とイリヤと、軽く「ゴメンなぁ」と謝る木乃香といった他愛も無いやり取りをしながら、ネギも誘う為に彼女達は世界樹広場へと向かった。

 彼が受け持つ授業の終了間際に、何やらその場所で話があると古 菲に言っており、彼女と待ち合わせている筈だからだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 明日菜と木乃香は、イリヤの歌を聞く事を楽しみにしていたようだが、結局はカラオケではなく。イリヤの識る通りに彼女達はボーリング場へ訪れる事となった。

 ネギと一緒にいた古 菲も誘ったところ、彼女が歌う事よりも身体を動かすボーリングを好み。そして―――

 

「ゴメンね。何故か、クラスの半分以上が付いて来てるし…」

 

 ―――と、気付けば明日菜の言うとおり大人数になってしまったからだ。二十数名もの団体を一室に収められるカラオケ店は流石にこの麻帆良にも中々無い。

 人付き合いに不慣れな所があり、騒がしいのも苦手とするらしい刹那を気遣って、幼馴染の木乃香は元より、あの事件で親しくなったネギや自分達だけで楽しもうと明日菜は考えていたのだが―――だから明日菜は刹那に謝っていた。ただ当の本人は気にしておらず「いえ…」と首を横に振っている。

 刹那としては、こうして木乃香の傍に居られる事。そして修学旅行を経て友人となった明日菜と一緒に、こうして遊びに来られた事に変わらないので不満と言えるものは無かった。

 また戸惑いはあるものの、他のクラスメイト達とも……そう、まるでごく普通の女子中学生のように過ごせているという事実に嬉しさを感じていた。

 以前の―――いや、つい最近……修学旅行前までは、そんな級友達を一歩も二歩も引いた位置から見ていただけであったとは思えない状況だ。

 

 云わば、“過ぎたる望外の幸せ”とも言えるものに刹那の心は包まれていた。

 

 尤も木乃香との和解を初め、周囲との関係の変化が急激的で在る為に、それを自覚しているかはまた別であるが…。

 

「うおっ!? くーふぇに続いて七連続ストライク!!」

「わ! スゴイなイリヤちゃん!」

「私とお嬢様は全く駄目でしたのに」

 

 ガコーンと特有の音が鳴り響くと共に全てのピンが倒れるのを見、今投じたイリヤへ歓声と称賛を向ける明石 祐奈と木乃香と刹那。

 

「ホント、スゴイわね。刹那さんと同じで初めてだって言ってたのに」

「…何かコツでもあるのですか?」

 

 レーンから戻ってきたイリヤに感心する明日菜。刹那も少し気にしていたのかイリヤに尋ねる。

 

「別にそう大した事はしてないわよ。フォームと投入時の角度さえ確りとしていれば、ストライクを狙うのはそう難しくは無いわ。ボーリングに力はそれほど重要じゃないのよ」

「むう…なるほど」

 

 イリヤは事も無げに本当に大した事なさそうに言い。先ほど刹那が「力加減が難しい」と漏らしていた事も聞いていたらしく、そのことも正した。

 刹那は頷き、そのまま続けられるイリヤの説明を聞いてフォームの手解きを受ける。その傍では同じく初めてであるらしいネギも熱心に聞いている。

 

「…というか本当に初めてなの?」

「やけに的確な指導よねぇ」

 

 イリヤの説明を聞いて、疑問というか疑惑を抱く円と美砂であるが、実際“イリヤ”は初めてである。

 ただ―――

 

「以前にテレビだか、何かで見た事を実践しているだけよ」

 

 その自分の(なか)に在る“知識”をそう言葉にして2人の疑いを否定した。

 そして視線を転じて、イリヤは古 菲に“勝負を挑んだ彼女達”を見る。そこには挑まれた古 菲と並んであやか、まき絵、のどか…の四人の姿が在った。

 

「アヤカのフォームなんかは中々理想的だと思うわ。真似をするなら彼女のものを参考にした方が良いわね」

 

 イリヤは、体格的に背の低い自分よりも刹那達と同じ年齢のあやかを引き合いに出してアドバイスを続ける。

 するとあやか達の出すスコアから疑問を感じたのだろう。桜子がそんなイリヤに尋ねる。

 

「くーふぇのは? 今のところ一度も外して無いんだけど」

 

 その言葉にイリヤは半ば呆れたように答える。

 

「…アレを真似できると思う?」

「いや、無理やって! あんなデタラメなん!」

 

 関西人の性っぽく、すぐさまにツッコミを入れるかのように亜子がイリヤの言葉に答えた。イリヤも直ぐに「でしょうね。それが正しい認識よね」と頷きながら、拳法一筋チャイナっ娘に何とも言えない視線を向けた。

 

「まあ、古 菲さんですしね」

「…って、理由になってないし、ちづ姉…いや、なんか判るけど」

 

 頷くイリヤに追従するような事を言う千鶴と。それに突っ込んだものの、3-Aの異様さが判る所為か、やはり納得出来てしまい、またその異様なクラスの中で平凡な自分を自覚できている為か、何となく肩を落としてしまう夏美。

 その場にいる面々の視線の先には、

 

 ―――すげぇぇっ! 八連続ストライク!!

 ―――何あの娘ーー!?

 

 周囲からそんな驚愕と歓声を上げるギャラリー達を背景に、出鱈目なフォームでストライクを決める古 菲の姿が在った。

 

 

 

 勘違いから始まった古 菲たちのボーリング勝負は、やはり彼女のパーフェクトゲームで勝利に終わり、勘違いな告白疑惑も誤解だと判明して終わった。

 

「―――こんな事だと思ったわよ」

 

 ネギが古 菲を呼び出した真相―――古 菲への拳法の師事の申し出だと知って、溜息を吐いて苦笑する明日菜。

 その視線の向こうでは人騒がせだと、勝手に勘違いしたにも拘らず、怒りを顕にして古 菲を追い回すあやかを筆頭としたクラスメイト達がいた。

 

「…にしても、くーふぇに拳法かぁ。アイツ、エヴァちゃんにも魔法を習おうとしているし―――」

 

 そう呟くと、明日菜は思うところがあるのか少し考え込む。

 彼女の脳裏に浮かんだのは修学旅行の事件と、その時に刹那に半ば勢い任せで言ったある言葉だった。

 

「うん…そうね!」

 

 そう意を決したかのように言うと明日菜は、視線を周囲に彷徨わせて目的の人物を探す。

 程無くしてその人物は見つかり、此方から背に向けている彼女に明日菜は声を上げて呼び掛ける。

 

「居た…刹那さん!」

 

 その声を聞き止めた刹那は、向かいの木乃香とイリヤから視線を逸らして明日菜の方へ振り返る。

 明日菜は自分の方から彼女達に駆け寄ると、怪訝な表情を浮かべる刹那に声を掛けられた。

 

「どうしました明日菜さん?」

「刹那さん。あの時…修学旅行で言った事を改めてお願いしたいんだけど…」

「え、何でしたか?」

 

 思い当たる事が無い為か、不思議そうに明日菜に再び尋ねてしまう刹那。

 明日菜はそんな忘れている様子の刹那に怒る事も、不愉快に思う事も無く。まあ、ノリで言った事だし、仕方ないかな、と内心で苦笑しつつあの時の言った事を再び口にした。

 

「刹那さん。私に剣道を教えて」

「あ…」

 

 その言葉に刹那は思い出す。

 あの晩―――木乃香が敵の手に落ちた夜を。鬼達を相手に2人で奮戦した最中に明日菜が冗談めかして同じ言葉を口にした事を。

 

「…そうでしたね」

「うん。またあんな事があるのも困るけど、無いとは言えないし―――」

 

 明日菜は一瞬言葉を切り、

 

(別にアイツの為だけって訳じゃない…けど―――多分)

 

 自分でも判らない感情から内心で言い訳をして、少し躊躇いつつも言葉を続ける。

 

「……それにネギもくーふぇに拳法を習うみたいだし、私も真剣に頑張ってみようかなって思ったんだけど…駄目かな?」

「なるほど…そういうことでしたら、私で良ければ喜んで」

 

 あの時とは違い。先の事件とネギの事を引き合いに出し、真面目に言う明日菜に得心して刹那は申し出に頷く。その返事を聞いて明日菜は表情を綻ばせる。

 

「ありがと、刹那さん」

「あ、い…いえ」

 

 明日菜の綻んだ表情と感謝の言葉に、若干頬と赤く染めて照れる刹那。

 

(原作でもそんな感じだったけど…やっぱり“ソッチ”の趣味なのかしら?)

 

 顔を赤くする刹那の…その交友関係の疎さを表す姿を見て、イリヤはそんな邪推をしてしまう。

 そうして微かに赤くなった刹那の顔を思わずジッと見詰めていると照れからか、チラッと明日菜から視線を逸らした彼女とイリヤは眼が合う。

 

 イリヤの何処か訝しむような表情を見た刹那は、イリヤの抱く心情(ぎわく)を察したらしく。誤魔化すようしてやや焦った口調で彼女に言う。

 

「いや! あの…別にこれは、そんなのではなくっ!」

「え? な、なに?」

 

 更に顔を赤く染めて突然、意味不明な事を口走る刹那に明日菜は訳が分からず疑問気に尋ねる。

 

「い、いいえ。何でもありません」

「そ、そう?」

 

 慌てた様子でブンブンと首を振る刹那に、明日菜は幾分か首を傾げて相槌を打つも、内心で「変な刹那さん」と呟いていた。

 

 木乃香は、そんなやり取りを何時もの朗らかな笑顔を浮かべて見詰め。こうして刹那という幼馴染と明日菜という親友の2人が、自分の傍で仲良く笑って一緒に居られる事実にとても大きな幸せを感じていた。

 そう、刹那が麻帆良に来てからずっと思い描き、願っていた事が叶い。まるで奇跡にでも遭遇したような幸福感が彼女の心を満たしていた。

 だからだろう。こんなにも当たり前で、平凡で幸福な日々がこれからも続いて行く事に彼女は疑いを懐かない。

 

 ―――うん、これからは、ずっと一緒や。

 

 木乃香は今在る幸せを噛み締めて心の中でそう呟いた。

 何も知らない、いや…知らされなかったからこそ、自分を取り巻く様々な事情を理解し得ぬまま、無邪気に笑顔を浮かべて……。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 4月のカレンダーが捲られて5月と成り、イリヤが麻帆良へ現われてから凡そ半月が経った。

 

 早朝、まだ日が出たばかりで街の人気(ひとけ)が薄い時間帯。

 イリヤはここ2日連続で通い。これからも日課的に通うであろう世界樹広場までの道程を1人歩いていると、後ろから覚えのある3人分の声が掛けられた。

 

「おはよ! イリヤちゃん」

「おはようございます」

「おはようアル!」

 

 イリヤもその声に振りかえって挨拶を返す。

 

「おはよう、みんな今日も朝から元気ね」

「はは、元気だけが取り得のような物だしね。私とくーふぇは…」

「ま、そうアルね」

「ふふ」

 

 イリヤの挨拶に、冗談めかして苦笑する明日菜に古 菲。刹那も釣られたのか少し可笑しそうに笑う。

 

 3-Aの皆とボーリングで遊んだ翌日からイリヤは、このように目の前にいる3人―――刹那、明日菜、古 菲と先に広場に居るであろう、もう1人と朝の一時を付き合っていた。

 それは先日のボーリング場で明日菜に剣道を教える事になった刹那が、その際にイリヤにも如何かと挑むような視線で誘ったのが始まりだった。

 

 ―――良かったら、イリヤさんもご一緒にどうですか? と。

 

 そう、白い少女に告げた刹那は確かめたかった。

 京都では、あの怪異を圧倒的な蹂躙で殲滅した“力”しか見ておらず、あの白髪少年との戦いも石化の危機に瀕したネギを気遣う余りに直接見る事は出来ず。

 更に言えば、その後に同居人である真名から自身が剣を交えて苦戦した敵―――月詠を全く歯牙に掛けなかった事も耳にしており、イリヤの持つ実力を知りたくなったのである。

 そこには、木乃香の護衛としての立場や、自身もまた常人とは違う強者としての矜持から刺激されるもの……例えば、先の戦いで月詠の前に膝を屈しかけた自分が、それを圧倒した相手に何処まで通じるのか試したいという思いがあった。

 いうなれば、刹那がイリヤを誘った大きな動機は戦いに身を置く者としての、もしくは剣士としての本能や闘争心である。

 

 一方、イリヤとしても刹那の誘いを受けるのは吝かではなかった。

 自分が刹那を始めとした剣士や戦士などと違って、直接戦う役目を持つ…謂わば戦闘員や兵士に向かない。あるいは向いていない人間だという事をイリヤは十分に承知していた。

 先の一件で月詠を取り逃がし、突如現れた母親(アイリ)の姿に動揺してフェイトも仕留めそこなった事実を鑑みれば尚更だ。

 少なくともイリヤは自分の事をそう評していた。

 しかし、今後の事を思うとどうしても自分の向き不向きに関係無く。そういった斬った張ったという事態に自ら飛び込まざるを得ないのは確実であり、刹那の挑むような顔からその意図も了解できた為、これ幸いとばかりに彼女のように若くも経験豊富な剣士と試合え、そして鍛錬と経験を積める機会に乗ったのである。

 なお、この刹那の誘いを受けて鍛錬に付き合うに到って、また不測の事態に備えてイリヤはクラスカードを常時夢幻召喚(インストール)する事にしていた。

 選んだのは魔力消費の観点や遠近双方での高い対応力を鑑みて、先の事件同様に『アーチャー』のカードである。

 

 そういった理由もあって、両者は明日菜が剣道を学ぶ傍らで互いに剣を交えていた。無論、大半は竹刀ではあったが。

 

「今日もよろしくお願いします。イリヤさん」

 

 刹那は歩きながらの談笑の中でイリヤに声を掛けた。その声色と口調とても丁寧で明らかな敬意が籠っていた。

 イリヤはそれに「此方こそ」と気軽に応じてこそいるが、その内心では困惑していた。

 しかし刹那はそれに気付かず、声と同じく敬意を篭もった瞳をイリヤに向け続ける。

 

 刹那は、この数日でこの白い少女と剣を交えた結果に…ただ一太刀も浴びせられない事実に悔しさを覚えつつも、清々しさも感じていた。

 彼女は、自分達と並んで歩くイリヤの姿を見つつ、ただ一度、実戦形式で交えた試合を思い返す。

 

 

 それは才気を全く感じさせない凡庸でありながらも、挫けず高みを目指して極められた太刀筋だった。

 二本の鋭い銀の筋が自身の振るう剣撃を巧みに捌き。そして剣撃を僅かにでも絶やし、或いは隙を見せれば容赦無く。その鋭い二本の刃が此方の剣撃に対して返すように振るわれ、的確に急所に一撃を入れて来る。

 

 それは膨大な経験に裏打ちされた状況把握と対応力だった。

 真っ向から打ち込んだ太刀も、奇を衒った変則的な技も、有無言わせぬ力と速さを持った一撃と奥義も。驚きを示す事はあれど、全て冷静に当然の如く尽く対処され、一太刀も届くことは無かった。

 

 それらは華やかさが欠けた武骨な剣技であり、実戦を重ねに重ねて得られた洞察力で成される技術の極みと言えた。

 一体どれ程の鍛錬を経て、如何なる数の戦場と修羅場を潜り抜けてそれらを会得したのだろうか? 

 刹那はイリヤが剣を取るその佇まいを見る度にそう思い抱いた。

 

 そう、彼女との試合は月詠のような明確な敵対者であり、力量が拮抗する相手と剣を交えるのとは違う。まるで尊敬する長や神鳴流師範代を相手にしたかのような……高く険しくも雄大な山への登頂を挑むような感覚だった。

 故に清々しい清涼とした思いと共に、それ程の実力者の胸を借りられること……云わば幸運に、武を嗜む一人として刹那は喜びを覚えていた。

 

 ―――そうだ。

 

 それはとても幸運で光栄な事だと刹那は思う。

 この見た目幼い少女と剣を交えて、その一挙一動を見、その振るわれる剣と自身の振るう剣が(ごう)を打つ度に、まるで鍛冶場で形に成っていない刀身のように焼き入れされ、玄翁で打たれ、鍛えられるかのような―――自分の技量が高められる感覚を得られるのだから。

 長や師範代に匹敵し、また異なる強さを持つこのような実力者と鍛錬できる機会にそのような感情を持てない訳が無い。

 勿論、だからといって明日菜が剣道を教えるという本分を忘れた訳でも、疎かにする訳でもないが、刹那はこの朝と夕の鍛錬時間に娯楽めいた楽しみを見出していた。

 それは、明日菜とイリヤという新しい友人…いや、“友達”と過ごせるという事実も含まれているのだろうが。

 

 しかしこの日は、何時もと違った光景を見た事から刹那にとって楽しみなその時間が流れる事となる。

 

 

 

 イリヤ達が世界樹広場の入り口に差し掛かると、何かを打ち付けるような音と悲鳴が耳に入り、微かに誰かが話す声が聞こえた。

 此処には、自分達よりも先に古 菲に拳法を師事するネギが来ている筈であり、心配した彼女達はやや早足で―――イリヤは思い当たる事があって―――階段を上ると、気を失って倒れるネギと顔を青くする佐々木 まき絵の姿があった。

 

「ネギ!?」

「ネギ坊主!?」

「ネギ先生!?」

 

 慌てて駆け寄る明日菜、刹那、古 菲。イリヤもそれに続き、動揺する明日菜達を諌めて簡単な診断と治癒魔術を―――当然、まき絵に気付かれない様にネギに掛ける。

 明日菜がそんなイリヤに心配そうに窺う。

 

「大丈夫なの?」

「ええ、大丈夫よ、軽い脳震盪で気を失っているだけだから。とりあえず余り身体を揺らさないようにして貴女達の寮へ運びましょう。これじゃあ、今日の鍛錬は無理だろうし…」 

 

 イリヤは朝の稽古を取り止めて、気絶したネギをこのまま女子寮へ運ぶ事を提案する。

 

「うん、そうね。いつ目を覚ますか判らないし…学校もあるしね」

「そうですね。無理に起こすのも負担になりますし、…仕方がありません」

 

 提案に明日菜は直ぐ頷いて賛同し、刹那もやや残念そうにするも同意する。

 古 菲もネギを心配そうに見ているが……首を傾げて、

 

「しかし、何があったアルか?」

 

 当然の疑問を呟くと、まき絵の方へ視線を向けた。

 自然、残りの面々もまき絵を見詰め。まき絵は「えっと…私?」と思わず自分を指差す。

 まき絵は困惑しつつも、私がやったんじゃないから、と一応弁明しつつ事の経緯を説明して皆を驚かせ―――イリヤはやっぱり、と内心で呟いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 朝の稽古を中止して帰宅したイリヤは家主の姿を見るなり、第一声で唐突に尋ねた。

 

「いいの?」

 

 と。

 イリヤが明日菜達の稽古に付き合っている事を了解しているエヴァは、先程の事情を耳に入れたと察し、その言葉の意味も正確に理解してリビングのソファーに寝転んだまま面倒くさげに返答する。

 直に登校しなければならないというのに、実にのんびりとした物である。

 

「構わんさ、元々弟子なんぞ取る気は無かったのだからな。これぐらいでへこたれる様ならそれまでという事だろう」

 

 その素っ気ない返事は原作の知識にもあるが、何よりもこの2日間、エヴァが何処となく不機嫌そうに過ごしていたので判り切った事だった。

 イリヤから朝と放課後の鍛錬の事を聞いており、またクラスでも例の拳法師事の件が話題に広がっているのだ。

 

「そう…」

 

 だからイリヤも素っ気無く頷いた。とっくに分かっていた事なのだから。それでも聞いたのは一応確認しておきたかったからだ。

 ただ、学園内―――協会でのエヴァの立場を思うと、“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”として将来を大きく嘱望されるネギを弟子に取る事はそう悪い事では無い筈なのだが、今更麻帆良の立ち位置ぐらいで一喜一憂する彼女では無いのだろう。

 むしろ思慮の対象ですら無いのかも知れない……少なくとも近右衛門が関東魔法協会のトップで居る間は。

 それに先のスクナの件で関西を…いや、ひいては日本全体の危機を救っているのだから、既に十分な貸しを持っているとも言え。加えて彼女の有事に於ける有用性も示せている。畏怖も在るだろうがその立場は今までに比べて格段に強化されている筈だ。

 

 エヴァの事はそれで良いだろうが素っ気無く応じたものの。イリヤとしてはこのまま弟子入りの話が潰れてしまうのは正直、困るのだった。

 アイリと対峙し、おそらく原作のようにフェイト一味とも戦う事に成る以上、ネギが力を付けてくれなければ、今後の事態に大きく響くのだ。

 無論、それ以前に起きるであろう事件にも影響は出てくる。

 しかし、そんな心配を懐く一方で自分やアイリなどのイレギュラー以外は、凡そ原作通りに推移している事から多分大丈夫だろうとも思っていた。

 それにネギならきっと乗り越えられる、と。あの頑張り屋の幼い友人への信頼もある。

 イリヤが心中でそのようなことをやや悶々としながら考えていると、今度はエヴァが唐突に意外なこと尋ねてきた。

 

「そういうお前はどうなんだ? 刹那は随分とお前に心酔しているようだが」

 

 それは、此処たった二日程の間で起きた出来事を指していた。

 イリヤには、全く理解できない事に明日菜の剣道……というか、鍛錬に付き合い一度刹那と派手に仕合ってからというもの彼女の態度は急変し、まるで師を仰ぎ見るような視線を向けてくるように成ったのだ。

 頭痛を堪えるようにしてイリヤは口を開く。

 

「…私は別に弟子を取った訳でも、師事されている積もりも無いわよ。むしろ教わる側よ。そもそも借り物の力なんだから教えられる物じゃないんだし……まあ、流石にそれでセツナがあんな目で私を見る事になるとは思わなかったけど」

 

 刹那の敬意以上のものが篭もった眼差しを思い出してイリヤは、はぁと深く溜息を付く。それを見てエヴァは愉快そうにククッと笑う。

 

「それならいっそ話したらどうだ? 自分の持つ力の事を。刹那はベラベラと他人の事情を喋るような軽率なヤツじゃない。人格的にも信用できる人間だ」

「……」

 

 イリヤは顎に手を当てて僅かに考える素振りを見せる。一考の価値があると思ったというよりは、刹那が向けて来る視線をそれでどうにか出来るなら……と、つい本気で考慮してしまったのだ。

 しかし、直ぐにイリヤはハッと一瞬浮かんだ馬鹿げた考えを放棄しようとしたが、エヴァはそんな彼女に畳み込むかのように言葉を続ける。

 

「流石に英霊を降ろせる事までとは言わんさ。ただドーピング的な力を持つカードとだけ答えておけば良い。幸いにもアーティファクトカードという物がこの世界にはあるんだ。似たような物だと思わせる事は出来るだろう」

「……だとしても、やっぱり無理があり過ぎるし、危険だわ。特殊な魔法具なのだと話すにしても、道具の持つ機能だけで“最強クラス”の力を得られる代物なんて」

「まあ、実際その通りの魔法具なのだから改めて考えるとそら恐ろしいな。……だが、いずれにしてもカードに頼る以上は、何らかの形で誰かしらに気付かれる可能性はあるんだ。今のうちに上手い言い訳を考えておくなり、身近にフォローしてくれる人間やコミュニティなりを作っておくべきだろう?」

 

 エヴァは愉快そうな笑みを潜めて、そう真剣な表情をして言った。それは確かにその通りで正しい指摘である。

 一応秘匿も兼ねて今のように常時夢幻召喚(インストール)を行なってはいるが、状況によっては思わぬ解除が起きたり、使用するカードを変更する時も当然あるだろう。

 だがもしそんな時、周囲に事情の知らない人間が居たら? そして見られたら?……カードの機能を追及されるかも知れない。

 英霊の力をその身に降ろせる魔法具。高価で貴重な触媒も、高度で複雑な術式も何ら消費も必要とせずに、ただ相応の魔力を対価とするだけで世界最高位に達しえる力を容易に得られるのだ。

 知れば何をしてでも欲しがる者は掃いて捨てるほど居る筈だ。

 イリヤとしては、少なくとも見ず知らずの相手なら誰であろうと追求されても話す積もりは無いが、件の状況に遭遇すれば、その人物は自分の圧倒的な力がそのカードによって齎されている事に気付く可能性は高い。

 そうなると、相手次第であるがその人物から情報が漏れる可能性も出てくる。口止めを行なったとしても何処まで信用できるかも怪しい。暗示や記憶消去という方法もあるが、それも必ずしも出来る訳ではないし、最悪、自分の手で口封じしなければ成らなくなる。

 命を奪う事に今更躊躇する積もりなど無いが、それは出来る限り避けたい事だ。

 

「…そうね、エヴァさんの言うとおりだわ」

 

 微かに嘆息してイリヤはエヴァの指摘の正しさを認めた。

 対策としては大間かに、このまま上手く常時夢幻召喚(インストール)を維持し続けるか、他のカードをなるべく使用しないか、もしくはエヴァの言うように予め誤魔化せるだけの事情をでっち上げる事と。イリヤのみならず、知る側にもリスクを負わせるのだとしても、近右衛門とエヴァなど以外にも傍に信用できる者の協力を取り付けることだろう。

 それも可能な限り多くの……。

 

「ああ、そう思うのなら急いだ方が良いだろう。私のような吸血鬼でもないお前がそんな見た目(ナリ)で、先日の修学旅行であれだけの力を見せ付け、尚且つ昨日、一昨日だかに神鳴流剣士である刹那を圧倒したというのだからな」

 

 聞いた話だとそれなりに話題になっているそうだ、ともエヴァは付け加えるように言う。

 

「え、それは…?」

 

 どういうこと? と。学園長が情報工作を約束してくれた事からイリヤはエヴァの言葉に疑問を持つが、直ぐに彼女は説明してくれた。

 曰く、やはり先の一件に於けるイリヤに関する情報を完全に隠蔽するのは難しかったという事だ。

 勿論、並行世界や聖杯と言った尤も重要な事は、知る者が限られているので一切漏れてはないのだが、イリヤという不可解な少女が麻帆良に存在する事や、関西の騒ぎで何かしらの役割が担った事が“裏”で知られつつあるのだという。

 その原因としてはまず、サムライマスターこと詠春の居る西が陥落しかけた事と、同じくサウザンドマスターと呼ばれる英雄ナギの息子である、ネギ・スプリングフィールドが事件に巻き込まれた事での話題性があり。

 次に、闇の福音と呼ばれ、恐れられるエヴァが一時的ながらもその封印が解除され、最強たる彼女が西の本山へと乗り込んで、復活しかけたリョウメンスクナという破格の鬼神と対決したという注目度があった。

 この2つの要因が事件に多くの耳目を集めさせており、そんな中でエヴァに先駆けて救援としてイリヤが赴き。更にその際に緊急時とはいえ、本来部外者であるイリヤに学園の転移ポートを使用させた為、学園内……引いては関東魔法協会全体から注目を集め。それらの情報が外部に拡散し始めているのであった。

 

「とまあ、そういうことだ。それでも麻帆良の外はまだ何とかなるが、これでは事情の多くを知る内側では隠し切るのは限界だ。ジジイの言い付けで学園内の魔法使い連中を抑えるのもな。些細な噂話でもお前に関わる事なら耳聡く聞き付けているらしい。さっきも言った刹那を云々というのもそういう訳だ」

「むう」

 

 イリヤは思わず唸る。

 そしてどうにもまた自分の知らない所で色々と厄介な噂なり、事態が進行しているらしい事に内心で頭を抱えた。しかも以前のようなネギとの恋人疑惑などという深刻さとは無縁な事とは全く違う。

 まあ、とはいえ……一応、このような事態は覚悟していた事であるから、それはそれで許容できるのだけど、と。そこでイリヤは今更気が付いたかのように関西の方はどうなのか尋ねる。

 

「ん、そっちの方は然程問題無いらしい。というのもあそこの連中は、基本的に一部を除いて江戸時代の日本以上に閉鎖的だからな。ふう……詠春も苦労する。あの“大戦”が起こるまでは改善が進んでいたんだがなぁ…まったく」

 

 エヴァは何やら複雑な事情を後半ブツブツと言うが、西に関してはとりあえず心配要らないとの事だった。

 安堵の溜息を吐きつつ、学園内での言い訳を考えて眉を寄せるイリヤ―――しかしそれにしても不思議に思ったのは、どういう訳か、今のエヴァの言葉の中に西に関して同情めいた響きを感じさせた事だ。

 

(私の知る限り、原作では語られなかったけど……先日の京都での事や日本贔屓な事といい。やっぱり過去に何か日本に対して深く思い入れを持つ出来事があったのだろうか?)

 

 エヴァが京都で見せた思慮深げな遠い視線を脳裏に浮かべ、イリヤはそんな事を思う。

 気にはなるが、半月程度の付き合いの自分が尋ねるべき事でもないとも思い。口には出さなかった。

 と。そこでエヴァを見詰めて、またふと気付く。

 

「エヴァさん」

「ん…なんだ?」

「どうしてエヴァさんが今のような事情を?」

 

 基本的にエヴァの学園内のアンテナは高くない。それは無頓着というよりもやはり先述のように余り興味が無いからだ。

 それに近右衛門が聞かなくても勝手に愚痴のような形で色々と漏らしてくるからだ。エヴァにとっては面倒な事でも。

 そして、今回もそういうことだった。

 

「…さっき、見回りの最中にジジイと会ってな。……全く、人が仕事中だというのにグチグチと……」

 

 それを聞いてイリヤは何気無い話から始まった会話であったが、エヴァなりに気を回して自分に警告してくれた事を理解した。

 それも刹那という身近な付き合いと成った人間を出し、クッションとして柔軟に受け止められるように。

 もし、いきなり本題―――イリヤが注目され、学園内で不穏当な視線で見られつつある事から告げられていたら、戸惑いばかりで考え込み。より頑なな思考に陥っていたかも知れない。

 些か誘導された感はあるが、前向きな結論を出せた事を思うと。ぐうの音も出ない上に素直に感謝せざるを得ない。

 

(まあ、エヴァさんにとっても学園長の思惑どおりに演じている事で、不満はあるんだろうけど…)

 

 そんな事も思う。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「―――と言ってたから、エヴァさんは本気みたいよ」

 

 イリヤが登校して図書室に篭もっていると。昼休みにネギと明日菜、刹那、古 菲の朝の稽古仲間の中に木乃香が加わってイリヤを訪ねて来た。

 ネギにしろ、明日菜にしろ、イリヤがエヴァと同居している事は知っているので今朝の事情を確かめに来たのだ。

 一応、エヴァ本人にも尋ねようとしたのだが、登校している筈なのに見掛けられず、授業どころかHRにも現われずサボっているのだから尋ねようが無かったのだ。

 そしてイリヤは、そんな彼らに今朝聞いたエヴァの言葉を繰り返すようにキッパリと答えたのだった。

 

「やっぱり、そうですか…」

 

 その答えにネギはガックリと肩を落とし、古 菲は「困った事になったアルね」と唸る。

 

「ネギ坊主は恐ろしく飲み込みは早いし、才能はあると思うが…2日だけでは如何にもならんアルよ」

「じゃあ、エヴァちゃんとこの弟子入りは駄目ってこと?」

「ネギ先生は、格闘については素人ですから…」

 

 明日菜が疑問を呈すると刹那はうーんと考えるように唸ってから答えた。

 すると木乃香が身を乗り出してイリヤに尋ねる。

 

「イリヤちゃん、ほんとに如何しようもあらへんの?」

 

 木乃香の言葉には、エヴァの考えが変えられないかというニュアンスが含まれており、それを察したイリヤは静かに首を振った。

 

「そんな~」

 

 イリヤの仕草に木乃香は悲鳴めいた声を上げる。すると今度は明日菜が不機嫌そうに口を開いた。

 

「でも、原因はくーふぇに拳法を習うことが気に入らなかったって事よね。それだってネギなりに考えて決めた事なんだから、エヴァちゃんも怒る前に少しは考えてくれても……ちょっと身勝手なんじゃない? もう一度そこの所を確りと話して―――」

「そうは言うけどねアスナ。話して分かって貰えたとしても……いえ、今朝は勢いでエヴァさんは言ったのかも知れないけれど。それは多分、理解していると思うわ。ネギが自分なりに考えた事だって」

 

 だからこの2日間、エヴァさんは不機嫌そうにしながらも黙っていたんだろうし、と言葉に出さずにイリヤはそう内心で思う。

 しかし明日菜としてはイリヤの言葉に余計に納得できないようで、より眉の角度を吊り上げ、

 

「だったら―――!」

 

 食って掛かろうとしたが、イリヤは遮って先程の言葉から続けるようにして穏やかな口調で嗜める。

 

「だけど、エヴァさんが一度口にした事を翻すと思う? それにどちらにしてもテストする事には変わりは無いんだし。例え今回の件が無かったとしても、出される課題の難易度はそんなに変わらなかったと思うわ」

「……」

 

 明日菜は思わず沈黙し憮然とする。イリヤの言葉に納得し切れなかったが、的を射ているとも感じたからだ。

 それでも明日菜は、反論する為に再び口を開く。

 

「それでも刹那さんの言うとおり、ネギは格闘技の素人よ! それじゃあ、幾らなんでもふこうへ―――」

「いえ…! 確かにイリヤの言うとおりだと思う」

「!…ネギ」

 

 ネギが明日菜の言葉を遮る。

 

「あのエヴァンジェリンさんが、簡単なテストをするとは思えませんし、これは自分の選んだ決断が招いた事なんですから。…なら自分の力で、嘆くよりも今出来る事を確りとやって、頑張って乗り越えないと…!」

 

 先程まで肩を落として浮かべていた情けない表情から一転し、決意に満ちた顔でネギはキッパリと宣言する。

 

 そうだ。此方は弟子にして貰う身なんだ。その為に出されるテストの課題に文句を言える立場なんかじゃない。例えそれがどんなに厳しくて困難な物でもだ。無理だって決め付けて、それを言い訳にして諦めるなんてのも…そうだ。

 それにくーふぇさんに拳法を習うのだって自分が必要だと思ったからだ。

 それを課題にされたっていうなら、それが必要だったんだって、間違いじゃないって、絶対に茶々丸さんに一撃を当てて認めて貰うしかない。

 

 ネギはそう思い決意を固める。

 

「ですから、必ず合格して見せます!」

 

 その宣言に一瞬周囲は唖然とするも、直後に感嘆が籠った声と息を漏らす音が彼女達の間に漂った。

 イリヤも同様に感嘆の思いを抱き、嬉しそうに笑みを浮かべ、

 

「頑張ってね。期待してるわよ」

 

 と、声援を幼い友人に送った。

 ネギは―――少なくとも彼にとっては―――同年代である女の子の友達の声援に笑顔で返事をする。

 

「うん。イリヤの期待に絶対応えてみせるよ!」

 

 

 そう、白い少女の緋色の眼に視線を合わせて力強く頷いた。

 

 

 




 再び日常回に戻りました。…イリヤの周辺がキナ臭くなっていますけど。

 イリヤが木乃香以上の魔力の持ち主というのは、魔力消費の激しいサーヴァントを従えて戦う聖杯戦争のマスターとして特化されたホムンクルスであり、肉体の七割が魔術回路で構成された聖杯であるから…そう設定しています。

 刹那のイリヤへの印象は…まあ、勘違いというやつです。それ以外に言いようがありません。
 本分でもあるようにイリヤはこれにかなり困っています。


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第8話―――彼女と彼女の事情 前編

今回と次回は結構オリジナル色が強いです。


 閉じていた目を開け、俯き加減だった視線を時計へと転じる。

 時刻は朝の5時過ぎ、それに彼女は何となく既視感を覚えたが、これといって気にする事もなく固まった身体を解そうと大きく背を伸ばして首を捻った。

 

「ふう…もう朝かぁ…。記憶が戻ったお陰か、以前と比べたら大分慣れた感はあるけど、やっぱり一晩掛けて魔術を使うのは堪えるわね」

 

 この2日間近くを此処で独りきりで過ごした為か、イリヤは独り言が増えたようで思考を無意識に口に出していた。

 

 そこは全面が石張りの小さな部屋だった。

 5m四方の狭い部屋で、飾り気は一切見当たらず、窓さえも無く。あるものと言えば天井近くの小さな換気口と壁に掛けられた時計ぐらいと、非常に殺風景な場所だった。

 

 ―――ただし、床に描かれた銀色の文様を除けばであるが。

 

 それは水銀で用いて描かれ、固定化された直径3m程の魔法陣だ。それだけでこの殺風景な部屋は、ある種の存在感が増して異質な雰囲気を漂わせていた。

 その魔法陣の中心にイリヤは歩を進め。そこに置かれた一振りの野太刀…正確には鍔や柄さえも無い、刀身のみのそれを手に取る。

 

「う~ん。上手く行っていると思うんだけど…」

 

 慎重に扱い、様々な角度から鋭利な白刃を見定める。

 

「こういう時こそ『アーチャー』の能力は便利よね。…解析開始(トレースオン)

 

 エミヤ特有の解析の魔術を使用する。

 そして、秒という時間も掛からずにその実態を把握する。

 

「うん! 最後に試しにやって見たけど、初めての武器加工にしては上出来ね! 上手く行った! あとはしっかりと拵えてセツナに試験的に使って貰うだけね」

 

 予想以上に上手く言ったことに喜びを隠さず、イリヤは満面の笑みを浮かべて頷いた。

 

 

 

 イリヤは仕上がった代物を保管に利用している隣室に移し、帰り支度を整えると階段を昇って地下である其処から上がり、その建物を後にした。

 当然、鍵を掛けて魔術的な施錠も忘れてはいない。

 その建物は、濃淡な黒で配色されたかつて喫茶店であった所だった。そう、以前、明日菜の誕生日を祝ったあの場所である。

 

 何故イリヤが閉店した喫茶店に居り、そこで魔術を使っていたのか?

 それは、つい先日記憶を取り戻した事と今後の相談を行ったあの日。イリヤが以前より近右衛門に申し込んでいた例のアミュレットの件が正式に認められ、工房としてこの物件……元喫茶店を借りる事が決まったからだ。

 その際に近右衛門は、より工房として扱い易く改築を行ない。その作業に“あちら側”の人間を投入したらしく。驚くべき事に僅か数日で先の地下室を築いていた。なおそれらの費用は全て彼自身が先行投資として負担している。

 イリヤとしては正直、普段からも様々な面で世話になっている近右衛門に、文字通りそのような大きな“借り”を作りたくは無かったが、現実として先立つ物も他に頼れる伝手も無く。

 また製作した魔術品…あるいは礼装の品質を拘るなら、如何してもこういった工房は必要だった。

 半ば仕方なく。作る以上は満足の行く物を作りたいという思いもあって、イリヤはソレらの厚意と施しを受け入れたのである。

 

 そして、ここで作られたアミュレットを初めとした魔術品は、全て近右衛門―――関東魔法協会が買い取る事となっており、その流通も学園内に留ませる積もりであった。

 それは、本来ならば必要となる各種免許などを近右衛門の監督下という建前で誤魔化す為でもあるが……もう一つ、イリヤの事は余り口外できない事情もある―――また言い方は悪いが彼女の事情を隠蔽し伏せながらも、その存在を利用してでも早々に戦力の強化は図らなくては成らない…という形振り構って要られない思惑もあった。

 勿論、それは西などと争う為ではない。純粋にこの学園の防衛の為だ。

 

 そう、先日の京都の事件以降、ある懸念が高まった近右衛門としては、それは急務な事案なのだ。

 そういった意味では、この工房の設置は学園側たっての希望と言え、貸し借りなども初めから無いと言って良いのかも知れない。

 

 

 

 エヴァ邸への帰路の途中、イリヤは同じく帰路に付いた思われるエヴァと茶々丸にバッタリと会った。

 

「エヴァさん達も今帰り?」

「ああ、お前もそうみたいだな。…む、かなり疲れているようだが、大丈夫か?」

「ええ、でも流石に一晩、というか…この2日ほど魔術を行使し続けたのは堪えたわ。お陰で何とかノルマはこなせたけど…」

「ジジイの奴も、なかなか無茶な注文を付けたからな…」

 

 エヴァとしては本当に珍しく気の毒そうな同情の視線を向けており、イリヤはそれに苦笑で応じるしか無かった。

 何しろその注文と言うのが、試作品のアミュレットの改良正式型ともいうべき代物と、魔法効果値の上昇ないし魔法出力を増幅させるタリスマンの製作……凡そ10ダース分をこの週内に納入して欲しい、というものだったのだ。

 その2種類の魔術品をそれぞれ10ダース。計240個もの製作を、しかもたった1人で…それがどれ程の無茶な依頼かは推して知るべしだろう。

 イリヤは疲労の籠った苦笑を浮かべつつも、今日あった筈の気になる事を尋ねる。

 

「それより、そっちはどうなったの?」

「ああ、弟子に取る事になった。ぼーやの粘り勝ちだ」

「…はい、とても立派でした」

 

 エヴァは呆れたように。茶々丸は感慨深げに答え。その頭の上でチャチャゼロも「ガキノクセニ良イ根性ダッタゼ。ナカナカ楽シカッタ。ケケケ」と笑っていた。

 

 ―――そっか、ネギは無事に合格できたか。

 

「良かった」

 

イリヤは安堵の声を零した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 帰宅し朝食を終えてイリヤがその片付けをしている最中。同じくキッチンにて片付けを行なっていた茶々丸が何処かソワソワした様子でイリヤに話し掛けた。

 

「あの…その、…疲れている所、本当に申し上げ難いのですが、…この後、お時間を頂けないでしょうか?」

 

 先のエヴァに続いて珍しい事に何時もの無表情ではなく、本当に困ったような表情を見せて言う茶々丸にイリヤは少し驚きながらも応じる。

 

「えっと…如何したの?」

「あ、その、……駄目でしょうか?」

「そうは言ってないけど」

 

 そう言いながらもイリヤは正直な所、身体中に圧し掛かる鉛のような疲労のため、非常にベッドが恋しかった。

 2日間近くを工房で過ごして魔術を行使し続けたというのもあるが、満足な睡眠を取れていないという理由もある。

 それは別に納品を間に合わせる為に寝る間を惜しんで…という訳では無い。

 では、何故か…というと―――あの工房にはベッドどころか布団すらも無かったのである。

 それなら持参するなり、街でその布団なり寝袋なりを購入すれば良かったのだろうが、当初はそれに気付かず、気が付いた時には疲労が蓄積した頃合で、買いに行くのも取りに戻るのも億劫に感じてしまい。彼女は固い床の上でシーツ一枚に包まって睡眠と休憩を取っていたのだった。着替えなどは忘れず持って来ていたのに…。

 今にして思えば、一度差し入れに来てくれた茶々丸に頼んでも良かったかも知れない…いや、携帯や念話で連絡しても良かったかも。幾ら忙しかったとはいえ、マヌケ且つ少し迂闊だったなぁ…とイリヤは内心で反省する。

 しかし、珍しくこうも困った様子の茶々丸を前にしては、それらを正直に告げるには抵抗があり、

 

「分かったわ。それじゃあ用件を聞かせて」

 

 結局、イリヤは疲労と睡眠欲を堪えて了承の返事をしてしまう。

 

「ありがとうございます」

 

 まあ、それでも……こうして感謝され、また珍しくも顔を変えて嬉しそうな表情を浮かべる茶々丸を見ると、良いかなと思ってしまうイリヤだった。

 

 

 

 そうして片付けを終えた後。茶々丸の頼みを引き受けて再びエヴァ邸から外出し訊ねたのは、ネギ達が住まう女子寮であった。

 その目的地であるネギ達の部屋の前でイリヤはチャイムを鳴らす。

 ピンポーンと独創性の無いありふれた音が鳴り響いて程無くし、「ハーイ」という返事と共に玄関のドアが開かれた。

 

「あれー、茶々丸さんにイリヤちゃんや、どうしたん?」

 

 出迎えてくれたのは木乃香だった。

 

「―――……あの、木乃香さん。ネギ先生は…」

「ネギ君? うん、いるえ」

 

 「おはよ、コノカ」と軽く返事をするイリヤの横で、やや口篭って尋ねる茶々丸に木乃香は答えると、後ろを振り向いてネギに呼び掛ける。

 はい、とネギの返事が聞こえ、直ぐに彼は玄関に現われた。

 

「あっ、ど、ど、ど、どうも、茶々丸さん。イリヤ…」

 

 昨晩から今朝に掛けてのこともあってか、茶々丸の姿を見とめたネギは少しどもりながら挨拶をする。

 

「おはよ、ネギ」

「……あ、ネギ先生。お傷のほうは、大丈夫ですか?」

 

 イリヤも挨拶をし、茶々丸は遅れて少し途惑った様子でネギに声を掛けた。

 ネギは、それに笑顔を浮かべて答える。

 

「ハイ、見た目よりも全然たいしたこと無かったです。茶々丸さんが加減してくれたお陰だと思います」

「そうですか、それは良かった」

 

 命令とはいえ、自分のやった事で怪我を負わせてしまった為に、そのネギの返事を聞いて普段と変わらない抑揚の乏しい声ではあったが、茶々丸は心底安堵したようだった。

 そうして、彼女は手にしていたお見舞いの品を渡し始める。

 イリヤは原作を知るが故に、そんな茶々丸自身にも自覚できていないであろう心の機微を察せ。微笑ましく彼女を見た後、ネギに視線を転じて思わずその顔をまじまじと見詰める。

 

(漫画じゃあ、実感は掴めなかったけど。こうして現実で見るとなんというか…結構酷い顔ね、これは…)

 

 顔の所々に張られた絆創膏に頬を覆う大きなガーゼ。左眼の下には青い痰が出来ている。

 ネギの幼いながらも、整っている美少年な顔立ちが見事台無しになっていた。もし、アヤカがこれを見たら倒れるんじゃないだろうか? とそんな事さえ思う。

 顔だけでコレなのだから、服の下も相当傷だらけ、痣だらけだろう。

 判っていた事だったとはいえ、実際にこのようになったネギを見て、イリヤは苛立ちにも似た何とも言えない感情が沸き立ち―――ふう…と、ソレを吐き出すように微かに溜息を漏らし……早速、此処に来た目的に取り掛かることにした。

 とはいえ、此処では人目に付く恐れがある。だからイリヤは木乃香とネギに声を掛ける。

 

「ネギ、コノカ。ちょっと部屋に上がらせて貰っても良い?」

「あ、うん」

「ええよ」

「あ…」

 

 イリヤの申し出にネギと木乃香は頷くも茶々丸は躊躇ったような声を漏らし、イリヤはそれを気にもせず、迎え入れてくれた部屋の住人達に続いてさっさと玄関の扉を潜った。

 茶々丸も若干逡巡したものの、その後に続いた。

 

 

 部屋には当然、明日菜が居り刹那もお邪魔していた。

 2人は修学旅行でお土産に買っていたらしい生八つ橋を口にしながら、イリヤ達に軽く頭を下げるだけで挨拶をし、イリヤと茶々丸もそれに応えると。生八つ橋を飲み込んだ明日菜は僅かに目を見開いて、この意外な客人達に口を開いた。

 

「珍しい…っていうか、2人とも私達の部屋に来るなんて初めてよね。どうしたの?」

「うん、ちょっとね。…ネギ、こっちに来て私の向かいに立ってくれない」

「いいけど…何?」

 

 イリヤは尋ねる明日菜に曖昧に答えつつ、自分の傍にネギを呼んで目の前に立たせる。そしてその彼の頬へ手を当てた。

 

「え…!? あ…!」

 

 一瞬驚いたネギであるが直ぐに自分の身体を包む柔らかな温かみに、イリヤが何をしているのか理解する。

 

「ほう」

「ん…?」

 

 刹那も判ったようで感嘆の声を漏らすが、明日菜は以前経験したにも拘らず判らない様で疑問気に首を傾げた。

 あの時のように暗ければ、ネギを包む微かに灯る光が見えて明日菜にも判ったかも知れないが、残念な事に太陽が高く上りつつある時間帯故に、部屋に入る日の光が強すぎた。

 ただ、木乃香はその資質から感じ取れたようで刹那と同じく感嘆の声を上げる。

 

「わあ、スゴイなぁ。これもまほーやの、ネギ君の怪我を治しとるん?」

「あ、そうなんだ」

 

 明日菜も木乃香の言葉を聞いて理解し、あの時の…修学旅行で自分に掛けられた事も思い出した。

 

「そういや、イリヤちゃんも…その、ホイミとかケアルっぽい回復魔法というのを使えたんだっけ」

「ホイミ…ケアル…って」

 

 その明日菜の某大作RPG的な例えに、イリヤは思わずガクリと力が抜けそうになった。

 内心で、まあ、確かにそのような物なんだけど、とも思ったが。

 すると、何故か脳裏に覚えの無いこと―――巨躯で逞しく、筋肉の鎧が頼もしいギリシャの大英雄…バーサーカー(ヘラクレス)に電池を買いに行って来るように命令する自分の姿が浮かんだ。

 

(―――!? ってなにそれは! そんな馬鹿げた事してないわよ!?)

 

 妙に実感的なソレに、半ば愕然としつつ慌ててそんな珍妙な妄想を振り払う。

 

 

 十秒ほどで治療は完了し、イリヤはネギの頬から手を離した。

 本来なら態々触れる必要は無いのだが。今のイリヤは疲労しており、魔力も消耗しているので負担軽減と魔力節約の為に直接触れて治癒魔術を掛けたのである。

 

「これでよしっと、…どう、まだ痛むところはある?」

「ううん、全然無い。イリヤの治癒は完璧だよ」

 

 ネギはそう答えて、顔の絆創膏やガーゼを外して治癒が効いた事を見せる。

 

「そう、良かったわ」

「うん、ありがとうイリヤ。僕はこういった魔法は得意じゃなくて、本当に助かったよ」

「ホンマ凄いな、顔の腫れや痣が見事に無くなって。ウチもまだまほーのことよう判らんから助かったえ。ありがとうイリヤちゃん」

 

 ネギに続いて我が事にように喜ぶ木乃香。もしかしたらこの時点で既にこういった治癒魔法―――誰かの為になる魔法への興味や憧れが芽生え始めており、直にそれを見られたので少し興奮しているのかも知れない。

 イリヤは木乃香の様子にそんな事を思う。

 

「どういたしまして…と。だけどお礼なら私だけじゃなく、茶々丸にも言ってあげて」

「え?」

「元々、貴方を治療して欲しいってあの子が言ってくれたから、私は今日此処を訊ねたのよ。もし茶々丸が申し出てくれなかったら、貴方が怪我した事に私は気が回らなかったと思うから…」

 

 実際、イリヤは直ぐにでもベッドに向かおうと思っていたのだから間違いではない。原作の知識でネギが怪我を負ったであろう事を知っていたのにも拘らず、その治療を考えもしなかったのだ。

 イリヤの言葉を聞いて、ネギは驚きつつも直ぐに笑顔を向けて茶々丸にお礼を言う。

 

「そうだったんだ。…ありがとうございます茶々丸さん」

「いえ…その、こちらこそ幾ら試合とはいえ、ネギ先生に…私、」

 

 思わぬネギのお礼を受けて、茶々丸は奇妙に戸惑いながらも謝罪の言葉を口にしようとし、

 

「そんな、気にしないで下さい…!」

 

 ネギがそれを遮る。

 

「あれはテストだったんですし、さっきも言いましたけど、茶々丸さんはしっかりと加減をしてくれたお陰で僕は大した怪我をせずに済んだのですから。それに、それでも茶々丸さんが手を抜かずに…半ば僕の我侭に付き合ってくれて、しっかりと相手をしてくれたから僕は合格する事が出来たんです!」

「ネギ先生…」

「だから、僕がお礼を言うのは当然で、役目を果たしてくれた茶々丸さんが謝る必要なんて無いんです」

「…ハイ。ありがとうございます」

 

 誤った謝意を示そうとする茶々丸を見て、ネギは―――それも彼女の優しさなんだ、と思いながらも―――必死で真剣に語りかけると、茶々丸は笑顔でお礼の言葉を口にした。

 ネギは初めて見た茶々丸の笑顔に一瞬見惚れるも、冗談めかしたふうに「ですから、お礼を言うのは僕のほうなんです」と、プッと吹き出したように笑いながら応じ、茶々丸も「そうでしたね」とやはり笑みを浮かべて答える。

 イリヤは、先程までの余所余所しげな茶々丸の様子を思い、やれやれ…ね、と内心で呟きながらも今の彼女を見て微笑ましげに苦笑する。そうでなくはわざわざ茶々丸に話を振った甲斐が無いと言うものだ。

 

「まったく、世話が焼けるわね」

「でも、やっぱり良い人だよね茶々丸さん。こうして心配して来てくれたんだから」

 

 手間の掛かる弟のようなネギの世話を焼いている為か、明日菜は直感的にイリヤの言葉の意味を察して、同様に苦笑してそう答えるかのように言った。

 そやね、と木乃香も言い。刹那も微笑ましげに頷いた。

 しかし、そんな温かくも穏やかな感慨を浸る間も無く。騒がしげに玄関からチャイムが鳴り響き、木乃香や明日菜がそれに応じるよりも早く扉が開かれ、2人の少女が部屋に上がって来た。

 

「ネギ君! ネギくーん! 私も受かったよーっ! 選抜テスト!!」

 

 現われたのはまき絵と、そのルームメイトである亜子だった。

 今回の弟子入り騒動の発端であり、その責任からネギを心配し応援していた一人と、やや暴走しがちだったその友人を心配してこの一件に付き添い。やはりネギの事も心配になったもう一人だ。

 特にまき絵はこの一件で、自身と似たような事情を偶然にも重ねたネギを応援し、また応援してくれた彼が懸命に頑張り、その常に進もうとする姿勢と合格した姿に勇気付けられ。それを糧に自分にあった壁を破り、またそれに伴いネギに対する心境を変化…あるいは発展させたようだった。

 その彼女がここを尋ねたのは弟子入りへの一件の関わりや、怪我の心配とその心境に加え、今しがた彼女が言った通り、自分も無事合格したという報告の為であった。

 

「えーっ! 本当ですか!? まき絵さん!」

「うん! やったよネギ君!!」

「おめでとうござます!」

 

 盛大に喜ぶまき絵に釣られてか、ネギも大袈裟に驚き。まき絵がVサインして続けた言葉に今度は同じく喜びを表して祝いの言葉を告げた。

 そして、まき絵の事情を理解していた面々…明日菜と木乃香も無事合格できた事を喜ぶ。

 

「へー、丁度良かった。今さっき茶々丸さんが美味しいお茶を持って来てくれたんだし、お祝いのお茶会を開こうよ!」

「あ、えーな。それ!」

 

 その2人の言葉にまき絵と亜子も反射的に頷くが―――直後、今の明日菜の言葉の中に含まれた人物の名と、部屋にいる件の彼女の存在に気付いた。

 

「「―――って、わぁぁあ!! 茶々丸さん!!?」」

 

 彼女たちの主観では、容赦なくネギを叩きのめしている様に見えていただけに、2人は悲鳴を上げて後ずさる。

 それに明日菜は「コラコラとホントは良い人なんだから」と2人に注意する。

 イリヤは、そんな彼女らを微かに苦笑しながら残念そうに言う。

 

「ふふ、…私も一緒に祝いたい所だけど。今日はもう帰らせて貰うわ」

「え? もう…」

「もうちょっとゆっくりして行ってもええやん」

 

 明日菜は疑問気に、木乃香はやや不満そうに言った。

 そんな2人とは対照的にネギと刹那は、気付いたようだった。

 

「イリヤ、ひょっとして…」

「…お疲れなのですか? 昨晩もそうですが、もしやこの2日ほどお会い出来なかったのも…」

 

 イリヤは、「まあ、ちょっとあってね」とだけ言い。それ以上は何も答えなかった。

 疲れているのにも関わらず、治療しに来たと知られて余計な気を遣わせたくなかったからだ。尤も2人は察してしまったのだから余り意味は無いのだが。

 明日菜と木乃香も気付いた様子で、やや気遣う様な目線でイリヤを見ていた。

 それらのネギ達の様子にイリヤは、上手く顔色を取り繕っていた積もりだったけど…と口惜しみつつ、向けられる目線を気にしない振りをして笑顔で茶々丸に告げる。

 

「それじゃあ、私は先に帰るわ。茶々丸は代わりに…と言ってはなんだけど、ゆっくりして行ってね」

「…ハイ、ありがとうござました。イリヤさんこそ、家でゆっくりとして下さい」

「うん」

 

 頷いてからイリヤは玄関へ向かうと、ふと気付いて振り返る。

 

「そういえば、まだ言ってなかったわね。―――ネギ、合格おめでとう。これからも大変だろうけど、頑張ってね。…あ、マキエもね。部活頑張って、応援してるから」

「うん、ありがとう、イリヤ。頑張るよ!」

「あ、ありがとう、イリヤちゃん」

 

 お祝いの言葉を述べて声援も送り、イリヤは「じゃあ、また明日ね」と別れの挨拶を交わして女子寮を後にした。

 

 だが、

 

 ……後にして思えば、もう少しこの場に留まるべきだったのかも知れない。

 それは例え、身勝手なエゴなのだとしても、興味本位で魔法へと関わろうとする少女達の事を思い忘れていなければ在り得て。

 平凡で退屈であろうと、平穏な世界に彼女達を置いておく事が出来た可能性だった。

 しかし一方で、それはそんな事では覆すことなど出来ない意味の無い思索なのかも知れなかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 翌々日。

 一日休みを置いて、またもや朝から工房に閉じ篭り、魔術品や礼装の製作と研究に取り組んでいたイリヤであるが、近右衛門も―――魔術への理解が未だ乏しいが故に驚いて―――イリヤに掛かる負担を知っては、流石に依頼を控え……それにて急ぎの仕事も無い事から、先日と異なって日が暮れる頃には彼女は帰宅する事ができた。

 

「―――お前たちの魔力容量は強大だ。これはトレーニングなどでは強化し難い天賦の才。ラッキーだったと思え」

 

 帰宅し珍しく人の気配が濃いなぁ、とイリヤは思いつつ気配がする二階へ上がると、そこにはエヴァと茶々丸の他にネギ、木乃香、刹那の3人の姿があった。

 エヴァはその3人の前で黒板を背景に、何処かの“赤いあくま”を髣髴させるように普段は身に付けていない眼鏡をわざわざ掛け、何やら講義めいた事をしていた。

 それを見、彼女もそんな変な風に形から入るタイプなのだろうか? とイリヤは密かに思う。

 

「但し、それだけではただデカイだけの魔力タンクだ。使いこなす為にはそれを扱う為の“精神力の強化”。あるいは“術の効率化”が必要になって来る。…どっちも修行が必要だな」

 

 エヴァは黒板に筆を走らせて、図や文字を使って更に説明を続けようとし―――

 

「ちなみに“魔力”を扱う為には主に精神力を必要とし、“気”を扱うのは体力勝負みたいな所があるんだが―――」

 

 途中で、ピシッと手にしたチョークが折れ、彼女は生徒である筈のネギと木乃香の2人に唐突に大声で怒鳴る。

 

「人の話を聞け! 貴様らーーっ!!」

 

 叫んでテーブルにダンッと両手を叩き付けるエヴァ。

 その怒鳴り立てられた件の2人はというと。

 

「あううー…明日菜さんとけんかしちゃった……どうしようぅ」

「まーまー、ネギ君」

 

 1人は半泣きで、床にのの字を書きながら情けない声を出して項垂れ。もう1人はそう深刻に捉えていないのか、お気楽そうにそれを慰めており。全く聞いている素振りが窺えなかった。

 何のコントよ、これは…とイリヤは思わず呆れた。

 いや、原作でもこういう事があったというのは理解していた。…けれど、実際にして見ると、やはりまた違った感想が出てくるのであった。

 やっぱり、工房に閉じ篭らずにエヴァさんの誘いを受けて、ネギの修行に付き合うべきだったかしら?……でも、結果的にこの喧嘩(?)を経て、明日菜との絆が深まる訳で……あの場に居たら何か口を出してしまいそうだったし……それに原作と違って例えそうならなくとも、この件を引き摺って何時までも仲違いし続けるほど2人は物分りが悪い訳じゃあないしね。

 ……でも、男の子がこうも情けなくウジウジと半泣きする姿は、見苦しい物があるわね。

 と。そんなこと考え、思いながら、はぁと溜息を付くイリヤに、

 

「お帰りなさいませ」

 

 と茶々丸が、

 

「む、帰ったか」

 

 と、一度こちらに振り返ってエヴァも今更であったが挨拶をしてきた。

 

「うん…ただいま…」

 

 イリヤも内心の思いを押し込めて一応それに応える。

 だが、いい加減ウジウジと項垂れるネギを見かねたのか、エヴァはまた怒鳴り付け。一方で明日菜と仲違いする様を「いい気味だ、もっとやれ」などと言って、クククッと楽しそうに笑い飛ばすという矛盾する姿を見せた。

 

「あうう」

 

 それに更に落ち込むネギ。

 エヴァはその様子を見て本格的にもう相手に成らないと感じたのか、対象を木乃香へと変えて話題も切り替える。

 

「木乃香、お前には詠春から伝言がある」

「父様の?」

「真実を知った以上、本人が望むなら魔法についても色々教えてやって欲しい、との事だ」

 

 あー、何で私がこんな面倒な事を…と、内心で呟きながらもエヴァは言葉を続ける。

 

「確かにお前のその力があれば、偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)を目指す事も可能だろう」

「マギ…それってネギ君の目指しとる…?」

 

 木乃香は魔法に触れてまだそれほど間は無く。知識が皆無な為に実感も薄いからか、唐突な話に表面上余り驚きを示さなかったが、それでも神妙にエヴァの言葉を受け止めたようだった。

 エヴァは頷いて、彼女もいつに無く神妙な様子で木乃香の疑問に答える。

 

「ああ、お前の力は世の為、人の為に役に立つかも知れん。考えておくと良い」

 

 エヴァの言いように、木乃香は唸りながらも顎に手を当てて真剣に考え始める。

 

「お嬢様…」

 

 刹那はそれを心配するように声を掛けて彼女の傍に寄る。しかしその声には、剣を振るうしか能がない自分がその悩みに如何様な言葉を掛けるべきか判らない、という迷いも篭もっていた。

 

「…さて、次はぼーやだ」

 

 エヴァは、木乃香に対して考える時間を与えるように、ようやく落ち着いた様子を見せたネギに再び話題を転じた。

 

「これからの修行の方向性を決める為、お前には自分の闘い方のスタイルを選択して貰う」

 

 完全に落ち着いたネギは、そのエヴァの問い掛けにまじまじと考えつつ説明を聞いて行く。

 エヴァの提示したスタイルは2つ。

 

 従者に前衛を任せた、安定した後衛型である“魔法使い”。

 

 従者と連携して自身も直接、敵に当たって戦い。また状況次第で後衛にも移る汎用型の“魔法剣士”。

 

 前者は、常に後衛に位置し文字通り魔法の行使と状況を見極める事に集中でき、機を見て的確な呪文…または大呪文の行使が比較的容易なスタンダートさがあり。

 後者は、前衛にも対応出来る反面、臨機応変さを要求され、高度な身体強化や体術という戦士の能力に加え。手早く魔法をこなせる“魔法使い”としての能力も必要なやや難解なスタイルだった。

 

「どちらも長所短所がある。小利口なお前は“魔法使い”タイプだと思うがな」

 

 その通りだろう。先の説明に加え、前者は後衛に専念するが故に前衛が倒れるか、抜かれた時点で負けが濃厚となるが。後者はその心配が無く、どちらにも対応できる分、身体強化に魔力を取られ、更に無詠唱などの手早い魔法が求められるが故に、どうしても火力に欠けるのだ。

 ネギの強大な魔力を活かす事と、これまでの戦いを見る限りでは、どちらかと言えば前者の方が向いている筈である。

 しかし、エヴァ自身は強制する積もりは無いようだった。

 ネギの才能から、どっちを選んでも無難にこなせると見越しており、また本人のやる気にも関わる事であるので、多少なりともネギの意思を尊重しているのだ。

 それに、どちらを選択しようとそれなりに“モノ”になるまでは、一切の反論・反抗を許さずに徹底的に扱く積もりなのだから、方向性を選び取るだけの自由は与えなくては…などという、やや穏やかではない考えもあった。

 

 ネギは僅かに黙考すると尋ねる。

 

「父さ……サウザンドマスターのスタイルは…?」

 

 エヴァはその言葉を聞いて、自然に頬が緩んで笑みが零れた。

 このぼーやにして、やはりあのナギ(バカ)の存在を無しには語れないか…と、内心で呟いてから答える。

 

「…私やあの白髪の小僧の戦いを見ればわかるように、強くなってくればこの分け方はあまり関係無くなってくる―――が、あえて言うなら、奴のスタイルは“魔法剣士”。それも従者を必要としない程、強力な…だ」

「―――…」

 

 ネギは答えを聞いて、何処か満足気に納得したように頷いた。

 

「やっぱり、という顔だな」

 

 エヴァはネギの顔を見てからかうように笑い。父を意識した事に恥ずかしさを覚えたのか、ネギは慌てて誤魔化すように首を振る。

 そんな彼に早まって即決しないようにエヴァは「ま、ゆっくりと考えればいい」とやんわりと釘を刺して、木乃香に視線を転じた。

 

「木乃香、お前にはもう少し詳しい話がある。下に来い」

「あ、うん。了解やエヴァちゃん…」

 

 さっきの事を蒸し返すように話を振られた為か、木乃香は少し途惑うも直ぐに返事をしてエヴァに続いて階段に向かう。

 ―――が、誘ったエヴァが不意に立ち止まり、イリヤに肩越しに顔を向ける。

 

「イリヤ、お前も来てくれないか?」

「え…私? …いいけど」

 

 我関せずと黙っていたイリヤは、突然声を掛けられて驚きと疑問を抱くが、向けられるエヴァの真剣な視線から直ぐに応じ、木乃香の後に続いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 イリヤと木乃香がエヴァに連れて来られたのは、この家の地下だった。

 下というのだから、てっきり一階のリビングで話をするのかと思っていた2人はやや面を食らったが。黙ってエヴァに促がされるまま、地下の一室…上に比べると、随分と印象の異なる高価そうな調度品が並ぶ部屋へと入り。その中心近くにあるソファーに2人は腰を下ろした。

 そして黒檀のテーブルを挟んで向かいにあるソファーにエヴァが座ると、木乃香が一番に口を開いた。

 

「この家、地下なんてあったんや」

「ああ、魔法使いとしての嗜みのような物だ。色々と一般人には見せられない“こと”や“モノ”を隠す為にも、こういう人目に付き難い地下室や秘密の部屋というのは必要なんだ」

 

 少し驚いた様子の木乃香に、簡単に答えるエヴァ。

 イリヤは既に知っていたことなので何も言わない。わざわざ地下にまで来た理由もある程度察していたが。それでも自分が呼ばれた理由には見当が付かなかった。

 一方、木乃香はまったく判る筈も無く。エヴァに尋ねる。

 

「でも、何でわざわざ此処へ下りて来たん?」

「…此処ならぼーや達に聞かれる心配が無いからな」

 

 疑問の答えに、まあ、そうなんだろうな、とイリヤは内心で頷く。

 

「みんなに聞かれたらアカンことなん?」

「どうだろうな? その判断は木乃香…お前自身に任せる」

「……それって、此処で聞いた事をウチが話してもええって思ったら、皆にも話してもええってこと?」

「ああ」

 

 エヴァは肯定して頷く。

 何処かそんな悠然としたエヴァとは対照的に、木乃香は僅かに身を固くして緊張した様子だった。何となくであるが直感的にあまり楽しくも無い、好ましくも無い、重い話がこれからされるのを理解したからだ。

 すると部屋の扉が開かれて、まるで計ったようなタイミングで茶々丸が紅茶を出してきた。

 ほのかに良い匂いが漂い、口に運ぶと舌に感じる軽やかな甘味と嗅覚へ広がる優しい香りに、木乃香の緊張が微かに解れた。

 それを見、エヴァは茶々丸にネギ達を此処へ近付けさせないように命じてから下がらせ、話し始める。

 

「…さて、先ず言っておくが、これから話すのは直接魔法に関わる事ではない。早い話先程まで行なっていたような知識を教唆する授業めいた物ではない」

 

 顎に手を当て、考え込むような素振りを見せてからエヴァは口を開いた。

 

「お前が…近衛 木乃香が、今後魔法に関わらないと決めたとしても、“此方の世界”を知り、自らの資質を理解した以上は頭に入れて置かなければならないことだ」

 

 やや難解な言いようだが、其処に選択権が無いというニュアンスが含まれている事は木乃香にも理解できた。

 そんな木乃香の様子を窺いつつエヴァは、真剣な面持ちで語り始める。

 

「お前の父は、旧姓を“青山”といって、刹那も扱う“神鳴流宗家”の家柄の出だ。加えてその本人はその実力と実績……先の“大戦”で英雄と評された事から、西の長にと関西呪術協会から輩出された人物。そして祖父は麻帆良の土地の守護を任じられた分家とはいえ、“近衛”という名が示すとおり、この国の裏にて“最も貴き御方”を傍で代々守護してきた名家。家系だ…」

「っ…―――!?」

 

 木乃香は思わず息を呑んだ。

 神鳴流というのは未だよく判らないが、“最も貴き御方”というのが何を指すか理解できるからだ。あの祖父や自分がそんな大それた家の出自だとは思っても見なかった。

 

「まあ、だからこそ(みやこ)から遷った“彼の御方達”を守る為に“近衛家”が指名され、今の東京へ渡った訳だが―――」

 

 驚きに目を見開く木乃香を前にしつつ、エヴァは構わずに話を続ける。

 

「―――神鳴流も元は今の京都…云わば“彼の御方達”が居られた(みやこ)を守護する為に組織された集団。だが自分達と差して変わらぬ立場である筈なのにそれを置いて、わざわざ“近衛”が指名された事に神鳴流は思うところが在り過ぎたらしい。他の西に残った…或いは残らざるを得なかった退魔師の大家も同様だった。……いや、“彼の御方達”を東京へと遷す事自体が不遜だと思ったのかも知れん。それがこの国の裏事情が西だと東だと分かれる切欠にもなった。……尤も私から言わせれば、これは最近叫ばれるようになった問題で、あの天海の奴が徳川の幕府で権力を振るい始めた頃から軋轢が出始めていたと思うが…まあ、これは蛇足だな」

 

 余計な事を言ったな、と言わんばかりに一度言葉を切り、エヴァは紅茶を口に含んでから再度話し始める。

 イリヤは、天海という所でエヴァが忌々しそうに、また知っているような口振りに成ったのが、僅かに気になったが何も言わずエヴァの話を聞くことに専念した。

 

「その後、明治政府が自国を守る為に。また列強と対する為に積極的に西洋文化を取り入れて、“魔法”もこの国へ本格的に入って来た…それを政府同様に東は積極的に取り込んだ。外来の脅威を理解する為にも、対処する為にも当然の成り行きであるが、それを西は先の事情から厄介な感情を抱いて邪道と蔑み、伝統への冒涜だと非難した。この両者の争いは、主張の食い違いや罵り合いに始まり、遂には互いに血を流すまでに到った」

 

 まったく些細な事で…どうしようもない、とエヴァは内心で呟いて呆れ、また憐れみを懐いた。

 

「だが、それ自体は長くは続かなかった。年号が大正へと入る前後から、時の“彼の御方”が自身らの不徳により端を発した苛烈化した争いに嘆かれて調停に入っていたからだ。幸いにもそれは上手く事が進み、両者は和解した。無論幾つかのしこりは残ったが、時が経てばそれも薄れて消え行く筈だった。しかし―――」

 

 今より22年前。ある大戦の勃発により事態は急変する。

 

「勿論、それは表の歴史にある60年以上前に起きた戦争を指している訳ではない。魔法使いの世界で起きたものだ。当時、その大戦はどうしようもない泥沼の様相を呈していたそうだ。私は僻地で隠遁していたから詳しくは知らんが、な。…ともかく“本国”と称される魔法使いの国家が、その泥沼な戦局を打開する為に戦力を欲し、自分達と関係が深い“こちら側”の各国に存在する魔法協会に戦力の抽出を求めた」

 

 しかし、それは実質恫喝に近いものだった。

 

「平和と平等、自由と正義。それら聞こえの良い建前を口にしながらも、自分達に好意的な者達には、戦後の優遇処置や利権などを見せ付け。中道・穏健の立場を取る協会には、派兵しなければ利敵行為と見なす、と与えられていた自治権の縮小や剥奪をチラつかせた。その対象は本来なら関係が無い…“本国”の協定や法を批准しない、この国の西にも当然のように向けられた」

 

 皮肉にも当時から破格の戦闘集団と勇名を誇った神鳴流の存在が逆に仇となり、“本国”の注目を浴びて身勝手にも期待されたのだった。

 

「しかも悪辣な事に応じなければ、東と共同で“本国”と他の協会も武力行使に踏み切ると示唆したそうだ。東や他国の協会にして見れば、まさに寝耳に水な事で陰謀に利用されたに過ぎなかったが。結果、当時の西の長はそれを信じた。恐らく表で起きた世界大戦の事もあって連想してしまったのだろうな。その予測される圧倒的戦力と物量から『このままでは伝統を守り、古来より育まれた日本独自の魔法…呪術、陰陽道が踏み躙られる』と。または、『東と西。我々…日本人同士が相打つ事に成る』とも考えて、当時の西の長は屈した。そして彼等の多くは嫌々ながらも自分たちには何ら関係が無い戦場へ引っ張り出され、倒れて行った」

 

 京都で木乃香を拉致した天ヶ崎 千草の両親もその犠牲者という訳だった。

 

「以来、大戦が終わってから20年間。西との関係は再び悪化した状態となった。事の経緯と事実を知る者達は、それを収めようと勿論動いているが余りにも犠牲が多く。それに列なって恨み、憎しみもまた大きかった。これも蛇足だが、ついでに言うと、詠春やジジイがよく人手不足と口にするのはそういう理由でもある。何もこの国に限った事ではなく“本国”の派兵に応じた協会は、何処も大戦で多くの人材を失い、陰謀に巻き込まれ、少なからず禍根を残している」

 

 エヴァは一息つくと、また紅茶に手を伸ばす。

 イリヤも紅茶で喉を潤して考える。この世界に来て以来、勿論ある程度、裏の歴史も学んで居たが初耳な事も多かった。

 特に近衛家のことや、西が未だに恨みを懐く本当の背景……つまり何故、関西呪術協会と神鳴流が魔法世界の戦争に関わったのか―――その裏事情だ。

 公式では“本国”の求めによる善意の協力だと記されている以上の事は無かった。

 やはり、メガロメセンブリア元老院の陰謀…というか、一部独善的な人間達が原因かぁ。まあ、それだけを原因にして悪人にするのは短絡的なんだろうけど。原作といい、エヴァさんの話といい、現時点で良い印象は持てないわね。

 でも…案外、例の“完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)”が絡んでいる可能性もあるし…などとイリヤは黙考した。

 

「…と。長くなったが、ここまでは前座だ。本題を理解し易くする為のな」

 

 エヴァは紅茶の入ったカップを空にすると、そう言葉を紡いだ。

 

「そんな事情が続いてきた今、木乃香…お前が生まれた」

 

 その言葉に木乃香の身体がビクリと震えた。

 木乃香とて、ここまでの話で何となくであるが理解しつつあった。自分がとても複雑な立ち位置に在る事を。

 

「西の青山。東の近衛。この国の裏を守護し続けた名家であり、半ば袂を割ったとも言える両者の血を合わせた子が。しかも現在において双方の長を務める2人の息女、孫として誕生した。この意味は決して小さくなく、その価値は計りようも無い程に高い。加えて潜在的な魔力と資質も非常に希有ときている」

 

 エヴァは微かに溜息を付いて、何処か呆れたように言葉を紡ぐ。

 どうして詠春が“近衛”の血筋の女性を娶ったのか、“青山”の長男である彼が何故婿養子となったのか、今一つ理解し難いからだ。自身らの抱える複雑な背景(じじょう)を理解している関わらず、しかもあの堅物がだ…。

 尤も、そんな答えは分かり切ったものであろう。エヴァも理性ではなく感情では納得していた。恐らくそれだけ木乃香の母を愛していたのだ。

 

「この資質は元より、血脈や歴史をも重要視するのは、神秘に属する私たち魔法使いにとって至極当然のことだ。況してや“近衛家”は遥か遠縁ながらも“彼の御方達”の血筋だ。扱いによっては、その影響力はこの日本や極東のみに止まるまい。故に詠春はお前に何も教えなかったのだろう。周囲の反対を押し切って麻帆良に預けたのも…な。未だ恨み、憎しみが募る西に居たままではどのように利用されるか……リスクが大き過ぎる。だから組織を纏める者として未熟だと自覚のある自分よりも、老練な祖父の傍に居る方が守れると考えた」

 

 自分の立場を悪くする事は判っていただろうに。

 聞いていたイリヤと、話すエヴァは詠春に対して口に出さずに同じ事を思った。

 事実、詠春は西の運営に難しい舵取りを迫られる事となった。ただ幸いにも呪術協会の上層部は、本国の仕組んだ陰謀を知っており、彼を懸命に支えている。神鳴流も同様だ。

 近右衛門にしても可愛い孫を守る事に異存は無かった。義理の息子が立場を危ぶめてまで決断して託したのだから尚更だ。

 また近右衛門は、木乃香を守る為に一つの策を弄していた。

 それは多分に彼の悪戯心も含まれていたが、ただ趣味で孫にお見合いを仕組んでいる訳ではなかった。

 良からぬ考えを持つ輩を孫に近付け難くし、陽動という意味合いがあった。それは功を奏し、近右衛門の趣味と孫にお見合いを勧める話を聞き付けた魔法関係者の多くが、孫よりも彼にそういった意味での接触を図っている。

 そうして、不遜な輩を目の届く範囲に集め続ける彼は、それらに狡猾に且つ丁重に釘を刺して諦めさせ、もしくは陰謀を駆使して孫に近付けぬようにしている。

 あるいは、本当に良縁に巡り合える事を期待しているのかも知れない。何も知らぬまま魔法に関わらずに平穏に暮らせる事を願って…。

 

「だが、お前は魔法の存在を知り、此方の世界に関わる事に成ってしまった。その内に秘める資質もな。だからこそ、自覚し認識し背負い。覚悟を持たなければならない。自分の今ある立場と2つの持つ血の流れと家系…それら刻んだ背景(れきし)と抱える問題を。そしてこれから押し寄せてくるであろう様々なものを…」

 

 木乃香はその小柄な身体を震わせて、自分を守ろうとするかのように両手で自身をかき抱く。

 

「気持ちは判らなくもない。お前はまだ15になったばかりの小娘だ。動揺もするだろうし、大の大人でも簡単に受け入れられる事ではない。正直、私自身とて時期尚早という気がしなくもない。しかしお前の持つ価値がそれを許してくれん。何よりも現実というのはそういうものだ。本人の意思など容易く無視してくる。それでも例え足りぬ準備、覚悟しかなくとも、踏み締めて、耐え抜き、乗り越えねば成らん。お前はそういう位置に立たされ、そして幾度もそういった状況を迎える立場なのだ。……京都での一件を鑑みても、それは判るだろう」

 

 続けざまにぶつけられる言葉に、木乃香は振り絞るように声を出す。

 

「…でも、ウチは、ウチや…今は単なる女子中学生で……この間まで、魔法がホンマにあるなんて…思わんで……青山だとか、近衛だとか、そんなん判らんし、関係あらへん…!」

「ああ、判っている。そう言わずに居られない事もな。…それでもだ。周囲はお前をそういう目で見る」

 

 エヴァは泣き言を漏らす木乃香を責める事無く淡々と言う。

 今はこれで良いとも思うからだ。突きつけられた事実に悲嘆するのも、否定するのも良い。知ったばかりでは思考が付いて行かず、纏まらないであろうから。

 かつて自分も似たような経験が在るから……―――判る。

 だから直ぐにでも無くても良い。時間を掛けてでも…掛けすぎても良くはないが、じっくりと考えながら受け容れて行けば良い。それが普通なのだから。

 ああは言ったものの、“一部の事柄”を除けば、まだそう切迫している訳でもないのだ。

 エヴァはそう思い、何処か懐かしげにそう考えた。

 しかし、だからこそまだ言って置かなくてはならない事がある。

 

「それに、お前の立場は…いや、今後示す行動は、お前の大切なアイツ…刹那の今後にも影響する」

「!?―――せっちゃんの!!?」

 

 大事な幼馴染の名前を聞いて木乃香は驚き、俯かせていた顔をハッと上げる。

 

「更に言えば、イリヤもだ」

「え? イリヤちゃん…も?」

 

 不思議そうな視線を向けてくる木乃香を意識的に無視しつつ、イリヤはエヴァを鋭い視線で突き刺す。

 何を言う積もりなのか、と…だがエヴァは取り合う積もりは無く。まあ、黙っていろという感じで、イリヤの視線を平静に受け止める。

 

「そうだな、気になって仕方がないだろうから、先ず刹那の事だな―――」

 

 

 

 




 この回も元は一つだったのですが、此処で一度切った方が切りが良いと思い。前後編に分けました。話自体はそう長くは無いのですが。

 ネギの弟子入りテストは前回あのような引きでありながらカットしました。楽しみされていた方にはすみません。
 代わりにイリヤが麻帆良で工房を手にした経緯を書きました。
 この件は、学園長や協会側に本文にある通り何やら思惑があります。ただこれでイリヤは収入源を確保し、魔法鍛冶として職を手にする事が出来ました。

 …借金まみれですが。



 関東魔法協会と関西呪術協会などの日本の裏事情ですが、エヴァに語らせる形で自分なり考察・解釈して書いていきました。
 ささらとしては、こういう設定を考えるのは好きなようで、執筆当時は非常にノリ良く書けていたのが思い出深いです。妄想が過ぎているような気もして、読者の方々がどう思われるか不安でもあります……どうなんでしょうか?


 後編は、木乃香の事情に続いて刹那の抱える事情になります。結構重たい話に成っていると思います。


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第9話―――彼女と彼女の事情 後編

 

 相容れぬ互いに許さぬ者同士が運命の気まぐれか、それとも悪戯か? 引き寄せられ、惹かれ合い、恋に落ちる事がある。

 だがそういった物語の最後というのは、大概は悲惨なことで締めくくられる。

 云わば悲恋。シェイクスピア然り、ワーグナー然りである。

 だが、そこに更なる悲劇が生まれ落ちることもある。

 

 そう、そんな悲恋の末に彼女は生まれた。

 

 彼女が物心付く頃には既に両親の姿は無く。

 人目から遠ざけられるように彼女は彼等の一族の集落の外れにある、寒さと風雨を凌げる程度の簡素な小屋に1人で住まわされていた。

 両親の無い彼女がそれまで1人で生きられた訳は無く……要は集落でも変わり者など、人の良い者などに何とか庇われる形でその生を許されていた。

 

 何故、親がいないのか?

 何故、1人なのか?

 

 そんな僅かな疑問さえ、幼い彼女は抱かなかった。

 そもそも話す機会さえ少ない為か、同年代の子供に比べて言葉すらも余り学べず、まともに喋れず、両親だとか、孤独だという意味すら彼女は理解していなかった。

 それでも物心が付いてそう暫くしない内に、よく訪れる優しい人や時折来る恐い人の姿を見るにつれて、自分が“違う”事を理解した。

 顔付きが全く異なり、肌の色が違い、一族で特徴的な黒い筈の翼さえも白かった。

 

 そして余程難しい物で無ければ、言葉も理解できるようになっていた。

 そうして言葉を理解できるようになって幾日―――彼女は捨てられた。彼女の一族から…。

 ただ、最後まで優しくしてくれた誰か、或いは誰か達が、彼女に泣きながら謝って涙を流しながら赦しを請い。身勝手だと思いながらも、それでも彼女に幸ある事を願って人間の世界に置いていったのは確かであった。

 

 そうして白い翼が美しい彼女は拾われた。或いはそうなるようにもう記憶に無いその優しい誰か、誰か達が仕向けてくれたのかも知れない。

 

 だからと言って彼女の全てが救われた訳ではない。

 確かに拾ってくれた人は、人格者で彼女を半ば我が子のように扱い。名前を与え、生きる術を教え、自分の進むべき道を示してくれた。

 だが、幼い心に負った傷は決して癒されなかった。

 むしろ、新たに生きる事となった世界でも彼女は自分が周りと“違う”事を見せ付けられ、よりその意味を深く理解して行き、その傷も深さが増してしまった。

 

 何故、自分には両親がいなかったのか?

 何故、1人で集落から離された小屋に住まわされていたのか?

 そして、何故、一族から捨てられたのか?

 それらの“何故”の意味を彼女は知ってしまった。

 

 知った以上は、周りとの“違い”を意識せずに居られなくなった。

 白い翼を隠し、同じく髪も黒く染めた。赤い目の色も同様だ。なるべく周りと同じに合わせた。自身の違いが決して浮き彫りにならないように……一族に居た時のように蔑まれ、そして捨てられない為にも。

 拾ってくれた人の計らいで、初めて出来た友達にも明かさず、ひたすら隠し続けて彼女は過ごしていった。

 

 しかしそれでも、幾ら修練を積もうと。成果を上げようと。彼女の修める道の階位が上がる事は認められず、何時までも見習いのままだった。

 末席というのはまだ良かった。実際、彼の流派では拾われたに過ぎない新参者であり、明確な歴史を担っていないのだから。

 だが、昇級も認められず見習いのままというのは、やはり納得が出来なかった。

 

 だから一度だけ、師範代に食って掛かった事がある。

 

 “何故”と。

 

 すると師範代であるその女性は、本当に申し訳無さそうな表情をして彼女に頭を下げた。

 何時も厳しく言いたい事は容赦なく口にする尊敬する女性が、ただ黙って深く、深く―――頭を下げ続けた。

 

 彼女はそれで理解した……いや、とうに判っていた事だった。

 それでも食い下がったのは、きっと自身の甘えだったのだろう。厳しくも優しいこの人……母親のように思っていたこの人ならば、無条件で如何なる万難が立ち塞がるのだとしても、快く受け容れて自分を認めてくれると。

 理解した彼女は、女性のように黙ってただ一礼してその場を下がった。

 

 ―――頭を下げたままだった師範代の女性が、悔いるように涙を堪えていたのを知らずに。

 

 こうして、またも自身が“違うモノ”なのだと思い知らされた時に、彼女は拾ってくれた父代わりの恩人の頼みを受けて東へと渡った。

 

 東へ行く―――仕事や修行以外での、その意味を理解しながら……それでも彼女に躊躇いは無かった。

 その恩人の頼みと行く先に居る大事な人との約束のみが、この世界で唯一残された縋るべき心の拠り所だったから。

 

 ―――そうして、一つの悲恋から生まれた少女である桜咲 刹那は今に到っている。

 

 しかしその人生は悲劇で幕を閉じるのか。それとも優しい誰かが願ったように、幸に恵まれたもので迎えるかどうかは―――まだ定まっていない。

 

 

 

 ◇

 

 

 

(自分自身のこともそうやけど……ウチ、友達やのに、大事な親友で幼馴染なのに、せっちゃんのこと何にも知らんかったんやな)

 

 エヴァ邸からの帰路の途中、既に日が沈んだ空の下で。隣を歩く刹那の姿を横目でチラチラと見ながら木乃香はそう内心で呟いた。

 

「…あの、お嬢様。どうなさいました」

 

 先程から見られていた事に気付いていたらしく、刹那はその視線の意味を図りかねてやや躊躇いがちに木乃香に尋ねた。

 

「ん…せっちゃんが傍に居るなぁと思ってな」

「え…?」

 

 木乃香は誤魔化す積もりも無く。自然に本心で笑顔でそう答えた……ただ、考えていた事を口にしなかっただけだ。

 刹那は、疑問の声を上げながらも木乃香の笑みを見て頬を紅潮させ、心臓の鼓動を高めた。

 そんな刹那の様子に木乃香は、やっぱり笑みを浮かべてクスクスと声を漏らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その静寂に満ちた地下の部屋でエヴァは言った。

 

 ―――桜咲 刹那はその出自と、生まれ付いた特異な資質を持つが故に誰にも認められていない、と。

 

 烏族と人間の間に生まれた子。忌むべき白子(アルビノ)

 人でも魔でも無いと生まれた一族と、育った世界の双方から半端者と蔑視され、白い翼を持つが故に畏怖されて遠ざけられた。

 どちらか片方でも厄介視されるというのに、その両方を持ってしまった不幸。

 無論、木乃香は反発した。少なくとも自分と父様は彼女の存在を認めている。明日菜達だってそうだ、と。

 

「ああ、個人的なものではその通りだろう。しかし集団、組織、そして社会といったコミュニティでは当然だが違う。それにお前達が幾ら友達だ、親友だと認め。口にしたとしても根本的に刹那を苛んできた傷を癒すことは出来ない。何より刹那自身が受け容れまい」

「…っ、そんなこと―――!」

「無い、…と言いたいのだろうが、事はそう簡単ではない。確かにその言葉を聞けば笑いもするし、喜びもするだろう。だが刹那が烏族とのハーフである事実。アルビノである事実は決して“覆らない”。その事実の所為で一族から捨てられた事も、人々からも蔑ろにされた事も無くならない。その負い目が消える事もない。お前達がどう思っているかではなく、刹那自身がそれをどう感じているかが問題なんだ。表層的な部分ではなくて“根”のところでな。考えても見ろ、幼少から、物心が付く前から“違うもの”だと言われ続け、その意味を知って見せ続けられたのだ。そんな人間の心が想像できるか? 出来ないだろう」

「……」

 

 木乃香は噤んだ。反論する言葉が見付からないからだ。

 

「だから空虚なんだ。判らない人間がそれに苦しみ続けた事に口を出しても、な。ただの感傷にしかならない」

「…でも、そうやったら―――」

 

 どうしたら、ええの?

 木乃香は消え入りそうな声でそう呟いた。

 

「―――無理だな。今も言ったが刹那が抱く負い目である“事実”はどうやっても消えない。一生涯付き纏う呪いのような物だ。…だが、先程とは矛盾するが、それを含めて刹那の存在を容認してくれるお前や、その友人どもが居る事は確かな救いになる。それ自体は否定しない。後は刹那自身が如何にしてどう向き合うか、折り合いを付けるか。結局はそこになる」

 

 木乃香たちには、これ以上何も出来ないという事だ。

 

「と、脱線したな」

「…?」

 

 エヴァの唐突な言葉に木乃香は首を傾げた。それを見てエヴァは軽く溜息を付く。

 

「あのな。刹那の奴が勝手に懐いて抱える苦悩など、赤の他人…周囲の者達には関係が無いんだ。さっき私が言ったのは、お前の今後しだいでどうして刹那の今後も影響されるか、と。その上でアイツの持つ背景を語ったに過ぎない」

「…えっと、うん…」

 

 刹那の悩みをどうでも良いふうに言われ、今一納得出来ないが、とりあえず頷く木乃香。

 

「ま、大事な親友の事だから感情的になるのも判る。それでも落ち着いて聞け」

 

 エヴァも取り敢えずは、諭すように言ってから話し始める。

 イリヤは黙っていたが、エヴァもまた柄にも無く熱くなっていたようだったので、それを棚に上げてよく言うなぁ、などと思っていたが。

 

「問題は、刹那が認められていないという点だ。先程は木乃香…お前が口を出して脱線したが、これは親しいお前達や詠春という個人らの感情を除いたものだ」

「ふむ…それは、神鳴流に関西呪術協会。それに此処…関東魔法協会といった組織を含めて―――いえ、魔法社会全体に置いてかしら?」

「…いや、そこまでではない。異種混血(ハーフ)というのは、確かに蔑視される傾向は強いが。“あちら側”の世界ではそう珍しい事ではないからな。受け容れる国家や地域は山ほどある。アルビノも地域によっては良い意味で解釈する所もあるしな」

 

 確認するように口を挟んだイリヤに、エヴァは首を振って答えた。

 

「ということは、やっぱりあくまで相互に影響を持つ“こっち”の世界と“本国”が抱える問題か……“幽世”や“魔界”もセツナが捨てられた事を見るとそう見たいね」

「ああ。刹那はあくまで“こちら側”の人間で、その人生の軸もこっちだ。もし何の柵も無いのであれば、いっそ“あちら側”へ行って、生きた方が幸せに成れる機会に恵まれるだろう―――が…」

 

 エヴァはそこで言葉を切って、意味ありげに木乃香に視線を向ける。

 

「…そんな考えは端からアイツの中には無いだろう。だが“期限”が来たらアイツは、誰にも行き先を告げずに姿を眩ますかも知れん。或いはそれでも留まって、例え顔を合わせられなくとも、話せなくなるとしても、遠くからでも守れるなら―――とかなどの“悲壮な決意”とやらみたいなものを懐きかねんな。刹那なら…」

 

 イリヤは、これまでの話とその言葉でその大凡の事情を理解した。同時に原作で知る以上に厄介で複雑であるとも思ったが……。

 

「成程…ね」

「どういうことなん…?」

 

 頷くイリヤに、不安そうに木乃香が尋ねる。

 期限だとか、行方を暗ますという言葉がそれを煽っていた。

 

「単純な話よコノカ。貴女は西と東の……云わば、この国の裏の重要人物。これは判るわね」

 

 若干不本意そうであったが木乃香は黙ってコクリと頷く。

 

「その重要人物の護衛に…そうね。例えば後ろめたい過去や経歴を持つ、犯罪者や元犯罪者なんかを付ける?」

「―――!!」

 

 イリヤの言葉を聞いた瞬間、木乃香は顔を真っ赤にし、これまで見たことが無い怒りの形相を作った。

 

「せっちゃんを犯罪者呼ばわりするんか!!! いくらイリヤちゃんでも、そんなんゆうんは許さへん!!!」

 

 イリヤの襟元に掴み掛かって、烈火のごとく怒りを顕にする木乃香。

 だが、

 

「!…あっ―――!?」

 

 一体何をどうされたのか、木乃香は気が付いたら腕を捻られて、ソファーにうつ伏せに身体を押し付けられていた。

 動こうにも身体はピクリともしない。

 

「落ち着いてコノカ。言い方が悪かったのは認めるけど…」

 

 まあ、怒るのも判っていたんだけど。でもいきなり襟を掴むなんて、普段のコノカからは信じられない行動…流石に少し驚いた。

 イリヤはそう内心で思い。木乃香が力を抜くのを感じてその拘束を解く。

 そんな2人を見つつ、エヴァは先程のイリヤの言葉を補足するかのように言う。

 

「例えは極端だったが概ね間違いではないな。魔と人の間…禁忌から生まれた子供という認識なのだからある意味、犯罪者というのは的を射てるとも言えなくはない」

 

 姿勢を戻した木乃香はその言葉に再び眉を寄せるも、膝の上で拳を握り締めて浮き出しそうになる腰をグッと堪える。

 

「だから、せっちゃんがウチの傍から離されるっていうん?…」

 

 木乃香は沸騰しそうになる感情を抑え付けてなるべく冷静に言う。

 

「ああ、恐らく早ければ中等部卒業辺りか、遅くとも高等部の半ば辺りを目処にな。代わりに西と東…その双方の穏健派から新しい護衛が抜擢される筈だ。刹那はお前と顔を合わせる事すら許されなくなるだろう」

「そんなん、理不尽や! せっちゃんは何も悪い事してへんのに…!」

「お前にとってはそうだろうが、それ以外の人間…西にしても東にしても、その方が道理に適うんだ。魔とのハーフ…それも忌み嫌われるアルビノの子が東西関係のキーマンであり、将来自分たちの頂点に立つやも知れない人物の傍に居る方が不自然且つ不安なのだ。無論、面子といった事もあるだろうが…」

「父様とお爺ちゃんは、それを認めるん?」

「その心情はともかく、認めざるを得んだろうな。お前もいい加減、これまでの話で判っているだろう。…刹那もある程度は覚悟している筈だ」

「…………」

「さて、この話はここまでだ」

 

 打ちのめされた様に沈黙する木乃香に、エヴァはお開きだと言わんばかりに立ち上がる。

 木乃香はそれに慌てて声を掛ける。

 

「あ、待っ―――」

「残念だが、ここまでだ。本来ならイリヤに関する事も話す積もりだったが、思った以上に堪えたようだからな。…刹那については話すべき事は全て話した。後はお前次第だ。縋られても私に出来る事など無い。……まあ、もう暫くここで寛ぐ分には一向に構わんが」

 

 取り付く間も無くそう言ってエヴァは部屋を出て行った。ただ去り際に残した言葉には、微かながらも気遣いが見られ。思いも因らぬ事情を聞かされた木乃香に、多少也にも落ち着ける時間を与えたようにも見えた。

 

「………………」

 

 残されたイリヤに木乃香は自然と視線を向けた。

 何処か縋るような視線を受けてイリヤは少し考え、口を開いた―――。

 

 

 

 

 

 

(せっちゃんは誰にも認められへんかった。それが原因だとゆうんなら。ハーフや、アルビノや、何て些細な事やと。せっちゃんが誰にも認められるようにすればええ。それはきっとウチにしか出来ないこと……かぁ)

 

 夜の帳に覆われた街の中。

 街灯の下で頬を赤く染めて自分を見詰める大切な幼馴染の姿に、木乃香はイリヤに言われた当たり前で簡単な……しかし成し遂げるには非常に困難な結論(こたえ)を脳裏に反芻した。

 そうなのだろう。様々な理不尽なしがらみを、今ある出来上がった仕組み(システム)を変えるには、強い“力”が必要だ。

 だがそれは、暴力とか武力だとか目に見える力ではない。人の意識を変える為の“何か”だ。

 強いて挙げれば啓蒙運動がそれに当たるだろうが、そんな事をしている悠長な余裕は無い。

 しかし、この日本における東西関係の鍵を握る木乃香には確かにその為の―――因習めいたものを変えるだけの力が在る筈なのだ。

 それをイリヤは言っていて、エヴァもそれを木乃香に期待している節があった。

 

『セツナは、負い目が強いから簡単には自分を変えることが出来ないし。多分、認めて貰うという事に諦観も懐いていると思う。だからコノカ。貴女がそんな彼女を引っ張って行くしかないでしょうね』

 

 とも言われている。

 刹那が胸の奥深くに隠した傷。それを理解する事はきっと木乃香にはできない。それはエヴァにも言われた事。

 それでもその傷を癒して、或いは癒せなくとも開かぬように、痛まぬように支え。ともすれば大切な人からも離れて独りで強く在ろうとする彼女を決して独りにしないように、独りで無い事を示し続けなければ行けない。

 

(うん、イリヤちゃん。ウチ頑張るえ。東やとか西やとか、青山とか、近衛とか…過去の諍いとか、血とか家とかも、全部相手にしても負けへん! せっちゃんも今度はウチが守る! 守ってみせたる!! そして、ずっと、ずっと傍に居られるようにする…!)

 

 そう、木乃香は決意を胸にする。

 無論、不安も大きく。これからの事を思うととても恐い。そして明確な方策すら…まだ無い。けれど―――

 

 深く思い耽っていた所為か、気付くと刹那は訝しげに自分を見詰めていた。

 木乃香はそれに何時ものように笑うと、その彼女の手を取った。

 

「あ!」

「行こ、せっちゃん!」

 

 そうして繋がった手から、互いに暖かな感触(ぬくもり)を覚えながら、木乃香と刹那は日が暮れた街を歩いていった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「別にエヴァさんが話さなくとも……学園長でも良かったんじゃない?」

「そう思うのは当然だが、客観性を持つ第三者から先ず話した方が良いと詠春の奴からも説得されてな。まったく面倒を押し付けてくれる。だがまあ、いいさ。こうして要求通りの対価を用意してくれたんだからな」

「―――っ! なっ!?……こ、これはまた、とんでもない代物を!!」

「ふふ…流石に判るか、そうだろう。面倒に応え、詠春に示唆してやった甲斐があったというものだ。―――……実の所、本当に見つけるとは思わなかったが」

「……なるほど、何百年も前から日本に足を運んでいる貴女なら在り処を知っていても不思議は無いけど。詠春さんもさぞかし驚いたでしょうね。でも、いいの? こんなものを…黙って貴方に渡して。歴史的大発見よ…!」

「判っている。その内、相応の対価で然るべき所へ返す積もりだ。是ほどの物を手放すのは若干惜しいが、詠春にもそう約束している。流石に後ろめたさもあるしな…」

「……対価は取るのね。…はは、まあ、エヴァさんらしいけど」

 

 木乃香との話の最中、エヴァ邸を訪れたタカミチが詠春からのお土産である菓子に紛れて入っていた“封印箱”。

 その中身を見て、イリヤは今日あった出来事が全て忘れてしまうような衝撃を覚え―――その日を終えた。

 

 

 




 前回のあとがきでも言いましたが、刹那の設定は原作よりも重い感じです。
 尤も原作でも詳細は不明ながらも、そういったものを色々と抱えている感じはありましたが。

 前回の木乃香の独自設定も結構重い感じです。
 その為、木乃香お嬢様には色々と決断して貰う事になります。


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第10話―――異端の少女と見習いの少女達

 

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。

 当関東魔法協会の理事である近衛 近右衛門の知人によって、東欧の紛争地域にて保護された記憶喪失の少女の名前である。

 近右衛門と同様、老体の身でありながら今も“悠久の風(AAA)”に身を置き、現役で活動するその知人の依頼を受けて、この麻帆良で預かる事と成った彼女のその名は、本人の申告も在って本名で無いと思われていた。

 しかし先月に起きた京都の事件に関与した事で失われていた記憶を取り戻し、その名は本人の物であるという事が明らかとなった。

 そして、名前と共に彼女―――イリヤスフィールは己が何者かも知った。

 この麻帆良……関東魔法協会の理事にして代表者たる近衛 近右衛門が直々に保護し、監督している事から彼が直接確認した彼女の詳細は以下の通りである。

 

 イリヤスフィールの出身はその名が示す通り、ドイツである。

 ただし国籍・本籍などは無く。彼女はドイツ国内に存在したという隠された秘境―――人造世界―――にて、魔法研究を独自に行っていた一族の長…その孫娘であるという。

 その一族―――アインツベルンなる一族は当魔法協会を始め、当事国の同組織さえも知らず、本国(MM)も認識していない正に未知で未開の魔法伝承者達であった。

 そう…“あった”。過去形である。

 これは、我が関東魔法協会が認識した故からでは無く。その一族がイリヤスフィールをただ一人残し、滅んでしまったという彼女の証言からそう記す事と成った。

 彼女の証言によると、アインツベルンは大掛かりな魔法実験を行い失敗し、術式の暴走事故を発生させた。これは相当大規模なものであったらしく、彼等の住まう秘境全体に及び完全に“消滅”させたという。

 それ程の大規模な事故にも拘らず、イリヤスフィールが生存していたのは事故の影響が拡大する直前、一族の中でも最も若く、後継者である彼女を逃がす為に転移魔法が使用された為だ。

 記憶を失っていたのは、その緊急時の強制転移ないし暴走事故の影響によるものだと思われる。

 

 またこれに関連してドイツの協会に確認した所。

 同国の某地方の山間部にて、現地時間2003年4月12日の12時57分に非常に大きい魔力波が観測されており、これは彼女の証言を裏付けるものと………―――。

 

 

 と。まあ、こんな感じかのう?

 そう呟いて書類の上に目を落とす近右衛門。

 学園長室で執務を行う中、彼は己が作成したイリヤに関する“公式”報告書の出来具合を確認していた。

 秘境に隠れ住んでいた未知の魔法使い一族という部分は、多分に厄介な注目を集めると思うが止むを得ないだろう。

 なにしろ、

 

 ―――……2003年4月24日に於いて発生した関西呪術協会・本山襲撃事件の最中で確認されたイリヤスフィールに似た容姿・容貌を持つ女性は、上記の魔法実験事故の際に生じた怨霊の類であり、彼女の母親―――アイリスフィール・フォン・アインツベルンの姿形と記憶をベースにしているとの事である。

 その詳細は別項にて記すが、当魔法協会……いや、我々魔法社会にとって由々しき事にその女性は先の大戦の引き起こしたとされる“あの組織”……―――。

 

 と。

 先の事件で確認され、多くの人間が目にした“呪詛(アイリスフィール)”の存在のお蔭で下手な誤魔化しが出来ないのだ。

 加えてイリヤが超絶的な力を振るった事や扱う魔法…“魔術”という特異性もある。これではただの戦災孤児や外れ魔法使いなどの言い訳で通すのは難しい。

 故にイリヤの隠す事情を……真実を織り交ぜつつ嘘で塗り固めるしかなかった。

 それに、

 

 ―――……以上の重要事項が絡む事から、本文書ないし記録を閲覧可能な者は、AA級以上の情報閲覧資格を有する当協会所属員のみに限定する。

 

 とも、一応情報を麻帆良内に止め、機密指定にもするのだ。

 ドイツの魔法協会や“悠久の風”に居る友人達にも個人的な伝手で協力を仰いでいるが、これは“貸し借り”の範囲で片を付けており、互いに要らぬ詮索は行なわない約束に成っている。

 ともかく、麻帆良内での彼女の立場は、これらのカバーストーリー(でっち上げ)で何とか守れるだろう。

 正体不明な不審な魔法使いという霞みが掛かったあやふやなものから、世に知られていなかった外来の魔法使いという、まだクッキリとした認識像に成るのだから。

 それに、秘境で隠れ住んでいた一族の唯一の生存者。事故のショックで記憶を失っていた悲劇の少女……などなどと同情的な見方も期待できる。

 また、未知の魔法を扱う者というのは確かに彼女や麻帆良に厄介な注目を集めるが、一方で麻帆良の属する事実は打算的に見れば悪くなく。関西は勿論、“本国”や他の魔法協会に対するアドバンテージを得られるメリットもある。

 事実、彼女によって齎される魔術品はこの麻帆良の戦力を大きく向上させており、加えて言えば、本人が先の事件で示した戦力も魅力的に捉える見方も出ている……無論、あくまで防衛の為ではあるが―――

 

「……度し難い考えじゃな、我ながら」

 

 浮かんだ自身の信条には沿わない思考に嘔吐にも似た嫌悪感を覚え、それを吐き出すかのように彼は呟いた。

 しかし、それが組織を纏める者として必要なものである事も彼は当然理解していた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 麻帆良でイリヤの公式情報が5月3日を以て、関東魔法協会に所属する幹部職員らを対象に開示されてから四日が経過した5月7日の水曜日。

 エヴァによるネギの初修行が行われた翌日。

 

 麻帆良学園の繁華街をやや浮かない顔持ちで、頭の左右から伸びる二つの髪房を揺らして歩く少女と。何処となく自信に満ちた凛々しい表情を浮かべ、腰まで伸ばした金髪を歩を進める度に靡かせて悠然と歩く少女の姿が在った。

 二つの髪房を揺らすツインテールの少女は、若干背の低い小柄な身体に本校女子中等部の制服を着る日本人の少女で。長くの伸ばした金髪を靡かせる少女は、平均よりやや高めの身長で聖ウルスラ高等学校の制服を着ており、その容貌は欧米の出身を思わせた。

 その2人の少女達が向かっているのは、この繁華街の外れ近くに在るかつて喫茶店であった建物だ。

 

(うう…どうして、こうなっちゃったのかなぁ?)

 

 ツインテールの少女は悠然と自分の前を歩く、姉のように慕う年上の少女の背中を見ながらそう思った。

 

 

 事の切っ掛けは先月の24日…凡そ二週間程前。自身も通う学校の最上級生である3年生達が修学旅行に出掛けてから三日目が過ぎようとした時の事であった。

 日が過ぎようとした時間帯…つまりその日の晩、夜が最も深まった時分に眠りに付いていた彼女達は、急遽協会の一員として呼集が掛けられ、夢の中より叩き起こされた。

 通常なら先ずあり得ない異様な事態であったが、彼女と姉と慕う少女の二人は詳しい事情を説明されないまま、外部から襲撃の可能性が在るとされて学内の警備を命じられた。

 勿論、見習いという事もあり、襲撃となれば真っ先に前線と成る学園都市の外縁では無く。内部でも重要性の低い…今も歩いているこの繁華街の一区画が彼女達の担当となった。

 尤も、ここ数日でこの区画は何故か重要性が増したようであったが、彼女達にその理由は判らない。

 ともかく。仕事を命じられ、襲撃という穏やかでない言葉もあり、彼女達はその一夜を緊張した面持ちで過ごしたのだが―――結局何の異変も起きず、これも修行か訓練の一環だったのか、と思いながら睡眠不足で辛い翌日を過ごした。

 

 しかしその更に翌日に成ると、見習いの彼女達にもあの夜に関する説明が行われて、その重大な事件を知る事と成った。

 驚くべき事に、あのサムライマスターが長として居る西の本山が襲撃されて陥落しかけたのだという。その危急の事態を受けて麻帆良もあの夜は警戒レベルを引き上げたのだった。

 

 勿論、それには驚愕した…けど、本当に驚くべき事はその後に広がった噂の方だ。少なくともツインテールの彼女にとってはそうだった。

 その噂の内容は―――

 大戦の英雄の一人であるサムライマスターの敗北に、その盟友であるサウザンドマスターの息子が事件に巻き込まれた事。

 この麻帆良に封印されていたあの“闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)”が、その封印を一時解除されて救援の為に西へ赴き、何でも復活したとんでもない大鬼神とやらと戦い、文字通り粉砕したという事実。

 

 でも、これだけだったら別にただ驚愕するだけでよかった。彼女に信じられない程の驚きを与えたのは、もう一つの噂だ。それは―――

 

 麻帆良に身を寄せている記憶喪失の少女が、闇の福音に先んじて西の本山へ救援に向かい。最強クラスの戦力を示したらしい、という話であった。

 

 その記憶喪失の少女であるイリヤとは、彼女―――佐倉 愛衣はほんの数日の間柄であるが、既に友達とも言える意識を持てる程の良好な関係を築いていた。

 だから本当に信じられない話だった。

 確かに外見以上にずっとしっかりした子だとは思っていたけれど。それでも自分よりも小柄…と言うよりも小さい年下の幼い少女が、サムライマスターさえ敗れて危機に陥った西の本山へ向かい、戦って世界最高クラスの力を振るっただなんて。

 しかし、ガンドルフィーニや葛葉といった尊敬する先生方も確かだというのだから本当に本当の話なのだ、と。愛衣は感じていた。

 だから愛衣は判らなくなった。

 あの幼い同性の友人にどんな顔をして会えば良いのか? と。

 愛衣にしてみれば、イリヤに対する認識は幼い後輩の少女であり、先輩として自分が手本を示さなければ成らない相手だった。

 

 だというのに―――本当は自分など及びも付かない実力者で、協会にも一目置かれる存在だったのだ。

 

 短い付き合いで何も知らなかったとはいえ、先輩風を吹かせていた自分が恥ずかしいというのもある。けどそれ以上に…そんな相手にどう接すれば良いのか? どんな顔をすれば良いのか? 何時ものように友達としてで良いのか? それとも先達である“魔法先生”―――正規の職員の方達のように敬意を払って接するべきなのか?

 いや、そもそも会うべきですらないのでは? これまでの関係を無かったことにして、例えすれ違っても簡単な挨拶を交える程度に。

 確かにそれは一番楽な考えであり、選択だった。だが愛衣には選べない考えでもある。善良で真面目な彼女にとって、それはとても不義理な行為だと思うからだ。

 なら、これまで通りに……とも思うのだが、彼女は同時にそれが簡単に出来るほど器用な性格でも無く。またその自覚も在ってその自信を抱けなかった。

 

 ―――きっと私は何時ものように振る舞えず、イリヤちゃんにも気まずい思いをさせてしまう。

 

 そう、後ろ向きに考えてしまうのだ。

 そして、また会うべきか、会わざるべきか、などとイリヤとの関係にグルグルと彼女は思考を空回りさせるのだった。

 更に悪い事に、一昨日には「イリヤ嬢は記憶を取り戻したが、家族を魔法実験の失敗で失った事も思い出し。天涯孤独と成った過酷な事実を突き付けられたばかりだ」……などという悲惨な話を愛衣は聞いてしまった―――彼女達のような見習いや平の職員には、そのように一族を家族と置き換え、魔法実験の方も一般社会における火災や交通事故など比較的小規模なありふれた不幸として情報が広められていた。

 そんな話もあり、尚更に愛衣はイリヤと顔を会わせ辛く感じ。また噂が広まった5月に入ってからは、その悩みの種である白い少女の姿が全く見えなくなった事からも悶々とした日々を過ごしていた。

 

 だが、

 

 同じ魔法使い見習いであり、愛衣の先輩であり、姉貴分だと自覚しているウルスラに通う年上の少女―――高音・D・グッドマンは、そんな可愛い妹分の悩む姿を見ていて色々と思う所が在ったらしく。

 直情的な性格の彼女はこの数日間、愛衣を見守っていた反動もあってか、最近女子中等部では全く見かけないというイリヤの居場所を―――()()()側の情報関係の道を進む夏目 萌から―――聞くなり、即刻行動を取ってその場所へ愛衣を半ば引っ張るように強引に連れだしたのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 工房、地下三階の一室―――書庫とした部屋でイリヤは、本校女子中等部の旧制服を着ている……いや、幽霊である彼女にそう表現するのは正しいか判らないが、やや古めかしいセーラー服を着込んださよと向かい合っていた。

 

「何とか上手く行ったわね。こっちの魔法術式の応用実験も兼ねていたから少し心配だったけど……まあ、満足な結果ね」

「まだ良く分からないですけど、上手く行って良かったですね。じゃあ次は―――」

「待って、次のそれは馴染んでからよ。今は上手く行っているように見えても、そうじゃないかも知れないんだから。そうね……一週間ほど経過を見てからにしましょう。その間は馴染ませる意味でも他の―――」

 

 イリヤはさよとそう話しながら視線を一瞬、テーブルに置いてあるカードの方へ送った。

 置かれているカードは6枚で、足りない1枚は今もイリヤの(なか)に在る。

 

 クラスカード。

 英霊を自身の魂の外郭として覆い、その能力を肉体に宿す破格の礼装……いや、宝具といっても差し支えない“アーティファクト”だ。

 ただし、これはイリヤの“記憶”に在るアレとは違う―――正直、それを思うと自分にあんな可能性が在る事自体、複雑且つ驚きなんだけど……と。彼女は思うのだが、それは今は置いておこう。

 あの“並行世界(マンガ)”に於けるカードは、それを触媒に英霊の座に接続(アクセス)して、英霊の力を高度な礼装や自分の肉体に降ろす物であるのだが、今この世界に在るカードは違う。

 先述にもある通り、コレは英霊を自分の魂に覆う物……より正確に言えば、“既に召喚された英霊の核”を魂の外郭とするのだ。

 そういった意味では夢幻()()という言い方は不適切なのかも知れない。

 まあ、それは些細な事なのでイリヤは気にしないようにし、今更言い換えるのも面倒なので呼称に関しては放置した。ただ敢えて彼女を弁護するならば、それを知ったのは記憶を取り戻した後、こうして魔術の研究が本格的に可能になってからだという事だ。

 その研究と解析の結果。判明したカードの正体は、あのイリヤも参加した第五次聖戦争で召喚された“彼等”の核がクラスという“(はこ)”に収まった状態でカードへと置換されたというものであった。

 おそらく大聖杯という強力なバックアップが無いこの世界では、サーヴァントとして現界させて戦闘を行うには魔力等の制限が厳しいから、このような形に成ったのだと思うのだが……その確証までは無かった。

 幾ら現界させないとはいえ、運用時の魔力消費量の効率が異様に良く、僅か3分の1程度と非常に少ないからだ。

 しかし、未知の部分はあれど、お蔭で解決した疑問もあった。

 それは、ライダーのカードだけが何故か使えないというものだ。

 イリヤにはその原因に思い当たる事があった……そう、自分が大聖杯に身を落としたあの戦い(話のルート)では、ライダーは最後まで敗れずに召喚者であるマスターの下へ留まった。

 恐らく後に解体されたという大聖杯が無くなった後も―――その為、此処に在るライダーのカードだけが空っぽなのだ。

 

(……しかし、そんな疑問は解決した所で心は余り晴れない…というか、むしろ痛い事実が発覚したというべきね)

 

 イリヤは、カードの事を反芻する度に思う。

 それはそうだろう。全く使えないカードであるという事実は、イリヤにとって文字通り手札を1枚失っているという事で、貴重な戦力を欠いている訳なのだから。

 

(…まあ、それはそれで、最初から無い物として割り切るしかないんだけど、中身の無いカードだけが手元に在るっていうのはねぇ…)

 

 反芻した事実に溜息を吐き。何とか使えないものかと考え―――

 

 カランカラン、と。軽い鐘の音が工房全体に鳴り響いた。

 スピーカーも無いのに鳴り響いた鐘の音。これは、

 

「お客様のようね」

 

 イリヤは目の前で音源も無く、突然響いた鐘の音に驚いているさよにそう告げるかのようにして言った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 工房と成った元喫茶店だった建物は、その外観や地上部分の内装にはそれほど変化は無く。表のフロアや奥の厨房やロッカー室や応接室などはそのままで。違いがあるとすれば、店長が使っていたと思われる事務室が仮眠室兼地下への入口に改装された位である。

 工房そのものである地下の方は、一階は全体が外敵の侵入を排除するための防衛機構として使われており、空間を弄って異界化させ、各種結界やトラップは勿論、熱砂の砂漠や極寒の雪原を始め、底なしの毒沼と同じく毒の霧が漂う樹海や、隆起する剣山に埋め尽くされた落雷が絶えない山岳などといった様々な環境を再現し。

 また竜牙兵やこちらの世界で入手した式神やゴーレムなどの“兵隊”も配置された正に侵入者には容赦しない迷宮(ラビリンス)と成っている。

 イリヤ本人か、開錠の術を知らない人間にはまさに死地でしかない。

 ちなみに神代の魔女である『キャスター』のカードを使用して、イリヤはこれらを構築していた。

 二階は、半分が一階同様の迷宮で、もう半分は倉庫などを兼ねているが将来的な拡張スペースともしている。

 三階は、先の書庫に、実験室、試料室、器材倉庫などの他、イリヤのプライベートルームが在る。

 

 以上。規模もそれなりに在って中々に整った工房であるのだが、これだけ広いと流石にイリヤ一人で管理するのは当然難しく。その為、イリヤはエヴァに頼んで譲って貰った物があった。

 その一人が、此処を訪れた二人を出迎えていた。

 

「当工房へどのようなご用件でしょうか?」

 

 二人がインターホン(呼び出す術)も無い、閉まりきった元喫茶店の扉を前に立ち往生し、少々悩んだ挙句ノックをすると。ベルの鳴り響く音に僅かに遅れて扉が開き、そのような感情の無い声と共にやはり感情の見えない表情をしたメイド服を着込んだ女性…あるいは少女が姿を現した。

 外見は二十歳前後で、緩く波が掛かった長い黒髪を持ち、整った顔立ちに感情の無い表情を浮かべるそのメイドの存在に、イリヤを訪ねた二人―――愛衣と高音は直ぐに気が付いた。目の前に居るのは“人形”だと。

 

 そう、イリヤがエヴァから譲って貰ったのは、茶々丸の姉達であるハウスメイドドール『チャチャシリーズ』だった。

 その数は、稼働しているのが8体で予備を兼ねた研究用の素体が3体と、計11体である。

 彼女達は、現在イリヤをマスターとして工房の管理を命じられており、また“兵隊”としての役目を担っている。

 動力としての魔力は、工房内に設置された―――工房の下を奔る地脈を利用した―――魔力炉から得ており、工房の外へ出ない限りは半永久的に稼働する事が出来、外へ出る場合でも通常行動ならば6~8時間まで問題無しとされていて。またレイラインからイリヤの魔力も供給可能である。

 目立つ関節部は衣服や幻術を使い隠されている為、外見から人間と区別をつけるのは難しいが、その分、微弱な魔力を帯びているので一般人ならば兎も角、魔法使いには割とアッサリと看破される事が多い……今の二人のように。

 

「貴女は……いえ、コホンッ…失礼、私は高音・D・グッドマンと申します。イリヤスフィールさんは今こちらに居られますか?」

 

 思わぬ魔法人形の登場に唖然とした二人であったが、高音は逸早く気を取り直して目的のイリヤの事を尋ねた。

 現在のマスターの事を尋ねられたハウスメイドは、無表情ながらも何処か視線を鋭くして二人を見据え。警戒した様子で高音の言葉には返答せず、再度先の言葉を口にした。

 

「どのような御用件でしょうか? これといった用件が無いのであれば、お引き取りを」

 

 加えて、つまらない用事であるなら帰れと穏やかながらもストレートに言う……いや、警告した。

 高音はそんなメイドの素っ気ない態度に加えて、その対応が余りにも融通が利かないもの―――正確には勘で悪意や敵意めいたもの―――を感じた為にカチンと来たが、此処の管理のみならず警備を行う人形の彼女にしてみれば、当然の対応だった。

 高音は、そんなメイドに対して食って掛かるように言うが、

 

「ですから、イリヤさんに用が在るのです…!」

「どのような御用件でしょうか? その内容をお答え出来なければ、これ以上承ることは出来ません、お引き取りを」

「彼女に話があるのです。会わせて貰わなければ、用は果たせないでしょう!」

「どのようなお話でしょうか? 私が託りますので差し支えなければ、ここでお話し下さい」

「…何故、貴女に? 本人で無くては意味が在りません…!」

「では、やはりお引き取り―――」

「ですから―――!」

 

 ―――と、似たようなやり取りを何度か繰り返し、

 

「本当、融通の利かないお人形ですわね。なら―――!」

 

 高音の剣幕につい口を挟む事を躊躇ってしまい。半ば静観していた愛衣は、敬愛するお姉様が不穏な気配を纏って強引な手段を取ろうとしたのを感じて、慌ててメイドに告げる。

 

「―――わッ…あの、わたし…佐倉 愛衣って言います。イリヤちゃんの友達で…!」

 

 すると人形の鋭い視線が愛衣の方へ向き、

 

「失礼しました愛衣様」

 

 突然、態度を改めてペコリと深く丁寧にお辞儀をした。変わらず感情が見えないので誠意が籠っていないようではあったが。

 高音は、態度を急変させたメイドにそれはそれでムッとしたが、始めから愛衣の事を出さなかった自分にも非を覚えたので何も言わず、愛衣はそんな落ち着いた様子を見せる高音にホッと安堵の息を吐いた。

 そのように彼女達は、愛衣が名乗った事でメイドが態度を改めたように思ったが…違う。実の所、そのタイミングでイリヤからの念話を受けた為、人形の彼女は態度を変えたのであったりする。

 

「どうぞこちらへ、マスターがお会いになるそうです」

 

 そう告げてメイドは訪問者の二人を工房内へ引き入れた。

 

 

 

「これといって変わった所は無いようね」

「はい」

 

 工房と聞いたので内装に変化を見受けられるかと思っていた高音と愛衣は、以前より見ていた喫茶店であった頃と変わらない中の様子にそう感想を零した。

 そうして工房内を観察しつつ途中外見の異なる2体の人形を見掛け、お辞儀するそれらに何となく彼女達も軽く頭を下げながら、自分達を先導する人形の後を追って応接室の扉を潜った。

 

「いらっしゃい、何日か振りねメイ。それと……初めまして私はイリヤスフィール・フォン・アインツベルンと申します。メイには良くお世話になっており、麻帆良に来て日が浅い私には、随分と参考となる話を聞かせて頂け、深く感謝しております」

 

 応接室で待っていた白い少女が座っていたソファーから立ち上がって愛衣には軽く、初対面の高音には丁寧に一礼して挨拶をする。

 それに愛衣は気まずさもあって応え難く感じてつい黙ってしまったが、高音は彼女の歳の割には様に成っているその振る舞いに、何処か感心した様子で彼女も丁寧に応じた。

 

 

「ご丁寧な挨拶痛み入ります。初めまして私は高音・D・グッドマンと申します。聖ウルスラ高等学校に通う2年生でありますが、ご存じの通り、愛衣共々この麻帆良で修業させて頂いている見習い魔法使いでもあります。此方こそこの子に良くして頂けて感謝しております」

 

 この国での暮らしや祖母や家族の影響もあって、身に着いた日本的なお辞儀をする高音は、今ほど見たイリヤの振る舞いに確かな品の高さを覚え。彼女が名前に含まれるフォンの称号の通り、貴族などの上流階級の出自で相応の教育を受けた人物だと納得し、確信した。

 この幼い少女は由緒ある魔法使いの家柄の出なのだ、と。

 ただアインツベルンなどという家名は寡聞にして聞いたことは無く。故あって偽名を使っているのでは? 耳にした話では家族を皆失っているらしいし、隠さなければならない事情があるのかも? とも考えを巡らせていた。

 

 挨拶を交えると、一同はソファーへと腰を掛け、案内をしてきた人形はイリヤの後ろへと控え。イリヤとこの部屋に元から居た別の人形が用意されていた紅茶をカップに注ぎ、彼女達の前にある木製のテーブルの上へ並べ始める。

 一同全員の前に良い香りを運ぶ湯気が立ってから幾秒ほどし、イリヤが先ず口を開いた。

 

「それで、本日は一体どのような御用件でしょうか? なんでも私に話があるとの事ですが…」

 

 イリヤの丁寧な口調のままでの問い掛けに、高音は少し思う所を感じてそれには答えず。

 

「はい。ですがその前に…不躾なお願いですが、先ずは互いに畏まった態度と言葉は改めるべきかと思います。このままではお互い窮屈でしょうし、特に愛衣には息が詰まるものを感じさせますから」

 

 高音は格式高い家の出だと思える少女に対し、些か不愉快な提案かとも不安に思ったが、それでもそう口にした。

 愛衣から伝え聞いた人柄から大丈夫だろうと思えたからであるが……その見立て通り、抱いた不安は杞憂だった。

 どこかの令嬢か姫君の如く気品に満ちた少女は、高音の提案に好ましい物を覚えたらしく優しく微笑んだからだ。そして普段通りの口調で彼女のそれに答えた。

 

「ええ、かまわないわ。タカネがそれで良いんだって言うならね。私もその方が気楽だし、メイの為というなら尚更にね」

 

 その言葉に高音は少し安堵する。感じられる品の良さは余り変わらないが、それでも先程までの堅苦しい雰囲気が消えて和らいだのだから。

 愛衣もそうだが自分も話し易くなる。多分、このイリヤという少女もそうなのだろう。

 

「それで、改めて何の用かしら? 工房に来たって事は何かの依頼?」

「あ、いえ―――」

 

 そこでふと今更ながらに高音は気付く。

 

「―――すみませんが、先ず確認したい事が…」

「ん?」

「ここの喫茶店が工房と呼ばれる場所に成ったというのは何となく理解しましたが、もしかして貴女が運営しておられるのですか?」

 

 高音の問い掛けに首を傾げていたイリヤが、それを聞いて表情を少し驚かせる。

 

「え…知っていて来たんじゃないの?」

「はい。此処が工房なる物に成ったというのも先程知ったばかりで、運営者がどなたなのか、何を制作しているのかも知りません」

 

 イリヤはその高音の言葉を聞いた途端、額に手を当てた。

 如何にも何か失敗したといったその仕草に、高音は何か拙い事を聞いたのか…と感じて思わず尋ねる。

 

「どうしました? 何か―――」

「いえ、何でもないわ。気にしないで。ちょっと自分の馬鹿さ加減に気が付いただけだから」

「はあ?」

 

 懊悩としたイリヤの返事に高音は曖昧に頷くが、次にその彼女が口を開くと、此処が工房である事と自分が主である事を余り吹聴しないように…と。高音と愛衣にお願いした。

 それに高音は直感するものを覚えた。学園側の…しかもかなり上の方と何らかの隠れた繋がりが彼女とある事に―――いや、噂を耳にしてからそれは薄々感じていた事だ。むしろこれはつい一昨日、自分と愛衣に“支給された代物”と関係あるのでは、と。

 同じ見習いの中でも事情通の萌によると、イリヤという少女がこの元喫茶店へ出入りするように成ったのもつい最近で。今も身に付けている“コレ”が学園に支給され始めたのもこの数日中だというのだ。

 

「………………」

 

 高音はその直感と……そして、これまで耳にして来たこの少女の噂の事が脳裏に浮かび―――ジクリと胸に痛むモノを感じて思わず黙り込んだ。

 

 

 

 そこに、黙り込んだ高音に代わってイリヤを目にしてから口を閉ざしていた愛衣が漸く口を開いた。

 この数日間、思い悩んでいたものを払おうと意を決して愛衣はイリヤに言う。

 

「あ、あのそれでイリヤちゃんに…その、言いたい事っていうか、確かめたい事があるというか……えっと、私たち―――」

 

 が、

 

「―――イリヤさん!」

 

 横から語気の強い声が発せられて、愛衣の言葉は遮られた。

 声を出した高音はイリヤを強く見据えて尋ねる。

 

「お聞きしますが、貴女が京都で起きた事件に関わったというのは本当ですか?」

「―――! お、お姉様!? それはっ…!」

「噂はあって、先生方も否定はしませんでしたが、確証も在りません! 私は本人の口から聞きたいのです…!」

 

 突然の不可解な高音の様子に愛衣は驚き、イリヤは質問に眉を顰める。

 

「で、でもイリヤちゃんにも言い難い事や守秘義務もあると思いますし、そもそもあんな重大な事件の事を修行中である私たち見習いが訊くなんて…」

 

 慌てながらも高音を宥めようとする愛衣。

 だがその内心では、こうなったお姉様を自分では止められない…という悲しい現実を彼女は理解していた。

 勿論、自分も高音が尋ねた事はイリヤから訊けるなら聞きたい事ではあるが……一体、その何が、どのように作用して、この敬愛する姉貴分の琴線(スイッチ)に触れたのかは判らなかった。

 イリヤはただ黙ってそんな高音を見詰めていた。

 

「何も仰らないのですね。やはり見習い風情の未熟な私達には何も聞かせられないと…」

 

 高音は沈黙して自分を見詰めるイリヤをより強く見据え…いや、睨んでそう言う。

 

「ですが一応尋ねます。先の事件では彼の名高き“赤き翼(アラルブラ)”の一員である現在の西の長…あのサムライマスターが不意を受けて敗れたそうですが、貴女はその不意打ちした敵と互角に戦って撃退したと聞いています。これも事実ですか?」

 

 この問い掛けにイリヤはまたも眉を顰めた。それは質問その物というよりは、そんな詠春が敗北した情報までも彼女達…見習い魔法使いの間に広がっているらしい事に呆れると同時に迂闊なものを覚えたからだ。

 同時に高音が、何故自分を睨んでそんなことを尋ねるか。そして自分にどのような感情を抱いているかも察していた。

 しかし、イリヤには答えようが無い。質問の事もそうだが、高音が抱くものは彼女自身が納得できる形に納めなくてはならないものだからだ。

 そう思いイリヤは高音を見詰め。高音は返事を待つように睨み。そうして二人が見据え合い……十数秒、高音はソファーから立ち上がる。

 

「分かりました。答えられないというのであれば、答えられるようにするまでです。イリヤさん―――」

 

 立ち上がってそう言いながらイリヤを見据え直し、

 

「―――私と勝負して頂きます!!」

 

 高音は、向かいに座るイリヤに指を差してそう宣言……宣戦布告した。

 その言葉に愛衣は意味が理解できず、或いは事態に付いて行けず「え? え…?」とオロオロするばかりだ。

 イリヤは少し黙考し―――この二人が原作に於いてネギとそれなりに関わり、魔法世界編にも顔を出していた事を思い出して、その力量を見ておくのも悪くないと判断し…高音の宣告に頷いた。

 

「ええ、いいわよ」

 

 と。

 またこれで彼女の心情が納得行く形に成るのなら、ともついでに思って。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 場所を移動してネギがエヴァから昨日修行を受けた場所―――周囲を森で囲まれた煉瓦造りの朽ちた建物が並ぶ旧市街で、イリヤと高音・愛衣コンビは対峙していた。

 多少派手にやっても問題無いように当然ながら、人払いと認識阻害の結界は設置済みである。

 

 イリヤは相変わらず『アーチャー』を夢幻召喚(インストール)しており、今はその“彼”と同様の赤原礼装と呼ばれる赤い外套を纏い。手には今回の模擬戦の為に投影した一本の日本刀が握られていた。

 その日本刀は魔剣や妖刀の類でこそ無いが、一応世に知られた名工の業物で刃挽きはされておらず、その刀身は優美な波紋と共に鋭利な輝きを放っている。

 模擬戦であるのだから、このような真剣など持ち出さず、安全面からも竹刀や木刀などを選んだ方が良かったのだろうが、しかし恐らくそれでは、今の高音は納得しないであろう。

 況してや直情的な傾向がある彼女では、それを気遣いや嘲りなどと挑発的に受け取り、頭に血を登らせて冷静さを失う可能性が高く。そうなってはその力量を正確に計れなくなる。

 その為、イリヤはこうして抜身の刃を彼女達に見せているのだった。加えて言うと片刃の日本刀なら峰打ちも容易で、二人に大きく怪我をさせずに済むという考えもある。

 なお、言うまでも無いのだが、干将莫耶始めとした宝具は強力過ぎるので当然使う積りは無い。

 

 高音と愛衣は、制服姿のままであるが愛衣は箒型のアーティファクト『オソウジダイスキ』を手にしており、ここへ来るまで表情に見せていた躊躇は無くなっており、何時に無く凛々しい顔をイリヤに見せている。

 高音の説得を受けてやる気を出したのか、それともただ単に已む無しとして覚悟を決めたのかのどちらかだろう。

 高音の方は無手であるが、工房に居た時から変わらずイリヤを強く睨み付けており、既に準備万端といった様子だ。

 

 暫く両者らは動かず、30mほど離れた先に立つお互いを観察するように睨み合い……先に動いたのは高音と愛衣だった。

 愛衣が後方へ下がり、高音が僅かに前へ出る。

 どうやら高音が前衛で愛衣が後衛に付くように見え―――途端、周囲の建物や草木などの影に不審な“像”が浮かび上がり、ソレがイリヤに目掛けて駆け出した。

 ソレは影が形に成ったような黒装束で全身を覆った長身の人型―――高音が得意とする魔法『操影術』によって召喚された文字通り影の使い魔だ。

 

 数は全部で17体、現状高音が使役できる限界数である。

 

 使い魔はイリヤを囲むように、幾つかのグループに分かれて彼女の左右前後、時間差を付けて攻撃を仕掛けた。

 そんな小賢しい戦術に態々付き合う必要は無いのだが、イリヤは動かず敢えて受ける事にした。

 グループは律儀に3体ずつに分かれて四方から迫り、残りの5体は高音の前を固めている―――これを見るに前衛はこれら使い魔で固め、高音自身は中衛に位置する積りらしい、とイリヤは判断した。

 そう思考している内に前方の3体が接近、常人を遥かに上回る俊敏さと膂力で打ち出される攻撃を、イリヤは魔力を帯びさせた日本刀で捌き、或いは交わし―――遅れて4秒後に背後からも3体が、更に4秒後には左右から攻撃が来た。

 この時点でイリヤはまだ1体も使い魔を斬っておらず、受けに徹してその使い魔の能力の把握に努める。

 

 使い魔の戦い方は、人型の形状から当然四肢…或いは五肢を駆使した格闘で、また指先が鋭く鉤爪になっており、それを使いイリヤの身体を切り裂こうとする。

 しかし、常人を凌ぐ身体能力はあれど、その動きは単調で読みやすく。此方のフェイントにもアッサリと掛かり、また仕掛けて来る事も無い。

 ただ連係自体は悪くは無いのだが……それも当然であり、元々この手の使い魔は数を投入し、その物量で戦果を上げるもので、一体一体の能力は然程重視されていないのだ。

 

 それに敵は使い魔だけでは無い―――

 

「―――我が手に宿り敵を喰らえ、『紅き焔』!」

 

 愛衣の力ある言霊が発せられるとほぼ同時に、使い魔の包囲の一角が開き、そこから赤い閃光が奔った。

 轟ッと。魔法の火炎が迫る直前、イリヤは瞬く間も無い一瞬で、自身を取り囲む影達を切り裂きながら右に跳んで避け、

 

「そこっ!」

「まだっ!」

 

 高音と愛衣が叫び、イリヤの避けた先に3つの赤い光弾と無数の黒い鞭が伸びた。

 無詠唱魔法による火炎系の魔法の矢と操影術による影槍。

 

(……定石通りだけど悪くは無いわね)

 

 使い魔で前衛を固めて敵を包囲・足止めし、後衛が呪文詠唱を完了させて中位以上の高威力の魔法を放って決めに掛かる。また油断せず、避けられた場合や耐えられた状況も想定しており、素早い追撃を見せた。

 基本に準じた定石通り戦法ではあるが、2人の息は合っており、自分が避けた後の狙うタイミングと位置もまずまずだ。

 12体もの使い魔に取り囲まれても、平然と余裕を持って対応する自分の姿に焦りと動揺を抱いたにも拘らず……。

 

 迫った火の矢と影の矛先に、その影槍だけに対応しつつイリヤはそう思考する。

 

 

「私の矢がッ!?」

「くっ! 考えてみれば当然でしたわね」

 

 愛衣は自分の放った魔法の矢がイリヤに当たる先から霧散するのに驚き、その驚きに答えるように高音が若干悔しげに言う。

 

「!――イリヤちゃんも!?」

 

 高音の言葉に思い当たる事があって愛衣はハッとする。

 

(そういう事よ愛衣。これでは魔法の矢などを使った低位魔法での牽制は意味が無いわ。貴女は中位以上の魔法を打ち込める機を伺う事に集中して。私がソレら牽制を全面的に引き受けるから)

(…っ、はい、お姉様!)

 

 高音は、残った使い魔たちをイリヤに差し向けながら念話でそう妹分を指示し、自分は持ち得る最大の手札を切る。

 その魔法の特性上、衣服の上からでは得られる効果は落ちるが―――脱ぎ捨てる時間など無いのだから仕方が無い。

 高音は意識を…それを扱う為に瞼を一瞬閉じ、開くと同時にソレが自分の意に応えて背後に現れたのを知覚した。

 自身の身の丈よりも二回りか三回りほど大きい使い魔が召喚され、同時に纏う衣服がドレスのような物に変化する。

 

 操影術による近接戦闘最強奥義『黒衣の夜想曲』。

 背後に付き添う大型使い魔の直接的な援護を受けられ、その膂力と敏捷性をも自身の身体能力に付与する非常に高度な魔法だ。

 加えて言えば、操影術自体をよりフルスペックに扱えるようになる。

 

 更に自身が抜かれた場合も考えて愛衣にも制服の上から『影の鎧』を被せてその衣服を黒く染める。愛衣の近接戦闘力を考慮してもそれが何処まで有効か、正直疑問だが……やらないよりかはマシだろう。

 

 それ程までに今相手にしている少女は尋常でないのだ。

 

 未だ余裕を持って使い魔達を相手にし、今も欠けた使い魔の補充も兼ねてイリヤの直ぐ傍…足元に在る木陰から不意を打つように死角を狙って複数の使い魔を呼び出し、同時に攻撃を仕掛けさせた……にも拘らず、彼女は予期したかのように鮮やかに捌き、躱されてしまった。

 

「くっ…」

 

 思わず高音は呻く。悔しさの混じった声で―――だから全力を持って挑む。

 

「―――『百の影槍』!!」

 

 高音が叫んだ瞬間、背後の使い魔から鞭の如く無数の黒い影が伸びる、文字通りそれは百にも到達し…或いは超える影の槍だ。

 それを変幻自在に操り、様々な角度と方角からイリヤへと向ける。魔法の矢や銃弾と変わらぬ速度を持って、今も彼女を囲み攻撃を仕掛ける自身の使い魔達に当てぬように掻い潜らせ―――。

 

 その攻撃にイリヤは驚きの表情を浮かべ―――それを見、高音は思わず笑みを浮かべた……が。

 クスリとイリヤは一瞬で表情を驚きから楽しそうな笑みに変え、

 

「フッ―――!」

 

 影槍を躱しながら先と同様、瞬く間に無数の使い魔を切り裂いて行き―――次の瞬間、高音の背後からこれまた先と同様に赤い閃光がイリヤに向けて奔り、彼女は余裕を持ってそれを避ける。その動きを封じんとする高音の百を超える影の槍に晒されながらも…。

 そんな余裕な……楽しそうな笑みを浮かべる彼女を見て、

 

「―――ッ!」

 

 ギリィッと耳障りな音が高音の耳に入った。

 それは考えるまでも無く自分が歯軋りした音だった。どうやら自分でも気づかぬ内に顎に力が入っていたらしい。

 そんな自分に高音は恥じ入る物を感じたが、この湧き上がる不愉快な感情―――悔しさを始めとした負の念を否定できなかった。

 イリヤスフィールという少女の実力は間違いなく本物だ。自分の持ち得る最大の攻撃をああもアッサリと躱したのだから……だから、それは認めるしかない。

 

 けれど、けれど―――

 

 湧き上がる感情の中で彼女―――高音は思う。理不尽な現実に対する憤りを。

 

 

 

 高音・D・グッドマンは魔法世界に在る“本国”で生まれた。

 幼少の頃から魔法を隠す必要のない社会(せけん)で育ち、何ら気に留める事もなく魔法の存在を当然と受け止め、当然のように触れてその神秘なる御業を学んできた。

 彼女自身が裕福な良家の生まれという事もあるが、その学習環境は現実世界に在る魔法学校などよりも充実したものでエリート候補と呼んでも差し支えないほど恵まれたものだ。

 物心付く以前から“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”の資格を持つ人物から英才教育を……しかも一人の人間から学ぶのでは偏りが出来るとして、複数のそれら優秀な魔法使いから受けて来た。

 それ程までの環境が用意されたのは、家の方針という事もあっただろうが、高音が並の魔法使いよりも優れた資質を持ち、更に影属性という稀有なものに高い適性があり、将来が期待されたからだ。

 高音自身もその期待に応え、教育の成果を示して()()魔法学校で常に優秀な成績を修め続け、ついには首席での卒業を果たした。

 ネギなどの田舎とは違い、多くの生徒が通い犇めく“本国”に在る一流の学校を…だ。

 だから自負が在った。

 

 自分が優れた資質を持ち、優秀である事に。それをより良く育める恵まれた環境にあった事に。

 そしてそれに胡坐を掻かず常に努力してきた事に。

 

 この修行の地である麻帆良に来てからもそうだ。

 “本国”出身で、首席で卒業したエリート候補だという事を鼻に掛けず、見習いとして謙虚に与えられる課題と訓練や任務に励んできた。

 優れた先達の方々を敬い。愛衣や萌といった後輩たちの良い手本となるように心掛けても来た。

 

 そう、だからこそ自負以上に自信も在った。

 

 自分の優れた才覚と研鑽の成果に。修行中の見習いであっても正規の魔法使いと同等の働きが出来ると。愛衣という可愛い後輩…修行中の相棒(パートナー)である彼女も並以上に優秀だ。

 だからいずれは、自分のその才覚と成果が認められ、愛衣という優れた相棒と共に―――見習いの中でも群を抜いて優秀な自分達に正規の任務が与えられて、一任されるだろうという期待が在った。

 しかし、そんな淡い期待は修業期間の終了が迫った今と成っても訪れる事は無かった。

 

 やはり見習いの身では仕方ないとも思ったが、それでも秘めた自信から諦め切れず……期待を残し、また協会への不満が少しずつであるが芽生えていた。

 

 他の見習い達よりも頭を二つ三つ抜いた実力を持ち、修行で成果を出す自分達を正当に評価してくれていないのではないか? 或いは他の見習い達と全く変わらない評価なのでは? 

 

 などと。

 他にも、新任の正規の魔法使いが任務先で失態を犯せば、あのような見習いの域を出ない者よりも、自分達に任せてくれた方が余程上手く熟せるというのに…とさえ内心で罵った事もある。

 それでも見習いという身を弁えて表に出す事も無く、高音はずっと堪えていた。

 

 そんな時だ。愛衣の友人と成ったイリヤなる後輩と思わしき幼い少女が、京都で起こった重大な事件の解決に貢献したという噂を耳にしたのは。

 最初は性質の悪い噂だと思った。自分は話した事も無いがその姿は見掛けていたのだ。

 愛衣よりもずっと小さい御伽噺にでも出てきそうなお姫様か妖精のような少女の姿を。

 そんな虫も殺しそうにない可憐な子が、危機に陥った西の本山に乗り込んだ、というのは……本当に性質の悪い噂だった。

 

 ―――尊敬する麻帆良の先達の話を聞き、事実であるらしいと知るまでは。

 

 以来この数日間、高音の中には燻り続けるものがあった。

 それを確かめる為に彼女はイリヤの下を尋ねた。勿論、愛衣の為でもある事に偽りは無い……少なくとも彼女自身はそう思っていた。

 そして、噂の根源である白い少女……イリヤと対面し話をして―――その燻ったものに火が付いた。

 

 自分と同じ名のある魔法使いの家柄で。恐らく同じく素質に恵まれ、高度な教育を受けたであろう彼女。

 

 その幼さと家柄の格式以外は自分と何ら変わり無さそうなイリヤスフィールという少女。

 

 自分よりも幼い事から見習いの身である筈…いや、そうでなければおかしいその少女が……―――学園の、麻帆良の、協会の信任を受けている現実。

 

 京都での緊急性を要した事件以外にも今、麻帆良に普及しつつある全く新しいアミュレットの製作者…つまり関東魔法協会御用達の魔法鍛冶に抜擢されたらしい事。

 

 自分と似たような立場でありながらも、自分と違って任務を託されて確かな業務を任される彼女。しかも自分よりもずっと幼い子供であるのに……。

 そう、ずっと年上で見習いとして努力してきた自分が認められない事を、ほんの少し前に麻帆良に預けられた年下の彼女が成し遂げ、認められているのだ。

 

 ―――これを理不尽と言わず何と言うのか。

 

 そうして火が付いた感情のまま、高音はイリヤを問い詰め。答えない彼女に更に火が燃え盛り、勝負を挑んだのであった。

 

 それは要するに認められているイリヤへの嫉妬でもあり、認めてくれない協会への不満でもあり、八つ当たりだった。

 これはこれで八つ当たりされたイリヤには、理不尽で迷惑な話ではあったが、高音はそんな自分の非も自覚していた。それが判らないほど彼女は良識の無い人間では無い……しかしそれでも燃え盛ったその感情は止められなかったのだ。

 

 いや―――或いはこの少女に挑み勝てれば……もしくは勝てなくとも善戦出来さえすれば、自分も認められるのではないか? 

 

 そんな甘い思考と誘惑も在ったのかも知れない。

 

 

 

 イリヤは、そんな高音の心情をある程度は察していた。

 しかし、それをただの嫉妬だの、八つ当たりなのだと悪し様に断じる積りは無かった。

 それは理解出来なくも無いという共感的なものであるし、この年頃の少年少女が持つ特有の情緒の揺らぎなのだと考えているからだ。

 そう、誰にしろ悩みを抱えて深みに嵌まる事はある。特に若い内はそうだろう。

 またこうして悩み、行動に打って出たのも、それだけ熱心にその道に歩んでいるという証明であり、魔法使いとして強い自覚と誇りを持つ故なのだと裏返して見る事も出来る。

 イリヤとしては、高音のその思いを断じるよりも、むしろ評価しても良いとさえ考えていた。

 

 まあ、感情に任せた直情的な部分はどうしようもない欠点だとも思ったが。

 

 

 

 轟ッ!と。三度目の『紅い焔』がイリヤが先程まで居た場所を焼き―――ただし、派手に見えても出力は模擬戦という事もあって抑えられており、障壁を随時展開している魔法使いならば、直撃を受けても少し熱い程度で済むそれを見て、そろそろ締め時かなとイリヤは考える。

 それを放った愛衣には、一度も掠りすらしない事実から諦観の表情が見え。高音も焦りからか攻撃にむらが生じて自身もジリジリと前に出て来ており、現状のスタンスを崩して中衛から前衛に飛び出しかねない様子だ。

 イリヤの圧倒的過ぎる戦力に二人とも打開策が見えないのだ。

 そう見えた事からもイリヤは決断し、

 

「―――え?」

 

 と、目の前で呆然とする愛衣の腹へ掌底を伸ばし、

 

「ごふっ…!?」

 

 ドスンッと、重い音と共に障壁と影の防護越しに伝わった激しい衝撃に彼女は呻いて倒れ伏す。

 

「愛衣っ!?」

 

 数秒遅れて高音がそちらに振り向き、直前まで前衛に居た筈のイリヤの姿をそこに捉え、後衛の相方が倒れた事に気付いた。

 今のイリヤの視点から高音の背後―――つまり前衛に居た影の使い魔たちの身体が2つ3つに分かれ、バラバラと黒い霞に成って霧散するのが見える。当然、イリヤが愛衣を倒す前に切り伏せたのだ。

 目で捉えるより…或いは脳が認識するより早くそれを成し、自分の脇を抜けて愛衣を倒したという末恐ろしい事実を理解したらしく。高音の顔色は青くなってその表情が引き攣った。

 それでも彼女は、思考を硬直させず影槍を伸ばしてイリヤを討たんとし、

 

「ハ―――」

 

 それをさせまいとイリヤは瞬動で一挙に接近して刀を振り払った―――が、

 

「…ッ!―――ふっ…この『黒衣の夜想曲』は、その程度の斬撃では簡単に破れません」

 

 冷や汗を流しながらもそう言う高音の言葉通り、イリヤの打ち込んだ太刀は影の自動防御によって阻まれていた。空かさず高音はこの至近での機会を逃すまいといった感じで大型使い魔に攻撃をさせつつ、百を超える影槍も浴びせに掛かり、

 

「む―――!」

「なっ!?」

 

 全方位ほぼ同時、その背にさえ回って突き刺さんとした影槍も含めて凄まじい速度で放たれた高音の攻撃を、イリヤは全て刀一本で防ぎ、高音はその鉄壁な剣捌きに驚愕する―――しかし、彼女にはそんな間さえ与えないと言わんばかりにイリヤは、高音の攻撃を凌ぐと防御から攻撃へと切り替える。

 

「っ―――!? くううう!!!」

 

 防御で示した剣捌きが攻撃でも示され、高音は防御に集中せざるを得なくなる。自動防御だけでは対応できない程の速度で繰り出される連撃。

 使い魔との意識の同調を高め、その連続した斬撃を捉えようと、防ごうとする―――が、

 

「あ、―――うぐっ!!」

 

 使い魔十数体に加え、百を超えんとした影槍に対応し続けた剣撃と体捌きに付いて行ける筈も無く。胴に一撃を貰って彼女も愛衣と同じく地に伏す事と成った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「―――ここは…?」

 

 気付くと夕暮れで赤く染まった空が見え、彼女は自分が野外で仰向けに倒れている事実を認識した。

 何故? と思う間も無く。眼を覚ました彼女に気付いた誰かの声が耳に入った。

 

「お姉様…」

 

 普段から良く耳にしている声に彼女―――高音は上体を起こして声の方へ視線を向ける。

 そこには足を抱えて地面に座る妹分が気落ちした表情で自分を見ていた。

 そんな愛衣の様子に高音は眼を覚ます前の事を思い出した。

 イリヤという少女に模擬戦を挑み。善戦どころかただ一撃も浴びせる事が出来ず―――

 

「私達は…私は……負けたのですね」

「…はい」

 

 高音の言葉に愛衣は頷き、高音は視線を逸らし……いや、愛衣から顔を背けてその表情を隠した。

 

「……うっ…く」

 

 声が漏れて慌てて口を押える。自分を慕う妹分には見せたくなかったし、気付かれたくも無かった。けど―――

 

「……くう……う、うう…」

 

 どうしようもなく目元が熱くなり、そこから流れ出る滴を止めることも、情けなく漏れ出る声も抑えることは出来なかった。

 

 悔しい、悔しい、とても悔しい。

 これまでの自分は何だったのか?

 才能があると持て囃され、許される限りの教育環境が整えられ、幾人もの優れた先達から多くを学んだ。

 それを無駄にすまいと常に全力を尽くして、それら家庭教師や魔法学校の出す課題を優れた成績で修め。多くの生徒が通い、優れた才覚を持つ同級生が居並ぶ一流の魔法学校を、それら幾人もの才能ある同年代の少年少女を抑え、首席を勝ち取って卒業した。

 そして麻帆良に独り来てからも決してそれに驕らず心構え、それまで以上に力を入れて修行に努めて来た。

 

 なのに、なのに―――

 

 自分よりもずっと幼い少女に全く及ばなかった。敵わなかった。

 全力を尽くしたにも拘らず、文字通り正面から完全に打ち砕かれた。

 協会や“本国”に勤めるような正規の魔法使い相手ならばともかく、同じ見習いという立場であり、おそらく自分と似た境遇であった筈なのに、どうしてこんなにも差が在るのか? 或いは出たのか?

 

 悔しくて、判らなくて、打ちひしがれて―――ただ、ただその現実に高音は涙を流し、声を押し殺して泣く事しか出来なかった。

 

「……お姉様…」

 

 愛衣はひたすら声を押し殺して涙を流す尊敬する姉貴分に何か言う事も、何もする事も出来ずそう呟くしかなかった。

 そして先程まで此処に居た、あの恐ろしいまでの圧倒的な力を見せ付けた幼い友達の事を思い返す。

 イリヤは言った。

 

『きっとタカネは泣くだろうから、私は此処から消えるわ。此処に残ったままだと彼女は泣けないと思うし……メイ、ごめんね』

 

 彼女の言った通り高音は泣いている。聞いた時は想像も出来なかった。これまでもお姉様が泣くなんて考えた事も無かった。

 でも、気持ちは判らなくもなかった。自分も悔しいのだから…けど、自分はそれ程でも無い。大きなショックは無い。

 それはきっと尊敬するお姉様と背負っているモノが違うからだ。

 

 そう愛衣は思った。

 

 彼女は修業中の期間だけとはいえ、一応高音のパートナーなのだ。当然、高音が“本国”でも名のある家の出だという事情は知っている。

 勿論、その背負ったモノがどれ程重いものであるのかまでは知らないし、魔法使いである事以外は平凡な家庭で育った愛衣には理解できない……が、漫然となら判らなくはない。

 それは本当に何となくという想像でしかなく、言葉にも出来ないような―――麻帆良に来てからずっと高音の傍に居て、その努力してきた姿を見続けていたから感じる勘のようなものだ。

 そう、自分も含めて愛衣が知る見習いの中では、誰よりも一途で懸命で、心から人々の為に成る“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”目指す、そんな高音の頑張る姿を見て来たから。

 だから、この尊敬する年上の少女が受けた衝撃の大きさを愛衣は、漫然と感じていた。

 

 このように愛衣があの怖いほどの力を示した白い少女に対し、比較的小さな衝撃を抱く程度で済んでいるのは、このような高音への心配と背負うモノが無い分、素直に感心出来るからである…が、何よりもそうさせているのは、そう思える愛衣自身の善良且つ純真な人柄の賜物であろう。

 

 ―――またイリヤを“友達”として受け入れているからでもある。

 

 それは、イリヤが此処から立ち去る時の事だ。

 

『…あ、あのイリヤちゃん』

『ん?』

『えっと、あの…その―――また模擬戦してくれるかな?』

『え? うーん…いいわよ。メイとタカネに、メグミだけならね』

 

 本当は別の事を―――私達、友達だよね?と―――言いたかったんだけど、つい言い難くて模擬戦をして欲しいなんて。後から考えたら随分と図々しい事だったけど、イリヤちゃんは少し考えるだけで良いと言ってくれた。

 でも、それよりも、

 

 ―――萌さんのことも忘れずに言った。

 

 つまりイリヤちゃんの中では、自分も含めてそう認識してくれているのだ―――きっと友達…だって。

 

 その事実に愛衣は、嬉しさを覚えると共に隔意を覚えていた自分を改められそうだと感じていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「高音さん、やっぱり泣いているようでしたよ」

「そっか……悪いわね、覗きなんてさせて」

「いえ、私も少し心配でしたし」

 

 工房への帰り、途中立ち寄ったカフェテラスでイリヤはさよと話をしていた。

 当然、さよの姿は見えないので一人でしゃべっているように見えるが、そこは無通話状態の携帯を耳に当てて誤魔化している。

 魔術を使っても良いのだが、何でもそれで対応すれば良いという訳では無い。使わずに済む方法があるのであれば、その方法を取るべきだろう。

 

「あの人、大丈夫かな。随分と落ち込んでいるような感じだったけど」

 

 誰とも言うなしといった感じでさよが言う。

 そこはイリヤとしても心配な所ではあるが、自分の事も含めて色々と溜め込んでいるように思えた高音を鑑みれば、遅かれ早かれこういった事は起きたと見ていた。後は彼女自身で解決…乗り越えなくては成らない問題だ。

 唯一懸念すべきは、これがネギとの関わりにどう影響するかだ。

 

「ま、成るようにしかならないわ」

 

 そうイリヤは、さよの言葉と抱いた懸念に対して口にした。

 多少無責任かも知れないが、やはりアレは高音自身の問題なのだ。

 それに傍には愛衣という優しい相棒もいる。まあ…それでも折を見て様子を見るなり、明石教授辺りに相談しておくべきかな、ともイリヤは思ったが。抱いた懸念は、それほど大事に関わるとも思えないので深く心配する必要は無いだろう……―――少なくともこの時はそう思っていた。

 ならば、そんな事よりも、

 

「それよりも、帰ったら実験の続きよサヨ」

「あ、はい。頑張ります」

 

 今は他にやるべき事があり、イリヤはさよに声を掛けて席を立ち、カフェテラスを後にして工房へ足を向けた。

 

 

 




ライダーのカードが使えないのに、あらすじに与えられた七騎とある件。


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第11話―――穏当ならざるバカンス 前編

この回は文章量が多かったので2つに分けてます。その方が修正の為のチェックも楽なので。


 

 見上げれば、そこに在るのは果て無き青い空。輝く暑い太陽。流れる白い雲。周囲を見渡せば、白い砂浜と青い海が広がり、彼方には何処までも続く地平線。ここはまさに南国の楽園…!

 

 

 そんなありふれた安っぽいフレーズがイリヤの脳裏に浮かぶ。

 そう、彼女は何故か南国……といっても国内にある南の島だが、あやかの実家が経営する雪広グループのリゾート施設を訪れていた。

 

「いや…ほんとう。どうしてなんだろう?」

 

 昨晩まで確かに工房に居た筈なのだ。

 それがなんで? とイリヤは海を目の前にして首を傾げるばかりだった―――が、結論から言えば、拉致されたからだ。

 

「…………」

 

 イリヤは目の前の光景から視線を逸らし、無言で後ろを振り返った。

 

「♪~~」

「………………」

 

 そこにはニコニコと上機嫌な表情を見せる木乃香と、申し訳なさそうに顔を俯かせる刹那が居た。

 

 

 彼女達は昨晩工房を訪れ、遅まきながらも工房の開店祝いと称して、豪勢な料理が詰まった4段重ねの重箱を2つ持って来た。

 イリヤは事前の約束も連絡も無く。突然訪問した二人に驚いたものの歓迎した。

 そしてさよと合わせた彼女たち四人は夕食時だった事もあって―――幽霊のさよは当然食べられないが―――重箱の料理へ箸を伸ばしながら歓談に興じた。

 

 ―――のだが、

 

 重箱と同じく差し入れに、木乃香が持って来た玉露を彼女が勧めるままに食後の一服としてイリヤは美味しく頂き……幾秒ほどして、何故か急に瞼が重くなり―――ニヤリ、とらしくない不敵な笑みを浮かべる木乃香の顔を見たのを最後に……その意識が途絶えた。

 

「――――――」

 

 イリヤはそれら昨晩の出来事を思い出し、恐らく主犯であろう木乃香を半眼で見詰める。

 口には出さないがその目は明らかに、どういうつもり? と問い掛けていた。

 その無言の圧力と剣呑さは刹那さえ一歩引いてしまう程で「事と次第によってはただじゃすませねえ」とも言いかねない雰囲気があった。

 友人と信頼する相手に薬なんぞ盛られたのだから当然の反応だろう。

 しかし、木乃香は一向に悪びれる様子は無く。

 

「いや~、イリヤちゃん。ここん所、疲れとるんやないかなぁ~と思うて」

「お、お嬢様…」

 

 朗らかな笑顔のままあっけらかんとそう言う木乃香に刹那が焦り、その彼女とイリヤの間でチラチラと視線を往復させる。

 そんな木乃香にイリヤはムッとした表情を見せる。

 

「だからって随分強引じゃない」

 

 イリヤは怒りを隠さずに木乃香を睨むが、彼女はそれにも動じず、

 

「こうでもせんと、此処へ連れて来れへんと思うたから。実際イリヤちゃん、昨日も誘ったのに全然乗り気や無かったやん」

 

 笑顔のまま…されど何処か真剣に木乃香は答える。

 

「それにこの3日程は殆ど姿を見せへんで、せっちゃん達との稽古にも顔を出してないんやろ?……これも昨日言うたよね」

「それは…」

 

 笑顔で穏やかなのに何処となく責めるかのような……独特の気配とその口調にイリヤは戸惑いを覚え、抱いていた怒りを思わず消沈させてしまう。

 

「イリヤちゃんが大変だと思う気持ちは判るけど、少し根を詰め過ぎやない?」

 

 イリヤは木乃香の言葉を受け、僅かに黙考すると一つ溜息を吐いた。

 木乃香の指摘通りだと思ったからだ。工房を開いてから忙しさを理由にしてずっとそこへ籠っていたが、そこには焦りがあるからかも知れないと感じたのだ。

 そう、確かにイリヤは恐れている。あのアイリの手によって―――黒化英霊によってネギ達が犠牲に成り、麻帆良の人々にも危害が及ぶことを。

 だから、工房で研究と製作に勤しんでいる訳なのだが……木乃香に指摘され、改めてその事に思い巡らせると。胸の底で何処か重く冷たい氷の塊ようなものが圧し掛かる感じを覚え、その恐れがより大きくなった気がした。

 

 ―――どうも自分は考えている以上に、その想像する最悪の事態が訪れる事に恐怖しているらしい。

 

 そうイリヤは、今更ながら自分の中に焦りがある事に気が付かされた。同時に全身に怠い重みがある事にも気付き、疲労が蓄積している事を自覚する。

 

「はぁ…」

 

 思わずまた溜息が出た。

 指摘されてこうして工房を離れるまで、そんな自分の精神状態と肉体の疲労に気付けなかった自分に呆れたのだ。

 

(……確かに根を詰め過ぎていたのかもね)

 

 イリヤは反省するかのようにそう内心で呟く。

 

「ありがとうコノカ。気を使ってくれて―――ただ、薬を盛ったことには思う所が無い訳ではないけど…」

 

 気に掛けてくれた木乃香へお礼を言いつつもジロリと彼女を見据える。

 木乃香はそれに嬉しそうに頷きながらも、今度は素直に頭を下げた。

 

「ふふ、ゴメンな。もうせえへんから堪忍な」

 

 その謝罪にイリヤは「当たり前よ!」と応じてムッとした顔を再び覗かせたが、木乃香は嬉しそうな顔を崩さなかった。

 木乃香としては、根を詰めて無理をしようとするイリヤがそれを改めてくれれば良く。この休日を楽しんでさえくれれば満足なのだ。

 そうなってくれるのであれば、このように怒りを向けられるくらいの事は甘受する積りだ。

 イリヤにしても木乃香の行動が自分を思っての事だと理解しているので、それ以上は責めなかった……が、少し気に掛かる事が在り、それを尋ねた。

 

 

「……そういえば、人形(あのこ)達はどうしたの? 私の命令以外は基本的に聞かない筈だけど」

「ん? そうでもなかったよ。疲れているイリヤちゃんを休ませるためやって説明したら納得して、むしろイリヤちゃんの着替えを用意してくれたりと、進んで協力してくれたえ」

「……まったく、あの子達は…」

 

 木乃香のその意外な返答に、イリヤは主人(マスター)に忠誠を尽くし、その主の身を尊重する命無きメイド達に呆れるか、感謝すべきかどっちとも付かない念を覚えた。

 

 

 刹那は、大事な幼馴染である木乃香と、敬意を払うべき由緒ある異世界の魔術師であるイリヤの二人が穏やかな会話を始めたのを見て、ホッと安堵の息を吐いた。

 木乃香の“共犯者”となった彼女ではあったが、流石に薬を使ってまでイリヤをこの南の島へ連れて来るのはやり過ぎだと思っていたからだ。

 しかし一方で、そうまでした木乃香の思いもまた理解していた。

 “先日の一件”……といってもほんの3日ほど前だが、それ以来まともに話も出来ず、工房へ引き籠ったまま姿を見せないイリヤの事は非常に気掛かりで、少し心配だったのだ。

 

(―――そうだ。あのようなとんでもない話を聞かされたのだから……)

 

 と、刹那は思う。

 それでも昨日まで訪ねなかったのは、忙しいらしいという話を学園長から耳にし、理由も無しに工房で作業しているイリヤの下を訪問するのは失礼になると抵抗を感じていたからだ。

 だが、そこに昨日……南の島へのバカンスにイリヤを誘う、という口実に成りそうな材料を得られ。丁度、木乃香も開店祝いという口実(いいわけ)を―――重箱の料理という形で―――作っていた事もあり、刹那達はイリヤの所へ足を運ぶ事と成った。

 しかしその自分達の誘いに対して、イリヤは全くと言って良いほど興味を示さなかった。

 

『私はやる事があるから行けないわ。貴女達は楽しんで来てね』

 

 そうやんわりと言いながらも、何処か他人事のように彼女は即答したのだ。

 刹那はそんなイリヤの態度に僅かながら腹立たしい感情を覚えた。おそらく木乃香も同様だろう。

 だから、木乃香はあのような暴挙とも言うべき行動へ打って出たのだ。

 

 ―――工房(ここ)に居る限り、どんなに言葉を尽くしても、例え納得させたとしても、イリヤはきっと何かしら理由を付けて自分達の誘いに乗らない。

 

 お茶を口にした途端、意識を失っ―――…眠りに落ちたイリヤに驚く刹那に、そのように木乃香は語った。

 その言葉に刹那は先の苛立っていた感情もあって共感を覚え。木乃香の犯した暴挙も一時忘れて……大事なお嬢様に命じられるまま、大型のボストンバックを調達し、薬で眠るイリヤをそれに詰め込み。

 工房から運び出して、日が沈んで人気のない麻帆良の市街を誰にも見つからないように抜けた訳である……が、こうして思い返すと自分のしていた事が犯罪的に―――いや、客観的にどう見ても犯罪者……幼女誘拐犯にしか見えない事実に深い後悔の念とイリヤへの申し訳無さが出て来てしまう。

 

 そんな後悔と謝意の感情でいっぱいには成るのだが、今蒸し返すのは何と無く気まずくなりそうなので、取り敢えず刹那は共犯者と成った事を心の内で謝って置いた。

 

(本当、すみませんでした。イリヤさん)

 

 と。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 多少…いや、かなり強引な招待ではあったが、せっかくの木乃香の気遣いや好意を無碍にしない為にも、イリヤは抱いた怒りを完全に忘れる事にしてこの南の島でのバカンスを楽しむことにした。

 ちなみにさよは憑いて来ていない。もう数日ほど時間が在れば、麻帆良の外へ出しても良かったのだが……それは本人もイリヤの助手として自覚していたので、泣く泣くイリヤを見送ったらしい。

 

(帰りに何かお土産を用意しないといけないわね)

 

 イリヤはそんな助手として自覚を持ち、自分の信頼に応えようとする健気なさよの事を思いながら、風に乗って潮の匂いが運ばれる白く輝く砂浜に足跡を残した。

 

 

 

「よくよく考えると“わたし”って海初めてなのよね。泳ぐのも随分と久しぶりのような気がするし…」

 

 故郷たるアインツベルンの土地や聖杯戦争中は元より。あの“四日間”の記憶でもせいぜいプールだったし……季節柄、海で泳ぐのは無理だったからか、そんな“日常の断片”も生まれなかったみたいね。

 そんな事を考えながら、イリヤは初めて見る南国の美しい海を泳いで堪能する。

 なおその彼女が着込む水着は、古式ゆかしい伝統のスクール水着である。

 それに、なんとなく意図的な思惑を感じなくも無いイリヤであったが、木乃香と刹那も同様なので深く考えないようにする。

 そうして濁りが全く見えない透明度の高い海を、水中を進む魚と戯れるように泳いでいると。

 

「イリヤちゃん。泳ぐの上手やなぁ、まるで人魚様みたいや!」

「ええ! とても見事で素晴らしいです。お嬢様の仰られるとおり、人魚の如く水中にいる事が当然なのだと、思わずそう錯覚してしまいそうです…!」

 

 傍で泳ぐ木乃香と刹那の二人に絶賛される。

 

「ふふ…ありがとう。少し過大な評価だと思うけど、泳ぎには自信があるからやっぱり褒められると嬉しいわね。でもそういう二人こそ中々上手じゃない」

「ええ、まあ…」

「ふふ、…昔ちょっとあったからなぁ。水泳は結構頑張ったんよ」

 

 照れながらも素直に賞賛を受け止めるイリヤの返事に、刹那と木乃香は懐かしそうに頷いた。

 イリヤもそんな二人に、ああ、幼い頃に溺れた事があったんだっけ、と。原作のエピソードを思い出して納得する。

 そう他愛も無い会話をしつつも三人は、一緒に居るもう一人…心此処に在らずといった様子の明日菜に気付かれないように視線を送る。

 

「―――………」

 

 明日菜は今の会話も余り耳に入ってないようで、ただ黙々と泳いでおり、何となくイリヤ達と一緒に居るといった感じだ。

 その様子や先程見掛けたネギへの態度を鑑みるに、原作通りこの三日程を…いや、今日で四日となる間。ネギとまともに会話をしていないようであった。

 元から大した問題で無いという事もあって、この件には関わらないとイリヤは決めていたものの―――それもあって工房に篭もって居たのだが―――友人がこうも不機嫌そうな姿でいると、やっぱり口の一つや二つ出したくなってくる。

 

「アスナ、茶々丸から話を聞いて訳は察したわ。貴女が怒るのも判るけど、ネギは確りしていてもまだ10歳の子供なんだから、言葉が足りない事もあるわよ。ネギもそんな積もりで―――」

「判ってるわよ! ……でも、私の勝手でしょ!」

 

 出したくなるのでつい言ってしまったが、取り付く島も無い。

 原作同様にネギに「関係ない」と言われて、明日菜がカチンと来たのは今言ったように知っている。

 イリヤは気付かれないように微かに溜息を付いて、やっぱりもう少し冷却期間が必要かぁ、と静かに呟いた。

 木乃香と刹那も一様に仕方が無いといった感じで、少し困った表情を浮かべていた。

 

 

 

「アスナさん! アスナさーん!!」

 

 場の雰囲気が悪くなった事もあってか、一時休憩を取ろうと海から出ると、長く伸びた金髪と今日はまた水着ゆえか、均整の整ったプロポーションがより印象的となった美貌の少女―――あやかが明日菜の名を大声で呼びながらイリヤ達の所へ駆けて来た。

 

「た、た、大変ですわ! ネギ先生が深みで足を取られて! 今度は本当に溺れてしまってっっっ!!」

 

 焦燥に駆られた表情で息荒げに告げるあやか。

 

「「…っ!」」

「―――!?」

 

 木乃香と刹那は驚き。明日菜は言葉を聞くなり顔を青くし―――その次の瞬間、明日菜は一気に駆け出した。直感的にあやかが駆けて来た方へ向かって。

 その一目散な姿にあやかも慌てて案内する為にその後を追う。

 当然、心配した木乃香と刹那もそれに続くが…多分これも原作と同じだろうと、あやかの演技を冷静に見抜いたイリヤは、落ち着いた足取りでゆっくりとその方向へ歩いて行った。

 

 

 

 ドンと地面が微かに揺れたのを感じると同時に、ザァァァとけたたましい水飛沫の音が辺りに鳴り響いた。

 イリヤがそこに到着して目にしたのは、明日菜の一太刀によって浅瀬の海が割られた瞬間だった。

 

「サメ、なんかーーー!!」

「う、海が割れたーーーっ!!?」

 

 明日菜の雄叫びと、朝倉 和美の驚愕の叫び声が耳に入る中、イリヤは、

 

「あ、なるほどこれが咸卦法……なんだ」

 

 小さく呟き、知覚した“力”の奔流にこの時点で明日菜の潜在能力が覚醒しつつあるのを感じていた。

 一部を除き、そんな余りにも不可解な現象に皆が呆然とする中で、明日菜は直ぐにネギの下へ駆け寄ってその無事を確かめようと―――直後、視界にサメの着ぐるみと一緒にその内臓の人であった古 菲と村上 夏美の姿が入る。

 

「へ―――?」

「え―――?」

 

 ネギと明日菜の口から間の抜けた声が漏れて―――同様の何かが抜けたポカンとした空気が辺りに漂ったが、

 

「―――これは……どーゆーことかしらねえ……」

 

 そう間を置かずに、明日菜の必死に何かを堪えるような声がこの場に集まった皆の耳に入った。

 

「いえっ、これは…あのっ」

「違いますのよ、アスナさん。これは、そのっ…!」

 

 それを怒りだと感じたあやかとネギは弁明しようとするが、原作を知るが故にイリヤは気付いた。

 

「このクソガキッ…!」

 

 振り向いた明日菜は腕を振り上げ、ネギの頬を打とうとし。ネギは来るであろう平手打ちに身構えたが―――その手は振り抜く前から勢いを失い……弱々しくぺチンとネギの頬を軽く鳴らすだけだった。

 

「?」

「……こんな……イタズラして…ホントにっ……心配する、じゃない…バカ……」

 

 不思議そうに顔を上げるネギに、涙を流して嗚咽を漏らすような声で明日菜は言い。

 その涙に動揺したネギは、結局…バカッ!!と、罵声と共に頭に拳を喰らってその場に倒れ伏した。

 

 それを見てイリヤは思う。

 

 怒りも勿論あったんだろうけど、明日菜がそれ以上に胸中で懐き堪えたのは、騙すような(あやかと千鶴の発案であるが)真似をしてまで自分と仲直りしようとしたネギへの、悔しさと呆れ…そして喜びや嬉しさを含めた諸々の“想い”なのではないか、と。

 それら感情がネギの無事を確認した安堵と共にオーバーフロー気味となり、その負荷を処理する為に涙となって流れた。

 要は、それほどネギに抱く感情が強く。彼が大切だからそうなったという事だ。

 しかし、

 

「な、泣いてましたか? 明日菜さん」

「ああああ?」

「やっぱり、少しやり過ぎたでしょうか?」

「ススス、スミマセン。ネギセンセイ……」

 

 この場に居る殆どの人間はそれに気付いていないようだった。

 イリヤはそんな疎さを見せる周囲に若干呆れたものの、ネギと明日菜の間に在る絆の強さを確信し、

 

「やっぱり心配はいらないわね」

 

 そう、独り静かに呟いた。

 ただその呟きは、周囲の騒がしさに掻き消されてイリヤ自身以外には、誰にも届かなかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 陽射しが高まるお昼時。

 太陽が燦々と輝きを強める中、その空の下では対照的に暗い黄昏を醸し作っている一人の少年が居た。

 3-A貸切となったリゾート施設で従業員以外に少年というべき存在はたった一人であり、それは言わずと知れた担任のネギ・スプリングフィールドであった。

 彼は、ビーチに張り巡らされた桟橋の一角で沈んだ表情を俯かせ、膝を抱えて座っていた。

 いわゆる体育座りの状態だ。

 

 仲直りに失敗して完全に落ち込んでしまったそんなネギの姿に、あやかを筆頭にどう声を掛けるべきか悩む女生徒の面々……だったが、

 

「―――どうか、どうかなにとぞ」

「………」

 

 イリヤはそれらを尻目に、この目の前の恐れを知らないフェレット…でははない淫獣にどうお仕置きをすべきか考えていた。

 

 

 ―――凡そ十分前。

 

「!?…―――こ、これは! す、スク水!? イ、イリヤお嬢様の…! ローティン小学生のスクール水着姿だとっぉ!!? くっ…! このか姉さんや刹那姉さんのも良かったが! やっぱりマジもんのローティン美少女のこの素晴らしさには敵わねぇ! この日本でとうとう本物のこの(エロス)を拝める時が来るとは!!」

 

 くわっ!と小さな目を見開いてイリヤの姿を凝視するなり、そう叫んだのはオコジョの妖精ことアルベール・カモミールである。

 ネギの使い魔である彼は、この世に突如舞い降りた女神の姿にまさに至福の喜びを噛み締めている最中であった。

 しかし、彼はその(エロス)とやらを体現する女神こと……イリヤの蟀谷が、ピクピクと痙攣している事に当然の如く気付いていなかった。

 思わぬ眼福に、ヒャッハー! ムハハッ!! と興奮がうなぎ登りな状態の彼には、彼女が笑顔を浮かべる姿しか見えていない。

 いや、実際イリヤは非常に穏やかで綺麗な笑顔を浮かべてはいる―――その怒りを表す蟀谷を除いて。

 それに気付かない彼は、さらに雄叫びの如く目の前に存在する至高―――彼および一部の者にとって―――の美を語る。

 

「だが…! だが…! 惜しむべきは黒髪が艶やかな純粋な日本の美幼女で無い所…! いや…! それでも! しかし! 北欧の銀髪ロリっ娘の! 白磁のような肌の上にピッチリと着込んだため! その独特の紺色の布地と白い肌が見事合わさり! また色合いによって相反するコントラストが実に絶妙で美しい!! くぅぅぅ…!! 素晴らしすぎる!!! 肌の白さが眩しい北欧美幼女のスク水姿というのも―――っもぎゃ…!!?」

 

 そして彼は懐く望外の幸福の中で美の女神ならず、断罪の魔女の手に囚われた。渾身の力で握りこまれて…。

 それは聞くに堪えない、品性の欠片も無い言葉の羅列をこれ以上口から出させない為でもあったが、このエロガモが人語を解する姿を誰かに見られない為でもあった。

 

 ―――そして、今。

 

「ど、どうかお願いします。その麗しい貴女様のスクみ…じゃなかった御姿を。どうか、どうかなにとぞ、このわたくしめのカメラに収めさせて下さい…!」

 

 その小さな身体を恐怖で震わせながらも、目の前の(エロス)を永遠の物とせんが為、土下座をしてカモは懲りずにイリヤに懇願していた。

 

 故にイリヤが答えにとった行動は一つだけだった。

 

 にっこりと笑顔を浮かべたイリヤは、白魚の如く美しい左右の手の平で包み込むように、カモの体毛豊かなその小さな身体を優しく掴み取り、

 

「ぎゅぅべぇりぃぃっ…!!!???」

 

 雑巾を絞るようにした。

 

 

 

 

 

 

「はぁ、まったく」

 

 イリヤはトマトを握り潰したかのように、手にこびり付いた赤い液体を振り払いながら溜息を吐いた。

 足元でピクピクと蠢くモノに唾棄すべきものを感じ、

 

「この中年エロ親父的趣向は、どうにか成らないものかしら…」

 

 とも呟いた。

 イリヤのソレに対する印象はまさに今、口にした通りの物だ。

 外見は可愛らしい小動物の癖に、その中身はセクハラ大好きな不良中年そのものなのだ。

 出会ったその日には、ネギとキッスさせようと執拗に勧めて興奮した下卑た面持ちを見せ。今日は……―――今のそれを思い出して忌々しい感情が湧き上がり……思わず自分の身体を見下ろす。

 

(悪かったわね。どうせスク水くらいの水着しか似合わない幼児体型よ。私は…!)

 

 あのいやらしい視線と気持ち悪いくらいの興奮を見せた姿もそうだが、凹凸の無い自分の身体をそれなりに気にしているイリヤにして見れば、先程までのカモの言葉は心底許せないものだ。

 とはいえ、気にするのも馬鹿馬鹿しい事も分かっており、そんな内心で沸き立つ感情のうねりをどうにか落ちつけようと、息を大きく吐きだし―――

 

「ん?」

 

 自分の傍に近寄る気配とその人物の影が自分に掛かった事に気付き、視線を向け、

 

 「!――――」

 

 ピシッと石化したかのようにイリヤは固まった。

 

 目にしたそれは、例えるなら連なる大きな山であり、飲み込まれそうな深い谷間でもあり、薄い生地を張り上げて千切らんばかりに溢れた2つの果実であった。

 そう、男性多くはその丸い果実如き柔らかそうな巨大な2つの山に甘い味を連想させ、許しが在れば誘惑に耐えられず自らその深い谷へと飛び込むだろう。

 

「よしっ! 喧嘩ね! 喧嘩を売っているのね!! 判ったわ。今なら言い値で買ってあげるから、遠慮なく掛かって来なさい!!!」

 

 それを見たイリヤは思わず、目の前の連なる山…もとい胸元に―――いや、人物に指を突き付けて叫んだ。

 

「え…あの、何を言ってるのイリヤさん?」

 

 挙動不審なイリヤに目を白黒させてそう言ったのは、3-Aの中では最も豊満なバストを誇る千鶴だった。

 その彼女の怪訝そうな声と表情に、イリヤはハッとして思わず投影しようとした夫婦剣を慌てて破棄する。

 

「――――…コホンっ、な、何でもないわ。き、きっとこの暑さのせいね。だ…だから気にしないで」

「?」

 

 イリヤは咳払いし、冷静さを装いながらも動揺を隠せず、やや滅裂とした言葉を並べ立てて千鶴の首を更に傾げさせた。

 そのイリヤは、思わずらしくない言動と行動を取った自分に対して恥ずかしさを覚え、内心で頭を抱えながら、穴があったら入りたいわ!と盛大に喚いていた。

 

 

 

 千鶴は、咳払いして顔を赤くするイリヤを不思議そうに見詰めていたが、その本人の言葉に従って気に掛けるのを止めて用件を告げる事にした。

 

「イリヤさん、良かったらお昼をご一緒にしません?」

「あ、そういえば、もうそんな時間だったわね」

 

 千鶴の言葉にイリヤは、太陽の位置と高さを確認するように空を見上げながら答えた。

 

「ええ、だからイリヤさんが良ければだけど……ネギ先生の気分転換を兼ねて」

 

 そう言いながら千鶴は、今も膝を抱えているネギへと視線を向けた。

 その彼女の表情はやや影を差しており、先の一件での自分の演出が事態を悪化させたと強く責任を感じていた。

 目の前に居る白い少女はそれを鋭く察したらしく、責任を感じる彼女の為に口を開いた。

 

「チヅルが気に病む必要は無いわ。悪いのは素直になれず意地を張っているアスナなんだから」

「……そうかも知れないけど、あやかが取り持とうとした折角の機会を台無しにしてしまったのは、やっぱり私だと思うから…」

 

 フォローしてくれるイリヤには悪いが、千鶴はどうしてもそのように捉えてしまい。その女性らしい華奢な肩を落とした。

 イリヤはそれに仕方なさ気に軽く嘆息する。

 

「気持ちは判らなくはないけど、過ぎた事を余り悔やんでも仕方が無いわよ。とりあえず、昼食の誘いは受けるから食事にしましょう。ネギだけで無く貴女の気分を変える為にもね」

「そうね。すみませんイリヤさん」

 

 千鶴はイリヤの気遣いに軽く頭を下げながら頷いた。

 

 この二人―――千鶴とイリヤの仲はそれなり良い方で、エヴァと茶々丸を始めとした明日菜や刹那、木乃香といった魔法に関わる面々を除けば3-Aの中では特に親しい間柄と言える。

 先月の修学旅行から戻り、工房が整うまでイリヤはネギ達と同様毎日のようにこの大人びた女生徒と顔を会わせ、話をしていた。

 

 

 ―――いや、より正確に言えば、千鶴がイリヤを気に掛けていたというべきだろう。

 

 

 修学旅行の前日。

 明日菜の誕生日パーティに参加したあの日、千鶴は同じく参加していたイリヤという少女に対して“孤独”を見出していた。

 あのパーティの最中、皆があやかの用意した料理を口にし、楽しそうに談笑しているというのに。誰もが目を引く美しく可憐な容貌を持つその白い少女だけが場を彩るただの飾りのように皆の輪から外れ、部屋の片隅で一人黙々と料理を食べていたのだ。

 だが、別にその少女は内向的でも人見知りをしている訳でもない。それは互いに挨拶をし、自己紹介した時に覚えた印象から判っていた事だった。

 しかしイリヤと名乗ったその少女は、皆が楽しんでいる中で“独り”を良しとしていた。

 それは、談笑しているクラスメイトの輪に加われないのではなく。その少女は自ら距離を置いて輪に加わろうとしていない、という事であったが―――千鶴には…もっと何か。例え難いが……孤独である事が当然というか、その少女は世界から隔絶されたような気配というか…この世界に独りだけ残された迷い子のような寂しさが垣間見えたのだ。

 

 そのように感じた事から千鶴は自ら輪に加わらず独りで在り、在ろうとする孤独を当然のように纏うその少女へ声を掛けた。

 

 ―――そう、千鶴にとってそれは許容できない事だから。

 

 そして気乗りしないイリヤに構わず、皆の間を取り持ちつつ会話を交わして彼女の事情を幾分か知り、自分の担任である子供先生こと…ネギもその事情を解している事を知って―――安堵した。

 それは直感的なものであった。

 いつも真っ直ぐで一生懸命な頑張り屋の子供先生が傍に居るなら、イリヤは決して独りには成らない、と。

 

「…ネギ、元気を出して。そう落ち込んだ姿を見せていたら皆が心配するでしょ?」

「あ、うう…イリヤ」

「貴方は仮にもみんなの先生なんだからシャキッとしないと。私も後で相談に乗ってあげるから」

「そ、そうだね、ゴメン。ありがとう、イリヤ」

 

 今もイリヤが差し出した手を取って立ち上がった自分の担任と、そうして繋がった二人の手を見て改めて思った。

 

 ―――うん、きっと大丈夫。…でも、出来れば先生が手を差し伸べる側の方がより安心できるのだけど。

 

 まあ、仕方ないわね、イリヤさんの方が確りしているんだし、とも千鶴は内心で呟いた。

 まるで姉のように優しく慰めるイリヤと、弟のようにそれに甘えて笑顔を浮かべるネギ。その仲良さ気なやり取りを微笑ましく眺めて。

 

 ただ、

 

「むむむ……やはり年上のわたくし達よりも同じ年頃のイリヤさんの方が―――」

 

 と。傍で眉を寄せて口をへの字に歪めながら唸り、そう呟くルームメイトの姿が色々と台無しな雰囲気を作っているのが残念な感じであった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 昼食を取り、あやかと千鶴や夏美と―――先程の事や明日菜の事を触れずに――――楽しく談笑できた為か、幾分元気を取り戻したネギにイリヤは約束通り相談に応えていた。

 ただし、あやか達の姿は無かった。魔法が絡む事もあり、出来れば二人で相談したいとネギが告げた為だ。

 その言葉を受けたあやか達は…いや、あやかだけは若干渋ったものの、千鶴の説得もあって、昼食に利用したこの桟橋に建てられたカフェから離れて行った。

 残されたイリヤとネギは、そのまま席に残って彼の相談に入った。

 

「えっ!? 僕…そういう積もりで言ったんじゃ…!」

「その積もりは無くても、そう受け取れるってこと」

 

 イリヤは原作通り、ネギの言葉の解釈の違いを指摘する。

 図書館島の地下にネギが明日菜を連れて行かなかった訳を―――

 

 ―――ネギは、元々一般人である明日菜に迷惑を掛けたくない、と明日菜の身を案じて言い。

 ―――明日菜は、無関係な一般人なのだからもう関わるな、とネギに否定されたように聞こえた。

 

「そ、そんなぁ」

 

 指摘を受けたネギは余程意外且つショックだったのか、眼尻に涙を浮かべて項垂れる。

 或いは否定と受け取った明日菜の気持ちを考えているのかも知れない。

 そうして暫く何度も、そうだったんだ、そっかー、などと確認するかのように呟き。気を取り直したのか、顔上げるとイリヤにお礼を言った。

 

「……ありがとう。イリヤは凄いね。僕もそうだったけど、刹那さんや茶々丸さん達も全然わからなかったのに…」

「ふふ…刹那は人付き合いが浅い方だし、茶々丸はロボットで…ああ見えてもまだ生まれて2年程度だしね。貴方もまだ10歳なんだから、そういう機微を察するというのは……まあ、仕方ないが無いことよ」

 

 目尻の涙を拭いながら感心するネギに、イリヤはクスクスと笑みを浮かべながら答えた。

 

「イリヤも僕と変わらない歳でしょ、…だから凄いと思うんだけど」

 

 イリヤの言葉にネギは一瞬、むう…としたが、直ぐに溜息を吐いてやはり感心するようにそう言った。

 それにイリヤもまたクスクスと笑ったが半分は苦笑でもある。

 原作でこの問題の事情と答えを知っていたからだ。無論、それが無くとも答えられる自信はある…が、それも常識の範囲内なのだから何の自慢にもならない。それにこんなナリでも一応ネギや刹那達よりも年上なのだ。

 

 しかし、当然そんなことを知る由も無いネギとしては感心するしかない。

 同じ年なのに大人の雰囲気を持っていて、今のように物事の機微を確りと理解出来るのだ。

 それに―――とても強い…あの刹那さんが全く敵わなくて、聞いた話によると父さん達にも匹敵するとか。

 

 ―――僕と同じように■■を失ったイリヤがそうなんだ。僕も頑張らないと。

 

 ネギは思わずグッと拳を握りしめ、座っていた椅子から立ち上がる。

 先ずは明日菜さんと仲直りだ、とネギは思い。

 

「それじゃあ、僕は明日菜さんに謝って来るよ―――」

「―――今は止めといた方が良いんじゃない?」

 

 片手を上げてイリヤに別れを告げ、明日菜を探しに行こうとするネギを彼女は引き留める。

 ネギは「え、何で?」と怪訝そうな顔をし、イリヤはそれに呆れたように答える。

 

「…あんなことがあったばかりなのよ。今行って落ち着いて話を聞いてくれると思う?」

「あ、」

 

 溜息を吐きながら言うイリヤにネギは口を開いて唖然とした。

 

「そういえば、そうだった。さっきも全然話を聞いてくれなくて……逃げられていたんだ」

 

 あの偽鮫事件の後、誤解を解くために明日菜を追い駆けながら弁明していたのを思い出し、ネギは全身の力が抜けたようにふら付いて…ドスッと再び席に腰を着けてズーンと項垂れた。

 そんな感情の波引きを極端に示すネギに、イリヤは内心呆れたままであったが笑顔を作って一応フォローする。

 

「そう落ち込まなくても大丈夫よ。少し時間を置いて話をすればいいんだから」

「うん、あ…!」

 

 慰めの言葉にネギは俯きながらも頷き―――ポンッと、軽く頭に置かれた優しい感触に驚く。

 

「きっとネギの気持ちも分かってくれるから…ね」

 

 そう言ってイリヤが頭を撫でる感触にネギは恥ずかしさを覚えたが……不思議とそれを振り払おうとは思わなかった。

 

(イリヤ―――ネカネお姉ちゃん…)

 

 その感触に、懐かしい故郷に居る筈の優しい姉の姿が脳裏に過ったから…かも知れない。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「あの…ありがとうイリヤ。相談に乗ってくれて」

「うん、どういたしまして」

 

 カフェを後にして暑い日差しの下に出ると、ネギは改めてイリヤにお礼を言う。その顔は先程の事もあって何処となく恥ずかしげで頬も赤かったが、イリヤはそれを気にすること無く応じる。

 

「アスナとの仲直り、頑張ってね」

「うん、夜にでも明日菜さんの所を尋ねてみるよ。その頃には話を聞いて貰えるかもしれないし」

 

 そう言うと互いに手を振って二人は別れる。

 ネギとしては、一人で明日菜との事をもう少し考えたいと思ったからだ。

 ただしイリヤは、そんなネギに考えすぎないように忠告をしておいた。彼の性格上、考えすぎると何かと深みに陥り易いからだ。

 そんな忠告にネギは素直に頷いている。どこまでそれを理解しているかは怪しかったが。

 

「大丈夫かしらね」

 

 さっきまでの落ち込みは何処へ行ったのか、元気良く駆けて行くネギの背中を見送りつつイリヤは呟いた。

 明日菜との仲は心配していないが、先も言ったようにネギが変に考えすぎないかが少し不安だった。

 しかし、それも余り心配は無いかな、と思いつつ、自分もネギの事を言えないわね、とも何かと不安を抱く自らの事を自省し。振っていた手を下げ―――ふとさっきの事が頭に浮かんだ。

 落ち込んだ様子を見せるネギの頭を、その手でつい撫でてしまったのを…そうするのは二度目であるが……。

 

「あの赤毛のせいかしら…」

 

 シロウと重ねてしまったのだろうか? とイリヤは自問する。明日菜の事で悩み項垂れるネギに―――あの時の…雨に濡れた夜の公園の事を?

 

「まあ、確かに弟っていうのはあんな感じなのかも知れないし」

 

 そう、苦笑した。

 自分の行いに今更ながらに羞恥を覚え。浮かんだ出来事と深刻さが全く違う事から、それは無いわね、と頭を振ってソレを誤魔化すように。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 日の傾きが大きくなり、夕焼けによって空が赤く染まった頃。

 存分に海を堪能したイリヤは、桟橋に掛かる梯子を上って……途中、その声を耳にした。

 声は昼間相談に乗ったあのネギと、余り聞き覚えの無い二人のもの。

 

「……折り入って先生に相談があるのです」

「え?」

「いいですね、のどか」

「うん」

 

 イリヤは思わず登る手を止めてその場で沈黙し、耳を立てた。

 

「あの…その、私達も……魔法使いというものに、なれないものでしょうか?」

「へ?」

 

 その戸惑いと緊張の篭もった声にネギは間抜けな声を漏らし、続いて驚愕する。

 

「ええーーー!? 魔法使いに!?」

「頑張って勉強します―――…」

「やはり、駄目ですか? 一般人では駄目……とか?」

 

 ネギの驚愕に、弱々しい声と理知的な声色の問い掛けが続く。

 

「いえっ……必ずしもそうではないですが…」

「では、是非!」

「はあ、その…」

 

 問いかけに戸惑い答えるネギであるが、直ぐにハッとして気付く。

 

「じゃなくて、駄目ですよっ! 明日菜さんのこともそうですけど、無関係な貴女達生徒を危険な目に合わせる訳には行きません!」

「ええ…ですから、危険と冒険に満ちた“ファンタジーな世界”に、足を踏み入れる決意をしたということです」

「ハルナにも話したいんですけど―――ホントは…」

 

 イリヤは、それらの声を聞きながら自らの心が冷えていくのを感じた。

 

「あのドラゴン(トカゲ)を倒すのを全部先生達に任せるのもムシが良い話しですし…」

「私達も何か力になりたいんですー…」

「夕映さん。のどかさん…」

 

 二人の決意染みた言葉にネギは感じ入るものがあったのか、感慨深げに彼女たちの名を口にした。

 そのやり取りに……夕暮れとはいえ、まだ暑さを覚える南の島の空気で在る筈なのに、イリヤは寒いほどの涼しさを自らの身体に覚えた。

 その背に唐突に声が掛けられた。

 

「確かイリヤちゃん…だったね。どうしたの? 私も上がりたいんだけど…」

「あ…、ええ、ごめんなさい。今上がるわ」

 

 声を掛けてきた少女―――朝倉 和美に押される形でイリヤは梯子を上がった。

 和美も上がると、彼女もそこにネギと二人の少女―――綾瀬 夕映と宮崎 のどかの仲良し親友コンビがその場に居ることに気づいた。

 

「やっほー、何の話をしてるんだい?」

「おっ、朝倉の姉さんに…に、いりやおじょうさま…」

「ん? どうしたのカモ君。変な声を出して?」

「あっ、いや…な、なんでもねえ。そ、それより、じ、実は夕映の姉貴が、兄貴と仮契約したいつってよ…」

 

 カモミールは声を震わせながらも、和美の問いかけに答える。

 

「へー、いいじゃん。やっちゃいなよ」

「……」

 

 何ら思慮が感じられないそのお気楽な言葉にイリヤは身体をピクリ震わせた。

 しかし、それに気付かない和美は更に言葉を続ける。

 

「そーそー、仮契約すると、もれなく一人に一つ。面白アイテムが付いてくるんだよね。私も何か欲しかったんだよなー」

「……―――」

「ネギ君。私とも仮契約してみない~~」

「…えっと―――」

「ん?」

 

 ンフフ、と。艶めいた仕草で笑みを浮かべて迫る和美であったが、予想した反応を返さないネギに不審がる。自分ではなく、どこか別のところを見ているようだった。

 その彼の視線を追うと、さっき自分が声を掛けた白い少女の姿が目に留まった。そこで和美も気付いた。

 イリヤと呼ばれる魔法使いの一人らしい可憐な少女が、笑顔なのに恐ろしいまでの不穏な気配を放っていることに…。

 和美は思わず腰が引けて、この場から逃げ出したい衝動に駆られた―――が、

 

「なかなか、愉快で無い事を話しているわね。貴方達―――」

 

 その少女の静かな声と紅玉のような緋色の眼の鋭さよって、それが許されない雰囲気が出来上がってしまった。

 

 

 



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第12話―――穏当ならざるバカンス 後編

「先ず、改めて自己紹介をするべきね。私はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。一応麻帆良に籍を置く魔法使いの1人よ。“皆は既に知っているようだけど”…」

 

 そう自ら名乗ってからイリヤは、此処に居る全員の顔を確かめるかのように一人一人に視線を向けた。

 

「……」

「あう、う…」

「あ、あはは」

 

 イリヤの不穏な視線を受けた夕映、のどか、和美はそれぞれ異なる反応を示し、それにふむ…とイリヤは一度頷くと、最後にネギに視線を向けた。

 イリヤの放つ気配に訳が分からないネギは、その不穏当な視線にビクリと身体を震わせてイリヤの顔を窺う。

 

「あの…イリヤ…」

「ネギ。…私は貴方に色々と聞かなくてはならない事があるみたい」

 

 ネギはイリヤの言葉の意味を直ぐには理解できず、首を傾げ……数秒ほどしてからハッと声を漏らした。

 

「あっ!」

「判ったみたいね」

「あ…っ、いや…これは、」

 

 ネギは額から汗を流して、弁明を試みようと必死に頭を働かせる。

 ど、ど…ど、どうしよう。宮崎さんに夕映さん。それに朝倉さんに魔法の事がバレていたのをイリヤに知られちゃったよ~~! 以前、明日菜さんにバレた事を話した時にも注意されていたのに! 拙い、拙い、まずい! このままじゃあ。オコジョにされちゃう~~!

 と、もうパニックである。

 無論、原作を知るイリヤはこうなった経緯は凡そは知っている。だが、それとこれとは別で在り。またそれが全く同じであるかも判らない。

 此処は漫画の世界では無く、あくまで現実の世界なのだ。修学旅行のイレギュラーや先日の木乃香の一件もある。

 だから、

 

「言い訳は良いわ、ネギ。在った事を正直に全て話して…」

「は、ハイ!」

 

 問い詰めるイリヤの鋭さを覚えさせる視線を受けて、ネギは反射的に思わず背筋を伸ばした。

 

 

 …――――。

 ……――――。

 ………――――。

 

 

 改めてネギの口から、補足としてカモ、夕映、のどか、和美の説明を含めて聞き終えると、イリヤは頭痛を堪えるように眉間を揉む仕草をする。

 一言で言えば、原作とほぼ同様であった。……つまり問題だらけなのだ。

 イリヤは気を落ち着けるように一つ大きく息を吐いた。

 それに不安そうな面持ちを見せるネギと彼の生徒である少女達。そしてガタガタと身体を震わせるカモ。

 

「先ず、カズミに発覚した経緯は情状酌量の余地はある。けど直ぐに処置を行なわなかったのは問題ね。例え脅されていたとしても、それぐらいで魔法が世に明らかにされるほどこっちの仕組み(システム)は脆弱ではないわ。躊躇わずに実行すべきだった。―――問題は次のノドカとの仮契約に関してね」

 

 身体を震わせるカモへイリヤは視線を送った。

 

「これは致命的過ぎるわ。本人の同意も無く、一方的なもので。またこちら側に関する説明義務が一切成されていない。しかもその際に多くの一般人へ無差別に対象を広げ、危うくそれらの者達に秘匿漏洩の恐れがあった、と」

「あう!」

「ま、待ってくれ、イリヤお嬢様! あれは俺っちが勝手にやった事で……あ、兄貴は…!」

「ええ、使い魔への監督不行き届きも加わるわね」

「っ…!?」

 

 震える身体に鞭を打って弁明しようとするカモにイリヤは冷然と言い放ち、カモは絶句する。

 

「魔法学校を出ているなら分かっている筈よ。本契約、仮契約を行なう際は本人への同意は勿論、契約者が魔法を一切知らない一般人である場合、その説明の義務を要するという事は……それを全く守らずに行なうなんて想像の埒外だったわ」

 

 半ば知っていたとはいえ、確りと法があり、そして機能している現実の世界で本当に原作と変わらない事態が進行していたとは……イリヤは本気で頭痛を覚えていた。

 

「以前から感じていたけど、魔法の扱い以外は……ネギ、貴方はどうも不思議な事に“こっち”の世情にかなり疎いようね。本来、そういう魔法使いを補助すべき“小さき知恵者”である妖精種の使い魔であろう者までもがそれを諌めず、逆に仕えるべき魔法使い(しゅじん)の意向を無視するというのも……驚きというか、前代未聞だけど」

 

 ネギは顔を青くして言葉も出ない。カモも同様だ。

 そこにのどかはネギの為に勇気を振り絞って口を出す。

 

「あ、あの、私は仮契約に…べ、別にそ、その嫌じゃなくて、もう…同意していると言うか―――」

「残念だけど、契約の同意には先ず説明の方が先に来るものなのよ。当たり前の話だけど、貴方は何の為のものか、どんな条件があるのか教えられないのに―――いきなり契約して下さい、と頼まれたらどうするの? 直ぐに同意する? 証文にサインをする?」

「そ、それは…」

「実際、魔法がどんな物か、何に使うか、何が出来るか、そして何を目的とするのか、そこにどのような危険があるのか……ノドカ、貴女は教えられているの? 知っているのなら答えて」

「う、うう…」

 

 事実何も教えられていない為、殆ど何も知らないのどかはイリヤの問い掛けに答えられる訳が無く。辛そうに言葉に成らない声を漏らすだけだった。

 それを援護する為か、今度は夕映が発言する。

 

「なら、それが逆であるというのは、本当に認められないのですか?」

「事後承諾と言う事?……そうね。緊急時であれば、適用は認められるわ。でも、それはあくまでも緊急時……つまり主に術者が余程切迫した状況で無ければ、適用されないものよ」

 

 これは修学旅行より前に起きた事件―――ネギがエヴァに狙われた時のことが一応当て嵌まるだろう。微妙な範囲ではあるものの、そのお陰で明日菜に魔法がバレた事も含め、彼女との仮契約も学園では認められていた。ネギ本人はその事を知る良しも無いのだが。

 夕映はイリヤの答えを受けて更に発言を続ける。

 

「のどかから聞いた話ではあの時、ネギ先生は特別な任務に就いていた、という事です。現地で任務上必要を感じ、可及的速やかに状況に対処する為、その説明を怠ってしまう事は在り得るのでは無いでしょうか? また事実として先生はのどかと仮契約したお陰で危機を脱しています。これは適用範囲に当たりませんか?」

 

 成程、確かに賢いわね。良く頭が回る、と挑むような視線で話す夕映にイリヤは感心する。けど…。

 

「それじゃあ結果論よ。それが認められるなら、従者の契約に関してどのような拡大解釈も可能になってしまう。到底認められないわ。何より仮契約を試みた時分の状況では、説明義務を事後に回すほど切迫してない。事前に説明できたと判断される。更に言うなら、任務上必要に成ったからといって無分別に仮契約者を無数に確保しようなどと言うのは―――言語道断よ…!」

 

 イリヤは、夕映の主張を同じく論理で切り捨てる。

 夕映は、思わず唸るがそれでも食い下がる。

 

「む、むう…しかし説明、説明と言いますが、それほど重要な物なのですか? 私達のような魔法を知らない一般人にして見れば言葉だけでは実感はし難いですし、直にその貴方達の世界を体験しなければ理解も納得も得られない筈…です」

 

 何も知らない一般人ならではの意見である。

 尤もらしくも聞こえるが、むしろこれはその他大勢の為の意見では無くて、彼女自身の本心…本音なのだろう。だからこそイリヤは“魔法”に関わる“魔術師”として受け容れられない。

 

「……魔法とは何か、何に使うか、何が出来るか、魔法使いが何を目的にするのか、どんな危険があるのか……一般人が契約対象の場合、主にこれ等の説明が課せられているけど、前者の方は省くわ。言うべき事は後者の二つ、先ず契約者あるいは仮契約者は従者と成る以上は当然、主となる者の目的を知る権利がある。でないとその人物に生涯掛けて付き合おうだなんて思わないからね、普通は。そして、もう一つ。最も重要なのはコレな訳だけど、ネギもさっき言っていたわよね」

 

 チラリと顔を青くするネギの方に視線を向ける。

 

「一般人を危険な目に合わせる訳には行かないって…」

 

 そう、これこそが最も重要だろう。何も知らない一般人をこちらの世界に引き込むのが、如何に危険であるか、どのようなリスクが伴なうのか、説明し理解させて、して貰わなければ。無責任という所ではない。殆ど詐欺になる。

 

「確かにネギ先生の目指す物が何かは知りません。ですが危険だと言うのは承知しています。それでも―――」

「―――構わない。決意しているって言うんでしょう。聞いたわよそれも」

「……その通りです」

 

 言いたい事を言われた為か、夕映は拍子抜けしたように言葉少なく頷いた。

 

「問題はその危険が何かって事よ。言ったわよね。“どのような”、“どんな”、危険が在るのかって…そう。ただ危険があると言うだけじゃあ、説明になんてならない」

 

 言葉遊びのような言い方であるが、夕映ものどかもこの場に居る全員がイリヤの言いたい事は理解していた。だから夕映は真っ先に口を開いた。

 

「その危険も多少理解している積もりです。修学旅行で皆が石にされた事。学園の地下でトカゲ…ドラゴンにも襲われました。狼の少年がネギ先生達と戦っていた事も」

「…命の危険がある。それは判っている、と言いたいの?」

「!…そうです」

 

 夕映は一瞬、イリヤが自分を嘲笑ったような気がして語気を強めて睨みつける。

 だがそれは夕映の勘違いだ。たったそれだけで、分かった気になっている少女の勘違いと同じでただの誤解に過ぎない。イリヤは夕映を哀れんで眉を顰めると共に、ふう…と軽く溜息を付いただけだ。

 それでもイリヤは一応、分かっているという前提でやんわりと諌めに掛かる。

 

「判っていると言うのなら止めなさい。こちらに関わろうなんて。ただでさえ、魔法と関わりの無いごく普通の日常である貴女達の世界にだって危険は在るのだから、こっちに関わって何も余計に……いえ、敢えて倍以上に増やす必要は無いわ。こちらの事は忘れてそのまま平穏な日常で過ごした方が良い」

 

 平穏な日常が如何に尊く。掛け替えの無い物か。その価値を多少なりとも理解するが故にイリヤは諭すようにそう言った。

 

「…日常にも変わらず危険が在るというのなら尚更です。例えそれが増すのだとしても平穏で退屈なこちらで過ごすより、刺激に満ち溢れたそちらで過ごした方が万倍にも満たされる筈です」

 

 だがイリヤの言葉も、尊く掛け替えの無いその価値を、正しく理解していない退屈だと言い切る少女には届かない。

 結局判っている気になっている少女を“判らせる”しか納得させる方法は無いのだろう。

 イリヤはもう何度目になるか判らない溜息を吐くと、視線をあさっての方に向けた。

 

「……木乃香、刹那。そこにいるんでしょう?」

「え?」

 

 唐突にイリヤが言った言葉に、議論をしていた積もりの夕映は疑問の声を上げた。

 

「やはり、気付いていましたか」

「流石、イリヤちゃん」

 

 その聞こえた二人分の声に皆の視線がそこに集まる。桟橋にある屋根を支える柱―――とても二人の人間が隠れられるとは思えないその影から木乃香と刹那が姿を現した。

 

「なかなか見事な『穏形』ね。…木乃香の術?」

「うん、でもアッサリ見付かってもうたな。やっぱまだまだ未熟やなウチ…」

「そうでもないわ。ネギはまったく気付かなかったようだし、少なくとも成長途中の天才魔法少年を欺く程度には上出来よ」

「褒められとるんかな? それ…」

「ええ…実質、僅か3日程でこれほどなのですから十分大したものかと」

「そっか、せっちゃんもそう言うなら―――」

 

 驚きで固まる皆を置いて、イリヤと木乃香と刹那の三人は話し込み……一早く驚きから脱した和美が代表して尋ねる。

 

「二人とも、いったい何時から居たの!?」

「んー? イリヤちゃんがネギ君に全て話して…って言った時からや」

 

 木乃香が考え込むように人差し指を顎に当ててそう答えた。つまり殆ど初めからという事だ。

 木乃香と刹那の二人は当初、魔法に関する質問をする為にネギとイリヤを捜して此処へ来たのだが、イリヤの放つ不穏な空気に当てられて咄嗟に隠れたのだ。

 

「で、今まで出ようにも出られずに隠れていた訳ね…」

「あはは」

「はい…そういう訳です」

 

 イリヤの何処か呆れたような口調に、笑って誤魔化そうとする木乃香と申し訳無さそうにする刹那。

 

 夕映とのどかは、その二人…特に木乃香の方を複雑な眼で見ていた。

 同じ図書館島探検部に所属し、クラスメイトの中でも親しい友人が魔法使いである―――少なくとも二人の認識では優秀だと思われる―――イリヤとまったく臆する事無く平然と仲良さ気に話す姿に理解が付いて行けず、不可解であり、また羨ましく感じていた。

 木乃香が魔法使いの家に生まれている事は既に判っていたが、このおっとりほんわかとした友人は何時の間に本格的にそちらへ足を踏み入れたのだろう? 少なくともほんの数日前までは、自分達とほぼ同じ立ち位置に居た筈なのだ。

 そんな疑問が羨望と嫉妬めいた思いが、夕映とのどかの心を占めていた。

 疑問を抱くのは何もこの二人だけではなかった。

 和美もそうだがネギもカモも同様だった。その一人と一匹はなまじ魔法の事が判るからこそ…今、木乃香から感じられる“様々な変化”に驚きを禁じ得なかった。

 

「木乃香さん…いったい?」

「あ、うん。ウチなあれから考えて、やっぱり魔法使いになる決心をしたんよ。今のはその勉強の成果や」

 

 尋ねられずに居られなかったネギに、それを察して木乃香は答えた。

 その答えに、ネギはこの数日やたら彼女の帰りが遅かったのを思い出した。てっきり部活か何かかと思っていたが、どうやら違っていたらしい。

 そのネギの推測は当たっていた。

 木乃香は先日のエヴァ邸での一件以来、彼女の祖父を始め、明石教授や葛葉 刀子といった面々などの魔法関係者と積極的に顔を合わせており、時に話し合い、時に手解きを受けていた。

 

「悪いけど、今はその話は後にして」

「あ、そやね。ごめんな」

 

 ネギの様子に加え、夕映とのどかも聞きたそうにしていた為にイリヤは脱線を恐れて口を挟んだ。

 正直、余り気が進まなかったが、イリヤは木乃香にさっき頼んだ事を実行するようにお願いし、木乃香は頷くと手にしていたポーチから数枚の呪符…或いは魔法符を取り出して術を紡ぐ。

 木乃香の先程示した力量から不安は余り無い。傍には刹那もいるのだから失敗してもフォローはしてくれるだろう。

 

 幾秒ほどし、木乃香の手にした符は彼女の術と意に従って宙を舞い。イリヤ達の居るこの場所を囲むように桟橋の各所に張られた。それは人払いと認識阻害の結界だった。

 術が完成すると共に不可視の膜がこの周囲を覆う。同時に感じたその確かな感覚にイリヤは改めて感心する。まだ呪符の補助が大きいとはいえ、たった数日でこれを行なえたのだから。

 師匠(がくえんちょう)が優秀という事もあるのだろうが、木乃香もまたネギと同様、その内なる魔力が示すように非凡だという訳か、と内心で感嘆を込めて呟いた。

 

「じゃあ、次は私ね」

 

 イリヤもまた、魔術を扱う為に内に潜む回路を起こす。

 先ずは、夢幻召喚(インストール)済みの『アーチャー』の能力を使って複数のアゾット剣を投影。それを円を描くように基点と成る場所へ突き刺す。次にナイフを投影してそれを自身の腕に向けて軽く振る。

 

「「わぁっ!?」」

「「「「きゃあっ!?」」」」

 

 腕を切り裂いた事と勢いよく流れ出た赤い色を見て、刹那以外の悲鳴が聞こえるがイリヤは無視して呪文を紡ぐ。

 

 その呪文が紡がれると、深く切られた傷口から滴る血が流れ、自ら意思を持ったかのように動き。赤い蛇の如く桟橋の床を這いまわって一つの文様を描いて、先のアゾット剣と共にこの桟橋の一角に魔法陣を形作った。

 イリヤは傷を癒しながら、視線を魔法陣へ向けてその出来を確認する。

 

「―――っ! イリヤちゃん。大丈夫なん!」

「ええ、大丈夫よ。すこし驚かせたようで悪かったわね。でも仕方が無いわ。魔法陣を描く為の触媒が他になかったんだから」

「そやけど…ホンマにビックリしたわ」

 

 刹那以外の他の面々が顔色を悪くする中で木乃香がいの一番に問い掛け、彼女は心配してイリヤの傷が在った腕を手に取った。

 木乃香の手にはアーティファクトカードが握られており、傷がまだ在ったらそれを使う気だったが、既にイリヤの傷は完治していた。

 それに口にしたように、知識で判っていても実際に血を使って魔法陣を描くのを見て彼女は非常に驚いていた。ネギも口にはしていないが、余り経験が無い為にその驚きは等しい。

 

「さて、と。準備も整った事だし……気が進まないんだけど、始めましょうか?」

「えっと、何をです?」

 

 イリヤに見つめられた夕映が尋ねる。

 

「さっき話していた事よ。こちら側の世界にどのような危険があるのか―――いえ、“あった”のか見せようと思ってね。例えるなら、リアリティー満載な劇場へ招待しようと言ったところかしら」

 

 気が進まないというイリヤは、その通りに心底嫌そうな顔をしてそう答えた。それでネギとカモもイリヤ達が何をしようとしているのか理解する。

 ついでにイリヤは、魔法知識皆無な彼女達に一応警告する。

 

「言っておくけど、かなり凄惨よ。やめて置くなら今の内だけど―――」

「―――望むところです! 先程も言いましたが、言葉だけでは実感も納得も得られないですので…!」

「お、お願いします…!」

「うーん。私も見ておきたいような。止めておきたいような……でも真実の為なら…」

 

 和美の返答は兎も角、予想通りの返事にイリヤは若干眉を顰めて頷き、魔法陣の中心で刹那と向かい合う。刹那はイリヤに背丈を合わせる為にその場で膝を着く。二人は互いに額を合わせて目を閉じる。

 若干刹那の顔が赤くなっていたが、彼女にとって幸いなことにそれに気付いた人間はいなかった。

 

「では、皆を我が夢の中へ―――」

 

 そのイリヤの声がこの場全員の耳に入り、次に聞き慣れない言語が入った瞬間―――皆の視界は一変した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 それは、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

 

 烏賊か蛸にも似た異形の怪異の群れが様々なアヤカシ達を喰らわんと襲い掛かり、またそのアヤカシも喰らわれない為に抗い怪異へ襲い掛かっていた。

 

 怪異に喰われる悲鳴と断末魔が轟き。肉を咀嚼して骨を噛み砕く生々しい音が耳を不愉快に弄する。

 

 アヤカシが討った怪異が聞くに堪えない奇怪な断末魔を挙げ。肉を切り、突き刺し、血が吹き出す…生々しい音が鼓膜を奇妙に震わせる。

 

 残飯のように喰い残されたアヤカシの物らしい肉片が赤い液体共に辺りに散乱し、現世に留まれなくなったそれは霧のように消え失せるが、その間際の赤黒くピンク色をした様々なモノが目に留まる。

 

 引き裂かれた怪異の骸が赤い体液を流しながら破裂するように膨らみ、新たな無数の怪異が聞くに堪えない歪な産声を上げ、条理に沿わないおぞましい生誕を繰り返す。

 

 そこは…その地獄絵図は命を掛けた戦場であり、異形同士が凄惨に殺し合う現世を犯す異界の顕現であった。

 

 

 そんな見るに耐えない狂気に満ちた世界が、正常な視野と思考を蹂躙するように三人を襲った。

 

「…ああ、ああ―――ああっ!」

 

 のどかは言葉に成らない声を上げながら、いやいやと首を振って後ずさり、その場でへたり込んだ。

 

「―――ッ…こ、こんな…」

 

 夕映は顔を青くし、声と身体を震わせて呆然と佇んだ。

 

「ぐ―――っうぷ…」

 

 和美は夢の中にも拘らず、腹の奥底からせり上がるものを感じて思わず口を押さえた。

 

 何も知らなかったその少女達の精神は、この世とは思えない光景を眼にして僅か数秒で打ちのめされて屈しつつあった。

 それでも、ギリギリで留まっていられたのは、その光景の中に自分たちの知る友人の姿があったからだ。

 

 刹那と明日菜。二人は怪異とアヤカシが入り乱れる異界と化した戦場で互いに背を合わせて戦っていた。

 だから思考が停止していた三人と違ってネギはそれに気づいた。

 

「これ…もしかして修学旅行の時の……」

「そうよ」

 

 掠れながらも確信の篭もった声で出されたネギの言葉に、イリヤの声が肯定した。

 ネギは愕然とする。

 

「あの時…こんな、こんな事になっていたなんて……聞いてなかった」

「すみませんネギ先生。お話しするべきだったのでしょうが、この怪異の事は余り口外すべきでないと長達に判断されてしまって……ただ明日菜さんにしても、気にはしていないようで。特に話す事でもないと思っているみたいですが」

 

 刹那はフォローするが、余り慰めにはなっていなかった。

 光景の中の明日菜と刹那は所々に傷が見え、怪異の返り血でその身を赤く染めており、特にやはり一般人である明日菜は傷の割合が多く、戦い方も危なげで幾度も足や腕を怪異に絡め取られては、餌食に成りかけている。

 もし刹那がいなければ、無残な姿を晒して……いや、怪異の腹の中に納まって晒す事すら出来なかっただろう。

 

 木乃香は何も言わない。ネギと違って刹那から、そして近右衛門とイリヤから聞かされていたからだ。

 だからこそ黙ってこの光景を見詰め、受け入れていた。これは自分の身が狙われて引き起こされた事態なのだと、何も知らずに居られない立場だと戒めるように強く意識して。

 

 

 

 夢から現実へと覚めた直後。

 三人の少女達は同時に桟橋の端へ向かって駆け出した。そして胃から込み上げてくる物を海に向かって吐き出す。

 

「「「―――……」」」

 

 吐き出した後もそのままの姿勢で膝を着いたまま、三人は項垂れるようにして青い顔を海へ向けて無言で佇んだ。

 

 夕映とのどかのショックは大きかった。

 思い描いていたファンタジーは、その幻想という綺麗な言葉などとは程遠い、無慈悲な“幻想”に粉砕されていた。

 

 ―――石にされた。

 

 ―――ドラゴンに襲われた。

 

 ―――狼の少年との戦いを見た、聞いた。

 

 まさしくファンタジー的な出来事だ。

 だが、今見たのはナニカが違う。

 血と肉が飛び散る異形同士の凄惨な命の奪い合い。その中で同じく命がけで必死に血で赤く濡れながらも戦う友人たちの姿。

 

 そんなものは違う。自分はもっと綺麗で、心を震わせる、胸を打つ感動を、好奇心を満たせる出来事を―――それを求めていた。

 

 確かに危険で過酷な現実もあるだろうと覚悟もしていた。それでも、そこには夢ある世界が広がっていると確信していた。

 

 ―――そう思っていたのだ。

 

 朝倉 和美も同様だ。

 夕映達ほど期待はしていなかった。

 そこまで夢を見るような子供ではないと、ジャーナリストを志す人間として彼女達と違い過酷で凄惨な現実が待ち受けているものだと、自分はそれを理解して覚悟を持っているのだと。

 

 そう、何処か夕映達を嘲笑するように考えていた。

 

 だが、自分もまた彼女達と同様に幼かった。そして甘かった。

 どんな物を見せ付けられようと、それが当然だと何時ものように平静に受け止められると勝手に確信していた。ただ魔法という世界に隠された“真実”という美味しい果実を味わえると。

 

 しかし、好奇心は猫を殺す。

 

 余計な事に興味本位で首を突っ込んだが故に、和美は一生涯知らなくても良い。忘れられないものを見てしまった―――見せられてしまった。

 

(……当分、肉は食えない)

 

 一方でそう思えるのだからまだ夕映たちに比べれば衝撃は軽く、余裕もあるのだろう。しかしアレを見せられた以上は関わるべきか本気で悩んでいた。

 本能的には既に関わるべきではない、命が幾つ在っても足りないと分かっていたが…。

 

 自失に近い状態から逸早く復帰したのは衝撃の軽い和美であった。

 

「たしかアレ、修学旅行であった“あの夜”に起きた事だって言ってたよね。…マジなの?」

「ええ」

「はい、事実です」

 

 イリヤと刹那は、真っ直ぐに視線を向けて彼女の問いに頷いた。

 和美はその二人の視線を受けて実感が強まり、いつに無く真面目に言う。

 

「……あの時、本当にヤバかったんだ。明日菜も桜咲さんも…ネギ君も。なんかホント、今更って感じだね。真実を求めるとか言いながら……私は結局、何も知らなかったまま…って事か」

 

 何時にない真面目な口調で出されたその言葉には、自身に対する呆れと同時に苛立ちも含まれていた。

 

「いや、実際は知ろうとも思わずに楽しんでいた…だけなのかも、それとも隠されている事だからって深く考えずに無謀に首を突っ込んだだけか。…ジャーナリスト失格ね」

 

 そんな和美の様子は普段がお気楽過ぎる所為か、落ち込み具合が半端でないように見えた。自虐的にもなっているようだった。

 だがイリヤとしては、そう思ってくれた事に安堵もする。裏に関わる刹那と関わる事を決意した木乃香も同様だ。

 特にクラスメイトである二人は、和美が持つ無駄にある行動力と、記者魂と自称する好奇心の大きさに不安を覚えていたのだから。

 

「ネギ君もゴメンね。なんか勝手に盛り上がって迷惑を掛けて…」

「あ、いえ…その」

 

 珍しく素直というか、元気が無いというか、意気消沈した和美の姿にネギは戸惑って曖昧に応じる。

 いや、ネギにしてもショックが小さくなく。それでも三人の落ち込む姿を見てそれについて考えるべきか、彼女たちを慰めるべきか、どうしたら良いのか判断が付かずに困惑しているのだった。

 そこでようやく動く気になれたのか、それでもノロノロとふら付きながらも夕映が近づいてきた。

 僅かに表情を固くしながら彼女は尋ねる。何かに縋りつくように…。

 

「危険なのは、わかり…ました……ですが、ああいった事は、魔法の世界でも日常茶飯事という訳ではないのでは?」

「そうね。アレはちょっと極端な例ではあるわ」

 

 そのイリヤの言葉に何処かホッとする夕映。だがイリヤは予想だにしない言葉を続ける。

 

「でも、ある意味ではマシな部類でもあるとも思う」

「え? あれが…!?」

「ええ、だってあんな怪異じゃなく、相手が人間の場合もあるんだから。ごく普通な貴女達から見ればマシなほうでしょう」

「……!」

 

 夕映はまた顔を青くした。想像してしまったのかも知れない。怪異の変わりに人間が切り殺され、またアヤカシに変わって人間が怪異に喰われる姿を―――或いは……人間を手に掛ける明日菜や刹那の姿を…。

 それは夕映も全く考えなかった可能性ではない。修学旅行の時にネギが戦った相手には人間がいて、あの小太郎という狼の少年も普通の人間と何ら変わりがないように思えた。

 ただ、のどかと二人で相談していた時もそうだが。それは考えても口には出さなかった事だ。

 

 そう、危険な目に合うという事は危険をもたらす相手が居るという事でもある。無論、ヒトが関わらない事。偶発的な事も在るだろうが、それだけを口にするのは逃げだろう。

 だが、夕映はその逃げに縋っていたのではないだろうか? そう彼女は自問した。

 

 夕映の目下の目的は自身がトカゲと称する図書館島の地下に巣くうドラゴンだ。

 それを相手にするのは良い。けど…いざその時になって本当にその命を刈り取れるのだろうか? 命を奪うという行為の重さに耐えられるだろうか?

 況してや、それがあの小太郎という少年ように人と同じ姿をしていたら? だったら死なせないようにする? でもそれで済ませられなかったら? いや、それ以前に自分はヒトとなんら変わりない者を相手にし、傷付ける事すら躊躇わずに戦えるだろうか?

 考える事を避けていた事が次々と脳裏に浮かぶ。答えが出せないまま……。

 

「ユエ、貴女は危険な目に合う。命を落とす決意が在ると言った。けど…その危険をもたらして、命をも脅かそうとする要因に対して“立ち向かう”決意は在ったのかしら? 私はこの二者は同義で等しいものだと思っているんだけど」

「………………」

 

 まるで心を読んだかのように告げられたイリヤの言葉に夕映は答えられなかった。

 代わりに答えたのは、のどかだった。

 

「じゃ…じゃあネギ先生には、そういうのはあるって言うんですか! その“立ち向かう”決意とか…そんな覚悟みたいなものが!」

「それは私が答えられる事じゃあないわ。でも……修学旅行で貴女は見た筈よ。ネギが敵対する相手に屹然と立ち向かうのを」

「っ…!」

 

 のどかはその言葉で夢から覚まされた気分になった。

 まるで少年向けの冒険小説を読んでいたみたいだったソレに、何処か冷静とも言える思考が脳裏に奔る。

 その通りだった。ネギは確実に相手を傷付け、或いは殺傷すら可能な力を振るい、躊躇する事無く相手にぶつけていたではないか、と。

 青かった顔が更に青くなる。頬を叩かれて、何時まで夢を見ていたいんだ、と叫ぶ自分が心の何処かにいた。

 

 戦うことが無ければそれが一番良い―――ほんの数時間前にそう言った自分がそうだった。アレはただネギの身を案じて出た言葉では無い。

 

 のどかも判っていた事なのだ。“危険の意味”を。

 だけど、それでも大好きなネギと関わりたくて、魔法という不思議で素敵な言葉と世界に惹かれて、必死に塗装して見ぬ振りをしようとした。

 ―――夕映と同様に。

 

「……僕は正直、イリヤの言う決意っていうのはよく判っていないんだと思う。けど…危険な目に皆が、守りたいと思う皆さんがそれに晒されるなら、イリヤの言う通り立ち向かう積もりです。エヴァンジェリンさんに狙われた時は、恐くて身を守りたいという気持ちと彼女を止めたい。勝ちたい……という気持ちが強かった。修学旅行の時は、親書を届ける事で西と東を仲良くさせられるって思えたし。木乃香さんを悪い人から守る為、助ける為だから戦えた」

 

 ネギがイリヤとのどかの言葉を受けて黙っていられなくなったのか、独白をし始める。それはまるでこれまでの事を確認しているかのようでもあった。

 

「でも、それが、その為の力が、守るだけじゃなくて、傷付ける物なんだって事も理解していて、出来ればそんな事はしたくない……けど…けど、それでも、僕は…僕は―――」

「―――うん、それ以上言わなくても良いわ。判ってるネギ。貴方がそういう真面目な子なんだって。でも、だからって答えを出す事に急ぎ過ぎる必要は無い。今はまだ、その力のもたらす結果への理解とその立ち向かおうとする勇気があるだけで良いから」

 

 イリヤは、振り絞るように言葉を出そうとするネギを諭す。

 しかしそれは半ば直感的なものだった。イリヤにはネギの独白が自傷行為に思えて、このままではいけないと感じた。だから咄嗟に思い付いた先から言葉を並べてその危うい行為を諌めた。

 

「―――そう、かも知れない…」

 

 咄嗟に並べた言葉であったものの、ネギは独白を止めて自信無さげにしながらも静かに頷いた。

 

 イリヤは、ホッとしつつもネギの消沈する姿を見たお蔭か、逆に柄にもなく自分が熱くなっている事を今更ながらに自覚した。

 先程、ネギと夕映達のやり取りを立ち聞きした時に覚えた心の冷たさや体の寒さが嘘のようだ。その心情の機微をイリヤは冷静さに傾いた頭で考え……その答えは直ぐに出た。

 

 ―――それはおそらく羨望や嫉妬に怒りだ、と。

 

 そう、平穏な世界に労する事も無くそこに居られる夕映達に……そんな羨ましい位置に居る夕映達が妬ましく、なのにそれをあっさりと捨てて安易にこちらへ関わろうとする事が許せなくて自分は怒っているのだ。

 “魔術師”であり、“魔法使い”の一員としてその危険を理解する事と、それに伴なう秘匿と漏洩の防止などの義務感もあるが、一番の理由はその私情…もしくは私怨というべきものだ。

 

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンが神秘に属する事と、この世界での役割から決して得られないであろうモノを持つ夕映達が―――羨ましくて、妬ましくて、なのにそれを簡単に破棄しようとする事が許せないのだ。

 

(……別に魔術師の一族に、ホムンクルスとして生まれた事に恨んでいる訳でも後悔している訳でも無いし、これからもする積りは無いけど。それでも……彼女達は私と違って―――相応の■■を持って平穏に■きられるのだから、危険が満ちるこちらに敢えて関わる必要なんて無い)

 

 自覚に伴い、イリヤはそう強く思った。

 しかし、それを自覚したからといって見過ごす訳にも行かない。その私情や私怨を抜きにしても彼女達が興味本位で関わろうとするのを良しとはしない。

 原作では確かに彼女たちは結果的に成長し、覚悟を持ち、戦い抜く力を得てネギを支えた。

 けれど、何度も言うが此処は漫画の世界ではない。極めて似ているが違う。それに今後も漫画と同じだとは限らない。しかも時を経るごとにその“物語”は、展開に過酷な面が加えられていったのだ。

 なら、現実であるこの世界ではどれほど過酷で厳しい事態が待っているのか?

 それに敵として立ちはだかるのはフェイト達だけでは無い。黒化英霊やアイリまでいる。とてもではないが彼女達の無事で済むとは思えないし、済ませる保証が無かった。

 そう感じたからイリヤは、覚える義務感や私情と同等以上に一般人である彼女達が平穏な世界で生きる事を望んでいた。

 

 だからこそイリヤは魔術をも使って凄惨過ぎる現実を叩きつけ、こうして厳しい態度で彼女達に接している。

 

(エヴァさんに笑われそうね。大した偽善だって…)

 

 不意に脳裏に不敵に笑う吸血姫の姿が思い浮かび、釣られてイリヤも知らずに苦笑を零す。

 夕映は、その笑ったイリヤの顔をどう捉えたのか、先と同様に嘲笑ったと感じたのか、必死に考えて言葉を紡ぐ。

 

「でも、でも……日常茶飯事で無いとも言いました。確かに認識が甘かったかもしれません。ですが、やはり言葉のみの説明では実感が得られず、納得が出来ない事に変わりは在りません。今のように見せられたとしても、ただ打ちのめされる事しか出来ません。……これでは一方的過ぎますし、一般人に従者を求める事なんて―――」

「―――ええ。その通りよ。現代において一般人を従者に持つ魔法使いは極少数と言えるわ」

「え?」

 

 夕映は思わぬ言葉に一瞬惚けた。

 ネギの事からてっきり魔法使いの多くが、自分たちのような一般人から従者を選んでいると思い込んでいたからだ。

 

「当然でしょ。自分が魔法使いなのだと明らかにするリスクがあるし、何より自分の過ごす世界のその危険性を理解しているからこそ、従者を必要とする魔法使いはまず間違い無く一般人を選ぶ事を避けるわ」

 

 況してや多くの試練を乗り越え。また危険に身を投じる“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”を志す者であれば尚更に。

 

「それは、同じ魔法使いから従者を選ぶという事ですか?」

「そう言ってるのよ。確かに刹那のようなこちらに属する剣士や戦士なども居るけど、総じて魔法使いと呼ばれる彼等にも様々なタイプがあるの。簡潔に言えば従者向きの魔法使いだっているわ。基本的にはそういった人達は自ら進んで従者としての道を進むか、文字通り一時的に仮契約を結んだりする用心棒的な仕事に付く事が多いみたいね。その上で仕えるに値する…もしくは見込みのある相性の良い魔法使い(パートナー)を探す人もいるそうよ」

「…………」

「加えて言えば、一般人が選ばれない理由には知識が皆無で一から教え、鍛えなければいけない…という手間もあるかららしいわ」

 

 夕映は完全に打ちのめされた。イリヤの話が道理に適い過ぎているからだ。

 自分が仮に魔法使いになるとしても恐らくは数年の時間を要するであろう。仮契約を行なうにしても即戦力になれると断言出来るほど自信が在る訳ではない。

 先程見せられた光景から刹那は元より、明日菜のようにも戦えるとは到底思えなかった。

 

(なるほど、無力な一般人に過ぎない私は足手纏いにしかなれない…ですか)

 

 夕映はそう内心で呟き、さっきネギに申し出たことが急に恥ずかしく思えた。

 

 ドラゴンを倒す? 力になりたい? 戦力に成る? そんなのは何も知らない愚か者の戯言……とんだ妄想だ。

 

 まったく、本当に愚かしい限りです!

 無責任な発言をした怒りと、浅慮で無知な自分への悔しさから様々な感情が芽生えて彼女は憤った。

 

「ゆ、ゆえ…」

 

 そんな夕映の姿にのどかも落ち込み、何も言えなくなった。

 自身が踏み込もうとした夢のように思えた世界にも、どうしようもない現実が在ってそれにどう立ち向かうか、立ち向かって良いか、のどかは判らなくなった。

 本来ならそういった彼女を支えて的確に助言してくれるのが夕映の役目だったからだ。

 その自分を助け、道を示してくれるコンパスが打ちひしがれて針を刺さなくなった事で、のどかも自らの考えを停止させざるを得なかった。

 ただ友人を心配するのみだ。

 

「それに日常茶飯事で無いというけど。今魔法使いが関わる裏の世界は現状、正直芳しくは無いわ。20年ほど前に起きたある事が原因でその情勢は不安定に成っているの」

 

 その原因が原因なだけにイリヤは心底呆れ、また困ったように嘆息する。

 

「管理地域や秘境から逸れた…もしくは封印されていたそれら魔物や魔獣といったものの出没や、さっきも示唆したけど、同じ魔法使い…つまり人間を相手にする事件などの魔法犯罪者が増えていて治安は悪化の一途……いえ、最近低下の兆しを見せているけど、このまま沈静化するかは微妙で、現状のこちら側は中々に緊張しているわ。そういった意味では今ほど一般人と契約をするのに向かない時期は無いのよ」

 

 そう、あの20年前に終結した大戦が原因で、その戦争の犠牲によって人員と人材を欠いた結果。協会の取り締まり…云わば警察力というべきものが低下しているのだ。

 口には出さないが、ついでに言えば向こうが冷戦状態で人材が“本国”に取られがちである事もこれに拍車を掛けており。また何時戦争が再開してもおかしくは無く、再び協会に戦力の抽出を迫る可能性……つまりネギもまた、戦争に引っ張り出される事が在り得るのだ。当然従者もその対象になるだろう。

 

「そうだったんだ…」

 

 ネギもまたショックを受ける。

 自分が田舎育ちで世間に疎い事は感じていたが、実践的な魔法に偏りすぎて大事である筈の魔法社会の勉強を疎かにしていたのが、ここまで影響して皆に迷惑を掛けているのを理解したからだ。

 それでも魔法学校を首席で出たという自分に、何処か慢心を懐いていたのかも知れない……そうも考えた。

 

 

 ―――――――………。

 

 沈黙が辺りを支配した。

 夕映とのどかは落ちん込んだままで。和美も黙って何かを考え込んでいるようだった。

 言うべき事を大体終えたイリヤは、魔法陣の消去に取り掛かっていた。それを終えるとネギの方へ視線を移す。

 

「さて、ネギ」

「はい」

 

 イリヤの声にネギは姿勢を正す。いい加減自分の過失を理解しており、多少なりとも覚悟を決めたのだ。

 それでもやはり緊張は消えず、顔色は優れない。

 

「最後のユエに明らかになった経緯に関しては、魔法に関わる事を理解しながら、それを深く考えずに依頼したという失態がある」

「はい…」

「けど、修学旅行の一件も絡んでいるからカズミの時と同様に情状酌量の余地はあるわ。最終的な判断は貴方を監督すべき学園長が下すと思う」

 

 イリヤは一度言葉を切って意識も切り替える。“麻帆良に属する魔法使い”として私情やネギへの同情を抑制する為に。

 

「ただ…現在麻帆良に籍を置く魔法使いであり、漏洩の監視を担う立場にある私の判断として、アサクラ カズミおよびアヤセ ユエ。この両名には『記憶消去』ないし『行動制限処置』の即刻適用の必要アリと判断します」

「あ……は、はい」

 

 口調と共に雰囲気も変わったイリヤに、一瞬ネギは途惑うが返事をする。

 

「多々問題はあるものの、既に仮契約済みのミヤザキ ノドカに関しては、その事情から私に判断を下す権限が在りません。私の報告と今後、協会による貴方への事情聴取も含めた結果、結論が下される事でしょう」

「っ…はい」

「ただし、重大な規約違反が濃厚である為、現場の緊急処置としてミヤザキ ノドカはカードを一時没収。貴方には逃亡の恐れを鑑み、監視として発信術式の刻印と、現場責任者となる私とサクラザキ セツナが常に傍に付く事になります。以上ですが何か質問は在りますか?」

「……夕映さんと、朝倉さんへの処置はどちらを行うつもりですか?」

 

 この質問に、一般人である三人の少女達の元からあった緊張が更に高まった。

 イリヤはそれに気付くも無視し、ネギの質問に少し考える素振りを見せる……が、既に決めていた考えを述べる。

 

「私は記憶消去の適用が妥当だと思います。セツナ、貴女の判断は?」

 

 決めていたとはいえ、そして色々とネギ達に言い聞かせたとはいえ、この世界の事情を完全に精通している訳ではなく。また実質こういう経験が初めてなイリヤは、一応刹那にも意見を求める。

 

「……そうですね。宮崎さんへの判断と処置が当面保留される事を見ると、制限処置の適用が妥当かと。理由は綾瀬さんがクラスメイトであり、ルームメイトで親しいからです。仮に消去を行なったとしても宮崎さんがそれを口にする事で、綾瀬さんが信じる可能性が非常に高いと思われます。朝倉さんもほぼ同様の理由です」

 

 なるほど、とイリヤは刹那の尤もな意見に頷く。

 のどかに対する権限が無い以上、刹那の意見の方が理に適う気がするのだ。イリヤは私情抜きに考えて判断を下す。

 

「分かったわ。セツナの判断を尊重します」

 

 その決断にネギはホッとし、三人の少女達も比較的穏当な処置なのだと感じて同様に安堵を示す。

 イリヤはネギに向き直り、もう一度問い掛ける。

 

「もう質問はありませんか?」

「…はい。ありません」

「では、発信術式を刻みます。抵抗はしないように」

 

 そう言うとイリヤは木乃香から一枚の符を受け取る。彼女はこの世界の魔法の殆どが使えないので、それほど高度な術でなくても魔法符は必要不可欠だった。

 木乃香はネギに申し訳なさそうな表情を向けた。

 

「ゴメンな。まさかネギ君にこれを使う事になるなんて…」

「いえ……―――っ!」

 

 謝る木乃香に軽く首を振るネギ。そこに彼は自分の身体に異物(まほう)が流されるのを感じ、呻いた。

 

「―――完了です。今貴方の体内の何処かに発信術式が刻まれました。効果は凡そ一週間。それまでこの術式は監視の為、10分おきに貴方の魔力を使用し、特殊な魔力波を半径約20kmの範囲に放ちます。なおこの術式の無断解呪は重大な処罰の対象となりますので留意するように…」

「はい、分かっています」

「では、次に…」

 

 イリヤは、ネギの中で機能し始めた術式の確認を終えると。三人の少女達の下へ歩み寄ってのどかから仮契約カードを渡すように促がし、

 

「おかしい…! おかしいです!!」

 

 途端、のどかが叫んだ。

 何時も前髪に隠れがちな、優しげであろうその瞳から涙を潤ませてイリヤを睨み。その彼女に加担するクラスメイトの二人にも視線を巡らせて。

 

「こんな…! ネギ先生を犯罪者みたいに扱うなんて! 木乃香も桜咲さんも……それに貴女だっ―――!?…あ、」

 

 しかし、唐突に言葉を切ってのどかはたじろいだ。

 彼女のその涙が浮かんだ瞳にはイリヤの顔が映っていた。その睨みつけた筈の相手の表情を見て、のどかは声を詰まらせた。

 

「……カードを渡して」

「あ、うう」

 

 静かに告げるイリヤに、のどかは一瞬逡巡したが……何も言わずに渡した。

 カードを受け取ったイリヤは残る二人に視線を合わせる。

 その二人。夕映と和美は突然声を荒げたのどかに気を取られ、イリヤを視界から外していた為にその級友がどうして怒りを収め、素直にカードを渡したのか訳が判らず、微かに首を傾げるもそれを考える間も無く。

 

「う―――?」

「え―――?」

 

 イリヤの赤い目を見た瞬間、二人は麝香にも似た甘い香りを覚え、頭…というかその中を、まるで直接脳を触られているような奇妙な錯覚を感じて眩暈を起こした。

 桟橋に備え付けられたベンチに座っているにも拘らず、夕映と和美は地面に倒れそうになる。倒れまいと踏ん張り、足と腰へ力を入れ……直後、眩暈が消えた。頭に感じた奇妙な違和感もだ。

 消えた気味の悪い感覚に呆然とする中でイリヤが告げた。

 

「ん―――終わりました」

 

 その言葉に二人は顔を見合わせ、身体をあちこち動かして違和感が無いか確認する。だが何も無くて逆に恐くなった二人は同時に尋ねる。

 今、何をしたのか? と。

 

「貴女たちの言動と行動に制限を掛けさせて貰いました。簡単に言いますと、魔法に関して口述する事、記述する事などが特定条件下以外では不可能になったと考えて下さい」

 

 具体的な事は何も告げず、イリヤはその効果だけを説明した。

 今イリヤが使ったのは、純粋な“魔術”だった。

 ポピュラーな暗示を使ってある種の言動および行動を制限する魔法を―――正確にはその効果だけを再現したのだ。

 

 次にイリヤは木乃香と刹那に視線を向けて、最後に残った問題を告げる。

 

「コノカ。セツナ。貴女達にも本件に関わる報告義務を怠ったとして処罰が下される可能性がありますが、これも酌量の余地はあるので大事には成らないと判断し、私からは何も行ないません」

「はい、すみません」

「うん、わかっとる。イリヤちゃんにも迷惑を掛けてゴメンな」

 

 二人はややバツが悪そうにしながらそれを了解した。

 事実上、イリヤは二人の立場を考えて見逃したといえる。あとは彼女達が自己申告して累が及ばないようにこの件に関わる工作を進める必要が在るだろう。それは木乃香と学園長の仕事だ。

 

 ちなみにネギは後に知る事であるが、自分がバレたと考えているもう三人―――古 菲。長瀬 楓。龍宮 真名に関しては、問題がないことが明らかになる。

 真名に関しては言うまでも無く既に関係者であり。残りの二人にしても彼女達本人は知らないが、その実家および一族は魔法の存在を知っており、彼女達の成長と共に学園で魔法に関する裏事情も学ぶ協定が、関東魔法協会の上層部と彼女達の実家や一族の間で交わされていた。

 

 

 

「―――あ、いけない。危うく忘れる所だった」

 

 イリヤは唐突にポツリと呟く。

 木乃香と刹那の問題を最後にしてもう一人…いや、もう一匹重要参考人(?)が居ることを忘れていた。

 イリヤは木乃香に頼んだ結界の解除に待ったを掛け、その一匹を探して周囲を見渡し―――

 

「ヒィィ―――ッ!」

 

 悲鳴とほぼ同時にドスドスッという物騒な音が聞こえ、逃亡を図ろうとした白い小動物の進路が塞がれた。

 小動物―――カモの周囲には、彼と閉じ込める檻のように無数のアゾット剣が突き刺さっていた。

 

「主人を置いて何処へ行く積もりかしら? この駄妖精オコジョは…」

 

 背後から掛かるその優しげな声にカモは恐る恐る振り向くと、そこには彼とって絶対的恐怖の対象である“断罪の魔女イリヤお嬢様”の姿が己の想像通りに在った。

 周囲に居る人間から向けられる視線もどこか白かったが、彼は気に成らなかった。それ以上にクスクス笑う魔女の自分を見る紅い眼の方が恐ろしかったからだ。

 

「ああ、ああ…あ」

 

 体の震えが凄まじく、彼の視界は地震が起きたようになっていた。恐怖が圧倒的過ぎてもうまともにその魔女の姿も見ることが出来ない。耳も震える体のガクガクとした奇妙な音しか捉えられず。嗅覚も何故か溢れる鼻水によって閉ざされ、触覚も肌が泡立って駄目になっている。

 もうまともに感じられるのは、魔女の放つ今までに無い強大なプレッシャーだけだ。

 だが…もう逃げる事はできない。逃げる事なんて叶わない。この場から逃げるには、この過酷すぎる現実から逃避するには………………クルウシかなかった。

 

「ああ、アア…あアあ―――あーーーーッ!!!!」

 

 そうして彼は発狂した。その告げられる罪状も処罰を聞く事も無く。その場で狂った絶叫を上げて――――倒れた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 東の空が白んで地平線の向こうから日が昇るのを見ていた。

 

「綺麗ね…」

 

 空と海に青みが帯び、澄んだ水面が日の光をキラキラと反射させる南の島の朝の情景にイリヤは見惚れ、呟いた。

 あれから一晩。イリヤはネギに告げたように彼の監視の為、その近くに居た。

 ただ、イリヤ自身も内面が複雑でネギの寝泊まるロッジには入らず、その屋根の上で夜を明かしていた。

 刹那もこれに付き合おうとしていたが、

 

『貴方はコノカに傍に付いて居て上げて、あの子も今回の事で色々と思う事があるだろうから…』

 

 イリヤのこの助言に従って彼女は何時ものように木乃香の傍に居る事を選んだ。イリヤの配慮に深い感謝の一礼をして…。

 

「はぁー……」

 

 美しい光景に心を動かされたのも束の間、イリヤは深く溜息を吐いた。

 ネギに対して厳しく辛く当たったというのも大きいが、今後これがどう影響するかというのも気になるからだ。

 確かに色々と複雑な感情や義務感もあるが、夕映達が平穏な世界で暮らして欲しいというのも本音だ。だから彼女達にも容赦無く苦言をした。

 

 しかし、彼女達がネギに関わらないという未来もまた不安なのである。

 

 それは結局、現実の世界だと理解しながらも、やはり原作知識を当てにしている部分もあり、それと外れつつある現状に…そして本来ならば居ない筈の自分が関わって余計な事をしたのではないかという危惧があるからだ。

 

 だが、覆水盆に返らず。

 やってしまった以上は後悔しても仕方が無い。行なった事には責任を持って今後に備えなければ、と理解はしているのだが……。

 

「ふぅー……」

 

 溜息が止む事はなさそうだった。

 ちなみにカモの事は欠片ほども気にしてはいない。どう考えても自業自得だからだ。まあ、まだ生きているのなら、麻帆良に帰る時に拾って行くのも吝かではない。()()でも一応ネギの使い魔であり、友達なのだから…。

 

「…うん?」

 

 不意に気配を感じてイリヤは視線を転じると、明日菜が海から泳いでネギのロッジに近付いて来るのを目にする。

 彼女は神妙な様子でこちらに気付いた様子は無い。さすがに屋根の上に人が居るとは思わないから当然だろう。

 イリヤもまた声を掛けることは無く、そんな彼女を見過ごす。

 明日菜がここに来た理由は分かっており、原作通りならネギと仲直りしに来た筈だからだ―――が、それもまたイリヤの心に影を落とす。

 昨日の事が“これ”にも響かないか不安なのだ。

 しかし、これといった妙案も浮かばず、イリヤは暫く状況を静観する事にした。

 

 

 

 ネギがトントンと固い物を叩く物音を耳にして目を覚ますと、ベランダに窓をノックする明日菜の姿が在った。

 ケンカをしていた筈の相手の姿がいきなり在った事に驚いたネギだったが、明日菜に誘われるままにベランダを出て、そこに階段から繋がる海に放り出された。

 投げ出されたネギは、その唐突な明日菜の行動に抗議する間も無く。水を含んで咽る姿を笑われて、飛び蹴りから始まる彼女のじゃれ合いに付き合わされた。

 

 ―――…。

 

「あはは」

「いきなり、ひどいじゃないですか―――」

 

 なんなんですかもう、と。微かに身体をふら付かせてようやく抗議するネギ。

 

「……別にぃ。せっかく南の島に来たのに、あんたと遊んであげなかったと思ってさ……」

「え?」

 

 ケンカをしていた相手からの思わぬ言葉に、ネギは思わず疑問の声が漏らし、次に無言でズカズカと…もとい水の中なのでバシャバシャと近付いてくる明日菜に驚き。また昨日の様にぶたれると思いネギは腰が引けて思わず目を瞑る。

 ―――が、

 

 「え……あ、明日菜さん?」

 

 予想に反し、自分を包んだ暖かく柔らかな感触に途惑って目を開けると、ネギは自分が抱き締められているのを理解する。

 

 ―――悪かったわよ。

 

 耳元でそう明日菜が囁いたのを聞いた。

 直後に照れ隠しなのか、サバ折を受けてネギは苦しんだが明日菜の謝罪はまだ続いた。

 

「……しばらく無視していて、悪かったわよ。謝る……ごめん…」

「え?…えっ」

 

 ネギは彼女の謝罪に戸惑いが大きくなるも、次第にその謝罪の意味を理解し自分もまた謝る。

 

「あ! あっ、あの。えとっ…いえ、ぼ、僕の方こそ関係ないとかひどいこと言っちゃって、ご、ごめんなさいっ…」

「もーいいわよ、それは…」

 

 明日菜は本当に気にした様子もなく、そう答えてネギの謝罪を受け容れた。

 

「それに……それだけじゃないのっ」

 

 グッと明日菜の抱き締める力が強まり、ネギはまた苦しくなって微かに呻く。

 しかし明日菜の力は緩まず、彼女は言葉を続ける。

 

「……私、心配なのよ。あんたのことが、ちょっと前から何でか…わかんないけど……」

 

 微かに言葉が切れ、ネギは頬に温かい雫があたるのを感じた。

 

「私の見て無いところで大ケガしてんじゃないか……死んじゃうんじゃないかって……」

 

 無謀すぎんのよアンタは…

 そう言い明日菜は身体を離し、零れた雫を拭い目元を擦る。

 

「―――どうせ、止めろって言っても。お父さんを追うの、諦めないでしょ? だから……あんたの事を守らせてよ。私を…」

 

 涙を拭い切って笑顔を向けて言う。

 

「あんたのちゃんとした。パートナーとして見て―――ネギ」

 

 ネギは一瞬その笑顔に見惚れ、パートナーの意味に思考が及んで顔を真っ赤にさせたが……それは僅かな間で、昨日の事が脳裏に過ぎって頬に感じていた熱さが引いて行くのを感じた。

 ネギは俯いて視線を下げた。それに不審を覚えた明日菜は、どうしたの?と尋ねようとしたが、それより先に彼が口を開いた。

 

「あの……明日菜さんは、いいんですか本当に…」

 

 その言葉に明日菜は折角の決意を踏み躙られたように感じ、何を今更!と。先日のように一瞬ムッとしたが、直ぐにネギの様子があの時とは大違いであることに気付き、戸惑いとやはり不審を覚えた。

 明らかにネギは落ち込んでいる。これまでも幾度も落ち込んで悩む姿は見て来ていた。

 ……けど、今のネギはそれまでとは明らかに一線を画していた。

 少なくとも明日菜はそう直感した。

 自分の知らない間に何かあったのだろうか? と明日菜は不安を懐いて訊ねた。

 

「どうしたの、何かあったの?」

「……修学旅行の…あの夜の時のこと…イリヤと刹那さんに聞きました」

 

 ネギは微かに躊躇ってから答える。

 

「あんな、本当に危ない目にあったのに…僕、全然知らなくて……」

「あ、あれは別にネギの所為って訳はじゃあ―――」

「それにイリヤに言われたんです。魔法使いの僕がその世間…社会のことが分かってないって……」

 

 そうしてネギは昨日あった事をポツリポツリと話し始めた。

 夕映とのどかに魔法使いになりたいと相談されて、それをイリヤに聞かれてしまい。夕映達に魔法がバレていた事も知られて彼女達と一緒に様々な警告を受けたこと。そして近い内に処罰が下るであろう事などを。

 

「明日菜さんが今言ってくれた事は、とても嬉しいんです。……でも、そんな碌に知りもせず、考えもしなかった僕が……危険に巻き込んだ形で明日菜さんと仮契約した僕にそんな資格なんて…きっとないんです。それに処罰の内容次第では、故郷に帰されるかも知れません……最悪、オコジョにもされるかも―――」

「!―――…何よ、それっ!!」

 

 話を聞いた明日菜が発した第一声はその怒声だった。

 今のネギの自虐的な言葉にも腹は立ったが、それとは別の怒りだった。

 最初、ネギが迂闊にイリヤに聞かれたのは仕方がないと思った。イリヤがバレた事に追求するのも警告するのも分かる。まあ、魔法使いの立場というのはよく分からないが……兎も角、確かにあんな危険がある世界に夕映やのどかのような普通の女の子が関わる事に反対するのは理解できるから。何しろ明日菜には実感があるのだから余計に。

 自分もきっと同じ事をする…というか、つい先日、学校の図書室で夕映とちょっとしたやり取りがあってそう強くではないけど、一応注意していた。

 けどネギにした。まるで犯罪者のような扱いには我慢が出来なかった。

 

「イリヤちゃん! 近くにいるんでしょっ…!」

 

 だから明日菜は叫んだ。そう扱った人間に対して怒りを隠さず、今のネギの話しで監視のため、傍に居る事は分かっているから。

 

 

 

 呼ばれたイリヤは、また溜息を吐いた。やっぱりこうなってしまったか…と。そこには予感が的中した事への憂鬱感があった。

 正直、明日菜が何を言って来るのかも、ある程度予想が付くので答えたくは無かったが……それでは明日菜が納得出来ないであろうから、仕方なく呼びかけに応じる。

 

「ここよ、アスナ」

「イ―――」

「―――待って…! 外では誰に聞かれるか分からないから、話なら中でしましょう」

 

 屋根の上にいた筈のイリヤは既にベランダに移動しており、そこから呼び掛けに応じていた。

 そして明日菜が大声で怒鳴りそうな気配を感じ、慌ててそれを制すると中へと誘った。今までネギが長々と話していたのを思うと若干今更感を覚えたが、明日菜が放つ怒気からそうせざるを得なかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「一体、どういうつもりなのっ!?」

 

 ロッジの中で全身から滴る水滴を拭き取ろうともせず、詰め寄った明日菜の発した言葉はイリヤの予想していた通り、そんな怒声だった。

 一応これを予想して遮音結界を張ったイリヤは、溜息が出そうになるのを堪えて冷静さを装って返事をする。

 

「どういうつもり、と突然言われても何を指しているのか判らないわ?」

「ッ…!」

 

 そのどこか惚けようとする態度を、話を拒もうとしているように感じて明日菜の怒りは更に強まった。

 それは確信に満ちた直感だった。イリヤは明日菜の言う意味を察せないほど頭の巡りが悪い子供ではない。非常に聡い子だ。それが分かるから明日菜は怒りを大きくしたのだった。

 

「なら、言ってあげるわ…! どういう積もりでネギにあんな真似を…まるで発信機を仕込むようなことをして、監視なんてするの! 確かにアンタ達―――魔法使いにしてみたらネギは許されない事をしたのかも知れない! でも…だからって、やり過ぎよ!」

 

 そう区切ってから、明日菜はギリッと奥歯が軋むほど顎を噛み締めてイリヤを睨んだ。

 

「だいたい、ネギが逃げる訳ないじゃない! そんな自分がしでかした事から敢えて目を逸らすような奴じゃないって…! イリヤちゃんだってそれぐらい分かってるんでしょ!?」

「……」

「それに…! そもそも何でネギをそんなふうに扱えるの!? さっきも言ったけど、確かに本屋ちゃんの仮契約の事や夕映ちゃんと朝倉にバレたのは問題なのかも知れない! けれど…三人とも秘密を守るって言ってくれてる! なのに、なんで……どうして、イリヤちゃんは―――」

「―――見逃せない事だからよ。私は一人のまじゅ…魔法使いとして。その世界の法と秩序を順守する立場の人間として」

 

 イリヤは冷静に、あくまでも冷静に答えた。

 

「だからって…分かっているの! そんな固い考えの所為でネギは故郷へ帰ることになるのよ! オコジョにされるかも知れない!…ううん、それよりもネギが目指すマギ…何とかっていうのにも成れなくなる! あんなに頑張ってるのに……犯罪者みたいに扱って、イリヤちゃんは良いのそれで―――貴女、友達なんでしょ!!」

 

 友達なんでしょ―――この言葉を聞いた瞬間、イリヤは自分の中で何かが軋んだのを感じた。

 我慢しようとした、耐えようとした、……でも駄目そうだ。

 

「だから、見逃せと。…分かって無いアスナ。…黙って見逃して、それで済むと言うの?……だったら、私もそんな真似しないわ」

 

 イリヤは、壊れたような、悲しそうな笑みを浮かべた。

 

「私が見逃したとしても他の誰か、麻帆良に居る私やセツナ以外の関係者が気付く可能性だってあるのよ。それじゃあ、ただの問題の先送りになる―――…それに! 此処で厳しく当たらなかったら! 間違った事を…間違いだって! 確りと指摘しないと、また同じ過ちを繰り返すかも知れない!」

 

 冷静だった筈の仮面が剥がれて、叫ぶように捲し立てる。 

 

「もし私以外の誰かが気付いて……それが今回のように忠告し、罰しようする形ならまだ良い。けど……ナギ・スプリングフィールド―――サウザンドマスターの息子だからって甘い判断を下して…結果! 取り返しの付かない事が起こるかも知れない!! それこそ、興味本位で魔法に近づいたあの子達が犠牲になる可能性だってある!」

 

 イリヤは叫ぶようにそう口にし、そんな見た事も無い彼女の姿に明日菜は面食らい黙り込む。次に一拍於いて気を落ち着けるように息を吐くとイリヤは静かに言葉を続ける。

 

「…もしそうなったとしたら…本当にそうなったら……ネギと本人や、その周りに取っても、とても不幸な事…」

 

 事実……とは言い難いが、原作ではあの堅物なイメージがある黒人魔法教諭のガンドルフィーニが「さすが、“彼”の息子だよ」と超 鈴音を見逃す事になっていた。

 

「危ういのよネギは……このままこっちの世界の厳しさを知らないままじゃあ」

 

 イリヤは辛そうに言う。

 

「本来、魔法学校を出たばかりの子が、これまでのような事態やそういう社会の厳しさに直面し、理解するのには余裕がある筈なの。けど、ネギの…“英雄の息子”であるという事実と、或いは運命という物なのかしら、ね……それが許してくれない。まるでコノ…―――」

 

 危うく口が滑りそうになり、咄嗟に誤魔化す。

 

「―――いえ…実際、エヴァさんに襲われている。そしてアスナと仮契約をも交わした。……命のやり取りに仮契約。その両方とも魔法学校を卒業したての子供が経験する筈が無いような事……けど、ネギのお父さんが残した因縁でそうなってしまった」

 

 イリヤの顔を見て、言葉を聞いて、明日菜は頭をガツンと殴られた気分になった。

 

「……私は、何も好きでネギに…厳しくしている訳でも、責めている訳じゃあないわ…! 好きで大切と思える友達を…友達を……犯罪者みたく扱う訳ないじゃない!!」

 

 だから聞きたくなかった。のどかもそうだった。ネギの扱いに…犯罪者を扱うようだって責めるのが分かっていたから。同じ大事に思える“この世界に訪れる事でできた”友達のアスナからはそんな言葉を聞きたくなかった。

 

 

 そんなイリヤの心情が現われた壊れそうな辛そうで泣きそうな表情と。激しく波打った感情を吐き出しているような言葉が、明日菜から怒りを吹き飛ばして強い後悔を抱かせた。

 

「ご、ゴメン…! ゴメンなさいイリヤちゃん」

 

 明日菜だって良く考えれば判っていた筈だった。だけど、ネギの話を聞いて芽生えた怒りに……感情と思考が捕らわれて、それを優先してしまった。

 いつも冷静で屹然として、ネギどころか自分よりも大人だと感じさせ。時には冷酷だと思う事もある彼女だけど、それでも自分たちと変わらない少女であり、根も優しい子なのだ。それは判っていたのに…。

 明日菜は頭を下げながらイリヤの気持ちを考えられなかった、怒りに捉えられていた自分に本気で後悔し、また今度は自分自身に怒りを覚えた。

 私の馬鹿…ッ! イリヤちゃんだって辛いのに…!と自身を罵った。

 

「イリヤ…ごめん」

 

 明日菜の剣幕に押されて、止められなかったネギも頭を下げて謝った。

 明日菜を止められなかった事もそうであったが、イリヤにもこんな辛い思いさせた自分が改めて情けなくて許せなくなった。

 そんな二人にイリヤは静かに首を振った。

 

「私こそ…ゴメン。みっともない所を見せたわね」

 

 感情的になり、泣きそうなった自分が恥ずかしく思えたのか、それともらしくないと思ったのか、イリヤは今一自分でも判断が付かなくてそう言った。

 あまつさえ木乃香の事を危うく口にしそうになり、余計な事を口走ったような気がしていた。

 

「イリヤ…」

「イリヤちゃん…」

 

 頭を上げても気まずそうな二人にイリヤは笑顔を向ける。

 

「そんな顔をしないで、アスナが怒るのも分かるから。…ネギもそんなに気に病まないで、私はもう気にしてないから…」

「「……………」」

 

 二人は無言で頷いたがその表情は晴れず、まだ何かを言いたそうにしていた。どうしたって気にしてしまうからだ。

 その為、イリヤは二人の前から退散するべきと思い。出入り口にと足を向けた―――その際、

 

「ネギ…アスナの申し出は受けても言いと思う。貴方は知らないようだけど、学園では既にアスナと仮契約を行なった事は認められているから」

「え…」

「故郷に帰される心配も要らないと思うしね。何より、アスナはアスナなりに、魔法に関わる危険と真剣に向き合って考えて―――あんな目に在ったにも拘らず、ああも『パートナーとして見て』なんて告白したんだから。それを踏まえてネギも真剣に受け止めて答えなさい……今回の事を思うなら尚更に。いいわね」

「え、え…」

「…それに案外お似合いかもね」

 

 そう告げてクスリとワザとらしく笑ってから、イリヤは玄関の扉を開けてロッジから出た。

 その数瞬後、不意打ちのように放った言葉の所為か、気まずい空気が何処に吹き飛んだらしくイリヤの背後から何やら大声で喚くネギと明日菜の声が聞こえ……イリヤもまた先ほどあった気分は何処に言ったのか、安心して軽やかに笑った。

 

 うん、この二人なら何があっても―――と。

 

 そうこの先の未来を思い、願って……。

 

 

 




 ネギには厳しくも何処か甘いのに、夕映達にはきつく当たるイリヤ。それも彼女達の事を思っての優しさなんですが。

なおカモには本当に容赦が無く。彼は簀巻きにされて木に吊るされ、フクロウやミミズクなんかの夜行性動物の餌になり掛けてます。

次回、ネギに処罰が下ります。


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第13話―――その指針が示す先は……

 

 

 麻帆良学園都市の一角。武蔵麻帆良と呼ばれる区域に広大な敷地面積と全高70mにも達する尖塔を持つ、一際大きな教会が建っていた。

 一般的に無神論者が多い日本ではあるが、彼の一大宗教の信者はやはり居る者で。信仰に厚い者は足繁く通い、さほど厚くない者でもこの壮大な教会を見れば、まず間違いなく主の存在を身近に感じられずにはいられないだろう。

 

 だが、コンクリート造りながらも宮殿の如く外観を有し、信仰を誘い、深めさせるこの立派な教会もその実、飾りに近く……ある種の人間達のカモフラージュとして扱われている事を知る者は少ない。

 そう、真実この教会の実態を示している場は、信者たちが祈りを捧げる聖堂ではなくその地下に在った。

 歴史の裏に潜む魔法使い達が―――異質なる者、異端たる者であるが故に火星の地を寄り代にした世界へ多くの者が逃れるように移ったにも拘らず。それでも故郷たる地球の大地を忘れらない…或いは、意識せざるを得ない彼等はその大地を人間界と称し、その世界の裏で未だ多くの影響力を有し、行使していた。

 いや、現代でも多く残る魔法関連の遺跡に、魔獣や幻獣が住まう秘境。そして世界各地に封印された悪魔や鬼神といったものなど、そういった神秘と幻想の痕跡がある限り、彼ら―――魔法使いの組織は、この人間界にもやはり必要なのだ。

 その内の一つである関東魔法協会の本部にして、“本国”の下部組織である「魔法使い(メガロメセンブリア)・人間界日本支部」というのが、この教会の真の姿であった。

 

 

 イリヤがその地下施設を訪れるのは、今回で二回目である。

 一度目は、京都での一件でネギ達の救援に赴いた時だ。その一件で長距離転移を行う為に、此処の転移ポートを利用させて貰った。

 二度目である今日は……。

 

「やあ、イリヤ君」

「タカハタ先生…帰っていたの?」

 

 目的の部屋に向かう途中、背後から掛けられた声に振り向くと、タカミチ・T・高畑の姿がそこに在った。

 この前、顔を合わせたのはエヴァ邸で京都土産―――いや、詠春からとんでもない代物を送られた時だったから、凡そ9日ぶりになる。

 なお、彼が京都へ赴いていたのは、例の修学旅行の一件について関東を代表して事後処理に当たる為であった。その処理が一段落し、一度麻帆良に戻ってエヴァ邸を尋ねたのだが、直ぐにまた何処かへ出張に赴いていた。

 イリヤが聞いた話では、京都の事件に関わった黒幕…つまりはフェイトの足跡を追っていたらしい。

 

「余り元気が無さそうだね。やっぱり彼のことが心配かい?」

「……ええ、自分が見咎め。報告した事とはいえ…ね」

 

 彼は今日の此処へ召集が掛けられた事情を理解しており、イリヤの表情の険しさを見たタカミチは窺うように尋ね。イリヤも彼相手に隠す事に意味が無いと感じて正直に答えた。

 

「でも…暫定ではあるけど、今回の事でネギ君を重く処罰しようという動きは無いようだし、心配は要らないんじゃないかな」

「判っているわ。ネギには先日の京都の騒ぎでの功績もあるし、“英雄の息子”として期待している人も多いから……そうなるでしょうね」

「ふむ―――」

 

 タカミチは、答えるイリヤの様子を見て少し考え込む。

 

(ネギ君の事は心配していない。いや、今言ったように全くという訳じゃあないだろうけど、彼の身を案じる必要は無いと考えているか。そうなると―――)

 

 イリヤの表情の険しさ…不機嫌さに思い至り、口に出す。

 

「夕映君達の事か。納得がいかないのかい?」

「……………」

 

 タカミチの言葉を受け、イリヤはこの二日の間に行なわれた会議の事を思い返す。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 イリヤ達が南の島から戻った翌々日、5月13日の火曜日。

 その日の放課後、麻帆良女子中等部の校舎にてある会議が行なわれた。

 表向きには、各学部の教師を集めた意見交換会と銘打たれたそれは、この麻帆良に所属する魔法先生達による南の島で発覚した見習い魔法使い―――ネギの魔法漏洩問題の検討会であった。

 

「―――これ等の件はネギ君に重く処罰を求めるほど、彼の責任は大きくないと思う」

 

 イリヤの口頭報告を終えた直後に出た発言がこれだった。

 それは皆が納得する言葉であり、意見であった。和美と夕映への発覚経緯はイリヤが言うように酌量の余地があり、のどかとの仮契約は使い魔であるカモが主な原因なのだ。

 

「まあ、イリヤ君の言うとおりこの使い魔への監督不行き届きと、記憶消去処置を直ぐに行なわなかったのは確かに問題だけど。彼はまだ幼いし、この妖精のカモ君だっけ? この使い魔君とも友達で、バレた相手も彼が受け持つ生徒だったからね。色々と躊躇うのは判るよ」

 

 そう微笑ましそうに笑顔で言ったのは、魔法先生と称される者達の中でも若手である瀬流彦だ。

 彼は、問題提訴しながらもさり気無くネギを弁護した。此処にいる大半の者はそれを理解し、同意しつつも若くまだ甘さを持つ彼らしい穏当な言いようだと思った。

 

「そうだな。だが問題であることも無視できない事実だ。これをどう処理すべきかだが…」

「私的に言わせて頂ければ、ネギ先生本人への厳重注意と反省文の提出で済む事だと思います。勿論、反省が足りなく二度、三度と繰り返すようであれば、この限りでないことも示唆する必要はありますが」

 

 オールバックの黒髪に口元から顎にかけて見事に飾った髭と、掛けた黒いサングラスが印象的な厳つい男性…教師というよりも何処かの高級バーの用心棒やボディガードを言った趣を持つ“グラヒゲ”“ヒゲグラ”と生徒たちから親しまれる(?)神多羅木(かたらぎ)が発言し。

 続けて、長く伸びた白髪が印象的で、掛けた眼鏡と常に冷静な佇まいから知的な雰囲気を醸し出すクールな美人教師として、中高及び大学の男子生徒に人気のある葛葉 刀子が、彼女らしい生真面目な言い様で対処案を提示した。

 

「私もそれに異論は無いな。イリヤ君の話や事情聴取の時もそうだったが、彼は既に深く反省している。……むしろ、彼本人よりもこの使い魔の方が問題だ。―――何だ、この下着2000枚を盗んで服役中だったというのは…! 何故こんなのが彼の息子の使い魔をやっている!?」

 

 この集まった一同では珍しい黒人魔法教師であるガンドルフィーニが驚愕混じりに発言した。

 その発言もまた、皆が等しくする思いだった。

 犯罪者? それも下着泥棒!? ケット・シーに並んであの由緒正しい小さな知恵者であるオコジョの妖精が! しかも服役中だったという事は脱獄? 逃亡者なのか!?……と、イギリスの魔法協会から送られてきたアルベール・カモミールに関する資料に目を通すなり、皆が懐いた感想だ。

 

「いや…まあ、なんというか。スマン、わしのミスじゃ。ネギ君に“大事な友達だからどうしても”と請われてのう」

 

 一同を纏める関東魔法協会の最高責任者である近衛 近右衛門が、東の長として、上に立つ者として在ろうとする場では本当に珍しく、心底申し訳無さそうに口を開いた。

 

「「「「――――……」」」」

 

 それに一同は、一斉になんとも言い難い表情を浮かべた。

 カモの所業を知りながら使い魔として受け入れたネギが悪いのか、それとも同様に承諾した近右衛門が悪いのか、判断が付かないからだ。

 コホンと、その形容しがたい空気を打ち払う為か、近右衛門に次いで麻帆良の魔法使いたちの纏め役を担っている明石教授が咳払いし、発言する。

 

「―――ともかく、使い魔に問題があったというのなら、そのオコジョの妖精…アルベール・カモミールをネギ先生から外すべきでしょう。ただでさえ、元は服役中であった身の上なのです。今回の問題で彼は“小さな知恵者”として、使い魔として、魔法使いの補助を担うには不適格だと明確に成ったのですから……処罰の必要も確定しているのですし」

「………」

 

 明石の言葉にイリヤはどうするべきか考える。カモの行動に問題があるのは確かだ。しかし一方で私欲もあるだろうが、ネギを思ってその行動を起こしたのも間違いない。

 それに、カモという―――他の従順な妖精とは随分異なる助言者がネギの傍にいる意味合いも無視できない。やや真っ直ぐ過ぎるきらいがあるネギを補助するのは、カモぐらいの悪人に決して成れない人が良い不良妖精がピッタリな気もするのだ。

 ただ、自分とは決して相容れられないだろうけど……とも思うが、そこはネギの為を思えば我慢は出来る。既に我慢など何処吹く風でカモを散々な目に遭わせて於いて、身勝手にもイリヤはそう考えた。

 自身の内で結論を下したイリヤは、ふむと一つ頷いて発言する。

 

「明石教授の言うとおり…ではあると思います。ですが、その結論は少し待って頂けないでしょうか?」

「それは、どういうことかな。イリヤ君?」

 

 明石が表面上では冷静に尋ねた。その内面ではイリヤがカモを快く思っていない事を知るだけに、その彼を庇う彼女のこの発言には驚いていたが。

 

「はい、この件で明らかになったようにネギは、非常にこちら―――私達の社会に関して理解が乏しいです」

「ふむ」

 

 明石は頷く。他の面々も同様で手元にある資料の一つ、ネギの魔法学校での成績とその性向を記された書類に目をやる。

 例えるなら数学に当たる術式の構築。理科や化学に当たる錬金術。国語に当たる古代言語。体育とも言うべき魔法の実践。これ等は全てトップに入っているのだが、何故か歴史や政治構造に法律などの社会学の成績がギリギリ及第点に留まっている。

 無論、メルディナ魔法学校の教師もこの事を一応注意していたらしいが、他の成績が群を抜いて良かった為にそちらに目が行き過ぎて軽視してしまったらしい。或いは身を持って体験する今の修行期間で学んでくれるだろうと、期待したようだった。

 しかし、結果は現在の通りで、魔法の天才でありながらも社会に不適格だという、ある意味、歪とも言える見習い魔法使いを誕生させてしまった。

 

「―――ですから、それを補う為にはどうしてもネギにはカモのような知恵者である使い魔が必要になります」

「…なるほど、確かに。―――しかし君の言いようでは、他の…代わりの使い魔では駄目だとも言っているようにも聞こえるが…」

 

 ガンドルフィーニが同意するように頷いてから、感じた疑問をイリヤに問い掛ける。

 

「ええ、ガンドルフィーニ先生。私はそう考えます。理由は今回の件でカモを使い魔から外したとしても、ネギが今後、新しい使い魔を受け入れるとは思えないからです」

 

 それは理性的な問題ではなくて、感情の問題だ。

 幾らカモの素行が悪く、使い魔失格なのだとしても、ネギにして見れば彼は掛け替えの無い友人であり、間違いなく信頼を置ける唯一無二の使い魔であろう。

 今のように他の人間が問題で在ると言い。不適格だと言おうが、これまでその彼のサポートを受けていたネギにとってそれは変わらない普遍の事実なのだ。

 だから、言われて他の使い魔を補助に付けたとしても……いや、付けようとしてもネギは断る筈だ。カモに対する負い目を覚えるだろうし、どうしても新しい使い魔にもカモを意識してしまう。

 そうなれば、エヴァに小利口とも評される真面目な性格を持つネギのことだ。恐らくその使い魔にも失礼だと、無責任だと、主人失格だとか負い目を懐く。悪ければそれが使い魔にも不信を与え、信頼関係の醸成に相当手間取る事に成る。

 

「……故に更正の機会をまた与えようという訳か」

 

 イリヤの意見を無視出来ないものと捉え、顎に手を当てて考えながらガンドルフィーニは答えた。

 

「はい。日本には3度目の正直という言葉もありますし、下着泥棒の件に脱獄の件。そして此度の問題…今、更正の機会を与えれば、その3度目という事になります。カモ自身も自分のみならず、仕えるべき主人に迷惑を掛け、いい加減に懲りている筈です。もし…これで駄目なら―――その意味は、彼にも流石に理解できるでしょう」

「「「「…………」」」」

 

 イリヤは最後にクスクスと笑い。可憐な筈のその笑顔を見て、何故か此処にいる全員は沈黙したまま何も答えられず、室内の温度が急激に下がった錯覚に背筋を震わせた。

 イリヤにして見れば、これまでの事を水に流して庇っているのだ。もしその厚意を無碍にするような事があれば……今度は本当に彼の生涯に幕を降ろさせる積もりだった。

 

「と、ともかく。イリヤ君の意見には一考の余地はあると思う。…ただ、ネギ君自身にも知識不足を補う努力をして貰う必要はあるだろう」

「そうだな。折を見て短期間の集中講義という形で場を設け、その使い魔にも出て貰い。性格等をより見極めるべきだろう。更正が可能かどうかの……」

 

 ガンドルフィーニがやや冷や汗を掻きながら言い。神多羅木はそれに頷き、恐らく冷や汗を流す彼も考えたであろう意見を被せる。

 神多羅木の意見は、事情聴取で既にカモの性向などの把握に努めていたが、より念を押して更正の見込みがあるか見極めようということだった。

 

 そうしてその日の会議は、ネギはほぼ不問で厳重注意処分と反省文の提出。加えて社会学の集中講義が処罰として暫定的に決定された。カモは更正可能か不可能かのどちらか次第で、最終的な処罰を決する方針が立てられた。

 

 その翌日。

 のどかとの仮契約の継続と。夕映、和美の両名の処置について議論された。

 

「宮崎 のどか…か。性格は人見知りで内向的とやや問題ではあるが、成績を見る限り、頭は良い方だな。運動能力も図書館探検部に所属しており、悪くは無い。危険察知などの状況判断や洞察力も同様に鍛えられている」

「加えて、アーティファクトも『いどの絵日記』と、非常に希有と来ているかぁ……これは悩みますね」

 

 ガンドルフィーニの呟きに瀬流彦が応じた。

 

「性格的にアーティファクトを悪用する事もないだろうしな…まあ、だからこそ与えられたのだろう。今後の成長次第では良い従者に成りそうだ」

「ですが、その性格が荒事に向いていません。これでは“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”を志す魔法使いの従者には不向きなのでは?」

「だから成長次第という事だ。今は不向きに見えても、人はどのように化けるか判らんからな」

 

 神多羅木と刀子が互いに言い合う。そこにイリヤが発言する。

 

「私としては、トウコさんの意見に賛成です。あの争いごとに不向きな優しい子には平穏な世界に生きて欲しい…」

 

 イリヤは漫画とはいえ、あり得たかも知れない未来を識る為に内心で複雑な思いを懐きながらもそう言った。

 ネギの助ける力になる可能性を摘み取る事への不安と、のどかの秘めた可能性をも奪うかも知れない事に忸怩たる思いがある。

 しかし、それ以上に自分では決して得られない平穏な世界で暮らして欲しいという思いのほうが強かった。

 

「うむ、そうだな。イリヤ君の言葉が真っ当なんだと思う。世の平穏を守らんとする魔法使いの一人として、私も賛成だ」

「僕も同意見だ」

 

 ガンドルフィーニと明石が頷く。―――が、瀬流彦が反対意見を出す。

 

「でも、やっぱり勿体無くないですか? 性格は不向きだといえ、身体能力と判断力も悪くなく。あの『いどの絵日記』ですよ! 神多羅木さんの言うとおり、人は成長次第でどうにでもなるじゃないですか。……今は不向きだからって、彼女の将来に関わる事をそれだけで判断するなんて、ちょっと乱暴だと思います」

 

 瀬流彦の言葉に一同は僅かに沈黙し考える素振りを見せる。そこに自分の名を出された事もあってか、神多羅木が再び意見を言う。

 

「……将来などというのは誰にも判らんことだ。だから俺はもう少し様子を見るべきだと思う。この子が従者…或いは本人が志向したように魔法使いとしての適正を計る為にも、しばらくこのまま協会で面倒を見るべきだと…」

 

 刀子もそれに思う所を感じたのか、考えを改めて賛意を示す。

 

「確かに、この宮崎という少女の在学前と在学後…より正確に言えば、図書館探検部に所属してからの身体能力などの成長過程を見るに見込みはあるかも知れません」

 

 手元ののどかの資料を見つつ、彼女は言葉を続ける。

 

「将来性というのは、先のこと差し示すが故に不確実なものではあります。ですが、だからといって無視して良い要素でもありません。神多羅木さんの言うようにこの麻帆良で彼女を指導し、様子を見るのは悪くない提案だと思います」

 

 やや思惑とは違う方向に会議が向かうのを感じ、イリヤは微かに眉を顰めた。

 皆は神多羅木と刀子の意見を聞いて、各々に黙考したり、唸ったり、近くの者と相談したり、と悩んでいる様子だ。

 既にイリヤによって魔法に関わる危険性が説かれており、それ以前に修学旅行の一件に関わった事。ネギの窮地を救った機転を見せた事などもあり、のどかを容認しようとする雰囲気が生まれていた。

 そこに決定的な意見が近右衛門によって投下される。

 

「ワシとしては、『いどの絵日記』が彼女…宮崎君のアーティファクトに選ばれた時点で受け入れざるを得ないと考えておる。皆も良く分かっていると思うが、『読心能力』と言う物自体が非常に稀有で強力な物じゃ。ならばそれを可能とするアーティファクトに選ばれる宮崎君自身も同様であろう」

 

 近右衛門は一度言葉を切り、鋭い視線で一同を見渡す。

 

「さて、そこで皆に問いたい。宮崎君がそんな強力な能力を持つ、或いは持つ事が出来ると知って彼女を放って置けるかのう? 魔法使いであるならば、これ程まで有能な能力を持つ従者を仕えさせたいと思わんか? もしくは自身以外の魔法使いの従者になるという事をどう思う?」

 

 その東の長が言う言葉に一同は息を呑んだ。

 イリヤもだ。

 今までその事に全く気付かなかった己を内心で激しく罵る。

 学園長の言う通りだ。道具の力とはいえ、使いこなせば表層どころか内面深くまで心を読めるという強力な能力を持つ人間が居ると知ったらどうするか?

 大抵の者は放って置く事など先ず出来ない。味方に出来るなら味方に付けたいと思うだろうし、出来ないなら確実に消したいと考える。況してや心に疾しいものが在る者……特にネギに敵対する者や、害意を持つ者達にとっては……。

 のどかの穏やかな性格をなまじ知っていたからか、その有効性以上にもたらす危険性を見過ごしていた。

 原作でもフェイトは、のどかの読心能力を…その危険性を理解するなり、直ぐに排除に掛かっていたのに。

 本当に迂闊だ。思わず頭を抱えたい衝動にイリヤは駆られた。

 

「皆が思った通りじゃ。宮崎君の資質……アーティファクトに『いどの絵日記』を授与される才能を知れば、それを欲する輩。危険視する輩は限りなく居るじゃろう。無論、ワシは此処に集まった者達を信じておる。宮崎君をそのような目で見る者達で無いとも、この情報を吹聴する人間でも無いと……」

 

 学園長…いや、関東魔法協会のトップの言葉を聞いて、この場の魔法使い達は皆表情を引き締めた。その重要性を理解したからだ。

 彼等にしても、のどかの性格から悪用は無いと判断し、さらに英雄の息子であるネギと主従関係を結んだという事実に目が行ってしまい。己等を纏める上司が今、口にした可能性を考慮しなかった。

 そうしてイリヤ同様、自らの思慮の浅さに反省を抱き、気を引き締める教師陣であるが、当のイリヤはそれ以上に後悔とも言うべき感情と思考に囚われていた。

 

 何しろ、この一件で学園―――関東魔法協会内部にのどかが『いどの絵日記』の所有者であるという情報を拡散させてしまったのだ。近右衛門の言う危険性に気付かず、イリヤが報告した事で……原作では多くに知られて無かった事を。

 イリヤにして見れば、近右衛門ほど彼等を信用できない。善良であるというのは判るがそんなものは保証に成らない。彼らのいずれからのどかの情報が漏れるか、気が気でないのだ。

 修学旅行の一件でフェイトには、既に知られている事とはいえ、敵と成りうるのは彼等だけではない。学園側から漏れる事でどのような影響が現われるか……最も恐れるべきは、ネギに隔意を持つであろう“本国”の人間に知られる事だ。

 彼らがこれを知り、どのような対応と行動を取るか……?

 イリヤは今後を憂い心底、自身の迂闊さに頭を抱えていた。

 

 こうして学園長の意見が決定的となり、イリヤ、ガンドルフィーニ、明石などの反対意見は覆り、のどかはネギの従者及び魔法使い候補に認められる事と成った。

 イリヤはこの結論に、悔恨の表情を浮かべながらも受け入れざるを得なかった。

 

 続いて夕映と和美に対しては、早々に結論が出た。

 

「綾瀬 夕映君に関しては、宮崎君と親友との事であるし、彼女の処遇が決まった以上、綾瀬君も魔法使い候補として受け入れても良いと思う」

 

 これを言ったのは意外にも、先程のどかに関して反対の立場を示していた明石だった。

 イリヤは驚きながらも尋ねる。

 

「何故ですか?」

「うん。一言で言えば、綾瀬君は非常に鋭い。修学旅行の一件に関わって学園に張られた認識阻害の結界の効果が薄れたというのもあるけど、その途端に直ぐに普通に考えれば、非常識としか思えない僕達…魔法使いの存在を言及している」

「ですが、それも記憶消去を行なえば…」

「そうなんだろうけど、親友である宮崎くんがこちら側に来る事となり、またネギ君が担任として傍にいる以上、何かしらの切欠で再度認識阻害の効果が薄まる可能性は高い…」

「しかしそれを言うのであれば、他の生徒も同じなのでは?」

 

 イリヤが疑問を呈する。

 その理屈ではネギのみならず、魔法生徒や魔法先生の傍にいる一般生徒に教師。それどころか、この麻帆良に暮らす全ての一般人に露呈する危険性がある事になるからだ。その程度の事で発覚するなら認識阻害の結界自体意味が無い。

 が、明石はイリヤにも驚きの事実を明かす。

 

「そう、だから言ったのさ。綾瀬君は鋭いってね。これは何も彼女の頭の巡りの良さを言っている訳じゃあないんだ」

 

 明石は、やや下がった眼鏡を指で掛け直してイリヤを見据え、不満を隠せない彼女を諭すかのように語る。

 

「学園に入学した時に一応検査していたから判っていた事なんだけど、綾瀬君はどうにも資質が非常に高いみたいでね。その察知能力や感性も並じゃない。もし彼女が魔法使いの家庭か何かに生まれていたら、多分今頃は一人前の魔法使いになっていたと思う。……いや、もしかすると“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”へ大きく足を踏み出していたかも知れない。そう思わせる程なんだ」

 

 その話にイリヤは思い当たる事があった。原作での夕映の活躍だ。

 ネギパーティーの一般人の中で尤も早く魔法を使った事。更にアーティファクト『世界図絵』があったとはいえ、ほぼ独学に過ぎなかった彼女がアリアドネーで有望な騎士団候補生となり、しかもその過程で下位ではあるが、れっきとした―――幻たる魔法世界の個体だが―――竜種に連ねる鷹竜(グリフィン・ドラゴン)を打倒した事だ。

 その漫画にあった設定ないし活躍が、この現実の世界でも反映されるのなら確かにあり得ない事ではない。

 そして、麻帆良学園―――ひいては関東魔法協会は、夕映のその才能を知っていた。それも判らなくもない。学園を本拠に構える以上、そこに出入りする人間を調査しない訳がないからだ。

 イリヤは、それでも反論しようとして口を開いたが、

 

「―――…」

 

 止めた。

 仮に記憶消去を行なったとしても、夕映がその資質の高さから認識阻害の効果を払い除け、魔法の存在に気付く可能性がある限り、危険はどうしても付き纏う。

それどころか、自分たちの関わらない所でこちら側の事件に巻き込まれ、より危険な…それこそ本当に命を落とす事態に遭遇するかも知れない。

 それに気付いたから、イリヤは反論する事を諦めた。

 

「次に―――朝倉 和美君だけど……」

「…正直、“また”と言った感じですね」

 

 何故か言い難そうな明石の言葉に答えたのは瀬流彦だ。彼も眉を寄せて何処か微妙な表情をしている。

 

「もう、これで5度目、でしたっけ…確か。彼女の熱意というか行動力というか、好奇心の大きさには驚きを通り越して呆れるか脱帽する思いですよ」

「そ、それって…」

 

 イリヤは、その言葉で思い当たった自分の予想にまたも驚いた。

 それに答えたのは、ガンドルフィーニだ。

 

「ああ、君の思ったとおりだ。彼女に記憶消去を行なうのは……まだ決まった訳ではないが、これが初めてじゃない。瀬流彦君の言ったとおり、5度目になる」

 

 ガンドルフィーニは心底疲れたように言う。イリヤはその事実に絶句する。慌てて手元の資料を確認すると、“過去に記憶消去の処置アリ”、と最後の欄に短く書かれていた。

 

「な、なによ、それは…っ!」

「いや、まあ…そう言いたくなるのも判る。こんな言い訳はしたくは無いが……ハァ、うちの生徒達に並外れた行動力があるのは判っている積もりだ。……朝倉君は、その中でも群を抜いているとしか言いようが無い。この学園に入ってから2年程度で5度も記憶消去を行なった人間は前例に無いんだ。2度までは判らなくもなかった。3度目からは彼女への注意と警戒を強めた。4度目は監視も付けていた―――それが、よりにもよって学園の外で修学旅行中にとは……どんな運命の巡り会わせだ!」

 

 ハア、ハアと息を乱して肩を揺らすガンドルフィーニ。

 鬱屈して語っているうちに、何か降り積もった物が出てしまったらしく、つい怒鳴ってしまったようだ。

 

「ま、まあ、落ち着いて下さい。ガンドルフィーニさん」

「…いや、スマン。彼女の余りの理不尽さに、少し…な」

「あ、いえ……それは、僕にも判らなくもありません」

 

 宥めた瀬流彦と宥められたガンドルフィーニの2人は、ハァァ…とそろって大きく溜息を吐いた。

 ガンドルフィーニは責任感の強さゆえに。

 瀬流彦は女子中等部の教諭であり、クラスが違えども和美の学年を担当している。彼女に対して尤も警戒を強めていたのは彼で、ガンドルフィーニ以上に色々とショックが大きいのだった。

 イリヤは、恐る恐る尋ねる。

 

「まさか、カズミまで魔法使いの資質があるとか言わないわよねぇ…」

「いや、それは無い。…無い筈だ。彼女は文字通りその行動力と情報収集力、或いは分析力と推理力のみで認識阻害の効果を跳ね除けてこちら側の存在に辿り着いていた。少なくともこれまでの状況からはそう考えられている。尤もその意味では綾瀬よりも非常に驚きで、脅威というか異常なのだが…」

 

 イリヤの問い掛けに神多羅木が答えたが、冷静な態度とは裏腹に先の二人と同じく、和美の理不尽さに呆れと嘆きが言葉に込められていた。刀子がそれに応じるように意見を告げる。

 

「もう彼女も認めるしかないのかも知れませんね。京都の事件は命の危険が相当高かったですし、このまま記憶消去で朝倉 和美に対処し続けるのは却って危険だと考えます。それに5度目とも成ると、さすがに本人への齟齬も大きくなるかと、前例に無い事から何とも言えませんが……今回は、発覚から大分時間が過ぎているようですし」

「むう。已むを得ないのか…」

「…ですね。既にイリヤ君が最低限の処置として行動制限を掛けてますし、こちら側の危険も認識しているみたいですから。後は再度僕達の方から改めて注意を促がせば良いでしょう」

 

 ガンドルフィーニは諦めたように呟き。瀬流彦も頷いて意見を口にした。

 残りの面々も肯定するかのように沈黙する。ただやはりガンドルフィーニと同様に何処か諦めの雰囲気を漂わせていたが。

 

 こうしてのどか、夕映、和美の三名は、結局イリヤの思いと裏腹に魔法に関わる裏世界に留まる事が認められた。

 勿論、まだ本人達の意思を確認した訳ではないが、イリヤは何となく原作の事もある為に、彼女達はネギを中心としてこちら側に関わって行くのだろうと確信した思いを懐いていた。

 

 同時に、このような原作に沿う形に成るであろうこの現実に、何とも言い難い理不尽も感じていたが……。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 教会の地下にある会議室―――白い石造りの壁面で覆われた広い部屋で、先日での結論を書類にて最終確認を行なうと、皆で決を取る。

 

「うむ。反対者は居らぬ様じゃな」

 

 近右衛門が会議室にロの字を書いて並べられた、重厚な木製の机に居並ぶ面々を見て言った。

 麻帆良ではそう高い立場に無いイリヤも本件の報告者という事もあって、一応この場にいるが先日とは異なり意見を出せる権限は無い。

 ただ、内心での思いを押し殺して結果を受け入れるだけだ。

 

「よろしい。ではネギ君」

「はい」

 

 この部屋の扉近く…云わば下座に座るネギに近右衛門が告げ、ネギは起立する。

 

「此度の件での処罰を言い渡す。先ずは厳重注意処分。次に反省文の提出。次に足りない知識を補う為に短期間であるが講義を受けて貰う」

「はい」

「注意処分には関係書類の受け取り、署名などが必要なのでこの後、別室にて直ぐにその処理に取り掛かって貰う。反省文は本日…5月13日から18日までの間に出すように。講義は翌日から10日間。君の授業が空いた時間……もしくは融通して時間を作り、行なうつもりじゃ。本来なら放課後にでも行なうべきなのだが、“ある方面から”苦情が来てこの処置となった。以上じゃ…質問は無いかのう」

「いえ」

 

 ネギの返事に近右衛門は頷き、手元の書類を捲りながらネギに着席を促がす。

 

「では、次にアルベール・カモミールへの処分を言い渡す」

「は、はいぃ!」

 

 ネギと同じく下座の位置で、机上で緊張した面持ちで器用にも背筋を伸ばして起立するオコジョの妖精。

 近右衛門は、彼を一瞥すると手元の書類に視線を戻してから口を開く。

 

「仮契約に於いて主人たるネギ君の意思を無視し、重大な規約違反を行なった罪は、魔法使いの助言者足らん“小さな知恵者”である使い魔として見過ごせないものがある。よって本来ならば直ぐにでも収監、投獄すべき所である……が、本件の報告者であるイリヤスフィール君の『ネギ君の使い魔はアルベール・カモミール以外の適任者はいない』という提言もあり、その検討の結果、それらの重い処分は見送る事とする」

「へ…?」

「ただし、ネギ君と同様に厳重注意および反省文の提出は行ない、講義の方も共に出てもらう事になった。また今回が君にとっての“最後の更正の機会”でもあるから十分に留意するように。以上じゃ…質問は無いかのう」

「あ、ありません! この機会とご配慮に誠心誠意、精一杯尽くさせて貰う所存であります!!」

 

 意外な結果に驚き惚けるも、“最後の更正の機会”と強調されて言われた言葉を真摯に受け止めたのか、ビシッと何故か敬礼してカモは答えた。

 半分以上はこの部屋の片隅に居るイリヤから受ける視線からの、恐怖による行動と発言だったが、彼はこの時、本気で命の危険を感じていた。これを裏切ったら自分は本当に殺されるだろうと、故に深く肝に銘じる事にした。

 

「さて、最後に仮契約者である宮崎 のどか。他、綾瀬 夕映。朝倉 和美の両名であるが、取り敢えずは現状のままとする。また危険を知り、その上でもこちらに関わりたいと申し出るならば、宮崎君、綾瀬君の二人には、本人たちが希望するように魔法使いとしての道を示すことも吝かではない」

「え…!?」

「また朝倉君に関しては、資質は乏しいのでその道は厳しいであろうが、こちら側の職員…まあ、その見習いじゃが、それとして招く用意も検討している」

「あ、あの! それは、どういう事でしょうか!?」

 

 ネギは、カモの時以上の意外さを覚えて驚きをもって尋ねる。

 

「文字通りの意味じゃ。宮崎君は君との仮契約を継続し、尚且つ魔法使いに成る事を認め。綾瀬君も魔法使いを勧めるということじゃ。無論、先にも述べたとおり、本人の意思次第じゃがな。朝倉くんに関しては、やや厄介な事情があってのう。先の両名の事を含めて、その事情はイリヤ君に詳しく尋ねれば良かろう」

「…わかりました」

 

 釈然としないものの、とりあえずネギは頷いた。

 

「まあ、ついで一応簡単に言うと、朝倉君には魔法使いの家庭に生まれても、資質に乏しい…或いは皆無な者達と同じ仕事を与えるかも知れんと言った所かのう」

「???」

 

 ネギは、それも判らないようで首を傾げる。

 近右衛門はそれを見て思わず唸る。

 このような事も知らぬとは、やはり世情に疎いというのは本当のようじゃな、と改めて呆れ、友人であるメルディナ魔法学校の校長に憤るが、一方でネギの素性からそう慎重に扱わざるを得なかった彼に同情した。

 

「ふう―――それもイリヤ君に尋ねれば良かろう。講義のこともあるしな。では……本日はこれまでとする、解散!」

 

 近右衛門は、内に芽生えた感情を吐き出すように一つ息を吐くと、そうネギと周囲の面々に告げた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 教会の地下ではなく、地上二階にある小さな祭壇が置かれた一室で、彼女達は不安な面持ちで目の前の“魔法使い”の少女の言葉を聞いていた。

 

「―――以上よ。後は貴女達の意思で処遇が決まるわ」

 

 より正確に言えば、魔法使いではなく“魔術師”…それも並行世界から来訪した異端の少女であるイリヤは、近右衛門に押し付けられた役目を引き受けて彼女達―――のどか、夕映、和美の三人に今日出た結論を告げた。

 やや後ろめたい気持ちもあったが、これは自分が招いた事態であり、責任を感じてイリヤは少女達に顔を合わせていた。

 告げられた少女達は、自分達の抱いていた考えと異なる思わぬ結果に驚いた様子で困惑し、また考え込むように沈黙していた。

 数分が経って最初に発言したのは、やはりこちらの世界に関わる事に強い意欲を見せていた夕映だった。

 

「…あの、それは今、どうしても答えなければいけないのでしょうか?」

「いえ、別に期間は定められていないわ。けど―――特にノドカはさっき説明した通りだけど。ユエ…貴方も、その秘めた資質は非常に高いと見られている」

 

 イリヤは諦めたように、若干悲しげに言う。

 

「私個人としては平穏な世界で生きて欲しいけど、その優れた資質から何も知らないままだと返って危険かも知れない…ユエの持つ資質が魔法に関わる事件か、もしくは何か良く無いモノを招き寄せる可能性があるの。だから私情抜きで考えれば、貴女は魔法使いを目指すべきだと思う。何時か来るかも知れない脅威を払い除けるだけの力を身に付ける為にも」

 

 それは、まるで厄介事だとしか思えないような言い方だった。それに夕映は、

 

「………もう少し考えさせて頂けませんか」

 

 先日見せていた意欲とは真逆にも、イリヤの言葉に身体を強張らせてそう答え、また言葉を続ける。

 

「あれから、イリヤさんに言われた事を考えました。あの時にも言ったかも知れませんが、私は貴女達の居る世界に対して認識が甘かったです。愚かにも軽々しく危険に身を投じる決意があると言い。その実、その意味を深く考えて無かったのです」

 

 視線を下げて、顔を伏せて夕映は言う。

 

「正直、今は簡単に口には出せません。その勇気が無いのです。恐くなったのです。自分が恐ろしい目に遭う事が、得体の知れない化物に襲われる事が、そして場合によっては戦い、傷付け合って、命すら張り合わなくてはならない事が…」

「…ゆえ」

「ゆえっち…」

 

 身体を震わせて語る夕映の姿にのどかと和美は心配げに見詰め。また自分の今の気持ちを代弁してくれているように思え、心中が複雑だった。

 イリヤもまた複雑だった。夕映をこんなふうに追い込んだのは間違いなく自分のせいだからだ。少なくともイリヤはそう思った。ネギが巻き込んだとも見られるし、夕映自身が興味本位で首を突っ込んだ自業自得とも考えられるのに。

 

「ユエ、悪かったわ。確かにムシが良い話よね。あれだけ散々警告しておいて、今度はこちら側に関われって言っているんだもの。大丈夫よ。どうしても嫌だと言うのなら―――」

「―――いえ、違うのです。イリヤさん…! 貴女がああして辛辣に言ってくれたのは正しいのです。何も知らない私達に知っている者がそれを告げるのは間違っていません。私達の事を思って言ってくれたのも、今は判っていますから……それに嫌という訳でもありません。ただ時間が欲しいんです」

 

 頭を下げようとしたイリヤを夕映は遮って、捲し立てるように言った。

 

「もう少し考える時間があれば、決意を改める時間を……認識は確かに甘かったですが。あの時、ネギ先生の力に成りたいと思ったのも本気でしたから。その力が得られるというのなら、私はそちらの世界にも踏み込みたいとも思っているのです……でも、今は突然な話への困惑と…その…恐怖の方が強いですから……」

 

 イリヤは複雑な心中であることに変わり無いものの、この前とは違いより確かな真剣さが篭もったこの夕映の言葉を聞いて奇妙にも安心感を覚えた。無論、彼女が関わる事を全面的に良しとした訳ではないが……取り敢えず頷く。

 

「分かったわ。学園長にも伝えておく。もう少し考えさせて欲しいって…」

「はい、申し訳ないですけど。お願いします」

 

 夕映は頭を深々と下げた。すると、のどかと和美も同様の返答をした。

 

「わ、私も、夕映と一緒にもう少し考えさせて下さい」

「私も、悪いと思うけど、ちょっと…お願い」

「そう、わかった。……あ、ノドカにはこれを返しておくわ」

 

 返答を聞いたイリヤもまた頷くと、ふと思い出してスカートのポケットからそれを取り出す。

 それを見て、のどかは声を零す。

 

「あ…仮契約のカード」

「ええ、協会が認めた以上、これは貴女の物よ」

「あ、は、はい!」

 

 心中複雑ながらもカードを渡すイリヤから、のどかはそれを受け取ると頬を綻ばせた。

 イリヤから聞かされた話で、自分のアーティファクトに対する恐怖はあったものの、それでもやはり大好きなネギとの思い出であり、大切な繋がりであるのだから手元に戻ってくるのが嬉しかった。

 それに―――

 

 そこで部屋のドアがノックされ、イリヤが返事をすると、扉が開けてネギが入って来た。隣にはタカミチの姿もあった。

 

 「…皆さん」

 「やあ、久し振り…かな?」

 

 ネギは何とも言い難そうにし、タカミチは元担任という事もあって気安く声を掛けてきた。

 一瞬、安堵と気まずさが混じった微妙な空気が漂ったが、

 

「ネギ先生…! 良かった!」

 

 突然発せられたのどかの涙ぐんだ声によって、その微妙な空気が霧散した。

 

「のどかさん…わっ!」

「―――、良かった…本当に良かった…!」

 

 ネギは、涙を滲ませるのどかの声に答えようとして彼女に抱き締められた。

 抱き締められたネギは息苦しいのか、それとも別の理由なのか、顔を真っ赤に染めて彼女に声を掛ける。

 

「の、のどかさん」

「良かった…もう会えなくなるかと……思っていたから、本当に…」

 

 涙を流しながら、のどかが言う。

 彼女にして見れば、南の島より帰ってからのこの4日間は、僅か15年程の人生で最も辛い日々だった。

 イリヤから厳しい警告を受け、自分の所為で大好きな人を、それも生まれて初めて恋をした相手の人生を駄目にして、最悪、罪人のように裁かれてしまうかも知れなかったのだ。

 しかも、その彼に関わる大切な思い出さえも、消されるかも知れないという恐怖もあった。

 大切な人を追い詰めてしまった事で自分を責め、その辛い気持ちを含めた彼に関わる楽しかった事も全て消される事に大きな不安を覚えていた。

 

 だから、のどかにとってこの4日間は本当に辛い時間だった。

 

 碌に眠る事もできず、食事も咽に通らない。学校も休んでしまった。その為、夕映やハルナを始め、多くの友人達にも心配を掛けてまたそんな迷惑な自分を責め、不安に陥るという悪循環に陥りつつあったのだ。

 

「のどか…」

 

 夕映は、内気な親友が人目も憚らずネギを抱き締めるのを見て安堵めいた声を零した。

 その辛そうなのどかの姿を、事情を知る人間として傍から見ていただけにネギが故郷に帰ることに成らず、心底安心していた。

 ただ、胸に引っ掛かる奇妙な物も感じていたが…。

 

 そうして暫くして、ここ数日の張り詰めていた物が切れた所為なのか、それとも泣き疲れた為なのか、のどかはネギを抱き締めたまま眠ってしまい。倒れそうに成ったその彼女の身体をネギは慌てて支え、部屋に備えられた長椅子に横たえた。

 

「ネギ先生……よかった…」

 

 寝言でもそう呟くのどかに、ネギは改めて自分が皆に迷惑を掛けたことと、心配してくれた事に謝罪と感謝の言葉を零す。

 

「ごめんなさい…ありがとう」

 

 そう口にしつつネギは決意も新たにする。自分の軽率な行動と考えを反省し、“偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)”を……あの日に見た背中に追いつく為にも、ただ魔法を上手く使える事だけじゃなく。もっと多くの様々な事を学び理解しようと。

 もう二度と、自分の浅はかさの所為で誰かに辛い思いをさせない為にも……。

 

 

 イリヤは少し離れた位置からそんなネギと眠るのどかの姿を見て、夕映の時と同様に複雑な思いを懐いた。

 一体自分は何をしているのか? ネギと彼女達を苦しませただけで、何一つ彼等の為になる事をして上げられなかった。ネギを迷わせてしまい。夕映ものどかも和美も平穏な世界に置く事が出来なかった。

 ただ、本当に意味の無い余計な事をしただけではないのかと自虐的な気分に陥る。

 

(本当…何をしているんだろう、私は…?)

 

 彼女は本格的に落ち込んだ。この世界に来て以来初めての事で、イリヤはただ自らの行いを悔いるだけに思考が囚われていた。

 そこに何となくそれを察したタカミチはそんな彼女を慰める為に、ポンと彼女の頭を撫でるように軽く叩くようにして置いた。

 

「タカハタ先生…?」

「まあ、君の気持ちは分かるよ。僕だって出来たらあの子達には平穏な日常の中で暮らして欲しいと思っているんだ。でも今回というか、彼女達にとってはある意味で運が無かった」

 

 ネギたちへの配慮か、タカミチの囁くような小声でイリヤに語る。その表情は何処か困ったように苦笑していた。

 

「のどか君は与えられたアーティファクトが稀有且つ強力で。夕映君は魔法使いとして優れた資質があって。朝倉くんはその行動力だけで僕達の存在に行き着いてしまう放置するには見過ごせない人間だったんだ。……簡単に割り切れる事じゃあないけれど―――しょうがないよ」

 

 しょうがないよ―――およそ気楽にさえ聞こえる言葉だったが、それに込められたモノがそんな単純なものでないと察し、イリヤは黙って頷いた。

 タカミチが言うようにイリヤが落ち込んでいるのは、彼女達を平穏な世界に置くことが出来なかった事もある。けれど、それは半分だけだ。先にも上げたように原作という物語を知るが故に、余計な事をしてネギ達を苦しめてしまった、と思った事が心を沈み込ませるもう半分の要因だ。

 しかし、そんな事を分かる筈が無いタカミチは、分からないまま言葉を続ける。

 

「なら、僕達が出来る事は、関わる事になってしまったあの子達を誤った方向へ行かないように気を付け、正しく指導し、守り、危険を避けられるようにする事……少なくとも彼女達が自分で身を守れるだけの力が付くか、判断が出来るようになるまでは、ね」

「ええ、そうね…」

 

 結局はそれしかないんだろう。悔やんだ所で何も解決はしない。タカミチの言うとおり、割り切って彼女たちのこれからを考えてイリヤは出来る事をするしかないのだ。

 魔法へ、ネギへ関わる事になり、訪れるであろう運命から夕映達を守る為には。

 そんな当たり前な事を言われるまで忘れていた自分を恥じ、それに気付けないほど気落ちしていた自分に気を遣ってくれた事にイリヤは感謝する。

 

「ん…ありがとう。タカハタ先生」

 

 笑顔で言ったイリヤに、タカミチも無言ながらも笑顔でそれを受け取った。

 

 

 タカミチは、気に掛かって見に来た甲斐があったと思った。

 ネギへ処罰が言い渡される前、会議室に向かう廊下でイリヤと話した時から何となくこうなるのではないかと感じていたからだ。

 そして案の定―――勿論、ネギへの心配もあったが―――彼に付いて様子を見に来ると彼女は落ち込む姿を見せていた。

 

(それだけ、ネギ君を含めてあの子達を心配し、大事に思ってくれたんだろう)

 

 そう思うとネギの友人であり、夕映達の元担任であったタカミチとしては嬉しくも感じるが、一方でネギは兎も角、顔を殆んど合わせた事も無い夕映達をそこまで気に掛けるのは不可思議にも感じた。

 タカミチの見立てでは、イリヤは確かに基本優しい面を見せて普段を過ごしているが、顔も碌に知らない見ず知らずの赤の他人を気に掛けるような殊勝な子ではない。矛盾するがむしろその本質は冷徹な娘だと……いや、単純な善悪の二次言論や一般的な道徳では計れない“根”が在るのだと感じていた。

 話に聞く“魔術師”と言うものの価値観なのかも知れないが、少なくともこのような事で気に病むタイプではない。

 

(う~ん…ネギ君の生徒って事で、気に掛けているという事なんだろうか? でも、違うような…)

 

 今一納得できず、答えの出せない疑問にタカミチは内心で首を傾げた。

 しかしそれも無理は無いだだろう。まさか自分たちの世界の事が漫画として描かれている世界があって、今のイリヤの人格がその漫画に愛着を持っていたなど、夢にも思わない事なのだから。

 

 

 イリヤとタカミチのやり取りに気付かなかったネギは、三人…といっても一人は眠っているので、夕映と和美に向き合って迷惑と心配を掛けた事を再度謝っていた。

 のどかの突然の行動に面食らった物の、元々その為に此処へ来たのだ。

 

「すみません。皆さんには本当に迷惑を掛けてしまって…」

 

 頭を下げるネギであるが、二人は首を横に振る。

 

「いえ、こちらこそ、私達の考え無しの行動と発言で先生には御迷惑をお掛けしました」

「うん、綾瀬の言うとおりだよ。いや…本当、私なんてただ一人で騒いで迷惑を掛けただけだもんね」

 

 そう言って二人もまた頭を下げた。

 とは言えこの二人は、京都の一件ではそれなりにネギの力になっており…というか、何気に刹那と明日菜の恩人であったりする。

 もしあの時、和美が機転を利かせてフェイトの石化から夕映を逃さなければ、そして夕映が楓に連絡を取らなかったら、刹那はあの無限に増殖する海魔の餌食に成っており、そうなればドミノ式であの場に居た明日菜も喰われていただろう。

 そうなると残されたネギと木乃香は、エヴァとイリヤの救援で助かりはするだろうが、二人を失った事を知れば、その受ける精神的な傷は計り知らない。

 そのように見れば、やはりこの二人もまたネギを助けていたと言えるのだった。

 

 それはネギも理解できるので二人を迷惑だとは思っていない。

 むしろ、巻き込んだ上に助けて貰ったのだと、そんな感謝と申し訳無さがある。

 そう思い彼は口にする。

 

「そんな事はありません。修学旅行のとき、二人が居なかったら……朝倉さんが夕映さんを逃がしてくれて、夕映さんが助けを呼んでくれなかったら、僕達は無事に済まなかったのですから…」

「いや、あの時は咄嗟に何となく取った行動で…今思うと、ゆえっちに助けを呼べって言うのも、ネギ君達を当てにしてたんだし…」

「私も状況がよく分からず。正直、先生達を助けるというよりも、のどか達を助けたくて藁にも縋る思いで連絡を取っただけで…そんな感謝される事ではないです」

 

 ネギの謝罪と感謝に恐縮してしまう二人。

 

「それでも、僕たちが助かったのは事実ですから―――…それで、のどかさんもそうですけど、お二人はどうするんです?」

 

 ネギは、恐縮する二人にそんな事はないと。もっと強く訴えたかったが、それでは水掛け論になるだけど思い。グッと堪えて話題を変え……尋ねた。今後も魔法に関わるのかと不安げに…。

 その問い掛けに夕映と和美の二人は何となく視線を交わし、お互いに困惑した表情を浮かべているのを見た。言葉にしなくても思っている事も同じだった。視線をネギの方へ戻して二人はそれを口にした。

 

「先程、イリヤさんにも言いましたが―――」

「―――もう少し考えたいんだ。私達…」

 

 困惑した表情でありながら、神妙というか有無を言わせない気配を感じさせるその言葉と声色にネギは「…そうですか」と短く答えて沈黙した。

 ネギは本音を言えば、先と同様言いたい事があった。危険が多く潜むこちらの世界に関わるのは、止めて欲しいといった事等だ。

 しかし、無知から巻き込んだ自分にそれを言う資格は無いとも思え、また既に魔法協会で結論が出された以上、口を出して彼女達の考えと意思を改めさせようとするのは違う気がした。

 

 その後、ネギは二人からものどか程ではないが重い処罰が課せられなかった事を安堵され、イリヤからは改めて二人が魔法に関わる事を許される事情を教えられた。

 ネギは夕映が魔法使いとして優れた才能を持つ事と、和美が既に何度も記憶消去を受けていた事実に驚いたが、話を聞いてイリヤと同様に渋々ながらも納得した。

 また夕映と和美は、元担任であるタカミチも魔法使いの一員であることに驚きを隠せ