エヴァンジェリンに憑依した人の日記 (作者さん)
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1章
・日本に行くまでの日記


改定しました


『15××年ぐらい 暖かくなってきたから今日は春にしておこう。

 

 なんとか私自身に余裕が出てきたから、日記に示そうと思う。初めに書くから、なんとなく緊張気味だ。

 問題は無い。私を追いかけまわしに来た阿呆どもを片づけるのに忙しいが、魔法も完璧に習得した今では、酒場の中で話を聞くぐらいは余裕だろう。

 しかし生娘の血が美味いと言うのは間違いじゃない。春を売る必要のない女はそれなりに豊かな生活ができているのだから、血もうまくなるに決まっている。脂ぎった男は生理的に無理だ。

 ほんの数十年前ぐらいに、なんかどっかの作品のヒロイン的なキャラに憑依してた。エヴァンジェリンだってwww 止めろよバリバリの元日本人に横文字の名前使わせるとかww親とか名前考えろよwww まあ、西洋だから関係ないのだが。日本とか今存在しない。

 なんやかんやでこの名前は気に入っている。私には名前が無かったために、この世界に存在している、という事を示す名前は、生きる理由の一つになる。

 そもそもなんたってこんな世界に来てしまったんだ、でも魔法とか素晴らしいですサーセンwww』

 

『15◆☆年ぐらい たぶん冬だろう、乞食が何人も死んでいるからな

 

 脂ぎった神父がなんか美少女を誘拐してったから、ぼこぼこにしちゃったおwww。おめーのちんこ二度と立たねぇから!wwwww。殺すのがかわいそうだから背骨折るだけで勘弁してあげたおwwww

 いやぁ仕方ない。見た目がブッサイクではぁはぁ言いながら女に迫る豚とか精神ブラクラも良い所だから。未来の日本乙。いやもうよく覚えていないがそんなんだったような気がする。

 そんでもって残された美少女ちゃんだが……血をちょっとだけもらっていた。いや、傷跡を残すとかそんな最低な真似はしないがな!!

 そんでもってどうしたかって? 商人のボンボンに売っちゃったおwww いやぁ良い銭になりますね。(笑)。そのボンボンは美少年だったからちょっと血をもらっちゃったおww 傷跡とか残さないから大丈夫ww 良いもの食ってる人間の血は美味いwww 

 そもそも神の信徒ならそれ相応の行動をしろと言いたい。私吸血鬼だが、神への祈りもしている。なんか十字架に耐性が付いてきたような気がする。神父? あれ異教徒じゃないですかやだー。

 暴力を振るっていいのは化け物へだけってじっちゃんが言ってた。

 化け物と私を恐れる声が聞こえた。欲望のまま贅の限りを尽くし、人を喰らう人間と私、どちらが化け物だ』

 

『159H年ぐらいじゃん 季節とか知らんし

 

 そういえば日記に書き忘れてたことが多数。

実は私、憑依オリ主なんだおwww。もう百近く前になるけど、転生トラックにガシ!ポカ! スイーツ(笑)で死んでしまった年齢性別不詳の私は、なんか神様によってこの世界に来てしまいましたwww。

 原作知識? もうほとんど忘れっちったお。立ち読み程度で済ませた私が覚えているわけがない。闇の魔法がどうとかそんな感じの事を言っていた気がする。アバダケダブラだっけ? どうでもいい。

 まったく、どうせ転生するならチートの一つや二つぐらいは強請っとくべきだった。いま日記を書ける程度になるまで、どれだけ苦労したかも覚えていない。不老不死ぼでぃを貰っちゃうなんてなんて特典。

 ですがそこは600年あとまで生きることが確定している、強制力によって難あり乗り越えることができた! これからも大丈夫だろうたぶん。

 流石は不老不死の肉体! 真祖の吸血鬼! URYYYY! そこらに居る退魔のための組織の連中を耳をほじりながら片づけられるスペックには、大分お世話になりました。聖書もって十字架もって魔法唱える彼らには、正直何をそこまで君たちを動かすのか理解できなかった。

 神様神様と叫ぶ連中に聞くが、お前たちは本物の神様に会ったことがあるのだろうか?私はある。この世界に来る前に会った者、形こそ違えども、上位の存在というのは世界に居るのだ。だから神に祈るのだろう。そうすればほんの少しでも救われるのかもしれないのだから。

 化け物と呼ばれるのはもう慣れた。だからこそ私は……』

 

 

『16Д▼年ぐらい 魔法世界は春がきてます。

 

 指名手配されちったww。常にフードをかぶって姿も変えて認識阻害までして行動しているから顔まで見られてない。ただ、真祖の吸血鬼とやらは人にとってかなりの脅威になるらしい。

 しらんがな(´・ω・`)。何もしていないと言うのに何とも喧嘩っ早い奴らだ。因縁つけることだけは一人前だったので、少しだけいらっとしてぼこぼこにしてしまった。殺していないだけましだと思えばいいんじゃないかな。

感知とかその辺りに優れた魔法使いに見つかることが多々。……ケリィの起源弾欲しい。襲ってくる奴等の魔術回路的な何かをボロボロにしてやりたい。しかし下手に恨みを買う趣味も無し。賞金稼ぎどもの欲望に付き合うなんて時間の無駄だ。記憶とかをパーンして逃げよう。

 という訳で、できたぞ。テレテテッテテー(ドラえもん風)ぎあすろ~る~(`・ω・´)。魔法抵抗のある奴らのためのアイテム。あいつら記憶パーンだけだとなんか治して追ってくる。だがギアスは相手も承諾するので、案外深いところまで漬け込める。

マジックアイテム作りも楽ではないが、この効果はなかなか。

 私の情報を他者に知らせることができない。せいぜいその程度だ。だが情報が拡散するのを防ぐことはできた。

 どうせ何らかの穴を通って追ってくるだろう。さっさと逃げようか。失敗しても生存できると人気になってしまう』

 

 

『16Ⅶ◎年 魔法世界は広い。

 

 真祖の吸血鬼が居たとかいう情報もすたれてきた。酒場の指名手配所の人相書きも、フードの中を黒で塗りつぶしただけの似顔絵しかないのだから、そんなん実はいなかったんじゃないかと言われるほどだ。

 そんな噂の私はアリアドネーの図書館で勉強中。学ぶ意欲さえあれば犯罪者さえも受け入れるその精神は素晴らしい。なんか検問で学ぶ意志があるかどうかを調べる魔法をかけられたが、まずい方向に使わないのなら変な反応は出ないらしい。私は自衛とかそのへんの目的しかないしwww

 ダイオラマ魔法球とか作成中。倉庫にも使える修行にも使える、そんな場所を私は作りたい。中にでっかいお城を入れてしまうとかな! なんだかわくわくしてきた。チートも真っ青なKAIHATUによって私は最強のニートになろう! 型月なみの魔術師のように引き籠るんだ! 人を襲う? そんなことしたら指名手配書が飛ぶように売れちゃうでしょ馬鹿チンが!

 第一それは効率が良いが、次点に良いアリアドネ―で知識を得るのは安全でいい。しかし魔法の開発が進まない。時の制御なんて前代未聞なことを誰がやれるっていうのだろうか。大量の書物に囲まれ読み物をする私は、某ノーレッジさんのような気分になる。同じような格好をしてみたらいろんな人に抱きしめられた。解せぬ。むきゅー。』

『追記 なんでそんなことしてしまったんだ……過去の私』

 

『1■■■年 季節は覚えてない。

 

 そろそろ日本へと向かう。魔法世界で私の名前が風化してきた頃だ。

 理由? ……昔住んでいた地へと向かうことがおかしいのだろうか?

 よーし、私綺麗な桜みてきちゃうぞーww』

 

 

――――――

 

 

 死んだら自分という存在はどこに行くのだろうか。現世で死んだ『私』という存在が抱いていた解は目の前に現れた。

 それは少女に見えた、長い金の髪と白い肌が少女であることを印象付けるはずだが、そこに外見年齢相応の雰囲気は存在せず、どこか遠い存在であると感じていた。

 『私』の姿は分からない。白い靄が体を包み、真っ暗な世界の中に目の前の存在と魂だけが浮いている。

 

「あなたは今死んだ。どこにでもあるような事故、あの世界で貴方という存在は消えた。此処に居るあなたという魂ももうすぐ消えるだろう」

 

 なんでもないように、その子供は言う。そしてそこに表情は無い。それが当たり前であると言うようにその魂へと告げた。

 対してその魂はただ黙った。『私』が死んだ? 事故にあった? もうじき消える? なんだそれは。

 無いはずの魂の身体が震えた。不安で揺れた心が、目の前の子どもになにか聞くことさえも躊躇させる。

それは恐れるものだ。目の前の、神の様に見える子供という存在が。

それは怖れるものだ。自分という自我が、今まさに消えようとしているという事実に。

 

「なん……で? なんで私が死なないといけない? 他にも死ぬべき人間はいくらでもいただろう! どうして私なんだ!?」

 

 一度言葉を口に出せば、溢れてくるのは不条理への怒りだ。目の前の存在が神と言うのなら、私の運命を決めたのもそいつだろう。そう考えた思いは勝手に溢れた。

 

「私は、死にたくない」

 

 まぎれもない本心だった。生きている者として何よりも欲するその言葉は、今此処に居る魂には無いものだ。

 神様の不注意か? 単なる事故か? どうして目の前に現れた? 『私』は誰だ?

 何でもいい。答えを知りたい。神なら立った1人生き返すことぐらいできるだろう。無意識な望みを、その言葉を聞けることを待った。

 その子供が口を開く。しかし、考えていた魂が求めた答えとは全く違うものだった。

 

「なぜ死にたくない?」

 

「……は?」

 

呆けた声が辺りに響く。

 子供は暗闇の中を歩くと一点で足を止め、手を翳した。するとその場所だけ鈍く光り、辺りの風景が映し出された。

 

「死は、解放だ。しがらみ、苦しみ、絶望、慟哭、ありとあらゆる苦難に生きている限り立ち向かわなければならない。本当に求めることは、死への納得だろう」

 

 照らした場所は自分の部屋だった。暖色の小物や敷物、机にパソコン。見覚えのあるそれらであったが、教科書に書かれた名前や、自分のパーソナリティを示すべきものは全てぼやけて見えない。

 机に目を向ける。其処に在ったのは、一枚の紙だった。それだけが別次元の存在であると、その魂は感じていた。

 

「ならば納得を与えるだろう。友へ、両親へ、その存在が示す限りの思いを残すといい。それとも欲すべきは娯楽か? ならば与えるだろう。書物、情報、性行為、遊具、楽しめばいい。あなたは世界に存在しない。だが世界はあなたに、それら実感として与えるだろう」

 

 なんだ、それは。

 魂がその言葉を咀嚼して理解する。霊となり、世界に残れという事か。誰かに乗り移り、娯楽を体感し、ただ存在し続けるだけ。満足すればこの魂は消えてなくなるだろう。そもそも初めから存在しないのだから。

 それは生きているということではない。ただ在るだけだ。それでも、満足を得ることはできるのだろう。あらゆる娯楽、それを自分は体感することができる。ただそれが、無意味なだけだ。

 

「世界はいつだってそんなもの。いくつかの偶然によって個など消えていく。魂というものが現れ此処にあることも、ただの偶然だ。故に選択肢もある。

 生に満足は無い。絶望と希望は等価値ではないのだから。生きるという事は負に対面し続けるという事に他ならない」

 

「……いや、だ」

 

 絞り出したような声が溢れた。

 もう自分が何者なのかもその魂にとっては分からない。日本で生きた自分はどうやって生きてきたのか、どんな名前だったのか、友人の顔も両親の顔も思い出せるのに、自分がどう生きたか思い出せない。

 それでも、生に執着する。自分は消えてしまうのだ。それは怖れだ。数千数万の娯楽に囲まれ満足したとしても、それ以上にその魂は消えゆくことを恐れた。

 

「死にたく、ない。消えたくない!」

 

 ぼう、と辺りに移っていたはずの風景が消える。そして現れたのは暗い闇の静粛だった。

 その子供は何も言わずにその場にあり続ける。数分、たったころだろう。子供は無表情のまま少しだけ暗くなった声で、呟く。

 

「生きるのは、つらいぞ」

 

「それでも、私は……生きたい」

 

 出した声は希望だった。生きたいと言う望みは子供にも届き、少しだけ顔を歪ませた。その理由をその魂が知ることはできない。一瞬何かに呼ばれたように振り向くと、そのまま小さく溜息をついた。

 

「……生を与えられるだろう。既に死した肉体が魂を求めている。其処に在るのは貴様にふさわしい、永遠の生。

 見ることになるだろう。希望以上の絶望を。楽しみ以上の悲しみを。

 生きるといい。止めはしない」

 

 

 世界が反転する。

 黒から白へ、その白のなかで魂は自分がその場から居なくなることが分かった。

 子供は背を向ける。表情は見えなかった。ただその足取りは…………

 

 そうして、『私』は世界へと現れた。

 



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・日本での日記

『17◆☆年 季節は夏。あっついもん

 

 久々に来た日本は鎖国してたがなんか質問ある? これでスレ立てられる。どういうことなの……。憑依したての私なら当然だと思ってはいただろうが、このころの日本は鎖国中だった。とはいえ国内ではそこそこゆとりが在ったりしたようだ。しばらく不作も無く、それなりに日常が続いている。

 魔女狩りだったり吸血鬼ハンターズから逃れてしばらくのんびりできそうだ。魔法の研究はしばらく進まないが、休暇だと思ってのんびりしよう。バカンスというやつだ。久々の、たぶん150年ぶりぐらいの休暇だお^^

 そうと決まれば日の国を堪能しよう。しかし金髪の少女というスタイルはまずい。女一人での旅でさえ変に見えるであろうことは想像できる。それが外国人、金髪色白の少女なんて言ったらもう人買いに襲って下しあと言っているようなものだ。じっさい襲ってきた人たちからちょっといろいろ貰っちゃったおwww。貧困のあまり襲ったって感じじゃないから松の木の下に裸で置いておいたおww。狐に化かされたとでも言うだろうから何の問題もないおwww

 そう思っていた数分後の私→アイエエエ!?ナンデ!?ニンジャナンデ!?』

 

『17●▼年 季節とか思い出したくもない。

 

 日本にも退魔士はいるのだな。完璧に油断していた。まあ日の国以外の術師なんて警戒するに決まってる。いつから日の国に気とか魔法的な意味の裏稼業が無いと錯覚していた……?

なんだあの変態どもは! 残像だ……それは私のおいなりさんだ……サスケェ……その他もろもろ。バカンス? 馬鹿め! 奴は死んだわ!

 暗部の扱いはどこも悪いと思っていた私が悪かったのだろうか。なんとか逃げることができたのは奇跡に近いだろう。忍者……いや、NINJAにとって分身することは息を吐くことと同じぐらいに簡単なことだ。私は戦闘職じゃないんだ。 長瀬!そっちに行ったぞ! はもうトラウマだ。目が線目の人は最強の法則。研究がメインとはいえ、戦闘もかなりこなしている私が殺さずに勝てるヴィジョンが見えなかった……

 水上も木の上も気も魔力もなしに走れるような変態どもなんて相手にしていられるか! 私は魔法球の中に戻るぞ!』

 

『17SS年 季節は……いや、やめておこう。私の勝手な思い込みで惑わせたくない

 

 なんやかんやで魔法世界で完成させた水晶球の中で絶賛着物を作成中。思い出すのは過去に日本に居たころの記憶。何年もたって劣化しているが、強烈な物は覚えている。JAPAN文化……そうだ巫女だ! 私の思考は完全にサブカルチャーに移行していた。

 どうせ着るのならば可愛らしいものがいい。布は幸い魔法世界で良いものを仕入れてきているのだから。軽い認識阻害の魔法つきというのが実にグッド。人形についての知識や魔法は積極的に、早い時期に得ていたので裁縫も楽勝だ。というわけで……フリルがいい感じだ。赤い大きなリボンをあしらったりして、しかし和風を残し、脇なんかは露出させるように、しかしいやらしさはNG。おお良い感じ! 確かこれを着てたのはレームだったかな?私が一番印象に残っているキャラクターなのだから、きっと大丈夫だろう。

 デデーン、エヴァンジェリン、アウトー、とはならなかった。踊り子をやったら意外にウケた。なんやかんやで路銀を稼ぎながら旅をできたりしている。どうしてそうなれた』

 

『17ИШ年 季節は冬だ、寒いし

 

 アイエエエ!?ナンデ!?ニンジャナンデ!?(二回目)

 なんか忍者の中忍が接触してきた。恐怖はない。魔力を体中に巡らせ戦闘形態をとっていても、軽くあしらう事は難しいだろう。真祖の吸血鬼である私がだ。あまり私を怒らせない方がいい、怪我をするぞ。そんな雰囲気だったが、相手の中忍は案外穏やかな性格だった。この時代なのにありえん。

 数か月監視はしていたが、特に目立った行動も無かったので放置していたらしい。よかった、魔力とか偽装しておいて。良かった、監視していた忍者をつかまえたりしないで。

 なんでも、目立った行動が無ければ呪術協会、あぁ、これ日の国の魔法使いの集まりみたいなものだ、は静観するらしい。好きなように過ごしていいとはなんともはや。まるで遊園地のフリーパスを得たような気分だ。案外日の国気の抜けた場所だwwww』

 ここから文字が追加されている―――――――

『どうやらこの時点で呪術協会は私の事を高位の魔であると見ぬいていたらしい。あのジジイの系譜であるのなら、それぐらいは容易かったという事か』

 

『177◆年 季節、冬ってなんぞや

 

 京都はヤバイ。あそこは街並みにも意味を持たせて強力な結界を張っている。呪術協会のパスが無かったら、入ることも難しかっただろう。だが入れた私に観光しない理由は無かった。金閣寺とかすげぇ、清水寺とかすげぇ、団子うめぇ、思いっきり観光してきた。ついでに舞って路銀もとってきた。舞台で舞う? そんな空気読まないことしない。私は自重を知る良い女なのだから。ただ飛び降りはした。長瀬……私を監視している忍者な、が受け止めた。

 二年という観光旅行の締めのついでに一緒に観光してきた。甘いものを食べた。案外気の良い人物で良かった。そろそろ帰るつもりだと言ったら、長いところ監視する任務に就かなくてせいせいする、と苦笑しながら言ってきた。よし、また来よう。』

 

―――――

 

 現在その国の裏では、重大な問題が発生していた。東の都で妖刀が暴走し、全土の神鳴流の剣士がその鎮圧のために向かっていた。力を求めたとある剣士が、黒い刀身の刀を握り、その力に飲み込まれたのだ。

 その事件とエヴァンジェリンが日本に訪れたのは全くの偶然であったが、その時期ほど彼女にとって都合の良い時期は無かっただろう。なぜならその事件で、京を、この国の裏を陰陽師たちと共に護っている神鳴流の剣士が全滅する寸前まで追い込まれたのだから。

 強大な魔であるはずのエヴァンジェリンであったが、それを討伐する者が居ないのだ。陰陽師にも戦えるほどの人物も居るが、京の封印や結界を保たせるためにも、全力を出して排除にかかるわけにはいかない。そこで、監視として付けたのは忍びだった。

 

「(うーむ、拙者たちにまで依頼が来るとは思わなかったでござるよ……)」

 

「うむ、……ただの団子と見くびっていたが、なかなかいけるな! 清水まで飛び降りた甲斐があった!」

 

「……いやいや、飛び降りなくても団子は食えるでござる。心の臓に悪いことはやめてほしいでござるよ」

 

 着物の長身の町娘と金髪の少女という、その時代には聊か奇妙な組み合わせの二人はそこに居た。長瀬、と呼ばれた忍者である女性は、童のように笑顔で団子を頬張る少女の言葉に、思わず苦笑しつつも湯呑を口へと傾けた。

 少し前まで追いかけて逃げる関係である二人であったが、なんとも暢気な空間が生まれている。エヴァンジェリンに監視はついているが、現在は長瀬が殆どその役目を受けている。しかしその気配を何回か察知して挨拶することも珍しくは無かったため、顔見知りという程度にはなっていたが……。

 

「まさか共に団子を喰うとは考えていなかったでござる」

 

「おーいオヤジー、団子の追加だ」

 

 ごますりをする店主へと呼びかけながら、エヴァンジェリンは団子の串を置いた。見かけはどう見ても子供なのだが、強大な魔であるという事が長瀬には信じられなかった。しかし、京の有力な術者である近衛はこの少女を危険視している。油断は禁物、と考え直すも、普段の行動を監視している長瀬には、どこか気の抜けるものを感じていた。

 普通に旅をしているだけである。認識阻害の術を使っているということは分かっても、それ以外が無い。高位の鬼などが封印されている場所には目もくれず、死霊の集う場所に言ったかと思えばそれらを払い、まるで意図がつかめない。監視されていたことがバレバレだったので本人からは、観光だと言われているが、初めのころはそれを鵜呑みにするわけにもいかなかった。

 が、正直なところ長瀬としては早いころからそう判断してほしいと考えており、現にその判断は下っている。強力な力を持つ西洋の術師、さらに高位の鬼、そんなものが京の外で暴れたりすれば、高位の陰陽師たちも動かなければならなくなる。そしてその陰陽師たちに何かあれば、災厄を封じ込めた結界などが崩壊し、災いが溢れ出すという事もあり得た。そこにさらにエヴァンジェリンの、京を観光したい宣言だ。これには呪術協会も頭を抱えていた。

 

『京の外からでも十分にまずいのなら、入れてしまえばいいのではないか。』

 

 一人の術師が冗談交じりに言った言葉が、まさか採用されるとは思わなかっただろう。京の街並みはそれ自体が結界を生み出し、さらに魔に対する備えもある。外で戦うよりも、そこで戦う方が、被害の大きさは逆に少なくなると考えられていた。

 というよりも、エヴァンジェリンの性格次第でこの国の裏は大きな決断をしなければならなかったのだ。

 と、そんな背景があるにもかかわらず、どうして自分はその張本人と団子を喰っているのだろう。長瀬としては疑問であり、楽な任務だと最近は気が付き始めていた。何しろ本人が観光以外をするつもりが無いのだ。様子を専門の者に見せて何か術を仕掛けていないか調査しても、それは寝床作りだったりするなど、空回りの連続である。

 そんな起こるかもどうかも分からない、どちらかというと爆発しない爆弾に、今の呪術協会が相手している暇がない。何度も言うが、神鳴流の剣士は全滅寸前であり、育成や防衛の事などやることはいくらでもあるのだから。

 

「どうしたんだ長瀬、手が止まっているようだが?」

 

「ん~、少しエヴァ殿の事について考え中だったでござるよ。いろいろ上司も悩みどころが増えてしまって……。うちの上司を泣かせるのも、ほどほどにしてくださらんか?」

 

「ほーう、いやまったく人気者というのは辛いな! まあ心配するなと伝えておけ。そろそろ私もこの島国から去るつもりだ」

 

 その言葉に普段糸目であった長瀬は、驚いて目を見開いていた。ずっとこの国へと居るつもりではないことは知っていたが、いざ離れることを聞くと感慨深いものを感じる。……追いかけていた者としては、ライバルが居なくなるようなさみしさを感じていた。

 

「元々観光のために来ていたのだからな。最後にのんびり酒でも飲みたいのだが……良い場所は無いか?」

 

「ふむ、それなら……」

 

 長瀬はとある場所を指定する。その後、簡単な契約などの術を行うと、苦笑交じりの会話をして二人は分かれた。

 

 

―――――――

 

 そこはとある鬼達の集落だった。春という季節の訪れに、どこか祭り前夜のように騒がしい空気が流れている。村一番の美人の娘が来る。それをどう扱うのか、は語る必要もないが、鬼達にとってこの時期は祭りと言えるだろう。

 どこもかしこも酒を片手に騒ぎ、些細なことで大声を出して笑いあう。浮かれた空気は気分を高揚させ、今から村の美人を迎えに行くか! と冗談交じりな言葉が飛び交った。

 

 そんな場所に一人、人が訪れた。逞しい肉体に黒い着物を纏い、赤く塗られた籠手と臑当が夜の中で鈍く光った。手には大太刀、そんな姿で集落の入口へと尋ねてきた男に、鬼達は迫るように囲った。たった一人、そして殺気立った姿で訪れたことを、舐められている、と思ったのだろう。

 一人の鬼が何しに来たと男に尋ねる。逆に男は首を傾げて尋ねる。テメェ等は魔か、と。

 それを聞いて周りの鬼たちは馬鹿にするように笑った。この鬼の集落に来ておいて何を訪ねているのか、と。一発小突いてやろうと、ある鬼が一人近づく。

 

その鬼の首が飛んだ。

 

 にやり、と男は笑う。まるでその結果が嬉しくて嬉しくてたまらない、悦びをこらえきれない子供のように笑っていた。

 



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・従者を見つけた頃の日記

『17□∴年 春

 

 旅は道連れ世は情け、道連れゲットしちゃったおwww。そろそろ日本を出て魔法世界へと帰ろうと思っていた矢先の出来事だ。良い清酒できゅっといっぱいやっていたころに、空気を読まない落ち武者もどきが現れた。京から遠く離れ、さらに一か月後に日の国を去るという内容で契約の術までしたから、忍者も信用して撤退して遠くからの監視にしてくれたと言うのに、一人静かな気分が最悪である。なんだあの血染めの姿は。

 なんかありえない物を見たような表情だ。2000年の現代人が未確認生命体を見つけたらそんな顔をするのだろう。噴水の様に血を流す落ち武者もどきを放置するわけにもいかず、治療する羽目になった。治癒の魔法は慣れていないのだが……まぁ死んだら死んだで仕方ないと割り切っていた。治療師の技術はアリアドネ―で少し学んだ程度なのだから。

 結果、なんか息を吹き返した。なんということでしょう、ボロボロの姿だった男は今では町で声をかければホイホイついて行ってしまいそうなイケメン……かは知らんが完璧な治療跡が! 流石私だ。下手に何かが体の中に残っていたという事も無かったので、案外楽に行けた。

 その青年の名前はササムというらしい。そしてなんやかんやで私に着いてくることになった。なんだあれ。しかし魔法世界に行ったら驚くだろう。その驚いた表情を頭の中で想像して、思わず笑ってしまった。』

 

『17□∴年 魔法世界に来る前の春。

 

 ササムさんの首刈り日記。はっじまるよー。

 三日前。邪法で少年少女を生贄にしようとしていた魔法使いの首を刈って持ってきました。

 一昨日。人を喰っていることで有名だった魔獣の首を刈って持ってきました。

 昨日。依頼で村人や行商人から強奪を繰り返す強盗団団長の首を刈って持ってきました。

 今日。なんだか私の首を見ながらうずうずしています。私のそばに近寄るなああーーーーッ。

 拾ってきた人物がどう考えても魔を斬ることが大好きな戦闘狂です。本当にありがとうございました。どうしたかって? 人形を使う時の糸で簀巻きにしました。いやあの程度なら何とかなるし。熱っつ熱のスープをこぼしながら口に運ぶのは本当に楽しかったです。こっちみんな、にらみつけても私の防御力は下がらんぞ。火鳥か貴様は。

 え、こいつアリアドネーに入れていいの? 生徒や職員として暮らしている魔族の人とか見たら、斬りかかりそうなんだが。私とか何回か来る前に斬られそうになっている。セランに事前に相談したら、ものすごく嫌な顔でできれば入れないでほしいというニュアンスで話されたが、私の従者として結局いれちったww。悪い奴でもなく、来る前にそこそこ打ち解けてはいたので、道連れとしても悪くは無かった。ときどき刀に手が伸びるのは条件反射かなんかなのだろうか……』

 

―――――

 

「……はっ、ざまぁみろ。糞野郎が」

 

 六尺ほどの赤く染まった大太刀を引き抜き、そう呟いたのは一人の男だった。赤染めの手甲、臑当には黒い染みとなって血が付着されている。黒染めの着物には同じように、返り血が付いたのだろう。血の匂いが辺りへと充満している。

 男は倒れる目の前の存在……鬼を見下ろし、その首へと太刀を振り下ろす。刎ねた首は鞠のように跳ねて転がった。その鬼の髪を掴んで持ち上げると、ゆらゆらと男は来た道をゆっくりと引き返した。

 その道にあるのは、同じように死体となっている鬼達だった。もっとも人よりも大きなその亡骸でも、男が最後に討った鬼と比べれば、小鬼程度の大きさしかなかった。

かふ、と。男は小さくせき込み、口から血を零した。応急処置はしてあっても、長くは無いだろうと男は判断する。それでも、男はその鬼の首を持って帰らなければならなかった。

 男は剣士だった。名前も無く、団子屋に蹴り出されたときの言葉の一部を名前にするような、ただの浮浪児であった男が剣を持つことができるようになったのは、単に剣を振るう才があったことと、京都神鳴流の剣士に拾われたからだ。京を護り魔を討つ戦闘集団である神鳴流派の中に席を置いていたその男は、その日まで一人旅に出ていた。

 少し前、東の都で神鳴流の剣士が妖刀に飲み込まれ、それを鎮圧するために多くの神鳴流剣士が散っていったという事件が起きた。その事件の会場に旅をしていた男は間に合わず、到着したのは結果的にその剣士が青山の名を持つ神鳴流剣士に斬られた後だった。その時思ったのは、自分を育て鍛えた者の死ではない。男を笑っていた剣士たちの亡骸への失望でもない。ただ魔を斬り伏せることができなかった、という虚無感だけだった。

 京を護るため、後続の剣士の育成のため、本来なら男は残るべきだったのだろう。だが来るかも分からない脅威のために、自らや後続の剣士を修練することを男は是としなかった。元々浮浪児であり、護るべきものはただ自身のみであった男にとって、十数年という時を重ねても、護るという物の形は見えてはいなかったのだ。其処に居るだけで護れている、という事実を理解することなどできなかった。だから、旅に出ていた。

 

 そこに出くわしたのが、一つの村だった。春の訪れとは逆に、沈んだ空気が蔓延しているその場所では、一人の少女が祭り上げられている。小奇麗な衣装を纏ったその少女の表情は無い。その状況から男は判断する。アレは、生贄だ。近くに在る鬼の集落への、年に立った一度差し出すだけで鬼が溢れることを防ぐ、人柱だった。

 別に男はその情に流されたわけではない。ただ、斬りたかっただけだ。被害の大きさを考え静観されていたその鬼達の住処に、大太刀と幾つかの防具だけで攻め込んだ男は、無警戒でいた鬼達の首を刎ね飛ばす。猿叫をきっかけに怯む鬼達を斬って刎ねて、落として、刈った。男自身の傷を気にせず、鬼達を斬り続けた。

 京都神鳴流は京を護り魔を斬る剣である。ならば京を護らない自分には、ただ魔を斬ることだけしか残らない。ならば自分には、魔を刈る以外に生きる意味が無いだろう。だからこそ、鬼を、魔を刈ったのだ。

 

「……糞が」

 

 桜の匂いが鬱陶しく、男は思わず呟いた。歩いて自分は本当に進んでいるのか。その感覚さえも曖昧になっているのを実感した。そこで死んでいくことは恐怖ではない。ろくでもない場所で死ぬという事は、浮浪児だった頃から分かっていたことだ。

 木々の合間を抜ける。そこでは鬼達がいつも集会でもしていたのだろうか。集落からは離れた場所ではあったが綺麗に整理されたその場所は、木に囲まれた広場となっている。その中心に、一人の影があった。

 

 

「……だれだ? こんなに素晴らしい月の下へと、血の匂いを撒き散らす無粋な輩は」

 

 

 一瞬、それが何なのか男は理解することができなかった。

 金色の髪は満月に照らされ鈍く輝き、白い肌を持つその小さな姿は南蛮の服にも似た、黒い衣装で纏われている。昔に遠くから眺めていた、文楽の浄瑠璃人形でも見たことが無いほど綺麗だった。童子と言うにはその雰囲気はあまりにもかけ離れている。一度だけ会ったことがある、近衛の術師と同じように、長く生きた者と同じ空気だった。

 木の切り株に座っていた少女は腰の瓢箪の酒を傾けると、ぐいと一飲みして立ち上がる。そして男の視線へと少女は合わせ、それに対応する様に男は大太刀へと手を置いた。

 男が反応したのはその少女から感じられた気からだった。一瞬仙人を思わせたその雰囲気だが、感じられたのは強大な魔であった。先ほど斬った鬼も魔としては上位の者だ。少なくとも協会が静観するほどの者であった。しかし、男の目の前の少女と比べれば赤子と大人だ。鬼子母神かその類か。

 

「テメェ、鬼か?」

 

「鬼? ……ふむ。成程、この国でそうか否かを聞かれれば、私は肯定することしかできないな。それがどうした?」

 

 男にとってはその言葉だけで十分だった。先ほど苦労して刎ねたはずの鬼の首放り投げ、大太刀を引き抜き両手で構えると、気を体中に巡らせ地面を蹴り飛ばす。

 

「あぁ……あぁそうか! だったらテメェは魔か! なら斬らせろ! その首俺にここで刈らせろぉ!」

 

 強大な魔、ならば男が剣を握り動く理由としては十分だった。そして湧き上ってくるのは、目の前の強大な魔を斬り伏せたいと言う欲求だった。

 血は足りない。二太刀も入れれば、この躰は意識を失うだろう。ならば一太刀で刈り取る。後の事も考えずに男は気を放出した。

 少女は動かない。瓢箪を片手に眉を僅かにひそめ、空いた手をかざした。ぼう、と白く光ったそれを男は術の発動と判断した。発動と同時に向かう数本の光の矢。京の術師とは違う、高度に練られたであろうその矢を、男は立った一太刀で斬り落とす。横薙ぎに一振り、それだけでこの少女の首は刈れるだろう。そこまでの距離まで詰め寄った。

 ぱちん、という音がどこか遠く聞こえる。

 

「縛れ」

 

 異国の言語であったが、少女は指を鳴らしてそう呟いた。

 男の下に現れたのは魔法陣だった。正三角形を二つ重ねた物を円で囲んだその法陣から光が溢れ、男の身体を縛った。

 

「魔法の射手、戒めの矢11本。眠りの霧。後は寝ていろ」

 

「て、めぇ……」

 

 絞り出した声がそれ以上続く事も無かった。霧状の魔力を吸い込むと段々と瞼が重くなり、落ちていく意識に逆らうこともできず、目の前の少女に寄り掛かるように男は倒れた。

 

 

 

それは男……ササムにとって懐かしい出来事だ。闇の精霊によって見せられていた白夢中に思わず苦笑しながら、隣に居る自分のご主人に話しかける。

 

「俺も若いころがあったもんだ。懐かしくって欠伸が出るだろご主人」

 

「ええい何をしているササム!? 今どういう状況なんだ!? のわぁ!? かかか掠ったぞおい! なんだ低級精霊が図に乗りおって! 高等呪文でこの遺跡ごと吹き飛ばしてもいいんだぞこのド低能どもが!」

 

「やめい」

 

 髪の毛が焼けた音にエヴァンジェリンは思わずのけぞると、辺りを飛び回る雷の精霊たちを睨む。男……ササムはエヴァに一発チョップを打ち込み、一瞬で大太刀を構えて一閃する。飛び込んできた雷の精霊の一匹が崩れ落ちた。ずっと半分寝たような状態で油断していたのだろう。エヴァンジェリンは意識を急に覚まされ混乱している。それほどまでに自分に信頼を向けていると言うところが、少しだけササムには誇らしく感じる。

 そこは魔法世界のダンジョンだった。そこに眠る遺失呪文を目指し、その最奥で魔力を貯めこんで狂暴化した精霊達を相手に、ササムは思わず欠伸をしていた。狂暴化し、雷と同じ速度で移動する雷の精霊を見ながら思わず口元を緩めた。

 ササムが倒れた後、水晶球に放置されて忘れられていた結果、結局ついていくことになった。初めはエヴァンジェリンの首を刈り取ることを考えていたササムであったが、魔法世界というそれ以上の餌に釣られたのだ。数年たって落ち着いた現在では、若気の至りだと笑えるものだと思っている。エヴァンジェリンからしてみれば、それで首を刈られかけているのだから、たまったものではなかったが。

 アリアドネ―を拠点に、遺失呪文の情報を得てはエヴァンジェリンと共に訪れる、という生活をしている。そこでは正しく自分の剣を求められていた。災いをもたらす魔が存在していたからだ。そんな風に罪を犯す悪魔を刈り、暴れる黒龍を刈り、豊作になった稲を刈り、日々過ごしていた。

 災いをもたらす魔を斬るという事は、自分がこの流派の剣を使っているのなら避けられないことだ。ならば自分は、真祖の吸血鬼という魔であるエヴァンジェリンも斬るのだろうか。ササムの中には三つの思いがある。神鳴流の意味に則って魔であるエヴァンジェリンを斬るべきでは、という思い。共にいるのは心地よい、という思い。そして、極上の魔であるエヴァンジェリンを斬りたい、という思い。

 京都神鳴流は魔を討ち護る剣。だが今ササムがその意味を正しく理解することは無い。ただ今は剣を振るう理由として、災いをもたらす魔は存在するのだから、斬り伏せられることに満足しても悪くは無いだろうとは思う。

 

「ササム、聞いているのか!? まったく、従者ならご主人様が足を踏み入れた頃には掃除は終わらせるぐらいしてみせろ!」

 

「へいへい、聞いていますよご主人。ちょっくら終わらせますよっと」

 

一閃、ササムは剣を振るって雷と同等の速度で襲いかかる精霊の首を刈り取った。

 ただ、面白い、とササムは笑う。契約をしているわけではない。予想していたよりもお転婆で、可愛らしい少女の従者になってしまったものだが、面白い、と。そう思えることは確かだった。



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・魔法世界での日常の日記

『17§±年 季節は犠牲になったのだ……

 

 アリアドネーで魔法の研究中。ヒャッハー徹夜だーww大量の本に囲まれながら読書をするのは、優越感なんてもんじゃぁないな。よし、無重力状態にして無限に奥行きのある書庫にしよう! とりあえずフェレットを捕まえてこなくては! ササムに捕まえてくるように頼んだらかば焼きになっているのを渡された。そういうことじゃない。

 なんかササムがトレジャーハンターになっていた件について。おにぎりと剣一つでダンジョンとか遺跡とかを勝手に出かけている。いつからアイツは剣士から風来人に転職したのだ。まあ私にとって数か月ぶりが奴にとっての数日ぶりなんてことはざらだが。水晶球ェ……。

 連れてきてから様々なところに冒険に行ったが、結局腰を据えて研究するのにはアリアドネーが一番だろう。独立都市流石っすww。水晶球を置いていても襲い掛かってくるような者が居ないのはありがたい。ただ、そこの長のセランからは、私かアリアドネーかどちらか取ると言われれば、迷いなく私を出すと釘を刺されている。まぁ、だれだってそうする。私もそうする。

 とはいえアリアドネーの生徒達とは良好な関係を作れているのはいい。今は歳を取ってしまった元生徒現先生などとも、いろいろ話せるのは悪くない。弱みなんて全員分持っているwww。

 さておき、そんな良好なはずの関係の人たちに……ガンを飛ばしながら歩くな私を見つけて手を振るなバカモノがぁ!? ちょっと賞金首刈ってきたじゃない! 血が服についているだろうが、一般人は引くんだ理解しろ! 私になついていたはずの子供がよそよそしくなるだろうがぁ!? 貴様は首刈りではなく農作刈り(収穫)でもやってこい!!

 そう言った私の従者がおばちゃんたちに大人気になってしまった。なんか悔しい。』

 

 

『17Ф∵年 季節 犠牲の犠牲にな……

 

 確か私は前回の日記に、なんか問題があったら放り出す、というようなことを言われたと書いた記憶がある。そんな私がアリアドネーで講師をしているのだが。どういうことなの……。

 暇しているんだからいいじゃないの。セランにそう言われた私は思わず返す。私の出した研究成果でどれだけ貴様らに貢献しているんだろうなぁ、と。すっと目を逸らされ、たまには日の光も浴びたほうがいいわよ、と言われた。私は吸血鬼だって言っているだろいい加減にしろ!! 貴様らの着せ替え人形ではない!? この私にキティと名付けた親はだれだぁ!?

 どうしてこうなった……。相手が悪人なら容赦なく笑ってメシウマ状態になれると言うのに……。いつから魔法世界で真祖の吸血鬼はこんなに軽い扱いになってしまったのだ?

 冷静になって考えてみれば、アリアドネーには人と人以外のハーフもかなりいる。魔族とかも普通に居る。最高位の妖精とかがひょっこり顔出ししたりしている。さすがはある意味無法地帯……統一が学ぶ意志だけというのはひょっとしたら凄いんじゃないのか?

 まぁいい。ぐぇっへっへへへ、覚悟はいいか美少年美少女どもめ。涙目になるような難易度の授業をやってやる。そして私は愉悦るのだww。テストで右往左往するがいいわww』

『追書き 何なのだ、これは!どうすればいいのだ?! どうして私が涙目になっている!? 何が罰ゲームだいい加減にしろ!』

 

『17☆▼年 季節ェ!お前は私の新たなry

 

 遺跡ダンジョン攻略中。授業? 自主学習でもやらせとけばいいんじゃないだろうか。許可は取ってあるのだから、セランがなんとかするだろう。

 たどり着いたダンジョンは、そこそこ面白かった。たまには身体を動かすことも悪くは無い。水晶球の中に籠ったりすることも多く、正直周りの人間の十倍は過ごしている自身がある。つまり楽しかったという事だ。

 が、それは一番奥の部屋に着いたときに吹き飛んだ。なんかイラツク態度の精霊、力を手に入れて調子に乗っちゃった系の奴等がまとわりついてくる。髪が燃えた。イラツク。よーしササムあれ首刈っていいぞー。

 そしたら数秒で片づけた。私の従者マジぱねぇ。私の公開している不細工な人形劇で、馬役のモデルにさせてもらっているが、こっそり可愛い少女Cに変えておこう。なんかばれたら旅行に出かされそうだ。背中に乗れみたいなことを言って。

 

『17(◇)年 季節か、大した奴だ

 

 コスプレ大会、はっじまるよー。どうしてそうなったぁぁああああ! 罰ゲームらしい。ちょっと意味わかんないですねww。セランにNDK?NDK?された。今度街中で武装解除の魔法をぶっぱなそう。あんな、あんなちんちくりんな格好など私は認めん。

 というよりなぜ私が暇つぶしに自作したものの売れ行きが大変なことになっているのだろう? 真祖の吸血鬼の作成、というネームバリューかと思いきや、何気にデザインなどが人気になっているらしい。なんだこの街。勉強しすぎると馬鹿になるという一例ではないか。こてこての魔法使いな格好よりも、少し肌を見せる様な格好の方が人気らしい。時代を先取りしすぎではないだろうか……。あれ、なんでそのデザインの服を輸出している。

 とはいえ、祭りだ。祭りは楽しむべき、否定するのが疲れたというものもある。そういうことで、私も服を作って生徒に着せた。ササムの居た国での衣装、着物を幾つか作成。……どいつもこいつも巨乳で腹が立つ。巨乳には似合わんのだ着物というやつは。まぁ、楽しめたのだから良しとしよう。』

『追記 なんかササムが居た。見られてた。…………(手が震えたため続きは書かれていない)』

 

 

―――――

 

 女性はとある部屋の前まで来ると、鍵がかけられていないことを確認して、部屋へ足を踏み入れた。こつ、とハイヒールが床を叩く音が響き渡る。長く伸ばした銀色の髪に、頭の後ろの方から前へと、角獣のような二本角が生えている。すっと伸ばした背筋に薄い水色のビジネススーツを纏ったその姿は堂々としており、指導者であると思わせる雰囲気を出している。現に、その女性はアリアドネーの現代表として活動を行っているのだから、その雰囲気にも納得ができる。

 魔法の灯りによって照らされたその部屋は多くの本と本棚に囲まれ、その部屋の中心にも本が山の様に乱雑に積まれている。その奥に、足をテーブルの上に乗せながら椅子に座り本を読む少女の姿を見つけ、その女性……セランは腰に手を当てて溜息を吐いた。

 

「またそんな恰好で本を読んで。眼を悪くするわよエヴァ? 灯りぐらいちゃんとつければいいのに」

 

「お前は私のお母さんか。いや、私吸血鬼だからな?」

 

 エヴァンジェリンは持っていた本から目を放して、訪ねてきたセランを見ながら答えた。真祖の吸血鬼なのだから、この程度の事で目を悪くしたりはしない。そういう問題じゃないの、と答えたセランはテーブルに置かれた本の山を左右に分けた。話があるのにもかかわらず、本の山越しというのはやりづらい。

 セランとエヴァンジェリンの関係は難しい。簡単に言ってしまえば友人だが、難しく言えば真祖の吸血鬼と出した研究成果のすり合わせがなんたらと、長くなるだろう。十数年単位での付き合いの友人であるため、エヴァンジェリンとしても雑に扱うようなことはしない。

 

「それでどうかしたのか、アリアドネー現代表様? まさか私を追い出す気にでもなったのか?」

 

「冗談でもそんなこと言わないの。少なくとも私がこの立場に居る限りは、滅多なことが無ければそんなことは無いから。心配したかしら?」

 

「……まぁ、今追い出されたら少し寂しいし、悲しいからな」

 

 口を尖らせていうエヴァンジェリンの可愛らしい言葉に、セランは思わず小さく笑った。確かにセランはこの都市の長として、その存在が庇いきれないほどの害となるのなら、迷いなく追い出すと言ってはいる。もちろん、友人としての思いは別であるが。

 そして自分が何を言ったか理解したのか、エヴァンジェリンは少しだけ顔を赤らめると、わざとらしくせき込んだ。そんな様子がやはり可笑しかったのか、くすくすという笑いがセランの口から零れる。

 

「そんなことよりもだ! 私に用が在ったのだろう、さっさと話したらどうだ?」

 

「あら、そうだったわね。はい、これ」

 

 セランとしてはちょっと茶化しただけだ。思い通りの反応をしてくれるエヴァンジェリンに、微笑ましいと思うが、まずはこの場所に来た用件だけ済ませることにした。何の用事が無くとも遊びに来たいのだが、やるべきことは多くなかなか訪れられないのだから、少しでも早く用を済ませよう。

 取り出されたのはいくつかの書類だった。手渡しされたそれをエヴァンジェリンはそれをざっと眺め……、頭からもう一度読み始める。そしてその内容に間違いが無いことを理解すると、ニコニコと笑顔のままのセランを見上げた。

 

「……なぁセラン? 何回読んでもこの書類には、私への講師としての出勤計画が書かれているのだが」

 

「ええ、そうね」

 

「私、真祖の吸血鬼だな」

 

「ええ、そうね」

 

「アホかキサマはーーっ!!」

 

 テーブルをひっくり返しかねない勢いで立ち上がると、乱暴な足取りでセランへと近づき書類を突き付けた。

 

「だって実際勿体ないじゃない。優秀な講師ができる人がこんなところで食っちゃ寝食っちゃ寝……そんな人を放置する余裕はあるけど勿体ないのよ」

 

「余裕があるのならいいだろうが! というより、私は研究の成果で充分此処に貢献しているだろう!」

 

 エヴァンジェリンは何もせずにアリアドネーに居るわけではなく、新魔法の研究などの成果を出しているため、滞在を許されている、というのが正しい。その成果が莫大な物のため、先の事を考えるとずっと滞在することも許されるだろう。

 抗議するエヴァンジェリンに、セランは目をそらして呟くように答える。

 

「……たまには外の光を浴びるのも気持ちいいでしょ? 最近研究ばっかりしているから、生徒達も会えなくて寂しいって言っていたわ」

 

「私は吸血鬼だって言っているだろいい加減にしろ! なんでここの連中は私にそんな絡んでくるのだ!」

 

 それは貴女が悪いじゃない、とセランは言わずにはいられなかった。

 エヴァンジェリンは図書館の一室を借りているが、本を読む場所は一般の所でも読んでいる。そして、睡眠についても眠くなったら寝る、というのが普通だったため、他の人が読んでいるテーブルで平気で寝てしまうのだ。

 真祖の吸血鬼、であるが人形のような服を身に纏った少女の姿ですやすやと気持ちよさそうに眠っていて、何か思わないのは居ないだろう。おそるおそるその頬を触り、そうしたら、ふにゃ、とか寝言で言ってしまうのだ。学ぶことに意欲的な人たちばかりなのだから、当然図書館は頻繁に使われる。その光景を見て吸血鬼に偏見を持っていた者達が、違う意味での偏見を持ってしまうのも仕方ないことだった。そしてそんな吸血鬼を弄る人たちによって、さらにその偏見は加速していき、ついには図書館のマスコット扱いにされているのだから噂というのはわからない。

 それを知らないのは本人だけである。尊大に振る舞ってももはや手遅れ。もみくちゃにする、若いエネルギーあふれる生徒たちに抗うガッツはエヴァンジェリンには無く、されるがままというのが現状だった。

 

「ほら、それでも新しい考えが浮かぶ気晴らしになるじゃない。最初に受け持つ授業は少ないし、女子校の方での授業が中心だから、やってもらえないかしら?」

 

「む……むむ」

 

 困ったように目尻を下げて答えるセランに、エヴァンジェリンは返答に詰まった。セランとしては、講師をやってほしいと言うのは本心からの事だ。真祖の吸血鬼という存在への偏見を解消することや、その実績からの知識を広めて欲しいと考えている。

 エヴァンジェリンとしても、セランの友人をやっているつもりはある。しばらく悩み、あることを思いついてニヤリと笑った。

 

「いいだろう。だがな、授業の難易度は私が決める。赤点を大量に出しても文句は言うなよ?」

 

 そう、それなら無能であることを証明してしまえばいい。研究の成果などで、それなりの結果は出しているのだ。無論、生徒のレベル上限少し上のものにするが、赤点になる者も多数出るだろう。講師として使えないとわかれば、セランも取り下げるだろう、と。そうエヴァンジェリンが考えていることをセランはその一言で読み取った。

 

「ん~、それだけだと生徒たちがかわいそうでしょう? 飴と鞭、みたいに生徒全員赤点が出なかったらご褒美を出していいかしら? エヴァンジェリンが一つ生徒たちの言う事を聞いてくれる、とか」

 

「ああ、それぐらいならいいぞ。赤点以外を出すつもりは無いからな」

 

 そう言ってエヴァンジェリンは判を持ってくると、講師を承諾するという契約用紙に判を押した。

 

 数か月後、生徒たちが切磋琢磨し赤点を誰も出さなかっため、エヴァンジェリンという名の着せ替え人形を要求されるのとは、本人も思ってはいなかっただろう。

 

――――――

 

 新品に近い灰色の着物に着替えると、ササムは立てかけておいた大太刀へと手を伸ばした。アリアドネーでそれを使うことはありえないが、どうも出かけるときはそれを持っていなければ落ち着かない。

 魔法世界での生活はササムにとっては初めて見るものばかりであり、目を引かれるものも多い。なによりも良かったのが、神鳴流の剣を表で存分に使うことができると言う点だった。合法的に魔と呼ばれる存在を斬ることができる。己が鍛錬も強大な魔があるとなれば、それを斬るために力を入れた。何度か死にかけることはあっても、実力は上がっていることを感じていた。

 そんな、世界へと連れてきた人物、エヴァンジェリンについて、ササムは思うところが在った。

 アレは魔だ。強大な魔であり、出会ったばかりの自分ではどう足掻いても斬ることの敵わない存在なのだ。だが、実際旅をしてその印象は変わっていた。

 くだらないことで笑いくだらないことで落ち込み、子供の様に二転三転と表情を変えたと思えば、老人の様に思慮深い姿を見せることもある。訳が分からない人物だったと言えるだろう。

 いい加減、共に居る時間も長い。従者という区切りに落ち着いては居るが、未だにササムはエヴァンジェリンについて考えると、頭の中が急に散らかるような気がしていた。どうありたいのか、どうしたいのか。そしてその問題は何か。時間は人である自分には有限であり、答えを出さなければならない。

 恋慕? 分からない。確かにエヴァンジェリンという魅力的な人物であるだろう。共に居たい、と思う事もあるが、それを恋慕の一言で済ますものには感じられない。親愛? あるだろう。共に旅に居て、ササムという存在に意味を持たせたことを考えれば、親愛の情を抱いていると考えるのも難しくは無かった。しかしそれらの感情が在っても、ササムは引っかかる。

 あれは、魔だ。神鳴流の剣士である自分が行うことは……。そう考えて思い直す。ササムが神鳴流剣士として『行いたいことは』決まっている。

 

「……ちっ」

 

 ササムは無意識に刀に延びていた手を離した。手の掌で自分の顔をはたいて表情を直し、エヴァンジェリンの元へと向かった。誰も見てはいなかった。しかし、ササムの先ほどの表情は、歪んでいた。

 

 

 しかし、そんなササムがエヴァンジェリン先生と女子生徒たちによるコスプレパーティを目の前にして、呆れた表情になるまで、あと数十分。

 

 



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・普段の魔法世界での日記

『17□●年 季節、春

 

 なんか賞金稼ぎに命を狙われた。久々に狙われたが実戦の勘も鈍ってはおらず、全力で動くことはしなかったが、見事に鎮圧を完了した。ゴロツキが私の命を狙うとかww。せめてササムを倒せるぐらいの戦力連れてこいww。なんか魔獣使いで龍とか使役していた……が、ササムに悉く首を斬り下ろされていた。共にいた家族同然の動物を殺されたことには同情するが、……そもそも戦場に連れてくるなァーーッ! 記憶クラッシュとギアスは忘れません。つーか、未だに指名手配されていることが驚きなんだが。

 なんというか、ササムとしては自分は指名手配されていないのに襲われたのだから、問答無用で全員首刈りにするつもりだったらしいが、私がストップをかけた。だからお前は他の奴らに首刈りと呼ばれるんだ……。

 文句? ないないアイツ私の従者だ。私の命令を聞くのは当然だろう。なんか街でおごらされているとか、私の心が寛大なだけだ。財布を勝手にもってかれて、装備を買われているのも私が寛大だからだ。アリアドネーで勝手に飲み食いして私にツケを回しているのも……。うん、一度ガツンと言ってやろう。あの男はーーーッ!!』

 

『17◇∵年 季節、夏

 

 契約の魔女、どっかの魔法少女の話に出てきそうな名前の魔女だ。そんな厨二病乙と思うような名前だが……私の二つ名なんだ。契約の魔女(キリッ、だっておww誰だそんな名前つけたのはww。

 とりあえず付けられる理由については心当たりがある。私が冒険に出て賞金稼ぎに出くわしたとき、命を取ったことは無い。ここ百数年は殺した記憶もない。とはいえ戦士ならその四肢の一部を、魔法使いなら記憶を消したりはしているが。そして施しているのが契約だった。誰にも知らせない、知らせることができない、そういう条文のギアス。しかしそれでも噂というのは広がってしまうのか。

 挑んでも死なない、引退前に一稼ぎ狙うために挑むのをお勧めされている賞金首としても有名らしい。賞金首になって数百年前だというのに元気なことだ。戦士にとって四肢は、魔法使いにとって知識は、賞金稼ぎとして活動するには必須のものだ。それを奪う程度の事は許してほしい。

 そんな小賢しいことばかりしている自分に嫌悪する。理解している。私は、『悪』になんてなれはしない。』

 

『17●☆年 季節、あの花が咲いたころ

 

 日記にシリアスとかないわww。現実なんてクソゲーに居られるか! まずはそのふざけた現実をぶち壊す! そんなことやっていたらササムに首根っこを掴まれて外に追い出された。やめろぉーっ、私はニートするんだ! 私に研究をさせろぉ!

 そんな風にわめいていたが、どうやら新しいダンジョンで遺失呪文、私からしたら新しい呪文を描かれた石壁が見つかったらしい。先に言えこの馬鹿チンが!

 武器とおにぎり片手に出発で気分は風来人。しかしどうやって考えても私が小動物役になっている。だってササム魔物を見つけたら、ヒャッハー魔だー! 魔物は消毒だー! と言わんばかりに刈るのだから。ダンジョンの中だけ世紀末なんだが。眼の白と黒が反転していた。

 神鳴流剣士はあんなのばかりなのだろうか。尋ねてみたら、以前私が部屋に踏み入れる前に片づけろ、という言葉を忠実に守っていたらしい……ってダンジョン虐殺事件の原因は私ではないか! しかしきっちり守ってくれていたこと思う事もある。べ、別に嬉しくなんかないんだからね! ……何を書いているんだ私は。いやいや、従者が私を護るとか当然だしww。……本■のと■ろ嬉■■な■わけ■■な■。(塗りつぶされている)

 とりあえず遺失呪文の石版2get。時流操作は案外難しい。時間は腐って風化するほどあるのだから、のんびりやろう。

 

『17☆■年 春

 

 なんかササムにお前の首刈らせてとか言われた。意味☆不明だった。日本語でおk。

 いやなんか戦闘狂だってことは知ってた。積極的に討伐クエストとか受けに行くし。適当に相手をして終わったけど。止めてよね、ササムが私に勝てるわけないでしょ。

 しかしぼこぼこだったな。私も闇の魔法も使ってしまったし、というか自力で感卦法習得して神鳴流奥義が飛んでくるんだが。障壁抜けて刃が飛んできた。マイルド、マイルドだから! 治療に一か月もかかってしまった。私は数日だが。さっすが不死ぼでぃ! 奴らができないことを簡単にやってのける。そこに痺れる!■■■■(荒々しく塗りつぶされている)

 治療が終わって何か月かしたら、また二人で旅に行ってきた。ダンジョンめぐりは面白い。クロノスの神殿にあった遺失呪文などは、とても糧になる素晴らしい物だ。ただ、最初から強くてニューゲーム状態でのダンジョンはなんとも。ただ、誰かに背中を任せられると言うのは悪くない。

 なんか帰ってからなんか旅行に行かされた。場所は日本。京都とか飽きた。ササムはどっか行って放置されていたから、隠れて監視している忍者に挨拶したら落ち込まれた。解せぬ。長瀬上忍がやたらとニコニコしてた。無言のオーラがやばい。そして私の従者との手合せで地形がやばい。水晶球の中の庭が……。無表情の自動人形の背中にどこか哀愁が漂っていた。』

この先は黒く塗りつぶされている。……しかしインクが足りなかったようだ―――

『しかしあのマセガキ! 誰と誰がデートに出かけたって? あの耳年増どもが! 宿題を倍プッシュだ……』

 

 

 

―――――――

 

 瓢箪の中に入れた酒に手を伸ばし栓を抜くと、芳醇な香りが辺りに広がりそのまま瓢箪を傾けた。清酒を中心に飲んでいたが、果汁酒も悪くない、と。ササムはアリアドネーの街を歩きながら、図書館へと足を延ばした。数日前、賞金首を何人か刎ね飛ばしてきてからの帰りである。一か月ほど、寝たきりの大怪我のリハビリ代わりの物だが、ある程度戦場の感覚も戻ってきている。

 途中、菓子屋などを見て、自分の主人である。エヴァンジェリンを思い出す。なんか菓子の一つでも持って行ってやろう。ある部屋の一室を自室にしてしまっているのだから、図書館に持って行っても大丈夫だろう。似合わないとは理解しつつも、菓子屋へと足を向けた。

 

「ん?」

 

「あら、奇遇ねササムさん」

 

 そこに出てきたのは珍しく落ち着いた色合いの私服を着たセランだった。ササムとしてはいつこの女は休日があるのだろうと考えていたほどであり、若干眼を丸くして驚いた。

 対してセランはにこやかな挨拶とは逆に、ササムの様子に眉をひそめた。小手や臑当などの防具を着け、腰に据えた大太刀と、その半分程度の長さの脇差。片手には酒と、叡智の都市であるアリアドネーでは明らかに浮いた姿だったからだ。

 

「……随分な格好ですね。随分と目立ったのではありませんか?」

 

「ん? おお。流石に黒の和服はこの街には浮くか。しかしエヴァがわざわざ俺に作ってくれたものだからなぁ。似合っているだろう?」

 

 小さく照れるような笑顔で返すササムに、セランは嫌味が通じていなかったことに溜息を吐いた。しかし以前はさらに凄かったのだ。賞金首を討伐したばかりで血まみれ怪我まみれの姿で帰還した時は、周りの人たちも恐れで涙目になり、エヴァンジェリンもいろいろな意味で涙目になり、散々だったのだ。洗濯をしてから訪れるだけ、成長したのだろう。 

 和服はエヴァンジェリンが縫ったものを使っているが、その上に羽織った赤いブルゾンは魔法世界のもので、エヴァンジェリンからの贈り物だった。わざわざ律儀に使っているあたり、主従仲が良い様で、とセランは肩をすくめて思わずにはいられなかった。

 

「ええ。ササムさんは今日はエヴァのところですか? そろそろ授業も終わって部屋に戻っていると思いますが……行くのならご一緒しますよ」

 

「そうか。賞金も装備に使ってしまったから、セランが菓子を買って行ったのなら丁度いい」

 

 ササムの稼いだ賞金などは、殆どが返ってくる前に消費されている。エヴァンジェリンの従者という事でこの都市に居る。机に座って学ぶよりも、剣を振るいながら学ぶササムにとって、この都市は退屈な場所だろう。ギルドなどに入り浸っている方が、ササムとしては性に合っている。

 その答えにセランは呆れたように溜息を吐いた。それを無視して先を歩き出してしまったササムを、セランは慌てて追いかけた。

 

 

「ご主人は最近どうだ。最近新しい遺失呪文を見つけたのだから、どうせずっと引き籠っているだろうが……」

 

「そうでもないわ。貴方が大怪我で運ばれて以来、どこか落ち着かないわ。毎晩泣き腫らして看病していたのに貴方は。そのまま都市の外に行くなんて、ちょっと無神経すぎないかしら」

 

 肩をすくめたセランにササムは何も返すことができず、ばつの悪そうな顔をする。

 セランにとってエヴァンジェリンは悩ましい種でもある。現在各帝国などからの圧力など晒される元凶でもあるが、同時に新しい叡智を生み出す存在でもあるのだ。ほんの数年前に、闇の魔法と呼ばれる、魔法を圧縮して身体に取り込む術を開発するなど、その貢献度は高い。

 そんな人物だから、そして真祖の吸血鬼であるから、という理由で心配しているわけではない。その心配は、少なくともアリアドネーの中では消えかけている。セラン個人にとって、エヴァは友人なのだから。

 

「いったいなにをしていたのよ貴方。あんなに取り乱す彼女なんて、数十年と一緒に過ごして初めて見たわ」

 

「エヴァンジェリンの首を刈ろうとした」

 

「………………はぁ!?」

 

 途中まではいつもの通りだと思ってはいても、最後の人命に周りの人の気にせずセラフは声を上げた。突然の事に振り返る通行客達に顔を赤くしても、それ以上にササムの言ったことが異常だったのだ。流石に大きな声で話すことではないとセランも理解する。ササムの耳元に聞こえるように近づき、小声で聞き返す。

 

「どういうことなの? 貴方とエヴァは恋仲……とは言わないけど、主従じゃなかったの?」

 

 セラン自身も長く人を見てきたとは思ってはいるが、目の前の男の思考については訳が分からないと言わざるを得なかった。距離感としては主従ではなく、恋仲と言われても違和感が無いほどだ。それを指摘して、真っ赤になるエヴァを生徒たちが弄る程度には。

 

「主従ではある。恋仲、それだけは絶対にありえない」

 

 ササムはそう言って、数か月前の事を思い出す。

 人には寿命がある。アリアドネーでは寿命についてはバラバラであり、それぞれの価値観を持っている。ササムも人間としての価値観を持っていた。

 8年、自分の心情が変化するには十分な時間だった。しかし自分がどう思おうと、エヴァンジェリンと正しい意味で共に歩くことは出来はしない。吸血鬼化するのなら話は別だが、エヴァンジェリン自身がそれを是としないだろう。

 だから年齢的にも、自分が戦士としての絶頂期は今だった。剣士としての腕は冴えるのだろう。しかし、戦士としてのバランスで考えた場合、おそらく今を逃せば、自分はただ衰退していくだけだ。だから、今しかなかったのだ。

 エヴァンジェリンの、自分の望み叶えるのは。 エヴァンジェリンにとってそれが、正しくも間違った望みであったとしても。

 それも過ぎたことだった。そして、それは自分が、相手がどう思っていようと、ササムが正しい意味で共に歩むことは無い。

 ササムは自分がそこまで頭が回るような人間だとは思ってはいない。だが、一番共にいた自分の主がなぜ、契約の魔女なのか、その程度は理解しているつもりだった。

 今日ササムは、エヴァンジェリンに京へと向かう事を知らせに来たのだ。自分の中でくすぶっているものの解消と、自分が未熟だったころ、恩があった者達へと挨拶をするために。

 

ササム自身は知っている。自分の中ですでに結論付けたのだから。

 

 

人と魔が、共に歩めるはずがない。

 

 

『やめろ、いやだ……もう嫌だ! 死ぬな! 私を一人にするな! 私に■させないでくれ! ササム!』

 

 

 

 しばらく歩くと、学園の中にまで到着する。図書館の一室に行ったところ、まだ戻ってはおらず、迎えに行くつもりで二人は訪れていた。

 

「ええい貴様らいい加減にしろ! 私は子供じゃないって言っているだろうが! しかも貴様らの教師だぞ! 撫で繰り回すんじゃない!」

 

「あははっ、エヴァちんかーわーいーいー!」

「ねーねー、この服作ってみたんだけど着てみてよー! ふりふりが可愛いよねー」

「騎士団の正装なんてどうかしら!? わざとだぼだぼな服装なんて……はしたない!」

「ねーエヴァせんせー。次の人形劇はいつやるのー?」

 

「や・め・ん・かー!」

 

 ササムとセランがエヴァンジェリンの元に着いたのは、最終授業が終わった教室だった。学園の生徒が騒ぐ声が聞こえたことに、セランは思わず腰に手を当てて溜息を吐く。はしたない、という思いもあったが、その学生に紛れて聞こえる悲鳴に、相変わらずね、と思う方が大きかった。

 

 溜息を吐いてササムはエヴァンジェリンを引っ張り出す。生徒たちはそれを指摘して、エヴァンジェリンは顔を林檎の様に真っ赤にしていた。そんな生徒たちをセランは教室からせかすように追い出した。

 それは、この世界での日常の1ページ。

 

 ただ今は、そんな日常が続いていく。

 

時が止まった少女にとってそれは、永遠に続けばいいと願う事だった。

速く時の進む男にとってそれは、必ず終わりゆくものだった。

 

 だから必ず、少女は思わずにはいられないことだった。己の望みが何であったのかを。

 




とりあえず改訂版はここまでです。


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・魔法世界での非日常への日記

『17●○年 季節は転校した。

 

 魔法の研究なう。大前提として魔法の固定と充填ができなければ話にならないのだが、さすがは私だ! そんなものはとっくに完成させてしまったぞ。闇の魔法はちょっと体に負担がかかる程度で一般人には使えないのが難点だがな! 

 自身を加速させる魔法は極めて珍しく、仮契約でのアーティファクトでもなければ再現されることはあまり無いらしい。私はできたがww。そんな魔法を使いながら魔法を固定したものを直接ぶつけたりすると、面白いことになる。なんという螺旋玉。こおるせかいとか圧縮したものを直接ぶつけたら、私まで吹っ飛んだ。自爆とかそういう技じゃねーからこれ!

 あとセランと仮契約を試してみた。なんか盗撮用アーティファクトが出てきたが、戦闘力皆無で壊れやすいらしい。なんだこのギャグ漫画で積極的に壊されそうなアイテムは。

久々にササムと手合せ。斬魔剣弐の太刀が飛んできて腕を斬られた。いや復活したが。武器が武器で首を刈られたら私完璧に死んでいたかもしれない。(黒く塗りつぶされている)―か―、そ――正――――で死――――い――事――私は…。

 くそ、そろそろ引退したらどうだと笑ってしまったからか? ニコニコと笑顔でいるくせにわざとデカい技ばかり乱発しているせいで、水晶球の美しい庭園がボロボロになってしまった。数年がかりで直した綺麗な庭がまた吹き飛んでしまったではないか!

 自動人形の背中にまた悲しみを背負ってしまった。魂自体が無いから感情起伏もないが……うん、次回から砂漠とかでやろう。というよりどうして今まで庭でやっていたのだ……』

 

『17●△年 季節秋

 

 学園祭キタ――(゚∀゚)――! 聖騎士団候補生の箒レースだ! 合法な賭けには勝てなくてもいいが心が躍る。狙うは倍率三倍。当たらなくてもいいが、このわくわくにはそれだけの価値がある。

飛び入り参加なんて無粋な真似はしないが、参加しない奴等全員分のチアユニフォームは作成済みだ! 夜なべして作った上のサプライズだ! ふはは、残念ながらスパッツは用意していなかったなぁ……スカートの丈が短い? なぁにぃ? 聞こえんなぁ? 喜べ野郎ども! 貴様らにこの瞬間一生の悔い無しと言わせてやる。そこまで考えるのは良かった。

 ……どうして私は自分で作った服を着たのだろう。他人に渡すならともかく、自分で着るのは、見ていて痛いだろうが……。そんなことできたのは若気の至りと言える昔だけだ。

 思春期少年どもの視線がヤバイ。見るのなら他にもいくらでもいるだろう。私の所に来るんじゃない。そしてレース中のやつはこっちみんな!助けろササム!

 そんな私の従者は眼福と言わんばかりにそれをつまみに酒を飲んでいた。グーで殴り飛ばした。軽く回避された。いいおっさんだろうが貴様!』

 

『17●△年 季節秋

 

 叡智の都市と言う名の通り、学園祭には一般へと向けた公開授業を行う事も少なくは無い。……が、どうして私まで参加して講師をしなければならないのだろうか。真祖の吸血鬼、というネームバリューも相まって聴きに来る方々が多い。アリアドネーを出て冒険者になった者たちから、別に会っても大丈夫じゃね、みたいな噂を広げられたらしい。いや別に私の居場所は内緒っていう訳ではないからいいんだが。

 なんか魔族の人もいる。魔族ってすっげー、骨だぞ骨。思わず私も闇の魔法を使ってしまった。友好であることは表すのはいいんだ。だが、顔を近づけるな。モルさん骨なんだよ。笑顔なのかどうか分からないだろう。何気に怖い。

 結果は、すげーと言われたり挑みに来たりと様々だ。やりすぎない程度にぼこぼこにしてしまった。まぁ、笑いあり涙ありの戦闘シーンは漫画で表すなら3刊程度は必要だろう。ササムも参加しそうになってやばかった。げぇ!首刈り! と他の冒険者が叫び声を上げる程だった。なんかアイツも有名になったもんだ。

 そこには人間もいたし妖精もいた。魔族が居れば、ハーフまでいる。私を恐れる者も何人かいたがそれは仕方ない。だが、手ごたえを感じている。』

 

『17Δ▼年 季節 秋終わり。

 

 ……ササムに仮契約の事を教えた奴は誰だーっ!

 なんか気持ち悪い太刀が出てきた。』

 

『17Δ〇 冬

 

 面倒なことになった。なんかとある都市が魔都になってしまったらしい。それなんて型月www、とか思ってた。やっべえ、本読んでる場合じゃねぇwwwワロスwwww! 一番魔の混入に気を使っている、旧世界からの移住者の国で、チェック漏れとかワロエナイ。でも私には関係ないしなー。遠くの国で起きたテロ行為に同情はすれども、何かしようとは思わない。

 そう思っていた時期が私にもありました。 なんかテロ行為の主犯が私になってるワロスwwww。出回ってきた新聞読んで吹き出してしまった。なんで隣の大陸まで行ってテロしなければならないのだ……。エヴァンジェリンは静かに暮らしたい(´・ω・`)。時を止める程度はできるが巻き戻しなんてできないんだよぉ! 頼むから私に静かに研究させろwww

 ああ面倒だ』

 

――――

 

 セランは棚からお茶請けである焼き菓子を取り出しテーブルに置くと、紅茶を取りに奥へと戻る。そして戻ってくると、テーブルの上に放られた書類が目に入った。その書類を放ったのは、足を組んでソファに座るエヴァンジェリンだった。傍らには女の子の操り人形を置いて、いかにも面倒くさい物を見つけた目つきで、じっとその書類を見つめている。その視線の間を遮るように、セランは紅茶をテーブルへと置いた。

 

「そんなに眉間にしわを寄せていたら、後が残ってしまうわよ? エヴァ」

 

「そうだな、こんな面倒な噂が立つぐらいなら、普通にしわができる様な生体でありたかったよ」

 

 焼き菓子に手を伸ばし、口元でそれを割りながらエヴァンジェリンは答える。その声はどこか落ち込んでいて、一人だったのなら溜息の一つでも吐いていただろう。口の中に広がる甘い香りも、どこか思考に引っ張られて微妙なものに感じていた。そして、人形を体の前でぎゅっと抱きしめる。

 セランはエヴァンジェリンの対面へと座り、自ら紅茶を口へと含む。普段ならば秘書などが気を利かせて淹れているために、素人である自分がどこか微妙なものに感じる。しかし、飲めないというほどでもなく、お茶請けに時折手を伸ばしつつ時間を過ごす。今日は休日であり、自分の周りで忙しなく動き回る秘書たちも居ないが、友人であるエヴァンジェリンがこの場所へと訪れていた。

 

「MMでの吸血鬼騒動、ねぇ。いっそここまで広められると清々しい物を感じるわね」

 

「……清々しくなどあるものか」

 

 ふて腐れたような口調でエヴァンジェリンは呟くと、また焼き菓子に手を伸ばし口へと放り込んだ。そこには何時ものように自信を持って尊大に振る舞う彼女の姿は無く、怒られて落ち込んでいる子供のようにも見えた。

 MM国内のとある場所で死都ができた。それは一人の吸血鬼によって民をグールへと変えて、外に出ていきそうだったものを鎮圧した、という事件だった。そしてその付近の、幾つかの村に半吸血鬼が生まれ、その処理に追われている。場所によっては閉鎖されたらしい。

 それだけならばエヴァンジェリンとは全く関係が無い。しかしその被害者の中にこの学園祭で、彼女の催しに参加していたという者が居た。その部分を、疑われたのだ。ハッキリ言ってしまえば、それは誇大妄想だと笑うような出来事だが、MM内では笑いごとにはなっていない。そのように情報操作されていた。その結果MM内ではその吸血鬼がエヴァンジェリンである、と決めつけている様な風潮が流れていた。

 

「まぁ、悪評が広がってそう思えるわけが……っと、渡鴉の人見が丁度その噂に出くわしたみたいだけど、見る?」

 

「遠慮しておく。それを見たら、また気分が落ち込みそうだ。……なんだかなぁ」

 

 タイミングよく開いた窓から部屋へと入り込んできたのは、鳥の形の絡繰りにレンズを着けたようなゴーレムだった。エヴァンジェリンとセランとの仮契約で出現したアーティファクトであり、許可さえあればどこででも潜り込み覗き見ることのできる、というものである。仮契約によるアーティファクトは、その人物が居る状況に必要とされるものが出現しやすい。術者と契約者の、情報の内容はともかく、それが欲しい、という意思が一致した結果出現したもののようだ。

 流れる映像は聞くに堪えない罵詈雑言であり、セランも溜息を吐いてその映像を消した。真祖の吸血鬼という存在に対しての危険視する意見や、過激なものでは抹殺すべきであるという思想の者までいる。些細な、とは言い難い規模の事件ではなかったが、国自体が煽らなければこのような規模の話にはならなかっただろう。

  動いているのはクロフト執政官自らだった。吸血鬼に都市一つを落とされる失態の眼を、こじ付けでいいから報道を操作して真祖の吸血鬼という存在へと向けようとしていた、実態はそんなところであろうとセランは踏んでいる。それよりも面倒なことは、アリアドネーがその吸血鬼を匿っている、と見られているということだ。

 

「なぁ、今のアリアドネーで私はどういう風に見られている?」

 

「図書館のマスコットでしょう? 政治的に、という意味で聞いているのなら、私は貴女が知る必要はないわね、って答えるわ」

 

 現実的に見れば、MM上層部の無能さの苛立ちを、そのまま此方へとぶつけられるかもしれない。しかし距離的な関係、戦力など考えれば戦が起こると考えるのは難しい。手を打つ必要はあっても、緊急性のあることではない。

 それよりもセランとしてはエヴァンジェリンの態度が、らしくないことが気がかりだった。

 

「だが……、私がこの都市に居ることで不利益を被っているのは事実だろう?」

 

「……ああ、そういうこと」

 

 エヴァンジェリンの言葉にセランは納得する。以前、エヴァンジェリンがこの都市に存在することで不利益が発生させるようなら、迷いなく追い出すと言った記憶がある。だが、その当時と比べ、セランにも情は移ってしまったと自覚はしており、その上ここで権力とやらに屈してしまえば、独立都市が聞いて呆れるだろう。

 それらの旨をエヴァンジェリンに伝えるが、やはりその表情は晴れなかった。だが、セランにそれ以外に落ち込む理由が分からなかった。何を言えば良いのか戸惑っていると、エヴァンジェリンから先に口を開かれた。

 

「なぁ、私がもし――――――」

 

 

―――――

 

 

 

「ササムさんって仮契約ってもうしたんですかー?」

 

 そう言ったのはとある学生だった。財布を借りようとエヴァンジェリンを探している最中、道を歩く女子生徒に聞いたときに尋ねられたのだ。ササムのことはアリアドネーではエヴァンジェリンの従者、という肩書で通っているため、一般の生徒も知らないわけではない。また、自分の財布も貯金も存在するが、態のいい理由作りのためというのが真実だった。

 魔法使いの従者、本来大型の呪文を放つまでの時間稼ぐ前衛というのが一般的であり、ササムとエヴァンジェリンという魔法使いと剣士という組み合わせは、確かに強力であることは想像できる。そんな戦闘についての指摘を、どうして女子学生が気にするのだろう、と。ササムは内心で首をかしげた。

 その女子生徒としては、マスコット扱いにされている先生のゴシップを聞きたかっただけだろう。現に、魔法使いとそのパートナーは恋愛対象として扱う事も少なくは無いのだから。そして一般的な契約方法が、キスという事もある。もちろんそれ以外の契約方法もあるのだが。

 していない、とササムが答えれば、女子学生のグループは驚きの声を上げた。さらに、今日仮契約をしに行くのですか? と尋ねられて、多少気圧されながらも頷くと、黄色い声はさらに大きくなった。

 そんな学生たちとは逆にササムは冷静に仮契約の有効性について考えた。魔法使いからの魔力の供給は力をブーストするのには向いており、仮契約でのアーティファクトが出現する可能性もある。それが契約一つでできると考えれば、有効であることは確かだった。

 

「……よくよく考えてみれば否定する要素が無いな」

 

 話し込む学生たちにエヴァンジェリンはセランの部屋へと向かっていた、という情報をようやく聞き出して部屋へと足を向けた。セランからも、エヴァンジェリンと仮契約を行わないかと聞かれていたが、時間を取られるのが面倒だからと断っていたのだ。

 しかしエヴァンジェリンから仮契約について話が出たことは無かった。ササムも、不老不死であるその身に、余計なしがらみを持ってしまう事が億劫であったのではないかと想像している。いい加減、歳もとったためにエヴァンジェリンという存在について、ある程度の理解はある。相手が拒否する可能性もあると、ササムはその現実に顔をしかめる。

 が、現実はそんなシリアスな思考ではなく、ただ単に恥ずかしかったというものと、お互いに魔法使いと従者というポジションが当てはまりすぎて、あまり気にならなかったというのが真実だった。

 

 学園内にあるセランの執務室、実質自室までたどり着くと、中から笑い声が聞こえてきた。ササムの来る少し前までは静かな空間であったが、弾むような声が辺りへと響き渡っている。

 

「……ロ人形だ! モデリングや設定はササムでな……」

 

「はぁ、確かに設定的には……」

 

 なにやら自分の事について何か話しているらしい。それを外からこっそり聞くのも面白そうではあるが、ササムの趣味ではない。ドアを叩き返事が在ったことを確認し、部屋へと足を踏み入れる。

 

「失礼するぞセラン、……と、ここにいたのかエヴァ」

 

「ん? なんだササム、私に何か用か?」

 

 エヴァンジェリンはセランに見せていた人形を一旦隣に置くと、すっかり冷めてしまった紅茶に口をつけた。セランの用意したお茶請けは無く、エヴァンジェリンが自作した三色団子が置いてあり、懐かしい、とササムはそう思った。昔団子屋の店長に、テメェに出す茶は出がらし茶も無ぇよ! と蹴り飛ばされたのを思い出したのだ。が、ササムがそう思ったのも一瞬である。

 セランはササムが部屋に入ってきて、挨拶の一つも返そうと考えてはいた。しかし、ササムがエヴァンジェリンに用があるときは、十中八九遺跡か旅に出かける準備をしよう、ということだろう。後は金を借りに来たか、だ。そのどちらの会話にしてもセランは入るつもりは無く、エヴァンジェリンと同じく紅茶を飲みながら先の言葉を待つ。

 

 

「ああ。道中で思い出したんだが、そろそろ仮契約しないのか?」

 

 

 そうササムが言った瞬間、部屋の空気が揺れた。エヴァンジェリンは器官に紅茶が向かいせき込み、セランはその言葉にただ固まった。そしてゆっくりと紅茶の入ったカップをテーブルに置くと、無表情で、内心で大笑いしながら思った。あ、これ面白そうだ、と。

 

「ななな何をい言っている貴様ァ! と、突然何を言い出すかと思ったらそんなことを急に言うんじゃにゃい!」

 

 真っ赤になり両手を振りながら抗議するエヴァンジェリンに、ササムが解せぬと云わんばかりに首をかしげる。この道中に来るまでの間に女子学生と話したものでは、そこまで緊張したり意気込むようなものではなかったはずだと、そう考えていたからだ。

 友人達の様子を見て、セランの口元がひくひくと動いた。セランも女性である。ゴシップは嫌いでもなく、それが自分の友人たちとしたらなおさらだった。別に今更恋人がどうこう言うつもりもない。二人はそんな風に言葉で決められるような関係ではないのだろう。ただ今は、目の前の光景がただ面白い。少し場面を動かしてみようとセランも口を開く。

 

「いいじゃないエヴァ。仮契約の陣なら貴女だって書けるでしょう? それに私だってしたんだから今更じゃないかしら」

 

「なっ……貴様も余計な事を言うな!」

 

「なにか問題でもあるのか? 無いのなら魔力供給やアーティファクトは魅力的であると思うが」

 

 おそらくササムはその仮契約の方法については知らないのだろう。キスによる契約が一般的ではあるが、血を使ったものなど契約方法は一つではない。そのことにエヴァンジェリンは混乱していて気が付かないようだった。セランとしては面白そうであるため、無理やり権限を使ってでも仮契約を専門としている場所を一日休業にしようと思っていた。しかし、その心配もなく、十分面白い光景が見れそうだった。

 

「ぬぬぬ……ぬわぁー! ちょっと待ってろ心の準備というやつをさせろー!」

 

「あ、おいご主人!?」

 

 部屋を勢いよく飛び出していったエヴァンジェリンを見て、微笑ましいと思ってしまい、自分の性格が案外悪いんだと、セランは今更ながら感じた。それを追いかけていったササムの後方へと、渡鴉の人見に追いかけさせる。流石に恋がどうこうという話ではなく、セランと仮契約を行う時も、恥ずかしがっていたのだ。それが男となるとさらに恥ずかしいだけだろう。

 エヴァンジェリンにお茶請けで出された三色団子を頬張りながら、のんびりと写される映像を眺めた。数十分後、結局仮契約を行ったのだが、セランが一言でその情景の事を言うのなら、微笑ましかった、だろう。

 

 対して、出現したアーティファクトを見つめて、ササムは顔をしかめていた。そのことをセランが知ることは無かった。

 




本来はこんな感じで、軽い空気の小説でした。
シリアスを期待していた方は申し訳ございません。


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・魔法世界の非日常の日記

『17Δ〇年 冬 

 

 研究も一時中断。魔法陣を書いてしばらく放置しておくだけの簡単な作業です。試しに400年ぶんぐらい魔法球放置しておいておこうかなww獣の死体とか化石になってくれるだろうか。その辺も気になるが、魔法球なら、魔法球の中なら何とかしてくれる……。

 そして、ちょっと旅行の準備している最中。具体的にはセランに任せておけば大丈夫だろう(適当)。他国へとかの許可やら処理やら引継ぎやらでカオスなことになってる。そんなものに私が触れば、いろいろなところを大爆発させる自信がある。私に研究とか戦いとか以外をやらせようと考えるほうがおかしいだろう、常識的に考えて。だから悠々とセランの部屋へと小間使いをしに行ってやったのだが、渡されたのはメイド服だった。なにそれこわい。いや、仕事着としては案外悪くないのかもしれない。……しかし私は着ない。可愛い服を着るのはいい。だが、着せられたくないだけだ。

 仕方ないからニート状態で本を読む。ソファで寝そべって読書というのは案外悪くない。魔法以外の、他国の法律についての本を読むのも新しい刺激にはなっただろう。』

 

 

『17Δ〇年 冬

 

 流石私の変装魔法だと言わんばかりである。年齢詐称魔法、この魔法は相手に違和感なくその上、外見年齢を変えられると言う素晴らしい魔法だ。大人しか入れない部屋に行くことも、子供の年齢で入場することも全て可能ww! 我ながらとんでもない術を作ってしまったものだww。正直これを一番初めに覚えれば、この世界での初期で苦労しなかったような気がするが、まぁ今はどうでもいい。なんか目覚めた当初に黒いフードアンドローブな変態が居たが、放置して魔法について学びまくったから、上手く立ち回れたと言えば立ち回れたんじゃないかなぁ……。

 つーかマジ凄い。結構私の名が通っているはずの都市で、だれも私に気が付かないとか。噂とかも直に入ってくるぶんいろいろ嫌になるが、それももうすぐ解消できるだろう。つーか、私の噂流しすぎだMM。私もキレるぞ。ちょっと調子に乗ってしまったDQNみたいに。

 ササムがいちいち反応しそうになって困る。大太刀に常に手を添えているとか、それ威嚇と変わらんだろ。』

 

『17Δ〇年 冬

 

 正直不安だ。いくら潔白を証明しようと考えても、本拠地での行動には精神的に疲れる。護衛としてササムも、セランの紹介した法律についての専門家もいる。心配になる必要はないだろwwこれで負けたら国とかの威信も法設備も世紀末になってまうww。それに、あちらもまさか証拠やら準備やらを整えて来るとは思ってはいなかっただろう。ちょっと名誉取り戻してくる。そして私はアリアドネー以外でも研究をするのだww。科学万歳wwおっと、私は魔法使いだったなw。

 正直研究にも行き詰っている。闇の魔法はほぼ完成形態を見せている。後は魔法の種類によって型を作り上げれば、さらに戦闘力は上がっていくだろう……戦闘力か、いつから私は超人類になってしまったのか……生まれた瞬間でしたね分かります。停滞、遅延、停止、此処までは容易い。アーティファクトなどの補助が在れば、難しい物ではなくなった。加速なんてものはさらに容易い。だが、遺失呪文で得たとはいえ、反対は難しい。魔力の取り扱いを間違えれば、大事故も起こりうる。

 が、そんな失敗私はしない。準備時間は腐って渇くほどあるのだから、のんびりやればいいんだ。』

 

――――――

 

 待宵の月が薄暗い部屋の一室を照らし、ササムの影を映し出した。いつもの黒の衣装を身に纏い、壁へもたれるように片膝を立てて座っている。その部屋には二つのベッドがあり、奥側にはセランの秘書の一人が、そして手前側にはササムの主であるエヴァンジェリンが眠っている。町の灯りもほとんどが消え、時計の針の音がやたらと大きく聞こえる時間帯にも関わらず、ササムの瞳は開かれている。

 本来真祖の吸血鬼は夜行性であるが、精神の休養や情報の整理のために半刻ほど眠るのだと、ササムはエヴァンジェリンから聞いている。対してササムは人間であり、睡眠をとらないことも慣れてはいるが、活動に支障が出るだろう。あと数分もすればエヴァンジェリンも起きるため、朝までは睡眠をとるつもりだった。

 エヴァンジェリンとササムは現在MMへと訪れていた。セランの手引きで大衆へは内密で訪れることができたのだが、逆にエヴァンジェリンは街の噂を直に聞くことになっていた。気にしなければいい、とササムは考えていても、その張本人は気にしていた。だから精神的な疲れも溜まっていたのだろう。

 

「……馬鹿か?」

 

 昔、聞いたことがある。どうして面倒な契約なんてものを行うのか。追いかけてきた賞金稼ぎたちに契約を行い、そして挑んだ代償を奪っている。記憶を消去し、四肢の一部を消し、ギアスを刷り込ませる。二度と追いかけて来れぬよう、だが生きることができるように。

 

『なぜこのような面倒なことをする』

 

かつてササムは彼女へとそう問いかけた。命を狙った。ならば逆に奪われる覚悟もあってのことだ。それらの命を奪うのはエヴァンジェリンの権利でもある。それをなぜこのように手間のかかることをするのか。

 

『怖いからだ』

 

 恨まれることがか、とササムは尋ねるが、エヴァンジェリンは首を横に振る。もちろんそれも理由の一つではあるがな、と。そう言い寂しそうな表情で口を開いた。

 

『私が、本当に『私』でいられなくなることが、私が『悪』となってしまうことが』

 

 真祖の吸血鬼、強大な力が持つがゆえに怖れられる。何かを破壊する力を持ってしまう事が悪だとするのならば、彼女はまぎれもなく悪であろう。しかし己が目的のために誰かを犠牲にすることを厭わぬ者が悪であるとするのなら、彼女が当てはまることは無い。

 その本質は偽善者だ。傷つけなければ生きられないくせに、傷つけることを厭わぬくせに、その傷つけた相手を気にして生きている。そして自らを傷つけられそうになってでも、誰かを護るためではなく、自分のために誰かを殺す、という行為を彼女は躊躇する。それが、彼女の定めた悪なのだから。どこまでも甘い、そう思わずにはいられなかった。

 ササムはかつて、エヴァンジェリンを殺したかった。

 なぜこの身はただの人なのだろう。なぜ、彼女は自分を眷属へとしてくれないのだろう。自分は彼女を愛しているのか? わからない。ただ、彼女と共にありたかった。たった三文字の漢字の名前で呼ばれるだけで、落ち着いていくのが分かった。

 自分のものにしたい、という欲求と、神鳴流剣士である強大な魔を斬り伏せたいという感情が爆発し、あるとき本気でエヴァンジェリンを殺そうとした。殺してしまえば、彼女は自分だけのものであると納得できると、本気でそう思っていた。結果は無残なもので、結局致命傷の一つさえも与えられずに終わった。

 自分は殺そうとした、だからその結果逆に殺されても構わない、ササムはそう考えていた。それでも彼女はギアスの一つすらしなかったのだ。殺したくないと、傷つけたくないと、そう言って泣くエヴァンジェリンを見て、ただササムは思ったのだ。自分は、いったい何者なのだろうか、と。

 神鳴流の剣士であるのなら、エヴァンジェリンという魔を刈ることは正しいはずだ。だから斬りたいと望むことは間違いではないはずだ。ササムはそれまで、ただ魔を刈るだけだった。神鳴流の剣士、という在り方を文面のみでしか知らぬササムにとって本質を理解することはできず、自分の剣に迷いが生まれていた。

そもそも魔とはなんだ。種族で言うのなら間違いなく彼女は魔だ。だが、本質はなんだ?

 自分を殺しにかかる相手すら、殺したくないと泣く少女がいた。そして殺してしまった事を後悔し、悲しむ少女だった。魔を刈りたいと、斬り殺したいと望み首を刈り続けた男が居た。自分自身が誰かを斬り殺せることを、喜ぶ男だった。

 

 どちらが人間でどちらが化け物だ。

 

 ササムは懐から一枚のカードを取り出した。戦闘時の自分の姿を描かれているが、その手には普段使っている大太刀ではなく、真っ赤な刀が握られて、表情には笑みを作り出している。エヴァンジェリンと仮契約をしたとき出現したものだった。

 

「……来たれ」

 

 そして一言呟く。ササムの手に出現したのは、カードに描かれたものと同じ、三尺ほどの赤い刀だった。 そして、ゆっくりと立ち上がり手前のベッドへと近づくと、そこに寝ているエヴァンジェリンへと向けた。

 今なら、殺せる。

 それは、彼女を殺すためだけの刀だった。仮契約でのアーティファクトは主と従者の相性や性格、そして望みによって変わる。エヴァンジェリンの望みをササムは知っている。何のために彼女は叡智を求め、何のために彼女はその在り方でいるのか。

 

 自分の願いはエヴァンジェリンを殺すことだった。そして彼女の願いもまた、彼女自身を殺すことであるのだから。

 

 それでも、今のササムがたとえエヴァンジェリンを殺せる手段を持っていたとしても、それを実行に移すつもりは全くなかった。

 月日がたち、理解をしたのだ。自分がどのような在り方でいるべきであるのか。そして望んでいることは何か。

 

「……ササム?」

 

 眠っていたエヴァンジェリンの眼がゆっくりと開かれる。既に刀を消していたササムは小さく尋ねたその声に、なんだ、と聞き返す。

 じっとエヴァンジェリンはササムの顔を見た。しばらく無言の静粛が続き、ふっと息を吐いて呟く。

 

「……だいぶ、老いたのだな」

 

「ご主人と出会ってから何年たっていると思っている」

 

 そうだな、とエヴァンジェリンは呟きササムの頬を触れた。かつて青年だった男の顔には若々しさは無く、あと数年もすれば皺も目立ってくるだろう。対して、エヴァンジェリンは齢10歳の少女の姿のままだった。それが、両者に種族としての違いを知らせているようだった。

 

「……眷属にする、と言うのなら抗いはしない」

 

 老化を止めるのなら、共に在るというのなら、ササムという存在を吸血鬼の眷属へと変えてしまえばいい。その提案にエヴァンジェリンは首を横に振る。

 

「いや、いいさ。それが本来あるべき時間の流れなのだから、私が干渉すべきことではないのだろうよ」

 

 そしてそう答えることもササムは分かっていた。それでも聞いてしまったのは、もしかしたら未練だったのかもしれない。

 エヴァンジェリンはベッドから起き上がり、ササムの隣へと立った。そしてササムの服の裾を掴むと、重心を崩してそのままベットへと倒した。特に抵抗することも無く、ササムはベッドへと倒れこみ、エヴァンジェリンを見上げた。

 

「もう寝たほうがいい。夜は私にとっては動く時間だが、人にとっては眠る時間なのだから」

 

「ああ、そうさせてもらう」

 

 目を瞑れば、予想以上に早く睡魔が襲い掛かってくる。彼女が眠りの霧か何かを使ったのか、本当に寝ても大丈夫なのか、懸念はある。しかし今やるべきことは睡眠であると、そう切り替えた頭は既にその体を休めようと意識を落とした。

 

 

―――――

 

 アリアドネーの執務室でセランは、いつも通りならば忙しなく書類の整理などを行っている時間だった。しかし今セランは執務室のテーブルで、渡鴉の人見の映す映像をじっと眺めていた。其処に移るのはエヴァンジェリンとササム、そして自分の秘書の一人だった。その映像はMM本国に送った一体のゴーレムから流されており、最大で六体のうちの五体を送っている。無論許可もとってあり、エヴァンジェリン達に同行させていた。

 エヴァンジェリンへかけられていた容疑の否認、潔白の証明のため然るべき場で決着をつけるために、本人とその弁護人としてセランの秘書が滞在している。本来、セランとしてはそんな無駄なことをする必要はないと考えていた。アリアドネーに居る限りMM側がエヴァンジェリンに手を出すこともできず、ただ生活する分にはなんの問題もない。だが、彼女が気にしていたのはそこではなかった。

 彼女が気にしていたのは、人間の魔法使いへとエヴァンジェリンという存在が悪である、という噂が真実になってしまう事だった。そうなれば、彼女が人間たちの住む場所へと足を踏み入れることも難しくなってしまうだろう。

 

「……人、か。彼女は……」

 

 エヴァンジェリンの事を思い出してそう呟き、小さく溜息を吐いた。

 ただ、人が百数年を同じ場所で過ごすのなら問題は無い。ただ、彼女は不老不死で、そして人間たちの住む場所へと足を踏み入れる必要もあるのだ。それが、彼女の目的なのだから。しかし今のままでは永久に、危険人物扱いされることは変わりない。

 例外的な措置ではあるが、あくまでも被告人という扱いでMMには向かわず、国賓とも言える扱いで送り届けた。法についても問題は無い。潔白の証明ということを果たすための資料も証拠も、そして弁護人も用意してあるのだから。

 アリアドネーとしても悪くは無いのだ。潔白を証明できれば現在アリアドネーに向けられている圧力も軽いものになるだろう。

 

「友人なんて言っても打算ばかり、少し嫌になるわね」

 

 映像は既に移り変わっており、秘書が渡鴉の人見を入れ、映像を取る許可を貰っている。マジックアイテムで水晶の形の記憶媒体がこの世界には存在しており、セランは渡鴉の人見から送られる映像を全て、そのマジックアイテムへと記憶していた。何か不備があればすぐさま突けるための材料でもあるのだ。

 やがて映像は裁判へと移り変わる。ササムと秘書は弁護人席へと移り、エヴァンジェリンは被告席へとたった。そこで差し出されたのは、一枚のギアスロールだった。

 この裁判の判決が出るまで魔力の放出の禁止をさせてもらう、という内容であった。最低限の制限であり、契約の魔女、の異名を持つ彼女であるからこそ、些細なものであろうと契約は重くなる。おそらくその彼女のプライドを引き合いに出し、制限しようとMM側は考えたのだろう。こちらとしても最悪、ギアスロール自体を無視してしまえばいい。真祖の吸血鬼である彼女にはそれができる。

 ギアスロールを持ち彼女の近くに寄ったのは、品の良い服を着た老人、キャメロン・クロフト執政官だった。最も情報操作に力を入れていた人物だと資料で目にした。此処に居ることは聊か奇妙に見えるが、本人が力のある魔法使いであり、エヴァンジェリンを抑えるためだと考えれば納得がいく。そしてギアスロールに書かれた内容を読み上げると、エヴァンジェリンに許可を取った。それに対してエヴァンジェリンも答える。我が名に懸けて誓うと。

 それを聞き届けクロフトは、ギアスは交わされました、と答え彼女へ一礼する。そして、彼女の言葉に反応する様に、ギアスロールへと条文が足され――――ていなかった。

 

「……?」

 

 どこかセランは言いようのない違和感抱いた。それは、映像の中のエヴァンジェリンも同じであったようだ。不意にクロフトが顔を上げた。その顔には、その表情に似合わぬ、凶悪な笑みを浮かべていた。

 

 

「!!!!?」

 

 

 その時、部屋全体に魔力が行き渡り魔法陣が照らし出された。

 秘書はとっさの事で机の下へと震えながら潜り込み、ササムはそれと同時に大太刀を引き抜いて地面を蹴り飛ばした。そして張られた透明質な壁を切り刻み、召喚された何かの首を刎ね飛ばす。小さな魔法陣から現れ召喚された黒い異形の何かの拳が、映像いっぱいに映し出された。

 

 そこまで流れて、ゴーレムは破壊されたようだった。セランの前に存在する渡鴉の人見は砂嵐だけしか映してはいない。勢いのままに立ち上がっていたセランは、とっさの事でしばらく頭の中が真っ白になり、よろよろと力なく椅子へと座った。

 ありえないことが起きた。例外的に裁判という場であったが、招く立場であり、公平でなければならないはずの場所で、MMのナンバー2である執政官が、仕掛けたのだ。そのときの映像を残ることを知っていて、その上で何らかの危害を加える行動に出ていたのだ。

 

「……なんて、馬鹿なことを」

 

 ギアスをかけてからの行動、発動した魔法の種類は分からなかったが、召喚術の何かということと、結界。それはササムによって斬られたが、阿鼻叫喚の騒ぎになったその部屋で渡鴉の人見は壊れていた。

 当然、空を巡回していた物の一つを、ササム達の元へと送る。しばらくすると、砂嵐だった画面に映像が流される。MMの役人たちの逃げ纏う姿や、それを追いかける黒い異形の姿、悪魔たちが見える。そして理解した。大規模の召喚魔法が行われたということを。

 裁判室までゴーレムは入り込むと、多数の消えゆく悪魔の首と、テーブルの下で震える影が見えた。セランが送り出した秘書の一人であった。映像を映す渡鴉の人見の下に添え付けられた、通信機を手に取り声を出す。

 

「もしもし、聞こえる? いったいそっちで何が在ったの!?」

 

『セ、セセ、セラン総長ぅぅ! 私弁護するだけだと思ってたのにぃ! 急にササムさんが剣を抜いたと思ったら光って轟音がなって、エヴァンジェリンさんが転移魔法で浚われちゃって私、なにがなんだか分からなくなって……』

 

 混乱して涙声で返す彼女の身体は震え、とても平静な判断を下せるとは思わない。ササムはその場にはおらず、召喚された悪魔を刈りに行ったのだろうか。

 

「……分かったわ、貴女はそこの避難指示に従って。そして渡鴉の人見を一体送るから、現在の最高責任者へと繋いで。アリアドネーの総長からだと伝えれば、悪い様にはしないわ」

 

『は、はい了解しました!』

 

 だからこそ、命令で縛れば人はそれに従おうと頭を動かす。震える足を無理やり動かし、秘書がその場を離れたことを確認すると、アリアドネーの騎士団にも指示を出す。

 まだ決まったわけではないが、それを動かさなければならない事態へと陥る可能性もある。MMからの対応はどうか、騎士団を動かすにあたっての輸送経路の確保、現在アリアドネーに全て飛ばしている渡鴉の人見の操作。やることは一気に増え、各場所へと指示を飛ばした。事前に在る程度の準備はしてあっても、本当に念のためと呼べるものしかない。

 やがて渡鴉の人見の一体から通信許可が入る。そして映像を流せば、そこには見知った友人の顔が在った。

 

『セラン、俺のご主人は何処に居る。調べろ今すぐに』

 

 ササムの有無を言わせない言葉に、セランは苛立った声を返した。

 

「分かっているわよそんなこと!」

 

 そこには護衛でありながら、護れなかった彼への苛立ちもあったのだろう。

 ササムは召喚された悪魔たちの掃討へと向かった。そして、セランは各所へと指示を飛ばすことと並行して、渡鴉の人見をエヴァンジェリンの捜索へと向かわせた。

 

 何かが崩れていく音が聞こえた。誰にも聞こえないその音は、当たり前に存在していたはずの日常が壊れていく音だった。

 

 




シリアス入りまーす。とりあえずやりたいことを達成できるように頑張りたいです。


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・理由

今回日記がありません。あと、繋ぎの話なので適当に流してくれればいいと思います。


 その手足にはめられた手枷は魔法の処理を行われたものであり、なんの力も使わずに破壊することはかなわないだろう。それを理解し、エヴァンジェリンは魔力を入れようと試みる。しかし、一般人の少女の様に、その手にはなにも籠らない。並みの契約であるなら破れる自身が在ったが、高度すぎるギアスに思わず舌打ちをしていた。紙の、大した付加もされていないギアスロール程度ならばと侮っていたのだろう。内容を確認し、問題ないことは理解していたが、言葉を発することがキーになる別種のギアスロールを重ねて掛けられていたことに気が付かなかった。そんなことをすれば、相手の立場が不利になるのは目に見えている。そして人間が使うギアス程度で、魔力が全く使えなくなるほど縛られるとは思えなかった。

 動物を動力とした乗り物に乗せられ、どこかに運ばれているという事は理解している。窓もあり外が見える部屋であっても、アリアドネー以外の場所の地理は彼女は詳しくは無い。一目見ただけでどこに運ばれているのか理解することはできなかった。

 そのとき、かつん、かつんという窓叩く音が響き渡る。見れば、そこにはセランのアーティファクトである、渡鴉の人見のゴーレムが顔をのぞかせている。閉ざされた個室に入ることは叶わないが、そこから見ることはできるだろう。つまり、既にセランはこの場所を捕捉しているということだ。

思わず口元を緩める。信頼のできる友人達だ。だから安堵の意味も込めた笑みであった。

 そのとき、部屋のドアが開かれる。其処に居たのは一人の男だった。黒いローブを纏い、白髪頭を肩まで伸ばしたその男性は、柔和な表情をしてエヴァンジェリンを見下ろしている。そして一礼して視線を合わせた。

 

『ご機嫌はいかがですかな、エヴァンジェリン様?』

 

 キャメロン・クロフト、ギアスロールを出して契約を施し、さらに施設に大量の召喚獣を出した張本人だった。人の召喚できる許容範囲を超えていたため、おそらくアーティファクトの補助によるものだったのだろう。

 

『おっと、これは失礼しました。枷を着けたままで機嫌も何もあったものではありませんね。これではお茶の一つもできはしませんから』

 

『……御託はいい。私に何の用だ』

 

 片壁に背を凭れて座ったままエヴァンジェリンは返す。実際のところ、目の前の男について彼女は何も知らないと言っていいだろう。情報について取り扱っていた人物であり、やり手であるとはセランから聞いている。

 

『そうですね、噂の真祖の吸血鬼の御尊顔を拝させていただこうと思いまして。思った以上に変わらないのですね』

 

 エヴァンジェリンはどこかその言葉に違和感を覚えた。が、余裕を見せて笑うクロフトに対して思う事は侮蔑だけだ。エヴァンジェリンにとって、セランが根回しを行い証拠という証拠や正論、そしてその代弁者で固めた今回の裁判は100%勝てるものであり、目の前の男にはそれを始める前にめちゃくちゃにした、という印象しか残ってはいない。

 不正が在れば、それは全てMMの弱みへと繋がる。今回のようなことをすれば、その国としての威信は無くなっていくだろう。国との関係悪化、それだけならまだいい。法を扱う国家としての評価は消え去ったも同然だ。

 為政者としてとんでもない無能がいたものだと、そんな意味を込めて笑っていた。

 

『大局も見えずに動いた馬鹿者が、なにをほざいている。よくもまぁ、この国はこんな男を執政官にしたものだ』

 

 ふむ、と男は顎に手を当てて思案すると、孫を見るように微笑んだ。

 

『おやおや、それはまた手厳しい。私なりに考えての事なのですが、そう見えましたか』

 

『考えた? ハッ、私を処刑すれば全て終わるとでも思っているのか? 今回の事件は私の起こしたものではない。死都は元通りにもならず、国との関係は悪化し、民は怯えるだけだ。暴動が起きるのも時間の問題だろうな』

 

 エヴァンジェリンの言葉に、クロフトは困ったように目じりを下げた。図星を突かれてしまった、という表情ではなく、本気で困ってしまったような表情だった。

 その様子にエヴァンジェリンは違和感を覚える。自分の言っていることはほぼ全てが真実であり、相手にとって図星であるはずだ。だが、そこには憤りという感情が存在していなかった。無理をしてそれを抑えようとすれば、表情に変化も出る。その変化を見つけることができなかったのだ。

 

『ああその通りですな。死都が元に戻らないことぐらい私が一番知っていますよ。全くこの国も大変だ。きっと苦労するでしょう』

 

『……何を言っている?』

 

 違和感はその言葉ではっきりと表れていた。なぜ、国の執政官であるはずのその男が、自分の国について、どうでもいいと思える様な発言をしている?

 違和感はそれだけではない。発言がまるでエヴァンジェリンが街を死都へと変えた犯人でないと確信しているようにも聞こえてくる。

 

『まったく、どうして貴女はこのような場所へと訪れたのですかな? 創造主の使徒たる貴女が、なぜ魔法世界の住民とまるで人間の様に笑っているのです? ああ、だから貴女は相応しくない』

 

 それは独り言だった。誰かに話しかけるわけでもなく、空虚を見ながら宙へと答えの帰らぬ問いを繰り返す。ただぼんやりとしているエヴァンジェリンへと、ぬっとクラフトは顔を近づけ口を開いた。

 

 

『ねぇ、キティ? その身体、私にくれませんか?』

 

 

『……は?』

 

 

 ぞく、という悪寒がエヴァンジェリンの中を走り抜けた。それと同時にぐっしょりと背中に汗が流れていたのを感じていた。目の前の男はまるで隣の机の生徒に文房具でも借りる様な気軽さで、エヴァンジェリンへと言ったのだ。そして、エヴァンジェリンへの呼び方だった。自分以外が知ることのないその名前を聞いた瞬間、嫌悪感が胸から溢れてくる。

 クロフトが全く別の何かに変わってしまったと、そう勘違いしてしまっていた。穏やかな表情の眼球が赤い水晶玉へと変わったように見え、微笑む口元は造り固めた面のようだ。年齢を感じさせるはずの頬や目元の皺が、まるで人型の異形のように見える。

 口を開く。にやぁ、と三日月型の笑みを見せると、クロフトは演説を始めるように手を広げた。

 

『もう限界なのですよ。どうして、350年前に創造主は貴女にその術を行ったのでしょうか。強く、強く憧れた者こそに、成果とは与えられるべきでしょう。なぜ貴女へ? なぜ私ではなく!? なぜだ!? 嗚呼、だが素晴らしい。貴女は真祖として至っている! 創造主が肉体として求めた生有る者の極みへと貴女は到達しているのです』

 

 350年前、その単語にエヴァンジェリンは頭に引っかかるものを感じ、はっと目を見開いた。

 本来異物が入らぬ場合の正史では、当の昔にその人物はエヴァンジェリンに殺されている。それをこの世界の彼女はしなかった。生への執着が見せたのは、一刻も早い生きる術の習得だったのだから。

 

 

『キサマ……は……』

 

『ええ、貴女が真祖に至る場を提供した、しがない領主ですよ。最も、その惨状を見ていたおかげで私も、こうして人よりも高位へと至ることができましたが』

 

 

 瞬間、莫大な魔力が練られた。真祖の肉体へと供給された魔力は、拳を作られた手へと乗せられた。そして、それは外へと放出されることなく、エヴァンジェリンの身体の中で爆発した。

 それは本当に一瞬だった。練られた魔力は外へ出してはいけないと、本能が命令したように収縮され、体の中へと押しとどめたのだ。

 

『がっ……ゴホッ……ッ!!』

 

『無駄ですよキティ、何のためのギアスなのかあなたにも理解できるでしょう? 悪くは思わないでください。私にも脳はある。完全に至れなかった私は、貴女に嫉妬している分もあるのですから』

 

 弾けた魔力が体の中の臓器を潰し、溢れた血が口から零れたが、それでもエヴァンジェリンは目の前の男を睨みつけた。取り出されたのは鷲を形とった天秤のミニチュアだった。契約を行い、束縛の元になっている物がそこにある。鵬法璽、本来ならば人間の魔力では起動することすら叶わぬ魔法具であったはずだが、むしろその事実が目の前の男が人間以外の者であるということを証明している。

 敵意を持って動こうとしても、指先一つさえも動かない。それでも、動かそうともがき、手を振り上げる。自分を吸血鬼に変えた、その原因の一人が、目の前に居る。迫害され、殺され、非難され、そして今ある平穏さえも消そうとしている原因が、目の前に居る。

 

『キサマが居たから、……キサマがいなければ、私はっ!』

 

 その叫びはいったい誰のものだったのだろうか。かつてエヴァンジェリンと呼ばれていた、死んだ人間の少女の怨声だったのか。それとも不死者へと生を受け、負の念の中を生きてきたエヴァンジェリンという吸血鬼の怒りだったのか。

 どちらにしても無駄だった。何もできない、歯を食いしばり何かをしようとしても力は入らず、その無力感が涙となって零れる。

 

『……キサマは、私が……』

 

『~~ああ、いいですね。こんな国に興味を無くしていたところですが、貴女を手に入れられるのなら、これほどにも素晴らしいことはない』

 

 エヴァンジェリンの顎を持ち上げ視線を合わせると、涙をこぼし睨みつける視線が突き刺さる。ただそれしかできないことをクロフトは理解しており、優越感と共に笑みを作り出す。

 

『なに、その怒りも悲しみも、到着するまでの辛抱です。安心してください。魂を消してしまえば、そこには何も残らない。使徒としての後釜は私が引き継ぎましょう』

 

 失礼いたします、と。そう一言エヴァンジェリンに告げると悠々と部屋を出た。残されたのは彼女一人で、静粛が辺りへと広がった。

 

『ササム……』

 

 一言、彼女は呟いた。

 

―――――――

 

 

『ササム、聞こえていたかしら』

 

「ああ、聞こえている」

 

 渡鴉の人見に映された地図を確認しながら、夜の闇の中をササムは駆けていた。地図上に映された赤い点は都市より離れ辺境の村の中心にとどまっている。そして黄色の点が追いかけるように迫っている。その赤い点はエヴァンジェリンが運ばれている隊へ着いた渡鴉の人見であり、黄色がササム自身であった。

 捕捉はできる、と。エヴァンジェリンとクロフトの会話は音声の身であったが、ササム自身苛立っていたのは事実だった。鞘に納めた大太刀の鞘を握り、口元を歪める。

 

『胸糞悪い話ね。創造主、使徒、気になることはあるけれど……相手が吸血鬼、か』

 

「そうだな。それよりもあと少しで捕捉する。俺は好き勝手に動いても大丈夫か?」

 

『大丈夫にさせるわよ。あと、ついでに今回起きた事件について、彼女の無実の証明も。これから責任者様と楽しい楽しいお話の時間だから』

 

 セランの言葉にササムはどこか重荷が軽くなったような気がした。ササムは剣士であり、政治外交などの裏の手引きについて深く理解しているわけではない。ただ、セランの自信満々な返答から、何か考えが在るのだろうと察する程度だった。

 

『騎士団は今動かしているけど、絶対に間に合わないわ。あっちの軍隊も同様。混乱していてそれどころじゃないって。援軍には期待しないで』

 

「そうか。そろそろ村へと近づく。通信を切ってくれ」

 

 闇の中松明などの多数の光が遠目に見えると、ササムは大太刀を鞘から引き抜いた。村の家からは光は一切なく、中心の広場へと灯りなどが集中している。明らかに村人以上の人数が集まっていることを確認して、再度地図と確認する。

 その村は初めに吸血鬼騒動の原因となった場所であり、半吸血鬼化、狂暴化した村人を丸々村へと結界などで封じ込めたとササムは聞いている。が、そこに悠々と入り込んでいるということは、実際に封印処理、結界などは無く、親の吸血鬼となるクロフトが抑えていただけだったか、もしくは封印処理を行った魔法使いも既に手遅れ、のどちらかだろう。

 

『ねぇ、ササム?』

 

「なんだ」

 

 映像はまだ切れず、ササムから切ろうと思った直前に、静かな声が流れる。

 

『死なないで。彼女のためにも』

 

「ああ」

 

 セランとしてはエヴァンジェリンが、彼女自身の我儘のためにササムに何か起こることに悲しむだろうと、そう思っての言葉だった。そしてセラン自身も友人として、両者に何かがあって欲しくないと思っていた。

 だが返ってきた言葉はそっけない物であり、他に何も話すことが無いと理解すると、ササムは渡鴉の人見の通信を切った。そして両手で掴んだ大太刀を肩に背負って構える。そして、不敵に笑って口元を歪ませた。

 

 おそらくあの村に居るのは元々普通の村人やただの兵士、魔法使いであり、半吸血鬼化で済んでいるのなら、治療を済ませれば元の人間に戻れるかもしれない。しかし、眷属となっている以上は操り人形になって襲ってくることは間違いない。

 それがエヴァンジェリンが相手をしているのなら、殺すことを戸惑うだろう。できる限り殺さないようにつとめるだろう。だが、その従者は違った。彼女が『悪』であると思っていることを躊躇なく行うだろう。

 

「あれらは、魔だろうが。俺はそんなに甘くはねぇぞ」

 

 だから、彼は立ちふさがる者の首を刈るだろう。自分の主の無事のみを求めると言う、その目的のために。自分の目的、欲望、理想のために犠牲を厭わぬものを悪と呼ぶのなら、彼女と対になるように、彼は間違いなく『悪』と呼べる存在だった。

 




とりあえず、改定前までは行ったつもりです。


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・思惑

二話連続で投稿しているので、前の話から読むことをおすすめします。


 『私』、という存在にとってこの世界は、何もかもが新しく見えていた。

 初めて生きていると言う実感を喜び、世界に感謝した。終わってしまう魂をこの場に居させてくれただけでも、神という存在に感謝した。

ただしその世界について、頭の中に存在していた知識によって、とある漫画の登場人物であると理解して、ただ恐怖した。にわか知識でそのとき自分がどのような状態であるのかを理解して、最適ではないかと思えることをした。

 部屋を飛び出し魔法を調べ、必要最低限の方針を立てて、とにかく憎まれることを避ける。魔女狩り、吸血鬼への偏見、憎しみの連鎖、それらか逃げるように生活していた。そうして生きている最中に実感する。初めは魔法使いに追われ即死の域まで肉体が壊され、再生した時だ。転移して逃げ切って、紛れ込んで隠れて。そうして思い出したのだ。

 

 生きる喜び、それを理解しているはずなのに、この躰は死ぬことへの悲しみを忘れてしまっている。

 

 生有る者は死ぬことを恐れるからこそ、無限に満足というものを求めようとする。しかし、不老不死という存在にそんなものはない。行き着くところは、ただ在るだけで死んでいないだけの存在に成り下がる。希望も絶望もなくなれば、それを生きていると言えるわけがない。

 『私』が望んだ生は、そんなものではない。心臓が動き、息をしているだけの生をのぞんだりはしていない。

 心臓を貫かれる。元に戻る。化け物と呼ばれる。声から逃げる。

 首を刎ねられる。元に戻る。化け物と呼ばれる。人から逃げる。

 業火に焼かれる。元に戻る。化け物と呼ばれる。魔から逃げる。

 ずっと、その繰り返し。逃げて、逃げて、逃げて、逃げて。それで侮られたとしても、恐怖の視線を浴びるよりもマシで、ただ逃げる。相手を追いかけられないようにして、殺した時の復讐が怖くて契約をして、人の憎しみから逃げて。『私』が吸血鬼であるという現実から逃れるように、人だと言ってごまかして。

 私は、バケモノじゃない。

 人に恐怖を与えるモノをバケモノと呼ぶのなら、そうして生きてきた『私』、正しくはエヴァンジェリンという存在は人々にとって、バケモノのように見られることは無くなった。だからこそ多種族の居る独立都市でようやく安息することができたのだ。

 学んで知識をつけて、貢献することによって居てもいいという許可を受け、そうして存在してきた。それでもそうなるよりも先に、すでに自分の進む道考えて決めてはいたのだ。

 『私』にとって、生きるとは何か。小さな幸せにすがっていれば人は生きられる。なら、『私』と行く存在は、そうして生きることはできるのか。化け物がそんな不確かなものにすがって生きることができるのか。どこにでも転がっている様な、些細な平穏。それが、何よりも尊いものであり、どこまでも遠い。

 だからこそ、その時点で『私』の生き方は決まったのだ。

 

 

「おや、起きてしまいましたか」

 

 

 耳障りの悪い声に、エヴァンジェリンはゆっくりと目を開いた。鈍い痛みが四肢の先から感じられ、昔貼り付けにされたときの痛みと似ているため、寝かされ杭でも打たれているのだろうと、回らない頭が想像した。眠りの霧によって無理やり眠らされた不快感は変わらず、銀の杭が発する痛みに顔をしかめる。

 クロフトと名乗った吸血鬼は反応が無いことを確認すると、顔に張り付けた笑顔を無表情へと戻し、周りに待機した魔法使いへと指示を飛ばした。すでに半吸血鬼として、己が手足の様に使っているその魔法使いたちに自己など無い。エヴァンジェリンを中心にして魔方陣が描かれており、合唱にも似た詠唱が辺りへと響き渡った。

 

「安心して下さい、痛みなどありません」

 

 そう言う男の声が、どこか白々しく聞こえる。

 

「(ああ、どうしてこうなったんだっけ)」

 

 上手く思考ができない。薬でも打ったように意識がふわふわとしている。

 なんの儀式を行っているのかは分からない。ただ、このままだとまずいな、と。他人事のように考える。手も足も動かず、できることが何もないと分かると、達観したように溜息を吐き出した。

 初めて訪れる肉体ではなく魂の死という現実に、恐れる気持ちはある。だが、死を実感しているからこそ、今までの現実が本物に感じることができた。今の自分の様子から、セランとササムは間に合わなかったのだろう。おそらく、これを諦めと呼ぶ。自業自得であり、誰かがこの目の前の男を殺すだろうことは、想像に難しくない。せいぜい抵抗してやろう。そう考えてエヴァンジェリンは再び目を閉じた。

 

「くっ……あ……」

 

 大量の魔力が辺りを包みこむ。魂が身体から引きはがされると言う実感が、身体から生皮を剥ぐ様な痛みにも似ており、思わず苦痛の声を上げる。大量の魔力が膨れ上がり、魔方陣へと注ぎ込まれ魔法を完成させていく。魂自体を抽出して、結晶化させる術だろう。その魔法について知識のみ知っていたたが、対策と呼べるものがあるわけがない。

 こういう時、走馬灯でも流れれば、悲劇のヒロインとしては上等な部類に入るのだろう。だが、『私』という存在は、そんな綺麗なものに成ることなどできない。

 悲鳴は声にならず、その痛みと恐怖に、ただ心の中で絶叫が響き渡るのみだった。

 

「(いやだ! いやだ! いやだ!)」

 

 心の中でどこまでも足掻く。諦めていた、そんな形だけの覚悟に、本当に迫る死への恐怖は容赦なくそれらを打ち砕く。どこまでも醜く、生き足掻く。もしも正史の通り進んだ世界のエヴァンジェリンが彼女を見たとしたら、容赦なくその醜さに嫌悪し、滅ぼしているだろう。

 魔法をレジストし、少しでも痛みが和らぐよう無意識のうちに体が反応する。ほんの数分数秒、この世界から消えるだろう。それは明確に彼女に迫る死だ。

 

 

「(死にたくない、死にたくない! 私は――――)」

 

 

 生きることに満足なんて存在しない。どこかの神様が『私』へと言った言葉だ。だから死へと納得できるかどうかが、死を受け入れる者と受け入れられない者を隔てる。

 もう何百年も生きた、友と呼べる者達もできた。もういいだろう。

 そう納得できるだけの人生を送ってきたという自負はある。だけど、それなら『私』という存在は何のために生きてきた? 成し遂げなければならないことが在った。だからこそ『生きて』いけた。それを成すまで、納得できるはずがない。

ただもがく、頭にがんがんと響き渡る詠唱がやかましく、逆にそれのおかげで意識を世界に残すことができた。

 

 はやく、きて。

 

 

 

 不意に、痛みが和らいだ。

 

 

 ぽーん、という気の抜けた音が聞こえたような気がした。放物線を描いて飛んでいくその球体の何かは、ぼたぼたと何か液体状のものをこぼしながら転がった。儀式のための詠唱以外の魔法の詠唱と、悲鳴が辺りに響き渡る。その声が大きくなるにつれて、身体にかかる負荷が軽くなっていくのが分かった。そうしてようやく落ち着きを取り戻して、息を吐く。息を吐ける、ということはまだ死んではいないのだろう。

 悲鳴怒声が響き渡るも、それが鳴りやむ様子は無い。仰向けに寝かされているため見えるのは空だけだ。周りの様子を調べることができない。

 誰かが『私』へと駆けより、銀の剣を首元へと向けた。黒い甲冑を身に纏ったその存在は、MMの兵士の正装とよく似ている。その何者かへと向けた人質のつもりだろうか。まだ、頭が回らず、何が起きているのかはっきりと理解することができない。

 まばたきする間にその兵士の兜が飛んだ。しかしその兵士はまるデュラハンの様に鎧だけで、兜の下に在った筈の頭が無い。そして動くことを思い出したように、その身体は地面へと崩れ落ちた。

 

 同時に、四肢に刺されていた杭が引っこ抜かれる。ずるり、という痛みに悲鳴を上げたのもつかの間、それを行った者の服装を見て思わず口を噤ませた。

 その姿は、血まみれだった。黒い着物の上に膝当、小手などの防具を身に纏い、赤いブルゾンが血に塗れて赤黒くなっている。そして手にある大太刀は、多くの人間を斬ったにもかかわらず、鈍く光る刀身を表していた。

 ああ、いつも自分が見ている背中だった。最も安心できる場所であり、最愛の友人であると言える者の姿だった。

 

「おい、まだ生きているかご主人」

 

「……ばかぁ、遅いだろうがササム!」

 

 視界が涙で滲む、恐怖からの解放による安堵と、来てくれたと言う事実への喜び。それらが涙となって頬を伝って流れ落ちた。

 一瞬だけ目を合わせて自分の主の無事を確認すると、辺りに散らばる何かを蹴り飛ばす。それは、首だった。フードをかぶせた者、兜を持つもの、男、女、関係なくあたりに転がっている。

 ひっ、という小さい悲鳴が響く。エヴァンジェリンにとって生首は、ササムが近くに居たこともあり、見慣れた物ではあった。しかし、其処に在るのは何十何百という死体だった。それを作り出したのが自分の従者であり、心臓に痛みを感じた。ただの偽善であると理解している。自分がまだ生きているという事実の方が嬉しかったのだから。そうだったとしても悼まずにはいられなかった。

 そしてその惨劇を作り出した張本人は涼しい顔をして、目の前の魔と対峙する。

 

 

「……成程成程、それが貴方の従者でしたか、キティ? 現実世界の者ですか……随分と暴れましたね。どれもこれも首を一閃とは、感動すら覚えてしまいますよ」

 

 クロフトはその光景に思わず拍手する。この場所に居る兵士や村人は、クロフト自身が半吸血鬼とした人形たちであったが、生きている人間には変わりないのだ。確かに障害になるだろう、立ちふさがるだろう。それを、首を刎ね飛ばすという容赦のない方法で殺したのだ。魔法世界では、立派な魔法使い、という在り方がどんな者にも存在している。その在り方とは全く反対の、悪の在り方にクロフトは感動していたのだ。

 動揺する衛士たちをすぐさま操り人形へと戻し、広場を囲むように配置する。目の前の剣士を止められるようなものは、兵士の中に居ないだろう。また、片づけてからまた儀式を開始するためにも、魔法使いを何人か残さなければならない。

 ほんの少し気を緩めたその一瞬、ササムの姿が消えてクロフトの目の前に現れる。斬岩剣、そう呟いた上段からの太刀筋を避けきることは叶わず、腕が宙に舞う。そして舞った腕は空中で数体の蝙蝠へと変わり、転移したクロフトの腕へと集まった。

 

「良い太刀筋ですね。首を狙ったものだったのでしょうが、聊か貴方は吸血鬼という者を甘く見ている」

 

 唱えたのは呪文、高速で唱えられたそれは千数体の中位である闇の精霊の同時行使であり、分身となって造られたデコイは圧倒的な物量となってササムへと降り注がれた。まるで黒いドーム状になって固まるデコイたちを、一筋の光が吹き飛ばす。

 

「神鳴流奥義、百花繚乱」

 

 それは太刀筋だった。神鳴流奥義である、百花繚乱。その太刀筋が数千と居た中位の精霊たちを斬り飛ばす。そして向かったのは同時に向かったのは、波状となって飛来する斬魔剣だった。すんでのところでクロフトはそれを避け、肩に大太刀を背負い接近するササムを止めようと魔法障壁を張り、直感だけで身体を動かしでその斬撃を防御から回避へと移った。

 

「ああ、人間を甘く見るなよ吸血鬼」

 

 斬魔剣、弐の太刀。魔力障壁を無かったかのように通り抜けたその斬撃は、回避し損ねたクロフトの右手首を刎ね飛ばした。クロフトは地面が砕ける程踏みしめてササムを蹴り飛ばし、それの勢いを殺し流し切れないと見たササムは、勢いを殺すために後ろへと飛んだ。それと同時に行使したのは魔法だった。

 

「来たれ深淵の闇、燃え盛る大剣、闇と影と憎悪と破壊、復讐の大焔!」

 

 炎系最大呪文であるそれを、クロフトはササムの飛来する剣閃を避けながら唱える。

 同時に発動したのは遅延魔法による罠型の魔法だった。ササムの真下に魔方陣が現れ、それを一瞬で斬り捨てる。呪文の範囲は広く、エヴァンジェリンを巻き込んでササムを捕捉するだろう。発動するよりも早く斬り捨てるか、それとも守るべきか。

 後者を判断したササムは独鈷をエヴァンジェリンの四方に刺し、呪符を用いて結界を発動する。四天結界、独鈷錬殻、四角錘型の結界をエヴァンジェリンの周りに張ると、魔法を発動しようとしているクロフトへと剣を構える。

 

「我を焼け、彼を焼け、そはただ焼き尽くす者! 奈落の業火!」

 

 それはまるで炎の嵐だった。対軍魔法である奈落の業火は、たった一人のために局地的に燃え盛り、その身を焼いた。数十秒その嵐は続いただろうか。下手なドラゴンであるのなら、瀕死にさせるその威力は大地を焦し、辺りに会ったはずの死体の骨すら残ってはいない。

 だがその中に残されている者が二つ、一つが唖然とした表情で座り込んでいるエヴァンジェリン。そして、衣装などが燃えつつも確かに大地に立って剣を構えるササムだった。

 

「ほう、あれを喰らって生きているのですか」

 

 最高位の魔法に対してササムは、ただ斬った。術式を乱しその勢いを斬撃によって減らし、放出する気で耐えたのだ。

 所々に火傷は負っている。しかし致命傷ではなく、息も上がってはいない。クロフトも余裕であったが、面倒だと感じていた。

 

「なぜ貴方は彼女を護るのですかな? 変わる、とは言っても魂だけです。その頭の中身も何もかも、変わるものはないのですよ?」

 

 クロフトは確かにエヴァンジェリンの身体が欲しいとは言った。しかし、それは身体を奪って脳を移植するわけでもない。ただ、魂をその器に映すだけの事だ。

 クロフトは半端ながらも吸血鬼へと至り、アリアドネーで活動しているエヴァンジェリンの姿を見た。よりにもよって存在すらしていない魔法世界の者と戯れ、悟りきった人間のように、小さな幸せとやらを求めて生きていた。それに、絶望した。

 

 そんなことのために、創造主は貴女を高位の存在へと変えたのではない。

 

 本来あるべき才を無駄なことに潰していく様を見届けることは苦痛だった。才が無く至れなかった自分はさらにその存在に憧れ憎悪する。だからこそクロフトは思ったのだ。真祖の吸血鬼という存在は、憎まれて当たり前のだと。

 創造主という絶対なる力を持ったその存在は、正しくクロフトにとっては神だ。だからその使徒たる者達の研究を行い、献上した。そのために執政官などという立場に、何度も顔を変え年齢を詐称し上り詰めたのだ。その完成態であるエヴァンジェリンが、どうしてあんなにもくだらない存在に成り下がっている。

 だから、考えたのだ。それなら、クロフトという存在がエヴァンジェリンへと成ればいい。

 

「ほんの少し、考え方が変わっただけのエヴァンジェリンという存在ができるだけです。クロフトという魂も変質するでしょうが、その身体に居る魂よりはよほどましだ」

 

 そう、エヴァンジェリンへと成ってしまえば、キャメロン・クロフトという立場は不要のものとなる。だからこそ、国を傾けようがどうなろうがどうでもよかったのだ。

 その結果、魂は同一の者であったとしても、クロフトという存在は消える。頭の中にある知識も思考も違う。ただ、方向性が変わるだけだ。それでも、エヴァンジェリンの中にいる者よりは、創造主のためになるだろう。

 

「ああ、それともその身体に恋慕か欲情でも抱きましたか? それなら構いませんよ。変わるのは魂だけですから。外見上の変化は全くありません」

 

「…………」

 

 クロフトは自分の言葉に何の反応も示さないササムに、違和感を覚える。口に出していたのは苛立ちも込めた挑発であり、相手が欲望のみに従う者ならば、それは誘いにもなるだろう。だが、ササムは剣を構え動かない。立ったまま死んでいるわけではなく、クロフトも言葉に詰まる。

 そして、場違いな笑い声が響き渡る。

 それはササムのものだった。クロフトの言った言葉がおかしくてたまらないと言うように笑う。

 瞬間、ササムがクロフトへと接近する。神鳴流、斬魔剣。払い、薙ぎ、抑え、打つ。接近での攻防の最中、クロフトはササムの表情を見た。口元を吊り上げ、ササムは狂人のように笑っている。

 

「なぁ、テメェは魔だろう? だったら斬らせろ。その首を俺に此処で刈らせろぉ!」

 

 信念もある、エヴァンジェリンという存在について考えることもある。だが、それ以前の問題だ。目の前に居るのは極上の魔だ。それを、斬らない理由が存在しない。

 恋慕? 確かに抱いていた。 愛? 確かに存在していた。欲情? あんなに良い女に欲情しない男が居るものか。だが、そんなものはとっくに通り過ぎて、従者としての確立された思いはササムの中にある。

 ササムはエヴァンジェリンの従者だ。それが姿形のみに惹かれて行動を起こすほど、幼稚な存在であるわけでもない。

 己の欲望のために、今この場所で多くの人間を殺したササムという存在は、間違いなく斬られるべき悪だろう。ただ歪んでいるだけなのだ。

 

 

――――――

 

 真祖の吸血鬼とはいえ、その力を行使しなければ姿かたちは人そのものだ。だからこそその本質さえ見せなければ人と共に暮らすこともできる。ただ、異質である物を排除することは変わらないのだが。

 友を得ることができた。共にくだらないことで笑い、喜べる者達がいた。別れを惜しみ、泣く者達と出会ってきた。それは、『私』という存在が知っている人としての当たり前であるが、幸せな日常と呼べるものだった。それは、すぐに壊れていく。ただ、この躰が真祖の吸血鬼であると言う理由だけで。

 エヴァンジェリンという存在は、それを共に存在していたとしても共に歩むことはできなかった。不老不死とはそういうモノだ。止まった存在であるからこそ、共に歳をとり、その変化を感じることができない。死ぬことができないのだから、死に納得することなどできず歩き続けるしかない。自分は化け物であると納得して歩む道は、ずっと一人の孤独の道だ。それを歩めるほど、『私』は強くはなかった。

 だからこそ自分は人でありたいと、そう言いながら生きてきた。憎まれるべき化け物ではない、悪ではないと、そう周りに言って生きてきた。悪という道へ一歩でも歩けば、自分は人だと言っていた自分へと戻れないような気がしていたのだ。

 

 私が生に求めていたのは、ただ当たり前の日常であったはずなのに。

 

 普通に生きて、普通に笑って、普通に愛して、普通に死んでいく。そんな当たり前を、不老不死という存在は邪魔をする。当たり前だ、自分がどんなに人であると言っても、真祖の吸血鬼という存在は、人から見ればまさしく化け物だから。

 そう思っていたからこそ、理解したのだ。何よりも簡単だった。なぜ思いつかなかったのか。化け物だからこそ、『私』という存在は人と共に歩めない。

 

 それなら、人に成ればいい。心だけではない、肉体も、だ。

 

 さまざまな叡智を漁った。遺失呪文が在ると思われる遺跡が在れば訪れた。研究の成果は全てその副次的なものだ。

 不老不死という存在が、人に成れないと誰が決めた。無理だと言った者は試してみたことがあるのか? 絶対にないと、神でもない、現世に存在している存在が、どうして決めつけることができる。

 それは、『私』という存在がエヴァンジェリンとして生きる実感であり、理由となった。情けない、後ろ向きな考えだったとしても、逃げ続けているとしても、芯にあるそれだけは信念だ。

 だからこそ、悪にはならない。それを違えば自分は肉体的に人となっても、自分が人であると認められない。他の誰でもなく、自分のために他者を害し、殺す。それを成すことは無いと考えていたはずだった。

 

――――

 

 

『ささむ、とはどう書くのだ?』

 

 それは特に何かあるわけでもない、研究の休憩中でササムとエヴァンジェリンが二人でお茶会を開いていたとき、エヴァンジェリンが問いかけたものだった。

 何を突然、と思いつつも自分の名前を漢字で紙に書き込んだ。魔法世界はアルファベットを中心に使われているため、漢字は殆ど忘れたに等しいが、自分の名前の漢字は覚えている。『テメェに出す茶なんて出がらし茶だって無ぇよ!』と、吐き捨てた団子屋の店主に適当に決められた名前であっても、何年もエヴァンジェリンに呼ばれてきた名なのだから、いい加減愛着というものもある。ほー、と暫くその漢字を見ていたエヴァンジェリンだが、ふっと笑ってササムに向き直る。

 

『なんとも貧相な漢字だ。よしササム、私が直々に貴様の名前をつけてやろう! 愛称というやつだ。はっはっは、たまには主人らしいこともしなければな! そうだな……』

 

 エヴァンジェリンは洋服や人形劇の人形など、様々なデザインについては素晴らしいセンスを持っている。しかし、ササムの表情は人参とピーマンを前にした子供の様に苦々しかった。悲しむべきは、自分の主人の命名のセンスか。闇き夜の型は、セランが改名しなければ憑依合体魔法超!だったのだから。

 

『やめてくれご主人。こう見えても俺の名前は40年程度は使っているんだ。その、なんだ、そのセンスの名前……いや、なんでもない』

 

『……言いたいことが在るのならはっきり言え。許してやる』

 

『俺のご主人はどうしてこんなに命名のセンスが無いんだ?』

 

『貴様ァどうしてはっきり言った! 日本人だろう!? もっと謙虚に私に尊敬しながら婉曲して言え!』

 

 猫の様に襲いかかろうとするエヴァンジェリンに、ササムは手を伸ばして顔を押さえつけて溜息を吐く。手の長さゆえに届かず暴れているのを見れば、保護者に刃向う子供の様に見える。もっとも、二人とも分かっていてこのような態度なのだが。

 

『それで、なんて名づけるつもりだったんだ? 安直にササナシなんて言ったら俺は溜息を吐くぞ』

 

『ななな、そんなわけないだろう! えっとだな……』

 

 そういってエヴァンジェリンは自信満々で名前を言った。しかし悪いとは思わなかった。つけようとした名前は正直なところ自分が使うのは御免だったが、考えた分だけ微笑ましく感じる。テメェの人形にでも名付けてやれ、と。笑うササムにエヴァンジェリンは顔を赤くして憤る。そして互いに可笑しくなって笑うのだ。

 

 それは、『私』という存在が最も望んだ、当たり前で幸せな日常の1ページだった。

 

 

 

 

 

『チャチャゼロ、っていうのはどうだ?』

 

 

 

 そう、自分のご主人はあのときそう言った。

 

 

 

「成程な、これが、人の力ですか」

 

 

 初めに奈落の業火を放ってから何分立ったのだろうか。

 その身体はボロボロであった。様々な傷がついて衣服は既に服としての態を為していない。背中からは心臓を貫通して何かが飛び出している。

 感心したような口調はどこか穏やかであり、納得すら感じられる。

 

 

「私はまだ至ってはいない。吸血鬼とは言え未熟なものでしょう」

 

 

 重なった二つの影はクロフトとササムのものだ。クロフトへ何かを突き刺した姿勢のまま、その身体は動かない。

 対してササムは黙ったままだ。身動き一つすらせず動かない。

 辺りに訪れていたのは静粛だった。最高位の魔法の余波や、神鳴流の奥義によって破壊された周囲には、クロフトが後ろに下げていたはずの兵士たちも巻き込まれて転がっていた。

 その中に、月に照らされ鈍く光る何かがあった。

 

 

「あぁ、確かに言った通りだった」

 

 

 それは物語の挿絵のようにも見えた。捕らわれた姫を助け出した騎士は、最後に攫った悪魔と対峙して、心臓に剣を突き刺して終わる。悪魔はそんな騎士を称え、騎士は姫と共に国へと帰り、結婚する。

 そんな物語であるのなら、今現在の風景を模写すれば挿絵にそのまま使えるかもしれない。辺り一面を破壊されたにもかかわらず、静かなこの光景は、一種の芸術の様にも感じられた。

 

 

 

「吸血鬼というものを甘く見るな、『人間』」

 

 

 ぞぶり、という音と共に、クロフトはササムの心臓を抉った腕を引き抜いた。

 

 所詮それは何もかもが幸せな物語だ。どうしようもなく辛い現実に、そんなものは存在しない。

 鈍く光る何かが月の光によって姿を現す。それはササムの使っていた大太刀だった。名刀であったそれも、長年付き合っていたためか、それとも許容量を超えたぶつかり合いのためか、最後の最後で折れたのだった。

 動揺は無かった。それでも無手で吸血鬼と戦うことは叶わず、仮契約でのアーティファクトを呼ぶ隙もない。だからこそ懐に潜り込んだことも勝算が無かったわけではない。何かを砕く手ごたえはあった。だが、一歩だけ及ばずその前に心臓を潰されたのだ。

 

 ああなるほど、さっきの光景は走馬灯か。

 

 

「……ささ、む?」

 

 

 唖然とした声が辺りに響き渡る。崩れ落ちた体の中心に穴が開き、大地を赤く染めている。生命がすべて持っているはずの、強大な気を持っていたはずのササムの身体は、今は何も発していない。

 『世界はいつだってそんなもの。いくつかの偶然によって個など消えていく』

 エヴァンジェリンは知っているはずだった。その言葉は、この世界に来る前に、神とも呼べる存在から聞いた言葉なのだから。だから当然だ、ほんの些細な偶然によって、人などという脆弱な存在は死んでいく。

 どうしてササムの背中から血の花が咲いた? どうしてササムは、大地を地に染めて倒れ伏せている。いつも平気な顔をして、相手の首を刈って終わっただろう。

 

どうして、死んでいる?

 

 

「あっ……ぁぁぁぁぁああああああああああぁああ!!!!」

 

 

 魔力の塊が爆発し、衝撃波を辺りへとまき散らした。ギアスによって抑制されているにも関わらず無理やり魔力行使したために、腕が耐え切れずに千切れ吹き飛んだ。それも、吸血鬼という肉体が勝手に再生を始めている。

 異様な光景だった。クロフトは確かに鵬法璽でエヴァンジェリンという魂を縛り付けたはずだった。だが、現実にエヴァンジェリンは魔力を行使している。

 懐から鵬法璽を取り出しその形状を見た。ササムが刃の存在しない柄で砕いたものがそれであり、形状が崩れていたことにクラフトは舌打ちをする。魂を剥離しようとしたとき、その契約のつながりが薄くなり、外的要因の衝撃がそのとどめとなったのだろう。契約自体は続いていても、その強制力が少ない。

 

 

「……きさま、しね」

 

 

 それは、明確な殺意だった。自分のために誰かを殺すことを嫌悪する、それを信念としていたはずの彼女は、それでも目の前の男を殺そうと考えた。

 契約によって強制されているため、出力は少ない。それでも力を向けることはできる。断罪の剣を手に造り、ゆらりと幽鬼のようにエヴァンジェリンは佇んだ。

 なにもかも、自分の信念だったものや我儘がもたらした現実だった。だからこそ、今のエヴァンジェリンが抱いていたはずの信念と呼べるものは何もなかった。自分の復讐という欲望のために、目の前の存在を殺す。ただの、悪へと成り下がった。

 ただ、この身を真祖の吸血鬼という存在に落とした存在がそこにいる。たった今、ササムを殺した存在がそこにいる。殺す理由ならそれだけでいい。大義名分も何もかも必要ない。

 

 クロフトはその光景に思わず笑った。鳥肌が立ち、ギアスによって制限されているにもかかわらず、その魔力の圧力に押しつぶされそうだ。人と戯れ何も知らぬ少女のように過ごす真祖の吸血鬼など、そこには存在しない。

 それこそ、真祖の吸血鬼として相応しい。クロフトが憧れ恐怖した、真祖の吸血鬼とはそういうモノだ。どこまでも遠く、届くことの無い物だからこそ、嫉妬したのだから。

 黒い魔力の塊で作り出した大剣を手に作り出して相対する。目の前に居るのは間違いなく、バケモノだ。それによって今クロフトという存在は押しつぶされようとしている。

 

「そうだ! 私が真祖の吸血鬼に求めたのは、その姿だ! ああ、感動だよキティ。その姿に私は憧れたのだから! さぁ、互いに―――――」

 

 

 

 

「来たれ。 斬魔剣、弐の太刀」

 

 

 

 ざん、という音が辺りに響き渡る。その瞬間、クロフトの視界が揺れる。姿勢を直そうと力を入れてみても、足に力は入らない。

 ゆっくりと体が何かからずれ落ちていくのを感じた。下半身が崩れ、クロフトは倒れたことを理解する。そしてその勢いのまま、上半身は地面へと転がった。

 歯牙にもかけていなかった。その人間は確かに、心臓を無くし死滅していたのだから。考えるわけがなかった。

 

 

「……ササム?」

 

「馬鹿やっているんじゃねぇぞ、ご主人」

 

 

 ササムの口からは大量の血が溢れ、零れている。潰された心臓など論外だ。その布が白であったのなら、白い部分を探すことが困難なほど、血に染められている。

 手に存在しているのは赤い刀だった。エヴァンジェリンを殺したいと願った従者が、自らを殺したいと願った主との仮契約によって発生したものだ。それが、不死者を殺すための道具でないはずがない。

 ならば初めからその刀を使っていれば結果は変わったのだろうか。最も手になじんだ武器を使うと言う選択肢に間違いはなく、そもそもこのアーティファクトは出現したばかりであり、不確定要素に頼るつもりもなかった。だが武器が壊れ、使うことが最善だったと分かってしまった。それもまた運命というやつか、と。ササムは口元だけで笑った。

 

「なぜ、貴様、が」

 

「黙れ」

 

 再生は行われず、ただ唖然としたようにクロフトはササムを見上げた。倒れ伏すクロフトの心臓を刀で一度突き刺すと、そのままクロフトの頭を刎ねた。無論、気の込められた太刀は神鳴流のものである。

 そんな状態で、気など練れるわけがない。そんな常識を、ササムは笑う。心臓が無い、だからなんだ。気を巡らせろ、無理やりでいい血流を動かせ、足りないのなら、魂使ってでもいいから身体を動かせ。

 

 

「テメェも俺も、悪であり魔だ。滅ぼされるのが道理だろうが」

 

 

 だからこそ、こうして自分は滅びようとしている。

 悪であろうと決めた。彼女ただ一人を護りたいという欲求、目的のために犠牲者となる他人を斬り殺した。ならば今更復讐という、彼女自身のための殺しという悪を、背負わせてたまるものか。

 彼女は人に成ろうとした。だからこそ、ただの化け物に成り下がることから抗った。彼女自身の基準の悪を、決して踏み入れないようにしていたのだ。

 それなら俺はその信念を、生きようともがく彼女(ヒト)を護ろう。彼女が自らを悪でないと証明するのなら、彼女を護るために喜んでそこへついて行こう。その結果、自分が悪と呼ばれようが、魔となる者を斬り伏せよう。

 バケモノとヒトが共に歩めることなど無い。ならば、ササム(バケモノ)は、その少し先を歩いて障害を斬り殺す。彼女が、決して悪へと成らぬように、バケモノへと成らぬよう。それが、エヴァンジェリンの従者である自分が決めた在り方だった。そしてその思いが身体を動かしたのだ。

 結局それができたのは最後だけだが、と。皮肉気に笑って、何か声に出そうとするクロフトの生首を見下ろした。そして刀を振り上げると、その頭を真っ二つに断ち切った。それで、クロフトという存在は二度と動かなくなった。ただそれを見下ろして吐き捨てる。

 

 

「その覚悟の無ぇ三流だったなら、さっさと地べたに這いつくばって死にやがれ」

 

 

 それが、ササムの限界だった。

 倒れ伏す身体を誰かが支えた。涙をこぼしながら、何か叫んでいる。どこまでもお人好しで在り方を貫いていた主人に、笑顔を見せる。そうしたつもりであったが、表情は何も動かない。

 

 

「しゃんとしろ、ご主人」

 

 

 それは最後の言葉だ。それ以上声の一つすら、もう出すことは出来なくなっていた。言わなければならないことは在った筈なのに、それが声になって出てこない。まぁ、それはセランに任せるか、と。ササムは感情だけでも喜を見せようとした。

 何かが抜けていくような気がした。それが、身体から剥離していく魂だと、気が付くことは無かった。

 

 

 

「――――――え?」

 

 

 

 呆気にとられたような声が静粛の中に響き渡る。

 大量の死体に囲まれ、憎いと思った存在は既に灰になり、愛しいとさえ思った者の亡骸を抱え、エヴァンジェリンはただ、そう呟いた。




正直この小説、色々伏線はって、実はこの人〇〇っていうのをやりたかっただけです。因みに漢字だと茶々無と書きます。
オリキャラ? いいえ魔改造です。


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・壊eEåŒォXæ–2アf記

 この先から――――

 

『17××年 

 

 どうしてだろうと、思ってばかりだ。誰もが何かを悲しんでいる。意味が分からない。何のことを言っているのだろうか。 ササム? 居るだろう。だってあの時私は魔法を発動したんだ。どうして? 隣に誰かいない。 何を言っているんだセラン。お前はいつも忙しいだろう。私のために動いてくれているのはいいが、身体を壊してしまったらどうしようもないぞ。そう言ったら、なぜか泣き出した。どうも今日のセランは泣き虫だ。

 私がササムに対して、あの儀式場の魔法を発動したと言ったら、セランに怒られた。なぜ怒るのだろう。だってそうしなければササムはいなくなってしまっていたと言うのに。 あれ、じゃあなぜ今私の隣に誰もいないのだろうか。ああ、いた。チャチャゼロ。うん。私のつくったにんぎょうの、あれ、ササムは、なんでいないの? どうして、あの温もりがどこにもないの? またどこかにしょうきんかせぎにでもいっているのだろうか。

 ああ、居ないに決まっている。だってあのときササムは。■■■のだから。あれ、ああ。そうだ、あのとき、彼は、■んだんだ。私が連れ出して、私が、■■■。あの男が、殺した。』

 

『17×◆年 

 

誰のせいでササムは死んだ? 誰が殺した? ああ、あいつだ。あのときのあの男だ。私を吸血鬼へと変えて、ササムを殺した、あの男だ。そうだ、なにもかも、だから私は殺すべきなんだ。憎むべきなんだ。あははははははははは! そうだ、殺そう。

 どうやって、セランに聞きにいこうか。あれ、なんで身体は動かないのだろう。誰が止めている? 私? 誰? どうして止めているの? 意味が分からない。みないでよ。どうしてそんな目で私を見るの? 誰? チャチャゼロ? ササム? あれ、どうしたんだろう。大事なことを忘れている気がする。何を忘れてしまったのだろう。思い出してはいけないことのはずなのに。

 化け物? なにそれ。誰の事なの? 何かが体を止めるのは、その言葉? 分からない分からない分からない分からない。』

 

 

『17×■年

 

 殺してやる。

 

 殺してやる。

 

 殺してやる。

 

 殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺し■やる殺してやる殺してやる■してやる殺してやる殺して■る殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね■■死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね■ね死ね死ね死ね死ね死■■ね死ね死ね死ね死■死ね死■■ね

 ■を斬り落と■てミンチにして■■をぐちゃぐ■ゃにして魂を■■■■も残さず■■■締め■殺■■■■晒して■■を何もかも■炭■■し■■■■引き摺り■して■■■■■潰し■■凍■■■■■■■抉■■■■■■■■四■を■斬り■と■■■■解体■■■魔■狩りの■■縛■■炙■■■■窒■■■■■裂い■■■■■■■■■■■■■■■■■■■殺■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――――――。

 

 ああ、ちがう。もう、あの男は死んだんだ。ササムが殺したんだ。だから私は、まだ『私』であれるというのに。

 じゃあ、私は誰を恨めばいい。誰を憎めばいい。私自身を憎めと言うのか。ササムを殺した私自身を断罪しろと言うのか。じゃあ、首でも手でも切ろう。どうしてわたしはしねない、どうしたらいい。だれか、教えてください。どうすれば、私は生きられるのですか?』

 

 

――――

 

 そこは魔法球の中で在り、ほんの数秒前まで誰も掃除せず、埃で汚れた部屋の中にある魔法球を触れただけであると言うのに、その中は人工的であるが明かりがある、広い海の中に在る孤島のような景色が、視界には広がっている。高い位置の塔の屋上であり、そこからは見下ろす様に海が見える。

 バカンスでもできそうな楽しげな景色であったが、ここを訪れた人物、セランはそんな気は微塵も起こらなかった。当たり前だ、友人の一人を数か月前に亡くし、そしてもう一人は未だにこの世界に引きこもったままだ。そんな状態で明るくなれるほど、セランという人物は気楽な性格ではない。ただ、この場所は一日が外では一時間になる空間である。確か彼女の本職は時間操作であったな、と。いつも彼女が行っている研究について思い出していると、何かが屋上へとやってきた。

 メイド服の姿の自動人形が、辺りの掃除を行っている。身の回りの世話のために造られたゴーレムは、主がただ一つの部屋から動かないと言うのに、いくつもある部屋をゆっくりと掃除しているのだろう。

 セランはその横を通り過ぎて塔を降りると、いつも彼女が居る部屋へとたどり着くと、ノックを二つ行った。しかし返事は無く、呼びかけてみても返答は無い。ドアノブを回しそのまま入り込むと、カーテンなどを全て締め切っているせいか薄暗く、人形や魔導書などが散乱した部屋が視界に入る。

 そして奥のベッドにその影はあった。一体の人形を抱え、ベッドの上で壁にもたれかかるように座っている。その眼は地面に向けられていたが、何も映していないことはセランにも分かった。

 

「エヴァ、起きてる?」

 

「……あれ、セラン。どうしたのだ。こんなところに来るなんて珍しいじゃないか」

 

 顔を上げて口元だけで笑顔を見せるが、今の状態ではかえって不気味なものにしか見えないだろう。目は虚ろで本当にセランの姿を映しているのか、それすら疑わしい。以前セランに見せていた、少女の形をした操り人形を抱え、両手で何か小さい物を包んでいる。散乱した他のぬいぐるみなどはボロボロで、酷い物は首までもげている。

 何が在ったのか、それを想像することすら阻まれる。慰めの言葉は誰でも言える。実際にセランも言ったが、それが彼女に届いているとは思えなかった。何を言えば良いのか、分からなかったのだ。数か月、セランもその間に何度も此処に訪れてはいた。それだけの時間は経ったが、この世界で彼女はどれだけの時間を此処で過ごしたのだろうか。此処を出ようとしていないのだから、セランには分からない。

 

「……MMでの貴女の誤解は解消してきたわ。近いうちに懸賞金も取り下げられるでしょうね」

 

 MMでの大騒動の後、様々な要因や相手の失態、裏での取引などでそれだけは確立させることができた。何よりも村へとたどり着けたのが、アリアドネーの騎士団の方が早かったと言うのが要因の一つでもある。領地への侵入など、そのことで国と国で一悶着あったが、それを彼女へと知らせる必要はないだろう。

 大量の死体の中、自分の友人の一人である男の死体を抱え、エヴァンジェリンは『安らか』に眠っていたのだ。だからこそ、その惨状を見ていないのだと勝手に思っていた。それが間違いであるとすぐに気が付いたのは、ほんの少しだけ狂ってしまった彼女を見たときだ。

 意図的にササムが死んだことを忘れているのか、彼が此処に居ると彼女は言い続けていた。ただ、その姿が悲しくて、思わず涙を流してしまった事を覚えている。

 それでも、エヴァンジェリンという存在を悪になり下げなかった、それはササムが望んだことであり、それだけは確立できたのだろう。

 

「あの馬鹿、死なないでって言ったじゃない」

 

 セラン自身ササムへと恋愛感情が在るわけではない。彼女にも愛すべき人は居る。それでも、親しい友人の一人であることは確かだった。誰かを護れて本望だ、そんなもの、護るだけの男の自己満足だろう。まさにその通りだった。本来死すべきところを無理やりお越し、彼女の恨む存在すら、悪へと成り下げない、という理由で斬り殺したのだから。

 それが結果的に善くあるのか、セランには分からない。それでも、復讐させる相手すら誰もいない。恨めばいい人物も分からない。人を恨めればよかった、国を憎めればよかった。だが恨むべきは、自分だけだ。それで壊れずにいられるものか。その現状を見て、全てが善くあったとセランは考えることができなかった。

 その一言を聞いたエヴァンジェリンは暫くじっと黙っていた。そして、口元を吊り上げ歪ませて呟く。

 

 

「なにを言っているのだ、セラン。ササムならここにいるだろう?」

 

 

 エヴァンジェリンは閉じていた手を開き、それを見せながら歪んだ笑みを作り出す。其処に在ったのは白い宝石だった。ぼう、と白く光る魔力がその周りを包むようにして、その宝石は浮かんでいる。

 それを見た瞬間、セランは気がついてしまった。ああ、確かにどこかで感じたことのある気配だ。それは亡くなった自分の友人によく似ている。そして頭の中に流れたのは、MMでのクロフトと彼女の会話だ。

 そもそもあの村で、何の儀式を行おうとしていた? そして発動していた魔法はなんだ? 『魂を剥離して結晶化させる魔法』だった。莫大な魔力が必要で、大量の魔法使いの死体が其処に在ったのは、数十人がかりでなければ不可能だからだ。だが、彼女はその数十以上の魔法使いの代わりになる、真祖の吸血鬼という存在ではないか。そしてそのための魔方陣は既に描かれていた。

 それらの情報が、エヴァンジェリンが何をしたのか理解させてしまった。

 

 本来消えていくべきであるその魂を、無理やり現世へと留めたのだ。

 

「貴女は、なんてことを……」

 

 それは、死者を冒涜する行為だ。肉体から解放され死したのなら、それは誰かが扱っていいものではない。死霊使いが疎まれるのはそのためであり、道徳的に考えれば彼女の行っていることは、それを完全に無視している。

 確かに自分はその宝石を見て、懐かしいと感じた。その近くに居れば、確かに生きていたころの人物の事を思い出せるだろう。だがその魂は個人によって束縛されたままだ。

 確かに悲しみは分かる。セランにとってもササムは親しい友人だ。だが、エヴァンジェリンの行為を正しいものと見ることはできなかった。

 

「……それは、今すぐ解放するべきよ、エヴァ」

 

「? 何を言っているのだセラン? だって、そうしなければ私はササムと共に居られないだろう。どうしてそんなこと言うのだ?」

 

 本気でわからない、と言うようにエヴァンジェリンは首をかしげる。そこに張り付いた歪んだ笑みはそのままで、一瞬セランは彼女が壊れた人形のように感じてしまった。

 だが言わなければならない。間違いであると、それは人が扱っていい所業ではない、と。

 

 

「人との別れとはそういう事でしょう!? 共に居られなくなるなんて、そんなこと当たり前じゃない! それを悲しむからこそ、人だって言えるのでしょう!? 貴女は―――」

 

 

 瞬間、セランは押し倒されたことが分かった。頭を打ち付け一瞬めまいが起こるも、誰かが自分の身体の上に乗っていることを理解する。

 其処に在ったのは、ガラス玉のように濁ったエヴァンジェリンの眼だった。数秒前に在った筈の笑みも消え去った、能面のような無表情が其処に在る。右手に魔力の奔流が集まったと思えば、そこには白く光る魔力の刃、断罪の剣が造られている。

 共に歩めることが無いからこそ、魂だけになったとしても共に居て欲しかった。折り合いをつけて、別れを済ませていれば、また違う考えもあったのかもしれない。

 

 

「キサマになにがわかる?」

 

 

 冷たい声だった。誰かを憎むべきか分からず、溜まった念は八つ当たりのような形でセランへと向けられている。

 セラン自身も魔法使いであっても、彼女は真祖の吸血鬼であり、吹けば消し飛ぶ塵のようにこの命を消し飛ばすだろう。向けられているのは殺気だ。今命の危機に立たされていると言うことが分かっているのなら、セランが感じるべきは恐怖だ。

 それを、セランはエヴァンジェリンへと向けなかった。映しているかどうかは分からない。だが、セランの視線はエヴァンジェリンを捉えて逸らさなかった。

 

 

「キサマは人で、私は化け物だ。頭を撃たれようが、心臓を貫かれようが、死ねない。永遠を生きる真祖の吸血鬼だ!」

 

 

淡々としていた口調に熱がこもる。魔力が膨れ上がり、今にも爆発しそうな気配すらあった。

その眼に映されたのは怒りだ。そしてそれを、セランは無言で受け入れる。

 

 

「キサマに何が分かる。当たり前のように人を愛せて、当たり前のように子を産めて、当たり前のように歳をとれるキサマに! 人であるキサマに! (バケモノ)の……何が、……なにが分かると言うのだ?」

 

 

 ぽつり、と。セランの頬を何か濡らした。見下ろし、叫んでいたはずの彼女の声は、途中から嗚咽へと変わった。どうすればいいのか分からず、迷子になっている子供の様だ。なのに、吸血鬼と言う存在であるという事実から、誰も手助けされることは無い。

 そう、それは真実だ。彼女が吸血鬼と言う化け物であり、ただ一人孤独の道を歩んでいる者なら、それは当たり前のことだ。誰も手助けされることもなく、誰とも心を通わす事も無く生き続ける、バケモノの道。

 ふざけるな、と。セランは思った。だからこそ、その言葉は簡単に出てきていた。

 

 

「分かるわよ。だって、貴女も私と同じ、『人』なのでしょう?」

 

 

 セランは腕を伸ばし、そっとエヴァンジェリンの身体を抱きしめる。びく、と体を震わせた彼女を、胸へと顔をうずめさせるように寄せた。

 彼女は『人』だ。人で在ろうとして、そして成ろうとしている。だからこそササムを人以外の存在にしてしまう、眷属へと変えることをしなかった。だからこそ彼女は、こんなにも悲しんでいる。

 魔力の奔流が収まり、右手にあった断罪の剣が消えた。からん、と白い宝石が彼女の手から零れ落ちる。そして静粛が辺りへと訪れた。

 どれだけそうしていたのだろう。ぽつりとつぶやかれた言葉によって、その静粛は絶たれていた。

 

「私だって、知っていたさ。これが、道理に外れていることぐらい」

 

 何かをこらえるように、我慢する様にエヴァンジェリンは拳を作り出す。

 

「でもな、痛いのだ。あんなにササムとの思い出が在った筈なのに、何もかも黒く染まってしまった」

 

 絶望と希望は等価値ではない。知っている。だからこそたった一度の死で、こんなにも暗い気持ちになる。積み上げてきた思い出も何もかも、意味が無かったような気がしてしまう。

 恋していたのか、分からない。それをできないと理解していたからこそ、恋心を抱くことは無かった。愛していたのか、分からない。少なくともそこには家族愛に似た愛情が在った。ただ、自分が人間の身体であったのなら、どうなっていたのか分からなかった。それが居なくなったと分かっているから、ぽっかりと何かに穴が開いてしまったような気がしている。

 だから理解しているのだ。魂だけ其処に在ったとしても、自分はなにも思わない。ただ夢の中に逃避するだけなのだと。

 

 

「どうしてこんなにも苦しい? どうしたら治まる? これも、人として生きるという事なのか? なぁセラン」

 

 

 嗚咽が漏れた声でエヴァンジェリンは尋ねる。時間の経過はそれを癒すことになるのだろう。ずっとその痛みは知りながら生きることになるのだ。エヴァンジェリンはそれを知っている。親しい者の死は何度も見た。今回はただその親しい者が、自分の中で大きくなりすぎていただけの事だ。

 それだけのことが、こんなにも辛いとは思ってはいなかった。

 

 

「生きることは、つらいな」

 

「……それでも貴女は、生きると決めたのでしょう?」

 

 

 そう決めたのは、はるか昔だった。その時の思いが彼女の芯となり残っている。セランの胸の中でエヴァンジェリンは確かに頷き、抱きしめ返した。温もりを求める、子供のように。

 白い結晶に纏われていた魔力が段々と小さくなり、やがて輝きを失った。完全に光を失ったその結晶は、しばらくすると粉のように消えてなくなっていた。

 

 

 

 

 

 どこかで、何かが動く音が聞こえた。

 

 

 

 

―――――――

 

 

――――ここまでの日記に全て大きく×印を書かれている。

 

『17〇●年 季節、知らんよ誰かに聞け。

 

 なんだ今までのこの日記は! 狂気の日記か!? 読むと正気度が下がるのか!? ええい糞、インクで書いたら消えんではないか!? ページを破くわけにもいかんし……。くそ、近代科学よ早く追いつけ! 擦って消える文房具に憧れる日がくるとは普通に思っていなかった……』

 




次回で一章は最終話になります。
ただ、やりたいことはやりきったような気がします。


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・魔法世界での日記

第一部最終話になります。独自の設定もあります。


『17●〇年 季節、もういらないんじゃないかなここ。

 

 アリアドネーで生徒たちに教えているなう。数か月も私が顔を出さなかったことになんかすごく心配されている。いろいろあったことをみんな知っているぶんなんかやりづらい。そんなことを考えていたら着せ替え人形にされていた。な、なにをいっているか分からないが私にもわからなかった。まあ魔法球の中で数年間悩んでいたから折り合いはついていたと言えばついていたのだが。未練たらしくチャチャゼロを持って行ってしまうのは……やめやめ。

 なんだあのノリ。勉強したい意欲の持ち主ばかりが集まる場所だろう。なぜはっちゃける。頭がよくなればよくなるほど馬鹿になるというのを正に体現している。嫌いか? いやあのノリは嫌いじゃない。でも限度って知っているのかアイツら……知らないんだろうなぁ。

 しかし、折り合いはつけなければならない。容赦なく私は抜き打ちテストを行った。ふははははは、赤点だった奴は勿論INOKORIだ。青春の貴重な時間を私ではない、別の先生と対面しながら教室で過ごすがいいww。なんか全員高得点だった。範囲間違えたかと思ったが、カリキュラムみたらそうでもない。団結して先生驚かせよう! というアホが居たらしい。そしてなんでそれで団結する。アホか。いや、頭いいけどアホだあいつら。

 

 正直気が楽になった。』

 

 

『17(∵)年 季節 省略

 

 もうすぐ学習過程が終わるやらなんやらで、周りが忙しくなってきた。私も忙しくなってきた。外に出ていくのにあたって持っていくものはあまり多すぎない方が……魔法球に突っ込んでおけばいいか。薬やらなんやらの素材などは、割と魔法球の中で何とかなったりするので、年齢詐称薬などの調合は問題ないだろう。

 空間圧縮とかいろいろ面倒な魔法をあちこちに施しているが、そうしなければ魔法球を背負って歩かなければならなくなる。それは面倒だ。マジックアイテムが素晴らしい。よくある魔法使いの鞄とか想像してもらえばいいだろう。魔法マジチート。これ近代科学追いつくのだろうか。現実世界のどこかの国では、普通に電話とかの科学があるらしい。ついでに空飛ぶカメも居るらしい。今回はそこにも行ってみよう。

 チャチャゼロがいなくなった。朝起きたら抱いていたはずのそれがどこかに行ってしまっていた。探しているのだが…………。』

 

『17□○年 

 

 チャチャゼロが居ない。すぐに見つかると思っていたのに。どうしよう。誰かが持って行ってしまったのか。

 セランに頼もうと思ったのだが、アイツはアイツで忙しいことを知っている。ダメ元で尋ねてみたら。意気揚々と私の頼みを聞いてくれた。後ろで秘書がものすごい勢いでこっちを見ていた。この書類の山どうするんですか……と、涙目で。セラン曰く、秘書がミスしてしまったものを手伝ってあげていたが、さすがに疲れたらしい。緊急性のものでもなく、予定もない。よーし私エヴァを手伝っちゃうぞー。と。張り切っていた。それでいいのかアリアドネー現代表。後ろの秘書が捨てられた女のように、行かないでー! と叫んでいた。

 ……いやセラン、お前夫いるんだから相手してやれよ……。』

『追記 私に気を利かせてくれていたようだ。迷惑をかけてしまったな』

 

 

―――――

 

 声が聞こえ、その声によって意識を浮上させた。黒い着物を着たその男は自分の少し前を歩いている。ついて来い、とそう言っている様な気がして追いかける。慣れていないのかこの躰は動かし辛い。なにか懐かしい感覚に促されるまま、なぞるように体を動かす。違和感があるが歩くことは可能で、その黒い着物の男を追いかけた。

 暗い闇夜の中だった。ほとんどの建物は明かりが消え、いくつかの窓からわずかに光が漏れる程度である。その中を男と共に歩いていた。外の空気はおそらく澄んでいるのだろう。雲が無く空の星は輝き、月が辺りを照らしているために男の姿ははっきりと見ることができた。

 このまま当てもなく歩いている、というつもりではないのだろう。男を見上げるようにして尋ねる。

 

――それで、俺をどこに連れて行くつもりだ?

 

「すぐに着く。……悪いな」

 

――……謝る意味が分からねぇよ。

 

 歩きながら男は静かな口調で謝る。ただ頭を下げるわけでもなく、それらしい表情をしているわけでもない。わざわざ夜中に連れ出して歩かせてしまっていることへの謝罪ではないのだろう。想像はできるが、考えることが億劫に感じ、相手が何か言葉にするまで無言を返答とすることにした。

 しばらく無言で歩き続ける中、徐に男は口を開く。淡々とした口調で聞かされる言葉に、思わずため息を吐き出したくなった。

 

「これから先に迷惑をかける。テメェの意思は聞かん。だから、初めに謝っておこうと思っていた」

 

――ひでぇ言い草だな。俺には拒否権が無ぇってか。

 

 男の言葉に鼻で笑い、互いに歩き続ける。歩幅は合っておらず、こちらに男が合わせる形になっているが、元々用が在ったのは男の方だ。此方に合わせる程度の事はいいだろうと。そう思いながら月を見上げる。イラつくほど輝く満月に、どこか懐かしいと思ってしまったのは、隣の男も同じなのだろう。そのことに少しだけ嫌悪を感じていた。

 ゆっくりと歩き続け、やがて一つの小さな家へとたどり着いた。埃らしいものはあまり見えてはいないが、そこに人が住んでいる気配は感じることができなかった。その家へと男は無断で立ち寄った。住人が居ないことを知っているのか、戸惑うことなく歩みを進め、やがて一つの部屋へとたどり着く。

 そこは、和室だった。アリアドネーという場所に、畳を使った部屋という文化は無い。部屋には綺麗に敷かれた畳に、木でできた四角いテーブルが窓際にぽつんと置かれている。そして、その上には木刀のようなものが置いてあった。

 それは大太刀だ。男がかつて使用していた物であり、男はそれを手にすると、部屋の入口に佇む影へと向き直る。此方はそれを、ただ黙って見ていた。

 低く構え鞘を掴み、反対側の手で柄を掴む。その構える姿にどこか既視感のようなものを感じていた。そして、抜刀。高速と言えるほどの速度で引き抜かれたその太刀筋に、知らぬはずだが覚えがある。

 神鳴流、弐の太刀。ただ、本来あるべき刃は折れて鞘の中に残っている。それでも、壁へと大きく傷がついたのは、その男の腕前ゆえか。

 

――満足か?

 

「さて、な。心残りが無いと聞かれれば、あると間違いなく答えられるだろう」

 

――そりゃあそうだ。

 

 大太刀を元あったように戻して、男は行儀悪くテーブルの上へと腰かける。そしてこちらを見下ろすと、無表情であった顔に苦笑の笑みを作り出した。その姿は、悟りきった老人のようにも見える。できたとするならば、こちらは眉間にしわを寄せて男の状態に苛立っていただろう。

 

「人間が魔と共に歩めば何時かは別れが来る。それが寝床の上か、戦場かの違いしか無い」

 

――んで、その違いで数年は留めさせられた気分はどうだ?

 

「さあな。従者としては明利に尽きるだろうよ。残せるものも残せた」

 

――だから、さっきの剣を俺に見せたってか?

 

 人という存在が満足して逝けることに、その世界へと何かを残せたという実感だろう。それが、男にとっては人であった者の信念であり、魂へと刻まれた自身の技なのだろう。だからだ。此方はその軌跡をなぞるように行動しているだけなのに、まるで自分の者であったかのような感触が在った。男が見せたのは、極めった剣士としての太刀筋だ。それを最上に置いて目指せば、いずれその域へとたどり着くだろう。

 男は刀と同じように置いてあった何かを手に取った。それは男の絵を描かれたカードだった。黒の着物を身に纏い、手には赤い刀。そして背後には魔方陣が描かれている。それを懐かしげに手に取ると、ゆっくりと此方へと近づいた。

 それは、仮契約のカードだ。従者の死と同時に従者の仮契約のカードは消滅する。しかし、未だにそこに残ってしまっているのは、歪んだ方法で世界へと残ってしまったせいか。受け取れ、と言うように男はこちらへとそのカードを差し出した。溜息を吐いてそのカードへと手を伸ばす。

 

「真似しろとは言わねぇ。なんかの糧にでもしろ」

 

――うるせーよ。誰がテメェの真似なんてするか。

 

「確かにお節介だったな。ただ、少し心配だった。ほら、ご主人はアレだろう?」

 

――違いねぇな。俺は使えるものは使う、それだけだ。

 

「ああ、そう言うことは知っていた。だが一応言っておく。面倒だろうが俺の――――」

 

 差し出されたカードをつかむ。その瞬間にぼう、と白い光が辺りを照らし、仮契約のカードがその魔力によって包まれた。そしてそのカードに描かれていた絵がゆっくりと変質する。

 其処に在ったのは一人の少女の絵であった。若草色で短く整えられた髪にカチェーシャをつけられている。背中に在るのは可愛らしい蝙蝠の羽。そして黒い洋服に身に纏われたその少女の手には一つのナイフ、そして少女の何倍もある、テーブルの上に置かれたものと同じ大太刀だった。膝など間接の様子から、少女が人形であることを窺えた。男の主人が常に抱えていて、大切にしていた物だった。

 月の光が、かつて男の使用していた私室であるその部屋を照らし、一つだけの影を映し出した。そこに先ほどまであった男の姿も、傷つけた壁もそこにはなく、ただ一つ、仮契約のカードと同じ姿の人形だけが、その部屋へと残された。

 

 

――あとは任せた。後任者(チャチャゼロ)

 

「……俺ニ余計ナ物、背負ワセルンジャアネーヨ。前任者(ササム)

 

 

 一度白い光が部屋を照らすと、数秒後に残されたのは夜の暗闇と一枚のカード。そしてその傍に座っている少女姿の人形だった。その人形がこの部屋まで来られたのは、自分の主と繋がれたパスによって流れてきた魔力によるものだ。消えゆくはずだった魂は、人形を憑代としてその場へと残り続けた。だからこそ、魂との契約である仮契約のパスが残り続けていたのだ。

 それは彼女の主であるエヴァンジェリンが、望んで行った事ではないのだろう。無意識に共に在ろうとしたからこそ、魂は彼女の持っていた人形を憑代にした。その名前が、作った時の意思が、彼の魂へと適合していたという理由もある。

 ならば、先ほどチャチャゼロが見ていたものは幻影だったのか。パスから流れ込んだ主人の夢か、それとも仮契約のカードに残された機能か。それとも、大太刀へと残されていた持ち主の念なのか。

 どれでもいい。チャチャゼロはそう判断すると、窓際のテーブルへと近づいて、そこに置かれた大太刀へと目を下す。最後まで、自分の主人を護るために使われた刀であり、かつての自分だった者が使用していた物だ。

 自分とこの大太刀の持ち主は全くの別物だ。少なくとも、チャチャゼロにとってはご主人と言う存在は、作られ弄られ抱きしめられた記憶しか存在せず、男が抱いていた様々な信念や意思は存在しない。だが、役目だけは理解していた。

 

 

「テメェニ言ワレズトモ、ソノツモリダ」

 

 

 チャチャゼロは背を向けると、元入ってきた入口へと足を向ける。

 起きたときに居なければ、自分の御主人であるエヴァンジェリンは、何が在ったのか心配になるのではないだろうか。それとも、話せるようになったこの姿を見て何を思うのか。

 後悔するだろう。自分の我儘から、自分の行ったことが結果的に魂を解放することができず、留めることになるのだから。複雑だろう。共に在れればと思っていた従者が、人形と言う形で残ってしまったのだから。

 だから、せいぜい勝手に悩めとチャチャゼロは思う。悩んでこその人間だ。元々魂も化け物で、現在も人形な自分に考えろという方が無理な話だ。

 

 静粛が闇の中に染み渡る。まるでそこに元々人は誰もいなかったように、静けさだけがそこに残された。

 

 

 

 

 こてん、とチャチャゼロは転んだ。魔力がなくなって帰れなくなったのは、余談である。

 

 

――――

 

『17□○年

 

 チャチャゼロが動いた。眼が点になるとはこのことを言うのだろう。私がめちゃくちゃ驚いていると、ウルセー、首刈ルゾ御主人とか言われた。どう見ても私の知っている人と言っていることが似ています、本当に、本当にありがとうございました。いや、これ結構複雑なんだけど。

 いろいろ考えて旅行先変更を決定しました。いや、流石にニートやり続けるのは違うだろう。まあ教師をやってもいいが、私の本来の目的とずれるし、なによりセランに負担がかかり続けると言うのも悪い。というわけで、いろいろ荷物を魔法球の中に突っ込んで、自分の荷物を整理中。卒業式とかいろいろあったから、なにかと慌ただしいことになっているが、それはそれ、これはこれ。

 チャチャゼロが魔法球の中で物凄い動きしてた。気持ち悪いぐらい早く動くんだけど。あれ、人形だっけあれ。私糸とか何も使ってないのに。なんか剣が欲しいとか言ってきた。いろいろ考えて、外に出てから考えようと言う結論に至る。

 なにやらクラスの連中がこそこそしている。何かしでかす気だろうか』

 

『17★×年

 

 クラスの連中やら、私が世話になった奴らがなんか送別会を開いてくれた。ちょっと泣きそう。いや、泣いた。』

 

 

――――――

 

 まだ太陽が昇る早朝、アリアドネーの外に出て、広い光景を見ながら大きく息を吸って吐き出した。城壁で囲まれた都市とはまた違う、清々しさが其処に在る。無論、都市が悪いとは言わない。ただ、自由と言うものを実感するのに、広い光景と言うのはぴったりだろう。

 結局、エヴァンジェリンはアリアドネーを出ることにした。魔法の研究について問題は無い。不確定な要素がいくつかあるが、後は魔力の集まる霊地の確保や、それなりに信頼のおける伝手を作り出す必要があったのだ。もちろん、MMはまだ混乱している上に、その下の魔法協会も同じだろう。しばらくは現実世界でも、その手が伸びていない場所に向かおうと考えている。

 日本にもササムの刀を打ち直しに向かうつもりだった。腕に持つトランクケースのような鞄の上には、自分が作った人形であるチャチャゼロが、心なしかだるそうな表情でそこに居る。その本人から聞いたのだ。長すぎて使えないから打ち直してくれ、と。

 チャチャゼロ、という存在が生まれてしまった事に、複雑な面もある。自分がどのような精神状態であったのか、まともな思考をしていたとは思えない。少なくとも、今のエヴァンジェリンは魂をこの世界に残すつもりもなかった。だが、結果として残ってしまった事を、嘆くべきか、喜ぶべきか。

 そして、エヴァンジェリンがこの都市を出ようと考えた最大の理由がそれだった。

 

 

「もう行くの? エヴァ」

 

 

 自分がササムという人を亡くして以来、なにかと気を掛けてくれた友人の声が後ろからかけられた。朝早くにも関わらず、仕事から抜け出してきた、といわんばかりの仕事着のスーツを身に纏いそこに居る。そして彼女の傍らには、渡鴉の人見のゴーレムがただよっている。

 エヴァンジェリンが今日出ていくことは知っていたはずだが、指定されていた時刻よりもだいぶ早く、彼女はこの都市の外へと行くつもりだった。別れの言葉は送迎会の中でさんざん言ったのだ。そのまま別れても悪くは無いとは思っていた。

 しかし、そんな友人の事をセランはそのことは想像ついていたのだから、予め渡鴉の人見を配置していたのだろう。監視、というわけではないが、一日だけであったので、そこまで気にするものでもない。エヴァンジェリンもやれやれ仕方ない、というように肩をすくめた。

 

「ああ、少し早めに出ようと思ったのだがな。見送る時間としては随分と早いじゃないか、セラン」

 

「此処を出る時間にしては随分早いじゃない、エヴァ。思わず寝過ごしてしまうところだったわ」

 

 皮肉に皮肉を返し、お互いに苦笑する。以心伝心、と言うには少しだけ遠いが、互いが何を思ってこの時間にこの場所に居るのか、おおよその見当はついているのだ。

 セランはエヴァンジェリンにいう事が在った。そしてエヴァンジェリンはセランからその言葉を聞きたくはなかったのだ。そのことを、互いに知っている。

 

 

「ねぇエヴァ、本当にこの都市を出ていくの?」

 

 

 やはりな、と。内心で思いつつもエヴァンジェリンはその言葉に迷いなく頷いた。前々から一旦講師としての授業などは受け持たず、アリアドネーの外に行くつもりではあった。しかしそれは拠点をアリアドネーにしていることが前提であり、いまエヴァンジェリンが都市を出ると言うのは、その拠点にせず旅に出る、という意味だ。

 エヴァンジェリンが頷くのを見て、セランは少しだけ残念そうに眉を落とす。言葉にして出したわけではないが、視線がエヴァンジェリンに、なぜ、と。そう尋ねられ、エヴァンジェリンも申し訳なさそうに口を開いた。

 

「きっと……いや、そんな仮定ではないな。私は、怖いだけだろう。セラン、キサマという存在がなくなってしまう事が」

 

 その言葉はセランからしてみれば矛盾そのものだ。居なくなる、というものを文字道理見るのなら、アリアドネーを出るということは、セランとは別れるという事だ。それを恐れるのなら、都市を出るとは言い出さないだろう。ならその居なくなる、ということは、正しくこの世界から居なくなる、つまり死別のことだろう。

 ササム、という友人の死によって、同じようにセランにも訪れる死に恐怖したのか、そのような理由ならば、セランはエヴァンジェリンへと怒るつもりだった。友人であるからこそ、それを受け止めて欲しい、その思いも確かにあったからだ。だが、セランは何も口には出さず、エヴァンジェリンが何かを言うのを待った。理由がそれではないことを、なんとなくではあったが理解していたからだ。

 エヴァンジェリンは鞄に座るチャチャゼロへと目を下した。その視線に気が付きチャチャゼロは、ナンダ御主人、と返す。それに対してなんでもないと答えると、セランへと向き直った。

 

 

「キサマが死んで、この世界から居なくなったら、私はまた、ササムと同じようにこの世界に留めてしまうかもしれない。それが、怖い。」

 

 

 目を伏せて呟くようにエヴァンジェリンは答えた。その答えにセランは、何も言うことができなかった。

 その彼女の鞄の上には、魂をこの世界の留め、人形を憑代として存在している友人の魂がある。不死者である彼女だからこそ、悲しみは背負い歩き続けるしかない。そのとき、初めにササムという大切な者への冒涜を行ってしまった。それが、セランにもやらないと言えるのだろうか。

 それは逃げにも感じる。だが、彼女はやがて訪れるであろう悲しみを受け止めるつもりはあった。それでも、自分と言う存在が何をするのか分からず、それに恐怖する。

 だからチャチャゼロという存在が世界に確立されてしまったことを知った時、エヴァンジェリンはただ謝った。ごめんなさい、と。そう言い続けていた。

 そんな主人へとチャチャゼロは苛立ち、蹴り飛ばし見下ろしながら言う。シャントシロ、御主人、と。それは奇しくも、かつての従者と最後の言葉と同じだった。だから、ありがとうと答えることができた。それが、ササムと言う存在への冒涜であったにもかかわらず。

 

「……そう。私は、貴女がもうそんなことはしないと、そう言えるのだけれどね」

 

「かもな。ただ、私が臆病なだけだ」

 

 おそらくエヴァンジェリンが親しい人物として、真っ先に死を迎えるのはセランだろう。だから、その死に目を見ることはできない。ササムと同じことをしてしまいそうで怖いから。どのような精神状態になるのか分からないから。だから離れようと考えたのだ。

 セランはエヴァンジェリンに近づき、チャチャゼロと視線の高さを合わせてしゃがんだ。アン? と視線を返すチャチャゼロに、セランは口を開く。

 

「ねぇ、サ――いえ、チャチャゼロ? 私は彼女と共に行けないけれど、彼女を守ってくれる?」

 

「……ケッ、何デ御主人ノ友人ハ、オ節介バカリナンダ?」

 

 肩をすくめるチャチャゼロは、セランへと視線を返し答える。

 

「出来ル限リ、ジャアネェナ。御主人ガ人ニ成ッテ死ヌマデハ、精々守ルツモリダ。心配スルナラ御主人ニシヤガレ」

 

 その答えに満足したのか、セランは笑みを浮かべると、ゆっくりと立ち上がりエヴァンジェリンを見た。初めて彼女を見たとき、自分と彼女は同じぐらい乗せで、同じような容姿であった。しかし、自分は背が伸び彼女は同じ容姿のままだ。だからこそ、自分は彼女が目的を為すことを見届けられることができない、と。そのことを実感する。

 心配はある。最愛の友人である彼女が本当に目的を為すことができるのか。道中で倒れてしまう事は無いか。これから歩く道は茨道であるだろう。その過程で、何度彼女は泣くのだろう。そして、それを自分にはどうしようもないことが分かっているからこそ、つらかった。

 セランはぎゅっとエヴァンジェリンを抱き寄せる。彼女の体温を感じ、生きているという事を確かに実感している様な気がする。伝えるべきことはもう送迎会のときに伝えたのだ。話すべきことは無い。だからこそ、ただ自分の体温を伝えるように抱きしめる。

 

 

「エヴァ、元気でね」

 

「ああ、ありがとう、セラン」

 

 

 ゆっくりと名残惜しそうに、身体を離す。これ以上なにか言葉を通わせれば、後を引くだけだろう。

 

 エヴァンジェリンは都市へと背を向けて歩み始める。鞄の上に座る従者が、共に同じ方向を見る。

 その影はだんだんと都市を離れていき、やがて小さくなって見えなくなった。

 

 

――――

 

 開いた日記帳を閉じる。誰かが部屋へと近づく気配を感じとり、椅子から腰を上げた。恐らく来たのは、赤毛の少年だろう。自覚はあるのかどうか分からないが、彼は周りの人物たちを巻き込んで、大騒ぎになる。それを微笑ましいと思ったのは、自分が歳をとっているからか。

 何かを探して模索するという姿は、人として最も輝いているものだ。それを見ることができるのは誇らしくもある。

 

 静かな空間に騒がしい声が聞こえる。またパートナーになにかをしたのだろう。騒がしくもあり、面白い日常がそこにあった。

 思わず、小さく笑った。

 

 




これで第一部最終話となります。見ていただきありがとうございました。


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中書き+お知らせ(2014年12月)

2014年12月31日追記


中書き

 

 第一部の後書きです、スルーしていただいても構いません。どうせ、小説の裏話とかなので、本編とは全く関係のない話ですので。

 

 

 

 第一部終了です。第一部と言っていますが、それがはだしのゲンのように永遠に一部完となる可能性もあります。

 書いていて思ったことは、この小説なんてエヴァンジェリンアンチ? と思いました。悪の誇り? 悪い魔法使い? なにそれ食えんの? と言わんばかりのスタイルで書こうと考えていたので、主人公の思考も生き方も、原作エヴァンジェリンとは全く反対であり、互いが出会ってしまったら確実に殺し合いになってしまうような気が……。渡界機? …………。さて、次に行きましょう。

 不老不死になってしまった人間が元に戻るために奮闘する、というのが最初にやりたかったもののひとつです。あとは狂気の日記、あとは実は〇〇ネタ。とりあえずこれだけはやっておきたいと思っていたことでした。日記形式は、誰がどのような考えで動いているのか、隠しながら話を進めることができるので、実は〇〇というのがやり易くてよかったです。

ササムは島津+ハーゲンダッツ(苺)+原作+原作ゴスロリ剣士+αでできています。殺すとを好む戦闘狂、という原型を残さないように、魔に対して執拗に斬りたがる、しかし特徴のある殺し方、などでカモフラージュしていたのですが、主軸がそれらであったため、頭の中でビジュアルが某妖怪になってしまいました。正直反省すべき点であると思います。

 セランは原作アリアドネー総長のセラスさん。もともとチョイ役のつもりでしたが、どうしてこうなった。書いていて魅力が出て、ついやってしまった感じです。ぶっちゃけノープロットだったから仕方な(ry いや勿論組み直したからこそ一部完ができたのですが。

 最終話付近については、独自設定がかなりありました。そして最後に日記を開いていたのは、彼女であるとも彼であるとも書いてはいない。そして赤毛の少年が誰であるかも別に明言しているわけでもない……。誰なのかは適当に想像していただければ幸いです。二部を書くことになったら、そのうち公開しようと思っています。

 

 

 さて、一部の話はここまでにして、二部の話に移りたいと思っています。

 二部からは原作に入ります。原作キャラもよく絡むようになるのですが……、原作の設定公開されていなくてプロットがヒャッハーなことになっています。

 墓所の主がずっとお師匠だと思っていたらアレは性別女だと言われてオオイ!? となったり、アリカさまが実は亡くなっている(ソースは38巻表紙)とか、誰かオリ主と掛け算するんじゃなくてラカン×テオドラ様かけよ、とか、どうしてナギが(ネタバレ)になっているのとか、ラストバトルはどうなってああなったのか、とか、ラカンなんで褐色ロリにモテるんだコノヤロウ、とか。

 

 とはいえ、おそらく二部では日記の内容はともかく、エヴァンジェリンが主人公になることは無いのではないでしょうか? そして独自設定で溢れていくのではないかと思います。

 なので、今までの執筆速度で投稿できるとは思えません。まだプロットが練りきれていないので……。ご了承ください。

 そんな小説ですが、また読んで楽しんでいただければ幸いです。

 

以上、作者さんでした。

 

 

8月12日追記とお知らせ。

 

こんにちは、『エヴァンジェリンに憑依した人の日記』を書かせていただいています、作者さんです。

 突然ですが、この小説を打ち切らせていただきます。

理由としては、二部を書いていて自分が納得できる面白い話を掛けなくなっているという実感がありました。

自分の力不足のためこのような形で打ち切りにしてしまい、今まで読んでいただいた読者には大変申し訳なく思っています。しかしどんなに改定してもその違和感が拭えないため、この作品を打ち切ろうという判断に至りました。

 

 今まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

2014年12月31日追記とお知らせ

 

 こんにちは、『エヴァンジェリンに憑依した人の日記』を書かせていただいています、作者さんです。

 以前は私の力不足で二部を削除しましたが、少しずつ書き続け改定などをすることで、二部を完結にまで運ぶ目途を立てることができました。

 そのため私自身も二部を終わらせ完結したいという思いもあり、厚かましくはありますがもう一度この作品の二部を投稿させていただくことに致しました。

 最後に、稚拙な私の話ではありますが、読んでいただきありがとうございます。

 



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2章
1/都市を出てからの日記


 こんにちは、『エヴァンジェリンに憑依した人の日記』を書かせていただいています、作者さんです。
 以前は私の力不足で二部を削除しましたが、少しずつ書き続け改定などをすることで、二部を完結にまで運ぶ目途を立てることができました。
 そのため私自身も二部を終わらせ完結したいという思いもあり、厚かましくはありますがもう一度この作品の二部を投稿させていただくことに致しました。
 最後に、稚拙な私の話ではありますが、読者の方々が楽しんでいただければ幸いです。


『18×〇年 季節、秋

 

 久々に帰ってきたぞ日本。霊地探しとか人脈作りとか、いろいろやることはあったがまずは京都だ。以前貰ったフリーパス券のような札を貰っていたので、またまた入り込んだ。なんか監視が凄いことになっていた。チャチャゼロがアレバラしていいとか執拗に聞いてくる。ねーよ。魂レベルで戦闘狂だけ移ったんだが。どうしてそうなった。

なにやっているのでござるか、と長瀬に突っ込まれ気が付く。彼女が私専門の受付になっている件について。正しく爆発物のような扱いを受けているのに思わず呆れてしまった。そして、変化の術なのか、初めて会った時と外見が変わっていない。此方への配慮だったのだろう。ササムのことも聞いてこなかったので、わりと落ち着けた。忍者空気読む力ぱねぇ。

 とりあえず、剣の打ち直しを依頼する。ササムの剣は根元から折れてしまっていたので、打ち直しは容易かったらしい。ものすごく血吸っているけど、なにやってたの持ち主、と聞かれてしまった。ササムェ……。首刈ってヒャッハーしていましたとか言えない。

短くなってしまったが、新しくなった刀をチャチャゼロがなんかすごく嬉しそうな目で試し切りしたそうだった。やめい。私はここまで来て指名手配されたくは無いんだ。

 呪術協会で近衛という術者に会った。かなり高位の術者で、私が以前来ていた時も、忍者以外の術での監視の目を絶やしていなかったらしい。高位の術者とあって、なかなか有意異議な話をすることができた。繋がりと言うには流石に薄いが、初めはこんなものだろう。』

 

 

『18××年

 

 普段通り辺りを放浪する。幻覚魔法超便利。吸血鬼だってバレないもん。流石私だ。

様々なところを訪れては離れての繰り返しである。流石に良い霊地はあらかた専有された後であり、その持ち主などに借りを作るのも面倒と言えば面倒だ。最高の場所として世界樹のある日本がかなり有力ではあるが、西洋の魔法使い兼吸血鬼の私に儀式の壇上として使わせてはくれないだろう。呪術協会に借りを少しずつ作ってはいるが、どうにも難しい。

 さておき、最近訪れた村で面白い話を聞いた。そこは魔法使いたちの村だった。悪戯をしている子供が居て、私は微笑ましく見ていたのだが、その親に捕まって怒られていた。そしたら親が、「悪いことばかりしていると、首刈り剣士がやってくるぞ」と子供に教えて怯えさせていた。私は噴き出した。ものすごく何処かで聞いたことがある話だ。チャチャゼロがにやにやしていた。

 ただ今とある村の手伝っている最中だった。狂暴な害獣やらなんやらがよく農園に訪れるため、何とかしてほしいとの依頼がギルドの中にあったため、普通に了承。実入りはそこそこだったが、何よりもおまけが素晴らしい。むふふふふ、今度の昼食が楽しみだ。』

 

「あるとき、人をさらったり、盗んだり、殺したりする、とても悪い人たちがいました。そんな人たちの集まりに、一人の男の人がやってきました。どこから来たのか分かりません。大きな剣を抜いたその男の人は、その光景を見て言いました。「悪いことをした魔はお前たちか?」と。暫くして、訪れた旅人たちはとても驚きました。悪い人たちがたくさんいると聞いていたのです。だけど、たくさんの身体はあるのにどこにも首がありません。

――魔法使いたちに伝わる寝物語『首刈り剣士――序章』」

 

 

『18××

 

死ね糞ジジイ。チャチャゼロがニヤニヤしている。思わず殴り飛ばした私悪くないもん』

 

 

『18××年 

 

 なんか行き倒れ拾っちったおwwww。なんか既視感が在るような白髪な小僧だった。そんでもって記憶喪失とかなにそれどこの主人公フラグww。俺は実は作られし存在だ(キリッっていう展開あるかもおっおww。止めて下しあ。そしてなんかキャラがおっさんくさいと言うかジジくさい。縁側で茶でも飲んで猫と戯れていそうな口調なんだけど。

 チャチャゼロが、バラシテいい?って煩い。そんなことしたらまた私が指名手配になってしまう。ぶっちゃけ私は許可したいが、イラついたよし死ねどーんな思考回路なんて、私は持っていない。しょぼーんとしているチャチャゼロを小僧が茶化して喧嘩になって、魔法球の中の庭がボロボロになった。何度自動人形の背中に悲しみを背負わせなければならないのだ……つーか、本当に小僧がそこらの主人公並みのスペックな件について。でも私のヒモはねーわ。その辺に放置したいと考えているのについてくんな。

 いやでも放置するのも問題だろうしなぁ……』

 

 

――――――――

 

 その少年にとって世界とはただ無色であり、感じ入る物は何も存在していなかった。

 昼間であるにも関わらず、薄暗い廊下を歩く足音が二つあった。一人は老人のような男性のもので、もう一つが少年の者だった。老人は逞しい肉体の上に上質なスーツを身に纏い、何度も襟を確かめるように直しながら歩いている。廊下の床や壁などに掘られた細やかな細工や、金の刺繍などをあしらえたその服を纏う男の立場は、世間一般的に見ても高い物であると分かる。具体的に言うのならば、国を動かすこともできる立場の存在だった。

 少年はその外見の年齢とは逆に、落ち着いた雰囲気を出している。黒を飾りに白が主体のローブは上質なもので、実際に魔法の品としては上級の物に入るだろう。ただその控えめの色彩は隣を歩く老人とは対照的であり、この場所にはあまりそぐわない。

 暫く歩き続けていると、一番奥の部屋へとたどり着く。老人はその手前でもう一度身なりを整えると、それを待っていた少年へと向き直る。それは少年が今まで見た中でも、真剣な顔つきであったと言えるだろう。

 

『いいか、フィリウスよ。この中には貴様の主と成られるお方がいらっしゃる。決して無礼をするなよ?』

 

『…………ああ、分かっておる』

 

 その少年、フィリウスの出したその声は、見た目相応ではなかった。老人を思わせるその口調は、フィリウスの前に居る老人以上に落ち着いている。老成した者の人格を宿したその躰は、主となる者へ失礼のないようにとその老人が調整したものだ。

 老人……キャメロン・クロフトにとってその人物は神にも等しい者だ。その者の力になるために、その老人は人の姿を捨てて、人外になってまで権力と言う名の力を求めたのだ。かつて人であったころに、正しく神の力を見た。創造主と言う名の存在へと、そしてその元で尽力するつもりであったのだ。

 だが、不老不死と言う形に自分を持っていくことはできなかった。人外になり長寿になったと言っても、その身体は徐々に衰えていく。だからこそ人形を完成させた。自分の生きた証が永久に、その主の元で在り続けられるように、と。

 クロフトはドアを軽くノックし、一言声をかける。そして静かにその扉を開いて部屋へ足を踏み入れた。

 

 そこは想像していたよりも、普通の部屋であった。普通、と言うには聊か豪華すぎるが、クロフトという人物の持つ屋敷の一室であるため、それも納得だろう。派手さは無いが家具などの品は確かに質が良く、多くの蔵書を置いた棚も目に入る。そして何か物書きをするための机には、変わった形の壊れた懐中時計がある。

 そして、部屋の奥にその人物は居た。

 纏われたローブの間から、深く暗い赤のドレスが目に入る。そして日光の射す窓辺で、椅子に座りながら佇んでいた。長い髪は二つに分けられ、横眼から見える瞳には、本来人が宿すべき光が無い。死人ではないのだろう。魔力によって強化すれば、呼吸もしていれば心臓音も地面を通して、フィリウスには理解することができただろう。しかしそのような命令を受けているわけでもなく、今のフィリウスがする理由は何もない。

 クロフトが片膝を立ててその人物へと跪く。それに倣うようにフィリウスも自分の主となる相手へと頭を垂れた

 

『お待たせいたしました、我が主よ。主のご協力もあり、無事に主の手と成る者を完成させることに成功しました』

 

『そうか……よくやった、クロフト』

 

 クロフトは自分の主の言葉に体を震わせた。直々に、自らの神からの称賛の言葉だ。それを受けて何も思わぬものは居ないだろう。涙が出そうなところをこらえ、何とか返答を返し、向かい直る。そしてその完成した人物であるフィリウスについての説明を始めた。不老長寿の完成、そして創造主として最も造りやすい存在である人形。その全ての原点となる者であると、演説でもするようにクロフトは語る。

 ただそれを、フィリウスは黙って聞き流していた。それらの情報は全て自分の頭の中には入っている。ただ、その情報になんの興味も無ければ、考えることすらしなかった。人格があっても、そこに感情は無かった。

 

人形と言うものはそういうモノだ。そこに移る光景に色も無ければ、熱を感じる事も無い。

 

『立て。……貴様がフィリウスか』

 

『はっ、我が主よ』

 

 声を掛けられ反応する。身体に植え付けられた人格が、頭の中でそれが正しい答えであると頭の中で導き出し、そのまま言葉にして現れる。

 その言葉を聞いて創造主は椅子から立ち上がり、自分よりも頭一つ分低いフィリウスの前に立つ。ゆっくりとかざす様に前に伸ばした手は、フィリウスの胸を抑えた。そしてまるで水の中に沈めるように、その手はフィリウスの身体へと沈み込む。

 魔法世界の者は魂へと殻を被っただけの存在である。そんなことフィリウスは既に知識として、クロフトによって埋め込まれている。そして創造主はそれら全ての根源である。世界に体を定着させる核と呼ばれるそれを、創造主は変質させていた。

 意識が堕ちて行くのを感じる。それは自分が気絶していく前兆だろう。しかし、ソレに抗えとも聞いていない。ただその流れに身を任せた。

 そして、魔法世界の仕組みについて思い出す。ただ、魂が殻を被っただけの人形たち。それらは感情と言う名の幻想に捕らわれ、生き続けている。

 

 なんて、意味のない存在だ。

 

 創造主は核を変質する。その思考の方向を、知識を都合の良いモノへと変える。

そのとき初めて、フィリウスは世界に色を与えられた。

 

 創造主が与えたその色は、無価値という無色の色だった。

 

――――――――

 

 

 今エヴァンジェリンは上機嫌だった。渓流近くの森の中で、丸みを帯びた石の上に椅子のように座っている。そしてその膝の上には、30センチ四方ほどの木の小箱が置かれていた。それは彼女の作り出したアーティファクトだ。中の空間と外の空間とでは流れている時間が極端に違い、ほぼ時間停止状態にあるものだ。そしてその中身は、本人がいつか食べようと考えていたデザートだったのだ。

 旅の途中で買った携帯食料なども食べ終えてはいたが、甘い物は別腹である。鼻歌交じりに小箱のふたを開ければ、焼き立ての甘い香りが辺りを包み込んだ。ごくりとつばを飲み込み、一旦ふたを閉じた。

 

「むふ、むふふふふふふ」

 

「御主人、気持チ悪ィゾ」

 

 小箱に何度も目を下ろし、にやにやとするエヴァンジェリンへと、チャチャゼロは淡々と事実を伝えた。だがそんな言葉も耳にはあまり入っていないのだろう。一瞬引き締まりかけた表情は、場に残されていた甘い香りのせいで、ふにゃ、とまた崩れてしまった。暖簾に腕押しな状態にチャチャゼロは肩をすくめると、手に持っていた林檎酒のビンを傾ける。人形のその身ではあるが、魔力へと分解できるため飲食もしないわけではない。ただ、雰囲気だけは楽しめる、という程度ではあったが。

 

「気持ち悪いとはなんだ。女の子がお菓子に対してにやけない方が失礼だろうが」

 

「400歳ガ女ノ子宣言スル方ガ失礼何ジャネーノ?」

 

 チャチャゼロは一度ビンに栓をして、エヴァンジェリンにそう答える。未だににやにやとしているエヴァンジェリンは、食べるのがもったいないとでも言うようだった。だらしなく涎も垂れそうになっているあたり、それほどまでに食べたいのだろう。恐らく彼女の中には、食べたい、だが食べたら無くなってしまう、という葛藤でも生まれているのだろう。アホか、とチャチャゼロは冷たい視線でエヴァンジェリンを見ていた。

 やがてふたを勢いよく開けると、中に入れてあったデザートを皿へと移し替える。それは焼き立てのアップルパイであり、まだ暖かいのか辺りには湯気も見えていた。アーティファクトであるその木箱の中は時間停止空間であるため、正しい意味で焼き立てのアップルパイだと言えるだろう。

 

「ん~♪ これだこれ♪ こういう時に時空魔法を齧っていて良かったと実感するな」

 

「叡智ノ無駄遣イニシカ見エネーヨ。便利ダケドナ」

 

 それは農家からの依頼で、魔法世界の猛獣を追い払う仕事だったのだが、依頼金のほかに特別に多くの林檎を貰ったのだ。そしてその農家の人に造ってもらったのが、そのアップルパイであった。

 さく、というナイフが切る音が響く。それと同時に出たのはバターと甘い林檎の香りだった。にやにやとしていったん手を止める自分の御主人に、チャチャゼロはもう無視し始めて、自分の武器である二つの剣を取り出した。

片方は打ち直し短くなった刀と、巨大な包丁のような剣であり、今のところ打ち直したササムの刀は使用していない。自分の元となった人物を真似ることが癇に障るというと理由もあり、また簡単に相手を殺せてしまう武器は、御主人の前ではあまり使いたくは無かった。最も、使うときは使うのだが。

 

「とと、食べる前に口を濯がねばな。一番おいしい食べ方は、空腹で口の中に何も入っていない状態だと決まっている」

 

「ミョーナ拘リ持ッテンダナ御主人。マァー食イ終ワルマデ俺ハ剣ノ手入レシテルカラ」

 

 チャチャゼロは手入れをしようと刀を手に取る。そしてアップルパイを皿に移し替えたところでエヴァンジェリンは立ち上がった。席を離れたエヴァンジェリンを横目で見ながら、手入れをするはずだった刀を引き抜いてそのまま構えていた。

 

「アン? ……アァ、ナルホド」

 

 誰かが此処に向かって近づいている。

エヴァンジェリンはまだ気が付いておらず、口を濯ぎに行った。遠くで風を切る音がそれをチャチャゼロへと伝え、仮契約のカードからエヴァンジェリンの魔力を勝手に引き出した。

 数は一、飛行してはいるが箒によるものではない。気、もしくは魔力を使った虚空瞬動にしては速度が無い。このままこの場所を通り過ぎるのならそれでもいい。だが、もしも自分の御主人を仇なす存在であるのなら。

 木と木の間からその人物を確認する。それは少年だった。白い髪はどこかその少年が人間であることに違和感を抱かせ、黒いパンツにフードのついた少年相応の服装はそれが薄まるような気がしてくるものだ。

 にやり、とチャチャゼロは口元を歪めた。アレが人以外の者であるのなら、斬ることに抵抗は少ない。久々に斬り殺せるのかもしれない、という期待感に胸を膨らませる。

 そしてそんな期待は、すぐに無くなっていた。

 

「……ハ?」

 

 空中を飛んで此方へと向かうその少年が、突然胸を押さえて苦しみだしたのだ。そして浮遊術を失ったその少年の身体は、慣性の法則に従って宙を飛ばされる。そして、もちろん落下する。

 

「へがぁっ!」

 

 サクグチャ、という音の次に、少年の間抜けな悲鳴が上がった。

打ち飛ばされたボールのごとく、少年はチャチャゼロの少し前への地面へと叩きつけられ、バウンドして木にぶつかるまで転がった。そしてピクリとも動かない少年に、チャチャゼロは思わず言葉を失った。辺りに流れる静粛が、これ以上になく居心地が悪い。意味の分からない光景だった。

 チャチャゼロが少し辺りの光景を見渡せば、どこかの誰かが座っていたはずの場所にあるクレーターと、その辺に吹き飛んでいるアーティファクトの小箱。もちろん中身は取り出したので存在はしていない。

 

「……ナンダコレ」

 

「おい、チャチャゼロ! 私の魔力が勝手にもって行かれたぞ、いったい何があ……た……あ……え?」

 

 勿論、先ほどの音に何も反応しないほどエヴァンジェリンも愚鈍ではない。何かが近づいてきているのが分かり、すぐに引き返したのだ。

 そしてその視界に入ってきた光景は、チャチャゼロが思ったのと同じく意味が分からなかった。が、それ以上に分かってしまった事がある。そして聡明な彼女の頭は、その光景を見て理解する。

 さらに切り取ったアップルパイの一片は、すっ飛んで地面にたたきつけられている。そしてその余りは、少年が地面に落ちてきた地点にあったため、良く熟れたトマトを踏み潰したが如く地面へと花を咲かせている。頭をアップルパイに打ち付けた少年は、大量のジャムが頭に塗られていた。

 

「私の……アップルパイ」

 

 ぷるぷるとエヴァンジェリンの身体全体が震えた。俯く彼女の周りに浮かぶ魔力が実際に見える程濃くなり、手に断罪の剣(武装解除の魔法付与)が造られた。

 

「うぅ……む……此処は……」

 

 やがて少年はゆっくりと身体を起こした。ぐらぐらと揺れる頭を押さえようと、手を伸ばす。

 

「ぬ……なんじゃこれは、気持ち悪いのう」

 

 そして手に着いたのは頭に付着されていたアップルパイのジャムであった。寝起きに頭を押さえてみれば、其処に在ったのはべたつく物体であった。それに驚かない方が無理であるだろう。

 が、その反応はその光景を見ているエヴァンジェリンに、油を注ぐようなものだ。

 

「き、ききキサマーッ!! 私の大事なものを奪っておいて何だその言い草はーっ!!」

 

「うおっ!? な、なんじゃおぬしは!?」

 

 頭を狙って横なぎに振られた断罪の剣を、少年は身体を地面に再度倒すことで回避した。そして断罪の剣が両断したのは後ろの木だ。武装解除の魔法を組み込まれたそれは、あっという間に木々の葉をすべて散らしていた。別に殺すまでは思ってはおらず、精々武装解除で全裸にした後につるしてやろうと、その程度の事しか考えてはいなかった。

 腕を地面に打ち付けその反動で飛び上がった少年は、エヴァンジェリンから距離を取る。ずきずきと痛む頭は地面に打ち付けたからか、何かを思い出そうとするたびに痛み出す。

 

「くっ、いったいどういう状況にある? ……そもそもおぬしは誰じゃ? いや……ワシはいったい何者じゃろうか?」

 

「なに?」

 

 痛む頭を押さえると付着したジャムが鬱陶しかったが、それでも抑えずにはいられなかった。そもそも自分はなぜ此処に居る? 何か用が在ったのか、此処で起き上がって少女に襲われたという記憶だけしか、頭の中にエピソード記憶は残っていない。

 ふと目をエヴァンジェリンから離した隙に、彼女は少年の懐へと潜り込む。そして少年の胸倉を掴むと、荒々しく上下に揺さぶった。

 

「なーにが記憶喪失だキサマぁあああああああ!! 私の大事な物の上に落ちたのだろう!? サックサクのパイの上に落ちたのだろう!? 何処からの刺客ださっさと思い出せ、私が契約の魔女である所以を教えてくれるわーっ!!!」

 

 がくがくと揺さぶるエヴァンジェリンに、少年ができたのはかすれるようなうめき声だけであった。少年は確かに人間と呼べる存在ではない。しかし頭を強く強打しその上記憶もあいまいなままだ。そんな状態で頭を揺さぶればどうなるのか。

 

 結果、とっくの昔に少年の意識は再度気絶という真っ暗闇に飲まれていき、そうなっていることも知らずに揺さぶるエヴァンジェリンは、チャチャゼロに指摘されるまで揺さぶり続けていた。

 気絶しているのを見て、自分が少年を殺してしまったのだと勘違いしてエヴァンジェリンが慌てたのは余談である。

 

 

―――――

 

 それはフィリウスにとっては過去の記憶であり、忘れてしまった記憶でもあった。

 自分の顔に光が差し掛かり、創造主と面会して気を失っていたのだと思い出す。彼女は自分の主であり、無礼を働いてしまっているということを理解した。ならば次に起こす行動は何か。

 頭を何か温かい物に乗せられている。その感触をフィリウスは知らず、ゆっくりと目を開いた。

 

『起きた?』

 

 そして映ったのは創造主の表情であった。二つに纏めていた髪を下し、蒼翠の瞳には輝きが無い。そこに感情と言うものは分からず、まるで人形の様であるとフィリウスは思っていた。

 どうやらここはクロフト共に訪れた部屋であり、自分はベッドの上に寝かされているようだ。枕の代わりになっているのは、ベッドに腰掛ける創造主の膝であった。だが、その姿を創造主と言うには違和感がある。それは纏っていた黒いローブが無いことからか、それとも明らかに雰囲気が創造主と離れているからか。

 

『……おぬしは誰じゃ』

 

『……ん、お姫様かな。……冗談、カグラだよ』

 

 無表情の中にほんの少しだけ口元を吊り上げて、その少女――カグラは微笑を作り出す。

 それは創造主と呼ばれた存在の人格ではなかった。華美なドレスは確かに姫という単語を連想させるが、そのような存在がクロフトの用意した私室にいるのも疑問だ。

 なによりも目の前にいるのは使えている主と全く同じ顔をした存在だ。それに対して敵対心を抱くわけもなく、そして寝かされている今の状態は失礼にあたるのでは、と思い直す。創造主によって自分の核と呼ばれるものを変質させられたためか、まだ体に違和感がある。

 起き上がろうとしたところをカグラは手で制し、そのままフィリウスの額へと手を当てる。ひんやりとしたその手が、どこかフィリウスにとって心地よい。起き上がるべきであったにも関わらず、その身体は動くことを拒絶した。

 

『寝ていて。あの人が無理をしたから、まだ辛いよ』

 

 言葉数は少なくとも、その言葉の中には此方を案ずる様子が感じられる。そんな声にフィリウスは何故かむず痒くなるのを感じた。そして彼女の膝から伝わってくる人肌の熱が、フィリウスの感覚を落ち着かせる。

 このまま寝てしまえばどれほど気持ちいいのだろうか。主の意向を無視して行動を起こすわけにはいかない。だが、その主の躰の主は良いと言っている。ならば――

 

 

『ゼクト』

 

『む? ……?』

 

『貴方の名前。凄く強い騎士の、英雄の名前。きっとそう』

 

 

 そう言ったカグラの顔は無表情のままだ。どう捉えれば良いのかフィリウスには分からない。自分の主から名前をいただく、と言うのは儀式的な意味としては重い物であり、それを光栄に思うのが当然なのだろうか。

 頭はまわらず、眠気がフィリウスへと襲い掛かる。突然つけられた名前であったにもかかわらず、どこかその名前が嫌いではないと、そう思いつつ目を閉じた。

 

 

『……寝ちゃった。おやすみ、ゼクト』

 

 

 そのカグラは再び目を閉じて、規則正しい呼吸を繰り返す少年を見下ろしながら、驚いたように目を丸くする。

 思考の渦に捕らわれているまま、フィリウスは意識を落としていた。創造主の行った核への改変がそれほどまでに身体に負担をかけていたのだろうか。創造主の知識もある程度手にしているそのカグラは、そっとフィリウスの髪を手櫛でといだ。

 

『……始まりの英雄。あの人と同じ。ゼクト、フィリウス……そう、そういうこと?』

 

 彼女は目を閉じて何かを思う。自分に体を預けているこの少年の事か、それとも創造主と言う存在を宿した躰に、まだ確立されているこの意思のことか。

 その少年は創造主によって世界に無色という色を与えられた。

そして、そのカグラに新たな色を与えられていた。そのことをまだ、少年は知らない。

 

 かち、という時計の音が響き渡る。それは机の上に置かれた壊れた懐中時計が動く音であった。

 



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2/少年に出会った後の日記

同日10時にも投稿しているので、そちらから見ていただければ助かります。


『18×■年 

 

 魔法世界なう。MMでの騒動もとっくの昔に収まり、エヴァンジェリンという名も廃れてきている。私としては嬉しいことで気分はそこそこ上がっているが、悩みが一つ。なんかまだアイツが着いてくるんだが。

 いや、私としてもどっか寝ているときに放置していきたい。だが、前にドラゴンの巣に行ったとき、攫われた住民ごと千の雷で吹き飛ばそうとして、ちょ、おまっとなってしまった。コイツ放置していたら、絶対に何かやらかすなぁ……。なんなの? 善悪の区別がつかない子供なの? いや見かけ子供だけど口調がおっさんだから仙人だと思っていたのに? 拳を突き出すだけで大地を割るアルアルな感じではないからか? うわ、面倒くさい。

 簡単なものだが私に攻撃できないようにギアスをしたので、記憶が戻って凶悪犯だったりしても問題は無いのだが……記憶が戻ってどっか行くまで放置しよう。時間が立ったら解除すればいいし。考えるのも面倒くさい』

 

『18×■年

 

 久々にセランにあってきた。子供がいたことは知っていたがあまり私と顔を合わせる事も無かったので、学生服の姿の子供を見たときには驚いてしまった。

 どうやらアリアドネーの総長は引退したらしい。引継ぎも何もかもしっかりと行ってきたから、のんびりと余生を過ごすそうだ。まぁいろいろ意見を聞かれたりすることが在るのだから、まだまだ忙しいだろう。

 久々にいろいろ見て回ってきた。勝手にチャチャゼロの置物や、明らかに人によっては私と分かる作品を語って歩いていたのは、ここの吟遊詩人らしい。立派な魔法使いを目指す者にとっていろいろ考えさせられるのだとか。でも中身は首刈り剣士。おい。おい。いいのかそれで魔法世界。チャチャゼロがケケケと嬉しそうに笑っていた。

 ただ、アイツは終始神妙そうな顔つきで私に着いてきた。気分はペンギンの親子だ。魔法世界でもさまざまな人種がいるから驚いているんじゃないかな。現実世界からの人間とかも少なからずいるし。』

 

「あるとき一人の少女が居ました。少女は魔法の実験で醜い醜い化け物の形に変わってしまいました。背中には獰猛な羽が生えて、手足はまるで獣のよう。人々は彼女をバケモノだと言って追い出しました。

 そんな少女の所に一人の男がやってきました。大きな剣を抜いたその男の人は彼女に向かって言いました。『悪いことをした魔はお前か?』と。少女は頷き目を閉じ、首を差し出しました。少女はみんなから化け物と呼ばれていることを正直に言いました。暫く立って少女は目をあけました。大きな剣を持っていたはずの男の人は、少女の所には居なくなっていたのです。

――――魔法使いたちに伝わる寝物語『首刈り剣士――三章の一部分』」

 

『18×△年

 

 なんかよくよく考えたらアイツがニートやっている。チャチャゼロが笑っていたが少し危機感が出てきた。今度仕事に誘おう。アイツ実力はあるから大丈夫だろう、うん』

―――――

 

『……抗うのか』

 

 そこに居たのは一人の少年だった。先端に星をつけられた子供用の杖を此方へと向け、後ろに倒れる自分の親を護ろうとしている。

 そこは魔法世界の中のとある村であり、行商を行っていたその一家はその村に訪れる最中に、部族同士の争いに巻き込まれていた。一家の主である少年の父親が囮となり、妻と子供を逃がしたのだ。しかしその逃げ込んだ先が森の奥であり、質の悪い風土病に当てられた母親は高熱を出して倒れた。何とか休める場所を見つけたものの、少年の不安はぬぐい切れていない。そしてはっきりと表れた脅威へと、その少女は敵意を向けていた。

 

『こっちに来るな! どうしてこんなことするのよ! この化け物!』

 

 

自分が何とかしなければ、自分の母の命が無い。それを理解しているからこそ、たとえどのような存在が相手だったとしても、その少年が引くことは無い。

 そんな光景を、フィリウスは真正面から見ていた。

 

『光の精霊13柱、集い来たりて敵を討て!!』

 

 放たれたのは魔法の矢だ。最も扱いやすい、魔法使いが一番初めに覚えるその攻撃呪文は真っ直ぐに此方へと飛んでくる。それを避けもせず、ただこちらは見つめている。その呪文は直撃したものの、此方の視界はほんのわずかも揺るがない。自分の行った攻撃行為に何の意味のないことに怯えるも、それでも少年はまた何かの呪文を唱えようとする。それを無視して、此方は黒い鍵のような杖を召喚し、呪文を唱える。

 

『リライト』

 

 少年とその母親の姿が消えた。花びらが人の形とっていたかのように、その姿は風に吹かれて消えていった。そしてその光景を見ても、自分は何の感慨すら浮かばなかったのだ。

 

『……これでまた一つ、主の目的へと一歩近づいたか』

 

 少年たちへの手向けの言葉は無い。そもそもその森には既に、その少年たちが居たという証すら、まるで初めからなかったかのように消えていた。当然だろう、とフィリウスは思った。彼らは元々存在すらしていない、幻想に過ぎないのだから。

 何とか逃げ推せた子供の父親も、その部族同士の対立を行っている者達も全て、この世界にはもういない。ほんの少し前まで村として機能していたはずのその場所は、荒らされ壊され、人という者も全て存在しなくなっていた。全て消滅させたのがフィリウス一人であったと、いったい誰が想像できるだろうか。

 フィリウスは何も思わない。創造主から与えられていた使命を行う事に疑問も無ければ、その使命の意義にすら何も思ってはいなかった。ただ、自分はその役目を負って此処に居る、だから行動するだけだと自覚していたのだ。

 

 キャメロン・クロフトがとある剣士に斬り殺されてから、創造主の身体である少女――カグラとフィリウスは館を離れていた。

 吸血鬼であった、という事は隠されていたが今ではMMでは話題に上がっている人物であり、表舞台に出るのはまずいという創造主の判断からだった。フィリウスもそれに同意し、今ではただの旅人のように歩かせていることを恥じるべきなのだろう。

 何よりも問題なのが、創造主がその躰の人格をまだ掌握しきれていないことが問題であった。前の肉体が死に至り、最も近い存在であるそのカグラへとなったところまでは良かった。だが、カグラには確立された自我があり、完全に創造主が体を使うことができなかったのだ。

 しかしそれも時間の問題であるのだろう。模造品ではあるが、世界の鍵をフィリウスに作成し渡せる程度のことはできるのだから。

 

 フィリウスはとある街道まで到着すると、遠目に入ってきたのは自分の主である者の姿だった。正しくは、その肉体の提供者の少女と言うべきか。

 そこにいたのは浮浪児だった。身なりはボロボロで薄汚れた姿で泣いている。村から逃げている最中に、土手の石にでも躓いて転んだのだろう。膝からは出来たばかりの傷から血が流れていた。

 

『痛い? ……うん、うん。大丈夫、すぐに治るよ。見ててね』

 

 そんな子供の前にカグラは膝を着いて、傷を見て手をかざす。ぼう、と淡い光がそこから溢れ、子供の傷を癒していた。それは魔法と言うよりも気の操作の一種だろうか。あったはずの傷の痛みがなくなり、子供は驚いたように目を丸くした。

そしてカグラがその傷を治してくれたと理解し、笑みを作る。そして、ありがとう、とぺこりと頭を下げて笑った。心なしか、カグラもその笑みに釣られるように微笑を作っているようにフィリウスには見えた。

 

『ありがとう、お姉ちゃん』

 

 くだらん。

 

 幻想の者に手ほどきをして何になる。あの子供の傷を癒しても、そのすぐ後に直面するのは貧困と言う名の不幸だけだ。不幸に価値など存在してはいない、フィリウスはそう刷り込まれている。だからこそ、無価値なモノを見ることがどうしようもなくくだらないと感じるのだ。

 それは先ほどの商人の子供にも言えたことだ。子供が一人で生き延びられるほど、魔法世界の森は甘い所ではない。絶望しながら食われていくことをは分かっているのだから、フィリウスの行っていることは慈悲であるとも言えた。

 二人は気が付かない。フィリウスが黒い鍵を模した杖を召喚したことに。無言で子供の後ろまで迫り、手を翳したところでようやくカグラは気が付いた。

 

『ゼクト! 駄――』

 

『リライト』

 

 瞬間、子供の姿はあるべき形へと戻った。光の粒子になって消えていくその表情は唖然としており、どうして今自分が消えようとしているのかも分からない、そう表情から読み取れた。

 消えていくその姿を見る『彼女』の眼に変化はない。感情の起伏の読み取れないその姿は、本当に目の前の子どもが消えたことを理解しているのか。もっとも、フィリウスは理解しているうえで、表情を変えていなかったのだが。

 カグラは暫くじっと子供が消えていた場所を見つめていた。そして徐に立ち上がりフィリウスへと近づいて前に立つ。

 パンッと、頬を叩く乾いた音が響き渡る。それを受け止めることもせず、フィリウスは頬の痛みを感じながらも黙っていた。

 

『ゼクト、どうして?』

 

『あの子供はすぐに死ぬ。現実からの解放は寧ろ慈悲であろう』

 

 フィリウスも彼女も表情を変えず、淡々とその言葉を述べる。フィリウスの言葉に彼女はすっと目を細めると、やがてほんの少しだけ眉を下した。

 

『それでも、生きていた。ゼクトや私と同じように』

 

 カグラは感情が薄いわけではなく、表情にあまり出ないだけだ。本当はフィリウスの行為に激怒しているかもしれないし、子供が居なくなったと言う事実に悲しんでいるのかもしれない。

 フィリウスは子供がいた地面を苛立ったように軽く蹴る。砂利と共にまだかすかに残されていた粒子が、それで風に飛ばされて無くなった。

 フィリウスは感情が存在しないわけではない。少なくとも、自分が正しいと思っているにもかかわらず叩かれたことに、不快感を覚える程度のものはある。

 

 それもまた色だ。カグラから与えられた負の色。

 

『ならばなぜこやつらは、こんなにも簡単に無に還る? ワシと同じ、元来から何もない存在だからではないのか?』

 

 魔法世界の存続のために、彼らの消滅は必須だ。創造主の使徒であるフィリウスから見れば、これは元在った物を返してもらっているだけに過ぎない。それが無くなったところで、なぜ何かを思わなければならないのか。

 フィリウスが何もないと言うのは意味が違った。人形である自分が、本来存在する者ではないと言う意味での問いだった。

 その問いに対して彼女は首を横に振る。

 

『少なくとも今、私とその少女という繋がりは合った。なにもないだなんて、そんなこと言っちゃダメ。ゼクト、貴方にだって私という繋がりがあるのだから同じ』

 

 カグラはフィリウスの手を取って自分の胸へと寄せて、そこに両手を合わせた。フィリウスの掌に、とくん、とくんという心臓の鼓動が聞こえてくる。そしてそこから彼女の熱が伝わってきているのが分かった。そしてフィリウスは思う。

 

 『カグラ』に価値はあるのか。

 

創造主の躰を持つ彼女は意味がある。なぜなら、自分の中で創造主という存在は、価値のある、意味のあるものであると設定されているから。

 ならば『カグラ』の言葉は? 自分の中にある常識と反対の事を言う『カグラ』の言葉を、どう捉えればいいのだろうか。

 

 そもそもなぜ、『創造主』ではない、『カグラ』の言葉をこんなにも聞いているのか。

 

 気まずくなってフィリウスは目を逸らす。彼女は自分を惑わせる。まるで■■である自分を人間のように扱い、話しかけるのだ。それを思い出したが、そんな思考全て閉ざす様にフィリウスは目を伏せた。

自分は■■だ。■■が何かを思い、考える必要はない。

 

 じっと『彼女』は此方を見つめて答えを待つ。俯いたままフィリウスは呟いた。

 

『そんなこと、ワシが考える必要もない』

 

 にべもなく、フィリウスはカグラの言葉を斬り捨てる。彼女が思い浮かべているのは失望だろうか、表情の変化の小さいその顔から読み取ることはできない。

 沈黙が辺りに訪れる。川のせせらぎと風の音が、フィリウスの耳には大きく聞こえている。そしてその中に一つ、とくんとくんと響くカグラの心臓の音が聞こえた。

 

『それでもね、ゼクト。私はゼクトに考えて欲しい。ほんの小さなことでもいい、何かを考えて』

 

 意外なことに、彼女の言葉に悲観は無かった。ほんの少しだけ下がった眉が落胆を示している。

 フィリウスにとってカグラという存在に価値は在る。その結論は出されている。

それが思考は始まりだった。彼女に価値があるのなら、カグラの言っていることに意味はある。ならばその通りにしてみることも、必要ではないのか。

 カグラの言葉を頭の中で呟き、ふと浮かんだ言葉が一つある。何度も言われ、カグラが誰かを重ねて見ているその言葉が、なんとなく引っかかっていたからだ。考える事項の中でも最も簡単なものの答えを、フィリウスは返した。

 

『……その名前は好かん』

 

 きょとんとしてカグラは目を丸くした。そして何が嬉しいのか、その表情に微笑を浮かべた。それはあまり表情の動かない彼女にとって満開の笑みであったのだろう。

 カグラにとってはフィリウスの反応が嬉しかったのだ。事務的な会話、単調な答えとは違う感情のこもった言葉を出してくれた。それはきっと、彼女の思い描いていた良いと言えることなのだから。

 

『うん、それだけでもいい。考えてくれてありがとう』

 

 そう言って『彼女』は微笑んだ。

 

 そこはさびれた場所だった。自らがその村人たちを消し、争いを起こした者達も消し、森の中へと逃げた子供を消したその廃村こそが、『ゼクト』にとって始まりの場所であった。

 

――――――

 

 長い夢を見ていたような気がする。しかしその夢を覚えていないのは夢だからなのか、それとも自分が記憶喪失であるからなのか。

 渓流の涼しげな空気と、木々からの木漏れ日がなんとも気持ちがいい。釣りをしている最中であったはずだが、ついうとうととしてそのまま眠ってしまったようだ。釣竿の糸の先を見れば、当の昔に餌は無くなっている。

 

「……思った通り、釣れんのう」

 

 それでも竿ごと流されるよりましだと思い、ちゃぽん、と餌を奪われた釣り針を取り出して、再度餌の虫をくっつけて川へと投げ入れた。

 雷の魔法の一つでも使えば入れ食い状態になるが、そうすれば同行している人物は烈火のごとく怒るだろう。余計な火種を残していくな、と。確かに雷の魔法を使えば魚は浮かび上がってくるが、その周りの生物まで死滅してしまう。原住民との折り合いもあり、調整することは面倒らしい。

 魔法世界だからと言って、死んだ生物がすぐに復活するような生物はそんなに居ない。居たとしてもちょっとタガが外れたような者ばかりであり、今目の前にいる魚たちにそんな再生能力は無かった。

だが所詮は”魔法世界の生物”であるため、何体消えようが気にしたことも無かった。

 胡坐をかきながら、ゆらゆらと揺れる釣糸の先へと視線を向ける。いい加減空も暗くなってきており、これが最後になるだろう。すると、餌を下に集まった魚がつつく感触を感じ、最後のチャンスに今か今かと待ち構える。

 

「おーい、キサマの方は釣れたのか?」

 

 そんな間延びした少女の声に、神経を過敏にしていたためか、竿が大きく揺れてしまった。つついて様子を見ていた魚たちも、いきなり動いた餌の動向に驚かせたのか、すぐに四散してしまっていた。む、と思わず口を尖らせる。魔法を使わず行う狩りで、初めてとれそうだった獲物だったために、落胆の表情が見えてしまっていた。

 

「うむ……あと少しで取れそうだったのだがのう。おぬしが声をかけたせいでどこか行ってしまったぞ」

 

「ケケケケ、テメェノ下手糞ヲ御主人ノセイニシテンジャネーヨ」

 

「む、そういうお主は釣れて……いるか」

 

「ケケケ、ナンダ? 聞コエネェナァ。モットハッキリト俺ニ聞コエルヨウニイッテゴラン?」

 

「ふん、忌々しい人形よ」

 

 忌々しい声の人形に、どうして川に居たのか分からない大きさの魚が引きずられている。え、お前もしかしてオケラだったのか? と言わんばかりのにやにやした視線に、肩を落とさずにはいられなかった。その隣を歩く少女すら何匹かの魚を釣ってきていたのだから。

 完璧な敗北である。いくら戦闘に勝てようが、今この場で勝者と敗者ははっきりと分かれている。人形が、どんな気持ちだ? なぁなぁどんな気持ちなんだ? と煽ってくるのがさらに腹立たしい。

 

「何を言っているんだキサマらは。ほら遊んでないで、食事の支度をするから手伝え」

 

 そんな人形と少年の様子に、少女は腰に手を当てて溜息を吐いた。

 その少女こそが少年を拾った人物である、エヴァンジェリンだった。魚の内臓などを取り、塩などで簡単に味付けすると、串へとそれを突き刺した。焚火で炙るよう地面に刺して、しばらく待つ。匂いなど外に出るが、チャチャゼロが辺りを見張りに行っているので、その殺気のある場所に入ってまで獲物を求める動物もいないだろう。

 ぱち、ぱちと枝が燃える音だけが辺りに響き渡る。少年は焚火を中心として対面に座るエヴァンジェリンへと目を向けた。

 

 目が覚めてからは酷かった。介抱されてはいたが、恨めしそうな視線が途切れる事も無く、記憶喪失という要素もあってエヴァンジェリンは大きく溜息をついていた。

 エヴァンジェリンとしては、これで嘘をついているようならまだいい。記憶を消してしまえばいいだけの話だ。しかしこっそり真実しか話せなくなる薬を飲ませるなど、調べてみたが本当に記憶喪失で、さらにその少年の所有魔力の多さは世界でも屈指のレベルである。おまけに少し調べたところ、真祖の吸血鬼とは違った意味で人外であることが分かった。ここまで来たら実験材料や魔力タンクのために、人攫いに出会わない方が奇跡である。

 

『私にどうしろって言うんだ、これ』

 

『解体(バラ)シャア良イ素材ニ何ジャネーノ? ケケケケケ』

 

 エヴァンジェリンとしても、その少年を助ける義理もない。むしろ恨みは溜まっている。食い物の恨みは恐ろしいとは言うが、欲求の一つを抑えられたのなら恨みも大きくなるだろう。無残に散ったアップルパイを見ながら林檎を食べるのは、エヴァンジェリンにとって悲しいことでもあった。少年はその林檎を勝手に食っていたが。

 そんな少年であるが、エヴァンジェリンも放り出すこともできずにいた。基本的にある程度の善意を与えても、エヴァンジェリンは放り出している。だからこそ偽善者であると自分でも思っている。しかしそうでなければ、子だくさんの子持ち狼になってしまう事は目に見えて分かっていた。

 しかし少年はついてきていた。無理やり放り出そうと思っても、記憶喪失のくせに戦闘力が軽くインフレしていた。戦闘力の高い記憶喪失、どこの主人公だ。そうエヴァンジェリンは思ったこともあったが、初期の主人公が持っていい戦闘力ではない。

 少年もエヴァンジェリンに何かをしなければならないと分かっているのに、それを覚えていないのだ。彼女に悪意も無く、危害を加えるようなことではないと、なんとなく分かるがそれだけだ。

 そんな縁もあり、二人と一体という旅の道連れになっている。ただ悪い物ではないと、両方とも考えてはいた。

 

「……ん? どうした?」

 

「いや、早く焼けんのかと思っただけじゃ。燃える天空あたりでぱぱっと……」

 

「消し炭になるわ! 普通の魚にキサマのような魔法抵抗を求めるな!」

 

「そう怒るなエヴァよ。ほんの冗談じゃろ」

 

 それでも食っていろ、と。エヴァンジェリンに下手投げで何かを投げられる。それは以前エヴァンジェリンが村で貰った林檎であり、赤々としたその色は食欲をそそられる。しかし、その果物と魚という組み合わせは如何なるものか。

 むう、と視線を焚火に炙っている魚へと視線を戻す。着火こそ魔法で行ったものの、それ以降は焚火と言う自然のもので行っているため、そこに魔法的な要素はない。非効率的であると思ってはいたが、エヴァンジェリン曰く、そこがいいらしい。

 

「しかしキサマも普通に何かを食べるのだな。初めは何も食わず霞でも食っているのかと思ったぞ」

 

「ワシを何だと思っておる」

 

「仙人かなにか。……いやそれはないな。それっぽい奴に会ったことがあるが、『我が拳を打つにはこの大地は脆すぎるアル』とか言っていた変態だったからな」

 

 ククッ、と思い出したように笑う彼女の姿を、少年はただぼんやりと眺めていた。先ほどの話の人物は、現実世界の者の話だろう。大地がダメなら宙を蹴り飛ばせばいいじゃない、と言って虚空瞬動を生み出した変態の話だ。此方も思わず笑ってしまったことを覚えている。

 彼女の話は面白い物が多かった。日の国とやらに訪れたとき、NINJAという諜報員に追い掛け回された話や、彼女の従者のせいで、相手が可哀そうになった話など、興味を惹かれる者は多い。

 ただ、魔法世界での話に関しては別だった。彼女が魔法世界での話も確かに、面白いと普通なら思うのだろう。だがそれを聞き、少年は何も思わなかった。何か思うはずであるにもかかわらず、話の中の世界に何の価値も感じることができなかったのだ。せいぜいユーモアのある話に分類されるとラベルをはるぐらいだった。

 

なぜ、■■しない魔法世界の住人に、何かを思わなければならない?

 

 それは当たり前のように頭の中に流れたが、語るエヴァンジェリンの前には言葉となって流れることは無かった。言えば、その言葉は相手の不評を買うであろう。今エヴァンジェリンと仲を違えることにメリットは無い。どこか機械のような思考を少年は当たり前のように受け入れる。

 ただ、違和感はある。機械のような思考は少年にとって一番しっくりくるものであるはずなのに、どこか引っかかるのだ。

 

 

「……い……おい……おい! 聞いているのかゼクト!? そっちの魚はもう焼けているぞ!」

 

「う、うむ。すまん。ぼうっとしておった」

 

「ナンダ、ツイニ呆ガ来タカ爺?」

 

 いつの間にか戻ってきたチャチャゼロが、ゼクトと呼ばれた少年に減らず口を叩く。そんなチャチャゼロにゼクトは黙って中指を突き立て、エヴァンジェリンはそんな二人を見て溜息を吐いた。

 当たり前となった少年の日常が、なんとなく楽しく思えているのを、少年は違和感が有りながらも受け入れる。

 

 始まりを与えた少女は隣には居ない。だがここで出会った吸血鬼の隣人は、なぜか懐かしさを思い出させた。

 



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3/人探し中での日記

同日に2話投稿しているので、二章初めから読んでいただけると助かります。


『18◎Δ年 

 

 まだ魔法世界なう。依頼とかのんびり受けながら霊地めぐりの最中で、古き国のオスティアへと到着。もちろん観光用に開けた場所しか行けなかったが、儀式場としてはなかなか良い場所も遠目に見れた。入れないが。どうも霊地を使って発動するよりも、こつこつと魔力を貯蔵する方が現実的だと気が付いた。魔法球の中にそのために媒体となるものを入れてあるが、順当にいけば後300年もあれば十分だろう。

 そのまえに、……あの馬鹿と戯れている馬鹿を何とかしなければ……。魔法世界の街の中心にどーんと一発撃ってみたいのーとほざくジジイとか、久々に強盗団の首でも刈ってくるかなぁ、とほざく人形とかなんとかしてくれ。ちょっと言っている意味分かんないですね^^;www。

 なんでギャグで街吹き飛ばそうとか出てくるの? 馬鹿なの死ぬの? 私真祖の吸血鬼なんだから、どちらかと言うと悪者っぽい存在の私のセリフじゃない? そのつもりは無いけど。 つーか、チャチャゼロは勘弁して。女性の八頭身用人形に乗り換えて、賞金首を楽しそうに勝手に刈りに行っていることは知っているんだ。仮契約のカードから私の魔力を勝手に持っていきおって……。

 もしもし、セランへ。キサマは割とこんなカオスな感じで私と若いころのササムに対面したのだろうか。いや、流石に此処までではなかったはずだ。』

『追記 割と今も昔もこんな感じだったのですね^^。いやはや、キティが楽しげで何よりですww』

『追記の追記 うるさいだまれしねくそナス古本』

 

『18○Ю年

 

 とある街へ到着。もちろん変装魔法を使っているが、少女の姿でいるよりも大人の姿でいるほうに慣れてしまっている。ゼクト? 私の息子ってことでいいだろう面倒くさい。部屋を借りる時もそうしておいた方が楽だ。そうしたらそれが嫌なのか、変装魔法を使うようになった。くそ、部屋代がかさむ。

 さておき、久々にギルドで仕事。賞金首は居ないが人探しの依頼がある。なかなかの依頼料であり、早いところ見つけられれば実入りの良い仕事だろう。もちろん、裏が無いことなども探ったが特に無し、居なくなった子供も最近であるため、探すのはそこまで難しくは無いはずだ。

 そう思っていた時期は本の数日前だった。探索魔法やら聞き込みやらやったが、見つからない。仕方ないから情報屋へ。ゼクトとチャチャゼロの視線が痛い。私だって失敗するんだ、面倒くさい物を見る様な視線をするな。キサマら仲悪かったはずだろ。私を煽ってくるなイラツクなぁ!』

『追記 MM内でいろいろあったあの廃村が出入り禁止になったらしい。』

 

―――――

 

 魔法によって加工された双眼鏡越しに、遠くに位置する遺跡を覗き見た。切りだされた石を幾つも置いて建造したようなその遺跡の入り口には、考古学者の姿とは全く逆の、浮浪者のような格好の男が、あくびをしながら立っていた。周りは森に囲まれているため、周囲に何かが居るかは確認できない。だが、その傍には魔法生物を動力とした馬車が止められている。

 男のその手には樹で作られた杖があり、その男が魔法使いであるという事はわかる。そして黒い肌の色や長い特徴的な耳から、それがヘラス帝国に多く住む族の人種であることも分かった。それを見ただけで、ゼクトは思わず目元にしわを寄せる。

 

「おいゼクト、様子は?」

 

 後ろから小声でエヴァンジェリンに尋ねられ、視線を一旦望遠鏡から外した。暗い色で染められた長袖の服とパンツを纏い、その上に魔法使いが愛用するローブを羽織っている。そしてその姿は年齢詐称の魔法によって15歳程度まで姿を変えていた。ゼクトも同様だった。ローブこそ羽織ってはいないが、軽く速乾性に優れ肌を見せないような服装は、冒険者に好まれるものの一つだ。

 しかし、スカートのようなひらひらとした服装を好む彼女にしては珍しい。もう二年ほど共に居るが、そのような服を着るのは意外だった。そうゼクトは思いつつも視界に入ってきた情報を口にする。

 

「見張りは3人。周りは森だから確定とは言えんのじゃが、商隊の規模を考えても10人、それ以上周りにはつけておらんじゃろう」

 

「まあそんなものだろうな。さて、どうするか。商隊が相手だからわざわざ交渉するわけにもいかんし……」

 

 片手は双眼鏡を手に、片手は口に当て、悩むようなしぐさを見せるエヴァンジェリンを横目で見つつも、ゼクトは軽食代わりに持ってきた林檎を取り出し齧り付く。以前食べて以来、なんとなくゼクトはハマっていた。林檎の果糖の甘みが広がり、ほっと一息つく。

 

 そこは温暖な地域のある国境近くであり、そこを通り超えようとしている商隊を追いかけている最中であった。個人的なもので小規模なその商隊であったが、敵をあまり作らずにいたためか、商隊同士の抗争などに巻き込まれることは無かったようだ。しかしその商隊の商品は人であり、獣人の少女などがその馬車の中に乗せられている。

 その商隊にまでたどり着いたのは、依頼の一致と情報収集の結果だった。ギルドに出されていた依頼の一つで、早い段階で出された人探しの依頼は、上手く行けば手間をかけずに終わらせることができると思っていた。その予感は的中し、こうして視界に入るほどの距離まで捕捉している。

 

「ゼクト、キサマからなにか案は無いか?」

 

 暫く考察していたエヴァンジェリンであったが、良い案は見つからなかったため、同行者であるゼクトに意見を求めた。この後の行動では彼も動くのだから、意見を求めるのは当然だろう。その言葉に対してゼクトは溜息を吐いた。小指で耳を掻きながら、なんかもうどうでもいいじゃん、と言わんばかりのジト目であった。

 

「はあ、エヴァンジェリン、おぬしはたしか不死じゃったろう?」

 

「……まぁ、そうだな」

 

 ゼクトの言葉に思わずエヴァンジェリンは言葉を詰まらせるも、事実であるため同意する。しかしそれが今何の意味が在るのだろうか、ジト目を元に戻し真剣な表情を作り出したゼクトに、エヴァンジェリンも思わず向き直った。

 

「①、おぬしが迷子になった少女のふりをして商隊にもぐりこむ。②、依頼の少女を見つけて此方に全力で投げる。③、ワシが奈落の業火でおぬしごと一帯を焼き払う、相手は死ぬ。これでいいじゃろ」

 

「アホかキサマはーっ!!!!」

 

 だがそんな真剣な話なんて無かった。エヴァンジェリンが投げた石がゼクトの額に直撃し、すこん! という快音が響き渡る。身体に膜のように魔法障壁を張っていたたがそれでも衝撃は在ったようで、いたいのう、と頭をさすりながらゼクトは向き直る。

 エヴァンジェリンの頭の上から笑い声が漏れた。それは頭に乗せていたチャチャゼロが出したもので、愉快な意見は実にチャチャゼロ好みのものだったのである。チャチャゼロはエヴァンジェリンの頭の上でうつ伏せになったところを顔だけ起こし、手に指を三本立てて突き出した。

 

「ソノ通リダ糞ジジイ。テメェノ案は3ツ程駄目ナ点ガ有ル」

 

「ふむ、その心は?」

 

「いや、3つじゃ済まないだろうが……」

 

 雑談にと洒落込む二人に、エヴァンジェリンは頭を押さえて溜息を吐かずにはいられなかった。ゼクトの魔法世界の住人に対する嫌悪感は今更である。依頼の主が獣人であり、探し人も獣人だった。依頼を放置したいという態度がはっきり見えている。

 

「1ィ、糞ジジィガ案ヲ出シタコト、2ィ、糞ジジィガ息シテイルコト、3、糞ジジィガ存在シテイルコト、オオ! 良カッタナ御主人、ジジイガ死ネバ全部解決スルゼ! スゲェ案ダ!」

 

「少し表に出んかの、クソ人形? ゴミ捨て場はあちらじゃぞ?」

 

 ぐしゃ、と林檎を握りつぶした後に無表情になり、親指だけ立てて後ろを示したゼクトに、チャチャゼロは何がおかしいのかケケケと笑う。それに挟まれるエヴァンジェリンは溜息を深く、深くつかずにはいられない。ふざけてはいるが、チャチャゼロも別にゼクトの案でいいじゃない、という態度がありありと見えていたからだ。一応、ゼクトは半分冗談が入っているのだが。

 

「オイオイ、何デ糞ジジイが数分後ノ糞ジジイヲ自分デ持ッテンダ? オット、ヨク見タラ、タダノ潰レタ林檎ジャアネェカ!」

 

「いかんのー、ワシの中でのお主の順位が犬の餌以下になりおった。うっかり引き裂く大地で地中に埋めてしまうかもしれん」

 

「ええい、止めんかキサマらは! 互いが嫌いなくせにいつも意見だけ合わせるんじゃない!」

 

 肩で息をするエヴァンジェリンにゼクトとチャチャゼロは肩をすくめた。ちなみにチャチャゼロの出した意見は、侵入して少女以外皆殺しにすればいいんじゃね、というものであり、なんの役にも立たないことにエヴァンジェリンは思わず肩を落とす。

ハッキリ言ってゼクトはチャチャゼロが初め気に入らなかった。それがなぜなのかは分からないが、魔法世界の住人が嫌いなように、記憶喪失前はチャチャゼロのようなものが嫌いだったのだろう。

 対してチャチャゼロの方も同じだった。基本的にチャチャゼロにとっての世界はエヴァンジェリンの傍という場所しか知らない。だからこそ、そこにずけずけと入ってきた存在に苛立っていたのだ。

 が、数年たてばそんなものも知ったことではなく、いつの間にか罵り合うことがデフォルトになっていたのだ。そんなことをエヴァンジェリンは知らずにいつも頭を抱えていた。

 それにゼクトの魔法世界の住人嫌いの事もそうだった。以前も竜種に攫われた子供を助けるという依頼で、竜ごと子供を殺そうとしていたのだ。それにエヴァンジェリンも怒鳴ったが、聞いている様子はあまりなかったため、頭を抱えざるを得なかった。

 

 結局、エヴァンジェリンはこっそりその少女のみを連れ出すことに成功し、死傷者は出なかった。ただ、見ているだけだった一人と一体にイラついたことと、林檎数個分のプラスも出なかったことはご愛嬌と言ったところだろう。

 

――――

 

 虎の獣人が何度もエヴァンジェリンに頭を下げている。それは依頼を出した人物だ。その助け出した娘は、木の板を下敷きにして何かを一生懸命に紙へとスケッチしている。何を書いていたとしても、ゼクトはその行為に何の興味を抱くことは無かった。その上、早く立ち去りたいとすら考えていた。

 エヴァンジェリンも何度も謝られ逆に委縮してしまっている。さっさとしてほしいと、今この場でその依頼人を吹き飛ばせば早く終わるだろうか、と。やるはずもないことを考えていた。

 

「ケケケケケ、苛ツイテンナ?」

 

「……そうじゃのう、おぬしのせいでそれが加速しそうじゃ」

 

 と、そんなことを口にしてはいたが、正直に言ってしまえばチャチャゼロが話し相手になってくれることはありがたかった。

 魔法世界の住人は、所詮は幻想だ。現実から見ればそこには何も存在せず、創造主と言う存在が造りだした幻影。数百年先の単語で表すのならデータだけの存在だ。それに対して何を思えばいい、どうでもいいとしか思わない。そういうスタンスをゼクトは持っていた。

 

「(創造主。魔法世界……明らかにワシに関係があるはずなんじゃが)

 

 創造主、という存在とどんな関係であったのかゼクトは覚えていない。ただ畏怖のようなものは自分の中に在る。だからこそ、昔自分が信じていた神なのではないかとエヴァンジェリンには伝えてある。その結果は喧嘩なのだが。

チャチャゼロと言う存在は魔法世界の人間と似ているが違うものだ。だからこそその会話に違和感を抱かない。

 

 もっとも、その『チャチャゼロには違和感を抱かない』思考こそ違和感ではあるのだが、それを本人は知らない。

 

 萎縮してしまっていたエヴァンジェリンであったが、やがてふんぞり返っていった。報酬がむしろ多すぎる、これだけ返すからさっさと去れ、と。その親子にとって依頼料はとてもではないが大金であり、五分の三は返ってきたのだ。逆に委縮してしまったのはその依頼人であり、エヴァンジェリンは尊大な態度でそれを無視する。実入りはいいのだから、そんなはした金はいらん、と言って踵を返した。

 

「……面倒なことばかりしておるのじゃな、おぬしの御主人は」

 

「ンア? アア、ソウダナ。」

 

 この辺りは豊かな地域ではなく、貧困に陥りかけた母子が何をするのか、簡単に考えつきはする。奴隷に落ちるが、それでも子を護りたかった親が成した事だ。だが、エヴァンジェリンが返した依頼料は、その母子が借金で堕ちることを無くすだろう。

 その光景を見て、の言葉でもあるが、普段の彼女の様子もそうだった。彼女は、憎しみを買わぬように生きている。姿を隠し、人を傷つけることを最低限に抑える。殺そうとはせず、チャチャゼロやゼクトが殺した者に祈りすら与える。そんな姿を、ゼクトはただ面倒なことをしていると表した。

 

 馬鹿なことをやっている、そう思わず呆れた。それはかつて自分がどこかで感じた色と同じだった。

 

 手持ちの資金の入りはがマイナスとなり、此方を向いていたエヴァンジェリンは目元を抑えていた。何でこんなこと言ってしまったのだ……、そう表情から伝わってくる。

 それは自業自得だろう、と。ゼクトはエヴァンジェリンの姿を見て溜息をついた。

 

「ゼクトおにいちゃん、ねぇ、ねぇってば」

 

 すると、そんなゼクトの袖を引く声が聞こえた。それは依頼人の娘であり、先ほどまでなにかを紙に書いていた人獣の少女だ。猫を思わせるその顔には愛嬌があり、人形のようだと言って母親からも可愛がられている子供だった。

 そんな少女の声に、ゼクトは視線だけ向けて対応する。嫌悪感を出したつもりは無いが、話そうとも思わない。空気を読んで去ってくれればよかったが、子供にそんなことを期待することは意味が無かったようだ。

 少女は下敷きから先ほどまで書いていた紙をはがすと、ゼクトへとそれを差し出した。思わずゼクトはそのままその紙を受け取ってしまった。

 

「それ、あげるね。助けてくれたおれいなの!」

 

 別に自分が彼女を助けたわけではない、と。ゼクトはそう考えてはいた。だが少女にとってエヴァンジェリンと同じく、此方へと来る道中で一緒に居て守ってくれていた人物には変わりないのだ。

 エヴァンジェリンへのお礼は自分の母が行っている。だったら自分はもう一人の方へと。そう考えた少女のお礼がそれだった。きらきらと尊敬するような視線に、たまらずゼクトはそれを逸らす。どうにも居心地が悪い。

 

「……別に、おぬしを助けようと思って助けたわけではない」

 

 思うだけにとどめておくはずだった言葉を、少女の言葉や態度を無くすために口に出す。正直に言ってしまえば、ゼクトにとってその少女はどうでもいいはずであった。だがその視線や言葉が、ゼクトの何かを揺るがしている。それははっきりと違和感になって表れているのだ。

 

「偶然運が良くて、おぬしが助かっただけじゃ」

 

「そうなの? ……でも私は嬉しかったよ! ありがとう!」

 

 だが、そんなゼクトの思いを無視して少女は満面の笑みを見せる。少女にとってゼクトが照れているように見えたので、自分のお礼が嬉しい物であったとゼクトが思っていることが嬉しかったのだろう。

 だが、その表情はゼクトを揺るがす。向けられた感謝や喜んでほしいと言う思いがゼクトにとって戸惑うものであった。

 笑みを見せた少女は、ゼクトの返答も待たずに母親の元へと行ってしまった。そしてその勢いのまま母親の手をとる。一度ゼクトの方を振り返り、元気いっぱいに手を振る。

 

 それもまた色。だがその色をゼクトは『認識』することができなかった。

 

「元気でねー、ゼクトおにいちゃん!」

『元気でね、ゼクト』

 

 ずきん、と。頭が痛んだ。

思わず頭を押さえ、すぐに視界を戻す。先ほどの母子は既に去っていた。手をつないで歩く後姿が遠くに見える。

 残されたのは唖然としているゼクトと、紙に書かれていた物をみてニヤニヤするチャチャゼロだけだった。

先ほど少女の声とだぶって聞こえたのは誰の声だったのか。思い出そうとしても先ほどの頭痛に全部持って行かれたために、思わずため息を吐く。暫くしてゼクトも紙を見下ろし、顔をしかめた。

 

 そこに描かれていたのは、気持ちの悪い白い人形らしき何かが座っている姿だった。周りに書かれているのは恐らく街並みだろう。薄気味の悪い落書きに、眉を顰めずにはいられなかった。これは何の嫌がらせだ、と。

 

「へぇ、いいものを貰ったじゃないかゼクト」

 

 何かが放物線を描いて此方へと飛んでくる。片手でそれを取ったゼクトは、それがエヴァンジェリンが下手投げで投げた林檎だと理解する。

 

「……良いものかのう? ワシにはただの落書きにしか見えんのじゃが」

 

「馬鹿、それは似顔絵だろうが。お礼の一つでも形になってよかったじゃないか。それで、私のはどこだ?」

 

「ンナ物ネーヨ御主人」

 

 てっきり自分の分も書かれていると思っていたエヴァンジェリンは、チャチャゼロの言葉に地味に落ち込んでいた。本格的に今回の依頼はタダどころかマイナス働きであり、なにも残らないという実感だけが彼女に押しかかる。

 そんな落ち込んだ彼女をゼクトは無視して、まじまじとその落書きに目を下した。

 白黒のみで書かれたその絵に描かれているのは到底自分であるとは思えない。案山子に服を着せた物を模したと言われても違和感はないだろう。

 そしてそれを描いたのが、幻想の存在である魔法世界の住民だった。現実世界の者の感情を受け取ることは確かにできたのだ。だが、魔法世界の住人が行ったその行為に意味を感じることはゼクトにはできなかった。どうでもいいと考えるのだと思っていた。

 だが今少女の行為は物となって自分の手の中に在る。少女が向けた感情も声も、全てゼクトへと向けられていた物だ。だが、それは現実では存在しないから価値など無い。そう自分の中の常識は自分へと告げている。

 

 ならば何故、■■である自分が、それを見て嬉しいと思った?

 何故それを、■■である自分が、■け■る■■がある?

 

 冗談のように、あの少女ごと焼き払う作戦を立案した自分が、その言葉が、どうしようもなく気持ち悪く感じた。そしてその行動を起こしたことを考えて――――

 

 ずきん、と頭が痛む。視線を手へと向ければ、どこまでも赤々しい林檎が目に入ってきた。

 しゃく、と。手に持った林檎を齧る。いつもと変わらない、美味いと思える味が口の中に広がった。

 それはゼクトにとって崩壊の始まりだ。その時ゼクトは確かに、魔法世界の人間あのショウジョに意味を感じていた。

 

――――

 

 墓守の人の宮殿。魔法世界の創造神、始まりの魔法使いと呼ばれる者の娘が眠るその場所は、魔法世界最古の王家の初代女王が眠る場所であった。それらを管理する墓守人は王家でも重要な立場にあり、それらの役目を負った一族のために浮遊する島一つ全てを宮殿として与えられていた。

 最も、その場所に住んでいると言えるのは既に一人だけであった。王家でも最奥に位置するその場所はすでに王家でもほんの一部の者の記憶にしか残っておらず、忘れ去られた場所でもある。

 そして魔法世界の中で創造主に近いその者達は、既に世界から消え去り世界へと回帰されている。その中に一人居るその存在は墓守人の主と呼ばれ、唯一例外とも言える存在だった。

 深い青のローブを身に纏ったその存在は、老婆にも見え少女のようにも見えた。そしてクリスタルのような透明な結晶へと封じ込められた少女、女性にも見えるそれを見上げながら、呟く。苦笑を作り出し、少しだけ落胆の色が籠った声だった。

 

「……10年。私が持つであろうと見ていた時間はもう過ぎてしまったな。賭けは私の負けじゃよ、創造主」

 

 親しみを込めるような口調でその存在はその封印へと語りかける。言葉に反応したのか、封印として形を保っていたクリスタルは徐々にひびが入り、一気に亀裂が大きくなったと思えば、ガラスのように簡単に壊れた。そして、中に封印されていた少女は目を開く。

 

「ああ、その通りだ。アマテルよ」

 

 その少女を少女と見るにはその口調に威厳がありすぎた。濃い紅のドレスはすぐに創造主が纏う黒のローブに覆われ、光を宿さない視線がその存在――アマテルを射抜き、それに対してアマテルは肩をすくめた。

 

「結局『彼女』の騎士は間に合わず、世界は無に帰す、か。戯れにしては何処までもつまらんものじゃのう」

 

「道理だ。だがもうこの世界は長くは無く、過ちは犯されてしまった。ならば解を与えるのが、創造した者にとっての義務であろう」

 

 その少女――創造主は低く抑えられた声でアマテルに言葉を返す。アマテルとしても創造主の言葉は何も間違ってはおらず、反論するつもりもない。

 黄昏の姫巫女、そして始まりの魔法使いの子孫。子孫は創造主を宿す器でもあるが、全てを終わらせることのできる創造主に対して、二つは唯一牙に成りうる存在である。万一創造主という存在がただの害へと成り果てたときの、抗体でもあったのだ。

 だが、それらをアマテルは導くことをしなかった。創造主の言っていることは正しい。魔法世界は何時か滅ぶ。それは争いでのことではない。根本的な部分で、この世界を維持することができなくなるのだから。だから、それらに救済を与えようとしている創造主を止めることはしなかったのだ。

 創造主が宙へと手を翳し何かを呟けば、そこに一つの魔方陣が浮かび上がった。それは召喚のための魔法陣であり、一つの杖がそこに召喚されていた。『創造主の掟』、グレートマスターキーと呼ばれるそれを手にして、アマテルに背を向ける。

 

「魔界、レイニーディにはまだこの件については……と、どこへ行くのじゃ?」

 

「わが末裔、黄昏の姫巫女の元へ。フィリウスによって十分な魔力は魔法世界にある」

 

「儀式の発動は……まぁ少し手を加えれば可能、じゃの。では待たなくてもよいのか、貴様の娘を」

 

 その言葉に創造主はぴくりと反応する。その反応にアマテルはふむ、と、面白いものでも見つけたかのような口調で創造主に問う。

 

「『彼女』が見つけたもう一人の希望でもあるが、の。あの娘も貴様が造りだしたと言っても過言ではあるまい」

 

 その少女は創造主が不死の肉体を求めたときに、実験材料の一つとして使われた者だ。それは、既に自我を得てこの世界へと訪れている。

 ふん、と鼻を鳴らしてアマテルの方へと向き直る。

 

「あの少女にこそ、私が救わねばならない存在だ。同じことをもう一度言う。創造した者にとってそれは義務だ」

 

 その表情には迷いが無かった。創造主にとって魔法世界の全ても、そのために礎となった少女も、等しく自分が生み出した犠牲者であると知っている。だからこそ、救済は行わなければならない。

 永遠の楽園、完全なる世界。アンフェアのないその場所は、魔法世界の全ての者が、その少女が住むに相応しい場所であると思ってはいる。それは完全に歩むことを止めたのと同意だ。歩むことには苦痛しか存在せず、その悪意はもうすぐに迫ってきているのだから。

 アマテルはその答えに、ふっと小さく笑う。創造主にとってアマテルの反応は当然のものだった。アマテルは創造主の導く世界を完全に是とはしていない。ただ、それ以外に方法が無いから同意しているだけだ。

 

「確かに創造者たる貴様にはそれを行う権利があるじゃろう。だが忘れるな。それに抗う権利もまた、被造物には存在していることを」

 

 だからこそ、アマテルは『彼女』に協力したのだ。

 本来ならば創造主が復活してしまった時点で、儀式の準備は始まっていたのだ。そしてそれを『彼女』は常に妨害し続けていた。ゼクトと別れた後、『彼女』が完全に創造主へと成る前に、アマテルの元へと訪れた。

 其処に在ったのは人の意志だ。世界を終わらせはしないと言う、たった一人の抵抗だ。本来ならばあっという間に消えていく自我を『彼女』は保たせることができ、それごと封印し続付けていた。

 

 彼女が見出した希望。自我を植え付けられた人形の騎士、そして人で在り続ける不死の娘。

だがそれが、此処に訪れることは無かった。その現実を創造主は冷たく言い放つ。

 

「現実はどうだ。今そこに人間は無い。それでも『彼女』という人間の意志が勝つのなら、私はそれを受け入れよう」

 

 だが現実は非情だ。創造主は復活し、もう世界を終わらせるための儀式の準備は始まってしまう。

 言うべきことは終わった、と。宙に浮かんだグレートマスターキーを掴むと、転移魔法陣を発動させる。彼女が向かったのは黄昏の姫巫女の所だろう。それをアマテルは止めようとはしなかった。

 

「……急ぐのじゃな、人間。でなければ、全てが終わってしまうぞ」

 

 転移魔法によって消えた創造主が居た場所を見ながら、アマテルは誰に言うのでもなく呟いた。

 



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4/砂漠の街での日記

二章を改訂して同日に幾つか投下しているので、初めから読んでいただけると助かります。


『18××年

 

 特に書くことは無し。ゼクトとチャチャゼロが相変わらず仲が良くて、ちょっとだけ疎外感を感じたのは私だけの秘密だ。

 次の目的地はヘカテスと、その周辺の遺跡群だ。ヘラス帝国周辺にはアリアドネーを出てからさんざん行っていたので、趣向を変えて其方へとのんびり旅をしていた。ダンジョンが在ったり闘技場があったりと、グラニクスの方面は何かと面白い。旅行をしてのんびりするのなら別の場所だが、楽しみに行くのならグラニクスをお勧めしよう。闘技場は、見ている分には面白いのだから。特にチャチャゼロが静かになる。戦闘狂め……

 逆にゼクトの社会復帰計画、はっじまるよー。迷子の仔猫さん(猫の獣人)を犬のお巡りさん(犬の獣人の警備兵)に届けていた。感謝されて照れているのを見るのは正直初めてで衝撃的なんだが。

なんか最近は物騒なこともあまり言わなくなった。何なんだアイツは。最近浮き沈みがやけに激しい。かと思えばのんびりと寝転がって日向ぼっこしおって。のんきなものだ。……やけに気持ちよさそうだった。吸血鬼であるから、日光は不快感しかないのが残念だ。』

 

『18××年

 

 ヘカテスでいろいろ買い物中。遺跡にはいるのにもいろいろ許可がいるため、しばらく滞在することに。荒くれ者たちの町と言わんばかりに騒がしい街であるが、活気であることは確かだ。

 が、熱い。暑いし熱い。ぎんぎらぎんの日差しは吸血鬼にとっては拷問以外の何物でもないぞ。いや、わりと克服したけど辛い物は辛いのだ。途中で気絶してしまい、ゼクトに運んでもらったらしい。目が覚めたのは奴の背中の上だった。ここで背負っている女性を重いだなんだと言うようなやつではないため、起きてはいたが寝床まで運んでもらおうと寝たふりをする。

 途中ですっころんで頭から打ち付けられるとか誰が考えるんだ。チャチャゼロ大爆笑。魔法球の中に行こうぜ…久しぶりに…キレちまったよ。ちょ、やめろ。神鳴流っぽい技使うな。痛いんだよそれ。

 建築物を破壊され続け、悲しみを背負っていた自動人形がついにキレた。こつこつと作成していた魔法銃で一斉掃射、次に水上でやらなかったら吹き飛ばします、と言われてしまった。ちょ、まて、私マスター。おい、誰を狙ってるふざけるなー!! チャチャゼロ、キサマー!!

 ゼクトに救出された。湖にふっとばされてどざえもんしていた私をあきれ顔で救出した時と言ったらもう。あかん、恥ずかしいにもほどがある。』

 

 

――――

 

 

 そこは遺跡発掘者たちが集うヘカテスと呼ばれる街であった。周りが砂漠であり、荒くれ者の多いその都市である。しかしダンジョンも近くに在り、さらに拳闘士の大規模な大会が、この近くのグラニクスで行われる。その見物客や闘士もこの町を訪れるため市場は栄えている。人、亜人、妖精など種族に関係なく、その街では様々な種族が集まっている。冒険者なども多く立ち寄る場所であり、この風景は当たり前なのだろう。

 エヴァンジェリンはそんな街へと訪れていた。研究について進展があるわけでもなく、しかしこの辺りでも巡っていない遺跡も少なくは無い。また訪れるたびに内装が変わる、というどこかで聞いたことのあるようなダンジョンもあるため、目的としてここに訪れるのは悪くは無い。数日間滞在していて遺跡に訪れる予定もたてたので、今日は日が暮れたが明日にはそろそろ街を出ようと考えていた。少し視線を逸らせば、怒声罵声が聞こえてきた。映像を映し出す水晶によって流されていた試合の結果で言い争いになり、喧嘩が始まったようだ。互いに感情を出しあい、ぶつけ合っている。

 

「やれやれ、どうにも浮き立った街だな。む、林檎か……ゼクトが好きだったし食わせるか。あ、おばちゃん林檎の袋もだ」

 

 はいよお嬢ちゃん! という景気の良い声が店の奥から帰ってくる。エヴァンジェリンが来ていたのは市場の果物屋であり、砂漠地帯であるヘカテスでは瑞々しい果物は、そこそこ高価な品の部類に入る。一つは自分、もう一つはチャチャゼロ、それにゼクトのものだ。

 とはいえチャチャゼロはそれよりも町の喧噪の方が気になっているようで、エヴァンジェリンの頭の上で、仰向けになって果物屋と反対方向を向いていた。

 渡された林檎を抱えるように持っていた紙袋へと入れると、他に買うべきものは無いか考え、無いことを確認してから市場を去る。砂漠で少女姿の時の自分の衣服も買った。ゼクトの分も買ってあり、地味ではあるが好みに合わせた物を買ったつもりだ。

 

「オイ御主人? 俺様マダ試合見テッカラチョット待テ」

 

「待たん。ゼクトを待たせているんだ、さっさと行くぞ」

 

チャチャゼロが路上試合を見れず、抗議する様に頭の上で叩いていたが、それを無視して歩みを進めていた。

 女性の買い物は長い、と言うがそれはエヴァンジェリンにも当てはまり、ゼクトを放置して買い物に出かけてから長い時間待たせている。そのことについて申し訳ないとは多少は思っていたため、少しだけ歩幅を上げていた。

 そして入ってくるのは街の光景だった。ヘカテスと言う街は治安が良い場所であるとは言い難い。あちらこちらで起こる喧嘩や、酒場から吹っ飛んで気絶している男などを見ても、安全な街ではないと分かるだろう。それでもこの街には、感情が溢れていた。

 

「相変わらず喧しい街だ。夜も近いのだから少しは黙らんのだろうか」

 

「火事ト喧嘩ハ何トヤラ、ダ。盛ンデイイジャネェカ。俺ハ嫌ジャネェゾ」

 

 怒声が響く。笑い声が響く。哀愁の声が響く。しかしそこには確かに現実と言う重みが在った。だからこそエヴァンジェリンは考えていた。自分の旅の同行者でもある人物が、どうしてこんなにもこの光景を意味のない物だと言うのか。

 

「オーイ御主人、チョットイイカ?」

 

「ん? どうしたチャチャゼロ?」

 

 べしべしと頭の上で、小さな掌を使い叩きながらチャチャゼロは尋ねる。歩みは止めることは無かったが、エヴァンジェリンはそのままその先を促した。

 

「ナンデ御主人、アノジジイヲ何時マデモ連レテイルンダ? 惚レタカ?」

 

「はぁ? 何をトチ狂ったことを言っている」

 

 怪訝な声でエヴァンジェリンはチャチャゼロに返す。

 そもそもゼクトと自分が惚れた腫れたの関係に成ることが想像できない。想像したことも無かったのだ。チャチャゼロからしてみれば、どう考えてもエヴァンジェリンにとって得にもならない相手と共に居て、今に至っては相手の好みのものを買って行っているのだ。気でもあるのかと考えるのも無理はない。

 

「……まぁ、情が移ったことは否定しないさ」

 

 ぼやく様にエヴァンジェリンは呟いた。

ゼクトについては思うところが在った。彼はエヴァンジェリンと同じく、不老という存在である。もう八年は共に旅をしているが、老いることが無いのがその証拠でもある。だからこそ、エヴァンジェリンは思うのだ。

 

「私達のような人外が抱くのは、開き直るか足掻くかのどちらかだ。その、なんだ? 押し付けがましいことは分かっているが、心配でな……」

 

 彼は、どの道を行くのだろうか。自分は人間ではないから、と言って開き成るのは孤独の道だ。それを悪しき物だと言うつもりは無い。だが、その道をエヴァンジェリンは自分では歩めないと知っているからこそ、ゼクトも同じように歩んでは欲しくは無かった。

 彼の記憶が元に戻る様子は無い。だからこそ生き方も何もかも、一旦全てリセットされてしまっている。恐らく、過去に彼が決めた生き方までも忘れているのだろう。

 結局それを決めるのは本人だ。死なない限り永遠を生きる存在にとって、生き方とは信念だ。そしてそれを決めるまでが、一番辛い時間であることを彼女は知っている。

 

「……私のときは周りに誰もいなかったからな。恐らく奴も同じだ。だから一人ぐらい、どう生きるのか決めるまでは居ても悪くは無いだろう?」

 

 エヴァンジェリンはぼんやりとした表情の少年の姿を思い出し、思わず苦笑する。ゼクトは独りの道を歩むわけでもなく、エヴァンジェリンに着いてきている。だからこそ、あちらも悪い印象を持ってはいないだろうと彼女も思っていた。

 彼の魔法世界の住民に対しての冷たい思いはエヴァンジェリンも知っている。それがどこから来るのかはわからない。以前どつき合いの話し合いで出た単語に、主というものがあった。彼にとって神とも呼ぶべき存在が記憶を失う前に居たのだろう。宗教で彼の価値観を持たせるようなモノを知らないが、それを根幹にしていたからこその価値観だと想像している。

 口調なども相まって、暢気な老人、というのが一番印象に残りやすい。だがそれが本質でないことをエヴァンジェリンは知っていた。

 

「……ソリャ随分ナ、エゴッテ奴ダ。ナァ御主人?」

 

「うん?」

 

「御主人ッテアイツノオ母サンダッタカ?」

 

「ふざけるなアホ人形」

 

 否定はしてみたが、内心では同意できなくもない。人外であった年月を丸々失ったゼクトと言う存在を気に掛ける自分は、幼い子供を見て慌てる母親のような存在に似てなくもない。

 親愛的な物は芽生えているのだろう。放っておけないというか、なんというか。どうして自分の周りの男と言うのはダメ人間しかいないのだろう、と。かつてササムが彼方此方で首を刈っていたことを思い出しながら溜息を吐く。

 

「ナンツーカ、オ人好シッテ言ワレネェカ御主人」

 

「そうだな。そうやって生きてきた。今更変える気にもなれんさ」

 

「……ヤレヤレ、確カニ御主人ハ、アレダナ前任者」

 

 チャチャゼロは自分の目元に手を当てて、小さな声で呟く。どうかしたのか、と声が聞き取れなかったエヴァンジェリンに何でもないと返して、内心で溜息を吐いた。

 記憶喪失という状態は本人の仮面がはがれ、ありのままの状態であるとも言える。暢気そうに釣りをやって居眠りをするゼクトも本当ならば、魔法世界の住人をどうでもいいと思っていたことも本当なのだ。もっとも、数年前に少女にお礼を言われたときから様子は多少変わっていたが。

 

「まぁ、少なくとも指名手配されて恐怖の対象になるようなことはないだろう」

 

 ゼクトは変わった。相変わらず他者をどうでもいいと思う事は変わらない。だが向けられる感情に対して、何か感じるものはあるようだ。でなければ、獣人の子供を保護者の所へ連れて行こうなど昔なら行おうともしなかっただろう。

 ただその言葉を、チャチャゼロは危うい物だと感じた。

 エヴァンジェリンはゼクトが自分と反対の道を歩んだ時の事を想定していない。取った道がもしも、魔法世界の住人に害をもたらすものだったとき、どうするつもりなのか。

 止めようとするだろう。言葉と、武によって説得するだろう。それでも、と言う時に彼女はゼクトを殺せるのか。

 

「(マァ、無理ダロウナァ)」

 

 それができないことをチャチャゼロは知っている。さらに8年も共にいた相手だ。躊躇するだろう。尤も、その場合は自分が行えばいいのだが。

 チャチャゼロはゼクトが嫌いだ。今更前世でもある男のことで嫉妬がどうこうと言うつもりは無いが、自分の同族に対してプラスに思える程ナルシストになったつもりもない。本人と自分の主であるエヴァンジェリンには、彼への同族嫌悪を隠せてはいるが―――

 

「……あん? なにをやっているんだアイツは?」

 

 エヴァンジェリンが突然止まったためか、チャチャゼロは頭の上で崩し落ちかける。物思いにふけっていた筈であったが、それも後でいいとチャチャゼロは思い直して、エヴァンジェリンの見つめる光景へと目を向ける。

 

 人だかりの間からとある男の後ろへ歩みを寄せる少年の姿が在る。白い特徴的な髪はゼクトのものである。ゼクトは道に落ちている石を蹴り飛ばすような気軽さで、その男を魔法で吹き飛ばした。そしてその足元には、ボロボロになった別の男が転がっていた。

 

―――――

 

 日も傾き暗くなってきてはいたが、ヘカテスの街はまだ熱気に包まれている。明日の仕入れをするために市場も栄え、酒場などは今からが本腰を上げる時間だ。

 ゼクトの座る噴水の淵には、他にも待ち合わせをするカップルなどに溢れている。遠くに見える無許可での拳闘の賭け試合の取り巻きを、ゼクトはぼんやりと眺めながら呟く。

 

「……騒がしいのう。エヴァンジェリンめ、こんなところに置いていきおって」

 

 自分が一人、世界で浮いている様な気がしている。世界の住民は幻想であるのだから、それはある意味では正しいのだ。ここにある全ての感情に意味が無いと思う事ができたはずだった。

 価値のない者から向けられた偽りの幻想に、何を感じればいいのか理解できず、ゼクトはどうでもいいと感じているはずだ。

なのに何年も前に少女が渡した、似てもいない落書きのような絵を未だに捨てられずにいるのだ。何の価値もないのなら、簡単に捨てられるモノであるにもかかわらず。

じっと目を細めその光景を見ていた。喧噪な広場では喧嘩の決着が付き、互いに笑顔で握手していた。金返せー、という互いに賭けていた者達の声や、大穴に勝った者達の喜びの声が聞こえてくる。それらの感情は『■■■■■/ゼクト』にとっては意味が『無い/■■』。

 ずきんと、頭の中が痛んだ。思考と思考がぶつかり合い削られたように、言いようのない痛みに思わず頭を押さえる。またか、とひとり呟いた。

 思考のずれだ。ゼクトが是であるのではないかと考えていたはずの事を、どこかから沸いてきた思考が否であると答える。そのズレが発生するたびに頭が痛んだ。

 

「いい加減、自分が何者かぐらいは分かりたいものなんじゃが」

 

 自分と言う存在は、いったい何者か。

 考えることは無い。考えれば頭痛がまた襲い掛かってくることを知っているのだ。そして、どうでもいいと思ってしまう。それを『髪を二つに結った/金の髪を長く伸ばした』少女は苦笑するのだ。だから、此方もそれでいいと――

 ずきん、と頭が痛んだ。

 

「――流石にこうも頭痛ばかりするとは、記憶とは別に風邪でもひいたか?」

 

 ずきずきと慢性的な頭痛に対して、意味もなく溜息を吐き出した。旅の同行者に風邪薬を持っていないか聞こうとも思ったが、真祖の吸血鬼が風邪を引くことが想像できない。気晴らしでもしていれば気も紛れるだろう、と。ゼクトは辺りを見渡すと、人の取り巻きの中から、男が飛び出してきたのが見えた。

 それは路上で拳闘を行っていた闘士の一人であった。くすんだ橙色の頭の男は鼻から血を出して、身体には打撃を受けて幾つものあざができている。なんとか起き上がろうとしているところを、相手の闘士は腹へと拳を打ちこみ、その一撃がとどめとなって男はダウンした。

 沸き起こったのは悲鳴と歓声だった。賭け試合に勝って儲かった者と、逆に負けた者と別れたその声は辺りを包み込む。

 ただ、ゼクトはそれを見ても何も思わない。感情を自分に向けられたわけでもなく、どうでもいいと思うのは当然といえば当然だろう。

 ゼクトはそれを横目で見つつ、市場の方面へと歩みを進めて辺りを見渡す。町の住民にとってもその光景は見慣れた物であり、そのままの活気がまだ続いている。手元には幾らかのお金もあり、エヴァンジェリンを待つ間に、なにか買い食いでもしておこうと思って財布を取り出した。

 

 遠くで、何か肉のようなものを蹴りつける音が聞こえた。

 

 思わず財布に下していた眼を、音のする方向へと向けた。

 ガラの悪い男たちが数人、倒れている闘士を囲んでいる。そして一人の男が何かを言うと、その闘士の頭を蹴り飛ばした。

 

「テメェのせいで負け越しじゃねぇか、どうしてくれんだ!? あぁ!?」

 

 酔った顔の赤い男はそう言って闘士を蹴りつけた。その音は何度もゼクトの耳へと届いてくる。うめき声を上げるたびに、周りの男たちは笑う。

 そんな男たちに、一人の影が飛び込んだ。それは倒れている闘士と同じ髪を持った少年であり、その闘士の弟であることが分かる。もう一度闘士を蹴りつけようとしている男の腰へと体当たりする。思わぬところからの衝撃に男は姿勢を崩すが、それ以上に少年の行動が癪に障ったようだ。

 

「や、止め がぁ゛!」

 

「オイオイオイオイ、拳闘士にもなれねぇクソガキがなに粋がっちゃってんですかぁ!?」

 

 少年を構わず殴りつける。鈍い音が響き渡り、地面へと転がった少年を男は踏みつけた。流石にこれは不味いと周りも判断したのだろう。止めようと声をかけていても、むしろ男の攻めは激しくなっていた。

 

「……あのままでは、死ぬか」

 

 それをただ、ゼクトは見ているだけであった

 エヴァンジェリンは最後まで見ているだけだろう。流石に殺すところまで行ったら止めるだろうが、最後に治療を施すだけだ。偽善者と呼ばれる存在でもある彼女は、余計な敵意を買う事をしない。そこまで深入りするつもりはゼクトには無い。

 『彼女』ならばどうしたのだろうか。その体の中には■■■が居るから、という理由ではない。公平であり、物静かではあるが間違いであるその行為を是とはせず、止めに入るだろう。なぜなら『彼女』の近くにいた人の影響でもあると、そう話していた。

 

 だが、アレは魔法世界の住人で、自分と何のつながりもなく、価値もない。

 

『それでもね、ゼクト。私はゼクトに考えて欲しい』

 

 頭の中に、誰かの声が響いた。

 自分はこの声を知らない。少なくともエヴァンジェリンと出会って今に至るまで、話したことも聞いた事も無いはずだった。だが自分は覚えている。この声の主を知っているはずだ。

 

 脳内に一つの光景が浮かび上がる。長く伸ばした髪を二つに分けたその女性は、傷つき倒れた人を癒して回る。数々の小さな感謝は、『彼女』の冷たい表情に微笑を浮かべる。その姿を自分は――た。そしてそれを守らなければならないと思ったのは、■め込■れた■■のためか。

 

「…………痛ッ」

 

 また頭が痛む。思い出すことを拒むように、無意識に流れていたはずのその風景を痛みは邪魔をする。だが、一度流れ出したそれは止まることが無かった。

 ならば自分は何だ。その光景を見る前に、何を行っていた。何の意味もないと思っている存在に対して、いったい何を抱いている。そして『彼女』を見て何を抱いた。

 

 『そんなものに意味は無い』。自分は今、何をしなければならない。違う、本来の自分の役目は何だ?

 

 言葉の通り、ほんの少しだけ考える。

 今目の前には子供に暴力を振るい続けている男が居る。時折起こるくぐもった悲鳴が、男の笑い声が、なんとなく引っかかる。

 『彼女』は誰かを癒していた。何のためにかは分からない。だが、『彼女』はそこに笑顔を作り出した。

 自分と共に旅をする隣人の少女を思い出す。彼女は自分の行為を偽善と笑うだろう。だが、その偽善は確かに誰かを助け、泣く者を減らしていた。

 自分に対する感謝に■■をゼクトは無意識のうちに理解していた、だからこそ思ったのだ。

 

「……ああ、成程な」

 

 

 対して目の前の男は何だ。其処に在るのは理不尽な暴力だけで、本人のもつ嘲笑は誰かを不幸にするだけのものだ。

 ハッキリ言ってしまえば、ゼクトは苛立っている。どうでもいいと確かに思っていたはずだが、その行為に対して確かに不快感を得たのだ。

 ゼクトはそのまま男たちの近くへとよる。気配もなく近づいたために彼らが気付いたときには既に、ゼクトがすでに魔力を操作し終えていた。

 

「な、なんだテメ」

 

「邪魔じゃ」

 

魔法の衝撃波が辺りへと広がり、暴力を振るい続ける男とその取り巻きは弾かれてごろごろと転がり、壁へとぶつかった。不快感を隠そうともせずにゼクトは鼻を鳴らすと、暴力を受けていた二人の闘士の兄弟を見下ろした。そして治療しようと手を翳す。

 理不尽な暴力はその兄弟に襲い掛かり、肌に残る靴の跡やあざが痛々しい。まだ若いその闘士が弟を養うには闘士という存在になる以外になく、まだまだ二人は不幸へと直面し続けるのだろう。だがそれをゼクトは『嫌だと思――

 

 

『貴様の使命は何だ、■■■■■』

 

 

 頭の中に、またどこかで聞いた覚えのある声が響き渡った。

同時に現れたのは激しい頭痛だった。それ以上考えてはいけない、そうその頭痛はゼクトに伝えているようで、耐え切れずに思わず頭を押さえる。

 

 自分の使命? なんだそれは。■■■■■? ワシはゼクトだ。■ィ■ウスなどと言う名前ではない―――

 

 止まっていた時が動き出す様に、ゼクトはゆっくりと頭を押さえていた手を離した。そして、その顔には何の表情も存在していなかった。そして、目の前の兄弟を見下ろして手を翳す。

どこまでも不平等な世界に齎さなければならないことはなんだ。慈悲だ。彼らが出迎えるのは何処までも非情な現実だ。だからこそ、自分の行っていることは■■ではない。『救済』だ。

 

「……時間が無い。滅びは迫っている。救済は行われなければならない」

 

 ゼクトの頭に浮かびあがってきたのは呪文だった。それだけにも拘らず、妨害する様に頭が痛む。しかし、その程度の痛みは許容範囲である。それでも動けるように『調整』されていた。一言、呟く。

 

 

「リライ――」

 

 

「おいゼクト! いったい何をやっているのだキサマは!」

 

 

 聞きなれた少女の声がゼクトの耳に届く。唱えようとした呪文を途切らせ、はっと意識を取り戻した。

 今自分は、いったい何を行おうとしていた? 意識がはっきりとしておらず、目の前に居る少女が本当にエヴァンジェリンであるのかさえも曖昧であった。

 

「……エ…ヴァ、か?」

 

「む、キサマが私をそう呼ぶのは珍しいな。と、そうじゃない! なんだこの惨状は!?」

 

 エヴァンジェリンが指差したのは、倒れた二人の兄弟であった。多くの靴の跡や打撲の跡、二人とも頭を強く打ったのか意識を失っている。エヴァンジェリンも靴の大きさなどから、ゼクトがやったのではないと少し間を置き理解する。そして辺りを見渡すと、ひそひそと此方を窺う住民たちが視界に入ってきて舌打ちした。衛兵を呼んだのかもしれないが、治療師は呼んでいるのか。

 ゼクトは自分の掌を見つめた。何をしようとしていたのか、それは既に頭の片隅に飛んで消えてしまっている。ただ、なにか途轍もないことを行おうとしていたことだけは理解していた。

 

「……ええい、まずは治療が先だ! おいゼクト、キサマも治療クーラぐらいは使えるだろう? そっちの男は任せたぞ!」

 

「む……う、うむ」

 

 男の方が鍛えていたからか、打撲の跡は痛々しく見えるが、初級呪文である治療クーラでも十分回復できる範疇だ。口から出た血は口内を切っただけだろう。しかし子供の方はそうでもない。すぐに死ぬという訳ではないが、内臓を傷つけて血が出ているため放っておけば死ぬかもしれない。エヴァンジェリンは手早く魔方陣を描くと、風の魔法で子供をその上に乗せた。

 対してゼクトは呪文を唱え終わり、その作業を後ろから見ていた。所詮任されたのは初級呪文であり、ゼクトにとっては他愛のないことである。それよりも、エヴァンジェリンの姿を見ていたかった。

 てきぱきと治療の手立てを整える。治療呪文は万能ではないが、少なくとも本業の治療師に見せるまでの時間を稼ぐことはできるだろう。鬼気迫る表情で治療を行うエヴァンジェリンを、ゼクトはぼんやりと眺める。

 

「……なんだったのじゃ、さっきのは……」

 

 『彼女』という存在がかつて自分と共にいた。細かいことは覚えておらず、ただそのような存在が過去に居たという事だけを思い出した。記憶に残っている限りで、誰かに向けられた感情でも、暖かいと感じた物を向けられたのは、『彼女』だけであった。

 

 それが色だ。暖かいとゼクトが感じた色。だからこそ、『彼女』が多くの人に向けられるそれに自分は何かを思っていたのだ。

 

 ずきんとゼクトの頭が痛む。『考えてはいけない』

 

 それは『彼女』に対して反発するかのように出された声の主が、そう直接伝えているようにも感じたのだ。

思わず頭を押さえて呻く。どうした、とエヴァンジェリンが声をかけた。彼女からしてみれば応急処置が終わったと思えば、ゼクトが苦しがっていたのだ。驚くのも無理はない。

 それら全てを無視して、言葉を作る。止めろ、と何度も頭の中で誰かがゼクトへと言う。それでも、と。その意志を自ら造りだしたゼクトに、その声はやがて小さくなって無くなった。

 

『後悔することになる』

 

最期にその言葉を残して、その声は消えた。

 

自分が『彼女』に抱いていた物、それは―――

 

「……憧れ」

 

 ごっ、とゼクトの頭を後ろから何かが打ち付けられた。その痛みに思わず膝を着いたゼクトは、すぐに後ろを振り向き睨みつける。もう少しだけ記憶を思い出せたかもしれない。それを中断した相手は誰なのか。

 それは先ほどゼクトが吹き飛ばした相手であった。その手には棍棒のようなものがあり、男の眼は血走っている。

 

「はは、さっきは良くもやってくれたじゃねぇかぁ!」

 

 後ろの取り巻きが止めているにもかかわらず、男は聞いていないようであった。冷めた視線でそれを見返した。

 後ろでチャチャゼロがコロスカ? と言って笑う。男の向けている感情も所詮は幻だ、そう思う自分もあるが、ソレに対して苛立っている自分もいる。小さく舌打ちをして、隠す様に拳を握った。大きく振りかぶる男はゼクトから見れば隙だらけであり、本当に只のごろつきなのだろう。拳を叩き込もうと、身体を魔力で強化する。

 

『時流遅延――開始』

 

 後ろから、パチン、という指をはじく音が聞こえた。瞬間、男の周りの空間を凍りつかされたように、棍棒を振りかぶった形のまま停止した。

 任意の空間への時間停滞魔法だった。周りの空間の何千分の一という速度で時間が流れる空間に男は取り残されており、それはもはや停止に限りなく近いものであった。

 

「はぁ、状況は分かった。これ以上騒ぎにしないでくれ、私も流石にこれ以上は面倒なんだ」

 

 頭を掻いてエヴァンジェリンは溜息を吐いた。

 

 

―――――――

 

 結局、騒ぎを聞きつけた衛兵に事情を説明し、男は連行されて闘士の兄弟からは何度も頭を下げられた。手続きが在るため交番へと行った帰りにはもう日は完全に落ちて、子供ならば眠る時間になっていた。

 すでに泊まる部屋は取ってあったため、宿を探す必要が無かったのは不幸中の幸いか。先にシャワーを借りて着替えたゼクトは、寝間着姿で二つあるうちのベッドの一つに寝転んで、天井を見上げていた。

 取り戻すことのできたほんの少しの記憶。

一つ目が『彼女』という存在、二つ目がそして『彼女』へと抱いていた感情。三つ目がそれを妨害する思考。

 ただその日は三つ目の妨害する意思に反して考えることしたくなかった。それほどまでにゼクトは疲れていた。

 

「おいゼクト、もう寝たか?」

 

「……いいや、起きておる。どうしたのじゃエヴァンジェリン?」

 

 むくりと身体を起こすと、そこにはほかほかと湯気を立てるエヴァンジェリンが、救急箱を片手にパジャマの姿で立っていた。長い時間風呂場へと籠っていたのは、わざわざ風呂を焚いていたからだろう。吸血鬼がそれでいいのか、とゼクトも思ってはいたが、その程度の事ならエヴァンジェリンは克服しているので問題は無い。

 長い髪を上げて二つに纏めている。風呂上りであるその姿だが、普段髪を下している者しか見たことのないゼクトにとっては、珍しいと思えた。

 

「今日頭を棒で打たれていただろう? 傷になってないか見るから少し寄れ」

 

「む、大した痛みは無いぞ? 放っておいても治るものなのじゃから、そんなことをしなくとも……」

 

「ほら、いいからさっさと見せろ」

 

 言葉を無視してベッドの端を叩くエヴァンジェリンを見て、ゼクトは仕方ないと呟いて肩をすくめる。端に座れという事なのだろう。起こした躰を動かして端へと座ると、その真正面へとエヴァンジェリンは移動した。頭を軽く押さえつけられ、ゼクトは頭を突き出す形で床を見る。エヴァンジェリンがゼクトの後頭部の傷を見ている最中、ゼクトはどこか気まずさのようなものを感じていた。

 

「……むう」

 

「ん? 痛んだか?」

 

「ああいや、そうではないのじゃが……」

 

 言いよどむゼクトにエヴァンジェリンは首をかしげる。だが、結局何もゼクトは言わなかったため、そのまま魔法を使わず傷を手当てする。見つけた傷はそこまで大きい物ではなく、傷薬を塗るだけでも十分だろう。薬箱から薬を取り出し、そのまま塗りつける。ゼクトからは反応は無く、傷に染みるという事も無いようだった。

 対して、ゼクトは自分以外の誰かに体を預けている、という状況に聊か困惑していた。ふわりとしたあまい香りは、洗浄剤に付けられていた香料だろうか。彼女の心臓近くに頭があるせいか、とくん、とくん、という心臓の音が聞こえてきそうだ。小さな手は風呂上りであるからか暖かく、傷を探す手が髪をかき分ける動作で、撫でられた部分がくすぐったい。

 むず痒いものをゼクトは感じていた。誰かとの暖かさに触れた記憶は残っていない。ゼクト自身傷を負う事も無く、精神が疲れてそれを放置することは、今日が初めてであった。だからこそ、エヴァンジェリンと旅をしている最中でも、身体に触れることはごくまれであったからだ。

 

「……よし、と。もういいぞ」

 

「すまんの」

 

 処置が終わるとエヴァンジェリンはもう一つのベッドの端に座り、少し間を空けてゼクトと対面する形となった。

 居心地の悪い状態から脱したと言うのに、ゼクトはなんとなく冷たい物を心に感じていた。それは何かを失った喪失感にも似ている。それを無視して前を見る。

 じっとこちらを見るエヴァンジェリンの視線が合った。

 

「エヴァ」

 

「ん?」

 

 一言、呟く。愛称のようなものであり、名が長くて言いにくいならそう呼べと言われていた。別にそれは彼女に向かって出したものではない。しかし相手はそう捉えてはいない。何か話すことを強制されているわけではないが、なにか話題を探して、尋ねる。

 

「なぜ、あの二人に治療をしたのじゃ?」

 

「あの二人? ……ああ、あの兄弟の事か」

 

 ゼクトは他者に対して、どうでもいいと考えている。それは変わらない。だからこそエヴァンジェリンの行為が疑問でもあった。

 とりとめのない話題であったが、エヴァンジェリンは思わず腕を組んで考える。

 

「別にそこまで私は難しいことを考えてはいないぞ。怪我人を治療する程度、誰でも行うだろう?」

 

「その行為はおぬしに意味のあることではないではないか」

 

「まぁそうだがなぁ……誰かが悲しめばつられて悲しくなる。感情なんてそんなものだ。それが私の手間一つで解消できるのなら安いじゃないか」

 

 それは心のゆとりからくる余裕だろうか。エヴァンジェリンは目に見える全てを救おうとするような心意気は持ち合わせていない。ただ、自分に負担にならない程度の事ならば、手間をかける程度は悪くないとは思っている。偽善者だと人は言うだろう。だが、その程度の事、彼女は既に開き直っていた。

 嘗て居た彼女の旅の同行者は斬ってばかりであったため、やりすぎた物を治療するのはエヴァンジェリンの仕事だった。そのころの名残でもあるのだろう。

 

「どうせなら笑顔の方が、見ていて気持ちいいだろう?」

 

 にっ、と指を立ててエヴァンジェリンは笑う。どうだど言わんばかりの表情で在り、ゼクトは思わず呆れてしまっていた。だが、それがどこか可笑しくて苦笑する。こうしている時間は嫌いではない。彼女の笑顔につられるように、ゼクトも微笑を作る。

だが浮かび上がってきたのはもう一つの思いだ。まるで根源に刷り込まれていたかのようにそれは湧き上る。すでに自分の頭痛の元となる声は消えた。だが、根源にあるそれはすでにゼクトにとっては常識である。

 

 『彼等という存在に意味は無い』

 

「……ワシにはやはり分からんよ」

 

「? ゼクト?」

 

「自我から感情は生まれる。じゃが、自我自体が肉体から生まれた幻想に過ぎん。ならば、感情に何の価値がある? 何の意味がある?」

 

 それはゼクトの中に在る常識だ。なのに、『彼女』もエヴァンジェリンもそれを否定する様な行動をしている。

 先ほどまで何かに満たされていたはずだった。それを塗りつぶす様に何かが押し掛ける。それは焦燥感にも似ていた。だが口に出してしまえばそれがゼクトにとっての本心であると、エヴァンジェリンとゼクト自身へと思わせた。

 

「このアホ」

 

「いたっ」

 

 いつの間にか近づいていたのか、顔を上げたゼクトを待っていたのは、親指で中指を抑えた彼女の手であった。ぱちん、というデコピンによる音が響く。腰に手を当てずいっと顔を近づけたエヴァンジェリンに、ゼクトは思わず気圧されていた。

 

「また難しく考えているのか? その理論では、私もキサマも意味も価値もないという事になるぞ」

 

「……ああ、そうなるじゃろうな」

 

「私はそうは思わん。誰かの価値は、キサマ一人で測れるものじゃないだろう。少なくとも私は、キサマにも私にも価値があると思っている」

 

 道端に転がっている石が、他人から見れば石ころでも、本人にとって宝物に変わることもある。誰かが価値を感じているのなら、その石に意味はあるのだろう。それは妬みなどのマイナスの感情でも同じだ。

 

「世界に価値のない物なんてないさ」

 

 それは一種の極論であると言えた。エヴァンジェリンは今日のように、金銭的な意味で何の得もない人助けになってしまうことも多い。無駄な徒労に成ることも少なくは無く、逆に余計なお世話だと言われることも珍しくなかった。

 だが、それでも行動を起こすのは、本人が意味があると思っているからこそだ。そうして生きてきたエヴァンジェリンが、ゼクトの考えに異を唱えるのは当然の事だろう。

 結局、意味があるのか無いのか、そんなもの自分の中だけだ。どんなに自分の中で意味が無いと思っても、思考の数だけ世界観はある。その全て価値が無いと思うことは不可能なのだ。

 

「……そうか」

 

 ふと宙を見て呟き、思い出すのは自分に絵を渡して笑う少女の姿だった。数年間お守りのように持ち続けたそれは、未だにゼクトの元にある。わざわざ魔法で加工してまで残そうとしている自分は、それに何を感じているのだろう。

 決まっている、価値だ。初めて誰かに感謝を向けられ、ソレに対して自分は嬉しいと思った。その事実を、どうして認めようとしなかったのか。

 

「明日も早い。キサマも寝ておけ」

 

「……ああ、そうじゃの」

 

 お仕舞だ、と言うようにエヴァンジェリンはランプへと手を伸ばすと、そのまま明かりを消して横になる。ゼクトはすぐに隣のベッドから、規則正しい寝息の音を聞いた。

 

 ゼクトはまだ知らない。なぜ意味が無いと考えたのではない。なぜ意味が無いと『考えなければならない』ということを。

 

 崩壊は、着実に進んでいる。それをこの場所に居る者達は誰も知らない。

 



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5/人形

同日に幾つか投稿しているので、二章初めから読んでいただけると助かります。


 薄暗いテントの中で眠る一つの影が在った。大人と言うにはまだ若いその少女は、毛布にくるまって夢の中にいた。すやすやと眠るその寝顔は穏やかで、野外と言う場所で眠ることにも慣れているようだ。

 テントの入口が開く。白い髪の少年はその少女の様子に眉を顰め、声をかけた。

 

「時間です、主よ」

 

「……んん~? 時間?」

 

「……ああ、その通りじゃ」

 

 帰ってきた声はまだどこか夢の中にる。一応、自分の主の人格が出ていると考えていたはずの少年、フィリウスは、帰ってきたもう一人の方の人格である『彼女』の言葉に、額に青筋を立てた。外で食事の準備やその他諸々のことを行っていたにもかかわらず、気持ちよさそうに眠る『彼女』に少しだけイラッと来たのだろう。

 

「いいや、なんか疲れてるし、眠いし」

 

 しかしフィリウスの言葉を無視して、光がまぶしいと言わんばかりに毛布を引っ張って潜り込む。ピシィ! という何かが切れる様な音をフィリウスは聞いて、『彼女』の眠る毛布へと近寄った。

 ふん、という掛け声と同時に、テーブルクロス引きのように毛布を引っ張る。安眠のための道具を取られてしまった『彼女』は、外の涼しい外気に体を震わせると、目を擦って半開きで少年を見る。

 

「なにするのゼクト、ひどい」

 

「ふん、おぬしの方なら問題ないわ。食事を作ったから早く食べんか」

 

「……なんだかゼクト、最近冷たい」

 

「冷たくはしておらん。対応が少し雑になっただけじゃ」

 

「む……ゼクト、優しくない。ま、いいか」

 

 テントから出たフィリウスは肩をすくめる。そんな後姿を見ながら、『彼女』は気伸びをしてその背中を追いかけた。

 

――――――

 

 そこは紛争が絶え間なく起きていた場所であった。部族間の争いもそう、国家間としても資源が豊富なその土地は、自分たちの領土であると主張し続けている。そして、その付近の住民たちは小競り合いを行っていた。酷い時は魔法での戦いになることや、住民の住む住宅などに直接魔法を撃ち、打たれることも珍しくは無い。

 『彼女』はそんな地域を渡り歩いていた。『創造主』の行おうとした目的にも沿っており、下手に抗う必要もないという理由もあった。『創造主』の使徒であるフィリウスは、混乱のおきている地にて、魂を狩っていた。それが彼の創造主からの使命であり、力を出し切れない彼女を護るのもフィリウスの役目であった。

 

 創造主が力を使えない理由として、『彼女』という存在が在った。

 魔法世界のとある村に住んでいた『彼女』は村の住民から、カグラという名前で呼ばれていた。無表情ではあったがその保護者である者達からはその違いも分かり、農作業の手伝いや家事などしながら暮らしていた。余所から来たカグラにもその住民は暖かく、穏やかな日々が其処に在った。もしかしたらずっとそこで暮らし、旦那様を見つけて、ささやかながらも幸せに暮らすことができたかもしれない。

 だが、気が付けば少女の中に創造主という存在が居た。魔法世界のある王家との繋がりは無いに等しいカグラであったが、その王家に宿る血統に出現する特性があった。だからこそ、創造主の器たる資格が在ったのだろう。

 彼女は本来そこで消滅するはずの自我が存在していた。だからこそ創造主の行動を阻害することができるのだろう。

 気が付けば、彼女が住んでいた村は消滅していた。隣の家に住んでいた気さくな老人も、広場で遊んでいた子供も、自分を保護してくれた夫妻も。そこに如何なる理由が在ったのかはわからない。創造主を宿していることを知った、キャメロン・クロフトによってカグラは保護、正しくは監禁と呼ばれる状態に置かれたのだ。

 

 そして、フィリウスと言う少年と出会った。

 

 

「ん、これで大丈夫。気を付けて帰って」

 

「ありがとう! おねーちゃん!」

 

 魔法による簡単な傷の処置と、頭に清潔な包帯を巻いた少女を、『彼女』――カグラは見送ると、ほっと一息ついた。最後まで治療の痛みに泣かなかったその少女は、遠くで待っていた母親の元へと走って行ってしまった。

 災禍が子供たちにも広がり、そのすこし離れた場所では多くの人たちの呻く声が聞こえてくる。比較的軽い者の治療を行っていたカグラは、少女の後姿を見送りながら自分の手で肩を揉んだ。

 クロフトが死んでからフィリウスとカグラは、放浪の旅と言えるものを行っていた。拠点と呼べるものも本当はあるのだろう。しかし、その場所の地点へと創造主が行こうとすれば、その肉体の持ち主であるカグラはそれを阻害した。まだ体の主導権と言う意味ではカグラの方が強かったのだ。

 フィリウスは造られたばかりの人形であり、予め入れられていた知識と人格があっても、カグラと創造主が同じ肉体に居るという状態に混乱していた。なし崩しに旅に同行しなければならないのは、カグラに命令されたものであるが、創造主の言葉でもあると捉えて従っていた。

 カグラは遠くで大人たちが何か話しているのが耳に入る。戦いに出た人数よりも、帰ってきた人数と死体の数を合わせた数の方が少ない。多少の誤差なら分かるが、その差が大きい、という内容だった。そしてその話の内容に、カグラは顔をしかめた。その理由が何故か、カグラは知っていたからだ。

 

「……まだそんなことをしておったのか」

 

「ゼクト……」

 

 そこには肩に背負うように鍵を模した杖を持ったフィリウスが、怪訝な様子でカグラへと呟いた。

 混乱している地へ訪れたフィリウスは、創造主からの命令で魔法世界の住民の魂を狩っていた。リライトによってその魂は世界に還元され、創造主の行おうとしている儀式の糧となっていた。

 

「今日も、行って来たの?」

 

「それが主の命令じゃ」

 

「……そっか」

 

 フィリウスの言葉にカグラは思わず顔を伏せた。命令だから、それならカグラのいう事も一応は聞いてくれるフィリウスならば、自分がいう事でその行為を止めるだろう。だが、それでは意味が無いのだ。

 自分がずっと創造主という存在に抗い続けることができるとは思っていない。気が付けばカグラとしての意識を失っていることも多く、その感覚はだんだんと早くなってきていた。そして、頭の中で時折カグラへと話しかけていた。あきらめろ、と。

 

「さっきはね、五歳ぐらいの子供が頭に怪我をしていてね、だから私が治療してた」

 

「……ふむ」

 

「きっと痛かったと思う。だけどその子は我慢して泣かなかった」

 

「そうか」

 

「最後にありがとうって、お礼を言われたんだ。子供って、あんなに笑えるんだね」

 

 独白のように、カグラはフィリウスへと語りかける。いろいろな人の笑顔や怒り、苦しみなどを一つ一つ、いつものようにカグラはその日あったことを、思い出したように語る。遠くで聞こえていた家族を失った者の悲しみや、相手に大切な人を殺された人の怒り。そしてカグラが治療を行った者からの感謝や喜びなど、そこにある感情は様々だった。

 

「……」

 

 対して、フィリウスの反応は冷ややかな物であった。黙って聞いているが、その話の内容を理解することができないのだ。魔法世界の住民が持っている様々な感情、それは人形の上に重ねられた幻想であり、それになんの価値を感じればいいと言うのだろうか。

 カグラはフィリウスへとこうして語りかけることを日常としていた。フィリウスに感情が存在しないわけではない。フィリウスは自分の事を人形と言うが、カグラと共に居る時には薄くはあるが喜怒哀楽を示している。

だからカグラには分からない。そもそも人形と人間を隔てるのはなんなのか。誰かに造られた存在を人形と呼ぶのなら、それは全ての者に該当する。その区分けの仕方に人も人形も差は存在していないはずだ。

 感情を示すものに、価値が無いものなんてない。其処に在る者に、意味が無いなんてものはない。それをカグラは、フィリウスに知ってほしかった。

 

「……それで、だからどうしたと言うのじゃ?」

 

 だが、それはフィリウスには届かない。若干ではあるが苛立ちのこもった声で、フィリウスは返した。

 

「自分の思い人の名を呟きながら、足を失い横たわる者もおった。拷問を行われ、悲鳴を出すだけの人形になった者もおった」

 

 吐き捨てるように、フィリウスはカグラへと言う。真っ直ぐと射抜くような視線に、カグラは思わず目を逸らした。フィリウスは目を伏せて、今日あったことを思い出しながら語る。

 それはフィリウスが戦場で見てきたことの一端だった。それら全てをフィリウスは、ただ何も感じる事も無く、己の使命を行うだけであった。

 

「全て意味など無い。奴らに在ったのは苦痛だけじゃ。一刻も早く消してやるのが慈悲ではないか。そして、感情などというモノに左右される必要もない」

 

 フィリウスは自分が何を行っているのか分かっている。分かっていてもその行為が何を意味しているのかは理解していなかった。

 それはフィリウスが一番初めに得た世界の意味であり、創造主に与えられたそれは彼の根源となって存在している。『魔法世界の者はどう在らねばならないのか。そしてその使徒たる自分はどう在らねばならないのか』。

 

「おぬしが言った者達も同じよ。我が主によって造られた彼らには、等しく救済される義務がある。ワシは彼らを、彼らの魂の解放を行わなければ――」

 

 その先をフィリウスが口にすることは無かった。カグラはフィリウスを自分の胸へと抱き寄せ、無理やりその先の言葉を途切れさせたのだ。

 突然の事で目を白黒させたのはフィリウスであった。痛いぐらいに抱きしめられていることに驚きもあり、同時になぜそんなことをしているのかと、首をかしげることしかできなかった。

 

 

「ごめん。ごめんね、ゼクト」

 

 

 カグラは分かっている。きっとゼクトは自分の行っている意味を理解していない。口にしている事の中身を分かっていない。自分がどれほど残虐で、どれだけ多くの者達の思いを消してしまったのかを知らないのだ。其処に在る自我も口調も長く生きた老人のものだ。だが、本質は何も知らない子供と同じだったのだ。

 だけど、それを自分が止めることはできない。自分も感情には疎いと理解しているから、自分が出会った者達のように伝えることができない。だからこそ、フィリウスにそんな残酷なことを言わせてしまっている。

 こんなにも、自分は無力だ。

 創造主と言う存在を抑えることはできない。カグラと言う自我がなくなれば、創造主を止める者は誰も居なくなるだろう。それを理解しているから、フィリウスという存在に賭けるしかなかった。魔法世界の英雄譚に出てくる人物、その英雄の名からとったその名前をつけたのも、そうであって欲しいと言うカグラのエゴに過ぎない。

 なのに、彼へと責任を押し付けることしか、カグラには創造主を止める術が分からなかった。

 

「……なにを泣いておる」

 

 ゼクトには理解できない。涙とは悲しい時に流すものだ。今の話のどこに、カグラと関係のあるものが在ったのか。

 

「私には、なにもできない」

 

 ほんの少し前、大切な人たちを失ったときもそうだった。それをただ見ていることだけしかできず、今も他人任せにするしかない。自分には全てを打ち壊して突き進む力も、世界を救うための知も持ってはいない。

 温もりを知らないその人に、ただ自分の熱を残すことしか、自分にできることは分からなかった。

 

「……意味が分からんぞ」

 

 表情を変えず、フィリウスは呟く。なぜカグラが抱きしめているのか、何に対して彼女が泣いているのか、フィリウス/ゼクトには分からなかった。

 ただ、暖かい。カグラの温もりは確かにゼクトへと届いており、それはゼクトにとっては確かに意味のあるものだった。そしてゼクトは、カグラのその表情を、『見たくはない』と確かに思った。

 

 

―――――

 

 

 朝早く、まだ日も登っていない時刻に、カグラはフィリウスの眠るテントへと訪れる。静かに寝息を立てるその姿は少年そのもので、普段の老人のような口調が出るとは想像がしにくい。

 あれから何度もフィリウスへと伝えようとした。創造主が行っていることの意味を、その手で消している存在がどんなものであるのかを。それでも、変えることはできなかった。

 フィリウスとカグラが共にいた時間は、ほんの2年程度だろう。それでもフィリウスの根源にある創造主の示した思想は、拭う事は出来なかった。そして、カグラが創造主と言う存在を抑えるのも限界だったのだ。

 

「……」

 

 知識は創造主の持っていた物だ。しかしその憑代とされている身体の持ち主である自分ならば、フィリウスと言う存在自体を変質させることも可能だろう。

 そうすれば、創造主がフィリウスへと埋め込んだ強迫観念も消し去ることができるかもしれない。手を翳し、呪文を唱える。ゆっくりとフィリウスの身体の中に沈んだ腕は、創造主の人形である存在の持つ核という物に触れた。それを変質させてしまえば、きっと創造主のもたらした根源の思想も無くなるだろう。

 

 仕方のないことだ。そうしなければ魔法世界は無くなってしまう。自分がそれをやらなければ、創造主を止める者は誰も居なくなってしまう。

 

「……やっぱり、できない」

 

 それは、行ってはいけない。自分は神ではない。今更カグラがフィリウスと言う存在を、ただの道具のように扱う事は出来なかった。

 旅をし続けたなかでカグラの中でフィリウスと言う存在は、変わっていた。初めは自分を守る騎士でもあり、未来の創造主(じぶん)を貫く英雄であって欲しかった。そうなって欲しかった。だが、それに気が付くのは本人でなければならない。その結果をどう歩むのか、それを決める権利はカグラには無い。

 

『なぜ、止めた?』

 

 黒いフードをかぶった人間の影が、カグラの前に訪れる。

 それは幻影だ。創造主と言う存在がカグラへと見せているだけのものであり、実際にはそこに何も存在していない。

 頭痛がカグラに襲い掛かる。それは創造主がその体を乗っ取ろうとしていることの前振りであり、そのたびにカグラは自分の意識を振り絞ってそれに抗った。

 

『貴様の思う通り、私の施した調整を再度変えれば、フィリウスは貴様に従うだろう。なぜ行わない?』

 

 事実、フィリウスと言う人形はそういうモノだ。与えられた身体、与えられた人格、与えられた使命。それは創造主たる存在の調整一つで変わる。今のカグラになら、操り人形の主と成ることは可能であった。

 

「私は、彼に人形になってほしかったんじゃない」

 

 ただ、自分の行っていることが分からないその少年が、哀れで悲しくて。それは同情だったのだろう。感情の薄い自分と、どこかフィリウスを重ねていた。だからこそ、人に成って欲しかった。

 それに、この世界を終わらせてはならない。

 

『貴様はどうしてそこまでして、この世界の住民を護ろうとする?』

 

 創造主には分からない。なんのためにカグラという少女は抗おうとしているのか。カグラと言う存在が消え去ることを怯えるのなら、完全なる世界へと送りその魂を救おう。

 この身体がなくなれば確かに暫く創造主は世界へと表れない。しかしそれは、カグラという少女も死ぬことを意味するだろう。ならば本当の意味で彼女への救済とは、創造主の行おうとしていることだ。

 尤も、カグラが自分で自分を殺そうとするのなら、創造主はそれを全力で妨害するのだが。彼女が死ぬとしたら、それは他殺以外ではありえない。

 

「……貴女が、人を知らないから」

 

 そうカグラは創造主へと答える。

 2500年にわたって人を見続けてきた創造主に、この少女は何を言っているのか。それともただ、創造主が本当に人間と言う存在の本質を理解していないのか。

 カグラは自分が元々持っていた、魔法世界の王家の力を振り絞り、創造主を無理やり自分の中へと押し込んだ。そうして今一度、フィリウスを見下ろした。

 その少年はいったい何人の人たちを救済/滅ぼしてきたのだろう。そしてその意味を知った時、少年は何を抱くのだろうか。そのとき傍にいるのはきっと自分ではない。抱くことさえないのかもしれない。

 

「ゼクト、起きて」

 

 体をゆすり、フィリウスが起きるのを待つ。ぱっと目を開いたフィリウスは身体を起こすと、黒いローブの姿になっているカグラを見て目を丸くした。それは自分の主である創造主が出てきている時に纏っている者であり、カグラが纏っているとは思わなかったのだ。

 

「どうしたのじゃ。……いえ、何の御用ですか主よ」

 

「私の方だよ。ゼクト、聞いて」

 

 畏まろうとするフィリウスを無視して、カグラは言葉を続ける。

 カグラには二つ案が在った。一つはフィリウスと言う存在を自らの人形として思想を刷り込ませ、この身体を滅ぼす方法。そしてもう一つが、自分の知っているとある少女に賭けることだった。

 

「エヴァンジェリン・A・K・マグダウェル。彼女を探して連れてきて」

 

「エヴァンジェリン? ……クロフトを滅ぼした真祖の吸血鬼を? どうしてそんな者を……」

 

 フィリウスの疑問は尤もだ。フィリウスにとってその存在は、クロフトが執着していた存在である、ということしか知らない。だが、カグラから見れば違った。創造主とエヴァンジェリンと言う存在は少なからず繋がりがある。そして、その生き方についてもなんとなくであるが、カグラは『理解することができた』。あわよくば、この身を滅ぼしてくれるかもしれない。

 クロフトが彼女に着いてしきりに語っていたことも理由の一つに挙げられる。人外である彼女はまるで、人のように生きている。それに何よりも驚いたのはカグラだった。

 

「何年かかってもいい、説明して私の所に彼女を連れてきて」

 

「む、むぅ。だが我が主の……いや、分かったが、おぬしはどうするのじゃ?」

 

 救済はエヴァンジェリンの元へと行きながらでもできる。そう判断したフィリウスは、逆に カグラへと尋ねる。共に行けばわざわざ連れて来なくてもその場で済むだろう。その問いにカグラは首を横に振った。

 

「ダメ。私はいけない。早く、行って。今すぐ」

 

「なっ、今すぐに?」

 

 真剣な表情で頷くカグラに、フィリウスは言葉を詰まらせた。これは自分の主からの命令ではない。だが、カグラと言う存在は自分の主の躰の持ち主だ。ならば聞かなければならないのか。

 そう強制されているわけでもない。フィリウスはカグラの言葉を無視して、自分の主である創造主の言葉だけを聞けばよかった。だが、今まで旅をしてきて、カグラと言う存在がフィリウスには分からなくなったのだ。

 

「急いで。私は、もう私を保てない。だから、早く」

 

 その言葉に、フィリウスは一瞬思考がフリーズしていた。カグラの言葉をゆっくりと咀嚼する様に理解する。彼女がいなくなれば、残るのは創造主という存在だけだ。だけど、カグラという存在は消えてしまう。

 ただそれだけのことだ。本来自分は創造主という存在のために造られた人形だ。カグラという存在は消えてしまえば、ただあとは仕えるだけでいい。フィリウスはそう考えていたはずだった。

 

 なのに、ゼクトはそれを嫌だと思ったのだ。違う、正しくは、カグラと言う存在が。

 

 自分が感じていたはずだった温もりを与えたその人が、『消えて行ってしまう事を恐れた』。

 

 ならば自分はどうすればいい。分からない。考えれば考える程、自分の心臓が無意識のうちに痛む。身体に不調は無かったにもかかわらず、動悸が激しくなっているのを感じた。

 

 ならば、考えなければいい。

 

「……分かった。今すぐに出よう」

 

 結局フィリウスは意味も理由も、カグラへと投げたのだ。自分が考える必要はない。此処にエヴァンジェリンを連れて来れば解決する、と言うのならばそうしよう。『人形とは命令に従うものだ』。

 考えることを止めて、任された使命のみに従って生きる。最後の最期で、カグラが願っていた、人と言う存在へと歩みを進めることを、フィリウスはやめた。

 すでにフィリウスの思考は、どうやってエヴァンジェリンに接触するか、ということに移っている。アリアドネーを出たと言う情報は耳に入ってきていたため、そこから虱潰しに探していくか。

 先ほどまで浮かべていたはずの感情は、いつの間にかフィリウスの中には消え去っていた。

 元よりフィリウスの私物は少なく、ほんの数分もあればこの場所を発つ支度は完了する。それが終わったころには朝日が顔を出していた。テントの外に出た二人は、しばらく無言のまま立ち呆ける。朝日がまぶしく、カグラは思わず目を細める。フィリウスはただ、黙ったままだ。

 カグラは彼に何かいう事はあったのだろう。それでも、何を言うべきなのかが分からない。そんな沈黙を無視して、フィリウスは自分に与えられた使命を果たそうと、飛行魔法のための呪文を唱えた。

 

「ゼクト」

 

 それを見て、カグラは慌てて声をかける。振り向くフィリウスの表情からは感情が感じられない。ぎこちない笑顔を作り出して、言う。

 

「元気でね、ゼクト」

 

 ひとつフィリウスはその言葉に頷き、飛行魔法によって飛んでいく。小さい影は消えてなくなった。

 

 完全に見えなくなった頃、カグラの躰に変化が訪れた。意識していたわけではないのにもかかわらず、知らず内にその体に創造主の纏っていた黒いローブがあった。思考はぼんやりとしてきて、頭が重い。

 段々と自分が自分で無くなってきていることをカグラは実感した。もう自我を保てる時間も長くは無いとは理解していたが、こうなることは予想していなかったのだ。

 ゼクトにはエヴァンジェリンを探すのには何年かかってもいい、とは言った。その言葉の通り、時間的猶予を作ることはできる。自らの身体ごと封印してしまえば、一定の期間の時間は造ることができるだろう。そして、その封印ができる人物もカグラは知っている。

 アマテル、墓所の主である彼女は、カグラが言えばそれを行うだろう。

 

「もう、いいのか?」

 

 いつの間にか、黒い外套を纏い金の髪を持った少女が、そこにいた。

 カグラが頷くと、少女は転移魔法のための呪文を唱える。足元に発現した魔方陣は二人を包み込み、まばたきするほどの間にその地にはもう誰も居なくなっていた。

 

―――――

 

 フィリウスはエヴァンジェリンの元へと向かっていた。情報では既にアリアドネーを出たことは入ってきており、魔法世界の情報を検索して彼女の現在地を見つけ、向かっていた。

 グランドグレートマスターキーは手元になく、全域まで調べることはできなかったが、それでも見つかったのは運がよかったのだろうか。

 エヴァンジェリンを連れて行かなければならない。何のためにそれをするのか、それを考えることを放棄して飛行を続けた。

 そしてやがて一つの景色が視界に入った。遠見で渓流の近くで、少女と人形が休憩している姿だった。接触の初め何を言うか、そのまま勧告を出すのは簡単であるが、ゼクトには人形が武器を取り出しているのが見えている。

 無力化すれば問題は無い。ポケットに入れた手を抜き、創造主の掟を召喚しようとした時だった。

 どくん、と心臓が鳴った。

 召喚するどころの話ではなく、そのまま手を胸に苦しげに押し当てる。飛行魔法すら困難になるほどの激痛に、ゼクトは息を漏らさずにはいられなかった。

 

 それは良くも悪くもカグラの影響であった。カグラが気の迷いとは言え、フィリウスを変質させようとしたとき、途中で行為を止めたため、調整を中途半端に終わらせていたのだ。

 飛行能力を失った肉体は、慣性の法則に従って少女と人形の居た渓流近くに叩きつけられる。もちろんこの程度の衝撃でフィリウスの躰は壊れたりはしない。創造主を模して造られたフィリウスと言う存在は、完璧に設定されている。しかし調整不足と重なってその完璧は崩れ、打ち付けられた衝撃は、本人の記憶を飛ばすには十分だったようだ。

 

 そうして、フィリウスは記憶を失った。本の数秒の気絶から起き上がったときには彼の記憶は吹き飛び、頭にはアップルジャムが付けられていた。目の前に居たのは、断罪の剣を持って目を光らせ佇む真祖の吸血鬼の姿。

 

 皮肉なことに創造主からの使命も、ゼクトという名前を呼んでいた『カグラ』も忘れて、初めて『ゼクト』は始まった。

 



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6/知った時の日記

31日に幾つかまとめて投稿しているので、二章初めから見ていただけると助かります。


『18■◆年

 

 ダンジョン、別名チャチャゼロゼクトの狩場。どっちが魔獣を多く狩れるか競争しようぜー! と言わんばかりに張り切るチャチャゼロに、煽られてそれを追い掛けるゼクト。なんだこれ。私はダンジョンに来たんだ。遠足の引率に来たつもりはないはずだ。いや、一応殺さないようには言ってあったはずだが、動物虐待ってレベルじゃない。ダンジョンの中でなかったら、また悪名が広がってしまうところだった……。どうして動物を滅殺ではなく撃退する様になっただけで、二人の成長を感じなければならんのだ……。余りにも暇だったので適当に昼食の調理でも行っていたら戻ってきた。おい、やめろ。切れ端ごときで喧嘩するな。あいつ等本当にガキだ。

 久々に太陽を見たような気がする。薄暗いダンジョンへと明かりは持ってきていても、どこか冷たい物を感じる。だが私には太陽の光は暑すぎるから何とも言えん。暫く外の情報も入っていなかったし、時間についても正確に把握しなければならない』

 

『18■◆年

 

 久々の休日。旅人に休日とか無いが、たまにはのんびりする日もあってもいいだろう。町には出ずに部屋でごろごろしていると、ふと菓子でもつまみたくなり調理場を貸してもらった。ホットケーキのリンゴジャム乗せ。ンッン~手軽にできるお菓子はいい。

 どうしてあの馬鹿二人は私の造ったホットケーキを勝手に食っているのだろう。冷静になって考えてみればそうだ。焼き肉を鉄板で焼くときも焼くのはいつも私で、私が食えん。欠食児童かアイツらは。

 考えてみればゼクトがなんか大分丸くなって……丸、く? 変な方向に尖がってはいるが、取っ付きやすくなってはいる。魔法世界の住人相手にも普通に礼とか無意識に返すようになった。しかしアイツの言っている主とは何者なのだろうか……。ついでにたまに出てくる女性も。十中八九故人であるから話はしないが気になる。

 明日から情報集めでもしよう。まだ見つかっていないダンジョンの話があればなお良いのだが』

 

 

 

『18■◆年

 

 嘘であると信じたい。情報の真意を確かめる。アリアドネーに行く』

 

―――――――

 

 黄昏時の日差しが部屋の中を燈色に照らす。ベッドの上で眠っていたその女性は、誰かが部屋へと近づいてくる気配を感じながらも、その太陽を見たくてゆっくりと体を起こした。身体は自分の物ではないようにその女性は感じている。薬が効いているからか身体全体がだるく、身体を起こすことでさえ不自由だ。

 その女性は病に罹っていた。今のその時代では不治の病と呼ばれるそれはその女性の身体を蝕み、ゆっくりと症状を悪化させている。数年がかりで進んだその症状は、彼女の命を奪おうとしていた。

 別に病原菌のある地域に行って感染したなど、特別なことは何もない。ただ彼女の寿命が其処であった、という偶然がたまたま重なっただけの事であった。

 病院の中でも高い位置にあるその部屋の窓の外には、燈色に照らされた街並みが見える。彼女――エヴァンジェリンが去ってから少しだけ静かになったその都市は、それでもゆっくりと時間を進めている。混乱しかけていたその街を治はしたが、引退した自分に一人でこの都市を作り上げたとは思わない。そう女性は思うと、ノックをして入る影の方へと顔を向ける。

 

「お久しぶりです、セラン総長」

 

「元総長、でしょう? 流石にこんな体調で指導者に成れるとは思わないもの」

 

 ふっと儚げに笑って女性――セランは、自分の秘書だったその女性へと答えた。エヴァンジェリンと共にMM本国へと言ったこともあるその女性は、何を言っているんですか、と肩をすくめる。

 

「まだまだ私は、いっぱい教えてほしいことがあるんですから」

 

「あら、そんなに頑張っていると、私みたいに行き遅れちゃうわよ?」

 

「うへぇ……それは嫌ですねぇ……」

 

 小さい笑い声が部屋へと響く。MM吸血鬼捏造事件と呼ばれたあの件で、一回り成長した彼女は、しばらく経験を積めばこの都市を引っ張っていけるだろうとセランは思っている。たとえ、自分が居なくなろうとも後を継いでくれる者がいると言うのは、まじまじと自分の生きてきた意味を実感させる。

 セランにとって現状を受け入れることができたのは、満たされていると言う実感があるからだろう。大切な人もいる、後を継ぐ者も居る、母としての実感を短いながらも得ることはできた。セランの種族にとっては確かに長くは生きていないが、現実世界の人から見れば十分長生きしただろう。

 しばらく談笑しているうちに、彼女が何をしようと此処に来たのか考える。体調は芳しくないが、会話をする程度のことはできる。尤も、彼女が一方的に話しかけてセランは相槌を返しているだけであったが、その会話は楽しかった。

そうしてセランはただ一つの心残りにたどり着く。たった一人、親友であると胸を張って言えるその少女のことだ。

 

 そのことに気が付いて、セランは表情に影を作る。そして元秘書であったからか、彼女もセランの表情の変化に気が付いたのだろう。会話を止めて暗い雰囲気の静粛が訪れる。暫くその空気が続き、意を決したように彼女はセランへと言う。

 

「……エヴァンジェリンさん、やっぱり見つからないみたいです」

 

「……そう」

 

 恐らく自分は長くない。セランは昔に秘書でもあったその縁である彼女へと、親友と呼べる少女の捜索を行っていた。もちろん最期に会いたかったと言う思いもあるが、それ以上にエヴァンジェリンが心配であったのだ。

 エヴァンジェリンがこの都市を出たのは、過去の過ちを繰り返さないようにするためだ。だが、セランはそれでも会いたかった。もう、抱きしめてあげることができない。死んでしまえば、自分と言う存在の温もりは無くなるだろう。

 

「彼女、悲しむかしら?」

 

「悲しむでしょうねぇ」

 

「彼女、泣いてしまうかしら?」

 

「泣いてしまうでしょうねぇ」

 

 秘書であったその女性は目尻に涙が溜まってくるのを感じながらも、言葉を受けて返す。彼女自身もエヴァンジェリンに対して思う事はあった。だから、セランの言葉を、その姿を伝えられるように目は伏せなかった。

 セランは夕陽を見ながら溜息を一つ着いた。元々自分とササムが、エヴァンジェリンと共に居なければ、ササムが亡くなった時に彼女はあんなにも取り乱すことはなかったのだろう。

 彼女が『人間』であるからこそ、自分の死さえも深く受け止めてしまう。悲しまないでと、そう言いたいけれど、彼女が悲しんでいるときに自分はもうこの世には居ない。

 

 

「彼女に、『良い旅を』、と伝えてくれるかしら?」

 

「はい。わかりましたセラン総長」

 

 

 ただ一言、言葉を受け取って礼をする。セランの思っていた通り、セランがエヴァンジェリンに生きて会う事はもう無かった。

 

 

――――――

 

 砂漠の町を照らす太陽の日差しを、白いフードの下から仰ぎ見る。肌を指す熱い光は宿でごろごろしているエヴァンジェリンにとっては脅威だろうと、寝転がりながら雑誌を読んでいる姿を思い出して、ゼクトは思わず苦笑する。

 数日前までダンジョンに籠っていたゼクト達は、数日間の休息を街で取っていた。新しく見つかったそのダンジョンでは、エヴァンジェリンにとってもいくつか検証したいことがあったのだろう。部屋にこもるエヴァンジェリンに対して、することのないゼクトは少しの荷物を持って街に出ていた。別にすることもないが、ぶらぶらと街に出たのは気まぐれであったと言っていい。

 

「さて、どうする」

 

 だからどこに行こうと考えていたわけでもない。目的も無くあたりをうろつくことになるのだろう。

 だがそう考えていたゼクトの予想は外れた。ダンジョンへ潜る前、エヴァンジェリンと夜話した事を思い出して、ほんの少し見方を変えて街を歩いたのだ。

 さまざまな声が聞こえる。店の前で親に菓子をねだる子供の声や、若い女性の姦しい声が聞こえてくる。

 

 あれら全てが何かを考え、誰かから意味を与えられて生きている。

 

「……まぁ、どうでもいいのじゃが」

 

 それは無関心と言う意味ではなく、普通の人間が他人に思うようにゼクトは呟く。どうでもいいから価値が無いのではなく、どうでもいいと思うから価値が分からない。それをゼクトは今まで知らなかった。

 

「(……記憶を失う前のワシは、そのことを知っておったのじゃろうか)」

 

 自分がどうしてエヴァンジェリンについて行こうと思ったのか、何年も前の事であるため覚えてもいない。いつのまにか彼女と人形との旅に同行して、今に至っている。どこが旅の終焉であるのか、自分はどうするのか。

 この躰は人のものではないらしい。成長する様子のないことからそれは知っていたが、それがまた考えることを止める理由にもなった。当然のように不老長寿を受け入れても、どう生きるのか、それを決めるのは自分にとって大きな事であることには変わりない。

 そんなことを考えながら街を練り歩く。日が一番高い位置に来たあたりの時間で、一旦休みを入れようと食事処を探し始めた。恐らくゼクトが記憶を失って初めて心を動かした要因は林檎だろう。勝手に食えと放り投げられたそれを、美味いと感じたのが最初であった。

食事を終えて帰りに探してみるのもいいかもしれない。ゼクトはそんなことを考えながら、歩いている最中であった。

 

 

「おいそこのガキ。少し止まれ」

 

 

 少女とも女性とも言えるような、魔法によって微妙に加工された声がゼクトの耳に届く。その声のする方へと向くか考えたが、それを無視する。挑発するような物言いに反応して意味が無いことは、エヴァンジェリンと共に居て知ったことなのだから。

 だがそんなゼクトの態度を挑発するような口調で、その声の主は語りかける。

 

 

「キサマだキサマ、精巧なマネキンのような面をした若白髪のキサマだ。さっさとこっちを見ろ、人形」

 

 

 人形、という言葉に何故か癇に障り、ゼクトは思わず振り向いた。何故か自分の中でその言葉がしっくりと来るが、ソレを何も知らない他者に言われたことが、何よりも腹立たしい。

 振り向いた先は待ちゆく人に溢れている。だがその人々の合間に、此方をはっきりと向いている子供の姿が在った。背丈はゼクトと同等程度であり、フードを深くかぶっているためその表情は口元だけしか見えない。顔つきから女性であるだろうことは分かったが、どこまでが変装の魔法で作られた幻影の姿なのかはわからない。

 ただ、どこかエヴァンジェリンと似ている。それがゼクトの興味を引いた。ほんの少しだけフードが上がって重なった視線の先に、にやりと笑った緋色の瞳が見えた。

 

「カグラの事についての話だが、聞かなくてもいいのか?」

 

 『少女』はそう言って笑った。

 

 

 そこは静かな雰囲気の店であり、その中で最奥に位置する席まで掃除が行き渡っている。互いに飲み物だけ頼んでそこに対面に位置する様に座る。そこまで至近距離に近づいてもフードを深くかぶり、はっきりと顔を見せようとしない『少女』に、胡散臭さを感じないわけにはいかないだろう。

 

「相変わらず砂漠地帯は好かん。埃っぽい上に太陽も体を煮立てようとしてくる。それで、入る店も埃っぽいと相場は決まっている」

 

「ならば孤島の神殿にでも籠っているのじゃな」

 

 互いに頼んだコーヒーを飲みながら、静かな時間が流れていく。呼びかけたのがあちらならば、此方がわざわざ話しかける必要もない。何も話さないのなら飲み終わったところで出ていこうと、ゼクトが考えた時であった。

 

「それで、いい加減答えは見つけたのか、フ――いやゼクト」

 

 その言葉に一瞬だけ身体が硬直し、すぐに何事もなかったようにカップをテーブルへと置いた。

 自分の名前を呼ばれたことは、情報屋を通したのならあり得ないことではない。だがその口調は、まるで自分と目の前の『少女』が知り合いであるかのようだ。

 

「……なんの話をしておる。そもそもおぬしは何者じゃ。ワシの昔の知り合いか何かか?」

 

「いいや違うさ。私はキサマの事は知らん。ア、――、カグラの知り合いだ。名前はそうだな、ネージュとでも呼べ」

 

 何か名前を言い淀んだように出された名前は、ゼクトが稀に見る幻視で出てくる女性の名前であった。疑いも確かにある。だが、それ以上に自分の記憶の手掛かりとなる人物であると言う確信が得られた。

 思わず眉をひそめる。失った記憶を知ってどうするのか。記憶を取り戻すことを目的としていなかったために、その手掛かりであると分かっていても気が乗らないのは確かだった。

 

「それで、そのカグラの知り合いがどうしてワシに用がある」

 

 ゼクトの純粋な問いに、ネージュは顔をしかめて黙る。そしてその内容を理解したのか、少しだけ焦ったような口調で話す。

 

「待て、それは本気で言っているのか? ……まさかキサマ、奴の言った事を忘れたのか?」

 

「忘れた。そもそも記憶を失っているのじゃ。言ったことが何なのかさえ覚えてはおらん」

 

 その言葉にネージュはどこかぽかんと呆けたように口を空けた。そしてすぐさま苦虫を潰したように口元を歪ませる。

 そして小さく溜息を吐くと、そのままコーヒーを入れたカップを傾けた。そこには恐らく失望が表情に浮かんでいたが、ゼクトはそれを無視して同じようにカップを傾ける。

 勝手に驚かれて、勝手に失望されようとも、何も知らない自分には反応の仕様が無い。ゼクトのその態度は開き直りだが偽りのない本心であり、またそんな態度にネージュは憂うように呟く。

 

「……いや、キサマが忘れているのならそれでもいい。ただ終わるだけの話だ」

 

「どういう意味じゃ?」

 

 なぜか分からない。だが、嫌な予感が頭を過りゼクトは思わず聞き返す。しかしネージュは返答を返そうとはしない。カップを置いて、ニヤリと笑う。

 意地の悪い笑みだった。嘆くような儚げな表情はそこにはなく、童話に出てくる意地悪な魔女のようにネージュは笑みを作っていた。

 

「言葉通りのことだよ。まあ私には関係もない。元々私は何もするつもりは無かったのだから」

 

「? 待て、おぬしはいったい何を言いたい」

 

 ゼクトにはネージュが言っていることが分からない。曖昧な単語は恐らく本人が独り言のように漏らしただけの事で、ゼクトに伝えるつもりもないのだろう。

 ふむ、と顎に手を当てて考えているようにゼクトには見える。しかしゼクトはその『少女』が笑みを崩さないことで、次の言葉が多少は予想ができた。

 

「対価は?」

 

「…ふむ?」

 

「私がカグラから請け負ったことにそれを話すことは入っていない。私は良い魔法使いとは言えんのでな、何かしてほしいのなら対価が必要だ。わかるな?」

 

 ネージュの言葉にゼクトは舌打ちひとつして自分の懐に手を忍ばせると、硬貨が入った袋を彼女へ向かって投げる。強請りたかりの輩であろうと、その感じた不穏さからその情報の重要度は上がった。もとより使わない物を使おうとゼクトは痛くもない。

 しかしそれを受け取った少女は、全く同じ軌跡でそれをゼクトへと投げ返した。

 

「そんなものは要らん。ふむ、キサマの血なんてどうだ? 全部貰えば説明のせの字程度は話してやってもいい」

 

「要するに話すつもりは無いという事か? 魔女め、用が無いのならさっさと消えんか」

 

 その口調といい、幻影で姿を変えているか、本当に自分と同種の不老の存在のどちらかだろう。少なくとも見た目通りの年齢という訳でもない。

 ふん、と鼻を鳴らして立ち上がった少女は、コーヒー代として銀貨を数枚テーブルの上に散らし、ゼクトの耳元に寄った。何か洗脳系の魔法かと、魔眼などの対策のために、ゼクトは瞳を見ず構えるように座っていた。そして、その顔が見えた。

 

 

「……おぬしは」

 

「時間はあまりない、記憶が無いのならさっさと思い出せ。急げよ、姫の騎士。でなければ何もかも終わってしまうぞ」

 

 

 私はそれでもかまわんが、と。言い終わったネージュはゼクトから離れると、背を向けて出口へと向かった。一言何かを呟き、かち、という小さな音が聞こえたかと思えば、その姿は既に視界から消えていた。

 転移魔法か移動用のマジックアイテムだろう。そう結論付けたゼクトは、思わず深く椅子へと腰かけた。

 ネージュの顔は自分の記憶の中に在る。それが幻影で作られたものなのかは分からない。ただ、似すぎているのが本音だった。

 何もかもが終わる。どういう意味なのかは分からない。このままにしておいては不味いのだろうと、あの少女の言葉から分かる。だがどうすればいいのか自分には分からない。

 店員が注文した料理を持ってくる。良い香りのするそれらも、先ほどの出来事が原因で味がしなかった。

 

 太陽も傾きはじめ、店を後にしたゼクトは、ネージュの言葉に着いて考えていた。

 カグラという少女、自分はその少女と共にいた。ただ誰かを癒して歩く旅に自分は同行していた。それ以外の事を思い出せない。

 終わるとはなんだ、そのカグラがもうすぐ死を迎えるという事か? だからネージュは記憶を取り戻せと言ったのだろうか。

 考えていても答えは出ず、泊まって借りている宿の部屋へとたどり着くと、一旦考えることを止めて部屋へと足を踏み入れる。

 

「来たのか、ゼクト! 丁度いい、早く出発するから準備しろ。アリアドネーに向かうぞ!」

 

 部屋を出る前はごろごろしていたエヴァンジェリンの姿と、今出発の準備をする姿が違いすぎて、ゼクトは思わず目を丸くした。

 

 

―――――

 

『このページは全体が同じ書式で、印刷されたように淀みがない』

 

『18××年

 

 納得もできない。理解もできない。

 何が悪かった? 私が都市を出たからか? 確かに私はそうなることを望んで都市を出た。後悔すると理解していたはずだ。なら、自分は今どうしている?

 体が心に追いつかない。思考と理解がかみ合ってない。現実とはなんだ。何が今起こった? そして自分は本当にそれを分かっているのか?

 自分で自分が分からない。チャチャゼロは答えてくれない。ゼクトは頼れない。嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。理解なんてしたくない。』

 

―――――

 

 飛行船の中で貧乏ゆすりをしながら、手を組んで椅子に座るエヴァンジェリンの姿がゼクトに入ってくる。顔色は悪く落ち着かない様子であることは目に見えて現れており、ゼクトは動かずに寝ているチャチャゼロの隣で座っていた。時折椅子から立って部屋をうろつく姿に、ゼクトは思わずため息を吐いた。

 そこは飛行船の中の一室であった。アリアドネーに向かっているその飛行船に乗ること自体に問題は無い。実際に高位の魔法使いであれば、それよりも早く飛んで行くことは可能であるが、そんなことをすれば捕まるであろうことは目に見えて分かっている。なまじ行えるだけの力が在るだけに、エヴァンジェリンは落ち着くことができないのだろう。

 

「……エヴァ、少しは落ち着いたらどうじゃ」

 

 どうせそうして居ても、早く着くわけでもない。真実であってもゼクトの言葉が癇に障ったらしく、キッとエヴァンジェリンはゼクトを睨んだ。そしてそれが八つ当たりであると思い直し、目を伏せる。本人にもその自覚はあるが、正論であるからと言ってそれが本人にとって好ましいものであるわけでもない。

 

「……落ち着いている。変なことを言うな、ゼクト」

 

「とてもそうは見えんぞ」

 

 暗く濁ったような空気が、辺りを包んでいた。

 アリアドネーの元代表が亡くなった、というニュースが入ってきたのはヘカテス周辺のダンジョンから帰還して数日後の事であった。丁度アリアドネーからエヴァンジェリンへと接触しようとしていた人物と、ダンジョンへ潜った時期と一致してしまい情報が伝わるのが遅れたのだ。旅人の一人に残されていた伝言を聞いた時のエヴァンジェリンは、何度も確認して昼寝していたゼクトとチャチャゼロをたたき起こして此処に居る。

 エヴァンジェリンにとってアリアドネーの元代表、セランと言う存在は掛替えのない友人だ。しかし、ゼクトにとってその人物は少し話しただけの間柄しかない。それも、他者に対してほぼ無関心であったときの事だ。

 この居心地の悪い空気の中に居て、ゼクトはどこか自分が苛立っていることが分かった。それはこの空気に対してではないことは理解していても、何に苛立っていることが分からない。

ちっ、と思わず舌打ちを一つする。そして響いたのはエヴァンジェリンが両手をテーブルへと叩きつけた音だった。

 

「……落ち着けだと? ……ああ、たしかに落ち着きが無いことは悪かった。だがな、私の親友のことだ。落ち着いていられると思うのか!?」

 

 苛立っていたのはエヴァンジェリンも同じだった。ゼクトの舌打ちが何も答えない自分に対するものであると勘違いし、それなら言ってやると、留めていたはずの感情を爆発させた。

 ゼクトは驚きもあったが、同時に苛立ちが大きくなっているのが分かった。どうして自分が非難をエヴァンジェリンから向けられなければならない。その苛立ちをもたらした原因はエヴァンジェリンではないはずだが、八つ当たりのように言葉を返していた。

 

「ふん、知らんわ。ワシには関係のないことに、興味を持つわけが無かろう」

 

「何だと!?」

 

 ゼクトには誰かを亡くしたときの感情が分からない。記憶の中にいるカグラという少女が、今はもう居ないことをなんとなくであるが理解していても、なぜかそれに対して思う事が無かったのだ。

 失言を謝ればいいのか、少なくとも苛立っている今の状態でゼクトは謝罪ができるとは思わなかった。

 ぎり、と歯を食いしばり手に固く拳を作りながら、エヴァンジェリンはゼクトを睨みつける。その視線を受けるゼクトはいかにも不機嫌であるといった様子で眉を顰めた。

 

「……ああそうだな、キサマはいつもそうだ。他人をどうでもいいように扱って、傷つけようがなにも気にしない。そういう奴だったと忘れていたよ」

 

 エヴァンジェリンの言葉になぜか胸へと痛みを感じていた。他者へと辛辣になることを何度か見たことが在る。ただその視線を向けられるのが初めてであった。だからこそ、ゼクトはエヴァンジェリンの言葉を文字通りに受け取った。

 その姿に違和感があると分かっていたのは、部屋の中ではチャチャゼロだけであった。何かを振り切るようにゼクトへと当たる姿に、思い当たる節があるが言葉にはしない。しても意味が無いことをチャチャゼロは知っていた。

 

「だから、感情が分からないなんて言うんだ。そんなキサマが、私の何が分かる!」

 

「……煩い」

 

 ゼクトの中で何かが語りかける。

 止めろ、と。その通りだ、と。否定する声と賛同する声が同時にゼクトの中に存在していた。

 人を理解できず、感情も分からず、誰かを傷つけていることも知らずに行動して、それを理解してしまったからこそゼクトにとって弱みになった。だからその傷を抉られ、現実にはないはずの痛覚が胸の痛みを造りだす。

 エヴァンジェリンの言葉を止める手段は無い。その言葉は、ゼクトを傷つけると理解していた上で、彼女の口から出されていた。

 

 

「いいや違う、キサマのような『人形』みたいな奴に、私の事を分かってたまるか!」

 

 

「おぬしがそれを言うか、エヴァンジェリン!」

 

 怒りに声を震わせながら言われた言葉に、ゼクトも声を振り切るように思わず立ち上がって怒鳴る。誰よりもその単語は自分にぴったりであると自覚している。だが同時に、違和感になってきているのも分かっていたのだ。『自分をそうした人物が』その言葉を言ったことに、ゼクト言葉は反射のように出てきていたのだ。

 この身が■■であるのではないかと、自覚させた人物の否定にゼクトは拒絶反応を起こしたのだ。

 『その言葉を、認めたくないと。自然にそう強く思っていた』

 

「ぐっ……」

 

「!? あ……、ゼクト?」

 

 ずきん、とゼクトの頭に痛みが走り思わず頭を押さえる。その様子に驚いて、どうしたのかと言おうとしたエヴァンジェリンであったが、自分が言った言葉が言葉なだけに口には出せず俯く。エヴァンジェリンは誰かを害する、という行為に気を使って生きていた。自分が言ったことが失言であると理解し、さぁっと怒りが引いていく音が聞こえた。

 どうしてそんなことを言ってしまったのか、変わろうとしていることは自分にも分っていたのに。エヴァンジェリンはそう思わずにはいられなかった。

 本心ではなく、傷つけようと、八つ当たりのために言った言葉は後悔しても取り消すことはできない。

 逆に痛みに気を取られたゼクトは、普段ならば気が付くエヴァンジェリンの様子に気が付かなかった。

 

「『死んだ者に感情も意思も無い』。他者に何も残さないそれを、無価値と呼ぶ以外に何と呼ぶ!」

 

 自分は間違っていない、と。頭を押さえて吐き捨てるように言い放つ。視界の中に広がったのは、誰かが怯えた人間が自分の目の前で消えていた風景であった。まるで花びらが人間の形をとっていたように、あっけなく消滅していく。

 いくつも、いくつも、見覚えのない風景が頭の中に溢れ出した。それは何の映像なのかゼクトには分からない。商隊の子供を消し飛ばしたところでようやくそれは止まり、震えが無意識のうちに頭を押さえていた腕に現れた。

 

「おぬしが行って何になる。おぬしが友と呼んだソレはもう死んだのじゃろう?」

 

「ぅ……あ……そんな、こと」

 

「何が違う、セランという女はもう死んでいる。其処におぬしが行って何ができる、何の意味がある!?」

 

 頭が痛い、苛立つ。何かを言おうとしてどもる姿に、ぎりっ、と口元を歪めた。

 苛立っているのはエヴァンジェリンにではない。彼女をそうさせている友人とやらに、ゼクトは苛立っている。

 どうして既に死んだ者がこうして彼女を揺るがしている。どうして自分は責められなければならない。ゼクトにとって死は別れではないと常識となっている。正しくはそうさせられている。誰かの死を知らないゼクトにとってセランの死という現実は、目の前の彼女を不安にさせるだけの要因に過ぎないのだ。

 だからゼクトが言おうとしているのは、エヴァンジェリンを責めようとしているわけではなかった。

 

『既に死んだ者など気にするな』。ゼクトがそう言えるのは、ゼクトにとってセランは完全な他人であり、また死を理解していないからこその言葉だった。

 

 

「ここで死のうと行き着く場所は同じよ。同じ元に還元されるのだから、いずれまた会えよう。おぬしがそんな『どうでもいい』ことを――」

 

 

「オイジジイ、テメェチット黙レ」

 

 

 殺気と共に突きつけられたチャチャゼロの無機質な声に、ゼクトは言おうとしていた言葉を止めて口を噤んだ。

 チャチャゼロの殺気に怯えたのではない。俯き表情を見せない目の前のエヴァンジェリンに気が付いたのだ。

 

 ぽつ、ぽつ、と。滴が床に落ちる音が耳に届く。ゼクトはどこかで同じような音を聞いたことが在るような気がした。

 

「……そんなこと、わざわざ、口に出さなくてもいいじゃないか」

 

 小さな掠れた声で、エヴァンジェリンは呟いた。ぺたん、と地面にしゃがみ込み、顔を伏せる。ゼクトからは表情は見えず、嗚咽が漏れる音だけが聞こえる。

 

「だって、親友なんだ。セラ、ンは、私の。もう、会えな、い、って……」

 

 言葉にしようとしても、その口から聞こえるのは最早単語ですらない。しきりに擦る眼からは涙がこぼれ、止まる様子は無かった。

 

……自分は、何をしている?

 

 今彼女が泣いていると言う現実が、自分が求めた物ではない。だが、自分ではそれを止められない。■■■の時と同じように、今度はその涙の意味も理解できるはずなのに。

 だって、そうではないか。『死んだ者に意味があっていいはずがない』。ならどうして泣いている? 決まっている、亡くなったその人間が、その事実が、『意味がある』ということだ。

 

 エヴァンジェリンは既にセランが亡くなったという事は、情報だけでは知っていた。ただ今に至るまで、認めていたわけではなかったのだ。

 それは一種の現実逃避だった。自分の眼で見たわけではない、だから認めない。真実だと認めつつもどこか情報が偽りであって欲しいと、心の中で思っていた。だから焦っていたのは、早く着かないことではない。着いてしまい事実を認めてしまう事に焦っていたのだ。

 だがそれも、たった今ゼクトによって認識させられた。友の死という現実は彼女に突き付けられる。逃れようのない感情は、ただ滴となって溢れていく。

 

「どうし、て。みんな、勝手にいく。なんで、私に、背負わせるんだ……?」

 

 ゼクトに返す言葉は無く、少女の嗚咽の漏れる音だけが、部屋には響いている。そして察することもできた。最早自分にはかけられる言葉もないということを。

 エヴァンジェリンはやがて結論を出すだろう。チャチャゼロはそれを知っている。そうしてまた先に向かって歩き続ける。そして、この現実も受け入れて進むのだという事を。そしてその考えの通り、彼女はまた人として歩み出す。

 ゼクトは知らない。理解ができない。自分が何を言っているのか、自分が何を忘れているのか。

 

 考えてはいけない。考えることは自らを崩壊へと導くことだ。

 考えなくてはいけない。そうでなければ、『ゼクト』は『ゼクト』のままでいられない。

 




次は一日の6時からです。


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7/起きた頃の日記

『18■◆年

 

 アリアドネーの元代表が死んだ。私たちがダンジョンに入っていたからか、その情報が遅れて届いた。結局、友人の死に目すら看取れなかったのは、私にとっては良かったのだろうか。ササムと同じことをしない、その確信ができたのだから。

 ……こうして文章にしてしまえばそれを実感せざるを得ない。当然だ。相手は人間で私は吸血鬼だ。こうして死に直面することはある。ササムのときにそれは知っているはずだ。

 だが、虚無感だけは無くならない。いつまでも残り続けるそれを私はどうすればいい。ゼクトも何度も声を掛けに来る。チャチャゼロもだ。だが、それでも立ち上がる気力が出ない。

 二人に心配をかけていることは分かっている。過去に目を向けず前を向けと言うのがどれだけ難しいことか、実感した。それでも、私は前に行くと決めたのだから。だが……(ここから言い訳じみた文章が続いている)』

『追記 おいエロナスビ、この部分は消せ』

『追記の追記 いwやwでwすww』

 

 

『18■◆年

 

 だいぶ落ち着いてきた。沈んでいるのは変わらないが、それでも落ち着いて日記を書く程度の事はできる。こうして立ち上がることができるのは、ササムのときセランが立ち上がらせてくれたからか。一人で立ち上がらなければならない、それぐらいのことは昔から分かっていたはずだ。

 だが一つだけ懸念もある。ササムのときのように深く狂ったような感情を浮かべなかったことは、進歩なのだろうか。こうして何度も死に直面すれば私は、同じように立ち上がるための時間を短くしていくのだろうか。それは寂しくもあり、悲しいことだ。しかし、それもまた生きるということなら、私は受け入れよう。そのために、私は人に成ろうと決めたのだから。

 セランの眠る場所へと訪れてもいない。いい加減、会いに行こう。待たせてしまうのは悪い。』

 

 

――――

 

 大きな部屋つけられた個室からは、異様な雰囲気を感じることができた。その陰気は扉から滲み出ているのを幻視する。重い溜息を吐いてそのドアノブに手をかけて部屋へと足を踏み入れた。

 室内全ての窓にカーテンを閉め切られ、その上明かりすらつけられていないその部屋は、まだ昼間であると言うのに薄暗い。寝室用のその部屋には大きなベッドが中心にあり、そのベッドにもたれかかるように彼女は居た。

 膝を抱えて顔を伏せている。綺麗なはずの金の髪もぼさぼさで輝きを失い、ドレスのような洋服は皺だらけだった。一日前と何も変わらない姿に、ゼクトは思わず頭を押さえ首を横に振る。

 

「エヴァ」

 

「……ゼクトか」

 

 ゼクトの賭けた言葉に反応する様に、エヴァンジェリンが此方へと顔を上げた。そこにある表情は沈んでおり、涙は止まっているが流れた跡が残っている。喜怒哀楽の中で哀を見せるのは共に行動している中でも珍しい。

 だからこそかけるべき言葉が分からない。ゼクト自身には目的が無い、正確には忘れてしまっていると言うのが正しいが。エヴァンジェリンが悲しんでいる対象についても知らず、慰めるための言葉も見つからない。人を励ますことなど、ゼクトはやったことが無いのだから当然であると言えた。もやもやする。彼女のために何かをしようとは思って部屋に入ったが、いざ目の前にしてみればなんの言葉も出てこない。

 

「もう少しだけ待ってくれ、しゃんとしてみせるから」

 

 逆にエヴァンジェリンは、何かを話そうと考えているゼクトを気遣うような言葉をかける。ぎり、とゼクトは口元を歪ませ、拳を握りしめた。そんなことを言わせたかったわけではない。ただ目の前でエヴァンジェリンが沈んでいる姿を、見たくないと思っている自分がいた。かつて自分を抱きしめた『彼女』が、静かに泣いていた時と同じように。

 

 何を今更、彼女をこうして泣かせたのは、自分だろう。

 

「……そうか」

 

「うん」

 

 短く返した言葉に短い返事が在ったことを確認し、ゼクトは部屋を出る。チャチャゼロの事を出したのは、自分の事を話さないようにするためであった。今なにを考え、なにを感じているのか。それが自分でも分からなくなってきている。

 『彼女』が向けていた涙は何のため? 自分はいったい何をしていた? 今ここで沈んだ少女は何を悲しんでいる? その感情を向けている先の者は本当に『価値が無い』ものなのか?

 

 自分は今、なにを思っている?

 

 決まっている。彼女の落ち込んだ姿を見たくは無い。ならばなぜ自分はこの部屋へと入ったのだろうか。見たくないのなら、外で待っていればいいだけの話なのに。

 ずきんずきんと、先ほどから仕切りなしに頭が痛む。そんなもの、すべて無視している。それ以上に、今の思考は重要なのだから。

 

「……セラン……ササム」

 

 部屋を出る直前、エヴァンジェリンが誰かの名前を呟いた。その人物をゼクトは詳しくは知らず、なにも言う事ができない。なぜか、拳を強く握りしめていた。

 

 それが、数日前の話であった。

 

―――

 

 そこはアリアドネーのとある家の一室であった。部屋に置かれた賓の良い家具は、普段野宿や粗末な宿に泊まりなれているゼクトにとっては少し居心地が悪い。無駄に料金が高い所に泊まっているのは、チャチャゼロが勝手に借りたこともあるが、安全な場所としてそこを挙げられたからだ。

 現在アリアドネーでは少しずつではあるが活気を取り戻しつつあった。先代総長であった者が亡くなり、多くの者にその死を惜しまれた他に、都市は多少ではあるが賑わいを無くしていたのだ。だがそれもほんの数週間程度の事だ。何もなかったかのように生徒は学へと力を入れ、商人は商いを始めている。何時までも悲しんでいたところで前には進め話しない。人々は己が何を始めるべきなのかはわかっているのだ。

 が、そんな事情は余所者であるゼクトにとっては知ったことではない。彼がこの都市に足止めされている理由は、同行している人物がこの都市にとどまっているからだ。ゼクト自身、どこかに行きたいと思っているわけではない。だが、彼女について行かなければならない、という意思が元々存在しるためそれに従っているだけだ。そしてそれを否定しようとは思わなかった。

 

「オカエリ、買イ出シゴ苦労サン」

 

 買い出しを終えて滞在中に借りている部屋の一室にある広間に戻ると、ソファの向こう側から少女のような声がゼクトに届いた。エヴァンジェリンの従者でもある人形、チャチャゼロの声である。その姿が見えないのはソファの上で寝そべっているからだろう。近くに寄ってその姿を見たゼクトは顔をしかめる。

 

「おぬしの御主人は部屋から出てこないと言うのに、おぬしは随分と良い身分じゃな」

 

「アン? ナーニ言ッテンダ。英気ヲ養ウノモ仕事ノ内ッテナ」

 

 チャチャゼロの片手にはワインの入った瓶が在り、肩肘で頭を支えながら寝そべっている。そしてその手元にはアリアドネーで買ったのであろう雑誌とツマミ。完全にバカンス気分を享受している。先ほどまで自分が深く考えていたのはなんだったのか。

 テーブルを間に挟んで対面に座ると、チャチャゼロからグラスを投げられる。見ればテーブルの上には、開けられていないワインが置かれていた。

 

「ジジイモ飲ムカ? 昼間ッカラ酒モ案外悪クネェゼ?」

 

 遠慮しておこう、と。ゼクトは空のグラスをテーブルに置いた。つまんねぇの、とチャチャゼロは呟くと、開いていた雑誌を閉じて身体を起こした。対面に腰掛ける姿は人形らしく可愛らしいが、その手に在るワインのビンはそれを台無しにしている。本来操り人形を意図して造られたはずのその身は、今では殺戮人形であるのだから問題は無いと言えば無いのだろう。

 

「それで、エヴァンジェリンの様子は?」

 

「昨日一昨日ト同ジジャネ? 飯モ勝手ニ食ッテンダロ」

 

 短い言葉で結論だけ述べる。なぜかエヴァンジェリンの姿をゼクトは思い出したくは無かった。正しくは、暗く落ち込んだままの姿の彼女であるのだが。どこか思考がざわめくような気がして、それが鬱陶しい。考えない、という行為は尤も楽なことであり、ゼクトはその思考に流されたままだ。

 悪かった、と。一言自分が謝ったところでどうなる。自分の自己満足に今の彼女を突き合わせる程、ゼクトは無知ではない。だから心情的にもゼクトには重荷となっている。罪悪感という物が何時までもまとわりつくのは鬱陶しい。

 ゼクトの答えにチャチャゼロは大きく溜息を吐いた。手にあるワインのビンを傾けて、そのまま飲み干す。

 

「ソンデジジイハ、イッタイ何シテンダ?」

 

「何もしておらん。何をしろと言うのじゃ」

 

「カーッ、沈ンデル女ガ居タラ抱キ締メテヤルグライ、男ハシロッテンダ。テメェ本当ニ(ピー)付イテンノカ? アアン?」

 

 酔っぱらったオッサンのような絡み方でチャチャゼロはゼクトへと言う。まだ謝ってもおらんわ、と。頭の後ろに手を組んで座りながらゼクトは答える。

 抱きしめる、という行為はゼクトにとっては特別な物でもある。それは砂漠の町で思い出した過去の記憶であった。『彼女』、カグラという少女がかつて自分と共にいた。そして彼女からその行為によって思いを与えられた。そしてその記憶を失っていたのは、カグラ自身の手違いで在ったのだが。

 

「……そんなこと、おぬしがやれば良かろうに」

 

 ゼクトは拗ねたようにチャチャゼロへと答える。自分が彼女に言えることもなく、『彼女』のように与えられるような温もりもない。

 その言葉に対してチャチャゼロはわざとらしく溜息を吐いた。何を言っているんだこいつは、と言わんばかりのそれは、ゼクトを苛立たせる。しかし想像していた物と違い、チャチャゼロの言葉はすんなりと入ってくる。

 

「人形ガ自分カラ温モリヲ与エラレル訳ガネェダロ」

 

 当たり前のことを話す様に答えられた言葉に、ゼクトは思わず息を呑みこんだ。

 確かに目の前にいるのは人形だ。自ら言語を発し、動き、飲み食いさえもする。それでも、その姿は人型を取っていても人とは言い難い。

 人形を抱きしめても返ってくるのは自分の温もりだけだ。自ら熱を発せられることは無い。

 だがそれはゼクトにとって意外でもあった。エヴァンジェリンは自身を人として扱っている。真祖の吸血鬼であるというのにそうであろうとしている。それをゼクトも分かってきたから、チャチャゼロの言葉は意外だったのだ。人であろうとしている意志を持っている主人であるからこそ、従者も同じであるとゼクトは考えていたのだ。

 

「おぬしは、人形なのか?」

 

「人形ダ。俺ニハ考エルタメノ脳ナンテ無ェシ」

 

 チャチャゼロは人間ではない。人であろうとしたこともない。彼女がエヴァンジェリンを護ろうとしているのは、その魂に刻まれた命令が彼女を動かしているからだ。確かに感情もあり、思考することはできても、生きてはいない。ただ魂から命令された通りに動いているだけであり、何かを考えているわけでもなかった。だからこそ、その魂によってチャチャゼロは世界を与えられ、その指針によって突き動かされている。

 そしてそのように行動する存在について、ゼクトはなぜか引っかかる。チャチャゼロではない、自分に限りなく近い存在が自分の記憶に『居る』。

 

「魂ノ赴ママニ行動シテイル奴ノハ、人トシテ生キテイルッテ言ワネェヨ。ソンデモッテ、全部自分自身ノタメニ誰カヲ害スル」

 

 そう言ってチャチャゼロは自嘲する様に呟くと、グラスに注いでいたワインを傾ける。チャチャゼロに生き方も何もない、かつてあった男の信念の残滓から、チャチャゼロはそう在るしかないのだから。

 ゼクトの反応は無い。はたから見ればただぼんやりとしているようにも見えた。

 

 

「ソレヲ悪人ッテ言ウンダ。俺ノ『人形』以外ノ別ノ言イ方ナンザ、『化ケ物』シカネェヨ」

 

 

どくん、と、ゼクトの心臓が鳴った。

 

 

『我が命に従え、■■■■■』

 

 

 ただ命令のままに従い、誰かに世界を与えられて、そしてそれによって己が行動を決定している。その人物を、ゼクトは知っている。違う、その人物が記憶に在る。

 黒い鍵を模した杖、それを振り上げているのは白い髪の少年だった。そして湧き上ってくる記憶に流れた世界は戦場。多くの人間たちがぶつかり、魔法を撃ちあい、消えていくその場所に少年は居る。そして何の感慨も無く、その人間たちを『救済/■■』している。何の理由があって? なんの恨みがあって? 違う、ただそれが主の命令であるだけの話だ。

 

『こっちに来るな! どうしてこんなことするのよ! この化け物!』

 

『リライト』

 

 

 浮かび上がってきたのは誰かの記憶。母を護ろうと杖を振りかざした少女を、■■■■■はそんな思いも何もかも、消滅させたのだ。其処に在った筈の『■■』も纏めて。理由? 彼が人形だからだ。魔法世界の生物など、主が造りだした人形に過ぎない。そしてそんな幻影の上に重ねられた『感情』に、意味など無い。そんなものよりも、主から与えられた命令の方が重要である。なぜなら、『そのように自分は仕組まれているのだから』。

 その考えを持つ人物をゼクトは知っている。フィリウス、創造主の使徒でありキャメロン・クロフトによって造られた人形。

 

 

 

『それでもね、ゼクト。私はゼクトに考えて欲しい。ほんの小さなことでもいい、何かを考えて』

 

 

 

「……ああ、そうか。そうだったのじゃな」

 

「ジジイ?」

 

 何かに耐えるように頭を押さえたゼクトに、チャチャゼロは茶化しも何もなく怪訝そうに声をかける。だが、ゼクトにその声は入ってこない。

 チャチャゼロと言う存在が、改めて語ったその在り方がゼクトにとっては記憶の鍵であったのだ。全く同じように生きたその少年、フィリウスと言う存在の記憶は、他の何者でもない、ゼクト自身のものだ。だからこそ、それに連鎖する様にかつての記憶が思い出されてきたのだ。

 

 全て、つながった。

 

自分が魔法世界の存在に対して見下していた理由、感情を意味が無いと思っていた理由。全て、創造主から与えられてきた世界ではないか。そして自分と言う存在は――混乱の地に降りて魂を狩る、質の悪い死神と同じだ。それを―――

 

 ■■■■と呼ぶ以外に、なんと呼ぶ。

 

「……人形、か。確かにその通りじゃった」

 

 そこから出た声は小さく口の奥から出されたようであった。頭を押さえているはずの手で、自分の頭を強く掴む。そうでもしなければ、今自分が何をするかゼクトにも分からなかったからだ。

 

「人形は人形師の言う通りにしておればいい。そんな者に、誰かにかけられる言葉など無い。ワシもキサマと同じじゃよ、チャチャゼロ」

 

 ぎり、とゼクトは奥歯を噛み締めて、苦々しく吐き捨てた。

 思い出したのだ。自分が創造主と言う存在の使徒であったこと、カグラという少女が自分に託そうとしたことの意味、自分が今まで行ってきた、魂狩りという事実を。

 そして理解する。今まで出会った多くの感情に意味など無い。正しくは、『意味など存在していてはならない』。創造主がゼクトへと埋め込んでいた思想は、何も創造主が己の手足のように使うためではない。正しい意味でゼクトへの慈悲であったのだから。

 それは逃げだ。創造主によって与えられた思想をそのまま自分の物であるかのように語る。

 ゼクトの雰囲気が変質する。先ほどまであった気怠そうな気質はそこには存在せず、表情筋は動いていても感情の籠らぬ表情を造りだしていた。

 

「……オイ糞ジジイ。テメェ、記憶戻ッタダロ」

 

「ああ。あのバカ女め、中途半端に調整しおって。思い出させたおぬしには感謝するべきか?」

 

 無論チャチャゼロもそんな気質の変化に気が付いており、ゼクトの様子の変化に本人へと一つ頭の中によぎったことを尋ねる。自分の言葉のどこがキーとなったのかは分からない。皮肉気に答えられたゼクトからのその言葉に、チャチャゼロが起こした思考は、今この場所でゼクトと言う存在が、障害になりうる可能性が出た、という事だ。

 ゼクトは自分の身体に行われていたカグラからの調整に、思わず乾いた笑いを出さずにはいられなかった。中途半端なところで調整を無理やり終わらされた影響で、墜落から記憶喪失という状態にまでなったのだから笑えない。尤も、自分をエヴァンジェリンと同行させるという彼女の意図は達成できたのだろうが。

 

「テメェノ記憶、思イ出シタラヤバイ類ノ物ジャネェカ?」

 

「……そう思うか?」

 

「出会ッタ頃ノ事思イ出シテミレバ、一発デ分カンダロソンナコト」

 

 魔法世界の人間に限ってであったが、それらの人間に対してどうでもいいとハッキリと思っていたのだ。元々そう思う事の出来ることを行っていた、例えば完全な奴隷として扱い対等なモノと見ていなければ、あのような態度であったことも頷けた。

 

「ブッ飛ンダ考エノ人形(おれ)ト同ジ思考ナンザ、同類カ近イ何カシカネェダロ」

 

尤も、ソレを行っている者が人形であるなどという事は、チャチャゼロは聞いたことが無い。魔法球の中にも自動人形という存在は居るが、それらは魂の持たぬ存在であってゼクトには確かに魂は存在している。

 舌打ちの音が部屋へと響き渡った。

 それはチャチャゼロがゼクトに対して放ったものであり、もしもチャチャゼロが人間の肉体が在ったとしたら、その顔に忌々しげな表情を浮かべていただろう。

 

「……ナァ糞ジジイ。俺ハテメェノコトハ嫌イダ」

 

「奇遇じゃな。それはワシも同じじゃよ。おぬしと言う存在自体に嫌悪感が在る」

 

 ゼクトがそう思ったのは一種の同族嫌悪からであった。自ら発生したものではなく、外部より与えられた衝動によって動くのは、二人とも同じなのだ。主人を護る、という本能によって行動する人形がそこにはいた。自分もそれと全く同じであると、失ったはずの記憶が根源からゼクトへと語りかけるのだから、同族嫌悪を抱かずにはいられなかった。

普段の態度は小突き合う友人とも言える立場であっても、それだけは気にくわない。自分の同類を見て平気な態度でいられるほど、ナルシストで在るつもりは二人にはない。

 チャチャゼロは天井を仰いで溜息を吐く。いつも馬鹿みたいに笑っているその人形の表情が、ゼクトには心なしか沈んでいるように見えた。

 

「ダガナ、最近ノジジイハ嫌イジャナカッタ。……タック、儘ナラネェモンダ」

 

 美味い物を食べれば表情が明るくなり、それを取ったチャチャゼロとは喧嘩にもなる。三人の旅の結果に人助けが起きることも多く、そこから向けられた感謝へと微笑することもあった。こうしてエヴァンジェリンが沈んでいれば、同じように落ち込む姿も見られた。

 悪くは無い、とチャチャゼロは思っていた。自分と同じだと思っていた者が変質していくことに同族嫌悪は無くなっていくのを感じたし、皮肉を言い合う友人のような関係も嫌いではなかったのだ。

 それが一瞬で反転した。出会った直後まで逆戻りとくれば、チャチャゼロとしても落ち込まずにはいられなかった。

 

「……」

 

「……」

 

 無言の中チャチャゼロが時折瓶を傾ける音だけが響く。話すことは無く、また何を話せばいいのか分からないのだろう。徐に立ち上がったゼクトはチャチャゼロの座るソファの横を通り過ぎようとした。そしてその脚の向かう先は、未だにエヴァンジェリンが閉じこもっている部屋のドアであった。

 チャチャゼロの横を通り過ぎようとした瞬間、首元に何かを突き付けられる。それをゼクトは初めて見る、洋風の人形が持つには明らかに不恰好な太刀であった。来たれ、という言葉と共に召喚されたそれを、チャチャゼロは逆手に持ってゼクトの行先を塞ぐように太刀を向ける。普段の戦闘に巻き込まれたときでさえ使わないそれを、チャチャゼロは取り出してゼクトへと尋ねる。

 

「ナア糞ジジイ。俺ハ本当ニ御主人ノ障害ニ成ルノナラ、餓鬼ダロウガ何ダロウガ躊躇イ無クソイツヲ殺ス。俺様は『悪人』ダカラナ。テメェハドッチダ」

 

「……」

 

 低い声でチャチャゼロは言う。だが、既にゼクトは己に課せられていた使命は思い出した。それは『カグラ』によって命じられていたことも、創造主によって命じられていたこともそうだ。

 静寂が辺りに訪れる。その静寂は昔、ゼクトが怪我をしてエヴァンジェリンに治療してもらった時とは違う、殺伐としたものであった。沈黙がやがて解かれようとしている。自分の中の思いは決まったのか、ゆっくりとゼクトは口を開いた。

 

「……何を言っておるこのアホ人形。ワシはただ一言二言、彼女と話すだけじゃ」

 

 表情も無くそう言うゼクトの言葉にチャチャゼロは違和感があった。気質が変化しているのを感じていたはずだった、同族であると思わせる雰囲気を出している。そして本人もそう言っていた。だが、どこかこの言葉に引っかかる。そしてそれが、チャチャゼロが太刀を振るい首を刈り落とさない理由となった。

 ゼクトは太刀を掴んでどけると、そのままチャチャゼロの横を通る。部屋のドアの前までたどり着くと、軽くノックしてから部屋へと立ち入った。チャチャゼロは、それを止めることはしなかった。空になった瓶をその辺に放り投げてチャチャゼロは呟く。

 

 

「アノ糞ジジイ。人間ガ人形ノフリヲシテンジャネェゾ」

 

 

 ああ、やはりアイツは嫌いだ、と。チャチャゼロは召喚していた太刀を鞘へと納めた。

 



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8/理解

同日に7/から投稿しています


 そこは国と国とをつなぐ街道であり、夜間であるためか人一人すら外には出ていない。そんな暗闇の中、歩く影が在った。白いローブを纏い、髪を二つに結ったその女性、カグラは確かな足取りで歩みを進めている。

 その日はフィリウスは彼女の近くにいなかった。創造主の命を受け魂を狩りに出たのだが、カグラは待ち合わせていた場所から勝手に離れ、街の外に来ていた。

 通常ならば安全の確認できていない町の外に出るのは、危険な行為であることは間違いない。ただ、一度フィリウスの眼から離れる必要が在ったため、こうして外に出ていた。

 

「丁度いい、時間だ」

 

 静かで落ち着いたその言葉がカグラの耳に届く。

 そこに居たのは少女――ネージュであった。長い金の髪をローブで隠したその少女は、一つ指を鳴らして魔法を発動する。彼女が張った人払いの結界は、そこに結界があることを意識すらさせない高度な物であり、それを簡単に張ったと言う点でも、高位の術者であることが分かる。

 

「……おまたせ?」

 

「なぜ疑問形なんだ。まあいい。預けていたものは返してもらうぞ」

 

 早くしろ、と。手をふらふらと振って催促するネージュにカグラはふっと笑い、懐から何かを取り出した。

 それは懐中時計だった。面に月と星を描いたその時計をカグラは軽く放ると、ネージュは鼻を鳴らしてそれを受け取った。それをしばらく眺め、魔力を通すなどして簡単に調べると、彼女は軽く溜息を吐いた。

 

「やれやれ、壊れてはいないがまた暫くかかりそうだな。それで、どうする?」

 

「? なにが?」

 

 ネージュの言葉にカグラは思わず首を傾げていた。本来この場所で会って時計を渡すだけのつもりだったのだ。何をどうするも考えてはいなかった。

 

「まだ足掻くのか、と聞いている。もういいだろう? 世界が一つ保管される、ただそれだけの話だ。キサマには関係のないことだろう?」

 

 呆れたようにネージュはカグラへと語る。カグラが創造主と言う存在を押さえているからこそ、この世界はまだ崩壊へと踏み出していない。それをネージュはどうでもいいとでも言うように語っている。

 目の間にしわを寄せて恨めしそうな視線でカグラはネージュを見た。どうしてそんなことを言いうのか、そう目では語っている。ネージュからしてみれば本心からの言葉であって、カグラの態度には肩を竦めざるを得なかった。

 

「……関係、ある」

 

「それはあの人形への期待か?」

 

 ネージュの言葉にカグラは頷くと、彼女は大きく溜息を吐いた。カグラがあの人形に対して重ねて見ているのは知っている。ゼクトという名前は、魔法世界の住人や魔法使いなら、知らぬ者の方が少ないほど有名な英雄譚に出てきた人物のものであった。

ただその通りになるかどうかは別問題であり、夢見がちなその態度に腹立たしいと思っていることも事実だった。

 

「彼は、まだ知らないだけ。きっと、ゼクトは成る。私はそう信じてる」

 

「……まぁ、その気持ちは分からなくもないがな。だが、もうもたないのだろう?」

 

 フィリウスと言う存在は創造主の人形の一体でしかない。それに対してカグラが期待しているのは、同じように人形が人のように成ることを知っているからだ。少女もそうであった。彼女はこの世界で見ていたある人物が居たからだった。

 それでも、時間は足りない。創造主と言う存在の浸食は軽んじることができないものであり、もう暫くすれば身体の主導権すらなくなるだろう。

 

「……大丈夫」

 

「まぁ、後は封印で何年かもつかどうか、だ」

 

 ここでの封印という手段は一種の結界とも言える。任意の空間を停止することで、外部との時間の流れを切り離し、先延ばしにする方法だった。普通の封印では意味が無い。創造主と言う存在とカグラの元々持っていた力が、封印の意味を無くしてしまうのだから。

 暗闇の中に沈黙が流れる。カグラの行く先を知りネージュはただ憐れみの籠った視線を向けている。そしてもう話すことは無いと判断して、踵を返した。

 それをカグラは見ているだけであった。同じように踵を返して街に戻ろうとしたカグラに、ネージュはふと思い出したように声をかける。

 

「ああそうだ、キサマが居ない期間にあの人形に何かさせるなら、この世界の真祖の吸血鬼に送ることをお勧めするよ」

 

「? どうして?」

 

 振り向いたカグラにネージュは指を立て、悪戯っぽく笑って説明する。

 

「アレは面白いぞ。人形と共に居ることもそうだが、根本的に思考が飛んでいる。人形を壊したいのなら、アレに接触させてみろ」

 

 この世界にいる彼女の事を見て、何よりもその効果があることを知っているのは、間違いなくネージュだった。単純な興味から調べたものだったが、エヴァンジェリンと言う存在は面白いと言えるだけの価値がある。

 少女はニヤリと不敵そうな笑みを見せると、転移のための魔法を唱える。真下に造られた魔方陣が辺りを照らし、ついでにと言うように結界の解除を行った。

 どういうことか、そうカグラは尋ねようとする。しかし彼女がその一言を発するよりも早く、その魔方陣の上に居た少女の姿は消え去っていた。

 思う事が無かったわけでもなく、しかし今どうしようもないという現実を感じながら、カグラは踵を返して街へと戻る。

 

 りぃんと、鈴の音が鳴った。

 

 それが、カグラがフィリウスと別れる数か月前の話である。

 

――――――

 

 

 黄昏時の夕方、ゼクトはアリアドネーのとある場所に向かっていた。その場所にあるのは多くの墓標である。月日と名前を刻んだそこに魂は眠っていると多くの人間は信じている。だがそれは真実ではない。魂は全て魔法世界へと還元され、創造主の元で眠るのだ。そのことを、ゼクトは真実として知っていた。

 とある墓標の前に小さな背中が見える。その手には花があり、多くの供え物と共に置かれたその墓標の一角へとそれを置いて呟いた。

 

「あっけないものだな、セラン」

 

 その時の少女、エヴァンジェリンの表情はゼクトには見えなかった。

 街で買った花は決して高価なものではなかったが、その場所は既に多くの花が飾られていたのだ。それをその死者の友人である者が置いた、という事実が何よりも重要であるはずだ。

 元アリアドネー総長のセラン、エヴァンジェリンの友人である彼女は病気で亡くなったそうだ。まだ若く人間換算では60にもなっていなかったのだが、運が悪かったのだと言うべきか。ただ多くの事を為した彼女は、満たされた表情で逝ったのだと、ゼクトはアリアドネーの学生たちや住民が話しているのを聞いていた。恐らく此処に来るまでにエヴァンジェリンもそれは聞いただろう。

 『フィリウス』にとってそれは興味の対象には成りえない。死によって魂は完全なる世界の書庫へと保管され、創造主による世界の再編でそれは永遠の園へと送られる。死は誰にも訪れる平穏だ。俗っぽく言ってしまえば、天国とも呼ばれる其処へ行くのを待つだけの者達であると言える。だからこそ彼はそれらの魂に対して平等で在れたのだ。

 そんな彼を、『ゼクト』はただぼんやりと眺める。同じ自分であることは理解しており、フィリウスの考えに一片の間違いすら無いことも、同じく理解していた。

 

「まったく、いくらなんでも天国へ行くには早すぎだろうに。仕事のし過ぎで疲れたのか? キサマもそう思わんか、ゼクト?」

 

「……知らんよ。ワシは貴様の友人の事など分からんし知らん。なにも思わん、が返答としては正しいのじゃろうな」

 

 此方を見ずにかけられたエヴァンジェリンの声へと返答するが、それに対して返ってきたのは、相変わらずだな、と言うかのような苦笑であった。この世界の生物へと興味を示さない、それは原初から持っていたフィリウスという人形の価値観だ。そしてそれをゼクトは使い続けてきた。

 ならば今は? この墓標に記された人物の死は多くの者に悲しみを造りだした。街の住人もそう、今目の前にいるエヴァンジェリンもそう。確かにその人物は人に感情を浮かべさせていた。ならば自分が抱いているのは、何か。

 

「迷惑をかけてしまったか?」

 

 困ったような表情で語るエヴァンジェリンの声に、ゼクトは思考を逸らす。どちらにしても人形であるはずの自分が考えるべきことではない。返答をしなければいい、そう考えたが『ゼクト』はかけられた言葉を返す。

 

「ああ。せめて出かけるなら一言かけんか。チャチャゼロはおぬしが居ないと聞いて、かなりの勢いで出て行ったぞ」

 

「あー、それは悪いことをした。それなら帰りに何か買って行ってやるとしよう」

 

 エヴァンジェリンが部屋に居ないことを聞いて、部屋をゼクトよりも早く飛び出したのはチャチャゼロであった。ゼクトとしても驚きはあったが探すつもりであり、偶然此処に来て、偶然そこにエヴァンジェリンが居た。都市の中を駆け回っているチャチャゼロには悪いが、見つかって何よりと言うべきか。

 また、ゼクトにとってもチャチャゼロが此処に居ないのは好都合だ。人形である自分が、創造主の使徒である自分が今成すことは、創造主/カグラが言った通り、目の前の人物を連れていくだけだろう。

 

「…………」

 

「ゼクト?」

 

 此方を怪訝そうな顔つきで首をかしげる彼女に、ゼクトは返答することができなかった。

 カグラという存在が何のためにエヴァンジェリンと言う存在を求めたのか。なんの意志もない人形が、エヴァンジェリンと言う存在を無理やりではなく連れて来られるわけがない。それでも送ったのは、ゼクトと言う存在は命令をこなすために、エヴァンジェリンについて行かなければならない事をカグラは知っていたからだろう。そして、何を思わせ何を見せたかったのか。本当に『彼女』が望んでいたのは、今のゼクトと言う人形の姿なのだろうか。

 エヴァンジェリンをカグラの元へとたどり着かせたとき、カグラは何を言うのだろう。

 その答えはすでにゼクトは知っている。世界を滅ぼすことを目的とした、創造主と言う存在を留めていたのはカグラだ。ならば、その存在を滅ぼして欲しいと考えるのは当り前だろう。

 

「エヴァ」

 

 彼女の愛称を呟く。なんだ、と聞き返されたにもかかわらず、ゼクトはその先の言葉を続けることができなかった。

 行きたい場所があるから着いてきて欲しいと言えば、彼女は来てくれる。それだけの信頼はあると思っている。だがその先の言葉は出てこない。創造主という存在を滅ぼすことを止める、という使徒としての役目を果たそうと思っての事ではない。

 今の創造主という存在はカグラであり、カグラとは創造主でもある。ならば創造主を滅ぼす、という事は即ち、彼女自身を滅ぼすことに他ならない。

 

 だからどうした?

 

 ゼクトに元々あった人形としての自我が、フィリウスと言う存在であった自分の過去が、ゼクトへと語りかける。フィリウスは人形だ。与えられた命令をただこなすだけ。自分で考えることはせず、もしも創造主自身が自分を殺せと言ったのなら、それを成そうとするだろう。

 

 彼女に送られるのも滅びではない。救済だ。完全なる世界に送られたその魂は、最も幸福である時間を過ごすだろう。

 

 そうであると信じてきた。そう創造主から知識を与えられた。ならばどうして今、人形として此処に居るはずの自分は躊躇っている。天国とも言える楽園に送られることの、なにが間違っている。

 

「ゼクト、キサマさっきからどうしたというのだ? 言いたいことが在るのならはっきり言え」

 

 覗き込むように此方を窺うエヴァンジェリンとゼクトの視線が重なった。彼女の表情には数日前のように喪に服していた時の悲しみは無い。

 

「これからお主は、どうするつもりじゃ」

 

「……これから、か」

 

 ぐるぐると駆け巡る思考を止める。考える必要はない。考えてはいけない。思考を逸らすためにゼクトは、とりとめもない話題を出していた。

 顎に手を当てて考えるエヴァンジェリンは、ふっと笑って答える。

 

「そろそろ私も目的のために、力を入れてもいいかもしれないな」

 

「目的?」

 

 ゼクトはエヴァンジェリンの目的、生きる理由と言っていい物を知らない。生きているのだから生きたい、そう心のどこかで思っていたため、何かすべきことがあると彼女が言うのは意外に感じていた。

 エヴァンジェリンがこうして旅に出ていたのは、セランから離れるためであると言ってもいい。絆が強くなってしまう事を恐れ、またササムと同じように犯すことのないよう、心の距離を離そうとした。尤もその決意に意味は無く、心の距離も離れることはなかった。同じことをしなかったのは、エヴァンジェリン自身の成長の成果だろう。

 

「ああ。私は、人になりたい。いや、なる。そのために私は生きているのだから」

 

「……そのようなことが可能なのか?」

 

 真祖の吸血鬼という存在は、理から外れたものである。世界に存在を定着され、たとえ死を迎えても肉体は世界に残り続ける。魂の死を迎えようとも器は死なず、やがてその器は魂を持って動き出すだろう。

 創造主と言う存在はそれに酷似している。肉体が滅びようとも精神は世界に定着され、滅びることが無い。

 

「普通は無理だな。一度変質されたものをもう一度作り変えて、同じものにすることは不可能だ」

 

 たとえば、果汁で造られたジュースがある。それを加工して果実にすることはできないだろう。真祖の吸血鬼も同じで、一度人から変質してしまったものを、普通は元に戻すことができるはずがない。

 

「なら、作り変えなければいい。変質したからこそ戻れない。じゃあ変質したという事象が無ければ、そこに残るのはなんだ? そう、元々あった現物だよ」

 

「……馬鹿な、事象の消去じゃと!? 過去の改変などできるはずも無かろう!」

 

 過去に戻ってエヴァンジェリンが真祖の吸血鬼に至った時をなかったことにする。ゼクトはそう言葉から導き出す。そしてそれをエヴァンジェリンは首を振って否定した。

 

「いいや違う、戻るのではないさ。戻すんだ」

 

 自信を含んだ目でエヴァンジェリンは笑う。それは外見も相まって、子供が親に自分の夢でも語っているように見える。ただそれと違うのは、その言葉の中身は夢想のようであろうとも、実際にできるという確信である事だ。

 

「数百年前、確かに私は人間だった。なら、そこまで戻せばいい。私と言う存在を元あった状態に巻き戻せば、そこに残るのは人間であったころの私だろう?」

 

 時間操作、それ自体の魔法は確かに存在する。ただ、加速、停滞など時間軸の前に影響を出す魔法であり、決して過去に、後ろに影響を与えるモノは存在しないはずであった。そもそもエネルギーの量が違いすぎる。自身など一定の場を加速させるのと、自信を巻き込んで世界全体を巻き戻すのでは、必要とする魔力が段違いなのだから。世界の理に従う存在に、それだけの魔力を使いこなすことは不可能だ。

 しかしエヴァンジェリン、そして創造主はその理から外れた例外である。それを成すことが不可能でなくせる存在だった。

 その為に、研究を行った。過去へと巻き戻す魔法を、体内に取り入れるための方法の一つとして闇の魔法は開発された。時間を学ぶことの派生で空間の拡大、時間の停滞などの要素を取り入れた、ダイオラマ魔法球などの魔導具を造りだした。

 ゼクトはその言葉に息を詰まらせる。なぜそんなことを言うのか、そうとれる仕草を見せた。

 

 

「後は時間だけだ。必要な魔力は貯めているし、場は……まあなんとかするさ」

 

「その結果、おぬしはどうなる! おぬしの存在そのものが巻き戻されれば、その記憶は……」

 

「無くなるな。おそらく魔法を発動し終えることが、私にとっての終焉だろうよ」

 

 ゼクトの強い口調に、エヴァンジェリンは悲しげな微笑を見せる。心配してくれているのか、エヴァンジェリンはそう思ったが、無いとは言えないがゼクトにとって本質はそこではない。

 ゼクトは自分が言いようのない恐怖を感じているのが分かった。聞いてはいけない、聞きたくない。だからその恐怖を振り払うように叫んだ。

 

「それが……自らの存在を消すことに何の意味がある! 確かにそこにはおぬしが人間だった頃の肉体は残るじゃろう! だが、それだけじゃ! 死んでしまえば……存在しなくなればおぬしに価値など残らんではないか!」

 

「価値ならあるさ」

 

 ゼクトの言葉に、エヴァンジェリンは何でもないように答える。ふっと肩をすくめて笑い、言葉を続けた。

 

 

「だって、キサマは覚えていてくれるだろう?」

 

 

 その言葉に、ゼクトの躰が硬直する。儚げな表情であるが迷いは見えない。そう在ることが自然であるとでも言うように、エヴァンジェリンの言葉は続く。

 

「キサマだけではない、この世界に私が成したことは確かに残る。チャチャゼロも……私が私でなくなって、それでも『私』に着いてきてくれるかは分からんがな」

 

 たとえその存在が消えたとしても、世界に成したことは確かに残る。そうして人間に至ったエヴァンジェリンは、今ゼクトの目の前にいる者とは違う。

 その時周りにいる人たちは、覚えていてくれるだろう。世界に蓄積された記憶には確かに彼女の姿は残される。そうして何かを思うのだ。それは居なくなってしまった事への悲しみか、勝手に消えていくことの怒りか、それとも障害が一つ減ったことへの喜びか。

 『■ィ■■ス/ゼクトは』知っている。『誰かが消えていく』ことに、『消えてしまった者』に意味、価値が『■い/有る』ことを。

 

「……なんだ、それは。なぜそれが価値になる」

 

「私が歩み得た物を誰かに託すことができる。其処に悲しみなどの感情も確かにあるが、それ以上の事を伝えられる」

 

 

「ならばそれは、確かに私は価値を残せたことにならないか?」

 

 そんなこともう理解していたはずだった。人形のように、何も考えないふりをしていただけだ。エヴァンジェリンがこの世界から消えたとしても、確かに自分はその姿を覚えていて、『悲しむ』のだから。

 ふっと肩の力を抜いて、ゼクトは呟く。

 

「……そうじゃな。確かに、ワシは覚える。そして、感じるのじゃろうな……そうか、感じてしまうのか」

 

「? ゼクト?」

 

 額を掌で覆って目を抑えたゼクトにエヴァンジェリンは首を傾げる。どこか様子がおかしい、その予感がありつつも先の言葉を待つ。

 

「……はっ、はははは」

 

 乾いた笑いがゼクトの口から漏れる。

 そこに居るのは確かにゼクトと言う少年だった。たとえこの場所に来る直前で、フィリウスであったころの記憶を取り戻したとしても、誰かと聞かれたとしたらゼクトと答えるだろう。

 だからただ、人形のように何も考えなかった。エヴァンジェリンの元へと向かったのは、子供が怪我をして手当てを母親に求めるように、ゼクトも答えを求めていた。

 その答えは聞いた。砂漠の町で、手当てをされたとき、彼女が言うであろう言葉もある程度分かっているはずだった。

 ただその答えが、自分を深く抉るものであるということを。

 

 『死者に意味はある』。

 

やがてそれに至るだろうエヴァンジェリンに対して、確かにゼクトは意味があると、価値があると感じてしまった。

 

 それが最後の防波堤だった。言い訳を自分に言い聞かせることでしていた逃避も、もうできない。

 ゼクトが『フィリウス』ではなく、『ゼクト』であるが故に、崩壊は始まった。

 

 

 

「ははははははははははははははははは!! そうか、そうじゃったか! ワシが今までに『救った』者は、『救済』には、確かに意味が在ったという事か!」

 

 

 

 ゼクトは笑う。可笑しくて笑う。自分が行っていた事実が、どこまでも強大なことであるために、そしてそれを自分が行ったということに、自嘲することしかできなかった。

 フィリウスは何も知らない。だからこそ、創造主という存在の命令に何も思わず、多くの者達を『救済/■■』してきたのだ。

 子供を探すだけの依頼で、少女から貰った落書きをゼクトは嬉しいと思った。だから他者から向けられた感情に、その感情の持ち主に、価値があることを理解した。

 ゼクトと言う存在の感情の根幹に在るのはカグラの姿だ。彼女が他者を癒しているところを見ていたからこそ、砂漠の町で無抵抗の子供を嬲る男にゼクトは嫌悪感を覚えた。他者へと向けた感情に、自分に関わりのない他人という存在に、意味があることを理解した。自分が他者を害する行為を嫌悪するという事を、初めて知った。

 

 ならばそれらの存在を消すという行為が、『救済』という行為が、一人一人が持っていた価値を壊すことだとしたら。他者を害して、自らの益を得ることに嫌悪している今、その行為の事を何と言うのか。

 

 知ってはいけない。理解してはいけない。考えてはならない。

 

 崩壊を抑止していた頭の中の警告は意味を為さない。なぜなら、既にゼクトは理解してしまったから。

 

 

「ただ死にゆく運命だった子供も、両親を亡くした少女も、重傷で痛みと対峙する男も! 病魔に蝕まれ命を削る老人にも! 全て、全て、全て! 確かに意味が在った!」

 

 

 ゼクトは知っていた。そして考え、実感する。

 自分が『救済』してきた。フィリウスとして、創造主の人形として、魔法世界に還元させていた魂全てに。

 

 

「フィリウスが今まで『救済/殺害』してきた者達には、確かに価値があったのか!」

 

 

 狂ったように笑うゼクトは理解する。

 エヴァンジェリンの言った言葉は、自分が今まで殺してきた者達の存在を、意味を認めることだ。死者に価値も意味も無ければ、ゼクトに何ももたらさない。そこに意味があるからこそ、死者はゼクトに自らが行ってきた行為の『罪』を突き付ける。

 

 やがて笑い声も収まり、ゼクトは俯く様に掌を見る。何人消した? 何人殺した? その行為に対して、ゼクトは自分自身を強く嫌悪せずにはいられなかった。

 世界に魂は保管され、完全なる世界に運ばれる。だからどうした。今まで救済ころしてきた者達と、そこに繋がりのある者達に、死という現実を与えていたのは誰だ。

他者を傷つけ、その意味も分からず居た自分に、憎しみを抱かずにはいられなかった。

 

「ゼク…ト…」

 

 エヴァンジェリンはゼクトの様子に、ただ茫然とするように呟く。

 自分の言ってしまった事がそんなにもゼクトを惑わせることであったのだろうか。この世界から消えていくことを示唆した自分を、心配していたように見えた。だが、それは本当にそうだったのだろうか。そう頭の中で何度も考えても、答えは出てこない

 ゼクトは確かにエヴァンジェリンが居なくなることに感情を抱いていた。それ以上に、理解してしまう事を、考えることを恐れたのだ。

 

 

「のう、エヴァ」

 

 

 気軽いがなんの感情も籠らぬ声で、ゼクトは尋ねる。

 その瞳には瞳が宿らず、吊り上げられた口元が人形を連想させた。

 

 

「何千という人を消し、世界の多くの価値を消し飛ばした。そんな存在を――」

 

 

 バケモノ以外に、なんと呼ぶ?

 

 そう『ゼクト』は、壊れた笑みで尋ねた。

 



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9/壊れた■■

同日に7/から投稿しています。ここから新規です


 自分の少し先を歩き、時折後ろを見て小さく微笑むカグラが居た。

 そこはゼクトにとって昔見ていた光景であった。部族間の争いに巻き込まれ、多くの負傷者が寝かされたその街で、カグラはただ誰かを治療している。そう、ゼクトに見せている。向けられる笑顔に価値があり、そうして生きる時間に意味があることを教えるように。

 風景が変わる。それは過去の光景であり、村のはずれの土手で転び、膝から血を流して涙を目尻に溜める子供が居た。気が付けばゼクトの周りには誰もおらず、本来ならばそこに居たカグラの姿も見えない。ただ痛みに耐えるその子供の傍に、ゼクトは寄った。

 一言、治療の魔法を唱える。その光景でそれを行っていたのはカグラだった。それでも、同じように怪我は治り、きょとんとしたその子供は傷を治してくれたゼクトに笑みを向けた。ありがとうと、頭を下げる子供の言葉に、ふっとゼクトも笑みを作る。

 

『ゼクト』

 

 カグラの声が自分の名前を呼んだ。ふと顔を上げて後ろを振り返る。

 

 風景は変わる。

 

 そこもやはりゼクトにとって見覚えのある街であった。決して裕福な者達が住む場所ではなかったが、誰もが下ばかりを見て過ごしているわけではない。

 遠くに見えたのは獣人の少女であった。柔らかい毛並みは少女が虎の獣人であることを表しており、その姿にゼクトは見覚えがある。その少女はゼクトの傍に歩み寄り、首から下げられた画板から紙を外すと、それをそのままゼクトに差し出した。ゼクトが受け取ると少女の顔は花のような笑顔を見せた。

 その紙に描かれていたのは、自分が嘗て受け取ったものと同じであり、ゼクトは再度その少女に視線を戻す。

 そっとその少女の頭を撫でた。驚いたのもつかの間、少女は気持ちよさそうに目を細めて猫のように喉を鳴らした。そんな光景を、『ゼクト』は価値が在るモノであると感じていた。

 自分でも、カグラのように誰かから笑みを向けられることが在る。それをカグラは見ていてくれただろうかと、ゼクトは顔を上げて探そうとした。

 

 瞳に何も映さない、無機質な表情の少年が、そこにいた。

 

 手に在るのは、星を模した黒い杖。そして唱えようとしているのは、何千何万回も唱ええたその呪文。

 

「――――っ! やめ」

 

『リライト』

 

 

 無音の空間にその声は透き通ってゼクトの耳へと届いた。

 何度言ったのか、思い出すのが困難なほど呟いたその呪文は、ゼクトの目の前に居たはずの少女をあっけなく消し飛ばす。何が起きたのか分からない、そんな表情のまま少女は跡形もなく消え去った。

 

 

『意味のない理想、意味のない者達。思い出せ『フィリウス』。おぬしにこんな夢を見る資格があると言うのか?』

 

 

――――――

 

 

 樹の峰にもたれかかるように座り、目を閉じていたゼクトは、フィリウスという幻覚から目を覚ます。額に触れた手には汗が在り、寝ていただけにも関わらず、窒息から解放されたように息を荒くして吐き出した。

 夜に浮かぶ月の光は眩しく感じ、ゼクトは暗い闇の中に視線を戻す。そしてぼんやりと脳が闇の中に幻影を浮かばせた。見ていた夢はどこまでも優しいものであったはずなのに、ゼクトは考えることを止めていた。

 

 どうして、こうなってしまったのか。人形でいられればよかった。何も考えずに居られれば、自分はまた気楽な旅を続けていたのだろう。

 

『でも……それでもキサマはゼクトだろう?』

 

 ゼクトがエヴァンジェリンに問いたとき、彼女はそう答えた。

 狼狽えたような表情でそう彼女が言葉を出せたのは、単に彼女の歩んできた『人』生で、開き直って歩いてきたからだ。

 

『私が止めろと言っているのにチャチャゼロと勝手に暴れて、夕飯のおかずを取り合って、それでも価値について考えて、私に迷惑かけてばかりだったけれど』

 

『それでも誰かを救って、感謝だってされたじゃないか』

 

 そうエヴァンジェリンは力のない声で言う。彼女は記憶を失う前のゼクト――フィリウスが何をしてきたのか知らない。それでも多くの命を奪ったのだと察することはできた。

 ゼクトに何を言えば良いのか、エヴァンジェリンには分からない。彼女は『バケモノ』にならないために、今まで人としての道を歩いてきたのだ。そこから外れた者は例外なく敵対してきた。ならば罪人に、かける言葉などエヴァンジェリンには持ち合わせていなかった。

 

『私の知っているゼクトはバケモノじゃない! 間違ってしまったならやり直せばいいだろう! だから!』

 

 一緒に行こう、一緒に探そう。

 そう言って彼女は手を差し出した。

彼女自身今のゼクトを放置することは考えられず、彼が迷っているのなら、彼自身が否定しても彼女だけは肯定するだろう。

 かつて彼女には、自分の道を肯定する者は誰も居なかった。真祖の吸血鬼と言う存在であるからこそ、本当の意味で肯定できる者などおらず、手を差し伸べる者さえもいなかった。彼女の友人であったセランとササムも、彼女が手を差し伸べられる必要が無くなった時、ようやく出会えた者達だった。

 彼が必要としているのは肯定だ。そう考えてエヴァンジェリンは手を差し伸べた。

 

 

 だがゼクトはその手を取らず、こうして一人で彷徨い続けている。

 

自分は、フィリウスはバケモノだった。何も知らず何も分からず魂を狩って。その行為の意味を知れば、その罪はその身を押し潰すかのようにのしかかる。

 だからこそゼクトは直面しなければならなかった。創造主から出されていた使命も、カグラから与えられた役目も、気が付いてしまえば目の前に問題として映し出されてしまう。

 

 なぜ?

 

 なぜ自分がこうして考えて、悩んで、歩み続けなければならない。

 

 元々自分は創造主の人形で、人形として動く以外の事を教えられたのは自分の意志ではない。どうして自分は…………

 

「……なにが、使命じゃ」

 

 呟いた言葉は誰に行ったわけでもなく、夜の闇の中に消えていった。

 自分は何も知らないからこそ、創造主の使命を成すことができた。自らの手では行わず、自分に多くの魂を狩ることを行わせてきた。

 

「考えろ? ……何を?」

 

 それはかつての町でカグラがゼクトに言った言葉だった。

 カグラが自分に考えることを求めたから、自分はこうして考えなければならない。自分の根幹に居る二人の存在が、ゼクト自身を締め付ける。

 ならそこから解放されるにはどうすればいい? 根幹に存在する彼女たちが居るからこそ、自分は今こうして確立されている。

 

 世界の全ての救いを求めたからこそ、創造主によってフィリウスは生まれた。

 人形に意志を求めたからこそ、カグラによってフィリウスは存在していた。

 共に歩み世界を見たからこそ、エヴァンジェリンによってゼクトは生まれた。

 

 ならば、自分が行う事など、決まっているではないか。

 

 

「随分な面をしているようだな。あの吸血鬼と別れたという事は、そろそろ自分の役目を思い出したのか?」

 

 

 気配は辺りに存在していなかったはずなのに、その言葉と同時に現れたその存在は、ゼクトが見上げた木の枝に腰掛けるように座っている。何もなかったところから何の前触れもなく表れたその存在に警戒しないわけがなく、身構えたゼクトはその姿を視界に入れた。

 黒いローブは認識阻害の魔法がかけられており、顔まではっきりと見ることはできない。だが小物を飾り付けた人形のような服装や長い金の髪は隠れておらず、また体の大きさは10にも満たない子供の様だった。

 同じ姿を砂漠の町で見たことが在る。そのときは自分の事を人形と呼んでいた少女――ネージュであったが、今考えれば魔女という名が妥当なものだと分かる。

 

「……魔女か、余計な世話は要らん」

 

「キサマに無くとも私にあるのさ。何しろキサマを送らなければ世界が滅ぶとのことだからな。余計な時間は省くべきだろう?」

 

 ふわりと魔法によって重力の制御をしながら下りたネージュは、フードの下で笑みを作り出す。ゼクトよりもその背丈は低いはずだが、その態度や雰囲気が子供ではないという事を実感させた。

 この少女が自分の前に来た理由がゼクトには分からない。カグラの知り合いらしい、と言うだけで一度しか会った事のない相手を理解することなどできるはずがない。

 

「なあ、分かっているのだろう? カグラが何をキサマに望んでいたのか。さて、答えを聞こうか人形……いや、フィリウス」

 

 どうするのか、自分がなぜエヴァンジェリンと別れてこの場所に居るのか。カグラが本当は何を望んでエヴァンジェリンの元に送り、何を自分に思わせたかったのか。

 

 

「ああ。あの女は、カグラはワシが殺す」

 

 

 何の迷いすらなく、ゼクトは自らの根幹である存在を殺すと、ネージュに伝えた。

 ほう、とネージュは感心する。少女自身もなぜカグラが自らの死を望んでいるのか知っているからだ。

 カグラの躰に創造主が居るのは、カグラ自身が創造主になることのできる素質が在ったからだ。だが、その彼女自身を殺してしまえば、創造主はまた復活するまでに時間を掛けなければならない。

 そして今創造主を止めなければ、魔法世界の終焉までに到達してしまうだろう。

 

「いいのか? キサマ等にとって死は完全なる世界への道筋にすぎんが、キサマにとっては永遠の別れに成るのだぞ?」

 

 それはゼクト揺るがそうとしている少女の悪戯でもあり、親切心でもあった。ネージュにとってこの世界などどうでもいい。ゼクトがカグラを救いたいと言うのなら、それを選ぼうとすることを愚かと言う事は無いだろう。

 カグラと別れる時、何らかの情がゼクトにあったことをネージュは全てではないが理解している。

 

 

「それが、どうした?」

 

 

 ゼクトの表情は変わらない。自分と共に居た存在を殺すという事に、何の感慨すら表情に浮かべていない。

 流石にこれにはネージュも眉をひそめた。自分の想像していた状態ではないか判断するため、ゼクトの言葉を待った。

 

「殺されることを彼女が望んでいるのじゃろう? ならば殺そう。それが彼女からの命令ならワシが断る理由は無い」

 

「……命令、ね。おいおい、カグラを殺す理由が、そんな人形のようなものでいいのか?」

 

 口調は軽く見えるものの、フードの下にある少女の瞳は、何も笑っていなかった。

 ゼクトはそんなことには気が付かない、ネージュの言葉を聞いて表情を歪ませると、拳を自分の隣にあった木へと叩きつけていた。

 

 

「何が理由じゃ、何が人形じゃ、ワシを人形で無くしたのは、あの女ではないか!」

 

 

 叫ぶように言うゼクトの言葉は、ネージュには悲鳴のようにも聞こえていた。先ほどゼクトに会った無表情は崩れ、怒りで泣き出しそうなほど表情を歪ませている。

 

「何のために知らせた、何のために考えさせた、そんなことを教えてくれと誰が頼んだ!全てあの女が勝手にやったことじゃろう!」

 

 カグラが多くの人を救い癒し、感謝や笑みを向けられていることを知り、それに憧れさせた。だから『カグラの言った、英雄であるゼクト』という理想を造りだした。

 

自分のやったことがどれだけの価値を壊してきたか理解してしまった。だからこそ自分は『ゼクト』に成れないという現実を突き付けられた。

 

 ならば自分は何を考えればいい? 何千という魂を狩り、多くの者に在った筈の価値を消した事実を受け止めて、何を思えと言うのだ? 自分は理想に成れないと言う現実を突き付けられて、過去と言う負債を払えばいいのか? 人を消す前に感じていた多くの憎しみや悲しみの意味を、全て理解しろと言うのか?

 

 

 自分には罪があった。なぜ、それを理解させた。

 

 

「人形であれば考える必要も理解する必要もなかった! あの女がワシに言い培ってきた全てが、『ゼクト』の根幹だ! だから――」

 

「何も考えぬ、人形へ戻るために殺す、か」

 

 

 少女はゼクトの言おうとしていた言葉の続きを呟いた。

 そうして少女はゼクトを理解する。彼はもう人形としても人間としても、身動きすることができなかったのだ。

 人間としての情を理解させてしまったから、人形としての使命すら果たすことができない。人形だったときの業が在るからこそ、人として彼は歩むことができない。

 理想と言う夢へと歩む資格すら無くして、失意の中で絶望し、人形としての使命に嫌悪感を覚え、過去の自分に憎しみすら覚える。そんな精神状態が、まともであるはずがない。

 

 彼は壊れたのだ。

 

人間としても人形としても、だからこそどちらかに安定させようとしている。何も考えない、人形と言う存在へと。

 だから壊すのだ。彼の理想である『ゼクト』を、そのイメージを作らせた存在を。人形以外の事を伝えた存在を殺し、考えることを止めるのだ。

 

「それの何が悪い! 元々ワシはそのために造られた! 人形が己の存在意義を成そうとして、何が……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「もういい」

 

 

 

 かち、という時計の音がゼクトの耳まで届いていた。そしてその瞬間に、ネージュの姿はゼクトの目の前に来ていた。

 棒立ちのまま辛うじて見えたのは、その魔女の白い掌だった。顎を狙ったその掌打を反射的に首を動かすことで回避すると、次の瞬間には地面が無くなったように身体が放り出されていた。それを自分が投げられたと理解するまでには、受け身を取れず背中からの衝撃が来るまでの時間が必要だった。

 

「っ!? 何を……っ!」

 

「氷槍よ」

 

 ほんの一言、ネージュが呪文を呟けば、その手には中級呪文である氷の投擲が造られている。

 魔法障壁で防ぐかそれとも……。この距離では多重の魔方障壁を張ることは難しいが、絶対防御に近いそれは、たとえ魔方陣の数が少なくとも抜けられるわけがない。万一抜けられたとしても、自らの腕で止めればいいだけだ。

 

「召喚!」

 

 そう論理的な思考はゼクトへと言っているにもかかわらず、取った行動は勘に促されるまま回避することだった。そして同時に創造主の使徒が扱う武器を召喚する。

 創造主の掟、鍵を模した黒い杖は何度も自分の魔法の補助として、また魂の収集のために使われてきていた物だった。これを起動させるために数秒すら必要ない。ただ、全ての魔法を無にするその言葉を唱える。

 

 

「リライト」

 

 

 瞬間、ゼクトが座標として見ていた地点、すなわち魔女のいた場所に爆発の様な強い光が現れる。魔法世界の生物を全て分解し在るべき姿に戻すその術は、その光に包まれた地点にあった動植物全てを分解した。

 絶対的な何かがそこに居て、殺されると言う恐怖。本来感じるはずのない絶対的な強者であるゼクトが、自らの存在を脅かされたことによる障害。そしてその恐怖は、理を無視した呪文によっても消えていないことを、すぐ近くに現れた気配が教えていた。

 

 

「馬鹿曰く、それは避ければなんの問題も無いらしい」

 

「なっ!?」

 

 

 かち、という音と共に横から現れたのは、何の傷すらもない魔女が此方に向かっている姿だった。

 ゼクトが選択したのは、体術による迎撃。ゼクトの手に造られた拳は、何処に当てても致命傷に成りうる力を持っており、それは確かに魔女に向けられていた。

 それを魔女は軽い動作で掴んでいなし、向けていたはずの拳は地面に下され、無防備な腹が魔女の目の前に現れる。そして地面にひびが入るほど踏み込んで、掌打をそこに打ち込んだ。

 弾丸の様な速度で木々をなぎ倒しながら吹き飛ぶゼクトを、魔女の影は追う。身体の痛みに耐えながらも目を見開いたゼクトは、吹き飛ばされながらも呪文を唱えた。

 

「……咎めの風よ、縛れ!」

 

 唱えるのは風系魔法最上級呪文である千の雷。吹き飛ばされるさなかで体勢を直し木の上に飛び乗ったゼクトは、箒も使わず空を飛ぶその魔女を捕捉する。そしていずれ魔女が通る地点へと、遅延魔法を発動した。

 魔女が宙を飛び、現れたのは宙へと現れる魔方陣だった。風を操って造られた空気の台座、その上に仕掛けられた魔方陣より風の鎖が現れ魔女を縛る。風系統の拘束陣、本来ならば出来損ないと呼ばれるその呪文は、世界最上級の力を持つゼクトが使えば、一瞬だけだが足止めも可能だった。そして十数秒もたたぬ内の攻防で、その一瞬は十分な時間だった。

 

「ヴィシュ・タル リ・シュタル ヴァンゲイト! 契約により我に従え高殿の王(来れ 深淵の闇燃え盛る大剣) 来れ巨神を滅ぼす燃ゆる立つ雷霆(闇と影と憎悪と破壊復讐の大焔) 百重千重と重なりて走れ稲妻(我を焼け 彼を焼け其はただ焼き尽くす者)!」

 

 風系統最上級呪文、千の雷。そして遅延呪文として同じく最上級呪文である奈落の業火も並列して詠唱した。

 本来一つの得意属性魔法に絞っても発動できない最上級呪文を、ゼクトはたった一人を消し飛ばすために発動する。ゼクトの予想が正しければ、それでは足りない。それでは殺せない。嫌な予感よりも早く、その詠唱は魔女の口から洩れていた。

 

「リク・ラク ラ・ラック ライラック 契約に従い、我に従え、氷の女王。来れ、とこしえのやみ、えいえんのひょうが 全ての命ある者に等しき死を。其は、安らぎ也。 」

 

 こおるせかい。半径30フィート全域を凍てつかせる氷系統最上級呪文。同じ位の呪文同士が衝突した波動は辺りを吹き飛ばし、嵐のような暴風がゼクトの身体を揺さぶった。威力は拮抗、だがそこにゼクトは唱えていた遅延呪文を発動した。

 

「千の雷! ……解放、奈落の業火!」

 

 拮抗していたその魔法の衝突を、二倍に押し込もうとゼクトは魔法を解放する。そして爆発が起きて視界が――

 

 

 目の前に、ネージュが居た。

 

「――ッがっ!」

 

 転移魔法の前兆すらなく、何の予備動作をしていなかったゼクトの首を少女は捉え、その小さな手で締める。喋ろうと吐き出そうとしていた息が肺を痛めた。常人ならば首の骨どころか胴体から千切れて飛んでいるだろう力を、ネージュは手に込めていた。

 呪文を唱えることすらできず、両手を自分の首を絞める少女の手へと持っていき、外そうともがいた。だが首を掴んで宙へと持ち上げる少女の手は、微塵も動かなかった。

 

「っ…!」

 

「……これが、あの馬鹿の希望だと? こんなモノにあの馬鹿は自分の全てを賭けたのか?」

 

 表情を歪め歯ぎしりをひとつして、少女はゼクトを睨みつける。フードの下には少女の苛立った表情があった。

 

「九十九の救いから一へと弾かれ救われず、もがいた結果がコレか。 ……ふざけるな。こんなモノのために、あの馬鹿は託したわけじゃない。全て失い、そこから築いたものも無くし、それでも継ごうとしたものが、キサマの様な人形で在ってたまるものか」

 

 少女の言っている意味がゼクトには分からなかった。自分が居なければカグラを殺せないのなら、殺されることは無いだろう。そんな風に沸いてくるはずの逃げの思考さえも浮かばせず、化け物の腕力で掴まれたその腕は解けようとはしなかった。

 少女の空いた片手に魔力が集まり、それはやがて剣の形となって手に収まった。『断罪の剣』、本来エヴァンジェリンがオリジナルで造りだしたはずのその魔法を、何の詠唱すらせずに少女は造りだした。

その剣はゼクトへと向けられている。生物が誰もが持つ根源的な恐怖が、ゼクトの視界を真っ赤に染めた。

 

 

「死ね。キサマでは『この世界のゼクト』には成り得ん。あの馬鹿がキサマに殺されるぐらいなら、私がこの手で決着をつける。だからキサマはここで死んでいけ」

 

 

 自分は、この光景を今まで与えてきていたのか。

 魔女の腕が振るわれる。当然それに追従する様に、断罪の剣はゼクトと言う存在を消し飛ばそうとした。

 

 瞬間、小さな影がその二人の間に飛び込んだ。

 

 

 

「ケ、ケケケケケケケケケケケケケケケケケケ!!!!!」

 

 

 

 狂ったような笑い声がゼクトの耳に届く。眼を見開いた瞬間、シャワーのように自分へと振り掛けられた血が視界を真っ赤に染めた。魔女の身体を大きく裂いたその一撃は斬魔の太刀。体格の違いから刀に振ら回さるように動くチャチャゼロは、構えたまま肩越しにゼクトを見た。

 

「イヨォ糞ジジィ! 随分ト面白イ事シテンジャネェカ! 水クセェ事言ワネェデ俺様モ混ゼロヨ!」

 

「けほっ……チャチャゼロ、おぬしなぜ此処に……」

 

 呆けたような表情のゼクトをけたけたとチャチャゼロは笑う。片手を抑えるネージュを油断なく見据え、殺人人形の如く身体を赤に染めていた。

 

「何故モ糞モネェヨ! 御主人ガ行キタイッテ言ウナラ付イテ行カナキャナラネェノガ従者ダロウガ! アア面倒クセェ!」

 

 従者、そしてその主が此処に行きたいと言っていた。ならば彼女は間違いなくここに来るだろう。

 何故、そう思うと同時にゼクトは安堵した。

 

「っ!」

 

 しかしそれは後悔にも繋がった。エヴァンジェリンを切り捨てたのは自分であり、既に道は分かたれたはずだった。

 安堵もいらない、後悔もいらない、人形にそんな物は要らないとゼクトは理解していたはずだ。それでも、その場を離れようとはしなかった。

 

 

「ゼクト!」

 

 

 自分が必要としてなかったはずの、その声が聞こえた。

 ほんの少し前に分かれたときと同じ、ローブと黒を基調としたゴシックロリータの洋服を纏った彼女は、息を切らしてその名前を呼んだ。

 

「サッサト御主人ト話シテコイ馬鹿ジジィ。ソレデモマタ一回ソノ面ヲ見セタラ、御主人ガ何カ言ウ前ニ殺シテヤルヨ!」

 

 そう言ってチャチャゼロはエヴァンジェリンに渡された魔力を体に張り巡らせ、人形である自身の身体を動かした。

 瞬動に近い高速移動術でネージュに接近し剣を振るう。障壁を無として扱う斬魔剣二ノ太刀。チャチャゼロはまだ元々の魂の主の様に扱えず、単なる斬撃として振り下ろした。対してネージュは面倒だと言わんばかりに、懐から出した鉄扇で軽くそれをいなす。

 

「人形か……邪魔をしてくれたな。キサマの目的は、と言うのは聞くまでもないか」

 

「ケケケ『吸血鬼』ッテノハドイツもコイつも同じようなことを言いやがる」

 

 チャチャゼロが誰かを斬ることに深い理由は無い。ただ自分の根源にある衝動に従い、その剣を振り回しているだけだ。

 けたけたと人形が笑う。表情を変えず音を鳴らす殺戮人形に、ネージュはわずかながらに顔を歪めた。

 

「テメェハ吸血鬼ダロウ!? 魔ダロウ!? ケケケケケケ、ダッタラ刈ラセロ! ソノ首、此処デ俺ニ刈ラセロォ!」

 



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10/書きかけた日記

此処から新しい分です


「行かんよ」

 

 ゼクトは首を振る。差し出された手を無視して、エヴァンジェリンへと背を向けた。

 自分が本物になってどうする。一度亡くした者達は帰ってくるのか。自分がやった全てを、無かったことなどにできるはずがない。

 

「おぬしは何も壊してはおらん。だからこそ、無かったことにできる」

 

 彼女はこの世界から本当の意味でいなくなる。彼女が行おうとしている時の巻き戻しとは、その意味を持っている。それができる者に許しなど貰って何になる。本物として証明して、何の意味がある。何の意味もない、だからこそ、

 

「本物で在っていいはずがない。おぬしとの旅は、ここで終わりじゃ」

 

「ゼクト、私は……っ」

 

「黙れ」

 

 ゼクトは振り向いて視線をエヴァンジェリンに会わせると、何の光も宿さない暗い瞳を向けて口を開く。

 

「次に会ったなら、恐らくワシはおぬしを殺す。だからもう、放っておいてくれ」

 

 

―――

 

『18〇×年

 

 セランの墓参りが終わった。いろいろあったが過去の事であり気にするけれど深く考えすぎないようにする。つーか久々に見たアリアドネーかなり変わっててワロスww。久々に何処かへ腰を落ち着けてゼクトやチャチャゼロと――』

 

 

「――やめだ」

 

 エヴァンジェリンの持つ筆が日記帳に大きくバツを付ける。書くことを中断し、ほどまで敷いて座っていたトランクの中へと日記帳を投げ込んだ。

 気分が乗らなかった。いつもなら気晴らしに書いていたそれだったが、自分の想像以上にゼクトが離れたことが重くのしかかっている。

 赤い夕日が墓標を照らし、そこにいたエヴァンジェリンにも等しくその日差しは照らされている。

 差し出した手は取られず、そのまま消えてしまったゼクトをエヴァンジェリンはただ見ているだけだった。だがもう二度と、彼は自分の前には現れないだろう、という奇妙な確信はあった。

 

「……ゼクト」

 

 エヴァンジェリンは一人呟く。

 所詮は記憶が戻るまでの付き合いだ、それはいつも頭の中で考えていたことだった。それでも過ごしてきた時に対して楽しいと思っていたことも事実で、引き留められなかった自分が情けなくなる。

 かける言葉が無かった。自分が歩んできた道に罪は無い、誰がどう言おうと自分はそう信じている。だから自分は『悪』を名乗らずに今まで歩んできた。

 だから『悪』であることを認めたゼクトに、自分は何を言う事ができるのかが分からなかったのだ。

 それでもエヴァンジェリンはササムが消えたとき程狼狽えてはいなかった。それは、

 

「ヨウ御主人、迎エニ来タゼ」

 

「チャチャゼロ……すまんな」

 

 少なくとも彼女にはまだ旅を共にする誰かが居る。心の中に在ったセランのことを整理出来たからこそ、またエヴァンジェリンは歩むことができるだろう。

 仕方ないと、エヴァンジェリンはそう思う。自分が今吸血鬼という種族になっている以上、いくつもの別れが有ることは仕方のないことだ。

 

「ン? アノジジイ、コッチニ来ナカッタノカ?」

 

「来たさ。だが……もう奴との旅は此処で終わりらしい。今度会ったら殺すとまで言われてしまったよ」

 

 苦笑交じりにエヴァンジェリンは言う。だがその表情がチャチャゼロにとっては気に障った。セランの訃報の時とは違う、どこか仕方ないと諦めたような表情だったからだ。

 事実エヴァンジェリンは諦めていた。ゼクトに問われたとき、繋ぎ止められなかった自分が悪い。去ってしまったとしても文句は言えなかった。

 

「……呼ビ止メネェノカ?」

 

「……私はゼクトに、何と言って呼び止めればいいのか分からないんだ」

 

 そうエヴァンジェリンは小さく溜息をつく。

 

「声を掛けた、バケモノなんかではないと。私が嘗て一番欲しかった言葉だったからこそ、ゼクトも同じだと思ってた」

 

 自分とゼクトは似ていると、そうエヴァンジェリンは思っていた。自分の意識の外で人から外れており、エヴァンジェリンは迫害された。似たような思いをゼクトにさせるのが嫌で、共に旅をしてきた。

 

「だがゼクトは、もう自分のことをバケモノだと認めている。……私は、そうなってしまった者にかける言葉を知らない」

 

 だからゼクトが去ってしまった事も『仕方ない』。チャチャゼロは言外にエヴァンジェリンがそう語っていると分かった。

 「お前に何が分かる」。慰められた人物が決まって言う言葉であり、事実それが的を得ているからこそ、言葉を続けることができない。共感できる体験をしてきた人物なら話は別だ、だが今のエヴァンジェリンは共感できない立場に居る。

 

「ケ」

 

「? ……チャチャゼロ?」

 

「ケケケケケケケケ!!! 知ラナイ? 知ラナイッテ言ッタノカ御主人! 笑ワセテクレンジャネェヨ!」

 

 だからこそ、チャチャゼロは笑う。

 どこまでもエヴァンジェリンが言っていることは可笑しいのだ。今まで彼女がどう生きてきたのか、その記憶は所詮は前任者であるササムの物でしかない。それを踏まえて考えても、彼女が言っているのは可笑しいのだ。

 エヴァンジェリンは既に自分が人に戻るための術を確保している。残り必要な物は時間と魔力だけだった。だからこそゼクトの別れを簡単に割り切ることができた。既に生きる理由のゴールを見つけているから、ぶれる理由も無かった。

 

 それでもチャチャゼロは知っている。自分の愛すべき御主人が――とんでもないバカ者であることを。

 

――

 

「ゼクト!」

 

 エヴァンジェリンがチャチャゼロを追いかけた先に居たのは、ローブを焦しボロボロになったゼクトの姿だった。

 大規模の戦いがあったことは瞬時に理解し、それよりも先に察知したチャチャゼロはゼクトと戦った相手を殺しに仕掛けている。抑えきれない可能性もあるが、それよりも目の前で傷ついているゼクトを癒すことが先だった。

 

「無事なんだな!? すぐに治療をしてや……」

 

「来るな!」

 

 ゼクトは創造主の掟を突き付けるように構える。

 ゼクトの持つ創造主の掟は、魔法使いにとっての杖である。発動体であり威力を増加させるもの。現代で言うのなら銃口を突き付けていることと同じだった。

 明確な敵対行為であり、ゼクトの言葉に思わず身体を止めたエヴァンジェリンだったが、焦るような表情は何処へ行ったのか、不敵な笑みをゼクトへと見せつける。

 

「……なんだ、どうしたんだゼクト? 治療をしなければ不味いだろう」

 

「ワシは確かに言ったはずじゃ、次に会ったら殺すと」

 

 ゼクトにとってはエヴァンジェリンも殺さなければならない対象であることは変わりなかった。

 自分は人形に戻らなければならない、だがエヴァンジェリンは自分をそうではないと自覚させてしまった存在なのだ。ならば殺さなければならない、殺さなければ自分はフィリウスで在ることができないのだから。

 同時に、エヴァンジェリンを殺したくなかった。それはアリアドネーの墓標で思った事実であり、全て忘れて根源であるカグラを殺そうと考えたはずなのに。

 

「やってみればいい」

 

「……なんじゃと?」

 

 エヴァンジェリンは笑みを崩さない。

 彼女は単純なことを忘れていた。ゴールへと到達する手段を既に見つけたからこそ、それを考えず意識もしていなかった。

 自分が何者なのか、なぜ生きる理由を探していたのか、そんなことをチャチャゼロに指摘されるまで忘れていた。

エヴァンジェリンは『バケモノ』ではない。だが――

 

 

「私は400年を生きた真祖の吸血鬼だ! キサマのような100年も生きていないようなガキに、むざむざと殺されるほど軟な存在ではないわ!」

 

 

 彼女は『吸血鬼(バケモノ)』だ。だからこそ引くことは無かった。

 

 瞬間、ゼクトが動く。

無詠唱での魔法の放出は乱雑な物だった。魔法の矢、斧、槍、剣。中位魔法の連続無詠唱は雨の様にエヴァンジェリンへと殺到した。

 ゼクトも理解している。この程度で真祖の吸血鬼は殺せない。所詮は戦闘を起こすための引き金に過ぎなかった。

 瞬動によって接近し、エヴァンジェリンの背後を取った。エヴァンジェリンは反応できておらず、神速で振るわれたゼクトの拳はエヴァンジェリンの頭へと向けられる。

 だがその拳は、ある程度近づいたところで、鉛にでも手を突っ込んだように重く遅くなった。

 

「! これは……」

 

 エヴァンジェリンが無詠唱で作り上げた罠、それは一定の空間を極端に時の流れを遅くするだけの魔法だった。無詠唱であるがゆえに継続時間は長くなく、受けた物の力が大きければ力ずくで解除できるようなものだった。だがその一瞬をエヴァンジェリンは欲しがっていた。

 

「リク・ロス リ・ロスト リライブズ 彼の因果の末に辿り巡りし導き手よ、原初に眠る混沌より創まりし命を聞け! 解放・固定!」

 

 それはエヴァンジェリンが編み出したオリジナル魔法の一つだった。

 彼女が真祖の吸血鬼の人間化、という事象を成すために考えたのが、時間操作の魔法による肉体、魂の巻き戻しだった。

 時間の操作自体は高位のアーティファクトでも十分に再現可能な物で、加速、遅延の魔法については既に世界に存在しているのもでもあった。

 そして時の後退を体に宿すために、造りだした魔法が『闇の魔法』だった。

 

「時の先行 掌握。術式兵装『加速領域』!」

 

 故に、自身の時を際限なく進めることも真祖の吸血鬼であるからこそ可能だった。

 瞬間、エヴァンジェリンの姿がゼクトの視界から消え、何もわからないうちにゼクトは大地へと転がった。

 側面からの打撃を受けた、そのことに気が付くよりも四肢を大地へと抑えるように受け身を取り、再度接近するエヴァンジェリンを捉える。

 拳。ササムが生きていた頃に倣った体術は上等なものでは無い。当然ゼクトには止められてしかるものだ。

 

「な――がぁっ!」

 

 それを、止められない。

 

「■△×〇ァ◇」

 

 エヴァンジェリンが何かを言った、だがその何かはあまりにも早すぎてゼクトに聞き取ることはできない。

 エヴァンジェリンにしてみれば、ゼクトが受け止めようとしているところを見て、別の所を殴っただけだ。それが世界から見れば素早く動いているため、大きな力となってゼクトへと打ち付けられていた。

 曼荼羅のような自動障壁の上から叩きつけられるそれをゼクトは止めることができない。同時に強化されているはずのエヴァンジェリンの拳も砕けているが、それは彼女にとって問題にはならなかった。

 

「ぐぅ! 時空魔法をそんな簡単に操りおって!」

 

 無論殴られ弾かれつつも、ゼクトはまだ健在だった。

 創造主の使徒という存在が持つ魔法障壁は並大抵のものでは無い。そしてエヴァンジェリンの体術は早くとも軽いため、有効打を与えられてはいなかった。

 

『参るな、想像以上に固い』

 

 エヴァンジェリンの呟きはゼクトへは届かなかった。連撃によって互いに呪文を唱える隙が無い。無詠唱の魔法では互いに相手へと届かない。

 千日手になりかけたところで、先に動いたのはエヴァンジェリンだった。氷の投擲の拳への装填による威力の増加を狙っていた。加速領域の中で呪文を唱え、拳へ槍を装填した時だった。

 

「解放、奈落の業火!」

 

 ゼクトの無詠唱の魔法がエヴァンジェリンの目の前で爆発した。

それは一か八かとゼクトが魔法に含められた魔力を爆発させて、無理やりエヴァンジェリンと距離を取ろうとしたことだ。

 

『! くっ!?』

 

 爆発の余波にゼクトは勿論巻き込まれる。しかし魔法障壁によって威力は軽減されているためかゼクトは健在だった。

 

『(奈落の業火にしては威力が無い……単なる目くらましに使ったか!)』

 

 それは初手でエヴァンジェリンが闇の魔法による術式兵装を装備する時間を稼いだことと同じだった。

 魔法の発動体である創造主の掟を構えるゼクトを見て、次が本命であるとエヴァンジェリンは理解する。詠唱を含めた上級呪文はエヴァンジェリンの魔法障壁を貫く威力がある。かと言って今の状態のエヴァンジェリンに当たるかどうか、と言えば否であると判断した。

よって選んだのは接近だった。魔法を撃たせるよりも早く頭を押さえる。魔法を発動されたとしても見てから回避することは十分に可能だ。

 

「ヴィシュ・タル リ・シュタル ヴァンゲイト! 契約により我に従え奈落の王! 地割り来たれ千丈舐め尽くす灼熱の奔流!」

 

 引き裂く大地。地系統の広域呪文であるそれは、発動してしまえばその範囲の広さからエヴァンジェリンが避けることは不可能だろう。

 だがエヴァンジェリンは確信している。術式兵装『加速領域』を纏った自分はそれよりも速くゼクトの口を塞ぎ、魔法の発動を阻害するだろう。頭の中や感覚でゼクトの距離と自分の魔法の速度を計算し、エヴァンジェリンが接近した時だった。

 

「解放、千の雷!」

 

『んなっ!?』

 

 無詠唱の最上級呪文の二連打。たとえ創造主の使徒でさえ難しいそれをゼクトはやってのけた。

 無詠唱で放たれたその魔法は本来よりも威力は減少している。だが名前の通り宙を走る雷の雨はエヴァンジェリンの足を止めるために十分な物だった。

 広域に広がる雷を避けることは叶わず、魔法障壁でそれを防いだエヴァンジェリンは、ゼクトが魔法を完成させたという事実が視界に入っていた。

 

「滾れ! 迸れ! 赫灼たる滅びの地神 引き裂く大地!」

 

速度で勝てぬのなら、それを生かせぬほどの量で責めればいい。ゼクトが行った戦術がそれで、無詠唱を二つ、詠唱を含めた最上級呪文一つの三連打によって文字通り物量で圧殺する。さらに最後の引き裂く大地は、その密度は生物を全て飲み込んでしまうほどのものだった。

 自身以外の四方を滅ぼす灼熱の岩流が魔法となって表れ大地を焦す。それを自分は避けることができないと、エヴァンジェリンの頭は導き出す。

 魔法での迎撃は間に合わない。同レベルの呪文はこおるせかいなどを習得しているものの、無詠唱で放てるほどの練度は持ってはいない。

 そしてエヴァンジェリンが選択したのは、『断罪の剣』による斬撃だった。無詠唱で引き裂く大地と同等の密度を持てる魔法が、それだけしか存在しなかったのだ。

 

「あああああああ!!」

 

 『加速領域』によって速度を嵩増された斬撃を幾重にも迫る魔法へと放った。だがそれでも――エヴァンジェリンがゼクトのその魔法を防ぎきることはできなかった。

 

 

ゼクトも自身の放った魔法がエヴァンジェリンを捉えた確信はあった。事実魔法を放って数秒も立っているのに静粛が辺りへと流れている。

 

「く…あ」

 

 小さな声がその静粛の中に流れた。粉塵が風で流れ、その中から動いている小さな影が現れる。

 そこにいたエヴァンジェリンの姿は酷い物だった。うつ伏せになって倒れ、髪や肌は焼けただれ、服もボロボロになっている。徐々に体が再生しているが、本人は身体を動かすことができていなかった。

 

「…………」

 

 ゼクトはエヴァンジェリンのその状態を見ても、何も思おうとはしなかった。最上級の呪文をまともに受けてしまったのなら、そうなってしまうのも予定通りの事だった。

 近づいて杖をエヴァンジェリンへと向ける。このまま魔法を放てばいい。いくら真祖の吸血鬼とは言え、魔法障壁も張らずに文字通り消滅させたのなら、再生することは不可能の筈だ。

 

 

「……もう、帰れ」

 

 

 ゼクトはそう呟く。

 自分はカグラを殺さなければならない。そうでなければフィリウスではいられない。だがエヴァンジェリンを殺さずともフィリウスでは居られるのだ。創造主に命令を受けていないのだから、人形がそれに従う理由は無い。

 『本当に?』そうゼクトの中で問いかけられる。自分はただ、エヴァンジェリンを、共に旅をした『ゼクト』の友を殺したくなかったのではないのか?

 

「い、や……だね」

 

 その声は小さくとも確かにゼクトへと届いていた。

 力を込めた拳から血液が溢れ、筋肉が拒絶反応を起こしたように痙攣する。確かに再生していると言っても、動ける状態ではない。

 それでも、エヴァンジェリンは立ってゼクトを見据える。

 

「私、は。もっとキサマと旅をしたいんだ――」

 

 鈍い打撃音が辺りに響き渡る。エヴァンジェリンが言った言葉を遮るように、ゼクトはエヴァンジェリンを蹴り飛ばしていた。

 ボールの様に大地を転がったエヴァンジェリンはやがて岩にぶつかって止まると、それを追い掛けるようにゼクトも歩き出す。

 そして足元に倒れ伏すエヴァンジェリンの胸倉を掴んで持ち上げ目線を合わせた。

 

「ワシは、人形じゃよ」

 

 ゼクトは呟く。

 

「お主と歩んできたゼクトではない。『ゼクト』が、多くの滅びを成したバケモノで在るはずがなかろう」

 

 かつてカグヤがフィリウスへと言った『英雄としてのゼクト』。それが自分と言うバケモノが望んでいいものではない。成れないと理解してしまったからこそ、ゼクトは人形――フィリウスであろうと決めたのだ。

 

「それが、どうしたと言うのだ?」

 

 それをエヴァンジェリンは笑う。

 

「私と歩んできたゼクトという馬鹿は、キサマしか居ないだろうが! 私は! 『キサマ』と旅をしたいと言った! チャチャゼロやキサマとバカやって、また笑いたいから私はこう言っているのだ!」

 

――煩い。

 エヴァンジェリンの理屈は勝手だ。自分が行いたいから、それを理由にゼクトが人形になろうとするのを遮っている。

 ならばその口を塞げばよかった。人形なら耳障りだと言えば良かった。だが彼は、

 

「過去に何があったか知らんが、今までが楽しかったことは本当だろう!キサマは――」

 

 

「人形になってそれを全部投げ捨てて、それでいいのかゼクト!!」

 

 

 

「良いなどと、言えるわけが無いじゃろうがァ!!!」

 

 

 ゼクトは声を荒げ、そのまま残った拳でエヴァンジェリンの頬を叩きつけようとした。

 だがそれはエヴァンジェリンによって止められる。再生した腕がゼクトの拳を受け止め、持ち上げられた身体をゼクトを蹴り飛ばした反動で後ろに跳ぶと、腕に『断罪の剣』を作り出した。

 同時にゼクトも創造主の掟を召喚しエヴァンジェリンへと突きつける。両者ともに構え、ゼクトは荒い口調のままエヴァンジェリンへと言った。

 

「魔法世界の万という人を滅ぼした! 何も思わず、何の感慨も無く、救済と唱って消し去ってきたのじゃ!」

 

「ならばそれをどうやって償う! どうやって罪を背負う!? ゼクトは――ワシにそんなことを成すことは不可能じゃろう!」

 

 どんなことをしてもゼクトが嘗て魔法世界の人を消してきた事実を消すことはできない。そしてそれを罪だとゼクトは知ってしまったからこそ、自分は生きていてはならない存在だと理解した。

 なら自分が歩むためには、人形に成る以外に手段が無いだろう。

 無詠唱による魔法の応酬により、今度は互いに中距離を保っている。魔弾の群れを断罪の剣で切り裂きながら、エヴァンジェリンは叫んだ。

 

「不可能だなんて、できないだなんて誰が決めた!」

 

 魔法をエヴァンジェリンは唱えようとはしなかった。今考えることは言葉であり、無詠唱を行うための魔法の文章ではないのだから。

 

「誰も何も当たりまえのことじゃろう! 目撃者は全て消した! 償う先などありはしない! 罪を背負った化け物が――『ゼクト』という英雄に成れるはずもない!」

 

 カグラの言葉は、正に呪いだった。

 彼女が言った『ゼクト』は、魔法世界にある物語にある偉大な魔法使いの、英雄の名前だった。

 だがフィリウスにとってそれは命令と同等だ。その存在に成ろうとして、人形がその英雄に憧れを持って変質し、そして今更ながらその思いを抱いたことが間違いだと知る。そのジレンマこそがゼクトを壊した一因でもあるのだ。

 

「ヴィシュ・タル リ・シュタル ヴァンゲイト! 契約により我に従え高殿の王 来れ巨神を滅ぼす燃ゆる立つ雷霆 百重千重と重なりて走れ稲妻!」

 

 目の前からいなくなればいい、聞きたくない。そんな幼稚な考えから、ゼクトは千の雷を唱え発動させる。

 対してエヴァンジェリンは、その魔法に対して何かをすることは無かった。

 エヴァンジェリンは『ゼクト』という英雄を知らない。だが目の前にいる彼がそれに成りたいのだと知って、それでもバケモノであることが枷になっていることは分かった。

 ふと、チャチャゼロに言われてゼクトを追いかけることになった言葉を思い出す。ふ、と小さく笑ってエヴァンジェリンはゼクトの瞳を捉えた。

 

 

「私は! 人間に成る術を見つけたぞ! バケモノが、真祖の吸血鬼が人間に成る術をだ! 誰もが不可能だと言って、何もしなかったことをだ! ゼクト!」

 

 

 エヴァンジェリンは叫び、忘れていたことを思い出していた。

 吸血鬼が人間に戻ることなど不可能だ。それが世界の『当たり前』であったし、吸血鬼は『悪しき者』であると世界から定められていたことだ。

 

 それを決めたのは誰だ。

 

 少なくとも自分だけは決めてたまるものか。『神』なんて不条理な物が存在し、世界に送られる程の理不尽な物が世界に在ってたまるか。

 

「万人殺したバケモノ? だからどうした! そのバケモノが罪を償えないなんて誰が決めた!」

 

 

「バケモノが――英雄(ゼクト)に成れないなどと誰が決めたァ!!!」

 

 

「――あ」

 

 

 だからこそエヴァンジェリンは笑う。不可能などと言って決めつける全ての者を。

そうして歩き続ける彼女を愚かだと笑う物は幾らでも居るだろう。それでも彼女は自分が成したという自負がある。

 

 ゼクトの呟きは放たれた千の雷によってかき消される。たった一人を殺すには大きすぎるその呪文は、叫ぶエヴァンジェリンを飲み込んで、

 

 それを突っ切ってゼクトへと向かうエヴァンジェリンの姿が視界に入った。

 

 千の雷が完成し万全の状態で放たれたのならばエヴァンジェリンが動ける道理は無かった。だが最後の最後で式を乱されたその魔法は密度が下がり、膨大な魔力の塊となっていたのだ。

 無論それでも威力は有る。ただそれはエヴァンジェリンが断罪の剣で切り裂ける程度のものでしかなかっただけの話だ。

 

 断罪の剣によってゼクトの持つ創造主の掟が弾かれ後方へと転がった。エヴァンジェリンが何かをしたと考えるよりも先に、ゼクトは自分が地面へと倒されているに気が付いた。

 

 

「キサマは、キサマだゼクト。人形じゃないのなら、成ろうと思えば何にだってなれるだろう」

 

 

 仰向けになって倒れる自分の上へと跨るように、エヴァンジェリンが乗っている。そして自分の首元へと断罪の剣を突き付けられているのが見えた。

 ゼクトは自覚する。自分がもう――人形に成れないという事に。

 理解してしまったのだ、人形に戻ることが嫌だと。ゼクトであったことを消したくないと。そんな気持ちを抱いて人形に戻ることなどできなかった。

 

「……ワシには、無理じゃよ」

 

 不可能であることを可能にした彼女とは違い、自分にそんなことができるとは思えない。『ゼクト』という英雄に成りたい――それでもそこまでたどり着くためにどうすればいいのか分からなかった。

 

「だったら、少なくともキサマが成るまで尻を蹴飛ばしてやる。……ゼクト、これは『契約』だよ」

 

「……契約?」

 

「少なくとも私は、契約を破ったことは無い。罪を償いたいなら償え。英雄に成りたいのならなってしまえ。それまでは――私が見ててやる。それが契約だ」

 

 エヴァンジェリンは笑う。もう何百年もかけてここまで来た。そこに何年乗ろうと同じ事だろう。

 

「ああそれは、心強い契約じゃなぁ」

 

 初めから、逃げなければよかったのだ。

 自分がやったことの罪に耐えられないから、人形と言う存在に逃げ出そうとした。絶望と向き合うことができなかったから、人形のふりをした。

 だけど目標は初めからあって、そこに向かって走り続ければいいだけの話だったのだ。

 

「それならば、ワシがどこかで死ぬまで生きて居て欲しいものじゃな」

 

 ゼクトは憎まれ口を叩き口元に笑みを作る。それは人形としての行いではなく、ゼクトと言う存在の意思によって行われたことだった。

 

「どこかに行こうとしていたくせに言ってくれるな。それなら――」

 

 

「貴様に繋がりをくれてやる」

 

 

 エヴァンジェリンが指を振って魔力を操ると、自分たちが居る場所に六芒星の魔方陣が広がった。

 そうしてにやりと笑ったエヴァンジェリンがゼクトへと顔を近づけ――

 

 

――

 

 

 りぃん、と。透き通った鈴の音が響き渡る。

 

 そこは薄暗い王宮の奥深く、四方からの入口のある広い部屋であり、高い位置に造られているのか中央への道を橋のようにかけられている。その上からは奥底が見えず、奈落の谷の淵にでもいるようにも感じる。

 そんな部屋を一人、中央へ向かって歩く人物がいた。地面に着きそうなほど長く伸ばされた髪を二つに纏めていたが、黒いローブをかぶっているためはっきりとは見えない。本来ならばそこは王家の者以外が入ることは叶わない。戦争などの切り札を安置されたその部屋は、確かにそれに相応しい神秘的な雰囲気を醸し出していた。

 そこを訪れたその存在は王家の者ではない。だがその存在がそこに居ることを許されているのは、あらゆる意味で超越した存在であるからに他ならない。そしてその存在は、部屋の中央に安置されたその存在を見上げた。

 それは封印だった。空間ごと時を止め、意志のみを確立させることしかできないその封印の外見は、まるでクリスタルのようだ。そして、その中には一人の少女が存在していた。

 

「……黄昏の姫巫女よ、我が末裔よ、貴女はなにを思う? 何を見る? 何を聞く? 孤独な道か、平穏の道か、それとも険しくも満たされた道か」

 

 その少女を見上げるその存在に表情は無い。翠と蒼の瞳はまるで硝子の水晶で、生有る者がもつ光を宿してはいなかった。だが、封印されている少女を見上げるその眼には、どこか暖かい物が感じられる。

 それは同情だろうか。このような存在を生み出してしまった自分への怒りだろうか、それともこの娘が先にたどる道の一つを、理解してしまったからだろうか。

 

「全てを満たす解は無い。九十九を満たしたその先に貴女の場所は無い。だから、過ちは正さねばならない。…っ!?」

 

 そこまで呟いたところで、その存在は何か痛みを耐えるように片手で頭を押さえた。数秒そうしていただろうか、やがてゆっくりと頭に置いた手を離すと、その掌を見つめた。僅かに振るえるその腕の袖は、『白い』ローブで纏われている。

 それは彼の存在を表すものではなく、彼女自身を表したものだ。

 

「……もう、もたない。ゼクト――」

 

 掌を握りしめ、身体中に魔力を纏った。その瞬間、まるで元々その色であったかのように黒いローブが消え、白いローブを羽織ったその姿を現した。

 同時に現れたのは、黒い杖だった。先は鍵を、その反対は星を模したその杖は、本来あるべきではない世界の始まりの鍵であった。そしてそれを握り、その存在は佇んだ。じっと目を瞑り、願うように手を合わせる。またも、黒は彼女を浸食する。

 

 

「早く私を、殺しに来て」

 

 

 黒いローブがその身体を包む。そして杖に魔力を通されると、足元に一人用の転移魔法陣を作られた。

 まばゆい光が部屋を照らす。そしてその光が収まった時、そこには初めから封印だけしか無かったとでも言うように、黒いローブのその存在は姿を消していた。

 

 

 

 



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11/不条理に泣いた時の日記

『18■●年

 

 フゥーハハハハ! うだうだ言ってるガキに一発かましてやったわ! んっん~清々しい気分だ。せっせと魔法球の中で掃除している自動人形の目の前で建物を粉砕してやった時の様な気分だ! ……二度とやらない事にしよう。最近魔法球の中で放置してあった過去の遺産で、あの自動人形が反逆のオートメイルをされたばかりだ。

 しかし普段通りの日常とは有り難い物だ。チャチャゼロがゼクトにNDK?NDK?をやっていたのを呆れてみていた。アイツ四肢がぶっ壊されて帰って来たくせに元気だな。しかも相手は逃げたようだし。で、楽しそうだったから私も参加したらゼクトがぶち切れた。また魔法球の中が散らかって自動人形の背中に悲しみを背負わせてしまった……。

 あんまりにも寂しそうな背中なので、親愛の意味も込めてそろそろ名前を付けてやろうと思う。思うのだが……どうやら私に命名のセンスは無いらしい。闇の魔法の術式兵装の名前は全てセランのものだし、私の考えたカッコいい魔法名を出す時が来たようだな……。』

 

『18χν年

 

 どうしても殺さなければならない奴がいる(キリッ だっておwwwゼクトが何か訳の分からない事をほざいていたためビンタする。なんなの? 散々殺した事を後悔してたくせにまだやるとか馬鹿なの死ぬの? とそう私は考えたのだがどうやらやらなければさらに多くの人が死ぬらしい。ちなみに以前襲い掛かられチャチャゼロをぼこぼこにした奴ではない。そのボコボコにしたフードの奴が私達の目の前に現れたからだ。

 なんか顔を魔法で覆ってるから見えないし、上から目線のいけ好かない奴だ。私もキレちまったぜ……と屋上に連れて行きたかったが、それよりもゼクトの言う事によれば時間が無いらしい。明日には連れて行かれるそうだ。こっそり凄く臭い汁の入った香水を少しだけつけてやった。にんにくはヤバイ、諸刃の刃だった。だがやけに相手にも効いていたような……。

 ゼクトとは仮契約をしてあるから、魔力の後押しはマカセロー(バリバリ。しかし何故かは知らんがアーティファクトが出なかった。練度不足かもしれない。

 ……正直なところ、迷っている。私にとって不可能は確かにない。それは寿命という制限が無くて無限の時間が有るからこそだ。今日言われてすぐに誰かを助けられるような術を考え出すことなんて、さすがの私も無理だ。』

 

――

 

昔、あるところに少女が居ました。

 あなたにはとても大事な役目があるんだよ。そう言ってずっと長い時間を過ごしてきたのです。

 ですがあるとき偉大な魔法使いが、少女の手を引いて言いました。

 

『この楽しい世界をもっと見てみない?』

 

 少女は頷きその偉大な魔法使いへとついて行きました。山や草原、川や街。多くの場所に行って多くの景色を見ました。そうしてようやく、少女は世界が楽しい物であると気が付いたのです。

 ですが楽しい時間は長くは続きません。偉大な魔法使いは悪い魔法使いに襲われ、居なくなってしまったのです。

 少女は泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣きました。そんな少女を見かねたある人は、少女へとこう言います。

 

『辛いことを忘れて、もう眠りなさい』

 

 少女は眠ります。夢の中で何もかも忘れた自分が、楽しい光景の中で笑っている姿を見続けていました。

 

――

 

 そこは嘗て村と呼ばれた場所だった。

 そこにいた住民は全て別の場所へと移り住み、建物は壊れ人の営みと呼ばれた者の全てが潰された場所だった。

 その村をそうしたのはカグラだった。創造主という存在が表面に出て、計画のために目撃した者達を消滅させた結果、この村に人は居なくなった。

 そんな廃村に訪れたカグラは、手ごろの石を見つけその上へと腰かける。白いローブから顔を出して、ただぼんやりと、かつて見たように流れる雲を眺めていた。

 

『……此処を貴様が選んだ理由は何だ?』

 

「……意外。無理やり意識を奪うと思ってた」

 

 カグラにだけ聞こえる声――創造主の言葉にカグラは目を丸くする。

 文字通りカグラは創造主という存在を抑えることはもうできなかった。カグラの肉体を奪い黄昏の姫巫女の封印を解除し魔法世界を終わらせる。創造主にはすでにそれを行うための計画も立てられている。

 

『戯れだ。貴様がそうまでして時を伸ばし待った存在を、一種の解を見つけた者を見たかった。それだけのことよ』

 

 カグラは創造主の言葉に苦笑し、また先ほどと同じように空を眺める。そうして確信を持ったように呟いた。

 

「ゼクトは来る。……だから大丈夫」

 

 自分の意識を殺されることの恐怖は初め程は無い。自分の中に創造主が居て、その先で自分が消えてしまう事にカグラは恐怖した。だからその時は確かに人形だったフィリウスに縋り付く様に呪いを植え付けてしまった。

 

『貴様の言う物語に居た『始まりの英雄』の名か。それをあの人形につけたとして、なぜそうまで確信できる』

 

 カグラの言う『ゼクト』とは、カグラの知っている魔法世界の物語に居る英雄の名前だった。

 魔法世界の住民ならば誰もが知っている『七人の英雄が世界を救った』物語。その中に居る『ゼクト』の様であってほしい。正しくは『ゼクト』であって欲しいとカグラは望んでいた。

 自分一人では創造主を止めることはできない。だから、フィリウスが『ゼクト』であって欲しいとカグラは考えたのだ。

 

「私はね、ゼクトに良く似たひとを知ってる。ずっと悩み続けて、真正面から迎える様な友人を見つけて、操り人形から抜け出した人を」

 

 だから、フィリウスという人形ではなく『ゼクト』という英雄として自分の前に立つ。自分の知る『彼女』が何よりも大事に思った『少年』の軌跡を見て、確かに操り人形ではなくなる姿を見てきたのだから。

 

『――人形から外れるか。それもまたいいだろう。私の理から外れた者もまた、新たな解とへと成り得るのだから』

 

 創造主は思う。カグラは知っているのだ。魔法世界を救う事の出来る一つの解を。そしてそれをカグラ自身が言う資格が無く、この世界に居る責任を彼女は果たそうとしているだけなのだと。

 

「――ああ」

 

 

 

「来てくれたんだね、ゼクト」

 

「ああそうじゃな。お主の望み通り、殺しに来たわ」

 

 

 ゼクトは表情を押し殺してそう言った。

 創造主の人形としてではない、悪い魔法使いを倒す英雄として『ゼクト』は此処に居る。

 

「……ごめんね、こんなことを押し付けちゃって」

 

「ああ、まったくじゃ。何故お主を殺さなければならん。何故お主を殺さなければ……魔法世界が滅ぶなどと言う面倒なことになっているのじゃろうな」

 

 ゼクトは創造主の掟を召喚し、カグラも立ち上がって同じものを召喚した。

 そして、カグラの着ていた白いローブが黒く染めあがる。影のようなそれを纏った創造主は、召喚された創造主の掟を媒体に、大量の魔方陣を作り上げた。

 

『フィリウスよ、貴様が糸を切り放ったと言うのなら、英雄の如く止めて見せるのだな』

 

――

 

「もう、いいの?」

 

 散りばめられた星が広く見える砂浜で、その少女は膝を抱え座っている。だがその姿は今にも消えてしまいそうな霞のような存在へとカグラはそう尋ねた。

 

「うん、なんかもう、疲れたし、凄くねむい」

 

 その少女の声はとても眠たげで――悲しそうな声だった。

 酷く辛いことが有って、そんな事実を知らなければよかったと泣いて、自分という存在に価値をその少女は見出すことができなかったのだ。

 

 少女は多くの人を救った。彼女が自分の身を犠牲にしたからこそ、壊れるはずだった世界は保たれたまま英雄に救われた。

 だけど少女が目覚めたそのとき、少女を知る者は誰もおらず、自分が居るはずだった『居場所』さえも世界によって塗り替えられた後だった。

 本当に大事だと思っていたはずの弟分の隣には、自分と同じ顔をして自分と同じ名を持つ誰か居て、その存在によって少女は誰からも忘れられてしまったのだ。

 

 

 九十九から零れた一である少女を拾う者は居ない。

 

 カグラ自身もその一である以上、消えゆく彼女を繋ぎ止める言葉を出すことはできなかった。

 だからカグラは言った。ずっと辛い目に合った少女が、これ以上苦しみを持たせないように。

 

 

「……分かった。おやすみなさい■■■」

 

「うん、おやすみ」

 

 霞のようなその存在は、その霞と同じように、風に吹かれてどこかにその存在を消していた。残されたカグラは、その少女の世界だったはずの空を見上げていた。

 

――

 

 エヴァンジェリンが見ていたのは神話で行われていた神々の戦いの様だった。

 創造主の掟と呼ばれる杖をお互いに持ち、そこから世界の情報を引き出して魔法をぶつけ合っている。雷が、炎が、大地が、氷が、風が、闇が、いくつもの魔法になって互いを行き交っていた。

 だがその戦いに介入する力はエヴァンジェリンにはある。そのための闇の魔法であり、真祖の吸血鬼と呼ばれる存在であることを理解していた。

 

「……本当に、手を出さなくていいのか?」

 

 エヴァンジェリンは自問する。

 ゼクトには魔力のパスを繋ぎ常に供給している。だがそれ以上の助力を彼は必要とはせず、カグラとの戦いには手を出さないでほしいとエヴァンジェリンに言っていたのだ。

 だからこそ負けることを不安にしているのではない。本当に創造主となって戦っている少女を殺さなければ止まらないのかと考えていたのだ。

 

「時間が無いのさ。いくらキサマとは言え、本当の意味での不可能を成すことは無理だろう?」

 

 エヴァンジェリンの独り言を答えたのはネージュと呼ばれた魔女だった。カグラがどこにいるのか知っていたのがネージュで、彼女に連れてこられたからこそゼクトはカグラの消滅までに間に合わせることができていた。

 キッとエヴァンジェリンはネージュへと視線を向ける。だがそれも意味のないことだと思考を巡らせる。

 

「何かないのか……何か…」

 

 エヴァンジェリンはカグラという少女と話した事も無い。だがほんの少しのゼクトとのやり取りで、彼女が本当に死ぬべき人物なのか考え、否と言う答えを出していた。

 エヴァンジェリンは諦めない。諦めてしまったら可能性がすべてなくなってしまうのだ。無限に近い寿命を使ってその可能性を浮き上がらせたのが彼女の研究の結果であり、ゼクトを立ち直らせた言葉でもある。

 だから仕方ないと言って諦めることなどできなかった。

 

「……なぜそんなにも、会った事も無いような奴のために考えているのだろうな」

 

 ネージュはそう誰に言う訳でもなく呟く。

エヴァンジェリンをネージュは無様な者だと感じていた。例えばエヴァンジェリンが自身の死が迫ったとしたのなら、みっともない姿見せてどんな事をしてでも生き延びようとするだろう。キャメロン・クロフトによって実際に死が近づいたときなどそれがよく表れており、死にたくないと叫ぶ彼女が無様で、覗き見ていたネージュは苛立っていた。

 例えばネージュはその時が近づき、自分の行いの結果が死であるとしたのなら、すっぱりと受け入れるだろう。

 

 それがネージュの――『悪の魔法使い』としての矜持だった。

 

「御主人ハ、人間ダカラナァ」

 

 そうエヴァンジェリンの従者であるチャチャゼロは呟いた。エヴァンジェリンは吸血鬼と言う種族で、どこまでも矛盾しているその言葉にネージュは耳を傾ける。

 

「不死者ノクセシテ死ヲ恐レル、死カラ逃ゲルタメニ抗ウ、ソノ死ガ他ノ誰カデアッテモダ」

 

 正しくは、自分が要因で誰かが死んでしまい自分が『悪』に変わってしまう事を恐れた結果、エヴァンジェリンと言う存在は確立されていた。

 

「俺ヤテメェミタイナ『バケモノ』カラシテミレバ、ウチノ御主人は馬鹿デ、羨マシイ生キ方ダト思ワネェカ? ナァ『御主人サマ』?」

 

「さて、誰の事やら。それに馬鹿だとは思うし羨ましくも思えんなそれは。だが眩しく思うよ、その生き方は」

 

 小さくつぶやいた言葉はその言葉の中に含む相手には聞こえてはいない。思考の渦のなかでカグラを助ける方法を探す彼女にその言葉は届かなかった。

 唯一その傍でチャチャゼロがネージュの呟きを聞いていた。そしてその言葉の意味も理解していたのだ。

 

「生にしがみついて、誰よりも悪を恐れて、決して諦めようとしない」

 

――まるで、人間みたいじゃないか。

 

 それは彼女が、ネージュ\■■■■■■■■が捨ててしまい二度と手にすることが無いことなのだから。

 

――

 

 カグラが魔法世界で目覚めたとき、自分という存在が無価値であると思っていた。

 カグラという少女を知る者は誰もおらず、誰からも必要とされていない。それを無価値と言う言葉以外で述べることはできなかった。

 だがそんなカグラに意味を与えたのは、目覚めた先の村に居た住民たちだった。カグラのことを行き倒れだと思った彼らはカグラを介抱した。善い行いは必ず自分たちに巡り返ってくる、そう子供のころから村で回っている言葉から、カグラと言う少女は世界に立つことができたのだ。

 

 そこからの生活はカグラにとって新しいことばかりだった。多くの笑顔や体験が徐々にカグラの心をほぐし、打ち解けていくことができたのだ。

 幸いカグラは人並み以上に力が有り、多くの危険な動物を狩ることで村へと貢献できていた。そうして多くの人たちから声を掛けられ――カグラはこの世界に居ることの価値を見つけ出した。

 

 それを、創造主という存在が全て壊した。

 

 だがそれをカグラは責めることはできないと理解していたのだ。他の誰でもない『悪いのは自分』であることを理解していたのだ。

 

 

 『カグラ』という存在がこの世界に居るからこそ、創造主はこの身体に『宿らざるをえなかった』のだから。

 

――

 

 ゼクトを殺そうと迫る黒い魔力の魔弾を回避しつつ、ゼクトは自分とエヴァンジェリンのパスからの魔力を振り絞って魔法を放つ。

 地形は既に変わり、大地は割れて村であった名残など何処にも存在していない。そんな残骸を足場にゼクトは駆けていた。

 

『まだ足掻くか、フィリウスよ』

 

「ワシは、フィリウスなどと言う名ではないわ! 奈落の業火!」

 

 ゼクトへと被雷する魔弾を打ち逸らすために、無詠唱による奈落の業火を放つ。高等呪文を何度も無詠唱で放っているために、媒体にしている創造主の掟が軋んだ。

 無詠唱の魔法などゼクトの思考を裂くだけの重荷に過ぎない。だがそれを使わなければならないのは、それだけ創造主の攻撃が苛烈であり、ゼクトの持つ魔法障壁が役に立たないからだ。

 ゼクトは考える。創造主と言えども、その身体はカグラと言う人間の者に過ぎない。ならばそれを壊せば今回訪れる終焉を先延ばしにすることはできる。創造主、という存在を消すための解をゼクトはまだ持ち合わせてはいなかった。

 

『……フィリウスよ、貴様の行った救済は間違いではない』

 

「どの口がそれを言うか! 多くの意思を消し去ったことは事実じゃろうが!」

 

 言葉を交わされながらも互いが止まることは無い。

 創造主の目的のために、多くの魔法世界の住民が生贄とされた。救済と唱って多くの住民を殺戮してきた。その事実をゼクトは受け止めた、そして間違いであると気が付いたから創造主と対峙しているのだ。

 

『その貴様が救済した意思がまだ残っているとするならどうする?』

 

「――なに?」

 

 創造主の言葉はゼクトにとって寝耳に水のものだった。

 

『その救済した意思を一つに納め、それぞれの意思が最も望む世界を見せて生き続ける。――私の目的がソレだと言ったら、貴様はどうするフィリウス?』

 

 そこでゼクトは理解する。創造主がゼクトへと救済と唱ったのは、決して行為を隠すための物ではなかったことに。

 魔法世界はいずれ崩壊し全てが消滅する。だからその前に魂を補完し、「完全なる世界」を作り上げる。それが目的であると創造主は語る。

 

『だがそれを成すことができなければ――貴様の救済してきた魂は文字通り無価値になるだろう』

 

 だがそれは、フィリウスが犯した罪はまだ罪として存在してはいない。挽回できる状態であることを表していた。

 それは、ゼクト自身が求めている解の一つだ。どうやって償えばいいのか分からずゼクトは、悩みながら歩き続けるだろう。そして創造主が示したのは償いとしてゼクトが行う一種の解であった。

 見えない道ではなく、示された上で道理を成している道。今のゼクトにとってこれ以上の甘言は無かった。

 

 故にゼクトは足を止めた。創造主の言った事もまた、ゼクトとして正のではないかと迷った。だからこそ足を止めてしまい、それを創造主は提案に対して是であると見なしたのだ。

 

 

『――次善解に縋るのならそれもいいだろう。私が答え私がその解を成すとしよう』

 

 

 瞬間ゼクトの視界に入ったのは、空を埋め尽くすほどの黒の魔力で出来た魔弾の雨だった。

 初めから創造主は本気など出してはいなかった。ただゼクトと語り、カグラの言う英雄足る存在であるのかを見るために、魔法を、力を、言葉を交わしていたのだ。

 だが創造主は確信した。『フィリウス』は所詮は人形だった。自分の言葉を受け止め、その道を歩もうとしたのなら、それはもう英雄ではなくただの操り人形だ。

 その魔弾をゼクトが止める術は無い。ほんの僅かでも戦闘のための思考を止めてしまった彼に、今更迎撃をするための手段をとることはできなかった。

 

 創造主は初めてその黒き杖を手にする。魔法世界の住民の生を終わらせる絶対の呪文を唱えるために。

 

『リライト コード・オブ・ザ・ライフメイカー』

 

 爆発するような魔力の奔流が、その呪文と同時にゼクトを中心として広がった。

 

――

 

 『本来』カグラが居た村は滅ぶはずが無かった。創造主は全く無関係の場所で覚醒し、誰かを犠牲にする事も無かっただろう。

 だがその『本来』からずれてしまった理由がカグラだった。創造主が宿る身体について優先順位はある。一つが創造主という身体を治めることのできる無関係な存在。真祖の吸血鬼という存在は、本来創造主が宿るに堪えうることができるための躰を作り出すためのものだった。

 そして――創造主が嘗て人と呼ばれていた時代。その創造主の血を持つ者。

 

 だからカグラがそれに当てはまった。カグラは本来その世界に居るはずのない少女である。出なければ、『黄昏の姫巫女』などと呼ばれた存在が、二人も同じ世界に居るはずがないのだ。そして、その存在へと創造主が宿るという事も有りえなかった。

 

 だから、仕方ないとカグラは言うことができた。村の人たちと言うこの世界の繋がりを全て失ってしまった。この世界に残せたことは何もなく、『ゼクト』という英雄を作り上げたことだけがカグラが残した事だ。

 

 だけどそれでもと、カグラは思う。自分の名をゼクトへと伝えることができた。この世界で生きていくためにつけた、この世界で『カグラ』が生きた証であるその名前を。

 

 

大好きなガトウさんから貰った、その名前で生きているのなら、私はそれでいい。

 

 

――

 

 リライトと呼ばれた呪文は、魔法世界の住民を本来あるべき姿へと戻すことだった。即ち無。魔法世界と言う仮初の場所で造られた繋がりは、同じように仮初の物に過ぎない。だからこそこうも容易く魔法一つで消されるものなのだ。

 初めから存在もしていない者に繋がりなど無い。元在る通りに戻すだけ、リライトとはどこまでも単純でどこまでも残酷な呪文だった。

 

「――そうじゃな。お主を殺せば、ワシが行ってきた救済は本当に殺戮へと変わるのじゃろう」

 

 創造主はわずかに口元を吊り上げる。

 手足は消え去りかけて花びらのような粒子へと変わっている。それでもゼクトが持つ『杖』は、その存在を消してはいなかった。

 

「だがワシはもう決めた。償うと、カグラの望んだ英雄に成りたいとそのために、エヴァの奴と『契約』をした! 贖罪は、自分でやる。貴様の助けは要らんよ、創造主」

 

 ゼクトの召喚したそれは、創造主の持つ『創造主の掟』とは色合いが対照的だった。地球儀と鍵を合わせたような純白の杖を中心に、確かに消滅させられたゼクトという存在は再現され始めている。

 ゼクトには二つの繋がりが在った。一つ目が魔力のパスという物理的な物。そしてエヴァンジェリンとの契約を通した精神的なもの。その証として仮契約を行い、その杖はゼクトの手元に存在していた。

 

「それに――その世界には本当のエヴァもカグラも居ないのじゃろう?」

 

 そんな世界は御免だ、と。ゼクトはそう笑って杖を、アーティファクトである『被造物の誓』を突き付ける。

 魔法世界で作り上げた、人形がその糸を引きちぎったという証であるそのアーティファクトは、ゼクトの覚悟や意思を表している。創造主と対面し、意志を固めるまで発現しなかったそれは、エヴァンジェリンとの繋がりとなってその場所にゼクトを留めていた。

 

『ああそうか。これがあの娘が言っていたことか』

 

 絶対を捻じ曲げるその根源こそが意志だ。そしてその意志と繋がりによって、ゼクトはリライトと言う絶対的な消滅の運命から脱出し、そこに存在している。

何かを成そうと、後ろを向かず前の身を見続ける人が持つそれこそが英雄の素質であり証だった。

 そして創造主は笑う、自分が造りだした世界に、自分が手のくわえた人形がそうした『人間』としての強さを抱いてそこにいることに、喜びさえも感じていた。

 

『ならばまだこの世界には待つ価値がある。解を私が求めるのはまだ早いという事か』

 

 退場するにしても方法がある。そう口元で笑みを作った創造主は、先ほどと同じように大量の魔方陣と魔法を作り出した。

 

「ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイト! イグドラシルの恩寵を以て来たれ貫くもの!」

 

 ゼクトには創造主が何を言っているのか理解することはできない。ただ自分が成すべきことは、自分が行える最大級の攻撃を行うという事だけだった。

先ほどまでの絶望的な状態ではない、だからこそ悠長に詠唱をすることもでき、その手に障壁を貫く術式兵装を用意することもできた。

 対して創造主もまた――ゼクトの攻撃を止めるつもりは無かったのだ。自身が認めた英雄が、何処まで解を求めることができるのかを知りたくなったからだ。

 

『ならば貴様は求めるがいい、『ゼクト』よ。全てを成す解など無い。それでもなお、不可能を求め歩き続けるがいい』

 

「 轟き渡る雷の神槍! 」

 

 ゼクトの作り上げた術式兵装は真っ直ぐに創造主へと向かい、遮る魔法やその障壁を破壊し、彼女の身体を貫いた。

 

――

 

 カグラが意識を取り戻したとき、大地に倒れ伏せている自分と身体中の痛みから小さく顔を歪め、そしてゼクトが事を成したと気が付いた。自分の中に居た創造主と言う存在は確かに小さなものに成っている。それが自分の生命力と比例しているようで、それでも自分が死ななければ『彼女』を止めることはできないのだろうな、とぼんやりと思った。

 足音が聞こえ頭だけ其方を向けば、ボロボロになりながらもしっかりとした足取りでゼクトが向かってきていた。無茶させちゃったな、と一人呟きながらも見下ろすゼクトと視線を交わす。

 

「……そっか。ゼクトは倒せたんだね、彼女を」

 

「まだマスタ……、いや、創造主はお主の中に居るのか?」

 

 ゼクトはカグラへと問いかける。カグラは殺さなければならない、自分の問いが意味のないことを理解していても、ゼクトはそう尋ねずにはいられなかった。

 

「……うん。やっぱりこの躰がちゃんと死なないと、居なくなれないみたい」

 

「そう、か」

 

 なぜゼクトがカグラの言っていた『ゼクトと言う英雄』に成りたかったのか。

 自分はフィリウスで在ったときから、カグラという存在に憧れていたのだ。偉大な魔法使いの様に人々を助けて周り、ゼクトへと笑みを見せる彼女を。

 

 カグラは何かを探るように懐へと手を入れ、一枚のカードを取り出した。仮契約のカード、その主もおらず持ち主も消えたそれには、持ち主の生存を表す魔方陣は描かれてはいなかった。

 召喚、とカグラが呟くと、そのカードは一振りの大剣へと姿を変えていた。ハマノツルギ、カグラの身体の元々の持ち主が使っていた、創造主への抗体として造られた剣。その剣で創造主を斬るからこそ、長い時間彼女を無力化することができる。

それを成してもらうために、震える手でゼクトへとそれを差し出した。

 

「……ねぇゼクト。一つだけお願いしてもいいかな?」

 

「今更一つも何も無かろう。お主の言う事なら聞くつもりじゃよ」

 

 ゼクトは受け取ったハマノツルギを握りしめ、震える声でそう答える。其処に在る表情は変わってはいなかった。

 居なくなる、消える、死ぬ。そのことの意味をゼクトは理解している。今からやらなければならないことの意味を、大切な誰かを殺すと言う意味の十分に理解していた。

 悲しいのか、それはゼクトには分からない。だが喪失感は確かに抱いていた。彼に泣く為の機能は無く、行き場のない感情が震えとなって身体に現れている。

 

「ずっと、ずっと先の明日の話だけど、私に凄く似ている女の子が泣くと思う。だから、『私』をまた、一人にしないであげて」

 

「……確約は出来ぬが、やるだけはやってみよう」

 

 ゼクトはカグラの事を知らない。どうして創造主の器となったのか、それまでにどうやって生きてきたのか、なぜそのような願いを言うのか、何も知らなかった。

 だからこそ人形の様に、その願いに対して確約するなどと無責任なことはしなかった。

 

「そっか。それならもう、いいかな。なんか疲れてるし、眠いし」

 

 カグラはどこか満足そうにそう言って目を瞑る。自分がこの世界に来てしまって、『赤毛の少年』や『千の魔法の魔法使い』のように何かを変えることはできなかった。

 それでもこの先の未来で、『カグラ』が生まれないようにするための約束はゼクトとできた。自分が目の前で見ていたにもかかわらず、消えて行ってしまった『■■■』――『アスナ』という少女を生み出さないようにできるのなら、カグラはこの世界に来た意味はあったと思う。

 

「……わかった、おやすみなさい、カグラ」

 

「うん、おやすみ」

 

 その言葉を聞いたのが、カグラの最期だった。ゼクトが持つハマノツルギは、カグラの胸へと突き立てられた。

 

――

 

決着は、既についていた。エヴァンジェリンがそうしてゼクトの元へと走っていることに意味は無い。カグラとゼクトの物語に彼ら以外の役者など不要だったのだから。

 だからこそ、カグラをこの世界に連れてきたネージュは動こうとはしなかった。カグラが選んだ結末がそれである以上、これ以上の干渉は無粋であると考えていたからだ。

 

「ゼクト!」

 

 エヴァンジェリンは駆ける。そして彼女に入ってきたのは、ゼクトが剣をカグラの胸へと突き刺している光景だった。

 声を掛けられたゼクトは動こうとはしなかった。カグラを殺したのが自分であると、それを焼き付けるように死んでいく姿を見ている。やがて彼女から剣を引き抜くと、ゆらりと幽鬼のようにエヴァンジェリンへと向き直った。

 

「……なんだ、それは」

 

 ゼクトは泣いていなかった。彼にその機能が無いことを知らなかったエヴァンジェリンは、理不尽な光景を作り出していることに怒り、涙する。

 

「~~~どけ!」

 

 エヴァンジェリンの掌から淡い魔力光が漏れる。そして胸から血を流し倒れるカグラへとそれを押し付けるように魔力を介抱した。

それは治療の魔法だった。膨大な魔力とエヴァンジェリンの魔法はカグラの身体を癒し、傷を塞いでいく。

 それを止める者は誰も居なかった。ゼクトも、ネージュも、チャチャゼロでさえも、カグラという身体にはもう誰も宿っていない事を理解していたのだから。

 

「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな! こんな、結末を認めてたまるかぁ!」

 

 ゼクトがどんな思いでカグラを殺したのかなんて分からない。だけど殺さなければならないなんて、そんな使命のせいでゼクトはまた何かを背負わなければならない。

 そんな不条理が有るものか、それに対して仕方ないと言って認めてたまるか。

 

 エヴァンジェリンの姿は無様であると言えるだろう。カグラの魂はそこにはない。なのに彼女が死んだという事実を認めず、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら治療を続けている。

泣かない誰かのために、全てを抱えて死んでいったカグラのために泣いているのではない。不条理が認められなくて泣いているのだ。

 

 やがてカグラの身体が修復され、傷が全て無くなった。だがその日、再び彼女が目を覚ますことは無かった。

 



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12/取り上げられた日記帳

同日に7/から投稿しています。


『18×△年

 

 ゼクトと喧嘩した結果www→なんかアイツの事情の蚊帳のその外に居たような気がする。正直アイツが何者で戦っていた女性が何者なのかも分からずじまいだった。……アイツの表情を見てればどれだけ大切な奴であったかも分かる。わざわざくっそ危険な王家の墓に行ってまで遺体を置いてきたのだから。

 まるで意味が分からんぞ。ただ単に私としては旅の道連れが居なくなるのがつまらんと思っただけなのだが……。なんかチャチャゼロがニヤニヤしている。イラツクからちょっと蹴って来よう。日記はまた後だ。』

 

『18■■年

 

 結局別れることは変わらなかった。が、まあいいだろう。どうせあのバカのことだから、その辺で私に泣きついてくるに決まっている。思う存分にNDK?しなけらばならんなww。

 だが私が―――――』

 

 

 

 

『ほらもういいだろうネギ先生、キサマもさっさとそれを返せ』

 

 

――

 

 

「奴との別れは既に済ませてあった。もうこの世界に私は不要だろう?」

 

 戦いが終わりカグラが逝ったのを見届けたネージュは、最期にカグラへと会って行かないのかとチャチャゼロに尋ねられた時、そう答えた。

 ゼクトへと駆け寄ったエヴァンジェリンはその場所にはいない、その従者であるチャチャゼロとネージュだけがその場所に居る。だからこそチャチャゼロはネージュへと尋ねたのだ。

 

「本当に連れていきたい奴は勝手に消えて、残ったカグラも今此処で逝った。ならば本来有りえるはずの無かった干渉もここまでだ」

 

 ネージュは、九十九から零れ落ちた少女を救いたかった。誰からも忘れられ、自分の居場所さえも奪われた少女の居場所に成ろうと、手を伸ばしたはずだった。

 だがその少女は手を取ることを拒絶し、カグラという少女だけがそこに残った。そしてそのカグラさえも、創造主の存在から自身の死を覚悟しなければならなかった。ネージュにはどうすることもできず、ただ傍観するだけだった。既にカグラが人として歩み始め、覚悟を決めていたからこそ、不死者である自分が干渉する理由は消えて居たのだ。

 

「ケケケケ、イインジャネーノ? 今度ソノ面見セタラ、今度コソソノ首ヲ刈リ取ッテヤルゼ?」

 

 チャチャゼロは自分でも自分が思慮深くない事を知っている。尋ねた理由の一つとして、ネージュが魔である以上刈り取りたいという欲求も本当の物である。

 そんなチャチャゼロをネージュは苦笑する。ほんの少し何かが変わるだけで、世界はこうも姿を変えるのかと、まだ幾つもの世界を回っていない彼女はそう思う。

 

「糞人形め、私の持っているものの数倍酷いなキサマは」

 

「マァナ――精々適当ニ生キテロ、吸血鬼」

 

「そうさせてもらうさ、この世界の私の従者よ」

 

 かち、という時を刻んだ音が辺りに響き渡る。

 渡界機と呼ばれるマジックアイテムの発動音であり、風が吹いて一瞬砂埃が起こったと思えば、ネージュの姿はこの世界から既に消え去っていた。

 

――

 

 ゼクトがカグラの眠る場所として定めたのは、オスティアにある墓守人の宮殿だった。カグラと言う少女はその王家の血を引く者であり、たとえ正式に名を明かすことのできない人物だったとしても、静かに眠れるのはそこだけだと考えていた。

 そこに居た住人はたった一人である。墓守の人の宮殿に居を構えている守り人のアマテルは、創造主の使徒がカグラを背負ってきたことに驚き、同時に納得していた。

 カグラは、あの人間は結局成して創造主を止めることができたのだと。そして次善解とも言える創造主の計画が止められたことにを嬉しくとも残念に思う。

 問題を先延ばしにしただけの事だった。将来魔法世界が崩壊することは避けられない、そのときどうするのかとアマテルはゼクトへと問うた。

 

『先の事はワシには分からん。じゃが、最善を探すことを決めた以上、何も言えることは無い』

 

 カグラの――別の世界で黄昏の姫巫女と呼ばれた少女の遺体をアマテルに差し出してゼクトは言った。その表情には嘗てアマテルが何度も見た、求道者としての覚悟が見えている。

 ならばアマテルがすることは変わらない。眠る創造主の代わりに世界を見定め判断するだけの話だ。

 そしてカグラは墓守人の宮殿の墓標で眠る。死後の事をゼクトは知らない。魔法世界の神とも言える存在が創造主である以上、名前も知らない神に祈ることもしなかった。

 だが守り人であるアマテルの元で見守られているのなら、カグラという魂は確かに安息のうちにいるのではないかと、そう考えていた。

 

 

「――ゼクト、お前は私の事を勘違いしている」

 

 

 墓守人の宮殿の最奥へとアマテルは訪れており、誰に言う訳でもなくそう呟いた。そこは黄昏の姫巫女が封印されたその場所よりも奥深くにあり、アマテル以外の誰かを近づくことは不可能な場所であった。

 

「創造主やカグラがどうであろうと、私が成すことは変わらん。ただ滅びが訪れなければ、それでいい」

 

 アマテルは創造主によってそう位置づけられた存在だった。ただアマテル個人がカグラを思ったのは、次善解以上の何かを見ることができることを期待したからだ。

 だが目の前で魔法世界にとって有益になる何かが有るのなら、アマテルはそれを取るだろう。例えば――無傷の状態の『黄昏の姫巫女』の器が手に入ったとしたのなら。

 

 

 それを破棄することなどあり得ないだろう。

 

 

「今はただ眠るがいい、名もなき黄昏の姫巫女よ。誰がその器に入るのかは知らぬが――」

 

 

 アマテルは『それ』を――『カグラと呼ばれた肉体』を封印したクリスタルを見上げ呟く。

 

 

「再び目が覚めたときどんな形で在ろうとも、この世界の救済が訪れることには変わらないだろう」

 

――

 

「これからキサマはどうするつもりだ? 私と旅を続けるのなら歓迎するぞ」

 

 墓守人の宮殿から帰ってきたゼクトの隣を歩きながら、エヴァンジェリンはそんな質問をする。

 ゼクトとの旅は彼が記憶を取り戻すまでと考えていた。ただ彼に一緒に旅をしたいと大きな声で言ったという理由と、エヴァンジェリン自身もまた旅をできればいいとは思っていたのだ。

 

「いいや、やめておこう」

 

 だがゼクトは首を振る。少しの迷いや表情すらも変えずに言われたことに、少しだけむっとしたがそのままエヴァンジェリンは言葉を続けた。

 

「あー、遠慮はしなくてもいいぞ? 私には結局何が何だか分からなかったけれど……キサマが何かをしなければならないことは分かる」

 

 今回起こった出来事に、エヴァンジェリンは蚊帳の外だった。チャチャゼロはネージュと言葉を交わすことで何が起きていたのかを察し、ゼクトは渦中の人物だったと言える。

 世界の命運を分けていたことも、カグラがどんな役目で何故死ななければならなかったのかも知らない。だからこそ単純に、ゼクトの知人が死ななければならないことに泣いていたのだ。

 

「それは、私と旅をしながらでもできない、探すことのできない事なのか?」

 

「……そうじゃな。それにこれは、ワシが解決せねばならぬことじゃ」

 

 だがエヴァンジェリンが想像している以上に、事は大きな話だった。創造主やアマテル、そしてカグラから求められたことは、文字通り英雄の所業なのだから。

 だがゼクトはエヴァンジェリンがその話の中でついて行けなくなることを危惧しているのではない。

 

「おぬしは人に戻るのじゃろう、エヴァよ。ならば、人から外れた領域の話へと入り込べきではないわ」

 

 彼女は、人に成るために今まで生きてきた。英雄とは人間からの昇華だ。ベクトルは違えども化け物へと変わることと意味は近い。ならばその事実はエヴァンジェリンの足かせになるだろう。

 

「……だけど」

 

 エヴァンジェリンは小さく呟く。また一人になる、ということの寂しさから、後ろ髪をひかれる思いで言葉が零れていた。

 ゼクトはそんなエヴァンジェリンが外見相応の表情を見せたことに苦笑する。旅をしてきた中でよく子供のような表情を見せていたことは覚えているし、その時の自分も正に子どもと同等だった。

 だが一つ、ゼクトは知っていることはある。懐に手を入れ、ソレが有る感触を確かめた後にエヴァンジェリンへと言った。

 

「それに、お主との繋がりはこれで終わりではないじゃろう?」

 

 連絡を取る手段ならある、と仮契約のカードを見せてゼクトは言う。そこに描かれているのは白い鍵のような杖を構え、微笑を見せているゼクトの姿だ。そしてその背後にある魔方陣が、持ち主とその主が生きていることを表している。

 エヴァンジェリンにとってもそれは今世の別れではない。ササムやセランと別れた時とは違う、また会えるという確信の元での別れだった。

 

「そうだ、な。ゼクト、私が見ていないところで絶対にのたれ死んでくれるなよ?」

 

 エヴァンジェリンは不敵な笑みを見せてそう言う。対してゼクトも肩をすくめて答えた。

 

「それを確約することはできんよ。じゃが、契約を破るつもりもない」

 

 自分が事を成すまで、エヴァンジェリンと言う存在は見て生きていてくれるらしい。創造主の言った解はまだ何も見えておらず、目の前が闇であることは否定できない。

 だが、自分が歩いていることを見ている誰かが居る。それが友人であるとするのなら、足を止めずに前に進む理由になった。

 

「……キサマが死んだら、私は泣くぞ。目の前で逝こうが、勝手に逝こうが、酷い面を晒して泣くだろうさ」

 

「それならますます死ねんのう。……まぁ、カグラに言われたことも為せずに死ぬつもりは無いわ」

 

 ああそうだ、またこの少女の泣き顔を見るのはゴメンだ。酷い負債だとエヴァンジェリンの友人たちを恨みさせするほど、見ていたくは無かったのだから。

 それに、カグラに頼まれたことの意味も探さなければならない。少なくとも、ゼクトという人物はこの世界の最期まで生きることを覚悟した。

 それがゼクトの芯になってこれから生きていくのだろう。それを感じたエヴァンジェリンは、もう彼は勝手に独りで歩けると、ようやくそこで理解する。

 

「なら、いいさ。じゃあまたな、ゼクト」

 

「ではな、エヴァよ。良い旅を」

 

 またお互いに生きて再会することを確信しているからこそ、二人の別れはあっさりとしたものだった。

 ゼクトとエヴァンジェリンはそれぞれ別の方向へと行き、それから暫く二人の影が交えることは無かった。

 

――

 

「と、昔を懐かしむのは終わったのですか、エヴァ」

 

 そこは未来に少女が掴んだ日常だった。

 

「ああ。大掃除をしていた時に古いアルバムを見つけたような気分だよ。って、これはどういう状況だアル?」

 

 白いローブを纏い、実態が無い幽霊の様にふわふわと浮かんだ男へと、少女は問いかける。

 どこか雰囲気が浮ついていると言うか、ふわふわとした何かを感じる。

 

「やーエヴァちゃんて昔からみんなから着せ替えされてたんやなー」

 

「――あ゛ぁ? おいアルビレオ、おいアルビレオ!……クウネル! 人の日記を勝手に見せるとはどういうことだキサマー!!!」

 

「はっはっは、ちょっと貴方が居ない間が暇でしたのでつい」

 

「約束だったナギのことをネギに話すとかあるだろうが! ええい、ジャリどもキサマ等は何時まで笑っている!」

 

 その場所に居る少年少女たちが持っているのは、アルビレオ・イマの所有するアーティファクトだった。

 彼の友人との仮契約で得た『イノチノシヘン』は、対象とした人物の軌跡を客観的に本へと変える物だった。そのおまけとして他者へのコピーが可能になるものだった。

 だが今展開しているアーティファクトは、対象とした人物の軌跡を客観的、即ち過去に書いた日記として展開されるものだ。これにはイノチノシヘンのような追加要素は無く、完全にアルビレオの趣味を満たすためだけのものであると言えるだろう。

 

「でもいいじゃない、エヴァちゃんも昔も可愛かったって分かっただけなんだから――」

 

「神楽坂、それ以上喋ったら貴様の机の中に在るタカミチ当てのラブレターをばら撒いてやるからな」

 

 なんで知ってるのよー! と顔を真っ赤にして叫ぶ明日菜は無視をする。適当に言っただけだが案外当たっていたらしい。

 そんな騒ぎがあっても、日記の世界に夢中になっている一人の少年の元へと向かった。

 

「……たっく、見てしまった者は仕方ないが、これ以上私としても見て欲しくない。ほらもういいいだろうネギ先生、キサマもさっさと返せ」

 

「あ……と。すみませんエヴァンジェリンさん」

 

 赤毛の少年はエヴァンジェリンの姿に気が付き、読んでいた日記帳をエヴァンジェリンへと手渡した。そして彼女は振りかぶって投球体勢に入ると、八つ当たりの意味も込めてアルビレオへとぶん投げる。はっはっはと言い笑顔を見せるアルビレオを透き通って後ろに落ちたため、若干イラつくことになった。

 

「ふん、別に悪いのはアルだから謝罪など必要ではないさ。……それで、面白い内容でもあったか?」

 

「そうですね、昔から聞かされていた首刈り騎士の元が知人だったからちょっと驚きました」

 

 少年の、特に魔法世界ではアリアドネー出身の吟遊詩人などが面白おかしく広げ回ったせいで、チャチャゼロがいつの間にかなまはげ扱いされている。それはササムの珍道中が原因になるのだが、今はそれを置いておこう。

 少年もアルビレオに父親の話について焦らされている。だがそれ以上に気になることが一つだけあった。

 

「えーと、クウネルさん。一つだけ教えてください。」

 

「はい、なんでしょうかネギくん?」

 

 アルビレオは笑みを見せながら少年――ネギ・スプリングフィールドの言葉を待つ。

 ネギにとっても行方不明である自分の父の話は気になることだった。だけど目の前の父の友人は、重要なことだけを聞こうとしても話をはぐらかすだろうと予想できた。

 だからこそ、父が自分に最も身近なことを知りたいと感じ、その質問を行った。

 

「貴方のそのアーティファクトで、父さんの日記を出すことはできますか?」

 

 エヴァンジェリンとアルビレオは何とも言えないような苦い表情を作り出した。

 

 




これにて二部も終了です。読んでいただきありがとうございました。
後書きや続編のことについては活動報告に書くつもりです。


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