正道ではなく。アストレイ物語 (ファーファ)
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逸れる正道。入るは邪道

 C.E.55年。第三次世界大戦―再構築戦争終結46年後。

 誰もが戦争を嫌悪し、そして誰もがされど戦争は起こるだろうと予感するなかで始まった新暦は、不穏を孕み乍らも未だ平穏を保っていた。

 11カ国に分裂した世界は、『最後の核』の反省からか未だ大規模な衝突は起きていない。

 飢餓も、貧困も、紛争も。決してこの世から無くならなかったが、世界を薄氷のような平和が覆っていた。

 

 しかしその薄っぺらい平和には破綻が迫っている。

 正確に言うなれば破綻が顕在化し始めた。

 

 C.E.55年10月29日。

 11カ国のどこでもない、宇宙のフラスコの中の一室フェブラリウス市で。多くの人類を苦しめたS2型インフルエンザウイルスに対するワクチンが開発された。本当ならば人類は歓喜の声を上げただろう。いや確かにそれに対し喜び救われた人々は多くいた。それこそ何百万人もだ。

 だがそれ以上に何億もの人々が猜疑と怨嗟の念を零した。そして声高に叫んだのだ。

 

 彼らがワクチンを開発できたのは当然だ。何故ならばウイルスを開発したのも又彼らなのだから。見てみろ、ナチュラルだけが死に。コーディネーターだけはこの病では死なぬ。これが動かぬ証拠ではないか!

 

 

 今や元々燻っていた反感が野火の如く世論に広がる様相を見せている。

 C,E15年のジョージグレン氏の告白以来続く遺伝子論争。それが倫理論争の枠組みを飛び越えようとしているのだ。ナチュラルとコーディネーター。この今まで存在しなかった垣根を両者が明確に認識し始めた今。遺伝子問題は人種問題へと発展する兆しを見せていた。

 

 

 

 物語はそんな不穏な時代から始まる。

 舞台は混迷の世界の中比較的平穏を保つ島国。

 主役はそこを統治する一族の者の一人。

 悲劇か喜劇かは未だ分からず。分かることは最高の劇には激動が求められていることだけだ。

 

 

 

 

 

 

 島国の一室。広々とした部屋の中で一人の少年が黙々と、この時代には珍しい新聞を読んでいた。そんな時代遅れの新聞の一面には、大きな活字と共に昨日の事件をセンセーショナルに書きたてている。

 

『「遂に加盟国間の全てにおいて子に対する遺伝子調整が禁止に」

 正式名称「遺伝子改変禁止に関する協定」通称トリノ議定書が採択され各国の法整備が進んでいた中、先日大西洋連邦最高議会が禁止法案を成立させたことで、加盟国の全てにおいて子に対する遺伝子操作が違法化された。

 これにより非加盟国やプラントの一部を除いて全世界で遺伝子操作が禁止される形になる。人権配慮を理由に議論が紛糾していた大西洋連邦議会が同法案を通過させた背景には、昨今のコーディネーターに対する世論の硬直化が理由として挙げられている。

 しかしながら最高議会議長E、ターナー氏は議会の中で『これは未だ謎が多い遺伝子操作分野が、安易に人々に施されないことを目的にする議決であり、既に今社会で生きる彼ら、通称コーディネーターを迫害する目的ではない。これは国連協定も又同様に同じである』と述べ、同疑惑を否定した。だがこれからの彼らコーディネーターに対する……』

 

 以降も読者の興味がそそられる様な文面が続いている。

 少年は途中から嫌気が刺したのか、溜息を一つ漏らすと眼の前のテーブルに新聞をぽいと投げた。

 うーんと伸びをしていると部屋に一つしかない扉が開けられる。

 すると一人の女性、二十代のスーツ姿の出で立ちをする人物が入ってきた。

 金髪碧眼の、この国には珍しい典型的なゲルマン系の特徴を擁している人物であった。背も高く、隙の無い顔つきは切れ者を思わせる。

 そんな彼女は投げられた新聞を見ると眉を潜める。

 

「また態々紙媒体でお読みになっているのですか。いい加減タブレットを使ったらどうです。片付けるのも又、面倒なのですよ?」

 

 呆れ乍ら少年が放った新聞を見やる。神経質な性格なのだろう。細い眉がすぐさま顰められた。

 それに苦笑いしながら少年は返した。

 

「タブレットじゃあ読んだ気がしないのさ。活字だとダイレクトに頭の中に入ってくる気がする」

「人が宇宙に行っている時代に西暦の老人の様なことは言わないでいただきたいです」

「宇宙に行ったって人の心理は変わらない」

 

 悪びれずに言い切られると、女性は先程の少年の様に溜息を零した。

 そんな彼女を他所に彼は入室してきた理由を尋ねる。女性も気を取り直し、顔を強張らせ、そして興奮に幾分か顔を紅潮させて報告した。

 

「研究所関連の株は粗方売り切りました。原価の100倍時点での売りですから、当然つぎ込んだ資産も同様に」

 

 脇に持っていた資料は、フェブラリウス関連の株が捌けおわったことを示していた。

 記されている数字は太平洋連邦が旧世より使っている単位で50万$。今は亡き東洋の島国の通貨に無理矢理均すなら5000億相当。一介の児童が抱える額とすれば破格だ。

 そんな天文学的数字を知らされた本人は驚くわけではなく、安堵の息を漏らした。

 

「これでまだ事業が続けられる…」

「驚愕するでもなく自身の道楽の心配ですか。少しは驚いたらどうです」

「残念ながらこれより一桁大きい数を父から帳簿上とはいえ見せられてるからね。今更さ。それにあれは道楽じゃない。いつかあれがこの国のヒーローになる」

「光の巨人になって守ってくれるとでも?」

「そこまで有能にはなれない。まあ僕の頼りになる秘書ぐらいには役立つね」

 

 ちらりと彼が女性に視線を流してみれば、興味なさげに返される。事実大して興味がないのであろう。報告が終わると別の案件をすぐさま持ち出す。

 

「報告は以上です。後、そろそろお時間かと」

「うんっと、確かに」

 

 ポケットから端末を取り出し彼も確認した。女性にとっては非常に不思議なことに、この少年は時々古風な趣味を持ち出す癖にこうやって先進機器を取り扱ったりもする。更にそれが興じてあの訳の分からない事業に投資もしているのだから、二枚舌と評するに他ない。

 まあ嘘つきというよりも、古風な趣味はただの格好つけだろう。事実密かに新聞を読む自身の姿を鏡で確認しているのを彼女は眼にしたことがある。

 

「それじゃあ行くかな」

「お気をつけて」

 

 少年は立ち上がると部屋を出ていこうとする。

 そんな主人に軽く礼をすると、彼が散らかした新聞を手に取ろうとし、彼女は思わず手が止まった。紙面に躍る文字が眼に入ったのだ。

 

「気になる?」

 

 年齢に見合わない目ざとさを持って、いつの間にか立ち止まっていた少年が語り掛けてきていた。

 

「自分にも関係があることですので。興味が無いかと言われれば嘘になりますよ」

「……無粋な質問だった」

「いえ、ですがこれからどうなるのでしょうね?」

 

 何気なく聞いた。十代前半の児童に尋ねる内容ではない。だが長いとは言えないがそれなりの期間付き合ってきて、少年がそれに答える能力が有ることも、悪意を込めようとする偏見が無いことも理解していた彼女は聞いた。

 

「間違いなく荒れる。30年代の寛容論なんて今やどこ吹く風だ。人権保護を謳う大西洋連邦さえ規制に踏み出した。一歩踏み出してしまえば後は直ぐだ。転がるようにコーディネーターは西暦における太平洋の黄色人種か、南アフリカの黒人になるだろう」

 

 苦みばしった顔で少年は断言した。希望で慰めず予測される現実を突きつける。

 予言は厳しい物で、そして正しい物だろう。彼女もその未来がありありと見える。

 そんな暗い未来を語る中でも少年の瞳は輝いていた。その眼でじっと女性を見つめる。今度は彼女も見返した。視線が交錯する中、先程よりも強い口調で彼はまた断言する。

 

「それでもここは違う。ここは最後まで何者も受け入れる。ナチュラルもコーディネーターも。穏健派も過激派も。排斥主義者も博愛主義者も。ここではその人が『オーブ』と名乗る限り受け入れられる」

「本当に?」

 

 輝かしい思想を前にしながらも、女性は安心することなく問いかける。眩い思想。それが唯の少年が造りだした砂糖細工なのではないかと投げかける。

 

「この島は箱庭だ。思想信条人種で中の住人が争える程広くない。箱庭の管理者の一員としては、そんなことで箱庭が荒らされるなんて容認できないさ。それこそ欲と責任に塗れた大人達なら尚更だ。だから安心して信じてほしい。僕らの利己心と、要らぬ責任を持ちたがる虚栄心をね。セシリア」

 

 にやりとした笑い。

 最後の最後に茶目っ気さを含ました回答をする彼に、セシリアは不安を籠めて息を吐いた。

 嬉しさに頬がこぼれない様に気を付けて。

 

 

 

 

 

 

 

 日暮れ。オノゴロ島の山々に夕陽が吸い込まれようとする中、一棟の建物の前に少年はいた。

 この建物は中心街からは随分と離れた場所にある。設備と広さの確保を最優先にした結果、地価が安い離れに落ち着いたのだ。

 そんな場所に居る彼の姿は、くたくたで疲れからか片眉が下がっている。背中に漂う哀愁に、世の勤め人が見ればきっと自身を重ねてしまうだろう。

 

「若年だからと夕方には解放されるけど、きついものはきついなあ」

 

 呟きながらビル入り口に立つと懐からカードキーを取り出す。

 ここは普通と違い自動ドアではない。彼が横の端末にカードを通して漸く訪問者を迎えるようにドアがスライドする。

 開かれると一本の廊下が伸びており、奥に、ぽつりとエレベーターが配置されている。

 わが物顔で進む少年。それも当然の話だろう。ここの家賃は全て彼の懐から出ているのだから。

 一族の金はここには1$たりとも使われていない。他国から専制政治染みていると批判されるこの国でも、一介の少年の『道楽』に税金が注ぎ込まれない程度にはコンプライアンスは守られていた。

 

 鳴れた様子でエレベーターに乗り目的の階へ。先は彼の雇われ人達の元。

 到着を知らせる音と共にドアが開かれると、漸く人の喧騒が彼の耳に入る。

 建物の一階半分ほどでその部屋は構成されており、百人を超える人がそこで忙しなく動いている。

 部屋にはオフィスには普通のパソコンと机もあるが、何やら一般人には見慣れない工作機械も置かれている。オフィスと町工場を合体させたかのような混沌さがそこにあった。

 

 エレベーターから少年が入ると彼を眼にした人物たちは軽く一礼する。

 が多くの人物たちはそうするだけで仕事の手を休めようとしない。そんな彼らを掻き分けるように奥から一人の人物が出てくる。

 三十代の女性だ。容姿は、悪くないかもしれない。というのは黄ばんだ白衣に、ぼさぼさの無造作な髪と、凡そ身だしなみに気が使われておらず、更には軽く汗臭ささえ放っている。

 そんな状態でさせ、見る人の中には可愛いとさえ思う人がでてくる外見なのだから、元の容姿が良いことを周りに思わせた。

 

 

「どうです!? 金は! 金は確保できましたか!」

 

 挨拶もせずあまりといえばあまりの発言を女性はする。それを少年は苦笑して受け入れた。

 ぐっと親指を挙げて肯定すれば先程までの緊迫した顔はどこへやら、彼女は狂ったように喜ぶ。

 

「やった! これでまだ続けられるんだ! 万歳! フェブラリウス市様万々歳だ!」

 

 聞く者が聞けばただで済まない発言をオフィス内で高らかに叫ぶ。能力があればある程度のことには眼をつむられるのがオーブの国風であるが、ここまで突き抜けている人物は珍しい。

 これでは幾ら能力があっても他国ではまともに生きていけるか怪しいくらいだ。

 

 叫び声が収まった所で彼は再度話しかけた。

 

「アナイス。これで『彼』は地上に立てるかな?」

 

 彼の声が耳に届くと呼ばれた女性、アナイスは落ち着きを取り戻しにんまりと笑った。

 少年を促し奥へと導く。行く先は彼女のデスクだ。

 

 彼女の机は恐ろしい程散らかっていた。書類の上にはパン屑がこぼれていたり、終いには何らかの液体が机にこびり付いてさえいた。しかしそんな中で一部の分厚い資料だけは、まるで神の供物の様に丁寧に隔離されて置かれていた。

 机にたどり着くと、顔を真っ赤に上気させて彼女は言う。

 資料を手に取り、うっとりとそれに頬ずりをしながらだ。

 

「ええ、ええ! できましたとも。彼は漸く産声を上げようとしています。生まれてからよちよち歩きで、物も掴めなかった彼が、漸く立ち上がろうとしているんです。ああ! 子を持つ気持ちとはこんなかんじなのでしょうか。それでしたらそれのなんと神聖なことか! しかし可愛らしい彼も随分と手を焼かされました。脚部、関節、マニピュレーター。その部品のどれもが、まるで一つの作品の如く労力を必要としました具体的には……」

 

 また朗々と喋りに入ろうとした彼女を彼は手で制す。

 

「分かった。理解したよ、アナイス。その調子でやって貰いたい。金なら幾らでもとは言えないけど、できるだけ工面する」

 

 その言葉に再び彼女は世界へと帰ってきた。彼女にしては幾分かお早いお帰りである。

 いつもの様に思考に耽るよりも、長年我慢していた問をしたかったのだ。もじもじしながら彼の顔を覗ってきた。

 

「それは、その。実に嬉しいです。でも、前々からちょっと聞きたいことがありまして。そのですね。どうしてこんなにこの事業に力を入れるのです? 私にとっては愛しい息子ですけど、はっきり言ってですよ。かれは商業的にも軍事的にもゴミです」

 

 この問いは彼女がこの事業の立ち上げの時から聞きたかった問だ。

 彼女にとって、この事業は非常に意義がある。それこそ自身の人生を全て掛けたとしてもだ。

 それでもそれが世の中に全く必要とされていないことは、悔しいながらもまた理解していた。ここにたどり着くまでに、色々な会社に彼女なりの誠意を籠めて頭を下げ、そして無下にされてきた経験から。

 そんな計画が彼に拾われた時には、上手く金持ちの道楽を利用できたと悪く笑ったものだ。

 

 しかしこの事業に彼が資金を供給し続け、その額が100万$を越え、1000万$を越え始めると彼女の悪い顔も青ざめた。道楽などではない。彼は本気で、本腰でこの事業を成功させようとしているのだと分かった。

 

 彼女にとって上手く行き過ぎた事態を前にし喜ぶよりも先に、何故という疑問が浮かび上がった。

 何を考えて彼はこの事業に投資しようとしているのか。

 それをずっと理解できなかったことが喉に刺さる小骨の様に彼女を悩ませた。

 わからなければ、この幸福のような現実が夢幻と化して消えてしまう。そのような不安を覚えたのだ。

 

 

 そんな漸く聞けた長年の問いに、少年は笑った。

 自信を籠めて、何の疑いも無く力強く。

 

「いや、彼は役に立つ。絶対に。こんなずるの様な。それこそ物語における邪道のような方法で生み出された彼でも将来はきっとこの国の希望になれる」

「それはどういう意味、です?」

 

 彼女の疑問に答えず少年はデスクの向こう側の、ガラス張りとなっている壁に近づく。この建物はこの階以外は全て吹き抜けになっており、下は巨大な空間を形成している。このガラスからはそんな下の階が覗き見えるのだ。

 

 その巨大な空間の中、一体の巨人が横たわっていた。

 『彼』は未だ眠っている。胴体には足も手も繋がれていなかった。

 近く遠い未来、施される装甲も武装もそこにはない。だが無造作に掛けられる保護シートの間から見える彼の顔は、遠き日の未来と同じ姿をしていた。

 

 手をガラスに貼り付け、彼は言う。

 

「彼の名は、『アストレイ』にしよう」

「アストレイ?……邪道ですか? なんでそんな名前に」

 

 もう彼女の声は彼に聞こえない。じっと少年は巨人を見つめ続ける。

 本来まだここにはいないはずの彼を眺め続ける。薄い紫の髪の隙間から見える瞳を開きながら、少年は呟いた。

 

「君も僕もここでは邪道だ。本道の道からはとっくに外れてしまった。それでもだ。正道では僕も君も国を守れない。守れなかった。それなら邪道を進むしかない。そうだろう、アストレイ?」

 

 そう少年、ユウナ・ロマ・セイランは独白した。

 

 

 

 




彼はちょっとヘタレで、ナルシストで、調子乗りなだけだったんです。


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ユウナという男

「ああっぁあ!」

 

 二度目の彼の生は絶叫から始まった。

 

 空から降り注いだ鋼鉄に自身の身体が押し潰され、切り刻まれた感覚。骨が潰れ、頭蓋が砕ける音を想起し発狂してしまったのだ。その時、何故こうして叫び声をあげることができているのか、どうして眼に入る自身の指が子供の様に小さいのかには考えも及ばなかった。

 家の従者が異変に気付き彼を取り押さえ、駆けつけた医者が、全力で跳ね回る彼の小さな身体に鎮静剤を打ち込むまで、ユウナは地獄の幻覚に苦しんだ。

 

 そして次に目覚めると、今度は自身の正気を疑った。

 あの状況ではほぼ確実に死んだはずの自分。それが全くの無傷で更には幼少のころに戻っている。目覚めた場所もかつての邸宅で、彼を危ぶんで駆けつけた両親も随分と若々しい。

 周りの状況は、SFや物語にあるように在りし日の昔に戻っていた。

 

 そんな奇跡のような事態を前にして少年がしたことは、自身のベッドに潜りこむことだった。

 実は自分は植物状態で、これは自分が都合よく見ている夢ではないのか。考えが脳裏をよぎった。ユウナは恐ろしい想像に背筋が凍る。身を震わせ、広いベットの中で震え続けた。

 

「僕は悪くないっ。僕は悪くない……僕は悪くない!」

 

 また彼の心を蝕んだのは恐怖だけではなかった。

 目覚める前の直前の記憶が彼を苛んだ。ジブリールに屈してしまった自分。前例を踏襲すれば戦争は避けられると思考停止してしまった自身。雲霞の如く押し寄せる大軍に自軍を成す術もなく呑みこまれる無能な己。

 

 そしてなにより、自身を蔑む周囲の視線!

 

 自尊心はずたずただった。夢遊病の如く弁明の言葉を呟き、子供の様に泣きじゃくる。

 そこに謝罪の言葉は無かった。

 これがただの夢であったならば、早く終わってくれと願った。

 

 だが彼の願いは虚しくも届かず一日がたち、一週間が過ぎ。彼が目覚めてから一か月が経過した。その頃になると周囲は彼の病気を疑い医者に見せようとしていたのだが、当の少年は頑なにベッドに籠城して出てこなかった。

 

 それでも変化はあった。

 

 覚めない夢を漸く彼は現実の物と理解するようになった。

 震える両手を見つめ、自身をかき抱き、嗚咽の声を漏らした。

 神か悪魔か分からぬが、何者かは彼にやり直しの機会を与えたのだ。

 

 そう認識した彼は力が上手く入らない足を床に降ろし、徐に寝室のドアへと向かった。

 漸く出てきた少年に、従者達は胸を撫で下ろした。そしてすぐさま彼を医者へと連れて行く。

 出される食事を真面目にとっていないせいで細くやつれたユウナは、自身に何があったのか尋ねる医者に向かって、病状を応えずこう言った。

 

「この国を出たい」

 

 誰が与えたかも知らない機会を、彼は逃亡へと使った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 執務室で、少年と秘書は紅茶のひと時を楽しむ。

 

「うん。やっぱり紅茶はダージリンに限る。そうは思わないかい? セシリア」

「そうは思いません。ダージリンの特徴はその特有の香りと風味。ですがそれはC,E初頭に遺伝子工学で誕生した『ダージリラント』には適いません。それは科学成分調査においても、評論家の評においても一致する所です」

 

 秘書の否定にユウナはち、ち、ち、と指を振りながら講釈を垂れる。

 

「ダージリラントも確かに良い。あの湯気に乗る芳醇な香りと、舌を楽しませる風味はダージリン以上ではある。そこは認めるけどね」

 

 手に持つカップを徐に上げる。

 旧世紀から好まれて使用される、ウエッジウッドのカップは陽光に照らされ美しく輝く。

 

「作り手の意思が見えない。見てごらん。人類は宇宙すらも生存圏とするノアの箱舟を造る技術を手に入れたが、人を感動させる美術品は、未だ人自身の手を直接使わなければ作れない。このカップはその証拠さ。所詮は工場生産。ダージリンの人の血が通った味には勝てない」

「証拠と称して非論理性の塊を出されましても困ります」

 

 無情な両断に少年は肩を竦めると、又顔を顰められているのも無視しして新聞を片手に取り眺める。そこには昨日に続いてコーディネイター問題がでかでかと載せられている。

 このところはどの新聞社もずっとこうだ。

 

「やっぱりだ。我らが首長はちゃんと分かってる」

 

 はい、と彼女に新聞を手渡す。迷惑そうにしながらもセシリアはしっかりと受け取った。

 渡された一面には昨日の太平洋連邦議会の法案可決を受け、オーブ首長ウズミ・ナラ・アスハが公式にコメントした内容が載せられていた。新聞社はオーブ地方紙ではなく、英語圏では一流紙と評されるものだ。

 

『「割れる対策。非加盟国オーブは規制案を否定」

 先日遂に議定書加盟国全てにおいて、子に対する遺伝子操作の禁止が敷かれたが、早くもその体制の有効性が疑われだした。非加盟国オーブが禁止法案に明確に反対の意を示したのだ。

 昨日深夜オーブ首長国連邦首長ウズミ・ナラ・アスハ代表が異例の記者会見を開き、強い口調で断じたのは以下のとおりである。

 

『我が国はいかなる国家、人種に対して中立であり続ける。出生時に遺伝子操作を受けた人々、世間で言われるコーディネーター達が我が国の国民の生命を害したという明確な証拠が無い限り、首長国政府は如何なる対策も行うつもりがない。又例えそのような証拠があったとしても、我々が行うことは飽くまで国民の保護で在って、コーディネーターと称される者達との敵対ではない』

 

 これにより非加盟国に対し、禁止を要請していこうとする加盟国政府等の目論見は頓挫する見込みとなった。各国政府が禁止したのは、飽くまで自国内における子に対する遺伝子操作の禁止のみである。そのため未だ他国においてコーディネイターとして新生児を生むことや、その子が加盟国の国籍を取得することは禁止されていない。

 各国の対策が注目されることになるだろう』

 

「ね? 安心しただろ?」

 

 ほっ、と安堵してしまった彼女をユウナは茶化す。すると又もや顔をむすっとさせてセシリアは少年を睨んだ。それでもおかしそうに笑う主人に諦めた彼女は、素直に疑問をぶつけることにする。

 

「それにしても随分と早い。大国とはいえ他国の法案にすぐさま意見を述べるなんて普通はやりませんよ。まさか貴方の差し金ではないでしょうね」

 

 それに思わせぶりな顔が返ってくるが、すぐさま崩される。手をひらひらさせながらのコメントとしては。

 

「そうだ、と言いたいけどそんなわけないだろ。五大氏族の血縁とはいえ、成人していない子供が口を出せるはずがない。あれは完全にウズミ様の独断だ。オーブの獅子とは良くいった物だよ。すぐさま飛び掛かった」

「分かりませんよ。なんせ貴方は巷では迷惑も考えない『ビッ…」

「そのあだ名は辞めてくれ。僕とは無縁のあだ名だ」

 

 心底嫌そうな表情を少年から引き出すことに成功したセシリアは、満足そうに鼻を鳴らした。

 ユウナは基本何時も余裕そうな表情をしているが、この名前を呼ばれるときは毎回その表情を崩す。まあそれだけではなく、大体余裕がなくなると狼狽をするのだが。

 兎も角主人の負け面をみれたので、彼女は勘弁してやることにする。

 

「まあ首長の発言もそう非常識な物でもないですか。オーブにおいてもコーディネイターはかなりいますし。人口比で言ったら、1%でしょうか。他人事では有りません」

 

「そんな大勢の国民のデリケート部分にこの法案は突き刺さる。事実上の生まれの否定だ。不快どころじゃすまない。何故今頃禁止するんだと突っ込まれたらどうする? 素直に私達は世論に後押しされ、貴方達を迫害するつもりですとでも答えるか? 馬鹿らしい、冗談じゃない」

 

 

 こんな法案、自国でするつもりが無いならば見逃すことはできないのは当然だろう。もしかしたら自国でも行われるのではと対象となる国民に思われたらたまらないのだ。

 

「それだけ世論はコーディネイター憎しの色が強いという事だ」

 

 忌々し気に言い切った。

 

 この法案は劇薬だ。安易な気持ちで服用などできない。

 それを加盟国が口に含んだという事はだ、彼らが薬を一口で止めることはないだろう。とことんまで呑みきる腹積もりのはずだ。

 

 身を投げ出し、背もたれに体重を預ける。

 ああっもう、とばかりに右手を額にやると愚痴を零しだす。

 

「別に憎んだっていいさ。そんなの個人の自由だ。法律にしてもそう。他国なら我がオーブ国民に関係のない事ならどうぞお好きなままに。だが下らない事で我々に迷惑を掛けないで欲しいよ、全く」

「……」

 

 いつもならここで終わるはずの彼の弱音は、今日は何やら違う色彩を帯び始める。

 愚痴に熱が籠められ始めたのだ。

 

「オーブは中立。言葉は美しいけど所詮は大国同士の間に浮かぶ島国さ。吹けば飛ぶ虚しい存在だ。こうして直接関係のない事でもすぐかき乱される。時々僕はね、こんな時になると中立なんてくそくらえと思う時があるんだ」

「……」

「でもそのたびに考え直す。何故かって? それは実際どこかの国に尾を振ったとしても、くそくらえな状況にしかならないからだ。この立地と国力じゃ結局は鉄砲玉にしかならない」

「……」

「だから掲げるべきなのはそう、中立だ。オーブは誰の味方にもならない。オーブは、オーブ首長国連邦は自国のみのため、自国のみに味方する。そのためにはなんだってするべきだ。裏で手を握ったっていいし、ピンチになれば一時的に中立を捨ててもいいかもしれない。でも最後に立ち返るべきなのは中立なんだ。僕はね、例え泥水を啜ったとしてもこの国を、この国の国民を守ってみせるぞ」

「……ふふっ」

 

 いつの間にかユウナは立ち上がって、大きな身振りで演説していた。

 セシリアは、愉快そうにくすくすと笑っている。それがどうにも彼にはいたたまれなくて、顔をあからめながらコホンと息を付くと、椅子を整えて座る。

 それでも格好が付かず、逆に中途半端に取り繕ってしまったことが余計に恥を増した。

 

「ユウナ様は本当にこの国がお好きなのですね」

 

 セシリアが笑みを零す。

 ちなみに彼女が少年の名前を呼ぶときは決まって機嫌が良い時だ。

 

 火照る顔が未だに冷めやらない中、彼は言葉を返した。

 

「まあね。僕はこの国が大好きだ。馬鹿な僕でもこれだけははっきりと、本心から言える」

 

 紅茶を一口飲み、カップを机に置いた。

 

「この国を得てからも気付かなかったし、失ってからも気付かなかった。でも再び手に戻ってきた時、心から僕はそう確信した」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 狼狽したり、引き止めたりする周囲を振り切って彼は逃げ出そうとした。

 これから二度も燃えることになる祖国から、彼を死に追いやった責任と危機から背を向けようとした。

 立ち向かおうとは微塵も考えなかったのだ。

 数か月の時を使って両親を説得し、数年だけの療養のためと、海外へのチケットをもぎ取った。当然二度とこの地には戻ってこないという考えを隠して。目的地は小さな島の、太平洋連邦の自治区。前世の記憶では二度の大戦の戦火が及ばなかったところだ。

 

 そこでひっそりと暮らそう。前の世界の知識を使えば自分でも一人で何とか生きていける。いざとなったら実家の支援を利用したって良い。どんなに苦労したって良い。ただただ、今は、逃げたかった。

 

 

 そして飛行機が出発する日時となった。

 

 

 漸く逃げ出せる日になっても彼の顔は暗い。逆にどんどんと悪くなっていた。

 逃げ出すことに対する罪悪感が込み上げてきたのだ。

 それでも彼の脚を止めるには足らなかったが。

 

 家から出ようとするとき一つ問題が発生した。

 暫くはここを離れるのだから、少し遠回りをして街並みを見ていきなさいと両親に言われたのだ。心臓が撥ねる思いとはその時の彼の心境を言うのだろう。

 

 自身の失策で焼かれた、かつての街並みを見れば今自身が感じている罪悪感は、どれ程自分を苛むことだろうかと戦慄した。それでも最後だから、と自身に言い聞かせて少年は了承した。

 

 彼を乗せた高級車が遠回りをしながら街並みを走っていく。人通りの多い道だった。

 ユウナはその時座ったまま俯いて、膝だけを見ていた。

 

 だが隣に居た父はそれを許さなかった。

 街並みをみなさい。暫くこの国を見れなくなるのだ。私達の国を、国民をみなさい。

 そう彼に告げた。

 

 どきりとする声だった。それは捕まる直前の弱弱しい父の声ではなく、力強く思いの籠った物だった。

 もっと言うならば、彼を最後に弾劾した者達が持っていた力強さに似ていた。

 

 だからそれに惹かれて彼は従ってしまった。

 そして見てしまった。

 

 外で楽し気に歩く人々の姿を。

 手をつないだ親子が、汗を拭きながらも懸命に仕事に励むサラリーマンが、安心して道を歩く老人が。

 様々な人が生きていた。

 彼が壊してしまった物が、そこにはまだあった。

 

 それが眼に入り、彼の心からある物が込み上げてきた。

 罪悪感ではない。

 

「よか、った」

 

 安堵だ。

 大切な物が帰ってきた喜びだ。

 

「よか、った。まだ、あ、る。オーブが、オーブがまだある、燃えてない。まだ、ここには、おーぶがあるっ!」

 

 涙が、嗚咽が零れた。それは目覚めた時と同じだったが違った。何故だかそれが無性に熱く彼には感じられた。

 

 彼はその時気付いたのだ。

 オーブが陥落しそうになった時、自分のせいで国が焼かれそれを責められたとき。

 悔しかった、屈辱的だった、自分のせいではないと思った。だがそれ以上に感じていたことがあったのだと。

 焼かれてしまう。僕の国が、皆の国であるオーブが焼かれてしまう。止めてくれ、この国を焼かないでくれ!

 

 そう、大好きな自分の国を焼かれてしまうことが何よりも悲しかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユウナ・ロマ・セイランを評するのは難しい。

 肯定的に捉えるならば才児。彼は4歳の時には巧みに言葉を操り周囲を驚かしている。その後も教育機関を駆け足で上り詰め、6歳の時にはアカデミーで学士を得ている。人並み外れた知性を持ち合わせていることは誰もが頷くことだろう。

 若年ながらも既に社交界では大人達と真面に会話し、相手をはっとさせる発言をすることも少なくない。所詮は知恵のついた子供とする評価も、彼は投資市場に少額で参戦し、その資産を魔法の如く膨らませ続けることで黙らせた。

 

 総評するならば麒麟児の一言に尽きる。

 一時はコーディネイターではないかと噂される程だ。

 

 では完璧児かと言われればそうではない。彼には無視できない悪癖あった。

 とんでもなく稼ぐ代わりに、それに見合う分だけとんでもなく金を融かすのだ。融かす先はロボット工学。その力の入れようは念入りで、建物やら人材やらを一から集め事業団を設立したほどだ。

 

 そして資金の投資先もどこから嗅ぎ付けたのかえげつない所が多い。事件や醜聞で暴騰、暴落する前の株を的確に突き止めて売り抜けている。しかも政治的にグレーどころか真っ黒な所にも平気で突っ込んでいくのだから余計に太刀が悪い。先日のフェブラリウス市の件が良い例だ。

 

 

 そんな悪癖と、彼が時々舞台俳優染みた口まわしをすることから、口傘が無い者達から度々零れる言葉がある。

『ビック・チャイルド』

 能力はあるが、他人の迷惑を考えられず空想に耽りがちで、その上玩具趣味に没頭する子供。

 そう嘲弄されていた。

 

 現在、話題性に事欠かない彼はオーブ財政界では度々名前が上がる人物である。五大氏族では中堅に当たるセイラン家が、異端児である彼によって繁栄するのか沈むのか。実利と興味が含まれた視線が彼に注ぎ込まれることになる。

 

 なお最近彼に一番近しい秘書の人物が評するに、

『彼の中身が純金なのか贋金なのか、それは未だに分からない。はっきりとしているのは、彼は格好つけたがりのナルシスト野郎ということだ』

 

とのことである。



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混迷は極まれれど、続くは平穏、深まるは焦り

混迷は極まれれど、続くは平穏、深まるは焦り

 

 年が明けてC.E.56年。

 11カ国はコーディネイターに対して、否定派と寛容派、そして中立派の三派にわかれた。

 否定派の筆頭に立つのはユーラシア連邦や大西洋連邦といった、議定書加盟国の中の超大国群である。それに彼らに牽引される形で、南アメリカ合衆国やアジア共和国といった、事実上の衛星国家達が続く。世界の大多数の地域がこの派に属すると言っても良い。

 

 寛容派の筆頭は真っ先に反対声明をだしたオーブ首長国連邦だ。

 そしてその声明に便乗して懸念という形で、スカンジナビア王国が反対の意を示した。否定派とは違い、派閥を構成する国家はその全てが小国家である。

 

 残りの他国が中立派となる。中立と言っても国として反対も賛成も表明しなかっただけだったが。国内でのコーディネイターの処遇は然程否定派と違いはない。それを公式でやるか非公式でやるかの違いだけだ。

 

 コーディネイターにとっては不幸なことに世界が否定派で固まらなかったのは、寛容派や中立派の国家が彼らに同情的だったのが主要因ではない。

 世界情勢を分析する評論家たちの多くは今回の事態を冷めた目で見ていた。

 

『寛容派の筆頭であるオーブや、他の他国がコーディネイター達に同情的だったのは、純粋な善意の発露によるものではない。それらの国家は単に邪魔者たちの檻を用意できなかったに過ぎない。否定派とその他の国家との違いは、プラントとという、彼らを繋ぎ閉じ込める籠があったかどうかだけなのだ』

 

 この意見は国家群が抱える事情の一側面を正しく突いている。

 全ての国家にとってコーディネイター達は今や扱いに困る勢力だ。40年代から紛糾する所謂『生まれの差』問題で彼らに対する他国民の感情は良くなかったが、現情勢は好ましく無いどころではない。最早他国民、ナチュラル達と隣り合わせるだけで治安は悪化の一途を辿っていた。

 

 だが排除しようにもそう簡単にいかない。40年代には先進国を中心に、コーディネイターの人口は公式に1000万を突破。非公式を合わせればその倍はいるのではないかと推測されていた。

 人権が手厚く保護されている先進国で、それだけの人口を排除するなど不可能に近い。彼ら先進国国家が仰ぐ憲章や憲法は生まれや門地で人を差別していない。法理は世論を圧殺する。法治国家とはそういうものだ。

 

 またその当時には彼らの才幹が社会には必要不可欠になっていた。

 

 以上の事情ががんじがらめに国家を縛った。

 幾ら事態が悪化しようが無理なものは無理な以上、各国は自国の仰ぐ理念の元彼らを平等に扱うしかなかった。

 

 

 事情が変わったのは40年代後半。空に浮かぶプラントが量的増大をしだした時だ。L5コロニー群の完成と共に砂時計は大人口を支えることが可能な箱舟に変わった。

 プラントはその当時からコーディネイターの楽園であった。厳しい宇宙環境にナチュラルはプラントには根付けず、世論の圧迫を嫌う彼らの理想郷になっていたのだ。

 

 そこに先進国国家、理事国は眼を付けた。

 

 彼らを排除できないのならば、彼らが自ら国を出ていくように仕向ければ良い。それも自らが目に付く場所に。

 

 大国は理想郷を牧場にあしらえようと動き出した。

 自治権を与えた。彼らが望む楽園を造れるように。自分達がいつでも踏みにじれる程度の物を。

 仕事を与えた。彼らが飢えないように。自分達が望むものを完成させられるだけの物を。

 

 家畜が快適に暮らせるだけの環境を整え終わったら、次にすることは羊を追い立てることだ。抑えていた世論の蓋を取り去り、柵に追いやる法律のラッパを鳴らした。

 

 それがこの騒動の顛末だった。

 

 つまりはだ。否定派とはコーディネイターの排除に算段がついた勢力であり。

 寛容派と中立派は未だ排除する術を持たない勢力である。ただそれだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 デスクで少年、ユウナはぼやく。

 

「うーん。やっぱり人型ってのは難しいね」

「それだけやりがいがあるってことです。登る山は高ければ高い方が良い」

 

 そう会話しながらユウナとアナイスはガラス越しに下を見やる。

 そこでは彼らが造る巨人、アストレイが前のめりで倒れ機能停止する光景があった。巨人に群がるように作業員たちが彼の点検をしている。転倒の衝撃により関節部など、可動部分の故障がないかを確認している。

 

 今の彼は、バックパックを除き正式ロールアウト時の外観に近い格好になっていた。フレームがただ剥き出しになっていた各部には、装甲めいた物が施されていた。まあ本来の防弾、防備のためではなく、転倒による破損防止用のカバーに過ぎなかったが。

 

 そして性能は、眼の前で機能停止していることからも察せられるだろう。

 

「最終的には山も川も渡ってくれないと困るんだが。建物内でこれじゃあ先が思いやられる」

「人間の脳がする処理の何倍も難しいものをCPUに要求するんです。我々にとって小石を踏むみたいな何気ない操作さえ、彼にはあっぷあっぷです。それに…」

 

 話を中断させて近くのパソコンに取り付く。

 操作しているのは現場とデータリンクしている台で、今も作業員たちが打ち込む情報をリアルタイムで吐いていた。それを何気なくかたかたと操作してくと、やっぱりと彼女は両眉を下げた。

 

「……関節部が既に摩耗しきっています。交換するしかありません。あまりに早すぎる。これは……設計のし直しかなあ」

 

 仕事一筋の彼女からはあまり見られない溜息が零れた。それもさもありなんという状況ではあったが。アストレイの開発がすこぶる難航していたのだ。見える問題は一向に解決されず、解決しようとすると新たな問題が噴出する。そんな無間地獄に突入している。

 

「しょうがないんだろうけどねえ」

 

 開発とはこういうものだ。思考錯誤。トライ&エラーが要求される。

 こうして間違いをしらみつぶしにしていった結果、漸く完成品ができあがるのだ。

 

「まあ今すぐ完成させないといけないわけではないし」

 

 何もユウナは独力で、史実におけるオーブ国産主力機『M1 アストレイ』を完成させようとは思っていない。そもそもアストレイは、太平洋連邦とモルゲンレーテ社の技術が無ければ完成しないのだ。

 

 幾ら自分が未来知識を元に金を稼ぎつぎ込もうが、一個人が国家や国営企業に適う訳がない。ここにはビーム兵器も、MSに必要とされる高出力バッテリーも開発できる人間はいない。

 彼がやりたいことはOSの開発と、MSに関する基礎理論の研究だけだ。この両者は史実において、初期におけるオーブのMS運用を妨げる二大障壁だった。これらを事前に研究するだけで、オーブは数か月早くMSを手に入れられるだろう。

 

「たかが数か月、されど数か月だ」

 

 できるなら、彼は一度たりともオーブを戦火に巻き込みたくは無かった。

 

「大丈夫だ。これならば、大丈夫のはずだ」

 

 呟いたところで彼は思考をいったん中断する。時計を見れば随分と経っていた。

 ここにいたとしても、彼には開発に口を挟める知識などない。

 悩むアナイスを軽く労うと、外で待たせている車へと素早く向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暫く経ってから気付いたこのなのだが、ユウナはこの世界で、何故か史実よりも10年早く生まれたことになっている。理由などそもそも皆目見当が付かないので、早々に考えるのを止めてしまったが、この10年は彼にとって非常に役立つことになった。

 

 政治に必要な最低限の学歴を最速の期間でとりきり。

 未来知識という反則の手段を用いて投資市場で暴利をむさぼり。

 父に連れられて会った様々な人物たちや大学の知り合いの伝手を探り、必要な人材を集めた。

 

 そして今や、こうして車に同乗しているセシリアを主とした、彼が自由に動かせるスタッフ陣が構築され。来るべく戦争に備えてMSの研究も行われている。

 

「完璧だな……」

「頭の決まり具合がですか?」

「…独り言に口を挟むな」

 

 少年の独り言に反応し、操作しているタブレットから顔を上げ口を挟んだ彼女に、ユウナは声を漏らした。彼女は有能で非常に役に立つ人材だ。最低限の忠義もある。その美点の前には彼女がコーディネイターだと言う事実など、ユウナには何の障害にもならなかった。

 問題は口の悪さだ。

 

「それよりも頼んだ仕事はやってくれたのかい? モルゲンレーテやプラントの人間の手は早いぞ」

「既にめぼしい人物には連絡を取っています。後は彼らがどれだけユウナ様に妥協できるかと」

「僕に妥協とはどういう意味だ」

「私にも分りかねます」

 

 馬鹿にしているというかは、此方を試す様に彼女は挑発まがいの発言をしてくる。

 経歴と写真で選考し、彼女と初の面談をしたときはユウナの表情筋は引きつりっぱなしだった。しかし当時一桁の彼は、彼女並の能力を持つ人間を捕まえることは至難の業だった。だからこそこの欠点を泣く泣く飲み、現在に至っている。

 その買い物が得だったかどうかは、誰もが判断しかねる。

 

「冗談は程々に許すが、仕事の手抜かりは許さないぞ。僕はこれから本格的に社交界に出ることになるだろうし、アナイスの方も更に人材を欲しがるだろう」

「承知しております」

「本当かな…」

 

 不安がりながらも大丈夫と言われてしまえば、彼としてはどうしようもない。

 タブレットを取り出し慣れた手つきで操作する。映し出されるのは5、6人の人物データだ。これから向かい先で、父と一緒に食事を取ることになっている。

 失礼のないようにと、事前に会う人物たちの情報を頭に入れるのは社交の基本だ。

 

 また基本的に忙しい彼は同時操作でメールのやり取りもこなす。両手を動かす様は、見慣れない人物からすると曲芸師の様だった。

 いつもはそれをこなしている内に次の目的地へとつくのだが、その日は違った。会う人間は顔見知りなので軽い確認だけですみ、メールも数件だけだった。

 

 移動の半ばという時にやるべきことがなくなってしまった。

 そんな時は大体彼はセシリアに話しかけ、彼女がうんざりするのを無視して色々なうんちくを話す。嫌味で彼が辟易し、無駄話で彼女がうんざりする。そうやって暇を潰してきた。ある意味win-winの関係だったのだが。

 

 セシリアは覚悟を決めていたが、一向に話は始まらない。

 五分が経ち彼女が不思議に思っていると、なにやらトントントンと靴音がする。見れば眼の前の少年が足踏みをしていた。自分がどう見られるかには煩い彼が、こうして自分がいるというのにこのようなことをするのは初めてだ。

 

 彼女は思わず聞いた。

 

「何か焦っておいでですか?」

 

 それをきくと彼は何時ものニヒルな笑みを浮かべ。

 

「焦ってなんてないさ」

 

 そう返した。しかし足踏みは止まらず。彼女はそれをこれからよく眼にすることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから数年は世界も彼の周りも劇的な変化は無く、じりじりと動いていくことになる。

 

 世界はユウナが予想した通りに、そして史実通りにコーディネイターを排斥する方向へと向かっていた。C.E.57年にはプラント理事国のユーラシア、大西洋連邦、アジア共和国の三国がプラントへと進駐。量的膨張が進むプラントへの引き締めが行われる。当然プラント評議会は抗議の上撤兵を要求するが拒否された。

 しかし大きな騒動と言えばそれくらいで、道を転がり落ちるように情勢は悪化すれども、未だ世界は敷かれた線路を走り続けた。

 

 オーブは各地でコーディネイターが排斥される中、逆に彼らを吸収していった。多くはプラントに流れたが、地球を離れたくない一部はオーブや寛容派国家を頼った。その成果はモルゲンレーテの躍進と、軌道エレベータ「アメノミハシラ」の建設着工に現れることになる。

 

 緩やかに、だが確実に情勢が変わっていく中ユウナはどうだったかと言えば、あまり芳しい成果が得られていないのが正直な所だった。

 例えば政治面では漸くスタート位置に立ったところだ。才能を活かし、顔をオーブ財政界に広く浸透させることには成功させたが、『将来が嘱望される』という域をでれなかった。C.E60年にやっと15歳に達したその若年が、彼を阻んだのだ。

 最初はすぐさま首長であるとウズミと懇意になってみせると息巻いたが、多忙な彼に、少年は声を掛けるどころか姿を二三度拝むだけに終わった。

 

 

 アストレイの方も未だ玩具の領域を出ない。

 この頃になればコンスタントに投資で勝てるようになり、資金面では安定を見たのだが、肝心の成果の方はお寒い限りだった。漸くモグラの如く飛び出る機体の問題は解決できる目途が立ったが、OSは初期のままだ。

 

 

 C.E.60年。ユウナの焦りは最高潮に達しようとしていた。

 前世の様に周りに当たり散らしたり、狼狽することは無かった。その点では彼は随分と成長したと言える。だが焦燥を周りに隠せていたとは言い難かった。

 ここ半年ほど見るからにどんよりとしている主人を見て、セシリアの眉間の皺の深さは五割程増していたし。アナイスはもしや成果が出ないので援助が打ち切られるのではないかと恐怖し、二倍ほど狂乱した。

 

 彼の周囲が切れるのが先か、彼がはちきれるのが先か。

 無意味な賭けが彼ら以外の従者やスタッフの間で行われたが、事態は第三者からの横やりが入ることで急転する。

 

 

 

「いい加減にして下さい」

 

 その日もひたすら考え込むユウナに、遂にセシリアは諫言を入れた。

 

「貴方はどうしていつもそうなのですか。喋っていても黙っていても周りに迷惑をかけて。何を考えているのか分かるだけ、未だ喋っていた方がましです。おしゃべりになりなさい。協力は致しませんが、話せば私の心が幾らかましになります」

 

 そう嫌味の一つもたれたのだが、ユウナは聞いているのか聞いていないのか分からない態度で。

 

「喋る、喋るともさ。問題ないさ、問題ない。僕は全力で打ち込んできたし、客観的に見て事態は上々さ。あと10年。後十年ちょっとある」

 

 と全く返事になっていない。職務はしっかりとこなし、社交の時にはこれをどうにか隠すことに成功しているが、それ以外は万事これだ。頑強な精神力があると自負する彼女も、流石に我慢の限界だった。

 

「いい加減になさい!」

 

 勢いよく机を叩く。驚いた少年が彼女を見た。

 頭に血が上り、眉が吊り上がっている。彼は思わず東洋の般若を思い出した。

 

「貴方が何を悩んでいるかは分かりませんが、数年前自分が言ったことを覚えておいでか! 貴方はこう言いました!『泥を啜ってでもこの国を守ってみせる』と。それが何ですか! ちょっと冷めたスープが出た位の状況でぶつぶつ文句を垂れて! そんな暇があるんでしたらね、外行って一$でも多く稼いでくるか、政治家共の靴を一足でも多く舐めてきなさい!」

 

 毒舌だが汚い言葉を使ったことが無い彼女の口から、盛大な罵倒が飛び出す。

 もう我慢ならんといった感じに汚らしい言葉は留まることを知らない。

 やれ『フニ○チン野郎』だの、『パーマがかった髪がウザったい』だの、『見込んだ私の脳は腐りきっていた』だの言いたい放題だった。

 

「なっ!」

 

 想像だにしなかった光景にユウナは絶句しきった。

 反論をしようとする思考さえ浮かばなかった。そうこうする内にセシリアは彼に迫って、それこそ掴みがからんとする。

 

 だがそれを救う者があった。外部からの声である。

 

「ユウナ様?」

 

 彼女以外に雇ったスタッフの一人だ。少し狼狽しているのが気になるが、天の助けだとユウナは全力で応答した。

 

「なんだ!」

 

 大声に驚愕したのか、返答は随分と震えていた。

 

「御父上から連絡が…ユウナ様に面会を希望する方がいるから来い、と。そ、その相手、は。ウズミ・ナラ・アスハ様。代表首長です!」

 

「!」

 

 雷鳴に打たれたかの様に彼は立ち上がった。

 眼が大きく見開き、肩は力が入って固くなっていた。

 

「今行く! 待ってろ!」

 

 そういって飛び出した。アドレナリンが出ている状態で、夢にまでみた首長との会談。彼は我を忘れて走り出した。ドアを勢いよく開けて、スタッフを跳ね除けたのなど気にもならない状態で、廊下を駆けていった。

 

 取り残されたのはセシリア一人。そんな彼女は深々と、そう。本当に深々と溜息を大きく長くつくと、優雅にドアに向かって一礼をした。

 

「行ってらっしゃいませ。手間がかかるユウナ様」




え、へこたれる挫折イベントが早い?
ユウナ様だぞ! いい加減にしろ!


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語るは思い。下されるのは無情

「熱意も、思いも、先見性も。君の全てを高く評価しよう。だが今の君如きが、国政に介入しようなど増長にもほどがあると思わないかね」

 

 それは、厳かに、だが優しい声音だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何故一国の元首が自分の様な子供を尋ねに来たのか。

 脈絡のない行動に彼は混乱していた。

 だがそれ以上に興奮もしていた。

 もしもここで代表に気に入られることが出来れば、色々な課題が解決する。

 少年の足取りは早く、そして気持ちははやりきっていた。

 

 両親と少年の生活の本拠は、本館と離れという形で分けられている。途中廊下を疾走することははしたないと思い直し、歩きに変えたこともあって、移動には5分を要した。

 因みに生活の住まいを分けているのは、両親とは不仲であるといった家庭の事情ではない。単純に少年が抱えるスタッフが急増した結果、建物を分ける必要性に駆られただけである。

 

 まあ、親子間の感情が全く反映されていないと言えば嘘になってしまうが。

 政務に励み秀才ぶりを見せようが、それでも少年の『道楽』に父が良い顔をしないのは当然なことだった。

 

 赤らむ顔を冷まし終えるころには、目的の場所である貴賓室に着いていた。

 重厚で中の音を何一つ漏らさない木製の扉の前に立つと、社交用の微笑を顔に張り付ける。これが政治の世界においては少年の盾の役割を果たしていた。

 

 ゆっくりと、息をする。動揺と逸る気持ちが落ち着いた。

 少年を見る者がいれば思わずほう、と息を吐いたことだろう。

 そこにいるのは先程の取り乱した子供ではない。優雅で、知性を感じさせる年若い俊英が立っていた。

 

 三度ノックする。

 

 すると暫く間をおいて中から扉が開けられた。顔を出したのは、セイラン家の邸宅を一身に預かる老年の執事長だ。老人は流れる動作でユウナに軽く一礼をすると、身体をずらし彼を部屋へと招き入れる。

 

「大変お待たせしてしまい申し訳ありません」

「気にすることはないとも。入りなさい」

 

 父の物ではない落ち着いた、聞く者に確かな知性を感じさせる声が響いた。当然不躾にその声の持ち主をじろじろと見ない。入ってすぐさま深々と一礼をする。そして部屋の空気を感じてその場の人数を調べるのだ。彼の感覚が正しければ、手前に一人と奥に二人。

 

 椅子に掛けなさいと言われて初めて顔を上げる。

 品の有る丸テーブルに椅子が三つ置かれ、入り口に一番近い席が開けられていた。

 

「いきなり訪ねてすまないね。此方としてもしっかりと連絡を入れておきたかったが、予定が立たずこういう形になってしまった」

「いえ。御会いできて光栄です」

 

 声を震えさせない様に随分と気を使ってしまった。

 少年はそのまま空いた椅子を引き席に着く。必然的に対面の人物と眼を合わせてしまう。

 黒い底を感じさせない眼だった。湖の底を人が覗けないのと同様に、その人物の底深さを表わすようだ。これが一国の代表。

 民を慈しみ、超大国と対等に渡り合う獅子。

 穏やかに此方に笑いかけているが、まるで山を見上げるような圧迫感をユウナは感じた。

 

「君たちはもう良い」

 

 そう周りの二人に告げる。椅子に座っていたユウナの父と、後ろに控えていた秘書の男はその言葉を耳にし、席を立つ。去り際に父はユウナに眼を配らせ、秘書は男の前にファイルケースを置いていった。

 

 二人が部屋から完全に退出し、扉が閉められる音が後ろで鳴る。

 少年には戦いの開始を告げるベルに聞こえた。穏やかな笑みは崩れることは無かったが、僅かに眉に力が入った。

 

 

「話すのは確か初めてだったか」

「はい。度々色々な席で顔をお見掛けする機会はありましたが、対面して話すのは初めてとなります」

 

 そうか、と男は頷く。

 

「今日は君と話がしたくて寄らせてもらった。前々から君とはこうして二人で話してみたかったのだ。随分と君の活躍は周りから聞いていたものなのでね」

「ええアスハ代表。私も貴方と御話がしたかった」

 

 

 

 

 

 ウズミ・ナラ・アスハ。

 五大氏族の事実上の筆頭、アスハ家の現当主であり、オーブ首長国連邦の代表でもある男だ。

 年齢は初老に差し掛かったところで、白髪が混じり始めた髪を後ろに流す偉丈夫である。

 外見は荘厳の一言に尽き、政治面での評価もそれに一致する。就任以来内外から高い評価を受ける政権運営を行ってきた。大国におもねることなく中立を貫く姿勢は国民に高く評価されている。

 まあ彼を嫌う者からは、原理派やタカ派と呼ばれているが。

 

「そんな貴方にこうして時間を割いて頂いて、感謝の言葉しかありません」

 相手から苦笑いが零れた。

 

「君も私を過大評価する人物の一人か。私のやったことと言えば今までのやり方を踏襲したに過ぎない。前人達が築き上げた中立という理念を粛々と行っているだけだ」

「私が貴方を過大評価する人物なら、貴方は過小評価する人物たちの一人なのでしょう」

 

 首長国政府の舵取りは元来非常に困難なものだ。

 国際政治でフリーハンドを得られる国家はユーラシアや太平洋といった超大国群位で、中小国の政治はまずは巨人達の顔色を窺うのが基本なのである。

 オーブが中立を自称しようがその枷から逃れることはできない。そもそもだ、中立を名乗ることなど中小国はどこもやっている。

 

「東洋の諺で言えば『絵に描いた餅』。それを実際に皿の上に乗せたのが貴方だ」

 

 ウズミの非凡さは、この一言にすべてが籠められていた。

 言うは易しを実際に行動に移し成功させたのがこの男、『オーブの獅子』である。

 

 

 ユウナとウズミの親交は前世を含めた物でもそう深い物ではない。

 カガリ・ユラ・アスハと婚約を結んだ関係上、度々言葉を交わすことはあったが儀礼の域を出たことは無かった。こうやって深く議論を交わすのは初めてだ。

 

「具体的に言いましょうか。例えば55年のトリノ議定書に関しての声明から、今に至るコーディネイター受け入れまでの流れ。惚れ惚れとしました」

「あれは批判も多い」

 

 ウズミは肩を竦める。

 まずは両者とも世間話に花を咲かせることになった。随分と政治色の強い花だが。

 

「潤沢な砂時計も広い国土も持たないオーブでは、コーディネイターの排除などできませんから。ならば毒を食らわば皿まで。それに、その方が加盟国の御機嫌取りになるでしょう?」

「少々過激な発言だが面白いことを言う」

 

 少年の言う通りこの政策は表向きの態度とは違い、加盟国間においては受けが良い。

 コーディネイターの大多数が宇宙へと上がったが、それでも宇宙空間を忌避し地上を選ぶ層もいる。そのような彼らの選択肢になっているのがオーブだ。

 

 寛容派諸国が受け入れ政策を行うことで、排除政策の促進に一役買っている側面があるのだ。

 それに寛容政策をしている国家と自国を比較させることで、政権の支持を高めてもいる。

 つまりは表では寛容派を非難する否定派だが、実質はその存在を認めていた。

 

「私の政策が大国の思惑を前提としていることは否定するつもりはない。だが例え彼らの了解が無くとも、何らかの施策は行っただろう。中立こそが我が国の国是なのだから」

「生意気な口を聞いて申し訳ありません」

「良い。無鉄砲さは若者の特権だ」

 

 建前以上の本音を匂わせる発言だった。そして空気が変わる。

 ぴりり、と少年の背筋に軽い電流が流れた。ウズミは早々に話題の花を潰そうと言うのだろう。

 この場の全ては今ウズミが握っている。少年と獅子と、格の違いが如実に出てきた。

 質実剛健。男は装飾を取り払い一直線にユウナへと問いかけようとする。

 眼が此方に向けられる。

 

「だが何事にも限度がある。その意味でユウナ君。君は危ういと老婆心ながら考える。何がとは言うな。下らぬ嘘は要らない。君が多方面で、少年らしからぬ行動に出ていることは代表として把握している。子供一人でやるには荷が勝ち過ぎてはいないか」

 

 男から出てきたのは多少批判めいた言葉だった。

 しかしそんなことに動じるユウナではなかった。そんなこと今まで百は下らない回数耳にしている。さらに言えば、今回は単純な忠告ではないだろう。

 助言程度ならば使者を送れば済む話だ。

 

 にやり、と飽くまでユウナは挑戦的に笑う。

 謙遜ではなく自身の今の能力をこれでもかと見せようとする。

 

「では代表。素直に相談したとして、大人である貴方はどういった行動に出るのでしょうか?」

「無論無益ならば叱り止めさせる。有益ならば大人として助けるさ。どちらにせよ子供に責を求めたりはせん」

 

 ここにきて少年は確信する。ウズミはここに見定めに来たのだと。

 害か有益か。有能か無能か。

 

 つまりはここが分水嶺だ。オーブの国政に彼が割り込めるかどうかが今ここで決まろうとしている。

 

 

 もしここで道を示せたのならばユウナの計画は明るい物となるだろう。

 兎も角もやることは変わらない。

 

「それでしたら安心して相談させて頂きます。がその前に、私の目的を代表に理解して頂くには、まず私がカッサンドラになる必要があります。空想がちな少年の妄想をお聞き頂けますか」

「……いいだろう。言ってみたさい」

「ありがとうございます。では述べさせて頂きますが、まずはこの10年以内に戦争が起こるでしょう。それも史上稀に見る大規模な戦争が」

 

 ここでちらりと様子を覗うが、ウズミは黙って聞いている。

 突飛な意見だが眉一つ動かしていない。

 了承したからにはどんな無茶話が出たとしても最後まで聞こうというのだろう。

 

 

「ではどことどこが戦争をするか。それはナチュラルとコーディネイターです。言い換えれば理事国とプラント群とも言えます。彼らの激突は眼に見えています」

 

 断言したところで口が挟まれる。

 

「どうしてそう言い切れる。関係の悪化で戦争が起こるとするならば、既に戦争など全土で起こっているはずだ」

 

 ただ聞くだけではなく、適度な合いの手も入れてくれるらしい。

 良質な聞き手は良質な演説には必須のものだ。

 

「国家間の関係と彼らの関係は一緒ではありません。C.E以降11カ国は、不戦と主権の尊重を互いに誓い合いました。それも旧暦、西暦においてもその二つが尊ばれ、破られてしまった過去を踏まえたうえで、です。それを考えれば現在国家間で戦争を起こすことが如何に困難か、お分かりになるでしょう?」

 

 戦争をするための条件は簡単に上げれば、自国内の世論の説得と、勝てる環境の用意に尽きる。

 前者はC.Eにおいてどの国家もクリアできない難題となっている。

 戦争が禁忌となってしまったからだ。

 

 三度の大戦は人類にとっては損以外の何物でもなかった。三度目の正直という格言があるが、その三回目すらも失敗した人類には強い厭戦感情が芽生えてしまっている。

 人類は戦争を忘れた。などとは誰も世迷言は呟かないが、強い箍が嵌められたのは事実だった。

 

「では理事国とプラント群はどうでしょうか? 彼らの間柄を自制させる要素はどこにありましょうか。反戦感情? プラントは地球とどれたけ距離があろうと自国内です。暴徒が暴れるのを鎮圧するのに躊躇う国がありましょうか? それも自国民が心底憎んでいる『民族』の鎮圧を」

 

 あるはずがない。

 

「そして両者の実力は現時点で隔絶しています。万が一、億が一、それこそ兆が一と言っても差支えがないほどに。今のプラントが理事国に勝てるなんてありえない」

 

 だからこそと少年は熱弁を振るった。

 

「理事国はプラントの主張などには一切耳を傾けないでしょう。聞いても得にならず、聞く必要もない意見を国が採用するわけありません。反発すれば叩けば良いと、永遠に搾取を辞めない。そうなれば行き着く先は分かるでしょう。こうして貧して死に行くならばいっそのこと、」

「破れかぶれの行動に彼らがでると?」

「ええ。あとは泥沼の紛争、いや戦争に陥ります」

 

 必死に必死に彼は理論を語る。未来を語る。そして備えてほしいと懇願した。

 

「普通なら話はここで終いです。遠い空の向こうの先で、何百万の血が流れるだけの、有り触れて悲しい出来事が起こるだけです。しかしそうではない。そうはならないのです。対岸の火は広がり、燃えるはずがない川を燃やし尽くし、その火は、この地を、オーブを焼くことになるのです」

 

 いつの間にか少年の声には熱が籠っていた。異常な雰囲気の中彼は語る。

 この理論の欠点は何故そうなるかが証明されていないことだ。

 

 誰が少し先の未来では数億人の人々が息絶え、地上で鋼鉄の巨人が争う世界になるなどと、そんな荒唐無稽な世界を説得力を籠めて語れるだろうか。

 だがどれほど現時点では空想な未来だったとしてもだ。このままではそうなるのだ。

 

 ユウナにそれを信じさせることができる案はなかった。だからこそ、熱意で、誠意で押すしかない。

 幸いにしてウズミは訝しむことも、笑うこともせず、ただ耳を傾けていた。

 

 

「それを避けるために私は、『僕』は力が欲しい。この国土を焼かせないだけの力が。振りかざされる拳を掃うだけの実力が。オーブが誰のための犠牲にならないために。今の僕が行っているのはその備えです」

 

 きっ、と少年の視線が男に向けられた。

 

「協力して欲しいとは口が裂けても言えません。証拠がないのですから。ですから静観だけでも。代表。備えるために。国民を守るために。僕を少しでも良いから信じていただけませんか。どうか」

 

 深々と頭が下げられ話が終わる。喋り終えると、部屋の中は少年の荒い息遣いだけが残った。

 他人が聞けば穴だらけの話を少年は語り終える。人によっては嘲笑の的にすることだろう。

 だがウズミは何もしなかった。ただ、じっと少年を見つめていた。

 時間が経つ。一分が過ぎ、五分が過ぎる。

 

 静観だけでもと言ったが、少年には勝算があった。

 前世ともいえる記憶では最後まで超大国である連合に対抗した指導者だ。

 信じてもらえなくても興味位は持ってくれると確信していた。

 興味さえ抱かせてしまえばこっちのものなのだ。時間は彼の予想の正しさと、成果を示してくれる。

 

 必ずや糸口さえ掴みさえすれば、ユウナはこの男の関心を買い、この国を導いて見せるといきこんでいた。

 

 

 男は目をつむり、何かに考えふける。十分に吟味し、そして彼の中で結論が出された。

 眼が見開かれ、ウズミは言葉を投げかけた。

 

「信じなくては話は進まない。肯定する証拠もないが、否定する証拠もありはしない。そして君の言葉は非常に興味深くもある」

 

 望んだ言葉を返されて少年は嬉しさでつい顔を上げた。しかしそこで凍り付いた。

 ウズミの表情は厳しいものだった。

 

「君の言葉に意思がある。思いがある」

 

 だがね、と男は前置きする。

 

「それだけだ」

 

 そこでウズミは、この国の最高指導者たる男は冒頭の言葉を少年に投げかけた。

 

「熱意も、思いも、先見性も。君の全てを高く評価しよう。だが今の君如きが、国政に介入しようなど増長にもほどがあると思わないかね」

 

 

 



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