GODEATER2☩両義から生まれる太極☩ (クライン)
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新しき神話の担い手

 豪華絢爛の移動要塞フライア。明るい彩色に美しい装飾がどこか別の世界に迷い込ませたかのような実体のない違和感を突きつけて来る。その廊下を歩きながら黒い髪の女性はため息をついていた。女性にしてはかなりの長身に入り、そこらの男性よりは体格はいいだろう。目測で170代後半と言ったところか。やや垂れ目な優しい雰囲気の瞳は握りしめられた資料に落とされる。

 

 「特殊部隊ブラッド、ですか……」

 

 つい先日まで日本の支部で第一線のゴッドイーターとして活動していたが急に本部から招集が掛かったのだ。呼び出しに応じで出てみれば自分は転属になるらしい。どうにも新しく開発された偏食因子に適合したらしい。自分の意志とは関係なくその因子の投与を命令されたのだ。

 またあの痛みを味わうのか、という不安が彼女の背を丸めさせた。

 

 「仕方ありません。運命だと思って諦めましょう」

 

 曲がった背中を正して気分を入れ替え因子を投与する部屋の待合室に腰を落ち着ける。扉の奥から聞こえる少女の悲鳴に耳を傾けつつ、その次は我が身か、と諦観の域に達するのだった……。

 

 

 

 

  ☩

 

 

 

 「気を楽になさい。貴女は既に選ばれてここに居るのです」

 

 手術に使う様な台に寝かされながら彼女は深呼吸をした。右隣に展開されたのは腕輪の装置。そして自分の神機。

 

 「貴女には今回、P66偏食因子の投与をさせて頂きます。今まで第一世代の神機でよく頑張ってきました。そして今日からは、第三世代のゴッドイーターとして他のゴッドイーター達の道標であり導き手として新しい世界に踏み出すのです」

 

 スピーカーから聞こえる声は滑らかで聞く者を落ち着かせる。最初の感想は抑揚のない声、だからこそこちらの不安を変に波風絶たせないのだと納得した。既に決まった心は迷いなく己が神機に手を伸ばす。

 

 「二回目の適合試験ですが不安に思う事はありません。貴女は再び荒ぶる神に選ばれたのですから」

 

 天井の機械が蓋を開く。それはまるで花の開花のようであった。

 回転するドリルのような偏食因子投与機会が腕輪に突き刺さった時、自分は絶叫を上げ、そして妙にスピーカーの声が耳に残る。

 

 「貴女に神々の祝福があらんことを」

 

 この祈る神などいない世界。いったいどの神が祝福を授けてくれるというのか。

 その皮肉は迸る悲鳴の波に飲まれていったのだった。

 

 

 

 

 ☩

 

 

 

 「痛かったぁ」

 

 右腕を食いちぎられてたんじゃないかという激痛から解放され彼女はしばらく偏食因子が馴染むまで時間を潰すことにした。まずはロビーに行くことにした。任務の受注などお世話になるオペレーターがどんな人物かを見に行こうと思う。

 

 緩やかな曲線を描く階段を上がると、カウンター席で書類とディスプレイに目を通す金髪碧眼、ボブカットの少女を見つける。自分とは対照的で怜悧な瞳と知的な雰囲気はいかにも、仕事のできる人だった。丁度仕事が一区切りついたのか視線の先の少女は顔を上げ、目と目が合う。二人は軽く会釈をするとどちらともなく会話を始めた。

 

 「初めまして、今度からお世話になります。神代(かみしろ)ユエです」

 「新しいブラッドの候補生ですね。伺っております。私はフラン=フランソワ=フランチェスカ・ド・ブルゴーニュです」

 「ふ、ふら? ん? フランソワさん? え、何処が御名前なんですか?」

 

 ユエが鳶色の目を瞬かせながら困惑していると少女、フランは鈴が転がる様な綺麗な音で笑う。

 

 「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。フランでお願いします」

 「フランさん、ですね。はい、よろしくお願い致します」

 「私の方が年下なのですからそこまで畏まらなくても、気軽に名前を呼んでいただいて結構ですよ?」

 「そうなんですか? それじゃ、改めましてよろしくね」

 

 フランの垣間見せる仕事以外の澄んだ笑顔にユエも柔らかい笑みで応える。

 そしてフランが仕事の表情に戻ると書類を読み上げるかのような淀みのない声でこのフライアの施設について述べる。

 

 「では、ゴッドイーター並びにブラッドの適合試験お疲れ様でした。試験をクリアしたことによってユエさんはデータベースへの使用制限が解除され、上層階へ行くことが可能です。まだ偏食因子が体に馴染んでおられませんので任務の受注は不可能です。よろしければこのフライアを見て回るのはどうでしょうか?」

 「折角見て回れるのだったら、神機兵の開発をしてる所とかも見れたりしますか?」

 

 何気なくフランにそう尋ねると彼女は不思議そうに首を傾げつつ、そして否定の意を表した。

 

 「いいえ、神機兵の開発などはブラッドでも見ることはできません。ラケル博士かレア博士でしたら詳しいことを知っているでしょうから、お二人の時間が取れる時にでも聞いてみると宜しいですよ」

 

 話していくにつれユエが目に見えてしょんぼりしていくのを見て、フランを慌ててフォローを入れる。見れないけど知ってる人に聞いてみるのがいい、と。ユエはそれを聞いて視線が素早くターミナルの機器に向かっていた。

 

 「なるほど。その御二人が知っているんですね。神機兵についてのその博士たちについてちょっと後で調べてみようかと思います」

 「お役に立てたならば幸いです。ですがなぜ神機兵を?」

 「折角フライヤに居るのだから、ここでしか見れないモノを見てみたいと思ったんです。極致化技術開発局が今推し進めているプロジェクトは日本でも話題が聞こえたほどです」

 

 フェンリル、引いてはフライアが打ち出した理念。極致化。それは人類が再び弱肉強食のトップに返り咲く事を目指すということ。今この世界では、アラガミという存在に食い荒らされ、その食べ残しである人類はとてもじゃないが弱肉強食の上に君臨しているとは言い難い。人類が肩で風を切って世界を制圧していたのはもうざっと20年近く前か。

 アラガミが突如出現してたったの20年と捉えるべきか、それとも人類だけが抗う事に成功してもう20年も経っている考えるべきか。どちらにしろ、旧時代の秩序は崩れ国家は崩壊し今では大企業がその国家の役割を担っている。

 どちらにしろ、この絶望で荒廃した世界。フェンリルの提供する技術は唯一アラガミを遠ざけることが出来た。その彼らが人類がまた再び怯えることのない平穏を取り戻す計画を打ち出せば、例え東の果ての日本でも耳に入る。そして偏に神機兵は希望でもあった。戦えない人たちも戦えるようになれば、遺伝子によって潜在的に決められるゴッドイーターの資質を持つ者だけが保護されるというこの瀬戸際の世界に革命がもたらされるのでは、と。

 そんな希望を出来れば間近で見てみたかったのだ。もし許可が出れば乗りたいくらいである。そんな事を思い返しているとフランから声を掛けられた。

 

 「ここでしか見られないモノでしたら、庭園などは如何でしょう? 綺麗な花たちが迎えてくれますよ」

 「花、ですか。珍しいですね。そんなものまであるんですか」

 「そうでしょう。手入れもしっかりされてて憩いの場です」

 

 無機有機に関わらずアラガミに捕食され今では灰色の大地が多い。この世界、植物ですらもう滅多にお目にかかれないのだ。そんなものを育てて庭にして見せているなんて、心が広いというか純粋に驚く。研究室に閉じ込められるか金持ちの間で取引されるかだと思っていたのだから。

 

 「フライアは植物の保護活動にも尽力しています。庭園はその成果でしょう。ぜひ堪能していってください」

 

 フランから花が見れると聞いてユエは手を振ってエレベーターに急いで向かう。そんな綺麗なモノまでお目にかかれるなんて是非見たいに決まっている。脚は軽やかに動いていた。

 そして誰から見ても上機嫌な後姿を見送ってフランは書類に再び目を通す。

 

 そこに書かれていたのは「神代 ユエ」についてのデータだった。

 日本の支部で第一世代のゴッドイーターとして14歳から戦い、第一線で常に隊を纏めて来たたたき上げ。色んな意味で有名な極東支部とは別の所に居たらしい。現在は20歳でその戦歴は6年で場数を踏んでいる。

 戦場での評価は「破壊者(デストロイヤー)」やら「捕食者(プレデター)」もっと過剰な評価は「人の形をしたアラガミ」という物だった。曰く付きの神機使いであるというのは書面の通り。だが戦闘力はかなりのものらしいが、先ほど話してみた感じではそう言った危ない雰囲気を感じなかった。フランとしては書面との内容を比べて首をかしげたくなる。

 そしてその書面をデータベースに打ち込みながらフランは思うのだった。彼女は一体どんな戦い方をするのだろうか、と。

 

 そんな事を思われているとは露知らず、ユエは言われた通り庭園に来ていた。ガラス張りの壁の向こうに青空が見える。陽光を浴びて緑が艶のある葉を輝かせ、花が心なしか生き生きとしているように見えた。花園に足を踏み入れて、奥の木に誰かが腰かけていたのにユエは気づく。中性よりの顔立ちは男性に対する評価としていささか相応しくないだろうがまるで美の彫刻のように美しく、意志の力を感じられる瞳は威圧ではなく花を愛でる為に柔らかく細められていた。黄金の髪はさらりと揺れ、彼が足音に気付き視線を上げる。彼の瞳も髪と同様に黄金である。まるで少女が夢見る王子様、という理想像からそのまま誕生したのではないかと疑うくらいの美青年がユエを見た。

 

 「あぁ、適合試験お疲れ様。大変だっただろう」

 

 ユエの席を開ける青年は右に移動する。促されるまま隣に腰を落ち着けると二人は庭園を眺めた。

 

 「あの、貴方の御名前を伺っても宜しいでしょうか?」

 「ん、名乗って無かったな。俺はジュリウス・ヴィスコンティ。これからお前が所属する極致化技術開発局ブラッド隊の隊長だ」

 「隊長でしたか。よろしくお願い致します。神代ユエです。……あの、隊長はどうしてこちらに?」

 「ここはフライアの中で一番落ち着くんだ。暇な時は一日ここでぼーっとしてる」

 

 ジュリウスの言葉を聞いてユエもその気持ちが分かる気がした。ここは地球が忘れかけた自然が残っており花や草木を見て癒される。ここで本でも持ち込んで一日のんびり読書に費やすのも魅力的だろう。

 快晴の日ならば、こうしてぽかぽかと暖かい日差しに微睡みたくもなる。そうして二人は何をするわけでもなくこうして時間が過ぎ去るのを感じた。ユエは何となく感じたがこの人に気の利いた話をしなければいけないという雰囲気は無い。ジュリウスの視線から感じられるのは取り繕った人物像ではなく、自然体のユエを見てみたいというものだった。なので彼女も極力自然体で居ることを心がける。

 

 「お前には畏まらなくていい、と言わなくて済みそうだな。俺たちブラッドはいわば血を分けた家族だ。何か困ったことがあったら遠慮なく言ってくれ」

 「はい、困ったことがあれば是非お世話になります」

 「それじゃ、ゆっくりするといい」

 

 彼は立ち上がると軽く手を振ってこの楽園から出て行った。ユエは、木に背を預けゆっくりと眠ることにした。初めて来た場所に意外と緊張していたのだろう。気を抜いたら瞼が降りていた。

 草木のざわめきが子守唄となり、優しい日差しが暖かい毛布だった。自分を包むこの世界全てが優しく微睡んで、深い眠りへと囚われる。どちらにしろ最低今日一日は任務も出来ないのだ。久しぶりの休みとしてぐっすり昼寝をしてしまおう。

 

 

 

 ☩

 

 

 

 夢を見る。

 

 朧げでもう殆ど覚えていないほど幼い頃記憶だ。思い出したくないそれを、ユエは見ていた。

 それを見ながらユエは漠然と、「あぁ、夢か」と他人事のように納得した。もうこの世に無い光景が今だに脳裏に粗悪なビデオの映像のように焼き付いている。

 母の顔は、どんなだっただろう。父の声は、高かったか低かったかも覚えていない。あの頃は純粋に、生きることに精いっぱいだった。自分たちはフェンリルの作る壁の外で生きていた。いや、当時はそんなアラガミから遠ざけられた場所があったなんて知らなかった。

 毎日今日の糧を探して泥水をすすり、旅するように彷徨っていた。枯渇した食料。潰えた街。荒ぶる神からずっと隠れる様に逃げていた。

 そして、こんなこれ以上ないほどの地獄から奈落へと落とされる事件。

 これだけはやたらと覚えていた。いや、それでも穴が開いて全く覚えてない所もある。

 

 一面真っ赤の隠れ家の床。大きな刃物で貫かれたのだろう、右の胸に穴の開いた父。

 そしてその父に寄り添って名前を叫びながら震える母。

 何者かが振り降ろす刃が月明かりに照らされて、白く輝いたのを最後に、自分の記憶は一度穴に差し掛かる。

 そしてその穴から抜け出した先の記憶は、ふらふらと物陰から這い出す自分。引裂かれて原形をとどめていない母を欠落した感情で見ていた。目の前の肉塊を母と認めたくなかったから。その時、自分の喉から迸る張り裂けんばかりの叫びをまた聞いた気がした。

 

 「ぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああッ!!!!」

 

 目を見開き飛び起きる。

 流れるのはべたつく脂汗。震える自分の体。

 あぁ、あの夢を見てしまったのか、と荒れ狂う吐息を整えながら思う。

 心中で何度も落ち着けと呪文のように呪詛のように願いを込めて唱えた。両手で顔を覆い皮膚に爪を立てる。忘れたかった。思い出したくなかった。自分にとってかけがえのない物が、人が、殺された時の記憶なんて。

 深く顔に爪を立てる。その痛みで、フラッシュバックした映像を彼方へと押し流そうとして。

 

 血が出るんじゃないかというくらい力を込めようとして、草をかき分けるような音を聞いてユエは腰に武器でもあればそれを引き抜いて構える様な動きで飛び起き警戒する。

 そんな人間離れした素早い動きに驚いたのか、知らない間に近くまで来ていた人物は一瞬呆気に取られた表情をした。

 

 「まぁ、どうしたのです? まるで悪魔にでも出会ったかのような顔をして」

 「……あ、いえすみません」

 

 そして目の前に居た人物の姿にユエの体が止まる。

 

 黒いヴェールで覆われた顔は心配そうで、腰まで流れる金色の髪は彼女の首の動きに追随していた。車椅子に腰を掛け、喪服のような黒を基調とした色と装いの服。この華やかな世界に、彼女のいで立ちは決して馴染まない。ユエは、吸い込まれるかのようにその人物の瞳を見ていた。そこのない青の瞳はただ、じぃっと自分を見つめている。

 

 「落ち着きましたか?」

 「は、はい……」

 

 彼女に魅入っていたら、気が付いたらあの夢の残滓は消えていた。あれだけ出て行けと願っていたのにいざこうもあっさり出ていかれると拍子抜けしてしまう。落ち着きなく、服の胸元を握ると女性は車椅子でユエの前に移動した。

 

 「日本の支部から有難う御座います。貴女を招集したラケル・クラウディウスです。特殊部隊ブラッドの創設者になりますね」

 

 強い夕暮れの光に照らされた彼女の微笑みは、良く見えなかった。

 

 「私は、神代ユエと申します。つまり、アナタが私の、いいえ私たちブラッドの」

 「はい、ブラッド皆の母親になります」

 

 にこやかにそう言われてユエは返答に困った。

 部隊の創設者はいわば、その舞台の運用法を決める上官であるジュリウスよりも上位の存在。間違っても”母”ではないのだ。もっともな疑問を感じてもラケルは表情を崩さない。

 

 「えぇ貴女の疑問も最もでしょう。でも、私は願うのです。貴方達とは上司と部下ではなく、もっと心の近い存在でありたいのだと」

 「…………心の近い存在」

 「そうです。これから苦楽を共にして、ゴッドイーター全てを導く存在となる貴方達ブラッドを、ただの部下と私は思いたくないのです。ではどの関係が近くて傍にあれるかと考えた結果、私はブラッドの母であるという結論に行きつきました」

 

 どこか飛躍し過ぎているような気もするが、目の前の女性の言葉には真剣さが漂っていた。パッと見てユエはこのラケルという人物の年齢が推し量れなかった。20歳の自分よりもどこか幼く見えるようで、その隠された顔から覗く表情は長く生きた老女にも思える。彼女を見ていると自分の認識がぼんやりと歪められ、隠れた笑みが黒の霧に包まれる。

 その黒に包まれる瞬間から霧が晴れた瞬間の移り変わりに、自分が引きつけられるような魅入っていた感覚が遠のく。はっと我に返り姿勢を正すとラケルはそれを片手で止めた。

 

 「ほらさっき言ったでしょう? 私はアナタのお母さんなのです。そんな身を固くしなくてもよろしいんです」

 「わ、分かりました。その、敬語の方は……」

 「ふふ、今はまだ慣れないでしょうけど、私に敬語は不要ですよ。ですがこのフライアの局長や開発室長には必要になるでしょう。その様な方々には余り失礼の無いように」

 

 こくん、と小さく頷くユエにラケルも満足そうに頷いた。

 

 「では私はこれにて。アナタがあんまり酷く魘されていたので気になって起こしに来ただけなのです」

 

 彼女は電動の車椅子を動かしながらこの夕暮れも終わりかけの楽園から出て行った。

 その背中を見送って、ようやく現実に戻って来たユエは

 

 「ああああーーーーー!!! 思い出した! ラケルって、フランさんが言ってたラケル博士だッ!」

 

 いっぱい聞きたい事があったのにそのチャンスをうっかり見送ってしまった自分の失態に、ユエは花畑の中で両手を付いた。

 自分のバカバカッ! とそんな彼女の悔し気な声が木霊していくのだった。



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第三世代

 ネギを背負った鴨こと神機兵について知っているであろうラケル・クラウディウス博士を見送った翌日。ユエは自分の新しい神機を見た。

 使い心地を確かめようというのと、どうにも第二世代から神機はブレード系と銃器系を同時に扱えるらしくその使い方について教わる所だ。六年連れ添って来たロングブレードの神機にはコバンザメのようにぴったりくっつく銃機。どこか見慣れない己の半身を見つめながら神機を腰に吊るす。

 訓練はこの戦艦大和が大陸を走っているかのような水陸両用移動要塞フライアの中で行われる。でもこの要塞本当に水に浮くんですか? という疑問と疑惑をユエはまだ捨てていなかった。

 ターミナルで色々調べてフライアの事が書いていたが、こんな鉄の塊どころか下手な街よりも巨大なこれが水に浮くなんて幾らオラクル細胞が多彩だからって無理にも程がある。願わくば、この要塞が海を横断するようなことにならないのを願う。

 

 訓練所に辿り着くとそこには見知らぬ少女が居た。チューブトップの上に袖のないジャケット。ショートパンツは本気ですれすれまで短く、それはもう殆ど下着と変わらないのではなかろうか。ついでにチューブトップも片方クリップで固定されておらず元気に動いたらずれてしまいそう。丈の違う黒いソックスは彼女の健康的な肉質感のある脚をきゅっと締めていた。実に肌色率の高い服にユエは目を擦るともう一度見て、今度は頬を抓りながらそんな彼女を見る。でもやっぱり現実は変わってくれなかった。

 

 「ねぇ何してるの?」

 

 心底不思議そうに話しかけて来る少女にユエは視線を逸らしながら答える。

 

 「いえ、実はまだ夢の中に居るんじゃないかと思ったんです」

 

 ちらっと視界に彼女の顔を収める。好奇心の強そうな丸くぱっちりとした目に、後頭部の髪を上に持ってきてまるで猫耳のようにしている。今はユエの反応を変に思ってか目が細められた。図鑑の世界でしかお目にかかったことが無いが実際に猫が居たらこんな反応をするのだろうか、とユエは場違いな方向に思考を持って行って活発そうな少女を見ないようにする。

 

 あぁ、でも自分のこのブラッド隊の制服を身に着けているがガーターのような飾りのあるブーツにギリギリまで短いスパッツ。腰のラインどころかへそのラインまで浮き出るこの着てる感じがゼロのエロい戦闘服を思えばどっちもどっちなんじゃないかと思う。齢20の女が着ていい服装ではない。正直に言おう。痛い。何が痛いって心が痛いに決まってる。ついでに言うとこれを採用した部署は頭がヤバいと思う。こういうのが査問会議に訴えられるべきではないだろうか。

 

 「……どうしよう、恥ずかしくなってきた」

 「おーい、話しを聞いてる? ねぇ? ねぇったら」

 

 少女が目の前で手を振って意識があるかを確認してくる。ついうっかりその素肌が視界に入りそうになって慌ててユエは視線を逸らした。他人の肌を見るのは背徳感というか罪悪感で心臓に悪いからだ。

 

 「はい、なんでしょうか?」

 「おー、やっと返事してくれた! もう一度言うよ、私の名前は香月ナナ。貴女はどんなお名前なの?」

 「昨日からフライア極致化技術開発局ブラッド隊に配属された神代ユエと申します」

 

 その言葉にナナは嬉しそうに目を開いた。

 

 「という事は貴女もブラッドでしかも日本人なんだ! うわぁー嬉しい! 真っ黒な髪を見たときはもしかしてって思ったんだ。よろしくねユエちゃん」

 「はい、よろしくお願いします香月さん」

 「これから仲良くするんだからそんな畏まった呼び方は止めてよ。せっかくだからナナって呼んで」

 

 手を握られぶんぶんと握手をして来るナナの申し出にユエもはにかみながら頷いた。こう言った元気があって明るい子は和んで好きだ。妹がいたらこんな活発で元気で純粋な子がいいなぁと思う。

 

 「そうですね。では改めてよろしくお願いしますナナちゃん」

 「出来れば敬語も無しで! たぶんユエちゃんの方がお姉さん、なのかな?」

 

 自分より10cm以上身長の高い女性をナナは見上げる。

 黒い艶のある髪を左の方で団子にして結い、優しい目じりの下がった垂れ目の彼女はお姉さんよりもどこか包み込んで甘やかしてくれる母性を感じた。柔らかく弧を描いた口元は、心地のいい声で言葉を紡ぐ。

 

 「ふふ、そうね。ナナちゃんよりは年上よ。もう20歳だから」

 「私より3歳も上だ!」

 

 ナナはユエの年齢に驚いた。自分とあんまり変わらないかと思っていたが未成年と成年の壁は大きい。

 そしてユエはナナの言葉に驚いた。まだ15くらいだと思っていたがこの少女は実年齢よりもその精神的な面、もしくは振る舞いは幼い所があるらしい。自分がこれくらいの歳はどうしていただろうか。そう思って振り返っても出て来るのは、資料を読み込んでいるかアラガミを追いかけている自分だった。そう言えば自分は事務的な会話は意外と久しぶりである事にちょっと悲しくなる。

 別に前の支部でボッチだったわけじゃ、ないと思いたい。

 

 「そう言えばナナちゃんも今から訓練?」

 「そうだよ。こうして神機を使って戦うの初めてで、自信ないんだよねぇ」

 「大丈夫よ。何事も最初から上手く熟す必要は無いの。ここでは失敗しても次があるからどんどんむしろ攻めて行くくらいでなきゃ」

 「おぉ! 大人だね。やっぱり長く生きてる分こう言った舞台ではどっしり構えられるの?」

 

 ナナは緊張を隠すように握ったブーストハンマーを握る手に力を籠める。

 その行動にユエは成る程、と心の中で呟く。彼女は元からきっと明るい性格なのだが、今こうして話しかけているのは訓練への緊張を紛らわすためだ。ユエは彼女の緊張を取り去るために自分の中にある話題をあれこれ用意することにした。

 

 「そんなに長く生きたつもりは無いのよ? でももうゴッドイーターとして六年生きてるから訓練だと緊張しないのかもね」

 「六年!?」

 「えぇ、元は日本の支部に居たのだけど招集されて。P66偏食因子に適合したからこっちで働きなさいって」

 

 目を見開くナナに苦笑しながらユエは語る。

 

 「今は実戦ってことを考えないで神機の使い方について知るべきね。ダミーアラガミが出て来るでしょうからそれをサンドバックにして殴ってあげればいいわ」

 「分かった! ボコボコにすればいいんだね!」

 「えぇ、最初はこれでもかってくらい殴りなさい。馴れて来た頃にあれこれ応用的な使い方を覚えたらいいわ」

 「ゴッドイーターの先輩が居てくれて助かったよ~。私一人だけだったら緊張してきっと上手く出来なかったな」

 

 漠然と何をすればいいのかという不安と緊張から解放されたナナは更に活発さを取り戻す。

 

 「いやぁ、心配事が無くなったらお腹すいちゃった! ユエちゃんもおでんパン食べる?」

 「へ?」

 

 なんですかその飯テロ。

 もちろん、思わずお腹が空くという意味ではない。

 なにその想像するのも憚れるような危険な組み合わせの食べ物は。そう言う意味である。もはや食に対する無差別攻撃である。

 

 「ご、ごめんなさい。後でもらうわ。私は体を動かす前に胃にモノを入れないから」

 「そっか、残念。でも訓練終わったらどうぞ食べて! お母さん直伝ナナ特製のおでんパン!」

 

 ぐいっと手渡されたそれは、ホットドッグ用のパンにソーセージの代わりにおでんが鎮座しているモノだった。具は本当におでんに出てくる物ばかり。

 あ、おでんの具がばらけないように刺してるのは串じゃなくてパスタの麺なんだ。細かいなぁ。と滝汗を流しながら感想を述べる。

 そして思うのは出汁ベースのおでんにパンというのはどう考えてもミスマッチ。せめて主食としてのたんぱく質を取ることも兼ねるならそうめんの方がいいに決まっている。おでんの出汁でそうめんを食べると出汁がちょっと薄味すぎるだろうが完全なミスマッチではない筈だ。

 

 「う、うん。あとで貰うわね。ありがとうナナちゃん」

 「いいんだよー。是非食べてね」

 

 悲しいかな世界の食糧事情を考えれば食べ物なんて無駄にできない。食べねば……。そんな使命感に彼女は口元を引きつらせる。そして少女の好意を無駄にしてはならない。女の子の笑顔はこの世の宝だ。

 

 「早いな。もう集まっていたのか」

 

 二人で楽しく話し込んでいると昨日庭園で出会った青年が居た。彼は二人を一瞥すると手元の資料に視線を落とす。

 

 「では先ずはナナの方から訓練をしようか。基本の扱い方から軽い応用に至るまでの全てだ。ユエの方は軽い起動チェックの後はほぼ実践形式で始める。いいか?」

 「了解です!」

 

 既に訓練、二人にとっての任務は始まっている。揃って敬礼をするとジュリウスも一つ頷いて二人に通信機を渡す。

 

 「こちらからの連絡はこれで出す。実戦により近い環境で受けてもらうがナナは最初は神機の使い方から入る。気を楽にな」

 「はい! 大丈夫です!」

 

 元気に答える彼女にジュリウスは杞憂に思ったかと安堵の微笑みを浮かべる。

 

 「俺はあちらの別室の方に移る。そこからダミーアラガミを出しつつアドバイスを出そう」

 

 てきぱきと行動を初めナナはいよいよ始まったのかと舞い戻った緊張に負けないように頬を叩く。ユエは彼女を案じて訓練室に残る。誰かが後ろで見守ってくれるという状況にナナも心が軽くなってぐっと親指を立てた。

 

 「頑張るよ!」

 「応援してるわ」

 

 そして訓練開始のブザーが鳴った。

 

 

 

 ☩

 

 

 

 ナナの奮闘を傍らから見ながらのユエの評価は、肝が据わっている、だった。

 生き物を殴るという行為に人は大なり小なり怯む。あとは慣れだが、ナナはその馴れがあっと言う間である。殴った時にダミーアラガミ、かなり本物に近いそれが悲鳴を上げ怒りに絶叫するのに最初こそ足がすくんでいたが、今ではそんな声に反応せずハンマーを振る。今はハンマーの殴打をし過ぎたせいか敵の目の前で荒い息をしてよろけた。その様子にジュリウスが無線でアドバイスを出す。

 強力な連打だがやり過ぎれば自分のスタミナが切れ死に繋が隙きに陥ると。ナナもそれを痛いほど痛感している。今目の前のダミーは動かない的でしかないが、これが跳ねまわって動く事を想像したら、自分は今頃頭からぱっくり食べられてしまっているだろうと。

 

 呼吸を整え、再度ハンマーを振るう。自分の限界がどの辺かを探るために的に叩きつけて行く。次第に自分の力量や限界を掴んで行きハンマーを振るう動きが様になって来た。どうすれば振りやすいか、どうすれば威力が出るか、自分はどこまで出来るのか。一つ一つを知っていくその初々しい動きに彼女を見守る二人は生まれたばかりの仔馬が自力で立ち上がる姿を重ねる。

 なにより、自分が辿った道を見ているようでこそばゆかった。あぁ、自分にもこんな時代があったモノだと。

 

 一通り動きの確認が終わり、ナナの訓練は今日はここまでという事になった。本人は至って元気で「まだまだやれるよ!」と主張していたが明日からは敵が実際に動くのでナナは明日までに動きの復習をしておくようにと課題が出された。

 

 「むぅ、楽しみは明日に取っておこうかな」

 

 紅潮した頬は運動をしたことと程よい緊張感からの興奮だった。ナナはユエが渡したタオルで汗を拭いつつ休憩のために訓練場の端っこに移動する。

 

 「ナナ、これから実戦に近い形式で始める。危険だからこちらに来るように」

 「えっと隊長、出来れば私もここで見たいんだよね。ほら、実戦に近い環境を肌で感じたいから」

 「向上心がある事は良いことだ。だがそれは実力が備わってからでも遅くは無い。確かにダミーアラガミの感知センサーでナナを捕捉しないようには出来るが、流れ弾まではどうにもならんぞ」

 「怖いけど、大丈夫! 私だってブラッドなんだから。そう言えば、実戦に近い形だけど、どんなのが出るの?」

 

 一歩も譲らないナナにジュリウスもどうしたものかと腕を組む。そんな中無線にユエが入って来た。

 

 「ナナちゃんもここでいいでしょうか? 私も極力被害が出ないようにしますので。それに流れ弾もガードのいい訓練になります」

 「だが相手はヴァジュラを予定している。シユウに変えようか」

 「いいえ、ヴァジュラくらいなら大丈夫ですよ。ボルグ・カムランでしたら是非変更をお願いしましたが」

 「分かった。無理だと判断すれば一時訓練を中止する。その後はナナを下がらせよう」

 「有難う御座います」

 

 無線を切りユエはナナに微笑む。

 

 「危なくなったら遠慮しないで言ってね。……守ってあげられる訳じゃないから」

 「大丈夫だよ。頑張ってガードするんだから。それより実戦みたいなものなんでしょう? 無理しないでね」

 

 ユエは先ほどのナナがやったように親指を立てて応える。

 彼女の笑みは心配するなと語っていた。そしてユエは軽く準備運動を始める。一通り終わらせるとジュリウスからの連絡が入る。どうやら準備が出来たらしい。

 

 「では、準備はいいか?」

 「準備完了。お願いします」

 

 その言葉と同時にユエは腰に吊るした神機を握り、また同時に上から巨大な四足歩行の生き物が降って来た。

 それを見てナナは目を見開いた。鋭い牙、それに負けない爪。その巨躯は人間が束になったくらいでは覆しようのないほどに大きい。この広々とした訓練場が一気に狭くなったかのようだった。長い尾を揺らし、赤いマントのような物がひらひらと蠢く。鼻息だけで風が巻き起こり、それが吠えた瞬間ナナは片手で顔を覆う。音圧と風圧、いやそれだけではない自分の中の恐怖に押されたのだ。

 これが、中型アラガミ。ヴァジュラ。

 その姿は過去存在したとされるトラに似ている。パリパリと音を発する相手はどうやら電撃で攻撃をして来る存在らしい。見るからにあんなものに当たると痛そうだと思う。いや、それ以上に死んでしまうのでないか。

 思わずナナは後ろに下がった。

 

 それとは真逆に、ずいっとユエは前に出て手に持っていた神機を肩に担ぐ。ナナからは見えないが、ユエの持つ雰囲気が包み込んでくれる毛布から、全てを切り裂く刃に変わった気がした。そして彼女はその柔らかい声音から想像も出来ないドスの効いた低い声で言い放つ。

 

 「何かと思えば、お前かよ。詰まらねぇなぁ」

 

 そして戦いの火ぶたが斬って落とされる。

 ヴァジュラが突進して振るう爪をまたユエも掻い潜りすれ違い様に神機がぐにゃりと歪み、飛び出したのは黒い頭だった。捕食形態と呼ばれるそれは容赦なくヴァジュラの足に喰らい付く。

 ぶちぶちと繊維がちぎれる音とヴァジュラが吠える声が木霊す。

 

 「くっはははは!! どうした喰われてご立腹ってか!? そうだよなぁ! 喰うしか能のねぇお前らか十八番奪ったら何にも残らねぇから怒るよなぁ!」

 

 同時に神機が光り、活力に満ち溢れるユエは、その人柄を豹変させていた。

 何かの聞き間違いではなかった。ナナは先ほどまで自分を優しく見守っていた人物の意外な一面を見ることになる。

 

 先ほどよりも俊敏な動きでヴァジュラに迫りロングブレードの刃を振るう。その攻撃は途切れることを知らず滑らかに続き、ヴァジュラが反撃すればまるでそれに合わせる様に回避をして相手の死角から一方的にその剣を振るう。巨大な剣を軽々と扱い、攻撃をまるでそよ風だと言うようにいなす。

 ヴァジュラはまるで小さな台風に翻弄されているかのようだった。自分の周りを切り刻むそれは常に自分の手の届く範囲から攻撃を仕掛けてくる。放電をしようとすれば下がり、爪を振り降ろせば気が付けばそこに居ない。突進をしようものなら知らない間に後ろに回られて切りつけられる。

 なによりもユエは戦闘の合間合間に必ず捕食をして来た。肉に喰らい付く神機の咢。それは常にユエをバースト状態にした。怒りに任せて暴れ始めたヴァジュラにユエは素早く銃形態に変えると、ブラストの銃の特徴であるオラクルリザーブ、簡潔に言うなればエネルギーチャージ。それをすっからかんにする勢いで乱射し始めた。

 

 ヴァジュラの電撃に対抗するように幾つもの炎の弾丸が飛び交う。

 

 「受け取れ! お前から貰ったエネルギーだぁ!!」

 

 放電の光と炎の光で目も開けてられない光にナナは盾を展開して光を防ぐ。これで流れ弾が来てもどうにかなるからだ。

 光が視界を潰していく中でユエの哄笑とヴァジュラの怒号と悲鳴が尽きない。

 光が止み、盾から顔をのぞかせたナナが見たのは、ヴァジュラの爪の連撃を避けながら器用にブラストを撃つユエの姿。後ろに目が付いているのかと思うほどの足運びで後退していく。顔も体も結合崩壊を起こしたヴァジュラは怒りで構築するオラクル細胞を活性化させ見た中の動きでもっとも俊敏な足運びでユエとの距離を詰める。既に打ち尽くして接近に戻していたユエは相手の爪の一撃を絶妙な技量で盾で受け流す。

 バックラーでは防御してもその軽さからどうやってもダメージが入るものだとナナは思っていた。だが先ほどユエは相手の一撃を完璧に凌いだのだ。

 まるで軽く弾くようにヴァジュラの爪が軽量の盾に成す術がないという光景は背筋に興奮と畏怖を感じさせる。圧倒的技量と戦闘センスが成せる成熟された技。その強さの前にヴァジュラは五分も持たなかった。

 結局最後までユエはバースト状態を維持したまま圧勝した。殆どダメージを受けることなく初めて扱うはずの第三世代の神機を使いこなしてみせたのだ。六年もゴッドイーターとして生きているのだから、これくらい当たり前なのかもしれないとナナは茫然と思いながらその姿を脳裏に焼き付ける。

 自分もいつかあんな風に強くかっこよく戦いたいと。

 

 そして神機を腰に吊るし、手を離して振り返った彼女はナナが知っている神代ユエだった。



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