IS 不死鳥の鳥瞰 (koth3)
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一章
還俗する仙人


ほかの作業の息抜きでできた作品です。もったいないので投稿してみます。あと、この作品はずっと不定期更新です。


 桜雨でぬかるんだ汚泥がハイヒールにこびりつき、ヒールの光沢が失われていく。

 ふとした拍子に足下の変動に気がついた織斑千冬は盛大に舌打ちをする。後で泥を拭い去るのが非常に面倒だった。また先程から幾度もぶつかり絡みつこうとする小枝や茂みも千冬の機嫌を大いに損ねるのに一役買っている。邪魔だと払えば、しなった分だけ勢いよく戻り、身体を打つ。ではへし折ればというと、ねばねばとした樹脂が飛び散り、スーツが草いきれを吸収してしまう。千冬は自身の身体能力ならばたとえ山道でもスーツにハイヒールだとしても問題はないだろうと過信してしまったが、身体能力ではどうしようもない問題にぶち当たってしまっていた。家に帰ったら弟の一夏にでも全部掃除させようかと内心自堕落なことを考えながら道を進む。

 いやその道は山道というにはいささか以上に険しい。その道は獣道だった。進むには生い茂った草木をかき分ける必要があり、また見えづらい足下はある程度獣たちによって踏みならされるといえどもうねりにうねり、スポーツシューズを履いていたとしても不安定な足場だ。それをハイヒールなぞで歩くなど普通は不可能だ。それを可能としているだけ、織斑千冬の身体能力の高さが浮き彫りになる。

 

「登山用品でも買うべきだったか。面倒がったのがいけなかったな」

 

 後悔先に立たず、覆水盆に返らず、こぼしたミルクを嘆いても仕方がない。とはいえそう簡単に切り替えられるほど人ができているわけでもない。千冬はこの先に住むという偏屈な変わり者に文句の一言でも言ってやろうかと、額を流れるわずかな汗を乱暴に拭い去り思った。

 曲がりくねる迷路のような獣道をなんとか抜けると、平坦な場所に立つ荒ら屋が見えてきた。安堵の息をつく。疲れからか、それとも自然あふれる場所だからか、空気がうまかった。

 息を整え荒ら屋の近くに寄ると、それが荒ら屋というのも褒めすぎなほどだと千冬は感じた。板は腐りきり、あちらこちらが開いて穴と化している。小屋がちょっとでも揺れれば簡単に崩れるであろうと建築の知識がない千冬でもすぐに分かるような代物だった。

 ノックをしようとしたが思いとどまる。はたしてノック程度といえども叩いてしまったら、この建物らしき物体は無事だろうかと。しばし迷った末、千冬は拳を下ろし声をかけることにした。

 

「さっきからそこにいたようだが、遭難者だったか。ここから東に十分も歩けば小川に出る。後はその川に沿って下れば下山できる」

 

 鈴を転がすような音が返ってきた。耳に自然と滑り込み、聞いているだけで心地よくなるほどの美声だ。合唱団でもテナーとして活躍できるのではないだろうか。予想よりも幾分、いやずいぶんと若い声に千冬は次の言葉を支えさせてしまった。

 

「あっ、いや、失礼。私は別に遭難したわけではない。あなたに用があってきたんだ」

「……用、だと」

「ええ、日本政府からあなたに。私はその遣いです」

「……世捨て人の俺に何のようかは知らないが、それでもわざわざ訪ねてくださったんだ。もてなさないわけにもいくまい。おんぼろだが、中へどうぞ」

 

 言葉と裏腹に余り歓迎という声音でなかったが、千冬は朴念仁のふりをして扉を開けることにした。

 小屋の中は明かりがないのか薄暗い。しかし壁一面にあいた穴から光線がわずかに差し込んでおり、埃が舞ってきらきら光っているのが見える。多少目が慣れると部屋の様子がさらに分かってくる。一言で言えば生活臭のかけらもない部屋だった。床は大穴が空いているだけで私物らしきものはおろか布団のような生活用品すらおかれていない。それどころか床には埃が積もるだけ積もらせているだけで、本当にそこで生活しているのかと疑ってしまう有様だった。

 足を踏み入れた際に舞った埃が鼻を刺激し、思わず手で仰ぐ。埃と腐った板の臭いで千冬はこんな場所に住み着く奴は何者なのだと疑問を深めた。

 

「こちらだ」

 

 その声に釣られてさらに奥を見やれば、そこには赤い野袴を穿いた短く刈りそろえられた白髪が特徴的な少年がいた。

 少年がこちらに歩み寄った。光線が顔にかかり、その容貌が判明する。あどけない顔つきをしているが、アルビノという言葉で言い表せないほど澄んだ赤の瞳をしており、千冬はその赤に思わず引き込まれた。その瞳は深い知性を佇ませているように見えた。千冬が内心で惹起した人物ではとうてい感じられない深みだ。

 

(身長からみるに十二、いや十くらいか? しかし三十代の男から話を聞いたとおりだとすれば、男が子供のころからここに住んでいると言っていたな。だとすれば最低でもこの容姿で三十代、私より年上というのがどうにも信じられないな。……しかしなるほど、この容姿と雰囲気、そして年齢不詳では仙人と言われるのも不思議ではない)

 

 千冬は驚きを顔に出さないよう、注意しながら言葉を紡ぎ出した。

 

「初めまして、織斑千冬と申します」

「ん、ああ。……藤原紅輝(こうき)だ」

「では藤原さん、さっそくで申し訳ありませんが、あなたはこの地域で行われたIS適性検査のことをご存知ですか」

「……いや、悪いが存じ上げていない。見ての通り辺鄙な場所だ。それに俺には戸籍というものがないからな。手紙の類いなど来るわけがない。そしてISというのも聞き慣れない言葉だよ」

 

 戸籍がないという藤原の言葉に、千冬の左手がわずかに動いた。とっさに意識を集中することで、動きを止める。千冬が若いころからの癖だ。感情的になると左手が動いてしまう。

 

「そうですか。では改めてご説明させていただきます」

「ああ、別にかまわない。それと悪いがここはこの有様だ。本来は坐っていただきお茶の一つでも出すべきなのだろうが、お茶っ葉どころか座布団の一枚もないのでな。十分なもてなしができないことを許してほしい。」

「いえお構いなく。さて、ISを知らないという話でしたが」

「こんな場所にいると、俗世には疎くなるのでな」

「では一から説明させていただきます」

 

 アイコンタクトで確認をとれば、藤原はどうぞご自由にと返信した。咳払いを一つ、千冬は説明し始めた。

 IS。正式名称をインフィニットストラトス。

 本来宇宙開発などで使われる予定だったパワードスーツで、現在はとある事件をきっかけに軍事目的で使用されている兵器である。戦闘機を上回る機動性に速度。そして多彩な武器を搭載することでほかの兵器と一線を画する攻撃能力を有す。優秀すぎるほどに優秀な性能を誇る兵器だ。

 そんなISだが欠点がいくつかある。まずその個数が限られていること。ISにはコアが必要で有り、そのコアを造れるのが開発者である篠ノ之束だけであり、現在その篠ノ之束は消息を絶っている。故に新しいISコアが世にでず、その絶対数が増えることはない。次に、理由は不明だが、ISは女性しか動かせないという欠点がある。

 

「それで、なぜ俺にその女にしか扱えないというISの話が来るんだ。一目見れば分かるように俺は男だぞ」

 

 そうは言うが女性、いや女子に見えなくはない。それどころか見ようによっては男子であるということの方が分かりづらい。心の中で千冬はそう愚痴る。

 

「それについてもこれからお話しします」

「ああ。悪かった、話の腰を折ってしまったな」

「いえ」

 

 そしてそのISだが、今年一つの例外ができた。織斑一夏という少年がISを起動させたという。

 

「織斑……」

 

 ほとんど反応を示さなかった藤原だが、織斑という単語に反応し、千冬の様子を窺っていた。千冬はゆがみそうになる顔を抑え、首を振った。

 

「ええ、愚弟です」

「そうか、弟か」

 

 藤原が足下を見る。なにか思うところがあるのだろうかと千冬は一旦話をやめようとした。しかしすぐに顔を上げて藤原は続きを促した。千冬は何も見なかったことにし、話を続ける。

 そこで各国政府は各国の国民全男性を対象にISの起動試験を行うことを決めた。それは日本も例外ではなく、むしろ率先して試験を行った。そして今日その試験がここらの地域を対象で行われ、かつその対象者の一人が「仙人はこの試験を受けるのだろうか」と漏らし、藤原の存在が発覚。こうして迎えに来たというわけだった。

 

「なるほどね。しかしたかだか男一人だ。しかも戸籍がないということは、存在しない人間と同義なんだろう。無視をすれば良かったじゃないか」

 

 藤原の言葉に千冬の中で苦い思いが広がる。

 同じことを、起動試験の監督者が漏らしたからだ。たしかに見て見ぬふりは簡単だが、千冬にそれはできなかった。それをすることを許すわけにいかなかった。

 

「……いえ、それでもすべきことはするべきです」

「……ふうん、いやすまなかった。職務をきちんとこなしている人に怠慢を勧めてしまった」

「いえ、かまいません。それでご足労ですが」

「皆まで言わなくてもいいさ。まあ、ここまでお越しいただいたんだ。時間だけはたっぷりある。ちゃっちゃとその起動試験とやらをうけて失格になるとしますか」

「ええ、では起動試験所にご案内します」

 

 下山はとても簡単だった。藤原が先導し、道を教えてくれる。小屋で呼びかけたときの返答通りに小川に沿っていけば、日光で乾いたなだらかな地面が麓まで一本道で続いていた。行きが大変だっただけあって、思わず藤原を睨んでしまう千冬だった。せめて地元の人間くらいにはその道を教えておいてくれれば、ああも苦労せずにすんだというのにと。

 だがその怨みの視線を受ける藤原はポケットに手を突っ込み、どこから取り出したのかくしゃくしゃになった煙草で紫煙をくゆらせ悪びれもしない。

 

「なあに、道を知らないやつが多くなったのさ。昔と比べて」 

 

 千冬の視線に気づいたのか、そんなことまで返してくる。

 その言葉に思わず言い返しそうになった千冬だが、地元の人間に言われたとおりの道を来ただけで、出発前に地図をよくよく見ずに来たのは自身だ。苦労したのも自業自得だと無理矢理納得させた。

 それにしてもと千冬は藤原の後ろをのぞき見る。

 日光の元で見る藤原は薄暗い小屋で見た先程よりも、遙かに風雅に見えた。光が透き通っているかと錯覚してしまいそうになる白い肌、白髪は光の下では一本一本が絹の糸のように光輝いている。そして今は見えないが人智離れした赤い瞳。そして何よりも今にも壊れてしまいそうないじらしい身体つきは、守ってやらなければならないと本能を刺激してくる。麗しい見た目と良い、幻想的な雰囲気と良い、それでいて幼げな身体が醸し出すアンバランスな艶めかしさに、その気がなくとも思わずつばを飲み込んでしまう。

 いやいや自分はこんな性的倒錯者ではないと赤く染まった顔をふりふり、妄想を吹き飛ばす。しばし沈黙の間が続く。しかしそろそろ麓の家々の屋根が見えたあたりで、千冬は人気のないうちに聞きたかったことを訊く。少し前よりも真っ赤になりながら。

 

「ああ、藤原さん。その、一つ、一つだけ訊ねてもよろしいでしょうか」

「うん、別にかまわないが。なにか忘れ物でもあったのか」

「いや、その」

 

 どうしても歯切れの悪くなってしまう千冬。立ち止まった藤原がいぶかしげに千冬を見ている。どうにでもなれとやけっぱちの気持ちで千冬は訊ねた。

 

「その、藤原さんはとても若く見えますが、なにか特別なことをされているのでしょうか。修験道みたいな修行やら、特別な薬草やらを煎じて飲んだり……」

 

 最後の方は口にした自身でも聞き取れないほどか細い声だった。千冬は人差し指同士をつきあわせ、若干顔を下に向けた。小川の澄んだせせらぎに写る自身の顔に、千冬はついつい人差し指に力を込めた。

 目を丸くした藤原が、千冬を見詰めている。たとえ見ていなくとも分かる。その視線に耐えられなくなった千冬は、思わず顔ごと視線からそらす。

 

「ふ、ふふ。ふふふふふふ。いや失礼。ご期待に添えなくて申し訳がないが、別段特別なことはしていないサ。体質のようなものだ」

 

 そういう藤原は朗らかに笑っていた。年相応の笑顔をせせらぎに浮かべて。だがその笑顔はどこか寂しげなものが混じっているような気がした。



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仙人という歯車は不協和音を奏でる

 東京湾を埋め立てて造られた人工島、そこにIS学園というISを学ぶ学校がある。ISに関連する人材を育成するための教育機関だ。世界各国から優れた才を持つ者たちを集め、有能な人材を育成している。所謂エリートを生み出している。だがそこにいる人は誰も彼も程度の差こそあれ、才能に充ち満ちた少女たち、すなわち女性たちばかりだ。ISが女性しか起動できない以上、当然の帰結だ。

 だが一年一組の副担任である山田真耶は、そんなエリートの女性たちが集うIS学園で、何の因果か男性を自分のクラスへと案内していた。

 藤原紅輝。ISの一斉検査を行った際、IS学園から監視という名目で送られた織斑千冬により山奥からつれられ、ISを起動できたという変わった経歴を持つ男だ。

 はぐれていないか確かめるふりをして振り返れば、その藤原はグラウンドを見ていた。釣られて真耶が視線を窓からやれば、そこには誰もおらず、グランドを囲むように植えられた草木がただ風に揺られているだけだった。

 もしかしたらわずかとは言え見えてしまった自然から、住んでいたという山を想起してしまいホームシックにかかってしまったのかと真耶は心配したが、口にしたところでどうすることもできずただ黙っているだけしかできずにいた。

 

「藤原さん、ここが一年一組の教室です」

 

 憐憫と後ろめたい感情を飲み込み、真耶はたどり着いた教室の扉を指した。

 

「少し待っててください。今から藤原さんのことを説明しますので。合図をしたら入ってきてください」

 

 返事を待たずに真耶は教室へ入る。そこでは多くの生徒たちが坐って真耶を待っており、その中には藤原が来るよりも早くIS学園に通うようになったもう一人の男性操縦者である織斑一夏が常に変わらぬ表情で真耶のことを見ていた。生徒たちに見えないよう注意をしつつ、安堵をこぼした真耶は教卓へ向かう。

 

「ええ、皆さん。今日は大事なお知らせがあります」

 

  その言葉にクラス中の視線が真耶に集まる。物理的な力すら持ちそうなその視線にさらされ、真耶の背中から汗が出て来る。つばを一度のみ、無理矢理に声を出す。

 

「今日から皆さんと一緒に学ぶ新入生の人がいます。皆さん、仲良くしてあげてください」

 

 がやがやとクラスが騒がしくなる。女子の多くは四月の上旬で新入生が来るという自体に眉根を潜め、近くの生徒同士で話し合っている。それがクラスのほとんどがするのであれば、いくら声を潜めても全体的にはかなり大きな声となる。

 これ以上放置をしていると、喧騒がひどくなる。そう判断した真耶は廊下にまで聞こえるよう声を張り上げた。

 

「では入ってください、藤原さん」

 

 教室の扉が開き藤原が中に入ると、あれだけ騒がしかったクラスが静まりかえった。織斑一夏に至っては、目を丸くしわかりやすいほどに驚愕という感情を顔に貼り付けている。

 藤原は落ち着いた足取りで教卓のそばまで近寄ってきた。誰もが藤原の一挙手一投足に注視し、その言葉を待ちわびていた。

 

「藤原紅輝」

 

 静まりかえった中、佳音が響く。いくらかの女子生徒はその声の良さに顔を緩めている。その気持ちは真耶もまたよく分かった。さきほど職員室で藤原と会ったとき、最初の挨拶をされたさい、その美声に聞き惚れてしまったほどだ。

 

「……」

 

 しかしいくら美声だろうとも、余韻だけで人を惹きつけられるわけではない。藤原が無言でいるうちに、意識をどこかにやってしまった生徒たちも帰ってきて続きを聴こうと耳を澄ましている。

 だというのに藤原は全く口を開かない。

 

「えっと、藤原さん。ほかには」

 

 おそるおそると真耶が訊ねる。

 

「名前だけで十分だろう」

 

 なんとも冷静かつ拒絶あふれる回答が返り、一瞬真耶は言葉を詰まらせる。横目で生徒たちを見れば、みんな口を開けてしまっている。これでは初日の織斑一夏の二の舞、いやそれ以下だとおおわらわに続きを促す。

 

「ほら、年齢とかどうですか。ほかには趣味とか」

「年齢なんてもう覚えていない。趣味もない」

 

 すげなく返されたことと内容に、真耶は顔を青ざめる。教室の女子生徒も年齢を覚えていないという回答に信じられないものを見たような目で藤原を見ている。どうにか挽回しようと、真耶は脳みそをフル回転させる。IS学園の教師ということは、真耶もまたエリートだ。でなければ才女たちを教え導くことなどできやしない。故にその才能を持ってすればこの凍り付いた空気をどうにかできるはずと己を信じ、真耶は咄嗟に思いついたことを口にする。

 

「あ、じゃあ、すきなものとかありますか。ほら、食べものとか歌とか」

 

 これならば話のとっかかりになるだろうと真耶は確信し、そして周りの女子生徒も真耶に対しナイスアシストと言わんばかりに輝いた視線を送る。

 やればできるのだ。普段から威厳がない、おっちょこちょいと言われ続けたが、それでもこれだけのことはできるのだと失いかけている自信を真耶が取り戻している中、藤原の言葉がもたらされる。

 

「……生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く 死に死に死に死んで死の終りに冥し」

 

 その言葉に一年一組は局所的なブリザードに見舞われた。クラスにいる全員が先程と打って変わり、異物を見るような視線を藤原へと送った。

 そして藤原の後ろでは、教卓に身を預けるように真耶がうなだれていた。

 

 

 

 一年一組の生徒は全員グラウンドに集まっていた。これからISを使った授業があるためだ。担任である千冬の前に、藤原以外の生徒がきれいに整列する。

 そんな悪目立ちしている藤原を、誰もが刮眼していた。

 

「藤原、お前は織斑の後ろに並べ、……よし。さて諸君。これよりISを使用しての授業を始める。まず始めに伝えることがある。この授業から本格的にISを使い始めることになるが、私たち教師の言うことを良く聴き、実践せよ。お前たちが扱うものは子供のおもちゃじゃない。銃を始めとした兵器を満載した戦術兵器だ。そのことをわきまえろ。その行動一つ一つに責任が課せられる。勝手をするならば、退学させることも辞さない」

 

 千冬の言葉に誰もが姿勢を正す。先程まで藤原をじろじろ眺めていた生徒たちも含め、いまは真剣に千冬の言葉を聴いている。そしてそれは一夏も同じだった。特に一夏は先だってセシリア・オルコットという女生徒とクラス代表の座を賭けて決闘した経験がある。だからこそ、ISが強力無比な兵器の側面を有することを実体験として理解していた。

 

「ではまず専用機持ちに見本をさせる。各自、よく見ておくように。織斑・オルコットの両名は展開、そして飛行しろ。藤原、お前も飛行をしてみろ」

 

 誰もが藤原を仰天した面持ちで見ていた。

 転入してきたばかりの生徒が専用機を持っているなど、誰も考えていなかった。

 

「へぇ、藤原さん、専用機を持っているんですね」

 

 一見すると子供にしか見えない藤原であるが、その年齢は詳しいことは分からずとも三十は確実に越えているということはSHRにて明かされている。一夏はぞんざいに話しかけそうになったが、咄嗟に敬語に直した。

 

「ん、ああ。政府とやらデータ収集のためだなんだ言ってな。それよりも、早く展開とやらをした方が良いんじゃないか」

 

 藤原がアゴで示した方を一夏が目で追うと、視線の先では千冬が不機嫌そうな表情で閻魔帳を握り締めていた。慌てて生徒たちから離れた場所に走り、白式を展開し始める。光が一夏の身体を覆う。しかし、それ以上の変化となると遅々として進まない。じれったい感覚に襲われながら一夏が四苦八苦していると、ようやく白式を纏うことができた。

 あらためて一夏は自身の専用機を矯めつ眇めつ。白い塗装が光沢を発している。磨き抜かれたその機体は全体的に流線型であり、戦闘機を思わせるようなフォルムをしているが、同時にまるで人のような有機的な美しさをも内包している。

 白式の背中にあるウィングには大型スラスターが付いており、速力を売りにすることが一目で分かる特徴的な専用機だ。

 

「遅い。コンマ一秒でも早く展開できるよう努力しろ。藤原、お前もだ」

 

 藤原もまた飛行準備のためにISを展開しているが、それは一夏よりもうまくいかないらしく、いまだ光が弱々しく集まっている段階だった。一夏の展開終了から五秒ほどしてようやく藤原もISを展開した。

 それは奇妙な機体だった。まるでフードをかぶった小柄な人。それが一夏の第一印象だった。頭部をすっぽり覆う、鳥の頭によく似た形状のヘルメット。黒いバイザーで目元すら覆われている。背中のウィングには小型のスラスターが八つも付いている。それでいて外見はほとんど人のように丸みをおびて、要所要所のみを鎧で守っているようなずいぶんと小さな機体だ。色合いは猩々緋がベースで有り、所々金色のラインが装飾としてか施されている。

 

「珍しいですわね、迦楼羅なんて」

 

 セシリアがブルー・ティアーズという機体に乗ったまま近寄ってくる。一夏の白式よりもさらに機械的なデザインをしているISだ。その色合いはまさに青い雫の名前にふさわしく、鮮明な青で飾られている。

 

「迦楼羅、だって」

「ええ。第二世代の機体ですわ。日本によって造られた機体でして、同じ日本製の打鉄とは違い、高火力・高機動で相手を殲滅することをコンセプトとした機体ですことよ。ただ、その高機動のために軽量化および航空力学における形態を極限まで高めたため装甲が薄くなってしまいまして、その分防御力に難がある機体ですわね。一夏さんが理解しやすいたとえで言えば、ゼロファイターに似た機体ですわ。またその特徴的な外見と武装から山伏やら修験者とも開発者からは呼ばれていたそうですわ」

 

 言われてみれば確かにそう見えなくはなかった。

 

「さて、三人とも始めろ」

 

 その言葉に三人同時に飛び出した。とはいえ一夏は飛行どころかISをきちんと操縦する事自体これで二回目だ。うまく飛べるはずもなく、ふらふらと飛び上がり、少しでも気を緩めれば蛇行しそうになる。必死に機体をコントロールしながら空を見上げた。

 三人の中で一番上空を飛んでいるのはセシリアではなかった。一番手はまさかの藤原だった。

 

「そんなっ、いくら迦楼羅が機動性に優れた機体とは言え、初心者相手に私とブルー・ティアーズが遅れをとるですって」

 

 通信越しにセシリアの金切り声が響く。

 

「……織斑、貴様の機体は三人の中で最も高スペックだ。そのお前が遅れていてどうする。オルコット、代表候補生であるお前が初心者同然の者に後れをとるな。むしろ手本を見せろ。藤原、初めてにしては見事な飛行だ。とはいえ飛びながら改善点を見つけ、それを直すために反復練習を常に行え。まだまだ無駄はある」

 

 地上から千冬が通信してきたが、その内容に一夏は顎が外れそうになった。

 自身の姉である千冬は自他共に厳しい人だ。それが垂訓こそあれど、素直に他者を褒めるなどそうそうあることではない。一夏は思わず藤原を見上げた。いくらハイパーセンサーの補助があれども、逆光が強くその顔は見えない。

 そうこうしているうちに、セシリア・一夏の順で藤原が留まっている空域にたどり着いた。藤原はただ空を眺めているだけで、一夏たちのことを気にもとめていないようだった。

 

「なあ、藤原さん。ちょっと良いか」

「なんだ」

「どこで飛行練習したんですか。いや、誰に教わったのですか」

「いや、別に練習なんてしていないが」

 

 その言葉にセシリアが食いついた。

 

「そんな馬鹿なっ。あれほどの飛行技術、訓練を積んでも難しいですわ。それこそ天才といえども訓練せずには不可能というもの。それを練習もせずにできることなど、あり得ませんわ」

「できるもんはできるだけだ」

 

 すげない回答を返すだけで藤原はそれ以上語ろうとしない。

 セシリアが顔をさっと赤らめた。一夏はその顔色を見て、冷や汗をかいた。

 

「次だ。そこから急降下と急停止を実施しろ。目標は地上から10センチメートルだ。私語を抜かす余裕があるのだろう。さっさと実施しろ」

 

 だが千冬の連絡に、セシリアは苦々しげに顔をゆがめ、それ以上突っかかることはなかった。目の前でまた決闘騒ぎでも起きたら冗談ではないと、一夏は汗を拭いながらひやひやした心を落ち着かせる。

 

「それでは先に行かせていただきますわ」

 

 さっと髪をひるがえし、セシリアは巧みにISを操縦し、目標である地上10センチメートルに止まった。一夏が藤原の様子をちらりと窺えば、当の藤原はけだるげに一夏を見ていた。

 

「えっと、俺が先ですか」

「悪いがそうしてくれ。先に行けば、うるさいだろうし」

「は、はぁ」

 

 納得いかないが、一夏は我慢してISを操る。上昇と違い、下降は比較的簡単だった。飛ぶよりも落ちる方が人には合っているのだろうか。とにかく速度をぐんぐんとあげ、耳元に風を切る音が潜り込む。ISの発生する力場でそれほど強くないが、風が正面から吹き付けて清々しい。そして一夏ははたと気づく。速度は速いが、この状態の機体をはたして未熟な自分にコントロールできるのだろうかと。

 そして脳裏で行われたシュミレーションおよび現実は顔を青ざめる次第だった。

 

「どいてくれっ」

 

 一夏の叫びに生徒たちは弾かれたようにぱっと散る。誰もいなくなったグラウンドへ墜落した飛行機さながらに落ちた。

 何度もバウンドして、ようやく機体が止まる。砂煙が口に入りじゃりじゃりとした感覚が残る。だがそんなことを気にする余裕はなかった。墜落した最中に幾度も身体中を打ち据えたらしく、至る所が痛む。ISを装着していたとしてもこれほどのダメージが来るとは想像していなかった一夏は、数トンの鉄の塊に拘束されたまま身もだえることもできず、駆け寄ってくるセシリアと箒を視界に入れながら飛行訓練は徹底的にしようと考えた。

 

 

 

 放課後というのは学生にとって最も価値のある時間で有りながら、最も価値のない過ごし方で時間を無駄に送ることもあるものだ。

 そういう意味では、このIS学園の生徒たちはそのほとんどが前者に当たるだろう。過酷な入学試験を乗り越え、夢を叶えようとしている少女たちだ。放課後だからと遊びほうけるなど馬鹿なことはしない。皆一様にISの練習をするか勉強をするかして己を磨いている。それが良いか悪いかは置いておいて、彼女たちは確かに夢を追いかけていた。

 そして生徒たちが自律的に勉強を行うというのであれば、教育機関であるIS学園はそのサポートをする義務が有り、その結果下手なスポーツジムよりも整備が整ったトレーニングルームや、最新設備の整ったグラウンド、そして大学機関顔負けの蔵書量を誇る図書館を有するようになった。もちろんそれらはすべて生徒・教師立場関係なく公開されている。

 だがそういった施設は往々にして利用者が固定される傾向にある。知識を得るより身体を動かすのを好むものもいる。また逆に身体を動かすより理論を学びたがるものもいる。さらには身体を動かすよりも知識を本で得るよりも、実際に実験をして知識の習得をしようとする者もいる。多種多様な人間がいれば、設備の多種多様な使い方がある。当然の帰結だ。

 だからこそ、その世にも珍しい水色の髪をした少女、更識楯無が図書館を訪れていることは、それはそれは珍しいことだった。

 楯無は図書館に入ると館内をぐるりと一瞥する。窓際の人気のない場所に立ち、何かの本を読んでいる藤原の姿を確かめると、そちらへ歩を進めた。

 するりと藤原の隣へ入り込む。一瞥されただけで、何の文句も飛ばなかった。

 

「今、いいですか」

 

 藤原は本から目を離し、楯無のことを見た。その紅い瞳は、楯無が今まで見たこともない深い色合いを醸し出していた。吸い込まれ、その瞳を彩る重さに押しつぶされ、離れることができなくなるような瞳。光にさらされようとも一向にかき消えることのない真っ暗な瞳。

 まだ若いが楯無自身の経験はかなり豊富だ。だというのに藤原のような瞳は見たことがなかった。まるで闇そのものを塗り固めたようなその紅い瞳は。

 

「何のようだ」

「ここで話すのはちょっとアレな話でして、……少し場所を変えてもよろしいかしら」

 

 しばし藤原はリアクションを返さなかったが、本をぱたりと閉じ応答した。その様子に気取られないようにであるが、楯無は安心した。楯無にとって藤原という人物は、今まであったこともないタイプで、苦手意識ばかりが先行するような相手だった。

 藤原が本を棚の上で置く。その際ちらりと表紙が見えた。それは弘法大師の『秘蔵宝鑰』と書かれている。ほかにもいくつかの本が有り、それはどれも所謂哲学書と呼ばれるようなものばかりだった。

 

「好きなのですか、哲学」

「いいや。ただ知りたかっただけだ」

「何をでしょうか」

「人生というやつサ」

 

 藤原はそれら全ての書物を借りると、楯無を自身の部屋へ案内した。

 そこは元々倉庫として使われていた一室だった。急遽一人増えるということで、なんとか用意できた一人部屋だ。

 もう一人の男性操縦者は、二人部屋である。織斑一夏が篠ノ之箒と同室なのは、幼馴染みという間柄であったためだが、藤原はそういう関係性を持つものはいない。故になんとしてでも一人にさせる必要があった。藤原のためにも、一緒になってしまった女子のためにも。

 もし女子生徒と一緒になってしまえば、その生徒は国家からの命令でハニートラップを強要されるだろう。それは藤原に危険が迫るとともに、女生徒自身の心をも傷つける。

 そういった自体を事前に防ぐためという思惑で学園が用意した部屋なのだが、元が倉庫というのを置いても、変に殺風景だった。藤原が入学して初日だから使われた形跡がないのは置いておき、あまりに私物がない。スマートフォンどころか携帯電話もなく、それどころか時計などの小物すら一切ない。あるのはただあらかじめ用意されているベッドと机だけ。

 その部屋の様子に楯無は、一瞬気圧されかけた。

 

「あら、まさか部屋にまねかれるなんて。このまま食べられちゃうのかしら」

「安心しろ。性欲なんてないようなものだ。この身体にはそういう欲求はいらないからな」

「ちょっとショック」

 

 藤原の言動に、楯無といえどもさすがに少々警戒した。

 更識という一族は特殊な一族だ。代々暗部といわれる情報機関に属し、日本を護り続けてきた一族だ。そして楯無はその跡取り娘である。

 幼少のころより厳しく鍛えられてきたし、ありとあらゆることを教えられてきた。特に人間の精神というものは、それこそそんじょそこらの精神医学者なんぞ歯牙にもかけないほどに精通している。普段の所作、言葉遣い、部屋の配置。それだけの情報があれば、楯無からすれば相手を丸裸にしたようなものだ。だというのに、その動きを見、話し方を聴き、部屋を観察した上で、藤原という男について楯無は何ら情報を得ることができていなかった。

 情報を一切得られない相手ほどやっかいな者はいない。緩んでいた気を引き締めた。

 これが織斑一夏であればまだ楽だっただろう。楯無からすれば、純朴な少年などどうにでも転がせる。しかし目の前にいる人物は一癖も二癖も有り、そう簡単に思い通りにできるような相手ではないだろう。

 

「それで用件とは何だ」

「ええ、そうですね。本題に入りましょうか」

 

 楯無の中で警戒心は残るが、それをおくびにもださない。直感ではあるが、表情一つで藤原は楯無の内面を探ってくるだろうという予感があった。故にチェシャ猫の仮面をかぶる。

 

「IS、私が教えますよ」

 

 扇で口元を隠す。藤原がどうでるか観察する。

 しかしその観察はすぐに終了してしまう。

 

「断る」

「……どうしてかしら。もしかして、私が年下だからかしら」

「師弟関係に年齢は関係ないだろう」

「ふうん。じゃあ、なぜ。あなたは自分の立ち位置がわからないほど馬鹿じゃないでしょうに」

「興味がないからだ」

「自分の立場がわかっているのに興味がないって言うんですか」

 

 藤原紅輝という男は、現在デリケートな立場だ。戸籍のない、生まれのわからない人間。そして二人しかいない男性操縦者。この二つが藤原という男を苦しめようとしている。

 真相が元々藪の中ならばなんとでもいえる。今も世界各国は、それこそ明らかにアジア系の顔立ちの藤原を、欧州を始めアフリカ・アメリカ・オーストラリア等の国家が国籍を主張している。もちろんアジア各国においてもそうだ。下手をすれば、どこぞの国家にでも国籍が握られ、人体実験の材料にされてもおかしくはない。

 そして二人しかいない男性操縦者という立場もまた不幸なことに持ち主を苦しめる呪いの鎖となるだろう。これが一人であるならばまだ良かった。希少性がある故、軽率に人体実験という手を取れないから。しかしそれが二人いればどうなる。片方は生かして、もう片方は解体してくわしく調べる。そういった処置も行える。では織斑一夏と藤原紅輝、どちらが解体されるかと言えば、藤原紅輝一択だ。なにせ彼が死んでも誰も文句を言わない。逆に織斑一夏はその姉が世界最強で有り、近しい存在にISの生みの親である篠ノ之束がいる。下手に手を出し、二人の導火線に火をつけるなどどんな存在であろうとも簡便だろう。

 だからこそ藤原紅輝は力を手にしなければならない。庇護がなくとも生きていけるだけの力を見せつけなければならない。下手に手を出そうものならば、やけどではすまないと世界に見せつける必要がある。

 それだけの実力を身につけさせるために、更識楯無は、この学園最強のIS乗りは藤原紅輝を鍛えようと提案した。

 だがそれは素っ気なく断れた。

 

「死ぬつもり」

 

 自然と楯無の目つきが鋭くなる。理解できない馬鹿ならばまだしも、理解できる上に命を投げ出すような馬鹿は、さしもの楯無といえども許しがたい。

 押さえ込むが僅かであるが楯無から怒気が漏れる。いくら暗部の出身だからといって、楯無は別に人死にが好きなわけではない。むしろそこらへんの感覚は善良な一般市民と同じだ。できればそれは避けたい。だからこそのボランティアとしての指導の提案だった。

 だがその怒気を受けてなお、藤原は眉一つ動かさない。別に鈍いわけではなかろうに。

 

「一つ、思い違いをしているな」

「なにかしら」

「死ぬつもりじゃない。たかだか死ぬ程度だ」

 

 反論できなかった。楯無は紅輝の目に、寒気を感じていた。その言葉は表面をすくい取っただけの暴言でもなく、やけっぱちになった者の言葉でもなく、ただただ疲れ果てた老賢者の語りだと、その目が告げていたからだ。

 幼いその容姿に反し、そんな馬鹿げた結論を大まじめに、そして絶対の考えとして構築できるほど死に近しい経験など、まだ若い楯無には許容なんてできやしないし、受け入れられない。故に彼女は何も口にできず、ただ呆然としているだけしかできなかった。

 ただひたすら拒絶するしかできなかった。



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仙人の訓戒

 藤原紅輝が入学し数日が経った。

 僅か数日間で学園内での藤原の評価はぼんやりと定まってきた。初日のSHRでの一幕や事業で見せたISの操舵技術が女子たちの噂で広まったらしく、曰く取っ付き辛い孤高気取りやら曰くストイックな人等々、そんな話があちらこちらで飛言している。

 そんな評価を下された藤原はといえば、IS学園のアリーナの内周部の壁に背を預け、クラスリーグマッチと呼ばれるクラス代表同士の戦いを一人で観戦していた。

 アリーナの観客席は試合開始間近ということも有り、すでに色とりどりの人の波が途切れることなく続いている。今か今かと待ちわびている生徒たちは友人同士で姦しくお喋りを楽しんでいた。

 フィールド脇のピットから二つの影が飛び出す。その影は白と赤紫だ。

 一つは白式。藤原も見慣れた白い装甲に巨大なウィング、そして機械仕掛けの太刀を佩いている。もう片方の機体はウィングの代わりに浮遊した巨大な球状の物体が特徴的で、方天画戟らしき戟を携えていた。

 両者がにらみ合う中、アリーナのスクリーンに無機質な文字で組み合わせが表示された。

『織斑一夏 対 凰鈴音』

 凰が駆る甲龍は、中華人民共和国の作成した第三世代ISだ。パワータイプであるが機体性能のバランスに優れかつ燃費も良い機体で、現存する第三世代ISの中では最も実用的と謳われるISだ。近くの生徒たちが語る機体情報に藤原は耳を傾け甲龍を打ち見る。

 距離があって完全に分かるわけではないが、なにやら操縦者が織斑と口論になっているのが藤原には見えた。

 結局決裂したのか、お互い闘志を溢れさせている。

 両者の気迫が通じたのか、いつの間にかアリーナ中が静かになり、唾を嚥下する音が響く。

 そして試合が始まった。

 試合開始の合図と同時に、甲龍が駆け出し戟で白式へ斬りかかる。甲高い衝突音が響く。アリーナの中央では太刀と戟が火花を散らす鍔迫り合いが行われている。

 序盤からの迫力ある激突に観客が沸き上がる。その声に後押しされるように、両者の鍔迫り合いは益々激しくなる。

 だがスピードタイプの白式に鋭い切れ味で敵を斬る太刀では、パワータイプの甲龍が振るう肉厚の段平をとどめられる道理はなく、甲龍がさらに力を込めると白式はあっさりと吹き飛ばされた。

 吹き飛ばされつつもここ最近の練習の甲斐あってか、空中ですぐさま体勢を整えた白式は、直ちに距離を縮めようとするが、突如後方に吹き飛ぶ。スクリーンに表示されているISのエネルギーが、白式だけ減少している。

 白式は見えない何かに攻撃されていた。

 白式はフィールド内を逃げ惑うが、的確に攻撃を受けシールドエネルギーはみるみる減少していく。

 近距離では戟による重たい一撃。中距離からは視認不能な攻撃が飛び続ける。全ての距離が白式にとってキルゾーンだ。勝つにはよほどうまく意をついて甲龍へ近づき、太刀の一撃を与える必要がある。

 空を飛び逃げ惑っていた織斑一夏は、ふと地面へ急降下を繰り出す。逃げではないのだろう。藤原が見える織斑一夏の瞳には、活力があふれていた。

 あと数センチメートルで地面に激突する。その瞬間見事なターンで蜻蛉返りを果たす。次いで衝突音が響き、アリーナの戦場に砂煙が立ち籠める。ISにはハイパーセンサーがある。現存するセンサーの中で最も優れたこのセンサーの前では、砂煙などないに等しいだろう。織斑の狙いがわからず誰もが小首をかしげる中、甲龍が再び見えない攻撃を繰り出して、誰もが驚愕した。

 舞い上がった砂塵が見えない攻撃に巻き込まれ、その軌跡を露わにす。甲龍のパイロットもそのことに気づいたのか、戟を構えて少しでも砂煙の薄い場所を求め翔る。

 だがそれこそが織斑一夏の狙いだったのだろう。白式は今までで一番速く甲龍へと迫る。瞬時加速と呼ばれる技法だ。一瞬でトップスピードの弾丸となった白式が、太刀を大上段に振りかぶる。甲龍は体勢が悪く、戟での防御は間に合いそうにない。

 勝負が決まる。誰もがそう思った。

 しかしその勝負はつかなかった。突如アリーナのシールドを破り、侵入した奇妙な機体のせいで。二人の間を通り抜けるように現れた正体不明の機体に、白式と甲龍は離れざるを得なかった。

 痛いくらいの静寂が広まる。一拍間を置き悲鳴が響く。アリーナに観戦していた生徒たちは逃げようとパニックを起こしている。アリーナからとにかく出ようと出口へ殺到するが、出口は固く閉ざされ開く様子はない。

 藤原は逃げ惑う生徒たちの様子を一瞥すると、身体をのそりと起こし、アリーナのフィールドに近づく。

 目を離していた間に、白式と甲龍が正体不明のISに斬りかかっていた。教師陣は、ピットに集まり歯がみしている。どうやらアリーナのバリアに異常が起きているらしく、誰もフィールドに近寄ることが出来ないようだ。

 人っ子一人いなくなった客席へ静かに座った藤原は白式たちの戦いをただじっと眺めていた。

 流れ弾がバリアを破り、藤原の近くに着弾する。生徒たちの悲鳴が強まる。誰かの泣き声が聞こえる。

 だが白式たちはそんな声を無視し、戦っている。

 それどころか戦いはより激しくなり、周りへの被害も増えている。感情の見えない瞳で見ていた藤原は再び立ちあがると、混乱を起こしている人混みの中へ紛れ消えていった。

 

 

 

 アリーナに乱入し暴れ回った正体不明ISの件で調書作成に協力した一夏が取り調べから解放されたとき、窓から見える光景は夕闇に染まっていった。いやな予感がして汗を一筋垂らしながら時計を見ればすでに寮の門限はぎりぎりとなっていた。一夏の脳裏にやばいという単語が踊り狂う。

 事情が事情だから寮長でもある千冬はある程度の猶予はくれるだろう。だが、それでもその猶予は短いはずだ。姉弟だからこそ千冬の考えを一夏はよく理解できる。猶予を過ぎれば、情け容赦なく門限破りの罰が下されるだろう。

 寮の廊下を一夏は足早に歩く。競歩選手顔負けの速度で歩く一夏は、藤原が廊下の壁に背を預けているのが目に入った。角を曲がればあと少しで自室へたどり着くような場所にだ。藤原の部屋は一夏の部屋と真反対の位置にあるというのに。

 

「藤原さん、どうされたんです。もう、門限ぎりぎりですよ」

「なに、少しな。お前さんと話がしたくてここで待っていたのサ」

 

 そういう藤原は、なぜかどこか悲しげに目を伏せていた。

 

「えっと、でも時間が」

「そう長くはとらない。それに誰にも聞かれたくないんだ」

 

 猶予は少ないといえ立ち話する程度ならば問題はないだろうと一夏は判断した。

 

「わかりました。でも本当にちょっとですよ」

「ん、……お前は今回どうして戦ったんだ。逃げたり、隠れたりできただろうに」

「そんなの、襲われたからですよ。それに俺と鈴なら対処できたからです」

 

 なぜそんなわかりきったことを訊くのだろうかと、一夏は小首をかしげながらもその胸を張り答えた。

 しかし藤原はため息を一つ吐くと、髪をぐしゃぐしゃと掻き乱す。

 

「そうか。なら、これは俺が言っておいた方が良いんだろうな」

「なにをですか」

 

 藤原はじっと一夏の目を見詰める。紅い瞳に一夏は捉えられ、視線をそらすことはできなかった。

 

「良かったな。……誰も死ななくて」

「なっ」

 

 息が詰まる。反論しようと口を開いた一夏だが、うまい言葉が見つからず、二の句が継げなかった。

 顔が熱くなり、一夏の内側で様々な言葉が次々に溢れ出す。そのどれもが藤原を責める言葉ばかりだ。それでもなお、怒りは冷めやらず、一夏は声を張り上げた。

 

「なにもしなければ良かったっていうんですかッ」

 

 詰め寄る一夏に対し、藤原は首を横に振った。

 

「いいや。勘違いしてほしくないが、お前のしたことは正しいことだろうよ。誰もが賞賛するだろう。勇敢な行為だと、勇気ある若人だと」

「じゃあ、何が気に入らないんです」

 

 自然と口調が荒々しくなる一夏だが、自分を抑えようという気は一切なかった。むしろ自分の怒りを藤原にぶつけたいとすら思っていた。

 

「そういった次元じゃない。俺が言いたいのは、お前たちが戦っていたとき、お前は周りの人間の命を背負っていたか」

「背負うですって」

「そうだ。あのとき戦っていたお前は知らないだろう。観戦していたやつらは恐怖で逃げ惑っていたよ。大勢の人間があの場にいたんだ。パニックを起こせばそれだけで誰かが負傷することもあるだろう。それでいてあのISはアリーナのシールドをも壊す力を持っていた。流れ弾が当たった可能性も十分あっただろう」

「で、でも、でも当たらなかったじゃないですか」

「そうだ。当たらなかった。だから良かったで話がすむんだ。でももし当たったら。お前は誰かが死ぬ原因になるんだよ。お前はそのことを覚悟したうえで戦ったのか」

「そ、それは……」

「酷なことをいっているのはわかっているさ。あんな状況でいきなり戦わされてそんな覚悟できる奴なんざいない。でもな、それでもしなきゃいけないことなんだよ、それは。敵と戦うのは勇気ある行為だ。だがそれで誰かが死ぬかもしれないのにそんなことを気にもとめず戦うのならば、それはただの蛮勇で有り猪武者、だれかを傷つけることしかできないような奴だ。俺はお前がその程度の人間になってほしくない。だからこうしてお説教染みた話をしているのサ」

 

 先程まで感じていた怒りはすっかり消え去り、今になって一夏は寒気を感じていた。もしかしたら誰かが死んだかもしれない。そう考えるだけで自分がしたことが空恐ろしくなり、歯の根が合わなくなる。

 

「お、俺は、俺は間違っていたのか」

 

 ぽつりと言葉が漏れる。

 

「いや、間違っちゃいないさ。それに言っただろう。お前は正しいって」

「で、でも」

「ただ、戦うにしてもお前の感情が命令するままに戦うのはいけないというだけだ。それはお前が感情に振り回されるだけの餓鬼という証拠だ。正しいからって何をしても良いというわけじゃないんだ。戦うことを選ぶならば、考えろ。本当にすべきことは何かということを。それができれば、お前は立派な一角の人間だよ」

 

 ひらひらと手を振って藤原はどこかへ行った。その後ろ姿を眺めていた一夏はしばらく立ち尽くしていたが、とぼとぼと部屋へ帰った。

 

「お、お帰り、一夏」

 

 部屋では箒が待っていた。アリーナで無茶をしたことで絞られていたらしく、いつもならばすでに私服に着替えている時間だというのに、いまだ制服を着ていた。

 

「あ、ああ。ただいま。箒」

「う、うむ。その、だな一夏」

 

 歯切れ悪い箒は何か言葉を探しているようだった。

 そして顔を真っ赤にして口を開いた。

 

「きょ、今日のお前は立派だったぞ」

「……うん」

「ど、どうした一夏。顔色が悪いぞ」

「ちょっと、な。疲れてて。悪い、箒。もう休むな」

「わ、わかった。あれだけの戦いの後だ、英気を養え」

 

 返答することなく、一夏は自分のベッドに倒れ込む。着替える気力もなく、そのまま目を瞑った。

 その夜、一夏は眠ることができなかった。




原作の一夏が評判がけして良いといえない理由がたぶんこれだと私は思うんです。暴力的。いや、マジで。
たとえば同じような鈍感系ハーレム主人公の上条さんだと、彼は男女平等パンチこそかましますが基本暴力に訴えません。ナンパされている少女を助けるために、知人のふりをしてごまかそうとします。しかし原作一夏さんは違います。ナンパされているという理由だけで、あるいはシャルロットが技をかけている。それだけの理由でいきなり横合いから殴ってますからね。一応一般人の上条さんと違い、軍事教練を受けている身で。あの警察官が一夏もしょっ引かなかったのが本当になぞです。
というわけで今作ではそれはちょっとまずいだろうということで一夏君には暴力は悪だと理解してもらいます。いや、考え抜いた上での暴力ならまだしも、感情的な暴力ほどろくなものはありませんからね。


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二章
仙人、不死鳥として火薬飛び交う空を舞う


時間がかかりましたが、なんとか完成いたしましたので投稿いたします。


 山田真耶は軽い足取りで教室へ向かっていた。

 廊下を歩きながら、真耶はここ数日のことを思い出す。

 クラスリーグマッチに乱入してきた正体不明のISによる影響は、まだIS学園に色濃く残っている。弱り目に祟り目とばかりに諸外国はIS学園へ干渉を強めようとしているし、学園警備の見直しで教師陣に負担がかかっており、保護者からの生徒達の安否確認の連絡が尽きず、そして何より、幾らかの生徒達がIS学園を自主退学しこの学園から立ち去ってしまっていた。

 それは真耶の生徒達でも例外はなく、教壇の上から歯の抜けたクラスを見るのは堪えるものがあった。

 

「でも今日は違います!」

 

 ぐっと拳を握る。

 そうこうしているうちに、教室にたどり着いた。

 真耶が教室の扉を開く。幾人かの生徒が真耶のことを見て、時計へ視線をやった。ホームルームには五分早い。

 不思議そうな生徒の視線に曝されながらも真耶は教壇に着く。

 

「皆さん、ちょっと早いですがホームルームを始めます。座ってください。……座ってくださーいっ」

 

 ようやく着席してくれた生徒達を見回した真耶は、織斑先生のように一回で生徒達が従ってくれればなぁと考えながらも、続きを口にする。

 

「今日は皆さんに大切なお知らせがあります。なんと、転入生が私たちのクラスに来ます。それも二人です」

 

 生徒達から絶叫が響く。おそらくうちのクラスならばこうなるだろうなと予想のついていた真耶は、要領よく耳に指を突っ込んで被害を防いでいた。

 生徒達が落ち着いた頃合いを図り、真耶は恐る恐る指を外す。

 

「転入生はどこですか」

「転入生はどんな子なんですか」

「どうしてこんな時期に転入生が来たのでしょうか」

 

 覇気すら感じられる生徒達の勢いに、真耶は若干腰が引けつつ苦笑いを浮かべる。

 

「織斑先生と一緒に来ますので、もう少し待ってくださいね」

 

 ちょうど教室の扉が開き、織斑千冬が入ってくる。その後ろには二人の子が着いて来ている。それを見て生徒達は叫んだ。

 

「男子! 三人目の男子!」

「しかもうちのクラスに!?」

「美形! 守ってあげたくなる系の!」

 

 教壇のとなりに立つ二人のうち一人は、男性用の制服を着用していた。

 

「自己紹介を始めろ。デュノア」

「はい。僕はシャルル・デュノアと申します。こちらには僕と同じ境遇の方がいると聞いてフランスからやって来ました。どうかよろしくお願いします」

 

 金髪の青年が柔らかな笑みを浮かべた。

 幾人かの生徒は顔を赤くして、デュノアに見惚れている。

 一部からは腐った香りが漂ってくるが。真耶とて触れたくないものはある。努めて一部の生徒の話を聞き逃す。

 

「……」

 

 デュノアの自己紹介が終わったが、もう一人の銀髪の少女はなにを語るでもなく、眼帯で隠されていない赤い瞳でクラスをただ一瞥しているだけだ。

 背丈はクラスで一番低い藤原紅輝よりも低いが、その態度や放たれる威圧感のせいで実際よりも大きく見える。

 

「……ラウラ、自己紹介をしろ」

「ハッ、了解いたしました。ラウラ・ボーデヴィッヒだ」

 

 ボーデヴィッヒが口を閉ざす。五秒程度経ってもその小さな口からそれ以上の話がなされることはなかった。誰もが不可解そうな顔を向ける。

 不可解そうな視線をよそに、ラウラはそのままツカツカと歩き出し、織斑一夏の席の前に来ると、いきなり一夏の頬を張り倒した。

 いきなりの凶行に、誰もが動けなかった。皆目を丸くして、ラウラと一夏の顔を交互に見ている。例外は千冬と紅輝だけだった。

 

「な、何を……!」

「認めない。私はお前を認めない。あの人の弟など」

 

 ラウラは一夏を見下したまま始めて語調を強めた。

 幾人かの生徒が立ち上がろうとする。

 

「ボーデヴィッヒ、いい加減にしろ。私は自己紹介をしろといったが、我が儘をしろとは言っていない」

「ハッ、申し訳ありません」

 

 しかしその前にラウラは千冬に敬礼を返すや、自身に向けられる畏怖や憤怒の視線を全く気にせず、千冬のとなりに戻った。

 その目はクラスのことなど全く見えておらず、ただただ織斑千冬を見詰めていた。

 

 

 

 転入生のボーデヴィッヒにはたかれるという衝撃のホームルームが終わり、一時間目の着替えと移動のために、織斑一夏は紅輝とシャルルとを連れて、廊下を走っていた。

 後ろには女生徒達がバッファローの群れがあげる土煙もかくやとばかりの勢いで追いかけてくる。

 

「逃がすな、追え、追え」

「三人目の男子よ。絶対逃しちゃ駄目」

「新刊の資料ぉおお」

 

 何故今日の朝一がグラウンド集合の授業なのだろうかと一夏は内心でグチる。

 とにかく更衣室まで駆け込めば、女生徒はもう追ってこれなくなるだろう。……そう思いたい。

 しかし、そううまくいきそうにない。ちらりと一夏は背後を見た。シャルルは現状に理解が追いついておらず、困惑しきっている。もう一人の紅輝はこんな状況にもう慣れているのか、眉一つ動かすことなく走っているが、いかんせん身長の低さからどうしても一夏達より走るのが遅くなってしまう。どうしても全力で逃げることはできない。

 それでも追いかけてくるのが普通の女子ならばどうにかできただろう。だがここはIS学園。生徒達はエリートだし、その多くは身体能力にも優れている。女子だから男子より体力に劣るということなぞ有り得ない。

 

「ふははは! 甘い、甘い! 君たちの逃走ルートなんてお見通しだ」

 

 一夏は表情を歪めた。

 眼前には女生徒達がスクラムを組み、挟み撃ちを仕掛けてきた。前門の虎後門の狼。じわじわと包囲が狭まる中、紅輝が一歩前に出る。

 けだるげに両手をあげ降参を示し、一夏とシャルルに顎で道をしゃくった。

 

「なっ、今捕まったら千冬姉にどんな折檻をされるか分からないんですよ」

「そりゃ、報告する奴がいないからだろう。先に誰かが知らせりゃ、それもこちらに正当性がある現状、小言の一つや二つですむサ。……そら、訊きたいことがあるんだろう。だったら俺が全部答えてやる」

 

 歓声をあげた女生徒が紅輝に襲いかかる。一夏とシャルルは忘れられたように女生徒の輪からはじき出された。

 

「す、凄いね、皆」

「あ、ああ。シャルル、今のうちだ。藤原さんの犠牲を無駄にしないためにも急ぐぞ」

「う、うん。分かったよ」

 

 なんとか更衣室にたどり着いた一夏とシャルルだが、着替えを急がなければ授業に遅れてしまう。それでは紅輝の犠牲が報われない。

 一夏は勢いよく服を脱ぎ捨てると、いつもと違い服をロッカーに投げ込む。

 

「な、何しているの! いきなり脱ぐなんて!」

「え、いや、早く着替えないと授業に遅れるし。フランスじゃ違うのか?」

「あ、うん。そうだったね。遅れそうだもんね。でも、いきなり肌を脱いで見せつけるのはあんまり良くないよ」

「そっか。わりぃ、日本じゃあんまり気にしないから」

 

 口を動かしながらもどんどんと服を脱ぎ捨ててしまう。なんとかISスーツを着こんでしまう。ISを操縦するのに必要な電気信号を増幅したり、装着者の保護をする素材で作られたとんでも性能な服だ。しかしフィットする素材のためか、あるいはそもそも女性が着るのを前提にしたものを一夏用に改造したからか、どうにも着るとパツパツになってしまう。何度か裾をつまんで弾いては楽になろうと無駄なあがきをする。

 なんとか我慢できる程度になる頃には、すでにシャルルは着替え終わって一夏を待っていた。

 

「早いな、シャルル。これ着るとき引っかかるから着るのが面倒くさくて。どうやったらそんなに早く着られるんだ?」

「何言っているの!? セクシャルハラスメントだよ、それ!」

「ええ!? 男同士なのに!?」

「お、男同士でもだよ! いいかい、一夏。そういうのは同性でも言うべきじゃないよ!」

「わ、分かった。悪かったよ」

 

 シャルルの剣幕に、一夏は一歩二歩下がりながら首を振る。

 湯気を立てているシャルルの後ろを、納得いかないものの一夏はついて行った。

 いろいろあったが授業開始前にグラウンドにたどり着けた。今日は一組と二組との合同授業だ。すでにほとんどの生徒は並んでいる。先に着いていた千冬に一夏が紅輝の件を報告すると、「そうか」とだけ告げ、それ以上とくに何も言わなかった。

 紅輝は予鈴ぎりぎりにやって来た。

 一夏のスーツとそっくりなスーツを着込み、気怠げに歩いていた。

 

「よし、では授業を始める」

 

 素直に紅輝が列へ並ぶと、千冬は授業を開始した。

 今日の授業はISの基本的な動きを学ぶものだ。普段千冬と会えない二組の生徒は特に食い入るように話を聴いている。

 

「今日は始めに専用機持ちのものに手本として試合を行ってもらう。藤原、前に出ろ」

 

 生徒達がざわめく。

 一夏もまた驚いていた。今まで紅輝が専用機を使って戦闘を行うのは見たことがない。セシリア曰く、飛行性能に特化した機体らしいが。あんな小さい身体で戦えるのかと心配するものの、当の本人は相も変わらず気怠げに前に出た。

 

「相手は?」

「すぐに来る」

 

 一夏はふと何かが聞こえた気がした。辺りを見渡すが、特に何も見つからない。気のせいかと視線を元に戻すが、やはり音が聞こえる。それどころか、段々と音が大きくなっていく。

 それが風切り音だと気がついたときには、すでにグラウンド上空を一機のISがものすごい速度で迫ってきていた。

 

「ど、どいてください~っ!」

「い、いいっ!?」

 

 その正体はラファール・リヴァイヴを装着した一組の副担任、山田真耶だった。

 慌てて逃げようとした生徒達だが、運の悪い一人が巻き込まれる。一夏だった。砂煙を上げながら、両者は一転、二転する。

 砂煙がはれると、一夏が真耶を押し倒したような体勢で倒れ込んでいた。それだけならばまだしも、どこがどうなったのか、一夏の手が真耶のふくよかな胸を押しつぶしていた。

 

「一夏ッ!!」

「一夏さん!」

「死ね!」

 

 どうやらセクハラとして社会的に殺されるより早く、一部女生徒達による私刑の方が早いらしい。

 いまだ起き上がらない一夏めがけて、二組の凰鈴音が双天牙月と呼ばれる青竜刀を、連結したブーメランとして放つ。パワー型の甲龍が投げたそれが人に当たれば、爆散するのは想像に難くないだろう。

 だが幸い、紅蓮地獄の再現は起きずにすんだ。押し倒されていた真耶が素速く立ち上がると、ラファールに装備された銃器を取り出して、撃ち落としていた。

 絶技と呼ぶにふさわしいそれを行ったのが、普段はぽやぽやして生徒からため口を利かれる真耶ということに、生徒達は皆驚愕していた。

 

「山田先生は元日本代表候補生だ。あれくらい造作もない」

「昔のことですよ。それに候補止まりでしたし」

 

 謙遜する真耶だったが、生徒達からは尊敬のまなざしが送られていた。

 

「では、藤原。山田先生が相手だ。すぐに始めろ」

 

 紅輝がISを纏う。猛禽類を思わせる頭部ヘルメット。他のISのように機械的な見た目より、金属でできた生物を思わせるようななめらかな曲線美がある機体だ。身体の各所に多数配備されたスラスターが火を噴き、紅輝を空に追いやる。

 後を追うように真耶も空へ飛んでいく。

 二つの影が十メートル程度離れ、それぞれ試合開始の合図を待つ。

 

「始め!」

 

 初手はラファールがとった。流れるような、無駄のない動作でライフルを構えると、タタタッ、タタタッと軽い発砲音が連続する。

 洗練された一連の動きに、銃器に詳しくない一夏ですら、息を呑んだ。

 

「驚きましたわ。先程の射撃もそうですが、今の射撃も、避けるのは困難でしょう。なのに、あんなに簡単に避けるなんて」

 

 紅輝が操る迦楼羅は、その優れた飛行性能を発揮し、ライフルの弾丸を全て避けきっていた。

 白式にも劣らない速度で宙を自由自在に舞う。鳥のように優雅に飛ぶその姿は、迫り来る銃弾をものともせず、ラファールを中心に旋回しつつ、徐々に間合いを狭めていた。

 ラファールはただライフルを放つだけでは有効打に繋がらないと判断したのか、ライフルを粒子化し収納し、新しい銃器を取り出す。腰だめに構えられたそれは、先のライフルよりも二回りほど大きい。何よりも目に付くのが、巨大なシリンダーだ。バスケットボールほどあろうかというそのシリンダーの中には、その大きさに見合った弾が装填されている。

 

「グレネード!」

 

 爆炎が空を覆う。

 しかしラファールは油断なくさらにグレネードを辺りにばらまく。

 連鎖して空が黒煙に包まれた。

 

「見えないわよ!?」

 

 鈴が叫ぶ中、黒煙を引き裂いて迦楼羅が姿を見せる。

 手にもつは錫杖によく似た鉄棒。それが勢いよく振り下ろされる。

 ラファールはグレネードランチャーを迦楼羅の顔面めがけて投げ飛ばす。グレネードランチャーを避けたため、鉄棒の速度が鈍り、空ぶる。

 

「うまい!!」

 

 だがすぐさまふりおろしから刺突へ切り替わり、ラファールの胴体へ柄が突き刺さる。

 その動作にはラファールと同じように何ら淀みはなく、傍目に見えて両者の技量は拮抗しているようだった。

 

「なあ、これどっちが勝つんだ?」

 

 一夏がふと疑問を漏らす。

 

「どうでしょう。確かに藤原さんが多少おしてはいますが、遠距離攻撃手段がなければ遅かれ追い詰められると思いますわ」

「そうかしら? あれだけの棒術使い、そう簡単に追い込めるとは思えないわよ。それに、なんだろう……」

「あら、何かしら。鈴さん」

「……言葉にしづらいんだけど、なんか違うのよね」

「なにか、ですか?」

「そう。何だろう、なんか私たちと違う気がするのよ」

 

 鈴は額に手を当て考え込む。

 しかしその間にも試合は進み、ラファールは短機関銃を掃射することで迦楼羅を近寄らせない。迦楼羅もまた隙が僅かでもあれば間合いを詰めることで、ラファールの射撃を妨害していく。

 

「そこまで! 二人とも降りてこい」

 

 降りてきた二人はISを待機状態に戻す。

 真耶は顔を火照らせ、興奮気味だ。先程の試合の熱がまだ取れていないのだろう。

 だが、どうしてだろうか。紅輝の顔は先程よりもさらにつまらなそうに見え、一夏はそれが気になって仕方がなかった。




いやあ、それにしても難しい。鈴についての説明が前回きちんとできなかったから、どうしても違和感が爆発してしまっております。申し訳ありません。もうちょっとキャラの扱いを考えないと。


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仙人の異様な日々

 ラウラ・ボーデヴィッヒは、ある目的のために軍上層部からのIS学園への入学命令を承諾した。

 軍の思惑はともかく、ラウラの目的は織斑千冬を再びドイツ軍の教官となるよう説得することだ。

 実際、IS学園の一日を振り返れば、ラウラはあきれ果て、その思いをより一層強めた。

 教師達は有能だろう。副担任は性格面で問題があるが、技量ならばラウラも素直に称賛できる。しかしそんな教師陣の教えを受ける生徒達は無能で、向上心がなく、愚図ばかり。さらには兵器であるISをファッションか何かのように振る舞っている。

 ひとたび戦争が起きたら、ISを動かせる者が戦闘を行う現実を分かっていない。甘い認識のせいで命を捨てる覚悟がない。

 あれでは軍の新兵の方がいくらかマシだ。彼らは皆、ISの有無を問わず、祖国を守ることを誇りとして胸に秘め、自らが死ぬかもしれない恐怖を克服している。

 だというのに尤も覚悟が必要なIS学園の生徒は無能の掃きだめだ。汚泥のような汚らわしい空間に千冬がいること自体、ラウラには許せなかった。

 だからラウラは不敬であると分かっていながらも、千冬を校舎裏に呼び出した。一刻も早く、このぬるま湯のようなくだらない世界を捨ててもらい、栄光の世界を歩んでいただくために。

 しかし、しかしとうの千冬はラウラの話にうんともすんとも言わない。ただただラウラを困った者を見るように、ため息をつくだけだ。

 そんな千冬の態度に、ラウラはズボンを握り締める。身体の震えが止まりそうにない。必死に思いを綴る。IS学園に、千冬がいるだけの価値がないことを。

 

「どうして、どうしてですか! 教官! ここは貴方を殺す沼です! 貴方の足を引っ張り、沈めようとする敵がそこかしこに潜む! 貴方の輝きは沼を照らすためにあるわけじゃありません! 羽ばたく者を照らすためにあるのです!」

 

 千冬が目を細めた。

 ラウラは口を噤む。脳裏に千冬が軍で指導をしていたときが蘇る。千冬が目を細めるのは、ラウラ達が大きな失敗を犯したときだ。ラウラも幾度か細まった目で射貫かれたことがある。その後重い罰を下された。

 何か失敗してしまったのだろうか。先程とは違う震えが身体を襲う。

 自らの発言を脳内で何度も精査する。失敗はないはずだ。

 

「小娘、私の人生に口出しするだけの何かが貴様にはあるのか」

 

 冷え冷えとした声に、ラウラは熱いものを触ってしまったように、肩をはねあげた。それでも千冬の視線から逃れることだけはしない。何か失態を犯したというならば、罰を受けるのが当然だ。直立不動で千冬の言葉を、罰を命じられるのを待つ。

 しかし千冬は頭に手を当てると、首を振るだけだった。

 

「もう、いい」

 

 落胆で染まったその言葉に、ラウラは顔を青ざめた。心臓が早鐘を打つ。

 見捨てられてしまう。心がその一言で一杯になる。それだけは嫌だ。

 

「貴様は一度、その濁りきった目を洗え」

 

 千冬はラウラに背を向け、去って行った。

 取り残されたラウラは、顔をうつむかせていた。足下の地面が濡れる。

 何故分かってくれないのか。ラウラは下唇を食む。塩気のある生暖かい味が口に広がった。

 

「相手に理由を求めている限り何も変わらんぞ」

 

 声に反応し、ラウラは素速くその場で反転し、ホルスターからナイフを取り出し構える。よく手入れされた刃が、光を反射する。その光を受け、鬱陶しそうに腕で目を覆う人影があった。

 先程までなんの気配もなかったというのに、いつの間にか藤原紅輝が立っていた。紅輝はつまらなそうに、ラウラを見詰めていた。それが無性に疳に障り、ナイフを降ろさず、突きつけたままにする。

 

「どういう意味だ」

「言葉通りサ」

 

 口元に加えている煙草を鬱陶しくゆらゆら揺らし、紅輝はラウラを見ることなく吐き捨てた。

 煙草の煙で、眼帯の下の左目がしくしく痛む。痛みを堪え、ラウラは睨む。紅輝は何を思ったのか、ラウラの視線に気がつくと、今更ながら煙草を右手で掴み、左の掌でもみ消した。

 

「何かを変えたいなら、相手じゃなくまず自分が変わらないと何も始まらない。相手はつまるところ他人だ。思った通りに動くわけがない」

 

 紅輝はポケットに手を突っ込み、ナイフを前に表情一つ変えない。死を前にひょうひょうとした態度でいるのが気に入らず、ラウラは素速く踏み出し紅輝の首元を掴むと、自らの手元に引きずり込み、ナイフを首筋の頸動脈へと当てた。

 冷たい鋼の感触に、紅輝が命乞いするだろうと、仄暗い愉悦がラウラを満たす。「助けてくれ」という言葉を舌なめずりして待つ。

 

「ちっ、餓鬼が」

「なに?」

 

 だが、だが紅輝は表情を歪めると、いきなりナイフを右手で握り締めた。狂人のごとき行いに、さしものラウラも握り締められたナイフを茫然と眺めるしかできない。赤い液体がナイフの刃を伝い、ラウラの手へしたたりかかる。血を浴びた手が火に突っ込んだように熱い。

 

「な、にを、貴様……」

「甘えるな、餓鬼が」

 

 ナイフがへし折られた。そして殴り飛ばされた。

 地面に倒れ、後頭部を打った。下が柔らかな湿った土のおかげで、痛みはない。しかし身体を動かすことはできない。上下逆さまになった紅輝の顔が目に入ってきた。

 

「こんなもの振り回すな、餓鬼が」

 

 紅輝はナイフの刃先をそこらに投げ捨てると、ラウラに背を向け、去って行く。顔だけがその後を追う。まだ、まだ戦えると叫ぼうとした。しかし言葉は喉でつまり、外に出ることはなかった。紅輝が角を曲がり、背中も追えなくなった。

 折れたナイフを片手に、倒れたまま一人取り残されたラウラは、ただ泣きたくなった。

 頬が熱い。青空を眺めながら、頬をそっと抑えた。滑り気のある液体が、頬にもつく。

 どうすれば良いのか分からず、泣くことすらできなかった。

 

 

 

 

 

 シャルル・デュノアは、IS学園の1年生用の寮の廊下を歩いていた。すでに授業は終わり、放課後だ。自室へ帰る途中なのか、幾人かの生徒もいる。

 清掃の行き届いた廊下を歩きながらシャルルは思う。右手に持つ鍵が重い。

 曲がり角の手前で立ち止まり、掌を開く。銀色の鍵を見詰める。メッキを施された鍵は、電灯の光に照らされきらきら輝いている。それがどうにもまぶしすぎるのは、自身が後ろめたい存在だからだろうか。シャルルは、鍵を胸元に押しつけた。普段とは違う硬い感触。胸に巻いたサポーターの感触に、胸の奥がちくりと痛む。

 全て嘘だと叫びたい衝動に駆られる。出自も、名前も、性別すらも嘘なのだと。

 周りの生徒達が騒ぐ声もどこか遠く感じる。それでも目的のために悪目立ちをしないよう、礼儀正しく振る舞う。どうやら根っからの役者らしい。心ここにあらずとも、演技を行うことだけはできる。

 うつむかせた顔の口元が歪む。嘲りが顔を化粧する。

 

「ここか」

 

 どうやら考え込んでいた間に部屋にたどり着いたらしい。鍵に刻印された番号と、扉につけられたプレートのナンバーが符合しているか確かめ、ノックする。

 部屋から「どうぞ」と声がした。高くもなく低くもない声だ。ベルのように澄んだ声。暖かくもなく、冷たくもないその声が、シャルルを落ち着かせてくれた。

 扉をそっと開ける。薄暗い。明かりをつけていないのか。扉の隙間から身を滑り込ませ、シャルルは鼻を押さえた。

 埃臭い。足下を見れば、うっすらと埃が積もり、床が白っぽく見える。

 白い床は、一部だけ埃がない。足跡だ。足跡が一つ、続いている。そこにだけ、埃がない。その足跡を辿っていくと、壁に背中を預けている藤原紅輝がいた。ポケットに手を突っ込み、壁に身を預けている様は、格好をつけている子供のように愛らしい。

 しかし、しかしだ。

 シャルルは黙ったまま、足を持ち上げる。ソックスには埃がこれでもかとくっつている。おろしたての新品のソックスだった。お気に入りというわけではないが、新品が誰かのせいで台無しになったら、心がささくれ立つのも仕方がないだろう。

 ずかずかと部屋を横切り、紅輝の前に立つ。身長差のために紅輝を見下ろす形となる。端から見れば、親子のように見えるかもしれない。

 

「ねえ、紅輝さん。掃除はいつしたのかな?」

「……面倒だから一度もしていない」

 

 紅輝はシャルルの顔を見なかった。

 さすがにこれはない。シャルルはあらん限りの力を腹に込め、できうる限り低い声をだす。

 

「掃除、しますよね」

 

 紅輝は面倒くさげに頭を掻いた。そしてのそのそと動き出した。

 掃除は一時間かけても終わらない。ゴミや汚れはないが、埃がとにかく多い。

 シャルルの額を汗が伝う。しかしその汗は冷や汗だった。恐る恐る紅輝の居場所を探る。どうやら煙草を吸いに行っているようであり、部屋にはシャルルだけだった。

 シャルルは部屋の中を掃除している間、不審ばかりが募った。この部屋に、本当に人が住んでいるのだろうかと。冷蔵庫には何もなく、コップが使われた形跡もない。シンクは水垢一つない。しまいにはゴミ箱に何一つ捨てられていない。

 食堂で食事をしていたとしても、冷蔵庫に水やお茶の一つもないのはおかしい。水道水を飲んでいるから冷蔵庫になにもないとしても、水を注ぐのにコップを使うはずだ。しかしコップ全てに埃が積もっていた。それともたまたまペットボトルを飲みきったところだったのだろうか。しかしそれはゴミ箱が空だから否定される。

 それになにより紅輝の私物が一つもない。服が二着ハンガーに掛けられていただけだ。

 生活感が欠けているどころではない。紅輝がこの部屋にすんでいたとは到底思えない。

 ふと思い出す。フランスにいた頃、近所のイギリス人が良く幽霊の話をしてくれたことを。幽霊は家に住み着くことがあるそうだ。そんなわけないと独りごちる。

 

「何がだ」

「えっ!? いや、何でもない。何でもないです!」

 

 突然話しかけられ、シャルルは文字通り飛び跳ねた。振り返れば首を傾げた紅輝がシャルルを見詰めている。赤い瞳からシャルルは視線をそらす。

 随分と考え込んでしまったようだ。紅輝は煙草の脂の臭いを纏わせている。一本や二本ではないだろう。この臭いのきつさから五本程度は吸っているはずだ。

 紅輝は綺麗になったばかりの部屋を、闊歩している。

 慣れた動作で壁に背中を預けた。シャルルは先程の馬鹿な考え振り払う。どこに煙草の臭いをこれでもかとさせる幽霊がいる。煙草商の幽霊だって、もっと澄んだ臭いをしているだろう。

 安堵を覚え、近くの椅子に座る。

 

「ん? 紅輝さん、袖口、汚れていますよ?」

 

 ふと目に入った紅輝の袖口が染みで汚れていた。最初は煙草の汚れかと思ったが、よくよく見れば、それは血が染みこんだような痕だった。

 

「怪我したんですか。絆創膏ありますよ」

 

 トランクから新品の絆創膏を取り出す。箱を開けようとすると、紅輝は笑いをこぼし「いらないサ」とだけ答えた。そして右手の掌をシャルルに突き出し、小刻みに振る。

 掌は真っ白で傷なんてなかった。一つの傷もなかった。 



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仙人、失敗を味わう

 ラウラは、校舎裏へ繋がる道の角で、影に身を隠していた。

 ラウラが角越しに見やる視線の先には、紅輝がいる。

 紅輝はぼんやりと空を眺めながら、くしゃくしゃの煙草を吸っている。すすけた臭いがラウラのところまで届いてきそうだ。ゆらゆら揺らめく紫煙は、空へと鬱陶しく漂い消えていく。

 何度、同じ光景を見ただろうか。

 ラウラが紅輝を尾行して、数日が経つ。

 転入初日、ナイフをへし折られたラウラだが、紅輝の言葉を受け入れたわけではない。それどころか、その言を否定するために、紅輝を打ち倒す決意を固めた。そうしなければ、ラウラの何かが壊れてしまいそうだった。

 すぐにでもリベンジを果たすべきだが、紅輝の実力と異常な精神性は、ラウラに最後の一歩を踏み越えるのを躊躇わせた。

 殺し合いならばラウラに負けるつもりはない。だが必ず勝てるともいえない。それでは駄目だ。それではラウラが千冬に語った言葉が嘘になってしまう。千冬直々に鍛え上げられたラウラが、どこの馬の骨としれない学生なんぞに負けてはならない。だからこそ、必ず勝つために紅輝の観察に努めている。

 しかし成果は中々でない。紅輝は授業以外の時間ならば、とにかく煙草を吸うばかりで、訓練をしない。これでは見張りをするよりも、自己の鍛錬を積んだ方が良かったのではないかと、時折ラウラが考え込んでしまうほどだ。

 舌打ちを漏らしたくなるが、隠密行動中ではそれもままならない。

 ラウラの心に、落ち葉のように苛立ちが積もり、腐り出す。

 ホルスターに手が伸びる。懐に隠したベレッタが存在感を増す。冷たいグリップを握りこむ。

 後は引き抜き、狙いをつけ、引き金を引くだけ。三秒もいらない。地獄の訓練をくぐり抜けたラウラからすれば、一秒もあれば紅輝を殺せるだろう。

 しかし。

 

「チッ」

 

 赤い瞳がラウラを見た。これだ。殺意を向けた瞬間、警告するように赤い瞳がラウラを射貫く。幾度も幾度も赤い瞳は、決定的な隙を作らない。

 見られてしまったならば、隠れている意味はない。かといってこのまま去るのでは逃げたようだ。逃げるのは弱者の手法。千冬の教えを受けた自身が逃げるわけにいかない。ラウラは紅輝をにらみつけながら、その眼前まで近づいた。

 近づくと、ヤニの臭いが鼻につく。他人より鋭敏な五感が、ラウラに不快を訴えかける。顔が歪みそうになった。しかしそれを意思の力で踏みにじる。

 

「ふん。煙草なぞ吸うか。軟弱者め」

 

 侮蔑を込めて、煙草の火を見据える。

 ラウラが知る限り、煙草は弱者の象徴だ。主要な成分であるタール・ニコチンは身体に悪影響を及ぼし、思考能力や身体能力を低下させる。煙草を吸うことで精神的な支えになる場合もあるが、それは己を律することのできない弱者の理論だ。真に強者ならば、薄汚い煙草の助けなど必要ない。

 紅輝は、煙草を呑み終えると、火を掌でもみ消す。煙を長く、長くはき出した。灰白色の煙が、重苦しく空に飛んでいく。

 

「軟弱者、ね。確かに俺たち(、、、)は軟弱者サ。穢れ、堕ち、生き汚く生き続けている大罪人だ」

 

 紅輝の赤い瞳が寂しげに空を仰ぎ見る。何を見ているのだろうか。ラウラは一時、紅輝に対する敵意も苛立ちも全てを捨て去り、ただその瞳に宿る光景が気になった。どこかで見た気がするその赤い瞳が。

 ふと風が吹く。銀の髪が紅輝を覆い隠す。魔法が消えてしまったように、ラウラは紅輝に対する悪感情を思い出した。赤の瞳に見入ったことを恥じるように、ラウラは頬を染める。

 

「ふん、ならばさっさとこの学園から去れば良い! 教官に必要なのは、無能ではない」

 

 足早に校舎裏から立ち去る。

 校舎に入ると、幾人かの生徒達がいた。廊下にいた生徒達はラウラを見かけると、慌てて左右に分かれた。廊下の真ん中を、ずかずかと靴音を鳴らし、ラウラは教室へ向かった。

 

 

 

「出てきたらどうだ」

 

 紅輝が新たに一本煙草をくわえた。ぶらぶら揺れる先端を見詰め、千冬は校舎の影から出て行った。

 紅輝は千冬へ顔を向けない。木にもたれかかると、赤い瞳で校舎を眺めた。

 そのとなりに千冬は立つ。

 

「アンタ、そっくりだよ」

「そう、ですか」

 

 いつの間に火をつけたのか、紅輝は再び紫煙をくゆらせていた。

 

「一本、貰って良いですか」

「軟弱者だな」

「……はい、私は、軟弱者です」

 

 苦い味が千冬の口いっぱいに広がる。口内の粘液を、ぴりぴりと苛む。黒い煙を吐き捨て、掌を額に押し当てる。燻る煙が目にしみる。だから、涙が出た。

 煙草が中程で折れる。握り締めた拳の隙間から、煙草の葉がこぼれだす。

 

「私は、どうしたら」

「それはお前さんが決めることだ。このままにするか、それとも、たとえ痛くて地獄のように苦しくとも、変わることを願うか。それは、お前とアイツとが二人で決めることだ。俺が口を挟むことじゃない」

「優しくしてくれないんですか?」

「望んでいないだろう、お前は」

 

 なんとも厳しい言葉だ。しかし千冬にとって今はありがたかった。今もたれかかるのを許されれば、もう意地を張れそうになかった。

 目を伏せれば、腕時計が目に入った。そろそろ次の授業を用意しなければ遅れてしまう。教師という仮面を再び被りなおす。

 

「そうだな。さて、藤原。そろそろ授業だ。お前も早めに教室へ戻るように」

 

 紅輝の言葉を聞くことなく、千冬は去って行った。

 

 

 

 

 シャルルは放課後、自室のキッチンで料理をしていた。

 学食を使えば別段料理なんてする必要はない。シャルル一人ならば。

 同居人である紅輝がここ数日、まともな食事という食事をしていないことにシャルルは気がついた。食堂でも見かけないし、冷蔵庫の中にも何もなかった。調理されたものを食べていないのは明らかだった。学校で売っている食品は、異物の混入などを防ぐため、食材を除けば基本乾パンや缶詰だ。

 紅輝がろくな食生活をしていない。食の大国・フランス人としてそれは許せない。必ずや、食べさせてみせると、息巻いていた。

 本当はこんなことをしているべきではないのだろう。シャルルは手を動かしながら、ぼんやりと考えていた。キッチンからちらりと目をやれば、机へ無造作に放り投げられた紅輝の迦楼羅が見える。シャルルには、それがどうしても必要だった。男性搭乗者のデータがたっぷり詰まった迦楼羅が。

 喉から手が出るほどほしい。それが目的でIS学園に入学させられたのだから。もし手に入れられれば、全てを隠す必要はなくなるかもしれない。もしかしたら、自由を手にすることができるかもしれない。しかし、何故かシャルルは、積極的に動こうとは思えなかった。その理由は分からない。

 四十分程度でラクレットができあがった。塩ゆでしたジャガイモ、ベーコン、ブロッコリー、にんじんなどを、ラクレットチーズを溶かしてかけた料理だ。

 IS学園は日本にあるためか、ラクレットチーズがなかったが、それはスライスチーズで代用した。熱々の湯気に、チーズのとろけた香りが鼻をくすぐる。

 シャルルが子供の頃、母親にせがんで良く作ってもらった思い出の料理だ。そのことを思い出し、シャルルの顔が陰る。しかしすぐに陰りは消え去り、貼り付けたような笑みを浮かべた。

 

「はい、できたよ」

 

 机の上にラクレットを並べる。シャルルに言われ、紅輝がのそのそと席に着く。

 端から見れば、夫婦に見えるのだろうか。ふと思った言葉がおかしくて、おかしくて。シャルルは胸をそっと抑えた。だがそれをおくびにも出さず、ラクレットを口へ運ぶ。

 

「ん、どうしたの?」

 

 シャルルは、紅輝がじっと見詰めているのに気がついた。

 紅輝は大きなため息をつき、後ろ髪を引っかき回す。フォークを机に置き、シャルルの瞳をのぞき込んだ。

 赤い、赤い瞳が、シャルルを見透かす。自分が丸裸にされたようで、シャルルはその目から逃れようと顔を背けた。

 

「で、いつまでもそんなことを続ける気だ」

 

 シャルルの動きがぴたりと止まる。ゆっくりと顔を向ければ、紅輝はつまらなさそうな視線をシャルルに送っていた。

 

「そんなことって、何かな?」

 

 機械のように、抑揚のない言葉を発する。仮面の笑みは崩れない。それでも心が軋み上がる。それを無理矢理に押さえつける。

 声が震えていなかったのは、奇跡だった。

 

「……男と女じゃ、歩き方が違う。お前の歩き方は、女のものだ。男のふりをする理由は分からないが、垣間見える心は叫んでいるところから、お前の意志ではないのだろう。自分から手を伸ばさなければ、誰も救いやしないぞ」

 

 机を叩きつける。食器が地面に落ちて割れ、がなり立てた。それを契機に押さえ込んでいたものが溢れ出す。

 紅輝をにらみつける。激情を込めて。

 

「貴方に、貴方に何が分かる! ただその日暮らしをしていただけの貴方に!」

 

 ふつふつと沸き立ち、溶岩のようにどろどろしたすべてを叩きつける。眼前に座る男へと。

 一度堰を切ってしまえば、シャルル自身、もう止めることはできなかった。

 

「ああ、そうさ。僕は女さ。男じゃない。名前だって違う。僕の本当の名前はシャルロットだ。シャルルなんて男は存在しない。女手一つで育ててくれた母さんが死んじゃって、そしたら会ったこともない父親が僕を引き取って。継母からは拒絶され、周りは僕を否定する! 誰も僕を助けてくれない。それどころか、唾を吐いてくる始末さ。それでいて、女も、名前も捨て去って、スパイをしろと周りは命令する。貴方と一夏のISから情報を抜き取れって。ISのせいで傾いた会社のために、デュノア社のためにって。そんな薄汚い大人しかこの世にはいないじゃないか! だったら僕は、僕は、誰に助けを求めれば良いのさ!」

 

 辺りがしんと静まる。

 シャルルは肩で息をしながら、未だ己の中でぐつぐつと煮えたぎり、それでいて支えて喉からでない思いを何度も何度もはき出そうとした。しかしそのたびに嘔吐いてしまい、言葉にすることはできなかった。

 

「でも、しなかったんだろう」

 

 紅輝が、くしゃくしゃの煙草をくわえていた。

 

「お前さんはスパイ活動なんてしなかった。良心の呵責か、意趣返しか、それとも他の気持ちだったのかもしれない。でも実際あらがえた。あらがってみせた。俺の迦楼羅を前にしても、情報を抜き取らなかった。でも、助けだけは求めなかった。新しい環境で、まっさらにお前を見てくれる人が周りにいたのに。お前さんは、ただ、自分が傷つくのが怖かっただけだ。伸ばした手をはたき落とされたくなかった子供だよ。痛いのをいやがる、どこにでもいる生ぬるい餓鬼サ」

 

 シャルロットはそのときの記憶がなかった。

 ただ覚えているのは、柔らかなものが潰れた感触、吹き出る生温かな血潮、ずるりと引きずり出された真っ赤な眼球。重たいものが倒れる音。心臓の鼓動がどくどくとうるさく、身体中が暑かった。

 日が地平線に傾き、周りが暗くなるさなか、シャルロットは見た。

 真っ赤な火を。

 燃えさかる命の灯火を。

 神の奇跡を。

 

「助けて、助けて、ください」

 

 救いを求め、手を伸ばした。幻想へと。 




ラウラの描写はまだしも、シャルルの描写が少なかったと、書いていて反省しました。
予定ならば、シャルルと紅輝とが反目するはずだったのに。キャラクターが勝手に動いちゃった、テヘ。


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只人達の芽生え

前回投稿からいきなりお気に入りが379名増えて、びっくりしているkoth3です。
また平均評価が7.32にとなり、一体何があったのか、作者なのに分かりません。
とりあえず言えるのは、ご愛読ありがとうございます。
今回文字数が一万を越えたので、ちょっと長いのでお気をつけください。


 息も絶え絶えに、一夏は昼休みの廊下を走っていた。

 見返れば、欲望で瞳をぎらつかせた女生徒の群れが、猛然と追ってくる。男子顔負けの速さで、少しでも脚を緩めれば、捕まるだろう。ゾンビに追われるパニック映画の主人公になった気分だ。疲労を訴える脚を叱咤し、走り続ける。

 追いかけてくる彼女たちは、皆同じ書類を手にしている。それは数日後に開催されるタッグマッチ戦のペア登録用紙だ。

 もし、あの中の誰かとペアになれば、なぜかは分からないが、一夏だけに理不尽な目が降りかかるだろう。それは火を見るより明らかだ。なんとかして逃げ切らなければならない。

 必死に亡者染みた集団から逃げていると、気がつけば屋上にいた。追っ手は撒いたのか、後ろからは足音ひとつせず、階段が寝静まっているだけだ。

 重い扉を閉めて、寄りかかるようにへたへたと座り込む。春の陽気で温められたコンクリートの熱が、一夏の尻を服越しに焼いて不快だが、それよりも今は身体中が休憩を求めていた。

 おとがいをそらし、深呼吸する。海風が吹いてきて、火照った身体を冷やす。潮の香りが肺一杯に広がり、活力が少し戻った。

 

「一夏?」

 

 一夏は肩をはねあげ、立ち上がった。追っ手がいたのかと声のした方角へ目をやれば、数メートル先に人影がいた。しかし太陽の光が逆光となり、相手が誰かよく分からない。目が光りに慣れるにつれ、相手の顔が影から浮かび上がってくる。

 そこにいたのはシャルルだった。

 

「シャルルか。ちょうどいい、助けてくれ!」

 

 女生徒ではないことに、一夏はひとまずの安堵を覚えた。そしてシャルルへと駆け寄り、その手を掴み取る。柔らかで華奢な手にちょっと不安になりもしたが、それでも今の一夏を助けてくれるのは、シャルルしかいない。

 いきなり手を握られたからか、シャルルは眉根を寄せていた。

 

「え、ちょ、一夏? 急にどうしたの? 放してくれないかな?」

「頼む、俺と一緒にタッグマッチに出てくれ!」

 

 一夏は頭を下げた。それこそ土下座せんばかりに。いや、しても構わなかった。額を焼く痛みの方が、女生徒に追われるより何倍もマシだった。

 困惑しているシャルルには悪いと思いつつも、一夏は己の身を守るためにも、あくどく言葉をたたみかける。

 

「昨日パートナーについて説明されてすぐ紅輝さんに頼んだら、シャルルと組んだ方が良いって言われて。俺を助けると思って、どうかタッグマッチのパートナーになってくれ」

 

 手を合わせ懇願する。

 ちらりと目をやれば、シャルルは一夏のことをじっと見詰めていた。

 

「紅輝さんが、そう言ったんだね? 間違いなく」

 

 シャルルの声音は冷え冷えとして、重たい。急変した態度に、一夏は気圧され、後退った。

 

「う、うん、そうだけど」

 

 シャルルの表情がぱあっと明るくなる。なにが嬉しいのか、鼻歌まで歌い出す始末だ。突然の変化に一夏はついていくことができなかった。ただシャルルの様子に違和感を覚えるだけだ。

 シャルルは放心している一夏の手を力強く掴むと、肩が外れそうになるほど振り回す。

 

「じゃあ、一夏、よろしくね」

 

 そしてスキップをしそうな足取りで、屋上から去っていた。残された一夏は、ただ茫然とその後ろ姿を眺めることしかできなかった。

 

 

 

 シャルルとパートナーになった放課後、一夏はアリーナにいた。近くにはシャルルもおり、一緒に訓練を励んでいた。

 大会期間中の短い間とはいえ、お互いパートナーになったのだ。足を引っ張りあうことがないよう、試合前に実力を確認し合い、息を合わせる必要がある。そう考え、一夏がシャルルを誘いだした。シャルルは、御機嫌な様子で承諾してくれた。

 自分から誘った一夏だが、シャルルの実力は分からなかった。しかしアリーナで見せつけてくれたシャルルの実力は素晴らしかった。シャルルの操るオレンジ色に塗装されたラファール・リヴァイヴ・カスタムIIは、第二世代の機体だが、動きに無駄がなく小鳥のように空を舞う。さらには潤沢な拡張領域に仕込んだ多彩な銃器を、高速切り替え(ラピッド・スイッチ)で手品師の如く切り替え、それぞれの銃の最大限の効率を発揮する。

 接近戦しかできない一夏にとって、様々な武器を適宜使い分けられるシャルルとの相性は、抜群だった。一夏が接近戦で相手に貼り付き引っかき回し、シャルルが援護をする。これだけで一般生徒ならば打ち勝つことができるだろうことは、想像に難くない。

 訓練にも段々と熱が入る。丹念にお互いの動きを確認し合う。攻撃のタイミング、咄嗟の事態にはどういう躱し方をするのか。知れば知るほど、二人のコンビネーションは磨かれていく。

 一夏はシャルルとの訓練において、今までにない上達を感じていた。

 これまでの練習では、箒やセシリア、それに鈴が協力してくれていた。しかし擬音や専門用語の嵐か、感性的な説明をされるばかりで、一夏にとってそれらの助言は全く役に立たなかった。それにくらべ、シャルルのアドバイスは的確で、なによりわかりやすい。分かるから助言を動きに取り入れられ、自らのものへと昇華できる。

 

「一旦、休憩にしよう」

「まだまだいけるぜ」

「駄目。これ以上は間違いなくオーバーワークだよ」

 

 渋々と地上に降りる。休憩を取ると、身体にこもった剣気が汗となり、一夏から離れていく。確かにちょっと興奮しすぎていたようだと苦笑をこぼす。すると余計な力が抜けたからか、先程までは見えなかったことが、見えてくるようになった。

 シャルルの様子だ。集中しているようだが、それは目の前のことに力を注いでいるのとは違うようで、どちらかといえば楽しくて楽しくて仕方がなく、溢れ出す活力で百パーセント以上の力を発揮しているようだった。

 何か良いことでもあったのか。身体が冷え切らないよう、一夏は軽くストレッチをしながら、そんなことを考えていた。

 

「ほう、こんなところにいたか。どうやら、蛆も恥くらいは知っているようだな」

 

 そろそろ訓練を再開しようかとしたとき、鋭い敵意が一夏の背中を刺した。振り返れば、ラウラが嘲りを含んだ赤い瞳を一夏へと向けていた。

 一夏は眉をひそめるも、シャルルに呼びかけ空へ飛ぶ。ラウラを相手にすることなく。

 敵意を向けられたからといって、敵意を返すことに何の意味もない。それに一夏自身、ラウラの罵倒を多少は正当なものとして受け止めていたのもある。

 ラウラが口にした、一夏は千冬に迷惑をかけ、それが原因で千冬の栄光を汚したという言葉は、あながち間違いではない。だからラウラが一夏を罵倒することで気が休まるならばと、大人しく罵倒を受けている。

 

「逃げるな。私と戦え」

 

 しかしそんな一夏の後を、ラウラが追いかけてきた。黒い無骨なISを纏い、腕を組んで踏ん反り返りながら、一夏へ命令してくる。

 

「断る。戦う理由なんてない」

 

 一夏はラウラの方へ振り向くことなく、吐き捨てた。罵倒なら受け入れよう。しかし、シャルルまで巻き込むようなことをするつもりはない。

 シャルルへ再び合図を送り、ラウラから離れようとする。

 しかし。

 

「ならば、こちらからいくだけだ」

「一夏!」

 

 衝撃で息が詰まる。素速く反転すれば、ラウラはISのクローをなぎ払っていた。

 

「て、めえ!」

 

 頭がかっとなる。攻撃されたことよりも、無防備な人間を躊躇いなく攻撃するラウラの精神が、一夏の疳に障った。

 

「ふん」

 

 にたにたと笑みを浮かべ、ラウラは武装を展開する。一夏もラウラへ雪片弍型を構える。戦闘状態と判断した白式が、ハイパーセンサーを起動する。

 先程よりも鮮明にラウラの表情が見える。人を傷つけることに愉悦を覚えているのかラウラはほくそ笑む。その様子に、もはや言葉は通じないだろうと一夏は覚悟を決めた。柄を握り締める。雪片弍型がギチギチと音をならす。

 お互いの隙を見計らう中、鋭い声がアリーナ中に響いた。

 

「そこでなにをしている」

 

 アリーナの観客席に、千冬が立っており、一夏達を睨んでいた。

 ラウラは後退りし、下唇を食むと、一夏へと背中を向けた。

 

「覚えていろ、貴様は私が必ずたたきつぶす」

 

 最後まで敵意を消すことなく、ラウラはアリーナから立ち去った。

 

 

 

 タッグマッチ当日、一夏はアリーナの中央でラウラとにらみ合っていた。

 試合抽選の結果、一夏・シャルルペア対ラウラ・箒ペアの試合が第一試合となった。一夏とラウラは、お互いアリーナに整列するよりも早く、敵意をぶつけ合っていた。

 試合開始の合図が待ち遠しい。一夏は逸る気持ちを誤魔化すように、全身に力を蓄える。

 待ちわびていた笛の音が鋭く響いた。

 一夏はため込んでいた力を爆発させるように前進する。瞬時加速(イグニッション・ブースト)までを使って。

 しかしその動きが突然止まる。何かに捕まったように身体が動かない。必死になって前に進もうとするが、やはり身体は動いてくれない。

 

「ハッ、馬鹿が! 貴様の行動など、手に取るように分かる。私とこのシュヴァルツェア・レーゲンにとって、貴様なぞ木偶の坊にすぎん!」

 

 シュヴァルツェア・レーゲンの武装が火を噴く。大口径レールカノンが一夏に直撃する。凄まじい衝撃が全身を襲い、吹き飛ばされる。じんじんと全身が痛む中、機体のチェックを素速くすませる。シールドエネルギーが大きく削れていた。

 

「一夏、気をつけて。いまのはアクティブ・イナーシャル・キャンセラー(AIC)だ! とにかく動いて逃げ続けて!」

 

 隙を晒した一夏を守るため箒を相手にしながら、シャルルが警告を飛ばす。

 すり足で一気に間合いを詰める箒に対し、シャルルは小刻みな足運びを絶えず行い、狙いを絞らせない。

 

「くっ、ちょこまかと!」

「そんな馬鹿正直なソードに当たるもんか!」

 

 大上段の斬撃を、シャルルは巧みにナイフでいなす。閃光が飛び散るなか、両者は目も眩む舞踏を踊る。 

 一夏はシャルルの様子からしばらく援護が期待できないと悟り、助言通りとにかく立ち止まるべきではないと、白式の飛行能力を活用し、ラウラの周りを旋回する。

 

「はっ! 蠅のように飛び交うしかできないか! やはり貴様は教官の弟に相応しくない」

 

 ラウラはアリーナ中央で王のようにどっしりと構え、時折一夏めがけてレールカノンを放つ。それは一夏をかすめるような弾道をしており、明らかにいたぶることが目的だった。

 砲撃に苛まれながら、一夏の心は徐々に静まっていった。怒りが消え去ったわけではない。不思議なことに、怒りはあるが、苛立ちだけが綺麗さっぱり消え去り、ただラウラ・ボーデヴィッヒが悲しい存在に思えてきた。

 ラウラが悲しいと思えば思うほど、紅輝の言葉が鮮明に蘇る。

 何故刀を持つのか。その答えに指の端が引っかかった気がした。

 一夏は旋回を止め、ラウラめがけて突っ込む。

 

「破れかぶれのカミカゼか!」

 

 ラウラの口元が歪む。嘲りが顔一杯に広がる。

 見縊りたくば見縊ればいい。一夏の集中力が増していき、時間を置き去りにする。ゆっくりと世界が進む中、一夏はラウラの瞳の輝きから、AICの起動を察知した。

 瞬時加速。身体が軋む中、横ずれする世界で見た。ラウラが驚愕に顔を歪めていくのを。

 クールタイムなしに再度、瞬時加速。連続で身体が揺さぶられ、一夏の視界が暗くなる。意識が遠のきそうになるのを、精神力でねじ伏せる。

 強張っているラウラの懐に潜り込み、雪片弍型を胴へ振るう。白い光はラウラのISの絶対防御を切り裂いた。

 甲高い金属音が鳴り、ラウラが地表へ吹き飛ぶ。

 

「防がれたか」

 

 残心をとる。一夏の手にある雪片弍型の刃は欠けていた。

 一夏の雪片弍型には零落白夜という、エネルギーを消滅させる能力がある。しかしあくまでエネルギーを消滅させるだけで、刀の切れ味が鋭くなるといったようなことは起きない。詰まるところ、ダメージのみが倍増する、ただの刀に過ぎない。

 そのただの刀で勝負を決めにかかった横薙ぎの一撃は、ラウラが咄嗟に装甲の厚い腕部を盾代わりにしたため致命傷を防がれ、さらには多大な負荷がかかり刃が欠けてしまった。一夏の剣術が、ラウラの戦闘技術に負けた証左だ。

 苦いものがわき上がるが、一夏はそれを振り払う。

 

「貴様!」

 

 ラウラが憤怒の声を上げ、立ち上がる。怒髪天を衝き、一夏を睨む。凄まじい殺気に、一夏の心肝までが凍り付きそうになる。しかし刀を静かに構えなおし、凍てつく鎖を切り裂く。

 削られたとはいえ、シールドエネルギーはまだ余裕がある。冷静さを欠いたラウラ相手ならば、十分対処できるだろう。

 それに。

 

「一夏だけ見ていて良いの?」

 

 一夏は一人ではない。

 箒を下したシャルルが、影から飛び出しラウラの懐へ潜り込んでいた。

 

「なっ!?」

「えい」

 

 可愛らしい声と裏腹に轟音が響く。シャルルのISの右手に取り付けられていた小型のシールドから、一本の太い杭が飛び出している。巨大な薬莢がゆっくりと地面に落ち、カランと小気味いい音を響かせた。

 

盾殺し(シールドピアス)。いい威力でしょう?」

 

 シャルルは妖艶な笑みを浮かべ、アリーナの壁に縫い付けられ苦悶の表情を浮かべるラウラの腹に盾殺しをそえる。

――ガシャン、ガシャン、ガシャン。 

 腹に響くほどの大音量が幾度もアリーナを満たす。観客席が静まりかえり、一夏自身シャルルの容赦のなさに怯えつつ、そっと様子を窺う。

 シャルルの影であまり様子は窺えない。分かったのは、アリーナの壁にラウラが埋め込まれ、シュヴァルツェア・レーゲンの装甲全体に罅が入り、もはや戦える状態ではないことだ。刀を鞘に収め、一夏は息をゆっくりと吐き出した。

 

 

 

 ラウラは、盾殺しを腹に押しつけられたまま、現状を信じられず茫然としていた。倒れ伏すのはあの男のはずなのに、なぜか自分がやられている。何故、何故、何故。思考が疑問で埋め尽くされていく。

 杭が腹にねじりこまれる。苦悶の余り呻き声が漏れてしまう。

 

「あのさぁ、君、邪魔なんだよね。あの人の後をつけ回して。何様のつもり?」

 

 目の前にいるシャルル・デュノアが耳元でぼそりとラウラにだけ呟く。見下した瞳がラウラに向けられる。

 

「あ、ああ……」

 

 その瞳は、かつて幾度も向けられたものだった。捨て去ったはずの、千冬のおかげで捨て去れたはずの過去。過去の手に背中を捕まれ、ラウラは身体の震えを隠せなかった。

 

「馬鹿な、ありえない。私が、教官を汚すなど」

 

 同じ言葉をぶつぶつと繰り返す。しかし状況は変わらない。

 何故、勝てない。自分はまだ弱いのか? 

 ラウラのアイデンティティーが崩壊していく。そんな崩れていくラウラに、誰かがそっと囁いた。

 

――力が欲しいか?

「……せ、よこせ! 私に比類なき力を! あの瞳を恐怖に歪められる力を!」

 

 ラウラは手を伸ばした。強くあるために。誰よりも強くあるために。それが何をもたらすか、そしてその契約が悪魔の契約だと知らずに。

 シュヴァルツェア・レーゲンが溶け出す。液体金属となったレーゲンが、ラウラの身体を包み込む。冷たい感触に、ラウラは我を取り戻す。必死になって逃げようとする。

 しかし、レーゲンはそれを許さずラウラを取り込んでいく。伸ばした手の指先にまで、液体金属が纏わり付く。

 

「助け、て。教官」

 

――とぷん。

 ラウラはシュヴァルツェア・レーゲンに取り込まれた。

 

 

 

 動きのない二人の様子に、一夏は訝しくなり、プライベート・チャンネルでシャルルに呼びかけようとした。

 しかしチャンネルを合わせるよりも早く、シャルルが突然後方へ吹き飛んだ。いきなりの事態に、一夏は直ぐ様動くことができなかった。

 

「シャルル!! 大丈夫か!?」

「だ、大丈夫。シールドで防ぐことがなんとかできたから」

 

 アリーナの中央で蹲るシャルルの下へ駆けつけてみれば、ラファール・リヴァイヴ・カスタムIIに取り付けられていた小型シールドが粉砕していた。

 何が起きたのかとラウラの方を見やる。そして目を見開いた。

 ラウラの姿が大きく変わっている。纏うISが、変形していた。無骨な印象を与えていた武装はすべてなくなり、その代わりとでもいうのか、一振りの刀を携えていた。また装甲はどろどろに溶け、流動しており、表面が波打っている。マネキンのような人型が真ん中に鎮座しており、それは明らかにラウラよりも背の高い人物の姿を模していた。

 異常なISの姿に、一夏は背筋が凍り付いた。それは見るからにおぞましいものだ。

 

「ラウラ、おい、ラウラ!」

 

 一夏がラウラへ駆け寄ろうとした。するとシュヴァルツェア・レーゲンらしきISは、目にもとまらぬ速さで詰め寄り、一夏へ斬りかかってくる。

 咄嗟に雪片弍型で受け止めることに成功したが、一夏は凄まじい膂力に耐えきれず、はじき飛ばされてしまう。

 

「今の、は……。ふざけんな! それは千冬ねえのだろうが!」

 

 刀をあわせた一夏だから分かる。今の一撃は千冬の刀を模したものだと。人並み外れた力を、人並み外れた身体能力で増大させる剛の剣。途方もない重さを叩きつける、一夏にはとても真似できない一撃だ。

 しかし、しかしそれを許されたのは織斑千冬だけだ。間違っても、訳の分からないISが繰り出していいものではない。

 視界が赤く染まる。怒りで身体が震える。目の前で佇む敵をばらばらにしてやりたいという衝動が、暴れ狂う龍みたく一夏の内側を破こうと暴れ回る。雪片の柄を握る手の力が増す。今すぐにでも斬りかかりたい。

 しかし、一夏は自らの頬を叩いた。じんじんとした痛みが、一夏に冷静さを取り戻させ、怒りを霧散させた。

 

「シャルル、箒を頼む。それとできるだけ早く先生達を」

 

 刀を構え、がらくたを牽制をする。

 目の前のがらくたが無防備な姿の箒や、アリーナのバリアを破り、観客に襲いかかるかもしれない。それを防ぐためにも、誰かが囮になる必要がある。己が囮になるなど、我が儘だと分かっている。シャルルの方が、一夏より実力がある。しかし眼前のがらくたと戦うのは自分でなければならない。そうでなければ、一夏は己を見失うだろう。

 

「分かった。気をつけて」

「応」

 

 シャルルが行動を開始すると、花の蜜に誘われた蝶のように、がらくたが反応した。僅かな初動に対応し、すぐさま一夏が半歩近づき、注意を集める。がらくたは、その不気味な顔らしき箇所で、一夏をねめつけた。

 喉がからからに渇く。がらくたの一太刀でも浴びれば、一夏はおそらく死ぬだろう。

 一夏の考えがあっていれば、がらくたの持つ刀は雪片だ。千冬がISの選手時代に使っていた、零落白夜を扱える刀。それのデッドコピーだろうが、全くのこけおどしな可能性は楽観に過ぎる。エネルギーを切り裂けると考えた方が良い。だとすれば、白式の絶対防御は意味をなさないだろう。

 危険性は否が応でも増す。白式は防御力に優れた機体ではない。むしろ他のISと比べて劣る機体だ。死ぬ可能性もあるだろう。

 それでも、それでも一夏は決意を胸にがらくたへと対峙する。

 

「ああ、怖いな。でも、なんでだろう。ラウラ、今のお前を見ていると、無性に許せないって思うんだ。こんなことが許せない。お前が憎いんじゃないだぜ。むしろ悲しいなって思うくらいだ。何だろうな、これ(、、)。……ああ、そうか。これが勇気か」

 

 だとしたら、なんて悲しいのだろう、勇気とは。

 一夏は目元に溢れた涙を指ですくい取る。弾いた水滴が、空中できらきら輝いて消えていった。

 

「行くぞ」

 

 踏み出す。深々と轍を残し、一夏は走る。がらくたが一夏へ刀を振り下ろす。風を纏う剛剣を、雪片弍型でいなす。受け止めるのも弾くのも、一夏の力では不可能だ。雪片弍型ごと両断されるだろう。故に、いなす。力のベクトルをそらす。たとえそれが今までの一夏にとって無理なことでも。

 不思議なことに、一夏は振り下ろされる刀の軌道が予め分かった。だからこそ、力を込める必要なく、いなしきれた。

 がらくたは、両断されなかった一夏に苛ついたとでもいうのか、その真っ黒な刀を振り回す。滅茶苦茶に振るわれる一撃一撃が、一夏にとっては死を告げる呼ぶ子だ。それでも後退はない。ただ前進を続ける。時にいなし、時に足運びで斬撃から身をひるがえす。幾度も襲いかかる死に神の鎌を前に、一夏の心は凪いだ湖面のように静寂に満ちていた。

 呼吸は乱れず、身体から余計な力が抜け落ちる。五感が鋭くなる。常より鮮明に映る太刀筋。風が肌をなでる感覚。鉄火場の鉄臭。口腔内を刺す辛味。鼓動を伝える脈動。

 自分の肉体が、いや、細胞一つ一つすら手に取るように分かる。どうすれば、神の鞭を振り払えるか。余計なものは頭から徐々に消え去り、それだけに思考が費やされる。

 次第に一夏の周りが静かになっていく。極限までに高まった五感は、むしろ自ら消え去ることを望んだ。相手さえ見られればいい。刀を握っているかが分かればいい。危険を嗅ぎ取れるだけでいい。血の味さえ分かればいい。相手の心さえ聞ければいい。今や、ここにいるのは一夏とがらくたのみ。黒い世界で両者は波紋を生み、対峙している。

 荒々しい波を、目をこらさなければ分からないような小さい波がかき消す。

 一歩、二歩、両者の間合いが縮んでいく。

 がらくたが今までよりもなお力を込めた一撃を繰り出した。稲妻のような唐竹割りを前に、一夏はただラウラがいた辺りへ目を向けた。

 

「なあ、ラウラ。それでいいのかよ、お前。そんなのがお前のいう千冬ねえの強さなのか?」

 

 ぴたりとがらくたの動きが止まる。切っ先が一夏の額ぎりぎりで止められる。刀はぶるぶると震えており、二つの力ががらくたの中で拮抗していた。

 それを見届け、一夏は安堵した。刀を降ろす。刃はぼろぼろで、あと一振りでもしようものならば、砕け散っただろう。

 これ以降は、もう一夏のすべきことではない。

 

「良くやった、一夏。そして、ありがとう」

「別に良いさ、千冬ねえ。それよりも」

 

 全てが蘇る。一夏の目の前には、打鉄を纏う千冬の姿があった。感じたことのない覇気が、千冬の身体から発せられている。

 

「自分がしでかしたことだ。自分でぬぐうさ」

 

 その答えに満足し、一夏は刀を収めると、二人に背を向けた。

 背後で鋼のかち合う音が響き、そして、幼子のような慟哭がいつまでも木霊した。

 

 

 

 ピットについた瞬間、一夏はアリーナから保健室へ、教師陣の手で文字通り担ぎ込まれた。抵抗一つ許されず。保健室へ着いたら、すぐに様々な精密検査が実施された。

 検査が終わった後も、しばらくは保健室からでないよう告げられ、渋々従っている。

 とはいえ、消毒薬の臭いがこもった部屋に一人じっとしているのはつらい。部屋の端から端を意味もなくグルグルと歩く。身体を動かしていた方が、気が楽だった。

 そうしていると、扉がノックされた。

 

「入るぞ」

 

 保健室に入ってきたのは千冬だった。その顔は普段と変わらない仏頂面を装っているが、弟の一夏からしてみれば、わかりやすいほどに晴れ晴れとしている。

 

「お疲れさま、千冬ねえ」

「う、む。そうだな、少し疲れたな」

 

 どうやらもう教師モードではないらしい。

 一夏は保健室の、背もたれのない生徒が使う椅子に座った。千冬も養護教員の椅子に座り込む。

 二人の間に沈黙が訪れる。それに堪えられなかったのか、千冬はぼそりと呟いた。

 

「訊かないのか?」

「別に。そりゃあ最初は全部話して欲しかったさ。でも、何でか知らないけど、そんなこともういいやって思うんだ」

 

 一夏にだって譲れない事情があった。ならば千冬やラウラにだっていろいろな事情があるだろう。それらは無理に訊くようなものではない。

 

「変わったな、いや、成長したのか」

「そうかな?」

「ああ、間違いない」

 

 後頭部をひっかき、にへらと照れ笑いが浮かぶ。褒められたのはいつ以来だろうか。嬉しくて、にやけ顔を戻せない。

 調子に乗るなと千冬に軽くはたかれる。

 

「それに、お前は私を越えたよ」

 

 一夏が千冬の顔へ目をやる。千冬は、柔らかな微笑みを一夏へ向けていた。

 

「剣術の極みは抜かぬことだという。それは人を傷つけるのではなく、守るためにだ。お前はあのとき刀を収めた。それは私にはできないことだ」

 

「これからも精進しつけろ」と言い残し、千冬は保健室を立ち去った。

 一夏はよろよろと立ち上がり、保健室のベッドへ身を投げた。そしてそのまま瞼を閉じた。

 

 

 

 目を覚ましたラウラが起き上がろうとしたとき、身体がベッドに拘束されているのに気がついた。それは厳重な拘束で、縄抜けの訓練を受けたラウラですら、脱出できそうにない。妙な気怠さに襲われつつも、首を倒す。首を傾けた方には、カーテンが閉められ、ベッドの近くには何かの機械が、ラウラには分からない値を画面に映しているのが目に入った。その機械から伸びるコードは、ラウラに繋がっている。

 病室だろうか。それにしてはラウラが抜け出せないほどの拘束具があるなど、余りに物騒な病床だ。おそらくは、特別な保健室(、、、、、、)だろう。

 

「起きたか」

 

 聞き覚えのある声に、唯一自由に動く首だけを逆側に巡らせると、千冬がラウラを拘束するベッドのそばにいた。

 

「教官、……私は」

 

 ラウラの様子を窺っている千冬の姿に、何が起きたのかを思い出した。シュヴァルツェア・レーゲンに取り込まれたこと。そして織斑一夏と千冬により助けられたこと。

 苦いものが口の中に広がる。後悔のあまり臍を嚙む。どうしてああなったのか、それはラウラ自身良く理解できた。暴走した状態で一夏と戦い、そして千冬に一刀のもとに斬り捨てられ。

 詰まるところ、ラウラは弱かった。心が。どうしようもないほどに小さく、脆く。

 それに反し、二人には確固とした信念があった。だから強かった。信念のない、ペラペラなラウラがぶつかったところで、どうして傷をつけられよう。蟻を気にする象などいない。だというのにそれすら分からず良い気になっていたのが、ラウラだ。

――なんて、なんて自分は愚かでちっぽけだったのだろう。

 再び口を開こうとしたラウラだが、千冬はそれを指で制した。

 

「構わん。何も言うな。お前はすでに学んだ。ならば、私から何も言うことはない」

「教官」

 

 千冬はラウラの拘束具を取り外し始めた。戒めが取り外されてなお、ラウラはしばらく起き上がる気力がわかなかった。

 

「お前のレーゲンにはValkyrieTraceSystemが組み込まれていた。お前もそれがどういうものか知っているだろう?」

 

 ラウラが知る限り、VTSはISに関する条約で禁止されている。そのシステムは、ISの国際大会の部門別優勝者、通称Valkyrieのデータを再現するというものだ。しかしそれは操縦者の肉体・精神両方に大きな負荷がかかると禁じられている。

 そんな代物に、ラウラは全てを投げ渡そうとした。

 結局、何も変わらなかった。千冬が指導してくれる前の、落ちこぼれの時から。

 布団を握り締める。人生の中でここまで惨めな思いを味わったことはない。

 

「おい」

 

 声に反応し、顔を上げると、額に千冬のチョップを食らった。

 食らった箇所を両手で押さえ、涙を堪えていると、千冬は腰に手を当ていつものように力強く断言した。

 

「反省はいい。だが自虐はよせ。知らなかったなら、知っていけばいい。そうやって人は成長するんだ。なあに、お前はまだ若い。いろんなことをこれから学んでいけばいいさ」

 

 千冬が笑う。ラウラは千冬の顔を茫然と眺めていたが、弱々しくも笑顔を形作った。

 

「はい」




書いてて思ったのですが、キャラクターが動く、動く。シャルロットはなんか凄い怖くなっちゃったし、一夏は一夏でなんか一人時代劇を繰り広げているし。
まあ、これがうちの一夏君、シャルロットなんだろう。
ではまた次回、お目にかかりましょう。さようなら。

あんまりにもタグの東方を消せという話が多く、一々感想で返答するのが面倒なので、ここで一括に返答させていただきます。
まず、前提条件としてこの作品は東方projectとISのクロス作品です。東方のオリキャラを書きたかったのではありません。元々は藤原妹紅を主人公にするのを計画しましたが、それだとIS学園に入る理由が全くありませんので、断念しました。むしろ苦肉の策として、藤原紅輝というキャラクターが生まれました。
次に、東方が全くでないということですが、ISの量子化や人類の宇宙進出に対し、月関連が動かないわけがありません。さらには不老不死という存在が表にいれば、幻想郷自体存在が発露する危険性もあるでしょう(幻想郷を覆う結界は、幻想が忘れられているからこそ効力を発しております。もし不老不死という幻想がばれれば、結界が失われ、幻想郷の崩壊が訪れかねません)。
このように東方をクロスさせることで、世界観に複雑な対立構造が生まれるので、それを書いてみたかったのです。特にその中で成長していくティーンなどを。
ですので、東方のタグを消す予定は一切ありません。


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只人達の解決と、暗雲

 タッグマッチ戦から日曜日を挟んだ月曜日、一夏はあくびをかみ殺しながら、教室へ向かった。

 教室内は、普段より騒がしかった。タッグマッチの事件の熱が完全には消えていないのだろう。自分の席へ向かう途中、別々の子に、何度も似たような質問をされた。当事者の一人である一夏ならば、誰よりも詳しいと考えてのことだろう。

 質問はうまいこと誤魔化しながら、挨拶を交わすのにとどめる。一夏は言い広める気はなかった。

 席に着けば、身体のだるさに負けて机に突っ伏す。肉体的な疲労はないものの、精神的な疲れが全然とれていない。

 というのも、休日であるはずの昨日は、またしても事情聴取などで潰れてしまい、全く休めなかったからだ。ようやく様々な雑事から解放されたのは、すでに日をまたいでいた。慌ててベッドに飛びこみ、眠りについたが、一日中話し続けた疲れはしつこく残っている。

 初夏の陽気が混じりだした日差しを浴び、身体がぽかぽか温まると、一夏は船をこぎ始めた。

 うつらうつらとしていると、鈴の音のように澄んだ高い声が聞こえた。眠気に負けそうになりながらも、気合いで瞼を開ければ、ちょうど紅輝が目の前で席に着いたところだった。

 

「おはようございます、紅輝さん」

 

 鞄から教科書を取り出していた紅輝だったが、取り出した教科書を一旦脇に置き、いつもと変わらぬ仏頂面を一夏へと向けた。

 

「ああ、おはよう。土曜日は大変だったらしいな」

「ええ。でも紅輝さんこそ、風邪は大丈夫ですか? 夏風邪は長引くと言いますし、気をつけてくださいね」

 

 紅輝は罰が悪そうに頬に手を当て、より一層むっつりと黙り込んでしまう。

 タッグマッチ当日、シャルルから紅輝が風邪を引いたと知らされていたが、今の今までお見舞いも出来ず、一夏の中でしこりとなっていた。放課後にでも、バナナか何かを持って行こうか。病み上がりの時は消化の良く栄養をつけるものが一番だろう。

 つらつらとそんなことを考えつつ、一夏は紅輝に頭を下げた。

 

「紅輝さん、ありがとうございました」

 

 顔を上げれば、紅輝が目を丸くして呆けた表情を晒していた。

 ここまで感情豊かな紅輝の姿を、一夏は初めて見た。幼い顔つきに似合わない、冷静沈着という言葉を体現したような、落ち着き払った紅輝の表情しか見たことがなかった。しかしいつも見る顔よりも、今の紅輝が浮かべている顔の方が、色が出ていて良いと一夏は思う。

 

「いきなり何だ?」

「以前、紅輝さんに教えてもらったこと、なんとなくですが分かった気がします。もしあのとき教えていただけなかったら、俺、きっと勘違いして暴走していたと思うんです」

 

 ようやく得心がいったのか、紅輝の顔に納得の色が広まる。

 そしてそっぽを向いた。

 

「それはお前さんが勝手に見つけたことだろう。俺は全く関係ないサ」

 

 素っ気なく言い放つと、紅輝は再び教科書を取り出し始める。そんなことはないと一夏が食い下がろうとした。

 

「オイ」

 

 しかしいつの間にかとなりに立っていたラウラ・ボーデヴィッヒに声をかけられたことで、渋々諦めざるをえなかった。

 苛立ちを隠しながら、一夏がラウラの方へ向き直る。ラウラはその赤い瞳を一夏と紅輝とに向けると、勢いよく深々と腰を折った。

 

「すまなかった。今までの行いを謝罪させてくれ」

 

 頭を下げ続けるラウラの姿に、最初は戸惑っていた一夏だが、すぐに笑顔を浮かべた。

 

「おう、分かった」

 

 ラウラが顔を上げる。しかしその表情はどこか納得がいっていないようだった。ラウラが紅輝へ顔を向けると、紅輝も鬱陶しそうに頷いた。表情が戸惑いに変化した。一夏が小首をかしげそのことを訊ねれば、ラウラは言いにくそうに答えた。

 

「私が言うのもアレだが、これまでの行いは酷く身勝手なものだった。今から思えば、馬鹿馬鹿しい小娘の戯言だ。それで二人に迷惑をかけたのだ。そう簡単に謝罪を受け入れてもらえるとは思わなかった」

「ああ、なるほど。でも、ラウラは反省したんだろう?」

 

 こくりとラウラが頷く。

 

「なら、さ。大切なのは間違いを繰り返さないことじゃないか? 偉そうかもしれないけど、俺はそう思うよ。誰だって間違える。譲れないものならなおさらな」

 

 屈託ない笑顔を一夏がすると、ラウラは「そうか、そうだな」と呟いた。

 そしてなにやらもじもじとしだした。人差し指を絡め、くるくると回す。そして一夏と紅輝の顔をちらちらと仰ぎ見る。何をしたいのだろうかと一夏が訝しんでいると、ラウラは顔を真っ赤にし、開いた両手を伸ばす。

 

「その、だ。と、友達に、なってくれないか?」

「……おう!」

 

 一夏は満面の笑みを浮かべ、その手を力強く握った。紅輝は一瞬戸惑ったようだが、一夏が見守る中、頬をほんのりとリンゴ色に染め上げ、ラウラの手を握り返した。ラウラの表情がぱあっと明るくなる。それは幼子が初めての友達を得たときのような、微笑ましい笑顔だ。思わず一夏の顔も緩んでしまう。

 そうしていると、ホームルームの予鈴が鳴る。ラウラは名残惜しげに二人の手を放し、席へ戻っていった。

 

「はい、皆さん。おはようございます。もう、席に座っていますね」

 

 予鈴が鳴り終わると真耶が入ってきた。なぜだかは分からないが、その顔は疲れた顔をしている。一夏が寝ぼけ眼をこすりよくよく見直すが、やはり真耶の表情からは疲労の色がありありと覗いており、何かあったのだろうかと小首をかしげた。

 

「て、転入生が今日は来ます。お願いします、シャルロット(、、、、、、)さん」

 

 吃る真耶に促され教室に入ったのは、シャルルだった。しかしその服装はズボンではなく、スカートだ。それに何かの花を思わせる香水の香りを漂わせている。

 辺りがわっとざわめく。そんな中、シャルルは声を張り上げた。

 

「シャルル・デュノア改め、シャルロット・デュノアです。日本政府が亡命を受け入れてくれましたので、こうして本当の自分になれました。今まで皆さんを騙して申し訳ありません」

 

 シャルロットの言葉に、誰もが言葉を失った。只管にシャルロットのつむじを見詰めていた。

 シャルロットが不安そうな瞳で、皆を見回す。小動物のような弱々しさに、一夏は怒りを覚えることなく、自然と慈悲に似た心がわき上がってきた。

 

「気にしないさ。なにか事情があるんだろう? それに亡命したってことは、シャルル……シャルロットも危ない橋を渡らざるを得なかったんだろう? 危ない目に遭った奴を、それでどうして責められるんだ。反省している奴に鞭を打つなんて出来やしないさ。なあ、皆」

 

 一夏が訊ねれば、クラスメイトは皆一様に頷く。

 シャルロットは目尻に涙をいっぱい溜め、「ありがとう、ありがとう……」と呟いた。なかには涙もろいのか、目を真っ赤にしている生徒もいる。

 真耶に至っては、鼻をすんすん鳴らし、ハンカチを目に当てている始末だ。

 

「それではホームルームを終わります。うぅ……。皆さんが優しい生徒で私は嬉しいです」

 

 一夏は一時間目までの僅かな間でシャルロットに話しかけた。いまだ涙目のシャルロットだが、多少は落ち着いたのか、目こそ厚ぼったいが、晴れ晴れとした笑顔をしている。一夏も知らず知らずのうちに笑顔が浮かんだ。

 

「シャルル……シャルロット。また今度、練習につきあってくれよ」

 

 常と変わらないように、シャルロットへ話しかける。なんだかんだ言って、シャルロットの話は怪しい出来事に違いない。おそらく噂が広まるだろう。根も葉もない話が広がるかもしれない。だからこそ、一夏はシャルロットの味方でありたかった。

 

「……うん、ありがとう、一夏。それとシャルで良いよ? 言いにくいでしょ?」

「お、そうか? じゃあ、シャル、今度よろしくな」

 

 まだシャルロットに向けられる視線は、好奇と疑惑に満ち満ちている。しかしこうして和気藹々と話していけば、いつしか周りの目も変わるだろう。一夏は多少のださんを抱きながらも、シャルロットとの会話を続けた。

 いくつか話題を振り続けていると、シャルロットの笑顔も増えてきた。そのことが嬉しく、ついつい話に力がこもる。そうしていたら、ふと一夏とシャルロットに影が差した。

 一夏が見上げると、そこには箒がいた。仏頂面で一夏を睨んでいる。

 

「どうした、箒? そんな顔をして」

「どうした、ではない。何をしているのだ、お前は。そいつは何をするか分からないのだぞ?」

「おい、箒!」

 

 一夏が立ち上がり、箒を睨む。しかし箒は机を叩き、一夏に食い下がる。

 

「お前は自分の価値が分かっていない! 一寸したことでも気をつけなければならないんだぞ! それなのに怪しげな輩に自分から話しかけて!」

 

 一夏は首を振る。確かにシャルロットは怪しいかもしれない、しかしシャルロットが何かをしたのかと。意図が伝わったのか、箒の目が鋭さを増す。

 二人がにらみ合うさなか、シャルロットが一夏をとめた。それでも怒りを抑えきれず、一夏は箒に対し、赫怒に染まった目を向け続けた。

 

「ふん。謝れば全てが許されるわけではないだろう」

 

 そう言い残すと、箒は教室から出て行った。

 後を追いかけようとした一夏だが、シャルロットに手を掴まれ引き留められた。

 

「ゴメン、シャルロット。箒の奴があんなこといって。でも、普段はああじゃないんだ。ただ、真面目な奴だから、時折行き過ぎちまうんだ」

「ううん、別に気にしていないよ。篠ノ之さんのいうことも一理あるもの。僕は皆を騙してきた。その分、疑われるのは仕方ないよ。だからもう一度信頼されるように、僕は一所懸命に頑張らないと」

 

 その言葉が一夏はありがたかった。

 きまじめな箒だが、その分敵を作りやすい。だが悪い奴ではない。さっきだって一夏を心配しているからこそ言い過ぎたのだろう。

 一夏は箒が去っていた方角をぼんやりと眺め続けていた。

 

 

 

 篠ノ之箒は、人気のない階段で脚を抱えて蹲っていた。

 

「どうして、どうしてだ……! 私はあんなことを言いたかったわけじゃないのに……!」

 

 頭を抱える。本当はシャルロットにあんな厳しい言葉を言うつもりはなかった。むしろ、励まそうとしたくらいだ。シャルロットが亡命を選択した事情は知らない。しかしよほどのことくらい、馬鹿でも分かる。だから励ましたかった。名前を変え、居住地を転々と変えるのは辛い。

 かつて政府の重要人物保護プログラムを受けさせられた経験から、全てが新しい生活の苦しさを知っている箒は、これからそんな生活をすることを余儀なくされたシャルロットを応援したかった。

 だというのに、だというのに箒の口から出たのは、憎まれ口だった。一夏がシャルロットと楽しそうに会話をしていたのを見たときから、自分をとめられなかった。ただ全てを傷つけるだけと理性が分かっていても、それでもとめることは出来なかった。

 そのあげく一夏に睨まれ、それが嫌で逃げ出して頭を抱えている。

 ちっぽけな自分のことが箒はきらいだ。

 

「もう、やだ……」

 

 暗いこぢんまりした隅の影で、箒は肩を震わす。このまま消えてしまいたい。そもそもこの学園に箒がいること自体、間違いでしかないのだから。

 鬱屈した感情に囚われる中、ふと箒のポケットの中で携帯が震えた。取り出すと、液晶には『篠ノ之束』の文字がしみ出したかのように浮かんでいた。

 一瞬で、箒の心に強い怒りが燃え上がる。今こうして箒が惨めな思いをするのも、全ては束に原因があると。

 箒の姉である束は変わった人であり、ものすごい天才でもある。ISを造ったのは束だ。世界中の科学者が日夜研究しても、全てを解明できていないISを、たった一人で造りあげたのだ。その知能は、箒には想像も出来ない。しかしその知能が原因なのか、束は周りを拒絶した。周りを有象無象の虫けらのように考え、話をすることすら拒んだほどだ。

 そんな束だからこそ、ISを造り発表したのだろう。家族がどうなるかも考えずに。

 ISが発表されてから、篠ノ之家はバラバラになった。政府の手で安全を守るためにと、誇りである名前を変えられ、住み慣れた家すらも変えることを余儀なくされた。そしてその原因を作った束は、一人さっさと逃げした始末。

 だから箒は束がきらいだ。子供の頃にはあった大切な全てを奪った姉のことが。

 それでも通話ボタンをおした。例え着信拒否したところで、何らかの方法で連絡をしてくる。ならば最初に受けた方がまだ気が楽だ。

 

『ハロハロー、箒ちゃん』

 

 受話器から聞こえてきたのは、脳天気な声だった。それが気に障る。

 

「切りますよ」

 

 だから返答する箒の声が冷たくなるのも仕方がないだろう。

 

『ストップ! ストップ! 待って待って! 今日は箒ちゃんに用があるの。そろそろ箒ちゃんの誕生日だからね、束さん、奮発したんだよ? 箒ちゃんのためだけに、プレゼントを用意したの。臨海学校の時に渡すから、楽しみにしていてね。バイバイ』

 

 それだけを言い残し、電話が切れた。

 箒は身体をぶるぶると震わし、握り締めて軋む携帯をゆっくり頭上にあげ、持てる力を振り絞り床にたたきつけた。

 粉々に砕けた携帯を見ても、箒の心に燻る火は消えることはなかった。




作中で三回頭を下げるシーンがあるのですが、やっぱり多いですかね? 一応は、三人の状況や内心は全く別にしようと努力はしましたが。
あと、今回書いていて分かりました。シーンとシーンとの間が飛びすぎですね。そこら辺きちんと描写しないと……。
それと東方に関してですが、今のところ予定といたしましては、一話挟んでから東方の世界観に移ります。


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暗躍する仙人

作者のkoth3です。
皆様、お久しぶりです。更新が遅くなり申し訳ありません。
最近私事ですが忙しく、なかなか執筆に時間を割けません。なんとか書き上げられましたが、これからもちょくちょく遅くなるかもしれません。前もって謝罪をさせていただきます。


 シャルロットの眼前に藤原紅輝が仰向けに倒れている。

 倒れている紅輝の左目にはポッカリと穴が開き、そこから血が溢れ出していた。その流血は止まる気配がなく、なにか大きな血管が千切れたのかもしれない。コンクリートを隠すためにしかれたカーペットがあっという間に血に染まる。

 シャルロットは肩を震わし、右手を持ち上げた。そこには眼球の突き刺さった箸が握られていた。自らのしでかしたことに今更ながら恐怖を抱き、身体の震えを止められなかった。

 

「あっ……」

 

 激しくなった震えに、持っていられなくなった箸が指先からこぼれ落ちる。シャルロットは箸が落ちていく様を眺めるだけしか出来なかった。

 滑り落ちた箸は、眼球を引き裂きどろりとした体液を溢れ出させた。

 シャルロットはもはや何をすれば良いのかすら分からなくなり、身じろぎ一つ出来なかった。茫然と立ち尽くしていた。ただ、窓から差し込む斜陽がまるで炎のように鮮明で美しいと思った。

 日が地平線に沈み、部屋が真っ暗になる。まるで自分の未来のようだと、シャルロットは笑い膝をつく。力ない笑い声が部屋に虚しく響く中、力強い声がそれを引き裂いた。

 

「この程度で笑うな。笑って諦めるくらいなら生きるための方法でも考えろ」

 

 小さな火が揺らめいた。その火は、紅輝の眼孔から灯しだされた。ちろちろと揺らめく火は瞬く間に武火(ぶか)となり、眼孔から溢れ出ていた血を焼き尽くす。それどころか、溢れかえっていた血を導火線にし、血だけを燃やし尽くしていく。そして全ての血が燃え尽きたとき、紅輝の眼孔に変化が起きた。ぽっかりと空いていた穴の奥で肉が盛り上がったかと思えば、見る見るうちに盛り上がった肉で眼球が作られ、元通りになった赤い瞳がシャルロットのことを見詰めていた。

 その姿がシャルロットの目には、奇蹟として映る。シャルロットは知らず知らずにその両の手を合わせ、祈りを捧げていた。胸にぶら下がったロザリオを握り締め、一心に。

――きっと、神様がお矜恤(われみ)くださり使わしてくださった天使なのだろう。

 シャルロットは、その考えを捨て去ることは出来なかった。目の前で行われた光景が、シャルロットの考えを肯定していた。死んだはずの人間が、失った身体の一部を再生させて復活するなどありえない。なのに紅輝は失った眼球を復活させた。それに傷口を浄めるかの如く現れた火に、罪を抱えていたシャルロットを罰するような言動、それはまさしくペテロの黙示録に登場するウリエルそのものだ。何よりも暗闇の中で神々しく(きら)めいた火を前に、シャルロットは疑いの心を捨て去っていた。

 

「助けて、助けて、ください」

 

 だからシャルロットはその言葉を言えた。ずっと胸の奥に潜めていた言葉、助けを求める言葉を。誰にも言えないはずで、ダムのようにたまりきった感情と共に。

 シャルロットは涙を流し、教会で懺悔をする人の如く、「助けて」と繰り返し繰り返し言い続けた。

 

 

 

 藤原紅輝は、暗闇の中で涙を流し祈りを捧げるシャルロットを、感情を一切宿さない瞳で見下ろしている。鬼気迫る表情で縋り付くシャルロットに、かつての記憶が蘇り、ちくちくと紅輝の精神を苛立たしげに刺してくる。

 

「それで、何から助けて欲しいんだ?」

 

 紅輝は倒れていた椅子をなおすと、どっかり座り込み、煙草を口にくわえた。口にくわえた煙草が独りでに火がつく。暗闇の中、煙草の火だけがぼんやりと浮かぶ。

 紅輝が柏手を打つ。余音が消え去ると、辺りに柔らかな光を放つ火が現れ、蝋燭代わりに部屋の中を照らす。紅輝はその火がまるで当たり前のものであるかのように、反応を何ら示さなかった。椅子の背もたれに身体を預け、シャルロットの言葉を静かに待つ。

 シャルロットも暗闇が消え去ったことで落ち着きを多少取り戻したのか、涙を流すのは止めた。

 

「……父から、助けてください」

 

 シャルロットは、「父」と口にするとき、身体を強張らせた。しかし最後まで言い切ると、それだけで精根尽き果てたかのようにぐったりとし始めた。それでも震える手を合わせ、祈るのを止めなかった。

 紅輝は眉をひそめ、ため息を一つ大きく吐くと、煙草を握りつぶした。一瞬煙臭くなった。掌を広げると、僅かな灰だけがあった。

 

「父から、ねぇ。お前さんを引き取ったのは、愛情じゃなかったと」

「はい……」

 

 涙を浮かべている様を眺めるのは、紅輝とて心にくるものがあるが、それでもシャルロットに続きを促した。

 

「僕は――」

 

 シャルロットの言葉は思いついた言葉をそのままはき出しているようで、支離滅裂だった。しかしそれでもこんがらがった混線を丁寧に解せば、事実を十全に理解できるものだった。

 シャルロットは、物心ついた頃には、母と二人で暮らしていたそうだ。しかしある年の夏、とても暑い日に、突然母が倒れそのまま死んでしまった。周りの助けを借り、シャルロットはなんとか生活を送っていた。時に母がいないことに寂しさを覚えながら。そして母が死んで半年経ち一人の生活に慣れた頃、シャルロットが暮らしていた家に、黒塗りの高級車が現れた。高級車からは黒服の屈強な大男が降りてきて、父の命でシャルロットを迎えに来たと一方的に告げ、シャルロットを無理矢理に車内へ連れ込んだ。余りのことに抵抗したシャルロットだったが、その頬をはたかれ、恐怖で固まるしか出来なかった。

 そして連れられた家では、継母にあたる人物からは泥棒猫の娘と罵られ、周りの大人からも酷い扱いを受ける日々。それでいて、呼びつけた父親とは一回もあったことがない。何度逃げようと思ったか。だけれども、かつて暮らしていた家は、シャルロットの父親により壊されたことを告げられ、もはや帰る場所がないと知り、そんな気持ちもいつしか消え去った。そしてIS適性の高さからテストパイロットをさせられ、終いにはスパイとして日本まで送られた。その間、一度も父には会っていないと言った。

 やるせなさが胸元にまで上り、紅輝は溺れてしまいそうになる。だが何より紅輝を打ち拉がせたのは、シャルロットが最後に呟いた言葉だった。

 

「お前を助けてやる、シャルロット。だけど、一つだけはき違えるな。俺がお前を助けるのは、お前を哀れに思ったからじゃない。ただ、お前が助けを求めたという、お前の意志に答えようとしただけだということを。俺は、俺だ。お前の思っているであろう存在なんかじゃない」

 

 紅輝は、疲れ果てた老人の声音で、そう言った。

 

 

 

 アルフレッド・デュノアは、自らの居城であるデュノア社の社長室で、頭を抱えていた。アルフレッドの眼前にあるレポートには、デュノア社の収益状況が書かれている。収益を表すグラフはここ数年にかけて恐ろしい勢いで目減りしていた。

 昨年にいたっては、大幅な赤字を記録しているほどだ。この経営状態が続けばデュノア社が潰れてしまうだろう事は、想像に難くなかった。

 

「冗談じゃない……! 私のデュノア社が潰れるなど」

 

 アルフレッドが机を叩く。いくつかの万年筆が転がる。転がっていた万年筆の先には、デュノア社が開発したラファール・リヴァイブの写真がクリップで留められていた。アルフレッドはその写真を引き抜くと、力任せに破り捨て放り投げる。もはやISなど見たくなかった。

 そもそもデュノア社が斜陽を迎えている原因はISなのだ。ISの製造を始めた当初は良かった。ISの製造には高度な技術を必要としたが、それに比例してデュノア社にも多くの新技術をもたらした。新技術の多くはデュノア社の他の事業にも転用でき、一時はデュノア社の収益は二倍近くにまで跳ね上げたこともある。それからはデュノア社はIS関連の事業に舵を切った。多くの資源を投資したラファール・リヴァイブが完成したとき、デュノア社はまさしく黄金期を迎えていたのだ。

 しかし第三世代機の開発に着手した辺りから、風向きは変わった。開発は遅れに遅れ、今年に入りフランス政府からは支援の打ち切りが通告されてしまった。ISの開発にはとにかく金がかかる。政府からの支援がなければISの開発など出来やしない。かといってIS事業に力を注いでしまったデュノア社が、いまさらIS開発を止め他の事業に投資することは出来ない。デュノア社は八方ふさがりに陥った。

 だからこそアルフレッドは一つの賭けにでた。恥として世間の目から隠していた、かつての過ちで生まれてしまった自身の娘、シャルロット・デュノアを、シャルル・デュノアという男性としてIS学園に送り込んだ。広告塔兼産業スパイとして。

 シャルロットの報告によれば、いまだ成果はないようだ。しかし喜ばしいことに、シャルロットは二人の男性操縦者とコンタクトをとれたようだ。うまくいけば、何らかの情報を得られる。特に織斑一夏の機体は、第三世代機だ。そこから何らかの情報を得られれば、デュノア社の次世代ISの開発が進むかもしれない。そのためには、いざとなればハニー・トラップでも何でもして、情報を得るようシャルロットには命令している。

 アルフレッドにとって喜ばしかったのは、シャルロットがスパイとして中々の才能を持っていたことだ。その証左に、今日行われタッグマッチ戦の、織斑一夏のパートナーになれたと報告が入っている。こうも短時間に最重要ターゲットの懐に潜りこむ事に成功するとは、さしものアルフレッドも予想がつかなかった。

 とはいえアルフレッドは、この機会を逃すつもりはなかった。最悪な状況の中ようやく光をつかめたのだ。シャルロットには最大の成果を上げてもらわねばならない。そのために様々な人物に鼻薬をかがせたのだ。もちろん、事が終われば、シャルロットには消えてもらうつもりだ。

 そこまで考え、アルフレッドの顔に薄ら笑いが浮かぶ。良く磨き込まれた机に、その笑みが映り込む。過ちの果てに生まれた娘だが、その最後に自分の役に立ってくれる。アルフレッドは、自らの天に愛されているような強運に、哄笑する。まだまだアルフレッド・デュノアは健在だと。

 声を上げて笑う最中、ふと喉が渇いているのに気がついた。

 

「そういえば、いやに暑いな……」

 

 空調は利いている。では日差しが強いのかと思い、ブラインドを下ろそうと窓に近寄れば、信じられない光景が窓の外に広がっていた。

 人がいる。地上数十メートルの空に。赤い、赤い炎を翼にし。

 アルフレッドはその人物の顔に見覚えがあった。何せ、シャルロットにターゲットとさせた二人目の男性操縦者、藤原紅輝だったのだから。

 なぜ藤原紅輝がここにいるのか。いや、そもそもその翼は何なのか。アルフレッドの頭を疑問が渦巻く。しかしアルフレッドが混乱から立ち直り、何らかの行動を起こすよりも早く、紅輝はその翼で窓ガラスをなでる。炎の翼でなでられた窓は、一瞬にしてドロドロに融解し、人一人が通るには十分な穴を開けた。

 紅輝は窓に開いた穴から張り込む。その赤い瞳をアルフレッドに向け、近寄ってくる。

 アルフレッドは紅輝から離れようと二、三歩後退りした。フランス語でわめき散らし、紅輝へ指を突き立てる。

 

「な、何だ、貴様は!? 一体何だ、それは!?」

 

 紅輝の背には、先程より小さくなったといえども、炎が噴き出して翼を形作っている。余りに現実離れした光景に、アルフレッドは十字を切っていた。

 紅輝が笑みを浮かべる。

 

「なあに、ただの人外サ」

 

 紅輝は日本語でそう返すと、翼を一度羽ばたかせた。翼が火の粉となりかき消える。しかしその顔に浮かんだ笑みは益々すごみを増し、アルフレッドをさらに後ずらせた。

 

「安心しな。別にお前さんを食おうって腹づもりじゃないよ」

 

 紅輝がくっくっと声を漏らせば、アルフレッドの顔色はいよいよ亡霊を見たかの如く真っ青になり、後ろにあった来客用のソファへくずおれる。それを満足げに見た紅輝は、対面のホスト用のソファに堂々と座りこんだ。

 アルフレッドが唾を飲み込む。その音は部屋に響くほど大きかった。

 

「わ、私に何のようだ!?」

 

 ガクガク身体を震わしながらも精一杯の虚勢を張るアルフレッドに対し、紅輝は何ら気負うことなく机におかれているシガレットケースをとり、アルフレッドへと放り投げる。アルフレッドがシガレットケースでお手玉をしているのを後目に、自らは懐から取り出した巻き煙草を口にくわえた。

 

「ま、まずはいっぱいといこうじゃないか」

 

 アルフレッドが紅輝に促されシガレットケースを開けようとする。幾度かの失敗をした後、ようやく蓋を開け、煙草をくわえることに成功した。細かな細工が美しいジッポで火をつけようとするが、火花が散るばかりで火がつかない。

 アルフレッドの眼前に紅輝の白く小さな指が現れる。その指先から蝋燭程度の火が揺らめいた。裸火はアルフレッドの煙草に火移りする。

 

「ひっ!」

「おいおい、危ないぞ。火がついた煙草を落とすなんて。それで焼け死ぬ奴もいるんだから」

 

 紅輝はアルフレッドの口からこぼれ落ちた煙草をつかみ、再びくわえさせてやる。

 アルフレッドは涙を眦に一杯溜めながら、それでもようやく腹が据わったのか、紅輝を睨み付けた。

 

「もう一度訊くぞ、私に何の用だ」

 

 紅輝はその日一番の笑みを浮かべた。その笑みの前に、アルフレッドがかき集めた勇気は散り散りになったらしく、先程よりも青ざめた顔で、身体ごと震わした。

 

「なんのこっちゃない。警告しに来たのサ。あんまりなめた真似をしていると、火遊びじゃすまなくなるぞってね」

 

 紅輝がポケットに手を突っ込み笑うその様は、背丈も相成り子供が笑うようだった。しかしその瞳は、生半可な者に真似できないほど冷たく鋭利だった。そして煙草を吐き捨てた。火のついた面がアルフレッドの額に当たる。紅輝は大げさな悲鳴を上げるアルフレッドをひとしきり嘲ら笑う。

 

「もう二度とシャルロットに手を出すな」

 

 紅輝がアルフレッドの額に指を押しつける。その指先から炎が立ち籠め、アルフレッドの額に吸い込まれる。アルフレッドは余りの熱さに悲鳴を上げることすらできず、ソファから落ちて床を転げ回った。ようやく痛みが引き始めた頃には、脂汗をビッショリとかき、荒い息をしていた。キッチリ着込んでいた衣服は乱れに乱れ、だらしない姿になっていた。しかしそれよりも、アルフレッドはいまだ熱を孕む額に意識が向いていた。

 紅輝が再び炎を生み出す。アルフレッドが逃げようとしたが、その首根っこを捕まれ、無理矢理に炎と相対させられた。炎は輪を描いている。不思議なことに、多少揺らめいているが、輪の中の空間がまるで鏡のように光景を反射していた。

 炎の鏡に映るアルフレッドの額には、奇妙なアザが浮かんでいる。やけどとはまた違う、見たこともない奇妙な形。まるで鳥を意匠にしたような形だ。困惑したアルフレッドが紅輝を見上げれば、何のことはないように告げられた。

 

「安心しな。それは他の奴から見えやしない。お前さんが、シャルロットに何かしようとした瞬間、お前の全てを烏有に帰せるだけの代物(呪い)サ。信じる信じないは自由だ」

 

 紅輝はケラケラと笑い、アルフレッドに背を向けた。そして肩越しにアルフレッドを見下す。

 

「そうそう。シャルロットが言っていた言葉だ。最後にお前に送ってやる。『みんな死ねば良いのに』。俺も、そう思うよ。お前らに、生きている価値はないと思うよ」

 

 紅輝の身体が炎に包まれた。炎は紅輝の存在を跡形もなく燃やし尽くすと、かき消えた。

 アルフレッドは茫然と溶けた窓ガラスを眺め、そして――。




そういえば本作品の評価が安定してきたみたいで、作者的にも安心です。今までが過剰な高評価だったので。
さて、それではまたお目にかかれるよう、頑張らせていただきます。


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幕間 忘れられた者の集う地

 日本にある、深く険しい山脈の、誰も足を踏み入れない奥地に、神社が一社ある。

 崩れた階段を上りきると見えるのは、小さな鳥居と社殿だけだ。鳥居の丹塗りははげ落ち、太い柱はひび割れてしまっている。かけられた神額は、凹凸しか残っておらず、それでもなんとか博麗神社という社名を今に伝え残していた。

 その博麗神社の社殿は崩れ落ち、半壊している。社殿の中には崩れ落ちた天井の穴から積もったのであろう土が堆積しており、植物たちが芽を生やしている。その奥には薄汚れているが、鏡面だけは清らかに光を放つ鏡だけが残されていた。

 その鏡の側面には、古い文字で何かの伝承が書かれていた。

 それは、この地に伝わる伝説を書かれたものだ。

 その伝説とは秘境の伝説だ。鳥居をくぐると、人々に隠された楽園にたどり着けるという伝承だ。その地は妖怪の賢者が導き拓かれた人と妖の楽園で、笑い声の絶えぬ地だと伝説は伝える。

 所謂民間伝承の類いだ。しかし過去の記録を読めば、確かにこの地の神隠しは非常に多いのだ。ならば楽園は実在するかもしれない。その信じる気持ちこそが、幻想なのだろう。

 しかしいつからか、人々はそんな幻想を忘れた。科学の光が夜闇を振り払ったように、そのような伝承は虚構だと人々は否定し、すっかり忘れ果ててしまった。

 今もなお、入り口はそこに開いているというのに。

 鏡の側面は、最後をこう紡ぐ。

 もし、もしも全てに絶望したというならば、彼の地を求め鳥居をくぐれ。資格ある者ならば、楽園が待っている。

 不思議な光が社を満たし……。

 

 

 

 晴れ晴れとした春日に照らされ、博麗神社は穏やかに眠っている。

 そんな神社の境内に、ざっ、ざっ、と箒の掃く音が染み渡る。敷き詰められた玉砂利の上には、淡い桜色の花びらと、幾ばくかの空になった酒瓶が転がっていた。酒瓶は拾い上げ、花びらを竹箒で軽やかに舞わせ、操っているのは、未だ幼さの残る顔立ちの少女、博麗霊夢だ。紅白色の巫女装束が特徴的な、博麗神社の巫女である。

 ふと風が吹いた。桜吹雪を纏った風は、ふうわりと花の香を運び、霊夢の鼻腔をくすぐり悪戯心を満足させ去って行く。

 霊夢はだいぶ綺麗になった境内を見ると、箒を掃く手を止め、うんと背伸びをした。

 

「春は良いわ。指先が悴まないから」

 

 手を太陽にかざす。ぽかぽかとした春の陽気に当てられる。汗をかくまではいかないまでも、身体が温まり心地よい。

 再び掃除を再開しようとした霊夢だが、唐突に動きをぴたりと止める。そして素速く振り向きざま、懐から取り出した札を投げつける。ダーツの矢のように勢いよく一直線に凄まじい速度で飛ぶ札は、境内にある社務伝の開けっ放しのふすまをくぐり、ちゃぶ台の煎餅にのばされた手に貼り付いた。

 突如飛んできた札に驚いたのか、煎餅がからりと落ちた。煎餅を落とした手は、パントマイムのように驚きを表している。そうなるのも仕方がないだろう。何せその手は、空中に浮かぶ黒い穴から手首から先が飛び出しているのだから。

 

「出てきなさい、紫」

 

 超常現象を前に、霊夢は毅然と呼びかける。霊夢の呼びかけに応じるように、黒い穴がさらに広がっていき、人の背丈ほどになると、そこから一人の少女が歩み出てきた。

 その少女は、薄紫色を基調としたドレスに身を包み、金糸のような髪を豊かになびかせ、整った顔立ちを霊夢に向けている。僅かに幼さの残る顔立ちに反し、その所作は妖艶を極めていた。

 その少女こそ、忘れ去られた伝承に語られる妖怪の賢者、八雲紫である。

 

「酷いわ、霊夢。ただお相伴預かろうとしただけじゃない」

「誰もアンタを招いていないわ。勝手に食べたらただの泥棒でしょう」

「あら、妖怪だもん」

 

 もういけず何だからと茶目っ気たっぷりに笑う紫の顔に、霊夢の札がもう一枚飛んできて貼り付いた。

 ペリペリと札を剥がしながら、紫は眦を拭う。

 

「うう、酷いわ、霊夢。目が覚めたばかりでお腹が空いているのに……」

「妖怪の賢者からいつの間に熊になったのよ。それにいつもなら真っ先に白玉楼に行くでしょう。どうして博麗神社(ここ)に来たのよ」

 

 霊夢の言葉に、紫は扇子で口元を隠した笑みを浮かべ、言葉にふざけた調子をたっぷりと上乗せしながら、いくつかの新聞を黒い穴から取り出した。霊夢はその中から適当に一つ選び、引き抜いた。

 障子越しのほどよい光に照らされた新聞の文字は、霊夢が思ったよりも随分と刷りが良い。少なくとも霊夢の手元に毎度勝手に配達される新聞よりかは。おそらく紙やインクの質が違うのだろう。僅かなかすれもなく手触りも良い新聞に、霊夢は火種にちょうど良いわねと考えながら紙面を見やる。

 

「読みやすいわ、天狗のやつより随分」

「天狗たちは結局道楽ですもの。自己満足に終始しているわ。けれどこれは外の人間が食べていくためにしていること。少しでも顧客にこびなければならないものよ。まあ、詰まるところプロとアマの違い。中にはアマだからこそ高尚さを保っている記者もいるでしょうけれど」

 

 ふうんと気のない返事をしつつ、霊夢は一目見たときから誤魔化していた、一面にでかでかと、これでもかと目立つように配置されたカラー写真に嫌々ながら視線をようやく向けた。

 

「どこかで見た顔ね」

「そうね。竹林で見た顔ね」

 

 霊夢の脳裏に、竹林に住む女性の顔が浮かぶ。白銀の髪を足首まで伸ばし、赤色の瞳をした、厭世家の女性を。同じように竹林に住む月の姫を殺すことを願う女性を。

 そして新聞に載せられた写真には、その女性と瓜二つの顔がある。

 

「死なないのよね」

「死なないわね」

 

 霊夢が頬を抑える。

 

()でバラバラになった?」

「可能性は高いわ」

 

 なんとも頭の痛い問題だった。死なない人物とそっくりの人物。何か関係があると考えるのが自然だ。霊夢の未来予知とまで謳われる直感が告げるとおりであるならば、おそらくは死なないのだろう。刺そうが斬ろうが燃やそうが、死ぬことなく生き続けるだろう。

 となると、問題が出る。

 霊夢が博麗神社を見渡す。手入れの行き届いた社であるが、表の世界では博麗神社は朽ち果てた社だ。霊夢たちのいる博麗神社は、とある結界を元に世界の裏側に潜むように存在している幻想郷と呼ばれる秘境に存在する。そしてその表と裏を別つ結界は、人が妖怪や怪異を忘却すればするほど効力を増すという仕組みである。だからこそ表の世界で妖怪や怪異を思い出したり認識されるとその効力が弱まってしまう。効力が弱まっていけば、結界の瓦解が起きてしまい、この博麗神社も表の世界に見られてしまうようになるだろう。

 そうなってしまえば、遅かれ早かれ幻想郷は崩壊する。

 

「どうするの? いくら私でも外の世界でどうこう出来るわけじゃないのよ」

 

 霊夢は博麗神社の巫女であるが、同時に幻想郷を守っている結界の管理者の一人でもあり、さらにいえば人と妖怪のいざこざを解決する役割もある。外の世界に出るなどできないのだ。

 だからこそ、この地を覆う結界を創り上げ、表と裏の世界を分断し秘境を創り上げた賢者に問う。人を、妖怪を愛した賢者に。お前はどうするのかと。

 言外に含まれた言葉を理解できない程、霊夢の前にいる賢者は愚鈍ではない。齢千年はくだらないその身には、人の叡智など遙かに越えた力と知性が存在する。

 しかし、その存在を持ってしても。

 

「かといって今接触するのは一寸まずいのよね」

 

 世間の耳目を集めている人物とそう安々接触できる方法がなかった。せめて相手が抵抗しないのであれば、神隠しという形で表の世界から連れてくるということもできるのだが、力ある人間が抵抗すれば、それがどれほどの目を集めるか分からない。そうなってしまえば本末転倒だ。だからこそ慎重に手を打たねばならないのだ。

 唇に人差し指を当てていた紫は、三十秒ほど固まった後に、何かを決心したように頷いた。

 

「夏頃ね。その頃ならば監視の目がない時に接触できるわ」

 

 じゃあねと手を振りつつ、素速く煎餅を一枚掴み、紫は黒い穴に消えていった。霊夢は、それを見送った後、縁側に座り込んだ。その手には、煎餅と湯飲みがある。

 

「それもそうだけれど、竹林の方はどうするのよ」

 

 ばりんと小気味の良い音が、静かな青空に吸い込まれていった。




ようやく幻想郷の話です。
といってもこの後臨海学校に話が移るんですが。ここら辺から話を加速させたいなぁと考えたりしております。


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三章
仙人と只人たちとの日常


 IS学園に蝉の鳴き声が響き渡り、うだるような暑さが籠もる。しかしそれに負けぬ熱気が、一年生たちの間に広まっていた。近く、臨海学校があるのだ。

 IS学園の臨海学校は、そんじょそこらの学校とは比べものにならないレベルだ。貸し切りにした海辺でISの操縦や装備のチェックを行うが、自由時間ならば貸し切りのビーチで自由に遊んで良いことになっている。学生たちで綺麗な海を占有できるのだ。

 プライベートビーチで遊ぶ体験など、滅多に味わえるものではない。しかも今年は男子生徒もいるのだ。自然と一年生たちに熱も入る。

 故に女生徒たちは皆、連日暇さえあれば水着の話やダイエット法について激論を交わしている。やれ、あのメーカーの水着が良い。炭水化物を抜くと、体重が落ちるだとか。中には裏切り者と叫ぶ女生徒もちらほら見受けられていた。

 しかしそんな女生徒の熱気と対照的な人物がいた。紅輝だ。今も教室で一人、ハイデッガーの『存在と時間』を読みふけている。同じ男子生徒の一夏は、臨海学校をそこそこ楽しみにしているようだが、やはり年齢の差なのだろうか。紅輝は余り臨海学校に乗り気というわけではないようで、常と変わらず本ばかり読んでいる。

 紅輝がページをめくったとき、ふと人影が差し込んだ。顔を上げると、ラウラがそばに立っており、もじもじと手遊びをしていた。

 

「どうした、何か用か?」

 

 言いたいことをはっきり言うラウラだが、今のラウラは普段と様子が違った。身動ぐばかりで、中々話を切り出そうとしない。

 

「その、だな。あの……」

 

 白人特有の白い顔が赤くなっていく。しばらく待っていると意を決したのか、ラウラは存外大きな声で叫んだ。

 

「買い物につきあってくれ!」

 

 紅輝は目を瞬かせ、頬をリンゴ色にすっかり染め上げたラウラの顔を見詰める。一度はき出したことで踏ん切りがついたのか、ぐいぐいと身を乗り出してくる。

 

「い、一緒に買い物をするのが友達とクラリッサが言っていたんだ! 私だって友達と買い物をしたいんだ……駄目、か?」

 

 涙をため込み、上目遣いに覗いてくる自分と違う赤い瞳に、紅輝は首を横に振るうことができなかった。

 休日、紅輝はラウラと共に、IS学園と本土とを結ぶモノレールの駅にいた。IS学園は海洋に建てられた人工島(メガフロート)で、学生たちが使える本土との交通機関はモノレールしかない。普段はがらがらのモノレールが、今日に限って一年生の集団で満員となっている。

 

「おお、海が綺麗だ。見てみろ、紅輝。富士山が綺麗に見える!」

 

 ラウラはモノレールの扉が開くや、一目さんとばかりに座席へ駆け込み、窓ガラスにかぶりついた。その靴を脱がせつつ、紅輝は気のない相づちを打つ。それでも満足なのか、ラウラの報告は止むことがない。

 発車ベルが鳴り響く。

 

「うむ。定時発車か。さすが我が国と同じく、列車運行が守られる国だ。以前行ったフランスはストで大変だったぞ。五時間も待たされた」

 

 ぺしぺしと紅輝の肩が叩かれる。余りのはしゃぎぶりに、となりに座っているのが本当にラウラ・ボーデヴィッヒなのか、分からなくなる。

 同じ車両にいる女生徒が、はしゃぐラウラを見てくすくす笑っている。紅輝はため息をつきながら、購買で買った新聞を開いて読み出した。

 モノレールに揺られること、しばらく。モノレールが本土の駅に着いた。未だ興奮して窓ガラスから外を眺めているラウラに靴を再び履かせ、窓から引き離す。

 

「もうちょっと見ていたかったのに」

「あのままだと、またIS学園に連れ戻されていたぞ。買い物が終わったらまた見られるんだ。我慢しろ」

 

 頬を膨らませたラウラを引きずり、甲矢は駅近くの大型デパート、レゾナンスへ入る。

 店内は空調が効いており、じっとりにじんでいた汗が乾いていく。

 空調の寒さに慣れない甲矢は、身体を震わしながら、ラウラを連れて目的のコーナーへ向かう。たどり着いたのは、子供服の店だった。

 ラウラが近くにあった水着を取り出し、そこに書かれていた文字に憤慨しだす。

 

「むっ。紅輝、これは子供用だ! 私たちはもう大人だ。我が国では一人でビールを楽しめる年だぞ、私は」

「いや、お前……俺たちの背丈を考えろ。大人向けの水着を着られるはずないに決まっているだろうに……」

 

 甲矢の言葉を最後まで聞くことなく、ラウラは手に取っていた水着を元通り綺麗に直し、ハンガーへかけた。そして紅輝の手を取り、婦人服店へ勢い駆け込んでいった。

 そして……。

 

「ば、馬鹿な! 私のサイズに合う水着がないだと……。わ、私は子供だというのか?」

 

 一番小さいサイズですら、ラウラが着ようとするとぶかぶかで、抑えていないと落ちてしまう。気に入ったのだろう、黒い水着を片手に、ラウラは打ち拉がれる。

 

「だから言っただろうに。まあ、まだ成長する可能性は残されているんだ、お前さんには」

 

 紅輝はラウラを慰める。つたない言葉であるが、それに希望を見いだしたのか、ラウラの顔があがった。

 そして涙ながらにリベンジを誓うラウラを引きずって、結局先程の子供コーナーへ戻ってきた。

 紅輝が見守る中、ラウラは大人しく水着を選び始めた。

 

「ハァ。これだから客観的に自分のことが分かっていないやつは」

 

 ため息をつきつつ、苦笑をこぼす。そして 紅輝は近くにいた従業員を呼び止めた。

 

「すまんが喫煙室はどこだ?」

 

 何故か従業員の顔が強張った。

 その後、ラウラは気に入った水着を見つけられたらしく、ほくほく顔でレジを出てきた。紅輝もラウラになかば強制的に勧められ、トランクス型の水着を買わされた。

 いらないものが増えたことに少々顔をしかめるものの、ラウラが喜ぶ姿に一寸した苦みを飲み干す。

 そうして買い物を終えた頃、シャルロットに出くわした。

 

「紅輝さん、奇遇ですね」

 

 紅輝たちに気がついたシャルロットは、満面の笑みで二人に近づいてきた。

 シャルロットも紅輝やラウラと同じく、水着を買いに来たらしい。

 

「差し出がましいですけど、本当は紅輝さんに選んでいただければと考えていたんですよ? 最近はゆっくりとお話しする機会がありませんでしたし」

 

 シャルロットが亡命したことを切欠に、学園に性別がばれたので、紅輝は再び一人部屋に戻った。そのため、確かにシャルロットとの会話は減っていた。しかしそれでも他の生徒と比べれば、一番よく話しているのはシャルロットなのだが。

 

「一夏でも誘えば喜んでついてきただろうに」

「一夏じゃなく、紅輝さんと一緒に買い物をしたかったんです」

 

 笑顔で答えるシャルロットに、紅輝はため息をこぼした。

 そんな紅輝を知ってか知らずか、ラウラが満面の笑みでシャルロットの手を掴み取る。

 

「うむ。ではシャルロットの水着も見に行こうではないか!」

 

 ラウラに引きずられるようにして、再び婦人服店へ向かった。

 しかしなにやら騒がしい。婦人服の水着コーナーの一角で騒ぎが起きていた。人が集まりかけている。その中心では女性がなにやら水着を持って誰かに詰め寄っている。詰め寄られていたのは、一夏だった。

 

「や、だから俺、今日そんなに金持ってきてないんですって。出かけで友人と会ってアドバイスを頼まれただけなんですって」

「そんなことはどうでも良いわ! 私はね、男がここにいることが気にくわないの。私の気分を害したのだから、損害賠償としてこの水着を買いなさいと言っているのよ、分かる?」

 

 典型的な女尊男卑主義者だ。

 紅輝は辺りを見回す。水着コーナーの近くには、店員や、他の女性客もいた。その殆どが、顔を歪め、明らかに女性へと蔑視を向けている。

 しかし、誰も何も言わなかった。

 紅輝はポケットに手を突っ込む。くしゃくしゃになった新聞紙が邪魔をした。新聞紙を丸め込みぎゅっと握る。掌を開くと、そこには何もなかった。

 

「そこまでにしておきな、見苦しい。いい年したやつが、餓鬼みたく騒ぐな」

 

 紅輝は頭を掻きながら面倒くさそうに、騒ぎ散らす女性へ告げた。

 それまで一夏へくってかかっていた女性は、その顔をぐるりと回した。紅輝を見つけると、その形相をさらに歪める。そして紅輝の襟首を掴みあげた。

 

「子供だからって、男が甘やかされると思わない事ね!」

「ちょ、紅輝さん!? 何やってんですか!」

 

 すごむ女性に対し、紅輝は口角を吊り上げた。それは心底からの馬鹿を見たという顔だった。

 

「自分に甘い、いや、自分のことを全く見えていない盲目白痴が何を抜かす」

 

 紅輝の嘲ら笑いに女性が顔色を赤らめる。腕が振り上げられる。

 だが、一瞬でその顔色が元を通り過ぎ青ざめる。

 

「な、何よ! 何よ、その目は! そんな目で私を見るな!」

 

 赤い、赤い瞳が女性を見透かしている。くすんだガラス玉のような瞳は、余りに無機質で不気味だ。まるで機械が観察するかのような、人が人を見る目ではなかった。女性は紅輝を手放すと、一歩二歩と下がる。すると周囲の視線が自分に向けられていることに気がついたらしい。

 

「な、何よ、あんたたち! あんたたちだって女でしょうが!」

 

 散々に喚き散らし、女性は持っていた商品を床に投げ捨て、立ち去っていった。誰もが眉をひそめ、立ち話で批難する中、一人の少女がその後を追おうとしていた。

 

「その必要はない」

 

 立ち去ろうとしたシャルロットの手を掴み止める。

 

「ですが」

「何も、するな」

 

 シャルロットは、しばし渋い顔をしていたが、それでも頷いた。

 

「それに、悪いことをするやつは、その報いを必ず受けるものだ。因果応報。天網恢々。日々の行いは、誰かが見ているものサ」

 女性がレゾナンスから足早に出てきた。ぶつぶつと口汚く男が、男が、と罵っている。そんな風だから、周りの人々は女性に近寄ろうとしなかった。

 それもまた女性の気を苛立たせた。女性のために、男の価値を教えているのに何故否定されなければならない。本来ならば、誰もが感謝をして当然なのにと。

 理解されない憤りを、いつも通り偶々近くにいた男を捕まえ、解消しようとした。

 捕まえた男は、薄っぺらい笑みを張り付けていた。人を馬鹿にしている。こういうやつこそ、女尊男卑を馬鹿にしているのだ。

 

「男のくせに――」

 

 それは突然だった。罵倒の最中に、女性は胸を抑えた。今まで体験したことのない痛みが、胸を襲ったのだ。

 口をぱくぱく開閉させながら、立つこともできず地面に倒れた。驚いた男の顔が見える。

 

「助……けて」

 

 何とか絞り出した声。

――きっと助けてくれるはずだ。自分は女なのだから。

 しかし男は、倒れた女性を介抱することも、救急車を呼ぶこともなく、立ち去っていった。

(な、んで?)

 周りからカメラの音がする。

 

「やっば。何あのおばさん。受けるわ。あんだけ男がー男がー言っていたくせに、助けてだって! SNSにでもあーげよう」

 

 笑い声がする。助けて。

 なんで笑われる? 助けてちょうだい。

 どうして。助けてください。

 誰も助けてくれない。女は絶望に囚われる中、確かに見た。自分の口から三匹の虫が飛び出したのを。




口から出たのは、三尸です。
道教において人間の身体の中におり、その人間が悪いことをすると、一年に一回天帝に報告し、その人の寿命を減らせる妖怪です。
紅輝がなにかしたわけじゃないですよ。



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仙人、海にて同胞と巡り会う

短いですが臨海学校一日目です。


 肩を揺すぶられる感触に紅輝は目を覚ました。瞼を開けば真っ先に、見慣れない椅子の背もたれが目に入ってきて、一瞬今いる場所が分からなくなる。が、聞こえてきたエンジン音と、微かに漂うオイルの臭いとに触発され、記憶が蘇る。

 紅輝は臨海学校へ行くための大型の乗合(バス)に乗車し、乗り物酔いになってしまい眠りこけていたのだ。

 そこまで記憶が繋がった紅輝は、寝起きのために緩慢な動作で姿勢を正し、目元をこすりながら肩を揺すった人物へ視線を向ける。

 通路側に座っているシャルロットが、うれしそうに顔をほころばせた。

 

「あ、起きられました? そろそろ着くそうですよ、紅輝さん」

 

 シャルロットが指で指し示す方を見れば、フロントガラス越しに、鱗のように銀光を反射させて輝く海面が見えてきた。不思議なことに、燦めく水面を目にしたら、車内に漣の音や潮の香りが満ちてきた気がする。

 

「ああ、そうみたいだな。悪いな、起こさせて」

「気にしないでください。好きでやっていることですから」

 

――好きで、か。そんなものではなかろうに。

 浮かび上がってきた苦笑を、勝手に育った仮面が自然と覆い隠す。

 その間にもシャルロットから粘ついた熱を孕む視線が送られる。それを窓を見ることでやり過ごす。

 

「海、ねぇ。何十年ぶりさね」

 

 呟きは誰にも聞き咎められず、走行音にかき消えた。

 紅輝は再びやってきた気持ち悪さに辟易しながら、海を眺める。海は何も変わらずそこにあるようで、全く同じ顔を見せてはくれない。それが羨ましくて、羨望を送ってしまうことを、自覚する。

 ため息一つ。それで気持ちを切り替える。

 そうしてバスは目的地へ到着した。

 

 

 

 バスから降りた後、生徒たちは教師の案内でまずは旅館へ向かった。冷房の利いた車内から炎天下の車外に出た生徒たちは、暑さからか気怠そうにしている。

 

「では、これにて解散とする。IS学園の生徒であるということを忘れず、あまり羽目を外しすぎないように」

 

 そんな暑さに加え、地面からの放射熱もある旅館前での点呼は地獄だったらしく、多くの生徒が我先にと冷房の利いているであろう旅館へ駆け込んだ。その後は部屋に荷物を置いた者から自由時間となっているのも理由だろうが。

 サバンナの動物の群れの大移動のように、多くの生徒たちがいなくなった後、紅輝はようやく動き出した。走っていった生徒たちと比べ、二回りは小さい荷物を担ぎ。

 そこで一夏に声をかけられた。

 

「あの、紅輝さん。今気づいたんですけど、俺たちの部屋がしおりに書かれていないんですが……」

 

 一夏はうっすらと汗をかきながら、青いショルダーバッグを肩に担ぎ、困った顔で頬を掻いている。そして開いたしおりの部屋割りのページを紅輝に見せてくる。

 のんきに「どこなんでしょうね」と呟いている一夏に、紅輝はある部屋を指で示した。その部屋は、他の生徒の部屋と少し距離が離れている。

 

「え? ここって……」

「そうだ。教員室だ」

 

 そもそもしおりに書いてなかった時点で質問をしなかったのかと訊ねれば、まさか部屋割りが記述されていないとは思わなかったと答えられ、紅輝は額に指を当てた。

 

「まあ、いい。いろいろ面倒な理由で、俺たちは先生、というよりお前の姉さんの部屋で寝泊まりすることになったそうだ。安心しろ。俺は風呂場でも、それこそラウンジででも眠っているサ。お前さんは姉弟で旅行を楽しんだと思えばいい」

「いや、そういうわけには……」

 

 ぶつくさ呟いている一夏だが、その口調は普段より幾分か弱い。

 おおかた、潔癖な部分のある姉だからそういう心配はないが、それでも家族でもない男と一つ屋根の下一緒に寝るというのは、さすがに受け入れがたく、だけれども追い出すというのもどうかと悩んでいるのだろう。

 とはいえ、そんな事情は紅輝の知ったことではない。それこそ先程伝えたとおり、他の場所で眠ればいいのだ。そして何より、さしもの紅輝も、真夏の陽光を浴び続ける趣味はない。なので、困っている一夏をおいて、さっさと旅館へ足を向ける。

 

「あっ、待ってくださいよ、俺もいきますから」

 

 女将に案内されたのは、旅館の奥まった部屋だ。和風の部屋で、い草の香りが微かに漂っている。部屋の隅に荷物を置く。

 

「皆も待っているでしょうし、着替えましょうか」

「……ああ、そうだな」

 

 ブレザーとシャツを脱ぎ捨てる。汗でシャツが貼り付いて気持ち悪かったので、脱ぎ捨てたときは一息ついた心地だった。そんな折り、紅輝の耳が後ろから喉を鳴らす音を聞き取った。

 

「一夏? 腹でも減っているのか? いや、喉が渇いているのか。そこいらにお茶と茶菓子の一つでもあるだろう。一息ついておけ」

「え、、そ、そうですね。ちょっと喉が渇いているし、小腹が空いているかなぁ。でも夕食が楽しみなんで、茶菓子は我慢します」

「そうか。なら遊びつくしてもっと腹を空かした方がいい。若いうちは食えるだけ食っとけ」

 

 喋りながらも紅いサーフパンツに、真っ白なジャケットを羽織り、着替えをおえた。

 

「じゃあ、先に行っているぞ」

 

 一声かけて、紅輝は海へ向かった。後ろで一夏が、髪をかきむしっていたが、その理由は分からなかった。

 

 

 

 紅輝が向かったのは、他の生徒たちがいる砂浜ではなかった。そこから少し離れた場所にある岩場だ。

 あたりに人気はなく、波の音だけが周期的にとよむ。その音に耳を傾けながら、張り出した岩場に座り、海へ足を浸す。細波が足をぶらぶらとひっぱたりおしたりして遊んでいる。それに合わせて、白く泡立った波しぶきが、岩を濡らす。

 そっと岩の表面をなでる。ざらざらして、穴ぼこだらけだ。幾度も押し寄せてくる波に削れられたそれは、朽ち果てる一歩手前といったところ。あとどれだけの年月かもすれば、きっと跡形もなく消えてなくなる。

――自然すらも変わっていく。

 悠久の時の前には、全てが無力。どれほど強固なものだろうと、雄大なものだろうと、変わることから免れない。巌もいつかは風化する。だというのに、この柔な身体は変わらない。変われない。

 転がっていた石ころを引っ掴む。手の中で弄び、海へ放り投げた。ボチャンと水が小さくはぜた。

 投げた石がまた地上に出る頃には、何かが変わるのだろうか。

 自問自答は答えが出ず。全くの無駄な時間に苦笑がこぼれる。

 

「まあ、いいさ。時間だけは腐るほどある。無限にな」

 

 海面に映る、ぼやく紅輝の紅い瞳は、どこか暗く澱んでいた。

 

「それはどうでしょう。同じように見える時間。ですが、それは同じように見えるだけ。楽しい一時と辛い一時では全く別に感じられるもの。ならば、無限にある同じような時間でも、過ごし方によって全く別物になるでしょう。だとしたら、やはり時間というものは、その一瞬一瞬が特別なのでなくて?」

「誰だ」

 

 紅輝の背中から紅い炎が広がる。それは広がっていき、翼の形状をとった。翼が広がるにつれ、紅輝の瞳が変わる。厭世的な雰囲気が混じっていたそれは、徐々に好戦的な荒々しい気配へと変化していく。

 振り返った紅輝は、その手に炎を纏い、臨戦態勢をとる。

 あたりへ目をやる。誰もいない。視覚だけではなく、聴覚、触覚、嗅覚までもを駆使して、声の主をさぐる。

 

「そこだ」

 

 僅かな違和感。風がある空間を避けている。その感覚に従い、紅輝は纏った炎を投じる。防風林へと突き進んでいた炎は、とつぜん空中に表れた穴に吸い込まれ消えた。

 その穴は、ジッパーのように広がっている。穴の中は紫色に波打ち、眼球がこちらを興味深そうに覗いている。紅輝が分かるのは、それが誰かによって生み出された、特殊な空間であるということだけ。

 

「あらあら、乱暴なこと」

「不審者には十分な対応だろう?」

 

 その穴から這い出てきたのは、絶世の美少女と呼ぶに相応しい少女だった。

 しかしその気配は大凡人には思えない。隠していても隠しきれないほどのおどろおどろしい気配。それを内包している存在は、紅輝が知る限り、たった一つだ。

 

「妖怪が何の用だ」

 

 妖怪。人の心が生み出した恐怖の具現。かつては至る所に存在した、忘れられた存在。紅輝にとっても久しく、そして身近な存在。

 だが、その妖怪がなぜここにいるのか。妖怪はもう殆どいないというのに。紅輝には分からない。

 しかし一つ言えるのは、紅輝の前に出たということは、彼に何らかの目的があるということ。

 

「お話がありまして。ですが、どうやら時間がないようです。此度はここでお開きとしましょう」

 

 炎が再び空をはしる。しかし先程と同じように、空中に出現した穴へと飲まれる。

 

「それではまた。蓬莱の人形(ひとがた)

 

 妖怪は服の裾をつまみ、優雅に一礼し、穴の中に消えていった。

 舌打ちを一つ。そして炎を消し、紅輝は虚空を睨む。すでに穴は存在しない。

 睨み続ける最中、背後から人の気配が近づいてくるのを感じ取った。振り返れば、一夏たちがこちらに駆け寄ってきている。紅輝に気がついたらしく、手を振っている。ため息を吐き、紅輝はそちらへ歩いて行った。

 

 

 

 自由時間が終了し、幾ばく。すでに夕飯の時間だ。

 IS学園の生徒たちは食堂に並んでいる。生徒たちの目前に配膳されたお膳には、海の幸をふんだんに使った食事が盛り付けられている。

 

「舟に盛り付けたお刺身?」

 

 生徒の中には海外からやって来た者たちがいる。そういった生徒は、刺身は知っていても舟盛りとなると、さすがに知らないのか、興味津々にしている。ラウラに至っては、箸で舟をつついている。

 まるで子供のようだ。とはいえ、その体格・容姿からか、何ら違和感がないが。

 

「ラウラ、はしたないぞ」

「む、そうなのか?」

 

 一夏に注意され、ラウラが箸でつっつくのをやめる。しかしやはり舟が気になるのか、「これは貰えるのか」と一夏に訊ねている。

 聞かれた一夏が首を振るそのとなりで、セシリアが恐る恐る刺身を口に運ぶ。

 

「うう、生魚を食べるのは、どうにも慣れませんわ。ヴィネガーで和えたのならまだしも……」

「あー、確かに。締めた方が外国人には食べやすいかもな」

 

 和気藹々と食事が進められる。誰もが食事に舌鼓を打つ中、シャルロットはとある物体を前に困惑していた。それは舟盛りの隅にある、緑色の粉末を山にしたものだ。一見すると抹茶のように見える。しかしシャルロットの知っている乏しい和食の知識でも、魚に抹茶をそえるのは異常だと言うことくらい分かる。一夏に訊ねようにも、一夏はラウラやセシリアの相手で手一杯だ。話しかけるのは躊躇われる。

 

「それはわさびだ。刺身に少量載せて食す」

 

 横から教えてくれたのは、紅輝だ。先程まで我関せずとばかりにもくもくと食事を進めていたのだが。

 教えられたとおりに、刺身にわさびを少量載せてみる。口に含めば、鼻がつんとする。ホースラディッシュに似ているが、それよりも強烈な刺激だ。その刺激が収まると、刺身の香りが溢れ出す。人の味覚は不思議なもので、香りが分かると味が深まる。白身の淡泊ながらも力強い味、マグロの濃厚な味、それらが下で躍る。

 ついついシャルロットの箸が速くなる。

 

「それにしても、紅輝さん」

 

 それまで和食になれていない面々の世話を見ていた一夏だが、ある程度のレクチャーを終えたのか、余裕ができたようだ。刺身をつまみながら、紅輝の方を見てなにやら首を振っている。

 

「食べ方凄い綺麗ですね」

 

 シャルロットが見れば、紅輝の食べ方はどこか気品が満ちている。セシリアが食事している時のような雰囲気だ。一夏の指摘に、近くにいた生徒たちの視線が紅輝の食べる姿に集中する。周りの視線に気がついたのか、紅輝はぼそりと呟いた。

 

「昔取った杵柄だ」

 

 それ以降何も語らなかった。

 しかし、その昔に浸っている顔は、どこか幸せそうで……。



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仙人の波立ち

ちょっと短いですが、何とか書けたので投稿します。


 IS学園が利用している旅館近くに深い森がある。人の手が全く入っていない森で、光が射さないほど木々が鬱蒼と生い茂っている。そんな森林の獣道を、紅輝は一人歩んでいた。

 紅輝が森に足を踏み入れてからすでに一時間は過ぎている。が、風景はほとんど変わらない。高い樹木が乱立し、濃い影を落としているばかりで、何ら代わり映えしない。唯一の変化は、時折どこからともなくフクロウの鳴き声が木霊していることくらいだ。

 時刻は深夜二時、俗に言う丑三つ時だ。すっかり夜の気配が満ち満ちて、辺りは暗闇に包まれている。それでも歩みが遅くならないのは、紅輝の眼前を小さな火の玉が浮かび、道を照らしているからだ。僅かな明かりを頼りに、紅輝は獣道をすいすいと進んでいく。

 ふと紅輝が足を止めた。少し先に開けた場所がある。そこは走り回れる程度には広い。森の広場だ。

 そんな広場の中央にある切り株に腰をかけ、降り注ぐ月光を嫋やかに受けた一人の少女がいる。

 紫色の簡素なドレスとナイトキャップを身に纏い、切り株に薄紫色の日傘を立て掛けて、やって来た紅輝を直視している。

 月明かりが少女を、金沙をまぶしたかのごとく輝かせる。きらきらと照り映える様は、まるで英雄譚に出て来る精霊のように幻想的だ。

 少女が紅輝へうっすらと笑んだ。紅輝はどこか胡散臭く感じた。

 

「お出でくださりましたか」

 

 少女の物言いに、紅輝の口角がつり上がる。辺りを鬼門に造り替えるのではと思うほどの妖力を垂れ流していたというのに、いけしゃあしゃあとよく言うものだと。

 紅輝の背中から赫赫たる炎が吹き荒れ、天高く伸びていく。

 天を衝いた火柱は緩やかに寄り合い翼を象る。猛火は月華をかき消し、辺りの夜闇を焼き尽くす。

 

「あれだけ情熱的に誘われたらな」

 

 紅輝はもんぺのポケットに片手を突っ込む。端から見れば、隙だらけだ。しかし瞳だけは油断なく少女を見据え、微動だにしない。

 それを見て取ったろう少女がクスクスと微笑む。

 紅輝はもう片方の手で煙草をくわえる。苦味が口いっぱいに広がる。

 紫煙を燻らせ、歯をむき出しに笑う。

 

「ここなら邪魔は来ない。一晩のダンスパーティーにでもしゃれ込むか?」

「あらあら、なんとも楽しそうなお誘いですこと。でも残念ですが、遠慮させていただきますわ」

「そっちから誘っておきながら断るのは、マナー違反じゃあないか、お嬢さん」

 

 轟々と火焔が逆巻く。舞い散った火の粉が蛍火となり、両者の間を漂い出す。

 炎翼が、持ち上がっていく。

 

「私は貴方とただお話をしたいだけですわ」

「社交界を開くには、ちょっと遅いな」

「まあ、せっかくのパーティー、参加してくださらないのですか。私、袖を濡らしてしまいすわ」

「まさか。せっかくのお誘い、ありがたく受けさせていただこう。またいつか」

 

 二人の笑みが深まれば深まるほど、辺りの空気は刺々しさを増していく。

 あと少しでその空気が破裂するという瞬間。

 

「お二人とも、おやめください。紫様、お戯れもほどほどに。そして藤原紅輝様。どうぞ、その炎をお納めください」

 

 一人の女性が現れた。

 森の梢が作り出す闇から現れたその女性は、道教の道士が着る道袍に、太陰大極図を配置した前掛けを付けた、目鼻立ちのすっきりした美しい女だ。

 紅輝はその女性の全容に、瞠目せざるを得なかった。

 しかしそれは、女性があまりに美しいからではない。紅輝はその女性以上に美しい女を見たことがある。美貌で驚くことなど、もうありはしない。

 ひとえに、女性にはその金髪と同じ色の、九本の尾があるのに驚駭したからに過ぎない。

 

「白面金毛九尾の狐……だと?」

 

 かつてインド、中国、日本という三国を荒らした女性、玉藻の前。その本性は、白面金毛九尾の狐だと言う。

 まさか玉藻の前ではあるまい。しかし九尾の狐である以上、そんじょそこらの妖怪とは別格だ。

 そしてそれだけの存在が主と認める紫の少女。

 

「やはり、大妖怪か」

 

 独りごちる。

 大妖怪。妖怪の中でも隔絶した力を持つ者たちだけが名乗ることを許された尊称。その力は、災害を引き起こすことも、鎮めることも可能だという。中には祀られ、神になった存在もいる。

 そんな大妖怪と名乗る存在が二名。さしもの紅輝も冷や汗が流れるのを止められない。

 

「怒られちゃった」

 

 てへとばかりに笑う少女だが、全くもって可愛くない。

 紅輝は舌打ちをもらしかける。

 袋の鼠だった。大妖怪といえども、一体だけならばまだどうとでもなった。それだけの力はある。しかし大妖怪が二体となれば話は別だ。負けはしないがけして勝てない。

 ならば何もせず、してやられるだけか。

 紅輝の背中から吹き出る烈火が勢いを増す。翼は見る見るうちに極大化し、夜闇を赤熱の光で切り裂いていく。

 森を一瞬で烏有に帰す天の火が燃えたぎる。煌々と辺りが照らされる中、紅輝は二体を睨み付ける。

 

「うふふ。そう怖い顔をしないでちょうだいな」

 

 少女が取り出した扇子で扇ぎ始める。

 余裕綽々とした仕草に、火の熱がさらに高まり、翼が白炎へと変貌する。

 

「紫様」

「なによぅ、藍。ちょっと御喋りを楽しんでいるけじゃない。……分かった、分かりました。真面目にやります」

 

 紫の雰囲気ががらりと変わる。引き締まった表情は、少女然とした外見には到底不相応なものだった。

 敵意は全く感じられない。

 翼はまた元の赤色へ戻る。

 

「さて、藤原紅輝殿。私は八雲紫と申します」

 

 紅輝はその名前に聞き覚えがあった。かつて、どこかで聞いた名前。二人の様子から目をそらすことなく、記憶を掘り起こしていく。

 

「幻想郷の、妖怪の賢者……だったか」

「はい、その通りです」

 

 幻想郷。それは一種の隠れ里であり、世間から隔離された、人と妖怪が共に住むという最後の楽園。そしてその楽園を管理しているのが、妖怪の賢者、八雲紫。

 そんな噂話を、紅輝は耳にしたことがあった。

 しかしだとすると、その管理者がなぜ紅輝に接触を図ったのか。疑問が生まれる。紅輝は幻想郷と縁もゆかりもないというのに。

 それを察したのか、紫が説明をしだす。

 

「幻想郷には私の力で二種の結界が張ってあります。そのうちの一つは、外の人間、つまりは人々が幻想を忘れれば忘れるほど、その効力を増していくという結界でございます」

「逆説的には、人々が幻想を思い出したら結界の効力が失われると」

「ええ、その通りです」

 

 首肯する紫。

 

「そして、男でありながらISを動かせ注目を集める俺は、結界に悪影響を及ぼすと?」

「普通にしていれば問題ないでしょう。しかし人の目がある所で一度(ひとたび)力を使えば、結界に揺らぎが生まれます。現に二度、細波とすらも言えない程度ですが、結界が揺らぎました」

 

 紅輝の脳裏に二人の顔が浮かぶ。デュノアという同じ姓を持つ二人が。

 たかが二人に見られただけで結界に影響を与える。それは管理者として見過ごせないのだろう。

 

「それで俺を殺しに来たか」

 

 再び炎の色合いが変化し出す。凝縮する炎は、金属すらもたやすく溶断せしめるだろう。

 その炎を前に、紫は首を振った。それは、紅輝の予想とは全く違うものだった。

 

「いいえ、そのようなことは致しませんわ。無理難題を解く趣味はございませんので」

 

 紅輝が鼻を鳴らす。

 

「蓬莱の人形である貴方を殺すなど、到底不可能。ならば敵対するよりかは、協力してもらった方が遙かに有益というものでしょう」

「……お前みたいな妖怪がそこまで胸の内を吐露するとはな」

「それで、協力してくださるかしら?」

 

 紫が小首をかしげ、微笑んでみせる。蠱惑的なその表情は、見る者を老若男女問わず魅了するだろう

 その後ろでは、藍が従者として控えている。頭こそ垂れているが、頭頂部では耳がせわしなく動いている。

 長い沈黙が続く。ようやく紅輝は口を開いた。

 

「悪いが断る」

「……どうしてかしら?」

「因縁を背負ったからさ」

 

 胸裏をよぎるは、信仰にすがる壊れかけた一人の少女だ。

 ため息一つ。紅輝は踵を返す。

 

「確かに幻想郷とやらは過ごしやすいだろう。だが、責任は果たさなければならない」

 

 紅輝はそう告げ、広場を後にしようとした。

 しかし、紫が告げた一言に、その足が止まった。

 

「藤原妹紅は幻想郷にいます」

 

 背中の炎が制御を失い、形を崩す。炎は瞬く間に森の木々へ引火した。

 紫が扇子を一閃すると、炎は瞬く間に鎮火した。

 

「姉様がいるのか」

 

 突っ立ったまま茫然と聞き返す紅輝に、紫は肯定する。

 

「……少し、少しでいい。時間をくれ。必ず幻想郷へ行こう」

「構いませんわ。幻想郷は全てを受け入れます。それは残酷なまでに」

 

 二体が立ち去る気配がした。うっすらと空が白けだした頃、紅輝はようやくフラフラとその場からさった。



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只人と天災

お久し振りです。ようやく書けたので投稿致します。



 一夏は顎先から滴る汗を拭う。汗だくの全身に、ISスーツが纏わり付き、べたべた鬱陶しく、眉根がよる。

 

「あ~、暑ぃ」

 

 手で風を送るも、朝早くからギラギラ照る太陽は全く容赦なく、一切の涼を得られない。それどころか光線はより鋭さを増したようで、汗がひっきりなしに流れ出る。

 しかし汗塗れなのは、暑さだけが原因ではない。岩に囲まれた入り江に、何十人もが集まり、整列しているというのもある。

 周囲から立ちこめる人いきれは、吹き込んでくる潮風でふき散ることはなく、それどころか熱気を集めてより一層煮詰まるばかりで、一夏の頭がクラクラしだす。

 何もせずぼうっと突っ立っているだけで、立ちくらみを起こしそうな中、もう十分は立ちん坊で待たされている。待っているだけだというのに、眦がきつくなっていく。

 何でも良いから早くしてくれないか。

 辺りの様子を探り出せば、視界の端では忍耐を叩き込まれた軍人のラウラですら、組んだ腕をしきりに叩いている始末。誰も彼もが、口にはしないが腹を立てているようだった。

 

「注目っ。今日は装備試験を行ってもらう」

 

 そんな中を大喝が飛ぶ。弾かれたように一夏が前を振り向くと、そこにはいつのまにか千冬がいた。

 その顔を見て大慌てに気をつけをする。辺りの生徒も、いつものお茶目さはすっかりなりを潜め、素速く襟を正した。

 なにせ、列の前で仁王立ちになった千冬の表情は、生徒と同じく、いやそれ以上に険しいものだった。

 辺りの空気が歪んで見えるくらいに、気色ばんでいる。

 

「そりゃあ、真っ黒なスーツを着ていたら暑いだろうに……」

 

 一夏は思わずこぼしてしまう。

 いつものようにスーツをビシッと着込む様は、弟の目からでも、凛とした顔立ちや挙動にとても似合っている。が、いかんせん真夏の炎天下では、さすがにどうかというもの。あれではどれほどの高級スーツであろうとも、熱気を籠もらせるだけのジャンパーと、そう変わりない。

 世界最強であろうとも、機嫌の一つや二つ、悪くなるだろう。説明を続ける語調も、普段より厳ついものだ。随分と苛立っている。

 こんな状態の千冬を怒らせようものならば、ただでさえ痛い折檻が、さらに威力を増すことは火を見るよりも明らか。

 それを理解して怒らせるという愚か者はいない。当然一夏もだ。千冬を怒らせぬよう、ただ無言で指示に従う。

 それでもなお千冬の一挙手一投足に、一夏を含め生徒は生唾を飲み込む。いつ、伝家の宝刀、出席簿が引き抜かれるかと。

 生徒の注目を浴びる中、千冬が最後に質問の有無を訊ねた。誰も挙手しないのを確認すると、「作業始め」と合図した。

 生徒が一斉に動き出す。少しでも遅れたら、千冬の手に出席簿が握られることだろう。

 それは御免だと、一夏も遅れまじと動き出す。その折り、ふと動かない人影を見かけた。立ち止まりその人影をよくよく見る。

 紅輝だった。佇んでぼんやりと空を眺めている。つられて一夏も見上げてみたら、空には雲一つなかった。小首をかしげる。

 その間も、紅輝が動き出す気配は全くない。仕方がないので一夏は近づいていき、声をかけた。

 

「紅輝さん、どうしたんですか。早く作業しないと、千冬姉にどやされますよ」

「……一夏か」

 

 紅輝の首がぐるりと巡って一拍。ようやく出てきた言葉がそれだった。あまりにのんびりした紅輝の動作に、一夏は苦笑をこぼす。

 

「一夏かっ……て……」

 

 それ以上の言葉は一夏の口から出てこなかった。見てしまったからだ。認識てしまったからだ。

 紅輝の一夏を見ているようで、どこか違う所を見ている胡乱な瞳を見てしまったからだ。

 

「あ……う」

 

 気がつけば、一歩後退っていた。夏の暑さはどこへいったのか。ただ寒気が忍び寄ってくる。

 怖い。目の前にいる男性が、急に霞んで見える。子供の頃、目一杯遊んだ後帰るときに、ふと誰も知らない子が混じっていたことに気づいた時のような。得体の知れないぞわぞわする感覚。

 それが紅輝から漂ってくる。

 寒気が足下から這い上がってくる。

 それらは一夏の足を掴み、引きずり倒そうとする。

 

「こ、紅輝……さん」

 

 舌がもつれる。

 人形のように整った顔立ちが、無表情に一夏を見つめている。赤い瞳は常と違い濁っている。それから目が離せない。

 そのままその瞳孔が、すべての光を飲み込んでしまいそうで、そして諸共に吸いこまれてしまいそうで。

 一夏がもう一歩後退ったときだった。

 

「何をしている」

 

 何時の間にか近寄っていた千冬が、秋霜烈日な目で一夏と紅輝を見下ろしている。

 

「あ、千冬姉……」

「織斑先生だ、馬鹿者共が。さっさと行動を開始しろっ」

 

 どこから取り出したのか、閻魔帳で二人とも頭を一発ずつやられた。

 痛い。後からじんわりと痛さが滲みだしてくる。

 頭を押さえて蹲っていると、あの寒気が消えていたことに気がついた。また夏の気怠さを催す暑さがぶり返してきた。

 一夏は熱を孕んだ息をもらす。

 千冬に叱られつつ、横目で紅輝を窺えば、いつもの赤い瞳が窺えた。一夏は、さっきは見間違いをしたのだろうと、そう自分を納得させた。そして千冬にどやされ、走り出す。

 入江の奥では、いつものメンバーが集まっていた。

 

「遅いですわ、一夏さん」

「悪い、セシリア。それで俺は何をしたら良いんだ」

「そうだな、いざという時のために待機しておいてくれ。国から送られた最新装備といえば聞こえが良いが、たまにとんでもない代物があるからな」

 

 ラウラがため息をしいしい頭を振った。他の専用機持ちも一応に苦い顔をしているのは、専用機持ちならではの苦労というものなのだろう。

 だがそれでも、一夏は瞳を燦めかせた。

 

「でも、全く新しい装備なんだろう。ちょっと、ワクワクするな。俺は零落白夜しか使えないからさ」

「むっ……。そうだな。大概はまだまだだが、時折光るものがある」

「ああ、掘り出し物ね。あると一気に楽しくなるのよね」

「僕も盾殺しと出会ったのは、装備試験の最中だったなあ。倉庫で埃被ってて、ものは試しだと使ってみたら、凄く性に合っていたんだ」

 

 わいわい皆と話し出す。が、一夏はその輪から離れた二人に気がついた。

 紅輝と箒だ。

 紅輝は再び空を仰ぎ見てぼんやりしている。あまりの覇気のなさに、呼吸をしているのだろうかと、ついつい疑ってしまう。風にばたりと倒されてしまうのではないだろうか。

 一方の箒は珍しく、俯いていた。いつも胸を張って堂々しているというのに。

 何かあったのだろうか。

 紅輝のことも気にはなるが、一夏はそれ以上に箒のことが気にかかった。

 

「どうした、箒。元気ないようだけど」

 

 話しかければ、箒は肩を跳ね上がらせた。

 

「っ、いや、そんなことない」

 

 箒は一夏と目を合わせなかった。話をする時、必ず相手の目を見るというのに。

 何かあった。一夏はそう確信した。言葉少なに立ち去ろうとした箒の腕を掴む。

 だが、

 

「放してくれっ」

 

 勢いよく腕を振りほどかれた。その勢いは強く、大分逞しくなってきた一夏の身体をふらつかせたほどだ。

 とっさにバランスをとり、顔を上げたとき、箒は一夏のことを茫然と見つめていた。

 その衝けば今にも崩れてしまいそうな表情に、一夏は何かを言いかけた。何を言おうとしたのかは分からない。

 しかしそれはとつぜん乱入してきた声に邪魔をされ、どこかに消えてしまった。

 

「久しぶり、箒ちゃんっ」

 

 視界の端から影が飛びこび、箒を押し倒した。舞い散った砂煙が海風に流されると、その人の姿が見えてきた。

 

「束さん」

 

 ふんだんなフリルで装飾されたロリータ服、頭には機械でできた兎耳。どこか愛らしさすら感じられる出で立ち。

 それらを着込んだ篠ノ之束が、満面の笑みで、押し倒したままの箒をそのふくよかな胸で窒息させようとしていた。

 

「って、だ、大丈夫か、箒っ」

「ああん、もうちょっとだけ。……いっくんのケチ」

 

 慌てて束を抱き起こせば、なにやら卑猥な言い方をする兎が一匹。その下からむせた箒がでてくる。箒は咳き込んだまま束のことを睨む。

 

「いきなり何をするんですか、姉さん」

 

 まだ呼吸が苦しいのか、胸元に手を置いている。それでもすくと立ち上がると、怒気を露わにした。

 

「ただ抱きついただけだよ」

 

 にこやかに笑う束。しかしそれを告げられた箒は、いよいよ湯気が立ってきた。

 爆発一歩手前だ。

 

「お、落ち着けよ、な、箒」

 

 二人の間に割って入る。

 

「一夏っ、私は今、姉さんと話しているんだっ」

「すまんが篠ノ之、それは一旦待ってもらおう」

 

 箒の背後から千冬が歩いてくる。ゆらゆらと立ちこめるのは、覇気か、それとも……。

 頭に血が上っていた箒ですら、近づいてくる千冬から離れるようとそっと後退りする。皆同じように離れていく。急に動けば襲われるとでもいうかのように。もちろん一夏も同じようにそっと離れた。

 束までの間を、人垣の道ができあがった。

 

「あっ、ちーちゃん」

 

 喜色満面。千冬の纏う雰囲気に気がつかないのか、あるいは無視しているのか。束は先の箒以上の速度で飛びかかった。

 が、そこは世界最強。飛びかかってきた束をあっさりと片腕で捉えると、その米神を握り締めたまま、持ち上げた。

 

「いたたたっ、ちーちゃん、痛いよっ」

「痛くしているんだ、この馬鹿者がっ。ここは関係者以外立ち入り禁止だ」

「ええ、私以上の関係者なんていないよ」

「お前はIS学園と何ら関わりがないだろう」

 

 勝手知ったる仲とでもいうのか。お互い遠慮もなくズバズバ言い合う。が、端から見ると、アイアンクロウをかけている側とかけられている側でしかなく、一種シュールな絵だった。

 一夏がドン引きしている中、肩を叩かれた。

 

「あの、一夏さん」

「どうした、セシリア」

「あの方が、篠ノ之博士なのでしょうか」

 

 セシリアの視線は、一夏と束の間を、何度もきょときょと往復している。

 信じがたいのだろう。世界の軍事バランスを塗り替え、様々な科学レベルを一気に引き上げた稀代の天才・篠ノ之束が、あんな不思議系ファッションを纏い、子供のように自由気ままに暴走している様は。

 だがそれが篠ノ之束という人間である。

 一夏はそのことをよく知っている。

 常人には計り知れない脳髄を秘めながら、誰よりも幼い心をした女性。それが篠ノ之束だということを。でなければ、白騎士事件で全世界のミサイルをハッキングし、発射などしない。

 そして次にセシリアがとるであろう行動が分かったから、一夏は首を横に振った。

 

「セシリア、もしコネを作ろうという気ならやめといた方が良い。束さんは、他人を人として認識していないから」

「え、それはどういう……」

「見ていれば分かる」

 

 ちょうど、束が千冬の魔手から逃れた。そして何かに気がついたらしく、小走りで駆け出した。

 駆け出した先には、紅輝がいた。周囲を旋回しながら全身をじろじろと見つめている。その様は、科学者が試験管の化学反応を観察しているようだ。

 

「ねえ、お前だよね。ISを動かした奴って。ふうん。どうして動かせるんだろうね。いっくんならまだ仮説は立てられるんだけど……。私が分からないなんて気にくわない。まあ、いいや。解体すれば何か分かるでしょう」

 

 誰もがその語句に固まった。いや、多少推測できていた、一夏・箒・そして千冬だけは固まらずにすんだ。

 

「私の生徒に何をしでかすつもりだ」

 

 だからこそ、迅速に対応した。束が何か行動を起こすよりも早く、千冬は駆け寄り束を横合いから殴り飛ばした。

 二・三メートルは軽く吹き飛んだが、束は軽快な動作で着地すると、頬を膨らます。「もう、いきなり殴るなんて酷いよ、ちーちゃん。でも残念でした。束さんは細胞レベルで人類最高の存在なのでした」

 ピースサインなぞしているが、辺りは静まり返っており、細波の音だけがいやに良く響く。

 

「本当は解体したいけど、ちーちゃんがうるさいから諦めるよ。命拾いしたね、お前」

 

 そう告げられた紅輝は、しかし変わらず空を眺めていた。何時の間にか咥えていた煙草をくゆらせて。

 それが気に入らなかったのか、束のトーンが低くなる。

 

「おい、聞いているの」

 

 その言葉に、紅輝は顔を動かし束を見た。が、すぐに何も言わず、空を眺めだした。それはまるで、蹴躓いたものを見た程度の動作だった。

 ハラハラしながら皆が見守る中、束が戦慄く。

 

「この束さんに話しかけられて、何その反応。気に入らない。本当に気にくわない」

 

 一夏が今まで見たこともない――普段からニコニコ笑っている束が浮かべているとは到底思えない――怒り顔で、束が紅輝を睨む。

 辺りの空気が変わる。その場にいる全員が、さらに一歩後ろに下がった。千冬ですら半歩下がっているほどだ。

 だが、そんな中、紅輝は相も変わらず、白痴じみた様子で、ぼんやりと空を仰いでいる。

 一触即発の空気が続く。

 それを切り裂く声があった。

 

「ね、姉さんは私に用があるのだろう」

 

 耳目を集めた箒は、苦虫をかみつぶしていた。その声に、束はぐるりと振り返ると、一転してまた童女のように笑顔を浮かべた。

 

「そうだ、こんな奴よりも大事なことだった。じゃあ、箒ちゃん、空を見上げるがいいっ」

 

 束が天を指差す。その指の動きにつられて空を見上げれば、青空に何か瞬いた。それが何か分かるよりも早く、砂浜めがけて落ちてきた。

 

「そ、総員退避ッ」

 

 立ち位置こそ違うが、どこか見覚えのある光景に、一夏はさけんだ。

 その場にいた全員が大童に逃げ出す。

 だがすぐに、一夏は凄まじい風圧に背中を押し飛ばされ、吹き飛んだ。

 

「いててっ」

 

 起き上がって背後を見てみれば、赤いISを収納した正八面体のクリスタルが、砂浜の一部を吹き飛ばし、突き刺さっていた。

 

「ジャジャーン、どう、箒ちゃん。白に対をなす紅は。これが箒ちゃんの専用機だよ。凄いでしょう。私からのプレゼントだよ」

 

 一拍おいてざわめきが広がる。それらのがやが大きくなるにつれ、次第にいくつか、いやな響きが混じり出す。

 

「それって依怙贔屓じゃないの」

「篠ノ之さんって、専用機もらえるほどの操縦者なの。そうは思えないんだけど。だとしたら不公平じゃない」

 

 箒が奥歯を噛みしめる。何も反論をしない。

 だが、束が先程よりかは幾分持ち直したが、それでも冷たい口調で反論する。

 

「馬鹿じゃないの。有史以来、世界が平等で会ったことはないよ。というか、何で私がお前達有象無象のために何かしてやらないといけないわけ。私は箒ちゃんだからこそ、ISを造ってあげたのに」

「姉、さん……」

「さ、箒ちゃん。セッティングしちゃおう。すぐに終わるからね。その後は、動かしてみよう」

 

 いうや、躊躇う箒の背中をぐいぐい押して、紅椿にのせると、凄まじい勢いで調整を開始した。投射されたキーボードを押す指の動きは目まぐるしい。

 

「はあはあ、なるほどね。うんうん。予測とほとんど変わらないね。うん、これで大丈夫」

 

 ものの五分も経たぬうちに、フィッティングを完了してしまった。学園の担当官でも、三十分はかかる作業だというのに。

 

「さ、箒ちゃん。思う存分飛んでみて」

 

 促され、恐る恐るといった具合に箒が一歩、二歩と踏み出し、思い切って地面を踏み出す。軽い動作に反し、凄まじい勢いで紅椿が飛んだ。

 

「す、すごいパワーだ」

 

 飛行機雲が青空を真っ直ぐ両断している。圧倒的な加速力に速度。高機動型の白式をも上回るのではないだろうか。

 

「うんうん。良いよ、箒ちゃん。じゃあ、これ撃ち落としてね」

 

 束が何かをキーボードで打ち込むと、空中からミサイルポッドが現れた。量子変換技術の応用だろうか。驚く一夏達をよそに、多弾頭ミサイルが発射された。

 

「左側のが空裂。右側のが雨月だよ」

 

 紅椿が二振りの刀を振るう。それぞれの刀身から照射されたレーザーは、全てのミサイルを迎撃した。

 紅椿が着地すると、真っ先に束が抱きついた。

 

「格好よかったよ、箒ちゃん」

 

 確かに刀だけであれだけのミサイルを撃ち落とす様は、映画のように絵になった。

 だが、一夏はどこか腑に落ちないものがあった。それは箒も同じく抱いたのか、浮かない顔をしている。

 

「腕、ね」

「え」

「一夏の疑問の答えよ。確かにあの紅椿、篠ノ之博士の作品だけ合って、凄い性能よ。でも、それを使いこなせるだけの技量が箒にはないわ。いってしまえば、機体性能でどうにかしただけなのよ。だから納得できない。納得できやしない」

 

 鈴の言葉を証明するように、再びざわつきが大きくなる。

 

「何よ、それ。それじゃあ、私たち、何のために努力しているのよ……」

「他の子ならまだ分かるけど、どうしてよりにもよって、あの子なのっ」

 

 一夏の頭に血が上りかけた。しかしそれらはすぐに下がった。見てしまったからだ。誰もが悔しそうに顔を歪めている様を。

 

「あっ、箒!」

 

 紅椿から降りた箒が駆け出す。唐突な出来事に、束も、千冬も反応できずにいた。しかし一夏はその背を追いかけた。

 

「待てよ、箒」

 

 呼び止めるが、箒の足は止まらない。それどころか、さらに速度が上がった。一夏は遮二無二追いすがり、人気のない砂浜でようやく追いついた。

 

「おい、箒」

 

 肩に置いた手を振りほどかれた。振り返った箒の目には、怒りと共に光るものがあった。

 

「箒……」

「どうして、どうしていつもああするんだっ。いつも姉さんが滅茶苦茶にする。あのときも、今も」

「お、落ち着けよ、箒。束さんだって悪気があったわけじゃ」

「だったら何をしても良いのかっ。家族をバラバラにして、今もそうだ。結局あの人は自分が楽しければ、それでいいんだ。口でこそ私のためだといっているが、全部自分が楽しむためだっ。」

「おい、箒! いくら何でも言い過ぎだ!」

「うるさい、黙れ! お前に何が分かる。あの人の奇行に苦しめられたのは、私たちだ! お前じゃない! 私はあの人の玩具じゃない!」

「箒っ」

「もう、放っておいてくれ!」

 

 その叫び声は、明確な拒絶となり、壁となり、一夏を突き放した。その間に箒はまた走っていってしまう。

 一夏は箒を追いかけようとした。

 

「やめておきな」

「紅輝さん……」

 

 だがそれは、何時の間にかやって来た紅輝によって止められた。

 

「どうして邪魔をしたんですか」

 

 紅輝は細波を被るギリギリの境界線に立ち、海を眺めていた。一夏はその背にもう一度、同じ質問をぶつける。

 

「やけになっていたからさ」

「だったら余計止めないと」

「それで止まるのは普通のやけさ。本当の本当にやけっぱちになるとな、周囲一帯を燃やし尽くしちまうもんだ。全てを烏有に帰す程に、な。それを止めようとするなら、生半可な覚悟じゃ止められない。お前にあるか。全てを賭けて止める覚悟が。死んででも止めるという覚悟が」

 

 一夏はその質問に答えられなかった。代わりに一つ訊ねた。

 

「紅輝さんは、どうしたんです」

 

 紅輝がゆっくりと振り向いた。その顔は、色々なものを混ぜ込みすぎた、泥土のようなものだった。

 

「忘れちまったサ。……そんな大昔のこと」




これからも時間を見て書いていきます。時間はかかりますが、お付き合いくだされば、幸いです。


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暴走キタイ

お久しぶりです。
仕事で忙しく、中々書けませんでした。
なんとか書き終えたので投降します。


 束と箒が喧嘩別れをしてしばらく、強張った顔付きの真耶が専用機持ちを呼びつけ、旅館の一室に集めた。

 集められた部屋の周囲では、教師陣が物々しい気配を纏って忙しなく作業をしている。また呼びつけた真耶までもがすまなさそうに顔を歪め、部屋を出て行ってしまった。

 待てど暮らせど何も分からない。時間ばかりが無駄に過ぎていく。次第に皆そわそわしだす。鈴は部屋の中を右往左往し、セシリアは髪の毛を弄くり回している。ラウラは何かを感じ取ったのか、腕を組んで瞼を閉ざし、精神を集中させているようだ。だが、それはまるでこれから何か大きな事件でも起きる、そんな予兆を暗示しているようで、周りの落ち着かない気配をより強めた。

 唯一の例外は、紅輝と箒だ。二人はそれぞれ覇気のない様と怒りをあらわにした様とを隠そうともせず、それぞれの世界に閉じこもっている。

 誰もが気もそぞろでいると、唐突に扉が開け放たれた。そこには普段より鋭い眦の千冬がいた。

 

「全員揃っているようだな」

 

 つかつかと部屋の中央まで進んだ千冬は、後ろに着いてきた真耶にアイコンタクトを示す。真耶は頷くと、扉を閉めカーテンまでも締め切った。そして片手で持てる程度の何かの機械を懐から取り出しつまみを弄った。

 

「これで盗聴などは不可能です」

「ああ、ありがとう」

 

 千冬が専用機持ちに目を向ける。途端、部屋の空気がひりつきだした。

 

「二時間前、ハワイ沖で試験稼働中だったアメリカ・イスラエル開発の軍用ISが暴走した」

 

 その言葉に、箒ですら顔を青ざめた。紅輝だけが、呆けたままだ。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ、千冬姉!」

「後だ、織斑。暴走した機体は第三世代ISシルバリオ・ゴスペル。以後、『福音』と呼称する。この福音が、こちらへと向かってきている。日本政府はIS学園に福音の迎撃を要請した」

 

 一拍の合間にラウラが問う。それは疑問を解決するよりも、すべきことの確認をとるための問いだった。

 

「教官、つまり私達が福音を迎撃すると」

「いいや、あくまで確保だ。それに無理強いはしない。お前達は生徒なのだから。さて、今から五十分後、ここから五キロ先の海域を福音が通過する。教職員が海域を封鎖し、そこで専用機をもつお前達に確保を頼みたい」

 

 それは、つまり実戦だ。学園内で行われる競技ではない。危なくなったとしても、誰も助けてはくれない、死が影になってつきまとう。一夏が生唾を飲み込む音がやけに響く。

 静寂を切り裂くように、シャルロットが発言した。

 

「福音のスペックは開示されますか」

「ああ。当然守秘義務が発生するがな。ここで見たこと聞いたことを迂闊に喋ってみろ。はれて形ばかりの査問委員会の裁判後、アルカトラズにぶち込まれるだろう」

 

 そう言って千冬は、束になった書類をシャルロットに手渡した。

 一夏、箒、紅輝を除いた専用機持ちが素早く書類に目を通す。

 

「さすがに第三世代ね。基本スペックが高いわ」

「基本性能もそうだが、一番厄介なのはリミッターがないことだな。我々のISとは内臓エネルギーが文字通り桁違いだ。軍事用だからといえばそこまでだが」

「私としましては、この特殊武装というものが気に掛かりますわ。エネルギー武装の類いのようですが、私のブルー・ティアーズとはまた違うようですし」

「銀の鐘……。どうやら大型スラスターと一体化したものみたいだね」

 

 さすがは国家代表候補生、数少ない専用機をもつことを許された存在。的確に戦力を分析していく。一夏は何も出来ず、それをただ眺めて話を盗み聞くことしか出来なかった。

 

「でも、最大の問題は……」

「速度……か」

 

 机に投げられた書類には、福音の飛行速度が掲載されていた。最大速度、二四五〇キロ。マッハ二を越える超音速。

 第三世代のISでも、ここまでの速度は出せる機体は多くない。専用機持ちでも難しい。特にシャルロットでは。

 シャルロットの専用機は、リヴァイヴ・カスタム。第二世代のISだ。ある程度手を入れていたとしても、一世代前のそれも速度に特化した機体というわけでもない。福音に到底追いつくことは出来ないだろう。

 誰もが渋い顔をするなか、セシリアは髪をかき上げてみせる。その耳に飾られたイヤリングが輝く。

 

「私のブルー・ティアーズならば問題ありませんわ。ちょうど折良く、高機動型パッケージが本国から届いておりますの」

「そうか。となると、強行偵察……は無理だろうな。アプローチは一回。それも相手の能力は未知数。継戦能力は高い。となれば最善は」

 

 ラウラはそこで区切ると、一夏をちらりと見た。

 

「お、俺か!?」

「そうだ。白式は零落白夜が使用可能だ。あれならば、一撃で大ダメージを狙える。今回の任務は、短期決戦で片を付けるべきだ」

「俺が」

 

 一夏は自らの手の平を眺めている。

 

「織斑、無理に参加する必要はない。たとえお前が加わらなくとも、誰も責めることはない。これは実戦なのだ」

 

 千冬の言葉に、一夏は拳を力強く握り締めた。

 

「いや、千冬姉。やるよ、俺、やるよ」

 

 一夏は真っ直ぐに千冬を見詰めて言い切った。千冬はそんな一夏を黙って見詰めた。

 

「そうか。ではお前が切り札だ。そうそうに飛び出すなよ」

「分かった、千冬姉」

 

 ラウラが資料のなかにあった海図を引き延ばし、一点を差す。そこは、福音との交戦予定地だ。

 

「ではお前を起点に、オルコットがフォローに回るという形で――」

「ちょっと、待ったぁ!」

 

 唐突にここにいるはずのない声がした。誰もがあたりを窺う。

 

「上か!」

 

 千冬の声に応じるように、天上の一部が開き、そこから束が下りてきた。

 身軽に着地をすると、千冬や一夏、それに箒にピースを向けている。

 

「それなら断然箒ちゃんと紅椿の出番なんだよ!!」

「どういう意味だ、束」

「紅椿には第四世代ISの技術、展開装甲が使われているんだよ」

 

 展開装甲を利用すれば、白式にも負けない速度が出せる。束はそう締めくくった。

 

「だ、第四世代ですって!? 各国がまだ第三世代ISの作成にすら苦心しているというのに!」

「あんな無能達と一緒にしないでよ。それに」

 

 束が一夏を見た。いや、その視線の先は、一夏の腕にある、白式だ。

 

「とっくの昔に白式にも使った技術だもん。今回はそれを全体に利用しただけ」

「えっ」

 

 一夏が白式を見る。専用機持ちの視線が集中するなか、千冬は束に尋ねた。

 

「……束、調整には」

「六分もあれば大丈夫。さっきデータも手に入れたしね」

 

 千冬はしばし考え込んだ。

 

「オルコット、パッケージの展開にはどれくらいかかる」

「三十分はかかります」

「高機動状態での訓練は」

「十五時間です」

「……よし。織斑、篠ノ之、頼めか」

「なっ、私では力不足だと!?」

「今は時間が惜しい。それに高機動状態でのブルー・ティアーズの運用は国家代表でも難しいものがあるだろう。お前の習熟度では、フレンドリーファイアーの危険性が高いと判断した。それを踏まえた上で意見はあるか、代表候補生」

「そ、それは」

 

 セシリアは唇を食む。ブルー・ティアーズのビットは強力だが、元々一対多を前提にした武装だ。味方がいるなかでの運用は難しい。それもお互い高速で移動しているなか、敵にだけ攻撃を行うというのはあまり現実的ではない。

 となれば、セシリアの攻撃手段は、スナイパーライフルか、インターセプターだけに限られる。それではどうしても火力不足に陥ってしまう。精々が白式の援護で精一杯だ。

 が、箒の紅椿ならば援護のみならず、攻撃にも回れる。束の言を信じれば、展開装甲にはそれだけのポテンシャルがある。

 セシリアは悔しそうにしながらも、引き下がった。

 

「それで、どうだ。二人とも」

「俺は構わないけど……」

 

 一夏が心配げに隣に立つ箒を見る。その表情は忌々しげに束を睨んでいる。

 

「……私も構いません。軍用ISが暴走している一大事ですから」

「箒、大丈夫か?」

 

 箒は一夏に返答することなく、束の方へ近寄っていった。

 

「早くしてくれ、姉さん」

「うん。任せて、すぐに終わらせるから。ね、箒ちゃん」

 

 箒は束に身を預けたまま、むっつりと黙り込んだままだ。

 

「……一先ず二人以外はここで待期だ」

 

 

 

 一夏と箒は海岸で専用機を纏い、合図を待っていた。

 

「早く乗れ」

「あ、ああ、こうか」

 

 移動に使う僅かなエネルギーも零落白夜に回せるよう、一夏は紅椿の背中に乗った。

 が、一夏はどうにもしがたいやりづらさを感じていた。

 普段の箒ならば、男が女の背中になどというだろう。だが、今の箒は黙り込んだまま、ただただ怒気を放っているだけだ。

 その濃密な怒気にあてられ、一夏の身体は自ずと強張ってしまう。

 と、作戦決行時刻が迫ってきた。

 

「織斑、篠ノ之。準備はいいか」

「はい」

 

 本部からの問いに箒が短く答えると、すぐさま砂浜を飛び立った。瞬間、猛烈な加速で砂浜がどんどん遠退いていく。白式に勝るとも劣らないその速度に、一夏は改めて紅椿の性能に驚きを隠せなかった。

 

「そろそろ接敵する。気を引き締めろ」

「分かった、千冬姉」

 

 遠目に黒い影が映る。が、すぐにそれが近付いてくる。銀色の装甲に、大型のスラスターと翼。これまで一夏が見てきたISとどこか違う。それは完全な軍事用のISとして作られたからか。

 一夏は雪片弐型を構えて、精神を統一させていく。

 

「加速する」

「なっ、箒、ちょっと待て!」

 

 あまりに唐突な加速に、一夏の姿勢が崩れる。それでも一夏は雪片弐型をなんとか振り抜いた。が、

 

「浅いっ!」

 

 手応えがない。やはり無理な体勢での一撃は効果的とはいえなかった。切っ先がようやく装甲を掠めた程度だ。エネルギーを大幅に消耗してようやくかすり傷。収支でいえばマイナスもいいところ。

 さらには。

 

「完全に敵認定されたか」

 

 福音が能面で一夏たちを見据える。紅輝のISと同じく、顔面を覆うバイザーのせいで、パイロットの様子はうかがい知れない。

 鈍色の顔が告げている。お前は敵だと。

 焦げ臭い匂いを感じ取った一夏はその場を跳び退る。間一髪。一夏がいた場所を、ぶどう弾のようにいくつものエネルギー弾が穿つ。

 もともと機動性の為に防御力を犠牲にした白式が、至近距離から散弾染みた攻撃を食らえばひとたまりもない。

 こめかみを汗が伝い落ちる。

 

「だからって、引くわけに行かないんだよ!」

 

 自らに気合を一喝し、間合いを詰めようとする。が、福音は先ほどと同じようにエネルギー弾をばらまき、一夏を拒絶する。

 

「くそっ」

 

 強引に針路を切り替え、エネルギー弾の回避に努める。身をかすめるだけで、白式のエネルギーが減少していく。

 一夏が攻めあぐねていると、箒が動いた。

 

「箒!?」

 

 しかしそれは傍から見ても無茶なものだった。背後から隙を突いてといった風ではあるが、その実全く隙などない相手に突撃を敢行した。当然福音は紅椿を迎撃する。

 

「チェストォッ」

 

 だが、箒は迫り来る弾幕を気にも留めず、大上段から太刀を振り下ろす。

 鬼気迫る一撃は、しかしあまりに幼稚だった。その一撃はただ腕力で振るうものだ。とてもではないが、全国優勝を成し遂げた剣士がすべき太刀筋ではない。力自慢のずぶの素人が、初めて長物を振ったような有様だ。

 あれではあたるまい。いや、そもそもあたったところで紙一枚切れはしまい。

 

「なんだよ、それ……!」

 

 あまりの醜聞。いや恥知らず。篠ノ之箒という少女が積み重ねたであろう剣に対する侮辱ともいえる行いに、一夏は雪片弐型を固く握り締めた。

 

「なんだって、そんな剣を……」

 

 白式が告げる。僚機である紅椿のエネルギーが刻一刻と減っていき、そろそろ危険領域に至ることを。

 だというのに、箒は突撃して剣を振り回すのを止めない。このままでは、シールドエネルギーが尽きて、最悪の事態は免れない。

 しかし一夏には、なぜだか箒がそれを望んでいるかのように見えた。

 

「箒、落ち着け! そんな力押しが通用する相手じゃないぞ! 一旦離れて機会を」

「うるさいっ、邪魔をするな!」

 

 紅椿の一撃が福音の胴をなぎ払った。鈍い音と火花が散るものの、一夏の予想通り、今の箒の攻撃では福音になんらの影響も与えられなかった。

 しかし攻撃を加えられたことを危険と認識したのか、福音は紅椿から距離を取ろうとする。

 

「くそっ、急がないと」

 

 その一瞬の隙を突き、一夏はイグニッションブーストで間合いを詰め、切った。白く輝く刀身が、福音の絶対防御を切り裂いた。零落白夜の一撃を受けた福音は、一夏からも距離を取った。その動きに深刻なダメージは見当たらない。

 それを証明するように、白式のセンサー群によれば、福音のエネルギーは三割も減っていない。なのに一夏が使える残りエネルギーはもう半分を切っている。

 余り動きのない福音に警戒しながら事態を覆せる案がないか思案に暮れていると、通信が入った。それは本部からの通信だ。

 

「織斑君、篠ノ之さんを連れて退避してください! 作戦は失敗と判断します」

 

 苦々しく思いながらも、一夏は真耶の言葉に首を振った。白式のエネルギーはすでに枯渇が見えだしている。なのに、福音のエネルギーはまだ七割以上残っている。せめて箒と共闘できるならばまだ可能性はあるかも知れない。だが、今の箒では不可能だ。

 

「箒!」

「断る!」

 

 箒は刃を顔すれすれまでに引き付け前傾姿勢をとっている。それは明らかに突きを狙った構えだ。

 

「何を言って!?」

 

 一夏が止めるまもなく、紅椿と福音が再び激突した。

 

「箒っ!?」

 

 紅椿の装甲が剥がれ落ちる。それはつまり、絶対防御を貫かれたということだ。

 だというのに、箒はより過激に攻めかかる。

 

「死ぬ気か!」

 

 一夏が箒を止めようとするも、福音のエネルギー弾によって邪魔をされる。尻込みをしている合間に、福音は紅椿に攻撃を加えていく。

 紅椿のシールドエネルギーがみるみる減少していく。一夏の顔が青ざめていく。

 

「箒!」

 

 とうとう、福音のエネルギー弾に紅椿のシールドエネルギーが空になってしまった。

 意識するまもなく、一夏はイグニッションブーストを発動していた。エネルギー弾を零落白夜で搔き消し、箒の下へ駆けつける。

 箒はシールドエネルギーが枯渇した影響か、気を失ってしまっていた。

 

「一夏、後ろっ!」

 

 いざという時のため後方で待機していた鈴の声がする。一夏は首だけを振り返る。視界いっぱいに、エネルギー弾が見える。

 避けることは出来ない。それが分かったから、一夏は箒を抱きかかかえ、エネルギー弾から庇った。

 薄れ行く意識のなか、気を失っただけの箒を見て、一夏はうっすらと微笑んだ。




次はもう少し早く投降したいものです。


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シたがり

GWの最終日ですが、なんとか投稿できました。


 そのとき、セシリアと鈴音の絶叫が場を満たした。

 眼前では、銀の福音の攻撃を受けた一夏たちが黒煙を引きながら、うろこ状に輝く海面へ力なく落ちていく。

 ラウラとシャルロットが飛び出す。二人は黒い暴風雨となり海原へ逆落ちる。

 デジタル表記の高度計が、三千、二千、千とその数値をみるみる減らす。それにつれて、潮風の匂いが濃くなる。

 空気が身体に纏わり付くようになり、粘度の高い液体のように抵抗となる。

 

「瞬時加速だ! シャルロット!」

「分かった、ラウラ!」

 

 疾風と黒い雨が、世界を切り裂く。手を限界まで伸ばすも、落ちていく二人の身体は中々掴めない。だからといって諦める訳にはいかない。

 歯を食いしばる。

 再度の瞬時加速。短期間の連発に、軍人として鍛え抜かれたはずのラウラの筋肉が、骨格が、内臓が軋む。喉から溢れ出してきた胃液を飲み下す。ヒリヒリとした喉の痛みを堪え、シュヴァルツェア・レーゲンのカタログスペック限界まで速度をたたき出してみせる。

 

「届けぇええええええ!!」

 

 一本。ラウラの指先一本が白式の装甲に引っ掛かる。それを手繰り寄せ、抱きかかえる。

 シャルロットの方を見遣れば、その腕には箒が抱かれていた。

 僅かばかりの安堵が押し寄せてくる。が、ラウラは一夏の状態に、その安堵も消し飛ばされた。

 一夏は、シールドエネルギーが切れかかった状態で、福音のエネルギー弾をその身で受け止めたせいか、全身に重度の火傷を負っていた。皮膚のいたるところがひきつれや爛れており、とてもではないが、見ていられない有様だ。呻き声にも力がない。

 軍属のラウラは、一夏の状態を見て、一刻も早く治療をしなければ命に関わると判断した。

 

「セシリア! 鈴! 撤退だ、気をしっかりもて!」

 

 呼びかけられた二人は、肩を跳ね上げた。福音を憎悪に満ちた目で睨む。

 が、ラウラの声に今すべきことを悟ったのか、セシリアたちはほぞをかみつつも、すぐに撤退をはじめた。

 合図もなしに、セシリアと鈴音が、ラウラとシャルロットを護衛する。

 スターライトmkⅢと双天牙月とが白光を受けギラギラ輝き、福音を制する。

 その輝きに、ラウラは頼もしさを感じた。

 

「動いてご覧なさい。必ずわたくしが撃ち落として差し上げます」

 

 しかしなぜか、福音は飛び去っていく彼女たちを追撃することはなかった。

 それに疑問を抱きながらも、彼女たちにできることは、ISに鞭打ち、旅館へと急ぐことだけだった。

 

 

 

 箒が目を覚ますと、旅館の一室にいた。

 部屋は物音一つしない。周囲からひとけも感じられない。

 初めは状況を把握できず、天井を見つめ固まっていた。だが、次第に記憶が蘇るや、その身を跳ね起こさせた。

 顔を手の平で覆う。思い出すのは銀の福音。視界を埋め尽くさんばかりに放たれるエネルギー弾。

 あれを掻い潜る技量なぞ、箒にはなかった。なのに。

 

「生きているのか……」

 

 指の隙間から覗く口元が引き攣ったように歪む。

 辺りを見回し、枕元に置かれていたISを引っ掴む。乱暴に装着すると、大股に部屋から出ようとする。

 その際、洗面所の鏡が目に入った。薄暗い鏡面には、幽鬼のように空ろな笑みを浮かべた、醜い怪物がいた。

 お似合いの顔だ。そう思う。

 

「むっ」

 

 だが、一つだけ気にかかるものがあった。髪を束ねたリボン。これは、相応しくない。一瞬躊躇ったが、リボンを解き、丁寧に折りたたむと、洗面台の上に置いた。

 そして鏡を見れば、完璧だった。

 箒は鼻で笑うと、旅館の入口へふらふら向かう。道中誰にも出会わなかった。だが、旅館全体からは、ばたばたとした気配を感じる。恐らく、福音の対策に教師たちが右に左に走り回っているのだろう。御苦労なことだ。もうその必要はないというのに。

 短いような、長いような、どれだけの時間が経ったかも判別できないまま、おぼつかない足取りで海に出る。浜辺には漣の押し寄せる音だけがする。

 静かだ。波の音が、あまりにも穏やかで、優しく迎え入れてくれるようだと錯覚してしまう。

 

「一人か。良い景色だ」

 

 影法師の頭を踏みにじる。ザクザクと砂を、影を踏み付けながら進む。

 箒は波打ち際に辿り着いた。

 砂浜にうたれた波が、細かな泡となり箒の足を擽る。ずぶ濡れになった靴が重たい。脱ぎ捨てる。捨て去った靴は波にうたれる。どうせ構うまい。もう、不必要だ。

 軽やかになった足取りでちゃぷちゃぷ押し寄せる波をかき分ければ、足首まで女波に浸った。足首を刺す冷たさが心地良い。

 

「紅椿」

 

 熱い溜息と共に吐き捨てた命令に、紅椿はその意を忠実に汲み取り、装甲を展開する。

 計器のシールドエネルギーだけに意識を向ける。シールドエネルギーは三割もない。が、一回飛ぶには十分だ。銀の福音の元へ行くには。

 沖合を見つめる。静かだ。どこまでも広がる海原に、見とれる。

 

「そろそろ行くか」

 

 紅椿が力場を形成し、浮かび上がる。箒がキッと目を向けた先に、銀の福音がいる。紅椿の超々望遠機能が、その姿を映し出す。どこかの小島に仁王立ちしている。まるでうち捨てられた機械のよう。その様子から、どうやらまだ命令が下されていないようだ。

 さて、行こう。そう決心した瞬間、

 

「何やってんのよ!」

 

 後ろから飛びかかり、止めるものがいた。

 振り返れば、鈴音が必死な顔で紅椿の背部装甲にしがみついていた。

 箒は眉をひそめたが、背中に張り付いた鈴音を優しく降ろす。

 

「何をしているんだ、お前は」

「それはこっちの科白よ! 様子を見に行ったら、部屋はもぬけの殻。しかもISまでなかったのよ。探してみれば、ISを纏って勝手にどっか行こうとしているし!」

「そうか。なら帰れ。もう心配する必要もない」

 

 箒を見上げていた鈴音が柳眉を逆立てる。

 怒りに染め上げられた眼に刺し貫かれ、箒は目線を逸らした。

 

「ふざけんじゃないわよ! あんた、自分勝手もいい加減にしなさいよ!? 心配するに決まっているでしょ!」

「……お前には関係ない」

 

 捕まれていた手を引き離す。

 かなり強く捕まれていたが、篠ノ之流剣術の無手術をもってすれば、この程度の拘束を外すのはわけない。

 襟首を掴み上げていた手を剥いだ瞬間、頬に痛みが走った。

 鈴音が平手を振り切っていた。

 

「この馬鹿!」

 

 一拍後れて頬が熱くなった。

 捩れた首を戻すことなく、目だけで鈴音を見る。

 鈴音が、目に涙を貯めていた。

 そのなみなみと貯まった雫に見入った箒は思う。

――ああ、本当に、優しいな。

 だからこそ、箒は表情を顔に出さぬようにし、鈴音を見下ろした。

 キッと見上げるまなじりには、今だ涙が波立っている。

 

「用はすんだか」

「なんで分からないのよ。あんた、そんな奴じゃなかったでしょ!」

 

 すがりつくように吐き出された言葉。それが、無性に箒の気に障った。

 口元が歪む。自分でも分かる。今、箒は嘲っていると。

 

「そんな奴、か。お前に私の何が分かる?」

 

 止まらない。止めようと思っても、箒の口は意志とは裏腹に、勝手に語り出す。

 

「――姉の威を刈るしか取り柄のない無能、姉に依怙贔屓されている卑怯者、姉を止めることもできなかった犯罪者、姉の居場所もわからない穀潰し」

「な、何を言って」

 

 狼狽える鈴音の顔がおかしくて、箒は声を出して笑った。

 

「分かるか? 分からないだろう! すべて私が言われた言葉だ! 直接だろうが、影でだろうが、すべて、すべて私が呼ばれた名前だ!」

 

 自宅付近で、IS学園で、インターネットで、国の機関で。

 ずっと言われた。姉の付属品と。

 

「そうだ、結局の所、私はあの人の利益を享受しているだけの寄生虫だ! だけどそんな虫螻(むしけら)でも、意地はある」

「箒、アンタ、何言って、ううん、何をしようとしているの!?」

「この事件はすべて姉さんが、あの天災が仕組んだ物だ。きっと私のデビュー戦にちょうど良いと、ISを暴走させたんだろう」

「いくらなんでもそれは陰謀論すぎるわよ」

「笑わせるな。お前も分かっているんだろう? 国家の威信をかけたISがそうそう暴走なんてするもんか。暴走を止めるためのストッパーなぞ、二重三重に用意されているはず。それらすべてが全く利かないなんてありえない。誰かが細工しないかぎりはな。そしてそんなことできるのは、そしてそれで利益を得られるのはあの人だけだ! これは事故じゃない、事件だ。だったら誰かが責任を取るしかない。じゃあ、誰が。誰が責任を取ると言うんだ? あの人が責任を取るもんか。世界なんて自分のためにあると心の底から信じ切っているあの人が。……私しかいないだろう、代わりに責任を取れるのは」

 

 笑みがこぼれる。

 胸で滾る暗い炎が、箒を突き動かす。

 

「それに私はあの人のマリオネットだ。私の人生は姉さんに翻弄されるものだった。だったら最後くらい、自由にしてもいいだろう? あの人は私のことが大好きなんだ。だから、これが復讐だ」

 

 鈴音の顔色が変わる。

 箒が何をするつもりかが分かったのだろう。

 

「それを知って行かせるわけないでしょう! 手足へし折ってでも、行かせるものか!!」

 

 鈴音がISを纏う。双天牙月を構え、覇気を辺りに放つ。ピリピリと箒の肌が痺れる。昔、父に稽古をつけられた時以来だ。これほどの剣気は。

 なるほど、さすがは国家代表候補生。そう納得させるだけの才が、それを育て上げた努力が肌で感じられる。

 厄介なことになった。箒はそう思った。自制してごまかせれば、こんな面倒は起きなかったのに。

 しかしそれでも、勝ち目はまだある。

 国家代表候補生に勝てると傲るほど箒は間抜けではない。が、紅椿が鈴音のISをすべてで上回るということも理解している。

 そう、例えば銀の福音の元へ一目散に飛べば、機体性能の差から鈴音を置きざりにできる。

 が、それは鈴音も了承しているはず。邪魔立てするだろう。そして一度でも邪魔をされたら、箒は鈴音から逃れられない。

 最初の一歩。そこが勝負の分水嶺だ

 隙を窺う。

 何、こればかりは代表候補生にだって負けはしない。剣道も、剣術も、ようは相手の隙を見付け、そこをつくものだ。この技量ばかりは、一夏にだって負けない自負が箒にはある。

 

「アンタ、本気なのね」

 

 雨月と空裂を構える。

 

「冗談でするものか」

「どうしてアンタが責任を取るのよ! アンタが銀の福音を暴走させたわけじゃない!」

「いいや、家族ならばその責任は取らなきゃならない」

「この、分からず屋!」

 

 言い争いながら、お互い一挙手一投足に注目している。

 僅かでも気を抜こうものなら、そこをつかれる。

 それが分かっているからこその、口論だ。揺らげば、負ける。

 お互い譲る気はない。

 

「アンタの責任は、違うでしょう」

「違わない」

「違う。アンタの責任は一夏を傷付けた事よ」

 

 その言葉に、箒は顔を歪めた。しかし直ぐさまに顔に出てきた色は能面のような無表情に隠されてしまった。

 

「アンタがした無茶で、一夏は死にかけた。アンタに責任があるとすれば、それだけよ」

「……違う。そもそも福音が暴走しなければそんなことにならなかった」

「それをアンタが知っていたの? 福音が暴走するなんて知らなかったんでしょう?」

「私のために姉さんがしたことだ。私と紅椿をデビューさせるために」

「……アンタがあれを望んだの?」

「そんなわけあるか!」

「じゃあ、やっぱり箒に責任はないでしょ。アンタが望んだわけでもなし、向こうが勝手にしたんじゃない」

「だとしても、私が止めなければいけなかったんだ!! たった一人の姉さんを、私は、止められなかったんだ」

 

 目頭が熱くなる。気が付けば、涙を流していた。握り締めていた二振りの刀が滑り落ちる。

 なぜか鈴音が、武器を下ろした。

 そして、ゆっくりと箒へと歩み寄ってくる。

 

「近寄るな!」

 

 その動きを箒は警戒し、一歩下がる。

 しかし鈴音はそれでも箒へと近寄ってくる。

 その所作に一切の敵意はない。なのに箒は、鈴音に気圧されていた。

 

「もう自分を責めなくて良いわ、アンタは悪くない」

 

 抱きしめられていた。

 鈴音は、穏やかな声音で、箒を抱きかかえていた。

 

「何を……」

「アンタ、本当に真面目すぎよ。篠ノ之博士を止められなかったことで、自責の念を抱えるなんて。でもね、それは違う。違うわ。止められなかったことを悔やむんだったら、今度こそ止めるのよ」

「今度こそ……?」

「そうよ。アンタが言うには、篠ノ之博士はこういうことを平然とやらかすんでしょう? だったらそのとき、止めないと。アンタが博士に止めてって言わないで、誰が言うのよ? だから、死のうとしないで」

 

 その言葉を皮切りに、箒は声を上げて泣き出した。

 泣きじゃくる箒を、鈴音はずっと抱きかかえ続けていた。




そろそろ主人公の動きを書かないと。


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紅き砲火

お久しぶりです。
2019年初投稿が2月になってしまい、申し訳ありません。
これからも遅筆ながらも、必ず投稿をしていこうと思います。


 潮風が紅輝の髪を揺らす。割り当てられた部屋の窓から見える海は凪いでいる。しかしそれは見た目だけだ。この海原に、軍用のISがコントロールを失い、今も驚異として存在している。

 旅館では教師たちが大童に戦術を練っている。それが無意味であることを、紅輝は理解していた。先の交戦で一夏と箒が墜ちた結果、福音と戦闘ができなくなった。

 紅輝の機体やセシリアが高機動パッケージを使用すれば、速度だけなら福音と交戦に持ち込めるだろう。けれども二人の機体には決定打がない。逃げられるのがオチ(、、)だ。

 有効な戦術が存在しない。だから無為な時間が過ぎていく。

 紫煙が燻る。

 フィルターまで吸った煙草を灰皿に押し当てる。灰がボロリと崩れた。

 

「……別にいいか」

 

 ISである限り、いつかはエネルギーが切れる。そうなれば回収は可能だ。紅輝が何かする必要もない。

 新しい煙草をくわえる。先端には裸火が赤々と踊っている。

 人なんてこの煙草と同じだ。命を燃やし尽くしても、代わりはいくらでもある。人間であるならば例外はない。

 ならば人間でない存在は何に例えるべきなのだろうか。

 

「考えるだけ無意味か」

 

 やくたいもないことばかりだ。頭を振る。

 くだらないことばかりが頭をよぎってしまう。あの妖怪との密会から。

 紅輝はまだ吸いきっていない煙草を握りつぶす。開いた手のひらから少しばかりの灰がこぼれ落ち、風にのって消えていった。

 空を見上げれば、5つの影が青空へ吸い込まれていった。

 紅輝は新しい煙草を取り出した。

 

 

 

 旅館の慌ただしさが増す。

 誰かの足音が近づいてくる。紅輝はこちらに駆け寄ってきていることを認識しながら、気にもとめなかった。

 

「紅輝さん!」

 

 飛び込んできたのは、真耶だった。よほど急いだのか、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。

 だというのに、顔を青ざめさせ身体を震わせていた。

 

「あの子たちが! あの子たちが! お願いです、助けてください!」

 

 極度の恐怖からか、錯乱している。

 紅輝は一度ちらりと真耶を覗う。

 

「あの子たちが、福音の元へ。貴方しか止められないんです!」

 

 支離滅裂で飛び飛びの話。だが、事態はおおよそ分かる。

 専用機持ちたちが福音を倒そうと、勝手に飛び出していったのだろう。

 自らの危険を顧みず。

 止めようにも、言葉で止まる段階でないことは容易に想像がつく。

 だから、同じ専用機持ちである紅輝に助けを乞うている。

 だが、

 

「……」

 

 紅輝は煙草を吹かすのをやめない。

 紫煙が高く上っていくのを眺めながら、真耶へ顔すら向けなかった。

 

「それがどうした。たかが死ぬだけだ」

 

 人は死ぬ。死なねばならぬ。

 それがいつ、どんな風にかは分からない。

 だが、死ぬ。

 目の前で命が黄泉路へ下る。もはや数え切れないほど見届けてきた。

 これもその、数えきれない無数の一つでしかない。

 そんな些細ごとに付き合っていたらきりがない。

 

――パン。

 

 頬をはたかれる。

 真耶を見やれば、その瞳から涙をこぼし、紅輝をにらんでいた。

 

「たかがじゃないです! たった一つの命が失われそうなんです!」

 

 なぜ、袖を濡らすというのか。たかが命が失われるごときに。

 理不尽な死など、そこらに転がっている。いちいち反応していたら、何もできやしない。

 大げさに過ぎる。

 だけれども、それは大切なことではなかったか。

 不意にそんな考えが脳裏をよぎる。

 なぜか、くだらないと一蹴はできなかった。

 

「無数の一つでも、一つは一つか」

 

 加えていた煙草を吐き捨てる。空中で灰とかす。

 燻るのはここまでだ。

 

 

 

 海岸で機体を展開する。足が砂に沈む。まとわりつくその様は、すがりつく手だ。

 慣れた感覚だ。生きていればしがらみばかり増えていく。況んや長く生きれば生きるほど。だがずっとその場で蹈鞴を踏んでいるわけにもいかないだろう。ならばそれを清算しなければ。前へ進めやしない。

 

「だから、悪いな。幻想郷とやらにはまだいけそうにない」

「たかが人間の子供の命がそれほどまでに重要と?」

 

 虚空に穴が広がる。

 そこから八雲紫が出てきた。

 扇子で顔を隠しているため、その表情はうかがえない。

 

「そうだな。たかが餓鬼数人の命だ。だが、それはどうやらたかがではないらしい」

 

 口の端を弧に歪める。

 三十も生きていない存在に今更当然の道理を教わるとは。人生というやつは、どれほど長く生きようが、先を見通すことなどできないらしい。

 それともやはり、そんな当然のことも分からない阿呆さは、生来のものかもしれない。

 

「先の夜にも申し上げましたが、幻想郷は結界により守られています。その要石こそが、幻想は存在しないという認識。それが失われれば幻想郷は崩壊を迎えます。貴方が表舞台に立てば立つほど、幻が現へなりかねない」

 

 背後から感じられる妖力が高まる。

 背中から炎が吹き出す。あまりの高温に、陽炎が沸き立つ。

 

「少々不思議なことくらい、このISとやらの成果にできる」

「誰もがそれを信じるわけではないでしょう」

 

 八雲紫の言葉に、紅輝は笑い声を漏らす。

 どこかむっとした響きで告げられる。

 

「幻想は簡単に流布します」

 

 紅輝はかぶりを振るい、空を見上げる。

 青い空に影法師が映った。

 

「いいや、そうはならないサ。すべて『今は昔』になったからな」

 

 それだけ告げ、迦楼羅は飛び立った。

 赫赫たる残滓を残し。

 

 

 

 五つの機体が空を飛ぶ。

 

「二時の方向、距離二千に福音あり。これより会敵する!」

 

 各々が武器を構える。

 ISの性能からすれば、距離二千など、至近距離に等しい。

 セシリアとシャルロットが援護のためその場にとどまり、大型の銃器を構える。

 一方箒と鈴音、ラウラの接近戦に覚えがあるものは、自らの刃で風を裂きながら切迫する。

 

「――」

 

 だが、そううまくいくはずもなく。銀の福音が、主武装の光学兵器、シルバー・ベルで弾幕を張ったため、三方向に分かれ、よける。

 福音は制圧射撃といわんばかりにエネルギー弾を撃ちまくる。下手に踏み込めば、連射の的だ。

 中・遠距離に優れた攻撃能力を持つ福音を相手取るには、懐へ潜り込まねば話にもならない。そのためには、誰かが隙を作らなければならない。

 鈴音が福音の眼前にとどまる。その意味が分からない馬鹿はこの場にいない。

 

「セシリア! シャルロット!」

 

 鈴音が叫べば、打てば響くとでもいうのか、福音の左右から二人の援護が殺到する。

 実体弾とエネルギー弾が、福音を縫い止める。

 弾幕を無理矢理突破するより、正面に立ち塞がる鈴音を倒す方が損害は軽微と判断したのか、福音のバイザーが向き直る。

 

「そういえばアンタ、アメリカで造られたんだっけ? 面白いじゃない。西部劇の決闘っていうわけ」

 

 福音は何ら反応を見せず、シルバー・ベルを解き放つ。

 迫り来る光の嵐。飲み込まれたら一溜まりもない。だが、鈴音は小揺るぎもしない。

 

「確かに、アンタは今のところ最強でしょう。アメリカの工業技術に、イスラエルのITスキル。さらには軍用だけあって、行動ロジックやエネルギーも万全。だけど、アンタはアタシにだけは撃ち負ける。これがアンタを負かす早撃ち(クイック・ドロウ)よ」

 

 鐘が鳴り、龍が吠える。シルバー・ベルと龍砲との打ち合い。

 勝負にすらならない。先に攻撃したのは福音だ。さらにはエネルギーの総量も福音の方が上。甲龍に勝る面は何一つない。福音が急速に近づいてくる。龍砲を蹴散らし、至近距離からシルバー・ベルをたたき込む想定なのだろう。

 鈴音の口元が勝ち気につり上がった。

 

「――!?」

 

 龍の顎が銀の鐘を食い破った。

 確かにシルバー・ベルは強力無比な兵器だ。中間距離の制圧能力なら、龍砲を遙かに上回る。しかしどれほど優れた兵器であろうとも、光学兵器である限り、圧縮空気を砲弾とする龍砲にはかなわない。

 なにせ光は、密度の違う空間に侵入すると屈折してしまう。圧縮された空気の中を、光が真っ直ぐ進むことなどできやしない。

 これが、インプットされたデータだけで判断する戦闘AIと、これまで培ってきた全てをもって判断を下す人間の違いだ。

 純粋な攻撃性能(カタログスペック)を覆されたことに、福音は動きを止める。

 想定外の事態に定められた行動規則(アルゴリズム)で動くプログラムは対応できない。新たな行動ルーチンの作成がすぐさま行われる。これからに対応できるように。

 しかし未来のための行動が、今現在の隙となる。

 

「キェエエーー!!」

 

 猿叫。振り下ろされる鋼。

 紅椿の袈裟懸け。全国大会優勝者の一撃だ。学園であれば致命的だ。

 だが、福音は痛痒すら見せない。

 シールドエネルギーで完全に阻まれた。

 

「一撃がだめなら、何度でもだ!」

 

 乱舞するがごとく鈍色が閃く。

 

「下がれ、箒!」

 

 箒のいた場所を、シルバー・ベルが一掃する。あの場に留まっていたら、致命的なダメージを受けただろう。

 ラウラのレールカノンが火を吹く。

 福音は背後からの一撃をまともに受けた。海中へとたたきつけられ、激しい水柱を立てる。

 箒たちが有する銃火器の中で、最大の一撃だ。これ以上となれば、シャルロットの盾殺しだけだ。

 だが、盾殺しは接触状態でないと効果がない。それだけの隙を再び作るのは不可能だ。

 喉を鳴らし、海面に目をこらす。そのまま凪いでいろと願いながら。

 

「――」

 

 だが、海原を割り、終末を告げる笛吹き天使(銀の福音)が飛翔する。

 飛び散った海水が陽光に照らされ、砕いたガラスのように光を乱反射する。その中を飛ぶ福音は、まるで宗教画の一枚のようでもあった。

 ただし、箒たちにとっては、天使のふりをした悪魔だが。

 

「私たちでは止められないのか?」

 

 握りしめた刀が重たくなる。構えるだけの気力がごっそりと削られ、切っ先がだらりと垂れ下がる。

 視界に映るセンサー群は、銀の福音がいまだその身に蓄えたエネルギーを半分も減らしていないことを告げている。

 福音がシルバー・ベルを突きつける。箒は薄く笑い、肩の力を抜いた。

 

「ここまで、か。ああ、でも、最後に私を怒ってくれるような友達ができたのは、……うれしかったな」

 

 空裂と雨月が滑り落ち、海中へ沈んでいく。

 みんなの叫び声が聞こえる。逃げようとは思わなかった。ただ、今まで感じたこともなく心が澄み渡り、心地よかった。

 ここで死ぬ。それに納得できた。ならば、それで良いではないか。

 福音が引き金に指をかける。

 箒は目をそらさなかった。凪いだ心で見守った。

 だから、

 そう、だから。

 白き騎士の姿がその目に焼き付いた。



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解放された翼

お久しぶりです。
なんとか書き上げたので投稿します。


 見渡す限り広がるのは白。浜辺の砂色も、海原の青も、視界にかすりもしない。さらにはあれほど感じられた潮の香りも、細波の音も聞こえない。

 五感を剥奪されたかのように何も感じ取れない。二十年近く生きてきて、初めての状況に、一夏はただ突っ立っていることしかできやなかった。

 だが、最初の衝撃が通り過ぎると、このまま立っているだけで良いのかと、胸の奥が徐々にざわめく。

 胸を焦がすざわめきに引っ張られ、恐る恐る一歩足を踏み出せば、地面は確かに存在しているらしく、前へ進むことができた。歩くことができるのならば、いつかは必ず何かに突き当たるはずだと信じ、足を動かす。

 しばらく歩くと、真っ白な世界に人影が見えた。自分以外に人がいたと駆け寄る。

 うつむいた女の子がいた。

 

「君は……?」

 

 誰何に反応し、女の子が顔を上げた。

 どこかで見たような気がし、一夏は小首をかしげた。

 

「貴方は力を欲しますか?」

「力?」

 

 普段ならば唐突な問いに答えることなどなかっただろう。しかし不思議なことに、なぜだか嘘偽りなく答えないといけない気がしてならなかった。

 

「いらない」

「どうしてですか? 力があれば、あのとき彼女を止められたかもしれないのに」

 

 確かにそうだ。もし一夏に力があれば、箒を止められたかもしれない。いや、それどころか、最初の接敵で銀の福音を倒しきることもできたかもしれない。

 だけれども、それに意味はない。すでに終わってしまったこと。

 何より。

 

「力だけあっても、傷つけることしかできやしない」

 

 力とは、本質的に何かを成すためのものだ。しかしそれだけでもある。力の方向性を決めるのは、感情・道徳だ。

 ようは力と心が両天秤で釣り合わないといけないのだ。どちらかに偏ってはいけない。力を欲することは悪くない。しかしだとしたら、それに見合うだけの心を手にしなければならない。それができなければ、待っているのはただの暴虐だけだ。

 そう、先の箒のように。そして、鈴音と戦いに乱入してきた正体不明のISを倒したときまでの一夏のように。

 

「だから俺は力だけを欲しない」

 

 その言葉に、少女は微笑みを浮かべた。

 

「貴方が初めてです。力を欲する人はいました。力を拒絶する人もいました。でも、力を肯定し、受け取らなかった人は。そんな貴方なら、きっと間違えないでしょう」

 

 少女が輝き出す。

 あまりの事態に、一夏はとっさに少女へ手を伸ばした。指先が少女の手に触れる。

 

「白式?」

 

 輝きに飲まれ、一夏は意識を失った。

 気がつけば、旅館にいた。周囲には医療器具らしきものが並んでいる。

 

「いかなきゃ」

 

 窓から飛び出ると同時、白式を展開する。

 その姿は今までと全く違った。全体の色合いは白のままだが、西洋の鎧を思わせた分厚い装甲は消え失せ、面頰を装着した鎧武者のような装甲へと変じている。また背中にあった大型スラスターはすべて消え失せ、全身の至る所に小型スラスターが無数に存在している。何より、一番の変化はその武器にある。

 雪片弐型は反りこそあったものの、機械式であり刀としては不要なものが多かった。だが今腰に佩いているのは、糸巻太刀拵の古風な、まさしく日本刀と呼ぶにふさわしいものだった。

 白式がセカンドシフトした新しい姿だ。その姿を一瞥した一夏は、風を置き去りにし、飛翔した。

 

 

 

「悪い、遅くなった」

 

 箒と福音との間に割って入る。

 シルバー・ベルを切り払った太刀を、血振りする。刀身は傷一つなく、清んだ輝きを発している。その輝きの中に、箒の姿が映る。鏡の中で、その顔がゆがむ。怒りでも、悲しみでもなく、ただ安堵から涙がこぼれ落ちていく。

 周囲に目をやる。激戦だったのだろう。皆の姿はボロボロだった。

 

「一夏!」

 

 その動作を隙と見たのだろう。銀の福音が引き金を引いた。

 迫り来るエネルギーの弾幕。降り注ぐ光を前に、一夏は一歩踏み出した。すぐに殺到する破壊の嵐。一度でも接触すれば致命を免れない篠突く雨をかいくぐっていく。

 今の一夏と白式は、かつてと違う。雪片弐型の力であった零落白夜は失われている。エネルギーを無効化するなどできやしない。だが、それがどうしたというのだ。斬るのにそんな力は不要だ。

 

「す、すごい! あの猛攻をかいくぐるなんて!」

 

 全身の小型スラスターが火を吹く。これまでの大型スラスターほどの巡航速度はでないが、その代わり小回りはもはや別格だ。各スラスターと一夏の体捌きで確実に攻撃をくぐり抜けていく。

 銀の福音も迎撃に撃ちまくる。だが、わずかずつ攻撃の合間が長引いてくる。

 放熱だ。光エネルギーを放つ銃身が、湯気を放ち始めている。安全装置が働きだしているのだろう。

 そしてそれだけの隙を見逃す一夏ではない。瞬時加速で間合いを詰める。

 

「崩し」

 

 銀の福音がとっさに腕をクロスして防御を行う。

 その腕に一撃が加えられる。いな、殴打が加えられる。柄頭による一撃。その衝撃で硬直した銀の福音には、その次の一撃を防ぐ手立てはない。

 

「エィャアアアアア!!」

 

 猿叫。一閃。

 そのまま防御を柄頭で引きずり下ろしながらの袈裟斬り。美事なまでの剛剣。一拍遅れて銀の福音の翼が切り落とされる。

 銀の福音の体勢が崩れる。推進力のバランスを欠いた機体は、パッシブ・イナーシャル・キャンセラーをもってしても、錐揉みする機体を制御することはできずにいた。

 絶好の機会と二の太刀を繰り出そうとするが、一夏は顔を歪め、後退った。

 

「っ、しまった!」

 

 直後、盲撃ちのエネルギー弾が全員を襲った。銀の福音は機体を回転させたまま、四方八方へエネルギー弾をばらまく。

 

「くっ!」

 

 めちゃくちゃに放たれた弾幕は、密度こそ薄い。しかし、その分ぶどう弾のようなものでよけるのが難しい。

 各々が回避行動に移る。しかし、ランダムな弾道に苦戦する。全員が少しずつ余裕を失っていく。その最中。

 

「シャル!」

「えっ?」

 

 回避行動直後のシャルロットに、一発の弾丸が迫る。どれだけISが究極の機動力を持っていると言われようとも、限度はある。ゲームのように直角に曲がるといったことは不可能だ。

 迫り来る弾を前に、シャルロットができたのは、ただ衝撃を覚悟するだけだった。

 

「全く。おまえらの命は一つだけなんだ。もう少し、用心しろ」

 

 炎が光を焼き尽くす。

 シャルロットの前に紅輝が立ち塞がるようにいた。その背から、炎でできた翼をはためかせ。

 その炎翼で光弾を切り裂いた。だれもが目を瞠っている中、紅輝は錫杖を取り出すと、銀の福音へめがけて投擲した。

 錫杖は残ったスラスターを打ち砕く。もはや天使は翼を失い、地に落ちるだけだ。

 

「一夏、いけるな?」

 

 一夏がこくりと頷いた。

 イグニッション・ブーストで飛び出すと、静かに刀をなぎ払った。

 ただ鍔なりが青空と海原へ吸い込まれる。

 すべてのエネルギーを失ったのか、銀の福音から光が失われた。




最近急に暑くなってきたので、皆様も熱中症や体調を崩されないようお気をつけください。


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