GS美神短編集 (煩悩のふむふむ)
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狼少女は何年早い?

 

 

 ここはいつもの美神除霊事務所。

 所長は脱税に精を出し、巫女は午前のメロドラマに夢中で、狐はゴロゴロ丸くなる。

 怠惰で退屈なダラダラの空間。

 

 そんな空気になじまない活発少女が一人。

 人にはない尻尾をピンと立てて、シロがなにやらの雑誌を見て興奮していた。

 目をキラキラと輝かせて、フムフムと頷いてみたりホウホウと感心したり、とても楽しげな様子だ。

 興味を引かれたタマモがひょいと見てみると、そこには純白の衣装があった。

 

「へえ、馬鹿犬はこういうのがいいんだ。てっきり和式派だと思ったのに」

 

「和式も良いでござるが、このうえでぃんぐどれすというものもなかなか良さそうでござる」

 

 シロが見ていたのはウエディングドレスの専門誌だった。 

 白を基調にした華やかで清楚なドレスの数々は、他の衣装には無い荘厳さをかもし出す。

 

「これなんか拙者に似合いそうでござる、先生はなんて言ってくれるか……ウェへへ」

 

 桃色に染まった脳がシロを妄想の世界へ誘う。

 発情期か、とタマモは呆れ顔だ。

 

「ちぃーす」

 

 噂をすればなんとやら。

 煩悩少年現る。

 彼が来たことで、事務所の空気がにわかに活気付く。

 

「先生! 先生!」

 

 もっともそれが顕著なのは、バイタリティの塊と言える狼少女だ。

 尻尾をふりふりしながら横島の元へ走り、雑誌を見せ付ける。

 

「先生はどういう花嫁衣装が好きでござるか? これなんて凄く良くて、拙者にぴったりでござるよ」

 

 横島が雑誌を覗き込んで見ると、そこにあったのは純白のウェディングドレスを着こんだ美女がブーケを投げている姿が映っていた。美女はスタイルもよく、貞淑に見えながらも色気がある大人の女性だ。

 横島はマジマジと花嫁を見つめたあと、シロと見比べてみる。

 そして、大きく溜息をした後に、

 

「十年早い!」

 

 声を高らかに上げ、宣言するように言った。

 シロはパチパチと目を瞬かせて、喉からきゅ~んと切なげな鳴き声をあげる。

 

「ど、どうしてござるか!? 拙者はこんなにもぷりちーであるのに!」

 

 右手を頭の後ろにやり、左手を腰に当てる。

 うっふ~んなポーズだ。

 色気はゼロ。まったくゼロ。完全にゼロ。あるのは微笑ましさのみ。

 横島はそんなシロを一瞥すると、

 

「十一年早い!」

 

「延びたー! 延びたでござるー!! 何ででござるかー!?」

 

「俺はガキには興味ないんじゃー! 実年齢一桁のお前にこれくらいがちょうどいいんだよ」

 

 そこに一切迷いはない。

 こっそりと美神とおキヌちゃんが、グッと拳を握りしめてガッツポーズをしているのはご愛嬌か。

 ガキとガキと連呼されて、流石にシロもむっとしたようで表情を厳しくして横島を見つめる。

 

「先生は拙者は子供子供と言うけど、これでも大人のれでぃとしての落ち着きと嗜みだって」

 

「シロちゃん、昨日余ったステーキあるんですけど、食べますか~」

 

「食べるでござる~!」

 

 おキヌが狙ったかのようなタイミングで持ってきた肉に、シロは喜色満面でかぶりつく。

 

「色気より食い気ね」

「花より団子ってやつよ」

 

 満面の笑みで肉を頬張るシロを見て、美神とタマモが容赦ない批評をする。

 肉を持ってきたおキヌちゃんは、クスクスと幼子を見るような優しく黒い笑みを浮かべていた。

 

「なんひぇてごひゃるか! へっしゃふぁふぉんひゃにふりしーひゃのに(何ででござるか! 拙者はこんなにプリチーなのに!)

 

 ハムスターの如く、限界まで肉をほお張りながら大人の女を主張するシロ。

 一同はそんなシロを呆れたように見た後、そっと横島に視線を投げかける。

 視線に気付いた横島はニヤリとしながら頷くと、

 

「十二年早い!」

 

「また延びたでござるーー!!」

 

「いつまでも馬鹿騒ぎしてるんじゃないわよ! 全員揃ったなら、さっさと仕事に行くわよ!」

 

 美神が一喝して、ようやく今日の仕事が始まる事となる。

 

 

 

 

 

 狼少女は何年早い?

 

 

 

 

 

「先生と一緒! せんせーと一緒!」

 

 シロは機嫌よさそうにスキップしながら、鼻歌まで歌っていた。

 ご機嫌の理由は簡単だ。今回の依頼は、彼女の敬愛する横島と二人っきりだからである。

 対して、横島は疲れたような顔をしていた。

 文字通り、この狼少女の手綱を握るのは物凄くしんどいのだ。

 

(ほんっとにガキだよなあ。成長したら……すごいんだけど)

 

 思い浮かんできたのは、女神アルテミスを宿したときのアダルトなシロの姿。

 すらりと伸びきった手足に、凹凸があるスタイル。野性味がありつつ、その中に背筋がゾクゾクする色気があった。

 

(あんなふうになるのに一体どれくらい掛かるんだろーな)

 

 あの姿のシロは正にどきどきものだった。

 もしあの姿で色仕掛けをやられたら、一発で落ちてしまうだろう。

 それでも、あの姿で色気より食い気をやられたら百年の恋も冷めてしまうかもしれないが。

 ぼんやりとそんな事を考えていると、シロが走り寄ってきて彼の腕を取った。

 

「朝の続きでござる。先生にモテモテになるにはどうしたらいいでござるか?」

 

「そうだな~男にモテたいならやっぱり……」

 

「そうじゃないでござる。男ではなく、先生にモテルにはどうしたらいいのか聞いてるんでござる!」

 

 横島以外は眼中にない。

 まっすぐなシロの視線に射ぬかれ、横島の頬が少し赤く染まった。

 

(か、可愛いじゃねえか!?)

 

 こうもストレートに好意をぶつけられれば、少しは心が動かなければ嘘だろう。

 何の駆け引きも計算も存在しない、正に子供の想いだが、それでも想いは想いである。

 しかも、シロはまちがいなく美少女であり、将来はグラマラスな美人になると保障つきだ。

 少し動揺する。だが、やはり答えは変わらない。

 

「……九年早いっーの」

 

 横島はそう言ってまとわり付いて来るシロを引き離す。いくら未来で美女になろうと、今は子供。

 今を生きる横島には、将来を見越しての青田買いなど主義ではない。

 しかし、横島は気づいただろうか? 『早い』と言ったとき、その声に僅かながら迷いが含まれていたことに。

 

 明確な拒絶の言葉に、しゅんと肩を落としたシロだったが、すぐにあることに気づいた。

 

「短くなった……短くなったでござるー!!」

 

「こら! だからくっ付くなって!!」

 

 超絶プラス思考なシロに、横島は苦笑いを浮かべながらも、腕に感じる小さな膨らみの感触に少しドギマギする。

 その様子は妹が兄を慕うように見えるが、少し歳の離れたカップルにも見えないこともなかった。

 

 

 

 依頼の屋敷に到着する。

 都会の一等地からは外れた所にあるとはいえ、かなり広い敷地を持つ家だった。

 依頼内容は凶暴な化け犬退治。長く生きた犬が理性を無くし妖怪化して凶暴化したのだ。

 そこで美神は犬よりも格上の力を持つ人狼のシロと、それをサポートする横島の二人に仕事を割り当てた。

 

「それが……無くなってしまいまして」

 

 そう、依頼は既にない。

 理由は簡単だ。横島とシロの眼前にあるものが転がっている。

 三メートルはあるだろう巨大な化け犬の死骸。

 紛れも無く、今回のターゲットの姿に思える。

 何故、断定できないのかと言うと、化け犬の姿はあまりにも老いていた。

 巨大ではあるが、骨と皮だけの老犬で、とても暴れていたとは思えない。

 

「つい先日まで若々しく凶暴だったのに、今日このようになって転がっていました。目撃者が言うには、何でも黒い人影がこいつにまとわりついていたらしいです」

 

 これは精気を吸い取られたのだろう。

 強力で凶悪な化け犬をここまで出来る以上、木っ端妖怪ではない。

 となれば大妖怪だが、こちらは現れる時に周囲に異変を起こして現れることが多い。こんな小さい異変を起こすことは無いだろう。

 だとすれば、確定ではないが横島の経験上、恐らく相手は魔族だ。

 

「この急激な老いはこの化け犬だけではないのです。

 草も木も他の動物も、突然老いて死ぬ事件がここ最近多発してまして。

 てっきりこの化け犬の仕業かと思っていたのだが、どうも違ったようですな」

 

 依頼主の男性は唐突と状況を語っていく。

 弱いのから力を吸って強くなっているんだろう。

 それが分かった横島は、他人事のようにうんうんと頷いて出口に寄り始める。

 

「そうかそうか、大変な事件だなあ。それはそれとして依頼の方はもう出来ないのでキャンセルということで……またの機会をお持ちしております」

 

 足早と去ろうとした横島であったが、その腕をがしっと男に掴まれた。

 

「それで、依頼の方ですが」

 

「嫌だー! 俺はやらんぞ。魔族と何か戦ってられるかー!」

「おお、既に敵を特定しているとは、流石は業界一の丁稚様!」

「業界一の丁稚ってなんやねん!! つーか、俺はやらんぞ。爺さんになるのはまだ早すぎるー!!」

「大丈夫でござる。老人になろうと先生は先生! 拙者がきっちりと下の世話まで介護するでござる!!」

「え~い! 俺が老人になるのは確定なんか!?」

「先生が言ったのにー!」

 

 どこからともなく尿瓶を取り出したシロが得意げに喋り、横島はツッコミをいれる。

 

 すったもんだあったが、もし報酬を受け取らずに帰ったら美神に折檻されるのは間違いない。

 神魔よりも雇用主の方が恐ろしいのは、神魔すら認めていることだ。

 大きくため息をつきながら、結局この仕事を引き受けることになる横島とシロであった。

 

 シロの鼻を頼りに広い敷地を進んでいくと、雑木林であっさりと相手は見つかった。

 コウモリの羽を持ち、全身が黒の光沢で覆われた人型の悪魔。

 手には巨大なフォークを持ち、頭には小さい二本角が生えている。

 その姿は、大多数の人が思い描く悪魔像そのものだ。

 

「悪魔でござるな~」

「悪魔だな」

「まったく捻りがない格好でござる」

「ほんとにな。なんつー手抜き悪魔だ。てっきり美人のサキュバスだと思ったのに」

 

 開口一番に種族でも力でもなく、見た目を駄目だしされて悪魔は面食らったようだった。

 

「い、いきなり外見を貶されるとはな。人を見た目で判断するなと教わらなかったか」

「いや、お前は人じゃないだろ」

「それはそうだが……う~む、しかしな……やはりもう少しオシャレでもしたほうがよいか……」

「そうでござる。裸で出歩くのは危険でござる」

「だが、悪魔の服とは難しいのだぞ。シッポや羽に角、それに体のあちこちから突起もあるのだからな。下手に服を着ると変態ようになるし、オーダーメイドだから値段も高いのだ」

「あ、それは理解できるでござる。拙者も尻尾の穴を開けるのが面倒で、下手をすると壊れてしまって大変だから、美神殿にお~だ~めいどしてもらってるでござる」

「お前ら、万年貧乏でいつもGジャンGパンの俺に謝れよ!」

 

 ちょっとしたお洒落談義に花が咲くが、流石にあかんと皆が気を取り直した。

 

「ふはははは。こうも早く退魔士がくるとはな。俺の危険性に気づいたと見える」

「あ、いや。別な用件で来たんだけど。何か流れでな」

「……なんだ……そうなのか」

「先生! そこは空気を読むでござる。互いにカッコイイ口上を述べたほうがファンも付くでござるよ!」

「おお、そうだな! 良し、さあ、最強のGSである俺が極らくに――――」

「先生の一番弟子! 犬塚シロ、参るでござる!」

「こらー! 先生の名乗りを邪魔する弟子がいるかーー!!」

「結局、我の台詞が無いのだが……もういい。我が呪法を受けるが良い。まずはそこの小僧だ」

 

 悪魔の赤い目から光が発射されて、それが横島に命中する。

 すると、世界から色彩が消え失せる。

 幻術か、何らかの催眠か。横島は慌てて文珠を取り出そうとするが、何故か体が動かない。

 悪魔は赤い目を輝かせ、横島の瞳を、その内面をのぞき込む。

 

「ふふふ、見えるぞ。貴様の欲望が、願望が! 乳尻太もも乳尻太もも乳尻太もも乳尻太もも……清清しいばかりに女ばかりだな」

 

 分かりやすいにも程がある横島の欲望に呆れたような悪魔だが、とにかく楽に終わりそうなのでほくそ笑んだ。

 

「小僧よ、私と契約するのだ」

 

「アホか! 何が契約だ、ただ精気を抜かれて死ぬだけだろうが!」

 

「貴様のような霊能力者なら、別に死ぬわけではない。ただ少し精気を頂戴して、老けるだけだ」

 

「だから、それが嫌だって言ってんだろうが!!」

 

「ほう、本当に嫌か。少し年を取れば、きっと貴様は女にモテルタイプだぞ」

 

「俺が女にモテルタイプ!? んな嘘に……いや待てよ。そういえば美神さん、クソ親父にほいほい付いて行った事が!」

 

「そうだろうそうだろう。女は年下よりも年上が好みだ。老けるのを待ってもいいが、十年も待っていられるか。それに待っている間に相手も年を取るのだぞ」

 

 悪魔の声は妙に横島の心に響いた。

 契約すれば少し年を取って、それで無理めな女である美神を落す未来が脳内に映し出される。

 

 未来は不確かだ。ゆえに希望を持つ。

 今の自分はダメダメでも、未来の自分はカッコイイかもしれないと、何の根拠も無く信じてしまうのが人間である。

 いかにネガティブでも、自身の未来を完全に諦めることや否定することは出来ない。どれだけ確率が低くても、宝くじが当たる可能性はゼロにはならないように。

 悪魔はそこを呪術を持って突くのだ。

 

 年を取っても良い。

 そう言ってしまったら、契約は完了する。

 悪魔とは、元来は破壊者というよりも誘惑する者であり、堕落させる者なのだ。

 この辺りも、この悪魔は個性がない。

 

「俺が老けたら美神さんにモテモテ……確かに以前、俺が老けた時も何か好印象だったような……ん?」

 

 そこで横島ふと思い出した。

 美神に外見を褒められたことなど滅多に無い。だが、一度だけ合った。

 人口幽霊一号の試練を突破した時だ。一歩ごとに歳を取ってしまう部屋で、美神をお姫様抱っこして進んで中年になって『いい男』と褒められた。

 やはり美神はダンディズムに弱い一面があるらしい。それは良い。だがダンディを通り越し、さらに老いた時の、その行く末は。

 

 ピカー!

 

「禿げんのはいやじゃあーーー!!!」 

 

 結ばれる寸前の契約が一気に揺らいだ。

 上手くいきそうな契約が外れかけ、悪魔は慌ててフォローをはじめる。

 

「大丈夫だ! きっと禿げないぞ! 物凄くダンディーなちょい悪オヤジになるって!」

 

「嘘だー! 俺はハゲるんやー! ツンツルテンなんだー! 太陽拳なんやーー!!」

 

 いかに悪魔が甘言を弄しようと、実体験として頭部に風を感じた身なれば効くはずも無い。

 鈴が鳴るような音と共に世界に色彩が戻る。呪法を打ち破ったのだ。

 横島は気づくと、シロに抱きつかれていた。

 

「先生! 気づいたでござるか。あの魔族の目ビームをが先生に当たったら、先生が動かなくなってしまって」

 

 涙目のシロに言われて、どうやら催眠に囚われていたのだと気づく。

 先の言葉も、心に直接訴えてくるから妙に効いたのだろう。

 嫌らしい手だが、欲深き人間には有効な手だ。とりわけ、美神除霊事務所の面々には効果的な手段だ。

 

「くっ! まさか俺の呪法を破るとは! ならば次だ」

 

 次に悪魔はシロに視線を向ける。

 

「拙者をたぶらかそうとしても無駄でござる! GSは悪魔のいいなりのにはならないのでござる!!」

 

 霊波刀を悪魔に突きつけて、明朗に宣言するシロ。

 きっちりポーズも決めている。

 

「こらー! それは俺の台詞だぞ~!!」

 

「師匠のものは弟子のもの。弟子のものは弟子のものでござる」

 

「俺の弟子がジャイアニズムに汚染されとる!? 誰の影響で……って言うまでもないか」

 

「ええい! 俺を無視するな!! これでも食らうが良い!!」

 

 また悪魔の目が光って、目ビームがシロに発射される。

 

「させっか! サイキックソーサー!」

 

 同じ手は食わないと、ビームに霊気の盾を投げつけて爆発が起こった。

 

「助かったでござる! さすが先生で……はれ、何か視界が可笑しく」

 

 シロは横島を認識しつつも、しかし術に掛かったようで目がトロンとなった。

 

「ちっ、中途半端に術が掛かったか。だが、十分だ。貴様のような小娘の欲望を引き出すなど容易い!」

 

 魔族がシロの内面をのぞき込む。そうして見えた欲望が、なんとも可愛らしいもので魔族はニヤリと笑った。

 

「これはまた簡単だな。小娘よ、私と契約しろ。そうすれば大人にしてやるぞ」

 

「本当でござるか! 大人になれるのでござるか!!」

 

「うむ、では契約を――――」

 

「アホー! そんな簡単に怪しげな契約に飛びつくんじゃねえーー!」

 

「だって、拙者が子供だから先生は娶ってくれないのでしょう。あと十年も待っていられないでござる!」

 

 シロの叫びに横島は顔をしかめた。

 これは不味い。非常に不味い流れだ。

 魔族の契約にシロが乗せられてしまうという恐れもあるが、それ以上に危険な臭いを感じる。

 

「分かった。後八年だ。八年もすればお前もバインバインだろうから手を出すぞ。だから契約すんな!!」

 

「嫌でござる! 八年なんてGS美神が本誌で連載されたぐらいの長さでござる! 三十九巻分でござるよ!!」

 

「うう、それは長いな。よし、分かった。後七年だ! 七年したら手をだしてやるから……な!」

 

「七年なんて、七五三の一番上でござる!! 嫌でござる!」

 

「じゃあ、六年だ。六年なんて大したこと無いって」

 

「小学一年生と小学六年生の大きさは全然違うでござるよー!」

 

「アホか! せっかくの子供時代を楽しめよ。裸のねーちゃんと一緒に風呂も入れるんだぞ!」

 

「そんなの全然嬉しくないでござる! 悪魔殿、拙者の精気を奪って大人に!」

 

「ああーーー! じゃあ五年だ。五年経ったら手を出してやるから。それに大人になったら子供料金で乗り物に乗れなくなるぞ!」

 

「料金については、狼の姿で盲導犬に扮すれば無料でござる!!」

 

「え~い、このバカ弟子め!! 分かった、四年後だ。これが限界だからな!! 今のお前の体は中一ぐらいだろ。

 せめて高校生になってもらわなきゃどうしようも無いんだって! 恋人になったら俺はエロイ事は絶対にするし、体が出来上がっていないと危ないから四年は絶対だ!!」

 

 横島が吼えた。それは魂の叫びだった。

 彼の叫びをシロは反芻して「やっぱり先生は優しくてエッチでカッコイイでござる」と小さく言うと、満面の笑みを浮かべた。

 

「やったー! 言質は取ったでござる! 悪魔殿、ナイスプレイでござる!!」

 

 悪魔の手を握り、シロは飛び跳ねながら喜ぶ。

 まさか嵌められたかと横島が悪魔を睨むと、悪魔はブンブンと首を横に振った。

 どうやら実年齢一桁の少女に手玉に取られたらしい。シロは悪魔を利用して、横島が女扱いするのは十年後から四年後まで引き下げたのだ。

 あまりの事に横島は青ざめる。

 もしも四年後にシロに手を出すと、美神やおキヌちゃんに知られたら一大事だ。

 

「はっ? 俺は何も言ってないぞ。四年後? 何のことだが?」

 

 シロが何を言おうと、俺は言っていないと押し通せばいい。

 どうせ何も証拠は無いのだから。シロからは嘘つきと呼ばれるだろうが、こういうのは証拠が無ければ誰も信用しないはずだ。

 

 横島は姑息で小心者だった。

 だが、シロは横島の発言を受けて、安心して欲しいと言いながら小型の端末を取り出す。

 

「大丈夫でござる。きちんとこのようにスマホで録音して、PCに送信済みでござる!」

 

「どこでこんな技術身につけやがった!」

 

「これぐらい出来ないと美神殿の裏仕事なんて出来ないでござるよ」

 

 ニカッとさわやかに笑うシロの笑顔に、純白のキャンバスを黒く染め上げていくような主人公兼ヒロインの雇用主の恐ろしさを思い知る。

 自分とて碌に物を教わった記憶は無いのに、気づいたら重火器やトラップの扱いを覚えていたのだ。美神の弟子育成能力はかなりのものがあるのだろう。

 

「楽しみでござるな。新婚旅行はどこがいいか……やっぱり肉が安いコメリカ……いやいやその前に先生の親御に面通しを……これからは先生ではなくアナタと呼んで」

 

 完全に妄想のスイッチが入ったシロは、既に四年後の世界に飛んでいるらしい。

 横島はこれからの折檻に思いをはせて、ただ真っ白になっていた。

 

「俺を無視するなー!!」

 

 すっかり蚊帳の外に置かれていた悪魔が、角をピンと伸ばして怒りを露にする。

 手には凄まじい霊力が集まり、その肌は艶々と黒光りした。

 

「もうよいわ。趣味には合わんが、生きたまま食らうてくれる! たかが人間の退魔士が魔族に勝てるとでも思うたか!」

 

「随分と余裕だけど、なんか理由でもあるのか?」

 

「フッ、いいだろう。冥土の土産に聞かせてやる。我が装甲はあらゆる攻撃を受け止める頑強さを持っているのだ。錆でもしない限り我に攻撃を通すことが出来ん!」

 

「……親切なやっちゃなあ。ほい」

 

 横島は無造作に、自身の霊力の結晶である文珠を悪魔に投げた。

 文珠に刻まれた『錆』の文字。『錆』の文珠が錆色の光を放ち悪魔に降り注ぐ。

 

 ピシィ!

 

 自称、無敵の装甲が錆びついて、呆気なくヒビが入る。

 悪魔はまなじりを限界まで広げて驚愕した。

 

「何だと、我が装甲が!? これは……文珠か! まさか貴様はあの最低賃金の横――――」

 

 それが悪魔の最後の言葉となった。

 ひび割れた装甲に、突撃したシロの霊波刀が食い込んで、悪魔は最後まで地味に祓われた。

 

 

 

 完璧に仕事を終えて、帰路に着く二人。

 狼少女の足取りは軽く、鼻歌交じりで軽快なステップを踏んでいる。だが、青年の足取りは重かった。

 

「えへへ~後三年……あと三年でうぇでぃんぐどれす~」

 

「違うだろ! 後四年だ! しかも結婚するとは言っとらんぞ!!」

 

「細かい事は気にしちゃだめでござるー」

 

 機嫌良さそうにスキップしながら、シロは満面の笑みで答える。

 そんなシロに、横島は居心地の悪さを覚えていた。

 所詮、口約束だ。もしもその時が来たとしても、自分も彼女もどうなっているか分からない。

 きっと「そんな約束をしたこともあったな~」とほのぼのした思い出に変わるだけだろう。

 

「先生」

 

 呼びかけられて、振り向いた横島は思わずうめいた。

 シロの銀髪が夕焼けを受けてキラキラと輝いている。表情は希望と愁いを合わせた、月の如き儚さを感じさせる。

 それは少女の可愛さでも、大人の色気でもない、神秘的な美しさだった。

 

「拙者、良い女になるでござる。だから。あと少し待って欲しいでござる。振られるにしても、せめて美神殿と同じ舞台に立って戦って負けたいのでござる」

 

「ん」

 

 それだけ言って頷くのが精一杯だ。

 もしも、今下手に口を開いたら、後三年とでも言ってしまいかねない。

 あと四年。それぐらいなら待ってもいいかな。そう思う横島だった。

 

 そして、次の日。

 

 

 

「センセー!! 良い女になる為に一緒に(百キロぐらい)散歩するでござるー!!」

 

「え~い! 結局それかー! やっぱ後九年だ九年!!」

 

 抱きつかれて迷惑そうにする横島だったが、どことなく幸せそうに見えない事もなかったとさ。

 

 

 

 






 投稿テスト。軽く短編を書いて見ました。気軽に評価や感想をお願いします。機能にも慣れたいので。

 ロリコンで何が悪い! と開き直ってみる。
 作者は横島にロリコンの気は無いと考えてますが、煩悩全開時にシロがいたことがあったので横島はロリもいけると言った友人がいます。逆に、実はシロはロリではないのでは、と言った人もいます。
 実際どうなんだろう? 個人的にはロリに欲情するようだとギャグシーンがギャグにならない可能性があって苦手だったりします。ロリはあくまでもお約束でありネタでないと。



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占い狂想曲

 

 無機質なビル郡を、地平から頭を出した太陽が少しずつ赤く染め上げていく。

 鳥は囀り、朝が早い者は騒々しい目覚まし時計にイライラしながら起き出す。

 朝独特の身を切る寒さは、ジョギングを日課としている者にはたまらないだろう。

 喧騒、雑踏が生まれる前の静かな時間。

 そんな、静かな朝を、

 

「ウオーン! 今日の拙者は絶好調でござるよ~~~!!」

 

 狼のけたたましい遠吠えが響き渡った。

 

 

 

 脳を揺さぶる遠吠えで、ぱっちりと目が開いてしまった。

 あの馬鹿犬め。本当に碌な事をしない。

 

 気分爽快な目覚めとはほど遠い。

 昨日、遅くまでひのめをあやした疲れも取りきれていなかった。

 窓から外を見ると、地平線から太陽が姿を現していく。

 まだ朝早い。6時ぐらいかな。

 下の階からシロが叫んでいるのが聞こえる。

 一体何を騒いでいるのやら。まあどうせくだらないことだろうけど。

 

 シロがハイテンションなのはもう諦めがついているが、せめて早朝ぐらいは静かにしてほしいと結構切実に思う。

 まあ、いいや。

 まだまだ眠いし、このまま二度寝しよ。

 ゆっくりと瞼を閉じて、目の前が暗闇に包まれる。

 私を包み込んで暖めてくれる布団が堪らなく愛おしい。

 今だけなら油揚げですら、この布団の魅力に勝つことは出来ない。

 

 ああ、意識が遠のいていく。とう……のいて……い……

 

「うお~ん! うお~~ん!!」

 

 ……うるさい……………リテイク!

 

 薄く開けていた瞳を閉じ、目の前が暗闇に包まれる。

 私を包み込んで暖めてくれる布団が堪らなく愛おしい。

 今だけなら油揚げですら、この布団の魅力に勝つことは出来ない。

 

 少しずつ、意識が遠のいていく。

 とうの……いて……「わお~ん!! わおお~ん!!!」いけないじゃない!! あの馬鹿犬!!

 うああ、今の突っ込みで完全に眼が覚めちゃったよー。

 しょうがなく、私は布団を手放してさよならを言った。

 

 こうして私、タマモの一日が始まった。

 そう……今日という日が始まってしまったのだ……

 

 

 

 占い狂想曲

 

 

 

「おはようございます、タマモさん」

 

 部屋から出ると、人口幽霊一号が話しかけてくる。

 彼は多分、ここに住むメンバーの中で一番まともな存在だ。

 勿論、私を抜かしての話だけどね。

 

「おはよ、人口幽霊一号。美神さんやおキヌちゃんは?」

 

「オーナーはまだ寝ておられます。おキヌさんは皆さんの朝ごはんを作っているようです。タマモさんの好きな油揚げもありますよ」

 

 うん、良いこと聞いた。

 これでタマモは後三年戦える。

 

「シロさんの方はテレビを見て騒いでいますね」

 

「ふーん……それじゃあ少し文句でも言ってくるわ。気持ちよく人が眠っていたところを起こしてくれたお礼もしたいしね」

 

 手に狐火を生み出して人口幽霊に笑いかける。

 人口幽霊は「ほどほどにしてください」と疲れたように返事を返してきた。

 ……いつも苦労かけてごめんね。

 

 階段を下りて居間の方に行くと、人口幽霊が言っていたようにシロがテレビを見ていた。

 正直珍しい。こんな朝早くからシロが面白がる番組などあっただろうか。

 時代劇をやっている時間ではないし、肉系の料理番組でもやっているのだろうか。

 少し興味を引かれた私はシロが見ている番組に目を向ける。

 そこに映し出されていたのは……

 

「え~今日の運勢! 第三位は――――」

 

 占い番組だった。

 正直意外だ。占いなんかを気にするほどシロが乙女だったのだったとは。

 シロは私に気づくと、得意げにニヤニヤと笑みを浮かべる。

 いや~燃やしたくなる顔だわ。

 

「ようやく起きたでござるか。早起きは三文の得という諺を知らんようでござるな」

 

「あんたが早すぎるのよ、大体三文なんてたいした額じゃないじゃない」

 

「何を言うでござる! 早く起きれば、今日という素晴らしい一日を多く続けることができるのでござるからな!」

 

 なるほど、占いの結果はかなり良かったらしい。

 ここで、私はある疑問が湧いた。

 今、シロが見ている占いは血液型などではなく生年月日で判断するタイプの占いだ。

 当然だけど、この占いをするには必要なものがある。

 

「シロ……あんた自分の生年月日、知ってるの?」

 

「当然でござる。でなければ、占いなど出来ないでござるからな」

 

 普通に返されてしまった。

 よく分からないが、なにか悔しい。

 ……まあそんなことはともかく、私の疑問はより大きく膨らんだ。

 

「私たちにそんな設定あったけ?」

 

 思ったことがつい口に出てしまった。

 結構危険な台詞なので、言いたくなかったのに。

 私の質問にシロはふふふと不敵に笑う。

 

「拙者が登場した最初の巻の日付で判断したでござる」

 

 シロが取り出したのはGS美神のコミックだった。

 なるほど、私たちが初登場した時期を判断しているわけだ。

 まあ、確かに誕生日というのは間違っていないかな。

 

「拙者の登場は18巻の8月15日でござるからしし座でござるな。拙者にふさわしいカッコイイ星座でござる!」

 

 見れば確かにシロの生年月日から見た占いは星が五つと最高の表示がされている。

 少し考えれば、私達の初登場はコミックではなく週刊誌の方が最初だと思うのだけと、その辺りはきっと大人の事情なので仕方ないのだ。

 

「今日の拙者はサイコーなのでござるよ! 特に恋愛運が良いのでござる」

 

 窓を開けてセンセーと大きな声で吠えるシロ。近所迷惑なやつだ。近所から「お宅の犬が煩くて」なんて苦情もくるかもしれない。というか、ぜひ来てほしい。

 それにしても、こういう風に馬鹿正直に喜んでいるやつを見ると、からかいたくなるのは何故だろう。

 特にシロをからかうのは本当に楽しい。

 馬鹿な犬ほど可愛いってやつね。いや、別にシロが可愛いわけじゃないけど。

 

 それにしても、占いねぇ。

 占いを否定するわけでは無いが、こんなニュースが始まる前の占いなんてろくなものではないだろう。

 こういうのは局を変えれば結果なんてころころ変わるのだ。

 

 その場においてあったリモコンを取り、局を変える。

 「なにするでござる!」とこちらを睨みつけてくるが気にしない。

 ちょうど別な番組内で占いをやっている所だった。

 そして、番組内で表示されたシロの運勢は……

 

「見てみなさいよ。今日のあんたの運勢」

 

 テレビに映されていたのは、星マークが五つで最高の運勢という占で、星一つか二つ程度の運勢だった。

 十二個の星座の中でビリかその次ぐらいだろう。

 

「そんな~」

 

 尻尾をぺたんとたらして、しょんぼりとなるシロ。

 本当に喜怒哀楽が激しいやつだ。

 だから面白いのだけど。

 

「そうだ、タマモの運勢も見てみるでござるよ」

 

 落ち込んでいたかと思えば、すぐに元気になった。切り替えが早い。やっぱり馬鹿犬だ。

 シロは楽しそうにGS美神のコミックスを読み始めた。

 あたしが登場した巻の日付を確かめているのだろう。最終巻から確認しているのが、ちょっと悲しい。

 

 今更だけど、ものすごくやばい事をしているような……でも、原作でも似たようなことしているから大丈夫よね?

 お願いだから雷なんて落ちてこないでよ……落ちるのならシロにね。

 

 私がこの世界の危険性を考えていると、シロはコミックとテレビを見て、ふっふっふっと笑いを浮かべる。

 

「タマモの初登場は6月15日でふたご座だから……今日の運勢は最悪でござる! 悪運尽きたでござるな!!」

 

「あっそ」

 

 相も変わらず高いテンションのシロを軽く受け流す。

 いちいちこのテンションに付き合っていたら、それだけで疲れてしまう。

 朝からこの勢いに付き合わされる事の多い横島に少し同情だ。

 

「なんでも、今日は朝から何も食えず空腹に打ち震えることなる。しかも水難や火難やバナ難や……消化器に注意するとか……とにかくいっぱい悪いことが起きるらしいでござる!」

 

「はずれ。今日の朝食は油揚げよ。全然駄目ね、その占い。それに、私は胃腸が弱いわけじゃないわ」

 

 なんだかよく判らない占いがいくつかあったけど気にしない。

 「信じるものは救われるでござるよ」と言ってくるがそれも気にしない。

 何か使い方が間違っているような気もするし。

 

 とりあえずシロと話したので、次はおキヌちゃんに朝の挨拶をすることにする。

 ……ちょっとぐらい、つまみ食いができるかもね。

 

 ドアを開けて台所に向かう。

 そこには、いつもの巫女服にエプロンをつけたおキヌちゃんがいた。

 巫女服にエプロン……題して巫女ロン? それともエプ服?

 それなりに似合っていると思うけど、横島あたりが見たらどういう反応するのかしら。

 まあどうでもいいけど。

 おキヌちゃんはフライパンで目玉焼きを作っている真っ最中みたい。

 

「あっ、タマモちゃん。おはようございます」

 

「うん、おはよう。今日の朝ごはんにお揚げがあるって聞いたんだけど……」

 

「はい、特製なので楽しみにしててください……つまみ食いしちゃだめですよ」

 

 うっ……ばれてる。しかも釘まで刺されてしまった。まだ100回程度しかつまみ食いなんてしてないのに。

 

 おキヌちゃんは目玉焼きをじゅくじゅくと焼いている。

 個人的には目玉焼きは固目が好きだ。トマトケチャップをかけるとかなり良い。

 変だと思われるかもしれないが、これが九尾の狐の食べ方なのだ。だからきっとこれは由緒正しい。変な目で見られたくないからトマトケチャップを使わない人は、もっと堂々とするべきね、うん。

 

 それにしても、油揚げはとてもいい匂いだ。

 至高で究極な油揚げは、まるで特別な私に食べられるために生まれてきたかのように錯覚する。

 ……一枚くらい取っても大丈夫よね。どうせ後で食べるんだから今食べたって良いじゃない。

 そろり、そろりと油揚げに手を伸ばす。

 

「あっ! 駄目タマモちゃん!!」

 

 ばれちゃった。残念……って、あれれ?

 なんだかこっちに目玉焼きが飛んで……

 

「あ、熱ーい!!」

 

「た、大変! 手が滑っちゃって」

 

 うう、熱々の目玉焼きが頭に乗ってきた。

 火傷するぐらいじゃないけど、やっぱり熱い。髪も痛んじゃうかも。

 因果応報なのかな。まさか、わざとではないと思うけど。

 

「おキヌちゃん、ヒーリングをお願……いい!?」

 

「今助けるからね! タマモちゃん!!」

 

 私の目にとんでもない光景が飛び込んできた。

 おキヌちゃんが消火器を持って、私に構えていたのだ。

 

 消化器に注意するでござる!

 

 消化器じゃなくて消火器じゃない!

 心の中でビシッと突っ込みを入れる。

 うん、なかなかいい感じだ。

 横島やシロのボケに、心の中で密かな突っ込みを入れ続けていたら、私の属性は突っ込みに変化した。恥ずかしいので、心の中でしか言わないけど。いずれは美神に負けず劣らずの突っ込みをマスターすることになるだろう。鞭も使えるようになった方がいいのかな?

 

 そんなことを考えているうちに……

 

 ブシュウ!

 

「うきゃあ!」

 

 私は白くなった。

 

 

 

「うう~酷い目にあったわ……」

 

 私はリビングでぐったりとしていた。

 消火器に入っている白い粉のようなものをかけられて、全身が真っ白。

 おキヌちゃんが拭いてくれたけどまだまだ落ちていない。

 それにさっきの騒ぎで台所は無茶苦茶。油揚げがなくなってしまった。

 オキヌちゃんはまたご飯の作り直しをしなくちゃいけないし……とても悪い事をしてしまった。

 ……うう、最悪。

 

「先ほどの占いで、火傷に注意と、消火器に注意と言っていたのが当たったでござるな」

 

 いつのまにか側にいたシロが、満面の笑みでこちらにそんなことを言ってくる。

 あのシロに笑われるなんて、ううう、むかくつむかつく。

 

「……あんたさっき、消火器じゃなくて消化器って言ったでしょ!」

 

「タマモが勝手に勘違いしたのだろう。発音はまったく同じなのだから仕方ないでござるよ」

 

「これは小説なんだからちゃんと違いが分かるのよ!」

 

「それ以上言ったらダメでござる! メタ発言は危険でござる!」

 

「それをあんたが言うの!」

 

 いつもの口喧嘩が始まる。

 一日一回はやっているお約束とも言える行為だ。

 大抵は私が勝って、シロは悔しさに遠吠えをするのが原則だ。馬鹿犬に負ける頭なんてもっていないしね。

 しかし、今回の口喧嘩は押され気味だ。

 どうにも口が回らず、言葉に小気味良さが出てこない。

 

「もういいわ! 今日はもう一度寝る」

 

 起きててもいらいらする事ばっかり。

 さっさと寝るが吉だろうと判断する。

 大体、馬鹿犬の馬鹿声が無ければ私は今頃布団で寝ているはずなのだ。

 乱暴に一歩を踏み出して、

 

「はれ?」

 

 世界が逆転したかと思うと、

 

 ゴチン!

 

 後頭部に激烈な痛みが走る。

 うう~痛いよ。もう、何だっていうの!

 

「バナナを踏んで転んだのでござる……笑いの神が降りてきてるでござるな」

 

 そんな神いらない。

 それならどこぞの覗きの神様のほうがまだましだ。

 

 

 ―――なのね~~なのねーーなのなのね~

 

 

 前言撤回。

 やっぱりどっちも嫌だ。

 

 しかし、さっきから本当についてない。

 しかも、シロが見ていた占い通りのことが怒るのであたしのイライラに拍車を掛ける。

 

「タマモ……大丈夫でござるか? やはり今日の運勢は悪いんでござるな」

 

 からかった様子ではなく、ちょっと心配そうに声を掛けてくるシロ。なんだか調子が狂う。

 

「大丈夫。こんなの偶然よ。どうせチャンネル変えれば別な運勢に決まっているんだから」

 

「そうでござるな!」

 

 シロは勢い良く頷くと、リモコンを操作してテレビを付け、別なチャンネルに局を合わせる。

 ついさっきまで私の不幸を笑っていたとは思えない。

 まったく、馬鹿犬なんだから……もう。

 

 映し出されたテレビの画面内では、ちょうど占いコーナーが始まる所だった。

 

「ふふふ、あなたの一生を決める、闇の占いをはじめましょう……さて、今日のあなたの運勢は……」

 

 妙に雰囲気がある占い番組が始まった。

 黒いローブを纏って顔が見えない女の人がテレビに映し出されて、安そうな水晶に手をかざしている。

 なんだが非常に胡散臭い。だというのに当たりそうな気がする。

 大体、一生を決めるとか言っているのに、今日のあなたの運勢は、なんて言ってる時点で変なんだけど。

 まあともかく、私は新しく始まった占いを見ることにした。

 

 そして、結果は……

 

 今日一日生き延びることを考えましょう。

 

 そんなことを目標にしなければいけないような最悪に素敵な結果だった。

 具体的には怪我や病気に注意とか、赤ちゃんに注意しろとか、刀で切られるとか、銃で撃たれるとか、果てはミサイルに注意なんて占いもあった。

 こんな占いを出した奴は一体何を考えているのやら。

 こんなのあるわけない。あるわけない……よね?

 

「タ、タマモ……気をしっかり持つでござる。拙者がついているでござるよ!」

 

 顔面蒼白なシロが私を勇気付けてくれる。

 本当に鬱陶しい。鬱陶しいけど……まあ、ええと……その……悪い気はしない。この馬鹿犬め。

 

「大丈夫よ! こんな、朝の占いなんて気にすることなんかじゃないんだから!」

 

 私は元気よく席を立ち、右手と右足を前にだして歩き始める。

 右手と右足? あれ?

 

 かすかに手が汗ばんでいるのを感じる。まさか緊張してるの?

 第六感が何かに反応している。

 何!? 今度は何が来るの!?

 

 辺りを警戒していると、すぐ側にあったドアが突然開いた。

 

「きゃん!」

 

 開いてきたドアに、思い切り額を打ちつけ目の前に火花が散る。

 痛たたた……なんなのよ! 本当に!!

 ドアが開いた先を見ると、おキヌちゃんが心配そうにこっちを見ていた。

 

「ごめんなさい! 大丈夫、タマモちゃん」

 

 本当に申し訳なさそうなおキヌちゃん。

 まあ、私の不注意の所為もあったから怒らないけど。

 

「うん。大丈夫よ、おキヌちゃきゃあ!」

 

 またもや天と地がひっくり返った。

 

 ゴチン。

 

 本日二度めの良い音が、私の後頭部と床とのコラボレーションで響き渡る。

 

 う~頭が痛い。だから、なんで私がこんな目に合うのよ!

 それに何でバナナの皮が落ちてるの! 

 ここはキングコングの住処か!? 

 まったく、私はボケじゃなくて突っ込みを専門としているのに! どうしてバナナの皮で滑るなんて、お約束なボケを……って、違うわよ! 怒るポイントはそこじゃないわ!?

 

 お笑いキャラならおいしいと思うのだろうが、あいにく私はお笑いキャラではない。断じて違うのだ。

 まだ痛い後頭部をさすりながら、起き上がろうとすると……

 

 ヴヴヴヴウウ!

 

 妙な音と共に、私は自分の顔に何かがぺったりとはり付いているのを感じた。

 黒くてかてかと光っている「それ」は……ゴキブリと呼ばれる存在だった。

 

「!!」

 

 いきなりの事で私はまったく動けない。

 完全に硬直した私の顔を、ゴキブリはかさかさと動き回る……気持ち悪い!!

 

「シ、シロ。助け……」

 

 情けないことだが、私はシロに助けを求めた。

 うまく体は動かないから、体を揺すって振りほどくことは出来ない。

 手は動くが、いくらなんでも素手でゴキブリを鷲掴みするのは無理だ。

 

「任せるでござる!」

 

 力強く返事をしてくれるシロはとても頼もしく見えた。

 私の中のシロイメージがググッと上昇する。

 馬鹿犬から犬に昇格させてもいいかもしれない。

 

 私がシロを見直している間に、シロは得意そうに霊波刀を作り出し、そして……

 

「死ねぇぇぇぇーーーー!!!」

 

 全力で切りかかってきた。

 

「きゃあああ!!!」

 

 上段に構えた霊波刀を振り下ろしてくる。

 私は体を反らして、霊波刀をなんとか避けた。

 本気で殺す気か!

 

「タマモ! 何故避けるでござる!!」

 

「避けるに決まってんじゃないの!!」

 

 一瞬でもシロに期待した私が馬鹿だった。

 馬鹿犬・改に名称を変更してやる。

 ここはやはりおキヌちゃんだ。

 優しいおキヌちゃんなら、きっと紙かなんかでやさしくゴキブリを包んでくれるだろう。

 

「おキヌちゃん、ゴキブリをとって……えええええ!?」

 

 私のすぐ目の前を白刃が通り過ぎた。

 突如、おキヌちゃんは包丁を持ち出して切りかかってきたのだ。

 怖い! 普段が優しいだけにものすごく怖い!!

 というか包丁は本気でやめて! ギャグ属性すら殺す禁断の属性持ちなのに。

 

「おキヌちゃん、やめて! どうしちゃったの!? なんで、こんな!!」

 

「世界は崩壊の危機に直面してるの! お願いタマモちゃん、逃げないで!!」

 

「分かんない……分かんないよ、おキヌちゃん!!」

 

 一体おキヌちゃんはどうしてしまったんだろう。

 確かに少し天然なところはあったけど、間違いなく良識を持った人間だったはずだったのに。

 この事務所の空気に呑まれちゃったのかもしれない。

 

 おキヌちゃんとシロの気勢に押されたか、ゴキブリは激しく私の体を動き回る。

 いや~気持ち悪いよう。あんたも怖いならさっさと飛んで逃げなさいよ!

 

「タマモ、逃げちゃダメでござる!!」

 

「タマモちゃん。避けちゃダメ!」

 

「騒がしいわよ! あんた達!!」

 

 不機嫌だと一目でわかる顔で美神が起きてきた。

 寝起きで髪のセットなんてしてないのか、髪はかなりぼさぼさだ。横島や西条あたりが見たら泣くかもしれない。

 でも、今の私から見れば美神の不機嫌な顔も天使のように見えた。

 何故か、おキヌちゃんが顔を青くしてるのは気になるけど。

 

「美神さん! 助けて!」

 

 『あの』美神ならきっと私を助けてくれる。

 きっとゴキブリなんて素手で握り潰して食べてしまうに違いない。

 私にとって美神はそういう人間だった。

 ゴキブリを顔に貼り付けたまま、美神に向かって走り出す。

 

「止まりなさい!!タマモ!!」

 

 それは命令。

 圧倒的な圧力を持った命令だった。

 

 さ、さすが世界最高の霊能力者ね……

 信じられないほどの『力』が言葉に乗せられているわ。

 

「大丈夫! 言いたいことは分かってるわ。すぐそいつを○○してさらに×××、最後には△△△△してやるから」

 

 何!? 今のどういう意味!!

 放送禁止ワード!?

 

 美神は懐から何か黒光りするものを取り出す。

 あれは……ジャンボガン!

 戦車を一撃で吹き飛ばすほど威力をもった破壊銃!

 まさか、美神に某猫型ロボットと繋がりがあったなんて!? 未来と繋がりでもあるの!?

 

「ダァ~イ」

 

 そして美神は、どこか逝っちゃったイカレタ笑顔で、私に死の宣告を言いながら……

 

 その引き金を引いて、

 

 ギャアーーーー!!!

 

 体を貫かれた痛みの絶叫があたりに木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

「冗談じゃないわよ! 本当に!!」

 

「うっ……悪かったわよ」

 

「悪かったわよ……で済むなら警察は要らないのよ!!」

 

「大丈夫よ、警察署長の弱みはしっかりと握っているわ!」

 

「そういう問題じゃな~い!!」

 

 なんとか銃弾を避けた私は、当然のように美神を怒鳴りつけていた。

 いきなり銃を撃ってきたのだから当然だ。

 美神もさすがに悪かったと思っているのか、バツが悪そうにしている。

 

 ちなみに、ゴキブリはコロリと死んでしまった。

 死因はショック死。

 世界最高のGSの、殺気混じりの霊波をまともに浴びたのだ。

 ひとたまりも無かっただろう。

 

「でも良かったです」

 

 にこにこ笑いながらおキヌちゃんがそんなことを言ってきた。

 

「何が良いの、おキヌちゃん!?」

 

「前に美神さんがゴキブリを見たとき、ミサイルの出前を頼んだことがあったんです。今回は銃を撃っただけですんで良かったです」

 

 朗らかな笑みを浮かべながらおキヌちゃんはそんなことを言った。

 

 ミサイルって……びゅ~んって飛んできてどか~んってなるやつだっけ?

 あははは、ミサイルって出前取れたんだ。

 知らなかったな~って、んなわけないでしょ! ビシッ!(←タマモ、心の突っ込み)

 うん、やっぱり美神除霊事務所は突っ込みの練習に最適……じゃな~い!!

 私が美神の所で生活しているのって確か、人間世界の常識を身に付ける為だったよね!

 間違っても突っ込みを覚えるためじゃないよね!? というか美神って本当に人間の常識を知ってるのかな!? 知ってても実践しているのかな!?

 うう、激しく自分の将来に不安を感じるわ。

 

 そうそう。

 さっきのギャアー! って叫び声は人口幽霊一号だから。

 家に大穴を開けられて、彼も可哀想に。後で魔法の薬オロナインを塗ってあげよ。

 

 とにかく、余りにも運が悪い。

 起きて一時間もしないうちに切られかけ、撃たれた。占い通りに。

 どうしよう……あの占い本当なんだ。

 

「タマモ~見るでござるよ」

 

 馬鹿犬・改が占い番組を見ろと言う。

 もう、見たくないのに……

 

「最悪の運勢になった貴方のラッキーアイテムは……」

 

 ラッキーアイテム!

 そうだ、たいていの占いでは不幸を避けるための幸運のアイテムがあるんだった。

 お願い、何か良いアイテムを教えて。

 

「今日のラッキーアイテムは……処女の生き血……!」

 

 うん、分かった。処女の生き血ね。

 さあて、何処に売っているのかな~って違~う!

 そんなの売っている所なんてあるわけないでしょ!

 あったとしても、絶対にその店つぶれる……というか捕まっちゃうでしょ!

 

 それ以前に、基本的に占いって女の子向けだよね!

 なんでこんな呪いの道具に使えそうなものをラッキーアイテムにするの!

 だいたい処女の生血なんてこの体にたっぷりと流れているわよ!

 

「タマモ……拙者の血、少しぐらいなら分けても……」

 

「タマモちゃん、私の血もたくさん持っていて」

 

「……気持ちだけ貰っておくわ」

 

 二人の優しさと天然のボケを丁重にお断りする。

 やはり、この二人はどこかずれている。

 いや、この事務所でずれていない奴なんか、私を除いていないのだけど。

 

美神はじっとテレビを見つめていた。睨んでいると言ってもいい。

今の占いに何か感じたのだろうか?

 

「この占いは日本有数の霊能力者である、小笠原エミさんの協力でお送りいたしております」

 

 ……小笠原エミ?

 

 どこかで聞いたことがあるような……無いような……う~ん……あっ!

 確か美神に匹敵するぐらいの底意地が悪くて、実力もあるGSじゃなかったっけ。

 横島も確か、美神の1.25倍(当社比)恐ろしいとかなんとか言ってたような気がする。

 

 その時点で、もう私の中の小笠原エミという人物は人類規格外存在だ。

 世界は広いと実感させられる。例え、私が全盛期の力を取り戻しても、絶対に人間と事を構えるなんてしないわ。

 しかし、日本屈指の霊能力者がこんな占い番組に協力しているとは。

 この占いの信憑性が思いっきり増してしまった。

 

 本当に今日一日不幸続きなのかな……

 

 心が鉛のように重くなる。

 まだ一日始まったばかりなのに

 

「タマモ、どうやらまだラッキーアイテムがあるようでござる!」

 

 弾かれたように顔を上げて私はテレビに見入った。

 今度こそ、まともなアイテムであることを信じて。

 

「ラッキーアイテムは……赤いバンダナ!!」

 

「赤い……」

「バンダナでござるか……」

「それって……」

 

 美神とオキヌちゃんとシロが声を上げ、何かを思い浮かべている。

 そういう私も、とある人物のことを思い浮かべる。

 きっと全員が同じ人物を思い浮かべていることだろう。

 

 この美神除霊事務のお笑い担当のセクハラ小僧。

 その頭に巻かれた彼のトレードマークである赤いバンダナ。

 

 う~ん……そうね。

 行動は早いほうがいいよね。

 

「それじゃ、私は行ってくるね」

 

 私の不幸を取り除くために、赤いバンダナを手に入れようと行動しなければ。

 確か今日は学校に行くと言っていたはず。

 でも、まだ朝早いから自分の部屋で寝ているだろう。どうせ遅刻寸前で駈けだすタイプだろうし。

 席を立ち、玄関に足を伸ばす。

 

「待つでござる! タマモ、いったい何処に行こうとしているのでござる!!」

 

「何処って……赤いバンダナの所よ」

 

「それは先生の所でござろう!!」

 

「……まあ、結果的にそうなるかもね」

 

「ダメでござる! ダメでござるー!」

 

 さっきまで馬鹿なりに私の身を案じていたのに……

 ふう、女の友情の儚さを感じるわ。

 

「シロ、あんた私がどうなってもいいってわけ?」

 

「それは~それは~!」

 

 悩んでる。

 きっと、男と女の友情を秤にかけてるのね。

 がんばれシロ。負けるなシロ。

 

 シロがぷすぷすと頭から煙を出し始めていたが、そのとき沈黙していた美神がその口を開いた。

 

「……私が赤いバンダナ買ってあげるわよ」

 

「えっ!」

 

 反射的に声が出てしまった。

 あの美神が、私に、プレゼントを?

 私は……いや、私だけでなくおキヌちゃんとシロも不審そうに美神の顔を覗き込む。

 

「な、なによ! 私がプレゼントなんてしちゃおかしいの!?」

 

「おかしいです」

「おかしいでござる」

「おかしいわ」

 

 見事に声が揃ったものだ。今、私たちの心は一つになっている。

 一糸乱れない私たちの言葉に、さしものの美神も心にダメージを負ったようだ。

 というか、おキヌちゃんの素直な一言が心にグサリと来たんだと思う。何だか今日のおキヌちゃんは黒い。

 美神は、最近部下が冷たくて……なんて電話に向かってぶつぶつ言っている。

 

 おー人事。おー人事

 

 でもどうしよう。

 これで美神がバンダナを買ってくれたら横島に会いに行く理由がなくなってしまう。

 

 困ったなあ……って、まって、いや、その、別に横島に会いたいわけじゃないんだからね!

 あっ……ちょっとまった! これじゃあ巷で話題のツンデレじゃない! ぜんぜん違うんだから……って、私は誰に説明してるのーー!?

 

 私はいつからボケもこなせる妖孤になったのだろう。

 クラスチェンジでもしてしまったのか。九尾ではなく、十尾にでもなったか。

 心の中で一人漫才を楽しんでいた私に、テレビから新たな言葉が飛び込んでくる。

 

「……できれば身近な人が身につけているバンダナが良いでしょう」

 

 グットタイミング!!

 これで私は横島のバンダナでなければダメになった。

 三人は恨めしそうにテレビを睨んでいる。

 

「と、言うわけで私はちょっと出てくるね」

 

 それだけ言うと、踵を返して玄関に向かって走り出す。

 なにやら後ろのほうで騒いでいるが気にしない。

 

 私は玄関を開けて、思いっきり外に飛び出して、

 

 ドン!

 

「きゃっ!」

 

「あらあら、タマモちゃん。大丈夫?」

 

「あーうー」

 

 誰かにぶつかった。

 美智恵とひのめだ。

 相変わらず、美神の母とは思えないほど若くて、大人の色気をムンムンと出している。

 ひのめも私のほうを見て、きゃっきゃっと笑っている。

 こういう時はとっても可愛いんだけど……遊び相手だけにはなりたくないものね。

 

「どうしたの、こんな朝早くに?」

 

「んーちょっと横島の所に……」

 

「あらあら、積極的ね」

 

 なんだか美智恵はにやにやとこちらを見て笑ってる。

 別に悪意は感じないのに不快な笑みだ。一体、なんだろう。

 

「それじゃあ、ひのめの世話はシロちゃんに頼みましょうか」

 

 よし! 赤ん坊の災厄はきっとこれで避けたわ。

 後はシロにがんばってもらおう。シロ、死なないでね。

 

「それじゃあね、ひのめ。シロとたっぷり遊んであげなさい」

 

「あーうー」

 

 ぺた。

 

 そして私は横島が住んでいるアパートに向かった。

 

 

 

「横島さんならいらっしゃりませんよ。もう学校に行ってます」

 

「なんで!?」

 

 ようやく着いたと思ったら居ないときた。本当に運がない。

 まだ朝早いのに。こんな時間に学校に行くほど、横島は模範生だったのか。

 

「何でも今日学校に行かないと卒業できなくなるらしくて……先生へのご機嫌取りのために早く学校に行ったみたいです」

 

 くっ、なんて事なの。

 普段しっかり勉強していないからこうなるのよ。

 しかし、この幸薄そうな娘ずいぶん胸が大きいわね。

 隣にいるのは貧乏神かしら……流石横島の隣人。普通じゃないわ。類は友を呼ぶって奴ね。

 ふう。何だか気が抜けて疲れちゃった。

 

 ぐう~

 

 お腹が何か食べたいと催促してくる。

 なにも食べずに出てきちゃったから、仕方ないのよ。

 

「嬢ちゃん。腹減らしてるやろ。これを食ったらどうや」

 

 隣に居た貧乏神が私に何か差し出した。何か妙なにおいがするけど食べ物のようだ。

 貧乏神に恵まれるというのはプライドに響くが背に腹は変えられない。腹が減っては戦はできずという諺もある。

 何かいやな予感がするが、私の鼻が毒物ではないと判断したので、それを食べることにした。

 

「ダ、ダメ!」

 

 胸の大きな女性が焦ったように大声を出した。

 だが、そのときにはもう口の中に入れてしまっていたのだ。

 はむはむ。

 私はハンバーガーを噛み締める。

 すると、今まで感じたことがないような不思議な感覚に襲われた。

 

 体がふわふわする。地に足が着かない。

 魂が肉体という牢獄を離れ、永遠の自由を手に入れた。

 大いなる荘厳な音楽が天上の世界から聞こえてくる。

 

 気がつけば私の周りには天使たちがいた。

 

――逝こう

―――――――逝こう

 

 天使たちが私に語りかけてくる。

 

 逝って……来ます……

 

「逝っちゃダメーーーー!!!」

 

 

 

 

「冗談じゃないわよ!!」

 

「ごめんなさい! ごめんなさい!」

 

「おかしいな~今度こそはと思ったんやけど……」

 

 私は……生き延びた。いや、ここは逃げ延びたと言おう。

 正直かなりやばかったと思う。

 天国の門に入る瞬間になんとか正気を取り戻し、元の世界に戻ろうとした私を、天使とか言う連中が追いかけてきたのだ。

 天罰覿面、天罰覿面と叫びながら聖書の角で殴りかかってきた天使達の顔を、私は生涯忘れないだろう。

 

「それで……今度はどんな材料を使ったの、貧ちゃん」

 

「基本はチーズ餡しめさばバーガーなんやけどな、ポーションとかいうのをしこんでみたんや。回復薬らしいからきっとうまくなると思うたんやけど……」

 

 駄目。

 あれだけは駄目。

 何であんな毒汁を……

 

「いや、ポーションがやばいって事は知っていたんやがな」

 

 確信犯!?

 まさか、確信犯なの!!

 

「マイナスにマイナスかけたらプラスになるかと思うて」

 

「貧ちゃん……料理は数学じゃないのよ。料理は金……じゃなくて愛よ!」

 

 胸の大きな女子高生が料理とはなんたらかんたら言い始めたけど、私にはまったく興味なし。

 もう、ぐずぐずなんてしていられなかった。

 早くしなければ本当に死んでしまう。

 私の足は自然と早くなって学校へと向かう。

 しかし、目の前には大量のバナナの皮と、転びそうになる金魚売りの姿が道いっぱいに広がっていた―――

 

 

 

 

「やっ、やっと着いた……」

 

 私はようやく横島の学校に着いた。

 ここまで来るのに、聞くも涙、語るも涙の艱難辛苦の物語があったのだが、長くなるので割合する。

 

 ここが学校ってところか。

 なんだか大きいところね。だいだらぼっちでもいるのかしら。

 それに何と言うか、盛りのついた雄の匂いに満ち満ちているわ。

 

 とにかく横島の匂いを辿っていけば辿りつけるだろう。

 私は横島の匂いを嗅ぎながら学校とやらの中に入った。

 

 うん、この教室ね。

 横島の匂いがするわ。それに人間じゃない匂いも混じってる。

 多分妖怪がいるわね。それも数種類。さすが横島のクラス。普通じゃないわ。

 

「おじゃましま~す」

 

 扉を開け、教室内に入る。私が来たことにより周りがずいぶん騒がしくなった。

 男たちが物凄い視線を向けてくる。ふふん、成熟して無くても傾国の美女の面目躍如って所かしら。

 

 横島は席について目を丸くして私を見ている。

 へえ~学生服の横島ってのもなんだか新鮮ねえ~

 こうやって改めてみると、結構普通の高校生だ。

 

「何しに来たんだよ、タマモ」

 

 むっ、何しに来たんだよとはずいぶんなご挨拶ね。

 こんな美少女が尋ねてきたんだから、そんな無愛想に対応しないでほしいわ。

 まあ変に愛想良く応対されても不気味だけれどね。

 とにかく、用件を果たそう。

 

「私は横島に会いに……」

 

 あ、違う違う。

 私は横島のバンダナを受け取りに来たんだった。

 なんだか今日はうっかりが多い。

 クールな私にうっかり属性なんて似合わないと思うけど、これはこれで新鮮なような……まあ、そんなことはどうでもいいか。

 早く、横島にバンダナを貰わないと……って、何! この怨念のような鬼気は!

 横島に向かって信じられないぐらいの殺気が向けられてる!!

 

「お、お前ら落ち着け! バイト先の同僚なだけだ!!」

 

「そのバイト先の同僚がなんでこんなところにくるんだ!!」

 

 横島の同級生達が騒ぎ立てる。何を勘違いしているのやら。

 しかし、さっきから女子の視線が痛い気がする。なんでだろう?

 

「知るかボケ! おいタマモ、一体なんで学校にきたんだ!」

 

「え~と……私ちょっと運が悪くて、赤いバンダナがラッキーアイテムらしいから」

 

「それで、俺のバンダナを取りに来たってわけか」

 

 なんだか横島はとっても疲れた顔をしている。

 いや……確かに運が悪いからって学校まで来れば疲れた顔もするかもしれない。

 でも、本当についてなかったのだからしょうがないのだと、私は自分を納得させた。

 

「そういうわけで、バンダナちょうだい」

 

「……ほらよ」

 

 横島は意外とあっさりと、私にバンダナを渡した。

 なんだろう。もう少し波乱があると思ってたのに

 一応、これで私の目的は達成されたわけだけど……なんか落ち着かないなあ。

 そうだ。

 

「ねえ、私も学校に居て良いかな」

 

「はあっ! 何でだよ!!」

 

 そこで聞き返してくるなんて……あ~もう、何で迷惑そうな顔をしてるのよ!

 まったく……どう答えよう。

 あれ? そもそも私は何で学校にいたいなんて言ったの?

 ……私に向けられる女子の視線がより一層強くなった気がするし。

 

 うわわ、何だか辺りの空気が可笑しい。

 早く何か言わないと!

 

「その……あんたと一緒なら私の不運も受け持ってくれそうじゃない」

 

「アホかー!! 俺は身代わり人形じゃないぞー!!」

 

「何よ! いっつも美神さんの身代わりになってるじゃない!」

 

「あれは、美神さんが勝手にやってることなんだよ!」

 

 この男は、そんなに私と一緒に居たくないのか!

 思わずそう言葉にしそうになって、必死に口をつぐむ。

 

「ふん、分かったわよ。私一人で不運なんて撃退してやるわ……後であんたの秘密にしているコレクション、美神さんに報告してやるから!」

 

 そう言ってやって踵を返す。

 ふん。こんな薄情男なんて、後で美神に折檻されればいいのだ。

 

「ちょっと待てやタマモ! 俺のコレクションのどれを……っ!? あ、待て。お前に尻に――――」

 

 言い訳を聞く耳なんて持つものか。

 暴力的に引き戸を開けて、私は全てを睨みつけながら、のっしのっしと学校を後にした。

 

 う~むかつく、むかつく、むかつく!

 

 消えない苛立ちを足に込めて、当ても無く町を歩きまわる。周りの人間が妙に幸せに見えて面白くない。

 何がこんなに腹立たしいのか、自分にも理解できないのがもどかしくて、それがまた苛立たしさを助長する。

 

 いつのまにか、公園に来ていた。

 近くにあったベンチに乱暴に腰掛ける。

 

 ぬちゃ!

 

 そんな嫌な音が、お尻から聞こえてきた。

 いや、まさか。いくらなんでもそんなベタなお約束があるわけ――――

 

 注意! ペンキ、塗り替え直後!!

 

 ――――あったよ~~!?

 

 うーベンチまで私を馬鹿にしてる!

 

 何が幸運のアイテムよ。

 このバンダナ燃やしてやろうか……そんな物騒な考えまで浮かんでくる。

 ……そんなことしないけど。

 く、どうしてこんなにイライラしなくちゃいけないのよ。

 

「お嬢ちゃん、機嫌が悪そうな顔してるね。どうだい、おみくじでも。ただで構わないよ」

 

 いきなり声を掛けられる。

 声のした方には、気弱そうなおじさんがいた。

 横にはおみくじの屋台がある。

 

 きっとリストラを受けて、占い師として第二の人生を歩もうとでもしているのかもしれない。

 でも、このおじさんはあまりに影が薄すぎて、濃いメンバーが集まるこの業界ではやっていけないだろうけど。

 

 うん、おみくじか。

 今日は正直、占い関係はまっぴらごめんなんだけど……ただっていうのは良いわね!

 お金お金のこの時代に、ただっていうのは心惹かれるものがあるわ。

 

「ふん。じゃあ、引かせてもらうわ」

 

 おみくじを引いた。どうせ凶が出る、とは思わない。

 ここまで運が悪かったのだ。いいかげん悪いことはもう続かないのではないわよね。

 そろそろと私の運勢が書いてある、包まっている紙を解いていく。

 おそるおそる見ると、そこには……

 

 災い―――

 

 ぐしゃり。

 

 いきなり災厄の言葉が出てきたので、思わず握りつぶしてしまった。続く言葉が何だったのかは分からないが、きっと碌なものではないだろう。

 まだしばらく私の災厄は続くようだ。

 

「あれ? おかしいな、悪いおみくじなんて入れてないのに……」

 

 そんな無責任な戯言を言いながら、おじさんが頭を捻っている。胸の中で、黒い炎が燃え上がる。

 化かしてやるか。女の幻でも見せて、街中でストリップでもさせてやれば、さぞ面白そうだ。うん、そうしよう。

 自分でも酷薄な笑みを浮かべていると理解しながら、手を伸ばして幻術を使おうとして、

 

「あっ……」

 

 手に巻いてある、赤いバンダナの姿が目に入る。黒い炎が、小さくなっていった。

 ……はあっ。やめやめ。こんな冴えないおじさんに幻術かけるほど、私は子供じゃないわよ、まったく。

 

 心が重い私は何の目的もなく、幽鬼のように公園内をさまよい歩く。

 ほんと、さっきから私は何をやっているのかしら。

 

「は……れ?」

 

 ぼけっと歩いていたら、急に天と地がひっくり返った。

 憎々しいぐらいに綺麗な青空が一瞬見えて……

 

「きゃっ!!」

 

 目の前で星が飛び散る。

 後頭部に走る、鈍い痛み。

 どうやら今度は空き缶を踏んづけて転んでしまったようだ。

 

 もう何回目かな……いい加減にしてよ!

 

 踏んづけた空き缶を思い切り蹴り飛ばしてやる。

 空き缶は天高く舞い上がり、曲線をひきながら地面に向かう。

 そして……

 

「あいてえ!!」

 

「だいじょぶですか、アニキ~」

 

 変な人に空き缶が当たった。

 変な三人組が、妙に長いズボンを引きずって近づいてくる。

 ひょっとしたらこの展開って……

 

「慰謝料払ってもらうぞアホンダラ!」

 

 うわ~なんてお約束な連中なの。

 今時リーゼントなんて……これはひょっとして天然記念物として保護すべき生物かも。

 しかも普通の体系とガリガリとふとっちょの三人組だ。

 狙ってやってんじゃない?

 

「さっさと慰謝料、一兆億円払ってもらおうか!! もしないなら、その体で払ってもらうぞ……ぐっふっふ」

 

「アニキ~鬼畜っす!!」

 

「アニキ~ロリコンっす!!」

 

「ぐふ、そんなに褒めるな」

 

 不良じゃなくて変態だった。しかも、こいつらバカなんだ。

 でも、バカとハサミ使いようって言うじゃない?

 普通ならこんなやつら相手にしないけど、今だけは別ね。

 鬱憤晴らしに付き合ってもらおう。

 

「はっ! 寝言は寝てから言ってよね!! ステレオタイプの馬鹿」

 

 あは、おもしろい。これだけのことで梅干もびっくりするぐらい真っ赤になってる。

 

「ふっ、俺を本気にさせるとは……伝統のステレオタイプを馬鹿にするとは許せん!」

 

 え、そっちに怒ってんの?

 お約束を大事にする、伝統ある人だったのか。これは悪い事をしたのかもしれない。

 

「線等印 江井! 選党院 美胃! 仕掛けるぞ!!」

 

「「合点承知の助!!」」

 

 うん。こいつらのキャラが分からない。分かる必要もないけど。

 どうせこの世界に良くいる、もの凄く特徴があるけど一話で消える脇役に過ぎない。

 今度はきちんとした正当防衛! さあ、こんがりと焼いてあげるわ!!

 

「食らいなさい! 狐火!!」

 

 ぷすん……

 

「えっ?」

 

 狐火が出ない。

 

 なんで……どうして!?

 必死に霊力を練り上げ、狐火を作ろうとしても、どうしてか狐火が作れない。

 そうこうしている間に、

 

「きゃあ!」

 

 のっぽでガリガリの奴に抱きかかえられてしまう。

 

「こ、こら! 放しなさい!!」

 

「ぐふふ! 美少女ゲットだぜ!!」

 

「さすがっす!目指せ151匹っす!」

 

「今はもっと多いらしいがな」

 

「よし、草むらに運ぶぞ!」

 

 え……ちょっと……なんなの! だから、放しなさいよ!!

 ふとっちょとがりがりに、手と足をぎっちり捕まれて、全然身動きが出来ない。

 

「いくら暴れても無駄だぞ! 線等印 江井の握力は67キロもあるからな」

 

 中途半端に凄い!

 微妙にリアルな数字が何か悲しいわ。どうせならきりの良い数で、65か70ぐらいにサバを読めばいいのに。

 なんとなく、そんな事を考える。ああ、ツッコミ体質が恨めしいわ。

 

 そんな、ちょびっとお馬鹿な事を考えている間に、人気のない茂みにつれこまれてしまう。

 手足はがっちり押さえられて動けない。

 

「ぐふふ、脱がしてやる。その白い純白ソックスを脱がして、隅々まで嗅いでやるぞ!」

 

 汚い手が私に近づいてくる。狐火は出せない。誰もいない。

 え、ちょっと……シャレにならないんだけど。このままじゃ本当に……やだ!!

 助けて! 横島!!

 

「ヨコシマンキッーク!!」

 

 突如、目の前にいたリーダー格の男が吹き飛ぶ。取り巻きの二人は、私を放して慌ててリーダーに駆け寄った。

 私を助けてくれたのは……うん、別に期待してたわけじゃなかったけど、予想通りだった。

 学生服で、上履きのままで、珍しくバンダナをしていない高校生――――横島がそこにいた。

 

「よ、よこ「貴様は!!」」」

 

 変態達の声で、私の震える声が遮られた。

 本気で空気を読んでほしい。普通、こういう場面ってヒロインとヒーローの語り合いが先に来ると思うんだけど。

 変態達は横島をじっと睨み続けている。

 

「道行く全てのお姉さんに声を掛けて、全てに振られ」

「警察に職務質問されること数知れず」

「不毛なナンパを繰り返す変態の星」

 

「超絶変態横島! 何故、貴様がここにいる」

 

「黙らんかー! いくら俺でもお前らみたいな変態に言われとうないわいー!」

 

「貴様こそ黙れ! 俺達はただ少女の匂いと靴下の臭いのギャップにエクスタシーを感じるだけだ。貴様のように乳や尻に欲情するような変態とは違うのだよ」

 

 変態共が、お互いに『アイツとは違うんだよ!』と言い合う。

 なんというか、凄く醜い言い争いね。第三者からすると、どっちもどっちだと言いたくなる。

 

「ええい、鬱陶しいわ! いい加減に、消えろやー! 文珠ー!!」

 

 横島が『爆』と刻まれた文珠を投げつけて、大爆発を起こす。

 爆発を食らって、変態三人組は「アイシャルリターン!!」と言いながら空へと旅立つ。

 また、どこか別な話で出てきたりするのかもしれない。その時は、おキヌちゃん辺りに絡んでもらえば需要があるかも。シロは駄目ね、健康的な感じでエロティックの欠片も無いし。美神は……ノーコメントで。

 

 そういえば、脇役の名前が分かって親分の名前が分からないってのは珍しいかもしれない。

 そんなどうでも良い所に突っ込みを入れてしまうのが、ツッコミを極めんとする私らしいと感じてしまう。

 

「あ~えらい目にあった。タマモもあんなやつら相手になんやってんだよ」

 

 迷惑そうな顔をして、横島が文句を言ってくる。

 

 うるさいわね。こっちにも都合があるのよ!

 

 そんな風に言い返してやろうと思って、出来なかった。

 喉も震えて、上手声が出ないし、心臓もバクバクしてる。

 立ち上がろうとしても、足が勝手に震えて立ち上がれない。

 

 何で、と思ったけど、答えは簡単だった。

 

 平気な顔をしていた。心の中でも、余裕のあるツッコミをしていた。

 九尾の狐としてのプライドが、私を気丈にさせてくれていたのだ。

 だけど、でも、本当は。とても、とても……

 

「え~と……タマモ、大丈夫か? まさか怖かったとか!」

 

 全然危機感が感じられない横島の顔を見て、私の感情は爆発した。

 

「大丈夫じゃないわよ! 変なのには絡まれるし、今日の運勢は最悪だし、あんたは優しくないし、変なものは食べちゃうし、狐火はでないし!!

 怖かったわよ! とても怖かった!! 悪い!? 九尾の狐が怖がって可笑しい!?」

 

 感情が止められない。

 怒りと嬉しさと戸惑いと寂しさと。

 その他もろもろの感情が堰を切ったかのように溢れ出した。

 横島の胸をポカポカと叩く。いや、実際はドカドカと叩いたと思う。

 こんな文句は理不尽だ。もう少し冷静にならないと。

 心のどこかで、そんな声が響くけど、駄目だった。言いたい事、全部を横島にぶつけたかった。

 

 ぶつけて、ぶつけて、ぶつけて……横島は全部受け止めてくれた。

 しばらくして、ようやく少し落ち着いたみたい。

 

「落ち着いたか?」

 

 何だか優しげな声の横島に、コクンと頷いてしまう。

 うう~こんな優しい声だすなんてずるいよぅ……

 

「狐火が出ない原因はこれだな」

 

 横島はそういって私に近づいてきて……

 

 さわさわ。

 

 お尻をさわってきた。

 

「きゃああああ!!!」

 

「ぐへっ!」

 

「な、なに考えてるの、横島!!」

 

 いきなりセクハラを働いてくるとは夢にも思っていなかった。

 ついにロリコンに目覚めたのかな?

 

「違うぞ! お前にこれが貼ってあったんだよ」

 

 そう言って横島が私に差し出したのは、ペンキに塗れた発火封じと書かれたお札だった。

 なるほど、確かにこの札が貼って合ったのなら狐火が出せないわけだ。

 多分、出るときにひのめに貼られたのね、赤ん坊に注意か、当たっちゃったわ。

 

「まったく、こんなことに気づかんなんて……」

 

 横島が呆れた目でこちらを見てる。

 

 くやしい。

 本当に今日の私はなにやってるの。

 やだ……何で涙なんて出てくるのよ……ばかぁ。

 

「う……ま、まあ普通に考えて、運が悪いってだけで守ってやれるかっつーの。俺だって忙しいんだからな。それにお前なら、大抵のことなら自分でなんとかすると思ったんだよ。ただ、お前に発火封じの札が張ってあるのを気付いたから、万が一を考えて見にきたんだ……だから……あ~~」

 

 横島は理路整然と答えてきた。

 横島の言っていることを反芻して、ようやく私の頭に冷静さが戻ってくる。

 確かに「私、今日は運が悪いの。守って!」なんて言って助けてくれる人間なんてそうそういないだろう。

 向こうにだって色々予定があるのだから当然だ。

 特に横島は卒業がかかった大事なときなのだから。

 でも、横島はそんな大変な中、私の万が一を心配してここまで来てくれたのだ。上履きのままで、息を切らして。

 

「あううぅ!」

 

 恥ずかしい、嬉しい、情けない。

 顔がものすごく熱い。顔を上に上げられない。横島の顔が見られない。

 

「つーか、幻術使えばよかったと思うんだが……」

 

 幻術!

 そう、私には幻術があったじゃない!

 なんで私はそのことに気づかなかったの!?

 うう、今日の私は本当にどうかしてるわ。

 

「……発火封じのお札も取ったんだからもう大丈夫だろ。俺は学校に戻るからな……念のため文珠も渡しておくぞ」

 

 横島は私の手に文珠を握らせると、踵を返して学校に戻ろうとする。

 うん……仕方ないよね。

 これだけ私のことを見守ってくれただけで十分。これ以上迷惑かけたくない。

 もっと私自身しっかりしなくちゃ。

 でも、最後に……

 

「横島……助けてくれてありがとう。本当に嬉しかったから……」

 

 今、私はきっとトマトのように赤い顔をしているだろう。あまり見られたい顔ではない。

 でも、お礼を言わなくちゃ。

 私は自分でも少し震えていると分かる声で、小さく「ありがとう」と言った。

 

「っ!」

 

 あれ、どうしたんだろ。

 私の顔を見て、横島は固まってしまった。

 あ~とか、う~とか唸りながら頭を掻く。

 どうしたのかな?

 

 横島はしばらく頭を抱え、何やら悶々としていた。

 でも、なんだか覚悟を決めたみたいで、決意に満ちた目で見て鞄を目の前に差し出してくる。

 

「鞄の中にはいったらどうだ」

 

 どういう意味だろう。

 なんで私が横島の鞄に入らなければいけないの?

 

「鞄の中で大人しくしてるんなら、守ってやらんわけでもない……」

 

 横島は頬をぽりぽりとかいて、若干恥ずかしそうにそんなことを言ってきた。

 

 ははぁ~ん、なるほど。やっぱり女の武器は強力ってわけか。

 なんだかとっても嬉しい。いつもは横島の顔なんて馬鹿顔に見えたけど、今は可愛く見える。

 それに、私の胸もポカポカして暖かくて、とても心地いい。とても幸せ、かも。

 

 でも、このまま横島の言うとおりじゃ面白くないじゃない。

 私は姿を狐へと変えると、鞄ではなく、横島の学生服の中へ入り込んだ。

 あっ、驚いてる驚いてる……えへへ。そうそう、もっと驚きなさい。

 

「な、何してんだ、タマモ!?」

 

「どうせ入るんならこっちのほうが良いわ。横島もこっちのほうが暖かくていいでしょ」

 

 横島の服の中はちょっと窮屈だけど、なんだかとても落ち着く。

 まったく、妙なフェロモンでも出しているんじゃないでしょうね。

 

「だ、駄目だ駄目だ駄目だ!」

 

 拒絶しているみたいだけど……ふふ、口ではそんなこと言っても、心臓はドキドキと早く動いているわよ。

 さあ、九尾の狐の力を思い知りなさい!

 

「きゅ~ん」

 

 どうする~アイ○ル~

 

 今流行りCMでやっていた動作を真似る。

 あ、でもあれって確か犬だったような……まあ気にしない気にしない。

 

「ぐ、ぐおーーー!俺に獣娘属性はないんじゃ~!!」

 

 な、なんだか変な悶えかたをしてる……

 今の私は狐形態なんだけど……まさかこれでもOKなんていわないでしょうね。

 ああ、でもやっぱりこいつと居ると楽しいわ。

 そして、シロもおキヌちゃんも美神もいたらもっと楽しい。

 孤高に生きるのが狐なら、私は駄目な狐になっちゃったかもしれない。けど、面白さに勝るものなんてないのだ。

 

 ぐう~

 

 う~こんな時にお腹がなるなんて~

 心の中で結構恥ずかしくてクサイ台詞を言ってたのに。

 結構大きな音がしたから横島にも聞こえちゃってるみたい。

 うう、恥ずかしい……

 

「食うか? 油揚げ。油揚げだけだからな。他のは食うなよ! 絶対食うなよ!!」

 

 横島は鞄の中からお弁当箱を取り出す。お弁当箱からはおいしそうな匂いとおキヌちゃんの匂い。

 オキヌちゃんの手作り弁当だ。

 一体いつの間にお弁当なんて渡したのかな。意外とおキヌちゃんって素早いのかもしれない。

 

 横島はお弁当の中から油揚げを取り出して、私の眼前に差し出した。

 人間の手から直接食べるなんて狐らしくない気がするけど……まあ仕方ないよね。

 腹が減っては、戦はできないのよ。

 横島の持っていた油揚げにぱくりと噛み付く。ついでにウインナーもいただく。

 

「こらー! 絶対に食うなって言っただろうがー!」

 

 うんうん、分かってるわ。

 芸人の『絶対やめろ』は振りって奴なんでしょ。

 私も人間の文化に溶け込めたものね。

 

 う~ん、それにしてもやっぱり油揚げは美味しい!

 五臓六腑に染み渡るわ……なんだか親父くさいかも。

 でも良かった。今日は一日何にも食べてなかったからお腹が空いてたのよね。

 チーズなんとかってやつは食べ物じゃなかったし。

 

 妖力もどんどん回復していく。

 回復していく。

 回復して……

 

 ポン!

 

 何が起こったのか分からなかった。

 ビックリした横島の顔が目の前にある。

 横島の息が私の唇に吹きかかる。

 強い横島の匂い。

 

 さらに、とても……

 

「痛い、痛い~!」

 

「どわ~! 何で人型になるんじゃあ~!!」

 

 今の私と横島の状況を簡単に説明すると、学生服に二人入っている状態。

 しかも向かい合わせだ。ほんの少し唇を突き出せばキスしほうだい。

 ……どんなバカップルだと突っ込まれること、間違いない状態。

 学生服は、もう壊れる限界ぎりぎりだ。

 

「早く、狐になれーー!!」

 

 言われなくても分かっているわよ!

 横島の体が信じられないくらい密着してて、とても痛いんだから。

 うう、横島の体って意外と硬いのね。

 でもそれほどゴツゴツしてなくて……こんなに横島を感じるの始めてかも……うあー何考えてるの~!

 

 浮かんでくる煩悩を、頭を振って打ち払う。

 早く狐形体にならないと色々な意味でやばい。

 もし、こんなところを誰かに見られたら……

 

「先生……女狐……ずいぶんと楽しそうでござるな?」

 

 背筋が凍りつくぐらい底冷えした声が、背後から聞こえてきた。

 横島も顔面蒼白。きっと私も同じような顔をしてるに違いない。

 ぎぎぎと錆付いた鉄のようになってしまった首を、なんとか後ろに向ける。

 

「丁稚と居候の分際で、いちゃいちゃと、いちゃいちゃと、いちゃいちゃと!」

 

「ふふ、お腹を空かしていると思って、タマモちゃんが好きな油揚げをいっぱい持ってきたんだけど……ふふふふふふふふふ」

 

 鬼が三人いました。

 やばい、本当にやばい。

 みんな目が逝っちゃってる。しかも、何故だか焦げてるし。あ、発火封じが私に張られたから、ひのめが暴走したのかも。

 きっと、人口幽霊一号は「ぬわーーっっ!!」とでも言いながら焼けてしまったのだろう。

 でも、今はそんなことを心配してる場合じゃない。

 

 先の展開が完璧に読めてしまう。

 今の私はきっと高レベルのプレコグ(予知能力者)だ。

 ハルマゲドン、ラグナロク、終末の日。

 やばそうな単語が私の脳内を駆け巡る。

 私は何とかこの状況を少しでも改善しようと、横島の制服から逃げようと動く。

 

「ば、馬鹿! 動くな……二つのコリッとした感触が~~~!!!!」

 

 二つのコリッとした感触?

 

 えっ、まさか私、乳首が立って……ひゃあああああ!!

 

 バン!

 

 という音と共に、私は横島の胸の中から解放された。

 私が全力で暴れたために、学生服が耐え切れず壊れてしまったようだ。

 ばらばらと学生服のボタンが地面に転がる。

 横島の嘆く声が聞こえてくる。

 

「まだローンが二年残ってるのに~!」

 

……とても悪いと思うけど、今この三人から目を離すことなどできない。

 世界最高の霊能力者。世界でも数人しかいないネクロマンサー、希少な女の人狼。

 あははは、改めて見るとそうそうたるメンバーね。

 これから、このメンバーが……

 

「「「キシャーーー!!!」」」

 

「「三人ともキシャー化したーーーー!?」」

 

「破魔札乱舞ぅぅぅーーー!!」

「霊さん達、やっちゃってください!!」

「血に飢えた霊波刀を食らうでござるぅぅーーー!!」

「誤解じゃー! 誤解なんじゃーー!!」

 

 本当に今日はなんて日なの。

 運が悪いにも程があるわ。

 それなのに、何で私は……

 

「タマモーー!! この状況、どうすりゃいいんじゃー!」

「逃げるのよ! どこまでも、果てまでも、地の底まで!」

 

 なんで私は笑ってるんだろう。

 間違いなく今日は占いの通り最悪の一日だ。

 それなのにどうして……こんなにも幸せを感じるのか。

 

「小僧、相変わらずのんきで楽しそうじゃな」

「イエス・ドクター・カオス」

「お前らの目は節穴かー!」

 

 ちょっと考えれば簡単だ。

 私は楽しいから笑っている。

 でも、何で楽しいの?

 

「おたくら……相変わらず馬鹿ばっかりやってるワケ」

「みんな~楽しそう~」

 

 どこからともなく集まってくる、極楽なメンバー達。

 そっか。

 きっと皆がいるからだ。

 こんな連中がいるんだから、楽しくないわけがない。

 

「うあああああ!! 卒業! 卒業が~!!」

「大丈夫よ! きっと私がなんとかしてあげるから!!」

 

 たとえ、どんな災いが来ようと、私はきっと笑っていられる。

 だって、皆がいれば災いなんて災いじゃなくなるのだから。

 きっと皆がいればすべては極楽。

 

「責任取れタマモ~!」

「あら、責任とっていいの?」

「ちょっと待て! なんかニュアンスが変だぞ!!」

 

 ふと、ポケットの中に入ってたおみくじを思い出す。

 もう、こんな物どうでもいいわ。

 ぐしゃぐしゃになったおみくじを空へと飛ばす。

 災厄があろうと私には関係ない。

 何があっても私は毎日を楽しむ……ううん、楽しめるのだから!

 

「さあ、今日もがんばるわよ、横島!」

「がんばるも何も、生きるか死ぬかの瀬戸際だろうが~!」

「別にいつものことじゃない」

「言われてみれば確かに……納得できる自分がいやじゃ~~~!!」

 

 抱腹絶倒、奇奇怪怪。

 破壊音と叫び声を町に響かし、極楽な連中は今日も行く。

 

「こんな毎日はいやじゃー!!」

「何言ってるの! 横島が……皆がいれば毎日が極楽よ!!」

 

 

 爆音と悲鳴が木霊する青空の中、ひらひらとおみくじが空を舞う。

 そこには、こう書かれていた。

 

 災い転じて福となる、と。

 

 



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オヤジの尻は甘い

 

 迷惑をかける妖精達を何とかして欲しい。

 

 それが美神除霊事務所に入った依頼の内容だった。

 彼の魔神が暴れまわった影響はまだ色濃く、悪霊は細々としか姿を現さない。

 悪霊をしばいてぼろ儲けするGS(美神主観)にとってみれば面倒そうな仕事だが、暇つぶしとお金のために美神はその依頼を受けた。

 

 嫌な予感がする。自分は行かない。

 事務所のメンバーは霊感を働かせて口々に言った。

 メンバーは全員優れた霊能力者だ。予感が現実になる可能性は極めて高い。

 美神自身も霊感が面倒事になりそうだと訴えていたが、そこは「とにかく稼ぎたい!」という意志力で押さえこむ。そして面倒事だからこそ、メンバーを動員するしかない。

 横島達の意思は固かったが、そこは美神の交渉術。

 

 横島は妖精が等身大であるらしい事を伝えると百八十度意見を変えて、シロとタマモは肉と油揚げを条件に承諾し、おキヌは皆が行くのならと苦笑しながら頷いた。

 おキヌを除き、そろいも揃って欲の皮が突っ張った連中である。

 かくして、美神達は進んで虎口に突き進む。

 虎口よりも厳しく甘い、その穴の中へと。

 

 

 

 

 オヤジの尻は甘い

 

 

 

 

「綺麗な紅葉ですね」

 

 颯爽と走るコブラの助手席で、おキヌは赤と橙が彩る山を見て声を弾ませる。

 季節は秋。気候は穏やかで食べ物が美味しい季節。恐らく、日本人が一番好む季節ではないだろうか。

 

「紅葉が綺麗って……紅葉以外に何も無いじゃない」

 

 タマモは呆れたように辺りを見回して言った。

 見渡す限り、山、山、山。平地には畑と水田と果樹園がちらほらと存在している。

 道路はいつの間にか細くなったが、対向車など一台も来ないから思う存分スピードを出せる。しかし景色が変わらないから一向に進んだ気がしない。

 何をどう言おうと、ド田舎だ。都会暮らしにどっぷり嵌り込んだ狐は、自然の豊かさに感動する心を失ったらしい。

 

「見える土地が全て依頼主さんのものなんですよね! 凄いです!!」

 

「目に見える部分の全てでござるか!? とんでもない大地主でござるな!」

 

「はっ、こんなの一山いくらのモンよ」

 

「……目を引くものが無くてつまんない」

 

 おキヌとシロは目を輝かせているが、美神とタマモはうんざり顔だ。

 ちなみにここにいない横島は、座席の関係上からトランクの中で幻想の尻を追いかけている真っ最中だ。

 

 ほころびたアスファルトの道を走ること三十分。

 ようやく、ちらほらと家が見えてきた。

 一つ一つの家は大きいが、数は少ない。典型的な田舎の農村だ。

 依頼主の家近くまで来て、横島を除いて車を降りる。

 

「う~ん、依頼主の家はこの辺りのはずだけど……え?」

 

 美神は口をポカンと開けて、目の前の光景に絶句した。

 道路わきに柿の木がある。それは別に良い。柿は食欲の秋を彩る果実の代表格だ。

 問題は、歳が五十ほどの男が、木に『実って』いる事だ。

 上半身裸で、下半身は赤のフンドシのみ。

 無精髭の二重顎に、弛んだ腹。

 髪は薄くなっていて、脂ぎった頭皮がテカテカと光っていた。

 

 その姿は正に、オヤジ・オブ・オヤジ!!

 

 そんなオヤジが道端の木に実っている。たわわに実ったオヤジからは、柿の甘い香りが漂ってくる。一応、木には普通の柿も実っているようだった。

 数々の超常現象を体験してきた美神除霊事務所のメンバーだったが、これには開いた口が塞がらなかった。

 オヤジのなる木。

 世の中にこれほど嬉しくない木など、そうはないだろう。

 美神はオヤジを一瞥して目を細めた後、おキヌ達に向き直って微笑を浮かべる。おキヌらも微笑を返す。

 

「帰るわ」

「はい!」

 

 完全な意思疎通が行われ、踵を返す美神一行。

 そこに、

 

「お、お待ちくだされ~! 美神所長~!」

 

 今回の依頼主と思われる白髪の老人が駆け寄ってきて美神の足元にしがみつく。

 老人は目に涙をいっぱいに溜めて訴える。

 

「この状況を見て、どうして帰ろうなどと言いますか!」

 

「この状況を見て、どうして帰らないなんて選択肢があるのよ!」

 

 二つの主張が真っ向から対立する。

 互いの心情からすれば、どちらの主張もまったく正しい。

 まあ、仕事に来たのに帰ろうとする美神の方が可笑しいのは確かだろうが。

 

「このオヤジ妖精を何とかしてくだされい!」

 

「容姿端麗にして実力抜群!

 最高のGSと呼ばれるこの美神令子が、何が悲しくてオヤジ狩りをしなくちゃいけないのよ!?」

 

「いや、これはオヤジ狩りじゃなくてオヤジ退治だと拙者は思うでござる!」

 

「馬鹿犬は黙ってなさい」

 

「何だと、この女狐!」

 

「シロちゃんもタマモちゃんも喧嘩してる場合じゃないですよー!」

 

 おキヌが二人を仲裁した時だった。

 秋風が吹いたかと思うと、木に実っていたオヤジがボトリと地面に落ちた。

 オヤジはそのままむっくりと起き上がると、キョロキョロと辺りを見回して、美神達の姿を発見する。 

 くわっとオヤジの目が見開いたかと思うと、

 

「……ふっ! ふっ! ふっ!」

 

 オヤジが、駆ける。

 腹を揺らし、ケツを振り、タマ散る汗を弾きながら、美神に迫ってくる。

 尋常ならざる圧力。万の軍勢が迫ってきていると言っても過言ではないほどだ。

 

「この、やろうっての!?」

 

 襲い掛かられては戦わざるを得ない。

 美神は神通棍を構えて迎撃の態勢を整えた。

 

 オヤジは目を血走らせて美神に襲い掛かろうとしたが、三メートル程手前でいきなり止まる。

 突如後ろを向き、尻に食い込んでいる布地を横にずらし、そして、なんと、まさか!?

 

「俺の尻をほじろーー!!」

 

 尻を向けながら空中をすべる様に突っ込んできた!!

 

「き、きゃああああああ!!」

 

 絹を裂くような美神の悲鳴。そのまま腰を抜かして倒れこんでしまう。

 これで意外と純情で生娘な美神は、オヤジの尻が猛スピードで突っ込んでくる事に慣れていなかった。

 ケツ毛が異常に濃くて、致命的な部分が隠れていたのは不幸中の幸いだろう。

 

 ああ、美神の顔にオヤジの尻が着陸する―――

 

「俺の美神さんに、何すんじゃい~!!」

 

 車のトランクが勢いよく開き、中から横島が飛び出す。

 この男、一人トランクに隠れて災厄から逃れようとしていたようだ。

 

 さっと美神とオヤジの間に割って入った横島は、栄光の手を鉤爪型にしてオヤジをぶん殴った。

 悲鳴を上げず、空中に吹き飛ぶオヤジ。しかし、オヤジは小癪にも空中で身を捻り、体操選手さながらの着地をしてのける。

 ぶるんぶるんと震える腹の肉が、色々な意味で詐欺くさい。

 

「ええい、これでしまいじゃー!」

 

 間髪いれず、『爆』の文珠をオヤジに放り投げる。

 アスファルトを吹き飛ばすほどの大爆発が起こって、オヤジは爆煙の中へ消えてゆく。

 下級なら魔族すら打ち砕く文珠だ。通常レベルのオヤジではひとたまりもないだろう。

 

「あ、ありがと。横島クン……」

 

 僅かに顔を赤くした美神は、半ば無意識的に手を横島に出して、引っ張り起こしてもらおうとする。

 だが横島は美神の手を取らずに、呆然と美神を見つめて呟いた。

 

「美神さんがきゃー何て女っぽい悲鳴を……あの美神さんがきゃー、あの美神さんがきゃ~、あの美神さんが……あの美神さんがー!!」

 

「そう何度も連呼するなー!!」

 

「ぎゃー!!」

 

 怒りと羞恥心で顔を真っ赤にした美神が横島をボゴボゴと殴りつける。照れ隠しも入っているのが丸分かりだ。

 おキヌが「まーまー」と笑いながら二人の間に割って入る。いつものお約束な光景。

 タマモは毎度の騒ぎに、「これが天どんってやつね」と学習しながら二人のやり取りを見守っていた。

 

「とにかく依頼は終了ね……え?」

 

 爆心地に顔を向けたタマモの表情が曇る。

 濛々と立つ煙の中で、人影が立っていた。

 秋風が煙を吹き飛ばすと、そこには傷一つ無い、腕を組んで堂々と仁王立ちをしているオヤジの姿があった。

 

「食え、俺を! 俺の尻穴を舐めろ!!」

 

 無傷のオヤジは、再び後ろ向きになり軽快なステップワークを駆使しながら、お尻を振って迫ってくる。

 その光景は異様であり、悪夢を超えた悪夢だ。

 

「き、狐火!」

 

「霊波刀でござる!」

 

 尻をプリプリして迫ってくる親父に対して、シロは霊波刀を振り上げ、タマモは狐火を放つ。

 しかし、オヤジは本当に強かった。弛んだ腹は霊波刀を寄せ付けず、狐火は脂ぎった肌を焦げ付かせる事すらできない。

 どうやらこのオヤジは通常のオヤジではない。特別なオヤジのようだ。

 

「だったらネクロマンサーの笛で! 一体何が目的なのか、教えて下さい! オヤジさん!」

 

 軽やかな笛の音が鳴り響き、オヤジの心の底がおキヌに届いた。 

 

 ――――オヤジの尻は甘い尻。その香りはフローラル。尻の毛まで食べられる。ほじって舐めて極楽へ!

 

「いやあ~~~~~~~~~~~~!!」

 

「ああ! おキヌちゃんが精神汚染に!?」

 

 オヤジ賛歌をまともに浴びたおキヌが倒れる。

 倒れたおキヌを見て、オヤジの目がライオンに食われる小鹿のような光を帯びた。

 

「俺の尻を、食らえーーー!!!」

 

「な! 美神さんはともかく清純派のおキヌちゃんはダメだろうが!?」

 

 オヤジは食べやすいようにと心遣いで、手でお尻の割れ目をぱっくりと広げておキヌちゃんに飛びかかる。

 血相を変えた横島がおキヌちゃんを助けようと飛び掛ろうとするが、間に合わない。

 とうとうあのおキヌちゃんが汚れキャラの仲間入りか。

 

「横島クンを相手の尻に……シュウウウゥゥゥゥゥ!!」

 

 咄嗟の判断だった。

 美神は横島の背中を思い切り蹴飛ばして、オヤジに向けて突き飛ばした。

 スポッ――――という擬音が聞こえてきそうなほど綺麗に、あるいは無残に、横島の顔面はオヤジの尻に収まった。

 

「……ふう」

 

 尻の中でもがく横島を見たオヤジは、何ともイイ笑顔と幸せな吐息を漏らして、煙のように掻き消えていく。

 あれほどの頑強さを誇っていた親父が、尻に顔をうずめられただけで昇天するとは、一体どういう事だろう。

 

「うああああああ! オヤジの尻が~~!! 甘い、美味くて……うおおオオオォォォ!?」

 

「先生、先生! しっかりするでござる! 美味しいなら良かったでござろう!」

 

「良いわけあるかーーーー!!」

 

 シロは泣き叫ぶ横島に慰めると見せかけつつ、傷口に塩を塗りこんでいた、

 何が何だか分からないが、とにかくこれで依頼は終了だ。後はこの依頼主の老人に報酬を貰うだけ。

 ミッションコンプリート!

 泣き叫ぶ横島を尻目に、美神は満面の笑みを浮かべた。が、遠くから土煙をあげて走ってくる集団が目に入って青ざめた。

 

「み、美神殿! あ、あれを!?」

 

 シロが指差した方向には、またオヤジ達がいた。

 その数は十や二十ではきかない。恐らくは百を超えているだろう。

 その百人の褌オヤジが、全員後ろ向きで尻を振りながら迫ってくる。

 世界三景すら超えるだろう衝撃的かつミステリアスな光景は、とても文字で表せることなどできない。

 

「精霊石よ! 邪悪なるものを退けよ!!」

 

 美神は数億をするだろう精霊石を躊躇なくぶん投げる。

 確実に赤字になるが、もうそれどころではない危機に立たされてると理解したのだ。

 GSの切り札である精霊石が光を放つ。だが、

 

「う、嘘でしょ! 効果なしって……いえ、これはそれどころか……」

 

 精霊石の放つ光を浴びながらも、オヤジ達は構わず前進してくる。

 ダメージは皆無。それどころか、何だか血色良くなり、新陳代謝が向上したのか汗がより噴出しているようだった。

 

 尻の海に溺れて美神除霊事務所壊滅。

 最悪のバッドエンド(尻)が目前に迫る。

 

「こっちだ。ついてけさい!」

 

 老人に言われて、もはや思考停止に近い一同は老人に誘われるまま着いていった。

 

 オヤジ達の目を掻い潜り、何とか老人の家までたどり着く。

 一息を入れた美神達は、ようやく今回の依頼について詳しく話を聞く事になった。

 依頼主である老人の話によると、オヤジは『たんたんころりん』と呼ばれる存在らしい。

 柿を食べないでいると、柿を食べさせようと柿そのものがオヤジ化することがあるらしく、今年は異常に大量発生してしまったのだという。

 今回の依頼は、このたんたんころりんをどうにかするのが依頼の内容だった。

 依頼内容に、横島が切れた。

 

「ふ、ふざけんなこらー!! あれのどこが妖精じゃあー! 依頼内容が違うじゃねえか!」

 

「いえ、あれは本当に妖精なのです!」

 

 老人の答えに美神も頷く。

 

「……そうね。確かに妖怪というよりも、自然そのものが形を成した妖精というか精霊というか……まあ、それを妖怪と言って言えない事もないでしょうけど。いってみれば柿の精ね」

 

「自然がどうしてオヤジになるんすか!? 普通なら可愛い女の子になるのが筋でしょ!」

 

「アンタの常識を押し付けるんじゃない!!」

 

 パコンと美神が横島を叩いて黙らせる。

 しかし、叩かれた後でもグチグチと文句を言い続けていた。

 オヤジの尻に突っ込まされた恨みは骨髄までしみ込んでいるらしい。尻が本気で美味しかったのが、色々な意味で心にトラウマを刻み付けているようだ。

 

「奴らの肉体は柿の味で……特に尻は悲しいほど旨いですぞ~」

 

「止めてください! 聞きたくないですよー!」

 

 おキヌは耳を塞いでイヤイヤと首を振る。横島は先ほどの味を思い出したのか滝の様な涙を流している。

 オヤジ味の柿と、柿味のオヤジ。食べるとしたら、一体どちらがマシだろうか。

 美神はこの依頼の難度の高さを認識して、眉間にしわを寄せていた。

 

「なるほどね。これじゃあ精霊石も文珠もネクロマンサーの笛も狐火も霊波刀も効果ない訳だわ」

 

「どうしてでござるか?」

 

「アレらは言って見れば、自然そのものよ。祓ったり退治するような悪霊や物の怪じゃないわ。なにより本体は柿の木になっている実なわけだし」

 

「それじゃあ、どうやって退治するでござる?」

 

 美神が苦々しい顔をして黙ってしまう。

 横島もおキヌもタマモも、何も言いたくないようで口を貝のように閉ざしてしまった。シロだけはよく分かっていないようで、変わってしまった空気にキョロキョロとして困惑している。

 

「オヤジを退治する方法はたった一つですじゃ」

 

 老人の言葉に反応するものはいない。

 

「何だ、あるのではござらんか! それで倒す方法って何でござるか」

 

 ただシロだけが、老人の言葉に目を光らせて言葉を返す。

 隣にいた横島は「馬鹿!」と呟いていた。

 

「奴らを……食すこと。特に尻穴を」

 

「さあ、帰るわよ」

「その前に名物を買っていきましょうよ!」

「あ、それなら私は萩の月ってお菓子が食べて見たいです」

「拙者は牛タンが食べたいでござる!」

「油揚げはないかしら」

 

「おお、お待ちくだされ~!!」

 

 帰ろうと席を立った美神達の足元に、また老人はしがみつく。

 

「何が悲しくて、この天下の霊能力者である美神令子がオヤジ相手に奮闘しなくちゃいけないのよ!!」

 

「その天下の霊能力者がオヤジ相手から逃げ出すのですか!? やっぱりオヤジには勝てなかったよ、という訳ですか!?」

 

「怪しげな言い方をするなー!」

 

 げしげしと美神が足元にすがりつく老人を蹴るが、この老人も必死なようで手を離さない。

 

「う~ん、美神殿。本当にオヤジ妖精を倒す方法は尻を食べるしかないのでござるか?」

 

 シロの素朴な質問に、美神はあごに手を当てて考え込んだ。

 実体を持つものや、単純な悪霊なら霊力を込めた攻撃で基本は何とかなる。しかし、こういう類の怪異は力任せで何とかなるものではない。

 ある一定の手順や作法が必要になる。それがオヤジをかじる事なのだろう。

 だが、そこは最高のGSたる美神。何か思いついたらしく、ポンと手を叩いて笑みを浮かべた。

 

「う~ん……仕方ないわ。横島クン!」

 

「はいっす!」

 

「オヤジ百人を食べてきなさい」

 

「いやじゃあ! 何だその力技はー! あんた最高のGSなんだからもっと頭使うべきでしょー!?」

 

「だって面倒じゃない。一人食うのも百人食うのも同じよ。オヤジ食い百人切りを目指しなさい」

 

「悪魔か~~!!」

 

「いや、それは無理じゃ。一度オヤジに噛み付いたものは、もう一度噛み付いても意味がないからの」

 

「ああもう、厄介ね!」

 

 美神が苛立ってテーブルを叩く。横島はほっとした表情だ。

 あのオヤジ共を力技でどうにかするのは不可能だ。

 例え竜神でも魔神でも、あのオヤジを力で撃滅する事は不可能。倒す方法は齧るしかない。

 最強の柿妖精オヤジ、たんたんころりん。

 美神はしばらく顎に手を当てて考え込んでいたが、何かを思いついたようでニヤリと笑った。

 

「臭いは元から絶たないとね」

 

 正に邪笑と呼べる笑いを浮かべる美神に、『ああ、またこの人は手段を選ばずにせん滅するんだな』と事務所メンバーは微笑ましく笑みを浮かべる。

 老人だけが、ただはらはらしていた。

 

 数十分後、美神達は裏山に場所を移していた。

 その中でも、横島の服装が異彩を放っている。

 

「……美神さん、何すかこの格好は」

 

「いいじゃない。それなりに似合っているわよ!」

 

 モヒカンのカツラ。

 肩にはトゲトゲパッド。

 手には火炎放射器。

 何とも世紀末な格好をした横島がしぶい表情で立ち尽くしていた。

 

 シロは「せんせーかっくいーでござる!」と目を光らせている。

 タマモとおキヌちゃんは貧弱な世紀末男に笑いを隠せていなかった。

 

「あのオヤジ共の本体は柿なのよ。だったら、答えはシンプルよ。さあ、山一つ焼き払いなさい、横島クン!」

 

「……え~い! 後は野となれ野となれじゃあ~~! ヒャッハー! オヤジは消毒だ~!!」

 

 恨みはらさでおくべきか、と考えていた横島は意外とノリノリだ。

 世紀末な台詞をのたまいながら、手に持った無骨な機械から火炎を放射する――――直前に、

 

「何をやっとるん……かはぁ!!」

 

 心配になって様子を見に来た老人が何かを吐き出した。

 老人が唯一使える遠距離攻撃。 

 宙を飛ぶ入れ歯!

 

 入れ歯は見事な放物線を描き、横島の鼻に噛み付く。

 

「ひぃ~こんなんばっかし!」

 

 汚れ役を押し付けられて嘆く横島だが、あまりにも何時もの事なので特に心配されていない。

 シロとタマモは人類が歯を飛ばして攻撃できるという驚愕の事実に、互いに尻尾を丸めて震えている。

 老人はすぐに予備の入れ歯を懐から取り出して付けると、睨みつけてくる美神を逆に睨みつけた。

 

「何で邪魔するのよ。柿の妖精なんて、本体の柿の木が消滅すれば一網打尽! 山ごと焼き払えば依頼完了よ!」

 

「どういう発想ですか!? ゴーストスイーパーには常識というものが無いのですか!!」

 

「こんな非常識なオヤジ共相手に常識なんか邪魔なだけじゃない」

 

「報酬は出しませんぞ!」

 

「何でよ!」

 

「家のシロアリ退治をお願いして、柱ごとひっこぬくようなやり方で報酬がだせますか!?」

 

「ふふん、甘いわね。私の友……知り合いなんてマンション一つぶっ壊して更地にしたわ」

 

「それは誇れる事じゃありませんぞぅ!」

 

 老人はもう泣きそうだ。

 皺くちゃの顔が、更に皺くちゃになっていく。

 流石の美神も、ちょっとだけ罪悪感が湧き上がってきた。

 

「ああもう、分かったわよ! この方法だけは使いたくなかったんだけど……おキヌちゃん、タマモ、ちょっと耳を貸しなさい」

 

 どうやら美神はまだ何らかの手段を考えていたらしい。ごしょごしょとおキヌとタマモに耳打ちする。

 おキヌはどこぞの笛吹きの童話を思い出して苦笑して、タマモはその内容の悪辣さに全身が総毛だって思わず唾を飲み込んでしまう。

 

「あ、悪魔だわ。この人」

 

「違いますよ、美神さんです」

 

 ニコニコと苦笑するおキヌちゃんに、タマモは力無く笑うのであった。

 

 

 

 時は夕方。

 場所は件の農村から少し離れた、それなりに大きな町。

 授業が終わり、男子高校生達が町に放流される。

 まっすぐ帰宅する者や部活、バイトに行くものも多いが、解放感からか町で馬鹿をやりながら遊ぶのも多い。

 買い食い、ゲームセンター、カラオケ。ちょっと大胆な奴はナンパして振られるのを前提で楽しむ。

 

 この男子高校生も、そんなありふれた一人だった。

 綺麗で可愛くて都合のよい女の子でもいないかな~、などと馬鹿らしくも男なら一度は考える妄想に浸りながら町をぶらつく。

 

 ――――よし、あれが狙い目よ。

 

 どこからかそんな女性の声が聞こえたような気がして、辺りを見回してみる。

 すると、一体どうして気付かなかったのだろうか、目の前に一人の女が立っていた。

 まるで映画から飛び出てきたお姫様のような黄色のドレスを着て、妄想の世界から飛び出てきたような美女だ。

 

「お待ちしておりました。私をいただいてくる人」

 

「へ? あ、あの、俺には何が何だか……うわ!」

 

 美女はそっと寄り添ってくる。

 

 いきなりこれは何だ!?

 

 周りから怖い男でも出てこないか警戒するが、そんな様子は無い。それどころか、人っ子一人いない。

 つい先ほどまで賑わっていた通りだったはずなのに。

 疑問が頭を駆け抜けるが、美女から漂う香りに鼻孔をくすぐられて、頭に霞がかかったようになっていく。 

 まるで操られるが如く、美女の肩を抱いた。

 

 ぬたぁぬたぁ、めたぁめたぁ。

 

 掌に伝わってきた感触に、思わず言葉を失う。

 吸い付くような肌、という言葉があるが、これは粘りつくような肌だ。

 これが美女の肌か? まるで電車で油ギッシュなオヤジと触れ合ったような。

 

 ――――止めろ! 逃げろ、逃げるんだ!!

 

 男の本能が訴える。このままでは取り返しがつかなくなると――――――しかし。

 

「どうしたの? 私の肌、変かな?」

 

 くりんとした大きな瞳を向けられて、少し悲しそうな声が美女から漏れる。

 悲しきかな男の欲望は、本能を押しのけた。

 

「誰もいない所で、二人っきりで」

 

 美女は甘く囁きながら、路地裏を指差す。男は、一抹の不安を覚えながらも、こっくりと頷く。

 二人は寄り添うようにしながら、路地裏に消えていく。

 そして、

 

「ああああぁぁぁぁぁ!!」

 

 魂を砕かれたような男の絶叫が、路地裏に木霊した。

 ご満悦なオヤジが路地裏からぴょ~んとスキップしながら出てきて、ゆっくりと消えていく。

 

 後に残るは、地面に横たわる哀れな若者。

 それを無慈悲に見下ろすは、甘栗色の髪の女。

 

「さあ、次行くわよ」

 

「流石に可哀想ですよぅ」

 

「私、もう柿食べられないかも」

 

 そう言って、彼女達は新たな獲物を探しに行くのだった。

 

 

 その日、おキヌの笛に誘導されたオヤジの群れは、タマモの幻術により姿を美女に変えて、町を襲った。

 方々から聞こえてくるは、男達の絶望の声。

 美味しい美味しい秋の味覚に、男達は泣きに鳴いた。

 

 百はいただろうオヤジ達は全身をむさぼられて消滅した。

 同時に、同じ数の純情な男達がその躯を大地に横たえることとなる。

 彼らは柿を見るたびに思い出すだろう。オヤジの、肉体を。

 彼らはオヤジを見るたびに思い出すだろう。その柿の甘さを。

 

 こうして、男達の尊い犠牲により、この騒ぎは終結――――

 

「あの、美神さん」

 

「なあに、おキヌちゃん?」

 

「あのオヤジさん妖精さんって、木に実っている柿を食べて欲しくて出てきたんですよね?

 だったら、オヤジさんじゃなくて本体の柿を食べても良かった気がするんですけど」

 

「……………………………………あっ」

 

 こうして、男達のまったくもって無駄な犠牲により、この騒動は終結したのであった。

 

 

 



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世界で一番○○なGS

 ちらちらと舞い落ちる雪を見ながら、美神は溜息をついた。

 いつもの女王様オーラが鳴りを潜め、物憂げな女性を思わせる。

 

 こんな姿は見せられない。誰も居なくて助かった。

 

 ガラスに映る覇気のない自分の姿を見て、美神は心底そう思う。

 そう、事務所には誰も居ない。休日の真昼間だが、今日は仕事が無いからこなくて良いと言ってあるので、バイトの横島がいないのは当然だ。

 しかし居候であるおキヌちゃんとシロとタマモも居なかった。

 三人はおキヌの友達の家に行ったのだ。

 どうして向ったのか。それには当然理由がある。

 

 今日は2月14日。そう、2月14日だ。2月14日なのだ!

 

 いわゆる、バレンタインデー。

 男も女も笑いあり涙ありの、お祭りめいた一日だ。

 お菓子会社の陰謀とか、本来はそういう風習ではなかったとか、色々と文句あるけれども、何を言ってもどうにもならない。

 もはや、国民的な催しのようになってしまった。

 めんどくさいと、美神は心底思う。

 

「美神さんも一緒にチョコ作りましょうよ。横島さん、喜びますよ」

 

 おキヌちゃんはそう言って美神をイベントに誘った。

 元々お世話好きなおキヌちゃんだから、大切な人に好意を伝えるイベントと聞いて素直に喜んでいる。

 可愛い子だと、美神は思う。だからこそ、バレンタインは自分に似合わないとも分かった。

 

「こんな処女趣味全開のイベントに天下の美神令子が参加で出来るわけがないでしょ! まして、横島君へなんて!!」

 

 一応、まだ相手が西条ならば、親しい相手でもあるし兄のようなものだから、付き合いとして渡すことも出来る。これでも美神は社会人で成人しているのだから。しかし。

 

(でも、横島君には――――どんな顔して渡したらいいのかわかんない)

 

 美神は、どうしようもなく奥手で子供だった。

 

「皆で渡せば恥ずかしくないですって」

 

 苦笑しながらおキヌちゃんは言った。

 やはり付き合いが長いだけあって、美神の気質なんて当にお見通しだ。

 大勢に埋もれて届ければ、そこまで恥ずかしくはないだろう。

 それは美神にも分かる。だけど、

 

 ――――私のチョコが大勢の中に埋もれて横島君に届くなんて嫌だ。私は美神令子なのだ。

 

 バカだと思う。彼にとって、特別じゃないと満足できない。

 もし特別になりたかったら、可愛い手作りチョコを作って、綺麗にラッピングして、二人きりで渡さなければならない。

 

 ――――そんな恥ずかしいこと出来るわけないでしょ! 私は美神令子なのよ!!

 

 特別じゃないと不満なのに、特別だと恥ずかしくて嫌だ。

 困ったものだと、美神は自虐的に笑う。

 結局、おキヌ達はチョコ作りに学友の下に向い、美神はただ一人事務所で悶々としているわけだ。

 

「はあ、お酒でも飲んで忘れちゃおうかしら」

 

 お酒を飲んで嫌なことを忘れてしまおう。そして、さっさと日付を進めてしまおう。

 駄目人間の発想だった。基本的に、美神は駄目人間なのだ。

 

 台所で冷蔵庫を開けて、ワインを取り出す。すると、あるものが目に入った。

 そこには生クリームやナッツやココアパウダーなど、チョコ作りの材料が包まれている。

 美神がおキヌやシロの為に大量に取り寄せた、最高級の材料だ。

 

 まさか材料を忘れていったのか。いや、これは恐らく余りだろう。

 

「酒の肴に甘いものが合う……事もあるらしいから……その」

 

 誰が居るわけでもないのに、まるで言い訳するように材料を出して厨房に立つ。

 素面では作れると思えず、酒を飲みながらチョコ作りを始めた。

 これで料理は得意だから、意識しなくても勝手に手は動いてくれる。

 

 度数の強いワインを喉に流す。

 体は熱くなって、頭はぼうっとした。夢のように、取り留めなく何かが浮かんでくる。

 

 バカで、アホで、エロで、自給255円で戦う割とどうしようもない、でも時々格好良い、年下の男の子。一緒にバカをやって、戦って、笑って、泣いて。

 多くの思い出がパラパラと流れていく。

 彼は、ずっと私のところに居るのだ――――と思っていた。でも。

 

「私の、横島君」

 

 ふと声が漏れて、自分の声に驚く。そこで美神は我に返る。

 気づけば目の前にはハート型のチョコレートが出来上がっており、さらに『横島君LOVE』の文字まで彫られていた。

 呆然とする。いくら酒を飲んで気分が可笑しくなったとしても、まさかこんなトンでもない一品を無意識に作り上げるとは。ずっと横島の事ばかり考えていたからだろう。

 あまりの事で美神は真っ赤になった。ハート型にLOVEの文字。こんな物を見られたら、見られた相手を殺す自信がある――――

 

「あっ」

 

「あっ」

 

 目が合って、思わず声が出た。

 一体いつからそこに居たのだろう。タマモがじっと美神を見つめていた。

 タマモの目が、つつーとチョコの方に向う。そこに彫られている横島君LOVEの文字。

 お互いに笑い合う。笑顔とは本来攻撃的なものである、との言葉は誰が言ったのだろうか。

 

「バカ犬ーー!! 美神さんがーー!!」

 

「殺(シャー)!」

 

 タマモが台所から飛び出す。美神は夜叉となってタマモを追う。

 追いつかれたら殺される。追いついたら殺す。

 生死をかけた鬼ごっこ。

 だが、もしもタマモが逃げ切れたのなら、美神は社会的に死ぬだろう。

 二人は対等だった。

 

「あっ!?」

 

 逃げてたタマモが足を縺れさせて転んでしまう。

 そこに、美神がどこからとも無く取りだしたハンマーを振り下ろす。

 凄まじい音と共に床が粉砕されて、タマモは潰れる。

 

「ふっ幻術よ!」

 

 少し離れたところで、窓に足をかけたタマモは勝ち誇るように笑っていた。

 そのまま、タマモは自由の空へ跳躍する――――

 

 ゴォーン!!

 

 鈍く重い音と共に、タマモの目に火花が散ってたたらを踏む。何かが降って来て、頭に当たった。

 ぐわんぐわんする頭を押さえ、振ってきた物を見てタマモは悲鳴を上げる。

 

「な、何でタライが!?」

 

「ミサイルから浮幽霊まで取り揃えているのが美神除霊事務所だからよ」

 

 背後から聞こえてきた声にタマモは納得したくないのに納得して、次の瞬間戦慄し、必死に振り返る。

 そこには100トンと書かれたマジカルハンマーを振り下ろす美神の姿があった。

 

「はあ、はあ、危なかった!」

 

 大きなたんこぶを作り気絶したタマモを見下ろして、美神は冷や汗をぬぐった。

 マジカルハンマーのお陰で記憶は失うだろうから、何とか美神の尊厳は守られたと言ってよい。安堵しながら台所に戻る。

 そこで、美神は凍りついた。

 

「う、嘘よ。どうして、何で無いの!?」

 

 横島君LOVEなハート型チョコレートが無い。確かに置いたはずなのに。

 一体どこに言ったのだろう。

 

「オーナー、こちらをご覧ください」

 

 事態を見守っていた人口幽霊一号が声を掛けて、事務所内に備え付けられた監視カメラの映像を映し出した。

 美神がタマモを追いかけて台所から抜け出した後、すぐにシロが台所に現れる。

 シロは冷蔵庫を開けてチョコの材料を取り出しながら、何らかの文句を言っていた。

 

「ふむ、おキヌ殿の予想は外れたみたいでござるな。厨房に美神殿がいる可能性が高いから、そうしたら触れずに帰ってこい……との事でござったが。まあ、何よりでござる。

 まったく、少し材料を食べただけで無くなるとは……それに拙者のせいだけではないでござる。タマモや弓殿が作るのに失敗したからこんな事に」

 

 どうやらシロとタマモはトラブルがあって材料がなくなってしまったため、あまった材料を取りにきたらしい。

 そこで、シロは気づく。まな板の上に、ハート型のチョコが置かれているのを。

 

「おおーこれは凄いでござるな! 完璧でござる。よし、見本として持ち帰らねば!」

 

 そう言ってシロは美神のチョコが汚れないようにラップをすると、材料と共に紙袋に入れ外に持って出て行った。

 

「あのバカ犬がーー!!」

 

 流し台に拳骨をぶつけて凹ませる。

 どこに跳んでいくか分からないシロが、あのチョコを持っている。

 シロは美神が作ったとは気づいていないようだが、おキヌや弓は普通に気づくはずだ。

 

 あの年頃の娘達が、こんな美味しい話題に食いつかないはずが無い。

 このまま放置すれば、明日にでも六道女学院に噂が流れ、ともすれば冥子にまで伝わり世界に発信されるだろう。

 一刻の猶予も無かった。

 このまま走ってもまず追いつけない。逃げる人狼を捕まえるというのは、並大抵の苦労ではないのだ。

 だから、美神は手段を選ぶつもりは無かった。

 早々に取り戻さなければ。

 

 ダダダダダダ。

 快音を響かせながらシロが走る。だが、すぐに歩行者信号につかまってしまう。

 それを何度も繰り返して、シロははてと首を傾げた。

 

「さっきから随分と信号につかまるでござるな」

 

 いつもなら一回つかまれば、しばらくはつかまる事は無い。

 人狼の超感覚が何かを訴える。何か可笑しい。どこか違和感がある。

 シロは野生の肉食動物が周囲を警戒するように、尻尾を立てて周囲を警戒する。

 

 そして、違和感を見つけた。

 

 真横に、皿に置かれた骨付き肉が落ちている。

 罠か。いやしかし。この肉は良いものだ。だが。

 

「ああ、やっぱり我慢できないでござる!!」

 

 ぴょ~んと、シロは肉に飛びついた。それは彼女の師匠を彷彿させる。

 この弟子ありて、あの師匠ありだ。

 シロは肉にかぶり付いた。その時だ。

 

「イタダキダァーー!!」

 

 突如わいて来た雑魚幽霊が、シロが持っていた紙袋を奪い取って飛んでいく。

 シロは舌打ちをして、すぐに後を追った。霊は空へ逃げて飛び続けたが、シロは壁を走り、前を行く雑魚幽霊を追いすがる。

 人気の無い廃ビルでようやく追いついた。

 

「返すでござる!」

 

 追いついたら霊波刀を一閃。

 それで終わりだ。

 

「うう、一本7万円の高級線香で成仏したかった……」

 

 随分とバブリーな事をのたまいながら、雑魚霊は極楽に送られた。

 

 紙袋を取り戻したシロは、やれやれと頭を振った。

 一体何が起こっているのやら。先の信号機から、どうにも嫌な予感が止まらない。

 どうも何か邪魔されているような気がする。

 

 まあ信号機を操るなど出来るはずが――――いや待て。

 居るではないか、公的権力を操れる人が。

 居るではないか、雑魚霊すら札束で叩く女が。

 居るではないか、目的の為に手段を選ばない人が。

 

 もし、あの人に狙われているとしたら!?

 

 凄まじい悪寒がシロの背に走った。

 廃ビルで追いつけた? 違う! ここに誘い込まれたのだ!!

 

 慌てて周囲を見渡す。

 そして柱にあるものが何個も付けられていた。それは。

 

 C4C4C4C4C4C4C4C4C4C4C4C4C4C4C4C4。

 

 一体どうして自分がこんなに目に合っているのか、シロには見当がつかない。

 しかし、これだけは言える。

 

「ここまでするのでござるかーー!! 美神殿ーー!!」

 

 白熱と閃光の中で、シロは突っ込みを入れていた。

 

 

 

 

「ま、こんな所ね。やっぱりお金は最強だわ」

 

 美神は未だに粉塵舞う元ビルを尻目に、ハードボイルド風に笑った。

 破壊されたビルに足を踏み入れると、シロがピクピクと痙攣している。美神はニコリと笑って、マジカルハンマーをゴツンとぶつける。これで、全て忘れることだろう。美神の女に狙われて、無事に済んだものはいないのだ。

 

 だがここで、美神は困惑する。紙袋が見当たらない。

 爆発に巻き込まれて壊れた可能性は非常に高いが、美神の霊感が訴える。まだ、終わってはいないと。

 未だに粉塵が酷く、視界が利かない。

 むせながら、美神はチョコを探した。そうして、見つける。

 チョコの入った紙袋。そして、そのすぐ傍に居る女を。

 美神は思わずうめいた。

 

 バカな、どうしてコイツがここに居るのだ!?

 

 そこにいたのは、GS美神において、美神を超える災厄と恐怖を振りまく代名詞。

 

「ふえ~ん、せっかくお気に入りのワンピ~スで散歩してたのに~」

 

 難易度絶望級。

 今にも泣きそうな冥子の足元にあるチョコを取得せよ。

 

 思わず気が遠くなる。

 美神はありとあらゆる策謀を持って、戦いに赴くが、それすらも叩き潰す破壊神が六道冥子その人なのだ。

 だが、美神もここで諦めるわけにはいかない。

 幸い、視界はまだ悪い。ばれないように、こっそりと後ろから近づいていく。

 紙袋を取ったら、すぐに逃げれば大丈夫なはずだ。

 

「麦わら帽子もボロボロになっちゃった~うう~お母様なおせるかな~」

 

 ほつれた帽子を手にして、とうとう冥子の涙が目じりに溜まり始める。

 爆発寸前だ。美神も、冥子に負けないぐらい泣きそうになりながら、ばれないように必死に手を伸ばす。

 気分は、猛犬の足元にあるボールを取ろうとする小学生だ。

 あと少し、あと少しで手が届く――――届いた!

 

 その時だった。

 

「くちゅん!」

 

 ビリビリ!!

 

 冥子の可愛らしいくしゃみの音と、何かが破れる音が響く。

 爆発でボロボロになった麦わら帽子を、くしゃみの勢いで破ってしまう破滅の音だ。

 

「ふえ~ん!!」

 

「ふざけんな~~!!」

 

 ギリギリでチョコは取れたが、ぷっつんの巻き込まれた美神は空の彼方へ飛んでいった――

 

 

 

 よろよろと、美神はボロボロになりながらも夜の街を歩いていた。その手には、チョコレートが握られている。

 ようやく手元に戻った横島君LOVEチョコレート。チョコには傷一つ無い。

 

 あのプッツンに巻き込まれながらも、美神はその身を盾としてチョコを守りきったのだ

 だが、美神はどうして守りきってしまったのだと後悔していた。

 どうせ渡せるわけではないし、こんなものがあってもトラブルになるだけだ。

 壊したほうが安全だ。だが、

 

「くぅ……壊せないわよ」

 

 泣きそうな声で言った。

 どうしてハート型で作ってしまったのか悔やんでしまう。これを叩き割るというのは、こちらのハートが叩き割られるようなものだ。

 のこされた選択肢は一つ。自分で食べるぐらいだろう。

 非常に寂しい気もするが、それが一番安全だ。

 とぼとぼと事務所への岐路につく。

 そこで、美神は見た。

 

「はーい、チョコレートですよ」

 

「よっしゃーー!! 

 

「そんなに喜んでくれると嬉しいですねー」

 

 横島が、見たことも無い綺麗なお姉さんからチョコを貰おうとしていた。

 それも、とても幸せな表情で。

 

 私がこんな思いでチョコを作って守ったのに、名も知らない女のチョコ一つで喜んでいる。

 

 その瞬間、美神は溜まり溜まったものが溢れて、完全に切れた。

 

 『あの時は』まだ諦めがついた。

 彼女は命を懸けて、横島を愛した。横島は、彼女の為に男の顔になった。

 仕方ないと思わせるものを秘めていた。

 

 だが!

 こんな少し顔だけが良い様な女に、こいつは渡せない!

 

「横島君!」

 

 地獄のそこから絞り上げたような声で美神が横島を呼ぶ。

 横島が振り返ると、凄まじい威圧感を持つ美神が俯きながら走ってくる。

 彼女を知る者なら、これがどれほど恐怖を与えるか言うまでも無いだろう。

 

「ひい! なんや分からんけどすいませんでしたー!!」

 

「いいから、これを受け取りなさい!」

 

 そうして美神が渡したのは、ラップされた横島君LOVEチョコレート。

 

 だが、横島は微動だにしない。

 彼の心を占めていたのは、嬉しさとか困惑とかじゃなかった。

 正確には、飛んで跳ねて泣きたいほどの喜びがあるのだが、今はそれどころじゃない自体が発生しているのだ。

 

「あ……えと、勘違いです、美神さん」

 

「何が勘違いなのよ! あんなポッと出の女にデレデレして!!」

 

「……これ、チョコレートを受け取れない男を見つけたら笑って、その後に慰めてチョコを渡すっていう悪趣味な番組なんすよ」

 

 番組、ばんぐみ、バングミ?

 分けの分からない言葉が美神の頭でリフレインする。

 よく周りを見渡して見れば、いるのは横島にチョコを渡そうとしていた女だけではない。数台のカメラやら集音マイクがこちらに向けられていた。

 

 なるほど、そういう事か。

 美神は冷静に考える。まず、数台のカメラを破壊するのに2秒。

 周囲の人間を殴り倒して気絶させるのに5秒。

 何でもありなオカルトパワーで記憶を消すのに1分という所か。

 

 さあ、蹂躙を始めよう。

 

 魔王のごとき圧力を持って美神は一歩を踏み出す。

 横島は恐怖でガチガチと歯を打ち鳴らしながら、絶望の言葉を美神に送る。

 

「美神さんが何を考えてるのか分かるんですけど、これ生放送なんで……その」

 

 生放送?

 なまほうそう?

 それってなあに、おいしいの?

 

 現実逃避する美神の虚ろな目に飛び込んできたのは、何台ものカメラ。

 カメラが向けられる方向は、横島君LOVEと書かれたハート型チョコレートと、自分自身。

 それが、全国の茶の間に流れている。

 

「や、やああああああああああああああああああああああああ! 見ないでええええええええええええええええええええ!」

 

 今まで生きてきて感じた恥ずかしさの、その全てを足しても足りないほどの羞恥が美神を襲った。急いで逃げようと思ったが、あまりの恥ずかしさに足から力が抜けて、蹲ってしまう。

 そんな美神の様子を、カメラは残酷に写し続けた。

 これだけ美人で、勝気で傲慢そうに見える大人の女性が、手弱女の如くへたり込んでいる。

 最高だった。一体コレでどれほど視聴率が取れるかと、スタッフはへたり込む美神を見て舌なめずりをする。

 

 その時だった。

 横島が、泣き崩れる美神よりもさらに姿勢を低くして、土下座のような体勢を作る。

 そして、

 

「お願いします美神さん! どうか俺と結婚してください!!」

 

 平身低頭に、なんとも情けなく横島は美神にプロポーズをした。

 全員が呆然とする。

 チョコを送られただけでプロポーズするなど、いくら何でも早すぎる。

 いや、するにしても土下座しながらプロポーズってありえないだろ。

 

 そんな視線を感じた横島は、なんとも得意そうに笑って見せた。

 

「ふっふっふっ、美神さんが俺にチョコを渡してくれた理由は分かってます。前日に何度も何度も何度も何度もチョコを催促する俺を、哀れんでくれたんでしょう! だったら、その哀れみに乗じて一発やることは不可能じゃない。いや、結婚すれば毎夜毎夜あのけしからんボディは俺のものだーー!!」

 

 カメラマンもレポーターも呆れた様子で横島を見た。

 こんなにも情けないプロポーズを始めてみる。しかも動機が体のことばかりだ。

 蔑みの視線に晒された横島は、ふっと邪悪な笑みを浮かべた。

 

「美神さんと一緒にいて、乳尻太ももを掴み取れるなら、俺何でもするんだよーー!!」

 

 駄目だ、この男。こんな可愛い女性に相応しくない。

 誰もがそう思った。だが、

 

「ふ……ん。いいわよ、特別だからね……け、結婚して……あげる」

 

 美神は、ことのほか冷静に横島のプロポーズを受け入れた。

 先ほどまで羞恥の極地にいた美神だったが、横島がいつものようにバカでアホな事を言い出したから冷静になれたのだ。実はそれが横島の狙いでもあったのだが。

 

 そして、冷静になった美神は思った。

 

 『やはりこいつは私のものだ。だったら、まあ、結婚しても良いだろう』

 

 こんな時まで意地っ張りでツンツンしたままなのが美神令子という女性だ。

 きょとんしたのはプロポーズした横島のほうである。

 こう言えば美神は調子を取り戻して『誰があんたと結婚するかー!!』と殴ってきていつものように落ちが出来上がる。そう思っていたのだ。

 だが、美神は横島のプロポーズを受け入れてしまった。何が起こっているのか分からなかった。

 

「え? いや……あれ」

 

「何ぼけっとした顔してるの。この美神令子が一緒になって良いと許可したのよ。それ相応の顔があるでしょうが」

 

 自信満々に美神が言うが、横島はまだポカンとしていた。

 これが現実だと脳が認識しないらしい。

 

 そんな横島の様子に美神は不安になってくる。まさか、ただの冗談だったのでは。やはり、おキヌちゃんやシロといった素直で可愛い女の子の方がよいのでは。

 ――――やだ、やめて。お願い、冗談だったなんて言わないで。

 美神の瞳に恐怖が混じる。

 それを見た横島は、ついにこれを現実と認識して、完全に弾けた。

 

「おおおおおーーーー!! つ、ついにこの乳と尻と太ももが俺のもんになるのかーー!!」

 

「……それとこれとは話が別よ」

 

「何でじゃーー!!」

 

「結婚した程度で私の肌に触れられると思ったら大間違いよ!」

 

「結婚した程度って、じゃあどの程度なら良いって言うんすかーー!!」

 

「そりゃあ、横島君の生殺与奪は貰ってー、あと財産権にー」

 

「夫に何を求めてるんじゃ、あんたはー!!」

 

 いつものようにふざけ合う。

 

 だが、そこで美神は気づく。

 目の前に居るのは、いつもの情けない横島の姿。しかし、その目にあるのは煩悩の他に美神令子を守り、共にあろうとする強い意志が込められている。

 美神のプライドを守る為に、美神令子そのものの為に、横島は狙ってバカを演じたのだ。

 それで、美神は理解した。自分の大きくて、それでいてちっぽけなプライドと心は、きっと横島によって支えられているのだと。辛くて悲しい時、密かに横島が慰めてくれていたのだと。

 彼に会えてよかった。彼が傍に居てくれてよかった。

 

「あり……と。愛……し……から」

 

 プライドを少し溶かして、横島の耳元で声をかすれさせて言う。

 横島は、感じる吐息とおっぱいの感触に、もう幸せのあまり滂沱の涙を流していた。

 

 そのころ、巫女や狼や狐がテレビの前で固まっていたり、呪術師は馬鹿笑いして、公務員は泡をふいてたり、母親は鼻血をぶっ放してたりするが。

 美神のバレンタインは結婚という形で幕を閉じる。

 

 こうして、『世界最高のGS』とうたわれた美神は、『世界で一番意地っ張りで可愛いGS』として世に一層知れ渡るのであった。

 

 

 

 

 




 エイプリルフールにバレンタインデーのお話を投稿するという暴挙! 季節感完全無視! いいじゃない、書きたかったんだから! 多分、ここで投稿しないとまたお蔵入りにするし。
 短編はネタ被りが一番の恐怖ですが、バレンタインネタはたくさんありすぎるので、逆に意識しなくてすみますね。

 最後の締めは夢落ちから爆発落ちまで色々と考えてGSっぽくしようと思いましたが、結局ただひたすら美神の可愛さを突き詰めました。正直、横島が格好良すぎな気もしましたが、美神さんの本気ピンチならこれぐらいしてくれる……はず。だって可愛いし。
 歳を取ってから分かる美神さんの可愛さ。愛でるのも苛めるのも楽しい。
 後はおキヌちゃんですが、彼女はどうしても色物なネタばかり思い浮かぶ……黒キヌ。


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