とある魔術の天地繋ぎ (なまゆっけ)
しおりを挟む

レプリシア=インデックスと天地繋ぎ
もう一人の物語の始まり


心臓バクバクさせながら投稿しました。
初めてなので優しくしてください。


もういやだ。

すべてを壊したい。

こんなくだらない魔術も。

こんなくだらない世界を創った神も。

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!」

喉が張り裂け鼻から血が溢れ出す。

手足を力の限り暴れさせるも、魔術的効果が備わった鋼鉄の鎖はびくともしない。

それも当然だ。

少女の身体はかろうじて歩ける程度の筋肉しか残されておらず、半ば骨のような腕では鎖どころか紐すらも引き千切れるのかもわからない。

薄暗い牢屋の独房じみた部屋に、十歳ほどの少女がはりつけにされている。

今夜の牢屋番の魔術師は、いつもの叫び声に対抗するべく耳栓を取り出してはめた。

「―――す……!!殺す……!!コロスコロスコロスコロスコロス!!!!!」

殺意は純化する。

純化した殺意は魔力となる。

魔力は法則に従って槍の形となる。

その力は神の子を穿つ絶対貫通の力。

「――――殺す。魔術師は全員殺す」

彼女の独房にはこう刻まれていた。

『レプリシア=インデックス』、と。

 

 

イギリス・ロンドン。

世界で最も有名な都市のひとつに数えられるここは、数々の伝承が根付くとともに世界渡航先ランキングでも上位の常連となっている都市だ。

街の景観を保護する法律もあることから、世界の都市に比べてその景観はとても高いレベルで維持されている。

「う、おおおおお……!!ロンドンの気候で防寒具無しは無謀じゃないのか、俺!?」

そんな美しい街に不釣り合いな、中途半端に黒髪を茶髪に染めた青年がいた。

ところどころはねた髪の毛は、普段教室の隅で携帯いじってるようなヤツが夏休みデビューしちゃいました、みたいなイタい雰囲気を醸し出している。

ロンドンの春は平均気温5~10度。

青年のような妙に現代的なファッションでは、いささか防寒機能に欠けている。

(このまま死ぬなんて……笑い話にもならん!!)

彼の名前は上終 神理。

記憶を失くした生後数日の人間である。

遡ること四日前、上終はロンドンの入り組んだ路地裏で眠っていた。

それはもうぐっすりと。

目を覚ませば前後の記憶どころか生まれてからの記憶が全く無いし、身分を証明するモノすら無ければ財布も無い。

そんな無い無い尽くしの彼であったが、唯一覚えていたのが『上終 神理』という名前だった。

ついでに加えれば、どうやら無いのは事象の記憶――エピソード記憶であることが判った。つまり、知識はあるようで、一通りの言語と一般教養は備わっている。

まあ、この状況で英語やドイツ語や日本語が話せるからといって、海外ではあまり自慢にならないのだが。

ロンドンのどんよりとした寒空の下を、電動ハブラシのように震えながら歩いていく上終。

どこを目指しているわけでもないが、歩き続けているのは意識を保つためだ。一回座ってみたら、急速に眠りに向かってしまう予感があった。

ただ、いま上終 神理が心の底から思っていることは、

(記憶を失くす前の俺を殴りたい!)

そもそも、路地裏で寝ていたこと自体とんでもないロクデナシのやることだ。

せめて今からは真面目に生きよう、と決意したその時、上終の左半身に小さな衝撃が走る。

その方向に目を向けてみるが、人の姿はない。下へ視線を移してみると、その衝撃の原因がいた。

年端もいかない幼女だ。

地面につきそうなほど伸びきった白髪から覗く眼には、上終の知識にはないおぞましく猟奇的な深淵の薄明かりが灯っている。

服装もボロ布をとりあえず着れるようにした、という風情のモノで、低気温だというのに半袖で靴下すら履いていない。

「すまない、痛むところはあるか?」

この幼女もいわゆる変人という部類に入るのだろうが、上終も負けず劣らず変人の道を行く旅人だ。

それほど物怖じせずに話しかけると、幼女は目を細め、冷ややかな笑みを浮かべる。

その威容に上終の背筋がざわめき立つ。

この幼女は、何かが違う―――。

「あなた、魔術師よね」

桜色の唇が動いた。

魔術師。言葉と少しの概要だけなら、上終の知識のなかにも存在している。

ファンタジーや物語の題材としてよく扱われ、この現実にも過去そのような人間たちはいたという。

だが、それはあくまでフィクション。

液晶の中や紙の上で語られる、想像上の存在のはずだ。

「……どういうことだ?」

上終は困惑して、思わず聞き返す。

相手は幼女。魔術師の存在を信じていてもおかしくないが、彼女の言う言葉には妙に真実味があった。

それは幼女の異様な服装と先ほど感じた違和感が後押しして、彼女の世界に呑み込まれてしまいそうになる。

「とぼけたってムダ。だって、あなたのカラダから魔術のニオイがするもの」

ますます意味がわからない。

上終は魔術師や魔術なんてモノ以前に、実に四日しか生きた経験のない赤子。

いよいよ気味が悪くなってきた上終は、無意識に一歩下がっていた。……その瞬間、腕を掴まれ引き寄せられる。

ギリギリと左腕を締め上げる幼女の手。か弱く、握れてば折れてしまいそうな儚い指は、見た目に反してプロレスラーじみた握力を発揮していた。

「……ッ!?」

全身から冷や汗が噴出する。

心臓は早鐘を打ち、本能は逃走を選ぶ。

だが、それでも、まるで蛇に睨まれた蛙のように脚が竦んで動作を拒否。

幼女のもう片方の人差し指が、つぅ、と上終の腹をなぞった。

「腕を千切ってしまおうかしら。それとも、腹を裂いて漏れ出た腸をロープ代わりにして遊んでアゲル?」

――ダメだ、手に負えない。

上終の精一杯の生存本能が選び取った選択は、腕のダメージを覚悟してでも走って逃げ去ること。

幼女の指が突き立てられる。

――相手は油断している。

グリグリと押し付けられるたびに、身体の奥から嘔吐感が迫り来る。

――一瞬で決めなければ、殺されるだろう。

幼女が人差し指を放し、指を打ち鳴らすと手の平に『棒状のナニカ』が集まっていく。

「『神――」

「おおおおおおッ!!!」

左腕に満身の力を込め、右手で強引に引っ張る。

左腕から繊維が切れるような音が連続して響き、皮膚の表面を生暖かい液体が伝う。

きっと、痛みと熱さも神経は絶えず脳に伝達しているはずだ。

この時だけはそれらを全て振り切って、狂ったように来た道を全力疾走で引き返す。

来た道を選んだのは、単純に土地勘があるからだ。少しでも逃走できる確率を上げるにはこれしかない。

ただひたすら無心で走る。

幸い、この身体は平均以上の身体能力はあるようで、全力疾走でも疲労は少なくスピードもかなりのモノ。

余りある体力に甘んじて、さらにさらにと速度を上げていく。

「……?」

ふと、二つの違和感に気付いた。

一つ、どうして周囲には人がいないのか。

ここロンドンはイギリスの首都である。留学生も多く観光も盛んで、昼夜関係なく人がたくさんいる。そんな地域のはずだ。

しかも、いまは昼時だというのに人が全くいないというのはあまりに異常。

二つ。

『どうして自分はこんなにもスピードを上げて走っているのか』。

どう考えてもおかしい。

幼女は振りきったはずだし、背後から迫ってくる気配も無かった。

だというのに、なおも全力疾走を続けるこの矛盾。

「けっこう速いじゃない」

反応する暇もなかった。

ただ、脳の冷静な部分だけが、本能のために全力疾走していたのだと答えを出していた。

今更になって、上終は確信する。

――魔術師は、存在する。

瞬間、上終に幼女の蹴りが炸裂した。

「ごっ……があぁぁあああぁあぁぁッ!!!?」

一瞬、規格外のダメージに、痛覚自体が『飛んだ』。

肺が強く絞り上げられ、空気を全部捻出される。肋骨の辺りからも、嫌な重低音が身体に響く。

およそ人間の、それもか細い幼女が叩き出せるような威力を逸脱した爆発めいた蹴りは、上終の身体を大きく吹き飛ばす。

数回石畳の上をバウンドして、突っ込んだ先は飲食店のガラス。

砕かれた破片は雨あられとなって上終に降り注ぎ、至るところに突き刺さっていく。

………理解が追いつかない。

魔術師の存在。

幼女の目的。

幼女の強さ。

自分と魔術の関わり。

だがしかし。

それよりも何よりも、上終 神理の思考を埋め尽くす大きな感情があった。

それは圧倒的理不尽、究極的不条理への極大の怒り!!

――――バラバラに砕け散った意識をひとつずつ拾い集めて繋げていく。

出来上がったツギハギだらけの意識が、満身創痍の身体に命令を下した。

「………」

朦朧とした思考のなかに、幼女の声が反響する。

「っかしいな……どうして魔術を使わないのかしら?殺してきた魔術師は脚が潰されても攻撃してきたのになぁ」

射殺すような視線で幼女を射抜く。

その瞳に灯った炎に、彼女が気づくことはない。大方、上終が気絶しているとでも踏んでいるのだろう。

「もしかして、『使えない』? ああ、それならまあ納得か。身体から魔術のニオイがするのは不思議だけど……」

ギリ、と歯が擦りあわされ音が立つ。

全身にどうしようもない熱感と気が狂いそうな痛みが戻ってくる。

「んじゃ、サクッと殺っちゃうか。―――『神血大聖槍』」

直後、世界が嘶いた。

魔術のことなど露とも知らない上終でも知覚できる莫大な力の奔流。

人の力が及ぶことのない神域の力の一欠片。

膨大な力が棒状の塊となって収束。

否、それは棒などではない。

『槍』。

無骨な鋼鉄の槍を、這うように彫られた蔦のような模様。神の武器としてはいささか絢爛さに欠けるが、槍から放たれる威圧感はそれこそ神威と等しい。

いま、この幼女は生物としての存在としての次元を一つ飛び越えた。

喩えるのなら、魔神。

神の領域の力をその手に顕現させた――!!!

「………それがどうした」

ゴキリ、と上終の右手が鳴る。

それを皮切りに、右手から全身へと力が行き渡るような感覚。

おぼつかない動きながらも、彼の脚は確かに動作し立ち上がることに成功する。

立ち上がった上終を見上げる幼女は、余裕の笑みを浮かべながら口を開く。

「……へぇ、驚いた。根性あるじゃん」

でも、と幼女は続ける。

「ここで死――」

ゴドンッ!!!という音が鳴り響いた。

その正体は、幼女の顎をアッパーで打ち抜いた拳。下手人は他でもない、上終だ。

困惑して後ろに下がる幼女を睨みながら、震えた脚で前進する。

「テメェ……!!」

「相手が弱いと思って油断したか? それは俺の強さじゃない、お前の弱さだ」

「――殺す!!!」

怒張した幼女の殺意は槍に込められ、鋭い音速の突きとなって体現される。

必殺の刺突は果たして、上終を貫くことは叶わなかった。

(今のは――ッ!!?)

『刺突が一瞬止められた』。その間隙を利用して回避されたのだ。

身体を捻りながらの左フックが、腹部に強烈に突き刺さる。

「俺は死ぬわけにはいかない。……いや、お前なんかに殺されてたまるか!!」

「うるせぇ!!黙って殺されときゃイイんだよクソ魔術師がァ!!!!」

青年の拳が放たれる。

幼女の聖槍が突き出される。

もし、この先が再現されたとしたのなら、文句なしに上終は串刺しにされていただろう。

      「そこまでだ」

舞い起こるのは神風。

凝縮された空気の弾丸が吹き飛ばすのは、聖槍を携えた幼女だ。

視界から横滑りするように飛んでいった幼女と、頬を薄く切り裂くかまいたちに、上終はフリーズする。

「……え?」

上終の眼が捉えたのは、短剣の切っ先をこちらに差し向ける金髪の幼女の姿と、彼女を取り囲む黒服たちだった。

雪白のような肌に端正で可愛らしい顔立ちでありながら、自信と貫禄のある佇まいに息を呑む。

「マーク、そいつは適当にふんじばっておけ」

悠々と横を通り過ぎていく金髪の幼女は、そばにいた執事服の男に命令した。

彼女の視線は絶えず白髪の幼女に向けられている。

「はい。それでは失礼します」

「ちょ、まっ」

事情を聞き出そうとした上終。

しかし、マークと呼ばれた礼服の男はカードを上終の胸に当てると、にっこりと笑った。

「おやすみなさい」

ぶつんと何かが切れた音がしたときにはすでに、上終の意識はどこかへ飛んでいた。

棒のように倒れる彼の身体を、マークは片腕で受け止めて周囲の黒服たちに任せる。

「手伝いましょうか?」

「いらん。私がやると言っただろう」

金髪の幼女――レイヴィニア=バードウェイは幼い身ながら、凄腕の魔術師だ。

イギリスの魔術結社のなかでも有数の力を持つ組織『明け色の陽射し』のボスとして君臨し、強さはもちろん手段を選ばないことで有名。

その実力は世界の魔術師では最高峰といって良いだろうが、相手は規格外。

「久しぶりね、レイヴィニア」

腑抜けた笑みをみせる白髪の幼女に、レイヴィニアが答えることはない。

幼女のほうもそれを承知していたのか、笑みを深めながら次から次へと言葉を吐き出していく。

「まあそんなヤツだってわかってたけどさ、親友同士のカンドーのサイカイだぜ?そんなんじゃお相手だって見つからないんじゃないの?」

「…………」

「っかさぁー、なに、戦おうってわけ?んで勝って分かり合うとか?ムダムダ、そんなサムい展開あるわけないじゃん。わたしの殺害対象はアンタもなんだぜ?だから――」

「黙れ」

強く吐き捨てる。

その直後、幼女を取り囲むように五つの純白の閃光が生じる。

大気を焦がし、何もかもを削りとり吹き飛ばす球状の爆発は、等しく幼女を殺し尽くすための攻撃。

純白の檻は瞬く間に幼女を爆殺す「『伝承変更・世界支配』」――ることはなかった。

正しく、光の爆発は幼女を呑み込んだはずだが、それらは時間を巻き戻すかのように縮小していく。

「おかえしだ。喰らってけ」

ドッ!!という音とともに五つの閃光が光線となって空へ伸び、ミサイルの如くレイヴィニアに降り注ぐ!!!

「ぐっ…!!」

短剣を振るう。

すると、光線は途中で針金のように曲がり、周辺へ轟音と破壊を巻き起こしながら墜落した。

アスファルトの破片と土埃が舞い上がる目くらましを風で振り払い、金髪の幼女は叫ぶ。

「アナスタシア!!」

「いいや、わたしの名前は『レプリシア=インデックス』だよ。そこを間違えてくれるな」

レプリシアが槍を振り回す。

そこに出来たのはまさしく空間の切れ目だ。扇のように開いていく空間の門に足を踏み入れる。

「『明け色の陽射し』――まずはお前たちからだ。覚悟しておけ」

そう言い捨てるのと空間の切れ目が閉じるのは同時だった。

 

 

 

―――黒い。

闇く昏く暗い世界。

何人にも把握できない世界。

遠く広がる真っ暗な世界に彼らはいた。

「いやーあせったあせった。マジであせった。『最高傑作』が序盤でぶっ壊されるとかシャレにならんでしょ」

「まさかいきなりエンカウントするとはのう。儂らは手出しできない故にな」

「なら、もっと強くしといた方が良かったじゃん。小指で上条と上里抑えておけるみたいなさーー」

「ほっほ、それこそ無理じゃな。『ヒーロー』はどうあっても行動を制限できはしない。だから上終がああなったとも言えるのう」

「そうか~~。じゃあまだまだだねぇ。『右手の力』も理解してないみたいだし」

彼らは嗤う。

自らが作り上げた存在を虚仮にして。

ただじっと、『上終 神理』が躍り狂うさまを観察し続けるだろう。

 




やっぱり文章書くの難しいですよね。楽しいけど。
次回も生暖かい目で見守ってください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黄金の夜明け団

第一回謝罪会見。
上終くんの名前とかルビふってなくてごめんなさい。
次回までに習得してきます。


例えばの話。

全身に切り傷と刺し傷を負って、肋骨も数本砕けて背中に打撲を受けた人間がいるとする。

誰がどう見ても瀕死のその状態から、一晩寝ただけで綺麗さっぱり元通りになる人間がいたとしたら、それは人間といえるのだろうか。

上終神理が置かれている状況はそういうことだった。

「いやー、おかしいですねえ。実におかしい。もし捕らわれたのが別の魔術結社なら、解剖されてホルマリン漬けにされてましたね」

ニコニコと意地の悪い笑顔をするマーク。上終の周りを円を描くように歩く彼は、矢継ぎ早に言葉を続ける。

「それに記憶喪失……と。怪しいですねぇ。どれくらい怪しいかと言ったら、エプロンを装備したうちのボスが、台所から煙が上がっているところを隠していた時くらい怪しい」

「殺すぞ」

「ごめんなさい!!」

……とまあ、端的にいえば尋問されていた。

壁に血塗られた剣や錆びついたハサミなどが立てかけられていること以外、とても健全な独房のなかで。

ロープでぐるぐる巻きにされた上終は完全に身動きを制限されていた。

レイヴィニアは一人悠々と椅子に座ってくつろいでいる点が、彼女の傲岸不遜さを表している。

「俺が言うのもなんだが、尋問が進んでいないぞ」

「…………で、あなたは『魔術』についてご存知で?」

上終の指摘に悔しそうな表情をして、強引に話題を転換させられる。

「魔術の『ま』の字も知らない」

そう言うと、マークとレイヴィニアの二人は全く同時にため息をついた。

妙な連携に上終は少し苛ついたが、本当に知らないのだから仕方ない、と自分を諌める。

そもそも生後数日の人間にそれを聞いてどうしようというのか。

「……どうしろと?」

涙目で問うてくるマーク。

「なぜ俺に訊く!?」

「いや、ここだけの話うちのボス超怖いんですよ。だか――」

ぼす、という音がマークの下半身から……股間から鳴った。そこには、白い靴を履いた小さな足が突き刺さっている。

一瞬、マークからカエルの潰れるような声がもれたかと思えば、青ざめた顔で床を這う。

そんな彼の醜態というか痴態を間近で見ていた上終は、目を剥いて絶句する。

「上終、選べ」

鷹のような視線で以って突き刺してくるレイヴィニアは、冷たい声音で言う。

「ここから解放されて昨日のヤツや魔術師に怯えながら暮らすか、私のところで奴隷となるか」

「……ど、奴隷?」

「ああ。見たところお前は頑丈なようだし、話せる言葉も豊富だ。なに、少し命懸けで交渉したりするだけだよ。奴隷になんてしないから安心しろ☆」

不気味な笑みで言い聴かせる。

上終は直感した。

『ここで働くことなったら死ぬ』、と。

(交渉とはつまりアレだろう。マフィアとか魔術結社とかに正面切って送り込まれて結果的にドンパチするヤツだろう!!?)

まだ記憶すら取り戻していないのだ。当然命は惜しい。

が、解放されたとしてもそれは同じ。

あの白髪の幼女曰く、『魔術のニオイがする』というのだから、たんちすることは容易なはずだ。加えて、上終には異常なまでの再生力がある。

マークの言うとおり、解剖されるなんてことも十分にありえるのだ。

となれば、ここで働くのもやぶさかではない。

それに、着の身着のまま外に放り出されれば、魔術師がどうとかの話より先に凍死してしまう。

「あっ」

視線をレイヴィニアに向けたときだった。

上終はあることに気づく。

それも、レイヴィニアの栄誉に関わる重大なことだ。言うべきか言うまいか悩んでいると、本人から声を掛けられる。

「早く決めろ。こっちも忙しい」

「いや、奴隷になるってことで良いんだが。……こ、これは言うべきなのか?」

思わず、横で悶絶しているマークに訊く上終だが、現在マークは話を聴けるような状態ではなく無視された。

上終の様子に、疑問を覚えたレイヴィニアは脚を組み直して考えようとしたところで察知する。

「……おい。まさか」

「パンツがみえ」

「どうして言ったァァァ!!!」

最後に見えたのは、純白の光だった。

 

 

 

この世界は二つに分けることができる。

魔術を追求する魔術サイド。

科学を研究する科学サイド。

彼ら二つの勢力は不可侵を取り決めており、科学を取り込んだ魔術や魔術を利用した科学は処分対象として葬り去られる。

片割れである魔術サイドでも、それこそ星の数ほど魔術結社が存在しているが、やはり科学に手を出した組織はいまだかつて無い。

過去には世界の科学の最先端、学園都市と魔術結社が研究を行ったそうだが、頓挫してしまっている。

互いが互いの領分に踏み入ることがないように、勢力を分けたが、時に科学を学ぶ者が魔術の道に入ろうとすることもある。そんな人間は抹殺されてしまうわけだが、もしも『その人間らが集まって一つの魔術結社をつくったとしたら』。

事実。

科学を学んだ魔術師たちが集う組織は、確かにこの世界にある。

イギリスを本拠する魔術結社―――『黄金の夜明け団』。

古来より科学と密接な関係があった錬金術や、天文学を得意とする魔術師は得てして黄金の夜明け団に入る。

世界の魔術と科学の知識を集めるため、多種多様な人種・宗教が入り混じり、構成員は各国に紛れ込んでいる。

その人脈は全世界に及び、学園都市の深部にまで到達しているという。

――黄金の夜明け団、本拠地。

成り立ちゆえに封権的な秘密主義を掲げている彼らは、会員であっても階級によって情報を規制される。

宮殿のように豪華なその部屋には、最高級の調度品や宝石が並べ立てられており、まるで王室のようだ。

部屋の中心に据えられた巨大な円卓を取り囲むのは、会長とその下につく幹部たち。

最高幹部会『生命の樹』。

そして、黄金の夜明け団を統べる第196代団長『ケテル=クロンヴァール』。

最初に口を開いたのは彼だった。

「レプリシア=インデックスはどうなっている?」

答えるのは右腕である『生命の樹』序列第三位、エクルース=ビナー。

「順調に魔術師を撃破しているようですね。ただ、先日『明け色の陽射し』のレイヴィニア=バードウェイと交戦したところ、殺害せずに逃走した、と。『制限時間』が来なければ勝利していたでしょう」

「やはりか。素体に頑強な『聖人』を使ったのだがな、所詮は模倣か。アレでも我らの最高傑作であるというのに」

憂いを帯びた吐息が、静寂に響いた。

「……レプリシアの戦闘ですが、妙な記録があります」

エクルースは自分でも困惑しているような声で報告した。

普段は実直で冷静な男であるために、円卓の幹部たちも怪訝な顔つきでエクルースの言葉に耳を傾ける。

「『魔術のニオイがする一般人』と戦闘し、槍の顕現に至ったものの殺し切れていません」

今度こそ、円卓のメンバーはざわめく。

レプリシア=インデックスの『槍』は間違いなく最強だ。レプリシア本人も神の子の身体的特徴を持った『聖人』であり、彼女に隙は無い。

何よりも、一般人を殺せないという事実。

魔術師ならたしかに可能性はあるだろう。レプリシアの危険性にいち早く気づき、全力で逃走するのならまだ可能性はある。

しかし、相手は魔術を知らず魔術を使えない、正真正銘ただの人間。

レプリシアの戦闘力は並の魔術師なら素手で殴り殺せるというのに――――。

「どういうことだ」

ケテルが低い声で尋ねる。

「か、監視カメラから送られた映像があります」

慌てて手元の機器を操作し、空中に映像を投影する。学園都市の構成員が入手した技術を利用した最新鋭の映像機器だ。

そこに流れる映像は、満身創痍の青年に対してレプリシアの『槍』による刺突が繰り出される瞬間をとらえたモノ。

聖人の身体能力をフルに活用した突きは、音の速度で青年を貫き、ミンチに変えるはずだった。

――が。

レプリシアの動きが一瞬明確に『停止した』。

そう、一瞬だ。

たったの一瞬。

しかしそれは。

「―――!!?」

この場に居合わせた全員を釘付けにし、驚愕させた。

魔術を使った反応は無い。

ならば、学園都市の能力者かとも疑ったが、それは現地の構成員が渡航記録を盗んでいるためありえない。

「これは……!?」

「魔術でも無く能力者でも無い……」

騒ぎ立てる幹部もいれば、黙り込んだ幹部もいる。彼らに共通していることは、映像の青年の力についての推論を立てていることだ。

「……欲しい。ああ、とても欲しい。魔術と科学、どちらからも離れた謎の力―――解明すれば、必ずや我々の武器になる」

クク、と低くくぐもった笑い声。彼は首を傾け、エクルースを見やる。

「ビナー。所在はわかるか?」

「はい。『明け色の陽射し』に確保されたようです。少なくとも手放しはしないでしょう」

「ふむ。明け色の陽射し、か。彼らも『排除対象』に入っていたな……ちょうど良い、レプリシアも使ってしまおう」

ケテルは邪悪な笑みを浮かべ、円卓に座る幹部たちに次々と視線を移していく。

「ティファレト、ケセド、ネツァク。レプリシアを用いて『明け色の陽射し』を排除し『謎の力を持つ青年』を捕獲しろ」

 

 

 

『明け色の陽射し』、アジト。

後になって知らされたことだが、レイヴィニアの性格と気質にそぐうかのように、この魔術結社も荒々しいことばかりしているそうだ。

その逸話のなかでも、この国の対魔術師に特化した最大の魔術結社で十字教の三大宗派であるイギリス清教と抗争を行っていること。

なんでも彼らは食事をしていても風呂に入っていても死にかけていても強襲してくるらしく、明け色の陽射しはそれに備えて各地に拠点を造っているのだという。

大規模な魔術を行う際は必要最低限の人員と物資を持って移動し、魔術を成す。

そのためか、このアジトは充分に手入れが行き届いてるわけではない。

そこで駆りだされたのが新米肉壁こと上終 神理だ。

彼の人生初めてのお仕事は掃除だった。

とりあえず命を懸けるような仕事でなくて安堵していた上終だが、この数十分で人生は甘くないことを悟っていた。

というのも、

「ごっほ!がっは!」

まるで嫌がらせのように埃が多い。

流し見ただけなら普通の部屋なのだが、細かいところを探ってみると虫の死骸なんかも出てくる。

「は、ハウスダストで死ぬ……?」

あの白髪の幼女のときはどうにかなったものの、今回ばかりは三途の川を渡ることになるかもしれない。

と、一人で生死の境をさまよっていると、部屋の扉が乱暴に開け放たれる。

反射的に扉の方向に振り向く。

そこには上終の雇い主こと大ボス・レイヴィニアの姿があった。

「……っ」

咄嗟にそっぽを向くレイヴィニア。

「……」

気まずい空気になる。

数十分前に大事件があったのだから当然といえば当然だが、彼女はあの時よりも鋭い殺気を纏っている。

上終はパンツの幻影を即座に右ストレートで吹き飛ばし、なるべく平静を装いながら話しかけた。

「この部屋を使うなら、もう少し待ってくれるか」

「早くしろ」

開けるときと負けず劣らず乱暴な閉め方で去っていく。

足音が小さくなっていくのにつれて、上終の心中である思いがうまれる。

感じるのは多少の違和感。

否、それは普段から彼女を知る者にとっては多少どころの話ではない。

出会って間もない上終であっても、一瞬で見抜けたその違和感の正体とは『目元から頬の薄く赤い線』。

(泣いていたのか……?)

あの少女が?

一体どうして?

人間なら泣くことだってあるだろう。

人間なら逃げ出してしまいたいことだってあるはずだ。

ましてや、あの年頃なら………。

そこで、上終は気づいた。

路地裏で目覚め、白髪の少女に半殺しにされ、ここに迎えられるまでに話す機会はあったが、『誰のことも全く知らない』ことに。

それであの少女のことを詮索するのは、あまりにも不躾だ。

レイヴィニア=バードウェイにマーク=スペースに明け色の陽射しの魔術師たち。

彼らのことを知ることから始めるべきであると結論づけ、上終は行動に移った。

「マーク!お前の事を教えてくれ!」

「……はい?」

首を傾げて若干引いたような表情をするマークに、上終はあっけにとられる。

「なにかおかしかったか?」

「ええ、そりゃあもう」

「じゃあそれも含めて教えてくれ」

と言うと、またもや困った表情をする。ますます会話の足並みが乱れていくことを察知したマークは言い聴かせることにした。

「冷たい言い方ですが、いきなり入ってきた『人間モドキ』にいきなり自分のことを話せ、なんて言われても気味が悪いでしょう?下手したらあなたはスパイだと思われる可能性もあるんです」

「なるほど。以後気をつける」

安心してため息をつく。

そうしてこの場から離れようとするマークだが、上終に引き止められた。

「しつこいと思うだろうが、俺はお前の事を聴くまで離れるつもりはないぞ」

「そういうのを現代ではストーカーと言います!!もし一般人ならしょっぴかれてますよ!?」

「いいや!この場合のストーカーは『特定の者に対する恋愛感情や怨恨の感情』ではない!だから俺は捕まるわけがないんだ!!」

「いや!いま決めた!マーク=スペースのルールではあなたはとびっきりの有罪判決にあたります!」

論争は実に17分続いた。

騒ぎながら言い合っていたせいか、他のメンバーたちも集まっていて、彼らの口喧嘩を暖かく見守っている。

そうして、上終が『人間の生と死』について語ったところで両者ノックアウトとなり、勝負は次に持ち越しとなった。

二人を見守っていた魔術師たちも、見世物が終わるとのろのろと仕事場へ向かっていく。そんな集団の一人の男性が足首に違和感を覚える。

おそるおそる下へ下へと視線を傾けていくと、案の定そこには芋虫みたいに床を這った上終がいた。

「ギャアアアア!?」

「――俺は……全員の…ことを……知るまで……休むつもりは………ない」

息も絶え絶えに囁いているのか、呟いているのかくらいの音量で喋りけてくる。

しばらくは全力で逃走しようと奮闘していたが、異常なまでの執念に根負けし、つらつらと自分のことを話し始める。

こうして上終は全員のことを聴き出し、レイヴィニアのもとへ向かうところで力尽きた。

 

 

「雨か。嫌だねぇ」

しとしとと降る雨と灰色の空をみて、顔をしかめるホスト風の男性。

服装のカラーリングは青で統一されており、遠目からでもそれとわかる奇抜な風体をしている。

革製の手袋までが青く、相当なこだわりがあることがうかがえるが、隣の男を見ればそんなことも言ってられない。

「水も滴るいいオトコだろう!?貴様は性病持ちだから汚く写るのだ!!」

傘もささず下手なステップを踏む変態。

上半身の着物は仮面だけ。下半身は黒塗りの今にも張り裂けそうなブーメランパンツの巨漢。

筋肉を体現した筋肉の中の筋肉――至極のマッスラーが、ロンドンの景観を汚していた。

「仮面してるからわかんねーし、いいオトコじゃねーし、性病持ってねーし、そんな話してねーし。お前さんには女の良さはわからんだろうよ」

「我が恋人は勝利のみ。それ以外に興味はない!」

「へー。じゃあいっつも愛読してるボディビルダーの本捨てろよ」

冷たく切り返す青色の男。

マッスラーは言葉につまり、反論が見つからなかったのか撃沈した。

二人から遠くで何らかの作業をしていた女性は、その様子に呆れかえる。

真紅のドレスを華麗に着こなした、高貴な印象をもたらす彼女の風貌は、傲岸不遜な女王のようだった。

「レプリシアの居場所は探知できる。さっさと明け色の陽射しの隠れ家を探し出すぞ」

……彼女は黄金の夜明け団『生命の樹』序列第六位、ヴァレリア=ティファレト。

数々の人間をその美貌と魔術で操り、破滅に陥れてきた稀代の悪女。

「人を殺すのは気が乗らねーけどな。お仕事だってんなら、さっさと片付けるに限るね」

……彼は黄金の夜明け団『生命の樹』序列第四位、ケセド=フロイデンベルク。

貴族でありながら暗殺者である異色の経歴を持つ辣腕の処刑人。

「戦闘になれば我を呼べ!いまこそ我が力と武勇を世界にしらしめるときであるぞ!!」

……彼は黄金の夜明け団『生命の樹』序列第七位、ネツァク=スパダヴェッキア。

あらゆる『魔術結社を正面から打ち破ってきた』無双の体現者である。

――明け色の陽射し及び、謎の力を持つ青年を対象とした狩りが幕を開けた。




ここからどんどんハードモードにしていきたい(切実)。
次回もまたお願いします。
……とあるっぽくないかも。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

戦塵の先触れ

四話と合わせて読んだほうがいいかもしれません。



「……へぇ。お前らの協力をしろ、ってこと」

イギリス・ロンドンの無数にあるビルの一つ。その屋上で、白髪の幼女と青色の伊達男が対峙していた。

それだけで殺しかねない殺気を向けられる青色の伊達男は、ゆらりと殺気を受け流す。

「そうだ、『白の禁書目録』。俺らと組んで明け色の陽射しを殲滅しようぜ。過去のことは水に流してよォ」

ケセド=フロイデンベルクは嘯く。

まるで挑発するかのように。

口角を限界まで吊り上げて、レプリシアは笑みのような複雑な表情を作り出す。

「断る」

「おいおい、しっかり考えたのかよ?」

冷や汗を浮かべて問いかける。

その口調に反して、彼は腰を沈め膝を曲げて戦闘態勢をとっていた。

「無論、考えるまでもない。わたしの望みは魔術師を一人残らずブチ殺すことだ。――『神血大聖槍』」

『槍』が顕現した。

ただそこにあるだけで世界を歪める聖遺物。手にした者は世界を支配すると謳われた、神話級の聖槍がぎらりとした光をそり返す。

槍が動く。

――死んだ。対峙するケセドでさえそう錯覚してしまうほどの存在感と殺気。

音速で挙動するレプリシアが繰り出す、世界最高の槍に青色の伊達男は呆気無く――――

「――ッあァ……!?」

「ナメるなよ、クソガキ」

―――打ち抜かれることは無かった。

なぜなら、レプリシアの両腕が一瞬にしてミンチと化し、槍ごと地面に叩き落とされたからだ。

それも全くのノーモーションで。

何か魔術的な動きをすれば、レプリシアは一瞬とかからずそれを潰すことができるが、青色の伊達男は魔力の気配も何も無かったのだ。

ケセド=フロイデンベルクは酷薄に笑いながら、崩れ落ちたレプリシアを見下す。

「油断禁物。いい言葉だと思わねぇか」

白髪の幼女の顔面を爪先で打ち据え、靴底の裏で後頭部を地面に押し付ける。

自身の血に溺れながら、レプリシアは屋上の至る所へ視線を走らせ、解答を導き出した。

「あらかじめ……結界を………?」

「正解だ。迂闊だったな……さて、『テメェはこれくらいじゃあ降参しねぇよなァ』!!」

今度こそ、レプリシアは嗤う。

極限まで凝縮された闇を瞳に忍ばせて。

「『伝承変更・完全治癒』」

ズグ、と潰れた腕の断面から肉が隆起する。

その肉塊は徐々に人間の腕の形に整っていき、依然と寸分違わぬ細腕が再現されていた。

病的なまでに白い指で槍を掴み取り、幼女らしからぬ妖艶な微笑みで頷きかける。

「ええ。その通りよ、おじさま。――『伝承変更・絶対貫通』」

それを聴いた瞬間、ケセドは全力で屋上の外へ跳んだ。

直後のこと。

ドォッ!!!という轟音を引き連れて、槍が真紅の光線を放つ。

真紅の光線――刺突は、進行方向上の物質を全て削り取り、地平線の彼方まで直進していく。

「化け物が……!!」

真紅の光線を見送りながら落下する。

おそらく、あの刺突は重力を振り切って宇宙にまで到達しているのかもしれない。

レプリシアの位置を確認しようとして、ビルに目を向けたその時、ケセドは言葉を失った。

「殺す殺す殺す!!!!」

ビルを足場にして地面へと駆け下りながら、突っ込んでくる!!

「チッ!『調整』はしっかりしとけよ!クソが!!」

悪態をつきながら『空気を蹴る』。

真っ直ぐに落下してくるレプリシアは、急激な方向転換に追従できず地面に墜落する。

しかし、彼女は世界に20人といない『聖人』の一人だ。

苦もなく着地を決め、撃ちだされた弾丸のように飛翔する。

『生命の樹』序列第四位、ケセド=フロイデンベルクと『白の禁書目録』、レプリシア=インデックスの人智を超えた競争が、始まった。

逃げるのはケセド。

追うのはレプリシア。

捕まれば、死あるのみ。

 

 

昔の捨てきれなかった記憶。

儚く尊い、彼女との記憶。

……今ではもう、すっかり色褪せてしまった。

その少女が産まれたのは、異世界の法則を現実に適合し、ありとあらゆる現象を引き起こす技術――魔術の家系。

世界各地の様々な伝承や伝説を利用する魔術だが、少女の魔術結社はその点において特異といえた。

始まりは、国家や組織の支配のためにカリスマを研究する機関。

カリスマというのは、とある聖書に書かれた『神からの贈り物』を意味する宗教用語だった。これを社会的な用語として使い始めたのは実に20世紀である。

その機関は当時としては、革新的な思想を持つ団体であったといえるだろう。

宗教と密接な関わりがあるため、元々オカルト色が強かった機関が具体的に魔術の道へ傾倒していったのは19世紀。この頃誕生した『魔術結社』によって、多数の魔術結社を生み出したのだ。

それは、世界最古の友愛団体から派生した一組織。

それは、錬金術・天文学・カバラなどの魔術を専門とする魔術結社。

それは、近代の西洋魔術の雛形を創り上げた『黄金』と呼ばれる集団。

――『黄金の夜明け団』。

創始者は西洋にありながら仏教の要素を取り込もうとするなど、宗教や人種には貴賎を持たない人間だった。

その思想と才能ある初期の魔術師たちの手により、『黄金』は急速に広がりを見せることとなる。

機関は『黄金』を調査し探求するうちに、魔術の道に取り込まれた。

この時の実情はまさに常軌を逸したモノであり、『カリスマを研究する組織』が『カリスマに呑み込まれた』ことから、どれほど強大であったのかがうかがえる。

機関は魔術結社として新生を果たし―――『明け色の陽射し』と、そう名付けた。

魔術結社となっても『カリスマ性の研究』は目的として掲げており、故にその少女もカリスマを持つ人間であるように教育された。

支配者に相応しい魔術の実力。

君臨者の資格である傲岸不遜な態度。

それは少女の人格をバラバラにして新しいパーツを加えたあとに、全く柄の違うパズルを組み上げるようなモノ。

口調に声色、出で立ちと振る舞い、容赦ない理詰めの思考から効果的な制裁の方法まで、全てを教え込まれた。

そうして一個の支配者として少女が出来上がり、彼女はある幼女と出会う。

綺麗な艶のある黒髪。

妖精のような可愛らしい容姿。

……だからなのかもしれない。

支配者となるべく育てられた少女にとって、その幼女はとても輝いてみえた。

〝わたしは『アナスタシア=フランキッティ』!!アナタは?〟

〝……レイヴィニア=バードウェイ〟

それは、遠い過去の儚く輝く綺羅星(きおく)

「……悪い夢だ」

掛け布団を跳ね除ける。

無造作に飛び跳ねた髪の毛を直しながら、ベットから降りた。

あくびをしてから扉を開いて、階段を下ったところの居間へと向かう。どうしてかはわからないが、人といたい気分だった。

すると、空腹を増長させるような芳しい香りが漂っている。鼻孔をくすぐるその匂いの出処は、やはり台所。

「……」

白いエプロンに三角巾で髪をおさえたまま料理を行う、上終の姿があった。

レイヴィニアに気づいた上終は、作業を行いつつ話しかける。

「起きたか。もうすぐできるから座っていてくれ」

「オカンか、お前は」

自身でも納得してしまったのだろう。上終はなにやら微妙な表情をしていた。

表情をしっかりと引き締めると、彼はレイヴィニアの目をみて、言う。

「君のことを教えてくれ」

「……は?」

汚らわしいモノをみるような目で睨まれる。彼女の中で上終の階級が一段下がった音がした。

だが。

そこはもう百戦錬磨の上終である。

心に少しの寂しさを覚えながらも、言葉を繰り出すことにする。

「勤務先の仲間もボスのことも知らないようでは、使い物にならないだろう」

「もしかして、全員に訊いたのか……?」

首肯する上終。

訊き終わったあとに皆青褪めた顔をしていたことは伏せておく。

「……保留だ。今度話してやる。お前が生きてたらな」

「そうか。なら楽しみにしておこう」

 

トン、と細い人差し指が机を叩く。

トン、トン、と回数が増えるごとにカップに注がれた紅茶に波紋が生まれる。

それが表すのは苛立ち。

これを眺める赤髪バーコードの神父は、ため息とともに煙を吐いた。

「タバコ、けむいわよ」

「無理ですね。僕はニコチンと生涯を添い遂げ、棺桶も花の代わりにタバコを詰めることが生きがいですから」

「……ニコチンの悪魔に取り憑かれているのではないかしら」

吐き捨てるように呟いた金髪の美女。

身長の倍以上はある、まさしく黄金めいた金髪をそこらに振り乱し、ベージュ色の修道服を着ている。

彼女は端正な顔を忌々しげにしかめて、不良神父に八つ当たりする。

猫のようなパンチを回避しながら、神父は金髪の美女が気にしているであろう話題を口にした。

「『レプリシア=インデックス』……いやはやまったく、どうしてあんなのが出現したのか。黄金の夜明け団も酔狂ですね」

「ステイル、貴方こそがもっとも憤怒しているのではなくて?」

口を閉ざす。

血管が浮き出るほど強く握りしめられた拳は、ステイルの怒りの象徴か。

「ええ。アレはインデックスへの侮辱だ。神父として純情な少女を化け物に変えたことにも憤りを覚えます。……ヤツらを焼き尽くしてやらないと気が済まない」

「ふぅん……さて、レプリシアを探知する術式があるのだけど」

ふふん、と笑みを浮かべて紅茶をたしなむ金髪の美女。

その時、ステイルのなかのナニカが切れた。パレードのように盛大に切れた。

「……計りやがったな、クソ教皇」

「あら。そんなこと言いしものならあげないわよ?」

言い詰まるステイル。

得意げな表情をする教皇に、堪忍袋が大爆発を起こしかけた。全てのニコチンを集約してそれを抑えると、観念して頭を下げる。

「よろしい。出るときに受け取っておきなさい。疾く向かうことよ」

「ち、ちくしょう……!!」

絶対にこの女の思い通りになってたまるか。そう決心したステイルであった。

 

『明け色の陽射し』、アジト付近。

辺りはすっかり暗くなっているが、ロンドンの街は賑やかさを保っている。

そんな夜の街を歩く三人のアウトローじみた集団……レイヴィニア、マーク、上終たちだった。

「……嗅ぎまわってるな」

杖の先で建物の壁を軽く叩く。

少女の呟きにマークも頷いて同意した。

「どうやら、そのようですねえ。それで、どうします?」

「下手に逃げて移動を狙われても面倒だ。待ち構えて正面から叩き潰す」

「俺が来た意味はあるのか?」

不機嫌そうに口を挟む上終。

二人は同時に上終の方を振り向いて、口を揃えて言い放つ。

「肉壁です」

「肉壁以外に何かあるのか」

上終は空虚な目でそれを受け止める。

二人の言った内容を頭の中でゆっくりと咀嚼し、飲み込んだ。

満身創痍から一晩で回復する治癒力。

戦闘能力が無いに等しい下っ端。

レプリシアから狙われる魔術の気配。

これ以上ない最高級の壁だろう。

「た、確かに…」

納得した上終の様子を見届けると、レイヴィニアとマークは再び話し合いに入る。

「となると、見つかるのは時間の問題ですね。連絡しておきましょう」

「……もう言ってある。なぜなら――」

その直後。

爆発とガラスが割れる爆音が、三人の鼓膜を叩いた。

反射的にその方向に視線を投げれば、アパートメントの一室が轟々と黒煙を吹いている。

さらに。

「はッ!ビンゴだったぜ『白の禁書目録』さんよォ!!」

「へぇ!わたしが殺せなかったのはあなたで三人目よ!でも殺す!!」

青色の伊達男と白髪の幼女が、高速で落ちてくる。

青色の伊達男は上終に向き直り、白髪の幼女はレイヴィニアに槍を向ける。

「小僧、すこーしだけ楽になってもらうぞ」

上終を狙うのは群青。

魔神の域に近づいたレプリシアを出し抜き、両腕を潰して逃げ延びた男。

魔術サイドの暗殺者で最高峰といわれた処刑人。

「レイヴィニア!殺し合おうか!!」

突撃する『白の禁書目録』。

聖遺物の真の力を再現した聖槍を振るう、世界有数の聖人。

――黄金の夜明け団が造りし最高傑作の殺戮兵器である。




それでは四話へGO


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『天地繋ぎ』

つかれた。


――身体が動かない。足が竦む。

目の前の男が放つ殺気に、心臓すら縮んでいる。

鋭い鷹のような眼で上終を見据えれば、それだけで死を確信する。

ヤツは、経験と鍛錬に基づくプロの殺人者だ。レプリシアに一矢報いることができたのは、彼女が強大な力を振るうだけの『子供』だった故のこと。

だが、彼は違う。

的確に力を行使し、蛇のように敵を追い詰める。

「そら、いくぞ」

まるで、息子を遊びに誘うかのような気軽さで戦いは始まった。

否、それはもう戦いにならないだろう。

行われるのは虐殺だ。

強者が弱者を踏み潰す虐殺。

上終とケセドの間にはそれほどまでの実力差があった。

(――来る!)

ダンッ!!!と、ケセド=フロイデンベルクは踏み込む。

瞬間、踏み込んだ右足から衝撃波じみた旋風が巻き起こる。規格外の加速を得たケセドの姿がブレる。

そレプリシアの刺突もかくやという速度で突っ込んでくる群青の突風。

そこから繰り出される攻撃は、掠るのみで骨を粉砕し直撃すれば、それこそ骨も残らないだろう。

「『風の十四枚(ソード)』」

上終の頭をケセドの蹴りが破砕する寸前、群青の突風は突撃を停止して後方に飛び退く。

その一瞬後、不可視の刃が地面のアスファルトごと、マークの直線上の物質を斬り裂いた。

「危ねぇな。男と男の一騎討ちに横槍を入れやがって」

「いえいえ、そこのは喋って動けて小間使いもできる奴隷ですので。男ではありませんよ」

二対一。

青色の男を挟むように上終とマークが位置取っているが、上終はあまりにも脆弱だ。

すると、マークと目が合う。

彼はかつてないほど意地の悪い笑顔で、一枚のカードを取り出した。

「死ね!上終ェェェ!!!」

風の砲弾が生み出され、前方に向けて発射される!!

「――はぁ!?」

驚愕しつつも横に跳んで躱すケセド。

もう一度確認しよう。

上終とマークは、ケセドを挟むように立っていた。つまり、前方に放った風の砲弾は――

「ッッ……があぁあぁあああぁぁ!!?」

――上終に当たる!!

腹部にめり込んだ砲弾は、着弾とともに拡散して大きく吹き飛ばす。

吹き飛ばされた先は黒煙をくゆらせるアパートメント。

「テメェ……!!」

ケセドは殺気のこもった視線でマークを睨めつける。

状況は出来上がった。

マークとケセドの力量はほぼ互角。上終を追うために背中を向ければ追い討ちをくらう。

戦うしかない。

青色の男は覚悟を決めて、『全力』でマークを瞬殺するため術式を起動する。

再来する群青の突風。

迎撃するマークは新たなカードを引き抜き、小さく投げる。

カードを中心に空気が渦巻いたかと思えば、拡散する風の刃が射出された。

ケセドは両手を突き出す。

そして、無数の風の刃と青の掌が交差する瞬間。

「ぬんッ!!」

―――両者の間に、たくましい筋肉を晒した巨漢が上空から割り込んでくる。

「なに……!?」

マークは目を見開いて息を呑む。

彼が信頼を置く『風の十四枚』による攻撃を真っ向から受けたのにも関わらず、

「うむ、中々だ。ケセド、あの小僧を追え。この男は俺が勝つ!!」

無傷。

無欠。

無疵。

まさに鉄壁。

身じろぎ一つもなしに耐え切った筋肉の塊は完全無欠だ。

今のマークにヤツを毀傷する術は…無い。

「さあ!そこな魔術師よ!我が肉体を打倒してみせよ!」

「せいぜい調子こいてろよゴミが……!!」

 

 

「ぐ…うっ」

身体の芯まで響く痛み。

風の砲弾と身体を打ちつけた激痛が意識にヒビを入れていく。

しかしこれは、マークが上終を逃がすために与えたモノだ。歯を食いしばって、思い当たるままに走る。

アレは根性でどうにかなる相手じゃない。

逃げれば殺され、立ち向かっても叩き潰される。

これはマークがくれた最大のチャンス。逃走が成功する確率は爆発的に上昇したといえるだろう。

逃げる。

考えとは裏腹に、全速力から徐々にスピードを落としていく上終の足。

――何故だ。

これはもっとも合理的な選択。マークもそれを望んでした行動のはずだ。

――何故だ。

お前に何ができる。レプリシアに一矢報いたのは二度と無い幸運だ。また、その偶然に頼るというのか?

――何故だ。

逃げろ。逃げろ逃げろ。逃げろ逃げろ逃げろ!!非力なその身でなにを成すというのだ!!

「俺は……」

気づいた頃には、それなりに離れたところに着いていた。

脳裏をよぎるのは、レイヴィニアとマーク以外の構成員たちのこと。……いや、上終にとって、彼らのことは『構成員』と一言で片付けられるほど軽くはない。

「ルーシャン……ニール……アリエル……カーティス……ロブ……!!」

全員と話した。

好きな食べ物から人生体験まで。

他の人間のことを知るたびに、空虚な記憶が埋められていく満足感があった。

レイヴィニアはあらかじめ彼らをアジトから遠ざけていたというが、襲撃者があれだけとは限らない。

何より、あの青色の男のような実力者が他にもいるとしたら………

「くそ…」

だが、上終にできることは無い。

何も無い。

けれど。

それでも。

――彼は、それを見てしまった。

「なんだ、つまらない。団長が敵視する組織っていうのも大したことないのね」

純金の傘を振るい、炎を撒き散らしていく真紅の美女。

ヴァレリア=ティファレト。生命の樹において美を司り、黄金と太陽を象徴する序列第六位幹部。

もちろん、上終には知る由もないが、彼の目が捉えているのはティファレトの周囲だ。

「―――ッッ!!!」

黒服たちが倒れている。

かろうじて命を繋ぎ止めているようだが、すぐにでもティファレトに焼きつくされるだろう。

彼らはあくまで『明け色の陽射し』の構成員の一端だ。多数の構成員を有するこの魔術結社にとっては、彼らを失えどもそれほど痛手ではない。

「それがどうした!!!」

自分に言い聞かせるように叫んで、ティファレトに突貫する。

命が潰えようとも関係ない。

これは心の叫びに従ったまでだ。

上終 神理は決して強くはない。

だがしかし、これは己の精神との戦いだ。他人に敗け、己にも敗けるというのは、どうしても許容できない!!!

「馬鹿が」

酷薄に笑んだティファレト。

手に持つ金の傘が無造作に振り上げられ、上終を焼き尽くそうと迫る。

喩えるのなら、それは地面から生えた炎の大剣。高速で迫り来る炎の大剣を、サイドステップで躱す。

躱しきれなかったのか、焼き焦がされる感覚が左腕を襲う。

動かせることには動かせるが、攻撃手段としては期待できない。

そのダメージに、上終は確信する。

(いける!!)

敵にとって上終は『捕獲対象』だ。

本来ならば、真紅の美女は一瞬で炭化する炎すら生み出せるはずだが、避けられなかった場合死んでしまう。だから、ティファレトはあえて威力の弱い炎を使わざるを得ない。

ティファレトまで数メートル。

そこが上終とティファレトの命運を分ける運命の数秒。

一直線に向かっていく上終はさながら銃弾のようだ。

周囲の仲間たちの声はどこか遠く、隔絶されたかのように離れて聴こえる。

次の攻撃は、横に大きく広がった炎剣。

左右に跳んでも横幅からして回避することは不可能。後ろに跳んでも、数瞬の時間稼ぎにしかならない。

ならば活路は―――

「ああああッ!!」

―――――前!!

スライディングに似た姿勢で炎剣を潜りぬけ、右手を拳の形に握り締める。

「こいつ…!!」

距離を取るものの、その隙にも上終は全身全霊で駆けており、少しの距離しか開けない。

あと、六歩。

届く。

あの魔術師に。

次手は、金の傘を槍のように突き出して放たれる火炎放射。ただし狙うのは上終ではなく、戦闘不能の黒服の一人!

迷いは無い。

上終は、黒服の前に立ちはだかるように飛び出した。

(――勝った!!)

この手に舞い戻ったのは勝利。

上終の敗因は、その偽善者ぶり。

傘を引き戻そうとする。が、動かない。

誰かが引っ張っているかのように。

ティファレトが背中に悪寒を感じるのと同時、火炎放射が遮られる。

遮るのは焼け爛れた左腕。正確には左手が、傘の先を掴んで炎を一身に受けていた。

全身を火傷だらけにして、彼はふらついた足取りで立っていた。

犠牲を厭わないその姿勢にこそ、ティファレトは恐怖する。

(手でわたしの炎を押さえる――? イカレ野郎が!!)

………そして。

ザリ、と足元の砂利が鳴る。

その音が彼女を現実に引き戻す。

「届いた…!!!」

そう、敵に寸前まで接近されているという現実に。

この時、ティファレトは完全に反応が遅れていた。

「まず――」

言いきることは叶わなかった。

大振りで最大威力の右拳が、きれいに顎に突き刺さる。脳を揺らされ、正常な意識を剥奪された後に、間髪入れず追撃が飛来する!

「ごがァ…ぶぐっ!!?」

右ストレートが顔の真ん中に命中し、ティファレトは自分の血に溺れる。

パキパキ、と鼻の辺りから不吉な音が鳴り響き、なけなしの気力で傘を振るう。

それは確かに上終の横腹をはたくが、体重も速度も乗っていないために、貧相な威力になっていた。

「クソ…がァあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

右アッパー。

渾身の力が込められた剛撃は、完全にティファレトの意識をもぎとった。

背中から倒れ落ちる彼女と同じくして、上終も地面に膝をつく。

「……勝った」

何度も何度も反芻する。

勝った……あの魔術師から、勝利を手にした。

相手が全力を出せないという状況ではあったが、上終は勝ちを収めたのだ。

右手を閉じたり開いたりして動作を確認。右腕はまだまだ使えそうだが、左腕は惨状を見ることすら億劫だ。

むしろ、左腕は感覚が途切れているのが不幸中の幸いであるだろう。

背中を叩かれる。

振り返ればそこには、仲間たちが一緒に勝利を喜んでくれていた。

「変人だと思ってたけど、やるときはやる奴だと思ってたぜ!」

「わたしを守ってくれてありがとう!」

贈られる賞賛の数々は、上終にとって現実感がなかった。

未だに勝利したことが信じられないのだから、賞賛もどこか夢のようなモノに錯覚してしまう。

そうして、上終の意識が沈もうとした瞬間、上方より聞き覚えのある声が聞こえてくる。

「マジかよ……本当に倒しちまったってのか?おい、見どころあるじゃねぇか、小僧」

青色の男。

ヤツはちょうど目の前に着地する。

彼の表情には明確な喜色と、ティファレトを見やる瞳には深い失望が混ざっていた。

澄んだ海色の瞳が上終を射抜く。

「じゃあ、第二回戦といくか。小僧」

絶望を露わにする仲間たち。 

指名された上終だけが、傷ついた身体に鞭打って立ち上がる。

「……敵にこんなことを言うのは筋が通っていないとは思うが」

「なんだ、言ってみろ」

「仲間には手を出すな。俺も最大限の抵抗をして彼らを護る」

その言葉に、青色の男はさらに喜色を深めた笑みを浮かべた。

「いいぜ、約束してやる。だから、俺の願いも一つ聞き入れろ」

敵でありながら、提案を許可した彼に不敬を働くつもりはない。

上終は素直に頷く。

「お前の名を教えろ」

「……上終 神理だ」

「『カミハテ シンリ』……珍しいが、いい名前だ」

脚の調子を確かめるように、地面を軽く蹴る。

途端に真剣な表情へ戻る青色の男は、礼儀を以って上終に名乗りを上げた。

「ケセド=フロイデンベルク」

ここに仲間を、誇りを懸けた戦いが幕を開ける。

そのゴングとなるのは――

「魔法名――『慈悲なる刃を下す者(Misericordia111)』!!」

――魔術師の誇りを体現したもう一つの名前!

最初の邂逅の再現となっていた。

群青の突風と化すケセド。

いや、その速さはもう突風に留まらない。

半ば群青の光線となったケセドは上終へ突撃する。先程までの上終なら、ここでバラバラに砕け散り、敗北していたことだろう。

が、今の彼は違う。

突っ込んでくる群青の光線に対して、上終は身を屈めて横をくぐり抜けるように駆けていた。

その狙いは、タイミングをずらすことにある。

到達する地点という上終の位置を、急激に変化させることによって一瞬の戦闘時間を勝ち取る。

見事、横を抜いて距離を離すことに成功するが、やはり恐るべきはケセド=フロイデンベルク。

どういうことか、一本の脚で突進を止め、その脚を軸に回し蹴りを叩き込む。

距離をとっていたことが功を奏し、ギリギリで直撃することはなかった。身体を叩く烈風が、そのキックの威力を物語っている。

「ラァ!!」

裂帛の気合いとともに放たれる前蹴り。

幸運はすでに使い切った。右腕で防ぐことも叶わず、向かいの塀まで飛ばされた。

「が……あっ」

悶絶している暇はない。

即座に横に転がり、追撃を回避する。

既に意識はあってないようなものだ。

一秒なんて話じゃない。

一瞬の刹那が経過するごとに、上終は不利になっていた。

もう幾度か蹴り飛ばされ、その度に三途の川を幻視した。思考は燃え尽きていて、身体だけが戦闘本能を燃やしている。

故に。

ケセドに一撃でも加えるために。

上終 神理は右拳を振り抜く――!!!

「よく戦ったが……これまでだ。お前に魔術や能力があったのならな……」

それは。

呆気無い結末だった。

届くはずだった拳が。

跡形もなく潰れ、血だけ迸らせていた。

そのことを知覚した時にはもう。

上終は、思考を失っていた。

 

 

揺蕩う。

何も無い白色の深海を。

このまま眠るのも悪くない――そう思い、目を閉じようとすると、肩を叩かれる。

「……!?」

ミイラだ。

乾燥肌なんて目じゃないほどミイラだ。

喫驚する上終を見て、バッキバキの皮膚を割りながら笑うジジィ(ミイラ)がいた。

「ほっほ。驚いたかの?」

「これをみて驚かないヤツが、どの世界にいるって言うんだ」

「儂らの世界には腐るほどおるぞ」

なるほど、きっとこのミイラジジィは宇宙人なのだろう。

脳内で結論づけた上終は、人類初宇宙人とのコンタクトを試みる。

「ここはどこだ」

「ふーむ。世界と世界の狭間、といったところじゃろう。理解せんで良いぞ。少年マンガのよくある精神世界みたいにとらえるのがよかろう。儂も実際にここにおるわけではないしの。条件を満たしたときにだけ現れる妖精☆サンとでも思っておれ」

「……じゃあ聞くが妖精。俺はどうなった?」

パキリ、と皮膚が割れる音。

見れば、宇宙人ミイラジジィ妖精は気味の悪い笑顔を貼り付けていた。

「死んではおらん。元の世界ではまだ少ししか時間が経ってないのう」

「じゃあ、戻れるのか」 

然り、と首肯する。

「そのために、このシステムはあるのじゃよ。長くなるが話を聴け。あの世界には、お前さんのような存在が二人いる。『上条 当麻』と『上里 翔流』じゃな」

この時点で上終は困惑する。それと同時に、その二人のことを気の毒に思った。

「ヤツらはそれぞれ右手に『力』を宿しているのだよ。お前と同じにな」

「……俺は魔術なんか使えないぞ」

「魔術ではない。儂らの想いが集積したモノじゃよ。まあつまりどういうことかと言うと――」

樹皮のような手で右手を包み込まれる。

ぞわりとした寒気を感じ、思わず身震いした。

「知覚しろ。あると思い込め。お前には世界を安定化する力がある。その名は―――」

 

 

 

       『天地繋ぎ(ヘヴンズティアー)

 

 

 

―――急激に覚醒していく。

目を開けば、夜空には月が輝いていた。

身体を絶え間なく蝕む痛みと惨状はそのままだが、代わりに入手したのはクリーンな思考と………

「……」

「おいおい……マジで気に入ったぜ、小僧!」

『右手を動かす』。

その力があるという確信はない。

だがそれでも、確かめる価値はある。

上半身を起こし、下半身を支えにして立つ。

右手の掌をケセドに差し向け、上終は力強く言う。

「来い。俺はまだ……敗けてないぞ」

両者の視線が交錯する。

ケセドの身体が、沈んだ。

間違いない。

群青の光線が来る!!

「おおおおォォォ――!!!!」

歯を食いしばり、来るであろう衝撃に備えた。

勝算は右手のみ。

これが通用しないのなら、今度こそ上終は敗北を迎えることになる。

右手が何かに触れた瞬間、上終はそこにあるという力の名前を叫ぶ。

「『天地繋ぎ』!!!!」

その時。

上終の中で、撃鉄を振り下ろすような衝撃がガツン!!!と重く響いた。

右手の先で電気が奔るような感覚の後、この場に居合わせた全員が目を白黒させていた。

「……!?」

『止まっている』。

ケセドが蹴りを放つ姿勢のまま、『完全に停止している』!!

「これが……俺の……?」

その通り。

これこそが上終 神理の力。

『天地繋ぎ』。

判る。

力の全貌が理解できる。

夢の中に出てきたあのミイラが伝えているであろう情報は『天地繋ぎ』の理だ。

「……そうか。ケセド、きっと殺し合いになっていたら、この力があっても敗けていただろう。――こんな騙し討ちのような形で、すまない」

止めたなら、あとは気絶させるなりして無力化するだけだが、周囲にそれができそうなのは一人もいない。

「手を貸してあげよう。安心しろ、殺しはしない」

どこからともなく、炎の海を悠々と進んできた赤髪バーコードの神父が、何らかの文字が描かれた紙を取り出していた。

その紙は炎の奔流へと変化し、ケセドを呑み込む。

「味方……か?」

「普段ならそうなんだが……生憎と、今の僕は敵対するつもりは無い。『レプリシア=インデックス』がいるのだろう?僕をそこへ連れて行け」

レプリシアの名前を出されて、上終はハッとする。

そう、まだ終わっていない。

レプリシアをどうにかしない限り、この戦いが終わったとは言えない。

「わかった。俺も戦う」

神父は上終の傷だらけの身体をじろりと見回して、咥えていたタバコの煙をくゆらせた。

「その傷でか?」

「当然だ。足手まといになるつもりは無い。それに何より――」

激しく光の舞う方角をみつめ、上終は言い切る。

「レイヴィニアの話を聴いていない」

正真正銘、最後の決戦。

その右手が掴むのは……………




ようやく天地繋ぎを出せて一安心。
次回もまた楽しんでいってください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夢の続き

感想も指摘も全部受け止められる人間でありたい(UA数が増えるだけで嬉しいです。Mなのでガンガンきてください)。


上終とケセドの戦いから時を遡る。

腹いせの意味も含めた風の砲弾で、上終を吹き飛ばした後のことだ。

「『物質変換:鋼体錬成』」

ネツァクの筋肉に鋼色が広がっていく。

金属特有の光沢を持ち、街の街灯の光を返言葉通りの鋼の肉体だ。

そこから繰り出される鉄拳は、あらゆる物質をバターのように砕いてしまうだろう。

加えて、マークの最大火力の魔術を真っ向から喰らうものの、無傷で受け流す完全無欠の防御力。

彼は小学生が絵に描いたような最強の魔術師だった。

(『黄金の夜明け団』の錬金術―――)

鎧めいた風貌に変質していたネツァクの姿を見て、錬金術と断定する。

黄金の夜明け団は錬金術とのたまいつつも、その実態は単に物質を別の物質に造り換えるというモノだ。

黄金を錬成するという思想は廃れており、最近では『物質をエネルギーに換える』までに進化していると聞き及んでいた。

「我が魔法名は『世界の全ては我が勝利のために(Victoria726)』!!未だかつて我を打ち破った者はいない!!」

「じゃあ、今まで相手に恵まれてたってことだ。復習はあの世でしとけ」

マークは敬語をかなぐり捨てて、言葉を吐く。

「ほう!ならば貴様もあの世で我が勝利し続ける様を眺めていろ!」

彼がとる戦法は実にシンプル。

『近づいて殴る』。

これはネツァクだけに許された特権だ。

相手を一撃で粉砕する拳と攻撃を寄せ付けない絶対防御があるからこそ、成せる業である。

そもそも、回避とは受け止めきれないからこそ行う行動であり、根本的に弱者がとる『逃げ』の選択。

対するマークは何もしない。

ただ両手をポケットに突っ込み、ネツァクの到来を待つだけ。

「敗北を認めたか」

そこは既に拳の間合いだ。

鉄腕がゆっくりと振り上げられる。

「ぬんッ!!」

そこから振り下ろされる手刀は、もはや小さな隕石に近い威力が秘められていた。

人間なんて跡形もなく吹き飛ばしてしまうような剛撃が、マークの頭目掛けて飛来する。

振り下ろしきった。

叩き潰す打撃は、確実に命中した。

だというのに、そこにヤツの姿は無い。

あるのは、宙を舞う一枚のタロットカード。

「――!?」

カードが黒い何かが飛び出す。

それはネツァクの懐に入り、新しく両手に一枚ずつカードを握り締めていた。

――マーク!!

認識するが早いか、ネツァクは全身を捻りつつ右腕全体を振り回す。

進行方向上の障害物を、障子を裂くかのよに破断する鉈のような一撃はまさに避けようがない。

「『風の十四枚(ソード)』」

が、しかし。

避けようがないのなら、相手の方を崩してしまえば良いのだ。

マークが得意とする魔術『風の十四枚』には、十四枚のカードひとつひとつに違う効果が込められている。

それらは単純に攻撃用であったり、身を隠すモノであったりと様々だ。

言うなれば、全てが切り札で必殺技。

そのうちの一枚を、マークは思い切り下方向に振り抜いた。

「ぬ…ぐっ!」

魔術自体は今までのような風の刃。だが、無闇やたらに発射するのではなく、『斬る』軌道を描いていた。

それが吸い込まれていく先は、全身を捻ったために剥き出しになった膝裏。

(無駄だ!我が肉体は鋼で覆われている!関節であろうとも!!)

ネツァクの鋼鉄の鎧。本来の鎧ならば、関節は武装者の動作を邪魔しないために、柔らかい素材で造られる。そこが鎧の弱点ともなるのだが、彼の肉体は違う。

金属とは固体になれば最も硬く、液体になれば最も柔らかい。つまり、身体を動かす部位の関節だけを液体にすれば、人間の範疇を超えた挙動も可能である。

これこそがネツァクの魔術の正体。

筋肉と金属を置き換え、金属の身体を操る――『物質変換:鋼体錬成』!!

「勝った」

マークの呟きが、聞こえた気がした。

「は――?」

直後のこと。

ネツァクの膝がガクリと折れ曲がり、右腕の一撃が明後日の方向へ逸れる。

彼には何が起きたのか想像もつかなかっただろう。

マークの風の刃が膝裏を断つモノだと確信していたネツァクには。

「敗因を教えてあげましょう」

この場に上終がいたら、ゾッとしていたことだろう。

悪魔の笑み。見る者の精神を不安定にする邪悪な笑顔を、ネツァクに差し向けていた。

マークの狙いは、攻撃ではなかった。いわゆる『膝カックン』というモノ。

自分の膝で相手の膝裏を押すだけの簡単な遊びだ。マークは自分の膝を風の刃に置き換えてしただけのこと。

その考えに至らなかったのは、イギリスに膝カックンが存在しないからか。

左手のカードを鋼鉄の胸に押し当てる。

「戦いをナメてたことだ。その魔術があっても、使い手がバカじゃ意味がない」

通常攻撃はネツァクには通用しない。

しかし、左手のカードに秘められた魔術は、以前上終にも使用した意識を剥奪する魔術。

「おやすみなさい、っと」

完全に崩れ落ちたネツァクを尻目に、マークは思考する。

レイヴィニアの援護に行くか、否か。

(普通に考えれば行くべき。しかし一対一を望んでいる……か)

数秒考え、結論を出した。

「ピンチになったら助けよう」

そんなマークを見送る人影があったことは、知る由もないだろう。

 

 

イギリス清教に所属する魔術師、赤髪バーコードことステイル=マグヌスは困惑していた。

右手の力。そういうモノもあるだろう。理解できない力は理解する必要もない。本当に目を向けるべきは、その力の有用性だ。

では、何に困惑していたかというと。

『レプリシア=インデックスを探知する術式』。

ステイルはその魔術が指し示す方向だけを辿って、この場所に着いた。

そう、『上終のところに』。

……頭痛がして、額を押さえる。

(まったく……ここに送り込んだのは『レプリシア=インデックス』と引き合わせるためじゃなく、『上終 神理』に遭遇させるためって訳か)

下手人の顔が脳裏に浮ぶ。

イギリス清教最大主教・ローラ=スチュアート。

彼女が望んでいた状況はステイル=マグヌスと上終 神理を遭遇させること。

それがどんな目的のためにした出来事なのかは、見当もつかない。

が、とりあえず、

「上終、左腕をみせろ。火傷の治癒ならできる」

「ああ、助かる。熔けてる部分もあるが、それは治せないのか?」

腕の部分は全面が焼け爛れているくらいだが、手は最悪といっても差し支えない。

特に手の平は焼けるというより、熔けているような有り様だ。

「無理だ。…が、僕は天才だからな。状態は良くしてやれる。それに、目の毒だから全力で治してやろう」

「そうか、すまない」

確かにこの左腕は、大人でも大声を出して逃げ去るようなシロモノだ。

ステイルの作業を見守りながら、上終は今もなお戦っているであろうレイヴィニアたちに思いを馳せる。

彼女らは自分よりも何倍も強い。

だが、恐ろしいのはレプリシアだ。

アレは未だに全力を出していない。その状態でレイヴィニアと拮抗する実力ならば――――――

 

 

――そこは、地獄。

幼い少女たちが作り出した戦場。

舞い上がる炎に瓦礫の海。

槍戟が飛び、純白の光が破壊を生み出す。

「はは!もうへばっちゃったのかなーん?」

「ほざけ!私はまだバリバリの全力全開だ!!」

有り余る膂力で以って、槍の振り下ろしを叩きつける。

レイヴィニアはかろうじてそれを回避し、杖をバトンのように回して炎の壁を発射。

「ふっ!」

短く息を吐き、槍を操る。

真紅の光を纏った聖槍による連続突きは、幾重にも分裂したような神速で炎の壁を打ち払う。

そこに襲いかかるのは、スーパーボールめいたバウンドをする球雷だ。

追尾する三つの球雷の網を潜り抜けるレプリシア。

音速で動く彼女を追従するかのように、純白の光による爆発が巻き起こる。

再びレイヴィニアに接近したレプリシアは、直線的な刺突を放つ!

「……!」

槍という武器の基本戦術は間合いを保ちながらの攻撃。

レプリシアの音速の刺突は脅威だが、軌跡が『点』を描く分躱すことは容易い。だが、槍の真価は突きに非ず。

聖槍の軌道が変化する。

一度回避された点の軌道が、線の軌道に――薙ぎ払いへと。

その切っ先に当たれば真っ二つ。柄の部分に当たれば、容赦なく肉を潰し骨を砕くだろう。

数秒先の生を得るために、レイヴィニアは杖を横に構えて薙ぎ払いを受け止めるものの、豪快に叩き飛ばされる。

空中で姿勢を制御。

杖が形状を変えていき、短剣へ新生する。

彼女がそれを振るえば、一瞬にして巨大な風の剣が出現し、ムチのようにレプリシアを襲う。

「『伝承変更・完全治癒』」

風の刃がレプリシアの上半身と下半身を分ける。が、その間から無数の肉のロープが盛り上がり、完全に繋ぎ止めた。

聖槍の恐ろしいのは、すべてを貫く攻撃力よりも致命傷をいくら与えても治癒する回復力だ。

レプリシアもそれを理解しているため、自らを厭わぬ攻撃を敢行してくる。

例え、回避できるモノであったとしても。

   「『伝承変更・世界支配』」

瞬間。

世界が掠め取られた。

地鳴りがして、地面が揺れる。

分厚い黒雲が集まり、雷鳴を轟かせる。

空気が重くなり、息が詰まる。

「さて、戦いを愉しもうか」

言うのと同時に、少女の周りで旋風とコンクリートの槍が伸びた。

天空よりの雷鳴はこの地に降り立ち、数億ボルトの電撃はレプリシアの支配下に置かれる。

「クソが……!!」

悪態をついて、短剣を杖に変えた。

そして、レイヴィニアは全力で走る。

その後ろから、石製の針の山が突き出していく。上から降り注ぐのは雷撃。

身の回りにある全ての物質と環境が敵となり、矮小な人間を押し潰さんと迫り来る。

「ほら!もっと速く走れ!!死んでしまうぞ!!」

雷撃の壁と針の山。

その僅かな間隙を埋める空気の鉄槌。

杖を振るい、どうにかして隙をこじ開け、疾走する。

反撃をする暇すらなく、この身体の動きを刹那にも鈍くすれば殺される。

「おおおおおァァァァッッ!!!!」

叫ぶ。

その絶望を払うために。

振るう。

その先の道を拓くために。

アナスタシアを取り戻すまで死ぬわけには、敗けるわけにはいかない――!!!

「……終わりだな」

横殴りの空気の鉄槌。

それがレイヴィニアを「ああくそ、やっぱり痛いんでしょうねえ……」――マークが、空気の鉄槌を引き受けた。

これが魔術なら、マークの魔術の腕もあって干渉することもできた。

しかし、空気の鉄槌は『自然』だ。

世界支配によって生み出された自然。作り物であったとしてもそれは変わらない。

魔術で自然現象を止めるには多大な労力と長い時間が必要。

故に、マークは己が身を盾にするしかなかった。

「ほう。あの男…潜んでいたのか」

感心するレプリシア。

彼方へ飛んでいったマークから視線を外し、真の標的であるレイヴィニアに移した。

彼女は最大限の殺気を込めて、白髪の少女を睨みつける。

「――レプリシア!!」

杖が動く。

放たれた雷電の矢は総てレプリシアの周囲で上空へ逸れる。

「無駄だ」

槍が動く。

その槍が差し向けた先の瓦礫が飛び上がり、レイヴィニアの全身を打つ。

思考が飛ぶ。

意識を拭い去る。

脳が機能をシャットアウトする。

背中から崩れ落ちる永遠の刹那、彼女は過去の映像を幻視した。

それは、あの夢の続き。

 

 

〝わたしはアナスタシア=フランキッティ!!アナタは?〟

〝……レイヴィニア=バードウェイ〟

〝そう!素敵な名前ね!〟

〝お前はヘンなヤツだな〟

とある昼下がり。

私がアナスタシアと出逢ったのは、喧騒の少ない午後だった。

ヘンなヤツだと思ったし、綺麗だとも思った。

自我を持ったときから支配者となるべく育て上げられ、カリスマだのとつまらない人生を送ってきた私より、アナスタシアはずっと眩く輝いていた。

人より強く、魔術が使える。

所詮、それはその人間の『強さ』にはならない。私がそのことを体現した人間だからだ。

大人たちに埋め込まれる知識と立ち振る舞い。簡潔に言えば、あの頃の私は支配者として教育された身でありながら、大人たちに支配されていた。

そうして作り上げられた『支配者』としての自分に逃げていた。

『支配者に友はいない。いるのは手下と敵だけだ』。

ああ。全く正しい正論だ。

なぜなら、支配者とはこの世の全てを掌握する者。友がいるというのは、対等な立場の人間がいることと同義。

その言葉を信じて、私はアナスタシアを突き放した。

〝レイヴィニア!遊ぼう!〟

〝断る〟

何度も。

〝捕まえた!一生逃さないからね!〟

〝放せ〟

何度も何度も。

〝暇だからどこか行こう!〟

〝行かん〟

何度も何度も何度も、アナスタシアは私に擦り寄ってきた。その分何度も拒絶したはずなのに、性懲りもなく。

その度に少しずつ支配者の外套が剥がされていく。

その度に少しずつ私の本心が証明されていく。

〝レ~イヴィ~ニア~?〟

〝……一度だけだぞ〟

〝やったああああああああ!!!〟

アナスタシアの笑顔は、何よりも光り輝いてみえた。

その光が支配者の影を照らし、『レイヴィニア=バードウェイ』がここにある。

〝じゃあね〟

〝……また来てもいいぞ〟

初めて手に入れた友達だった。

初めて『自分』を教えても良いと思った。

初めて好意を持った人間だった。

――――だから。

アナスタシアが失踪したとき、初めて涙を流した。

前兆はいくつもあった。

記憶に齟齬があり、顔色も青褪めていて、黒い髪に白が混じっていた。それでも、私は何もできなかった。

後で調べて判ったことは『黄金の夜明け団』の仕業であるということ。

その頃の私は知る由もなかったことだ。

結局、弱いままだった。

人心掌握を学んでも。

魔術の腕を上げても。

弱くてもいい。

弱くても、その人を救えれば。

本当に必要なのは、困っている人間に言葉をかけてやれる勇気だ。

それが本当の強さ。

私には『強さ』がなかった。異常に気づいても対応しないのでは、気づいていないのと同じだ。

〝久しぶりね、レイヴィニア!わたし決めたの!この世の魔術師を全員殺そうって!!〟

『レプリシア=インデックス』はそう言った。

〝不思議ね!だってあれだけ好きだったレイヴィニアのことが憎くて憎くてたまらないもの!〟

やめろ。

アナスタシアの口で喋るな。

〝でも、とっても良い気分よ!『強さ』を手に入れたから!今のわたしは世界で一番『強い』かも!!〟

これを、アナスタシアだと認めろというのか。

認めない。

『レプリシア=インデックス』が『アナスタシア=フランキッティ』だとして。

『アナスタシア=フランキッティ』が『レプリシア=インデックス』だなんて絶対に認めない。

〝ねえ――大嫌いよ、レイヴィニア〟

アナスタシアはただの幻想だったというのか。

 

 

崩れ落ちるレイヴィニアの身体を支える。レプリシアに対応するために左腕で受け止め、いつでも右手を動かせるようにする。

左腕から伝わってくる彼女の身体は、その強さに反してとても軽い。

こんな女の子を戦わせていたのか―――たとえそれが本人の意思であっても、上終には納得できない事実だ。

「………上終か」

「どうして残念そうな顔をするんだ」

「お前の顔を見て、そんな表情をしないヤツがどこにいる」

負けじと上終も言い返そうとするが、ステイルに睨まれて中断した。

突然の乱入者たちに、レプリシアは全身に喜色を広げて笑顔を向けた。笑んでいるものの、瞳の奥には明確な殺意と濃密な闇が詰め込まれている。

「これはまた珍妙な……あの時の男もいるではないか。相変わらずボロボロのようだな」

「俺にはそれくらいしか能がないからな。だが、以前の俺とは違うぞ」

レプリシアは上終の右手を見て、左側の眉を吊り上げた。

「右手か。それならば確かめてやろう。―――『伝承変更・絶対貫通』」

聖槍が真紅の光を取り戻す。

そこから放たれるのは神速の刺突。

真紅の光線は直線上の物質を削り取る絶対貫通。

上終には知覚できない速度の領域。

真紅の刺突は過たず心臓を貫くだろう。

「……ぐううっ!!」

だが、右手はそれを受け止めていた。

せめぎ合う刺突と右手。

その光景に、レプリシアは薄く微笑んだ。

「『止める』……効果範囲は右手だけじゃないな?途中の空間で、わたしの刺突は一瞬止まっていた」

非常に短い円。

およそ三メートルに渡る円の中なら、上終の右手は止めることができる。しかし、それは右手で直接触れるよりも効果は薄いのか、完全に止めきることはできない。

「止められない――!?」

そこに込められているエネルギーは、あまりにも極大。

天地繋ぎ(ヘヴンズティアー)』が処理落ちを起こしているのか、ゆっくりとだが真紅の刺突に押し返されている。

「そしてもうひとつ判明したな。ある一定を越えた威力の攻撃は止められない」

手の平に鋭い痛みが走る。

『天地繋ぎ』を貫通し始めているのだ。

跳ね返される――右手が貫かれることを確信した上終。

「『魔女狩りの王(イノケンティウス)』!!!」

横から巨大な炎の手が伸びてきて、真紅の刺突の方向を捻じ曲げた。

炎の手が伸びてきた方向には、まさしく炎の巨神がいた。黒くドロドロとした重油状の人型を芯に、炎が勢い良く燃え盛る。

「時間稼ぎご苦労。コイツは準備に時間がかかるからな。……覚悟しろ、『白の禁書目録』」

「その名前で呼ぶということは……イギリス清教か。黄金の夜明け団でお前のような不良神父は見かけなかった」

「……僕はただのタバコを愛する神父なだけだ」

そこはかとなく拗ねたような言い方をするステイル。

レイヴィニアは小さな手で上終の左腕を叩く。闘志の炎が灯ったその瞳で、上終をしっかりと見据える。

彼女の表情に吸い込まれそうになった上終だが、即座にやましい思考を振り払う。

「離せ。私も戦う」

「しかしだな」

止めようと口を開いた直後、力を込めて左腕を殴られた。

悶絶する上終を尻目に、レイヴィニアは音が鳴るほど杖を強く握り、レプリシアに向ける。

「アナスタシア。お前がどうなろうと私は救ける」

「アナスタシアなど存在しない。ここにあるのはただの『レプリシア=インデックス』だ」

明らかに見下す視線を送る。

そこにはアナスタシア=フランキッティの面影は無く、優しさの光も消え果てていた。

だから。

彼女は宣言する。

「――そうだな。なら、レプリシア、お前が死ね」

「―――殺す」

直後、三人の人間と一人の聖人が激突した。

 

 




上終くんに足りないのは決め台詞。
次回もまたお会いしましょう


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

護り抜くべきモノ

最高につかれた。


禁書目録(インデックス)』という名の少女がいた。

彼女は目に映るすべてのモノを完全に記憶する、『完全記憶能力』を生まれながらに備えていた。

魔道図書館とも呼ばれる彼女は、この世のあらゆる魔術の使い方が記された『原典』や悪書の数々を一言一句違わずに記憶している。

その数、103000冊。

これら全ての知識を正しく使えば、魔術の神へと至ることもできるだろう。

ただし、『禁書目録』は魔術の発動に必要な魔力を造ることができないため、本人には強大な力は無い。

―――そこで、とある組織の邪悪な誰かは考えたのだ。

『禁書目録』が魔力を生み出せないために、強大な力を持つに至れなかったならば、優れた魔術師にその知識を与えればどうか?

彼はそれを実行できるだけの力と、西洋最大級の魔術結社のトップという地位があった。

最初に当たった壁は、優秀な素材選び。

なにしろ条件が厳しい。

完全記憶能力を持ち、優れた魔術の才能がある人材はいなかったのだ。しかし、その数ヶ月後、『素材』が産まれた。

その赤子は、彼が許嫁に産ませた政略結婚の象徴のようなモノ。半分は他人で、自分の魔術の才能を受け継いでいるのなら、充分だと踏んでいた彼に吉報が訪れる。

産まれてきた子は『聖人』だった。

世界に20人といない、神の子の身体的特徴と魔術的記号を併せ持つ人間。聖人たちは、神の力の一端さえもその身に宿すことができる。

とてつもない幸運だった。

ここで、彼の計画は進路を変更することになる。

103000冊の魔導書の内容を覚える意味はない。欲しいのは103000冊の知識ではなく、強大な力を持った人間だからだ。

必要な知識を必要なだけ最小限に暗記して、魔術として行使するときも狭く深く性質を切り取るようにする。

聖人に相性の良い聖人のエピソードを模倣した魔術を使えば、力もさらに強くなるだろう。

そもそも、魔術の始まりとは何か。

脆弱で矮小なる人間が、その器に入れられるモノは限られる。神話の物語は人間に対してあまりにも巨大だ。

そこから掬い取れるモノはごく微量。

故に、人間に天の神々の行いを丸ごと奪い取るなんてできやしない。

だから、切り取る。

それと決めればただ一点のみを狭く深く抽出し、改良・先鋭化を繰り返し、さらには拡大解釈まで行って、独立した別個の技術に昇華させる。

彼は、それを『模倣神技』と名付けた。

原初の魔術式。

一点だけを再現するが故に、伝説級の能力を発揮させ、時の聖職者たちに忌み嫌われた神をも恐れぬ業。

その業を我が子に背負わせた。

単なる知的好奇心と強力な兵が欲しいという理由だけで。

母方の姓である『フランキッティ』を捨てさせ、『レプリシア=インデックス』という名前を与えた。

『模倣神技』を習得させ、暗記させる原典も手の内に入っている。次に考え出したのは、精神のコントロールと『首輪』。

魔術の原典は、見る者を汚染する。

聖人であろうともそれは変わらず、消耗するはずだ。疲弊し摩耗した人間に、術式を埋め込むことは容易い。

居場所を探知する術式と、思考を誘導する術式。最新機器との融合により、それは高いレベルで実現された。

そうして出来上がったのが『レプリシア=インデックス』。

魔術師を殺すための殺戮機械。

魔術の神――魔神たちの領域を垣間見ることのできる存在。

そして、彼女の父親は黄金の夜明け団の頂点。最高幹部会『生命の樹』序列第一位『ケテル=クロンヴァール』。

「つくづくイレギュラーだな、上終 神理。まさかケセドとティファレトの二人を打倒するとは」

三人減った円卓のメンバーは、上終の戦闘に皆目を丸くしていた。

素手でティファレトを打ち破ったこともそうだが、何より彼らを驚嘆させたのはケセドとの戦いだ。

内容自体は惨敗だった。

終始逃げまわり、サンドバックのように幾度と攻撃をくらっていた。が、突如として再生した右手とその力によって、ケセドは敗北。

今や、あのレプリシアとの対決に臨み、満身創痍ながらも最大火力の一撃を対処しきっていた。

「もしかして、この戦い……」

ケテルの側近・序列第三位のエクルース=ビナーはありえない未来を想定する。

否、想像するということはあり得るということ。

何より、レプリシア=インデックスには制限時間がある――!!

円卓から空中に投影されるスクリーンでは、まさにレプリシアが頭を抱えてうずくまっていた。

「ふむ。『原典』の汚染が引き起こす症状か……マルクト」

冷徹に言葉を紡ぐ。

戦闘中断などという選択は無い。

これでレプリシアが敗北するのなら、それまでの兵器だったというだけのこと。

「了解した、我が半身よ。――『遠隔起動術式』、発動」

 

 

「二人ともこっちに寄れ!俺の右手で護る!!」

レプリシアとの決戦。

三対一という状況だが、相手は完全無欠最強の聖槍の担い手だ。

上終は既に満身創痍で、レイヴィニアはポーカーフェイスで隠しているものの、ダメージは大きい。

唯一無傷なのがステイル。

魔女狩りの王(イノケンティウス)』は頼もしい味方だが、それもレプリシア相手にどこまで通用するか。

天地繋ぎ(ヘヴンズティアー)』は直接戦闘でも大きな力となるが、上終は人間を護る力と認識している。力の範囲内に二人がいれば、真紅の刺突のような攻撃が来ない限り、ほとんどを無力化してしまうだろう。

「させると思うのか?『伝承変更・絶対貫つ――!?」

当然、レプリシアはそれを止めるために動く。だが、彼女の『伝承変更』には若干の隙が生まれる。

そこを狙った炎の砲弾が動作を阻害し、さらなる隙を作り出した。

「逆に訊くが、させないと思うのか?」

相変わらずのポーカーフェイスで挑発してみせるレイヴィニア。

彼女が炎の砲弾でレプリシアの邪魔を出来たのは、ステイルと上終が自然を利用した攻撃を防御していたからだ。

三人はほぼ身体を密着させるように隣り合い、絶えず魔術を繰り出していく。

「今だけ僕の身長の高さが恨めしい!」

両手から炎の剣を発射し、『魔女狩りの王』による防御を平行して行うステイル。

彼は荒く息を吐きながら上終に追従する。豪奢な神父服がさらに動きづらそうだ。

「上終、私の動きに合わせろ!お前みたいなのろまじゃ話にならん!」

杖へ短剣へ杯へ円盤へ、様々な形状に武器を変化させながら多種多様な魔術を放つレイヴィニア。

スレた笑みで軽口を叩きながら攻撃をいなすところを見ると、コンクリートを叩きつけられたにしては元気なようだ。

「そう言う君こそ、鈍くなっているぞ!あまり無理するな!」

感覚の無い左腕をぶらぶらとさせながら、次々と飛来する攻撃を止めていく上終。

彼の防御の成果により、レプリシアを相手にしているものの危険な場面は訪れていない。

つまり、レプリシアが狙うのも、上終ということになる。

イギリス全土の雲がここ一帯の雷雲により集められていき、天空を覆う極黒の蓋が形成されていく。

蓋、という表現には語弊があるだろう。

正確にはそれは『砲門』だ。人類史上最大最強の雷電を地上に撃ち放つ、究極の雷雲。

止めきれるか――!?

己に電撃が落とされるのは判っている。右手を空に掲げていれば、自ずと雷は向かってくるはずだ。

「上終!全力で止めろ!お前がいなくなればこの状況は瓦解する!!」

それは、レイヴィニアが滅多にかけない励ましの言葉だった。打算によるモノでも関係ない。

その言葉が力となって上終に宿る。

直後。

ッッドォォォオオオオン!!!!!という轟音とともに、計り知れない威力を秘めた大雷が降り注ぐ!!

「う、おおおおおおおおォォォォォッ!!!!!」

全身の骨が砕けた。

脳がそんな錯覚を起こす。

数本には確実にヒビが入っていることだろう。

足が地面に沈み、右腕が鈍い痛みを引き連れてギシギシと軋む。そんなことは気にしていられない。

この右手を少しでも緩めれば押し潰される。

砕けんばかりに歯を食いしばり、左腕を添えて少しでも支えとする。

今、上終に攻撃が来ないのは、レイヴィニアとステイルが全力でレプリシアを抑えているからだ。

目を向ける余裕はないが、それは判る。

――大雷の先が、右手に触れる。

「がっはっ!?」

それはもはや、止めているのではなく『受け止めている』。

筆舌に尽くしがたい痛みと痺れが、あの一瞬で引き起こされていた。

「はっ…あ…!!」

死ぬ。

天地繋ぎがこのまま出力負けをすれば、今のとは比べ物にならない雷電が身体を打つ。

活路を見い出せ。

お前にできるのはそれだけだ。

足掻け。

どんなになっても希望を繋ぎ止めろ。

二人が自分を頼りとしてくれている。その事実の重さをしっかり自覚しろ。

援軍を望んでいるのならお門違いだ。

ここで都合の良い幸運は訪れない。

ここで必要なのは力じゃない。

ここで死ねない理由があるはずだ。

「そうだ、俺は……ッッ!!!」

だったら、証明してみせろ。

道を切り拓くのは命を犠牲にする覚悟と苦難に立ち向かう強い意志だと!!!

「レイヴィニア!俺はまだ君の話を聴いていない!!」

掴み取る。

迫り来る大雷の先をその右手で。

『受け止めている』というのなら、『掴み取れる』。

激しい雷電が全身を駆け巡るが、痺れる右手を真後ろに振り下げる。

五指から解放された雷撃は、力の方向を曲げられ、背後の建物をドロドロに融解させた。

膝をつこうとする上終を、ステイルは腕でムリヤリ引き上げる。

「生きているか?」

「……あ……あ」

たった二文字を口に出すのも途切れ途切れになってしまう。

「よし。右手の力は使っていろ。それと良い報せだ、雲が散っている。二撃目の心配をする必要はない」

大きく息を吐く。

この状態から二撃目を繰り出されていたら、確実に死んでいた。

たった一撃を逸らしただけで死にかけているのだから、二撃目はオーバーキルになっていただろう。

現在進行形で死にかけているのは言うまでもないが。

「お前……そのために戦っていたのか」

感情がこもった声で問われる。

上終はうまく動かせない身体で不器用に頷いて、

「心配……して…くれ、て…るのか?」

「アホが。自分の立場をわきまえろ」

突っぱねられる。

しかし、レイヴィニアは横目で上終を見ながらこう言った。

「だが、『明け色の陽射し』の執事としては合格だ。……とりあえずな」

「そう、か……い、や……充分だ」

満足気に微笑む。

その光景を反吐が出るような表情で俯瞰していたレプリシアは、口を開こうとして、

「づ……がァ……!!?」

砕く。

割れる。

壊れる。

脳がグチャグチャのバラバラになってどこか遠いところに飛んでいって脳漿が盛大に破裂して血の噴水が出来上がって身体を縦から真っ二つにされるような感覚と割れた脳の断片に硫酸を流し込まれてしゅわし「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッ!!!!!!!」

膝をつき、手をついて、涙と唾液を撒き散らしながら絶叫するレプリシア。

頭から血が噴出し、額の皮膚が割れて少女を真っ赤に染め上げる。白い無地のボロ布の服も、赤黒い血によって赤く変貌し、血だらけになりながらも絶叫は止まらない。

レプリシアを除いた全員が言葉を失った。

何だアレは。

目を背けたくなるほどに悍ましい。

背を向けたくなるほどに恐ろしい。

逃げ出したくなるほどに痛ましい。

あの姿が、ころころと口調を変え嬉々と殺そうとしてきたレプリシアなのか。

あんなのは、この世にあってはいけない。

幼い少女に、あんな表情をさせてはいけない。

さながら、トンカチで思い切り頭を叩かれたような衝撃が、上終を襲った。

「……違う」

変わっていく。

レプリシアへの意識が。

変わっていく。

レプリシアへの感情が。

変わっていく。

レプリシアへの偏見が。

そして答えに辿り着いた時。

身体の中の撃鉄がもう一度だけ振り下ろされた気がした。

邪悪な存在ではない。

殺戮機械ではない。

あの少女は、『救われるべき存在』だ。

たとえ、過去にボロ雑巾のようにされたとしても。たとえ、過去に拳を交えて戦ったとしても。たとえ、過去に何人もの人間を殺していたとしても。

あんな少女が死ぬほど苦しんで、喉が張り裂けるくらい苦痛の絶叫を轟かせるなんて光景は、この世界にあるべきじゃない。

――救わなければいけない。

「……反吐が出る。ああ、まったくもって胸糞悪い。僕自身、こんなのに心を動かされる人間だとは思っていなかったゆだけどね……黒幕を焼き殺してやらないと気がすまない」

「ステ…イル……?」

「本当に僕らしくないことだ。彼女は『白の禁書目録』なんかじゃない。『あの子』と同じ、ただの少女じゃないか!!!」

出逢ってそれほど時間も経っていない。

出逢ってそれほど言葉を交わしていない。

それでも、ステイルの様子が異常であるのは一目瞭然だ。彼がレプリシアに向ける視線には、彼女だけでなく『他のもう一人』が重ねられている。

「あーあ。ありゃもうオシマイだろ。素直に逃げといたほうが良いんじゃねぇのか?お前さんら」

「……ケセド!?」

思わず声に出た。

あちこちをコゲまみれにしたケセドが、ヘラヘラとした表情を浮かべながら歩み寄ってくる。

青色の伊達男は上終のボロボロになった全身を見て、感心したように愉しげな笑みを貼り付けた。

「おお、一段とボロボロになってるじゃねぇか。傷が似合う男ってヤツだ」

「そんなのになった覚えはない。どうしてここにいる?」

「こいつのおかげだよ」

ホスト崩れのような真っ青の服を撫で付ける。その拍子に上着の一部が崩れるが、気にした様子はない。

「魔術礼装ってヤツだ。わかるか?小僧」

「全くわからん」

「だろうな。まあ、魔術を使うための道具って考えればいい。特注製でな、瞬間的に防御能力を発揮するようにしてあった。それでも炎のせいで気絶したがな」

もしや、割と生死を懸けた話なのではないのだろうか。

ケセドの雰囲気に乗りそうになる上終は、それどころじゃないことを思い出して、問う。

「どうしてここに来た?」

「決まってんだろ、あのクソ胸糞悪いバケモンを止めるためだよ」

「信用できないな。さっきまで敵だった魔術師が、自分の組織の邪魔をするようなことをするハズがない」

ステイルが厳しい口調で切り込むと、そのままの笑みで語る。

「そうだろうな。俺は俺で勝手にやらせてもらうとする。正直、うちのボスにはもう参ってんだよ」

嘘を付いているようには思えない。

一度戦った者にしかわからない、不思議な感覚。

「ケセド、お前の意見に賛成だ。俺はレプリシアを救いたい。お前は策も無しに戦場に来るようなヤツじゃないだろう」

すると、驚いたような顔をして、

「いいぜ、方法を教えてやる。アレは……」

ぶつり、と音がした。

その音の方向に視線を投げると、レイヴィニアの唇から血が流れでている。

犬歯で唇を噛み、千切るまでに至ったというのだ。

「レ――」

レイヴィニア、と話しかけようとしたが、遅かった。

―――〝『遠隔起動術式』、発動〟

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア、アア、ア、ア……ッ!?」

レプリシアの絶望の旋律が止む。

身体全体が高速振動を繰り返し、叫び声が分断されていく。

「『遠隔起動術式』……黄金の夜明け団の魔術と科学の専門家を集めた成果のひとつだ。『学園都市』、これくらいなら知ってんだろ?」

「それは知識にある。周りの世界より科学技術が数十年先を進み、『超能力』の開発を行っている都市だ」

「その通り。レプリシアの制御に使われているのは、元は医療用のナノマシンだ。学園都市の人員が情報を流し、改良を加えることで遠隔起動と魔術の使用ができるトンデモマシンだよ」

魔術用ナノマシン……正式名称を『MS/Domination』。

脳に直接作用することで、意識の阻害や思考の誘導、視覚情報を処理する後頭葉からレプリシアの居場所を察知することまで可能。魔術的作用も手伝うことで、それらスペックを底上げしている。

本来ならナノマシンという科学の結晶に、魔術を融合させること自体タブーだ。だが、黄金の夜明け団はそのタブーを生業とし、それを追求する組織。

レイヴィニアがケセドを睨みつけ、低い声で訊く。

「どうすればいい。教えろ」

「いーや、アンタなら気づけるはずだぜ。相手は『聖人』なんだから、多少荒っぽい方法でも死にやしない」

「…『電気』か」

電気は最新機器にとって天敵だ。

レプリシアごと電気を送り込み、ナノマシンを破壊する―――これがもっと楽観的な状況なら、反対する人間はいたかもしれない。

だがしかし。

やるしかない。

現に、レプリシアは立ち上がった。

「うふklhゥゥアnoewtpgjアアgaddmjアァァwmjggjam」

ノイズが混ざる。

『アナスタシア=フランキッティ』ではなく。

『レプリシア=インデックス』でもない。

故に、アレは何でもない。

ただただ破壊と殺戮をもたらす災害だ。

「アアアjmpgaアァァdjpwwajpッッッ!!!!!」

ドオッ!!と鉄筋で編まれた槍が地面から突き出る。

それは始まりの合図だ。

「――!」

「『魔女狩りの王(イノケンティウス)』!!」

先手を打ったのはケセドとステイル。

小さく言葉を呟き、魔術が発動される。

一度受けた上終だからこそわかる。

あの魔術は、右手を押し潰した不可視の鉄槌――!!

そして隙を埋めるのは、摂氏3000度の炎の巨神!!

瞬間、上終はレイヴィニアに手を掴んで引かれ、そこを不可視の鉄槌が通り抜けた。

レプリシアの周囲では『魔女狩りの王』の炎が渦巻き、それすらも攻撃手段の一つとする。

「助かった。ありがとう」

背筋に氷柱を差し込まれたような冷ややかな感覚を覚えつつ、礼を言う。

しかし、彼女には聞こえていなかったのか、青ざめた表情でレプリシアを見開いた目で見つめていた。

レイヴィニアだけではなく、ステイルも、ケセドも一様に絶望の表情をたたえている。

「魔術を……利用された……?」

――そう。

今までは絶対貫通に完全治癒に世界支配と、自然に干渉することはあっても魔術に干渉することはなかった。

する必要がないというのもそうだが、魔術の干渉には幾分かの時間がかかる。

相手が指令に従うだけのゴーレムならば、指令を乱すだけで良い。

が、レプリシアは『魔女狩りの王』と不可視の鉄槌の両方をノータイムで干渉してみせた。

これが意味することはつまり。

「魔術が、通用しない。そういうことか、レイヴィニア」

「クソったれなことにな……!」

「ならば、電撃は通用しないのか……?」

上終の言葉が、この状況を一言で表していた。

魔術は利用され跳ね返される。

頼みの綱の電撃も通用しない。

魔術で生み出されたモノに頼らないとしても、相手の自然を操る力にはそれもまた利用される。

「『神血大聖槍(ロンギヌスの槍)』……ヤツの魔術はそれだ。ボスは模倣神技とか言ってたけどな。ちくしょう、こんな力までありやがるとはな……!!!」

ロンギヌスの槍。

神の子の肉体を貫き、死を確かめたと言われる伝説の槍。十字教において最大級の聖遺物と崇められる聖槍である。

その伝承はあまりにも有名。

神の子より流れた血が、盲目であったロンギヌスの目を治すという奇跡が起こった。

神の子の血を受けた聖槍は、手にした者に世界を制する力を与えると伝えられている。

目を治す奇跡の伝承だけを切り取り拡大解釈。作られた属性は『完全治癒』。

世界を制する伝承だけを切り取り、先鋭化。作られた属性は『世界支配』。

神の子を貫いた伝承だけを切り取り拡大解釈。作られた属性は『絶対貫通』。

あのレプリシアは世界支配を完全に掌握し、魔術をも利用できるようになった。

「………!!!」

上終は右手を見やり、信念を込めて硬く硬く岩のように握り締める。

まだ、足りない。

命を燃やすに足る薪が。

まだ、足りない。

レプリシアを相手取る闘志の炎が。

単純な身体能力では勝てない。

魔術さえも跳ね返されるだけ。

しかし、それならば。

『天地繋ぎ』は通用する。

だったら、この場でレプリシアに勝てるのは上終 神理だけだ。

幸い、レプリシアはこちらが攻撃するまで反撃を行わない。代わりに空の全方向に雷雲が飛び散り、伝説級の雷を絶えず落としている。

「レイヴィニア。俺が行く。動きを止めて至近距離で電撃を放てば効くかもしれない」

「…待て。こんなところでお前を犬死にさせるつもりはない」

フッ、と上終は短く笑って、金髪の少女に振り向いた。

「それでも、俺は行く。――だから、話を聴かせてくれ」

こんな時に何を言っているのか。三人の視線が突き刺さるのを感じる。

これは必要なことだ。

『天地繋ぎ』しかない自分が、レプリシアに対抗する理由とするための自分勝手な行動。

死ぬつもりはない。

レプリシアの救われた姿を見なければ、自分が救われた気分にならない。

ヒーローじみている。

到底似合わないことだ。

だが、年端もいかぬ幼い少女が『あんな』になって救いたいと思わない人間はいないはずだ。

もし、そんな感情すら抱かないというのなら、自分の弱さに依存しているだけの真の弱者だ。

――俺は。俺には、命を奮い立たせるだけの炎が要る!!!

「頼む。それが俺の戦う理由を補強する。それが俺の身体を支えてくれるんだ」

真摯な瞳。

やめろ。

その眼で私を見るな。

あいつ(アナスタシア)』と重ねてしまうから。

お前にできるわけがない。

お前がやることじゃない。

ああ、確信した。

上終 神理は狂人だ。

目に見える困っている人間を本当に、心の底から救いたいと願う狂人。

―――私もそうじゃないのか。

アナスタシアを救いたいと思った感情を偽りだと言うのか。

ふざけるな。認められない。

―――あの涙を忘れたのか。

忘れるわけがない。

私自身の『弱さ』の象徴を。

「わた、しは………」

気づけば、話していた。

『明け色の陽射し』で支配者として育てられたこと。

アナスタシアとの思い出。

救いたいと思ったあの感情。

レプリシアとのやりとり。

すべて。

すべて。

すべて。

上終は、曇りない瞳で。真剣な顔で話を聴いてくれていた。

『レプリシア=インデックス』にアナスタシアの記憶が残っているとは思えない。そんな弱音まで吐いた。

「結局アナスタシアは、幻想だったのかもしれないな………」

アレは夢。

レプリシアこそが現実だ。

上終は聴き終わると、私の手を引いて立ち上がった。

「止めた瞬間に電気を流し込んでくれ。俺は弱いからな……よろしく頼む、レイヴィニア」

待て。

お前は弱い人間じゃない。

ボロ雑巾みたいになっても戦うお前に、そんなことは言わせない。

「――!!」

涙を流しているのか。

……この、私が?

「行くぞ、レイヴィニア。君がアナスタシアとの記憶を幻想だと言うのなら――――」

それは、救う言葉だったのかもしれない。

アナスタシアのような光り輝くナニカで、私を照らす救いの光。

      「その幻想を護り抜く」

 




最終決戦ですね。
次回もまた、読んでくれると幸いです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

救いの在り処と渦巻く陰謀

とりあえず開幕は今回で終わりです。
ではどうぞ。


世界が唸りをあげる。

捻れ狂った鉄筋の槍が襲う。

荒れ狂った極大の天雷が降る。

止める。

受け止める。

力の方向を変える。

「うァああああああああッッ!!!」

右手の感覚が飛んでいた。

ただ、痛みと熱が右手がそこにあると物語っている。

この右手を止めれば死ぬ。鉄槍に刺し貫かれ、雷電で真っ黒に焼かれるだろう。

ドッ!!!という轟音が鳴り響き、全方向から槍が突き出た。鋼鉄の檻が上終とレイヴィニアを取り囲み、雷が上空から降り注ぐ。

――言葉はいらなかった。

上終は天に手を伸ばし。

レイヴィニアは短剣を振るう。

それだけで檻に風穴を穿ち、方向を変えた雷で以ってこじ開けて、レプリシアとの距離を詰める。

「ガゥゥmwpgjjアアァdmjppアアアオgajpptgadオオァア!!!!」

雷鳴のような咆哮。

まさしく天地を揺るがすような叫び声は、地震と大雨そして無数の大雷を呼び起こす。

聖書におけるノアの大洪水。これを連想させるような現象が次々と発現する。

もはや『神血大聖槍(ロンギヌスの槍)』の術式がうまく起動していないのか、レプリシアは力を操りきれていなかった。

自然を利用した攻撃もバリエーションが無くなり、単調なモノと化している。

いける。そう確信した瞬間、炎の巨神が目の前に立ちはだかった。じわじわと炎が弱くなり、消えかけているがそれでも脅威には変わりない。

魔女狩りの王(イノケンティウス)』でさえも支配下として置く、レプリシアの力。しかしそれは彼女自身を汚染する諸刃の剣だ。

摂氏3000度の巨神は、脚の無い形状に似合わず高速で突進してくるが、上終にはもう見慣れた速度。

右手を合わせることは容易だ。

問題はどのような攻撃を繰り出してくるか。

腕を使った薙ぎ払いや振り下ろし。

巨体を活かしたタックルも脅威となるだろう。

だが、『天地繋ぎ(ヘヴンズティアー)』ならばいくら再生しようが触れた時点で、再生ごと止まる。『魔女狩りの王』を知り尽くすステイルは、『天地繋ぎ』との相性が悪いことを承知しているはずだ。

しかし、何かがおかしい。

両腕が引っ込み、その分の体積だけ胴体が膨張する。頭が引っ込み、その分の体積だけ胴体が膨張する。

直後のことだった。

ぎゅるん!!と擬音がつきそうなほどに、勢い良く炎の身体が球状に変形する。

黒くドロドロとした芯も丸くなり、その周りを炎が覆う威容はまるで小さな太陽だ。

「上終、構えろ!」

「……ああ!」

カッ!!!という閃光と同時、球体の『魔女狩りの王』が大爆発を引き起こす。

大気が焼け、地面が崩落してクレーターが出来あがる。

それに追随して、土塊と岩が飛び上がり熱された鉄が液体となって猛烈に襲い掛かった。

どれから止めるべきか――?

触れずして止める『天地繋ぎ』は、巨大なモノなどは止められず、減速させるだけに留まる。

つまり、直接触れる『天地繋ぎ』は本当に脅威であるモノだけを止めなくてはならない。

本気で止めるべきモノは目の前に迫ってきている岩塊だ!!

「――違う」

一瞬浮かんだ思考を封殺する。

すべては捨て駒だった。

そもそも前提からおかしい。

どうして『魔女狩りの王』の爆発をそのままぶつけてこなかった?

あれほどの威力なら、『天地繋ぎ』とも拮抗、それ以上をいっていたかもしれないのに。

どうして爆発で周囲の物体を塵として巻き上げた?

右手自体を使わない力でも、塵程度ならいくらでも止められる。その中に巨大な岩塊を混ぜ込むのもひとつの手だが、対処できないほど戦いに慣れていないわけではない。

――なら、答えは決まっている。

目くらまし。

必殺の一撃の先触れ。

ここが正念場だ。いまから飛来するであろう攻撃に反応できなければ、上終 神理という名の人間はあっさりと終幕を迎える――!!!

(回避は諦めた。ただその一撃に全力を叩き込む!!)

ミシィ!!と右の拳を握り締めた。

横から真紅の光が見えた気がした。

迷わずその方向へ拳を振るう。

結果的には大当たり。真紅の極光を纏った槍と右拳が激突する。

ただ、それは失敗だった。

拳が槍の切っ先を受け止めた瞬間、五指が砕け散り、ありえない方向にぐにゃりと曲がる。

当然だ。この槍にはロンギヌスの槍最後の伝承―――『失った者は滅びる宿命』の呪いが込められている。

例によって拡大解釈が行われたこの槍に名をつけるなら、『伝承変更・世界破壊』。

世界を制する槍が失われたのなら、世界の均衡は崩れ去り、滅亡を迎えるのみ。

正真正銘、世界を破壊する力とぶつかり合った右手は敗北した。

出力、という点においては。

「おおおおおおああああああああァァァッッ!!!!」

めちゃくちゃになった右手を、全力で上方へ逸らした。

ばぢぃん!!と電気で叩かれたような感覚が右手から全身の骨格に響き、痛みは堪え切れないレベルにまで高まっていた。

晴れた砂塵の向こう側にはレプリシア。

槍を使い切り、その力も制御できない。

彼女に残されているのは聖人としての力だけだ。

咄嗟に左腕を上げる。右手を無駄使いできない以上、左腕を盾とするしかない。

ましてや相手は聖人で、『生物には触れれば止められない』という弱点にも気づいていることだろう。

「ががぎtmpgjadwぐげがごごぎjtpaatgamぎぐげがwmjptmgwgtがが」

頭に、鳩尾に、首に、全身にくまなく放たれる鉄拳は一撃一撃がとてつもない速度と重量を持ち、上終の血肉を押し潰していく。

ただでさえ見るに堪えなかった左腕が好き放題に折れ曲がり、ところどころに骨が飛び出していた。

それでも、上終は前に進んだ。

身体なんかよりも重要な理由があったから。

レイヴィニアの涙を見てしまったから。

あの少女の幻想を護り抜くと誓ったから!!!

そして。

 

無慈悲な鉄拳が上終の頭を打ち揺るがした。

 

吐息がもれる。

レプリシアの唇が避けていき、いびつに歪んだ笑みを形どっていた。

上終の身体が、ゆらりと横倒しに崩れ落ち――――

「俺たちの、勝ち、だ」

――――幽鬼のような微笑みで言った。

レプリシアには彼が何を言ったのか理解できなかったが、見るも不格好な右手が顔面に迫り来るのを傍観していた。

ぽん、と優しい手つきで血まみれの右手がレプリシアの頭の上に置かれる。

『天地繋ぎ』。

白髪の少女の身体が一瞬にして硬直し、今度こそ崩れ落ちる上終の背後から、その姿が垣間見える。

「――戻ってこい、アナスタシア」

あ、とレプリシアがうめき声を出す。

その直後、ズヴァチィ!!と電撃がほとばしった。

少女の身体が倒れる。

上空の雷雲が散っていき、夜を照らす月が顔を覗かせ、月光を放つ。

「終わった、か」

確認するように言う。

そうだ。

いまここに、全てが終わった。

そのことを脳が、身体が認識すると、全身の力が抜けて倒れる。

壮絶な戦いはここで幕を閉じた。

泥のように眠る三人の表情はどこか笑顔で。

誰もが望むようなハッピーエンド……上終の右手は、それを掴みとったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

例えば。

命懸けの任務を果たして疲れきった身体で帰ってきたとして、上司にその報告をして、

「ふーん、へー、ほー」

みたいな態度をとられたとき、大半の人間は怒るだろう。

不良神父も例に漏れずそうだった。

「炎剣ぶっ刺していいですか」

「ふーん」

数十分前からこんなやりとりが繰り返されていた。

しかも、なぜか上司のほうが怒った様子で、窓の外に目をやりながらいなされ続けている。

「わたしはいま怒りたるのだわ」

何をいまさら、と頭の中でつばを吐きつける。

大人にもなってこの怒り方は、少し子どもに寄り過ぎな気がするのだが、ステイルはあえて口に出さなかった。

「でしょうね。何があったんです?」

どうせロクでもないことだろうと高をくくりつつ、気軽に訊く。

「原典と霊装のいくつかが盗まれたの」

イギリス清教の本拠は聖ジョージ大聖堂だ。さらに、ステイルが所属するイギリス清教第零聖堂区、対魔術師に特化した『必要悪の教会(ネセサリウス)』の元本拠地でもある。

いまは必要悪の教会がイギリス清教のトップに立ち、聖ジョージ大聖堂はそのままイギリス清教の本拠となった。

そのこともあり、大聖堂には強大な魔術的防護があるため、本来は盗人が侵入できるような場所ではない。

「……へえ、黄金の夜明け団ですか。レプリシアによる魔術師の殺戮で混乱した隙を突いたところですかね」

それ以外にありえない。

あの状況で何か行動を起こせるのは、レプリシアによる損害を被っていない黄金の夜明け団だけだ。

しかし、返ってきた言葉は以外なモノだった。

「『不明』。魔術的痕跡も物理的接触もあらず。髪の毛も服の糸くずも、無論、指紋もなかりしなの」

わからない、と。

苦々しい表情で、イギリス清教最大主教・ローラ=スチュアートは言い切った。

霊装は大聖堂の地下に保管されている。

しかも、ここは昼夜問わず人が出入りし、幾重にも魔術防護が張られているのだ。レプリシアのこともあり、警戒心が強いそんなところから、何の証拠もなしに目当てのモノを盗んだ。

――人間業じゃない。

空気でもなければそんなことはできないだろう。

「されば、黄金の夜明け団を叩くわよ」

なんとも堂々な宣戦布告。

あの子(インデックス)』を侮辱した黄金の夜明け団だ、願ってもない幸運―――ステイルは、うやうやしく頭を垂れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

三日後、病院。

搬送された先の医者全員が駆けつけ、すべからく涙目で一日通しの大手術を終えた二日後のことだ。

陽のよく当たる窓際のベットに、包帯をぐるぐる巻きにされた人間のシルエットを持つ何かがいた。

両腕を分厚く固定され、最初に雷を受け止めた時にヒビが入っていた右脚が吊り上げられている。

とにかく全身に包帯を巻かれ、頭の包帯の隙間から飛び出た黒色と茶色混じりの髪の毛が、かろうじて上終であると判断できた。

「いやはや、よく生きてましたねえ」

向かいのベットのマークが、上終の風貌に笑いをこらえながら言う。

「……俺でも不思議なくらいだ」

自分でもよく生きていたと思う。

ティファレト、ケセド、レプリシアと連戦を繰り返して、その全てで重傷を負わされたのだ。

それでもレイヴィニアとアナスタシアの二人を救えたのだから、納得できる傷ではある。

「あの後はどうなったんだ?」

「病院に詰め込まれたままで分かるとでも?」

確かにそうだ。

マークもマークで、レプリシアの攻撃からレイヴィニアを庇って肋骨を粉砕されたという。

はあ、とため息をついて窓の外を見ると、雷によって破壊された街並みの修繕作業が行われていた。

その光景はどことなく非現実感を帯びていて、レプリシアとの戦いが何年も前のことに感じられる。

「……それはそうとだな」

ひとつだけ不満がある。

マークもそれを承知しているようで、軽く頷いた。

「誰も見舞いに来ませんねえ……あーあ、ちくしょおおおおおおう!!!」

「病院で大声を出すな!!」

と、一通り大声を出したあとで二人はほっと息をついた。

ガララ、と病室のスライドドアが小気味良い音を立てて開く。

「おはよう!お二人とも!」

黒髪の少女が元気いっぱいに飛び出してきた。上終は彼女の正体を察して、目を白黒させる。

妖精のような端正な顔はあの時とはまるで違い、服もボロ布ではなく白色のワンピースだ。

「アナタが上終さん?」

ずい、と包帯男に顔を寄せて問うアナスタシア。

「そ、そうだ」

肯定するが早いか、未だ傷だらけの上終の身体にアナスタシアが飛びつく。

少女らしからぬ力に全身が軋むのを感じ、全身の骨が砕け散る様を幻視した。

「ありがとう!アナタのおかげで救われたわ!!」

「うごおおおおおっ!?」

上終は視線でマークに助けを求めるが、いつの間にか病室に入り込んでいたレイヴィニアと話していた。

ただ、上終を見て満足気な笑みを浮かべているところが質の悪い。

いよいよ臨終する寸前で、助け舟を出したのは意外にもレイヴィニアだった。

「そろそろ離してやれ。死んでしまうぞ」

「あ……」

手を離す。

無意識だったところ、アナスタシアもアナスタシアでレプリシアより危険なところがあるのではないだろうか。

「さて、上終。顛末を語ってやろう」

レイヴィニアは微笑みながら上終のベットに腰かける。

「アナスタシアはこの通り、お前のおかげで死者もいなかった。イギリス清教の不良神父は欲求不満みたいな顔して帰っていってたな」

「ステイル……」

確かに、割ともったいぶって登場したものの、最後は己の術式を乗っ取られる有り様だ。

彼のことだから、魔術に改良を加えていそうな雰囲気だ。

「それと、黄金の夜明け団の青い奴」

「ケセドか」

「ああ、アイツは組織から離反した。それに、マークが戦ったネツァクとかいうのも消えていたらしい。代わりに、時代錯誤ババアは捕えた。まあ、大方はハッピーエンドだな。喜んでいいぞ」

これで無傷の状態ならば、両腕をあげて喜んでいるところだが、残念ながらそれは叶わない。

まあ、それでも当分は戦うことはないだろう。あの戦いの成果を堪能しよう、と和んだ気分になる。

「それでだな」

レイヴィニアの口角が吊り上がる。

ちょうど見覚えのある――そう、マークのあの下卑た笑みだ。

嫌な予感が冷感となって背中を冷やす。

「今回の事件で、完全に『黄金の夜明け団』に目をつけられた。どっちかが滅ぶまで戦うことになるだろうな。それにあたって」

「……嫌な予感しかしないぞ」

「私の側近として戦ってもらう。よかったな、『明け色の陽射し』でもお前ほどのスピード昇格をした者はいないだろう!」

はは、と渇いた笑いが喉から出てくる。

あの恐ろしい黄金の夜明け団と、これからも戦うという事実だけでも卒倒モノだというのにコレだ。

いますぐここから逃げ出したい気持ちに駆られるが、身体の惨状からして不可能だろう。

「よろしく頼むぞ、相棒」

妙に甘い声で囁かれる。

(こ、これは好意的なヤツじゃない!!明らかに俺に恐怖を与えるために!!)

ガタガタガタガタッ!!と振動ドリルもびっくりの高速で震え上がる上終。基本的にレイヴィニアは、ムチと甘いムチしか使わない。

上終は被虐に快楽を見出す人間ではないのだ。

二人のやり取りを、マークはブラックホールみたいにとんでもなく真っ黒な眼で見つめていた。

「どうしたの?マークさん」

アナスタシアが何気なく訊く。

すると、マークは濃密な殺気を全身から放ちながら答えた。

「し、新人のくせに……許さんッ!!」

「恋愛してるわけじゃないんだからいいじゃない。ただじゃれてるだけだよ」

微笑むアナスタシア。

レイヴィニアの感情がどう動くかなんてわからないけれど、この先の未来はきっと明るい。

強い意志があれば、どんな困難だって乗り越えられる。

――アナスタシアが、自分を取り戻したように。

 

 

黄金の夜明け団、本拠地。

ずるずる、と。

小学生ほどの少年が、2mはゆうに越えるであろう大男を引きずりながら歩いていく。

まるで宮殿のような絢爛豪華で荘厳な城に不釣り合いな光景だ。

しかし、少年は何も気にした様子はなく、鼻歌まじりに目的の部屋を目指す。

その部屋の前に着くと、左手で大男の頭を掴み直し、もう片方の手でドアノブをひねって開けた。

そこにあるのは巨大な円卓。

いまは三人欠けた円卓の席の一つ―――ネツァクが座っていた席に深く座り込む。

「遅かったな、ネツァク」

ケテルが言うと、少年は純真な笑みで返した。そこには大事な何かが欠落しているような、描きかけの絵を見せられているような違和感があった。

「まあねー。改造するのに時間が掛かっちゃったよ」

不敬は免れない言葉遣いだが、円卓の人間はいつものことだと割り切り、反応すらしない。

異様な空気のなかで、咳払いをして話を切りだそうとする者がいた。

エクルース=ビナー。

「お分かりだとは思いますが、『レプリシア=インデックス』のことについてです。ケテル様」

「ああ、彼女のことは残念だったな。実に残念だった。我ら黄金の夜明け団にとってはまさに痛手だ。口惜しい。バードウェイとの関係も織り込み済みで、『明け色の陽射し』にとっては良い天敵であったというのに」

どこか芝居かがった口調で話す。

内容に反してケテルの顔色はこれまでにないほど優れており、饒舌だった。

生命の樹(セフィロト)』のメンバーたちは、ケテルの異常に気づきつつも、口を挟むことができない。

「上終 神理。一番興味があるのはソレでしょ? ボクもあんな右手欲しいなー」

「そうだな。レプリシアによって得た利益では上終 神理の発見が最大だ。世界にはあと数人か彼のような人間がいるのやもしれん」

いともあっさりと肯定するケテルに、少年は予想を裏切られて目を見開いた。

「なにさ、レプリシアの損失ってそんなに軽いわけ?負け惜しみ?」

「レプリシアは所詮、目くらましだよ。私の知的欲求を満たすモノではあったがな。……『真の目的』は達成できた」

「……ふーん。『アレ』ね」

頬杖をついて、胡乱げな眼差しをケテルに投げた。どこからどうみても普通の少年であり、魔術を学んだ者だとは思えない。

と、その時、ケテルを除いた全員が抱いていた疑問を一人の男が代弁した。

「お前は……誰だ?」

震える声で問われれば、少年は無邪気な笑顔でこう返す。

「ボクは『ネツァク=スパダヴェッキア』だよ」

 




科学サイドの話も書きたいんですけど、あと一章だけ魔術サイドの話に付き合ってください。
ではまた次回までご機嫌よう


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

明け色の陽射しと黄金の夜明け団
共同戦線


戦闘無しの息抜きフェイズ。
頭空っぽにして読んでください。


あれから一週間。

西洋最大級の魔術結社『黄金の夜明け団』に正式に敵視された『明け色の陽射し』。

ティファレトを人質に交渉などもしたが、ことごとくを話も聞かず突っぱねられていた。

黄金の夜明け団は恐るべき執念で『明け色の陽射し』のアジトを特定し、次々と襲撃をかけてくる。その激しさと頻度は常軌を逸している。

そんなわけで。

イギリスの夜の街を明け色の陽射し……もとい、上終たちは絶賛逃亡中だった。

「上終さん!もっと速く!」

「お、俺は人を抱えてるんだぞ!?」

アナスタシアに急かされて、上終は文句を言いつつ右肩に担いでいるブツを持ち直した。

真紅のドレスの美女、ティファレトは『天地繋ぎ』で止められているため、罵倒することはない。が、とんでもない表情で不満を露わにしていた。

ということは、止められるまえにその表情をする必要があるわけだが、いつそんな技術を覚えたのだろう。

「死ね!」

物騒な言葉とともに、追手から魔術の炎が放たれる。

ティファレトを抱えながらでは回避できない。かといって右手を向けることもできず、上終はアナスタシアに任せることにした。

「『物質変形:武装錬成』!……おかず増やしてね!」

アスファルトから槍を造り出し、炎を薙ぎ払う。仕事をしつつ、ちゃっかりと要求をしてくる。

このせいで上終の仕事が増えたが、丸焼けにされるのを免れただけありがたい。

身体を焼かれる感覚なら、ティファレトにレプリシアと続けて体験したせいで慣れてしまったようなものだが。

「すまない、助かった!」

ついでに追手を追い払ってきたようだ。

アナスタシアの有能さに、上終は荷物運びしかしていないことに気づくが、一瞬で封殺した。

周囲に視線を投げて敵影を探す。

「……よし。移動するだけだ」

妙なことに慣れてしまったものだ、と上終は嘆息する。

これまでの上終の認識では、魔術師は魔術を隠すモノ、という印象が強かったが黄金の夜明け団にはそういう意識は無いらしい。

位置としては、アジトまで歩いて数分もかからない場所にいた。念の為、最短距離では向かわずに、遠回りしたルートを選んで撹乱しておく。

かなりアナログな尾行回避術だが、昔から使われる手法は有効だからこそ淘汰されずに残ってきたのだ。

今回のアジトは高層マンションの……三階にある部屋だった。

「……三階か。こういうのはもっと高いところを取るんじゃないのか?」

上終が訊くと、アナスタシアは得意気な顔で、

「逃げるときに不便でしょ?飛び降りるにしても、地上二十階!なんて高さからだと死んじゃうからね」

「ふむ、確かにそうだな。俺の知識には無かった。覚えておこう」

ブツブツと独り言を呟く上終に、黒髪の少女は何とも言われぬ変人感を覚えつつ、部屋の扉を開ける。

余計な物がなく、決して華美ではない。だが、それがこの部屋が組織のアジトであることを表していた。

鍵をかけてティファレトを降ろすと、上終は居間を突っ切っていって、真っ先に台所を確認する。

(なんという執事力……いや、小間使い?)

疑問に思うアナスタシア。

すると、奥の方から声が飛んでくる。

「上終ぇ!さっさとメシつくれ!辛いのはダメだぞ!」

小間使いであることを確信した。

ボスの側近が荷物持ちで小間使いというのは、明け色の陽射しの歴史でも珍しいどころか存在しなかっただろう。

クツを脱いで居間に向かう。

家庭的な換気扇と食材を焼く音に、心地よさを感じながら進んでいくと、

「紅茶よ!紅茶を淹れなさい!」

椅子に腰かけたティファレトが、捕虜とは思えない傲慢さで指示を飛ばしていた。

意趣返しのように、上終は冷蔵庫からペットボトルの紅茶を取り出して投げつける。真紅の美女はそれを難なく掴み取ると、投げ返して上終の顔面に直撃させる。

「ぶぐぅっ!?」

鼻頭を押さえて涙目になる上終。

やはり不憫な男なのだった。

 

――その場面を眺める人影があった。

はるか地上。

道路を挟んで向かいの高層マンションの屋上から、その女性は上終たちの姿を視認していたのだ。

「当たりです。ステイル」

見目麗しい美人。

長い髪をポニーテールにしてまとめ、巨大な胸が白いTシャツを狭苦しそうに押し上げている。片方の裾を根元まで切り取ったジーンズに腰のウエスタンベルトには二メートルは越えようかという長刀を差していた。

「やはりビンゴか。あの術式は『上終 神理』を探知する術式だったようだな。……しかし、君まで駆り出されるとはな、最大主教サマは相当ご立腹のようだ」

舌打ちをこぼしつつ、タバコに火をつける。

染めた赤髪と目の下にバーコードのようなタトゥーという、どこからどうみても属性過多の不良神父だ。

彼の人差し指と中指の間には、ラミネート加工された魔術的な文字が刻まれているカードが挟まれていた。

「戦うのですか?」

「いいや、念の為だよ。僕の『改良型ルーン』に隙はないのさ」

得意気に語るステイル。彼のポーカーフェイスの下には、先の戦いの大雨で紙に書きつけたインクが消えることを発見。慌ててラミネート加工もできるプリンターを買ったという事実が隠されていた。

ポニーテールの女性は血気盛んなステイルに、心中でため息をつく。

「いきますよ。話し合いで解決してみせましょう!」

レプリシア……今はアナスタシアも加わった明け色の陽射しの戦力は増大した。この二人だけでは敵うとは思っていない。

単に彼女が戦いを嫌う性格であるのも理由のひとつだ。

イギリス清教第零聖堂区『必要悪の教会(ネセサリウス)』所属の聖人は跳んだ。

「……置いてけぼりか」

ため息をついて、素直にエレベーターを使ったのだった。

 

しばしば、イギリスは食の暗黒大陸と評される。

食べられるのは朝食だけ。

現地の中華料理屋のほうが美味い。

食材を親の仇のように煮込み、焼き、揚げる。

もちろん、イギリス人の味覚が破壊されているとかいう話ではない。

理由は貴族の質素志向やフランス文化と伝統料理の排除など色々と、なるべくしてなった部分があるのだ。

つまり何が言いたいかというと。

そんな小難しい話は抜きにして、イギリス料理を作らなければいい、という選択肢を上終は選んだのだった。

「イタリア料理か、無難だな。手抜きか?」

いきなり強烈なジャブをもらう。

そう言いつつも食べるレイヴィニアは、黄金の夜明け団との連戦の最中でも絶好調のようだ。

言い返そうと試みた上終だが、突然のインターホンの音に出鼻をくじかれる。

と同時に、全員が警戒態勢に入った。

アジトで郵便や新聞などを取っているわけがない。明け色の陽射しの仲間だとしても、彼らに渡された鍵で自由に出入りできるはずだ。

敵の襲撃とも考えたが、なおさらありえないだろう。インターホンを鳴らす意味がない。

この行為は、目の前で拳銃を見せびらかしながら『撃ちますよ』と言っているようなモノだ。

レイヴィニアに視線を送る。

いつもの仏頂面で数秒だけ考え込むと、ぱん、と手を叩いて提案した。

「出迎えるぞ。ついてこい、上終」

まるで宅配物を取りに行くかのような気軽さで、上終の横を通っていく。

「それでいいのか!?」

「ああ、変質者だったらお前と気が合うだろうし、襲撃者だったら……まぁ、安心しろ。骨は拾ってやる」

「待て、俺が先頭なのか」

不吉な内容の言葉を投げかけてくる少女に問うと、これまた不吉な笑みを浮かべた。それは上終の問いへの回答に他ならない。

この時、上終は確信する。

(体の良い壁にされた!?)

結局、肉壁から抜け出せていないことに愕然とする。

人生で一番長い廊下を歩いていくと、黒塗りの玄関についた。ついてしまった。

「さあ、いけ」

いつの間にか杖を握っていたレイヴィニアの用意周到さに驚きながら、荒事に対応できるように靴を履いておく。

玄関ののぞき穴から向こう側を見る。

そこには、あまりにも胸部戦闘力が高いパンクなお姉さんが立っていた。どこかのバンドのボーカルでもやっていそうな格好で。

「う、うおおっ!」

己を奮い立たせて、扉を開け放つ。

とともに咄嗟の攻撃に反応できるように、右手を目の前にかざしておく。

ポニーテールの女性はうやうやしく頭を下げて、

「こんばんわ。イギリス清教第零聖堂区『必要悪の教会』所属、神裂 火織です。貴方たちに提案があって来ました」

間近で見るとその偉大さに気づく。

女性の胸がこれほどまでに求心力を持っているとは、生後一ヶ月にも満たない上終にとっては非常に良い学習となった。

一方、レイヴィニアは憎悪のこもった目つきで神裂と名乗る女性を睨みつけている。

両者反対の反応を示されて、神裂はどうしていいか判らず戸惑っているようだ。

「貴女がレイヴィニア=バードウェイですか? それなら話は――」

「話しかけるな、淫乱女」

杖の先を突きつけ、冷たく言い放つ。

淫乱と罵られた神裂は顔を真っ赤にしながら、近所迷惑になりそうな大声で反対する。

「い、淫乱!? この服装は術式を扱うための立派な武装です!!」

「ほう。じゃあ言ってやるがな、世間一般の共通認識ではお前みたいなヤツを露出狂とか、売女とか言うんだ。判ったらその無駄な乳を斬り飛ばされる前に帰れ」

いつになく絶好調のレイヴィニア。

神裂はプライドを完全に撃沈され、まるで漫画みたいに体育座りで落ち込み始めた。

入れ替わりでやってくるのは、香水の匂いを漂わせた不良神父……ステイル=マグヌスだ。

「僕たちは真面目な話をしに来たんだけどね」

神裂に触れるのは辞めたらしい。この状況では最善の賢明な判断といえよう。

レイヴィニアもようやく取り合う気になったのか、杖の先を下げる。話を始めようとするステイルを遮り、彼女は言いつける。

「私たちが訊くのが先だ。それは二つ。『どうしてここがわかったのか』、それと『何の目的があるのか』。いいな?」

「………仰せの通りに。まず一つ目の質問から答えよう。簡単なことさ、僕には『上終 神理を探知する術式』があった」

「詳しく話せ」

あくまで高圧的に命令する。

ステイルは堪えつつ、『上終 神理を探知する術式』についての説明を始めた。

「ソイツ自身に何かついているわけじゃない……いや、この場合はついていると言うべきだな。右手の力は何でも止めるのだろう?その右手は無意識のうちに、龍脈や生命力を均一にしているんだよ」

龍脈とは、この地球自体が持つ惑星を循環する力を発露させた土地のことだ。人間が生命力や精神力を以って生産する魔力よりも、何倍も大きく強力な魔力が流れているのだ。そのため、これを利用した魔術も多い。

龍脈にもその土地によって力は異なる。

上終が意識せずに『天地繋ぎ』が、龍脈の力を一定にしてしまっているという。10の力の土地と、20の力の土地を無理やり15と15の力に分けているということだ。

それも、無意識に。

上終は思わず右手に目をやる。

『天地繋ぎ』にはまだ知らない領域があるというのか――?

「ただ。分けているといっても、力の強い龍脈に力は引っ張られるから、自然に修復する。その均一化と修復のサイクルを探知するのが上終 神理の探知術式だ」

「なるほどな。他にも疑問はあるが、それで納得してやる」

一つ目の話題が終了したことになるが、自分が深く関わっている話題だ。

『天地繋ぎ』。これについて知っている情報を上終は頭の中で反芻する。

(あらゆる現象・物体・異能を止める力――半径三メートルまでなら力は弱いが触れずに止められる。生物は触れることでしか止められない。……それに加えて、無意識に均一化?あの妖精からは聴いてないぞ)

だが、実際ステイルがそれを頼りにここまでやってきたのだから、疑う余地はない。

『無意識』の行動というのはどうしても止められない。無意識とは意識できないからこそ無意識なのであり、それを停止するというのは無意識を意識することになるからだ。

故に、ステイルの探知術式に対抗することはできない。もし、黄金の夜明け団が解析したのなら、これからはもっと襲撃が激しくなるだろう。

「待ってくれ、黄金の夜明け団に均一化と修復のサイクルが見抜かれたらどうするんだ」

レイヴィニアに訊く。

そうなれば、この組織に残ることはできない。上終は彼女たちの為ならそれでも良いと思っているが、ハッキリさせないといけないだろう。

答えたのはレイヴィニアではなく、ステイルだった。あたかも、その言葉を待ち望んでいたとでも言うかのような表情だ。

「そうだな。それが二つ目の質問に繋がる。『僕たちは黄金の夜明け団を殲滅するために来た』……詳しく言えば、君たちと共同戦線を組みに」

「……そうか、話が長くなりそうだな。この部屋に入ることを許可してやろう。特にそこの無駄乳女は、私に感謝しながらだぞ」

「こ、この……!」

腰の長刀に手をかけそうになる神裂。直前で理性が働いたのか、手をピタッと止めてお辞儀しつつ玄関から上がっていく。

レイヴィニアを先頭に、どこぞの勇者のパーティみたいに一列で居間を目指す。

途中で誰も一言も喋らないところが、場の真剣な空気を作っていたのだが、

「熱っ!?やめなさい『白の禁書目録』!!」

「わたしはもうそんなんじゃないよ。ほらほら」

「ギャアアアアア!!?ぱ、パスタが鼻の中にいいいい!!」

椅子に雁字搦めにされたまま暴れ狂うティファレトの様子に、勇者パーティ御一行は絶句する。

不良神父が咳払いをひとつすると、アナスタシアは向き直って謝罪したあと、レイヴィニアにシメられた。

「い、色々あったけど本題に入ろうじゃないか」

「そうだな」

猿でもできる簡易拷問で黙らせたアナスタシアを、背後に投げ捨てながら返事した。

「実はあの戦いと平行して、黄金の夜明け団は行動を起こしていた。あろうことか僕たちの本拠に忍び込んで、いくつかの原典と霊装を盗んだのさ。実際には『不明』なんだけどね」

「その報復に?」

上終の質問にステイルは頷く。

「それもある。僕たちはイギリス清教だ。元々の方向性は『悪事を働く魔術師を排除すること』……そのために、君たちの助力を得たい」

「たった二人でか?」

鋭い声でレイヴィニアが言うと、ステイルはおどけたような動作をする。妙に芝居がかった動きでタバコを取り出そうとするが、ここは禁煙だ。

「禁煙だぞ」

上終が注意すると舌打ちをして、代わりに神父服の下から白銀色の缶詰を取り出す。それを開けると黒色の草のようなモノがびっしり詰め込まれていた。

所謂『噛み煙草』というヤツで、煙を出さずに喫煙をする最も古い方法の一つである。

正確には草ではなく葉で、ステイルはそれらを小豆大に丸めると口に放り込んだ。

そして、口をモゴモゴと動かしながらニコ中神父は話を再開する。

「……生憎と人手不足なんだよ、ウチは。自分で言うのも何だが、実力は保障しよう」

仏頂面でステイルを見やるレイヴィニア。

一言も発さない彼女に、上終はある種の不安を覚えて、ひそひそ声で話しかける。

「どうするんだ?」

「……ニコ中と仕事をしたいか? 隣には淫乱露出女もいるんだぞ」

「聴こえてますよ!!」

ドバンッ!!とテーブルが壊れる勢いで手を叩きつける。

「さっさと決めなさい!それと私のことについてゴチャゴチャ言ってると叩き斬るぞド素人がァ!!!」

と、神裂は本性を爆発させると、荒い息で着座した。レイヴィニアは見下したような表情を神裂とステイルに向けた。

「わかった。一時的に手を組んでやろう。ただし、私たちのほうが上に立つことになるがな」

ボス直々の言葉を受けたステイルは、右手で額を押さえて盛大に嘆息しながら、

「どうしてこれだけのことに時間を使ったんだ……?」

なんやかんやで、『必要悪の教会』と『明け色の陽射し』による共同戦線は結ばれたのだった。

 




話ばっかりですみません。
次回から戦闘も入れられると思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

攻略戦の手引き

一番の難産でした。


黄金の夜明け団最高幹部会『生命の樹(セフィロト)』旧約聖書のエデンの園の中心に植えられた樹であり、これになった実を食べれば永遠の命を手に入れることができるとされている。

絶対的な唯一神は知恵の樹の実を食べたアダムとイヴが、生命の樹の実までをも食べることで、己の地位を脅かされることがないように人間をエデンの園から追放した。

カバラ思想においては十個の円をセフィラとし、原初のセフィラを『王冠(ケテル)』とする。黄金の夜明け団は徹底的な実力主義を敷いており、それ故に代替わりが激しい。

そのため、それぞれのセフィラに着く人間は実は重要ではないのだ。

『生命の樹』という組織自体が魔術的記号となっており、幹部たちはセフィラの名前を自分の名とすることで、対応する天使の『天使の力(テレズマ)』を身に宿すことができる。

「……けれど、私は既に幹部会より離脱させられているでしょう。だから、もう『ミカエル』の力は使えない」

ティファレトは目を伏せる。

明け色の陽射しと必要悪の教会による同盟が成った直後、黄金の夜明け団についての尋問を行っていた。

そして語られたのが、最高幹部会『生命の樹』について、である。

魔術師にはその強大さがわかったのだろう、上終を除いた全員が青褪めた顔に驚愕を混ぜた表情をしていた。

対応する天使の力を身に宿す―――字面だけでも、上終にも脅威であることは窺い知れるが、それだけで済ませられることではないのか。

「すまない、『天使の力』とは一体どんな力なんだ?」

口に出すと、ステイルが若干引いたような驚いたような顔をして見つめてくる。

「知らずに戦っていたのか!?」

と、怒鳴り半分で言われる。

上終はいまだに魔術に関してド素人……それどころか、『すごい力』くらいにしか認識していない。

魔術師にとってはとんでもない会話でも、上終にとっては少し変わった話としか捉えられないのだ。

「龍脈の話はしたな?アレは『惑星』を循環するエネルギーだが、天使の力は『世界』に溜まるエネルギーだ。そして、天使自体を構成するモノでもある。私たちが使う魔術のほとんどが、この天使の力を利用した術式だ。わかったら口を塞いでおけ」

レイヴィニアにトゲトゲしい声で釘を刺される。どうやらそれどころじゃなかったらしい。

「わ、わかった」

とりあえず納得する。

『天使』の実在を認めなければならなかったが、一度レプリシアの力を見た者としては信じられない話でもなかった。

「……確かにそれで魔術は成り立つでしょうが、それでも宿す天使の力は1%にも満たないでしょう?」

神裂が問う。聖人として神の力の一端を宿しているだけに、『生命の樹』たちが天使の力を利用できるというのが信じられないのだろう。

ティファレトは口をとがらせて喋る。

「今の黄金の夜明け団は196代目。貴女の言うとおり、初めはそうだったでしょうね。けれど、これまでの『195代そのもの』が魔術的記号になっているのよ。だから、強大な天使の力も使える」

つまり、100代前の生命の樹が、50代前の生命の樹が重ねたすべてを力となり、現在の代に繋がる。

果てしない計画だ。

自分自身すら礎として、組織を高めていく。黄金の夜明け団がここまでの発展を遂げたのも納得できる。

ただ、上終には『生命の樹』の魔術理論が語られたとき、レイヴィニアの様子が変わったように感じられた。

「となると、全員倒すしかないか」

「無駄ね。いつでも入れ替えられるように、黄金の夜明け団は魔術師を育成しているもの。きっと私の代わりに新しい人員が入っているはず」

ステイルの結論に、ティファレトが反論した。

倒しても人員を入れ替えて復活し、その度に力を強くしていく。トカゲの尻尾切りのようなモノだ。ただし、次に生えてくる尻尾は強靭になる。

「ならば頭を潰すか、全員を同時に撃破するかだな。入れ替わるとはいえ、それほどの力を引き継ぐなら儀式があるはずだ。答えろ、ティファレト」

そう。

尻尾がいくらでも生えてくるのなら、頭を潰してしまえば良い。

当然、頭をすげ替えることもできるが、それを成すまで組織は麻痺していることになる。

苦々しい顔をするティファレトは、レイヴィニアの言葉に首肯した。

「ええ。儀式によるタイムラグはあるし、トップを潰すのも有効でしょう。でも判っているのかしら?第一のセフィラが司る天使は―――」

「――メタトロン。神と同一視される天使だね」

アナスタシアが言葉を引き継いだ。

その表情に、黄金の夜明け団への複雑な感情をにじませながら。

黄金の夜明け団の『生命の樹』が、どれほど天使の力を再現できるのかはわからない。

だが、確実に強大であることは間違いないのだ。そのことは組織の規模と歴史が物語っている。

それを、神裂は、

「壁にはなるでしょうが、私の術式なら問題はないでしょう。彼女に訊くべきは、黄金の夜明け団の本拠地かと」

『問題ない』と言い切ってみせた。

彼女の言葉には一切の誇張もないのだろう。そこには揺らぎのない自信だけが存在している。

ステイルも同意して、ティファレトの前に立って質問を投げつける。

「そうだね。黄金の夜明け団の本拠地を教えてもらおうか」

複雑な模様が描かれたカードをちらつかせる。せめてもの抵抗に、ティファレトは全力でステイルを睨みつけた。

「……コーンウォール地方のランズエンドにある城よ。魔術防護と工作員の働きで衛星にも映らない、不可視の城」

 

 

ブリテン島の最西端・ランズエンド。

イギリスの地の果てと呼ばれ、岬の先からはただただ広大な海が広がっている。

土産物店と遊具などが置いてある簡素な土地だが、だからこそ、黄金の夜明け団はここを選んだのだ。

城の周辺には強力な魔術防護が施されており、土地に住む人間に気づかれないために『人払い』の術式が刻まれている。

『人払い』はその名の通り、人間が土地に近づいたとき、急用を思い出したり意識を他へ誘導する初歩的な魔術だ。

黄金の夜明け団の科学専門員の力により、衛星の監視からも逃れているこの城は『陽炎の城』と称されている。

陽炎の城の地下室。

かつてレプリシアの独房だった部屋を改造し、少年のネツァク=スパダヴェッキアは作業に勤しんでいた。

そこは魔術師の部屋とは思えないくらい科学に満ち溢れていて、病院にあるような手術台や照明、パソコンと多数のモニターが設置されている。床には人の手や目、水晶などが乱雑に散らかって、足の踏み場がないくらいだ。

一台のパソコンが放つ光だけが照明の薄暗い空間で、ネツァクはある動画を繰り返し観ていた。

上終 神理とレプリシアの戦い。

その一部始終が画面に映し出されている。

「力の均一化と修復……へぇ」

口角を吊り上げて笑う。

両手を二回叩き合わせて、とある男の名前を呼ぶ。

「マルクト!」

虚空にむかって声をあげると、ネツァクの隣に空気から浮かび上がるように喪服の男が現れる。

彼の彫りの深い顔立ちはケテルと瓜二つで、同一人物と間違えてしまいそうなほどだ。

「……どうした」

「それがさー、見つけちゃったんだよ。上終くんの弱点。わかる? この龍脈の流れが……」

画面のある点を人差し指で囲っていくネツァク。

マルクトと呼ばれた男は感心したように眉を上げ、『上終の弱点』を察したようだ。

「ほう……力の量を均衡させているのか」

「うん。だから、これを探知する術式をつくれば付随して明け色の陽射しの居場所もわかる。一石二鳥だね」

「どれくらいでできる?」

ネツァクは少年らしい笑みで宣言する。

「五分でいけるね!『賢者の石』を錬成したボクにできないことはないのさ!」

 

 

一段落ついたあの後、上終は洗い物を終えてからレイヴィニアに部屋に来るように伝えられていた。

これがもし、まともな女の子だったら嬉しさ満点の大喜びだったろうが、こと彼女に限ってそんなことはありえない。

これならまだ黄金の夜明け団と戦ったほうがマシだ、とか何とか考えながら食器洗いをしていた。

呆け半分恐れ半分の夢心地でそうしていると、アナスタシアから心配そうな視線を向けられる。

「だ、大丈夫?」

「ああ。今日死ぬかもしれないということ以外においては大丈夫だ」

あの少女がやることといったら拷問辺りでファイナルアンサーだろう。

「レイヴィニアが恐い?」

「普段ならそうでもないんだがな。俺の右手の弱点が判明したせいで、それを黄金の夜明け団に掴まれてるかもしれない。たぶん、そのことだろう」

「安心していいよ。ああ見えて仲間には優しいから」

そうか、と返事をする。

確かにレイヴィニアには情がないわけじゃない。アナスタシアとの出来事がそれをよく表しているし、彼女はアナスタシアを取り戻すために戦ったのだ。

結果的に話を聴けたとはいえ、上終が知っていることはまだまだ少ない。

(……俺は知らないことばかりだ)

今まで歩んできた人生。

この世界のこと。

魔術のこと。

周りの人たちのこと。

人間が一生のうちに知ることができる知識や学ぶことができる経験には限りがある。

だから人は勉強して、知識を増やす。

上終には知識はあっても、これまでを生きてきた人生の体験がない。

「そうだ、アナスタシア。君のことを教えてくれないか」

久々の文句を言う。

アナスタシアは多少面食らった顔をしてから、太陽のような笑みを浮かべて頷いた。

「いいよ!わたしはね――」

他人から聴く人生とは、上終にとって教材のようなモノなのかもしれない。自分が足りないから、他人で補う。

そうして、上終 神理という人間を成長させていくのだ。

黒髪の少女の話に聴き入ってから数十分。

アナスタシアは非常に言いづらそうな表情をしながら、時計を指差した。

「あの……時間………」

「……ハッ!」

いつの間にか随分と時間が経っていたらしく、レイヴィニアに言いつけられた時間から結構遅れていた。

青い塗料を塗ったかのように、一気に顔色が悪くなっていく。

上終は慌てながら一言断りを入れ、次の機会に話を聴く約束を取り付けると真っ先にボスの部屋へと向かう。

バンッ!と勢い良く扉を開けて、

「すまない!おくれ――ごっふぁぁぁぁぁ!!!?」

いきなり魔術をぶっ放され、背後の壁にめり込む勢いで激突する。

「おい、遅れてくるとはどういう了見だ。ああん?」

冷ややかどころか絶対零度の視線で、遅刻した不束者をグサグサと突き刺す。

それだけで満身創痍の上終は、見るも鮮やかで流麗な動作をしつつ、土下座の態勢に入った。

「弁明のしようがない。全部俺の責任だ。許してくれ!」

「死刑」

「ギャアアアアアアアアアア!!!!」

再度レイヴィニアの魔術が発動したところで、夜のロンドンに哀しき男の絶叫が鳴り響いた。

……仕切りなおして。

かたや椅子でくつろぐレイヴィニアと、かたやボコボコの顔面で正座をする上終が向い合っていた。

「お前も一応私の側近だ。ボスからの命令に遅れてくるという無能ではあるが」

ヘッドバンキングめいた速さで、とにかく頷く。上終が選ぶ人類史上最高の首肯は、どうやら彼女には通用しなかったらしい。

ちくちくと肌を刺す視線に身じろぎしながら、ひたすら話を聴く態勢に移行した。

「呼びつけた理由はわかるな? 潰されても生えてきたとかいう、お前の右手のことだ。私が言いたいのは、その止める力じゃない。『力の均一化と修復』についてだよ」

上終の予想したとおりだった。

彼女は黄金の夜明け団に均一化と修復のサイクルが知られれば、容赦なく上終を排除するだろう。

組織のためならば、一人を切り捨てるのは当然のことだからだ。

解雇。クビ。リストラ。そんな単語が、頭の中をぐるぐると回る。

「上終、お前はどう思う。黄金の夜明け団にバレているのか、いないのか」

冷静に考える。

西洋最大級の魔術結社『黄金の夜明け団』。

彼らと戦った上終は、その強さと脅威をこの世の誰よりも理解していると自負している。

ティファレトに勝てたのは、彼女が本気を出せない状況下での偶然だ。

ケセドに勝てたのは、半ば不意打ちの右手の力に助けられたからだ。

この二人だっていま対戦すれば勝てる保証はなく、ケセドには一回も触れられずに敗ける可能性だってある。

そんな彼らの実力からすれば。

「……絶対に気づいているだろう。俺は誰よりも彼らの実力を体験したんだ。賭けたっていい」

「そうだな。常に最悪を想定して行動するのが私たちだ。私もお前と同意見だよ」

そこで、とレイヴィニアは前置きする。

「私はお前を利用する。一番傷つくのは今回もお前かもな」

なんとも先行き不安な内容だ。

だが、上終にとってもっとも重要な部分はそこではない。クビを回避したという点である。

彼女が言うにはクビよりも酷いことになるということも否めないが。

「傷つくとかそういうことは構わないが、本当にそれでいいのか? 居場所が筒抜けなんだぞ?」

右手に視線を投げる。

戦闘では大いに役立つこの力だが、今回だけは重い足枷となってついてくる。そのデメリットをレイヴィニアは笑い飛ばして、言い切った。

「居場所が筒抜け……それがいいんじゃないか。言ってしまえばヤツらの行動パターンを制限できるということでもある。つまりはエサだな」

奴隷に壁に小間使いに執事と、上終の二つ名をどれだけ増やしていくのだろう。「今度はエサか……具体的には、どうするんだ」

「お前に群がってきたところを一気に叩き潰す。ここの戦力は私にアナスタシア、そして派遣されたあの二人だ」

「……俺は?」

質問するが、見事に無視される。

エサとして機能させるため、上終は最初から戦力に入っていないのだ。という結論を出して、上終は自分を諌めた。

「要は、移動しながらお前に釣られた馬鹿共を私たちで排除する。その間に各地の部隊は『陽炎の城』に到着。とりあえずはこんな手はずだな」

「ほう。だったら、ここでどうにかすればいいってこと? お嬢さん」

ひどく甘ったるい声。

その『声』には人外の魅力があった。

喩えるのなら、天使のお告げ。

抗おうとも聴き入ってしまう魅了的な言葉。

「――!?」

一瞬、呆けていたことに驚く。

そして闖入者の存在を知覚し、即座に振り返るとそこには、『天使』が腰掛けていた。

否、それは天使ではない。

天使の力のいくらかを宿しただけの人間。

しかし、窓ガラスに腰掛けて月光を浴びる彼女の姿はまさしく天使に相違ない。

綺麗に磨き上げられた水晶のような水翼を背中から伸ばし、ピンクの唇を妖しく歪めて微笑う彼女に魅入られる。

「上終ッ!!」

至近から飛んできた怒号。

強く凛としたレイヴィニアの叫びで、ようやく正常な思考を取り戻す。

「ッ――!!?」

ゴドンッ!!!という衝撃が全身を叩いた。水晶の翼が無骨なドリル状に変貌し、上終の肉体に差し迫ったのだ。

腹部に突き刺さるはずだったそれは、かろうじて右手によって遮られ、直撃を防いでいた。

迷わず『天地繋ぎ』で翼を止める。

片方の翼を止めた隙にレイヴィニアが風の刃で斬りかかるが、氷へと変化した翼で防御される。

「血気盛んね」

妖艶に微笑む。

「お前と比べて若いんでな」

快活に笑む。

次の瞬間、金髪の少女が跳び、元いた場所を天使の水翼が斬り払った。

水圧カッターと化した翼はその空間だけを斬るに留まらず、一直線にマンションの反対側の壁を貫く。

天使は上終に止められた翼を引き戻そうとして、できないことに疑問を覚える。

――右手は離しているはずなのに、何故?

レイヴィニアの攻撃をいなしながら、数瞬考えて結論を出した。

「そこから退きなさい、坊っちゃん!」

一瞬にして急激に加速する。

生物にはありえない、ゼロからのトップスピードの突撃に右手を合わせることはできず、容易に蹴り飛ばされる。

「ぐがぁぁああああッッ!!?」

横腹に突き刺さった蹴りで上終の身体は、くの字に曲がり廊下の奥まで吹っ飛ばされた。

瞬間的に空気を絞り出された肺が動作不良を起こし、途切れ途切れの呼吸で酸素を取り込めているかすら怪しい。

だが、レプリシアの拳よりは軽い。

今のがあの白髪の少女の一撃だったのなら、内臓が破裂していただろう。

立ち上がろうとする上終の横を、黒い尾を引いた突風が走り抜けた。

アナスタシア。

マンションの外壁を造り替えた槍を携えて、黒き旋風は襲いかかる。

戦況は押しているようだが、あの女がまだ何か切り札を隠している可能性もある。上終はこの優勢を完全に『勝ち』へと持っていくために、両足に号令をかけて走りだした。

この速さではあの天使を捉えきることができないのは、わかりきっている。

上終の実力では、三人の戦いに加勢しても足手まといにならないのが精一杯だということも、わかりきっている。

(それでいい!あいつに『俺の右手』を少しでも意識させることができたら!!)

動きを止めることができたのなら、そこで勝敗は決する。そのため、あの天使は嫌でも上終の右手を意識せざるを得ない。

「――くっ!」

焦りが生まれる。

焦りが生まれれば隙となる。

そして隙となれば敗北は揺るがない!

水翼で魔術と槍の両方を防ぎ切ることはできているが、上終の存在が厄介だ。

実力はない。常人離れした身体能力もない。だが、彼の右手は触れれば一撃で雌雄を決するジョーカー。

かといって上終を狙えば、背後から強襲を受ける。

だから。

彼女は宙へ身を投げだした。

ここは高層マンションとはいえ三階。下へ逃げれば即座に追撃をくらうだろう。が、上なら高さの利はこちらに働き、追撃するにも時間がかかる。

そのうちに盤石の態勢を整えておけば、上終を掠め取ることができる――!!

「あ、ははは!追ってきなさい、頂上まで!!」

彼女は黄金の夜明け団最高幹部会『生命の樹』序列第九位、テレンティア=イェソド。司るのは第九のセフィラ『基礎』。

対応する天使は―――『ガブリエル』。

カトリックにおいて四大天使の一角に数えられるこの天使は、神のメッセンジャーとして描かれる。

有名なエピソードは、かの聖母に神の子の誕生を告げる受胎告知である。神の言葉を伝える天使は、どこからともなく現れて啓示を与えるのだ。

魔術においては、ガブリエルは四大元素における『水』との関係が設定されている。

彼女の操る水翼はガブリエルの力のほんの一端であり、それでさえも山を斬り裂くほどの力はあるだろう。

だがしかし。

テレンティアには一つの誤算があった。

ここにある戦力がレイヴィニア、アナスタシア、上終の三人だと思い込んでいたこと。

彼女はおろか、黄金の夜明け団ですらある同盟が数時間前に取り付けられていたことを知り得ない。

「正真正銘の天使の力――偽りはないようですね」

イギリス清教の聖人が、そこにいた。

風が吹く夜空に黒い髪をたなびかせ、二メートルの長刀を構える彼女の姿。それをテレンティアが認めた瞬間、本能が警報を鳴らした。

直ぐに殺さなければいけない!!

この女には私を斬り裂く力がある!!

水翼の天使に逡巡は無い。

ありったけの魔力を翼に叩き込み、一振りの長大な大剣となった水の翼を振り下ろす――!!!

「………」

屋上に振り下ろされた水の大剣は、山を裂き谷を作り出すほどの切断力を秘めていた。

これが直撃すれば聖人ですらひとたまりもなく、マンションごと縦に真っ二つにされてしまうだろう。

神裂は抜刀術の態勢で呼吸を練り上げ、ただ一言だけ呟いて剣を振るった。

 

        「唯閃」

 

ザン、と。

水の大剣が二つに断たれる。

吹き散らされた水を直進する一つの斬撃。山を斬り裂く威力を秘めた一撃を、その抜刀はいとも容易く押し返す。

(避けきれ――)

――思考よりも速く、斬撃は到達した。

袈裟に裂かれた身体から血が噴き出る。

感じるのは痛みを超越した喪失感。

死んだ。

斬り殺された。

身体に宿った『天使の力(ガブリエル)』が。

何処にも無い。

きっと、次の『基礎』を継ぐ人間にも失われたあの力は宿らないのだろう。

決定的な喪失感は現実にあらわれる。

天使の力(ガブリエル)』の象徴であった水翼は消えてなくなり、聖人に迫る身体能力もいまは消失した。

夜空を自由落下していくテレンティアを、神裂は小脇に抱えて着地する。

「どうして……」

これぞ神裂 火織の奥義『唯閃(ゆいせん)』。

聖人の力を全力で引き出し、究極であり必殺の抜刀を繰り出す術式。

十字教術式の弱点を補うために仏教術式を組み合わせ、仏教術式の弱点を補うために神道術式を組み合わせ、神道術式の弱点を十字教術式が補う、完全なる一刀である。

それ故に、十字教の天使を別の教義で傷つけることで、対神格・対天使術式としても機能している。

このため、テレンティアに宿る『天使の力』を斬り裂くことができたのだ。

「さて、私の実力を理解していただけましたか?」

背後を振り返り、自慢気に言う。

「ああ、よく見させてもらった。同盟相手としては悪くない」

珍しく相手を褒め称えるレイヴィニア。

彼女たちは互いに微笑み合い、握手を交わした。

 




神裂さんが当て馬じゃないという異常事態。
次回も読んでくれると嬉しいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

死者の書

ペンザンスの皆さんごめんなさい。


テレンティアを撃破したのち、すぐにコーンウォールのランズエンドを目指すことにした『明け色の陽射し』。

ロンドンからランズエンド、という直行便はどこにもないため、まずは最西端の町・ペンザンスに到着しなければならない。

天地繋ぎ(ヘヴンズティアー)』の力の均一化と修復のサイクルが見抜かれている以上、どんな交通手段を使ってもバレる。ということで、夜行列車のチケットを財にモノ言わせて買い取り、レイヴィニア御一行はなんとも優雅な攻勢に出たのだった。

上終としても、自転車にも三輪車にも乗ったことのないので、初めて目にする電車という乗り物に期待していた。

機械的なイモムシみたい、と同じく電車を知らないアナスタシアの言葉に落胆しつつ乗り込むと、

「これが人間の技術力か……!!」

「早く行け、類人猿」

初めて見る最先端技術というヤツに圧倒されていると、後ろから小さな足で蹴り押された。

「お前らはあっちだ」

指を差す方向には、良くも悪くもいかにも寝台列車といった雰囲気の通路がのびている。

「君は?」

「私たちはこっちだな」

レイヴィニアが示す方向に目をやると、高級ホテルのような雰囲気が漂う廊下が奥まで伸びていた。

上終とステイルは真っ先に抗議しようとしたが、その前にすでに部屋に入られていたので不可能に。

取り残された似非執事と喫煙神父は、少しの間愕然として、口を開く。

「……ベッドは君が上だぞ」

「そんなことか!?」

体格の良いステイルはしばしば通行人とぶつかりながら、指定された部屋へ進んでいく。

「……」

そこはもう、部屋というより寝室だ。

申し訳程度の机が邪魔ですらあるほどの狭さで、ステイルが一人入れば片側が埋まってしまう。

夜も遅いため、ステイルは寝ることにしたようだ。

上終はというと。

端的にいえば、はしゃいでいた。

「トイレはあまり変わらないのか……」

彼にとって目に映るモノ全てが珍しい。

高速で流れていく街の夜景も、列車内の景色だけでも心躍る要素になるのだ。

それも数十分続くと知り尽くしたような気分になって寝室に戻り、ステイルを起こさないように二段ベッドの上にのぼる。

電車の振動にゴトゴトと揺られながら眠りにつくと、夢を見た。

味気のない夢。

上終自身、夢を見るという体験は少なかったが、見るのはいつも同じ夢だ。

それは、誰かから指令されるように言いつけられるおかしな内容。

〝お前は死んではいけない。どんなことがあっても生き続けろ。どんなになっても生き抜け。お前に課せられた使命は――――――だ。だからどうか死んでくれるな。私の愛しい神理〟

少し女性寄りの中性的な声。

物騒な内容だが、その声には心に染み渡るような優しさがこもっている。まるで親が我が子に注ぐ『愛』のように。

夢の海を漂う上終を抱きしめる暖かい光は、漠然とした人型をしていて、注意しなければ人型とすら認識できない。

いずれにせよ、人間とはかけ離れた存在が語りかけてきている。

しかし、この声の主が言うとおりにできるだろうか? そんな疑問が上終を苛む。

何回だって死にかけてきた。

ここにいるのは奇跡だと言えるくらいには、上終は自分の実力というヤツを信頼してはいない。

もし、ケセドが残虐で人を簡単に殺してしまうような冷酷な男だったら、戦う前に殺されていただろう。

人生に『もし』は存在しないが、それでも考えてしまう。どうしてここまで生き残れたのか、と。

〝わかっているさ。お前はそういう奴だ。敗けると直感しても戦う理由があるなら、それには逆らえない。だけど、私には嘆くことしかできないんだよ。たった一人の―――も救えない大馬鹿者さ〟

そんなことはない。

誰かは知らないが、俺なんかにそこまで思い詰める必要はない。

俺が自分で決めて行動を起こした結果なら、たとえどんな結末だって納得できる。

待つのが『死』であっても。

「………!」

電車のゆるい衝撃に起こされる。

夢を見ていたせいか、あまり脳が休めていないような感じだ。

靄がかかったような思考で、毛布を左腕で除けて上半身を起き上がらせると、頭を何かに擦り付ける。

天井だ。

灰色がかった金属の天井が目と鼻の先にあった。

こんなにも低いものだったとは思わず、少し驚いていると下からまた衝撃が響いてくる。

衝撃とはいっても小さなモノで、ゴス、という音からして下のベッドで寝ていたステイルが上に頭を打ち付けたのだろう。

「……訴えてやる」

「勘弁してやれ」

寝起きで意識がはっきりとしていないステイルの独り言に反応しつつ、上終はハシゴをくだる。

車窓から見える景色は、出発のようなビルが建ち並ぶ摩天楼とは違い、のどかな風景が広がっていた。

その風景に、上終は心が高鳴っているのを感じる。おそらく、『上終 神理』はこのような風景が好きなのだろうと結論づけて、椅子に腰掛ける。

「よく寝れたな?」

寝心地の悪い寝台列車のベッドに嫌気が差したのか、不機嫌そうな顔つきで呟くステイル。

上終自身もそう感じていたが、過去にとんでもない経験があることを思い出した。

「まあ、冷たくて固い地面で寝ることに比べればな。これくらいはホテルみたいなものだ」

ステイルは引いたような表情をする。

路地裏で目を覚ましてから数日の間、上終は街をさまよい歩いて強制野宿を敢行していのだ。

あの時の経験に比べればどうということはないのだろう。

ようやく起きる決心をしたステイルは、大きい身体をどうにかしながら這い出てくる。気だるそうに向かいの席に座った彼は、タバコを取り出そうとするが電車内は禁煙であることを思い出して、すぐさま仕舞う。

外を清掃員のおばさんが通った後、噛み煙草を口の中に放り込んだ。

「そんなにニコチンが好きなのか」

「まあね。僕がニコチンを愛するのは聖女マルタがニコチンで竜を退けた伝承から――」

「そろそろ目を覚ませ!ニコチンで竜を撃退する聖女なんて聴いたことが無いぞ!?」

ガックンガックンと頭を上下させるニコチン神父の横っ面を叩いて、ニコチン世界から現実世界に引き戻す。

もしやこの男、タバコと結婚してありとあらゆる種類のタバコハーレムを作り上げてしまうのではないだろうか。彼のニコチン好きはそれほどだった。

正気を取り戻したステイル。

噛み煙草を含んでいるせいで、せわしなく口を動かしている。

「で、ペンザンスまではどれくらいで着くんだい?」

訊かれて、上終は左手首の腕時計に視線を送った。高価なモノではないが、明け色の陽射しの仲間から贈られた宝物だ。

時計の時刻と到着時刻を照らし合わせ、電車が数分遅れることを考慮した移動時間を導き出す。

上終が驚いたのは、時刻通りに電車が来ないということだ。

この国では常識のようだが、なぜか日本寄りの知識を与えられている彼には衝撃的だった。

「二時間くらいだ。そういえば、ここで朝食は食べられるのか?」

「食堂車に行けばな。僕たちはどうせそっちだ。……君があのボスに気に入られていれば話は変わったんだけどね」

ジロリと抗議の視線を飛ばしてくる。

残念ながら上終には反論の余地はなく、レイヴィニアに遠ざけられているという事実を再確認した。

「うぐ……否定できないな、それは。とにかく、食堂車に向かうぞ」

「はあ、仕方ないな」

 

 

「よおし、準備終わりっと」

二度手を叩いて、満足気に微笑む少年。

彼がいるのは、明け色の陽射しが現在目指しているペンザンスの町だ。

簡素だが昔ながらの造りをした家屋が建ち並ぶその町は、物寂しい雰囲気を覗かせつつも風情がある。

普段は人通りもあるはずだが、車も店のシャッターも閉まりっきりのゴーストタウンじみた町になっていた。

生命の息づく気配は無く、気ままな鳥が空を飛び矮小な小虫たちが地面を這う。

何かがおかしい。

この町に漂うのは死の瘴気。

息がつまり苦しくなる魔界の空気。

「ボクたち黄金の夜明け団が専門とするのは、カバラ、占星術、錬金術」

じゃらり、と銀の鎖が音を立てて、少年の首にかけられた。

垂れ下がった先の部分には、吸い込まれそうなほどあまりにも深い完全な赤色の物質が繋ぎ止められている。

背中のリュックサックから、抱えるくらいの大きな本を取り出す。その本はいつ作られたのか検討もつかないほど古ぼけており、本というよりは『巻き物』のような形をしている。

巻き物の素材は世界最古の紙といわれているパピルスで、全長はおよそ50メートルの長大な巻き物だ。

「――そして、エジプト神話にも関わりは深い」

少年の前に一直線に引かれた巻き物は、淡い紫色の光を発しながら、ひとりでに浮かんでいく。

彼の目の前で高度を維持する巻き物に、首の深紅の物質を近づける。

「『死者の書』は死んだ人間の霊魂の道を描いたモノだ」

……『死者の書』。

古代エジプトにおいて、死者の冥福を祈り棺に入れられたとされる葬祭文書である。

それには死後に訪れる様々な試練や審判を乗り越えて、無事にオシリスが支配する天国へと到達するための内容が書き連ねられている。そして、アヌビスによる審判を経て罪深き者ならば、魂を喰らう幻獣に輪廻転生を絶たれ、善心ある者ならば天国に向かうのだ。

本来ならば死者一人一人にオリジナルのモノが書かれ、それを棺に入れることとなる。

が、ここにある死者の書はすべて完成されていない、『書きかけ』。

「重要なのは、死者の一人一人にオリジナルのストーリーがあること。彼らの魂の行く末はボクが決めることができる」

紫色の光と深紅の燐光が互いに力を共鳴させ、絡まり合って複雑な色彩を織り上げていく。

それにつられるように、少年の口角は吊り上がり、笑みが深みを増した。

笑みとはいうが、それは幸福から出たモノではなく魂を支配する愉悦から出た悪質な笑みである。

「群れる死者の魂よ。ハニエルの名において命ずる。―――我が操り人形として肉体に戻れ」

ドクン、と、どこかで心臓が動いた。

立ち上がるのは死者の軍勢。

少年によって魂すらも冒涜された人間たち。

「上終くんなら、どんな顔をするかな?」

彼らは獲物を待ち受ける。

 

 

間の抜けた蒸気の音がした。

揺れとともに車両は動きを止め、自動ドアが次々と開いていく。

すなわち、ペンザンスに着いたという合図だ。

荷物を整えて、車両から降りるとロンドンとは違う空気が上終を包み込んだ。どこか物寂しい、退廃的な風情が漂っていた。

否、上終にもわかる。

圧倒的に変わり過ぎている。

さながら死臭を放つ屍の山に放り込まれたような息苦しさ。

あたかも救われぬ魂が寄り集まった幻獣の腹に閉じ込められたような空気。

「……キナ臭いな」

レイヴィニアが不快そうに顔をしかめる。

魔術についての知識が少ない上終にも異常が感じ取れるほどだ。あの少女には上終以上に知覚できていることだろう。

それは神裂、ステイル、アナスタシアも同じようで、金髪の少女を筆頭に彼女らの歩みは止まっていた。

「どうするんだ?」

「行く。駅前広場で散らばった部隊と集合だからな。コレの原因を突き止めるのは後で良いだろう」

そう言って歩き出す。

この状況で平静を保っていられる彼女の豪胆さに舌を巻きつつ、後ろを着いていく。

改札から駅へ、駅から広場へ出る途中では全くの無人であり、生物の営みはすべて人間以外の動物のモノだ。

だが、それでも仲間たちの顔を見た瞬間に安堵の感情が広がった。

黒服の集団はレイヴィニアの姿を認めると、黒い波と化して一斉に駆けつけてくる。

その中にはマークの姿もあり、数日会っていないだけなのに懐かしさを感じてしまう。

「ボス!ご無事で!」

「ああ。だが、こうしている暇はないぞ」

このタイミングを狙ったかのように、こーん、という音が近くのスピーカーから鳴り響いた。

『あー、あー。こちら教会よりお送りしておりまーす。……ボクもその意見に賛成だね! なんてったってここはもうボクの領地だ。ペンザンスの人口は約二万人。彼らはボクの言いなりになる駒と化したんだよ!!』

―――上空から、鉄槌がくだされる。

二メートルを越える背丈に、鋼鉄の身体を持つ巨漢。ブーメランパンツ以外には衣服を身に着けていない、プロレスラーのような男だ。

この男が現れたその時、マークは驚愕の表情を浮かべる。

「コイツ……あの時の……!?」

「我は舞い戻ったぞ!薄汚い黒の集団よ、我の拳で以って叩き潰してやろうではないか!!」

ダメだ。

この男は何がおかしいかすら気づいていない。

身体の至る所に穴が空き、血が果てしなく溢れだしている。白眼は赤黒く染まり、それこそ全ての穴から血を流しながら、男は立っていた。

『ソイツの名前はネツァク=スパダヴェッキア。見ての通り脳筋でゴリ押ししか能がないヤツだよ』

ネツァクの出現を皮切りに、建物からぞろぞろとすでに死した者たちが出てくる。

彼らもネツァクと同様に、身体の全ての穴から滝のように血を噴き出しながら、ゾンビめいた足取りで上終らを囲んだ。

数えるのすら億劫になるほどの多勢。

『さて、君たちに条件を提示したいんだけど……その前に自己紹介してあげよう!』

手を叩く音。

どこまでも気軽な少年の声は、そこに明らかな愉悦の色が加わっていた。

そこに年相応の無邪気さや純粋さは失われており、手段を選ばない無慈悲な彼の性格が表れている。

『ボクはケテルであり、コクマーであり、ビナーであり、ケセドであり、ゲブラーであり、ティファレトであり、ネツァクであり、ホドであり、イェソドであり、マルクトであり、そのどれでもない。ボクは全てのセフィラの共有体・「ダアト」。な、ん、だ、け、ど♪』

腑抜けた声で宣う。

しかし、次に言い放たれた言葉だけは少年のモノではない、老練な魔術師の意志が込められていた。

『ボクの真名は「テオフラストゥス・フィリップス・アウレオールス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイム」』

ざわめく。

全員の表情が青褪める。

「――歴史上『賢者の石』の錬成に成功した人物の一人、パラケルススか」

錬金術を語る上において、絶対に欠かせない偉人。医療研究でも活躍をみせ、かつての古代ローマの大医師ケルススを超えた者として、『パラケルスス』を名乗るようになった。

レイヴィニアが導き出した解答に、パラケルススは拍手を送る。

『じゃあ、交渉に入ろうか? ちなみに断れば二万人のゾンビが君たちに襲いかかるからね』

交渉とは名ばかりの命令。

喩えるのなら、弾倉に銃弾を込めて安全装置を外した銃を額に押し付けられたような状況。

銃士のワガママで生き死にが決まる。

『「上終 神理」を置いていけ。そうすれば陽炎の城まで案内してやる。あくまでボクが欲しいのは上終だけだからね』

「――ッ、それは……」

レイヴィニアが言葉につまる。

彼女が迷っているのは情による事情ではない。上終の右手は、使うべき時と状況に合わせれば絶大な威力を発揮する。あらゆる危機を打破する切り札として、上終を運用するつもりだったのだ。

だが、情による部分が一切入っていないといえるのか。

見ようによっては、彼はレプリシアを撃破してアナスタシアを救い出した恩人だ。そんな上終に少しでも情が移っていないとは言いきれない。

「行け。ここは俺に任せろ」

右の拳を力強く握り締めて、上終は一歩だけ前に進み出た。

スピーカーの奥にいるであろうパラケルススに、あらゆる感情がこもった射殺すような視線を突き刺す。

『そんな怖い目でみられたらビビっちゃうじゃないか。何を怒っているんだい?』

「――一つだけ訊かせろ。パラケルスス、お前はこの町の人間を全員殺したのか!!」

怒号を張り上げる上終に対して、パラケルススはなおも飄々とした声音で答える。

『そうだよ。賢者の石でただ生き返らせてもボクの奴隷にはならないしね。なに、もしかしてそのこと? ハハッ! 少し魔術師に夢見過ぎじゃない。目的のためなら、何人だって殺せるのが魔術師ってヤツらだぜ?』

「そうか、それだけで充分だ。俺が戦う理由には充分すぎる!!」

たとえ見知らぬ人間だとしても。

彼らが必死に生きた人生を踏みにじり、死後の安住でさえ亡きモノにした。

それが二万人だ。

いや、数なんて関係ない。

たった一人でもその命を奪ったのなら。

「……上終」

これは確認の言葉。

もはやどうあれ止まるつもりはない。

「行け、レイヴィニア!パラケルススを倒して追いついてみせる!!」

『へぇ!カッコイイじゃないか、上終くん!見知らぬ人間のためにボクを倒すぅ?反吐が出るくらいの偽善者だね!』

「黙れ。悪人であるお前に何を言われようと返す言葉は無い」

ぶち、と。何かが切れた。

スピーカー越しでも伝わってくる凄まじい殺気。

「……所詮、子どもだな」

ダメ押しとばかりに呟く。

それだけで伝わってくる殺気は何倍にも増して、上終の全身にのしかかってくる。

「力だけがあっても、それじゃあどうしようもないだろう? 覚えておけ、お前が味わうのは勝利の美酒ではない。………土の味だ」

『ああ!? 言いたい放題かよクソがァ!! ブッ殺してやるからさっさとボクのところに来いよ!!』

敗けるつもりはない。

腕がちぎれようとも、ヤツを倒す。

偽善者。確かにそうなのだろう。

見知らぬ人間のために命を賭すのは、並の偽善者ではできないことだ。

実際、恐怖という感情もあった。

しかしそれでも戦うと決めたのは。

「失敗だったな。俺に彼らの姿をみせたのはお前の存在価値と同じくらいの誤算だ……!!!」

『そこに救われぬ者がいるなら、全てを投げ出して行動できる者』―――それが、上終のヒーローとしての素質だ。

故に彼が戦いから逃げ出すことはない。

ミシ…と五指が鳴る。

『――ボクがいるのは教会だ。精々ここまでたどり着いてみせろ』

……痛む。

世界が嘆いている。

人々が求めている。

俺はパラケルススを打ち倒す。

なにがあっても。

どんなになっても。

彼らの生きた人生(げんそう)を無駄にはしない――!!!!

「……パラケルスス、お前が彼らの人生を踏み躙るというのなら」

無数のゾンビが動く。

上終の右手が鉄塊のように硬くなる。

その瞳に灯るのは覚悟と闘志の業火だ。

「―――その幻想を護り抜く」

 




二万人&パラケルススvs上終くん。
次回も楽しんでいただけたら幸いです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最高の錬金術師vs天地を繋ぐ者

つかれた。


「……クソがァッ!!!」

教会の主祭壇を蹴り飛ばす。

その威力にはあまりにも脆く軽すぎた祭壇は、紙切れのように吹っ飛んだ。壁にぶつかって止まる頃には既に、精巧な造りが嘘みたいに損傷している。

それでも収まらない怒りに、パラケルススは段の上でぐるぐると回り始めた。

親指の爪が深く深く噛み刻まれて、血が滲み出してボロボロになっていく。それはいつまでも止む気配は無く、指にまで噛み付いてしまいそうなほどだ。

「殺す……!! あのゴミ野郎だけは絶対に殺す……!!!!」

もう片方の拳を爪が食い込むほど全力で握り込み、パラケルススは宣言した。

沸騰した頭では何を考えようと無駄だ。彼はただただ数の差に頼り切って、確実に上終を押し潰すだろう。

もはや黄金の夜明け団がどうなろうと、上終を殺すという一点に少年の意識が傾いたとき、喪服の男が現れる。

まるで濃度の濃い塩水から、塩の結晶が浮かび上がるかのように気配を出さずに。

ケテル=クロンヴァールと瓜ふたつの顔貌を有する『生命の樹(セフィロト)』序列第十位の男。

「………マルクト」

「不穏な声が聴こえたから駆けつけたが、殺してもらっては困るぞ。あの右手はケテルの欲するモノの一つだ」

マルクトの独断行動だろうが、パラケルススにとって考えを見抜かれていたことすら気に食わない。

近くの手頃な椅子を蹴り飛ばし、マルクトに向き直る。

「だったら、生きてて右手がくっついてればいいんだな?」

穏やかではない言葉。

喪服の男はなおも無表情のままで首肯し、

「くれぐれも頼むぞ」

そう言い残して消えていった。

そして誰もいなくなった教会の真ん中で、パラケルススは首にかけた賢者の石を撫でて傷を治す。

これさえあれば死者を生き返らせることもでき、不慮の事故で上終が死んだとしても保険はある。だが、彼は錬金術師でもあり医者でもある。

『どの程度』で人が死ぬかは誰よりも知っているのだから、死よりも酷い拷問を与えることになるだろう。

 

 

「死ぬつもりはあるか!?」

「いや、パラケルススを殴るまで死ぬつもりはないな……!!」

死者の軍勢。

術師の人形となった彼らが襲いかかる。

老若男女問わず形成された死者の軍勢は、壁というより波のようだ。

殴り殺し、噛み殺し、踏み殺す絶死の津波。

この波にさらわれれば最後、生きて脱出することは叶わないだろう。

そんななかで最初の壁として立ちはだかったのは、筋肉を鋼鉄の鎧として着込んだプロレスラーじみた巨漢。

生前の彼が浮かべていたであろう笑みと、全身から血を垂れ流す彼の笑みとでは全く意味が違ってくる。

許せない――上終の想いは拳に現れ、迫り来る鋼鉄の巨漢への対処に当てられた。「ぬぅ!!」

気合い一閃。

上終を頭から縦に切り潰すギロチンが振り落とされた。普段なら避けようのないこの攻撃に、彼はなんとかして右手を合わせることに成功する。

何が変わったわけでもない。

変わっているのは、目の前の巨漢だ。

攻撃へ入る予備動作から近づいてくる足並みまで、あまりにもわかりやすい。

垂れ下がった腕を振り上げ振り落とす。描く軌跡も直線的で、軌道がわかっている攻撃相手に右手を合わせられないほど上終は衰えていない。

「まず、一人!」

接触と同時に発動した『天地繋ぎ』は巨漢を停止させ、上終はその横を全速力で通り抜けていく。

目指す先は、目の前にある死者の波。

パラケルススには逃げ回っていても勝利は掴めない。逃げれば逃げるだけ体力を消耗し、じわじわとなぶり殺しにされるだけだ。

幸い、ゾンビの動きは鈍く、見てからでも対応はできるレベルにある。これが通常の人間と同じ速さであったのなら、上終は容赦無く喰い散らかされるだろう。

「おおおおおおおおッッ!!!」

己を奮い立たせて、死者の群れを突き進む。

とにかく右手を振り回し、全速力で駆けながら死者の隙間を縫っていく。

小さな隙間でも強引に押し通れるように、姿勢を限界まで低くして獣のように疾走する。

そこまでしても、肌を切り裂かれ服を掴まれ噛み付かれるが、その程度で怯んでいる暇は無い。

「……ッ!」

バールを持って振り下ろしてくる死者。

迷わず左腕で受けて、右手を腹部に叩き込んでから休むことなく走った。この状況からか、心臓はせわしなく鼓動して身体じゅうから汗が流れ出す。

思考にもだんだんと霧がかかっていき、それは視界にもあらわれる。

筋肉が悲鳴をあげ、死者の繰り出す一撃一撃が骨を軋ませていくのを感じながらも、上終は決して足を止めない。

それは全てを投げ出して彼らの幻想を護り抜くと決めたから。

それは彼らの尊厳を踏みにじったパラケルススを打倒すると決めたから。

敗けるわけにはいかない。

命と引き換えにでも、パラケルススの顔面を殴り飛ばしてやらなければ気がすまない。ヤツを倒すことこそが、この町の住人への餞だ。

――前方から、何かが激突したような音が鳴り響いた。

よく聴くとそれは前方のみならず、ほぼ全方向から連続している。

「……パラケルスス。お前は、どこまでッ!!!」

車。

死者の波を掻き分け全力疾走する車が、四方向から突撃してきている。

突き飛ばしていく死者の血を巻き上げ、車体を赤黒く血塗らしていく鉄塊は、すぐそこに迫っていた。

避けきれない。

どう移動しても直撃する。

残された少ない時間では、どうやっても状況を打開する方法は思いつかない。

ならば、することは一つだ。

「――!!」

ただ歯を食いしばって衝撃に備える。

両腕で頭をかばい、目蓋を閉ざした。

(まだだ。俺は――)

パラケルススを倒してはいない!!!

直後。

高速の鉄塊が上終をはじき飛ばした。

血肉が叩き潰され、骨が折れる音が響く。

身体は宙に放り出され、ボールか何かのように病院の自動ドアのガラスに激突して、院内まで叩き込まれる。

「があッ……はあっ……!!」

呼吸が上手くいかない。

視界がちかちかして意識が奪われる。

許容外の痛みがだんだんと戻ってきて、口の端から血が溢れて全身から痺れていた。

腕は健在のようだが、肋骨を叩き潰された。おまけに肋骨が肺を傷つけたのか、吸って吐く動作だけで堪えがたい激痛が迸る。

だが、のたうちまわっている隙は無く、追い討ちをかけるように新しい車が突っ込んできていることを確認した。

脚と腕でどうにかして受け付けの向こうへ滑り込み、荒い息を必死に整えようとする。

(上階に……逃げれば………)

少しは落ち着いた呼吸と思考を駆使して、激痛が苛む身体にムチ打って階段までの道を跳ぶように走った。

一歩踏み込むごとに突き刺すような痛みが発生し、脚にもダメージを受けていたことを思い知る。

それを嘆いていても始まらない。

早くもボロボロの身体を引きずって、病院の屋上を目指す。高台から見渡せば、自ずと教会の位置も知れると踏んでのことだ。

「……ぐうっ!?」

膝が折れて身体が沈み込む。

ここに来てゾンビの群れを突破してきた疲労がのしかかってきた。朦朧とする意識を繋ぎ止めるかのように、頬をはたいて軽い痛みで自我を保つ。

上へ上へと壁にもたれかかりながら、ひたすら屋上までの道を進んでいく。

そんな時、足首になにか柔らかい感触が伝わる。

白い靴下を引っ張るとても小さな力。

もう何がやってきても驚きはしない。

覚悟を決めて足元に視線を移せば――――

「な………っ」

――――そこには、産まれたばかりの赤ん坊がいた。

自我を持たず親に保護され縋り付くしかない、惰弱な存在。だからこそ、成熟した人間には可愛く映るし、そこから学ぶことだってある。

そんな。

まだ親と話したことすらない赤ん坊が。

町中のゾンビのように血を垂れ流し、誰よりも小さな肉体で這いずり寄ってきていた。

別に助けを求めているわけじゃない。

上終に近づいたのは他のゾンビと同じく、攻撃するためにここに来たのだ。

誰とも知れぬその赤ん坊は、歯も生え揃っていない口で噛み付き、あまりに弱々しく拳を振るっている。

ただその光景を見て、上終の目元から一筋の涙がこぼれ落ちた。

赤ん坊への哀れみ。

それもあるだろう。

パラケルススへの怒り。

それもあるだろう。

自分自身との共感。

…………それも、あるだろう。

この赤ん坊は以前の上終と同じだ。

何もわからぬままさまよい、目の前に提示された使命に飛びつく愚か者。

徹底的に搾取される絶対弱者。

親の顔だってまだ記憶していないだろうし、親の声だってまだまだ聴き足りないだろう。

上終には心の奥底で親を求める感情があったはずだ。何も知らずに、突然何かから弾き出されたように産まれて、救いたいと願った少女のために戦った。

けれど、この子にはそれすらない。

自分の感情に従うまま行動することもできず、かけがえのない親にさえ存分に甘えることもできなかった。

なんて理不尽。

なんて不条理。

なんて不道理。

だから、何よりも熱く激しく燃え上がるのは、赤ん坊への哀れみでも、パラケルススへの怒りでも、自分自身との共感でもない。

この世界に巻き起こる絶対的圧倒的究極的不条理への果てしない怒り―――!!!

「パラケルスス……俺とお前は絶対に分かり合えない。どっちが正しいかの解答なんて決まっている……!!」

体重を掛けて身体を押し付けるようにして、屋上への両開きの扉を開け放つ。

脚を引きずり、落下防止の柵まで近寄って町全体を見渡す。美しいこの町も、全てパラケルススによって地獄へと変貌させられた。

そして思いの外早く、教会は見つかることとなる。ここから一軒挟んだ先のところに、大理石製の教会は厳かに佇んでいた。

それと同時に、教会近くのスピーカーから音が鳴る。

『もう満身創痍ってヤツ? ああ、君はこの前もそうだったね、失礼失礼。そろそろつまんないからさぁ~ボクのとっておきってのと戦ってみなよ。中ボス戦さ』

パラケルスス。

彼はフラメルやサンジェルマンと同じように、錬金術における至高の物質『賢者の石』を創成したことで知られる。魔術の四大元素に対応する四大精霊の論も講じ、彼自身が創り出した短剣……『アゾット剣』に悪魔を住まわせているという伝承も残っているほどだ。

錬金術と魔術。

この両方に秀でた彼に語り継がれるもうひとつのエピソードは、ホムンクルスの精製である。

パラケルススの著作によれば、人の精液を用いた特殊な方法でフラスコ内に限り生き延びることのできる小さな生命体を創り出すことができるとされている。

『名づけて、「Mixture/ver.ANGEL」―――「ダアト」の共有体としての特権を使って、天使の力を複数詰め込んだ試作品だ。そのせいで、個々の力は弱くなっちゃったけどね。賢者の石で肉体を与えるのも大変だったんだぜ?』

『生命の樹』においてダアトとは知識であり、他のすべてのセフィラの共有体とされている。おそらく、パラケルススの『生命の樹』としての能力は、他の幹部の力を扱えるといったところだろう。

音も無く、それは現れる。

上終の背後に磨かれた白磁器のような、つるりとした表面をもつ生命体が降り立った。

目と鼻や口はロウで固められたかのように白くなっており、一対の光の翼と頭上に輝く光輪が天使の威容を見せつけている。

『じゃ、がんばれ』

通信が絶たれた。

相対するのは上終と虚像の天使。

開いていた五指が集まり形作るのは拳。

「正しいのは、俺だ」

直後のことだった。

轟!!!と空気を破断しながら、天使の翼が振り下ろされる。

いつもの上終なら、ここで切断されていた。

既に回避行動に入っていた上終には掠りもせず、たったの数歩だが間合いを詰められる。

―――彼らの全てを無駄にしない。

全部、目に焼き付けてきた。

全部、身体で体験した。

全部、全力で戦った。

上終はここまでの道で遭遇したゾンビの攻撃を学び取り、経験値としてきた。一挙一動に目を配り、攻撃の際の微細な動きから軌道まで全ての叩きこんできたのだ。

そこから製作したのは、あらゆる攻撃の対処パターン。

上終には常人離れした反応速度は無く、また前兆の予知なんてのもできない。だから組み上げる。

自分だけの戦闘論理を。

幸いにも天使のように翼を扱う敵なら、間近で見たことはあった。

あとはその戦闘論理に翼を扱うという項目を加えておけば、今までの戦い……それこそ、ティファレトとの戦いからの経験を活かすことができる。

振り下ろした片方の翼を戻す隙を埋めるように、もう片方の翼が上終の胴を薙ぐために一閃。

即座に右手で対処し、一歩ずつ天使へ近づいていく。

翼による攻撃では埒が明かないと判断した天使は、両手に光り輝く剣を顕現させた。アレに斬られれば人体などひとたまりもなく、焼き切られてしまうだろう。

――読み切る。

遠距離が通じないのなら、身体能力と手数に物を言わせた接近戦を行う腹積もりか。

脚に号令をかけ、急加速を行う。

突進してくる天使は上終のいきなりの急加速に対応できず、右手をすんでのところで躱して距離を取る。

上終は様子見などという策を選んでいる場合ではなく、短期決戦を望んで天使に追随した。

戦闘論理はあくまで通常の人間を相手として想定したモノであり『人間以上の身体能力』、『虚を突いた攻撃』、『右手の許容外の攻撃』に弱い。

さらに、相手が上終以上の戦闘論理――格闘経験があるのなら、たちまち不利に追いやられるだろう。

故に短期決戦。

一瞬で勝敗を決する賭けの攻勢。

だがしかし。

この天使はホムンクルス。産まれながらにして、ありとあらゆる知識を保有している生命体。

『敵のリーチは拳の先まで。距離を取って攻撃すればいつかは倒せる』。

計らずして、両者が望む展開は正反対になった。

「……くっ!!」

振り下ろされた二枚の刃。

左に飛びつつ、直撃するであろう刃を右手で受け止めて、完全に停止させる。

先に振り下ろされていた純白の刃が、僅かに光り輝いて膨張したかと思えば、一気に炸裂した。

右手は対応できない。

爆発の直撃をくらった上終の身体は、滑るように横っ飛びして隣のビルの屋上に叩きつけられた。

「がっ!?」

背中に響く鈍い痛み。

飛来してくる天使は、迷いなく純白のギロチンを落とす。

無様だが横に転んで回避する。純白のギロチンは、ビルの中腹辺りまで斬り裂くとまた元に戻った。

上終は金属製の柵をボクシングのリングロープのようにしてもたれかかる。

―――それは、ほんの一瞬。

上終の脚が度重なる疲労と車との衝突で負ったダメージから、ほんの少しだけ傾いた。

これを見逃す天使ではない。

持ち前の人間を凌駕した身体能力で以って、瞬きほどの一瞬のうちに距離を詰める。

眼前に迫っていたのは、あまりにも無機質な陶磁器のような肌をした天使の顔。そしてそれに反応する間もなく腹部を拳で圧搾された。

ごぼ、と体内から血が這い上がってくる。

意識が飛びかけたところをまた新たな拳撃が上終を襲い、目にも止まらぬ神速の連打を全身に打ち込んだ。

そこからは筆舌に尽くしがたい光景だった。

戦いとはいえない未曾有の虐殺。

全身にまんべんなく打撃を打ち込まれた上終は、虫の息で地面に転がされる。

敗北。

完全なる敗北。

天使はボロ雑巾のように打ち捨てられた上終に手を伸ばし――――

「ようやく……捕まえた…………!!!」

――――手首を掴み返される。

天使は上終が気絶したフリを取っていたことに気づき、手を引っ込めようとするがもう遅い。

天地繋ぎ(ヘヴンズティアー)』「……まだだ」

これで止めても、範囲外になれば天使は復活する。この天使はどうあってもここで打倒しなければならないのだ。

そのためには身体を破壊し尽くさなければならないが………予想に反して、天使は光の粒子となって消えていく。

散っていく光の粒子に紛れて、手の平ほどの小さな物体が地面に落ちた。

それは生き物だ。

トカゲのような胴体に、赤ん坊のような頭部がくっついた異形の生命体。フラスコの中でしか生きられない生命体が、天使の身体を操縦するには負担があまりにも大き過ぎたのだろう。

『天地繋ぎ』がトリガーとなって、身体を構成していた天使の力(テレズマ)が霧散したのだ。

「お前も……俺と同じ、か」

苦しそうに呻くホムンクルスを、両手で包み込む。何もしてやれることはないが、その死を、生きた証を看取ることはできる。

すると、ホムンクルスは目を伏せてあっさりとあの世へ旅立った。

上終の両手に残るのは、どうしてか軽くなってしまったホムンクルスの亡骸。しっかりと彼を埋葬するために、いまだけ黒服の内ポケットに眠っていてもらう。

これで、パラケルススを倒せば決着がつく。

あとは教会へ向かうだけだ。

 

 

「……………パラケルスス」

教会の扉を開ける。

そこにいたのは、装飾の入った白いローブを着込んだ少年だった。彼は右手に短剣を、左手に古ぼけた巻き物を持っていた。

パラケルススは見るも無様な上終の姿に、笑顔を浮かべる。

「よく来たじゃないか。気分はどう? ボクのホムンクルスは強かっただろう? あそこで気絶してたほうが楽だったんじゃない?」

聴く価値もない戯言だと判断し、一直線にパラケルススへと進んでいく。

「怒ってる? 当然だよなぁ? お前みたいな偽善者には一番頭にくる出来事だろ?」

耳を貸さない。

眼だけは少年を見据えて、力強く歩く。

そんな上終を見て、パラケルススは右手の短剣――アゾット剣に力を込めた。

「教えてやるよ、魔術師ってヤツを」

ミシィ!!と右の拳が鳴る。

アゾット剣の切っ先が上終を向く。

後顧の憂いは断ち切った。上終は自分のなかの撃鉄を勢い良く振り落とし、一つの弾丸となって駆ける!!!

――時にアゾット剣には悪魔が宿るとされている。しかし、パラケルススは短剣の柄に賢者の石を仕込み、それで奇跡を成していた。

賢者の石とは卑金属を黄金に変える。つまり、不可能を可能とする伝説の物質。それを全力で稼働させれば、悪魔のような出来事も再現できるだろう。

真っ赤な血の色をした魔力がアゾット剣に集まり、切っ先より穿ち貫く光線が発射される。

一点に集中したことで、上終の『天地繋ぎ』すら凌駕するであろう威力を秘めた光線は、いとも簡単に弾かれた。

下から掬い上げるように手の甲を当てることで、光線の軌道を逸らしたのだ。

「くっ……!!」

思わず歯噛みする。

この間にも上終は詰め寄っていて、思考する時間すらもどかしい。

続けざまに三度光線を放つが、二つを躱され一つの軌道を捻じ曲げられる。

いくら数を増やそうがそれは同じこと。狙いをつける時間を利用されてひとつずつ避けられていく。

(何故だ! 何故当たらない!!?)

困惑するパラケルスス。

どんなに強い攻撃でも、当たらなければ意味がない。

「……………どうした、パラケルスス」

血まみれの顔で見据えられる。

相手は今にも死にそうだというのに、押しきれていないこの状況。そして、上終がすぐそこまで迫ってきていた。

「ナメるなァァァアアアアアア!!!」

アゾット剣の刀身をなぞるように、真っ赤な魔力で編みあげられた巨大な剣が創り出される。

それを横に一閃するが、あっけなく上終に止められ、呆然とした意識で上を見上げた。

「はっ……!!」

上終 神理。

完全に距離を詰められた。

「お前が、俺に……俺たちに勝てるはずがないんだ」

ドゴォ!!!と、パラケルススの顔面で痛覚が炸裂した。ぐらつく彼の横腹に捻りを加えた左拳が突き刺さる。

「ごっ……がああぁああああぁっ!?」

レバーブロー。

肝臓に限らず、臓器の付近には神経の束が密集している。そこに衝撃を加えればたちまち神経の伝達に障害が起き、呼吸困難が引き起こされる。

大口を開けて呼吸しながら、パラケルススは後ろへ下がった。

「他人を利用して、自分だけのうのうと引きこもってるお前には、戦闘経験が足りない……!!これがお前の悪行のツケだ! パラケルスス!!!!」

渾身の右ストレートがパラケルススの顔面の真ん中に命中する。鼻が折れ、血に溺れる彼に反撃する術は残されていない。

巻き物とアゾット剣が手中から滑り落ち、教会の床に転がった。

最後に右の拳が頬に突き刺さり、壁に頭を押し付けられる。手を後ろに回され、抵抗を失わされる。

「はあっ!はあっ!か、上終……!!!」

「……一つ、交渉をしよう」

後ろに回され、折り曲げられた腕に力が加えられる。関節とは逆方向に力を入れれば、折ることだってできるだろう。

「お前はこの町の人々を元に戻すことができるか?」

「………戻せってことか!? ふざけるなよ偽善者が―――」

べキィ!!とパラケルススの関節が痛々しい音を鳴り響かせた。

曲がってはいけない方向に彼の左腕が折れ曲がり、今度は右腕を掴みあげられる。

「『できる』と受け取るぞ。……魔術に使うだろうから、この右腕は折りたくないんだが」

「………ぐ、く」

それでもなお、逡巡するパラケルススに、上終は囁く。

「……俺の右手をお前の口のなかに突っ込んで、力を使えばどうなると思う?」

血が沸騰していた。

頭が暴走して熱を持っている。

これはあくまで脅しだ。

パラケルススを殺してしまえば、『死』に逃げ込まれてしまうことになる。死よりも苦しい生を体感させるために。

「…………………………!!!!!!!!」

最高の錬金術師。

彼が賢者の石を求めたのは、寿命という呪縛から逃れるためだ。

その才能で以って若輩ながら賢者の石を錬成し、永遠の命を手に入れた。

死が怖かった。

全て(じんせい)をゼロにしてしまう死を憎んだ。

だから、不老不死を追い求めたのだ。

そのためには神であろうと利用する、邪悪な精神を携えて。

それが、殺される。

あっけなく殺される。

憎んだ偽善者に殺される。

………パラケルススは道を間違えた。

彼がもし不老不死への妄執に囚われていなければ、本当の偉人として歴史に名を残しただろう。

「………戻す、だから、殺すな」

同時に、上終の束縛から解放される。

賢者の石が仕込まれたアゾット剣まで這い寄り、死者の書を斬り裂いて、現世に縛り付けられた魂を一旦解き放つ。

そこから、賢者の石の力で町全体の人間を生き返らせる。元々、死者の書で不当に利用された魂だ。

健全な肉体があれば、魂はそこに戻っていく。

証拠として、外の人々の身体は元に戻り、正常に起き上がり始めた。

「これで……もう、いいだろ………?」

「ああ」

瞬間、右の拳がパラケルススの顎を打ち抜き、昏倒させる。

「勝った……が」

まだ終わってはいない。

陽炎の城へ向かわなければいけない。

なのに、意識は朦朧として横倒しになる。

そして最後に聴こえた声は、

「小僧、よくやったぞ」

どこか聴き慣れた人のモノだった。

 




上終くんがボロボロになると嬉しい。
次回は陽炎の城です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

前哨戦の終わり

学校とかいう地獄が始まったので更新ペース落ちます。
三日に一回、できれば二日に一回。
……ちくしょおおおおおおおおおおおおお!!!!!!


イギリス清教から奪われた原典と霊装には、あるひとつの全く持って使い道の無い原典が含まれていた。

まず第一に、読めない。

世界中の機械を使って本の文字を解読しようとしても、結果は不可能。それも当然だろう。なぜなら、その本に使われていた文章は決して人間には読むことのできない『天使文字』で記されていたからだ。

かつてのイギリス清教が考えた次の手は、天使の虚像を召喚してその本の内容を教えてもらうという方法だった。

本物の天使ではなく、天使の力の一端を現世に降ろすことで文字を読ませる。三日三晩に及ぶ儀式の末、見事天使の虚像の召喚に成功したイギリス清教。

その天使の返答は彼らの希望を打ち砕くこととなる。

そう、結果は『読めない(わからない)』。

そんなはずはない。天使文字で書かれた本なら、天使に読めるのは道理ではないのか。

天使はこう言った。

『私達の文字をベースにしていることは判るが、見たことも無い単語と文法ばかりで手掛かりすら掴めない』――と。

人間にも天使にも読めない文字。

全てが暗号で書かれた本。

イギリス清教の人間たちは、そこまでしてその書物の真名に気づいた。否、そう考察した者はいても、口には出せなかったのだろう。

使いようによっては世界を救済に。

使いようによっては世界を破滅に。

それは宇宙創世からこの世の全ての秘密が書き記された秘密の書物。

『ラジエルの書』。

秘密の領域と思考の神秘の天使と称された大天使・ラジエルが己にしか読めない文字で書き記した封印された知識である。

「……とまあ、こんな感じさ」

ステイルがタバコを投げ捨てて言った。

明け色の陽射しの一団は、陽炎の城を目指して走っていた。町に移動手段が残されていればそれを使ったのだが、ゾンビの占拠により計画は潰えたのだ。

「ラジエル……『生命の樹(セフィロト)』では第二のセフィラに対応する天使ですね」

マークのその情報だけで、話を聴いていた人間たちは黄金の夜明け団の目的にたどり着く。

生命の樹、第二のセフィラ『知恵』を司るラジエルであり、幹部はその力を扱うことができる。そして、黄金の夜明け団が盗んだ原典は解読不能とされたラジエルの書。

「なるほど。ヤツらは全宇宙の知識を手に入れることが目的ってことか。最悪だな……!!」

レイヴィニアが忌々しげに吐き捨てた。

禁書目録の103000冊の知識がどうとかいうレベルではなく、全宇宙の知識が手に入るのだ。正しく扱わずとも魔術の神……『魔神』に到達することすら可能だろう。

そうなればオシマイだ。

黄金の夜明け団は魔術サイドや科学サイドの垣根なんて飛び越えて、世界の全てを手中に収める。

『レプリシア=インデックス』のような少女を造ってしまうような組織が、だ。

「レイヴィニア」

かつてレプリシアの名を背負っていたアナスタシアが、金髪の少女の背中に呼びかけた。

「もし上終さんが来たら、一緒に戦ってあげて」

「……どうしてだ?」

「きっと無茶してると思うから。わたしと戦った時だって、包帯で全身ぐるぐる巻きにされてたじゃない」

本当の理由は伏せておく。

アナスタシアも上終の『話した』人物の一人だ。だからこそわかる、上終の危うさであり強さ。それは、記憶喪失という生い立ちも関係していることなのかもしれない。

彼はどこまでも感情移入してしまうのだ。

性格からかあまりに顔には出さないけれど、楽しい話をすれば瞳を輝かせて、暗い話をすればどこか落ち込んだようになってしまう。

たとえそれが見知らぬ人の話でも、かつて敵だった人の話でも、一度事情を察してしまえば上終はどこまでも突き進んでいく。

レイヴィニアなら彼を止められると思って、アナスタシアは声をかけたのだ。

真っ直ぐなアナスタシアの瞳に説得されて、金髪の少女はかぶりを振るような仕草をとった。

「お前がそう言うのなら、善処してやろう」

「うん。お願いね」

時は過ぎる。

陽炎の城までの道のりはだんだんと縮んでいき、強大な魔術防護が施された黄金の城が姿を現す。

それは荘厳優美でありながら堅牢。

黄金の美しさと鋼鉄の頑丈さを併せ持った要塞と呼ぶにふさわしき牙城。広大な樹海に囲まれた陽炎の城は、この世のモノとは思えないような圧倒的な威容を放っていた。

魔術防護は樹海を取り囲むように設置されており、入ろうと試みれば真っ赤な血の色をした壁が侵入を防ぐ。魔術を飛ばした場合も同じで、すべからく壁に無効化され霧散する。

聖人である神裂の一刀を受ければさすがに壁は揺らいだ。しかし、いくら連撃を加えようとも次々に魔力が補填されるため、抜くことはできなかった。

しばらくそうしていると、突如として真っ赤な血の壁が消滅した。どんな原因か、あるいは罠か、どちらにしろやることは変わっていない。

「マーク、攻め込むぞ」

「はい」

その指令は全部隊に通達され、明け色の陽射しと黄金の夜明け団の全面戦争が開始された。

 

「良いのですか? ケテル様自ら御出陣など……」

『生命の樹』序列第三位、エクルース=ビナーは黒い手袋を嵌め込みながら、隣にいる主君に話しかけた。

黄金の夜明け団のトップであるケテルは、敵に攻め込まれるという事態でありながらも余裕の笑みを崩さない。

ケテルは側近の心配を笑い飛ばす。

「ああ。要はコクマーがラジエルの書を解読するまで護り切れば良いのだろう? 今回の主役は私ではないよ。それに、首級の一つでも挙げなくては示しがつかん」

慢心。否、これは確固たる戦歴と実力から来る本物の自信だ。己への揺るがぬ信頼を彼は持っている。

彼らの背後では、『知恵』を司る序列第二位のコクマーが天使の力をフルに活用して、ラジエルの書の解読に努めていた。

この書物の解読が終われば、そこで黄金の夜明け団の勝利は確定する。

「まさか、パラケルススが敗れるとは……」

他のセフィラを司る幹部の一人が呟く。

そこには、未知に包まれた上終の力への恐怖が混じっていた。魔術防護が消滅したのは、術者であるパラケルススが敗北したからである。

正確には、魔術防護の維持に必要な死者の書と賢者の石のどちらかが失われたことがトリガーとなった。

「上終 神理……やはり興味は尽きんな。この戦いに勝利すれば彼を手に入れたも同然だろう。その後でじっくり調べるとしよう」

言い終わると、ケテルは後ろを振り向いて下卑た笑みを浮かべる。彼にだけは、そこにいる者を把握できていたのだ。

マルクト。第十のセフィラ『王国』を司り、第一のセフィラ『王冠』と繋がっているとされる役割を持つ。

対応する天使もメタトロンの弟であるサンダルフォンであり、二つのセフィラは切っても切れない関係にある。

「第一段階だ。もらうぞ、弟よ」

「……任せた」

マルクトは目を閉じて兄の前に立った。

ケテルの視線は一直線にマルクトの心臓の位置にそそがれており、右腕を矢のように引き絞る。

すると、縮めたバネを解き放つように右腕が伸び、マルクトの胸を貫通して心臓を抉り出した。喪服を血で赤く染めながら彼は、眼から光を失って崩れ落ちた。

ズルリと抜けた心臓は血に濡れており、わずかに痙攣している。

筋肉の塊であるために心臓は重く固い。だが、ケテルは躊躇うことなく心臓に歯を突き立て、口の中で細かく千切って飲み込む。

「……これでマルクトの力は私に移った」

―――術式『栄誉の食人』。

人間が人間の血肉を食べるという行為は、人類の文化ではそう珍しいことではない。例えば日本で行われる、葬儀の際に遺骨を食べる『骨噛み』はその死者の能力にあやかろうとするモノである。

このような自分の仲間を食べる行為を『族内食人』と呼び、敵を食べる行為を『族外食人』と呼ぶ。

族内食人の考え方は、死者の魂や肉体の一部を受け継ぐというモノである。『栄誉の食人』は親類に限り食人することでその能力を受け継ぐことができるのだ。

「では諸君、戦うぞ」

 

樹海を疾走する。

指令系統が麻痺しているのか、黄金の夜明け団側の敵は一切姿を見せていなかった。

「ち、ちょっと……待て。僕には少し……」

肩で息をしながらのろのろと走るステイル。その理由はもしかしなくてもタバコの吸い過ぎで、『魔女狩りの王(イノケンティウス)』など強力な魔術を扱う代わりに近接戦が苦手という一面も手伝っている。

対して神裂は息一つ切らさずにステイル以上の速度で足を動かしていた。

「言ってる場合ですか!? 早期に敵を叩かないと――!!」

ブレーキをかける。

他でもない『生命の樹』がそこにいた。

彫りの深くスーツの上からでも鍛えられた肉体がうかがえる男――黄金の夜明け団の頂点に君臨するケテル=クロンヴァール。

空気から溶け出すように出現した彼は、見下す笑みで言う。

「どうやらその心配はないようだな」

「………!!!」

瞬間、神裂は動いた。

腰に差した長刀を引き抜く。

巻き起こるのは周囲の木ごと切断する斬撃の嵐。人智を超えた抜刀術は無数の斬撃となってケテルを襲う!!

「ほう、鋼糸か。……面白い」

金属を擦り合わせる音が、手の内から響いた。五指を開くとそこには、白銀に光をそり返す鋼糸が握られていた。

斬撃の嵐は単一の居合いではなく、長刀の鞘の鯉口に仕込まれた鋼糸を操って成された攻撃である。

驚くべきはそれら全ての鋼糸を掴んで、千切ってみせたケテルの実力だ。

「こちらは最初から本気でいかせてもらう」

太陽が現れる。

背中から生えた三十六対の翼。

まるで天へ真っ直ぐと伸びた炎の柱。

神の如き者と称される熾天使ミカエルよりも強大とされた、メタトロンの力の一端がここに顕現した。

「……先へ行かれては困ります」

『生命の樹』序列第三位。

座天使の指揮官であるザフキエルの力の一端を宿した褐色の男が、ケテルの隣に馳せ参じる。

エクルース=ビナーは周囲を見渡すと、

「出てこい。貴様らの位置は知れている」

翼を横殴りに振るって、辺りの森林を真っ二つにした。そこから飛び出す三つの黒い影。

「だから言ったのに、どうせバレるって」

「いいや、こういうのはノリだ。どっちが強者を演じられるかで勝敗は決まるんだよ」

「とりあえず、そういうことにしておきましょうか」

レイヴィニア、アナスタシア、マーク。隠されていた戦力はこの三人とはいえ、一人一人が相当な実力を持つ魔術師だ。

黄金の夜明け団が誇る『生命の樹』の実力者であるケテルとビナーであっても、五対三という戦力差は覆しがたいだろう。

しかし、これを覆す方法はある。

ドンッッ!!!と二人を取り囲むように五つの小爆発が巻き起こった。それぞれの爆発の中心にあるのは、天使の翼を携えた人間だ。

それが五人。ということは、生命の樹は既に人員の補給を行っていた。全員が十全に天使の力を振るえる状態。

「……これで七対五」

「これくらい、承知済みだ」

天使の欠片と魔術師たちは激突する。

 

 

「………っ」

目が覚める。

同時に襲ってくる痛みに顔をしかめながら、周りの状況を確認する。空の色からかなり時間が経っていると判断した。

そしてふと疑問に思う。

どうして自分は空を見上げているのか。しかも、背中から伝わってくる感覚からして地面を引きずられているらしい。

それに伴って視界も移動していき、襟を掴まれていることからか息苦しさも感じてきた。

「どこだここは……?」

「お。起きたか、小僧」

聴き覚えのある声。

自分のことを『小僧』と呼んで聴き覚えのある声といえば、あの男しかいない。

全身真っ青の服を見て、確信をさらに深めた上終。

「ケセドか。どうしてお前が?」

ずるずると引きずられながら訊く。

すると、ケセドはなんでもないような風で笑って、飄々と返した。

「そりゃあ、黄金の夜明け団をぶっ潰すために決まってんだろ。今は陽炎の城に向かってる途中だよ」

「そうか。お前が俺を助けてくれたんだろう? すまなかった、ありがとう」

「おう、感謝しろよ」

襟から手を放される。

上終は背中の土埃を払いながら立ち上がると、身体の堪えがたい激痛が和らいでいた。おそらく、ケセドが魔術で応急処置を施してくれたのだろう。

無論、絶好調とは言えないが、あと一回は全力で戦えるくらいには体力も身体の調子も良かった。

ケセドの案内に従って、陽炎の城までの道を歩く。海の潮風が体温を冷ましていくのを感じながら、上終は思う。

一体どうして戦ったのか。

死んでもおかしくなかった。パラケルススにあともう少しでも戦闘経験があったのなら、上終は敗北していたというのに。

ゾンビにされた人々に同情した。

世界がああであってはいけないという心の叫びに従った。

(……俺は)

絶対に認めたくなかった。

どうしても認めたくなかった。

どうなっても認めたくなかった。

そう、納得できなかった。

「俺は『納得』するために戦ったんだ」

それは当たり前のこと。

戦いといっても、世の中には殴り合い以外の戦いの方が圧倒的に多い。スポーツだって戦いといえるし、勉強でテストの点を競うことも戦いだ。

人間はそれぞれの戦いに向かって、自分が納得できるような結果を手に入れるために努力する。

簡単なことだ。それに上終は今気づいた。

パラケルススは右手を奪うために戦った。彼にとっては納得できない結果になったのだが。

「ケセド。お前は何のために戦う?」

上終には分からないことばかりだ。だから人から聴いて成長しようとする。

ケセドは先の道を見据えながら、口を開く。

「俺は俺のために戦う。なんてったって暗殺者として育てられたからな。当然殺したくない奴だっていた訳だ。だからまずは黄金の夜明け団を潰して―――」

そこで、彼の言葉は止まった。

視線の先には黄金の美しさと鋼鉄の堅牢さを併せ持つ陽炎の城が、侵入者への威圧感を放ちながら佇んでいる。

周囲の樹海ではどこかしこで戦火が巻き起こり、一際激しい場所では天へと昇る炎の柱が上がっていた。

「――小僧、つかまれ。飛ばすぞ」

 

 

十二の翼が五人を襲う。

その後に隙を埋めるかのように打ち放たれる三十六対――七十二の翼が白い炎の刃となって突き刺さっていく。

ひとつひとつが正しく必殺の威力を秘めた攻撃を、相殺し回避して生き残れるだけのスペースを作り出す。

激しい戦闘のなかにあって、ザフキエルの力を宿したビナーはある違和感を覚える。

現時点の最高戦力を注ぎ込んだにも関わらず、しぶとく耐えている敵の強さ。

――想定していた。

各地で戦っている明け色の陽射しと黄金の夜明け団の戦況の拮抗。

――想定していた。

ならば、何が?

――わからない。いや、ビナーの頭の奥底では理解していて、それを意識の部分に持ってくることができていないのだ。

観測する。

己すらも駒として見抜く。

敵の攻撃はすべて手掛かりだ。

この時、ビナーの動きは目に見えて悪くなっていた。翼を使った攻撃も防御も、タイミングが遅れてきていた。

そのことはこの戦場のレベルにおいては、あまりにも致命的すぎる。

「ビナー!!」

誰かが叫んだ。

しかしもう遅い。

五人の魔術師の一撃がビナーに集中し――――

「理解した」

――――直撃した。

腕がおかしな方向に曲がり、身体のあちこちの肉が潰れて骨が折れるほどの重傷を負う。

とどめを刺そうとするレイヴィニアの魔術。杖をバトンのように回して炎の壁を射出するその術式。

それを、ビナーは見もせずに躱した。

「……なッ」

「理解した。理解したぞ、レイヴィニア=バードウェイ……!!!」

顔いっぱいに愉悦の笑みを貼り付けて、褐色の天使は空へと舞い上がる。レイヴィニアを射抜くその瞳は、どこまでも輝いている。

彼の人差し指が指すのは、レイヴィニアの武具である杖。四大元素のうち、火を司るとされる武器だ。

「それだ。貴様の術式の強力さの秘密……見破ったぞ。『生命の樹』と似た方式で魔術の威力を高めているな」

口が動く。

一文字一文字がスローに聴こえる。

やめろ、それを言ってはいけない……!!

それは。

それは。

それは私が――――

「バードウェイ、貴様は……ッ!!?」

上終 神理。

ペンザンスの町で別れたはずの人間が、どういうわけかビナーと同じ高度に打ち出されていた。

上終の身体能力ではここまで跳べるはずがない。他の五人も地面に縫い付けられていて、彼を飛ばす暇はない。

ならば、まだあと一人増援がいる!!

「……ケ、セド。この裏切り者がッ!!」

ケセドが使うのは空気を自由自在に操る魔術。それならば、人をひとり飛ばすことはできて当然だ。

ビナーは動こうとするも、その前に上終の拳が突き刺さり、それが最後のトドメとなって地面に墜落した。

『天地繋ぎ』を使うまでもない。ケセドの空気を操る魔術で受け止めてもらい、無傷で地面に着陸する。

「上終……?」

名前を呼んで問いかけるレイヴィニア。

「ああ。約束通り追いついたぞ」

まだ戦えるということをアピールするように、上終はしっかりと立って彼女に微笑んだ。

ケテルは獲物を前にした野獣のような表情で地面に降り立ち、上終と向い合う。

「上終 神理……会いたかったぞ。レプリシア=インデックスを倒した君には一目置いているんでね」

「お前に何を言われようとも嬉しくないし、感謝するつもりもない。ただ倒す。それだけだ」

ここに、明け色の陽射しと黄金の夜明け団の本戦が幕を開ける。

 




少し短くてごめんなさい。
次回から本格的にバトルですので、飽きずに待っていてくれると嬉しいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

玉座に侍る者、魔神への到達

つかれた。


白い爆炎が踊る。

ケテルから放たれた白い炎の槍を、上終はギリギリで掴み取る。右手の『天地繋ぎ(ヘヴンズティアー)』がフル稼働し、それでも抑えきれない感覚に悪寒しつつ受け流す。

真正面から受ける必要はない。

ただほんの力の方向を変えてやるだけで回避できるのだから、右手はなるべく自由にさせておかなければならないのだ。

当然、ここでパラケルススのようにヤケになるケテルではない。翼を推進力として扱い、白い炎をジェット噴射のような形で打ち出して接近してくる。

上終は『天使の力』を宿した者の身体能力を目の当たりにしたことがあった。だが、ケテルのそれはガブリエルを越える加速。

接近戦を選んだ相手に対して、上終の右手は絶大な威力を発揮するが、それも当たらなければ意味がない。

右腕の手首から先という条件も割れているために、軌道も読まれやすいのが『天地繋ぎ』の弱点のひとつだ。

ケテルから繰り出された初撃を左腕を盾として防御する。なんとか間に合った左腕はしかし、防御ごと貫いて上終を吹き飛ばした。

「ぐっ――!!?」

折られた。たった一回の防御で左腕を叩き折られて、背後の樹木に激突させられる。

次いで放たれる回し蹴りを戦闘論理で以って読んで、しゃがんで回避。樹木を蹴り潰した足を右手で掴もうとする時間もなく、引き戻されていた。

まずい、と。

上終は直感する。

次の攻撃は躱しきれない――!!

そもそも、先の蹴撃を避けられたこと自体が奇跡に近い。戦闘論理があるとはいえ、ケテルは人間以上の身体能力を持つ苦手な敵だ。

それに、彼はパラケルススのように強大な力を持っているだけの素人ではない。力と経験を持ち合わせた本物の猛者。

上終一人だけでケテルに勝つことなど到底できないだろう。

そう、一人だけなら。

「横槍か」

目の前を横切る光の矢。

ケテルはそれを後ろに飛んでやり過ごし、光の矢が飛んできた方向に視線を投げた。

レイヴィニア=バードウェイ。杖の先を差し向け、それに新たな魔力を注ぎ込んでいる。

無造作に杖を振るえば、ケテルの位置に純白の爆発が生じる。膨大な天使の力をそのまま力として扱い、ぶつけるモノだ。

これをレイヴィニアは『召喚爆撃』と呼んで運用している。が、安全確認を省いたロケットの打ち上げのようなモノで、生半可な魔術師が行えば高確率で自爆するだろう。

ドーム状の爆発はしかし、距離を取ることで躱される。

「レイヴィニア……助かった」

「さっさと立て。戦うぞ」

手を掴んで引き上げられた。

なぜ左手だったのかを問い質したかったが、再び戦闘態勢を取り始めた二人からして聞いている暇はない。

上終も右の拳を強く握り締める。

二度の激突が行われようとしたその時、目の前を二つの影が突っ切っていった。

「こいつ……っ!!」

かたや、苦悶の表情を浮かべる天使。

天使の翼と聖人に迫る身体能力で追撃を仕掛けてくる敵から逃げ、目にも止まらぬ速さで迎撃を行う。

かたや、自前の長刀で連撃を浴びせる長髪の女性。

次々と振るわれていく神速の刃は天使の翼と拮抗するどころか、逆に翼を斬り払う。一合打ち合うごとに散っていく己の武器を見ながら、天使は神裂の実力に歯噛みしていた。

(これほどとはな……だが)

これは一対一の勝負ではない。

数々の敵と味方が入り乱れて、互いを庇いながら敵を刈り取る乱戦である。そこに厳粛なルールなど存在しないも同然なのだ。

不意を打つ―――神裂の気を引いた男が横に視線を送って合図する。

別の戦場から抜け出してきた幹部の一人が、翼にありったけの魔力を込めて一本の槍として突き放つ。

ゴォ!!!と空気を斬り裂いて飛来する刺突。それを、爛々と輝くオレンジ色の炎の巨神が吹き飛ばした。

「……『魔女狩りの王(イノケンティウス)』」

炎の巨神の両腕が翼のガードごと本体を焼き貫いて、戦闘不能に陥らせる。死んではいないようだが、摂氏3000度の炎を受けたのでは復帰は絶望的だ。

相手が横槍を入れるというのなら、こちらもそうするまで。

対魔術師に特化したステイルと神裂には、何よりも魔術師であろうとする彼らは相性が悪い。

これで五対七。

人数差は逆転した。黄金の夜明け団はケテルを除けば圧倒的なまでに強くはない。

戦況は優勢に傾いている。

(不利だ。私たちは劣勢に立たされている)

僅かに唇を噛むレイヴィニア。

少しばかり崩れたポーカーフェイスで、彼女はだんだんと焦燥を募らせていく。

その目が見据える先は燦然と輝く黄金と鋼鉄の城だ。

ラジエルの書の解読が終われば、その時点で誰が何人いようと関係なく戦いは終了する。虐殺にもならない神域の蹂躙によって、ここにいる全ての人間が消し飛ばされるだろう。

故に、数の差は気休めにしかならない。

真に倒すべきは取り巻きではない、それらに取り囲まれている王冠。ヤツが前線に出ている今こそが最大のチャンスだ。

「上終、ケテルを倒す。ついてこい」

「俺でいいのか?」

「ああ……少しは信頼してやってもいいと判断した。まだまだ右手のオマケだがな」

素直じゃないレイヴィニアの言い草に、上終は苦笑する。が、そんなことよりも彼女の信頼を得られたということが嬉しかった。

高鳴る鼓動に合わせて右の拳がさらに強く硬く握りしめられる。そして、ケテルの姿を探そうと周囲に視線を配ると、

「後ろだ!!」

「――ッ!!」

レイヴィニアの声が耳に届くが早いか、上終は身体をひねって右の裏拳を背後に叩き込む。

ギィン!!と白い炎の翼と『天地繋ぎ』が激しくせめぎ合う。

瞬間、上終は息を呑んだ。

目に映る光景は舞い散る天使の羽と切断され焼け落ちていく小指と薬指。右腕は上方に弾きあげられ、翼の一撃に敗北したことを示している。

「なッ……!!?」

「右手を叩き斬ってやろうと思ったのだがな。『天地繋ぎ』……やはり侮れん」

先の攻防を制したはずのケテルは、なぜか悔しげな表情をした。彼の一撃も全力と自信をもって放った最高の一閃だったのだ。

天使の力と魔力を最大限まで注ぎ込み、鋭く磨き上げた一点集中の剣によって上終の右手を貫通した。

言うのとやるのでは大きな差が発生するが、ケテルは『天地繋ぎ』に傷をつけるという偉業を達成したのだ。

右手から焼けるような痛みが腕を伝って脳に到達する。その痛みと絶対的な信頼をしていた右手が、斬られたという事実への驚愕が上終の動きを鈍くする。

だが、上終に叫んだ時点で放たれていたレイヴィニアの魔術によって、追撃をくらうことは免れた。

撃ち出された風の砲弾はケテルの目と鼻の先に迫っていたが、標的は空間に溶け込むように消える。

風の砲弾はそのまま空間を突き進み、樹木に当たって爆ぜる。

「ケテルにあんな能力は――」

「――そうだ。これはマルクトの能力だ」

再び空間から溶け出すように出現したケテルは、上終の間合い深くに入り込んでいた。

その時、無数の風の刃がケテルを襲う。彼はそれを打ち消すのに時間を取られ、上終に距離を取ることを許してしまう。

「レイヴィニア=バードウェイ。なるほどな……ビナー、お前の言いたかったことがわかったぞ」

見下す笑み。

ケテルは言い放った。

「お前は『いつでも同じ動作で同じ術式を扱う』ことで力を増幅しているな? 私に喰らいつくほどの魔術の威力の正体はそれだ」

そう。

レイヴィニアは魔術師ではあるが、元はただの人間だ。だというのに、『神血大聖槍』の術式を操る聖人のレプリシアとも互角に戦ってみせた。

それほどの強大な力の正体がそれだ。

奇しくも『生命の樹』の魔術と似た原理で、彼女の力は成り立っていた。過去から延々と繰り返してきた動作の集積が魔術的記号となり、レイヴィニアを強化していた。

そこには並々ならぬ努力があったはずだ。

いつでも同じ動作で同じ術式を扱う。確かに不可能ではないが、『完全に同じ動作』を何回もできる者は少ない。

ほんの一ミリでもズレれば、通常の威力の普通の魔術となってしまうのだ。

上終には想像もつかない領域の努力―――普段の彼女からは予想もできない術式の正体に、目を丸くして驚く。

だがしかし、ケテルはレイヴィニアの努力を笑い飛ばしてみせた。

「不器用だな、バードウェイ」

三十六対の翼が花開く。

あたかもその威容を見せつけるように。

「―――!!!」

果たして、この慟哭はどちらのモノだったか。

ただ確実なことは、砲弾の如く走り出した上終の拳がケテルの横っ面を打ち抜いたということだった。

彼の表情は怒りに染まり。

指の爪が食い込むほどに五指が握られていた。

『天地繋ぎ』は一瞬だけケテルの身体を停止させるが、地面に仕込まれていた術式に吹き飛ばされる。

範囲外へ離脱されられた上終は、突き殺すような目で怨敵を睨みつけた。彼の眼差しには憎悪すら混ざっている。

「たとえ偽善者と罵られようと―――レイヴィニアの努力を否定したお前を許しはしない」

「そうか。君の偽善者ぶりは常々把握していたさ。魔術結社の仲間に始まり、レプリシア、ペンザンスの人間……そして次はバードウェイか?」

「それがどうした。決めたぞ、俺は誰だろうが救け……っ!?」

ゴン、と杖の先で頭を殴られた。

横に視線を投げると、あっさり下手人は見つかった。他でもない、レイヴィニアが上終を殴ったのだ。

彼女はそっぽを向いて言う。

「お前はバカか? 挑発に乗ってるんじゃない。それに――」

言いかけて、彼女は言葉を止めた。

「……終わりだ。構えろ」

そうだ、これは言うべきじゃない。

何より、私のガラじゃない。

言葉に出してしまったら、何かが変わってしまいそうな……そんな気がする。

だから、続く言葉は胸にしまっておく。

――『嬉しい』という感情を、彼女が否定することはなかった。

「上終。お前から潰してやる」

突如として現れたケテルに反応できた者は誰一人としていない。咄嗟に魔術を発動しようとしたレイヴィニアだが、翼のひとつに動作を崩される。

拳が腹部に突き立てられる。

まさしく内臓と骨格を揺るがすような拳撃は意識にヒビを入れ、身体を突き飛ばされた。

空中に投げ出される。朦朧とする思考で飛翔するケテルを睨むような視線で突き刺す。

「ぐっ、あああぁぁああぁあぁああッ!!!」

樹海を切り裂くような絶叫が響き渡った。

今できることは全力でケテルの相手をすること。――――それが勝利への礎になると信じて!!

三本だけになった右手を必死に突き出す。

顔面を狙った拳は体重も乗っておらず、速度もお粗末だ。明らかに触れることだけを望んだ悪あがき。

ケテルは容易にそれを振り払い、白い炎の翼を操る。

「終わりだ!!!」

勝利宣言。

もはや対応することは不可能。

これで勝敗は決した――!!!!

 

 

 

 

 

―――天使の胸から鉄槍の穂が突き出た。

 

 

 

 

 

「………!!!!!!???」

驚愕の表情を浮かべるケテル。

上終は間欠泉のように噴き出す彼の血を頬に掠めながら言う。

「俺たちの勝ちだ」

ギギギ、と。

調子の悪いゼンマイ人形かのように首を動かし、鉄槍の柄の方向を見やる。

艶のある黒い髪。雪白のような綺麗な肌を血に染め、端正な顔を憎しみに歪めた少女。

「レプ……リシア………ッ!?」

心臓を潰されたこの世のモノとは思えない醜い声で、少女の名前を呼んだ。

しかし、黒髪の少女は首を振って否定し、酷薄な笑顔を貼り付けた。

「わたしはアナスタシアだよ、お父さん。……お母さんの気持ちはわかった?」

鉄槍を引き抜く。

こぶし大の穴から滝のように血が流れ落ち、地面を赤に染めた。天使の翼が消え失せ、地面に墜落したケテルは痙攣しながら腕と脚を駆使して這いずる。

心臓が存在しないというのに、未だ動き回れるだけの体力があるのはメタトロンの力といったところか。

「……わ、私は…………こ、れ……………」

口から血の塊を吐き出しながら、さながらイモムシやムカデのように地を這いずって、城へ移動していく。

マルクトの力を使わないのは、もうそれすらの気力も生命力も残されていないということだ。

「さようなら」

無慈悲な鉄槍がケテルの頭を貫く。

その寸前、この場にいる全員が彼の遺言を脳内に刻みつけた。

  「これで魔神へと到達できる」

 

 

――力を追い求めた。

生まれた時からそれしか頭になかった。

その少年が生を受けたのは、この世のすべての犯罪が集約したスラム街だった。

物心ついた頃から父親という存在はなく、唯一の『母親のようなモノ』はいつも部屋に男を連れてきて日銭を稼いでいた。それも、連れてくる相手は日によって変わり、時々二人や三人に増えることもあった。

母から施しを受けたことはない。

彼女はある種の――いや、この地球では既にありふれた類の狂人だったのだ。

毛むくじゃらで筋肉質の男から受け取った少ない金で買っていたのは、なにやらタバコ状のモノ。

タバコを吸うくらいなら、大人であればどこの誰でもできる簡単なこと。しかしここは犯罪が横行するスラム街だ。

ジョイント―――簡単にいえば、大麻とタバコを混ぜたモノだ。母親は日常のようにそれを咥え、時には錠剤のクスリも買っていたようだった。

そんな家庭だ。少年は自分の力で生きるしかなかった。いくつか下の弟も養いながら。

街の大人たちの喧嘩を見て戦い方を学び、食べ物を盗むために気配を消す方法と視線を逸らす方法も自然に身についた。そして、日々を命懸けで生き抜き少年が青年になる頃のことだった。

母親を殺した。

酷く脆い弱い力。少年はそんな彼女に虐げられていたことに憤りを覚え、我が物顔で盗ってきた物を奪う母親を殺したのだ。

とても呆気ない無味の殺人。この時、少年は青年となり、スラム街の支配者たちと肩を並べた。

一週間経った。

殺しを覚えてたくさんの人間(ゴミ)を殺した。

一ヶ月経った。

スラム街のトップ組織に目をつけられた。内容は勧誘だったが、交渉しに来た人間を全員殺した。

一年経った。

いつの間にか組織は壊滅して、たった一人だけの支配者となっていた。殺しをする必要もなくなり、スラム街の人間としては豪勢な生活を送れるようになっていた。弟も充分に育ち、このまま一生を過ごすつもりでいた。

そんなある日。

青年が夜の街を歩いていると、人気の無い路地裏で何らかの行動をしている不審者を発見する。

この街は全員が不審者といえるが、ソイツはあらゆるところが違っていた。

金や銀の糸で刺繍された黒いローブを羽織り、手に見たこともないような杖を握っている。足元には円の中に幾何学的な模様が刻まれた奇怪な絵。

後になってからソイツは魔術師だと判明したが、彼は青年を見つけると同時に杖を横に構えた。

そこからはもう反射だった。

足を掛けて転ばせ、忍ばせたナイフで頸動脈を掻き切る。流麗に行われた一瞬の早業により、魔術師は叫ぶ前にあの世に旅立った。

死体を漁ってみれば、宝石やチョークや何とも知れない血の入った瓶まで。そのローブの裏側には『The Hermetic Order of the Golden Dawn』と綴られていた。

青年はスラム街育ちのために文字を読めず、悩んでいると暗闇から老齢の魔術師が現れる。

老魔術師はため息をつくと、青年に視線を移して考え込んだ。

時同じくして、青年は悟る。

『この魔術師は殺せない』、と。

今しがた殺した魔術師が比較にならないくらいの力を、老魔術師は秘めていたのだ。

青年が動けずにいると、老魔術師は長く伸びた顎の髭を撫でながら提案した。

「魔術に興味はないか? 無いと言ってもムリヤリ連れていくがの。そこの阿呆の代わりをしてもらわねばならん」

これが、魔道への入門。

青年は弟を引き連れ、老魔術師が頭領を務める『黄金の夜明け団』に入団し、新たな力を追い求めたのだ。

そうして最高幹部会『生命の樹』のトップに登りつめた時、彼はある女性と出会う。

マリア=フランキッティ。

要は体の良い政略結婚。彼は人と関係を持つことに興味も関心もなかったし、必要ないとも思っていた。

彼女との間に産まれた子どもは兵器として利用するため、レプリシアという名前を与えた。だが、母親の情というのだろう。

マリアは娘にアナスタシアという名前を贈り、陽炎の城から彼女を逃がした。

レイヴィニアとの関係を持ったアナスタシアの場所を突き止め、見せしめとして彼女の眼の前で母親を殺した。

ラジエルの書の存在も見つけ、究極の力へと至る方法は確立。

無数の屍が積まれた山の頂上。

それらがケテルを支える柱。

―――ここでは終わらないッ!!!!!

魔神到達の儀式はついに大詰めを迎えた。

『エノク書』においてエノクは神によって天上へ昇り、人間・エノクは天使・メタトロンへと昇華した。

エノクは天界へと引き上げられると、小さな神と称されるメタトロンになり、人の身では届かぬ天使の領域――神の領域へ足を踏み入れた。

アナスタシアに殺されるということは、ケテルを天上へ上げて神の領域へ押し上げる儀式。

神と同一視されるメタトロンは神の属性を持ってはいるが、それは天使の属性に付随したモノにすぎない。

完全なる神へと到るには――?

知識だ。

力ではない。

人類をここまで発展させ、これからも進化させ続ける知識こそが真の力だ。

ラジエルの書にはこの世の究極の知識がある。

―――そして、いま。

「来い……!!」

頭上で羽ばたく天使。

序列第二位。知恵を司る天使――ラジエル。

ラジエルは己が記した書物をアダムに与え、その後他の天使の策謀により失われた書物をラハブという娼婦がアダムの元へ返した。

その後、無数の代を経てエノクに託されたラジエルの書は彼に知識を与えた。そうして天界に認められたエノクは死を乗り越えてメタトロンとなる。

ラジエルの知識を与えられることで死を乗り越え、死することなくメタトロンへと昇華した。

ケテルは死を乗り越える必要があったからこそ、アナスタシアの一撃を受けたのだ。

全ての条件は揃った。

邪魔する者はいない。

これが。

これが。

これが。

「これが、魔神(かみ)の力――!!!」

ドォッ!!!!!という轟音とともに純白の炎が辺り一帯に炸裂した。円形に広がった炎は森林を更地に変え、矮小な人間を呑み込んだ。

規格外許容外の力は地殻を揺るがして、人智を超越した地震が引き起こされる。

白い炎が踊る地獄の中心で、魔神はただただ嗤っていた。

「まだまだ出力の調整が甘いな………最大限威力を抑えたはずがこれとは」

全力の一割にも満たない力を解放しただけでこれだ。全力を出せば世界はあっさりと崩れ去ることになるだろう。

全てが焼け落ちた世界で、なおも動けるほどの体力が残されている二つの影があった。

レイヴィニアとアナスタシア。

アナスタシアは特に傷が深いようで、安静にしておかなければ今にも死んでしまいそうだ。

「上終!?」

二人に落ちる影は上終のモノ。

右手を前に突き出した彼は、身体全体に火傷を刻まれながらも二本の足で地を踏みしめていた。

言われずともわかる。彼は身を挺して少女たちを庇ったのだ。

膝をつく。

瞳に光は無く、身体の力はもう残っていないに等しい。

「下がれ……レイヴィニア」

戦わなくては。

たとえ勝ち目が無くても。

それだけが残された人間の使命。

他の場所でも起き上がる人影があった。

「くっ…まだ……」

神裂 火織。上終と同じく満身創痍ながら、長刀を杖代わりにして立ち上がる。

「今回くらいは見せ場が欲しいですねえ……!!」

少し遅れて、マークが起き上がる。インパクトの瞬間、全力を注いで炎を吹き散らしたのだ。しかし、恐るべきは防御を突き破ってダメージを与えた魔神の力。

………勝てる気がしない。

それでも彼らは立ち向かう。

奇跡に望みを繋いで。

上終は自分の中の撃鉄を何回も何回も叩き下ろし、ゆっくりと少しずつ立ち上がっていく。

「……止まるつもりはないのか」

レイヴィニアが上終に問う。

彼はしっかりと頷いた。

「ああ。……すまない」

「私も戦う。ボスが部下に任せっきりでいられるか」

「……いくぞ」

次の瞬間、群青の光線が飛来する。

ケテルに向かって飛翔する群青の光線は、身体の耐久度を無視した限界突破の疾走。

殺す。濃密な殺意が込められたケセドは瞬く間にケテルに到達し、音速の蹴りを放つ!!!!

「そういえばお前も因縁があったな」

突き抜ける。

ケセドの胸に差し込まれた左手は心臓ごと胸板を貫き、白い炎で以って跡形もなく焼き尽くした。

――――上終の中の何かが切れた。

身体が熱を持つ。

血が沸騰し、骨が焼ける。

心臓のあたりがめちゃくちゃに熱くなり、瞳の奥に炎が灯った。

上終は誰にでも何にでも共感できる。

初めて人の死を目の当たりにした彼が抱いた感情は、怒りであって悲しみであって喪失感でもあった。

四人が駆ける。

マークの風の刃が首を狙う。

それと同時に、神裂の最強の術式『唯閃』がケテルの胴に斬りかかった。

レイヴィニアの召喚爆撃が背後から襲いかかる攻撃の檻は、正しく必殺を表している。

「無駄だよ」

風の刃を躱すまでもなく直撃させるが傷一つなく、召喚爆撃も同様に耐え切って手を伸ばす。

掴み取ったのは神速で動く長刀の刃。それをへし折り、魔神としての力を解放しようとする。

その直前、ケテルは召喚爆撃の起きた背後に振り返り、ひどく愉しげな笑みを向けた。

「上終 神理」

召喚爆撃の光と爆音に紛れて、上終が右手を突き出していた。それを軽々と見破り、ケテルは光が収束した右手を差し向ける。

「くっ……おおおおおおおおおおおああああああああっっっ!!!!!!」

絶叫する。

何があっても届かせる!

何があっても打ち倒す!!

何があっても敗けない!!!

こんなヤツに世界を渡してはいけない!!!!

偽善だろうと行動するのが俺だ。

世界を繋ぐ――!!!

「その右手、もらった」

長大な剣となった光は。

親指を突き抜けて肩に切り込んだ。

そのまま縦に振るえば―――

「っ、あ」

――――右腕が、宙を舞った。

 




魔神ならこれくらいできますよね。
次回は最終決戦になりそうです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

神の理、終結するは序章

後片付けフェイズが終わればやっと学園都市です。


右腕が飛ぶ。

肩から血が溢れる。

現実を直視できない。

天地繋ぎ(ヘヴンズティアー)』が盾にすらならなかった。

今までありとあらゆる脅威を打ち砕いてきた右手が、紙を裂くかのようにあっさりと断ち切られた。

肩が激痛の嵐に巻き込まれ、上終の許容外の痛みに脳が焼き切れて機能を強制的に停止させる。

司令塔を失った身体が糸の切れた操り人形のようにゆっくりと後ろに倒れていく。

「指が二本だけとは少々不格好だが、仕方がないだろう」

右腕を掴み取って言う。

この時、残された三人は確信した。

『勝てない』。

『戦いにすらならない』。

『今生きていること自体が奇跡だ』――と。

数秒先、もしくは数瞬先かもしれないが、彼らの息の根は驚くほど簡単に止まるだろう。

きっと骨も残らない。

物言わぬ灰となってこの地の肥やしとなる運命だけが、彼らの人生の終幕だ。

だが。

それでも。

抗う者はそこにいた。

彼女は杖を支えに立ち上がり、どこまでも澄んだ碧色の瞳で神域に到達した存在を睨みつける。

「何をしようと構わないが、戦うというのならおすすめはしないぞ。そこの死体と同じになりたくなければな」

笑い飛ばす。

恐れはしない。

たとえ塵になろうとも戦うと決めた。

魔神とは言うが、人の意思を見抜けない時点でヤツは私たちと変わらない。

死ぬ。

そんなことで人を脅す?

だと言うのなら、神というヤツは思っていたよりも大したことはない。

「ナメるなよ、魔神。お前は――」

ケテルはアイツを偽善者と呼んだ。

合っているとも言い切れないし、間違っているとも言い切れないが………私だけはそれを否定してやる。

上終はただ現実に異を唱えただけの子どもで。

上終は心の赴くままに行動しただけの異常者で。

それと同時に確かに人を救ったヒーローでもある。

救われた私が言うんだから間違いない。

    〝その幻想を護り抜く〟

弱くても手を差し伸べるその強さに、あの時点で全ては報われていた。

「お前は自分のことにしか力を使えない、本当の弱者だ」

本当の強者とは。

他人のために手を差し伸べてやれる人間のことだ。

強くなくたっていい。

弱くたっていい。

困っている人間を助けたいと思う。それだけで充分、あんな魔神よりは何倍も強い。

「結局、強大な力を持ってるだけの愚かな人間だ。魔神なんて大層な称号があってもそれは変わらない」

ビギ、と音が響いた。

「ほう、ならば見せてやる」

バキバキバキバキッッ!!!と、氷にヒビが入りガラスが割れるような音が、連続して響く。ただし、割れているのは単なる物質ではなく『世界』。

魔神という世界が耐え切れないほどの存在に、空間そのものがヒビ割れて苦悶の叫び声をあげている。

「人間には到底追いつけない魔神の力をな」

彼が一歩踏み出すごとに世界が悲鳴をあげ、めちゃくちゃに破壊し尽くしていく。

ただそこに在るだけで世界を崩落させる存在―――それこそが、魔神。もはやケテルは完全な魔神に近づきつつあった。

彼はまるで買い物にでも行くかのような気軽さで言い放つ。

「手始めにこの世界を破壊してやるか」

「やはりな。お前の底は知れた――!!」

魔神といってもその程度。

この身朽ちるまで戦って人間の強さを思い知らせてやる!!!

「死ね、人間」

世界を破壊しながら魔神の手が動く。

「ほざけよ、魔神」

矮小な人間が杖を操る。

次の瞬間、莫大な力が溢れ出した。

魔神からではない。

上終からだ。

映像を巻き戻すような不自然な動作で、彼の身体が起き上がる。顔は下を向いていて、表情をうかがうことはできない。

ぐったりと上半身を垂れ下げた彼の右肩の切断面から透明な力が蠢く。

透明な力が現出したとともにバラバラに砕け散った世界の破片が、ガラスの破片を繋ぎ合わせるように修復する。

世界が元の姿を取り戻すのと同時に上終のようなモノから溢れ出す力はさらに膨れ上がり、世界そのものと融合した。

一瞬、地球上の全ての生物に違和感が走る。

喩えるのなら、スイッチを押して暗い部屋に電気をつけるような。違和感ではあるがどこか肯定できる変化だった。

生物たちが変わったのではない。

世界そのものが力の現出により変じた。

それが何であるのかは誰にも想像はつかないし、説明することはできない。

しかし。

ただ一言、ソレは言った。

        「『天地繋ぎ』」

直後。

魔神の右腕が斬り飛ばされた。

続いて腹部に大きな穴が穿たれ、身体の各部に様々なカタチの傷が刻みつけられていく。

「な、に……ッ!!?」

己の鮮血に塗れながら、魔神は驚愕の表情を示す。刻みつけられた傷はしかし、隆起する肉で修復された。

上終のようなモノに攻撃をくわえようと動こうとするも、それより先に『何か』に身体が押さえつけられる。

『何か』による圧搾は徐々に強力になっていき、かの魔神を押し潰してしまいそうなほどの圧力。説明のつかない力が、二人を中心に渦巻いていた。

やにわに満ちる神気。

太陽よりも明るい光輝。

その威光はまさに神のモノに他ならず、魔神が纏った光輝の外套は圧搾を耐え切って跳ね返す。

「………誰だ! 答えろ!!」

声を張り上げる。

上終のようなモノは緩慢に上半身を起き上がらせ――――

()()()()()?」

――――歪な笑顔で言った。

直後のことだった。

人間では理解できない戦いが始まった。

 

 

 

どこまでも白い世界。

心地の良い暖かさに包まれながら、上終は大きなため息をついた。

「またここか」

初めて来たのはケセドの魔術で右拳を潰されたときだった。また妖精☆サンと会うことになるのか、と憂鬱な気分になる。

どうせ後ろにいるのだろうと踏んで、身体ごと背後に振り返った。

「…………………………」

言葉が出ないほどの圧倒的胸力だった。どうやら今回はミイラジジィではなく、褐色痴女らしい。

チョコレート色の裸身に白い包帯を巻きつけた銀髪の麗人だ。たまに瞳の色が変化する目の下に緑色の涙型のタトゥーが彫られている。

そんな褐色痴女は妙に色気のあるポーズとひどく甘ったるい声で、上終に話しかけた。

「初めましてね。私は綺麗な方の妖精☆サンよ……面倒くさかったら『ネフテュス』でいいわ」

「そ、そうか。まず訊いておきたいんだが、どうしてミイラの方の妖精☆サンじゃないんだ?」

もしや寿命というわけでもあるまい。

あのミイラなら寿命とかの領域を飛び越えて豪遊している絵が思い浮かぶ。偏った考え方だが、上終はそう信じている。

ネフテュスは呆れたような顔をした。

「……気まぐれね。私もアナタのことを見ておきたいと思ってたのよ」

憂いげな表情で言うネフテュス。上終にはわからない事情があるのだろう。

無理矢理自分を納得させて、褐色の妖精に抱いていた疑問をぶつけることにした。

「どうなったんだ、あっちの世界は」

魔神が現出した世界。

焼死体となった仲間たちの姿が脳裏をよぎり、最悪の想像を精一杯に振り払った。

「そうね。見せてあげるわ」

無造作に腕を横に振るうと、白い空間に水のような画面が浮きあがった。そこに波紋が生まれ、絵の具を落としたように色づく。

無数に色が混ざった画面に映しだされたのは衛星写真のような映像だった。

そこでは光り輝く外套を身にまとったケテルと右肩から透明な力を渦巻かせている上終が争っている。

まさに人智を越えた戦い。

魔神が何らかの行動をしようとすれば、見えない何かに押し潰される。あの魔神の全力を相手に、上終は優勢を保ち続けていた。

「……こんなモノかしらね。あの男は『魔神』を過小評価しすぎなのよ」

世界を壊すだけの容量があることは認めよう。魔神の域に到達していることも認めよう。世界を壊せる力を持っていることも認めよう。だがしかし、ネフテュスから言わせれば『その程度』だ。

魔神をただの強大な力を持つ存在としか認識していなかったのが、ケテルの間違い。知識を力として許容するなんてもってのほか。

力を追い求めたが故に。

上位の魔神からすれば、ケテルの存在は失敗以外の何物でもない。

横目に隣の上終へ視線を流すと、彼は食い入るように画面を凝視していた。

「ね、ネフテュス。これはどういうことだ? どうして俺が戦っている?」

真剣に問う上終にネフテュスは気軽に返答する。

「アレはアナタじゃないわよ。世界そのものと安定化の力―――『神の理』。名前にもあるでしょう?」

上終 神理。

あのミイラの妖精は上終には『世界を安定化する力』があると言っていた。あの時は元の世界に戻ることに夢中で、その事実を深く考えることはなかった。

しかし、今回ばかりは逃避していられない。どこかの誰かが勝手に身体を動かしているという事実を追求しなくてはならない。

彼の内から湧いた疑問は極めて単純。

「俺はどんな存在なんだ……?」

人間と自覚しているのはただの思い込みに過ぎないのかもしれない。人間の皮を被ったナニカという可能性だってある。

そもそも人間とはどんな定義をもって語られるのか。

疑問点はいくつもある。

記憶を失っていたこと。

傷の治りが早いこと。

右手の力のこと。

記憶喪失はあれより前の人生がなかったということではないのか。傷の治りが早いのは人間じゃないということではないのか。右手の力は―――違う、俺は俺だ。それで良い。

……本当に?

不意に内ポケットにしまっていたホムンクルスの死体が思考をかすめた。

敵を殲滅するだけの役割しか与えられずに逝ったホムンクルス。俺は『世界の安定化』の役割を与えられただけの人形じゃないのか。

その役割が果たされたあと、俺はどうなる?………消えてなくなるのか。もしそうだとしたら、俺が生きた意味は無い。

思い詰める上終に対して、ネフテュスは女神のような慈愛の微笑みを浮かべて言い聞かせる。

「アナタはアナタで良いのよ。自分の思い通りに進みなさい。『そこに救われぬ者がいるなら、全てを投げ出して行動できる者』――それが上終 神理なのだから」

 

 

 

『位相』という概念がある。

科学の世界では物理学で取り扱う概念だが、魔術の世界ではまた違った意味を表す。

この世界において、人間が見ている世界はまっさらなモノではない。地球上の各国に存在するあらゆる神話や十字教、仏教、神道などが生み出した世界が重ねられている。

人間は『天国』、『高天原』、『アースガルド』、『オリンポス』、『ニライカナイ』といった宗教概念というフィルターを通して世界を見るため、その世界は歪められた世界なのだ。異世界とも言い換えられるだろう。

これらは空想や妄想ではない。

むしろ、魔術の世界においては確実にその存在が認められている。なぜなら、魔術とは異世界の法則を現実に適用することだからだ。

全人類は位相というフィルターを介して世界を見ているために、位相を改変する力があれば世界の見え方はガラリと変わるだろう。

「ぐっ!」

「どうした、魔神」

『神の理』は歯噛みする魔神を嘲笑った。

魔神は位相を改変する力を持っており、ケテルもその例に漏れない。だからこそわかる圧力の正体。

これは『位相』だ。

無数にある異世界を無数に切り分け、無数の世界そのものの質量をぶつけている。

攻撃の正体が判れば後は簡単だ。位相を操作する能力で以って跳ね返すか受け流すかしてやればいい。

が、それは叶わない。いくら干渉しようとしても、さらに強い力で押し返されて弾かれる。

       「『天地繋ぎ』」

魔神が無数の位相に押し留められる。想像もつかないような質量は完全に動きを止めた。

今や右肩から噴出する透明な力は純白の光に凝縮され、右腕の形を成していた。透明な力はその右腕から放出され、世界と同化している。

おもむろに光の右腕を振るうと、魔神の身体にいくつもの穴が出来上がった。再生力で以って治そうと試みるも、治っていないと表現したほうが良いほどに遅い。

「……気づいたか? 『天地繋ぎ』の正体、私の正体に」

上終の口から発せられる声は上終のモノではなく、少し女性寄りの中性的な声だった。

彼……彼女は魔神の憎悪に満ちた視線を受けて、より笑みを深めると軽い足取りで近づいていく。

彼女の笑顔は優しさなど微塵も込めていない。目の前の獲物を捕食する獰猛な笑みだ。

「『神の理(世界の意思)』……上終 神理はまさか」

「おっと、その先は禁物だ。何より貴様なんかに私の神理の名前を呼ばれるなんて反吐が出る」

手の平を魔神に向ける。

後に起こったのはまさしく光の爆発。

その光には数えきれないほどの断面があり、そこから覗く景色は色々あれど全てが終末を描いたモノだった。

各神話で描かれる終末の世界だけを切り取って魔神に当てる。

つまりはそういうこと。

ノアの洪水、天国より降りてくる天の軍勢、溶岩と炎を撒き散らす剣を持った巨人、一瞬が引き伸ばされた神のまばたき、全知全能の雷神と死闘を繰り広げる怪物―――――光の断面ひとつひとつに、神話の終末の威力が詰め込まれているのだ。

「あ」

叫ぶことすら許されない。

正確には叫ぶ暇もなく終末の光によって跡形もなく消し飛ばされた。本来ならば死を乗り越えたケテルには、死ぬという概念すらなかった。

だが、『神の理』は世界の法則を書き換えることでケテルを可殺状態へと追いやって、殺し尽くしたのである。

「相性が悪かったな。――隠世に到達できる魔神だったのなら勝ち目はあったというのに。少なくとも『ここ』で敗けるつもりはないさ」

魔神は死んだ。

『神の理』がレイヴィニアに振り返って、今度は心を溶かすような暖かい笑顔で言う。

「そこの少女よ。神理を頼んだ」

バシン!!と莫大な力を凝縮させた光の右腕が潰され、元のような右腕が生え揃っていた。

直後に世界のスイッチも切り替わり、元へと戻る。全身から力が抜けた上終の足取りは、ふらふらと死人のようにおぼろげだ。

前倒しに崩れた身体を、レイヴィニアは『神の理』に頼まれた通りに両腕で受け止める。この光景をみて悔しそうに地面を叩くマークはこの際無視する。

弱いが確かな心臓の鼓動。

もたれかかるようにしていた上終はゆったりと首をもたげて、レイヴィニアの顔を覗きこんだ。

「戻って、きたぞ………」

微笑みかける上終。

その表情を向けられたとき、少女の胸の鼓動が跳ねた気がした。頬も少しだけ紅くなっている。

「……離していいか」

「勘弁してくれ」

ここに魔神との戦いは終わりを告げた。

 

 

……陽炎の城から離れた場所。

そこにはあまりにも場違いなゴールデンレトリバーが、最新鋭の望遠鏡を覗き込んでいた。

背中に機械製のアームが取り付けられたバックパックから、アームを使って口元に葉巻を持ってくる。

ある種の笑いすら込み上げてくるようなおかしな光景だが、ゴールデンレトリバー自身は本気だ。犬は口に葉巻を上下に動かし、紫煙をくゆらせる。

「ふむ、興味深い存在だ。私が人工的に作り出された『対魔神兵器』とすれば、彼は天然モノということか。『木原』の血が騒ぐじゃないか」

彼の名前は『木原 脳幹』。

科学サイドの学園都市からこの地に派遣されてきた、しがない研究者である。もっとも、研究されるのは彼の方であるべきなのだが。

さて、と彼は前置きして横を見やる。

そこには見る影もなく痛めつけられ、死にいく寸前の魔神の姿があった。魔神はゴールデンレトリバーを睨みつけ、緩慢に立ち上がっていく。

「お前は……アレイスターの差し金か!」

「正解だ。『黄金の夜明け団』……彼も昔はそこに身を置いていたのだろう。君が知っているとは驚いたが」

殺意が向けられる。

満身創痍とはいえ魔神は魔神に変わりない。

何の力も持たないゴールデンレトリバーなど、道端に転がる小石にすら成り得ない矮小な存在のはずだ。

だがしかし、彼は飄々と言った。

「『対魔術式駆動鎧(アンチアートアタッチメント)』を知ってるかね?」

瞬間。

ドドドンッ!!という轟音を引き連れて、多種多様な兵器が舞い降りた。それらは脳幹を中心に寄り集まり、鋼色の小さな山が出来あがる。

そこにあるのは明らかに過剰な戦力。ノコギリから刀のような刃物、大砲、アサルトライフルさらには、レーザービーム発射装置から液体窒素や殺人マイクロ波などの学園都市の粋を集めた兵装だ。

「兵器で殺せると思ったか……!!」

忌々しげに吐き捨てる。

脳幹は煙を吐き出して、妙齢の男性のような仕草で首を振った。

「若者よ、逸るのはいけないな。それと兵器を侮る発言はいただけない……これは男のロマンだよ」

「――殺す!!!」

魔神が走り出す。

彼が繰り出した一撃は兵装もろとも脳幹を灰も残さず焼き殺す威力を秘めていただろう。

ガシャシャシャッ!!!と金属のアームが擦れあい、兵器群の攻撃の切っ先が魔神へと向いた。

空気の嘶きとともに銃弾の幕が形成され、文字通り蜂の巣にしたところを砲弾が胸を爆砕し、レーザービームが脳を貫いた後に刃物が身体をバラバラに斬り裂く。

ぶつ切りにされたケテルの身体が地面に落ち、おびただしい血の池を作り上げる。

一瞬にしてこの破壊をもたらしたゴールデンレトリバーは、葉巻を咥えながら耳元の通信機器に問う。

「これでいいか、アレイスター」

『ああ、よくやってくれた。彼の存在は「計画」にはあまりにも邪魔だったからな』

「ふん。そういう男だろうな、君は」

猛威を振るった魔神はいとも簡単に撃滅された。それすらも彼らにとっては通過点でしかない。

『「幻想殺し(イマジンブレイカー)」「理想送り(ワールドリジェクター)」「天地繋ぎ(ヘヴンズティアー)」………彼らが何を成すのか楽しみだ』

序章は終わった。

これより始まるのはヒーローたちが紡ぐ未来(ものがたり)である。

 




魔神がボコボコにされる物語なんて考えてませんでした。ゴールデンレトリバーがおかしい。
次回はお約束の病院から。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

撒かれた邪悪の種と不幸な夏休み初日

やっと原作に差し掛かります。


陽炎の城での戦いから数日。

あの戦いをきっかけに黄金の夜明け団は瓦解し、ラジエルの書もイギリス清教の手によって回収された。『生命の樹(セフィロト)』も解体されたため、今後ラジエルの書が表に出ることはないだろう。

ペンザンスの人々も車の突撃の際に、怪我を負った人が数人いただけで命には別状はなかったらしい。

ただ、激しく苦しい戦いの末に得た勝利は戦った人間に大きなダメージを与えた。

今回ばかりはレイヴィニアも即座に復活できるような傷ではなく、上終はレプリシアのときよりも酷い重傷を負っていた。そのため、ゾンビから復活したペンザンスじゅうの医者を集めた大手術を敢行することになったのだ。

明け色の陽射しの構成員たちも引っくるめて、彼らは病院の部屋を占拠することとなった。それが許されたのは恩人でもある上終がいたからだろう。

そんなこんなで。

全身を白い包帯で覆われた上終は、右腕こそ自由だが左脚を吊り上げられた状態で安静にさせられていた。

折れた肋骨が肺に突き刺さっていたりと、まさに生死の境をさまよったというわけだ。

「よく生きてたな?」

ニヤニヤと笑うレイヴィニア。

どうやら包帯でミノムシみたいになった上終の姿をバカにしているらしい。

毎回好んでこんな惨状になっているわけではない。上終は少々いじけながら、吐き捨てるように答える。

「おかげさまでな。君こそボロボロだったじゃないか」

「まあな、戦いとはそういうモノだろう?」

レイヴィニアは不敵な笑みで切り返した。

確かに戦いとは傷つくことが前提である。それを体現したような上終は彼女の主張を覆すことはできない。

しかし、上終が防いだとはいえ魔神の一撃を受けたというのに、彼女は誰よりも元気そうに振舞っていた。

次々と繰り出される毒舌をのらりくらりと躱しながら、レイヴィニアの様子を探ってみるがポーカーフェイスのせいでいつもと変わらないように見える。

そうしてずっと生返事で彼女に視線を注いでいると、

「どうした。気持ち悪いぞ」

わずかに嫌悪感のこもった眼差しで貫かれた。以前ならば合わせて罵詈雑言が飛んでくるところだが、それは無いようだ。

少しばかりの進歩に上終は内心で大喜びする。あの毒舌系金髪美少女は徐々に更正の道を歩んでいるのだ!

「本当に大丈夫なのか、レイヴィニア? 君もそれなりに傷を負っていたはずだ」

「心配してるなら見当違いだ。私はそんなに弱くはない」

薄い胸を張って強がるレイヴィニアを、上終は不機嫌そうにジトッとした目で見据える。

今も十分幼いが、彼女は幼い頃から支配者として育てられてきたために、まだ支配者の仮面が残っているのだろう。

そう思うと上終はどうしても、レイヴィニアのことを嫌いになることができない。嫌いになろうとしているわけではないが、彼女は上終を拾ってくれた恩人だ。

好きになることはあっても、嫌いになることは決してない。

と、そこで気づいた。

これではまるで恋をしているようじゃないか、と。突然浮かんできた愚考を苦笑いで否定する。

それを確かめるように向かいのベッドにいるレイヴィニアを見つめた。

優しい光をそり返す金糸を編んだような髪、新雪みたいに陰りのないすべらかな白い肌。悪魔が乗り移った性格とは裏腹に、妖精のような端正で可愛らしい容姿は実に陽射しに映える。

一瞬、時が盗まれていた。

彼女に目を奪われて、視線を釘付けにされる。そんな上終の様子など露知らず、レイヴィニアは眉をひそめる。

「……まだ何かあるのか?」

その声で一気に現実に引き戻された。

包帯の下でやや頬を染めながら、なるべく平静を保つようにして答える。

「見惚れていた。すまない」

すると、数秒のタイムラグのあと一気に耳まで真っ赤になるレイヴィニア。肩がわなわなと震え、その時点で上終は逃げ出したい気持ちに駆られた。

が、時すでに遅し。

少女によって放たれた全力全開の魔術が、上終を空に輝く星に変えた。

勝利の他に得たモノは少ない。

けれど、二人に芽生えた感情は数少ない戦利品のひとつだ。

その後がどうなるかは神様にしかわからないだろう。

 

 

 

その少年が目を覚ましたのは、どことも知れぬ暗い部屋だった。絶え間なく振動することと外からの音から、トラックの中であることを悟る。

暗闇のなかでひとつの人影がもぞりと立ち上がると、照明がついて部屋の全貌が明らかになった。

つるりとした白い素材でできた壁と床。部屋のいたるところに医療用の器具や、見たこともない装置が設置されている。

照明をつけたらしい人影の正体は、げっそりとした印象の銀髪の女性だった。

光度の順応に慣れていないのか、大きなクマのできた目を何度も歪めて白衣のポケットから眼鏡を取り出す。

それをかけて、少年が起きたことを確認すると痩せ身の女はニッコリと微笑んだ。

「おはようございます、パラケルススさん。気分はどうですか?」

「……最悪だね」

表情を歪める。

思い出すのは上終との戦いだ。

認めたくはないが、どこからどうみてもどんな視点から見ても完全敗北だった。

二万人のゾンビに劣化の劣化とはいえ天使の身体を持ったホムンクルス、賢者の石を投入しても勝てなかった。挙句には二万人全員を救われる始末。

そして、それをやったのが自分自身だということに、パラケルススは果てしない怒りを覚える。

勝てた戦いだった。

なぜ敗けた?

アイツが強かった? ありえない。ヤツは明け色の陽射しで最弱だった。

なぜ敗けた?

上終に敗けたんじゃない。ボクが敗北したのはあの忌々しい右手の力だ。

なぜ敗けた?

〝他人を利用して、自分だけのうのうと引きこもってるお前には、戦闘経験が足りない……!!これがお前の悪行のツケだ! パラケルスス!!!!〟

「ああ、まったく。最高に最低な気分だよ、クソったれが……!!!」

砕ける勢いで歯を噛み締める。

怒りと憎しみと不甲斐なさとがごちゃまぜに渦巻いて、正常な思考を剥奪し破壊し陵辱していく。

何かの物に当たりたい気分だったが、手錠で両手を封じられているため、理性でどうにか押さえ込んだ。

細身というにはあまりにも不健康な体躯をした銀髪の女性は、ほっそりとした指で端末を操作する。

かちゃん、と軽い音を立てて手錠の拘束が解けた。

「どこかの誰かさんへの愚痴はとりあえず置いてもらって、ワタシのことを紹介しましょう」

指を動かして端末の表面をなぞると、真っ白な壁にどこかの都市の映像が浮かび上がる。

パラケルススは未来的な印象を兼ね備えた機能的な都市と女性の正体に一瞬で辿り着く。

「『学園都市』……そうか、君たちは」

「ええ、ワタシは黄金の夜明け団でも『科学側』の人間なのです」

黄金の夜明け団は魔術と科学の融合を目指していた組織だ。大元があの世界最大の友愛団体だっただけに、魔術の要素が濃かった。

この魔術結社の科学専門の人間は、ほとんどが学園都市の研究者だ。それ故に魔術と科学の均衡が取れていたといえるが、そうもいかない。

「まず、今回の戦いの顛末をお教えしましょう。陽炎の城にて総力戦となった我々は、ケテル様が魔神に至ったものの上終 神理に敗北。その報が知れ渡れば戦闘部隊は瓦解してしまいました」

学園都市の画像から、ケテルと上終の戦闘を衛星から撮ったような映像に切り替わる。

映像からでも伝わってくる神域の戦闘と、あの上終が魔神ケテルに優勢を保っていることで驚愕と困惑が同時に襲い掛かってくる。パラケルススとしては意識が飛びそうな心境だ。

「あとは野となれ山となれ。本丸まで攻め込まれて盛大に敗けてしまいました。ま、ワタシたちは学園都市にいたのでぜーんぜん影響なかったんですけど」

これで上終に敗けていなければ大口のひとつでも叩けたのだろうが、戦いに介入できなかったパラケルススは口をつぐむ。

「それでですね。ワタシはあなたを助けるために来たのです。パラケルススといえば魔術に精通してるだけでなく、科学でも影響を与えた人物。魔術にはトーシロのワタシたちにご教授願いたいのです」

病的な印象をはらんだ微笑み。

その微笑みに最高の錬金術師は笑い返した。

「……いいだろう。だが、利用されてやる代わりに条件がある」

「なんでしょう? カラダでも何でも差し出すのですが」

「上終 神理を殺させろ。ボクを踏みにじりやがったアイツだけは赦さない」

ギリ、と歯ぎしりが鳴る。

銀髪の女性は彼の憎悪の顔にうっとりとした表情で頷く。瞳の奥にどこまでも濃密な闇を忍ばせて。

「ワタシは『木原 角度』。ま、名前のとおり『角度』を司る木原ってわけなのです」

「ふぅん、木原一族ね。ボクの時代にもそんなヤツらがいたな」

「ま、ワタシたちは科学の集まるところに自然発生しますから、あなたの時代にいても不思議じゃないのです」

木原 角度の背後に映し出されたスクリーンの画像が変化し、『生命の樹』に似た模様が現れる。

その模様は生命の樹を上下反対にしたモノで、カバラにおいて逆の存在とされた。

彼女はパラケルススに言う。

    「『邪悪の樹(クリフォト)』にようこそ」

この日、魔術と科学は交差した。

 

 

学園都市。

東京西部を突貫作業で切り開き、東京都の三分の一を占め、神奈川、埼玉を掠めるような形でその都市はあった。

この学園都市と外界の科学技術はおよそ三十年ほどの開きがあると言われている。学生たちは記憶術や暗記術、薬品を投与したり電極を刺したりなどで『脳の開発』を行っている。

開発の結果、学生らが手に入れるのは『超能力』だ。まるで空想のような話だが、彼らは確かに存在しているのだ。

彼らのことを能力者といい、超能力の強度によって六段階の判定に分けられる。

学園都市の学生の六割が属する無能力者。

スプーンを曲げる程度の弱い力しかもたない低能力者。

低能力者と同じく日常では役立たない程度の力を持つ異能力者。

日常で便利と感じられ、ここからエリート扱いされる強能力者。

軍隊において戦術的価値を得られるほどの力を持つ大能力者。

そして、学園都市約二百三十万人の頂点であり、七人しかいない人間を超えた能力を操る超能力者。

学園都市の目的はさらにその上、超能力者を超える絶対能力者を生み出すことである。

……まあ、そんなのはほとんどの人間には関係のないことで。

限られた能力者。それこそ真に学園都市の頂点に立つ『第一位』以外には雲の上の話だろう。

だが、絵空事でいえば無能力者の男子高校生『上条 当麻』だって負けていない。

「……これは幻想だ。この上条サンが言うんだから間違いない」

夏休み初日、七月二十日。

妙に静かな朝のことだった。

ベランダからみえる景色には通行人どころか、学園都市を徘徊する清掃ロボットの姿すらなかった。

昨日は学校のピンク色の合法ロリ先生から補修を言い渡されたり、ビリビリ中学生から不良たちを助けたらなぜかドキッ! 不良と鬼ごっこ!なんてことになったり、エアコンが臨終したりとまさに踏んだり蹴ったり。

どれもこれもこの不幸体質がいけないと決めつけ、天気が良いので布団でもほそうかと思った矢先にこれだ。

具体的にいえば学生寮のベランダの柵に、白い修道服を着た水色の髪のシスターさんがぶら下がっていた。

口の端がひくひくと痙攣し、割と大きい変な声が出る。人通りもないため、聞かれなかったことは不幸中の幸いか。

(……イヤ、イヤイヤ。もしかして今流行りの空から降ってくる系ヒロインってやつですか!? そんなのもうやり尽くされてんだろおおおお!!)

ドンドンドン!!と床を右手で強く叩く。その拍子に携帯電話を殴ってしまい、少しの間悶絶した。

涙目になりながら痛みで冷静になった状態で、現実を再確認するべくベランダに視線を移す。

「し、失礼しますよ~っと」

とある一般的な普通の男子高校生は、とりあえず布団のように干されたシスターを救助することにした。

左腕で抱き留めながら引っ張り出す。

「……て」

「手…って、うお!ち、違ぁあぁああう!! 痴漢とかそういうんじゃないんだあああああ!!」

無意識にシスターの胸に触れていた左手を引っ込める。いくら弁明しようとも現行犯なため、問答無用でしょっぴかれることだろう。

だというのに、白い修道服を着た少女は全く気にしていない様子で、大きく息を吸い込んだ。

()()()!」

――瞬間。

無数の純白の羽根がベランダに突き刺さった。

音の速さで激突した光の羽根は上条の部屋を半壊させ、瓦礫のつぶてが振り注ぐ。

煙が舞い上がり石くれがパラパラとこぼれ落ちるその部屋を、三体の天使が上空から見下ろしていた。

陶磁器のような表面は絶えず淡い光を放っており、二枚の翼が背中から伸びている。この天使たちによる一斉射撃を人間が受けたのではひとたまりもない。

上条とシスターは見るも無残な死体と変貌したことだろう。

「―――……ッ!!」

光の粒子が右手に触れて消えていく。

勢い良く五指を握り込むと、光の羽根の残滓は跡形も無くあっさりと消滅した。

それは、魔術師たちの怯えと夢の結晶。

それは、あらゆる異能を打ち砕く右手。

上条 当麻だけに宿った力。

幻想殺し(イマジンブレイカー)』。

彼は右の拳を硬く結び、一体の天使から続いて撃ち出された翼の一撃を真っ向から殴り飛ばす。

バキンッ!!!とガラスの割れるような音が盛大に響き渡る。粉々に砕けた翼の先からヒビ割れが生じ、連鎖反応を起こして天使の肉体にまで亀裂が到達した。

もはや策はない。

安っぽい音を立てて天使の肉体が砕け散り、手のひらほどの小さな生物が地面に落ちて動かなくなる。

(翼と本体は繋がってる……なら、どこでもいい!触れさえすれば!!)

シスターのこと。襲撃者のこと。超能力ではないであろう異能のこと。疑問はいくつも浮かび上がってくるが、考えている暇はない。

悠長にしていれば即座に死ぬ。

少女を背にして天使の前に立ちはだかる。ヤツらの狙いはおそらくシスターの少女だ。

上条は呼吸のリズムを整え、天使たちの攻撃に反応できるように腰を低く落とした。と、見せかけて少女を小脇に抱えて天使とは反対方向に全力でダッシュする。

上条 当麻は普通の男子高校生だ。特異な右手があるとはいえそれは揺るがない事実で、正面から殴り合って勝てるとは思っていない。

そもそも、右手で一体倒せたことはまたとない機会だ。単敵の戦力を削れたのは単なる初見殺しなのだから。

そうなると、次は楽にはいかない。相手が上条の右手に対して対策を取る。となれば彼の敗北は決定的だろう。

「ふ、不幸だああああああ!!! エアコンも冷蔵庫も壊れてたってのに、どうしてまた俺の部屋がーっ!?」

曰く、上条は不幸体質である。

幼少期からそれは顕著で、周りの同級生や大人たちからは煙たがられていた。そのことが災いしてか、包丁で刺されるなど生命に関わる事件が多々あった。

彼が学園都市に来た理由がそれだ。上条の父親はそういった迷信を信じない純粋な科学の街で、平穏な暮らしをさせるために学園都市に送られたのだ。

それでも不幸体質は治らなかったのだが。

瓦礫に身を隠すように移動して、対処しきれない攻撃だけは右手で掴み取って無効化する。

突っ込もうとする天使には右手を見せびらかし、突撃を制限しながらとにかくドアへと走った。幸い、玄関までの距離は遠くなく、すぐに到着することになった。

喋ろうとするシスターの口を左手で塞ぎ、先の衝撃で建付けの悪くなったドアを蹴破る。

(どうする――!? 空を飛べるってなら逃げ場なんかねぇぞ!!)

案の定先回りしていた現状に舌打ちして、上条はシスターを物陰に退避させた。

右手から届かない位置から嬲り殺す。ならば、上条が選び取る選択肢はただひとつ。

『右手が届く位置まで移動する』。

思いつくのは簡単だが、やるとなると一気に難易度は上昇する。だがそれでもやるしかない。

「うおおおおおっ!!」

落下防止柵を足場に天使に飛びつく。

上条の突撃にあわせて飛び込む天使。所詮これは分の悪い賭けだった。不幸体質である彼には負けが確定していたともいえる。

しかし、状況を打破するために起こしたその行動が呼んだのは、地面より突き上げる二本の炎の剣だった。

「……はい?」

炎剣に頭を串刺しにされた二体の天使が、光の粒子となって空気に溶けて消える。その間にも上条の身体は自由落下して、アスファルトに背中を強く打ち付けてしまう。

息が詰まる痛みに涙目でのたうち回る。

「日本にも随分と変なヤツがいたものだ」

真っ赤な長髪。目の下にバーコードの刺青を入れ、装飾過多な黒い神父服を着る大男がそこにいた。

彼はタバコに火をつけると上条の首根っこを掴んで立たせる。

「あの子を連れて逃げろ。見ず知らずの君に頼むことじゃないがな」

「あ、ああ。任せろ」

勝手に話を進めるタバコ神父に困惑する上条だが、悪人ではないということは理解できた。

彼もわからないことだらけだ。一度首を突っ込んだからには、最後まで付き合うのが筋というモノだろう。

迷わず振り返って、水色の髪の少女のもとへ向かおうとする。その途中で上条は停止して、神父に訊いた。

「アンタ、名前は?」

「……ステイル=マグヌスだ。さっさと連れて行け」

全ては、ここから始まる。

筋書きとは外れたルートを辿りながら。

上条 当麻の夏休みは激動するだろう。

 




上条さんの補修を全力で妨害していくスタイル。
原作は割とぶち壊しでいきたいと思います。
次回からもどうぞよろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幻想殺しと禁書目録
混沌極まる学園都市


今までで一番やらかした感じがします。
今更ですが批評はドンと来てください!


どうやら天使は全てステイル=マグヌスという男が引き受けてくれたらしい。

これといった危機も無く、上条は白い修道女を学生寮から連れ出し、街を歩いていた。

人の活気も戻った街を闊歩する彼らに、今頃戦っているであろうステイルのような緊張感は無い。

しばらくは警戒していた上条も、十数分ほどで襲ってこないことを確認して、肩の力を抜いた。

白い修道服を着た少女も特に外傷はなく、今では動き回れるほどには回復しているようだ。

彼女の名前は『禁書目録(インデックス)』というらしく、上条が偽名であることを疑ったようにインデックスも彼の右手に関心を示している。

右手をジロジロと見ながら、

「その右手、ちょっと不思議かも」

興味ありげに視線を注ぐインデックス。

上条は少しだけピュアな普通の男子高校生のため、女の子に凝視されるという事態だけでレアな出来事だ。

嫌な汗をかきつつ、彼は右手の解説をすることにした。

「これは『幻想殺し(イマジンブレイカー)』つって、それが異能の力なら神様の奇跡だって打ち消せるってシロモノなんだよ」

こう言えばかなり便利に聞こえるかもしれないが、効果範囲が右手首から先しかないがために対応が遅れればアウト。単純な物理攻撃にはただの拳となり、相手が格闘戦のプロなら上条は成す術なく敗北するだろう。

背の低いインデックスに気遣って右手を動かした瞬間、空から落ちてきた鳥のフンが直撃した。

「ギャアアアアアアア!!?」

ぎょっとして仰け反る。

それでバランスを崩した上条は尻もちをつく。その際に硬い物が割れる嫌な音がした。

恐る恐る尻のポケットに手を突っ込んで、それを抜き取る。

「な、何てことだ……ッッ!!!」

携帯電話の背面にばっくりと亀裂が入っていた。電源を入れた感じでは動くため、臨終ではないが重傷であることに変わりはない。

その光景を間近で見たインデックスは「やっぱり」と頷く。

「神様の奇跡だって消してしまえる君の右手は、神様のご加護とか運命の赤い糸とかそういうものも消しちゃってるんだと思う」

「ええと、それって……」

「うん。君の右手はどんどん『幸運』のチカラを消しちゃってるってコト」

変な笑いが出る。

呆然として地面に両手をつこうとするが、その先に更なる不幸が待ち受けていそうで中止した。

上条は虚ろな目で虚空を見上げて呟く。

「マジっすか……」

立ち尽くす彼を嘲笑うかのように、きゅるるる、と腹の虫が鳴いた。

音源である少女はお腹を両手で押さえつけて見下げながら、

「おなかへったんだよ」

インデックスがそんなことを言ってきた。

見るからに育ち盛りな年頃だが、そこは貧乏生活を送っている上条である。財布の中身が真冬どころか氷河期一直線の現状を思い出す。

閑古鳥も凍死するようなすっからかんの財布を見せるというのは、オトコ上条の無駄なプライドが邪魔する。

寮であれば夏の熱気のなか、二日は放置されていた焼きそばパンや野菜炒めがあったのだが、天使によってそれも吹き飛んでしまった。

だが、上条も不幸への対抗策くらいあるのだ!

「ふははーっ! こんな時のためにカミジョーサンには靴底貯金があるんですよーっ!!」

靴の中敷きをめくって取り出すのは、沖縄の守札の門が大きく描かれた紙幣。つまり、二千円だった。

得意げな顔をするほどでもないのだが、インデックスはキラキラとした瞳で二千円を見上げる。

「さすがニッポンかも! お金にまで魔術の意味合いが込められているんだね! より正確には象徴的な門を刻みつけることで――」

「何をおっしゃいますかインデックスさん!? そもそも『魔術』なんて信じられませんことよ!?」

「……むっ。魔術はあるもん」

何をバカな、と上条は笑う。

完全に否定するつもりはない。学園都市には今までオカルトとされてきた『超能力』なんてモノが跋扈しているからだ。

しかし、それでも世界最先端の科学が集結したこの街で『魔術』を語るなど片腹痛い。

妙に真剣なインデックスの表情をそこはかとなく嘲笑いながら、上条は言ってみせる。

「それじゃー、魔術とやらを見せてもらわないと。あるってんなら使えるんだろ?」

「……私には魔力がないから使えないの」

悔しそうに言うインデックス。

勝機を見出した上条は高らかに笑った。

「ホラみろ! バリバリのアナログ人間のあたくしはこの目で見ないと信じません!!」

どこかの高慢なお嬢様のような笑い声でインデックスを見下す上条。年上の矜持など彼には存在しないようだ。

インデックスはオモチャをねだる子どもみたいに、地面にゴロゴロと転がりながら叫ぶ。

「あるもんあるもん!! 魔術は絶対にあるんだから!!」

通行人の視線が痛い。

その視線はもちろん上条にも突き刺さるわけで、彼に乗り移ったお嬢様の人格がすっ飛んでいく。

「やめて! すごく恥ずかしい!」

「魔術のことを認めない限り、ずっとこうしてるんだよ!!」

くだらない話だが、二人とも引くに引けなくなっていた。

魔術の存在を説得するには、あまりにも異色というか回りくどい方法だが、上条には少しずつダメージを与えている。

(こ、これは耐久戦……ッ!!)

視線に耐え切れなくなり上条が音をあげるのが先か、インデックスの体力が尽きるのが先か。

目蓋を閉じて耳をふさぐという絶対防御態勢をとろうとした彼の背中に、細いモノで柔らかく突かれた感触が伝わった。

反射的に後ろに振り返った上条の目に映ったのは、魔神のような黒いオーラを放つピンク色の幼女。

その表情は笑ってすらいるが、ビキビキと音を立てて青筋が浮かび上がっている。

「上条ちゃん、補習をサボってまで何をしているのです?」

凍りついた。

全身の筋肉が強張って動けない。

何度か口を開閉したあと、清水のように流麗な動作で土下座が行われた。鮮やかさ、カタチ、キレ、どれをとっても満点の最高級の土下座だ。

「ごめんなさいィイイイイイ!! こ、これにはマリアナ海溝よりも深い事情がありまして――」

「課題と追加の補習ですね、上条ちゃん☆」

イギリスあたりの金髪少女と重なる悪魔の笑顔で、ピンク色の幼女は言った。

上条は頭を抱えて叫ぶ。

「ふ、不幸だーー!!!」

 

 

 

そうだ、学園都市に行こう。

まるで旅行に行くかのような気軽さで、レイヴィニアは言っていた。

彼女の話しによると、黄金の夜明け団の残党が学園都市に潜り込んでいるため、それを潰すことを目的にしているという。

加えてもうひとつ、イギリス清教との取り引きがあった。

『残党を潰すまで手出しはしないし協力する代わりに、こちらの仕事を手伝え』、と。

どちらも成り行きとはいえ、レプリシアの事件と陽炎の城で共同戦線を張っただけに、イギリス清教と明け色の陽射しは互いを『信用』するようになっていた。

信頼ではないところが、両者の距離感をより明瞭にしているのだが。

明け色の陽射しの意向としても、二度と歯向かわないように徹底的に叩きのめす方針をとろうとしていた。そのため、まさに渡りに船なのだった。

アナスタシアのこともあって、黄金の夜明け団を心底憎んでいたレイヴィニアはイギリス清教の要求を快諾。

なんでも、学園都市を支配する『統括理事会』とイギリス清教は繋がりがあるようで、明け色の陽射しはそのコネで堂々と入り込んだのだ。

「それにしても、あっさりすぎる」と、レイヴィニアは呟いていた。というのも、学園都市とは科学サイドの総本山である。そんなところに魔術師が入り込めば一日後には謎の失踪(消される)ことだろう。

「むぅ、やはり簡単には見つからないか」

学園都市の景色に興味を引かれながら、上終たちは標的の捜索を行っていた。上終としては仕事をかなぐり捨てて見学したいほどだったが、それをすればレイヴィニアにオシオキされるため理性で抑えこんでいた。

「あっさりでも困りますけどねぇ……どうやらボスには考えがあるみたいですし」

僅かに焦った気色を表情に出して、マークは言った。二十三の学区がある学園都市に散らばった黒服たちは標的の捜索をしているのだが、それよりも切羽詰まった問題があった。

先に学園都市に潜入していた共同相手のステイルと神裂との連絡が取れないのだ。

圧倒的に情報が足りない。

敵がいることは確実だろうが、それがどれほどの規模でどれくらいの強さなのかがわからないというのは危険なことだ。

予想以上に戦力が大きければ返り討ちにされるし、推測を裏切って戦力が極小であれば戦力の無駄使いとなる。

そのため、明け色の陽射しは慎重にならざるを得ず、大胆な行動もできなかった。

イギリス清教が依頼した今回の仕事とは『禁書目録』の確保である。

レプリシアとは異なる、生まれながらに完全記憶能力を有した真の魔道図書館。103000冊を記憶した彼女は脳の85%が原典の知識に埋め尽くされており、残りの15%で生涯を過ごすしかない。

ここで関わってくるのが『完全記憶能力』だ。

完全記憶能力の仕組みとは実に単純で、脳に忘れる機能が無いということ。しかし、忘れることができないのというのは致命傷に値する。

残された脳の容量は15%。

対する彼女の寿命は80年ほどだろう。

これでは一生を満足に生きることなど夢物語だ。ともすれば、成人を迎える前に脳がパンクして『死ぬ』。

彼女が普通の生活を送るには。

一年周期で『思い出』を削るより他はない。

そうして、ステイル=マグヌスと神裂 火織は何度目かの記憶消去のために『禁書目録』を確保しなければいけないのだ。

―――だがしかし。

「くっ! キリがない!!」

悪態をつきながら炎剣を天使めがけて振るう。幾度と知れた斬撃……人間並の知能を持つホムンクルスに通用する道理はない。

明け色の陽射しに先んじて学園都市に潜入していたステイルと神裂。だが、足を踏み入れた瞬間に劣化の劣化の天使モドキたちによる襲撃を受けた。

その数は精々数十体だったが、ほんの少しの欠片でも残っていればそこから再生する。

しかも、身体を構成しているのは天使の力ではない異能の力―――超能力。小指ほどの大きさまでバラバラにしても、身体を構築して立ち上がる天使は脅威としか表しようがない。

再生能力による力押しでステイルと神裂は分断され、位置を連絡し合う暇もないほどだった。

「――巨人に苦痛の贈り物を!!!」

飛び込んできた天使に渾身の炎を叩きつける。それは肉を溶かし灰すら残さない必殺の獄炎である。

小指ほどの大きさからでも再生すると記したが、天使らにも弱点は存在する。それが『頭を潰すこと』だ。

頭部を貫き通せば指令塔であるホムンクルスは極めて脆いため、二度と復活することはない。

陶磁器のような表面がドロリと溶け出し、本体の姿があらわになる。

迷わず手を突き込んでホムンクルスを握り潰す。

「クソ…が!!」

ステイルは天才魔術師である。

世界最古の文字『ルーン』を完全に解析し、新たな文字を六つ生み出した。科学で例えればノーベル賞モノの偉業だ。

扱う魔術も炎剣から『魔女狩りの王(イノケンティウス)』、精神干渉など多岐に渡るが、それらの力の代償として彼は接近戦に弱い。

天使たちは幾度と積み重なった経験でそれを察知し、身体能力を活かした格闘戦を迫ってきていた。

ステイルに接近する天使は数にして四。

四方より飛びかかるヤツらに対応できる手札はなく、また、そんな時間もない。

彼を襲うのは八つの純白のギロチン。それらは容易くステイルの身体をぶつ切りにしてしまうだろう。

死ぬ。

絶対的な死。

避けるなんて選択肢は最初から無い。

新たなルーンのカードを取り出す時間。

術式を発動するための時間。

――――全てが足りない。

(ここで……死ぬのか………ッッ!!?)

映像が回る。

走馬灯が走る。

これまでの経験が巻き戻される。

………その終着点で目にしたモノは。

〝私……忘れないよ。かおりも…ステイルも! ぜったい忘れないから…っっ!!〟

ブツン、と何かが切れた。

「お、おおぉぉぉおおおぉぉおおおおッッ!!!」

あの時記憶だって、彼女は忘れてしまった。

過去のインデックスも現在のインデックスは、言ってしまえば違う人間なのかもしれない。

だとするのなら。

ステイルの慟哭は空回りだ。

何も響かない。

何の意味も無い。

誰にも届かない。

だが。

彼は誓ったのだ。

〝安心して眠ると良い、たとえ君は全てを忘れてしまうとしても、僕は――――〟

 

 

 

     「()()()()()()()()()?」

 

 

 

あたかも消しゴムで擦ったかのように。

天使たちの姿が掻き消えた。

「な……ッ!?」

ステイルの視線の先には、スーツのような学生服を着た平凡な高校生。

彼は首に手を当てて、枯れ枝をへし折るような音を立てるとしっかりとステイルを見据えて言った。

その瞳の奥に憧れを抱いて。

「うん。範囲を指定せずに右手を使ったのは久しぶりだったけど、ぼくの見込み通りだったらしい」

右手を差し出す。

満面の笑みを浮かべて、彼は告げる。

「お困りだったろう? ヒーロー。……せめて、ぼくが手助けしよう」

しかし、ステイルは差し出された右手を握ることはしない。

一瞬にして天使を消滅してみせた、目の前の得体のしれない人間を警戒しているのだ。

「お前は、誰だ」

「ぼくは『上里 翔流』。どこにでもいる平凡な高校生さ」

 

 

学園都市は外界を大きくリードする高度な科学技術を有する反面、その裏では生命倫理や人権倫理をないがしろにした研究が行われているのが事実だ。

学園都市の『表』の世界には学生たちによって組織された『風紀委員』と教師たちによって組織された『警備員』が治安を守っている。が、学園都市の『裏』の世界は違う。

彼らが担うのは暗殺、破壊工作、非合法な闇取引―――そういった決して明るみには出せないような暗部組織が多数存在している。

事が起こったのは二週間前。

暗部組織『スクール』……学園都市が抱える七人の超能力者のうち、第二位を筆頭とした組織である。

スクールの本拠地に現れたのはたったの二人のみ。それも年端もいかぬ少年とげっそりとした女の組み合わせだ。

殺されにきた。

そうとしか考えられない。

「君が『垣根 帝督』だね?」

白いローブを羽織った少年が、ヘラヘラとした笑みを浮かべながら問いかけた。

垣根は突然の来訪者に対しても、高級感溢れるソファーにもたれかかりながら二人を見やる。

彼は口調に苛立ちをつのらせながら、冷たい声で問う。

「テメェら…どっから入ってきやがった」

それに答えるのは、痩せ身の女性。

「『魔術』ですよ、魔術。あなたにも見えて差し上げましょうか?」

「――ああ、死んでなければな」

ゴォン!!!と白い刃が振るわれた。

垣根の背面より生え揃った三対の翼のうちの一つが、烈風とともに振り払われた。尋常の者であるのなら走馬灯を見る暇もなく天に昇る神速の一撃は、確かに二人を斬り裂いていただろう。

舌打ちが鳴る。

それをしたのは他でもない垣根 帝督だ。

彼が振り返った先にいたのは、まったくの無傷で健在していた少年と女性だった。

まるで瞬間移動のように、二人は垣根の背後の壁近くから現れたのだ。

銀髪の女性は殺されかけたというのに、ニッコリと笑顔を咲き誇らせる。

「信じていただけましたか?」

「瞬間移動って可能性を忘れてねぇか」

「ま、そうくると思ったのです」

「なら、ボクだね」

白いローブを羽織った少年は、軽い装飾が施された短剣を右手でぶら下げながら近づいていく。

三対の翼は未だ展開したまま。

一瞬でも隙を見せれば死ぬというこの状況で、少年は汗一つかかずに学園都市の第二位へと接近する。

まさに目と鼻の先の距離に位置どった少年は、軽い調子で口を開いた。

「警戒しないでよ。君にはメリットしかない超お得な話があるんだぜ?」

「そういう話には裏があるってのを母親から聴かなかったか、ガキ」

「そうだね。じゃあまずは魔術からせつめ―――」

くるくる、と。

少年の頭部が宙を飛んだ。

垣根に翼を動かす必要など無かった。

彼の能力は『未元物質(ダークマター)』。

この世には存在しない物質を生み出して操る。この世の物質ではない以上、既存の物理法則にはとらわれず、未元物質が干渉した物質もこの世の物理法則から解放される。

つまり、未元物質を大気中にばら撒けばその空間は常識の通用しない世界と化す。

カラクリは単純。

少年の首を斬り飛ばしたモノは『声』。

音とは空気の振動だ。それを未元物質によって急激に振動を増幅させ、指向性を持たせることで擬似超音波カッターを再現したのだ。

首の断面から噴水のように盛大に血が噴き出す。頭を失った身体はぐらりと揺れ動く。

少年の手が伸びる。

それを垣根は気にも留めなかった。

だが、彼の視線は一気にそこに注がれることとなる。

「おいおい……そんな能力者がいたなんて知らねえぞ」

「だってボクは魔術師だからね」

伸びた手は宙を舞う頭を掴み、首の断面と頭の切断面をくっつける。手に持った短剣が紅い光を発すると、首は元通りに癒着した。

「これで、信じてもらえたかい?」

「……チッ。話くらいは聴いてやる」

「ありがとう。ボクは君の能力の力を借りたいんだ。この世にない物質を生み出す君なら、人体の細胞を創ることだってできるはずだ」

白いローブの少年……パラケルススは、右手の指を三本立てる。

「ボクたちが提示するのは『「スクール」への全面的な協力』、『一方通行を打倒するための力』、『人体細胞構築の研究』だ」

―――そして時は現在へ戻り。

パラケルススは無数のモニターに同時に目を配りながらほくそ笑む。

「未元物質を利用して創り出した天使……天使の力を使ったあの個体よりは劣るが中々だ」

生命の樹(セフィロト)』が壊滅した今、ダアトの力は失われ、天使の力で身体を構成した『Mixture/ver.ANGEL』は創れない。

次に着目したのが未元物質だった。

賢者の石の力と錬金術師としての知識を駆使した人体細胞構築論。未元物質でそれを再現することで、ホムンクルスに天使のような容れ物を与えることに成功したのである。

名づけて『Mixture/ver.DARK MATTER』。

「『禁書目録(インデックス)』はボクたちがもらう」

混沌ここに極まれり。

『禁書目録』を中心とした嵐の渦は拡大する。

 




禁書で一番好きなキャラはていとくんです。一方通行にも楽はさせたくないので、彼を強化しました。
次回も読んでくれることを願います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

暴走する聖人、相対するは幻想殺し

とある事情により次回が遅れてしまいます。
いつも読んでくださっている人はごめんなさい。


「というわけで親戚のこの子がですね」

「……まあ、そういう事にしといてあげましょう」

じろり、と猜疑の視線を向けられる。

地獄の課題上乗せが決定したあの後、上条は事情の説明をしていた。

遠い親戚で外国住みのインデックスが遊びに来たら、学生寮の自分の部屋がガス爆発を起こして街をさまよう羽目になった。……ガス爆発のくだりでは汚いモノを見るような目で見られたが、上条の必死さに心折られたらしい。

そもそも、学園都市でガス爆発が起きるなんて事態はありえないだろう。

「それじゃあ、今日はどうするのです? 部屋が吹っ飛んでしまったなら、どこかに泊まらないと」

うぐ、と上条は固まる。

彼の最後の切り札である靴底貯金の二千円でどうにかできるはずもなく、寮に戻るというのも愚かな選択だ。

数十秒悩み抜いた末、結論へ到達した。

「すまん、インデックス。今日は野宿ということで――」

「私が納得するとおもうのかな?」

「ですよねぇ!!」

がっくりと崩れ落ちる上条。

ピンク色の幼女は彼の失態を見て大きくため息をつく。その目はなんとなく『不良少年を体当たりで指導する熱血教師』のようだ。

「特別大サービスで私の家に泊めてあげるのです! これなら上条ちゃんも補習をサボれないですし!」

そう、この幼女は一応成人している。

それどころか車も運転でき、子どもたちに高校の勉強を教える教師なのだ。

月詠 小萌。ジェットコースターの身長制限に引っかかったという悲しい伝説を持つ、正真正銘の合法的な幼女である。

噂では彼女の家はタバコの吸い殻とビールの空き缶が散乱しているそうだが、それが本当でも上条にはありがたい話だ。

そんなこんなで。

彼女の家を目指すことになった上条たち。

すると、その道中でインデックスがお腹を抱えながら思い出したように叫んだ。

「そうだ! おなかへったんだよ!」

「お、思い出しただと……っ!?」

実は内心ビクビクしていた上条。

最後の切り札とのたまっておきながらも、命を繋ぐための二千円がとてつもなく惜しかったのだ。

そんな彼の心情など知らず、インデックスはいざとなったら上条を咀嚼しそうな勢いだ。歯をガチガチと打ち鳴らす彼女はまさに獣と形容するが正しいだろう。

できればここから急加速して走って逃げたかったが、そんなことをした瞬間に噛みつかれる。

故に上条は汗をダラダラと垂らしながら身構えて歩いているだけだった。全部の意識をインデックスに集中していたせいか、何かにぶつかった。

「……ッ!?離れてください!」

身の丈以上の長刀を携えた女性。

彼女は切迫した声で上条を突き飛ばした。

彼は突如として現れた女性に呼びかけようとするも、一瞬前までいた場所に光の羽が突き刺さったことで遮られる。

アスファルトの地面を軽々と突き破った光の羽を見て、上条は背筋を寒くなるのを感じた。

見覚えがある、どころではない。

たった三体の集中放射で学生寮を半壊させた天使のそれは、どうしょうもない脅威として上条の脳に焼き付いていた。

数々の疑問も振り切って、まさしく必殺の威力を秘めた攻撃が飛来した方向を振り向く。

「ウソ……だろっ!!?」

そこにいたのは。

空を白く覆い尽くす天使の軍勢。

数えるのすら億劫になる天の軍勢が彼らを標的として見定めていた。これを相手に逃げてきたであろう女性は、並大抵の存在ではないだろう。

思考が逃げろと命令する。

事実、上条は両足に力を込めていつでもインデックスと小萌の二人を連れて逃げられる準備をしていた。

(こいつら)

瞬間、彼は無意識のうちに右手を拳の形に握り締めていた。

それはもはや直感の領域にあった。

理屈では言い表せない本能の警鐘。

アッパーカットのように繰り出された右の拳は、ゴギン!!!という音を撒き散らして光の放射と激突する。

「――!?」

ばぢぃん!!と分厚いゴムの板を引き千切れるような感覚が右腕を襲った。

上条の上半身は後ろに仰け反っており、弾き上げられた右手に釣られたようになっている。

彼の右手はあらゆる異能を無効化する。

そう、彼が絶対の信頼を置く『幻想殺し(イマジンブレイカー)』は今回も本来の役割を果たしたといえるだろう。

だが、無効化には至ったものの弾かれた。

上条の表情が驚愕に染まる。

今のはほんの威力偵察だ。

『右手の限度を計られた』ことに彼は肝を冷やし、足に溜め込んでいた力をバネのように解放させる。

運動会で使う大玉サイズの純白の砲弾が元いた場所をくりぬき、その余波で上条の身体をボーリングみたいに転がされた。

ちょうど転がってくる位置にもう一度特大の砲弾が舞い降りる。斜めから押し潰す射角で放たれたそれに右手を向ける。

避けようがないだけに、右手を使わざるを得ない。弾かれないように最大限左手を添えているが、効果は薄いだろう。

「ぐっ…!!」

大量の光の粒子が撒き散らされる。

その渦中にある右手は絶えず粒子を打ち消しており、微弱ながらも傷つけられるだけの力は残されていた。

その時点で天使の砲撃準備は完了し、光の檻に囲まれた上条に反応することはできない。

彼らは学習する。

『先の戦闘において、あの男は右手で触れるだけで自分たちを殺すことができる』―――そこから導き出された解がこれだ。

右手が届かない位置に陣取り、遠距離攻撃で体力を奪い殺し切る。

(まずい――!!)

思わず目を瞑る上条。

彼は一瞬の後、どうなるかを悟った。

右手は間に合わず、光の砲弾が直撃する。

しかし、彼を取り囲む光の粒子と天使の次撃を掻き消す斬撃の嵐が吹き荒れた。

「逃げなさい! 私が食い止めます!!」

次々と降り注ぐ光の砲弾を、無数の斬撃と化した居合いで斬り払っていく光景は規格外としかいえない。

上条ならばすでに数回は死んでいるであろう弾幕を無傷で潜り抜ける。人外の速度で駆け巡る彼女は、時折インデックスを見ているようだった。

「か、上条ちゃん!? 逃げるのですよ!!」

焦った小萌の声で現実に引き戻される。

適当に返事をして彼女たちの元へ向かい、脇目もふらず走り出した。

だが、もう限界だ。

堪え切れない。

堪え切れるわけがない。

彼が『上条 当麻』である限り。

「インデックス!!」

「な、なにかな!?」

突然大声で呼び掛けられたインデックスは、びくりと肩を震わせて返事をした。

上条はまるで何かを振り払うかのように叫ぶ。

「お前を狙ってたのはあの天使モドキでいいのか!?」

「きっとそうかも。でも、あの女の人も同じだと思う。私は十万三千冊の魔道書を持つ『禁書目録(インデックス)だから」

「……じゃあ、なんだってアイツは俺たちを逃がした? あれだけの力なら、お前を連れて逃げるのだって簡単じゃないのか」

謎だらけの現状に腹が立つ。

思い返せ、上条 当麻。

これくらいのことはいつでも訊けたはずだ。ステイルのことだって、彼がどんな目的で逃がしたかすらわからない。

目を背けていたんじゃないのか。

少なくともインデックスのために戦ったステイルのことすら忘れて、一時の安寧に甘えていたのではないのか。

なぜなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

だから、彼の足は止まる。

「どうしたの?」

問うのはインデックス。

その口ぶりとは裏腹に、彼女は上条の心情を見抜いているようだった。

「ここからは俺のルールで動く。―――これ以上ワケの分からないヤツらに俺自身をどうこうされてたまるか!!」

これはただのわがままだ。

右手一本でできることなど少ない。

けれど、ソレが『上条 当麻』なのだ。

自分の手が届く範囲で事件が起きて。

それが知らない間に解決してしまう?

ふざけるな。

誰が言ったわけじゃない。

誰が決めつけたわけじゃない。

――彼にとっての本当の不幸は、『困っている人間に手も差し伸べてやれないこと』だ。

故に上条は首を突っ込む。一番許せないことは事件を見逃した自分なのだから。

誰がためじゃない。

自分のために。

彼は右手を握り締める。

「君が戦う義務はないんだよ。それなのに、どうして戦おうとするの?」

決まっている。

上条は力の限り叫んだ。

「主人公気取りの偽善者だって構わない……俺が俺じゃなくなる前に、戦わないといけないんだ!!」

彼の言葉にインデックスは目を伏せる。

言っても止まらない。

この少年はきっとそういう人種だ。

だから、ここでするべき行動は引き止めることじゃない。彼はどうしても行ってしまうから。

「いってらっしゃい、()()()

咲き誇る華のような笑顔。

上条はそれを決意の表情で受け止め、天の軍勢が蠢く空の方向へと背を向けた。

「――ああ、行ってくる」

 

学園都市のどこか。

一見して輸送用にしか見えないトラックだが、コンテナの部分は技術の粋を集めた施設が取り付けられていた。

巧妙に偽装されたそれは、いくら注視しようとも気づくことはできないだろう。

「……随分とボクの作品を使い潰してくれるじゃないか。垣根くんも今はグロッキーだし、いくらでも造れるってんじゃないんだぜ?」

苛立ちで床を幾度も蹴るパラケルスス。

彼の背後には緑色のネバネバした液の詰まった透明な棺。その中に身体の三分の一が消し飛んだ垣根 帝督が眠っていた。

腹部の半ばから下は失われており、その断面から血に濡れた脊椎が飛び出している。頭部の半分が剥き出しになっていて、そこから白い粘土質の物質が現れては消えていく。

生きているのが不思議なほどの重傷。

現に緑色の液体を抜いてしまえば垣根はあっさりと息を止めるだろう。

「まぁまぁ、そんなカッカしないで。いくら聖人でも全部倒せるわけじゃないのです。ま、効率良く『幻想殺し』を排除する方法ってヤツですよ」

苛立つパラケルススに対して、銀髪の科学者――『木原 角度』は軽い調子で答えた。

彼女はさらに言葉を続ける。

「『理想送り(ワールドリジェクター)』と『天地繋ぎ(ヘヴンズティアー)』も釣られてくるでしょうしね♪」

そう言いながら、木原 角度は複雑な紋様の描かれた『杭』を白衣の胸の辺りから引き抜いた。

パラケルススはその様子に苦い顔をした。どうやら、彼女が『杭』をしまっていた場所に嫌悪感を抱いたらしい。

「お子様には刺激が強かったようで?」

「ボクが一番嫌いなのは君みたいな女だ。下品なんだよ、改めろ」

「おおう、これは手厳しい。ツンデレってやつなのです?」

殺気じみた雰囲気に閉口する。

およそ五百年前の人物とはいえ、世界で最も有名な錬金術師の一人。最近の言葉にも造詣は深いというのか。

銀髪の科学者は呆れが入り混じった冷や汗を一筋垂らし、

「ま、行ってくるのです」

「死んできても構わないからな」

 

神裂 火織。

彼女は日本の『天草式十字凄教』の女教皇をつとめていた。世界で二十人といない聖人である上に、それほどの地位を確立させていたのだ。

その在り方は聖人の名に恥じぬモノだった。

救われぬ者に救いの手を(Salvere000)』。

それが彼女の揺るがぬ信念。

たったひとつの生き方だったのだ。

そして。

それを崩したのは他でもない自分。

聖人とは聖書に登場し、この世の最後に人類を救うとされる神の子の身体的特徴を宿す人間のことである。

力を解放することで戦闘時では、それこそ腕一本魔術師を殲滅できるだろう。が、彼らの真価とは『神の加護』を受けることができるという点だ。

効果は無病息災に幸運と多岐に渡る。

幸運に恵まれるということは。

他人に不運を押し付けるということだ。

彼女が天草式を抜けたのは十二歳の頃。

単身イギリスへと渡り、不運から自分自身を護ることができるほどの『必要悪の教会(ネセサリウス)』に入った。

そこで出逢ったのが禁書目録だ。

インデックスの直衛として世界を飛び回り、仲を深めていった。友情と愛情が混ざったこの感情を言い表す術はない。

極めて端的な言葉で表すなら、『大切』。

――それで、護れたのか?

あの日を思い出せ。

忘れたなどとは言わせない。

お前が護りたかったあの子は泣いていただろう!!

………私には何もできなかった。

だからこそ、ここにいる。

いつか死を迎えるまであの子を殺した責任を取り続けるために。

「――!!」

眼前に迫っていた光の爆発を斬る。

そこに生じた間隙を通り抜け、七閃の鋼線を飛ばして上空の天使を裂くが、ほんの数体減るだけに留まった。

だがしかし。

天使たちに余裕がないのも事実。

彼らとて神裂以上の速さで飛翔することなどできないのだから、彼女に逃走されれば対抗策は無いに等しい。

先回りしようが、神裂もそれを考えて移動するために足止めにもならないはずだ。

彼らがとった戦法は実に単純なモノ。

全軍による圧殺。

数の暴力。

迫り来る純白の空(ぜつぼう)を見上げた瞬間、神裂の何かが盛大にぶち切れた。

「――――『唯閃(ゆいせん)』」

ズパンッッッ!!!!

純白の空に一筋の切れ込みが入る。

到達まで三秒。

「―――『唯閃』」

ズパンッッッ!!!!

純白の空の一角が消し飛ばされる。

到達まで二秒。

「――『唯閃』」

ズパンッッッ!!!!

純白の空が千々に乱れ光が照らす。

到達まで一秒。

聖人・神裂 火織の必殺術式『唯閃』。

山を谷に変え海を割り空を晴れさせるほどの威力を秘めた一撃は、命中すれば天使を殺し神を弑すことすらできるだろう。

それほどの攻撃力。

無論、その代償はあった。

『唯閃』とは正真正銘、彼女の全身全霊を懸けた術式である。この技が抜刀術の方式をとっているのは、連撃をするほどの余裕がないからだ。

それ故の至高の太刀ともいえるが、神を弑すほどの一撃を連続で使用できるほど聖人も強くはない。

確かに聖人は神の力の一端をその身に宿すことができるが、あくまで受け皿は人間という脆い存在。

許容範囲外の力を降ろせば影響が生じるのは必然であろう。

しかし、それでも。

「『唯閃』……ッ」

ズパンッッッ!!!!

ついに、天使は到達した。

力が抜けていく身体を奮い立たせ、鋼線を周囲に張り巡らせる。次々と突撃してくる天使に型もへったくれもない乱暴な斬撃を浴びせていく。

聖人といえども限界は存在する。

死を恐れず常に最高速で襲い掛かる天使の猛威に、さしもの彼女も傾きつつあった。

「ナメてんじゃねぇぞォォォ!!!」

―――――――『唯閃』!!!!!!

最後の斬撃。

彼女から扇状に斬撃は広がり、無数の天使を亡き者にした。空間すらも斬り裂くと錯覚させるほどの威力はもはや災害と形容するのが相応しい。

だが、そこまでだった。

力を使い切った。

それでも、彼女は刀を杖に立ち上がる。

「これくらい……乗り越えられないで……」

結局はそこに回帰する。

あの子に顔向けできるように。

そんな都合の良い奇跡(げんそう)を信じて。

何が聖人。

何が女教皇。

肩書きだけじゃ何にもならない。

己の罪の贖罪もできない弱い存在。

……『救われぬ者に救いの手を』?

自分すら、大切な人すら救えないで?

もし、こんな時に―――――

「おおおおおおおッ!!!!」

――――すべてを救うヒーローがいたのなら。

バギン!!と硬い物が砕け散る音。

幻想は殺された。

そう。

永遠に救われないという幻想は、とある一人のヒーローの右拳によってぶち殺された。

「……逃げてたまるか。人を身勝手な理由で傷つける三下共が好きにできると思ったら大違いだ!!!」

ギリギリギリ、と怒りが積み上げられる。

「もしそんなことがまかり通るってんなら―――」

それはまるで世界への宣戦布告。

「そのクソったれな幻想はこの俺の手でぶち殺してやる!!!!」

右手が掴み取るのは天使の顔面。

万力のような力が込められると、粘土細工のように脆く崩れ去る。

意識を手放しかけた神裂の身体を、上条が左腕で支えた。

「どうして、なんて訊くなよ。これは俺が俺の意思でやったことだ」

「……いえ、助かりました」

天使の動きが停止する。

それも一瞬のことだろう。

彼らは如何に効率良く敵を排除するか、それしか考えていないのだから。

「ひとつ、訊かせてくれ。アンタはインデックスとどんな関わりがあった」

「――……私は」

閉じた目蓋の裏に彼女との思い出を映す。

漢字で二文字。

ひらがなで四文字。

けれど、想いの込められたコトバ。

「私は、彼女の親友です」

「……そうか」

上条は微笑む。

ただの少年の笑みだが、見る者を安心させるような優しげな笑顔。

「なら―――」

 

 

 

 

   「()()()()()()()()()()()()()♪」

 

 

 

 

にゅるり、と。

女は天使の翼の間から姿を現した。

その手に持っているのは大理石製の杭。表面に複雑な紋様を彫り込まれており、禍々しいながらも聖性を感じさせる。

その切っ先は神裂に向き、一直線に振り下ろされた。

脇腹のあたりに突き刺さる杭。

裏から表まで貫通しているというのに外傷らしい外傷は全く無く、血の一滴も溢れてはいない。

杭の平面になっている部分には『The denial of St.Pater』と彫られている。

「神の子に最も説教された人物を知っていますか?……ま、天国の鍵を渡されたかの初代ローマ教皇『ペテロ』のことなのです」

世界各地の十字教で聖人と崇められるペテロだが、彼の行いには使徒にあるまじき間違いが多い。

聖書を物語的な視点で解釈すれば、彼は神の子の一番弟子であるだけに問題を起こすことが良くも悪くも多かったのだろう。

そんなペテロのエピソードでも、神の子の最期に瀕した逸話が有名だ。

ペテロの否認(The denial of St.Pater)』。

最後の晩餐の直後、ペテロは神の子に呼び出されこう告げられる。

〝鶏が鳴く前におまえは三度わたしを知らないと言うだろう〟

神の子は捕らえられ、他の弟子たちがみな逃げ出す中、ペテロだけは危険を承知で裁判の様子を覗いていた。

すると、そこに一人の女中が歩み寄って囁くのだ。

〝あなたはあの人(神の子)と一緒でしたね〟

告発しようとしたのではないのだろう。

女中の口調はからかうようなモノであり、ペテロを取り立てようとした調子ではなかった。

しかしペテロはそれを否定し、三度神の子のことを知らないと言った。その直後、鶏が鳴いたのを聴いて彼は気づく。

神の子の言葉だ。

まさにその通り、ペテロが神の子のことを知らないと三度言った後に鶏が鳴いたという事実は彼の心に重くのしかかった。

己の弱さと卑怯さを思い知ったペテロは外に出て激しく泣いたという。

……つまり、あの『杭』は。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――神の子の弱点である杭を使うことで術式の効果も上がったのです」

神の子の最期は磔刑だ。

両手足に杭を打ち込まれ、十字架に磔にされた。

神の子の身体的特徴を宿す聖人には、『杭』や『茨』は特大の弱点と成り得るのである。

「ま、それでも多少『後悔を覚える行動』の方向性を操るに過ぎなかったのですが」

ドンッ!!!と上条の腹部に重い衝撃が走った。

視線を下へと下げると黒塗りの鞘が突き刺さっており、さらにその方向へ視線をなぞらせていく。

神裂。

彼女の一撃が上条を襲っていた。

「ごっ……がぁぁああああぁぁあああッッ!!!?」

次いで放たれた蹴撃を胸板にくらい、ゆうに十メートルはノーバウンドで吹き飛ばされる。

朦朧とする意識を繋ぎ止める。己を奮い立たせることで闘志を燃やし、気力のみで立ち上がった。

「ま、ガンバルのです♪」

聖人(神裂火織)人間(上条当麻)

どうしようもない戦闘が幕を開けた。




上里くんに期待していた方は次回に期待してください。
聖人vs人間の構図が大好きです。
次回もまた会いましょう!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三つの右手、それぞれの戦い

やっと書けました。
おまたせしてごめんなさい。


まばたき。

人間が無意識に行うこの行動。

その速度は平均して0.3秒とされている。

これは目蓋を開くときより閉じるときのほうが速いとされていて、閉じる場合では0.1秒かかる。これほどの速さによって人間は障害物から目を守っているのだ。

まさにまばたきほどの時間。

上条の行った生理的反応は、彼女にとってはあまりにも大きな隙だった。

「――!!?」

彼には理解できない領域の速度。

無意識のうちに行ったまばたきの時間で、目の前に敵が来ているとなったら理解が追いつかないのも当然だ。

腕を上げて防御にあてようとするが、それよりも速く神裂の拳が上条の頬に突き刺さった。

姿勢を傾けさせられたところを神速の蹴り上げが襲い、叩きつけるカタチの肘撃によって土を味わうこととなる。

一撃一撃が血肉を潰し骨格を粉砕する剛撃。

指一本動かすだけでも多大な疲労感がのしかかる。しかし、動かなければ死ぬ、と本能が叫ぶ。

それに従って真横へ転がれば、長大な刀身が地面を斬り砕いた。

上条の背筋を悪寒が走り抜ける。

死んでいた。

一瞬でも遅ければ彼は右半身と左半身とに分割され、内臓と血液を垂れ流す肉塊と化していただろう。

四肢を活用してとにかく跳ぶ。

無様でも醜くても良い。ただただ動きまわって生存確率を引き上げ、現在の一瞬を未来の一瞬へと繋げる。

相手は人間を超越した存在だ。

その拳は岩を砕き、軽く走ればチーターすらも軽々と追い抜くだろう。喩えるのなら、それは音速旅客機と軽自動車がレースをするようなモノ。

対等なのははじめだけ。元より操っている機体が違うのだから当然である。

頼みの綱の右手も意味は成さない。

敵は肉体のみで異能攻撃よりも強力かつ手軽に、上条を追い詰めていけるのだから。

(それでも……右手で触れれば!!)

音速旅客機に軽自動車が速度で勝てる道理は無い。が、しかし、ルールを変えてみればどうだろう。

『速度』で勝負するのではなく、『デザイン』や『重量』で勝敗を競い合う。それならば上条にもいくらかの分はあった。

神裂は度重なる『唯閃(ゆいせん)』の使用で動きが鈍っており、彼女を操っているのは魔術。であるのなら、上条の右手で触れてしまえば異能の効果は打ち消せる。

聖人と人間の戦いはそこに帰結した。

如何に触れるかに注力する人間と、如何に触れさせずに倒すかに注力する聖人。

上条は小指一本でも接触すれば勝利は確定する。

ここまでのハンデを背負いながらも、彼は苦戦を……もはや戦いにすらなっていない苦戦を強いられていた。

「くっ……おぉおおおぉぉおおッッ!!」

ブチブチと切れていく筋肉繊維の音を聴きながら、上条は裏拳気味に右拳を薙いだ。

掠りもしない。

それどころかガラ空きになった胴に拳を叩き込まれる。

まるで銃弾――ズドンッッ!!という重苦しい衝撃が上条の身体を蹂躙し、大きく吹き飛ばした。

「ごっ…がばっ……!!」

呼吸が死んだ身でありながらも、一瞬足りとも神裂から目を離さない。そう、まばたきすら許されない。

息をつく暇もないとはまさにこのこと。

それどころか、目を閉じて開くだけの暇すらないほどの神速の連撃。

神裂の接近に身構えていた上条だが、彼女が居合いの体勢を取ったまま動かないことに疑問を覚える。

その瞬間。

キィィン!!と甲高い刃鳴りが響く。

突如として巻き起こった突風に上条の身体はさらわれ、それに混ざった鋭い物体が彼を斬り裂いた。

全身から血が噴き出す。

激痛が感覚を支配し、衣服が血を吸って重くなる。

(……魔術、か?)

血をこぼしながら考える。上条は魔術というモノの存在を知っているだけで、それが何を出来るのかがわからない。

どういう方式で発動するのかがわからない以上、彼は未知の魔術に対して身体を張るしかないのだ。

神裂の手が柄に触れる。

―――来る!!

「……っ!?」

数瞬経ってようやく気づく。

咄嗟に突き出した右腕に、無数の切り傷が刻まれていた。

ぼんやりとした視界が次第に晴れていき、その謎の斬撃の正体に辿り着く。ギシギシと軋む右腕の痛みに顔をしかめつつ、神裂を見据える。

「ただのワイヤー……だったってのか」

七閃。

神裂が持つ長刀『七天七刀』の鯉口に仕込まれた鋼線を、居合いの動作によって隠して飛ばす技である。

魔術師の身体能力を以ってしても、難易度が高いであろうこの技を神裂はいとも簡単に連発してみせた。

「さてさて。どうしましょうか、『幻想殺し(イマジンブレイカー)』? こういう手合いはあなたの弱点でしょう?」

銀髪の科学者は愉しげに笑む。

上条は牙をむいて彼女を睨みつけ、強く五指を握りしめて吠えた。

「うるせえ……!! ゴチャゴチャ言ってねぇでテメェもかかってこいよ!!」

「あらあら、男の見栄ってやつなのです? そこの聖人サンだけでもう死にかけじゃないですか、『幻想殺し』」

返答する間もなく、神裂の七閃が飛ぶ。

今度こそ何もすることができないままに斬撃の嵐に巻き込まれ、紙切れを吹いたように吹き飛ばされた。

血が目に入り込む。

上条が着ている制服の白いシャツが血で染まり、地面に倒れ伏す彼の姿はまるで赤黒い塊だ。

(く、そ……)

次元が違う。

そもそもの自力に開きがあった。

上条が限界まで鍛えて鍛えて鍛え抜いた実力の場所を、彼女は彼より幼い頃にとうに飛び越えていたのだろう。

神の力の一端を引き出せる聖人と、右手に一発芸があるだけの人間では戦闘にはならない。

『たった一度触れるだけ』。

そんな圧倒的なハンデがありながら、神裂 火織は上条 当麻を寄せ付けない。

あの女の言うとおりだった。

アイツ自身が手を出す必要なんて全く無い。ただ上条が蹂躙される光景を鑑賞するだけで事は済む。

(イヤ…待てよ)

上条の内から疑問が湧き上がる。

(なんだってアイツはこんな場所にいやがる……!? あの杭を突き刺した時点で勝敗は決したようなモノなのに)

銀髪の科学者は神裂を支配するためのアクションを起こした。彼女の口ぶりからしても神裂が圧勝することは理解していただろう。

ならば、あの時に逃げていればよかった。

二人の戦いを観察するにしても、離れた場所から見守るべきなのだ。空を覆う天使の群れは大勢の目を引いたはずだから。

故にそこには目的がある。

(単純に考えて――効果範囲の制限か。それとも、魔術の大元がアレなのか……)

二つに一つ。

それを確かめる術は簡単で難しい。

(……だけど)

暗雲立ちこめる未来に光が生じる。

ぐぐぐ、とゆっくりとだが確実に上条の身体に力が入っていき、ついに立ち上がるまでに至った。

その姿を見て銀髪の科学者は驚くことなんてなかった。彼女は『知っている』。

上条 当麻のような人間を。

圧倒的不利を一手で打開する存在を。

(『天地繋ぎ(ヘヴンズティアー)』……上終 神理と同じ右手に力を宿す者は学園都市にもいたのです。ま、『幻想殺し』と『理想送り』の方が先なのですが)

単に彼女が黄金の夜明け団という立場だっただけ。普通の科学者としての人生を送っていれば、幻想殺しと理想送りしか知り得なかっただろう。

だから彼女は嗤う。ヒーロー殺しの策を胸中に秘めながら。

思い通りに上条は走り出す。

大きく開いた神裂との距離を詰めるために。

結局、彼のやることは変わらない。

右手で触れればすべての謎は解ける。

上条の心の支えとなっているのは、状況が打開できるかもしれないという淡く脆い希望だ。

だがしかし、それこそが彼の原動力。

ひとつの砲弾となって駆ける上条を狙うのは斬撃の嵐――七閃。

「――!!」

左脚と肩を斬り裂かれる。

重要なのは上条が致命傷を避けたということ。

前兆の感知。

彼はその右手の性質のため、学園都市に来る前も来た後からもありとあらゆる不幸に見舞われてきた。

時に金髪の超能力者中学生を助けたり。

時に黒髪のキザな先輩を助けたり。

学園都市の技術の結晶であるSF映画のような機械『駆動鎧(パワードスーツ)』とも戦闘を繰り広げてきた。

その経験から得たのは彼女たちの笑顔だけではなく、ある一種の技術だ。

攻撃や行動の前兆を観測し、それに対応して動く。これは無意識的なモノであり、意識して行えば精度が落ちる。

ただ、完全な前兆の感知を習得するには幾度の戦闘経験でも足りなかった。

再度放たれる七閃。

機動力を削ぐための一撃なのか、脚を狙った斬撃が先に飛来する。

跳んだところを潰すためにクモの巣のようなワイヤーが襲いかかった。

それを上条は足から滑り出すように跳んだ。見ようによってはドロップキックにも見えるかもしれない。

また身体の各部を刻まれるが、この一撃に彼は確信した。

(……やっぱりだ。キレがない)

鋼線(ワイヤー)がたわんでいた。

そしてそれを視認できる程度の速さ。

戦闘前では彼女は力を使い果たしていた。失った体力は即座に取り戻せず、『唯閃』の連発によって身体にも影響は出ていたのだ。

魔術の効果により一時は聖人の力を使えたのだろうが、今になってようやく限界が迫っている。

「うおおおおああああッ!!」

上条の口から絶叫が轟く。

七天七刀の間合いに入った。つまりは、ここから彼は生身で次に繰り出されるであろう攻撃に対応しなければならない。

それ自体は今までと変わらないが、神裂の真骨頂である長刀の一撃はこれまでの何よりも重いだろう。

 

雷光のような太刀が閃いた。

 

全身全霊を懸けた回避。

息をすることも忘れて、コマ送りになった世界で必死に身体を動かす。

鋼鉄をいとも容易く斬り断つ電速の刺突。

上条のウニのような頭に飛来するその突きは、卵の殻を砕くように頭蓋骨を破壊し脳漿を飛び散らせただろう。

突き通したのは彼の左腕。

だが、その程度で止まる刺突ではない。

肉の盾を貫いてなお見劣りしない神速の剣撃が、愚直に頭部を破砕せんと狙った。

「……っ、ああああああ!!」

グン、と真っ直ぐな軌道が逸れる。

左腕が傾いたことで突きの軌道が歪められ、上条自身の頭も動いていたことでかろうじて回避に成功した。

右手の掌が神裂に向く。

素早く突き出された右手が触れたのは、彼女の肩だった。

パキン!という音が鳴り響く。

魔術『ペテロの否認(The denial of St.Pater)』は幻想殺しにより破壊された。聖人殺しの術式はいま、粉々に打ち砕かれたのだ。

神裂の瞳に正気が舞い戻る。

死体のような上条の姿を直視して、泣きそうな声をあげた彼女は―――

「……!!!」

―――上段への蹴撃を放った。

この結果は上条の想定していた解そのもの。

『効果範囲』か『魔術の大元』か。

効果範囲ならば幻想殺しが触れた時点で全ては収まる。魔術の大元ならば幻想殺しが触れたとしても、本体が別にあるなら魔術は再度発動する。

神裂にかかった術式は一度打ち消されたにも関わらず、再起動して彼女の意識を塗り潰した。

そのため、上条に攻撃が直撃することはない。

既に右腕を上げていた上条はそれを防ぐ。追撃を受けないように突き刺さった刀身を引き抜いて後ろに跳――「もらった」――銀髪の科学者は嗤う。

対幻想殺しの秘策。

彼はどんな絶望的な状況であっても打開するだろう。ヒーローとはそういう存在だ。それはどんな兵器でもどんな能力でもどんな魔術でも変質させることはできない。

だが、彼らは決して『無敵』であるとはいえない。上条や上終なんかはまさにそうだろう。

状況を打破する不思議な力。だが、解決の糸口を見つけただけで、状況を打破したといえるだろうか?

銀髪の科学者はあえて曖昧な状況を作り出し、彼らの不思議な力が働かないように調整した。

『木原 角度』はこの世の全ての角度を把握する科学者であり、魔術さえも使用できる稀有な人材だ。しかし、言ってしまえばそれだけ。

彼女が真正面から彼らとぶつかっても敗北するのは確定的である。

したがって、彼女はひとつの力を信じないことにした。

科学に頼ろう。

魔術に頼ろう。

兵器に頼ろう。

ひとつでは対処される。

彼らを撃破するには無数の手が必要。

彼女が最後の最後に選んだのは兵器だった。

上条は物理攻撃に弱い……それもある。

信じたのは歴史。

紀元前より生まれ、ただの石のようなモノから徐々に研ぎ澄まされていき、小さな太陽を再現するにまで至った人間の悪意。

その中でもコンパクトで確実に殺害できるのは、拳銃であろう。

学園都市製の積層プラスチックでできた光線銃のような銃口が、上条に差し向けられた。

(死になさい、ヒーロー! あなたが護ろうとした『禁書目録(インデックス)』は我々がいただくのです)

彼女は気付かない。

この作戦には欠陥があることに。

重大な欠陥を抱えたまま放たれた殺意の弾丸は、上条の命をあっさりと奪うはずだった。

 

 

()()()()()

 

 

猛然と突き進む弾丸は途中で減速する。

誰かの右手に命中したかと思えば運動エネルギーは0になり、まるで元々そこにあったかのように空中に縫い付けられていた。

上条をかばうように立っていたのは、どこか彼とよく似た少年。黒と茶の混じった癖毛を揺らしながら、少年は銀髪の科学者を睨みつける。

「派手にやりすぎたな。……覚悟しろ」

「ハッ! 何ですか、ヒーローはヒーローを引き付けるとでも!?」

彼女の周りに待機していた天使たちが飛び上がり、戦闘態勢をとった。これで戦力は天使と聖人、そして科学者自身だ。

対するは上条と乱入してきた少年のみ。

銀髪の科学者が選んだ選択肢は戦力に物を言わせた電撃戦。状況を打開する時間も無く彼らを片付けるためである。

そして。

命令を下すよりも早く。

風の砲弾と一本の槍が地上を蹂躙した。

舞い散る光の粒子のなかで銀髪の科学者は目を凝らして、二つの攻撃が飛んできた方向を見やる。

「ガキが……ッ!!」

「ふん。そのガキに見下される気分はどうだ、魔術師モドキ」

嘲るような笑みを浮かべるレイヴィニア。

愉悦の混じった彼女の表情を見て、槍を投げ放ったアナスタシアは小さく肩を震わせた。

(すっごい悪い顔してるなぁ……)

突然の闖入者たちに上条は目が飛び出そうなほど驚愕し、気まずそうに近くの少年に問う。

「あ、アンタたちは何なんだ……?」

「ただの魔術師と執事だ。立てるか?」

そう言って手を差し伸べる。

上条は素直に差し出された右手を掴んで、重い足取りながらも立った。

「上終 神理だ。よろしく頼む」

彼らが見据えるのは銀髪の科学者。

真に殴るべき敵は見つかったと言わんばかりに上条は右拳を握り締めた。

「俺は上条 当麻だ。よろしくな、神理」

上終はしっかりと頷く。

次の瞬間。

『幻想殺し』と『天地繋ぎ』が駆けた。

 

 

無人と化した学園都市の道路。

そこに停まっていたトラックは全速力で疾走していた。荒々しい運転には、どこか不慣れな印象を受ける。

その操縦席に座っていたのは、明らかに年齢違反の少年だ。彼は笑顔になりながらアクセルを踏み込む。

(計画通り)

術式の正体がバレた。

上条のもとに増援が現れた。

――全て計画通り。

この状況こそが彼の欲したモノ。

木原 角度に人間が集中したいまこそ、『禁書目録』を捕縛する最大のチャンスだ。

ただ、問題点があるとするならば。

(『理想送り(ワールドリジェクター)……上里 翔流の動向が掴めないことだ)

魔術的、科学的手段を使っても、ことごとくが謎の少女たちの仕業によって失敗に終わる。

この場で最も警戒すべきは上里だ。

ともすれば、右手の力を持つ三人のなかで本当に気を配るべきは彼だったのかもしれない。

それほどまでに危険な存在だ。

少年……パラケルススがそこに思い至った直後。

ドンッッ!!!という轟音が耳朶を激しく叩く。下半分をごっそりと失ったトラックはオレンジ色の火花を散らしながら、猛烈に滑っていく。

その瞬間、彼は燃え盛る炎によって形作られた巨大な右手の影絵を見た。

普通の炎ではない魔術による炎は、光を複雑に屈折させて通常ではありえない影絵を作り出している。

トラックの進行方向に佇んでいるのは、まさしくどこにでもいるような平凡な高校生。

冷たくパラケルススを睨む彼の唇が静かに動く。

「……完璧だ、絵恋(エレン)

右手を振るう。

直後、アスファルトを膨大な摩擦熱で溶かし削りながら直進するトラックの上半分が、巨大な影の手に掻き消された。

その前に操縦席から飛び降りていたパラケルススは、辛くも『理想送り』の脅威から逃れることとなる。

そんな彼を追撃するように、摂氏3000度の炎の巨神が腕を振り下ろした。

ただそれだけの動作が必殺となる炎の巨神はまさに法王級。迷わず賢者の石を仕込んだアゾット剣を引き抜き、赤黒い魔力の刃で両断する。

だが、相手は炎。

一時的に掻き消すことには成功したものの、完全に消滅させることは叶わなかった。

「本当にここで良かったのかい? 君の言うあの子にその勇姿を見せてやれたのかもしれないのに」

上里が言う。

隣の赤髪の神父は鼻を鳴らしてそれを拒否。

「僕はあの子にとっての敵にしかなれなかった。それに、記憶を失った彼女に何を見せようとも無駄だろう」

だから、と彼は付け加える。

「こんなわかりやすい敵を倒してこそ、僕はあの子に謝る資格を得られる。……違うか?」

「いいや、それで合ってるさ。少なくとも、ぼくなんかよりは比べ物にならないくらいに」

ゆっくりと、彼らはパラケルススに接近する。

一歩一歩に果てしない感情を込めて。

威圧感を与えるという目的もあるのだろう。しかして彼はそれを軽く笑い飛ばした。

こんなことはもう体験している、と。

「いいじゃないか! 中々のヒーローっぷりだ、ヘドが出るね!! でも警戒しておくことをオススメするね! なんてったって……」

もぞり、と何かがうごめく。

上里とステイルの視線が向いた位置には、1メートルほどの淡く発光する白いイモムシのようなモノが這いずっていた。

よく見れば、小さいが人間の手足が生えており、それを使って這っているのがわかる。と、思えば急激に手足は引っ込み、白いイモムシは光量を上げる。

何かがマズイ―――そう直感した上里は即座に右手をかざしてイモムシを消し飛ばそうとする。直前、彼は気づいた。

これはイモムシなんかじゃない。

これはサナギだ……!!!

「ここには第二位の垣根 帝督がいるんだから!!」

ドオッ!!と爆音と真っ白な光を撒き散らして、ソレは顕現する。

ワインレッドのホスト崩れのスーツを着込んだ紅顔の美少年。左眼は白い部分が黒く、黒い瞳の部分が白くなっている。

背中から飛び出すのは三対の翼だ。

ただただ純白に彩られていた六枚の翼の半分が、緋色に置き換わっていた。

「オイオイ、なんだこの愉快な状況は」

くぐもった笑いで垣根は言い放つ。

すべてを掻き消す理想送りとすべてを焼き尽くす炎の巨神が同時に襲いかかる。

垣根はこれを横に飛んで理想送りの効果範囲をずらし、右半身だけの身体でなお生き延びていた。

彼にとって炎の巨神の動作はあまりにも緩慢。翼で摂氏3000度の一撃を受け止め弾き返す。

「「!!?」」

上里とステイルの驚愕が重なる。

自身を持って不意を打った攻撃を簡単に対処された。

さらに。

「解析完了。……テメェの魔術で以って討ち滅ぼされろ」

ステイルが持つ最強の切り札。

魔女狩りの王(イノケンティウス)』は召喚さえしてしまえば、ほぼ勝敗が決する強大な術式だ。彼はこの術式のために近接戦闘を切り捨てたといっても過言ではない。

それを、六体。

それぞれ翼から舞い起こった粒子が、純白の魔女狩りの王と真紅の魔女狩りの王に変貌して姿を顕す。

つぅ、と。

垣根の口の端から血が洩れ出した。

「チッ、魔術の反動は制御できねえか」

魔術、と言ったかこの男。

ステイルは驚愕を通り越して呆れすら覚えた。

昔に学園都市とイギリス清教で、能力者に魔術を使わせるという実験があったことを思い出す。

その少年は『エリス』と呼ばれていた。

魔術の知識を得るだけならば、当然影響は出ないが実際に使用した場合は別である。能力者の脳は魔術を使うようにはできていない。

その拒絶反応からエリスは死亡した――そのはずだった。そうでなければいけなかった。

だというのに、目の前の男は魔術を解析し魔術を行使したのだ。

「どういう……ことだ」

「ただのゴリ押しさ。魔術を使って死ぬってんなら、魔術を使っても死なない方法があればいい」

そう。

魔術の拒絶反応は垣根の身体をめちゃくちゃに破壊するだろう。が、パラケルススがホムンクルスの研究途中で編み出した人体細胞構築論に基づいて『未元物質(ダークマター)』で創り出す。

そうすれば失った内臓なんて何億個も取り戻せる。どんな傷だって一瞬で治せるのだから、拒絶反応なんてあって無いようなモノだ。

垣根は酷薄な笑みで宣言した。

「少し実験台になれよ。――俺の『未元物質』がどこまで通用するか教えてくれ」

 




上終くんサイドの話は次回です。
ていとくんへの溢れる愛が止まりませんでした。少し後悔してます。
次回もよろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

角度を旅する猟犬

難産でした。
雑になっていると思うので、指摘お願いします。


「……上終か」

「どうして嫌そうな表情をするんだ!?」

上条と神裂の戦いから遡ること十数分。

生後数週間から数ヶ月にランクラッブした男、上終 神理は学園都市を彷徨っていた。マークたちに置いていかれた、という表現の方が正しいかもしれない。

なにせ、高校生ほどの身体年齢でそれなりに成熟した精神であるとしても、幼稚な部分は拭えない。良く言えば、好奇心が旺盛だった。

ここは科学の街。

ありとあらゆる最先端技術が集まる都市だけに、上終を引き寄せる要素が多かったのだろう。

そのためにマークたちの行動についていけず、取り残される結果となった。まあ、端的にいえば迷子だったのだ。

ところどころに設置された迷子センターのような施設に入ることも考えたが、理性がそれを繋ぎ止める。

しかし、携帯もなければお金もないのが事実であり、肩を落として街を歩いていた。

そんな時に出会ったのが、我らが明け色の陽射しの大ボス・レイヴィニア=バードウェイである。

その傍らにはアナスタシアもついていて、何かの作業をしている最中のようだ。

邪魔してはいけない、という思考が頭をよぎる。が、上終はこれを心寂しさでノックアウト。すかさず二人の少女のもとに駆け寄った。

その反応がレイヴィニアのいかにも期待ハズレといった表情。

もう慣れたことなので気にしないが、上終としてはジャブのように効いてくるためやめてほしいというのが本音だ。

そんな彼の心情など露知らず、少女は腕を組んで問いかけてくる。

「まあいい。なんでお前がこんなところにいる?」

ギクリ、と上終は震えた。

迷子になっていたなどと伝えれば、自主規制がかかるレベルの事態になるに違いない。

そうなれば、彼は世にも珍しいサイケデリックな星座となるだろう。

土下座をしても意味はない。彼女は上終の土下座をもう何百回と見てきたのだから、効果は無いに等しいのだ。

「単刀直入に言おう、迷子になっていた。だからアノ魔術はやめてくれ!!」

早口で言いつつ、右手を前に突き出す。

せめてもの抵抗に右手を盾にしていたのだが、いつまでたってもオシオキが飛んでこないことに疑問を覚える。

閉じていた目蓋をゆっくりと開く。

そこにいたレイヴィニアは不機嫌な顔をしていたが、手を出す様子ではなかった。

「……今回は見逃してやる。だが、ひとつ条件を付けさせてもらう」

「あ、ああ」

もしや、最近流行りの上げて落とすタイプなのではないだろうか。

なにか片寄った上終の知識の囁き。久々の肉壁役に復活もありえるかもしれない。彼は最悪の未来を想像していたものの、良い意味で予想を裏切られることとなる。

「私たちから離れるな。お前に勝手な行動をされると面倒だからな」

「………君は本当にレイヴィニアか?」

呆気にとられながら言葉をひねり出す。

普段の彼女なら確実に魔術が飛んでくるところだが、それがないとなると別人であることも考えられる。

「あん? 誰にそんな口をきいてやがるんだ上終ぇ?」

――別人じゃなかった。

現役バリバリのレイヴィニアだった。上終は自分の失言に気づくと、

「すまん、なんでもするから許してくれ!!」

こんな風に奴隷精神を発揮する。

傍から見ているアナスタシアには、新手のプレイにしか思えないような光景だ。

上終の姿にいたたまれない気持ちになった彼女は、そろそろ助け舟を出すことにした。

「レイヴィニアは上終さんのことが心配なだけだから――って、ギャアアアアアア!!?」

不意に撃ち出された魔術に、それこそギャグみたいに吹き飛ばされるアナスタシア。

今夜はアナスタシア座が見られそうな予感がする。そんなくだらないことを考えるのは、これから自身に巻き起こる事態を察しているからか。

「……聴いたな」

「いや、一言たりとも聴こえなかった」

目をそらしながら答える。

それがまずかったのか、レイヴィニアが杖を握る音がここまで響いてきた。

一秒後には夜空に輝く星座になる――その運命が決定したとき、東の空から純白の光が発生する。

まるで夕焼けのような白光の方向を振り向けば、無数の白いナニカが蠢いていた。遠目ではひとつひとつの全貌は掴めないが、一度相対したことのある上終には忘れもしない。

ホムンクルスを司令塔として仮初の身体を操らせる戦うだけの存在。知性を殺すことにしか費やせない哀れな彼らのことを。

両手の掌に、あのホムンクルスの死にゆく感触が蘇る。目を伏せた彼の体重が軽くなってしまったあの感触は、筆舌に尽くしがたい感覚だった。

伸びきった両手の指を抱き締めるかのように、ゆっくり握り込む。

自然と足が純白の空の方向へと身体を振り返らせ、全身に力がみなぎっていくのを感じた。

同時に胸の奥から、あの錬金術師に対しての醜い感情が溢れ出していく。

そう、パラケルススは懲りていない。

彼は自身のためならこの世の全てを切り捨てる……たとえそれが、愛着を持った自分の『作品(へいき)』であっても。

(……そんな人間を野放しにしてはいけない)

上終は密かに誓う。

あのどうしようもない悪人を、この手で止めてみせることを。それは誰に向けたモノでなく、たった一個体のホムンクルスに捧げる約定だ。

彼は首だけ振り返ってレイヴィニアに言った。

「今から俺がするコトは、君の思惑に反することか?」

彼女は薄く笑う。

あたかも、その問いを待っていたと言わんばかりに。レイヴィニアは複雑な感情が入り混じった視線を上終に注ぐ。

「明け色の陽射しのボスをナメるなよ、それくらい想定済みだ」

そう言って、通信機器を取り出す。

明け色の陽射しの構成員はみな、ある特殊な条件下においての非常用の連絡手段として、携帯電話が配られている。

一々魔術を使うよりも便利であるため、最近ではもっぱらこちらの通信方法を使うらしい。

レイヴィニアは大きく口角を吊り上げて、学園都市各地に散らばった構成員に指令をくだす。

「プランBだ。――あの気色悪い天使どもを叩き潰すぞ」

その言葉を聴いた直後、上終は顔いっぱいに喜色を広げた。

「レイヴィニア……!」

「だから言っただろう? お前の行動なんて想定済みだとな」

魔術結社のボスとしての笑みではない、普通の少女としての笑みを彼に向ける。

それと同じくして、彼女は思う。

(まったく、私も上終に影響されたものだな。以前ならこんなことはしなかった)

自嘲気味になるが、それでも明け色の陽射しを背負わされていた頃とは雲泥の差だ。その荷物を降ろしてくれたのは、アナスタシアと上終の二人。

レイヴィニアは数秒だけ目を閉じて、勢い良く開く。

「準備はいいな?」

「ああ、行こう!」

 

 

――木原 角度は歯を噛み締める。

彼女が世界で一番嫌っているモノ。

それは何かを諦めさせられることだった。

始まりは十年前。

『木原一族』の一人として産まれた彼女は七歳の誕生日を迎えたとき、信頼していた姉に夢を諦めさせられた。

『木原』は一生を科学に捧げ、歴史に名を残すような天才たちを数多く輩出する一族である。

彼らの存在は間違いなく人類の糧となったことであろう。だが、木原一族には狂気的でいて破滅的な信条が備わっていた。

『己の実験では倫理の問題や人権を無視し、実験体の限界すらをも無視して行うことが研究の第一歩である』―――いうなれば、これが木原一族の闇だったのだ。

数値化されたデータには意味がない。

実験体の真の可能性は壊してみなければわからない。そんな思想を良しとしていた一族にとって、彼女は異端だった。

〝なにも、殺す必要はない〟

〝ほんとうの科学者なら、そんな方法を使わないでも結果を出さなければならないのに〟

木原 角度は優しすぎた。

そして、優しい彼女が抱くユメもまた、優しいモノに違いない。

『角度』とは、人類にとってなくてはならない非常に重要な要素である。そのことは現代に近づくにつれての技術からうかがい知ることができる。

まず、大砲などの兵器。

複雑な弾道計算では何よりも角度が重要視され、これが判明しなくては撃つことすらままならない。

次に、宇宙開発。

宇宙空間のカプセル型宇宙艇が地球に到達するために潜り抜けなくてはいけない細い道。その狭き門は数値にして6.5度からプラスマイナス0.9度の間である。

この角度で突入しなければ、宇宙艇はたちまち地球の大気の抵抗によって弾き飛ばされるか、大気の摩擦熱で溶かされてしまうだろう。

光ファイバーなどもこれにあたる。

光の全反射を利用するその仕組みからして、角度は何よりも大切だ。

彼女は一目見ただけで、その物体の様々な角度を数値にして認識することができた。これは超能力のような開発で得たモノではなく、ただ単純な才能だった。

〝わたしの力で人類を発展させたい〟

『木原』のような手段は使用せず。

真っ当な研究者として、角度の方面から人類のさらなる発展を目指す彼女の夢は、あまりにも優しかった。

だから。

諦めさせられた。

その夢の内容が禁忌だったわけじゃない。

ただただ、木原にしては優しすぎたから。

姉である『木原 病理』はあらゆる手段を用いて、彼女を諦めさせようとした。なぜなら、病理は『諦め』を司る木原だったからだ。

それでも彼女は諦めなかった。

『木原』の異常性に唾を吐き捨て、善性の道を歩く。

そんなことは幻想だ。

木原は木原であるだけで、己の悪性に従うことこそが正義なのだ。人を思いやる木原なんて木原じゃない。

木原 病理が取った方法は実に『木原』らしかった。

実力行使で沈黙させ、脳に思考を誘導する機械を埋め込む。否、思考を誘導するというのは遠回りな表現になる。

正確には彼女が『木原』らしくない思考をしたとき、それを阻害する。ただそれだけの装置。

そこからは薬物投与や心理学を応用した手段で徐々に木原に染め上げていった。

こうして出来上がったのが今の木原 角度。

だがしかし。

病理には誤算があった。

脳を弄くられ薬物を投与されようと、彼女の想いは淡く淡く残っていたのだ。想いの残滓こそが、諦めに対する強大な嫌悪感。

故に、己の計画を諦めざるを得なくなったこの状況に、激しい怒りを抱いていた。

「殺す、殺してやる……!!!」

獣のように犬歯をむいて、レイヴィニアとアナスタシアの二人を睨みつける。

視線だけで突き殺してしまいそうな殺意の奔流が、彼女の中で渦巻いていた。

「やってみろ。期待はしてないがな」

余裕を崩さない薄い笑顔で、レイヴィニアは銀髪の科学者を見下しながら嘲笑う。

瞬間。ブツン、と額で何かが切れた。

戦闘態勢をとっていた天使たちは次々と二人に襲いかかる。

純白の壁はそれだけで彼女らを押し潰す。

 

 

()()()()()

 

 

「アナスタシア、下がっていろ」

カッ!!!と、純白の天使たちに負けないくらい真っ白な爆発が発生した。

真白の大爆発は多くの天使を吹き飛ばし、ドロドロに融解させた。

召喚爆撃。

莫大な力をそのまま莫大なエネルギーとして操る、レイヴィニアが扱う魔術の中で最大級の威力を発揮する攻撃である。

だが、『未元物質(ダークマター)』を元として造り上げた『Mixture/ver.DARK MATTER』は召喚爆撃にも耐えられるようにできていたはずだ。

原因は考えるまでもなく明らか。

単純に、威力があがっていた。つまり、角度が持つデータとはかけ離れた爆発力が生み出されていた。

「なぜ……!?」

「意外に察しが悪いな、魔術師モドキ」

杖を振り下ろす。

進化した召喚爆撃。これが解き放たれたのは直後のことだった。

爆風が肌を撫でる。

アナスタシアが口の端をひくつかせながら、表情で『やりすぎ』だと語っている。

黄金の夜明け団。

彼らとの戦いで成長したのは上終だけではない。

黄金の夜明け団は『生命の樹(セフィロト)』というシステムを利用して、本物の天使の力をその身に宿していた。それ故か、彼らは天使の力の扱いに長けていた。

陽炎の城に残された魔術の研究結果。

イギリス清教に『ラジエルの書』を引き渡す代わりに、彼女は研究結果を全て掠め取ったのだ。

そこから得た力。

より効率の良い天使の力の運用方法を編み出したレイヴィニアの魔術は、一段階進化を遂げた。

もぞり、と後ろで気配が起きる。

振り返ればそこにいたのは、他でもない銀髪の科学者。

「ふ、ふふ……素晴らしい向上心だと認めてあげるのです」

「不名誉だ。いらん」

「もらえるモノはもらっておけば?」

軽口を叩き合う金髪と黒髪の少女たち。

木原は迷わず拳銃を差し向け、精確に三回引き金を引いた。

学園都市製の追尾し体内で炸裂する三つの銃弾はしかし、黒髪の少女が手繰る鋼鉄の槍に叩き落とされる。

音速で動き回れる聖人にとって、銃弾を防御することはそう難しいことではなかった。

銀髪の科学者が居た場所に目を向けるが、既に彼女はその場にいない。それどころか、辺りを見回しても影すら見つからない。

アナスタシアが張り巡らせていた本能の網。領域内の敵を撃墜するテリトリーに、異物感が混じる。

前後左右、どこでもない。上空にも気配は感じられない。ということは―――

「……ッ!!?」

―――下!!

異常な光景。

ほっそりとした左腕だけが、デコボコの地面から突き出ていた。

その左手が握っていたのは灰色の野球ボール大の物体……手榴弾だった。手首のスナップで、安全ピンが抜かれた手榴弾を放り投げる。

次の瞬間。

ドォォンッッ!!!と爆撃じみた轟音に遅れて、紅蓮の爆発が巻き起こった。

「ぐうっ…」

爆発の中心から数メートル離れたところに、アナスタシアは転がされていた。爆発の直前に、錬金術で槍を板のように変質させていたのが功を奏し、重傷は免れたようだ。

だが、鋼鉄の破片が身体に突き刺さっていて、そこらから生温かい血が流れ出している。

「アナスタシア!」

「他人を心配してる場合ですかァ!?」

手榴弾に舞い上げられた粉塵。

その微細な粒子の一つ一つから、銀髪の科学者は姿を現して右手の杭を突き立てようとする。

聖人にしか魔術の効果は及ばないが、彼女が求めた使い方は物理攻撃としての役目だ。

レイヴィニアの頭部目掛けて振り下ろされた一撃をすんでのところで回避し、杖から杯に変わったソレを振るう。

杯を包み込むように氷の刃が編み上げられ、真横に振り抜く。

瞬時に姿を消した銀髪の科学者。

まるで世界から離脱したような錯覚。

「――!?」

思わず驚愕する。

木原 角度は。

氷の刃の先から、這いずり出ていた。

鋭く磨かれた水晶のような刃に似合わない図体を、ずるりと上半身だけ引き抜いて杭を突き出す!

狙いよりも速度を意識していたのか、レイヴィニアの頬を切り裂くまでに終わる。

咄嗟に氷の刃の術式を解除し、全方向に気を配る。気休めにしかならないが、しないよりはマシだろう。

こんな魔術は見たことがない。

魔術師の思考から逸脱した術式。

一切の伝承や神話に頼らない科学の魔術。

これを木原 角度はこう名づけた。

 

 

ティンダロスの猟犬(The Hounds of Tindalos)』――!!

 

 

その能力は実に単純明快だ。

90度以下の鋭角から鋭角へと移動する。

ただそれだけの術式に過ぎないが、効果は絶大だ。既存の伝承に頼らない、知識だけを基幹とした新しい魔術を、彼女は創り出したのだ。

これを魔術として確立させるには、もちろん代償なくして実現できない。

当然だ。魔術とは伝承や神話を深く狭く切り取る『模倣神技』が元となっている。

『ティンダロスの猟犬』の名を冠しているとはいえ、名称の起源であるクトゥルフ神話は作家が創ったモノで、厳密には神話ではないのだから。

己に架した代償とは、0.01度でも角度を見誤れば確実に死ぬ……それこそが彼女の術式。けれど、彼女が角度を見誤ることはありえない。

この世の全ての角度を把握する彼女に、その可能性は無いと断言できる。

(――この術式を突破できますか!!)

絶対の信頼を置く術式。

鈍角でなければ事実上宇宙の果てまで到達できるこの術式に、明確な弱点は無いといえよう。

次に移動する先は、レイヴィニアの服の装飾から。彼女には銀髪の科学者の思考も読めなければ、術式の全貌も捉えていないだろう。

(殺った)

波打つスカーフから身体を滑り出す。

確実に当てられるように、頭と杭を持つ右手だけが現れた。

この時。

レイヴィニアは完全に反応できていなかった。

杭は彼女の碧い眼を刺し貫いて、前頭葉まで貫通する。その後に残った敵を殲滅して、この一件は終結する。

そんな確信が心を支配していた。

「歯ぁ食いしばれよ、三下ァァ!!!」

ドボォ!!!という粘ついた破砕音が、銀髪の科学者の顔面から鳴り響く。

その直後。

バギィン!とガラスが粉々に砕けるような感覚が、彼女に連続して襲いかかった。

術式を無効化されたことでスカーフから弾き出され、手を下した張本人の顔を睨んだ。

「『幻想殺し(上条当麻)』ッ……」

――神裂はどうした!?

その目に映ったのは、上終がひたすら回避に専念することで神裂を食い止めている場面だった。

つまり、上条は彼を犠牲にしてここまで辿り着いたのだ。問題はそれを引き受けてしまう上終の偽善者ぶりでもある。

確かに対人に特化するのなら『天地繋ぎ(ヘヴンズティアー)』の方が、異能に関わらず止められるため便利ではあるだろう。

それよりも何よりも。

理解できない。

全くもって理解できない。

「な…んで、テメェはんな野郎を信頼できんだよォォッ!!!」

初対面の相手に背中を任せる。

そんなことは愚者のすることだ。

「……テメェがそれを言うのか。俺を助けて手を差し伸べてくれたヤツを信頼しねえでどうするんだ!!!」

幻想を殺す右の拳が突き刺さる。

隕石のような勢いでみぞおちにめり込んだ拳に、彼女の身体は思い切り仰け反った。ぐらつく意識に付随して、指先から力が抜けていく。

聖人殺しの杭は右手からこぼれ落ち、上条の幻想殺しによって木屑と化した。

(ま、ず 術 式を)

追い打ちをかけるように拳が飛来する。

仰け反った身体をそのまま地面に叩きつけるように、上条の右拳が彼女の顔面を打ち据えた。

脳を揺るがす剛撃に、硬い地面に激突することで後頭部を強く打ち付ける。

術式の再構築が間に合わない。

アクションを起こす度に無効化される。

木原 角度と上条 当麻は相性が悪すぎた。

一発でも右手の拳打をくらえば術式を破壊され、再構築する隙に殴り倒される。

(だ  け ど……っ)

『ティンダロスの猟犬』だけが彼女の魔術ではない。威力は弱いが四大元素の術式も最低限には扱える。

ありったけの魔力を注ぎ込んで、彼女は掌から小さな太陽のような火球を上条に向けて撃ち出した。

即座に右手で打ち砕かれる。

その間隙に彼女は拳銃を取り出して、上条の胸辺りに狙いをつけていた。

ギョッとして回避行動を取ろうとするが、引き金を引く直前に烈風が拳銃を吹き飛ばす。

――レイヴィニア。彼女が放った風の魔術である。

「う、あ」

最後の希望は潰えた。

抵抗する暇もない。

ドロリと粘液質の赤黒い液体が鼻から流れる。

トドメ。

上条のハンマーめいた拳が振り下ろされる。

(でき た こ  れ)

バシュン!と瞬間移動のように角度の姿が消えた。

トドメの一撃は空振りに終わり、地面を打った拳の皮が裂けて少ないながらも血が滲み出す。

間に合った。

ここまでの一連の動作を術式の立て直しとともに行った。賭けに近かったが、彼女の執念がこの結果を引き寄せたのだ。

「上終とそこのウニ頭! 右手を掲げておけ!!」

アナスタシアを引きずり寄せながら、レイヴィニアは言い放つ。

「「!?」」

上条はウニ頭と言われたことに若干傷つきつつ、言われたとおりに右手を空に掲げた。

上終も何らかの事情を察しているのか、近くに神裂を引き寄せて右手を準備させている。

木原 角度は逃げるだろう。

あの術式がある以上、狭い範囲への攻撃は確実に命中しない。さっきの上条のように隙を突くでもしなければ、それは確定的だ。

「元は天使どもを消し飛ばすための魔術だったのだがな。――やれ」

携帯電話を通じて、命令は伝達された。

瞬間。

ッッドォォォオオオオン!!!!!と青白い極光が広場を覆い尽くした。

目蓋を閉じていても視界が真っ白に染まるほどの光量に、上条は訳も分からず叫び声をあげる。

白む視界は徐々にもとの明るさを取り戻していき、恐る恐る目蓋を開くとそこら中が焦げて燻っていた。

「良し。指向性に不安があったが、うまくいったな」

ひとり満足気に頷くレイヴィニア。

広場の隅で今まさに逃げていたであろう銀髪の科学者が、あられもない姿で横たわっていた。

金髪の少女は科学者の胸の辺りを見て舌打ちする。

――明け色の陽射しとは、大人数による儀式魔術に長けた魔術結社だ。学園都市に構成員を散らせたのは、各地の龍脈の力を利用するため。

先程の魔術は原理としてはレイヴィニアの召喚爆撃とあまり変わりはない。

龍脈の膨大な力をそのまま扱う。違うのは、あらかじめ狙撃するポイントを決めておくことである。

微弱な魔力の通り道を作っておくことで、膨大な龍脈の力をそこに通す。

電気回路の導線のようなモノだ。電池から送られる電気を電球まで繋ぐことで効果を発揮させる導線を作り出したのである。

故に、ほんの少しだけ遅れた。

本来なら上終と一緒に乱入するところを、少し遅れて別の場所から登場したのはこれが理由。電気回路でいう電球を設置する作業を行っていたのだ。

つまるところ。

「今回は活躍できなかったな、上終」

「それは禁句じゃないか!?」

レイヴィニア=バードウェイはなんやかんやで頼りになるということだ。

 




今週は遅れてすみませんでした。
来週から元のペースに戻していけると思います。
次回は愛しのていとくんが頑張ります。またお会いしましょう!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

世界を拒絶する者と天界の力を振るう者

ようやく終わりが見えてきました。
インデックス編はあと二、三話です。


理想送り(ワールドリジェクター)』。

条件さえ満たしてしまえば、この世のありとあらゆるモノを世界の余剰次元へ追放する力。

上里 翔流の右手に宿っていたこの力は、彼を幾度となく助けてきた。

右手の影を起点に問答無用で敵を排除するこの力を、彼はとてつもなく嫌っている。

ずっと疑問に思っていた。

自分自身は平凡な人間で、それこそどこにでもいるような男子高校生だったはずだ。

お隣さんの不良少女も。

園芸部員の地味な女の子も。

彼女たちはみんな平凡の域から出ない、どこにでもいるような人間だった。

それは悪いことじゃない。

彼女たちは平凡でこそ輝いていたのだから。

なのに。

いつしか歪んでしまった。

不良少女は魔術師に。

園芸部員は『原石』に。

取ってつけたような常軌を逸した非凡な存在に変わってしまった。

ぼくはこんな世界を望んでいない。

最初は死に物狂いで、目の前の女の子を救い上げた。それはただの自己満足で、ましてや彼女からの好意を得ようなんて思っていなかった。

泣いていた。

救いを求めていた。

けれど、救いを求めるということは、求めた対象も巻き込まれてしまうということ。だから、彼女たちは一人で苦しんでいたんだ。

そんなのは許せなかった。

救い上げたことまではいい。

それで彼女たちがぼくなんかに好意を抱くなんてのは、絶対におかしい。

『理想送り』。

条件さえ満たしてしまえば、この世のありとあらゆるモノを世界の余剰次元へ追放する力。こんな得体の知れない右手こそが、現実を歪めたんじゃないのか。

そう、ぼく自身が彼女たちを歪めた。

右手を斬り落とそうとしたことだってあった。それは仮初の好意をもった女の子に妨害されてしまう。

でも。

それでも。

ぼくが戦い続けたのは何故だ?

決まっている。

見捨てられなかったからだ。

たとえそれがぼくに歪められた現実だとしても、目の前の人間が苦しんでいるのは紛れもない事実だ。

だから、救ける。

―――天使に取り囲まれていた彼を見た瞬間、上里の身体は無意識に動いていた。

即断即決。

苦しみながらも戦うステイルの表情に、彼はヒーローの証を見たような気がするから。

結果、ステイル=マグヌスは決してブレないたったひとつの信念を持っていた。

すでに記憶を失った『禁書目録』のために、全てを捧げる。彼の記憶に禁書目録という少女はいるが、禁書目録の記憶に彼はいない。

それでも、彼は戦い続ける。

上里がステイルに協力することを選んだのは、彼が自分にはないれっきとしたヒーローだったからだ。

故に、上里 翔流は戦地に飛び込む。

それこそがヒーローの本質だと知らないまま。

 

 

右手を振るう。

ステイルの炎の魔術によって描き上げられた影の巨人の手は、ただそれだけで垣根 帝督を消し飛ばすはずだった。

ゴバッ!!と頭上にあった風力発電機のプロペラが、喰われたように消え去る。

「……!?」

上里は息を呑んだ。

垣根を対象としたはずが、まったく別の場所にある風力発電機を消し飛ばした。

もう一度照準を合わせて、力を発動しようとしたところで気づく。

影が曲がっている。

垣根に影を向ければ、まるで光線がレンズを通ったみたいに屈折していた。

「おい」

嘲るような調子で言う。

直後、上里の全身にアイロンを押し当てたような焼けつく痛みが襲った。痛み、だけではない。顔に、首に、手に、火傷の痕が広がっている。

彼の驚愕をよそに、垣根はさらなる一手を打ち込もうとしていた。

「ボケッとしてんじゃねぇぞ」

六枚の翼が勢い良く開く。

現れたのは、上里の視界を覆う白濁とした塊。

この塊には『未元物質(ダークマター)』で構成されている以外、特殊な機能も干渉力もなにもないただの質量である。

特筆するところがあれば、その質量はあまりにも絶大。極限の密度と極大の体積が合わさった、常識外の超質量。

中学生がノートに描いたようなソレは、押し潰すというたったひとつの目的のみで放たれる。

だが、到達するよりも速く、上里の理想送りは極大の質量を余剰次元へと追放していた。

それは分かりきっていたのか、垣根にはさして動揺は無い。お茶を濁すように、適当に六体の純白と真紅の魔女狩りの王(イノケンティウス)を向かわせてくる。

この程度に手間取る上里ではない。

消し飛ばす。

六体の魔女狩りの王を根こそぎ排除すると、またもや全身に焼けつくような激痛が走り抜けた。

「な……ッ!?」

理解が追いつかない。

垣根はただ飛んでいるだけで、上里に多数の火傷を負わせている。

―――ただ飛んでいるだけ?

ハッとして垣根の翼に視線を向けた。

透き通る白と緋色の翼……その後ろには、燦々と地球を照らす太陽の光。

上里の脳裏をよぎるのは、『回折』という単語。

しかし、と彼はその予想を振り払う。

いくらソレを利用したとしても、太陽光線を殺人光線に変えることなどできるものか。

「分かってねえな、テメェ」

言った途端、翼がすさまじい光を発した。

それでもう充分。

上里の予想通り、アイロンを肌に強く押し当てたような灼熱する痛みが神経を蹂躙する。

「今のは『回折』だ。光波や電子の波は、狭い隙間を通ると波の向きを変えて拡散する。高校の教科書にも載っている現象だ。複数の隙間を使えば波同士を干渉させられる」

仮説は的中していた。

翼を介して太陽光線を通過させ、殺人光線へと変貌させた。だが、この世界の物理法則ではそうならないことは感覚で分かるだろう。

それなのに、太陽光線は殺人光線として上里に襲いかかったのである。

「俺の『未元物質』は正真正銘、この世には存在しない新物質だ。理論上では存在するはず、なんてチャチな話じゃねえ。本当に存在しないんだよ」

つまり。

「『未元物質』は既存の物理法則に縛られない、独自の物理法則に従って機能する。当然、干渉したモノもな」

『未元物質』は異世界の物質であり、それに干渉されればこの世界のモノも、独自の物理法則に従う。そのため、太陽光線を殺人光線へと仕立てあげることができたのだ。

上里の影を屈折させたのも、『未元物質』による干渉の結果だろう。

それに加えて。

この垣根 帝督にはもうひとつの手札がある。

炎よ(Kanez)――」

ボォ、と掌から炎が現出した。

形作るのは剣の刀身。

「――――巨人に苦痛の贈り物を(PurisazNaupizGebo)

編み上げられたのは一本の炎剣。

これが構築された途端に、垣根は赤黒い血の塊を吐き捨てる。

「魔術……超能力者には使えないはずなんだけどね」

身近に魔術師の少女がいるからこそ、分かるし知っている。『能力者に魔術は使えない』……否、使えることには使えるが、行使した瞬間に術者は傷を負う。

なぜなら、能力者の脳は超能力を扱うための回路に仕上がっていて、そこに異物が混じると拒絶反応が起きる。

だというのに、垣根はステイルの魔術を完全にコピーした上で使いこなしている。それは何故か。

「俺の『未元物質』に常識は通用しねえ」

ステイルが扱う魔術はルーンと呼ばれる。世界最古の文字を基幹としたモノだが、彼は炎のルーンに特化した魔術師だ。

問題はここから。

魔術と『未元物質』の共通点。

魔術とは異世界の法則を現実に適用して、奇々怪々な超常現象を引き起こすことにある。

そして、未元物質はこの世には存在しない物質を操る能力―――そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

事実、ステイルがルーンで生み出した火とライターの化学反応で生み出した火は違うモノ。魔術の炎が強引に光を捻じ曲げたことからもそれは明らかになっている。

そこに気づけば後は簡単。

『魔術』を『未元物質』として扱えば良い。

それが垣根がステイルの魔術をコピーできた理由だった。

「関係ないな、全部消し飛ばすまでだ」

ドオッ!!と烈風を巻き起こし、垣根は突撃する。

振りかざされた炎剣。

紅蓮の炎が上里を斬り断つ直前、彼の行動は完了していた。

右手を握り込む。

たったのそれだけで良い。

垣根の頭部から胸部にかけてを理想送りが喰い破り、あっさりと勝敗は決した。

――『未元物質』に常識は通用しない。

振りかざされた炎剣が一瞬膨張し、骨片の灰すら残さない爆発が上里に直撃する。

「ごっ、がぁッ――!!!?」

咄嗟に理想送りで爆発を追放したものの、瞬時の行動により全体を削り取ることはできなかった。

ノーバウンドで数メートル吹き飛んだ彼の身体は、ビルの外壁に衝突することでようやく停止する。

痛覚が飛んでいた。規格外の衝撃は上里の意識をバラバラに引き裂き、うつ伏せ倒れるのみ。

脳の冷静な部分で弱い心に激を飛ばす。

爆発の影響で右眼がうまく見えない。左眼だけを必死に動かし、垣根の方向を見やる。

白い粒子が寄り集まり、肉体を再構成していた。心臓が形作られ、筋肉が編まれていく。

垣根 帝督に怪我や重傷という概念は無い。

『未元物質』の一粒も残さずに、新天地に追放しなくては倒しきることは不可能だ。

一切の問答を無用とした即死。

勝つ方法はそれしかない。

「立てよ、まだくたばった訳じゃねえだろ?」

両腕を広げながら近づいてくる。

彼にとって、この戦闘は実験にすぎない。新しく手に入れた己の力を測るための、勝利が確定した『遊び』だ。

「ま、テメェも頑張った方だ。無能力者のクセに俺を一回でも殺したんだからよ。――だから楽に殺してやる」

来る。

最後の一撃が、来る。

ブチブチと筋肉を断裂させながら、死に体で立ち上がる。握り締めるのは右手。

何よりも硬く握り締めた右の拳。

「『禁書目録』とやらも手に入れて、アレイスターとの直接交渉権でも勝ち取ってやる」

垣根は気づかない。

ある言葉が上里の戦意に火をつけたことに。

「俺の『未元物質』は世界に届くぞ」

禁書目録(インデックス)』を手に入れるだと?

ふざけるな。

あの男の渇望を無駄にするというのか。

あの男の切望を無碍にするというのか。

あの男の希望を打ち砕くというのか!!

顔も見たことがない。

声も聞いたことがない。

けれど、上里は戦うと決めたのだ。

『禁書目録』もステイルも何もかもまとめて救うために。

故に、彼は垣根の言葉を笑い飛ばす。

「お前じゃどこにも届きはしないさ。……やってみろよ、超能力者。彼らの幻想はお前らなんかに殺されやしないぞ」

「言ってろ、ハッタリはそこまでか?」

翼を大いに広げて、凄む垣根。

上里は薄く笑う。

「ああ。来いよ、チンピラ」

この言葉に、垣根の頭は沸騰しかけた。

それを理性で押さえ込む彼に、追撃とばかりに上里は自身の想いを浴びせかける。

「『()()()()()()()()()()()()()…!!」

「よく言ったじゃねえか。よほど愉快な死体になりてえと見える――ッ!!!!」

飛翔。

音速を軽く飛び越えたこの速度に、普通の人間が反応するなんてのは不可能だ。

したがって、上里は一瞬後には愉快な死体と化していた。

そのはずだった。

垣根が見たのは、死に際であるというのに笑う上里の顔。

垣根には分かる。

アレは勝利を確信した笑みだ――!!!

 

 

     「()()()()()()()()()?」

 

 

直後。

辺り一帯が理想送りに削り取られた。

垣根はおろか、アスファルトの地面も林立する建物も見えざる怪物に食い荒らされる。

理想送りとは、右手の影を起点にありとあらゆるモノを消し飛ばす力だ。が、右手の影を起点としたのは、理想送りの範囲が広すぎる故の応急措置。

リミッターを外した理想送りなら、条件を満たしさえすれば地球だって吹き飛ばしかねない。

その条件とは『願望の重複』。

ようは、理想送りはブレない信念を持つ人間には反応せず、多重の願いを持つモノだけを消し飛ばすのだ。

それは願望が重複した人間が創り上げた物体も例外ではない。

上里は皮肉げに笑んだ。

「……ぼくにこんな力を宿らせるなんて、神様ってヤツは意地悪だな」

そう呟いて、彼は崩れ落ちた。

 

 

ステイルとパラケルススの戦場は拮抗していた。

ステイルが全力を引き出せるのは、ルーンを描いたカードを配置した範囲内に限る。無論、範囲外でも魔術は扱えるが、彼の全力には程遠い。

「――巨人に苦痛の贈り物を!!!」

炎剣を振り回す。

それをパラケルススは難なくアゾット剣で防御し、赤黒い刃で切り返した。

首をひねって斬撃を躱すと、錬金術師の背後に迫っていた魔女狩りの王が両手を組んで振り落とした。

当たった――確信するステイル。

しかし、パラケルススは口の中で何かの単語を呟くと、炎の巨神の腕が真横に曲がりくねる。

「その程度かい? これくらいの児戯で終わってもらっちゃ、ボクが困るぜ?」

電柱の上に飛び乗って、パラケルススはステイルを嘲笑う。

彼の本領は魔術戦である。

まして、現代の天才魔術師ごときが400年前の天才錬金術師に勝てる可能性は無いに等しかった。

錬金術師にして医師だったパラケルススの功績は賢者の石の錬成、ホムンクルスの作成だけに留まらない。

四大元素。

パラケルススの生まれる以前から提唱された、古代ギリシャの世界を構成する四つの要素のことだ。

それらは『火』『風』『水』『土』。

これは現代の魔術まで利用されてきた属性であり、ひとつひとつに十字教の天使を対応させる考え方もある。

パラケルススが提唱した理論は、この四大元素のそれぞれに対応する精霊の存在。

火に対応するのはサラマンダー。

風に対応するのはシルフ。

水に対応するのはウンディーネ。

土に対応するのはノーム。

この思想を取り込むことで四大元素の理論は、すさまじいまでの発展を遂げる。後に原子の発見に繋がったとも言われている。

四大元素に対応する精霊は四大精霊と呼ばれ、エーテルという未知のエネルギーで身体を構成している。パラケルススはこの理論の開祖だ。

――彼の周囲に四つの光が尾を引いて飛び回っていた。それぞれが赤、緑、青、黄色に発光している。

ステイルが見たのは間違いなく四大精霊。魔女狩りの王の腕を捻じ曲げたのも、恐らくはサラマンダーによる干渉だろう。

「サラマンダー、シルフ、ウンディーネ、ノーム……キミも魔術師なら、この子たちのことも知ってるだろう?」

冷や汗が噴き出す。

ここにきて、ステイルは相対している相手の力を思い知った。四大元素とは言うのなら、世界を構成する『神の理』だ。

パラケルススはソレに対応する精霊を従えることができる。

「―――『四大元素の剣(Four Erementals Sword)』」

世界を構成する四大元素。それらの属性を司る精霊の力を宿したアゾット剣。

ドクン、とステイルの心臓が跳ねる。

あたかも細い糸で心臓を巻かれているかのような、鋭い痛みが胸に迸った。

極限まで凝縮された虹色の魔力が構成する剣は、世界そのものを軋ませているような錯覚すら覚える。

長大な刀身が振り下ろされた。

魔女狩りの王を前線に出して、虹色の刀身を受け止めようとする。

「ごっ…がぁあああぁああぁぁああああああッッッ!!!?」

あの炎の巨神が盾にすらならない。

回避行動に移っていたステイルすらも、余波でダメージを与えるほどの威力を発揮していた。

溢れ出る膨大な四大の魔力は刀身に凝縮されてもなお、強大な力を絶えず放出している。その放出された力を受けるだけでステイルに傷を負わせた事実に、彼は戦慄する。

「ボクの『四大元素の剣』は絶対切断だ。この世界にあるモノなら、この剣は紙みたいに全てを斬り裂く」

世界を構成する要素で鍛えられた剣は、世界の物質に干渉することでどんなモノでも絶ち切る。デタラメなその力に、ステイルは打ちのめされた。

脳内を駆け巡るのは対抗策の数々。

次々と策が浮かび上がっていくが、どれもが通用しないとして撃沈する。 

(……クソ!! なにか方法は――)

「それじゃあ、死ね」

四大元素の剣が魔術師を薙ぎ払う。

直前に炎剣を爆発させて逃れようとしていたようだが、時すでに遅し。切断とまではいかなかったが、彼を切り払った。

うつ伏せに転がったステイルの身体から、血の池が広がっていく。

同時に隠し持っていたルーンのカードが、舞い散る桜の花びらのように宙に舞った。

結局、天才魔術師は天才錬金術師に勝つことはできなかった。

…………だがしかし。

ステイル=マグヌスがパラケルススに勝てないなどという道理は存在しない。

燃える。

燃え上がる。

生命力を薪として燃え上がる業火は、彼の覚悟が灯った最高の炎。

散らばったルーンが火の玉と化す。

「……?」

何の気になしに、パラケルススは四大元素の剣を振るう。それだけで宙空に漂う火の玉は消滅し、残滓すらも残らない。

 

 

ただそれだけで、虹色の剣は瓦解した。

 

 

「これは……!!?」

喫驚するパラケルスス。

もう一度剣を造り上げようと試みるが、今度は火の玉自体がぶつかってきた。直後に起こるのは数瞬前の再現。

原因を探るパラケルススの思考は、いとも容易く結論に辿り着いた。 

「属性のバランスを崩した……なるほどね、それでこそ魔術師だ」

一見無敵に見える四大元素の剣。

これには弱点が存在していた。

四大元素それぞれの魔力を、均等にしなくてはこの剣は結び目を解くように瓦解してしまう。

本来は干渉する剣だが、干渉されることにはとことん弱く、このように属性のバランスを崩されれば意味はない。

普段なら四大元素の剣を作り上げた時点で、敵は瞬殺される。そのため、弱点とはいえない弱点だが、ステイルはそれを見抜いたのだ。

立ち上がる。

血まみれの身体で。

「――ッ!!」 

重なる。

あの男と。

上終 神理と。

〝どうした、パラケルスス〟

ヤツの声が響く。

これはただの幻想だ。

身体にまとわりつく炎を振りはらうように、パラケルススは咆哮した。

ステイルが動く。

青白い炎剣と赤い炎剣。

十字を描くように放たれたソレに、パラケルススはアゾット剣の切っ先を差し向ける。

青と赤の炎剣を受け止めるのは、虹色に輝く波紋のような楯だった。

「『四大元素の楯(Four Erementals Shield)』……!!」

均衡する四大元素の楯は、剣とは反対に全ての干渉を受け付けない世界の楯。

その前では炎剣はあまりにも脆弱だった。

そこから、楯は目まぐるしく剣へと変化し、確実にステイルの胴体を刺し貫く。

「かっ……た?」

それは、神のみぞ知る。

ただひとつ言えることは。

刺し貫かれたステイルの姿は、霞のように消えていたということだけだ。

 

 

「……手酷くやられてるじゃないか」

「きみに言われるのもどうかと思う」

あらゆるモノが消し飛んだ場所。

そこで、全身に火傷を負った高校生と血をだくだくと垂れ流す魔術師がいた。

魔術師の方は無駄な装飾がついたローブで傷口を縛っている。手早く治療しなければ危ないだろう。

「ケータイは……壊れてる」

恐らく、殺人光線の影響で内部の機器が故障したのだろう。外装もそれなりに熱くなっている。

「困ったな。カードを使い切ったから、焼いて塞ぐこともできない」

「そんなグロシーンをぼくに見せるつもりだったと!?」

ステイルのルーンは、あの時使用した二つの魔術によって全て消失した。

一つは四大元素のバランスを崩すための火の玉の術式。

二つ目はパラケルススを欺くための蜃気楼の術式だ。炎の熱気で蜃気楼を生み出し、ステイル自身の幻影をつくった。

実際には炎剣を放った時点でステイルは逃走しており、後に残っていたのは蜃気楼だけ。

(我ながらうまくいったものだ……)

もう二度とあんな真似はしたくない、と切実に願うステイル。

カードがないとはいえ、メモ帳の紙にルーン文字を描くだけで炎は使える。それで代用することにした彼は、口を開く。

「なあ―――」

―――直後、真向かいの空で青白い閃光が巻き起こった。

上里は気まずそうに言う。

「ええと、どうする?」

「傷口を焼いて止血してから行こう。流石にこのままじゃキツい。手伝ってくれ」

この後、上里が絶叫しながら施術を行ったことは言うまでもない。

そんな彼らの上空では、小指の第一関節ほどの()()()が浮いていた。

 




上里くんはキャラがキャラなので、ゆっくり丁寧に掘り下げていきたいです。
次回もまたよろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

現実は終わり、幻想が紡がれる

詰め込みました。


一面の焼け野原だった。

人間ひとりに向けるには過剰すぎる威力の術式により、辺り一帯がヘタな終末映画のワンシーンみたいになっている。

上空から学園都市を一望すれば、灰色のビル群にミステリーサークルのような跡が出来上がっていることだろう。

明らかに人間を百人は抹消できる規模の魔術だったが、魔力の大半が空気に散ったことで銀髪の科学者は灰にならずに済んだらしい。

裏を返せば、空中でまともに受ければ人間が灰になる程度の爆発力を秘めていたということでもあるのだが。

「アンタのところのボスはムチャクチャしすぎだろ!! 魔術師ってヤツはみんなこうなのか!?」

「……そうでもないんじゃないか」

辺りの惨状を嘆く上条。

彼の言い分に上終も納得させられる。

インデックスから一通り魔術世界のことについて講義を受けていたようだ。他の魔術師もこんなことをしていると勘違いされれば、血涙モノだろう。

あくまでオカシイのはレイヴィニア=バードウェイとその愉快な仲間たちなのだ。

「経費はイギリス清教持ちだな」

さも当然かのように確認する。

レイヴィニアの悪魔の問いに、満身創痍の神裂は目を大きく見開いた。

「……!? ちょ、まってくださ」

脳で言葉を反芻し終えた途端に反論するも、悪魔の取り立て人に遮られる。

「ウチの部下も痛めつけられたことだ。それに、関係ない一般人を殺しかけといて申し訳無い気持ちはないのか? ああん?」

いつの間にかダシに使われていた上条は口を挟もうとするが、アナスタシアに沈黙させられる。事前に打ち合わせしていたかのような息の合いようだ。

彼のことを関係ない一般人と言いつつこれである。

もはややり口がヤクザじみていた。

「で、ですが……いえ、わかりました」

かなり濁った肯定。

もちろん聞き逃すレイヴィニアではない。

「素直なヤツは嫌いじゃない。これからもよろしく頼むぞ」

彼女は神裂の肩を叩きつつ、極悪な笑みを浮かべた。ドラマなどでよくある『悪い男にナンパされたヒロイン』のような光景が繰り拡げられている。

上終は毎日のようにされているため、神裂の心境が痛いほど判ってしまう。

「レイヴィニア、そろそろ――」

止めようとした瞬間、背後から靴で砂利を擦る音が聞こえた。

その方向に振り返ると、ひどくげっそりした様子のステイルとどこか上終と良く似た茶髪の少年がいた。彼らはからかわれている神裂の惨状に、顔を青くしているようだ。

「これがお仲間かい? なんというか、うん、まあ……」

首筋に手を当てながらぼやく。

ステイルに哀れみの視線を送る茶髪の少年に、不良神父が乱暴に掴みかかった。

「その目をやめろ! 僕だって信じたくないんだから!!」

彼の言う『信じたくない』には上終も入っている。上終自身はそれに気づかないまま、思考の海に身を投げ出す。

ツンツン頭の少年と茶髪の少年に、交互に視線を向けてから首をひねる。

彼の心に残る違和感。

やはり、というか当然なのだが、ツンツン頭と茶髪の二人はあまり似ていないように思えるのだ。

それどころか、対極にも感じられる。

なのに、自分自身でも心のどこかで、理由無しに納得させられている事実が不気味。

(似ている……?)

そう、似ている。

黒と茶の混じった髪の色。ツンツンとまではいかないが、ゆるく跳ねた髪の毛。どこまでも平凡な容姿。

まるで、二人の少年を足して二で割ったような外見だった。

外見だけに留まらず、もっと本質的な部分がどうしようもなく似ているのだ。

不意に視線を落とせば、そこにあったのは軽く開いた右手。

 

―――()()

 

思い出す。

茶髪の少年はともかく、ツンツン頭の少年……上条は右手に不可思議な力を備えていた。

〝あの世界には、お前さんのような存在が二人いる。『上条 当麻』と『上里 翔流』じゃな〟

ミイラの言葉。

これが脳裏をよぎったその時、上終の全身から冷や汗が噴き出し、息が詰まった。

『上条 当麻』。

上終はその名前をついさっき聴いたはずだ。

心に湧き出すのは疑念。

絢爛豪華な僧衣を着込んだミイラと、白い包帯で恥部のみを隠したチョコレート色の美女への不信感。

上終 神理とはそもそも何で。

度々現れる二人はどんな存在なのか。

泥沼に入りかけていた彼の意識を引きずり上げたのは、ある少女の声だった。

「おい、ボケッとするな」

杖の先で頭を小突かれる。 

視線を上にあげれば、少しムッとしたレイヴィニアの端正な顔があった。上終は生返事で内に向けていた意識を外に向け直して、鈍った脳に喝を入れた。

「それじゃあ、現状の整理をしようか」

言いながら、タバコに火をつけるステイル。

「一足先に学園都市に潜入した僕と神裂は、パラケルススが造った天使の襲撃を受けて分断された。それより前に『禁書目録』も天使の襲撃に遭っていたようだね」

「それだ。どうしてインデックスはあんなヤツらから逃げてこれたんだ?」

上条が言う。

インデックスは幼い少女だという話だ。上終が殺されかけたあの天使の劣化版とはいえ、逃げ切るのは難しいだろう。

レイヴィニアやアナスタシアのような実力を持っていなければ、という但し書きがつくが。

「あの子が着ている服――アレは『歩く教会』といって、聖骸布のコピーをベースに教会の最低限の要素を詰め込んだ霊装です。その防御力は法王級と言って良いでしょう」

神裂が解説する。魔術師たちは頷いているようだが、肝心の上条は首を傾げていた。

身近に魔術師の少女がいる上里は、特に疑問もないらしい。

ちなみに、上終は魔術結社に所属しているだけに理解することができた。これだけでも大きな進歩といえるだろう。

「??? カミジョーさんにもわかるように言ってほしいのですよ」

「俗な言い方をすると防御力がカンストした装備だ。わかったか」

レイヴィニアの補足に、上条は首を縦に振る。

まさに俗な言い方だったが、普通の男子高校生にはこの表現の仕方が一番よく伝わるのかもしれない。

ステイルが一つ咳払いをして話を本線に戻す。

「僕からも訊きたいことがある。あの子はしっかり安全な場所に逃がしたんだろうな?」

「ああ、小萌先生の家に匿ってもらってるけど」

不良神父の顔が歪む。

なにやら文句を言おうとしていたようだが、上里に横槍を入れられることで口を閉ざす。

「敵の行動からして、小萌先生とやらの家の位置は掴んでいないんじゃないか。もしそうなら、そこで待ち伏せしてるはずだ。インデックスの位置を探知できるとしても、街中じゃ手を出し辛いだろう」

加えて、パラケルススたちは『人払い』の魔術を使っている。これはコトを公にしたくないという意志の表れだ。

問題は唯一無傷で残っているパラケルススだが、場所を知らない以上すぐに探知されるとは考えにくい。

ステイルはとりあえず合意した。

「……まあいい。僕たちでパラケルススと超能力者を、君たちでそこの女を倒したわけだ」

「パラケルススとかいうのは倒してな」

上里の眼前を炎の剣が通り抜ける。

凄まじい勢いで通過したソレに、彼は抗議の声を浴びせるがステイルはどこ吹く風だ。

「さて、そこの女はどうする?」

「おっと、そうだったな。アナスタシア」

「ほいほい」

指名された黒髪の少女が、黒焦げになった科学者の傍らに駆け寄る。

口の中で小さく言葉を呟く。

すると、鉄で造られた半球のドームが科学者の肢体を掬い上げた。それにフタをするように、もう半分の球が造り上げられた。

「それはどういうことだ?」

彼女たちの意図がわからずに訊く。

上終の質問にレイヴィニアが答える。

「あの女が使う術式は『角度』を利用したモノだろうからな。曲線で構成された空間なら、術式は使えないだろう?」

ようするに、一切の角度が存在しない曲線で形作られた球体の空間に閉じ込めれば、条件が適さないために術式は発動できない。

万が一にも破壊できないように、抜け目なく鉄で造られている。

焦土に鋼球がひとつ転がっているという、一種のシュルレアリスムのような光景に上終の目がくらんだ。

「現状の整理はこれくらいだね。後はこれからどうするか、だ」

甘ったるい煙を吐きながら言う。

ジトッとしたステイルの両目は、とある三人に向けられていた。

「「「病院」」」

上条、上里、アナスタシアのチーム怪我人の声が揃った。しかし、これはスルーされる。

これからどうするか、なんて選択肢はひとつしかない。

「インデックスを保護しに行くぞ」

レイヴィニアの提案に、満場一致で方針が決まった。ステイルと神裂は迷っていたようだったが、やがて頷く。

目指す先は小萌先生のボロアパートである。

 

 

「あ、あわわわわわわわ」

一応大人の年齢に達しているピンク色の幼女……小萌先生は、マッサージ機もびっくりの速度で震えていた。

上条にインデックスを託されたあと、何事もなく彼女が住むボロアパートに到着した。途中で食べ物を買わされたりもしたが、それはまだ許容できる。

もともと、生粋のお酒好き&タバコ好きである小萌先生は多少の散財には慣れている方だ。

だが、人生の酸いも甘いも知る彼女であっても、このような事態は生まれて初めてだった。

科学の街には似合わない昭和風のボロアパートを取り囲むように、大勢の黒服が集まっている。男女比は割と偏ってはいないが、頬にバッテン印をつけた百戦錬磨の豪傑がちらほらと混ざっている。

全員共通の黒服を着用していること以外、あまり統一感がない不思議な集団だ。

この景色をボロアパートの二階の部屋前から眺める小萌先生。恐ろしいような感心しているような声を出していると、隣の部屋の住人が飛び出してきた。

「うわぁ……これまた」

足元まで伸びる黒髪とぶかぶかの白衣が特徴的な、見るからにインドア少女だ。

名前は絵恋(エレン)

小萌先生の夕飯をたかりに来るくらいにはご近所付き合いがあり、一日のほぼ全てを引きこもっている。

そんな彼女が飛び出してきたところを見ると、この異様な光景に釣られてきたのだろう。

幸いなのは彼らが何もしてこないことだ。

傍目から見れば怪しすぎるが、危害を加えてこないため通報するというのも気が引ける。

ムムム、とうなる小萌先生。

悩む彼女の背後から、ひょっこりとインデックスが顔を覗かせた。

「わわっ!? どうしたのですか!?」

「ほら、あそこ」

インデックスが指差す方向に目を凝らす。

黒い海原を割って、ある一団が近づいてきていた。彼らの後ろには巨大な鉄球が追随している。

その先頭には、ガーゼと包帯を施されたツンツン頭の少年がいた。小萌先生が彼の姿を認めると同時に、インデックスが階段を下って走り寄っていた。

「……ケガしたの?」

むくれるインデックス。

ツンツン頭の少年は照れ隠しするように笑う。

「ああ、そうだよ。けど、心配することじゃねえぞ。これくらい上条さんには日常茶飯事なのです」

「とうまはどんな世界に住んでいるのかな?」

言い返されて、上条はギクリと固まる。

「と、とにかく! 立ち話もなんだ、俺も休みたいしさ」

ムリヤリ話題を変えようとする彼の様子に、インデックスは口をとがらせた。

納得できない部分はあるようだが、上条の意思を尊重したらしい。素直に従って、アパートへと歩き出す。

その道程でインデックスは訊く。

()()()()()()()()()()()?」

彼女は。

ステイルと神裂を見ながら言った。

……上条の足並みが止まる。

「?」

記憶を失くした少女は小首をかしげる。

上条はソレを必死に悟らせまいと、無理に顔を歪めて笑みを作り出した。

「ただの友達だよ。だから気にするな」

 

 

「……しつこいようだが、もう一度訊こうか。本当にアレでよかったのかい?」

バギンッ!!と枯れ枝を折るような音。

ほんの少しだけ語気を荒げた上里の言葉を、ステイルと神裂の二人は真正面から受け止めた。

これで良い。

これが現実だと語っている。

歪んだ覚悟を決めた彼らの瞳。

それを見た瞬間、上終の胸の奥がズキリと突き刺すような痛みに苛まれる。

まるで叫ぶかのように。

頭の片隅で理解した。

真に救われるべきはインデックスだけじゃない。

ステイル=マグヌスと神裂 火織。

彼らはずっと苦しんできたはすだ。

何度もインデックスの幸せな姿を眺めてきて、何度もそれを潰してきたのだから。

彼らの想いがウソだなんて言わせない。

だって、上終はとうに目にしている。

『レプリシア=インデックス』との戦いで、それまで姿形も知らない彼女のために傷ついたステイルを。

上終の精神の奥底で声がした。

――〝また、戦うというのか? インデックスを救う方法すらないというのに〟

その通りだ。けれど、方法が無いのなら見つけ出せばいい。一人の力じゃどうにもならなかったとしても、ここにはレイヴィニアも明け色の陽射しの仲間だっているんだ。

――〝お前とインデックスは何も接点が無かっただろう? そんなヤツのために全力で戦えると誓えるのか?〟

愚問だ。記憶が無い、精神が未熟だったとしても、それこそが『上終 神理』の本質だ。たとえ何処かの誰かに思考が操られているとしても、戦えるのなら今はそれだって構わない。それに、まだ戦うと決まっていない。もしかしたら、誰も傷つかない結末を迎えられるかもしれないんだ。

――〝……………………〟

彼らは救いを望んでいる。

彼らの救いとはインデックスが地獄から抜け出すこと。

なんだ。

簡単なことじゃないか。

たった一人救い上げれば、二人も一緒に救われるなんて。

「インデックスは一年周期で記憶を消去しなければ死んでしまう。……それは真実なのか」

「何をいまさら。明け色の陽射しにもあの子の情報は渡っているはずだ」

ステイルが言った。

禁書目録(インデックス)』は脳の85%を原典の知識で埋め尽くされ、生涯のすべてを残り15%の容量で過ごすしかない。

「完全記憶能力。あの子はそのせいで、どんな無駄な記憶だって忘れることができないんだよ」

「……それは真実なのか」

食いしばった唇が切れて血が流れ出す。

上終の表情を俯瞰して、ステイルは鼻を鳴らした。

「真実だよ。君としては信じたくなかったんだろうけどね。現に、記憶の消去が近づく度にあの子の容態は悪化するんだよ。一人じゃ立っていられないほどにね」

わかってしまう。

彼にはわかってしまう。

上終 神理にはわかってしまう。

「俺も記憶喪失だ。親の顔も覚えていないし、ロンドンの路地裏で目覚める前の思い出は全く存在しない。けど、俺には最低限の知識は備わっているんだ」

「……何が言いたい?」

「『記憶の種類』だ。記憶が全部消し飛んだっていうのなら、俺は思い出も知識も何もない赤ん坊と同じ状態だっただろう」

本当の意味で記憶を失ったというのなら、これまで培ってきた知識だって記憶だ。しかし、上終は思い出を忘れているだけで知識まで失ったわけじゃない。

それは何故か。記憶には種類があるからだ。ゴミの分別のように『思い出』や『知識』といった専用の箱がある、と言った感じだろうか。

「十万三千冊の原典を暗記した? だからといって、思い出まで消す必要はない。……そう思わないか」

「ですが――」

神裂が何かを言おうとするが、レイヴィニアによってソレは遮られた。

「上終を援護するつもりはないが、私からも一つ言わせてもらうぞ。……お前らは思わなかったのか?『15%しか脳の容量が無いから、一年周期で思い出を消す』、これの裏返しは『()()()()()()()()()()()()()()()()1()5()()()()()()()()()』ということだ」

さて、と彼女は繋げる。

「この理屈を信じるなら、完全記憶能力者はみんな六歳程度で死ぬことになる。元々人間の脳ってのはな、百四十年の記憶が可能なんだよ」

息が止まった。

二人の魔術師の表情が青褪めていく。

何かの言語をブツブツと呟き続ける彼らに、追い打ちとばかりに上里が声をかける。

「きみたちは魔術師なんだろう? イギリス清教、とやらの出身だそうだけど、そこに――いいや、きみたちの周りに完全記憶能力についての情報は無かったのかい。科学サイドの総本山である学園都市に、魔術師の立場でありながらやって来るほどだ。調べたことはあるんじゃないか?」

そして、気づく。

否、そのことにはとうに気づいていた。ただ、彼らが魔術師だったから気にしなかっただけのこと。

魔術サイドの人間だったから、周りに科学の一分野の一分野『完全記憶能力』に関する情報が無いことなんて、気にも留めなかった。

「……なあ、これはぼくのくだらない妄想なんだが。意図的に遠ざけられていたんじゃないのか、イギリス清教に騙されていた可能性はないと言い切れないだろう」

〝禁書目録が普通の生活を送るには、一年周期で『思い出』を削ってやるより術はなかろう―――〟

鐘のように響く声。

イギリス清教最大主教・ローラ=スチュアートが語るインデックスの救い方。

〝これも禁書目録が為〟

彼女は記憶を消す以外の手立ては無いと言っていた。

もし、それが間違いで。

もし、それが何かの打算によるモノで。

もし、それがインデックスに首輪をつけるだけのコトだったとしたら?

〝最大限の人道的処置なのよん♪〟

「それでも、あの子は苦しんでいました」

なんとか言葉を絞り出した。

上終は目を伏せてこれに答える。

「それは魔術による影響なのかもしれない。記憶を消す現場には何度も立ち会ってきたのだろう。だが、イギリス清教に騙されていたとしたら、インデックスに何かの術式が施されていると考えるのが当然じゃないのか」

インデックスは全てを正しく扱えば、あの魔神へと到達することのできる魔道図書館だ。

彼女が持つ価値は計り知れない。

『歩く教会』も保険のひとつ。インデックスを無事に生き延びさせるための仕組み。そこまでするというのなら、他にも仕込みを入れているのではないか。

「じゃあ、僕らはどうすれば良いっていうんだ」

「「「決まっているだろう」」」

想いが重なる。

重なった想いは現実として表れる。

「そんなクソったれの現実はぼくが認めない」

上里が歩を進める。

首に手を当てながら。

「絶望する必要なんて無い。俺たちがいる」

上終が一歩を踏み出す。

右手に満身の力を込めながら。

「今回は特別大サービスだ。お前らに仮がないわけでもないしな」

レイヴィニアが並び立つ。

その瞳に光を灯して。

さあ、残るは一人。

最後のヒーローの到来を待つだけだ。

 

 

インデックスは息を荒らげながら、白い布団に横たわっていた。

原因不明の体調不良。

彼女に症状が表れたのはついさっきだ。

「……とうま、は?」

「もうすぐ戻って来るのですよ」

優しく言い聞かせる小萌先生。

インデックスは儚く微笑むと、昏倒するように眠ってしまった。

この少女に何があったのかはわからない。

上条だって事情の少しも語ろうとしなかった。

だから、小萌先生は待つ。自分の愛する生徒が何かを成そうとするのなら、見守るのが先生というモノだ。

(こんな子を待たせるなんて、やっぱり上条ちゃんは悪い子なのですねー……)

―――開け放たれる。

光差す扉に立っていたのは、紛れもないツンツン頭の少年――上条 当麻だった。彼は息を切らしながら、インデックスの傍らに駆け寄る。

(俺は……)

全てを聞いた。

インデックスのこと。

ステイルと神裂のこと。

共に戦ってくれる仲間がいること。

上条に目を背けることなんてできない。

この少女が。

インデックスが。

初対面であるのにも関わらず逃げろと言ってくれたこと、忘れやしない。

神裂を助けに行くという自分のワガママを聞いてくれたこと、忘れやしない。

〝ソレがあるとしたら、頭の近くだ。インデックス自身も気づかないような場所――例えば、口の中〟

レイヴィニアと名乗る少女の言葉。

「……ビンゴだ」

インデックスの喉の奥辺り。

そこに妖しく光る刻印があった。

聴こえてはいないだろうが、一回断りを入れてから右手を差し込む。

なるべく傷つけないように。

それでいて素早く。

数秒の奮闘の末、中指の先が触れた。

次の瞬間、バヂィッ!!と激しい衝撃が襲い、首を掴んで真後ろに引かれるような格好で弾き飛ばされる。

「――警告、第三章第二節。Index-Librorum-Prohibitorum―――禁書目録の『首輪』、第一から第三まで全結界の貫通を確認。再生準備……失敗。『首輪』の自己再生は不可能、現状、十万三千冊の『書庫』の保護のため、侵入者の迎撃を優先します」

上条は目を見開く。

インデックスの両目が大きく開かれており、その瞳には真っ赤な魔法陣の輝きが灯っている。

ふわり、と彼女の身体が浮き上がった。

「『書庫』内の十万三千冊により、防壁に傷をつけた魔術の術式を逆算……失敗。該当する魔術は発見できず。術式の構成を暴き、対侵入者用の特定魔術を組み上げます」

直後、上条は叫ぶ。

「来い! 俺たちでインデックスを救い上げるぞ!!」

「――侵入者個人に対して最も有効な魔術の組み込みに成功しました。これより特定魔術『聖ジョージの聖域』を発動、侵入者を破壊します」

無慈悲な声。

そこにあの少女の意識は残っていない。

世界を割るような凄まじい音を立てて、インデックスの両目に輝く二つの魔法陣が一気に拡大する。彼女の顔の前には直径二メートル強の魔法陣が重なるように配置される。

亀裂が現れる。インデックスの眉間から黒いヒビが入り、四方八方へ走り抜けた。

膨らんでいく亀裂。

そこから、とてつもない獣臭が漂う。

「あ」

マズイ。

上条は胃から逆流してくるモノを、なんとか喉元でせき止めた。

唐突に理解する。

あの亀裂の中にあるものを見れば最後、上条 当麻という存在はバラバラのコナゴナに砕け散るだろうということを。

瞬間。

カッ!!!と部屋中に広がった黒い亀裂から、純白の光の柱が放たれる。

迷わず右手を前に突き出す。

だが、これでは全ての攻撃を防ぐことなんて到底無理な話だ。事実、上条も全てを防ごうとは考えていなかった。

「―――!!!!」

右腕を振るう。

たったのそれだけで充分。上条を蜂の巣にしようとしていた光の柱は、見えざる巨人の手にさらわれる。

間隙を埋めるようにインデックスの眉間の辺りに紅い爆発が巻き起こり、上条ら諸共消し去ろうと光の柱が飛来した。

「おおおおっ!!」

受け止める。

上条の前に躍り出た少年は光の柱を掴み取り、思い切り右腕を上に振るって軌道を逸らす。

膨大なエネルギーを秘めた光の柱は、強引に捻じ曲げられたことで天井を破壊してはるか上空へと飛んでいった。

「これは……!?」

ステイルが絶句する。

「まさか、そんな……」

神裂が驚愕する。

呆然とする二人の魔術師に、上条は大声を張り上げた。

「――これが現実だ! くそ、上等じゃねえか、俺たちはずっと振り回されてきたってことだ!! ここまでは全部プロローグだったんだ! けどな、絶望する必要なんてねぇ、俺が、俺たちがインデックスを助ける! だから戦おうぜ! こっから物語ってヤツを作っていくんだ。お前らのインデックスへの愛はそんなモンなのかよ、魔術師!!!!」

揺らぐ。

二人はもうボロボロだった。

かたやルーンを使い果たし、かたや聖人の力を引き出せない。

いいや、それ以上に未練があった。

ここで戦うということは、過去のインデックスと別れを告げるということだ。

迷いし彼らに、別の声がかかる。

上終 神理……記憶を失いながらも命を賭して戦う彼は静かに、だが、通るような声で話す。

「心配するな。過去のインデックスは君たち二人しか知らない、れっきとした現実だ。この戦いが終われば話せば良い。どこの誰が否定しようと、彼女だけは過去の自分を否定しないはずだ。もし、インデックスのどこにも何も残っていないなんて残酷な現実は認めない。――俺はその幻想を護り抜く」

子どものような幼稚な理論。

だがしかし、全てを失うことを罪科としていた彼らにはどこか心に響くような言葉だった。

残酷な現実は認めない――認めてしまった二人にとって、そんな子どもの駄々をこねたような精神こそが足りなかったのだ。

彼らを後押しするように、上里 翔流は言い放つ。

「これでもまだ一つにまとまらずにブレているというのなら、ぼくがきみたちに問うてあげよう。新たな天地を望むか、とね」

すぅ、と空気を吸い込む音。

 

 

 

  「「「さぁ!! どうする!!!」」」

 

 

 

直後のことだった。

死力を尽くした最後の戦いが始まる。

 




インデックスちゃんの掘り下げは次回です。
どんな結末を辿るのか、お楽しみに。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

殺されるべき幻想と護り抜かれるべき幻想

一番エネルギーを使った気がします。


迷いはなかった。

戦うことに抵抗はない。

これまで何人も殺し葬ってきた。

あったのは、躊躇い。

殺しの技術を、あの子に向けるというコトに対しての罪悪感。彼らにストッパーをかけていたのは、その罪悪感に他ならなかった。

今まで散々傷つけて、大切な記憶を奪ってきた自分たちが暴力を差し向けるというのか。

だが、それももう断ち切った。

全てを背負って前に進むために。

上条 当麻の憤怒を聴いた。

上終 神理の独白を聴いた。

上里 翔流の応援を聴いた。

その時。

彼らは己の魔法名を殺し名としてではなく、ただただ純粋な願いを込めて叫んだ。

「『我が名が最強である理由をここに証明する(Fortis931)』――ッ!!!」

宣言する。

魔力を生み出す気力すら失っていた。

戦意や救う意志なんて、完全に思考から解き放たれていた。けれど、彼を支える三人のヒーローがいたから。

魔法名。

それを名付けたとき、ステイル=マグヌスという少年は想ったのだ。

せめて、あの子の前でだけはカミサマにも敗けない最強になる―――と。

「『救われぬ者に救いの手を(Saivere000)』!!!」

宣言する。

聖人の力なんて引き出せやしない。

だけど、そんな力なんて意味がなかった。たった一人の大切な友達が護れないようで、何が聖人か。

故に、今この瞬間。聖人としてではない、もうひとつの強さで以って戦いに臨む。

彼女は刀を抜き放つ。

すべてを取り戻すために。

人間としての強さで立ち向かう。

「く、は」

気づけば、五人の口角は吊り上がっていた。

黒い亀裂から絶え間なく溢れ出す野性的な獣臭は、それこそ十万三千冊の原典が無ければ理解が及ばない。

……それが、どうした?

たとえ本物の天使だって関係ない。

たとえ本物の悪魔だって上等だ。

たとえ本物の神様だって乗り越えてやる。

理解の及ばないモノ―――その程度を倒すだけで、インデックスという少女は確実に救われるのだから!!

「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!」

思わず笑いが溢れてくる。

その声はこの場の全員から放たれていた。

あれほど待ち望んだ結末。

コイツの先にそれがあるのだから。だから、彼らの身体の震えは恐れなんかではない。

歓喜だ。

誰もが満足できるような最高のハッピーエンドを、今まで何度もその手中から離れてきた幻想をようやく手に入れられる。

こんな分かりやすい悪役なんかに敗けはしない。

そんな意思の発露を押し潰すかのように、黒い亀裂から数えきれないほどの光の柱が飛び出す!!

右手が踊る。

理想送りが視界内の光の柱を消し飛ばし、幻想殺しと天地繋ぎは拳を叩きつけた。起きるのは光の乱舞。

強引に方向を捻じ曲げられた光の柱が、他のモノと衝突を起こして安全地帯を作り出したのだ。

そこに出来上がるのは道。

「「「行け!! ヒーロー!!!」」」

走り出す。

夢にも見た栄光の架け橋。

しあわせな未来。そんなの、誰だって望んでいたはずだった。

彼らが願ったのは小さな幸せ。

自分のためじゃない。

たった一人の女の子に捧げる小さな祈り。

ああ、と彼らの口からため息のようなモノがこぼれた。

案外、神様ってヤツは小さいのかもしれない。

ずっと、この世界は欠陥品だと信じてやまなかった。神様がもう少し本気を出して、より良い世界を創っていてくれたならこんな悲劇は起きなかったはずだ。

アダムとイヴが知恵の実を食べてから。

この世界は悲劇に包まれていた。けれど、それでも、神様を唯一褒められる点があるとするならば。

世界を創り出したこと。

これ以外に彼の功績は存在しない。

今や世界が生み出した三人の少年たちの手により、救いへの道は切り拓かれたのだ。

魔術師はルーンを燃やす。

生命力だけではなく、己の燃え上がる生命そのものを叩き込んだ最強の炎の剣。

聖人は刀を振りかざす。

使える術式をありったけ費やし、何にも敗けない強い想いを宿した最高の一刀。

彼らは真っ直ぐにインデックスを見据える。

ずっと待ち焦がれていたんだ、こんな展開を。英雄がやってくるまでの場つなぎじゃない。主人公が登場するまでの時間稼ぎじゃない。他の何者でもなく他の何物でもなく。自分のこの手でたった一人の女の子を助けてみせるって誓ったんだ!!

ステイル=マグヌスと。

神裂 火織は。

顔を見合わせてコトバを交わす。

「……ずっと、主人公になりたかったんだ。絵本みたいに映画みたいに、命を賭けてたった一人の女の子を護る、そんな魔術師になりたかった」

「……私もです。私もあの子を救えるくらいの魔術師になりたかった。だから、ここから始めましょう。ちょっとくらい長いプロローグで絶望してる暇はありません」

ふふ、と二人は笑む。

つまらない建前を捨てて、年相応の明るく快活な笑みをつくりあげる。

彼らは、救いを見た。

()()()()()()()()

()()()()()()()()()()()()()()

瞬間。

「――警告、第六章第十三節。新たな敵兵を確認。戦闘思考を変更、戦場の検索を開始……完了。現状、最も難度の高い敵兵『ステイル=マグヌス』『神裂 火織』両名の破壊を最優先します」

ゴオッ!!!と十万三千冊の叡智を詰め込んで現出した赤黒い光の柱が、二人に襲い掛かった。

「「――っ、おおおおおおおおあああああああああああああああッッッ!!!!」」

振るう。

ギィィンッ!!!という金属質の轟音が鳴り響き、二人の渾身の一撃とインデックスの破壊の一撃は拮抗していた。

塗りつぶしていく。

白銀の抜刀が燃え盛る炎剣が、絶望の光の柱をわずかだが押し返し始める。

ミリ単位の変化。視覚情報ではほんの少しの変化はしかし、人の身で竜王の攻撃を弾き返すという偉業を達成しつつあった。

『竜王の殺息』――それはかの聖ジョージの伝説にも残る神話の一撃である。

リビアのサレムという街の近くの湖に住まうドラゴン。怪物は牛と羊を生贄として要求し、街の人々は難を逃れていた。しかし、街中の牛と羊がいなくなり、次にドラゴンが指名したのは街中の娘たちだった。

いよいよ王女までを差し出すという時、サレムに訪れたのは聖ジョージ。彼はドラゴンの話を聴くやいなや、槍と剣で以ってドラゴンに戦いを挑んだ。

さて。

ここに神話の再現は確立する。

竜王の殺息に対し、少女を救うべく剣で以って受けて立つ勇者。それがどんな魔術的意味を持つのか、インデックスにわからないはずがない。

彼女の誤算は三人の少年に気取られていたこと。真の敵を違えていたことこそにある。

「――警告!! 第九章第十六節! 特定魔術の設定を変更、敵兵の術式解析を開始……完了。それに対する殲滅魔術の構築を開始……」

()()()()()

あの膨大な力を振るうインデックスが。

黒い亀裂から漏れ出す気配は獣臭に留まらず、もはや濃厚な殺気にまで昇華していた。

「……………完了。『創世記』第六章から第九章第十七節より引用、対生物用殲滅魔術『ノアの洪水』発動まで五秒」

竜王の殺息なんかとは比べ物にならない、計り知れない神域の力が噴出する。

先触れとして現れるのは水の噴流。

ただの水ではなく、神の暴力を再現した水はそれだけでアパートを倒壊させた。

ビギビギバギバギッッ!!と木造の建築物が、強大な圧力に耐え切れずに崩れ落ちていく。

降り注ぐ木片と瓦の破片を、上里が右腕を振るうことによって打ち消す。

「――!!」

狭いアパートがボロボロに倒壊することで、開けて周りの風景が見えてくる。

そこは外界と切り離された場所だった。

蒼く透き通る巨大な半球の壁が、アパートがあった一帯の広場をぐるりと取り囲むように配置されている。

天上より降る月光を乱反射するその結界内は、昼下がりの聖堂さながらの荘厳で静かな威容だ。

レイヴィニア=バードウェイ率いる明け色の陽射しによる儀式魔術。

上終は顔いっぱいに喜色を広げて、黄金の少女を見やった。

「君は……本当に……!!」

「別にお前のためじゃないさ。そこの『禁書目録』を救う――そう決めただろう?」

そう言ってそっぽを向くレイヴィニア。彼女は魔術を使って、アパートでの戦いを傍観していたのだ。

いよいよ『ノアの洪水』の本領が発揮される。この場に居合わせた人間どころか、学園都市すらも呑み込んでしまいそうな洪水が世界を席巻する。

ヴンッ!!と洪水の嵐が多重にブレる。

まるで画質の悪い映像のように鳴動する波は、何かを振り払うような強引さで人間たちに突っ込んだ。

だがしかし。

逸れる。

大海を割るモーゼの如く、極大の奔流が二つに分割され、生物を押し流す絶望の洪水の脅威が消滅した。

「――警告、『ノアの洪水』術式に異常を確認。原因を調査……判明。ノアの箱舟と見立てた結界による威力の減衰……術式の逆算を行います」

『ノアの洪水』の完全消滅よりも早く、インデックスによる維持が行われた。莫大な魔力を駆使した力押しだが、単純な方法だけに打ち破る方法は少ない。

彼女の背後から伸びる二つの水の奔流に力が加わっていく。

「させないよ」

背後から響く声。

インデックスは即座に振り返り、そこにいた者たちの顔を見て驚く。

ステイルと神裂が各々の武器を、彼女に向けて躊躇いなく叩き下ろす。否、背中に伸びる水の奔流に。

斬り散らされ、吹き散らされた水が辺りに飛び交う。ステイルはその中で後ろを振り返りながら言った。

「行け、上条 当麻。君の手で終わらせてみせろ」

「―――任せろ!!!」

飛び込む。

一滴一滴が突き刺すような威力を秘めた、終末の雨に突き進んでいく。

身体の至る所に傷がつけられるが、全く気にしない。痛覚という感覚が飛んでいたのか、激痛に身をよじらせることもなかった。

救える。

あの少女を救うことができる。

上条はなにもかもを手に入れようとはしなかったが、最後に手に入れたいと望んだモノがあった。

それは、インデックスの笑顔。

(この物語(せかい)神様(アンタ)の作った奇跡(システム)の通りに動いてるってんなら――――)

故に、彼は右手を叩きつける。

黒い亀裂の向こう側に住まう怪物に。

(――――まずは、その幻想をぶち殺す!!)

貫く。

全てを苦しめてきた怪物があっさりと引き裂かれる。

「―――――警、こく。最終……章。第、零――……。『 首輪、』致命的な、破壊……再生、不可………消」

ブツン、とインデックスの声から音が消えた。

その後に残るのは、月光に照らされ散っていく水滴だけ。こうして、上条 当麻の長い長い一日は終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

七月二十日。

科学の街、学園都市でとある事件が起きた。

まずは学園都市を監視する衛星の一つが、地上からの謎の光線によって撃墜されたこと。

これにより学園都市の平和を守る『警備員(アンチスキル)』と『風紀委員(ジャッジメント)』はてんてこ舞いの大騒ぎ。事件直後の翌日に黒と茶色の髪の変人が謝りに来た、という記録が小さいながらも残されている。

加えて、学園都市第七学区にあるアパートの倒壊。もともと老朽化の進んでいた建物ではあったのだが、壊れ方が尋常ではなかった。 

見事に粉々にされており、現場の周囲に大量の破壊痕と水が付着していたことが明らかにされている。

コンビニによくあるようなゴシップ誌には格好のエサだったのか、『超能力者の暴走!? 現場住人のEさんに徹底取材!!』みたいなアオリで書かれていた。それなりに部数は伸びたようだ。

それはそうとして。

同じく第七学区に存在する大学病院の一室に、彼らはいた。

現在は七月二十日から三日後の七月二十三日である。

「……ダメだ。なんというか落ち着く」

自己嫌悪の声を漏らす上条。

暴走したサムライガールとトンデモ水流による切り傷と貫通傷が酷かったらしく、一切の身動きが取れない状態だ。

「勝手に落ち着いてるところ悪いんだけど」

「?」

「そこ、テレビが倒れてくるぞ」

「ギャアアアア!? 不幸だーっ!!」

やはり神様は意地悪だった。むしろ、上条の右手が絶好調なだけだったのだが。

上里は引きつるような笑みを浮かべる。

どうしてこうも彼は自分と似ているんだろう、と。考えていてもわかりはしないが、上里は嬉しいような悲しいような感情を抱いた。

しかし、固定されているはずのテレビがちょうど倒れてくるなんて、どんな不幸をしているのだろう。

「……あの子は?」

何の気なしに上里は訊く。

「ああ、それはだな――」

 

あの戦いの一日後。

目を覚ましたインデックスはカエル顔の医者の世話になったあと、赤髪バーコード神父とサムライガールと相対していた。

といっても一触即発の空気ではなく、深夜のようにしんみりとした雰囲気が漂っている。

彼らは、全てを話した。

記憶喪失のこと。

イギリス清教のこと。

そして、記憶を失う前のインデックスと自分たちのことを。

彼女はただひたすら聴き入っていた。

二人の独白をどこまでも素直に、それこそ教会のシスターのように、包み込む優しさで。

最後の一言。

それを言い切ったとき、インデックスは言った。

「……あなたたちと関わりがあるってこと、知ってたかも」

え、と。

疑問を込めた吐息が漏れる。

薄い胸に手を当てるインデックス。彼女は聖母を思わせる微笑みで、少しずつ語っていく。

「私が記憶を失ったのは事実だけど、それは『思い出』だけだから」

人間の記憶の仕方とは複雑だ。

言葉や知識を司る意味記憶。

思い出を司るエピソード記憶。

だが、これらの記憶を語る前に、人間の記憶には大きな二つの分類分けをすることができる。

手続き記憶と陳述的記憶。

二つの違いは明確だ。

手続き記憶は身体が、陳述的記憶は脳が覚える――といった風に。もちろん、手続き記憶には脳が深く関わっている。

後頭部の下側についている小脳と呼ばれる部位が、この手続き記憶を司っているのだ。記憶喪失の人間でも、腕や脚の動かし方がわからないなんてのはありえない。

それは小脳が運動の慣れを蓄積しているがため。

人間の脳とはあまりにも複雑。古代エジプトでは鼻水を作るだけの臓器と考えられていたことからも伺えるだろう。

だから、インデックスに『あの時』の記憶があってもおかしくはない………?

「なんて言うのかな……忘れてるはずなのに、あなたたちの顔を見てると胸の奥がいっぱいになるの」

そんな都合の良い幻想は存在しない。

彼女の思い出は魔術によって、跡形もなく消し去られているのだから。

だが、残酷な現実は純粋な現実に打ち消されるべきなのだ。

カエル顔の医者は言っていた。

〝人間の記憶を完全に消去する、だって? そんなのはありえないね? どんな記憶媒体にだって必ず復旧のメドはあるだろう? 人間の脳とは言わば超高性能な有機的なコンピュータなのさ〟

人間の脳を『モノ』として扱うカエル顔の医者に、インデックスは憤慨したものだ。

その旨を伝えると、彼は孫を見守る祖父のような笑みをたたえた。

〝それなら、医学的な視線で説明してあげるよ? 人間の記憶には――――〟

インデックスは完全記憶能力者だ。

街角ですれ違う人の顔から摩天楼の風景まで、全部写真で撮ったように覚えることができる。

無論、人の言葉でさえも。

彼女はうまく伝えることができなかったから、カエル顔の医者の言葉を借りることにした。

「人間の記憶には短期記憶と長期記憶の二つがあるんだよ。どっちにも『海馬』っていう部分が関わってて、それが記憶において大切な働きをする」

短期記憶と長期記憶は文字通り、短期的な記憶と長期的な記憶だ。

アルツハイマー病ではこの二つの記憶を整理する海馬に支障をきたすことで、症状が引き起こされる。

少し難しい話をしよう。

記憶は海馬によって仕分けされ、その中で必要なモノや印象的なモノだけが『大脳皮質』という部位に溜められる。

大脳皮質とは長期記憶を保存する場所だ。

初恋の記憶がいつまでたっても色褪せずに残っているのは、大脳皮質に長期記憶されているから。

十万三千冊の原典の記憶も大脳皮質にあるといってもいいだろう。彼女が原典を憶える旅に一緒に居たのは、他でもないステイルと神裂。

それはインデックスにとって何物にも代えられない大切な大切な記憶。

〝君はその二人のことを大切に想っていたんじゃないかい? 大脳皮質へのダメージが少なかったら、ね?〟

イギリス清教には十万三千冊の知識は何よりも優先するべきモノ。だから、一概に記憶を消すといっても、その知識だけは忘れさせてはいけなかった。

―――人間の脳は複雑だ。

科学で全てを解明できていないのだから、魔術で知り得る範囲は少ない。彼女の記憶を消したとしても大脳皮質に残る十万三千冊の記憶は、ステイルと神裂との記憶は今もなお存在するのかもしれない。

インデックスはそのことを二人に伝えた。

「けど、それは忘れてるのと変わらないとおもう。だけど―――」

その可能性を否定することはできない。

たとえ脳が覚えていなくたって。

彼女という人格を形成した二人との記憶が存在しない、なんて言い切れない。

そんな優しい幻想。

その幻想を誰が殺すことができるというのか。

誰もが満足できるハッピーエンド。大人たちはさも判ったように否定するけれど、人間はそれを信じるべきではないのか。

脳が。

物質が。

何もかもに存在しない記憶。

「――だけど。私は覚えてるよ、ステイル、かおり」

それでも、優しさを忘れてしまった人はこう言うのだろう。

〝脳に記憶がないのなら、どこに記憶が残ってるというんだ?〟

こんなつまらない理屈。

少女は簡単にひっくり返すことができる。

「心に、みんなの記憶は残ってるから」

七月二十日。

上条 当麻は三人の少年少女を救った。

 




こんな結末があっても良い気がします。インデックスたち三人の関係にもっと救いを与えたかったので。
次回は……姫神さん、あなたはお休みです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黄金と愚者の黄金
『人間』が打ち砕くのは愚者の黄金


原作二巻に入ります。
よろしくお願いします。


インデックスの事件のあと。

妙に顔を赤くしたステイルが、罵っているのか労っているのかよく分からない口調で感謝の言葉を述べてきた。

スポーツ解説者もビックリの早口でおまけに短いものだから、上条には一種の腹話術にも感じられたほどだ。

一方の神裂はサムライガールらしく礼儀正しかったが、それをチャラにするくらい驚いたのが実年齢が十八歳ということである。

思わず口に出してしまった上条がどうなったのかは、あまりにもあんまりなので省いておく。

彼らが伝えに来たのは『インデックスを預かっていてほしい』ということだった。

十万三千冊の原典。

それを守るための最終手段が、あの自我を失った状態。そもそも、インデックスが魔術を使えなかったのは、アレに魔力を使っていたからと考えられる。

そうなれば、魔力を回復しているかもしれない。

ありえないことだとは断言されているが、イギリス清教としては注意するに越したことは無いのだろう。

ステイルは『奪還しにいく』などと物騒な言葉を残していたが、おそらく照れ隠しのようなモノだ。むしろそうであってほしいと、上条は願っている。

いくら何でも立て続けに戦闘するのは耐え切れなかったのだ。

そんなわけで、美少女シスターと暮らすことになった上条。

彼はあることに悩まされていた。

うつむいたままの姿勢から、視線だけを机を挟んだ向かいへと移す。

そこにいたのは、液体も固形物もまとめて飲み物ですと言わんばかりに暴食を行うシスターだった。

上条は良識を持ち合わせた人間だと自覚している。そのため、年頃の女の子に食べ物のことで注意するのは気が引ける。

(どうする……ッ!? このままだと上条家の家計は火の車どころか、太陽レベルになってしまうのでは!?)

真っ赤に燃え上がる学生寮を幻視した。

ただでさえ、あの天使モドキに部屋が破壊されたのだ。その分のお金はイギリス清教から強請ったものの、入院費だって馬鹿にならなかった。

つまり、上条家の家計は大ピンチなのだ。

「あ、あのですねインデックスさん?」

話を切り出す。

神妙な面持ちの上条に、インデックスはキョトンとして首を傾げる。

「なにかな?」

「朝昼晩そんなに食べられてはウチの家計がですね? インデックスも女の子なんだから、体重とかカロリーとか……」

机に突っ伏して出来る限りの悲壮感を演出する。貧乏学生上条 当麻はお金がかかると強いのだ。

そろそろウソ泣きに移行しようとした彼は、重ねた両腕の間からインデックスの様子を覗く。

あたふたする彼女の姿を予想していた上条だが、あっさりとその予想は裏切られる。インデックスは得意気な表情で口元を緩めていた。

(お、鬼がここにいらっしゃる!?)

タダ飯食らいの居候シスターの本質に、上条は恐れおののく。本格的に炎上する上条家を夢見た彼は、ガタガタと震える。

すると、インデックスは懐に手を突っ込んで、なにやら分厚い茶封筒を取り出した。

上条の身体が凍りつく。

「ま、まさかそれは!?」

「ジャパニーズマネー! なんだよ!!」

恐る恐るそれを受け取り、汗ばんだ手で口を開く。中に入っているのは間違いない、諭吉さんの群れだった。

それとともに、二つ折りにされた白い紙が滑り込ませてある。

「?」

どうやら手紙らしい。

開けば、懇切丁寧な字で長々とした文章がしたためられていた。送り主は神裂のようだ。

『二人で仲良く使うように』という言葉で締めくくられている。

インデックスを抱きしめたい感情に駆られたが、脳の冷静な部分が行動を停止させる。飛びかかる前のネコのような体勢で、上条は思う。

「……どうして今出した?」

ギクリ、とインデックスが震え上がる。

神裂の手紙には封筒に入っている金額が記されている。実際にある額はそれよりも少ない。

上条は呆然と視界を上げた。

冷や汗をかいているインデックスが目をそらしながら、

「げふん」

直後のことである。上条の頭の中で何かが切れた。

「てんめぇぇぇぇ!!!」

「お、お菓子を少し買っただけなんだよ! それに、あまりにも恵みが無いこの家はおかしいかも! となりのまいかは――」

「よそはよそ! うちはうち! どうやら一般人と『少し』の感覚が違うことを理解してねぇな!?」

今度こそ上条は飛びかかる。

消費されたお金は確かに少なかったが、貧乏学生にとってはそれでも惜しいことだ。

「とうまにだって責任はあるんだよ! 私の心にサタンを生み出したのは紛れもなくこの環境のせいなんだから!」

上条の飛びかかりを回避して、インデックスはカサカサと彼から距離を取る。

「なんて清々しい責任転嫁!? 上条さんだってスイーツ☆を食べたくなるときもあるんですぅ!! サタンに負けたのはお前じゃねーか!」

負けじと追いかける上条。

テーブルをぐるぐると回る鬼ごっこは、上条が本棚の角に足の小指をぶつけることで終結する。

悶絶する彼の顔のそばにあった携帯電話が、けたたましい音を鳴らした。

「はい……」

半泣きで言う。

満身創痍の上条に追い打ちをかけるかのように、小萌先生の声が響いてくる。

『明日は記憶術の小テストなので、ちゃんと勉強してきてくださいねー? 上乗せ課題の提出期限も明日までなのですよ』それだけ言って、通話は切れてしまう。

上条は床に両手両膝をついて叫んだ。

「不幸だああああああああ!!!」

八月八日。

上条 当麻の一日は始まる。

 

 

本棚を見ればその人の性格がわかるという。

上終 神理はというと、本棚どころか本がマンガ一冊もなかった。基本的な知識はあるのだが、専門的な分野になると疎いのはこのせいだ。

このままではさすがに不味いと判断した上終は、数少ない日本円を握りしめて書店を訪れていた。

人生初の買い物に感動を禁じ得なかった彼は、ぎこちない動きで店内に入り込んだ。

その際に、ある広告に視線を吸い寄せられる。

『国内シェアNo.1の三沢塾がついに学園都市に!!

難関校合格から成績アップまで、小中高生の輝かしい未来を保証します。精鋭講師陣は徹底した研修と授業トレーニングによって、生徒ひとりひとりに対応した勉強法を伝授! マンツーマンの指導で生徒皆さん方の理解度を深めていきます。

他の進学塾の追随を許さず、トップクラスの進学実績を誇っています!(自社調べ)。

国公立、私立問わず志望校合格を目指しましょう!!

入塾案内はホームページから!

「進学なら三沢塾」でレッツ検索!!』

爽やかな笑みを浮かべる合格生と講師陣の画像が切り貼りされたポスターだ。

多少胡散臭い部分はあるが、やはり全国シェアトップということはソレに足る実績があるのだろう。

(学校、か)

興味はあるが、年齢に応じた所へ通わなければならないのなら、上終は保育所からスタートしなければいけない。

その事実に気づいて、生後五ヶ月未満の少年はがっくりと肩を落とした。

(そういえば、上条 当麻も高校生だったか)

ツンツン頭の少年を思い出す。

面と向かって話したことはないが、上里と並んで上終の興味を引く人物のひとりだ。

似ている、という感覚は変わらないが、あの後に気づいたことがある。

何か決定的な部分が違う。まるで本物のモナリザと、それを機械で精巧に描き写したモノを並べたような違和感。

これを置き換えるのなら、上条・上里が本物の絵で上終が偽物の絵である。

脳の奥深くは理解しているはずなのに、それを口に出せない奇妙な違和感があった。

思考の深みにはまりかけていたが、必死に振り払って本の吟味に向かう。

……数十分見回っているだけだったが、上終にとっては満足な時間だった。意外なのが、学園都市だというのに占いやオカルト系の本が置いてあることだ。

科学漬けにされている分、ここの学生はそういう方面に飢えているのだろうか。

自己催眠的な方式を取ることで能力を発動させる者も少なくなく、いかにも魔術のような動作をする能力者もいるのだという。

増えた知識に上終は高揚感を覚える。

(これは……ああ、そうか)

もしかしたら、『上終 神理』は勉強が好きなのかもしれない。

記憶を失くす前は路地裏に転がされていたため、ロクでもないヤツだろうが、今の上終は違うのだ。

そうと決まれば買う本のジャンルはひとつ。

参考書コーナー。一通りの教科を揃えただけで勉強した気になれるという魔境である。

目についた一冊を手に取ろうとしたとき、横から伸びてきた右手とぶつかり合う。

「おっと、すまない」

「いや、こちらこそ……って」

互いの顔を見合わせる。

上条 当麻と上終 神理が期せずして出会うこととなった。

無論、そこに第三者の思惑が存在していることは、彼らには知る由もない。

 

そんなこんなで。

「さんぜん、ろっぴゃくえん……」

一昔前の少女マンガのような驚き方をするインデックス。

上条のマイバックに納まる参考書を恐ろしげに見つめ、彼女は信じられないといった表情をしている。

そうして、ボソッと呟く。

「とうま、それだけあったら何ができた?」

「……げふん」

上条は目をそらしながら、バツが悪そうに咳き込んだ。

その行為がいけなかった。二秒後にはインデックスに飛びつかれ、頭皮に何度も犬歯が突きたてられる。

「ギャアー!? ハゲるハゲる!!」

組み伏せられたプロレスラーのように地面を叩く。

上条は近くにいるレフェリー(かみはて)に助けを求めていたのだが、彼は微笑ましくこの光景を見守っていた。

「た、助けてくれ!」

上条の叫びに、上終は首を傾げて言う。

「む、じゃれているんじゃなかったのか?」

「これがそんな場面に見えやがりますかチクショー!」

確かにヘビに捕食される前のカエルにも見える。日常的に魔術をぶっ放されている上終は、感覚が麻痺していたのだ。

彼が止めようとする寸前に、インデックスは気が済んだようで上条から離れる。

むっすー、とした顔で暴食シスターは上空の上条の背後辺りに人差し指を向けた。

その先ではアイスクリームショップの看板が、くるくると回っている。距離は遠くないが、人通りが少ないのが気になる。

「アレで許してあげるんだよ」

「……3600円分もアイスは食えないぞ」

バチバチと視線をぶつけ合う。

そんな二人をよそに、上終はアイスクリームショップを確認した。

「………」

これは言うべきなのだろうか。

きっと、これを伝えてしまえばインデックスはまたもや猛獣少女と化すだろう。

だが、隠した方がとんでもないことになるだろうと判断して、上終は事実を伝えることにした。

「二人とも、この店は休業だ」

 

結局、安っぽいファーストフード店でインデックスの欲望を紛らわせることに。

彼女の機嫌取りに奔走する上条は、ゆっくり過ごせる席を探していた。だがしかし、午後の店内の混み具合は半端ではなかった。

通勤ラッシュ時の駅みたいに人がごった返している。

「そっちはどうだ?」

「ダメだ。ギャルが先生の背中に火つけるとか物騒な話してた」

「……そんな街なのか、ここは」

口の端をひくつかせる上終は、呆れたように言葉を捻り出した。

二人はおっかなびっくり後ろに目を向ける。

黙り込んでいるインデックス。彼女の両手の上には、バニラとチョコとイチゴの三つのシェイクが載っていた。

上条のツッコミ気質が疼いたが、この状態の彼女を刺激すれば死亡確定だ。

「……とうま、私は是が非でも座って一休みしたい」

ぽっかりと穴が開いたような、感情が篭っていない声だった。

従わなければ丸かじりにされるだろう。

(昼食を作り置きしておいたのは正解だったな)

現実逃避する執事兼料理人の上終。明け色の陽射しでの仕事は、掃除と料理しかないのだ。

そんな彼を置いて、上条が店員さんの元へダッシュする。事情をほんわか風味に説明すると、営業スマイルで窓際の一角を指差してくれた。

指先を追いかけてみれば、

「うっ!?」

ちょうどぴったり収まる四人掛けのテーブル席だった。それは良い。

そこには、明らかに時代錯誤というか場違いな人がいる。

端的にいえば、巫女さん。

巫女さんが机に突っ伏していた。

これはマズいと確信した上条は、上終とインデックスに話しかけようとしたが遅かった。

「座らないのか?」

上終は図太く問う。彼も大概変人である。

瞬時に上条は『上終 神理』を脳内の変人ブラックリストにぶち込んだ。話した回数はほぼ無いが、上条の考えは間違いではない。

忍び足でテーブルに近付くと、巫女さんの肩が小さく動いた。

「く」

上条は嫌な予感を抱えながら、巫女さんの紡ぐ言葉を待つ。

「―――――食い倒れた」

 

 

学園都市には不思議な建物がある。

『窓のないビル』。

通称の通り、そのビルにはひとつも窓がない。しかも中に入るためのドアもなく、階段もなく、エレベーターも通路もない。

これでは建物としての機能を果たせるはずがなく、このビルに侵入するには空間移動能力が無ければ出入りも許されない最硬の要塞なのだ。

核シェルターを優に超える強度を誇る窓のないビルに、一人の魔術師が立っていた。

ステイル=マグヌス。

魔術師である彼は、本来この学園都市にいてはいけない存在だ。イギリス清教に所属するステイルは生粋の魔術サイドの人間である。

そんな彼が学園都市にいるということは、ひよこの群集に子犬が混じっているのと等しい。

つまり、彼にはそれほどのコトを実行するだけの理由があった。

『イギリス清教代表』として『学園都市』と対話しに来ているのだ。自分の上司に魔術を向ける彼が選ばれるのは、人選ミスだろう。

「……」

胃もたれのような不快感。

今まで何人もの魔術師を殺してきた彼でさえも、ソレには慣れることができなかった。

ビルの中であることを忘れてしまいそうな広大な空間。一切の照明が存在しないこの部屋を照らすのは、壁に設置された無数のモニターの光。

壁から数えきれないほどのチューブやケーブルが中心に向かって伸びている。

中心にあるのは巨大なビーカーだ。

学園都市製の強化ガラスでできた円筒には、弱アルカリ性培養液を示す赤い液体が満たされている。

そして、ビーカーの中には逆さに浮かぶひとりの『人間』がいた。

聖人、囚人、罪人、識者、賢者――人を表す言葉は多々あるが、男にも女にも子供にも大人にも見える『人間』は『人間』としか表しようがない。

「ここに来る人間は皆、私の在り方を観測して、同じ反応をするのだが―――」

ステイルの考えていたこと。

ビーカーの中の『人間』はそれを見抜いていた。

誰に問われたわけでもなく、『人間』は答える。

「―――機械にできることを、わざわざ人間がする必要はないだろう」

推定寿命1700年。

『人間』の限界に到達したソレに、ステイルは恐れを抱く。

学園都市の科学力にではなく、出来るからと言って物言わぬ機械に命を預けるその在り方に。

合理と理念の塊。

『人間』とはここまで歪んでしまえるのか。

「ここに呼び出した理由はすでに分かっていると思うが――――不味いことになった」

学園都市統括理事長・アレイスター=クロウリーは淡々と告げた。

「『吸血殺し(ディープブラッド)』、ですね」

アレイスターは存外普通に頷く。

彼が語るには、超能力者の一つである吸血殺し自体は問題ではないらしい。が、それに本来立ち入ってはいけない魔術師が関わってきたコトが問題なのだという。

基本的に魔術サイドと科学サイドは絶対不可侵を結んでいる。魔術師の一人や二人処理することは容易いが、それこそがタブー。

仮にも自陣側の魔術師が、科学サイドの超能力者に倒されることに良い顔はしない。つまるところ、ステイルが呼び出されたのは『魔術師の処理』だった。

魔術師が魔術師を倒すのなら、内輪揉めということで解決してしまえる。

「それで、問題となる『戦場』の縮図だが」

暗闇に画像が浮かび上がる。学園都市の研究所などではありふれた技術だが、魔術師であるステイルにはどんな方式なのか見当もつかない。

画像に映し出されているのは、一見どこにでもあるような普通のビルだ。

端には『三沢塾』と綴られている。

アレイスターが語った内容はこうだ。

学園都市には『超能力開発』という飛び抜けた教育がある。三沢塾が学園都市に進出してきたのは、この特有の学習法を盗んでくるためのスパイ。

中途半端に超能力開発をかじった三沢塾は悪い感化を受けた。一言で表すなら、科学崇拝のようなモノだ。

『自分たちしか知らない科学技術』。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――そんな、新興宗教じみた考えに取り憑かれた。

学園都市の三沢塾支部校は、その『教え』に従って吸血殺しの少女を監禁。

それは吸血殺しに利用価値を見出したのではなく、『この世に一つしかない再現不可能の能力者』であれば誰でも良かったらしい。

ステイルは目眩を覚える。

『吸血殺し』。これを語る上で欠かせないある生き物は、科学とは真反対を行く怪物であるというのに。

「………」

この話がややこしいのは、吸血殺しを監禁した三沢塾を魔術師が乗っ取ってしまったところである。

三沢塾に潜む魔術師を見つけ出して始末しなければならない。

230万人の能力者が溢れかえるこの場所で、たった一人の孤独というのはステイルには愉快だった。

「そうでもない」

釘を刺すようにアレイスターは言った。まるで本当に人の心を読んでいるかのような奇妙さだ。

「魔術師にとって天敵となる『一つ』を、私は保有している。否、『二つ』と言った方が正しいか」

ステイルの脳内ではアレイスターが暗に語る人間の名が浮かび上がっていた。

「……『幻想殺し(イマジンブレイカー)』」

「そして『理想送り(ワールドリジェクター)』だ。さて、君には上条 当麻を協同相手として欲しいのだが」

魔術師に断る選択肢は無い。

ただひとつ、彼には疑問があった。

「超能力者が魔術師を倒すのは悪いのでは?」

「それも問題ない。アレはスプーンを曲げる力も持たない正真正銘の無能力者だ。価値のある情報は何も無い。科学側に魔術側の情報が流れ込む心配はしなくて良い」

心の中で舌打ちする。

目の前の『人間』の腹積もりが読めない。

『幻想殺し』は230万分の1の奇跡などというレベルではない。地球人口約70億分の1の神の悪戯だ。

それが異能なら、たったの右手一本で紀元前モノの神器すら破壊してしまうほどの稀有なチカラ。

だというのに。

アレイスターはぞんざいに扱う。

あたかも鋼を打つ刀鍛冶のように。

『人間』は思い返したように付け加える。

「『天地繋ぎ(ヘヴンズティアー)』が介入してくるだろうが、泳がせたままにしておいてくれ。ヤツに手を出されると面倒だ」

『天地繋ぎ』。それを言ったとき、アレイスターの声に初めて感情が灯った。

ぞんざいに扱うことは変わりないが、幻想殺しとは訳が違う。喩えるなら、訓練と虐待のように。

軍隊の訓練は当然厳しいモノだが、それは兵士の成長を促すためだ。上終にするのは人間が鬱憤晴らしのために、動物を叩く行為と言い換えていい。

厳しさの種類が圧倒的に違っている。

「それでは、頼んだ」

ステイルは超能力者に手を引かれ、空間移動によってこの場を去った。

しばらくした後、巨大ビーカーの後方の暗闇から一匹のゴールデンレトリバーがのそりと現れる。

木原 脳幹。

人間と同じだけの知能を持った、一人の科学者だった。

彼はロボットアームを駆使して葉巻を吸う。

「『天地繋ぎ』を介入させて良かったのかね? アレは君の『計画』に邪魔な存在だろう?」

「構わない。三沢塾にはあの錬金術師も潜入していることだ。ヤツらを潰し合わせる。それで始末できれば良いのだがな」

脳幹は甘ったるい煙を吐き出す。

彼はロマンを理解する男だ。『天然モノの対魔神兵器』と評した脳幹にとって、上終は興味深い研究対象に属する。

だが、脳幹に言わせればただのそれだけ。

「ふむ、研究対象としては気にかかるのだが……上終の行動は好かないな」

アレイスターは同意する。

「ああ。アレは喩えるのなら、黄金と黄鉄鉱か。外見は似ているが本質が異なる――愚者の黄金だよ」

黄鉄鉱(パイライト)

黄金色の輝きを放つこの鉱石は、素人が見れば黄金と間違えて喜んでしまうことが多い。

故に、愚者の黄金。偽物にも成り切れない、愚者のみが囃し立てる鉱石である。

黄金を前にすれば全てがくすんで霞んでしまうソレが指し示すのは上終 神理。

「―――()()()()()()()()()()()()()()()を打ち砕くぞ」

『人間』は微笑む。

愚者の黄金が粉砕される未来を見据えて。

 




次回は三沢塾に突入。
上終くんにはそろそろ地獄を体験してもらいます。
それでは、次回お会いしましょう!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

悪意発露、決戦の足場固め

姫神さんごめんなさい。本当にごめんなさい。貴女のヒロイン力は禁書中でNo.1です。彼女のファンにも切腹して謝ります。どうにでもしてください。


ステイル=マグヌスは走っていた。

息を切らして表情を苦いモノにしながらも、足だけは全力で動かす。

「……クソッ!」

脳内でアレイスターに唾を吐き捨てる。

本日で何度目になったかもわからないその想像を、少しでも苛つきを抑えるために続けていた。

頭に響くのは『窓のないビル』への出入りを司る超能力者の少女の言葉だ。

〝アレイスターからの伝言です。『協同相手と接触するなら急いだ方が良い。あの子に危害が加わる可能性がある』……と〟

これが『人間(アレイスター)』のやり方。

反論なんてさせないし許さない。完全な後出しによって、的確に確実に対象の行動を操る。

グシャリ、とステイルの左手に握り締められたメモ書きが断末魔をあげた。

彼は少女から手渡されたインデックスの居場所が書かれたそれを、丸めて背後に投げ捨てる。

ドラム缶のようなカタチをした清掃ロボットが、凄まじい勢いでゴミを吸い込む。同時に、ステイルの背中に機械音声による注意が浴びせられるが、耳には届いていない。

魔術師は走る。

その瞳に映るのは救い上げられたはずの少女。

 

 

「―――――、食い倒れた」

八月八日の昼下がり。

上条は唯一空いていた席によりによって食いだおれ巫女さんがいるという、最上級の不幸を引き当てていた。

「……」

「……」

目が合ってしまう。

何か言いたげな巫女さんの視線に突き刺される。エレベーターの中で見知らぬ人と二人きりにされたような気まずい空気が流れる。

その静寂を打破したのは上終だ。

彼は首を傾げながら言った。

「彼女が指名しているのは君じゃないか?」

「……そうだよ、とうま。見た目で引いてはいけません。神の教えに従いあらゆる人に救いの手を差し伸べるのですなんだよ。アーメン」

素人の演技みたいに神妙な顔で十字を切るインデックス。仮にもシスターだけにとても様になっている。

二人の言い分をしばらく咀嚼して、上条はとてつもない勢いで反論を行う。

「なっ、ふざけんな! ここは平等にジャンケンだろ!?」

「それなら、なおさらとうまが生け贄かも」

「俺が負けると思ってんじゃねえ!!」

と、意気揚々と啖呵を切った上条は右手を握り締める。

上条、インデックス、上終のジャンケンは普段ならば問答無用で上条の敗北だったはずだ。

「……あいこ?」

上条 当麻の人生初の出来事。ことジャンケンにおいて、敗北しか体験してこなかった。

(波に乗ってる! 今日の俺は一味違う――!!)

自信満々に拳を振り下げる。

パー、パー、グーで見事に上条の負けだった。というわけで、巫女さんに捧げる生け贄は彼に決まった。

視界に映る巫女さんの口元がかすかに吊り上がっている。ほんの一瞬のことだが、上条にはソレが気味悪く感じられる。

気のせいだ、と脳裏にへばりつく一瞬の映像を振り払う。

「えーと、食い倒れたってどういうことだ?」

この状況を一手で解決させるよ質問。

巫女さんは宇宙の底をくり抜いたような瞳で、長い沈黙を経て答える。

「いいいいっっここ、ごじゅうっうはちえええんんんののののいいごいかきかぁあががあ」

ぶぢゅり、と少女の顔から球体がこぼれ落ちた。

―――眼球。惨状はそれだけに留まらない。まるで腐れた柘榴を踏み潰すように、巫女さんの端正な顔が醜く崩れていく。

ブクブクに膨らんだ肌は、指で触れれば底無しに沈んでいってしまいそうで。弾け飛ぶ寸前の風船を連想させる不吉でグロテスクな変化だ。

喉が干上がる。

突如として壊された日常。どうしようもなく混乱する頭で、上終はすでに行動に移っていた。

(『天地繋ぎ(ヘヴンズティアー)』で止める――! 治すことはできないが、とりあえず状態は保存できる……!!)

右手を突き出す。

分泌される脳内物質の量が限界を越えているのか、異常にスロー送りされる世界。その中で、上終は確かに聴いた。

蜂に刺されたような痛々しく膨れ上がった人差し指を、上条に向けて彼女は明朗に言う。

「みつけた」

直後。

少女の体積が何倍にも膨らんだかと思えば、赤黒い物体がいくつも飛び出した。否、飛び出した、なんて生易しい話じゃない。

爆発した。

名も知らない、言葉すら交わしたことのない少女が……

(死ん、だ?)

体内の奥深くからせり上がってくるモノを必死に押し戻す。むせ返るような血の匂いが散乱し、間近で浴びた上終の思考が紅く塗り潰される。

向かいにいるインデックスもそうだ。

精神を保護する自己防衛本能か、彼女の意識は暗い闇に沈んでいる。

茫然自失とこの光景を眺めていた上条。

無数の疑問が噴出し、消えないままに脳裏を揺蕩う。彼が捻り出した言葉は、少女の本質に迫るモノだった。

「そ、れは……?」

血の海でビクビクと微動するナニカ。

胎児の頭部に人間の手足を生やした魚の身体を繋ぎ合わせたような、異形の生命体。見るからに死に掛けの生命体に、上終は一人確信する。

この事態の裏に潜んでいるであろう仇敵の名を呟く。

「パラケルスス……」

そこで、ようやく気が付く。

周りが異常に静かだ。少女が血を撒き散らしているというのに、叫び声の一つも生じない。

「どうやら間に合ったようだね」

後方から聞き覚えのある声が響いた。

振り返ってそこにいたのは、大量の汗をかいたステイルだ。

おそらく走ってきたのだろう。肩で息をしながら、重い足取りでインデックスの方に歩いてくる。

外傷が加えられていないか確認しているらしい。『歩く教会』の防御力を貫ける威力を叩き出すには、世界有数の力が無くてはならないだろう。

ステイルもそのことは承知している。簡単に調べると、今度は上条と上終に向き直った。

「さて、状況の説明をしようか」

いきなり言われて、はいそうですかと納得できるほど二人は人間ができていない。

真っ先に口を開いたのは上条。

「……待てよ、ステイル。まずはこれがどうなってんのか説明しろ!」

声を張り上げる彼に対して、ステイルはあくまで冷静であろうとする。

「それもそうだね。前提として、コレは人間じゃない。とある少女の外見だけを模倣した肉人形だ。十中八九、君たちへの宣戦布告だろう」

そう言って、顎で上終の両手に載ったホムンクルスを指す。

魔術師の表情になったステイルは、大きくため息を吐いて上終を見やった。その眼には一切の慈悲や哀れみも込められていない。

「随分とパラケルススに目をつけられているな? あの胸糞悪い錬金術師は今回で倒してしまえ」

戸惑いながらも頷く。

「それは構わないが、肝心の説明が済んでいないぞ」

「上条のせいだ、僕のせいじゃない」

責任を押し付けられた上条はステイルに噛み付くが、あっさりとあしらわれる。

タバコに火を付けて咥えた。魔術による『人払い』が無ければ、即座に注意を受けていただろう。

「三沢塾。この街に住んでいる君たちは知っているんじゃないか?」

上条と上終は肯定する。

上終は書店のポスターを流し見ただけだが、上条は学園都市の学生だけに知識量は多いはずだ。

「全国シェア一位の進学予備校ってヤツだろ。それがどうしたんだ?」

学園都市の進学予備校は少し特別だ。本当は大学に受かるだけの実力があるのに、更に上のランクの大学に進むために浪人して勉強するという側面がある。

側面、というのは現役予備校の性質をもっているからだ。

大学受験には興味がない上条でも、そのくらいのことは知っていた。主に小萌先生のせいで。

「それなら話は早い。そこ、女の子が監禁されてるから助け出すのが僕の役目なんだ」

二人は目を見開いてステイルを見た。

そんな彼らの驚愕を楽しんでいるかのように、魔術師は懐から数枚のコピー用紙を渡す。

奪うようにそれを受け取った上条は、次々と内容を確認していく。上終も覗き込むようにして、文字を目で追っていく。

「……!」

全てが不自然だった。

三沢塾の見取り図。複数のビルを空中の渡り廊下で繋いだ建物には、虫食いのように空白がある。

電気料金表。明らかに消費電力が多すぎる。全ての部屋を合わせても足りなかった。

チェックリスト。教師にしろ生徒にしろ、大量の食料品から生理用品を買い込んでいた。三沢塾の『誰か』が使っているのは明白だ。

最後の一枚。それは写真が一緒に貼り付けられていた。()()()()()()()()()()()が、三沢塾のビルに入る場面。学生寮の管理人によると、彼女はそれから一度も戻っていないらしい。

「今の三沢塾は『科学崇拝』を軸にした新興宗教と化しているんだそうだ。科学と宗教は関わりが深いからね、それだけなら問題なかった」

時の十字教が地動説を迫害したことはあまりにも有名だろう。科学の発展により、教義に矛盾が生まれたためである。

錬金術は科学の大元だという考え方もある。この研究によって、科学が大きな飛躍を遂げたといっても過言ではない。

このように、科学崇拝の恐ろしいところはなまじ正しいだけに、ほぼ全ての人間を洗脳できてしまうのだ。

「教えについては不明だけどね。ソレがどんなモノなのかは、今となっては探るだけ無駄だ」

「……どうしてだ?」

上終の疑問にステイルは、ルーンのカードをそこら辺にばら撒きながら淡々と答える。

「乗っ取られたのさ。正真正銘本物の魔術師―――いや、チューリッヒ学派の錬金術師にね」

死体を取り囲むように配置されたルーンが燃え上がる。飛び散った肉片も血液も跡形も無く焼き尽くしていく。

錬金術師。その単語を聞いた瞬間、上終の心臓が縮み上がった。

だが、彼の考えはステイルに否定される。

「主犯はパラケルススじゃない。そもそも、ヤツが本物のパラケルススかどうかは疑問が残る」

「?」

()()()()()()()()()()()()んだよ、1541年にね。死因は病死だとか暗殺だとか。……酒場での喧嘩なんて間抜けな説もあるわけだが」

19世紀にドイツの解剖学者によってパラケルススの死体が調べられた。その結果では頭部に外傷があったとされている。

しかし、のちの研究では外傷は病の症状ということになっているのだ。

死因不明。だがしかし、そんなことは偉人においてはよくあることだ。故に重要なのはそこではない。

パラケルススは死んでいる。

遺体が残っていたのが一番の証拠。上終が戦ったパラケルススは偽物である可能性が高い。

「まあ、この問題は置いておこうか。相手はパラケルススの末裔だから避けては通れないけどね」

「パラなんとかの話はわかんないけど、どうしてその魔術師は三沢塾を乗っ取ったんだよ?」

上条が本題に戻そうとする。

ステイルは彼の問いに素っ気なく首を縦に振って、言った。

「錬金術師の真の目的は三沢塾に監禁されていた『吸血殺し(ディープブラッド)』なんだ」

吸血殺し。

当然、上条と上終には意味の判らない単語だ。どちらの知識にもないソレは、見逃すには不吉すぎる響きを秘めていた。

「かねてから錬金術師は吸血殺しを目的にしていたんだけど、三沢塾に横取りされてしまった訳だ。今回の件にパラケルススが噛んでくる理由は、吸血殺しにあるだろうね」

困惑の表情を浮かべる二人。

ステイルは盛大にため息を吐き出した。

「錬金術師にとって……いや、言ってしまえば人類にとっての悲願なんだ。全生物の天敵となり得る上位者を殺すための能力……僕たちの間では『カインの末裔』なんて隠語が使われているけど」

まだ分からない。

カインという名前からして、上終にはかろうじて十字教に関係するモノであることは理解できた。

そして、ステイルは悪戯な笑みで言い放つ。

「吸血鬼。古典からマンガまで引っ張りダコにされてる生物のことさ」

信じられない。

イギリスでは吸血鬼を信じている人間がいるそうだが、この学園都市にいる限り信じることなんてできない。

上条には『やたら弱点が多いクセに強い存在として描かれる空想物』―――それくらいの認識しかできなかった。

「本気で言ってるのか……?」

「まあね。冗談で言えるなら幸せだった」

魔術師の言葉は真実味を帯びている。

それに気圧されそうになるが、彼の言い分には欠点があった。

「じゃあ、どうして目撃者の一人もいないんだ? ネッシーとかチュパカブラみたいな安い存在じゃないんだろ」

「簡単なことさ」

紫煙が立ち昇る。

その光景が彼らにはどうしようもなく不吉なモノに見えた。

「―――見た者は死ぬからだ」

そこからはステイルの独壇場。

彼が言うには吸血鬼の存在を証明できないのに、吸血殺しがそれを証明してしまったことが問題なのだと言う。

何もかもが分からない相手には手を出せない。けれど、未知のモノには人智を超えた可能性がある。

生命の樹(セフィロト)』。

神様、天使、人間の魂の位階を記したこれには、人間の限界が明確に示されている。人間には天使や神様と同じレベルに上がることはできないのだ。

それでも上を目指した者がいた。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それが吸血鬼。

吸血鬼は不死身だ。たとえ心臓を抉りだしたって生き続ける。要するに、錬金術師は吸血鬼の力を借りるための手札として、吸血殺しを持っておきたいのだ。

「吸血殺しは元々京都の山村に住んでいたらしいけど、村はある日全滅したそうだ。駆け付けた人間が見たのは立ち尽くす一人の少女と、吹きすさぶ白い灰だけだったそうだ」

吸血鬼は死ぬと灰になる。

不死身の吸血鬼を問答無用で滅する力―――吸血殺し。確かに、吸血鬼と接触するなら最強の切り札になるだろう。

「で、結局お前は何が言いたいんだよ? 話が長すぎるぞ」

「そうだね。さっさと用事を済ませてしまおうか」

うんうん、と上条は同意する。

 

 

「簡単に頷かないで欲しいね。君たちだって一緒に来るんだから」

 

 

「………はあ!?」

「話が急転直下すぎるだろう!?」

ぎゃーぎゃーと騒ぐ上条と上終の目の前を炎の剣が横切っていく。

「言っておくけど、君たちは僕に従うだけの理由がある。上終はイギリス清教と明け色の陽射しが結んだ協定が、上条はインデックスがね」

背筋に氷柱が突き込まれた気分だった。

イギリス清教の仕事に全面的に協力する。それがイギリス清教と明け色の陽射しの間に結ばれた協定だ。

「特に上条 当麻。君の役目はインデックスの暴走を止めることだ。教会の意にそぐわないのなら、君を信用することはできない」

瞬間。

上条の頭が沸騰した。

「……テメェ、本気で言ってやがんのか、それ? あの時一緒に戦ったのはウソだったってのかよ」

冷たく言い切る。

切り返しによっては殴るつもりで、強く強く拳を握り締めた。これを見て、ステイルは鼻を鳴らした。

「ふん。小競り合いは錬金術師を倒してからにしよう。それと、吸血殺しの本名は姫神 秋沙だ。インデックスが気を失っているのは好都合。こちらとしても護りやすい」

タバコを床に落とし、踏み付けて火を消す。

「彼女を寮に置いてから攻め込むぞ」

 

 

敵の名前は『アウレオルス=イザード』というらしい。

ローマ正教の人間で、ステイルは顔見知りなのだという。アウレオルスは隠秘記録官という特例中の特例な地位に着いていた。

簡単にいってしまえば、対魔術師用の魔道書を書くことを生業とした人間なのだとか。

そのため、知識はあるが実力は警戒するまでもない。ステイルの基準ではそうだが、上終には強敵として姿を現すだろう。

インデックスは上条の学生寮で絶賛気絶中だ。ステイルが『魔女狩りの王』の術式を仕込んだため、並の魔術師ではなす術もない。

「見えたぞ」

上条が告げる。

夕暮れに照らされたビルは、錬金術師の居城には見えないほどに普通だ。

三沢塾支部校は四棟のビルを、漢字の『田』を描くように空中の渡り廊下が繋いでいる。

権利関係が気になる構造だが、やはり出入りする生徒を見てもおかしな所はない。

「とりあえず最初の目的地は南棟な五階。食堂脇の隠し部屋だね」

「ステイル」

「なんだい?」

上終の呼び掛けに応える。

彼は何とも言えない表情をして、呟くように言った。

「どうして明け色の陽射しじゃなくて俺を連れてきたんだ?」

「あからさまな戦力を用意すると逃げられるだろう? その点、君は弱くてパラケルススのエサになる上に右手も有用だ。」

そんなことだろうと思っていた。思っていたが、上終は現実を突きつけられたような気がして落ち込む。

肩を落とす彼を見て、上条とステイルはぼんやりと思った。

()()

どこからどう見ても同年代だというのに、挙動のひとつひとつに幼さが残っている。

「おい、ステイル。いまいちアイツのキャラが掴めないぞ」

「残念ながら僕も同じだ。変人の類は相手するだけ無駄だね」

ひそひそと話し合う。

上終は首を傾げて二人を見ているだけだ。

「とまあ、ふざけるのもここまでにして、そろそろ突入しようか」

「……大丈夫なのか?」

「大丈夫なわけがないだろう?」

当たり前のように返される。

ステイルは多少苛ついた様子で、間髪入れずに話を続けた。

「あのビルに充満しているアウレオルスの魔力を赤絵の具一色の絵画としよう。それに僕の青色の魔力を塗り付けたら誰の目にも明白だ。つまりは、僕たちの居場所は筒抜けってことだね」

「よし、お前は来るな。俺たちだけで片付けてくる」

早とちる上条。

相手に居場所が筒抜けになる、いわば発信機のような存在を連れていけるはずかない。

そんな考えを否定するのはステイルだ。

「けれど、君たちはもっと特別だ。幻想殺し(イマジンブレイカー)は絵の具をごっそり拭き取っていく魔法の消しゴム。天地繋ぎは色の濃さを均等にしてガチガチに固めてしまう乾燥剤だよ」

「………俺たちは生きる発信機ということか?」

容易く頷かれる。

もしやこの男、最初から囮にするために協力を持ちかけてきたのではないだろうか。

そもそも、何も考えずにここまで来たという可能性すらある。

「行くよ」

ステイルは小さく言った。

 

 

この事件に関わっている錬金術師はアウレオルス=イザードとパラケルススだけ。……ではない。

アレイスター=クロウリー。

学園都市統括理事長である彼の介入。本来なら存在しなかったはずの愚者の黄金を打ち倒すため、学園都市の闇に潜んでいた『人間』は重い腰を上げた。

全ては上終 神理を殺し、『世界を安定化させる力』を元の場所に送り返すために。

上終に肩入れしている存在がある。

アレイスターにはそれが何であるのか理解できており、奥に潜む組織の存在も掴んでいた。

………魔神。ケテルのような下級のソレとは違う、隔絶された世界に辿り着いた真の魔神。背後にいるのはヤツらだ。

『人間』の心に黒いモノが生まれる。

(上終……いや、明け色の陽射しには『計画』を狂わされた。許容範囲内ではあるが……)

先のインデックスを巡った騒動において、最もイレギュラーだったのは明け色の陽射しだ。

それを引き連れてきた上終こそが、アレイスターの『計画』を頓挫させかねない可能性。無論、それは上終自身の力ではない。

(『神の理』。果たしてパラケルススで通用するか)

言うなれば、三沢塾で起きる戦いは代理戦争だ。

アレイスターが糸を引くパラケルススと、真の魔神たちが糸を引く上終 神理の戦い。

これが上条や上里なら、アレイスターの敗北は揺るがなかった。しかし、偽りのヒーローならば。

(殺せる)

殺意の矛先は上終に。

底すら無い人間の悪意が彼を襲う。

 




ようやく戦闘を書けそうです。
あくまでメインは上条さん&アウレオルス。
次回もお会いしましょう!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

本物と偽物、偽物と偽物

遅れてすいません。
原因は内容に詰まっていました。次回からは全力疾走でいけると思います。


自動ドアをくぐり抜けた先。

三沢塾のロビーは外見と相変わらず、普通と表現するのが適当な造りをしていた。ただ、日光を取り入れるためかガラスが多く使われている。

奥には四基のエレベーター。その一番左隣には非常階段が備わっていた。見た目からして、あまり使用されている様子ではない。

これだけならば、本当に平凡なビルだった。

二基目と三基目のエレベーターの壁に、赤黒いペンキが乱雑に塗りたくられている。塗装しようという意思など微塵も見られず、子供のイタズラのようにペンキを撒いただけだ。

「血の跡……?」

上終は思わず呟いていた。

外見も内装も平凡なことから呆気に取られていたが、ここは魔術師が巣食う死地。何があっても不思議ではない。

赤いペンキにしては何か不気味すぎる。

近づいてみれば、それはより顕著だ。始めに血生臭さが嗅覚を刺激し、塗料とはかけ離れた凝固をした赤黒いモノ。

彼の呟いた内容は推論にすぎなかった。否、認めたくなかった事実だ。

これにステイルはあっさりと頷く。

「そうだね。死体は処理して血の跡だけ残す……いかにもな手口だ」

苦虫を噛み潰したような表情。

血痕は誰の目から見ても明白なほどに大きく広がり、致死量を越えていた。

これを仕掛けたのはアウレオルスかパラケルススか。恐らくは後者だろうと上終は考える。

明確な根拠は無い。だが、精神の奥に潜む――夢の中で何度も邂逅したあの声が、そう言っている気がした。

「………っ」

気味が悪い、と上条は辺りを見回す。

ロビーには三沢塾の生徒が行き交っている。彼らは試験の点数だったり、世間話だったりの日常を過ごしている。

しかし、上条ら三人の前にあるのは異常。血痕を無いモノとしている彼らに、どうしようもない奇妙な感覚を覚えた。

床に壁に大きく広がった血溜まりの上を、女子生徒が歩いていく。彼女の靴が赤く濡れる様を想像していた上条は、驚いて目を見開く。

まるで浮いているかのように、一滴の血も付けずエレベーターに乗り込む女子生徒。

この状況を理解できているのは、やはり魔術師であるステイルだけだ。彼は顎に手を当てながら言う。

「モノは試しだ。上条 当麻、壁を君の右手で殴ってみろ。もしかしたら、それで解決するかもしれない」

「? おう」

言われるがままに壁の前に立つ。

勢いをつけるように数回右肩を回して、加減ナシの拳を思い切り叩きつける!!

「…………」

痛い。

当然といえば当然だった。

中国にあるようなインチキ拳法でもない限り、堅い壁を殴ってダメージを受けない人間なんていないのだ。

上条はくぐもった叫び声をあげながら、右手を押さえてうずくまる。

彼の不幸体質がなければ、犠牲になっていたのは自分になっていたかもしれない。上終は戦慄しつつ、上条の惨状を見守っていた。

「やっぱりか」

表情に喜色、口調に愉悦を含ませたステイル。彼は確かめるように再度頷く。

「これはそういう結界だ。喩えるのならコインの表と裏。『コインの表』の住人である生徒たちは『コインの裏』である魔術師に気付くことができない。そして、僕たち外敵は生徒たちに一切干渉することができない」

「それなら、どうして『幻想殺し』で無効化できなかったんだ?」

この建物自体が『コインの表』だとしても、それは結界の効果によるモノ。

神様の奇跡でさえも打ち消してしまう上条の右手であれば、触れた瞬間に無効化されるはずだ。

「簡単さ。魔術の『核』を潰さない限り、この結界を打ち破ることはできない。そんな経験はなかったかい?」

上条は少し考えて、結論に辿り着く。

神裂を操っていた杭の魔術。アレは本体の杭を壊さなければ、彼女にかかっていた魔術は解除できなかった。

「お前、分かってて言いやがったな」

「さあ? 少なくとも、君の犠牲のおかげで確信したのは確かだよ」

食ってかかろうとしたところで、上条は違和感に気づいた。一つや二つじゃない、無数の目に見られているような緊張感。

三人は恐る恐る振り返る。

「……すまない。確認していいか」

上終は震えた声を絞り出す。

上条とステイルも察しているのだろう。二人はいかにも聞きたくなさそうな表情だ。

「『コインの裏』の俺たちは生徒に干渉できない。しかし、生徒からは俺たちに干渉できる。もし彼らと激突したら……」

「ダメージを負うのは僕たちだけ。相手はノーダメージ。のしかかられでもしたら、生卵みたいに潰されるだろうね」

三人の眼前には虚ろな目をした生徒たちが、壁のように立ちはだかっていた。

ただし、こちらからは絶対に傷つけられず、全速力で追いかけてくる攻性防壁。視界を人間が埋め尽くす光景に、上終はペンザンスでの一件を思い出す。

パラケルススの腐れた性格のことだ、これはあの時の再現に違いない。

「どうする! このままじゃ殺されるのを待つだけだぞ!」

上条が拳を構え直して叫ぶ。

彼の言うとおり、生徒たちの動き出しを待っていては死を望むことと同義だ。

絶体絶命。

万事休す。

上終の右手から冷や汗が滲み出す。同時に、脳の奥深くから声が響いてくる幻聴を聞いた。

〝右手を使え、私の神理。『世界を安定化させる力』ならば干渉できるはずだ〟

天地繋ぎ(ヘヴンズティアー)

右手に宿るその力を改めて意識する。

「………!!」

完全に理解できたわけではない。むしろ、何も知り得ていないと表現するべきの不可思議な力。

『声』は夢の中で聞いたのと変わらない、母親のような優しい調子だった。

このままでは打開策が無いのも事実。覚悟を決めて右手に力を込める。

「行こう。『幻想殺し(イマジンブレイカー)』も俺の『天地繋ぎ』も試す価値はあるだろう」

「言い出してくれて助かる。この事案に関しては僕は役立たずだからね」

次の瞬間。

コインの表と裏と交錯した。

 

 

『グレゴリオの聖歌隊』。

ローマ正教の最終兵器。3333人の修道士を聖堂に集め、聖呪を捧げることで魔術の威力を激増する大魔術である。

三沢塾にいる人間は講師、用務員、生徒含めて2000人に達する。完全な『グレゴリオの聖歌隊』を再現するには至らないが、それでも十分すぎる人数だ。

これを止めるには2000人もの人間を操る『核』を破壊しなければならない。

上条ら三人を追いかけている生徒たちは、『グレゴリオの聖歌隊』術式を組み上げるための人員。

 

 

 

 

ではなかった。

 

 

 

 

彼らは『コインの表』の属性を持っただけの人形だ。その役目は外敵をしかるべき場所に誘導するためのダミーにすぎない。

「終わったぞ」

ごどん、と重苦しい鉄の重低音。

細身の身体を高価な純白のスーツに包んだ、緑色の髪の男は言った。

アウレオルス=イザード。今回の元凶であるこの錬金術師は、純白のスーツにこびりついた返り血を指でなぞる。

するとどういう訳か、クリーニングに出した後のように血のシミが消え去っていた。

「うわ。四肢だけ黄金に変えるなんて器用なコトするじゃないか。生かしたまま連れて来いって言ったのはボクだけどさ」

床に横たわる金属の塊。

ソレは人間だった。厳めしい鎧を着込んだ騎士。だが、彼の両手両足は失われており、断面からは純金と血が混ざった液体が流れだしている。

目を覆いたくなるような重傷も、白いローブの少年――パラケルススが緋色の光を当てることで瞬時に塞がった。

一連の過程をつまらなそうに眺めていたアウレオルスは、思い出したかのように告げる。

「……忽然。『吸血殺し(ディープブラッド)』が逃走したようだ」

「ああ、大丈夫だよ。どうせすぐ見つかるさ。だけど、もう用なしじゃないかい?」

興味なさげに答えるパラケルスス。

彼の視線は騎士に注がれており、アゾット剣で何らかの改造作業を施していた。

「何を言っている? 『吸血殺し』こそが我らの目的だろう」

「………そう」

底無しに冷ややかな視線を向ける。

アウレオルスはそれに気づいていない様子で、不機嫌そうにパラケルススの作業を俯瞰していた。

そんな彼を見て、白衣の錬金術師は小さく舌打ちする。

(所詮、偽物か。入力された情報以外は理解できない。本物の思想とも齟齬が出てしまう……そろそろ潮時だな)

アウレオルスから視線を外す。

背後に目を向ければ、無数の生首が弛緩した表情で荘厳ながらも禍々しい歌を叫びあげていた。

その数まさに3333。

それら頭部は石膏で塗り固めたような外見をしており、白濁としたおぞましい白一色で覆われている。

偽・聖歌隊(グレゴリオ=レプリカ)』―――三沢塾に存在する隠し部屋の一つを完全な密室と化し、そこに人員を詰め込んだ。

『コインの裏』の外敵には触れず壊せず発見できない無敵の要塞。無数の生首が紡ぐのはアウレオルスの最終目的である大いなる術(アルス=マグナ)

同じ錬金術師であるパラケルススには、大いなる術への興味はあった。が、彼は元々不老不死を目指し、到達した人物だ。

(パラケルススの末裔が『黄金練成』に辿り着く――か。時代がもう少し早ければあの人は……)

しかし、もう遅い。

時は流れた。

パラケルススは死んだ。

ここにいるのは道を違えた一人の錬金術師。

「配置につくよ。君は『吸血殺し』を追跡していろ」

 

 

結果的には大成功だった。

上終の右手は通用し、動きを止めることができた。それでも出力が足りなかったのか、完全に停止させることは叶わなかったが。

それで状況を打開できるほど、アウレオルスとパラケルススは易い敵ではない。

突破してくることは想定内。

むしろ彼らにとっては好都合な展開といえた。目的は2000人による圧殺ではなく、上条たちひとりひとりを分散させること。

「う、おおおおおっ!!?」

階段を飛び降りる。

頭だけは庇うようにして、不格好に転がりながら衝撃を受け流した。

荒く息を吐く。上条は特異な右手と不幸体質を除けば、他は何の変哲もないただの男子高校生だ。

どんなことをしても、平均値かそれ以下しか叩き出せないような凡人。そんな彼が全速力で追跡してくる群体を振り切れる道理はなかった。

即座に立ち上がり、適当に前方を見やる。

「――くそっ!!」

飛び込んできた景色は、相変わらず視界を埋め尽くすような人々。迫り来る絶望に上条は砕けんばかりに奥歯を噛み締めた。

せめてもの抵抗に右手を振り回す。当然、何ら効果はない。彼の生への執着がそうさせたのだ。

だから、こんな展開だってどこかの誰かには想定内だったのだろう。

拳を振り回した隙に体当りを受ける。これを行ったのは争いとは無関係そうな少女だというのに、上条の身体は軽々と吹き飛ばされる。

その時、無数の足音が響いた。

それは上条に送る死への葬送曲。数秒後には彼は中身が飛び出たぬいぐるみみたいに奇怪な死体と化す。

確定した未来。

変えるのは一人の少女だ。

上条が目蓋を閉じようとした瞬間、彼の目の前に巫女服を着た黒髪の少女が躍り出る。

彼女は上条を護るように立ちはだかっていた。

名も知らない少年を救うため、迷いなく飛び出したその選択は未来を覆す。

「『姫神 秋沙』……?」

思わず口に出していた。

彼の胸の奥を満たしたのは死を免れた安心感ではなく、命を救われた感謝と少女の生存を確認できた安堵。

生きていた。上条は彼女の見た目を模しただけの人形の死に様に立ち会った。名前以外に何も知らない少女でも、生きているという事実が彼を安堵させる。

「大丈夫?」

『吸血殺し』の少女はキョトンとした表情で問う。

周囲では陸上競技並の運動をしていた生徒たちが、処理落ちを起こしたパソコンのように固まっていた。

緊張の糸が切れる。戦場に対応していた身体の強張りが解けて、疲労が重くのしかかってくる。

『コインの表と裏』。この建物自体はコインの表に属するため、床を踏んだ衝撃は丸ごと足に返ってくるのだ。

万全とはいえない体調だが、上条は少女に無駄な心配をさせないようにウソをつく。

「ああ、大丈夫だよ」

「――歴然。無理をするな、外敵」

直後のことだった。

ドパン!!と粘ついた音が耳をつんざき、上条と姫神以外の()()()()()()()()()()()()()()()()()

全てを焼く純金の雨。傘も持たずに佇むその男は、ただただ静かに微笑んでいた。

右腕のスーツの袖から垂れ下がった黄金の鎖が、メジャーを巻くような音と一緒に巻き戻されていく。

「我が『瞬間錬金(リメン=マグナ)』は万物を純金へと変換する。必然、貴様は死ぬ運命にある」

「……っ」

手を支えにして立ち上がる。

錬金術師は意に介さない。道端の草が揺らいだだけ。アウレオルスにとって、上条の反抗の意思はその程度だった。

「遺言だけは聴いてやろう。如何に取るに足らぬ存在であっ」

「ふざけんじゃねえぞ、テメェ!!」

少年から発せられた怒号。

これを受けた時、アウレオルスは無意識に一歩引いていた。目の前の男は障害にすらならないというのに!!

………故に、言葉はいらなかった。

錬金術師と幻想殺しは敵を見据え、ほとんど同時に動き出す。

 

 

『天地繋ぎ』の右手で止めたモノは、三メートルの範囲から逃れると停止は無効化される。

加えて『コインの表と裏』の術式により、右手の効果も薄れていた。二万人のゾンビを切り抜けた上終だが、動作の速さと地形からしてあの経験は通用しない。

脳の奥深くから響いてくる声も、途中で右手を使うことから走って逃げることを命令してきていた。

上終も全面的に賛成し、『声』が指示する道を辿って逃げ回る。

「……どっちだ!?」

T字の道に差し掛かり、『声』に向けて問う。正体は見当も付かないが、それには包み込むような暖かさがあった。

それにしても、唐突に話し掛けてきたソレを受け入れていることは奇妙だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

〝右だ。それと疲れてないか? 身体に支障はないな? まだ走れるか?〟

……少し心配性なのが気になる。

生返事で対応すると、できる限りスピードを落とさずに曲がりきる。すると、またもや長い廊下が奥まで伸びていた。

右側は一面ガラス張りになっている。

街の夜景に目を向ける暇はない。

なぜならそこには。

仇敵であり怨敵、パラケルススがいたからだ。

ちょうど廊下の端と端で向かい合うように会敵した二人に、一瞬の逡巡も無かった。

倒すべき相手を見定め、上終は右の拳をパラケルススはアゾット剣を握り締める。

「『四大元素の剣(Four elementals sword)』」

先に動いたのはパラケルスス。

構えたアゾット剣を四大元素の精霊が螺旋を描きながら飛び回り、虹色の長大な刀身を編み上げる。

それこそは絶対干渉の剣。

世界を構成する物質への『斬られろ』という絶対干渉を施すことで、この剣は絶対切断を可能とするのだ。

ドオッ!!!と虹色の魔力を撒き散らしながら、上終の頭上に刀身が振り落とされる。

握り締めた右の拳をアッパーの如く大きく振り上げた。

「ぐっああああっ!!?」

拳と剣の激突。受け止めた右の手首から、ワイヤーをノコギリで引くような不快な音が連続して鳴る。

右手首に鈍痛が迸り、せめぎ合う間すらなく『天地繋ぎ』が押し返され始めていた。

右手首に発生している痛みも拙い。破壊されるのは時間の問題――受け止めたまま刀身の腹に回り込み、かろうじて回避する。

『声』が心配して言葉を投げかけてくるが、上終に対応している時間は無い。

青色の精霊が腕ほどの大きさの氷柱を四つ創り出す。間髪入れずに放たれたそれらは、まさしく砲弾のような威力を秘めていた。

止まれば好き勝手にされ、戻れば追撃を受けるだけ。活路は左右にも存在しないのなら、前へ進むことこそが最善手。

短く息を吐いて床を蹴りだす。

向かってくる氷弾はしかし、ことごとくを躱されて傷をつけるには至らない。直線的な射撃なら、上終の戦闘論理にしっかりと対応が書き込まれている。

さらに距離を詰めるため脚に力を込めた。

次の瞬間。

ボンッ!!という爆発音を引き連れて、上終の背中にとてつもない衝撃が襲い掛かる。

「がっっ…!!?」

叫ぶことすらできない。

さながらトラックに轢かれたような膨大な衝撃は、彼をノーバウンドで十数メートルは弾き飛ばした。

正体不明の爆発。それには身を焼き焦がす爆炎はなく、熱と衝撃だけが『爆発』と形容するに等しい。

原因は氷の水蒸気への昇華。固体を加熱することで分子の熱運動を促進させ、一気に気体へと状態変化させる。

それによって起きるのは急激な体積の上昇だ。

一般的に冷蔵庫の製氷皿から取り出した氷一個程度でも、人間を吹き飛ばすには十分だとされている。

パラケルススが上終への攻撃に使ったのは腕の太さほどの氷柱。それを四つとなれば、こうなることは必然だろう。

問題はどうやって加熱をしたのか。

答えはパラケルススが使役する四大精霊の一角、『火』を司るサラマンダーによる局所的な温度操作。

直接温度操作で攻撃しなかったのは、上終の精神に『正体不明原因不明の攻撃を受けた』という影響を残すためだ。

一瞬にしてボロ雑巾のように転がされた彼を追撃すべく、サラマンダーが矮躯に似合わない極大の炎を吐き散らす。

天井から床、壁までを埋め尽くす獄炎は、まさに炎の鉄壁と評するがふさわしい。

(……止める!!)

己を鼓舞して跳ね起き、軋んだ右手を眼前に迫り来る炎の壁に叩きつけた。

虹色の剣とは違い『天地繋ぎ』は十全に働いたようで、空間を呑み込む炎はその場に縫い止められる。

だが、それは成功であり失敗だ。

止めたはいいが、炎の壁はその場に留まってしまい先に進むことはできない。

かといって、あのまま止めていなければ上終は炎の海に呑み込まれて、灰すらも残らなかっただろう。

「『天地繋ぎ』の弱点その一だ、上終」

炎の壁を突き抜けて、パラケルススは横合いから接近していた。

条件反射の速度で殴りかかる。

拳が錬金術師の顔面に到達する直前、床の材質がピザの生地のように引き伸ばさていた。

拳と顔面の間に壁が生み出され、上終の拳撃は不発に終わる。

直後に壁から無数の針が飛び出して彼を襲う。

咄嗟に急所を庇うも、脇腹を杭ほどの針が貫いた。

最初に発生するのは痛みよりも熱。焼けるような感覚のあと、耐えがたい激痛が胴体を支配する。

「範囲攻撃に弱い。一番有用なのはやはり『壁』だったね」

壁の向こう側からパラケルススが、芝居がかった所作で登場した。

「加えてもうひとつ、右手首から先にしか力が宿っていないことだ。これは当然だね。『幻想殺し』だって同じさ」

愉しげに嗤う。

上終は彼の態度を笑い飛ばし、告げる。

「変わっていないな、パラケルスス」

「まあね。ボクをコケにした罪を贖わせてやるよ」

アゾット剣を振るう。

再び出現した虹色の剣の刺突を、上終はすんでのところで回避してひたすら間合いを詰める。

物質の昇華を利用した爆発は脅威だが、至近距離で発動すれば巻き添えは免れない。彼が選んだのはいつも通りの接近戦だった。

「『天地繋ぎ』の弱点その三」

横から振り回した右手は、腕の部分を掴まれることで防がれる。

取った行動は右手を引き戻そうとするのではなく、左拳を使った打撃。上終の予想に反して、拳はあっさりと突き刺さった。

だが、以前とは異なりダメージを受けた印象はない。それどころか、パラケルススは引き裂くような笑みを作り出す。

「――()()()()。不意打ちに弱い」

ぞわり、と上終の背筋に悪寒が走る。

何かが不味い。そんな思考に至る猶予すらも与えず、天井から突き出した矢が彼の右手の甲を貫く。

コンクリート製の矢はいとも容易く右手を貫通し、床に突き立った。天井には黄色い光を纏った小人が嘲笑っている。

右腕の先から送られてくる強烈な痛みに上終の身体は硬直し、貫通傷のある腹部へ爪先が食い込む。

魔術の身体強化を施したパラケルススの蹴撃はしたたかに患部を打ち据え、大きく吹き飛ばした。

横の壁に身体を叩きつけられ、彼方に飛びそうになる意識を強くたぐり寄せる。

次の行動に移るまでの一瞬。されど、この一瞬はパラケルススには欠伸が出るような緩やかな流れにすぎない。

四大元素の剣が七色の光跡を描く。

「……………!!!!」

()()()()()()

切り取られた肩の断面から、目を疑うほどの量の鮮血が噴水のように噴き出す。

どちゃ、と左腕が血の海に落ちた。

そう。

パラケルススが奪ったのは『天地繋ぎ』の宿る右腕ではなく、人間と何ら変わらないただの左腕である。

凶悪で獰猛な喜色の笑みを浮かべる錬金術師。この瞬間、彼は勝利を確信した。

(……どうだ、上終 神理の奥に潜むモノよ。下級とはいえ魔神を倒してみせたあの力――左腕でも出てくるか?)

それはありえない、と断言する。

完璧な四大元素の魔術を扱うパラケルススには、ケテルを打倒した『あの力』の正体に少なからず辿り着いていた。

だからこそ分かる。上終 神理の奥に潜むあの力は、右手の切断をトリガーとしてでしかこの世に現出できない。

床に落ち伏せる上終の頭を踏み付ける。

何度も何度も足をハンマーのように振り下ろし、その度に得もいえぬ快感が錬金術師の全身を駆け巡った。

「は、ははは、ははははははははははははははははははは!!! 弱い、弱すぎるんだよ上終ェ!! そんな右手で何が護れる!? この偽物の劣化模造品が……テメェの存在自体がイラつくんだよクソったれがァ!!」

パラケルススを裏から支援しているのは、この学園都市の支配者であるアレイスターだ。

彼らが手を結ぶに至った経緯は実に単純明快だった。

アレイスターは『計画』のため上終を殺さなければならず、パラケルススは己の信念を打ち砕いた上終を殺したい。

単純な利害の一致。それにあたって、アレイスターはパラケルススに二つの情報提供を行った。

一つはアウレオルス=イザードの存在とその目的。

これによりパラケルススはアウレオルスに取り入り、彼の計画の深層にまで潜り込んだ。

ヒーロー気取りの生粋の偽善者である上終なら、確実に三沢塾の事件に介入するであろうことを予想して。

結果はこの通り。全てがパラケルススの思い通りに事が進み、三人の分断にも成功した。

……そして、二つ目。

『上終 神理と天地繋ぎ』。

その内容は彼の自己を破壊する。

上終にとっては最大の不幸となり、パラケルススにとっては最大の愉悦となる情報を語ることは勝利宣言に等しかった。

簡単には殺さない。

肉体の痛みなんて生温い。

与えるのなら世界最高の不幸。

存在意義の完全証明をここに実行する――!!!

「上終 神理。ボクはお前のすべてを否定する」

……世界のどこかで。

『人間』は嗤い。

『魔神』もまた、微笑(わら)っていた。

 




ようやく山場です。
上終くんは基本的に上条さんの役割は奪いませんが、その分死ぬまで(死んでも)頑張ってもらいます。
次回もまたお会いしましょう!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

薄氷の世界と砂上の英雄

上終くんが酷い目にあう話だと最高速で書けることがわかりました。


二人は同時に動き出していた。

絶叫じみた咆哮を轟かせ突撃する上条。

対するアウレオルスの動作は単純。ただ右の掌を上条に差し向け、一言を発する。

「『瞬間錬金(リメン=マグナ)』!!」

ゴォッ!!!と空間を引き裂く勢いで、袖の奥から黄金の鎖が射出された。

その先にはこれまた黄金の鏃があり、これを突き刺すことで万物を純金のマグマへ変換する魔術は発動する。

秒間に十発の射出を可能とする『瞬間錬金』は、恐るべき速度で上条の顔面に飛ぶ。

アウレオルスは口角を吊り上げた。

相手は普通の人間。この一撃を避けることすらできないであろう、と。

次の瞬間、彼はその愚考を撤回することとなる。

パキン、とガラスを落として割ったような音が、上条の額の直前で巻き起こった。

(な、に――!?)

一瞬にして思考が凍りつく。

己の誇りである『瞬間錬金』を、右手の一振りで瓦解させられた。

アウレオルスにしては初めての体験であり、信じられない光景がいまここに再現されたのである。

彼は硬直するでもなくただ高笑いする。

「唖然、どうなっているのだ貴様の右手は!? 面白いぞ、その右手だけは残しておいてやろう!!」

天使の力(テレズマ)で再構成した黄金の鏃を、もう一度上条へ向けて発射した。ただし、今回狙うのは彼の脚だ。

咄嗟に身を屈める時間も無い。

右手を伸ばすなんてことも間に合わない。

ただただ合理を突き詰めた錬金術師の一撃は、標的のサイドステップで楽々と回避される。

秒間十発の発射と巻き戻しを可能とする『瞬間錬金』を、普通の人間に避けられるはずもないというのに。

……アウレオルスの常識ではそうだった。

黄金の鏃の速度は脅威だ。

けれど、狙いを定める行為が遅いのなら何ら恐れることではない。

高性能な銃を与えられた無能な狙撃手は必ず失敗するように、知識だけを豊富に持つ彼には戦闘経験が足りなかった。

それ故にアウレオルスは追い詰められる。

特異な右手を持つだけの少年に、いとも容易く距離を詰められていく。

(……ならば!!)

ひゅん、と風切り音。

音源は黄金の鏃。これをアンテナとして周囲の純金のマグマを操り、上条の行く手を阻む弾幕を作り出す。

マシンガンの如き黄金の連射に、右手を合わせようはせず全力で横へ飛んだ。

雨あられのように降り注ぐ弾丸は重傷とまではいかずとも、上条に傷を負わせていた。

いける――アウレオルスは密かに確信。

上条はさらに速度を上げて接近している。だが、彼の前に立ちはだかるのは黄金のマグマ製の海である。

それがアウレオルスと上条を分かつ最後の砦となっていた。

少年は右の拳を黄金の海へと叩きつける。

黄金のマグマはあくまでも魔術によって創り上げられた物質。魔力が込められているのなら、上条の幻想殺しは最大の効力を発揮するだろう。

(当然、貴様がそうすることは予想済みだ。我が黄金はまだ使い切っていない!!)

必然。

アウレオルスは黄金の銃弾幕を形成することは未だ可能――!!

周囲に飛び散った純金のマグマを、右手の鏃へと集結させていく。

「テメェ、気づいてねぇのか」

上条が右手を掲げる。

そこを通過していこうとするのは、飛び散った灼熱の黄金。進行方向上に置かれた幻想殺しによって、黄金はことごとく打ち消されていった。

『瞬間錬金』による黄金の操作。これを防ぐことができたのは、またしてもアウレオルスの落ち度であり、性質が関わっている。

黄金を集める際、それは最短距離で鏃へと集結する。その鏃があるのは彼の右手だ。

それなら、軌道を読むことは容易い。

アウレオルスの右手付近に集まるという情報だけでも、黄金の飛沫の軌道は限られるのだ。

「断然、否!」

右手で読まれるのなら。

両手に『瞬間錬金』を創成する。

足を狙った際、上条が回避することができなのも同じ理屈だろう。

右手から一直線に放たれる鏃の軌道は『点』。そのため、対応することができたのだ。

だから両手それぞれで操る。

左腕に増えた重量を感じつつ、アウレオルスはフェイントとして『瞬間錬金』を撃ち出した。

上条が右手で打ち消した瞬間、左手の黄金の鏃を撃ち込んで勝利。錬金術師が導き出した方程式は実行されようとしている。

だがしかし。

あろうことか、上条は左手を突き出した。

触れるか触れないかの紙一重を掻い潜り、左手が黄金の鏃を繋ぐ鎖を万力のごとく掴み取る。

(……愕然。まさか見抜いたというのか)

ヒントはあった。

『瞬間錬金』は黄金の鏃を突き刺すことで一撃必殺を体現するが、一直線の射撃しかできない。

それを裏付けるのは今までの戦闘。

アウレオルスは黄金の鏃を振り回すことはしなかった。馬鹿の一つ覚えのように一直線の射撃だけを行っていた。

鏃を振り回せば『線』の軌道となり、それだけ攻撃範囲が広がるはずなのに。否、鎖の部分にも効力があれば確実にそうしていたはずだ。

これらの要因が両者の命運を分けた。

上条は鎖の部分に効力が無いことを見抜き、アウレオルスはそれまでに仕留めることができなかった。

「悄ぜ――」

グン!と鎖を引っ張られ、アウレオルスが上条へと引き寄せられる。

「――まずは一発。覚悟しとけ、錬金術師(アウレオルス)!!」

向かってくる錬金術師の顔面に対して、上条は岩のように固く握りしめた拳を大きく振り抜く。

喩えるのなら、それは全速力で突撃してくるスポーツカーに同じ車種の全速力で激突するようなモノだ。

ドボォ!!!と不快な音が鳴り響く。

アウレオルスの鼻は明らかにおかしい方向に折れ曲がり、唇の端から血が流れ出していた。

「ぐ、がァあああああああッ!!!」

幻想殺しと錬金術師。

決死のインファイトが開始する。

 

 

 

『世界』は二つの性質を持っている。

人間などという矮小な存在では、干渉することも願う事すらも許されない絶対不変の真理。まさしく神が創り出した理といえるだろう。

ひとつは『絶対干渉』。

奇跡の星である地球にしがみついている人類は、そこで起きる地震や洪水などの自然的現象を操ることはできない。

学園都市の科学なら叶うだろうが、それほどの技術力を持ってしても、宇宙の法則そのものを手中に収めることは不可能だ。

故に、人類は干渉され続けるしかない。何もかもが不明な宇宙の法則に従わされたまま、滅びの時を迎えるその日まで。

しかし、それはこの世に生きる生物の視点から見ればの話である。

世界からすれば人類なんてモノは小蝿にも満たない、己を構成する細胞の一つの要素にすぎない。

それこそ無限の数存在する多次元宇宙。その無限を全てひっくるめた最大単位こそが世界。

世界は自己完結している。

つまり『絶対非干渉』。

人類の視点から見た『絶対干渉』というのは、あくまでミクロな視点の話でしかないのだ。

したがって、全ての最大単位である世界――マクロな視点に移れば、ただそこに在り続ける世界は『絶対非干渉』であるといえる。

無限にある星の中でもさらに小さな地球という辺境の地の一地域。

そこで大洪水の被害を受けてあらゆる生物が死に絶えようとも、世界にとっては当然であり必然の結果だ。

だって、それが世界なのだから。

人間が何千人何万人何億人、果てには一掃されようとも、世界には在り続けた結果の事象。

『絶対干渉』と『絶対非干渉』。

世界はたった二つの真理だけで存在し続ける。

 

 

 

「上終 神理、ボクはお前のすべてを否定する」

パラケルススは宣言した。

ひどく暗い声音で発せられた言葉は、途切れかけた意識の底に何度も反響する。

抜け落ちていく生命を実感しながら、上終はぼんやりと錬金術師の話を聞いていた。

「記憶喪失……それは難儀だっただろうね。なにせ、自分が何を成そうとして生きてきたのか、自分がどんな信念を持って生きてきたのかすらもわからないんだから」

ああ、と上終は同意する。

ー―俺は俺のことが一切わからない。

前の『上終 神理』がどんな人間だったのか、誰とどう関わってこんなことになっているのか。

思えば、ここにいるのは奇跡だ。

傷つけられて傷つけられて、仲間たちに助けられて俺は生きている。

けれど、これを不幸だと思ったことはない。

この世界で手に入れることができた結果の全てに納得できる。俺なんかが傷つく程度で他人が救われるのなら本望だ。

「でも、本当に? 何かがおかしいと思わなかったのか? まず記憶喪失の分類は何だ? 心因、外傷、薬剤、症候……加えて、知識だけ残して記憶を失う? ボクだって医者の端くれさ。そんなボクから言わせてもらえば、お前は記憶喪失の患者全員を馬鹿にしている」

……そんなことを言われても、俺は現実としてこうなっている。

確かに、考えたことがないとは言えない。それも俺自身を知る第一歩なのだから、否定はできない。

「よって、ボクはある結論を出した」

〝ヤツの話は欺瞞だ。信じるな、私の神理……!!〟

『声』に返事する間もなかった。

パラケルススは言う。

 

 

 

「お前はホムンクルスだ。上終 神理」

 

 

 

上終の脳裏に浮かぶのは、天使の身体を与えられたホムンクルスと姫神の身体を与えられたホムンクルスの姿だ。

どちらも人とは似ても似つかない見た目をしていた。

彼らはどうしようもなく弱い存在。仮初の身体が無ければ生きていけず、ともすれば驚くほど簡単に死んでしまう。

「ホムンクルスは生まれながらにして、この世のあらゆる知識を内包する生物だ。そして、外法によって創り出された生命体でもある。……もう、わかるな?」

―――…………。

反論の余地が見つからない。

俺がそれを否定するには材料が少なく、肯定するには十分過ぎる事実が揃っている。

ロンドンの路地裏で目覚めたあの時、俺が産まれたとしたら?

記憶が無いのは当然だ。産まれてすぐに『今まで生きてきた記憶』なんてある訳がない。

それに俺はあの時から知識だけを持っていた。それも狙い澄ましたかのように、英語と日本語の知識があった。

ひとつだけ縋る可能性があるとすれば―――

「ここで問題が発生する。『上終 神理』というホムンクルスの製造者は誰なのか」

そうだ。

それがわからない限り、俺がホムンクルスであり人間ではないことの証明にはならない。

「ああ、そういえば。ボクの予想では二回、お前と接触した存在があったよなぁ? 一回目はケセドとの戦い。二回目はケテルとの戦いだ。違うか?」

〝……違う!〟

その反応で十分だ。ケセド、ケテルとの戦いで出会った存在なんて、あの二人以外にいない。

ミイラとネフテュス。

なぜパラケルススがそのことを知っているかなんてことは興味ない。重要なのは、俺がこの耳で確かに聴いていたネフテュスの一言。

――……こんなモノかしらね。あの男は『魔神』を過小評価しすぎなのよ――。

魔神。

あの絶対的な存在を、ネフテュスは『こんなモノ』と評していた。俺にはもう察しがつく。

俺を。

上終 神理を創り出したのは。

「この世界の深奥に潜む真の魔神……ってところかな? いやはやまったく、お前はどれだけ人の力を借りれば気が済むんだい?」

認めよう。

俺は人間じゃない。

………だが、それは。

「それは、俺を否定する理由にはならない……!!」

右手を支えにして、上終はゆっくりとだが力強く立ち上がる。

少し動くだけで左肩からおびただしい鮮血が溢れ出し、その度に近づく死の感覚が全身を駆け巡った。

上終 神理はホムンクルスなのだろう。

魔神たちに造られた人工生命体。

だから何だ。

それがどうした。

上終が魔神たちに抱く感情は、レイヴィニアに抱くそれと全く同じだ。

魔神は何らかの理由で自分を創り出したのだろうが、恨む気なんて一片も無い。

なぜなら、彼らがいなくてはこの世界でアナスタシアを、ペンザンスの人々を、インデックスを救う手助けもできなかったから。

だから、好きになることはあっても嫌いになることはない。

「……俺は本来ここにはいなかった存在なのだろう? あの魔神たちはそんな俺に『人生』を歩ませてくれている。たとえ最後に使い捨てられようが、俺はそれでも構わない」

「まあ、わかってたさ。そう答えるくらいはね。筋金入りどころか、合金でも入っているくらいの偽善者のお前のことだ」

くぐもった笑い声を響かせるパラケルスス。

周囲では四大元素の精霊たちが釣られるように甲高い声をあげて、四色の光の乱舞を作り上げた。

その声はどこか不吉な凶兆を露わにしていて、身を凍えさせる響きを含んでいる。

彼はひとしきり笑うと、

「矛盾してんだよ、クソ野郎」

ドゴォッ!!!とすさまじい轟音が三沢塾を席巻した。『風』を司る精霊(シルフ)の一撃に、上終の身体がスーパーボールのように壁に叩きつけられる。

背中の皮膚が裂け、肩から血が飛び出す。

重力に従って落下しようとしていた彼の肉体に突き刺さるのは、パラケルススが投げたアゾット剣だ。

紅い光を纏った短剣は鳩尾を貫通して、上終は昆虫標本のように壁に縫い付けられる。

「死なない程度に治し続けてやるよ。お前にはまだまだ話し足りないからな」

何よりも冷たい声で言った。

アゾット剣に仕込まれた賢者の石が、絶え間なく上終の血液を継ぎ足し、死の淵での生還を余儀なくされる。

意識を手放そうとはしない。

火がついた。パラケルススがすべてを否定するというのなら、上終はそれを否定してやる。

「お前の言うとおり、『上終 神理』は本来この世界には不要な存在だった。……人の関わりってのはな、たった一人の出現でも変わってしまう。いや、世界にとってのイレギュラーは本来の世界をガラリと変転させる」

世界とはただそれだけで完結する『絶対非干渉』だ。

上終という存在は産まれてくるはずではなく、世界の外側に位置する魔神によって送り込まれた。

そう、世界の『絶対非干渉』が崩壊する。

絶対非干渉の流れをふさぎ、上終 神理の出現によって本来とは異なった世界の流れが紡がれていく。

「……!!」

背骨に氷水を流された気分だった。

上終は気づいてしまう。

どうしようもなく。

どうしようもなく。

どうしようもなく。

不幸で最低最悪の可能性に。

「ま、さか」

信じようとしない。

信じたくない。

信じない。

けれど。

だけど。

ソレを肯定することは自己を殺すこと。

ソレを否定することは彼らを捨てること。

レイヴィニア=バードウェイ。

マーク=スペース。

アナスタシア=フランキッティ。

ステイル=マグヌス。

神裂 火織。

インデックス。

姫神 秋沙。

明け色の陽射しの仲間。

ペンザンスの人々。

……ケセド=フロイデンベルク。

彼女らの身に降り注いだのは不幸。

もしも、もしもその()()()()()()()()()()()()()()()()()()()―――?

 

 

 

 

「上終、お前のせいで世界は歪んだぞ」

 

 

 

 

本来はいなかったはずの存在。

絶対非干渉への干渉。

崩れ去った世界の均衡。

上終 神理は人間を救った?

上終 神理は他人の為に戦った?

上終 神理は笑顔を見る為に傷つけた?

〝―――ヤツの言葉は嘘だ!!〟

聞こえない。

必死に語りかける『声』の言葉は届かない。

それほどまでに、上終が犯した罪は大きい。

「……もし、俺がいなければ…………………」

レイヴィニアとアナスタシアは引き裂かれることなく、一緒に暮らしていたかもしれない。

アナスタシアの母親も殺されず、ケテルは人のために奉じる魔術師になっていたかもしれない。

ペンザンスの人々はゾンビに変貌せず、幸せな日常を普通に生活していたかもしれない。

パラケルススは道を間違えず、歴史に残っているような万病を治す魔法の医者だったのかもしれない。

インデックスは記憶を失うことなく、ステイルと神裂と幸せに生きていたのかもしれない。

そんな幸せな世界を壊したのは。

「お前は最悪な存在だよ。自分が引き起こした悲劇を自分で解決して、他人の賞賛を得る? お前がいなければ全て平和な世界が創られていたのかもしれないのに」

上終の行いは全てが偽り。

砂場でつくった魔王の城を自分の手で蹴り崩し、英雄だと名乗るほどの愚行であり欺瞞であり虚構。

否、それだけではない。

彼は結果、関わってきたあらゆる人間から善意を受けた。その善意は偽りのヒーロー気取りに仕組まれた罠であるのに、それに引っ張られた。

全部、上終がいたからこそ。

悲劇は誰の手でもなく、彼の手で創り上げられたのだ。

アゾット剣が引き抜かれる。

立つ気力も生きる気力もない。

抜け殻のようにその場にへたり込む上終を一瞥して、パラケルススは後ろを振り返った。

そこに広がるのは一面の夜景だ。傍目では美しいソレも、上終の存在によって歪められた偽りの景色にすぎない。

虹色の魔力がアゾット剣を覆い、それを真横に振り抜けばガラス張りの壁が取り払われる。

絶対干渉の剣。『四大元素の楯』は反対の絶対非干渉の楯だった。それだけで完結する故、何も入り込む隙間がない絶対防御。

この二つの剣と楯があったからこそ、パラケルススは上終の奥に潜むモノを少なからず理解することができた。

しかし、それももう無駄だ。

「選べよ。生きて世界を歪め続けるか、死んで世界に償うか」

笑いを堪えるのに必死だった。

これこそがパラケルススの選んだ最高のエンディング。上終は自己を否定し、世界への償いとして無意味な死を選ぶ。

幽鬼のような足取りで進む上終。

瞳は虚ろで表情は蒼白。

彼は床の縁で立ち止まり、言った。

「パラケルスス……すまない」

迷いは無い。

上終は床を蹴って空中に見を投げ出した。

その苦悩すら、偽りだというのに。

 

 

心地良い風が身体を冷やす。

重力と体重の二つの要因で上終の身体は加速されていき、十数秒後には地面に激突して中身をばら撒くだろう。

その十数秒は短いようで長かった。

極限まで圧縮された思考は実に無意味に脳を過ぎ去っていく。

そんな時間が彼にはもどかしい。

眼下に広がる地面が近づいてくる度に上終の笑みは深まっていき、訪れる結末への期待感が高まった。

〝神理……まだ、まだやり直せる。あんなヤツの言葉に惑わされるのか!? 与えた影響は良いことだって含まれている!〟

――そうかもしれない。

だが、そんなのは微々たるモノだろう? 俺は取り返しのつかないことをしたんだ。この結末は当然だ。

その理論に縋るには、犯した罪はあまりにも大きすぎる。全員を不幸にして、偽りの善意を―――彼らの心を都合の良いように歪めてしまった。

俺は死ぬべきだ。

せめて、この瞬間からはより良い世界にするために、彼らに償うしかない。

〝違う……違う違う違う違う!!! そもそも、どうしてアイツに神理を罵られなければいけないんだ!? ふざけるなぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!〟

『声』のこの慟哭すらも偽りなのだろう。途端に彼女への申し訳無さが溢れ出してくる。

(そういえば……やり残したことがあったな)

魔神たちへ感謝の言葉を伝えていない。

今までの経験からして、右手を切り離すか潰すかしてしまえばあの場所に行けるだろう。

それをしようにも方法が無い。左腕も失っているのだから、右手を切り離すことはできなかった。

(……いや)

天地繋ぎ(ヘヴンズティアー)』。

あらゆるモノを止めてきた右手だが、『空気』を止めようとしたことはなかった。

おそらく、知覚できないモノは止められない仕組みだろう。それでも、やりようはある。

空気なら今、全身で知覚しているではないか。身体を冷やし服をはためかせるコレこそが『空気』だ。

右手を伸ばす。

風を切るという感触。

これを止める――!!

直後。

多大なエネルギーが加わったことで上終の右腕が引き千切れ、血の雨を降らせた。

 

 

「さて、困らせてくれたのぉ。上終」

「ああ、すまない。これだけは伝えたかったんだ」

訪れたのはどこまでも白い世界。

再び出会った豪奢な服を纏った枯れ枝のような魔神は、愉しそうに笑んでいた。

「いやはや、まさか自殺とは。随分と達観した精神を持つようになったではないか。儂も実は自殺したクチで――」

「妖精、まずは謝っておく。もらった命を無碍にしてすまなかった」

上終は遮って告げた。

すると、魔神の表情が途端に暗くなる。

「お主、()()()()()()()()()()()()()()()?」

は、と吐息が漏れる。

反論の隙も与えず、魔神は矢継ぎ早に言葉を繰り出す。

「前に言ったことを思い出せ。お主には『世界を安定化する力』がある―――自死を選ぶということは、世界の混乱を招くことと同義」

それに、と彼は付け加えた。

「一介の錬金術師如きに納得させられてんじゃねえよ、くだらねえ。たとえ何人死のうが不幸になろうがソイツらの責任だろうが」

「―――ッ!!!」

拳を振り抜く。

彼らの生命と不幸をないがしろにした魔神が許せなかった。激情に身を任せた拳は、意外なほど簡単に突き刺さる。

大木を殴ったようなビクともしない感触が、鈍い痛みを蓄える拳から伝わった。

魔神は拳の下で笑う。

「ほらな、これがお主だろうが。どこまでいっても他人が気がかりで、自分がどうなってもいい最高の偽善者。『死』に逃げてんじゃねえ、無数の他人を不幸したならたった一人の自分でもう一回救い上げてみせろ。偽物だからどうしたってんだよ? 偽物で届かないなら本物になれ。その時で本当の本当の本当に心の底から死にたいのなら仕方ない。殺してやる」

逃げていた。

そうだ。

どうして気づかなかったんだ。

俺が死ぬということはつまり、不幸にしてしまった人たちの断罪から逃れるということ。

死ぬことで償うなんて虚構だ。苦しいことから逃げるなんてことが、この俺に許されるはずがない。

せめて。

せめて。

せめて、彼らに謝って断罪を受けた後で―――

「……こうなることを計算して言ったのか」

さあ?とミイラは笑い声をあげた。

「お主の中にいる『アレ』じゃが、どうかないがしろにしてくれるなよ。親バカの一種というヤツかの」

『声』のことを言っているのだろうか。

相変わらず意味深なことしか言わない魔神だが、彼らの事情を察して追及はしないことにした。

ふと、上終はあることを思い出す。

「そうだ、妖精の名前を聴いていなかった。教えてくれるか?」

「ふむ、名などとうに忘れたが……そうさな、儂はの名は『僧正』という。なかなかイカしておるだろう」

僧正。

口の中で数度その名前を反芻する。

「じゃあ、行ってくる」

僧正は頷きで返した。

この白の世界から現実へ帰還した上終を見送って、彼はどこか酷薄な笑顔を貼り付ける。

(第二段階突破……うむ、予想通り)

上終は知らない。

魔神が何を考え生きているのか。

魔神が何を目的としているのか。

彼は無知なまま戦う。

 

 

――地上は黒い天蓋に蓋をされていた。

身体は相変わらず満身創痍。致命的だった左腕と鳩尾の貫通傷は再生している。

目の前にあるのは三沢塾のビル。どこか重苦しい雰囲気を放つそれを見て、上終は右手を意識した。

まだ死ぬわけにはいかない。

倒すべき敵はそこにいる。

否、パラケルススは倒すべき敵ではない。彼も上終の存在によって歪められてしまった人間のひとりだ。

救う。

文字通り全てを投げ出してでも救う。

それが償いになると信じて。

上終 神理は歪んだ信念で以って挑む。

 




皆さんに上終くんをヒーローだと認めてもらうため、彼には成長してもらわなければいけません。オリ主と原作キャラは何倍もスタート地点が違いますからね。
次回もまた、よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

あの人へ捧ぐ『i』の方程式

吐血したのでまたまた遅れました。ごめんなさい。謝罪会見もそろそろ終わりにしたいところ。


パラケルスス。

歴史上に名を残す彼の功績は輝かしい。

賢者の石の錬成、四大精霊論の構築、ホムンクルスの創成、錬金術三原質の再発見。各地を放浪し、その先々で助かる見込みのない病人を治した。

錬金術は科学を招来した。パラケルススは現代社会において欠かせない、とある偉業を成し遂げている。

錬金術師の最終目的は卑金属を黄金に換えること、不老不死を実現する賢者の石を創成することだ。

しかし、パラケルススは錬金術に異なった可能性を見出していた。

それこそは、錬金術によって鉱石などから病気の治療に役立つ医薬品を創り出すことである。ルネサンス初期において彼は、『医療化学』の概念を創始したのだ。

欠点があるとすれば、彼の発言と行動はあまりにも傲岸不遜だった。名前である『ボンバストゥス』に誇大妄想狂の意味が付け加えられるほど、敵も多かった。

故に天涯孤独。

貪欲に知識を追い求めて各地を遍歴したがために、友人も愛する者もいない。ただ、彼には一人だけ自分の血を、生命を、遺伝子を分けた存在がいた。

第一号のホムンクルス。

ヒトの精液を蒸留器に入れ、40日間密閉し腐敗させる。すると、人間のカタチをした透明なモノが現れる。

ソレに人間の血液を毎日与え、馬の子宮と同じ温度でさらに40週間保存するとホムンクルスの完成。

パラケルススはこれを自身の精液を用いて行った。

結果、彼は世界最初のホムンクルスに賢者の石で創った強靭な身体を与え、己の後を継ぐ弟子としたのである。

名はオプリヌス。

史実では通常の人間とされているオプリヌスだが、歴史には往々にして裏がある。

〝私には他人を愛することができない。頭では分かっていても魂がそれを拒んでしまう。私には……私には、『愛』を理解することができないのだ〟

パラケルススは自分と同質の存在であるオプリヌスに、たった一人の弟子だけに独白した。

数々の偉業を成し遂げた錬金術師は、その頭脳と功績と能力に吊り合わないほど、精神が不熟だった。まるでホムンクルスのように。

彼は愛を知らない。

自己愛すらも気の迷いだと断ち切ってしまう。

そこに起きるのは自我の分裂に似た現象だ。自分のことが愛おしくない人間なんて、どこにもいない。

もし心の底から『他人のために全てを投げ出せる』と言えるようなヤツは、盲目的な偽善者か異常者か嘘つきだけだ。

パラケルススが血を分けた存在であるオプリヌスを愛せなかったのは、とことん何もかもを信用していなかったからだろう。

オプリヌスは後にこう記した。

『学者としては天才だが、人間としては三流』―――言い得て妙であるこの言葉は、パラケルススの本質を浮き彫りにしている。

愛を理解できない彼はこの世に絶望していた。

だからだろうか。

彼の終わりは実に呆気無く訪れた。

肝臓病。ヨーロッパの風土病でもあるこの病気に身体を侵され、稀代の錬金術師は彼岸に旅立つ。

やろうと思えばいくらでも手の打ちようはあったはずだ。

賢者の石に医療知識。医療化学を創始した彼に肝臓病を治せないわけがない。

パラケルススの心情を理解できたのは、やはり同じ精神を持つオプリヌスだけであった。

目に映るモノ全てが無機質に見えてしまう世界に。

敬虔なカトリック教徒であるはずの自分が『愛』を理解できないことに、彼は絶望していたのだ。

きっと、パラケルススが歩んだ世界には、誰も到達することはできないだろう。

 

 

「師匠……」

夜空に輝く無限の星を眺め、世界最高の錬金術師の遺産は一人呟いた。

わかっていた。

あんなヤツを殺しても、行き間違えた道は何も変わらないことくらい。

わかっていた。

人間としては三流のパラケルススでも、こんなことは望んでいないことくらい。

わかっていた。

あれほどに上終を憎んでいたのは、安っぽいプライドを壊されたからじゃない。

似すぎていた。

ホムンクルスとしての境遇。

どうすることもできない周囲の状況。

そして『誰かを救いたい』―――パラケルススが、オプリヌスが捨ててしまった幻想を追い掛ける姿が。

本当は知っていた。

パラケルススが自分という存在を創り出したのは、なにも人類のためだとか研究成果の誇示だとかじゃない。

自分自身から産まれた、限りなく近い存在なら愛することができるかもしれない。そんな淡い幻想のために産まれたことを。

パラケルススの一番の不幸は才能に見合わない心を持ってしまったことだ。

苦悩して。

苦悩して苦悩して。

苦悩して苦悩して苦悩して。

それでも届かなかった愛の極地。

「……それがどうした」

オプリヌスは切り捨てる。

親であり師匠であったパラケルススが死んだ瞬間から、彼はその人の名前を名乗ることにした。

今はもうパラケルススの顔すら忘れてしまったけれど、それを哀しいとは思わない。

賢者の石を使ってまで生きながらえ、現代にいる。果たして、そのことに意味はあったのか――?

……カツン、と硬質の足音が背後から鳴る。

聴いた耳を疑った。

見た目を疑った。

信じた自分を疑った。

途端に圧縮された速度の思考へと切り替わる。手に入れた五感の情報を一瞬にして肯定し、必殺の剣を紡ぎ上げる。

ゴォッ!!!という轟音が激震を引き起こし、虹色の大剣が曲者を襲う!!

―――ソイツは笑っていた。

今にも死にそうな笑顔で。

今にも消えそうな身体で。

ただただ何よりも力強く、拳を振り上げる。

『止まる』。

以前は圧倒していた四大元素の剣の一撃が、いとも容易く停止させられた。

渾身の力で虹色の刃を叩きつけようとするが、呼応するように止める力も強くなり、完全な均衡が作り出される。

ちょうど額の前で止まっている刃に、右の五指がガラスを割るような音を立てて食い込んでいく。

バキバキバキ……と静かに崩壊していく四大元素の剣。最強の剣が砕けていく様に、オプリヌスは思考を硬直させた。

「パラケルスス、お前は――――」

吹けば飛んでしまいそうな弱々しい声。

そのはずが、今まで見てきたどんな場面の彼よりも『強さ』を秘めている。

彼は。

上終 神理は。

揺るがぬ意志で断言する。

 

 

「―――()()()()()()()()()()()()

 

 

バギン!!と虹色の粒子が散った。

爆発四散した虹色の珠が廊下を埋め尽くし、幻想的かつ儚げに世界に彩りを加える。

そんな中で二人は互いを見据えた。

オプリヌスは倒すべき敵を。

上終は救うべき人間を。

偽りのヒーローは口を開く。

「オレたちは同じ存在だ。今ならどうしてお前が『上終 神理』を嫌っていたか理解できる。……オレも()が嫌いだからな」

理解が追いつかない。

どうして生きているのか。どうして四大元素の剣を打ち破れたのか。どうして、どうして、どうしてここまで成長しているのか。

実力の話ではない。

成長しているのは精神だ。

これまでの不熟だった彼の精神が、飛び降りる前とここにいる現在とでは別物と言って良いほどに飛躍している。

しかし、宿ったのは歪んだ信念。

人間からはかけ離れてしまった思考に理念。

「だが、オレは死ぬわけにはいかない」

彼には使命がある。

歪めてしまった人々の罰を受けるという使命が。全ての贖罪を終えたその後、世界のために死ぬ。

だから、いまは死ねない。

死ぬために死ねない。

「……ナメてるのか。ふざけんじゃねえ、あの時死ぬって決めたんなら死んどけよ。その結果がコレか? テメェの独り善がりでボクを語ってんじゃねえぞォォォッッ!!!!!」

オプリヌスの周囲を飛び回る四色の精霊のうち、『火』を司るサラマンダーが炎の壁を放つ。

四方八方を呑み込む炎の津波。

上終が右手で止めればそこからの行動は制限され、止めなければ炭の塊と化すだろう。

回避は不可能。どちらの選択肢を取っても悪手となる悪魔の問い掛け。

轟!!と唸る極炎は激情した錬金術師の意識に空白を生じさせるほど、あっさりと上終を呑み込んだ。

死んだ。……こんなに簡単に?

(ありえない! アイツは『死ぬわけにはいかない』――そう言っていた!!)

炎が途切れる。

黒く焼け焦げた廊下。ところどころに残った炎が踊り、火の粉をまき散らしていた。そんな地獄絵図の中央にありながら、立ち尽くす人影があった。

ばさり、と布が風に揺られてはためく。

「これが『絶対非干渉』」

上終は右手で盾のように広げていた上着を羽織り直す。彼には火傷ひとつ付いている様子はない。

明らかにおかしい反応だ。

天地繋ぎ(ヘヴンズティアー)』は触れて止めた時点で、その対象全体が停止する。だからこそ炎の壁が効力を発揮する。

全体が同時に停止する分、力を発動したという証拠もつかみやすい。だったはずが、今のは『止めなかった』反応。

炎の津波が指定された向きをただ過ぎ去ったのだから、上終が力を発動したはずがない。

(……!?)

オプリヌスは魔力の流れから察知する。

上終の右手の力は手首から先しかないことは変わらないが、周りに放出している力もあったはずだ。

それが『触れずに止める』方の力であり、精々が移動速度をほんの少し遅らせるだけの取るに足らない力だった。

(無い。アイツには放出していた力が無い!!)

果たして、それは退化なのか。

否だ。

放出していた力は失われたのではなく、元の器に還っただけ。

つまり、『触れずに止める』のは上終が未熟だったゆえに、右手に力を留めておけなかったということ。

「いくぞ、パラケルスス」

告げる。

右の拳を握り締め突貫する。そこにはかつてないほどの力が込められていた。

単純な筋力ではない。

失われていた自分の一部分が戻ったような、言葉には出せないながらも確実とした奇妙な感覚。

これが『天地繋ぎ』。

以前までの力は劣化した姿だった。事ここに至り、上終はようやく右手に宿った力のことを理解できた。

〝神理〟

「ああ」

絶対干渉の剣が振り下ろされる。

この世の全てを切断する一撃必殺の斬撃に対し、上終は迷わず硬く結んだ拳を叩きつけた。

耳をつんざくような轟音。引き起こされる結果は、剣の崩壊というカタチで表現される。

「なんだ、その右手は……!?」

「さあな。オレが理解できたのはこの力の性質だけだ。正体は見当もつかない」

――届く。

オプリヌスに肉薄する。

間合いに入った上終は、彼の顔面めがけて拳を力の限り振り抜く。

「くっ…『四大元素の楯(Four elementals shild)』!!」

顕現するは『絶対非干渉』の絶対防御。

天井と床についてしまうほど巨大な円盾は、もはや堅固な城壁と言い換えても良い。

その防御力は城壁とは比べ物にならない。ただ自己完結しているために、如何なる干渉も攻撃も通用しない『絶対非干渉』の体現だからだ。

世界の法則を再現した楯は事実、核ミサイルを持ち出しても貫くことは叶わないだろう。

ソレがこの世界に存在するモノならば、この防壁を貫通する道理は存在しなかった。

そう。

まるで薄氷を砕くように、絶対非干渉の楯は呆気無く砕け散った。

「ごっばっ……!!!??」

オプリヌスの顔面に拳が突き刺さる。

予期せぬ不意打ちは見事に彼の脳まで衝撃を伝わらせ、意識を一瞬ながらも剥奪した。

揺らめく視界で繰り出される上終の追撃を認めたオプリヌスは、強化した脚力で以って後方へ飛び跳ねた。

「テメェ、それはまさか――ッッ!!」

錬金術師は獰猛に上終を睨みつける。

同時に差し向けられる押し殺すような殺気。その只中にあって、上終は静かにただただ静かに言った。

「これが『絶対干渉』」

確かめるような一言。

右手を閉じたり開いたりして、彼は自嘲気味に微笑む。

 

 

「だから言っただろう、オレたちは似ているって」

 

 

その時。

オプリヌスのなかで決定的な何かが盛大に弾けた。

起きるのは無数の光の乱舞。粉砕されていく絶対干渉の剣をその瞬間から再生させ、両者の間に数えきれないほどの火花が散る。

賢者の石の魔力精製を限界まで稼動させた荒業が許した所業だった。

全身の血が沸騰し、一歩破綻すればそれこそ全身の血管から鮮血が吹き出してしまいそうな望み薄の綱渡り。

それでもほんの少しだけ残されていた冷静な部分は、あの右手の考察を進めていた。

理解(わかる)。アイツの右手はボクの『剣』と『楯』と同じだ。『物体に干渉する右手』が絶対干渉。『あらゆるモノを止める右手』が絶対非干渉)

だが違和感。

ヤツの右手は何を由来としているのか。

ただ止めるだけだった右手が、絶対干渉の性質を獲得した。それだけなら許容できる。

『絶対干渉』と『絶対非干渉』。

その有り様はまさに『世界』のようではないか。

有り得ない、認めない、受け入れない。

なぜなら、世界が世界に干渉することなど、あってはならないことだからだ。

世界全体の性質は絶対非干渉。この世界が歪んだのは、上終がその悠久の流れを破壊したから。

「そうか、アイツの正体は『ソレ』だ」

答えに至る。

それと同時に湧き上がる新たな疑問が解かれることはなかった。

目と鼻の先に迫ってきていた上終。振りかざされる右手に対して、オプリヌスは氷の障壁を作り上げる。

炎の壁が通用しなかったのなら、単なるエネルギーではなく物質的な壁なら通じるはずだ。

(力を使うのなら使ってみせろ!! その瞬間に爆発させてやる!!)

バン!!と右手が氷の障壁を叩いた。

サラマンダーの温度操作を駆使した氷の昇華爆発――氷柱とは比べ物にならない質量のそれを解き放てば、上終は跡形も無く吹き飛ぶ。

というのは、あくまで仮定の話だ。

温度操作で氷を水蒸気へと昇華させる。そのはずが、障壁は相変わらずの冷たさと硬度を保っていた。

干渉できない――!?

氷に隔てられた向こう側で、上終の口が動く。

「今までこの力のことを勘違いしていた。……オレの絶対非干渉はただ止めるだけじゃない」

オプリヌスは瞠目する。

上終は不敵に笑う。

「『()()()()()()()()()()()()()()』―――これがオレの『天地繋ぎ』だ」

右手が氷の障壁に突き込まれる。

止めたモノに干渉する力。

それが上終の絶対干渉だった。

縦に破断していく障壁の隙間に身体を滑り込ませ、上終とオプリヌスの視線が交錯する。

「今更ボクを救えると思うなよ」

「ああ、そうだろうな。だったら、お前を倒してからだ。この戦いが終わった後で救ってみせるさ」

やはり、相容れない。

彼らの関係の着地点はそこにしかない。

『納得』を手に入れるためには、この二人は戦うしかないのだ。

正真正銘、最後の戦いだった。

「「―――!!」」

駆け出す。

オプリヌスはアゾット剣を投げ捨て、両の拳を力強く握り締めた。

四大元素の剣も楯も通じないことが分かっているからこその行動。上終は一瞬目を見開くと、両腕に力を込める。

ドゴォッ!!!!と粘ついた衝撃音が鳴り響く。

両者の拳が同時に突き刺さった音だった。

上終はあえて右手の攻撃をエサとして、左の一撃を叩き込んだ。オプリヌスはそれを受けながらも右ストレートを差し込む。

嗚咽する暇も悶絶する時間もない。

身体の芯に蓄えられた鈍痛をそのままに、一心不乱に腕を振るい拳を打ち付ける。

右手で触れられれば決着がつくオプリヌスが、上終と互角以上の戦いを繰り広げられているのは魔術による身体強化の恩恵だ。

型も構えも何もない泥沼のような殴り合い。

人に造られた人間。

神に造られた人間。

彼らに明確な差は存在しない。

人も神も結局は私利私欲で動くだけの生き物だ。当然、それが自我を持つ者の宿命であるのだから責めることはできない。

だというのなら、彼らは何を懸けて戦うというのか。

錬金術師を救う。

天地繋ぎを殺す。

とどのつまりはそこに尽きる。

故に、この戦いは自己を懸けた戦い――!!

「おおおおおおおォォォッ!!!」

ゴドン!!と重苦しい打撃が鳩尾に吸い込まれる。

強化の乗った拳撃はそれだけで上終を後退させ、その隙を突いてオプリヌスの膝が飛んだ。

戦況は錬金術師の優勢。

殺意の乗った打撃は着実に確実に上終の命を削り取っていく。

手も足も出ないというのに、彼は膝をつくことも倒れることもしなかった。既に死に体と化していながらも、瞳だけは死んでいない。

肉体と意識が剥離したような感覚。

脳の指令に手先が追いつかない。徐々に肉体と隔絶されていく感覚は、先程実感した『死』を思い知らせてくる。

彼をこの世に繋ぎ止めているのは、これまでの人生で出会ってきた人たちの姿だった。

彼女たちのためにも死ねない――そのことをもう一度思い知ったその時、上終の拳に神経が通う。

オプリヌスの放った一撃が脳を揺さぶった瞬間、上終の渾身の左拳が顔面正中線を叩き潰した。

「ごぶっ…!?」

血に溺れる。

繰り出した回し蹴りを右腕で防がれ、上終の頭が目前まで接近する。

叩き落とすような頭突き。まともに受けたオプリヌスの態勢が崩され、視界の端で上終の五指が畳まれるのを眺めていた。

「……パラケルスス。お前がオレに救いを望むなら――――」

「あ」

錬金術師の口から声が漏れる。

眼前に迫り来る拳がスローモーションのように近付く。おそらく、これをくらえば敗北は確定するのだろう。

到達するまでの一瞬の刹那。

彼は親の横顔を見た。

深いしわが折り畳まれた痩せた顔。長く大量の白い髭が胸の辺りまで伸びている。

その瞳はまさに、上終のソレと良く似ていた。

パラケルススのコピーがオプリヌスであり、彼と上終が似ているのならパラケルススと上終に共通点があってもおかしくはない。

(ああ、ああ……そうか)

目を伏せる。

これで良い。

あの人の顔を思い出せた――それだけで。

「その幻想を護り抜いてみせる!!!」

オプリヌスは意識を手放した。

必死に意識を手繰り寄せ、壁にもたれかかって姿勢を維持する。

まだ止まってはいけない。

ここで戦う二人の仲間のためにも。

 




圧倒的に上条さん成分が足りないですね。流石に今回に差し込む余裕はありませんでした。
それでは、次回もお会いしましょう!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ゆらめく情景に色彩を、錬金術師に再会を

テストという強敵を薙ぎ倒しやってきました。当分はペースアップできそうです。


今から十年前。

京都の山村に少女はいた。

灰の海。

灰の嵐。

どこを見渡しても灰、灰、灰――――。

そんな真っ白なキャンパスに漆黒の墨を塗りつけたように、少女はただ一人立ち尽くしていた。

彼女はその村においてただただ異質。

生物が死に絶えた領域に佇む生命。

白の群像に紛れ込んだ黒の実像。

荒れ狂う灰の吹雪はどういう訳か、只中にいる少女だけは畏れ避けるように侵入しない。

まるで聖域。死して灰と化してなお、『その生物』の恐怖は拭い去られていなかったのだ。

吸血殺し(ディープブラッド)』。

吸血鬼だけを確実に殺す特別なチカラ。喩えるのなら、それは甘い蜜をエサに獲物を誘き寄せる食虫植物だった。

血を吸われることで発動するこの能力は、対象を問答無用で灰に返すという単純なモノ。

しかし、それも突き詰めれば凶悪な効力を発揮する。この能力の真価は吸血鬼を問答無用で殺すことに非ず。

恐ろしいのは、死ぬとわかっていても血を求めてしまう誘惑性である。

吸血鬼が一度この誘惑の範囲内に入ってしまえば、もうその時点で命はない。

……その少女は『不幸』だった。

不幸にも『吸血殺し』を身に付け。

不幸にも村に吸血鬼を誘き寄せ。

不幸にも住民を同類の化け物にされた。

全ては偶然から始まり、結末は必然に収束する。

彼女が学園都市に来たのも必然。不幸をもたらすチカラなら取り除きたいと思うのは至極真っ当なことだ。

異能を開発し研究する学園都市ならば、『吸血殺し』の仕組みを解明して除去することができるかもしれない。

現実は優しくなかった。

自然発生的に超能力に目覚めた『原石』たちのチカラは、今の学園都市の科学でも届かなかった。

三沢塾に誘拐されアウレオルスと『取り引き』を行った数日後には、

〝キミにはもう利用価値はない〟

白いローブを羽織った少年がそう告げ、点在する隠し部屋のひとつに押し込められた。

この世の全てを呪った――そんな時、彼女の前にヒーロー(主人公)が現れる。

 

 

(……何故だ)

血が飛び散る。

思考は何度も途切れていた。

全身の痛みだけは律儀に作用していた。

次々と絶え間なく突き刺さる拳を避ける体力も、『瞬間錬金(リメン=マグナ)』を用いて反撃する気力も無い。

(……何故、この私が)

揺らぐ視界。

揺らぐ意識。

揺らぐ存在。

勝てる戦いだった。それも、辛勝やただの勝利ではなく、圧勝できる殺し合いだったはずだ。

右手に如何なる聖域の秘蹟を秘めていようとも、現に打ち破る術は完成していた。

それでも、敗けたのは。

(敗、ける?)

びく、と右手の指が微かに動く。

(まける。ありえない。魔術医師の末裔である私が。承服できん許可できん認められんッッ!!!!)

アウレオルスに火をつけたのは、ただそれだけの純粋な感情。……魔術師が凡人に敗けるなどあってはならない。

現状、彼が上条に勝つ方法は無かった。

『瞬間錬金』が右手から撃ち出されることは既に知られている。加えて、左手の黄金の鏃も縛鎖と成り果てている。

勝つことはできない。引き分けに持ち込むことすら、この状況ではもはや不可能といっていいだろう。

だが、逃亡することなら、ここにある材料だけで実現することが可能だった。

問題はアウレオルスがそれを選択できるか。

「これで終わりだ、アウレオルス!!」

彼の判断は速かった。

トドメの一撃が錬金術師を昏倒させる。

轟!!と風を切りながら迫り来る右の拳が到達する直前、縛鎖が黄金の粒子となって溶けて消えた。

バランスが崩れ、渾身の一撃は掠めるだけに留まる。立て直す暇もなく、アウレオルスの右手が地面に向く。

意図を図りかねた上条だったが、黄金の鏃の効果を思い出して即座に後方へ跳んだ。

小気味良い音と共に硬質な床に鏃が突き立てられる。

「……リメン、マグナ」

「なっ!?」

万物を純金のマグマへ変換する術式。

瞬時に床が灼熱の黄金と化し、骨まで融かすような眩い海原が出現した。

息を呑む。

それを発したのは上条。彼は反射的に、純金のマグマに呑まれる寸前のアウレオルスに手を伸ばしていた。

(何やってんだ、俺!? いや、関係ねえ! こんなところで死なせてたまるか!!)

行為に及んだ自分自身に驚く。

混乱する脳とは裏腹に身体だけは最適な行動を選び取っていた。

伸ばした手が届こうかという瞬間、黄金の鏃が下から振り上げるカタチで空間を切る。

その軌道をなぞるように、黄金のマグマが変形して上条に襲い掛かった。

伸ばしていた右手をそのままあてがう。

彼に向かって押し寄せる黄金のマグマは、呆気無く次々と打ち消されていく。

「……!!」

灼熱の津波が過ぎ去った後は何も残っていない。

かろうじて見てとれるのは、薄く廊下の奥まで続いたかすれた血の跡だった。

 

学園都市・第七学区の外れ。

一匹のゴールデンレトリバーが、月を肴に葉巻の紫煙をくゆらせていた。

対魔術式駆動鎧(アンチアートアタッチメント)』――魔神を成す術もなく撃滅した兵器。一見して軍事技術を集めたようなそれは、医療技術を応用したモノである。

脳幹の肉体の延長のように操れるその兵器は、サイボーグと近い性質を有していた。

学園都市全二十三学区のそれぞれに『対魔術式駆動鎧』の格納庫が設置されており、有事にはどこからでも射出できる。

彼の役目はアレイスターの力を遠隔地に引っ張り、敵に差し向けることだ。

つまり。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

次の瞬間だった。

学園都市全二十三学区の各地に配置された射出コンテナから、鋼鉄の兵器群が舞い降りる。

戦いは人知れず幕を開けた。

――背後で微笑むのは『人間』。

 

「……まったく、僕もナメられたものじゃないか」

三沢塾。

ステイル=マグヌスは煙を吹かし、懐から取り出したルーンを得意の炎へと昇華させる。

パラケルススが3333体のホムンクルスを結集させて作り上げた『偽・聖歌隊(グレゴリオ=レプリカ)』。

ステイルはそれを破壊するために動いていた。

厄介だったのは無数に存在する隠し部屋のひとつに3333体を押し込むのではなく、小分けにしていたことだ。

『グレゴリオの聖歌隊』は術者全員を聖堂に集結させなくてはならないため、場所を分ける方法では不発に終わる。

不可能なはずの術式構築。それを実現したのは何てことのない強引な方法だった。

四棟のビルからなる三沢塾全体を聖堂として運用する。

賢者の石が成した秘蹟により、三沢塾は聖性を帯びた一個の大聖堂へと変貌を遂げていたのだ。

『コインの表と裏』の術式を利用して、いかなる干渉も受けない密室に聖歌隊を配し、万が一にも破壊できない。

だがしかし。

相手が魔術師なら彼も魔術師。

相手が天才なら彼も天才。

ステイルの炎の威力は語るに及ばず、熱を駆使した蜃気楼など応用力にも富んでいる。

そして、壁にほんの少しの隙間があったのなら。

彼の炎は隙間を通り抜けられるだけの小ささに変化し、向こう側にある聖歌隊を焼き尽くすことくらいわけはない。

そもそも、既存の建物に無理やり隠し部屋を造れば、どこかにひずみが出来あがるのは当然のことだ。

上条と上終を囮に使い、自分は悠々と『偽・聖歌隊』の廃滅を行っていた。

最初こそ無策の突撃だったが、瞬時にこの行動に出ることができたのはさすがと言うべきだろう。

「これでお終い。さて、何が起きるか」

右手に顕現した炎を壁のある一点に押し付ける。すると、炎が蛇のようにうねりながら吸い込まれていく。

数秒後、おぞましい絶叫が鼓膜を揺るがした。

人類全員の恨みと怨嗟を凝縮し、増幅させたような甲高い叫び声は数瞬で終わりを告げる。

すなわちそれは、密室の中のホムンクルスたちを跡形も無く焼き殺したということ。

同時に、吐き気めいた後ろめたい感情が胸の辺りに発生する。その感情が何であるかはおおよそ見当がついていた。

「……本当に、あてられたな」

舌打ちと共に一蹴する。

ステイルはタバコの火を壁に押し当てて始末すると、背後に炎剣を飛ばした。

莫大な熱量で以って、あらゆる物質を灰も残さず焼き斬る炎剣の刃はしかし、望み通りの効果をなさない。

振り返った先にいたのは、勘違い系バンドマンのようなパンクな格好をした変人だ。

黒服のあちこちが焼け焦げ、左腕の袖だけ肩から切り取られている。血まみれなのは彼の代名詞だろう。

新しいタバコに火をつけながら、ステイルは馬鹿にした調子で言った。

「イメチェンかい?」

「この世のどこに左腕を斬ってまでイメチェンするヤツがいるんだ」

「目の前に。まあなんだ、君は血まみれの方がしっくりくるね」

頷きながら上終の肩に手を置く。

好きでボロボロになっているわけではない上終だが、ステイルとの出会いからして満身創痍だったために反論できない。

「そういえば――」

上条の居場所を訊こうと口を開く。

その瞬間、言い切らない内に彼の質問は途切れることとなった。

肩に置かれた手に突然力が加わったかと思えば、脱臼させられるような勢いで横に引っ張られる。

喫驚を声に出す間もなく、上終が元いた場所を黄金の鏃が通り抜けていく。

だが、目で追えたのは黄金の残像のみ。上終が振り返り右手が到達するまでの隙に、鏃を突き立てることは十分に可能だ。

秒間に十回の射出を可能とする『瞬間錬金』の毒牙は、間断なく彼を食い破る。

それが以前までであったのなら。

黄金の双牙が背中に突き刺さる。

いとも容易く黒服を貫き、灼熱の純金に成り果てる―――はずだった。

突き刺さらない。

肉体に届くどころか、鏃の前には柔らかく脆いはずの黒服すら貫通することも能わず。

「巨人に苦痛の贈り物を!!」

荒々しく渦巻く炎剣が空気を引き裂く。

叩きつける軌道の斬撃は、横合いから飛び出した純金の壁に激突し封殺される。

続いて襲い掛かる黄金のマグマが二人を呑み込むことはなく、上終の右手に押し留められた。

「毅然、再度干渉すれば良いだけだ!」

『瞬間錬金』が空を切る。

灼熱の純金のカタチと運動を操る司令塔も兼ねる黄金の鏃は、停止させられた黄金に命令を下した。

眼前の敵を呑み込め。

しかし、それが叶うことはない。

天地繋ぎ(ヘヴンズティアー)』の『絶対非干渉』が司令塔の干渉を弾いているからだ。

世界に存在する万物を止めて絶対非干渉の性質を付与するということは、オプリヌスの四大元素の楯の再現である。

何物も入り込む隙間がない故に、何者も傷つけることができない。この性質を利用して黄金の鏃を防いだのだ。

「やれ、ステイル!!」

上終の声が響く。

次の瞬間には迫り来るであろう炎の攻撃に対処すべく、左手の鏃を近くの床に差し向ける。

直後、アウレオルスの顔面に野球ボール大の黄金の球体が飛来した。

「ぐ、がァァァッ!!?」

灼ける顔面を思わず右手で押さえる。

声は囮。真意は『絶対干渉』を使って、アウレオルスの不意を打つことにあった。

止めたモノに干渉する右手。黄金のマグマをその手で掬い取り、投げて寄越したのだろう。

既に『幻想殺し(イマジンブレイカー)』と対峙した身である錬金術師には、原理はわからずとも目の前の現象をそのまま受け止める余裕があった。

「死角を作ったな」

アウレオルスの背筋に氷柱が刺さる。

右手で傷を受けた部分を押さえれば、その分だけ視界を失うに等しい。が、裏を返せば攻撃の的を絞れるということでもあった。

もう片方の黄金の鏃を射出。

炎剣を振り下ろし斬りつけるまでの時間と、黄金の鏃が突き刺さるまでの時間。どちらが速いかなんて目に見えている。

 

 

光り輝く光線がステイルの腹を食い破った。

 

 

ぼとり、と重たいモノが床に落ちる音。

純金と化した魔術師の変わり果てた姿がそこになかった。

完全に貫いたはず。アウレオルスは脳が発する猜疑のままに、どこか漠然と周囲を見回す。

「……愕然、それすらも偽りだったというのか」

彼の眼前にあったのは、腹部に巨大な風穴を開けたステイルのカタチをした蜃気楼。

地面に落ち伏せたモノの正体は他でもないアウレオルス自身の腕だった。

火炎の熱を応用した蜃気楼の術式。馬鹿正直に発動したのなら、錬金術師が対抗することは容易い。

上終が灼けた黄金を投げつけたあの時、既にステイルの術式は発動していたのだ。

「正解。戦わずに魔道書を記す隠秘記録官(カンセラリウス)と対魔術師専門の僕とでは、相性が悪すぎた。それだけさ」

もっとも、とステイルは付け加えて、

「『隠秘記録官』という称号はお前自身のモノなのか、という疑問はあるわけだが」

「……何が言いたい」

錬金術師は言う。

射殺すような殺気の篭った視線を向けられてなお、魔術師の余裕が崩れることはなかった。

彼は額に手を当てて首を振る。あたかも、物覚えの悪い教え子に難儀する師匠のように。

仕草は凶兆を秘めていて。

アウレオルスは凶兆の正体、その真実を隠然と理解していた。

「パラケルススと組んだはずのお前が、どうしてこんなに雑な扱いをされている? そして、このことを今の今まで察知していなかったのはどうしてだ?」

返答は沈黙。つまりは図星。

隠然たる強大な真実が明らかにされていく。

「簡単だ。そういう風に設定されていたから」

「……泰然。貴様の理論を証明する術はない」

その通りだった。

記憶喪失の人間の過去を知っているとして、その人に歩んできた人生を語っても判らないし覚えていない。

たとえ語った人生が真実だったとしても、記憶を失った人間はいくらでも頭ごなしに否定できる。

けれど、アウレオルスの精神の奥深くに溜まる大半の確信と少数の疑念が、ステイルの言うことを肯定していた。

救われない――上終の思考を横切る言葉。

(そうだ)

どんなに歪んだ理由でも、悪事を果たす人間にはそれなりの信念が存在する。

ただ殺したいだとか人肉食を行いたいだとか、常人からすれば成し得ない理由でもその人間には行為に及ぶ過程があるはずだ。

如何に理解不可能な話だとしても。

誰にも理解されない思考回路でも。

気が狂うような情熱がそこにはある。

上終を襲ったのはある一種の後悔。取り返しのつかないほどに捻れ曲がった感性がそれを助長した。

話を聴いていれば、世界を破壊しようとしていたあの魔神ごと救い出せたかもしれない?

(改めて理解した。オレはどうしても死ななければならない。オレの周りで起きる悲劇は全部オレ自身が歪めた結果の景色。……ならば、せめて)

目に映る悲劇の全てを救い上げる。

それは敵も例外ではない。

全員の人生が変転したのは紛れもなく上終自身の存在が問題なのだから、落とし前は自分自身でつけるべきだ。

「見つけた。もう逃さねぇぞ」

口から飛び出そうとした上終の言葉は、前方から発せられた上条のソレに押さえつけられた。

彼の背後、離れた場所に巫女服の少女の姿が見受けられる。

「連れてきたか、この状況ではファインプレーだ。近くにいた方が護りやすい」

炎が立ち昇り、剣と成す。

応じるように錬金術師(アウレオルス=ダミー)が立ち上がり、片方だけになった腕に力を込めた。

始まる。どちらか一人だけならともかく、上条とステイルの前ではおそらく戦いにならない。

「待て―――!!」

拳がうねり。

炎剣が踊り。

黄金が刺す。

 

 

 

「騒然。目的は果たされた、木偶の遊戯は終幕だ」

 

 

 

時間が止まる。

空間を裂くように現れた一人の男。彼は高価な純白のスーツを着こなし、緑色の髪をオールバックにしていた。

戦場に訪れる空白は思考であり行動だった。同時に居合わせた全員が、目に見えない『死』を実感する。

アウレオルス=イザード。

これまでの戦いを俯瞰してきた絶対的な支配者が、ここに来てついに姿を現したのだ。

彼はスーツの懐から、微かに消毒液の匂いが漂う細い鍼を取り出す。髪の毛のように細い一本の鍼の切っ先を首に差し向ける。

何の気なしに鍼を突き刺すと、アウレオルスはただただ静かに命令した。

()()()()()()()()()()()()

直後、一瞬だけアウレオルス=ダミーの全身が風船のように膨らんだ。

その次の瞬間には彼の内臓に血液に筋肉が、まるで手榴弾のように外に撒き散らされた。

辺り一帯が血に染め上げられる。

四方の壁がおぞましく赤黒い鮮血に彩られ、筋肉繊維や内臓の数々が至るところにへばりついていた。

人肉プラネタリウムの中で、アウレオルスだけは返り血の一滴も付着させずに平然と立っている。

古い鍼を投げ捨て、新しい鍼を首に突き立てる。何らかの行動を起こす暇もなかった。

()()()()()()()()()()()()()―――」

最後に見たのは、アウレオルスの笑み。

「―――()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

学生寮、上条の部屋。

明かりはベランダから差し込む月光のみ。澄んだ蒼と黒の二つの色彩が、複雑な情景を産み出す。

そんな中でインデックスは、掛け布団とロープの両方で簀巻きにされていた。丁寧にも枕元には上条家から掻き集められたありったけの食料が置かれている。

既にほとんどが喰い散らかされているあたり、よほど人間を辞めていたことがうかがえた。

少女の口から吐き出されるのは、同居人の上条 当麻への恨みつらみが詰まった怨嗟の声だ。

ベランダの方向から物音がする。

見上げた先にいたのは、白いスーツを着た緑色の髪の男。月光を背負う彼は、優雅に喜色をたたえていた。

ガラスのドアをすり抜ける。

錬金術師は膝を折り、姫にかしずく騎士のような格好で言った。

「――ようやく逢えたな、私の生徒(インデックス)

運命は流転する。

 




短くてすいません。そろそろ一方通行さんを書きたくなってきたので、次回辺りで終わりそうです。
それでは、次回もお会いしましょう!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

誰よりも彼らが知る物語

親に性癖がバレたり色々ありましたが自分は元気です。
ようやく二巻の内容も終わりです。ここまで魔術にどっぷり浸かってたので次からは科学尽くしですね。


アウレオルス=イザード。

パラケルススの末裔たるチューリッヒ錬金術を学び、ローマ正教の隠秘記録官(カンセラリウス)という役目を得た。

隠秘記録官の仕事は古今東西の魔女の邪法を解き明かし、それに対する対抗策を魔道書に記すことだ。

最初は純粋な善意だった。人道を無視した魔女の脅威から、罪なき人々と仲間を救えると信じていた。

思えば、その熱意は狂気じみていた。

三日三晩睡眠も食事も摂らずに、ペンだけを動かし続けるなんてことは当たり前。

場合によっては年単位の時間を必要とする魔道書の作製すらも、狂気的な執筆速度でたった一月で成し遂げてみせた。

アウレオルスはそのことで世界の全てを救えると信じていたから。

地球全土は救えなくても、自分の視界に映り自分の手が届く範囲だけはどうにかしたい。

事実、彼の書き記した魔道書は多くの人々を救うことができた。……その時、彼は思ったのだ。

〝これで世界中の悲しみを〟――――無くすことなんて、人間がさせなかった。

ローマ正教はアウレオルスの記した魔道書を独占し、自分たちだけの『切り札』にした。

信者を取り込み増やすため、同じ十字教であるイギリス清教にもロシア成教にも知識を伝えなかった。魔女の脅威から逃れるにはローマ正教に集うしかない。

それを記した人物は宗教も人種も身分も乗り越えて、全ての人々を救うことを望んでいたというのに。

彼が魔道書をローマ正教から持ち出すことを選んだのは、ある日の教会の一幕に起因する。

一人の母親と二人の子供だった。

母親の見目は麗しいものの、その身なりからして貧しい生活を送っているのだとうかがえる。

むしろ特筆すべきは子供だ。おそらく兄妹であろう二人の子供は、体表の至る所にドス黒い斑点が浮かび上がっていた。

(判然。黒死病(ペスト)を先鋭化した魔術か……)

当時のヨーロッパ総人口およそ二分の一を死に至らしめた最悪のパンデミック。付随して巻き起こる民衆の騒動により、十字教分裂の原因にもなった悪魔の病。

ペストの恐怖は戦争にも発展したため、魔女にとっては魔術に利用する格好の手段だったのだろう。

病原菌を使った魔術はそう多くない。

アウレオルスの魔道書を引用すれば、如何に症状が進んでいようとも助けられる魔術だ。

「お願いします。この子たちを助けてください…!!」

端正な顔を涙で濡らして嘆願する母親。

彼女に歩み寄る神父は肥えた胴体をしており、無精ひげの生えた面を醜悪に歪めていた。

彼の表情の裏にあるモノは救われぬ人間に向ける慈愛などではなく、どこまでも下卑た劣情と淫欲だ。

「もちろん、その子たちは助けましょう」

アウレオルスは続く言葉を聞いた。

確かに彼の耳は音を捉えた。

鼓膜を震わせた振動はすぐさま脳内に到達し、脳はその情報を受け入れようとしなかった。

数秒の咀嚼の後に、ようやく理解できた途端に彼の意識を支配したのは果てしない憤怒。

〝ただし、私の寝所に訪れた後で……ね〟

神父は見返りを求めていた。

迷える子羊を導き、無償の愛で以ってローマ正教全体の奉仕者となるべき神父が報酬を求めたのだ。

しかも、その報酬とは一人の男性に捧げたであろう母親の純潔。

アウレオルスが血が沸騰し、頭蓋骨が赤熱したかのような限度外の怒りに身を任せる決断をしたのは一瞬である。

彼に実戦経験は無かったが、学んだ錬金術をほんの少し悪意を持って使うだけで人は木偶人形と化す。

出来上がったのは両腕両足が螺旋し、ありえない方向に折れ曲がったモノだった。

問い質せば、この神父は過去にも何度かこのような行為を行っていたという。

神父の自白を聞いたとき、アウレオルスが感じたのは宇宙の底よりも深い果てない絶望。

彼は入力されたコードを実行するだけの機械と成り果てたように、魔道書の知識を駆使して二人の子供を救った。

所詮は理想論。

これをこうしたからこういう結果が出るなんてことは無い。物事の結果は当人以外の力にも影響される。

だから、善意から産まれた魔道書が多くの人々を見捨てることになったとしても、それが世界なのだと割り切るしかない。

魔道書を持ち出したアウレオルスが向かったのは、『魔術の国』と言われる故に魔女の被害が多いイギリスだった。

イギリス清教と接触するのは容易くなかったが、偽装に偽装を重ねることで成功する。

 

そこで出逢ったのは少女(救い)だった。

 

救われない一人の少女。どう手を尽くしても救えない救われない。アウレオルスは一目見ただけでそのことを理解してしまう。

『Index-Librorum-Prohibitorum』。禁書目録(インデックス)と名付けられた少女は、今となっては確かめようもないが―――残酷な運命が待っているのにも関わらず、笑っていた。

どうあがいても逃れられない絶望を知ってか知らずか、天上の太陽にも勝る輝きを放っていたのだ。

魔道書でも届かない絶望。最初はただの憐れみと同情で、盲信的にペンを走らせ続けた。

アウレオルスにはそれしかなかったから。

愚直に本を書き続け、それをイギリス清教に届ける。その度に出逢うインデックスの姿を見て、救済の使命感に突き動かされた。

彼をもう一度狂気的な執筆に赴かせたのは、恋慕にも妄執にも似た使命感に違いない。

しかし、魔道書を書いて教会を訪ねる都度に精神の奥底から湧いて出る確信に、ある日ふと気付く。

私はインデックスを救っていたのではない。

()()()()()()()()()()()()()()()()()

自分自身を呪った。自分勝手な救いを得るために私利私欲で魔道書を書き上げ、決して届かない救済に手を差し伸べる。

これでは、あの神父と何も変わらない。

色欲に身を染めたあの男と、救われない救済を理由に救いと接触していた自分。そこにどんな差があるというのか。

そうして、決めた。

どうせ思い出が消えてしまうなら。

何もかもが無かったことになるなら。

せめて、彼女が生き抜いていくのに役に立つであろう知識を教授しよう。

思い出は消えてなくなってしまうけれど、知識ならインデックスは覚えていられるはずだ。

アウレオルスは『先生』になろうとした。

授業をして知識を与えた期間はほんの数カ月だったが、彼にとっては淡く色付けされた充実した日々だった。

緩やかに終焉を迎えていく日常はそれでも、アウレオルスの人生の中で最も色彩豊かな時間。

終わりはあまりに呆気ない。

顔も名前も知らないイギリス清教の魔術師。術式を展開し、数行節の言葉を紡ぐだけでインデックスの記憶は消失した。

永遠に消え去った記憶だが、彼女が残した言葉はアウレオルスの記憶から消えることは決して無いだろう。

〝あなたのおかげで、私は救われたんだよ〟

世界の色彩が削ぎ落とされた。

ナイフで絵画の絵の具をこそぎ落としていくように、あとに残るのは何もない白いキャンパス。彼にあるのは真っ白な絵の具。

白いキャンパスに白い絵の具を塗りつけても目移りしない。ただ、一層白みが増していくだけだ。

アウレオルスの人生は喩えるのならそれだった。

色彩の無い世界で如何な行動を起こそうとも、白い絵の具を塗ったように虚無感が強まるのみ。

ゆらめく情景に色彩を。

錬金術師は救われるために走り出した。

 

 

 

三沢塾近辺の公園に彼らはいた。

先程まで夜空に輝いていた星は黒く重い雲に隠され、その隙間から月が妖しく顔を覗かせている。

「……何が起きた?」

口の中で小さく呟く。問い掛けたのはこの場の誰でもなく、己の深奥に存在するナニカに対してだ。

だが、答えが返ってくる気配は無い。

飛び降りる最中の出来事で彼女のことをないがしろにしてしまった。そのせいで出てこないのだろう。

固まった血がこびりついた掌を額に当てる。

(……三沢塾。『吸血殺し(ディープブラッド)』が幽閉されていた建物で、オレたちは戦って、そして――)

〝――()()()()()()()()()()()()()

あの錬金術師は、アウレオルスは極細の針を首筋に突き立ててそう言っていた。否、『命じていた』。

アレは魔術なのだろう。が、実際に効力を受けた上終自身ですら信じられないほどの現象だ。

(言ったことが現実になる魔術……?)

それが本当ならまさに反則級。何でもアリの理不尽の具現のようなチカラは、あの魔神に届かずとも近い位置にあるだろう。

ただし肯定するにはいささかの躊躇があった。

『全て忘れろ』という命令が実現するなら、上終は三沢塾で起きたことを文字通り全て忘却するはずだ。

しかし、彼は今もこうして三沢塾で起きた事象についての考えを巡らせている。

アウレオルスのあの力が魔術であることには変わりない。魔術の効果であれば打ち消すことも可能なのかもしれない。

(魔術をオレが打ち消した……違う。オレに行動を起こす時間はなかった。それに異能を消すのは『幻想殺し(イマジンブレイカー)』の専売特許だろう)

天地繋ぎ(ヘヴンズティアー)』の真実の一端を理解したからこそ分かる。

右手の力という観点から見れば同質と言えるだろうが、双方の本質はあまりにもかけ離れた異質なのだ。

そうして、ひとり結論を出そうとしたその時、口内に鉄くさい血の味が広がった。

「……っぐ」

額の手を下げて口に当てる。

胸の奥からせり上がってくる血の塊を押し留めきれず、唇の端から生温かい血が掌に滴り落ちた。

同時に、肉体から力が抜けていく感覚が実感として現れる。単純な力ではなく、重い荷を取り払われたような感覚だ。

僅かではあるが、『上終 神理』という存在すら薄く消えかかっているかのような実感に、言いようのない不安が募る。

身体に蓄積した毀傷の数々が体力を奪っているのだろう。続々と込み上げてくる血をどうにか飲み干す。

「君、何か知ってるんじゃないかい」

血を嚥下しきったところに話しかけてきた辺り、早々にアタリをつけていたらしい。

ステイルはこの状況に嫌気が差しているのか、相当に不機嫌な表情をしていた。彼の言葉につられて、上条の目が上終に向く。

確かに三沢塾での記憶がある分、上終は二人よりも現状は把握できている。それを認めるなら、彼が魔術を防いだことと同じだ。

(可能性は……まだ知らない『天地繋ぎ』の力か、アウレオルスの魔術がたまたま失敗したか。もしくは何らかの条件があったのか)

考えても判りはしない。胸の奥に重く沈殿する疑問を無理やり無視して、上終は推測を述べる。

「オレたちはあの三沢塾に突入して戦い、アウレオルスにそこで起きた記憶を抹消された。『幻想殺し』で頭でも触れれば治せるんじゃないか?」

そこで、違和感に気付く。

三沢塾での記憶は残ってはいるが、前後の繋がりがあまりにもあやふやだった。

複数の場面がミキサーでかきまぜたように脈絡無く浮かび上がり、それらの光景の因果関係が狂っている。

アウレオルスの魔術とそれを防ごうとしたナニカが反応を起こした結果、記憶が混濁したのだろう。

妙に冴えきった脳を稼働させて至った結論だったが、『天地繋ぎ』の一端を理解したことで推論は確信に昇華された。

「それもそうか。よし、やってみろ」

タバコの煙を吹かして命令するステイル。何の気なしに言い放った言葉に、上条はギョッとして言い返した。

「ちょっと待て。俺の右手と魔術がなんやかんやで頭爆発なんてことになったらシャレにならねぇぞ!?」

「ならないだろうから安心しろ。異能なら何でも打ち消せる力だろ、ソレは」

魔術ド素人の上条に、ステイルが肩をすくめて言い聞かせる。明確には否定しないところが余計に警戒心を駆り立てる。

思い切り良く右手を頭に押し付けると、

「ッ!?」

パキン、という安っぽい音とは裏腹に、膨大な情報が上条の脳内に雪崩れ込んだ。

『全て忘れろ』――その命令は妄言ではなく、現実に効力を持って三人の頭に干渉していた。

冷や汗をかく上条の様子を見て察したステイルが催促すると、叩く勢いで彼の側頭部に平手を打ち付ける。

幸いにも炎剣が飛ばなかったのは、一気に流入してくる記憶情報に難儀していたからだろう。

「……なるほど。この状況で考え得る限り最悪の力を手に入れたというわけだ」

一人納得するステイルに上条と上終の視線が飛ぶ。

説明を求めていることを暗に語っている視線を受けることで、彼の中でも理論が構築されたらしい。

「『黄金練成(アルス=マグナ)』――簡単に言ってしまえば、頭の中でイメージした全てを現実に引っ張り出せる錬金術(まじゅつ)さ。錬金術師には金の練成や賢者の石の創成といった目的の前に、さらに究極的な起源がある」

金の練成に賢者の石の創成以前の思想。上終の脳裏に思い浮かんだのは、やはりパラケルススだった。

賢者の石を製造し不老不死を手に入れたあの錬金術師ですら『錬金術』という学問では、ある一つの到達点に過ぎないのか。

「もちろん、個人が目指す到達点はそれぞれだ。実際に錬金術が中国に伝わった結果、不老不死の霊薬を創る練丹術として改変された事例もある。つまるところ、彼らは思い描いた『理想の物質』を造りたいわけだ」

思い描いたモノを具現化する。それは人類の夢であり、現在も日夜多くの研究者が目指していることだ。

あらゆる奇病難病不治の病を治療する万能薬。時間旅行を可能にする機械。指定した場所に一瞬で到着する夢の乗り物。

子どもがチラシの裏にクレヨンで粗雑に描いたような『理想』を現実にしたい。

魔術と科学に関わらず、その道の研究者は己の理想を実現するために活動している。

まず、そのために必要なことは?

「――()()()()()()()()()()()()()()。それが錬金術師が最初に教えられる絶対理念だ。錬金術の究極形とは巨万の富を得る黄金の練成でも、不老不死になる賢者の石でもない。『想像を現実にする』ことこそが『錬金術』なんだ」

喩えば家を建てる時、漠然と完成形を思い浮かべて建材を組み合わせるのでは、用途と努力に見合わないハリボテが出来あがるだろう。

だから、建築家という職業があるのであり、家を建てることと設計図を書き上げることは共にほぼ同義となる。

脳内世界で仮想の家を組み上げ、設計図として現実に出力する一連の過程はある一種の魔術ともいえるのかもしれない。

これを突き詰めた学問こそが錬金術。

連想するのは言葉一つで記憶を忘却させてみせたあの錬金術師だった。

「じゃあなんだ、アウレオルスは錬金術を究めちまったってのか!?」

上条がその脅威に声を震わせる。口では訊いていても、既に答えは得ている。そんな調子だ。

案の定、ステイルは頷く。

「そうだ。僕もこうして体験するまでは信じられなかったけどね」

「……勝てるのか? 思いのままに現実を歪めるような相手に」

世界の全てをシミュレートし、思い描いたモノを自由に引っ張り出せる。これは強さの域から超越した神仏の力さえ利用できるのではないか。

上終の予想とは反して、ステイルは魔術師の顔で首を横に振った。

「勝ち目は無くはない。アウレオルスの――」

言葉が途中で切れる。

彼にしか感じ取れない何かが起きたのか、二人には言葉を切ったモノの正体がつかめない。

見て取れるのは、ステイルの肌に脂混じりの冷や汗が噴き出していることだけだ。

「『魔女狩りの王(イノケンティウス)』が消された……?」

 

 

遡ること数分。

アウレオルスとインデックスの邂逅。前者にとっては三年間待ち望んだ出逢いであり、後者にとっては予期せぬ出来事だった。

思い描いたことを実現する『黄金練成』。彼がそれを手に入れながら、即座にインデックスを救えないのには理由がある。

一つは、過去に強い意思で『救えない』と思ってしまったから。

黄金練成は想像したことを実際に現実にできる。そこまではいい。だが、実現することは何もプラスの出来事ではないのだ。

アウレオルスが絶対に勝利すると思えば、相手がどう行動しようとも敗北は訪れない。

アウレオルスが絶対に敗北すると思えば、相手がどう行動しようとも勝利は訪れない。

過去にこの少女は救えないと確信してしまったからこそ、アウレオルスの黄金練成では彼女を救えはしないのである。

……そして、二つ目。

「私のためにがんばってくれたんだね、ありがとう。でも……」

アウレオルスは気づいてしまった。

この少女は既に救われている。おそらくはあの三人の誰かに、完膚無きまでに完全に救われている。

右手の内に握り込まれた真紅の石。撃破されたパラケルススから奪ったソレが、インデックスを救う方法だった。

でも、もう遅い。

三年前のあの時一目で救えないと悟ったのなら、今回のこの瞬間もそれと同じだった。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

アウレオルスの思考が極限まで冷却され、ブラックホールめいた喪失感が心に穿たれる。

故に彼が察知するのは遅れた。

ステイルが三沢塾突入前に張ったルーンが侵入者に呼応し、摂氏3000度の炎の巨神が降誕する。

轟!!と空気を焼き焦がし飛来する炎の鉄拳。アウレオルスの背を貫き灰すらも残さない必殺が彼を襲う。

鍼を首に突き刺すことすら叶わなかった。否、鍼を取り出す必要すらなかった。

たったの一言。

()()()

宣言通り炎の巨神は間断なく滅却され、火の粉一つ残さずこの世から消去される。

おそらく、学生寮の至る所に刻んであったルーンすらも消しゴムで擦りつけたみたいに消えてしまっただろう。

大元を絶ってしまえば再生は不可能。『消えろ』という一言は魔女狩りの王とルーンの両方に向けられていたのだ。

窓から差し込む月明かりに真紅の石が照らされる。複雑に光を反射した賢者の石はどこか切なげで。

アウレオルスはまたも失敗したことを理解した。

感情のやり場が見つからない。本当にインデックスの幸せを願っていたのなら、彼はここで目的を達成していた。

だというのに、心情を支配する感情に『歓喜』の割合は驚くほど少ない。大半を占める喪失感と残りを埋める無力感。

全身から力が抜け、絶対零度の域に達した思考が弾き出したのは、この世界への罵声だった。

世界は非情だ。

人間がいくら救いを求めようとも、人間がいくら死のうとも関係ない。無数に輝く星々や死んでいく人々は新生する細胞に過ぎない。

当然、そんな世界に無限大の文句をぶつけようとも何かが変わるわけじゃない。

アウレオルスの生きる意味は消失した。

生きる意味を失った人間はどうなるのか。自死を選ぶかもしれないし、生きてもいないし死んでもいない精神の死んだ人間になるのかもしれない。

(……断然、答えを導くことに意味はない)

彼は失敗した人間だ。

世界がまた違った回り方をすれば、いまインデックスの隣に立っていたのはアウレオルスという可能性もある。

だが、とうに過ぎた事象を追求しても何も進展しない。

体感では数時間に及ぶ思考の末、アウレオルスが辿り着いたのは、

(『成功した人間』と『失敗した人間』……その違いを見極めさせてもらう)

髪の毛のように細い鍼。首にその先端を突き立てると、彼は静かに呟いた。

()()()()()()()()()()()()()

ツンツン頭の少年は異能を打ち消す右手を持つ。それはアウレオルス=ダミーとの戦いからも察せられる。

彼を対象にした黄金練成は無効化される。アウレオルスが対象としたのは学生寮の人間。

あの右手は異能に対しては無敵だが、異能で破壊した岩の破片を防ぐことはできない。異能であっても遠回りした方法で右手を攻略できる。

(これで、終わりだ)

終局は近付く。

 

 

 

扉が開け放たれる。

白いスーツを着た緑髪の錬金術師。全身を青白い月の光でぬらした彼は、儚げな雰囲気をまとっていた。

インデックスは拘束を解かれているものの、危害を加えられた様子はない。

「私は」

誰よりも早くアウレオルスは口を開いた。

口を挟む隙もない……いや、とても彼に何かを言えるような生易しい状態ではない。殺気じみた気配がそれを封じている。

「失敗した人間だ。己の救いに囚われた忌むべき愚者……私の道は間違っていたのか?」

「さあね。一つ言えることは、この世に『成功した人間』なんてほんの数えるくらいしかいないってことさ」

錬金術師と魔術師の視線が交錯した。

インデックスに振り回され、インデックスに全てを捧げた彼らだからこそ思うところがあるのだろう。

アウレオルスは皮肉げに笑む。白銀色の淡い光を放つ鍼を人差し指と親指でつまんで取り出す。

「……貴様か」

目で突き刺す。あらゆる感情が混沌とした瞳を向けられ、上条の全身が異常な寒気を覚えた。

震える身体を意地と根性で押さえつける。アウレオルスを真っ向から睨みつけ、口を開く。

「聞いたぞ、アウレオルス。お前もインデックスに関わった人間の一人だってことを」

「公然、それならば話は早い。生きる意味も目的も理由も失った私の全てを受けてもらう」

結局、止まれなかった。

彼には後戻りする気力は無く、先に進むだけの理由なんてとうに知らない間に失われていた。

だからこれは、単なる八つ当たり。

失敗した人間が成功した人間に行う見るも醜悪な食い下がりだった。それが判っていながらも、戻るという選択肢はもう選べない。

一度悪役になってしまったからには。

そこから他の役に移ることなんて許されない。

我が名誉は世界のために(Honos628)』。

忘れ捨てたその名前が、アウレオルスの胸中に鋭く重い楔として打ち込まれる。

(……せめて)

この時、彼が何を思ったのかは彼にしかわからない。

黄金練成は少しでも不可能だと思ってしまえば、想像は実現しない。魔術を行使する際に鍼を使うのはそのためだ。

無論、現代では鍼治療は使われていないことからも分かる通り、飛躍した効果ではない。

精々、神経を直接刺激することで脳内物質の分泌を促し、不安を取り除く程度の効果だが、それが黄金練成に合っていた。

鍼の先端が表皮を突き破り侵入する。

()()()()

その一言で充分だった。

上条を除いた全員の意識が剥奪され、重い音を立てて身体が崩れ落ちる。いや、全員というには語弊がある。

「ごっ、がばぁっ……!!?」

おびただしい量の血が逆流する。数瞬先には意識どころか生命の炎すら絶えてしまうのでは、と錯覚させるほどの虚脱感。

世界が滅茶苦茶に回転し、自我が好き放題に食い荒らされる。頬を濡らす生温かい液体が自分の血であることにも気が付けないほどに。

これならばいっそ、アウレオルスの意のままに昏倒させられていた方が楽だった。

まるで世界が戦えと命じているかのように、死の淵に追いやられてもなお意識を手放すことは叶わない。

(オ、レは……()は、違う、()()は一体何なんだ……!? 世界は、魔神は、オレに何を望んでいる!?)

いくら思考を働かせても答えが出るはずも無く、彼はただひたすらアウレオルスと上条の戦いを傍観することしかできなかった。

主役は上終 神理に非ず。神に造られた泥人形(ホムンクルス)は朦朧とする意識で行く末を見守る。

「俄然。得体の知れない存在だな、ソレは」

憮然とした表情で物言わぬ上終を俯瞰しつつ、アウレオルスはもう一本の鍼を引き抜いた。

「……くっ!」

思わず上条が駆け寄ろうとした瞬間、

「―――窒息せよ」

誰に放たれた言葉なのかは明白。

如何な効果を発揮するかは確実。

対応に失敗すれば――――死!!

ガクン、と上条の足から力が抜け落ちる。鉄のワイヤーで編まれた荒縄が首に巻き付いているかのような感触に、上条は戦慄する。

右手を必死に持ち上げる。中指の先が首を掠めるが、解ける気配は一向に無い。

「ぐ…ぁ」

それならばと、力を振り絞って右手の指を口内に突っ込む。多少荒々しい方法だったが、命と引き換えに建前を取っている場合ではなかった。

窒息から解放された上条に間髪入れず次の攻撃が襲いかかる。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

ズオッ!!と凄まじい勢いで壁が床が天井が、無数の鎖へと形を変えて上条に殺到した。

周囲の物質を利用した攻撃――幻想殺しでは鎖自体を打ち砕くことは出来ず、『標的を拘束せよ』という命令しか無効化できない。

取り囲む飽和攻撃が上条を絡めとろうとした直前、時が止まったみたいに鎖の群れが動きを止める。

『天地繋ぎ』。対象全体を止め、絶対非干渉の性質を付与する力に阻害されたのだと察するのに、多くの時間は要らなかった。

隙間から抜け出る上条。待ち受けるのは、

()()()

意思を持った複数の雷電。

だがしかし、上条はとある事情から、電気を右手で防ぐことは慣れていた。

眼前に右手を突き出し、雷電の壁を打ち破る。三沢塾の部屋なら事情は違ったが、ここは学生寮の一室。拳の間合いまでの距離は遠くない。

ミシリ、と右の五指が拳を形作る。

狙うはアウレオルスの顔面。岩のように固く握り締めた拳は、燃え上がる意思を糧に打ち出される!!

()()()()

()()()()

時が巻き戻された気分だった。両者の位置は一瞬にして引き離され、再び距離を作られた。

アウレオルスが選んだ戦略は至極単純明快。先に右手を奪う。ただそれだけ。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――」

錬金術師の右手にレイピアに似た銃が現出する。フリントロック式の銃が鍔に埋め込まれた暗器銃だ。

刀身の刃と銃口が上条に差し向けられる。

「―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

不味い。

そう思う時間すらなかった。

実体なんてとても捉えきれない。極限まで圧縮された体感時間でさえ、追うのはその残像で限界だった。

 

 

上条の右腕が斬り飛ばされる。

 

 

―――はずだった。

刹那の瞬間、アウレオルスは見た。

(インデックス、何故そこに……ッッ!!?)

上条の前で両腕を広げて盾になる少女の姿が、そこにあった。

何故、と閃光の如く疑問が浮かび上がる。『昏倒せよ』、その術式は確かに効果を発揮したはず――!!

(歴然、『歩く教会』か……!!)

物理、魔術を問わずありとあらゆるダメージを受け流す最大級の霊装。絶対の防御力を持つその純白の修道服は、こと防御という点で横に並ぶモノは存在しない。

これが黄金練成を防いだ……説得力はある。が、黄金練成はそもそも世界をシミュレートする魔術だ。

『歩く教会』も例外ではなく、アウレオルスの命令は本来と変わらぬ効果を発揮するはずだった。

けれど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

悪役にまで成り下がり救おうとした少女に、意識を失わせるだけでも罪悪感を抱いてしまったのなら。

黄金練成が通常に働くはずがない。

加えて『歩く教会』の存在。こうなることは半ば必然だったのだ。

「っ……」

白銀の刀身と魔弾がインデックスに到達する寸前、軽い音を立てて二つの武器が消滅した。

彼女自身、混濁した意識と思考の中で無理やり動いていたのだろう。上条にもたれかかり、二言三言話すと再度暗闇に落ちる。

インデックスをそっと寝かせ、彼は強大な心意が凝縮された黒い瞳でアウレオルスを貫く。

それだけで錬金術師の全身が総毛立ち、新たに取り出していた細い鍼が四つの破片となって床に落ちる。

「……どうしてだ」

揺らぐ精神に追い打ちをかける少年の一言。思いもしない無意識のうちに、アウレオルスは両足を引いていた。

「どうして、その優しさを他の誰かに分けてやれなかったんだ!!」

揺らいだ。

どうしようもなく、否定の余地もなく。

反論しようとする思考とは真逆に口は動かず、精神を硬直させることでしか逃れる術はなかった。

上条は続けて言う。

「本気でインデックスを救いたい――それならどうして、コイツが一番悲しむような事をしたんだ!! 成功したとか失敗したとかは死ぬほどどうでもいい。テメェはたった一人、護りたかったヒトの笑顔を見たかったんじゃねぇのかよ!!?」

「―――貴様に何が判る!! 全てを手に入れた貴様に私の苦悩の一欠片でも理解できるというのか!!」

アウレオルスは叫んでいた。

己にまとわりつくナニカを振り払うように。魂に刻んだ魔法名から逃れるように、喉を震わせていた。

失敗し、全てを失った錬金術師の問い掛けに、上条 当麻は一点の曇りなき意志で答える。

「判るに決まってんだろ!! 無力感に苦しんだのは俺だってそうだ。命を懸けて戦ったのは俺も! テメェも! ステイルも! インデックスに関わった誰だってそうだろうが!!」

そう。

彼らの違いといえばその程度でしかなかった。

一人の少女を救いたいと願った少年がいた。一人の少女を救いたいと願った魔術師がいた。一人の少女を救いたいと願った聖人がいた。一人の少女を救いたいと願った錬金術師がいた。

成功? 失敗? そんなのは道端の石ころ並に意味がない。だって、インデックスはすでに救われてここにいるのだから。

共に一人の少女を救いたいと願った人間が、彼女の最も嫌う暴力で争うことに罪悪感はないのか。

共に一人の少女を救いたいと願った人間は、彼女が救われたことに喜び涙を流すべきではないのか。

アウレオルス最大の間違いは、仲間に頼るという考えが欠落していたこと。人を信じられなかったこと。

「いつまでも絶望(げんそう)に囚われてんじゃねぇ! テメェ一人で抜け出せないってなら俺が引っ張り上げてやる! テメェの残酷な幻想(ぜつぼう)は―――」

一気に距離を詰め、振るわれる拳にアウレオルスが対応する間はなかった。視界が埋め尽くされるのと同時、錬金術師は優しい幻想を――現実を再確認した。

誰もが望んだ世界はここにあった、と。

彼は目を伏せ、全てを許容する。

「―――この俺が、ぶち殺してやる!!」

綺麗な月だった。

星々の光は平等に降り注ぐように、救いは誰の上にだって舞い降りる。

この日、アウレオルスの世界は色彩を取り戻した。

 

 

 

 

 

 

―――窓のないビル。

学園都市全域にばらまかれた超小型シリコン塊から送られる映像が、一際大きいスクリーンに映し出されている。

弱アルカリ性培養液が満たされた巨大なビーカーの中で、逆さに浮く手術衣の『人間』は無の表情に感情を滲ませていた。

「………引き分け、だな?」

闇に問い掛けるアレイスター。その中から、高級感のある葉巻を咥えたゴールデンレトリバーが現れる。

魔神を圧倒する『対魔術式駆動鎧(アンチアートアタッチメント)』の使い手、木原 脳幹は首を縦に振った。

「ああ、見方によってはこちらの大勝とも大敗とも言えるがね。……三沢塾においての戦いは魔神側の勝利、だが―――」

脳幹の言葉をアレイスターが引き取る。

「――『明け色の陽射し』は撤退。これで上終 神理は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

彼らが行ったのは二正面作戦。

パラケルススと上終を引き合わせることで、明け色の陽射しを邪魔する存在は消え失せる。

所詮、上終は彼女たちがいなければ死んでいた存在だ。後ろ盾が無い以上、上終を殺すことは簡単だった。

「『処分』するかね?」

首をアレイスターの方向に傾げて、学園都市の死神は確認する。

「否、だ。勘付いているだろう、上終は―――」

『人間』の表情が色付く。

ゴールデンレトリバーは黙って紫煙をくゆらせ、アレイスターの言葉の続きを待っていた。

「―――『計画(プラン)』の()()()()()()かもしれないからな」

 

 

 

 

 

 

 

後日、某カエル医者の病院。

上終は死んだ目で窓の向こうを眺めていた。

ステイルの報告によると、学園都市の潜む敵の襲撃を受けて明け色の陽射しは追い出されたらしい。

あのメンバーを押し返せるほどの実力。各地で魔力の反応が見られたことから、複数犯であることが推測される。

おまけに上終のゲストIDも無かったことにされ、この街で頼るモノは完全に失われた。

治療費を返すためにも、当分はこの病院で働くことになるだろう。

(執事の次は看護師か……)

空っぽの笑い声が漏れる。

しかし悪いことだけでなく、パラケルススもアウレオルスも改心したとか。パラケルスス……オプリヌスは世界を旅して人々の病を治すのだという。

アウレオルスも魔女の脅威を少しでも減らすため、オプリヌスについていくと言っていた。

去り際に上終は金の練成を頼んだのだが、とてつもなく凶悪な顔をされて断られた。

ボロボロになった右手を握りしめる。

これから先はこの右手一本で脅威を退けていかなくてはならない。それも、何倍も強い相手を。

ほんの少しの辛抱だ。

この学園都市から脱出してイギリスに向かい、その地で死ぬ。そのことは変わりない。

当初の目的より寿命が伸びただけだ。

「すぐに逢える」

すぐに死ねる。

正真正銘、上終 神理の戦いが始まった。

 




血みどろバトルを書いてきてアレですが、恋愛モノが好きです。上終くんには死に物狂いでイギリスに行ってもらわねば。
せっかくアウレさんも生き延びたので何処かで活躍させたいところ。目指せ禁書オールスターバトル。
それでは、次回もお会いしましょう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

一方通行と超電磁砲
捻れ狂う世界流転論


憎っくき勉強とテストとかいうゴミのせいで遅れました。もうすぐ夏休みなので一段落できます。
話の大筋は新約十巻まで出来上がっているので、どこかの海底神殿のタコから毒電波を受信したりしない限りは失踪しません。


両親の不手際で産まれた子だった。

貧しい家に痩せた土地。そこでは日夜数えきれないほどの人間が死んでいき、50年も生きれば信仰の対象になるくらいの最悪な場所。

少年が生を受けたのはそんな掃き溜め。人生の希望なんて生まれた時から思い抱くことすらできない。

そんな地域の倫理観や衛生状態は非常に拙く、殺菌処理も無しに泥水を飲み干し、自分の子どもが気に入らないことをすれば殴り殺す。

人が死ぬのは日常茶飯事だ。

街に出れば人攫いに襲われ、住処で暮らしていても暴漢が乗り込んでくる。運が悪ければ病気に罹り、対応する術の無い住民たちは連鎖的にこの世を後にする。

それなのに人が存在し続けるのは、それを上回る速度で人が産まれているから。両親が快楽を得るついでに産まれた子は珍しくない。

少年は幼いながらにして思った。

生まれてこなければよかった、と。

天上に輝く星々は地上の人々を嘲笑い、それでも人間は争いをする。拙い言葉に幼稚な思考であっても、そこに辿り着くのは容易だった。

結局、少年はともすればあっさりと命を落とす。

極度の栄養失調に流行り病、精神の摩耗と父親の暴行。幼い少年が死んでしまうのには十分過ぎる理由があった。

死の間際、少年は漆黒の空を見上げた。

看取る人間は居らず、精神と身体の両方を削り取られながら死に逝く彼が最後に想ったのは、世界への憎悪である。

この世は不平等だ。

幸福なことなんて一度もない。

ただただ不幸不条理理不尽が積み重なり、このことも知らないで幸運な人間は日常を嘆く。

少年が最後に何を想ったのかは、彼自身にしか分かり得ないし知り得ないことだ。

少数の人間が得た幸福と幸運のツケは、どこか遠くの誰も知らない名も無き少年に押し付けられた。

彼に物語の役者となる資格は無く、ただただその一生を搾取されるがままに幕を閉ざした。

きっと、この世界は穢れ続ける。

悪意を撒き散らし、糞尿を垂れ流す人類がいる限り。

〝この世界は間違っている〟

―――誰かがそう言った。

「……上終くん?」

意識を引き戻したのはその一言。

手放しに漂っていた自我が脳に収まり、上終はようやく現状を把握することに成功する。

両眼の奥に杭を打ち込まれるような鋭い痛みが骨に響く。視界にいくつもの白い斑点が浮かんでは消えていき、夢と現の間をさまよう。

それらの感覚が、つい数瞬前に見ていた物語が現実であることを確信させた。

どこまでも救われない話だった。

少年の身に降りかかるのは災難ばかりで、彼自身はそれをどうすることもできない。

刹那に過ぎた少年の人生は短いながらも、そこに詰め込まれた『不幸』は限りなく濃密だ。

もし、あの惨状が『上終 神理』というピースが世界を崩した結果であるのなら―――

「ふぐっ!?」

書類の束で頭を小突かれる。すっかり考え事に集中しきっていた上終がそれを躱すことはできなかった。

面を上げると、そこには見慣れた顔の白衣の男。カエルをモチーフにしたマスコットが印刷されたマグカップを両手に持っている。

彼は片方のマグカップを上終の前に置くと、向かいの席に腰掛けた。

「それで、進捗のほどはどうかな?」

「この本に関してなら大体終わっている」

そう言って指差すのは一冊の参考書。生後数ヶ月間もない上終が行っていたのは、看護師の勉強だった。

ホームレスから執事になり、執事からホームレスに戻りかけた迷える子羊に示された道こそが看護師。カエル医者の温情によって、病院勤めを許された上終の唯一の希望である。

とはいえ、学園都市のゲストIDも無ければ生活費も無い上終に職を与えるだけでも高い壁だ。

いくら凄腕のカエル医者でも、学園都市の上層部にいくらかのコネを要する事案。疑問に思っていた上終は素直にその言葉を口に出した。

()が治療費を返済するために働く、というのは真っ当な考えだと思うんだが……」

「うん?」

「だからといって看護師は少し違うだろう!? 事務員という選択肢もあったはずだ!」

一刻も早くレイヴィニアたちと逢って、死ななければならない彼は短い時間すら待ち遠しい。

しかし自殺願望なんて知っても目の前の医者なら止めようとするだろうし、明かす気は皆無に等しかった。

ここで上終の論に違和感を抱かないのは、この背景を知っている者でしかありえない。そのはずが、白衣の医者は穏やかな表情を浮かべて口唇を緩ませる。

それは単に違和を感じなかった、からではなく、どこか稚児を見守る父親のような気色を含んでいた。

「どうやら君は精神的に幼いみたいだね? 一度何かに集中すれば他のことに目が行かず、好奇心旺盛で隠し事が下手……本人の性質による所も大きいだろうけどね?」

ギクリ、と肩が震え上がる。

彼の言ったことは少なからず的中しており、上終が反応したのも自覚しているからに他ならないだろう。

以前、アナスタシアの話を聞くのに熱中して、レイヴィニアからの呼び付けを忘れていた経験がそれを助長した。

〝これは神理の負けだな。彼もお前を取って食おうという訳じゃないんだから、いいじゃないか〟

『神の理』がなだめてくる。

靄がかかった胸中の複雑な感情のやり場に、置かれたマグカップを選ぶ。何の気無しに注がれている液体を嚥下した途端、強い苦味が口内を席巻した。

その味に上終は顔をしかめ、

「……前のはもっと甘かったと思うのだが」

おまけに色も黒々としている。上終の記憶している限りでは、泥水のような色をした甘い液体だったはずだ。

愛好者に彼の印象を伝えれば間違いなく罵倒をくらうだろうが、0歳児の貧困な想像力ではそれが限界だった。

「大人の味ってやつさ。君には早かったかな?」

得意気な笑みをこぼす。

精神が未熟なのはこっちの医者の方ではないのだろうか、という考えが脳裏をよぎる。

しかしながら、上終はここで食い下がる男ではない。執事時代に雇い主からいびられてきた反骨心が顔を覗かせる。

「ひとつ言わせてもらうが―――」

と、反論を切り出そうとしたところ、携帯電話のコール音に似た高い音がそれを遮った。

音源は白衣の腰ポケットに収められていた無線通信器だ。主に病院内で人員を呼び出すのに使われ、手の平ですっぽりと覆えてしまうほどの大きさである。

カエル顔の医者は通信機器を耳の近くまで持っていく。

『せ、先生! お昼だって言うのにとんでもないのが来ました!』

「あの」

『こっちはまだご飯も食べてないんですよ!? とにかく、早く来てさっさと治してください!!!』

口を挟む間もなく、通話は切られてしまったようだ。受付からの通話だったが、焦り様からしてよほどの患者なのだろう。

「……君も来るかい?」

八月十八日。

学園都市でもやっぱり医者は忙しい。

 

 

ギコギコ、とノコギリで硬質のモノを削るような異音が、その部屋いっぱいに充満していた。

何度も繰り返されるリズムは時々早まったり、逆に極端に遅くなる時がある。

その音が連続して響く様はどこか不穏で病的な含みを持っており、同様に暗く重たい雰囲気を蔓延させた。

何度目かでようやく止まった音の後に、まるで鎖で繋がれた猛獣を解き放つかのような緊張感。それは間違いなく先程まで続いていた音に関わることであり、ある少女には次に起こる事態を容易に察することができた。

「不幸だああああああっ!!!」

学園都市全土に響き渡りそうな絶叫。

上条はウニのような頭に白いタオルを巻きつけ、右手にノコギリと傍らに工具箱を置いた日曜大工スタイルをしている。

うずくまり、頭を抱えて叫んだ彼の前で屹立するのは数十本の鎖。何を隠そう、ロリコン錬金術師(アウレオルス)との戦いで生じたモノだ。

床と天井から数十本の鎖が伸びている光景は、二流デザイナーが片手間で作ったような違和感を放っている。

「ち、ちくせう、傷一つつけられないってどんなトンデモ現代アートですか!!?」

鎖に傷をつけるどころか、削ろうとするノコギリの刃の方が欠けてしまいそうなほどに硬い。

アウレオルスが上条を捕えようと錬成した鎖は、上終が右手の力で止めたことで『絶対非干渉』が付与されたのだ。故にノコギリ程度では傷つけられず、撤去できないという仕組みだ。

もっとも、上条がそれを知る術は無いのだが。

仰向けに転がって虚ろな表情で虚空を見上げていると、視界の端を小さな影が横切った。

「……?」

影が消えていった方向を目で追う。といっても、そこに影の正体であろうモノは無い。代わりに視界に映るのは見慣れた少女の足だ。

「なあ、何か通り過ぎなかったか?」

「う、ううん。何も? 妖精でも見たんじゃないかな?」

妙に慌てた様子で応対するインデックス。イギリスでは妖精信仰が広まっていることから端を発した発言なのかもしれない。

しかし、上条はあまり神様や悪魔の存在を信じていない。神様にお祈りするのは急な腹痛といった不幸な事態にしかしないのである。

「インデックスさん、ここは学園都市デスヨ? どうせどっかの研究所から逃げ出してきた白いカブトムシみたいな……」

そんな調子で話していると、あることに気づく。

大きい。

どこが、とははっきり言えないが、悪くてまな板良くて平原だったはずのあそこが大きい。

即座に魔術を疑った上条だが、とある声が彼の推論を打ち消した。ソレは人の声ではなく、もっと野性的な『にゃーん』という鳴き声だった。

「にゃーん?」

上条が聞き返す。

「にゃーん」

インデックスの胸が返事をする。

……しばらくの静寂が彼らの精神状態を如実に表していた。それからして、両腕で抱き込むようにしていた胸から何かが飛び出した。

あの影と同程度の大きさをした三毛猫。上条は絶対零度の視線を投げかけつつ、忠告するように言う。

「捨ててきなさい」

「な……っ!? 血も涙もないのかなとうまは!!」

「そんなモンはこの前食っちまったよ。動物を飼うのは命に責任を取れるようになってからにしなさい」

オカンのように言い聞かせる。なるべくお金の消費を抑えたい考えが見え見えである。

しかしこうなったインデックスはてこでも動かないだろう。いい加減にそれを理解していた上条は、どう言いくるめるか頭をひねった。

インデックスは依然臨戦態勢であり、上条が行動を間違えれば確実に噛み付きが飛んでくるだろう。

西部劇でよく見るガンマン同士の撃ち合いのような雰囲気になった二人の間に、またもや静寂が訪れる。

睨み合いを終結させたのは、とある電子音。発信源は上条の携帯電話であり、呼び出したのは小萌先生だ。

(嫌な予感しかしねぇ!!)

通話を開始するよりも先に行っていたのは、心当たりの模索だった。

何しろ、上条にとって不意に掛けられてくる電話ほど怖いモノはない。それ即ち、予測不可能の『不幸(事件)』が待ち受けていることと同じなのだ。

恐る恐る通話に出る。

「え、ええと、何のご用件で?」

『はい。つかぬことを伺いますが、ちゃーんと答えてほしいのですよ』

明らかに不穏な言葉だった。

すぐそばにある現代アートに目を向ける。

もしや、これがバレたのでは――、と言いようのない不安が胸を満たした。この現代アートについて問われれば、彼は言い逃れできない。

家に錬金術師が押しかけてきてオブジェを造りました、なんて言われても馬鹿にしていると勘違いされるのがオチだ。

『それがですねー。数日前の監視カメラに()()()()()()()()()()()()()()()が、上条ちゃんの部屋に入っていく様子が記録されてたのです。しかもその時、学生寮の全員が外出していたりと、あからさまに不審ですよね?』

「……あっ」

かちーん、と全身が石化する。

血まみれの男と赤髪神父―――思いつく人物はそれぞれ一人しかいなかった。

上終 神理にステイル=マグヌス。上条風に言い換えれば、よく分からないヤツと喫煙魔術師である。

そしてそんな状況を創り上げたのは例のロリコン錬金術師。なるべくして疑われたと言えよう。

複雑な思考は必要なかった。これから訪れるであろう不幸の元凶はあの三人だ!

『事が事なので、上条ちゃんには至急登校をお願いしたいのですよ』

返答の間もなく通話が切られた。どうやは拒否権はないらしい。

それとなくインデックスの方向を見ると、何やら興奮した様子で、

「いってらっしゃい、とうま! 大丈夫、スフィンクスは私が責任持って面倒見るから!!」

眩いばかりの笑顔が上条に突き刺さる。

インデックスの腕に抱かれた三毛猫が鳴く。

上条家にもう一匹の居候が加入した瞬間だった。

 

 

「……医者の見解から訊きたいのだが」

「……うん」

「……これは緊急手術じゃないのか」

上終たちの前にいたのは、いつか見た茶髪の男子高校生と見るに堪えない惨状の少女。

少女の衣服は血に染まっており、左腕が歪に曲がっている。厚手の長袖から覗く白い肌には、擦り傷と切り傷の数々が刻まれている。

だと言うのに、少女は顔色ひとつ変えず立ち尽くしていた。これが日常であると示しているかのように。

年頃はちょうどレイヴィニアと同程度だろう。痛々しい傷と共にそのことを認識した上終の頭の奥で、突き刺すような痛みが走った。

歯を食いしばり、痛みを表情に出さないよう努力する。

「どうしてきみがここにいるんだい?」

大急ぎで駆け出していく医師たちを見送りながら、上里 翔流は呟くように訊いた。

「借金を返済するために看護師見習いと仮事務員をやっているんだ。れっきとした従業員だぞ」

と言うと、上里の表情が一気に豹変する。まるで雨の日に、段ボール箱に捨てられた子猫を見るかのような同情した表情だ。

視線をひしひしと感じつつ、上終は話を別の方向に持っていくことにした。

「いや、俺のことはどうでもいい。あの女の子に一体何があった?」

「ぼくも全部知ってるわけじゃないが、あの娘が言うには『いつものこと(不幸なだけ)』らしい。あんな傷で言われても説得力がないから連れてきた。ちょうど目の前だったしね」

「む、そうか。だから救急車を呼ばなかったのか」

それにしても、と上終は思う。

傷を負った少女に一度とはいえ共闘した上里の存在。この組み合わせで事件が起きないなんて楽観視はできなかった。

そうなるとまた、いつものような重傷を負うかもしれない。否、それだけは自信を持って断言できる。

(……また、か。嫌な予感がするな)

窓に切り取られた空は青い。

忘れてはいけない。この青空も自分が歪めたモノであることを。

脳裏に響く無数の声。男性と女性、老人と子供の声音を切り分け、貼り付けたような奇妙な声だった。

〝この世界は腐蝕している〟

――誰かがそう言った。

 

 

 

夕暮れが街を染め上げる。

朱と黒の複雑なコントラスト。美麗に光を跳ね返す噴水。人々は帰路に着き、その気色はそれぞれ違っていた。

蒸し暑さもいくばくかは鳴りを潜め、地上を照らしていた太陽が遠くで沈みゆく。

これより、光の届かぬ闇の時間。

常識人の理論なんて通用しない。

偽善者の説得なんて意に介さない。

そんなドス黒い闇。学園都市の深淵で蠢く毒蛇の如き暗黒が、今ここに執行されようとしていた。

とあるマンションの一室。

その部屋の至る場所がおぞましく、まだ乾ききっていない赤黒い血で塗り潰されている。

放射状に広がる血の池の中心にひとりの人間と、ひとつのモノがあった。

色が抜け落ちた病的な白髪。肌もこの季節には場違い甚だしいほどに白い。

ただひとつ、血液の結晶をはめ込んだかのような真紅の瞳だけが、この惨状を物語っている。

眼下に落ち伏せるのはつい数瞬まで殺し合いを演じていた人間だ。いや、殺し合いというのは語弊があるだろう。

それは、虐殺だった。

彼らの戦いは『戦い』の領域には到達せず、ただ腕を振るえば相手が吹き飛び、脚を振るえば臓物が飛び散る『蹂躙』と化していた。

ビグン、と半ば痙攣するカタチでソレは動く。

四肢の四分の三は毟り取られ、内臓系の半分以上は潰したというのにソレはもがいている。

ただ単純な生への執念か、はたまた筋肉的な蠕動か。明確な理由付けは無くとも、何らかの理屈を介して動作していることは確かだ。

少年はその様を数秒だけ眺めると、残りの四肢である左腕を千切る。些末に腕を投げ捨てると、足の爪先をソレの後頭部に押し当てた。

ばぢゅっ、と高所からトマトでも落としたみたいに、頭が文字通りバラバラに弾け飛ぶ。

「実験終了……ッてかァ?」

つまらなそうに言い捨てる。

所詮、人間なんてモノはこの程度だ。

この世のどの生物より頭が良く、数億年前から叡智を研ぎ澄ましていたとしても、『個』として見ればそれは貧弱。

人間だからといって尊いとは限らないし、存在的に上位に存在するとも限らないのだから。

要するに、命の価値なんてそう大差ない。

少なくとも少年はそう思っている。そうではなくては、人殺しなど到底意義を見出だせないモノなのだ。

(……違うな。コイツらは――)

例えば、ボタンひとつで人間を造れるとして。その人間があるひとりの人間と全く同じ容姿を持っていたとする。

果たしてソレは、人間と呼べるのか?

元来、人間とは人の間に産まれる生物だ。この世に全くの同個体が在るのなら、ソレはもはや人間ではなく、

「――タダのモノだ。一体辺り約十八万円だっけか? 随分とお安い生命じゃねェか」

愉快そうに、それでいて不快そうに吐き捨てる白い少年はさっさと背を向ける。

ドアを開け放てば、目の前には茶髪の少女。それが十人。全員が完全に同一の見た目をしていた。

うやうやしく会釈する茶髪の少女を視界から外し、縁に手を掛けて一息に飛び降りる。

地上七階のマンションから固いアスファルトへ飛び込む、というのは紛うことなく自殺行為に等しい。

だが、まるで衝撃など元から無いように少年は着地していた。

無能力者(レベル0)低能力者(レベル1)異能力者(レベル2)強能力者(レベル3)大能力者(レベル4)超能力者(レベル5)――と学園都市の能力開発には五つの強度(レベル)が設けられている。

中でも超能力者は学園都市全土において、たったの七人しか存在しない非常に稀な人材だ。

彼はその超能力者の第一位。

この世界のありとあらゆる『向き(ベクトル)』を操る最強の名に恥じぬ能力者。

一方通行(アクセラレータ)

それこそが少年の記号(ナマエ)だった。

(最強……ハッ、くだらねェ)

最強とは一番強大であること。

故に最強は二人も存在することは許されず、個体としての強さを突き詰めた究極の個。そして、この学園都市で最強であるのなら、一方通行に世界で勝てる者はいないのだろう。

彼が下らないと罵ったのはそのことだ。

いくら比類なきチカラを手に入れたとしても、最強なんて肩書きはその程度でしかない。

「……チッ」

現に最強の肩書きを奪おうとしている連中が、彼を取り囲んでいた。

実際はこんなモノ。最強なんて称号は、弱者に下剋上の希望を与えるだけの障害物に過ぎない。

周囲を見回せば、金属バットやスタンガン、ナイフを持った挑戦者たちが大声を発している。

一方通行は己の能力で以って音を遮断し、大きくため息をつくと真っ直ぐ歩き出した。

襲い掛かる数多の斬撃打撃の雨あられ。だがしかし、どれもが一方通行を傷つけることなく、攻撃が跳ね返っていく。

『向き』変換。これを反射に設定すれば、あらゆるエネルギー・物体は進行方向の真反対に飛ばされる。

つまるところ、一方通行がすることは変わらなかった。

ただ歩く。それだけで良い。

それだけで勝手に敵は自滅するのだから、これ以上何かをするのは無粋と言える。

(これで終わりかァ?) 

その時だった。

()()()()()()()()()()()()()()()()()

極端に言ってしまえば、この世の全てを反射してしまえる彼を、その手の持ち主は触っていた。

思わず振り向く。

その先にいたのは、黒と茶混じりの所々の髪がはねた少年だった。どことなく眠たそうな顔をしている。

――世界はまたねじ曲がる。それが予期しないモノだとしても、神様の言うとおりに。

 




セロリさんです。愛しのていとくんキラーでもありますが、改心後は魅力的でかっこいいですよね。この時期はかなり見解が分かれるので、ビクビクしながら内面に踏み込んでいます。
それでは、次回もお会いしましょう!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

メサイアコンプレックス・トリックスター①

長らく間を空けていてすみませんでした。とりあえず一話だけ書き終えたので投稿させていただきます。


 夕暮れに沈む太陽が街を朱と黒に染め上げていく。

 美しい、と幼稚な感性が言った。

 イギリスで見た夕焼けも、敵であるはずの学園都市で見る夕焼けもその壮麗さに変わりはない。ただ、学園都市が敵という表現はあまり正しくないのかもしれない。

 互いに敵意を持って初めて敵というのなら、学園都市にとって上終(かみはて)は路傍の石と大差ないのだ。彼は特別な境遇ではあるが特別な人間ではなく、それどころかある意味では人間ですらないのだから。

 そんな思考を振り払いながら、上終は居候をしている病院の廊下で黄昏れていた。長椅子にもたれ掛かるその姿は、社会不適合者そのものである。

 おもむろに彼は立ち上がる。向かいの壁一面のガラスに幼心と好奇心を刺激されたと言い換えても良い。三沢塾も似たような造りではあったが、いかんせん余裕がなかった。

 そんなわけでガラス張りの壁の前で、下を覗き込もうとパントマイム風の奇行をしていたが、聞き覚えのある声にそれは中止させられる。

「む」

 後ろを振り向くが誰もいない。天井に声の主がいるなんてこともなく、手当り次第に視線を振ってみると、

「……なんでそんなところにいるんだ。怖いぞ」

 他でもない自分自身の股ぐらから、人間の頭部が突き出していた。しかもそれだけに留まらず、流暢に喋り出す。

「ノーリアクションですねえ、恥ずかしがるか興奮するかぐらいは期待してたのですが。あ、そもそも私のこと、覚えてます?」

 銀髪と褐色の肌、それにこの口調。上終の知る人物の中ではひとりしかいなかった。

木原(きはら) 角度(かくど)、だったか」

 オプリヌス(パラケルスス)と組み、禁書目録の事件に介入してきた科学者。直接戦ったことはないにせよ、上終には数少ない記憶の中のひとり。忘れることはなかった。

 答えると、膝の辺りから右手が飛び出してきて、指を弾く。

「アタリです。ちゃんと記憶していたようですね」

 にゅるん、とウナギか何かみたいに股から這い出していく少女。あくまで服の表面から出てきているだけだが、なんとも変な感覚である。

 彼女は立ち上がり、白衣の埃を払う。驚くほど無防備な振る舞いに、敵対していたことすら忘れてしまいそうだった。

 上終が彼女の真意を図り損ねていると、

「立ち話も何ですし、座りません?」

 のんきに着席を勧めてくる。上終もそれには反対ではなかったが、単純な疑問が口をついて出てくる。

「自分の立ち位置を理解しているのか?」

「病院なんですから美少女天才医師と精神科患者その二くらいにしか見えませんよ。いざとなれば、魔術で貴方を捕まえて移動すれば良いのです」

「……せめて事務員その一くらいにしてくれ」

 どうやら拘束する際のいざこざは気にしていないらしい。戦ったとしても負けるのは十中八九上終なので正しくはあるが。

 廊下の隅に寄せられた長椅子に腰を下ろす。先に切り出したのは角度だった。

「今日は貴方にプレゼントを持ってきたのです。何だと思います?」

 そう話す割に手ぶらにしか見えない。ただ、彼女は90度以下の鋭角さえあれば、何処にでも移動することができる。故に距離など有って無いようなものだ。

 上終は頭の片隅では素直にプレゼントの正体を考えながら、その力が羨ましく感じられた。地球上の、あるいは宇宙のあらゆる場所に行ける魔術。それがあれば、上終の目的など目的にすらなっていないのだ。

 羨望の話は意味がない。そこで思考を打ち切り、浮かんできた言葉を大雑把に選んでつなげる。

「ろくなモノじゃないということは判る」

「長く考えたにしては心外ですねえ、正解はこちら!」

 どこからともなく取り出したのは、相当に分厚い一冊の本だった。白一面の表紙に、金文字で大きく題名が刻印されていた。

 重みのあるそれを受け取り、英字の書名を読み上げる。

「Bible……聖書、か」

「ええ。しかも旧約と新約を一緒にしたお得版なのです。宗派によっては旧約が新約になったりするのですが。世界で最も売れた本ですよ、読んでおかないと損でしょう」

 本の奥付をめくる。いわくつきの魔書、なんてことはないようで、しっかりと出版社などが記されていた。

 口うるさい頭の中の声も反応しないことから、何か裏があるわけではないらしい。

 夢中になりそうな心を抑えて、本から視線を切る。すると、角度はニタニタと笑いながら、

「ほらほら、言うことは?」

「ありがとう。大切にする」

 素直に礼を言う。が、それだけに彼女の意図が疑わしかった。こればかりは考えても分かることではなく、ためらわずに訊く。

「何が目的だ? この本を渡しに来ただけ、なんてことはないだろう」

「そうですね。貴方の言うとおり、本題に入りましょう。ま、小難しい話ではなくて簡潔な()()()なのです」

 こういう人種がするお願いが簡単なものではないことは、経験から予想がついた。

 それでも上終に断る理由はない。そんなもの、最初から在りはしない。

「俺に叶えられることなら助かる」

 その言葉に返ってくるのは沈黙。不気味に微笑む科学者の表情は、不穏な未来を明快に映し出していた。

 暗い予感が背筋を這う。

 木原 角度は、こぼすように。

 

 

「私を救ってください」

 

 

 囁くような、響き入るような声。これ以上ないほどに明瞭な一言。だというのに、その一言を理解することは何より不可能に違いなかった。

 困惑する上終とは反対に、微笑みはより一層深まっていく。裏に愉悦を潜ませながら。

「この世界はパズルのようなモノです。たったひとつのピースも入り込む余地のない完成した絵柄……そこに決して生まれ得ないはずの『上終 神理』という例外(ピース)を組み合わせたら、それは未完成のパズル(せかい)に変わってしまう。では、どうするか?」

 オプリヌスは言った。上終の存在は本来の世界を大きく変えた、と。その全ては彼の英雄譚を演出するため。

「――()()()()()()()()()。そうして歪なパズルを再び完成した形にする必要があるのです。今となっては魔神しか知り得ないことですが……今のこの世界には、()()()()()()()()()()()()()がいるのでしょう」

 この世界は物理法則に基づいて、均整のとれた運行を続けている。それは人間も含まれ、上終が起こした変化を補填・修復するための誰かが発生した。彼女はそう言いたいのだろう。

 しかし、それではパズルの絵柄はどうなってしまうのか。付け足されたピースがある以上、新しい絵柄が現れるはずだ。

 その絵柄の与える変化が、組み替えられたピースが、パズルを俯瞰で眺めた際に元の絵柄を大きく歪める。しかも上終に都合の良い形で。それこそが彼の罪過であり、償わなくてはならないことなのだ。

「分かってる。この地球上の誰もが、俺の贖罪の対象だ。だから……」

「――だったら。私の頼みを受け入れてくれますか? 貴方を利用し、使い潰す、この私の願いを」

 心臓が締め付けられるような感覚。指先の熱が消え、力が抜けていく。罪の重みが、身体を押し付ける。

 返答は、彼女の願いを聴いた瞬間に決まっていた。

 それは当然だ。義務でもなく、使命でもなく、上終が得た信念なのだから。

 なぜなら、彼には目の前の人間を見捨てるということは、自分自身を捨てることに等しい。

 ひとつしかない矜持をなげうつのなら、その時上終 神理という生物はただの機械に成り果てるだろう。

 故に、たとえ見えている地雷を踏みにいくような行為だとしても、救いを求める手を取ることに抵抗はなかった。

 だが。もし『神の理』に目があるのなら、上終を見る眼光は冷たかったに違いない。

〝……そんな女にも、お前は本気で同情するのだな。――つくづく、生きるのに向いていない〟

 しかしてその声は、誰にも届かない。

 どんな者にも本気で共感し、自らを犠牲にする。すでに狂った彼の決意を阻まぬために。

「当たり前だ。首を横に振る理由なんて、無い」

 自分の意味を見失うことではなく、木原 角度への同情心にのみ、上終の心は揺れ動く。相手の過去を棚に上げて。

 銀髪の科学者は口角を吊り上げる。

「言質はいただきましたよ。これから貴方は私の道具なのです。といっても、行動を強制したりはしませんが」

「それは、変だと思うのだが。従わなくてもいい『お願い』に何の意味がある?」

「意味はあります。貴方がどうしようと私は助かりますし、何より貴方の苦しむ姿は見ていて愉しいのです」

 にっこりと花のように笑いながら、彼女は言った。腹の内は晒すつもりはないのだろう、上終も追及は諦めた。

「む…それなら、俺はどうすればいい」

「残念なことに、この世界には悲劇が溢れています。私は貴方が手に届く範囲のそれを教えましょう。知った後でどうするかは好きにすれば良い」

 目的は知れたが、そこに向かうまでの過程があまりにも曖昧。木原 角度を救う――上終はその手段も、方法も知らされないまま、頷く。

 それにこれは、彼にとっても悪い話ではない。他人の不幸を解消することは、人生の本義であるからだ。

「かの詩人ダンテは、地獄と煉獄の旅路をウェルギリウスによって導かれました。ならば、私は貴方のウェルギリウスとなりましょう。もっとも、導く先が地獄でないとは保証しないのですが」

 思わずため息をつく。上終の周りには回りくどい言い方をする者が多いが、彼女もその例に漏れないらしい。

 本心を隠しているのか、曝け出しているのかも分からない笑みは、僧正のそれとよく似ている。

「君は、随分と悪巧みが得意そうだな」

「そんなに褒められても困りますねえ。私は救済されるために必死なだけなのです」

 言いながら、白衣のポケットから折りたたまれた紙を摘んで渡す。

「……これは?」

「最初のお願いですよ。伝えたように、どうするかは自由です」

 促されるままにそれを開く。内側には一枚の写真が挟まれており、紙面は文章で埋め尽くされていた。

 そして半ばまで読み終えると、上終は写真を指差して質問する。

「彼の居場所はわかるか?」

「ええ、まあ。会いに行くので? 下手をすると殺されますよ?」

 止めるような言い回しは、愉悦混じりの口調で打ち消される。

 心外な言い草に上終はむっとして、

「好きにしろと言ったのは君だろう。それに生憎、俺は文字で人を判断できるほど器用じゃない。話をしなければ理解できないことだってあるはずだ」

「ふふ、そう言うと思って、写真の裏に書いておいたのです。私は貴方のことなら何でも知っているので」

 最後の文句は、彼女なりの意趣返しだった。

 無知な上終には案外にその言葉が響く。人の機微に疎いのは自覚していたが、こと木原 角度となると雲を掴むように難しい。

 諦め気味に呆れつつ、彼はその場を離れていく。

 オレンジ色に染まった廊下。

 その一場面を切り取り、角度は目を伏せ、そして開いた。意味などあろうはずもない、なんてことのない動作。

 それは、まるで木の葉が揺れるように。

 つう、と右の頬を透明な雫がつたう。

 彼の背中を眺めて、銀髪の科学者は呟いた。

「私がウェルギリウスだとすれば――貴方を天国まで導くベアトリーチェは、一体誰なんでしょうねえ……♪」

 

 

 

(さわ、られた?)

 ありえない――脳裏に浮かぶ否定を塗りつぶす事実。鉄パイプもナイフも銃弾も、理論上は核ですら通さない絶対的な能力が何の変哲もない右手に屈していた。

 一方通行(アクセラレータ)の手がそれを払い除けようと無意識に動こうとしたその時。風船が弾けるような音が鳴り響いた。けれども、音を反射した彼にそれが聞こえることはない。

 同時に肩に置かれた右手が跳ね上がる。痛みを与えるほどではないが予想外の衝撃に、当人は少し慌てた表情で体勢を保った。

 本来はこれが正常な反応。『反射』はその気になれば触れる物質のことごとくを吹き飛ばす。しかしそれでは生き難いことこの上ない。そのために、反射には有害と無害を仕分ける設定があるのであり、今回のこれは設定の誤作動。そう結論付けるしかなかった。

 真実味に満ちた現実味のない結論を突き放すのは、自分自身。誤作動の理由をただの偶然と片付けるのは簡単だ。が、偶然も煮詰めれば原因が存在する。

 真っ先に浮上した疑問が、彼の正体。

 襲い掛かってきた不良たちの残党とも思ったが、一方通行の中でその仮説は一瞬で却下された。

(このマヌケ面……単なる馬鹿か、それとも命知らずか)

 そこで、ようやく他のことに思考回路が働き始める。目の前の少年が何かを言っていることに気付き、音の反射を解除する。

「いきなりですまない。俺の名前は上終 神理だ。近くの病院で居候をしている。上の名前でも下の名前でも、呼びやすい方で構わない」

 間の抜けた声に、思考が白紙に戻された。

「君と話をしに来たんだ」

「――ハァ?」

 困惑が口をついて出た。目の前にいるのは紛れもなく変人か狂人と名のつく人種だ。それは間違いない。そもそも病院に居候という状況が突拍子ない。

 そもそも、と話を辿るなら、夏場の道路のミミズみたいに辺りで転がっている無謀な挑戦者の姿が見えているはずだ。加えてその張本人は学園都市第一位である。これだけの条件で逃げ出さないというのは、命知らずか馬鹿のどちらかだろう。

 そんなこともいざ知らず、上終は気の抜けた緩い顔で話し出す。

「今のは超能力か? 見たのは初めてだ。俺はてっきり遠くから物体を動かしたりするモノと思っていたのだが、色々種類があるんだな。それとその服はどの店で買ったんだ? オーダーメイドか?」

(決定。コイツは命知らずでも馬鹿でもねェ、死にたがりだ)

 少しでも有益な情報を期待したことが間違いだった。即座に音の反射を再開し、耳障りな声をシャットアウトした。

 苛つきのままに手を軽く押し出す。その動作だけで十分。押す力と押し返す力。後者の向きを反転し、相手にぶつける。

 たったのそれだけで。

 次の瞬間、上終の身体が見えない手に引っ張られたみたいに浮いた。盛大な尻もちをついた結果、不良のひとりが彼の下敷きと化した。

 人の往来が盛んであることが味方した。もしここが人目につかない場所なら、肋の三本は折られていただろう。

 これでも一方通行にとっては慈悲に慈悲を重ねたと言える。彼がその手を本気で振るえば、冗談でなく人が跡形もなく飛び散るのだから。上終が裏の人間であったなら、今頃どうなっていたかなど言うまでもない。

 学園都市最強の能力者は、持ち得る最大の容赦を込めて言う。

「次は折る。今後会った時には、それくらいの覚悟はしとけ」

 踵を返し、再び帰路につく。音の無い世界で動揺する心を落ち着かせる。

(……可能性はふたつ)

 如何にして反射を無視したのか。当人に訊けば済む問題ではある。それ以上に、あの呆け面に教えを請うのは癪だった。

 ひとつ。上終が無知を装った同系統の能力者である仮定。

 同じ『向き(ベクトル)』変換の能力者ならば、触れることができてもおかしくない。しかし、彼はそのような能力者の存在は一度も耳に入れてはいない。唯一無二の能力であるからこそ、一方通行は学園都市第一位(さいきょう)なのだ。

 そして仮定に従うのなら、わざわざ接触してきた目的も曖昧。

 第一位との実力差を確かめるため?

 それともいつものような挑戦者?

 はたまた、本当の死にたがり?

 否、と彼は断ずる。目的なら本人がその口で言っていた。――()()()()()()、と。

 ふたつ。あの右手を無害と判断したから。

 無害と有害のフィルターに隙はない。一方通行の背後からの攻撃すら反射し、目で捉えられない速度の銃撃も跳ね返す。

 本体に有害だと判断された対象は、分け隔てなく隔絶されるのだ。それは通常の人間が浴びる太陽光の紫外線や、空気中に含まれるごく微量の放射線も例外ではない。

 彼の、漂白したような肌も髪もそのせいだ。普通に生きていれば受けるほぼ全ての刺激を遮断しているため、身体に異変が起きている。

 最強の能力者とはいえ人間である。呼吸をしなくては生きていけないため、空気は無害とされる。それが汚染されていれば、その原因を遮るだけだ。

 つまり、触れようとする人間が空気と同等なほどに害意も敵意もないと判断され、無害であったなら、反射はその手を通すだろう。

 果たして、そんな人間は存在するのだろうか。草木のように悪意を持たず、空気のようにただそこにいる――それを人間と呼んでも良いのか?

(…クソッ)

 脳裏をよぎる、茶髪の少女たち。人間に造られた彼女たちは、感情などないかのように振る舞う。

 何回目の実験だったか。武器を失い、頼みの綱の能力すら効かないとその目で確認していながら、拳で殴りかかってきたあの少女。当然、反射は無慈悲に拳撃を跳ね返し、彼女の腕を粉砕した。

 反射が、それを有害だと判断したのだ。

 有害であるということは、認めていたのだろうか? 彼女が人間のように敵意も害意も持ち、生物のようにそこにいる――その事実を。

 一方通行は、その考えを愚かと断じて嘲笑う。

(人間らしさは人間であることとは全く違う。……アイツらはただ自分で考えてるフリをしてるだけの人形だ)

 では、人間の定義とは何処に在るのか。

 彼は矛盾から目を背け、歩を速めた。

 

 

「……あれは、強敵だな。頼み込む暇もないとは」

 この世界に来てすぐ、魔術結社での日々を思い出す。あの時はストーブの前にへばりつく猫のような執念を以って会話した訳だが、取り付く島もないとはまさにこのことだった。

〝怪我をしなかっただけでも僥倖と思うことだな。おまえは軽率に動きすぎるきらいがある。だいたい、あんな――〟

 怒り気味の『神の理』からお叱りの言葉を受ける。くどくどと説教する声が脳内に鐘の音のごとく響く。

 次々と溢れ出す忠告をそこそこに聞き流しながら、立ち上がろうと両手を地面に着く。すると、柔らかい感触と共にうめき声が聞こえた。下敷きにされた男のものだ。

「すまない、大丈夫……そうじゃないな」

 手を掴んで引っ張り上げようとすると、腕が肘の手前で折れ曲がっていた。患部は黒く腫れ上がり、表情も血の気が引いて青ざめている。

 それを見たとき、上終の顔も同じように青くなった。

「俺のせいなのか!? 踏みつけたせいで……」

〝おまえの尻にそんな威力はないだろう。ヤツにやられたに違いない。自業自得ではあるが、救急車が来るまで応急処置くらいはしてやれ〟

「たしかに、その通りだ」

 上終が来た時には彼らは既に少数だった。危害を加えようとしたとはいえ、ここまでの怪我を放置するのはいささか良心が痛んだ。

 添え木代わりにするためのバットを手に取る。不幸中の幸いか、処置に適した棒状の凶器はそこらに散らばっていた。

「こうなることを見越して、ちょうど良い武器を選んでいたんだな」

〝ああ。十中十、違うな〟

 『神の理』と相談しながら作業を進める姿は、見物客からすれば奇妙な光景だった。彼らに限らず、たいていの人間はそう感じるだろうが。

 袖を千切ってバットをくくりつけ、男が着ていた学ランで折れた腕を吊る。

 一人目の手当を終え、周囲を見渡すと、見事に死屍累々の有様だった。

〝神理。『風紀委員(ジャッジメント)』か『警備員(アンチスキル)』を呼ぶといい。このままだと面倒なことになるぞ〟

「どういうことだ?」

 意味が分からず首を傾げる。直後、ガチャリ、という金属音が鳴り、手首にずしりとした重みがのしかかった。両手が拘束されたような窮屈な感覚だ。

 恐る恐る両手を眼前に持ってくれば、鎖で繋がれた鉄の輪がくくられている。それは上終も見覚えがあるもので。

「!!?」

 手錠。一般人の感覚からすればかなり遠いその道具が、自らの手を縛っていた。

「第七学区の通報があった場所に到着しました。付近には多数の負傷者。至急救護を要請します。同時に容疑者らしき男性も確保、最寄りの支部へ連行します」

 学生服を着たその少年と、通信機の向こう側の声は淡々と話を進めていく。

「ま、待ってくれ! 話もきかずに逮捕はおかしいだろう!?」

「状況証拠って言葉知ってますか? しかもほとんど現行犯ですよコレ」

 辺りを指差しながら言う。どうやら彼らを傷付けたのは上終だと思われているらしい。

「戦ってるところを見たわけじゃないなら現行犯にならないはずだ! よし、とりあえず俺も君も落ち着こう!!?」

 この場で最も落ち着いていない不審者が口走った。取り乱した様子をさらす彼への心象が良いはずもなく。

「いや、僕は至って平常心なんですけど……」

「君は平常心で他人に冤罪をかけるのか!?」

 見苦しく騒ぐ容疑者を、野次馬たちは冷たい目で見ていた。今時の若者らしく、しっかりと携帯端末で写真を取る抜け目の無さも兼ね備えている。

 今現在の状況もそうだが、各種メディアで晒し者にされるかもしれない未来に言い様のない不安を覚える。上終の脳内で繰り広げられるのは、報道番組で犯罪者として紹介される自分の姿だ。

 付け加えれば、今の彼には学園都市の全員に割り当てられるはずのIDが無い。これが露見すれば文句なしに不法侵入者として牢獄行きである。

「最近多いんですよね、物騒な事件が。どっかの研究所が襲撃されたり、こんなふうにケンカ沙汰だったり、我々もてんてこ舞いなんですよ。というわけで、とっとと捕まってくれません?」

 額に手を当てて、わざとらしくため息をつく風紀委員の少年。こんな騒動は頻繁にあるようで、上終はこの街の治安について小一時間問い詰めたいところだった。

「だから! 俺は無罪だ!」

「それ、犯人の決まり文句ですから。話なら支部の方で聞くので、大人しくしてください」

 数分後に車が到着し、後部座席に押し込まれる。上終に手錠をかけた少年と、やたら巨体の物々しい雰囲気の委員とに挟まれる完璧な配置である。

 背中を限界まで丸めてうなだれる。

 手錠の感触が妙に生々しく重苦しい。

〝神理、どうするんだ。ID不所持とバレたら重罪だぞ。おまけに学園都市がおまえを逃がすつもりはないだろうしな〟

「なんとか説得してみよう。……あ」

 平時の癖で口に出して言ってしまう。こわごわ左右を確認してみると、家畜を見るような視線で突き刺された。レイヴィニアに幾度となく向けられた、変な懐かしさを感じる反応だ。

「精神鑑定の必要あり……と」

 ナチュラルに変人扱いを受ける。眼差しにこもる感情も蔑みというよりは、哀れみや恐怖の度合いが強くなっていた。

 これには『神の理』も呆れたようで、

〝よし、右手を切り落とすか〟

(冗談じゃないぞ! こんなにくだらないことで君と魔神の力を借りるなんて!)

 くだらないこととはいえピンチであるのは確かだ。ほんの僅かだけ、右手を切るのに賛成した自分がいた。

 持ち物は雲のように軽い財布と無駄に重い聖書のみ。携帯機は病院に置き忘れた。まさしく八方塞がりである。

 聖書に教えを請おうとしても両手の戒めがそれをさせない。科学の街でそんなものを取り出したところで、心象を悪くするだけだろう。

「その支部とやらは近いのか?」

「ええ。もうすぐ見えてきますよ」

 指差した方向に目をやると、ごく普通の学校。軍事基地のように厳めしい外見を想像していた上終の予想と相反していた。

「なんというか、こじんまりとしているな」

 状況を省みない率直な感想に、

「逃げられそうとか思っちゃいました?」

「よくよく考えれば俺は犯人じゃないからな、逃げる必要はない。調べてもらえばわかることだ」

「威勢のいい考え方ですねえ」

 車の揺れが止まる。がっしりと両脇を固められながら、彼らは校門をくぐった。

 あちこちに視界を移しながら、知識と現実のすり合わせを行う。知識が補強され知恵となる感覚。上終の娯楽のひとつだ。そんな楽しみもこの状況ではのめり込めたものではないが。

 刑を執行される直前の囚人みたいになった上終を、風紀委員のふたりは半ば強引にひきずっていく。

 通りがかった一室に、マネキンになった容疑者を引き入れた。

「尋問は僕がするので、先輩は現場の映像を調べてください」

「わかった」

 奥の部屋の扉が閉まる音。机を挟んで上終と少年が向かい合う。

「ここなら丁度良いかもしれませんね」

 既視感のある笑み。ぱちん、と指を弾く。

「何を――」

「こういうことですよ」

 変化は唐突に訪れた。

 ごきばきと骨を破砕し、人体のシルエットが作り変わる。皮膚と肉が流動的に蠢き、髪の毛は伸びて白く、肌は小麦色に染め上げられる。

 そうして奇怪な変身を終えると、道化のように手を打ち鳴らす。

「いやあ〜、どうもどうも。サプライズは如何でしたでしょうか?」

 軽薄なその声を聞いて確信を得る。あの逮捕劇は仕組まれたものだったのだと。

「……帰ってもいいか。君と話すのは疲れる。君は他人がわからないような話が好きだろう」

「これは手痛いですねえ。科学者や魔術師は、職業柄どうしてもそういう語り口になってしまいがちですから。そのどちらでもある私がこうなのはもはや当然なのです」

 上終はこれ以上問い詰めるのをやめた。この類の手合いには、無視も肝要なのだ。

「それで、何のためにこんなことをしたんだ?」

「第一位とファーストコンタクトを果たした貴方に、質問をしようと思いまして。うまくいきそうです?」

「残念だが、どうも俺は嫌われたらしい。しかし超能力には驚かされたな、アレが俗に言う念動力なのか?」

 角度は大きく首を横に振る。

「いいえ、彼のはそんなチンケな能力ではありませんよ。あらゆる『向き(ベクトル)』を支配する、最強の能力なのです」

 向きを操る。一言でそう言ってしまえば簡単だ。シンプルなそれはかえってできることの多様さを反映している。一方通行の代名詞でもある『反射』だけでなく、彼の手はたいていの不可能を可能にしてしまうだろう。

 銀髪の科学者は一通り語ると、前のめりに顔を近づけてくる。

「――と、なると。不可解ですねえ、どうして貴方は第一位に触れられたのでしょう?」

「俺の右手の力があるからだろう。君も知っているはずだ」

 そこまで口に出して、上終は気付いた。

 『天地繋ぎ(ヘヴンズティアー)』。触れたものを固定し、あらゆる変化を拒絶する絶対非干渉。そして、止めた対象に自由に干渉できる絶対干渉。

 それらの効力を発揮するには、上終が()()()()()()()という過程を要する。つまるところ――

「ベクトル操作は厳密には、本体を覆う目に見えない『膜』を介して行われているそうです。……くくく、おかしいですねえ、貴方はこんなこと、知りもしなかったのに」

 絶対非干渉で反射を停止させ、絶対干渉で固定化された反射膜をすり抜けて本体に触れる。理屈自体はそれで済む単純なもの。

 だというなら、どうやって目に見えず、触覚にも影響しない反射膜を知覚したというのか。

 さらに上終は一方通行の能力について知らされてはいなかった。渡された紙にあったのは、彼の来歴についてだけだ。

「しかも貴方の右手の力は『任意発動』。第一位の能力を知らなかった貴方が、触れる瞬間に力を使おうと思いますか?」

「…………ああ、君の言うとおりだ」

 否定する材料を探すことすら、徒労に思われた。角度は椅子に腰掛けなおす。

「でしょう? 貴方はもっと自分に気を配るべきです。そこにヒントがあるのですから」

 まあ、と打ち切ってから、

「というわけで、私の暇つぶしに付き合ってください。明日の朝には帰してあげますので」

 不気味に、妖艶に、ただ一点上終だけを見つめながら、彼女の唇は弧を描いた。

 

 

 

 草木も眠る夜更け。何処とも知れぬ路地裏で、殺人が行われた。

 真っ赤に色付いた白い髪と白衣、青白い月光を照り返す褐色の肌が妖しく輝く。

 無数の銃弾に撃ち抜かれ、息を引き取るその死に体を看取るのは、一匹のゴールデンレトリバーだった。

 年代物の葉巻を咥え込み、寂しい口元を紛らわせる。

「……これで、2()6()7()()()か。嘆かわしいな、いつから木原はこんな粗製品を迎え入れたのか」

 死体は、木原 角度と呼ばれる人間であった。それをゴールデンレトリバー――木原(きはら) 脳幹(のうかん)は計267人殺したのである。まったくの同一人物を。

 そんな状況に際しているのにも関わらず、彼の口端は喜色に歪む。

「久しぶりに本来の役割を果たせるところだ――と歓迎するべきなのだろうな。なあ、そこの来訪者よ」

 視線を暗闇に投じる。脳幹の声と共に、背中のバックパックから五つの銃口がそこを狙った。

「……化け物かい、きみは」

 両手を上げ現れるのは、年端もいかぬ子ども。セミの抜け殻を模したパーカーで顔を隠しながら、銃口の前に立つ。

「聞き分けが良いようで助かる。さて、君の目的によっては殺すこともやぶさかではないのだが?」

「危害を加えるつもりはないよ。この街の人にも、物にも、ね。だけど、そいつは別だ。だからきみに頼みに来たんだ」

「ほう、いったい何を?」

 わざとぶって訊き返す脳幹。それは戦闘になっても、確実に勝つという意志と実力の現れだった。

「――木原 角度を殺してほしい」

 紫煙が舞う。

 その表情を隠すかのように。

「ふむ、それでこちらにメリットは? 何故そんなことをしなくてはならない」

「えっ、いやいやいや、きみもう殺してるじゃないか267人も」

「これは不慮の事故だ。誰がどう言おうと事故だ。私とて悲しいのだぞ、こんなことになって」

「「…………………………」」

 目は口ほどに物を言うらしい。四つの眼差しの応酬は果たして、セミパーカーの子どもの敗北に終わった。

 年下に本気を出すのは脳幹として気にかからないでもなかったが、迅速なる職務達成の前には些事なのだ。

「魔神の目的と、上終 神理の全てについて教えよう。ぼくが切れるカードはこれくらいだよ」

「充分だ。だがそれを受けるには条件があるな」

 子どもは思わず身構える。木原 脳幹が吹っ掛ける条件が、軽いはずがないからだ。

「私は木原 脳幹。この街で科学者をやっているしがない奉仕者だ」

「…えっと」

「名前だよ。名も知らぬ雇用者と付き合う義理はない。年上らしく言わせてもらえば、顔を隠しているのも気に食わないな」

 ようやく合点がいったのか、その子供はフードを取り払う。そこにあったのは、木原 角度によく似た顔だった。

 髪は黒く肌も白く、顔つきも年相応にあどけないが、面影は角度のそれである。

 満面の笑みで、その子は、

「ぼくの名前は()()()。……ああ、でも、魔王(あくま)としての畏怖じゃなく、創造神(かみ)としての畏敬を込めて呼んでほしいかな」

 その言葉の通り、サタンは魔王としてではなく、創造神としての慈愛で以って答えた。

「ただ、ぼくは魔神じゃない。人間にも殺されるだろう。だから名前を呼ぶのが畏れ多いなら……――『偽神(アルコーン)』、と蔑みを込めてくれても構わないよ」

 それでも、サタンは笑んだ。

 虚空の瞳に、この宇宙のすべてを見据えながら。




①と銘打ってはいますが、次は②ではありません。いつか同じタイトルで②がきます。
ようやくこの物語のテーマに深く関わる人物が出せました。次も少し時間がかかると思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。