鎮守府のオアシス ~小料理屋鳳翔~ (はるたか㌠)
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移転にあたり、若干改訂しました。
初めての方もそうでない方も、よろしくお願いします。


 小料理屋『鳳翔』。

 その名の通り、鳳翔が開いている小さな店である。

 艦娘である彼女の本業は勿論、深海棲艦との戦い。

 とは言え、二十四時間三百六十五日それにかかりっきり……という訳ではない。

 補給や休養は必要であり、損害を受ければ入渠する事になる。

 任務がなければその間は待機扱い、緊急出動でもなければある程度自由な時間でもある。

 その使い途は艦娘によってまちまちであるが、鳳翔はそれを小料理屋という場で費やしている。

 無論酒場としての性格が出てしまうのは否めないが、生真面目な彼女はそれだけに甘んじる事はない。

 限られた時間を有効に使い、提供する料理の研究や準備に余念がないのだ。

 供される酒もまた、よく吟味されたものばかり。

 結果、日々激務に追われる提督が足繁く通うのみならず、一部の艦娘もその常連となっている。

 今日もまた、その暖簾を潜る艦娘がいる。

 

「あら、いらっしゃい。今日はお一人?」

「いや、後から来るが」

 

 妙高型重巡洋艦二番艦、那智。

 彼女は鎮守府の中でも一、二を争う酒豪でもあった。

 と言っても酒なら何でも来い、という手合いではない。

 その点、鳳翔の店ならば酒も肴もまず間違いない。

 彼女が常連の一人となるのも、ある意味必然であったかも知れない。

 

「お酒はいつものでいいかしら?」

「頼む」

 

 鳳翔は頷くと、冷蔵庫から一本の四合瓶を取り出した。

 栓を開けると、ふわりと吟醸香が漂う。

 その間に、那智はカウンターに置かれた籠からお猪口を一つ手にしていた。

 一見無造作に置かれたそれも、鳳翔の拘り。

 無銘でも良い物を、と陶器市や古物商を回って地道に集めた杯ばかりである。

 お仕着せの器ではなく、好みやその日の気分で選んで欲しい……嬉しくない酒好きを探す方が難しいかも 知れない。

 酒もそのまま器に注ぐなどという手抜きはしない。

 錫製の片口に並々と注がれ、カウンターに置かれる。

 金属製の酒器は雰囲気もあるが、酒がまろやかになったり冷酒ならぬるくなりにくいという利点もある。

 那智は頷くと片口を手にし、手元で傾けた。

 それから、満たされた杯を口元に運ぶ。

 芳醇な香りを楽しむように暫し手を止めてから、静かに口に含んだ。

 

「うむ、やはり旨いな」

「ふふ、那智さんはいつも変わらないわね」

「旨い物は旨いからな。私には、これがいい」

 

 ちなみに那智が呑んでいるのは、とある蔵の大吟醸酒。

 鳳翔がお通しとして出した烏賊の酢味噌和えを時折交えながら、ゆったりと味わっている。

 と、カラカラと引き戸が開かれた。

 暖簾を潜って姿を見せたのは、重巡洋艦足柄。

 

「あら、いらっしゃい」

「こんばんは、鳳翔さん。あ、もう来てたのね那智姉さん」

「悪いが、先にやらせて貰ってるぞ」

 

 足柄は頷きながら那智の隣に腰掛けた。

 ちなみにこの店は、カウンターしかない。

 鳳翔一人で切り盛りする都合上、大人数で来られても手が回らないという事情もある。

 最も、客もまた呑んで騒ぎたいというよりは静かにやりたいと望むタイプばかりで何の問題もないようだ。

 

「あ、鳳翔さん。とりあえず、生中お願いね」

「はい。今日は茶豆があるけど、一緒に如何?」

「あ、いいわね」

 

 相好を崩す足柄。

 そして、見事に泡の切れたジョッキが彼女の前に置かれた。

 

「では、任務お疲れの乾杯と行くか」

「ありがとう、姉さん」

 

 お猪口とジョッキがカチリと合わされ、二人揃って口をつけた。

 足柄はジョッキの半分程を一気に干した。

 

「ふーっ、生き返るわね」

「全く。年頃の女とも思えないな、お前は」

「い、いいじゃない別に。そう言う那智姉さんだって、ちっとも浮いた話がないんだし」

「私は戦いと、これがあればそれでいいからな。お前はそうではないのだろう?」

「し、知らないわよ。どーせ、私は妙高姉さんみたいにしっかり者でも羽黒みたいに守ってあげたいオーラも出せませんよーだ」

 

 そう言いながら、一気にジョッキの中身を干してしまう。

 

「まあ、その様子では当分春は来ないと見ていいな。ほら」

 

 那智が差し出した片口を見て、足柄は仏頂面のまま籠からお猪口を取る。

 

「ふふ、本当に仲がいいのね。はい、大根のそぼろがけよ」

 

 そんな二人を見て、鳳翔は微笑んだ。

 

「妙高姉さんもお酒は強いんだけど、酔うとねぇ」

「説教モードに入るからな。しかもいつもより長くなる」

「羽黒はあまり呑めないし、無理に呑ませるとそれこそ妙高姉さんに徹夜で説教されちゃうもの」

 

 艦娘でも、姉妹艦以外との交流があまりない場合は少なくない。

 無論任務を共にする場合は別だが、プライベートの場となると案外別行動だったりする。

 そうではない艦娘もいるし、正規空母は型を超えて仲良しだから一概には言えないのだが。

 

「あ、これ美味しいわね。鳳翔さんって本当に器用よね」

「あら、器用さだったら明石さんとか間宮さんの方が上よ。私は基本、和食しか作れないし」

「それだけでも凄い事なのだがな。ほお、箸がすっと通るな」

 

 頻りと褒め称えられても、鳳翔は穏やかに微笑むだけ。

 殺るか殺られるかの中を潜り抜ける日々の艦娘には、何よりの癒やしのようだ。

 

 

 

 暫くして、戸がそっと開かれた。

 隙間から顔を覗かせている相手に、鳳翔が優しく声をかける。

 

「こんばんは。席なら空いてるわよ?」

「そ、そう。じゃあ、お邪魔するわね」

こんばんは(ドーブリィ ヴェーチェル)

 

 一見、小学生か良くて中学生といった背格好の二人連れ。

 特型駆逐艦の暁と響だ。

 子供っぽく見えるが、身体機能は鳳翔や那智らとあまり変わらない。

 とは言え、一部の装甲に差があったりするのもまた事実ではあるのだが。

 よじ登るようにして、二人は空いている席に腰掛ける。

 

「お飲み物は?」

「私はモスコミュールを」

「そ、そうね。一人前のレディだし、私はカルーアミルクでいいわ」

 

 響は迷う素振りも見せないが、暁は何も決めていなかったのか慌てて答える。

 その様子に、思わず吹き出す足柄。

 

「な、何よもう!」

 

 頬を膨らませる暁。

 

「あら、ゴメンゴメン。あなた達も姉妹艦なのよね?」

「そ、そうよ。暁はお姉さんなんだからね」

 

 それにしてはあまり似てないな、と内心で思う足柄。

 口に出せば暁がますます機嫌を損ねるだろうが。

 

「そう言えば、他の二人はどうしたのだ?」

「ああ、雷と電は近海警備に出撃している。潜水艦が出たらしいから」

 

 響の言葉に、足柄が顔を顰める。

 

「潜水艦、か……。嫌な存在よね」

 

 艦娘には、嘗ての記憶がある……と言われている。

 足柄も例外ではないようで、潜水艦が出没する海域への出撃となるとかなり神経質になる。

 

「はい、お待ちどう様」

 

 暗くなりかけた空気を振り払うかのように響く、優しい鳳翔の声。

 意図してやっているのかどうかはともかく、彼女の声を聴くだけで癒やされるという声も多い。

 そんな意味も込めているのであろうか、鳳翔は『お艦』という異名を持っていたりもする。

 当人は未婚なのにね、と苦笑するばかりではあるが。

 暁と響は、置かれたグラスを手に取った。

 小料理屋ではあっても、酒はビールと日本酒ばかりではなく。

 焼酎やカクテルも揃えているし、希望すればワインや紹興酒だって出される。

 

「どうだ、乾杯と行くか?」

 

 那智が杯を掲げると、二人も頷いた。

 

「では改めて、乾杯ね」

 

 足柄の発声で、四つの器が軽くぶつかり合う。

 

「うん、いいね。美味しい(フクースナ)

 

 響は満足げに、ゆっくりとグラスを傾ける。

 一方の暁は、恐々といった風情で口を付けた。

 

「暁ちゃん、何か失敗しちゃったかしら?」

「そ、そんな事ないわよ。美味しいわよ!」

 

 顔を曇らせた鳳翔に慌てたのか、暁は呷るようにグラスを干した。

 

「おいおい、大丈夫なのか?」

「無理しちゃ駄目よ?」

 

 那智と足柄が目を見張る傍から、

 

「へ、へにゃ~」

 

 暁は顔を真っ赤にしてふらつき始めた。

 カルーアミルクは口当たりはいいが、アルコール度数は決して低くはない。

 そして、暁はあまり酒が強くはないようだ。

 

「やれやれ。大丈夫か?」

「ら、らいじょうぶに決まってるらない! 暁は一人前のれりぃなんらからね!」

 

 響は肩を竦めると、椅子から降りた。

 

「鳳翔さん、また後で来るからそのままにしておいて。暁を寝かせてくる」

「ちょ、ちょっろ何言ってるのよひびきぃ。暁はらいじょうぶなんらから」

「駄目だね。ほら、行くよ」

 

 そう言いながら、既にべろべろの暁を背負った。

 

「手伝いましょうか?」

ありがとう(スパシーバ)。でも、大丈夫だから」

 

 足柄に軽く頭を下げてから、響はそのまま出て行った。

 

「やれやれ。私達とは真逆だな、あの姉妹艦は」

「そうね。妙高姉さんがあんな風になったら、それこそ天地がひっくり返るわね」

「ふふ、でも仲がいいっていいわよね。私、姉妹艦がないからああいう経験がなくってね」

 

 ポツリと呟いた鳳翔に、那智と足柄は一瞬気まずそうに顔を見合わせた。

 

「す、すまん。そんなつもりじゃなかったんだが」

「いいのよ、那智さん。今はこうして、みんなとお話しできるんですもの」

「もう、敵わないな鳳翔さんには。あ、芋焼酎お湯割りお願い」

 

 足柄の明るい声に、鳳翔は微笑みながら頷いた。

 

 

 

 那智達が帰ると、店内は静まり返った。

 響も戻ってきたが、少し飲むと暁の事が気になるらしく長居はしなかった。

 その日にもよるが、そのまま閉店時間を迎える事も珍しくはない。

 チラと時計に目をやり、

 

「さて、そろそろ閉めましょうか」

 

 鳳翔は入口に向かい、暖簾に手をかけた。

 

「あ、もう店仕舞い?」

「え?」

 

 振り向いた鳳翔の目に、見事な金髪が目に飛び込んできた。

 この鎮守府で金髪と言えば愛宕や島風、武蔵、夕立達がいる。

 だが、鳳翔には聞き覚えのない声と姿だった。

 

「ええと、少しなら構いませんよ」

「そ、そう。では少しだけお邪魔させて貰うわ」

 

 そのまま店へと入ってきたのは、戦艦ビスマルク。

 鳳翔は首を傾げながら、そのまま暖簾を片付けてしまう。

 

「お好きな席へどうぞ」

「え、ええ」

 

 珍しいのか、キョロキョロと店内を見回すビスマルク。

 戸惑いながらも、手前の席に腰掛ける。

 

「お飲み物は何になさいます?」

「え? あ、ええと……」

「いろいろとありますよ。お好みの物あります?」

 

 ビスマルクは少し考えてから、

 

「では、スピリッツをお願い」

「はい、わかりました」

 

 漠然としたオーダーにも、鳳翔は鷹揚に頷いた。

 冷蔵庫から取り出した瓶を空け、ショットグラスに注ぐ。

 漂う香りに、ビスマルクがおや、という顔つきをした。

 

「これは、まさか……」

「はい、どうぞ。今、お通し用意しますね」

 

 深紅の、澄んだ液体。

 よく冷えたそれを、ビスマルクは喉に流し込む。

 

「……美味しい。まさか、日本に来てイエーガーが飲めるなんて」

 

 嬉しそうに言うビスマルクを満足げに見る鳳翔。

 イエーガーこと、イエーガーマイスター。

 ドイツでは良く知られ、飲まれているハーブ酒である。

 ほろ苦く、それでいて甘い独特の口当たり。

 ビスマルクにも、お気に入りの一杯だったらしい。

 

「たくさんの材料が使われたお酒なんですってね」

「ええ。でもよく知っていたわね」

「ふふ、いろんなお酒が大好きなんですよ。私って」

 

 何の事はない、鳳翔の酒への拘りが為せる業だ。

 そして、ビスマルクはちょっとした感動を覚えていた。

 

「なるほど、あの提督が勧めるだけの事はあるわね」

「提督がどうかしましたか?」

 

 小首を傾げる鳳翔。

 

「いえ、少しばかり悩んでいたのを見抜かれたの」

 

 グラスが空になったのを見て、鳳翔はもう一杯注いだ。

 ビスマルクは一気に干さず、少量だけを舌で転がしている。

 

「貴女とは、これが初対面よね?」

「そうですね。昨日まで、長期の遠征に出ていましたから」

「私は戦艦ビスマルク。ドイツからやって来たの、はじめまして」

「こちらこそ。私は軽空母鳳翔です、宜しくお願いします」

 

 挨拶を交わしてから、ビスマルクは続けた。

 

「ドイツから派遣されたのは、私以外には駆逐艦のレーベとマックス。この鎮守府では異色の存在ね、それはわかっているの」

「…………」

 

 鳳翔は黙って聞いている。

 

「最初は驚いたわ、なんて規律のない鎮守府なんだろうって。提督も、腑抜けという印象だったわ」

 

 クイ、とビスマルクはグラスを呷る。

 顔色が一切変わらないあたり、なかなかに酒は強いらしい。

 

「だから、私が鍛え直してあげなくてはって変に意気込んでいたの。……でも、そうじゃなかったのね」

「…………」

「規律がないとか緩いんじゃない。一見そう見えても、あの提督の出す指示は的確だし艦娘はそれに従っていたわ。それを見抜けなかった私は、一人で空回りしていただけだったのよ」

 

 差し出されたグラスに、また新たな一杯が注がれる。

 

「そんな私は、これからどうしたらいいんだろうって。他の娘達とも、それで上手くやっていけるかどうか不安で一杯になったのよ」

「そうでしたか……」

「でも、レーベもマックスもそれは同じ。だからあの娘達の前では弱音は吐けない、だから誰もいない場所で考えていたら……」

「提督がやって来たんですね?」

「……そう。もし、お節介を焼かれるだけなら突っぱねていたかも知れないわ。でも、提督は違ったのよ。なんて言ったと思う?」

「そうですね、あの人なら……」

 

 顎に手を当てて、鳳翔は少し考えた。

 

「多分、ですけど。『たまには酒でも飲んで来るといい。いい店を紹介する』とでも仰ったんじゃありませんか?」

「良くわかったわね、すごい(プリマ)!」

「長い付き合いですからね」

「そう、そうね。それで、貴女は何も言わずに店に入れてくれて、イエーガーを出してきた。ふふ」

 

 三杯目を、ビスマルクは干した。

 

「ねえ、鳳翔」

「はい、何ですか?」

「さっき言ったわよね。お酒が好きだって」

「ええ」

「なら、今晩は付き合って頂戴。久しぶりに、思いっきり呑みたい気分なの」

 

 鳳翔は、黙ってショットグラスをもう一個取り出した。

 

「では、私もご相伴にあずかりますね」

「いいわね。こんなに楽しい夜は久しぶりよ、本当に」

 

 

 

 小料理屋鳳翔。

 どうやら、新たな常連客が増えたらしい。

 そんな夜が、静かに過ぎていく……。



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 静まり返った、鎮守府の廊下。

 普段ならば行き交う艦娘の姿が見られる筈の場所だが、今日は全くその気配がない。

 大規模な作戦が発動され、その殆どが戦地に赴いている為だ。

 そこに、しずしずと歩く艦娘が姿を見せた。

 軽空母『鳳翔』。

 彼女も無論、艦載機を搭載して出撃する事もある。

 ……が、搭載できる機数が他の空母に比べると少ないという欠点も抱えていた。

 必然的に、輸送や護衛任務が主体となる為にこういった激戦ともなると母港の留守を預かる事が多くなってしまう。

 かと言って、『足柄』や『天龍』のように好戦的という訳でもない。

 彼女は自分の限界も弁えていたし、今の立場に不満を持つような事もなかった。

 

「本当に、今日は静かね」

 

 そう独りごちた時、ふと廊下の向こうをウロウロする姿を認めた。

 不慣れなのか、頻りに辺りを見回しているようだ。

 鳳翔は小首を傾げてから、そちらへと向かう。

 

「あの、どうかしましたか?」

「ひゃっ?」

 

 全く気配に気づいてなかったのか、その艦娘は素っ頓狂な声を上げた。

 

「あ、ごめんなさい。私は鳳翔と言います、迷っているようでしたので」

「え、ええと。私、『プリンツ・オイゲン』って言います。ドイツから来ました」

「ああ、貴女が」

「え? 私の事、ご存じなんですか?」

「ビスマルクさんから伺ってますよ」

 

 その名を聞いた途端、プリンツ・オイゲンの顔がパッと明るくなった。

 

「ビスマルク姉さまのお友達ですか?」

「そうですね。良く、私のお店に来ていただいてますよ」

「お店……ですか?」

「ええ、私は小料理屋を営んでいますから。それより、何かお探しなんじゃありませんか?」

「あ。そ、そうなんです。提督のお部屋、ご存じありませんか?」

「提督の執務室ですか? それなら、ご案内しますよ」

「ありがとうございます! 私、まだ全然慣れてなくって」

 

 ぺろりと舌を出すプリンツ・オイゲン。

 艦隊に所属する重巡洋艦は大人びた性格の艦娘が多いせいか、鳳翔には彼女の反応が新鮮だった。

 

(少なくとも、悪い娘じゃなさそうですね)

 

 微笑んだ鳳翔を見て、プリンツ・オイゲンは額に指を当てた。

 

「あの。何か?」

「あ、いいえ。何でもありませんよ」

 

 

 

 執務室の前に立ち、鳳翔は扉をノックする。

 ……が、何の反応もない。

 

「あら、お留守かも知れませんね」

「そうですか……。入渠が終わったから、次はどうするのか知りたかったんですけど」

「提督もお忙しい方ですからね」

 

 と。

 キューと、プリンツ・オイゲンの腹が小さく泣いた。

 

「あ……」

「あら。もしかして、お腹空いてます?」

「あはは、そ、そうみたいですね」

「それなら、『間宮』さんのところに行きましょうか。場所、ご存じですか?」

「ええと……多分」

 

 苦笑するプリンツ・オイゲンを見て鳳翔は頷いた。

 

「それなら、またご案内しましょうか?」

「え? でもいいんですか?」

「構いませんよ。私はあまり忙しくありませんから」

「すみません。本当、親切なんですね」

「ふふ、ありがとうございます」

 

 微笑みで返すと、鳳翔は歩き出した。

 と言っても、食堂『間宮』は執務室から程近い場所にある。

 が、入口は閉ざされていた。

 

「あら?」

「どうかしたんですか?」

「ええ」

 

 鳳翔は、扉に貼られた紙を指さした。

 

「臨時休業って、そんなぁ」

「艦隊支援でしょうね。間宮さんが留守の時は『伊良湖』ちゃんが代わりにいるんですけど」

「そうですか……。提督も留守だし、どうしよう」

 

 途方に暮れるプリンツ・オイゲン。

 無論、そんな彼女を放置して立ち去るような鳳翔ではない。

 

「じゃあ、私のお店に来ますか?」

「え? でも……」

「いいんですよ、たまには臨時営業するのも悪くありませんから。簡単な物ならお作りしますよ」

「ありがとうございます。ありがとうございます!」

 

 大仰に感謝され、鳳翔は苦笑するばかり。

 

 

 

「さ、どうぞ」

「お邪魔します。……バーみたいですね」

 

 物珍しいのか、プリンツ・オイゲンは店内をキョロキョロ見回している。

 

「確かに、そんな雰囲気もあるかも知れませんね。さ、お座りになって下さいね」

「はい」

 

 前掛けをつけ、鳳翔はカウンターへと入った。

 

「昼間だからお酒は出せませんけど、いいですか?」

「構いません。お腹ぺこぺこなんで、今は食べたい気分ですし」

「わかりました」

 

 と、鳳翔は何かを思いついたようだ。

 

「あ、そうそう。お口に合うかどうかわかりませんが、ちょっと食べていただきたい物があるんですよ」

「何ですか?」

「見てのお楽しみですよ」

 

 そう言って、鳳翔は鍋を覗く。

 それから冷蔵庫からタッパを取り出し、何やら盛りつけ始めた。

 狭い店内に、匂いが立ちこめる。

 

「鳳翔さん」

「はい、何ですか?」

「もしかして、これって」

「ふふ、ご想像通りかも知れませんよ」

 

 思わず破顔するプリンツ・オイゲン。

 そして、反応するかのようにグーと大きな音がした。

 

「や、やだもう」

 

 顔を赤くして縮こまる彼女だが、鳳翔はそれを笑うような真似はしない。

 

「もうちょっと待って下さいね」

「はい、待ちます」

 

 鳳翔は、鍋から引き上げた肉塊を削ぐように切っていく。

 添えられているのはキャベツの酢漬け、そしてジャーマンポテト。

 

「はい、お待ち遠様でした」

「やっぱり!」

 

 プリンツ・オイゲンは目を輝かせた。

 

「まさか、日本に来てまでアイスバインが食べられるなんて!」

 

 豚のすね肉をピックル液に漬けて寝かし、香味野菜と共に数時間煮込んだドイツ料理。

 どこから見ても和風テイストのこの店とはミスマッチだったが、出されたそれは紛れもなくプリンツ・オイゲンが知る料理だった。

 

「ビスマルクさんから教わったんですよ。それで作ってみたんですけど、お口に合えばいいんですけど」

「いただきます!」

「あ、箸はちょっと難しいですね。フォーク、どうぞ」

「はい!」

 

 待ちかねたように、プリンツ・オイゲンは口に運んだ。

 

「…………」

「どうですか?」

「……美味しいです! でも、ちょっと私の知ってるアイスバインとは違うかな?」

「やっぱりそうですか。材料が全て揃わなくて、調味料が代わりの物なんですよ」

「ううん、でもこれはこれでアリです。うん、うん!」

 

 頻りに頷きながら、いいペースで平らげていくプリンツ・オイゲン。

 

「ジャーマンポテトの塩加減もいいし、ザワークラウトも完璧。私、こんなに美味しく作れませんよ」

「あら、お世辞ですか?」

「違いますって。これなら、ビスマルク姉さまも喜びます」

「ふふ。じゃあ、白ワインを用意しておかないといけませんね」

 

 余程気に入ったのであろう、皿の上はすっかり綺麗になっていた。

 

「良かったら、お代わりどうですか?」

「え? でも……」

「また作れば良いですし。それに、そんなに美味しそうに召し上がるのを見たら私も嬉しいですから」

「じゃあ、お願いします!」

「はい」

 

 二皿目になっても、プリンツ・オイゲンが食べるスピードは落ちる気配もない。

 

「うう、美味しい……。なんか、いくらでも食べられそう」

「流石にお腹壊しますよ?」

「そ、そうですけど……。でも……」

 

 そう言いながら、二皿目が綺麗になくなりかけたその時。

 

「あ、いたいた!」

「全く、何処を探してもいないと思った……あら?」

 

 唐突に入ってきた艦娘が、皿の上を見て固まった。

 

「レーベにマックスじゃない。どうしたの?」

 レーベことZ1が、肩を竦める。

 

「どうしたじゃないよ。出撃だから探してたんだよ」

「ええっ? でも、提督のところに行ったら不在だったのに」

「嘘をついても仕方ないじゃない。それよりもそれ、どういう事かしら?」

 

 マックスことZ3が、皿を指さす。

 

「あ、これ? 鳳翔さんがね、ビスマルク姉さまに教わった通りに作ったんだって」

「ずるいよ! ボクだってアイスバイン食べたいのに」

「ええ。でも、今は出撃しなきゃいけないわ」

「わ、わかったわよ。鳳翔さん、また今度食べさせて貰えますか? 今度は、みんな一緒に来ますから」

「勿論ですよ。お代は後でいいから、早く行った方がいいですよ」

「は、はい!」

 

 慌ただしく、ドイツの艦娘達が飛び出していく。

 ちなみに二皿目は、やはり綺麗に平らげられていた。

 

「ふふ、余程気に入ってくれたんですね」

 

 皿を片付けながら、鳳翔は顔を綻ばせた。

 

 

 

 その夜。

 鎮守府が静かな以上、鳳翔の店も開店休業状態だった。

 それでも、店を閉める事なく鳳翔はカウンターに入っている。

 

「こんばんは」

 

 そして、その日最初の客が現れた。

 

「提督、いらっしゃい」

「店、開けていてくれたんだね。お陰で助かったよ」

 

 鳳翔は微笑みながら、おしぼりを手渡す。

 

「全く、出世なんてするもんじゃないな。こう忙しい時だとやれ作戦会議だ、やれ折衝だで飯もロクに食えないんだから」

「あら、そんな事を仰っては。出世が何よりという方もいらっしゃるんですよ?」

「わかってるさ、俺だって責任ある立場を放り出したりはしないがね。ただ、腹が減って仕方ないのだけは勘弁して欲しいよ」

 

 提督は苦笑する。

 

「じゃあ、先にお食事になさいますか?」

「いや、酒は貰うよ。でも、他にいい肴があれば言う事はないが」

「はい。ひやおろしが入りましたけど、如何ですか?」

「お、いいね」

 

 鳳翔は頷くと、冷蔵庫から四合瓶を取り出す。

 よく冷えたそれを、用意した錫製の片口になみなみと注いだ。

 金属器に入れると冷たいものはより冷たく感じられるが、錫の場合は更に酒をイオン効果でまろやかにする。

 ひやおろしも生酒とはいえ、一夏寝かせて熟成させているので酒によっては飲み頃が難しい場合もある。

 若い、つまり熟成が足りずに尖った感じの味わいだったりすると飲み手を選んでしまうような格好にもなる。

 対策として開栓して態と間を開けたり、冷蔵庫に数ヶ月入れておくなど人様々。

 だが、鳳翔の場合は違う。

 蔵元が出荷した以上は飲み頃な筈、それを如何にして美味しくいただくかを創意工夫すれば良いと考えているようだ。

 燗をする事でも味の変化は期待出来るが、それも試して納得の上でなければ店では提供しない。

 逆に何も手を加えない方が良いと判断すれば、瓶から直接酒器に注ぐ事だってある。

 

「このひやおろし、白ワインみたいな味わいですよ」

「へえ、そいつはいいね。じゃあ、肴もそれに合った奴かな?」

「ええ。まだ試作品ですけど、召し上がります?」

「ああ。アイスバイン、だろ?」

 

 そう答えて、提督はニヤリと笑う。

 

「もう、やっぱりご存じだったんですね」

「さて、何の事かな。ただ、ドイツ艦娘達が何やら騒いでいたってのは聞いたがね」

「まさか、間宮さんが休みだったのも提督の仕業じゃありませんよね?」

「そんな訳がないだろ。悲しいな、鳳翔にまで疑われるだなんて」

 

 肩を竦める提督。

 

「仕方のない人ですね。罰として、今夜はとことん付き合っていただきますからね」

「おいおい、本気か?」

「ええ。はい、アイスバインですよ」

「はは、こりゃ無条件降伏かな」

 

 鳳翔はカウンターに片口とアイスバインを置くと、外に出た。

 そして、暖簾を下ろしてしまう。

 

「あれ、閉めちゃうのかい?」

「言った筈ですよ、とことん付き合っていただきますよって。この店では、私が上官ですからね?」

「はっ!」

 

 見事な海軍式敬礼で返す提督。

 

「プッ。もう、提督ったら」

「ははは、じゃ乾杯といくか」

 静まり返った夜の鎮守府。

 その一角だけが、ささやかに盛り上がっていた。



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 鎮守府は、眠らない。

 出撃や帰投は昼とは限らず、深夜や払暁という事も珍しくはない。

 昼夜を問わずという点で、出撃のない艦娘達もまた例外ではない。

 その中でも、特に忙しく働いている艦娘。

 工作艦『明石』。

 彼女は戦闘を主目的とした軍艦ではなく支援に当たる特務艦艇ではあるが、歴とした海軍の一員である。

 その能力は優秀の一言に尽き、存在意義はとても大きい。

 

「……う~ん。そろそろ、終わりにしようかな?」

 

 手にした工具を傍らに置くと、明石は大きく伸びをした。

 彼女の前には、様々な部品が散乱していた。

 それを一つ一つ、決められた箱に片付けていく。

 地味な事ではあるが、部品や工具は決められた場所におかないと後々で面倒な事になる事がある。

 特に艦娘の艤装は特殊な物で、そう簡単に替えは利かない。

 例えボルト一本、スパナ一本と言えどもぞんざいには扱えなかった。

 その管理や整備を一手に担っている彼女には、これも大事な仕事の一つであった。

 

「それにしても……」

 

 明石は、工廠の中を見回す。

 大なり小なり、破壊された艤装が山積みになっている。

 これらを完全な状態に仕上げない限り、艦娘は戦場に赴く事が出来ない。

 艦種が同じであればある程度共有する事も可能ではあるのだが、それにも限界はある。

 平時であれば哨戒任務中の小規模な戦闘が精々であり、明石の仕事もそう多くはない。

 が、攻略作戦などが始まればそうも言ってられない。

 入渠ドックはすぐに満杯となり、艤装の修理もそれに伴い激増する。

 そして、明石独自の能力でもある艦娘自身修復作業。

 ただし、小破程度の損害という条件付きではあるのだが。

 ともあれそうなれば寝る暇どころか、ブラック企業真っ青の過労死寸前という状態になる。

 まさに二十四時間戦えますか、を地で行く有様。

 

「仲間が欲しいなぁ。夕張さんも今遠征中だし」

 

 軽巡洋艦『夕張』は艦種こそ軽巡だが、燃費も悪く速力も劣る為に第一線で戦うにはやや厳しい存在でもある。

 その反面、兵器開発や改修などで手腕を発揮する事が少なくない。

 多忙な明石にとっては、夕張が鎮守府にいる時はかなり助かっているのが実情だったりする。

 とは言え夕張も巡洋艦である以上、当然海戦に出撃する機会もある。

 彼女特有の能力として、一定の兵装を数多く積載する事ができるという特徴もあった。

 輸送用ドラム缶を満載の上、資源確保の為に遠征の旗艦を務める事も多い。

 資源がなければ艦娘と言えども戦えなくなるので、これもまた重要な任務となる。

 

「ま、仕方ないか。私は戦闘で活躍できる訳じゃないしね」

 

 明石は頭を振ると、整理した工具類を仕舞い始めた。

 

 

 

「あら、いらっしゃい」

「こんばんは」

 

 着替えて汗を流した明石は、鳳翔の店に姿を見せた。

 

「今日もお疲れ様でした、おしぼりをどうぞ」

「ありがとうございます」

 

 いつも変わらない鳳翔と店の佇まいは、提督や少なくない艦娘の癒やしとなっている。

 明石もここでは思う存分気を抜くが、それを咎め立てする者などいない。

 

「粕取り焼酎のいいのを見つけてきたんです。如何ですか?」

「じゃあ米焼酎、ですか。珍しいですね」

「ええ。でもきっと、明石さん好みだと思いますよ?」

 

 鳳翔の言葉に、明石も相好を崩す。

 

「鳳翔さんがそこまで仰せなら、是非お願いします」

「ふふっ、畏まりました」

 

 薬罐に水を入れ、火にかける。

 沸騰はさせずに止め、四十五度ぐらいまで冷ます。

 グラスに焼酎を半分ほど注ぎ、先ほどのお湯を注いで少し馴染ませる。

 その手順を踏んでから、鳳翔は明石の前にグラスを置いた。

 

「お通しはウドの酢味噌和えです、どうぞ」

「わあ、美味しそうですね。いただきます」

 

 明石はまずグラスを手に取り、一口飲んでみた。

 

「……え? これ、米焼酎ですよね?」

「ええ。アルコール度数は三十度ありますけどね」

「道理で濃い訳ですね。でも、くどさはなくすっきりしていて……美味しいです!」

「ええ。芋焼酎だと匂いが苦手という方もおられますけど、これなら大丈夫だと思いますよ」

「それに、焼酎なのに上質の燗酒を飲んでいるみたいな感じがします」

 

 明石は、ホッと溜息を漏らした。

 

「懇意にさせていただいている酒蔵の方から、こんな商品を作ったと教えていただいたんです。これ、まだ試作品らしいですけど」

「絶対売れますよ、これなら。他の娘達はどう言ってました?」

 

 鳳翔はニッコリと笑って、

 

「それ、明石さんが初めてですね。まだ口開けしたばかりなんです」

「そうなんですか。へえ、何だか嬉しいな」

「……ちょっとだけ、私が味見させて貰ってますけどね。流石に、味がわからないのをお出しする訳にはいきませんから」

「それ、初めてじゃなくなってませんか?」

「細かい事は気にしない方がいいですよ、お酒は美味しくいただければいいのですから」

「そりゃまぁ……そうですけど」

 

 明石は苦笑しながら、グラスを傾けた。

 

「鳳翔さん。何か、お腹に入れたいんですけど」

「そうですね……。では、天婦羅ご用意しましょうか」

「あ、いいですね。是非!」

 

 

 

「で、私は言ったんですよ。戦果をあげるのはいい、でも艤装を壊し過ぎだって」

「それで、どうなりました?」

「激しい戦闘にばかり駆り出されてるから仕方ないとか、深海棲艦の数が増えてるからとか。それはわかるんですよ、わかるんです!」

 

 明石は杯を重ねて、かなり酔いが回っている。

 それでも潰れずにいるあたり、かなりの酒豪と他の艦娘から評されるだけの事はあるようだ。

 

「でも、です。私が毎日遅くまで丹精込めて整備と修理した艤装を、出撃する度に当たり前のように壊して戻って来るんですよ? 酷いと思いませんか?」

 

 不機嫌そうに、明石は空になったグラスを見つめる。

 

「確かに、明石さんのご負担はなかなか軽くなりませんよね。私達、艤装がなければ戦えませんし」

「そうなんですよ、そう! 私は工作艦ですし、別に整備も修理も嫌じゃないんですよ?」

 

 頷く鳳翔。

 

「でも、もっと大事に使って欲しいんです! 壊して当たり前みたいなんておかしいんですよ!」

 

 日頃の鬱憤が溜まっているのか、明石の愚痴は止む気配もない。

 鳳翔はそんな明石に嫌な顔一つせず、水の入ったグラスを差し出した。

 

「喉、乾きませんか? 和らぎ水も必要ですよ」

「あ、はい。いただきます」

 

 やや温めの水を、明石は一気に呷った。

 

「ふう……。鳳翔さん、もう一杯下さい」

「はい、いいですよ」

 

 空になったグラスが満たされ、また明石は飲み干した。

 

「あれ? この水」

「どうかしましたか?」

「随分甘く感じますね。砂糖水ですか?」

「いいえ、何も入れていませんよ」

「そうなんですか? 私、舌がおかしくなったのかと思っちゃいました」

 

 首を傾げる明石。

 

「それ、酒蔵からいただいた仕込み水なんですよ。そのせいかも知れませんね」

「……相変わらず、サラッと凄い事言いますね。生水ですよね、これ?」

「ええ。ですから、一度煮沸してから冷やしてありますよ」

 

 そんな鳳翔を、明石はカウンターに顎を載せて見上げる。

 

「鳳翔さんって、何でそんなに凄いんですか?」

「え、私ですか?」

「そうですよ。料理の腕は確かだし、お酒の目利きもバッチリ。それだけじゃなくこうやって聞き上手だし、誰からも好かれてるし」

「ふふ、ありがとうございます。褒めても何も出ませんよ?」

 

 鳳翔の答えが不満なのか、明石はプッと頬を膨らませた。

 

「本心から言ってるんですけどね。誰に聞いても同じ事言いますから」

「そうですか。私は実戦ではあまりお役に立てませんし、せめて自分で出来る事をしたいだけです」

「それって、哀しくないですか?」

 

 ポツリと明石が呟いた。

 

「だって鳳翔さんと言えば、世界初の正規空母じゃないですか。そりゃ、加賀さんや大鳳さんとは違いますけど……」

「そうですね……。第一線で活躍出来ないのはちょっと寂しくはありますよ。でも、艦娘全部が第一線で働けなければいけない訳じゃありませんから」

「……いいんですか、それでも?」

「ええ、明石さんは勿論ですが、間宮さんや伊良湖ちゃん、大鯨ちゃん、香取さん……皆さんがいてこその艦隊ですから」

「……鳳翔さん、やっぱり凄いなぁ」

「凄さで言えば、明石さんの方が余程上ですよ。工廠でさえない工作機械が装備されてますし、しかも自走出来るからどんな場所でも活躍出来る。それだけで、どれだけ私達の支えになっている事か」

「な、何だか照れますね」

 

 鳳翔は微笑むと、空になったグラスを持った。

 

「この焼酎、ロックでも美味しいんですよ。如何ですか?」

「いただいちゃいます、もう!」

 

 

 

「そうか。明石が、な」

「私達達が不甲斐ないばかりに、御苦労させてしまっているようですね……」

 

 二時間後、客は入れ替わっていた。

 明石は酔いが回った上に昼間の疲れが出たようで、自室へと戻って行った。

 今は執務と会議を終えた提督、そして秘書艦を務める重巡洋艦『妙高』が並んで腰掛けている。

 もう勤務時間外であり、秘書艦が提督に付き合う義務はない。

 提督はプライベートの過ごし方まであれこれ干渉するような真似はしないが、共に杯を傾ける事を望むなら拒むような事もない。

 酒を嗜む艦娘であれば、寧ろ進んで同席する事の方が多いぐらいだった。

 提督も妙高も、明石と同じ米焼酎のお湯割りを片手に鳳翔の話に耳を傾けている。

 鳳翔も決して口が軽い訳ではないが、艦娘らの悩みは提督に知らせる事がままある。

 これは提督から鳳翔に頼んでいる事の一つ。

 提督は艦隊の指揮を執るだけではなく、海軍の高級官僚でもある。

 会議や事務仕事も多く、なかなかに多忙な毎日。

 艦隊の規模が拡大するにつれ、目の届かない場所も増え続けているのが現状だった。

 それだけに、鳳翔や間宮のように艦娘らの本音を知る存在は提督に取っては頼りになる存在である。

 彼女らもまた、多忙を理由に艦娘らの事を放置する事のない提督には積極的に協力していた。

 

「提督、何とかならないでしょうか?」

「……難しいな。艦艇の設計や開発が私の一存で出来る訳がない。そもそも艦娘自体が特殊な存在だしな」

 

 鳳翔の言葉に、提督は無念そうに頭を振る。

 

「それに、工作艦というカテゴリでは明石は飛び抜けた存在だ。明石には悪いが、あの仕事を肩代わり出来る艦娘という時点で無茶とはしか言えん」

「困りましたね……」

 

 妙高も眉間に皺を寄せて宙を睨んだ。

 

「夕張を作戦中だけでも出撃メンバーから外すか」

「提督。それでは作戦に支障を来しませんか?」

「いや、他の軽巡らとの相談次第ではあるが何とかなるだろう。明石がオーバーワークで倒れでもしたらその方が一大事だからな」

「それはそうなんですが……」

 

 妙高の表情は曇ったまま。

 既に作戦は発動し、艦娘らは定められた編成で動いている。

 それを動かすとなれば、多少なりとも混乱が生じるのは避けられない。

 結果、作戦全体が頓挫してしまう可能性すらあり得るのだ。

 そうなれば、提督の責任問題になってしまう。

 最悪、降格や予備役編入という処分が下されてしまう……艦娘らに取っては最も望まない事だ。

 

「不安か?」

「当然です。提督に何かあったら、私……い、いえ。私達はどうしたらいいんですか!」

 

 妙高は叫ぶように言うと、グラスを一気に干した。

 

「鳳翔さん、お代わり下さい!」

「はいはい。でも、大丈夫なんですか?」

「大丈夫です!」

 

 鳳翔は苦笑しながら、酒瓶を手に取った。

 ちなみに提督と妙高が呑んでいるのは、先ほど明石が半分ほど空けていった焼酎。

 提督はお湯割りで、妙高はロック。

 当然、妙高の方が度数が高い飲み物となる。

 それを一気に呷ればどうなるか。

 ……案の定、妙高はグラグラし始めた。

 

「妙高さん、やはり止めておいた方が」

「だ、だいじょうぶれすって」

「……いいから水を飲め。ほら」

 

 提督が冷水を注いだグラスを差し出すと、不意に妙高はその腕に抱き付いてきた。

 

「ど、どうしたんだ?」

「提督はなんれそんらに優しいのれすか?」

「優しいとかどうでもいいから。というかもう酒は呑むな!」

「なんれすか、提督はわらひの旦那様だとでも言うのれすか。それならわらひとけ、け……」

 

 と、妙高が何やら苦しげな表情になった。

 

「ま、不味い! 鳳翔!」

「は、はい!」

 

 慌てて提督は妙高を店の外に連れ出す。

 そして妙高は……盛大にぶちまけてしまう。

 

「提督。後は私が」

「済まんな」

「いえ、慣れていますから」

 

 そう言いながら、鳳翔は水を入れたバケツとデッキブラシを手に店から出てきた。

 

「さて、じゃあ俺は部屋に運んでやるとするか」

「ええ。その後でまた来られますか?」

「いや、秘書艦殿がこの有様で飲み直しも厳しいだろう。また明日、出直すとする」

「わかりました。それでは、おやすみなさい」

「ああ」

 

 提督は寝息を立て始めた妙高を背負うと、歩き始めた。

 

「ほら、しっかりしろ妙高」

「ふにゃあ……。れーとく、おしたいしてるれす……」

「呂律が回らん寝言だから何言ってるのかわからんな、全く」

 

 鳳翔はその後ろ姿を、微笑みながら見送った。

 

「さて、ちゃっちゃと片付けちゃいましょうかね」

 

 

 

 そして、翌日。

 

「済まんな、夕張」

「いいえ。こっちはこっちで慣れていますから」

 

 工廠に、夕張と提督の姿があった。

 夕張は偽装を外し、ツナギ姿で手を動かしている。

 

「それにしても珍しいですね。明石さんがダウンだなんて」

「まぁ、あいつにもいろいろあるって事だろうさ」

「ここのところ忙しかったから、ちょっと休んで貰うのもいいかも知れませんね。そう言えば、今日は妙高さんもお休みとか?」

「……まぁ、な」

 

 執務室では、ピンチヒッターで彼女の姉妹艦『那智』『足柄』『羽黒』が書類と格闘している。

 最初は那智だけが代理でやって来たのだが、あまりの膨大さに急遽三人がかりとなった次第。

 それだけ、妙高が優秀な証拠とは言えるのだが。

 

「でも、お二人とも明日には復帰していただかないと。艦隊が大変な事になっちゃいます」

「全くだ。……とは言え、やれる事はやっておかんとな」

「そうですね」

「では、頼んだぞ。これから作戦会議だ」

 

 そう言うと、提督は腰を上げた。

 

「お願いしますね、提督。私も他のみんなも、提督を頼りにしているんですから」

「ああ、任されよう」

「あ、そう言えば」

 

 何かを思い出したように、夕張が呟く。

 

「明石さんがあの調子ですけど、アイテム屋はどうなったんですか?」

「ああ、それなら問題ない。そっちにもピンチヒッターがいるからな」

 

 

 

「ふふ、慣れないけれどこれもなかなか新鮮でいいかも知れませんね」

 鳳翔が、アイテム屋のカウンターを拭きながらそう独りごちていた。




ストックはありません。
ガルパンの方を進めながら、合間に更新できれば……と思っています。


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