ファンタジーな魔法って言わなかったっけ? (いつのせキノン)
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一期
魔に惹かれあう者達


 

 輪廻転生。人が死に、その霊魂はあの世に逝き、そして再び現世に帰って来る。

 不思議なことにこの考えは仏教だけではなく、多くの宗教に見られる事でもあった。興味があって調べた時には驚いたものだ。

 

 アリストテレスは知を愛するのが人間の本性と言い、それをフィロソフィアと呼んだ。後の哲学だ。

 だからこうして放課後に学校の図書館(ここ)で意味もなく宗教学の書物を読み漁り、毎日の日課である現実逃避をしながら知識を追い求めるのも哲学である筈だ。そう、これが意味のある行動だと願ってやまない。

 

「……はぁぁ……」

 

 溜息が重い。溜息をすると幸せが逃げるとは言うが、もう自身の幸せはとっくに底を突いてしまったような気がする。前世、前々世、その前も、その前の前も、一体どれ程の溜息を吐いてきただろうか。わからない、嗚呼、残念ながらわからない。数えきれない程、幸せを捨てて来たに違いない。

 

 これは何度目かの転生の、その途中。多分3ケタを優に超える程の様々な人生を経験してきたのだろう。初めてのあの時から時を経て、自分の精神が酷く摩耗しているのを実感できる。

 しかしそれに何かを思う訳でもなく、ただ淡々とこの身体の寿命を使い潰して行く。感動も悲観もなし。生き慣れてた人生は退屈を極めるだけであった。

 

「……もうこんな時間だ」

 

 壁掛け時計はそろそろ17時を指す頃合い。机の上に広げていた本を閉じて席を立ち、のっそりと緩慢な動きで本棚に本を戻す。図書室を出る時、入口近くのカウンターに座る顔見知りと目が合った。軽く会釈をすると向こうも薄く笑って会釈を返してくれた。そして無言で部屋を出る。

 

「……残り30秒」

 

 腕時計を見る。時刻は16時59分33秒。見慣れた学校の廊下を早足で抜け、玄関に。図書室から比較的に近いからこそまで僅かに20秒。下駄箱に内履きを投げ入れ、外履きに変えるまで5秒。残り2秒で外へ大きく一歩を踏み出す。

 ジャスト17時。同時に、ふわりと風が舞った。そしてどこからともなく黒地の布が現れローブとなって肩に羽織られる。ごそごそとその内側をあさって出てくるのは、一般的に魔女帽子と呼ばれるであろう黒地でつばの広いとんがり帽子。カクカクと2度鋭角に曲がっていながらも形を保つ、不思議な帽子だ。

 そこへ不意に上空から竹箒が1人でに飛んできて足元で止まる。その箒に躊躇いなく脚を駆けて飛び乗り、細い柄の上で器用に立った。

 人間1人を乗せて箒はいとも簡単に飛ぶ。傍から見れば否応に目立つであろうそれは、誰1人として気にはしなかった。気にできなかった。何故なら、それは一般人には決して見えていないのだから。

 

「……方角は……、東」

 

 箒に乗りながら掌に水晶を置いてじっと見やる。水晶の中では赤い矢印が1つ、東の方角を指していた。

 方向を東に変えて空を飛ぶ。その速度は充分に速い。乗用車や電車が容易く出せてしまう速度に匹敵するだろう。

 

 飛翔してやってきたのは、とある山の上の公園。箒を飛び降りて広場に着地し、素早く周辺を観察した。人影はない。

 手早くローブの懐から杖を取り出す。その杖の大きさは到底懐に仕舞えるとは思えない程に長く、容易く大人並の身長を超える。少年が持てば尚更大きさが際立つ。

 

「“励起する波動”」

 

 ポツリと1つ呟き、歪な木製の杖の先端、枝が絡まるようにして太くなったソレを地面に向ける。刹那に先端を中心に波動がぶわりと空間を凪いで行く。重っ苦しいその風は液体の様で、しかし草や木々を揺らすことなく広がった。

 その直後、公園の一角で青白い光がドンと音を立てて立ち上がった。弾かれるようにその方向を見て手を掲げ、虚空を掴むかと思えば飛んできた箒が手に収まり、引っ張られるように狙っていた方向へ飛んでいく。

 

 林を駆け抜け光源の近く。箒から飛び降りて再び杖を構えた。

 茂みの中から光が飛び出している様を見て、いつも通りに事を済ませる。懐から取り出したのはフィラメントが焼き切れて使い物にならなくなった透明の電球だ。

 

「“封縛の粉塵”」

 

 光へ杖の先端を向けて詠唱、すると先端から灰色の煙が沸き出して光へ降り注ぐ。深呼吸を3回すれば、その間にたちまち光は収まっていた。

 

「……うん、順調」

 

 茂みの中に入って手を伸ばし、掴んだのは小さな青い宝石のようなモノだった。8面体の結晶は日に当てるまでもなく内側から光を発しており、こうして封印した今でも不思議な力を感じる。

 その宝石をそっと電球にかざせばひとりでにすっぽりと中へ入り込んだ。さながら青い電球だ。

 

「……帰ろ」

 

 用事は済んだ。後は家に帰って宿題をやらなければ。

 これでもまだ小学3年生、わかっていても勉学はこなさなければならないのだ。

 

 これが転生者、輪廻(リンネ)メグルの最近の日常だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 輪廻メグルは転生者である。現在は何周目かもわからない人生で【魔法使い】を趣味として嗜んでいるところだ。

 転生は全ての魂が輪廻の中で行われ、それは彼以外も例外はない。

 しかし特異な事として、輪廻メグルは前世の記憶と呼べるものがあり、かつ転生の度に特典を得ることが可能なのだ。

 輪廻メグルとなる前の世界でもそれが普通だった。摩訶不思議なものや到底役に立たないであろうもの、時には世界を崩壊させかねないものまで扱ったことだってある。

 実はその特典と呼ばれる、と言うか、彼が特典と勝手に命名して呼ぶその力は、彼が転生をする度に大概がランダムで付与される。

 今回の転生による特典は【魔法使い】と【絶対記憶】のどちらかを選択する形式になっていて、面白そうな前者を選んだのだ。

 赤ん坊の時から時を経て様々な知識を取り入れ、今は一人で黙々と不思議な現象に対して魔法で対処をしてまわる日々。今の楽しみは【魔法使い】をしていられる間だけだ。

 【魔法使い】でない間はただの人間。何回何十回と繰り返されたサイクルと同じことを繰り返すだけで、非常に退屈だ。ようは、飽きた。

 何度も学んだ事柄は適当に流し、彼は殆どの情熱を【魔法使い】に注ぐ。それが今現在で最も楽しいとわかっているからだ。

 

 彼の使う魔法は、それはそれはオカルトチックだ。呪文と触媒、時には血や生け贄を必要とし、普段から入念な準備を擁する、端から見れば非常に面倒臭いものだ。

 しかし彼はこの魔法しか知らないし、これで良かった。数え切れない人生を経て来て【魔法使い】になった経験はないからだ。

 かつては、指パッチンで何でも真っ二つだとか、異次元から取り出したとんでもない武器を滅茶苦茶に飛ばしたりだとか、女性にしか使えない人型パワードスーツを使ったりとか、異能力を全て無効化する右手だけで戦ったりとか、そんな物騒な人生もあった。

 普通の高校生生活で恋愛したり、人外モンスター達と平和に暮らしたり、周りが大きな事件に関わっていたのを知らずにスルーしていたり、異世界に飛んで遅れた文明の中を現代知識で滅茶苦茶に掻き乱して、そんなちょっとバタバタしたけど至って平和な人生もあった。

 

 しかし自分が【魔法使い】になるのは初めてだった。これが楽しくない筈がない。未知の力をイチから見出だし自分のモノにしていく、この過程が良いのだ。だからこそ、無駄に時間がかかるような魔法を、彼は愛していた。

 

 

 

 彼の家は極普通の一軒家。父と母がいて一人っ子、極々普通の核家族だ。

 両親は彼が【魔法使い】だと言うことは知らない一般人で、普段から【魔法使い】のことを彼は全員に秘匿している。面倒事を起こしたくないからだ。何で【魔法使い】なのか、そんなのは転生して力を得たからだ、なんてあまりに言い訳として情けなさ過ぎる。それに魔法は趣味だ。他人に余計な詮索はされたくなかった。

 

 そんな【魔法使い】が趣味な彼の生活は、至って普通だ。

 今は夜の20時。夕飯を終えて後は風呂に入って寝るだけ。宿題はとっくに終わらせた時間。

 彼は自分の部屋にこもって魔法の準備をしていた。

 部屋の広さは8畳、壁2面に窓があり、南側に机、東側にベッド。北側はドアとその横にクローゼットがあり、西側は本棚いっぱいの本があった。

 本棚の殆どは小学3年生が見るモノではない。全てがオカルト、全てが異常。真新しそうな物から、風化して破れそうな物まで、一体どれ程の神秘がこの本棚に収まっているのだろうか。有名な複製やレアな原本もある。

 

 彼はその内の一冊を取り出して机の上に広げ、手元のメモ帳ほどの紙に解読不明の文字列や模様を書きこんでいた。

 現在行っているのは簡易呪符の作製だ。本来なら呪符とはこんなチラシの裏だとかコピー用紙だとかで作るモノではないのだが、今の世の中呪符用の紙を買う事なんてできない。

 簡易呪符は単一の決まった効果を発揮する一回きりの使い捨ての道具。呪符は使用する素材によって効果の良し悪しも変わって来るが、現代ではその辺の紙とペンが精いっぱいだ。効果は煙を発生させたり、一瞬だけ発光したりと実に薄そうなものしかない。

 これを彼が作っているのは、普段からそう言った身を守ったり錯乱したりが必要なことをしているから。

 最近、数日前から可笑しな事がここ海鳴市で頻繁に起きているのだ。その原因はわかっている。今日回収してきた青い宝石だ。今は電球に入れて窓際に飾ってあり、その数は4つ。綺麗だ。

 彼はその回収作業に当たっているのだが、この宝石は何やらよからぬ事を引き起こす。最初は神社で飼い犬を変化させ、人間を襲わせた。襲われた人は軽傷で気絶したけど大事には至らなかったから良し。2つ目は貯水施設内の水を使っての無差別破壊。まるでスライムのように蠢いて怪物と化した。これは周りの建物がいくらか半壊、全壊したりと酷い事になった。死者は出なかったが重軽傷者が数人と決して良くはない結果だ。3つ目と4つ目は幸いなことに人気のない場所だったので特に何事も無く封印できたから良かった。

 

 とまぁ青い宝石のおかげで色々と大変なことになっているのだ。

 一般人から見れば異常な出来事であり、その原因はたった1つの宝石が引き起こしたオカルトな事件。物理や科学では証明できない出来事であるからこそ、海鳴市のニュースは日夜オカルトを暴かんとする話題で持ちきりだった。最近では変な団体が街中をうろついていたり、報道陣も頻繁に見かけるようになり学校からは外出を控えるよう通達が出る程だ。全く迷惑極まりないものである。

 

 彼が今準備をしているのは、その宝石を回収して回るため。触媒は多ければ多い程応用も利くし臨機応変に対応が可能なため、必然的に空き時間はこうした細々とした作業に没頭するのが日課だ。他にも使える魔法の幅を増やす為に魔導書(グリモワール)を解読したりと余念がない。

 

 予想では、まだあの宝石はいくつか市内にある。平和な日常を守るため……というのは建前で、【魔法使い】として魔法を使う為、今日も彼は1人孤独に魔法を磨くのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕方の17時は輪廻メグルにとって特別な時間だ。

 海鳴市の霊脈は毎日17時ピッタリに最も励起する。普段ならそれまでなのだが、今回は事情が違う。

 霊脈の励起により自然発生する特殊な波動が青い宝石に作用し、例のオカルト事件が発生する仕組みなのだ。彼が毎日17時まで学校の図書館にこもり時間を潰すのにはそういう訳があった。

 

 今日も今日とて図書館で書物をあさり、時間になると本を戻してカウンターの子にまた会釈して、それが返されたのを横目で確認して外に出る。

 

 虚空から出る襟の高いローブを羽織り、帽子を取り出して被ればまた竹箒が飛んで来る。水晶を取り出しながら方角を見定めた彼は、青白い光が立ち上る方角へと今日も飛んで行くのだ。

 

 

 

 杖を持って箒に乗り飛翔し、とあるお屋敷の庭から光が発せられているのを目視で確認した。

 その刹那、灰色の空間が周辺を覆った。

 

 結界?

 

 恐らくは、そうなのだろう。しかし規模が異常だ。彼の知る魔法でこれだけの結界を用意するのは非常に骨が折れる。見計らったように結界を張った張本人は、まさか宝石をばら撒いた奴か、もしくはそのグル?

 いや、それは後でいいかと思考を中断、懐からいつもの大きな杖を取り出した。同時に、今日は呪符も取り出す。チラシの裏を使った簡易物だが、一瞬の目くらまし程度には使える物だ。暴走する宝石だけでなく、もしそれを操るような敵がいれば……一筋縄ではいかないだろうと冷や汗を流す。この結界は恐らく関係者以外を現実世界に残し、必要な人員だけを内部に閉じ込めるもの。自分以外に街を歩いていた人々の生命反応が感じられないのがその証拠だ。人的被害が最小限に抑えられるだけまだマシと思うべきだろう。

 それにもし対峙するとなれば相手の方が格上の可能性が高く、また相手の結界内故に圧倒的に不利だ。工房まで作られていては下手したら一方的にやられる。向こうは宝石暴走の首謀者、こちらは宝石を鎮め回収するのが目的。和解は難しいかもしれない。

 

 警戒を最大限にし、屋敷の上へ。庭を見渡すと、木の生い茂る方向から何やら重々しい音が聞こえた。目を凝らせば、森の中を動く巨大な影が見える。恐らく4足歩行、尻尾が立っている。猫が巨大化したのか?

 取り敢えず宝石が原因によるものに違いない。使う魔法をあらかじめ頭の中で確認しておき、呪符を構えながら箒に乗り飛び出す。

 近付けば近付くほど、それが猫だと言うことがわかる。しかも子猫だ。

 だが、無差別に破壊を振り撒くものではないらしく、のそのそと猫らしく動いては止まったりとただの猫だ。

 

 何故だ、と思う前にさっさと封印しようと杖をかざした、その直後。

 

「あのぅ……」

 

 背後から聞こえた突然の女の子の声に振り向き、咄嗟に杖と呪符をかざした。

 

「ひゃっ!?」

 

 白いドレスのような、近未来的デザインの服。白いブーツにはピンク色の羽がついていて、手には白の柄の先端に金色のフレームとその中心に大きな赤い水晶が着いた杖。その女の子の顔に、酷く見覚えがあった。

 

「え……あなた、は……」

 

 恐らくこっちも酷く驚いた顔をしていたのだろう。彼女も驚愕に表情を染めていた。

 

「……あ、あのっ、学校の……人……ですよね……?」

 

 茶髪のツインテールと、その顔立ち。名前は、確か……。

 

「……高町、なのは……?」

 

 予想していなかった彼女の登場に、思わずそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




オリジナル設定に関しては後々作中で説明が出ます。


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少年少女、魔法使いにつき

 

 月村すずかちゃんの家に遊びに来ていた私、高町なのはは、実は魔法少女をしています。

 異世界からやってきたフェレットの魔法使いユーノくんと一緒に、ジュエルシードと呼ばれるロストロギアを集めるのが、私の目的。今日は本当にたまたま、友達の家に遊びに来ていて、その庭でジュエルシードの暴走がありました。

 すぐにユーノくんが結界を張ってくれて、レイジング・ハートでバリアジャケットを着て現場に行きました。

 そこで見たのは大きくなった子猫と……それに杖を向けて浮いた竹箒に乗る、お伽噺に出てくる魔女のような恰好をした、見知った顔。間違いなく、それは私と同じ小学校に通う、同学年の男の子でした。

 

「やっぱり……あの、輪廻メグルくん……ですよね?」

 

 向こうも、私を知っている。私もメグルくんを知っている。間違いない、彼は、輪廻メグルくんだ。

 

「……何故、君が……」

 

 困惑した表情のメグルくんが、杖をこちらに向けたまま言いました。その表情に私は酷く驚いたのです。

 

 輪廻メグルくんは、私達の通う学校でも有名です。大人びた雰囲気は先生顔負け、頭の良さは学校一番って言われるくらいで、学年成績は1年生の時から1番でした。友達のアリサ・バニングスちゃんがいつもその後に続く2番でぷりぷりと拗ねていた印象があります。

 メグルくんは普段から物静かで、殆どの時間は授業中でも1人黙々と自分の席で紙に何か不思議な暗号を描いていて、放課後はいつも図書室でとっても難しい本を読み進めています。ちょっと、近寄りづらいな、なんて思ったことが何度か。

 

「メグルくんも、魔法使い、なの?」

 

 私は思い切って不思議な格好の彼に尋ねました。彼の持つ杖や紙の束には魔力が籠っていて、それにメグルくん自身からも強い魔力の波動を感じます。そして何より、メグルくんは箒を使ってるんだけど空を飛んでいる。お伽噺みたいな、魔法使い。そう、彼はきっと、魔法使いなんだと、私は思いました。

 

「……高町は、魔法の存在を信じて……いや、まさか、その恰好も魔法……?」

 

 意味が分からん。メグルくんは言いました。

 

「えっと、その、事情は色々あって、私、魔法使いになったんだけど……メグルくんも魔法使いなら、ちょっと手伝ってもらえないかな……?」

「……魔法使い……確かに僕は【魔法使い】だけど……。……高町。1つ聞きたいんだけど、率直に、高町は青い宝石を集めてるのか?」

「青い宝石……ジュエルシードなら、集めてるよ。ユーノくんが集めてるのをお手伝いしてて」

「ユーノ?」

 

 私の言葉に、メグルくんの視線が鋭くなりました。ちょっと、怖いです……。

 

「……青い宝石を知っているの? そのユーノとやらは」

「え、う、うん。いっぱい魔力を秘めていて、ロストロギアって言われてるんだけど……」

「……ああ、魔力……魔力を秘めてるのはわかるけど……、ロストロギア? あの宝石の名前がか……?」

 

 気付けば杖を降ろして、こめかみを揉んでいるメグルくん。ますます混乱してるみたいなの……。

 

 けれどそれも少しの間。メグルくんは1つ深呼吸をして「取り敢えず」と口を開いて、下でごろごろしている大きな子猫の方を見ました。……大きな子猫……? 何か変な感じ。

 

「……詳しい話は後で聴く。今はアレをどうにかして元に戻そう」

「あ、うんっ。手伝ってくれるんだねっ」

「……手伝うも何も、僕もあれが起こす厄介事の処理を独自にやってたんだ。ボランティアだけど」

 

 そう言ってメグルくんがまた杖を構えました。私がユーノくんから聴いた魔法とは随分と違うみたいだけど……。それについても多分後で話が聞けるのかな。ちょっと、楽しみかも。

 

「“隆起する泥”」

 

 小さくメグルくんが呟いた直後に、地面に浸透した魔力が地面の土を押し上げて子猫の周りに大きな壁を作り上げました。すごい、あんな量の土を一瞬で操るなんて……。

 

『な、なのは!? 何か急に土の壁が目の前に出て来たんだけど!?』

「大丈夫だよ、ユーノくん。私の知り合いの子が協力してくれてる奴だから。話は後でするね」

『りょ、了解……仲間、なんだね。でも、なのは以外に魔法使いが……?』

 

 念話で地上のユーノくんがぶつぶつと呟いてるけど、まずは封印が先ってね。

 

「行くよ、レイジン――――」

《Protection》

「きゃぁ!?」

 

 封印しようとした、その直後でした。背後からの突然の奇襲。突然の衝撃が私の背中を叩いたのです。

 ビックリして振り向こうとした時、稲妻を纏った黄色い弾が私とメグルくんを追い越して子猫に当たりました。痛そうな悲鳴があがり、子猫が横倒しになって土壁の器の中に横たわりました。

 

「……次から次へと……何なのさ一体……」

 

 暴風のような衝撃を、バランスの悪い箒の上で器用に流したメグルくんは既に私の後ろを見ていて、釣られて私もそっと振り向きました。

 そこにいたのは、黒いマントを羽織って、体にぴったりと張り付くような服――バリアジャケットを着て黒い斧のようなデバイスを持った、金髪の女の子。彼女はデバイスをこちらに向けて、静かに睨んできました。

 

「……高町。知り合い?」

「う、うぅん……初めまして、のはずだけど……」

 

 私の記憶には、覚えがないんだけど……。

 

「あのっ、あなたもジュエルシードを集めてるんですかっ?」

 

 思い切った私の問いかけには、無言が返ってきました。ただ、伝わってくるとげとげした雰囲気だけは、さっきより強くなったような気がします。

 

「……あんまり機嫌がよろしくないみたいだねぇ……無益な争いは勘弁して欲しいなぁ。早く処理したいし」

 

 頬を引き攣らせて隣で苦笑するメグルくん。杖は油断なく構えていて、持っている紙の量もいつの間にか増えてます。手品かな……?

 

「……そのロストロギアは、こちらで回収する。2人は、手を出さないで」

「え、でも……ジュエルシードは、ユーノくん達が原因で海鳴市に散らばっちゃったから、回収をするって……」

「貴方達には関係ない」

 

 彼女の言葉と同時に斧が変形して、黄色い刃が出てきました。それは鎌のような、死神の鎌を彷彿とさせる形をしています。彼女の表情は、とても暗くて、辛そうで。

 

「何か……何か理由があるんじゃないんですか!? ジュエルシードはとっても危険なんです!! それを集めるのは――――」

「どいて」

 

 私の言葉を遮るように、彼女は突然消えるように飛んできました。その鎌を大きく振るって。私が反応するより早く、レイジング・ハートが反応してプロテクションで防いでくれたけれど。

 彼女は何度も何度も鎌を振って私を斬り付けようとしてきて、レイジング・ハートが防いでくれていたけど、どんどんとプロテクションが薄れてゆく。

 

「……ちょっと、いきなり襲うのは何でも早とちりなんじゃ……」

「め、メグルくんっ、説得より助けて……!?」

「あなたも、ジュエルシードを?」

 

 不意に手を止めた彼女が、今度はメグルくんに切っ先を向けました。その隙に後退してレイジング・ハートを構え直し、今度は後手に回らないように警戒します。

 メグルくんは静かに両手を上げて降参のポーズで口を開きました。

 

「……質問に答えよう。だが僕からの話も聞いて欲しい。僕は君達の言うその青い宝石……ジュエルシードを集めてる。何故ならこの街で被害が出ているからだ。死者は出ていないけど、既に怪我人も続出している。僕はその被害を留める為に回収をしてる。解答としてはこれでどうかな?」

「回収したジュエルシードは、何に使う?」

「……特に予定はないかな。かなり綺麗な物だから、インテリアにはなりそうだよね」

「使わないのなら、譲ってほしい。タダで、とは言わない。対価は何かしら用意する」

「……等価交換、ね……なるほど。じゃあ君は何故そこまでしてこのジュエルシードとやらを欲しがるの?」

「…………黙秘する」

「……そうかい。ところで、そのジュエルシードはこちらの……高町(彼女)も何やら事情があって集めているらしいんだ。彼女にも話を聞いてみたいとは思わない? 僕は聞きたいよ、理由次第ではどちらかにジュエルシードを譲るかもしれない」

 

 メグルくんは静かに私の方を見てきました。多分、事情を説明しろってことだと思います。

 そこから私は少しずつ、ユーノくんから聴いた話を説明しました。発掘品だったジュエルシードを輸送中に、輸送船のトラブルによってジュエルシードが海鳴市に散らばった事。それをユーノくんは集めていて、たまたま居合わせた私が手伝っている事。回収したジュエルシードはきちんと封印して厳重に保管する事を。

 

「……高町の事情は理解した。このままなら、僕は恐らく彼女に回収したジュエルシードを渡すだろうね。話の信憑性が裏付けられるならの話だけど。そして、君には渡さないだろう。あれは危険なモノだ。被害が出るとなれば放っておけない」

 

 話を終えてからメグルくんの言った言葉に、私はホッと胸を撫で下ろしました。彼もジュエルシードが危険なモノとわかっていて、それが引き起こす被害の可能性をよく理解しているみたいです。

 

 けど、

 

「……渡してくれないなら、奪うまで……!!」

 

 彼女は止まりませんでした。周囲に魔力バレットを形成して私に放ってきたのです。

 私が防いでいる間に彼女はメグルくんへ近付いて鎌を振り上げました。

 メグルくんはすぐに箒の上から真後ろに飛び降りて彼女の攻撃を避けました。そのまま重力に引かれて落ちて行って、すぐさまその下に箒が滑り込んできて器用に着地しました。飛行魔法も使ってないのに、こんな高い場所でアクロバティックな動きをするなんて……。

 

「……いきなり襲って来る様じゃ、ますます渡す気にはなれないねぇ、ジャンキーっ!!」

「黙れっ!!」

 

 追いすがる女の子に、メグルくんは箒に乗ったまま逃げます。とても速いのに、片手だけで掴まって、もう片方の手には紙の束。それを追ってくる彼女の目の前に1枚投げました。

 

「“発動(ブレイク)”」

 

 直後、紙が弾けたかと思うと強い閃光が。思わず腕で目を覆ってしまう程の光が視界を塞ぎました。すごく、眩しいです……。

 あまりに眩しすぎて、また慣れるまでかなり時間がかかってしまいました。ようやくまた目が開けるようになった頃、メグルくんはいつの間にいなくて、空中で顔に手を当てて動けないでいる彼女がいました。かなり近くであの光を見ちゃったのかも……。

 

「あの、大丈夫ですかっ!?」

 

 声をかけると、彼女がこちらを見てきました。その眼はまだ完全に開ききってなくて焦点も定まっていないみたいです。メグルくんも結構容赦ないの……。取り敢えず、失明した訳ではなさそうだし、良かったの。

 

「……高町」

「うひゃ!? め、メグルくん……」

 

 肩を叩かれて、思わず飛び上がる私。気付けばメグルくんが真後ろにいて、子猫を抱えてました。この子は、確か、大きくなってた子……。

 

「……宝石は封印した。話を聞けない様子だし、一度ここを離れよう」

「え、でも、あの子、目が……」

「……咄嗟に防いでたし、流石に目を焼くほどの出力はないよ。さ、早く」

「う、うん……」

 

 メグルくんに手を引かれてその場を離れて行く。あの子は相変わらず周囲を警戒してるみたいだけど……。

 

 結局その後は森に隠れて結界を解除し、彼女が去るのを待ちます。目が見えるようになった彼女はしばらく周辺を見て回り、それから飛び去って行きました。

 

「……はぁぁ……まさか襲われるとはね……」

「メグルくん、大丈夫?」

「……ちょっと帽子が斬られたくらいで怪我はないよ。……嗚呼、結構お気に入りだったのに……」

 

 木陰で隣り合わせになって座り、メグルくんは残念そうに帽子のつばをなぞっています。そこには、最初に見た時はなかった一片の斬れ込みがありました。多分、最初に近付かれた時に斬られたんだと思います。

 

「……そっちは?」

「私は大丈夫。レイジング・ハートが頑張ってくれたから……ありがとう、レイジング・ハート」

《All right. No problem》

「……喋った……AI?」

 

 私がレイジング・ハートに話しかけると、メグルくんはまた驚いた顔をしました。普段の落ち着いた彼を見ていた私からすると、ちょっと新鮮です。

 

「うん、補助用のAI。魔法を使う為のインテリジェント・デバイスなんだ」

《Nice to meet you, Mr.RINNE》

「……あ、ああ、どうも……」

「ふふっ……メグルくん、混乱してるね」

「……そりゃそうだ。僕の知ってる事とあまりに違いがあり過ぎてね……」

 

 帽子を脱いだメグルくんは、大きく息を吐いて木に寄り掛かりました。慣れないことはするもんじゃない、と酷く疲れた様子です。私も、あまり戦ってないとは言え結構精神的に疲れちゃいました……。メグルくんと同じように木に背を預けてはふぅと大きく深呼吸。緊張で強張っていた身体が、ようやく解れていきました。

 

「なのはーっ」

「あ、ユーノくん」

 

 忘れてたの。

 

「……イタチ?」

 

 走って来るユーノくんを見てメグルくんはそう言いました。イタチじゃなくてフェレットじゃないかな?

 

「良かった、知らない人がいっぱい来て光ったと思ったら皆いなくなってたから……」

「あはは、そうだよね。私も混乱してたし」

「あ、それでこの人が知り合いの?」

「うん、輪廻メグルくん。同級生なの」

 

 話したのはさっきが初めてだけど。

 

「……その小動物が、ユーノとやら?」

「そうだよ。私の魔法の先生」

 

 足元のユーノくんを抱き上げてメグルくんに渡す。メグルくんは恐る恐ると言った感じで、優しくユーノくんを抱いて脚の上に乗せました。扱いなれていないみたいで、何だか可愛いです。

 

「初めまして、ユーノ・スクライアです。格好はこんなですけど、人間です」

「……どうも。輪廻メグルです。えと、幻術か幻覚でその姿に?」

「いえ、変身魔法です。魔力の消費を抑えて回復に専念するためにこの格好で……」

 

 また知らない魔法だ、とメグルくん。これは色々と説明することがあるのかも。

 

 と、その時、遠くから私とユーノくんを呼ぶ声が……ってそうだった!! 今はすずかちゃんちにいたんだった!!

 

「なのは、すぐにバリアジャケットをッ」

「う、うん。あ、メグルくんどうしよう!?」

「……僕の事は気にしないでいい。勝手に帰るさ。ここにはいなかったことにして」

 

 バリアジャケットを解除して元の服に戻る私。メグルくんは立ち上がってユーノくんを私に渡してきて、ローブについた土を払いました。

 

「あ、なのは!! 遅いからどうしたのかと思ったじゃない!!」

「なのはちゃん、良かったぁ……怪我とかしてない?」

 

 ガサガサと茂みをかき分けて来たのは、友達のアリサ・バニングスちゃんと月村すずかちゃん。ジュエルシードのことですっかり頭から抜け落ちてたんだけど、そう言えば走り出したユーノくんを捜して抜け出して来たんだった……。

 

「うぅん、大丈夫。ちょっと走り回って疲れちゃっただけだよ」

「もう……ユーノは勝手にいなくなっちゃダメじゃないっ。皆心配してるんだから!!」

 

 きゃうぅ、とユーノくんは私の腕の中でか細く鳴きました。アリサちゃんはちょっと怒ってるけど、これも私達を心配してくれてるからこその裏返し。申し訳ないなぁ、と苦笑しちゃいます。

 

 ……あれ、そう言えばまだメグルくんが隣にいた筈なんだけど……アリサちゃんとすずかちゃんは気付いてないみたい。

 視線だけを横にずらしてみると、そこには数歩離れた場所で「静かに」と口に人差し指を当ててジェスチャーをするメグルくんが。アリサちゃんやすずかちゃんの視界に入ってるはずなのに、気付かれていないみたい……?

 そのままメグルくんはゆっくりと離れて行った後、懐からどうやってしまっていたのか不明な竹箒を出してそれに跨り、飛び去って行きました。

 

「なのは?」

「にゃ!? な、なにっ?」

「何って、アンタ急にどっか見てるんだもの。鳥でもいたの?」

「あ、あぁ、うん。カラスだなぁって。えへへ……」

 

 誤魔化すように苦笑して、アリサちゃんには「しっかりしなさいよ~」とほっぺたをぐにぐにされちゃいました。くすぐったかったです。

 

「もう夕方だもんね……そろそろ迎えの来る時間じゃないかな?」

「げっ、もう? 仕方ない、今日はおひらきね」

「ご、ごめんね、私の所為で……」

「そうね。次からはちゃんと躾けておきなさいよ。ペットの過失は飼い主の責任なんだから」

 

 ユーノくんはペットじゃないんだけどなぁ、とは言えず。仕方なく返事をする私なのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




2016/5/12 加筆修正


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魔法少女と魔法使い

 

 謎の少女の襲撃があった翌日。私、高町なのはは放課後の図書室に向かっています。多分だけど、輪廻メグルくんがいるだろうから。

 昨日はアリサちゃんやすずかちゃんがいたからうやむやになって別れちゃったけど、今日は放課後のうちにメグルくんの事をちゃんと聞かないと。そして、私やユーノくんの事もしっかり説明ないといけない。少なくとも私はそう思います。

 

 時々しか利用しない図書室の扉を開けて中に入ると、何だかいつもと違った景色に見えました。

 メグルくんは……良かった、今日もいるみたい。噂通り、テーブルの一角で黙々と分厚い本を読み進めてます。何読んでるだろう……って観察してる暇じゃなかったの。声かけないと。

 

「メグルくん、ちょっと今いいかな?」

「……ん……高町?」

 

 テーブルの合間を縫って肩を叩くと、いつものメグルくんが無表情のままこちらを怪訝そうに見てきました。

 

「……話がしたい、と?」

「うん。昨日のこととか、私のこととか……いいかな」

「……わかった。場所を移そう」

 

 そう言ってメグルくんは静かに本を戻して外へ。私もそれに続きます。

 

 やって来たのは屋上。今は皆部活やら帰宅やらで私達以外に人影はありません。

 いつもアリサちゃんやすずかちゃんとお昼を食べてるベンチに隣同士で座り、しばらく無言になりました。

 

「……何から、話せばいいのかな」

「……さて、何だろうね。取り敢えず確認なんだけど、これから話すことは魔法のことだね?」

「うん。そのつもり」

 

 するとメグルくんは「じゃあ、」と言って、昨日も使っていた紙を1枚ポケットから取り出して小さくぶつぶつと何かを言って、それを私とメグルくんの間に置きました。

 

「あの……これは?」

「……簡易呪符。僕達の話し声が拡散しないようにしてる」

 

 つまりは結界みたいなものなのかな。魔法を使った兆候は全然感じられなかったけど……感知できないくらい上手に魔法を使ったのか、それとも別のプロセスの魔法なのか。私にはまだまだ理解できそうにありません。

 

「……まず最初に、僕から質問させてほしい。魔法のこととか。いい?」

「あ、はい、どうぞ」

 

 そこからはメグルくんの質問に私が順番に答えていきました。メグルくんは本当に細かいところまで質問をしてきて、私が言おうと思っていたこと、抜けていたところまで全部的確に聞き出していました。私の魔法のことも、ロストロギアのことも、私の知ってる範囲で全部のことを教えました。

 時折メグルくんは少し黙り込んで何かを考えていました。きっと、私には想像も及ばないところでの事を思考してるんだと思います。

 

「……わかった。まとめると、高町の扱う魔法は、その発祥の地域で科学として一般に認知されたモノになると。また、僕の使う魔法は全く別系統の魔法になる。そうなると高町は【魔導師】で僕が【魔法使い】と分けられることになるね」

 

 確かに、昨日見たメグルくんの魔法は不思議でした。私やユーノくんの使うミッド式は魔法陣の発生に伴い魔法の効果が現れますが、メグルくんが使う魔法は魔法陣が出現せず、また個人特有の魔力光もありませんでした。

 

「……それについては僕の魔法が個人に依存しないものだからね。僕の魔法は五大元素に起因するから、状況や環境に左右されることがないんだ」

 

 メグルくんの言う五大元素とは、“火”、“水”、“風”、“土”、“(から)”の5つ。昨日の子猫を閉じ込めた土の壁もこれなんだとか。詳しいことは、ちょっとよくわかりませんでした。沈むものとか浮かぶものとか、話が抽象的でイマイチです。

 そして触媒魔法。これは今私とメグルくんの間にあるような、道具を使った魔法のこと。メグルくん曰く、道具の材料さえあれば理論上無限に魔法を使えるみたいです。私の場合は持ってる魔力が空になっちゃうともうダメなんだけど……。

 それに五大元素の魔法も魔力は世界が持つ普遍的な純粋魔力を使用するから自分の持つ魔力は使わないんだとか。とってもエコだね、と言ったらメグルくんは終始微妙な表情でした。私からしたら結構便利だと思ったんだけどな。

 

「……便利な事ばかりじゃない。高町みたいに魔力さえあればどうとでもなるって程、簡単じゃないんだ、この魔法は」

 

 とても長い時間をかけての準備がいる。強力な魔法――大魔法を行使するなら尚更、と。苦笑しながらメグルくんは言いました。それは自虐なのかな、なんて思ったりして……けれど、何か、違う気がします。

 

「それで、これからのことなんだけど……」

「……ああ。僕がこれから、そのジュエルシードをどうするか」

 

 それからはしばらくの無言。たっぷり1分くらい。そしてようやくメグルくんは口を開きました。

 

「……そう、だね……。取り敢えず君に預ける方向で調整してみるとしようか。後はあのフェレット、だっけ。その子からも話を聞きたい」

「ユーノくんとだね。それじゃあ今から家に来てもらえればすぐにお話できるよ」

「……今から、ね……」

 

 メグルくんはふと腕時計を確認。そこから少しだけまた黙って何かを考えてるみたいです。

 

「……そう言えば、霊脈の話をしてなかった。3分前だし丁度良いから、ついて来て」

 

 直後でした。どこからともなくローブが現れてきてメグルくんがそれを羽織り、ローブの中から昨日も被っていた大きな帽子を取り出しました。まだ斬れ込みが残っているのが、ちょっと痛々しいかも。

 

「……君は先に上空へ。僕は靴を履き替えたらすぐに行くよ」

「あ、はい……え、えぇっ!?」

 

 言うや否やメグルくんは屋上から飛び降りちゃいました。箒がないと飛べないって言ってた筈なんだけど、大丈夫かな……。

 慌てて柵の隙間から下を覗くと、メグルくんはいつの間にか竹箒に乗ってゆっくりと降下していました。周りに数人くらい人がいるのに、気付かれてない……何故なのかは私にもさっぱりわかりません。

 取り敢えず無事だったのでホッと一息。それからバリアジャケットを展開して屋上から飛び上がりました。

 

 雲と同じくらいの高さで待っているとすぐにメグルくんも飛んできました。昨日と同じく立ったまま、バランス感覚が優れてます。運動音痴の私とは大違いです。

 

「……さて。そろそろ17時になる。この時間は海鳴市の下を通る霊脈が最も活発化する時間だ」

「霊脈……?」

「……霊脈って言うのは、特殊な力場の流れって捉えて欲しい。高町の知る魔力が地下水みたいに流れてる、と思ってもらえればいい。一概に魔力だけじゃなくて、魔力を含む、様々な要因になる幻想的な力だ」

 

 時計は間もなく17時。残り10秒。

 

「……霊脈が活発化すると、特殊な波動が海鳴市じゅうに拡散する。それに呼応し青い宝石、ジュエルシードも活発化することがあるんだ。必ずじゃないけどね」

 

 来るよ、と一言。時計の秒針が12に重なりました。

 

「…………………………………………」

「……………………?」

 

 沈黙。しばらくしてメグルくんはローブの中から水晶球を取り出してじっとその中を見つめ……大きく息を吐きました。

 

「……今日は、ジュエルシードは空振りだね」

「そ、そっか……」

 

 肩を竦めて苦笑。上手くいかないもんだ、と言いました。釣られて私も苦笑。

 

「……まぁいいや。取り敢えず、今後ジュエルシードを集める時は17時を目安にするのも良いってことだ。被害が小さく収まるのならいくらジュエルシードを回収されようが僕は気にしないし」

「うん、ありがとう。参考にするね。……あ、じゃあ私の家に来る? ユーノくんもいるし」

「……そうだね。何も予定はないし、話を聞かせてもらおうかな」

「じゃあついでだしこのまま行こっか。その方が早いし」

「……つかぬことを聞くけど」

「うん……?」

「学校の荷物は?」

 

 あっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ユーノくんただいま~」

「おかえり、なのは」

 

 家に帰って自室へ。休んでいたユーノくんが棚の上のカゴから起き上がって迎えてくれます。これも慣れ始めてきました。

 

「あれ、メグルくん? 入らないの?」

「……ん……あ、あぁ、失礼します」

 

 後ろから来ていたメグルくん。扉の前で少し立ち止まって、少し遠慮がちに入って来ました。そんなに遠慮しなくていいのに。

 

「……なんでそんなに警戒してるの?」

「……いや、そんな、警戒って訳でもないんだけど…………うぅん、忘れて。こっちが久々にバカになってただけ」

「あ、もしかして女の子の部屋だから?」

「……それも、なくはない。まぁ最もな理由になると、僕の習性からかな」

「しゅう、せい……?」

「……そのことについても後で話そうか。まずは、その子と」

 

 メグルくんがカゴの上のユーノくんを指差して言いました。

 

「昨日ぶり、ですね。ユーノ・スクライアです。ユーノで大丈夫です」

「……輪廻メグル。好きなようによんでくれ。取り敢えず、座ってもいいかな」

「どうぞどうぞー。あ、今お茶持ってくるね」

 

 1度部屋を離れて1階のキッチンへ。冷蔵庫からお茶を出して、コップも用意してっと。

 

「あ、なのは。帰ってたんだ。おかえりー」

「ただいま、お姉ちゃん」

 

 お盆を探していると、美由希お姉ちゃんが入ってきました。タオルを持っていて軽く汗ばんでるのできっとトレーニングの帰りだと思います。

 

「お客さん?」

「うん。今お友達が来てるの」

 

 ……お友達? ……うん、多分、お友達。昨日知り合ったばかりで、お互いのことはまだ全然わかりきってないけど……。

 お友達、か。なれたらいいなぁ。メグルくんの魔法、私とは全然違って面白そうだし。

 

「お友達……って、すずかちゃん?」

「うぅん。今日はアリサちゃんもすずかちゃんもお稽古だから違うよ」

「へぇぇ、……それにしてもなのはがあの子達以外を連れて来るなんて意外だねぇ。男の子だったりして? ってそんな訳ないかー。なのはってば初だしネー」

「あー……そのぅ……」

「……………………えっ、何その反応……まさか男の子!? ボーイフレンド!? なのはが!?」

「にゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ違うよ!? 違わないけど違うよ!!」

 

 何故だかお姉ちゃん、急に目を輝かせて興奮してます……。

 

「わぁお、まさかなのはが男の子を……すごいわねー成長したわねー。口で否定してても女の子が男の子を連れてくるなんて早々無いよ。しかもなのはがよ。こりゃあ一本取られたわー……。で、どんな子?」

「ふ、普通の子だよ? あと、本当にちょっと話があるってだけで全然、全然関係ないからね!?」

「えー、つまんないのー。あ、じゃあさじゃあさ、因みに名前は?」

「……輪廻メグルくん」

「…………どっかで聞いたことあるような…………あっ、あの確か学年主席の子じゃないっ?」

「そうだけど……」

「ビンゴぉ。流石、私の記憶力も捨てたモンじゃないわね。……でもなのは、その子とはクラス違うんじゃなかった? よく声掛けれたわね。勇気の賜物? なのははやっぱここぞって時に強気になるものね。将来の天才を連れ込むとは、グッジョブなのは!!」

 

 お姉ちゃん全然話聞いてないし……サムズアップはやめてほしいの……。

 

「え、えぇっと、それじゃあ私はお茶を出さないといけないのでこれで……」

「じゃあお姉ちゃんも付いて行こうっと」

「あの……一応聞くけどお姉ちゃん、何をする気です……?」

「なのはが目をつけた子がどんなイケメンかを見定めるためー」

「もうっ、だーかーらー!! メグルくんとはそんな関係じゃないし、そもそもお姉ちゃん汗かいてるんでしょ!? 汗臭いって思われちゃうよ!?」

「なぁッ……!? くぅぅ、見落としていたッ……まさか妹に気付かされるとは……麗しき乙女として不覚……ッ!!」

 

 麗しき、乙女……?

 

「待っててなのは、お姉ちゃんシャワー浴びてくるねっ」

「待たないからね?」

「バイノハヤサデー」

 

 すたこらさっさー、とお姉ちゃんはお風呂場へ。今日はお姉ちゃんいつになく暴走気味で困ります。いつもならお兄ちゃんが止めてくれるのに、頼みの綱は不在。ややこしくなる前にメグルくんとは話をしておかないとなの……!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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神秘は人知れず背後に佇む

 

 魔導書(グリモワール)

 

 魔法に関する事柄が纏められた書物であり、その歴史は古いものだと古代にまで遡るだろう。

 

 輪廻メグルが所持する魔導書(グリモワール)は現在約50冊。うち、原本は数冊、他は全て写本となる。

 元より魔導書(グリモワール)の恩恵を受ける為にはただ所持するのではなく、内容を新たに写経しなければならない。先の50冊のうち、半分が彼の手によって原本、または写本からコピーされた魔導書(グリモワール)となる。

 

 週末、本日小学校は休み。

 輪廻メグルは1人自室で魔導書(グリモワール)の写経をしていた。ただ書き写すのではなく、1頁、1行、1文字、1筆に至るまで神経を集中させ、■■を吹き込む。魔力でもなく、気力でもなく、精力でもなく、ただ漠然とした■■を魔導書(グリモワール)に込めてゆく。

 朝からどれほどの時間が過ぎたか。休日の昼を跨いだ作業の中、ひたすらに紙の上を高級万年筆が駆ける音だけが響いていた。

 

 不意に彼の手が止まる。長い時間をかけてようやく、白紙だった魔導書(グリモワール)の全頁が埋められた。最後の頁ー、最後の行、最後の文字、最後の1筆を書き切り、しかし微塵も気を緩めることなくそっと万年筆を紙から離し横へと置いた。

 

「“我、現刻を以て黒の棺を納めん”」

 

 仕上げの(うた)(とな)え、魔導書(グリモワール)を静かに閉じる。これにて魔導書(グリモワール)は完成となり、初めて効力を発揮できるようになるのだ。

 

「……はぁぁ……ふぅぅ……へぇぇ……」

 

 ただただ終わりを噛み締め、意味もなく深呼吸をした。インクの臭いがするだけで、さして気分転換にはなりやしない。

 机の上に広がっていたオリジナルと写本を閉じ、その両方を壁際の本棚に入れた。

 今のをしまったおかげで壁いっぱい天井いっぱいの本棚は既にスペースがほぼゼロだ。そろそろ整理して購入したオリジナルは倉庫かどこかに移さねばならないだろう。処分するか、どこかに売り払うか。

 処分するのは勿体ないし、売却が良いだろう。大した値段にはならないだろうが、少しでも見返りがある方が得と言うモノ。

 が、しかし。自身の身が未だ少年、年端10も行かぬ小僧でしかないことを鑑みれば古本屋は取り扱ってはくれないだろう。大体、この手の本は本職との間でしかあまり取引されないし、現状手元に残っているこれらの魔導書(グリモワール)は既に広く知られたものばかり。引き取り手がいるのかどうか。

 

 と、なれば捜すしかあるまい。学生の身であるが故、日本中世界中を歩いて回る訳にもいかないが、そこはその辺の渡り鳥辺りを捕まえて使い魔にするが良いだろう。使い捨ての、2度と自分の元には帰らぬものだが、情報さえ適当に運んでくれれば目標は自ずと達成されるのだ。それを自分と同じ同業者が見付けてくれることを願うのみ。流石に痺れを切らせれば親に頼んで売るが。

 そうと決まればまずは渡り鳥を……と思うところだが、残念なことに鳥の種類なんざ真面目に調べた事がない。それはどの世代の記憶を遡っても同じ。あるいは忘れたのか。

 転生前の記憶を引き継いでいるとは言うが、それは実に曖昧だ。普段、人が昨日食べた昼食をあっさりと忘れてしまうように、さして関心を持たなかった出来事は忘れてしまう。今の今まで、鳥に執着した人生は無かったと、そう言う訳だ。

 

 知らないのならば、知らねばならぬ。知るためには、まず資料だ。資料なら、図書館が良い。幸い海鳴市には大きな公共図書館がある。今日はそこで情報収集をするとしよう。ついでに新たな魔導書(グリモワール)の情報も集めなければならない。

 そうと決まれば出掛ける準備だ。筆記用具とメモ用のノートをリュックサックに入れる。これでさながら鳥に興味を持つマニアな小学生としか見られないので心配はない。

 この後は軽く昼食を食べてから出かけるのみ。箒は使わず、徒歩とバスで行くことにする。

 

 

 

 

 

 家から徒歩5分のバス停から市内の巡回バスにのり、15分ほど揺られて図書館前で下車する。

 市立の公共図書館はモダンなデザインによりなされ、建物自体も完成したのが5年前程とかなり新しい。公園に併設され、大きな窓のあるテラスから景色を一望できたりと、天井も高く開放感のある造りが特徴的だ。

 蔵書も多くマニアックな物まで取り揃えてあり、魔導書(グリモワール)の情報をあさるのにも適した場所だったりする。毎日多くの利用客が訪れており、子連れから老人まで様々だ。

 

 動物の書物が置いてある区画の中から鳥に関する本をピックアップ、そこから更に渡り鳥関連の物に絞り込んでゆく。必要な情報は渡り鳥の分布とコース、その周期となる。海鳴市付近を通る渡り鳥を捕まえようというのが現在のプランだ。周回コースに情報を落としてくれればいずれ見つかるだろう。

 

 適当な図鑑や資料を3冊手に取り閲覧スペースへ移動する。今日は利用者もそこそこ多く8割近くが埋まっていた。

 運良く無人の4人掛けテーブルがありそこへ荷物と本を置く。筆記用具とノートを取り出し、最初の1冊目の表紙を捲った。

 

 

 

 図鑑や資料をあさり、既に5冊目へ突入した頃。思ったよりノートが埋まらないなぁと内心悪態をつきながらシャーペンを走らせていると、「あのぉ」と横合いから声がかかった。

 手を止めて横を見ると、まず目に入ってきたのは車椅子とそれに乗る同い年くらいのショートカットの髪型の少女。そして、それを押してきたのか、斜め後ろに立つ見覚えのある少女。

 

「相席、宜しいですか?」

 

 その問い掛けに考えるよりも早く無意識に「……どうぞ」と反射的に答えた。思考が追い付いて、そう言えば他の席もそこそこ埋まってたなと周囲の様子を思い出す。

 

「おおきに」

 

 車椅子の少女は笑って軽く会釈しながら言い「お構い無く」と彼は返す。すぐさま視線は図鑑とノートに移し、しかし思考は全く別の方向へシフトする。

 

 視界の隅で今対面に移動する少女2人。車椅子の子はともかくとして、それを押す少女はつい最近見た覚えがある。そのつい最近がかなり偶然で、その前でもちょくちょく見てはいた。

 

 そうだ、高町なのはの友人だ、と思い当たる。

 学校で何度か顔を見た事はある。そして、あの時、謎の少女……ユーノ曰くなのはと同じ系統の魔法であるミッド式魔法を行使する少女のいなくなった直後に、彼は彼女を確かに見た。彼女は気付いていなかったが。

 

「……輪廻メグル君……だよね?」

 

 だからこそ、その彼女に突然名前を呼ばれた時は酷く驚いた顔をしていた。まさか向こうから声を掛けられるとは微塵も思わなかったからだ。

 

「……そうだけど」

「あ、良かった、人違いじゃなかった。えっと、初めまして、かな……月村すずかです。なのはちゃんの友達の」

 

 月村すずか。何度かなのはの口から聞いたことあると記憶を引っ張り出して確認した。

 

「……高町から少しだけ、聞いたことはある。多分、初めましてだ」

「い、いえ、ごめんなさい、いきなり声かけちゃって。なのはちゃんが最近、輪廻くんのことを喋ったりしててね。放課後とかも時々会いに行ってるみたいだったから」

「……そう、か……まぁ、そうだね」

 

 微妙な表情で返すが、内心は「なんて余計なことを喋ってくれたんだ」とストレスが溜まるばかり。

 確かに会ってはいるがそれはお互いが系統は違うとはいえ魔法を使い、かつジュエルシードの情報や他のを共有してるからだ。なのはの家にお邪魔したあの日以来、お互いに協力関係を築く約束を交わし、基本はなのはがメインで時折彼が回収を手伝うようにしている。

 この関係性は外部には完全に秘密だ。下手に勘ぐられて探りを入れられた時の対処が非常に面倒だからである。

 しかしながら当初から彼が懸念していた事態が今ここで起こってしまった。これはもう頭を抱えたくなるに決まってる。既に思考はどうやって今の状況を乗り切ろうかと必死だ。

 

「すずかちゃん、この人は知り合いなんか?」

「あ、うーん……友達の友達、ってところかな」

「えらい微妙な関係やね……。殆ど初対面で声かけるんは勇気がいるで?」

 

 車椅子の少女はすずかに問いかけ、少し目を見開いている。すずかの人物像は少し大人しめであまり積極性がないように予想していたからだ。

 

「ま、すずかちゃんが挨拶したなら私も挨拶せなね。八神はやてって言います」

「……どうも。輪廻メグルです」

 

 この地域で関西弁は珍しいな、が彼の第一印象だった。次点で他人に対し物怖じしないタイプだ。

 

「輪廻クンはお勉強?」

「……いや、ただ気になったから鳥について調べてるだけだよ」

「へぇぇ……にしてはごっつ量書き込んどるなぁ」

「……性分でね」

 

 感心しながらほうほうと頷きノートを見るはやてに、肩を竦めて苦笑する。

 

「彼、学年成績で首席なんだよ」

「え、すごいやんっ」

 

 更に感心が増して目を輝かせるはやて。そんなでもないよ、と返す他なかった。当たり前だ、何億年分の記憶を引き継いで来ていると思ってるのか。もう大抵の学業はパーフェクトにできるレベルだと彼は自負している。向こうは知らないだろうが。

 

「……たまたま、理解できてるからわかるだけだ」

「鳥のこととかか?」

「……まぁ、そうだね。この付近を通過する渡り鳥まで把握してないし」

「ふぅん……じゃあ日本の国鳥は?」

「……キジ」

「え、鶴とかトキじゃないん?」

「……国鳥に選出されるのは国に相応しいものなんだ。キジは日本固有種で見た目も綺麗な奴が多い。狩猟や食にも関係してる上に、日本では1年中見れる。これらの事を踏まえて、1947年の3月にキジが国鳥にされたんだ」

「す、すごい物知り……」

「思ったより博識やねぇ……」

「……偶然知る機会があったからね」

 

 いつだったか、キジを捕まえる必要があったこともある。またキジという固有種が持つ概念的な意味合いが特殊な力に関わることだってあるのだ。

 普通の人が知らずとも、自分が知っていなければ生きていけない事があったのも、記憶のどこかに確かに存在する。

 

「私もなぁ、本はぎょうさん読んでんねんけど……なぁんや今の説明よぉ聞いとったら負けた気がするわぁ」

「……読みながら意味を噛み砕いて理解し、それを1つ1つ記憶しないとね。やってることは単純で、数をこなさなくたって知識はいくらでも入ってくる」

「……因みに輪廻君はどれくらい本を読んできたの?」

「……さぁ……暇さえあれば無意識にが基本だったからよく覚えてないや」

「まさか図書館まるまる埋まるくらいとか言わへんよな……?」

 

 本当ならそれの何倍も何倍も多く読んだのだろうが、そのことは黙って「……それくらい読めたら良いね」と彼は静かに苦笑して返した。

 

 そこからは特に他愛のない話を時々する程度だった。お互いに図書館であるということで少し自重してた点もある。

 幸いなことに彼の危惧していたなのはとの関係に触れることは全くなく、はやてとすずかが話をリードして、時折それに合槌を打ちつつ時折知識を語ってみたり。その間に次々と鳥の図鑑等を読み進め、真っ白だったノートをどんどんと埋めてゆく。

 

 気付けば時計の針は2つ回った。少しずつ人影もぽつぽつと消えていく。

 あらかたのことも調べ終えてしばらくは意味もなく海鳴市近郊内の野鳥の事をぼちぼちと眺めて時間を潰していたが、その図鑑も読み終わってパタリと表紙ごと本を閉じた。

 

「……僕はそろそろお暇するよ」

「あ、お疲れ様」

「輪廻クンお帰りかぁ……ってもうこんな時間か。帰って晩御飯の支度せな」

「あ、はやてちゃんって自炊なんだっけ?」

「せやで。どや、これでも結構腕前あるねんで」

「……何故それを僕に向かって言うかな……」

 

 ドヤ顔しても、彼には何も響かなかった。そもそも彼自身、料理はしないだけでいくらでもできる。スーパーで野菜や魚の良し悪しを見極めたり、適当な有り合わせで料理を作るもよし、満漢全席までより取り見取り何でもござれだ。レシピの引き出しも経験値も段違いである。不必要なので言う気は更々ないのだが。

 

「ふふん、せめてこれくらいは勝ってるとこ見せな、はやてちゃんの良いとこないやん? あ、美少女って点もあるなぁ」

「それ自分で言っちゃうんだね……」

「……そこで僕が料理を作れないと思い込んでるのが不思議でならないよ……」

「え゛っ、輪廻クン作れる派?」

「……うん。まぁまぁ、ね」

 

 そんな進んでやる程のことではないので、まぁまぁだ。それに今は何だかんだで両親がいる身。無理して作ることもない。

 

「もー美少女料理人はやてちゃんのお株奪いすぎやー。ただの美少女はやてちゃんになっちゃう」

「……君は強かだ、八神。そう思うのなら大丈夫でしょ。習慣付いてるなら、少なくとも進んでやりたがらない僕よりは上だ」

「ホンマに? じゃあ料理人の名はいただきや」

 

 本を戻し、すずかもはやても帰るらしい。何とも言えない下らない話で笑い合い、図書館の出口で別れる。

 

「じゃあ、私ははやてちゃんをバス停まで送ってくから。また学校で」

「またなー、輪廻クン。君の話、中々面白かったで。また図書館に来てや」

「……ん、暇だったらそうしよう。じゃあ、2人とも、また」

 

 バス停へ向かう2人を見送り、別方向へ。

 バスで図書館まで来たが、ここからは1度街内の見回りだ。あと10分もすればまた霊脈の励起する時間になる。バス内で身動きが取れなくなるよりかはここで時間を潰す方が良い。

 虚空から出てくるローブを羽織り、いつもの帽子も被る。そして箒もいつも通りどこからか飛んできて彼の前にふわふわと浮かぶ。

 

「……何もなきゃ良いんだけど」

 

 無意識にポツリと呟いた独り言を他所に、彼は茜色に染まり始めた空に飛び上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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沈黙の痛み

 

 日もすっかり落ちた夜のこと。

 

「……ん……?」

 

 夕飯を食べ終えて風呂に入るまでの時間。

 いつものように自室の机に向かって呪符を作っていた輪廻メグルは、神経を逆撫でするような嫌な感覚に眉を潜め虚空を睨み付けた。

 【魔法使い】たる彼は霊脈から魔力を汲み上げ魔法を行使する。よって霊脈の動きには酷く敏感だ。

 そしてたった今、一瞬だが海鳴市を中心に、若干だが霊脈が歪んだ。大きな爆発に揺さぶられた余波のようなものを感じ取ったのだ。

 すぐに窓の方に視線を向けると、電球に入れた4つの青い宝石、ジュエルシードが煌々と光っている。いつもより光が強い。と言うことは間違いなく共鳴によるものだ。

 何かあったのか。少しどうしようかと考えてからすぐさま椅子から立ち上がった。

 現場の様子を見るべき、そう結論付けた。霊脈に異変が起きれば魔法の行使にも影響が出かねないのだ。人生の楽しみが現在魔法しかない以上、それを潰されるのは非常に困る。使えなくなったら多分死ぬ。それくらいに彼の魔法への執着は強い。

 しかし一応近くには科学魔法を使う人間もいる。今の魔法がなくなればそちらを見てみるのも良いのかもしれない。あくまでたらればの話だが。

 

 ともかくとして現場へ行かなければならない。ベッドに飛び乗って大きな窓をガラリと開け、ローブを羽織り懐からはいつもの帽子と外履きも出し準備は完了。窓際から屋根に飛び下り、その上を駆けて縁からジャンプ。空中に身を投げ出し、直後飛んできた竹箒に飛び乗った。

 

 

 

 霊脈の歪みの中心になったのは都市部。企業ビル等が建ち並び、車両の往来も激しいこの地域、夜を煌々と人工の光が照らす。

 

 遠くからそこを眺め、1つの違和感を発見する。自分とは別系統の魔法による結界だ。一般人には見えない、任意の者以外を弾き出す(たぐ)いのモノだろう。これは事前にユーノから魔法のことについて聞いておいたおかげでわかったことだ。

 しかし、ほぼノータイムで魔力消費のみで儀式をすっ飛ばし結界を展開できると言うのは何と便利なことか。

 

 羨んでも仕方ないと思考をカット。懐からいつもの杖を取り出し、先端を結界へ添える。あとは魔法を応用し、“火”と“風”属性の混合魔力、“水”と“土”属性の混合魔力を浸透させ結界表面を矛盾化し固定、“空”の魔法が持つ“均一に広がるもの”を適用し穴を抉じ開ける。

 これは科学魔法への干渉。事前に調査した結果、彼の魔法は科学魔法へ科学魔法を崩すことなく干渉が可能とわかったのだ。上書きはできないものの、これは大きな収穫である。結界内にもこうして自由に出入りが可能となった。

 

 結界内には案の定、高町なのなはとユーノがいた。

 結界の中心付近、そこは酷く荒れている。爆発の余波なのかビル群の窓ガラスは粉々に砕け、道路もあちこちが捲れ上がっていた。

 なのはは瓦礫の山に寝込んでおり、白かったバリアジャケットもボロボロだ。黒い煤や汚れが顔にもついていて怪我もしているのが痛々しい。

 

「……高町、ユーノ。何があったのか、説明を頼みたい」

「あ、メグルくん……」

 

 箒で降下して近付くとより痛々しさが増す怪我だ。重傷でもなく命に別状はなさそうとは言え、処置をしなければ後に響くだろう。

 彼を見て立ち上がろうとしたなのはだが、体に走る痛みに顔を顰めた。

 

「……あまり動かさない方が良さげだな」

「ごめんなさい……ジュエルシード、封印しきれなくて……」

 

 顔を伏せて苦々しく声を滲ませるなのはに、ユーノはすかさずフォローを入れた。

 

「なのはの所為じゃないよ。あれは事故だった」

「……事故で、ジュエルシードが暴走か? 海鳴市全体の霊脈が歪む程の衝撃だった」

「ジュエルシードから言えばかなり小規模だけど、次元震だよ。なのはとあの女の子……フェイトって呼ばれた子の魔力同士がぶつかって、ジュエルシードが反応したんだ」

 

 ……あれで小規模……、と彼は頭を抱えたくなった。危険度は承知していたとは言え、流石に霊脈が歪みかけるのは本当に勘弁願いたい厄介な代物だ。

 

「……休める場所に移動しよう。処置くらいはしないと」

「うん……。っ……!?」

 

 なのはが立ち上がろうとするが、激痛にフラりとよろけた。

 

「……っと。大丈夫?」

「う、うん……ありがとう、メグルくん」

 

 すぐに横から彼がそっと支える。魔法少女になったばかりの彼女にとっての実戦と、ジュエルシードの暴走による次元震の影響は見た目以上になのはに負荷をかけたらしい。足取りが覚束ない彼女を見て彼は大きく嘆息する。

 

「……歩くのは無理そうだね。箒に乗って」

 

 先程より後ろの方からピョコピョコと跳ねながらついてきていた竹箒がすぐさま浮き上がりなのはの横に着く。ちょうど椅子くらいの高さだ。

 

「あの、でも私、箒は使ったことなくて……」

「……それについては問題ない。全部その子がしてくれる。君は落ちないようにしてくれればいいさ。僕も後ろに付くから」

 

 さぁ、という彼の押しに、なのはは支えられながらゆっくりと箒に座る。大丈夫かな、という彼女の心配とは裏腹に、箒はなのはを乗せて落ちることはなかった。

 なのはが座ったのを確認して彼も後ろに乗る。箒は本来1人用だが、精々が少女1人分程度の重さ、増えたところで戦闘にでもならない限りは然したる問題もない。

 

「……高町。しばらくは僕のローブにくるまってて。人目に付くのはよくない」

「あ、うん……でも、これだけでいいの? 顔は見えなくても、姿は見えちゃわないの?」

「……問題ない。このローブには魔の素質を持たない者からの意識を全て外す魔法がかけてある。簡潔に言えば認識阻害だ。高町みたいに魔法が使える者には意味ないけど、それ以外の一般人なら、これを着た僕を見付けることは絶対にできない」

 

 例えカメラに撮られようともね、と言う。そして彼の言葉になのはは大きく納得して頷いた。

 初めて会った時、なのはには魔女のような姿の彼が見えたが、アリサやすずかには全く見えていなかった。つまりそれには彼の着ているこのローブが原因だったのだ。

 

「それじゃあ、失礼します……」

 

 ユーノを抱えローブにくるまる。必然的に2人は密着するような形になり、なのはは少しギクシャクと緊張した面持ちに。

 

「……飛ぶよ」

 

 箒は重力に縛られることなく2人を軽々と飛ばす。

 自分で魔法を使って飛ぶのとはまた違う感覚。持ち上げられるような感覚に、なのははローブの下で自然と近場にあった彼の腕を掴んだ。

 

 

 

 

 やって来たのは山間の公園。日もすっかり落ちて街灯の灯りも遠いここならば人の目の心配もない。

 

「……軽く治療をする。眠くなるけど、それは効いてる証拠だから心配しなくていい」

 

 なのはを公園のベンチに座らせると、彼女を中心にして四方に呪符を配置し、それを終えると懐から銀色の液体が入った小さな透明の容器を取り出し、なのはに渡す。香水の容器に似ている物だ。

 

「これは……?」

「……水銀だ。(まじな)いの効果を補助する、お守りみたいなものだと思ってくれればいい」

 

 そう言うと彼は呪符の描く正方形の外に出て懐から大きな杖を取り出し、丸くなった先端を地面へかざす。

 

「“四方より集え”」

 

 (とな)えれば呪符に仄かな光が灯り、四つの属性を持つ魔力が呪符からじわりじわりと這い出てくる。次第にその魔力らは互いに絡み合い、1つの淡い光となってなのはに集まっていった。

 

「……なんか、ふわふわするの……」

 

 しばらくその様子を見ていたなのはだが、時間が経つにつれて眠気がまぶたを重くしてゆく。身体を包む浮遊感にも似た感覚。まるで日向で干したばかりのふとんに寝ているようで、ぽかぽかと暖かくて気持ち良かった。

 

「……すごい魔力量だ……こんなの、普通の魔導師じゃできない……」

 

 ユーノはその様子を外側から驚きの表情で見ていた。

 魔導師は自力で魔力を消費してある程度の怪我を治したり治癒魔法を使ったりする者もいるが、今目の前で起こっているのは魔力量の多い魔導師1人分では賄いきれない量の魔力を利用した自然からの癒しだ。科学的に治癒するミッドの治療魔法とは異なり、この魔法は大自然のバックアップを受けた治癒で、体への負担も全くない治療方法だ。ずっとミッド式を扱ってきたユーノはその魔法を見て絶句せざるを得なかった。

 

「……高町。傷の具合は?」

「ふぇ……? あ、うん……全然、痛くないの……それよりは、眠い、感じ」

「……元からこの魔法はヒーリングだ。生物の生命力を最大限に引き出して、かつ副交感神経に作用するから眠くなる。効いてる証拠と受け取ってもらって構わない」

「うん……ありがとう」

 

 ほにゃ、と力の抜けた表情で微笑み、歩み寄って来る彼をなのはは見上げた。

 

「……その杖は?」

「……あ、レイジング・ハート……」

 

 ベンチの隣に腰を下ろした彼は、なのはがずっと握りしめていた白い杖、レイジング・ハートをまじまじと見つめた。

 なのはの魔法を制御するインテリジェント・デバイスのレイジング・ハートには元より高度な知能を持つAIが搭載されており、なのはが名前を呼べばいつも反応をくれた。

 しかし、現在では先程の次元震によりレイジング・ハートの至る所にヒビが入り、先端の赤い水晶からは時折弱々しい点滅があるだけだった。バリアジャケットもゆっくりと解除されて元の私服に戻りつつある状態だ。

 

「……ごめんね、レイジング・ハート。もっと、大切に使ってあげられなくて……」

 

 悲しそうに顔を伏せたなのは。レイジング・ハートを待機状態のネックレスに戻すが、水晶は相変わらずヒビによって痛々しい物となっている。

 

「その損傷だと数日は戦闘は無理だね。向こうも同じようにデバイスは損傷してたみたいだけど。しばらくはジュエルシード回収もお休みした方が良い」

 

 休憩も兼ねてね、とユーノは言った。確かに彼女はここしばらくは殆ど毎日休むことなくジュエルシード集めに奔走していた。この今の眠気は今までの疲労が全て出てきたことによるものも含まれているのかもしれない。

 成長途中の彼女が体を酷使するというのはあまりオススメできないのがユーノの言い分だ。

 

「輪廻さん。しばらくなのはの代わりにジュエルシード集めをお願いできませんか?」

 

 よって、比重を彼に少し肩代わりしてもらわねばならない。ユーノには相手の思惑はわからないものの、とにかく危険なジュエルシードを集めていると言うだけでフェイトと呼ばれた少女と赤い狼の使い魔は厄介な存在だ。現状動けるのが彼だけだからこそ、頼みたかった。

 

「……高町がこれじゃ、確かに暴走した時の対処は僕しかできないだろうね。被害が広がらないよう、少し哨戒の頻度は増やそうか」

「……ありがとう。そして、申し訳ない。こんなことに巻き込んでしまって」

「……そう深く悲観する必要はないんじゃないかな。確かに危険物をばら撒いてしまったのは何かしらの責任があるけど、全部が全部君の所為じゃないんだろう? 輸送船のトラブルも調査中……聞くに外部からの干渉と言うじゃないか。事件で処理されるなら君は被害者、そしてそれに責任を感じてジュエルシードを集める立派な人物。そう評価されるさ」

「だ、打算的だね……」

 

 頬を軽くひくつかせるユーノに、彼は当たり前の事を言っただけと言う。以前なのはの家で話を聞いていたが、それらの要因を全てひっくるめた上でユーノに対する責任は非常に少ない筈だ。寧ろ何故輸送船内部の貨物が放り出される事態になったのか、船員達の方が重要視されるだろう。

 

「……ともかく、君は高町を支える存在として重要だ。悲観されて彼女ごと潰れられるとこっちが困る」

 

 集めたジュエルシードは誰が処理するんだい? という言葉にユーノはそれもそうだと頷いた。

 

 治療を始め早3分。欠けた月と星を眺めていた彼が不意に口を開く。

 

「……さて、そろそろいいか。高町、具合は…………高町?」

 

 隣のなのはに声をかけ、しかし返事はなし。何をしてるのか、と首を傾げながら横を見てみれば、彼女はすぅすぅと小さく寝息を立てて眠っており、彼の肩に寄りかかっていた。

 

「……帰りがあるというのに、何故のん気に寝てられるかなこの子は」

 

 呆れて、溜息を1つ。また箒に乗せなくてはならない。しかも寝ている人をだ。

 

「……貧乏くじを引かされてる気分だ、全く……」

 

 仕方ない、と諦めの表情。気持ち良さ気に寝ている人間を叩き起こせるほど彼の心は悪魔ではなかったということだ。

 背負うか、それともお姫様抱っこか? どうやって運ぼうか、思案しつつぼぅっと夜の空を見上げるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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不屈と、反骨と、

 

 高町なのはがレイジングハートの修復が終わるまでの2日を休む間、輪廻メグルのジュエルシード捜索は特に進むことは無かった。霊脈の励起する時間になってもジュエルシードの反応が無かったからだ。

 彼が反応を追えるのはあくまでジュエルシードの力が発現した時のみ。通常状態でのジュエルシードが放つ波長は非常に小さく探知ができないのだ。これはミッド式の魔法にも通ずるらしく、なのはが出れない間はユーノが哨戒をしたりしてくれたが同じような結果だった。

 しかし人的、物的被害が出なかったので良しとするのが彼である。このことについてはまぁそういうものかと簡単に割り切るとこにした。人生経験上妥協するのも大事と言うのは痛い程に味わってきたのだ。

 

 

 

 そしてジュエルシード暴走から3日目。

 学校での昼休みの時間。教室でのんびりとしていた彼は、休憩中のところをなのはに連れられて屋上の方へと来ていた。

 

「メグルくん、この前はありがとうございましたっ」

 

 屋上について物陰に移動するや否や、なのはは彼に頭を下げた。突拍子もない行為に、軽く目を見開くばかりである。

 

「……主語を言ってくれ。あらかた予想はできてるけど」

 

 後頭部を掻きながら言う言葉に、なのはは「あっ」と一瞬やってしまったというような表情をして苦笑した。

 

「えっと、この前私が怪我した時に治療してくれて……私、途中で寝ちゃったから……。あの後運んでくれたんだよね? ユーノくんから聞いたんだ。だから、ありがとうって言わないといけないなぁって思ったの」

 

 そんな彼女の態度に「……律儀だなぁ」と彼は言う。

 

「メグルくんの魔法、すごく気持ち良くてね。こう、ふわーっ、てわたあめに包まれてるみたいに暖かくて……朝までぐっすり寝ちゃった。もうちょっとで寝坊しそうになったんだよぉ。でもね、今までの疲れも全部吹き飛んじゃったの」

 

 すごい魔法だねっ、となのはは興奮気味に話した。喜んでもらえたのなら何よりである。

 

「それでね、今日から私もジュエルシード集めに復帰するから、その報告もしに来たの」

「……そうか。病み上がり、って訳じゃないから良いけど、気を付けるといい。僕だって四六時中治療できる訳じゃないからね」

「うん、気を付けるね」

 

 にっこりと上機嫌ななのは。一体どうしたんだろうと思うモノの、聞くほどのことでもないとして忘れることにした。

 

 

 

 

 

 そして、その様子を眺める人物が2人。アリサ・バニングスと月村すずかである。

 

「……やけに仲がいい気がする」

「そうだねぇ。なのはちゃん、ここ2日くらい結構上機嫌と言うか元気というか」

 

 屋上の出入り口の扉の隙間から2人を見る視線は、アリサは怪しいモノを眺めるような、すずかはどこか微笑ましいものを見ているような。取り敢えず彼女らの視線は非常に対照的である。

 それもその筈、アリサにとって彼は超えるべき存在だ。勉強も運動も教養も、ありとあらゆる面でその数字が彼に劣っているのを自覚しているからこそ、負けず嫌いでプライドの高い彼女はこのまま負けていられるものかと躍起になっていた。

 一方ですずかは図書館で初めて話した時以降、彼は意外と気さくな人柄だと気付いたのだ。自分の地位に対してさしたる執着もなく、与えられたことを淡々とこなす男の子。しかし人柄は良い。受け答えだって不快じゃないし、何より彼の話は面白かった。そう言った点を見れば、そんな彼がなのはと仲が良いというのはすずかにとってプラスであった。

 

「……ねぇすずか、本当に大丈夫なの?」

「心配し過ぎだよアリサちゃん。輪廻君は見た目よりずっと良い人だよ?」

 

 つまり見た目は他人との接触を拒否するような態度だという事だ。アリサはそこが気に食わないのだが。

 実際のところアリサは彼に対し何が明確な嫌いな要素であるのかははっきりと理解はしていない。ぼんやりと、何かが気に入らないのだ。

 普段から人と積極的にかかわろうとしないアイツが、親友であるなのはやすずかといつの間にか仲良くなってきていて、2人が取られてしまったような。あと、ほんのちょっとだけ、仲間はずれじゃなくて一緒につるみたいとも思う。本人の預かり知らぬところで若干の嫉妬をしているのがアリサ・バニングスという気の強い少女であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後。

 本日の海鳴市内のジュエルシード捜索は2人で行うことになった。なのはの復帰後初めての捜索という事で万が一もあり得るとの判断からだ。家からやってきたユーノも一緒である。

 

 学校から徒歩でふらふらと海鳴の街を行く。住宅街、商店街を抜け国道沿いを歩き、ビルの並ぶオフィス街へ。海の方へと2人は足を向けていた。

 

 そんな時、彼が不意に口を開いた。

 

「……ここ最近、何かが海鳴市(ここ)を見てる」

「……何か……? 人、じゃなくて?」

「……ああ。僕や君個人を観察してるのではなくて、街全体を見渡してるんだ。知覚探知網に視界が引っ掛かるんだけど、誰がそれをしてるのかは不明」

 

 その話はえらく非現実的なオカルトチックな話だとなのはは感じた。が、不思議と納得はできた。科学魔法を使う自分と違って彼は古典魔法の使い手である【魔法使い】だ。その手の話は信じて問題はない。

 

「……因みに、今もだ。数日前からずっと監視されている」

 

 空を見上げるその表情は、どこか不愉快そうに見える。気に入らない、恐らくそう思うのだろう。

 

「……黒幕か何かは知らないけど、僕個人の意見としてはあまり信用できない相手だ。油断して接触されると何をされるかわかったモンじゃないし」

 

 警戒は怠らないように、という言葉になのはは「うん、ありがとう」と頷いた。

 何がこちらを見ているのか。なのはには何一つとしてわかっていない。そもそも視線を感じることすらわからないのだ。

 果たしてそれは自分にとって損なのか得なのか。仮に害のあるものだとしたら……ぐるぐると思考があっちへこっちへ、その疲れが不安となって募る。

 フェイトと呼ばれた少女と、また新たな存在。厄介なことになってきた、となのはは彼の言葉でようやく事態に思考が追い付いて来たのだった。

 

 と、その時。

 

 ざわりと嫌な感覚がなのはの頬を撫で、咄嗟にある方向を向いた。

 

「――ジュエルシード……!!」

「……霊脈の励起と同時、か」

 

 なのははすぐに海辺へ向かって駆け出し、彼はその後を追いつつ思案顔だ。

 向かう先では既にジュエルシードが発動し天高く青い光を立ち上らせている。方向は西、海沿いに近いだろう。

 なのはの肩に乗っていたユーノが広域の封時結界を発動、景色が灰色に染まってゆく。

 すぐさまなのははレイジングハートを起動してバリアジャケットを展開、飛び上がる。

 後を追うように彼もすぐにローブを取り出して羽織り帽子を被る。道路脇の柵に足をかけて飛び上がれば、すぐさま遠方から飛んできた箒が足下に滑り込む。

 

「見えた……!!」

 

 先行するなのはは海沿いの公園に大きな影を見つける。蠢くそれは、巨木。枝は(いびつ)な腕となり、地面に張り巡らせた根がうねる。絡め取られては容易(たやす)く捻り潰されるだろう。地表付近は危険だ。

 

 そして、また1人。黒いマントを羽織るツインテールの少女も飛翔して来る。

 

「……フェイトちゃん」

「…………………………………………」

 

 感情の起伏が見えない空虚な赤い瞳。なのはと同じ魔導師のフェイトだった。その傍らには橙色の狼の姿もある。

 

 目が合ったのは、ほんの少しの時間。

 2人の間を切り裂くように、太い木の根が地面を割って飛び出してきたのだ。

 すぐさま散開し、なのははモンスターと化した巨木へレイジングハートを向けた。

 

『Accel Shooter』

「シュートッ!!」

 

 桃色の弾丸が根を破壊する。千切れたそれはボロボロと地面に落ち、ぴくりとも動かなかった。

 

「……バルディッシュ」

『Yes,sir』

 

 それを見てか、フェイトも一先ずバルディッシュをモンスターへ向ける。雷を纏った弾丸はまっすぐ根を穿ち、焼き斬る。

 

「……アルフ。まずはアレをどうにかするよ」

「任せな」

 

 短いやり取りの後、アルフと呼ばれた狼が飛び出す。

 

 今敵対はしない。利害が一致するならばそれで良い。その辺りはまだ冷静に事は見れる。

 

「ユーノくん」

「うん、じゃあ足止めは僕が」

 

 アルフに続き、ユーノも飛び出して魔法を発動。橙と浅緑のバインドが巨木のモンスターを縛り上げた。

 

 

 

 

 

「……事は順調かな」

 

 その様子を遠目に観察する彼は、懐に手を忍ばせて、公園端の木々の間に身を隠して待っていた。現状、なのはやフェイトの戦闘に交じることはないスタンスだ。自分が行ったところで状況が大きく変わることもない。このまま2人に何事もなければジュエルシードは封印できるだろう。

 既に2人の砲撃魔法がモンスターを捉えていた。そう時間はかからないだろう。

 

 なのは、フェイトの両者は共に魔導師としてのレベルは高いだろう。その中で2人の差は僅かにフェイトがリードしていると言えるか。

 比べる対象がなく平均値を知らないから正確ではないが、それでも彼自身と違い彼女らの魔法が実に戦闘的であるのは目に見えて理解できた。

 

 肝心なのはジュエルシードを封印した後に、なのはとフェイトがどうするのか。フェイトに会ったのが最初だけなので果たしてなのはの話し合いに応じてくれるのかどうかはわからない。知っているのは、ただなのはが無益な争いを嫌っているということのみだ。

 本番に備え、ということではないが、いつでも魔法を扱えるよう準備はしておきながら彼は傍観の構えを解く事はなかった。

 

 音を上げてモンスターが桃と黄の光の奔流に飲み込まれ磨り潰されてゆく。金切り声のようなか細い声が灰色の空間に響き、やがて消える。

 2人の封印魔法が、木から飛び出したジュエルシードに絡まる。魔力の暴走が沈静化され、後には煌々と光るジュエルシードが1つ宙に浮かぶ。

 そしてそれを挟んで正面から見つめ合う2人。その表情に迷いは見られなかった。そして、傍観。

 今回の一騎打ち、どちらが勝とうと特に思うことはない。フェイトが持っていったところで、取り返そうとまでする気はしないのだ。彼自身なのはに協力と言う形はとっているが、だからといってリスクを冒してまで追うつもりはない。つまりモチベーションはその程度ということだ。

 

 ことなのだが。

 

「…………………………………………」

 

 じっと空を睨み付ける。

 なのはには言った、こちらを視るモノ。人なのか、それとも別の存在か。月の裏側か、宇宙の外側か、それとももっと違う何かなのか。

 依然として感じる視線に不快感を示す。何やらその気配が近付いてきているような、そんな気がするのだ。

 ソレが及ぼす影響が目の前の彼女らにも及ぶ可能性がある。大抵のことなら経験値的に対処は可能だが、だからと言って面倒事が増えるのはよろしくない。いっそのこと、見なかったことにして逃げた方が良いかとさえ思う。

 

 そんな中、視界の中の2人がそれぞれのデバイスを構えた。いよいよ、一騎打ちの始まりである。ユーノとアルフと、そして彼が見守る中、飛行魔法がより輝いて、2人が激突する。

 

 

 

 と、思われた。

 

「ストップだ!!」

 

 その間に割って入る黒い影。黒髪の少年が、黒い服装と黒い杖を持ち、レイジングハートとバルディッシュをそれぞれ杖とプロテクションで防いだ。

 

ジュエルシード付近( こ こ )での戦闘は危険すぎる。今すぐに交戦状態を解いてくれ」

 

 有無を言わさない厳しい口調と突然の介入者に、なのはとフェイトは目を白黒させた。意識外から、思いもしなかった魔導師の干渉。そして、100%を出しきっていなかったとは言え、2人分の攻撃を完全に防ぎ切る技量。只者でないことは一目で理解できた。

 

 そしてそれを遠目に見ていた彼は、面倒なことになったと顔を顰める他なかった。監視者と第三者、ただでさえ既に舞台はいっぱいいっぱいだと言うのに、これ以上誰に焦点を当てれば良いと言うのか。

 言動から察するに、あの少年は恐らく警備団やそれに近しい者だろう。法の番人か、取り敢えずわかるのは関わるととっても面倒な組織に準ずる者ということ。

 

 という事でさっさとこの場を離れることにした。なのはからすれば薄情者と言われそうだが、彼の場合は友情より身の保身が優先である。これは仕方ない事だ。そう、仕方ない事なのである。

 

 くるりと身を翻し、こそこそと脱出を――――

 

「そこの君もだ。隠れていないで出てきたらどうだ?」

 

 出来なかった。抜け目なさに小さく舌打ちし、しかし振り向きはしなかった。彼らからは見にくい位置、木の陰で背を向けて立ち止まる。

 

「……何故呼び止める?」

「君も関係者だろう。たまたまいたからといってこっそり抜け出すのはいただけない」

「……なら問おう。任意同行か、強制連行か。僕は後者をされるほどの何かをしたか?」

「…………………………………………、」

「……そういうことだ。僕を縛る法はない。帰らせてもらう」

「…………わかった。ただ、名前を教えてもらいたい」

「……個人情報だ。拒否するよ」

 

 言いたいことはない。聞かれたところで答える気もない。彼にとっては本来、()()()()()()()()()()()()()()

 

「あの、メグルくん……っ!!」

 

 と、しかし、早速個人情報の一部がバレた。やってくれるな高町なのは、と内心毒づき、表では平静を装い、足下にやってきた箒に足をかけて乗った。

 

「……僕はあくまで海鳴市の一般市民だ。別世界の出来事は、管轄外なんでね」

 

 呪符を懐からバサバサと放る。落ちてゆくソレは煙となり、辺り1面を覆った。

 

「ッ、ジャミングか……?」

 

 少年が杖を見て、また木の陰を見ようとする。

 そして、いつしか煙も晴れた頃。【魔法使い】の姿はどこかに消え去っていた。

 

『く、クロノくん!?』

「……あぁ、エイミィ。1人消えた」

『それもそうなんだけど……魔導師の子も1人見失っちゃったよぉ……』

「何!?」

 

 通信越しに響くエイミィ・リミエッタの弱々しい声に、少年クロノ・ハラオウンは驚愕。すぐさま振り向くが、そこにいたのは未だに混乱した状態のなのはとユーノだけ。フェイトとアルフは煙に紛れて消えてしまっていた。

 

 ついでに、ジュエルシードもない。

 

「……完全に、してやられたな」

 

 大きく1つ、溜息を吐く。完璧なタイミングだったはずだが、クロノは酷く苦汁を舐める結果となった。

 

 取り敢えず、当事者は1人確保できたということで進歩としよう。そう思考を切り替えるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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逸脱行為

 

「メグルくんっ」

 

 授業終わり。輪廻メグルは教科書を片付けている最中であった。

 これから放課後、いつも通り図書館にでも向かうかと思っていたところ、廊下から響いたよく知る声に顔を上げた。

 

 高町なのはがいた。ニコニコと、それはもういい笑みで。

 だが待ってほしい。その目はお世辞も言えぬほどに笑ってない。

 

 そしてそんな彼となのはの様子を見てしまった教室がざわついた。

 

 学年首席の変わり者である彼と、学校の中でも可愛い容姿に定評のある高町なのはである。その2人が何の前触れもなく突然親しげに、わざわざなのはの方からただならぬ雰囲気を纏って教室まで迎えに来ると言うのは一種のイベントであった。

 

「……重要な話?」

「うん、とっても」

 

 そしてその言葉で更にざわつく。男女間の重要な話とはなんなのか。たいていの場合はアレだ。私立聖祥大付属小学校の生徒は皆結構賢くて若干大人びているので、そう言った話題にだってちょっとは敏感なのである。

 

 ただ若干残念なことに、敏感なのは言葉にだけであり、そこに含まれる意味を疑う程の思考は持ち合わせていなかった。

 

 

 

 

 

 2人はすぐに小学校を離れた。屋上で話をしても良かったが、異様に周りからの視線を感じたからだ。

 

「……撒けたかな」

 

 つまるところ、ギャラリーの存在が厄介であったためである。

 

 第3者の目を欺く方法は非常に単純で、彼のローブにくるまることだ。

 人目に認識できなくする効果を持つローブはなのはにとっても非常に便利であった。ミッド式の魔法にも周辺空間の光の屈折を変える結界魔法の応用があるが、残念ながらなのはは適性がないために使えないのだ。

 

 と、言うことで2人は今もローブに一緒にくるまって若干窮屈そうに移動していた。帰路とは全く見当違いの方向で、クラスメイトたちの見当を外すためである。

 

「もういい?」

 

 懐からもぞもぞと出てきたなのはに彼は頷きで返す。

 

「メグルくんは薄情だと思いますっ」

 

 そして出てきたなのはは間近でビシッと彼の鼻先を指差し、「私、不機嫌です」オーラを出してむっすりと頬を膨らませて睨んできたのだった。

 迫力のない、年相応の可愛らしい表情に毒気を抜かれた彼は「……そうかい」と淡白に返した。知ってる、と返さなかったのは、言葉を選んでのことである。多分そう言えばなのはの機嫌はますます悪くなるだろう。

 

「あの後色々大変だったんだよ? 魔法のこととかジュエルシードのこととかいっぱい聞かれて、メグルくんがいなくなった所為でメグルくんの分まで難しい話ずーっとしてたの!!」

 

 それはそれは、ご苦労様です。そう返したらますますなのはがむくれた。

 

「真面目に聞いて!!」

「……僕はいつだって真面目だ。思ったことを口にしただけなのに何故君が怒る?」

「だって一緒にお話ししないとダメでしょ!?」

「……僕にそんな義務はないんだけど」

 

 彼は協力者。しかし、あくまで海鳴市の安全を確保するために動いていただけに過ぎず、あのような一目で地球の外らしい輩と積極的に関わる気はなかった。

 基本的にああいうのに関わると厄介な問題が持ち込まれて後々巻き込まれるのがオチだ。それで何度苦汁を飲まされてきたことか。惨い最期を迎えた経験もあるだけに、関係者を増やすことにはかなり警戒心の高い彼である。

 

「……高町、君に協力はするとは言ったけど、それは海鳴市の安全を確保するだけの意味だ。そこに可笑しな輩の干渉を許すというのは、僕からしたら不愉快極まりないことなんだ」

 

 トラブルメーカー。彼が危惧することはその存在だ。

 

「……いくつか聞きたい事がある。例の彼らだ。どうせ君のことだから僕のことも知ってる事は全部答えたんだろう?」

 

 その問いになのは「うん」と首を縦に振り、しばらくして、彼の表情が非常に不機嫌なモノになっているのを見てやってしまったと口を塞いだ。

 

「ご、ごめんなさい……悪い人たちじゃなさそうだったから、メグルくんのこと、ほとんど喋っちゃったの……」

「……だろうね。君に口止めするよう言わなかった僕の落ち度でもあった訳だけど、あまり迂闊に他人の事は喋らない方が良い」

 

 知らず知らずの内に敵を作り、気付けば味方からも恨まれる。当初それで後ろから刺された経験があるのだから、現実的な話だ。尤も、彼自身は既に慣れきったことなので、余程重要な情報でない限りは大抵目をつぶることにしている。

 

「……君はどこまで話したのかな。魔法のことも、全部?」

「あぅ……ごめんなさい……」

 

 若干泣きそうななのはを見て、これは洗いざらい全部話したなと額に手を当てて茜色の空を仰いだ。住み家まではまだだが、殆どの情報は筒抜けとなっただろう。魔法のことも含め、非常に厄介で面倒なことになった。

 ここまで来るといっそのことなのはとの関係を一切()ってしまい、証拠も全て無かったことにした方が良いかと考える。大体のところで、こういった彼特有の特殊能力が他方の組織にバレた場合、モルモットになるのが大抵のオチとして用意されている。そして、大概扱いは雑だ。マウス実験に通ずるモノが見えてくるに違いない。

 

 彼が決めた此度の人生計画は、魔法の完成。今ある力をより頂点に、終わりに近付ける。概念の更にその先にある■■に到達する。それが思い描く最高のシナリオ。最期を演出する、終わりへの道だ。

 

「……あぁ、でも……」

「?」

 

 ふと、彼がもらした独り言になのはは首を傾げた。

 

「……高町。彼らはジュエルシードを集めようと躍起になっている、そうだね?」

「え? うーん……多分、集めないで放置するのは危険だし、管理局ならロストロギアの管理もできるから丁度良いって……」

「……充分だ。ジュエルシードの回収に責任感を感じてるなら、それは僕にとっても喜ばしい」

 

 彼にはまだ、交渉材料がある。本当に、充分だ。

 

「……その様子だと、また彼らとは会うんだね?」

「う、うん。知り合いなら、メグルくんも来てほしいって……本当に、話をするだけって」

「……いいよ。僕のタイミングが良ければ会うことにしよう。その時になったら君に知らせる」

 

 言って、ローブを払い2人の距離は離れた。

 ローブはそのまましまわず、静かにその場で軽く跳べば、竹箒が音もなく足元に滑り込んだ。

 

「……彼らにまた会うようなら言ってくれ。また近々会おう、ってね」

 

 それじゃあ気を付けて、と言い、【魔法使い】は夕暮れの空に飛んで行った。

 

 

 

 そして、気付けば静寂が訪れる。

 

「…………あっ」

 

 なのはがはっとして彼の飛んでいった方向を見る。しかし、残念なことに、その姿はもう見えなかった。

 

「…………言いたいこと、全部言えなかったの……」

 

 しょんぼりと肩を落とす。話をはぐらかされ、知らず知らずのうちになのはの本題からはズレてゆく。本当に、つくづくずる賢い人だ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海鳴市の隣に位置する遠見市は、風光明媚(ふうこうめいび)な海鳴市と比べると都会的である。その地の殆どは都市開発が進んだ先進国の首都を思わせる。

 交通網も整備され、公共バスから環状線、地下鉄も通る大都会。眠らぬ街は夜も明かりが絶えることはなく、往来するエンジン音こそが街の息であった。

 

 交通網の充実とはすなわち人口の多さに比例するとも言える。人の多さは海鳴市以上、よって限られた土地に多くの人が住む。都会であるが故の高層マンションが乱立するのも特徴的だ。

 

 その内の1つ、都市中心部からはやや離れた土地に建つ50階建ての高層マンションがある。

 外観からしてまず「高級そう」という印象を抱くのが一般的だろうか。モダンな雰囲気を醸し出す黒の塗装は格式張った“堅さ”を彷彿とさせる。

 

 そんなマンションの広い吹き抜けを含む一室を使う少女がいた。

 

 フェイト・テスタロッサという少女。鮮やかな金の髪をツインテールにした彼女は、体中に包帯を巻いた痛々しい見てくれをしていた。

 帰ってきたばかりの彼女は、ふらふらと覚束ない足取りで広い部屋を進み、ソファの前まで来ると力尽きるようにうつ伏せに倒れ込む。

 疲弊している。それは身体的、精神的、両方である。母に鞭打たれ、罵られ、それでも這いつくばって使命を全うする。ロクに食事をせず、休みだって少ない。まだ幼い筈の彼女を襲う倦怠感は日に日に増し、とっくに限界を迎えている筈であった。

 彼女を突き動かしているのは、ただ母を思う気持ちのみ。自分の役割が1つしかないことを知って、それだけが今の存在意義であることを理解して、ただただひたすらに体を動かす。限界の認識すらできない程に、もう彼女は壊れ始めているのだ。

 

 今、使い魔のアルフはいない。別行動でジュエルシードの捜索を行っているのだ。

 正直なところ、フェイトはこんな時間すら惜しんでいる。早くジュエルシードを見付けないと、母が困るだろう。その思いがズクズクと心を蝕む。

 しかしそれはしなかった。ここで飛び出したところでどうなる、と理解したからだ。使い魔のアルフと繋がっている以上、ここでまたフェイトが無理矢理にでも出ようとすれば飛んで帰って来るだろう。そして無理矢理寝かせようとする。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう納得したからこそ、フェイトは大人しく休んでいる。決してそれが自分の為になるとは微塵も思わず、ジュエルシードを獲得するための最短ルートだとしか信じていない。

 

 信仰や崇拝、既に彼女の中で母親という存在は、異常な程のウェイトを占めていた。何があろうと大好きな母を信じて信じて、だからこそ地べたを這ってでも動く。

 

 この休憩は、母の為。そう、全ては、母の為。

 

 ぼんやりと、何を考える訳でもなく、フェイトは静かにクッションに顔を埋めた。1時間だけ休んだらまた捜索だ。それまでは体を一時休める必要がある。ただただじっとして、疲れが抜けるのを待つのだ。

 

 

 

 と、意識がうつらうつらとしてきた時であった。来客を知らせる無機質なチャイムが鳴った。

 

「……?」

 

 ゆっくりと埋めていた顔を上げて天井を見上げた。来客の予定はないし、そもそも知り合いがこの世界にはいない。アルフならインターホンを押すまでもなく勝手に出入りする。では、今来ている人物は誰なのか。

 

 そこまで考えてフェイトは思考を放棄した。知り合いがいないのなら取り合う必要もないからだ。居留守でも使ってやり過ごす方が良い。今は、疲れている。

 

 が、そんなことを知らないのか、フェイトの休憩を遮るようにまたインターホンが鳴る。

 普段は物静かなフェイトだがこれには流石に顔を顰め、絶対に出てやるもんかとソファーの上で丸くなり再びクッションに顔から沈んだ。

 

 相も変わらずインターホンは鳴り続ける。3回、4回、5回と、嫌がらせかと思う程にしつこい。

 

 いっそのこと管理人室に連絡して警備員を回してもらおうかと考え始めた頃、不意に音が鳴り止んだ。

 

 その後しばらくしても鳴らないのを確認し、ようやく帰ったかと大きく溜息。貴重な休み時間が減ってしまったと鬱憤が積もる思考を片隅に追いやった。

 

『……居留守ってのは、便利だね』

「ッ!?」

 

 しかし、突如近場から聞こえてきた声にフェイトはソファーから飛び起きてバルディッシュとバリアジャケットを展開。玄関の方を睨み付けた。

 そこには宙に浮かぶ紙切れが1枚。札のようで、紙面には赤い幾何学模様が描かれている。そしてそこから聞こえて来る声と、視線。

 

 フェイトはこの声の主を知っている。

 

「貴方は……っ」

『……覚えていてくれて何より。少し話がしたくなったんだけど、あがらせてもらえないかな。そう構えていたら話が進まない』

 

 バルディッシュを油断なく向けるフェイト。彼女が確信する人物とは、以前ジュエルシード確保の際に敵対した箒に乗る少年である。あの時は不覚をとって目を潰され、見失った挙句にジュエルシードまで取れなかった。フェイトにとって手痛い敗北の瞬間であったことは間違いなく、次にもし敵対するのであれば必ず勝つと誓った相手でもある。

 当時は紙が突然破けたかと思えば、次の瞬間には強烈な閃光が視界を覆ったのを鮮明に覚えている。警戒しているのは、目の前の紙がまた同じように光るのではないかということだ。

 

『……何を警戒してるのかは知らないけど、この紙は通信用の札でしかないから無害だ。気を張るだけ無駄』

 

 ひらひらと札がその場で舞った。まるでフェイトを煽るように。

 

『……札に付くのは基本的に単一の固有な能力のみだ。これは僕の血による“同期”。僕の血はもう1人の僕となる。視覚と聴覚の共有だと思ってくれればいい。今この紙にそれ以上の価値はない』

 

 だからと言って信じられるか、信じろと言うのか。

 

 答えは否だ。

 

 フェイトは微塵もソレを信用しない。一連の出会の中で奴が狡猾(こうかつ)であるとフェイトは一目で見抜いていた。

 

「……話し合いに応じるつもりはない」

 

 だから拒否する。テリトリーにまで迫られて何をされるかわかったものじゃないから。

 

『……ふぅん……じゃあ話次第ではジュエルシードをいくつか融通するかもしれないとしても?』

「っ……!!」

 

 しかし、声の主が切った切り札(ジョーカー)に、フェイトは狼狽する他なかったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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時として人は過ちを犯す

 

 フェイト・テスタロッサは焦燥状態にあった。どれもこれも彼女とテーブルを挟んだ対面の椅子に座り、飄々とした表情(かお)で珈琲を飲む少年――輪廻メグルの所為だ。

 

「……飲まないの?」

 

 と、彼は飲んでいた缶珈琲をテーブルに置いて静かに言った。彼が飲んでいるのと同じメーカーのパッケージが刷られた缶がフェイトの前にも置いてある。わざわざ無糖を選んできた辺り、どうも嫌がらせの臭いしかしないのであるが。

 

 因みにフェイトは珈琲より紅茶派である。珈琲はミルクと砂糖を入れないと飲めないので、つまり目の前に置いてあるブラック珈琲は守備範囲外。

 コイツはわかっててやってるのかと思うくらい、今のフェイトは精神的に苛立っていた。

 

「……話は?」

「……そうだね。まず1つ言っておくと、話をしたからと言ってジュエルシードが手に入るとは限らない」

 

 これはいいね? と指を1つ立てる彼にフェイトは頷いた。

 

「……話というのはいくつかある。最初に、僕はジュエルシードの情報が欲しい」

 

 缶を傾け、残り半分程になったそれをテーブルに置いた。

 

「……ジュエルシードが海鳴市に落ちてきたのは1か月前。その時から海鳴市では不可解な事件が頻発するようになった」

 

 不可解な、というのは、一般常識的な観点から見ればの話。科学の発展した地球では解明できない、実にオカルトチックで説明のつかない出来事である。

 おかげで曰く付きの宗教団体まで彷徨(うろつ)く始末だ。そこで、事件の発端となるジュエルシードの回収に彼は乗り出した訳になる。

 

「……事件の内容はてんでバラバラだ。水が突然生物化したように動いたり、犬が肥大化して凶暴になったり、謎の生命体が生まれたり……」

 

 ただ。

 

 彼は一瞬言葉を切った。

 

「……共通することがひとつだけ。彼らは破壊行為を是とする」

 

 数少ない例外を除き、その大半でジュエルシードが引き起こした事態は被害を生む。破壊と暴力、指向性のない力が手当たり次第に広がるのだ。

 

「……僕が訊いているのは、ジュエルシードが膨大な量の魔力を内包した物であることと、ジュエルシードは他者の願いに反応すること。この2つだ」

 

 ユーノから聞いた時点での話は以上だ。願いが叶う、というのは高町なのはと出会ったあの猫が良い例だろうが、しかしながら後で聞いた話によればあれはかなり珍しいパターンなんだとか。

 ジュエルシードの願いを叶えるという性質が正常に発揮されることは極めて稀で、大体は曲解した形で願いを成就させるとのこと。

 

「……ジュエルシードの性質を理解したい。集めるというくらいなのだから、何かしら情報はあるだろう?」

 

 期待を込めて彼は言う。

 

 しかしフェイトは口をつぐんだ。何と言うべきか。真正面から言って良いものか。

 彼女の逡巡(しゅんじゅん)する表情を彼はしばらく観察し、それから小さく肩を竦めて嘆息した。

 

「……君は集めろと指示をされたか。よってジュエルシードの詳細も、その目的もわからない」

 

 その言葉にフェイトは頷く他なかった。当たり前だ、彼女は母のためということのみを生き甲斐にして危険な綱渡り(ジュエルシードの探索)をしているのに過ぎない。

 

「……じゃあ君に指示をした人物に会わせてもらおうかな。その人と直接話がしたい」

 

 それは可能か? という問い掛け。

 さて、この場合はどうすればいいのだろうか。素直に受け入れるべき? それとも拒否するべき?

 その判断が如何に難しいことか。仮に会わせた場合どうなるのか想像し難い現実にフェイトは中々答えが出せず閉口した。

 

「……迷うかい」

「は、はい……私の一存だと、可能かどうかは……」

「……じゃあ先方の許可を取り付けられれば良いんだね。それならしばらくは待とう。と言っても2日くらいしかないんだけど」

 

 2日。それだけあれば充分か。数瞬程考えて、肯定と頷く。

 

「……頼んで、みます」

「……わかった。じゃあ許可が出たら呼んでくれ」

 

 そう言った彼は残っていた缶珈琲を飲みきって席を立ち、ポケットから1枚の札を取り出してテーブルにそっと置いた。

 

「……連絡用の呪符だ。呼びたいときはこれを破って」

 

 1度きりの使用だよ、と言って踵を返した。どうやら帰るらしい。

 その背をボーッと視界に入れつつ、しかし思考はずっと別の場所へ向いていた。ただ漠然とした不安が、彼女の心の奥底に燻り続けた。

 

 

 

 思考をリセットしよう。そう思い、何となしに手に取った缶珈琲は、苦かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから数日後のこと。

 

 時の庭園に帽子とローブをまとった【魔法使い】の姿があった。隣には彼を案内するフェイトの姿もある。

 これから彼はフェイトの主に面会する。

 

「……さて、これは歓迎ムードということでいいのかな?」

 

 時の庭園は広い。正面入り口から中に入り、子供には、否、大人にとっても広すぎる廊下を歩く。

 横幅は車道にして四車線分程度、左右に円柱型の柱が規則正しく並び、薄暗い中で青みがかった色を見せる。

 そして何より目を引くのが、柱の間に直立不動にする無人機動兵士。魔力を燃料として稼働するらしく、その残滓が辺りに漂うのを彼は見逃さなかった。

 

「……どうも、入ったら二度と出してくれそうにないような気がするんだけど」

 

 どうなの? と彼はフェイトにたずねた。にこやかに、しかし目は微塵も感情を映していない目だった。

 それに対してフェイトは目を伏せるしかできなかった。彼女が言われたのは連れて来いという指示のみで、果たして交渉するか否かは全く知らされていないのだ。

 

「……ま、君に聞いても仕方ないってことか。じゃあ責任を取らせるのも筋違い、と」

 

 彼は一人で理解した様子で頷いた。

 

 案内されたのは大きな扉の前。黄金の装飾がなされ、中央には赤い宝石の埋め込まれた扉だ。思わず「……すごい成金趣味なのかな……?」と呟いてしまう。

 

「この先、です」

 

 フェイトは一歩退き、先に行くよう雰囲気で促す。それをくみ取り、彼はどうもと礼を述べた。

 

「案内どうも。それじゃあ君にこれを預けておこう」

「え、えっ……?」

 

 不意に、彼はローブの内側から大きな杖を取り出し、手渡した。

 

「あ、の……これ、貴方の……」

「……ああ、そうだね。大事な大事な、主武装だね。何故渡したか、そう聞きたいんだろう?」

 

 その通り、とフェイトは頷き返す。

 

「……今回、僕は交渉をしに来たんだ。戦闘行為はなしの方向で、ね。だったら、武器を持たないのがマナーってものだろう?」

 

 尤もらしい言葉を並べ、フェイトは半分納得する。確かに武器を持ってこられてはオチオチ話し合いもできない。

 しかし、半分納得いっていないのは、この少年がこんな簡単に自分のメインウェポンを手放すだろうか、という疑問だった。フェイトだったらバルディッシュを手放すような行為はまず行わないからだ。

 

「……それじゃ、しばらくは頼むよ。終わったらきちんと返してくれ。……ああ、そうだ、偽物にすり替えたところで無駄だから、そこのところよろしく」

「あっ……」

 

 理由を聞くよりも早く、彼はさっさと扉を押し開けて中へ滑り込んで行ってしまった。

 

 静寂の落ちた空気に耐えられず、フェイトは扉から離れて手元の杖を眺めた。

 自分の身長を超える杖で、バルディッシュのようなメカとは正反対の、少し歪な木製の杖だ。一体この杖が魔法とどんな関係があるのか、フェイトには見当がつかない。ストレージデバイスのように魔法を予め記憶させているようにも見えず、バルディッシュなどのインテリジェントデバイスの方が多機能で便利なのではと思った。

 

「……軽い」

 

 見た目によらず、杖は意外と軽い。かと言って中身が空洞という訳でもないらしい。不思議な物だな、と物珍し気な瞳でフェイトは手の中の杖を少し振ってみた。

 

 刹那、ピシッ、と何かヒビが入るような音がした。

 

「っ!?」

 

 ヒヤリと冷や汗が流れる。今の音は明らかに自分の手の中から響いた音だ。木が割れるような、そんな音だった。恐る恐る手元の杖に目をこらせば、握っていた部分が割れていた。

 

「どっ、ど、どう、しよ……あ、ある、あるふ……あるふはっ、い、ぃ、ない……」

 

 一瞬でフェイトの顔は真っ青になる。

 まずい、非常にまずい、預かるだけだったはずの、彼の大切な大切な杖を、壊してしまった。

 どうする? どうすればいい? ぐるぐると思考が回る。ついでに目も回ってくる。

 ふらふら千鳥足に定まらない焦点、取り敢えず無人の広い空間を歩き回って足と思考を動かし続ける。

 

 大事なことを一つ。フェイトは杖の直し方なんて全く分からない。

 

 謝って済むか。それだけで済むことだろうか?

 もし弁償を要求された場合、間違いなくフェイトは詰む。扉の向こうの交渉も、フェイトのやらかしてしまったことで全部が水の泡になる可能性が高い、というかほぼそうなる。

 

 あうあうあう、と若干泣きそうになりがら、両手に()()()()杖を持って忙しく歩き回った。

 

 そして気付いた。

 

 杖が、二本ある。

 いや、正確には。

 

 半ばから折れて二本になっている。

 

「~~~~~~~~~~~~っっっ!?!?!?!?!?!?」

 

 声にならない悲鳴が、フェイトの口から響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間は少しだけ遡り、扉を抜けた大広間。

 玉座に座るのは一人の女性だった。お腹や胸元を露出し、身体のラインが浮き出る大胆な紫のドレス、襟の立ったマントはフェイトが羽織っていたものに形が似ている。

 

 ただまぁ、彼はそんな彼女を見て、無理してない? とは口が裂けても言えなかった。異世界の文化の価値観の相違かもしれないのだ、怒らせる真似はしたくない。

 

「……初めまして、お招きいただきありがとうございます」

「…………………………………………」

 

 会釈をする彼に対し、返ってきたのは無言だった。これが彼女の世界の常識なのかな、と頬を引きつらせて無理矢理笑みを浮かべる。愛想が崩れてしまうのはどうにか避けねばと気合を入れ直した。

 

「……僕は輪廻メグルと言います。お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 

 あくまでにこやかに、社交的に。なるべく平静を装って対応する彼に、玉座に座る女王気質な彼女は口を開いた。

 

「……子供の割に、存外に胡散臭いのね。プレシア・テスタロッサよ」

 

 頬が引き攣った。歯に衣を着せない性格の人らしいと悟る。

 

「それで、ジュエルシードを譲ってくれる話だったわね」

「はい。お話を伺って、特に問題がなければ譲渡しようかと。流石にかなり危険なものですから、扱いは慎重にと思いまして」

「殊勝な心掛けね。管理局に与しない点は褒めてあげる」

「それは、どうも」

 

 何か悪の取引みたいだなぁ、と内心思うが、それについては後でじっくり考えようと頭の隅に追いやる。

 

フェイト(アレ)から話は聞いてるわ。ジュエルシードについて聞きたい、と」

「……僕の住む地域に色々と被害がありましたから、その原因究明の一環です。あんなにも()()()遺失物、【魔法使い】からすれば興味深いですから」

「歪んだ、ねぇ。その様子なら大方の見当はついてるのではなくて?」

「……はい。破壊のための装置、その駆動機関とも言えるのがジュエルシードというのはわかっています。ソレが起動する条件も。ですから、僕はジュエルシードを欲しいという貴方に尋ねたかったのです。()()()()()()()()()()()使()()()()と」

 

 彼は懐から碧く光る電球を取り出した。

 ガラス球の中、フィラメント部分に固定されているのは件の宝石、ジュエルシードだ。

 

「……貴方が、自身の願いを叶えたいがために、ジュエルシードにその願いを成就させるのは、まぁ百歩譲って良しとします。けど、貴方だってジュエルシード(こいつ)か孕んでいる危険性は承知なのでは?」

 

 彼の問いに、プレシアはこう返す。

 

「勿論、知ってるわ。私は願いを叶えたい、けれど、ジュエルシードにそれを願っては意味はない。でも、ジュエルシードはそれ自体が途方もない魔力を持っているわ。たった一つでも次元を乱すレベルのものを」

 

 でも、と彼女は続ける。

 

「たった一つじゃ足りないの。次元を乱すだけでは駄目。必要なのは、()()()()()()()()だけの量なのよ。ジュエルシードを21個集めれば、それは叶えられる。そして、私はアルハザードへ行く……!!」

 

 言葉尻が熱くなってゆくプレシアの言葉は、大いに彼を混乱させた。

 次元に穴を開ける。21個のジュエルシード。アルハザードへの到達。

 

 それはそれは、何と。

 

「…………馬鹿らしい」

「――――――――――――――――」

 

 思わず、額に手を当てて天井を仰いでしまう。

 

「……次元に穴を開ける、だと? 次元を越えてここまで来たというのに、それでもまだ足りないのか。……そして、穴を開ける? 正当な手順を踏まず、ただ膨大なエネルギーで空間を歪ませると? 馬鹿なことを、それをすれば何もかもが無事で済まないぞ。本来次元は穴を開けるような概念じゃない、飛び越えるならともかく、それを傷付けるなんてのは“界”に対する負荷が尋常じゃない。一度穴を開けたら、修正力の余波で全部が全部崩壊して“無”になるんだぞ、何もかもが無くなる、文字通りの“無”だ。概念もクソもない、神様だっていない、そこからは何も生まれないし、生きることすらままならない。夢物語だ、あまりに無謀な死にたがりだ。アルハザードが何かは知らないが、穴で繋ごうものならそこも崩壊する。当たり前だ、穴のある場所には“界”の修正力が働く。文字通り何もかもを無かったことにする修正力だ。死すら生温い、魂も消え失せて一生蘇らない、真の消滅だ。アンタはそれをしようと言うのか? だとしたら馬鹿だ、そんなこと許される筈がない。神も許さんぞ、奴らは実に自分勝手だ、自らの存在証明のために人間を生かさねばならないが故に必ず干渉するだろうさ。だがそれ以前に(オレ)が許さん、ここまで来てアンタごときの下心が全て台無しにするってのは絶対に無視できん、そうだ、絶対に……――――ふっ、ぐ…………はぁ、はぁ……」

 

 言葉の濁流だった。息もつかせぬその羅列は真実を語っていた。

 不意に、彼は脂汗を額に浮かべながら息苦しそうに肩で息をし、その場に膝を突いた。

 

「……子供の分際で、私の願いを嘲笑うと言うのね」

 

 プレシアは顔を憤怒に染めていた。彼の言いたいことの本質は理解出来ず、しかし彼はプレシアの願いを拒否した。ジュエルシードを渡さないと、暗に語っていた。

 

「……っ、はぁ、……笑うとは言ってません。しかし、貴方の試みは無謀過ぎる。何も確証がない。そのアルハザードとやらで何をしたいのかは不明ですが、そのままで到達する前に全て終わってしまう。他の方法を模索するべきです」

「五月蠅い!! もう遅い、これ以外に方法はない!! 私には時間がない!! だからこそ!!」

 

 プレシアが立ち上がって杖を構えた。その矛先はブレることなく彼に向けられていた。

 

「ジュエルシードは全て私が管理する!!」

「ッ!!」

 

 刹那、紫電がプレシアを中心に迸り、空間ごと蹂躙する。轟、と爆音が風と共に部屋を薙いだ。

 無言の魔力放出でこの威力、雷の変換気質を持つ大魔導師の一撃は、魔法を唱えずとも並の魔導師を一蹴するのだ。

 

「……チッ、逃したわね」

 

 しかし、吹き荒れる暴力が収まれば、そこには何もなかった。敷いて言えば、雷に焦がされ炭化した紙らしきモノが一枚、散り散りになって落ちていた。

 

 

 

 

 

 



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 目の前の机の上には折れた杖が置かれている。

 

 そして、フェイト・テスタロッサの手には机の引き出しの中に眠っていた木工用ボンドがあった。

 

「…………よし」

 

 何がよしなのか。この娘、まさかまさかのボンドで杖をくっつける気である。これにはバルディッシュも何と声をかければ良いのか演算ができずに回路が熱暴走して電源が落ちた。

 そんなことは露知らず、フェイトは意気込んでボンドの蓋を開けた。開けるのが久々で固まったボンドにより「ふぎぎ……!!」と力んだのはご愛嬌だ。

 蓋を開けたら後は折れてしまった接合部にボンドを塗ってくっつけ、乾くのを待つだけである。果たしてこれでくっつくのだろうか、なんて疑問はフェイトの頭の中からはすっかり抜け落ちている。これしか知らないのだ、するしかあるまい。

 しかし接合部はデリケートだ。折れた部分のささくれは怪我の危険性もあるし、少し乱れれば接着した際に完全に合わなくなってしまう。息を止めて慎重に、慎重にボンドの容器の口を近付けて……、

 

「――――緊急事態だ、杖を回収する」

「わっ、ひぇっ、なっ――――――――あっ」

 

 突如、真後ろから響いた声にフェイトは思わず力んだ。

 力めば当然、ボンドを持っていた手も握ってしまう。結果、容器の口からボンドが大量に飛び出し、べちゃべちゃと杖に降り注いだ。

 

「っ!? っっ!?!?」

 

 何たる惨事。思いがけぬトラブルにフェイトは既に泣きそうだった。顔も真っ青から振り切れて真っ白だ。パクパクと金魚のように震える口を開いて閉じて、あまりの混乱具合に目が回っていた。

 

「……うん? ここは……君の個室か?」

 

 一方、フェイトの後ろに突如現れた輪廻メグルは、自身が立っている部屋を軽く見回して呟いていた。

 その隙に、というか無意識的に、フェイトは机を蹴るように立ち上がって反転、背中に杖を隠すように立ちはだかったのであった。

 

「どっ、どど、どうしてここに……!?」

「……ん? ああ、突然入ってきてしまったのは謝るよ。ただまぁどうも彼女の癇に障ってしまったみたいでね、絶賛逃亡中な訳だ。ここに来たのは、逃亡用の転移魔法の転移先を杖にマーキングしてたからなんだ」

 

 困った困った、と肩を竦める彼だが、いささか緊張感に欠けた態度であった。

 が、しかし、それよりも。フェイトにとって大切なのは杖に関することだ。あまりに後ろめたい大惨事を起こしてしまってるがため、彼と今顔を合わせるのは非常にマズい。

 

「……まぁともかくとして、預けていた杖を回収しに来た。返却を――――」

「だ、ダメっ、ダメ!!」

「…………へ? 何故? 何か問題でも?」

「な、なんでもないっ、なにも起きてない!! けど、ダメなものはダメで……そのっ……とにかく、今は渡せない!!」

「……えぇ……」

 

 支離滅裂な言葉に唖然とする他にリアクションができない。故意に何かを必死に隠そうとしているのは彼の眼にも見て取れた。

 

「……何か杖にでも細工する気か?」

 

 ビクッ、とフェイトの肩が跳ねた。あながち間違ってはいない。

 

「……はぁ……やるならやるでもっと効率的かつバレないようにやれって話だよ……」

 

 予想だにしなかった展開に大きく溜息。あきれたと言わんばかりにゲッソリとした表情を浮かべ、それから(かぶり)を振った。

 

「まぁいいや。取り敢えず返してくれ。こちとら君と悠長に会話する暇もないからね」

「そ、それは……、」

 

 出し渋るフェイトに、彼は顔を顰めた。こうなれば強硬手段も止む無しか、と懐へ手を伸ばした。

 

「!!」

「なっ――――」

 

 と、その行動を目にしたフェイトの行動は早かった。咄嗟に転移魔法をデバイスなしに組み上げ、転移範囲を彼だけに絞り込んで発動した。

 一瞬で彼の姿が掻き消え、直後、フェイトは大きく息を吐いて脱力し、部屋のベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。

 人生稀にあるかないかの危機だったと、精神的に大きく疲弊したフェイトは黒歴史に苛まれ、久々のまくらの感触に顔を埋めてバタバタと暴れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日は雨だった。ザァザァと音を立てて雨粒が地面に叩きつけられ、水滴が高く跳ねる。

 見事と言える程に悪天候だ。風が吹いていないだけマシと考えるべきだろう。

 そんな雨の中を、彼は傘を差して歩く。その表情はいつも通り無表情、感情の動きが見えない、どこか達観したようなものであった。

 無言のままふと考えるのは、杖の行方だったり、気付いたら高町なのはが長い間休んでいたり、取り敢えず身の回りのこと。

 時の庭園を追い出されて以降、彼はフェイトと一度も顔を合わせていない。マンションに直接出向いたりもしたが、ことごとく時間が合わなかったらしい。手に馴染んでいた品なだけに、手放す結果になってしまったのは惜しい結果となった。

 因みに、転移魔法のマーキングは一回分しか仕込んでおらず、生憎と行方はフェイトの手元であろうということしかわからないのだ。

 

「……次は向こうから手元に戻ってくる術式でも組み込むか……」

 

 ぼんやりと次のプランを考えつつ家路を歩み…………ふと、雷が低く鳴る音に顔を上げた。

 

「……海の方……魔法か?」

 

 ピリピリと肌で感じる魔力の波動。霊脈の励起とは異なる波長に、彼は迷いなく足を海岸線へと向け歩き出した。

 恐らくだが、なのはかフェイトのどちらかが大規模な魔法を行使している。どちらかに出会えれば杖の行方もわかる可能性がある。

 次第に早足、駆け足となっていく。同時に虚空から飛び出すローブを羽織り、懐からいつもの帽子を取り出して被れば、軽い足取りで飛び上がり、彼方から飛んできた箒へ飛び乗った。

 

 ものの数秒で雨の降る曇り空の下へ上昇すると、すぐに海鳴市を一望できる。そして、視界の先、海上には黄色く光る大きな円形の魔法陣が見えた。

 

「……何をする気だ……?」

 

 こんな悪天候の中でわざわざ大儀式をしようとは、気でも狂ったかというのが感想だ。

 本来なら大儀式は、誰にも邪魔されない、必ず成功する環境を整えてから行うものが一般的だ。今日のような不安定な天気の中では、雷や雨による影響などを考慮すると実に不向きと言える。

 ただ、それは彼が使う魔法だからこそ言える話。星に依存する魔法なのに対し、彼女らが扱う魔法は自前の魔力量や才能、いわゆる個人に依存するものだ。あまり深く環境のことを考えずとも良いのかもしれない。

 

 そこまで考え、彼は一度空中で静止した。探知網に引っ掛かる二つの視線を感知したからだ。

 これ以上近づくのはまたちょっかいを出されると思ってのことで、まだ視覚範囲ではないと信じたい。

 念のため視認や知覚阻害を施す簡易呪符を取り出して破り、今度はゆっくりと高度を落として海辺へ近付いた。

 

 その刹那、フェイトが黒い斧のような、黄色い羽のようなものも付いた杖を振り下ろすと同時に、閃光と轟音が空気を(つんざ)いた。

 大きな雷だ。フェイトの魔法が魔力に呼応して雷を生み出し、海へと突き刺さった。

 近くで見ていた彼も思わず肩を震わせ、小さく呻きながら目を閉じ耳を塞ぎながらマントに包まった。

 

「……なんだ……?」

 

 光と音の暴力に幾許(いくばく)かの頭痛が襲ってきていた。くらくらする視界を気合で押さえ付ければ、ぼんやりと焦点の定まってなかった視界がクリアになる。

 と、次の瞬間には非現実的な光景が目に飛び込んできた。

 荒波に揉まれる海面から、重力を無視して水の竜巻が立ち上がっていた。その数は実に十本以上。

 

「……魔力を帯びてるのか」

 

 よく観察してみると、膨大な水の中には四つの水色の光が見えた。間違いなくジュエルシードだ。

 

「……魔力で無理矢理ジュエルシードを励起させた、と」

 

 発想としては確かにアリだ。しかし広大な海に大量に魔力を撃ち込むというのは些か配慮に欠けると言うべきか。彼は海上を飛ぶフェイトを眺め一人思考を巡らせる。

 見ればフェイトの動きはどこか疲労感が漂っている。多量の魔力を消費した反動によるものであろう。襲い来る水の竜巻に悪戦苦闘していた。

 

 さて、ここからはどう動くべきか。

 

「……漁夫の利、だろうな」

 

 彼の結論は早い。フェイトが全て封印を終えたところを横から貰えばいい。回収されてはまたあの破天荒な女……フェイトの母親であろう者(プレシア・テスタロッサ)に使われてしまう。次元崩壊を起こされないためにも、それは防がなければならない。

 

 ということでしばらくは待機だ。消耗してくれればそれだけ後が楽になる。後味は悪くなるかもだが、実に効率的な手段だ。

 取り敢えずしばらくは待機とし、いつでも出れる準備をして隠れるとする。一度海辺を離れ、いつぞやの公園の林へやって来た彼は茂みへと身を隠した。

 少々場所は離れてしまったが、双眼鏡があれば大きな問題はない。ファンタジー要素の欠片もない科学の塊だが、便利なのだから仕方ない。千里眼の魔法を使っているところで魔力を逆探知されるよりはマシだ。

 念のため周囲に警戒用の呪符をばら撒き、確認を終えたところで双眼鏡を覗き込んだ。

 

「……は?」

 

 何故、高町なのはがフェイトの隣にいるのだろうか。その光景に思わず声を上げる。一瞬目を離した隙に現れ、あろうことか彼の眼には二人が共闘しているようにしか見えなかった。

 一度双眼鏡から目を離し呆然として、それから軽く(かぶり)を振って気持ちを切り替え再び双眼鏡を覗いた。どうやら見間違いではないらしい。

 何を思ってかは知らないが、なのははフェイトに協力するらしい。その方があの厄介ごとを片付けるに容易いとは思うが、その後はどうするのだろうか。お得意のお話とやらで円満に解決する……ような出来事には到底思えなかった。

 

 彼はそのまま不干渉の姿勢を貫き、じっと木陰に身を潜め続けた。

 海上では魔法が飛び交い、ユーノや見慣れない赤い狼も交じって海水の渦を鎖で拘束したりと大忙し。しかし徐々に事態は終息しつつあるように見えた。

 

 終盤、なのはとフェイトによる封印魔法が放たれた。

 眩い光が収まると、海面から四つの水色の光が線を帯びて飛び出した。全て封印処理が施されたジュエルシードだ。

 

 事態終息に伴い、彼は重い腰を上げる。

 現状、なのはとフェイトの両者は疲弊している。ただ横合いから奪取して逃げ切るだけなら容易いはずだ。

 

「っ……!!」

 

 箒に足を掛けて飛び出す――その直前。感知網に痛いほどの何かが引っかかるのを感じて素早く身を沈めた。

 刹那、灰色の雲の隙間から紫電の雷が空間を引き裂く。

 

「……次元跳躍からの干渉か……」

 

 なるほど、と頷く。どうやら自分と同じ考えをしている第三者がいるらしい。

 そうなればジュエルシードは早い者勝ち。雷に怯み動けないでいるなのはとフェイトを除けば、今動けるのは彼だけだ。

 

 覚悟を決めて、今後こそ箒に足を掛けて乗り、茂みから飛び出した。

 速度は最大、振り落とされないよう左手で柄を掴み、空いた右手には土と木と草を纏わせる。“土”属性の魔力は土を練り上げて手を形作り、木は絡みつくことでソレを補強する。

 一瞬で人の顔を軽々覆えるほどの大きさになった右手で、彼は虚空に浮かぶジュエルシードたちを鷲掴みにし、トップスピードのまま二人と二匹の間を通過して飛び去った。

 

「……よし、確保」

 

 手の中には確かに、ジュエルシードが四つある。それらを素早く懐へ仕舞い込み――直後、紫電が襲う。

 

「くぁッ……!?」

 

 咄嗟に右手をかざせば、雷は土塊を砕く。木も弾け草が燃え尽き、あっという間に土の右手は消えてなくなった。

 彼は衝撃と痛みに飛ばされ箒から転がり落ちる。真下は海、しかし相当な高さ故、衝撃は凄まじいはずだ。

 

「“風よ”!!」

 

 あわや着水する、その前に風が吹き荒れ、ローブがパラシュートのように風を受け止めて一瞬彼の落ちる速度が緩くなった。その隙をつくように箒が下へと滑り込み、彼はバランスよく箒へと着地、荒れた海面の波間を縫うように沖合へ飛び続ける。

 紫電の雷は範囲や威力、正確性も含めて桁違いだ。マトモに喰らえば一瞬で意識が飛ぶだろう。

 現に土を纏っていたとは言え右手は麻痺して使い物にならない。避雷針として防げたが、次はない。材料となる土も木も公園辺りに戻らなければないのだ。

 

「……チッ、やっぱり簡単には帰してくれないか……」

 

 そうだよな、と一人頷く。横取りしてるのだからいい目で見られるはずもない。

 

「……やむなし……いざってときは……、」

 

 懐に手をやり、ちゃんとソレがあることを確認する。貴重なモノであるためできることなら使いたくないのだが、命を落とすよりはずっとマシだ。

 そう自分に言い聞かせ簡易呪符を取り出す。物理的防御はできないが、簡単な魔法で身を守る程度のことはできるはずだ。

 

 次の雷が落ちる気配がする。同時に、彼は思い切り呪符を投げた。

 

 

 

 

 

 



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脱兎のごとく

 

 星が内包するエネルギーは想像する以上に多量かつ質が高い。

 そして、そのエネルギーを扱う【魔法】というものは星の魔力に比例して効果を増す。

 特に、星の持つエネルギー――マナが潤沢に漂うところでは顕著にその様子が見えることだろう。

 

 例えば、海の上。

 

「“昇れ、海蛇”」

 

 海上を箒に跨り疾駆する輪廻メグルは、ローブの下から何十枚何百枚という符をまき散らしながら唱える。

 符は海面に着水した刹那、膨大な水を巻き上げる。竜巻となったソレは蛇を思わせるようにうねり、立ち昇り、彼の周りを駆けずり回り、空から落ちてくる紫電から彼を防いでいた。

 その量は先ほどジュエルシードにより暴走していた水よりもずっとずっと多い。やろうと思えば小さな町一つ押し流すことも容易い程の海水がそこにはあった。

 

 自然とは、すなわち星そのもの。マナも多量に含まれ、そこから引き出される効果も比例して多くなる。

 故に彼が今起こしている芸当というものは、星のバックアップあってこその賜物ということになる。

 

 

 

 既に何分が経過したか。それとも数秒程度であったか。

 慣性に振り回されながら彼は必死に歯を食いしばり、時折懐に視線をやっては舌打ちを繰り返していた。

 

「……いつになったら終わるんだこれは……!!」

 

 奥の手を使うべきか否か。あまりにも長すぎる苦痛の時間に彼の苛立ちは増え続ける。

 助けの手はないものなのかと淡い希望に縋っても見たが、如何せん視界が回り過ぎていてなのはやフェイトを見付ける暇がない。

 

「……クソッ、使うしかないか……ッ」

 

 懐に手を忍ばせれば、指先に固い感触が返ってくる。非常に分厚いソレは本のハードカバーであり、つまりは魔導書(グリモワール)である。

 符に比べるのもおこがましい大魔法を行使するためのものだが、複製品のため使用可能な回数は1回だけの使い捨て品である。

 作成の手間が非常にかかる高コスト品なだけあって出し渋っていたが、ここで死ぬよりかはマシだろうと本を掴んだ。

 

 が、しかし。

 

「――――っ、止まった……?」

 

 気付けば、海蛇と称した水の柱は増え続けるばかりで、雷の音はすっかり止んでいた。

 

「……ああ、クソが。博打なんて打つんじゃなかった。だから貧乏くじばっか引かされるんだ。これだから……クソッ」

 

 追撃が来ないことを確認し、海蛇をただの海水に返しつつ、彼は顔を盛大に顰めながら悪態を吐き続けた。

 いつもの自分らしくない、実に非効率なやり方であることを自覚し、自己嫌悪し、貴様は阿呆だと自身を罵る。

 

 嗚呼、けれど、奥の手は使わないで済んだので御の字か。自身にそう言い聞かせ、深呼吸をする。

 しかし、潮臭い。盛大に海水を巻き上げ続け飛沫を浴び続けたのだからびしょ濡れなのは仕方ないのだが、それでも不快なものだ。

 

「メグルくん!!」

「……ぬ……、高町か」

 

 鬱々とした気分でいると、上空からなのはが慌てた表情で飛んできているのが見えた。危うく「今更のこのこと来たか」と口から出かけたが、今更言ったところで意味はないと心の中にとどめた。事態が収束したら本人に正面から愚痴ることにしようと頭の片隅に押しやっておく。

 

「だっ、大丈夫!? 何かすごいことになってたけど……っ」

「……一応、大丈夫だ。疲れたけど」

「はぁぁ、良かったぁ……雷とか水とか、飲み込まれてたみたいに見えたから……」

「……雷に関しては外部からの攻撃だけど、水は防御用の魔法だから問題ないよ」

 

 大きな溜息を吐き、疲労の濃い表情で言葉を返してくる彼に、なのははホッと一息、安堵の息を吐き出した。

 突然の雷に怯み動けないでいた間にも彼は執拗な攻撃に晒されており、しかし彼女は何も出来なかった。手を出すことすら躊躇われる程の苛烈な光景は実にショッキングであり、その分彼が無事であったことはなのはにとって非常に喜ばしいことであった。

 

 そこへ少年の声がかかる。

 

「――話し合い中すまないが、いいかな」

「……どうぞ」

 

 彼はざっくばらんに返し、なのははそれに不安そうな顔を向けた。以前の初対面時、二人の間の空気の悪さを思い出していたのだった。

 

「僕はクロノ・ハラオウン。この宇宙とは別次元の、ミッドチルダというところから来た管理局の者だ。君はリンネメグルで間違いないね?」

「……ええ。それで、ご用件は?」

「ジュエルシードの管理について。その危険性や処置について、きちんと説明をしておきたい。話し合いの場はこちらで設けさせてもらうが、よろしいか」

「……どうぞ。元よりジュエルシードはそちらに譲る予定でしたから。何ならここで渡しましょうか?」

 

 と、彼は懐から先程の4つのジュエルシードを取り出し、更に電球へ入れて封印処理が施された物も手元に出した。

 

「……感謝する。船に案内するから、しばらくここで待機してくれ。船内へ転移する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次元航行船アースラ。派遣艦としてこの地球にやってきた巨大な母船はそう名付けられているらしい。

 その中へと転移により案内され、彼はなのはを伴って艦長リンディ・ハラオウンの下へと通されることとなった。

 

 事前に魔法でローブや帽子の海水を弾いて清潔にし、準備が整ったところで対面となった。

 

 内容は簡潔にまとめて、ジュエルシードの管理は管理局と呼ばれる組織が責任を持って行うこと、これまで集めてくれた二人とユーノには特別報奨が出ることが主な内容であった。

 無論のこと、彼に何かを反対する気はなく、トントン拍子で話は進み、正式にジュエルシードの譲渡を確認したところで話の大方は終了となった。

 

「……残りは、もう1つの懸念。残りのジュエルシードを所持している“フェイト”を名乗る人物と、その上部組織についてです」

 

 リンディの真剣な声音に対し、なのはが姿勢を正している横で、彼は既に話を聞き流す体勢でいた。

 かっちかちのSFな金属に囲まれた船内で、なぜか用意されてる茶室のような設備の上で真剣になれというのは些か面倒なところがあり、また彼にとってジュエルシードの譲渡が決定した以上もう用はなくなってしまったのだ。

 

 フェイトらの陣営に対する策を講じているとは言うが、彼の場合それを聞いたところで「はいそうですか」で終わりだ。協力を持ちかけられても断る気でいる。

 そもそも、既に事態は彼の分野とは畑違いの域にまで来てしまっているし、これ以上のことは管理局とやらに丸投げしようと思っているのが現状だ。

 

 あのプレシア・テスタロッサとやらが馬鹿な行動を起こさない限り、彼は静観の姿勢を崩す気は全くない。

 

「リンネさんのおかげでプレシア・テスタロッサが起こそうとしていることの概要はわかりましたし、後は拠点を見つけ次第制圧部隊を送り込み捕縛する算段です。しかし、プレシア・テスタロッサは大魔導師として高名であった方、一筋縄ではいきませんし、フェイト・テスタロッサという少女も並外れた魔導師であることに変わりありません。そこでですが、リンネさんにもご協力をいただけないかと思います」

 

 ニッコリと笑いかけてくるリンディ。

 

 その返答は、

 

「――僕の対処できる範疇を超えていますので、お断りさせていただきます」

 

 拒否である。

 

「……理由は今言った通り、僕が対応できるレベルではないからです。ご存知の通り系統は違うとは言え魔法は使えますが、この魔法は戦闘用ではありませんし、そもそも僕は魔法を使えるだけの一般人ですので、今回の事態は手に余ります」

 

 ただし、と一息入れて、彼は続ける。

 

「……仮に空間が崩壊する手前まで行った時は手を出させてもらいます。使わないには越したことはありませんが、僕には崩壊を防ぐ手立てがある」

 

 そう言って彼はローブの内、懐から魔導書(グリモワール)を取り出した。

 

「……僕が魔導書(グリモワール)と呼ぶもの、その内の1つです」

「これが、その手段であると?」

 

 クロノの問いに首を縦に振る。

 

「……反転の書です。膨大な魔力(マナ)が必要になりますし、発動は1度きりですが……効力は、森羅万象の反転。発動時より一定時間に起こる事象が引き起こす結果を、全て真逆の物とします」

 

 彼の説明に、クロノとリンディは訝しげな顔をしてみせた。

 

「あり得ない。法則を変える、と?」

「……この“界”内部であれば、魔力(マナ)を確保さえしていれば僕にできないことはほぼありません。そうですね、例えば――――死者蘇生、とか」

 

 その言葉は、あまりに現実味がなかった。

 死を克服できるなど、それこそ――、

 

「――神の所業に等しいわ……」

 

 リンディは呟く。

 死は絶対だ。生物に等しく訪れる、避けようのない事実だ。

 

「……これほどの科学に傾倒しつつ神の存在を信じるとは、不思議な人たちだ」

 

 そして彼は、どこか呆れたように、無表情に告げる。

 

「……条件付きですがね。器さえあれば、あとは魂を再び込めてやるだけで死者蘇生なんて十分可能なんですよ。この世の生命全てに魂は宿りますから。死ぬっていうのは、魂と器を繋ぎ止める楔が切れることを指します。健全な肉体に魂は宿る、どちらかが欠ければ、たちまち楔は千切れてしまいます。基本的に僕ら生き物は器が脆いものですから、事故やら老衰やら、器がダメになって死ぬんです」

「それでは、器がきちんと機能を続ければ、人間は生き続けられる……ということになるけど、よろしい?」

「……その通りです。吸血鬼はご存知ですか? 彼らは肉体を保つ為に新鮮な血を取り入れ器を保持しています。また、僕と同じような【魔法使い】も、細胞を常時破壊、再生し続けて長く若さを保ちます。そうそう、錬金術師なんて世間から呼ばれてる人もいますね。彼らは新たな肉体を作り続けてストックし、器が古くなったら魂を新しい肉体へ移しています。このように、生きようと思えばいくらでも生き続けられるんですよ。魂と器があれば、ですがね」

 

 話を締め括り、彼は出されていた緑茶を飲み喉を潤す。

 他3人は未だに話を信じきれていないらしく、訝しげな表情を崩さないでいた。

 

「……信じていただこうなんて考えていません。実際に目にしなければ信じきれないでしょう。僕も同じ場面に出くわしたらそう思うに違いありませんから」

「――――わかりました。では今後はそのようにしましょう。トラブルに巻き込んでごめんなさいね。有意義な話ができて良かったです」

「……それは、どうも。じゃあ、こちらを」

 

 話は終わりだ。後はジュエルシードを託して、この場を去るのみ。

 封印処理がされたジュエルシードが入っている電球7()()を取り出して渡した。

 

「……それでは、失礼します」

「はい、ありがとうございました。クロノ執務官、彼を案内してあげて」

「わかりました。……メグル・リンネ、こちらへ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リンネ」

 

 アースラ内を移動中、クロノは彼にたずねてきた。

 

「……なにか?」

「先程の話で、少し気になったことがあった。……死者蘇生について」

 

 クロノの言葉に、彼は小さく頷いて先を促す。

 

「本当に、可能なのか?」

「……人間ではしたことないですけど、できますよ。マウス実験も行って、同じ方法……魔法が人間に適用可能なのも確認済みです」

「そう、か……」

 

 それっきり、会話は途切れた。

 クロノは何と返せば良いのかわからず、彼の場合は喋る必要性を感じなかったため沈黙を貫いていた。

 

「……僕も、最初は信じられませんでしたよ。死は平等に訪れて、覆せないものだと思ってましたから」

「…………なぜ、その魔法に気付いたんだ?」

「……さて、どうだったか……あんまり覚えてません。元より僕は魔法を使う素質が人よりずっとあったので……魔法の世界を知って、そこの住人たちに色々と聞いて回って……その情報の中から偶然見つけた、程度のことだと思います」

「じゃあ、その魔法を使って、死んでしまった人を助けようと思ったりは?」

「……さぁ。今のところ、そんなことは考えてませんよ。だって、非常識な話じゃないですか。人を生き返らせるなんて。もしこれが表沙汰になったら大変なことですよ。何をされるか、たまったもんじゃない」

 

 神と持て囃されるか。

 はたまた、死神と蔑まれるか。

 崇められるか、珍しさに監禁されるか。

 

 恐らく、その先にロクな未来はないだろう。

 

「……僕は、神様でも正義の味方でもないので、人の役に立つために魔法を使おうだなんて微塵も思いません。これは全て僕が僕のために費やす力ですから。誰かを生き返らせてくれなんて頼まれたところで、どうせ断るのがオチでしょう。よっぽどのことがない限りは……多分」

 

 そうこうしている内に、艦内の転送ポートへ辿り着いた。

 彼はポータルの上へ乗り込み、クロノがそれを見送る。

 

「……転送先は海鳴市の海岸の公園だ。もし万が一、ジュエルシード関連で何かあったら、先程渡したデバイスに連絡を入れてほしい。…………では、送るぞ」

「……どうも。お疲れ様でした」

 

 ――――もう、会わないといいですね。

 

「っ」

 

 クロノがハッと顔を上げるが、ポータルから彼の姿は消えていた。

 幻聴のような言葉が聞こえてきて、クロノの耳に妙に残った。

 

 確かに、もう彼と顔を合わせる事態がなくなれば、事件は比較的平和に終息するのだろう。

 

 そう信じたい。

 

 

 

 得体の知れない魔法を使う、妙に大人びた少年。

 彼の存在にどことなく不安を感じるクロノは、ポータル前から踵を返して姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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それから

 

 アースラから解放されて2週間。

 結局、輪廻メグルが再び招集される事態というものは起きなかった。

 一つ気になったことを上げるとすれば、なのはとフェイトが一騎討ちをするという何やら不安な情報が舞い込んできたことくらいか。勝った方に手持ちのジュエルシードを全て譲るとか何とか。阿呆か何かだろうかと口に出してしまったのは記憶に新しい。

 

 さて、と気持ちを切り替える。

 現在彼は海辺に展開された結界内に居座り、岩場に腰を下ろして上空を見上げていた。周囲には認識阻害用の呪符を入念に配置し、ローブと帽子は着用済み。杖も急遽予備用の短杖(ワンド)を用意し、100%とはならずとも万全を期している。

 言ってしまえば最終保険という奴だ。ジュエルシードがプレシアの手に渡ってしまえば、彼にとっても不都合が生じる。最後の最後、取り返しのつかないことが起きるならば、全力でもって対処をする。呪符も魔導書(グリモワール)も総動員し、全てを賭けるしかない。

 

 因みに、彼自身がここにいるという情報は誰にも告げてはいない。表立って動くと余計な手間が生まれる。特に、プレシアに居場所が知られるのはよろしくなかった。

 

 遠く、沖合。小さく2つの点が空中に漂っている。

 白と黒、対称的な影。なのはとフェイトである。

 

 どちらが勝つか。なのはが勝てば万々歳、フェイトが勝てば仕事が増える。出来れば前者がいいなぁ、と一人思う。

 察するに、なのははついこの前魔法に触れたばかりの素人。逆にフェイトはこれまで訓練を積んできた魔導師。いくらなのはに才能があるとユーノに聞かされたところで、やはりフェイトが一枚上手だろう。オッズはフェイトの方が高いのは間違いない。

 

「……(やっこ)さんも、かな……」

 

 探知網に引っかかる視線は2つ。管理局組とプレシアのものだろう。

 管理局はなのはの勝利を望むだろうが、プレシアはフェイトに賭けざるを得ない。負ければ彼女の計画は全て水の泡になるのだから。

 

 つまり、なのはが勝てば彼女が重い腰を上げるのは確定。その乱入を防いでフェイトを拘束さえすれば交渉に持ち込めるか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 考えているうちに2人の戦闘はとっくに始まっていた。

 桃色と黄色の2色が派手に飛び交い、時に海飛沫を舞い上げる。見た目は確かに目を引くし、なるほど、綺麗かもしれない。

 

 が、やはり彼から見て彼女らの魔法というものは汎用性に欠けると結論付けた。あれではまるで敵対者に対応するために作られた魔法ではないか、と。戦闘に特化しすぎた魔法なんぞ、彼にとって然したる価値はないのだ。

 

 ともかくとして。

 

「……見世物としては良いのかもしれない」

 

 それだけは、認めよう。スポーツ観戦のようなものだ。

 

 そうやって、なのはの勝利を何となく望みながら、時間は過ぎて行く。

 

 

 

 やがて、決着はついた。

 あわやなのはが落とされるかと思ったところ、シールドによりフェイトの攻撃を完全に受けきり、カウンター気味のバインドと収束砲。桃色の極太の光が少女を飲み込む光景に、彼は若干引いた。

 

 力なく海へと落下したフェイトだが、すぐさまなのはが助け出し、瓦礫の積み上がった僅かな海上に引き上げた。

 遠目に、何やら話し合っている様子。その雰囲気は穏やかに見えた。

 なるほど、二人の中で何か、通じ合うものができたのかもしれない。

 

 そんな二人を眺めつつ、彼は重くなりかけた腰を上げ、帽子を被り直しながら空を見上げる。

 

 刹那、ゴロゴロと重々しい音を立てて、積乱雲が立ち上り始める。

 自然現象では起こり得ない、外部からの干渉。意図的な魔力の奔流に彼は顔をしかめた。

 あれはマズい。純粋にヤバい。経験が告げる未来予測は、桁違いの稲妻だ。出鱈目にも程がある。こちとらそんな大規模魔法、準備なしにできるわけがないというのに!!

 

「……どこまでワガママでいれば気が済むんだ……」

 

 自分のことは棚に上げてそう毒づき、防御用の強力な護符を取り出して辺りにばら撒いた。

 直後、渦巻いていた鉛色の雲から紫電が迸り、轟音と光を伴って真下へ着弾した。

 

「……あの大出力を、たった一人に向けて、か……」

 

 落ちたのは、まさになのはとフェイトのいたところ。

 そして、かすかに聞こえていた悲鳴は、フェイトのものだった。

 舞い上がる波飛沫の隙間から垣間見れば、雷が着弾した場所には瓦礫も何も一切なかった。

 近くの宙ではなのはが忙しなく飛び回っており、フェイトの名前を何度も何度も叫んでいた。間一髪逃れられたのか……おそらくは、フェイトが咄嗟に突き飛ばしたか、何かしらあったのだろう。

 

「……本当に、報われない」

 

 衝撃波を打ち消した護符の紙片が海に疎らに沈みゆく中、彼は短杖(ワンド)を取り出して杖の先を海に触れさせる。

 そのままじっと目を閉じて、荒れる波打ち際で待ち続け、数秒。海中から漂う微かな生命反応を察知し、唱える。

 

「“ウミガメ”」

 

 一言そっと唱えれば、杖を浸けた先の水がまるで生き物のように蠢き……やがてその波間に浮かび上がる影が見え始める。

 水が掻き分けられて姿を現す少女――気絶してぐったりとしたフェイトを見て、彼はすぐさま彼女を引き上げた。

 すぐさま水を吐かせ呼吸の確認と傷を見るが……意外や意外、重傷と言えるほどの怪我を負っている様子はなかった。丸焦げにされててもおかしくはないとすら思っていたのに、予想外の結果であった。

 軽傷は負っているものの、命に別状はない。それが結論となった。

 

 ふと、彼女が握る手の中から零れ落ちかけた杖を見た。デバイス、と呼ばれる、魔法を使うための杖。

 フェイトが使っていたであろうソレは、半ばから折れてヒビだらけ。時折、かすかに水晶部分が火花を散らすように明滅を繰り返すだけだった。

 

「……デバイスが、防いだのか」

 

 なのはのレイジングハートもAI補助が使えた。間一髪の防御がフェイトを救ったと見て良いだろう。

 

「……見ていて何もかも痛々しいよ、全くもって……」

 

 やがて彼は懐から小瓶を取り出し、眠っている彼女の胸元に握らせ、静かに箒で飛び去っていった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 また、紫色の雷を見ました。

 そして、その雷に撃たれ、悲鳴を上げるフェイトちゃんも……。

 突然、フェイトちゃんに突き飛ばされたかと思えば、次の瞬間には……。

 

 視界も、耳も、しばらく使い物にならなくて。

 ようやく元に戻ったところで、フェイトちゃんがどこにもいないことに焦りました。

 たぶん、海に落ちたのだと思っていたけれど、魔法の雷による一撃は想像以上で、本当に見つけられるのかと、嫌な予感がよぎりました。

 

 不幸中の幸い、とレイジングハートに教えてもらったのは、フェイトちゃんのバルディッシュが直前にシールドでかなり相殺していたということ。フェイトちゃん自身にそこまでの怪我はないだろうと言われました。

 ただし、バルディッシュの反応はロスト。恐らく、魔法に耐えきれずに壊れてしまった可能性が高いと。

 

 何度も何度も叫んで、泣きそうになりながらもフェイトちゃんを捜し、レイジングハートの助けを借りて、瓦礫の浅瀬に気絶するフェイトちゃんを発見しました。

 

「あ、これ……」

 

 命に別状はないバイタルなのを確認、呼吸もあり。

 けれど、それ以上に、フェイトちゃんの手に握られたモノに目が行きました。

 

 装飾が施された、水銀の満ちた小瓶。

 

 間違いありません。これは、

 

「……メグルくん、助けてくれてたんだ……っ」

 

 思わず、目頭が熱くなりました。

 フェイトちゃんも無事で、何だかんだでメグルくんも見ていてくれて、助けてくれていたなんて……。

 良かった、本当に良かった。

 フェイトちゃんの手を握って、何度も何度も呟きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚めると、見たことのない、けれど、どこか既視感を覚える天井だった。

 

「ぅ、……」

 

 照明が眩しくて、寝返りをしながら布団で顔を隠した。

 ぼんやりしてて、思考が纏まらない。

 ここしばらくの記憶が飛んでて、あまりに不明瞭。

 

「確か……」

 

 そう、確か、高町なのはと名乗る魔導師と決闘になって……。

 

 

 

 嗚呼、そうだ。

 

 

 

 ――――わたしは、負けた。

 

 

 

「――フェイトっ!!」

「……アルフ……、」

 

 不意に声がして横を見れば、泣きそうな顔をしたアルフがいて、抱きついて来た。

 苦しいよ、と思わず返して、それから少し緩んだ力で、それでも力強く、離そうとはしてくれなかった。

 

 

 

 

 

 管理局は、わたしを拘束することとした。

 同時に、『時の庭園』にいる母さんの逮捕も……。既に部隊が編成されて現地に送り込まれていた。

 

 途中、次元航行船が拾った通信で、母さんは様々なことを話した……話して、くれた……。

 

 魔法実験での事故から、()()()()・テスタロッサの死。わたしはそのクローンであること。

 

 

 

 ああ、そっか、と。

 

 

 

 わかりたくなかったのに。

 それを、現実と認めたくなかったのに。

 

 

 

 目の前が真っ暗になった気がした。

 

 

 

 わたしの生きる希望って、何だろう?

 

 わたしは、母さんのために産まれてきたと、そう思っていた。母さんのために、戦って、ジュエルシードを集めて……それで……、

 

 

 

 

 

 それで――、褒めて、ほしかった。

 

 

 

 

 

 ただ、一回だけでいいから。

 あなたの娘でいたかったから。

 

 

 

 

 

 ぼんやりと、視界の中で時間だけが進んでいく。

 

 大きな投影モニターの中では、高町なのはたちが全力で戦っている。

 

 ずっと、ずっと、わたしに語りかけてきてくれた子。

 

 話をしようと、言ってくれた、あの子が。

 

 

 

 嗚呼、眩しいよ。

 

 

 

 そこで、わたしは、何を思ったのだろう。

 未だに、この時を思い出すとき、わたしは自分が何を感じたのか、言葉に表すことはできなかった。

 でも、この時わたしに宿った意志は、とてもあたたかいものだったと、そう思う。

 

 

 

 だから、立ち上がる他に、わたしが選ぶ選択肢はあり得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バルディッシュを修復してもらう最中に、わたしは自身のベッドの枕元に置かれた小瓶に気付いた。

 銀色の液体……水銀で満たされた、装飾の施された頑丈な小瓶だ。

 

「それはね、フェイト。高町なのは(アイツ)が言ってたんだけど、友達がフェイトを治すために使ってくれたんだってさ」

「……あの子の、友達……?」

 

 アルフの言葉でわたしが思い浮かべたのは、黒い帽子とローブを羽織った、あの男の子。

 ストン、と、その言葉が胸におさまった、気がする。

 

 おもむろに、わたしはその小瓶を手にとって、懐に入れた。

 

 

 

 

 

 

「……全部、終わらせよう。新しいわたしを、始めるために」

 

 

 

 

 

 



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【魔法使い】

 

 プレシア・テスタロッサに、もう正常な判断を下す理性など残っていなかった。

 

 自身がどれほど追い詰められているかも認識できず。

 

 目の前にぶら下がる、唯一の蜘蛛の糸に縋ること以外に、彼女は見向きできなかった。

 

 それは呪いなのだろうか。

 それとも彼女が自らに押し付けた執念か。

 

 『時の庭園』の崩壊も、次元の崩壊も、管理局の魔導師たちでも、彼女を止めうる障害にはなり得ない。

 

 

 

「ジュエルシードの暴走を止められる……ええ、それぐらい、充分に想定の範囲内よ……ッ!!」

 

 プレシアは、手の中に小さなスイッチを隠し持っていた。魔導師らしからぬ、火薬を用いた爆弾の爆破スイッチを。

 

「お前たちは皆虚数の海に沈む!! しかし、わたしは生き残る!! アリシアと共に……!!」

「やめろ!!」

 

 クロノの制止も虚しく、プレシアは躊躇いなく『時の庭園』の爆破を選び取った。

 

 轟音と、爆風。崩壊が加速する。

 それまでリンディがジュエルシードの暴走を止めていた魔法が強制的に解除されてしまう。

 

『クロノ、早く本人を……!!』

「っ……!!」

「無駄よ。全ては無駄。何もかもが……!!」

 

 そう言って、プレシアは、アリシアに寄り添うように、そっと生体ポットへと寄り掛かった。

 

 ジュエルシードが光を放つ。

 その青白い光は、文字通りの崩壊だ。

 

 魔力が膨れ上がり、時空間を無理矢理穿とうと暴れ始める。

 

 プレシアの言葉は、はずれない。

 これで、全てが無に帰すのだ。

 

 つらい、過去さえも……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――だから、困るって言ったんだよ」

 

 

 

 

 

「…………………………………………は……?」

「えっ……?」

「あ……、」

 

 

 

 

 プレシアにとって、その声はまるで己を妨げる悪魔の囁きのようだった。

 

 フェイトにとって、その声は完全に予想外のものだった。

 

 なのはにとって、その声は無意識に待ち望んでいたものだった。

 

 

 

「……僕にも都合があると。あの時説明したのは何のためだったか。それを一切無視するというのは……いい大人が恥ずかしい」

 

 彼は、輪廻メグルは、確かにそこに立っていた。

 プレシアと対峙するなのはとフェイトたちの、その後ろ。

 

 いつも通り、冷たそうな表情で、帽子とローブを纏った、その姿で。

 

 

 

 その手に持つものは、大きな魔導書(グリモワール)

 

 なのははその見てくれに確かな見覚えがあった。

 

「反転の書……、」

 

 彼が語った、夢物語のような、その本の性質。

 事象の反転、起きた事実を、なかったことにする。

 

「何を、しに来たと言うの……!!」

「事は単純だ。()()()()()()()()()()()()

 

 プレシアの怒気を孕んだ声音に対し、彼は静かに返した。

 ひとりでに、手の中から魔導書が浮き上がり、パラパラとページがめくれてゆく。

 

「……メグルくん……」

「……高町、君は手を出さないでほしい。余計なことを考えたくないんだ」

「えっ、……あ、うん……どこから来たの……?」

「……それは、今聞くことか?」

 

 呆れたようなジト目でなのはを見やりながら、彼女の前へと歩を進める。その表情は若干ながらシリアス味が抜けていた。

 

「……ネタばらしはテスタロッサにでも聞いて。重要なのはこっちだ」

 

 ――瞬間、魔導書は動きを止めた。

 ページ全てが網羅され、術式の読込が終了する。

 

「……プレシア・テスタロッサ。貴方にもわかるように説明しよう。()()は“反転の書”。魔力を動力として、起きた事象を過去まで遡り反転させる。僕がこれからやろうとすることがわかりますか?」

「反転ッ!? 戯言を……!!」

「……戯言程度で、貴方の前に立つとでも?」

 

 わかるでしょう? と彼はプレシアに問い掛けた。

 

「……僕は、勝算があるからここにいる」

 

 パタン、と。魔導書がひとりでに閉じられて――――ボウッ、と青白く燃え上がる。

 

「……時空間選択、完了」

「ッ!!」

 

 プレシアが息を呑み、杖を振り上げた。

 悪寒と冷や汗、直感。

 彼女は、()()()()()()()()()()()()()

 

 彼の魔導書が、自身の既知を超えた未知であることを認めた。

 

 大魔道師の技は瞬きよりも早く魔法を編み上げ、魔力を雷に変換。大火力を砲撃に、彼へと仕向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――だが、もう間に合わない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「“起動”」

 

 ぽつり、と。

 彼は一言だけ呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………………………………………………………………………、」

 

 痛いほどの沈黙の中で、プレシアは己の呼吸音を聞いて我に返った。

 

 そして、一人を除く全ての人が、その静寂に支配された空間の中で息を呑む。

 

「……言ったでしょう。全て、反転する、と」

 

 彼はずっとそこに立っていただけだった。

 唯一、彼の手元にあったはずの魔導書は燃え尽き、初めからそこには何もなかったかのようにすら思えた。

 

「これ、は……、」

「……これでもまだ信じられませんか。僕は、()()()()()()()()()

 

 プレシアは力なくその場に崩れ落ち、絶望に顔を歪ませるしかできなかった。

 目の前の少年は、間違いなく事象へと介入してみせた。

 ジュエルシードが生み出した膨大な魔力を使い、事象反転の術式を起動。ジュエルシードごと時空間内の現象を無かったことにした。

 しかしジュエルシードの魔力を扱う以上は矛盾が生じる。ジュエルシードの暴走なくして魔力の発生はあり得ない。

 

 それ故の矛盾崩壊。

 因果が崩れ去り、ジュエルシードとその魔力は文字通り無に帰す。原子への崩壊ではなく、()()()()()()()()()

 

「……貴方の都合も、まぁ気持ち程度は察せます。かつて、そう言った人たちを見た記憶は何度もある」

 

 一瞬だけ、どこかここではない遠くを見やるような仕草を彼はしたが、すぐさまプレシアに視線を戻す。

 

「……貴方の目論見はここに潰えた。大人しく、捕まってください」

 

 言いたいことは言った、と言わんばかりの態度で、一度踵を返そうとしたが、「……ああ、そうだ」と彼は足を止めた。

 

「……個人的に恨みもあるので、罰も受けてもらいます」

 

 今ではありませんけどね、とだけいい残し、彼は下がった。一瞬、クロノに視線をやって、「後は任せた」と言わんばかりに。

 視線に気付いたクロノは一瞬だけ彼を睨み付けたが、私情は挟まないと意識を切り替えて前に出た。

 

「……プレシア・テスタロッサ。貴方を、……逮捕する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……リンネ」

「……ハラオウンさんですか」

 

 事件は、一応の収束へと向かっていた。

 

 プレシア・テスタロッサはアースラら管理局員たちに拘束され、独房へと入れられた。

 名を馳せた大魔導師ともあって警備やシステムは強固ではあるが、抜け殻のようになってしまった彼女には、それはそれは過剰ではないかとさえ皆が一様に思えてしまった。それほどまでにプレシアは憔悴しきっていた。

 

 輪廻メグルはというと、関係者ということでアースラ内で待機を命じられ、大人しくそれに従っていた。魔法と、事件渦中の現象の説明のために。

 

「事情聴取を行いたい。こちらへ」

 

 クロノの先導に、彼は静かに頷いて続いた。

 

 通されたのは、殺風景な個室。椅子と、机と、壁際の目立つマジックミラーが印象的な、いわゆる取調室と呼ばれる場所。

 しかし、彼はそこに既に座っている人物らを見て、若干顔をしかめた。

 

「……なぜ、彼女らが?」

「話がしたいから、だそうだ」

 

 説明しろ、と言わんばかりの彼の態度に、クロノは肩を竦めて言った。

 視線の先には、なのはとフェイトの二人が肩を並べている。なのはは真剣な表情を崩さず、フェイトは少し悲しそうにうつむきながら座っていた。

 

「現実主義な君の言いたいことはわかるが、ここはこれで通させてほしい。彼女らが納得する手段が、これしかなかった」

 

 法の守護者が折れたか、と。彼は小さく嘆息して諦めた。

 

 

 

「……それで、話は?」

 

 彼が切り出し、なのはとフェイトに目をやった。

 

「……わたしから……頼みたい、ことが……」

 

 彼の予想に反して、口を開いたのはフェイトだった。言いづらそうに、しかし、視線だけは外さずに。

 

「母さんを……母さんの病気を治療できないかと、思って」

「……プレシア・テスタロッサの病気を、ね……」

 

 フェイトの主張に、彼は思案顔で返した。

 

 プレシアはいくつかの病を患っていた。治療すら放棄してきた代償が重なり、既に深刻さは医者が皆静かに首を横に振る程度、と言えば進行具合はわかるだろう。地球よりも科学が進んだミッドチルダでさえ匙を投げた訳だ。

 

 フェイトは、今でも、プレシアを母親であると、そう思っていた。あれだけ拒否されても、自分を産んでくれたことだけは、事実なのだから。病気が治れば、もしかしたら、話ができるかもしれないから。

 

 プラスして、病気の治療は管理局側としても都合が良い。

 目下のところ、プレシアの寿命というのは長い裁判に耐えられないとの見解が下されている。治療に専念させたところでもって数カ月。彼女のやってきたことを考えれば、時間は圧倒的に足りないと言えるだろう。

 

 故に、彼らは未知に頼ることを選んだ。

 

 【魔法使い】の存在は、確かに確認したのだ。

 神の所業すら再現した、輪廻メグルという人物を。

 

「……まぁ、治療でいいならできる。厳密には治療じゃないけど。体を脅かす病魔やら何やらを取り除くのは可能だ。寿命も回復する」

 

 予想どおりというべきか、彼は治療可能と言い切った。

 ここまで、何となく察していたと、クロノとなのはは心の片隅で理解していた。

 

「じゃ、じゃあ……っ」

「でもタダではできない。()()()()()()()()()

「っ……」

 

 フェイトが息を呑んだ。

 やはり、と、クロノは的中した予想に納得し。

 なのはは悲しげに顔を伏せた。

 

「……正直な気持ちを言おうか。テスタロッサにとっては不愉快極まりないことを」

 

 ちらり、とクロノを一瞬見やった彼だが、クロノから何もお咎めがないのを確認し、口を開く。

 

「……僕にとってプレシア・テスタロッサは明確な敵だ。裁判だか何だか、異世界の事情は知らないが、僕ら地球の生活圏を脅かした事実がある。僕にとって彼女は、くたばってくれれば良い」

「ッ……!!」 

 

 それは彼の本心から出た言葉だった。珍しく感情の見え隠れする語気に、フェイトは泣きそうな程に胸を締め付けられる思いだった。

 そうなのだ。フェイトにとって悪でなくとも、彼にとっては完全なる悪。彼の主張は、思う感情は、正しい。それにフェイトが納得できないとしても。

 

「……メグルくん。わたしからも、いいかな?」

 

 そこで、なのはが初めて口を開いた。

 

「……どうぞ」

「わたしも、プレシアさんの治療をお願いしたいの」

 

 なのはの主張は、フェイトと同じだった。

 予想はしていたが……、と彼はますます顔をしかめ、大きく息を吐き出した。

 

「呆れるかもしれない。でも、わたしは、プレシアさんとしっかりお話をするべきだと思うの。フェイトちゃんだって、お話がしたいから。だから、病気を治してほしいです」

「………………………………………………………………」

 

 なのはは淀みなく最後まで言い切った。ブレることなく、自分の意思を伝えた。

 彼は静かにそれを見返し、しばらくして、背もたれに寄りかかって天を仰いだ。

 

「……揃いも揃って……まったく……。話は以上で?」

「はい」

「……はい」

「よし。では二人は退室を。彼の返事は、後で伝える」

 

 クロノの鶴の一声で、二人は部屋を後にした。

 残ったのは二人。クロノは席を移して、彼の正面に座った。

 

「……君の文句はよくわかる。僕の理性も、同じ気持ちだ」

「……でも、本能の部分はそうすべきだ、と?」

「甘いと言われるかもしれない。それは覚悟の上だ。それに、正当な理由なんていくらでも後付できる」

「……法の番人からそんな言葉が聞けるとは思わなかった」

「誰にも言わないでくれ、なんて、言わなくてもわかるだろう?」

 

 そりゃあね、と彼は視線を横にそらした。こういう状況の話は、大体が時効か、はたまた墓まで持っていくものであることは何度も経験してわかりきっている。

 

「……僕としましては、提示した条件を飲んでくれるのなら治療くらいしますよ」

「条件を聞こう。よっぽどでなければ、ね」

「――――――――……わかりました。では、」

 

 

 

 彼は一瞬だけ目を閉じて、それから語った。

 

 

 

 

 

 その言葉にクロノは、椅子ごとひっくり返った。

 

 

 

 

 

 



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捜しモノは何ですか?

 

 その日、海鳴市郊外の山奥の広場に多くの人影が集っていた。

 

 高町なのはをはじめ、ユーノ・スクライアやクロノ・ハラオウンたち管理局の面々。

 そして、フェイト・テスタロッサにアルフと、生みの親であるプレシア。

 

 更には、広場中央に置かれた柩のようなところへと寝かされた、アリシア・テスタロッサの遺体。

 

 皆がその柩に目をやって、沈黙を纏っていた。

 

 

 

「――――……お揃いのようで何よりです」

 

 不意に、広場上空からゆっくりと人影――輪廻メグルが箒に器用に立ちながら降下してくる。

 その格好はいつも通り、黒いローブと大きな帽子。無表情で感情の露出が少ない、いつもの彼だった。

 これから起こるであろう奇跡を起こす人物のように見えるかと問われれば、否、ただの少年にしか見えなかっただろう。

 

 地面まで降りきった後は箒から地に足をつけ、皆が集まる方へと向き直る。

 

「……大切な話をします。本当なら、これは秘匿しておく神秘だ。貴方がたが次元の超え方を解明しても辿り着けない答えを、僕は行使する」

 

 一つ、ここで空白。

 彼は話を区切り、視線を一人一人に渡らせた。

 

「……“契約”をしましょう。誓ってください。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 彼はローブの懐から分厚い魔導書(グリモワール)を取り出した。

 あの時と同じように、魔導書はひとりでに捲れ始め、やがて一枚ずつページが離れてひとりずつの目の前へと飛んで行った。

 指で名前を描け、と言われ、各々が自分の名前を刻んでゆく。インクも何も必要なく、指でなぞった箇所が自然と変色し、字となる。

 

 その中で唯一プレシアだけが呆然と紙を眺めて動かないでいた。

 

「……プレシア・テスタロッサ。貴方が一番同意しなければならないでしょう。貴方が何もかもを捨ててまで成し遂げたかったことを、僕が提供すると言っているんです」

 

 見かねた彼が声をかけ、しかしプレシアは深く被ったローブの内側から視線を動かすだけだった。

 

「…………貴方という人間は、ちぐはぐ過ぎるわ……」

 

 そして、ぽつりと呟いた。独白にも似たような、そんな声音で。

 そのプレシアの言葉に、彼は一瞬訝しげに眉を釣り上げた。

 

「……様々な人間を見てきた……悪に堕ちて、なおも意地汚く這いずり回る人間として。鏡で自分の顔を見たとき、何と醜い顔かとすら思った……。それでも、やらねばと呪いのように意志を貫き続けた……。貴方の目は、それによく似ている」

「……………………………………………………………………………………」

 

 しばし、沈黙。目を細め、その真意を探るようにプレシアを見やる彼だが、やがて目を閉じて踵を返した。

 

「……僕にも目的がある。そのための手段を手探りで探し続けている。例えそれが外道と呼ばれようがね」

 

 だが、と、彼は否定する。

 

「……僕のやり方はどうしようもなく独りよがりのワガママで、それでいて全ては僕一人で完結する。貴方との違いはそれだけだ」

 

 魔導書を連れて、中央の遺体へと向かう彼の背中は、果たしてどう見えたのか。

 プレシアは、ただ黙ってその背を見送り、納得したように紙へと指を走らせた。

 

 紙は再び魔導書のもとへ飛び、全てのページが元あったところへ挟まり、戻ってゆく。

 

「……全員の“契約”を確認しました。では、はじめましょう。プレシア・テスタロッサ、フェイト・テスタロッサはこちらへ」

 

 魔導書が更に捲れる音を背景に、二人が彼のすぐ後ろにまで歩いて出た。

 フェイトは時折、プレシアに視線を向けながら。

 プレシアはその視線を努めて無視するように。

 

「……では、これより、アリシア・テスタロッサの蘇生を行います」

 

 そして、彼は躊躇いなくそう言い切った。

 かつて語ったことのある死者蘇生。魂魄を再び結び合わせ、死者を蘇らせる術を。

 

「……ついでに、ここで初めて口にしましょう。蘇生に関して、貴方がたには一つずつ条件を飲んでいただく。これを拒否した場合、僕は蘇生の一切を中止する。返答は、(イエス)(ノー)かだ」

 

 振り返った彼が、じっと二人の目を見て言い放つ。

 予想外の言葉にフェイトは目を見開いて、プレシアは彼の言葉を待つように目を細めた。

 

「……一つ、フェイト・テスタロッサ。貴方は蘇生を行う上で重要な存在だ。今後貴方はアリシア・テスタロッサと運命共同体となる。これを了承するか?」

「……………………それが、母さんのためならば……」

「っ……」

 

 フェイトは、それでも小さく頷いた。言葉の意味を全て理解しきれずとも。

 その言葉はプレシアが彼女を思わず注視してしまう程度には、重く意思の込められたモノだった。

 

「……一つ、プレシア・テスタロッサ」

「……ええ」

 

 次は、プレシアの番だ。まだ年端もゆかない子供であろう彼の視線を受け止め、その奥にある真意を見取ろうとした。

 

「……今後、アリシア・テスタロッサと同様に、フェイト・テスタロッサを真の娘として迎え入れると、ここで了承するか?」

「っ!?」

「………………………………………………………………………………」

 

 誰が息を飲んだか。誰が瞠目したか。

 少なくとも、フェイトは、まるであり得ないものを見るように目を白黒させて、彼とプレシアを交互に見やった。

 

「……必ず、誓うわ」

「……………………ふむ。少しは悩むかと思ったけど……、そうですか、わかりました」

 

 彼の予想に反して、プレシアの返答は早かった。それが本意なのか、偽りなのか、わからないが。

 

「……この問答が無意味とは思わないことです。言霊は確かに、貴方たちを縛る」

 

 嘘偽りは通用しない。答えたならば、結果は必ずついてくる。

 

 パタン、と。

 沈黙の中に、魔導書が閉じる音が大きく響いた。

 

「……“私は使者。私は御使い。門の番人よ、貴方に私は見えますまい”」

 

 また、あの時のように、魔導書が燃え上がった。

 その炎は白く、幻想的で、何よりも、()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その空間に方向という概念は存在しない。

 上下前後左右、全ての視界は真っ暗に塗り潰されていた。

 

「……ここはマウスとも大して代わり映えしないのか」

 

 ふと、空間に声が響く。

 白い炎が、ぼんやりと虚空に燃え上がった。それは徐々に燃え広がり、空間を焼いて――――、

 

「……火力が強過ぎる」

 

 すぐさま、しぼんだ。

 燃え盛っていた炎は一瞬で蝋燭の灯火のように衰え、ゆっくりと火を揺らめかせた。

 

「……ここからは地道に捜すしかないのが面倒だな……」

 

 灯火はやがて人の形をとった。男の子――――輪廻メグルの姿を。

 

 さて、と思考する。

 手探りだからといって、方向の存在しない無限のこの空間を白み潰しに見て回るのは愚の骨頂。やるなら効率的にが彼のやり方だ。

 捜し人を捜すなら、やはり手掛かりを頼りに縁を辿るのがもっともらしい。

 

「……“血と香り”、“色彩”、“(いにしえ)の再生”」

 

 プレシア・テスタロッサの血統を、フェイトの魂の色を、かつての彼女たちの記憶を。順番に、一つ一つ、丁寧に観察する。

 

「……見つけた」

 

 やがて、一つの彷徨う魂を、彼は掬い上げた。

 とても小さくて、純粋で、黄金に輝く魂を。

 

『――――――――――――――――――――――――』

「……初めまして。僕は、君を迎えに来た」

『――――――――――――――――――――――――』

「……いや、死神ではないが……」

『――――――――――――――――――――――――』

「……ああ、そうじゃない。君を、元いたところへ連れ帰る。君の母親がいるところだ」

『――――――――――――――――――――――――』

「……そう。プレシア・テスタロッサだ」

『――――――――――――――――――――――――』

「……? ああ、君にそっくりな子か。()()()いたのかい?」

『――――――――――――――――――――――――』

「……なるほど、聞えはしないのか……」

『――――――――――――――――――――――――』

「……いや、こっちの話だ、関係ないよ。ともかく、君はもうすぐ目が覚めるだろう。だけど、驚いて錯乱はし過ぎないようにしてほしい。ただ、長い眠りから覚めるだけだ」

『――――――――――――――――――――――――』

「……ああ、そうだろうね。言いたいことはたくさんあるだろうけど、僕もここにはあまり長居はしたくないんだ。話は帰ったらゆっくりするとしよう」

 

 じゃあ、行くよ、と。

 彼はその光を優しく抱き締め、白く燃え上がった。

 

 もっと大きく、もっと強く。

 

 空間を、焼き払うように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔導書に火が灯ったかと思えば、一瞬で本が燃え尽きた。

 何か劇的な変化があったのかと言えば、否。

 ただ、山の中らしい涼しい風だけが変わらず頬を撫でる程度で、それらしい動きは何もなかった。

 

「…………ぁ、ぅ……」

 

 不意に、皆が見つめる柩の中から小さく声がした。幼い、女の子の声だ。

 

 柩の横に跪いた彼はそっと中を覗き込み、じっと彼女の――アリシア・テスタロッサの顔を見つめた。

 

「ぅ…………?」

「……さっきぶりだね。馴染むまで喋りにくいだろうけど、しばらくは我慢してほしい。ほんの数分の辛抱だ」

 

 やがて、目を細く開けたアリシアと視線が合って、そっと告げた。

 長年動かなかった身体は、保存状態が良かったとはいえ固まっていた。正常に動けるようになるまでは一日程度はかかるだろう。

 

「……どうぞ」

「ッ……!!」

 

 アリシアの状態を確認し、そっと場所を譲った。

 よろよろと、プレシアは絡みそうな足取りで弱々しくかがみ込み、柩を覗き込んだ。

 

「……ぁ、ぁ……」

「あ、あぁっ……アリシア……っ!! アリシアなのね……!!」

 

 泣き崩れ、そっと手を伸ばし、アリシアの頬を両手で触れた。

 その肌の、何とあたたかいことか。

 あの時は、すでに冷たかった。

 

 けれど、今は、とても柔らかく、あたたかい。

 その温もりは、確かに、目の前の少女が生きているということを、プレシアに知らしめてくれた。

 その手を確かめるように、アリシアもゆるりと、頬を緩めて笑った。

 

 

 

 

 

「……テスタロッサ。気分は?」

 

 感動の再会、とでもつけるべきか。

 プレシアとアリシアがふれあうすぐそばで、フェイトはぼんやりとその様子を眺めていた。

 

「…………よく、わからない……」

「……ふむ、僕の聞き方が悪かった。()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「っ……?」

 

 彼の問いかけは、フェイトにとって驚愕に値した。

 ずっと、己の心の中はぐちゃぐちゃだ。

 事件が収束し、母親と呼ぶ人物は逮捕され、自分はクローンであり、目の前でプレシアが涙ながら名前を呼ぶ娘とは違う。

 アリシアが生き返れば、プレシアが笑ってくれると思った。

 いや、事実、プレシアは確かに笑った。とても嬉しそうに。

 

 

 

 ――――でも、その先に自分がいるわけではない。

 

 

 

「……そうだね、確認をかねてみようか。こっちへ」

 

 その様子を見かねてか、彼はまたアリシアの下へと歩き出す。その背は確かに、ついてこい、と有無を言わさない雰囲気だった。

 何を、と問える雰囲気ではない。

 少し逡巡して、フェイトは後に続いた。

 

「……水を差すようで申し訳ない。蘇生も済んだところで説明しておくべきことがある」

 

 おもむろに、一家に囲まれる中心で、彼は口を開いた。

 次は何を告げるのか、常識を超える魔法を行使する少年に視線が集まる。

 

「……“契約”は執行された。アリシア・テスタロッサは蘇り、フェイト・テスタロッサと魂を共有する存在になった。プレシア・テスタロッサ、貴方はこの意味を真に理解しているか?」

 

 フェイトを伴い、地面に座り込むプレシアの目をじっと見つめる。その瞳は、生半可な回答は許さないと、雄弁に語っていた。

 

「……魂魄の説明をするとき、貴方は言ってたわね。魂を繋ぎ止める楔が必要だと。だから、貴方は、アリシアによく似たフェイトを楔とした……」

 

 魂魄は生命が生きる上で一対の存在でなければならない。片方が壊れればその結びはたちまち解かれ、魂はより深い次元へ、魄は取り残され、朽ちてゆく。

 本来なら、それが定命の生物の、覆りようのない最後だ。魂魄を繋ぎ止める楔は、使い物にならなくなる。

 

 だからこそ、彼はより強力な楔を用意した。アリシアのDNAを使ったクローンであるフェイトを。

 フェイトはアリシアにより近い存在として生きており、それならばアリシアを現世に縫い止める最高の要因になりえる。

 つまりは、共有化。フェイトとアリシアを同一化して、彼は死者蘇生を行った。

 

「……まぁ、及第点というところで。最低限は理解してるようで何よりです。が、100点満点であってもらわねばなりません」

 

 しかし、彼は完全に納得した訳ではないらしい。まだまだ教え込む必要があると、そんな雰囲気を纏っていた。

 

「……魂の共有化は、フェイト・テスタロッサの楔をアリシア・テスタロッサの楔に見立てたものだ。フェイト(彼女)の痛みはアリシア(彼女)の痛み。アリシア(彼女)の願いはフェイト(彼女)の願いだ」

 

 文字通りの運命共同体。彼はそれを言い続ける。

 

「……だから僕は言った。プレシア・テスタロッサ、貴方はアリシア(彼女)だけでなく、フェイト・テスタロッサも同じ娘として迎え入れろと」

 

 できるのか、という問いかけ。

 プレシアはこれまで、フェイトという存在を忌み嫌ってきた。

 アリシアではない、ただの複製品(クローン)、自分を癒やすことはない、道具の一つ。

 

 

 

 ()()()()()

 

 

 

 果たしてお前に、恨み続けた娘と瓜二つの存在を愛せるのかと、彼はプレシアに問おうとしている。

 できなければそれまで。フェイトへの恨みと痛みはアリシアへと共有され、その楔は腐り落ちる。

 

 つまり、アリシアは再び死ぬ。

 

 そして、彼はもう蘇生のチャンスの一切を与えないと語った。

 

 

 

 

 

『ねぇ、フェイト』

「ッ!?」

 

 ふと、フェイトには声が聴こえた。

 自身の内側から、まるで自分の声のように。

 

『驚かないで。()()()()()()()()()、フェイト』

「あ、アリシア……?」

 

 柩の中から、アリシアの視線と、フェイトは目が合った。そしてアリシアは少し微笑んだ。

 

『良かった。メグルが言ってたから、できるかなって思って』

「ど、どういう、こと……?」

あなた(フェイト)はわたし、わたしはあなた(フェイト)。わたしの考えてること、フェイトが考えてること。全部、わかるんだよ。だから、こうやって、魔法じゃなくても、魂が共鳴してお互いのことを理解できる』

 

 ゆっくりと、フェイトの中に、アリシアが触れてくる。

 流れ込んでくるのは、あたたかな風だった。

 

『フェイト、手伝って? ママに、伝えたいことがあるの。わたしは、魔法が使えないから、念話の代わりに、フェイトから言ってほしいの』

「――――――――――――――――、」

 

 その提案にフェイトは目を見開いて固まった。

 

 しかし、やがて、アリシアの瞳を見つめながら、決意したように、小さく頷いた。

 

「……リンネ」

「……彼女の声が、聴こえたか?」

「うん」

「……そうか。じゃあ、僕はもう必要ないね」

 

 彼はその問答のみで、納得したように頷いた。もうここに居る必要もないと、そう言って三人から離れて行った。

 

「……………………あ、の、母さん……、……アリシアが、言いたいことが、あるって……言って、ます」

 

 ぎこちなく、フェイトはプレシアへと呼びかけた。まだ自分がそう呼んでいいのかと躊躇いながら。

 プレシアはその様子を、何も言わずじっと眺めフェイトが口を開くのを待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……妹を、生んでくれて、ありがとう、って……」

 

 

 

 

 

「ッ……」

 

 その言葉を聴いて、プレシアは目を見開いてアリシアを見た。

 そして、アリシアは、微かに頷いて、微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そうですね。あの場所を選んだのは霊脈の関係です。山っていうのは器とも定義できる。星の裏側から見れば窪み、そこへ水が流れ込むのは当然と考えられます」

 

 そこはアースラの取調室。

 クロノは対面に座る少年の話に耳を傾けていた。

 

「魔力の波動みたいなものは何もなかった。これは僕ら魔導師が使う魔法……君の言う科学魔法とは系統が異なるからか?」

「……その通り。そのミッドチルダ式という魔法は、結局のところ科学の延長。リンカーコアから生成される魔力という特殊な粒子状エネルギーの持つ特性を使ったもの。僕が使う星のエネルギーとは全く別物になります」

「人工と天然、みたいなものか」

「……概ねは。ただ大本は同じなんです。何が作ったか、それだけです」

「では星の作るエネルギーはなぜ君の言う【魔法】に適するんだ?」

「……単純な話、純粋なんですよ。何者にも染まっていないエネルギー。人が創り出すモノは大概何かが混ざってしまう。特化させるならともかく、僕からすれば不都合の塊でしかない」

「ふむ……君が突然『時の庭園』に現れたアレも、同じ魔法か?」

「……ええ、同じものです。マーキングを付けた物の場所へ時空間を繋げる。マーキングに、必要なマナを込めてさえいれば可能です。フェイト・テスタロッサが所持していたものがそれに当たります」

 

 これを、と彼は一つの水銀が込められた小瓶を懐から出してデスクの上に置いた。

 

「これは?」

「……魔法用の道具、と言えばわかりますか?」

「水銀を……? いや、思いつかないな」

「……まぁ、普通の人からすればそうです。人体には有害と言われる有機水銀……とはまた違った無機水銀ですが。最近価格高騰が起こって困ってるんですよね」

「いや、聞いてないが……」

「……ただの愚痴です。水銀の特性は“集めるもの”。つまりマナを込めるにはちょうど良い」

「それは、君たち【魔法使い】にとっての特性か?」

「……はい。通常の化学では決してわからないことですが」

 

 クロノは一度目頭を揉んで、ゆっくりと背もたれに体を預け、天井を仰いだ。情報量の多さに、少し混乱していた。

 

「……一つ、聞きたいんだが」

「……どうぞ。僕の答えられる範囲で良ければ」

「ああ……死者蘇生は、わかった。魂魄も、事象の改変も……。とすれば、もしかして君は……時間にすら、縛られなかったりするのか……?」

 

 それは、何となく、クロノが懸念していたこと。

 概念にも干渉したならば、もしかしたら、と。

 

 対して、彼の回答は、

 

「……()()()()

 

 否。

 

「君にも届かない領域がある、と」

「……時間なんて操れるなら、それこそ僕は今頃ここにはいませんよ。それは僕が目的を達成する上で何よりも欲しい手段なんです」

「だが、()()なんだろう。いずれは……、」

「……どれくらい先になるかはわかりませんがね。きっとできると、信じています」

 

 ただ淡々と、彼は告げた。

 今までのクロノであれば、何を馬鹿な、と思っただろう。遠まわしに「できるはずがない」とさえ言っていたかもしれない。

 

 だが、彼はそこに手が届いてしまうかもしれない。

 何の根拠もないが、そう思えてしまった。

 

 

 

「それじゃあ、最後に聞きたい。プレシア・テスタロッサの治療とアリシア・テスタロッサの蘇生を行った真の目的を」

「…………気付いてましたか」

 

 最後の質問に、彼は少し驚いた様子だった。

 

「職業柄、色々と人を見る必要があるんだ。許して欲しい、とは言わないが、詮索程度はさせてくれ」

「……まぁ、別段特別ってわけじゃないのでいいですけど……。いわゆるお試し、臨床実験ですよ。治療はともかく、死者蘇生なんてできる機会が限られてるじゃないですか。蘇生するために人殺しなんてしたくないですし。今回はたまたま目の前にいいサンプルがあったものですから」

 

 肩を竦めて「わかるでしょう?」と視線で訴えてくる彼に、クロノは頬を引き攣らせた。

 

 一見、その理由は正当そうに見えて裏があるように思えた。

 

 つまるところ、実験できるチャンスがあるのならば倫理観などない、という宣言に等しい。

 今回はアリシア・テスタロッサの遺体と、フェイト・テスタロッサという存在があったからこそ、彼は蘇生を選択した。人間という魂魄の蘇生が成功するか否かを見極めるために。

 

 

 

 クロノは冷や汗が背中に染み込む感覚に悪寒を抱き、輪廻メグルという少年にある種の恐怖を抱いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 色々ありましたが、これまでのジュエルシードを巡る事件は一旦の解決となりました。

 プレシアさんが発端となったこの事件は、プレシアさんが責任の大部分を取る形で裁判を受けることになるそうです。

 フェイトちゃんも、やはり何らかの刑が下る、とクロノくんは言ってました。

 が、そこはフェイトちゃんの罪が軽くなるよう全力を尽くすそうです。何でも、プレシアさんに強制されたから、という筋書きがあるそうで。

 プレシアさんも、それには何も反対せず……というよりも、その案自体がプレシアさんからの提案だそうです。

 

 何と言いますか、少し安心したような気がします。

 

 アリシアちゃんに関しては、死亡ではなく行方不明だった、という経歴になるそうです。プレシアさんがずっと隠し通していたとかなんとか。

 大分時間が経過してるのに成長してないんじゃ……、という疑問は、クロノくんがどうにかすると言っていました。頑張ってほしいです。

 メグルくんによる蘇生は公言しないことを“契約”したので、アースラの記録は全て消去される運びとなりました。

 

「……バカなことを言わないでほしい。こんな力、欲深い人間が聞いたら喉から手が出るほど欲しがるに決まってる。神秘は秘匿されてこそだ」

 

 とはメグルくんの言葉で、とにかく秘密にしろ、と口酸っぱく言ってました。わたしとしては()()()()()()()()()()()()()()()()()……。

 

 そういう訳で、フェイトちゃんたちは裁判のために地球を発つことになりました。

 ユーノくんも、ジュエルシードの発掘を行った関係者として元の世界へと帰ることに。

 寂しいな、と思うと同時に、やっぱり、と予想通りに思う自分がいました。

 仕方ないこととはいえ、元々わたしたちとは違う世界の住人。慌ただしい時間の中で、心を通わせることができて、お友達になれたこと。

 事前に伝えられていたとしても、お別れはとても悲しいことです。

 

 

 

 アースラが出航するその日。

 わたしはお別れを告げに臨海公園へと朝早くに向かいました。

 

「フェイトちゃん、アリシアちゃん!!」

「あ、……なのは」

「おはよー、なのは」

「うん、おはようございますっ」

 

 そこには、私服姿のフェイトちゃんとアリシアちゃんが。

 

「アリシアちゃん、もう普通に歩けるようになったんだね」

「おかげさまで。ちやほやされるのは悪い気分じゃなかったけど、いつまでも甘えん坊さんってのもねー。ホント、メグルにはお世話になりっぱなしだったなー」

 

 目が覚めてからのアリシアちゃんは、長年眠ってたために体が凝り固まってしまっていたらしく、しばらく車椅子生活を余儀なくされていました。

 本来なら一ヶ月近くはそのまま歩けない、と言われていましたが、メグルくんに頼んで少し魔法を使ってもらいました。そのおかげで、数日で元通り歩けるようになりました。

 苦笑しながらもちょっと物足りなそうなアリシアちゃんに、フェイトちゃんも苦笑い。わたしとフェイトちゃんでメグルくんに少し強引に頼み込んだら、すごく顔をしかめていたのを思い出します。

 

「なのは、メグルは一緒じゃないの?」

「え? ううん、見てないよ。もしかして、メグルくんも来るの?」

「一応、連絡はしたんだけど……」

 

 と、肩に背負っている竹刀袋を見ながら言うフェイトちゃん。何か渡すものでもあるんでしょうか。

 

「あー、これね、フェイトがメグルの杖壊しちゃったんだよねー。咄嗟に追い返して隠そうとしてたやつ」

「あ、アリシアっ、そんなっ、なのはに言わなくても……っ」

「いやー、隠してても意味ないし」

 

 でも……っ、と顔を赤くして恥ずかしがりながら抗議するフェイトちゃん。アリシアちゃんはへらへらと笑ってますが。

 

 ……とりあえず、姉妹仲はとても良好のようです。ギクシャクするんじゃないか、とも思いましたが、アリシアちゃんはグイグイ行くタイプらしく、彼女が中心となって話の輪が広がります。

 

 

 

 

 

 それからしばらくして、空から降りてくる人影に気付き視線を上げれば、とんがり帽子とローブを着たメグルくんが箒に乗ってやって来ました。普通に歩いてくると思ってたんですが……。

 

「メグルくん、今日は箒で来たんだね」

「……見られちゃマズいだろう、この現場は」

 

 わかってくれよ、と呆れたような溜息に、確かに、と納得。一応人のいない時間帯とはいえ、警戒くらいはするべきでした。

 メグルくんがやってきて、フェイトちゃんもホッとした様子です。

 

「良かった。メグル、来ないかと思って……」

「……まぁ、来ない選択肢もあったけど……流石に、どうしても渡しておきたいものがある、なんて言われちゃあ断れないよ」

 

 厄介な奴だったら拒否するけど、と言うメグルくん。まぁそうだろうなぁ、と、メグルくんらしい言葉に納得です。結構神経質というか、石橋を叩いて渡るタイプだなと思います。

 でも、何だかんだで来てくれたあたりが物事を蔑ろにしないメグルくんらしさがあります。

 

「……それで、渡すものって?」

「あの、これを……」

 

 フェイトちゃんが背負っていた長物をメグルくんに渡しました。

 首を傾げながらその長い竹刀袋を開けて、「……あぁ、これか」と思い出したように言います。

 

「その、ごめんなさい……渡されたときに、折れちゃって……なんとか直したと思うんだけど」

「……はぁ、……直す……」

「咄嗟に隠そうとして、転移させたのは事実だし……とりあえずくっつけることくらいしかできなくて……」

 

 服の裾を握りながら顔を伏せるフェイトちゃん。

 メグルくんは杖を取り出して両手で握りまじまじと観察。それから杖半ばをじっと見て一つ頷きました。

 

「……まさか、神秘の塊にボンドを使うとはね」

「う゛っ……」

「あー、その、メグル? ちょっと大目に見てもらえないかなーって思うんだけど……」

 

 最もな指摘に息を詰まらせるフェイトちゃんに、アリシアちゃんの助け舟が。

 メグルくんの魔法は杖が必要なものもあるって聞いたけど、ボンドで直した杖でもできるのでしょうか……? 少し、気になります。

 

「……いいよ、もう。過ぎたことだし。そもそも、杖自体が折れるのは想定していた」

「え、想定……?」

「……杖を厄介なことに使われるのも面倒だと思ってね。僕以外の誰かが悪用しないよう、折れやすくなる呪いをかけてた」

「じゃ、じゃあっ、折れちゃったのって……っ」

「……仕込んだ呪いが正常にはたらいたってことだね」

「そ、そう、なんだ…………よ、よかったぁ……」

 

 胸をなで下ろすフェイトちゃんと、「よかったねー」と声をかけるアリシアちゃん。とりあえず、大事じゃなくて良かったです。

 

「あ、でも、その、ごめんね……勝手に直しちゃって……」

「……謝らなくていいよ、もう。そんな顔をされると僕が悪者みたいだ。この件は水に流す。直すのは簡単だし」

 

 そう言って、メグルくんは杖を撫で、懐にしまい込みました。いつもながらあの長さがどうやってローブに入ってるのか、不思議です。

 

「よし、フェイトの次はわたしねっ」

「……?」

「メグルにはお世話になったから、お手紙っ」

「……僕に……?」

 

 空気を見計らって、今度はアリシアちゃんがメグルくんにお手紙を渡しました。封筒には丸っこい字で慣れてなさげな日本語が書いてあります。

 

「あっ、ここでは開けちゃ駄目だからねっ、照れくさいし」

「……わかった、後で読むとする。……うん、ありがとう」

 

 頬をかきながら少し赤くなったアリシアちゃんと、面食らった様子のメグルくん。ちょっと動揺してるみたいで、思わず笑ってしまいそうです。

 

 

 

「じゃあ、行くね」

「またね、なのは、メグル」

 

 そろそろ、出航の時間。

 名残惜しい時間は、あっという間に過ぎ去ります。

 

「また会おうね、フェイトちゃん、アリシアちゃんっ」

 

 最後に、二人とハグをしてお別れです。

 寂しくて、少し泣きそうになったけど、笑顔で見送ります。

 

「……達者で」

 

 メグルくんは、手短に。素っ気ない気もするけど、らしいお別れの言葉です。

 

「もー、メグルは素っ気ないって!! 最後くらいはこうっ!!」

「っ!?」

 

 けど、そんなメグルくんに痺れを切らしたのか、アリシアちゃんがずんずん近付いて行って、正面から抱き着きました。

 思わず、わたしも赤面……。メグルくんも、今までにないくらい驚いてました。

 

「…………………………………………で、いつまで、これを……?」

「……ありがとう、メグル。ママと、わたしと、フェイトを、助けてくれて」

「っ……、……………………いや、……やるべきことを、やったまでだよ」

「謙遜しないでよ。本当に、感謝してもしきれないくらい、嬉しいんだから」

 

 小さく、メグルくんの耳元でつぶやいて、ゆっくりと離れるアリシアちゃん。ちょっと大胆なの……。

 

「じゃ、じゃあねっ!! 友達にはもっと親身に接すること!!」

 

 アリシアちゃんは結構赤くなりながらメグルくんに指を突き付けて、早足に戻って行きました。やっぱり恥ずかしかったみたいです。

 

「あ、あはは、最後にすごいの見ちゃったの……」

「う、うん……」

 

 わたしもフェイトちゃんも、アリシアちゃんの大胆さにたじたじです……。

 

「ほら、フェイト、早く行くよ!! ママが待ってる!!」

「あ、うん……。それじゃあ」

「うんっ、またねっ」

 

 二人に手を振って、さようなら、と。また会いましょう、と。

 メグルくんは、静かに、けれど、小さく手を上げて。

 

 魔法陣が現れて、やがて二人はアースラへと転送されて行きました。

 

 

 

「……行っちゃったね」

「……そう、だね。騒がしい人たちだった」

 

 帽子を深くかぶり直したメグルくんは、淡々と、そう言いました。

 けれどその声音には、少し寂寥感があります。

 

 

 

 ……系統は違えど、魔法によって出会ったメグルくん。

 初めて話す前は、本当に近寄り難くて何を考えてるのかさっぱりな雰囲気のあったメグルくんだけど、今は少し、彼のことをわかった気がします。

 

 

 

「……じゃあ、僕は帰る」

「あ、待ってっ」

「……?」

「一緒に帰ろ?」

「…………………………………………あー、わかったよ……」

「ふふ、うんっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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二期
偶然のはじまりの、少し前


 

 八神はやてが輪廻メグルを見付けられたのは本当に偶然だった。なにせ、図書館経由の巡回バスにたまたま乗り合わせたのだから。

 

「あ、輪廻クン。お久しぶりやね」

「……………………あぁ、八神か」

「ちょっと名前思い出そうとしてたやろ」

「……さぁ、どうだか」

 

 乗り込んできた彼に声をかけたはやては、肩を揺らして笑った。明らかに自分の名前を思い出そうと視線が宙を泳いでいたのだが、それを肯定も否定もしない態度に変わった人だなと感じるのであった。

 

「図書館に行くん? 調べもの?」

「……ああ」

「偶然やなぁ。私もちょうど向かうとこだったんよ」

「……そうか……、」

 

 また彼の視線が泳ぐ。何か話題を探してるのか、僅かに口が開きかけて、すぐに閉口。

 この様子にはやては悟った。ああ、彼は話題を展開するのが苦手なタイプだな、と。

 友人の月村すずかからは大人の完璧超人という印象と聞いてはいるが、今の一面を見て早くも弱点(?)の1つが露呈したな、と内心ほくそ笑む。

 

 彼ははやてがいる車椅子席とは反対側、一人用の席に腰を下ろす。

 

「聞いとるよぉ、すずかちゃんが“輪廻クンがテストで100点貰ってたー”ゆうててな。しかもクラスで一番最初に解き終えて、友達(アリサちゃん)が悔しい嘆いとるって」

「……そう。別にカンニングはしてないけど」

「疑う訳ないやん。するまでもないんやろ?」

「……まぁ、そうなんだけどさ……」

 

 控えめに、否定せずどこか困った様子で斜め下を見やる。

 そこからは再び無言。ますますはやての意地の悪い笑みが深まった。

 

 

 

 図書館へと到着し、バスから館内までは彼がはやての車椅子を押していた。

 特に手伝えと彼女が言ったわけではないが、そういった気遣いができる人間というのははやてにとって高ポイントだった。多分、この辺りが接する上で嫌な思いをしない部分なのだろうと一人納得する。

 言うまでもなく、はやてが取りたいと言った本も文句一つ言わず棚から取り出し、わざわざ付き添いをかってでていた。

 彼女がいつも陣取る席に送ってからは、彼は足早に郷土資料がおいてある方面へと向かっていった。その背を見送り、気付けばはやては何となく良い気分にひたっているのであった。

 

「……そーゆうとこやで、輪廻クン」

 

 なるほど、すずか達が仲良くなる珍しい男子な訳だ。

 話を聞いて彼以外の男の名前を聞かないあたり、何となくホクホク顔になってしまう。俗に言う優良物件、何か浮ついた話はないものかと勘ぐってしまうのであった。

 

 

 

 戻ってきた彼が抱えた本は、海鳴市の郷土資料ばかり。これを1日で読破するのか、と自称本の虫たるはやてでも一瞬頬を引き攣らせるレベルのものだった。

 

「またけったいな量の資料やね……」

「……必要なことだ。君に理解できずとも、僕にとっては」

 

 そう言って席につき、早速ページを捲ってゆく……が、その速度は常人に比べかなり早い。斜め読みだとしても、はやてから見える1ページあたりの文量ではまったくもって早過ぎた。

 読めてるのか……? と、自分の本のことも忘れて訝しげな視線を送るはやてに気付いたのか、彼は「……これでも読めてるよ」と小さく告げた。

 

「……本の虫やなぁ……」

「……かもしれないな」

 

 何気ない一言に、彼は無表情に返した。

 

 

 

 

 

 気付けば夕方。本を読みふけっていると時間の流れというものは本当に早く感じる。

 

「いやー、なんか付き合わせたみたいで申し訳ないわぁ」

「……そう言いつつ上機嫌そうだね、君は」

 

 その言葉に「せやろか?」とはやては返した。

 思えば、彼とこのように一日を共にしたことはない。以前はすずからも一緒だったことを考えても、マンツーマンというのは初めてのことだ。

 たぶん、彼とは無言の時間が続いても居心地が悪いとは感じないのだ。彼は彼で本に没頭してるので、気兼ねなく自分のペースで読むことができる。

 しかし、かと言って自分が一人というわけでもない。そういったバランスのとれた人材であるのは確かだった。

 

 バス停まで送られ、はやてはバスへ。

 彼は「……買い物を頼まれている」と言って、バスには乗らないと言った。

 

「ほな、また」

「……ああ」

 

 短く、少し素っ気ない挨拶だったが、別段、悪い気はしない。

 バスの乗降を手伝ってくれた彼は、扉が閉まるまで見送ってくれた。

 

 そう言えば、と思いつくのは、まともな男友達というのは彼が初めてだったか。世の中様々な男性がいるとはいうが、彼が最初の友達で良かったと、何となくそう思いながら、車窓から流れてゆく景色を眺めた。

 

 ふと、特に何かを思ったわけではないが、振り返ってバス停の方を見た。

 

 けれども、既に彼の姿はなかった。

 

「……あれ……?」

 

 一瞬、何かの見間違いだろうか、空に人影が見えた、気がした。

 

 目をこすって、もう一度よく見るが……気のせいだったらしく、夕焼け空が後方へ流れてゆく。

 

「……目ぇ使いすぎたかなぁ……今日は早よ寝んとね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジュエルシード強奪事件から数ヶ月が過ぎた。

 以来、大きな事件と呼ばれるような事柄は地球の、とりわけ日本の中では起きていない。またいつも通りの日常に戻った、と言えよう。

 

 そんな中でも、高町なのはは少し日課が変わった。

 フェイトやアリシアとのビデオレターのやり取りだ。

 

 例の事件以降、なのはの手元にはレイジングハートが残り魔法訓練をしていた。

 そのレイジングハートを介して、フェイトらとお互いの近況報告を始めたのだ。

 また、このビデオレターにはアリサ・バニングスや月村すずかも参加。ついでに輪廻メグルを無理矢理引っ張ってきて、ほぼ毎日、日記のようにビデオを撮った。彼は大分げっそりしていたが。

 フェイトとアリシアのことは、数ヶ月前に休んだときにできた大事な友達である、とアリサとすずかの二人には説明しており、魔法のことはもちろん伏せてある。流石に無関係の人間を巻き込むわけにはいかなかった。

 

 フェイトたちともすっかり顔馴染みになったアリサやすずかだが、それよりもアリサとメグルの関係の方がまだピリピリとしていた。主にアリサが一方的にメグルをライバル視しているだけの話だが。なのはを中心につるむようになってからは、以前より余計にヒートアップしているらしい。

 

「もっかい!!」

 

 その日、アリサは自宅になのはとすずかと、彼を招待していた。最近はいつもの三人に、メグルを加えた四人という構図も珍しさが薄れつつある。

 

「もっかいよ!!」

「……もう何戦したと思ってるんだ……」

 

 今日のアリサは将棋を持ち出し、彼と何局も指し合っていた。因みに結果はアリサの全戦全敗である。

 これは超絶負けず嫌いのアリサが、頭脳対決と称して始めた対決シリーズである。これまでオセロやらチェスやら囲碁やらと様々な対決を(彼の意見とは無関係に)敢行してきたが、アリサは全く勝てなかった。

 学校の成績では同率一位、けれど大人っぽさでは輪廻メグルがダントツ一位。これは何事も一番でありたいアリサのプライドを大きく傷付けたらしく、前々から彼に負けたくないと絡んできたのが始まりだ。

 

「……ハンデあげるから……」

「嫌よ!! 全力で勝たなきゃ意味ないじゃない!!」

 

 因みに、今のやり取りも過去何十回と行われたものだ。げんなりした顔を隠しもせず、いい加減諦めろよ、とメグルは内心思っているのだが、アリサが全く折れる様子がないのが目下の懸念だ。

 

「ほら、やるわよ!!」

 

 次こそは、とやる気満々で盤面を整えるアリサ。これだけ負け続けてどこからその気力が湧いてくるのか、メグルは不思議でならない。

 しかし、アリサが無闇やたらに勝負をふっかけてくるのかと言えば、そうじゃないと断言できる。アリサはなんと言っても頭が良い。一度負けると、その穴を確実に塞いで、更にレベルアップして反撃してくる。普通にプロ顔負けの実力者だろう。

 比較対象がメグルという例外中の例外なだけで、アリサは同年代と比較しても知性が圧倒的にある。なのは然り、すずかも然り。

 

 もし仮に、自分と同じだけの経験があったならば、とメグルは考えた。そのときは、確実に負ける。彼が何度挑もうとも、返り討ちにされる未来しかない。

 今はただ、何億、何兆もの時間の中で蓄積された、ほんの少しの技術でやりくりしているだけに過ぎない。彼には経験値しか取り柄がないのだ。それさえ取り除かれてしまえば、輪廻メグルという少年は、ただの人間でしかいられなくなる。

 恐らく、この人生で彼が負けることは万が一にもないだろう。それでも、アリサという才能の塊を見て、劣等感を抱かずにはいられなかった。

 

 ぼんやりと、そんなことを思いながら、対面で女子らしからぬ唸り声を上げるアリサと将棋を続ける。

 

 そういえば、と、惑星の命運をかけて将棋で勝敗を決める、なんて人生もあったのを思い出す。全ての法則がボードゲームの勝敗でいくらでも変えられる世界の話だ。

 あの時は、勝てば文字通り神になれると思って全力だった。目的達成に最もな近道だと思っていた。

 死ぬほど努力をして、死ぬほど暗記して、死ぬほど対局をして……。

 

 結局、最後は大敗を喫したのだが。

 文字通り、宇宙内外含めあと一歩で頂点だったのだが、最後は訳もわからず負けたのだ。あれは惨めだった。

 

 パチン、と、小気味よい駒の音が響く。

 

 師匠やライバルや友達やら、大勢の者達に見守られて、負けた。そして、死ぬより酷い目にあった。

 そりゃあそうだ。奴隷が欲しいがために全宇宙を支配しようとしたやつに、たかが自分のためだけに生きてきた小僧が勝てるはずもなかったのだ。

 敵には嘲笑われ、味方だった人たちからも罵倒の嵐。本当に、苦い記憶だ。

 

「うぐぐぐ……」

「アリサちゃん、ちょっとはしたないよ……」

「横に同じなの……」

 

 あの時の最期は……そう、味方だった人たちに囲まれて、殴られ、蹴られ……死んだ。

 全てがゲームで決まる、とかいうくせに、最期は結局暴力だった。ただの平凡な人間が、少し頑張って勝ち筋を覚えたところで、力には勝てなかった。

 

「……………………………………………………………………………………ま、参りました……」

「……ん」

「ち、ちょっとは喜びなさいよぉぉぉぉぉぉっっ!?」

 

 うがー、と吠えるアリサに、メグルは耳を塞ぐジェスチャーで対応。ますます火に油を注ぐ姿勢に「まぁまぁ」とすずかがなだめた。

 

 こんな光景にも見慣れたものである。

 なのはは今日も元気なアリサに苦笑いを浮かべ、「勝つのはまだ先になりそうなの……」と小さく呟いた。

 

 

 

 

 

 

 



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望まれぬ“死”

 

 その日も、いつも通りの日常が続く。そう思っていたのは確かだ。

 

 

 

 

 

「……ええ、はい。警戒はしてますが、今のところ手掛かりは全く……、はい、はい。ありがとうございます」

 

 輪廻メグルは夜の海鳴市上空にいた。

 箒に器用に立って、二度折れた大きなとんがり帽子と、藍色のローブ。右手にはケータイを持って、誰かと話をしていた。

 

「……そうですか。でも、対策はとっていたのでしょう? ………………ああ、良かった。……はい、僕の方も対策はしてますから、心配には及びませんよ。万が一でも、少し活動頻度が下がるくらいです。……はい、では、また」

 

 その声音は、普段よりかは親しげな、打ち解けた者との会話に聞こえた。

 メグルは電話を終えて懐にケータイをしまい込み、ふぅ、と一つ溜息を吐いた。

 

「……あまりよろしくない兆候だよな……、」

 

 まだ賑やかな電光の浮かび上がる海鳴都市部を見下ろし、呟く。

 彼が懸念していることとは、とある知り合いからもたらされた情報だ。

 最近、同じく魔法に精通している知り合いたちが謎の人物たちに襲撃される、という事件が相次いでいた。目的は全くの不明だが、とにかく異常な力を使うとのことで、メグルにまで連絡が回ってきたのだ。

 その“力”というとのは、メグルにとって違和感を感じるものであった。

 超短文詠唱と、戦闘に特化した力。三角形の陣が特徴的、と言われた。

 これと大きく一致するのが、ミッドチルダ式の魔法である。そのミッドチルダ式は魔法陣が円形だったが。

 

「……管理局からもう少し情報を貰っておくべきだった」

 

 後悔を漏らし、どうしたものかと考える。

 現状、その三角形の陣を扱う力がミッドチルダ式に通じるものなのかは判断がつかない。情報が不足しすぎているのが確かだ。

 もし仮に、同系統の魔法を使う者たちの仕業だとすれば厄介極まりない。管理局には要請を送るべきだろう。

 

 無言で、懐にある携帯端末に指先を当てた。

 そこにあるのは、クロノから貸与されたアースラとの通信機器だ。一度連絡を入れれば、すぐさまクロノらが反応するだろう。

 

「……杞憂だといいんだけどな……」

 

 とりあえず、報告程度はしておいてもバチは当たらないか。そう思って、コールを――――、

 

 

 

 

 

「――――――――アイゼンッッッッ!!!!!!!!」

「ッ!?」

 

 濃厚な殺気に、思わず端末を投げ出して箒から飛び降りた。

 

 刹那、顔のすぐ横を掠める赤い何かが、端末を破壊していった。

 

「……捕捉された……っ」

 

 重量に引かれ地上へと落ちながら、メグルは夜空を睨みつけた。

 先程まで彼がいた場所には、赤い服を纏った年端もいかない少女がいた。その手にハンマーを持ち、メグルを同じく睨み返している。

 

 やはり、と心の中で毒づく。間違いなく、先程の情報と特徴が一致した。兎、赤、ハンマー、少女……。

 

「……逃げるか」

 

 そうなれば、あまり状況はよろしくない。予想ならば、あと二人と一匹は確実にいる。

 

 身体を反転、真下へ滑り込んで来た箒に着地し、都市部のビル群内へ飛び込んだ。

 

 瞬間、ねっとりとした空気を肌で感じると同時に、世界の色が褪せてゆく。

 間違いなく、結界だ。それもミッドチルダ式に似た、戦闘特化のもの。

 

 眼下の人々が結界から弾き出されてゆく。

 いよいよもって、世界にはメグルが一人となった。

 

 大きな交差点の真上で、急ブレーキ。

 油断なく周囲を見渡して、四方向、道路のそれぞれに一つずつ影を認めた。

 

「こそこそ逃げんなよ」

 

 先程の、赤い少女。

 

「……大人しくしていてくれ」

 

 長身の、剣を構えた女性。

 

「座標捕捉。いつでもいけるわ」

 

 緑色の、糸のようなモノを構える女性。

 

「………………………………………………………………」

 

 無言でメグルを見やる、狼。

 

「……最悪だ」

 

 思わず悪態をついて、状況を語る。

 文字通りの四面楚歌。事前に情報を得ていたとしても、これはいただけない。

 

「……で、どちら様? 生憎と襲われる趣味はないんだけど」

 

 最悪ならば、せめてペースをこちらに手繰り寄せる必要がある。飲まれる前に、口を開いた。

 

「すぐに終わる話だ。大人しく、何も言わずにいればそれでいい」

「……説明になってないんだけど……」

 

 げんなりと言い返す。

 とにかくこちらに従えという意思表示。これでは交渉ではなく脅迫だ。

 

「……最近の襲撃事件は貴方たちの仕業でしょう。しかも狙った先は尽くが僕と同じ……何を欲している?」

 

 金、ではない。だったら億万長者と呼ばれる者を脅したほうがよっぽどいい。

 そうなれば、【魔法使い】を襲う理由なんてものは、蓄積されてきた技術と記録くらいか。

 しかし、これまでの報告でそれらを奪われたという報告はなかった。

 むしろ、メグルと同じ【魔法使い】たちは、何もされなかったというのだ。

 

「それを教えることはできないの。恨んでくれて構わないわ」

 

 けれども、頑なに教えてはくれない。

 加えて、今の言葉でメグルは交渉が不可能だと判断を下した。この者達は不退転の覚悟で事を進めている。自分がどうなろうと構わない、という、ある種特攻に近い。

 

「……そう。じゃあ、さよならだ」

 

 故に、無視。

 杖を懐から取り出すと同時に、札をばら撒く。

 

 瞬間、爆音と閃光が幾重にも重なった。

 更には煙が立ち込め、視界を塞いでゆく。

 

「チィッ!!」

「ヴィータ、早まり過ぎだ!!」

 

 開戦の合図となったそれを契機に、全員が一斉に動き出した。

 赤い少女は舌打ちをしながらも鉄球を立て続けにハンマーで叩き、剣士の女性の制止も聞かずに煙の中へと突貫。

 

「探知するわ、ザフィーラ、援護を!!」

「……承知」

 

 全体を俯瞰する位置にいる女性は三角形の魔法陣を展開。狼は言葉を発し、いつでも飛び出せるよう姿勢を低く保つ。緑の風が低く地面を凪いで、煙を煽ってゆく。

 

「――――捕まえたッ!!」

「オオオアアァァッッ!!」

 

 捕捉と同時に座標を算出。息のあった連携で、狼は力強い咆哮と同時に地面から白い楔を大量に撃ち出した。

 

「傷を負わせたぞ!!」

 

 煙から飛び出してくる黒い影を追って狼が叫ぶ。

 すぐさま地を這うように飛んで追い掛けるのが赤い少女と剣士の女性だ。高速で遠ざかるメグルへ、肉薄しようと迫る。

 

 対して、メグルは最悪すぎる展開に歯を食いしばる他ない。

 ローブはボロボロ、体中に切り傷やら刺し傷やら。致命傷は咄嗟に防いだが、凡人が耐え抜くにはあまりに酷と言えよう。

 何より、脱出用に仕込んでいた転移魔法が発動していないのが焦りを加速させた。恐らく何かしらの干渉、もしくは空間的な妨害を受けている。

 万が一にあり得る、などと思っておきながら、いざ使えないとなればこの焦りよう。詰めと心構えが浅すぎたと自身を罵倒した。

 

 ここまで来ると逃げ切るには結界端まで移動し、壁に穴を空けるしかない。

 だが、こうもしつこく付き纏われてはまともな【魔法】も扱えない。準備不足が祟った。儀式魔法なんぞ、戦闘特化魔法の前には霞むのだ。

 

「フ――ッ!!」

「……ギッ……!?」

 

 剣が変形し、蛇腹状となって襲いかかってくる。その複雑な動きは、的確に退路を潰すような動きだった。

 もうメグルに上下概念など気にする暇はない。箒から一瞬手を離し、刃の間を小さく擦り抜ける。更に身体を捻って、重力に引かれながら落ちて回避――――、

 

「ガ、ッ!?」

 

 できなかった。

 横っ腹に鈍い痛み。身体が折れ曲がるほどの衝撃を受けて吹き飛び、刃の嵐に放り込まれた。

 痛みに思考が一瞬止まり、悲鳴を上げることも許されず、地面に落とされる。受け身も取れず、コンクリートに何度も叩き付けられ、ガードレールの植え込みにぶつかって、ようやく止まった。

 

「……ヴィータ、やり過ぎだ」

「はぁ? 別に生きてるからいいじゃんかよ。どうせシャマルが治すんだろ」

 

 空中から地面に降り立った二人が警戒しつつ、倒れ伏すメグルの下へと近づいた。

 時折痙攣する身体と、じわじわとその元に広がってゆく血溜まり。どう見ても重症、下手をすれば失血死を免れないほどの怪我であると見て取れた。

 

「蒐集を――――、ッ!?」

 

 しかし、そこまでだった。

 咄嗟に二人はその場を離脱して飛び上がり、桃色の光を回避した。

 

 が、一度の回避では足りず、逃げる二人に更に魔弾が追い縋った。

 

「うぜぇッ!!」

 

 少女は吠えるようにハンマーを振るい、ソレを撃退。剣士の女性も冷静に切り裂いて事なきを得た。

 

「へっ、ちょうどいいじゃんか。今日は稼げるな!!」

「……………………………………………………………………………………」

 

 赤い少女は、その魔法を使ってきた相手を見据え、不敵に笑ってみせた。

 

 けれども、その相手は――――高町なのはは、微塵も笑っていなかった。

 

「……………………どうして、こんなことをするんですか」

「うるせー。必要なことだからやるんだろうが」

「……必要だからって、人を傷付けるんですか」

「そうだよ。魔力を奪うんなら、動けなくした方がいいだろ」

「……それは……話し合いで、解決できることじゃないんですか」

「急いでんだから仕方ないだろ」

 

 赤い少女の答えに、なのははレイジングハートを強く強く握り締めた。指先が白くなって、柄に血がにじむほどに。ギリギリと、歯を食いしばって、赤い少女を睨みつけた。

 

「……シグナム、先に蒐集しろよ。アタシはコイツの相手だ」

「……そうか」

 

 剣士の女性は、赤い少女からの言葉に一つだけ頷いて下がった。なのはの相手をする気はないらしい。

 

「…………やめて、ください」

「あん?」

「これ以上、メグルくんに、酷いことをしないでください……」

 

 レイジングハートを静かに構える。

 これ以上のことをするならば、容赦はできないと。彼女は言葉にせずとも、姿勢で示した。

 いや、それよりも。なのはは己の内で暴れ回る激情を必死に抑え込もうとして、耐えているようにも見えた。

 

 だが、

 

「止められるモンなら止めてみろよ」

「――――――――――――――――――――――――」

 

 

 

 耐えられなかった。

 

 

 

《Quick Buster》

 

「なン――っ!?」

 

 速射砲撃が、赤い少女の居た場所を抉った。

 咄嗟にかわさなければマトモに食らっていたであろう。

 

 だが、赤い少女は冷や汗が止まらなかった。

 威力が速射砲撃のモノではない。当たりどころが悪ければ一撃必殺に相当しかねないほどの火力であることを、瞬時に見抜いた。

 

 なのはの目は、充血するほどに見開かれ、ただ一人、少女だけを眼中に入れている。

 

《Accel Shooter》

 

 八つの魔弾が即座に生成、一斉に射出された。直線的なものから、退路を塞ぐもの、フェイク、タイミングをズラした魔弾。

 

「コイツ……、うわぁっ!?」

 

 少女は悪態をついてシールドを張るが、背後に回り込んだ一撃に体勢を崩した。

 その一撃は実に重い。牽制どころではない、全てが本命だ。

 倒れかけ、それでも体勢を立て直すが、少女の帽子は弾かれた。

 

 そして、魔弾の一つが容赦なく帽子を貫いた。

 

「――――テメェ……ッッ!!」

「……ごめんね」

「謝って済むことかよ!!」

 

 なのはの謝罪は短かった。その態度にますます激昂する少女。

 それでも、なのはの表情は固かった。普段では考えられないほどに。

 

「おらァッッッッ!!!!!!」

「ぐぅッ……!!」

 

 少女は上段からハンマーを叩き付ける。

 なのははそれを真正面からシールドで受け止める。

 両者が歯を食いしばって、むりやり力で押し込んだ。

 

 それでも、互角――――いや、僅かに、なのはが優勢になった。

 

「な、んで――――ッ!?」

 

 直後、赤い少女の腕と脚にバインドが発生。ゼロ距離で全くの不意打ちになす術もなく捕まった。

 

 なのはは無言でレイジングハートを構えた。

 同時に魔力をチャージ。杖先へと魔力が収束してゆく。

 

 つまりは、ゼロ距離での砲撃接射だ。

 

「待っ――――――――!!!!」

 

《Divine――――》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ずるり、と。音がした。

 

「――――――――――――――――ぁっ?」

 

 その違和感に、なのはは思わず声を上げた。

 

 眼前には、桃色の淡い光が一つ。

 それを支えるように、()()()()()()()が、一つ。

 

「ぁ、ぇ……っ?」

 

 カラン、と、レイジングハートが地面に落ちた。

 視界が明滅し、体中から力が抜けてゆく。

 あまりに非現実的で、何が起こっているのか全く理解が追いつかなかった。

 

 

 

「チッ、クソっ!! シグナム、こっちが先だ!!」

 

 赤い少女は霧散したバインドから解放され、悪態を吐き出しながらなのはを睨んだ。殴ってやりたいと顔に書かれているが、それは強く抑え込まれている。

 苛々を隠そうともせず、しかし必死に表に出さないように、赤い少女は空中に手をかざした。

 

 瞬間、現れるのは分厚い本。十字架が付いた、あからさまに地球の物ではない、魔導書。

 

「……シャマル、始めるぞ」

「ええ、お願い」

 

 短く、ビルの上に立っている女性へと告げた。

 

 

 

 刹那、

 

「ぁ、ッ、ああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッッッッッ!?!?!?!?!?!?!?!?」

 

  奪われてゆく。

 リンカーコアから、強制的に、魔力が本へと吸い上げられてしまう。

 

 頭からつま先まで、あらゆる体内から何もかもを掻き出されるような感覚。痛みにも似た得体の知れない感触。

 それはまるで拷問にも思えて、その一瞬は永遠に感じるほど……。

 

「――、ぁ、……、」

 

 やがて、浮かび上がっていたリンカーコアは消滅し、生えていた腕も元に戻る。

 力なく、なのはは仰向けに倒れた。

 指先の感覚すら曖昧で、まともに喋ることもできない。身体の奥底、神経ごと縛り付けられてしまったような痺れが今もなお続いている。

 

「へぇ、結構貯まるな」

 

 そんなことは露知らず、赤い少女は宙に浮くその本をまじまじ眺めていた。

 先程まで空白だったページはその多くが埋まり、残る白紙も半分を折り返した。

 

「よし、次はソイツだな」

 

 なのはから視線を外し、未だに起き上がれすらしないメグルへと向き直った。

 

「……や、め……、」

 

 視界端に映る光景に、なのはは手を伸ばした。伸ばそうとした。でも、身体は言うことをきいてくれなかった。

 

 既にメグルは死に体だった。

 なのはから見ても、呼吸をするのが精一杯なほど、彼の四肢に力はない。目も虚ろで、何も見えていないのだ。

 

「漏れ出してる魔力はやはり桁違い……だが、魔導師ではないな。また空振りに終わるやかもしれん」

「そうは言うけど、やるだけやりましょう。もしかしたら少しは足しになるかもしれないわ」

 

 メグルが身体をひっくり返され、仰向けに。微かに浅く上下する胸が、かろうじて彼がまだ命を繋いでることを示した。

 

 ――――だめだ。

 

 なのはは叫びたかった。

 あの感覚は、何もかもを抜き取らるてしまう感覚は。

 ただでさえ死ぬかと恐怖を抱いたほどなのに。

 もし、今の状態のメグルが、そうなってしまえば。

 

「蒐集、開始」

 

 無情にも、なのはの意思は無視された。

 魔導書が白紙のページを開き、微かに光り始める。

 

 一瞬、ビクッ、と。

 大きくメグルの身体が痙攣した。何かを拒絶するような、異常なほどに大きな動きを見せた。

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パンッ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぁ――――――――、」

 

 

 

 メグルの身体が、()()()()()()()()()()()()()()

 

「はッ?」

「っ、シャマル!!」

 

 文字通り、膨れ上がった胸から空気が抜けるように……それどころか、空気と共に、何もかもが中から飛び出した。

 

 ばちゃばちゃ、ぐちゅ、ぼとっ、と。

 ()()は本来人間の体内におさまってなければならないパーツで。

 千切れ飛んだそれは、無惨にもコンクリート二叩き付けられ、飛散する。

 噴き出した血が、魔導書を、なのはを、ヴィータを、濡らした。

 

「待って、闇の書が止まらない……!?」

 

 メグルは、動かない。血溜まりの中に沈み、もう呼吸すら、していない。

 

 

 

「あ、ああ、」

 

 

 

 

 

 死んだ。

 

 目の前で。

 

 

 

 輪廻メグルは、死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ッ゛ッ゛ッ゛ッ゛ッ゛ッ゛ッ゛ッ゛!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嘘、何が起きてるの!?」

 

 魔導書はエラーを吐き出す。

 蒐集の停止を受け付けない。

 

 いや、それよりも。

 

「何で、リンカーコアの魔力は空にしたはずだろ……!!」

 

 涙を流しながら地面にへたり込むなのはを中心として吹き荒れる魔力風に、その場の全員が狼狽していた。

 魔導師の心臓はリンカーコアだ。魔力を生成する器官がなければ、ただの人間でしかない。

 

 だから、魔導書は魔力を吸い尽くした。たかが数分で元に戻るはずがないほどに。

 

 

 

 だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 レイジングハートから鳴り響く警告音すら、音に掻き消されてしまう。

 

 徐々に、その魔力の嵐はなのはの眼前へと収束していく。魔法陣は、現れない。

 

「ほ、砲撃!? 魔力を無理矢理掻き集めて……!?」

「シャマル、離脱だ!!」

「っ、了解!!」

 

 三人はすぐさま身を寄せあい防御陣形。狼は三人の前に立ち、シールドの準備。

 

「座標設定……、転送開始!!」

 

 

 

 それは間一髪だった。

 

 

 

 前触れもなく、その魔力の塊は解き放たれた。

 何色にも染まらない、純粋魔力が圧縮された、砲撃。

 

 それは魔法ですらなかった。

 

 ただただ遮二無二掻き集められた魔力が押し出されただけだ。

 

 それでもその破壊力は常軌を逸した。

 

 

 

 三人と一匹は、その圧倒的暴力の前から何とか脱出した。()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 砲撃は、何もかもを破壊し尽くす。

 道路を抉り、ビルを根本から薙ぎ倒し、街灯も樹木も例外なく空へと吹き飛ばした。

 

 やがてソレは結界の端へと到達し、あっさりと、結界を貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぅ、あ、あぁ……、ぁ……」

 

 取り残されたのは、なのは一人だけ。

 道路の上に一人、真っ赤に染まったバリアジャケットを纏って。

 

 ただ一人、泣き崩れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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覆らない現実

 

「ぅ……………………、」

 

 なのはは眩しさに目を覚ました。

 

「あ、れ……」

 

 見慣れない、無機質な天井だった。

 

 どこだろう、と。

 起き上がろうとして、右手を握られている感触に気付いた。

 

「フェイト、ちゃん……?」

 

 視線をやれば、そこにはなのはの手を握って寝息をたてるフェイトがいた。私服のまま、椅子に座り、ベッドに突っ伏して。

 

「……アースラの、中……?」

 

 覚醒したばかりの脳が徐々に回転してくる。

 そして、思い出してくる。

 

 寝る前の、気絶する直前までの記憶を。

 

 結界をレイジングハートが感知して、駆けつけてみれば既にメグルはボロボロだった。

 理性は何とかしなければ、と。

 けれども、本能は、マグマのように煮え返っていて。

 

 そして、負けて。

 

 メグルは、

 

 

 

 

 

「……なのは、起きた?」

 

 その声に、なのははハッと我に返った。

 視線の先、フェイトが泣きそうな顔で、なのはを見つめていた。

 

「あぁ、良かった……っ」

「う、ん……」

「……なのは……?」

「………………………………………………………………、」

 

 何と言っていいのか、なのはは言葉が出てこなかった。

 頭の中がぐちゃぐちゃだった。

 半年ぶりに会えた友達。またいつか、と約束をして、やっと、会えたのに。

 

 ――――足りない。

 

 足りないものが、多すぎた。

 

 本当だったら、地球で、あの公園で。

 なのはと、フェイトにアリシア。

 アリサやすずかも加えて。

 

 

 

 

 

 そして、メグルも、皆で一緒に。

 

 

 

 

 

「フェイトちゃん……」

 

 視界が歪んだ。病気でもないのに、胸の奥が痛かった。

 

「……わたし、メグルくんを、……まもれなかった……」

 

 それは、後悔の言葉。自分を攻め立てる、自傷の刃。

 

「わたしのせいで、メグルくんが……ッ!!」

「違う。違うよ、なのは。なのはのせいじゃない」

「わたしがッ、わたしがもっとっ、強かったらッ!! ちゃんと、お話ししようって、説得できてたら……ッ!!」

 

 慟哭は止まらなかった。

 せきを切って溢れる涙は、なのはの手を握ったフェイトの手の甲を濡らした。

 

「……なのはは悪くないよ。大丈夫だから、大丈夫……」

 

 泣き崩れ、嗚咽も漏らすなのはを、フェイトはただただ強く抱き締める。大丈夫、大丈夫と、胸元に抱き寄せて、慰める。

 なのはの言葉はもう形をなしていない。後悔だけが、呪いのように込められて、それを吐き出し続けていた。

 

 フェイトはそれを、受け止めることしかできず。

 彼女も泣きそうなほどに、顔を顰めるしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ポツリ、と誰かが言った。

 

「……酷すぎる」

 

 それは、皆の心を代弁する言葉だった。

 

 

 

 アースラ乗務員の全員が視線を向けるのは、管制室の巨大モニター。その中で何度も再生される、無残な光景だ。

 

 結界の中へ突入するところから始まり、三人と一匹の古代ベルカ式の魔法を扱う者たちとの対峙。

 その中心で倒れ伏す重傷の少年。

 魔導書――――闇の書と呼ばれる聖遺物による魔力の蒐集。

 

 そして、

 

 

 

「――――アリシア」

「ん、なぁに?」

 

 クロノは、椅子の一つに腰をかけた少女に声を掛けた。

 その少女――アリシアは、けろっとした表情で、椅子ごとクロノへ振り返った。

 

「……無理をするものじゃない」

「……そう見える?」

「見える。顔に出さなくても、僕にはわかる。もう、休んだ方がいい」

 

 それは、彼女の身を案じての言葉だ。

 かれこれ数時間、現場検証のために、レイジングハートがオーバーヒートする直前まで録画していた映像を見続けている。

 

 クロノからすれば、幼い子供が何度も眺めるような映像ではない。

 ましてや、アリシアには見せたくないと、そう思うほどに、(むご)すぎる。

 

「……………………ごめん、休むなんて、できないよ」

 

 だが、アリシアは首を横に振った。

 

「……わたしを救ってくれた子が……、まだ何も恩返しもできてないのに、死んじゃったんだよ……」

 

 頭からこびりついて離れない。彼の死が、彼がもういないということが。

 俯いて、力なく、首を振る。

 無力感。自分には何もしてあげれないという、何もかもが遅すぎた結果の末路が、これだ。

 

「……助けたかったよ……」

 

 叶わぬ願いを口にして、アリシアは沈黙した。これ以上何かを言ったところで、メグルが戻ってくるわけではないのだ。死者蘇生なんて【魔法】を使えるのは、輪廻メグルしかいなかったのだから。

 

「…………なのはが、目を覚ましたみたい。フェイトが連れてきてくれるって」

「……そうか」

「……………………映像、見せるの?」

「……いや、やめておこう。これは、彼女には、荷が重すぎる」

 

 モニターが閉じられ、クロノは自分のあてがわれた場所へ戻ってゆく。

 アリシアはその背を見送り、背もたれに寄りかかって、意味もなく天井を仰いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が開けて、フェイトとアリシアの私立聖祥大付属小学校への転入が決まったことが告げられた。

 それはきっと、喜ばしいニュースのはずだった。

 もし、状況が変わっていたならば、なのはは両手を上げて喜んだことだろう。

 しかし、メグルが欠けたという状況は、なのはの心に重くのしかかっていた。

 

「なのはさん、今は魔法が使えないのよね?」

「はい……」

 

 今は状況確認の真っ最中。リンカーコアから魔力を抜かれ、なのはは魔法の使用ができなくなっていた。

 リンディの表情は険しい。なのははこの数カ月で立派な一人前の魔導師と言っても過言ではないほどに実力をつけてきたスーパールーキーだ。

 そんな強さも魔法があってこそのもの。そんななのはが負けて、なおかつ魔法も使えない現状。もう一度襲撃されてしまえば、なす術はない。

 

 ただし、回復の見込みがあるのがまだ唯一の救いだ。

 再度使えるようになるには一週間弱はかかるだろうが、それでも希望があるだけマシというもの。

 

「……フェイトさん」

「はい。なのはは、わたしが守ります」

 

 故に、万が一の戦闘になった場合は、フェイトがなのはの代わりとなる。フェイトもまた魔導師として高い実力を持つ。現状戦えるのが彼女一人だけという不安はあるが、贅沢は言ってられない。アリシアは魔法資質を持っていないからだ。

 

「私もアルフと一緒に地上に降りてるから、万が一のことがあったらすぐに連絡をすること。いい?」

「あたしのことも頼ってよ、フェイト」

「はい、リンディさん。アルフも、お願いね」

 

 地上へ転送される傍ら、フェイトはリンディやアルフと言葉を交わす。そして、なのはとアリシアも。

 

「アリシアさんも、一応気を付けて。リンカーコアも【魔法】もないから狙われる心配はないでしょうけど。危なかったら逃げるのよ」

「はい、気を付けます」

「最後に、なのはさん」

「は、はい……」

「……少し、厳しいことを言います。リンネさんのことは悲しいけれど、いつまでも引きずる訳にはいかないわ。彼のためにも、どうしてこんな事件が起こっているのか、解明するのが私たちの使命なの。いい?」

「はい……ちゃんと、切り替えます」

 

 相変わらず、なのはに覇気は戻らない。横にいるアリシアは、それを悲しげに見つめた。

 ……アリシア自身、自分はまだなのはほど思い詰めてはいないと客観視していた。情報で聞かされただけの自分とは違って、なのはは目の前でメグルを死なせてしまった。優しい彼女はそれを誰かの所為だと押し付けるようなことはしないだろう。だからこそ、今も苦しみ続けている。

 悪いとは思いながらも、アリシアはなのはよりはマシだと、そう思うことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日は、そのまま学校へと向かうことになった。

 三人の間に、会話らしい会話は、何も起きなかった。

 

 やがて、いつもなのはが通る公園へと差し掛かった。

 その入口には、いつも顔を合わせる二人――アリサとすずかが、待っていた。

 

「ごきげんよう、なのは」

「ごきげんよう、なのはちゃん」

「あ、うん……おはよう、アリサちゃん、すずかちゃん」

「何よ、二人が来るってのに、元気なさすぎじゃない?」

 

 アンタが一番喜んでると思ったのに、と。アリサはテンションの低いなのはに首を傾げた。

 

「ごきげんよう、アリシアちゃん、フェイトちゃん。月村すずかです」

「これはご丁寧にどうも。アリシア・テスタロッサです」

「フェイト・テスタロッサ、です」

「直接会えて光栄だわ。よろしくね、二人とも」

 

 アリサとすずかはそれぞれ握手。

 アリシアは、笑顔で。フェイトも、笑顔を取り繕った。

 

 アリサはそんな二人にも、なのはと同じような違和感を覚えた。

 

「かったいわね。ま、時間に任せて慣れましょ。……で、なのは?」

「…………?」

「そんなキョトンとしてんじゃないわよ!! 目に見えて落ち込んでるし、何かあったんじゃないの?」

「…………………………………………うん……………………、」

 

 なのはの小さい頷きに、アリサは「やっぱり」と肩を竦めた。友人のわかりやすすぎる態度にあきれたらしい態度だった。

 

「なのはちゃん、相談とか、全然してくれていいんだよ。そんなに暗い雰囲気だと、こっちまで悲しくなっちゃう」

「そうよ。そのくらいちゃっちゃと吐き出した方が楽だわ」

 

 言ってみなさいよ、と。そんな雰囲気でなのはの顔を覗き込むアリサとすずか。

 目頭が熱くなる、気がした。なんて出来た友人なのだろう、と。彼女らの人を思いやる気持ちに、なのはは感謝するしかなかった。

 

「……その……、」

 

 ……でも、言っていいのか、わからなかった。

 魔法だとか、そういうのは、隠すとして。

 

 

 

 輪廻メグルが亡くなった、だなんて。

 

 

 

 それじゃあまるで、この現実を認めてしまっているような。

 

 

 

「……あのね……、」

「うん」

「……メグルくんが……、いなく、なっちゃって……」

 

 でも、絞り出すしか、なかった。

 嘘だけは、言えない。

 嘘であってほしくとも。

 

 それでも、親友であるアリサやすずかに嘘をつくのだけは、裏切りであると。

 

 せめて、彼の死は、自分が言うべきだと。

 無意識に、それが使命である、なのはは感じていた。

 

 

 

 なのはの言葉を聞いて、アリサとすずかは不思議そうに顔を合わせた。

 

 

 

「ねぇ、なのは」

 

 

 

 やがて、アリサは、

 

 

 

「ちょっと聞きたいんだけど」

 

 

 

 こんなことを、言い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――メグルって、誰?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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隠蔽工作

 

 

 

「メグルって、誰?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え…………………………………………っ?」

 

 思考が、止まった。

 

 

 

「な、に……を……?」

 

 何を、言っているのか。

 なのはにはわからなかった。

 

 そして、アリシアとフェイトも。

 アリサが口にした言葉に、絶句した。

 

「あれ? ねぇすずか、メグルって知ってる?」

「んー? ……多分、わたしも知らない子だと思うけど……」

 

 すずかも、知らないと言う。

 

「あ、アリサちゃん……? どう、して、」

「どうって、何がよ。知らないものは知らないし……誰かと勘違いしてるんじゃないの? ねぇ、すずか」

「うん……なのはちゃんの、お友達の子?」

「っ、」

 

 ひゅっ、と。か細い息が喉を鳴らした。

 首を絞められたように、苦しくなって、頭痛がする。

 ぐるぐると、世界が回っていた。

 

「ねぇ、フェイト、アリシア。もしかして、そっちはそのメグルって子と知り合いだったりするのかしら?」

 

 アリサの視線はフェイトとアリシアへと移った。

 そして二人は、アリサと目が合って、彼女が冗談を口にしている訳ではないと確信する。

 

 ()()()()()()()()

 

 まるで、見ている世界が異なるような。

 

「……うん、そうだよ。メグルとは友達なんだ。ちょっと訳あって離れ離れになっちゃってねー。なのははそれがショックなの」

 

 咄嗟に、アリシアは流れるように言葉をつむぎきった。

 嘘はなく、事実を述べた。ただ、現実との齟齬を洗い出すような表現で。

 

「なのはったらよくメグルの話をするからさ。わたしもてっきりアリサやすずかと友達だと思ってたんだけど」

「あー、なるほど、そういうことね。残念だけど、その子の話は聞いてないのよ」

「ほほぅ」

 

 その言葉に、アリシアは半ば確信を得たように頷いた。同時に、フェイトはアリシアの考えを理解し(共有して読み取り)、小さく息を飲んだ。

 

「っ、そ、そうだ、ねぇ、アリサ、すずか……そろそろ、学校行かないと……」

「あ、そうだね。ちょっと話しすぎたかも」

 

 フェイトは吃りながらも何とか言葉をつむいで、すずかが腕時計を見て頷く。

 ともかく、ここで燻っていても始まらないと、アリシアは判断した。確認したいことができたからだ。

 

 加えて、これ以上なのはにギャップを見せつけるのは避けるべきと感じた。

 

 メグルの死亡に加えて、親友たちがそのことを完全に忘れている現実は、動揺しているなのはにはあまりに酷過ぎた。アリサやすずかが「知らない」と言う度になのはの表情が曇ってゆくのは、見ていられなかった。

 

 

 

 

 

 フェイトとアリシアのクラスは、なのはたちと同じ。

 案の定、その見た目の可憐さに質問攻めとなって時間は過ぎて行った。

 

 だが、相変わらずなのはの顔は優れなかった。

 彼女自身、いつまでも引きずっていられないと頭の片隅ではわかっているが、それで切り替えられるかと問われれば否だった。

 輪廻メグルのことを、誰も覚えていないのだ。

 アリサやすずかだけではない。クラスメイトも他クラスの子も、学校の先生さえも。

 彼のことを覚えていたのは、なのはとフェイトとアリシアの三人のみ。まるで自分たちが突然異世界に放り込まれたような……そんな感覚に陥りそうになる。

 

 

 

「――――これ、魔法だよ」

 

 放課後。

 人混みから解放された三人は、帰路につきながらアリシアの言葉に耳を傾けていた。

 

「ちょっと空き時間に、メグルがいた教室に行ったんだけど、出席簿のメグルの欄が黒く塗りつぶされてたの。先生に聞いたら、誤植だって言ってたんだけど」

 

 アリシアは一人、学校中を挨拶と称して回っていた。

 メグルのいたクラスでは机が一つ空いており、出席簿も黒塗りの箇所が一つ。ロッカーも一つが封鎖されていて、明らかに輪廻メグルという人間が存在した痕跡が残されていた。

 

「少なくとも、わたしたちが何か異世界に迷い込んだとか、そういうのじゃないと思う。むしろ、メグルに関わった人たち……特に、魔法に関係してこなかった人たちが、メグルがいたことを忘れてる」

「……じゃあ、メグルくんが、何かしようとして……?」

「わかんない……でも、メグルが何もしないでただ命を落とすなんて、考えられない。絶対に対策はする性格だし、これもきっと意図があってのこと……………………だと、思う」

 

 確信までは持てない。しかしアリシアは、彼が用意周到な人間であることは理解していた。この数ヶ月、画面越しとはいえ何度も話を重ねてきた経験は、間違いないと告げている。

 

「確証もないし、希望論が混ざってるのは承知だけど……。でも、メグルが何か手掛かりを残してるとするなら、わたしはそれを見つけ出したい」

 

 アリシアはなのはの目を見て言った。諦める気はないと、その瞳は語っている。ならば、なのははどうするのだと。

 視線が泳ぐ。どうすればいいのか、考えてみても、なのはの思考はまともに回らない。

 フェイトは隣で心配そうになのはを見た。

 

「なのは……悲しいかもだけど、わたしたちは立ち止まっていられない。何が原因でこんなことになったか、突き止めなくちゃいけないんだ」

「……うん……そう、だよね……」

 

 じゃあ、どうすれば?

 メグルが何をしようとしているのかを探るのか。

 しかし、どうやって?

 なのははこれまで片時もメグルの魔法のことは学んでこなかった。何から取っ付き始めればいいのか、見当もつかない。

 

「……とりあえず、わたしはメグルのいた家に行く。何か手掛かりがあるかもしれない」

 

 アリシアの方針は、とにかく足を使うこと。考えても仕方ないと、わからなかったときはその時だと割り切って考えている。

 

「だから、なのはも行こう。わたしだけじゃわかんないかもだし」

「……う、ん。わかったの」

 

 考えるのは後にしよう。アリシアの言葉に、なのはは頷いた。

 せめて、前に進まなければならないと、自分に言い聞かせながら。

 

 

 

 

 

 三人はその足でメグルが住んでいた家まで足を運んだ。

 見た目は普通の一軒家。親子一世帯が暮らすには十分な、平均的な家屋だ。

 

 が、しかし。

 

「やっぱり……」

 

 アリシアは家の前の表札を見て呟いた。フェイトとなのはは不思議そうに彼女の肩越しからアリシアの視線の先を眺め、はっと息を呑む。

 

「アリシア、これって……、」

「うん、ここでも()()()()()()()()()()()()

 

 表札は黒塗りに潰され、その下の名前を読み取ることはできない。門も施錠されており、家中のカーテンも締め切っている。そこに生活感は無かった。

 

 だからアリシアは、容赦なくインターホンを押し込んだ。

 

「えぇっ!?」

「あ、アリシアちゃん……?」

「いいのいいの」

 

 驚くフェイトとなのはを余所に、アリシアは返事を待った。

 しばらくし、しかし返事は帰って来ない。

 もう一度押しても結果は同じだ。

 

「メグルはご両親がいるはず……でも出こない、と」

「お、お仕事は……?」

「自分の息子が音信不通なのに、呑気にお仕事行くとは思えないけどね。ママもわたしが一回死んだ時はそうだったし」

 

 まぁ仕事先で事故ったからどの道出れなかったんだけどねー、とアリシア。少なくとも、普通の親ならば自分の子が行方不明で心が休まるはずがないと考えていた。

 

「……メグルのご両親は、【魔法】のことは知らないんだよね」

「そう。つまり、メグルがいなくなってることに気付かない方が自然。だとしたら、ここで表札が全て塗り潰されてるのはおかしいんだよ」

 

 アリシアの考えは、メグルだけがいなくなっているというのならば、彼の両親はここでまだ生活しているはず、というものだ。そう考える方が自然ゆえに。

 しかし、表札は完全に塗り潰され、家に人の気配は一切なし。無人ということになる。

 

「――おや、お嬢さんたち、どうしたんだい?」

「あ、どうも、こんにちは」

 

 考え込んでいると、不意に隣の家から出てきた老婆が声をかけてきた。

 

「こんにちは。この家に用事かい?」

「あ、はい。友達のお見舞いといいますか……、」

「お友達? ここの家は10年前から空き家だよ」

「え、そうなんですか?」

 

 受け答えをしながら、アリシアは思考を回す。

 つまり、この家は自身らの記憶から隔離される形で人が寄り付かないようになっている。メグルの両親もいなくなっている理由も、きっとこの家にあると、確信した。

 

「すみません、地理に疎いもので……ありがとうございますっ」

「いいよいいよ。気をつけてねぇ」

 

 ペコリと頭を下げて、なのはとフェイトを引き連れ一時家の前を離れる。

 

「よし、じゃあフェイト。中に入ろっか」

「うん…………………………えぇっ!?」

「いや、何驚いてんのさー。わかるでしょ?」

 

 以心伝心なのは言うまでもない。

 が、アリシアと思考を共有するフェイトは、彼女の判断が躊躇なさすぎることに頬を痙攣させた。

 

「ほら、はやくはやく。今なら誰も見てないし」

「うぇ…………うぅ、わかった……。バルディッシュ」

 

《Yes, sir》

 

 キョロキョロと、付近を見渡して誰も見ていないことを確認し、変身。バリアジャケットを纏い、なのはとアリシアを抱えて塀を飛び越え、空き家へと入った。

 

「…………前科二犯…………」

「しゃーなししゃーなし」

 

 罪状は不法侵入罪と言ったところか。落ち込むフェイトにアリシアは肩を叩いて首を横に振った。彼女も共犯だが、全く気にしていない。

 

 三人はしばし家の周りを見て回るが、窓は全て施錠されカーテンも締め切られている。玄関も言わずもがな。

 

「フェイト、二階の部屋もちょっと見てくれる?」

 

 アリシアの指示にフェイトは「わかった」と頷き、宙に浮いて慎重に窓の一つ一つを確かめた。

 その窓のうちの一つが開いていることに気づく。

 

「ビンゴ、そこがメグルの部屋だよ。フェイト、運んでっ」

「は、入るの? ホントに不法侵入……」

「大丈夫大丈夫、バレなきゃいいの」

「えぇ……」

 

 納得行かなそうなフェイトだが、しかしアリシアの考えも理解はできる。仕方なくアリシアとなのはを抱え、その窓が開いていた部屋へと運び込んだ。

 

「……メグルくんち、初めてかも……」

 

 靴を脱いで部屋に乗り込み、ぼんやりとなのはは呟いた。

 自分の部屋に彼を連れてきたことはあったが、彼は自身を誘ったことは一度もなかったと思い返す。

 全然、彼のことを知らないんだな、と。改めてなのはは思い直した。

 

 暗い部屋の中、机とベッドと本棚以外に大きな家具は見当たらない。物も整然と並べられ、手入れが行き届いており非常に綺麗だ。無駄なものが一切ない。

 

「電気はつかない……扉も施錠されてる……」

 

 なのはとフェイトが部屋を見回してる間に、アリシアはどんどんと躊躇いなく物色していた。机との引き出し、壁の収納、ベッドの下などなど。

 部屋の唯一の扉は施錠されており、鍵を回そうとしても堅く固定され動く気配はなかった。まるでそこだけ時間が止まっているかのように。

 

「アリシア……」

「言わんとしてることはよーくわかるけどね、フェイト。これは必要なことよ」

 

 空き巣ばりの手際にフェイトは若干引いてるが、アリシアは気にしない。

 そうやっていろいろと探し回るが、なのはとフェイトには何がなんだかさっぱり。魔法に使いそうな魔導書が並ぶ本棚が気になるが、迂闊には触れなかった。

 

「うーん、ない。やっぱり魔導書かな」

「勝手に開いたら発動とかしちゃわないの……?」

「そう簡単には行かないって。メグルも色々と手順踏んでたし。…………ま、その時はその時ってことで」

「ちょっ」

 

 むんず、と。アリシアは迷いなく魔導書を一冊棚から引っ張り出して開いた。

 

 

 

 ……………………特に、何も起こらない。

 

 

 

「……ほらね」

「内心ホッとしてるのバレバレだから……」

「うっ、うるせーやい!!」

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

「……ダメね、損傷が激し過ぎるわ」

「……そうか」

 

 ふるふると、シャマルは力なく首を横に振った。その表情は、力及ばぬ自身を責め立てるように、奥歯を食いしばっていた。

 そんなシャマルの様子を見守っていたシグナムは、膝を突いてしゃがみ込み、黙祷する。

 

 

 

 シャマルとシグナムの目の前には、胸に布がかけられている少年の遺体が、仰向けに置かれていた。

 

 

 

 ここは管理外世界のどこか無人惑星の一つ。

 土と岩だけが、平坦な台地と共に点在する、荒れ果てた荒野の星だ。

 

「……せめて、なんて誓ったのにね……」

「ああ……騎士として、未熟が過ぎた。一生の罪だ」

 

 血が染み渡ってしまった布を、シャマルは遺体の顔にまでかけた。

 不殺の誓いだけは、破りたくなかった。それはせめてもの主への報い。ヴォルケンリッターたちにあたたかい居場所を作ってくれた、主のための誓いだった。

 

「……やはり、魔導師とは違うのだな」

「そうね……。リンカーコアがなく、それでも魔力を使って魔法を行使してる。私たちとは全く異なる術式だけど」

「これまでの相手は、そもそも闇の書がリンカーコアを認識していなかった。しかし、この少年は……、」

「……わからないわ。何か、引っ掛かったのかも……」

 

 専門ではないシャマルに、この少年が命を落とした理由はわからなかった。ただ、魔導師ではない魔法使いたちはリンカーコアの反応がなく、蒐集さえできなかったという事実はある。何かしらの特異な現象があったのだろう。

 

「闇の書は停止しているな?」

「ええ。ただ、血が付着した頁からほぼ最後の頁まで、()()が蒐集されてるみたいなの」

 

 エラーを吐き出して動いていた闇の書だが、今はうんともすんとも言わない。

 シャマルはその闇の書の頁を開いて見せた。色濃く赤黒い染みの目立つその本は、途中から解読不明な()()が書かれ続けていた。文字というよりは、記号か、それが塗り潰されたような。

 

「何を蒐集したのか、全くわからないわ。ただ、魔力として蓄えられたのは確かよ」

「……完成も近い、ということだな。あまりわからないことを考えても、先には進めん」

 

 だから、ただ一つの例外。そう処理することに決めた。

 

「そういえばシグナム。ヴィータは?」

「ヴィータなら……あそこだ」

 

 治療に専念していて見ていなかったシャマルがたずねると、シグナムが指を指したのは台地の上。目を凝らすと、崖の縁にこしかける赤い少女――ヴィータが見えた。その傍らには狼姿のザフィーラも見える。

 

「……落ち込んでた?」

「気丈に振る舞ってはいるが、虚勢だ。アイツが一番、気にしているだろう」

 

 蒐集を開始したのは、ヴィータだ。

 つまり、ヴィータの責任で、この少年は死んでしまった。それをヴィータ自身が最も自覚していた。

 

「……主には、言えんな」

「ええ……はやてちゃんには、背負わせちゃダメ。これは、私たちだけが背負うもの」

「ああ……」

 

 緑の風が遺体を包み込む。魔力で保護し、劣化しないように。

 せめてもの償いは、この少年の遺体を地球に戻すことだ。自分らが必要悪であっても、その矜持だけは守らねばならない。主のためということを忘れてはならないと。

 

「……………………ダメみたいだな」

「ヴィータちゃん……」

 

 やがて、ヴィータがザフィーラと共に崖上から飛んで降りてくる。視線は遺体に固定され、奥歯を強く噛んでいた。

 

「……行くんだろ?」

「ええ……。ひとまずは、誰もいないところに、この子を」

「……わかった」

「ザフィーラは周辺警戒をお願いね」

「請け負った」

「……では、行くとしよう」

 

 

 

 

 

 



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微睡みの狭間で

 

 八神はやては、久々に夢を見た。

 

 幾重にも廻り続ける世界。

 数多の光の粒たちが、広大な宇宙とその外を行き来する。

 

 その光景は何と美しいことか。

 真っ暗闇の空間を照らす眩い光たち。

 赤だったり、青だったり、緑だったり。

 まるで夜空に輝く星のような、色とりどりの光たちが、楽しそうに舞っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぼうっ、と。

 黒い炎が燃え上がる。

 

「は、……え?」

 

 何もかもに塗り潰された黒。

 それは人型をとっていた。

 

「あつ、く、ない……?」

 

 目の前に浮かび上がる炎から熱を感じることはない。むしろ、冷たさ。氷のように、深い喪失感を抱くような、冷たさを感じた。

 

「あっ」

 

 それに手を伸ばそうとして、炎は燃え尽きた。

 

 

 

 

 

「あれ……?」

 

 そこは図書館だ。はやてにとっては人生の一部と言っても過言ではない、海鳴市の図書館だった。

 はやてはいつもの席に座っている。

 隣も対面も、空席。

 その隣の机も、空席。

 更に隣、その隣すらも。

 

「っ……、」

 

 図書館には誰一人としていない。人の気配を感じない。

 冷や汗が流れ、飲み込みにくくなったつばを無理矢理飲み込んだ。

 

 あまりにも、(寂し)すぎる。

 鳥肌が立ち、身震いする。まるで真冬の外のよう。

 腕をさすって、しばし辺りを見渡すが、誰もいない。

 

 恐る恐る、車椅子を自分で動かして、席を離れた。

 

 受付、休憩室、書庫。

 どこにも、誰もいない。市民も、従業員も。

 

「……っ、だ、だれかっ、だれかいませんか……っ!?」

 

 思い切って、声を上げた。寒さなのか、独りゆえの怖さなのか。呂律が回らず、震えが止まらない。

 息が荒い。動悸が煩い。沈黙が痛い。

 図書館の中を動き回って、けれども、人っ子一人見つかりやしない。

 ただただ、自分の荒い息遣いだけが、嫌なくらい耳についた。

 

 

 

 不意に。

 

 

 

「――――――――――――あっ……!!」

 

 視界端に、動く影。

 本棚の隙間を縫うように、一瞬だけ、はやてには人影が見えた、気がした。

 

「まっ、待ってください!!」

 

 すぐさまタイヤを掴んで、その人影が見えた方へと走り出した。

 

「あ、のっ、待って……!!」

 

 息を切らし、全速力。

 本棚の間へと入り、少し薄暗い通路を駆け抜け、また次の本棚へ。

 純文学、推理、エッセイ、フィクション、ファンタジー、SF、実用書、雑誌、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、■■、

 

 

 

 

 

「……………………あ、れ、ぇ……?」

 

 ここは、どこだ?

 

「なん、で、……」

 

 その図書館は、()()()()

 前後左右どこまでも続く本棚。見上げても、果てまで先が見えない天井。

 並べられた本たちは皆が皆、黒い背表紙を見せつけてくる。手に取るのすら嫌悪する、近寄りがたい黒だ。

 その本から目を背けても、視界に入るのは無限に続く通路だけだ。すでに、自分がどっちから来たかすら覚えていない。

 

 身体の震えがいよいよ止まらなくなった。

 必死に抑えつけようとしても、芯から凍えるような寒さがそれを許さない。

 

 怖い。

 

 寂しい。

 

 誰か。

 

 ヴィータ。

 

 シグナム。

 

 シャマル。

 

 ザフィーラ。

 

 すずかちゃん。

 

 

 

 

 

 ……輪廻クン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぼうっ、と。

 

「あっ……」

 

 黒い火が、眼前で灯った。

 小さくて、ロウソクの火のようで、今にも消えてしまいそうな。

 

 冷たくて、暖かい火が。

 

 

 

 

 そして、その向こう側には、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 銀髪の、女性が一人。

 

「だ――――、」

 

 誰ですか。そう、問おうとした。

 

 

 

 

 

 女性は、腕を振るった。

 

 刹那、白いナイフが、虚空から飛んだ。

 

 

 

 そのナイフは、黒い火を、消し――――――――――、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待っ――――――――――――――――ッッ!?!?!?!?」

 

 

 

 

 

 飛び起きた。

 

「ふ、ふ、ふぅ、はっ、は、はぁ、はぁ……!?」

 

 全身を襲う倦怠感と冷や汗。

 背中がじっとりと濡れていて、シーツにまで汗が染み込んでいた。

 

 いつもの部屋。自分の部屋。

 ベッドの上で、自分一人だけ。

 

「ゆ、め……?」

 

 そう、夢。夢のはずだ。あれは夢だった。

 

 だと言うのに、この悪寒は何なのか。

 

 

 

 まるで、何かを喪失してしまったかのような、胸の奥の痛みは。

 

 動悸が激しく、まともに音が聞こえない。

 息を整えようとしても、喉の奥に引っかかる違和感が抜けない。

 

 

 

 それからたっぷり5分、はやてはベッドの上から動けなかった。

 

 ようやく呼吸が落ち着いて、思考が回り始めた。

 時間を確認して、今は午前9時。いつものルーティンからすれば完全に寝坊だ。もうシャマルやシグナムたちも起き出してる時間のはず。

 

 とりあえず、水が飲みたい。嫌な汗もシャワーで軽く流して、着替えたい。それから、家の片付け、掃除と洗濯、買い物も。

 

 そう、何も変わらない。少し賑やかになった、いつもの日常を繰り返すだけ。

 

 

 

 一つ、深く深呼吸をする。

 

 気持ちはやっと落ち着いた。いつもどおり、大丈夫。

 だから、一人でベッドから車椅子に移るくらい、平気。

 

 ベッド端によって、車椅子に手をかけて、体重を支えて、

 

「――――――――――――――――ぅ……!?」

 

 

 

 

 

 胸の、奥が、痛い。

 

 

 

 

 

 はやての意識は、そこで途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 プレシアの日常は、すっかり変わってしまった。

 

 朝、決まった時間に起床し、独房に運ばれてくる食事に手を付ける。味は、普通。

 その後は、特にやることはない。というより、無理矢理何かすることを見つけようとしている、と言った方がいい。

 ただ、かつて読んでいた論文などに目を通す気は全く無かった。少し、その凝り固まった思考から離れたいという思いもあった。

 

 つまり、

 

 

 

「……暇ね……」

 

 

 

 そういうこと。

 あらかたの事情聴取や非公開裁判もほとんどの行程を終えて、後は刑期をこの独房で過ごす程度のことしかない。時折外に出る機会はあるものの、本当に稀なことだ。

 

 これまでは人体蘇生やアルハザードへの渡航をひたすらに考え続けてきたが、没頭するものがないとこうも暇なのかと、プレシアは頭の片隅で感想を抱いた。

 

 ただ、時折、彼女にとって、その灰色の日常が色鮮やかになる時間がある。

 

 椅子に座っていたプレシアは、体をデスクの方へと向けた。天板には簡素なディスプレイとディスクの再生機器が一つずつ。そして、何枚も横に並べられたディスクケースがずらりと。その中から一番新しい日付が書かれたケースを手にとり、ディスクを再生機器の中へと入れた。

 

 

 

『おはようママ!! 今日は12月1日、時間は……、』

『午後二時だよ』

『だそうでーす!!』

 

 映し出されたのはビデオレターと呼ばれるもの。

 そして、二人の人物。アリシア・テスタロッサとフェイト・テスタロッサだ

 

『今は渡航前の空き時間で、エイミィさんに機材を借りて撮らせてもらってるんだー。ちょっとバタバタしてるけど』

『えっと、この後、わたしとアリシアは第97管理外世界……地球に、向かいます』

『明日には到着の予定で、明後日からは学校なんだって。なのはと一緒の学校、楽しみだね!!』

『うん』

 

 このレターは一週間に一回だけ、プレシアの元へと送られてくるものだ。アリシアとフェイトが、簡単には会えない母親へと当てた、ちょっとした“頑張れ”のエール。

 

 画面の向こうでは二人が近況を語るのが常だ。一週間分をたっぷりと、何があったとか、夕飯が美味しかったとか、アルフがどうとか。

 

「……ふふ……」

 

 二人の笑顔を見て、プレシアは笑みをこぼした。

 激動の日々ではあり得なかった、幸せを噛みしめる笑みだ。

 

 アリシアは、失っていた時間を取り戻すように、本当によく喋る。表情も、ぷりぷりと怒ったりだとか、嬉しそうに笑ったりだとか、夜ふかしして眠そうだったり。喜怒哀楽を全身で表現している様は、奇跡を目の当たりにしているような感覚をまだ抱いていた。

 

 フェイトは、最近少しずつ、心の底から笑ってくれているような、そんな気がした。最初はぎこちなくて、少し怯えていたが、今では強張っていた肩の力もだいぶ抜けて、自然体へとなっている。姉とは異なって静かな物腰だが、ギクシャクした感じが減ったのは喜ばしいことだった。

 

 

 そして、自分はどうだろう、と考える。

 

 ジュエルシード強奪事件の首謀者として、フェイトを道具として見ていた時期。

 アルハザードを夢見て、オカルトな出来事すら徹底的に調べ上げてまともに寝なかった時期。

 

 きっとあの頃は自分がこうなるとは、思ってもみなかっただろう。それだけ周りが見えていなかった。

 

 

 

 本当に、変わった。

 穏やかに、そう思えた。

 

 

 

 

 

 不意に。

 ピピッ、と。

 来訪者を告げるブザーが鳴った。

 ディスプレイの電源を落とし、席を立った。

 

「あら……、」

 

 廊下に面した強化ガラス張りの壁へと向かうと、そこには少年――ユーノ・スクライアが立っていた。その表情は険しく、そして哀しみを背負っていると、ひと目でわかった。

 

「こんにちは、テスタロッサさん」

「こんにちは、スクライア少年。いつものお届け物かしら?」

「ええ。加えて、僕の方からあなたに、内密に伝えたいことがあります」

 

 その真剣な眼差しに、プレシアは思考を回した。

 自分に伝えたいこと。内密に。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……口には、できません。だから、これを」

 

 いつも通り、ユーノは日付が書かれたディスクケースを持っており、それを壁際の穴へと滑り込ませた。

 プレシアは滑り込んで来たそれを手に取って、ケースに貼り付けられた手紙の存在を確認する。

 

「では、これで失礼します」

「ええ、ありがとう」

 

 一礼して、ユーノは去っていった。あまり長話というのは、プレシアとユーノの間ではない。元より被害者と加害者、本来ならこうして顔を合わせることすらあり得ないのだから。

 なにせ、被害者と加害者は水と油、混ざることはない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……ほんと、お役所って腐ってるんだから……」

 

 愚痴のように吐き捨てながら、席に戻りつつ手紙を剥がした。

 

 シンプルな便箋、表も裏も無地。

 封を切って、その字がユーノのものであることはすぐに見抜いた。ここへの道中へ来るときの走り書きらしく、監視の目をくぐり抜けるための処置であった。

 

 中身にはシンプルに、事実のみが書かれていた。

 

 

 

 

 

 ()()()()()()()()()()、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ……………………、」

 

 思わず、息を呑む。

 冗談にしては度が過ぎている。

 それに、真面目なユーノがブラックジョークを嗜むような少年ではないことはわかっている。

 

 つまるところ、きっとこれは事実なのだろう。

 プレシアはそう結論を下し、気分を落ち着けることにした。

 

「……あの少年が、死んだ……?」

 

 しかし、プレシアはその事実に納得ができなかった。

 

 感情論、ではなく。

 

 理屈として、あの少年がそんな簡単にくたばってしまうのかと、疑問を抱いた。

 

 

 

 否、それはあり得ない。

 

 

 

 半ば確信に至るように、プレシアは思った。

 かつての事件、徹底的に己の尾を踏ませず、用意周到に、勝てる勝負だけをすると語っていた少年は。彼の目は。

 

 あの目は、プレシア自身に似ている。

 理性で感情を抑え付け、目的のためにあらゆる手段を模索する、死にゆく人形そのもの。破滅主義者とでも言うべきか。

 

 少年の本質は、わざわざ無惨に死ぬことを許容する訳がない。

 

 

 

 手紙を読み終え、少しの間だけ無機質な天井を仰ぎ見、長く息を吐き出した。

 

「……何を、入れ込んでるんだか……」

 

 少年には大きな借りがある。

 アリシアのこと、病気のこと。

 もちろん、感謝はしている。

 

 だからといって入れ込むのは、プレシアはしたくなかった。

 

 かつて相対したときに見た、彼の中に潜む闇。

 僅かに垣間見えた、あの少年が抱えるモノは、プレシアにとって近しく、そして今は忌避すべきモノに違いない。

 

 動揺し過ぎている。

 

 死と、それを跳ね除けるであろうと思っていた、少年。

 

「……………………どうせ、ひょっこりと帰ってくるのでしょう?」

 

 あの少年のことだ。きっと、顰めっ面で、不機嫌そうに、こう言うに違いない。

 

 

 

 

 

 ――――本当に、ロクでもないことをしてくれた、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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Last Summray +

 

 八神はやての入院は、ヴォルケンリッターにとっては悲しく、そして嬉しい誤算であった。

 

 闇の書の完成まであと僅か。

 同時に、はやてを蝕む病の侵攻も目に見えて早くなっている。

 しかし、はやてが入院するとなれば、わざわざ彼らが家に戻る必要はなくなる。

 プログラムなのだから、多少の無理は可能。夜通し蒐集を続けようが、はやてに見られないのだから問題ない。出撃のペースを上げるのは必然であった。

 

 

 

 そして、当然ながらその動きは管理局に捕捉されることとなる。

 

 

 

 アースラは、管理外世界にて原生生物の魔力を蒐集するヴォルケンリッターを捉え、すぐさま魔導師を派遣。そこにはフェイトと、全快ではなくとも充分に回復したなのはの姿もあった。

 部隊を引き連れるのはクロノ。4人を相手に過剰な程の戦力とも言われるかもしれない、そんな集団だった。

 

 

 

 しかし、結果は違った。

 

 ヴォルケンリッターはまず始めにフェイトを徹底的に狙った。

 シグナムとシャマルの連携、ヴィータによるなのはとの一騎討ち、ザフィーラの遅滞戦闘。

 

 その息の合った連携に、今度はフェイトが魔力を蒐集された。

 

 その時点で、形勢は一気に逆転する。

 

 戦力の要を一つ潰され、シグナム一人にアースラ隊員たちが蹴散らされる。

 クロノの指揮は充分に優れていたが、それでも群で個を破るには足りなかった。

 フェイトが落ちたことでなのはの動きも精彩を欠いた。ヴィータを相手によく立ち回ったものの、コンディション不十分な彼女には荷が重すぎたのだ。

 

 

 

 結果として、ヴォルケンリッターは大きなダメージを貰いながらも五体満足でその場を離脱。

 逆にアースラ組はフェイトの戦線離脱という手痛い敗北を味わう羽目となってしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「友達の入院見舞がしたいって?」

 

 学校からの帰り道、アリサの言葉にすずかは俯きながら頷いて、なのはは首を傾げた。

 そこにフェイトとアリシアの姿はない。フェイトは先日の戦闘でリンカーコアから魔力を蒐集され、安静をとって休みに。アリシアもフェイトと同じだけのダメージを共有しているため大事を取る運びとなった。本人は行ける行けると豪語していたが、そこはリンディが無理矢理部屋に閉じ込めたらしい。

 

「はやてちゃんって言うんだけど……もともと足が悪くて学校にも行けてなくて。それで図書館によくいるから、そこで会って友達になったんだよ」

「へー。もしかして、車椅子で外国の人とよくいる子?」

「うん、よく知ってるね、アリサちゃん」

「そりゃあ、たまに車椅子に乗ってる同年代の子とか道路で見かけたりしてたし、あれだけ綺麗な人といたら目立つわよ」

 

 心当たりがあるらしいアリサと違って、なのはは全く誰なのか見当もつかない。

 しかし、すずかが心を痛めているのはよくわかった。心優しい彼女の友達が病気というのは、確かに心配だ。赤の他人であろうと、なのははそう思った。

 

「で、いつ行くのよ?」

「クリスマスもあるし、それでプレゼントも一緒に渡そうかなって」

「なるほど、サンタクロースってわけね」

「うん。なのはちゃんやアリサちゃんの話もよくしてたから、皆で行ければなぁって」

「……わたしも?」

「うん、なのはちゃんも。はやてちゃんも、一回会ってみたいって前言ってたし、この機会にでもと思って」

 

 どうかな? というすずかの提案に、二人は断る理由を持たなかった。あれよあれよと話は進み、フェイトやアリシアも連れて行くことでその件はまとまり、さて次は何をプレゼントしようかとアリサとすずかは話を弾ませた。

 

「お見舞い、か……。フェイトちゃんとアリシアちゃんのも買わないと……」

 

 ぽつりと、なのは呟いた。

 テスタロッサ姉妹は今頃リンディが借りたマンションにて待機しているだろう。

 フェイトは、なのはが寝込んだときにずっとそばにいてくれた。何かしら、お礼はしたい。

 アリシアは……暇で退屈してるだろうから、何か気を紛らわせる物でも。フェイトが寝込む横であれだけ元気だったのだから、過剰な心配には及ばないだろう。

 

「そうよ、フェイトとアリシアも体調不良って言ってたわね。今日あたり雑貨屋でも行って下見ついでに二人のお見舞い品とかどうかしら」

「あ、いいかも。フェイトちゃんたちの体調が良くなったら、色々相談して決めないとだし」

「被りってのも良くないものね。よし、そうと決まれば……行くわよ二人とも」

「はーい」

「あ、うんっ」

 

 先を行くアリサの背を追って、すずかとなのはが歩き出す。

 

 空は、曇り空。

 鉛色の雲が、影を落とした。

 

 気分は、晴れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれよあれよと時は経つ。

 

 相変わらず、気分は良くなかった。

 だが、輪廻メグルがいないという現実に、少しずつ馴染み始めたような……。受け入れ難いその事実を飲み込めるようにはなってしまった。

 

 確かに、人前でふさぎ込むことはなくなった。

 

 しかし、時折夢に見るのだ。

 

 あの死の間際、散ってゆく命と、降り注ぐ血を。

 うなされ、飛び起きて、嗚咽。何度か吐き戻したりもした。

 

 前を向こうと、何度も自分に言い聞かせた。

 アリシアだって、フェイトだって。皆が皆、その現実を受け入れて、前へ進もうとしている。自分だけが立ち止まっているわけにはいかないのだと。

 

 闇の書の守護騎士たち、ヴォルケンリッターとの鼬ごっこが続いて、しばらくが経ったときのことだった。

 

 クリスマスムードが街を包む中、なのはたちは海鳴市の大きな病院に足を運んでいた。すずかを先頭に、アリサ、なのは、フェイト、アリシアの5人組。各々の手には花束とプレゼントが。表情は穏やかで、これから始まるサプライズに、胸を躍らせていた。

 はやては喜んでくれるだろうか、だとか。いい友達になれるだろうか、だとか。

 

 

 

 だから、考えつくはずもないのだ。

 いや、その回答に辿り着くほうがおかしかった。

 

 

 

 なぜ、はやての周りにヴォルケンリッターがいるのかなんて、思考が止まるには充分過ぎたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……スクライア」

「? 珍しいね、君から声をかけてくるなんて」

 

 その声に驚きを交えながら振り返った。

 アースラの中、僕に話しかけてきたのは、輪廻メグル。なのはの幼馴染で、僕らとはまた違った【魔法】を使う人。

 彼が纏う雰囲気は見た目以上に大人びていて、正直なことを告げるならば、近寄りがたさを感じる。

 

 僕とそう変わらない子供の見た目ながら、異様なオーラを滲み出しているようなちぐはぐさ。

 

 今まで出会ったことのない、無意識に警戒心を抱いてしまう少年。

 

 それが僕にとっての、輪廻メグルという人物だった。

 

「……無限書庫、というものを小耳に挟んだ。何でも、あらゆる世界の書物が未整理のまま納められていると。そして、君がそこの司書資格を取ったということも」

 

 だから、初めてまともに目を見て会話をしたような気がした。

 思わず目を見開いて、まじまじと見つめ返してしまった。

 

「……何か?」

「あ、いや、……ちょっと驚いただけだよ。なのはから聞いたんだ?」

「……本人の了承を得なかったのは申し訳ないと思う。が、口を滑らせたのは高町だ」

 

 だと思った。なのはがお喋りさんなのはよく知ってるし、彼も彼でよく愚痴っていたのを覚えている。

 

「そうだよ。ちょっと前にね。ジュエルシードだの何だの、あまり下調べをしないで探索に行くのもどうかと痛感したからね」

 

 肩を竦める動作に、彼は「……そうか」と浅く目を逸らした。僕の話にあまり関心はないらしい。ちょっと、苦笑い。

 

「……聞きたいのは、その司書資格がどういったものか、だ。概要を聞かせてほしい。無限書庫の出入りが可能になるんだろう?」

「そうだね。未整理区画の立入制限がかかってるとこ以外は大体行けるかな。もっと上級の資格なら制限もなくなるんだけど、司書としての勤続年数が必要だからひとっ飛びには行かないけどね」

「……ふむ。因みに、僕でも資格は取れると思う?」

「君が? うーん……多分、取れなくはないんじゃないかな。個人情報とかその他諸々、地球でいう戸籍みたいなのを取得できれば問題なかったと思う」

「……そうか、良いことを聞いた。アースラの誰かしらに言えば申請できるかもしれないな……」

 

 小さく呟いて思案顔になるメグル。

 ……何と言うべきか、今の彼を見ていると、いつもとは違う人間味のようなものを感じ取れた。生き急いでいるような印象とは真逆の、瞳に熱がこもるような……。

 

「僕で良ければ推薦させてもらうよ。紹介制度があって、いくつかの試験をパスできるんだ。と言っても、君にとっては片手間程度の難度だから関係ないかもだけど……」

「……願ってもないことだよ。お願いしても?」

「うん、もちろん。人手は多いほど良いって司書長も言ってたし」

 

 僕が頷くと、メグルは「……ありがとう」と薄く笑みを浮かべた……ような気がした。

 

 それはたぶんきっと、僕が見た初めての表情だったはずだ。

 出会ってから、機械のようだ、なんて失礼な印象を抱いていた彼の、人間らしい表情だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………っ、ん……しまった、寝てた……」

 

 意識が浮上する。

 

 無限書庫の中。

 周囲に散乱する書物に囲まれていた。

 

「……夢、か……」

 

 ぼんやりと、僕の脳裏には微かに夢で見た光景ご残っている。

 けれど、あれは夢の中だけのものだっただろうか。現実で、僕はあの表情を見たことがあっただろうか。

 

 思い込みかもしれない。妄想かもしれない。

 

 でも、たしかに、彼は僕と話した。

 

 司書のこと、無限書庫のこと。

 遺跡がどうだとか、遺産だとか……。

 

 ちょっと、話が弾んだのは、確かだった。

 ウマの合う話題に、僕が一方的に話て、メグルは相槌を打つだけだったのかもしれないけど。

 

「……いけない」

 

 悲観に暮れ過ぎている。

 目頭を揉んで、気合いを入れ直す。

 

 とにかく、闇の書のこと……いや、“夜天の書”のことについて、もっと調べなくては。

 

 クロノの父や、メグルを奪った、あの本の、本当の姿を暴かなくては。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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暴かれたモノが示す真実

 

 目の前で、はやてとアリサとすずかが、楽しそうに会話をしている。

 それを見やって、アリシアは表情に笑顔を貼り付けた。

 

 既に、彼女の意識は魂の向こう側――――フェイトの視覚と聴覚に集中している。

 三人の姦しい話は、もうただのBGMに過ぎない。

 時折頷いてみせて、笑う。

 

「そっかぁ、アリサちゃんたちホンマに頭ええんやなぁ」

「そりゃあもう!! パパの会社を継ぐためだもの、何事も一番じゃなきゃ意味ないわっ」

 

 話題は学校のこと。

 足が悪く、体調も優れないはやてにとって、学校とは未知の空間だ。

 アリサとすずかの話に笑顔をこぼし、羨ましそうに、楽しそうに話していた。

 

 

 

 なのはとフェイト、そしてシグナム、ヴィータ、シャマルたちはここにはいない。彼女らは一時病室を抜けて、屋上へと向かった。

 

 お見舞いに訪れた病室に、まさか見知った顔がいるとは誰一人予想しておらず、目が合った瞬間に底冷えするような鳥肌が立った感覚をまだ覚えている。

 はやてとの間に立ち塞がり睨みつけるヴィータ。動かずとも視線を配り、呼吸を整えて状況を見定めるシグナム。シャマルは指をなぞってクラールヴィントを確かめ、伏せていたザフィーラは音もなく立ち上がった。

 対して、なのはとフェイトとアリシアは冷や汗を流して固まるしかできなかった。

 行方を追えず、多くを奪われた存在。闇の書の守護騎士たちが、なぜそこにいるのか。思考が停止し、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 まるで、時間が止まったような、氷漬けにされてしまったような息苦しさを誰もが感じた。

 

 

 

 例外は、はやてだった。

 悪さをした子供を諭すように、ヴィータの後頭部に軽いチョップをかまし、「お客さまを睨むのはアカンで」とお叱り。動揺する魔導師たちをよそに、空気が弛緩した。

 

 

 

 病室からの一時退出を申し出たのはシャマルだ。

 念話で入念に、ジャミングを敷いて、はやて以外に告げた。

 お見舞いだけは済ませて、ザフィーラだけをはやての元に残し、魔導師たちは外へ。

 アリシアは、病室に残ることを選択。元より魔法を使えぬ身である以上、同行しても足手まといになるだけだ。それに、感覚共有があるならばそれで全て事足りる。

 

 そしてちょうど今、なのはたちは屋上へと達した。

 

 

 

 

 

「――――あ、そういえば」

 

 そんな折に、はやては気付いたように喋り始めた。

 

「何か忘れてる思うたんやけど、アリサちゃんがテストで学年一位とるの久々よね?」

「え? あー、そうだったっけ?」

「……? あれ、そうだった……ような……?」

 

 はやての質問に、アリサとすずかが首をひねった。

 同時に、その違和感にアリシアの意識が一気に病室へと戻ってくる。

 

「何でかしら、ずっと一位だと思ってたけど……」

「……誰か、いたっけ?」

「誰かって、あれ、輪廻クンやろ? 前すずかちゃん言うてたで。そういえば輪廻クンはご無沙汰やけど、元気?」

 

 ――――り?

 

 輪廻?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――はやてッッ!!!!」

 

 

 

 だから、思わず。

 

 アリシアは血相を変えて、はやてに詰め寄った。

 

 ザフィーラが止めに入ろうとするよりも早く。

 

 

 

 

 

「わわっ、あ、アリシアちゃん、どしたん急に……?」

「いまっ、今、輪廻って言った!? それ、“輪廻”って、“輪廻メグル”!?」

「え? 輪廻クンは輪廻クンやけど……あれ、輪廻クン、同じ学校やろ?」

 

 な? と。

 

 確かめるように、はやてはアリサとすずかの方を向いて、

 

「へぇ、はやてもそのリンネって子と知り合いなのね」

「なのはちゃんやフェイトちゃんも知り合いって言ってたね」

「え……?」

()()()()()()()()()()()()()()()()、なのはが結構気にするくらい仲良かったのよね。急に引っ越したらしいけど。ね、アリシア?」

 

 

 

 輪廻メグル。

 

 彼は死んだ。

 

 けれど、彼は得体の知れない“ナニカ”を遺した。

 

 魔法を使えない人々が、輪廻メグルの何もかもを忘れてしまうほどの【魔法】を使って。

 

 アースラの乗組員たちでさえ、一部の者は輪廻メグルの存在を忘却してしまうほどのもの。

 

 

 

 考えてみればそうだ。

 

 八神はやては闇の書の主。

 つまり、魔法適性を持つ。

 彼が発動させたたであろう【魔法】の対象から除外される可能性は高い。

 

 そして、彼女がもし輪廻メグルに出会っていたならば、彼女には彼の記憶が残る。

 

 

 

「え、だって、すずかちゃん、前、輪廻クンの話を、……話して……」

 

 

 

 その空気に、はやては指先を震わせた。

 

 無邪気に首をかしげるアリサとすずか。

 話が、致命的に食い違っている。

 

 震える手で、はやては枕元にあった携帯を手に取り、受信メールを開く。

 日付をさかのぼって、すずかから受信したメッセージを開く。

 

 じっとりと汗ばむ手で、メッセージに添付されていた写真を表示した。

 

 

 

 

 

 “はやてちゃんへ”

 

 “メグルくんがいたので皆で写真撮影!!”

 

 “今度は皆で会いたいね”

 

 

 

 写る人影は6人。

 

 なのは、フェイト、アリシア、すずか、アリサ。

 そして、若干嫌そうながら画面の端っこで無表情に写り込む輪廻メグル。

 

 

 

「ほ、ほら、すずかちゃんが前送ってくれた写真……」

 

 

 

 おずおずと、はやてが写真を見せてくる。

 

 

 

 アリシアは、口の中が急速に乾いていく感覚と、激しい動悸に立ち眩みを覚えた。

 

 

 

 

 

 八神はやては()()()()()()()()

 闇の書の主でありながら、彼女は争いを好まなかった。

 

 けれども、闇の書は魔力を欲し、主の命さえも蝕んでゆく。

 

 

 

 だから、守護騎士たちは主に内緒で魔力の蒐集を始めた。

 

 例え己らが悪人であっても良い。

 この、優しい主の命を救えるのならば、一生を捧げ、悪として裁かれても良い。

 魔力さえあれば、闇の書が完成さえすれば、きっとはやては治る。願いが叶う。

 

 

 

 故に、秘密にしよう。

 

 彼女の病が治ったら、守護騎士たちは悪を背負って消えよう。

 はやては何も悪くないのだ。

 ただただ、運が悪かっただけで。

 

 

 

 

 

 

「だ、だれ、これ……!?」

「う、そ、……しら、ない人、よね……?」

 

 

 

 

 

 アリサとすずかが、後ずさる。

 

 

 

 

「う、嘘やろすずかちゃんっ!? だって、この前だって――――――、っ……!?」

 

 

 

 じりっ、と。

 頭の奥が火傷したような痛みを放つ。

 はやてはこめかみを抑えた。

 

 

 

 

 

 輪廻メグルは死んでいる。

 

 

 

 なぜか。

 

 

 

 殺した。

 

 

 

 闇の書が、殺した。

 

 

 

 でも、これは秘密。

 

 守護騎士たちだけの、秘密。

 

 主にバレてはいけないもの。

 

 

 

 この死を背負うのは、主ではない。

 

 悪であるのは、我々だけで良い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぼうっ、と。

 

 

 

 黒い炎が燃え盛る。

 

 

 

 

 

 視界の奥。奥の奥。ずっと深くて、遠い場所。

 

 

 

 

 

 ドクン、と。

 

 心臓が、痛いほど大きく跳ねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――痛い。

 

 ――――痛い。

 

 ――――痛い。

 

 

 

 ――――痛いよ。

 

 

 

 

 

 

 刹那。

 

 はやての目の前に、闇の書が顕現する。

 

 青紫の光を纏い、鎖を鳴らし、その隙間から紫紺のナニカをしたたらせながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『Bestätigte Erosion auf Sicherheitsstufe 666. Starten Sie ein Selbstverteidigungsprogramm. Starten Sie. Starten Sie. Führen Sie Administratorrechte aus. Wir schlagen vor, das Wächter-Ritter-Programm aus Mangel an Magie zu demontieren und zu absorbieren. Genehmigung wurde bestanden. Warnen Zum Aktualisieren ist ein Neustart erforderlich. Möchten Sie neu starten? Abgelehnt. Die Erosion auf Sicherheitsstufe 666 ist im Gange. Ergreifen Sie sofort Maßnahmen. Starten Sie ein Selbstverteidigungsprogramm.』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初に口を開いたのはシグナムだった。

 

「……醜い戯言に聞こえるかもしれないが、告げるべきことがある」

 

 ひと呼吸、間を置いて。

 

「……闇の書が完成し、主の病が治ったら、……裁くのは我々だけにしてほしい」

 

 ネックレスを。レヴァンティンを外し、アームドギア化。静かに構える。

 

「あと、少しなの。ほんの少し、魔力があれば、はやてちゃんの病が治るの。だから……、」

 

 シャマルはクラールヴィントを展開し、結界を発動させる。

 

「……邪魔すんなよ。これは、はやてためなんだ……っ、優しかった、はやてのための、アタシたちのワガママなんだ……ッ!!」

 

 ただ愚直に、ヴィータはグラーフアイゼンを床へ叩きつけて、威嚇するように叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………そう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ……、」

 

 

 

 なのは、小さく、言った。

 

 フェイトは、その声音に、一瞬肩を震わせた。

 

 

 

「…………はやてちゃんは、悪くないよ」

 

 

 

 ぽつりと、告げる。

 

「……たまたま、魔法適性があって、選ばれちゃっただけ。何も知らずに、苦しんでるだけ……」

 

 ヒュゥ、と。冬の冷たい風と、背をなぞる不自然な冷たい風が、曇天の最中を通り抜けた。

 

「……でも。でもね」

 

 なのはは、顔を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

「……救いたいという気持ちが正しかったとしても……だとしても……。……それが誰かの命を奪って良い言い訳にはならないんだよ……ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

『Standby, Ready』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だからッ、私はここで止めるッ!! 自分が裁かれておしまいなんて、そんな……ッ、そんな無責任な結末だけはッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは、復讐ではない。

 

 

 

 輪廻メグルが死んだ。

 その事実は、覆せない。

 

 けれど、だからこそ、記憶せねばならない。

 

 そんな簡単に終わらせて良いものではない。

 

 罰だとか、裁きだとか。

 

 

 

 違う。

 

 

 

 輪廻メグルは、何を遺したいがために、【魔法】を使ったのか。

 

 彼が死してなお、あの【魔法】にこめた目的は何だったのか。

 

 八神はやてが何も知らずにいるままで良いのか。

 

 本当に八神はやては、無垢のまま生きてゆけるのか。

 

 

 

 終わっていいはずがない。終わるはずがない。何も終わらない。

 

 

 

 

 

 それだけは、

 

 それだけは駄目だ。

 

 

 

 それは駄目なのだ。

 

 

 

 それではまるで、

 

 

 

 まるで、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 輪廻メグルの死が、無意味になってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 そうだ、だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――かえしてよ。

 

 

 

 

 

 やめろ。

 

 ちがう。

 

 そうじゃない。

 

 

 

 

 

 ――――――――かえして。

 

 

 

 

 

 やめて。

 

 でてこないで。

 

 わたしは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――メグルくんを、かえしてよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「違うッ!!!!」

 

 

 

 

 

 轟、と。

 

「やめて、ちがうの……っ!!」

 

 風が吹き荒れた。

 

 

 

 なのはを中心として。

 

 

 

 魔法、ではない。

 

 

 

「っ、なのはっ!! 待って……ッ!!」

 

 フェイトの声がする。

 どんどんと、遠ざかってゆく。

 

 

 

 頭が痛い。

 

 奥から溢れてくる衝動が、体を蝕んでゆく。

 

 

 

「なのは……ッ!!」

 

 フェイトは必死に手を伸ばした。

 吹き荒れる嵐のような最中、地面に這いつくばるように。

 

 それでも手は届かない。

 火傷しそうな程に熱を帯びた暴風に押し返されてしまう。

 

 蹲るなのはが、遠のいてゆく。

 

 

 

『フェイトっ!!』

 

「っ!? アリシアッ!?」

 

『ちょっとマズいよ!? アリサとすずかもいるのに、闇の書が……ッ!!』

 

 一方で、共有されてくるアリシアの感覚にフェイトは固まった。

 闇の書の挙動、はやての消失、崩壊、逃走。

 何もかもが、悪い方向に転がり落ちている。

 

『と、とにかく一旦アリサとすずかを避難させるから手伝って!!』

 

「で、でも、なのはが……ッ!!」

 

 風に押され、屋上の端まで転がされながら、それでもフェイトはなのはに手を伸ばそうとした。

 

 淡い光が溢れている。

 

 いや、違う。

 

 集まっているのだ。

 

 その一つ一つが、膨大なエネルギーの塊で。

 なのはに向かって収束している。

 

 見えているのは、収まりきれずに滲み出す、ほんの僅かな一部だけ。

 

 

 

「なに、これ……!?」

 

『きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!?!?』

 

「づッッ!?」

 

 ズンッ、と。腹の底を揺らす轟音が、地響きと共に上がる。

 同時に、真下から。紫紺の何かが突き上げられる。

 丸く滑らかで、うねる動き。何かを探して這いずり回るように、高く高く、何本も。

 

 いや、あれは、蛇だ。

 

 紫紺の蛇が、何匹も。

 

 病院の壁を突き破り、幾匹もの蛇たちがのたうち回りながら飛び出してくる。

 

 アリシアの悲鳴と、全身を打つ痛み。

 混濁する意識と三半規管に、フェイトは倒れ込んだ。

 視界が暗く、黒ずんでゆく。

 

 嗚呼、と。

 アリシアたちは、病院の崩落に巻き込まれたのだと、頭の片隅で確信する。

 

 ぐらりと、地面が傾いた。

 

 収束するエネルギーが、膨張する。

 

 

 

 

 

 フェイトが最後に見た光景は、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 痛みに苦しみながら胸を掻き乱すなのはと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蛇に胸を穿たれた守護騎士たち。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真っ黒な衝撃波が、全身を叩き。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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満願成就を

お待たせしました。
まだ筆は折れておりませんので……。せめてA's編は書ききります。

2021年も引き続きよろしくお願いいたします。


 

 

 

 

 

 

 放課後。

 

 

 

 なのはは、一人で。

 

 

 

「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………?」

 

 

 

 夕暮れが眩しくて、手をかざす。

 

「……屋、上……?」

 

 学校の屋上。

 誰の気配もなく、無音。

 辺りを見渡して、けれども、動く影はない。

 

「なんで、ここに……?」

 

 頭の奥が、もやもやと。何かが、引っ掛かって、思い出せない。

 ほんの直前まで、何かをしていた。思い出せない。

 両の掌を見下ろし、握って、開いて。

 

 

 

「っ?」

 

 

 

 不意に。

 何か気配を感じて後ろを振り返る。

 

 

 

 そこには、炎。

 

 黒く燃え上がる炎が、空間を揺らいでいた。

 

 

 

 普段の彼女であれば、ひっくり返って驚いていた。変な声を上げて、足を絡めて、転んで。

 

 

 

 けれど。

 なのはは。

 

 その黒い炎に、恐怖ではなく、寂しさを感じた。

 熱さもなく、炎の勢いは弱まるばかり。きっといずれ、その火は消えてしまうと、わかってしまうほどに、弱々しくて……。

 

 

 

 

 

「――――なのはッ!!」

 

 

 

 その時だった。

 真上から、彼女のよく知る声が――フェイトの声が聞こえたのは。

 

 瞬間、黒い炎が揺らめいて、遠退いて。

 なのはとの間に割り込んで降ってきたフェイトが、バルディッシュを振り抜いた。

 

 雷が空間を薙いで、軋むような音を上げる。

 

「えっ、えっ? フェイトちゃん……っ?」

「なのは、下がってっ」

 

 炎はすんでのところでフェイトの攻撃を避けて、屋上の端へと移動。しばし止まって、静寂。

 

 フェイトの表情は実に深刻そうで。なのははなぜ彼女がそんな表情をしているのかわからず困惑するばかり。

 そんななのはに、フェイトは彼女を庇うように前に出て、炎を睨み付けながら聞いた。

 

「なのは、何もされてない?」

「え……? うん、特には、何も……」

「ん、良かった……。とにかく、()()を消さないと……」

 

 視線の先には、相変わらず黒い炎が。

 フェイトがなぜあの炎に敵意を向けているのか。

 それが、わからない。

 

「ね、ねぇ、フェイトちゃん、あれは何なの……?」

「わからない。けど、放っておくと良くないってクロノが――――あっ」

 

 言葉の途中で、炎は屋上の柵を飛び越え、落下――――したかに思えた瞬間、空へと舞い上がった。

 

 逃げるように遠ざかってゆく炎に、何か既視感を抱いた。

 

 その間にもフェイトは、なのはの思考を置き去りにして、すぐさま飛び上がって追いかける。

 

「なのは、手伝ってもらってもいいっ?」

「え、あ、うん、わかったのっ!!」

 

 胸元に、レイジングハートがあることを確認。

 

 

 

 何か、忘れているような。

 

 

 

「レイジングハート――――!!」

 

 セットアップ。

 魔力を回して、バリアジャケットを、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………え……?」

 

 

 

 静寂。

 レイジングハートは、何一つ、反応を返さない。

 

 何も、起こらなかった。

 

「な、なんでっ……!?」

 

 動揺。

 手を握りしめ、しかし、いつもの感覚はない。

 

「ねぇ、レイジングハートッ!! どうしちゃったの!? 何で何も言ってくれないの……!?」

 

 手の中のレイジングハートは光もせず、何かを発することもなく。ただのペンダントのように、無機質な光を反射する。

 

 頭の奥。もやもやと。

 何かを、忘れている。

 

 空では、フェイトが炎を追いかけ続けていて。

 時折、炎から火の粉が吹き出して、霧散。

 

 違和感。

 何だろう、と考えるたびに、頭を締め付けられるような痛みがした。

 

「なのは、どうしたのっ!?」

「わ、わかんないっ……変身できなくて、でもっ、なにか忘れている気がして……っ!!」

「レイジングハートが……? ――――っ、()()()()()()()()()()

「!?」

 

 突然、フェイトの声音が変わる。

 なのはの方を振り向いて、その顔に浮かび上がる、黒い痣。

 

 

 

 違う。

 

 違う。

 

 

 

 違う!!

 

 

 

 あの人は、フェイトちゃんじゃない……!!

 

 

 

《Excellent. It must be so.》

 

「レイジングハート……っ!!」

 

 確信と共に、相棒の声が聴こえてくる。

 そう、夢なのだ。

 これは、夢。

 

《Calm down please, Master. I'm able to talk now because I receive support. Please follow my instructions. Standby,

ready?》

 

「うん!!」

 

「ッ、待て……ッ!!」

 

 制止する声を振り切って、魔力を回す。

 

 頭に引っ掛かっていた違和感が溶けてゆく。

 レイジングハートが反応しなかったのは、彼女が然るべきタイミングを見計らっていたということ。

 つまるところ、彼女が自分自身の力で気付くこと。

 ()()とは、いつも己の知らぬところでかけられているもの。悪夢だって、きっと。

 

 レイジングハートを空高く掲げて、叫ぶ。

 

「レイジングハート、――――セットアップッ!!」

 

 桃色の光を纏う。

 崩れ落ちるフェイトの影から放たれる赤いナイフも、衝撃で弾き飛ばす。

 

「この――――何ッ!?」

 

 いよいよもって、フェイトだったものはその姿を変えていた。

 髪は鈍い銀の色に。頬に入れ墨のような、黒い線が刻まれ。バリアジャケットも黒い羽をあしらったコートへと。

 

 だが、なのはは迷う事なくバインドを発動。その人影の四肢を捕らえて、レイジングハート・エクセリオンの切っ先を向けた。

 

「――――教えてください。今ここがどこで、貴方が誰なのか」

「っ――――、」

 

 沈黙は時間稼ぎか。

 だが、関係はない。

 既に砲撃魔法のチャージは開始され、トリガーさえ引いてしまえば放てる準備はできている。

 

「――――、……ふむ……」

「…………………………………………」

「想定外だが、まぁいい。結局のところ、お前は鳥籠の中だ」

「っ!?」

 

 背の高い女性が手をかざした、その瞬間。

 屋上の床を突き破って赤い光が立ち上る。

 その数、無数。なのはを取り囲むように、空を貫いた。

 

 僅かな隙間はあるが、到底なのはが通れるほどの幅はなく。

 肌で感じるほどに痛々しい魔力の波動を受け、硬直する。

 

「覚えていようがいまいが、封じてしまえばお前の負けだ。――――捕えろ」

 

 既に女性はバインドを力尽くで壊しており自由の身に。一瞬で形勢は逆転した。

 合図と共に、赤い光がうねって頭上からなのはを目掛け落ちてくる。

 

 回避するほどのスペースはなし。

 捕縛用の魔法であるならば、シールドは意味がないと悟る。

 

 絶体絶命……?

 

 ふと、心に影が差した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……』『否定』『動き』『を』『止め』『るな』

 

 刹那。

 その一瞬で、音が耳へと届いた。

 

 そして、突如襲う浮遊感。

 

 咄嗟に足下を見れば、床が抜けていた。

 

 重力に引かれ、下へ、下へと落ちてゆく。

 

 視界端から、見慣れた教室たちが見えてくる。

 穴の向こう側には迫りくる赤い光たちが。このままならば、いずれ捕まる。

 

『“停滞する管”』

 

 穴が空いた床を通り、更に下へ。

 けれど、なのはが通過した途端に、その穴はありとあらゆる物によって塞がれてゆく。

 

《Flier Fin》

 

 一階まで突き抜けて、床へ叩きつけられる――――直前に、レイジングハート・エクセリオンが飛行魔法を発動。ふわりと減速し、姿勢を直して着地する。

 

「あっ……、」

『……』

 

 そして、人影と向き合った。

 黒く、冷たく燃え揺れる少年。

 大きな帽子と、揺らめくローブ。

 

 その像は、蝋燭のように不安定に結ばれていて。

 

「……メグルくん……っ」

 

 けれども。その顔にはよく見覚えがあった。

 

『……』『高町』『早急に』『伝えたい』『こと』『がある』

「っ」

 

 思わず、駆寄ろうとして。

 

 けれど。

 

 そのあまりに()()()()()()様に、なのはは硬直した。

 

 まるで、つぎはぎのように。

 かつて輪廻メグルがしていた言動を切り取って貼り付けて繋げ直したような。

 言葉の端で突然声音が跳ねたりだとか、視線の向きや身体の揺れも。

 

『……』『この』『体は』『過去』『に』『実行』『された』『僕を』『繋ぎ合わせた』『ものを』『再生している』『聞き取り』『づらい』『かもしれない』『が』『よく聞いて』『くれ』

 

 そのつぎはぎだらけの音に、なのはは唇を噛んだ。

 

 ()()のだ。目の前の彼は。

 黒い炎が見せる幻影は、かつての記録を再生し、音を発するのみ。

 

『……』『あまり』『よろし』『く』『ない』『ことが』『予測』『される』『だから』『僕の』『遺体』『を見つけて』

「えっ……?」

『……』『正直』『な』『話』『これは』『君』『の』『ような』『子』『に』『頼む』『こと』『ではない』『けど』『時間がない』

 

 まくし立てるような言葉の濁流と共に、炎の影が手を差し出した。

 

『……』『本来』『ならば』『ここ』『に』『君は』『閉じ込め』『られる』『はず』『だった』『けど』『その』『順序』『を』『省略』『する』

 

 唖然とするなのはへと差し出された掌の上には、ビー玉サイズの濁った黒い水晶が1つ。その中では黒い靄が煙のように漂っていた。

 

『……』『この』『再現』『された』『世界』『に』『も』『限界』『は』『ある』『高く』『飛』『ん』『だ』『(ソラ)』『の』『先』『に』『行って』『これ』『を』『割る』『といい』

 

 影はなのはの手を取り、そっとその水晶を握らせる。

 

 体温は感じなかった。

 冷たくもなく、暖かくもなく。

 影の手の感触は、ただただ無機質であった。

 

『……』『行って』『くれ』『早く』『あまり』『長居』『を』『させる』『余裕』『は』『ない』

 

 影は手を離し、音もなく下がった。

 

 ズンッ、と。足元を揺らす轟音が響く。

 外側から振動が伝わり、それが学校の校舎を破壊する音だと、なのはは頭の片隅で理解する。

 

『……』『道』『は』『僕が』『切り』『開く』『あとは』『自分で』『飛んで』

「っ――――――――待って……っ!!」

『……』『……』『……』『……』『……』『……』『……』『……』

 

 静止。

 

 ピタリと、映像を止めた時のように、影は固まった。

 

「待って、ください……。教えて、ほしくて……」

『……』『何を』

「……わたし、わからなくて……。なにも……メグルくんのことも、魔法も……今だって、何が起こってて、わたし、なにしたらいいのか……っ」

 

 声が震えていた。

 ぐちゃぐちゃなのだ。

 自身の感情がまぜこぜになって、何をしたらいいのか、何をしたいのか、わからない。

 

 輪廻メグルを目の前で喪った。

 

 彼に何も伝えられなかった。

 

 彼は死者を蘇生できた。

 

 それならば、自身を蘇らせることだってできるのではという淡い期待もあった。

 

 ヴォルケンリッターたちは目の前で輪廻メグルの命を奪った。

 

 本当に彼女たちのせいなのだろうか。

 

 八神はやては病によって歩けずにいた。

 

 ヴォルケンリッターたちの主は八神はやてであった。

 

 そんなはずがないと信じたかった。

 

 どうして彼を殺してしまったのだ。

 

 誰も輪廻メグルを覚えていなかった。

 

 ただただ悲しかった。

 

 無力である現実を突きつけられた。

 

「……わたし……、」

 

 だから、願望を口にするしかなかった。

 

 

 

 

「……メグルくんは、生き返らないんですか……?」

 

 

 

 影を見た。

 黒い炎は静かに揺れる。

 徐々に、その火の手は大きく膨れ上がった。

 やがて火は、なのはが見上げる程に立ち上り、輪廻メグルだった輪郭を崩す。

 

 

 

 

 

『生き返るかどうかはキミ次第だ』

「っ!?」

 

 影の声音が変わった。

 柔らかい、大人びた女性の、落ち着いた声だった。

 

『意地悪な回答でごめんよ。ただ残念なことに(ワタシ)は未来視をできるワケでもなくてね』

 

 肩を竦めて苦笑する、長い黒髪の女性。輪廻メグルと同じ帽子とローブを身に着け、しゃがみ込んだ彼女はなのはと目を合わせた。

 

「あ、の……あなたは……?」

『んー、今キミに言っても混乱するだけだし、これを開示するのは彼も望ましく思っていない。その質問には黙秘させてもらうよ。ただまぁ、これは(ワタシ)の個人的なお節介なんだ』

 

 彼女は両手を伸ばし、そっとなのはの両頬を包んだ。

 親指でそっと目元を撫でれば、涙の雫が拭われた。

 

『ずっと見てたんだ、キミのことを。優しくて、可愛らしくて、おっちょこちょいで……愛おしいキミを。キミは幼くも立派な心を持っていて、誰にだって平等に接することができる女の子。本当に良くできた子だよ……だから、お礼を言いたくなった』

「あ、――――――――、」

『ありがとう、なのはさん。孤独な彼を、こんなにも思ってくれて』

 

 そう言って、女性はそっとなのはを抱き締めた。

 あたたかい、と。初めてなのはは感じた。あれだけ温もりも冷たさもなかった火が、今、ようやく熱を帯び始める。

 

『彼は普通の子なんだ。何度も何度も挫折して、絶望して、発狂して、逃亡して、そうやって生きてきた。今だってずっとそう。そんな彼をね、なのはさん、あなたは大事な友達だって慕ってくれてる。(ワタシ)はそれが嬉しかった。皆が気味悪がって離れてく中で、あなたは彼を理解しようとしてくれた。理解できずとも、話をしようとしてくれた。本当に、本当にありがとう……』

 

 ぎゅっと、なのはは彼女の首元へ顔を埋めた。

 

『……だから、これからも。変わらず彼のそばにいてほしい。ワガママなお願いでごめんね。でもね、キミならきっと彼のそばにいられると思うんだ。きっと怪訝そうな顔をして、文句の一つでも言うかもしれない。けれど、突き放しはしないから』

 

 抱擁を解いた彼女となのはの目が合う。

 輪廻メグルとは違って、あたたかい感情の宿る黒い瞳だった。

 

「……わたしが頑張れば、メグルくんは戻ってくるんですよね……」

『ああ、そうだね。彼ならば戻れるとも』

 

 女性は断言する。

 ふと、なのはは脳裏に輪廻メグルの顔を思い浮かべた。無表情で、無感動で、無愛想で、大人びて大人しく、同い年の子とは思えない男の子。

 けれど、時折ふと見せる人間らしさと、他人を見捨て切れない優しさを持つ彼。

 

 

 

 きっと。

 別に、彼にとって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 けれど彼はしてみせた。“あのまま終わってしまうのが納得行かないから”と。

 

 なのはを切り捨てて、独りでやることだってできたはずだ。彼程の頭脳ならば問題なく遂行できたはずだ。

 

 

 

 でも、

 

 

 

 

 

「――――わかりました。わたし、やります」

 

 バリアジャケットの袖で、なのはは涙を拭った。

 そうして、彼女の心は決めた。そこに、これまでの弱々しい高町なのははいなかった。意思を宿し、決意を胸に奮起する者がいた。

 

『……うん、いい目だ。もったいないくらい。――――応援してるよ、(ワタシ)は。さぁ、行ってくるといい。キミの望む未来に向かって』

 

 ぼうっ、と。彼女を中心に黒と白の火が燃え上がる。火はやがてあらゆるモノへと燃え移り、天井までもを焼き払い始めた。

 

 

 

 

 

 ソレは輪を描いていた。

 白炎の多重円環は際限なく拡がり続ける。

 

「なんだ、これは……!?」

 

 校舎の外。

 燃え朽ちて行く世界を見回しながら、その銀髪の女性――――管制人格は狼狽する。

 校舎を中心に、その白い炎の円環は幾重に拡大した。

 校舎を中心に、その黒い炎は延焼し続けた。

 少しずつ、自身の所有する領域が黒い炎に焼き払われつつある。同時に、あの白い炎の意図を理解する。

 

 空も、地面も、建物も。

 その場に存在する、世界を構成するありとあらゆるモノが焼失してゆく。

 

「奴を脱出させる気か……っ!!」

 

 そうはさせまいと、管制人格は空へ掌を掲げた。

 瞬間、紫紺のエネルギーが集束し、巨大な球を形成する。

 擬似・元素魔法。高町なのはを吸収し、その固有スキルを模倣。更には輪廻メグルの記録より星の概念が持つ魔力(マナ)を再現。世界を星に見立て、あらゆるエネルギーをそこへと集束させる。

 

「ッ゛!?」

 

 頭痛が、酷い。

 演算回路が悲鳴を上げた。

 

 いくら自身の理想を再現する固有世界内とは言え、元よりなかった機能を見よう見まねで出力するのはあまりに無理があった。

 だが、これが一番早い。デバイスのスペックを無視する『魔力集束』と、無尽蔵のエネルギー源。ただまとめて放出するだけなら、これ以上の手はない。

 

「捕らえられぬなら、せめて痛みなく消し去ってくれる……ッッッッ!!!!」

 

 

 

 

 

『待てよわからずや』

 

 

 

 

 

「な、ァッ――――!?」

 

 

 

 唖然。驚愕。困惑。

 

 

 

 (ザン)、と。

 紫紺の球は真っ二つに斬り裂かれた。瞬間、エネルギーは霧散し、風となってばら撒かれる。

 

「貴様ァ……ッ!?」

『なんだ、怒りを持ってんのか。随分とまぁ溜め込みやがる』

 

 管制人格は憤怒の表情で振り返った。

 風に煽られる中、確かに空中に女が立っていた。

 

 穴と傷だらけの赤いローブにその下は皮と鉄の軽鎧。黒髪のポニーテールにつり上がった紅の瞳と小麦色に焼けた肌の少女。

 何より目を引くのは、彼女が右肩に担いだ両刃の長剣(ロングソード)。黒い刀身に赤く歪な紋様が浮かび上がり、時折紅い稲妻が弾け出していた。

 

「なぜ、なぜだ!? ウイルス如きがなぜここまでの力を……!!」

『はァ? (オレ)をウイルス呼ばわりかよ。自分から散々食い散らかしておいてよく言うぜ。――――で、(ランチ)は美味かったか?』

「ほざけェッ!!!!」

 

 管制人格は今、確かに怒りに震えていた。

 目を釣り上げ、歯を剥き出し、鬼の形相が如く、剣士の女を睨み付けていた。

 堪らず怒りに任せて横凪に腕を振るえば、瞬間、空間を切断する半月状の紫紺の斬撃が女剣士目掛けて飛来する。

 亜音速並みの攻撃を、しかし女剣士は(すんで)のところで屈みながら避けるなり、長剣を上段に真っ直ぐ管制人格の方へと突貫した。

 

「落ちろォッ!!」

『ぐゥっ!?』

 

 速くもしかし直線的な動きを、管制人格はしかと捕えた。

 両手を握り込みエネルギーを込めた両の拳を振りかざし、迫る女剣士へ向けて叩き下ろす。

 女剣士の反応も早かった。素早く剣を振り払って拳にぶつける。

 

 しかしてパワーの違いに大きく弾かれた。

 

 女剣士の顔が歪んだ。

 管制人格は口角を釣り上げた。

 

『やっべ――――、ゴ、ばァッ!?』

 

 ごちゅ、と。

 がら空きの胴体へ正拳突きが突き刺さった。

 防御ゼロ、衝撃波が腹を貫通。堪らず女剣士は多量の血を吐き出しながら地面へ墜落する。ロクな受け身も取れず、焼け落ちつつある住宅街の家々をいくつも轢き壊しながら。

 

 やがて女剣士は転がり続け、大きな洋館のエントランスへ突っ込み、正面に聳える階段へと背中からめり込んで止まった。

 

『……ごぶっ、こほっ……ぉ、げぇ……』

 

 瓦礫の上に血反吐が零れ落ちる。

 たかが一撃。されどその一撃で、既に女剣士は虫の息だった。

 痛みに顔を酷く顰めながら這い出て、剣を杖に立ち上がろうとするも、全身に力が入らない。完全に内臓をやられた。足元に全身から流れ出す黒い血が溜まり、絨毯を染めてゆく。

 

「啖呵を切ってこの体たらくか」

 

 大きく穴の空いたエントランスへ管制人格がゆっくりと歩み寄ってくる。

 女剣士を見下す憎悪と憤怒に染まった瞳。

 紫紺の眼力は女剣士を取るに足らぬ敵と貫くが、

 

 

 

『カ、は、はは……。オイオイ……そんなに(オレ)に……、夢中でいいのかよ……へへ……ぐ、ぅ……』

 

「――――ア……?」

 

 

 

 女剣士に立ち上がる力は残されていなかった。

 痙攣は止まらず、血が広がる程に瞳から生気が喪われてゆく。遠からず、この女は消滅する。

 

 だが、だが。

 

『テメェが溜め込んでて正解だった……クソ弱ぇ(オレ)はただの囮だってのに、まんまと怒りにズブズブ、と……カカ、ざまァ――――』

 

 

 

 パンッ、と。

 女剣士の頭が、消えた。

 

 一瞬で、真っ赤な血が花弁の如くエントランスへ撒き散らされる。

 遅れて残った身体がぐらりと傾いて、仰向けに血溜まりへと倒れ込んだ。

 

 管制人格は、無言のまま掌を女剣士へと突き出していた。

 紫紺のベルカ式魔法陣が示すのは単純な魔力弾丸の射出魔法。死に体の女剣士の頭を吹き飛ばすにはそれで十分だった。

 

 

 

「ゥ、」

 

 

 

 間をおかずして、血溜まりはたちまち黒い炎となって燃え上がり始めた。

 

 

 

「ウ、ゥ、」

 

 

 

 世界を犯す、あの炎と同じ。冷たく無機質な、破壊の炎だ。

 

 

 

「ウゥ、ウ、」

 

 

 

 ここもやがて焼失する。ゆっくりと、展開領域を壊してゆく。

 

 

 

 

 

「ウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥァァァァァァァァァアアアアアアアアッッッッ、――――ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ー゛ー゛ー゛ー゛ー゛ー゛ー゛ー゛ッ゛ッ゛ッ゛ッ゛ッ゛ッ゛ッ゛ッ゛!!!!!!!!!!!!」

 

 

 

 怒りが叫ぶ。

 

 

 

 憎しみが叫ぶ。

 

 

 

 そこに、言の葉は表れず。

 

 

 

 

 

 かつて術式(プログラム)でしかなかった()()は、今や全くの別物と化した。

 

 

 

 

 

 体中を蠢く黒い蛇の紋様。

 

 瞳はとうの昔に白も黒も消え失せて紫紺へと完全に染まりきり。

 

 真っ赤な血涙を滴らせる表情は最早人の成りにあらず。

 

 

 

 

 

 (もだ)(いか)るナハトヴァール』

 

 

 

 

 

 ついぞ、演算回路は“感情”を取得するに至った。

 

 

 

 破壊衝動が突き動かす暴力の化身が。

 

 

 

 高く、重く、吼えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、

 

 

 

 遠く、遠く。

 

 空へ一筋の閃光が。

 

 

 

 白き炎を帯びて、桃色の一閃が(ソラ)へと飛翔していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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夢の終わりを告げる(とき)

 

 

 

 (ソラ)に煌めく星たちが輝いて見えた。

 

 もうどれだけの時間、こうして飛び続けているのだろうか。

 それともまだほんのひと時しか経っていないのだろうか。

 

 背後、遥か眼下には海鳴の大地と海があった。

 

 雲一つない青い夜を飛ぶ。

 

 音の無い世界は、何と寂しいのだろうか。

 気付けば風切り音も聞こえなくなり、はやる気持ちとは裏腹に、静寂が耳に痛かった。

 

 (ソラ)を翔け上る感覚。

 重力は感じることなく、ただひたすらに、上へ、上へ。

 

 (ソラ)はどこまでも続く。

 ほんの眼前に輝く星ですら、手を伸ばしたところで到底届かぬ先の先。月でさえ小さく、果てしなく遠い。

 

 

 

 だが、諦めることはない。

 とにかく、ただ真っ直ぐに、飛び続ける。 

 魔法だけではない。

 自身の背を押す熱く白い炎が、燃え盛るほどに加速する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気付けば地球は遥か彼方へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 金星を遠目に眺めて過ぎ去り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水星と並び更に奥へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気が遠くなるほどに(ソラ)を翔け続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思考が崩壊していた。

 

 いま自分が何を見て、何を考えているのか。

 それすらもわからない。

 

 もう意識は無いに等しい。

 あきれるほどに永劫の中を手応えもなく往き続けた。

 

 ただ、光を目指し続けるのだ。

 それしかなかった。

 

 声を出す方法すら忘れた。

 

 あらゆる思い出が失せてゆく。

 

 自身の名前すら思い出せない。

 

 

 

 だが、自身が渇望するモノだけは、ずっと心に(のこ)っていた。

 

 

 

 まだ、遠い。

 

 

 

 光だけが眼前にあった。

 

 

 

 それでもまだ届かない。

 

 

 

 指先の感覚も消え、呼吸してるのかすらわからない。

 上も下も右も左も、ただ前以外は何一つ判断できない。しようとすらできない。

 

 

 

 

 

 何秒。

 

 

 

 

 

 何分。

 

 

 

 

 

 何時間。

 

 

 

 

 

 何日。

 

 

 

 

 

 何年。

 

 

 

 

 

 何十年。

 

 

 

 

 

 何百年。

 

 

 

 

 

 何世紀。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 嗚呼。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 わからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだ寝ちゃダメぇ……っ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 永劫が、過ぎ去った。

 

 何も聞こえないはずの(ソラ)の中で、声が聴こえた。

 

 聴覚が、徐々に息を吹き返してくる。

 やがて視覚も時をおいて脳が認識し始める。

 全身が凝り固まったように痛く、身じろぎをした。

 

 そうやって、()()()()()は意識を取り戻した。

 

「ああ、ああっ、良かった、良かったっ!! 来てくれた、来てくれたんだ……っ!!」

 

 その娘は、なのはと同じくらいの年に見えた。

 

「がんばった、がんばったよ、なのはちゃん……!! ほんとうに、よくがんばった……っ!!」

 

 その娘は泣きながら、しかし嬉しそうに、涙を流しながらなのはへと抱き着いた。

 ほんのり、熱を感じる。

 人肌の温もりは、一体いつ以来だっただろうか。

 

「まだ大丈夫だよねっ、ちゃんと(アタシ)のこと見えてるっ?」

「あ、うん……、」

「うん、うんっ!! よかった、ずっと待ってたんだよ……あなたなら絶対できると思ってた。(アタシ)は諦めちゃったけど、きっとなのはちゃんならって……やっぱり間違ってなかった……っ!!」

 

 すごい、すごいよっ、と。彼女は泣き笑いながらもなのはの両手をとって、自分のことのように喜んでいた。

 ようやく思考が戻ってくる。同時に、人間らしい彼女の様子に、なのはの中で凝り固まっていた感情がほぐれ始めた。

 

「あ、あの……今、どれくらい時間が……?」

「時間? 大丈夫、ここに時間の概念なんてないから!! 距離の概念までは取り除けなかったけど……何世紀、何億何兆年経とうが、なのはちゃんが諦めなかったから!! (アタシ)も最後までやり切るっ!!」

 

 さぁ、行こうよ。

 なのはの手を引いて、娘は光へと――――太陽へと向かってゆく。

 

「あの、あなたは……?」

(アタシ)? 名前ってこと? それとも役目のこと? 両方? 名乗りたいところだけど、(アタシ)に名前はないんだ。もう(アタシ)は過去の記録でしかないから。そして、(アタシ)の役目は――――、」

 

 その時。

 音もなく、太陽から吹き出す紅炎(プロミネンス)が迫った。

 

「おっ、とと」

 

 それを娘は掌を炎へとかざして、黒い三角形の魔法陣をもって防いでみせた。

 

「っ……!? それ――――!?」

「ごめん、今はあんまり説明出来ないかも……っ!!」

 

 なのはが口を開くが、それを無視して娘は手を引き続け、強引に太陽へと進み続けた。

 火の手はなおもゆるまず、それどころか彼女たちを阻むように火力を増していた。火傷したのではと思う程の熱が襲ってくる。

 

「まだ、まだぁっ!!」

 

 あまりの熱量になのはが腕で顔を覆う中、娘は果敢にもシールド一枚で歯を食いしばっていた。

 炎に飛び込むなど自殺行為に等しい。速度を落とすことなく、真っ直ぐに、炎をかき分けて更に進む。むしろ、どんどんと加速していた。火力は増すばかりであろうに、それでもなお曲がりも退きも逃げもしない。

 

 

 

 その娘の顔をなのはは腕の隙間から見た。

 

 

 

 苦痛に歪んでいた。

 

 

 

 涙を流していた。

 

 

 

 しかし、それを何だと言わんばかりに歯を食いしばって、絶望に歯向かっていた。

 

 

 

 逃げ出したいのだ。

 死ぬほどに痛い。けど、死ぬことはない。

 永遠に激痛が、全身を焼く熱が襲ってきている。

 もうやめたい、目を逸らしたい、逃げ出したい。こんな痛みが続くのならば。

 

「いやだ……っ!!」

 

 いっそうと、その娘は痛みに涙を流した。

 声が震える。いつまでも続く熱い痛覚が神経を貫く。

 

「ぜったい、やだ……っ!!」

 

 既に、彼女の手先は黒くなり始めていた。

 焼き尽くすよりも早く、焼滅(しょうめつ)してしまう。

 

 なのははその未来を確かに予見した。

 

 

 

 でも、

 

 

 

 

 

 

「逃げるモンかぁぁぁぁッッッッ!!!!」

 

 

 

 

 

 絶叫。

 本能を、理性(衝動)で押さえ付け、前へ。

 

 とめどなく零れ落ちる涙も一瞬で蒸発する。

 痛みも熱も消えぬ中、逃げ出したい思いを無視する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (ソレ)は記録でしかない。

 かつて、とある普通の人間が辿ってきた、絶望と、恥辱と、失意に塗れた、失敗の積み重ね。

 

 既に終わったモノ、失敗作の集まり、もう発展を望めぬ過去。

 

 だが、切り捨てられなかった。切り捨てることを許されなかった。

 

 だから、ずっとずっと心の奥で燻るしかなかった。

 あのときこうしていれば、ああしていれば。こうしなければ、ああしなければ。

 たらればの話を思い描いて、もっと良い答えを考えついては、既に叶わぬ夢となって土に埋める日々。

 

 

 

 後悔。

 

 

 

 しても意味がない。

 

 だが、する他にない。

 

 心が壊れてしまってもなお夢想するのだ。

 

 

 

 

 

 だから、眩しかった。

 

 真っ黒な炎ではなく。

 

 

 

 淡い光を抱き、(ソラ)を駆け抜けた彼女が。

 

 たまらなく憧れた。

 彼女の生き様に強く心打たれた。

 

 

 

 まるで、物語の主人公のようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なのはちゃん!!」

 

 

 

 

 

 目があった。

 

 

 

 痛くて、痛くて、

 

 でも、

 

 その娘は、笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(アタシ)に、生きる希望を魅せてくれて、ありがとう……ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だから、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その希望を、彼に、届けてあげてね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 太陽の黒点へ、飛び込んだ。

 

 

 

 それっきり、声は途切れた。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 命が零れてゆく。

 アスファルトに、赤い血が染み込んでゆく。

 

 

 

 ザリッ、と。

 

 

 

 視界にノイズが走る。

 

 四つの影があった。

 一つの終わりゆく命を取り囲む、大小の影が。

 

 

 

 ざりっ、と。

 

 

 

 視界にノイズが走る。

 

 世界が壊れてゆく。

 破片となって、瓦礫の大地へ降り注ぐ。

 

 

 

 ザリッ、と。

 

 

 

「我が主」

 

 

 

 視界にノイズが走る。

 

 美しい女性が佇んでいた。

 悲しげな顔で、こちらを見つめている。

 

 

 

「いけません、我が主よ」

 

 

 

 ざりっ、と。

 

 

 

「そのユメは違う」

 

 

 

 視界にノイズが走る。

 

 少年がいた。

 テーブルの対面に座り、分厚い本を読む少年が。

 

 

 

「ダメです、それは――――」

 

 

 

 顔は、暗くてよく見えない。

 

 

 

「やめてください、我が主」

 

 

 

 ザリッ、と。

 

 視界にノイズが走る。

 

 

 

「お願いです、我が主。不出来な私ではありますが、どうか、どうかそのユメだけは、見ないでください」

 

 

 

 優しい、声音。

 

 

 

「あなたはもう苦しむ必要はない。騎士たちの不出来は私の責任。管制人格の役目を仰せつかって起きながら、ナハトヴァールの暴走を予期できず放置させた。でも、もう良いのです。幸せな夢があなたを無限の楽園へと(いざな)うでしょう。だから、もう苦しまなくて良いのです。悪いユメを見る必要は、ないのです」

 

 

 

 その女性は、罪人であることを表すように、悲哀をまとわせていた。

 

 

 

 ざりっ、と。

 

 

 

 視界にノイズが走る。

 

 蛇だ。

 大きな、大きな、紫紺の蛇だ。

 

 

 

 ザリッ、と。

 

 

 

 視界にノイズが走る。

 

 自分が、立っていた。

 

 

 

 

 

「……寝て、ええんか」

 

「ええ、ええ。良いのです。全て、忘れましょう。悲しかったことも、痛かったことも、全部、全部」

 

「……本当に?」

 

「はい。寝て、全てを忘れるのです。心地良い夢が、きっとあなたの心を癒やしてくれる」

 

「夢なのに?」

 

「夢だからです」

 

「夢は、醒めてしまう」

 

「いいえ、夢は永遠に。あなたが望む夢をお見せしましょう」

 

「それは……、」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――現実から目をそらして、逃げろってことか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バキッ、と。

 女性が、鏡のようにひび割れた。

 

「我が主……それは、」

「違う? 何が、何がちゃうの?」

 

 睡魔が酷い。

 まぶたが、落ちてしまいそうだ。

 

「何も、何もわからへん。何がどうなって、こんなんなるん? ずっとずっと、私にだけ何もかんも秘密にして……そんなん、主でもなんでもない。家族ですらない。私は……、嫌や」

 

 全てが突然だった。

 何一つ予想などできていなかった。

 

 魔法があれば、なんて願っては、結局そんなモノはないのだと、現実を飲み込んで。

 

 そんな折に、突如増えた魔法を使う騎士たち。

 

 

 

 孤独だった。

 家族もおらず、友達も片手で数える程度で、かと言って頻繁に会える訳もなく。親戚も海外に拠点を構えており、顔を合わせることはついぞなかった。

 

 

 

 嬉しかった。

 常識知らずで、ちょっと現代人にしては古臭い仕草と立ち振る舞い。

 自分を主人と言って、まるでお伽噺の騎士だった。

 いや、事実彼らは騎士だった。“闇の書”とその持ち主に仕える守護騎士ヴォルケンリッター。

 

 

 

 だが、別にそれが冗談でも真実でもどうでも良かった。

 

 共に暮らす仲間が……“家族”ができた。

 

 血が繋がってるわけでも、特別な契を交わした訳でもない。

 たまたま“闇の書”が表れて、たまたま選ばれた人間が八神はやてという少女だっただけの話。

 

 

 

 それがたまらなく嬉しかった。

 

 共に出掛けたり、広い家で食卓を囲んで、雑談をしたり、一緒に寝たり、本を読んだり。

 

 これなのだ。

 別に八神はやては魔法を求めた訳ではなかった。

 “家族”がほしかった。それを魔法という言葉に願ったに過ぎない。

 

 そして願いは叶った。

 ちょっとワガママな手のかかる娘気質なヴィータ。

 ちょっと料理は精進が必要だけど、家事に器用なシャマル。

 ちょっと堅物そうで、でも一歩引いたところから見守るシグナム。

 ちょっと口数は少ないが、必ずや寄り添ってくれるザフィーラ。

 

 まごうことなき、“家族”だった。

 

 

 

 

 

 そう、思っていた。

 

 

 

「私は、主失格や……。皆が何か忙しそうにして……でも、誰だって口にできんこともあると、そう思ったんや。無理矢理吐かせるのはちゃうって……」

 

 しかし。

 

「……そんな、()()()()()()()()()()()()()()……ッッ!!」

 

 

 

 知らなかった。

 

 闇の書が、友達の命を奪っただなんて。

 騎士たちがその過ちを犯してしまっただなんて。

 

 それは全て、はやてが生きるためなんだと聞かされて。

 

「間違えてるッ!! こんなの、()()()()()()()()()()()()()()……ッッ!!!!」

「っ……、」

 

 泣き叫んでいた。

 それは恨みなのか。後悔なのか。

 涙を流すはやてと目が合って、女性は唇を噛んだ。

 

「なんで……何も教えてくれへんの……何もいらん言うてたのに……家族ができたから、それで良かったのに……」

 

 涙は止まらなかった。

 あらゆる負の感情が心に降り積もってゆく。

 

 ずっと蚊帳の外だった。

 何も知らなくて良い。

 幸せなまま過ごしてほしいから、もう十分苦しんだから。

 

 

 

 ()()()()

 

 

 

 ただ、居てくれるだけで良かった。

 寿命だとか、完治だとか、もういいのだ。

 確かに、共に過ごせる時間が少ないのは嫌だ。

 

 でも。

 

 

 

「友達の命まで奪って、生きたいなんて思わへんよ……」

 

 

 

 全てを知った。

 はやてが知らなかったこと、騎士たちだけが知っていたこと。

 

 ()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……』『ならば』『君は』『どうしたい』『八神』

 

 

 

 

 

「っ!?」

「なに……っ!?」

 

 ぼうっ、と。

 

 黒い炎が燃え上がった。

 黒い影。帽子とローブと、それを着けた少年が一人。

 

『……』『問う』『て』『いる』『八神』『君の』『選択肢』『は』『どれだ』

 

 それは輪廻メグルの輪郭を描いていた。映像の継ぎ接ぎ。かつて見ていた彼の一端を。

 

「私の、選択肢……」

 

 考える。

 

 八神はやての中にある選択肢とは。

 

 

 

 このまま眠ること?

 

 

 

 否。

 

 

 

 ここで懺悔すること?

 

 

 

 否。

 

 

 

 全てを諦めること?

 

 

 

 否。

 

 

 

 否である。

 

 

 

「選択肢なんか、あらへん。やることは、()()()()()()()()()()……ッ!!」

 

 

 

 はやては力強く、腕で涙を拭い去る。

 充血し泣き腫れた赤い目は、しかして強い意思を宿していた。

 

 

 

「なんもわからん、なんも知らん……。けどッ、このまま何もわからずじまいで終わらせるのだけは、納得いかんのやッ!!」

 

 

 

 その目はしかと、女性を貫いた。

 

 思わずたじろぐ。

 

「ヴィータも、シグナムも、シャマルも、ザフィーラも。そしてアナタも!! 洗いざらい全部説明してもらう!! 輪廻クンのことも、魔法のことも、――――()()()()のことも……ッ!!」

 

 バキリ、と。空間にひびが入った。

 崩壊の予兆。いよいよをもって、ナハトヴァールの魔の手は主へと迫りつつある。

 

「これは、夜天の書の主として成すべきこと!! だから――――私を思い続けてくれるなら、()()()()()()()()()()()!!」

 

 はやてが手を伸ばす。

 向けられたのは、女性――――今、名付けられた、リインフォース。

 

 ハッと、リインフォースははやてを見やった。

 

 そこには確かに、我らが夜天の書の主がいた。

 例え自らの脚で立てずとも。

 例え全てが遅くとも。

 彼の女は確かに今、覚悟を決めていた。

 

「――――はい、我が主。私は、貴方と共にある。どんな運命が待ち受けていようとも……」

 

 だから、リインフォースも、一歩を踏み出した。

 音を立ててガラスが散るように、リインフォースの輪郭は割れ落ちて……ようやく、初めてはやての手に触れた。

 

 光が満ちてゆく。

 白く淡い、希望の光。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……』『やること』『は』『やり尽くした』『あとは』『任せる』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 独り。

 

 黒い炎は、残った。

 

 記録はここで潰える。

 

 だが、それでいい。

 

 過去は過去。既に確定したストーリーにできることはここまでだ。

 

 所詮はただのコピー品でしかなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……ただ、少しの道標にでもなったのなら、それで満足だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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黒い炎に祈りを捧げましょう

 

 

 

 

 まず、津波があった。

 

 

 

 黒く濁った破壊の象徴。

 

 

 

 街を、木々を、車を。

 

 

 

 ありとあらゆる全てを押し流した。

 

 

 

 

 突如として、海鳴市の上空に現れた黒い大怪球は、白い炎の飛沫を上げたかと思えば破裂し、泥を大地へと撒き散らしたのだ。

 

 

 

 

 

 かつてそこには海鳴市の街並みが広がっていたが。

 

 今は黒い津波によって瓦礫の丘が並ぶ焦土に変わり果て。

 

 

 

 

【―――――――uuuuuuuuuuuooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooo!!!!!!!!!!!!!!!!】

 

 

 

 その中心に座す六脚の化物が咆哮を上げた。

 

(もだ)(いか)るナハトヴァール』

 

 大きな上顎(アギト)の首元には女性の影が。

 痛みに耐えるかのように身を捩らせ、悲鳴を上げる。

 顔を滴る血の涙。全身の隙間という隙間から吹き出す黒い炎。

 

 ナハトヴァールの足元には、黒い汚泥が流れる。

 ソレはゆっくりと大地に広がり、浸食していく。

 

 ()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 つい数分前まで、あのような光景はなかった。

 

「夜天の書? ()()が?」

 

 クロノは裏返りそうな声音で、モニター越しのユーノに問う。

 

『…………正直、もうボクの手元で確認できる情報の物とはかけ離れてるけどね』

 

 ユーノも同じ光景を目にしたのだろう。

 しばし間があって、言葉を絞り出した。

 

『色合いは違うけど、過去のメモらしい手帳に書かれた特徴とはかねがね一致する。間違いなくナハトヴァールと呼称される闇の書の所以……蒐集プログラムの暴走体だよ』

「対処法は……流石に書かれていないか」

『流石にね……。これも蒐集が上手く行かなかった例だと思う。最終的にどうなったのかまで書かれていないし、多分この手帳の持ち主も……、』

 

 そこから先は何も言わなかった。言わずとも、結末は安易に予想できたから。

 

『通達、環境観測データが急激に変化……!! そんな、これって……、』

「どうした、エイミィ」

『クロノ、普通じゃありえない速度で()()()()()()()()の!! 酸素濃度30%超え、地熱も急激に上昇してるし、陸があった場所の隆起、海底までの深度も浅くなってきてる!!』

「なんだと!?」

 

 計器の故障、ではないと直感的に判断。

 エイミィからリアルタイムで転送されてくる海鳴市の環境データとナハトヴァールの映るモニターを見比べる。

 

「あの泥か……っ!!」

 

 街を押し流した泥の濁流、その広がり方とマッピングエリアの形は完全に一致している。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とはいえ、明らかに異常。地球環境を大規模に変革させているとしか言えない。

 泥は海に到達した箇所もあり、そこは一部が既に隆起を始め、拡大するとひび割れた隙間から真っ赤な溶岩が顔をのぞかせていた。

 

「ここに海底火山なんてなかっただろう……!?」

『恐らく()()()()()()()んだと思う。大気中の魔力濃度の変化がメチャクチャだ……メグルの使ってた【魔法】が発動した時と似てる波形だ』

「じゃあナハトヴァールは輪廻の【魔法】を使用できるのか!? 死者を蘇らせるような、あの規格外れな……」

『結界内部に引っ張られて、結界外が地震を起こしてるよ!? これヤバいんじゃないッ!?』

『結界魔法はあくまで一時的、支配権は結界の外、つまりは現実の方が上のはず。けれど、これは順序が逆……結界側の強度を上げて、無理矢理環境を書き換えつつある……テラフォーミング……? そんな記述は残ってなかったけど……』

「輪廻の【魔法】を蒐集して、コピーしたというのか……ッ!?」

 

 最悪だ、とクロノは吐き出したくなる。

 ミッドチルダ式であれば良い、ベルカ式も様々な情報が揃っている。

 しかし輪廻メグルの【魔法】は論外だ。アレはどんな理想をも実現しかねない危険なモノ。

 あの暴走体がところかまわず、死者蘇生に匹敵する神秘を使えば……それがもし破壊へ導くものであれば、手を付けられるかどうか。

 

 拳を握りしめる。

 輪廻メグルがいたならば、解決策が浮かんだのかもしれない。

 

 しかし、彼はもう既に、この世を去ってしまった。

 

 手遅れ、なのだろうか?

 

「…………………………………………、」

 

 思考する。

 仮にアレを今ある手札で止めるとしたら。

 ナハトヴァールは元々がプログラム、本体はやはり魔法術式の刻まれたデバイスが該当する。

 元は夜天の書。であるならば、やはり魔導書を破壊するのが最も適切だろう。

 

 暴走体の体内からは異常な魔力反応を検知できる。

 そこが魔力炉で、魔導書もそこに存在するはずだ。

 

 アクセスするには外殻を無理矢理剥がす他に手立てはない。

 やり方は単純、各々の『ブレイカー』に該当する魔法を、最大出力で発する。高町なのは、フェイト・テスタロッサ両名がいれば、確実ではないが最低限の火力は確保できよう。

 

 では、魔法射出までの時間を誰が稼ぐか。

 アースラの隊員全てを回したとして、イチかバチか。

 

「博打にも程がある……」

 

 クロノは論理的思考の持ち主、ゆえに失敗率の高さを予測し、NOと結論づけてしまう。

 かつて次元空間航行艦船2番艦エスティア一つとクライド・ハラオウンを犠牲にし、アルカンシェルを使用して何とか事態を食い止めた記録が残る。

 暴走体とはそれだけ強大な破壊の力を持っており、対処は難しい。難しいどころか、ほぼ不可能に近い。

 

 そもそも、なのはもフェイトも、あの大怪球に飲まれて以降音信不通。唯一の頼みの綱すら手札を切れない。

 

 

 

 どうする。

 

 どうすればいい。

 

 何が、今を乗り越える最善策なんだ。

 

 

 

『結界展開エリアが拡大、隣接する市町村に到達!!』

 

 丘が飲み込まれてゆく。

 黒い泥が、喰らい尽くす。

 

 

 

 止めなければ、やがて日本全域を。下手をすれば海を超えて、大陸も、地球全土すら……。

 

 容易に想像ができる。

 

 

 

 そうなった場合、もうこの星を捨てる他に策は浮かばない。

 星を相手に戦うなど、戦争なんて生易しい表現では済ませられないのだ。

 

 逃げて、状況を管理局に伝えて……。

 

 

 

 

 

『っ、海鳴市北方、高台方面から強力な魔力反応のアリ!! この波形は……ッ!!』

 

 

 

 

 

 ふと、エイミィの声音が少し上ずったのを聞き取る。

 

 次はなんだ。何が起きたんだ。

 

 観測データに映像ワイプが割り込んでくる。

 映されたのは、海鳴市で海沿いから離れている、小高い山を切り拓いた高台の一角。

 すわ山火事かと、そう勘違いしかねる程に、山の木々は白い炎に包まれていた。

 

 何と膨大な魔力反応なのだろう。

 

 本来魔力とは無色透明で物理的に触れることは不可能。

 しかしアレは、可視化・物質化を果たした大量の魔力であり、その全てが純粋な、何物にも染まらぬ純粋魔力である。

 

 映像が乱れる。

 途方も無い魔力濃度にズーム・ピント調整機能が不調をきたす。

 

 しかし。

 

『…………ああ、そうか……【魔法】は、誰にだって使える……そう言ってた……』

 

 クロノは。

 ユーノは。

 エイミィは。

 

 誰も、その中心にいる人物を見間違えなどしなかった。

 

 

 

 

 

「高町なのは……君も、なのか……?」

 

 

 

 

 

 そこに少女は独り、両膝を地に着け、胸の前で両の手を包み、祈りを捧げていた。

 

 舞い上がる風が髪を揺らす。

 白い火花と、桃色の粒子。

 

 それはまるで敬虔な信徒のようで。

 

 これから起こるであろう神秘を彷彿とさせる予感に、誰もが押し黙った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一つ、欠片を拾う。

 黒くて歪な、鉱石のような小石。

 それをしかと握りしめ、また一歩進む。

 

 足元をよく見て、同じ小石を見つける。

 それをまた拾う。

 

 ふと、自分の指を見た。

 白い炎が、全身を包んでいる。

 

 火傷のような痛みはない。

 ただ感じるのは、生命の温もり。

 それは心に安らぎを与える炎。

 

 辺りは真っ暗だ。

 何も見えやしない。

 自分から立ち昇る炎が足元を照らすばかり。

 光の一切届かない空間は寒々しく、できることなら早くここを立ち去りたいと、高町なのはは思った。

 

 だが、それはできない。

 凍えそうな身体を擦りながら、それでもと前に踏み出す。

 

 

 

 

 

 記憶は朧気だった。

 暗闇を飛び出して、気付けば海鳴市の高台に立っていた。

 

 寒空の下、海鳴市の中央には闇の書の気配がする。

 大地が黒く変色し、徐々に飲み込まれてゆく。

 

 身が凍えるような寒気が、背筋を駆け上がった。

 

 バリアジャケット越しに腕をさすろうとして、ふと気付く。

 見覚えのある、白い炎。それは自分の身体中から火の手を上げていた。

 

 掌を見る。

 そこにも、炎があった。

 

 しかし、火傷をするような熱さは感じない。

 

 

 

 記憶に引っかかる。

 

 ある光景がなのはの脳裏を過ぎった。

 

 

 

 あの日、奇跡を目の当たりにしたとき。

 

 彼の背中越しに燃える、白い炎を垣間見た。

 

 彼はあの時、何と言っていたか?

 

 

 

「……私は……」

 

 

 

 ゆっくりと記憶をさぐる。

 彼の神秘を間近で目撃した、神話のような思い出を。

 

 

 

「…………“私は使者。私は御使い。門の番人よ、貴方に私は見えますまい”」

 

 

 

 ――――熱が、燃え広がる。

 自らが纏った白い炎が、あたり一面へと。土も、木も、草も、何もかも。

 

 そうやって、世界が燃えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――――――――――」

 

「えっ?」

 

 ふと、声がした。

 石を一つまた拾って、掌から溢れそうになった頃。

 

 その先は闇だ。

 だけど、何かが聞こえてくる。

 

 輪郭のないぼんやりした幻だろうか。

 

 

 

 手招きをしている。

 

 

 

 一歩、前に踏み出す。

 

 声が少し、大きくなった。

 

 

 

 

「こっち」

 

 

 

 

 呼んでいる。

 

 誰かが呼んでいる。

 

 

 

「おいで」

 

 

 

 段々と、輪郭がハッキリと像を結び始める。

 

 

 

 ヒトだ。

 

 

 

「こっち、おいで」

 

 

 

 彼が、呼んでいる。

 

 ゆっくりと手が差し出される。

 

 だから、それに答えるように、手を伸ばし、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そっちじゃない。こっちだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぼうっ、と。

 

「っ!?」

 

 その輪郭は黒い炎に炙られ、暗闇の中へと消え去った。

 からん、からん、と。持っていた小石が散らばって砕け、闇に溶けて消える。

 あの輪郭と、同じように。

 

 

 

「……こんなとこに来て何をしてるんだ、高町。ここは君が来るような場所じゃないはずだ。自殺でもしに来たのか?」

 

 

 

 鼓膜を叩く少年の声音。

 

「あっ……」

 

 いつ以来なのだろう。その声を聞いたのは。

 

 平坦で、感情の起伏があまり感じられない声。

 けれど、少し不機嫌そうな、でもそれを極力抑えようとする子供の声。

 

 

 

 その声のする方を、迷わず振り向いた。

 

 

 

 そこに、とある少年が立っていた。

 なのはと同じくらいの背丈で、絵本でみるようなとんがり帽子をかぶり、長いローブを羽織った男の子。

 

 

 

 彼は、少し困惑していそうな、そんな表情を浮かべていた。

 

 

 

「……なんだ、自殺願望者かと思ったけどそうじゃないんだね。簡潔に理由を聞いても?」

 

 

 

 間違いない。

 その態度、その表情、その口ぶり。

 

 

 

「…………えっと、何でそんな泣きそうなのさ……」

 

 

 

 ずっと。

 

 ずっと。

 

 

 

 ずっと、待っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「メグルくん……っ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 輪廻メグル。

 

 あの時、消えてしまった、【魔法使い】。

 

 彼が、確かに、そこにいた。

 

 

 

 

 

 



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ターニング・ポイント




【前回までのあらすじ】

 闇の書の起動により、防衛システム『ナハトヴァール』が動き出す。その攻撃性は、これまで取り込んだ輪廻メグルの経験値と、内部に侵入した記憶の欠片たちの浸食によって“怒り”の感情を獲得。より苛烈に、より過激な思考回路を獲得するに至り、『(もだ)(いか)るナハトヴァール』と化した。彼は自ら溢れ出す黒い泥でもって大地を上書きし、徐々に浸食を開始する。
 その一方、闇の書の起動に巻き込まれ反応が消えた高町なのはのバイタルをキャッチしたアースラ乗組員たちは、彼女が見覚えのある白い炎を纏いながら祈る姿を目撃する。果たしてその祈りは何のための、そして、誰のためのものなのか。

 誰一人として理解の及ばぬ人智を超えた光景に、誰もが絶句する他になかった。








 

 

 

 

 

 

 まず感じたのは、重力。

 全身をくまなく縛り付ける鎖のように。

 指先までの感覚すら曖昧で、ちっとも動けなかった。

 

 くぐもった音が、微かに脳裏に反響していた。

 

 まるで水の中のよう。

 

 息が苦しい。

 思わず、大きく吸い込もうとして、喉に違和感が絡まって咳き込んだ。酷く砂っぽくて、口に入れていい味ではない。

 

 目を開けているのだろうか。

 焦点が定まらない。

 

 かすかに白く、光が見える。

 暗闇の隙間から射し込む白い光だ。

 

 うつ伏せから、何とか身体を捻って仰向けに。

 どく、どく、と。自分の鼓動がうるさいほど聞こえる。

 

 しばらくは、それが音のすべてだった。

 

 

 

 肩でしていた息が落ち着いてきて、倦怠感が幾分か消えていった。指先も、ようやく感覚が戻ってくる。

 

 固く、粉っぽい、冷たい床。

 小石のような、砂利のような。

 指の腹を撫でる感触と、薄暗い天井の景色。

 

 首を微かに巡らせると、視界の端には階段が見えた。

 折り返し階段の踊り場には、崩落した瓦礫が所狭しと鎮座している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『じ、地震……ッ!?』

 

 

 

 アリシアが、狼狽しながら声を発した。

 

 

 

『ひぃっ……!?』

 

 

 

 すずかが顔を真っ青にして、()()を見てしまった。

 

 

 

『こっちッ、速くッ!!』

 

 

 

 暗転。

 

 

 

 逃げるように、廊下を駆け抜け、階段を駆け降りる。

 

 

 

 一段飛ばして、また一段。

 手すりを掴んで、急旋回。

 足を踏み出して、もう一歩。

 

 

 

『アリサちゃん、危ない――――ッ!?』

 

 

 

 下から、すずかが血相を変えて叫んだ。

 

 

 

 ハッ、と、真上を見上げる。

 

 

 

 瓦礫の濁流。

 

 

 

 刹那に、背中を叩く衝撃。

 

 

 

 肩越しになびく金髪が見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、りしあ……すずか……?」

 

 フラッシュバックする記憶が脳裏をよぎる。

 

「へんじ、して――ぅッ!?」

 

 起き上がろうと手をついて、激痛が脳天まで駆け抜けた。

 右腕が軋むような鋭い痛み。思わず身をよじり、その痛みに固まった。

 

 左手は、辛うじてか無事らしい。

 歯を食いしばり、頭と左腕を支えに、何とか身を起こした。

 

 蛍光灯はとっくに落ちていて、光は全くない。

 バチッ、と。割れた非常口プレート裏から、プラグが火花を吐き出した。

 

「……さむ……」

 

 コチコチと、歯の奥から音がする。

 身体中が震えている。

 

 気温だけではない。

 未知の現象、無音の空間、孤独の時間。

 ありとあらゆる不安が、底知れぬ恐怖で絶望を押し付けてくる。

 震えを止めようと歯を食いしばったところで、芯から凍える悪寒はとどまるところを知らない。

 痛む右腕を抱えて蹲るしかできなかった。

 そうでもしないと、凍り付くように息が止まってしまいそうで……。

 

 

 

 カツーン、と。

 

 

 

「ひっ!?」

 

 

 

 音がした。

 小石が一つ、地面を打つような。

 その音はずっと真っ直ぐ、一本の廊下の方から聞こえた。

 

 自然と、視界はそっちを見ていた。

 

 天井が崩れ落ちて、穴が空いている。

 その穴からは微かに光が差し込んでいて、砂埃が舞う様がよく見えた。

 

 その、少し手前。

 少女が一人、仰向けに倒れていた。

 僅かな光が、その顔を照らす。

 

「すっ、す、すずかっ……!!」

 

 極寒の最中を思わせる悪寒に、呂律すらまともに回らない。

 ふらつきながら立ち上がって、時折転びそうになる。

 でも、目の前の親友を放っておくことはできなかった。

 

 すぐ横に膝を着いて、横たわるすずかを見下ろして、しばし固まる。どうすればいいのか、一瞬わからなかった。

 見よう見まねで、首元に指先を当てた。

 まだ体温は温かくて、脈拍も感じ取れる。

 呼吸も、胸は浅く上下していた。

 

 生きている。

 

「は、ぁ、良かった……良かったぁ……」

 

 幸い、出血は見当たらない。

 微かな擦り傷や打撲の痕は見えるが、致命傷に見えるものは無かった。

 

 そっと、すずかの手を握る。

 間違いなく、温かな親友の手だった。

 

「ん、…………う……?」

「っ、すずか、大丈夫なの……っ!?」

 

 ふと、左手が握り返される感触。

 すずかが呻き、薄く目を開けた。

 

「ぁ、アリサ、ちゃん…………良かった、無事、だったんだ……ね……」

「な、なにを言ってるのよっ、無事に決まってるじゃない……ッ!! すずかこそっ、頭打ってたりは……!?」

「大丈夫、だよ……ちょっと、びっくりして、……気絶、しちゃった……」

 

 まだ少し、覚醒しきってはいない。

 微睡みと戦うように、すずかはしばし視線をさ迷わせ、それからゆっくりと起き上がった。そっと、その背を左腕で支える。

 

「……ありがとう、アリサちゃん。ちょっと、目が覚めてきたかも。……えっと、アリシアちゃんは……?」

「っ……、わかんないわ……アタシも、さっき目が覚めたばっかりで……アリシアは見てないの……」

 

 記憶をひっくり返して思い出す。

 得体の知れない()()から逃げるように階段を駆け下りて、前にはすずかが、後ろにはアリシアがいた。

 天井が崩落して、それから……、

 

「アリサちゃんとアリシアちゃんが、一緒に飛び降りて来たのは、わたしも覚えてるよ。咄嗟に受け止めようとして……、その後は……?」

 

 アリシアが、背中を押してくれたのは、覚えている。

 2人まとめて階段から転げ落ちて来るのは、すずかが目撃している。踊り場天井の崩落に巻き込まれたというのは考えにくい。

 普通なら、2人の近くにいると予想できるが、反して辺りには人影が見えない。

 

「アリシアーッ!! いるなら返事してーっ!!」

「アリシアちゃーんっ!!」

 

 何度か呼びかけるが、音は暗闇に吸い込まれるばかりで、返答は一向に帰って来なかった。

 

「どうしよう……病院の人たちも全然いないし……」

「なのはとフェイトは屋上に行ったっきり、はやても消えちゃうし……もう何がどうなって……ッ!!」

 

 少しずつだが、思考が回り始める。

 すると、次々と不可解なことが頭の中で渦を巻き始めた。

 

 はやてが苦しみ始めて、

 その傍らにあった分厚い本が宙に浮いて、

 急に紫色のおどろおどろしいモノが溢れかえったかと思えば、

 逃げた矢先に建物の崩落に巻き込まれ、

 アリシアの姿まで見失ってしまった。

 

 わからない。何もかもが、わからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『いまっ、今、輪廻って言った!? それ、“輪廻”って、“輪廻メグル”!?』

 

 

 

『ほ、ほら、すずかちゃんが前送ってくれた写真……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思い返す。

 

 はやては知っていた。

 

 アリシアも知っていた。

 

 フェイトも知っていた。

 

 なのはも知っていた。

 

 

 

 思い出せ。

 

 

 

 八神はやての青ざめた顔。

 

 

 

 ちりちりと、脳髄が燃えるように、頭の奥が熱い。

 

 

 

 知っているはず。知っていなければいけない。

 

 あの場で少年の不在に違和感を抱けなかった。

 

 

 

 なぜ?

 

 会っているのに。

 話しているのに。

 

 ()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………………………嘘……なんで、忘れて……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パチン、と。

 

 

 

 

 

 

 将棋の駒が置かれた音がする。

 

 

 

 

 

 どうする? と。

 その少年は、記憶の中で、静かに目を閉じて、雰囲気で問いかけてくる。

 

 

 

 

 盤を挟んだ対面に座る、同い年の男の子。

 

 

 

 

 

「あ、ああっ……!!」

 

 

 

 

 

 図書館で、彼を見かけた。

 

 車椅子を押して、彼の元へと歩み寄った。

 

 

 

 忘れるはずもない。忘れるワケがない。()()()()()()()()()()()ッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……メグルくんが……、いなく、なっちゃって……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 主を失った教室の机。

 

 誰かの荷物が入っている棚。

 

 テープが貼られて開けられない下駄箱。

 

 

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 その日、まるで最初から居なかったかのように存在を消してしまった、少年がひとり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふたりは、初めてその存在を思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『C分隊、行動不能!!』

『A分隊全滅、至急回収を――ッ!!』

『こちらL分隊、負傷者が――――ぎゃあああぁぁぁぁぁぁっ!?』

 

 

 

 盤面から3つ、駒が弾かれる。

 

 

 

『結界構築完了しました!! これより援護に向かいます!!』

『結界の劣化が早すぎる!! 維持に人数が足りません!!』

 

 

 

 追加投入できる戦力は最悪値。状況の好転は見込めない。

 

 

 

「G分隊はW分隊と合流、その間にK分隊が正面から注意を引くんだ!! J分隊は僕の元に!!」

 

 

 

 クロノ・ハラオウンに迷いは許されない。

 刻一刻と移り変わる戦況に余計な思考は使えない。

 

 腰のベルト、カードホルダーに収められたデュランダルのフチを、親指でそっとなぞった。

 

 切り札は、これしかない。

 

 眼下で闇の書の暴走体の周りを飛ぶ隊員たちを見下ろし、乾いた唇をなめる。

 

 暴走体は秩序のない獣だ。

 駄々をこねるように破壊を振りまく。

 地団駄を踏むだけで大地を捲り、津波を引き起こす。

 背中から無数の蛇を生やして、その蛇一匹一匹の鼻先から放たれる砲撃魔法。威力も高く、即死ではないが、当たれば重傷は免れない。

 

 そして、目下のところ暴走体を中心に広がる謎の領域。

 結界魔法により浸食を防いでいるものの、長くは保たないだろう。

 分隊の砲撃魔法は当たっても効いている素振りはない。ただ、暴走体は、鬱陶しいと言わんばかりに虫を叩き落とす。

 

「火力不足……、」

 

 思わず嘆きが口から漏れる。

 暴走体の巨体そのものが分厚い装甲であり、それを突破して傷をつけたところで、底無しの魔力を贅沢に使った超高速再生が、一瞬で全てをなかったことにしてしまう。

 

 デュランダルならば、その状況を突破できるか?

 

 否。

 

 突破は不可能。

 

 しかし、硬直した戦況に一石を投じることは可能だ。

 エターナルコフィンならば、あの暴走体を丸ごと凍結することができる。動きは止められるだろう。

 

 ()()()()()()()

 動きを止めただけで、暴走体が無くなる訳ではない。

 暴走体を消滅させるにはブレイカー級の魔法か、もしくはアースラのアルカンシェルしかない。

 アルカンシェルの場合、地表に向けて撃つことはできない。威力を考えると大地諸共吹き飛んでしまう。使うならば宇宙空間に暴走体を転送する必要があるだろう。

 その転送魔法も、暴走体の今の巨体では収まりきらない。攻撃魔法で極力小さくしなければ実行は不可能だ。

 

 エターナルコフィンによる魔力消費は、クロノ自身の総魔力量を考えればその大半を食い潰すだろう。立て続けにブレイカー級魔法を行使する程残りはしない。

 

『全分隊に通達、暴走体は陸地から完全に離れ沖合の目標地点に到達っ!! ――――クロノッ!!』

 

 通信でエイミィの声が鼓膜を叩いた。

 

 決断まで、あと刹那。

 

 

 

「総員、ただちに当該区域より退避せよッ!! これより、広域凍結魔法を行使する!! その後、直ちに砲撃魔法の準備をッ!!」

 

 

 

 

 可能性に賭ける。

 

「――――提督、アルカンシェルの準備を。波状砲撃終了後、転送します」

 

 選択肢はない。

 氷漬けにした暴走体を可能な限り破壊し、転送可能な状態にまで縮め、その後宇宙空間まで魔法で転送。アルカンシェルにて消滅させる。

 

 転送魔法の行使はクロノがやる。

 専門ではないが、できなくはない。

 ただし、残った魔力で転送できる距離は大気圏を抜けれるかどうか。暴走体が大きければ大きいほど、その距離は縮む。

 

『アルカンシェルの使用許諾――――承認』

 

 地表に近い場合、アルカンシェルの余波が被害を生むだろう。

 

 

 

 だが、あの眼下のバケモノよりはずっといい。

 

 

 

 

 あとは、やるだけ。

 

 

 

「――――悠久なる凍土」

 

 

 

 氷結の杖デュランダルを顕現。スタンバイからアクティブへ。

 

 

 

「――――凍てつく棺のうちにて」

 

 

 

 詠唱開始と同時、リンカーコアから大量の魔力が杖へと注ぎ込まれてゆく。

 

 

 

「――――永遠の眠りを与えよ」

 

 

 

 ごっそりと、魔力を失った。

 

 それは目眩(めまい)だろうか。

 微かに視界が白けたような。

 

 

 

「――――凍てつけ」

 

 

 

 いや、違う。

 口から漏れた吐息が、白く染まった。

 

 デュランダルが淡く光っている。

 

 

 

 寒い。

 

 鼻から息を吸って、その冷たさに震えたくなる。

 

 

 

 それは死の予感だろうか。

 やがて生命は息絶えて。

 冷たく、氷のように眠る。

 

 

 

 永久凍土という名の棺(エターナルコフィン)

 

 

 

 

 

 これならば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『         A         』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 果たして、それを目があったと表現していいのかわからなかった。

 

 

 

 

 ただ、背中を駆け抜けた悪寒が、寒さではなく恐怖によるモノだと理解するのにそう時間はかからなかった。

 

 

 

 振り上げたデュランダルを振り下ろす、その瞬間。

 

 

 

 暴走体の頭の上、女のシルエットが、

 

 背から生える無数の蛇たちが、

 

 間違いなくクロノの方を見ていた。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()

 やがて思い至る未来予測に。

 真っ暗な闇が見えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょぉーっと待ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その濃厚な死の闇を振り払ったのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雷

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なン          !?」

 

 自身の声すらかき消され。

 視界が真っ白に染まり上がった。

 

 思わず耳を塞いで、それが意味をなさないと悟っても。

 

 耳鳴りと頭痛が、掌を耳から離そうとさせてはくれなかった。

 

 

 

 

 

 それからたっぷりと10秒は身動きできなかった。

 恐る恐る目を開け、薄っすらとぼやける視線で遥か下に目を向ける。

 

 そこに先程までの恐怖はなかった。

 

 見れば、暴走体から無数に伸びていた蛇たちは例外なく切り落とされており、巨体を支えていた足は雷に打たれたかのように痙攣し、海辺に伏していた。

 

「……何が……?」

「クロノ、大丈夫? っていうか間に合った?

「っ、フェイ―――…………ト?」

 

 その声は実に聞き馴染みがあった。

 

 自分の名を呼んだのは、確かにフェイト・テスタロッサで。

 振り返れば、そこには確かに彼女がいた。

 

 雷を纏わせ、バチバチと放電させながら。

 空気が一瞬で乾燥し、静電気のようなねっとりとした感覚が顔中を撫でる。

 

「アリシア、もうちょっと出力抑えないと……え、もっと? 結構抑えるの繊細でまだ慣れないんだけど……

 

 その声音は間違いなくフェイトのものだが、アリシアの名を呼んだ次の瞬間、違和感がクロノの中ではっきりとわかった。

 彼女の喋り方というかトーンは、姉のアリシアを思わせるものなのだ。

 

「……アリシアと話してるのか?」

「あ、うん。今は訳あってよくわかんないけどフェイトとわたしが一緒になっちゃってるって言うか? あ、アリシア? 急にしゃべられると困るんだけど……でもこうしないとクロノと話せないよ? それは、そうなんだけど……」

 

 フェイトが喋っているのに、急にアリシアのトーンに切り替わる。

 多重人格かと疑うほどの切り返しっぷりにクロノは舌を巻いた。

 

 ともかく、何やらフェイトとアリシアが一体化している、らしい。原因は不明。

 ただ、フェイトとアリシアは魂を共有する存在だと輪廻メグルが言っていた。それが何かしら作用したのかもしれない。

 

とりあえずクロノは感謝してよねっ、わたしたちが間に合ったからよかったけど!! うん、もうちょっと遅かったら、危なかった。気を付けてね」

「……それには感謝しているよ。何があったかは後で聞く。ひとまずは……、アレをどうにかするのが先だ」

「うん……直撃させたけど、あまり効果はないみたい……? そうだね、蛇は割とアッサリだったけど、本体に当たる直前で急激に減衰してた。何かしらバリアでもあるのかも

「……因みに、何を直撃させたんだ?」

純粋な雷をいっぱい。今は勝手に出てくるやつを無理矢理押し付けるのが精一杯かなぁ。……うん。今までよりずっと速くなってるけど、速すぎて制御しきれていないのが現状。止まっていれば、何とか……」

 

 眼下を見やり、再び暴れながら起き上がる暴走体を睨みつける。

 

 クロノの窮地を救ったのは、ただフェイトたちが速く動いた衝撃波と電撃の嵐。

 今の彼女らはいるだけで稲妻を迸らせる存在と化しており、飛び回るだけで雷嵐を顕現させてしまう。

 今もなお身体中が帯電しており、時折バチッと音を立てて稲妻が弾けていた。

 

って言うかそろそろ動き出しそうだけどどうするの?

「やることは単純だ。動きを止めて攻撃、弱ったところを転送魔法で打ち上げ、アルカンシェルで破壊する。拘束は僕がデュランダルを使って実行、転送魔法も得意じゃないが使える。魔力が少ないから、奴の凍結中にできる限り削ってほしいのが本心だ」

「わかった。何とか、やってみる。でもフェイト、アレ以上の火力出そうとすると、わたしたちまた()()()()()()()()()()()()()()()()

()()()()()……?」

 

 なんだそれは、と顔を向けて見れば、アリシアが表情に出てきてこう言った。

 

わたしとフェイト、実はさっきまで火星に激突して迷子になってたの。バルディッシュが教えてくれたから気付いたけど、移動が速すぎて地球にいられないみたい

「どういう存在だそれは……」

「わからない……メグルがいたら、わかるかもしれないけど……」

 

 ともかく、光速に近いレベルで移動するがゆえに、地球の重力圏を簡単に突破し、宇宙空間に投げ出されるということになる。

 

出力をセーブしながらじゃないと、戦線にとどまれない。火力は上げたいけど、流石に今度は土星まで行っちゃったらヤバいでしょ? 宇宙空間だと、現在地も把握しづらいから……下手をしたら戻れなくなる、と思う」

「……わかった。なら自分のできる範囲でいい、削ってくれるだけで大助かりだ」

 

 よし、とクロノは内心小さく拳を握る。

 火力枠がひとりプラス。これはかなりの朗報だ。

 手札が増えれば、戦況はこれまでよりずっと良い方へ傾けられる。不安はあるが、先程の手詰まりよりはまだまだマシだ。

 

あ、でもそんなに悲観しなくてもいいんじゃない?

「? それはどういう意味だ?」

ほら、あの炎――――、うん、あれは――――、」

 

 ふと、フェイトとアリシアは、ある方向を指差した。

 

 

 

 

 

 

 そこにはかつて山があったのだろう。

 しかしそこにはもう面影などない。

 

 ひとつ。

 音が響く。

 

 それはひたすらに大きな影。

 

 白き炎の荒野の、その真ん中。

 

 

 

 

 見上げるほどの巨人が、ひとつ。

 

 

 

 

 

 とある神話によれば。

 

 

 

 かつて神なる大地は巨人を産み出した。

 

 

 

 巨神・タイタン。

 

 

 

 その身は星の大地でできていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 土も、木も、岩も。

 あらゆる大地が、そこにある。

 

 腕を成し、脚を成し、身体を成し。

 

 

 

 

 

――――オオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ――――

 

 

 

 

 

 高らかに、咆哮する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっ、何ッ!? 何なの!?」

「わ、あ、アリサちゃんッ!? わたしたち飛んでるよぉっ!?」

 

 その掌に、小さな命がふたつ。

 

 

 

 

 

 

「――――……話を聞いたとは言え、酷い惨状だな……」

 

「……うん」

 

 

 

 

 

 その肩に佇む、少年と少女。

 

 

 

 

 

 その少年は深く被った帽子のつばを摘んで、じっと海辺に横たわるモノを睨み付けた。

 

 

 

 

 

「…………本当に、ロクでもないことをしてくれた」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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