“眼”を持つ者 〜死を告げる瞳〜 (メルポップスーヴァ)
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眼の意味
私は物心のついた頃から、というよりはおそらく生まれた頃からだろうが、あらゆる生き物の頭上に数字が見えていた。
その生き物に名前があれば、そのフルネームも伴っていた。
小さな頃から見えていたこの現象を周りに話しても、子供の言葉と無下にされるか、頭でも打ったのかと心配されてきた。どうやらこれは
そうと分かれば次にやることはその数字の持つ意味を調べることだった。とはいえ当時子供だった私には、周囲にはこの数字が見えていない、ということも相まって大した調査はできなかった。
だが私が近所の小学校に入学して三年ほど経った頃、その数字の意味は自然と理解できるようになった。
今でも忘れることのできないあの日。
当時三年生であった私は、テストで100点を取ったときには得意になって周りに自慢する、普通の男子小学生であった。狭い小学校という世界の中で自分を天才と信じて疑わなかった私には、山下という近所に住む仲の良い少女がいた。
三年生になっていたとはいえまだまだ子供だった私は、幼い頃からずっと持病のようにつきまとう、生物の頭上に示される謎の数字が一体何を示すのかについて考えることがなくなっていた。
朝起きて顔を洗って鏡を見れば、私の名前とともに数えるのも億劫になるほどの数字列が並ぶし、朝ごはんを家族とともに食べていれば嫌でも両親と姉の名前と、そこに付随するように示される数字があるのである。
これは一体何なのだ、と考えるよりも、思考を放棄した方が幾分楽だった。
さて、ある日。教室で何時ものように騒いでいたときにふと山下の方を見て、私は仰天した。
他の友達は皆5桁、少なくとも4桁の数字が頭上にあるのに、彼女にはただ『8』とだけあった。
なんでだろう、と子供ながらに考えてみても、答えは出なかった。今思えば、出したくなかったのかもしれない。
ヒントは沢山あったのだ。夏によく見るセミの数字も、弱ったハムスターの上の数字も。
全部がある一点を示しているのに。何故か大丈夫と、無責任に、無根拠にそう思った。
そうして7日経ってお昼を少し過ぎた頃、彼女の上にあった『1』という数字は、唐突に24:00:00となって、カウントダウンを始めた。金曜日のことだ。
考えないようにしていた私は、当時ぼくだった。
『ぼくに何ができる?』
そんなことは考えもしなかった。彼女だけは違う。何故だかそんなことを考えていた。死の可能性を考慮しなかったのだ。
そうして彼女は死んだ。躓いたことによって後頭部を強打し、そのまま出血と脳震盪とで死んだようだった。
通夜で棺の中で見た彼女の顔はとても安らかそうで、不謹慎ながら安心した。
彼女の頭上には、もう何もなかった。
そのことが私に、ようやく数字の意味をわからせたのだった。
そして私が社会人になったころ、世界を震撼させたあの出来事が起きるようになるのである。
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