美しき徒花 (宰暁羅)
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復讐
復讐・Ⅰ


ハーメルンへの投稿は初となります。
とりあえず、全六章構成を予定しています。


 

 

「あまり大きな声では言えないんだけどね。僕は、アイヤールの皇子なんだよ」

 

 

 

 

 早朝、起床したティコがまずしたことは、纏わり付く寒さに身震いすることだった。

 テラスティア大陸の南部に位置するフェイダン地方は、他の地方と比較すると大分気温が低い。ティコの暮らす《年輪国家アイヤール》、その所有領の一つ《陰影領ゴラ》とその近辺は安定した気候を持つと言われているものの、秋と冬の境目に差し掛かった現状、もはや暖かさなど微塵も感じられない。

 住んでいる家、いや家と呼ぶのもおこがましい穴の空いたテントは隙間風があちこちから入り込み、着ている服は袖のないボロ布同然の粗末なもの。今まで風邪をひいていないことが奇跡のような有様だ。

 

 ティコは、逃亡奴隷である。

 

 両親を事故で失ったのがちょうど1年ほど前、十三歳のときのことだ。自分を引き取った叔母の陰湿ないじめに耐え切れず、家出をして物乞いになった。

 自分一人でも生きていける、そんな幼い希望はあっという間に打ち砕かれ、空腹に耐え切れずに窃盗行為を働き、すぐに捕まってこの《陰影領ゴラ》に送られた。

《陰影領ゴラ》はアイヤール、というよりフェイダン地方でも珍しい、奴隷制度を公認している領だ。アイヤールはおよそ五十前後の自治領で構成されており、中には死罪にするまでもない、かといって無罪放免ともいかない犯罪者を拘留し、養う余裕のない弱小領も存在する。そんな犯罪者を引き取り、奴隷として奉仕活動をさせて罪を贖わせるのが、このゴラなのだ。

 一言で奴隷とはいうが、その扱いは千差万別だ。

 良い主人に当たればきちんとした給金が与えられ、借金を返済し終わった後も就職先の世話をしてくれる。しかし、酷い主人に当たれば暴力の嵐に晒され、食事も碌に与えられず、相手が魔術師ならば実験材料にすらされてしまうという。

 そんな噂を、何度も聞いた。

 ティコは女だ。まだ成人前の身の上だが、容姿は中の上――だと自分では思っているし、胸だって少しずつ膨らんできている。下卑た男の主人に引き取られたら、どうなってしまうのか。想像すると、生理的な嫌悪感に苛まされた。

 だから、ティコは逃げ出した。他の奴隷たちと結託し、看守の目を盗んで領の外へと飛び出したのだ。

 

「その結果が、これか」

 

 変な臭いがするようになった毛布を掻き抱き、ティコは苦い顔で呟く。

 領外の森の奥深くに逃亡奴隷の村を作ったはいいが、その生活は苦しかった。なにせ着の身着のまま、脱出の際に奪ったシャベルやら棍棒やらが唯一の所持品という有様だ。

 街道を通る商人の馬車を襲い、幾許かの生活用品――ティコが寝泊まりしているこのテントのような――を入手することもあるが、自分たちで勝てるくらいの護衛しか雇っていない馬車など、そう日に何度も通るわけではない。

 何より、森の中では人類の天敵たる、蛮族の姿を時折見かけるのだ。魂に穢れを帯び、強靭な肉体を持つこの種族は、並の人族など容易く縊り殺してしまう。蛮族以外にも、獰猛な動物や、幻獣の報告例もあった。

 通行手形が無ければ、アイヤールの他の領へは入れない。別の国に行こうとしても、それまでに食料が尽きるだろうし、蛮族と遭遇する可能性はより高まる。

 八方塞がりとはこのことか。

 神様は私に何か恨みでもあるのだろうか、とティコは内心で溜息をつく。両親が暴走する馬車に轢かれて亡くなった瞬間から、ティコの人生の歯車は狂ってしまった。本当なら、ティコは今でも両親と共に、温かいスープを飲んでいたはずなのに――

 

「ティコ、起きてるかい?」

「……ひゃっ!?」

 

 突如、テントの外から声をかけられ、ティコは思考の渦から強引に呼び戻された。

 ――村での生活はかなりキツいが、それでも、良いことがまったく無いというわけでも、ない。

 

「お、起きてます! ちょっと待っててください!」

 

 そう返事して、ティコは慌てて寝癖のついた髪を手櫛で梳き始めた。

 父の遺伝で、かなりの癖っ毛であるティコの髪は、寝癖があろうとなかろうと、あまり変化はない。それでも、『彼』の前に出る際は、少しでも、身なりを整えておきたかったのだ。

 

「お待たせしました、ラスティンさん」

 

 目ヤニを指でこそげ落とし、口元に涎の痕がないかの確認を終え、ティコはテントの扉をめくった。

 周囲を覆う木々の隙間から差し込んだ太陽の光が、既に現在の時刻が日の出を過ぎていることを告げていた。どうやら、寝過ごしてしまっていたらしい。

 視線を横に逸らすと、背の高い青年が、微笑を浮かべて立っていた。

 

「おはようございます、ティコさん。今日もいい天気ですよ」

「す、すみません。ちょっと、起きるのが遅かったみたいです」

「ああ、気にしないでください。昨夜、遅くまで話に付きあわせてしまいましたからね。謝るのは、僕の方ですよ」

 

 そう言って、青年――ラスティンは、頭を下げる。

 

「そ、そんな! ラスティンさんが、そんなことする必要なんてないですよ!」

「そうですか? 優しい人ですね、ティコさんは」

 

 再び微笑を浮かべた青年を前に、ティコは顔を真っ赤にして、俯いた。

 ――ラスティンは、最近ふらりと村にやってきた冒険者だ。

 村の周辺に、約三百年前に滅んだ魔動機文明(アル・メナス)時代の遺跡があり、その発見と調査のために訪れたのだという。

 出会った当初は自分たちを捕まえるために、ゴラの領主が雇った密偵なのではないかと疑った。しかし一緒に暮らし始めて二週間、既に疑いは晴れ、村の大切な客としての扱いを受けている。

 というのも、ラスティンは強力な魔術師なのだ。特に戦うための訓練を受けていないティコたちと違い、お腹を空かせた狼や蛮族たちと遭遇しても、容易く追い払ってしまう。

 更に、楽器の演奏と魔力を秘めた歌で、近くにいる小動物を呼び寄せる吟遊詩人(バード)としての力も持っていた。おかげで、ラスティンが村に来てから、食糧事情は大分改善されていた。

 

「今日も、ラスティンさんは遺跡を探しに?」

「ええ、それが目的ですしね。午後になったら、いつも通り、狩りの護衛をしますよ」

「そうですか……。…………」

「――どうしました? 僕の顔に何かついてます?」

「……へっ!? い、いえ、なんでもありません!」

 

 惚けた顔でラスティンの顔を見つめていたティコは、慌てて首を横に振った。

 ラスティンの顔立ちは、兎にも角にも美しいという形容詞が似合う。

 どうしても荒くれ者というイメージのある冒険者像からかけ離れた、さらさらとした黄金の髪に白磁のような肌。睫毛は長く、その青い瞳は遠くを見透かすように澄んでいる。

 まるで物語に出てくるような、王子様みたいだ。

 それが初対面の時、ティコが感じたラスティンへの第一印象だった。

 

(でも)

 

 唾を飲み込み、ティコは伏目がちにラスティンをちらちらと見上げる。

 

()()()、じゃなかったんだ)

 

 ――僕は、アイヤールの皇子なんだよ。

 

 昨夜。彼が耳元に囁いた言葉が、今も耳朶にそのまま残っている。

 アイヤールは皇帝を頂点に置き、その直接の血統が後を継いでいく世襲制となっているが、その制度にはアイヤールの歴史を踏まえた、独自のシステムが組み込まれている。"皇族還り"と呼ばれる、皇族の子息は五歳になったら各領の有力者に養子として預けられ、そこで目立った成果を挙げた者のみ、皇族としての復帰を認められるという後継者育成制度だ。

 現在の皇帝はセラフィナという名の女性であり、彼女は未婚で子供はいない。彼女が仮に崩御した際の皇位継承権を持つ存在は三人認められており、その全てがセラフィナの異母妹、即ち女性だ。男子の継承権のほうが優先されるため、男の皇族が現れた場合、継承権はいきなり一位に躍り出ることになる。

 ラスティンは、そんな男性の、アイヤール皇族であるという。

 

「ティコ。僕のことは、あの後、他の誰かに……?」

「い、言ってません、言ってません!」

「そうですか。良かった、あまり吹聴されたくない話ですからね」

 

 ふっ、とラスティンは寂しげに微笑む。

 何故今まで皇族として名乗りを挙げなかったのか、という当然の疑問に、ラスティンは「色々と事情があるんだ」としか答えなかった。しかし、今探している遺跡で何かしらの発見をすれば、それが皇族として戻れる足がかりになるかもしれないという。

 

「でも、なんで、そんな話をあたしに……?」

「……言わなければ、わかりませんか?」

 

 真摯な目で見つめられ、ティコの心臓がどくんと飛び跳ねた。

 ティコだって、薄々と感じていたものはある。この二週間、村の住人の中で、ラスティンは特にティコを気にかけていた。自意識過剰な勘違いではなく、確信のようなものが抱ける水準で。

 つまり――ラスティンは、自分のことを――

 

「おっと……そろそろ行かないと」

 

 しかしラスティンはすぐに視線を逸らし、ティコに背を向けてしまった。

 ずるい、とティコは頬を膨らませる。

 こっちの気持ちをいいように弄んで、でも自分は何も言わないで。

 でも、これが大人のやり方なのかな、とも思う。まだ、成人にも至ってない自分ような小娘には持ち合わせていない、恋の駆け引きってやつなのかもしれない。

 

「行ってらっしゃい。気を付けてくださいね」

「ありがとう」

 

 涼やかな笑みと共に、ラスティンは村の外、森の奥深くへと向かっていった。

 遺跡が見つからなければ、このままずっと彼と一緒にいられるかもしれない。

 でも、遺跡が見つかれば、彼は皇族として皇城に迎え入れられることになるだろう。

 もしかしたら、その時は、自分を連れて――

 

「――皇妃、かぁ」

 

 思わず漏れた呟きに、ティコは頬が緩むのが止められなかった。

 現皇帝のセラフィナは大層な武闘派で、隣国である蛮族の大帝国、《紫暗の国ディルフラム》とは常に戦端が開かれている状態にある。

 自ら戦場に立つことも多い女帝は、いつ死んでもおかしくはないだろう。

 その時までに、ラスティンが皇位継承権第一位として認められていれば――

 

「ふふ、ふふふ」

 

 ようやく、運が回ってきた。

 今までにあった辛い日々は、これから先の幸福を得るためのものだったんだ。

 こんな、満足な食事も得られず、着衣は不潔で、お風呂だってない生活とは、もう少しでおさらば出来る。

 豪奢なドレス、柔らかなパン、きらきらの宝石、傅く従者――

 

 すぐに訪れるだろう未来を夢想し、ティコは幸せそうな笑い声を上げるのだった。

 

 



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復讐・Ⅱ

「単純な女だ」

 

 ラスティンはその端麗な容姿に似つかわしくない、下卑た笑みを浮かべた。

 立ち止まり、感覚を研ぎ澄ませる。背後から誰かがついてきているような気配は、ない。

 ラスティンの斥候(スカウト)の心得は齧った程度のものでしかないが、それでも素人に比べれば雲泥の差がある。村人の誰かが後を追ってきているようなことは無さそうだ。

 

「ま、あの女なら、いい供物になってくれそうだぜ」

 

 先程までの上品さはどこへやら、乱暴な口調で独り言を呟く。

 この二週間、信用を得るためにひたすら『いい人』を演じ続けてきたせいか、肩が凝ってしょうがない。だが、それももう少しの辛抱だ。

 ティコは完全に、自分が皇子だという話を信じきっている。普通はもう少し疑ってかかるものなのだろうが、冬が近づき、袋小路に追い詰められた絶望感で、ラスティンという一縷の希望に縋ってしまっているのだろう。

 おめでたい話だ、そう彼は嗤う。

 幸運なんて、拾ったところですぐに手から零れ落ちてしまうものだ。

 かつては彼も、うだつのあがらないただの若者だった。そこに幸運が飛び込み、人生が開けたと希望を覚え――そして、全てを失った。

 あの時の屈辱。喪失感。思い出すだけで、体の中から憎悪が溢れ出してくる。

 

「見てろ……今度は失敗しない。俺はのし上がるんだ……もう一度」

 

 村から大分離れた森の奥深くへと、彼は歩を進める。

 枯れ葉を踏みしめ、草薮を手で払い、彼が目指すのは、拠点として見つけていた洞窟だ。

 そこでは、魔神――この世界、ラクシアの外から訪れた異形のもの――召喚の儀式の準備を進めている。

 ティコは、その儀式に使う生け贄だ。

 特別な生け贄を用意することで、呼び出せる魔神はより強力なものとなる。純潔の乙女は、特に魔神の好むところだ。

 そして、魔神の召喚と契約には、順調に事が運ぶ"時"がある。彼が計算した結果、この場所で召喚するのなら、明日、儀式に臨むのが良いはずだった。

 本当なら、魔神の苗床と呼ばれる別の生け贄があればもっと最良の結果を得られたはずだったが、魔神の苗床を作るために必要な『魔神の種(デモンズシード)』を、彼は作り出せる実力(レベル)に至ってはいない。

 仕方なく、妥協を選ぶ他なかったが――それでも、十分な成果を期待することは出来るだろう。

 

「ん……?」

 

 ようやく洞窟の入り口を視界に収めた彼は、違和感に気付いた。

 村の住人は無論のこと、幻獣や蛮族なども寄り付かぬように、彼は洞窟の入り口に細工を施していた。素人目には、ただの丘陵地帯が広がっているようにしか見えないだろう。

 しかし――何かが食い違う。この洞窟を最後に出たとき、自分が見たのはこれと変わらない光景だったか? 風の影響だけでは決して起こり得ないような、不自然な移動をしていないか――?

 ごくりと唾を飲む。ぴりぴりとした焦燥感が、背筋を走る。

 彼は、追われる身だ。奴隷の身分に貶されたことはないが、犯罪者というくくりであれば、ティコと変わることはない。彼を捕まえに、何者かが洞窟に侵入した可能性は、十分にある。

 

「……仕方ない」

 

 彼はその場から後退し、距離を取った。緊張から額に浮かび上がった汗を袖で拭い、背負っていた荷物袋から一抱えもある壺、そして羊皮紙を取り出す。

 羊皮紙には子供の落書きとしか思えぬような図柄が、びっちりと全体を埋め尽くすかのように描かれていた。彼は右手の中指に仕込んだ針で親指の腹を刺し、血の玉が浮かんだ親指を、その契約書の端に押し付ける。

 そして、異界の言語で、何事かを詠唱する。

 すると、彼の顔がみるみる変化していった。眼と耳が、奇怪に、禍々しく――まるで魔神のような変貌を遂げたのだ。

 

「出ろ、ザルバード。契約に従い、我に付き従え」

 

 更に、そう告げて壺の蓋を開く。

 すると、壺の中からしゅるんと何かが飛び出した。それは、彼の側に降り立ち、残虐な笑みを浮かべる。

 皮膜の翼を広げ、大きな角を生やした、赤い肌の異形の存在。どのようにして壺の中に収まっていたのか、その全長は三メートルを優に超えている。

 魔神。

 彼は壺から、契約済みの魔神を召喚したのだ。

 そして顔の変化も、魔神の力を借りたもの――召異魔法と呼ばれる、召異術師(デーモンルーラー)が持つ力によるものだった。

 

「これはこれは、我が主。いよいよ、我をこの世界に解き放ってくれる気になったのかな?」

「馬鹿を言え。いいから、黙って俺の言う通りに歩け」

「おう、いいとも。いいだろうとも。命令には従う、それが契約だからな」

 

 ザルバードは愉快そうに笑い、彼に指示されるまま、洞窟へ近づいていく。

 魔神は、契約した召異術師には絶対服従する。しかし、それは魔神が召異術師の下僕になったことを意味はしない。

 異界より召喚された魔神は、隙あらば契約主を殺し、自由になる機会を伺っている。忠実な従者のように振る舞いつつ、主の命令を曲解し、裏切ろうと虎視眈々と狙っているのだ。

 だから、召異術師は魔神を信用したりしない。契約した以上、魔神を守る義務は生じるが、その関係はドライなものでなければならないのだ。

 

「洞窟へ入れ。そのまま、ゆっくりと、警戒しながらだ」

 

 ザルバードの背後に続きながら、彼はぎりと奥歯を噛み締める。

 施したカムフラージュの違和感に気付いたのは、侵入者がカムフラージュを元に戻そうとして、戻しきれなかったからだ。侵入者は、凄腕の斥候というわけではないのだろう。

 だが、斥候として半人前だったとしても、戦士や魔法使いとしても半人前かどうかはまた別の話だ。ひょっとしたら、仲間だって何人も連れているかもしれない。

 彼は召異術師として、それなりの腕前は持っていると自負している。しかし、それだけだ。他には斥候としての腕が少々と、護身用に覚えてみた、軽戦士(フェンサー)としての技術が微かにある程度。勿論、こんな場面で吟遊詩人としての技能など、何の役にも立ちはしない。

 

「くそっ。こんなところでやられるか。返り討ちにしてやる」

 

 悪態をつく彼の前方、およそ五メートル程度の距離を開けたザルバードが、洞窟内部に足を踏み入れた。

 洞窟内部は狭い。

 すぐに戦闘になるだろう。左手に召異魔法を使うために必要な『魔神の契約書』を握り締め、彼は油断なく、全神経を異形と化した眼と耳に集中させる。

 と――

 

「――第一原質(プリマ・マテリア)・金色解放。我が刃に宿れ、"必殺の光条(クリティカルレイ)"」

「!?」

 

 洞窟内部から、淡々とした声が響き渡った――と思った次の瞬間、一陣の風がザルバードの前方に吹き荒れた。

 

「ザル――」

 

 ザルバードの巨体が邪魔で、詳しいことはわからない。だが、侵入者が魔神の前に躍り出たことだけは、今まで踏んできた場数から、瞬時に推測出来た。

 だから、彼は魔神に命令しようとした。その鉤爪で眼前の敵を引き裂け、と。

 しかし。

 

「ガァ……ッ!」

 

 ザルバードは――崩れ落ちた。

 不意打ちを仕掛けてきた敵の攻撃で、反撃する機会を与えられないまま、心臓を刺し貫かれて。

 赤い魔神は地面に伏したまま、ぴくりとも動かない。僅かな呼吸音も感じられない。

 死んだのだ。一瞬で。

 そして、ザルバードが倒れたことで、侵入者の正体が彼の目にも届いた。

 

「ス、スポーン……!?」

 

 そこにいたのは――ザルバードとは別種の魔神だった。

 いや、魔神と呼ぶのは語弊があるかもしれない。彼の眼前にいたのはスポーンと呼ばれる、魔神が創りだした擬似生物だ。

 他の魔神を模した造形をしているが、知る者が見れば、特徴を大雑把にしか真似ていないのは一目瞭然なため、誤認することはない。

 だが――そのスポーンが、ただのスポーンであるはずがなかった。

 スポーンはザルバードより格下の魔神だし、魔法の効果を持つ装飾品をあちこちに装備したりしないし、その武器はザルバードと同じく、鉤爪のはずだ。目の前のスポーンは――両手に剣を握っている。

 

「――会いたかったわ、ゾグオン」

 

 と、スポーンが言葉を発した。涼やかな、女性の声だった。

 

(こいつ、俺の名前を!)

 

 彼――ラスティンという偽名を名乗っていた召異術師、ゾグオンは、苦虫を噛み潰した表情を見せた。

 やはり、追っ手か。しかし、これは、まさか――

 

「って、この姿じゃわからないわよね。じゃあ、感動の再会といきましょうか」

 

 スポーンの周囲を魔元素(マナ)の光が包み、その姿を、別のものへと変化させる。

 いや、変化ではない。元の姿に戻っているのだ。

 そう彼は判断した。せざるを得なかった。これは召異魔法の一つ、"変異体(アナザーフォーム)"だ。自分や他者の姿を魔神のものへと変え、その魔神の能力の一部を手に入れる――彼には使えない、上級の魔法。

 やがてマナの光が消失したとき、そこにはもう、魔神の姿はなかった。

 代わりに立っていたのは――女だ。

 灰褐色の肌に、銀色の長髪。全体的に細身だが、引き締まった肉体をしている。

 だが、一際目を引くのは、その顔につけた金属製の仮面(マスケラ)だ。顔の上半分を覆い隠すその仮面は、両目以外に額の位置にも穴が空き、その奥から黄金色をした第三の瞳が、ぎょろりとゾグオンを睨めつけている。

 肌と髪の色、そして三つの目――ゾグオンは、この女がシャドウという種族であることを悟る。

 テラスティア大陸の北、レーゼルドーン大陸から流れてきた人族。その猫のような瞳は暗闇を見通し、魔法に対して強い抵抗力を持つ。

 

「仮面をつけた……シャドウ」

 

 そういえば、そんな噂を耳にしたことがあったな、とゾグオンは思い出す。

 アイヤール東部、ディルフラムにほど近い領で、活躍しているという冒険者のチーム。

 そのリーダーが、仮面で顔を隠した女のシャドウ。踊るように派手な動きで戦う軽戦士。

 名前までは聞き及んでいなかったが、通称――"美しき徒花(あだばな)"。

 その噂を聞いた時には、何故仮面をつけているのに美しいなどと称するのかと、一笑に付したものだが――

 

「……お前の顔、見覚えが……ある」

 

 ゾグオンは、いつの間にか震えていた。

 相手が、自分よりも召異術師として遥かに優れ、ザルバードを瞬殺するほどの実力者だから――ではない。

 その容姿に、心当たりがあったのだ。

 仮面をつけていても、その突き刺すような瞳は見える。唇の形、顎のライン、全てが、彼の知る存在と似通っている。

 何より――彼女は先程、再会という言葉を使った。シャドウはフェイダン地方ではまったく見かけない、珍しい種族だ。そして――ゾグオンの知り合いに、シャドウは一人しかいない。

 

「お前は!」

 

 ゾグオンは甲高い声で叫んだ。

 

「お前は、死んだはずだ! 俺が……俺が殺したんだ!」

「ええ、そうらしいわね。その時のこと、私は覚えていないのだけれど」

「……蘇生を受け入れたのか!? お前が!? 魂に"穢れ"を!?」

「ずいぶん迷ったのよ。でも、やっと自由を取り戻すチャンスだった――まあ、それもあんまり覚えてないけど」

 

 女はくすくすと笑う。

 そして仮面を手に取り――ゆっくりと、外した。

 

「あ……あああ……ッ!!」

 

 ――美しき徒花とは、よく言ったものだ。

 彼女は――美しかった。

 まだ幼く、完成しきっていないが――それでも、彼女には『本物』のオーラがあった。

 ゾグオンの記憶にある彼女は、ボロボロで、汚くて、痩せ細っていて、小さくて、まるで物乞いの少年のようだったのに。

 こんなにも、綺麗になって。

 だからこそ、信じられなかった。

 彼女が蘇生に応じるなどと。

 何故なら。

 彼女は。

 

「我が名はマーシエル・ロズカート。復讐を誓い、闇に生きる咲けずの徒花」

 

 

 

 

 

「――"皇族還り"を自ら拒否した、アイヤールの皇女なり」

 

 



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復讐・Ⅲ

 終わった。

 自らの足元に倒れ伏した男の死骸を見下ろし、マーシィは目元に滲んだ涙を拭った。

 拍子抜けするほどに、呆気ない結末。

 マーシィが得意とする、《集いの国リオス》で学んだ流派、"エルエレナ惑乱操布術"の秘伝を使うまでもなかった。記憶の中の彼はとても恐ろしく、絶対に勝てないと思わせられるような相手だったのに。

 放たれた召異魔法"アストラルバースト"は、かすり傷を負うだけだった。

 両腕に魔神の爪を生やす"デモンズクロウ"の一撃は、あくびが出るほどに遅かった。

 むしろ、ゾグオンより高位の魔神と契約を結んでいる、その自慢がしたいがためだけに呼び出した甲羅の魔神(アルギガス)の再封入に一度失敗し、抵抗された際のダメージのほうが大きい。

 だけど――これで本当に、終わったのだ。

 自分の正体に気付いたときの狼狽ぶり。

 小瓶からアルギガスを解放してみせた際の唖然とした表情。

 深い傷を負い、地に頭をこすりつけて命乞いをする惨めさ。

 そのどれもが、マーシィの溜飲を下げた。

 ならば、これ以上望むものはないだろう。

 

「仇は討ったわ――義父さん、義母さん」

 

 マーシィ――マーシエルが養子として送られた古株の騎士の家が、ある過激派の盗賊ギルドによって皆殺しの憂き目に遭ったのが八歳のとき。

 その盗賊ギルドの首領に拾われたマーシィは、いつか行われるアイヤール皇帝暗殺計画の主犯として最も相応しい存在という理由で、暗殺者として育てられることになった。

 これまでの優雅な生活とは一転、ぎりぎり死なないというレベルでしかない暴虐に晒された毎日。

 食事は碌に与えられず、風呂は一週間に一回あるかないか。技術の習得が遅ければ殴られ、蹴られ、何度も胃の中のものや血反吐をぶちまけた。

 幸いだったのは、彼女の肉体的成長が同年代に比べ、かなり遅れていたことだ。そうでなかったら、彼女はギルドの者たちによって、語るのもおぞましい扱いを受けていただろうことは想像に難くない。

 そうして四年の月日が流れたころ、マーシィは救出された。

 当時、皇位継承権第一位だった異母姉――現皇帝であるセラフィナが冒険者を雇い、自ら乗り込んでギルドを壊滅に追い込んだのだ。

 その時のゴタゴタで、マーシィは逃げ出そうとし――そしてゾグオンに見つかり、殺されたのだろうと、事後報告の形で聞いている。

 

「――セラフィナ姉様。私は、皇族として戻る気はありません」

 

 蘇生を受けた者は、死ぬ直前から一時間の記憶を失い、更に一日ほどは身体を動かす気力を奪われてしまう。

 救出から数日経ち、ようやく現状を飲み込めるようになったマーシィは、会いに来た姉にそう告げた。

 

「――盗賊ギルドに攫われ、暗殺者として育てられた。輪廻に逆らって穢れを帯び、おまけに魔神使いでもあります。そんな女が皇族を名乗ったところで、逆に、アイヤール皇家の評判を下げるだけの結果となりましょう」

 

 そんなものは気にしなくていい、そうセラフィナは言った。

 文句を言う奴は、私がぶっ飛ばしてやるぞ、と。

 なんて優しい姉だろう。

 こんな素晴らしい姉に、迷惑をかけるわけにはいかない。

 

「――姉様は、表からアイヤールを導いてください。私は、姉様たちの目の届かない裏の世界から、アイヤールを守ります」

 

 理不尽に奪われた皇族としての将来に、未練がなかったといえば嘘になる。

 しかし――どうしても気がかりなことが一つだけあった。

 それは、自分を殺したと思しき、魔神使いの師であるゾグオンが行方不明のままだということ。

 彼を野放しにしていたら、いつまた、自分のような犠牲者が現れるのか、知れたものではない。

 ゾグオンを見つけ出し、成敗する。そのときこそ、マーシィの失った青春に対する復讐が完結し、新たな一歩を踏み出せるのだ。

 そして、そのためには、力をつけなくてはならない。

 だからマーシィは、冒険者となったのだ。

 

「……帰ろう。姉様に報告しないと」

 

 そして――これからも、冒険者として生きていく。

 皇族として戻ることは出来ないが、姉たちはいつでも、自分を迎え入れてくれる。

 ならば胸を張って生きていこう、とマーシィは思う。

 咲けずの徒花であったとしても、認めてくれる存在がいるならば、美しくはあれるのだ。

 

 

 

 

 

 

「もしもし。少し、よろしいでしょうか」

「ひっ……!」

 

 声をかけると、その少女は怯えた風に振り返った。

 

「失礼。私は冒険者の、マーシィといいます」

「は、はぁ……」

「こちらには人を探しに来ました。別に、あなたたちのことをどうこうしようという気はないので、安心してください」

「そ、そうですか」

 

 全然納得した様子を見せず、警戒するようにこちらをじろじろと見つめてくる。

 仕方のないことだ。ここは逃亡奴隷の村で、彼女たちは《陰影領ゴラ》から逃げ出した犯罪者。常に追っ手に捕まる恐怖に囚われている。

 そこに、仮面で顔を隠した怪しい女が現れれば、警戒しないほうが嘘というものだ。

 

「こちらに、ゾグオンという名の男が訪れていませんでしょうか」

「ゾグオン……?」

「とある犯罪組織の一員で、現在逃亡中なんです。こちらの方面に逃亡したという情報を得たので、この辺りを捜索中なのですが」

「いえ……知りません」

「そうですか。彼は凶悪な魔神使いで、特に人族の子供や少女を生け贄に捧げようと企てています。丁度、あなたのような」

「お、脅かさないでください」

「すみません。とにかく、気を付けてください。容姿は金髪で、青い瞳の、一見極悪非道とは思えぬような、美しい顔立ちをしています」

「…………え?」

 

 ぽかん、と少女は口を開けて固まった。

 マーシィの告げた言葉が、理解出来ないかのように。

 

「どうしました? 何か、心当たりでも?」

「い、いえ……な、なんでもありません……」

「では、私はこれで。見かけたら、近寄らないようにしてくださいね」

 

 少女に頭を下げ、マーシィは背を向けて歩き出した。

 だから、少女が今どんな表情を見せているのか、窺い知ることは出来ない。

 興味もない。

 おそらく、真実を知るよりも、希望(ラスティン)という精神的支柱が残っていたほうが、今の彼女には良かったのだろう。

 しかし、マーシィは教えた。直接的にラスティンとゾグオンが同一人物と言っても反発されるだけだろうから、間接的に匂わせるだけの、自分の立場で出来る最大限の信じさせ方で。

 ただ、少女――ティコがあの男に抱いている幻想を、歪ませたかった。

 作り出された偽りの恋愛感情だとしても、あの男が慕われているという痕跡は、微塵も残したくなかった。

 そんな、ただの我儘だ。

 木々の隙間を抜け、冷え冷えとした風が首元をくすぐった。秋の終わりは近い。

 ――これからどうするかは、彼女たち次第だ。

 冬が到来すれば、彼女たちは生きていけないだろう。餓死するか、あるいは凍死してしまうか。

 そうなる前に、自分から奴隷としてゴラに戻るのが懸命な判断だ。しかし、彼女たちがそんな理性的な行動を取れるかどうかは、不明とか言いようがない。

 マーシィはこの逃亡奴隷たちとは無関係である。自業自得な結末を迎えたとしても、どうすることもできない。助けてあげなければならない義務はないし、そんな義理だって持ち合わせてはいない。

 逃亡奴隷となることを選んだのは彼女たち自身だ。マーシィのように、自分の意思とは無関係に、苦境に立たされたわけではない。

 ならば、自分の行動には責任を持ってもらわなければならないのだ。

 

「私も一歩間違えれば、彼女のようになっていたのだろうか」

 

 自問する。もし、盗賊ギルドの首領に拾われなかったら。物乞いになり、盗みを働き、捕まって、陰影領に送られていたのなら。

 答えは出ない。

 そんな未来は、訪れなかった。過去は変えられない。なら、今を生きるしかないのだ。

 自分の決断で。

 行動に責任を持って。

 

「ま……何にせよ、ようやくケリがつけられた。これからは思い残すことなく、新しい人生を楽しませてもらうとするわ」

 

 もう、辛い過去を振り返るのはおしまい。

 今ある幸福を、ありのままに受け入れていこう。

 仮面をつけたシャドウは晴れやかな表情で、駆け出すのだった。

 

 



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キャラクターデータ・Ⅰ

※マーシィはイグニスブレイズの高レベルキャラクター作成表に則り、追加経験点53000、所持金100000、所持名誉点1000で作成しています。

 これは六章終了時の最終データであり、本編中における彼女のデータはこれよりも若干弱いものとなります。

 

 

マーシエル・ロズカート(マーシィ)

 

種族:シャドウ(種族特徴・暗視/月光の守り)

性別:女 年齢:15 生まれ:軽戦士

 

器用度:30(+5)

敏捷度:32+2(+5)

筋力 :18+2(+3)

生命力:15(+2)

知力 :15(+2)

精神力:19(+3)

 

フェンサー:11

スカウト:7

デーモンルーラー:8

アルケミスト:1

セージ:1

バード:1

(ノーブル:4)

(バウンサー:3)

(ダンサー:2)

(ドラッグメイカー:1)

 

冒険者レベル:11

未使用経験点:0

HP:48+2

MP:43+2

 

戦闘特技:必殺攻撃Ⅲ、防具習熟A/盾、回避行動Ⅱ、武器習熟A/ソード、魔法拡大/距離、武器習熟S/ソード、トレジャーハント、ファストアクション

練技・呪歌・騎芸・その他:クリティカルレイ、ビビッド

 

習得言語:交易共通語(会話・読文)、シャドウ語(会話・読文)、魔神語(会話)、魔法文明語(読文)、魔動機文明語(会話・読文)、フェイダン地方語(会話)、汎用蛮族語(会話)

 

武器:エクセレントレイピア

  :ピアシング

盾 :マナタイト加工のエルエレナケープ

鎧 :ソフトレザー

 

頭:雪結晶の髪飾り

顔:仮面

耳:ウサギのピアス

首:奇跡の首飾り(専用)

背中:カメレオンマント

右手:怪力の腕輪

左手:疾風の腕輪

腰:多機能ブラックベルト/ブレードスカート

足:誓いのアンクレット(専用)

他:アルケミーキット

 

※仮面:金属製。額の瞳用に穴が空いてる特注品。300G。

※奇跡の首飾り:冒険者になると宣言したら、後日、姉から手渡された。

※誓いのアンクレット:同上。主人は勿論姉。スカウト的に、他に装備したいものあるのになー、と思いつつ外しはしない。

 

合計名誉点:1000

所持名誉点:580

 

・美しき徒花(個人称号):20

・黄昏求道団(パーティ称号):30

・多機能ブラックベルト:20

・真っ平らの手鏡:20

・奇跡の首飾り専用化:50

・誓いのアンクレット専用化:50

・エルエレナ惑乱操布術入門:50

・エルエレナケープ:30

・迫る刃に怯えよ:20

・迫る刃に怯えよ・承:30

・"コウモリの羽ばたき"ザシャ・カペルとのコネクション(顔見知り):100

 

※ザシャのコネクションに必要な名誉点はリプレイ『バルバロス・ロワイヤル!』より

 

・5人以上の兄弟姉妹がいる

・大切な約束をしている

・魔神を見たことがある

 




マーシィたち、メインメンバーのデータは実際にダイスを振って決めてます。
ちなみに、マーシィは1回振り直しました。
最初の出目は6ゾロが2回出るなど異様にいい数値になってしまい、「あかん、どう考えても俺TUEEEな感じにしか見えん」といった具合だったので。


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不浄領
不浄領・Ⅰ


「ちょっと……多い、多い、多いって!」

 

 マーガレットが悲鳴を上げた。マーシィも、まったくもって同感だった。

 

「ああもう、銃は嫌いですわ!」

 

 コリンが馬上から槍を振るい、群がる蛮族たちを薙ぎ払う。

 だが、倒されても倒されても、その蛮族たちは怯むことなく、距離を詰めてくる。

 

「っ、きゃあ!」

「ドルチェ!」

「だ、大丈夫です、まだ……!」

 

 マーシィの背後にいたドルチェが強張った笑みを浮かべる。

 回復役のドルチェが狙われるのはまずい。ドルチェが倒れれば、パーティ全滅だってありうる。

 

「ギギィ!」

 

 離れた場所で、先程ドルチェに銃撃を浴びせた敵の大将が、耳障りな声を上げる。

 言葉は通じないが、表情や身振りで、なんとなくマーシィには何を言っているかの予想がついた。

 恐らく、俺が敵の後衛を潰せば勝てるから、それまで持たせろだとか、そんなところだろう。

 

「あの大将さえ討ち取れれば……!」

 

 マーシィは唇を噛む。敵の攻撃を流れるようなステップで回避しつつ、どうにかこの状況を打破する策を考えるが、上手く考えが纏まらない。

 上半身は人型でありながら、下半身は蠍という異形の蛮族――アンドロスコーピオン。

 蛮族の中でも異色な合理主義者であり、多くの蛮族が嫌う人族の遺産"魔動機術"を用いて遠距離の敵を銃撃する、冷静沈着かつ冷酷な戦士。

 マーシィたちは現在、数十を越えるその群れと戦闘中だった。

 

「マーガレット、前に出過ぎですわ! もっと下がらないと、横から抜けられます!」

「そうは言っても、狭くて動きづらいっての!」

「我慢して、メグ。ドルチェのところに敵を行かせるわけにはいかないもの」

「わーってるわよ! ったく、これだけ仲間を倒されてるんだから、ビビって引き上げろってのよ!」

 

 既に十や二十は下らない同族の死体を、彼らは無情にも踏みつけ、前進してくる。

 マーシィたちが陣取っているのは、横幅六、七メートルほどの通路内部だ。全体的に大柄な蛮族の身体では、詰めても横に五人並べるか否かといったところだろう。

 おかげで、大多数の敵に四方を囲まれ、後方に突破されるという事態だけは避けているものの、それもいつまで続くかわかったものではない。

 ダメージを覚悟で敵に背を向け、逃亡を図ろうにも、マーシィたちは先程、特定の場所を踏むと作動する罠地帯を抜けてきたばかりなのだ。

 全力で疾走しながら、その罠を潜り抜けられるのかと問われれば、答えは否。

 だが、このままでもジリ貧なのは、間違いない。

 

「お姉さま! そろそろ魔晶石が尽きそうです!」

「具体的には?」

「全員を回復するのは、あと1回が限度です!」

「ウソでしょ!? あたしら、大ピンチじゃん!」

「いざとなったら、コリンに回復を担当してもらうことになるわね」

「わ、わたくしの"傷癒し(キュア・ウーンズ)"は、一人ずつしか治療出来ませんわよ!?」

 

 全員の顔に、焦燥の色が濃く現れ始める。

 全滅。

 その言葉が脳裏を過ぎり、冷や汗が吹き出た。

 

「マーシィ! あんたの召異魔術は!? 魔神(デーモン)は召喚できないの!?」

「ブルカイネンなら既に死んじゃったわよ、一時間くらい前に見たばかりでしょ」

「ほ、他の冒険者が増援に現れてくれる可能性!」

「こんな奥地まで来れる冒険者グループ、わたくしたち以外にありまして?」

「攻撃を全部避けてくれれば、回復の必要は無いんですよ、マーガレットさん?」

「無茶言うんじゃないっての! アンドロスコーピオンだけならともかく、シザースコーピオンが……!」

 

 軽口を叩きながら、敵の繰り出す攻撃を回避し、反撃を与えていく。

 しかし、どうしても回避しきれない一撃が命中することもあり、ダメージが微々たるものでも、積み重なれば無視できない痛みとなっていく。

 

「ああ、もう! 誰でもいいから、誰かなんとかしてよ!」

 

 マーガレットがヤケクソな絶叫を上げた、その時。

 ――ドンッ!!

 

「!?」

 

 狙撃銃でドルチェを狙っていた敵の大将、スコーピオンスナイパーが突然吹き飛んだ。

 何かが飛来し、スコーピオンスナイパーの鎧に当たったのだ。

 それは、鎧を傷付けることなかった。

 しかし、中に封じ込められていた魔元素(マナ)が鎧を貫通し、その魔力で肉体そのものにダメージを与えたのだった。

 

「ギガ、ギギギガ……ッ!」

 

 苦悶の表情を浮かべ、吐血するスコーピオンスナイパー。

 どうやら、先程の一撃が急所に直撃したらしい。憎々しげに顔を歪め、自分に傷を負わせたものが飛んできた方向を振り向く。

 そこには、何者かが銃を構えている姿があった。

 かなりの遠距離から、銃口をまっすぐターゲットへと向けている人影。

 生憎と、眼前に群がるアンドロスコーピオンたちが邪魔で、マーシィにはその人物が何者なのか、判別出来なかった。

 

「ギガアアアアアッ!!」

 

 怒りの声を上げ、スコーピオンスナイパーが人影に向かって銃弾を放つ。

 人影はよろめき、しかし再度銃を構え直す。

 

「――マギスフィア起動。クイックローダー、ソリッドバレット装填。ターゲットサイト、ロック」

 

 風に乗り、人影の声がマーシィの耳に届く。

 平坦な、しかし隠し切れない怒りの感情が混じった――歳若い、少女の声だった。

 

「ギ……ッ!?」

 

 発射された弾丸が、再びスコーピオンスナイパーに直撃する。

 よろめき、全身から血が吹き出ても、それでも倒れないのは、強靭な肉体を誇る蛮族の矜持のためか。

 

「ギギギギ! ギィィ!?」

「ガギガ! ガギギガ!!」

 

 謎の狙撃手へ突進しようとする部下たちを押しとどめ、スコーピオンスナイパーも負けじと反撃の銃弾を再度放つ。

 しかし――少女らしき人影もまた、倒れなかった。

 並の人間ならばとっくに倒れているダメージを負いながら、三度目の銃弾を浴びせる。

 

「ガァァ――ッ」

 

 それで、終わりだった。

 どう、と音を立てて地面に崩れ落ちるスコーピオンスナイパー。

 白目を剥き、血を撒き散らして倒れ伏すその姿に、冷静沈着なはずのアンドロスコーピオンたちの間に動揺が広がった。

 

「今ですわ、怒涛の勢いで攻め立てましょう!」

「何が何だかわかんないけど、賛成!」

 

 こうなれば、もはやドルチェを狙われる心配もない。

 マーシィたちは勢いに乗って敵を蹴散らし、死体の山を築き上げる。

 近接戦闘を行っていなかったアンドロスコーピオンたちは彼我の戦力差を冷静に判断したのか、脇道から逃げ出し始めていた。

 それは、逆に好都合な展開である。

 どんな相手でも、ラッキーヒットが急所に当たることは起こり得るのだ。必要以上の戦闘は、避けるに越したことはない。

 

「終わったわね」

 

 やがて、周囲に静寂が戻った。

 二十を上回る死骸の数々。返り血でマーシィたちの服はべったりと赤く染まり、全員、疲労の色が濃い。

 

「あの助っ人が来てくれなきゃ、危ないところだったかもね」

「何者なんでしょうか?」

「あ、こちらに近づいてくるみたいですわ」

 

 マーシィたちは油断なく周囲の様子に注意を払いながら、少女を待つ。

 先程、スコーピオンスナイパーを倒したのは確かに彼女だ。だが、敵の敵が味方だとは限らない。

 アンドロスコーピオンと敵対している、別の蛮族という可能性だってある。

 マーシィは目を細め、ふらふらした足取りの少女を見やる。

 一歩、二歩。

 接近するに連れ、少女の全貌が明らかになっていく。

 

「人間?」

「いえ、あれは……」

 

 それは、人の姿をしていた。

 幼さは残るものの、ドワーフよりも長身で、エルフのように耳は尖っておらず、人間のように見受けられる。

 しかし、一点。

 一点だけ、人間にはない特徴があった。

 

「ウィークリング」

 

 それは、尻尾。

 腰から伸びた、踵の先程まである尻尾が、ぷらぷらと揺れている。

 そしてその尻尾は、リルドラケンが持つような鱗を持つ形状はしていない。

 先端に針を持ち、多くの節を持ったその形は、つい先程まで、嫌になるほど目にしたものだった。

 

 

 

「――アンドロスコーピオンの、ウィークリング」




このSSを書いてる現在、アンドロスコーピオンのウィークリングは存在しません。
いや、存在自体はしてるんでしょうが、PCデータ化はされていません。
なので、作者の用意したオリジナルデータを使用させてもらっています。
詳細はこの章最後のキャラクターデータに書きます。


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不浄領・Ⅱ

「……懐かしい夢を見たわ」

 

 瞼を開けば、そこにあったのは先程までの戦場ではなく、見慣れた天井だった。

 冒険者の宿、”天高き花火亭”二階のとある一室。狭い室内の大半を占拠する二段ベッド、その上段がマーシィの寝床だ。

 備え付けの梯子に足をかけ、ベッドから降りる。

 二段ベッドの下段は、マーシィの冒険者仲間(パーティメンバー)であるコリンが使用しているのだが、彼女は現在、所用で遠出をしているため、マーシィの荷物置き場のようになっている。

 

「酷い寝癖」

 

 荷物袋を漁り、中から手鏡を取り出す。市販の、鏡面が多少歪んだものではなく、ぴったりと真っ平らになった特注品。

 覗き込めば、灰褐色の肌を持つ、三つ目の女が映し出される。

 シャドウ。

 それがマーシィの種族だ。

 今まで生きてきて、同種族と会うことは滅多にない。そもそも、ラクシアの人族の七割が人間と言われているわけだが、それでも兎人間のタビットや竜人のリルドラケンの姿はちらほら見かけることがあるのに、シャドウはまったくもって見当たらない。

 シャドウは北のレーゼルドーン大陸に生息する種族であり、テラスティア大陸にいるのは、何らかの理由で渡ってきた者達、あるいはその子孫と言われている。

 ここで問われるのは、渡ってきた方法――即ち、移動手段だ。

 海や河川、あるいは空というルートを使った者もいただろう。だが、その大多数は徒歩、陸路のはずだ。

 大陸は広く、中心部には人族に仇なす蛮族の、広大な領域が存在すると言われている。

 人族の交流も分断されるその蛮族領を、シャドウが軽々と越えることが出来たかどうかといえば、無理だと判断するしかないだろう。

 つまり、シャドウの陸路組はテラスティア大陸北部に留まり、それ以外の手段でやってきた少数しか、フェイダン地方のある南部に来れなかったのではないか。

 というのがマーシィの持論だ。概ね正鵠を射ているのではないか、と自分では思っている。

 

「……母様は、どんな顔だったかしら……」

 

 記憶の中にある母親の顔をマーシィは思い浮かべようとするが、うまくいかない。

 なにせ、五歳のときに引き離されたきりなのだ。もはや思い出は朧気で、自分に似ていたのか、そうでなかったか、その判別すらつかない。

 マーシィの父はアイヤールの先代皇帝、その種族は人間だ。マーシィはシャドウだから、必然、その母もシャドウということになる。

 1年ほど前、マーシィの姉の一人――皇位継承権第一位の皇女、ミスティンが語ってくれた話によれば、マーシィの母はかつて、傭兵として《紫暗の国ディルフラム》との戦に身を投じていたらしい。

 ある日、自ら前線に出て部隊を鼓舞していた皇帝へと、選りすぐりの強者を集めた蛮族の決死部隊が奇襲を仕掛けてきた。護衛は壊滅、皇帝の命もこれまでかというところで、一人のシャドウが颯爽と駆けつけ、蛮族を撃退したそうだ。

 多分に話を盛っている感は否めないが、そのシャドウがボロボロになりながらも皇帝を守り切ったことは、事実のようだった。

 命を賭して皇帝の危機を救った第三の目を持つ女を、皇帝は近衛騎士として召し上げた。その後、どのようなロマンスがあったのかは不明だが、シャドウは愛妾の一人となり、マーシエルという名の娘を産むことになる。

 

「肖像画でも、残してくれていれば良かったのに」

 

 櫛で寝癖を整えながら、マーシィは小さく嘆息する。

 ――既に母はこの世にいない。マーシィが養子に出された1年後に、戦場で散った。

 マーシィは死に目はおろか、遺体が葬られる瞬間に立ち会うことすら許されなかった。養子に出されたときより、マーシィは皇族ではない。ただの市井の子供が、皇帝の愛妾の葬儀に参列を認められるはずがない。

 母と、"皇族還り"していないマーシィは、今でも公にはただの他人だ。それがアイヤールのシステムであり、マーシィ自身も承知の上で、"皇族還り"を拒否している。

 

「それにしても、よくシャドウとして誕生したわね、私」

 

 ようやく寝癖を直し、他に変なところがないかチェックすると、寝間着を脱いで普段着に着替えながら、独りごちる。

 ラクシアには様々な種族が存在するが、異種族間で子は為せない。

 だが、世界で最も古い人族と呼ばれる、人間だけは例外だ。人間は全てではないが大多数の異種族と交わり、子を残すことが出来る。

 その時、子供は父か母、どちらかの種族として誕生する。混ざり合った、別種の種族となることはない。

 そして、人間として生まれる確率のほうが高く、ある学者が統計を取ってみたところ、人間ではない種族が誕生する確率はおよそ四分の一ほどしかなかったそうだ。

 マーシィは、その四分の一に引っかかったことになる。

 

「まあ、それが良いことか悪いことかは分からないけど。姉様たちと一緒じゃないのは、少し寂しいわね」

 

 マーシィの姉たち、そしてもうすぐ第三位皇位継承者として認められようとしている妹は、皆、種族が人間だ。

 唯一、姉の一人が生まれつき魂に"穢れ"を持ってこの世に生を受ける、半魔人(ナイトメア)と呼ばれる突然変異体であるが、ナイトメアにもどの種族を元にしたナイトメアか、という特徴がある。その姉は、まさしく人間生まれのナイトメアだった。

 勿論、まだ"皇族還り"していない兄弟姉妹の中には、あるいはエルフやドワーフ、もしかしたら猫人間のミアキスだっているかしれない(養子に出される前、住んでいた皇城領で兄弟姉妹と一緒に遊んでいたはずだが、異種族がいたかどうかまでは覚えていなかった)のだが。

 

「でも、顔は似通ってる部分があるのよね。だから、隠さなくちゃならないんだけど」

 

 最後に、金属製の仮面を顔に装着する。

 母は違えど父は同じ。マーシィは姉たち、特に女帝セラフィナと容姿的に似通った部分がある。人間とシャドウという種族の違いを差し引いても、だ。

 無論、そんなことに気付く者は極僅かしかいないだろうが、それでも魔神使いであるマーシィが、アイヤールの皇族だと知られるリスクは犯せない。

 別に、生け贄を捧げるような非道な行為はしていないのだが、兎にも角にも召異術師(デーモンルーラー)というものは一般民衆からは、蛮族と変わらぬほどに畏怖され、排斥を受けるものだ。

 特に、シャドウなどというフェイダン地方における希少種族のマーシィは、どうしても世間からの注目を浴びる。

 仮面はそれらの追求を逃れるため、用意したものなのだが――

 

「私の美しさを人に見せられないのって――寂しいわね」

 

 ふっ、と憂いを帯びた表情で微笑むマーシィ。

 ――盗賊ギルドから解放されたとき、彼女は小汚く、貧相な小娘でしかなかった。

 しかし、きちんとした食習慣や睡眠時間を取り戻したおかげか、それから間もなく急激に背が伸び、肌も瑞々しく、すれ違う男性が振り向くような美少女に変貌した――最後は単に、シャドウが物珍しかっただけかもしれないが。

 その差異があまりに大きすぎたせいか、どうにもマーシィは、自己陶酔(ナルシシズム)が強い傾向にあった。

 最近は人前で仮面を外す機会も多くなっており、本人も「ちょっとマズい」という自覚は持っているものの、長時間仮面を付け続けるのは蒸れて不快になるわ、顔がかゆくても掻けないのは苛々するわで、段々と妥協し始めている。

 まあ、本気で隠すつもりなら、名前も変えなくちゃならなかったところだし、今更よね――などと、思っても口に出したりはしないが。

 

「あとはもうちょっと姉様みたいに胸が……って、なんか独り言多いわね」

 

 いつも同室で話し相手になってくれていたコリンがいなくて、寂しさを感じているのだろうか。

 マーシィは苦笑すると、最後にもう一度だけ身だしなみを確認し、扉を開けて部屋を出る。

 窓から覗いた空は突き抜けるような快晴だった。

 今日は昼寝でもして、のんびりとした一日を過ごしたい。

 

 



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不浄領・Ⅲ

 三百年前。〈大破局(ディアボリック・トライアンフ)〉と呼ばれる蛮族の大侵攻により、当時の文明は尽く破壊された。

 人族と蛮族の血で血を洗う総力戦の結果、最終的に人族が勝利を収めるものの、蛮族の脅威は三百年経った今でも残り続けている。

 そんな蛮族を排除し、滅ぼされた遺跡や迷宮を調査し、名声や一攫千金を夢見る者たち。

 人々は彼らを、"冒険者"と呼んだ。

 そして、そんな冒険者たちが集うのが、冒険者の宿と呼ばれる場所である。

 

「おはよう、マスター」

「やあ、おはようマーシィ。昨日はお疲れさん」

「ええ、おかげで起きるのが遅くなってしまったわ」

 

 大半の冒険者の宿は、一階が酒場、それより上階が宿泊施設となっている。

 この"天高き花火亭"も、そんなオーソドックスな構造だ。テーブル席には店に所属する冒険者たちが集って飲食をしながら情報交換を行っており、壁には各地から集められた依頼表が何枚も貼り付けられてある。

 カウンターで帳簿をつけているのは、この店の主人、ミックだ。

 引退した元冒険者で、種族は人間。年齢は四十に届くか届かないかといった壮年の男であり、マーシィに視線だけ送りながら、人好きのするにこやかな笑みを浮かべている。

 一階と二階を繋ぐ階段はカウンターのすぐ隣に設置されている。ここを使用する者は、すぐにミックが気付く仕組みなのだ。

 

「あ、おはようございます、マーシィさん!」

「ええ、おはようイオル。ミルクを一杯いただけるかしら?」

「はい、いつものやつですね!」

 

 話しかけてきた従業員が、先程のマスターに負けないような爽やかな笑顔を浮かべた。

 まだ十代の、人間の若者だ。

 年齢は間もなく成人を迎えるマーシィより少し上程度に見える。

 草原色の髪に色白の肌、落ち着いた優しげな顔付きをしており、美少年と呼んでも差し支え無いだろう。

 名はイオル。本業は冒険者なのだが、現在は半ば引退状態にあり、すっかりこの店の従業員姿が板に付いてきていた。

 

「お姉さま! 起きていらっしゃったんですか!?」

「今起きたところよ、ドルチェ」

 

 カウンター席に座ったところで、遠くにいた別の従業員がドドドドドッと勢い良く近づいてくる。

 見た目は、十代前半の少女。

 肩口で切り揃えられたブラウンの髪に、ぱっちりとした瞳。ウェイトレスの給仕服は若干サイズがぶかぶかだが、それが逆に彼女の可愛らしさを引き立て、よく似合っていた。

 

「メグとミナは?」

「ミナは散策に出かけました。マーガレットさんは、まだ寝てると思います」

「そう。ドルチェはもうお祈りは済ませたの?」

「はい。だからこうして、久しぶりにお手伝いを」

「昨日の今日だから、ゆっくり休んでてもいいと思うのだけれど。偉いわね、ドルチェ」

「えへへっ」

 

 嬉しそうに、照れた笑みを浮かべるドルチェ。

 幼いように見えるが、彼女はマーシィの冒険者仲間であり、優秀な神官(プリースト)だ。

 神官とは神に祈りを捧げ、神の奇跡たる"神聖魔法"を行使する存在。怪我や病気を癒やすのが主な技能であり、彼女が倒れることがチームの全滅に即繋がるほど、重要な役割なのである。

 ラクシアにおける神とは、ラクシアを創造せし三本の魔剣に触れたことで神格を得た人族、あるいは蛮族のことだと伝承は語る。

 ドルチェはラクシアで知らぬ者はいないとされる古代神(エンシェントゴッド)の一柱、妖精神アステリアを信仰していた。

 

「ミルク、お待たせしました! 今、お注ぎしますね!」

 

 と、そこにイオルが現れ、慣れた手付きで空のカップをマーシィの前に手早く置く。

 その上からポットを傾けようとしたところで、くいっ、とイオルの袖が引っ張られた。

 

「イオル。私が、お姉さまに注ぐよ」

「え? いや、でも」

「お願い」

「…………う、うん」

「ありがと! さあお姉さま、ドルチェが愛情込めてお注ぎしますね!」

 

 イオルにポットを手渡され、ドルチェは満面の笑みでカップにミルクを注いでいく。

 マーシィは、仮面越しでもわかる呆れた表情でイオルを見上げた。

 

「……いえ、まあ、別にいいのだけれど。断るにしても譲るにしても、もう少し自己主張しなさいよ、イオル」

「す、すみません」

「イオルを責めないでください、お姉さま! お姉さまを愛する私の想いに、イオルは答えてくれただけなんです!」

「それは……恋人の前で言う台詞なのか?」

 

 カウンターの向かい側で一連の様子を眺めていたミックが、ぼそりと呟く。

 イオルとドルチェは自他共に認める、恋人同士なのだ。

 

「イオルのことは愛してますよ? でも、お姉さまのことも同じくらい愛してるんです!」

「……やれやれ、"双愛一途"とはよく言ったものだ」

「一途って言っていいのかしら、これ」

 

 名声を得た冒険者は、マーシィの"美しき徒花"のような、二つ名あるいは称号で呼ばれ始める。

 それは他人がその人物の功績や印象等から付けたものが広まったか、あるいは自分からそう呼称するよう他人に広めていくパターンがある。

 例えばマーシィの場合、謙遜する時に自分のことを"徒花"と自虐的に例えていたことが多く、そこに他者の『あの仮面の冒険者、素顔は美しい顔立ちしているらしいぞ』という噂が重なり、"美しき徒花"なる二つ名が誕生した経緯を持っていた。

 対して、ドルチェの二つ名は"双愛一途"といい、これは自分から名乗ったものだ。

 

「何度も言うけど、私は異性愛者(ノーマル)だから、あなたの気持ちには答えられないわよ」

「はい! 私が勝手に愛しているだけですから!」

「……イオルはどうなんだ? 恋人がこんなこと言ってるんだぞ?」

「はぁ……ドルチェが心から望んでいるなら、僕は別に……」

 

 イオルは苦笑いを浮かべるも、その目は少しだけ遠いところを見ている。

 完全に本心から納得しているわけではないらしい。

 

「いっそ、イオルもドルチェ以外の恋人を作ってみればいいんじゃないかしら」

「ええっ!? そ、そんなこと出来ませんよ!」

「何言ってるの。男なら、女の二人や三人囲って養えるような甲斐性がなくてどうするのよ」

「おい、女としてその発言はどうなんだ、マーシィ」

「……ん? 何か変なこと言ったかしら?」

 

 かくん、とマーシィは首を傾げる。

 マーシィの父、先代皇帝は数多くの妃や愛妾を持ち、その全てに等しく愛を注いだ。

 それが男として、あるべき姿なのではないのだろうか?

 いや、きっとそうに違いない。

 

「イオル! う、浮気なんてしないよね!?」

「どの口が言うのよ」

 

 イオルに詰め寄るドルチェの膝裏を蹴り飛ばし、ようやくマーシィはミルクに口をつけた。

 蜂蜜を少量溶かしたこの店のミルクは、マーシィのお気に入りだ。これを飲まないと、一日が始まった気がしない。

 

「そういうマーシィは、恋人は作らないのか?」

「お、お姉さまに恋人なんて必要ありませんよ!」

「あなたはいい加減仕事に戻りなさい」

 

 ずびしっ、と今度はドルチェの額にチョップを喰らわせる。

 

「モーニングサラダセット、注文するわ。あなたが作りなさい、ドルチェ」

「は、はい! お料理ならお任せください!」

「あ……ぼ、僕も、これで」

「……ふぅ。それで、恋人だったかしら?」

 

 体よくドルチェを厨房に追い払い、接客に戻るイオルを見送ったマーシィは、頬杖をつきながら短く嘆息した。

 

「私、まだ成人前よ。恋人なんて、十五歳になってから考えるわ」

「どんな男がいいとか、そういう好みぐらいあるだろ」

「そうね……やっぱり、オッサンは嫌ね。付き合うなら、同年代がいいわ」

「ふむ」

 

 頷くミックに、マーシィは憐憫の表情を向ける。

 

「そういうわけで、申し訳ないけどマスターの想いには答えられないわ」

「別にお前相手に懸想なんぞしとらんわ」

「なんですって!? 私の美貌に一切のトキメキを感じないと!?」

「お前も大概メンドクサい奴だな!」

 

 この自己愛者(ナルシスト)め、というミックの呟きを、マーシィは意図的に聞き流した。

 まあいい、自分はまだ成長期。あと三年もすれば、この美貌に更なる磨きがかかり、体型だってボンキュッボンとなるはずだ。

 その時になって吠え面をかくがいい――仮面のシャドウは姉、セラフィナのようなナイスバディに育った自分がミックに平服されているところを妄想し、悦に入った。

 別に、ミックに惚れられても嬉しくもなんともなかったのだが。

 

「まったく……どうせアレだろ? 相手の顔も自分に釣り合うような容姿じゃないと駄目だってか?」

「…………」

 

 呆れた風なミックの台詞に、一転、マーシィのテンションが急落する。

 

「……別に、そんなことはないわ」

「ほう?」

「絶世の美男子っていうのはどうも胡散臭く感じてしまってね……それなりに整っていればそれでいいわ」

 

 かつて自分に召異魔法を教えた師匠の一見害のない微笑が脳裏を過ぎり、マーシィはうんざりとした顔を見せる。

 そんな事情など知る由もないミックは、仮面越しに伺える表情の落差にきょとんとした顔をしていたが。

 

「まあ、同年代で顔に頓着しないっていうなら、すぐにいい出会いがありそうじゃないか」

「そうね」

 

 仮面のシャドウは、にっこりと微笑を浮かべ、

 

「後は、私より強くて」

「いきなり候補が激減したな!」

「複数の女性をオープンな関係で愛せて」

「何故そこにこだわる!?」

「お年寄りにも子供にも優しい性格だと、なお良いわ」

「いねーよそんな完璧超人!」

「なんでよ!? いるわよ、探せばきっと!」

 

 何故なら、マーシィの父がそんな感じだったからだ。

 流石に年齢こそ中年期に入ってはいたが、代々アイヤール皇帝に伝わる強力な魔剣〈崩砦剣(ほうさいけん)〉を手に戦場を駆け巡り、娶った妻や妾は数知れず。老人だろうと子供だろうと、アイヤールの民ならば全てを幸福にしようと善政を敷いていた。

 実例が存在するなら、きっとどこかで似たような男が見つかるに違いない。それも、若さという追加要素込みで。

 

「お姉さま、モーニングサラダセットお持ちしました! ……あれ、どうしたんですか、マスター?」

「……疲れたよ、俺は」

 

 厨房からお盆を両手に持って現れたドルチェに、ミックは深々と溜息をつく。

 そんなマスターの様子を意に介さず、マーシィはいずれ巡り合うだろう運命の相手を妄想し、だらしない笑顔を浮かべるのだった。

 なんだかんだ言って、マーシィはまだ14歳。

 夢見るお年頃なのである。



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不浄領・Ⅳ

 遅い朝食を食べ終わったマーシィは、腹ごなしも兼ねて街に繰り出してみることにした。

 街の外れに存在する"天高き花火亭"から中心街までは若干遠く、不便と言えば不便だ。しかし、宿を変える気は今のところはない。

 空は晴天。夏の暖かい日差しが降り注ぎ、涼やかな風が髪を揺らす。

 貧民街――と呼ぶほどのものではないが、宿の存在する街の北側にあるのは裕福とはいえない層が暮らす平屋や集合住宅ばかり。そこを抜けると、やがて商店や神殿、工場などがぽつぽつ現れ始め、人々の活気のある喧噪が耳に届くようになる。

 更に歩を進めれば、足元が剥き出しの土から石畳へと姿を変える。そこはもう街の中心部、東西と南へ大きく伸びた大通りだ。

 多くの馬車が行き交いする大通りは、今日も人々で賑わっていた。

 ケートレアいう名のこの街では、商売が盛んだ。北部を除けば、四方八方どこを向いても商店が視界に入らないことはないとさえ言われ、売っている品目も商店によって多種多様だ。食料も、生活用品も、武器や防具だって、金さえ持っていれば大抵のものは入手出来る。

 

「ようマーシィ! いい林檎を《青嵐領》で仕入れたんだ、買っていかねえかい?」

「美味しそうね、いただこうかしら」

「マーシィ、剣は刃こぼれしてないだろうね? あたしがピッカピカに研いであげるよ!」

「ありがとう、でもこの(フリッサ)ならまだまだ大丈夫よ」

「昨日はよくもやりやがったな! 次こそは絶対勝ってやるからな、覚えとけよマーシィ!」

「意気込みは買うけど、大口叩く前に何故負けたのかを反省しないと駄目よ」

 

 露店の店主から馴染みの看板娘、すれ違いの冒険者に至るまで様々な者たちが、仮面で顔を隠したシャドウなどという胡散臭い存在に、親しげに声をかけていく。

 数多くの冒険を繰り返し、功績を残すことで知名度を上げていくのが冒険者だ。人々を助け、希少な財宝を入手し、有名人とコネクションを得るなどして、人々の注目を浴びる。そして人づてに容姿や名前が広まっていき、会ったことさえない者にも、その存在が知られていくようになる。

 マーシィはこの街を拠点に、様々な活躍をしてきた。そのため、遠方から来た商人や旅人などを除き、この街でマーシィを知らぬ人間はいないと言っても過言ではない。

 

「昨日は惜しかったのう。お前さんが負けるとは、一晩経った今でも信じられんわい」

「私はまだまだ未熟者よ。もっと頑張らないといけないわ」

「だけど、マーシィと同じ動きする人って、やっぱりいるのね」

「勿論いるわよ、あれはリオスで教わったものだから。だけど、あの動き……あれは別の流派も習得してるわね」

「強かったなあ、あのグラスランナー。なんか、別の領じゃそこそこ有名人らしいじゃないか」

「らしいわね。でも、私だってこの領じゃ有名人なんだから、次は絶対負けないわよ」

「その意気だ! 応援してるぜ、マーシィ!」

「ええ、ありがとう」

 

 そう言って、マーシィはちらと街の南東部に視線を向ける。

 そこにあるのは、街の中ならどこからでも視認出来る、巨大な建造物だ。

 ケートレアの五分の一ほどを占める面積を誇るその場所では、日夜冒険者たちが集い、その腕前を競い合っている。

 土地は痩せていて、鉱物資源もなく、()()()()()で一般人はあまり寄り付かないこの領に生まれた、唯一と呼んでいい名所。

 

「二ヶ月後、"闘技場の覇者(チャンピオン)"に舞い戻ってみせるわ」

 

 その名を、ケートレア闘技場(コロッセオ)

 魔動機文明(アル・メナス)時代の演奏会場(コンサートホール)を修繕・改築したもので、当時の面影はもはや何処にも存在しない。

 意図的に命を奪う行為や手加減の難しい魔法と間接攻撃類の禁止、審判の判断に絶対服従など、とにかく"殺人・残虐行為(やりすぎ)"が起こらないよう規則(ルール)に制限をかけすぎているきらいはあるが、それでも血沸き肉踊る暴力と暴力のぶつかり合いを楽しむため、観客は年々と増え続けている。

 一説によると、北東のダグニア地方にも同様の施設が存在し、旅の吟遊詩人が語ったそのシステムを参考にしたという話だ。

 

「いくらマーシィでも、レガーテの"猛る巨人"に勝てるとは思えんなあ」

「いやいや、デクロンの"わらしべ拳士"だって、ずいぶん調子を伸ばしてきてるぞ」

「ちょっと待って、それは半年後のほうでしょ」

「おっと、そうだった」

 

 レガーテ、そしてデクロンというのはケートレアと同じ領内の街の名であり、そこにも闘技場が存在する。

 二ヶ月に一度、三つの闘技場では武闘大会が開催され、その武を競い合う。これは予選も兼ねており、成績上位者は三つの闘技場で一番の強者を決める本選への出場権利を得ることになる。

 この本選は年度末に行われ、アイヤールの皇帝も特別席に招待される。つまり、事実上の御前試合というわけだ。

 当然、普段の十倍以上の見物客が押し寄せることになり、その異様な熱気とムードは、この領最大のお祭り騒ぎとして、アイヤールでは知られている。

 マーシィはここケートレアの闘技場で、連続三回の優勝を決めていた。しかし、昨日行われた四回目の優勝をかけた決勝戦にて、ふらりと別の領からやってきたグラスランナー――成人でも子供の背丈ほどしかない種族――に敗れてしまったのだ。

 

「じゃあ、そろそろ行くわ」

「闘技場に行くのか?」

「昨日の今日であそこには行かないわよ。どこか見晴らしのいい場所で、ゆっくりお昼寝させてもらうわ」

 

 またね、と手を振り、マーシィは散歩を再開する。

 のんびりした足取りで、あちこちで雑談する人々の声に耳を傾ければ、やはり昨日の武闘大会の感想が主な話題のようだった。 

 

(私を応援してくれた人には、申し訳なかったわね)

 

 鍛え直さないといけない。ぐっと拳に力を込め、気持ちを新たにする。

 マーシィには一つの目標がある。戦闘力はその目標達成に必要な要素の一つだ。

 そのため、自らの技量を確かめるために出場している武闘大会だったが、やはり上には上がいた。ギリギリの接戦で、マーシィにも勝ちの目はあったのだが、最後の一押しが足りなかった。

 マーシィはにやり、と口元を半月状に曲げる。

 強者は大歓迎だ。マーシィは強くならなくてはならない。欲しいのは闘技場の覇者(チャンピオン)という看板ではなく、自分を高めてくれる存在だ。

 惜しむらくはグラスランナー相手では流石に異性としての好み足り得ないところだが、まあ、その辺りはどうでもいい。

 本当なら、隣接領の領主――"闘神"と称される男に一度手合わせ願いたいところだが、彼はたかが一介の冒険者にいちいち構っていられるような身分ではないし、あまりにも強すぎて、闘技場への参加を禁止されている。

 自分も、そんなレベルまで強くなれるだろうか?

 いや、ならないといけないのだ。

 蛮族に攫われた、()()()を助けるためにも――

 

「……って、やめやめ。今日は休むって決めたんだから」

 

 首を横に振る。

 オンとオフの切り替えは大事だ。シャドウという種族は戦場にいるときと戦場から離れたときで、性格が真逆になると聞いたことがある。マーシィは皇族、人間の養子、暗殺者、そして冒険者として生きてきたので彼ら『一般的なシャドウ』の性質に当てはまらないのだろうが、そういった公私の線引は感覚的に納得するものがあった。あるいは、連綿と続くシャドウの血脈に染み付いたものが、マーシィにも影響を与えているのかもしれない。

 仕事してるときは仕事する。

 訓練するときは訓練する。

 そして、休むときは休む。

 それだけの、単純な話だ。

 

「どこに行こうかしら。武闘大会の翌日だから人も多いし、いっそ一日中温泉につかるのも――」

 

 独り言の途中で、口を噤む。

 聞き覚えのある声が、耳に届いたのだ。

 周囲は人の群れ、満ちているのは喧噪。そんな中でも、斥候(スカウト)としての経験を積んだマーシィの聴力は、それを聞き取っていた。

 怒声。

 苛立ちを隠そうともしない、少女の声。

 

「……今日は、何事もない一日を過ごしたかったんだけどな」

 

 マーシィは溜息をつくと、声のした方向へ小走りに駈け出した。

 

 

 

 

 

 東西と南の大通りが交わる中央広場を、やや南に下った露店の前。

 二人の少女が、睨み合って対峙していた。

 

「彼に、ぶつかったことを謝れ」

 

 一人は、中性的な容姿の少女。

 薄桃色の髪を乱雑に短く切り取り、細く鋭い目付きに、起伏のない体型なのと相まって、少年のようにも感じられる。

 足首ほどまであるロングスカートが、あまり似合っていなかった。

 

「既に頭は下げただろう、これ以上何を望むものがある」

 

 もう一人は、大柄な体格の少女。

 筋肉質な肉体に、威風堂々とした態度。しかし容姿や声質は幼さが残り、酷くアンバランスな風貌だった。

 こちらも同じようなロングスカートで、彼女には似つかわしくない。

 

「誠意が感じられない。ただ、口先だけで謝罪の言葉を述べれば良いわけではない」

「何故、無関係の貴様に咎められなければならんのだ」

 

 視線が交差し、火花を散らす。

 遠巻きにその様子を観察している商人や通行人たちの顔には、怯えたような、不安がるような表情がありありと浮かんでいた。

 囃し立てたり、煽ったり、逆に仲裁しようとする者もいない。

 ――この領では、"喧嘩"に関わるのはご法度なのだ。

 

「ミナ! 何をしているの!」

 

 マーシィは今にも掴みかからんとしている彼女たちの前に飛び出し、小柄なほうの少女の肩を引っ張った。

 少女は特に驚いた様子も見せず、肩越しにじろり、とマーシィに視線を向ける。

 

「邪魔しないで、マーシィ」

「何度も教えたでしょ、騒ぎを起こすのは駄目だって!」

「しかし、彼が」

「あ、あの!」

 

 ぴょこん、とマーシィの前に影が一つ飛び出した。

 その外見を一言で現すなら、犬人間。

 直立した犬のように、毛皮に包まれ二足歩行するその種族は、コボルドと呼ばれている。

 本来は人族と敵対する蛮族側の存在なのだが、その最底辺の扱いから、人族の領域に逃亡してくる者も少なくない。

 

「ぼ、僕が悪いんです! 僕がよそ見してたから……」

「違う、よそ見していたのはこの女だ。あなたは、悪くない」

「……どういうこと?」

 

 話が見えず、マーシィは眉根を寄せる。

 

「我がそのコボルドにぶつかってしまったのだ。コボルドは貧弱故、大袈裟に倒れた。そこに、その女が難癖をつけてきた」

 

 答えたのは、大柄な少女のほうだった。

 

「あなたは?」

「我はアムタイ。《赤砂領レザナード》で冒険者をしていたが、縁あってこの地に辿り着いた」

 

 アムタイと名乗った少女は、そう言って首から下げていたエンブレムを見せる。

 冒険者の店は信頼できる者に、その店固有のエンブレムを渡す。それは身分証明の証のようなもので、アイヤールでは領と領の間を行き来するときの通行手形として扱うことも可能だ。

 レザナードとはディルフラムと隣接する最前線に位置する領の一つであり、アムタイの持っていたものは、確かにそこにある冒険者の宿のものだった。

 

「お前のことは噂で聞いたぞ、仮面をつけた三つ目の女。この領でも有数の実力者と聞いた」

「照れるわね。それで、コボルドにぶつかって……頭を下げた?」

「ああ。というのに、その女は――」

「違う。最初は一瞥しただけで、頭を下げようとすらしなかった」

 

 脇からミナが口を挟む。

 

「だから、謝れと言った。そしたら、渋々といった様子で、一瞬だけ首を縦に動かした。ワタシは、あれが謝罪行為だとは認めない」

「……って、言ってるけど?」

「当たり前だ。何故、我がコボルドごときに非礼を詫びねばならぬ」

 

 首を捻るアムタイ。

 その態度は尊大というより、本気でわからない、といった様子だった。

 

「貴様……!」

「あ、あ、あの! ミナさん、僕はもう気にしてませんから!」

 

 激昂しかけたミナに、必死で縋り付くコボルド。

 ぷるぷると震える尻尾は、見ていて哀れを誘う。

 マーシィは嘆息し、改めてアムタイに向き直った。

 

「事情は、なんとなく分かったわ。アムタイ、あなたがアイヤールに来たのは、いつごろ?」

「およそ、二月ほど前だろうか」

「あなたの周囲に、コボルドはいなかったの?」

「いたが、関わりあうことはなかった。故郷では、コボルドは我よりも劣るものだった」

「……ああ、もう、これだから……」

 

 マーシィは頭を抱える。

 今日はだらだらと過ごす予定だったのに、こんなトラブルに巻き込まれてしまうなんて。

 

「劣るならどんな扱いをしてもいいと――」

「ええい、ややこしくなるから黙ってなさい、ミナ!」

 

 再び口出ししようとするミナの頭を鷲掴みにし、マーシィは再び嘆息した。

 聞き分けのない子供を教育するというのは、こんな気持ちなんだろうか。

 それなら、まだ母親にはなれそうにない。

 

「いい、この領では――」

「大変だぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 今まさに発せられようとしていたマーシィの言葉を遮り、突然の大音声が響き渡った。

 

「…………」

 

 うんざりした顔で、マーシィは声のした方向に顔を向ける。

 

「今度は、何?」

「……何か、騒がしい」

 

 ミナがぼそりと呟く。

 確かに、声の方角――闘技場方面から、ざわついた空気が漂ってきた。

 何やら、黒い煙のようなものも、立ち昇っている。

 

「火事か?」

「いえ、もっと黒いわ。あれは、まさか……」

「――ああ、マーシィじゃないか! 大変だよ、大変!」

 

 その時、人混みから魔道機械に乗った一人の青年が飛び出した。

 鎧こそ着ていないが、布を巻いた斧を背負ったその姿は、冒険者の出で立ちだ。

 乗っているのは、魔動機文明(アル・メナス)時代に発明された鋼鉄の馬、魔元素(マナ)を動力とする魔道バイクと呼ばれている。

 

「レイブレン……だったかしら。どうしたの?」

「俺、闘技場の清掃の仕事してたんだよ! そしたらさ、出たんだよ!」

「出たって……まさか」

「そう、そのまさか!」

 

 一拍置いて、レイブレンは叫んだ。

 

 

 

「蛮族が、出たんだよ!」




マーシィに勝ったグラスランナーは、金鷺さんです。


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不浄領・Ⅴ

 カン! カン! カン! と、警鐘が甲高い音を立てて延々と打ち鳴らされていた。

 飛び交う怒号や悲鳴。押し合いへし合い、雪崩のように一塊となって逃げ惑う人々を追うのは、無数の蠍人間(アンドロスコーピオン)たちだ。魔元素(マナ)を込めた弾丸を放ってダメージを与え、動きを止めた獲物を、槍で突き刺していく。血飛沫が舞い、壁や地面を赤黒い色で染め上げる。

 つい先程まで活気ある町並みが広がっていたケートレア南東部一帯は、地獄のような戦場と化していた。

 そこかしこで衛兵たちが応戦しているが、その動きは鈍い。辛そうに顔を歪め、吐く息は荒く、日々の訓練で培われたはずの剣術は、明らかに精彩を欠いている。

 

「っ……!」

 

 レイブレンの話を聞き、一も二もなく飛び出したマーシィだったが、全身から発するぴりぴりと痺れるような感覚に、思わず足がもつれてしまった。

 たたらを踏んだマーシィの背中を、少し後ろを付いてきていたアムタイが支える。

 

「どうした」

「……あなたには、効果が無いのね」

「この黒い霧のことか?」

 

 伺うように、首を巡らすアムタイ。

 少女たちの周囲には、黒い霧が立ち込めていた。まだ薄く、かろうじて判別出来る程度のものでしかないが、明らかに自然に発生するような代物ではない。

 

「これは"穢れの霧"。クローモワという魔道機械が生み出す、"穢れの剣"と同等の性質を持つ厄介な霧よ」

「"穢れの剣"と?」

「ええ、ただ、拡散してるせいで、効果は薄れてるみたいね……いつもは室内でじっとしてて、霧を充満させてるんだけど」

 

 先史文明の遺産の一つに、"守りの剣"と呼ばれるものがある。

 多くの蛮族や死者(アンデッド)たちの持つ"穢れ"を近づけない能力を持ち、効果範囲内に"穢れ"を持つ者が侵入した場合、身体に痛みが走り、気分が悪くなるなどの症状が生じる。"穢れ"が強いほど苦痛の度合いも高まっていき、最終的に発狂すら招くと言われている。

 そんな"守りの剣"は大量生産され、当時、ほとんどの蛮族を駆逐するまでに至った。現代においても、多くの国家が何本かの"守りの剣"を遺跡から発掘し、それを用いることで蛮族の侵入を防いでいる。

 しかし、中にはとんでもない不良品が混ざってしまうこともあった。

 それが、"穢れの剣"と呼ばれる存在だ。"守りの剣"とは真逆の性質を持ち、即ち"穢れ"を持たない人間ほど、効果範囲内で苦しみもがくことになってしまう。

 そんな"穢れの剣"と同じ効力を持った霧が、マーシィたちを取り巻いているのだ。

 

「厄介だけど、不幸中の幸いってところかしら。これなら逃げ遅れた人がいても、行動不能になるほどのものじゃなさそうね」

「貴様はどうなのだ?」

「私は、一度蘇生を受け入れて"穢れ"を帯びてるから」

「成程。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()か」

「そういうこ――」

 

 答えかけたマーシィは突然その場にしゃがみこむと、アムタイが何か言う間もなく、弾かれたように地面を蹴って前方へと飛び出した。

 瞬間、商店の影から身を乗り出し、手持ちの銃を撃とうとしていたアンドロスコーピオンに肉薄、その腕を容赦なく切り落とす。

 

「ギ――ッ!?」

 

 驚愕するアンドロスコーピオンが次のアクションを起こす暇を与えず、マーシィは右手に握った剣をその喉に突き刺した。

 肉を抉る感触が腕に伝わり、びくん、びくんと人間と同じ形をした上半身が痙攣する。それもすぐに収まり、剣をゆっくりと引き抜けば、後は糸の切れた人形のように崩れ落ちるだけだった。

 

「……流石の早業だな」

「ただのアンドロスコーピオンならね。上位種のシザースコーピオンやスコーピオンスナイパー相手だと、こうも簡単にはいかないわ」

 

 自分の技を誇るでもなく、謙遜するでもない、ただ、事実をありのまま伝える。

 マーシィにとって、蛮族の命を奪うことは既に日常の一部と化していた。そこには一切の躊躇も遠慮もない。自らの手を汚したことに恐怖を覚える期間は既に過ぎ去り、己の力量に慢心を抱いたのも過去の出来事だ。表情一つ変えずに敵を屠る様は、既に熟練冒険者としての風格が漂っている。

 その場に膝をつき、死骸の着ていた服を使って剣に付着した血糊や脂を丁寧に拭う。

 残念ながら、戦利品を剥ぎ取っている時間はない。今もあちこちで、戦闘音が響いているのだ。

 

「おーい、待ってくれー!」

 

 背後から、レイブレンが駆け寄ってくる。

 彼の足は二人より若干遅く、同じ場所に到着するのにも時間がかかってしまうのだ。

 

「ごめんなさいね、魔道バイク借りちゃって」

「いやいや、マーシィの仲間を呼んでくるほうが大事だからね!」

「まさか、ミナが魔道制御球(マギスフィア)を一つも持たずに外に出てたなんて」

 

 魔道制御球(マギスフィア)とは、魔動機術と呼ばれる魔法を行使する際に使われる制御装置だ。魔動機文明(アル・メナス)時代の遺産であり、魔元素(マナ)を動力として様々な形態に変形したり、弾丸に魔力を込めたりすることが可能となる。

 ミナは数々の魔動機術を使いこなす魔動機師(マギテック)であり、優れた射手(シューター)だった。

 しかし、彼女が使用する(ガン)は前述のとおり、魔道制御球(マギスフィア)がなければ無用の長物となってしまう。弾丸とは魔元素(マナ)を付与されなければ、掠り傷の一つもつけられないのだ。

 そのため、ミナにはレイブレンが騎乗していた魔道バイクで"天高き花火亭"に向かってもらい、そこでドルチェたちを含む冒険者たちを連れてくる手筈となっていた。

 

「私の装備も持ってきてくれないと、ケープがなければ秘伝も使えないんだから」

「鎧も着てないからねー。敵の攻撃には当たりたくないないなあ」

「……銃は嫌いだ。あれはどのような重装備をしていても意味が無い」

「あまり無理はしない方向で行きましょ。それでレイブレン、アンドロスコーピオンが現れたのは闘技場の中?」

「いや、北側の外壁からちょっと離れたところだよ。地面に穴が空いて、そこからバーッと」

「そう……()()()()()()()()()()

 

 マーシィは疲れたような吐息を漏らす。

 

「とりあえず、逃げ遅れた一般人の救助を優先しましょう。ミナたちがこっちに来たら、私たちが穴を塞ぎに行くわ」

「ああ、お願いするよ。俺たちじゃ、ちょっと力不足って感じだし」

「あの女に頼るというのは、不愉快だが」

「そう言うなって、お嬢ちゃん。マーシィたちはこの街一番の冒険者パーティなんだからさ」

「お、お嬢ちゃん……?」

「ほら、急ぐわよ」

 

 目を白黒させるアムタイの背を叩き、マーシィたちは駆け出した。

 霧は少しずつ濃度を増している。早急に原因たる魔道機械を破壊しなければ、被害は更に増すばかりだ。

 

「右に三体、一つは双銃魔道機(ガーウィ)!」

「俺とマーシィの武器じゃ、ちと分が悪い! 任せたぜ、お嬢ちゃん!」

「いいだろう、我が槌矛(メイス)の力を見せてやる……だが、そのお嬢ちゃんという呼び方はやめてくれないか」

「はは、わりぃわりぃ」

「別に、ガーウィくらいなら剣でも余裕なんだけど……まぁいいわ」

 

 区画整理されていない曲がりくねった道を進み、襲いかかる敵を次々と蹴散らしていく。

 逃げ遅れた人々を発見しては、"穢れの霧"の影響で体調不良を起こしている衛兵に押し付け、三人は先へ先へと進んでいった。

 そこに次々と立ち塞がる、アンドロスコーピオンと魔道機械の群れ。

 一体倒せば、即座に三体の増援が現れるような物量差。

 倒しても倒してもキリがなく、マーシィたちの快進撃はそこでストップせざるを得なかった。

 

「ええい、面倒な! 何故、蠍人間とガラクタ人形ばかりこんなに多いのだ!」

「この領の歴史を知らないの、アムタイ?」

「どういことだ?」

 

 一旦物陰に隠れ、妖精使い(フェアリーテイマー)であるアムタイが光の妖精を召喚、回復魔法を唱えてもらっている間に、マーシィは周囲を警戒しながら説明する。

 

「アイヤールが、年輪国家と呼ばれていることは知っているかしら?」

「それは知っている。〈大破局(ディアボリック・トライアンフ)〉で奪われた土地を少しずつ奪い返し、その度に壁を築いて領土としているのだろう?」

「だから見た目から年輪国家、あるいは"大輪の薔薇"なんて呼ばれてるんだよな」

「ええ。そして、この領の少し北西……《赤砂領(レザナード)》のすぐ南西と言ったほうがわかりやすいかしら? そこに《燐光領カリエレ》という領があるのだけれど、そこは昔、アンドロスコーピオンとの激戦区だったそうよ」

 

 魔動機術を用い、遠距離から銃撃する蛮族たちへの対抗策として、その土地では無数の塹壕がそこかしこに掘られた。

 その塹壕に身を潜め、銃弾をかわし、隙を突いて別働隊が突撃。人間側も多数の被害者を出しながらも、ついにアンドロスコーピオンたちの大半を殲滅することに成功する。

 すぐに領土を区切る防壁が敷かれ、そこは再びアイヤールの土地となったのだ。

 その時の激しい戦いの爪痕として、今でもカリエレでは、至る所で穴が掘り返されたままとなっている。

 

「その時、敗残兵となったアンドロスコーピオンの一団が、この領の地下に大掛かりな魔道機械の工場を発見したの」

「なんだと?」

「そこはもしもの時のための、非常用シェルターも兼ねていたわ。食料を無限に供給するプラントも存在した」

 

 そこには、地上から取り残され、助けが現れるのを待つ生き残りの人々がいた。

 しかしアンドロスコーピオンたちは彼らを虐殺。生き残りを奴隷とし、彼らの持つ全ての財産を強奪する。

 そう、即ち魔道機文明(アルメナス)時代の遺産を。

 今でも奴隷となった人々は、食料プラントで強制労働をさせられているという。強運に恵まれ、脱走に成功した一人の若者がもたらしてくれた情報だ。

 

「……成程な」

「ええ。こいつらは、そのアンドロスコーピオンたちの子孫。アイヤールがこの領を取り戻す際、地上で行われた激戦にも参加せず、地下の奥深くでじっと戦力を蓄えてきた。魔道機械を生み出し、改造し、地下のあちこちにクローモワを配置して"穢れの霧"を発生させ、地上へ進出する機会を虎視眈々と狙っている」

「そして今日、何度目かの地上侵攻を開始した……ってわけだ!」

「この領の地下には、今でも蛮族の脅威が残っている。それが、この領を訪れるのが行商人や冒険者たちばかりで、一般人がこの領で暮らしていこうと思わない理由」

「合点がいった」

 

 妖精魔法を行使したことで磨り減った精神力を回復するため、魔香水と呼ばれる特殊な香水を自分に振りかけたアムタイは、納得顔で頷いた。

 微かな休息を終え、三人は再び前進する。

 霧の効力はどんどん増しているようだった。マーシィは頭痛や耳鳴りがするのを、奥歯を噛みしめて堪える。

 額に汗が滲み、心臓はいつもの倍以上の速度で鼓動する。

 それでも、足を止めることは許されない。道端に転がっている、街の住人や衛兵たちの死体に安らぎを与えるためにも。

 

「しかし、運の悪い奴らだな」

「え?」

「だって、そうであろう? よりにもよって、今日だとはな」

「…………ああ。そうね。ご愁傷様ってやつだわ」

 

 一瞬、きょとんとした表情を浮かべたマーシィだったが、すぐに苦痛を振り払うかのように、獰猛な笑みを浮かべる。

 アムタイも、レイブレンも、口の端を曲げて笑い声を上げた。

 言われてみれば、確かにその通りなのだ。

 今、この街には――いくつもの戦いを乗り越え、その腕前を鍛え上げた者たちが、大勢集っているのだから。

 

 

「しっかり叩き込んであげないと。蛮族の天敵――冒険者の力を」

 

 

 



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不浄領・Ⅵ

(追記)文章のリズムがちょっとアレだったので、細々と修正しつつ、マーシィたちが蛮族と戦うシーンをちょこちょこ追加しました。


 闘技場(コロッセオ)周辺は、凄惨な光景が広がっていた。

 そこだけが、夜の帳が落ちたのかと見紛うばかりの黒い世界。三メートルも離れていない仲間の姿が薄れてしまうほどの"穢れの霧"に包まれ、もはや戦況がどうなっているのか、確認することすら困難な有様だ。

 視界を塞ぐ闇の中を、しかし暗視能力を持つ蠍人間たちと魔道機械は、同士討ちすることなく前進してくる。

 相対する衛兵たちは、その数を大幅に減じていた。

 魂に"穢れ"を持たない彼らは、霧の影響で全身に激痛が走り、集中力を著しく乱されていた。そんな状態で十全の力を発揮出来るはずがなく、闇雲に振り回す剣は空を切り、逆に敵の攻撃でダメージを重ねていく。

 じりじりと後退する足が何かにぶつかり、視線を下げればそこにあるのは同僚の死骸。悲鳴を上げた衛兵は、アンドロスコーピオンたちに無数の銃弾を浴びせられ、同僚の隣に同じ屍を晒す結果となった。

 

「ヒ、ヒィィッ!!」

「ダメだぁ! 俺らじゃかないっこねえ!」

「身体中が痛ぇ……なんだってんだよぉ……ッ」

「無理せず後退して! 後は、私たちがやるわ!」

 

 異形の蛮族たちの首を次々と跳ね飛ばしながら、マーシィが大声を張り上げる。

 シャドウの瞳は闇の中を見通し、陽の下にあるがごとく視界を妨げない。それでも"穢れの霧"の影響は無視出来るものではなく、普段なら余裕を持って相手取れるはずの戦士種の蠍人間が、互角の脅威となって襲いかかるという悪夢。

 暗視すら持たないレイブレンは、邪魔にならないよう負傷者の護衛役に徹している。

 

「遠距離攻撃可能な者はクローモワを狙え! あれは能力が煩わしいだけで、本体自体はそれほど強くはない……そうだ!」

 

 アムタイも力強く言葉を発してはいるものの、迫り来る魔道機械たちを相手にするので精一杯のようだった。

 ここに辿り着くまでに合流した十数人の冒険者たちも、どうにか致命傷を避けて立ちまわることに必死だ。ずっと戦い続けているためその顔に疲労の色は濃く、体内の魔元素(マナ)も底をつきかけている。

 対して、アンドロスコーピオンたちは開けた穴から無数に増援を呼び込んでいた。

 同時に、工事用の魔道機械を使い、穴の拡張も進めている。

 今はまだ大柄な体格のアンドロスコーピオンがギリギリ通れるようなサイズでしかないが、もしもこれ以上広がるようなことになれば、より巨大な魔道機械――砲塔機兵(ドゥーム)種なども地上に出てきてしまう。仮に、深部を守護している戦争用砲塔機兵(ウォードーム)まで引っ張りだされたとしたら、マーシィたちの勝ち目は潰えたも同然だ。

 

「ギギ! ギッギッギィ!」

 

 勝ち誇るかのような、耳障りな蠍たちの嗤い声。

 顔を顰めるマーシィの隣で、また一人、冒険者が倒れ伏す。

 息はあるので死んではいないようだが、彼の回復に手を割けるような余裕など、この場にいる者たちの誰にもあるはずがなかった。

 

「こ、このままじゃジリ貧よ!」

「泣き言抜かすな! 早く穴を塞がなきゃ、ヤバいのはこっちのほうなんだぜ!?」

「畜生、魔晶石が足りねぇ! 宿に戻れば、まだいくつか残ってるのによぉ!」

「マーシィ! 冒険者の力をしっかり叩きこむんじゃなかったのか!?」

「うるさいわね、文句あるならあなたがクローモワを破壊に行きなさいよ!」

「おい、喧嘩してる場合では……うわっ」

 

 銃弾が脇腹を掠め、アムタイが硬直する。

 見通しが甘かった、と言わざるをえない。

 敵の勢力は、マーシィたちの想定を遥かに超えるものだったのだ。

 特に厄介なのが、やはり"穢れの霧"を発生させているクローモワ。既に何体かは破壊に成功しているものの、それ以上の数が戦場に現存しており、アンドロスコーピオンたちの背後で霧を吐き続けている。

 

「ちっ。奴ら、本格的に一大攻勢をかけてきやがったか」

「なあ……穴の中から聞こえる駆動音、あれ八足砲塔機兵(クィンドゥーム)のものじゃないか……!?」

「ちょっ!? 怖いこと言わないでよ!」

「おい、あんたこの街の筆頭冒険者なんだろ!? どうにかしてくれよ、マーシィ!」

「私がどれだけ頑張ってるのか見て言ってるのかしら!?」

 

 苛立った声を上げながらも、マーシィは群がるアンドロスコーピオンたちを屠り、魔道機械たちを鉄屑に変えていく。

 しかし、その動きも常時と比較すれば目に見えて鈍い。

 原因は、これまでの戦闘で蓄積された疲労や苦痛だ。その集中力は明らかに途切れ途切れとなっている。

 

「しつこいのよ……!」

 

 ようやくクローモワへの道が開けた――と思った矢先、更なるシザースコーピオンが現れ、立ちはだかるように眼前で大きな鋏を横に広げる。

 マーシィは思わず悪態をついた。

 仲間が何十体も倒されているというのに、蛮族たちは逃走を図る気配すら見せない。

 この侵攻に全てを賭けているのか、あるいは――まだまだ戦力的に余裕があるとでも言うつもりなのか。

 

「ぐっ……!」

 

 気が逸れたのは一瞬。

 しかしその一瞬を見逃さず、眼前の敵が発射した銃弾が、マーシィの腹部に直撃する。

 油断したのか。

 それとも恐ろしい想像に、身が竦んでしまったのだろうか。

 猛烈な激痛に身を捩りながら、マーシィは自問する。

 

「お嬢ちゃん、マーシィに妖精魔法で治療を!」

「駄目だ……! 既に、我のマナでは妖精の召喚は……っ」

 

 レイブレンとアムタイの声が遠い。

 動きの止まったマーシィへと、トドメとばかりに突き出された毒の尻尾が迫る。

 

「舐め……るなぁぁぁっ!!」

 

 叫び。

 意志の力を総動員し、身体を回転。スカートを翻して致命的な一撃を回避する。

 マーシィのスカートは、ブレードスカートと呼ばれる暗器だ。多重構造となったスカートの内側から金属製の棘が飛び出し、逆にシザースコーピオンの身体を切り刻む。

 

「ギィィィィッ!!!」

「ざまぁみなさい……!」

 

 心の中で中指を立てつつ、マーシィはシザースコーピオンの首元に剣を突き立てる。

 頸動脈から噴水のように鮮血が飛び散り、少女の髪や仮面を赤く汚した。

 

「こんなところで……また死んだりなんかしてられないのよ……」

 

 死体を蹴り飛ばし、仮面越しに血走った目で敵を見据える。

 その鬼気迫る表情に、感情が薄く恐怖を覚えないはずのアンドロスコーピオンたちが、気圧されたように二、三歩後退った。

 

「私は……強くならなくてはならないの……」

 

 これくらいの痛みがなんだというのだ。

 痛い思いをしたくないのなら、そもそも冒険者なんかになっていない。

 必ず切り抜ける。

 絶対に生き延びる。

 生きて、やらなくてはならないことがある。

 

「あの人を…………姉様を、助けるために…………!」

 

 ――ライティア・レンダル・アイヤール。

 ナイトメアという出自故、皇位継承権は得られなかったものの、その優秀さで皇族還りを認められたアイヤールの皇女。

 一つ年上の、幼い頃に仲良く遊んだ姉。

 彼女は一年前、《紫闇の国ディルフラム》の蛮族たちに拉致され、行方不明となった。

 以来、女帝セラフィナはディルフラムとの戦争を本格化し、どうにか妹救出のための足がかりを作ろうとしている。

 それを手助けしたい。

 あの人の苦しみを取り除きたい。

 そして――引っ込み思案で、心優しい姉を取り戻したい。

 だから、マーシィは己を鍛えているのだ。

 いつかディルフラムへ――周囲全てが敵となる、蛮族の領域へ――潜入する、その時のために!

 

「死にたい者からかかってきなさい! どれだけ束になろうとも、私の歩みを止められ――ん?」

 

 格好良く啖呵を切ろうとしたマーシィは、言葉の途中で口を閉ざした。

 その斥候(スカウト)としての聴覚が、背後から聞こえてくる騒音に気付いたのだ。

 ドドドドドッ。

 地面を揺らす振動音。風を切る鞭の音。

 あれは――馬車だ。

 一台の馬車が、全速力でこちらに向かって突っ込んでくる。

 

「何の音だ……?」

「近づいてくる……?」

 

 接近するにつれ、冒険者たちもその音に気付き始めた。

 アンドロスコーピオンたちも、警戒するように音の聞こえる方向へと銃を構える。

 果たして、霧の奥深くから姿を現したのは――

 

 

 

「――無事か、お前たち!」

「お姉さま!!」

「蠍野郎ども、あたしのいないところで無茶苦茶やってくれたじゃん……!」

「ちゃんと援軍を連れてきた」

「皆さん、今すぐお助けします!」

 

 

 

 ――頼もしい、援軍だった。 

 

 

 

「みんな!」

「おおマーシィ、ちゃんと生きてるな……まったく、とんでもない霧だな!」

 

 御者をしているのは、"天高き花火亭"の店主、ミックだ。

 堂に入った鞭と手綱捌きで、"穢れの霧"の影響で苦しむ馬を見事に操って見せている。

 元冒険者という話は聞いていたが、彼が凄腕の騎手(ライダー)だったことを、マーシィは今日初めて知った。

 

「アンドロスコーピオンはみんな敵。今すぐ、滅べ――魔道制御球(マギスフィア)起動。ショットガンバレット装填、ターゲットサイト、ロック」

 

 ミックの隣で御者台に座っていたミナが、魔導機文明語の起動語(コマンドワード)を口にする。

 すると、ミナの周囲をふよふよと漂っていた握りこぶし大の球体が振動し、照準器へと変形を遂げた。更に、構えていた両手持ちの長銃にも装着されていたマギスフィアからは小さな手のようなパーツが出現、弾丸へと魔力を付与する。

 引き金が引かれた。

 銃口から恐るべき速度で撃ち出された弾丸は、付与された魔力の効果により、散弾へと変化した。広範囲へと飛び散った弾がアンドロスコーピオンたちに直撃。あらゆる装甲を貫通する衝撃が走り、蠍人間たちは血反吐を撒き散らす。

 

「あたしが来たからには、あんたたちなんか敵じゃないっての!」

 

 それを確認するや否や、馬車から飛び出す影があった。

 空中で一回転して地面に着地すると同時、爆発したかのような勢いでアンドロスコーピオンたちを指揮していたシザースコーピオンへと一直線に接近すると、そのまま右腕を振りかぶって横面を殴り飛ばす。

 即座に左腕も顎を打ち抜き、重量ある蠍の胴体ごと、中空へと打ち上げた。

 その顔面は、骨が砕けて見るも無残。しかし、かろうじて命は繋ぎ止めた――と次の瞬間、落下したところに綺麗な回し蹴りが直撃し、こめかみを叩き潰す。

 流れるような連続技に、何が起こったのかもわからぬまま、戦士種の蠍人間は生涯を終えた。

 なによ他愛ない、と呟く彼女の名前はマーガレット。

 ボサボサの黒髪に顔のそばかすが特徴的な凄腕の拳闘士(グラップラー)であり、マーシィの冒険者仲間だ。

 

「ああお姉さま、こんなに汚れてしまって……すぐに傷を治療します!」

 

 マーシィの真横で止まった幌付き馬車の荷台から、転げ落ちるようにドルチェが飛び降りる。

 神に祈りの言葉を捧げると、その手のひらに光が生じた。その光がマーシィに触れると同時、急速に傷口が塞がり、疲労も若干ではあるが軽減される。

 相変わらず霧の影響で痺れるような痛みは残っているものの、肉体的にも精神的にも、大分楽になった。

 仲間が来てくれた、という安堵もあるのだろう。

 髪をくしゃくしゃと撫でてやると、ドルチェは頬を紅潮させて嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 

「マーシィさん、これを!」

 

 ドルチェに遅れて馬車から降りたイオルが、マーシィにいくつかの荷物を手渡す。

 それは、魔晶石や魔神の契約書などが詰められたベルトポーチだ。感謝の言葉と共にそれらを受け取り、腰のあちこちに装着していく。

 最後にイオルが渡したのは、丁寧に畳まれた布。広げれば、それは表と裏で色がまったく違う、リルドラケンの背丈ほどもある大きな飾り布だった。

 

「一応、鎧も持ってきていますが……」

「着ている時間が惜しいわ。大丈夫、これがあれば百人力よ!」

 

 飾り布を左手に掴んだマーシィは、地面を蹴って戦場へと舞い戻る。

 マーガレットの側に並び立ち、飾り布を広げて盾のように正面にかざした。

 これこそが、マーシィの本来の戦闘スタイル。

 飾り布の影に隠れて身体の位置を巧みに変えることで、自らの位置を敵に悟らせず攻撃を回避しやすくする。

 そして、飾り布の動きに気を取られた敵の死角から、必殺の一撃を与える。

 それが"エルエレナ惑乱操布術"――アイヤールより川を下った南、《集いの国リオス》で学んだ攻防一体の流派。

 

「メグ! 起きたばっかりで寝惚けてないでしょうね?」

「バカ言ってんじゃないわよ! あたしを誰だと思ってんの?」

「天下無敵の、"月下の黒狼"! もう一般人は全員避難完了したわ、遠慮無くやりなさい!」

「りょーかい!」

 

 マーガレットがすぅ、と息を吸い込んだ――次の瞬間。

 メキメキと音を立て、マーガレットの上半身が膨張した。

 筋肉が肥大化し、髪と同じ色の黒い剛毛に包まれ、口は大きく裂け、牙が生え揃う。

 言うなれば、直立した狼。

 人族ではありえぬ姿。

 蛮族――獣人への変身能力を持つ、半獣半人(ライカンスロープ)がそこにいた。

 

「皆さんに"傷癒し(キュア・ウーンズ)"をかけます! 抵抗しないでくださいね!」

 

 後方で傷付いた冒険者たち相手に声をかけるドルチェもまた、人の姿ではなくなっていた。

 先刻までウェイトレスとしてしっかり両の足で歩きまわっていたその下半身は、爬虫類――大蛇へと変貌している。

 彼女もまた、人族と蛮族、双方の顔を併せ持つ者。

 人族に紛れ、その血を啜る魔性の蛮族――ラミア。

 

「シザースコーピオン、一体撃破。二体目を狙い撃つ」

 

 ミナも、マーシィとの別れ際には穿いていたはずのロングスカートを脱ぎ捨てていた。

 ハーフパンツ姿になり、御者台から蠍人間たちを次々と葬るその臀部からは、今しがた銃弾を撃ちこんでいる蠍人間と同じ尻尾が揺れている。

 その尻尾を見て、アムタイは驚愕の表情を浮かべた。

 

「貴様も、ウィークリングだったのか!?」

「貴様……()?」

「ううむ、ならば貴様だけに手柄を渡すわけにはいかん! 我もまだまだやれるところを示してやる!」

 

 アムタイが、自分のロングスカートを剥ぎ取り、ブーツを脱ぐ。

 その下にあったのはミナと同じハーフパンツ姿だが、その脚の形状は、人のものとは少し違っていた。

 足首はやや前方へ曲がっており、薄茶色の毛に覆われ、先端は――蹄。

 

「ケンタウロスの……ウィークリング!」

「ウォォォォォッ!!」

 

 鬨の声を上げ、アムタイがアンドロスコーピオンへと突撃した。

 四足でもないのにどういう理屈なのか、恐ろしい移動速度で接近し、勢いに乗ったまま槌矛(メイス)を振るって蠍人間の身体を吹き飛ばす。

 ――ウィークリングとは、生まれつき穢れが少なく、人族に似た身体で生まれる蛮族のことだ。

 ミナはアンドロスコーピオンから生まれたウィークリングであり、アムタイは上半身が人で下半身が馬という蛮族、ケンタウロスから誕生したことになる。

 

「へー! やるじゃない、あいつ」

「足音が妙だと思ってたのよ。こういうことだったのね」

 

 言いつつ、マーシィは荷物袋から小瓶を取り出し、呪文を唱えながら蓋を開いた。

 瓶の中から出現したのは、身長四メートルにも届く怪物。

 異様に肥大化した右腕と、細長い五本の左腕を持つ、醜悪な魔神――ヴァルブレバーズ。

 

「さあ、その腕で眼前のアンドロスコーピオンを打ち据えなさい!」

 

 魔神に命令を下しながら、マーシィは踊るようなステップを踏む。

 飾り布――エルエレナケープを振り回しながら戦うその姿は、華麗な踊り子のようだ。ケープの表の赤、裏の青が交互に揺らめき、相対する敵を幻惑する。

 布地がマーシィを隠したと思った次の瞬間、そこにもうマーシィは存在しない。変幻自在な体移動で消失、あるいは分裂したかのように見せかけ、相手が混乱した隙を狙い、右腕の刃が命を刈り取る。

 魔神という異形と、幻想的なダンスが織りなすアンバランスなハーモニー。

 あるいは彼女自身も、美しき魔神なのか。

 

「お、おお……!」

 

 冒険者の一人が、感極まったような声を上げた。

 傍から見れば、人類に仇なす蛮族や魔神が増えただけであろう。

 だが、違う。

 違うのだ。

 例え蛮族であろうと、同族と敵対し、人族に味方する者もいる。

 裏切り者と蔑まれ、蛮族のスパイと常に疑いの目を向けられ、それでもなお、行動で信頼を勝ち得るため、黙々と努力して。

 そして、偉業を成したその蛮族は、栄光を讃えられてある称号を与えられるのだ。

 人族の愛すべき隣人、例外たるモノ――"名誉人族"という称号を。

 

「あれが、名誉人族の集った冒険者パーティ……!」

「この街で……いや! この領で最強の栄誉ある集団……!」

「蛮族という闇の住人でありながら、人族という光に憧れ、その間を征く者達……!」

「――"黄昏求道団(たそがれぐどうだん)"かッ!!」

 

 オオオオオッ、という歓声が湧き上がった。

 絶望の淵で死の恐怖に怯えていた彼らの中に、激しい闘争本能が吹き荒れる。

 勝てる!

 彼女たちがいれば、俺たちは勝てる!

 絶体絶命の危機を残り超え、冒険者達の表情は明るかった。

 

「…………あの。一応言っておくけど、私は普通の人族だからね?」

「駄目だマーシィ、誰も聞いてない」

 

 憮然とした表情でぽつりと呟くマーシィに、レイブレンが苦笑しながら答える。

 その額からは捻くれた角が伸び、肌も幽鬼のように青白い。

 レイブレンは、リルドラケン生まれのナイトメアなのだ。

 バンダナなどで隠せる程度の小さな角以外はただの人間のように見えるナイトメアは、しかし正体である異貌を明かしたとき、このように身体に変化が起こる。

 

「よっしゃあ! 俺もやるぜ!」

「私だって、伊達に三回も死んでないわよ!」

「僕も、君たちみたいな名誉人族になるんだ!」

 

 冒険者達は各々の武器を手に、反撃に打って出た。

 中にはレイブレンと同じナイトメアや、別種のウィークリングなどもいる。

 しかし、大半は人間だ。

 それなのに、彼らは"穢れの霧"を物ともせず、己が持つ限界の力を発揮している。

 その理由はただ一つ。

 彼ら、彼女らが――既に"穢れ"を帯びているから。

 

「流石、この領に集った猛者たちじゃないの!」

「おかげで、この領が不名誉な呼ばれ方されてるわけだけどね」

 

 この領は、地下にアンドロスコーピオンと魔道機械が地上侵攻を企てるダンジョンを持つ。

 当初、この領の領主は普通の冒険者に任せてダンジョンを攻略させていたが、すぐに困難な壁にぶち当たった。

 それは、クローモワの存在。

 あらゆる場所で"穢れの霧"を発生させるクローモワのせいで、魂の汚れていない冒険者たちは、攻略を断念せざるを得なかったのだ。

 だから、領主は悩みに悩んだ末、ついに結論を出した。

 

 異端の者、禁忌の存在――蘇生を受けたり、あるいは生まれつきだったりと、魂に"穢れ"を帯びた存在を公募し、地下を探索させる。

 

 必要なことだったとはいえ、この声明は他領で暮らす人々から白い目を向けられ、軽蔑された。

 今でも、アイヤールが内部に抱えてしまっている蛮族の領域――《無法領》と同一の扱いを受けることすらある。

 地下には穢れた蛮族。地上にも穢れた人族。

 人々は、この穢れだらけの領を、嘲りと共にこう呼んだ。

 

 

 

 ――――《不浄領ラディータ》と。

 

 




ケンタウロスのウィークリングは(ry
あと、前回書き忘れたけどクローモワもオリジナルモンスターです。


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不浄領・Ⅶ

 劣勢は、一転して覆っていた。

 ケートレア最強の冒険者パーティ、"黄昏求道団"が――約一名ほど不在だが――増援に現れたことにより、追い込まれていた冒険者たちの戦意が急上昇したからだ。逆に、次々と同胞たちが骸の山へと姿を変えていく様を見せつけられているアンドロスコーピオンたちは、変化に乏しい表情の中に、焦りと困惑の色を僅かに滲ませている。

 

「ちょろいちょろい! ガーウィごときに、あたしの相手はつとまらないよ!」

「調子に乗ってると、痛い目を見ることになる」

「そうですよ。その分厚い毛皮も、銃の前にはまったくの無意味なんですからね!」

「避ければいいんでしょ、避ければ!」

 

 軽口を叩きながら、名誉人族として受け入れられた彼女たちはかつての同胞たちを次々と蹴散らしていく。

 蛮族である彼女たちの肉体には、"穢れの霧"は効力を及ぼさない。視界の悪さも、蛮族の大半が所有する暗視能力によって、妨げられることはない。

 

「そぉら、引退したとはいえ、俺だってまだまだやれるってもんさ!」

「無茶はしないでくださいよ、店長!」

 

 ミックとイオルは人間だが、二人ともマーシィと同じく戦いの中で命を失い、蘇生した過去を持っていた。

 そのため、"穢れの霧"の中でも一応行動可能ではあるが、ミックは肉体の衰え、イオルは単純な実力不足からマーシィたちほどの動きは出来ない。それを自覚して、無理しない範囲でアンドロスコーピオンたちと戦っている。

 ミックは戦縋(ウォーハンマー)、イオルは弓を武器に、堅実なダメージを相手に与えていた。

 

「ヌ……ォォォォォッ!!」

「だらっしゃーッ! 道が空いたぜ、マーシィ!」

「突撃よ、ヴァルブレバーズ!」

 

 クローモワを護衛するアンドロスコーピオンたちをアムタイとレイブレンが引き剥がし、その隙間を縫うように、マーシィの召喚した魔神が巨体を唸らせて突進する。

 ずしんずしんと音を立て、地響きを立てるその背後から、マーシィも地を蹴って追走。そびえる壁のような背面を駆け上がり、肩の上から跳躍すると、鮮やかな宙返りでクローモワの背後に着地する。

 タイミングを見計らい、前後からの連続攻撃。

 今まで散々"穢れの霧"を生み出してくれた脅威の魔道機械を、完膚なきまでに粉砕した。

 

「クローモワ、これで全機撃破です!」

「やったー!」

「ははは、ざまぁみろってんだ!」

 

 冒険者たちが次々に歓喜の声を上げる。

 とはいえ、クローモワが破壊された瞬間に"穢れの霧"が完全消滅するわけではない。大気中に雲散霧消するまで、およそ六時間ほどかかるのだ。

 それに、倒したのは闘技場北部にいたものだけである。何体かは襲撃開始の時点で西部や南部へと移動しており、それらが未だに健在なのか、それとも別の冒険者たちが食い止めてくれたかは、知りようがない。

 それでも、勢い付いた彼らの士気を更に高揚させる後押しとはなる。

 気が付けば、残るはアンドロスコーピオンたちが数体と、命令されたまま穴の拡張工事を続けている魔道機械たちのみという状況だった。

 

「色々と手こずらせてくれたが、こうなればもはや負ける要素はないな」

 

 そう言って、ずいっ、とアムタイが進み出る。

 

「どうした、蠍人間どもよ。先程までの威勢の良さはどうしたのだ」

「待て、油断するな」

 

 そのアムタイの服の裾を引っ張り、小走りに駆け寄ったミナが静止する。

 しかし、大柄な体躯の少女は蠍の尻尾を持つ少女を見下ろし、鼻で笑った。

 

「油断? コボルドのように縮こまったこいつらを相手に、どう油断するというのだ」

「あ、それ禁句……」

「コボルドを馬鹿にするな!」

 

 瞬間、激昂したミナがアムタイに自身の尻尾を叩き付けた。

 アムタイはさらりとそれを回避し、脇の方でしかめっ面をしながら眉間を揉んでいるドルチェを尻目に、ミナを威圧するように目を細める。

 

「……何の真似だ? 今は戦闘中だぞ」

「黙れ。アンドロスコーピオンとコボルドを貶める者は全て殲滅対象だ」

「ミナ! もう、ようやく人族の常識に馴染んできたと思ってたのに!」

「殺しはしない。ただ、痛みと苦しみの中で反省してもらうだけ」

「ほう? 我とやる気か?」

「言っておく。ワタシは貴様より遥かに強い」

「ミナ!」

「ふん、接近戦ならこちらに分がある。泣きを見るのはそちらのほうだ」

「お嬢ちゃんも、こんなときに何言い争ってるんだよ!?」

 

 ドルチェとレイブレンが止めに入るが、二人の口論は止まらない。周囲の冒険者たちは呆れ顔だ。

 勿論、敵への警戒は解かないままではあるが、大勢が既に決した故の余裕であろう。

 緊張感が薄らぎ、全体に弛緩した空気が流れた。

 ――その時。

 

「待って」

 

 マーシィが鋭い声を上げる。

 マーガレットも注意深く視線を周囲に巡らせ、ミナは一瞬だけ身体を震わせると、すぐに銃を構えて真剣な面持ちとなる。

 いずれも、優れた斥候(スカウト)としての心得を持つ者たちだ。アムタイは言い争っていた相手が急に取った態度に、怪訝そうな表情を浮かべた。

 

「おい、何を」

「しっ」

 

 ミナは人差し指を唇に当てる。

 そのポーズが意味するところは、アムタイにも流石に理解出来る。

 自分から喧嘩を売っておいて――という苛立ちを覚えながらも、渋々とアムタイは従った。

 周囲の冒険者たちも、彼女たちが何かを感じ取ったことを察し、黙りこむ。

 

「ギギ……」

 

 追い詰められていたアンドロスコーピオンたちは、ここに来て不敵な笑みを浮かべた。

 八方塞がりの状況で、精神に異常をきたした――わけでは勿論ないだろう。

 彼らは希望を残しているのだ。

 マーシィたちが警戒する、"何か"に。

 

 ――――ォン。

 

 その時、小さな音が鳴った。

 よく耳を澄ましていなければ聞き逃していたような、とても小さな音が。

 

 ――――ォォン。

 

 ――――ォォォォォン。

 

 音は、段々と大きくなっていく。

 それに合わせ、地面からも若干の振動を感じるようになった。

 地下だ。

 冒険者たちが立っている地下――アンドロスコーピオンたちが侵入に使った通路で、何かが鳴動している。

 

「くっ……マギスフィア起動!」

 

 ミナは咄嗟に銃を構え、アンドロスコーピオンの一体に銃口を向けると、次の瞬間にはその眉間を撃ち抜いていた。

 その顔には焦燥感が滲んでいる。

 少しでも敵の数を減らさなければ、という衝動に突き動かされたのだろう。

 幾度と無く死線を乗り越えてきた経験が、最善の選択を無意識に選ばせる。全神経を尖らせながら、マーシィはミナの判断力に内心唸った。

 

「ガッ……!」

 

 かくして目にも留まらぬ早撃ちを喰らったアンドロスコーピオンは、衝撃で後方へ吹っ飛ぶ。

 その背にあるのは、彼らが開けた侵攻用の空洞だ。

 鮮血を飛散させながら、蠍人間は穴の中へと吸い込まれ――

 

 ――突如穴から出現したものによって弾き飛ばされ、地表に叩き付けられた。

 

 ずぅん、という重低音が響き渡る。

 穴から飛び出たそれは、穴のすぐ近くにいた工事用の魔道機械を踏み潰して着地した。

 メキメキと音を立て、穴の外周部――地下通路の天井部分が歪む。

 周囲を漂う"穢れの霧"の中でも、その姿は冒険者たちの瞳に、はっきりと写った。

 外観は、胸部の突き出た無骨な鎧というのが第一印象だろうか。だが勿論、それは鎧とはまるで別物だ。

 まず、巨体。

 背の高い人間よりも大きな竜人(リルドラケン)、そのリルドラケンをも子供のように見下ろす魔神(ヴァルブレバーズ)

 そのヴァルブレバーズが両手を掲げても足りないほどの全長を、それは有していた。

 そして、その身体は金属で構成されている。

 クローモワなどと同じ魔道機械。しかし、その戦闘力は比べ物にならないだろう。

 有り余る巨体と重量は、それだけで凶悪な武器だ。それを支えるのは、蜘蛛のような八本の脚。脚の一本は、頑丈な魔道機械を踏み潰してなお、傷を負った様子は見受けられない。

 更に、武装として両腕に巨大な銃が備え付けられている。銃を持っているのではなく、両腕が銃なのだ。

 そして、肩部に装着された二門の主砲は、どれほどの威力を誇るのか。想像もしたくなかった。

 

「クィンドゥーム……」

 

 誰かが呟いた。

 それは魔道文明時代、戦うことを目的として作られた魔道機械。

 巨人と並び立つほどの全長と苛烈な攻撃、独特の駆動音と足音で、相対するものに絶望を与えた存在の名。

 アンドロスコーピオンたちが勝利を確信したように唇を半月状に曲げる。

 対して実力の劣る冒険者の中には、絶望と諦観で膝をつく者もいた。

 

「――問題ないわね」

 

 しかし。

 あっけらかんと言い放ち、気楽な足取りで一歩進み出る女が一人。

 

「マ、マーガレットさん……本当ですか!?」

「コリンがいないし、霧の影響があるからマーシィも若干使えないけど……あたしとミナ、ドルチェがいればどうにでもなるわよ」

「おおっ!」

「さ、流石だぜ、"黄昏求道団"!」

 

 ケートレア――否、《不浄領(ラディータ)》最強の拳闘士"月下の黒狼"の言葉に、一同は再び希望を見出す。

 熟練の冒険者すら恐れる古代兵器も、彼女たちの手にかかれば赤子同然なのだ――

 

 ドォォォンッ!!

 

 ――地響きを立て、もう一体の魔道機械が穴から出現した。

 足の数はクィンドゥームの半分だが、それ以上の完成度の高さを伺わせる巨大兵器――

 名を、戦争用砲塔機兵(ウォードゥーム)

 

「…………」

 

 余裕の表情を浮かべていたマーガレットが、ぴしりと凍り付く。

 マーシィも、ドルチェも、ミナも、他の冒険者たちも全員、愕然として目を見張った。

 

「……メグ」

「いや……ちょっと、あれは……反則じゃない?」

「先程までの威勢の良さはどこへ行った」

「うっさいわね! いくらなんでもアレと同時なんて無理よ! 無茶! 無謀ですらあるっての!」

「しかも見た限り、装甲とかちょっと強化されてるみたいですよ」

「マジで!? あたしら死んだじゃん!」

 

 狼の顔をしたまま、マーガレットは情けない顔を見せる。

 実際問題、クィンドゥーム一体だけならば、どうにでもなるというのは本当だ。こちらも体力を大幅に消耗するだろうが、十分に押し切れるだろう。そのくらいの実力は身に着けている。ウォードゥームはクィンドゥームより高性能だが、それでも余力を残している現状ならば、勝率のほうが高い。

 だが、二体同時となると話は別だ。

 砲塔機兵(ドゥーム)種の放つ砲撃は前衛を飛び越し、後衛に届く。神聖魔法による治療でパーティを支えるドルチェは戦士としての心得を持たないため、撃たれた弾丸を回避するような真似は出来ない。結果、ドルチェが倒される。ドルチェが沈めば、それはもうパーティ全滅へのカウントダウンの始まりだ。

 ならばドルチェを下げようにも、神聖魔法にだって射程というものがある。多くの魔元素(マナ)を消費することで射程距離を増やす技術も世の中には存在するが、生憎とドルチェは習得していなかった。マーシィは熟達していたものの、こちらは神聖魔法を唱えられない。神の声が聞こえたことなど、一切ないからだ。

 同様の理由で、ミナもいい的になってしまう。彼女やアンドロスコーピオンが使う銃と同じで、ドゥーム種の武装はあらゆる装甲を無効化し、内部からダメージを与える。その破壊力はミナ自身が一番よく知っているだろう。

 クィンドゥームの主砲、あるいはウォードゥームの機関砲が二発までなら、ギリギリ耐えられるだろうか。だが三発同時に撃ち込まれたら、そこに待っているのは"死"だ。

 では、先手を取って砲塔を潰すか? しかし、ドゥームたちの巨体は障害となって通常の近接攻撃を届かせない。そしてこの場にいる遠距離攻撃可能な面子は、マーシィとミナ、そしてイオル、あとは冒険者に二人ほどいるだけだ。到底、破壊に至るほどのダメージは生み出せない。

 結局、回避に不安の残る面子は、退避させるしかない。

 となると、頼りになるのは前衛組だ。マーシィもマーガレットも、防御より回避が主体の戦い方をする。

 しかしマーガレットは砲塔の攻撃はともかく、両腕の機銃のほうを避け続けられるかは、五分五分といったところだろうか。

 マーシィは"穢れの霧"の影響下であってもマーガレット以上の回避能力を発揮出来るだろうが、それでもウォードゥームの機銃を完全に回避可能かどうかと問われれば、若干の怪しさを覚える。

 

「もー、手が足りなさすぎ! なんでコリンはここにいないわけ!?」

「いなくなった人物に頼るのは合理的ではない」

「惜しい人をなくしましたね……」

「ちょっと、私の親友を死んだみたいに言わないでくれる?」

 

 戦力が足りない。コリンがいてくれたなら、とマーシィは痛烈に感じる。

 しかし、ここで逃げるという選択肢はない。

 穴は地面に穿たれたままだ。すぐに塞がなければ、ウォードゥームが更なる増援として現れるかもしれない。

 やるしかないのだ。

 ケートレアを――"穢れ"た自分たちを受け入れてくれたこの街を、守るためには。

 

「悠長に作戦会議してる時間は、なさそうね」

 

 背を向けていた二体の機兵が、ぐるりとこっちを振り返る。

 生き残った三体のアンドロスコーピオンも、武器を構え直した。

 ――今日は、のんびりと過ごす予定だったのに。

 はぁ、と吐息を一つ洩らしたマーシィは、仮面を脱ぎ捨てて汗ばんだ顔をケープで拭うと、号令を発した。

 

「――クィンドゥームと蠍たちをお願い!」

 

 同時に、ウォードゥームへと駆け出す。

 隣りにいたマーガレットが、躊躇することなく後に続く。

 悲壮感を漂わせていた冒険者たちも、悲鳴のような絶叫を上げ、ウォードゥーム以外の敵たちへと突撃していく。

 ウォードゥームへと向かったのは、マーシィとマーガレット、二人だけだ。

 

「頼んだわよ、みんな」

 

 これが、最善策。

 マーシィとマーガレットでウォードゥームの攻撃を引き付け、残る全戦力でクィンドゥームたちを片付ける。

 本当なら、マーシィ一人だけで囮をこなしたかったが、一人だけではウォードゥームの巨体を止められず、突破されてしまうだろう。召喚したヴァルブレバーズは流石に実力差がありすぎて、ウォードゥームとは戦わせられない。魔神を無謀な戦いに挑ませないことは、契約に義務として定められている。

 

「前にこいつと対峙したときは、ボコボコにされて気絶しちゃったのよね」

「復讐のチャンスじゃない」

「そーゆーこと! 今度こそ、あいつの装甲をぶち抜いてやるわ!」

 

 言いながら、マーガレットは呼吸を整える。大きく息を吸い込み、独特のリズムで吐き出す。

 すると、マーガレットの脚に変化が生じた。筋肉が膨張し、あるいは縮小し、瞬発力に秀でた形状へと変貌したのだ。

 変貌といっても、人間の形を逸脱するほどのものではない。しかし、それは獣人化とはまた別種の、常人では起こりえない現象だった。

 練技。

 冒険者たちは、その身体能力の強化をそう呼んでいる。

 空気中の魔元素(マナ)を特殊な呼吸法によって体内に取り入れ、動物や幻獣のような強靭な肉体を一時的に宿らせる、人族が神話の時代から研鑽し続けてきた技術だ。

 

「……そう言いつつ、使うのは回避型の練技なのね」

「しょーがないじゃん! 使えるマナの量は限られてるんだからさ!」

「まあ、死なないようにするのが一番よ」

 

 ウォードゥームと対峙する。この大型の魔道機械に、いわゆる"目"に当たる部分は見当たらない。どこから視認しているんだろう、そんなどうでもいい考えが頭に浮かぶ。

 鋼鉄の装甲に、マーシィの持つ剣は通りにくい。もっと修行を積めば機械の身体だろうと脆弱な一点を見抜き、その急所を穿てるようになれるのかもしれないが、生憎と今のマーシィにはそんな技量はない。

 両腕の機銃や、肩部の機関砲を見やる。霧の影響さえなければ、当たる気がしないのに。今は、どうにも一抹の不安が過ぎってしょうがない。

 

 ――だから、なんだっていうの。

 

 雑念を振り払い、マーシィは剣を構える。

 私は生きる。例えメグが、ドルチェが、ミナが、冒険者たちの誰が死のうが、私だけは生き残ってみせる。

 もう、あんな思いは――魂をズタズタに引き裂かれような苦しみは、味わいたくない。

 マーシィは覚えている。忘れたけど覚えている。思い出せないけど覚えている。正常な輪から外れる苦痛。魂が穢れる嫌悪感。取り返しの付かないことをしてしまったかのような恐怖。脳ではなく、魂に刻まれた衝動。

 

 ――蘇りたくない。

 

 ――だから、絶対に死にたくない。

 

「……矛盾してるわね」

「え? 今、何か言った?」

「いえ、何も」

 

 死にたくないのなら、ここから逃げ出せばいい。

 ケートレアなんて捨てて、どこか遠いところへと去ってしまえばいい。

 そうしないのは――自分以外も、出来る限りは死んでほしくないからだ。

 死んで、蘇るのはあんなに辛いものだから。

 他のみんなにも、同じような目に合ってほしくない。

 

「うん。死なないようにするのが一番よ」

「なんで繰り返すのよ?」

「死んでほしくないってこと。死なないでね、メグ!」

「早々簡単にはくたばるつもりはないっての!」

 

 二人は、ウォードゥームに跳びかかった。

 

 

 

 



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不浄領・Ⅷ

間を開けてしまってすみません。
多分最後のあたりは後で書き直します。


 マーシィの腰には、二つの小さな直方体が連結した"箱"が備え付けられている。

 その片方、"カードホルダー"と名付けられた箱の側面に、いくつかのスイッチが存在した。そのうちの一つを選択し、剣を握ったまま親指で押し込む。

 すると、カードホルダーの蓋が自動で開いた。中にはその名の示す通り、十数枚のカードが並べられている。

 そのうちの八枚のカードだけが、自分の意志を持っているかのように箱から飛び出て、マーシィの前方に展開された。全て同一の、くすんだ金色をしたカードの中から手近な一枚に剣の切っ先を向け、早口に告げる。

 

第一原質(プリマ・マテリア)・金色解放! 我が刃に宿れ、"必殺の光条(クリティカルレイ)"!」

 

 次の瞬間、選んだカードが砕け散った。粉々になった破片は光の粒子へと姿を変え、マーシィの持つ剣へと収束していく。残りのカードは再びカードホルダーへと舞い戻り、蓋が自動的に閉じられた。

 マーシィはそのまま、微かな黄金の光を宿した剣を、眼前の巨体へと叩き付ける。

 ギィン、という金属が軋みを上げる不快な音が鳴り、命中したウォードゥームの脚に一筋の傷が付く。だが、それは表面を微かに切り裂いただけだ。機能を停止させるほどの損傷ではない。

 

「やっぱり、私の技量じゃ、まだ……!」

 

 舌打ちし、マーシィは即座にその場から飛び退いた。残された影に銃弾が命中する。判断が遅れていたら、直撃を受けていたところだった。

 着地した先で、マーシィは剣を構え直す。その刃に先程まで纏わり付いていた光は、既に消失している。

 マーシィが使ったのは、賦術と呼ばれるものだ。

 魔動機術などと同じく、魔動機文明(アル・メナス)時代に研究・発展した技術であり、物体のもつ特質――第一原質(プリマ・マテリア)を抽出し、それを封じ込めたマテリアルカードを触媒として様々な効果を発揮する。そんな賦術使い――"錬金術士(アルケミスト)"は、主に戦闘で役立つ場面が多いことから、冒険者たちの中によく見受けられる。

 黄昏求道団の中ではドルチェが随一の錬金術士であり、神聖魔法と同時に数多くの賦術を用いて仲間たちをサポートしている。マーシィは先程の"必殺の光条(クリティカルレイ)"という賦術しか使用出来ないが、それで十分だと感じていた。

 黄金の光が武器に宿る"必殺の光条(クリティカルレイ)"は、その攻撃を僅かに誘導し、敵の急所へと向けさせるという効力を持つ。

 常人では弱点を見切れない鋼鉄の装甲相手ではあまり効果は無いが、それでも若干のダメージ向上を図ることは出来た。今は、少しでも早く眼前の脅威を排除し、仲間たちの救援に向かわなければならない。

 

「オォォォォッ!!!」

 

 獣の如き咆哮を上げ、マーシィが攻撃を与えた部位に、今度はマーガレットが拳を叩き付ける。

 彼女が得意とする、ワンツーパンチにキックを加えた息もつかせぬ三連撃。並の蛮族ならばそれだけで片が付く暴力の嵐は、堅固な装甲を歪ませ、あちこちに亀裂を生じさせる。だが、やはりこちらも、完全に破壊するには至らない。

 反撃の弾丸を、マーガレットは紙一重で回避する。そこに、アンドロスコーピオンやクローモワを相手にしていたときのような、余裕の雰囲気は微塵も感じられない。練技によって変貌した脚部を駆使し、真剣な面持ちで縦横無尽に逃げ回っている。

 

「がはっ……!」

「イオル!? 待ってて、今回復するから!」

「ご、ごめん、お願いするよ」

 

 ちらりと視線を横に向ければ、丁度イオルがクィンドゥームの主砲に直撃し、血の泡を吹き散らす場面だった。主砲の射程外に待機していたドルチェが慌てて神聖魔法を唱え、その傷を癒やす。

 マーシィは魔神(ヴァルブレバーズ)に指示を出し、クィンドゥームの脇にいるアンドロスコーピオンへと突撃させた。

 これまでの戦いで、アンドロスコーピオンたちも体内の魔元素(マナ)が枯渇し、もはや接近戦しか挑めない状態となっている。それでも、ヴァルブレバーズのほうが分が悪い。魔神は蛮族とは違い、魂に穢れを持たないため、"穢れの霧"の影響を直に受けてしまうからだ。

 しかし、的散らしくらいにはなるだろう。ヴァルブレバーズは再生能力を持つため、継戦に優れている。

 

「まったく……! しばらく(ガン)とは戦いたくないわね!」

 

 振り回すケープを銃弾が掠め、受け流すように後方へと逸らす。仮面を脱ぎ捨てて曝け出した素顔には、再び汗が吹き出ていた。エルエレナ惑乱操布術は回避に特化した流派だが、その立ち回りは派手で豪快な分、肉体に蓄積する疲労も遥かに溜まりやすい。ほとんど休息なしに戦い抜いてきたせいで、ここに来て体力の限界が訪れ始めてきているのだ。

 それでも、マーシィの動きが精彩を欠くことはない。今まで鍛え上げてきた脅威の集中力が、無意識にその身体を突き動かす。

 暗殺者として叩き込まれた、正確無比な戦闘技術。

 冒険者として培った、即興即席の戦闘技術。

 その二つを駆使して、マーシィは舞いながら攻撃を続けていく。穢れた黒い霧を切り裂いて演じられる舞踊は、ついにウォードゥームの左脚部を破壊し、膝をつかせるに至った。

 

「メグ!」

「よっしゃー! 任せなさいっての!」

 

 即座にマーガレットが鋼鉄の巨体を駆け上り、腕部の機銃へと迫る。

 回避行動に移ろうとするウォードゥームだったが、黒狼の放った三連撃のほうが速い。一撃目で銃身を歪ませ、二撃目で魔元素(マナ)の伝達系をズタズタに引き裂き、三撃目で完全粉砕に到達する。

 犬歯を剥き出しにして勝ち誇った笑みを浮かべるマーガレット。着地しようとするの無防備な背中を、右腕部の機銃が狙い定める。

 

「危ない!」

 

 マーシィの警告と、弾丸が発射されるのは同時だった。

 銃口から放たれた強烈な一撃が振り返ったマーガレットの腹部に直撃し、その身体が弾き飛ばされた。どうにか中空で一回転し、着地。地面に叩き付けられることだけは避けたものの、腹部を抑えてよろめくその姿から、想定以上のダメージを負ってしまったことが見て取れた。

 

「油断するとか……クソッ」

「まだいける!?」

「ハッ! こんなのヨユーよ、ヨユー!」

 

 呼吸を整えると、苦痛に歪んだその表情が少しだけ緩和される。優れた練体士(エンハンサー)であるマーガレットは、自らの傷を癒やす練技も習得しているのだ。

 とはいえ、その回復量はドルチェの神聖魔法に比べれば微々たるものだ。ほんの気休めにしかならないことは、本人が一番よくわかっているだろう。

 マーシィは視線をウォードゥームへと向けたまま、別の戦場の気配を探る。

 残るアンドロスコーピオンは、ヴァルブレバーズが対峙している残り一体だけのようだ。しかしクィンドゥームと交戦している冒険者たちは、その数を大幅に減じていた。気絶しているだけなのか、死亡してしまったのか、そこまでの判別はつかない。生きていて欲しいと、マーシィは心中で強く祈る。

 

「ヴァルブレバーズ、眼前のアンドロスコーピオンの上半身を両腕で攻撃!」

 

 今度は逆側、ウォードゥームの右半身に攻撃を集中させながら、マーシィは再度魔神に攻撃の指示を送る。

 魔神は命令以外の行動は絶対にしない。『逐次指示に従え』という契約を結んでいるからだ。命令を怠れば、魔神はその場に棒立ちとなり、契約者を手伝おうというような素振りすら見せない。契約者が気絶すれば、意気揚々と敵側に回ることすらある。

 しかし、彼らに『好きなように戦え』などと間違っても命じてはならない。魔神は常に契約を破棄して自由になることを望んでいるため、虎視眈々と契約者の死の機会を伺っているからだ。魔神の自主性に任せたが最後、契約者が危機に陥った瞬間に、トドメを刺しに来るだろう。

 そのため、多少面倒ではあるが、魔神への命令は具体的な指示をその都度行わなければならないのだ。

 

「ようやく片腕を潰せたのはいいのだけれど……想像以上にタフなようね」

「ホント、強化しすぎでしょ。もしかしたら、最下層にはこんなのがうようよいるのかも……」

 

 嫌な想像に身震いしながら、マーシィとマーガレットは戦闘を続行する。

 片腕を失いながらも、ウォードゥームの攻撃は苛烈だった。更に意外な機敏性も見せ、マーガレットの拳を受け流す場面すら見せる。

 まさしく、戦闘を主目的として開発された魔動機械の面目躍如といったところだろうか。

 一機を製造するのにどれだけの時間を要するのかは不明だが、もしも掃いて捨てるほどに量産・強化されたウォードゥームたちが地下を闊歩していたらと考えると、これからの迷宮攻略は遠慮させてほしいという気分にさせられてしまう。

 とはいえ、今はこの状況を切り抜けることが先決だ。

 

「いい加減……くたばれーッ!」

 

 裂帛の気合と共に、マーガレットの拳が右脚の装甲を突き破った。

 熟練した拳闘士の一撃は、時に相手の鎧を貫くほどの破壊力を見せる。脚部の大半を失い、ウォードゥームは今にも地面に崩れ落ちそうだ。

 右腕は反撃の砲弾を浴びせるが、マーガレットは同じ過ちを繰り返すことなく、今度は余裕を持って回避する。続く頭部の機関砲も、危なげなく避けてみせる。

 ウォードゥームの猛攻が途切れた。再び反撃する番だと、マーシィが一歩脚を踏み出す。

 瞬間、

 

「お姉さま、危ない!!」

 

 ドルチェの悲鳴にも似た叫び声が耳に届き、反射的に身を投げ出して地面を転がった。

 一拍遅れて、巨大な弾丸が飛来。マーシィの背後スレスレ、腰まで届く豊かな銀色の髪を突き破り、瓦礫に着弾して大きな破裂音を上げる。舞い上がった土煙が、"穢れの霧"と混じって消えた。

 

「……ッ!?」

 

 流れる視界の隅で、マーガレットが黒狼の姿のまま驚愕の表情を浮かべているのが見えた。

 すぐに身を起こし、三つの瞳で周囲を見渡す。

 今の攻撃は、どこからのものだろうか。

 ――いや、疑問に思う必要すらない。本当は既に勘付いていた。ずっと継続的に聞こえていた怒号や罵声、悲鳴などが途絶え、その巨大な足音が徐々に接近していたのだから。

 

「――最悪ね」

 

 マーシィは苦み走った顔で舌打ちする。

 迫り来る敵の姿が、ウォードゥームと並び立った。

 ウォードゥームと比較すれば、小柄と呼べる金属の体躯。しかし、人間を高みから見下ろすことには変わらない、圧迫感を感じる巨体。

 八本脚の機兵――クィンドゥーム。

 

「すまない、こちらは全滅した……!」

 

 後退し、ドルチェの神聖魔法で治療を受けていたアムタイが、悔しそうな顔で呻く。

 クィンドゥームの背後には、傷付いた冒険者たちがあちこちで倒れ伏していた。その中にはレイブレンや、ミックの姿もある。アムタイはクィンドゥームではなく、アンドロスコーピオンの相手をしていたため、難を逃れたのだろう。

 しかし、今更アムタイ一人だけが加勢してくれたところで、何が出来るものだろうか。

 離れた場所からイオルが必死に矢を射かけているが、魔動機械は蚊に刺された程度にも痛痒を感じていない。

 実力差というものは、心意気だけでは埋まらない溝なのだ。

 

「ちょっと……キツいかしら」

 

 クィンドゥームの装甲はあちこち武器を叩き付けられた傷跡が残り、右腕は千切れて微弱な火花を散らしている。

 しかし左腕と、二門の主砲は変わらず健在だった。射撃精度はウォードゥームに劣るとはいえ、予期せぬ不運というのはどこかで必ず生じるものだ、事故が起こりえるはずがないと、誰にも断言出来はしない。

 絶望感が心の中から湧き上がるのを、マーシィは奥歯を噛みしめて堪える。

 

 まだ――まだ、戦況は五分五分のはずだ。

 

 本来、冒険者が五分五分の戦いが挑むこと事態が愚策ではあるが、敗色濃厚な戦いに挑むよりは何倍もマシな状況と言えるだろう。

 ウォードゥームを警戒しつつも、クィンドゥームを睨めつけて――おや、とマーシィは眉根を寄せた。

 地下から飛び出したときと何ら変わるところはなく、クィンドゥームの主砲は黒い光沢を携えて、憎らしいまでに無傷そのものな姿を晒している。ところが、その主砲を覆うように増設された追加装甲に、大きなひび割れが生じていたのだ。

 

(あれはイオルが?)

 

 そんなはずはない、とマーシィは思い直す。先程見た通り、イオルの技量ではあの堅牢な装甲にダメージを与えることすら困難なはずだ。

 ならば――考えられるのはただ一人。その可能性に思い至った瞬間、クィンドゥームの追加装甲が、突如轟音を立てて砕け散った。

 

「――――!」

 

 クィンドゥームが体勢を崩し、大きくよろめく。

 マーシィは、その一部始終を目撃した。

 今日だけで何度その目にしたかも覚えていない、魔元素を充填された弾丸が、追加装甲に直撃したのだ。

 それも、ひび割れの中心点を、寸分違わず。

 そんな芸当が可能な射手(シューター)の存在を、マーシィは一人しか知らない。

 

「……ミナ!」

 

 マーシィたちから大きく離れた位置に陣取り、自らの背丈と同等もある長銃を構える少女の姿があった。

 薄桃色の髪を"穢れの霧"の中に溶け込ませ、その瞳は真っ直ぐに目標へと見定められている。

 彼女がやったのだ。

 追加装甲を破壊し、それに守られた主砲にまで衝撃を与え――筒をへし折り、使用不可能とさせる一撃を。

 

「あ、あんな距離から……!?」

 

 アムタイが目を白黒させている。

 ただ一点を――それも装甲の中で一番脆い部分を見出し、そこに寸分違わず命中させ、しかももう一度再現してみせる。

 当然だが、簡単な話ではない。

 敵は常に動き回っている。距離が離れれば離れるほど、敵の予測移動位置を正確に算出しなければならない。その上で、弾着速度の把握や風速の影響、微動だにしない照準なども求められる。

 そして、相手は先史文明の遺産、クィンドゥーム。その鈍重そうな見た目からは想像も出来ない細やかな動作で、精錬されていない攻撃など容易く受け流してしまう。

 並の射手ならば、当てるだけで精一杯。それだけで仲間から賞賛の言葉を貰えるだろう。

 しかし、ミナはその更に上を飛び越えて見せたのだった。

 

「お、おい。あの女は……あんな真似も可能なのか」

「えっと……よく知りません」

「何?」

「ミナは……狙撃を封印してるんです。私達と出会った日を最後に……」

「封印? 何故、これ程の腕前を持ちながら……」

 

 わからない、とドルチェは首を横に振る。

 マーシィはミナの顔を見つめた。

 ミナは特に表情を変えない。

 しかし、遠目からでもその瞳には、怒りの炎が宿っているのが見て取れる。

 

「ワタシは――守る。仲間を、新しい家族を」

 

 長銃――ランカスターⅡの銃口が、クィンドゥームに残されたもう一つの主砲へと向けられた。

 扱いが非常に難しく、素人には使いこなせないその銃の射程距離は、クィンドゥームの主砲のおよそ倍。

 クィンドゥームは咄嗟に方向転換し、ミナへと主砲が届く位置まで迫ろうとする。

 しかし、それを遮るようにアムタイが飛び出した。

 馬蹄が轟音を立てて地面を踏みしめ、クィンドゥームへと突撃を敢行する。

 

「お前……」

「こいつは我が引き付ける! 貴様は、さっさともう一つの主砲を潰せ!」

 

 槌矛(メイス)を振るい、アムタイが吠える。

 すぐさま、クィンドゥームが残った左腕から銃弾を吐き出した。直撃し、馬の足を持つ少女は治療してもらった傷口から再び鮮血を撒き散らす。

 しかし、それでもアムタイは倒れない。歯を食いしばり、背後のミナまで届かせまいと、懸命に食らいつく。

 

「……ねえ、マーシィ。なんだかあの二人……カッコいいわね」

「そうね。私たちも、負けていられないわ」

 

 マーシィとマーガレットもまた、ウォードゥームへと向き直る。

 不思議と、先程までの絶望感が綺麗さっぱり消え去っていた。

 まだやれる。

 ここまで頑張ってくれた皆のためにも、無様な姿は晒せない。

 剣を振る。拳が唸る。

 惜しみなく賦術や練技を使い、攻撃の手を緩めることなく、ただひたすらに一撃一撃を積み重ねていく。

 そして――

 

「これが……ラストッ!」

 

 この長い戦いも、ついに終わりの時を迎えようとしていた。

 冒険者が行う戦闘は、およそ一分にも満たない短く濃密なものが大半だ。だというのに、今日のマーシィは三十分以上は延々と戦い続けたことになる。

 本当に、最悪な一日だった。

 擱座したウォードゥームの機関砲を完全破壊することに成功したとき、マーシィの心中を過ぎったのは、『とにかく早く帰って眠りたい』という欲求だけだった。

 既に最後のアンドロスコーピオンもイオルとヴァルブレバーズが潰し、残りはクィンドゥーム、ただ一体のみ。

 

「こちらも……終わりだ! いけ、ミナ!」

「任せろ、アムタイ。魔動制御球(マギスフィア)起動。徹甲弾(クリティカルバレット)装填」

 

 ミナが静かな声で、装填された弾丸に魔元素を吹き込む。

 その位置は、先刻から変化していない。

 全て、アムタイが足止めしたおかげだ。

 敵の攻撃が自分に届かないという絶対的な安心を得ながら、蠍の尻尾を持つ狙撃手は引き金を引いた。

 閃光と共に射出された弾丸が、"穢れの霧"を切り裂き、アムタイの耳元を掠め、クィンドゥームの主砲を貫――

 

 

 ――かなかった。

 

 

「あ」

「あ」

 

 弾丸は――外れた。 

 

「……」

「……」

「こ、こういうことも……ある」

「おおぉぃ!? 我のこの勝利を確信して昂ぶった気持ち、一体どうしてくれる!?」

 

 背後を振り向いて喚くアムタイ。

 そこに、飛び出す影があった。

 

「"聖弾(フォース)!"」

 

 ドゥン!

 横様から放たれた魔元素の塊が、クィンドゥームへとぶつけられる。

 その衝撃で、クィンドゥームは動かなくなった。

 

「…………」

「…………」

「やったー! やりましたよお姉さま!」

 

 ミナとアムタイがぽかんと口を開けて唖然とする中、ぴょこぴょこ飛び跳ねながら万歳しているのはドルチェだった。

 神聖魔法の中には傷を癒やすものだけではなく、敵にダメージを与えるものも存在する。

 ドルチェが使用したのは、その中の最下級の魔法だ。

 

「ドルチェ……いつの間に、クィンドゥームの背後に?」

「主砲一発だけなら当たっても大丈夫だと計算して、少しずつ接近してたんです。ミナが攻撃を外したとき、すぐにフォロー出来るようにと!」

「そ、そう……偉いわね、ミナ」

「えへへー! じゃあ、ご褒美に、ちょっとだけ吸ってもいいですか!?」

「……帰ったらね」

 

 喜色満面の笑みを浮かべるドルチェ。

 その姿を見て、マーガレットやアムタイはへなへなとその場にしゃがみ込む。

 ミナも、複雑そうな表情でドルチェを見つめていた。

 なんとも居心地の悪い空気が周囲を漂う。

 鉄塊と化した二体の魔動機械を見上げて、マーシィは重く深いため息を付いた。

 

 

 

「……なんて……締まらないオチなのかしら」

 

 




別に距離が開くと命中率が下がるようなルールは存在しないけど、
まあ、読み物なんで。


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不浄領・Ⅸ

 フェイダン地方はテラスティア大陸の南端に存在する。

 到来する冬の季節が強烈な冷気で人々を苦しめるのと引き換えに、夏は涼やかで適度な湿気もあり、北部のザルツ地方などと比較して過ごしやすい環境と言えよう。しかし、ケートレアの闘技場(コロッセオ)はそんな常識を吹き飛ばすかのような熱気に包まれていた。

 

「いけ―! そこだ、やっちまえ!!」

「腰が引けてんぞ、腰抜け! 気合入れろ、気合をよぉ!!」

 

 喉を枯らさんばかりに大声を張り上げているのは、試合を見物に来た観客たちだ。

 誰も彼もが席に座ることなく立ち上がり、声援やら野次やら知れぬ怒号を唾や汗と共に飛ばし続けている。

 そんな歓声を受けて闘技場中央のグラウンドで戦っているのは、二人ともこの街ではそれなりに名の知られた重戦士だ。片方は《不浄領》が成立したころよりこの街に住む初老のドワーフ。もう片方は最近流れ着いてきた、若手のリルドラケン。

 剣と剣がぶつかり合い、激しい金属同士の擦過音が響き渡る。その都度、観客たちの顔色は赤と青の間を行ったり来たりを繰り返し、あるいは拳を握り締めて振り回し、あるいは頭を抱えて悲鳴を上げる。

 軽戦士や拳闘士の戦いもそれはそれで趣があるが、やはり一番盛り上がるのは、鎧に身を包んだ戦士同士のぶつかり合いだろう。

 

「隣、いいだろうか」

「ええ、構わないわよ」

 

 そんな闘技場観客席の端で、気怠そうな目で試合を眺めているマーシィに横合いから話しかける存在がいた。

 見上げれば、そこには似合わないロングスカートを履いたアムタイの姿がある。

 

「よく、観戦に来るのか?」

「いいえ、私は基本的に出場専門。今日は特別試合があるからって、誘われただけよ」

「そうなのか」

 

 アムタイが隣の客席に腰を下ろす。成人前のマーシィと比較して、大柄なアムタイは頭一つ分飛び抜けていた。

 入り口前の売店で買ったらしい林檎に齧り付きながら、ウィークリングの少女はじろじろと無遠慮な視線を、マーシィに送る。

 

「何かしら」

「いや、あの時はいきなり事件に巻き込まれたからな。こうして、お前のことをじっくり観察する暇が無かった」

「なら、改めて私を眺めてみた感想はどうかしら。美しすぎて目が眩みそう?」

「……自分の容姿に自信があるなら、何故、仮面を付けている?」

「え? だって、あまりにも眩すぎて見る人の目が灼けてしまったら大変じゃない」

「真顔で言い切るか」

 

 きょとんとした顔を見せるマーシィに、アムタイは呆れ顔を見せた。

 ケートレアの平穏を突如として破ったアンドロスコーピオンの侵攻から、三日。

 多くの死傷者が出たにも関わらず、既に混乱は収まり、こうして闘技場の運営も通常通りに再開されている。

 闘技場北部に穿たれた穴は昼夜を問わずに改修・補強作業中であり、冒険者たちが護衛について常に警戒している現状だ。

 元々、この領で暮らしているのは地下に蛮族が生息していることを認知している者たちばかり。無論、家族や知人を失い哀しみに暮れる人たちも決して少なくはないが、それでも大半の住人は涙を払い、不屈の魂で元の生活に戻ろうとしている。

 少なくとも表面上は、それまでと変わらぬ日々が続いていた。

 

「しかし、あの蠍たちの襲撃には驚いたぞ」

「街中に出てきたのは、この領でも初めてのことね。でも、領全体で見れば二、三年に一回のペースで地上に出てくるらしいわよ」

「そうなのか」

「ええ。今回が例外であって、基本的には人気のない山の中とか、荒れ地とかからひょっこり出てきて、そこに少しずつ陣地を築いて……気付いたときには結構な勢力になってて、慌てて撃退に向かうそうよ」

「地下に蛮族の勢力が存在するというのは、大変だな」

「そう、大変なの。地上に出てきた奴らを駆除した後はそこに監視所を作らないといけないしね。逆にこちらから攻め込むとき、そこが入り口になるのよ」

 

 ケートレアの地下に広がる巨大工場は、〈大破局(デアボリック・トライアンフ)〉により関連資料の大半が消滅してしまった影響で、どの地表近くに昇降口や通路があるのか、まったく判明していない。

 無闇に増改築を繰り返したのか内部は複雑に入り組んでおり、魔動機械たちも通れる巨大な通路と人間サイズしか通れない狭幅な細道が絡みあうように張り巡らされている。しかもそれが同じ階層同士を繋いでいるならまだしも、ほとんど気付かぬレベルの坂道になっており、知らず知らずのうちに上下階へ移動していた、なんてことすら普通に起こり得るのだ。

 構造の把握は困難極まった。

 それ故、冒険者たちの地下探索は十年以上の歳月が経過した今でも、遅々として進んでいない。

 

「地下探索に向かうときは、迷子にならないよう気を付けなさい。うっかり落とし穴に引っかかったら、仲間と合流するのに一週間はかかると言われてるわよ」

「それは……気を付けよう」

 

 その時、わっと大歓声が上がった。

 ドワーフの一撃が、リルドラケンの肩部に命中したのだ。たまらずたたらを踏んだリルドラケンを追撃し、ドワーフは容赦のない連撃を浴びせる。

 苦しげな顔で呻くリルドラケンは、ついに武器を手放し、両手を上げた。降参の合図だ。

 審判がドワーフの勝利を告げ、ドワーフは高らかに剣を掲げた。

 

「……これで終わりか? もっと、やれたように見えたが」

「ラディータの闘技場は、極力死人を出さないようルールを整備しているの。この領はあなたみたいなウィークリングのように、人族に協力する蛮族も多い。でも、蛮族ってほら、基本的に血の気が多いのばかりじゃない。だから、人族としては無駄に命が奪われないよう、細心の注意を払ってるわけ」

「しかし、どうにもフラストレーションが溜まってしょうがないぞ」

「なら、その怒りはアンドロスコーピオンや魔動機械たちにぶつけてちょうだい」

 

 じろり、とマーシィはアムタイをジト目で見やる。

 

「初めて出会ったとき、あなた、ミナと喧嘩してたでしょ」

「む。今更蒸し返すか」

「蒸し返すわよ、そりゃ。あのね、言っておくけど、この領では他領よりも騒ぎを起こした者には厳しいわよ」

「何故だ?」

「さっき言ったでしょ、蛮族が多いからよ」

 

 次の試合の邪魔にならぬよう、選手控室へ戻っていくドワーフとリルドラケンの背中を眺めながら、マーシィは言う。

 

「あなたや私の仲間たちみたいに、人族に協力する蛮族だけなら別に問題ないわ。でも、そうじゃない蛮族もいる」

「人族に仇なす蛮族が、潜入していると?」

「蛮族が大手を振って……とまではいかないけど、大義名分を得て暮らせる領だもの。隠れ蓑にはぴったりだと思わない?」

「……成程な」

「だから、この領では騒動には敏感よ。疑われたくないために、積極的にスパイ狩りに精を出してる連中も多くいるわ」

「ああ……そういえば、レザナードにもそんな風潮があったような」

「アムタイは《赤砂領》から来たんだったわね……なのに、いきなり喧嘩なんかしちゃって」

「いや、あれは」

 

 慌てて言い訳しようとしたアムタイは、しかし口を噤み、首を振る。

 

「いや……我が悪かったな、あれは」

「あら、どういう心境の変化かしら」

「……昨日、偶然ミナと顔を合わせてな。その時、事情を聞いたのだ」

「そう……ミナから」

 

 ミナもアムタイと同じく、蛮族から誕生する突然変異体――ウィークリングである。

 歴史を紐解けば、蛮族とは元々は人族であり、魂を限界ギリギリまで穢れさせることで強靭な肉体を得た者たちのことだ。そこから今日に至るまでの歳月の中で進化と淘汰を繰り返し、もはや別種と呼んでも差支えのない多種多様な独自の生態系を築き上げている。

 しかしながら、人族の中に生まれつき"穢れ"を帯びたナイトメアが誕生するように、蛮族の中にも"穢れ"が不十分な劣等種が生まれることがあった。それが"モヤシ野郎"こと、ウィークリングなのである。

 ウィークリングは蛮族と比較して虚弱な肉体故に蔑まれ、時には赤子のうちに殺されてしまうことすらある。その運命は回避したとしても、同族から迫害を受けることは日常茶飯事であり、多くは成人前から戦場に引っ張りだされ、そして散ったとしても歯牙にもかけられない。

 そんなウィークリングが、《不浄領》全域に広がる地下工場を占拠したアンドロスコーピオンたちの中にも誕生した。

 冷徹な合理主義者であるアンドロスコーピオンたちは貴重な労働者としてミナを有効活用させることを決定し、命を奪うことなくコボルドたちに預けた。

 アンドロスコーピオンたちに付き従って共に地下へ潜り、奴隷の人族に混じって雑用を担当するコボルドたちは自分たちの娘のようにミナを可愛がり、ミナもまた、コボルドたちを家族として愛した。

 しかし、それは――悲劇の始まりでしかなかったのだ。

 

「蛮族社会は弱肉強食、親兄弟の縁なんて石ころほどの価値もない――だけど、ミナは人族に近い精神構造を持っていた。だから……」

 

 やがてミナは射手、そして魔動機師(マギテック)としての才能を開花させていく。

 十分な修練を積み、単純な労働力から戦闘員としての編入をアンドロスコーピオンたちが検討するまでになったのだ。

 もはや戦力として無視出来ないほどに、ミナの狙撃手としての技量は他を凌駕していた。

 その心は一つ。

 

『功績を示すことで発言力を得て、コボルドたちにより良い暮らしをさせてあげたい』

 

 そんな彼女の優しさは、しかし最悪の形で踏み躙られることになる。

 ある日、初めての実戦に投入されたミナは、緊張と使命感に震えながらも配置についた。しかし、彼女が戦場で見た光景とは――

 

「卑劣なやり方だ。コボルドを……使い捨ての盾にするとは」

「ああ、ケンタウロスは正々堂々とした戦を好むんだったかしら。でも、アンドロスコーピオンは違う。繁殖力が高くてすぐに成長する、とても優秀な『いくらでも代えの効く駒』を用いることに、何の躊躇いもなかった」

 

 最前線のコボルドたちが命を使い潰されている間に遠距離から銃撃するというのが、彼らの必勝戦法だった。

 それは、合理的という意味ではこの上なく正しい戦い方なのだろう。しかし、コボルドを『個』として見ない故のやり方だった。血をぶち撒け、苦悶の表情を浮かべながら動かなくなったコボルドたちの死骸を丁重に葬りながら、ミナの心に復讐の炎が湧き上がるのに、そう時間はかからなかった。

 だが――アンドロスコーピオンたちは、どこまでも冷徹だった。

 コボルドたちが盾にされたことで動揺し、与えられた狙撃の任務を満足にこなせなかったミナは、アンドロスコーピオンたちの長――スコーピオンジェネラルの前で、忠誠心を示さなければならなくなったのだ。

 

「証明方法は……狙撃の腕前を披露すること。そして、ターゲットは……」

「――十年以上の長きに渡って、親代わりとしてミナを育ててきたコボルド――ポポレ」

 

 ポポレは、何も言わなかった。

 ただ、最期まで微笑んでいただけ――ミナはそう言っていた。

 逆らって無為に命を落とすよりも、生き延びて復讐の機会を待て。我らに犠牲を強いるこの蠍たちに、裁きの鉄槌を下す方法を模索しろ。

 額の中心を撃ち抜かれ、苦しむことなく即死した亡骸は、そう語りかけてくるようだった。

 親殺しという十字架を背負ったミナは、表向きは従属しつつもただひたすらに好機を待ち――そして、マーシィたちと出会ったのだった。

 

「……事情を知ってしまった以上、コボルドを馬鹿にすることは、もう出来んな」

「……」

 

 沈黙が降りる。

 気まずい空気を変えようと、殊更明るい口調でマーシィが隣の少女へと問いかける。

 

「そういえば、あなたはなんで蛮族社会から飛び出したの?」

「我か? 我は元々、ディルフラム北西の一角を占めるモタハウェル大草原出身なのだが、あそこは諍いが耐えなくてな。我が所属する部族の勝利のため、人族の戦術を勉強しに来たのだ」

「なら、いつかは蛮族たちのところへ戻るってこと?」

「そうなるな。我らは誇り高き草原の民、人族との戦には積極的に関わることはせん。人族とは、利害が一致すれば協力関係が結べるとすら思っているぞ」

「蛮族も多種多様ね……でもそれ、あんまり人前で言わないほうがいいわよ。人によっては、絶対スパイだって疑うから」

「む、そうなのか……わかった、そうしよう」

 

 話しているうちに、次の試合が始まろうとしていた。

 観客たちは再び熱狂の渦に包まれ、声援と野次とを交互に飛ばす。

 今度のカードは片方が人間の槍使い。そしてもう片方は際どい衣装を身につけた、妖艶なラミアだった。

 同じラミアでも、幼い少女のようなドルチェとはまるで正反対の容貌をしている。特に胸囲に関しては、わざわざ比べるべくもない。

 下品な口笛に答えるように、投げキッスのパフォーマンスで客席の男共の注目を浴びている。

 

「貴様の仲間にもラミアがいたな。というか、貴様の仲間は全て蛮族だったか」

「気付いたら、ね。最初から、狙って蛮族と組んだわけではないのだけれど」

「『黄昏求道団』の噂はよく耳にしたぞ。蛮族だけのパーティというのは、非常に珍しい存在らしいからな」

「待って、蛮族だけじゃないから。私は人族だから」

「おお、そうだったな。リーダーとして蛮族を纏める女傑の噂も、あちこちで聞こえてきたぞ。『仮面の暗殺者』『三つ目の魔神使い』『蛮族サークルの姫』……」

「最後の何!?」

 

 試合開始のゴングが鳴り、槍使いが一気に間合いを詰める。

 突き出された槍の一撃を、ラミアは紙一重のタイミングで回避した。同時に放たれたカウンターの拳が、槍使いの顔面にめり込む。

 鼻血を噴出しながら、槍使いはその場に崩れ落ちた。一秒、二秒。槍使いは痙攣して動かない。

 試合終了。

 あまりにも呆気なさすぎる一瞬の結末に、観客たちが一様に大ブーイングを巻き起こす。

 

「あのラミア、かなりやるわね」

「ふむ。しかし、ラミアが正体を明かしているのに、それを当たり前のように受け止めている……やはりこの領は、かなり特殊だな」

「蛮族が暮らしていける人族の領域なんて、限られているもの。『黄昏求道団』だって、名声を保てるのは《不浄領》の中だけ……後はまあ、《赤砂領》や《血風領》くらいなものかしら」

「貴様は、それでいいのか? 蛮族パーティのリーダーという風評は、人族のお前を不自由の中に縛り付けているのではないか」

「そうかもしれないわね。でも、だからって背中を預けてきた仲間たちを今更放り出せると思う?」

 

 冗談でしょ、とマーシィは唇を綻ばせた。

 

「そりゃあ、文句言いたいときだってあるわよ。メグは酒癖悪いし、ドルチェは年上なんだから人のことお姉さまって呼ぶのは止めて欲しいし、ミナは空気読めないし、コリンは寝言がたまに気持ち悪いし。でもね……私は最高の仲間たちに出会えたと思ってるわ。後悔なんて、一切ないわよ」

「……そうか」

「あなたも、素敵な仲間に恵まれるといいわね」

「む……」

 

 アムタイが眉間に皺を寄せる。

 困ったような、あるいは照れているような、そんな雰囲気だった。

 

「実は……あのナイトメアの男に、パーティに誘われている」

「レイブレンに?」

「丁度、パーティの一人が引退したばっかりだったらしい。それで、我にと……」

「いいじゃないの」

 

 ぽん、とマーシィはアムタイの背を叩く。

 

「縁は大切にしなさい。偶然顔を合わせただけの相手が、生涯のパートナーになる可能性だってあるんだから」

「それは……経験談か?」

「そうかもね」

「……」

 

 迷うように視線を彷徨わせたアムタイは、やがてぽつりと呟いた。

 

「実は……《赤砂領》からこちらへ移ったのは、仲間との諍いが原因でな……」

「ま、あなたの性格じゃそうでしょうね」

「……ズバリと言ってくれるな」

「別に馬鹿にしたわけじゃないわよ。私にも、喧嘩別れしちゃった仲間がいるし」

「そうなのか?」

「ええ。でも、去る者がいれば訪れる者もいる。大切なのは、本当に心の内を曝け出してぶつかれる仲間と出会えるかどうかよ」

「…………成程、な」

 

 微笑を浮かべ、アムタイは天を仰ぎ見る。

 クローモアが生み出した"穢れの霧"はとうに消失し、澄み切った青空が広がっていた。

 

「……そうだな。再び、あの男と肩を並べるのも悪くはないだろう」

 

 そう言ったアムタイの表情は、迷いのない晴れやかなものだった。

 マーシィも同意しようと口を開きかけ、

 

 

 ウオオオォォッー!!

 

 

 それより先に、闘技場の観客たちがにわかに騒ぎ出した。

 何事かと視線を中央へと向ければ、青白い肌に捻くれた角を額から生やしたナイトメアの男が、両手をぶんぶん振り回しながらグラウンドの中央に陣取っている。

 灰色の髪を短く刈り込み、快活そうな顔をした青年の顔は、よく見知ったものだった。

 というか、ついさっきまで話題にしていた。

 

「レイブレン!?」

 

 驚きの声を上げたのはアムタイだ。観客席から身を乗り出し、目を丸くしてぽかんとした表情を浮かべている。

 

「あ、あの男も参加するのか!」

「あら、言ってなかったかしら?」

 

 対して、マーシィは愉快そうに目元を細めた。

 

「私が誘われた特別試合の主催者は、レイブレンなのよ」

「な、なんだと!?」

「えー、皆さんこんにちは、冒険者のレイブレン・ガァナです」

 

 困惑した様子のアムタイを置き去りに、状況は矢継ぎ早に進行していく。審判から魔動機械(マイク)を借りたレイブレンは、客席に向けて挨拶を始めていた。

 

「御存じの方もいるでしょうが、不肖このレイブレン。先日のアンドロスコーピオン侵攻事件の際、現場にて"黄昏求道団"の皆様と共に、微力ながらお手伝いさせていただきました」

「おう、ありがとよ、ナイトメアの兄ちゃん!」

「アンタがうちの弟を守ってくれたんだってな! 礼を言うぜ!」

「いやあ、どうも、どうも」

 

 あちこちから聞こえる感謝の言葉に、はにかんで頭を掻くレイブレン。

 観客の中には、先の戦いに巻き込まれた者やその関係者も幾人か混じっているようだった。生存者の喧伝により、冒険者たち――特に事件解決に大きく貢献した"黄昏求道団"の勇名は更に高まったが、レイブレンもまた、名を挙げた一人なのである。

 

「えーと、それでですね。今回は、新人歓迎会をさせてもらおうと思ってます。この度、この街に新しい仲間が加わりました。その子はケートレア、いやラディータに来て間もないにも関わらず、義憤に駆られて今回の蛮族侵攻に立ち向かい、素晴らしい働きを見せてくださいました。そんな彼女を、ここに紹介しようと思います!」

 

 言い終わると同時に、レイブレンの人差し指が観客席のある一点を指し示す。

 闘技場内にいた全ての者たちが、その方向に視線をやり――

 

 

「――うぇっ!?」

 

 

 注目の真っ只中にいることに気付いたアムタイが、素っ頓狂な声を上げた。

 

「ちょ、ちょっと待て! これは一体、どういうことだ!?」

「ご指名じゃない。頑張ってね、アムタイ」

「おい!? し、知らないぞ、こんなの!

 

 明らかな狼狽を見せるアムタイ。

 突き刺さる無数の視線に赤面し、慌てて逃げ出そうと腰を浮かせる。

 

「おっと、逃がさないっての!」

「観念しろ」

 

 が、その両肩を背後からがっしりと抑える者がいた。

 振り向けば、背の高いボサボサ頭の女と薄桃色の髪をした少女が、左右から腕を伸ばしてアムタイを捕まえている。

 

「き、貴様ら、いつの間に!?」

「くっくっく。気配を消すなんてヨユーってやつよ」

「時間稼ぎご苦労だった、マーシィ」

「じか…………ま、まさか!?」

「ふふ」

 

 ニヤリ、と悪役のような表情を仮面の少女は浮かべた。

 

「ところで、あなたはどうして私がここにいると知っていたのかしら?」

「そ、それは、売店にいた林檎売りに……」

「あれ、私が変装させたドルチェよ」

「貴様らぁぁぁぁぁッー!!」

 

 ばたばたと暴れるが、マーガレットを振りきれるほどの腕力は彼女にはない。

 二人がかりで引きずられていくアムタイ。その光景を見て、観客たちがくすくすと笑う。

 

「ははは。今回はあの子が生贄か」

「私もやられたのを思い出すわぁ。すぐに街に馴染めるようにって、蛮族はみんなアレをやらされるのよね」

「ミ……ミナ! 貴様は……いいのか!? こんな……茶番に付き合って!」

 

 育ての親を自らの手で殺害し、復讐の鬼と化したミナ。

 そんな彼女がこんなことをしている事実が信じられず、アムタイはそう問いかける。

 

「……お前は、もう少し人族の世界を知ったほうがいい」

 

 しかし、ミナは平然とした様子のまま――うっすらと、その口元に僅かな微笑を浮かべてみせた。

 

「地下工場への立ち入りは、月に一度の定められた日に一斉に行われる。それまでは無許可で侵入することは固く禁じられているし、何をしていようが法に触れなければ問題ない」

「だから……こんなことをしていると?」

「復讐の念がワタシの中で消えたことはない。すぐにでも、残されたコボルドたちを救出したいという想いはいつだって持っている。しかし、だからといってそれだけに生きるのは間違いなのだと、ワタシはマーシィたちに出会い、教えられた」

 

 ミナが笑う。

 楽しそうに。愉快そうに。

 

「せっかく人族と共に生きるのだ。楽しめ、アムタイ。ここには蛮族の世界にはない、素敵なもので満ち溢れているぞ」

「貴様……」

 

 アムタイは、ミナの笑顔を凝視する。

 いや、ひょっとしたら、見惚れたのかもしれない。

 

「――全ての人族と蛮族が友好的な関係になれるはずがない。だけど、例え一時的にでもあなたが人族と共に在りたいと願うなら、この場所はそれを受け入れるわ」

 

 マーシィもまた、上機嫌な笑みでアムタイを見送る。

 暗殺者としての過酷な日々。失った皇女としての立場。

 零れ落ちたものは数えきれない。しかし、代わりに手に入れたものもまた、無数に存在する。

 マーシィはこの街が好きだった。

 魔神を従え、蛮族を友とする自分をありのままに受け入れてくれた、この街が。

 だから、アムタイにも知ってもらいたい。

 ここは――とても楽しくて、幸せな場所なのだと。

 

 

 

 

 

「ようこそ。《不浄領ラディータ》に」

 

 



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キャラクターデータ・Ⅱ

マーガレット(メグ)

 

種族:ライカンスロープ(種族特徴・暗視/獣人の力/獣化)

性別:女 年齢:37 生まれ:野伏

 

器用度:23+1(+4)

敏捷度:24+1(+4)

筋力 :27(+4)

生命力:28(+4)

知力 :12(+2)

精神力:22(+3)

 

レンジャー:5

グラップラー:8

エンハンサー:10

スカウト:7

(ファーマー:4)

(ハンター:4)

 

冒険者レベル:10

未使用経験点:1000

HP:58+2

MP:22+2

 

戦闘特技:両手利き、双撃、二刀流、武器習熟A/格闘、跳び蹴り、治癒適性、追加攻撃、投げ攻撃、鎧抜き、カウンター、トレジャーハント、ファストアクション

練技・呪歌・騎芸・その他:マッスルベアー、ガゼルフット、キャッツアイ、アンチボディ、ワイドウィング、ジャイアントアーム、リカバリィ、ケンタウロスレッグ、デーモンフィンガー、フェンリルバイト

 

習得言語:交易共通語(会話・読文)、汎用蛮族語(会話・読文)、ライカンスロープ語(会話・読文)

 

武器:パワーリスト

  :パワーアンクル

盾 :なし

鎧 :アラミドコート

 

頭:決死の鉢巻き

顔:うろこの覆面

耳:蝙蝠の耳飾り(専用)

首:小熊の爪(専用)

背中:野伏のカメレオンマント/迷彩ローブ

右手:巧みの指輪

左手:俊足の指輪

腰:多機能真・ブラックベルト/血晶石の腹帯

足:身守りのサンダル

他:跳躍の羽

 

※うろこの覆面:普段は装備せず荷物に仕舞っている

 

合計名誉点:1000

所持名誉点:380

 

・月下の黒狼(個人称号):30

・黄昏求道団(パーティ称号):30

・仲間(20)

・例外的存在(70)

・名誉人族(250)

・多機能真・ブラックベルト(100)

・野伏のカメレオンマント(20)

・蝙蝠の耳飾り専用化(50)

・小熊の爪専用化(50)

 

・人族が蛮族に勝利すると思っている

・人族に負けたことがある

・人肉が食べられない

 

 

 

 

 

ドルチェ

 

種族:ラミア(種族特徴・暗視/ラミアの身体/ラミアの吸血/变化)

性別:女 年齢:22 生まれ:操霊術師

 

器用度:13(+2)

敏捷度:18(+3)

筋力 :15(+2)

生命力:20(+3)

知力 :30(+5)

精神力:36(+6)

 

コンジャラー:2

プリースト(アステリア):9

セージ:9

アルケミスト:7

ソーサラー:4

(ペインター:5)

(ウェイトレス:2)

(コック:3)

 

冒険者レベル:9

未使用経験点:500

HP:47+2

MP:81+2

 

戦闘特技:魔法拡大/数、魔法誘導、連塾賦術、MP軽減/プリースト、足さばき、鋭い目、弱点看破、マナセーブ

練技・呪歌・騎芸・その他:パラライズミスト、ヴォーパルウェポン、バークメイル、クラッシュファング、イニシアティブブースト、エンサイクロペディア、ビビッドリキッド

 

習得言語:交易共通語(会話・読文)、汎用蛮族語(会話・読文)、ドレイク語(会話・読文)、魔法文明語(会話・読文)、魔動機文明語(会話・読文)、フェイダン地方語(会話・読文)、ドワーフ語(会話・読文)、シャドウ語(会話・読文)、ドラゴン語(会話)、神紀文明語(読文)、妖魔語(会話)

 

武器:クォータースタッフ

盾 :なし

鎧 :マナコート

 

頭:女神のヴェール(専用)

顔:ひらめき眼鏡

耳:目覚ましピアス

首:祈りのアミュレット

背中:サーマルマント

右手:月光の指輪

左手:聖印(専用)

腰:アルケミーキット

足:おしゃれ靴

他:聖王の冠

 

※女神のヴェール:イオルが必死に貯金したお金で買ってくれた

 

合計名誉点:1000

所持名誉点:505

 

・双愛一途(個人称号):25

・黄昏求道団(パーティ称号):30

・仲間(20)

・例外的存在(70)

・名誉人族(250)

・女神のヴェール専用化(50)

・聖印専用化(50)

 

・人族を助けたことがある

・人族に恋をした

・第一の神の声が聞こえた

 

 

 

 

 

ミナ

 

種族:ウィークリング(アンドロスコーピオン)(種族特徴・蛮族の身体/暗視/毒の尻尾)

性別:女 年齢:16 生まれ:野伏

 

器用度:35+1(+6)

敏捷度:20(+3)

筋力 :16(+2)

生命力:23(+3)

知力 :19(+3)

精神力:20(+3)

 

シューター:10

レンジャー:1

マギテック:9

スカウト:7

ファイター:1

セージ:1

(ミッドワイフ:5)

(ハウスキーパー:2)

 

 

冒険者レベル:10

未使用経験点:0

HP:53+2

MP:47+2

 

戦闘特技:精密射撃、鷹の目、狙撃、武器習熟A/ガン、武器習熟S/ガン、トレジャーハント、ファストアクション

練技・呪歌・騎芸・その他:なし

 

習得言語:交易共通語(会話・読文)、汎用蛮族語(会話・読文)、アンドロスコーピオン語(会話)

 

武器:フレイマーTK

  :ランカスターⅡ

  :デリンジャー

盾 :なし

鎧 :ハードレザー

 

頭:マギスフィア(小)

顔:マギスフィア(小)

耳:スポッタードール(専用)

首:マギスフィア(小)

背中:綺羅星のインバネス

右手:巧みの指輪

左手:巧みの指輪

腰:多機能チキンベルト/マギスフィア(中)

足:バレットポーチ(専用)

他:マギスフィア(大)

 

※各種マギスフィアにはオプションてんこ盛り

 

合計名誉点:1000

所持名誉点:480

 

・不動の死神(個人称号):30

・黄昏求道団(パーティ称号):30

・仲間(20)

・例外的存在(70)

・名誉人族(250)

・多機能チキンベルト(20)

・スポッタードール専用化(50)

・バレットポーチ専用化(50)

 

・優しさに目覚めた

・同胞に家族を傷つけられた

・許せない蛮族がいる

 

※公式にはデータの存在しないアンドロスコーピオンのウィークリング

※種族特徴の『蛮族の身体』は器用度+3、弱点として物理ダメージ+2

※種族特徴の『毒の尻尾』は尻尾持ちとして扱い、6レベルで一日一回、11レベルで一戦闘に一回、尻尾を使用していないラウンドに限り補助動作で毒針攻撃

 

 

 

 

 

イオル・ナズオーヴェ

 

種族:人間(種族特徴:剣の加護/運命変転)

性別:男 年齢:18 生まれ:一般人

 

シューター:3

レンジャー:2

 

 

 

 

 

ミック

 

種族:人間(種族特徴:剣の加護/運命変転)

性別:男 年齢:39 生まれ:冒険者

 

ファイター:5

ライダー:7

 

 

 

 

レイブレン・ガァナ

 

種族:ナイトメア(リルドラケン)(種族特徴:異貌・弱点)

性別:男 年齢:20 生まれ:戦士

 

ファイター:4

ライダー:3

エンハンサー:2

 

 

 

 

アムタイ

 

種族:ウィークリング(ケンタウロス)(種族特徴:蛮族の身体・騎馬の脚部)

性別:男 年齢:16 生まれ:妖精使い

 

フェアリーテイマー:4

ファイター:4

レンジャー:3

 

※公式にはデータの存在しないケンタウロスのウィークリング

※種族特徴の『蛮族の身体』は移動力+10、弱点として土属性ダメージ+3

※騎馬の脚部は……バルバロスブック発売したら追記します(ぉ

 

 

 

 

 

クローモワ

 

魔物レベル:3

知能;命令を聞く 知覚:機械 反応:命令による

言語:なし 生息地:遺跡

知名度/弱点値:11/14 弱点:雷属性ダメージ+3

先制値:8 移動速度:10

生命抵抗力:5(12) 精神抵抗力:5(12)

 

攻撃方法:腕 命中力:4(11) 打撃点:2d+4 回避力4(11) 防護点5 HP:33 MP:―

 

特殊能力:

・◯機械の身体:刃のついた武器から、クリティカルを受けません

・◯穢れの霧:"穢れの剣"と同じ効果を持つ霧を吐き出します。濃度によって効果は変化します。

 

戦利品:自動・鉄(20G)、6~8・粗悪な魔動部品(100G)、9~・魔動部品(300G)

 

 

 



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護衛
護衛・Ⅰ


 

 

 

 トバイア少年にとって、自らの家が裕福であるということは、逆に不幸であることだと言えた。

 

 

 今よりもっと幼いころ、この地方では珍しく、うだるような暑さが連日続いたことがある。

 たまたま緊急の要件が纏めて片付いたばかりだった彼の父は、避暑のために家族や使用人たちを連れて別荘地――《青嵐領デラルザ》へと赴くことになった。

 デラルザ領内に入り、あと少しで到着といったところで、彼らを乗せた馬車の車輪が脱輪した挙句に泥濘へとはまり、ぴくりとも動かなくなってしまった。出発から半刻と経たずに突如空を覆い、半日ほど大粒の雫を地上へと流し続けた雨雲のせいだ。執事やメイドたちが周辺の領民に金銭を渡して協力を仰いでいる最中、馬車の中で退屈という名の魔物に取り殺されそうになっていたトバイアは、両親の目を盗んでそっとその場を抜けだした。

 

 程なく、同い年くらいの子供たちが見つかった。

 

 最初こそ警戒されたトバイアと子供たちはすぐに打ち解け、上品な仕立ての服が泥だらけになるくらい遊び回った。広い屋敷の中の世界しか知らなかったトバイアは、子供たちに色々な遊びを教えてもらい、その全てが新鮮で、驚きの連続だった。

 ほんの少しだけの、だけども非常に濃密だった時間は、トバイアに「自分はなんて恵まれない環境にいるんだろう」と思わせるには十分な体験だった。世間一般的には、アイヤール帝国において男爵という地位にある貴族の子息という立場は喉から手が出るほど羨ましいものであったのだが、常に厳しい家庭教師がべったりと側に張り付いて、やれあれが悪い、これが悪いと叱りつけてくる環境にいるトバイアにとって、自由きままにはしゃぎまわれる一般家庭の子供のほうが、自分より『上』なのだと感じたのだ。

 

 その日から、トバイアは度々授業を放棄し、屋敷内を逃げ回る姿が使用人たちに目撃されるようになった。

 今の状況は不服だが、さりとて家を捨てて暮らしていけるなどと考えるほど浅慮ではない。親の庇護を完全に断ち切れない少年に出来る、最大限の反抗だったのだろう。

 他の貴族に侮られぬよう、完璧な礼節を叩きこもうとしていた彼の父は、素直だったはずの息子が起こす数々のトラブルの報告を受けるその都度、非常に頭を痛める羽目になるのだった。

 

 

 そうして、数年の月日が流れた。

 

 

 成長するに連れて、エスケープこそしなくなったトバイアだったが、内に溜め込んだ不満はもはや爆発を待つ臨界点ギリギリといった有様だった。

 追いかけっこや木登りはあんなに楽しいものなのに、父も母も下品だ、下々の者がする遊びだと文句しか言わない。そんなものよりも、全然楽しくないパーティでの礼儀作法や曲の解釈がどうとかまったく意味の分からない音楽を学べという。

 もう我慢の限界だった。

 今すぐこの屋敷から逃げ出そう。そして、《青嵐領》まで行って、もう一度あの子たちと一緒に遊ぶのだ。

 すぐに追っ手がかかり、連れ戻されてしまうだろうが、構うものか。例え一分でも一秒でも、こんな窮屈な生活にはない、自由の素晴らしさを再び味わいたい。

 トバイアは憤懣遣る方無いといった様相で屋敷の正面扉を開け放とうとし、

 

 ――コン、コン。

 

 突如扉から響いたノックの音に、出鼻を挫かれた思いだった。

 客だ。どうせまた、父の友人だろう。

 仕方ない、脱走は中止だ。溜息と共にトバイアは使用人を呼ぼうと後ろを振り向きかけ、いや、と思い留まる。

 

 ――父の面子を、僕が気にする必要があるのか?

 

 トバイアは客人の応対など出来ない。だから使用人を呼びに行こうとしたのだ。しかしながら、ここで客人を無視して屋敷を飛び出し、無礼者だと顔を顰められたところで、何を痛痒に思うことがあろうか。そのことが原因で父が客人に軽んじられることになろうと、僕の知ったことではないじゃないか。

 再度ノックの音。トバイアは決意を固める。

 幼い容貌に酷薄な笑みを貼りつかせ、トバイアは扉のノブに手をかけた。

 

 

 

 ――トバイアは、自分が不幸だと思っていた。

 

 

 ――それは、満ち足りているからこそ生まれた傲慢。

 

 

 ――ならば神は、これを罪と定め、それに対して罰を与えようとしたのだろうか。

 

 

 

 

 

 その日、トバイアは本当の不幸がどういうものなのか、痛感することになるのだった。

 

 



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護衛・Ⅱ

 蛮族の主たる活動時間は、夜だ。

 蛮族の大半は暗視能力を持ち、夜闇に紛れて行動する。逆に日中では肉体が弱体化を引き起こし、十全に能力を発揮出来ない蛮族もまた多い。

 とはいえ、《不浄領》は人族の街だ。確かに他領に比べれば蛮族の割合は多い方ではあるものの、住民の九割以上が人族であることには変わりない。人族の常識に従えぬ者は、それは即ち人族の敵。潜り込んだ密偵(スパイ)と疑われても、自業自得でしかないのである。

 

 そんな理由で、《不浄領》領内の街、ケートレアの夜は静かだった。

 

 神殿が日没を告げる鐘を鳴らしてから、およそ二時間。既に商店の看板は下ろされ、扉は固く閉ざされている。あちこちの酒場からは活気あるおしゃべりの声が途切れることなく続いているものの、基本的に外を出歩くような輩はいない。特別に許可を受けたエルフやドワーフなどの暗視能力を持つ人族の兵士が、担当区域を巡回しているくらいなものだろう。

 また、窓から明かりが漏れている民家も少数だ。貴重品とまではいかないものの、蝋燭や、ランタンに使う油はそれなりに高価なものなのである。特に生活の苦しい貧乏人たちが多く住まうケートレア北部では尚更、家人の大半は夢の世界へと誘われている。

 そんな月明かりしか届かぬ暗闇の世界を、仮面をつけた三つ目の少女が一人、確かな足取りで歩いていた。

 一見特別なことは何も無さそうな歩き方なのに、その少女からは足音がしなかった。仮面の奥で爛々と光る黄金の瞳が、油断なく周囲を警戒している。

 マーシィだ。そのシャドウ特有の黒に近い灰褐色の肌は、まるで同化するかのように闇の中へと溶け込んでいる。

 

 やがて、マーシィは公園に行き着いた。

 

 日頃、主婦たちが集まって世間話に興じたり、子どもたちが駆けまわっているその公園には、人の気配というものが存在しない。時間も時間なのだから当たり前の話の話である。仮面のシャドウは端のベンチに腰掛けると、そっと自身の耳に指を添えた。

 耳には、黒いドロップ型のピアスがあった。そのピアスに指を這わせ、マーシィはゆっくりと口を開く。

 

「――刺抜きより、水遣りに告げる」

 

 周囲には何者の気配もない。仮に目撃した者がいたとしても、独り言を呟いたようにしか見えないだろう。

 しかし、十秒ほどの間を置いて、ピアスから突如、堂々とした口調の女の声が響いた。

 

「――――」

 

 その声は小さく、ピアスをつけた少女の耳にしか届かない。

 マーシィの口元に、小さな笑みが浮かんだ。

 

「亜麻色」

「――――」

「薔薇」

「――――」

「害虫」

「――――」

「絆」

 

 虫の鳴き声だけが微かに響く公園の中、マーシィはピアスから聞こえてくる声と、短いやり取りをいくつか繰り返す。

 やがて、少女は仮面の下で相好を崩した。

 声色も、先程までの事務的な様子とは違う、親愛の情が混じったものとなる。

 彼女を知る者がこの場にいたら、きっと驚いたことだろう。

 それは彼女が冒険者仲間(パーティメンバー)に見せるものよりも暖かく、甘えたような口調だったのだから。

 

「お久しぶりです。そちらも元気そうで何より――え? あはは、ご冗談を。ところで、こうして『通話のピアス』を送ってきたということは――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マーシィが『天高き花火亭』に戻ると、そこは小一時間前に外出した状態と変わらず、喧噪に満ちていた。

 

「ったく、聞いてるんですかぁ!?」

「聞いてる、聞いてるわよ」

「大体ですねぇ! マーガレットさんのくせに生意気なんですよぉ! マーシィ! マーガレット! 名前の最初の二文字も同じだなんて……羨ましい!」

「あんたも、あたしのことメグって呼んでいいのよ?」

「呼ぶわけないでしょぉ!? これでも敬ってんですよ、年上はぁ!」

 

 いつも自分たちが使わせてもらっている――別に独占しているわけではないのだが、他の冒険者たちが遠慮して座ろうとしない――テーブルには、出発前はきちんと給仕をしていたはずのドルチェが座り込み、ぐでんぐてんに酔っ払った様子で隣のマーガレットにくだを巻いていた。

 その脚は人間のものから彼女の正体――ラミアのものへと変貌しており、マーガレットと逆側に座った給仕服の男――イオルを締め上げていた。哀れイオルは泡を吹き、青ざめた顔でテーブルに突っ伏しているのだが、ドルチェはまったく気付いた様子はない。

 いくら街の住人たちが蛮族という彼女の正体を知っていたとしても、緊急時でもないのに人前にその異形を晒すのは褒められた行為とは言えないだろう。しかしながら、そのことを注意しようという勇気ある者は、店内にいないようだった。

 

「珍しいわね、ドルチェがこんなに酔っ払うなんて」

「確かに。いつもはマーガレットが酔って奇行を晒しているところを、ドルチェが介護している場面だ」

 

 ドルチェの相向かいの席で我関せずとばかりに専用の小箱で鍵開けの練習をしていたミナは、その優れた斥候(スカウト)としての感覚でマーシィの接近に気付いていたらしい。急に背後から話しかけられても驚いた顔一つ見せず、相変わらずの無表情のまま返答する。

 

「ちょっと、あたしはこんなに酷くないわよ」

 

 同じく、斥候としてマーシィやミナと並び立つマーガレットもまた、マーシィが店に戻った瞬間を目ざとく感知していたらしい。

 唇を尖らせるマーガレットに、やれやれ、と二人の少女は同時に首を横に振る。

 

「自覚がないって、本当に迷惑な話だわ」

「毎度毎度絡まれるワタシたちが、どれほど迷惑していると思っているんだ」

「な……何よ、知らないっての、そんなの」

 

 ジト目で睨まれ、マーガレットは腰を引く。味方を探すように周囲を見渡すが、冒険者たちや店主のミックは顔全体を背けるようにして目を逸らす。日頃、泥酔したマーガレットに散々迷惑を被ってきた彼らが一斉に取ったその行動が、彼女の酒癖の悪さを何よりも雄弁に語っていた。

 

「あ、お姉さまぁ!」

 

 ようやくマーシィに気付いたドルチェが、うねうねと大蛇の下半身を揺すりながら近寄る。締め付けから解放されたイオルがごぶぅ、と変な音を立てて息を吐いた。

 

「また例の上司からですか! また私の側からいなくなっちゃうんですか!?」

「こら、人の事情をあんまり大声で話さないの」

「せっかくお姉さまにべったりのコリンさんがいないのに! お姉さまったら、あんまり血を吸わせてくれないんですから!」

「イオルの吸ってなさいよ」

「お姉さまのも、吸いたいんですーっ!」

 

 涙目でぽかぽかとマーシィを叩くドルチェの姿は、とても二十歳を過ぎているとは思えない。

 ラミアという種族は女性しか存在しない。そのため、繁殖には必ず人族の男性が必要となる。そうして生まれた子の容姿は、父の種族と近寄ったものとなる、とマーシィは以前ドルチェに教えてもらったことがあった。

 ドルチェの父はドワーフだ。ドワーフという種族は総じて背が低く、男性は筋肉質で豊かな髭を蓄えており、女性は人間の少女のように細身で、どれだけ年齢を重ねてもほとんど老化しないという特徴を持つ。マーシィよりも年上のドルチェが幼い容貌をしているのも、それが原因なのだろう。

 そして、ラミアは定期的に人族の血を吸わなければ、衰弱死してしまう体質だ。とはいえ、ドルチェに関してはイオルが毎日のように血を与えているので、マーシィの血を求めるのは単に趣味嗜好の部分が大きい。

 

「それに、一人でどこかへ行かれると心配なんですよ! ちゃんと帰ってくるのかって!」

「ああ、今回はメグに同行を頼もうと思っているのだけれど」

「え、あたし?」

 

 突然名を呼ばれ、マーガレットが驚いた顔を見せる。

 

「ちょっと面倒な案件でね。力を貸してほしいのよ」

「だ、だったら私も!」

「別の領に行くのよ? ドルチェ、あなた正体を悟られない自信があるのかしら?」

「う……」

 

 ラミアは下半身を人族のものに変化させることが可能だが、それは一日最大十八時間が限度とされている。

 ドルチェが蛮族という正体を知られてなお受け入れられるのはこの《不浄領》、あるいはその周辺領だけだ。『黄昏求道団』の勇名が届かない他領や異国では、ドルチェは人族に仇為す蛮族以外の何者でもない。

 本来、人族と蛮族の間には、それだけ深い溝があるのだ。ドルチェはすっかり酔いが覚めた様子で、すごすごと引き下がった。

 

「というわけなのだけれど、いいかしら、メグ?」

「あたしは構わないけど」

「ありがとう。そういうわけで、悪いんだけど今回の遠征は別のパーティを頼ってくれないかしら、ミナ」

「……仕方ない。リーダーの方針に異は唱えられない」

「いや、我儘くらい言ってくれていいのよ?」

「元々コリンの帰還が不透明なスケジュールだった。問題はない」

 

 なんでもない様子で、ミナは鍵開けの練習に没頭している。

 一ヶ月に一度行われる、地下工場への一斉突入の日が近日に迫っていた。マーシィとしても、ミナの復讐のために参加してあげたい気持ちはある。

 しかし、個人的に受け取った依頼のほうが、マーシィの中では優先順位が上だ。何を差し置いても、ここだけは譲れない。

 

「アムタイから声をかけられている。ワタシとドルチェは、レイブレンのパーティに入れてもらうことにしよう」

「あら、すっかり仲良くなったのね」

「別に……そういうわけではない」

 

 ぷいっとそっぽを向いてしまったミナに苦笑していると、さめざめと泣きながら酒を呷っているドルチェの相手を復活したイオルに任せたマーガレットが、ちょいちょいと手招きしていた。

 顔を近づけると、耳元に唇を寄せ、

 

「女帝の依頼なのよね? あたしが必要ってことは、結構危ない橋を渡るってこと?」

 

 と、小声で囁く。

 

「やること自体は、単に敵を倒すだけよ。ただ、その相手が厄介でね」

 

 マーシィもまた、声を潜めて応答する。

 仮面のシャドウ、"美しき徒花"が度々女帝セラフィナから依頼を受け、ラディータを離れて密偵として活動していることを知る者は少ない。依頼があるときは別の密偵が"通話のピアス"――どれだけの距離があろうと、一日一回、最大十分間だけ対同士で会話出来るピアス――を予め定められた方法でマーシィに預け、マーシィはピアスを通じて依頼を受けた後、やはり定められたやり方でピアスを返却する。全ては女帝とマーシィの繋がりを悟られないためだ。

 ドルチェとミナは依頼者が女帝だとは知らないし、マーガレットは女帝とマーシィの間に存在する特別な関係に気付いていない。二人が血の繋がった姉妹だと知っているのは、姉たちを除けばマーシィがこの世界で唯一親友だと認めているコリンだけだ。

 

「敵の種族は?」

「メグは知らないと思う。私も知らなかったし……ただ、凄い強敵よ」

 

 一拍置いて、マーシィはその名を告げた。

 

 

 

「デュラハンロード。人々に死の宣告を与える首なしの騎士。強化された魔動バイクに騎乗し、数々の高位魔法を操る、凶悪なアンデッドよ」

 

 

 



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護衛・Ⅲ

 

 

 現代においても『大輪の薔薇』等と呼ばれ、フェイダン地方に二つとない大国を築き上げているアイヤール帝国だが、魔動機文明時代においては更に巨大で、栄華を極めていた。

 しかし〈大破局(ディアボリック・トライアンフ)〉の訪れと共に、その全てが脆くも崩れ去った。時の皇帝はアイヤールの中心たる皇城領、その周辺四領だけでの籠城戦を選択。各地の戦力を集結し、その他の領土を廃棄することで、どうにか蛮族たちの猛攻を耐え切ることに成功した。

 とはいえ、大勢の国民を見捨てた皇帝は退位を余儀なくされ、その後も政情不安は続き、力を取り戻すのにかなりの時間を浪費する結果となってしまったのだが。

 マーシィたちが向かっているのは、前述の籠城戦を耐え抜いた周辺四領の一つ、《東翼領》だ。

 その名の通り、周辺四領の東に位置するこの領は、魔動機文明時代の面影を残した町並みがあちこちに広がっている。食料の大半を輸入に任せているのか、農地や牧場等は滅多に見かけず、何かしらの建物が常に視界に入ってくるかのようだった。

 

「はー。《不浄領》とはえらい違いねえ」

 

 ぽかんと大口を開け、周囲を見渡すマーガレットが間の抜けた声を上げる。

 

「ちょっと、あまりきょろきょろしないでちょうだい。事故を起こすわよ」

 

 そんなマーガレットの隣で、マーシィはジト目で注意を促した。

 二人は現在、ライダーギルドでレンタルした魔動ミニバイクに搭乗していた。動物や魔動機、果ては幻獣を問わずに騎獣を販売、あるいは貸し出すのがライダーギルドと呼ばれる組織だ。魔動ミニバイクは魔動バイクよりも小型で初心者でも扱いやすく、何より料金が安い。徒歩で移動するよりも大幅に時間短縮になり、疲労も少なくて済むこの魔動機で、マーシィたちはここまで旅をしてきたのだった。

 

「そんなヘマはしないっての」

「ならいいのだけれど」

「それより、本当にその格好で行く気なの?」

「……シャドウはどうしても第三の瞳を隠し辛いんだもの。我慢……するわ」

 

 マーシィたちが会うのは、アイヤールにて皇帝から爵位を賜った貴族階級の人間だ。

 普通の冒険者ならば問題ないが、マーシィたち『黄昏求道団』は蛮族だらけのパーティだと知れ渡っている。蛮族とは本来、憎むべき仇敵であり、手を取り合うような関係ではない。

 特に、今回の護衛対象であるコントール家は帝国内でも随一の蛮族嫌いとして有名なのだそうだ。元々、女帝セラフィナと表向きは一介の冒険者であるマーシィの間に縁があると悟られないよう正体を隠す気ではいたが、それでも『凄腕の軽戦士のシャドウ』をマーシィと関連付けるのは、難しいことではないかもしれない。

 

「いや、でも、だからってマーシィがそんな……くくっ……」

「笑わないでよ……屈辱だわ」

 

 口元を抑えてぷるぷる震えるマーガレットに、マーシィは怒りの目を向ける。

 その姿は、いつもの仮面をつけた装いではない。

 仮面以上のものに、全身を覆われていた。

 

 

 着ぐるみである。

 

 

 マーシィは現在、リルドラケンを模した着ぐるみの中に入っているのだ。

 

「うーん、ちょっとの観察じゃ本物のリルドラケンにしか見えないわね。素人相手なら簡単に騙せそう」

「当然よ、バレないように色々と細工を施してるんだから」

「でもさ、リルドラケンがケープひらひら振って、俊敏に動いて、スカートで反撃して……ぷっ、あはは!」

「笑うなって言ってるでしょうが!」

「あっ、ちょっ、叩かないでよ、危ないっての!」

「やかましい、一度事故って反省なさい!」

 

 ぽかぽかと殴りかかるマーシィと子供じみたやりとりをしながら、マーガレットはけらけらと無邪気に笑う。

 マーガレットの格好もまた、いつものものではなかった。普段は小汚い印象を受けるボロボロの服装が、清楚なブラウスや膝丈ほどのジャンパースカートに変わっただけで、大きくその印象を違えている。体型的にも背は高いがそれほど筋肉質ではないことも相まって、いいところのお嬢様のように見受けられた。

 とはいえ、魔動ミニバイクに跨ってニヤニヤとした笑みを浮かべる姿は、色々と台無しではあるのだが。

 

「ったく、大人びて見えても、やっぱり子供ねえ」

「くっ……おばさんめ……」

「ははは、残念。年齢ネタはあたしには通じないっての」

「……そろそろ到着するわ。ここからは徒歩で行きましょう」

「りょーかい」

 

 魔動ミニバイクを降り、『騎獣契約スフィア』を荷物袋から取り出す。

 これはライダーギルドで魔動機の騎獣をレンタルする際、同時に与えられるものだ。これにより、魔動機は契約を交わした正規の所持者以外には、操縦出来ない仕組みとなっている。更に、マギスフィア程度の大きさしかないこのスフィアの中に、魔動機を収納することが可能となるのだ。

 二人は合言葉を唱え、スフィアを魔動ミニバイクに近づける。すると、魔動ミニバイクはみるみるうちにサイズが縮小し、スフィアの中にすっぽりと収まってしまった。

 

「うーん、魔動機文明ってホント、進んだ技術力を持ってたって感じるわ」

「魔動機術でも覚えてみる?」

「じょーだん! あたしの頭で魔法なんか使えるわけないっての」

 

 軽口を叩きながら、歩き出す。

 普段、マーシィのほうが低い背丈が、今は着ぐるみのおかげで同等のものとなっている。

 それがおかしかったのか、再びマーガレットが笑い出し、二人はまたじゃれるような喧嘩を始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……陛下から、話は聞いている」

 

 屋敷の入り口で執事に身分を明かし、コントール家の執務室に案内されたマーシィたちは、そこで疲れきった顔の男と対面していた。

 男の名は、ジェイムズ・コントール。東翼領の街の一つを治める、男爵位を持つ貴族だ。

 執務室の壁に飾られた肖像画には、筋骨隆々とまではいかないもののそれなりにたくましい肉体をした男性の姿が描かれている。しかし、直接顔を合わせた男爵は見るも無残にやつれきっており、本当に肖像画の男と同一人物なのか、疑わしいくらいだった。

 

「ご子息が、命を狙われているとか」

「うむ……既に聞き及んでいるだろうが、デュラハンロードと呼ばれるアンデッドらしい。突然現れると同時に死の宣告を与え、その一年後に、命を奪いにやってくる……」

 

 ふぅ、と重苦しい溜息をジェイムズはつく。

 

「この東翼領は守りの剣によって穢れを弾く。件のアンデッドは如何なる方法で我が屋敷に入り込んだのか……そんな疑念は後回しだ。とにかく、我が望みは一つ。薄汚いアンデッドを滅ぼし、息子を死の運命から逃れさせることにある」

「お任せください」

 

 リルドラケンの着ぐるみのまま、マーシィは拳を胸に当てて力を込める。

 

「我らは女帝の命により推参致しました。我が主の名を汚すような働きはしないと、ここに誓いを立てましょう」

「腕に自信はありますわ。この屋敷の平穏を乱す不埒者、必ずや成敗してみせましょう」

 

 マーガレットも、スカートの裾をつまんで優雅に礼をしてみせる。

 斥候(スカウト)は時に、変装して別人を装うことも情報収集の一環として求められる。普段は粗野で無教養な態度をとるマーガレットだが、こうして自らを偽り、異なる存在へと変貌することなど、彼女の実力をもってすれば造作も無いことなのだ。

 

「頼もしいことだ」

 

 頷くジェイムズの顔に、ようやく微かな微笑みが浮かんだ。

 相変わらず蒼白な顔色はしているものの、先程まで感じられなかった生命力が、幾分か戻ってきたかのようだ。

 

「相手は並の騎士ではまったく歯がたたないほどの強敵だ。多くの冒険者の宿に依頼を出したが、全て断られてしまった」

「平均的な冒険者の力量では、無駄に命を散らすだけでしょうね」

「《血風領》の領主や参謀殿の力をお借りしようとも思ったが、運悪く、彼らは一月ほど前に蛮族共の領域――ディルフラムへと遠征に向かってしまった。あれほどの猶予時間はあったはずなのに、何故、もっと早くに彼らを頼ることを思い付かなかったのか……」

 

 しかし、とジェイムズはすがるような目を二人に向ける。

 

「ようやく見合った実力を持つ冒険者たちと契約を結べたところだ。そこに陛下が信用を置く君たちが加わってくれれば、忌々しき亡者を滅ぼせよう」

「その冒険者の方々は、今どちらに?」

「買い物に出かけている。戻ったら紹介しよう」

 

 その話も、セラフィナから聞いた通りだった。

 冒険者というと野卑なイメージを持つ者が多いが、《皇城領》やその周辺四領では意外とその需要は高い。政敵からの暗殺や妨害を恐れる彼らが、護衛として雇うことが多いのだ。四角四面の正々堂々とした戦いを身に着けた騎士たちより、様々な手練手管に熟達した冒険者のほうが、唐突な状況変化にも即座に対応出来るのである。

 雇われたという冒険者たちは、別の領からやってきたばかりの者たちだという話だ。そちらではそれなりに名が知れており、マーシィも噂レベルであるが耳にした覚えがある。

 流石にマーシィとマーガレットの二人だけでデュラハンロードと戦うのは無謀が過ぎる。その冒険者たちが少しでも戦力になることを期待したいところだった。

 

「そろそろ夕食の時刻だ。寝室を用意するので、それまで休んでいてくれ」

「その前に、護衛対象であるご子息と顔を合わせておきたいのですが……」

「ああ、確かに、その通りだな」

 

 案内してやれ、という主の言葉に一礼し、部屋の隅に控えていた執事が部屋の扉を開け、廊下に出る。

 禿頭に白髭を生やした執事の背を追いかけながら、マーガレットは先日と同じようにマーシィの――というより着ぐるみの――耳元に囁きかけた。

 

「あたしたちの他に護衛、いたんだ?」

「いなければ困るわよ。文献によれば、デュラハンロードは魔法のかかっていない攻撃を全て無効化するらしいわよ」

「うわぁ。面倒臭いわね」

 

 マーガレットはドン引きしたような顔を見せる。

 まさか、ぶん殴ればそれで済むと思っていたのだろうか? まあ、私もアンデッドの戦闘経験はほとんど皆無だし、人のこと言えないけど――マーシィは心のなかで独りごちる。

 

「で、その護衛の人たちは使えるの?」

「セラフィナ陛下の話では、そこまでは不明だわ。陛下の手の者がコントール家の事情を知ったのもつい最近だし……」

「――こちらで御座います」

 

 そうやって話し込んでいるうちに、目的の部屋に到着したようだった。振り返る執事を前に、何事もなかったかのように居住まいを正す。

 ドアをノックし、執事が用件を告げて入室の許可を問う。室内から、掠れるような女性の声が聞こえた。

 

「奥様の許可が降りました。どうぞ、中へ」

 

 マーシィたちは一瞬だけ顔を見合わせ、頷き合うと、部屋の中へと足を踏み入れる。

 

「失礼します。私たちは――」

 

 マーシィの言葉はそこで途切れた。

 部屋は広かった。『天高き花火亭』の一室とは比べ物にならない。絨毯もカーテンも一級品。高価な調度品があちこちに置かれ、その財力を表している。

 出迎えたコントール婦人が着ているのも豪奢なドレスだ。売れば何ガメルになるのか、想像も付かない。

 しかし、そんなものは目に入らなかった。部屋の隅にある天蓋付きのベッド、そこで半身だけを起こした少年の姿が、二人の視線を釘付けにしていた。

 

 少年は――痩せていた。

 

 いや、そんな生温い言葉では片付かないほどに、少年の身体からは肉や脂肪といったものが一切削ぎ落とされている。眼窩は落ち窪み、首は自然に折れてしまうのではないかと錯覚してしまうほどに細く、寝間着から覗く胸部は骨が透けて見えている。

 トバイア・コントール。

 デュラハンロードの死の宣告を受けた少年は、まるで自らもアンデッドと化したかのような姿で、二人を出迎えた。

 

「ぼく、は」

 

 絶句するマーシィたちを前に、トバイアはかさかさに干乾びた唇をぶるぶる震わせ、消え入るようなか細い声で言葉を紡ぐ。

 

「き、のぼ、り、が、すき、で、す。おこ、ら、れる、け、ど、また、や、り、たい」

 

 そのしゃべりはたどたどしかったが、瞳だけは真っ直ぐに二人を射抜いていた。

 不安で眠れない日々を過ごしたであろう。己の不幸を何度となく嘆いたことだろう。

 きっと、死への恐怖と絶望感、どうしようもない焦燥と無力感で、食事も満足に取れなかったのだ。精神的な重圧が彼を苛み、あるいは死んだほうがマシなのではないか、というような気持ちにもなったに違いない。

 それでも、諦めきれない生きることへの執着が、瞳の中にしっかりと宿っている。

 

「――しに、たく、ない」

 

 強い意思の篭った言葉が、聞き入る少女たちの胸を打つ。

 少年がどのような人物なのか、マーシィは知らない。

 だが――まだ年端もいかない子供が、甘受していい運命のはずがなかった。

 

「ぼく、を、たす、け、て、くだ、さ、い」

「必ず、お救いします」

 

 マーシィは深く頭を下げる。

 マーガレットも、決意を秘めた表情で頷く。

 

 

 

 

 涙を目の端に溜めて、少年は嬉しそうに儚げな笑顔を浮かべた。

 

 



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護衛・Ⅳ

 

 

「それでは、夕食の時間になりましたらお呼びします」

「ええ、ありがとうございますわ」

 

 案内された客室もまた、嫌味にならない程度に豪奢だった。

 庶民からすれば無駄に思えるような財の尽くし方は、彼ら貴族にとっての武装であり、冒険者が身に付ける剣や鎧などと同等の意味を持つ。最低限生きるうえで必要のない嗜好品や装飾に資金を注ぎ込めるほどの財力を自らが有していることをアピールすることで、他者から自らの家が裕福であり、早々没落することのない家柄なのだという信頼を得られるのだ。

 しかし、そんな美しい調度品の数々も、マーシィたちの関心を引き寄せることは出来なかった。

 二人の脳裏には、トバイアの笑顔が焼き付いている。迫る死の恐怖の中、もはや取り乱す体力も失い、他者に縋ることしか出来ない姿。救いを約束され、心底安堵した末の純粋な感情。

 

「なんていうか……ちょっと軽く考えていたところはあるわ」

 

 リルドラケンの着ぐるみから抜け出し、汗を拭いながらマーシィが呟く。

 客室の扉は内側から鍵がかけられるようになっていた。窓もカーテンを閉じきっているため、その正体を知られる心配はない。

 念のため、盗聴用の魔動機や使い魔がいないかどうかの確認も終えている。

 

「驕りって言うのかしら。敵を倒して、はい終わり。そう思っていたけれど……」

「まあ、あれを見ちゃうと、ね」

 

 二人の表情は暗い。

 それでも、ただ暗いだけではない。それは真剣さの現れだ。今までの物見遊山な感情は失せ、心の奥底に熱いものが滾り始める。

 思えば、黄昏求道団の活動で護衛任務というものを受けたことはなかった。

 先日のアンドロスコーピオン襲撃事件のように、結果的に不特定多数の人々を救う結果になるようなことはあっても、大抵は遺跡や迷宮の探索など自分たちの利益を優先するような依頼ばかりをこなしてきたのだ。

 とはいえ、それは五人中四人が蛮族というパーティ構成や、《不浄領》という特殊な環境に拠点を置いていることも、護衛任務と無縁だった一因ではあるのだが。

 その黄昏求道団を結成する以前、マーシィが冒険者になりたてだったころはそういった『村を襲うゴブリン退治』のような仕事を請け負うこともあった。その時の村人たちの困った様子、依頼の達成を報告した際の嬉しそうな表情などがマーシィの中に蘇る。日々を過ごす中で薄れていた、誰かの役に立ったという喜びや充足感。それを今、もう一度味わいたい。トバイアを助けたい。

 

「気合が入ったわ。必ず助けましょう」

「勿論!」

 

 拳を突き合わせ、にやりと獰猛に笑い合う。

 なんだか、居ても立ってもいられない気分だった。デュラハンロードの迎撃予定日はまだ数日後だが、むしろ気力が充実している今この時に攻めてこい、といった様相だ。

 

「では、改めて依頼の確認をしましょう」

 

 壁にもたれ掛かり、通話のピアスを通して姉から伝達された情報を、マーシィは諳んじる。

 

「依頼人はジェイムズ・コントール男爵。父親は優秀な軍人であり、その功績を讃えられて爵位を獲得。その父が戦場で蛮族に殺害されたため、二代目として領地を引き継いだことになるわ」

「新し目の貴族さんなのね。それなのに歴史と伝統ある~って感じの、この《東翼領》に領地があるわけ?」

「元々、ここに断絶したコントールという家柄があって、そこに滑り込んだらしいわね。さっき男爵が言ってた《血風領》の領主並に大活躍でもしたんじゃないかしら」

 

 実力を示せば、それ相応の待遇を得られるのがアイヤール帝国だ。

 故に、野心旺盛な若者たちは次々とこの国を訪れ、それが更にアイヤールを強国へと導くことになる。

 

「ま、その話はどうでもいいわ」

 

 マーシィはすぐに話題を戻す。

 (セラフィナ)から受け取った情報に、コントール家のお家事情などは含まれていなかった。ならば、そこは詮索する必要がないということなのだろう。

 今回の任務は潜入や調査ではなく、護衛なのだから。

 

「今から一年前、コントール男爵の息子トバイアは、玄関ホールから外出しようとした際、正面扉から響き渡るノックの音を聞いた。周囲に執事やメイドの姿はなく、トバイアが応対のため扉を開くと、そこには自らの頭部を小脇に抱えた、古びた白い甲冑を纏った騎士が立っていた……」

「屋敷を守る門番とかいなかったの? まあ、いたとしてもガイシューイッショクって感じだろうけど、それでも警笛鳴らすくらいは出来るんじゃないのかな」

「あなたも来る途中に見た通り、屋敷の正面扉から門扉の間は結構な距離があるわ。デュラハンロードは如何なる手段か、門扉を潜らずに屋敷の正面扉の前まで辿り着いたようね」

 

 真語魔法と呼ばれるものがある。魔動機文明時代より更に前、およそ三千年ほど前まで栄えていた魔法文明(デュランディル)時代に大きく発達した、大気中の魔元素(マナ)を用いて様々な力を発言させる魔法の一種だ。

 その真語魔法の中に、自由自在に空を飛べるようになるものが存在する。かなり高度な魔法のようだが、文献によればデュラハンロードもまた、高位の真語魔法を操る魔術師(ソーサラー)のようだ。

 その魔法を使い、空中から侵入したと考えれば、一応の辻褄は合う。

 

「そして、デュラハンロードはトバイアを指差し、魔動機文明語で一年後の殺害を予告した後、去っていった。デュラハンロード――いえ、下位存在も含めてデュラハン種とでも呼ぶべきかしら。彼らはまず殺すべき対象にそういった死の宣告を与え、そのきっかり一年後に必ず再来し、標的の命を奪うそうよ」

「面倒なやり方するわねぇ。なんでそんなワケわからない方法取るんだろ」

「知らないわよ、そんなの。生者には及びもつかない、亡者特有の独自規則(ルール)があるんでしょ」

 

 余計な口を挟んだマーガレットを、マーシィは三つの瞳でぎょろりと睨めつける。

 備え付けのベッドに大股開きでどっかりと腰を下ろした見た目清楚なお嬢様は、おどけるように肩を竦めた。

 

「ごめんごめん。ほら、続けて続けて」

「まったく……どこまで話したかしら。ええと、突然凶悪なアンデッドに遭遇したトバイアは、すぐ父に報告。しかし最近の息子の素行に頭を痛めていたコントール男爵は、これを真実とは受け取らなかった」

「まあ……守りの剣の中だものね」

「父も母も、使用人を含めた誰一人として己の言葉を信じてくれず、いつしかトバイアも見間違いだったと思うようになり、時が流れた。しかし約束の一年が近づくに連れ、心の底に眠る疑惑から目を逸らせなくなり、精神的重圧からトバイアの体調が悪化。事ここに至り、男爵や夫人も息子の訴えが虚言ではなかったと確信。息子が目撃したアンデッドの正体を調査し、そして――」

 

 そっとマーシィは目を伏せる。

 デュラハンロード。有象無象の冒険者では為す術もなく蹴散らされてしまう、凶悪なアンデッドだと知った時、ジェイムズ・コントールの胸中を支配した感情は、一体どのようなものだったのだろうか。

 もっと早くに息子を信じていれば、それだけ対策を講じる時間も取れただろう。

 我が子の訴えを聞き入れなかった自らを呪い、彼自身もまた、死の宣告を受けたかのように弱りきってしまった。

 

「と、そこに救いの手を差し伸べたのが、我らが女帝様だと」

「セラフィナ陛下は各地に密偵を送り込んでいるのだけれど、そのうちの一人がコントール家の周囲が騒がしくなってることに気付いたみたいね。コントール家は中央では珍しい遷都賛成派だから、恐らく陛下も彼らに恩を売って、協力体制を盤石にしたいとお考えなんでしょう」

 

 妹である皇女ライティアを《紫闇の国(ディルフラム)》に誘拐された女帝セラフィナは、自ら前線に乗り込んで彼の地に住まう蛮族たちと矛を交えている。

 故に、政治の基盤たる《皇城領》との間を頻繁に行き来することになるのだが、その移動の無駄を省くために遷都を考えているのだ。

 しかし、これは貴族たちの猛反発を喰らっており、未だ実現出来ていない。

 そのため、遷都に賛成意見を示すジェイムズ・コントール男爵の息子が危機に陥っていると知るや否や、マーシィに指令を下したのだった。

 

「今回、男爵に雇われた冒険者たち――『知の盾』だったかしら。彼らだけじゃいまいち戦力として不安だったから、こうして私達が呼ばれたってわけね」

「りょーかいりょーかい」

 

 手をひらひらと振って軽く答えたマーガレットだったが、ふと眉根を寄せて天井を仰ぐ。

 

「……まあ、しかし、アレよねえ」

「何?」

「息子が危篤状態なんでしょ? そして、デュラハンロードは数日中にやってくる」

「ええ」

「で、『知の盾』とやらを雇えたのはつい最近と」

「それがどうかしたのかしら?」

「息子が大切なら、それこそ女帝にでも泣きついて、腕の立つ人間を大々的に探してもらうもんじゃないの? あたしたち冒険者と違って、死んだ人間は普通蘇生を受け入れない。一度きりの命なんだから、守ろうと思うなら、確実な手段を取るべきだと思うんだけど」

 

 マーシィは微かに瞠目し、すぐに視線を逸らした。

 

「それは――ジェイムズ・コントールが男爵だからでしょう」

「貴族だから、息子の命より家名を大切にしたってこと?」

「それは極論よ。別に、息子を助けたいと想うことと、貴族としての体面を保つことは、矛盾したりはしてないわ」

 

 マーシィは元皇族だ。

 母は傭兵であり、貴族とは無縁の人物ではあったが、それでも娘のためにと大勢の家庭教師たちを雇い、様々な教育を受けさせている。養子として出された後も、盗賊ギルドの襲撃が行われるまでは養父母から帝王学を学んだものだ。

 だから、コントール男爵の事情も少なからず理解は出来た。

 息子は確かに大事だろう。しかし、トバイアが生きようが死のうが、ジェイムズの人生はまだまだ続くのだ。これから先も別の困難に遭遇するかもしれず、そんなとき、貴族としての地位や財産を残しておけば、問題の解決を行えるかもしれない。侮られず交友関係を残しておけば、どこかで利が生じる可能性が発生するからだ。

 理想と現実の境目で、妥協するべきかを悩むのは、至極当然のことだ。別に男爵は息子を見捨ててはいない。貴族としての地位を守るために息子の危機を他に秘密にしつつ、その中で必死に解決の方法を模索していた。

 

「ふぅん」

 

 しかし、マーガレットは面倒臭そうに首を捻る。

 

「そんなもんかしら。子供ってのは、もっと大切にするものだと思ってたけど……」

「珍しく、語るわね」

「……ひょっとしたら、あたしにも子供がいたかもね」

 

 ふっ、と遠い目をして、それきりマーガレットは黙り込む。

 

「…………」

 

 マーシィも口を閉ざし、重苦しい空気が二人の周囲を漂い始める。

 軽々しく触れていい話題ではないからだ。

 ライカンスロープは異種族間は勿論、同種族が相手でも子を成せない。そのため、種を存続させるには、人間を攫ってきて儀式を行い、同じライカンスロープへと変貌させる必要がある。

 この際、新しくライカンスロープとなった者は、洗脳によって新たな精神や価値観を上書きされてしまう。魂に穢れを宿して蛮族らしい思考回路へと生まれ変わり、自分がその集落の一員であることを当然のこととして疑問を挟まず、人間だったころの記憶は不要なものとして薄れていってしまうのだ。

 マーガレットもライカンスロープである以上、かつては人間だったということになる。

 以前は親兄弟と暮らしていたのかもしれない。ひょっとしたら結婚していて、子供もいたのかもしれない。

 しかし、マーガレットはその全てをもはや覚えていない。マーガレットという名前すら、後から自分で名付けたものだ。

 

「ああ……だからひょっとして、あいつのことを放っておけなかったのも……」

「え?」

「あ……ごめん、なんでもない」

 

 突如ぶつぶつ独り言を洩らしたマーガレットは、ぱんっと音を立てて自らの太腿を叩く。

 それを合図に、いつものような明るい口調へと切り替えた。

 

「ま! とにかく、やるべきことはやるわよ。憧れの『百変化』に近づくためにもね」

「今、牙を強化する練技を訓練しているんだっけ?」

「そうそう、そのうち口から武器を吐けるようにもなりたいところ」

「何それ、面白そうな絵面になりそうだわ」

 

 マーシィも、それに乗る。

 今はとにかく護衛任務が優先だ。マーガレットに不満があろうが、耐えてもらうしかない。

 

(だけど、マーガレットがお母さんか……正直、あまり想像付かないわね)

 

 などと失礼なことを考えながら、執事が夕食の用意が出来たと告げに来るまで、二人は談笑するのだった。

 

 

 

 



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護衛・Ⅴ

一人入れ忘れてた(爆) すまんフリッツ……半年も気付かなかった。
てなわけで四人目として一人追加してます。


 

 やがて、夕食の時刻となった。

 客室から食堂へ向かうには、一度エントランスホールを経由しなくてはならない。

 マーシィたちが赤い絨毯の敷かれた廊下を歩いていると、そのエントランスホールから、何やら騒然とした雰囲気が伝わってくる。

 貴族の屋敷にはあまり似つかわしくない、若い男女の楽しげな、騒がしい笑い声だ。

 

「どうやら、『知の盾』の皆様がお戻りになられたようです」

 

 先導していた執事が振り返り、二人に告げる。

 

「なら、挨拶したほうが良さそうですね」

 

 それを受けて、マーガレットが優雅に微笑む。再度リルドラケンの衣装に身を包んだマーシィも首肯し、歩を進める。

 辿り着いたエントラスホール、吹き抜けの二階から手すり越しに階下を除けば、五人組の男女が正面扉の前で、応対する別の執事やメイドたちと談笑していた。彼らが身に着ける薄汚れた革鎧や武装の数々は、冒険者という身分を如実に表わしている。

 あれが、冒険者グループ『知の盾』なのだろう。

 自分たちを見下ろす視線に気付いたのか、五人組のうちの一人、やけに古めかしいドレスを着た少女が胡乱気に顔を上げ、目を細めてマーシィたちを見つめ始めた。その爪先から頭の天辺までも観察するような瞳に、正体がバレやしないかとマーシィは着ぐるみの中で気付かれない程度に喉を鳴らす。

 

「おや?」

 

 そんな少女の様子が目に入ったのか、つられて視線を上に向けた一人の青年が、大袈裟な身振りでマーシィたちに手を振ってみせた。

 眼鏡をかけ、ローブを羽織った姿の、冒険者というより研究者然とした痩躯の青年だ。

若干『青年』と呼ぶのが怪しくなる微妙な年代のようだったが、その瞳は森の奥へ探検に出かける幼子のようにきらきらと輝いていた。首から下げた聖印から、ラクシアの神の一柱『賢神』キルヒアの信徒であることが見て取れる。

 キルヒアは学習や思考の神であり、その信者たちは知識を高め、研鑽することを己の義務としている。そのため、今は失われた古代文明に関わる論文や手記などを目当てに、冒険者となる者も少なくはない。

 

「君たちが、特別な助っ人とやらなのかい?」

「ええ、シェナイと申しますわ」

「ヴィクトリアです。ヴィクティとお呼びください」

 

 マーシィたちは、あらかじめ決めてあった偽名を名乗る。

 シェナイは退屈な貴族の生活を嫌って冒険者となった人間の元お嬢様、ヴィクトリアは幼い頃に家族とはぐれ、冒険者をしていた人間の夫婦に育てられたリルドラケン。フェイダン地方をあちこち回る冒険者を表向きの姿とし、その実、女帝セラフィナ子飼いの密偵である――という設定だ。

 どうにもシェナイのキャラ付けはマーシィの親友であるコリンを半端に真似ている感じなのがマーシィには若干引っかかりを覚えてしまうが、どうせこの任務の間だけの偽装だ。特に問題はないだろう。

 

「僕はオイゲン。この『知の盾』のリーダーをやっている、神官(プリースト)だ」

「お会い出来て光栄ですわ」

「ははっ、僕も君みたいな美人に会えて光栄だよ。それに、凄い実力者なのが見て取れるな!」

 

 階段を降り、握手を交わす。

 鼻先にかかるほど長いハシバミ色の髪も合わさって、なんとなく陰気さを感じる風貌とは打って変わり、オイゲンの口調や態度は快活だった。身振り手振りも激しく、少年がそのまま身体だけ成長したのかのようだ。

 

「あんた、リルドラケンなのに軽戦士なのかい? 変わってるねえ」

 

 そう言ってオイゲンの隣から話しかけてきたのは、スミレ色の髪をした女性だった。

 朱色の口紅を差し、泣きぼくろが印象的な美女だ。纏う服装は露出が激しく、同性のマーシィすら思わず見惚れてしまうような妖しい色香を纏わせている。

 しかし、その体付きはほっそりとしながらも、無駄な贅肉を全て削ぎ落とした、質の良い筋肉で形作られていた。

 恐らく、同じ軽戦士なのだろうとマーシィは推測する。『知の盾』の中では、彼女が一番の実力者のようだ。

 

「ガルテナ、失礼だぞ」

「おや、失敬失敬。どうにも、リルドラケンは重戦士か格闘家のイメージがあるからね」

 

 マーシィが着ぐるみの腰に下げた(フリッサ)にちらと視線を這わせ、ガルテナと呼ばれた女性は小さく頭を下げる。

 その額には、隠すことなく小さな角が生えていた。蘇生したのか半魔人(ナイトメア)なのか、どちらにせよ、穢れを帯びていることは確実だろう。

 

「彼女はガルテナ。風来神ル=ロウドの信徒にして、『知の盾』になくてはならない剣士さ」

「ル=ロウドの?」

 

 風来神ル=ロウドは自由を尊ぶ神だ。何事にも縛られないことを推奨するため、蛮族にも信徒が存在する。

 神となった由来も正確に判明しておらず、特殊な位置付けとされることが多い。

 

「といっても、あまり大きな奇跡は起こせないけどね。オレの役割はあくまで前衛で剣を振るうことさ」

 

 大袈裟に肩を竦めるガルテナ。

 美人だが、男性のような仕草や態度はマーガレットに通じるものがあった。マーシィは微妙に親近感を覚え、よろしく、と言って頭を下げる。

 

「私の剣技は人間の養父母から学んだものです。それなりの腕前だと自負していますよ」

「だろうね、オレの勘もそう言ってる。短い間だがよろしくな、ヴィクティ」

「こちらこそ、ガルテナ」

 

 そしてガルテナとマーガレットの挨拶も終わり、自己紹介は三人目へと続く。

 次に紹介されたのは、先程マーシィたちを見つけた古風な服装の少女だ。

 不機嫌そうな表情をしており、あまり歓迎ムードといった様子ではない。

 

「えー、()はロディ。戦士にして妖精使い、そして斥候さ」

「……『彼』?」

 

 オイゲンの発した言葉に、思わず聞き返してしまうマーシィ。

 一瞬、聞き間違いかとも思ったが、オイゲンは苦笑し、少女の首元を指差した。

 視線を移せば、ロディという明らかな男性名を持つ彼女の首には、ドロップ型の石を下げた首飾りが鈍い金属の光を放っている。

 

「これ……ラミアの首飾り!?」

「ご名答。魔法文明時代に作られた、女性の姿に化けるマジックアイテムさ」

「では、ロディさんは」

「男だよ。ちょっと……初対面の人が驚く容貌でね。本人の意思で、普段は姿を隠しているのさ」

「成程……」

 

 頷くマーシィは、着ぐるみの中でその目を鋭く尖らせる。

 ラミアの首飾りは、正確には女性に変身するのではなく、自らの姿を透明化し、そこに女性の幻影を映し出す道具だ。女性の姿は首飾りごとに定められた一人分の者にしかなれず、髪型や服装も変えられないし、男性ならば声を出せばすぐに正体が見破られるという弱点を持つ。

 しかし、元がどんな姿だとしても一見して普通の女性にしか見えなくなるというこの代物は、蛮族が人族の領域内に潜入する際、これほど役立つものはないだろう。マーシィもこれまでに一度だけ、この首飾りで変身した蛮族に騙され、危機に陥ったことがあった。

 本当に、そのロディという人物は人族なのだろうか?

 マーシィ、そしてマーガレットも警戒した様子なのを悟ったのか、オイゲンはロディのほうを振り向き、申し訳なさそうに手を合わせる。

 

「ロディ。すまないが、変身を解いてくれないか」

「……わかった」

 

 頷く少女の声は、少ししゃがれた男性のものだった。

 

「……『我が姿をここに現せ』」

 

 合言葉(コマンドワード)を発すると共に、少女の姿が霧を払ったかのように忽然と掻き消える。

 同時に空間に浮かび上がったのは、少女より頭一つ分背の高い筋肉質な男の姿。

 短く刈り込んだ黒髪に、釣り上がった三白眼は歴戦の勇士を思わせる。

 

「………ッ!」

 

 しかし、何を差し置いても目を引くのは、その顔面。

 顔の大部分を覆い尽くす――火傷の痕だ。

 皮膚が醜く爛れ、首筋から鎖骨にまで届いているその姿は、ある種蛮族と相対するよりも本能的な嫌悪感、得も言われぬ恐怖心を無意識に掻き立てられる。

 

「こ、これは……」

「昔、火事に巻き込まれたそうです。その時、こんな酷い怪我を」

「……」

 

 ロディは何も語らず、合言葉をもう一度呟いて、少女の幻影を再び纏った。

 

「と、まあ……そんな事情なわけです」

「……無礼をお許し下さい。疑ってしまったことを謝罪いたします」

「顔を上げてください。護衛任務に就く以上、警戒するのは当然。むしろ、あなたがたのプロ意識に敬意を評します」

 

 咄嗟に頭を下げたマーシィたちに、オイゲンは柔らかな笑みを返す。

 当の本人であるロディはさして機嫌を損ねた様子もなく、かといって和やかな雰囲気というわけでもなく、無遠慮な視線で二人をじろじろと眺めていた。

 

「基本的に口数は少ない男ですが、頼りになる奴ですよ」

「デュラハンロードとの戦いでは、共に前線に立つことになりそうですね。よろしくお願いしますわ、ロディさん」

「…………ああ」

「では、同じく前線に立つ四人目を紹介します」

 

 進み出たのは、落ち着いた雰囲気の青年だ。

 浅葱色の髪に、端正な顔立ち。一見、人間と変わらない姿をしているが、その首は金属製の硬質なパーツで覆われている。魔動機文明時代に人工的に作られた種族――人造人間(ルーンフォーク)であることを示す証明だ。

 かつては労働力として使役されていたルーンフォークだが、現在は人権を得て人族の一員として認められている。生まれたその瞬間からおよそ五十年で死に至るまで一切身体的な成長を遂げず、老化もしないという特徴を持つものの、食事や睡眠を必要とするところは人間と変わらず、こうして冒険者の道を選ぶ者も少なくはない。

 

「私はフリッツと申します。宜しくお願い致します」

 

 無表情のまま、フリッツと名乗った青年は頭を下げる。ロディと同じく歓迎していない――わけではなく、単純に感情の振れ幅が狭い性格をしているだけのようだ。

 フリッツは重戦士であり、重装甲の金属鎧と盾で仲間を庇うのが主な役割だという。優れた魔動機師(マギテック)でもあり、彼の周囲には魔道制御球(マギスフィア)がいくつか漂っていた。

 

「そして、最後になりますが――」

 

 オイゲンが、残る最後の仲間を呼び寄せる。

 隣に並んだのは、極端に露出の少ない――いや、露出している部分が完全にない、またも珍妙な人物だった。

 全身を丈の長いローブやポンチョ、帽子などで覆い隠しており、外気に晒されている部分が一切存在しないのだ。

 ご丁寧なことに、顔もフードとヴェールで隙間なくガードされている。

 

「……この方も、顔を隠す理由が……?」

「え、ええ、まあ、ロディとは違う意味で、驚く人が多いので……」

 

 オイゲンが、おい、と顎をしゃくると、五人目の人物はローブの袖から、片腕を突き出した。

 瞬間、マーガレットが、はっと息を呑む。

 

「――フロウライト」

 

 その片腕は、透き通っていた。

 人と同じ形をしていながら、水晶のように透明なのだ。

 フロウライト。

 地中から突然変異で誕生する、生きた魔晶石とも呼ばれる鉱石の生命体。

 

「ご存知でしたか。フロウライトは珍しい種族ですので、いらぬ誤解を招くことが多々ありますから、こうして姿を隠しているんですよ」

「そうでしたか」

「ボクは、こんな暑苦しい格好はしたくないんだけどね」

 

 フロウライトがおどけるように両手を振る。

 男とも女ともつかぬ、年若い声だった。

 

「……ッ」

「?」

 

 ふと、マーシィは隣に立つマーガレットへ視線を移した。

 様子がどうにもおかしい。

 五人目の人物がフロウライトだとわかった直後から落ち着きがなくなり、その声を聞くと同時に、びくりと身を震わせたのだ。

 どうかしたのだろうか?

 あまり不審な行動は取ってほしくない。自分たちが演技をしているのだと、何かの拍子に疑われてしまうかもしれないからだ。

 

「シェンナ、ちょっと――」

 

 しかし、マーシィが小声で事情を尋ねようとした矢先、フロウライトは顔のヴェールを剥がしていた。

 その透明な顔が露わになる。

 瞬間、マーガレットは大きく目を見開き、マーシィの耳に微かに届く程度の声を上げた。

 

 ――ヴェル。

 

(ヴェル? ヴェルって、何?)

 

 咄嗟のことに疑問を抱くが、それを差し挟む猶予も与えずに事態は進む。

 フロウライトはにこりと微笑み、両手を広げ、己の名を告げた。

 

 

 

 

「ボクの名はヴェルミクルム。ヴェルって呼んでください」

 

 

 



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