俺は水母棲姫に恋をして (あーふぁ)
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1話

「出産を前提に結婚してくれ!」

 

 俺は目の前にいる深海棲艦に大声で叫んでいた。

 場所は鎮守府にある小さな湾内の砂浜。その波打ち際に彼女、1mも離れていない水母棲姫がうつろな目を俺へと向けて立っている。

 隣には艤装を完全装備状態の、秘書である不知火が目を見開いて固まっている。

 俺の周囲から遠く離れたところには、軍のお偉いさんと戦艦、空母、あらゆる艦種の艦娘が遠くからこちらに向けて砲や弓を向けていて今にでも攻撃してきそうだ。

 そもそもこうなったのは、上層部が自分から進んで捕虜となった水母棲姫を説得して艤装を外させろと言われたからだ。

 貧乏くじを引いた、と嘆いていて今日が死ぬ日かとひどく落ち込んでいた。

 だが、彼女の目の前にやってきたら俺は素晴らしくハッピーな気分になった。

 なぜかというと、とても好みだったからだ。

 女の子に囲まれたい、という一心で提督になったがどの艦娘も俺の好みからは外れていた。どれもミステリアスさが足りなかった。

 それが今はどうだ。

 初めて目の前で見る敵。深海棲艦。―――艦娘たちが出会い、抵抗の仕草も見せないのでここに連れてきたと聞いた。

 彼女は、俺が着ている白い軍服とは対象的な黒を基調としている服装と艤装だ。

 背中まである黒髪の美しい長髪。表情は何の感情も浮かべることもなく、うつろな目で俺を見てくる。首には首輪があり、長い鎖が砂浜に向かって垂れている。頭にある大きく黒いリボンは大人びた彼女の容姿を幼く見せ、胸元は頭にあるリボンよりも大きいものをつけていて黒いフリルをあしらっていて、肩や胸元が大きく開いた薄手の下着のようだ。

 素晴らしく整った顔や控えめな胸の体を眺め、視線を下に持っていくと艤装のカタパルトや彼女の手が見える。

 手は人間のような手ではなく、腕は黒い金属のようなもので覆われ、指先は刃物のように鋭利になっている。

 下半身は人間とは似ても似つかない。人間とは違う、ひどく大きな口と、俺の胴体ほどにもあるかと思う腕で構成されている。

 それでもだ。

 俺は彼女に一目惚れしてしまった。

 恋は盲目というのを実感している。今なら彼女に殺されてもいいと思えるほどに。

 だから、出会ってすぐにあの言葉を言った。

 ちらりと不知火へ向けると口を開けて言葉が見つからないというかのように見事に固まっている。

 不知火が文句も何も言わないのを確認し、本来の任務である『説得』を始める。

 

「俺は深海棲艦というものに初めて会ったが、これほど心がときめいたのは偶然とは思えない」

 

 深海棲艦はカタコトの日本語を話すと聞いているがこの彼女もそうとは限らない。俺の日本語もわからないかもしれない。

 夏の熱い日差しを受け、汗を流しながら俺は一生懸命に言葉を続ける。

 胸の中にある熱い想いが俺に喋れ、と言い続けてくるから。

 

「民間人や艦娘たちを殺すお前たちに、俺は憎しみと恨みがある。だが、お前に会った瞬間にそんなことはどこかへ消えていった!」

 

 士官学校やラジオのニュースで深海棲艦のことをよく聞く。内容はおぞましい容姿と残虐なことをする人間とは相容れない存在と。世の中の悪いことは全て深海棲艦が悪い、と言っている人もいるほどだ。

 

「こんな美しい人間のような姿をしているからには理由があるんだろう? それを俺は知りたい。誰かに教えられたものではなく、自分で確かめたいんだ」

 

 水母棲姫に手を向けて伸ばそうとすると、我に返った不知火によって手は叩き落とされる。いつのまにか一歩前進していた体は、不知火に正面から抱きつかれて動きを止められていた。

 目だけは彼女のうつろな目を見つめている。

 この瞬間にも死ぬかもしれない。でも恐怖はない。今の俺は彼女に対する愛しかないからだ。

 恋は盲目というのがこれなのか。

 

「俺はお前に惚れている。だから結婚しよう!」

 

 大声で言い、彼女の目をじっと見続ける。それから1分ほど経った頃だろうか。

 うつろだった目が急にきょろきょろと忙しく動き始めては俺と俺の周囲を見ている。

 彼女は俺に抱きついている不知火を強引に手で引きはがし、近づいてきて両手で俺の体を持ち上げる。

 周囲のざわめきの声を無視して俺の体を縦や横に振りまわすが、俺は抵抗せずにされるがままになる。

 すると、彼女は俺を砂浜に降ろしたあと思いっきり抱きしめている。

 身長さもあって俺は彼女の慎ましやかな胸に顔をうずめることになる。

 抱きしめてくる腕は金属のように固いが体の感触は人間とまるで同じだ。体からは海の香りと彼女自身の爽やかな匂いがする。

 背骨が折れそうなほどの力にも悲鳴を出さず我慢しつづける。

 力が緩み、彼女の胸から顔を見上げる態勢になると彼女は無言で俺の顔いっぱいになめるかのようにキスをしはじめてきた。

 突然のことに感情が追いつかず、嬉しいやら驚いているやらで反応に困る。

 人間と似ている部分と同じもの。

 彼女らはただ『敵』と分類するだけの存在ではないのだろうか?

 こうやって言葉が通じ、感情も通じる。

 愛という想いもだ。

 俺がこうやって経験している今があれば、もしかしたら深海棲艦との和解もなるんじゃないかと強く思う。

 

「よぅし! これで任務達成ですよね!? この子、俺がもらいますからね!」

 

 顔を海軍の偉い人たちに向け思い切り声を出す。

 困惑する彼らの顔を見て満足していると、水母棲姫から視線を感じる。

 振りむくと鉄のように冷たく見えていた彼女の表情はほんの少しやわらいでいた。

 これからの生活は困難なことしか予想できない。だけれど、俺は必死に生きる自信がある。

 なぜなら、彼女を好きになってしまったから。



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2話

「ちょっとだけ、ちょっとだけだから!」

 

 分厚い金属の塊みたいな、特注である大型の車いすに座っている水母棲姫に俺は力強く叫ぶ。

 執務室には俺と水母棲姫だけ。

 彼女は金属のような艤装は軍に取られ、出会ったときに着ていた黒い布の服のみだ。

 大きな口と大きな片足がある下半身は車いすに固定されていて、上半身は普通に車いすに乗っているように見える。

 あの暑い夏の日の砂浜ら出会って、今日で8日。一緒に過ごし始めて2日。

 陸上に上がってから弱る様子もなく、俺と一緒なら静かに過ごしてくれている。

 でも今は別だ。大きく騒いでいる。

 彼女は軍の研究にために1度身ぐるみを剥がされて生態データを取られ、服も成分検索をされていた。

 それがひどく嫌だったらしく、彼女の頭につけている大きな黒いリボンを赤いエイボンに交換しようとしたら抵抗されている現在だ。赤いのも良く似合うと思っての親切心で。

 出会ったころと違って、腕をおおっていた金属の物がないから物理的ダメージはあまりないものの心にダメージがくる。

 初めて会った印象は、強気でプライドが高いと思っていた。

 けど今の彼女は涙目で嫌がり、リボンを外そうとしている俺の腕を一生懸命に押さえている。

 お互いに無言で力比べをしていると執務室の扉が大きく開けられ、警護のために部屋のすぐ外にいる艤装を装備した不知火が声を荒げて入ってきた。

 

「そこをどいてください、司令!」

 

 きつい眼光と怒鳴り声を水母棲姫に向けてくるが、俺はそれからかばうように水母棲姫の体を抱きしめて不知火の顔を向ける。

 

「ダメだって不知火! これは俺と彼女とのコミュニケーションなの! いちいちそんなものを向けられたら仲良くできないじゃないか」

「ですが司令」

「不知火の出番があるなら俺が怪我してからだから。いや、そういうことは起こさせないけどね?」

 

 俺の手は彼女の頭を抱き抱えながら、夜の闇のように黒くて美しい髪を撫でている。そうしていると水母棲姫も俺の真似をするかのように、人間そっくりのほっそりとした手を首に回してきて俺の短い短髪を撫でてくる。

 それを見て不知火は諦めの溜息をついて、扉を閉めて部屋の外に出て行った。

 安心の深い息をつきながら、手をそっと水母棲姫のリボンに手をかけた途端、彼女の頭突きを頭に受けて俺は床と嬉しくないキスをした。

 

 ◇

 

 彼女のリボンを取り外すのは諦め、おとなしく執務机で書類を書く。そのあいだ日本語の文字が読める彼女は車いすの上で俺がいくつか渡した本のうち、1冊を読んでいる。

 本のタイトルは「ソロモンの指環」というものだ。動物行動学入門ということで彼女と出会った次の日に買い、俺の元に再びやってくるまでその本を熟読していた。

 俺が読んだのと同じ本を彼女が気にいっていて読んでいるのはなかなか嬉しくなる。

 何分かその姿を見てにやついてから、仕事にかかる。

 軍から多くの艦娘を取り上げられた俺の仕事。それは『深海棲艦と友好関係を築けるか』というものだ。

 そうして日々過ごしてわかったことをペンを持ち、細かく書く。

 彼女がどうしたら怒ったか笑ったか泣いたか。

 思考は人間に近いのか。人間を憎んでいるのか。友好の可能性はあるのか?

 俺が経験したことを細かく、私見も入れて書く。

 書いているなかで俺も軍の人たちがどうしてもわからなかったことがある。それが俺にとって最重要の悩みごとだ。

 それは。

 子供が産めるかということだ。

 出会った時、俺は彼女に子供を産んでもらいたいぐらいに強い一目惚れをした。だが、彼女には人間みたいな構造が見当たらないということだ。これには残念に思った。

 けれど、子供が産めないというのがなんだ。

 彼女と合法的に結婚するのも目標のひとつだ。出会ったときに俺は告白をし、彼女はキスをしてくれた。つまりは相思相愛。

 書類の中身が報告からどうやったら結婚できるかに変わってしまったことに気付き、その紙は丸めて部屋の隅に投げ飛ばした。

 投げ飛ばしたときにふと気付く。

 彼女に利用価値があれば調べられるだけ調べて捨てるということもないのでは。

 実際、彼女が着ていた服の素材。あれは布のように柔らかいが決して水は染み込まず、表面加工技術が人間のとは違うことがわかった。

 そういう貴重な情報のように、彼女たち深海棲艦と友好的関係になれば人類にも利益が出るはず。海底資源、海底調査。宇宙と同じ、まだまだ未開なことが多い海の底。

 これから彼女を生かし続けるためのことを考えると少しばかり落ち込んでしまう。

 天井へと顔を向け、ぼうっとしていると視線を感じる。

 その方向を見ると、水母棲姫の彼女はなんだか不安な目をしていた。

 

「俺は子供がいなくてもお前を墓場まで愛せるからな!?」

 

 自分の心が後ろ向きになったためか、責められている気がして恐らく彼女が思っていることと違うことを言い訳にしてしまう。

 ……思えば彼女の声は聞いたことがない。いや、言葉にならない声は聞いたことがある。

 でもいまだ『言葉』を俺は知らない。

 言葉もなしに人類と深海棲艦はわかりあえるのだろうか?

 歴史上、人類は言葉がわかっても絶えることなく争いを続けてきた。では深海棲艦相手ならばどうなるだろうか?

 深みにはまっていく暗い思考を、頭を振ってなくす。

 疲れた頭を癒すために立ち上がり、水母棲姫に近づいては彼女の控えめな胸に抱きつく。

 その胸は人間と代わりなく柔らかい。体温が低いことを除けば。

 抱きつき、わずかに微笑む彼女に頭を撫でられて何分かの時間が過ぎる。

 俺は思う。

 理解できなくても、そこにあることには必ずなんらかの理由があるはずだ。

 そう、水母棲姫が人間のように子供を産めないのに柔らかい胸があるように。

 世界のため、俺のためにも相互理解を深めていかないといけない。俺がまだ若くいれるうちに戦争が終わり、きちんと結婚できるように!



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3話

 

「その慎ましやかな胸をさわらせてくれ!」

 

 水母棲姫を車いすから降ろし、下半身が大きな口と大きな片腕で立っている彼女に俺は力強く叫んだ。

 場所は鎮守府内にある小さな湾内の砂浜。俺と水母棲姫は仲良く並んで朝日が昇るのを見ていて、その光景に感動している余韻が残っている時のことだ。

 艤装をつけた不知火は10mほど離れていて、冷たい視線を感じるのを受けとめながら朝日を背に俺は水母棲姫の前に立つ。

 砂浜に来てから体を拘束している車いすから離し、久しぶりに自由になった彼女は俺の言葉を受けて目を丸くしている。

 ずいぶんと驚かれているが、これは仕方のないことだ。

 全部彼女の姿が悪い。気持ちのいい海風でつややかな黒髪がなびくのを見ていると、心臓の鼓動が高まってゆく。鮮やかな朝日の光を浴び、氷のように清らかな肌は目を離せなくなる。ルビーのような輝く赤色の瞳は意識を吸いこまれるような。頭にある大きな黒いリボン、同じく黒いゴシックな服はその全てを引き立たせる。

 そんなのだから仕方がないんだ。

 爽やかな朝だというのに俺がむらむらとした気持ちになってしまうのも。不知火よりもある胸を触りたくて。

 仕事するよりも真面目な目を水母棲姫の目にあわせ、そっと胸に手を伸ばそうとするも合意ではなかったことに首を振って手を止める。

 胸へ伸ばされた俺の手が戻っていくのに不思議そうな顔で首を傾げて眺めてくる水母棲姫の顔が可愛い。

 そんな可愛い顔を見てますます強引にはさわれなくなってしまい、なんとか合意の上でさわれないかと考えてすぐに思いつく。

 

「勝負をしよう、勝負。勝ったほうが相手に好きなことを1回だけするということを!」

 

 よくわかっていないまま頷いた水母棲姫は下半身の大きな片腕のこぶしを硬く握りはじめた。

 勝負内容を考えようとしていた俺は突然の寒気がする空気を感じて距離を取ろうとするも、俺の正面にいる彼女からの右方向からの横殴りをまともな防御もできずに吹っ飛ばされ、砂浜へ受け身も取れずに頭から落ちた。

 

「司令!」

 

 砂浜に倒れて意識が朦朧としているなか、聞こえてくる音は不知火の叫び声と砲撃音、そして砂を蹴ってそばへ来る力強い足音。

 頭は海のほうを見たまま動かせず、今の状況はとてもよくないことが起きている気がする。起き上がろうと力を入れるが、言葉にならない痛みの声がもれるだけ。

 

「動かないでください、危険です」

 

 再び砲撃音。さきほどは聞きとることができなかったが、音は砂浜に着弾して砂が飛び散る音が聞こえた。

 水母棲姫に当てていないようで一安心したが、状況はよくない。このままだと不知火は殺してしまうだろう。

 思い切り力を入れ立ち上がる。ふらつく意識のなか、不知火の前に回り込んで水母棲姫を背にする。

 

「ちょっとスキンシップを間違えただけだ」

「どいてください、不知火の独断により水母棲姫を処分します」

 

 水母棲姫に向けていた砲は、俺の前では下げているが引き金には指がかかったままだ。

 事故ではなく、遊びだったということにしないと上層部から俺と水母棲姫は引き離されてしまう。

 不知火の鋭い目つきを受けながら、水母棲姫とは一部分迫力が足りないことに気付き、それを話に使おうと思いつく。

 

「胸なんだ」

「……もう1度お願いします」

「不知火の胸がぺったんこだから、俺は水母棲姫の胸がさわりたかったんだ」

 

 両手をわきわきと胸をもみしだくかのように手を動かすと、鋭い目つきのまま不知火がさっきとは違う、怖い視線を出してくる。

 

「照れ隠しで殴られただけなんだ」

 

 不知火は俺と水母棲姫を交互ににらんだあと溜息をついて、引き金から指を離す。そしてからしゃがみ、砂を掴んで勢いよく俺の目へと投げつけてくる。

 予想外な行動で砂がおもいきり目に入り、あとずさると背中に柔らかい胸の感触を感じる。

 その感触に安心し、目を手でぬぐって視界が晴れたときには不知火が俺へ背中を向けて離れていくところだった。

 背中を向けられるのは信頼されているからだとわかってはいるが、なんだか寂しくなってしまう。不知火に嫌われたと思ってしまったからだろうか。

 今の行動も、深海棲艦と仲良くなろうとする今までのことも。

 ちょっと落ち込んでしまうが、すぐに体を反転し水母棲姫の胸に顔をうずめる。

 慎ましい胸と俺はいったが、充分に胸の感触を楽しめるほどにはある。

 女性特有のいい香りと、人間よりやや低めの体温。それは深海棲艦である彼女は人間と変わりがないように思える。

 彼女をはじめ、深海棲艦たちは人間によく似ている外見をしている。こちらの言葉もわかっているし、うまくはないが日本語も喋る。

 なんで俺たちは戦争なんかしなきゃいけないんだろう。

 もしこの世界に神様がいるのなら、こんなにも人間と似た存在を陸と海でわけたのだろうか。

 人間同士で争うことをやめさせようと? 

 人は争うことでしかわかりあおうとしないから? 

 そうだとしたら、なんてつまらない。

 争わなくても俺は仲良くできている。

 水母棲姫である彼女がここにやってきたことは迷い込んだのか、自分から来たのはわからない。わかることは俺の元に水母棲姫がいて、俺と彼女は両想いだということだ。

 胸にうずめていた顔をあげると、彼女の頬は赤くなっているけど優しい目を俺に向けてきた。

 それに対して俺は微笑みを返す。その途端、俺の体は彼女の両手によって持ちあげられ、宙へ飛ばされる。

 そう、これは人間的に言うならば。

 

「たかいたかいはやめてえぇぇぇぇ!?」

 

 赤ちゃんの体を持ちあげて高い場所に持ちあげる遊び。とはいえ、地面から10m以上も放り投げられれば誰しもこんなふうに叫んでもおかしくはない。

 胸に抱きついたのに怒ったのか、照れ隠しかのどっちかと考えながら顔を見る。

 怖いおもいをして宙から見る彼女の顔は嬉しそうだ。

 空に浮かび、または落ちながら考え、『勝ったほうが相手に好きなことを1回だけするという』ことを言ったことに思い当たる。

 彼女はただそれをやっているにすぎない。

 けれど、だけれども。怖いのは愛があっても怖い。

 

「不知火、不知火!」

 

 名前を呼び、宙に浮かびあがっているときに不知火を探すがどこにも見当たらない。

 本当に嫌われたかと落ち込んでいると水母棲姫とは違う細い腕に体が抱きとめられ、その人物と一緒に砂浜に倒れ込む。

 

「怖かったですか?」

 

 俺は仰向けで倒れている不知火の盛り上がりがない胸に顔をのせている。手袋をつけている不知火の手で目元をぬぐってもらったときに涙が出ていたことに気付く。

 怖かったことと、不知火が来てくれたことの安心感で涙が出てくる。

 

「水母棲姫、あなたはもっと気をつけるべきです。思っている以上に人間は弱い存在なのですから」

 

 不知火が脅すように低い声で言うったに俺は喜びを覚える。今までは敵意を向けるだけだったのに注意をし、水母棲姫もその言葉にうなずいたから。

 人間も艦娘も深海棲艦も日々成長していく。

 いつの日か、もしかしたらずっと先のことかもしれないが笑いあえる楽しい時間が来ることを願う。深海棲艦ときちんと結婚できるような法律ができることも。

 



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4話

「俺の子を産んでくれ!」

 

 夏も終わりに近づき、気温がわずかずつ下がってくる日のこと。執務室に俺、水母棲姫、不知火と3人でやってきた。

 朝、執務室に来る途中、上層部の艦娘である大和から渡された書類を見て、出産できないことを知りながら叫んだ。そして俺は車いすの水母棲姫のおなかに頬ずりをする。普段ならただ喜ぶだけだが、今は悲しみが混ざっている。

「司令、現実逃避しないでください」

 

 服ではなく、直接に肌に頬を当てていると、いつも通りに艤装を装備している不知火が溜息と共に呆れたように言ってくる。

 けど現実逃避したくもなる。

 渡された書類の内容はまとめるとこうだ。

 

『水母棲姫を捕獲してから鎮守府近海の深海棲艦出没率が増えた。海上輸送路も襲撃され鎮守府の運営は危ない。この手紙を持ってして水母棲姫の研究を終了。今日中に書類をまとめ、明日処分する』

 

 そういう内容だ。

 もちろん到底納得できない内容だが、俺も軍人。それも提督という階級だ。艦娘を指揮し敵を撃破するのが仕事。

 水母棲姫のおなかから顔を離し、見上げると慈愛に満ちた目が俺を見てくる。

 彼女と出会って1か月。ちょっとずつ意志疎通ができ、いまだ会話ができていないが仲良くなってきたと思う。もう少し時間があれば俺への愛が彼女に届く日も近いだろうと思ってた。

 だが、もうそんなことはありえなくなった。

 新聞や同僚からでは連戦連勝、と聞いているが深海棲艦の勢いは衰えを知らない。押されているのでは、という噂も流れた時もあるがすぐにそれは止められる。

 こうやって水母棲姫を俺から奪うのだから、戦況はよくないらしい。原因もはっきりしていない深海棲艦の出現率増加に怯えているのを、水母棲姫に都合よく責任を押し付けて不安を回避するようだ。

 愛する人をなくすことが決まり、深海棲艦と和解しようという俺の努力も無駄になることは何の言葉を持ってしても癒されることはない。

 俺は水母棲姫に抱きつきながら悲しんだ。

 それから報告書を今日1日でまとめるために、涙が流れようとも黙々と書いていった。

 不知火は心が荒れ悲しんでいる俺をそっとしてくれている。

 水母棲姫はいつも通りに俺が与えている本を読んでいる。

 今日渡した本は、アランの幸福論。未来や過去に振りまわされず、体と心の動きは幸せに直結している。礼儀もまた幸せになるひとつの要因。

 明日、殺されるという者に対して渡す本としては皮肉になってしまうだろうか。嫌がらせになってしまうだろうか。

 俺はただ、幸せを教えれなかったから本で知ってもらいたいだけなんだ。

 会話らしい会話もなく、あっというまに夜となる。

 書類はまだ終わらず、肩こりがひどく痛む。

 机から顔をあげると、窓のそばに寄っていた水母棲姫が外を眺めている。

 その視線の先は夜空だ。

 明かりがついた執務室から月が出ている夜空を眺めている。でも明るいところからは見づらいものだ。

 

「不知火」

 

 俺のそばで書類を見ていた不知火は、その言葉だけで言いたいことが伝わり、すぐに執務室の明かりを落とす。

 暗闇に包まれた執務室。でも、目が慣れてくると窓からは月明かりが入ってきて、柔らかなな光は俺の心を落ちつける。

 月明かりを浴び、暗い執務室に浮かんだような水母棲姫。

 

「水母棲姫、明日でお前と俺はお別れだ」

 

 愛称をつけることもできず、キスすることも会話することもできなかった。それに俺は不満だった。

 だが水母棲姫のほうがもっと不満だったろう。自由もなく、見張られる日々。

 彼女は俺に顔を向け、にこりと笑う。

 それは明日、己が死ぬことを知ってか知らずか。それはわからないし、聞きたくもない。

 

「私はあなたが好きよ。いつも顔を見てくれるから。他の人は異形である足ばかり見てくるから嫌いなの」

 

 突然の流暢な言葉。高く澄んだ声。

 初めて聞く音に意識は固まる。視線の先にいる水母棲姫が口を開いて言った言葉が信じられない。研究班の報告では人間の言葉をうまく発することができず、声も低いだろうという予測だったはず。

 不知火を見ると、不知火も固まっている。

 水母棲姫は再び窓の外に視線をうつすとようやく俺の頭も動き出す。

 惚れた女が俺を好きだと言ってくれている。その彼女は明日死ぬことに。

 理性では必要な死だが、感情ではとてつもなく嫌だ。

 その感情は抑えれず、よくない考えを頭に持つ。

 

「不知火」

「司令にはやめていただきたいのですが」

「いや、もう決めたことだ」

「……わかりました、不知火も付き合わせていただきます」

 

 多くを語らずともわかってくれる部下に心の中で感謝をし、同時に迷惑をかけることを悔やむ。

 机にある書類を引き出しに全部しまい、俺は椅子から立ち上がる。

 予定の行動は頭の中で考える。

 事前の下見も計画書も何もない。ただ、覚悟だけはある。

 全て頭で計算し突発的行動にうつる。

 水母棲姫はそのまま部屋で待たせ、俺と不知火は部屋を出る。

 深海棲艦の艤装を保管している部屋に行き、見張りを殴っては縛る。それから水母棲姫の艤装を持ちだし、執務室に戻って身に着けさせた。艦載機や砲弾は没収されていたことは残念だったが仕方ない。

 それから鎮守府内で陽動をする不知火と別れた。そのときの不知火は日ごろの鬱憤が晴らせる、といったやる気に満ちた顔が怖く、頼もしくもある。

 

 ◇

 

 俺と艤装を身につけた水母棲姫は海に来ていた。そこは初めて出会った、あの砂浜だ。

 鎮守府の隅にあり、人目がつかないことは素晴らしいと喜ぶ。

 艤装装備の重たい水母棲姫を車いすごと砂浜へと強引に運ぶ。

 月明かりの下にいたのは大和だ。

 俺と水母棲姫が出会ったときにも遠くにいて、今日の書類を届けてくれていた大和。

 大和は艤装装備でこちらにしっかりと砲口を向けていた。

 聞こえる音は俺の荒い息、波の音、鎮守府から聞こえる砲撃音と警報。

 車いすに乗せている水母棲姫の拘束は解いてあり、すぐにでも海に逃げれる状態になっている。

 でも大和がそれを許してくれるようには思えない。

 

「提督、今すぐ戻ってくださるなら大和は嬉しいのですけど」

 

 殺気を持った威圧的な目と声、それを正面から受けた俺は恐怖の感情に支配されかける。すぐにでも大和の言うとおりに水母棲姫を連れて戻りたくなるほどに。

 でも戻ったら殺されることはわかっている。愛した女は敵とはいえ、俺は守っていきたいと思っている。

 1人の女さえ守れないというは男として、とてもかっこ悪いことだ。

 車いすの水母棲姫の前に立ち、戦うことを覚悟する。

 どうやっても負けることが決まっていても。

 

「長生きしたいよなぁ」

 

 水母棲姫と結婚などもう夢のまた夢。それでもわずかな希望があるかぎり生きていたい。

 大和に向かって大きな声で呟くと同時に、腰に下げているホルスターへ素早く手を伸ばす。

 手が拳銃を掴んだ瞬間、大和は瞬きもせず俺の足元へ向かって砲撃をしてきた。

 それは直接あたらずとも爆発の勢いは足元にあたっただけで死んだと思えるほどだ。

 体が大きく吹っ飛ばされ、宙に舞い上がる。消えかかる意識のなか、落ちる場所と姿勢に注意しつつ受け身を取ってから落下した。

 砂浜の砂とはいえ、それは硬いものだ。20mほど飛んだと思う俺の体はどこかの骨が折れ、身動きがまったく取れなくなった。

 それでもまだ生きている。首だけを大和に向けると立ったままでいて、車いすは投げつけたのか大和の足元でひしゃげて落ちているのが見える。

 水母棲姫は自力で立っていて、俺の落とした拳銃を握っている。

 大声で「早く海へ行け」と声を出したつもりでも声はなく、かすれ声しか出せない。

 気付いたのか、まったくの偶然なのか水母棲姫は俺を見て泣きそうな表情になり、拳銃を投げ捨てて近寄ってくる。

 陸上では満足に動けない彼女は手で這うようにしてやってくる。その後ろには大和が近付いていて、拳銃を拾っていた。

 来るな、と俺は水母棲姫に手を伸ばす。けど伸ばした手は、水母棲姫のほっそりとした白く小さな手で包まれた。

 

「深海棲艦と結婚したい、なんてずいぶんとバカな提督がいると思いましたが。……ここまで大馬鹿でしたとは」

 

 俺の体を抱きしめてかばうようにしている水母棲姫を見下ろしながら、すぐそばまでやってきた大和は顔に手をあてて呆れたような溜息をつく。

 持っていた拳銃を俺へ向けると2発撃ってきた。その弾は頭の近く、砂浜へとあたり砂が飛び散る。

 驚いて目を閉じる。でも動かない。ここでかわすようなそぶりを見せると水母棲姫ごと砲撃してくる気がした。

 恐る恐る目を開けると、大和の諦めたような顔がやけに印象に残る。

 

「大和はこれから不知火ちゃんを説教してきます。まだ暴れているようですから」

 

 遠くからはまだ爆発音と警報が聞こえ続けている。予想以上に不知火が強いか、鎮守府の警備態勢が甘かったのかがわからないけれども。

 大和は拳銃を海へ投げ捨てると、何も言わず悠然と立ち去っていった。

 充分に大和が離れたのを確認し、俺は体にひっついてくる水母棲姫を離そうとするも離れてくれない。

 涙目の水母棲姫は顔をあげ、砂に汚れた俺の顔を大事そうに撫でてくる。その手を掴み、そっと押し返す。

 

「お前は俺の嫁となる女なんだから生きてもらわないと困る」

 

 体が痛むなか、できる限りの笑みを向けると彼女は戸惑いながらも離れていく。

 けれどもなかなか海へ向かうことはせず、手で追い払う動作を繰り返す。それでようやく海に入っていく。

 俺は目をそらし、海に入った彼女を見ないことにする。見るとお互いに別れづらくなろうとするから。

 何十秒か経ち、人工的な波の音が聞こえ、遠ざかっていく。

 安心したのと残念な気持ちが入り混じる。

 もう会うことはないと考えると、胸が痛いどころではない。

 

「キスぐらいしたかったなぁ」

 

 映画やドラマではこういう別れの時はキスをするのが普通だ。それがなくてひどく残念だ。

 体が痛みを感じるなか夜空を見上げる。

 鎮守府のほうでも砲撃音と警報音はやみ、あとはお迎えの兵士たちを待つだけだ。

 ―――3週間後、裁判にかけられた俺は貴重なサンプルを逃がした罪で予備役となり、軍需工場で働き始めた。

 不知火は上司に従っただけということで罪は逃れたが、別な鎮守府へ異動となった。

 俺は不知火と連絡を取ることも不可能になり、艦娘さえも見ることもない生活になってしまった。 

 

 ◇

 

 水母棲姫を逃がした日から6年。

 人類は深海棲艦との戦争に負けた。

 島国である日本は資源輸入が制限されたことで文明レベルが衰退し、1900年代前半のような暮らしになった。

 大陸の内陸部では資源争いで人間同士の争いが活発化したと聞く。

 世界の海上交通路は深海棲艦が管理するようになり、沿岸部も支配された。

 過激的な軍人や艦娘は処分され、他の残った人間は食料自給率をあげるため、多くの人が農業や漁業をはじめた。漁業については深海棲艦の管理の元でやっているが、人間同士で管理していたときより漁獲量が増えたのは深海棲艦が戦うだけの存在ではないのだと思う。

 俺もその例にたがわず、工場の仕事がなくなって農業をすることに。

 でも海がとても恋しいため、海が見える沿岸部で仕事を始めた。

 誰も住んでいなかった一軒家を借りて畑を耕す。でも1人じゃない。元艦娘の不知火と一緒に暮らしている。

 不知火は両目を怪我で失ったために敵にはならないと判断され、深海棲艦に殺されることはなかった。

 暑い日も寒い日もお互いを助け合って生きてきた。

 不知火と暮らしていた、夏の暑いある日のことだ。

 家で不知火と一緒に昼飯を食べていると、不知火が玄関へと顔を向ける。

 

「お客さんが来たようですよ」

「ん、そうか」

 

 目を失ったぶん、音については敏感に反応するようになった不知火が教えてくれる。そしてすぐに呼び鈴の音がなった。

 食事中を邪魔されるのは気分悪いが、滅多にこない訪問客を無視するわけにもいかない。

 重い腰をあげて玄関に行くと、引き戸の擦りガラス越しにシルエットがあった。

 それは大きな車いすに乗っていて、頭には黒く大きなリボンと黒い服を見につけた人が。

 




終わり。


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