真剣で青春謳歌しなさい! (阿見)
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第一話

知ってる人はお久しぶりです。知らない人ははじめまして。
昨年の中ごろににじファンで川神市逗留記書いてたアミです。arcadiaではひゅろすとか、あおいぶたの名前で活動してました。

随分久しぶりに書くので、正直なところかなり文が怪しいです。
この作品は習作ということで文章の書き方が変わっていくかもしれませんので、ご了承ください。


 

 

 

四月二十四日。

七時半を少しばかり回って、ぽつぽつと人が増え始めた一年C組教室の一角で男子生徒たちがなにやら盛り上がっている。

その中心にいるのはこの話の主人公、藤枝平馬とクラスメイトA(本名柏木)だった。

彼らはどこから持ってきたのか、旧式の携帯ゲーム機を通信ケーブルでつないで遊んでいる。

低解像度の画面には青いユニフォームの選手がゴールを決める場面が映し出されて、続いて3-1と表示された。

 

「こりゃもう藤枝の勝ちっぽいな……くそー」

 

「今日の昼飯はちょっと贅沢できそうだ」

 

二人を取り囲んでいるクラスメイトたちが悲喜交々の呟きを漏らした。

彼らはこのゲームの勝敗を賭博にしていたようだった。あるものは昼食のおかずだったり、あるものはシャーペンの芯だったり。

まあ、可愛いものだ。

 

「相手が死ぬまで攻撃の手は緩めない。それがウズベキスタン戦士の掟」

 

「ウズベキスタンを馬鹿にするな。っていうかポルトガル使って負けるとかヤベエな」

 

「こっちがフィーゴとかやってるからそうなる」

 

架空チームの選手となってワールドカップを戦うサッカーゲーム。ゲームタイトルは、サッカーコンテスト2001。

今のところ、後半三十七分で三対一。勝っているのは藤枝の操るウズベキスタンだった。

 

「敗戦処理とかだるいんで、もう終わりでいい?」

 

「えー?」

 

そんな、終了ムード漂う一角に近づく影、否。ブルマ一つ。

 

「藤枝平馬!私と決闘しなさい!」

 

ピピー……!

 

「あっ、おい。敗色濃厚だからって狂ったようにキーパーを蹴るのをやめろ」

 

「蹴りやすいところにいるのが悪いんだ……あ、レッドカードかよ」

 

「当たり前だろ」

 

「む、無視!?このプッレーミアムなS組首席の私を?!無視!?」

 

とんだ扱いだった。

藤枝を含むC組男子は、少女の怒声に一度こそちらりと目をやったものの、すぐにゲーム画面に視線を戻してしまう。

興味なさげな男子たちの態度は、彼女の自尊心を大きく傷つけたようだった。

 

「まあ、こんなもんか。今度は落ち武者カーニバルで対戦しようぜ」

 

「なんでそんな懐ゲーばっかなんだよ。お前ゲーム機買えよー。今度はみんなでクリハンやろうぜ」

 

「バイト代入ったら検討するわ」

 

とは言え、バイト先のコンビニの給料日はまだまだ先だ。

体力も有り余っていることだし、日雇いのバイトでも探そうかとぼんやり考えながら携帯ゲーム機を鞄にしまって立ち上がる。

すると、視界の端っこで妙に拳をプルプルさせている女子生徒が見えた。

何故か一人だけ体操服姿だった。川神学園の女子の体操服は時代錯誤なブルマだ。

いつか見たような気がする。今さっきだったかもしれない。

 

「……ん?君ウチのクラスじゃないな。それに、なんでそんな格好してんの」

 

「無視に続いて、この私に対する第一声がそれ!?」

 

がたっ、と机に手のひらを叩きつけて、彼女は藤枝に詰め寄った。

彼女は他でもない、この川神学園一年の誇る特進学級S組の首席、武蔵小杉。

口角泡を飛ばす勢いで詰め寄る彼女を見て、藤枝は困惑しながらクラスメイトたちに"だれこいつ"的な眼差しを送る。

 

「なんか、決闘しろって言ってたけど」

 

「ふふん、ちゃんと聞いてるんじゃない。カッコつけて興味ないフリしてたわけね」

 

「決闘?ピストルでも撃ち合うのか?何かきみに侮辱でも働いたっけ?」

 

心当たりを探るために武蔵の顔をまじまじと眺めるが、恨まれるようなことをした覚えは……ない、筈。

どこかで迷惑をかけた相手の親類縁者ならわかるが、少なくとも武蔵家の墓を暴いた覚えはない。

 

「侮辱なら今さっき受けたけど、違うわ。生徒手帳の十二ページを見なさい!」

 

「んー?」

 

言われた通り、鞄から生徒手帳を取り出すと、十二ページをひく。

そのページには川神学園の決闘制度における取り決めが記述されていた。

単純なもので、暴力を伴うものは学長の許可がいるとか、遺恨を残して復讐とかしたら処刑するとか、インチキ八百長したら不思議な力で死ぬことになるとか、そういったものだ。

 

「ふーん。初めて知った」

 

「お前、朝礼でよく学園長が言ってるじゃん。切磋琢磨に活用しろとかなんとかかんとか」

 

「この鳥頭が覚えてるわけねーって……つーか、校則ぐらい覚えとけ」

 

言われるほど物忘れは激しくないつもりなんだけどなあ、と思いながらも、やはり朝礼云々は思い出せなかった。

それに、生徒手帳にロクに目を通していない以上、何を言っても意味のない言い訳にしかならなかったので、藤枝はごまかすように頭をかいてそっぽを向いた。

 

「決闘かあ、こないだ二年の川神先輩の見に行ったけど、迫力あったなあ」

 

「ああ、薙刀振り回してたな。あれが決闘か。なるほど……ああいうのをやるのか」

 

「そういうこと。既にA組とB組は制圧したわ!だから次はC組ってわけ……C組代表の藤枝平馬!勝負してもらうわ!」

 

「待った待った。いつ俺が代表になったんだ」

 

というか、代表って何だ。制圧ってのもあれだ。藤枝は思わずツッコミを入れた。

なんだか不良の縄張り争いみたいな話じゃあないか。制圧されたらシャーペンの芯でも上納するのだろうか。

そんな、益体もないことを考えていると、脇にいたクラスメイトが口を挟む。

 

「クラス委員だからじゃねーの?」

 

「遅刻していなかった俺にお前らが押し付けたあれか。恨みの心が今再燃したぞ。夜道には気をつけろよ。五、六人で取り囲んで袋叩きにしてやるからな」

 

「リアルに怖いから止めてくださいお願いします」

 

地味にクラス委員は面倒くさいものだった。

連絡とかの本来の仕事だけではなく、教師としても頼りやすいのか、授業の準備を気軽に申し付けてくる。

休み時間に次の授業の教師とかに見つかると、このプリント配っといてくれとか、機材の準備頼むとか言われかねない。

げんなりとした顔で恨み節を口にする藤枝は、何をするかわからない怖さがあった。

 

「くっ、なんだかこの空間にいると私の存在感が薄れてゆく気がするわ……!」

 

「地味にこのクラス変なの多いしね。ストーカーとか」

 

「もうしてないって!改心したよ!」

 

「わざわざ自白しなくてもいいですよ」

 

他にも、常時刀を携え、馬の人形付き携帯ストラップと喋る少女などがいる。

他の学年ではそういった一風変わった者たちは特進クラスのS組か、問題児クラスのF組に隔離されるのだが、今回は上手く選り分けられなかったようだ。

とはいえ、その濃いクラスメイトを放置しては話が進まない。

そろそろHRだし、と藤枝は彼らを視線で制して武蔵に訊ねた。

 

「で、決闘って何やんの。川神先輩みたいにチャンバラやるのか?勉強勝負とかは苦手なんで、ちょっといやだぞ」

 

「一対一で、無手での勝負を望むわ」

 

「それなら……まあ、いいか……学園長先生に聞かないといけないんだよな。許可とってくる」

 

「それは不要よ。こうしてワッペンを……」

 

≪クリスティアーネ・フリードリヒ!ドイツ・リューベックより推参!≫

 

「ん?」

 

「うごェっ!?」

 

手にしていたワッペンを机に叩きつけようとしたところで、何者かに背中を押されて足を滑らせた武蔵は、思い切り頭を机に打ち付けてしまった。

突然グラウンドから聞こえてきた大声に驚き、そちらに体を向けたC組のクラスメイトの肘があたったらしい。

がつん、と派手に音を立てて床に倒れこんだ彼女は、一度奇声を発したきり動かない。ぴくりとも、動かない。

藤枝がつま先でわき腹をつついて様子を伺うが、やはり動かなかった。

 

「やべえ、人殺しちまった」

 

「いや、生きてる生きてる……おでこが赤くなってるだけっぽいな。目とか鼻とかは打ってないみたいだ」

 

手首を掴めば、すぐに脈がとれた。

同年代の平均より若干少ないが、スポーツマンなら妥当な数。

自発呼吸もしていて、ただ気絶しているように見えたが、念のために養護教諭に押し付けてくることにする。

藤枝は彼女の胴に腕を回して担ぎ上げると、担任への適当な言い訳を頼み、教室を後にした。

 

 

 

……

…………

……

 

 

 

養護教諭に額にあざを作った武蔵を押し付けて、藤枝はグラウンドへと向かっていた。

目当ては先ほど推参したクリスティアーネ。どうやら、彼女が件の決闘少女、川神一子と決闘するそうだ。

別に恨みを買ったとかそういうのではなく、体育会系特有の歓迎会みたいなものらしい。

数年前、野球部にいたころに似たようなのがあったな、などといらないことを思い出して、藤枝はかぶりを振った。

 

「む」

 

「おっと」

 

考え事をしていたせいで、廊下の曲がり角で人にぶつかりそうになってしまった。

反射的に身をかわしつつ目を向けると、そこにはなんと軍服に身を包んだ長身の男性の姿が。

年齢は中年から初老に差し掛かろうかというころで、胸には無数の略綬が飾られており、服の膨らみと重心の偏りを見るに、恐らく腰から拳銃を提げていた。

本物かどうかは不明だが、尋常ではない。

なんでこんなやつが校内にいるんだ、と口元がひきつるのを抑えながら、藤枝は軽く会釈をしてから謝罪する。

 

「ええと、申し訳ないです。考え事をしていて。怪我はありませんか」

 

「いや、大丈夫だ。君こそ怪我は無いか?」

 

流暢な日本語でそう言う軍服男の眼差しは、どこか探りを入れるようなものだった。

ひょっとしたら、態度の変化に気づかれたのかもしれなかった。

とはいえ、これだけ異質な存在と相対して平然としていられる人間がいるとも思えないが。

むしろ、平然を装ったから注目されたのかもしれなかった。

 

「いえ、私も大丈夫ですので。失礼します」

 

なんにせよ、もう一度だけ謝って、藤枝は足早にその場を離れた。

振り返りはしなかったが、軍服の男が自分の背中をじっと見ていたことは、振り返らずともわかっていた。

 

 

 

……

…………

……

 

 

 

藤枝がグラウンドに出るころには、既に見事な人だかりができていた。

学校中の半分は下るまい。まさしく黒山と呼ぶべき景色だ。

 

「朝飯に弁当いかがッスかー!」

 

「さあ張った張った!」

 

商売に勤しむ連中の中で、見知った顔が賭札を売っている。

クセの強い生徒の多い川神学園でも特に目立つ男だ。赤いバンダナをしているから、というだけではない。

名は風間翔一。美形でスポーツ万能で好奇心旺盛で行動力のある、いかにもな感じの人気者だった。

ほんの一ヶ月前に彼のバイト先で知り合っての短い付き合いだが、度々彼や彼のクラスメイトと飲食店めぐりなどをしている。

 

「何やってんの」

 

「おっ、平馬じゃん!賭けてけよ。オッズは……」

 

オッズは拮抗していたが、薙刀使いの川神一子が若干有利と見ているものが多いようだった。

金髪さんこと、クリスティアーネ・フリードリヒの得物はレイピア。

突くのも斬るのもできる、取り回しの良い優れた器械だ。

とはいえ、リーチに勝る薙刀を自在に操る川神一子には苦戦を余儀なくされるだろう。

少しだけ考えてから、藤枝は財布から千円札を出した。

 

「んじゃ金髪さんに一枚だけ」

 

「ノリが悪いぞぅ。男なら厚く張らねーと」

 

「学生のクセに何言ってんだ」

 

賭札を受け取って、藤枝は見物場所を探した。

せっかく足を運んだのだから間近で見たいと思うのは藤枝もご多分に漏れずある。

同年代よりいくらか上背があったとしても、五尺八寸程度では背伸びをしても見えはしない。

 

「失礼」

 

よく見える場所を捜し求めて歩いていると、人のいない空隙があったので、そこへ身を滑り込ませた。

そこは一人の人間を中心に、半径一.五メートルに誰もいない不思議な空間だった。

 

「あ……」

 

「黛じゃん」

 

その不思議な空間の主は他でもない、藤枝のクラスメイトの黛由紀江だった。

噂の、刀を携帯して携帯ストラップとおしゃべりする彼女だ。

時々妙に気合の入った顔で挨拶をしてくるから、元気よく挨拶を返したりはするものの、藤枝自身、殆ど喋ったりした記憶はなかった。

 

「ここいい?」

 

「は、はい。どうぞ藤枝さん!」

 

「サンキュー。君、どっちに賭けた?」

 

「いえ、その、賭けごとはしていなくて……」

 

何故か、黛は申し訳なさそうに目を伏せた。相手の話に乗れないのが残念なのかもしれなかった。

そんな微妙な雰囲気に、居心地の悪さを感じた藤枝は、何かしら会話をつなげようと試みる。

黛も刀を持っているから、剣道なり何なりやっているのだろう。身のこなしは軽いし、かなりやるのかもしれない。

そう感じた藤枝は武術の話題をふってみる。

 

「剣道やってるんだろ?どっちが強いと思う?」

 

「あ、はい……フリードリヒ先輩が地力では上回っているように見えます。ただ、武器の差、場の変化でどちらに転ぶかは……」

 

「ふーん……凄いじゃん。達人みたいだな」

 

「い、いえ!私には、過分なお言葉です……!」

 

その見識に感心したからこその素直な言葉だったが、尚更畏まってしまった。

とはいえ、うつむいて顔を赤くしているから、褒められて照れているだけのようだが。

人見知りだが生真面目な性格のようだ、と藤枝は彼女への印象を修正した。

 

≪では、これより決闘の儀を始める!≫

 

「始まるみたいだ」

 

学園長が大声で宣誓した。ようやく、決闘が始まるらしい。

彼の呼び上げに応じ、川神一子、クリスティアーネ・フリードリヒの二人が応じた。

彼女たちはそれぞれの得物を持って、十メートル程度距離を空けて構えを取る。

一瞬の静寂。そして

 

≪はじめいッ!≫

 

学園長の合図とともに、剣戟の交わる音が鳴り響いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二話

 

 

結果から話すと、藤枝の所持金は三百円ほど増えた。とはいえ、すぐに泡銭と消えたが。

 

「このおにぎり美味いな。昆布の佃煮が入ってる……好きなんだよ、これ。よくスーパーとかで買うよ。葉唐辛子の入っているのが一番好きなんだけど」

 

「……」

 

「半分食うか?」

 

「いっ、いえ、もしかして私、そんなにもの欲しそうに見ていましたか?!」

 

「してないさ。ただ、一人で食うのもなんかデリカシーに欠ける行いかな、って思ったり、思わなかったり」

 

食べかけのおにぎりを、クラスメイトとはいえ女性に渡そうとするのもデリカシーに欠ける行いなのだが。

ともあれ、冗談めかして笑うと、藤枝は残りのおにぎりを一口で食べてしまった。

先ほど売り子から買ったもので、中身が不明なロシアンおにぎり、百円のものだ。

 

「あー、美味かった。そろそろ戻るか……あ、どうも」

 

HRがつぶれたとはいえ一時間目は時間通り行われる。

人が少なくなり始めたグラウンドで、ゴミ収集に勤しんでいる料理部の部員に空き缶とラップを渡し、藤枝は黛を伴って昇降口へと足を向けた。

 

「いやあ、しかし武道の型って綺麗だよな。ああいうのはあまり見ないから新鮮だったし、面白かった」

 

先ほどの決闘の様子を思い出して藤枝は両手をわきわきと動かした。

勝負自体はほんの一分足らずの時間で、クリスティアーネ・フリードリヒの勝利で幕をおろした。

しかし、その一分足らずの時間はとても密度の高いものだったと言える。

まず、川神が最大射程で牽制を繰り返した。そして、相手のステップの隙を突き、下段への攻撃で勝負を決めようと猛攻をしかける。

しかし、既に射程距離を見切られていたのか、逆にクリスティアーネが射程の更に内側に飛び込むことで回避。

そしてそのまま川神の肩口に強烈な一撃を返し、決着。

 

「そうなんですか?」

 

「身近にやってる人はいたけど、当時は全然興味無かった」

 

ほら、同じことやってても、女の子とおっさんじゃぜんぜん違うものに見えるだろ?と冗談めかして藤枝は笑った。

エンターテインメント的に考えて、美少女同士のチャンバラに優るものではない。

 

「そうでしたか、てっきり……歩き方が綺麗でしたから、武道をやっているのかと」

 

何の武術かまではわからなかったから、もしかして陸上競技をやっていたのかと思っていた、と黛は言った。

藤枝の所作を見張る眼差しは、おどおどきょろきょろした不審者のそれではなく、冷静なものだ。

やはり、背負った刀は伊達ではないらしい。

 

「山歩きの経験があるからそう思うんだろう……狩りも少しは出来るから、そのせいかもしれないな」

 

言いながら、藤枝はかつて山寺で冬を越した時の事を思い出した。

石の穂先をつけた槍を持ち、手製の罠に猪を追い込んだりしたものだ。

客観的に見ればろくでなしの、アホな思い出の一つだが、本人だけの思い出としては少しばかり誇らしく、懐かしくもある。

 

「ああ、そうだ」

 

「え?」

 

ぼんやりと記憶に意識を沈めかけて、藤枝はあることを思い出した。武蔵のことだった。

責任を感じているわけではないが、間抜け晒して気絶した彼女のことが少しばかり気になった。

保健室のある棟はクラスとは逆方向だったから、上靴に履き替えているうちに気づいて丁度よかった。

こっちに用事があるんだ、とジェスチャーで示して、遅れたら先生に伝えといて、と頼む。

 

「保健室にちょっと用事がある。そういうわけなんで、それじゃまたな」

 

「……あっ、あの!」

 

「ん?」

 

ひらひらと手を振って背を向けると、黛はためらいがちに呼び止めた。

言うべきか、言うまいか、数秒だけ懊悩して、脳内を駆け巡る言葉を一語一語かたちにする。

 

「え、ええと、その……!よろしければ、また、今日みたいに、お喋りして貰ってもいいですか?」

 

「いいよ」

 

「私、その、友達がまだいなくて……って、本当にいいんですか?!」

 

あまりにもあっさりとしたその言葉に黛は驚きに目を丸くする。

四半世紀も生きていないとはいえ、物心ついて十数年。

どれだけ望んでもさっぱり出来なかった友人がこれだけあっさりできたのだから、彼女にとっては当然のこと。

とは言っても、藤枝からしてみれば大したことではない。

心底頼れる親友なんてものはそういないが、友人自体は人並みにいる。

完璧な友情でなければ友人ではない、などとは言わない。

 

「友達いないのか……それは可哀想だな。よし、今から俺を友達と思ってくれ。いつでも気安く話しかけてくれよ」

 

「……く、苦節、十数年」

 

「まあ、遊び相手の一人もいないんじゃ退屈だろうし……ん?」

 

「と、とと……友達がっ!できました!」

 

『よくやったまゆっち!おめでとー!』

 

「……」

 

何人かクラスメイトでも誘ってカラオケでも行こうか、と財布の中の割引券の期日をチェックしていると、奇妙な声が聞こえて藤枝は視線を上げる。

彼女の手のひらには、いつも彼女がお喋りしている馬の人形付き携帯ストラップが載っていた。

よく見れば綺麗な細工の施されたもので、どこかの民芸品のようにも見える。

少なくとも、大量生産品のそれではないな、と思いつつ、彼女の顔をまじまじと見つめた。

 

「……はっ!?」

 

「ファンシーな趣味だな」

 

女の子っぽいというか、ほほえましいというか、なんというか。

小さな子供でも見るような気持ちになって、藤枝はふっと、僅かに口の端を緩めた。

そんな藤枝の様子とは裏腹に、黛は顔を赤くしてあたふたしだす。

彼女の目の焦点は藤枝の顔の周りをぐるぐると動いて定まらず、まるで薬物中毒者のようだ、と失礼な感想を藤枝に抱かせた。

 

「あっ、そっ、その、これはその、そういうアレではなくてですね、ああああうあう」

 

『落ち着くんだまゆっち!be cool!』

 

「すー、はー、すー、はー……げ、限界です!撤退します!」

 

『だけど千載一遇のチャンスだってばよ!』

 

プレッシャーに押しつぶされたらしく、黛はこの場から逃げ出そうとする。

しかし、友達ができるかもしれない絶好のチャンスを放り出して撤退することに苦悩を覚えているようだった。

携帯ストラップ、松風との一人芝居……と表現するべきか。会話と表現しよう。それが会話に顕れている。

そんな懊悩を数十秒繰り返し、葛藤に決着をつけた彼女は表情をきりりと引き締める。

 

「危ないと思ったらいつでも引き返す勇気を持つこと、と友達道の教えにありました!松風、殿を!」

 

登山かよ、と内心でつっこみをいれながら、藤枝はぼんやりと彼女を見送る。

どうせ同じクラスなんだからそのうちまた話すだろう、と思ったが故だ。

武蔵の様子も見てきたいし、彼は黛が去った方向に背を向けて保健室へと向かっていった。

 

 

 

……

…………

……

 

 

 

「いたたた……」

 

「失礼しまー……あれ」

 

遅まきながらやってきた保健室には養護教諭の狐門の姿はなかった。

デスクには≪三十分ほど空けます≫との書置き。

その代わりと言うべきか。先ほどグラウンドで生徒たちの注目を集めていた人物がそこにはいた。

 

「あっ」

 

藤枝に気づき、声を上げたのは川神一子だった。肩口に受けたうち身の治療に来ていたらしい。

上着を脱ぎ、体操服の袖を捲り上げてアイシング用の氷嚢を押し当てている。

別にいけない格好でもないのだが、じろじろ見るのもはばかられて藤枝はさりげなく目を逸らした。

 

「ああ、申し訳ない。ノックするべきだった」

 

「別に大丈夫よ。もう手当ても済んだし。だけど、先生は職員室に行ってるみたい」

 

「いや、俺は寝てる人に用があるもんで……」

 

「え?アタシのほかには誰もいないわよ?」

 

見れば、三つ並んだベッドからは人のいるような気配がないことに気づいた。

カーテンを開けても、中に武蔵はいなかった。

 

「あっれ、アテが外れたなあ……教室に戻るか」

 

「誰か探してるの?」

 

「ん?いやね。机の角におでこぶつけて気を失ったやつがいまして……武蔵小杉って奴なんですが」

 

人懐こいというか、なんというか、人見知りと言う言葉からはかけ離れている。

積極的に話しかけてくる川神一子は、先ほど話をした黛由紀江とはまるで逆のタイプだった。

こういったタイプと接するのが苦手、という人間はあまりいない。友達も多いのだろう、そう、藤枝は思った。

 

「……駅?」

 

「生まれ持った名前を侮辱するなんて酷すぎる! 出るとこ出ますよ!」

 

「わー、わー!そんなつもりじゃないわ!」

 

冗談っぽく笑いながら藤枝が言うと、一子は慌てた様子で氷嚢を持っているほうの手を振り乱した。

一年生の身分で先輩をからかうのはいかにも無謀な行為だが、あまりにも邪気のない様子でボケをかますもんだから、悪戯したくなったのだ。

 

「冗談です。手、あまり動かさないほうがいいっすよ」

 

「先輩をからかうなんて生意気よ!……って、名前知ってたの?初対面……だっけ?先輩って呼ぶんだから、一年生……だよね?」

 

一子の言葉には、本当に一年生か、というニュアンスが含まれていた。

ここ、川神学園は一年生から三年生まで学生服は超同じで経済的に超優しい。見分けがつかないので新入生には優しくないが。

そんなこともあって、顔つきも大人びて、五尺八寸あまりの上背を持つ藤枝が一年生だと断定はできなかった。

とはいえ、正真正銘藤枝は一年生だし、年齢も彼女の一つ下だった。

 

「いや、一年だし、初対面ですけど一方的に知ってます。先輩結構有名ですよ。さっきの決闘も見に行ったし……あ、俺は藤枝です。C組の」

 

「あ、そっか」

 

なるほど、と得心が行ったようなジェスチャー。

クラスメイトに、しょっちゅう喧嘩売ってるとまで言われるぐらい、彼女は決闘制度を活用していた。

ギャラリーを制限しているわけでもなし、名前が知れ渡っていてもおかしくない。

 

「カッコよかったですよ、薙刀」

 

「見当外れて負けちゃったけどねー……」

 

「そりゃ勝つつもりなら、最初から本気でいかないと」

 

歯に衣着せず、藤枝は苦言を漏らした。

先ほどの決闘、勝敗がついた後に、彼女は重たいリストやアンクルを外して再試合だと吠えた。

当然学園長に却下されたが、常に修練を念頭においているがゆえの、一子のおろかな敗因だった。

ハンデをつけて負けては世話ないというもの。

それを彼女も自覚しているのか、力も内容もない反発をした。

 

「きびしい……アタシ先輩なのに」

 

「俺の師匠が言ってましたよ。一度始めた戦いは、どんな手を使ってでも勝てって……戦いなら、ですけど」

 

「こわい師匠なのね……けど、師匠って言うからには藤枝くんも武術やってるの?空手?剣道?」

 

「いえ、そういうのはさっぱり。師匠は師匠でもホームレスの師匠です。槍とかは少しぐらいなら使えますけど、武術っていうのかなあ……」

 

「ほ、ホームレス?……頑丈なダンボールハウスの建て方、とか?」

 

「どっちかって言うと、狩りとか、山菜の見分け方とか、調理法ですね」

 

「……ちょっと興味あるかも」

 

食事に関しては一家言ある一子は、藤枝の技能に興味を持ったようだ。

ホームレスマニュアルでは聞こえが悪いので、サバイバル知識と言い換えてもいい。

 

「山にでも行く機会があれば、簡単なものならレクチャーしますよ。料理の仕方も含めてね」

 

「おお……!」

 

色とりどりの山菜料理やジビエ料理を思い浮かべ、一子は目を輝かせた。

実際のところ、そこまで上等なものではないが、こうまで期待されると応えたくなるものだ。

機会があればと言って約束したものは、大抵の場合その機会は永遠にこないものだが、自主的に作ってもいいだろう。

近々の予定は、と考えつつ、藤枝は壁にかかっているカレンダーと時計を見やった。

 

「……そろそろ一時間目だ。先輩は怪我は大丈夫ですか」

 

「あ、うん。授業には出るつもりよ。ただの打ち身だし、冷やしておけば直るでしょ」

 

「言おうか迷ったんですけど、それ、タオルでも巻いたほうがいいですよ」

 

氷嚢のことだった。直接患部に押し付けているのでは冷えすぎる。

冷たくて痛いし、体表が冷えすぎても治癒効果が薄くなる。接する部分はセ氏零度前後がベストだとか。

しかし、一子は首を横に振って、困っているのよ、とでも言うように唇をとがらせた。

 

「見つからなかったのよ。置き場所をかえたみたい」

 

かえたって、タオルの置く場所なんてのは大体決まっている。

埃がつもらなくて、それなりにまとめておいておける広さのある場所だ。

それこそベッドの下のカラーボックスの中とか……と、探すと、案の定見つかった。

一子にそれを押し付けると、藤枝はそのまま保健室を出ようとする。

 

「これでしょ。それじゃ、俺、教室戻りますんで」

 

「あっ、待って」

 

「はい?」

 

「改めて自己紹介するわ。アタシは2Fの川神一子!」

 

「どうも。俺は1年C組の藤枝平馬です。いつでも声かけてください。よろしく」

 

元気のよい挨拶をしてくれた一子に、藤枝は笑みを添えてフルネームで名乗った。

これからますます学校生活が楽しくなりそうだ。そう、予感があった。

 

 

 



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第三話

お気に入り登録や評価、感想下さった方、お礼申し上げます。ありがとうございます。
いやあ、やっぱりモチベーションあがりますね。
可能な限り返信するので、気が向いたら気軽に感想残してってください。


 

 

 

 

≪きりーつ、礼≫

 

「それでは、の。気をつけて帰るでおじゃる」

 

公家顔の担任教師が退室するなり、にわかに一年C組の教室は騒がしくなった。

既に隣のD組B組の生徒が放課後を満喫し始めているから、なおさら。

そんな中、黛由紀江は鞄に文房具をしまうと、足早に教室から出た。

今朝の一件で藤枝と顔が合わせづらかったからだった。

今日は移動教室が多かったこともあり、彼女は午前中から休み時間の度に教室から姿を消して、藤枝と顔を合わせずに済んでいた。

これが正解ではないと心の中でわかってはいたのだが、なかなか踏ん切りがつかない。

勇気が足りない時は概してそういうものだった。

 

「せっかくだし、一緒に帰ろうぜ」

 

「ふえ?!」

 

しかし、不意打ち気味にかけられた言葉に黛は素っ頓狂な声を上げてしまった。

誰あろう、藤枝だった。いつの間にか黛の背後を取って、彼女の肩に手を置いている。

いたたまれない気持ちで頭が一杯になっていたとはいえ、知らず背後を取られたのは武芸者として既に練達の域にある彼女にとって不覚の出来事だった。

 

「黛の家ってどこなんだ?下宿って噂で聞いたけど、寮なのか?」

 

「え、あっ……あわわわ」

 

「帰り道で買い食いなんてどうだ。昨日コンビニでさ……」

 

黛の動揺も無視して藤枝は一方的に話し続けた。しかもかなり馴れ馴れしい。

奥手なタイプ相手に控えめに喋っていても、ろくに会話が弾まないだろうと思ってのことだった。

人によっては不快感を覚える類の押しの強さだったが、それが功を奏した。

二度逃げることははばかられたのか、彼女は藤枝と並んで歩きだす。

 

「あ、あの……どうして気配を消して近づくんですか?」

 

「そうしないと逃げるだろ?」

 

「それを言われると弱いです……」

 

直裁にやめてくれとは言えなかったから、質問の形をとったのだが、逆手に取られてしまった。

今朝一度会話の途中で逃げ出してしまったことが負い目になっているので強く反論できない。

それに、どうしてそんなに気配を消すのが上手いのか、とも聞きたかったのだが、タイミングを逸してしまっては聞きづらかった。

押しの弱い黛ならば、尚更。

 

「それよりあれ、やらないのか。腹話術」

 

『オラを煽るとはやるじゃんよボクゥ……ビキィ』

 

「あ、あのですね。松風が喋っているのは腹話術ではなく、付喪神が宿っているからでして」

 

「へえ」

 

藤枝はものすごくどうでもよさげな返事をした。

孤独な人は身近な動物や器物に親しみを覚え、友人のように振舞うという。

親があまり構ってくれない子供がよくやるあれと似たようなものかもしれない。

そう考えれば、特段珍しいことでもなかった。

黛のように人前で漫才始めるほど非常に重篤な者は滅多にお目にかかれないが。

 

「こっ、この冷ややかな返しは予想外でした」

 

『藤枝っちって、冷たいのか大物なのかわからんってばよ』

 

「冷たいは酷いな。今のご時勢、俺ほど親切な男はなかなかいないはずなんだが」

 

『自称親切者ほど信用ならないものも無いんだぜー』

 

「いけませんよ松風。藤枝さんほど友達がたくさんいる人が親切でないわけがありません」

 

どちらの言葉も同じ黛の口から出ているものなので、どちらも本音だと考えるべきかもしれない。

心にもないことは腹話術にしても言いはしないだろう。

つまり、自称すると胡散臭いが、友達がいっぱいいるのはたしかなので親切なのだろうな、ということだろうか。

しかし、友達が多くいることと本人の善性はさほど関係ない。

 

「分別よりも愚行のほうが取り巻きを呼び寄せるものだ、なんて言葉もあるな」

 

『つまり……!まゆっちに友達がいないのは!盲点だった!』

 

「……そこは、意見がわかれるところだろ」

 

「冷淡なツッコミが心に突き刺さります……」

 

そうは言えど、かなりオブラートに包んだ物言いだった。

刀を携帯して、携帯ストラップと喋る少女がまともかどうか。

百人にアンケートをとれば、九十人ぐらいは、いいえ、に丸をつけるのではなかろうか。

善悪は関係ないにしても、人が寄ってくる見た目と、そうでない見た目がある。

 

「というか、友達いないってのは聞き捨てならないな。俺はすっかり友達気分だったんだが」

 

「い、いえ!今朝は逃げ出してしまいましたから……と、友達と思って、いいんですか?」

 

『ここでもし嘘だよーんとか言われたら、マジでまゆっち不登校になるかもしんないから答えには気をつけてね』

 

「俺は今脅迫されているのか……?」

 

松風の言葉に、藤枝はかえっていらない悪戯心を刺激されたが、今回ばかりはおさえることにした。

視点の定まらない胡乱な眼差しで刀を握り締める黛の姿は、今の言葉以上に脅迫的だからだ。

混乱の極みにあっても黛があれを振るうとは思わないし、振るう姿を見たこともないが、あれは人の命を絶つには十分すぎるしろものだろう。

凶器というのは存在するだけでも恐ろしいものだ。

 

「もちろんだ。朝も言ったけど、いつでも気安く話しかけてくれよ」

 

「……あ!ありがとうございます!不肖ながら黛由紀江!お役に立てることがあればなんでも言ってください!」

 

「そうか。じゃあ、金貸してくれ。五千万ぐらい借金があるんだ」

 

「えっ……そ、それは流石に実現不可能というか、今の私では力量不足と言いますか……」

 

『うわっ……オラの友達料、高すぎ……?』

 

「……言うまでもないだろうけど、冗談だ。別にいい、役に立つとか、そういうのは」

 

ポリシーとか、信条とか、そういった大したものでもない。

友情に損得をつけるとろくなことにならないのは経験則から知っていたし、美しくない。

そもそも、得があるから友達とつるんでいるわけではない。

やりたくてやってるだけのこと。取引ではない。

 

「で、ですが……せっかく友達になってくださったのに、それでは何もお返しできません」

 

「チョロいなあ」

 

「ちょろっ?!そっ、その言葉だけは聞き捨てなりません!」

 

『ちょ、チョロくねーよ!?まゆっちほどの鉄壁の淑女は他にいねーよ?!』

 

「なら、そんな大事に考えるなって。これからの人生、友達が出来るたびにそうするつもりなのか?」

 

何人友人を作れるかは不明だが、これから先一切友人が出来ないとは思わない。

思えない、ではなく、思わない、なのは希望的観測というやつだが。

何にせよ、礼を言われたり、特別恩に感じられたりすることではないと藤枝は思っていた。

 

『だけどまゆっちにとって、友達を作るっていうのは生まれてこの方悲願だったんよ。

 友達百人計画、打ち立ててから進展なしで十年近くなるし……』

 

「せめて、記念すべき友達第一号ぐらいは……」

 

その言葉には、第二号は永遠に現れないかもしれないし、という悲観的なニュアンスもこめられていた。

律儀さ、懸命さも良かれ悪しかれだなあ、とか思いつつ、藤枝もあいまいにうなづく。

 

「ううん、そこまで言うなら……じゃあ記念に何か食べにでもいくか?」

 

「はっ、はい!腕によりをかけて用意します!」

 

「いや、そこらのファミレス、あるいはコンビニでもいいんだが。ほら、あれだ。カップラーメンとか好きだぞ、おれ」

 

一度目はあまり気合を入れなくてもいいんだぞ、と遠慮する。

 

「是非、用意させてください!」

 

「……うん。ありがとう」

 

しかし、二度目は素直に受け取った。

遠慮は一回までにする、というよくわからないポリシーが藤枝にはあった。

実際、藤枝もカップラーメンやらレトルトカレーばかりの成人病一直線の暮らしに嫌気がさしていたのかもしれない。

一人暮らしをしている以上、料理が出来ないわけもなかったが、どうしても面倒くさいという気持ちは生半可なやる気では打ち破れない。

 

「それじゃあ、まあ、そっちの都合のいい時で。楽しみにしてる」

 

「はいっ!」

 

そんな風に喋りながら、二人で昇降口までやってくる。

一年C組の下駄箱を見つけて、自分の上履きを取ろうと近づくと、突然腕を掴まれる。

 

「何勝手に帰ろうとしてるのよ」

 

見れば、武蔵小杉だった。

今朝不慮の事故で負傷してから姿を見なかったが、どうやら怪我も残らなかったらしい。

前髪を手でどかして額を見ても、ぶつけた跡が腫れたりはしていないようだった。

しかし、それが気に障ったのか、手を払いのけて彼女は一歩後ずさった。

 

「きっ、気軽に女の子の髪に触れないでよね!」

 

「すまない。怪我が気になったもんでね」

 

「む……なら、いいわ。だけど、無視して帰ろうとしてんじゃないわよ。しかも彼女連れ?」

 

緊張に身を縮める黛を、武蔵はじろじろと見た。

男女が二人で話していれば、そういう関係なのだろうな、とこじつけるのは武蔵に限った話ではない。

否定するのもつまらないし、肯定するのも嘘くさいので、藤枝は適当にあしらうことにする。

 

「そう思うなら邪魔するなよ」

 

「あっ、気が利かなくてごめん……じゃない!手紙読まなかったわけ?」

 

「手紙?」

 

「……」

 

誤解を解こうか解くまいか、そんなじっとりとした眼差しで見つめてくる黛を無視して、藤枝は鞄の中を探った。

教科書やらプリントやらの間に、ピンク色のハートのシールのついた白い封筒を発見。中には丁寧に折りたたまれた便箋が。

そこには筆ペンで書いたと思しき綺麗な字で

 

≪突然のお手紙ですみません。いつもあなたのことばかり考えています。

 ですが、まだ直接思いを伝える勇気がありません。意気地なしの僕をどうか許してください。

             ―――あなたのナイスボートより≫

 

と書かれていた。

 

「い、言っておくけど私が書いた手紙じゃないからね!」

 

「こんなに熱心に想われると、流石に俺も絆されそうだな」

 

「だから違うって言ってんでしょ!」

 

「あ、もう一通便箋がありますよ」

 

「どれどれ……」

 

次に、黛が口を開けた鞄の中から見つけた、もう一通の白い封筒を手に取る。

表にはわかりやすく、果たし状、と書かれていた。

開けてみれば、面白みのない文面でお決まりの言葉がつらつらと。

場所は武道場、条件は無手の一本勝負。

ついでに、一年C組の生徒は絶対に連れてくるな、とも書かれていた。

 

「なかなか来ないから見にきたら帰ろうとしてるし……」

 

「すまない。教室の前で待っててくれれば良かったんだが」

 

「あのクラスはちょっと……」

 

つい、と武蔵は目を逸らした。

今朝の一件で、一年C組に対して言葉に出来ない苦手意識を持っているらしい。

さんざ無視された挙句、額をしたたか机に打ち付けて気を失ったとなれば無理もないかもしれないが。

 

「ところで、さっきの手紙はなんだったんですか?」

 

「伊藤だろ。あいつ入れる机間違えたな……」

 

黛の疑問の声に、藤枝は半ば脊髄反射的に思い当たる人物の名を上げた。

おそらく、藤枝の席と、隣の女子生徒の席を間違えたのだ。

藤枝は隣の席の女子生徒、大和田伊予の下駄箱を見つけ、そこに手紙をねじ込んでおく。

思えば、以前ストーカー染みた行為を働いていた伊藤に説教、もとい説得を試みたことがあった。

改心したとは言っていたが、本当に全うな手段を用いているらしい。

差出人不明のラブレターに良い効果があるかどうかはともかく、藤枝は彼に内心で声援を送った。

 

「まあいいだろ。あまり人の色恋沙汰に首を突っ込むもんじゃない。忘れろ」

 

「……それもそうですね」

 

不可抗力とはいえ、クラスメイトのラブレターを覗き見てしまってバツが悪い。

いらないことはさっさと忘れてしまうに限る。頭を振ると、藤枝は鞄を担ぎなおして口を開いた。

 

「それじゃ帰るか」

 

 

 

……

…………

……

 

 

 

「ちょっと待った!何度も同じネタを繰り返すのは見過ごせないわ!」

 

「いや、これは天丼という伝統的な手法で……」

 

立ち去ろうとしたところ、待ったがかかる。誰あろう、武蔵だ。

半ば本気で存在を忘れていたことを誤魔化すように、藤枝は言葉を返しながら目を逸らした。

 

「黛、悪いな。誘っておいてなんだが、先約があったみたいだ」

 

「あ、いえ。私のことはお気になさらず……よろしければ、お供しましょうか?」

 

「うーん。クラスメイトつれてくるなって書いてあったしな。ゴメンよ。今度必ず埋め合わせする。それじゃ、またな」

 

「はっ、はい。それではまた」

 

サムズアップひとつ。藤枝は武蔵とともに、体育館に併設された武道場へと去っていった。

取り残された黛は、口元を少しだけ緩めて一人呟く。

 

「……松風」

 

『わかってるって』

 

「友達に、またね、と言える。こんなに嬉しいことはありません」

 

『泣いてもいいんだぜ。それは悲しい涙じゃないんだから』

 

満足げに微笑み浮かべ、軽快な足取りで家路を辿る彼女を、健気と言うべきか。

なんにせよ、どう思おうとそれは個人の自由だった。

 

 

 

 

 



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第四話

つなぎがおかしくなったのでちょっと編集


 

 

 

四月二十五日、土曜日。天候は晴れ。

うららかな午前の日差しの下、藤枝は当て所なく多馬川河川敷を歩いていた。

 

「なあ、暇なのか」

 

「もちろん暇じゃないわ。たかがC組のアンタにはわからないでしょうけど、プッレーミアムなS組の首席の座を保つには、鍛錬だけじゃなくて勉強も必要だからね」

 

「あっ、ムカつく言い方だな、それ。俺だって勉強ぐらいしてるよ。こないだの小テストだって七十五点超えたし・・・・・・」

 

彼の傍らには、何故か武蔵小杉がいた。

金柳街のコンビニからバイトを終えて出てきたところ、偶然遭遇してそのまま連れ立っている。

そして、彼女はジャージを羽織ってはいても、いつもどおりの体操服姿だ。休日だというのに。

貧乏でろくに着る服がなくてその格好なのか、あるいは特殊な趣味か。

聞こうかとも思ったが、藤枝はコンビニで購入した肉まんを一つ渡して、黙ることにした。

 

「アンタの成績なんてどうでもいいわ!私が知りたいのはアンタの実力の秘密よ」

 

「俺の秘密が知りたいのか?実は眉毛が先のほうで微かに二又に分かれているんだ、ほら」

 

「わっ、ホントだ!」

 

「これのおかげで表情がわかりにくいらしくてな・・・・・・冷たい男だとよく勘違いされる」

 

近づけた藤枝の太い眉をじっと見ると、米噛み付近で微かに二又に分かれていた。

藤枝の髪型は額が露わになるベリーショートだから気づかない筈がないと思っていたが、これには武蔵も驚きを隠せない。

だが、そんな話をしに来たわけではない。

すぐに正気に戻った彼女は藤枝の顔に人差し指を突きつけた。

 

「じゃなくて!武術の心得も無いやつがこの私に勝つなんて有り得ないでしょ常識的に考えて」

 

「勝ったじゃん」

 

「そう。勝ったわ。だから、そのカラクリを探りに来たわけ」

 

武蔵は、どうしても昨日の決闘に納得がいかないようだった。

昨日、放課後の武道場で川神学園の体育教師、ルー・リー審判による、武蔵対藤枝の決闘が行われた。

結果だけ言えば、五秒で藤枝に軍配が上がった。決まり手は背負い投げによる一本。

カラクリもネタも何も無い。

単に藤枝がリーチ、体格、腕力、体捌きにおいて上回っていた。そして、未熟な武蔵の技量ではそれを覆すことが出来なかった。

それだけのことだ。

 

「じゃああれだ。俺は江湖最強の独孤九剣の伝承者だったんだ。今思い出した。入学前に事故にあって記憶喪失だったからな。

 これなら俺はド素人じゃないから、負けたって言い訳つくだろ」

 

「か、完全に私を下に見てるわね・・・・・・」

 

嘘八百パーセントの藤枝の言い草には、武蔵も口元をひくつかせざるをえない。

とはいえ、なんと言ったら彼女が満足して退散するのか藤枝にだってわからない。

もう一度伸したら納得してくれるのかというと、怪しい。

手加減して負けたら、それはそれでプライドを傷つけそうだ。

今のところ思い浮かぶもっとも正解に近い答えは、昨日の朝に戻って、決闘を武蔵と同じぐらいの実力のクラスメイトに押し付けることだったかもしれない。

だが、タイムマシンは発売日未定な上に予約殺到で学生の身の藤枝にはとても買えそうにない。

だから、適当にあしらって逃げることぐらいしか選べない。

口にこそしなかったが、あの決闘と呼ばれた勝負は、藤枝にとって遊び以外のなにものでもなかった。

 

「そういうことだから、じゃ」

 

「ちょおっと待ちなさい!例え秘密があろうがなかろうが、再戦だけは受けてもらうわよ!」

 

「いやだよ」

 

「っ、アンタみたいな下等種族に負けたままなんて、誰が許しても自分自身が許せないわ!」

 

「俺はホモ・サピエンスなんですが」

 

「形而上のことを言ってるの。覇気の欠片も見えない男に負けたままじゃあ屈辱で夜も眠れないし・・・・・・」

 

「俺、将来の夢は地球大統領。これオフレコね」

 

「なにそのインテリジェンスの欠片も無い発言・・・・・・」

 

あまりにあまりな発言だが、藤枝にも確かに向上心やらやる気やらいったものが欠けている自覚はあった。

夢や、やる気を抱いてスポーツや勉強に打ち込んでいる人間は輝いて見える。自分もそうありたいとも思っている。

だが、現状無い物は無いんだから、無いまま生きるしかない。

足りない心のポリキャップBはただいま探し中なのだ。

ゴミに出してない限り、そのうち見つかるだろう。そう、思うしかない。

 

「というかさあ、ストーカーの真似事やるぐらいなら得意な勉強やってろよ。それなら俺に勝ってるだろ?」

 

藤枝の成績はせいぜい中の中から中の下あたりだった。学年首席の武蔵とは雲泥の差である。

昔はそれなりに出来て、結構ちやほやされてはいたのだが、今では凋落はなはだしい。

学習塾の冬期講習を活用して、なんとか浪人せずに川神学園に入学出来たが、ところどころわからないことがあって困っていた。

 

「他の分野の勝利で敗北を誤魔化せるほど、プッレーミアムなS組首席のプライドは安いものじゃないの」

 

「S組首席のプライドったって、まだ入学して一月も経ってないだろ・・・・・・」

 

藤枝には知る由もないが、その一ヶ月に満たない時間で、武蔵小杉は十回以上決闘を行っていた。

そして、ただ一度を除き、その決闘の全てに勝利している。

そうして培った自信やプライドこそが彼女を頑なにさせているのかもしれない。

あるいは、単にエゴイストなだけかもしれない。

なんにせよ、藤枝としてはどうでもいいことだった。

 

「まあ、そのうちな・・・・・・」

 

「そのうちっていつよ」

 

「そのうちはそのうちだ。というか、ほら。昨日きみの胸倉つかんだときに爪が割れちまったんだ」

 

「それでも私としては一向に構わないわ!」

 

「構えよっ、というか、ほら。構うだろ?プッレーミアムな武蔵さんのプッレーミアムなプライドは、負傷し、万全な状態ではない俺を破ったところで満足しないだろ?それともあれか、きみがプッレーミアムなのは嘘か?そのプッレーミアムは偽者か?偽者じゃないって言うならつま先見せてみろよオラッ」

 

「むむむっ」

 

まくし立てながら藤枝は右手の人差し指をつきつけた。

大作りで分厚い手に五本生えた、杭のような指はいかにも頑健そうだが、爪先に僅かな亀裂が入っている。

流石の武蔵もこう言われては引き下がらざるを得ない。怪我人に決闘を強要する卑怯者ととられるのは本意ではなかった。

 

「大の男が爪の一枚二枚で軟弱ね・・・・・・」

 

「・・・・・・やかましいやつだな。そろそろ黙らないと川に放り込むぞ」

 

鬱陶しいったらない。藤枝はいい加減辟易して、唾でも吐き捨てるような顔をした。

しつこい女は嫌われるぞ、とか言って見ようかと思ったが、なんだか口から出すには洗練されていない言葉だ。

だが、結局口から出てきた言葉はいかにも粗野な脅し文句だった。

 

「・・・・・・ハッ、やってみなさいよ」

 

ただの脅しか、最後通牒か。まさか、美少女である自分を多馬川に放り込むような男はいまい。

そんな思考を数秒だけめぐらせて、武蔵は挑発的に笑ってみせた。

 

「春真っ盛りに川辺で遊んでいたバカなブルマが水死体となって発見されたとして、誰が殺人事件だと思うだろうか」

 

例え脅しでも、川を背に強い力で両肩を捕まれては、首肯以外が許される筈もなかった。

 

 

 

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・

 

 

 

「ところで、さっきから何してるわけ?」

 

何をするでもなく、地面を眺めながら河川敷を練り歩く藤枝を不審に思い、武蔵は訊ねた。

かれこれ二十分近くそんな藤枝の後ろにくっついて歩いている彼女も大概不審だったが。

振り返ることもなく、藤枝は答えた。

 

「探し物」

 

「何のよ」

 

「財布」

 

「落としたの?」

 

「風間君が手伝ってくれって言うんだよ」

 

今朝、早朝のコンビニバイトを終えた藤枝にかかってきた電話が切欠だった。

バイトの同僚が今朝仕事を終えて帰宅したところ、財布を紛失したことに気がついたそうな。

河川敷を歩いて帰った際にジュースを購入し、その際には持っていたそうなので、そこから自宅までに落としたことになる。

今ならまだ見つかるかもしれないし・・・・・・ということで、見つけたら報酬を出すから、と頼んできたらしい。

 

「2Fの風間先輩?」

 

「知ってんだ。美形だもんなー。気になっちゃうよなー?」

 

「むっ、ミーハーみたいに言わないでよね。エレガンテ・クワットロだから知ってるってだけだし!

 それに、どっちかって言うと源先輩みたいにタフで硬派な感じのほうが好みだし・・・・・・」

 

藤枝がからかうと、武蔵はむくれながら反論した。

ちなみに、エレガンテ・クワットロというのは誰が言い始めたか知らないが、川神学園の美形四天王のことだ。

ミスコンの男版みたいなものだと思ってくれていい。あるいは、クラスに一人はつけてるやつがいる、イケてる女子のランキングみたいなものだ。

このあたりの感覚、性差はないらしい。

現状、二年の風間翔一、源忠勝、葵冬馬。三年の京極彦一がそのエレガンテ・クワットロなのだそうな。

 

「別に好みまでは聞いてないけど」

 

「・・・・・・ゴホン、ゴホン・・・・・・」

 

「武蔵小杉はタフで男らしいのがお好き、と」

 

「あ、ああーーーっと、い、犬がいる!」

 

「ん?おお、犬だ」

 

からかわれることから逃れるための、露骨な話題逸らしだったが、確かに武蔵が指差した先には犬がいた。

春になって雑草にまみれつつある川辺に紛れて、柴犬に似た感じの中型犬が一匹。

人懐っこそうな間抜け面をしている。かわいい。

首輪がついているので飼い犬だろうが、飼い主らしき人物の姿は見当たらない。

飼い主がいてはなんとなくかまうのも憚られるが、いないのならば頭の一撫でもしたくなるのが人情というものだ。

藤枝は屈んで目線を下げ、犬に、こっちこい、とジェスチャーをかける。

 

「犬、いいよね」

 

「いい・・・・・・って、こっち来た」

 

はっ、はっ、と息を荒げて犬がやってきた。

見た限りは清潔にしているし、おそらく病気もしていない。

赤い首輪には油性マジックで、タマ、と書いてある。名前だろう。

 

「知性が滲み出てくるようないい名前だ」

 

「そう?」

 

「ようタマ。この辺で財布見なかったか?茶色い長財布なんだが」

 

頭を撫でて、ジェスチャーを交えながら藤枝がそう話すと、タマは二回元気に鳴いた。

 

「・・・・・・」

 

「本気で喋ってるわけじゃないですよ?」

 

本気で犬と喋っちゃう人を見るような目で見られるのは不愉快だ。

人の心がわからんやつだな、と武蔵に悪態をつきながら立ち上がると、タマは先ほどまでいた草むらへと戻っていく。

しかし、戻るなりUターン。何かをくわえてタマはもう一度やってきた。

 

「・・・・・・」

 

「ええと、本気で喋ってるつもりじゃないんだ。喋れてるわけでもない。ホント・・・・・・多分な」

 

今度は、信じられないものをみるかのような目をした武蔵だったが、信じられないのは藤枝も同じだった。

タマがくわえて持ってきたものは、藤枝が言ったような茶色の長財布だった。

今朝に電話で聞いた財布の特徴をメモとして残していたので、ポケットから取り出して確認する。

色、デザイン、ブランド、財布の中に入っているカードの名前。

幸運というか、偶然というか。

感謝の気持ちを伝えたいが、飼い犬に何か与えるのもいけないので、首元を撫でることにとどめる。

すると、タマは一度だけ威勢よく鳴いてから、お座り状態だった腰を上げて勢いよく何処へともなく駆け出す。

目で追った先、ほんの豆粒よりも小さく見えるぐらい先では、タマは飼い主らしい人物の足元をぐるぐると回っていた。

 

「まあ、よかったよ。見つかって・・・・・・あ、電池切れてる」

 

携帯電話で風間に見つかったと連絡を取ろうと思ったが、生憎なことに電池が切れていた。

まだ携帯電話を購入してから日が浅く、毎日充電するという習慣がなかったから、こういったことは珍しくなかった。

仮に武蔵が持っていて、それを借りたとしても無駄だ。電話番号やアドレスは覚えていない。

そこで、風間は川下のグラウンド付近のウォーキングコースを探すと言っていたことを思い出し、藤枝は川下を探すことにした。

 

 

 

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・

 

 

 

川下のグラウンドではシニアの野球チームが試合を行っていた。

キャッチャーが大声を張り上げると、それに呼応して内野も外野も声を出す。

そんな少年たちの姿を眺め、藤枝は昔というほどでもない、かつてのことを思い出す。

昔、小学校のころには藤枝も野球をやっていた。

本人の希望ではなく、親の希望だ。

練習がある日には日曜日の午前中が、試合がある日には日曜日が丸ごと潰れたので、あまりいい思い出ではない。

打ち込むだけの愛情でもあれば話は別だろうが、藤枝には愛情も自主性もなかった。

 

「武蔵は習い事とかやってんの?」

 

「武蔵家の女として恥ずかしくないだけの教養はあるつもりよ。茶道に華道も免状貰ってるし、書道だってプッレーミアムな段持ちだもの」

 

「茶道や華道は知らんが、書道の段持ちってプレミアムってほど凄くないだろ・・・・・五段とか六段なら別だけど」

 

かくいう藤枝も書道は初段を持っている。

持ってはいるが、彼の字は汚い。テストや大事な書類ならば気合を入れて書くが、ノートやメモ書きなどは酷いものだ。

重度の金釘文字は、おそらく彼以外の人間が見たところで解読できまい。

 

「というか、何。きみって結構いいとこのお嬢様なわけ」

 

「ふふん」

 

明言はしなかったが、武蔵は誇らしげに鼻を鳴らした。

てっきり、体操服ぐらいしか着るものがない貧乏人だと思っていたが、間違っていたようだ。

思えば、血色はよかった。

藤枝は彼女に対する失礼なイメージを内心で訂正した。

 

「へえ」

 

「えっ・・・・・・スルー?・・・・・・えっ?」

 

「習い事も、楽しくやれてりゃそれが一番だよな」

 

習い事なんてものは大抵親の勝手で決められるものだった。

小学校のうちは、ピアノ、そろばん、水泳、習字、それから野球とやらされていたが、あまり身になった気はしない。

中学校にあがってからはそれらから解放され、自分の意思で部活をやってはいたが、いろいろとあってやめてしまった。

半ば、反抗期のあてつけ染みた理由であり、半ば、友達づきあいの延長であり。

しかるべき、とでも言おうか。なんにせよ、過ぎたことだった。

知らずのうちに思考が汚泥の中に沈み込もうとする。そんな時、不意に声をかけられた。

 

「ん、おーい!へーうま!見つかったか?」

 

「・・・・・・あ、ああ。へーうまって呼ぶなよ!見つけたぞ!これか?」

 

先ほど見つけた財布を掲げて近づくと、他にも人がいることに気づいた。

ほかの友人たちにも協力を要請していたらしい。

藤枝と同学年か、あるいは年下に見えるぐらい小柄でかわいらしい感じの顔つきの少年がひとり。

同じく藤枝と同学年ぐらいに見える、生意気そうな、中性的、というか女顔の少年がひとり。

とはいえ、藤枝自身実年齢よりも一つ二つ上に見られるのが常なので、その印象はあてになるまい。

 

「ん・・・・・・ちょっと待て・・・・・・おお、これだこれ!早速電話かけて報告するから待っててくれ」

 

財布の中にはいっていた、家電屋のカード、そして、藤枝が見たときには気づかなかったが、カード型の学生証を確認する。

現金もしっかりと入っているようで、誰かがネコババしたということもなさそうだ。

間違いないと判断した彼は電話で依頼主と連絡を取る。

見つかったから今日のバイトの時に渡しにいく、という本題と、関係ない脱線話を数十秒してから彼は電話を切った。

 

「いや、ホントに助かったぜっ。そう言えば、報酬いらないって言ってたけど本当にいいのか?貰っちゃうぞ?」

 

「大丈夫だ。また今度美味い店でも教えてくれればいいからさ」

 

金に困っているわけではなかった。仕事のつもりで探していたわけでもない。

 

「そうか?なら、今度奢ってやるよ!可愛い後輩をタダ働きさせたんじゃ悪いからな!」

 

「あんまり気にしなくていいって、ただの暇つぶしだしな。まあ、期待してるよ。それじゃ」

 

「じゃーな!」

 

手を振る風間に、軽く手を上げて返すと、藤枝はその場を後にした。

感謝されるのは気分がいい。

大したことしていなくとも、立派な人間になったような気分になれる。

足元の影を見れば、もうじき正午を越えそうだった。

藤枝は何の気なしに武蔵に声をかける。

 

「昼飯どうする?」

 

「え?・・・・・・特に考えてないけど」

 

「なら、コンビニ行こうぜ。コンビニ」

 

「・・・・・・は?」

 

 

 

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・

 

 

 

「このお弁当賞味期限切れてるんだけど」

 

「少しぐらいいいだろ。食わなきゃこれ、ゴミになるんだぞ。もったいないと思わないか」

 

「いや、知らないし・・・・・・」

 

ラローナ川神付近の公園のベンチにて、鳥そぼろ弁当をかきこむ藤枝と、それを白い目で見つめる武蔵。

彼らが持っている弁当は他でもない、藤枝の働いているコンビニで出た廃棄商品だった。

とはいえ、品質には何の問題もない。

冷蔵庫に入れておけば夏場でも二日三日は平気で保存がきくし、そもそも彼らが前にしているのはまだ数時間前の検品でハネられたものだった。

勿体無い精神を発揮するまでもなく、普通に食べられる。

 

「日ごろ地球環境ぶち壊しまくってるんだから、たまには殊勝な気持ちで廃棄弁当でもつつくのも悪くないだろ。結構美味いぞ」

 

「私ほど地球環境に優しい人間はそういないと思うけど」

 

「いつも体操服だしな。何?代えの服ないの」

 

「んなわけないでしょ!行住坐臥、いつでも戦いを意識しているからこその動きやすい服装なの。わかる?」

 

一理ぐらいはあるかもしれないが、だからといって他人の目を気にしないのはいかがなものか。

街を歩けば、すれ違う人間が武蔵のことを目で追っているのは、彼女の見目だけに注目しているわけではないだろう。

 

「・・・・・・」

 

「あによ」

 

「まあ、いつも体操服なきみも素敵だと思うよ」

 

「おおっ・・・・・・?!よくわかってるじゃない!」

 

藤枝は何か忠告でもしかけて、結局止めた。

わざわざお節介みたいなことを言うのもあほくさいし、皮肉っぽくお茶を濁すだけにとどめる。

皮肉が通じなかったのか、武蔵も気を良くしたようなので、言うこともなくし、藤枝は無言で弁当を食べ続けた。

もそもそとそれなりの味の鳥そぼろ弁当を食べながら過ごす休日の昼下がりは、そう悪いものではなかった。

 

 

 

 

 



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第五話

推敲するとあれですね。何度も書き直してあれですね。
投稿が一ヶ月ぶり近くなったのは別にエルミナージュ2とかディスガイア2をやっていたからだけではありません。


 

 

「おはよーさん」

 

「おっすおっす」

 

本日は月曜日。天気は晴れ。

最近はよく晴れて、雨が降っても夜明け前には上がってしまうことが多かった。

教室内はまだ人もまばらで、まだホームルームには間がある。

とはいえ、三日ぶりに再開したクラスメイトたちは、元気よく挨拶をすると気さくに返してくれた。

ぬるま湯のような、心地の良い空気だ。藤枝はこのクラスのことが気に入っていた。

 

「黛は・・・・・・まだ来てないのか?」

 

「えっと・・・・・・黛って、剣持ってるやつだろ?何、知り合いになったの?」

 

「友達になった。まあ、興味があるならお前も話しかけてみたら」

 

好奇心ありげに問いかける柏木に、藤枝は適当に返した。

黛は善良な人間だとは思うが、松風に喋らせる内容は良くも悪くも明け透けだから少しばかりクセが強い。

人間、相性というものがある。忍耐力や相互理解によってある程度は解決できるとはいえ、どうしてもウマが合わない人間がいることは、今までの短い人生経験でも感じていた。

 

「顔は可愛いよな。だけど、こないだ話しかけたら凄い目で睨まれたんだけど」

 

柏木は、その、≪こないだ≫を思い返してどうしたものかな、と悩むそぶりを見せた。

黛は表情を作るのが不得手のようだったから、笑みを浮かべようとして顔がこわばったのかもしれない。

あるいは、セク質でも仕掛けて睨まれたのかもしれない。

なんにせよ、その程度でコミュニケーション不能と断ずるようでは根気が足りないといわざるを得ない。

藤枝は鞄から引っ張り出した学習用具を机に移しながら、どうでもよさげに茶化した。

 

「お前の息が臭かったのかもな」

 

「ちっ、ちっげーよ!臭くねーよ!なあ!おい!嗅いでみろよ!」

 

「やめろ。毒状態になる」

 

「違う。そんなことは断じてない。俺の息は、眠り状態になるんだ・・・・・・」

 

「甘い息って柄かよ・・・・・・まあ、臭くはないから安心しなよ」

 

「だろ!」

 

「・・・・・・」

 

何も言うことはない。藤枝は席について天井を見上げる。

古びてくすんだ蛍光灯が二回点滅して、顔を照らした。

 

「ところで金曜日どうだった?負けた?」

 

「何その聞き方・・・・・・」

 

「もったいぶるなって!どうせ負けたんだろ?」

 

「どうでもいいだろ、そんなこと。それより落ち武者カーニバルやろうぜ。2な」

 

「何その露骨な話題逸らし・・・・・・」

 

「真似するなよ」

 

ごちゃごちゃと言いつつも、二人は通信ケーブルやらゲーム機やらを取り出した。

決闘の勝敗よりも携帯ゲーム機のほうが気になるようだ。

柏木は主人公の明智光秀をチョイスし、藤枝は隠しキャラの農民を選択した。

低画質の液晶画面上では光秀率いる落ち武者軍団が、ほっかむりをした農民率いる農民集団と戦っている・・・・・・

勇ましく戦う光秀は必殺技のバーニング本能寺を炸裂させるが、基本的に格上にダメージボーナスが入る技なので農民には効果が薄い。

一方、農民勢の怒涛の増殖戦法と即死攻撃はアイスのように落ち武者軍団を溶かし、やがて奮闘する光秀を飲み込んでいった。

・・・・・・農民リーダーが光秀のトレードマークであるウサ耳兜を手に、ドラクロワの絵みたいなポーズを取っている。

諸行無常。

 

「農民使用禁止にしようぜ。召喚技と即死攻撃の両方持ってるとかバランス明らかにおかしいし」

 

「勝頼はあり?」

 

「土屋と小宮山同時召喚しなければあり」

 

「それじゃー・・・・・・ん?」

 

「・・・・・・」

 

教室の扉が開く物音が一瞬だけして、ぴたりと止んだので、藤枝はそちらに目を向けた。

見れば、黛が扉の隙間から教室の中をうかがっている。見るからに挙動不審だ。

やがて目があうと、彼女はその状態のまま軽く会釈して見せた。

 

「何やってんだ?」

 

「何が?」

 

「いや・・・・・・ゲームはまた後にしよう。ちょっと俺は野暮用」

 

「女か」

 

「そうだな」

 

「マジでー?」

 

ことわりをいれると、藤枝は席を立って黛のもとへと向かった。

何か自分に用事があるのだろう、そう思ってのことだ。

人が増えてにわかに騒がしくなってきた廊下に出ると、黛が松風片手に話しかけてくる。

 

「おっ、おはようございます!」

 

「うん。おはようございます。朝から元気がよくて、とてもいいな」

 

「あっ・・・・・・ありがとうございます。なんだか、久しぶりに誰かに褒められた気がします。

 その、今日はお話したいことがありまして・・・・・・」

 

わくわくそわそわ。効果音をつけるのならば、こんな感じだった。

何か嬉しいことや楽しいことがあって、それを友達に話したくて仕方がない。そんな風に見える。

見た目はむしろ大人びて見えるぐらいなのだが、こういったところはいかにも子供のようだ。

藤枝が相槌を打つと、彼女は弾んだ声で話し始めた。

 

「昨日のことなんですが、なんと・・・・・・」

 

『テレッテッテーーーー、デデン!』

 

「寮の皆さんの仲間に入れてもらったんです!」

 

松風に効果音までやらせて発表したのは、友達が増えたということだった。

寮の皆さん、ということは友達一挙獲得チャンスを掴み取ったということだろう。

藤枝も黛が寮生だということは知っていたが、馴染めていないんだろうな、と思っていたので素直に感心した。

 

「へえ、やるじゃないか。寮には同学年はいる?先輩ばっかり?」

 

「あ、皆さん先輩の方々です。風間ファミリーと言って、とても仲良しそうで・・・・・・」

 

『いつもまゆっち羨ましそうに見てたもんねー』

 

「ですが、今は私も風間ファミリーなんですよ!」

 

「風間ファミリー?・・・・・・ん、ああ。風間君か。彼、何気に面倒見いいからな。よかったじゃないか、ホント」

 

風間、という苗字は藤枝の知る限りでは風間翔一しかいない。

彼はおせっかい焼きではないが、コミュニケーション能力が高く、快活で善良だ。多分。

フレンドフィーとるようなくちでもなし、悪い遊びを教えたりもしないだろう。多分

友人が路地裏で恐喝とかしているのを見るのは忍びない。

あまりに評判の悪い相手ならそれとなく告げ口のひとつでもしようかと思ったが、必要はなさそうだった。

 

「あれ、知っているんですか?」

 

「俺と同じぐらいの背丈で、バンダナ巻いたスマートな美形の風間翔一なら知ってる」

 

「あ、はい。その風間先輩です」

 

「言われてみりゃ、キャップとか言われてたな。キャプテンのキャップか。キャプテン何某なら俺も大好きだよ。まっ、ファミリーならボスのほうがらしいけど」

 

ただの言葉遊びだろうが、マフィアのようだ。

さしずめ黛は用心棒だろうか。刀持っているし。ゆらり、と効果音を立てて登場したり。

 

「ファミリーって言うんだから、他にもいるんだろ?何人友達ゲットだぜ?」

 

『都合八人友達ゲットだぜ!』

 

「一網打尽です!」

 

「その表現はどうだろうか・・・・・・まあ、よかったじゃないか。おめでとう」

 

『ありがとーう!アリガトーゥ・・・・・・アリガトーゥ(エコー)』

 

「このままスターダムに駆け上がります!」

 

見るからに有頂天になっていた。周囲の同級生たちの視線が少しばかり痛い。

とはいえ、今まで友達いなかった人間がここ数日で一気に、藤枝含め九人も友達増えたのなら無理もない。

川神百代、川神一子、椎名京、クリスティアーネ・フリードリヒ、風間翔一、直江大和、島津岳人、師岡卓也・・・・・・

と、新しく出来た友人の名前やら特徴やら、こういう会話をしたやら、楽しそうに黛は話した。

先日見せたこわばったそれではなく、和やかな笑みだ。誰かに話したくてたまらなかったのが見て取れる。

藤枝にも、そういう気持ちはなんとなくわからないでもなかった。

 

「川神一子先輩と、風間君には面識あるけど、他は知らないな・・・・・・三年の川神先輩とフリードリヒ先輩は見たことはある。一方的に知ってる、ってことだな」

 

三年の川神先輩・・・・・・川神百代は、おそらくこの学校中で知らないものはそうはいないだろうほどの有名人だ。

時折、昼休みの校内ラジオ、ラブ川神でパーソナリティを務めているから・・・・・・だけではない。

彼女は、武神の異名をとる、世界に名だたる武術家なのだ。比喩ではなく一騎当千、万夫不当。

聞いた話によると○めはめ波みたいなビームとか撃つらしく、異星人だとか、古代文明が作った最終兵器だという噂もある。

ちなみに、化け物染みて強いからって別に化け物みたいな外見はしていない。美人だ。

藤枝も、顔を合わせたことこそないが、遠目に何度か見たことがあった。

ある種、超人的な存在であり、彼にとっても気になる存在だった。

 

『すっげー、友達の友達って実在したんだー』

 

「世の中には知らないことがたくさんありますね、松風」

 

「・・・・・・楽しそうで何よりだな」

 

つっこめばいいのか、同意してやればいいのか分からず、藤枝は曖昧に相槌を打った。

その瞬間、黛の眉根がぴくりと動き、彼女の持つ雰囲気がほんの僅かに変質したことが藤枝にはわかった。

別に、望んだような返答が帰ってこなかったから気分を害したとか、そういうわけではない。

彼女は背後に向き直ると、階段フロアの物陰から襲い掛かってきた何者かに備える。

 

「まゆまゆ見ーーーーっけ!」

 

「かっ、川神先輩?!」

 

噂をすれば影とはこのことか。

物陰から現れた闖入者は、川神百代その人だった。

スキンシップの激しい人のようで、彼女は困惑する黛を胸元にかいぐった。

 

「先に一人で行くなよー」

 

「あっ、す、すみません。その・・・・・・お友達に、いち早くお知らせしたいことがありまして」

 

少しばかり照れくさげに、黛は藤枝を見やる。

この人が私の友達なんですよと言うような誇らしげな顔をされ、藤枝はどこかむずがゆそうに身じろぎした。

 

「むむ・・・・・・そいつか。友達第一号って。まゆまゆの初めてを奪うとは・・・・・・」

 

百代は切れ長の眼差しを向け、じろじろと藤枝を見回した。

初対面でそいつ呼ばわりはあまりにあまりだが、二つ上の先輩なので仕方がない。

藤枝は彼女に向き直ると、軽すぎず慇懃すぎずの会釈をして名乗った。

 

「どうも、藤枝です。お噂はかねがね」

 

「ああ、川神百代だ。・・・・・・興味本位で聞くんだが、どんな噂なんだ?」

 

「強くて、優しくて、美人だって。今さっき黛が言ってたんで・・・・・・

 うれしそうに話すもんだから楽しみにしてたんですよ。紹介してくれるのかなあ、ってね」

 

半分は黛へのからかい、もう半分は、何も話題を持っていないからものの試しに振ってみただけのことだった。

直接褒められるとお世辞に感じても、誰かが褒めていたことを伝えられると、それをお世辞とは思わないようで。

あまり不愉快に思う人もいないので、会話の取っ掛かりとしては上等だろう。

 

「まったく・・・・・・まゆまゆはカワイイなあ!モモ先輩かっこは・あ・と、って親しみを込めて呼んでみ、ほれほれ」

 

「あわわわわ・・・・・・!」

 

顔を真っ赤にしながら、助けてくれとも、何言ってんだとも、どうしようとも取れる眼差しで黛は藤枝を見やった。

百代はまるで小動物だか何かを愛でるように、彼女の頭を撫で回している。

この手のコミュニケーションを好む女子は何度も見たことがある。

特別珍しいものでもなし、猛烈に嫌がっているふうでもなし、藤枝は何もせずに曖昧な笑みを返した。

 

「その笑みの意味は一体?!」

 

「まあ、黛はカワイイよ。わかる。なんというのかな、癒し系というか、なんというか」

 

「そっ、そんな。私ごときが恐れ多いです・・・・・・!」

 

『まゆっちが優良物件なのは事実だけど、ちょっとやそっと褒めたくらいで好感度アップはしないってばよ』

 

さきおとといチョロいやつ呼ばわりされたのを根に持っているのか、松風を使って抗議してきた。

主音声と副音声で違うことを言っているときは、恐らく副音声の方が本音なのだろうな、と藤枝はぼんやりと考える。

彼女は小心者に見えて意外と自己主張はしっかりしてる。

 

「お前よくわかってるじゃないか。まゆまゆはなんというかこう・・・・・・抱きしめたくなるよな!」

 

「訴えられたくないんで俺はやりませんが。美人の特権なんですか、そういうのは」

 

「正確に言うなら美少女の。より正確には、私の特権だな」

 

言って、百代はふてぶてしく笑ってみせた。

行いに善悪など求めたこともないような、拠りどころを必要としないような、あるいは何も考えていないような。

そんな、笑みだ。楽しそうだ。

まだまだ自分には出来そうにないそれを見て、素直に、素敵だ、なんて思ってしまった。

自分自身をごまかすように、藤枝は軽口をたたく。

 

「人気あるわけだ。キュンときた」

 

「惚れていいぞー。だけど、弱い男はノーサンキューだ。頼りがいのある男じゃないとな」

 

「川神先輩に頼られるようになるにはまだまだ修行が足りないかな・・・・・・」

 

「自信のない男は趣味じゃないぞー・・・・・・まあ、骨のある男がいないから、女の子にばかり目が行くわけで。まゆまゆ、お嫁に来ないか」

 

「えっ・・・・・・ま、松風!これはもしやぷろっ、プロポーズなのでは?!」

 

『まままままあわわまわあわわわわて』

 

「いや冗談だよ」

 

「・・・・・・もっ、弄ばれました・・・・・・」

 

『ドーンマイまゆっち』

 

「本気で言われてもどうせ困るんだろー?」

 

目を丸くして驚いたような表情で小芝居を始める黛をよそに、百代はそっぽをむいてつまらなそうに口をとがらせた。

 

「ん・・・・・・?」

 

そうして、三人で他愛も無い話に興じていると、藤枝は視線の数が露骨に増えてきたことに気づいた。

いずれも同級生だが、女子の眼差しに宿る、好奇心というよりも悋気に近いものが気になる。

憧れの川神百代先輩が一年の教室フロアで下級生二人と親しげに話しているから、かもしれない。

百代もそんな視線に気づいたのか、黛を解放して居住まいを直した。

 

「・・・・・・さて、あんまりおにゃのこを待たせちゃ悪いからな。そろそろ行くか」

 

「人気があるってのも大変そうだ」

 

「気にするな、楽しみの方が多い。まあ、お前もいい奴そうでよかったよ。それじゃ、またな」

 

それだけ言って、百代は去ってゆく。

まるで砂鉄を集める磁石のように女子生徒を引き付ける彼女の後姿を見送り、藤枝はひとつ息を吐いた。

去り際の言葉を察するに、黛の様子を心配して来たようだった。妹持つ姉らしく、面倒見がいいらしい。

 

「いい先輩じゃないの。周りの人に恵まれてるな、まゆまゆ?」

 

「それは・・・・・・私には勿体無いぐらいで、本当にありがたい気持ちでいっぱいで・・・・・・」

 

『だけどできればまゆっちって呼んでほしいなー』

 

別にまゆっちでもまゆまゆでも藤枝としてはどうでもよかったが、不意に、あることが気になった。

黛は友達がいないといっていた金曜から、松風にまゆっちと呼ばせていた。

まゆっちは、マユズミのマユからもじったものだろうから、親兄弟にそう呼ばれているわけでもあるまい。

自分で自分のあだ名を考えたのだろうか。想像するだけで足から力が抜けるようだ。

≪自分のあだ名、自分で考えたの≫とか、聞こうと考えただけでもなんだか死にそうな気分になる。

 

「あだ名か・・・・・・」

 

「友達とあだ名で呼び合うのってずっと夢だったんです」

 

「・・・・・・黛の場合パペットマペットとかあだ名つけられそうだよな」

 

『なんかー、藤枝っちの言ってること、ちょー意味不明なんですけどー?』

 

「同上です」

 

あだ名には何かこだわりがあるようだ。

腹話術ではなく付喪神である、という設定で通している以上、腹話術師的なあだ名は否定せざるを得ないのかもしれなかった。

ともあれ、黛は藤枝の話を流して、話を切り替える。

 

「と、ところで、先日お話した友達記念日のことなんですが」

 

「そんな記念日は知らない」

 

「あ、私に生まれて初めて友達が出来た記念のことです」

 

『三日前に制定されたんだぜー』

 

金曜日のことだろうと思うと輪郭がはっきりしてくる。

手料理を振舞うとか、なんとか。三日前の話なので詳細は怪しいが、藤枝にもそんな話をした覚えがあった。

 

「美味いものを食わせてくれるってあれか。楽しみに待ってるから、急がなくてもいいぞ」

 

「実家の両親が食品を送ってきてくれたんです。日持ちしないものもあるので、都合のいい日をお聞きしようと思いまして」

 

『地元の加賀だけじゃなくて能登の品もあるでよー。海の幸も山の幸も北陸の味がぎっしりだがや』

 

「加賀って金沢のあたりだよな。石川県出身なのか・・・・・・ああ、だから松風」

 

松風と言えば前田慶次だ。そして、前田慶次は加賀百万石の大名、前田利家の甥だ。

だからなんだ、といえばそれまでだが、なんとなく納得した。

なんとなく。

 

「いつでもいい。それこそ今日だろうと明日だろうと明後日だろうと。そっちに合わせる」

 

「でっ、では・・・・・・今日の放課後、藤枝さんのお宅にお邪魔させていただいてもいいですか?」

 

「・・・・・・俺の家か?ううむ・・・・・・俺んちはちょっとな。掃除してないんでね」

 

ここ、川神に越してきて一ヶ月になり、藤枝の借りたアパートの一室の隅にはゴミ山が築かれつつある。

一人暮らしというものは存外大変で、掃除や料理、それこそゴミ出しひとつとってもいろいろ悩んだりする。

もうじき黒くて足の速い虫が湧く時期なので、気が重い。

 

「あの、よかったらお掃除の手伝いを・・・・・・」

 

「なるほど、掃除を口実にして俺を誘っているのか。案外ドスケベだな」

 

「ドすっ・・・・・・?!ごほっ、ごほっ!」

 

「大丈夫か?」

 

一瞬で顔を真っ赤に染め上げた黛は、抗議の声をあげようとしてむせたようだった。

少しからかっただけでこんなに反応してくれから、とてもからかい甲斐がある。

背中を一、二度叩いてやると、ようやく落ち着いてきた。

 

「だ、大丈夫ではないです・・・・・・」

 

『謂われのない誹謗中傷には断固として戦う所存』

 

「すまない、ただの冗談だ」

 

藤枝にだって、黛が善意で申し出ているということはなんとなく察しがつく。

別に本気でドスケベだとか、むっつりとか思っているわけではない。

 

「それじゃ、今日来てくれるなら、片付けとく。あ、襲い掛かったりはしないぞ?」

 

「そ、その・・・・・・信用しますから」

 

『何かあっても藤枝っちじゃ返り討ちだってばよ』

 

「そんな信用いらねえなあ」

 

言いながら、藤枝は自分の仮住まいであるアパートへの地図をメモする。

バイト先のコンビニエンスストアのある、金柳街の近くだった。

風呂もトイレも部屋についているし、交通の便もいいのだが、四階建てでエレベーターがついていない上に築三十年の物件だったので妙に安かった。

 

「多分わかると思うけど、道に迷ったら・・・・・・ええと、青い建設会社の看板・・・・・・ああ、ここから見えるだろ。あれ。

 あのビルの下で待っててくれ。遅いようなら迎えに行くから」

 

「あ、はい。お世話になります。あまりアーケードの方には行った事がなかったので」

 

『一緒に行く友達いなかったしね』

 

「案内する。結構便利なんだ」

 

自虐ネタを華麗にスルー。

どの辺りが黛の好みだろうか、と金柳街をシミュレートしながら藤枝は地図を書き上げる。

金柳街はスーパーマーケットやコンビニをはじめとして、ゲームセンターや本屋など、学生のたまり場には事欠かない。

川神学園の生徒もご多分に漏れず、放課後を過ごす姿が見られた。

確かに、一人ぼっちでうろうろするのは少しばかり寂しい気分になるかもしれないが、友達はこれからいくらでも作ればいい。

それを手渡すと、示し合わせたかのようにホームルーム前の予鈴が鳴った。

 

「お、そろそろ時間だ。戻ろう」

 

「はい。え、えっと・・・・・・」

 

電話番号と自宅までの地図が記載されたメモを見て、黛はうれしそうに口元を緩めた。

そして、彼女は少しだけ考えるそぶりをみせて、顔を上げる。

 

「ほ、放課後、楽しみにしてますねっ!」

 

立ち去る後姿を見送り、何となしに窓を開けてみれば、南風が吹き込んできた。

新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込むと、いろいろな感情がわき上がってくる。

藤枝はそんな、興奮とか、期待とか、そういった感情をひっくるめて、青春だと呼ぶことにした。

 

 

 

 

 

 

 



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第六話

展開に困り続けて早半年。
気づけばニューベガスとスカイリムのプレイ時間も両方二百時間を超えていました。


 

 

 

 

「なあ、昨日の深夜アニメ見た?」

 

下校中、同じく駐輪場へと足を向けていた柏木が問いかけてきので、藤枝は昨夜のことを思い出した。

ビデオに録画予約した番組は全部で三本。午後の再放送ドラマと映画、深夜アニメだ。

今時VHSを使っている人間がどれだけいるか知らないが、藤枝が実家から持ってきたものだった。

 

「まだ見てない。録画した」

 

「どれを?」

 

「萌え萌え新撰組」

 

「萌え萌え新撰組は名作だよな!今回の戊辰戦争編もいい出来だぜ」

 

萌え萌え新鮮組みとは、昨今流行している、歴史上の偉人がもし○○だったら~的なアニメーションだ。

単純明快なコンセプトで、新撰組の隊士が美少女だったら、というもの。

新米隊士である名称不明の主人公(一度も名前を呼ばれないし、顔も影になって映らない。声もついていない)が、近藤勇や土方歳三をモチーフにした美少女たちと幕末の時流に抗う物語。

基本的にふざけたノリの癖に、大まかな話の流れは史実どおり進むので、結構シリアスだったりする。

グッズの売れ行きも好調で、今年の冬には劇場版が公開された。現在放送しているものは二期だった。

 

「ああ、劇場版がスゲー売れたから、今度誰得な実写版になるらしいな。現役アイドルグループとハリウッドの原作レイプ部隊の夢のコラボレーション」

 

「その話はやめろ」

 

「まあ、帰ったら見るかな」

 

黛に夕食をご馳走になる約束があるから、その後になるだろうが。

藤枝はそれほど熱心なファンではなかったが、軽妙なかけあいがなかなか面白いと感じていた。

今日の回は淀千両松の戦いが描かれる筈だった。

 

「俺もう見たぜ」

 

「ああ」

 

「今回はあそこが特に面白かったんだよな、あの新政府軍の」

 

「その話は明日にしろ」

 

ネタバレは禁止。

大体の流れは他の新撰組のドラマやら小説やら漫画やらで知ってはいる。

だが、それとこれとは別だ。演出ひとつ、台詞ひとつとっても、新鮮さが薄れてしまう。

 

「えっと、あの・・・・・・」

 

「ん、大和田さんじゃん。ごめんごめん・・・・・・そんじゃあ、また明日」

 

クラスメイトの大和田伊予が、遠慮がちに〝通行の邪魔だ〟と意思表示をしていた。

確かに、駐輪場の通路の真ん中で話していたから、通行の邪魔になってしまっていた。

道を開けて柏木が挨拶すると、軽く挨拶を返してくれる。

 

「あっ、うん。また明日」

 

「またねー」

 

でかい男二人が話していたら、女子からしたら注意しづらいかもしれない。

こんなんじゃ〝これだから男子ってダメねえ!〟とか言われてしまいそうだ。

 

「じゃーな」

 

「おう、またな」

 

そして、柏木は一足先にマウンテンバイクを駐輪場から探し出すと、自転車を押して去ってゆく。

 

「・・・・・・どこにとめたっけ」

 

早朝の記憶を引っ張り出そうとするが、今朝はいろいろあったので上書きされてしまっている。

一年の場所で、C組の生徒のものが多く止まっている場所を探す。

そして、いくつもの自転車が道を塞ぐように停められていた場所に藤枝の自転車はあった。

実家から持ち出したシティサイクル、いわゆるママチャリだ。五段階変速機付き。

引っ張り出して、鍵を差し込み、鞄をかごにつっこみ、またがる。

揺らめく短髪、流動する空気に体温を奪われる感覚に包まれながら、藤枝は校門を潜り抜けた。

 

 

 

 

 

 

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

夕方と呼ぶにはいささか早い。

地元の学生や若者たちで埋め尽くされたアーケードを、藤枝は大荷物抱えながら歩いていた。

すわサンタクロースかと言うような、クリーニング屋で貰った巨大なビニール袋を片手で二つ背負い、もう片手には五十センチ以上積み重なった古紙を提げている。

 

「・・・・・・重い」

 

当然、重い。

指に食い込むビニール紐が痛くなって、いったん下ろしてから逆に持ち直す。

一人暮らしとはいえ先進国の青少年。

弁当を食べれば弁当箱がゴミになり、ジュースを飲めばペットボトルがゴミになる。

一ヶ月間の生活で排出されたゴミの量は決して少なくない。

燃やせるゴミなどは指定ゴミ袋がいっぱいになる前に腐臭を放ち始めるので頻繁に出すが、資源ゴミは貯まる一方だった。

 

「二回に分けりゃあ良かったかも・・・・・・」

 

昼にそんなことを黛に話すと、スーパーマーケットのサービスを紹介された。

きちんと縛った古紙や、洗ったペットボトルやトレーといった資源ゴミを回収する為に、専用のボックスを設けているらしい。

最近では大体どこのスーパーでもやっていて、藤枝の自宅から最寄の大手チェーンでもやっているそうな。

家事が出来る人は、目の付け所が違うらしい。

感心しながら荷物を抱えなおして道を行く。急ぐと縛った古紙がズレてぶちまきかねないので、ゆっくりと。

 

「おわっ」

 

「あ?」

 

前から歩いてきた男にぶつかりそうになってしまった。

六人の集団で、端を歩いていた一人が仲間とのふざけあいで横に飛びのいてきたからだった。

反射的に藤枝は避けたが、電柱の金具にビニール袋を引っ掛けてしまい、無数のトレーが路上にぶちまけられてしまう。

 

「なんだよ、気をつけろ」

 

「ん、ああ・・・・・・悪いな」

 

気をつけろとはそのままブーメランにして返してやりたいぐらい腹の立つ言い草だが、一応口先だけで謝っておく。

トラブルはごめんだ。暴力はいけない。

 

「・・・・・・チッ、腰抜けが」

 

男は舌打ちひとつすると、トレーを拾い集めるために地面に置いたペットボトルの袋を蹴り飛ばしてから背を向けた。

心底鬱陶しかったが、藤枝としてはこれ以上絡んでこなければそれでよかった。

ここ川神は、若者の町らしくあの手の連中が多い。

それに、藤枝の自宅は私鉄の近くであり、アーケード街である金柳街に近かったが、そこから二百メートルも歩けば、親不孝通りとあだ名される風俗街も存在した。

あだ名どおり、親不孝者たちがたまり場としていて、治安は近辺でもすこぶる悪い。

 

「何してんのよ」

 

「ん?」

 

散らばってしまったペットボトルと、トレーをかき集めようと屈んだところで真上から声がかけられた。

見上げれば、最近よく見るブルマ姿。今日はパーカーを羽織って登場。

そいつは、妙に据わった目で藤枝と、彼に絡んできた男を代わる代わる見てからもう一度言った。

 

「何してんのよ。この程度のヤツ相手に」

 

「はあ?」

 

「よせよ。そっちこそ何言ってんだ」

 

何にイラついているのか、わざと聞こえるように言うもんだから、男は反応して戻ってきた。

藤枝を通り過ぎ、ブルマ・・・・・・ではない。武蔵の前へ。

眉間にしわを寄せ、今にもポケットからナイフでも抜きそうな目で武蔵を見下ろす。

 

「今なんつったテメエ」

 

「アンタ、プライド無いわけ?」

 

完全無視。男には目もくれず、武蔵は藤枝に詰め寄る。

気持ちの悪い、不可解な生き物を見るかのような、心底不愉快そうな表情だ。

 

「女の癖に俺を無視してんじゃねえッ!」

 

当然といえば当然だが、挑発された上に無視を食らえば黙ってはいられまい。

男は、ぷっつん、と聞こえてきそうなぐらい顔を真っ赤にして武蔵につかみかかろうとする。

しかし、あっさりと伸ばした両手は払いのけられ、腕をひねり上げられる。

 

「あっ、てめっ、痛え、痛い痛いやめろッ!」

 

「正当防衛だからね」

 

手を離して背中を押すと、男はぺたんと地面にひざを付いた。

怪我のひとつもしていないが、プライドはいたく傷ついたようで、彼は人でも殺しそうな目で藤枝と武蔵を睨んでいる。

彼と一緒に歩いていた者たちも、仲間が虚仮にされたことに表情が変わる。

一触即発。臨戦態勢に入ってしまった。

たった今あしらわれた男も含め、相手は六人。内一人は別格に体格が良い。多勢に無勢だった。

 

「リュウさん、この女オレらで貰ってもいいっすか」

 

「好きにしろ・・・・・・俺はこっちを貰う」

 

「ふふん、上等じゃない。かかってきなさ「これ持て」え?おわっ!?」

 

そうとわかれば即座に撤退。

たった今かき集めて破けた箇所を縛ったビニール袋をひとつ武蔵に抱えさせ、藤枝は片手にビニール袋を持ち、もう片方の手で古紙を抱きかかえる。

そして、逃走。

武蔵の手を引いてブティックと薬局のビルの隙間に入り込む。

 

「逃げるぞ!」

 

裏路地を疾駆する影二つ。それを追いかける影六つ。

裏路地というものは入り組んでおり、不潔で、狭い。

こういった場所では地の利というものが最大限に発揮される。

目的地までの最短ルートを走るのではなく、なるべく以前通った路地を通らず、退路を残しつつ、見通しが悪く多くの分岐のある場所を通るのが逃走のコツだった。

 

「何で逃げてんのよッ!あの程度・・・・・・!」

 

「お前その格好で喧嘩する気かよバカ!」

 

「バッ、バカとは何よ!バカにバカ呼ばわりされるなんて!」

 

「おいっ、待ちやがれクソガキ!」

 

「あっ、クソっ。ちょっと黙れバカ!」

 

「もがっ!?」

 

男が一人、藤枝たちを指差して叫んでいた。騒いだせいで見つかってしまったらしい。

藤枝は抱えたゴミをビルの非常階段の裏に目立たぬよう投棄すると、すぐさま武蔵を肩に抱えあげ、もう片方の手で口を塞ぐ。

 

「舌噛むなよ!」

 

そして再び脇道へと紛れ込み、じっくり数分かけて逃走を行う。

時に階段を上り、建物の内部を通り、階段を下りて、闇にまぎれる。

やがて、相手が疲れてきた頃を見計らい、先ほどゴミを投棄したビルディングの階段脇に隠れ、近くの外の大通りに出る路にあるものを置いた。

 

「・・・・・・」

 

「くそっ、逃げ足速ぇぇ・・・・・・」

 

息を潜めていると、先ほど揉めた男達の一人が何かを見つけたようだ。

ほかでもない、藤枝が仕掛けておいたものだった。

 

「・・・・・・おっ、あいつのか? もらっとくか・・・・・・やれやれ」

 

彼はこれ見よがしに落ちていた小銭入れを拾うと、もう一度だけ周囲を見回してから大通りへと抜けていく。

駅の方に逃げたみたいだ、と、携帯で連絡をとっている声も確認できた。

もう戻ってこないことを確認すると、藤枝は警戒を解く。

進路と思考を誘導する為に置いておいたものだが、効果覿面だったようだ。

だが、二時間ちょっと働いて得たバイト代と財布が無用のトラブルに消えたことが腹立たしい。

 

「はーーっ」

 

「・・・・・・」

 

内臓まで出てくるんじゃあないかと思うぐらい藤枝は大きくため息を吐いた。

怪我をしなかった、させなかったのは不幸中の幸いだが、顔を覚えられたり、恨みを買ってしまったりしたかもしれない。

それに、藤枝はブレザーこそ脱いでいたが、ズボンで川神学園の生徒だとわかるし、武蔵に至ってはブルマだ。モロバレ。

 

「もう行ったみたいだ・・・・・・おい、武蔵」

 

「・・・・・・」

 

返事が無い。

返事の変わりに身じろぎし、近くにあった缶専用のゴミ箱が小さく音を立てた。

 

「・・・・・・ん?ああ、すまん」

 

見れば、顔を真っ赤にしている。

理由は簡単。うるさいから手で口を塞いでいたのだ。藤枝も藤枝でいっぱいいっぱいだったので忘れていた。

呼吸が出来ないらしく、弱弱しくもがいている。

 

「大丈夫か?」

 

「・・・・・・はーーーーーっ。プッレーミアムな人生の走馬灯が見えたわ・・・・・・」

 

「すまない。騒がれたらまずい事になってたからな」

 

下手に騒いだりして見つかれば囲まれる。

人目が無ければ何をするかわからないし、誰も助けもきてはくれない。

人通りの少ない路地裏に逃げるというのはそういうことだった。

ただ、土地勘があるのでほぼ確実に連中を撒く自信はあった。

それに、あの時は一秒でも長く姿を見られたくなかったのだ。

そう説明しながら、藤枝は小銭入れを拾い直し、古紙の束の上に腰を下ろした。

 

「・・・・・・余計なお世話よ。というか、どさくさに紛れて胸をさわったわね!」

 

「きみは、自意識過剰だ」

 

「うるさいっ」

 

悲しい目をして、噛んで含めるように言うものだから、藤枝の言葉には真実味があった。

確かに少し自意識過剰だったかもしれない、と武蔵は思い直す。

 

「胸と言えるほどのものではなかった」

 

「殺すわ」

 

手近な凶器を探した。

なかった。

 

「すまん。ただの冗談だ。ほんの一瞬腕が当たっただけだろう。ジュース奢ってやるから勘弁してくれ」

 

「ジュース一本分の価値、って言ってるように聞こえるんだけど」

 

「・・・・・・きみは、自意識過剰だ」

 

「どっちの意味よ!」

 

言いながら、武蔵は脛を蹴り飛ばそうとする。

だが、足を上げられてあっさり靴底でつま先を受け止められてしまうと、彼女は悔しげに口の端をゆがめた。

 

「あの情けない姿見て、アンタに負けっぱなしなのがますます我慢ならなくなったわ。再戦しなさいよ」

 

「さっきみたいに、余計なことに首突っ込まないって約束するなら、幾らでもやってやるよ」

 

「あれは・・・・・・」

 

言いかけて、口をつぐむ。

先ほどの事は、他人が売られた喧嘩に横から首を突っ込んだも同然だった。

相手に非があろうと、因縁つけられた当人が丸く治めようとしていたのをぶち壊した以上、正義も道理もない。

いくらか冷静になってきたのか、武蔵は視線を落として黙り込んだ。

 

「ほらっ、アイスでも奢ってやるから、スーパーまでそれ持ってくの手伝ってくれないか」

 

藤枝は意識的に明るい声を出して、武蔵を促した。

灰色で鋭角に切り取られた空を見あげれば、空が赤くなり始めていることに気づいただろう。

もうすぐ、黛との約束の時間が迫っていた。

 

 

 

 

 



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第七話

GTA5面白いっすね


※私がにじファンで書いていた川神市逗留記の内容覚えてる方がいるとは思いませんが、携帯電話のやり取りは一部流用してます。


 

 

 

 

 

「なんだ・・・・・・さっきはキツく言ったが、あんまりくよくよしなさんな。懲りないところがきみの長所だと思うぞ」

 

「バカにしてる?」

 

≪~~♪≫

 

スーパーでゴミ出しを終え、自宅への帰り道。

どこまで着いてくる気なのかは知らないが、すっかり機嫌を損ねてしまった武蔵をどうしたものか藤枝は悩んでいた。

適当な言葉を並べながら考えていたところで、不意に能天気なメロディーが辺りに鳴り出した。

どこからだ、と一瞬焦って周囲を見回したところ、音の発生源は藤枝のポケット。

携帯電話の着信音だった。

 

「ちょっと失礼・・・・・・もしもし」

 

≪そ、その・・・・・・・・・・・・ふっ、ふじっ・・・・・・・・・・・・・!≫

 

「あの」

 

≪・・・・・・・・・すーーー、はーーー、すーー・・・・・・・・・・・・≫

 

ぶつ切り。通話時間は九秒。通話相手は非通知。

呼吸音を聞かせて何が楽しいのかはわからないが、気持ち悪い。

おそらくいたずらだろうと藤枝はあたりをつけた。

着信拒否のやり方はどうだったかな・・・・・・と、先日読んだ筈のマニュアルを思い出そうとする。

しかし、ポケットにしまうよりも早く、再度携帯電話は鳴り出した。

 

「もしもし」

 

≪あっ、あのっ、まっ、ま、黛由紀江でしゅ!≫

 

「ええと、その・・・・・・うん。藤枝です」

 

≪あのっ、そのっ、初めてお友達に電話をかけるので、その、緊張してしまいまして・・・・・・≫

 

「さっきのも?」

 

吐息を聞かせてきたのも黛だったらしい。

 

≪は、はい。すみません・・・・・・≫

 

≪いきなり着信拒否されたかと思ってまゆっち、めっちゃ落ち込んだんだってばよ。

 リダイヤルする時のあの凄絶な覚悟には全米が涙したよ。木製のオラでさえ目頭が熱くなったね≫

 

「いや、すまない。今どこにいるんだ?」

 

≪あっ、建設会社ビルの前のコンビニです。その、地図の見方がよくわからなくて≫

 

建設会社前というと、今朝約束を取り付けた際に目印にした高層ビルのことだった。

高層ビルの正面玄関は今藤枝が武蔵と歩いている通りに面している。

振り返って目を凝らしてみれば、ビル対面のコンビニの公衆電話には、長いものを背負った女性の姿が見えた。

 

「ああ、わかった。今すぐ迎えに行く」

 

それだけ言って通話を切ると、藤枝は後ろについて来ていた武蔵をちらりと振り返る。

これから約束があるのだ。放り出していくことは手頃な選択肢ではあったが、精神衛生上憚られた。

五秒だけ考えると、藤枝は彼女に提案をしてみる。

 

「夕飯、どうだ。手伝ってくれた礼ってことで」

 

 

 

 

 

 

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・

 

 

 

 

 

 

四階建てのアパートには、経年劣化を思わせるペンキのひび割れが何本も走っていた。

駅からほど近いと言っても、今時エレベーターのひとつもない物件はあまり好まれない。四階に入居していたのは藤枝のみだった。

鍵を開けて友人二人を通すと、黛が持ってきていた荷物を降ろす。

ずっしりと重量感たっぷりの保冷バッグだ。

 

「ふー、すごいな。どれだけ入ってるんだ?」

 

「えっ?!そ、そのっ、持っていただいてすみません!」

 

「いや、別に責めてるわけじゃない」

 

単に何が入っているのか気になっただけで、他意はない。

そもそも、黛が肩からでかいバッグをかけていたから、貸せと言って半ば無理やり持ったのは藤枝だった。

何をそんなにびくびくしているのか。

 

「ああ、もしかして緊張しているのか。人見知りだったもんな・・・・・・」

 

「い、いえ、そんなことは・・・・・・!」

 

「すまない、友人を連れてきたんだ。ほら、あれだ。同級生の武蔵小杉。女の子の友達も居た方がいいだろ?」

 

お為ごかしを宣いながら、藤枝は空き部屋のダンボールからクッションを二つ取り出して持ってきた。

いささか時代遅れな、流行から外れた間取りのリビングにはちゃぶ台とテレビと座椅子がおかれている。

小さな窓から吹きこむ風にカーテンが揺らめくたび、赤い西日が部屋へと入り込んだ。

 

「友人じゃないけど」

 

「友達以上でも未満でもいいから、ほらほら座れって!ああ、トイレはそこ。ところで、電磁調理器あるけど、カセットコンロとかいる?」

 

「あ、一応持ってきました。寄せ鍋にしようと思ったので」

 

『藤枝っちの家に何あるか聞かなかったから、寮で下ごしらえしてきたんだぜ』

 

言いながら、黛は保冷バッグを開けて見せる。

中身は食べやすいサイズに切った食材だった。

流石に豆腐などはそのままだが、白菜や葱などは既に食べる形になっている。

 

「よく出来た嫁だ」

 

『嫁いでないよ?』

 

「嫁いでないです」

 

ちょっとした冗談のつもりだったが、すげなく切り捨てられてしまった。

藤枝は曖昧な笑みを浮かべて見せると、視界の隅で武蔵が少し興味深そうな顔をしていることに気がついた。

黛もそのことに気がついたようで、きょろきょろと視線を動かしながら、恐る恐るといった様子で武蔵に話しかける。

 

「あ、あの・・・・・・S組の武蔵さん、ですよね」

 

「え、そうだけど・・・・・・って、怖っ!」

 

恐る恐るというか、恐ろしい顔をして話しかけていた。

 

「黛は美顔体操のしすぎで顔面筋肉痛なんだよな。後こいつは松風って言って、確か所持者の世間体以外に害は無いタイプのSCPなんだっけ?」

 

『そんな設定ねーよッ?!ってかヒドくね?!』

 

「取り合えずそういうことにしておこう」

 

日常的に腹話術的な要領で、携帯ストラップと漫才を行うことと、緊張のあまり挙動不審な行動を取り、肉食獣が獲物を見るような目で相手をねめつけてしまうことを、どう説明したら理解を得られるというのだろう。

少なくとも、藤枝には気の利いた言い訳が思い浮かばなかった。

 

「うぅ、そういうことにされました・・・・・・ではなくて、そのっ・・・・・・」

 

「その?」

 

「よ、よかったら、とっ、ともっ・・・・・・」

 

「とも?」

 

「え、ええと・・・・・・たくさん持ってきましたから、遠慮なさらず召し上がっていってください!」

 

「今ヘタれなかった?」

 

『ヘタれてないよー。ぜんっぜんヘタレてないですよー』

 

言いながら黛は食材をちゃぶ台の上に並べる。

海老、帆立、蟹、白菜、長ネギ、春菊、エノキ、シメジ、肉団子、豆腐。

言うとおりたくさん持ってきたようだった。煮えれば体積は変わるだろうが、それを考慮に入れても多い。

武蔵はそんな黛の様子を眺めると、ひとつため息をついた。

 

「それじゃあ、いただくわ」

 

「はいっ!」

 

『友達作るにはまず胃袋からってまゆっちの母ちゃんが言ってた!』

 

小芝居しながら、黛は持参したカセットコンロを手早く組み立てた。

そして、同様に持参したブ厚い鍋を布巾で拭いてセット。

既に下ごしらえは済んでいるらしいので、後は材料を手順通りに投入するのみ。

 

「いやー、ありがたいなホント。鍋なんていつ振りだろう」

 

「料理はされないんですか?」

 

「さっぱり。それこそ冷蔵庫も空っぽ・・・・・・いや、少しは入ってるか」

 

座椅子から立ち上がり、藤枝はダイニングのシンクの脇に設置された小型冷蔵庫を漁った。

中身は1.5Lダイエットコーラが一本、2Lウーロン茶が一本、牛乳が一本、500MLジンジャーエールが三本。

牛カルビ弁当が一つ、五目餡かけ焼きそばが一つ、サラダが各種合わせて三パック、そしてサンドイッチがハムサンド、玉子サンド、それぞれ一つずつ。

チルドルームには中華クラゲが一パック、使いかけのレタスとタマネギ、人参が。

食生活は推して知るべし。

そして、冷凍庫を覗いたところで、先ほど武蔵に言った事を思い出した。

 

「おい武蔵。冷凍庫にアイス入ってるから食べていいぞ。ただし、晩御飯の後な」

 

「いらないっちゅーねん」

 

「・・・・・・」

 

「ああ、もちろんきみもいくらでも食ってくれよ」

 

『ちゃうねん!』

 

「べ、別にそんなつもりで見ていたわけでは・・・・・・!」

 

黛が気になったのは、藤枝がわざわざ武蔵だけ名指しして言ったことで、ほんの好奇心だった。

別にアイスが大好物だから、私にもくれないかなー、とか思っていたわけではない。

ねだったような形になってしまって、赤面する。

 

「遠慮しないでくれ。そうだ、ご飯はいるか?一応冷凍したのがあるんだ」

 

「うどんを持ってきてありますけど・・・・・・武蔵さんはどうしますか?」

 

「えっ?どちらかと言えばご飯も欲しいけど」

 

「それなら、私もいただいていいですか?」

 

『えっとー、オラの分と合わせて茶碗一杯分ぐらいかなー』

 

「それじゃあ・・・・・・三つ温めておくか」

 

藤枝は一番自宅の家電で酷使されている電子レンジを開け、三つ冷凍されたおにぎりを並べる。

あたためを二回押し。温まるまで解凍にはしばらくかかるとの電子表示が出た。

それまでテレビをつけたり、会話をしてもよかったが、客に鍋を作らせている脇でそれは少し憚られる。

そこで、藤枝は同じく暇そうに部屋を眺めていた人間を呼びつける。

 

「武蔵、ちょっと来てくれないか」

 

「あによ」

 

『チラッ』

 

「チラチラッ」

 

「いや、気にしないでくれ」

 

「すみません・・・・・・」

 

こういった機会を今の今までほとんど持てなかったから、黛は周囲の人間が気になってしかたないようだ。

一人にやらせてばかりで悪いからな、とだけ言って、藤枝は保冷バッグの中身をちょろっと覗く。

そして残りの食材などが無いことを確認すると、ほとんど空の食器棚を指差した。

 

「サラダ出すから、きみは食器並べてくれ。箸は・・・・・・割り箸でいいか?」

 

「わかった」

 

やはり手持ち無沙汰だったらしく、武蔵は素直に食器をちゃぶ台へと運び始めた。

藤枝も冷蔵庫の中からサラダを出し、ちぎったレタスと一緒に三つの小皿に盛り付ける。

男と同じ皿をつつくのは、ひょっとしたら女の子は嫌がるかな、と思ったからだった。

そして、最後にコップとジュースを運び終えると、そろそろ鍋も煮えてきたようだ。

 

「これは美味そうだな」

 

「黛さんって料理得意なんだ」

 

「はっ、はい、料理は母に習ったものでして、その・・・・・・どうぞ召し上がってください!」

 

 

 

 

 

 

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・

 

 

 

 

 

 

腹もくちて、録画した再放送ドラマをのんびり眺めながら、インスタントの緑茶を啜る。

ベテラン俳優の演じる壮年の刑事が、淡々としながらも確実に犯人を追い詰めていた。

 

「この人超カッコいいよな」

 

「私はどっちかって言うと相棒の人のほうが好みだけど」

 

「スマートで格好いいですよね」

 

「皮肉っぽいけど、実は涙もろいところも可愛いのよねー」

 

「あっ、わかります!」

 

食事前の居心地の悪い空気もどこへやら。黛と武蔵は好きな俳優や役柄のことできゃあきゃあ話し始めた。

ひざ突き合わせて食事して、一緒にテレビを見れば女というものは仲良くなれるのかもしれない。

思い返せば、藤枝にもテレビの話題で盛り上がって仲良くなった友人は少なくなかった。

ひょっとしたら、男もそうかもしれない。

 

「・・・・・・寄せ鍋、美味かったよ?」

 

疎外感を感じたからか、藤枝は食事中に散々言っていたことを再び口にした。

藤枝が用意したサラダは良くも悪くも普通のコンビニサラダだったが、寄せ鍋はとても美味しかった。

魚介類や肉団子から出た出汁が美味くブレンドされ、その旨みが野菜に染み込んでいた。

武蔵も藤枝と同意見らしく、頷いて偉そうに評価する。

 

「うん、なかなかね。少し食べ過ぎたかも・・・・・・」

 

「そう言っていただけると嬉しいです!」

 

「・・・・・・最近、少し借りを作りすぎたわね」

 

思い出したように言うと、武蔵は細い顎に指を当てて考え込んだ。

先日の土曜日の昼には、藤枝から半ば押し付けられた形だったが肉まんとコンビニ弁当をご馳走になった。

そして、今さっき黛の作った寄せ鍋をご馳走になって、貰ってばかりでは流石に気がとがめると言うもの。

大抵の人間には返報性なる習性が備わっており、武蔵小杉も例外ではなかった。

 

「そうだな。俺からも奢って貰ったしな」

 

「賞味期限切れのコンビニ弁当と肉まんだけどね」

 

「美味かっただろ?」

 

「まあ、不味くはなかったわ」

 

「コンビニチェーンの中では一番美味い筈なんだけどな・・・・・・まあ、比較対象にはならないか」

 

藤枝は、バイトするならば絶対あそこだ、と川神に越してくる前から決めていた。

いわゆる定番商品が多く、安定して美味いものが並べられている。

小学校、中学校時代、晩御飯の都合がつかない時に散々弁当を食べてきたので、やろうと思えばレビューさえ書ける。

とはいえ、今食べた寄せ鍋の味に比べたら、否、今言ったように、比べ物にならない。

 

「いい物食わせてもらったからな。俺も何かお礼しないとな」

 

「いっ、いえ。お友達になってくれた記念ですから、お礼されては・・・・・」

 

「えっ、友達になったのを恩に着せてるの・・・・・・?」

 

「そんな、邪推も甚だしい。おい、そんな人間性を疑うような眼差しを向けるんじゃない」

 

「ちっ、違うんです武蔵さん、これは私から言い出したことですから!本当です!」

 

「・・・・・・」

 

藤枝になおも疑惑の眼差しを向ける武蔵。

気弱そうな黛が過剰にフォローしようとするのも、その疑念の一因となってしまっていた。

 

「俺はそんなに酷い男に見えるのか?」

 

『藤枝っち、ムサコッスに恨まれるようなことでもしたん?』

 

「ううむ・・・・・・」

 

松風を通して投げかけられた言葉に、藤枝は眉間に指の付け根を当てる。

あるといえばあるような、無いといえば無いような、言語化するのがどうにも難しい。

あるいは、単に負けたのが悔しいからか、生理的な不快感があるのかもしれない。そう決め付けて思考停止してしまえば、単純明快で楽だった。

 

「誰がムサコッスか!・・・・・・っていうか、さっきから聞こうと思ってたけど」

 

『え、何?友達いない暦ゼロ年のまゆっちに何か質問?』

 

「その・・・・・・何?・・・・・・その・・・・・・腹話術?」

 

正直言って引くんだけど、とは言わず、含ませるだけで言葉尻を濁す。

本人を目の前にして、歯に衣着せずに言ってしまわないだけの情けが武蔵小杉の心にも存在した。

 

「いえ、松風は付喪神でして」

 

「・・・・・・ふーん」

 

「あうぅ・・・・・・」

 

『この冷たい返しもしかして流行ってんの?』

 

「何のこっちゃ」

 

藤枝が似たような返答を先日行っていたことを、武蔵は知らない。

彼女はしばらく黛の、顔やら松風やら刀やらをじろじろと眺め、もう一度顎に手を当てて考えるそぶりを見せた。

そして、数秒の思索から意識を引き上げると、武蔵は黛に再度問いかける。

 

「黛さんってお昼ごはん、どこで誰と食べてるわけ?」

 

「え?ええと、普段は校舎裏のベンチで・・・・・・一人で、です」

 

詰問するような口調だったから、少しだけ黛も怯んだようだった。

それ以上に、入学してから二週間以上の間一人ぼっちで、目立たぬ日陰で食事を取っていたことを再確認して泣きそうになる。

 

「それなら、今度一緒に食べましょ。そうね・・・・・・明後日がいいわ。明後日のお昼、私が作って持ってくるから」

 

「え・・・・・・いいんですか?」

 

「恩を受けて返さないようじゃ名が廃るってもんだし。他のがいいなら聞くけど」

 

「い、いえ!とんでもないです!お友達とお喋りをしながらすごす昼休み・・・・・・こんなに嬉しいことはありません!」

 

『やったねまゆっち!』

 

黛のあまりの喜びように戸惑い、武蔵は視線をそらし、頬を指先でかく。

積極的に友人を欲したことはなかったから、友達とお喋り云々は、彼女にとってはその程度のことでしかない。

しかし、喜ばれて悪い気はしなかった。

 

「そ、そんなに嬉しいの?私と一緒にお弁当食べられて?」

 

「その、実は武蔵さんのこと、教室でもいつも話題に上っていてうらやましいと思っていたんです」

 

「・・・・・・ま、まあ?そうよね!私ぐらいプッレーミアムな人間になると、話題も独占しちゃうわよね!」

 

「ああ、彼女いつも体操服だよなー、とか、あの触角で何を感知してるんだろうなー、とか話してるよ」

 

褒められて調子に乗った武蔵を見て、藤枝のいらないいたずら心が刺激された。

からかい半分ではあったが、そういった話題は確かに人の口に上ったことがあった。

他には、スリーサイズどのぐらいだろうな、なんて話題も一度か二度あったが、言うことはなかった。

デリカシーが無いのは仕方ないにせよ、白い目で見られることを好むわけではない。

 

「表出なさい」

 

「ふ、藤枝さんっ!」

 

「すまない、冗談だ。実際はまあ、決闘がどうとか、入試で一番だったとか、そんなんだな」

 

「そ、そういえば、先日の決闘はどうなったんですか?」

 

「・・・・・・」

 

黛の問いに、武蔵の眉がぴくりと動いた。

そして、すうっと細くなった眼差しで藤枝の顔を見つめる。

今さっきまで忘れていたが、今日武蔵が不機嫌だった理由の最たるものが、そのことだった。

S組を掌握してからこの方、連日勝利を重ねてきた武蔵小杉がC組の藤枝平馬に負けた。

そのことを学園の者達が誰も知らない。

虎視眈々とトップの座を狙うクラスメイトたちにこき下ろされることさえ覚悟していたが、拍子抜けだった。

 

「何で誰にも言ってないわけ」

 

「それは俺の勝手だろ?」

 

「話を逸らした先に地雷があるなんて」

 

『この時のオラたちには、知る由もなかったのでした』

 

「・・・・・・気が抜けたわ」

 

武蔵は眉間のしわを解いて、ため息をついた。

一方、黛は一触即発状態が解除されて、ほっと一息、という様子だ。茶化したつもりはなかったが、結果としてそうなった。

ひと時弛緩した空気が流れると、武蔵は窓越しにすっかり暗くなった空を眺め、そして壁掛け時計に視線を移す。

既に時計の針は六時半を回り、夕暮れから夜へと移り変わろうとしていた。

 

「それじゃ、そろそろ帰ろうかしら」

 

「あ、私も門限がそろそろなので・・・・・・」

 

『規則破りとかまゆっちのキャラじゃないしね』

 

寮生活を営むならば、規則を無視するわけにはいかなかった。

少し名残惜しそうにしながらも、黛は自分の荷物を確認して立ち上がる。

藤枝も火元の確認だけすると、ジャンパーを羽織って黛が手にするよりも早く保冷バッグを担ぎ上げた。

中身はついさっきこの場にいる三人で消費され、行きよりもずっと軽かった。

 

「送る」

 

「道はもう覚えましたから、心配ありませんよ」

 

「そう言うなよ。あれだ、急にひとりになるとさびしいからな。送らせてくれ」

 

『あっ、藤枝っちもそういうことあるん?まゆっちもそう』

 

「ま、松風!」

 

単なる口実だったが、黛にとってはとても共感できるところだったらしい。

松風と小芝居を行う黛を、藤枝が生暖かい目で見つめていると、そんな二人を武蔵は横切って玄関へと向かった。

彼女は、ブルマにパーカーの身一つだから準備などする必要もなかった。

 

「きみも送るから、少し待っててくれ」

 

「いらないわ。駅まですぐだし。黛さん、今日はありがとね」

 

「あ、はい。こちらこそ」

 

「あっ、おい・・・・・・俺には?」

 

言うだけ言って武蔵は去っていってしまう。

アパート裏の非常階段から降りたようで、少しの間、金属を踏む軽快なリズムが響いていた。

 

 

 

 



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第八話

颯爽更新


 

 

 

 

夜の街を一人の少女が歩いていた。

ネオンがともり始めた街中に、人並みよりも優れた見目に特異な格好はいささか目立つ。

誰あろう、武蔵小杉だ。彼女は今日一日のことをぼんやりと考えながら、駅までの道を辿っていた。

ふと、人通りの多い道で一度振り返るが、顔見知りの顔はひとつもなかった。

 

「はあ・・・・・・」

 

ため息をつく。

朝には、少しばかり重たい足取りで登校すると、いつも通りのクラスメイトたちが待っていた。

どうやら決闘に敗北した、という事実はいまだ出回っていないようだった。

彼女もそのことに触れることはなかった。

プライドがそうさせたのか、あるいは別の何かがそうさせたのかは本人にもわからなかった。

ただ、いつも通りではない反応を覚悟していたので、肩透かしを食らった気分ではあったが。

 

昼休みには、藤枝平馬の様子をC組まで見に行った。

あのクラスには苦手意識があったので、さりげなくクラスの前を通るフリをしつつ、中を覗いた。

クラスメイトたちとくだらない話をしながら、コンビニ弁当をつついていた。

数日前に初めて会ったときから、捉えどころがないというか、どこか胡散臭い男だとは思っていた。

 

放課後には、部活が休みだったので自主トレを行った。

町内一周、というわけではなかったが、知っている場所を増やそうとも思っていつもと違うコースを走った。

その結果、無様をさらした藤枝を見つけ、面倒事に首を突っ込んだ。

普段の武蔵小杉ならば、遠目で見て、ろくでなしのろくでもないトラブルだと鼻で笑っただろう。

だが、今日はそうはしなかった。

単に、自分を負かした藤枝の老いた牛のような態度が気に入らなかったからかもしれない。

あるいは、そんな藤枝がへいこらする相手を打ちのめせば、自分の優位を証明できると思ったからかもしれなかった。

そうでもなければ、傍若無人なろくでなしどもに対する怒り、義憤によるものだろうか。

どれかといえば・・・・・・武蔵は再びため息をついた。

 

「あっ・・・・・・充電切れてる」

 

自宅に今から帰るとの連絡を入れようと、ポケットの携帯電話を引っ張り出すが、液晶は真っ黒なままだった。

思えば藤枝に食事に招かれた時、家族にメールを送ったのだが、その時既に電池残量は三分の一を切っていた。

あれから二時間は経っていたし、そんなものだろう。

 

「・・・・・・うーん」

 

周囲に視線を巡らせると、ガソリンスタンドと、その対面のコンビニが視界に入った。

コンビニには公衆電話があった。今時公衆電話自体の使用頻度も減っているだろうし、駅にも近いというのに珍しい。

電話だったら駅でかけてもよかったが、武蔵はコンビニに立ち寄ることにした。

思えば、今日は情報誌の発売日だったはず。

 

いらっしゃいませ、と愛想のいい店員の声に迎えられ、武蔵は商品を物色する。

目当ての情報誌を籠に入れると、その脇に並んでいた旅行雑誌にも目が行く。

どうやら、今若者の町として川神が人気らしく、特集が組まれているようだった。

 

「ふむふむ・・・・・・」

 

取り合えず、立ち読み。

パーカーにブルマの格好で、コンビニで立ち読みなど年頃の乙女の姿ではない。

人工島、大扇島の観光スポット、各種サービスなどが広告付きで載っていた。

夏になればもっと人が増えるだろう、と窓の外を眺め、武蔵は雑誌を元の場所に戻す。

そして新商品のプレミアムシュークリームを籠に追加して会計。

レジの学生バイトと思しき男がじろじろと見てきたが、気にせず店を出た。

 

「あっ、電話しなきゃ」

 

一人ごちて財布の中から十円玉を取りだす。

昔はテレホンカードを財布にいれていたが、携帯電話が普及して以降、使用する機械も、手に入る機会も少なくなった。

コンビニ横の駐車場、通りから陰になった場所にある公衆電話へと足を向ける。

ぽち、ぽち、ぽち、と自宅の番号をダイヤルしたところで、突如背後に気配を感じた。

 

「うぐっ?!」

 

「ぐっ?!っつう・・・・・・」

 

布で口を押さえられ、路地に引きずり込まれそうになった。

そう認識すると同時に肘撃ちを行う。幾度となく練習した技は、綺麗に〝敵〟の肝臓付近にめり込んだ。

布には薬品が染みこんでいたらしく、頭の中で火花が散りはじめた。

たたらを踏みつつも、なんとか武蔵は相手に向き合う。

 

「・・・・・・誰よ」

 

「・・・・・・」

 

だんまりを決め込む相手は、マスクとサングラスで顔を隠していた。

通りを歩けば即通報ものの、犯罪的な格好。路地から出て大声を上げれば、すぐに誰かが気づいてくれる。

いきなり襲われて、身の程知らずを手ずから痛めつけてやりたい気持ちもあった。

だが、武蔵は放課後の藤枝の言葉を思い出し、安全な手段を選ぼうとした。

 

「誰かっ・・・・・・?!って、むっ・・・・・・!」

 

しかしならず者には仲間がいたようだった。

ブ厚いスモーク窓の黄色いバンが彼女の退路をふさぐように路地に乗りつけてきた。

後部座席のドアが開くと、体格の大きな外国人らしい男が掴みかかってきた。

避けようとサイドステップ・・・・・・を踏もうとして、つんのめる。

先ほど嗅がされた薬物によるものだ。彼女に知る由もなかったが、粗悪な麻薬の類だった。

それが彼女の神経を暴走させていた。

 

「ケンチャン、コノオンナデショ?ボコル?ボコル?」

 

「そうだよッ、このクソアマがァ!」

 

顔を隠した男は武蔵の肩を掴み、壁に向かって突き飛ばした。

おぼつかない意識では立ち止まることも受身をとることも出来ず、肩から壁に激突してしまう。

萎えそうになる足を、なんとか踏ん張らせるだけで精一杯だった。

 

「このっ・・・・・・卑怯者・・・・・・!」

 

「このガキ!」

 

そんな相手にも、男は容赦せずに拳を振り上げる。

顔を殴られる、と相手の悪意を感じて武蔵は目を瞑った。

しかし、その暴力は悲鳴じみた何者かの叫び声で中断される。

 

「なっ、何してんだお前ら!警察呼ぶぞ!」

 

今さっきまで武蔵がいたコンビニのオーナーだった。

四十を過ぎたぐらいだろうか、彼は手にしていた缶のゴミ袋を必死に振り回してならず者たちに襲い掛かる。

 

「アウッ?!」

 

しかし、勢い余って腰をやってしまったらしく、へなへなと座り込んでしまった。

小声でおー痛い、おー痛い、と呟いている。

そこに無慈悲な蹴りが飛んできて、腰痛もちのコンビニオーナーはコンクリートの地面を転がった。

 

「クソがっ、さらっちまうぞ!」

 

「オラ、タテ!」

 

「・・・・・・放しなさいっ・・・・・・!」

 

流石にこれ以上目立ってはいけないと思ったのか、ならず者達は武蔵を連れてバンへと乗り込んだ。

中には運転手の男が待機していて、顔を隠した男と外国人の男の二人が武蔵を押さえつける。

彼女はいくらか暴れたが、そこは女の細腕。二人がかりで押さえつけられてはかなわない。

どうやって逃げるか、そんな考えも、再び口に押し当てられたハンカチからの薬品臭に意識ごと奪われていった。

 

「ええええ、えらいこっちゃ・・・・・・オーナー大丈夫っすか!?」

 

その一部始終を、コンビニから出てきた男が見ていた。

名は誠、姓は伊藤。川神学園一年C組のれっきとした日本男児である。

家計の足しに、とコンビニバイトに精を出していたのだが、まさか誘拐事件を目撃してしまうとは。

さきほどレジで会計した時に、S組の武蔵小杉だよなあ、と思っていた矢先のことであった。

伊藤はオーナーに駆け寄ると、コンクリートの地面に落ちた彼の眼鏡を拾い上げる。

 

「い、伊藤君・・・・・・俺は大丈夫だから・・・・・・!」

 

「は、はい!」

 

腰を抑えながらのた打ち回る姿は、とても大丈夫そうには見えなかったが、オーナーは確かにそう言った。

だが、警察に連絡して、という意味でそう言ったのだが、そこで伊藤は勘違いをした。

彼はスタッフ用の駐輪スペースにある自分の自転車の鍵をはずす。

 

「伊藤君・・・・・・?」

 

「追います!」

 

ママチャリに跨った伊藤は、風のような速さで車の後を追った。

 

 

 

 

 

 

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・

 

 

 

 

 

 

「一番好きなガンニョム何?俺エイジ」

 

「ロボットアニメにはあまり詳しくなくて・・・・・・しいて言うならターンエーでしょうか」

 

『まゆっちは不良漫画とかよく読むよ』

 

「松風、イメージが崩れるからそういう暴露はいけませんよ」

 

≪~♪≫

 

益体もない話をしながら川沿いの道を歩いていると、不意に藤枝の携帯電話が鳴り出した。

相変わらずの能天気なメロディーは、異性と歩く夜道には似つかわしくない。

 

≪ぜーーーー、はーーーー、ぜーーーー、はーーーー≫

 

反射的に携帯を取ると、聞こえてきたのは本日二度目の呼吸音。

携帯の通話画面を確認すると、伊藤誠、と表示されていた。

すぐさま切ろうかとも思ったが、一度目は松風から抗議を受けたので少しだけ待ってみる。

 

≪はーーーーー・・・・・・おい藤枝!ヤバイ!何がヤバイって・・・・・・ヤバい!うっ、うひょーーーー死にそう!≫

 

「ラリってんのか?」

 

≪違う!ドーパミンは出まくってるけど、本当にヤバいんだ!ええと、アレ!ブルマの・・・・・・≫

 

「武蔵小杉?」

 

≪そう、武蔵小山!あいつがさらわれた!今追ってるとこっ・・・・・・うっ、ごほっ、ごほっ!≫

 

「武蔵がさらわれた?おい伊藤、今どこだ」

 

名前が間違っていたが、訂正するよりも遥かに重要な点が会話の中にあった。

さらわれた、と伊藤は確かに言った。誰に、と藤枝は考えを巡らせる。

一番に思い当たるのは、数時間前に揉め事を起こした連中。その中でも、武蔵に腕をひねり上げられた男だろうか。

それとは別に恨みを買った人間、あるいは学生を狙った変質者、という可能性もあったが。

 

「す、すみません!」

 

「あっ、おい」

 

不意に黛が藤枝の携帯を奪った。

気弱な彼女らしからぬ行動だったが、いつもと雰囲気が少し違うと藤枝は感じた。

武蔵がさらわれた、と聞くと驚きに目を見開くもつかの間、すぐに眉間にしわを寄せて視線を鋭くした。

たびたび緊張のあまり浮かべる恐ろしい形相に近かったが、口元は歪な笑みの変わりにへの字に結ばれている。

 

≪は、誰?≫

 

「黛ですっ!武蔵さんはどうしたんですか!」

 

≪ええと、武蔵小山の消息は・・・・・・ええと≫

 

「どうなんですか!」

 

≪ひいっ、怖いよ、俺・・・・・・ええと、倉庫街のほう?橋渡って・・・・・・あ、曲がった。

 でかい廃工場のとこね。首都高くぐった先の、京羅木工業のところを曲がって・・・・・・真っ直ぐ行ってる・・・・・・≫

 

伊藤の声が弱くなってきていた。

自転車で自動車を追いかけているのだから当然だった。

幸いというべきか、悪目立ちしないように気をつけているのか、バンは法定速度で走ってはいた。

だが、基本的に車は自転車よりずっと速い。

ショートカットを駆使して、信号を利用して距離を詰めても、視界にぎりぎり収めるのがやっとだった。

いよいよカーブの少ない工場地域に入り、もう見失いそうだ。

 

「すみません、場所が良くわかりません。他に目印になるものは・・・・・・あっ」

 

「返せ。倉庫街なら電車ですぐに行ける」

 

藤枝は倉庫街へのアクセスを思い出す。間違えていなければ、私鉄が合ったはずだった。

今なら帰宅ラッシュの時間帯だから、そう待たずに乗れるだろう。

会話しながらも、彼は急ぎ足で駅へと足を向けた。

 

≪藤枝・・・・・・心臓が爆発しそう。俺死ぬかもしれない≫

 

「頑張れ生きろ。死んだら大和田さんが悲しむぞ。いや、まだ他人だからな、悲しまないか。まあ、もし死んだら俺が悲しんでやるから頑張れ」

 

≪ちっ、ちくしょう!他人のまま死ぬなんて嫌だ!うおおおお!≫

 

伊藤は奇声を上げた。あるいは、裂帛の気合、とでも言おうか。

いらないことまで喋っているから苦しくなるのだと思ったので、藤枝は一旦通話を切ることにする。

 

「そっちについたらかけ直す。一旦切るぞ」

 

「藤枝さん!武蔵さんが今どこだかわかりますか?!」

 

「うるさいな、今から調べるから取り合えず電車に乗る・・・・・・ええと、申し訳ないが、一人で帰ってくれないか。もう近いだろう・・・・・・なんなら、タクシー呼ぶか?」

 

流石に一日二度も誘拐事件は起きないだろう、と思ってのことだった。

そもそも藤枝は黛が、すごーく強いのではないか、とも思っている。

というか、刀担いだ女に絡んでくる人間は普通いない。

言いながらも、携帯電話の通話画面を呼び出して、タクシー会社の電話番号をダイヤルしようとする。

登録こそしていなかったが、バイト先で泥酔した客を二度ほどタクシーに押し込んだ経験があったので、すっかり覚えてしまっていた。

しかし、黛はそんな藤枝の手を止め、いつになく強い口調で言い放った。

 

「いえっ、友達が困っているのに何もせず待っているなんてできません!」

 

気弱そうに見えて、やはり自己主張はしっかりしている。止めるのはおそらく無理だった。

藤枝はため息を一つだけつこうとして、止める。

その代わりに一つだけ言っておく。

 

「・・・・・・なら、俺から離れるなよ。一人か二人ぐらいなら守ってやれるから」

 

「先鋒は任せてください!」

 

どうでもよかったが、どうにも決まりが悪かった。

藤枝は頭をかいて渋い顔をすると、顔を叩いて気合を入れなおす。

そして彼らは駅に向けて走り出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・

 

 

 

 

 

 

なんとか工場地域の半ばまで追跡を続けた結果、バンは小さな工場跡に停車した。

伊藤は見つからないように自転車を対面のコインランドリーの脇に隠すと、そうっと工場の敷地内に侵入する。

既に足は乳酸漬けだったが、脳内麻薬の影響か、彼は異様に高いテンションを保っていた。

 

「ツイサラッテキチャッタケド、ドースンダヨ」

 

「ブルマっつーと川神学園の生徒だろ?あんまやりすぎるとヤバくね?」

 

「うっ、うるせえな!今更何言ってんだよテメエら!」

 

「ダッテサ・・・・・・リューサンニソウダンシヨウヨ」

 

敷地入り口に落ちていた看板の影に隠れてバンから降りてきた男達の様子を伺うと、武蔵の処遇で揉めているようだった。

体格のよい外国人らしい男に軽々と抱えられているが、ぐったりしていて意識はないらしい。

取り合えず男達が工場内へと入っていくのを確認すると、携帯を取り出してメール機能を起動。

〝このコインランドリー向かいの工場にいる。コンビニも近くにあった〟

脳に酸素が足りなかったので、この程度の分しか書けなかったが、対面のコインランドリーと、周囲の景色を数枚撮影して添付送信。

メールが届きました、というメッセージを確認すると、伊藤は手近にあった折れた角材を手に立ち上がる。

気分はベルセルク。今ならドラゴンだって倒せるような気がする。

 

「ファアアアアアアアアアアア!!」

 

奇声を上げて伊藤は工場内へと特攻した。

当然ながら捕まった。

 

 

 

 

 



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第九話

引きを強くしたいので後ろのほうをちょっとプラス


「リューサンマダカナ」

 

「何呼んでんだよバカか?」

 

「バカッテナンダヨ!」

 

「お前ら騒ぐなっつってんだよ。おい、この既知外どうすんだ?」

 

「ボコって放り出すか・・・・・・」

 

バンの運転手をつとめていた男は、口論を始めた仲間達に呆れながらも仲裁に入った。

そして、一旦会話を打ち切り、足元で倒れ伏している男を顎をしゃくって指し示す。

先ほど壊れた玩具みたいな叫び声をあげながら、角材を振り回し襲い掛かってきたコンビニ店員だ。

名札には研修中 伊藤、と書かれている。

今更になって脳内麻薬が切れたのか、全身を襲う筋肉痛と心肺の疼痛に悶え苦しんでいた。

しかし、ろくでなしどもに既知外呼ばわりされたのがよほど腹に据えかねたらしい。

彼はむくりと上体だけ起こし、口から唾を飛ばしながら怒号を上げる。

 

「・・・・・・人を既知外呼ばわりとはいい身分だな。社会のゴミどもめ」

 

「ナンダト、テメエ!モウイッペンイッテミロヤ!」

 

「You are very foolish! Son of a bitch! (稚拙な英語によるくたばれ間抜け野郎的な意味の言葉)」

 

「Shut up! Mother fucker!(ネイティブのよくわからない滑舌による黙れ既知外的な意味の言葉)」

 

当然だが、社会のゴミとかバイタのムスコだの言われて笑って許してくれる人間はそういない。

わき腹を蹴り飛ばされ、伊藤はごろごろとつめたい床を転がった。

疲労と痛みでぐるぐる回り始めた視界を天井に向けると、その端っこに電気のついていない非常口の表示が見えた。

 

「くそう、いてえ。お前らあれだぞ。こんなことしたら俺のダチが黙っちゃいないぜ。アイツが来たらお前らなんて二秒でローストポークだかんな」

 

伊藤は、妙におせっかいというか、首突っ込みたがりの藤枝は来るだろうな、と思っていた。

彼がどれだけ喧嘩が強いかは知らないが、とりあえず来るだろう。そんな、妙な信頼が伊藤の中には存在した。

それに、十中八九贔屓目、というか希望的観測だろうが、目の前の連中ならば、大柄な外国人はともかくとして二対一でもあれ一人のほうが強そうに見える。

 

「ほう?聞かせろよ誰が黙っちゃいないって」

 

「え?」

 

振り返ると、非常ドアが開かれていた。そして、工場内へ入ってくるのは長髪の男。

トラブルに出くわしたことが余程嬉しいと見えて、いかにも好戦的な笑みを浮かべている。

彼は足元に倒れ伏した伊藤を舐めるように見回し、そして薄暗い工場内に視線を巡らせる。

最後に行き着いた視線の先には、意識を失っている女の姿が。

 

「そいつ昼間のヤツだな。さらったのか?」

 

「え、えっと・・・・・・そうっすけど」

 

「ケンチャンガフクシュウシタイッテ」

 

「おいボブ!余計なこと言うんじゃねえ!」

 

「ハッ、復讐目当てかよこのストーカー!泣き寝入りするべきだったな、お前らもう終わりだぜ!俺は川神百代知ってんだかんな!」

 

シカエシ、という単語を聞いて伊藤は啖呵を切った。

言葉尻さえ掴めば、あることないこと吹きまわってこの場をしのげるかもしれない。

このまま大人しくしていたところで得することはほぼ無い。

しかし、ストーカーはお前だろ、とか、知ってるだけだろ?とか彼の友人たちが聞いたら訂正したがったかもしれないが。

ともかく、力なく床に這いつくばったままの格好はともかく、その言葉はアウトローを怯えさせるだけの効果はあったらしい。

 

「えっ、ちょっ・・・・・・かっ、川神百代?!」

 

「いや、川神百代はヤバいよ・・・・・・ダチに手を出したら、障害残る怪我させられるって・・・・・・」

 

「モモーヨ、ヒトクウッテキイタヨ!」

 

「そうだ・・・・・・今ここに向かってる。だから今のうちに俺たちを解放しておけ。そうすりゃあ無かったことにしてやるからよ」

 

真偽は定かではないが、川神百代という存在は彼らにとって恐怖の対象のようだった。

無理もない。

ヤンキー狩りを趣味の一つとして、テトリスと嘯き戯れに河川敷に肉塊タワーを築く女の名前だ。

彼らの慌てようを見て、このまま帰れるかもしれない、と伊藤は口の端を吊り上げる。

しかし、先ほどやってきた長髪の男は、他の三人とは裏腹に歪な笑みを浮かべてみせた。

 

「フン・・・・・・川神百代か。上等じゃねえか・・・・・・噂ってのは大げさに言われるもんだからな。

 来るなら俺がヤってやるよ。武神だなんだと意気がれるのも今日までだ」

 

「ダケド・・・・・・」

 

「ビビってんじゃねえぞ!連れてきちまったからには覚悟決めろ!」

 

長髪の男に一喝されるが、三人の男達はどうにも気乗りがしないように足元を見た。

そして、数秒工場の中を当て所なく視線を巡らせた後、示し合わせたように彼らは小声で呟いた。

 

「スッカリヤルキダケド・・・・・・ショージキ、モモーヨハムリジャネ?」

 

「まあ、念のため辰子さんにメールしてみるか」

 

「来てくれんのか?つか、川神百代自体来るのか?フいてんじゃねえだろうな?」

 

「あー、うん。来る来る・・・・・・ところでタツコさんって誰」

 

「リュウさんの双子の姉貴だって・・・・・・しれっと会話に混じってんじゃねえ!」

 

さりげなく湧いた疑問を投げかけてきた足元の男に、ケンチャンと呼ばれた男は怒鳴り声を上げた。

彼は揉め事に積極的に関わっていく性質で、どちらかといえばこの件に関しても好戦的な主張を持っている。

藤枝を挑発したのも、武蔵に腕をひねり上げられたのも彼だった。

川神百代と彼が喧嘩したとして、億に一つも勝利の目はない。

だが、一応何かしらの見込みはあるらしい。

伊藤としてはこのまま退散してくれればありがたかったが、雲行きが怪しい。

ううむ、と床にうつ伏せになりながら伊藤は考え込んだ。

 

「おい貴様。そのオトモダチとやらはいつ、誰が、何人で来るんだ?」

 

すると、真上から声が振ってきた。

そしてやや遅れて伸びてきた腕に、伊藤は襟を掴まれて無理やりひざ立ちにさせられる。

大きな手に肩を掴まれ、そっと鎖骨をなでまわされた。嫌に艶かしいというか、率直に言って気色悪かった。

伊藤は口元を引きつらせて、言葉を濁す。

 

「え、ええと」

 

「喋れないなら、喋りたくなるように手伝ってやろうか?」

 

「うわ、やめろ・・・・・・!うぎゃあ!助けてください!!誰か!助けてください!」

 

「また始まった・・・・・・」

 

「シャベッテモヤルヨ、マチガイナイ」

 

「よ、よせ!こんなバカな事はやめろ!女を・・・・・・いや、男もだけど、力づくでモノにしようなんてのはなあ、クズのすることだ!」

 

「クズで結構。生まれてこの方そう言われ続けてんだ」

 

長髪の男は伊藤を冷たい床に引き倒し、覆いかぶさった。

こう、ホモホモしい文章を並べ立てるのもあれなので、割愛する。

ともかく、伊藤は筋肉痛の身体に鞭打ち、必死に抵抗しようとする、が、予想以上に男の力は強かった。

さながら万力のような握力でつかまれては身じろぎもままならない。

自由に動くのは口だけだった。

 

「開き直るんじゃない!これだからIQ低いヤツは嫌いなんだ!死ね!」

 

「てめえ、うるせ「死ね!」

 

「おい「死ね!」」

 

「だから・・・・・・「死ね!」」

 

「いい加減に「死んで!しまえーーーー!」黙れ!」

 

タンクトップの男に顔面を蹴り飛ばされた。

冷たいコンクリートの床を転がりながら、伊藤は直接的な暴力に身を竦ませる。

先日行った体力テストでは、A、B、C、Dの四段階評価で伊藤はCだった。

その上喧嘩などろくにしたことのない彼では喧嘩慣れした男達にはまったく勝ち目はなかった。

 

「貴様、唾が飛んだだろうが!」

 

「ああっ、変態が!レイプマンが俺の尻を狙っている!これは妄想なんかじゃない!ちくしょう、男にモテるなんて嫌だ!」

 

四つんばいで奇声を上げながら必死に逃げようとするが、むんず、と腰のベルトと肩を掴まれた。

最早、逃げ場なし。伊藤は抵抗むなしく床に押さえ込まれてしまう。

だが、必死にばたつかせた足が男の股間に当たったようで、男は低くうめいた。

応酬にパンチを一撃横っ面に浴びせるが、伊藤は叫ぶのをやめない。

 

「ぐっ・・・・・・おい、手空いてるヤツ!押さえろ!」

 

「痛い!やめろ!ゴミみたいな人間性でも良心でも少しは残ってんなら誰か今すぐ改心して俺を助けろカスども!」

 

「黙れクソッ、おい、手を貸せと言ったろうが!」

 

思った以上に伊藤の抵抗は激しく、タンクトップの男は手助けを求めた。

手だけでも押さえさせれば、抵抗を抑え込めると踏んだからだったが、仲間からの返事がない。

さらってきた女相手に取り込み中なのかと振り返るが、そこには誰もいなかった。

仲間どころか女の姿も見えない。工場内は静寂と暗闇が広がっているだけだ。

 

「・・・・・・なんだ?」

 

まるで、神隠しだ。音もなく、仲間が消えた。

レジャー用のランタンでうっすらと照らされた工場内は、外から虫の音が聞こえるぐらいに静まり返っている。

男にとってこの場は日頃溜まり場にしている場所の一つだったが、こんな姿を見せるのは初めてだ。

ひどく、不気味に思えた。

 

ぎいっ

 

「なッ、オイッ!?」

 

背後から聞こえた禍々しい音に振りかえる。

よく見れば、工場奥の事務室・・・・・・もとい、まだこの工場が操業していたころの元事務室への扉が小さく揺れていた。

どうやら隙間風に吹かれ、錆びた蝶番が悲鳴を上げているらしい。

もともと開け放っていたか閉じられていたかは曖昧な記憶では判然としなかったが、何かあるかもしれない、と男は立ち上がる。

逃がさないように、片手は伊藤の襟を掴んだままだ。

 

「おい!いい加減手を放せクソホモ!その歪んだ性癖を恥じいる正気があるなら今すぐ死ね!」

 

「黙れと言ったぞ!」

 

「ぐえっ!」

 

気が散るとばかりにもう一発殴ると、流石の伊藤も静かになった。

そして、そのまま男は事務室へと近づく。

粗大ゴミやボトルなどのゴミが散乱した部屋の中に目を凝らすと、仲間の一人が倒れているのが見えた。

暗くて、息をしているのかもわからない。

男はそうっと、警戒しながらも部屋へ入ろうとする

 

「はっ?」

 

その瞬間だった。

一歩踏み出した瞬間、足元にのたくっていたビニール紐が軸足をさらっていった。

体勢を崩した男は、反射的に伊藤の襟を掴んでいた手を放し、扉の据え付けられている開口部の淵に手をかける。

 

「ぬうっ・・・・・・?!がッ、何ッ、だ?!」

 

暗闇の中で足元をすくわれた混乱の中、勢いよく閉じられた扉に反応することは男には出来なかった。

木製の安っぽいドアに顔面を強か打ちつけてしまい、彼は顔を押さえてくの字に体を曲げる。

そして、ぎいっ、ともう一度扉の悲鳴が聞こえると同時、そっと首に暖かいものが触れた。

 

「あっ、かっ・・・・・・!」

 

俺は、首を、絞められているらしい。そう、頭で理解などしなかった。

理解する時間も与えられず、彼の意識は闇の中へと沈んでいった。

ただ、暴力的な日常故か、反射的に首に回された暖かいもの・・・・・・何者かの腕に彼は爪を立てていた。が、それだけだ。

そして、何者かはフロントチョークの姿勢のまま、首筋と口元に手を当てて数秒。完全に落ちていることを確認する。

 

「くそ・・・・・・痛いな畜生」

 

何者かは小さな声で呟くと、男をそっと横たわらせ、己の左腕に残った爪跡にきつくハンカチを巻く。

爪が伸びていたらしく、肉が数ミリ抉られている。青いハンカチの一部がじわりと赤黒くにじんだ。

そして、頭を抱えて匍匐している伊藤のもとへと歩みよる。

突如として表れた、その〝何者か〟を見上げて伊藤は目を見開いた。

 

「お前・・・・・・」

 

「お疲れちゃん」

 

「藤枝か・・・・・・いつの間に」

 

誰あろう、藤枝であった。

川神学園の群青色の学生ズボンに、白いTシャツのみの出で立ちだ。

彼は伊藤の返事を待たず、今さっき倒れ伏した男の服装を検める。

そして、手慣れた動きで男のベルトを外し、ズボンを脱がせた。

 

「うわ、ホモか!?お前もホモか?!ウソだろ、誰も信じられねえ・・・・・・!」

 

「静かにしろ。今目を覚ましたら、今度こそお前ヤられちまうぞ」

 

喚く伊藤相手にそれだけ言うと、藤枝は疲れたように目元にしわを作った。

そして、すわレイプかと思いきや、藤枝は男の腕を工場内の柱に回させ、ベルトとズボンを組み合わせて複雑な結び目を作った。

血が止まらない程度に皮ベルトとジーンズで固められた腕は、自力で解けるものではない。

同様に、事務室に放り込んでおいた他三人も同じ柱に纏めて抱かせてやる。

ぬくもりを分け合うがいい。

 

「遅れてすまない。立てるか?骨や歯は?」

 

「鼻血が出ている・・・・・・」

 

「大丈夫みたいだな」

 

テレクラの広告が入ったポケットティッシュを投げ渡して、藤枝は伊藤に肩を貸す。

数キロの道のりを休憩なしで立ちこぎし続けた伊藤の全身の筋肉はもはや機能を放棄していた。

避難口兼勝手口から外に出ると、貨物用パレットに伊藤を降ろす。

 

「あ、おい、武蔵は?」

 

「これから連れてくる。意識がないみたいだったから、最後だ」

 

思い出したような伊藤の問いに、藤枝は口元を歪めた。

工場に侵入してから、いの一番に武蔵を物陰に隠したが、ぐったりとして意識を失っているようだった。

誘拐に使った車の中を漁ったところ、シンナーだかクロロホルムだかの薬物の瓶があったので、おそらくそれのせいだろう。

なるべく苦しまず意識を失うように優しく首を締め上げてやったのは間違いだったかもしれない。

 

「そーなの・・・・・・ああ、武蔵境だけど、変なことはされてないと思うぞ。到着してすぐに俺カチ込んだし・・・・・・その代わり俺がヤバかったけど」

 

伊藤は内臓まで吐き出すんじゃないかというぐらい大きなため息をついた。

実際問題、藤枝があと十分、いや、五分遅かったら精神的に死亡していたかもしれない。

想像だけでも鳥肌が立つ。

 

「実際よくやったさ。ゆっくり休みなよ、タクシー呼んどくから」

 

「金持ってないぞ俺・・・・・・つか、黛さんは?電話の様子だと刀背負って乗り込んでくると思ってた」

 

「・・・・・・黛は駅で駅員さんに捕まった」

 

「ああー・・・・・・」

 

車内への危険物の持ち込みはご遠慮ください、の一点張りだったが、当然と言えば当然だった。

親がどうとか十一段がどうとか説得を試みていたようだが、一足先に藤枝が乗り込んだ電車はすぐに出てしまい、結果置き去りとなった。

途中まで凄まじい脚力で電車を追い上げ、併走していたが、電車が加速するにつれてその姿はどんどんと小さくなり、やがては闇の中へと消えていった。

一応この工場最寄の駅名だけは伝えてあったが、この工場までたどり着くことはまず不可能だろう。

工場とコインランドリーの写真が伊藤から届いたのは車内でのことだった。

カーブで完全に置いていかれた際の、半泣きの表情が目に焼きついている。

急いでいたとはいえ、可哀想なことをしてしまったと、藤枝は眉間を揉んだ。

そして、思い出したように藤枝は問いかけた。

 

「そういえば警察呼んだか?」

 

「あっ、忘れてた・・・・・・この状況、なんて言って通報すればいいんだ?」

 

「さあ・・・・・・」

 

無責任に藤枝は視線をそらした。

友人がさらわれたから軽く痛めつけて取り返しました。連中気絶しているけど逮捕してください、とでも言おうか。

それとも、柄の悪い連中が廃工場で集会開いているからどうにかしてください、とでも言おうか。

いずれもいまいち説得力がない。

それに、一応無事に奪還できた今、あまり大事にはしたくなかった。

連中に慈悲をかけるわけではない。

女が男数人に車に押し込まれてさらわれた、などというのは外聞が悪すぎる。

下種な陰口や噂は誰だって好むまい。

 

「このこと、人に話すなよ」

 

「・・・・・・俺さあ、武勇伝的な何かが欲しいんだよなあ。こう、大和田さんに一目置かれる的な・・・・・・」

 

「それとなく、チンピラ相手に大活躍したって触れ回ってやるよ。だから頼むぞ」

 

「おっしゃ、約束する・・・・・・だけど、あいつら逆恨みとか大丈夫か?家族に迷惑かかるのだけは嫌だぜ」

 

伊藤の言葉に、藤枝は苦虫を噛み潰したような顔をした。

因縁つけて殴りかかって、腕をひねり上げられたら恨み百倍で報復にやってくる連中だ。

非常に現実味のある想像に、藤枝は否定の言葉を持たない。

 

「それはまあ・・・・・・俺がなんとかしておく」

 

実際のところ、対処法はいくらだってあった。

だが、心情的にも信条的にも好ましからざるものばかりだ

それでもやらねばなるまい。嫌だが、放っておくのは怖すぎる。

工場内で寝ている連中がカテゴライズされる人種を、その傾向を、今日の一件だけでも理解できようというもの。

これ見よがしにため息をつくと、藤枝はいまだ真っ暗闇の工場内へと一人戻っていった。

 

「あっ、おい・・・・・・うーん。何する気だ」

 

拷問か、と伊藤は恐ろしい気持ちになる。

が、少し考えるもすぐにその発想を放り投げて空を見上げた。

 

「はーーー・・・・・・」

 

ぶっちゃけ、どうでもいい。

散々殴られたし、筋肉痛でだるいし、恐怖もたっぷり味わったので、連中に仕返ししたい気持ちもないではない。

だが、絞め落とされて腕を封じられている連中を私刑にかけるほどの恨みもない。

正直なところ、このまま帰って眠りたい気持ちでいっぱいだった。

明日からの生活のことなどを考えると、何もかもが無性にどうでもよかった。

そもそも、あの連中もこれだけのことをやらかした以上、タダで済むとは思っていまい。

 

「まあ、大丈夫かな・・・・・・あっ、バイトどうしよ」

 

「あれ、きみ、こんなところでどうしたの?」

 

放ってきたアルバイト先のことを思い出した瞬間、不意に意識の外から声がかけられた。

首だけで声の主を探すと、工場のフェンス越しに長身の女性の姿が。

彼女は背丈と同じぐらいありそうなフェンスを軽い身のこなしで越えると、伊藤の前まで歩いてくる。

 

「えっ、いや・・・・・・ちょっと、休んでるだけっす」

 

近づいて見れば、腰まで伸びた長髪に、おっとりした目つきが印象的な美女だった。

外見的には、年頃は藤枝は伊藤よりも、二、三上だろうか。

しかし、長身なだけではなく、女性らしい体つきで、まるでモデルのようだ。

その雰囲気は油臭い工場地域には似つかわしくない。

 

「そっちこそ・・・・・・こんなところうろついてたら危ないッスよ、お姉さん」

 

「だいじょーぶ、だいじょーぶ。弟を迎えに来ただけだからね」

 

「弟?」

 

「そっ。もう晩御飯だっていうのに。心配ばっかりかけるんだよね~」

 

弟、姉、なんだか聞いたような聞かなかったような。

伊藤はなんとか思い出そうとしたが、目の前で美女がとった行動に意識をもっていかれる。

なんと、彼女はシャッターを持ち上げようとしていた。

今工場内部がどうなっているかはわからないが、見られていいことは無い。

そもそも、弟はこの中にいるのか。まさか、と伊藤は制止しようとする。

 

「あ、えっと、この工場はちょっと危ないッスよ?入らないほうがいいです。ほら、硫化水素が発生するとかこないだドラマでやってたし・・・・・・ヤバい病気になったりするかも・・・・・・」

 

「だからだいじょーぶだって・・・・・・よっと」

 

静止も虚しく、がらっ、と大きな音が夜道に響いて、シャッターが持ち上げられる。

星明りや、対面のコインランドリーや街灯の明かりによって真っ暗だった工場内部が照らされた。

 

 

 

 

 

 



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第十話

「はい、チーズ・・・・・・っと」

 

ぱしゃり、と四人並んでの撮影会。

実に楽しげだ。

 

意識を失った男四人が縛り上げられて恥部を露出させた上、ガムテープで鼻フックされていなければ、だが。

まあ、ある意味楽しげだ。

 

同様のものを連中一人一人の携帯で撮影。

これに怪文書を添えて残されれば、もう二度と悪さをする気にはなれまい。

不良と呼ばれる人種は妙に面子を重んじる。恥を晒したり舐められたりするようなことは望まないだろう。

藤枝は死んだ魚のような目で自前の携帯電話のJPGファイルを確認する。

 

「いらねーメモリーを刻んでしまった」

 

彼らの住所や名前、電話番号、メールアドレスなどは携帯電話を見ればすぐにわかった。

パスワードでロックされていたのは大柄な外国人のもの一つきりだ。恐るべき無防備さ。

悪意をまき散らすのは得意でも、自分が悪意を向けられることには不慣れらしい。

 

「・・・・・・あまり恨んでくれるなよ」

 

俺だってやりたくてやってるわけじゃあないと、失神した男達を見下ろして藤枝はひとりごちる。

これは最高の手段でも、最善の解決法でもないが、比較的マシな方法だと自分を納得させるためだった。

彼は数秒間自分の携帯電話の液晶画面を見つめた後、ポケットにしまう。

結局藤枝は、武蔵がさらわれたことを通報することはなかった。

仮に通報したとしても、女子学生がさらわれた、とは言わなかっただろう。

年頃の少女がさらわれたなど、外聞が悪すぎる。

幸いにも暴行を受けた形跡はなかったからこの程度で済ませたが、そうでなかったら往来を歩けないようにしてやったところだ。

伊藤も骨を折ったりなどの大怪我はなかったから、本当にほっとしたものだ。

大事に及ばなかったから、大サービスでパンツを上げておいてやろう。

 

「おっと」

 

無様に失神する連中に背を向け、武蔵のいる場所に向かおうとしたところで、藤枝は思い出したように振り返った。

手足をベルトで縛り上げているのだから、仲間の一人も呼んでおいてやるべきだろう。

今の気候ならば一夜を明かすぐらいでは大事には至らないだろうが、万が一があれば寝覚めが悪い。

 

「出血大サービスだな」

 

無意識に一人ごちてから、藤枝は己の血が滴る左腕を見て口の端を吊り上げた。

そして、出入り口付近の作業台に置いておいた、男たちの携帯電話の一つを開いてメール履歴を調べる。

すると十数分前に〝板垣辰子〟という人物にメールを送っていたことがわかった。

内容は、急ぎこの工場まで来てほしい、というもの。

長髪の男の名前が板垣竜兵であることは携帯電話を調べて知っていたので、おそらく兄弟だろうとあたりをつける。

住所もこの近辺だったはずだ。

 

「なら、いいか」

 

独り言をつぶやいて携帯を作業台に放り、今度こそ藤枝は彼らに背を向けた。

板垣達子が来る前に武蔵を連れて去ればそれでお仕舞。

ひょっとしたら黛が駅にいるかもしれないので、探さねばなるまい。

 

「ん・・・・・・?」

 

これからすべきことに意識を向けた時、がしゃがしゃと、連続した金属音が工場内に響き渡る。

そして、背後から音とともに突如差し込んできた外灯の明かりに藤枝は目を細めた。

 

「誰だ?」

 

「・・・・・・リュウちゃん?」

 

女性のシルエットが逆光となって視界に映し出されていた。

よく見れば、自分よりもいくらか上背がありそうな長身の女性のもので、均整の取れたプロポーションの持ち主。

こんな場所にはいかにも不似合いだ。

彼女の視線の先には、半裸で手足を縛られ、意識を失った男たちが。

 

「お前・・・・・・」

 

ぽつり、と女性が口を開いた。

彼女のおっとりとした目つきが、鋭い猛禽のそれに変わってゆく。

そう、藤枝が理解すると同時、空気の質が変わったような気がした。

彼女は手近にあった、ゴルフクラブ状に先の曲がった鉄材を手にする。

目つきは、鋭い。

 

「・・・・・・怒ってるのか?よせ、争いは虚しさを増すだけだ」

 

白々しい言葉を口にしながら、藤枝は自分の周囲に視線をめぐらせた。

恐らく、目の前の女性の名前は板垣辰子なのだろう、と。

そして、自分の足元で鼻血をたらしてくたばっている兄弟の復讐に怒りを燃やしているのだろう、と。

 

「二分でいいから話し合わないか?誤解がありそうだ。きっと分かり合えると思うんだが」

 

相手から顔を背け、周囲に視線を巡らせながら藤枝は言葉を重ねた。

だが、聞く耳を持たぬようで彼女は長いコンパスで歩幅を刻んでいる。

相手のパーソナリティは不明。兄弟を痛めつけられた恨みが、言葉で止まるだろうか。

そもそも、薄暗い廃工場の中でも顔を見られてしまうのは非常にまずい。

脅迫がまったく無意味なものに成り下がる。

 

「チッ」

 

舌打ち一つ。

足元でくたばっている連中の一人からキャップを奪い、藤枝はそれを目深にかぶった。

自分の視界が半分近く塞がる上に、顔も殆ど隠せないが、無いよりはマシだろう。

 

「何をした・・・・・・?」

 

「大したことは、特にッ・・・・・・!」

 

返答をはじめから求めてはいなかったのだろう。予想を上回る素早い飛び込みと痛烈な振り下ろし。

手にした鉄材の長さは目測で一メートル十センチ強。

スイングスピードと床と接触する際の音から察するに、重さは二キロから三キロ。

当たればどこをやられても重傷は免れない。

だが、動きは早くとも予備動作が大きいため、咄嗟のバックステップで辛うじて回避。

 

「くそッ」

 

したつもりだった。

紙一重で回避は失敗。

藤枝の目測では避けた筈だったが、予想以上に踏み込みが深かった。

致命打にはならずとも、わずかに鉄材を引っ掛けた右頬が破れ、眼前で血の珠が弾ける。

 

「うっ、そだろッ?!」

 

「はぁッ!」

 

他でもない自分の血に視界を奪われたことで、追撃を察知できたのは直撃寸前だった。

わき腹に迫る斧の一振りのような後ろ回し蹴りを防御できたのは、幸運以外の何者でもなかった。

思考ではなく、本能で反射的に背後に跳びつつ、右腕で脇腹を防御。

硬い靴底が腕にめり込み、みしり、と不快な音が鳴った。

 

「うおッ、ガッ、は・・・・・・?!」

 

威力を削ぐために背後に跳んだのは、果たして正解だったのだろうか。

まるで時速百キロで走る自動車に撥ねられたかのように、藤枝はしばしの浮遊感を味わった。

そして、数メートル後ろに位置していた金属棚へと激突する。

まるで怪獣と戦っているようだ、と胡乱な意識で藤枝は考えた。

 

「うっ・・・・・・ぐ、うぅ・・・・・・」

 

耐震補強され、床に固定されている筈の金属棚だったが、加速度のついた七十キロ超の体を受けとめることは出来なかった。

錆びたナットが弾け飛び、ゆっくりと横倒しになる。

棚とともに倒れこむ中、目を閉じなかったのは藤枝にとって幸いだった。

完全に倒れこむのと同時、首を支点にして後転。追撃である、わき腹狙いの鉄材での一撃を辛うじて回避。

 

「おらッ!」

 

「あっ・・・?!」

 

更に回避途中、三点倒立の要領で静止し、辰子の手首を蹴り上げる。

当たればラッキー程度の意識で放った一撃だったが、つま先は的確に辰子の手首の腱を強打し、鉄材を手放させることに成功。

彼女がたたらを踏む数秒間の間に藤枝は立ち上がり、即座に数歩距離をとって自身の状態、相手の状態、そして周囲の状況を確認した。

 

「うっ、げほっ・・・・・・はぁ・・・・・・痛ぇな、畜生・・・・・・」

 

自身の身体の具合は軽傷。だが、背中と側頭部と脇腹と右腕の痛みから、呼吸が整わない。

相手、辰子は藤枝以上に呼吸が荒い。だが、疲れなどの不調からではなく、興奮状態にあるからだと思われる。

周囲の状況、棚に散らかされていたゴミなどが散乱している。

なお、彼我の距離は五メートル。中間には鉄材が転がっている。

 

「・・・・・・無事か?」

 

武蔵を寝かせている場所、工場奥に据え付けられた棚付近、ブルーシートで覆われている場所に目をやる。

視界からは隠されていても、シート一枚に物理的な防御力はない。

仮に鉄材のようなものを投げられたり、棚が倒れこんだりしてはひとたまりもないだろう。

可能な限りこの場を荒らすべきではない。

速やかに外に逃げるなり、決着をつけるなりせねば。

周囲に何か使えるものがないか視線を巡らせつつ、呼吸を整える為の時間稼ぎも兼ねて説得を試みる。

 

「ハア、ハアっ・・・・・・待ってほしい。誤解がある」

 

「うるさいっ」

 

にべもない。

こうも頭に血が上っている相手では説得は難しそうだった。

それに、十秒足らずではろくなアイデアも浮かばない。

だが、武蔵と伊藤を連れての逃走も不可能となると、戦うしかこの場を切り抜ける方法はない。

それでも、藤枝はもう一度だけ言葉をかけてみる。

 

「なあ、これが最後だ。このままおとなしく帰してくれないか?悪いようにはしない」

 

帰ってきた答は拳だった。

藤枝は脳内で現在の状況を確認する。

工場前で身動きが取れない伊藤がいて、工場奥には身動きの取れない武蔵がいる。援軍は望み薄。

目の前には自分に害意を持っていて、自分以上の実力を持っている板垣辰子。

彼女が自分を叩きのめせば、彼女の手で、あるいは彼女に解放された四人によって、身動きの取れない二人の友人が害される可能性がある。

となれば、これは戦いだ。

戦いに大丈夫などなく、勝てる保証など誰にもできないが、死力を尽くすしかない。

負けて失いたくないものがあるのならば。

 

・・・・・・藤枝は予測していたように、顔面狙いの右拳を半身に構えることで回避し、すれ違うように立ち位置を交換する。

そして、右拳の回避とほぼ同時に初動を開始した、辰子の追撃の中段回し蹴りを飛び込み前転で回避。

片足を上げて崩れた体勢からは、即座に次の行動に移ることは出来ない。

その隙を見逃さず、藤枝は足元の鉄材を拾いつつ、前転の勢いのまま走り出した。

目標は、正面出入り口。

 

「逃がさないよ・・・・・・!」

 

僅かな隙をついて藤枝が稼いだ距離は四メートル。

 

しかし、それは辰子にとっていまだに射程範囲内であった。

 

人並み外れた脚力から繰り出されるタックルで肉薄し、そのまま地べたへと引き倒す。

あらゆる地力で劣り、ちょろちょろと隙を突きながら逃げ回る相手を始末する、確実な対処法だ。

 

ましてや、相手は全力疾走している。回避行動に移るには必ず隙が生じる筈。最早、詰みだった。

 

唯一気をつけるべきは藤枝が手にした鉄材による反撃。

だが、数キロある獲物を自由自在に振り回せる技量も腕力もあるようにも見えない。

となれば、これも対処可能。

 

そう、彼女は本能で理解し、僅かに口の端をゆがめた。

 

「はあッ!」

 

獲物を仕留める獣のような素早さで辰子は跳びかかる。

しかし、彼女は二つの思い違いをしていた。

一つは、藤枝の突然の全力疾走を逃走のためだと判断したこと。

もう一つは、手にした鉄材は攻撃のために使用すると判断したこと。

 

「むっ・・・・・・んぐっ?!」

 

突如、辰子の視界が闇で塗りつぶされた。

べちゃり、と顔に生ぬるい何かが張り付いたのだ。

気持ち悪いし、鉄くさい。

これはいったいなんだ、と思考し、顔を触れるよりも早く、轟音。

それこそ、金属が擦り合わせる音と、金属が圧し折れる音をミックスしたような、異音だった。

彼女には知る由も無いが、それは工場正面入り口の錆びて穴の開いた鋼板に、藤枝が振り下ろした鉄材が突き立てられた音だった。

ゴルフクラブ状に曲がった鉄材は上手く穴に引っかかり、音を立てて金属を引き裂きながらも藤枝の身体を一瞬空中へと持ち上げる。

結果、藤枝の腰を捉えるはずであった腕は空を切り、勢い余った辰子は無様に地べたに胸と腹を打ち付けることとなった。

藤枝がわざわざ開けた正面入り口へと駆けたのは、この為だった。

 

「わざわざ倒れこんでくれたか!」

 

「はっ?え、ちょっ、お前何やってんの?」

 

「うるさい!話しかけるな!邪魔するな!殺すぞ!」

 

「はい」

 

視界が塞がれ、受身も取れずに倒れ付した辰子の背後から、男二人の声が。

そして、背中に柔らかい衝撃が加わったと彼女が理解するよりも早く、畳み掛けるように予想外の自体が起こる。

こともあろうに、背後の男、藤枝に手によってズボンがずり下げられたのだ。

 

「―――えっ」

 

素っ頓狂な声が出た。

今の自分のおかれている状況が、彼女には信じられない。

いつだったか、小学生の男の子が同級生相手にズボン降ろしをやっているのを見たことがあった。

やんちゃだなあ、などとのんびりした感想を抱いたものだ。

だが、当然といえば当然だが、自分がされるなど夢にも思わなかった。

ましてや、相手は自分と近しい年齢と思しき男である。

わずか数秒ではあるが、辰子の思考回路は完全に混乱した。

 

「えっ、うっ、嘘っ!?なぁっ・・・・・・?!」

 

「薄い水色か・・・・・・」

 

「ああ、やめっ、変態っ!見るなあ!見ないでー!!」

 

「おっ、おい、お前これはヤバいんじゃ・・・・・・!」

 

「同じことを二度言わすなよ。向こうへ行け」

 

「はい」

 

「去らないでえ!助けてぇ!だけど見ないでー!」

 

辰子は顔を真っ赤にして悲鳴を上げた。

それこそ、顔に張り付いた何か、を剥がすことさえ忘れている。

彼女は足をじたばたと動かして抵抗しようとする・・・・・・が、下ろされたズボンで動きが阻害され、その隙にベルトで足を縛られてしまった。

更に太ももの付け根と足首まで見事に縛り上げられ、下半身は最早ピクリとも動かせない。

 

「このっ、放せっ!」

 

慌てた辰子は背中に乗った藤枝に反撃しようと腕を伸ばす。

だが、今の体勢は所謂バックマウントポジション。

背中に馬乗りになった相手に反撃するのは容易ではない。

逆に腕を掴まれ、藤枝自前のベルトでまたもや簡単に縛り上げられてしまった。

 

「いい子だ」

 

しかし、混乱に乗じているというのもあるが、この藤枝という男、縛るのが嫌に上手かった。

サバイバル染みた経験故だろうか、まるで肉屋のように、生物の骨格や間接、筋肉、腱の構造をしっかりと理解している。

見てくれはともかくとして、辰子の五体は力を込められないように縛り上げられていた。

 

「いやっ、やだー!?助けてアミ姉っ・・・・・・!?」

 

「申し訳ないが黙ってろ」

 

止めとばかりに今の今まで顔に張り付いていた、生ぬるい液体で濡れた何か、を口枷にする。

それは、先ほどまで藤枝の腕の傷口を縛っていたハンカチで猿轡をした、ということだ。

もはや全ての抵抗の術を失った辰子に出来ることは、それこそ藤枝を睨みつけることぐらいだった。

 

「ぅじゅぅぅぅぅ・・・・・・!」

 

「何言ってるかわからねえよ」

 

威嚇もどこ吹く風で受け流すと、今まで目深に被っていた帽子を辰子にかぶせる。

そして、彼女のジーンズのポケットから携帯電話を取り出すと、パスワードを確認。ロックはなし。

通話履歴からニックネームのものを発見すると、通話ボタンを押した。

液晶画面に映っている通話相手の登録名は、天ちゃん、というもの。十中八九親しい間柄だろう。

電子音が三度ほどループするのを聞いていると、ぷつりと電子音が途切れた。

 

≪あっ、タツ姉なにしてんのさー。リュウのバカは?≫

 

「二人ともここでくたばってるから迎えに来いよ。市道沿いの工場だ。コインランドリー前の・・・・・・心当たりぐらいあるだろ?」

 

≪ハア?≫

 

「早く来ないと穴と言う穴に棒突っ込んじまうぞ。ダッシュで来いよ、ほら急げ」

 

≪・・・・・・ッ、そこで待ってろ!テメエ、タツ姉に変なこ≫

 

ブツ切り。話を最後まで聞く義理はない。

放置せずに迎えを呼んだことで、温情は使い切ったとばかりに藤枝は唾を吐いた。

 

「次があるならこんなに寛大にはなれない。仕返しなんて考えるなよ」

 

辰子にそれだけ言い残すと、藤枝はその場から消えた。

この拷問部屋めいた惨状を板垣天使が発見するのは、それから五分後のことだった。

 

 

 

 



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第十一話

めちゃくちゃ久々更新


 

 

 

「たっ、タツ姉!大丈夫か?!」

 

「・・・・・・随分手酷くやられたねえ。余程の手練だったのかい?」

 

「むー」

 

工場の扉の影で倒れ伏す辰子の下に駆け寄る影は二つ。

 

一つはすらりと長い手足に括れた腰、優れた容貌を持った大人の女性のもの。

紫色の口紅と暗いアイシャドウ、そして露出度の高い服装が揃えば、いかにも夜の女といった風情だ。

 

もう一つは、腰より下まで伸びた長い髪をツインテールにした少女のもの。

小づくりで可愛らしい顔立ちに、とがった犬歯がワンポイントを添えている。

体格に合わせているのか胸元の露出は少ないが、もう一人の女性と似たデザインの服を身に着けていた。

 

ほかでもない、板垣辰子の姉の板垣亜巳。そして、妹の板垣天使だった。

なお、天使、と書いて、えんじぇる、と読む。住民票にもそう書いてある。

天使は姉を救出しようと彼女を拘束するベルトやズボンを解こうとした。

 

「・・・・・・んー?」

 

「天、ちょっとどきな」

 

しかし、なかなか上手くいかない。

時間がかかりそうだと判断した亜巳は、先に辰子が噛まされているハンカチの結び目を解く。

口が自由になった辰子は、まずそうにハンカチと血液交じりの唾を吐き出した。

 

「・・・・・・ぷはっ・・・・・・ありがと、アミ姉。助かったよー」

 

「血・・・・・・怪我は、大丈夫かい?」

 

「ううん、怪我はしてないよ」

 

辰子の有り様は一見酷いものだったが、よく見れば大した怪我は無いことがわかっただろう。

強いて言えば、腕に小さなかすり傷があるくらいか。

目くらましでタックルに失敗し、胸と腹を地面に打ち付けた際のものだった。

 

「あーっ、ウっザいなぁ、この結び目!」

 

「あ、天ちゃん。切っちゃヤダよ、気に入ってる服だし・・・・・・ね、天ちゃん。リュウちゃんの方も見てきてよ。ほら、あっち」

 

「えー?リュウ?」

 

「おねがい」

 

「ちぇ、しょーがないな」

 

拘束を解こうと躍起になる妹に、辰子は姉らしい包容力のある対応で他の仕事を任せた。

体よく追い払ったとも言う。

工場内へとのろのろと入っていく天使を尻目に、亜巳はそっと辰子に耳打ちした。

今までは平静を装っていたのか、囁く彼女の瞳は揺れている。

 

「タツ、言いづらいことがあっても、私にはちゃんと言うんだよ」

 

「言いづらいこと・・・・・・?」

 

言いづらいこと、と言われても、辰子には特に姉に内緒にするような秘密は無い。

確かに、姉妹の関係とはいえ全く隠し事が無いではない。

だが、後ろめたいと思うような事は思いつかなかった。

さらに十数秒かけ、ここ数時間ほどのことを辰子は思い出してみるが、それでも思い当たることはない。

晩御飯の仕度を終えて、メールが届いて、竜兵を呼びにこの工場まで来て、戦って、負けた。

それだけだった。

 

きょとんと彼女は姉の顔を見つめ返す。

工場の暗がりのせいか、少しばかり顔色が悪いように見えた。

 

「ほ、ほら。その・・・・・・あるじゃないか・・・・・・くっ・・・・・・!我ながら不甲斐無いね・・・・・・!」

 

「アミ姉?」

 

「辛いことがあったんだから、ゆっくり休んで・・・・・・後のことは、私にまかせておきな。

 下手人は必ず見つけ出して落とし前は付けさせるから・・・・・・」

 

「・・・・・・」

 

妹が自分の職場のSMクラブでもなかなかお目にかかれないような緊縛術で拘束された挙句、口では言えないような辱めを受けたと思っているらしい。

豚(隠語)のような姿に縛り上げられた妹の姿が相当ショックだったらしく、目が僅かに潤んでいる。

目にしたことのない姉の姿に辰子はなんと言っていいのかわからず、口をぽかんと開いた。

 

「・・・・・・えっと・・・・・・別に何もされてないよ?本当だよ」

 

「いいのさ。言わなくても、わかるから」

 

「だから本当に違うの!天ちゃんに電話かけるなりどこかに消えちゃったし、すぐ二人とも来てくれたから何もされてないよ」

 

「ほ、本当かい?」

 

「アミ姉に嘘は言わないよ」

 

「・・・・・・そっ・・・・・・そっか・・・・・・・ほっ・・・・・・」

 

「そーそー」

 

心底安心したようにほっと溜息をついた姉の姿に、意味するところは別であれ、辰子も内心でため息をついた。

 

そして、冷静になると、ふと彼女は考える。

自分を取り押さえ、緊縛した襲撃者のことだ。

思えば、あの男は必要以上に自分を痛めつけるようなことは何もしなかったな、と。

 

ズボンを下ろされたあげく、縛り上げられたことは腹立たしくもあるが、それだけだ。

拘束を終えたら、乱暴するどころか迎えを呼び、速やかに立ち去った。

格闘中に何度も話をするように呼びかけていたことも含め、非常に理性的だったように感じる。

襲撃者が竜兵を痛めつけ、屈辱的な格好に縛り上げたのも事実ではあるが、本当にそれだけだったのだろうか、と辰子は襲撃者の姿形、それから言動を思い出そうとする。

 

背丈は辰子本人と同じくらいで、広い肩幅や太い手足は明らかに男性のものだ。

頭髪は黒か茶の暗い色であることは判別できたが、すぐに帽子を被ってしまったのではっきりしたことは言えない。

顔も同様で、室内の暗さと帽子のせいで殆ど見えなかった。

おそらく、日中に当人とすれ違ったとしても気づくことはないだろう。

唯一、しっかり覚えているのは低く、柔らかい声だけ。

 

「なんて言ってたっけ・・・・・・誤解って言ってたような・・・・・・」

 

「・・・・・・だけど、リュウはともかく、タツに手を出したんだ。タダじゃあ・・・・・・」

 

「次があるならこんなに寛容にはなれない、だっけ・・・・・・次?」

 

「え?」

 

「がああっ、いっってえッ!!」

 

辰子の言葉に亜巳が首をかしげると同時、工場内から怒号が響き渡った。

彼女達にとってはなじみのある野太い声だった。

ほかでもない、弟である板垣竜兵の声だ。

拘束を解き終えると、二人は工場内へと足を向ける。

 

「ぶはははは!アホ丸出しじゃん!ブタっ鼻ー!」

 

「貴様・・・・・・!天、今すぐ解け!」

 

甲高い笑い声を発しているのは他でもない板垣天使であった。

工場内の柱に縛り付けられている己が兄を指差して笑っている。

無理もない。ズボンを下ろされて縛られているというだけでも滑稽なのに、鼻の頭をガムテープでフックされているのだ。

おまけに固まった鼻血が口元にこびりついていた。

 

「スゴんだって怖くねーっての。リュウのくせにタツ姉に迷惑かけやがって」

 

「一体何があった・・・・・・?くそ、全然思いだせん・・・・・・」

 

「つーか、ここで何してたのさ。野郎四人で気持わりー」

 

そう言うと、天使は疑わしげな眼差しを目の前の柱に縛られた男達へと向けた。

誰も彼もが竜兵と同じようにズボンで足を縛られ、ベルトで腕を縛られている。

今さっき目を覚ましたようだが、天使の眼差しから目をそらしているのは、自分の無様な格好を恥じているからだけではないだろう。

 

「・・・・・・」

 

「答えたくねーなら、ホウチすっけど」

 

「・・・・・・だから、俺たちは何も知らないんスよ天さん。ここで駄弁ってたら急に変な野郎が・・・・・・」

 

「嘘ついてんじゃねー!・・・・・・あり?なにこれ」

 

「携帯・・・・・・?」

 

嘘を並べる無様な男に怒鳴り声を浴びせると、不意に天使の視界の端で何かが光った。

見れば、携帯電話が四台並べて作業台の上に置かれている。

光ったのは携帯電話のメール受信を伝えるランプだった。

 

彼女が好奇心からその一つを手にし、液晶を開いてみると、待ち受け画面が表示される。

開いた瞳孔に眩い光が差し込み、反射的に目を細める。

 

「・・・・・・は?!」

 

光に目が慣れてくると、ぼんやりしていた像が輪郭を取り戻す。

それは柱に縛り付けられた上、鼻フックをされた大の男四人の集合写真だった。

ただ、眼下の光景と決定的に違う点が一つ。

彼らは恥部を露出させていた。

モザイクはない。

汚いものを触ってしまったかのように天使は携帯を放り投げた。

 

「うぎゃあ!なんじゃこりゃ!?」

 

「どうした、天」

 

「ア、アミ姉・・・・・・や、目が腐るから見ねーほーがいいと思うケド・・・・・・」

 

「・・・・・・」

 

「おい、それは俺の携帯だ・・・・・・何が映ってるんだ?」

 

「酸鼻とはこのことさね・・・・・・read me?」

 

足元に転がってきた携帯の待ち受け画面に眉をしかめ、液晶を閉じようとした瞬間、亜巳はショートカットに設定されているメモに気がついた。

タイトルは≪read me!!!≫

いかにも怪しいが、感嘆符が三つもついているあたり、よほど重要らしい。

亜巳はテキストファイルを開き、出てきた文字を読み上げる。

 

「・・・・・・春暖の候、ご健勝にてお過ごしかと思います。

 このたびは皆様へどうしてもお伝えしたいことがあり、筆を執った次第です。

 先ほど、皆様が眠っている間に集合写真を撮影させていただきました。

 データーに写真を残しておきましたが、気に入りましたでしょうか。

 気に入ったよな暴力ホモの腐れ誘拐犯。高画質で撮ってやったからマス掻きのネタにでもしやがれ。

 特別に今日のことは無かったことにしてやるから、これからは品行方正に生きな。

 チラっとでもお前らの悪い噂聞いたら世界中にこの写真バラ撒くぞ・・・・・・途中で飽きたのかねェ」

 

「写真・・・・・・?おい、見せてくれ!というか、解いてくれないのか?!」

 

「その前に、今日のこと、ってのは何なのか知りたいね。暴力ホモの腐れ誘拐犯ってのはアンタたちのことかい・・・・・・」

 

仮に、このread me!!!、と名づけられた文章の内容が真実だとする。

その場合、彼らは愚行の結果として襲撃を受けたということだ。

さらに言えば、これを残した人物と辰子を縛り上げた人物が同一の場合、辰子は彼らのとばっちりを受けたということになる。

亜巳は眉根にしわを寄せて彼らを睨み、問い詰めた。

容姿が整っている分だけ、凄むと迫力がある。

 

「答えな」

 

「それは・・・・・・」

 

「そんな、ありえないっスよ。まさかそんなの信じるんスか?証拠もないっしょ・・・・・・?」

 

確かに、その誘拐された被害者の姿はないし、痕跡らしきものも見当たらない。

既にこの場を立ち去ったのか、あるいは、男の言うように携帯に残された文章自体が出鱈目なのか。

亜巳はどちらを信じたものか、と一瞬だけ考え、自分が血迷っているんじゃないかと自嘲した。

 

普通ならば、後者を信じようとするのだろう。

たかが数バイトの文章で、弟や、その友人が誘拐事件を起こしたなど、信じるものか。

だが、性犯罪の常習者である弟への信用は既に底を打っている。彼の友人に対しても同様だ。

彼女は上着に隠した携帯式の得物に手をかけ、一歩詰め寄った。

 

「仕置きが必要みたいだね・・・・・・」

 

「ケンが因縁つけて返り討ちにされたから金柳駅前の路地裏でボコるつもりでした!でも関係ねえヤツに見られたんで拉致りました!」

 

「あっ、テメエ言うんじゃねえよ!ブッ殺すぞ!」

 

「俺をどうやって殺すってんだよ!これからおっ死ぬテメーがよおォ!」

 

「ケンチャン、ナンダヨ、サカウラミダッタノカヨ。イセイノイイコトイッテタノニ、カエリウチッテ、ダセッ、ププッ」

 

「う、うるせえうるせえ!」

 

脅し文句は効果覿面だった。

自分の責任を追及されると感じた誘拐犯たちは必死に罪を擦り付けあう。

しかし、聞きたいのはそれだけではない。

この状態では話にならないと判断し、亜巳は手にした得物を抜き放った。

それは鎖で繋がれた三節の棍だった。

滑らかな動作で連結されたそれは、身の丈ほどもある杖となり、男たちの頭上すれすれを薙ぎ払った。

彼らは首をひねって柱に刻まれた傷跡を見上げる。

 

「ひっ・・・・・・!」

 

「動機なんてどうでもいいさね。誰を拉致って誰にやられたのかとっとと吐きな」

 

「な、名前は知らないけど、拉致ったのは川神学園の生徒の女・・・・・・!背は俺より十センチぐらい低くて、ブルマだった!」

 

「顔は?」

 

「生意気そうだったけど、よく覚えてねえ・・・・・・です。結構強かったから、とにかく拉致るのに必死で・・・・・・」

 

ケン、と呼ばれた男が拉致した女学生の特徴を話す。

腕を捻りあげられて仲間の前で恥をかかされたことを恨んでいたから全体的な印象はよく覚えている。

ただ、ショートヘアとブルマ、そして向こう気が強そうな声といった特徴のみを記憶していた故に、顔だちはよく覚えていない。

 

「アンタの背は?」

 

「百七十」

 

「嘘つくなよ。百六十七だろ」

 

「うるせえな!似たようなもんだろ!」

 

「・・・・・・で、誰がアンタらを縛り上げたんだい」

 

「それがわからないんスよ。コンビニ店員が襲い掛かってきたんっスけど、返り討ちにして・・・・・・そんで気づいたらこうだ」

 

「コンビニ店員?」

 

「エイトの制服着た・・・・・・確か、名札ついてた。伊藤だっけ?リュウさん間近で見ましたよね?」

 

「ああ。多分学生か・・・・・・?なかなか可愛い顔をしていたが、ヤり損ねたな・・・・・・」

 

拉致の際に車を運転した男と竜兵が工場へ押し入った闖入者のことを話す。

全国展開している大手コンビニエンスストア〝8-8〟の制服を着た男だった。

元は営業時間が午前八時から午後十時までであったことから、8-10という名前だった。

しかし、今では二十四時間営業となって名前も変わったのだ。その略称がエイトである。

襲撃者と彼がどのような関係にあるのか彼らにとって知る由もないことだったが、現状最大の手がかりだ。

 

「そうだ、あいつ確か川神百代を呼んだとか言ってた!」

 

「ソウダヨ!モモーヨキタノカヨ?!オレノカラダドッカナクナッテナイ?!」

 

「タマ食われてないか確認しとけ」

 

「マジカ・・・・・・マジカヨ!?」

 

本人が聞いたら怒り狂いそうな物言いだった。

とはいえ、実際のところ襲撃者が彼女であれば今回のように無傷では済まなかっただろう。

最低でも骨の一本や二本は覚悟する必要がある。

 

「川神百代ねぇ・・・・・・」

 

「言っておくが、俺も同じだ。本当に何も覚えてねえ」

 

「マジかよ、スネークみてー!」

 

「笑い事じゃねえ!天、いいかげん解け!それと写真見せろ!」

 

「うるせー!負け犬がウチに命令すんじゃねー!」

 

「なんだと貴様・・・・・・ッ!」

 

「まったく・・・・・・タツ、あんたをやったのは誰だかわかるかい?」

 

「え?・・・・・・えーっと・・・・・・」

 

突然の姉の問いに辰子は口ごもった。

背丈と性別ぐらいで大した情報ではなかったが、答えてしまっていいものか、と。

何が何でも襲撃者を探し出して落とし前をつけさせるつもりの姉とは裏腹に、彼女は二の足を踏んでいた。

 

「仕返しするの?リュウちゃんたち、写真ばらまかれちゃわない?」

 

「写真だったら痛めつけて消させちまえばいい話さね」

 

「でも、多分こっちが原因だと思うし・・・・・・私もそんなに酷い事されてないからいいよー」

 

そう口にするものの、襲撃者に正義があると思って庇っているわけではなかった。

温厚な人柄の辰子だったが、法や道理よりも己の欲望や感情に従う傾向にある。

その点においては、血を分けた彼女の姉妹や弟と何ら変わりはない。

 

ただ、彼女としては家族が無事であればそれでよかった。

脅迫そのものには腹が立たないでもなかったが、弟の起こすトラブルが減るというのならば、要求に不満はない。

そんな彼女の内心を知ってか知らずか、亜巳は目を細めて数分前と同じ問いを繰り返した。

 

「・・・・・・本当に何もされてないんだね?」

 

「だからぁ、本当だってば」

 

再三の問いに、ついに呆れたように辰子が肩を落とすと、亜巳もそれが真実だと理解したようだった。

彼女は指先でサイドの髪をかき上げ、視線を落として考え込む。

 

「リュウはともかく、タツを怪我もさせず縛りあげる手練れだからねぇ・・・・・・

 川神百代じゃなくても、川神院の修行僧って可能性も高いか・・・・・・となると、師匠が出張ってくれるとは思えないねぇ」

 

姿勢を保ったまま、ぽつりぽつりと亜巳は考えを口にする。

今日の襲撃者の行いは、堀之外に屯する腕自慢の不良程度では逆立ちしても出来ないことだ。

容姿などの情報がなくても、それだけで当てはまる人物は絞り込める。

そして、一番の心当たりはこの川神市のシンボル、川神院の武僧だ。

 

その場合、身内で最大の実力者である〝師匠〟は協力してくれない可能性が高い。

彼は川神院を破門された身であった。

 

「えー?!無かったことにするつもりかよアミ姉!」

 

「タツに何もないなら、馬鹿の面子の為だけに川神院と揉めるつもりはないよ」

 

天使の抗議に、亜巳はきっぱりと言い放つ。

彼女が師匠と呼ぶ存在は常人とは一線を画す戦闘能力を得た超人だった。

しかし、そんな超人でさえ、川神院では師範代争いに敗れた末、精神的な問題を糾弾されて追放されたのだ。

少なくとも、師範代と師範の二人は彼より強いと考えて間違いないだろう。

そんな相手と、愚弟や、彼の友人の愚行が原因で事を構えるなど冗談にもならない。

 

なにより、川神院の修行僧が襲撃者であったのならば、辰子に乱暴するなど万に一つもあり得ない。

そう考えれば、辰子や竜兵たちに大した怪我をさせず、拘束でとどめたことも、天使に連絡して迎えを読んだことも納得できる。

写真と脅迫文に関しても、相手の更生を促すための脅しと考えられなくもない。

あくまでも希望的観測でしかなかったが、可能性として無視できない。

 

「早く家に帰って晩御飯食べようよ。おなかすいたよ~」

 

「・・・・・・そうさね。ほら、まだ顔に血がついてるよ。本当に怪我は無いんだね?」

 

「うん」

 

「それじゃ、家に戻って顔洗ってきな。私もすぐ戻るから」

 

数秒の思考ののち、亜巳はこの一件に関わらないと結論を出した。

そして、空腹を訴える妹の背中に手をやって帰宅を促す。

暴行を受けなかったとしても、見知らぬ相手に自由を奪われた苦痛を慮っているのかもしれない。

彼女は弟妹を持つ姉であり、一家の長だ。

面倒見がよく、女性らしいこまやかな気遣いも、優しさも持っていた。

自分の身内には、と但し書きがつくが。

 

辰子が工場から出ていくのを見送ると、彼女は振り返って男たちへと向かい合った。

ようやく拘束を解いてもらえると思ったのか、彼らは口元を緩める。

 

「なあ、話は終わったんだろ?解いてくれよ」

 

「へへっ、すんません亜巳さん」

 

「・・・・・・アンタらの不始末のせいでタツが危険な目にあったんだ。わかってんのかい?」

 

しかし、男たちが歯を見せたことで、亜巳は不愉快そうに眉を寄せた。

彼女は顎を上げて彼らを見下すと、携帯電話を彼らの前に放るようにして置き、脅迫写真を見せる。

さあっ、と、彼らの顔が青ざめた。

 

「げっ」

 

「うっ・・・・・・!」

 

「粗末なもん見せびらかしたくなければ、真面目に生きろとさ」

 

亜巳は言いながら、作業台から他の携帯を手にして開いた。

待ち受けのショートカットに、先ほどと同じ〝read me!!!〟を見つけると、写真と同じようにして開いてみせる。

ふざけた脅迫文を目にした男たちは、青い顔をさらに青ざめさせる。

逆に、赤くするものもいたが。

 

「く、くそがッ、品行方正だと・・・・・・?!この俺を舐めやがって・・・・・・!」

 

「jesus・・・・・・」

 

「悪さをするな、なんていう気はさらさらないよ」

 

亜巳は出来るだけ冷たく聞こえるように、平坦な声で、額に青筋を立てて体をゆする竜兵に告げた。

弟とその友人たちを見下ろしたまま、彼女は続ける。

 

「・・・・・・アンタが恥をかくのはアンタの勝手さ。でも、とばっちりは許さないよ。男だっていうなら、自分の尻ぐらい自分で拭きな」

 

「・・・・・・」

 

「アンタらも他人事だって顔してんじゃないよ!」

 

「ヒイッ」

 

得物で足の間の地面を打たれたボブと呼ばれた男が悲鳴を上げる一方で、竜兵は黙って首肯するにとどめた。

彼には姉の冷たい態度が本気で怒っていることの証左だとわかっていた。

獣のような男だが、それ故に本能に根差した上下関係には逆らえない。

亜巳が一しきり説教を終えて背を向けるまで、彼は首肯と無言のみで通した。

 

「・・・・・・仕事帰りに来てやるから、一晩頭冷やしな」

 

「なっ・・・・・・!」

 

それでも、このまま放置されるとまでは思っていなかったらしく、姉の言葉に竜兵は目をむく。

首肯と無言だけで通したことが、かえって真面目に聞いていないととられ、不興を買ったのかもしれない。

彼と、彼の友人の必死に呼び止める声も無視し、亜巳はそのまま去って行ってしまう。

 

「天、行くよ」

 

「ん。すぐ行くから先行ってて」

 

「・・・・・・急ぎな」

 

亜巳とすれ違い、見捨てられた男たちのもとに天使の名を持つ少女が近づいてくる。

しかし、助けを期待している者は一人もいなかった。

 

彼女の外見は名前に恥じないほどに愛らしいものだったが、性格までそうだというわけではない。

甘く見積もっても、せいぜい小悪魔か堕天使がいいところである。

彼女は屈託のない笑みを浮かべて彼らに尋ねる。

 

「エイトのバイトはイトーで間違いねーんだよな」

 

「え?ええ、そうスけど・・・・・・」

 

「おい、余計なことはするな」

 

姉の意向とは裏腹に、彼女は面子のためにも報復を行うつもりらしい。

問いの内容から察するに、最も有力な手掛かりのコンビニ店員を当たるのだろう。

確かに、店舗名と本人の名字がわかっているのだから、当人を見つけることは不可能ではない。

 

しかし、目当てのコンビニ8ー8は川神市内だけでも二十店舗以上ある。

さらに言えば、金柳街からこの工場までの間に十六店舗が密集しているのだ。

あちこちで聞き込みなどしたら、報復を企んでいることが襲撃者にバレて写真が流出するかもしれない。

 

「バレたらどうするつもりだ!」

 

「バレねーよ。ウチを馬鹿にしてんのか」

 

「お前は馬鹿だ」

 

そう言う竜兵も思慮深い人間ではなかった。

今の自分の姿や状況を考えもせず、不用意な発言をするくらいには。

 

しかし、今回に限って彼の言うことはまったくもって真実だった。

天使は情報収集のような地味な仕事を忍耐強く行える性質ではない。

現に、兄からの侮辱に激怒した彼女は額に青筋を浮かべ、ゴルフクラブを振りかぶった。

自宅から持ってきたそれは、本当ならば姉を害した襲撃者に向けられる筈のものだった。

 

「んだとテメー!今の自分の姿見てからもの言えや!」

 

「わ、わかった!やめろ!」

 

身動きできない状態を凶器で狙われては、竜兵に黙る以外の選択肢などなかった。

彼にも、報復して写真を消させたいという気持ちはある。

無様を晒したのは不意を打たれたからであって、闘争において自分が敗北したとも認めていない。

しかし、甘く見ていい相手では無いということは身に染みてわかっていた。

 

「心配すんなっての。ちゃんと仇はとってやっから。ダブルドラゴンが虚仮にされたまんまじゃウチまで舐められちまうしな!」

 

そう言って天使は能天気な笑みを見せる。

意気揚々と工場を出ていく彼女を見送った者たちの表情は、皆一様に暗澹たるものだった。

 

 

 



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第十二話

うっかり更新


川神学園一年C組。

壁に掛けられた時計が示す時刻は十時二十八分。

黒板の掃除を終えた黛由紀江は、何と無しに背後を振り返り、教室の中を見回してみる。

思い思いに休憩時間を過ごすクラスメイトたちに視線を巡らせていき、最後に教室の中央付近の席に目が留まった。

男子生徒数人が集まってトランプタワーを作っている。

とても仲がよさそうで、友達百人を目標に川神学園にやってきた黛にとっては眩しい光景だ。

しかし、今彼女が気にしているのは彼らではない。

ほかでもない、彼らの集まっている席の本来の主だった。

 

「藤枝さん、どうしたんでしょうか・・・・・・」

 

誰にともなくひとりごちる。

今日、藤枝は無断で欠席していた。

今朝のホームルームで、担任の綾小路が五月病にはまだ早いと胡散臭い御所言葉で憤っていた。

しかし、昨晩起きたことを知っている黛には、これがただの寝坊の結果だとは思えなかった。

顎に指をあて、昨日のことを思い出す。

 

 

 

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・

 

 

 

黛由紀江が線路をたどり、目的地である駅まで到着したのは七時を少し過ぎた頃だった。

藤枝に五、六分遅れて駅へと到着した彼女は深呼吸をしながら周囲を見回す。

ビルディングや工場、資材置き場などが目立ち、民家はそう多くない。

道路の先、高層建築の切れ目からはコンビナートから立ち昇る炎が見えた。

 

彼女が北陸の実家を出て、この街で暮らし始めてからまだ一月と経っていない。

それでも念願の友人を得て、この街にも少しずつ慣れ始めたと思っていた。

しかし、街の知らない一面を前にして心細くなったのかもしれない。彼女は肩を縮めて手にした刀を胸にかき抱いた。

 

あらためて周囲の様子を伺う。

民家の少ない土地柄ではあるが、七時前後の駅前であるだけに人通りはそれなりに多い。

人波に藤枝の姿は見つからなかったが、無理もなかった。

今は一分一秒を争う状況だ。駅前で待つようなことはないだろう。

黛には藤枝がここからどこに向かったのか見当もつかない。それこそ方角さえ不明だ。

 

「こっ、こうなったら、聞いてみましょうか・・・・・・」

 

聞き込みなど、普通の人間からしてみれば口の端を歪めて覚悟を決めるほどのことではない。

しかし、黛由紀江は所謂人見知りであった。

他人とのコミュニケーション経験が非常に少なく、見ず知らずの人間に話しかけることに強い苦手意識を持っている。

 

だが、ここで怖気づくわけにはいかない。

一度呼吸を落ち着かせると、彼女は口をへの字に結んで気合を入れる。

そして、周囲の人混みの中から。一番藤枝を見ている可能性が高そうで、かつ、一番話しかけやすそうな人物を物色する。

 

「あっ、あああのっ!!少しよろっ、よろしいでしょうか?!」

 

「は・・・・・・? はい!?」

 

彼女が目を付けたのは有人窓口の駅員だった。

ここまで息を切らしながら駆けてきた黛とは違い、藤枝は電車でここまでやって来た。

ならば、必ずここの改札を通過しただろう。

窓口で仕事をしていた駅員が見ていてもおかしくはない。

にこやかな笑みを作ろうと、黛は口の端をゆがめて駅員に話しかけた。

歯に衣着せず藤枝が客観的な評価を述べたなら、噛みつかれそうだ、と言ったかもしれない。

 

「あの・・・・・・なっ、何か、ご用でしょうか・・・・・・?」

 

「そ、その・・・・・・人を探していましてっ・・・・・・ここを通った筈なんです!!」

 

「はっ、はい・・・・・・ええと・・・・・・どのような・・・・・・?その、それから・・・・・・その長いものは一体・・・・・・」

 

「ただの釣竿です!」

 

『目の前にいるのはただの釣り人、いいね?』

 

「はい」

 

危険物と思しき長物を片手に、木彫りの馬のマスコットで腹話術をしながら据わった目で凄まれる。

高級そうな紫色の布袋に入っている〝釣竿〟とやらは、持ち主が大きく動いてもしなりもしない。

どう見ても危険人物だが、駅員の男性の頭には通報のつの字も浮かんでは来なかった。

仕事や使命感より自分の命のほうが大事だった。

 

「え、ええと、背丈は175センチぐらいで・・・・・・中肉中背の、年齢は私と同じ男性なんですが」

 

「・・・・・・いっぱいいますねえ」

 

駅員の男性は駅の改札付近にいる青少年をじろりと見まわした。

今の条件に当てはまる人間は彼の視界に収まっているだけでも四人いる。

確かに、乗客が改札を通るときは大まかに確認しているものの、一人一人の背丈や年齢、顔まで判別しているわけではなかった。

 

「服装は深緑色のジャンパーと紺のスラックスで・・・・・・顔の彫りは深めで、髪は短く刈っていて・・・・・・通りましたか?」

 

「いっぱい、いますねえ・・・・・・」

 

「そうですか・・・・・・」

 

深緑色のジャンパーを羽織り、紺のスラックスを履いた中肉中背でスポーツ刈りの男など、それこそごまんといる。

クラスメイトたちよりも彫りは深めで大人びた顔立ちではあるものの、生粋のコーカソイドほどではない。

顔もそれなりにハンサムではあったが、かえって、なまじ整っているだけに特徴らしい特徴がなかった。

 

結局、有力情報は得られずじまい。

肩を落とした彼女は再び駅前のロータリーに戻る。

 

「どうしましょう・・・・・・」

 

『気で探すにも、藤枝っちやムサコッスじゃよっぽど近づかないと判別つかないなー』

 

「さっき、一瞬だけ強い気を感じましたけど・・・・・・」

 

『すぐ消えちゃったし、なんだったんだろね』

 

仮に、武蔵や藤枝、あるいは伊藤が一廉の武芸者であれば黛は容易く追跡できただろう。

黛家は数百年もの長きにわたり剣の流派を受け継いできた家系で、彼女はその跡取り娘だ。

幼少からの鍛錬により、気、と呼ばれる生命エネルギーの操作や感知に長けた彼女であれば、強く、特徴的な気を察知し、追跡するのは造作もないことだった。

しかし、今回トラブルに巻き込まれている友人たちはいずれも一般人か、それに毛が生えた程度の者たちである。

さらに言えば、細かな特徴の差異を捉えきれるほど長い付き合いでもなかった。

 

「・・・・・・どうしましょう」

 

テイク2、と松風の合いの手は入らなかった。

いつになく深刻な表情の黛は無力感に打ちひしがれながら、それでも、と考える。

どうにかして追跡する方法はないものだろうか、と。

困難だろうと決して諦めるわけにはいかなかった。

 

彼女にとって、生まれて初めてできた友人たちの危機なのだ。

簡単に諦められるはずもなく、無意識に唇を噛みしめると、ふと脳裏にある単語がよぎった。

すぐさま駅の改札まで引き返して窓口に身を乗り出す。

 

「あ、あのっ!この近くに京羅木工業はありますか?!」

 

「ひっ?!・・・・・・こ、ここの北口のロータリーを右に出て・・・・・・そこの地図に詳しく載ってますね」

 

駅員が指し示した先には確かに駅付近の地図看板があった。

近づいて伊藤が電話で話していた京羅木工業を探してみると、一分もしないうちに見つかる。

 

伊藤はここを曲がってさらに進むと言っていた。

彼がこの工場地帯へとやって来た行きの道が金柳街方面からの接続橋ならば、京羅木工業に突き当たる道はT字路となっている。

左右何れかに曲がったのであれば、どちらに向かったのか。

 

「・・・・・・確か・・・・・・」

 

黛の記憶には、まっすぐ行っている、あった。

どちらも長い通りに入るが、左に曲がれば道は沿岸に沿って緩やかなカーブに入る。

それならば、まっすぐ、というよりも、道なり、と言うだろう。

 

そう考えた彼女は地図上に指を走らせ、右に曲がった道の先のどこが最も不良のたまり場になりやすいだろうか、と考える。

一緒に屯する友人など今までいなかった彼女には、たまり場になりやすい条件などわかるはずもない。

しかし、漫画や小説、ドラマなどで得たイメージに当てはめると、工場やビルの廃墟が一番に思い浮かんだ。

その上で、利便性を考えてみる。

たとえば、コンビニや自動販売機が近くにある場所。

仮に水道や電気が通っていない廃墟で屯するならば、トイレなどがある施設を近くに欲するのではないか。

 

そして、通り沿いのコインランドリーやコンビニエンスストアの半径百メートルに検討をつける。

工場ばかりで友人たちが見つかる保証などどこにもないが、ここで悩んでいても仕方がない。

そう考えた黛は眉間に皺を寄せて覚悟を決めた。

 

(待っていてください、藤枝さん、武蔵さん、あと・・・・・・ええと・・・・・・今行きます!)

 

刀を握りしめて駆け出す。

武蔵を背に負ぶった藤枝とすれ違ったのはその五秒後のことだった。

 

 

 

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・

 

 

 

勢い余ってつんのめりながらも、宙返りからの完璧な着地を果たした自分を見る友人のまなざしを思い出し、黛は赤面した。

誤魔化すようにかぶりを振ると、入口から教室の中を伺っていた人物と目があう。

その人物は相変わらず体操服姿の武蔵小杉であった。

 

「おっ、おはっ・・・・・・おはようございます!ご機嫌はいかがですか?!」

 

「ご機嫌いかがって・・・・・・ええっと、おはよ。調子はまあ、普通ね。ところであいつまだ来てないの?」

 

誘拐事件から昨日の今日であったが、武蔵は既に快調のようだった。

藤枝に背負われて駅前まで戻ってきた武蔵だったが、その時既に意識は取り戻していた。

薬物を嗅がされてせいで、暫く足取りこそおぼつかなかったものの、藤枝が工場で格闘を行っていた時には既に目覚めていたようだ。

駅前で藤枝の傷の手当てを行っている短い間に、その足取りもしっかりしたものに戻っていた。

 

「いえ、先生にも連絡は無いみたいで・・・・・・」

 

「携帯は?」

 

「その・・・・・・番号は知っているんですが」

 

携帯電話の普及によって、その役割を失いつつある公衆電話。

昨今ではめっきり数も減り、街中だけでなく、学内からも徐々に姿を消している。

ここ、川神学園も御多分に漏れず、既に撤去されていた。

どんなに需要が減っても、無ければ無いで不便なものだった。

 

『まゆっちケータイ持ってないしね』

 

「ナチュラルに腹話術挟んでくるわねー」

 

「昨日も言いましたけど、松風は九十九神なので、腹話術ではないですよ?」

 

『常識というルールじゃ測れないことが世の中にはあるんだぜ』

 

「あっそ」

 

『ふーん、とか、あっそ、とかなんなん?』

 

「半ギレで言われても・・・・・・そうだ、携帯貸すから掛けてみてよ」

 

毎度毎度、引きつる表情筋とか、馴れ馴れしく話しかけてくる携帯ストラップや刀にツッコミを入れていたらきりがない。

武蔵は一度軽くため息をついてかぶりを振ると、ポケットから携帯電話を取り出して見せた。

さっきの会話から察するに、藤枝と連絡が取りたいようだ。

黛はまじまじと携帯を差し出したままの武蔵を見つめる。

 

『やっぱムサコッスも心配?』

 

「そ・・・・・・そりゃあ?迷惑かけたし、ちょっとくらいはね」

 

問いに答えながらも、武蔵はつい、と視線を逸らした。

日頃素っ気ない藤枝相手だから、素直に心配していると言うのも照れくさいのかもしれない。

それでも、顔や腕を血で汚した姿を見てしまった以上、無関心ではいられないようだ。

 

「ツッコミが入りませんでしたね、松風」

 

「む、ムサっ、ムサコッスって言うな!」

 

『気に入ったならどんどん自称してっていいんだぜー』

 

「えぇい、うっさい!気に入ってないし自称もしない!ほ、ほらっ、携帯!」

 

「あっ、はい」

 

押し付けるようにして渡された携帯電話の待ち受け画面を数秒眺めてから、恐る恐る、といった様子で黛はボタンを押した。

昨日もらったメモを取り出すでもなく、空で十一桁の番号を入力する。

彼女は物覚えの良いほうだったが、一度掛けたからそれだけで覚えていたわけではない。

他でもない、初めて友人から貰った電話番号だったからだ。

その番号をくれた相手がトラブルに巻き込まれた昨日今日で学校を無断欠席している。

心配でないわけがなかった。

 

「ここを押すんですよね」

 

「そうそう」

 

≪・・・・・・≫

 

番号の後に通話ボタンを押すと、ツ、ツ、ツ、と無機質なダイヤル音から一拍おいて、呼び出し音がかかった。

それだけ確認すると黛は武蔵に携帯電話を差し出した。

武蔵の携帯電話で掛けているのだから、武蔵が出るべきだと思ったのかもしれない。

 

「む、武蔵さんどうぞ」

 

「えっ、わ、私はいいわよ・・・・・・!黛さん出ればいいじゃない」

 

「いっ、いい、いえいえ、そんな。私よりも武蔵さんのほうが・・・・・・あっ!繋がりました!」

 

『パスパス!ムサコッスパス!』

 

「だぁーれがムサコッスか!・・・・・・だ、だけど、そうまで言うなら仕方ないわね・・・・・・ごほん、ごほん、んんっ!」

 

『へっ、おびえてやがるぜ・・・・・・』

 

「うるさいっ!・・・・・・あっ」

 

「ど、どうしました・・・・・・?」

 

「切れた・・・・・・」

 

通話口を押さえて悠長にしていたからか、通話を切られたようだった。

液晶画面を見れば、映し出された通話時間十一秒の文字が。

 

「実は私も昨日同じことされたんですよ」

 

「なんでうれしそうなの・・・・・・?」

 

武蔵は黛から一歩だけ距離を取りつつ、リダイヤルを行おうと液晶画面に視線を落とす。

背後から聞き覚えのある男の声がかけられたのは、ちょうど通話ボタンを押した瞬間だった。

二秒ほど間を空け、声と同じ場所から能天気な着信メロディが鳴る。

 

「おはよう」

 

「ん?」

 

「えっ・・・・・・あっ、おはようございま・・・・・・ふっ、藤枝さん・・・・・・!」

 

声の主は携帯の電源ボタンを押しながら、軽く左手を挙げて口の端を緩めて見せた。

噂をすれば影というのはこのことだろう。誰あろう、藤枝だった。

右頬に大きな絆創膏を貼り付けてはいるものの、一見する限りいつもと同じ調子に見えた。

彼は驚いた顔をして見上げる黛と武蔵の内心を知ってか知らずか、能天気に話を始める。

 

「寝坊した。目覚まし時計の電池が切れてるのに気づかなかった」

 

「・・・・・・おはよう。病院行ってたんでしょ、その・・・・・・怪我の具合は?」

 

頭を掻きながら遅刻した言い訳を口にする藤枝に、武蔵が口ごもりつつも尋ねる。

寝坊とは言うが、大方病院に行っていて遅刻したのだろう、と。

現に、藤枝の体からはかすかに消毒液や軟膏の匂いがした。

素直に心配しているとは口にしないものの、彼女も藤枝の怪我に責任を感じていたようだ。

 

「気にするなよ、どれも大した怪我じゃない。血も止まってるし、痛みも引いた」

 

「顔に絆創膏貼ってあるけど」

 

「顔が命の男に見えるか?」

 

派手に出血したが傷自体は浅いし、痕も残るまい、と藤枝は親指の腹で絆創膏を撫でる。

彼の言葉はどれも事実だった。後遺症が残るような怪我は一つもないと診断されている。

武蔵の予想通り、腕や顔の傷の治療に病院に寄っていたせいで遅刻したのだ。

 

「昨日はお役に立てずにすみませんでした・・・・・・」

 

「俺の手当してくれただろ、充分だ。おかげで化膿もしてないから、すぐ治るとさ」

 

「友達の暖かい言葉が心に染み入ります・・・・・・」

 

『藤枝っちのそういうトコ、オラとしては結構好感度高いよー』

 

「・・・・・・」

 

いちいち大げさな物言いである。

照れくさいのかあきれているのか、藤枝は何か言おうと口を開いたが、結局何も言わなかった。

先日チョロいやつ呼ばわりした際に大層機嫌を損ねたようなので、今回は黙ることにしたのかもしれない。

 

「というか、やっぱり病院行ってたんじゃない。学園に遅刻の連絡ぐらい入れなさいよ。しんっ・・・・・・常識でしょ」

 

武蔵も何か続けて言おうと口をもごもごと動かしたが、結局目をそらして取って付けたように常識を説いた。

 

「新常識・・・・・・?いや、連絡は入れた。綾小路先生は携帯電話が繋がらなかったから職員室にな。

 電話に出た宇佐美先生は綾小路先生に伝えておくと言ってくれたんだが」

 

「宇佐美先生・・・・・・ですか?」

 

「人間学のヒゲでしょ。そっちももう授業やったんじゃないの?」

 

「あ、はい。あの先生ですね」

 

『授業は面白かったけど、テキトーそうな雰囲気が全身から漂ってるよね』

 

「違う学年でもプッレーミアムなS組の担任なんだから、もうちょっとしっかりしてほしいわ」

 

川神学園は独自の教育方針として個性ある生徒を教育するため、人間学、という授業を行っている。

その授業を受け持つのが彼、二年S組担任の宇佐美巨人だった。

本職として代行業を営んでおり、そこで得たユニークな経験や教訓を渋い声で語ってくれるので授業そのものは人気がある。

ただ、ヤニくさいスーツに、中途半端に伸ばした白髪混じりの髪や髭といった風体がいけない。

いかにもうだつの上がらない中年男という雰囲気は、そのだらしない言動と相俟って、生徒からはいわゆる、ダメな大人、として見られてしまっている。

 

「先生は連絡受け取ってないって?」

 

「怒ってましたよ」

 

「・・・・・・嫌だな、あの先生俺にだけ妙に厳しくないか?」

 

白塗りに口紅を差し、公家のような言葉遣いの担任教師、綾小路麻呂の甲高い怒鳴り声を思い出し、藤枝は顔をしかめる。

先日、授業を受け持つ歴史への生徒の理解を深めると言い出し、資料集めを手伝わせられたことは記憶に新しい。

放課後に二時間近く拘束されただけならいざしらず、労いの言葉一つなかったことは心証を大きく下げていた。

 

『クラス委員だからっしょ』

 

「・・・・・・」

 

誰かさんらのおかげでな、と藤枝は眼差しで語るも、黛は気付かなかった。

仮に今朝のHRで何か役割を決めることがあったとして、クラス委員の時のように民主主義的に押し付けられない保証はない。

担任教師やクラスメイトたちへ不信感を募らせる藤枝だったが、武蔵が向き直るように正面に立ったことで意識を引き戻される。

 

「えっと・・・・・・藤枝、平馬。ちょっといい?」

 

「ん・・・・・・ああ、いいよ」

 

フルネームで呼ばれたからか、あるいは武蔵の内心を察してか、藤枝はいつになく真面目な顔をした。

大人びた顔立ちが口を結び、目を据えると、普段の茫洋とした雰囲気の男とはまるで違う人間に見える。

武蔵は居住まいを正し、何か言おうと彼の顔を見上げるも、すぐに視線をそらしてしまった。

彼女は仕切りなおすように、咳ばらいをする。

 

「・・・・・・ごほん、ごほん、んんっ・・・・・・!」

 

「・・・・・・」

 

黛も彼らの間に漂う空気を察したのか、口を閉じて様子を伺う。

 

「えと、昨日は・・・・・・その・・・・・・・・・・・・ごめん」

 

それだけの言葉を絞り出すのに、何度も目を合わせたり、逸らしたりしながら、十数秒の時間を要した。

プライドの高い彼女が自分の非を認めることに大きな努力を要したのは想像に難くない。

藤枝も茶化すようなことはせず、ごく当たり前のように頷いた。

 

「ああ。あまり、心配させるなよ」

 

「う、うん・・・・・・それと・・・・・・ありがと。それだけ!終わり!」

 

ありがと、の後を早口に言い切ると、彼女は赤くなった顔を隠すように藤枝に背を向け、自分のクラスへと歩き出した。

そんな彼女を藤枝と黛は何を言うでもなく見送る。

 

しかし、彼女は教室の戸に手をかけたところで何かを思い出したように足を止めて引き返してきた。

再び藤枝の前まで戻ってくると、手にしていた携帯を開いて操作を始める。

 

「どうした?」

 

「病院代とか出すから、メールで請求してよ」

 

「いや、いいよ」

 

「・・・・・・ん!」

 

「・・・・・・ん?」

 

武蔵が携帯電話を突き出す意図を掴めず、藤枝は首を傾げる。

 

「メアド知らないでしょ。赤外線!」

 

「ああ、そうか。ええと、どうやるんだったかな。これか?」

 

「そ、ここに近づけて・・・・・・」

 

クラスメイトと連絡先を交換した際にも使用した筈だったが、しばらく使っていない機能なので藤枝はその存在を半ば忘れかけていた。

携帯電話を持ち歩く習慣にまだ馴染んでいないせいかもしれない。

あるいは、彼の友人の言うように本当に鳥頭なのかもしれない。

ともかく携帯のメニューを開き、機能を選択。さらに赤外線通信を起動する。

赤外線ポートを合わせると、数秒で送受信が完了した。

 

「それじゃ、後でメールしてよ。えーっと、昨日の・・・・・・伊藤?・・・・・・にも何かあれば連絡するように伝えといて」

 

「ああ、わかった」

 

「黛さんも昨日はありがと。お礼は必ずするから」

 

「い、いえ。私は何もできませんでしたし、お礼だなんて・・・・・・」

 

「いいから。希望があれば考えといて。それと明日の昼休み屋上ね」

 

「あっ、はい」

 

すっかり元気を取り戻したようで、言いたいことだけ言って武蔵は今度こそ教室に戻っていった。

廊下に残された藤枝と黛は彼女を見送った後、どちらからともなく顔を見合わせる。

目が合った黛が反射的に目を逸らすのを眺めながら、藤枝は思い出したように口を開いた。

 

「そうだ。昨日の保冷バッグとか家にあるんだが、放課後に寮まで持っていっていいか?」

 

「あっ、すっかり忘れてました・・・・・・そういえば、荷物どうしたんですか?」

 

「追うときに駅のコインロッカーにしまっておいたんだが、タクシーに乗ったときは俺も忘れてた。

 だから、後で伊藤の自転車と一緒に回収した」

 

藤枝は黛と駅前で鉢合わせた後、伊藤と武蔵を含む四人でタクシーを借りた。

一番に武蔵の自宅へ向かい、次に黛を寮まで送り、最後に伊藤に肩を貸して自宅のあるマンションの九階まで昇った。

そこからは最寄りの駅まで歩き、その後は伊藤の自転車を回収し、再度伊藤の自宅まで届けた。

シャワーを浴びることが出来たのは、十時を回った頃だった。

 

「・・・・・・そういえばタクシー代払ってません」

 

「いい、俺の都合で借りたんだ。一人も四人も値段は変わらないしな。

 大体それを言うなら俺だって包帯とか絆創膏の代金代払ってない、いくらだ?」

 

「そんな、私が払ってないのに貰えません!」

 

藤枝は昨日、黛に豪勢な食事をご馳走になり、その上、駅に戻ってきた際に傷の手当てまでしてもらっていた。

感謝こそすれ、金をとろうなどという考えは欠片も彼の頭にはなかった。

しかし、黛は引き下がろうとしない。

律儀さか、頑固さか、いずれにせよ根負けした藤枝はいくらかかったかを思い出す。

実際よりも安く請求してもよかったが、そこまで気を遣うのも妙だと思った藤枝は、料金を乗った人数で割った、おおよその金額を告げた。

 

「・・・・・・じゃ、四人で割り勘で六百円」

 

「あ、はい・・・・・・実は、割り勘って初めてです」

 

『これ超友達っぽくね?ぽくね?』

 

「友達だからな」

 

「え、えへ、えへへ、えへへへへ」

 

『ぴろりろりん』

 

「・・・・・・」

 

『聞かないん?』

 

「何の音だ?」

 

『今の好感度の上がった音ね』

 

「そうか、そりゃ嬉しいね」

 

にやつく黛の機嫌を損なうようなことを藤枝は口にはしなかった。

この調子だと呼吸してるだけで好感度上がりそうだな、などと、間違っても口に出しはしなかった。

思うだけなら、勝手だった。

 

「そういえば、伊藤さんも連絡がないようなんですけど、何か知ってますか?」

 

一しきり、にやにやしながら一人芝居を演じた後、黛は唐突に素面に戻って藤枝に尋ねた。

今思い出したかのような口ぶりに、藤枝は少し悲しげに眉根を寄せる。

昨日の武蔵が巻き込まれたトラブルの解決にあたって、彼が一番骨身を削った筈だが、この扱いは不憫だ、と。

せめてお望みどおりに、彼の意中の大和田伊代が気に入るような武勇伝を吹聴してやらねば、と。

藤枝平馬にも一応友情は存在した。

 

「あいつからは筋肉痛で休むってメールがあった」

 

今頃何しているだろう、などと考えながら、藤枝は受け取ったメールの内容を口にする。

今日も彼はアルバイトの予定がある筈だが、学校を休むぐらいなのだから今日は交代してもらうのだろう。

そんなことを考えながら、彼は黛とともに教室へ戻っていった。

 

 

 



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第十三話

もっさり更新


 

 

 

どんな職場であっても、いつまでも新鮮な気持ちで働き続けることは難しい。

コンビニエンスストアでのアルバイトも御多分に漏れず。

三週間も経てば仕事内容にも慣れ始め、最大の敵は忙しさよりも退屈さだと気づいてくる。

 

「ふあーあっ」

 

客がいないのをいいことに、アルバイト店員、伊藤誠は大きな欠伸をした。

手癖の悪い客や働きの悪い店員を監視しているカメラも、モニターしている者がいなければ気にもならない。

今日のアルバイトは彼一人だった。

本来ならばこの時間は彼のほかにもオーナーが店にいる筈だったが、急病で欠勤している。

 

「・・・・・・やだなあ」

 

伊藤はひとりごちて、退屈まぎれに、初めて渡された警備会社のロゴ入りストラップが付いた鍵を手の中でいじった。

引き継ぎの際に先輩に渡されはしたものの、使い方をレクチャーされたわけではないので使い方はわからない。

ATMが故障したときに使うということだけは聞いていたが、積極的に聞こうともしなかったので、それだけだ。

彼は今日、ATMが故障しないことを祈った。

 

「・・・・・・」

 

五時半を回るまでは少しは客もいたのだが、今では店内BGMもむなしく響くばかりだ。

清掃もレジのチェックも既に終わらせてしまって、やることが無くなってしまった。

返品する本の回収や品出しなど、やることはあるにはあるが、急いですることでもない。

ストレッチで痛む筋を伸ばしながら仕事を探す。

 

「ん・・・・・・いらっしゃいませー!」

 

すると、彼の念力が通じたのか、客がベルとともにやってきた。

体ごとそちらを向いて挨拶をした伊藤は、客の容姿が目に留まり、わずかに眉を上げる。

客の年の頃は伊藤自身と同じくらいだろうか、ツインテールにした長い髪が目立つ美少女だった。

少女はしばらく冷蔵庫や、レジ前のファーストフードの保温機などを眺めて商品を物色した。

しかし、気に入ったものがなかったのか、一度時計を見上げるとチョコバーを一つ手にしてレジへと向かう。

 

「お会計三十二円になりまーす」

 

「ん・・・・・・」

 

少女がポケットから引っ張り出した五十円玉を受け取り、お釣りの小銭を手渡す。

すると、少女が自分をじっと見つめていることに伊藤は気づいた。

遠目で見ても目を引く美少女だったが、間近で見ると尚のことである。

じろじろと顔や胸元の名札を見つめられたから、どぎまぎしてしまう。

とはいえ、多少である。

彼は良くも悪くも・・・・・・どちらかと言えば、悪い寄りだが、一途なところがあった。

 

「な、なんですか?」

 

何か用があるのかと問われると、少女は考えを纏めるように天井を見上げ、おもむろに口を開いた。

 

「ここのバイトって何人いんの?」

 

「え?ええ、いつもは二人ですね。時間によっては少し多い時もあるみたいですけど」

 

「んで、今は?」

 

「あ、バイトですか?朝夕は人足りてなくて募集してますんで、面接受けるつもりあるならオーナーに伝えときますよ」

 

「や、そーいうのじゃねーから」

 

「あっ、そうですか・・・・・・」

 

では、なんだというのだろうか。

強盗計画でも練っているのかと益体もない考えが一瞬伊藤の頭を過る。

しかし、あまりに馬鹿馬鹿しくて、彼はわずかに口の端を上げた。

そんな考えを知る由もない少女はチョコバーを受け取ると、店内を一度だけ見回してすぐに出て行った。

 

「・・・・・・よ、よし。ふー、仕事だ仕事」

 

妙な気持ちを振り払うように、彼は再び仕事を探し始めた。

すると、足元のごみ袋がいっぱいになっていることに気が付く。

ファーストフードのパッケージのみならず、先のシフトの人がパックを補充したのか、煙草の包装紙がいくつも突っ込まれている。

外の空気を吸いがてら、ゴミ出しに行こうかと彼は袋の口を結んだ。

そして、客がいないことを確認して外に出る。

 

「あっ・・・・・・」

 

伊藤は逃げるようにゴミ置き場のある店舗裏の路地に滑り込んだ。

低い軌道で目を刺してくる赤い日差しから逃げるためだろうか。

それとも、遊んでいる川神学園の制服を着た生徒を見つけてしまったからだろうか。

今日は筋肉痛と言い訳を使って欠席したから、アルバイトをしているのが後ろめたかったのかもしれない。

 

「重っ」

 

ゴミを一旦集積するステンレス製の倉庫の扉は筋肉痛のせいか、いつになく重かった。

うずたかく積まれたゴミにはコバエがたかっていて、見ているだけで気が滅入るようだ。

伊藤はゴミ袋を速やかに放り込み、重い扉を体全体で引きずるようにして閉じた。

 

「・・・・・・」

 

通学にも使っている自転車が目に入り、ぼんやり眺めた。

一日経っても未だに身体全体が痛むほど必死で漕いだ自転車だった。

どうしてあんなに必死になって、顔見知りとも言えないような相手を助けようとしたのか。

そんな風に考えて、友人の言葉を思い出した。

 

友人、藤枝にストーカー行為をやめるように説得されて、放課後にラーメン屋で食事をした時のことだ。

誰に頼まれたわけでもないのに、どうして首を突っ込むんだ、と伊藤は問うた。

それに対し、藤枝は首をひねって箸を置き、十秒ほど考えてから、なんとなく、と言った。

それから更に十秒ほど考えて、やはり、なんとなくだ、と続けた。

多分、伊藤もその、なんとなく、だった。

 

「おっと、店に戻らないと」

 

気を取り直して彼は店へと戻ろうとする。

そんな時、不意に足元に自分のものではない誰かの影が差したことに気が付いた。

特に何も考えずに振り返ると、突然胸ぐらを掴まれて、壁に押し付けられる。

 

「ぐはっ・・・・・・?!」

 

伊藤が目を白黒させたのは、肺の空気をほとんど吐き出してしまったからだけではなかった。

更に言えば、目の前の相手が先ほどの美少女だったからというだけでもない。

彼女が、片手にゴルフクラブを握っていたから、というのが最大の理由だった。

それだけならいざ知らず、そのゴルフクラブに赤黒いシミがついていることに気付いてしまっては、もはや平静ではいられる筈もない。

 

「ひいっ・・・・・・うわあッ?!」

 

じたばたともがいて必死に逃げようとすると、男女の体格差故か、あるいは別の理由か、少女は意外にもあっさりと胸倉から手を離した。

伊藤は百メートル走十四秒の特別遅くも早くもない足で駆け出し、逃走を図る。

しかし、すぐに彼は地面に転がることになった。

筋肉痛で足をもつれさせて転んだわけではない。

 

後ろを振り返り、伊藤は薄笑いを浮かべる少女を見上げた。

どうやら、手にしたゴルフクラブのヘッドで足を引っかけられたらしい。

凶器を前に、無惨な自分の未来を予感したのか、彼は頭を守りながら必死に後ずさる。

 

「かっ、かかっ勘弁してください!!」

 

「痛い目見たくなきゃおとなしくしな!」

 

「金庫の鍵は持ってないんです!やめてくれぇ!」

 

「強盗じゃねーっての。聞かれたことだけ答えりゃいーんだよ!」

 

「・・・・・・」

 

その言葉に、伊藤は恨めしそうに目を細めて少女を見上げた。

華奢な外見とは裏腹に、粗雑な言葉遣いと暴力的な振る舞いは堀之外のチンピラそのものだ。

普段、クズ、ゴミと呼んで憚らない類の相手に一瞬でもときめいた自分を伊藤は内心で罵った。

ついでに、少女のことも語彙の限りをつくして罵倒した。

あくまでも、内心で。

 

「昨日の夜ウチらのたまり場に来たろ」

 

「た、たまり場?どこの?」

 

「浜の・・・・・・えーっと、なんかの工場だよ!」

 

具体的な場所の名前は敢えて言わないのではなく、単に覚えていないだけだった。

少女、板垣天使は、何か確証があって伊藤を脅しかけたわけではない。

彼女が持っている具体的な情報はあくまでも、イトウ、という名前と、バイト先のブランド名のみ。

そして、かわいい顔をしていた、学生だろうか、といった兄たちの極めて主観的な証言だけ。

今日丸一日川神中を歩き回って得た手がかりも、ほぼゼロに近い。

 

そんな状態でこれだけ直接的な手段に及んだのは、単純な理由だ。

 

彼女は今日一日かけて伊藤姓を持つ学生、もしくは学生と思しき若い男を探していた。

それこそ、普段よりも早起きしてコンビニエンスストアを十五件以上も回ったのだ。

 

正午には店員が交代している所を見て、シフトに思い至り、既に見て回った店舗を再度確認したりもした。

 

午後二時を回ったころには長姉の仕事を思い出し、毎日出勤するものばかりではないということに思い至った。

 

午後四時を過ぎたころ、学生が思い思いに放課後を過ごしているのを見て、彼女は気づいた。

学生であれば平日の日中にアルバイトなどしている筈がない。

学校に通わず、定職にもついていない彼女にはまともな曜日感覚など無かった。

 

とはいえ、竜兵が〝イトウ〟を学生だと思ったのは、あくまでも外見から得た印象である。

だから今までの努力や忍耐の全てが無駄だということにはならない。

しかし、遅まきながらに気づいたその事実は彼女自身の神経を大いに逆撫でした。

 

そして、五時になろうかという頃のこと。

やる気を失い、すべて投げ出して帰ろうかと思っていた彼女の前に現れたのが伊藤だった。

菓子を購入して、レジを通る間に顔をまじまじと見てみれば、いくつか新しい擦り傷や痣が。

 

同姓の人違いという可能性が頭にちらつかないではなかったが、無視した。

数時間前までは存在した、目立たないように、とか、噂にならないように、などの考えに至ってはちらつきもしない。

一日我慢して我慢して、もう限界というところに餌がぶら下げられたようなものだ。

彼女は迷わず飛びついた。

 

「・・・・・・は、はい。その・・・・・・女の子がさらわれたみたいだから、助けなくちゃいけないと思って・・・・・・」

 

そんな彼女に対し、伊藤はすんなりと事実を話した。

今時、誰でもカメラ付き携帯電話を持っている。

もし昨夜居合わせた者たちに確認を取られたら一秒でバレる嘘をついても意味はない。

そこで、彼は昨日、自宅へのエレベーター内で友人と打ち合わせた内容を思い出す。

 

〝いろいろ〟したから大丈夫だとは思うが、何かあるようなら被害者ぶって、俺とは無関係を装え。

要約するとそれだけの、単純なものだった。

 

どうしようもなければ名前と住所を教えてもいいとも彼は言っていたが、仲間だと思われるようなことだけは絶対に言うな、とも言われていた。

単なる不良嫌いの顔見知りだと、なるべく共感を得るように悪しざまに話すように、とも。

分別のない者の悪意が向く先を選ばないことなど、誰もが知っている。

 

「よっしゃあ!大当たりじゃん!」

 

「勘弁してください!お願いします!人がさらわれるのを見てられなかったんです!」

 

「へへっ、そんなにビビんなって。別にリュウのトコ引きずってこーってわけじゃねー」

 

「ああっ、ありがとうございます!ありがとうございます!」

 

「そーそー、そういうケンキョな態度は長生きのヒケツだぜ?素直に口を割れば見逃してやんよ」

 

従順な態度に機嫌を良くしたのか、天使は相好を崩した。

その子供のような無邪気な表情に、伊藤はひどくアンバランスな印象を抱いた。

手にした凶器と言動には似つかわしくない表情だ。

しかし、一応でも聞く耳を持っているのならば、交渉の余地がある。

伊藤はつばを飲み込んだ。

 

「オメーを助けに来た奴のこと教えな」

 

「は、はい・・・・・・」

 

 

 

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・

 

 

 

「ってことがあってさあ。大変だったよ」

 

四月二十九日、水曜日、午前八時三十五分。

昇降口で鉢合わせした藤枝と伊藤は教室への道すがら、昨日の話をしていた。

内容はコンビニでのアルバイト中に凶器を持った少女に襲われた、というもの。

 

完全に寝耳に水であった藤枝は藤枝はすぐさま携帯電話を開いて着信履歴とメールを確認するが、そういった旨のものはない。

彼は僅かに目の下にしわを作り、呆れたように口を開く。

 

「あいつら、懲りてないな。昨日の今日で・・・・・・もう、一昨日の昨日だが、まあいい。くそ。

 というか、そういうことがあったなら、昨日のうちに伝えてくれ」

 

「携帯家に忘れてたし、バイト終わると十時じゃん?疲れててさ。夜中にってのも常識ないし」

 

「そもそも学校サボってバイト行ってんのが常識ないよ」

 

川神学園ではアルバイトも社会勉強の一環として認められてはいる。

しかし、学業をおろそかにしてアルバイトにのめり込む様ではいけない。

藤枝が常識を疑うような目で見ると、伊藤は顔を顰めた。

 

「それがさぁ、昨日オーナーから電話かかってきてさぁ。なんて言われたと思う?」

 

「クビだって?」

 

「ちげーよ。昨日はちゃんと五時間働いたことにしておくから、って」

 

「よかったな」

 

昨夜、伊藤から藤枝に連絡があったのは七時前後だった。

特別な事情があったとしても、三時間分もおまけしてくれるとは、そうあることではない。

普段の勤務態度がよほど良かったと見える、と、藤枝は素直に感心した。

しかし、対する伊藤はしかめっ面のままだった。

 

「それがよくねーんだよ。その後に、今日は俺行けそうにないからよろしくねってつけられたらもう休めないだろ?」

 

「なんで行けないって?」

 

「ぎっくり腰だってさ」

 

「それなら、誰かに頼んで交代してもらえばいい」

 

「いや、だって火曜以外で俺と同じシフト入ってる人って、オーナーとこないだやめた土屋さんだったから」

 

「俺なら暇だったから代わってやれたんだがな」

 

他でもない、彼のアルバイト先のコンビニエンスストアは、伊藤のアルバイト先と同じ店舗だ。

そこでは基本的に、休みを取りたい場合は他の店員と交渉して交代してもらう、という決まりになっている。

藤枝は昨日の放課後は特に用事もなかったから、いつでも交代できた。

黛が寮生活を送っている島津寮を訪ねて荷物を返した後は、手持無沙汰で書店で普段読まないような料理本を立ち読みしていたくらいだった。

 

「怪我してたみたいだからな。大丈夫か?」

 

「俺は大丈夫だ。そっちは?」

 

「怪我はない」

 

藤枝の問いに答えながら、伊藤は首をぱきぱきと鳴らした。

既に二人は教室前までついてしまったが、クラスメイト達に聞かせるような話ではない。

しかし、断片的に聞かれるくらいなら問題ないと判断したのか、教室前の窓の外を眺めるふりをしながら話をつづけた。

 

「ようやく筋肉痛もマシになってきたよ。マジで一生分立ち漕ぎした」

 

「そうか」

 

藤枝はその言葉に溜息をつく。怪我がないのは何よりだった。

ゴルフクラブで脅しをかけられたそうだが、無事に済んだらしい。

しかし、無関係の見知らぬ相手だと言って、それで押し通せたのだろうか。

 

藤枝は経験上、あの手の連中がとてもしつこいことを知っていた。

そして、納得できない答えだと、例えそれが真実だとしてもなかなか信じようとはしない。

だから、態々撮りたくもない写真を撮って、安全装置代わりにしたのだ。

しかし、それを無視して暴力的な手段をとった。

そこまでしておいて、すんなり伊藤を帰すなど、藤枝としては信じられないことだった。

 

伊藤が嘘をついていて、脅迫犯と知り合いだった場合のことを考えなかったのだろうか。

その場合、密告されて写真がばら撒かれてしまう恐れがあるというのに。

現に、伊藤は藤枝に昨夜の顛末を話してしまっている。

 

「・・・・・・」

 

藤枝にはツインテールの少女の思惑が全く読めなかった。

いくつか考えられる可能性としては、写真などどうでもいいのか、想像もつかないほどの深謀遠慮の持ち主なのか、あるいはぱっぱらぱーなのか。

 

彼は三番であってほしいと願うが、楽観視はしなかった。

もしかしたら、伊藤は名前や住所を話してしまったものの、言い出しづらいのかもしれない。

そう考え、藤枝は既に話してしまっていることを前提にして尋ねる。

 

「俺のことはどこまで話したんだ?今朝も昨夜も家の周りに変な奴はいなかったが・・・・・・」

 

「おいおい、見くびるなよ。それっぽい嘘を吹き込んで追い返したさ」

 

「嘘・・・・・・?」

 

「所詮はバカなチンピラだしな、ちょっと脅かしたら顔青くして帰ってったぜ。

 顔はかなりかわいかったけど、やっぱり大和田さんとは生き物としての格が違うよ。

 人間見た目は大事だけど、やっぱり中身も同じぐらい大事だね」

 

元々不良嫌いを公言して憚らない男だったが、昨日、一昨日の件で更に彼らへの嫌悪感を強めたようだ。

知人を誘拐された上に、自身は暴行を受け、凶器で脅さたのだから、そうなるのも無理はない。

しかし、いつになく饒舌に喋る伊藤に、藤枝は疑うようなまなざしを向ける。

 

「何を言ったか知らんが・・・・・・本当にお前の嘘を信じたのか?

 いや、それで通ったなら、俺としては言うことないんだが・・・・・・」

 

「どういう意味だよ」

 

「際限なく話を盛るから、まるでリアリティがない」

 

「どこが」

 

「ええと?学生は世を忍ぶ仮の姿で、本当は大和田伊代を守るために内閣調査室から来たエージェントなんだっけ?

 彼女の父親が開発した永久機関のテクノロジーをCIAとKGBが狙ってるんだったか?

 確か駅前のレコード屋の店長はKGBのスパイで、コードネームは赤い・・・・・・」

 

「やめろ!」

 

先日、遅刻して学級委員を押し付けられた日のことだ。

体育の時間に遅れて登校してきた藤枝は、無人の教室で大和田伊代の机を漁る伊藤を発見した。

何をしているのかと問うと、彼は耳を疑うような言い訳を口にした。

あれと同レベルの作り話を真に受けるような人間がいるなら、それこそお目にかかりたいものだと、藤枝は皮肉っぽく口の端をゆがめた。

 

「二秒で真面目に聞く気が失せるってのもすごいが、地味に時代設定もおかしいな。

 KGBはお前が生まれるよりも前に無くなってる」

 

「うるせー軍オタ、普通のヤツはそんなコト知らねーって」

 

「オタクじゃない。仮に知らなかったとしても永久機関でアウトだ。胡散臭すぎる」

 

「九鬼のAIとか最近凄いらしいし、信じるかも。それに川神だし」

 

「・・・・・・うーん、最後の一言は、すごく説得力があった」

 

「だろ?俺も学ぶさ」

 

「まぁ、それならいいんだけどな・・・・・・」

 

「そこなふたり!今日は少し早くホームルームを始めるから、の。着席するでおじゃる」

 

「「あ、はい」」

 

背後から声をかけられて二人そろって振り向くと、担任教師の姿が。

真っ赤な紅を差した眉のない白塗りの顔が眼前に現れ、口元がひきつる。

話に夢中になっていたようで、藤枝も伊藤も全く気付かなかった。

彼らは素直に指示に従い教室に入る。

既にクラスメイト達は全員着席していた。

 

「出欠は後にしようかと思っていたのだが、の・・・・・・感心感心。皆揃っている、の」

 

壁掛け時計が示している時間は、いつもHRを始める時間よりも十分ほど早かった。

それなのに全員いるとは、皆よほど学校が好きと見える。

綾小路は上機嫌そうに出席簿を閉じ、連絡事項をいくつか確認した。

そして、最後に少しだけ眉を顰め、彼には眉毛が無いが、ともかく、眉を顰めて口を開いた。

 

「後は・・・・・・工業地域や堀之外で凶悪犯が出没するらしい、の。

 近づかないように、ということと、近くに住んでいる者は気を付ける、の」

 

「凶悪犯ですか?・・・・・・不良とかじゃなくて?」

 

あまり聞き馴染みのない言葉に、クラスメイト達の数名がざわめいた。

一方、藤枝は片方の眉を僅かに動かしただけにとどまった。

彼の脳裏には、誘拐や傷害を起こした凶悪犯の顔が浮かび上がっていた。

さらに、ゴルフクラブを振りかざして人を脅しかけるような人間もいると聞いている。

今更な話だった。

 

「宇佐美先生から聞いた話だから、の。麻呂には縁のない話でおじゃる」

 

他人事のように言い捨て、綾小路は出席簿を閉じて教室を出て行く。

それと同時に、教室内はにわかに騒がしくなった。

勿論、話題は担任教師の言っていた、凶悪犯、である。

彼らの多くは他人事だと思っているらしく、ゴシップを話すようなお気楽な表情だ。

 

「マロの言ってたのマジ?凶悪犯ってヤバくね?誰か知ってる?」

 

「あっ、俺知ってる。昨日ゲーセン仲間のヤツが話してたんだよ。

 なんか滅茶苦茶ヤバいヤツらしいな。不良を拉致って拷問にかけるのが三度の飯より好きだとか」

 

「あっ、あたしも聞いたよー、東京の警察病院から脱走した凶悪犯で、ジャンキーなんだって。

 なんか夜な夜な薬を求めてそれっぽい人を狙って襲うんだってさー」

 

「暗闇から突然現れて、犠牲者の血で染め上げた布で縛り上げるんだってよ。それから拷問するらしいぜ」

 

だってだって。らしいならしいな。

信憑性皆無だ。

尾ひれ背びれどころか、全部が全部嘘っぱちの可能性だってある。

藤枝はぼんやりと聞き流しながら、噂話をしている方を振り返った。

見れば、数人のクラスメイト達に交じって柏木の姿が。

彼はゲーム好きで毎日のようにゲームセンターに通っていた。

噂とやらはそこで聞いたというが、誰が出所で、どこまで正確に伝わっているというのだろう。

なんにせよ、仮に凶悪犯が実在したとしてもすることは変わらない。

夜間の外出を避け、人通りの多い道を歩けばいいだけだった。

 

「てことは、趣味と実益を兼ねて襲ってるってことか?不良を?」

 

「え?てゆーことは正義の既知外なの?」

 

「正義の既知外ってなんだよ?」

 

「だってあたし不良嫌いだしー」

 

「いや、それが見境なしらしいぜ」

 

「どういうこと?」

 

「不良の女を襲うのを邪魔したコンビニ店員にムカついて、コインランドリーの洗濯機に閉じ込めて水責めにしたんだって。そいつ死にかけたらしいぜ」

 

「うそー?」

 

「マジかよそれ」

 

聞き流す予定だったが、不意に耳に入ってきた、いくつかの単語に藤枝は反応した。

暗闇、血染めの布、不良、女、コンビニ店員、コインランドリー・・・・・・

三つぐらいまでなら彼も聞き流しただろう。

ただ、ここまで揃ってくると無視もしづらい。

もしや先日の誘拐事件と噂話に関連性があるのではないか、と考えた藤枝は伊藤が昨日ついたという、それっぽい嘘、とやらの詳細を聞こうと席を立つ。

 

「・・・・・・あれ?藤枝、お前昨日言ってたよな。伊藤がバイト中に不審者に襲われそうになってた女性を助けたとかなんとか」

 

「・・・・・・あ、ああ」

 

しかし、そんな彼の出鼻を挫くように、噂話に花を咲かせていた柏木が水を向けてきた。

昨日、伊藤が休んでいる理由を聞かれた際に話したことだった。

武勇伝がほしいというリクエスト通り、伊藤は不審者から女性を助けて負傷して休んでいる、とそれとなくクラス中に広まるように話をしたのだ。

嘘はついていない。ただ、自転車の漕ぎすぎの筋肉痛で休んでいるとは言わなかった。

格好がつかないから具体的に話さなかったのだが、それが災いした。

 

「ってことは、もしかしてそのコンビニ店員って伊藤?昨日休んだのってそういうことなわけ?」

 

「マジかよ?すっげー・・・・・・お前度胸あるな」

 

「え?あー・・・・・・そ、そりゃ・・・・・・ほっとけねえし・・・・・・?」

 

こじつけか、それとも伊藤本人がそういう話を、それっぽい嘘、とやらでしたのか、どちらにせよ、彼は否定しなかった。

それにより、水攻めにあったコンビニ店員=伊藤という図式が出来上がる。

危険人物の怒りを買い、死にかけてまで女性を助けた勇者として、伊藤をクラスメイト達は口々に持て囃した。

 

「へー、伊藤君って勇気あるんだー」

 

「すごーい!」

 

「いや、かっこいいぜ、お前」

 

「・・・・・・ま、まあな!」

 

「でもよかったな。なんか湘南とか木更津の方でも去年の夏から秋にかけて出没してて、もう二人は殺してるって聞いたぞ」

 

「えー?大丈夫なの?」

 

「いや、はははっ!もう平気だって。次は負けないからさ!」

 

「・・・・・・」

 

「あ、あの、藤枝さん。もしかして・・・・・・」

 

亀裂のような眉間の深い皺を隠すように顔を伏せた藤枝に、黛がそっと耳打ちした。

凶悪犯とやらの噂は、どうにも先日の誘拐事件といくつか符合していることに彼女も気付いていた。

藤枝は先日の事件の顛末を語らなかったから、彼女にとって大よそは聞き知らぬ話だ。

しかし、知っている事実と、噂話で明らかに矛盾している部分が一つある。

 

伊藤が水攻めにあった、という話だ。

薄汚れ、筋肉痛の体をひきずる必死の体ではあったが、彼は無事に自転車を漕いで帰ってきた。

彼は藤枝がきちんと送り届け、翌日学校を休んだものの、筋肉痛で休む、とメールで伝えている。

 

目の前にいるのは頭を抱えて口をへの字に曲げた藤枝。

そして、水攻めにされたという噂を否定せず、クラスメイトに囲まれて有頂天な伊藤。

ぼんやりとだが、黛には彼らがそうする理由がわかったような気がした。

そんな彼女に一瞥くれて、藤枝は呟いた。

 

「違う、俺じゃない。犯人は別にいる」

 

『最初はみんなそう言うんよ・・・・・・』

 

刑事のように囁く言葉が物凄く他人事のように聞こえて、彼は無意識に唇を噛む。

いつの間にか凶悪犯にされてしまっていた。

こんな噂になってしまって、誘拐犯たちがどのような対応に出るかは不明だが、少なくとも状況は正しく把握しなければならない。

彼は、今すぐにでも伊藤を問い詰めたい気分だった。

しかし、クラスメイトの輪の中に割って入ってまで手出しはできない。

座りなれた教室中心近くの席が、まるで針の筵のようだった。

 

 

 



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第十四話

展開をいじるに伴い、ちょっと修正


 

 

 

「・・・・・・アイツはその人を下着姿にして乱暴しようとしたんだ。

 見ていられなくて・・・・・・俺は、勇気を振り絞って、奴に殴り掛かった。

 だけど、アイツは強かった・・・・・・自分を棚に上げて、クズを殴るのがやめられないほど楽しいんだ、って、笑いながら、何度も・・・・・・

 顔の痣、それのせいです。服の下にもたくさんあります・・・・・・

 邪魔した俺をターゲットにしたらしくて、縛り上げてからサッカーボールみたいに蹴りだしたんです。

 それから、向かいのコインランドリーの大型洗濯機の中に閉じ込めて水を・・・・・・ううっ、もう嫌だ・・・・・・!

 アイツは狂ってる!どうして俺がこんな目に合うんだよ!」

 

「マジかよ・・・・・・あれ?でも、それだとなんでウチに電話かけてきたんだ?」

 

「え?え、えーっと・・・・・・ギャラリーの前でヤるのがイイんだって言ってました!

 ほ、本当に最低な男だ!野獣ですよ、いや、それ以下だ!だから俺は殴り掛かったんです!」

 

「・・・・・・あ、あの変態ヤロー・・・・・・ぜってーぶっ殺す・・・・・・!」

 

 

 

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・

 

 

 

「って感じ」

 

昼休み、ようやく機会を得た藤枝は、教室棟、一階階段裏のスペースで伊藤を問い詰めていた。

しかし、藤枝の内心とは裏腹に、伊藤の口調は気楽なものだ。

〝それっぽい嘘〟を、悪びれもせず、情感たっぷりに再演した伊藤に、藤枝は困惑のまなざしを向けた。

 

「俺は一体何者なんだよ」

 

「被害者ぶれって言ったじゃん」

 

確かに同じ被害者として、共感を得られるように話せ、とは言ったが、ここまで大げさにするとは予想していなかった。

 

褒められる点もないではない。

武蔵を見知らぬ他人として正義感で助けたに行った、としたことは藤枝は高く評価した。

自分が気づいた時には既にいなくなっていた、と言った点もである。

知らぬ存ぜぬが通るなら、それが最高だ。

 

散らかった噂話を整理したところ、コンビニ店員に助けられた女とやらは一人しか出てこない。

おそらく、先ほど伊藤が言った下着姿にされた女性、板垣辰子と混同されて広まった可能性が高い。

当面の間目立つ体操服で外出するのをやめ、軽率な行動を控えればトラブルは避けられるだろう。

 

「いや、言ったけどさ・・・・・・じゃあ、ジャンキーとかって話はどっから出てきたんだ?」

 

「それな、不良といったらドラッグだろ?だから脅かす目的で言ったんだよ。

 あれは・・・・・・最近噂になってる既知外ですよって。

 もともと東京の警察病院にオーバードーズで入院してたらしいですけど、脱走したらしくて・・・・・・みたいな

 そんでさ、傑作なんだよ。キョロキョロしだしてさ、壁の張り紙見つけてんの。こないだ店長が張ってたやつ」

 

「張り紙?・・・・・・ああ、見ているよ、ってやつか。何枚も張っちゃって、まるでパラノイアだよな」

 

「あそこ監視カメラないからな。よくゴミ漁られる上に、先週自転車のサドル盗まれてキレてんだよ。

 んで、それ見て顔青くしてめっちゃ声震えてんの。あれお前にも見せたかったわ」

 

「・・・・・・あまり調子に乗ってると、しっぺ返しを食らうぞ」

 

「でも悪く言えって言ったじゃん」

 

「あのな、俺はあいつらの縄張り荒らしたんだぞ?

 次もあるような言い方をしたら血眼になって探し出そうとする奴も出てくるだろ?」

 

「でも所詮チンピラだろ?同じクズ同士ならともかく、連続殺人犯にはビビッて手を出せない。どうせ弱い者いじめしかできない奴らだ」

 

「どうだろうな。柳を怖がるような可愛い奴らばっかりだといいんだが」

 

「まあ、人のうわさも七十五日っていうしな。見つからなきゃ諦めるだろ」

 

「七十五日で消えるような、もう少し当たり障りのない嘘にしてほしかったね」

 

「そんな注文はされてないし、つーか、お前こそ何したんだよ?

 もしお前に会うことがあっても、絶対に自分たちのことを言うなって言ってたけど・・・・・・

 喋ったらリューとかいう奴が俺のことを掘り殺すんだとさ。IQ低い言いぐさだよね」

 

「そういうお前のIQはいくつなんだ」

 

「俺?五十三万」

 

「・・・・・・浮かれてるところ水を差して悪いがな、嘘がバレたらお前殺されるぞ」

 

嫌いな不良を右往左往させて大喜びしているが、落とし前、とは何も職業暴力団だけの文化ではない。

伊藤は彼らに顔も名前もアルバイト先も知られている。

現状、一番危険なのは間違いなく彼だった。

 

「心配しすぎだって。俺と?お前と?武蔵小金井?本当のこと知ってるのは三人だけだろ?

 誰も話さない。どっからバレるって?連中は全員気を失ってた」

 

「辰子とかって女は起きてた」

 

「え?」

 

「背の高い美人の・・・・・・手足は縛って口も目も塞いだがな。

 俺が襲おうとしていないことも、お前が自分を助けたりしてないことも、分かるはずだ」

 

更に言えば、残した怪文書の内容とも随分と食い違う。

辰子のみならず、藤枝の姿を見ていない誘拐犯たちも、何かしらの違和感は持つだろう。

詳細を話していない以上、それを責めることはなかったが、藤枝は苦虫を噛み潰したように顔を顰めた。

 

「・・・・・・あ」

 

「バカ野郎」

 

「ど、どど、どっ、どうしよう!?」

 

「どうしようもない。それこそ、口裏合わせてくださいってお願いでもするんだな」

 

「できるわけねーだろ!あのうすらでかい暴力ホモの双子の姉なんだぞ!」

 

「双子だったのか?似てない双子だ」

 

誘拐犯たちの携帯電話のメールボックスを調べた時のことを思い出す。

同じ板垣姓だったから兄弟姉妹だろうとは思っていたが、双子というのは予想外だった。

世の中には似てない兄弟などいくらでもいるが、二卵性でも双子なのだから少しぐらい似そうなものだ。

藤枝はぼんやりと脳内で福笑いを作った。

 

「くそ、くそう、死にたくねえ。掘り殺されるなんて死んでも嫌だ」

 

「とりあえずバイト先変えたほうがいいと思うぞ」

 

「・・・・・・ちくしょう、あそこ家から一番近くていいとこだったのに」

 

「後、しばらくの間は外を出歩くときに帽子でも被れ。カツラでもいい」

 

「マジかよぉ、なんとなくで人生棒に振るとかありえねーんですけど」

 

内閣調査室のエージェントでもないのに人目を忍ばなければならないとは。

伊藤はがっくりと項垂れ、廊下の床に両手をついた。

 

「人のうわさも七十五日だ。連中の記憶からお前の顔が薄れるまでやり過ごすんだな」

 

「なんでお前そんな余裕なんだよ」

 

「正直に言うと、余裕じゃない。さっきから考えがまるで纏まらない」

 

藤枝の言葉は真実だった。

冷静でも余裕でもなく、意識的に現実逃避しているだけだ。

実害も実体もない噂をいつまでも信じ続ける人間はそう多くない。

いずれ、冷静になったゴルフクラブの少女が再び伊藤を探し始めるのは目に見えている。

そして、彼が見つかって捕らえられれば藤枝も一蓮托生だ。

騙されたと悟れば、尋問に暴力を用いるのをためらうまい。

次は嘘は通用しないだろう。

 

先日、彼が不意打ちして絞め落した不良相手ならば、写真という保険がある。

ただ、ゴルフクラブの少女のように、安全装置を気に掛けることもなく襲い掛かってくるような相手は手の打ちようがない。

確かに、二度と歯向かえなくなるような、汚いやり口ならいくらでもある。

しかし、誰もそんなことはやりたくなかった。

 

「とりあえず、見つからないように気を付けろ。

 だけど、もし捕まったら俺の名前も住所もしゃべっちまっていいぞ。

 ただ、武蔵の噂はあまり流れてないみたいだから、そっちはしゃべらないでくれ。

 そうだ。昨日説明書を読んで知ったんだが、短縮ダイアルというものがあるそうだ。俺を登録しておいてくれ。

 コール一回で即切れば・・・・・・ワン切りって言うらしいな、まあ、それで何かあったと思って駆けつける」

 

「うおぉ、誰か俺を助けてくれ・・・・・・!」

 

「自分の身は自分で守るんだ」

 

少なくともそういう意識でいてくれなければ困る、と付け足す。

新しく覚えた携帯電話の機能も、できれば使う機会がないことを祈るばかりだった。

 

 

 

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・

 

 

 

伊藤との密談を終えた藤枝は、一人教室で昼食を取った。

はじめは友人を探したが、密談のせいで出遅れてしまったのだ。

わびしくコンビニ弁当を食べ終えて、今はガムを噛みながら廊下を歩いていた。

右手に提げられた半透明の茶色い袋の口からは、割り箸やトレーがのぞいている。

彼の目的地は階段脇のゴミ箱だった。

教室のものには、弁当の容器など、匂いのするものを捨ててはいけない決まりになっている。

 

「あっ、藤枝さん!」

 

味のなくなったガムを包み紙に吐き出し、弁当と一緒にゴミ箱に放り込もうとした時、背後から声がかけられた。

振り返って見れば、上階、一年C組は最上階にあるので、屋上となる、から降りてきたらしい、黛の姿が。

なぜか嬉しそうに口元が緩んでいる。

 

「元気そうだな」

 

「はいっ、元気ですっ!」

 

藤枝が挨拶を返すと、よほど嬉しいことがあったと見えて、彼女は二段飛ばしで跳ねるように階段を降りてきた。

翻るスカートを手で押さえてはいるが、薄緑色の布地がちらりと見えて、藤枝はさりげなく目をつぶる。

彼女はそんな様子に気づくこともなく、百点を自慢する小学生のように弾んだ声で話し始めた。

 

「武蔵さん、また一緒にお昼ご飯を食べよう、って誘ってくれました!」

 

「そうか。そういえば今日か・・・・・・それは良かったな。弁当、どんなのだった?」

 

一昨日、武蔵が黛に礼をすると言っていたことを藤枝は思い出した。

昨日も、明日屋上で、と武蔵が念押ししているのを聞いていた彼は、だから屋上から降りてきたのか、と納得する。

 

「今が旬の筍ご飯でした。おかずは和食中心なんですけど、彩り豊かでどれもすごくおいしかったです」

 

『アレ地味に手間かかるんだぜー。魚の焼き物とか、昨日から下ごしらえしてくれてたっぽいしさ』

 

「魚偏に春で、さわらって言うんですよね。初めて食べました」

 

『ハイここで北陸娘クイズ入りまーす』

 

「なんだって?」

 

『ほくりくむすめクイズね。ほくりくっこ、じゃねーから気をつけなボーイ』

 

「・・・・・・」

 

藤枝はどう反応していいものかと、かすかに目を細めた。

とはいえ、せっかく上機嫌なところにわざわざ水を差すこともない。

眉間をもんで気を取り直し、身振りで先を促すと、浮かれた様子で黛は話し始める。

 

「実は、私の地元でもサワラって呼ばれてる魚があるんですけど、関東だと・・・・・・」

 

「カジキだろ」

 

「・・・・・・予想外の早押しでした。えと、正解です」

 

地元の加賀でサワラと呼ばれ、売られている魚は関東ではなんと呼ばれているでしょう、という問題だった、と黛は副音声で補足する。

正確には、関東でも地方によって様々な呼び名があるのだが、藤枝は訂正しなかった。

なんでそんなことを知っているのか、というと、単純なことだ。

 

「金沢に一度行ったことがある。綺麗ないい街並みだよな」

 

『おっ、藤枝っち見る目あるじゃん』

 

ほんの数日の滞在だったが、スーパーや商店街で見慣れない魚を眺めたりもした。

切り身のパックの値札に、サワラ(カジキ)と書かれていたことも、藤枝の記憶には残っている。

よく鳥頭だと友人にからかわれる男だが、どうでもいいことはよく覚えている。

 

「こっちじゃ弁当なんかでは定番なんだけどな、西京焼きとか幽庵焼きで」

 

「そうなんですか?」

 

『食に限らず意外と文化違うよねー』

 

「ああ。しかし、意外だな。筍ご飯もだが・・・・・・お母さんに作ってもらったんじゃないのか?」

 

武蔵が台所に立つ姿が想像できなかった藤枝の、単なる偏見である。

しかし、その言葉には予期せぬところから返答があった。

 

「むっ・・・・・・ほんと失礼なやつね」

 

不機嫌さが滲み出た声に藤枝は振り返った。

屋上への階段の踊り場には、案の定、最近見慣れた体操服姿が。

いつもの動きやすそうな格好だが、今日は風呂敷で包まれた四角い何かを携えている。

どうやら話を聞いていたらしい。

二人で降りてきたところ、藤枝を見つけた黛が先に駆け下りたようだ。

 

「失礼ですまないんだが、きみが米糠で筍茹でてるイメージがわかなかった」

 

「一通りの教養は身に着けてるって言ったでしょ、料理もプッレーミアムにこなせるわ。

 ・・・・・・というか、そういう自分はどうなのよ、三食コンビニ弁当?」

 

武蔵の視線の先にあるのは、藤枝が手に下げたままのビニール袋だった。

コンビニのロゴの向こうに、黒いプラスチック容器とカラフルな紙容器が透けて見える。

豚焼肉弁当、三百九十八円と値札の張られた空の弁当箱と紙パックの野菜ジュースだった。

 

「いつもだと栄養が偏ってしまいますよ」

 

「大丈夫だ、ほら、野菜ジュース」

 

『野菜ジュースってホントに栄養取れんの?ムサコッス知ってる?』

 

「ちゃんと食事で取ったほうが体によさそうな気がするけど・・・・・・って、ムサコッス言うな!」

 

「そんな感じしますよね」

 

「・・・・・・」

 

説教されているような気分になって、藤枝は目をそらしてゴミを処分した。

今では食生活が中食中心となっている彼だが、川神に越してきてすぐの頃は自炊を試みたりもしていたのだ。

しかし、いくつかの理由から結局一週間と持たずにやめてしまった。

理由としては、時間の問題、冷蔵庫の容量、使い切れず余る食材、等々。

そしてなにより、自分のためだけに料理を作って一人で食べるのは虚しい。

 

「俺も寮にすればよかったかな・・・・・・そういえば、黛の寮って、あの寮母さんが三食・・・・・・いや、二食か。作ってくれるのか?」

 

藤枝は、昨日、寮に保冷バッグを返しに行った際に挨拶した寮母の顔を思いだす。

四十代中盤だろうか、ふくよかで気風のいい、いわゆる、おかみさん的なイメージを具現化したような女性だった。

 

「平日の朝食と夕食は麗子さん・・・・・・あっ、寮母さんです。が、作ってくれてます。

 ですけど、土日はなくて、自炊する人もいれば外で済ませてくる人もいるみたいです」

 

『出来ない、出来てもやらない人が多いっぽいね』

 

「面倒くさいのさ、みんな。風間君なんか、土日はどうせ三食外食だろ?」

 

続いて、藤枝は行動力の塊のような友人の顔を思い浮かべた。

以前、料理は作れるようなことを言っていたが、彼に自炊をしているようなイメージはない。

時々電話で美味い店めぐりや、新店舗発掘に誘ってくることもあり、その印象に拍車をかけていた。

 

「あまり寮にいないので、たぶんそうだと思います・・・・・・あ、でもこの間の日曜日は皆さん集まって夕食を食べましたよ」

 

「ああ、言ってたな。それで友達できたって?」

 

「はい!クリス先輩の歓迎パーティがありまして。川神先輩たちも来て、賑やかで羨ましいなー、って思っていたら、風間先輩が私のことも誘ってくれたんです!」

 

『ホンマ風間さんの優しさは五大陸に響き渡るでー』

 

「なかなか馴染めなくとも、希望を捨てずに過ごした三週間は無駄ではありませんでした・・・・・・!」

 

「・・・・・・」

 

先日、新しく友人になった者たちの名前を黛は藤枝に教えた。

その中には、丁度その当日川神学園に転入したクリスティアーネ・フリードリヒの名もあった。

彼女の入寮パーティを切っ掛けに、友人をたくさん作れた、ということらしい。

しかし、そうなると逆に気になることが藤枝の脳裏に浮かんだ。

 

「しかし・・・・・・」

 

「はい?」

 

「あ、いや、なんでもない」

 

『気になるじゃん』

 

「楽しそうで何よりだと思っただけだ」

 

彼が口にしたのは偽らざる気持ちではあったが、しかし、に繋げようとした本来の言葉ではなかった。

実際に言おうとした内容は、君自身の歓迎会はなかったのかい、というもの。

話しかける切っ掛けが無かったというようなことを言っていたから、無かったのだろう。

下手に聞けば落ち込むかもしれないし、察しはつくから聞きはしなかった。

しかし、言いづらそうに口ごもったことは彼女にもわかったようで、黛は照れくさそうにはにかんでみせる。

 

「あ・・・・・・す、すみません。少しはしゃぎすぎました」

 

「いや、嬉しい時はちゃんとはしゃいだほうがいい」

 

「え、か、川神先輩って三年の川神百代先輩のこと?」

 

「はい、二年生の一子先輩もですけど」

 

「風間先輩とかクリス先輩ってのも、アレよね」

 

武蔵が驚くのも無理はない。ほんの数日で築かれた黛の交友関係はすさまじいものだった。

特に、川神百代、一子姉妹、クリスティアーネ・フリードリヒ、風間翔一。

おそらく、学園の生徒に知っているかと尋ねて回れば、ほとんど全員が知っていると答えるだろう。

一年首席の武蔵も有名人といえば有名人だが、彼らほど名が通っているわけではない。

 

「むむ・・・・・・そのあたりの面子と比べちゃうと、まだ私もプレミアムさが足りないわ」

 

「前々から聞こうと思ってたんだが、そのプレミアムってのはなんなんだ?」

 

「何って、武蔵家の人間としての高級感というか・・・・・・一歩先を行く感じするでしょ?」

 

言いながら、武蔵はモデルがカメラの前でするように気取ったポーズをとった。

生意気そうなツリ目が特徴の顔立ちは、学園でも上位に入るほど整っているし、スタイルもメリハリがないではない。

体操服で気取ったポーズをとる滑稽さはともかく、見目そのものはかなりよい。

 

「・・・・・・」

 

しかし、黛の隣で、しな、を作っても引き立て役にしかなっていない。

顔は好みによるだろうが、背といい胸といい腰といい、発育が違う。

返答に困った藤枝が口ごもり、品定めでもするように二人の間で視線を往復させると、不躾な眼差しに気づいた二人は羞恥に顔を赤くした。

 

「なっ、なにを見比べてんのよ!」

 

「あ、あわわ・・・・・・」

 

「ああ、いや、セクハラだったな。すまない。

 なんだ・・・・・・人と比べて卑屈になることなんてないぞ。きみも十分魅力的だ」

 

「すごいムカつくんだけどコイツ・・・・・・」

 

女性を褒めるときに、も、とか、十分、とか言ってはならない。

それは、相手を不機嫌にさせる、デリカシーに欠けた上から目線の物言いだ。

そのことに言ってから気づき、藤枝がバツが悪そうに頭をかくと、武蔵もため息をついた。

 

「まったく、食生活改善に手伝ってあげようかと思ったけど、やめよっかな」

 

「申し訳ない・・・・・・何の話だ?」

 

「コンビニ弁当ばっかりじゃ、そのうち身体壊しそうってこと」

 

それは藤枝自身も思っていたことだった。

だが、同時に、だったらどうしろというのだ、とも考える。

仮に栄養バランスを考えた献立やレシピを渡されたところで、実行までにはいくつもの壁がある。

費用面はともかく、手間暇の問題や冷蔵庫のスペース、一人暮らしの食卓と小売りの食材の分量に付随するいくつかの問題も踏まえ、結局自炊は諦めたのだ。

 

「まぁでも?怪我が治って決闘したところで調子悪いやつに勝っても仕方ないし?」

 

「あ、でしたらお昼ごはん、ご一緒しませんか?藤枝さんのお弁当も作ってきますから」

 

「どうしてもって言うんなら、作ってきてあげないことも・・・・・・うぇ?!」

 

黛の言葉に素っ頓狂な声を上げたのは、藤枝ではなく、横で聞いていた武蔵のほうだった。

藤枝はちらりと彼女の方に怪訝そうな眼差しを向けるが、すぐに視線を黛へ戻す。

表情は楽しげではあるが、冗談を言っている風でもなく、本気で言っているらしい。

 

「台所は共用なので毎日は難しいですけど、時々でよければ・・・・・・」

 

「・・・・・・いや、いい。ありがたいんだが、そこまで甘えるつもりはない。迷惑だろ」

 

「い、いえ!そんな、迷惑なんかじゃないです。料理好きですし」

 

「そうか?」

 

藤枝は先日の鍋を思い出し、無意識に唾を飲み込んだ

黛は武蔵の料理の腕を褒めていたが、彼女も一般的な女子学生のレベルを大きく超えている。

きっと、何が出てきても食べ飽きたコンビニ弁当などとは比べ物にならないだろう。

しかし、時々というのがどの程度の頻度かは不明だが、何度も作ってくれるような口ぶりに、藤枝も思い悩む。

遠慮は一度までと決めてはいたが、かける負担を考えると頷きづらい。

そんな内心を知ってか知らずか、武蔵が横やりを入れた。

 

「ちょ、ちょっとまった!」

 

「どうした」

 

「え、えっと・・・・・・ま、黛さんの人のよさにつけ込むのはよくないんじゃないの?」

 

「人聞きが悪いな、厚意だよ。とはいえ、確かにそうまでしてもらうのは気が引ける」

 

「そうそう」

 

『マブダチに遠慮とかいらねーよ?』

 

「ありがとうマブダチ。でも、一方的に貰ってばかりなのは俺の精神衛生上よくないんだ。

 ・・・・・・そうだ、たまに弁当でも持ち寄って昼食をとるのはどうだ?大した腕じゃないが、俺も作っていく」

 

藤枝の作る弁当と黛が作る弁当が等価かどうかは別として、一応体裁は保てる。

それに、弁当を持ち寄って昼食をとるのはコミュニケーションのきっかけになる。

友人を誘って食卓を囲めば、新しい友人を作れるのではないだろうか。

 

「そうだな、いろんな奴誘っておかず交換したり、お喋りしたり・・・・・・楽しいと思うぞ」

 

「は、はいっ!楽しそうです!」

 

『その発想、やはり天才か・・・・・・』

 

「・・・・・・ま、それはそれでいいけど」

 

≪~~♪≫

 

こくこくと頷いて目を輝かせる黛とは対照的に、武蔵はやや不満げに口をとがらせたが、納得したように頷いた。

日程は細かく決めず、そのうち、と曖昧に約束を取り付ける。

すると、見計らったように昼休みの終了を知らせる五限の予鈴が鳴った。

いけない、と黛は口を開いた。

 

「あっ、す、すみません、日直なんです・・・・・・武蔵さん、今日は楽しかったです、ありがとうございました!」

 

「あ、うん。それじゃ、また」

 

 

 

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・

 

 

 

早歩きで教室に向かう友人の背中を見送ってから、藤枝は武蔵を振り返る。

今までの、友人と話す、リラックスした表情とは違う、どこか険のある表情だった。

 

「少し、話いいか?」

 

返事を聞かずに、人差し指を立てるジェスチャーで、大事な話だと仄めかす。

短いことだが、今日中にどうしても伝えておかなければならないことだ

彼の意図は伝わったようで、武蔵はまっすぐに視線を返して話を聞く姿勢を作った。

 

「しばらく体操服で外を出歩かないでほしい」

 

「は?」

 

「今朝のHRで変な話があったと思うんだが・・・・・・S組ではなかったか?」

 

「ああ・・・・・・あの噂の不審者ってもしかしなくてもあんたのことでしょ、なんであんなことになってるわけ?」

 

「・・・・・・噂に尾ひれがついたんだ」

 

「ヒレのほうが本体より大きくなってるんだけど」

 

「それに関しては俺のせいじゃない。だから当分目立つ格好はやめてくれって話だよ」

 

「ふん、当たり前でしょ。今日だって制服で登校したんだから」

 

いわれなくてもわかっている、という風の答えを聞いて、藤枝も首肯した。

先日の連中が武蔵を付け狙っているかはわからない。

しかし、まだほとぼりも冷めていないうちは、可能な限り目立つ行動を避けるべきだ。

誘拐犯も脅迫文を真に受けているうちはおとなしくしているだろうが、噂が広まったせいでそれも怪しくなっている。

そうでなくても、ゴルフクラブの少女のように無思慮な行動に走る者がいるかもしれない。

 

「それがいい。取りあえず、そんなところか。携帯登録してあるよな?いつでも連絡してくれ」

 

言いながら、藤枝は自分の携帯電話を確認し、武蔵と別れる。

そして、一人になって少し考え込んでから、彼はもう一度携帯電話を開いた。

履歴を全て消去し、アドレス帳にアクセスする。

そして、番号やメールアドレスの文字列の最初と最後の二文字を入れ変え、名前をイニシャルにした上でひっくり返した。

特に明確な理由は無い。四桁のパスワードが信用できなくなっただけだ。

 

「・・・・・・何もないといいんだがな」

 

藤枝平馬のアドレス帳に登録されている名前は二十にも満たない。

ほんの数分で作業を終え、ひとりごちる。

予想外のことばかりで、先のことはまるで予想もつかないが、彼は頭のどこかで嫌な予兆を捉えていた。

 

 

 

 

 

 



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第十五話

つなぎがおかしかったので前話の途中からちょっと修正


 

 

 

「クソっ、うぜえ、うぜえ、超うぜー!」

 

ここは金柳駅前のゲームセンター。

耳が麻痺しそうな喧騒の中でも、一際うるさく怒号が響き渡った。

声の主、板垣天使は蹴飛ばすように椅子から立ち上がり、今までプレイしていた3D格闘対戦ゲームの画面を見下ろして、もう一度、くそ、と吐き捨てる。

見れば、画面にはYOU LOSEと表示されていた。

 

「・・・・・・」

 

怒号を聞いて台越しに覗き込んできたのだろう、不意に対戦相手と目が合った。

様子を伺うような眼差しが癇に障ったのか、彼女は不愉快そうに睨み付ける。

 

「あんだよ?」

 

「ひっ」

 

対戦相手の学生らしき男は一目散に逃げていった。

無理もない。今にも人を殺しそうなほどに荒んだ目つきだ。

可愛らしい名前や外見とは裏腹に、板垣天使は川神近辺で名の通ったアウトローである。

 

「どいつもこいつもバカにしやがって・・・・・・・!」

 

昨日、彼女は次姉と兄に土をつけた相手を探し、一日がかりで手掛かりを調べたのだ。

二十件以上のコンビニエンスストアを回り、アルバイト店員、伊藤誠を発見したのは夕方だった。

そして、尋問の結果、予想を遥かに上回る凶悪な男が下手人だと判明し、彼女は情報を手に自宅へ戻った。

これだけ苦労したのだから、家族はねぎらってくれるものだとばかり思っていた。

しかし、彼女を待っていたのは、ため息と嘲笑だった。

兄や彼の友人からは、メンツを守る手助けをしてやっているというのに感謝の言葉一つなかった。

それどころか、余計なことをするなと言われる始末。

長姉からは馬鹿を見るような目で見られてしまうし、次姉は感謝の言葉こそ述べてくれたものの、終始、困ったような愛想笑いを浮かべていた。

 

「あー、イラつく!」

 

そして、いてもたってもいられずに彼女は家を飛び出した。

ゲームセンターで知人に愚痴って鬱憤を晴らし、ファーストフード店で自棄食いをした。

しかし、昨日は朝から活動していた為に睡魔が襲い、結局時計の針が頂点を指す前には自宅に戻ったのだが。

 

《~~♪》

 

「あーっ、もー・・・・・・ん?」

 

その際に、顔を合わせたくなくてこっそり自室に忍び込もうとしたのにすぐに見つかってしまったことを思い出して頭をかく。

すると、不意にポケットの中の携帯電話が鳴った。

すぐさま画面を開き、待ち受けを確認すると、メールが一件入っていることが分かった。

もしかしたら、自分に取った態度を謝るつもりになったのか、と文書を開く。

 

「ざっけんな!腐れホモ!」

 

兄からの噂が出回っていることへの文句だった。

天使は何もかもが気に入らないと、今度は本当に椅子を蹴り飛ばした。

 

「あいつすげー荒れてるけど、なんかあったの?」

 

「さあ?」

 

そんな彼女を川神学園の制服を着た男が遠巻きに伺う。彼の名は柏木といった。

最低でも週三回はゲームセンターに足を運ぶ彼は、放課後になるや家にも帰らずここに直行したのだ。

同様の趣味を持つ板垣天使とは顔見知りで、いつになく荒れた様子の彼女を見つけて気になったらしい。

 

「おっす、なんかあったのか?」

 

「あ?・・・・・・んだよ、カシワギかよ。なんでもねーよ!」

 

「どう見ても・・・・・・まあいいや、そういや知ってるか?」

 

「知るわけねーだろ」

 

「昨日言ってた殺人鬼の話あるじゃん?女の人助けたバイトっての、実はオレのダチでさ」

 

「うるせー!もうその話はすんな!・・・・・・今なんつった?」

 

「ん?だから、勇敢なアルバイト店員?オレのダチ」

 

言いながら、柏木は自分の携帯電話を開き、画像ファイルにアクセスして天使に見せた。

液晶画面には、クラスメイトに囲まれて浮かれた様子の伊藤誠が。

天使は目を細めてその姿を食い入るように見つめる。

 

「・・・・・・」

 

天使は昨日、伊藤の話をそのまま長姉に聞かせたときのことを思い出した。

鼻で笑ってから、バラエティ番組を見るためにテレビをつけた彼女に説明を求めたのだ。

すると、順序立てて理路整然とした説明が返ってきた。

 

第一に、そんな噂など聞いたこともないという。

彼女の勤め先には多種多様な客が来店する。その手の情報に詳しい者もいた。

一昨日の晩〝締め上げ〟てみたが、大喜びするばかりで結局何の情報も手に入らなかったそうだ。

少なくとも、警察病院から脱走した殺人犯の話、など、一昨日の時点では事実どころか噂ですら出回っていない。

 

第二に、伊藤の話す殺人鬼とやらの行動は、事件の顛末と符合しないのだという。

竜兵たちには、殴る、蹴るといった打撃による外傷は殆どなかった。

それこそ、竜兵が鼻を打った一撃程度で、それも鼻血が止まれば痕も残らない軽いものだ。

連絡したのも含め、屑を痛めつけ、辱めるのが好きなサディストだったら、そんな風に気を遣うようなことはしない。

鼻フックと緊縛のセンスは光るものがあるが、Sにしては楽しんでいるように見えないらしい。

・・・・・・それはどうでもいい。

 

第三に、辰子を倒せる実力者が変態の下種なら、自分と天使に攻撃を仕掛けなかった理由について説明がつかないという。

これは言葉の通り。

 

以上の点をもって、亜巳は、天使が伊藤に出鱈目を吹き込まれたのだと結論付けた。

聞いた当初、天使は頭が煮えたぎっていてその意見に納得出来なかった。

しかし、今になってみるといちいちもっともで、腑に落ちる。

写真の男のにやけた顔が無性にむかついて見えたのが決め手かもしれない。

 

「そいつの住所どこかわかるか?」

 

「なんで?」

 

「・・・・・・なんでもいーだろ」

 

「いや、よくねえし」

 

目的もわからないのに個人情報を漏らしたりできない。

が、噂をすれば影とはこのことか、丁度目をそらした先の駅前のロータリーに見慣れた友人の姿を見つける。

 

「って、いた」

 

「あ?」

 

周囲をきょろきょろと見まわし、背中を丸めて自転車を引いている姿は遠目にも目立つ。

バス乗り場を横切り、駅へと向かっているようだ。

彼の自宅は駅の西口の向こうにあるから、帰るところなのだろう。

 

「あいつに何の用・・・・・・って、いねえ」

 

柏木が振り返ると、既に天使の姿はなかった。

一体何の用事があるのか、と考えるも、彼はすぐにここに来た目的を思い出し、喧噪の中へと飲み込まれていった。

 

 

 

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・

 

 

 

スロープ沿いに川神駅を通過し、西口までたどり着いたところで伊藤誠は背後を振り返った。

視線を感じたような気がして見知った顔を探すが、人が多すぎて判別がつかない。

まだ夕方と呼ぶにはいくらか早い時間帯で、若者でごった返していた。

 

「まあ、大丈夫か・・・・・・」

 

なんともなしにひとりごちる。

彼の帰宅ルートのうち、最も人通りが多い場所がここだった。

西口を抜ければ、自宅のマンションにはもうすぐだ。

とりあえず自宅までは何事もなく帰れそうだ、と気を取りなおし、リラックスするように首を鳴らした。

 

「う・・・・・・いて」

 

しかし、予想以上に凝り固まっていた首が嫌な音を立て、伊藤は顔をしかめる。

先日の暴行が後を引いているわけではない、不調の主な原因はストレスだった。

昼休みに藤枝から聞かされた不安要素は、彼の胃と肩に強烈な負担となって伸し掛かっていたのだ。

さらに、放課後には学園長から呼び出しを受け、噂の事情説明を求められたこともストレスの一因となっている。

 

(超こえーんだけど、あのジジイ)

 

後ろめたさがあるせいか、初めて入る学園長室という場所は空気が嫌に重く感じられた。

年齢不詳の仙人のような外見をした学園長と差し向かいで話を聞かれるのも、まるで胃を掴まれるような心地だった。

いっそのことと、全部ぶちまけてしまおうかとさえ、彼は思っていた。

しかし、今更言うに言えなかった。

人気者の立場が惜しいというよりも、今更全部嘘でした、などとは言えない。

嘘をついて持て囃された分、バレた後の落差を想像してめまいがする。

 

だから、打ち合わせたとおりに、善意でやった、あとは知らぬで通したのだ。

ようやった、と学園長は白い眉を撓ませて褒めはしたものの、細い目の奥では笑っていなかった。

 

「あ、そうだ」

 

藤枝に連絡しておいたほうがいいだろうか、と伊藤はポケットを探った。

携帯電話を取り出して、新規メール作成へアクセスする。

しかし、自転車を引いて歩きながらではいけないと思い直し、彼は液晶画面を閉じて携帯をポケットにしまった。

以前、同じことをして不良とぶつかりそうになり、しこたま殴られた上に金を奪われた経験がそうさせた。

 

この時、彼の致命的なミスをした。

メールなど後で送ればいいと初めから自転車に乗って、その場を去れば彼は無傷で帰れただろう。

自転車を停めてメールを打ち始めていれば、打ち掛けのメールを送信し、SOSを発することができたかもしれない。

しかし、今となってはもう遅い。

後頭部に痛みを感じる間もなく、彼は意識を手放して倒れこむ。

路傍の植え込みの中に引っ張り込まれる彼の姿を見ていたものは、誰もいなかった。

 

 

 

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・

 

 

 

目覚めた伊藤が最初に気づいたのは、頬の痛みだった。

ひりつくような痛みとしびれるような衝撃に皮膚がごわつき、顔をくしゃりと歪め、ゆっくりと目を開く。

 

「・・・・・・ん、ふが」

 

やけに薄暗いから、彼はここが自室だと勘違いした。

頭を殴られた為か、意識を失う前のことを覚えていなかったせいだ。

尿意でも覚えて夜中に目が覚めたのだ、布団は蹴とばしてしまったのだろう。

そう、霞がかった思考が結論を出し、彼は無意識に体をゆする。

しかし、どうしたことだろう。身体が動かない。

 

「あー?」

 

否、体は動くが、手足が何かで縛られたようにつっかえて動かないのだ。

何が起きているのかと伊藤は視線を横に動かし――

 

「ぐ、はっ・・・・・・?!」

 

顔面を何か硬いものが襲った。

鼻の奥で何か弾ける感覚が先んじて、後から熱っぽさが顔の中に広がる。

ばたばたとこぼれる鼻血に溺れそうになり、彼は必死にもがいた。

喉がふさがらないよう、前後不覚になりながらも腹筋を使って必死に上体を起こす。

 

「かっ、うぐっ・・・・・・な、なにが・・・・・・」

 

「おっ、起きた起きた」

 

広がった視界に捉えたのは、彼にとって二度と見たくない顔だった。

恰好こそ違うが、赤毛をツインテールに結った髪型と、とがった犬歯のワンポイントは印象的だ。

 

「おい、顔は傷つけるなと言っただろうが!」

 

「うっせーなぁ。こうでもしねーと気が済まねーっつーの」

 

さらに、見たくない顔と、聞きたくない声が割り込んでくる。

自分を傷つけるな、という内容の訴えなのに、伊藤にはそれが自分を労わる心から出るものでないことがわかってしまう。

彼の目の前にいる男はこの上ないほどの危険人物だった。

ましてや、今の彼は手足をガムテープで縛られて、身動きが取れない。

ぞっと、背筋が粟立つ。

 

痛みと寝起きの混乱の中にあっても、彼は状況を理解した。

目の前にいるのは凶悪極まる不良たちで、ここは先日武蔵を誘拐する際に用いた車の中なのだろう。

見れば、こちらの様子をうかがう運転手の姿もあった。

窓の外、厚めのスモークの向こうに見える景色もビルの壁面ばかりでどこか薄暗く、狭苦しい。

エアコンの室外機の音が建造物の隙間を反響していることから、どこかのビルの資材置き場か何かだろうか。

 

「情報を引っ張り出すのが第一だろうが。先走りやがって・・・・・・」

 

「テメーらがヘタレてっからウチが見つけてやったんだろ?まずは、ありがとうございます、だろーが!」

 

「や、頼んでないっすけど・・・・・・」

 

「あ゛ぁ?」

 

「あ、いや、すんません・・・・・・あざっす・・・・・・」

 

少女のヒエラルキーは竜兵とほぼ同格、運転手より上にあるようだ。

その様子を見た伊藤は、昨日のように少女を丸め込めればやり過ごせるかもしれないと考える。

口内へ流れ込んでくる鼻血を飲み下し、なんとか話をしようと声をかける。

 

「な、なんでこんなことを・・・・・・昨日、全部話したじゃないか。また話せっていうなら、話すけどさ、逃がしてくれよ。俺も被害者なんだ・・・・・・」

 

「・・・・・・」

 

だが、その態度は少女にとって逆鱗だった。

自分の間違いに彼が気づいたのは、手酷く痛めつけられ、何もかも白状した後のことだった。

 

 

 

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・

 

 

 

「お・・・・・・?」

 

外出から帰ってきた藤枝を待ち受けていたのは見慣れぬ少女だった。

丈の短いカジュアルなオーバーオールに身を包み、特徴的な長い赤毛をツインテールにした小柄な少女だ。

四階、藤枝と表札の入った玄関の前、ベランダの欄干に凭れるようにして携帯電話をいじっている。

 

「こんにちは」

 

空室だった隣に越してきたのだろうか。

右手は膨らんだビニール袋でふさがっていたから、左手を軽く上げて挨拶を一つ。

書店を冷やかし、道草ついでにスーパーで購入した夕飯の材料だ。

料理が得意な友人に触発され、彼は久しぶりに生ものを購入していた。

 

「おっ」

 

挨拶でようやく藤枝に気付いた少女は、壁から背中を離した。

そして、向き直るなり品定めでもするようにじろじろと顔を見つめる。

ひとしきり見回してから、彼女は壁と体の間に隠していた何か、を手にした。

ステンレスのヘッドが夕闇の中で鈍く光る、ゴルフクラブだった。

誰のものかは不明だが、真新しい血がついている。

 

「おめーがフジエダ?」

 

「ああ、うん・・・・・・僕フジエダくん」

 

もしや一昨日の延長戦か、と、藤枝は額に汗を浮かべて後ずさる。

目の前の少女に見覚えはなかったが、特徴的な声には聞き覚えがあった。

辰子らを迎えに来させるために電話を掛けた、天ちゃん、と携帯電話に登録されていた相手だ。

どうやら、どうかして身元が割れたらしい。

 

「ええと、引っ越しの挨拶とか?」

 

「挨拶?まー、そんなトコかな」

 

後退りながら藤枝は状況を整理する。

ここにいる、ということは何かしらの方法で自分を調べた、ということ。

身元が簡単にわかるようなものは残していないし、顔もろくに見られていない筈だ。

となれば、伊藤か武蔵が捕まったのかもしれない。なんとかして聞きださねば。

 

と、そこまで考えた藤枝は、ふと階段を昇ってくる足音に気付いた。

二階から上がってくる三階の住民かと思いきや、もっと近い。

四階の入居者は彼ひとりだけ。同居人もいないし、管理人でもなければ四階には来ない。

そして、足音はスニーカーの擦れるような音と、革靴の硬質な音が混じっているから、複数人いる。

囲まれれば一巻の終わりだと判断し、藤枝は足を止めて少女と向き合った。

 

「ここがどこだか分ってるか?叫べばすぐに警察が飛んでくるぞ」

 

「はぁ?やれるもんならやってみろよ。そんかわり、仲間の無事はホショーできねーけどな?」

 

「・・・・・・勘違いしてるようだ。俺に仲間なんていない」

 

「それなら、あの伊藤とやらは好きにしていいってことか?」

 

「いや?知らない名前だ。まず、何の話なんだかさっぱりだな」

 

背後から投げかけられた問いに、藤枝は振り返りながら答える。

見れば、声の主である板垣竜兵と大柄な外国人、そして金属バットを手にした男が道をふさいでいた。

緊張感に喉が渇き、唾を飲み込む。

 

「卑怯者なだけあって嘘が上手いな。写真を見ていなければ信じてたぞ」

 

「写真?俺は写真写りがよくないからな。他人とよく見間違うぜ」

 

言いながら、藤枝は手にしていた荷物を降ろして中からダイエットコーラを取り出した。

軽く掲げて、前方の竜兵にも、背後のツインテールの少女、天使にも見せびらかす。

キャップを開け、ポケットから白い色の何かを取り出して、これ見よがしにペットボトルの中に何かを入れようとする。

 

「おい!変な動きはするな!」

 

「喉が渇いたんだ。急な来客のくせにその程度で文句言うなよ・・・・・・な」

 

「うっ!?」

 

ぽちゃん、とダイエットコーラの中に何かが入れられると、皆一様に半歩退いて腕で顔を守った。

原理はともかく、ラムネ菓子を炭酸飲料に入れると激しく噴き上がることを知っていたからだ。

だから、それを向けられることを予感して身を縮めたのだが、結局何も起こりはしなかった。

ペットボトルに投入されたのは、ただのレシートを丸めたものだったのだ。

そして、それを知っていた藤枝は彼らの隙をつき、口の開いたペットボトルを男たちに放り投げ、背後の少女に襲い掛かる。

 

「なっ?!は、放しやがれ!このっ・・・・・・」

 

少女はすぐに反応してゴルフクラブを構えるも、藤枝のほうが早かった。

せっかくの凶器も、構える前に相手の間合いの内に入られれば意味を持たない。

特にゴルフクラブのような鈍器、それも重心の偏ったものであれば、尚更。

体格では圧倒的に勝っており、腕を取り押さえて引き倒せば逆に人質をとれる。

形勢逆転だ。

これで交渉にうつれる、と藤枝は僅かに口の端を上げた。

 

「・・・・・・なーんてな!」

 

「うぐっ?!」

 

しかし、そう上手くはいかなかった。彼の考えは甘かったらしい。

板垣天使、彼女はゴルフクラブで武装しただけの素人ではなかった。

突如側頭部を襲った衝撃に藤枝は手を放してしまう。

鼻の奥から、つんといやなにおいがした。

膂力で勝る藤枝に右肩と左の二の腕を抑えられながらも、天使は手首のスナップでシャフトを扱き、勢いよくヘッドを引き戻したのだ。

引き戻す際のしなりと、ヘッドの重さによる威力は卒倒するほどのものではなかったが、意識の外からの攻撃に藤枝は知らずのうちに壁に手をついてしまう。

 

「ヘヘっ、師匠直伝のゴルフクラブ護身術ナメんなよ?」

 

「くそがッ、舐めやがって!」

 

「ぐ、ぶっ・・・・・・!?」

 

ダメージに意識が混濁した数秒間で状況は一変した。

横合いから飛んできた拳に藤枝が無意識のうちにできた抵抗は、衝撃を逃がすため首をひねることだけだった。

しかし、それでも竜兵の強烈な打撃で口の中を切り、藤枝の口の端からは鮮血が零れる。

 

「っ、は・・・・・・」

 

「この雑魚が!」

 

「がっ」

 

竜兵は、昨晩何もできずにやられた借りに、コーラを引っ掛けられた怒りも上乗せして拳を振るう。

二発目は先ほど天使によって攻撃を受けた側頭部に叩き込まれた。

二十キロ近い体重差がある相手の渾身の攻撃だ。

無防備に受けた藤枝はフリッパーにはじかれたピンボール球のように廊下を転がった。

 

「まだ寝るには早いぞ!」

 

「お、おいリュウさん、死んじまうぞ。そんくらいにして携帯、携帯」

 

頭から血を流して倒れこんだ藤枝に尚も攻撃を加えようとする竜兵を、金属バットを手にした男、ケンが制止した。

仲間の暴力性を目の当たりにして怒りも冷めてしまったのか、言いながらも腰が引けている。

仰向けに倒れ、ピクリとも身動きしない藤枝に近づき、そうっとジャンパーのポケットを漁る。

 

「あったあった。あ、ロックがかかってる・・・・・・パスワードは・・・・・・おい、お前教えろよ」

 

「・・・・・・う・・・・・・あ、痛ぇ・・・・・・」

 

顔をぺちぺちと叩かれ、藤枝は小さく呻いた。

頭蓋が割れているのではないかと疑うほどの痛みに、意識が飛んだり戻ったりを繰り返している。

指輪で飾られた拳でついた側頭部の裂傷から派手に出血したせいかもしれない。

 

「携帯ごとぶっ壊しちまえば済む話だろうが」

 

「あ、そうっすね・・・・・・」

 

「チッ、どれほどのもんかと思ったが・・・・・・コソコソ不意打ちするだけが能のカスだったか」

 

「ハッハー、That's too bad!」

 

がつ、がつ、と何かを壊す音と、耳障りな笑い声。

そして、得体のしれないざらついたノイズだけが、藤枝の頭を反響していた。

 

 

 



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第十六話

もうじき第一部完(にしたい)
(一応)警告。いつにもましてバイオレンスなので注意


 

 

 

「クソ、期待外れだ。全然収まらねえ・・・・・・こっちで少しは楽しめるか?」

 

「あんま無茶すっとそいつ死にますよ」

 

竜兵は倒れた藤枝を見下ろし、吐き捨てるように呟いた。

不意打ちだろうが騙し討ちだろうが、自分と双子の姉を倒した男だ。

だというのに、これほど呆気無いとは拍子抜けにも程がある。

わき腹をつま先で小突いて様子を伺うが、意味をなさないうわ言を呟くばかりでろくな反応を見せない。

胸ぐらをつかんで引きずろうとするも、仲間に窘められて手を放した。

 

「チッ、仕方ねえ。伊藤とやらで処理するか・・・・・・」

 

不服そうに舌打ちしつつも、竜兵はすぐに気を取り直して口の端を歪める。

彼らは、天使が情報を引き出した伊藤誠を口封じの為に拉致していた。

ベランダから地上を見下ろせば、アパート前の路上に駐車されたワンボックス車の姿が確認できる。

あの車内でもう一人の仲間が監視している筈だ。

彼の顔を思い出した竜兵は、どちらが好みか、ともう一度倒れた男を振り返り、見比べる。

すると、彼はあることに気が付いた。

 

「ん・・・・・・?こいつ見覚えあるな。おい、ケン!」

 

「え?いや・・・・・・知らないっすよ」

 

「お前に因縁つけた女と一緒にいただろ」

 

「・・・・・・ああ!あの腰抜けですか」

 

因縁をつけたのはどちらかなど、彼らは覚えていなかった。

女を連れて逃げた腰抜けとして記憶していた相手が昨晩の襲撃者だったとは、と顔をまじまじと見る。

元々は整った顔立ちだったのだろうが、今は左目の横が痛々しく赤く腫れ上がっていた。

指輪でついたであろう、髪の生え際に刻まれた傷からは血が零れ、髪を汚している。

顔の右側も、殴られた際に絆創膏が剥がれ、塞がりかけの傷が抉られて出血していた。

半開きの口から覗く白い歯は赤く汚れて、口内もひどく切っていることがわかる。

 

「は?どゆこと?」

 

「さらった女の彼氏だ。大方、一昨日は自分の女を助けに来たってとこだろ」

 

「ふーん・・・・・・?」

 

「ハ、何が品行方正に生きろだ、カスの分際で・・・・・・おい、ルディも呼んで女の方も探すぞ。変な名前だったよな」

 

「え?もうよくないすか?彼氏こんだけボコられればあの女もショック受けるだろーし、溜飲下がったっつーか・・・・・・」

 

これ以上やるとか引いちゃうんだけど、と直截に言えないから、ケンは言葉尻を濁した。

眼下に仰向けに倒れた藤枝の姿はそれだけ惨いものだった。

苦しげに呻き、時折咳き込むように血を吐き出す様は命の危険すら感じさせる。

道端で発見されれば、まともな人間なら即座に119番をプッシュするだろう。

 

「何甘いこと抜かしてんだ。雑魚が二度と増長しないように思い知らせてやるんだろうが」

 

「オイ、その前に礼ぐらい言えや。リベンジできたのウチのおかげだろーが」

 

「・・・・・・」

 

「んだよその目!」

 

「ま、まあまあ、落ち着いて・・・・・・ええと・・・・・・駅名っぽかったっけ。武蔵新城とか、そんな感じの・・・・・・」

 

「イトーガ、ムサシコガネイ、ッテイッテタヨ」

 

「どういう名前だよ。何考えてそんな名前つけたんだ?」

 

「あァ?!今なんつった?」

 

「え、あ、いや・・・・・・天さんはいい名前っすよ!エンジェルって天使でしょ?」

 

「うるせー!その名前で呼ぶんじゃねー!ブっ殺すぞ!」

 

既に倒れ伏した男へ注意を払っている者は誰一人としていない。

あるものは新たな獲物を夢想して舌なめずりし、あるものは写真を破棄できたことに安堵のため息を吐く。

あるものは仲間の失言に顔を紅潮させ、あるものは必死の体で仲間のご機嫌取りをする。

だから、背後で何が起こっていても、彼らは気づくことはなかった。

 

 

 

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・

 

 

 

痛む頭を冷たくて硬い床に押し付け、藤枝はぼんやりと天井を眺めていた。

意識は壊れた電子機器のように、着いたり切れたりを繰り返している。

やがてバッテリーが無くなれば、切れたままになるだろう。

 

「チッ、仕方ねえ。伊藤とやらで処理するか・・・・・・」

 

耳は正常に周囲の音を拾い続けている。

しかし、聞こえてはいても、聴こえてはいなかった。

誰が言っているのか、誰に言っているのか、何の事を言っているのか。

そんな、常ならば無意識に脳が判別している情報も、対応しない拡張子のように頭が読み込もうとしない。

 

「・・・・・・ああ!あの腰抜けか」

 

キーボードのケーブルが抜けたように、身体は頭の命令を受け付けない。

かといって、頭は正常に働いているというわけではないのだが。

口の中の傷を舌で弄繰り回して自身の苦痛を増しているのは、意味や意義のある行動ではない。

 

「さらった女の彼氏だってことだ。大方、昨日は自分の女を助けに来たってとこだろ」

 

目に疲れを覚えると同時に、無意識に瞼が閉じられた。

すると、瞼の裏に過去の記憶がスライドショーさながらに映し出される。

見ているだけで何を思うわけでもないが、心地よい夢の中に誘われているような気がした。

浅い呼吸が整いだして、意識が輪郭を失い、痛みが紛れていく。

そんな時、ぼやけたスライドの中に、藤枝は懐かしいものを見た。

満面の笑みを湛えた父の顔だ。

 

「何甘いこと抜かしてんだ。雑魚が二度と増長しないように思い知らせてやるんだろうが」

 

あの写真を焼き増しして部屋に飾ろうか、などと考えて、胡乱な思考が僅かに形を取り戻した。

その代わりに痛みがぶり返してくるも、彼は構わず幻に手を伸ばす。

いつの間にか、体は動いていた。

痛みは引かず、頭は働かない。

だが、首の部分で断線していた神経がつながったようだ。

 

「え、あ、いや・・・・・・天さんはいい名前っすよ!エンジェルって天使でしょ?」

 

伸ばした手がコンクリートの壁を引っ掻くと、目が勝手に開いた。

暗い天井と、そこからはみ出た赤黒い空が視界に映る。

身じろぎ、寝返り、立ち上がる。

目の前に誰かがいるが、誰だったのかは思い出せない。

思考回路は失われたままだというのに、体だけが先んじて動いた。

 

「うるせー!その名前で呼ぶんじゃねー!ブっ殺すぞ!」

 

「待て」

 

「あん?」

 

 

 

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・

 

 

 

「待て」

 

「あん?」

 

去ろうとする四人のうち、最初に反応したのはケンだった。

声をかけられただけではなく、肩を叩かれたから、そして、他のものよりも、少しばかり背後のことを心配していたからだ。

とは言っても、攻撃を受けることを予想していたわけではないし、藤枝の体の具合を心配していたわけではない。

単に、彼が死んだりしたら自分は罪に問われるのだろうか、という心配だ。

俺は殴ってないし、脅迫写真を取り返すためだから、正当防衛だよな―――その証拠など既に失われているのに、そんな風に内心で言い訳しながら振り返る。

 

「うガッ」

 

そこで、彼の意識は途切れた。

振り向きざまに硬い拳で顎を一撃され、腰が砕け、膝から崩れ落ちた。

倒れるよりも早く、肩に担いでいたバットを奪われるが、それを認識するよりも早く、彼は意識を失っていた。

 

「っのヤロっ!」

 

次に反応したのは、ほぼ三人同時。

しかし、最も早くアクションを起こしたのは天使だった。

血まみれの男が半開きの口から血を垂らしながらバットを構えるよりも早く、手にしたゴルフクラブを振るう。

先ほどと同じ左側頭部を狙いすまし、先ほどとは異なり、振り返りざまの遠心力で威力を増した一撃。

少なくとも、相手を気遣うような手加減は一切無い。

 

そして、二番目に動いたのは彼らの仲間内でボブと呼ばれている男だ。

天使がゴルフクラブを振るうのとほぼ同時に、彼は半ば反射的に血まみれの男につかみかかった。

今日は手ひどくやっつけてやるつもりだったのに、出番がなくて体力が有り余っていたのかもしれない。

 

意外なことに竜兵は動かなかった。

血まみれの男は全くの無表情だったが、腫れて細くなった左目がまるで笑っているように見えたからだった。

自分の拳を馬鹿にされたような気分になって、彼は怒りを拳を握りこんでいた。

 

「っと」

 

しかし、男は襲いかかる二つの攻撃を、ボブの腕をつかんで上体を反らすだけで回避した。

血がこびりついて垂れた前髪をクラブヘッドが僅かに掠める。

しかし、避けられたからと言って鈍器という武器の特性上、そこですぐに切り返せない。

慣性に従って動いたクラブヘッドは引き込まれたボブの首元にめり込み、めき、と嫌な音を立てた。

 

「アッ!」

 

打撲だろうがひびだろうが骨折だろうが、鎖骨の訴える痛みは行動を停止させるに十分なものだった。

間髪入れず、大きく息を吐いて身を固めたボブの股間に追撃のつま先が叩き込まれる。

苦痛に目を剥き、身体がくの字に折れる。

しかし、その苦しみは長くは続かなかった。

下がった顎をバットの柄頭で殴りつけられたのだ。

冷たい床に丸まりながら、彼は意識を手放した。

 

「ッ、ア・・・・・・ウゥ・・・・・・」

 

「て、てめっ・・・・・・!」

 

「かわいそ」

 

「ざっけんな!テメーが避けるからだろうが!って、おわっ?!」

 

「ウオォッラァ!」

 

予期せぬフレンドリーファイアに動揺する少女を押しのけ、六尺豊かな巨躯が躍動した。

猛烈なダッシュから繰り出されるのは打ち下ろしの右。

先ほど藤枝に叩き込んだ二発の拳と同質のものだ。

 

「ッ、なっ、貴さッ・・・・・・!」

 

だからだろう。

半身に構えただけで容易く避けられてしまったのは。

 

「真っすぐなだけじゃ」

 

渾身の右ストレートを回避され、竜兵は右肩越しに血まみれの男、藤枝の顔を見た。

薄暗い空の下、口と二つの傷から零れた血で赤黒く汚れた顔に、ぞっとするほど冷たい瞳が光る。

ケンから奪った金属バットを構える彼の姿が、竜兵の目にはスローモーションのように映っていた。

 

「すぐ打たれちまうんだぜ」

 

グリップを絞り、彫りの深い背が引き伸ばされる。

肩と言わず、背と言わず、腰と言わず、全身が捩じられる。

そして繰り出される、鋭いステップイン。

どこまでも基本に忠実な、オーソドックスなバッティングフォーム。

 

「ぎいッ・・・・・・が、はーッ・・・・・・!」

 

伸びきった右脇腹に金属バットが打ち込まれた。

スローモーションの目にも影すら捉えられない超高速スイング。

分厚い筋肉の鎧を断ち切り、衝撃が五臓六腑に掻き回し、骨の髄まで苦痛で満たす。

竜兵はその場で倒れこみ、高い鼻から水っぽい汁を垂らして悶絶した。

 

「あッ、やめっ、げッ!・・・・・・あ・・・・・・」

 

「・・・・・・」

 

しかし、意識を失っていないからだろうか。

藤枝はさらに彼の横顔を踏みつけ、側頭部をコンクリートの床と激突させる。

二発、三発。脳を揺らされた彼がやがて動かなくなると、藤枝は天使に向き直った。

 

「・・・・・・あっ、う、嘘だろ?!」

 

豹変とはこのことか。

つい一分前には血まみれで倒れ伏していた相手が、今ではまるで別人のようだった。

そのあまりの変わり様に、天使は姉の辰子のことを思い出したが、すぐに否定して首を横に振る。

目前の〝敵〟と〝家族〟をダブらせるなど、あってはならないことだ。

 

「く、くそ・・・・・・!ふざけんなッ、こんなヤツにっ!」

 

一歩下がり、萎えかけた気力を奮い立たせるために彼女は片手でポケットを漁った。

目当ては、強い興奮を喚起し、強心作用を生ず、中毒性を持つ未認可薬物。

むき出しの錠剤を口へ放り、かみ砕いてから唾で飲み込むと、たちまち効果が顕れる。

瞳孔が開き、顔や首に赤みが差す様子は、藤枝とは意味合いが異なるものの、これも豹変と呼ぶにふさわしいものだ。

 

「・・・・・・」

 

しかし、そんな彼女の様子には目もくれずに、藤枝は身にまとった深緑色のジャンパーと格闘している。

戦っているうちに壊れてしまったのか、ジッパーが行違ってしまって脱げないらしい。

金属バットは無防備に床へ放り出されていた。

 

「・・・・・・て、め、え」

 

再び目にした男の姿に呆気にとられること数秒。

尖った犬歯をむき出し、怒りに表情を歪めた顔は、いっそ、紅潮を通り越して赤黒くなっていた。

 

「よそ見してんじゃねー!」

 

一投足で射程距離まで飛び込み、躊躇いなくゴルフクラブを振り下ろす。

先ほどよりも鋭い一撃は、直撃さえすれば間違いなく骨を砕くだろう。

薬物の興奮作用により無意識に働く躊躇は殺され、身体能力は増している。今までのものとは威力が違う。

 

「・・・・・・」

 

結局、藤枝はジッパーの留め具を乱暴に引きちぎってしまっていた。

彼は脱いだ上着の片手の袖を掴み、襲い掛かる少女へ向かって振るう。

だぶついた2Xサイズのジャンパーはじきに五月になろうかというのに、いまだに冬用だ。

ただでさえ五百グラム以上ある重たいジャンパーは、片側のポケットに財布を重石代わりに詰められ、質量でもってゴルフクラブを絡め取る。

 

「はあっ?!」

 

いなされ、絡めとられたゴルフクラブは強引に引っ張っても、ヘッドが引っかかってしまって抜けない。

避けられるなり、受けられるなりは想定していても、まさか、こんな手段で凶器を封じられるなど天使は考えもしなかった。

故に、驚きで判断が一瞬遅れる。グリップから両手を放した時には、もう遅い。

 

「うぐっ!」

 

男の長く太い足から繰り出された回し蹴りの一撃は、天使の軽い身体を吹き飛ばすに十分なものだった。

廊下の金属製の欄干に激突し、したたか打ち付けたわき腹と腰の痛みに彼女は目を白黒させる。

片腕を欄干にひっかけて座り込むことを拒否するも、隙間から覗いた景色に身震いした。

ここはアパートの四階廊下。

地上まで十一メートルの高さにある。

 

「・・・・・・っ!」

 

とはいえ、そんなことに気を取られている時間など彼女にはない。

目前に迫る敵の姿を確認するよりも早く飛びのいて距離を取る。

すると、今まで顎があった場所を太い指を固めた鉄槌が通過した。

竦みそうになる足が辛うじてでも動いたのは、紛れもなく薬物のおかげだ。

しかし、後が続かない。

 

「うげえっ?!」

 

ステップインから繰り出された抉り込むようなの三日月蹴りに肋骨と鳩尾を抉られ、天使は蹴り足に反吐をぶちまけた。

天使の歩幅と比べ、藤枝の歩幅ははるかに大きく、同じ一歩でも詰められる距離は違う。

ましてや、体勢を崩しながらの後退では、十分な距離をとれるはずもない。

 

「げほッげほっ?!おえぇっ・・・・・・!」

 

膝から崩れ落ち、天使は胃の中身を全てコンクリートの床へ垂れ流す。

痛みは薬物によっていくらか緩和されていても、内臓がのたうつ不快感や呼吸困難による苦しみに何ら変わりはない。

まして、その薬物もたった今、汚濁とともに戻してしまったのだ。

酸素を求めて必死にもがき、顎を上げてぜいぜいと喘ぐ。

 

「ごほっ、はーっ、はー、く、うわあぁっ!?」

 

そんな状態でも、敵は容赦などしてくれない。

天使は再び顎めがけて飛んできた前蹴りを仰け反って回避する。

しかし、膝立ちの状態では踏ん張り切れず、尻もちをついてしまった。

手と言わず足と言わず、必死に動かし後ずさりして逃げようとするも、敵はそれを許さない。

 

「ぎゃっう、あああぁッ!」

 

甲高い悲鳴が廊下に響き渡った。足首を踏みつけられたのだ。

天使は絶叫しながらも、みしり、と嫌な音を聞いた気がした。

想像を絶する激痛に彼女は無意識に両手を突き出す。それはもはや、修練で身につけた防御行動ではなかった。

ただ、もうやめてくれと怯えるばかりだ。

 

「な、なんなんだよぉ・・・・・・!」

 

生まれてこの方、彼女はこれほどの暴力を身に受けたことなど無かった。

弱肉強食と嘯いて己のエゴを満たしてきたが、その本質をまるで理解していなかったことを事ここに至って思い知る。

彼女は、いつだって奪う方、強者の側だった。

 

しかし、今の彼女からは、立ちはだかる男の体躯がやけに大きく見えた。

パワーやスピードが先ほどと変わったわけではない。武術のような技を使い始めたわけでもない。

ただ、遠慮がなくなっただけだ。暴力を振るうにあたって、躊躇いが無くなったというだけ。

たったそれだけのことで、こんなに違う、こんなに強い、こんなに痛い、こんなに怖い。

 

「動くなよ」

 

「ひっ・・・・・・!」

 

最早、天使は戦意を喪失していた。

しかし、藤枝はそんなことを意に介さず、とどめを刺そうと足を振り上げる。

先ほど竜兵にしたように、頭をコンクリートに叩き付けて意識を刈り取るつもりだろう。

膝から脛にかけて引っかかった吐瀉物がぽたぽたと重力にひかれて垂れ落ちる様を見て、天使は昼食に何をとったか胡乱な思考で思い出した。

悲惨な末路を前にして、彼女は現実逃避していた。

 

「うおおぉッ!」

 

「あっ」

 

しかし、硬い靴底が彼女を襲うことはなかった。

見れば、藤枝が壁に手をついている。視線を下げれば、腰にしがみつく竜兵の姿が。

いつ目覚めたのか、彼は必死の体を引きずりながらも背後からタックルを敢行し、妹の危機を救ったのだ。

藤枝はもがきながら肘を横顔や肩口に叩き込むが、背後への攻撃とあって効果は芳しくない。

耐えきった竜兵は、そのままがっちりとホールドし、体格差を生かして藤枝を抱え上げた。

 

「ぐっ、この・・・・・・死ねよ、糞があッ!」

 

一切の躊躇いなく、竜兵は背後へと藤枝を放り投げた。

レスリングでいうところの、バックドロップと呼ばれる技だ。

ただし、落とす先はマットでもなければ、コンクリートの床ですらない。

 

「う、おおおッ・・・・・・!」

 

 

 

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・

 

 

 

放り出した先は、欄干の向こうの虚空だった。

 

 

 



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