ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版- (鈴神)
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プロローグ 光の先に

「ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍」の改稿版です。前回の作品における失敗点をもとに、加筆修正を行いました。作品としての出来は、以前より劣悪なものになっている可能性も否めないので、ご注意ください。


 

薄暗い洞窟の中、三つの人影が立ち尽くしていた。辺り一面に夥しい破壊の爪痕を刻む空間の中、青白い鱗に全身を包んだ眼鏡をかけた男に、黒い服に身を包んだ男が触れる。すると、眼鏡をかけた男は両手で印を結び始める。忍者の世界でそれは、子・丑・申・寅・辰・亥を示す。すると、黒い服の男の身体が光に包まれ始めた。溢れだす光と共に身体が軽くなっていく感覚の中、男は隣に立つ自身に似た面立ちの少年に向き直る。

 

「お前は俺のことをずっと許さなくていい。」

 

薄れゆく意識の中、男は言葉を紡ぐ。再びの旅立ちが近づく中、最初の別れの時には伝えられなかった本当の思いを口にするために…

 

「お前がこれからどうなろうと、俺はお前をずっと愛している。」

 

たった一人残される肉親たる弟へ告げた言葉。その深い愛情が、同じだけの憎悪を生みだしたと知ってもなお、絶対に変わることのない気持ち。例え誤った道に踏み込んだとしても、自分の守りたかったもの全てが壊されたとしても、揺るぎない思いを胸に、青年は光と共に昇天した。

 

青年――うちはイタチは、再び冥府へと旅立った。

 

 

 

 

 

視界が白く染まると共に、体重がゼロになったかのような浮遊感が全身を包み込む。自らの魂を現世に縛り付ける呪いが解けたことを五感全てで感じる。眩しい光の中、眠るように意識を手放す。今度こそ、仲間や家族が待つ場所へ行けると信じて…

冥府へ旅立ってからどれだけの時間が経ったのか…長かったのか、短かったのかも分からない、時間感覚が麻痺した状態の中で、イタチは意識を取り戻した。以前に一度、冥府へ旅立った時には意識などというものはなかった。ならばここは、死後の世界ではないのか。そんな疑問が胸をよぎる。

 

(なん……だ…?)

 

視界には前にはもう昇天した時の白い光はなく、暗闇が広がっている。そこで初めて、自分が目を瞑っていることに気付いた。ゆっくりと瞼を開く。そこにあったのは、蛍光灯の光。そこではじめて、自分がベッドの上に寝かされていることを認識する。未だに意識が朦朧とする中、周囲の状況を把握するために首を左右に動かして周囲を見渡す。

 

(ここは………病院?)

 

個室と思しきあまり広くない空間の中、複雑な機械に囲まれる形で置かれた白いベッドの上、自分は横たわっていた。部屋の中は消毒液の匂いに満ちており、ほこりっぽさが全くない、清潔感に満ちている。自分の右腕から伸びる点滴と、ベッド脇に置かれて規則正しい電子音を発する医療機器が、この場所を何らかの医療施設であることを示唆していた。

 

(一体…何が…!?)

 

自分の置かれた境遇が理解できずに若干混乱するイタチ。だが、さらに驚くべきことに気付く。左目が見えるのだ。自分は二度目の死を迎える直前、禁術を使った代償として、左目の視力を失った筈だ。それが今、部屋の中を見渡す中で戻っていることに気付く。しかも視力は、自身のかつての全盛期に等しい。右目も同様である。ますます分からない状況の中、今度は自分の身体の異変に気付く。

 

(………これは…俺、なのか?)

 

自身の手を顔の前に持ってきてそれを見る。そこにあったのは、無骨な男性の手の平とは程遠い、真っ白な艶のあるふっくらした手。それはまるで、幼い子供の手のひら―――

明らかに自分のものではない身体である。普段冷静な筈のイタチも混乱を隠せない。目を見開いた状態で、必死に自分が今置かれている状況を頭の中で整理しようとする。

すると、部屋の中へ入ってくる人影が現れた。スライド式のドアを開いた先、廊下から部屋へと入ってきたのは、二十代後半くらいの女性。

 

「目が覚めたのね!」

 

女性は自分が目覚めていることに気付くと、ベッドに寝かされたイタチのもとへ駆け寄り、顔を覗きこむ。その表情には、安堵と慈愛に満ちた笑みが浮かんでいる。優しい手つきでイタチの頬に触れながら口を開く。

 

「私が今日から、あなたのお母さんよ。あなたはきっと、私が守るから…ね、“和人”。」

 

 

 

かつて血に塗れた人生の果てに、愛する者のために命を落とした一人の忍者。自身が逝った後の世で巻き起こった大戦の最中、時を弄ぶ者の操り人形として冥府より現世に戻され、そして再び昇天したその光の先にあったのは、死後の世界とはかけ離れた場所。

その魂は運命の悪戯に翻弄され、新たなる世界、新たなる命として「転生」した。

 

「うちはイタチ」改め、「桐ヶ谷和人」…新しい命のもと、新しい物語が始まった―――

 

 




プロローグは、以前に投稿したものと同一です。次話以降において、加筆修正が加えられた話になります。


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仮想世界への誘い
第一話 桐ケ谷和人


 

「転生」――それは、魂が死という過程を経て新たな命のもとへ生まれ変わることを意味する。かつてイタチのいた忍者の世界においても、その概念は存在し、その手の分野の忍術も存在していた。尤も、大概が禁術指定されており、かつて一度死んだイタチを再度蘇らせた忍術も、「穢土転生」と呼ばれる、生きた人間を生贄に死者を蘇らせて殺戮人形に仕立て上げる術だった。イタチの場合は、ある抜け道によって術者の支配を逃れることに成功し、その上術者に接触して解除させるところまでやってのけたのだが。

閑話休題。そして、イタチはまさに、忍術においては禁忌扱いの「転生」と呼ばれる現象を経て、生まれ変わっていたのだ。

 

病院で目覚めた後、病室を訪れた女性や病院に勤める医師達の会話から、イタチは自身が置かれている状況を整理した。自分は二度目の死を迎えた後、魂が死後の世界へ行くことなく、――信じられない話だが、――転生したようだった。最初は、また何かの転生忍術によって魂を口寄せされたのかとも考えたが、自身の置かれた状況や周囲の人間の反応から判断して、その線は薄いと考えた。

自分の魂が入っている器となっている身体の持ち主の名前は、和人。3歳の幼い少年で、どうやら事故に遭ったところを病院へ運び込まれたらしい。幸い大した怪我も無かったが、問題は彼の両親だった。和人の両親は、自分がこの場所に来る原因となった事故によって二人とも命を落としたらしい。桐ヶ谷翠と呼ばれた女性の話を聞く限り、どうやら彼女が今後、和人の引き取り手として母親となるらしい。イタチ改め和人は、未だ混乱の最中にありながらも、3歳児として見えるよう振る舞い、より詳しい周囲の情報を集めて脳内で整理していった。

 

桐ヶ谷翠とその夫である峰嵩に連れられて病院を出た和人は、再び驚くこととなる。どうやら自分が転生しているこの場所、この世界は、かつて自分が居た忍者の世界とは全く別の異世界だったのだ。入院していた頃から違和感はあった。病室に置かれた医療機器は、忍術によって築かれた文明のそれとは異なる技術体系だったからだ。忍術の源であるチャクラに依らない、純粋な機械文明…それも、かつてイタチが居た世界のものとは比べ物にならないほど高度なものだった。

病院を出た後、和人は自分が今居る世界に関する情報を可能な限り集め、かつてイタチとして生きた忍者の世界との、技術および社会体系、一般常識の違いを調べ上げた。その中には無論、忍者の存在も含まれる。

そして、愕然とした。忍者と呼ばれる諜報活動や暗殺を行う集団は存在していた。だが、それはこの世界においては既に数百年も昔――鎌倉時代や江戸時代における話である。今でも有名な忍者の土地である伊賀や甲賀では、観光客に披露するために手裏剣術などを披露しているらしいが、忍者の存在は観光用の目玉程度の価値しか無いようだ。

そもそも、忍術というものの認識が異なる。チャクラという忍術発動のためのエネルギーすら認知されていないこの世界では、忍術は道具や薬品に頼った――イタチからしてみれば――小手先だけの技術でしかない。忍術が無かったからこそ、機械文明が目まぐるしい発達を遂げたとも考えられるが。

 

(持ち合わせている一切の常識が通用しないのは厄介だな…)

 

自身が生きていたかつての世界とは全く勝手の異なる世界に戸惑いを隠せない和人。運命の悪戯としか言えない現象によってこのような事態に直面しているのだが、何より行動の指針となる目的が無い。かつての世界に戻るということも考えはしたが、既にあの世界では自分は死人。今更帰ったところで居場所などありはしない。とはいえ、全く未練が無いわけでもない。何もかもを自分で背負い過ぎてしまったが故に、ただ一人の弟を復讐鬼にしてしまったのだ。二度目の死の間際まで、弟――サスケは自分が守ろうとした里に対する憎しみを捨てようとはしなかった。どのような結末に至ろうと、サスケを愛する気持ちは変わらないが、その行く末は気になる。だが、その考えもすぐに振り払った。サスケのことは、既に一人の少年に託していたからだ。弟が自分の里を滅ぼすかもしれないと言っても変わらぬ、「絵空事」としか言えない友情を口にし、真実を知って尚揺るぎない思いを胸に秘めたあの少年――うずまきナルトに。力を付けたことで、一人で無茶をしがちだったが、あの少年ならばきっとサスケを救ってくれる筈。いや、彼の仲間達もきっと力を貸してくれるに違いない。ならば、自分が戻る余地など無い。自分がするべきことは、彼等を信じることなのだろう、そうイタチは思った。

 

(そうだな…ナルト、サスケ…。)

 

自分が今、何をすべきなのかは分からない。だが、少なくとも決めたことが二つある。一つは、かつての世界に置いてきた弟と、その親友の行く末が光あるものと信じ続けること。自分の死んだその世界に残された者達がどのような運命を辿るかは全く分からない。ならば、自分にできることはあの世界への未練を断ち切り、信じ続けることだけだ。

そしてもう一つ、この世界で生きて行くこと。忍者として、父を、母を…大勢の人間の命を奪ってきた罪は、自分一人の命で償い切れるものではない。いずれ地獄へ落ちる身と覚悟していた自分が、何故このような奇妙な境遇に置かれたのかは全く分からない。だが、自分がこの世界に来たことに意味があるのならば、それを探してみるほかない。イタチ――和人はそう結論づけた。

 

 

 

2022年5月9日

 

イタチが桐ヶ谷和人として転生してから、およそ十一年の歳月が経った。当時三歳だった和人は十四歳。中学二年生である。転生したての頃は、社会常識や文明の違いからくるカルチャーショックに戸惑う日々だったが、どうにか慣れることはできた。転生当時の年齢が三歳だったおかげで、一般人にずれた思考や年齢に不相応な態度等はどうにか誤魔化せた点は大きい。イタチとして忍者の世界に居た頃は、任務で風習の違う国への潜入や、実年齢よりも下の子供に変化することも多々あった。流石に3歳児まで年齢を偽ることは今までなかったが、それらの経験のおかげで周囲に溶け込むのにはそれほど苦労せずに済んだ。

 

桐ケ谷和人の自宅は、埼玉県南部にある。昔の街並みを残した地域の敷地の一角を占め、母屋の他に小さな道場を備えている。祖父が他界した後も残されている道場は、この家の住人によって使われ続けている。

 

「めぇええんっ!!」

 

「甘い。」

 

今日も今日で、早朝の道場に威勢のいい少女の声が響く。防具を付けて稽古をしている二人の少年少女。少女は威勢よく竹刀を振るが、少年の方はそれを最小限の動きで捌いていく。息絶え絶えに竹刀を振り回す少女だが、目標には一撃も入らない。どころか、軽やかなステップで少女の攻撃を往なす少年には、まだまだ余裕が窺える。

 

「面!」

 

「わぁっ!」

 

それまで防御に徹していた少年が、動きを攻めに切り替える。力いっぱい竹刀を振り回して疲弊していた少女に生じた隙を見逃すことなく、脳天目掛けて的確な一撃を振り下ろす。反応が完全に間に合わなかった少女はそれをまともに受け、衝撃で尻もちをついてしまう。

 

「痛たた…やっぱり和人お兄ちゃんは強いなぁ…」

 

「直葉は太刀筋が正直すぎる。あれではすぐに動きを見切られるぞ。」

 

そんな言葉を交わしながらも、少女は少年の手を借りて立ち上がり、礼をすると防具の紐をほどいて面を外す。同時に、二人の素顔が露になる。

少年の方は、大人しいスタイルの黒髪に柔弱そうな両目に線の細い顔が特徴的な少年。少女の方は、眉と肩の上のラインでばっさりとカットされた黒髪に、やや勝気そうな瞳をした、どこか男の子めいた雰囲気を纏った少女。桐ヶ谷家の住人である和人と、義妹の直葉である。

 

「力技で勢いをつけて振るうだけでは簡単に避けられてしまう。相手の動きを見極め、先読みすれば、当てられる軌道が分かる。」

 

「う~ん…簡単に言うけど、難しいよ…」

 

「まあ、その内慣れるだろう。要修行だな。」

 

二人が剣道を始めたのは、祖父によって八歳の頃から近所の剣道場に通わされたことが切欠だった。前世において、うちはイタチという忍者として忍の戦いを経験した和人は、その能力を剣道においても遺憾なく発揮し、その実力は有段者の大人すら軽く凌駕していた。

 

「早く片付けて朝食の支度だ。母さんもそろそろ起きてくる頃だろう。」

 

「うん、分かった。」

 

ここ最近、二人の母親である翠は遅くまで残業をしている。パソコン情報誌の編集者の仕事をしている翠は、近年発売されるという新ジャンルのゲームに関する取材で忙しいらしい。〆切が近づくとほとんど家に帰って来ない翠だが、今の忙しさはそれとほぼ同等と言っていい。

 

「それにしても、お母さんや世間が注目している新しいゲームって、どんなものなの?」

 

「VRMMORPG…仮想世界大規模オンラインロールプレイングゲーム。頭から顔を覆うヘッドギア型ゲーム機、ナーヴギアが通じて五感全てにアクセスし、その意識をデジタルデータの世界に送り出す。現実と完全に隔離された、仮想現実のもとで行われるゲームだ。」

 

直葉の疑問に、母親の情報誌から得た知識をもって淡々と答える和人。忍者の世界から転生して十一年、自分の転生した世界のことを知るために、その要である機械文明――とりわけコンピュータ関連の技術に関しての情報収集には精力的に動いてきた。また、母親が情報誌の出版社に勤めていることもあり、人並み以上にパソコン関係の知識に精通するに至ったのだった。

 

「ふ~ん…なんかよく分かんないけど、それってすごいの?」

 

「ナーヴギアを使用したゲームは出ているが、パズルや知育、環境系のタイトルのソフトばかりだったからな。RPGとなれば、ゲームの世界に入って戦うのと同義だ。仮想現実を売りとするゲームとして、待ち望んでいたものがようやく出たといったところなんだろう。」

 

「それじゃあ、そのナーヴギアっていうのを使えば、ゲームの世界で冒険できるようになるってこと?」

 

「そういうことだ。」

 

直葉の問いかけに答えながらも、道場を出て台所へ移動。共に朝食の支度をする。会話をしながらの作業なのに、その動きには一切の無駄が無く、あっという間に朝食が出来上がる。

 

「面白いのかなぁ…それって。」

 

「さあな。だが、従来のテレビゲームとは一線を画すジャンルであることは確かだ。」

 

「お兄ちゃんはどうなの?パソコンにも詳しいけど…やってみたいと思う?そのゲーム。」

 

「…そうだな。興味はある。」

 

それまでほとんど表情に変化の無かった和人の顔に、若干の苦笑が浮かぶ。仮想世界、という言葉には何故か自分とは無関係でない意味を感じている。写輪眼という特殊な眼を持つうちは一族に生まれたイタチは、その眼の力――即ち、瞳術を駆使して幾度となく敵を幻惑の世界へ落としてきた。幻術自体は忍者の世界で珍しい術ではないが、うちは一族はとりわけその分野の術に秀でている。故に、この世界の技術が忍術でしか再現し得ない仮想世界を実現するという話には惹かれるものがある。

直葉はそんな兄の微妙な変化を目敏く察知し、さらに問いかける。

 

「お兄ちゃんもやってみたら?お兄ちゃんが興味あることなんて、滅多にないじゃない。」

 

「ベータテストをやるらしいが、応募者は現在十万人以上いるとのことだ。ハガキを出しても、望み薄だな。」

 

「そっか…それじゃあ、お母さんに頼んでみたらどうかな?」

 

「情報誌編集者といえど、初回ロット一万本のゲームソフトを手に入れるなんて、そうそうできっこないさ。それに、そこまで無理をさせたくはない。」

 

久しぶりに和人の興味のある話題になったのに、相変わらず素気なく答える和人に、直葉はどこか不満げな表情をする。十年以上一緒に暮らしている兄弟同士だが、和人は直葉をはじめ家族に対してあまり感情を見せたがらない。疎遠になっているわけではない。話しかければ、きちんと返事をしてくれるし、稽古だって付き合ってくれる。ただ、互いの距離感が曖昧なだけ。直葉はその距離を埋めようと日々努力しているが、和人との関係にはなかなか変化は起こらなかった。

直葉がそんなことを考えながら朝食を準備している内に、着替えを終えた翠もやってきて三人そろって朝食を食べ始める。メニューはご飯、味噌汁、卵焼き、納豆、目刺と純和風なものだった。朝食を終えて食器を洗い終えると、和人と直葉は学校へ行く。

 

 

 

どこの家庭にもある、ありふれた日常。それは、うちはイタチとしての前世を持つ和人にも、覚えのある風景だった。だが、自分はそれを破壊した…自らが属する木の葉隠れの里に訪れる戦乱の世を回避するために、イタチは自らの手を汚した。自分の実父が里に対して企てていたクーデターを阻止するために、ただ一人の弟を除いて一族を皆殺しにした。父はもちろん、母も、友人も、恋人も…うちはという一族の人間全てを殺した。

そんな前世を持つ和人は、時々思う。また、あの時のような悲劇が起こるのではないか、自分が起こしてしまうのではないか、と。自分の今ある世界では絶対にあり得ないこととはいえ、不安は拭えない。平穏とは無縁の世界で生きていた記憶は、和人の心に常に僅かながらの影を落としていた。そのために、家族との距離感も掴めずにいる。

前世を省みるに、今の生活は自分には過ぎた幸せだと、和人は思う。十年以上生きてきてもその考えは変わらない。それでも、生きることを止めるつもりはない。自分がこの世界に来た理由を、和人は…イタチは探し続けていく…

 




和人と直葉の関係について、加筆修正を加えました。前世のうちはイタチとしての記憶を持つ和人ならば、SAO原作のキリト以上に他人との距離感が狂っていてもおかしくないと思いました。里のため、恋人や家族を惨殺した過去を持つイタチが、新たに得た人生をそう簡単に甘受できるとは思えなかったので、家族相手でも距離を置いてしまっているという状態にしました。


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第二話 学校生活

 

「それじゃ、行ってくるね。」

 

「ああ、気を付けてな。」

 

家を出てすぐの場所にある最寄駅の前で、和人と直葉は別れる。二人は共に中学生だが、通っている学校は異なる。直葉は公立の普通校であるのに対し、和人は私立の学校なのだ。桐ヶ谷家には、子供を名門校へ行かせるエリート教育の風潮は存在しない。にも関わらず、和人がレベルの高い私立校へ通っているのは、他でもない本人の希望によるものである。

うちはイタチとしての記憶を持つ和人にとって、義務教育の学習内容など取るに足らないレベルだった。故に、小学校より突出した成績を叩きだしてきたのも必然である。そして、和人自身も前世から勤勉な性格であり、より高度なカリキュラムを求めた結果、私立中学への入学を希望するに至った。加えて、和人の胸中には、実子ではない自分に愛情を注いでくれた両親を喜ばせたいという秘めた思いもあったのだ。

何はともあれ、和人のハイレベルの私立中学への入学希望を翠と峰嵩は承諾し、試験も見事パスするに至った。そして現在、和人は、直葉が通っている中学とは別の、電車による乗り降りを必要とする東京の私立中学に通っているのである。

 

「おう!和人、早いな!」

 

「お前もな。」

 

「おはようございます、桐ヶ谷先輩。」

 

「ああ、おはよう。」

 

電車を降りて、駅を出てからの道すがら、同じ中学の制服を着た何人かの生徒に声を掛けられる。彼等は和人と同じ、一般家庭出身の学生である。

和人の通う私立中学は、医者や政治家といった家柄の良い子供達が通うことで知られている。そのため、和人のような一般家庭出身は少数派であり、校内では肩身の狭い思いをしているのだった。中には、苛めにまで発展して転校を余儀なくされた生徒もいたそうだが、学校が家柄を重んじる傾向にあるため、そういった問題は一般家庭出身の生徒達が泣き寝入りするケースがほとんどだった。

そんな名家出身の生徒が幅を利かせる中に現れた和人は、校内のパワーバランスを崩す存在となった。偏差値の高い名門私立中学において成績は常にトップに位置し、あらゆるスポーツも完璧にこなす抜群の運動能力を持った生徒…それが和人だった。入学後、和人の知名度は本人の気付かぬ間に急上昇していた。一般家庭出身でありながら、他の追随を許さない能力は、多数派である名家出身の生徒に虐げられている生徒達の尊敬の的となっていた。だが、一方でそれを快く思わない人間もいる。

 

「おい、桐ヶ谷。」

 

「ちょっとこっち来い。」

 

和人が校門をくぐった直後、横から声がかけられる。そこに居たのは二人の男子生徒。恰幅の良さから、運動系の部活に属していることは明らか。さらに、身に付けている校章の色から、三年生であることが分かる。

二人の姿を見るや、和人は内心で溜息を吐く。無視して校内へ向かっても良いが、どうせ帰りも同じように待ち伏せされると分かっている以上、選択の余地はない。渋々二人のもとへ歩いてゆき、監視カメラや人影のない校舎裏へと連れていかれる。

 

「それで、何か用でしょうか?勝先輩、小泉先輩。」

 

用件は分かっているが、一応聞いてみる。和人の表情は無表情そのものだが、内心では目の前の二人に呆れ返っている。

 

「お前、この前の部活の時はよくも恥をかかせてくれたな!」

 

「先輩相手に顔を立てようとか、もっと考えねえのか!?」

 

この二人は、和人が所属している剣道部の先輩に当る人物である。ちなみに、両親はやり手の実業家である。中学時代最後の大会や受験を前に控え、部活・勉強共に伸び悩んでいたストレスを、一般家庭出身の下級生を中心に虐げることで解消していたのだ。ストレス解消の矛先は、当然のように和人にも向けられた。そして立ち合いの結果、二人を完膚なきまでに叩きのめしたのが恨みごとの始まりだった。

和人が二人の相手をしたのは、一方的に因縁を付けられてのことだった。わざと負けて現状のような問題を回避するという手もあったのだが、これ以上二人を付け上がらせても問題が肥大化するだけであり、一度叩きのめして頭を冷やさせるべきと考えたのだった。だが予想通り、二人はクールダウンするどころか、行状はエスカレートの一途を辿るのみだった。そうして現在、校舎裏に呼び出されるに至っている。

 

「こちとら大会控えてんだ!あんまり調子に乗ってんじゃねえぞ!」

 

「申し訳ありません。」

 

「もっと心を込めて謝れよ!」

 

後輩相手に、上級生の権威と名家の意向をかざしての理不尽な物言いに辟易する和人。反論しても会話にすらならないことを理解しているので、適当に相槌を打って答えるが、やっていられないというのが本音である。このままでは遅刻する羽目になりそうだ。そう思った和人は、そろそろどうにかして二人を煙に巻こうかと考え始める。と、そこへ…

 

「あなた達、何やってるの!?」

 

昇降口がある方の角から新たな人物が現れる。ちいさな卵型の顔で、両側には栗色の長いストレートヘアを垂らした、華麗な容姿の少女。大きなはしばみ色の瞳が鋭い光を放ち、こちらを見据えていた。

 

「チッ!…何でもねえよ!」

 

「行こうぜ、小泉。」

 

少女の姿を見るや、舌打ちしながらその場を後にする三年生の剣道部員二人。あとに残されたのは、和人と少女の二人だけである。

 

「ありがとうございます、結城先輩。」

 

彼女の名前は結城明日奈。三年生の現生徒会長である。名家出身でありながら、公平さを重視する真面目な性格で、校内の生徒達からは男女、出自を問わず人気のある女子生徒として知られている。

 

「いいえ…それよりも、最近あの人たちあんなことばっかりしてるの?」

 

「…そんなことはありません。」

 

生徒会長として、校内の風紀の乱れを見逃せないのか、明日奈は昇降口へ向かう和人の後を追いながら尋ねる。だが、和人は素気なく問題はないと返すばかり。ここで生徒会長である明日奈に告げ口すれば、あの二人をはじめとした剣道部員の粗暴な振る舞いが明らかとなり、何らかの注意や処分が下るのは間違いない。だが、そんなことをしてもあの二人をはじめとした3年生達が行状を改めるとは思えない。それどころか、軋轢が加速するばかりだろう。そう考えた和人は、明日奈の介入を止めるために嘘を交えて話す。

 

「俺が部活で図に乗ったことをしたことが原因です。あの二人はそれを注意するために…」

 

「本当に?桐ヶ谷君がそんなことをするなんて、信じられないんだけれど。」

 

だが、明日奈も疑り深い。和人の身を案じてのことだというのは、疑われている本人も分かっているが、有難迷惑である。名家出身の生徒会長と、一般家庭出身の和人が懇意にしているなどという噂が立てば、碌な事にはならないだろう。

 

「本当です。心配はいりません。」

 

「でも、あんな事があったんじゃ…」

 

校内へ入っても、詳しい事情説明を要求する明日奈。会話は平行線を辿るばかりである。そこで和人は、明日奈の神経を逆なでする冷たい態度に出ることで、突き放す策に出る。

 

「…結城先輩、これは剣道部の問題です。生徒会のあなたの力無しでも、自分の問題は自分で解決します。」

 

「でも………」

 

「本当に大丈夫ですから。それでは、もうすぐ教室なので。」

 

 表面上は丁寧に断っているが、和人は明らかに自分を避けていると、明日奈は思った。恐らく、生徒会長であり、先程の二人同様名家出身である自分と関わることを忌避しているからなのだろう。明日奈もこの私立中学における、家柄の格差から生じる軋轢は理解していた。だからこそ、生徒会長になれた時には、家柄などを気にせず生徒同士が仲良くなれる学校にしたいと思っていた。だが、その想いは中々成果を見せず、目の前の生徒にも壁を作られる始末である。その原因を作っているのが他でもない、自分と同じ名家出身の生徒であるだけに、頭が痛かった。

 

「…分かったわ。でも、これだけは言わせて。」

 

「………」

 

「私は本当に、助けが必要なら、いつでも力になるから。」

 

明日奈の毅然とした態度で言ったその言葉に和人は足を止め、しかし振り向かずに立ち去って行った。和人が教室に入って行くのを見届けたのち、やがて明日奈も自分の教室へ向かうのだった。

 

 

 

午前の授業が終わり、昼食の時間となる。この中学の校則では、昼食中における席や教室の移動は禁止されており、各々の席で食事を取る。食事が終わると、昼休みである。生徒は各々自由に時間を過ごす。和人は特に教室を出ることもなく、席に着いたまま図書館で借りた本を読む。

と、そこへ

 

「桐ヶ谷、ちょっと良いか?」

 

「カズ、ここが分からないんだけど…」

 

教材片手に和人のもとへやってくる生徒が数人。和人と同程度の家柄出身の生徒達である。昼休みに和人のもとへ来る理由は見て分かる通り、勉強を教えてもらうためである。下級階層の家庭の生徒達は、生徒・教師両方に対して肩身の狭い思いをする環境にあるため、和人のように成績優秀で分け隔てなく接する生徒は重宝されている。素気ない性格であるが、勉強を教えて欲しいと言えば嫌な顔一つせずに教えてくれる。

こうして、基本的に時間を持て余す和人の昼休みは、ちょっとした勉強会が開かれることがしょっちゅうなのだった。

 

「そろそろ昼休みも終わりだ。皆、教室へ戻れ。」

 

和人の言葉に、教えを乞いに来ていた生徒達は素直に従って教室を後にする。和人も和人で、午後の授業に備えて教材を取り出し始める。

すっかり日常化した、それでいてこの学校では今までにあり得なかった一コマである。

 

 

 

「………」

 

午後の授業も終わり、大部分の生徒は部活へ向かい、少数の生徒は帰宅、もしくは塾などへ行く時間帯。今溜息を吐いた和人は前者に属し、所属している剣道部の部室に向かっているのだった。

 

(やれやれ…どうしたものか…)

 

今朝のこともあり、剣道部へ行く足取りは重い。だからといって欠席すれば、後日面倒なことになる。

大会を数カ月先に控えている以上、レギュラーメンバーを下手に刺激するのは得策ではない。極力接触を控え、立ち合いを避けて大人しく練習していれば問題は無いと考える。というより、これ以上妥当な対応の手段は浮かばない。

気付いてみれば、もう剣道部の部室の前。意を決して扉を開き、中へと入る。

 

「こんにちは。」

 

部室には、既に数人の三年生がいた。和人の挨拶に対して返ってきたのは、突き刺す様な非友好的な視線。敬遠されていることがはっきり分かる反応である。そんな露骨な態度に対して、和人は無表情を貫いたまま更衣室へ向かう。ロッカーには特に仕掛けもされていないことを確認し、スムーズに道着へ着替えて防具を身に付ける。準備運動を終えると、そのまま竹刀片手に剣道場へと出て日課の素振りを行う。

 

「おい、桐ヶ谷。」

 

五分ほど竹刀を振るっていると、案の定、今朝自分に絡んできた3年生二人――勝と小泉が現れた。

 

「お前、今朝のこと忘れてないだろうな?」

 

「…はい。」

 

「フン、相変わらずスカしやがって。ちょっとこっち来い。」

 

そう言って誘導されたのは、剣道場の中央。どうやら立ち合いをさせるつもりらしい。和人の正面に立つのは、大柄な小泉よりも大柄な勝である。

 

「部活始まる前にちょっと付き合え。」

 

「…分かりました。」

 

馬鹿に正直な立ち合いだな、と和人は思った。開けた剣道場の中心に呼び出された以外は何も異常はない。だが、面の下に覗く勝と小泉の口がつり上がっているのを確認するに、絶対に何かあると考える。桐ヶ谷家の朝稽古のように例をすることもなく、二人は竹刀を構える。

 

「ハァッ!」

 

先に仕掛けてきたのは、勝だった。鋭い突きが和人の“喉”目掛けて放たれる。小中学生の試合において喉の突きは禁止されている。連続で繰り出されるそれを和人は危なげなく避けていく。突きのスピードが落ち、そろそろ攻め込む頃合いかと隙を探し始める和人。

だが、

 

「オラァッ!」

 

「…」

 

やはり、といったところだろうか。立ち合いに横槍を入れてくる人間が現れた。和人の面目掛けて背後から竹刀を振り下ろしたのは、小泉だった。

 

「チッ!避けやがったか…」

 

忍の世界で生きた前世を持つ和人にとって、あまりにも分かりやすい奇襲だった。殺気を殺し切れていない小泉の動きなど、目で見るまでもなく対応できる。

 

「ま、次はそうはいかねえだろうがな。」

 

「………」

 

周囲の気配を探ると、どうやら自分を狙っているのは目の前の勝と小泉だけではないようだ。自分を囲むように竹刀片手に立つ四人の三年生の姿がある。隙が出来次第、随時奇襲を仕掛け、袋叩きにする算段らしい。そこまでして自分を叩きのめしたいのかと、和人ははたはた呆れ返る。

このままではキリがないので、和人は挑発を交えて周囲の敵に声をかける。

 

「…チマチマやらずに、全員でかかってきたらどうですか?」

 

「!!…テメェ、言ったな!」

 

「吠え面かいても知らねえぞ!!」

 

待機していた四人も立ち上がる。そして、和人目掛けて駆けだし、竹刀を振り下ろしていくのだった…

 

 

 

 

 

放課後の名門私立中学の剣道部で起こった、3年生六人がかりで2年生を袋叩きにするという、運動部にあるまじき問題。だがそれは、六人が返り討ちになるという結末に至った。

顧問が遅れながら剣道部の部室に到着した時には、襲い掛かった六人が気絶して倒れる中、袋叩きに遭った和人一人が立っている状況だった。顧問から事情説明を要求されたので、和人は簡潔に、個人的な感情を一切交えずに答えた。

3年生に因縁を付けられたこと、立ち合いで乱入されたこと、最終的には六人での袋叩きにされたこと…

事情を聞かされた顧問は頭を抱えたが、和人は「気にしていない。このことを公にするつもりはない」と答えた。このようなトラブルがあった以上、今日は部活を行うことなどできない。気絶した六人を保健室へ運びこんだ後、剣道部は解散となった。

 

(…何をやっているんだ、俺は…)

 

今回の騒動は、最初に和人に絡んできた3年生に非がある。だが、六人がかりで掛かって来いという言葉は、明らかに被害者としては過ぎた挑発である。苛立ちがあったことは否定しないが、忍として感情を隠してきた自分にはあり得ない行動だった。かつての忍だった自分に固執する必要など今となっては存在しないが、自分という人間が前世から乖離している気がしてならない。それは即ち、前世の自分を…犯した罪を忘れるということであり…

 

「桐ヶ谷君!」

 

そこへ、突然掛けられた声に思考を中断される。校門を出てすぐの場所で後ろを振り向いてみれば、そこには今朝会った栗色のロングヘアの華麗な容姿の少女、明日奈だった。和人は内心でばつの悪い表情をするも、明日奈に向き直った。

 

「…何かご用でしょうか?」

 

「さっき、剣道部から三年生が何人も保健室に運び出されていたけれど、もしかしてあなたがやったの?」

 

予想通りの話題だった。誤魔化し切れるものではないので、和人には正直に答える選択肢しかない。

 

「………そうです。今日の部活はそういう事情で解散になりました。俺に対する処分でしたら、後日改めて…」

 

「勝君や小泉君から仕掛けてきたんでしょう?あなたが謝ることなんてない筈よ。あの人達には、私が先生達にしっかり注意してもらうよう頼んで」

 

「いいえ、大丈夫です。」

 

和人のことを心配して、生徒会長として騒動の収拾を手伝うと言う明日奈。だが、和人はそれをきっぱり断る。自分のことを想っての気遣いであることは承知しているが、教師を含めて校風が家柄を重んじる傾向がある以上、彼女が出張ったところでどうにかなるとも思えない。それに、彼女の介入によって譬え和人が処罰を免れたとしても、それが後のトラブルの火種になる可能性が大きい。そうすれば今度は、“庶民に味方した生徒会長”として、明日奈が排斥対象にされかねない。これ以上騒動を大きくしないために、和人が選択した行動。それは―――

 

「これは剣道部の問題です。生徒会の出る幕はありません。」

 

「…どうしてそんなこと言うの?私は本当にあなたの力になりたいだけで…」

 

和人の突き離すような態度に、悲しそうな表情をする明日奈。生徒会長という役職に就いている彼女だが、他者と真正面から向き合うということには慣れていない。生徒会の実務をこなす優秀な能力はあっても、人を引っ張る牽引力や主張を通す意思力に欠ける面が、明日奈にはあった。

ほとんどの生徒が人柄や優秀さ故に気付かない明日奈の精神面の弱点を、しかし和人は知っていた。そして、このまま一方的にこちらの主張を述べ続ければ、明日奈が委縮して押し黙ってしまうことも。

 

「黙っていれば、こちらが泣き寝入りするだけで事は済みますが、あなたが出張れば問題が複雑化してしまいます。そうなれば、ご家庭にも迷惑がかかってしまうでしょう。たかが一生徒の揉め事に、生徒会長が動くなどあり得ないことです。」

 

「…そんな事はないわ。桐ヶ谷君は、家柄のせいで分かりあえないって思っているみたいだけど、きちんと話をすれば、あなただけが悪者にされることなんてない筈よ。私も協力するから…」

 

相変わらず無表情で冷淡に話し続ける和人に対し、明日奈の声はか細くなるばかりである。底冷えするような和人の視線や威圧感に、明日奈は強気に出られない。そんな彼女に、和人は遂に決定的な一言を放つ。

 

「余計なお世話です。」

 

その一言がきっかけになったのか、明日奈は遂に押し黙ってしまった。和人はそんな彼女に背を向けて家路に着く。明日奈に拒絶の意思を示すことで、彼女が火の粉を被ることは避けられる。結果として自分は嫌われるだろうが、和人にはそんなことは些細な問題だった。恨まれることや泥を被ることなど、生前から慣れていることだ。

 

(…結局、俺は“うちはイタチ”としてしか生きられないのかもな……)

 

今やっていること自体、生前の再現に等しいと和人は思う。和人の前世――うちはイタチが、自身が信じて全うした忍としての生き様、それは“自己犠牲”――一人の忍として、己を殺して里を救うために汚名を被り戦い続けてきたのだ。

この世界には、“里”もなければ“忍”もいない。しかし、前世における生き方を変えられない自分がいる。もしこのまま、前世と同じ道を歩むことになれば、自分はまた同じ過ちを繰り返してしまうのではないか?――そんな一抹の不安が、イタチの頭を過ぎっていた。

 

 

 

一方、一人残された明日奈の胸中は、遣る瀬無い思いでいっぱいだった。同じ学校に通う生徒として仲良くしたい、誰もが仲良くできる学校を作りたい。ただそれだけなのに、想いは通じず、和人には壁を作られ、全くと言っていいほど意志疎通はできていない。

 

(もっとしっかりしなくちゃ…)

 

生徒会長としても、今の校風をどうにかしたいというのは、嘘偽りのない本音である。そのためにも、落ち込んでいる暇はない。もっと意思力をもって接すれば、和人とも分かり合える筈。少なくとも、明日奈はそう信じている。俯いていた顔を上げると共に想いを新たに、明日奈は帰途に着くのだった。

 




イタチの自己犠牲精神を再現することに重きを置いてみました。初期版の投稿時には、イタチの内心の描写が少なく、苛立ちや嫌味を本気で露にしていると思われていたので、アスナを巻き込みたくない一心で突き放す態度を取っていたということを明確にしてみました。また、露骨に嫌味を言うのではなく、淡々と突き放すような口調に変えました。


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第三話 茅場晶彦

 

2022年5月11日

 

桐ヶ谷家の家からさほど遠くない場所にある雑木林。早朝のため未だ日の光の届かない鬱蒼とした空間の中、朝露を裂いて走る影があった。

 

「ふっ…!」

 

目にも止まらぬ速さで駆け抜ける黒い影から、幾筋かの銀色の線が迸る。それと共に、影が通過した場所に何かが突き刺さる音が立て続けに鳴り響く。機関銃のように絶え間なく成り続けた音は、影が停止すると共に止んだ。朝日が立ち込め始める林の中に現れたのは、一人の少年――桐ヶ谷和人だった。

 

「…こんなものか。」

 

誰にでもなく、和人はそう呟いた。一息吐いて、タオルを手に額の汗を拭う。

 

(手裏剣術は、大体感覚が戻ってきたな。)

 

和人が見回す雑木林の木々には、ダーツの的が至る場所に取り付けられており、いずれも矢が数本ずつ、ほぼ中心に突き刺さっている。これらは和人が修行のために設置した物である。

うちはイタチの記憶を持って転生した和人は、前世において行っていた忍術修行を今も続けていた。修行のための場所を探し、この雑木林に目を付けたのが五歳頃だった。その後は、家族に黙って密かに家を出てこの場所に来て修行をしていた。当初は忍者としての体力作りから始め、現在は忍具を使った修行に至っている。

尤も、忍具である手裏剣やクナイは今の時代では入手困難な代物であるため、代用品としてダーツの矢を忍具に見立てて修業を行っていた。

 

(しかし…やはり手に馴染まんか。それに、この世界の俺ではこれが限界か……)

 

手裏剣修行において放ったダーツの矢は、全ての的をほぼ中央に命中させていたが、和人の内心は不満足だった。前世において使っていた武器に比べれば、今自分が手に持っている武器は、重さも鋭さも劣るものである。扱いに慣れていない道具では、思うような動きもできない。そして何より、和人は現在、生前同様に忍術が使えない状態にあるのだ。

忍術を発動するためのエネルギーである「チャクラ」には、身体エネルギー由来の「陽遁」と、精神エネルギー由来の「隠遁」が存在する。前世のうちはイタチがいた世界では、この二種類のチャクラを練り上げることで忍術が発動するのだ。体内を巡るチャクラは、印結びの反復練習で感じ取り、徐々に練れるようになる。だが、和人はうちはイタチからの転生後、チャクラを「練る」ことができなくなってしまったのだ。

原因は不明だが、恐らく転生前のうちはイタチがいた忍世界と、転生後の桐ヶ谷和人のいる世界とでは、世界の理が大きく異なっているためと考えられる。忍術無しで繁栄した文明ともなれば、チャクラが練れなくてもおかしくはない。前人未到の「異世界」である以上、元居た世界との勝手の違いも、こうして転生した後でなければ分からない。「チャクラ」という言葉はこの世界にはあるものの、それはインド起源の神秘的身体論における、物質的な身体(粗大身)と精微な身体(微細身)にある複数の中枢を指すらしい。忍術にも似たような概念があり、前世の忍世界では「八門遁甲」と呼ばれている。ちなみに、忍術の世界で言う「チャクラ」に該当するものは、東洋医学で「氣」と呼ばれている。閑話休題。

ともあれ、現状の和人はチャクラ(=氣)の流れを感知することはできても、前世のように「練る」という行為ができないことから、忍術のような超常現象を引き起こすことはできないのだ。中医学の「氣」の概念について学ぶことで、身体能力の向上に利用することが出来そうだが、忍術だけは発動できそうにない。

 

(…尤も、本当は必要ないのだろうな……)

 

転生後も和人がかつてのイタチ同様に忍術修行を行っている理由については多々あるが、最大の理由は、かつて自分が忍だったことを…もっと言えば、忍として自分が犯してきた罪を忘れないためだった。転生しても、魂がうちはイタチのままである以上、かつての自分が犯した罪からは逃れられないし、償いができるとも思わない。忍者としての在り様を前世から引き継いでいるのは、背負い続けなければならない業に向き合うためだった。さもなくば、また過ちを繰り返した果てに、大切な物を傷つけるかもしれないと…和人は言い知れぬ不安を抱いていた。

転生してから十年以上が経過した今も尚引きずっている、前世の「うちはイタチ」の影。親しい者をその手にかけた、血に塗れた生涯だったが、それを後悔するつもりは毛頭ない。しかし、同時に自分が罪深い人間であるという自覚もある。背負った業に対する意識が、自分はここにいてはいけない人間なのだと、そう訴えかける。転生した今を生きることを決心していたが、過去を省みれば過ぎた幸せとしか言いようがないこの世界は、イタチの心を苛む。いっそのこと、地獄へ落ちた方が楽だったのかもしれない、と思うこともある。

 

(いかんな…悪い癖だ……)

 

 知らず、過去に執着するあまり、今を生きることを否定していることに内心で溜息を吐く。この世界に転生した理由、存在の意義を探すために生きているのに、過去に囚われている自分がいる。

 

『本当の変化とは規制や制約…予感や想像の枠に収まりきっていては出来ない。』

 

それが前世のうちはイタチの考え方だった。桐ヶ谷和人に転生した今でも、それは変わらない。だからこそ、答えを探すためには、「変化」が必要だということにも気付いている。しかし、己が変わること…それ即ち、過去を忘れることのように思えてしまう。自身を縛る制約が何も無い今、変化することは容易いが、慣れない自由に和人は戸惑い続けている。もし和人に、その苦しみを打ち明けられる親しい人がいたのなら、過去と今、両方を受け入れて生きることもできただろう。だが、うちはイタチとしての過去を…前世を知る人間は誰一人としてこの世界にはいない。故に、和人は行き場のない葛藤全てを一人抱え込むしかできなかった。

 

(さて…そろそろ帰るか…)

 

忍者としての修行を通して心の内に湧いた秘めたる想いを呑みこみ、和人は家に戻るべく支度を始める。雑木林の中に設置したダーツの矢と的を手早く回収し終えると、人に出くわさないよう注意しながら家を目指し、塀を跳び越えて中へと入る。ランニングに出ていたと言えば言い訳できるが、修行のことはできるだけ内密にしておきたい。自宅の敷地に入った和人は、母屋の部屋へは戻らず、道場へ入る。修行へ行く前に用意しておいた道着に着替え、竹刀の素振りを始める。

 

「お兄ちゃん、おはよう。」

 

「ああ、おはよう。」

 

程なくして、朝稽古のために起きてきた直葉が道場へ入ってくる。直葉も道着に着替えると、いつもの日課である手合わせを行う。稽古が終わった後は、朝食の準備に取り掛かり、二人に続いて起きてきた母、翠と共に食卓に着く。そしていつも通り、海外で仕事をしている父を除いた三人での朝食が始まる。そこでふと、母である翠がある話題を口にする。

 

「そういえば、最近取材でアーガスの会社に行ったんだけどね。」

 

「アーガス?それってたしか、今話題のゲームを作ってる会社だよね、お兄ちゃん。」

 

「ソードアート・オンラインだ。この間話した、新ジャンルのVRMMO先駆けのゲームだな。その開発主任は、ナーヴギアの基礎設計者としても知られる、ゲームデザイナーにして量子物理学者、茅場晶彦とのことだ。」

 

現代の技術の最先端であるフルダイブシステム、その最先端に立つ人物として、あらゆるコンピュータ雑誌の記事においてその名を知られた人物である。和人も、フルダイブシステムにより、仮想現実を確立した人物としてその人間性に注目していた。裏方に徹し、メディアへの露出を避ける傾向に、かつて忍だった自分を重ねているということもある。

 

「そう、その茅場晶彦さん。昨日、私のインタビューを受けてくれたんだけれどね。ソードアート・オンラインのゲームを作るために、剣道とかの武術の達人を探しているんだって。」

 

「剣道の達人か~…お兄ちゃんなら、ぴったりなんじゃないかな?」

 

「…買いかぶり過ぎだ。今の中学じゃ、あんまり活躍できちゃいないさ。」

 

正確には、活躍の場を用意して貰えない、というのが正しい。和人の実力は小学校同様、剣道部の中では抽んでていた。既に三年生はじめ、顧問すら相手にならないレベルである。だが、家柄を重んじる校風が未だに残る私立中学では、一般家庭出身の生徒は、部活動の大会などにおいて活躍の場を用意してもらえないことが多いのだ。加えて、突出した実力を持つ和人を嫉妬した生徒達が、先日のような妨害工作を行っていることもある。

 

「そう、それよ!和人ってたしか、有段者の人にも勝ったことがあるじゃない?だから、茅場さんにあなたのことを話してみたのよ。剣道が強いし、スタッフにどうかって。」

 

「親馬鹿だと思われたんじゃないか?仕事に来てまで、自分の子供の話しまでしてたんじゃ…」

 

苦笑しながら話す和人。職場で息子の話をするなど場違いも良い所だ。ましてや、情報誌編集者がインタビュー中では、話をしてもらっている相手に失礼ではないかとすら思う。十中八九呆れられたと思った和人だが、翠の口から思わぬことが発せられた。

 

「それがね、あなたのことを話したら、茅場さんが会ってみたいって言ったのよ。」

 

「…本当に?」

 

冗談だろう、と和人は思った。最先端VRMMOというゲーム制作に忙しい筈の茅場晶彦が、インタビューに来た雑誌記者の話を真に受けたというのだろうか?

 

「本当よ!その証拠にほら、連絡先までもらったんだから。」

 

翠が取り出したのは、電話番号が書き記されたメモ用紙。半信半疑だが、とりあえず受け取る和人。翠は説明を続ける。

 

「茅場さん、あなたにゲーム制作の協力を依頼できるかを知りたいそうよ。もし協力してもらえるなら、クローズドベータテストに参加させてくれるって言ってたわ。あと、ベータテストに参加すれば…」

 

「その後の正式版パッケージの優先購入権がもらえる、だろう?」

 

ソードアート・オンラインのクローズドベータテストには、和人も応募している。そのため、ある程度の事情は知っている。現状での応募者数は10万人に匹敵しているとのこと。抽選で選ばれるベータテスターは千人。倍率は100倍である。望み薄としかいえない現状だが、制作スタッフになれば、それが無条件で手に入るというのだ。

 

「まだ腕が落ちていないなら、やってみたらどう?」

 

「そうだな………まあ、行くだけ行ってみるさ。」

 

「お兄ちゃんなら、きっと大丈夫だよ!」

 

直葉がそう言って太鼓判を押す。確かに、剣道の実力は有段者のそれを超える自信はある。これは慢心でも誇張でもなく、ほぼ正鵠を射た自己評価である。前世で数えきれない戦場を渡り歩いてきたのだ。元の世界で言う、“忍”でも“侍”でもない相手の動きを先読みするなど和人には造作もなかった。転生後に剣道を始めておよそ六年、多様な剣術の流派の技をその目に映し、和人の会得した技は数えきれない。

 

(まあ、ちょうどよかったのかもな…)

 

ソードアート・オンラインなるゲームに興味があったのは確かである。ベータテストの当選が望み薄の現状でこの誘いは、渡りに船といえる。密かにその人間性に注目していた茅場晶彦に会えるという特典まで付くのならば、行ってみる価値はあると考える和人だった。

 

「あ、でもお兄ちゃん、部活は?」

 

「大丈夫だ。しばらくは休むことになったからな。」

 

直葉の問いかけに、何もなかった風で答える和人。先日の剣道部での騒動の結果、自分に下った裁定は、二週間の部活動停止処分だった。集団リンチを仕掛けた六人の処分は注意だけなのを考えれば明らかに不公平だが、それを口にしても詮無いことである。名門高校を受験する人間にとってはマイナス要素以外の何でもない汚点が生じるが、和人は別段気にする風もない。むしろ、高校は名家出身のエリート揃いの私立ではなく、進学重視の公立校に切り替えようと考えていたのだから。

 

 

 

そして放課後、和人は学校の帰りに今朝貰ったメモ帳に書かれた番号へ電話する。電話の相手は茅場晶彦本人。まさか会社の部署の番号ではなく、自分が持つ携帯電話の番号を教えてくるとは思わなかった。余程制作スタッフが不足しているのだろうか、と考えてしまう。

何はともあれ、アポを取得した上でアーガス本社へ行くことになった。会社のフロントには既に話を通していたらしく、桐ヶ谷和人の名前を出すとすぐに社内へ案内してくれた。ビルの奥にある開発室と称される場所へ案内され、和人は件の人物に対面することになった。

 

「やあ、君が桐ヶ谷和人君だね。」

 

「はじめまして、茅場晶彦さん。」

 

和人を出迎えたのも、ソードアート・オンライン開発主任の茅場晶彦本人。白いシャツにネクタイを締め、長い白衣を羽織った科学者然の姿で、線の細い鋭角的な顔立ちの20代前半であろう若い男性。

 

「昨日、取材を受けた君のお母さんに聞いてね。小学校の大会では常に優勝し、プロの有段者相手でも勝てるほどの実力だそうじゃないか。」

 

「…今はもう、それほどではありませんよ。」

 

「そうかい。まあ、せっかく来てもらったんだ。まずは私が君をここへ招待した理由、開発中のVRMMO、ソードアート・オンラインのモーションキャプチャーテストについて話そう。」

 

そう言って茅場は、開発室の机の上にあった一台のパソコンを操作する。モニターに出たのは、ポリゴンで構成された人の形をしたオブジェクト。

 

「もうすぐ公開予定の情報だが、このゲーム…ソードアート・オンラインというMMORPGには、「魔法」の要素が存在しない。その代わりとして、タイトルが示す通り、「剣技」――ソードスキルが存在する。」

 

「成程、現実世界では再現できない動きでも、仮想世界ならばシステムの力でいくらでも実現できる。フルダイブ環境を最大限に利用し、体感させることを目的としているのですね。」

 

「その通りだ。理解が早くて助かるよ。」

 

「だが、そのソードスキルをフルダイブ環境で実現させるには、システムの力だけでは限界がある。映像を解析してデータを集めるにも時間と手間がかかる。効率的にデータを得るには、その手の専門家に実際にダイブしてもらった上で動いてもらった方が良い。モーションキャプチャーテストというのは、そのために行われる、というわけですか。」

 

「…君は想像以上に聡明だな。説明はほとんど必要なかったじゃないか。」

 

「昨日の母からの説明と、先程の話で大体事情は分かりました。魔法が存在しないゲームの要であるならば、その総数は百や二百という数では収まりきらない。おそらく、剣だけでなく、小太刀や薙刀、槍といった各方面の武術の専門家を集めてデータを集めているのでしょう?」

 

ほとんどの事情を説明する前に理解している和人の理解力に、茅場は舌を巻く。武術の心得があるということで仕事の依頼を考えたが、学生とは思えない、年齢に不相応な冷静さと理解力に、別の興味を抱く。周囲とは異なるオーラを持った、それは自分の同類を見つけたような気持ちだった。

 

「全くその通りだ。既に武術の専門家を方々で探して依頼しているのだが、なかなか思うようにデータが集まらない上、フルダイブ環境に慣れるのには時間がかかっていてね。君のような学生の手も借りたいほどなのだよ。無論、無償でやってくれとは言わない。学生である以上、金銭で報酬を支払うのは無理だが、君にはベータテスト参加権と、スタッフとしてナーヴギアのセットを譲渡することを約束する。」

 

「分かりました。俺でよければ、協力しましょう。」

 

「よろしく頼むよ。」

 

こうして、和人は茅場のゲーム制作の協力依頼を受けることとなった。研究室の奥に通された和人を待っていたのは、市販でも売られている、ヘッドギア型マシン――ナーヴギアが接続された、リクライニングチェア。ナーヴギアは、和人もメディアで紹介されて写真を何度か見ていたが、現物を見るのは実はこれが初めてだった。尤も、ギアから伸びる無数のケーブルは、明らかに市販の物には付いていないであろう仕様だった。ケーブルが伸びる先には、無数のモニター。つまり、このナーヴギアを通してモーションキャプチャーを行うのだろう。

 

「使い方については、分かるかい?」

 

「ナーヴギアを被り、リンク・スタートと言えばダイブが始まり、仮想世界に意識が飛ばされると聞いていますが。」

 

「その通りだ。それでは、その椅子に腰かけてナーヴギアを装着してくれたまえ。既に用意は整っている。」

 

「分かりました。」

 

茅場に言われるまま、ナーヴギアを頭に被る。目から上を覆うバイザー部分には、現在時刻と電源残量が表示されている。それらを見てから、和人は眼を瞑り、開始コマンドを唱える。

 

「リンク・スタート。」

 

その一言と共に、先程まで聞こえていたノイズ全てが遠ざかり、視界が暗闇に包まれる。中央から広がる虹色のリングを通ると、次の瞬間自分は全く別の、デジタルデータで構築された世界に転送されていた。

 

軽い興味で足を踏み入れた、「仮想世界」。まさかこの、最先端の技術で作られた夢の世界が、後に悪夢の世界へと変貌することなど、この時の和人には思いもよらなかった。そして、今後の自分の人生、己の在り様を大きく変えるということも―――

 

 




和人の身体能力については、チャクラのアシスト無しでも非常に高い運動神経を持っているという設定です。また、動体視力については写輪眼並みという設定で、生前の血継限界と同様、相手の動きを捉えてそれを再現することに秀でています。


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第四話 仮想世界

2022年5月18日

 

日が傾き始める頃の放課後の校舎。そこから靴を履き替えて家路に着こうとする生徒が一人いた。女性のような線の細いシルエットに、大人しいスタイルの黒髪をした少年。桐ヶ谷和人である。

傍目には普段と変わりない様子に見える和人だが、これから向かう場所へと急く気持ちがあった。足取りも、普段に比べると僅かばかり軽快さがある。夏前の日差しのもとを歩き、校門をくぐろうとしたところで…

 

「桐ヶ谷君、ちょっと待ちなさい!」

 

後ろから聞き知った声に歩を止められた。無表情ながら、内心で溜息を吐いて振り向いて見ると、そこには案の定、生徒会長の結城明日奈がいた。止められた理由に覚えがあるが、一応聞いてみる。

 

「何かご用でしょうか、結城先輩。」

 

「あなた、剣道部を退部したそうじゃない。」

 

予想通りの内容だった。和人は今週の頭に、剣道部の顧問に部を出て行く意思を伝え、剣道部を退部している。部内の空気や3年生との軋轢から、そろそろ潮時かと考えていたところにあの騒動である。これを切欠に退部に踏み切ったのだが、目の前の生徒会長はそれを良しとしないらしい。

 

「もともと考えていたことです。先週の不祥事の責任を負う意味も込めて、部を去ることにしました。」

 

「責任って…あなたは何も悪くないじゃない!なんでもっとちゃんと話し合おうとしなかったの?言ってくれれば、私だって協力したのに…」

 

「それが余計なお世話なんですよ。」

 

和人のことを考えての明日奈の言葉を、しかし和人本人は「余計なお世話」の一言で斬って捨てた。容赦の無い一言に、明日奈は凍りつく。いつもなら、こんなに端的かつ鋭く返す真似はしないのだが、今日は急ぎの用事がある。和人としては、早々に切り上げたい気持ちだった。

 

「一般家庭の生徒が泣きを見るのは、この学校では日常茶飯事です。それに、無用に事を荒立てれば、俺だけでなく、あなたまで目の敵にされますよ?」

 

氷のように冷え切った視線を投げかけると共に、冷淡に語りかけてくる和人に対し、明日奈は口を開けない。

 

「もとより、俺は今回の件をあまり気にしていません。剣道部にも、然程思い入れがあったわけではありませんから。」

 

「だ、だからって、このままじゃ…」

 

「俺のことはどうでも良いんです。一般家庭出身の生徒が苦しまないような学校づくりをしてくれるのなら、俺よりも助けを求めている生徒に手を貸してください。」

 

「そ、そんなこと…!」

 

和人の手助けをしようとした明日奈の本心は、家柄の違いから生じる生徒同士の軋轢の解消を目指して、目の前で起こっている出来事一つから始めたいという思いがあってのことだった。そのために、一般家庭出身の生徒達に人望のある和人と力を合わせるきっかけになればとも思っていた。

だが、本人は自分の差し伸べた手を不要と言って取ろうとはしない。剣道部の件を気にしていないというのは本心なのだろうが、自分に関わることを忌避しているような気がしてならない。その理由が、自分が和人達を虐げている名家出身の生徒であるためだということも分かっていた。握りしめた手は、思いが伝わらない、分かりあえないことへのもどかしさに震え、胸中には遣る瀬ない想いが募るばかりだった。なんで自分を拒絶するのか、と目の前の少年に叫びたい気持ちに駆られるも、声は出なかった。

 

「…そんなに、私が信用できない?」

 

代わりに出てきたのは、胸に溜め込んだもやもやの一部にも満たない、か細い問いかけ。もっと自分の気持ちを声に出さなければ伝わらないと分かっていても、目の前の少年相手ではどうしてもそれが出せない。

 

「必要ない、ただそれだけです。」

 

和人の口から出たのは、繰り返される拒絶の言葉。立ち尽くして今にも泣きそうな顔をしている明日奈に背を向け、そのまま学校を後にした。

 

 

 

学校を出た和人が向かったのは、アーガス本社ビル。一週間前から毎日通い続けているため、受付の人間に顔を覚えられており、手続きには時間をかけずにすぐに奥へ通してもらえた。目的の部屋で和人を出迎えたのは、最初にここに来た時と同じ人物。

 

「やあ、桐ヶ谷君。今日もすまないね。」

 

恰好も相変わらず、白シャツ・ネクタイ・白衣の研究者。茅場晶彦である。コーヒーカップ片手にパソコンの画面に向かい、ソードアート・オンライン関係のものであろうシステムを操作していた。

 

「こんにちは、茅場さん。今日もよろしくお願いします。」

 

「こちらこそ頼むよ。今日は…たしか、薙刀スキルだったかな?」

 

「はい。今日は多少遅くなっても大丈夫なので、戦斧と体術スキルの足技まで進めると思います。」

 

「本当に助かるよ。君以上の人材は、あちこち声を掛けてみても見つからなかったからね。」

 

一週間前に、情報誌編集者である母、翠の紹介により、アーガス本社を訪れてゲーム制作主任である茅場に会った和人は、ゲーム制作スタッフとして採用されていた。初日はフルダイブ初体験の和人が、仮想世界でどの程度動けるかを試すだけの予定だった。だが、和人の順応が思いのほか早かったため、そのまま採用判定を飛ばして、依頼内容のソードスキルのモーションキャプチャーへと移行したのだった。

 

「しかし、今でも信じられないよ。まさかフルダイブ初日であれほどまでに動けたとは…しかも、システムアシスト無しであの動き…ソードスキルの完成形そのものと言っていい。君という人間は私の想像を遥かに超えていたよ。」

 

「恐縮です…」

 

初日のテストにおいて披露した和人の能力を絶賛する茅場。ナーヴギアを使う事自体初めての和人がものの十分足らずで順応できたのには、本人しか知り得ない理由がある。それは、和人の前世――うちはイタチが「幻術」の達人だったことに起因する。うちは一族が持つ写輪眼は、忍術の中でも相手に多様な夢幻を見せる「幻術」において非常に高い性能を持つ。イタチはその写輪眼の中でも、伝説級とされる万華鏡写輪眼を開眼したのだ。万華鏡によって会得した「月読」という名の術は、時間や空間、あらゆる法則を支配する自らの精神世界の展開を可能とする。

現実世界とはかけ離れた空間に身を投じてきた前世の経験、それこそが、同じく精神世界と呼べるナーヴギアが作り出す仮想世界への、和人の突出した順応性の源となっているのだ。

 

「それに、剣道の達人とは聞いていたが…素人の私の目から見ても、君は他の武術においても達人級じゃないか。」

 

「“目”が良いだけです。一度見たものを、ある程度再現できる程度には…」

 

言葉を濁して答える和人。だがそれは、事実であり、嘘ではない。うちは一族が血継限界、写輪眼には、視認することによりその技をコピーし、自分の技として使える能力がある。前世において、イタチは木の葉隠れの里の暗部、そしてS級犯罪組織・暁の構成員として、多くの敵と戦い、多くの武術をコピーしてきた。転生した和人は、それらコピーして身に付けた武術を引き継いでいるのだ。そして、転生後の和人に写輪眼は無いが、常人としてのレベルでずば抜けて高い動体視力がある。「模倣する」という行為は前世のうちはイタチだった頃から魂に染みついているわけであり、その能力だけは転生後においても健在だった。

 

「そうかい。だが、君のおかげでデータ採取は予定よりも順調だ。ソードスキルのシステムアシスト設定に要する手間も半減している。君には既に、ベータテストの参加権だけでは不釣り合いなほど貢献してもらっているよ。」

 

「…俺としては、茅場さんの方が凄いと思います。試作とはいえ、最初に仮想世界を見た時には、驚嘆しました。あの世界が人の手で作られているとは、今でも信じられないくらいです。」

 

それは、お世辞ではない、率直な感想だった。和人は初日にナーヴギアをかぶってダイブした時の感動を今でも覚えている。ソードアート・オンラインの舞台である浮遊城、アインクラッドのフィールドの一部を再現したという草原フィールドは、現実のそれとほとんど変わらないと感じた。かつて月読という精神世界を持っていた和人だったが、それと同等の性質を持った世界が、忍術に依らない科学の力で展開されていることに、内心では驚愕していた。

 

「そう言ってもらえると嬉しいよ。この世界の想像は、私が何よりも成し遂げたいと思っていた夢そのものだ。完成させるためには、君の協力が不可欠だと思っている。今後もよろしく頼むよ。」

 

「喜んで協力させてもらいますよ。」

 

そう互いに微笑んで答えると、和人は研究室の奥へと向かう。この一週間、テストの度に世話になっているナーヴギアが設置されている場所である。リクライニングチェアに腰を下ろし、ナーヴギアを頭にかぶる。

 

「茅場さん、準備は良いですか?」

 

「いつでも大丈夫だ。」

 

「分かりました。それでは…リンク・スタート。」

 

そのコマンドと共に、和人の意識はデジタルデータの世界へと誘われるのだった。

 

 

 

開始コマンドを唱えて虹色のリングをくぐった先にあったのは、先程までいた研究室ではなく、レンガの敷かれた西洋の街中だった。

 

(今日は主街区エリアか…)

 

ソードアート・オンライン制作スタッフとして依頼を受けている和人は、ソードスキルのデータ提供以外にも、ゲームステージであるアインクラッドの各所にて活動することで、ゲームステージを構成するデータがアバターに与える影響を確かめる仕事も引き受けていた。初日は草原、それ以降も森林、砂浜、遺跡などを舞台にテストを行わされたが、今日は主街区らしい。

 

(さて…あそこか。)

 

和人がふと顔を右上に向ける。途端、何もなかった空間に黒い球体が現れる。球体は浮遊したまま、和人を見下ろしているようだった。

 

「茅場さん、薙刀のジェネレートをお願いします。」

 

『了解した。』

 

和人の声に答えたのは、現実世界にいる茅場の声。この球体は、外界にいる茅場が仮想世界にダイブしている和人と交信するための装置なのだ。

準備が完了した和人に茅場が返事をして間もなく、和人の目の前に薙刀が現れた。中に浮いて静止した状態のそれを、和人は手に取り構える。

 

「それでは、始めるので、よろしくお願いします。」

 

『分かった。遠慮なくやってくれ。』

 

球体から茅場の了承が伝えられると、和人は薙刀を振り回す。一切の無駄がない、流れるような動きで繰り出される技の数々は、素人の目から見ても洗練された達人レベルのものであることが分かる。

 

「そろそろスピードを上げます。良いですか?」

 

『構わない。存分にやってくれ。』

 

「では…」

 

茅場に断りを得ると、和人は言葉通り、先程よりもさらに薙刀を振るうスピードを激しく、鋭くする。仮想世界を満たす大気が震え、振動する。生身の人間には無論のこと、仮想世界に至ってもシステムのアシストなしには為し得ない動きだった。

 

(…やはり、この世界は似ている。俺が今まで生きてきた、幻術の…偽りの世界に…)

 

忍としての前世で幾度となく潜ってきた幻術の空間と、自分が今いるこの仮想世界は、やはり似ていると感じる。現実から完全に切り離されていることや、仮想の身体を動かしていること。そして、五感で感じる全てが仮想…偽りであることも。

この世界が嫌いなわけではない。だが、こうして何の障害もなく順応している自分に戸惑わずにはいられない。転生してから十年以上経った今でも、自分が現実世界に存在しているという意識がどこか希薄だった。むしろ、全てが偽りのこの世界こそが自分の本当にいるべき場所なのではないか、とさえ思えてくる。

 

『知識や認識は曖昧なモノだ。その現実は幻かもしれない。人は皆思いこみの中で生きている。そうは考えられないか?』

 

他でもない、前世の自分――うちはイタチが言った言葉だ。忍者の世界、その中でも闇の部分に属し、偽りを重ねてきて至った一つの境地。ならば、死を経てなお、仮想の現実に在る自分は、一体何者なのか?現実に存在する意味が本当にあるのか?

…いくら考えても、答えは出なかった。

 

 

 

その後のモーションキャプチャーテストは、途中にトイレや休憩を挟んで5時間にもわたって行われた。和人が当初言っていた通り、薙刀のソードスキルのデータを早々に採取し終えて、戦斧と足技体術の実演へと工程は進んだ。今日の分のテストを終え、和人はナーヴギアを外して椅子から立つ。ほとんど横になって過ごしたせいか、背中が微妙に痛い。

 

「お疲れ様、桐ヶ谷君。遅くまで付き合わせてしまって悪かったね。」

 

「いえ、大丈夫です。家は親が二人とも帰りが遅いんです。」

 

「よかったら、駅まで車で送るが?」

 

「ご心配なさらずに。一人で帰れますよ。」

 

「そうか…君のおかげで、必要とされるソードスキルのデータは現在およそ四割近く蒐集が完了している。これならば、ベータテストを経ての発売日を予定より早められそうだよ。」

 

「楽しみにしていますよ。それでは、失礼します。」

 

アーガス社のビルの入り口まで見送りに来てくれた茅場とスタッフ数名に手を振りながら、和人は家路に着いた。

 

 

 

和人が帰宅したのは、午後七時くらいだった。桐ヶ谷家のダイニングルームでは、夕飯の用意を終えた直葉と翠が和人の帰りを待ってくれていた。若干遅くなったことを謝りつつも、食卓に着く。

 

「それにしても、忙しいみたいじゃない?こんな時間までアーガス本社にお邪魔しちゃって…」

 

「面目ないと思っている。平日はもう少し早く帰れるように相談してみるさ。」

 

ばつの悪い表情で翠の小言に苦笑する和人。その表情は、しかし今まで翠や直葉、峰嵩に見せてきた表情とは少々違っていた。表面上に変化は見られないようだが、明るくなったと言ったところだろうか?些細な変化だが、和人がこうして少しでも楽しそうな顔をしたところを、一緒に暮らしてきた翠や直葉は見た記憶はない。

 

「楽しそうね。そんなに気に入ったのかしら、ソードアート・オンラインは?」

 

「そうだな……想像していたよりは、楽しめているな。」

 

翠の問いに対して答える、和人の顔には、薄らとだが自然な笑みが浮かんでいた。家族である翠と直葉には、和人が楽しそうに話しているとはっきり分かった。十年以上暮らしている間柄でも、ここまでの変化は見たことがない。どうやらソードアート・オンラインというゲームは和人の興味を想像以上に焚きつけているらしい。

 

「そんなに面白いなら、私にもやらせてよ。」

 

「ゲームが発売したら、俺の次にやらせてやるよ。」

 

「ぶ~…ケチだな~」

 

和人の言葉にむくれる直葉。家族が団欒してきた中で、今日ほど明るい日は初めてかもしれない。と、そこで直葉が思い出したように別の話題を出す。

 

「ところでお兄ちゃん…剣道部をやめちゃったって聞いたけど、本当なの?」

 

「ああ、この間退部した。」

 

「それって…もう、剣道やらなくなっちゃうってことなの?」

 

直葉の切り出した話に、和人は何でもないことのように答える。だが、剣道部をやめたと聞いた直葉の表情には不安の色が浮かんでいた。素気ない兄だが、唯一剣道において、心を通じ合えると思っていたのだ。それが無くなるなど、考えたくもなかった。

 

「いや、剣道は続けるさ。部活をやめたのは、人間関係がギクシャクしたことが原因だからな。剣道自体をやめるつもりは、毛頭ない。」

 

「そうなの?」

 

「ああ。」

 

和人が剣道をするようになったのは、今は亡き祖父の教えによるものである。特にこれといった趣味も無かった和人は、身体を鍛えるための鍛練の一環としてこれを続けてきたのだ。別段、やめる理由もなく、続けることも苦ではなかったので、今日まで竹刀を振るってきたのだ。家には立派な道場もあり、直葉が手合わせする相手を欲しがっていることも知っているので、部活はやめても剣道は続けるつもりだった。

 

「そっか…良かった。」

 

「安心しろ。部活がなくなった以上、これからはもっとお前に稽古をつけてやれるからな。」

 

「えっ!?そ、それはちょっと…お手柔らかに…」

 

「全国大会に行けるレベルまで鍛え上げてやるからな。」

 

「うぅ~…」

 

和人の発言に、藪をつついて蛇を出したと後悔する直葉。そんな妹の様子に、和人の表情にもまた少し、笑みが浮かんだ。

 

仮想世界という、かつて自分が生きた幻の中へ入って以来、この場所に生きる自分の存在が不安定に思えて仕方がなかった。しかしそれでも、直葉のように自分を必要としてくれる存在に、知らず救われていた。

だが、この苦悩そのものが、前世の自分への罰なのかもしれない。だとしたら、このように他者を求めることも許されない。過去など捨てればこんな思いはしなくても済むのだろうが、和人はその重荷を背負い続ける。譬え目に見える全てが幻だとしても、そこに生きている自分は本物なのだから―――

 

 




和人の仮想世界への適応力ですが、初期の投稿で説明したように、前世で月読を使い続けていた経緯により、常人以上に高いという設定です。要するに、SAO原作のユウキと同様の理由で仮想世界での活動に秀でているというわけです。


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第五話 クローズドベータテスト

和人がアーガス社のソードアート・オンライン制作スタッフとなってから二カ月が経った。当初はもう一カ月以上かかるとされていたソードスキルのデータ蒐集は、既に目標量の7割以上が埋まった。作業がここまで短縮できた成果には、和人の貢献が大きい。本来ならば、方々に手を尽くさねば集まらない武術データが、たった一人の人間によってものの一カ月で揃えられたのだ。おかげで、空いた時間をモンスターやNPCのAI、フィールドオブジェクトの調整など他の作業に回すことができた結果、ソードアート・オンラインは飛躍的に完成に近づいた。

なにはともあれ、こうしてソードアート・オンラインというゲームが完成第一段階に至った事により、クローズドベータテストの実施が宣言されることとなった。ベータテストが始まったのは、ちょうど一週間前。その中には勿論、和人も入っている。

 

2022年7月10日

 

世界初のVRMMO、ソードアート・オンラインの舞台は、全百層からなる石と鉄でできた城、アインクラッドである。この世界のプレイヤーたちが目指す目標は、城の頂上を踏破することにある。そのためには、各階層を守護する強大なモンスターを倒していかねばならない。ベータテスト開始から一週間が経過している現在、プレイヤーたちは未だに最下層のはじまりの街に留まっている。

日曜日の今日、ソードアート・オンラインのサーバーは、テスター達でごった返していた。そんな街中を歩く、一人の少年がいた。上から下まで黒一色で、鎧のような金属製の防具は一切身に付けていない軽装である。

 

(今のところ、攻略は順調…ソードスキルの習熟も個々の差こそあれ、ほぼ問題はないか…)

 

西洋風の街並みを歩く黒衣の少年は、辺りの様子を見回しながら一人考える。切れ長の黒目に、女性とも男性ともとれる端正な横顔。額のあたりまで伸びている髪の下、氷のような冷たさを感じさせる表情は、どこか不思議な魅力に溢れていた。

これが、桐ヶ谷和人がソードアート・オンラインにダイブするために拵えたアバターである。プレイやネームは、「Itachi」――「イタチ」。

 

(前世と同じ姿に同じ名前…俺も未練が断ち切れていないのか…いや、仮想世界だからこそこの姿が相応しいのかもしれんな。)

 

自嘲気味にそんなことを想うイタチ。アバターを自作する技術があると知った時、どのような顔にするか考えた結果、自分の前世であるうちはイタチ14歳の姿をとることにした。だが、イタチ自身この年齢の姿には良い思い出など無い。うちは一族を殺戮せしめたのも、ちょうど同じ頃だったからだ。

 

(…だからといって、逃げる選択肢も放りだす選択肢も、俺には無い。)

 

自分が忍としてやらねばならないと思ってやってきたこと。他者から憎まれることを悲嘆するつもりなど毛頭ない。譬え自分のした事が原因で、自分の愛した者が不幸に陥る結末を迎えたとしても、それを後悔するつもりもない。自分にできることはただそれらを背負って生きていくことだけなのだから。尤も、それが自分のためなのか、誰のためなのかも未だ答えは出せていないが。

 

(…考えていても仕方のないことだな。今は、受けた依頼を遂行するのみだ。)

 

頭を切り替え、和人――イタチは、仕事を再開する。ベータテストに参加している彼が請け負っている主な仕事は、プレイヤー達を観察し、ソードアート・オンラインにて実装されているソードスキルの使用具合を確かめること。時にソードスキルの勝手が分からないプレイヤーに手解きし、技術を教示することもある。これによって、現状の難易度を確認し、正式版の調整を行うのだという。

 

(今日は迷宮区へ行ってみるか。)

 

ベータテスターは主に10代から20代の学生や社会人で構成されているため、土日や祝日は時間が多く取れる。次の層へ進出するための迷宮区攻略は、こういった日に盛んに行われる。そして、迷宮区には一般のフィールドに比べて強力なモンスターが犇いているため、ここ一週間でシステムに順応したトップクラスのプレイヤー達の実力を見ることができる。そう考えたイタチは、迷宮区が聳え立つ方へ向かって走り出すのだった。

 

 

 

第一層の天蓋を突き抜ける様にそそり立つ、直径三百メートルの迷宮区タワーの中は、昔からのRPGによくある石壁・石畳でできた遺跡を彷彿させる地形だった。そしてその中には、当然のようにモンスターが生息している。

 

「来たか。」

 

青白い光と共に、亜人型モンスター、「ルインコボルド・トルーパー」が目の前にポップする。イタチは背中に吊るした片手用直剣を抜取り、臨戦態勢を取る。

 

「ォォオオッ!!」

 

「…はっ!」

 

イタチは、コボルド兵が振り回す無骨な手斧を難なく回避し、脇腹に青い光を纏った水平の斬撃――ソードスキル、「ホリゾンタル」を見舞う。急所を狙ったおかげか、コボルドのHPはぐっと減少するが、致命傷には至らなかったらしい。

 

「オオオォォオオ!!」

 

怒りの雄叫びと共に、コボルド兵がお返しとばかりに赤いライトエフェクトを伴う垂直斬りを繰り出す。斧系武器ソードスキル、「チョッパー」である。斧系武器は総じて攻撃力が高く、ソードスキルも当りどころが悪ければ一撃でHP全損に持ち込まれるものも少なくない。それが真っ直ぐ、イタチ目掛けて振り下ろされる。

 

「ふん…」

 

だが、イタチはどこ吹く風と、ひょいと横に跳んでそれを回避する。斧はそのままイタチの真横の石畳に亀裂を入れただけだった。攻撃力の高い斧系ソードスキルだが、その軌道は単調なため、回避されやすい上に発動後の硬直も他の武器に比べてやや長い。イタチはその隙を見逃さず、今度は三連撃ソードスキル、「シャープネイル」を繰り出す。三発全て、急所を狙った攻撃に、今度こそコボルド兵はHPを全損してポリゴン片を撒き散らして消滅する。

 

(モンスターのAIも完成度は悪くない。初心者ならば苦戦は必至だが、迷宮区としては丁度良いだろう。)

 

モンスターの戦闘能力に評価を下しつつ、イタチは歩を進める。可能ならば、攻略中のプレイヤーの戦闘に居あわせ、その実力を確かめられるようにと思いながら。

 

 

 

和人が自宅の自室にて、ソードアート・オンラインから一時ログアウトしたのは、午後五時頃だった。今朝から昼食を挟んでプレイしていたが、迷宮区タワーで他のプレイヤーと合流した結果、ボス部屋の前に辿り着くことに成功した。そのままボスに挑戦しようかとその場で知り合った仲間が言っていたが、時間は夕方に差し掛かっていたため、夕食にするために一度街に戻ってログアウトしてからにしようという運びになった。

 

「……戻ったか。」

 

ベッドからナーヴギアを外して起きあがった和人は、背伸びをしながら部屋を出て行く。そろそろ夕飯の支度をする時間である。長時間横になっていたせいで固くなった体をほぐしながら、直葉の部屋へと向かい、扉をノックして声を掛ける。

 

「直葉、そろそろ夕食の支度をするぞ。」

 

「は~い。先に行って待ってて。」

 

返事を確認すると、和人は一人で一階へと降りて台所へと向かう。台所へ入った和人は、冷蔵庫を開いて夕飯を作るための材料を取り出し始める。やがて直葉も二階から降りくると、料理が始まった。

 

 

 

和人と直葉が協力しての調理がそろそろ終わる頃になって、翠が帰ってきた。話題のゲームであるソードアート・オンラインがクローズドベータテストを行っていることから、ここ数日の忙しさは〆切間際同然となっている。休日である日曜日も、仕事場へ出向いて編集作業を行わなければならない。若干疲れた顔をしながらも、和人と直葉に「ただいま」と言って自室向かい、着替えを終えて食卓へやってくる。峰嵩を除く三人が集まったところで、夕食は始まる。

 

「お母さん、疲れてるね。」

 

「そうなのよ~、ソードアート・オンラインのベータテストが始まったから、それに関する記事の編集に追われて、もう大変よ。」

 

直葉の言葉に愚痴る翠。和人と直葉は無言で「ふーん」と頷いているが、そんな和人に対して翠は唇を尖らせる。

 

「何よ~、その「自分は関係無いですよ」、って顔は。あんたが遊んでいるゲームのおかげで、私はこうやって夕飯時に家に帰ってくることもそうそうできないのよ。」

 

「…別に、ただ遊んでいるわけじゃない。茅場さんの依頼で、ゲームシステムが正常に稼働しているかの確認を…」

 

「はいはい、分かった分かった。ま、あんたのことだから、しっかり仕事しているんだろうけど、ほどほどにしておくのよ。」

 

「分かっている」

 

「それにしても、お兄ちゃんっていつゲームやってるの?剣道の稽古も、学校の勉強もしっかりやってて、そんな暇があるようには思えないんだけど?」

 

「時間なんて、やり方次第でいくらでも都合できる。要は、メリハリが大事なんだ。」

 

「ふ~ん、そうなんだ。私には無理かなー」

 

常日頃、無駄のない生活を送っていることが印象として強い和人の言葉である。直葉は疑うことなく納得し、自分にはとても真似できないと苦笑する。

 

「直葉も和人を見習いなさい。まあ、和人は和人で真面目すぎると思うけどね。ほんと、足して二で割りたいわよ。」

 

あはは、と明るい笑いに満ちた夕食もやがて終わると、和人と直葉は食器を片づけて皿洗いを行う。翠は、明日も仕事で早いので、先に風呂に入ってから寝るとのことだ。和人と直葉は各々の部屋へ戻り、風呂までは休むこととなる。和人は机に向かって学校の課題を片付けつつも、これから向かうソードアート・オンラインの世界について考えを浮かべる。

 

(あの調子なら、第一層突破も三日中くらいにできそうだな。あとは、ソードスキルの普及を進めていかねば………)

 

ソードアート・オンラインのベータテストに参加しているが、和人は一般のテスターとは違う。開発者である茅場晶彦から直々にベータテストにおける攻略の経過を観察するよう託っているのだ。仕事として引き受けている以上、和人は一切妥協するつもりはない。前世におけるうちはイタチがそうであったように、和人も受けた依頼は全力でこなすことを是としているのだ。

 

「お兄ちゃん、お風呂空いたよー」

 

 一時間半くらいが経過した頃、扉越しに直葉から声がかかった。和人はベッドに横たえていた身を起こすと、着替えとタオルを持って風呂へと向かう。入浴を済ませると、自室へ戻って再びベッドに横になり、ナーヴギアを頭に装着する。そして、目を閉じると共に開始コマンドを口にする。

 

「リンク・スタート。」

 

その言葉と共に、和人の意識は再び仮想世界へとダイブするのだった。

 

 

 

その日、和人はソードアート・オンラインに夜十二時までダイブし続けた。迷宮区で知り合ったプレイヤーとパーティーを組んで、街にいたプレイヤーをいるだけ集めてレイドを結成してボスに挑んだものの、見事に全滅した。参加したプレイヤーはイタチを含め二十四人。四段あるボスのHPバーを一本削るまでに十二人が倒れた。残り三本になった時点で新たな取り巻きが現れた時点で、プレイヤー達は敗北を悟ったものの、攻撃パターンを可能な限り調べるために戦闘を続行。二本目のHPバーを削り切った時点で、レイドはイタチを除いて全滅した。だが、今回の戦闘のお陰でボスの行動パターンや取り巻きの湧出も分かった。第一層が突破されるのも時間の問題であると、イタチは結論付けた。

ちなみに、イタチが自身を除いてレイドが全滅した時点で撤退したのは、一人での攻略は無理と諦めたからではない。イタチの仕事は、プレイヤー達がどの程度ゲームに順応できるかを確かめることである。そのためには、制作サイドとしてベータテストに参加しているイタチは攻略への過干渉を控えねばならない。そのため、ゲーム攻略には参加するものの、重要な部分は一般のプレイヤーにやらせるスタンスで臨んでいるのだ。

 

 

 

イタチというプレイヤーの介入によって、プレイヤー達は次々ソードアート・オンラインの世界に順応し、ソードスキルはじめ様々なスキルを習得し、戦闘能力を強化していった。中には、オンラインゲームで定番化していた「ミスリード」や「スイッチ」といったシステム外スキルを確立して実践するパーティーも現れた。参加者千人のベータテストは、特に目立ったバグが露出することもなく、順調に進んでいった。そしてテスト最終日の8月31日。浮遊城アインクラッドの攻略は、十四層にまで及んだ。何はともあれ、こうしてソードアート・オンライン正式版の発売に向けて実施された、クローズドベータテストは無事に終了した。

 

 

 

2022年9月3日

 

7月から8月いっぱいまで行われていたベータテストが終了して三日後、和人はアーガス本社へと呼ばれていた。

 

「やあ、桐ヶ谷君。ベータテストへの参加、ご苦労だったね。」

 

和人を出迎えた茅場からの第一声は、労いの言葉だった。ここはアーガス本社の一室。広い部屋のいたる場所に置かれた丸テーブルの上に、ピザやフライドチキンなどの食べ物が並べられている。どうやらこれは、アーガスのソードアート・オンライン制作スタッフによるベータテスト完了を祝したパーティーらしい。茅場はじめ、ほかのスタッフも立食パーティーに興じている。

 

「そちらこそ、お疲れ様です。ベータテストの結果はレポートにしてそちらへ提出してありますが、完成度は十分高いものでした。」

 

「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ。あとはベータテストをもとに、モンスターのレベルや湧出率、ダンジョンの難易度を調節すれば、ほぼ完成だ。本来ならばベータテストは今頃になっていたところを、君のおかげで二カ月も計画を早めることができた。本当に感謝しているよ。」

 

「いえ、俺も最新の仮想世界を誰よりも長く体感できたんです。お互い様ですよ。」

 

「そうか………だが、これでやっと、私の長年の『夢』が実現する。」

 

「夢、ですか…」

 

遠くを見つめながら話す茅場。だが、その何気ない言葉と瞳に、和人は何か違和感を覚えた。ソードアート・オンラインの完成、正確にはその舞台である空に浮く鋼鉄の城、アインクラッドを作り出すことが茅場の夢であるという話は、和人も以前に聞いたことがある。だが、今の茅場の言葉には、それ以上の、もっと別の意味が秘められているような気がしてならない。さらに、自分は今、茅場に違和感以外の感情を抱いている。それは、かつて茅場と同じような言葉を聞いたことがあったかもしれないという…「既視感」。だが、和人にはそれが何を彷彿させるのかが思い出せない。少なくとも、桐ヶ谷和人として転生した後の記憶に該当するものはない。ならば、うちはイタチとしての前世に体験したものだろうか。ならばいつ、どこで自分はそれを感じたのか…

 

「桐ヶ谷君、どうしたのかね?」

 

「!」

 

茅場から声をかけられ、はっとなる。どうやら考え事に集中しすぎて周囲が見えなくなっていたらしい。常の自分ならばあり得ない行動を取ってしまったと思った和人。だが、すぐに落ち着いて茅場に向かい合う。

 

「いえ。ちょっと考え事をしていただけです。」

 

「そうかね…まあ、君も学生の身だ。いろいろとあるのだろう。しかし、今日ぐらいはゆっくりしてくといい。他のスタッフも、君と話をしたがっていたからね。」

 

「分かりました。それでは。」

 

スタッフのパーティーである以上、茅場ばかりと話をしているわけにはいかない。茅場に会釈すると、和人はデータ採取の際に世話になった茅場の部下や社員達に挨拶に行った。結局、茅場に感じた違和感の正体には気付けなかった。

もしこの時、和人が感じた既視感が何だったのかに気付けていたのなら、和人本人をはじめ、多くの人々の運命は大きく変わっていただろう。だが、この時の和人はそんなことに思い至る筈もなかった…

 




第五話には、ほとんど加筆修正を行った点はありませんでした。強いて言うならば、忍術が使えないという点から、和人が上手く時間のやりくりをしているという設定にしたところでしょうか。


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アインクラッド
第六話 剣の世界


2022年11月6日

 

遂にこの日がやってきた。世界初のVRMMO、ソードアート・オンラインの正式版パッケージ発売日である。現在時刻は午前十一時で、正式サービス開始は午後一時。スタッフとしてゲーム開発に尽力し、ベータテストにも参加した和人も、既にパッケージを購入済みである。桐ヶ谷家の台所にて、茶を飲みながらサービス開始を待つ和人。だが、その表情はどこか浮かばれない。

 

(………俺はこのまま、あの世界へ行っていいのだろうか?)

 

開発スタッフとしてもこのゲームの完成、そして発売を心待ちにしていた和人だったが、発売日になって、ゲームをプレイすること、正確にはナーヴギアをかぶって異世界へと行くことに躊躇いを感じていた。その原因は、ベータテスト完了を祝したアーガス社でのパーティーの時に、茅場が放った言葉とその時の表情である。

 

『長年の夢が完成する』

 

その一言が、どうにも引っかかっていた。何気なく口にした言葉だったが、自分には推し量れない何かがある、そんな気がするのだ。思えば自分は、茅場晶彦という人間を本当の意味で理解できていなかったと、ここに至って気付いた。もっと彼の言動や行動に注意を払っていれば、今頃になって抱いた違和感の正体にも気付けたかもしれない。だが、自分は彼の作り出した仮想世界という名の幻に心奪われ、それを考えることをしなかった。幻術を極めた忍者が、仮想の現実に踊らされて真実を見失うなど、滑稽極まりない。忍失格だと、迂闊だった己を恥じる和人。

先程、茅場の仕事用の携帯に電話を入れてみたが、携帯は電源が入っておらず、会話はできなかった。茅場の仕事用の携帯電話は、出勤日や休日に関わらず、常に電源をオンにしていると聞いていた。それが繋がらないとなると、いよいよもって怪しい。何かあるとしか考えられない。

 

(今日というこの日に、何かをしようとしているのは確かだろう…)

 

無論、制作者として他の運営スタッフに黙ってサプライズを仕掛けるつもりなのかもしれない。だが、茅場という男がそんなことを企んでいるとは思えない。そもそも、茅場の「仮想世界を作り出す」という夢は、ソードアート・オンラインのゲーム完成と共に既に達成されている筈である。これ以上何をしようというのか?

 

(あなたは、夢の先に何を見ているんだ…?)

 

茅場が口にした言葉をもう一度反芻する和人。そして、違和感と同時に覚えたもう一つの感情――「既視感」について考え始める。確かなのは、桐ヶ谷和人ではない前世の自分、うちはイタチだった頃の記憶に由来しているということ。つまり、自分は茅場晶彦に似た言動、思想を持った忍を知っているということだ。思い出すことができれば、茅場の秘めたる夢と呼ばれる何かの正体に一気に近づけるだろう。だが、過去に見知った忍達をいくら思い出しても、茅場に合致する人物は浮かばない。

 

(もしかしたら、俺自身が思い出したくないのかもな………)

 

既視感の正体が掴めないことについて、イタチはそう考えた。思い出せないのではなく、思い出そうとしない。仮想世界を舞台としたVRMMO、ソードアート・オンラインに向けられる和人の感情は、制作に携わったゲームとしての思い入れに止まらない。前世の自分がいた世界、月読を思い出させるあの世界こそが、自分の居場所ではないかと言う、依存や執着に似た感情を抱いている自覚があった。故に、露見すればソードアート・オンラインの運営が危ぶまれるであろう茅場の魂胆を知ることを、無意識のうちに拒んでいるのだと、そう思えた。

あるいは、それ自体を望んでいるのかもしれない。例えば、ゲーム世界へ飛び込んでから、永久に帰って来れなくなる……即ち、この世界、現実からの完全な離脱、「ログアウト」を―――

 

(何を考えているんだ俺は………)

 

今置かれている現実から逃避しようとする自分がいることに、和人は激しく苦悩する。この世界で生きることを決めてから、自分が存在する意義を探そうとしてきた。だが、期せず与えられた三度目の生は、かつて自分が生きた忍世界とは全く異なる、文字通りの異世界。生きる指針を見定められず、前世を引きずること十数年。月日を経ても己を変えることができず、答えが得られないことに、和人は知らず焦燥に駆られていた。

 

(いずれにしても、このまま放置することはできんな………)

 

自身のこれまでを省みるよりも、今は目先の問題に対しどう動くか、決めなければならない。茅場晶彦という人間を理解し切れていない以上、彼の動向を具体的に予想することは不可能である。実際に茅場と話をすれば何か掴めるかもしれないが、現状では本人とは連絡すらつかない。

 

(…実際にダイブしてみるほかない、か…)

 

結局、茅場の真意を知る方法は他に無いと結論付ける。茅場晶彦の「夢」の在り処である仮想世界、浮遊城アインクラッドへ赴くことが手っ取り早い方法である。だが、今思い出して見れば、茅場に感じた違和感には、危険な臭いもあった。

 

(ソードアート・オンラインは世界初のVRMMO…だが、所詮はゲーム…)

 

そう考えている筈なのだが、納得できない自分がいる。確かに自分は、仮想世界を万華鏡写輪眼によって展開される月読の世界に似ていると言っていたが、別段危険があるわけでもない。仮想世界で動くプレイヤーはアバターで、痛覚は実際には感じない仕様になっている。月読のように、精神崩壊が起こることなど通常ならばあり得ない筈である。

 

(…行ってみれば、分かることか。)

 

いろいろと悩んだ挙句、実際にダイブしてその目で何が起こるかを確かめる事を選択する。胸に痞えた違和感は取れず、既視感の正体も掴めないままだが、結局それ以外の選択肢を思いつかなかった。もとより、ソードアート・オンラインのサービス開始日にログインすることは当初から決めていたことである。と、そこへ

 

「お兄ちゃん、お昼だよー!」

 

廊下から自分を呼ぶ妹の声が聞こえた。思考を中断し、和人は声が聞こえた扉の方を向く。

 

(直葉……か………)

 

義妹の呼びかけに、未だに思い出せない過去に着いてはひとまず棚上げし、和人は腰を上げ、扉越しに返事をする。

 

「…ああ、今行く。」

 

そう言うと、自室を後にして一階へと降りる。食卓には既に昼食のうどんが用意されており、直葉に急かされ、席に着くと二人揃って箸を手に食べ始める。めんつゆが若干しょっぱい気がしたが、どうやら直葉が量を間違えたらしい。苦笑しながら誤魔化そうとする妹に、和人はやれやれと肩を竦めながらもうどんを完食する。

 

(……直葉、お前は俺がいなくなったら、どうするんだ?)

 

隣で食後のお茶を口にして休憩に入っている義妹に目をやり、和人はふと考える。転生してから今の今まで、自分は家族とどこか距離を取っていた。実の家族ではないことなど、和人は全く気にしていない。だが、前世の記憶が、家族との距離を埋めるのを邪魔している。「愛すること」を無意識のうちに封印してしまっているのだ。

 

「お兄ちゃん、どうしたの?」

 

「!…いや、何でもない。」

 

そんなことを考えていると、直葉が声をかけてきた。普段は隙の無い雰囲気の和人にしては珍しい反応を、直葉は不思議そうに見つめていた。

自分のことを疑いなく「兄」と呼ぶこの少女は、自分のことをどう思っているのだろう?前世の過ち故に、向き合うことを躊躇ってきた和人だったが、今になって直葉のことが気になってしまった。彼女もかつての弟のようにならなければいいが…と、そんなことを考えていると、食器を洗い終えた直葉が和人のもとへ戻ってくる。

 

「私は午後から部活だから、行ってくるよ。それと、今度高校生の人達と交流試合することになったから、帰ってきたら稽古つけてくれる?」

 

「…今日は、やってやれるか分からない。」

 

直葉の何気ない頼みに、いつもならば引き受けられる筈だが、言葉を濁しながら約束はできなかった。理由は言うまでもなく、SAOのことが引っかかっていることにある。そんな和人に対し、直葉は若干むくれる。

 

「え~…この前は、きっちり稽古つけてくれるって言ってたのに~」

 

唇を尖らせて文句を言う直葉。その姿に、和人は前世の弟の面影を見た。和人は無意識のうちに顔に苦笑を浮かべながら、直葉のもとへ近づき、

 

「許せ直葉、また今度だ。」

 

右手の人差し指で直葉の額を小突いて、そう締めくくる。それは、前世において自分の都合で相手をしてやる暇のなかった弟に対して行っていたのと同じ行為だった。前世の自分は今度だ、後でだと言ってばかりで、結局約束を破ってばかりだった。そして今また、果たせないかもしれない約束をしてしまった。何故こんなことをしてしまったのか、和人自身分からない。ただ、直葉を見ていたら、こうしたくなった。

一方直葉は、常の和人にはない穏やかな表情と突飛な行動に、目を丸くして驚いていた。こんな兄を、直葉は知らない。だが、何を言っていいのかも分からない。心の整理がつかいないながらも、ただ一言。

 

「………約束だからね。」

 

それだけ言うと、足早に部屋へと戻っていった。その後、部活に出かける準備を整えると、足早に出発した。

 

(また今度、か……)

 

 果たして、その時が訪れるかは分からない。今まで直葉をはじめ、家族とは距離を置いていた…愛することを忌避していた、その筈なのに、自身の内に湧いた思いをこの時ばかりは抑えられなかった。だが、和人はそんな感情も振り払い、決意を新たに動き出す。己が望み、作り上げた「仮想世界」へと……

 

「さて…」

 

桐ヶ谷家に残されたのは和人一人。直葉が玄関を出て行くのを見届けると、門の鍵をかけて二階の自室へと向かう。部屋の扉も鍵をかけ、時刻が午後一時三分前になっていることを確認する。棚の上に置いてあったナーヴギアを手に取り、電源を入れる。買ってきたソードアート・オンラインのパッケージを開いてROMカードを取り出し、慣れた手つきでスロットへと挿入。数秒で主インジケータが点滅から点灯へと変わるのを確認しつつ、ベッドへ横たわった。そして、ナーヴギアを頭に装着。顎の下でハーネスをロックし、シールドを降ろして目を閉じる。

茅場晶彦が作り出した仮想世界――ソードアート・オンラインが舞台、アインクラッド。空に浮かぶ鋼鉄の城に、希代の天才・茅場晶彦が抱いた夢、その真の姿が具現する。和人はそれを見届けるべく、扉を開く鍵となる一言を唱える。

 

「リンク・スタート!」

 

そして、和人の意識は仮想世界へと旅立っていった。長く険しい戦いの世界へと―――

 

 

 

「…戻ってきたか、この世界に。」

 

開始コマンドを唱えた後、虹色のリングを越えて降り立ったのは、アーガス社でスタッフとして散々ダイブし、ベータテストにも参加して見知った場所。ソードアート・オンラインが舞台、浮遊城アインクラッドの最下層、「はじまりの街」の中央広場である。

和人のアバターであるイタチは、前世と同じ容貌でその場所に立っていた。周囲を見ると、次々青白い光と共にプレイヤーが現れる。空にはサービス開始を祝う花火が打ち上げられていた。途端、辺りには完全なる仮想現実であり、世界初のVRMMOにダイブした感動に浸るプレイヤー達の歓声がこだまする。そんな浮かれた空気の真っただ中、イタチは一人、別のことを考えていた。

 

(今のところ、この世界に違和感らしきものは無いな。データ蒐集やベータテストの時と何ら変わらない…)

 

周囲を見回し、何か異変はないかと注意してみたものの、特に気になるものはない。とりあえずは、ゲームをプレイしてみなければ分からない。そう考えた和人は、中央広場を後にした。

 

(まずは、武器の購入だな。)

 

このゲームのタイトルは、「ソードアート・オンライン」。剣を武器に冒険するゲームである以上、武器を手に入れないことには始まらない。スタート地点であるこの街には様々な武器屋が点在しているが、所持金を考えれば店は慎重に選ばねばならない。イタチはベータテストの頃に見つけた、入り組んだ裏道にあるお得な安売り武器屋に行こうと足早に駆けていく。と、そこへ

 

「おーい!そこの兄ちゃん!」

 

唐突に、後ろから声が掛けられる。立ち止まり、振り向いてみると、そこには自分を呼んだであろうプレイヤーが一人。戦国時代の若武者のように凛々しく整った顔立ちに赤い髪で、頭には悪趣味な柄のバンダナを巻いている。ベータテストの時に見知った顔ではない。

 

「俺に何か用か?」

 

取りあえず、用件を尋ねてみる。赤髪の若武者はこちらへ追いついて肩で息をしながら話しだす。

 

「その迷いの無い動きっぷり、あんたベータテスト経験者だろ?」

 

「…そうだが。」

 

特に隠しだてする理由も無いので、すんなり頷くイタチ。対する若武者は、ビンゴとばかりに笑みを浮かべてイタチに詰め寄る。

 

「俺、今日が初めてでさ。序盤のコツ、レクチャーしてくれよ。」

 

「………」

 

開始早々に自分に接触してきたプレイヤーに、イタチは若干警戒心を抱く。桐ヶ谷和人のベータテストにおけるプレイヤーネームとアバターは、茅場に既に知られている。サービス開始初日に、計画の障害になり得る制作サイドの自分を監視するために放ったスパイかもしれない。

 

「なあ、頼むよ!俺はクライン、よろしくな!」

 

「…イタチだ。」

 

半ば強引にレクチャーする羽目になったが、イタチは取りあえず目の前の男が茅場の手先であるかを確認するために同行を許すことにした。

その後、二人揃ってイタチが向かおうと思っていた武器屋で買い物を済ませ、フィールドへと直行する。向かう先は、始まりの街の南部。

 

 

 

「うぉおあああっっ!」

 

はじまりの街周辺のフィールドに生息する青いイノシシ型モンスター、「フレンジー・ボア」の体当たりを食らって地面に倒れる若武者ことクライン。大袈裟に痛がる彼に対し、イタチは軽く溜息を吐きながら声を掛ける。

 

「…痛みは感じない筈だが?」

 

「あ…そうか。」

 

そう言いながらクラインは立ち上がり、改めて曲刀を構える。イタチはなかなか戦闘に慣れないクラインにアドバイスをする。

 

「ソードスキルの発動において重要なのは、初動のモーションだ。システムがそれを認識すれば、あとは勝手に技を命中させてくれる。」

 

「モーション…モーション………」

 

「イメージして構えるといい。これから発動させるソードスキルが、どんな軌道を描いて敵に命中するかをな。」

 

イタチの言葉に従い、今度は腰を落とし、右肩に担ぐように剣を構える。すると、今度こそ規定モーションが検出され、刃がライトエフェクトを放つ。

 

「うぉぉおおおお!!」

 

掛け声と共に繰り出された斬撃は、狙い違わず、クラインに突進を仕掛けていたフレンジー・ボアの首筋に命中した。HPを削り切られた青いイノシシは、そのままポリゴン片を撒き散らして消滅。クラインとイタチの目の前に、紫色のフォントで加算経験値の数字が浮かび上がった。

 

「よっしゃぁあああ!!」

 

「初勝利、おめでとう。」

 

心底嬉しそうに派手なガッツポーズを決めるクラインに、イタチは僅かに笑みを浮かべてそれを祝す。当初こそ茅場のスパイ疑惑を持っていたが、フィールドに出て狩りをするまでの挙動を観察しても何らおかしい点は見当たらず、戦闘における動きも完全なド素人。クラインがただの通りすがりのビギナーであることは疑いようもなかった。

 

「喜んでいるようだが、今の敵はレベル1の最下級モンスターだぞ?」

 

「はっ?…マジかよ?てっきり俺は中ボスクラスかと…」

 

「よく周りを見てみろ。そこら中に中ボスが湧いているぞ。」

 

イタチの言う通り、辺りを見渡すと、先程倒したイノシシが何体もポップしているのが見て取れた。初勝利の余韻はどこへやら、がっくりと項垂れる。

 

「あれに苦戦しているようでは、フロアボスなど到底敵わん。要修行だな。」

 

「精進します…」

 

か細く答えたクラインの姿に、イタチの顔に自然と笑みが浮かぶ。前世でも同じようなことがあった。弟と一緒に、それこそ中ボスレベルの巨大イノシシを退治するという仕事だったが、弟の放った矢は外れて作戦は失敗。結局、ほとんどイタチ一人の力で退治したのだった。

 

「今のでソードスキル発動のコツは掴めただろう?もう少し狩りを続けるか?」

 

「あたぼうよ!狩って狩って、レベルアップしてやるぜ!」

 

赤いライトエフェクトと共に剣を振り回してはしゃぎ回るクラインと共に、パーティープレイを続行するイタチ。その後、夕方になるまで狩りを続けた結果、二人はレベルが2に上がった。無論、この間もイタチは周囲の仮想空間に異常が無いか、常に注意を払っていた。

 

 

 

「しっかし、何度見ても信じらんねえなぁ…ここがゲームの中だなんてよぉ…作った奴は天才だぜ。」

 

「全く同感だ…」

 

夕暮れの空を見上げながら呟いたクラインの言葉に、イタチは同意する。月読という精神世界を展開する忍術をもってしても、ここまで広大な仮想現実は再現できない。忍術に依らない、科学の力のみでそれを成し得ている現実が、イタチには未だに夢に思えていた。

そして同時に思い出す。この世界を創造した天才科学者、茅場晶彦のことを…

 

(あなたは今、一体何をしようとしているんだ…)

 

未だに拭い去れない、ゲーム開発者である茅場に感じた違和感。サービス開始から、今のところ何も無いことが、むしろ不気味に思えて仕方がなかった。だが、何かある筈だ。茅場の仮想世界創造の奥に秘された、それも巨大な何かが…

だが、考えても浮かばない以上、自分で動くほかに選択肢はない。気持ちを切り替え、クラインに今後の動向を聞く。

 

「さて、どうする?まだ狩りを続けるか?」

 

「ったりめえよ!…と言いたいところだがよ…」

 

威勢良く返事した若武者だったが、その直後…

 

「腹減ってよ…指定したピザの宅配も、そろそろ時間だからよ。」

 

「一度落ちるか。俺は構わない。」

 

「あ、んで、俺その後、他のゲームで知り合った奴等と落ち合う約束してるんだ。どうだ?あいつ等とも、フレンド登録しねえか?」

 

「そうだな…その時に頼もうか。」

 

「任せとけって!あと、そいつらのレクチャーもよろしく頼むぜ!」

 

「…さてはお前、俺をギルドに入れるつもりだな?」

 

「い、いやぁ…そんなつもりは無ぇけどよ…」

 

仲間とのフレンド登録を勧めた真意を推察したイタチの指摘に、クラインは動揺を浮かべる。やれやれとイタチは思いながらも、何をするべきかの行動指針も定まっていない現状では特に断る理由も無いと考える。ギルドへ入るかはさておき、メンバーへのレクチャーぐらいならやっても構わないかと思った。

 

「それはさておき、そろそろログアウトした方が良いんじゃないか?」

 

「おお、そうだった!早くしねえとピザが冷めちまうぜ!」

 

そう言うと、クラインは一歩退き、右手の人差指と中指をまっすぐ揃えて掲げ、真下に振る。これにより、鈴を鳴らすような効果音と共に、ゲームのメインメニュー・ウインドウが呼び出される。ログアウトボタンを押すべく、メニュータブの一番下に指を滑らせる。だが…

 

「あれっ?」

 

「どうした?」

 

「なんだこりゃ…ログアウトボタンがねえぞ?」

 

その一言に、イタチは訝しげな顔をする。午後一時にログインした直後、メニューを確認したが、ログアウトボタンは確かに存在していた筈だ。それが無くなっているだと?

 

「本当か?よく見てみろ。」

 

「んなこと言ったって…やっぱ無えよ!」

 

クラインの態度からして、嘘は言っていない。ならばと自分もメインメニューを開いてメニュータブの一番下にあるログアウトボタンを探してみると…

 

「無くなっている…な。」

 

相変わらずの無表情で呟くイタチ。だが、内心では大いに驚愕していた。ここに至って現れた異変――『ログアウトボタンの消滅』。ナーヴギアを装着し、フルダイブしている間は、装着者は自分の身体を一切動かせない。つまりそれが意味するところは…

 

「もしかして、俺達、出られなくなっちまったって、ことか?」

 

「…そういうことだ。」

 

ナーヴギアの使用マニュアルは一通り読んでいたが、緊急切断方法は書かれていなかった。内部からのログアウトが不可能となれば、この世界から脱出するには、このバグが直るか、現実世界で誰かが自分の頭にかぶさっているナーヴギアを外すかしかない。

 

「ただのバグじゃない。ログアウト不可能となれば、今後のゲーム運営にも関わる。現実世界に帰れない以上、何らかの損害を被るプレイヤーも出てくるはずだ。お前のピザのようにな。」

 

「………冷めたピッツァなんて粘らない納豆以下だぜ………」

 

意味不明の言葉を吐くクラインに目もくれず、イタチは一人考える。

 

(アーガスと言えば、ユーザー重視な姿勢が売りの会社だ。このような事態が起これば、一度サーバーを停止させてプレイヤーを全員強制的にログアウトさせる筈。しかし、未だその手の措置は取られず、運営のアナウンスがないというのは…!)

 

「運営」という言葉に、イタチはこのゲームを作った張本人、茅場晶彦を思い出す。そして、彼が言った言葉…「長年の夢」、「鋼鉄の城」、「仮想世界の想像」…

それらが、イタチの中でパズルのピースのように静かに組み合わさって行くのを感じる。茅場に感じていた違和感、そして彼が今何をしようとしているのかを、イタチは直感する。

 

「…まさか!」

 

そこまで考え至った途端、和人の思考は、リンゴーン、リンゴーンという鐘のような大ボリュームの音に遮られる。警鐘にも似たその音は、はじまりの街から響いているものだ。

 

「何だ!?」

 

イタチとクラインは二人同時にはじまりの街の方角へと向き直る。途端、二人の身体は鮮やかなブルーの光に包みこまれる。やがて光が治まったその場所からは、二人の姿は消えていた。

 




和人ことイタチの葛藤について加筆しました。自分の中のうちはイタチという人物は、非常に繊細で傷つきやすい心の持ち主なのです。一族の惨殺や、弟が里を潰すと言った時も、表には出さなかったけれども、きっと心はズタズタだったと思っています。そんなトラウマに苛まれているのだから、転生した世界で家族と向き合うことも、答えを探すことも簡単にはできないと思っています。そして、それらを誰にも打ち明けられず一人背負わねばならないのですから、無意識に逃げたくなることだってあると思います。
NARUTO原作で再不斬が言っていたように、忍も人間であり、道具にはなり切れないのです。それはイタチも例外ではなく、万華鏡写輪眼を手に入れたとしても克服できない弱さというものがあるというのが、自分の解釈です。


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第七話 はじまりの日

 

はじまりの街の中央広場。現在そこは、およそ一万人のプレイヤーが犇き、各々が目の前の現実を信じられずに上げる絶望・怒りに包まれていた。それも無理はない。つい先ほど、このゲーム、ソードアート・オンラインに参加していたプレイヤー達は、死の牢獄にある虜囚と化してしまったのだから。

この場所にGM権限を使った強制転移によって集められたプレイヤー達に対して行われた、赤いローブ姿で現れたGM、茅場晶彦によるチュートリアルという名のデスゲーム開始宣言。

内容を大まかに説明すると、ログアウト不可能はこのゲーム本来の仕様。これ以降、ゲーム内であらゆる蘇生手段は機能せず、この世界でHPがゼロになった瞬間、現実世界においてもデスマシーンと化したナーヴギアが脳を蒸し焼きにして装着者を死に至らしめるとのこと。現実世界でナーヴギアを無理矢理外そうとしても、同様の現象が起こり、装着者は死に至る。既に現実世界では、警告を無視して除装を試みて二百十三人のプレイヤーが死んでいるとのことだった。そして、このゲームから脱出する方法はただ一つ。ソードアート・オンラインが舞台、アインクラッドの第百層に待ち受けている最終ボスを倒す以外に方法はない、とのことだった。説明を聞いて最初は何を言っているんだ、と多くのプレイヤーが思ったが、ナーヴギアの構造等を考えれば、人間を殺傷することが可能であることに気付かされる。

 

(………もっと早く、気付くべきだった。)

 

中央広場を埋め尽くす絶叫の中、イタチは自身が犯した痛恨のミス、そして己の愚かさを思い知らされる。既視感を覚えた茅場晶彦の言葉、表情…その全てを、イタチは前世の頃から知っていたのだ。

 

『世界を征服する。』

 

『全てが俺と一つになる…全ての統一。それが、俺の『月の眼計画』だ。』

 

イタチは胸中に去来する無力感の中で、かつて自身が前世で身を置いていたS級犯罪組織『暁』、その中枢を担っていた二人の人物を思い出していた。今の言葉は、その二人が口にした言葉だった。

一人目は、うちはの万華鏡写輪眼を超える瞳術、「輪廻眼」を持ち、その力で雨隠れの里に君臨し、神とまで崇められた忍――「長門」。暁のリーダーとして「世界征服」という途轍もない目的を掲げた。木の葉隠れの里を襲撃した末に、弟弟子にあたる少年と対面し、かつての志を託して死んだとされる。自分と同時期に穢土転生という名の最悪の忍術によって蘇生され、紆余曲折を経てイタチによって魂を封印された男である。

二人目は、自身と同じうちは一族の出身でありながら、一族への恨みからイタチが行った一族虐殺に加担した伝説級の忍――「うちはマダラ」。暁に所属していた間に聞かされた話だが、その野望とは、「無限月読」なる忍術によって、地上全ての人間を自分の幻術の中に置いて世界を統一するというものだった。術を発動するために必要な「人柱力」を巡る戦争に利用されるためにイタチは蘇生されたが、結末を見届ける前に昇天してしまったので、その計画の行く末を知る由はない。

以上二人の忍には、「世界を我が物にする」という共通の目的が存在していた。そしてそれは、先程デスゲーム開始を宣言した茅場明彦にも当て嵌まる。イタチが以前、茅場に感じた既視感、あるいは危うさの正体は、長門とマダラに感じたものだった。それぞれ、考えや目的、行動には差異があるが、「世界」に対する執着には似たものがある。そして茅場は、自身が開発したゲームに一万人ものプレイヤーを閉じ込めることにより、「自分だけの世界」を確立したのだ。

 

(今になって、ようやく理解できるとは…)

 

それは、全くもって遅すぎた。茅場の内心を知るきっかけはいくらでもあった筈。だが、自分はその機会を無駄にした挙句、こうして多数の犠牲者を出してしまっている。これも全て、仮想世界に前世の自分の居場所を見出し、依存するあまり、茅場晶彦の本心を見誤った結果である。ある意味、無意識のうちに自分が望んでいた展開であったが、周囲で大混乱に陥っているプレイヤー達に囲まれてみれば、それを喜ぶ事などイタチには出来ようはずも無い。自分の所為で、多くの人々が巻き込まれたという事実に、イタチは己の愚かさを心底呪った。

そして先の赤いローブの怪人からなされた、処刑宣言に等しいチュートリアルを聞いた和人は、突きつけられた凄惨な現実を未だに受け入れることができずにいた。

 

(だが、これは現実だ…)

 

悔やんでも悔やみきれない己の失敗を、どれだけ心の中で否定しようとしても、目の前の現実も過去も、何も覆らない。

茅場晶彦が一万人のプレイヤーをゲームの虜囚としたこと…自分が意図しないとはいえこの計画に協力してしまったこと…ゲーム開始を宣言する前に、既に「死者」が出ていること…

 

この先、まだ「犠牲者」は増え続けること―――

 

「―――!!」

 

そう、それは既に確定したも同然の事項だ。アインクラッド百層までの攻略の中で、死人が出ることは確実。茅場がチュートリアルで話していた二百十三名には止まらない。もっと多くの人間が、この世界で死に、現実でも死ぬ。だが、今となっては自分に茅場の計画を止める術などない。自分もまた、このソードアート・オンラインの世界の虜囚と化してしまっているのだから。ならば、今自分がすべきことは何なのか?

そこまで考えたところで、イタチは自身のすぐそこに立っていた、今日知り合ったばかりの仲間の腕を掴んだ。

 

「…クライン、ちょっとこっちに来い。」

 

「え?イ、イタチ?」

 

先程までゲームのために生成したアバターを使っていたプレイヤーの顔は、現実のものへと変えられていた。茅場がプレイヤー全員に「手鏡」と呼ばれるアイテムを贈ると同時に、起こった異変である。この世界における自分のアバターと数値化されたヒットポイント、この両方が自分の命そのものであることを認識させた上で、この世界が現実であることの意味を理解させることが茅場の目的であると、イタチは推測した。

現在、若武者のアバターだったクラインは、ぎょろりとした金壺眼、長い鷲鼻、むさ苦しい無精髭と、野武士のような顔に様変わりしていた。イタチの方はというと、前世の容姿は華奢で見ようによっては女性とも取れる顔つきだったので、今の桐ヶ谷和人の姿と比べてもさほど差異はない。そのため、クラインでもすぐに目の前の人物がイタチであることが分かった。

ともあれ、イタチは未だ混乱の淵にあるクラインを強引に中央広場から連れ出し、人気のない細道へと来る。呆然と立ち尽くす野武士面の男に、イタチは真剣な表情で話しかける。

 

「いいか、クライン。俺はこれからこの街を出て、次の村へと向かう。」

 

知りあって間もない間柄だが、ここまで緊迫した空気を纏って話すイタチをクラインは初めて見た。

 

「茅場晶彦の言葉は、全て事実だ。ならば俺達は、このゲームを攻略するほかに道はない。お前も知っているだろうが、MMORPGはプレイヤー間のリソースの奪い合いだ。金とアイテムと経験値、それらを多く手に入れた奴だけが強くなる。そして、この手のゲームでトップに立ち、攻略最前線に立つのはベータテスターと相場が決まっている。」

 

矢継ぎ早の説明だったが、クラインはどうにかイタチの言葉を理解している様子だった。イタチも呼吸を整えながら、話を続ける。

 

「ソードアート・オンラインにおいてもそれは例外ではない。ベータテスター達は真っ先に動きだし、保身のためにリソースの独占に走る筈だ。だが、ソードアート・オンラインがデスゲームと化した今、ベータテスト時の攻略ペースは維持できない。死のリスクを減らして攻略するのに必要なものは、確かな『情報』だ。俺はこれからベータテスターの情報屋に接触した後、街を出てフィールドの情報を収集する。第一層に限って言えば、道や危険なポイントの確認で済むから、時間はかからない。お前はどうする?」

 

自分達が置かれた状況を冷静に分析した結果をクラインに話した末、イタチは街を出ることを選択した。クラインは今後の動向について聞かれ、僅かに硬直した後、口を開いた。

 

「俺は…徹夜で並んでソフト買ったダチがいるんだ。きっと、さっきの広場にいるはずだ。置いて行けねえ…」

 

「そうか…分かった。」

 

イタチはクラインの言葉に動揺も悲嘆も見せなかった。それ自体、予期していたことだったのだから。

 

「今の時刻は…午後六時か。十二時間後に連絡をする。それまでは、圏外フィールドには出るな。夜間のモンスターのアルゴリズムが未知数である以上、明け方までは村から村への移動は禁物だ。行動を起こすなら、朝を待て。」

 

「お、おう。分かった。」

 

「それから、さっき言った情報屋だが、お前も会っておけ。俺が得た情報は、アイツを経由して流すよう取り計らう。最後に…二つほど、頼みがある。」

 

これまでとは打って変わって、悲愴さを混ぜた真剣な顔で、クラインに頼みこむ。

 

「中央広場はデスゲームの宣告を信じられずに狂乱しているプレイヤーで犇めいている。眼の届く限りで良い。自暴自棄になって自殺しようとするプレイヤーを止めてほしい。そしてもう一つ、情報屋から仕入れた情報を可能な限り多くのビギナーに流してくれ。それで多少なりとも犠牲者を減らせるはずだ。」

 

「…ああ、引き受けた。でもよお…そうすると、お前は一人でフィールドに出て戦うんだろう?本当に大丈夫なのかよ?」

 

「俺はただのベータテスターじゃない。おそらく、この世界のプレイヤーの中で誰よりも生き残れる可能性が高い。危険な役回りは俺が引き受けるのが筋だ。お前は、俺が集めた情報を一人でも多くのプレイヤーに広めてくれ。」

 

「イタチ…!そういえばお前、茅場の声を知っていたな?知り合い、だったのか?」

 

「…ああ、その通りだ。俺はこのゲームに来る前に、茅場明彦に会ったことがある。さっき広場に現れたローブが茅場だと分かったのは、そのせいだ。」

 

クラインの言葉に、イタチは表情こそ変わらなかったが、言葉が少々重くなった。あの広場で赤いローブの怪人が現れて声を発した時、思わず茅場の名を呟いてしまったのだ。気付かれてしまった以上、下手に誤魔化せば怪しまれる。だが、茅場明彦と面識があることを明かせば、ここを出る前に確保できた筈の協力者が敵対者に変わる可能性も大きい。自身の真実を語るのは、イタチにとって大きな賭けだった。

 

「俺は茅場のもとで、ソードアート・オンラインの制作に協力した一般人スタッフの一人だ。ベータテストもその経緯で参加した。もっとも、奴がこんな暴挙に出るなんて思ってもみなかったがな…」

 

「イタチ…お前…」

 

「俺を信用するかはお前次第だ。今の話からして、俺が茅場明彦の手先だと思われても仕方ないからな…さっきまでの話を忘れてもらっても構わない。俺から言うことはそれだけだ。」

 

それだけ言うと、イタチはクラインに背を向けて歩き出す。足取りは重かったが、それでも進むしかないと思った。前世のうちはイタチは、何もかもを自分一人で背負い、一人で事を為さなければならないと考えていた。のちにそれが間違いだと気付いた時には、全て失敗していた。だからこそ、自分を赦せる強さが必要なこと、一人でできないからこそ、仲間がいる、そのことを悟っていた。だが、転生した今もまた、自分は一人で走りだそうとしている。この結末が、生前の失敗の焼き直しになると分かっていても、そうするしかイタチに選択肢はなかった。

誰一人救えない己の無力感、生前の失敗を何一つ活かせない忸怩たる思いがイタチの胸中を占めていた。だが、そんな背中に声かける男がいた。

 

「イタチ!!お前、随分とカワイイ顔してんじゃねえかっ!結構俺好みだぜ!!」

 

からかい混じりにそんな言葉を投げかけてきたクラインに、イタチは思わずポカンとした顔で振り返ってしまう。先程自分は、デスゲームを宣告した茅場明彦と面識がある、プレイヤーとして潜入しているスパイかもしれないと説明した筈だ。なのに、目の前の野武士は、自分のことを全く疑っていない。街中で出会った行きずりの仲でしかない筈の自分を、信じてくれているのだ。

 

「…お前のその野武士面の方が、十倍似合ってるぞ!」

 

だから、自分も皮肉交じりにそう返してやった。クラインは自分に手を振り、見送ってくれている。それを尻目に、イタチは本当に信じていなかったのは、自分の方だったと、心中で己の猜疑心を恥じた。同時に、自分を信じて協力してくれる存在がいることに、これ以上ない心強さを感じていた。

 

(ナルト…俺はお前のようになれないかもしれない…だが、俺なりに仲間を信じて戦うぞ!)

 

最初の死から禁術で蘇生されてから会った弟の親友を頭に思い浮かべ、心の中でそう宣言した。仲間を信じるからこそ、できることがある。これから自分はフィールドに出て戦うが、一人ではない。譬えそばにいなくとも、自分を支えてくれる仲間は確かにいるのだ。ならば、絶対に負ける気はしない。

 

(さて、まずはアルゴに会いに行くか。)

 

誓いを新たに、イタチは中央広場から離れた裏路地に入ると、メニューウインドウを開いてインスタントメッセージを飛ばす。インスタントメッセージとは、同じ階層にいるならばフレンド登録していなくてもプレイヤー間で送りあえるメッセージである。合流の意思を伝えた返事はすぐに返ってきた。未だ混乱の渦にある中央広場から離れた場所に急ぎ駆けつける。目当ての人物は、簡単に見つかった。

 

「アルゴ、ベータテスト以来だな。」

 

イタチの目の前にいたのは、ローブを纏った一人の小柄な女性。髪は金褐色の巻き毛で、顔の両頬にはゲーム開始早々に手に入れたらしいメーキャップタイテムで動物のひげを模した三本線が引かれている。ベータテスト同様のトレードマークであるヒゲを付けたこの女性こそ、ソードアート・オンラインのベータテスト時代に攻略済み階層の情報収集に熱心に取り組んでいたことで知られるプレイヤー、「鼠のアルゴ」である。

 

「イキナリこんな状況に陥ってみんなパニックになってるってのに、イー坊は相変わらず落ち着いてるナ。」

 

「俺の要請に即座に応じたお前も大概だがな。それで早速だが、頼みがある。」

 

「オイラも実は心の整理とか全然できてないんだけどナ~…で、何なのサ?」

 

「今生き残っている全プレイヤーへの情報の流通を頼みたい。俺はこれから次の村へ行く。フィールドの地形やモンスターの情報がベータテストと同じかどうかを確認し次第、お前に送る。」

 

イタチの言葉を聞いた情報屋ことアルゴは、目を丸くする。頭をがしがしかいて、確認するように問いかける。

 

「全く…たった今、この世界で死ねば現実でも死ぬって聞いたばかりじゃないカ?それでも危険を冒して攻略に行くのカ?」

 

「…ああ。俺がやると決めたことだ。お前にも力を貸してもらいたい。」

 

ベータテスト時代には見なかった、イタチの真剣な表情に、アルゴはその言葉が本気であることを悟る。やがてため息交じりにアルゴは応じた。

 

「…分かったヨ。どうせ、オイラにできることなんて、他に見つからないだろうからナ。それに、イー坊みたいな強い味方が協力してくれるなら、万々歳ダ。」

 

「ありがとう…だが、「イー坊」はやめろ。」

 

「そうかイ……それじゃあ、また次に会う時までに、別の呼び名を考えておくヨ。」

 

「……一応期待しておくとしよう。」

 

そんな軽口を言い合う二人には、自然と笑みが浮かんでいた。「また次」があるかも分からないというのに、二人の心中には不安というものがなかった。その後、連絡の打ち合わせや情報流通の方法などについて二、三話し合ってフレンド登録をした後、イタチはアルゴと別れてはじまりの街を飛び出した。向かう先は、次の村であるホルンカ。

 

(まずは、アニールブレードの調達から始めなければ。あとは、レベリングやその他アイテムの調達………)

 

アインクラッド攻略のため、虜囚となったプレイヤー解放のために、最前線に立つ身として必要なことを頭の中でまとめていくイタチ。最前線で戦う以上、自分が扱う装備は全て一線級でなければならないが、リソースを独占しすぎれば、後続のプレイヤーに犠牲者が出かねない。情報収集のためのリスクならば、いくらでも自分が負って構わない。あとは、今日出会ったばかりのフレンドのクラインや、ベータ時代の情報屋、アルゴが上手く情報を流通させてくれることを祈るばかりだった。

 

 

 

運命の悪戯によって、新たなる世界への転生を余儀なくされた少年と、完全なる仮想世界創造を、一万人のプレイヤーを閉じ込めることで為し得た一人の天才科学者。彼等を繋ぐ接点となったのは仮想世界。そして、彼等が命運を賭けて戦う舞台となったのも仮想世界。

忍の世界、来世の現代、そして仮想世界へと渡り歩いた少年と共に、世界は音を立てて動きだした―――

 




初期版と同じ話まで投稿を終えました。大幅な加筆修正を行うと記してしましたが、大体は設定の変更やイタチのキャラ描写の加筆のみでした。大幅という程のものではありませんでしたが、変更点についてはまとめると、「忍術・写輪眼の使用不可」、「イタチの感情描写加筆」くらいです。
かなり時間がかかってしまいましたが、本編の設定はこれ以上の修正をすることなく、通していくつもりです。うちはイタチというキャラにも、今後崩壊の可能性が多分にあるので、ご注意ください。それでは、次回は「星なき夜のアリア」に突入します。


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星なき夜のアリア
第八話 流星


 

2022年11月6日の、ソードアート・オンラインのサービス開始から一カ月が経過した。デスゲームの虜囚と化したプレイヤー達は、はじまりの街に残って救出を待つ者、協力してサバイバルを目指す者、犯罪行為に及んで食い扶持を稼ぐようになった者など、様々なグループに分かれた。そして一カ月が経過した現在、犠牲者の数は1000人に及んだ。そして、未だ第一層はクリアされていない―――

 

2022年12月2日

 

ソードアート・オンラインが舞台、浮遊城アインクラッドのスタート地点である第一層。このゲームを攻略するためには、強力なモンスターが犇く迷宮区タワーを踏破し、その次の階層への扉を守護するフロアボスモンスターを倒さねばならない。だが、一カ月が経過した現在でも、フロアボスの部屋へ到達するに至ったパーティーすらいない。そんな迷宮区の前人未到エリア、二十階あるうちの十九階にイタチの姿はあった。

 

「グルォォオオオ!!」

 

「グルァァアア!!」

 

「グルゥゥウウウウ!!」

 

現在、イタチの目の前には三体の亜人型モンスターが立ちはだかっている。それぞれ手には斧、棍棒、剣を握っている。第一層迷宮区に出現するモンスター、「ルインコボルド・トルーパー」である。武装し、ソードスキルを発動しようとしているモンスター群を相手に、しかしイタチは一切動じない。

 

「…ハァッ!」

 

掛け声と共に、片手用直剣を手にコボルド兵三体のもとへ突っ込む。途端、イタチを狙った一番手前の棍棒をもったコボルド兵が武器を振り下ろすも、イタチは難なく回避してその胴体にソードスキル「ホリゾンタル」を見舞う。僅かな硬直時間を経て、剣による刺突を繰り出そうとするコボルドを一瞥すると、身体を回転させてそれを回避。そのままの勢いでソードスキル「スラント」を発動、袈裟斬りにする。そして最後の斧持ちコボルド兵が振り下ろした斧を、紙一重で回避。振り下ろしと同時に前かがみになったところへ、垂直斬りソードスキル「バーチカル」を脳天に食らわせる。この間、実に十五秒。最後のソードスキルにおける僅かな硬直が解けた途端、コボルド兵達は次々にポリゴン片を撒き散らして爆散する。

 

(レベルは申し分ないな。これなら、フロアボスにも十分通用する。)

 

ソードアート・オンラインにおいて、安全にゲーム攻略をするために必要なプレイヤーの安全マージンは、自分が現在いる層+10である。つまり、第一層の迷宮区を攻略するプレイヤーのレベルは、10前後ということになる。だが、如何に安全マージンを取ったとしても、レベル10前後のプレイヤーが迷宮区のモンスターをソードスキルの一撃で屠ることなどできない。それをイタチは見事にやってのけたのだ。その理由は、至極単純。イタチのレベルが、安全マージン以上の数値に達しているからだ。

ソードアート・オンライン開始から一カ月経った現在のイタチのレベルは、「24」。本来の倍以上の安全マージンを取得しているのだ。一カ月、寝る間を惜しんでレベル上げを行ったとしても絶対にあり得ない数値である。

だが、イタチはこの一ヶ月間において、睡眠時間は二日分にも満たず、飲食は一切取らずに攻略を続けたのだ。仮想世界のアバターは、現実の身体同様に空腹や眠気を感じる仕様になっている。だが、所詮は仮想の肉体であるため、食事や睡眠をどれだけ削っても体調を崩すということがあり得ない。つまり、HPさえ満タンならば身体的には十全な状態で活動できるのだ。和人の前世の忍者時代において、危険任務においては、十分な食事や睡眠が取れない場面が多かった。故に、飲まず、食わず、眠れずの極限状態を幾度となく経験し、慣れているのだ。そのため、意思力一つでそれらを遮断できる仮想世界ならば、イタチはほとんど休み無しで動くことが出来ることになる。

そうして、デスゲーム開始から、イタチは四六時中攻略を続けて第一層のフィールドを次々踏破し、危険なポイントやモンスターの行動パターンなどあらゆる情報を集めた。一般プレイヤーなら二時間はかかる移動距離を三十分にまで短縮する移動スピードである。その速度は圧倒的の一言に尽きる。おかげで、各村で発生するクエスト攻略も思いのほか早く片付き、誰よりも早く迷宮区に辿り着いたのだ。

 

デスゲーム開始宣告以降、飲食は取らず、睡眠は三日に一、二時間程度のヘビーな攻略を続けた結果、イタチは開始一週間足らずで安全マージンのレベル11に達した。そして現在、各地の村のクエストや迷宮区攻略の末に、24という第一層にしては破格のレベルに至ったのだ。

 

(この攻略ペースなら、もう明日にはボスの部屋に辿り着ける。あとは、遅れてやってくる攻略組次第だな…)

 

どれだけ自分が突出したレベルを持っていようとも、単身でのボス攻略はできないことは理解している。故に、SAOの頂きを極めるには、他のプレイヤー達との共闘が不可欠となる。そのため、迷宮区攻略などの最前線には立つが、実質的なゲーム攻略となるフロアボス攻略のペースは、自分以下の攻略組と呼ばれる集団に合わせることにしている。

 

(たしか、今日の午後にはボス攻略会議がある。街にはアルゴもいる筈。ここは一度、トールバーナへ戻るか…)

 

トールバーナは、第一層迷宮区手前にある村である。イタチが到着したのがゲーム開始十日後、他の攻略組プレイヤー達が到着したのはそれからさらに十日後だった。昨日、迷宮区が十七階まで攻略されたことを機に、ボス攻略に参加するメンバーを募って会議を開こうと発案するプレイヤーが現れた。イタチもこの会議に出席するつもりである。ただし、とある理由から大荒れになることも想定されるが。

そこまで考えたイタチは踵を返し、迷宮区から出るべく来た道を戻っていくのだった。

 

 

 

イタチがそのプレイヤーに出会ったのは、迷宮区を出るべく、階段を下りて四階に差し掛かったあたりだった。イタチの索敵スキルにより選択したモンスターの少ないルートを通り、稀に出くわすモンスターを一太刀で斬り捨てて進む中、薄暗い視界に一筋の光を見たのだ。

 

(?…プレイヤー、か。)

 

一目でそれが、ソードスキル発動に際して発生するライトエフェクトであることを悟る。自分以外のプレイヤーが攻略、もしくはレベリングのために迷宮区を訪れたのだろう。だが、どうにも解せない。目の前の通路の先に感じる気配はプレイヤー一人分だ。

デスゲーム開始以来、プレイヤーは生存率を高めるためにパーティーを組んで動くことが多い。事実、この迷宮区で出会ったプレイヤーは五人以上のパーティーで行動していた。だが、攻略最前線の迷宮区でソロプレイをする人間など、イタチは自分以外に見たことがない。どうせ通り道であるし、一応顔を確認しておこうと、戦闘が行われている場所へと再び歩き出す。

 

「ハァァッ!」

 

「グルァァアッ…!」

 

ソロプレイヤーが戦っていたのは、自分もこの迷宮区で幾度となく戦ったことのあるMoB、ルインコボルド・トルーパーだった。自分と同じかそれ以上の細身のシルエットを持つソロプレイヤーは、細剣を武器に応戦していた。先ほど遠目に閃いていたソードスキルの正体は、細剣系ソードスキル「リニアー」だった。だが、目の前のフェンサーが放つリニアーは、ただの初級スキルではない。明らかに、システムによる補助以外に、プレイヤーの運動命令による速度と威力のブーストがなされている。その完成度は、イタチがモーションキャプチャーテストを行っていた頃の動きに迫るものがあった。

やがて、流れ星のように鋭く、流麗な刺突攻撃によってHPを削り切られたコボルド兵がポリゴンとなって爆散する。頭上のHPカーソルを見るに、驚くべきことに目の前のフェンサーは先の戦闘を無傷で乗り切ったようだった。只者ではない、強豪の部類に入るであろうプレイヤーに、イタチは歩み寄る。

 

「見事な剣技だったな。」

 

「!」

 

イタチの賞賛の言葉に、フェンサーは驚いた様子で声のした方を向く。どうやら、戦闘に夢中で周囲が見えていなかったらしい。イタチも先程までよく見えなかったフェンサーの容姿を確認する。暗赤色のレザー・チュニックの上に軽量な銅のブレストプレート、レザーパンツに膝までのブーツ。腰まで覆うフード付きケープを羽織り、顔を隠している。スピード重視の典型的なフェンサー装備である。警戒されているようなので、待ったをかけて敵意がないことを示す。

 

「俺は敵じゃない。上の層まで攻略に行っていたソロプレイヤーだ。」

 

「…一体、私に何の用?」

 

イタチが敵でないことを確認したフェンサーが、荒い息遣いで顔を伏せたまま、苛立ち交じりに問いかける。同時に、先ほどまで暗闇で分からなかったが、目の前のフェンサーが女性だということにイタチは気づいた。

 

「特に用事はない。通り道にいたから声をかけたくらいだ。それより、君はソロプレイヤーか?」

 

「…だったら何よ?」

 

「説教するつもりはないが、安全に攻略するならパーティーを組むのは必須だ。それに今の動き、見事なリニアーだったが、HP残量の少ない的にあの動きは過剰だ。技の後の隙が大きいし、集中力も持たなくなる。」

 

とりあえず、言いたいことを言うイタチ。実力ある彼女のことを思ってのことだったが、当のフェンサーは全く良い顔をせず、イタチを睨み返す。

 

「十分説教じゃない。それに、あなただってソロプレイヤーなんでしょ?人のこと言えないじゃない…」

 

フェンサーはイタチにそれだけ言うと、もう話すことはないと立ち上がった。そろそろモンスターが再ポップする頃合いだ。また無茶な狩りに出かけるのであろうことは分かったが、イタチは敢えて問いかける。

 

「そんな状態で狩りに行ったら、集中力が切れて死ぬぞ?」

 

半ば脅しの意味を込めて放った言葉。だが、フェンサーは全く意に介さず冷淡に返してきた。

 

「…どうせ、みんな死ぬのよ。」

 

フードの奥にあるヘイゼルと見えた瞳が、冷え切った光を放つ。迷宮区の影に隠れて顔が見えないイタチに顔を向けながら、フェンサーは口を開く。

 

「たった一ヶ月で、一千人も死んだわ。でもまだ、最初のフロアすら突破できていない。どこでどう死のうが、遅いか早いかだけの話………」

 

そこまで話すと、先ほどまで華麗な剣技を見せつけていた女性フェンサーは意識を失い、糸の切れた人形のようにダンジョンの床に倒れ伏した。

 

 

 

 

 

ダンジョンで意識を失った時、彼女は自分の死を悟った。自分が今いる場所は、強力なモンスターの犇めく迷宮区。失神して無防備な状態のプレイヤーなど、格好の餌食だ。意識を取り戻して応戦する暇などないくらいに袋叩きにされて………死ぬ。

地上に比較的近い四階といっても、助けなどくる筈がない。意識を失う前、目の前に変わり者のソロプレイヤーが現れていたが、彼が自分を助けてくれる筈がない。助けられる筈がない。如何に安全マージンを取得しているプレイヤーでも、同じプレイヤーを一人で担いで移動することなどできるわけがないし、危険すぎる。だから、自分はこのまま死ぬのだと、そう思っていた………

 

「…余計な真似を。」

 

目を覚ました彼女が開口一番に放った台詞が、それだった。先程、迷宮区で壮絶かつ流麗な戦いを繰り広げていたフェンサーは現在、迷宮区からほど近いフィールドの芝生の上に寝かされていた。迷宮区で倒れた筈の自分がここにいる理由は、すぐに分かった。自分に背を向けて芝生に座る、黒服のプレイヤーだ。どうやったのかは分からないが、彼が自分をここまで運び出したに違いないと悟った。

自分が運んできた彼女が目を覚ましたことに気付いたのだろう、イタチは装備していた剣の手入れをやめ、そのままの姿勢で声をかける。

 

「気がついたのか?」

 

「言っておくけど、お礼は言わないからね。」

 

「ああ、礼を言われる筋合いはない。君を助けたのは、俺にも考えあってのことだからな。」

 

「どういうこと?」

 

訝しげな顔で問いかけるフェンサーに、イタチは背を向けたまま答えた。

 

「今日、トールバーナで第一層フロアボス攻略会議が行われる。戦力は一人でも多く欲しかったから、連れてきた。それだけだ。」

 

「…この階層のボスと戦うの?」

 

「三日ほど前から、そのためのプレイヤーを町で募っていた。尤も、君はほぼ毎日フィールドやダンジョンに籠ってキャンプ狩りをしていたようだから、知る由は無かっただろうが。」

 

その言葉に、女性フェンサーはむっとなる。攻略にむきになるあまり、町での情報収集を疎かにしていることを指摘されたのだ。的確な指摘だが、なんとなく癇に障る。

 

「午後四時に、町外れにある野外ステージに集合だそうだ。攻略の意思があるのなら、君も参加するといい。」

 

それだけ言うとイタチは立ち上がり、女性フェンサーに終始背を向けたまま立ち去ろうとする。起き上った女性フェンサーの方は、座ったままの姿勢でイタチに問いかける。

 

「ねえ。あなた、名前は?」

 

「…イタチだ。」

 

「イタチ…君?変わった名前だね。私は「アスナ」よ。」

 

「アスナ…か。俺の名前はアルファベットの綴りそのままで「Itachi」だ。君も「Asuna」でいいか?」

 

「ええ、それで合ってるわ。」

 

「名前が分かれば、インスタントメッセージを送れる。場所が分からなかったら連絡するといい。」

 

それだけ言うと、イタチはトールバーナへ向けて駆け出す。アスナもしばらく休んだら同じく町へ向かうのだった。

出会ってから結局互いの顔を確認することがなかった「イタチ」と「アスナ」。実は、二人の出会いはこれが初めてではなかった。二人が互いのことを知るのは、このすぐ後のことだった。

 

 

 

トールバーナへと戻ったイタチ。午後の会議までに一度、拠点としている宿屋に戻って手持ちのアイテム整理や装備の点検を行おうと考えたところへ…

 

「よお、イタっち。」

 

イタチを呼びとめる小柄な女性が現れる。金色の巻き毛に、顔の動物のひげを模したメイク。ネズミを彷彿させるこの人物こそ、イタチがデスゲーム開始早々に接触した情報屋、鼠のアルゴである。

 

「…アルゴ、その呼び名やめてくれないか?普通にイタチでいいだろう…」

 

「イー坊が嫌だって言ったから考えたんじゃないカ。別に変じゃないだロ?」

 

「…そんな風に呼ばれたのは初めてだ。」

 

前世でも呼ばれたことなどなかった。尤も、そこまでフレンドリーに接する人間がうちはイタチの近辺にいなかったのも事実だが。

 

「それで…また、例の交渉か?」

 

「ああ…二万九千八百コル出すそうだヨ。」

 

「…悪いが、いくら積まれても手放すつもりはない。」

 

情報屋として名が通っているアルゴだが、その仕事は情報の売買に止まらず、プレイヤー間のメッセンジャーとしての仕事をすることもある。そして現在、アルゴが引き受けているのは、イタチの武器買い取り交渉だった。インスタントメッセージを使用すればいいところを、アルゴに仲介を頼んでいるのは、イタチの持っている武器の買い取りを、それも“顔を見せずに”行うためなのだ。

 

「オイラも依頼人にそう言ったんだけどナー」

 

「かなりキナ臭い交渉だな…まあいい。それよりも、頼んでおいた案件については調べ終えたのか。」

 

「心配いらないヨ。もう調べ終わってル。」

 

「ご苦労。早速、宿屋に戻って確認したい。例の交渉についてももう少し聞かせてほしい。一緒に来てくれるか?」

 

「そうだナ~、会議まではまだ時間もあることだし、お邪魔しようカ。」

 

イタチが拠点としている宿屋への動向に同意するアルゴ。二人は街の外れにある農家へと足を向けるのだった。

第一層攻略会議を前に、謎の人物による武器買い取り交渉に加え、謎のフェンサーとの邂逅。不安要素や不確定要素が多く、最重要事項でありながら前途多難な攻略になると、イタチは感じていた。

 



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第九話 結城明日奈

 

2022年7月8日

 

都心に建つとある名門私立中学。通う生徒の保護者の大部分は、官僚、弁護士、医者といった仕事に着いており、裕福な家庭の出身だった。結城明日奈も、父親は大手家電メーカーのCEO、母親は名門大学の准教授という、所謂名家出身だった。彼女自身も、現在通っている中学で生徒会長を務める優秀な学生であり、両親から将来を大いに期待されている身だった。

そんな彼女だが、ここ最近とある悩みを抱えていた。それは…

 

「桐ケ谷君、ちょっと話があるんだけど。」

 

「………ここで話すわけにはいきませんか?」

 

「いいから、一緒に来なさい。」 

 

明日奈が話しかけた少年――桐ケ谷和人は、昼休みに教室で読書をしていたところを無理やり連れだされ、好奇の視線に晒されながらも、同行してくれた。容姿端麗な生徒会長の明日奈から声をかけられたことで和人は若干居心地が悪そうだったが、明日奈自身は大して気にしていなかった。

 

「それで、一体何のご用でしょうか?」

 

「これなんだけど………」

 

明日奈が渡したのは、一枚のプリント。そこに記載されていた内容は、学内で資格試験に向けての勉強会を行うというものだった。

 

「勉強会…ですか。それで、俺もこれに参加しろと仰るので?」

 

「その通りよ。桐ケ谷君って、他の子に勉強教えていることも結構あるじゃない?こういうのに打って付けだと思って。」

 

和人と明日奈が通う名門私立中学では、出身家庭の格差が原因で起こるトラブルが少なくない。そのために生じる軋轢を解消するために、明日奈は生徒会長として奔走しているのである。この勉強会も、一般家庭出身で人望もそれなりにある和人を参加させることで、生徒間の蟠りを解消できればと考えてのことだった。

 

「…せっかくですが、お断りします。俺は最近、忙しいので。」

 

「剣道部をやめちゃったのに、何か用事があるの?」

 

「……ええ、個人的な用事ですが。それでは、失礼します。」

 

用は済んだとばかりに明日奈に一礼すると、和人は教室へと戻ろうとする。明日奈は慌てて和人を止めにかかった。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ!…そうだ!思い出したんだけど、もしかして桐ケ谷君が忙しいのって、今話題のゲームが関係してるの?」

 

明日奈の言葉に、教室へと向かっていた和人の足がピタリと止まる。和人を引き留められないかと考えて、咄嗟に思いついた話題だったが、どうやら上手く食いついてくれたようだ。明日奈は若干の達成感を感じながらも、背を向けたままの和人に言葉を続けようとする。

自分の父親が家電メーカーのCEOやっていることや、そのゲームについても結構詳しいことを話せば、きっと少しは心を開いてくれるはず。話の主旨が変わってしまうが、明日奈はそれでも構わなかった。

 

「あのね」

 

「だとしたら、何ですか?」

 

「え、えっと…」

 

だが、それを口にする前に、和人から返ってきたのは先程にはなかった冷えた視線と、感情の籠っていない言葉だった。明日奈は和人の様子に思わず竦んで、言葉が出なくなってしまう。

 

「この学校には、自宅でゲームをしてはいけないという校則はない筈です。確かに、定期試験一か月を切っていますが、自己責任でしょう。生徒会長といえど、そこまで干渉する権限は無い筈です。」

 

付け入る隙を与えんばかりに捲し立てる和人。対する明日奈は、「そんなことを言うつもりはない」と言いたいものの、否定の言葉が出せない。和人はそこまで言うと、今度こそ振り返ることなく教室へと戻っていった。

 

「………」

 

あとに残された明日奈は、自分に背を向ける後輩との、家庭の格差やそれによる先入観によって生じる溝を、相変わらず埋めることができていないことに、無力感を覚えていた。

和人を責めるつもりなんて、微塵もなかった。勉強会の話を出したのも、和人が慕われているからというだけの理由ではない。ただ、何でもいいから話をしてみたかっただけ。彼のことを知りたかっただけ。しかし、当の本人は自分と話をすることを明らかに避けている。結局、彼が自分に心を開いてくれることなどないのかもしれない…

 

(でも…)

 

分かったことが、一つある。自分が今話題のゲームについて話を振ったとき、――和人は非難されたと思ってのことだが――明らかに反応が変わった。それだけ、そのゲームに思い入れがあるからなのかもしれない。ならば、自分もそのゲームをプレイしてみれば、彼のことを少しだけでも理解できるかもしれない。同じ視点で話ができるかもしれない。

 

これが、ゲームには全く関心のなかった明日奈の中に、「ソードアート・オンライン」というゲームについての興味が芽生えた瞬間だった。

 

 

 

 

 

ゲームというものに興味のなかった明日奈だが、父親の経営する家電メーカー・レクトを通じてその情報を集めることは容易だった。

曰く、ゲームのタイトルは、「ソードアート・オンライン」。

曰く、世界初のVRMMOと呼ばれる新ジャンルのゲーム。

曰く、ナーヴギアと呼ばれるゲーム機を使ってデジタルデータの世界へダイブしてプレイする。

当初は和人のことを少しでも理解したいと思って調べた情報だったが、知れば知るほど、自身も興味を惹かれた。明日奈は早速、自分もこのゲームをプレイできないかと考え、ゲーム機とソフトの購入を考えた。だが、事はそう簡単には上手くいかなかった。ナーヴギアは高価で学生には荷の重い値段だったが、明日奈の小遣いで手に入れられないものではない。問題は、ソフトの方である。初回パッケージは一万本で、予約も殺到している。現在行われているベータテスト参加者一千人に優先購入権が与えられるので、残るパッケージは九千本。発売まで未だ四か月近くあるのに、既にどこのメーカーでも予約は締め切っている状態。販売メーカーの一つであるレクトのCEOである父に相談すれば、あるいは望みがあったが、高校受験を控えた身でゲームを希望すれば、教育に厳しい母が黙ってはいない。

これはもう諦めるほかないと思った明日奈だったが、抜け道は意外な場所にあった。

 

 

 

2022年11月6日

 

ソードアート・オンラインの正式サービスが開始される日。明日奈はその手にナーヴギア、そしてソードアート・オンラインのゲームパッケージを手に持っていた。

入手不可能と諦めていたゲームパッケージを、一体どこで手に入れたのか?未だ予約を受け付けていたメーカーを見つけたわけでも、父親に頼んだわけでもない。

 

「ありがとう…兄さん!」

 

思わず、明日奈の口からそんな言葉がこぼれた。そう、ゲームを購入したのは、明日奈ではなく、明日奈の兄にして結城家の長男、浩一郎だったのだ。自分と同じく、ゲームには無縁の人間であるはずの兄が、何故このソフトを購入していたかはわからない。だが、本人にとっては運悪く、――明日奈にとっては運良く――その日から海外へ出張することになり、ゲームをプレイできなかったのだ。明日奈はこれ幸いと、兄にプレイさせてほしいと相談し、あっさり許可を得たのだった。

早速、ダイブしようと明日奈はナーヴギアを手に取り、頭にかぶる。説明書に従い、開始コマンドを唱える。

 

「リンク・スタート!」

 

まだ見ぬ仮想世界という未知の領域に心を弾ませ、明日奈は高らかにコマンドを唱えた。虹色のリングを超えて、遥かな世界へと飛び込んだ。

かくして、少女、結城明日奈は、本来関わる筈のなかったデスゲームへと身を投じることとなったのだった―――

 

 

 

 

 

夕暮れの赤に包まれるはじまりの街の中央広場。明日奈のアバター、アスナはそこに集められたプレイヤー達が放つ怒号と悲鳴の渦中に立っていた。

 

(帰れ、ない………)

 

いきなり青い光と共にこの場所へ転送されたと思ったら、奇妙なローブの怪人が出現した。怪人はこのゲームのGMこと茅場晶彦を名乗り、端的に言えばこの世界の死は現実の死であるという、デスゲームの開始宣言を行ったのだ。アスナはじめ、多くのプレイヤーが突きつけられた現実を受け入れることができず、喚き散らしている。

 

(そん、な…)

 

アスナもその一人だった。興味本位で始めただけの筈が、何故こんなことになっているのか?全くもって自分の置かれた状況が理解できない。この後、自分は一度ログアウトして、学校の宿題を片付けて、家族と食事をして…その筈だった。だが、自分に、自分達に突きつけられた現実は覆らない。今や結城明日奈は、アスナというアバターのもと、ソードアート・オンラインの世界にその魂を幽閉されてしまったのだ。

 

その後も頭の中を巡る混乱は収まらず、他のプレイヤーと同様に希薄な意識の中、どうにか宿屋へと辿り着いた。ベッドの中に潜り込み、目を閉じて自分に言い聞かせる。

 

(大丈夫…大丈夫…きっと、助けが来る…)

 

ここでじっと待っていれば、きっと現実世界から自分達に救いの手が差し伸べられる。あるいは、今自分が置かれた状況は全て悪い夢でしかない。そう考えながら、アスナは意識を手放した。

 

 

 

2022年11月20日

 

茅場晶彦によるデスゲーム開始宣告から二週間が経過した。だが、現実世界からの救いの手は一向に差し伸べられず、メッセージも届いていない。アスナはじめ多くのプレイヤー達は、この状況がただの悪い夢だと思っていたが、ここに至ってようやく事態の深刻さを理解した。自分達は完全に現実世界から切り離され、この浮遊する鋼鉄の城に幽閉されているという現実を認めざるを得なかった。

 

(桐ヶ谷君………)

 

閉じ込められてからすぐに考えたのは、自分と同じようにこのゲームに来ている筈の後輩に合流することだった。だが、それはすぐに諦めざるを得なかった。自分は彼のプレイヤーネームを知らない。故に、インスタントメッセージが使えないのだ。如何にプレイヤー全員の顔がリアルに戻されたと言っても、一万人近くのプレイヤーの中から彼を探し出すことなど出来る筈もない。

 

(私がここに来ているって知ったら、どう思うかな…)

 

また、学校での時と同様に鬱陶しがられるかもしれない。思えば、彼のことを知りたいなどと考えなければ、自分はこんなゲームに関わることもなかった筈だ。しかし、だからといってアスナは和人を恨む気にはなれなかった。和人のことが発端とはいえ、VRMMOへの興味は自発的なものだ。彼を恨むなど筋違いもいいところだ。

そんなことより、自分は今どうするべきなのか、だ。

 

(………行くしかない。)

 

街で聞いた情報によると、既にここ二週間でプレイヤーの犠牲者は合計六百人以上に及んでいたらしい。そして、百層あるゲームステージも、未だ第一層がクリアされていない。最早、ゲーム攻略、即ち現実世界への帰還は不可能とアスナは悟った。

ならば、どうするか?このまま一日一日を無為に過ごすのか、それとも外周部から飛び降りてこの世界、そして現実世界から退場するのか…

だが、アスナの中にはそれらの選択肢は無かった。このまま無意味に生きて行くくらいならば、いっそこの世界に一矢報いてから死んでやろう。そう思ったアスナは、剣を手に街を出た――戦うことを選択したのだ。

 

「ハァァァアアア!!」

 

「ブヒィィイッ」

 

「ワォンッ」

 

「邪魔、だぁぁああ!!」

 

はじまりの街のNPCショップで買った細剣、「アイアンレイピア」を手にフィールドに出たアスナは、片端からモンスターを狩り尽くした。狩りの対象が下級モンスターの「フレンジー・ボア」や「フィアース・ウルフ」にから始まり、ソロプレイで初見の相手はかなり困難な亜人型モンスターに移っていくスピードは凄まじいものがあった。

攻略に乗り出したプレイヤーとしては出遅れている筈なのに、その勢いは先行していたプレイヤー達を圧倒するほどだった。後にアスナの姿を見た攻略組プレイヤーは、語る。

その修羅の如き姿、まさしく「狂戦士(バーサーカー)」―――

 

 

 

2022年12月2日

 

死の牢獄と化したゲーム、アインクラッドに誕生した狂戦士・アスナは、たった一人で攻略を続けた。そして、はじまりの街を出ておよそ二週間後、遂に第一層迷宮区タワーへと辿り着いた。ここに至るまで、睡眠時間は二、三時間程度に短縮し、モンスターのポップしない安全地帯で寝泊まりすることが常だった。結果、アスナが迷宮区攻略に乗り出した時点のレベルは、11。攻略に必要な安全マージンを満たすに至ったのだ。

 

(ここが、迷宮区………)

 

はじまりの街の中で腐っていくぐらいなら、と思って半ば勢いで飛び出してきたアスナだったが、まさか攻略最前線に辿り着くとは思わなかった。自分の中ではどうでも良いことだったが――今頃は第一層など既に攻略されているだろうと考えていた。しかし、デスゲーム開始から一カ月が経過しても第一層の攻略はできていない、そして犠牲者は一千人に上るというのが現実だった。しかし、だからといってアスナには「後退」という選択肢はない。ただただ命尽きるまで戦い、何もしなかった自分を悔いることがないようにする。それだけのために今ここに立っているのだから。

 

「………行くわよ。」

 

誰にでもなく、呟いた言葉。或いはそれは、目の前に聳え立ち、自分の行く手を遮るダンジョンに向けた宣戦布告だったのかもしれない。

迷宮区の暗闇に包まれた通路を、アスナは休むことなくひたすら歩く。トールバーナでは、既に踏破された迷宮区のマップが出回っていた。少なくとも、攻略済みの十六階までは迷うことはまずない。マップ片手に、しかし常に周囲に注意を払いながら、アスナは進み続けた。

 

 

 

狂戦士として戦い続けたアスナの集中力が限界に差し掛かったのは、四階まで上った時だった。迷宮区に入ってから六回目の戦闘だが、身体がやや重く感じる。しかしそれでも、どうにかモンスターの斧攻撃を回避して細剣ソードスキル、「リニアー」を食らわせて敵を倒した。

どうにか戦闘を無事に終わらせたアスナだったが、ここまでの戦闘で溜まった疲労がどっと押し寄せてきた。仮想の筈の身体がいつも以上に重い。視界が霞み、意識は朦朧とする。いつ倒れてもおかしくなかった。そんなアスナの意識を繋ぎとめたのは、いつの間にすぐそばまで近づいていたプレイヤーの声だった。

 

「見事な剣技だったな。」

 

「!」

 

その声に、アスナは身体を硬直させる。何者かが自分の近くにいる。それを悟り、反射的に細剣を握る手の力を強める。だが、話しかけてきた方は戦闘の意思が無い事を示してきた。その後の話は、自分のソロプレイに対する説教の数々。はっきり言って余計な御世話だ。アスナはまともに取り合う気はなかった。

 

「そんな状態で狩りに行ったら、集中力が切れて死ぬぞ?」

 

遂には、そんな言葉が発せられた。そんなこと、説教されるまでも無く承知している。だからこそ、アスナは苛立ちを隠せなかった。

 

「…どうせ、みんな死ぬのよ。」

 

傍から見れば、冷静に見えていただろうが、実はかなり頭に血が上っていた。イライラが爆発したのだろう。目の前のプレイヤーに現実は残酷だと言ってやりたかった。だが、その考えは実行に移されることはなかった。アスナの意識は、そこで途絶えたのだから。

 

 

 

 

 

「…余計な真似を。」

 

本当に、余計な真似だと思った。自分に背を向けて座っている男性プレイヤーは、方法は分からないが自分をダンジョンから連れ出したらしい。苛立ちを込めて行った言葉に、しかし男性プレイヤーは何気なく返してきた。

 

「気がついたのか?」

 

「言っておくけど、お礼は言わないからね。」

 

「ああ、礼を言われる筋合いはない。君を助けたのは、俺にも考えあってのことだからな。」

 

「どういうこと?」

 

どうやら、目の前のプレイヤーは何か思惑があって自分をここまで運び出したようだ。とりあえず、聞くだけ聞いてみようと耳を傾ける。

第一層攻略会議なるものが今日催されるということ。参加するプレイヤーは一人でも多く欲しいので、自分にも出てもらいたいとのことだった。だが、迷宮区攻略も完了していない今、そんな話が持ち上がっていたという情報は耳に入っていない。

 

「三日ほど前から、そのためのプレイヤーを町で募っていた。尤も、君は迷宮区に籠ってキャンプ狩りをしていたようだから、知る由は無かっただろうが。」

 

情報収集を疎かにした点を指摘して皮肉を口にするプレイヤーに、アスナは腹が立った。相手の方は、そんなアスナのことなどどこ吹く風と、場所と時間を告げると立ち上がり、その場を後にしようとする。とりあえず、ムカつく人物だが、立ち去ってしまう前に名前だけは聞いておくことにする。

 

「ねえ。あなた、名前は?」

 

「…イタチだ。」

 

「イタチ…君?変わった名前だね。私は「アスナ」よ。」

 

プレイヤーネームに動物の名前を使用するプレイヤーは、別段珍しくない。だが、何故イタチなのか、少々疑問に思えた。だがそれは一先ず置いておき、イタチなるプレイヤーには自分の名前も教えることにした。これにより、インスタントメッセージによる交信が可能となったわけだ。

 

(イタチ君…ね。顔は見えなかったけど、私と同じくらいだったかしら?)

 

終始背を向けて話をしていたイタチだが、背丈や体格からして自分とそう変わらないと考える。だが、あの素気ない態度を、自分は知っている気がした。

 

(…考えても仕方ないわね。)

 

取りあえず、アスナもまた、トールバーナの街を目指して戻ることにした。第一層攻略会議が開始されるまではまだ時間がある。ここ数日取っていない食事でも久しぶりに取ろうかと考えながら、アスナは街を目指すのだった。

のちにそれが、自分が一番話をしたかった、しかし今では自分がこんな状況に置かれる元凶となった少年との再会になるとも知らずに―――

 



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第十話 第一層攻略会議

今回の話には、少年ジャンプをお読みの方なら一度はきいた事のある名前のベータテスターが登場しますが、彼等は本人ではありません。強いて言うならば、平行世界で起源を同じくする人物という設定です。


 

第一層の迷宮区タワーの近くにある街、トールバーナ。その郊外にある農家の二階にある部屋に、現在二人の人物が入っていた。この部屋を取ったイタチと、彼が雇った情報屋のアルゴである。

 

「はいよ、イタっち。これが頼まれていた調べ物だヨ。」

 

「手間をかけさせたな。」

 

そう言ってイタチはアルゴから何枚かの羊皮紙を受け取り、内容を確認する。そこに書かれていたのは、イタチが調査を依頼した、ある特定のプレイヤーのリストだった。

 

「結構苦労したんだヨ。ベータテスターで、今生き残っている人間の数と、イタっちが名指しした連中が今どうしているのかについテ…全く、追加料金が欲しいくらいだネ。」

 

「提示した額で了承したのはお前だろう。それよりも…まさかこれほどとはな…」

 

羊皮紙に書かれた調査結果に目を通し、悲痛な面持ちになるイタチ。アルゴが引き受けた調査依頼の内容は、現在生き残っているベータテスターの数と、イタチが名前を挙げたプレイヤーの現在の動向についてだった。調査を依頼した理由は、第一層攻略の戦力を見積もるためである。MMORPGで攻略最前線に出るトッププレイヤーは、大部分がベータテスターで占められると相場が決まっている。このゲーム、ソードアート・オンラインにおいてもそれは変わらないと考えていたのだが…

 

(思っていたより少ないな…やはり、デスゲームになったことが大きいな。)

 

デスゲームという過酷な条件が、プレイヤー達を街の中へ拘束しているだろうことは分かった。全員がイタチのように、命がけの生活を送っていたリアルや前世を持っている筈もなく、攻略に積極的に乗り出す人間が少ないのは当然のことだった。そして、現在攻略に乗り出しているベータテスターはおよそ三百人。今後すぐに行われるだろう第一層攻略に参加できるテスターは、自分を入れて十人足らずだ。

 

「ベータで最前線に立っていた連中に死者が多すぎる…カズキにヒデユキ…トレインまでやられたか…」

 

「ライトはトラップで死んだらしいヨ。サイコーは無茶なレベリングで命を落としたらしいネ。」

 

かつてベータテストで共に戦った仲間達を悼みながら、その名を口にするイタチとアルゴ。ゲームクリアのための貴重な戦力が失われたことは勿論、彼等は現実でも死んでいるのだ。その喪失感は半端なものではない。イタチのように、戦争体験者ではないのに、それら苦痛に耐えて調べてくれたアルゴには感謝してもし足りないとイタチは感じていた。

 

「死んだ連中のことを考えても詮無きことか…それより、生き残りはどうなっている?」

 

「そこに書いてある通り、大部分の連中が仲間と安全なレベリングを行ってるヨ。ヌエベエは、ビギナーを集めて戦闘方法を指導して、先生みたいだったネ。」

 

「メダカとコウイチは既に暫定的なギルドを作っているようだな。あの二人はカリスマが強い。今回の攻略は無理でも、すぐに最前線に追い付いてくるだろう。」

 

「ケンシンは生きてるけど、攻略はやめて街に残っているプレイヤーへの資金供給をしているみたいだヨ。腕は確かなのに、惜しい人材だネ。」

 

「トリコとヤコは…相変わらず食材関連のクエストにご執心か…」

 

「あの二人はその手のクエストではシステム以上の動きを見せるけど、前線での活躍は期待できそうにないヨ。」

 

現在生き残っているプレイヤー達について話していく内に、場の空気は少しずつ和んでいった。生き残っている知り合い達は、デスゲームと化した今でも必死に生きようとしている。それが分かっただけでも、救われた気持ちになれた。

 

(クラインは未だはじまりの街周辺で仲間とレベリング中か…)

 

はじまりの街を出る時に置いてきた仲間のことを思い出すイタチ。当然ながら、ビギナーであるクラインが仲間と一緒に行動している以上、リスクの少ない狩りをせざるを得ない。だが、聞いた話ではクラインの暫定的ギルドのメンバーは、ほぼ全員モンスター相手の狩りに慣れてきているとのこと。前線に追い付いてくるのも時間の問題かもしれない。

だが、今はそれよりも目先にある第一層攻略のことに専念せねばならない。

 

「話を戻すが、確認できた攻略参加メンバーはこれだけか?」

 

「間違いないヨ。皆、直接会って確認してるからネ。」

 

「アレン、コペル、フースケ、ゴン、カズゴ、リョーマ、セナ、ツナヨシ、ヨウ…そして俺か。」

 

「分かっているだけで十人。中々よく集まった方だと思うヨ。会議のことを考えるとネ…」

 

アルゴの言葉にイタチは苦い顔をする。今日これからトールバーナで行われる会議は、間違いなく荒れる。その理由は、他でもない、自分を含めたベータテスターにあるのだから。

 

「全くその通りだ。その辺りを覚悟の上で集まってくれたんだ。これ以上を望むのは贅沢だな。」

 

「それじゃ、そろそろ行こうカ。あっちじゃもうぼちぼち集まっている頃だろうしナ。」

 

一先ず、ベータテスターの生き残りの話はここで終わらせて、イタチとアルゴは連れだって部屋を借りている農家を出た。向かう先は、トールバーナの野外ステージ。

その場所は、観客席が中央のステージを囲っている、すり鉢状の構造である。イタチとアルゴは、会議に参加する攻略組の集団に混じってその場所を目指す。適当な場所にアルゴと二人で座り、確認するように話をする。

 

「どうだ、皆来ているか?」

 

「大丈夫だヨ…一先ず安心だナ。」

 

イタチの質問に、アルゴは問題ないと頷く。尋ねたのは、先程言っていた、ベータテスター参加者の有無である。アバターが現実世界と同じになった今、イタチにはそれが本人なのかをすぐに確認する術はない。故にアルゴに尋ねたのだが、心配はなかったようだ。

 

「しかし、四十四人か…やはり、レイド一つ分にも足らないな。」

 

「仕方ないヨ。第一層とはいえ、ボス攻略は死地に向かうも同義だからネ。」

 

アルゴの言っていることは尤もだ。誰もがイタチのように命がけの世界を体験したことのある人間ではない。戦いに積極的に赴く人間など一万人の中でほんの一握りだろう。

 

「…そうだ、アルゴ。プレイヤーの情報で、知りたい奴がいる。」

 

「イタっちが気になるってのは、どんな奴なんダ?」

 

アルゴの私見ではイタチは現状、トッププレイヤーの座に位置する。そんな彼が注目する、恐らくはビギナーのプレイヤーというのは一体どんな人間なのか、興味がある。

 

「アスナという細剣使いの女性プレイヤーだ。」

 

「…ああ、アーちゃんか!」

 

その名前を聞いて、アルゴは合点が行った。

 

「知っているのか?」

 

「オイラも最近注目してるプレイヤーだヨ。しかし、どこで会ったんダ?」

 

「今日の昼頃、迷宮区で会ったが、急に倒れたのでフィールドまで運び出した。」

 

「アチャー、やっぱりまだそんな無茶してたのカ…っていうか、どうやって運び出したんダ?」

 

「普通に運び出した。それだけだ。」

 

アスナを迷宮区から運び出した手段を聞くアルゴに、イタチは平然と返した。嘘ではない、事実だ。通常、プレイヤー一人を独力で運ぼうものなら、相当な筋力パラメータが要求されるが、イタチはそれを持っているのだ。女性プレイヤーのアスナ一人迷宮区から運び出すのは造作も無いことだった。

 

「全く…イタっちは相変わらず無茶苦茶だネ。」

 

「そんなことより、一体何者なんだ?使っているソードスキルのレベルは初級だが、完成度が非常に高い。ベータテスターでもあれだけの実力者はいなかったぞ。」

 

「その情報は、安くしとくヨ。五百コルでどうダ?」

 

「貰っておこう…と言いたいところだが、それはまた後でだな。」

 

情報と金のトレードを行おうとしたところで、会議はようやく始まるようだった。イタチやアルゴはじめとした会議出席者達の視線の先、ステージの上に主催者らしき青年の姿があった。

 

「今日は、俺の呼びかけに応じてくれてありがとう!俺はディアベル、職業は気持ち的にナイトやってます!」

 

ディアベルと名乗る青髪の爽やかなイメージを持つ青年の言葉に、集まったプレイヤー達がどっと沸く。緊迫していた場の空気が和やかになる。開始早々に冗談をかましてプレイヤー達の精神に余裕を持たせるあたりからして、主催者のみならずリーダーとしての適性の高さが窺える。

 

「コミュ力高いナ。これなら、今回の攻略も上手くいくかもしれないネ。」

 

「指揮官としての適性は未知数だったが、確かに彼ならば集団を上手くまとめられるかもしれない。」

 

主催者としてこの場を仕切るディアベルについて評価するアルゴとイタチ。ソードアート・オンラインに閉じ込められたプレイヤーは、大概が重度のMMOプレイヤーで、さまざまなMMORPGで名を挙げた強豪に違いないだろうが、それは飽く迄従来の「ゲーム」の中での話だ。ソードアート・オンラインは今や「デスゲーム」と化している。リアルで命のやりとりをしたことのある人間など、いる筈もない。そんな死と隣り合わせの戦場で指揮を取れる人間が果たしているのかと懸念していたが、どうやらそれも杞憂で済みそうだ。目の前のディアベルは、見たところ指揮官適性は高い。前世の忍世界では少なくとも中忍以上に相当する腕前とイタチは推測する。

 

「今日、迷宮区のマップが新たに十八階まで公開された!二十階ある迷宮区の攻略も大詰めだ。ボスの部屋が見つかるまでの時間も、そう長くはならない筈だ!」

 

これは迷宮区から出たイタチが、フレンド登録しているアルゴにメールを送って流した情報である。ちなみに、イタチの攻略ペースからして、明日には二十階に達してボス部屋も見つける予定である。

 

「一カ月。ここまで、一カ月もかかったけど…それでも、俺達は示さなきゃならない。ボスを倒し、第二層に到達して、このデスゲームそのものもいつかきっとクリアできるんだってことを、はじまりの街で待ってるみんなにつたえなきゃならない。それが、今この場にいる俺達トッププレイヤーの義務なんだ!そうだろ、みんな!」

 

集まったプレイヤー達に自分達の使命について力説するディアベル。そんな彼に、拍手喝采が降り注ぐ。集まったプレイヤー達の士気が向上している点からしても、ディアベルのリーダーシップには非の打ちどころがない。だが、そんな中、

 

「ちょお待ってんか、ナイトはん。」

 

突然流れた低い声に、会議場の空気がぴたりと静まり返る。何事かと後ろを振り返ってみると、そこには小柄ながらがっちりした体格の男の姿が。背中にはやや大型の片手剣を装備し、サボテンのように尖ったヘアスタイルが特徴的だ。

 

「誰だ?」

 

「アー…まあ、見てれば分かるヨ。」

 

イタチの呟きに、しかしアルゴは苦い物を口にしたような顔で答えた。いつもなら情報料を要求するところなのにこの態度である。イタチは嫌な予感しかしなかった。

そうこうしている内に、現れたサボテン頭のプレイヤーは装備に似合わぬ跳躍力で一気に下のステージに降り立つと、集まったプレイヤー達に向き直って濁声で話し始めた。

 

「わいはキバオウってもんや。作戦会議を始める前に、言わせてもらいたいことがある。」

 

会議の最中に乗り込んできていきなり何を言うのだろうと疑問に思うプレイヤー達。少なくとも、キバオウと名乗ったこのプレイヤーに好印象を抱く者はいない筈。だが、次に放った言葉に一部のプレイヤーに緊張が走る。

 

「こん中に、今まで死んでいった一千人に、詫び入れなあかん奴がおる筈や!」

 

集まったプレイヤー達に向けて人差し指を突きつけ、そう宣言するキバオウ。ステージ上の自身とディアベル以外の四十二人の集団を鋭い目つきで端から睥睨する中、イタチの顔の前で一瞬視線が止まった。イタチ自身もそれに気付いており、そこから彼の意図を推察しようとする。だが、その思考はステージ上で、客席にいる一部プレイヤーへ問答しようとするキバオウによって遮られることとなる。

 

「キバオウさん、君言う奴等とはつまり…元ベータテスターの人達のこと、かな?」

 

「決まっとるやないか!」

 

当然と言わんばかりにディアベルに返し、キバオウはプレイヤー達を再び睨みつけて憎々しげに言い放つ。

 

「ベータ上がりどもは、こんクソゲームが始まったその日に、ビギナーを見捨てて消えよった!奴等はウマい狩り場やらボロいクエストを独り占めして、ジブンらだけぽんぽん強うなって、その後もずーっと知らんぷりや。」

 

乱入してきたキバオウの話しに聞き入るほかないプレイヤー達。イタチとアルゴも表情には出さなかったが、内心は複雑だったに違いない。

 

「こん中にもおる筈やで!ベータ上がりの奴等が!そいつらに土下座さして、溜め込んだ金やアイテムを吐きだして貰わな、パーティーメンバーとして、命は預けられんし、預かれん!」

 

イタチやアルゴが最も懸念していた一幕だった。魔女狩りよろしく、ベータテスターを公式の場で吊るし上げてその私財を根こそぎ奪おうと言う魂胆。確かに、キバオウの言うことには一理ある。ベータテスターの大部分は、情報力といった優位性を活かして自身の生存率を上げるために奔走していることは事実である。そして、リソース独占に走ったことが原因で、ビギナー達が死んだとなれば責任問題に問われても文句は言えない。キバオウの言葉には、イタチやアルゴも思うところはある。だが、死んだ一千人の中にはベータテスターもいるのだ。全てがキバオウの言う通りであるとは思えないし、思わない。そこまで考えて、イタチは周囲のプレイヤー達に視線を巡らせた。

 

「…あそこで物言いたげな顔をしている白髪の少年、アレンじゃないか?」

 

「!…よく分かったネ。」

 

「それに、上の方で拳を握り締めているオレンジ髪の男…カズゴだろ。」

 

「その通りだヨ…」

 

広場に集まった人間の中から、次々にベータテスターを言い当てて行くイタチ。アルゴは場が場なので、確認のための情報料を要求せず、肯定していく。そして、言い当てたベータテスター達は、いずれもが怒りや苦脳に満ちた顔をしていた。

 

「拙いナ…アレンとセナはキバオウに食って掛かりそうだヨ…」

 

「カズゴは今にも殴り掛りそうだな…」

 

冷静に、小声で会話をしているようで、二人は内心冷や汗ものだった。仮にここでベータテスターだと正直に名乗り出て金やアイテムを供出したとしても、それで済む話ではない。ビギナー達の死がベータテスターの所為であると考えているプレイヤー達は納得せず、排斥すべく動くだろう。喧嘩腰で殴りかかるのは尚悪い。ベータテスターとビギナーの関係がさらに悪化し、それら二つの枠で、プレイヤー達が真っ二つに割れて敵対してしまう。

 

(どうする…?)

 

冷静な風を装っているイタチだが、内心で冷や汗をかいていた。この場に集まった過半数のプレイヤーは、キバオウの意見に同調する姿勢のようだ。このまま放置しておけば、ベータテスター側も下手な行動に出かねない。何か打開する手段はないかと考えていた、その時だった。

 

「発言、いいか?」

 

攻略会議の会場、その前方の席より、豊かなバリトンが響き渡った。イタチは、また新手の闖入者かと声のした方を見ると、どうやら最初から会議に出席していたプレイヤーのようだった。身長百九十ほどもある筋骨隆々とした体格に、頭は完全なスキンヘッドで肌はチョコレート色だ。見た目通りのパワープレイヤーなのだろう、背中に吊った武器も両手用戦斧だ。突如声を発した巨漢のプレイヤーは、ステージ上に上がると、キバオウに向き直る。圧倒的体格差にさしものキバオウも口を閉ざした。

 

「俺の名前はエギルだ。キバオウさん、あんたの言いたいことはつまり、元ベータテスターが面倒を見なかったからビギナーがたくさん死んだ、その責任を取って謝罪・賠償しろ、ということだな?」

 

「そ…そうや」

 

エギルはキバオウの訴えの内容を確認すると、腰につけた大型ポーチから羊皮紙を閉じた分厚い本アイテムを取り出した。辞書ほどではないが、五百ページ近くあるだろう。それを掲げて、エギルはキバオウに問う。

 

「あんたはそう言うが、キバオウさん。金やアイテムはともかく、情報はあったと思うぞ。このガイドブック、あんただって貰っただろう?ホルンカやメダイの道具屋で無料配布してるんだからな。」

 

エギルが取り出したのは、イタチにとってもかなり見覚えのある本。何せ、自分もそれを持っているし、“制作を手伝った”のだから。

 

「無料配布…か…」

 

「にゃハハ………」

 

ジト目で横に座るに視線を送るイタチ。何か言いたげなイタチにしかし視線を向けられたアルゴは誤魔化すように笑った。それはさておき、今は目の前で行われているキバオウとエギルの問答についてだ。

 

「――貰たで。それが何や。」

 

威圧されながらも、刺々しく返すキバオウ。エギルは本をポーチに戻すと、腕組みして再び口を開く。

 

「このガイドは、俺が新しい村や町に着くと、必ず道具屋に置いてあった。あんたもそうだったろ。情報が早すぎる、とは思わなかったのかい?」

 

「せやから、早かったら何やっちゅうんや!」

 

「こいつに載ってるデータを情報屋に提供したのは、元ベータテスター達以外にあり得ないってことだ。」

 

エギルの言葉に、会議に参加していたプレイヤー達がざわめく。キバオウは苦々しい顔で再度閉口し、隣のディアベルの表情は少々明るくなる。エギルはなおもガイドブックに関する説明を続ける。

 

「しかも、ただのガイドじゃない。各村や町のフィールドのクエストの詳細、フィールドのマップは勿論、適性レベルに応じた狩りの穴場や危険なポイント、さらにはモンスターの詳細な攻撃パターンや有効な攻撃手段まで載っている。一人や二人で集められる情報量じゃない。どう考えても、複数のベータテスターが作成に協力していることは明らかだ。」

 

アルゴが配布しているこのガイドブックの情報は、しかし実際はほとんど一人のβテスターによって集められたものである。協力者の名前は、言うまでも無く「イタチ」。常人を遥かに超える戦闘センスと、他の追随を許さない長時間のプレイによって、各フィールドをくまなく駆けまわって集めた情報である。

エギルの推察では複数のベータテスターの協力のもと作られたとされているが、この場の空気を治めるにはその認識はありがたい。当のイタチもこれで良かったと考えている。

 

「いいか、これだけ詳細な情報がビギナーにも配られていたんだ。なのに、たくさんのプレイヤーが死んだ。だが今は、その責任を追及してる場合じゃないだろ。俺達自身がそうなるかどうか、それがこの会議で左右されると、俺は思っているんだがな。」

 

エギルの至極真っ当で筋の通った論旨に、キバオウは反論できない。しばし無言でエギルを睨みつけていたキバオウだったが、やがてその横を通って観客席へと向かった。エギルもそれに倣い、もといた場所へと戻っていく。プレイヤー達が落ち着いたことを確認したディアベルは、この話題の最後を締めくくる。

 

「みんな、それぞれに思うところはあるだろうけど、今だけはこの第一層を突破するために力を会わせて欲しい。どうしても元テスターとは一緒に戦えない、って人は、残念だけど抜けてくれて構わないよ。ボス戦では、チームワークが何より大事だからさ。」

 

ディアベルの視線の先にいるキバオウは、未だ何か言いたそうにしていたが、これ以上は口を挟むつもりはないようだった。その後の会議は滞りなく進み、最終的には騎士ディアベルの掛け声に、会議に参加したプレイヤーが盛大な雄叫びを上げる一幕で締められた

実務的な議論はなかったが、プレイヤーの士気は十分に上げられた。この分ならば、ボス攻略当日に欠席するプレイヤーが発生することはないだろう。

会議が終わったのち、イタチとアルゴは揃ってステージの場所を出た。

 

「どうにか、乗り切ったか…」

 

「そうだナ。全く、イタっちの言う通り、前途多難だヨ。」

 

キバオウの乱入によって生じた波乱の一幕は、ある意味では第一層攻略以上に緊迫したものだった。ベータテスター排斥の動きが出るのは予期されていたことだが、この調子では今後の攻略でも揉める可能性が高い。

 

(結局、この世界も前世と何一つ変わらないのだな…)

 

うちはイタチとして生きた前世の世界でも、今日の会議のような現場は幾つもあった。血継限界を忌み嫌うあまり、差別が横行した末に一族が挙兵することは、忍の世界では珍しいことではない。イタチの一族、うちはもその一つだ。木の葉隠れの里での主権を取り戻すためにクーデターを試み…そして、二重スパイだったイタチによって、その弟一人を残して虐殺された。

 

(俺は、また止められないのか…)

 

新たな世界に転生してなお、自分はあの悲劇を繰り返さねばならないのか。それは前世で犯した自分の罪故のことなのかと、イタチは誰にでもなく心の奥で問いかける。ならば、自分が今ここにいる意味は―――

いくら考えても、やはり答えを見出すことはできなかった。今は目先の問題に対処せねばならない。第一層攻略は、今日この日から始まったも同然なのだから。

 

 




繰り返し説明しますが、ベータテスター達は、「本人」ではありません。彼らが本人だったら、既にアインクラッドは攻略されていますから……


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第十一話 再会

 

トールバーナの会議場から、アルゴと連れ立って歩くイタチ。そんな二人組に、声をかける少年がいた。

 

「イタチ、久しぶりじゃないか!」

 

二人の前に現れたのは、イタチと同年代くらいの少年。軽量鎧を身に纏い、手持ちの武器は円形盾とイタチが持っているのと同種の片手用直剣だった。

 

「コペルか。一か月前のデスゲーム初日に会って以来だな。無事に生き残れていて何よりだ。」

 

「あの時は命拾いしたよ。リトルネペントに「隠蔽」スキルが通用しないなんて、知らなかったからね…」

 

イタチとコペル、この二人が出会ったのは、デスゲーム開始初日として知られる11月6日のことだった。はじまりの街を出て、誰よりも早くホルンカへと到着したイタチは、より強力な武器を得るためにあるクエストを受けた。通称、「森の秘薬クエ」と呼ばれるそれは、村で病床にある少女のために、「リトルネペント」と呼ばれる植物型モンスターがドロップする「胚珠」を手に入れてくるというものだった。「リトルネペントの胚珠」は、クエスト受注以降に出現する頭頂に花を咲かせた花つきのリトルネペントからしかドロップされず、その出現率は普通に狩り続けても一パーセントに満たないとされている。

イタチはこのクエストを受注後、森の中に入り込んですぐさま乱獲に近い形でリトルネペントを斬り捨てて行った。そして非常に低いドロップレートに関わらず、開始一時間半程度で胚珠を二つも手に入れたのだ。コペルと遭遇したのはちょうどその頃で、隠蔽スキルを発動して近づいてきたところをイタチに見破られたのが切欠だった。そして、リトルネペントのような視覚に頼らず敵を狩るモンスターには隠蔽スキルが通用しない事を知らされ、内心で大いに冷や汗をかいたという。当時は既に日が暮れており、夜間の狩りが危険と諭したイタチが、手に入れた胚珠の一つをコペルに譲ったというのが事の顛末だった。

 

「おかげで、こうして「アニールブレード」も手に入れることができて、攻略にも参加できる。本当にありがとう。」

 

「礼は、第一層攻略が無事に成功してからにしておけ。」

 

「そうだゾ。それから、あまりオイラ達に関わらない方がいイ。」

 

「え、どうして?」

 

不思議そうにするコペルに、イタチが補足説明を加える。

 

「アルゴは情報屋として公認のベータテスターだ。さらに俺も、アルゴと接触する機会は多いから、大概の連中はベータテスターだと思っている可能性がある。お前も同様に思われたら拙いだろう?」

 

イタチの言葉に、先の会議における動乱の一幕を思い出し、コペルは顔を青くする。アルゴはやれやれと肩を竦め、この場を立ち去る事を進言する。

 

「早く、どっかへ行った方がいいヨ。」

 

「そ、そうするよ…」

 

それだけ言うと、コペルはイタチ達の進行方向とは別の方へと、足早に立ち去っていった。その様子を見て、その場に残った二人はふっと溜息を吐く。

 

「やれやれ…迂闊だネ。」

 

「全くだ………それより、アルゴ。ガイドブックについてだが、ビギナーに無料配布する分には構わんが、何故俺には一冊五百コルも取るんだ?」

 

「そりゃ、イタっちや他のフロントランナーが初版を買ってくれた売り上げで、無料の二版を増刷してるわけだからナ。安心シロ、初版は奥付にアルゴ様の直筆サイン入りダ。」

 

「ほとんど情報は俺が集めたんだがな…まあいいだろう。今後も買ってやる。そういえば、会議の前に買おうと思っていた情報だが。」

 

「ああ、アーちゃんのコトだナ。女の子の情報を買うなんて、イタっちもやっぱり男の子カ~」

 

「攻略組の中でも強豪になり得るプレイヤーについての情報は積極的に集めておきたいだけだ。五百コルだったな…貰おうか。」

 

メニューウインドウを操作して、五百コルをオブジェクト化しようとする。と、その時だった。

 

「…ちょっと待て。」

 

「どうしタ?」

 

いきなり取引を中断しようとするイタチに訝しがるアルゴ。イタチはその場から動かずに口を開いた。

 

「そこにいるのは分かっている、出てきたらどうだ?」

 

イタチとアルゴがいる通りには、他にプレイヤーの姿は見えない。イタチは一体、誰に話しかけているのだろうか?アルゴがそう思った時、後ろにあった細道から一人のプレイヤーが姿を現した。

 

「アーちゃん?」

 

そこにいたのは、フード付きのケープを羽織った女性プレイヤー。先程イタチが情報を買おうとしていたアスナ本人である。アルゴは隠れていた人物がアスナだと知り、今の会話を聞かれたのでは、と内心で冷や汗をかく。なにせ、ゲーム内とはいえ個人情報の売買をしようとしていたのだ。知られれば、ただでは済むまい。だが、アスナはアルゴよりもイタチの方に剣呑な視線を向けていた。

 

「…いつから気づいていたの?」

 

「ついさっきだ。それで、用があるのは俺か?アルゴか?」

 

「…アルゴさんよ。フロアボスのことについての情報を聞きたかったのよ。でも…」

 

イタチに向けられていた視線がさらに険しくなる。相変わらず背を向けているイタチだが、アスナが殺気立っていることには気付いている筈だ。

 

「私の情報を買おうとしていたみたいだけど、何のつもり?」

 

やはり、とアルゴは思った。情報屋としてプレイヤーのステータスすら売りに出している身だが、流石に本人の目の前でその情報を売ったことはない。個人情報を売ろうとしていたのだから、斬り掛られても文句は言えない。だが、怒りの矛先は「男性」であるイタチへと向けられていた。

 

「別に…君をどうこうするつもりはない。攻略組の中でも強力なプレイヤーの情報収集を行っていただけだ。それ以上の他意はない。」

 

「どうかしら…今もこうして私に背を向けて目を合わせようともしないじゃない。やっぱり、他に後ろ暗いことでもあるんじゃないの?」

 

別にそんなつもりはないのだが、アスナはイタチに不信感を抱いている。仕方がないので、イタチはアスナの方に向き直る―――

 

「これで満足か?俺は本当に………?」

 

顔を見せての弁明。だが、それは最初の方だけで途切れてしまった。イタチの顔を見たアスナの様子が変わったのだ。何に驚いているのか、数歩後ずさっている。それに対して、今度はイタチの方が怪訝な顔をする。アルゴは状況の変化を悟りながらも何が起こっているのかを理解できなかった。

 

「おい、どうした?」

 

「アーちゃん、何を驚いているんだイ?」

 

硬直するアスナに二人は声をかけるが、本人からの応答はない。本当にどうしたんだろう、と思ったその時だった。

 

「桐ヶ谷、君…なの?」

 

「!」

 

アスナの口から漏れた言葉に、イタチの表情に常には有り得ない驚愕が浮かぶ。桐ヶ谷、即ちイタチのリアルの本名を口にしたのだ。それが示すことは即ち、アスナはイタチとリアルで面識があるということ。目を見開いてフードに顔を隠した少女を見つめる。

 

(まさか…)

 

「アスナ」という名前には心当たりがあった。だが、彼女がこんな場所に来る筈がない、と考えている自分がいる。そうこう考えている間に、アスナはフードを外して素顔を晒した。

アスナの素顔――デスゲーム開始宣告がなされた初日にリアルと同じになった――に、イタチは確かに見覚えがあった。

 

「結城、先輩…」

 

「桐ヶ谷君…!!」

 

イタチの口から意図せず零れた言葉に、アスナは目の前の少年が、自分がリアルで知る少年と同一人物であることを悟る。それと同時に、目に涙を浮かべてイタチに抱きつく。

 

「会いたかった…桐ヶ谷君…!!」

 

「………何故、ここに…」

 

涙声で自分のリアルの名前を呼ぶ少女に、しかしイタチはどうすればいいのか分からなかった。アスナはただただ自分の存在を確かめるように抱きしめる腕の力を強めるばかりだった。

 

「えート…オイラ、帰った方が良イ?」

 

場の空気の変わり様に付いて行けずに混乱するばかりだったアルゴの言葉に、ようやく二人は我に返るのだった。少年に少女が抱きついているというこの状況を、その場に居合わせたアルゴ以外の人間に見られなかったのは、――少なくとも二人にとって――僥倖だった。

 

 

 

リアルで面識のあった桐ヶ谷和人ことイタチと、結城明日奈ことアスナ。思いがけない再会に、イタチはただ驚愕し、アスナは歓喜していた。とりあえず、二人は互いの話を整理するために、アルゴと共にイタチの拠点である農家へと行くことになったのだった。

 

「…しかし、ゆ…いえ、アスナさん。何故、あなたがこの世界にいるのですか?ゲームに興味があるなどという話は聞いたことがありませんでしたが。」

 

「私も、ゲームなんて大してやらない方だったんだけどね…仮想世界っていうものを、見てみたかったのよ…」

 

「実は、イタチこと和人のことを知りたくて手を出した」、なんてことは言えなかった。言えば間違いなくイタチには呆れられる。イタチの今まで自分に対して示してきた拒絶の意思を顧みれば、最悪ストーカー扱いされる可能性もあるとアスナは思っていた。

 

「そうですか………」

 

対するイタチも、それ以上の詮索はする気がないらしい。もとより、デスゲーム開始以降、プレイヤーの間でリアルの話をすることは忌避される傾向にある。しかも、

 

「ナーナー、二人って、リアルではどういう関係だったんダ?」

 

成り行きとはいえ、自分達のリアルを知らない第三者であるアルゴが同席しているのだ。アルゴは二人のリアルの仲を知りたがっている様子だが、情報屋を営む彼女の前で、これ以上リアルの話をするのは御免被る。

 

「でも、まさかきり…イタチ君に会えるとは思わなかったよ。知り合いに会えるとは思わなかったから、安心しちゃったよ…」

 

「そうですか…」

 

再会直後のことを思い出して、アスナは顔を若干赤くする。イタチは然程気にする風もなく返す。アルゴは目を三日月のように細めてイタチとアスナの両方に交互に視線を向ける。何を想像しているかは分からないでもないが、断じて違うとイタチは内心で否定する。アスナもアルゴの様子に気付き、話題を変えてお茶を濁す。

 

「それにしても、良い宿だよね~…私が泊まっている宿とは大違いよ。」

 

「宿泊施設は街区の宿ばかりではありません。宿屋の看板が無いだけで、利用できる部屋は多いんですよ。この借り部屋は一晩八十コルで部屋は二つ、ミルク飲み放題に加えて風呂付きです。」

 

「ふ~ん…って!」

 

イタチの説明を聞いていたアスナだったが、突然がばっと椅子から立ち上がってイタチに詰め寄る。いきなりの行動にさしものイタチも僅かながら驚く。アルゴはアスナの言いたいことを悟っていたのだろう、「ああ」と得心したように一人頷いていた。

 

「今お風呂って言った!?」

 

「言いましたが……もしかして、入りたいんですか?」

 

アスナの言った言葉に事情を大体察したイタチはそう問い返す。ここトールバーナをはじめとして、主街区の「INN」と称される宿は最安値で寝泊まりできるだけの施設であり、風呂などはある筈もない。ゲーム内では衛生面を気にする必要などなく、故に風呂に入る必要もないのだが、女性プレイヤー達はそうもいかないらしい。気分の問題なのだが、彼女達は風呂付きの宿を必ずと言って良いほど使いたがる。つまり、主街区の最低限の寝泊まりしかできない宿を使っていたアスナもまた、風呂に入りたいのだ。

 

「…使わせて、もらえる?」

 

「……そこの扉の向こうがバスルームです。ご自由にお使いください。」

 

「…ありがとう。」

 

お風呂という単語に食い付いた時の反応が余程恥ずかしかったのか、アスナは小声でお礼を言うと、そそくさとバスルームへと駆けこんでいった。その場に残されたイタチとアルゴはしばしの黙ったままだったが…

 

「覗きに行かなくて良いのカ?」

 

「そんなことはせん。」

 

アルゴの言葉に、イタチは疲れた様子で溜息と共にソファーに沈み込んだ。アルゴは相変わらずニヤニヤしているが、もはやそれについて言及する気にはなれなかった。ともあれ、アスナがこの場から退席した以上、話を進めねばならない。

 

「…さて、アスナさんも居なくなったところで、第一層攻略についての話がしたい。情報を出して貰えるか?」

 

「第一層のボス情報なら、千コルだな…と言いたいところだけど、イタっちには攻略ガイドを作るのを手伝ってもらってるからナ~…ここは、貸しにしとくヨ。」

 

「構わない。それで、第一層のボスだが…」

 

第一層攻略のため、イタチとアルゴはベータ時代における互いが持つ知識を照合して情報に欠落や誤認が無いかを確認していく。他のMMOでも情報屋をしていたアルゴはもとより、忍者としての前世を持つイタチも記憶力は人一倍優れていた。情報の整理には時間はかからず、ほぼ完全にまとまった。

ボスの名前は、「イルファング・ザ・コボルドロード」。武器は右手に斧、左手にバックラーを持ち、四段あるHPバーの最後の一段が赤くなると、武器を湾刀に持ち替える。「ルインコボルド・センチネル」と呼ばれる取り巻きがおり、四段あるボスのHPゲージを一本削る度に三体、戦闘開始時を含めて合計十二体湧く。

 

「まあ、ボスの情報は大体この通りだナ。イタっちはどう思ウ?」

 

「ベータテスト版のものはこれで間違いない。だが、これを全て鵜呑みにするのは危険だ。」

 

真剣な顔で言い放つイタチ。現在自分達がプレイしているソードアート・オンラインは正式版。ベータ版と全て同じとは限らない。ボス戦ならば、命取りになる。

 

「だよナ~…それで、イタっちはどのへんが怪しいと思ウ?」

 

「…制作者の意図を考えるなら、ベータ版にはないサプライズを用意したい筈だ。変更点が来るとすれば、おそらく「湾刀」だろう。」

 

「やっぱりそう思うカ。あと、取り巻きについてはどうだろウ?」

 

「十二体のみで済む可能性は低い。ベータテストは飽く迄難易度の調節のために行われる。前回の攻略戦を顧みると、湧出ペースは同じに設定するだろうが、最後は際限なくポップする可能性がある。」

 

ベータテスターとして、そしてソードアート・オンライン開発スタッフとしての感想を述べていくイタチ。実は、イタチはベータテストの際に攻略が済んだ層における難易度についての意見をまとめた報告書を、茅場はじめ制作陣に提出していたのだ。内容は、現在アルゴに話している意見そのままである。

 

「一番注意しなければならないのは、「湾刀」だ。こればかりは最後までボスを追い詰めなければ確認できない。仮にこれが湾刀以外の武器だった場合、確実に対処できる保証はない。」

 

「仮に他の武器だったとして、イタっち的には何が考えられル?」

 

「………第一層である以上、槍や薙刀よりも、剣を使ってくる可能性が高い。そしてあの体格から考えると、恐らくは片手用。そのあたりに合致する武器となれば…野太刀か柳葉刀だな。」

 

「ナルホド…確か、第十層でもそのスキルを持ったモンスターがいたナ。そのあたりのソードスキルも含めて、予備知識として持つように促すカ。」

 

「そうしてくれ。今回の攻略、何としてもしくじりは許されない。必ずクリアしなければならない。」

 

真剣な瞳で話すイタチに、アルゴも無言で頷く。今回の攻略が失敗に終わり、ましてや犠牲者を出すような結果になれば、攻略の続行などできる筈もない。何せ、アインクラッド百層の道のりは、未だ百分の一すら超えられていないのだから。

 

 

 

イタチとアルゴが攻略情報の整理に当っていた頃、明日奈はバスルームでバスタブに身を横たえて全身湯に浸かり、寛いでいた。ここ二週間、自分の中に張りつめていた緊張感や溜めこまれた精神的な疲労が一気に抜けて行くようだった。温かい湯の中で全身の力を抜き、アスナはほっと一息吐く。

 

(桐ヶ谷君………やっぱり来てたんだ…)

 

和人ことイタチがソードアート・オンラインにベータテスト時代から参加していたという確証はなかったが、確信はあった。まさかこのようなデスゲームに囚われることになるとは、自分は勿論、彼も思っていなかっただろうが、今はこうして再会できたことを喜ぶとしよう。アスナはそう思った。

 

(それに…私はあなたのことを、もっと知りたい…)

 

今となってはもう果たせないと思っていた望みが、叶うかもしれない。このような非常事態に陥らねばできないとは皮肉な結果だが、彼――桐ヶ谷和人が望んだこの世界でならば、彼のことを知ることができるかもしれない。自分の意思を伝えることができるかもしれない。お互いに分かり合えるかもしれない。

 

(もっと、話をしてみよう…)

 

右も左も分からない異世界の牢獄に閉じ込められたアスナにとって、リアルでも面識のあるイタチの存在は、半ば以上心の支えだった。今までは狂戦士としてただただ燃え尽きるまで戦うことのみに執着して生きてきたが、彼がいるならもっと別なものを見ることができるかもしれない、とアスナは感じた。

不安と絶望で色取られた仮想の世界で、アスナはイタチを希望の光と見た。だが、アスナは知らない。イタチがこの仮想世界でどれだけの罪を背負って生きているのか、どれだけの悲しみや苦しみに忍び耐えているのかを。のちの彼女は、自分の認識の甘さと、イタチの真実の重さを心の底から痛感することになる―――

 

 



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第十二話 暗躍者

2022年12月4日

 

ソードアート・オンラインというゲームには、そのタイトル通りの剣というジャンルの武器に止まらず、多彩な武器が存在する。主だったものは、槍、杖、斧、槌といったものが挙げられる。これがゲームである内ならば、様々な武器を試してみることもできただろうが、今はもうそうはいかない。ソードアート・オンラインがデスゲームと化したその日から、武器はプレイヤーの生死を分ける重要な鍵の一つと化した。故にプレイヤー達は、現実世界では振り回すことなどない、数多の武器の中から慎重に自身に合ったものを選ばねばならない。

話は変わるが、イタチが前世にいた忍の世界において、忍の武器である忍具に対する概念は、使い捨てが基本である。手裏剣やクナイは訓練ならいざ知らず、実戦で回収することは、まず不可能だからだ。しかも、忍の戦いは忍術の使用が基本であり、そのためには印を結ぶことが必至。故に、最低でも片手を空けるために、両手持ちの大型武器の使用は忌避されがちである。数少ない例外は、霧隠れの里に君臨した「忍刀七人衆」だろう。霧隠れに伝わる七つの忍刀を使いこなした実力者達であり、手に持つ武器は基本的に両手持ち。それで忍術まで自在に使いこなしたのだ。過去の忍界大戦においては霧以外の里全てにとって脅威の的とされ、第四次忍界大戦においては穢土転生で蘇らされたほどだった。

そんな忍の世界を生きた前世を持つイタチが選んだ武器は、片手用直剣だった。この選択したのは、前世の忍としての戦闘スタイルと、SAOというゲームの規格に適応したと判断してのことである。忍者としての戦闘スタイルを重視するならば、スピードを上げるために軽量武器の選択が必須。生前に使い慣れた武器に合わせるならば、刀が好ましいが、初期で獲得できる武器スキルには無く、特定の条件を満たすことで出現するエクストラスキルであると考えられる。モーションキャプチャーテストに協力したイタチも、エクストラスキルの入手方法までは知らされていない。予想では、曲刀スキルから派生すると考えられるが、それに賭ける猶予は無い。また、可能ならばゲームの完全クリアまでは同一の種類の武器を使うこと、そして手数たるソードスキルは多い武器が好ましい。よって、文字通り片手で扱える、ゲーム内で種類・技の両方において最もバラエティに富む片手用直剣が相応しいと結論付けたのだった。

そして現在、そんなイタチの剣を買い取りたいと言うプレイヤーが現れたのだった。

 

「例の依頼の件なんだけどナー…依頼人は、今日中なら三万九千八百コル出すって言いだしたヨ。」

 

「………アルゴ、何かの詐欺じゃないのか?現状で武器強化をするなら、三万五千コルあれば十分だ。そのあたりのことは説明したのか?」

 

「アア、オイラも重々説明したサ。でも、聞かなかったんだヨ。」

 

ソードアート・オンラインの武器には、五つの強化パラメータが存在する。

鋭さ――Sharpness

速さ――Quickness

正確さ――Accuracy

重さ――Heaviness

丈夫さ――Durability

イタチが現在持っている片手用直剣、「アニールブレード+6」は、既に六回分の強化が施されている。内訳の(+6)は、3S3D――つまり、鋭さと丈夫さに3つずつ割り振られているのだ。

常人離れした、――前世の写輪眼程ではないが――動体視力を持つイタチの剣線は、システムアシスト無しでも十分な正確さをもつ。また、イタチはスピードタイプのプレイヤーであるため、剣の重量を必要以上に増やすことを好まない。故に、イタチは武器強化において重視するのは、「鋭さ」・「速さ」・「丈夫さ」に絞られるのだ。全てが数値化される世界において、敵に与えるダメージと武器の耐久値ばかりは、プレイヤーの技能ばかりではどうにもならない。故にイタチが、普段使う武器強化パラメータに選んだのが「鋭さ」と「丈夫さ」だった。

閑話休題。ともあれ今は、アルゴが仲介している取引についてどうするかを考えるべきである。

 

(第一層攻略戦は明日。今頃新たな武器を手にしたところで、すぐに扱える筈がない。そこまで頭が回っていないのか…いや、武器の入手が目的ならば、普通に強化して余りある金がある以上、本来この取引は成立しない。となると狙いは…)

 

アルゴに買い取りの仲介を依頼したプレイヤーの意図について考えを巡らせる中、一つの推測にいきついた。この考えが正しければ、自分の武器を買いたがる理由も説明がつく。

 

「どうする、イタっち。今回も、取引は不成立ってことにするカ?」

 

「いや、取引に応じよう。」

 

イタチの思わぬ返答に、さしもの情報屋アルゴは目を丸くする。相場が一万五千のアニールブレードを、三万九千八百コルで売るというのは確かにお得な取引ではある。だが、それは自らの武器を手放すことと同義であり、極端な話ではあるが、この世界における生命線を切ることにも等しい。

 

「…正気カ?今の武器を手放せば、明日のボス戦で命取りになるかもしれないゾ?」

 

「分かっている。明日の攻略戦には参加するし、武器も用意する。とにかく、依頼人には取引に応じた旨を伝えてくれ。」

 

「…分かっタ。」

 

正気の沙汰かと疑ったアルゴだが、イタチの表情はいつもと同じ無表情で冷徹そのもの。落ち着いて見れば、取引に応じるという選択肢には何か考えがあってのことだと察しはついた。尤も、それが何なのかは流石に分からなかったが。

 

「依頼人も了承したヨ。武器を受け取って、すぐに持ってこいってサ。金の受け渡しはそこでやるそうダ。」

 

「分かった。」

 

アルゴの言葉にイタチは頷くと、メニューウインドウを操作して自身の武器であるアニールブレード(+6)をオブジェクト化する。丈夫さにパラメータを振ったため、通常のものより若干重みのあるそれを、アルゴは若干危なげに受け取ってストレージに納める。

 

「それじゃ、行ってくるヨ。」

 

「ああ。だが、俺はこれから少し用事があって出かける。取引で受け取った金は、明日の朝届けてくれるか?」

 

「分かっタ。それと、もう一つ言い忘れてたヨ。」

 

何だろう、とイタチは疑問に思いながらもアルゴに向き合う。アルゴは若干真面目な表情になると、こう言い放った。

 

「アーちゃんを押し倒すなら、今夜がチャンスだヨ。」

 

「知らん。」

 

真顔で何を言いだすかと思えばこれである。アルゴの性格は分かっているつもりだったが、死闘を明日に控えているこの時に、何故そんなことを考えねばならないのか。もっと他にかける言葉があるのではないかと、イタチは思ってしまう。ちなみにアスナだが、昨日からイタチが取っている部屋に泊まっており、今は既に就寝していた。

仮想世界ではあり得ない頭痛を感じて額に手を当てるイタチを余所に、アルゴは足早にその場を後にした。

 

「………」

 

額に手を当てる指の隙間から、イタチはアルゴの背中をじっと見つめる。本人は自分をからかって満足しているのか、ご機嫌な足取りで街の中心区へと駆けて行く。後ろを確認する素振りがないことを確認したイタチは、

 

「行くか…」

 

小さくなるアルゴの背中を視線の先に捉えつつ、その後を追うべく駆け出すのだった。

 

 

 

アルゴを追って辿り着いたのは、人気の全くない裏路地だった。途中、街中でメールでのやりとりを何度か行い、場所を設定した上で来たのがここである。現在、イタチは裏通りに面する建物の屋根の上に身を潜めていた。

 

(あれが依頼人…か。)

 

アルゴに気付かれないよう、隠蔽スキルを発動してその様子を監視する。気配を遮断しての尾行は、前世の忍世界においては基本的なスキルである。全てが数値化されるデジタルデータの世界におけるイタチの動きは、習得度を50以上底上げして余りある。高レベルの索敵スキルを習得しているプレイヤーでも、イタチを捉えることは不可能に等しい。尾行されているアルゴも気付く気配もない。裏路地を歩き続けるうちに、遂に依頼人らしき男が姿を見せた。

 

(あれは、キバオウか。)

 

じゃらじゃらというスケイルメイル特有の音と共に影から姿を見せた人物には、イタチも見覚えがあった。攻略会議で大暴れした、サボテン頭の関西人プレイヤー。名前の通り会議進行中に噛み付いてきた上、ベータテスターに対しての賠償・謝罪を要求した人物でもある。

 

(成程…道理で俺から武器を取り上げたがるわけだ。)

 

ベータテスター排斥派の筆頭たるキバオウならば、攻略戦に参加するベータテスターから武器を取り上げて戦力を殺ぎたがるのも分かる。だが、問題は彼が、イタチがベータテスターであることを知っていることにある。

 

(アルゴから漏れた可能性は無い…筈だ。)

 

自分のステータスすら売り物にするアルゴだが、ベータテストのことに関する情報は絶対に売らない。デスゲームと化した現在、ベータテスターの個人情報がビギナーの、とりわけキバオウのような排斥派の手に渡れば、確実に吊るし上げを食らうのは目に見えている。唯一の例外が、テスター同士でのやり取りであり、イタチも、生き残っているベータテスターの現状について調べてもらったが、生存者の情報については本人の了承を得た上でやり取りしている。ともあれ、今でさえ危ういビギナーとテスターの関係を悪化させないためにも、ベータテスターの情報が排斥派プレイヤーに露見するのは何としても防がなければならないのだ。にも関わらず、イタチがベータテスターであることがキバオウに知られている。最初の攻略会議の時に自分のところで視線が止まったのは偶然ではなかったのだ。

 

(…他に情報を売った奴がいるのか?)

 

アルゴ以外のベータテスター、そこから情報が漏れた可能性がある。だが、どうにも解せない。イタチがテスターであることを知っていたのならば、あの会議の際に名指しして吊るし上げることもできた筈だ。それをしなかったのは…あるいはできなかったのには、何か事情があるのではないか?

 

(追いかけるか…)

 

イタチが考えを巡らせる間に取引を終えてアルゴとキバオウは背を向けて各々別の方向へと歩き出す。イタチは路地裏を歩くキバオウを見降ろしながら、追跡対象を変えて屋根の上を移動する。

恐らく、今回の買い取りも自分を名指し出来ない理由に絡んでいるものと考えられる。となれば、ここでキバオウを尾行すれば手掛かりを掴める可能性がある。半ば直感に近いが、攻略を明日に控えている以上、この疑問はできることならば解消しておきたい。

イタチは夜闇に紛れながら、キバオウを追う。それはまるで、前世の忍へと戻ったかのように―――

 

 

 

 

 

2022年12月5日

 

ソードアート・オンラインがデスゲームと化してからおよそ一カ月。虜囚と化したプレイヤー達は、遂にこの仮想世界脱出への大きな一歩を踏み出すこととなる。即ち、第一層攻略。迷宮区を二十階まで踏破し、ベータテスト時代のボスの情報公開を皮切りに、満を持して攻略へと踏み切ったのだ。攻略参加メンバーは四十四人。前回の会議から一人も欠けていなかった。

そして攻略組は現在、トールバーナを出て迷宮区へと続く森を行進していた。イタチとアスナは、その最後尾に付いている。

 

「全く…完全に味噌っかすじゃない。これじゃあ、攻略に参加している意味もまるで無いわよ…そう思わない、イタチ君?」

 

「…そうですね。」

 

攻略を前にした前日の会議において、四十四人が七人組のパーティーを続々組む中、イタチとアスナの二人は見事にあぶれてしまった。尤も、イタチの場合はもとよりボス戦への参加に関しては基本的に後方に控え、他のメンバーの援護に徹するつもりだったので、意図的にあぶれたと言っていい。このボス戦で得られる経験値は勿論、ドロップアイテムは相当な戦力になる。イタチは既に安全マージンを倍以上取っているので、経験値もアイテムも他のプレイヤーが多く得られるよう立ちまわるつもりだった。

予想外だったのは、アスナの存在だった。あぶれるのを覚悟でパーティーが組まれるのを傍から見ていたのだが、まさかアスナが残るとは思わなかった。だが、彼女からすると親しい人間のいない中、女性一人というのはあまりにも心細い。リアルで面識のあるイタチと組みたがるのは必然と言えた。

 

「そんなに嫌なら、他のパーティーと組めば良かったじゃないですか?」

 

「仕方ないじゃない。周りがみんなお仲間同士だったんだもん…」

 

二人だけのパーティーとしてイタチとアスナが割り当てられた仕事は、ボスの取り巻きの相手をするE隊の援護だった。ボス戦の邪魔にならないように立ちまわるよう要請されたアスナは、街を出て以降不機嫌に愚痴を口にしていた。それを聞くイタチはやれやれと思いながらも、思考は別のところへ回していた。それは、昨夜のキバオウを尾行した結果として行きついた人物。

 

(恐らく、キバオウに買い取りを依頼したあの人の真意は、ラストアタック・ボーナスの獲得…)

 

アインクラッドの各フロアを守護するボスを倒した時に手に入るドロップアイテムは、大概がその場のみで手に入るユニークアイテムであり、故に性能も一般で手に入るアイテムとは段違いに高い。手に入れたプレイヤーは、必然的にトップクラスに名を連ねることになる。

ベータテスト時代に強豪プレイヤーとして知名度の高かったイタチから主力武器を買い取ることで戦力を殺ぎ、攻略最前線に出られなくすることが目的だったのだろう。そして、イタチを排した最前線でボスを討ち取り、そのドロップアイテムを手に今後の攻略組を引っ張って行く。それが狙いなのだと、イタチは推測する。

だが、イタチにはそんなつもりは毛頭ない。既に情報はもとより、ステータスやスキルにおいても一般のベータテスターを遥かに上回るアドバンテージを手に入れている。ボスドロップに目が眩むようなことはあり得ない。だが、そんな彼に疑惑を向ける人間は他にもいた。

 

「ええか?ジブンらは大人しく、わいらが狩り漏らした雑魚コボルドの相手だけしとれよ。出しゃばった真似など、するんやないで!」

 

前を歩くE隊のリーダーことキバオウがイタチとアスナにそう食ってかかる。最後の方は特に強調し、前線への介入禁止に関して釘をさす。その苛立ち混じりの視線は、主にイタチの、その背に装備されている剣を射ぬいているようだった。それもその筈。現在、攻略に向かうイタチの背には片手用直剣「アニールブレード(+6)」が装備されているのだ。

そう、イタチが持っているアニールブレードは、一本だけではなかったのだ。この世界の生命線たる武器の危機管理に関しては、イタチは非常に慎重に動いている。また、万が一の事態に備えて装備を予め複数用意するのは、生前の忍時代から当然の心得でもあった。そのため、イタチは現在、アニールブレードという武器を五本以上常備しているのだ。

 

アニールブレード獲得クエストにおいて、入手を要するアイテム、それをドロップするモンスター、「花つき」のリトルネペントの出現率は数パーセントに満たないとされているが、実は入手率を四十パーセント近くまで上げる抜け道が存在するのだ。それは、花つきより若干高確率で出現する「実つき」のリトルネペントを攻撃することである。実つきが頭頂に付けている実を攻撃すると、破裂して周囲のリトルネペントを呼び集める煙を発するのだ。ソロで捌ききれない、パーティーを組んでいても全滅必至の数の敵が集まることになるが、同時に花つきのリトルネペントも現れやすくなる。ハイリスクな方法だが、イタチはこれを、プレイヤーの少なくなり、尚且つポップが増える深夜の狩りで行い、五日たらずで引き換えアイテムである「リトルネペントの胚珠」を七つ手に入れることに成功したのだ。壮絶な戦いを経験した忍としての前世を持つイタチだからこそできる文字通りの荒技だった。

そういうわけで、イタチの背には昨日売却したものと同じ強化が施された武器が吊り下げられているのだ。大枚はたいて殺いだ筈の戦力がそこにあるのだから、キバオウが苛立つのも無理はない。

 

「何よ…感じ悪いわね…」

 

「………」

 

キバオウの横柄な態度に、事情を知らないアスナの表情が一層不機嫌なものとなる。イタチはそれ以降も愚痴を垂れるアスナの話を黙って聞き続け、その間に遂に迷宮区最上階へと到達するのだった。

フロアボスの部屋へと通じる扉を前に、レイドパーティーは最終調整に入る。所持アイテム量や、武器の耐久値の確認、当初より予定していた連携の再確認を行っていく。一通り攻略メンバーの準備が完了すると同時に、リーダー・ディアベルが扉を背に皆に向き直る。

 

「聞いてくれみんな。俺から言うことはたった一つだ。」

 

右手の拳を握り、高らかにその言葉を口にする。

 

「勝とうぜ!」

 

その言葉に、レイドを構成する四十三人は一斉に頷いて返す。いよいよ百層あるうちの第一層、攻略の第一歩たるフロアボス攻略戦が始まる。各々のプレイヤーが緊張を胸に、これから始まるボス戦に身構える。イタチもまた、背に吊った武器に手をかけて扉が開かれるのを待っていた。

やがてリーダーであるディアベルの手でフロアボスの待つ部屋への扉が開かれる。それと同時に、六つのパーティーと二人の殿が部屋へと突入する。全員がボスの部屋へと足を踏み入れてからしばらく経ち、部屋の奥にある玉座に座した巨大な影が動きだす。

 

「グルルラァァアアアア!!!」

 

空中で一回転して着地したのは、一目でボスと分かる威圧感を放つ巨大な亜人型モンスター。赤金色の隻眼に、二メートルは優に超える真っ赤な全身。青灰色の毛皮を纏い、右手に骨を削って作った斧、左手には革を張り合わせたバックラーを携えている。その見た目は、何もかもがベータテストのまま。第一層の扉を守護するボスモンスター、「イルファング・ザ・コボルドロード」である。

 

「攻撃、開始!!」

 

ディアベルの掛け声と共に、プレイヤー達は雄叫びを上げてボスの元へと突撃していく。

第一層攻略戦の火蓋が、切って落とされた―――

 



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第十三話 獣人の王

アインクラッド第一層迷宮区最上階にある、フロアボスが守護する巨大な部屋の中。そこでは現在、四十四人のプレイヤー達による攻略戦が熾烈を極めていた。

 

「A隊、C隊、スイッチ!」

 

最前列でボスたるイルファング・ザ・コボルドロードに対峙しながら、レイドのリーダーであるディアベルが指示を飛ばす。

 

「来るぞ!B隊、ブロック!」

 

ボスが繰り出す猛攻に、しかしディアベルの指示通りに動いて対処するプレイヤー達には、開戦当初ほどの焦りは見られない。パーティーメンバーは皆、自分に与えられた役割をこなしながら、ボスのHPを確実に削っていた。

 

「C隊、ガードしつつスイッチの準備…今だ!後退しつつ側面を突く用意!D、E、F隊、センチネルを近づけるな!」

 

最前線でディアベル率いる数パーティーがボスの相手をする中、イタチとアスナが属する後方支援部隊は、取り巻きであるルインコボルド・センチネルの相手をしていた。

 

「キシャァアアッ!!」

 

「ふんっ!」

 

センチネルの一匹がイタチの長斧を振りかざしてイタチへ飛びかかる。だが、イタチは全く動じる素振りを見せず、長斧を回避しつつソードスキル・スラントを発動し、センチネルの鎧へ叩き込む。

 

「アスナさん、スイッチ!」

 

弾き飛ばされるほどの勢いで攻撃を受けたとはいえ、センチネルのHPは未だ全損していない。止めを刺すべく、自分とパーティーを組んでいる相方へと合図を送る。

 

「…ハァッ!!」

 

迷宮区で出会った時に見た物と変わらない、流星の如き剣閃、細剣ソードスキル・リニアーがセンチネルの喉元に炸裂する。急所を穿たれたセンチネルは、今度こそHPを全損し、ポリゴン片を撒き散らして爆散する。

 

(見事な動きだ…)

 

アスナのことは迷宮区で見かけてから、強豪プレイヤーに足る素質を持っていると感じていたが、こうしてパーティーを組んで戦闘をする中で、改めてその能力の高さを実感する。発動するソードスキルには一切の無駄がなく、システムアシストに意図的な身体の動きを加えることで威力・速度を底上げする技術を無意識に身に付けている。アスナとはリアルで面識があるものの、この手の武術に精通しているという話は聞かない。秘めたる戦闘センスは非常に高いとイタチは考えている。

 

(今後の攻略において高い戦力になることは間違いない。だが…)

 

迷宮区で出会った頃から、アスナの精神には危うさも感じていた。ゲーム攻略に挑む意志力はあるものの、この世界で生きることに対して諦観めいたものが見え隠れしている。最初に出会った時に倒れたのも、この世界を脱出するという目標があったわけではなく、ただただ己が燃え尽きるまで戦い続けるという意思によって無茶を重ねた結果だとイタチは考えている。今はリアルで面識のある自分が近くにいるから精神的に安定しているのだろうが、心の支えとなる存在がなければ、彼女は確実に破滅に向かう。

だが、自分は彼女の傍にいることはできない。何故なら、イタチは―――

 

「アテが外れたやろ。ええ気味や。」

 

そこまで考えを巡らせたところで、ふと近くから声がかかる。人を威圧する濁声の関西弁。取り巻きを相手するE隊のリーダー、キバオウである。

 

「…何のことだ?」

 

「ヘタな芝居すなや。こっちはもう知っとんのや。ジブンがこのボス攻略部隊に潜り込んだ動機っちゅうやつをな。」

 

何のことを言っているのかは大体察しがつく。恐らくキバオウは、イタチがボスのLA――ラストアタック目当てでこの攻略に参加していると考えているのだろう。昨夜のアルゴとの交渉に出ていた点から見て、キバオウはイタチがベータテスターであることを知っている。ここで弁明などしても、テスター排斥思考の彼には焼け石に水と分かっていたので、イタチは反論しなかった。

 

「わいは知っとんのや。ちゃーんと聞かされとんのやで…あんたが昔、汚い立ち回りでボスのLA取りまくっとったことをな!」

 

「………」

 

酷い言われ様である。確かにイタチは、ベータテスト時代にフロアボス攻略でどうしても決め手に欠ける場面でラストアタックを仕掛ける役回りを引き受けていたが、攻略は基本的に他のプレイヤーに委ねるスタンスだった。ドロップアイテムに関しても、自分の装備として不必要と判断したものに関してはタダ同然の値段で売り払っていた。少なくともキバオウの言うような汚い立ち回りばかりして他のプレイヤーの顰蹙を買う真似はしていなかった筈だ。

 

(…まあ、目的を考えれば妥当か。)

 

ボスのLAを狙う以上、目的の障害になり得る自分のようなプレイヤーはできる限り前線から遠ざけておきたい。そのためには、キバオウのような排斥派プレイヤーに脚色した情報を流すのは当然のことである。

キバオウの恨み事を背に、イタチはこれ以上の問答に意味は無いと判断し、自分が今パーティーを組んでいるアスナのもとへと駆け寄った。

 

「何を話してたの?」

 

「いえ、特に大したことでは。それよりも、次の敵がきます。そちらへの対処が最優先です。」

 

「…そうね。」

 

街を出発してから自分達に対して非友好的な態度を示していたキバオウとの会話だったので、遠目から様子を見ていたアスナは気になったらしい。イタチは表情には出さずに、大したことはないと言い繕い、次の敵への対処を促した。

 

(ディアベル…)

 

先程と同様、センチネルを相手にソードスキルを繰り出し、武器破壊にて弾き飛ばしながらも、イタチは最前線でコボルド王と戦っているディアベルに視線を移す。昨夜、アルゴと交渉したキバオウを尾行して行き着いた人物――それこそが、現在攻略レイドのリーダーを務めている青髪の騎士こと、ディアベルだったのだ。名前も容姿もベータテスト時代のものではなかったので、当初こそ気付かなかったが、その口調や剣技には覚えがある。彼は間違いなくベータテスターだとイタチは確信した。

そして、ベータテスターだからこそ、攻略最前線に立つ身としてプレイヤー達をまとめ上げ、リーダーとしての戦力に足るアイテムを手に入れようとしていたのだろう。イタチがソロで未踏のエリアに赴き、プレイヤー達に安全に攻略するための情報収集をしていたように、彼はプレイヤー達を統べる者として戦ってきたのだろう。その姿勢は称賛に値するとイタチも認める。だが、だからこそ、その考えが今回の攻略において、同時に命取りになりかねないと、直感していた。

センチネルの相手をする傍らで向けていた視線の先で、コボルド王が両手に装備していた武器を投げ捨てた。腰に装備していた武器の柄に手を掛け、ぼろ布に巻かれた刃を抜き放とうとする。そしてそれと同時に、遂に青髪の騎士が動きだした。

 

「下がれ!俺が出る!」

 

コボルド王を包囲するのは、ディアベル率いるC隊。そして、武器の持ち替えに入るコボルド王の正面に、ディアベルが躍り出る。武器が湾刀ならば、威力は大きくても冷静になれば回避は容易い。ベータテストで一度見ているならば尚更だ。だが、それは飽く迄“湾刀ならば”の話である。抜き放たれた刃は、かつてのベータテストでコボルド王が握っていた湾刀ではなかった。

 

(やはり…か!)

 

ぼろ布が解けて露になった刃を見るや、イタチは目の前で相手をしていたセンチネルを吹き飛ばして、前線パーティーとコボルド王が戦っている場所まで敏捷度を極限までゲインして駆け出す。それと同時に、右手の指を縦に振り、メニューウインドウを呼び出し、あるアイコンをクリックする。

 

 

 

全速力でイタチが向かう先では、コボルド王がベータ版では持たなかった武器を手に、自身を囲むディアベルはじめC隊のパーティーに逆襲を仕掛けていた。

 

「ウグルォォオッ!!」

 

「ぐぁぁああっ!!」

 

武器の持ち替えと共に垂直に飛び上がったコボルド王。空中で身体を逸らし、着地と共にそのエネルギーを周囲に放出するかの如く刃を振るう。水平に三百六十度、コボルド王を取り囲んでいたプレイヤー達を、竜巻の如き剣閃が襲う。発動したのは、カタナ専用ソードスキル、「旋車」―――コボルド王が持ち替えた武器は、「野太刀」だった。

 

「くぅっ…ぁあっ!」

 

当初の攻略の予定ではあり得なかった、コボルド王のイレギュラーな攻撃に、前線で戦っていたパーティー全員に絶対零度の緊張が走る。無理もない。攻略本でも知らされていなかったソードスキルが発動し、あまつさえレイドのリーダーがその攻撃に倒れているのだから。旋車の効果は、周囲への重攻撃に止まらない。受けた相手を十秒程度のスタン状態に陥れるのだ。

 

「ウグルゥゥァァアッッ!!」

 

そして、コボルド王の連撃は続く。標的になっているのは、コボルド王のLAを取るべく真正面に躍り出ていたディアベル。その行為が仇となり、コボルド王の刃が捌け口となったのだ。

 

(くっ…拙い!!)

 

ベータテストに参加していたディアベルは、コボルド王が繰り出そうとしている技を知っていた。アインクラッド第十層の迷宮区を守護するサムライ型モンスターが使っていたソードスキル。コンボ開始技である、斬り上げて相手を宙に浮かせる「浮舟」、そしてそれに続いて繰り出される三連撃の「緋扇」。今の状態で初撃から食らえば、HP全損は免れない。スタンしている状態では回避も儘ならない。ディアベルは自身の死を直感し静かに目を閉じようとした………その時だった。

 

「えっ…?」

 

突然、ドンッと横から自分の身体が押し退けられる衝撃が走る。ボスのカタナは未だ自分を直撃していないし、そもそも衝撃の出元は真横だ。何が起こったのか、それを考える前に、ディアベルの身体は地面を転がり、浮舟の軌道を外れた。代わりに先程までディアベルがいた場所に立っていたのは、黒髪に黒服の少年――イタチだった。

 

「はぁっ!!」

 

イタチが持つ片手剣、アニールブレードが光を放つ。発動せんとするソードスキルは、垂直斬りのバーチカル。やや腰をおとした前傾姿勢で繰り出されたソードスキルは、コボルド王が放った浮舟と衝突、派手な火花を散らした。

 

「イタチ君!」

 

咄嗟にディアベルは、自分を庇ってボスの攻撃を受けた少年の名前を叫んだ。イタチはソードスキル同士の衝撃でダメージはなかったものの、宙に放り出されてしまっていた。

 

「ウグルァアッ!!」

 

そして、コボルド王の連撃は続く。上下三連撃、緋扇の発動である。空中にいる相手は避ける術は無く、まともに食らえばHP全損は免れない。だが、イタチは身動きのとれない空中でそんな技を前にしても、全く動じた様子を見せなかった。

 

「せいっ!!」

 

一撃目、コボルド王が上から振り下ろす野太刀がイタチに迫る。イタチは空中で身を反らし、飛ばされた勢いに乗せて右手に握った剣を振るう。すると、イタチの振るうアニールブレードがライトエフェクトを放ちながらコボルド王の野太刀と激突、再び激しい火花を散らしながらイタチの身体が飛ばされる。

 

「ウグルォォオッ!!」

 

「はっ!!」

 

二撃目。今度は野太刀が下段からイタチに迫る。初撃の上段斬り同様、眼にも止まらぬ速さのそれを、しかしまたしてもイタチは飛ばされた勢いに任せて身体を回転させ、ライトエフェクトを伴う斬撃をもって対抗する。二度目の激突を経て、イタチの身体は再び宙を舞う。

 

「ウグルォォオオッッ!!」

 

「…ふっ!!」

 

三撃目。野太刀から放たれるソードスキル、緋扇における最後の一振り。イタチの正面目掛けて繰り出される斬撃を、イタチは先の攻撃によって生じた衝撃を利用して空中で体勢を整え、一・二撃目同様にライトエフェクトが走る刃をもって野太刀を防ぎきる。

 

(上手くいったか…)

 

コボルド王が発動したソードスキルを防ぐのにイタチが使ったのは、ソードスキル。初撃の浮舟を垂直斬りのバーチカル、緋扇の一撃目を斜め斬りのスラント、二撃目を水平斬りのホリゾンタル、三撃目を一撃目同様スラントで迎撃したのだ。ソードアート・オンライン――SAOにおいて、ソードスキルは必殺技として設定されている強力な攻撃であり、それ故に発動後には身動きができなくなる冷却時間というものが生じる。技によってその長さは異なるが、単発型のソードスキルでも硬直が解けるのには数秒を要する。だが、このソードスキルにおける硬直を一時的に無効化する、抜け道ならぬ「裏技」をイタチは見つけ出したのだ。

それは、ソードスキルの「上書き」――一つのソードスキルを発動した後、続けざまに別のソードスキルのモーションに入り、それを発動することで、前に発動したソードスキルの硬直を一時的に無効化することができるのだ。ソードスキルの技後硬直は発動後すぐに訪れるので、通常この裏技は使用不能とされているが、イタチは今回、「空中」に飛ばされていたのだ。地面から足が離れ、尚且つコボルド王との技のぶつかり合いで凄まじい衝撃が走っていたその状況を、イタチは利用した。衝撃による勢いを借りて僅かばかり手足を動かすことで、硬直寸前の身体の体勢を整えてソードスキルのプレモーションを形成し、これを発動。コボルド王が振るう野太刀の迎撃に成功したのだ。

言うのは簡単だが、常人には決して真似できる技ではない。空中でのソードスキル発動は、動きが不安定になるためシステムが開始モーションを認識できないことが多いのだ。それに、衝撃で弾き飛ばされた状態から体勢を整え、発動するソードスキルが目標に命中するよう調整することなど、アクロバットを得意とする曲芸師や体操選手でも不可能に近い。忍者として激戦に身を投じた前世を持つイタチだからこそできる、文字通りの離れ業なのだ。

 

「イタチ君!」

 

「大丈夫か!?」

 

二十メートル近く吹き飛ばされながらも、地面をスライディングしながら着地に成功したイタチ。そこへ、イタチの現パーティーメンバーのアスナや、先日の攻略会議でキバオウに意見申し立てた斧戦士エギル率いるパーティーが駆け寄ってくる。イタチの援護のために来たのであろう彼等を、しかしイタチは

 

「来るな!!」

 

その一言で制する。イタチの鋭い一声に、援護に駆けつけようとしていたパーティーメンバーが立ち止まる。呆気に取られるパーティーに、しかしイタチは振り返らずに言葉を続ける。

 

「ボスは後ろまで囲むと全方位攻撃がくる!!奴の相手は、タゲを取っている俺がやる!」

 

未だコボルド王は、仕留め切れなかったイタチを睨みつけている。タゲはまだ移動しておらず、今後まだイタチを狙い続けるのだろう。イタチはコボルド王の様子を確認しながら、援護しようとしていたメンバーに指示を飛ばす。

 

「俺は一人で大丈夫だ!みんなは、さっきの攻撃で瓦解したC隊メンバーの救援に向かってくれ!」

 

イタチの言葉に、コボルド王の後ろ側でボスから受けた攻撃に未だ浮足立っていた、ディアベルはじめとしたC隊メンバーに視線を移す一同。確かに、先程の広範囲攻撃でダメージを負っている者が多く、回復が必要であろうことが窺える。

 

「イタチ君!で、でも…」

 

他のメンバーがボスたるコボルド王を避けながら、C隊の救援に駆けつける中、アスナだけはこのままイタチを置いて行っていいのかと逡巡していた。先程の攻撃は見事防いでみせたが、情報にない野太刀を手に持ったコボルド王をイタチだけに相手させるのは不安だった。

 

「お嬢ちゃん、ここはアイツに任せよう。」

 

「あっ…イ、イタチ君!」

 

イタチの援護を行うべきかと迷うアスナを、斧戦士エギルが腕を引いて連れて行く。ボスが情報にない野太刀という武器を抜き放ち、さらにその武器で発動したソードスキルによって、レイドのリーダーを務めるディアベル率いるC隊がボスの攻撃に倒れてしまった今、攻略に参加しているプレイヤーのほとんどがどう動くべきかと戸惑っている。まともに動けているのは壁役だったエギルのパーティー程度で、味噌っかす扱いだったアスナの手も借りたいほどなのだろう。残りのパーティーは援護するべきか待機するべきかと迷っている様子だった。

 

(やはり、ここは俺がやるしかないか…)

 

本当ならば、ボスのLAを取るつもりなどなかった。しかし、予想外の事態に直面したプレイヤー達は撤退か戦闘続行かという事態に混乱している。ディアベルが立ち上がれば、レイドの体勢を立て直してボスを倒すところまで持ちこめるかもしれないが、それを待っている余裕はない。今回のボス攻略に失敗すれば、次にレイドが組めるのはいつになるか分からない。ディアベルの意向次第だが、レイドメンバーのメンタルを考慮して撤退を選択する可能性もあり得る。第一層ですら一カ月かかったのだ。このままでは、アインクラッド完全攻略は遠のくばかりだ。

 

(これはまだ始まりに過ぎない。ならば…戦う以外に選択肢はない!)

 

手に持つアニールブレードに力を入れるイタチ。第一層のフロアボス、獣人の王ことイルファング・ザ・コボルドロードとの一対一による決戦が、幕を開ける。

 



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第十四話 ビーター

いつも、「ソードーアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-」をお読みいただき、ありがとうございます。大変申し訳ありませんが、作者である私、鈴神のリアルが凄まじく忙しくなるため、今後の投稿ペースは不定期化する予定です。具体的には、月に二回、もしくは一回が限度になる恐れがあります。それでも読んでくれる方がいる限り、合間を縫って執筆できればと思っておりますので、今後ともよろしくお願いします。


「ウグルォォオオ!!」

 

本来の標的であったディアベルへの攻撃を、突如横槍を入れてきたイタチによって全て防がれたコボルド王は、怒り心頭といった様子で咆哮していた。イタチは自身を標的としている獣人の王と相対しても、全く動じることなく剣を構える。

 

(…来る!)

 

コボルド王が動きだすより早く、イタチは駆け出す。その動きに反応するように、コボルド王も野太刀を構えてイタチのもとへと突進する。両者が交錯する直前の間合いにて、野太刀がぎらりと閃き、カタナ系ソードスキル、「辻風」が発動する。居合い系の技であるため、通常は発動を見てからでは反応が間に合わない。通常、では…

 

「グルォオオオ…!?」

 

コボルド王が必中を期して繰り出したソードスキルは、しかし空を切るに終わった。本来ならば、上下半身に両断せんとする勢いで放たれたそれは、イタチに直撃する筈だった。しかし、コボルド王の標的は発動と同時に消えている。ならば、今はどこに…

 

「はぁぁああっ!!」

 

「グルゥッ!?」

 

コボルド王がその姿を捉える前に、その一撃は掛け声と共に振り下ろされた。声の発生源は、コボルド王の頭上。イタチは辻風の発動を上空へ跳躍することで紙一重で回避したのだ。そして、コボルド王が、そのAIが頭上の影を視認する前に、刃の如き鋭く青き閃光が垂直に迸る。垂直斬りソードスキル、「バーチカル」である。残り少なかったコボルド王のHPがさらに削られた点からして、ただのバーチカルではない。ソードスキルのシステムアシストに意図的な身体の動きを加えたことによる威力増強が為された一撃である。

 

「グルゥゥウウウ…!!」

 

(やはり、まだ足りんか…)

 

脳天から正中線をなぞるように繰り出された斬撃に、前のめりによろめくコボルド王。イタチは技後硬直が始まる前に横側へと飛び込み、距離を取っていた。だが、未だ目の前のボスが倒れる気配を見せない。

 

(止むを得ん…一気に仕掛けて仕留めるか…)

 

このまま膠着が続けば、ボスドロップを狙うディアベルや、ベータテスターである自分を良く思わないキバオウあたりが介入して乱戦になる可能性もある。HP残量が少ない今のコボルド王は、攻撃力も敏捷度もこれまでより上昇している。犠牲者が出るリスクを無くしてこの場を乗り切るには、自分が迅速に倒すほかない。

 

(まずは武器、か…)

 

そう考えたイタチは、剣を左手に持ち替えて、ウインドウを出してあるショートカット・アイコンをクリックする。すると、イタチが先程まで持っていたアニールブレードは消え、新たなアニールブレードが装備される。イタチは新たに右手に持った武器を地面に突き立て、再びウインドウを呼び出し、ショートカット・アイコンをクリックする。すると、今度は左手に新たなアニールブレードが装備された。

片手用武器のスキルMod、「クイックチェンジ」による武装交換を行ったのだ。通常ならばウインドウを開くところから手間のかかる武器交換を、予め設定しておいたショートカット・アイコンを利用することで、慣れればコンマ五秒程度で行える補助スキルである。

イタチがコボルド王のカタナスキル迎撃に使用していたのは、耐久値消耗対策のために用意していた、強化は丈夫さに4、鋭さに2割り振ったアニールブレードである。対して、新たに取り出したアニールブレードは、速さに3、鋭さに3割り振っている。攻撃に特化した軽量型のアニールブレードだが、ボスの武器と打ち合おうものならば、五回程度で破損しかねない強度である。そして、武器の破損は即ちプレイヤーの死に直結する。まさに諸刃の剣だが、イタチはこれ以上コボルド王と技のぶつかり合いなどする気は毛頭なかった。

 

(行くぞ……!)

 

イタチは両手にアニールブレードを持つと、目の前のコボルド王目掛けて一気に駆け出す。そして、先のバーチカルの一撃から立ち直ったばかりのコボルド王の真横をイタチの右手に持ったアニールブレードから発せられた青いライトエフェクトが一閃する。だが、それで終わりではない。今度はイタチの左手に持ったアニールブレードが、新たな光芒を描いたのだ。

 

「ウグルォォオオ!!」

 

コボルド王は自身に刃を向ける何者かを捉えようとするが、その姿は視認すらままならない。相手を探す間に、あらゆる方向から光の斬撃が繰り出される。光は目にも止まらぬ速さでコボルド王を中心に駆け廻り、それを繰り出す人間は姿すら見えない。

明らかにステータスに準拠したものから逸脱した移動速度。明らかにソードスキルのシステムアシストを利用しての加速である。だが、本来ある筈の技後硬直が無効化されている。何故そんなことができるのか?

その仕組みは、先の空中で行ったのと同じく、技後硬直の上書き。だが、全く異なる方法でイタチはこれを実現している。一つのソードスキルが終わるごとに、もう片方の手に持った武器に意識を切り替え、立て続けにソードスキルを発動しているのだ。その後も右手から左手へ、左手から右手への武器の持ち替えを繰り返し、技後硬直を上書きし続けている。技後硬直無効化のシステム外スキル――「スキルコネクト」である。左右の腕に持つ武器への意識の切り替えによるソードスキルを連発―――原理としては簡単だが、並みの技術ではない。そもそも、SAOのシステム上、片手持ちの武器は基本的に左右どちらかの手にしか装備できず、両手に一本ずつ持てば、イレギュラー装備状態と見なされてソードスキルの発動が阻害されてしまうのだ。ソードスキルの性質を熟知し非攻撃側の腕の動きを、後続のソードスキル発動のために調節し、コンマ一秒以下のタイミングで精密な動きができなければ実現できない技術である。しかも、ただ連発するだけでなく、ソードスキルによる動きを利用して、斬り込みと同時に敵の攻撃が届かない死角へと潜り込むなど、敵の動きに合わせてソードスキルを繋げているのだ。

超人的な動体視力と忍として壮絶な戦いに身を投じてきた前世を持ち、SAO制作スタッフとしてソードスキルを熟知しただけではできない…月読という精神世界での活動経験を、仮想世界への順応化に活かすことができたイタチだからこそできる超絶的な離れ業である。

 

(このまま…終わらせる!)

 

HP残量がレッドゾーンで残り僅かのコボルド王だが、なかなか倒れない。だが、イタチは止まらない。止まった時には、ソードスキルの技後硬直がイタチの身体を襲い、長いディレイに固められ、コボルド王の一撃を貰う可能性が高い。

今後のプレイヤー達の命運を左右する第一層攻略戦。何としても犠牲者ゼロで成功させなくてはならない。情報にないボスの行動に攻略組が浮足立っている以上、イタチが仕留めるほかに道はない。

 

「す、すげえ…」

 

「ま、まるで見えねえ!」

 

「行けー!そのままやっちまえ!!」

 

「やったれ小僧!!」

 

目にも止まらぬ速さで繰り出されるイタチの剣戟に、周囲にいたプレイヤー達は息を呑む。為す術なく残り少ないHPを削られていくコボルド王の姿を目にした一部のプレイヤー達は、勝利は目前と意識し、イタチに声援を送り始める。

 

「何て動きだ…」

 

「イタチ君…」

 

作戦を指揮していたディアベルですら、イタチの動きを前に驚愕し、固まっている。アスナに至っては、パーティーメンバーとして、またリアルでの知人としてイタチのことを心配していたが、同時にその勇姿に見入っていた。

 

(これで…終わりだ!!)

 

「グルゥゥオォオオオ!!」

 

イタチの猛攻の前に、コボルド王のHPは遂に数ドットにまで減らされた。止めを刺すべく、イタチは渾身の力を込めた一撃を繰り出す。コボルド王を肩からV字型の軌跡を描いて引き裂いた剣戟の名は、「バーチカル・アーク」。現在イタチが習得している中で最も威力のあるソードスキルである。コボルド王はその一撃に遂にHPを全て削り取られた。

 

「ウグルァァァアアア…アア!!」

 

断末魔の方向と共に、コボルド王の全身に無数の亀裂が走る。やがて亀裂はコボルド王の全身を包みこむと、光と共に大量のポリゴン片を撒き散らして四散。第一層フロアボス、イルファング・ザ・コボルドロードはここに消滅した。

 

『Congratulation!!』

 

空中にボス攻略を制したプレイヤー達を祝福するメッセージが浮かび上がる。同時に、参加していた全プレイヤーに経験値加算や分配されたコル、ドロップアイテムを表示するウインドウがポップし、皆が歓喜の雄叫びを上げる。犠牲者ゼロで戦いを乗り越えられた達成感に皆が安堵していた。

 

「お疲れ様。」

 

そんな中、アスナは今回のボス攻略最後の要となったイタチに労いの声をかける。イタチは戦いが終わった後でも大して喜びを表に出すこともなく、アスナの方に向き直る。

 

「そちらこそ、見事な戦いでしたよ。」

 

イタチもイタチでアスナを称賛する。取り巻きのセンチネル相手で花のない戦いだったが、第一戦級の実力を発揮したのは確かだったからだ。そんな二人のもとへ、新たな人物が歩み寄る。

 

「見事な剣技だった……まさか、あんな隠し玉を持っていたとはな。コングラチュレーション、この勝利はあんたのものだ。」

 

見事な発音で、先程空中に出たのと同じ英語で祝福の言葉をかけてきたのは、レイドの壁役のリーダーにして、先の攻略会議でキバオウに意見したことで知られる巨漢の斧使い、エギルだった。

 

「俺一人の力じゃありませんよ。この勝利は、皆で掴んだ…」

 

エギルの言葉に対し、この勝利は自分一人ではなく、皆で掴んだものだと言おうとした、その時だった。

 

「…なんでや!!」

 

突如部屋の後方から放たれた言葉に、浮かれていたプレイヤー全員が沈黙する。声の出所は、E隊のリーダーことキバオウだった。ボスを倒して戦いを制したにも関わらず、彼だけはこの勝利に全く納得していない様子だった。

 

「なんでジブンはボスの使う技知っとったのに、黙っとったんや!?」

 

「…どういう事だ?」

 

キバオウの投げかけた言葉に問い返したのは、問いかけられたイタチではなく、近くにいたエギルだった。キバオウは憎々しげにイタチを睨みながら、尚も続けた。

 

「しらばっくれるなや!ジブンはボスの使うワザ知っとったから、ディアベルはんを押し退けて前に出たんやろうが!!…ディアベルはんを庇って誤魔化したつもりでもワイは騙されへんぞ!」

 

キバオウの言葉に、周囲は先程の歓喜に満ちた空気から一変、その言葉の意味を一人、また一人と悟るに至り、どよめきだす。そしてキバオウは、イタチに人差し指を突きつけて決定的な一言を口にする。

 

「ワイは知っとんのや!ジブンがベータテスターだっちゅうことをな!!」

 

ベータテスター、その単語が出た瞬間、周囲に衝撃が走った。先日の会議においてキバオウが唱えたベータテスター排斥論によって、攻略組含め多くのプレイヤーがベータテスターに嫌悪感を抱き始めている。このままキバオウに発言を許せば、また魔女狩りよろしくベータテスター排斥が始まるかもしれない。

 

「そうか……だから、剣を両手に持った状態でソードスキルが使えたんだ!」

 

「きっと、ベータテスターだけが知ってる裏技だ!他にも色々情報を隠し持ってるに違いない!」

 

常人では決して真似できない離れ業を披露した後である。イタチがベータテスターであることは、この場にいる誰もが疑わない。そして、規格外の戦闘能力を見せてしまったがために、ベータテスターがまだ強力な裏技を独占しているのではという疑惑が増している。

 

「だが、昨日配布された攻略本に、ボスの攻撃パターンは飽く迄ベータ時代の情報だと書いてあった筈だ。こいつがベータテスターだとしても、情報に関しては、本に載っているものと変わりない筈だが?」

 

エギルの発言は正しい。だが、この攻略本作成に携わったイタチとアルゴは、ベータテストとの変更点を予測していた。特に、ボスが湾刀以外の武器を持ち出すことに関しては配布前日まで論議し、野太刀を取り出す可能性にも至っていたのだ。

しかし、二人は話し合いの結果、攻略本には変更の可能性を示唆して注意を促すだけに止めた。第一層攻略を直前にして、余計な情報を流せば混乱が生じかねないため、それ以上の情報は敢えて載せなかったのだ。その代わり、重ね重ね武器変更には注意を促す文句を連ねていたのだが、その努力もディアベルがLAを取りに行ってしまった所為で水泡と帰してしまった。

 

「いや、きっとあの攻略本が嘘だったんだ!あいつ…アルゴって奴も、やっぱりベータテスターだ!タダで本当の情報を教えるわけがない!俺達はあいつに騙されていたんだ!」

 

エギルのフォローも空しく、キバオウのパーティーのメンバーがアルゴの情報を否定したことで糾弾の矛先はイタチのみならずベータテスター全員に広がってしまった。このままでは、攻略組はベータテスターとビギナーに分かれて敵対してしまう。イタチやアルゴが恐れた展開が、一歩手前まで迫っているのだ。

 

「………」

 

アスナやエギルがイタチに代わって弁明を行っているが、全く効果は無い。ディアベルも落ち着くように促しているが、収拾はつきそうにない。そんな状況の中、イタチは周囲のプレイヤーの様子を見て冷静に思考を走らせる。第一層のボスを倒したにも関わらず、事態は最悪な方向へ進んでいる。このまま放置していれば、せっかく開けた攻略への道も閉ざされてしまう。だが、それを打開する手立てをイタチは知っていた…

 

(馬鹿は死んでも治らない、か…)

 

 

 

このような状況自体、イタチには見覚えがある。

前世の忍世界において、うちは一族と木の葉隠れの里とは密かに対立していた。対立は時代を経るごとに激化し、遂に一族の行く末を案じたイタチの父親は、里に対してクーデターを仕掛けようとするに至った。もしクーデターが決行されてしまえば、忍世界のパワーバランスの崩壊と共に、木の葉隠れの里は滅亡し、新たな戦乱の世が具現することは間違い無かった。そして、それを止めるべくイタチが取った決断―――それは、イタチの手によるうちは一族の虐殺。同時に、イタチはただ一人の弟を生かし、その悲しみと怒りの矛先を自分に向けさせることで、一族の名誉を守ろうとした。だが、その目論見は自分の死後に崩壊した。弟は復讐鬼となり、自分をはじめ一族の仇を討つべく動きだした。

後にイタチは、そのような結果に至った原因を、自分一人で全てを背負おうとしたこと、そして弟を守るべき存在としてしか見ようとせず、その強さを信じようとしなかったことにあったと結論付けた。

そして現在、イタチは再び決断を迫られていた。“前世の焼き直し”をするか否かの…

 

(ナルト、やっぱり俺はお前のようにはなれないのかもしれんな…)

 

どれだけ残酷な真実を突きつけられようと、絶対に諦めるという選択をしなかった、弟の親友を思い出し、イタチは自嘲した。二度目の死の前に出会った、本当の強さを持っている少年――うずまきナルトの姿を。

 

 

 

イタチの目の前では、未だにプレイヤー達が混乱の中にあった。フロアボスを倒した今、本当の敵を排除せんと激しい言い合いが繰り広げられている。キバオウが、ディアベルが、エギルが、アスナが…様々なプレイヤー達の思いが交錯する中、それは起こった。

 

「くくく…」

 

突如部屋の片隅から漏れる、静かで、しかし仄暗く不気味な笑い声。何が可笑しいのか分からないが、必死に押し殺そうとしているようでまるで押し殺せていない、そんな笑い声だった。声のボリュームは徐々に大きくなり、遂には部屋全体に響き渡った。

 

「ふはははははははははははははっっ!!!」

 

声の出所はほかでもない、今回のボス攻略で止めを刺した男――イタチだった。一通り笑って気が済んだようで、イタチは攻略に参加したプレイヤー達に向き直る。先程までとは打って変わり、常軌を逸した空気を纏ったイタチの姿にその場にいた人間全員が気圧される。

 

「ベータテスターだと?笑わせてくれる。」

 

「な、何やと!?」

 

不敵な笑いを浮かべながら話すイタチの言葉に、皆固唾を呑んで聞き入っていた。

 

「お前達は大きな勘違いをしている。俺があんな素人同然の連中と同格の存在だとでも思っていたのか?」

 

「ど、どういうことだよ!?」

 

キバオウのE隊所属の人間が問いかえす。イタチは彼を含め動揺と不安に駆られる人間全員の顔に対して嗜虐的な笑みを浮かべて続けた。

 

「SAOのベータテストに当選した千人は、ほとんどがレベリングのやり方も知らない、完全な初心者だった。このゲームの規格に適応して実力を付けたプレイヤーはほんの一握りだった。そして、ベータテスターと俺では、決定的な格の違いが存在する…そう、スタート地点が違うのだ。」

 

その言葉の意味を、この場に居る誰もが理解できなかった。ただ、イタチの口からでる言葉がハッタリの類で無いことだけは、本能的に理解できた。

 

「お前達は知らないだろうが、このソードアート・オンラインというゲームを成り立たせているソードスキルという剣技…これは、ゲーム制作者の茅場晶彦一人の手で作られたものではない。身体を動かす事で仮想世界を体感するゲームである以上、ゼロからシステムを設計するのには無理がある。元となる動き…そのデータを蒐集しなくては、ソードスキルは作り出せない。そこでゲームデザイナーの茅場晶彦は、ベータテストよりも前に、武術の専門家を集めて仮想世界にてモーションキャプチャーテストを行い、動作のデータを蒐集することを計画した。」

 

イタチの口から発せられたのは、ベータテストよりも前、ソードアート・オンラインというゲーム制作における裏話と呼べるものだった。しかし、何故一介のベータテスターでしかない――そう考えていた――少年が、そんな事情に精通しているのだろう。話を聞いていた誰もが思った疑問に、しかし答えたのはやはりイタチだった。

 

「茅場晶彦がこの世界を作り出した創造者だとするのならば、データ蒐集に協力した者達は、この世界の要たるソードスキルの生みの親と言っていいだろう。データ蒐集に協力した彼等は、代価としてベータテストの参加権を入手した。」

 

「ま、まさか…!!」

 

「お前が…!!」

 

そこまで説明を聞いていれば、イタチの言わんとしていることは理解できる。皆が驚愕に目を見開き、イタチを見つめる。イタチは口の端を釣り上げ、嘲笑と共にその先を口にした。

 

「俺はソードスキル制作に協力したことでベータテスト参加権を手に入れた!!そして、誰も到達できなかったベータテストの高みへと俺は登ったのだ!!ボスが使った刀スキルは、ベータテスト以前から知っていたことだ!!俺はソードスキルの全てを知っている!!アルゴなど…ベータテストの情報など問題にならないほどにな!!!」

 

イタチが大声で放ったその言葉に、その場にいたプレイヤー全員に衝撃が走る。ベータテスターだと思っていた少年が、自分達の想像を超える、この世界の情報を誰よりも持っている存在であると言ったのだ。先の戦闘における二刀流のことも相まって、誰も否定の言葉を上げることができない。聞いていたプレイヤー達は驚愕に掠れた声で騒ぎ始める。

 

「な、なんだよそれ…そんな、そんなの…」

 

「もう、ベータテスターなんて次元じゃねえ…」

 

「チートや!!チーターやん、そんなの!!」

 

「ベータテスターのチーター…だから、ビーターだ………!」

 

誰が口にしたのか分からない、「ベータテスター」にズルをする人間を意味する「チーター」という言葉を掛け合わせた造語…「ビーター」。それを耳にしたイタチは、笑みを深めて肯定する。

 

「ビーター…成程、良い呼び名だな。そうだ、俺はビーターだ。これからはベータテスター如きと一緒にしないでもらおうか。」

 

そう言い放つ間に、イタチはメニューウインドウを呼び出し、装備フィギュアを操作して先程のボスのLAを取った事で手に入れたユニークアイテムを設定する。一瞬の光と共に、膝下まで裾の伸びた黒い革のコートがイタチに装備される。

 

(コート・オブ・ミッドナイト…か。)

 

直訳すると、「真夜中のコート」である。イタチが前世に所属した組織、暁でも黒地に赤雲の模様の入ったコートを身に纏っていたが、このコートも上から下まで黒ずくめ。裏切り者の烙印を自らに押した後に羽織るのがこの服である。前世の焼き直しとしか言えない自らの状況に、イタチは不安を覚えていた。

 

(だが、これで良いんだ…)

 

ビーターとして君臨することで、ほとんどのプレイヤー達の怒りや憎しみの矛先は自分に向けられる筈だ。これでベータテスターが目の敵にされることは少なくなり、ゲームクリアへ向けてのプレイヤー達の団結は維持される筈。

代償としてイタチはこれから先、ずっとソロで戦い続けることを強いられるだろうが、本人としては望むところだった。ゲーム制作に協力した自分は、茅場晶彦の共犯同然。この程度の重荷ならば、喜んで引き受けようと考えていたのだ。

 

(もはや…宿命なのかもしれんな。)

 

自己犠牲をもって他の人間を守ろうとする、前世と何一つ変わらない自身の意思に、イタチは己自身に諦観する。前世の失敗を活かせていない自分には、破滅の道しか残されていないのかと思えてしまう。

何一つ変えられない己の無力さに打ちひしがれながらも、イタチは第二層へと続く扉目指して歩きだす。そして、部屋の奥にあった階段を上り切ろうとしたところで…

 

「待って!」

 

突然、後ろから声を掛けられた。誰なのかは、想像できていた。背後に視線をやったイタチの目に移ったのは、自身とパーティーを組んでいたレイピア使いの美少女、アスナだった。

 

「イタチ君、私は…」

 

「あなたとは、ここまでですね。」

 

アスナが何かを言おうとしていたところで、イタチは決別の言葉を口にした。アスナは驚愕に目を見開き、抗議する。

 

「そんな!私は、譬えあなたがベータテスターだったとしても、あなたが利己的なだけの人間だなんて思わない!皆があなたを排除しようとするなら、私が」

 

「余計なお世話です。」

 

アスナは恐らく、イタチを庇うつもりだったのだろう。ビーターと呼ばれる蔑称を背負うことで、プレイヤー達の憎悪を一身に受けて攻略を続けるイタチを。また、本人は自身で気付いていないだろうが、この現実から隔離された世界の中で、リアルも知り合いであるイタチを心の拠り所としたかったのかもしれない。しかし、そんな彼女の思いを、イタチは現実世界でそうしたように、一言で切って捨てる。

 

「あなたはこちら側に来るべきではない。全て自分で決めたことです。同情も憐れみも不要…この世界においても、俺はあなたの助けなど求めてはいないんですよ。」

 

「そんな…私はそんなつもりじゃ…」

 

イタチこと和人のことを理解するために、そして彼にもっと近づけるようにするためにこの世界まで来た筈なのに、これでは現実世界と何も変わらない。このままではいけない、このまま黙っていてはいけない、このまま見ているだけではいけない…そう思っていても、アスナはどうしてもその先へ踏み込む勇気を持てなかった。

 

「…あなたは、強くなる。きっと、俺よりも今後の攻略には欠かせない存在となる筈です。だから、いつか信頼できる人にギルドに誘われたら、断らないことです。俺と同じようにソロプレイを通すことは、絶対に不可能ですから。」

 

「なら…あなたはどうなの?」

 

アスナの問いかけに、しかしイタチは何も答えずに階段を上っていった。実際には、「答えなかった」のではなく、「答えられなかった」と言う方が正しい。前世と同じ道を辿り続ける自分が、果たしてこのまま進み続けるべきなのか、イタチにはその答えがすぐには出せなかった。

 

(ナルト、シスイ…お前たちなら、どうしていたんだろうな?)

 

自分が今最も知りたい答えを知っているであろう二人の名前を心の中で唱え、返る答えなき問いを投げかける。自身がどうあるべきかの答えは分からないまま、イタチは今はただ目指すべき場所へと続く第一の関門である、アインクラッド第一層の扉を開くのだった―――

 




ソードスキルに関する設定ですが、原作のアインクラッドでは、両手に武器を持つとイレギュラー装備として認識され、ソードスキルが発動“できない”とされていましたが、本作品では“阻害されてしまう”という設定にしております。故に、スキルコネクトは発動可能な仕様となっています。


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赤鼻のトナカイ
第十五話 クォーターポイント


今後の更新ですが、月に一回から二回となります。非常にスローペースとなりますが、よろしくお願いします。
また、今話では少年サンデー、少年マガジンを読んだことのある人なら一度は聞いたことのあるプレイヤーネームが登場しますが、彼らもまた、本人ではありません。


2023年5月23日

 

アインクラッド攻略の現在の最前線は、第二十五層。デスゲーム開始宣言から半年の時間が流れた果てに、ようやくクォーターポイントに辿り着いたのだ。そして現在、イタチ含めた攻略組と呼ばれるトッププレイヤー達は、主街区の宿屋にある広めの部屋を利用して、恒例の攻略会議を開いていた。

 

「こちらが、先遣隊が突入して手に入れた、第二十五層のフロアボス、『ザ・ツインヘッド・タイタン』の情報です。」

 

攻略ギルドの一角である『血盟騎士団』のメンバー、インテリ系のメガネマン、ケイマが眼鏡をかけ直すと、記録結晶と呼ばれる映像を記録する機能を持つアイテムを手に説明を始める。結晶型のアイテムから映写機のように壁のスクリーンに映し出された映像には、この二十五層の迷宮区を守護するフロアボスの姿が現れていた。

十数メートルはあろう巨躯で、両手には身体に見合った巨大な大剣が握られている。名前の通り、二つの頭が生えており、右の頭は赤い眼、左の頭は青い眼をしている。全身を覆う皮膚はごつごつとした岩肌を彷彿させる、巨人と言うよりゴーレムという表現が似合う出で立ちだった。

 

「デカい…!」

 

「これが、今回の相手…!」

 

過去最大の巨体を持つフロアボスの登場に、歴戦のメンバー達は戦々恐々としている。フロアボスのような強力なモンスターとの戦闘を続けていると、姿形を見ただけでその強さを本能的に察知することができるようになる。映像の中で双頭の巨人が先遣隊の壁メンバーに大剣を振り下ろすあたりにさしかかって、ケイマが説明を続ける。

 

「今回の先遣隊のタンクプレイヤーの情報によれば、この一撃で全快だったHPはイエローゾーンを超えて、レッドゾーン寸前まで削られたとのことです。」

 

ケイマの事務的な口調の説明に、会議に集まったプレイヤー達はどよめく。フロアボスの情報を集め、攻略時には文字通り壁となるタンクプレイヤーは、防御力に重きを置いた装備とステータスである。それが一撃でHPを半分以上削られたのだ。ダメージディーラーであるスピードタイプのプレイヤーが食らえば、即死は免れないだろう。

 

「さらに、ボスの防御は見た目通り堅牢で、通常のソードスキルを十発ほど当てても数ドット程度しか削れなかったそうです。ゴーレム系のモンスターと考えられるので、有効な武器としては大斧や鉄槌が挙げられます。また、前衛として防御に回る部隊についても、防御指向のタンクよりも、回避盾が有効と考えられます。以上の考察から、今回のフロアボス攻略計画を立てていただきたい。」

 

フロアボス攻略における有効手段を淡々と、事務的に考察するケイマだが、その表情には曇りが見られる。無理も無い、とその場にいた全員が思う。これまで二十四体ものフロアボスを屠ってきた攻略組だが、今回は規格外過ぎる。RPGのボスモンスターは、攻略を進めるごとに強くなっていくのが常識となっているが、この第二十五層のボスに関しては、フロアを五層以上すっ飛ばした強さがある。HPがほぼ満タンな状態で、まともに食らえば即死級の攻撃を放てるボスとなれば、攻略戦のリスクはこれまでの比ではない。

 

(回避盾は俺一人でもどうとでもなる。だが、ボスの攻撃パターンが未知なのは非常に厄介だ…)

 

周囲がボス攻略のためのパーティー構成について検討している中、イタチは一人ボスの行動パターンに思考を走らせる。前世の能力である写輪眼程ではないにしろ、非常に優れた動体視力を持つイタチは、敵の攻撃を誰よりも的確に先読みして回避行動に移せるが、他のプレイヤーはその限りではない。想定外の攻撃が来た場合、浮足立って最悪は全滅の恐れすらあるのだ。特に、モンスターが駆使する特殊攻撃は、これまでの攻略においても攻略組をはじめとしたプレイヤーの大きな障害となってきた。毒、炎、氷、雷といった、SAOにおける数少ない魔法要素を内包した属性攻撃は、戦闘において致命傷足り得る要素なのだ。フロアボスでもこの手の特殊攻撃を得手とするモンスターは多数存在していたことから、第二十五層も恐らく例外ではないだろう。

 

(これまで以上に困難な攻略になるのは間違いない…今回ばかりは、犠牲者無しに突破することはできないかもしれない…)

 

ゲーム攻略における最大の懸念を想い浮かべ、内心で冷や汗をかくイタチ。デスゲーム開始以降、虜囚となったプレイヤーの生存率を可能な限り上げるため、あらゆる方面からの情報収集に尽力してきたが、この二十五層攻略は情報力の限界を超えている。迷宮区がボス部屋まで完全にマッピングを終えている現在、主街区はじめとした全ての街や村のクエストも粗方調べ尽くしている。だが、フロアボスに関して得られた情報はボスの名前と武器の種類程度だ。ボスモンスターは、HPが減れば必ずと言っていいほど攻撃パターンやステータスに変化が起こる。まともな戦闘すら困難な現状では、その先を知る術はなく、イタチはこれ以上ないほどに不安を抱いていた。

しかし、イタチの懸念はフロアボスだけには収まらない。もう一つ、攻略において表面化してきた問題があるのだ。

 

「せやから、ジブン等はワイらの援護に回ればええんや。ボスの相手は、ワイ等解放軍が引き受ける。聖竜連合や血盟騎士団の出番は無い言うとるんや。」

 

「なんだとコラ!!」

 

「勝手なこと言ってんじゃねえぞ!!」

 

攻略会議のために借りた部屋の中心で、三人のプレイヤーが揉めていた。それぞれ攻略組のトップスリーギルドの幹部である。関西弁で二人に横柄な態度で話しているサボテン頭の男は、第一層攻略からの顔馴染みで、最大規模の攻略ギルド、『アインクラッド解放軍』に所属するキバオウ。彼と揉めている二人の内、桜色の髪に鱗模様のマフラーをつけた大剣使いの少年は、聖竜連合の前線部隊のリーダーのナツ。もう一人は金髪染毛、ピアス、ゴーグル、ウォレットチェーンが特徴の、メイスを持った不良然とした青年だが、メンバーからの信頼の厚さから現在血盟騎士団の副団長を務めているテッショウだった。キバオウの傲岸な物言いに、二人をはじめ、会議に参加していた各ギルドのメンバー達は一様にキバオウ率いる解放軍に敵意を向けている。

 

「テッショウ君、少し落ち着きたまえ。」

 

「団長!でもよう…」

 

「ナツ君も、熱くならずに。もっと冷静に、ね?」

 

「っち!…ならシバトラ、あんたが何とかしろよな。」

 

場の空気が険悪になりつつあることを察した各ギルドのリーダーが前へ出て、トラブルの渦中にいた二人を止めにかかる。血盟騎士団団長、ヒースクリフと、聖竜連合の総長、シバトラの介入により、テッショウとナツは不満そうにしながらも手を引く。二人が下がったことで、シバトラがまず口を開く。

 

「キバオウさん、今の言い方はちょっとあんまりだと思いますよ。」

 

「本当のことやないか。ギルドの戦力的にはウチがダントツや。連携組んで人海戦術で畳みかけられる解放軍こそ、攻略の要に相応しいんや。」

 

キバオウの意見には一理ある。第一層のはじまりの街に拠点を置く解放軍は、プレイヤーの有志をつのって今なお戦力を拡大化している。その規模にものを言わせて、犯罪者プレイヤーの検挙等を積極的に行い、治安維持に努める一方、近頃では狩り場を長時間に渡って独占するなどマナー違反な行為も目立っている。ともあれ、そうして大人数でのレベリングを続けている解放軍ならば、数にもの言わせた人海戦術は他のギルドより上手なのは確かだが。

 

「だが、解放軍の戦闘要員の武装は、盾持ち・片手用直剣が主流と聞いている。今回のフロアボスに有効なのは、メイスや大斧といった重量系武器だ。武器の相性はあまり良くないのではないか?」

 

血盟騎士団団長、ヒースクリフの的確な指摘に、横柄な態度だったキバオウがぐっと押し黙る。いかにも痛いところを突かれた、という様子に周囲のプレイヤーの溜飲が若干下がる。盾持ち・片手用直剣という装備は、SAOにおいては最も主流なスタイルである。攻撃・防御共に行える点からバランスが良く、多様なソードスキルを使用できる上、個人・集団戦の両方に対応しているのだ。

だが一方で、性質の極端なモンスター相手には苦戦を強いられることも多々ある。筆頭は、ゴーレム系モンスターである。メイスやハンマーのような打撃武器ならいざしらず、片手用直剣などの斬撃によって与えられるダメージは少なく、斬れば斬る程武器の耐久値も削られていくことから、相性は悪い。いかに人海戦術を繰り広げても、苦戦は必至なのだ。今回の第二十五層のフロアボスも例に漏れず、相性は最悪。メインで攻撃をしようものなら、苦戦どころか全滅だってしかねない。

ヒースクリフの言葉に反論できないキバオウ。他のプレイヤー達は、これで引き下がるだろうと確信しているようだが、イタチ含めこの場に居る数名は、キバオウという男がこれで従うような人物ではないことを知っていた。

 

「この…それが、一般プレイヤーのために日夜戦っとるワイ等解放軍に対する口の利き方かいな!?」

 

また始まった、とイタチは頭が痛くなるような感覚に襲われた。反論の余地が無い場合に持ちだす、頭の固い権力者の常套手段。自身の所属や実績を前面に出して自身の意見を強引に押し通そうとする。

 

「そもそもやな!ワイ等は第一層から攻略に参加しとるのや!ゲーム攻略はジブン等よりも、ワイ等の方が先を行っているんや!そのワイ等が前に出る言うとるんやから、従うのが道理とちゃうんか!?」

 

「関係ねえだろ!俺達だって、必死でレベリングして追いついて来たんだ。遅れた分まで前線で体張って戦ってんだぞ!」

 

「テッショウの言う通りだ!俺達はお前等の部下じゃねえんだ!何で言う事聞かなきゃならねえんだ!!」

 

ギルドリーダーが介入したにも関わらず、口論は激化していた。この手のギルド同士――主に解放軍と他の攻略ギルド――の抗争は、今に始まったことではない。

第一層攻略以降、ゲーム攻略が不可能ではないという認識がプレイヤー達の中に生まれ、攻略に参加するメンバーは今も尚増加傾向にある。参加者が増えれば攻略も安全に進められる一方、規模の過剰な拡大により統制が取れなくなる弊害も内包している。さらに、第三層へ至ったことで、ギルド結成に必要なクエストが解禁されたことも、プレイヤー同士の抗争に拍車を掛けていた。これによって、既に攻略組を筆頭としていくつものギルドが結成され、それと同時にギルドという派閥間の対立も目立ち始めたのだ。今後の動向次第ではさらに派手な抗争に発展する可能性も否めない現状だが、ビーターという悪名を背負うソロプレイヤーである自分には介入の余地が無い。非常に頭の痛い問題だと、イタチは思っていた。

 

「二人とも、落ち着いて!!」

 

「キバオウ君、君もいい加減にしたまえ。」

 

シバトラとヒースクリフは、後方で黙っていたメンバー達にも落ち着くよう再度促し、キバオウはじめ解放軍を窘めるべく動いているが、事態の悪化に歯止めが掛けられていない。と、そこへ

 

「皆、そこまでにしてくれないか!!」

 

抗争の渦中に、新たな人物が現れる。さらりとした青髪に爽やかなイメージのあるその男性は、第一層攻略会議を開いたことで知られる、ナイトことディアベルだった。会議が始まる頃にはいなかったが、ようやく到着したらしい。来て早々、会議室に広がる険悪な空気から事情を察知し、仲裁に入る。

 

「キバオウさん、ボス攻略に参加したいっていう意思は皆同じなんだ。ここは、他のギルドの人達にも譲歩して、協力し合わなきゃいけないと思う。」

 

「せ、せやけど…」

 

ディアベルの登場によって、それまで高圧的に出ていたキバオウの態度が一変する。同じ解放軍に所属するプレイヤーとしてキバオウはじめ多くのプレイヤーから尊敬されているディアベルの言葉に逆らう者などいるはずもなく、悪化の一途を辿っていた事態は一気に終息に向かっていった。

 

(やれやれ…今後の攻略が本気で思いやられる…)

 

結局、攻略会議の揉め事はディアベルの介入によってどうにか治まった。ギルドのリーダーは全員穏健派だが、メンバーはどうにも血の気が多い人間ばかりである。第二十五層に止まらず、今後も方針を巡って争いが起こることは容易に想像がつく。譬え命を掛けたデスゲームであっても、所詮はゲーム。只管に己の強さを追い求めるゲーマー魂と、自身の優位を他人に誇りたがる自己顕示欲は、プレイヤーの中で健在らしい。尤も、それらがあったからこそ、この異常事態であっても攻略に乗り出す人間が現れたのだろうが。

ともあれ、第二十五層のフロアボスの異常なまでの強さを前に、現状で攻略戦を行うのは不可能というのがトップギルドの代表全員の見解である。もうしばらくは情報収集とレベリングに努めて改めて会議を開くという結論が下され、今回の会議はお開きとなった。

 

 

 

攻略会議を終え、プレイヤー達はそれぞれのギルドの拠点へ戻ろうとする中、イタチはある人物と接触するために主街区の外れへと向かっていた。目的の人物は、待ち合わせ場所に到着してすぐに見つかった。

 

「アルゴ。」

 

「よう、イタっち!攻略会議はどうだっタ?」

 

イタチを待っていたのは、目深にかぶったフードから金色の巻き毛が見え隠れする女性プレイヤー。顔のペイントから、鼠のあだ名を持つ情報屋、アルゴだった。

 

「相変わらず、揉め事が絶えん。」

 

「にゃはは、そんなことだろうと思ってたヨ。」

 

「思い出すだけで頭が痛くなる…それよりも、例の調べ物は済んでいるのか?」

 

「ああ…それに関しては、ちょっと掴めた情報があるヨ。」

 

イタチはおよそ五か月前、第二層攻略を終えて以降、アルゴにとある人探しを依頼していたのだ。だが、五か月が経過した現在も、その人物の足取りは掴めていなかった。尤も、イタチ自身も件の人物には実際に会ったことはない。容姿や特徴も人伝で聞いただけなので、見つからないのも無理はなかった。

 

「長躯で黒いポンチョを纏った男性プレイヤー。やや異質なイントネーションの英語を交えて話す…さすがにこれだけじゃ、身元を特定するなんて、できっこないヨ。そもそも、なんでイタっちはこのプレイヤーが気になるのサ?」

 

ハンドルネームや人相も分からない人物を探し当てるなど、如何に鼠のアルゴでも不可能だろう。だが、イタチはそれを承知で、捜索を依頼しているのである。それも、情報が手に入るかどうかに関わらず、定期的に必要な経費も全て支払っている。アルゴには理解できないイタチの行動に対する問いに、本人は即答した。

 

「要注意人物だと思ったからだ。」

 

いつになく真剣な表情のイタチに、アルゴは息を呑む。この荒唐無稽な依頼に、それだけの意味が秘められているというのだろうか。改めてアルゴはイタチに問う。

 

「…何をもって、危険だと思うのサ?」

 

「俺がそいつの存在を知ったのは、第二層攻略中のことだ。お前も知っているだろう?強化詐欺の話だ…」

 

イタチの口から出た話については、アルゴも事情を知っていた。片手用直剣のスキルModであるクイックチェンジを利用した武器の詐取。強化依頼をしたプレイヤーから武器を受け取り、強化試行回数を全て使い切ったエンド品とすり替える。その後、エンド品に強化を施すことで武器を破壊し、すり替え時にストレージに収納した武器を手に入れるという、通称強化詐欺と呼ばれる行為。ハラスメント行為に抵触する行為ではないが、明らかなマナー違反であり、犯罪者プレイヤー同様の行為である。イタチは第二層攻略前に訪れた街で、偶然にもこの場面に遭遇し、一発でトリックを見破ったのだった。詐欺を行っていたプレイヤーは、仲間の暫定ギルドメンバーと共に自首する運びとなり、詐取した武器に関しては賠償することで事態は決着した。だが、どうしてもイタチの中ではこの事件は未だ解決していない。強化詐欺を斡旋した、影の首謀者とも呼べる黒幕が、未だに行方を晦ましたままだからだ。そして現在、イタチはその人物の行方を、アルゴに依頼する形で追いかけているのだ。

 

「あの時点では、ベータテスターでも看破することはできなかったであろう完璧なトリック。考案した奴は想像以上に頭が切れる奴だ。」

 

「でも、それだけで危険ってワケじゃないだロ?確かに、詐欺を斡旋した時点で奴も犯罪者プレイヤーなんだろうガ…」

 

「しかも、奴は強化詐欺に関して報酬を受け取らなかった。奴の真の目的は、金じゃない…デスゲームを、“真のデスゲーム”たらしめることにあったんだろう。」

 

犯罪斡旋によって、現実世界から培った倫理観を破壊し、殺人という人道に悖る行為に至るためのハードルを引き下げる。そのために強化詐欺を斡旋し、実行者がプレイヤー達によって処刑される場面を作り出そうとしていたのだろうと、イタチは考えた。実際、紆余曲折を経て、詐欺を行ったプレイヤーは攻略組によって処刑されかけるところまで至ったのだ。イタチの中では、この場面を作り出したポンチョ男が確信犯であると、既に結論が出ていた。

 

「いくらなんでも、考えすぎじゃないのカ?」

 

「…だと良いんだがな。」

 

アルゴの言葉に、しかしイタチは自身の思考が行き過ぎたものだとは思えない。強化詐欺を行ったプレイヤーの証言では、ポンチョ男は、巧みな話術により、犯罪行為に手を染めることへの抵抗感を無くしたとのことだ。デスゲームという異常な環境が後押ししているのだろうが、ポンチョ男は話術によって人間の心理を自在に操る術、言い換えれば、人を“洗脳”する手段を心得ていると言っても過言ではないだろう。

デスゲーム開始より前に、茅場晶彦が秘めたる危険な理想を見抜けなかったイタチだが、今回ばかりは見逃さない。何より、このポンチョ男に通じる人間を、イタチは前世で出会い、今も覚えているのだから。

 

(大蛇丸…)

 

かつて、自分と同じ木の葉隠れの里に属していた、伝説の三忍と呼ばれた忍者の一人、大蛇丸。イタチとは、のちに同じS級犯罪組織、暁に所属したこともある間柄だった。忍術の探求という目的のために、手段を厭わず、数々の非道な人体実験を繰り返してきた末に、不老不死に近い禁術を開発。うちは一族が持つ写輪眼を手に入れるべく、イタチの弟であるサスケを我が物にせんと暗躍するも、紆余曲折を経て、イタチに封印されたのだった。残忍な気性の人物だが、そのカリスマは凄まじく、道を外した人間を自在に誘導して次々己の配下にした末に、音隠れの里と呼ばれる忍里まで作り上げたほどだった。

情報が不十分な今、ポンチョ男の詳細について知る術は無いが、デスゲーム開始までは、少なくとも殺し合いとは無縁の世界で暮らしていた人間が、犯罪を斡旋して殺し合いの世界を作ろうとした疑惑があるのだ。イタチの中でこのポンチョ男は、大蛇丸と同等以上の危険人物であるという認識で固定されていた。

 

「アルゴも注意してくれ。もしかしたら、正真正銘の“レッド”プレイヤーかもしれないからな。」

 

「オ、オイラを脅かす気か、イタっち?」

 

SAOにおいて、犯罪を行ったプレイヤーのカーソルは、グリーンからオレンジへと変化する。故に、犯罪者プレイヤーはオレンジプレイヤーと呼ばれている。そしてその上を行く、PK――所謂殺人に手を染める凶悪プレイヤーを、レッドプレイヤーと呼ぶのだ。今現在、フィールド上でプレイヤーを襲って金品を強奪するプレイヤーはいるが、聞いている限りではPKにまで至るプレイヤーはごく少数だ。だが、注意を促すイタチの表情は真剣そのもの。全てが何一つ確証の無い推測でしかない筈なのに、口にした言葉には真実を語っているかのような説得力があった。

 

「…飽く迄、可能性の話だ。だが、用心に越したことはないだろう?」

 

「そりゃそうだケド…」

 

「それよりも、ポンチョ男についての情報だ。何か足取りは掴めたんだろう?」

 

「ああ、そうだっタ!今朝、それらしいプレイヤーを主街区で見たっていう目撃情報があったんだヨ。」

 

「…詳しく教えてもらえるか?」

 

アルゴの言葉に、さらに真剣な表情で先を聞くイタチ。デスゲーム開始以降、レッドプレイヤーの出現は、イタチが最も危惧していた事態である。閉鎖された世界の中では、現実世界のような法律は何も無い。法と秩序が初期化された世界においては、善悪はプレイヤーの倫理観に委ねられるのだ。そして、仮想世界だからこそ人殺しを愉しもうとするプレイヤーが現れることも、それが避け得ないことも予想出来ていた。

黒ポンチョの男の正体は未だ不明だが、この男との接触が、自身が転生して初めての………命を掛けた殺し合いに発展するかもしれないと、イタチは予感していた。

 

そして、その予感は的中するのだった―――――

 

 



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第十六話 死の森

2023年5月24日

 

第二十一層・ボーインは、フィールドの六割以上が密林に覆われた熱帯のジャングルを彷彿させる地形である。生息しているモンスターは、主に植物、虫、爬虫類で、いずれも危険な猛毒を持っている。第二十五層までフロアが解放されている現在でも、攻略組をはじめ多くのプレイヤーが立ち入りを忌避している。

そんな危険地帯を、イタチは一人、隠蔽スキルと索敵スキルを発動させながら、只管に西へと突き進む。

 

(まるで、死の森だな…)

 

 前世の忍世界、うちはイタチの所属した木の葉隠れの里にも、同じような場所があった。中忍試験の二次試験の舞台にもなる、通称「死の森」。毒虫、毒草が蔓延るところなど、共通点は多い。郷愁にも似た思いを浮かべながらも、イタチは今回の捜索対象について考える。

 

(しかし、あの男は一体何を企んでいるんだ?)

 

日が沈む西の方角を睨みながら、イタチはアルゴの報告を思い返していた。黒ポンチョの男と接触していたプレイヤーの名前は、ケイタ。中層で活動する「月夜の黒猫団」なるギルドのリーダーを務めているらしいが、犯罪者プレイヤーとの接点は皆無。短時間で調べたことだが、彼を含めギルメンのレベルや経歴にも何らおかしいところは見られない、至って普通のギルドだ。それが何故、こんな物騒な場所に来るのか、理由は皆目見当もつかない。

 

(何かある筈だ・・・)

 

アルゴが見かけたと言う黒いポンチョを被ったプレイヤーというのも、イタチが探している人物と同一とは限らない。だが、イタチは直感していた。アルゴが見た黒ポンチョのプレイヤーが、自身の探している人物と同一であることも・・・そして、今日この階層で何かを企んでいることを。

 

(どこだ・・・・・?)

 

索敵スキルをにより、周囲のプレイヤー反応を探りつつ、木の影に入って身を隠す。イタチの隠蔽スキルは攻略組の中でも突出して高く、現にこの森に入ってからモンスターとは一度も遭遇していない。太陽が外周の向こうに沈んで見えなくなるのを視線の端に捉えつつ、一時間弱の間、探索を続けていた…その時だった。

 

うわぁぁああああ!!

 

「!」

 

 プレイヤーが出入りを忌避する日暮れの森に、悲鳴が木霊する。イタチは即座に悲鳴のした方を向き、一気に駆け出す。イタチの聴覚は、前世と同様常人以上に鋭く鍛えられている。システム的に音声がシャットダウンされる宿の部屋の中などの音を聞くには、聞き耳スキルが必要になるが、フィールドではその限りではない。イタチは先の悲鳴を聞いただけで、その方向、距離を即座に把握した。

 

(三十メートル……といったところか…だが、あそこは結晶無効化エリアだぞ。)

 

索敵スキルの範囲外にあるが、そう遠くない距離だが、場所が問題である。アインクラッドには、転移や回復といった効果を持つ結晶アイテムが使えないエリアが存在する。これらは結晶無効化エリアと呼ばれており、大幅な制限を課せられる上に、緊急離脱不可能な危険地帯としてプレイヤーに知られていた。二十一層のような危険なモンスターが多数出没する階層ならば、その危険度は他の層の比ではない。

 

(悲鳴……ということは、彼等は被害者だったということか…)

 

 近づいてみれば、プレイヤー反応が五つ。恐らく、黒ポンチョの男に接触したケイタ率いるギルド、月夜の黒猫団なのだろう。暫定的なレッドプレイヤーである黒ポンチョの男と接触したことから、当初は共犯かと疑っていた。だが、アルゴが調べた経歴からは犯罪との関連性は見られず、さっきの悲鳴からしても、彼等は黒ポンチョの男の何らかの計画に巻き込まれた被害者ということになる。

 木々の間を縫うように、一切減速せずに駆け抜けたイタチは、遂に悲鳴を発した当人達がいる開けた場所へと辿り着く。

 

「ぎゃぁぁああ!!」

 

「に、逃げろぉっ!」

 

 イタチの視界が捉えた風景は、さながら地獄絵図だった。五人のプレイヤーが、数十体のモンスターの群れに包囲され、殲滅されかかっていた。五人は皆HPがイエローゾーンに突入しており、そう長くは持たないことは明らかである。状況をすぐさま把握したイタチは、背に吊った片手剣――キアストレートを引き抜くと同時に、モンスターの群れへと突撃する。

 

「……ふっ!」

 

隠蔽スキルを発動した状態で、包囲の薄い箇所目掛けて剣を振るう。死角からの不意打ちに、モンスターたちは反応が間に合わず、急所を刃で一閃されて即死する。その後も、他のモンスターが突然の闖入者であるイタチへと反撃する隙を与えず、ソードスキルを連発して仕留めにかかる。発動しているのは下級ソードスキルだが、イタチは急所を正確に捉えていたのだ。包囲モンスター五体を仕留めたところで、囲まれていたプレイヤー達のもとへ到達した。

 

「大丈夫か?」

 

「き、君は…って、うわぁっ?」

 

「話は後だ。今はこの状況を乗り越える方が先だ。」

 

「わ、分かった!」

 

 突然現れたイタチに驚く、クォータースタッフを持ったリーダーらしき少年――恐らく、ケイタであろう――だったが、イタチの言葉に首を縦に振りつつモンスターに対処する。他のメンバーも、目の前のモンスター群相手に満身創痍も同然の状態だったため、リーダーの意見に異を唱える者はいない。

 イタチは迫りくるモンスターを斬り伏せつつも、共闘するプレイヤー達の装備と体力、そして周囲のモンスターを見渡し、素早く作戦を立てる。

 

「あの一角の包囲は手薄で、モンスターはお前達の武器と相性が良い。前後衛でスイッチを繰り返して突破しろ。後ろの包囲は俺が受け持つ。」

 

イタチが指し示した方向にいたのは、虫の亜人型モンスター、「アント・ソルジャー」。片手剣とバックラーというプレイヤー間でも基本的な装備を携えている。突破のために撃破を要する個体は、およそ四体。

 

「そっちは大丈夫なのか!?」

 

「問題無い。俺よりも、お前達は自分自身の心配をしろ。来るぞ!」

 

「お、おう!!」

 

 槍使いの少年の問いに、しかしイタチは何でもない風に答えた。実際、深夜のモンスターポップが増す時間帯での狩りを散々してきたイタチにとって、この程度の包囲はどうとでもなる。それよりも心配なのは、実際に突破を試みるパーティー五人である。

 イタチは自身の後方で突破を試みる五人のもとへモンスターを通すまいと、剣を手に駆け出す。

 

「……はぁっ!!」

 

「シュルルルッッ!!」

 

イタチが踏み出すと同時に、一番近くにいたユリの花を象った植物型モンスター、「スティング・リリィ」が触手を槍の様に突き出してライトエフェクトを伴う攻撃を仕掛ける。槍系ソードスキル、「ホーネット・スタッブ」である。SAOのモンスターは、亜人型以外でも、一部のモンスターはソードスキルを使用するタイプのものがいる。このスティング・リリィもその種に該当するモンスターであり、触手による刺突系ソードスキルを得手とするのだ。

 

(……そこだ!)

 

 何匹ものスティング・リリィがユリの花のようなラッパ型の頭をイタチに向け、標的目掛けて触手の刺突を繰り出す。だが、イタチはそれらを紙一重で回避し、懐へ飛び込んで手前の三匹の胴体部分の茎をまとめて一閃する。

 

「はぁっ!!」

 

 青いライトエフェクトと共に、水平斬りソードスキル、「ワイド・セクター」が発動する。片手剣・長剣カテゴリにおいて攻撃範囲に優れたソードスキルであり、イタチの繰り出したそれは、前方のユリの茎三つを見事に一閃・両断した。

 

「シュルルルゥゥゥウウ…!!」

 

バタバタと地面に斬り倒されたスティング・リリィ達は横たわり、断末魔の叫びと共にポリゴン片を撒き散らして消滅する。イタチの高レベルステータスと動体視力によるアシストが、最前線付近の階層のモンスターをも一撃で屠ることを可能としているのだ。

 

(残りはざっと四十体…問題はない。向こうは…)

 

 スティング・リリィを倒してすぐ、イタチは後方で血路を開こうとしている五人に目をやる。前衛二人はクォータースタッフとメイス持ちの打撃系ソードスキルで応戦し、後衛の槍使い二人と短剣使いのシーフがスイッチで援護している。だが、思うように敵を退けられずに苦戦している様子だった。見かねたイタチが、モンスターとの戦闘の傍ら、指示を飛ばす。

 

「前衛二人は無理に急所を狙うな!盾に叩きつけてパリィするんだ!」

 

「こ、これで良いのか!?」

 

イタチの指示に従い、メイス使いの少年はアント・ソルジャーの盾に打撃系ソードスキル、「インパクト」を叩きつける。アント・ソルジャーは仰け反り、隙が生まれる。

 

「後衛の槍使いはその隙にスイッチしろ!胴の付け根を狙え!」

 

「わ、分かった!」

 

 女性であろう声がイタチの言葉に応じると共に、槍系ソードスキル、「レイ・スラスト」を発動する。中級ソードスキルとしてそこそこの威力を持つ攻撃が、アント・ソルジャーの腹を貫く。

 

「キシャァァアッッ!!」

 

攻撃を受けたアント・ソルジャーは、そのままHPを削り切られ、ライトエフェクトを爆散させて消滅した。一撃必殺を狙うならば、首を穿つのが好ましいが、この緊急事態にあっては、正確に狙いが定められない。そう考えて胴を狙わせたのだ。だが、上手い具合にモンスターを撃破できた。そのお陰で、メンバーの士気も上がっている。

 

「その調子で攻撃を続けろ!だが、あまり時間は無い!迅速に突破するんだ!」

 

「ああ、分かってる!」

 

 イタチの呼びかけに、リーダーの棍使いは力強く返した。それを聞くと同時に、イタチも血路を開こうとしている五人に襲いかからんとするモンスター群に向き直る。

 

(全てを相手にしている余裕は無いな……毒系モンスターを中心に排除するしかない…)

 

四十体近いモンスターを相手取る以上、どうしても討ち漏らしが出かねない。ならば、危険度の高い毒を持つモンスターを優先的に倒すのがベストであるとイタチは判断した。

 

(まずは、アイツだ!)

 

イタチが真っ先に標的に定めたのは、毒キノコ型モンスターの「トードスツール・メイサー」。頭にキノコの笠を被ったどっぷり太った体型で、手に持ったキノコ型戦槌が武器である。動きは鈍いが、攻撃した際に毒胞子をばら撒くことで恐れられている。イタチは迷うことなく接近し、迎撃の隙も与えず垂直斬りソードスキル、「バーチカル」にて頭頂から股にかけて一刀両断する。初級ソードスキルの短い硬直が解けるや否や、すぐに次の標的へ飛びかかり、毒胞子の効果範囲から離脱する。もう一匹のトードスツール・メイサーが振り下ろす戦槌を危なげなく回避し、同様に一刀両断して離脱する。そこで跳び退いた際、上空に数匹の虫型モンスターを視認する。

 

(ポイズン・ワスプか…!)

 

 第一層および二層に生息する蜂型モンスター、「ウインド・ワスプ」が猛毒を備えたのが、この「ポイズン・ワスプ」である。前者は刺されればスタン程度で済んだが、後者は確実に麻痺か毒状態に陥る、非常に危険なモンスターである。イタチはこれに対処するべく、前方のモンスターの攻撃を回避しつつ、左手で懐からピックを三本取り出す。

 

「ハァッ!!」

 

左手の指に挟んだピック三本を、ライトエフェクトと共に一斉に投擲する。投剣カテゴリの上位ソードスキル、「デルタシュート」である。

 

「シュゥウウッ・・・!!」

 

 イタチの放ったピックが三匹の蜂全てに命中し、空中からの落下と共にポリゴン片を散らして消える。三本全てが、三匹それぞれの急所を捉えて即死させたのだ。本来ならば巨体のモンスター相手に使うのがオーソドックスなソードスキルであり、三匹の小型モンスターに命中させるなど不可能に近い。忍者として手裏剣術を極めた前世を持つ、イタチならではの離れ業である。

 

(まだ突破できんか……)

 

 後方でアント・ソルジャー相手に包囲突破を試みている五人組は、未だに手古摺っている様子だった。飛行モンスターまで出てきている以上、イタチ一人で群れを食い止めるのは限界である。一刻の猶予も無い状況の中、イタチは五人に指示を飛ばしつつも、モンスターを撃破していった。だが、そんなイタチの奮闘を嘲笑うかのように、難敵が現れた。

 

(あれは……ポイズン・カクタス!!)

 

 イタチの前方に現れた、二体の植物型モンスター。ボール状の身体から、無数の棘が生えているその姿は、見紛うことなき「サボテン」。二十一層探索の際、初見のイタチや他の攻略メンバーを苦戦させたモンスター、「ポイズン・カクタス」である。

 

(マズイ……!!)

 

 このモンスターの出現に、イタチは内心で焦る。名前の通り、このモンスターは、全身の針一本一本が毒針なのだ。そして、体当たり攻撃は言わずもがな、もう一つのこの上なく厄介な能力を持っている。

そして二体のサボテンは、今まさにそれを、“全身の針”からライトエフェクトを放ちながら発動せんとしていた。

 

「盾をこっちに向けろ!!」

 

 イタチは咄嗟にそう叫んだが、アント・ソルジャーの応戦に手いっぱいの五人には届かなかった。そして無情にも、ポイズン・カクタスの必殺技が炸裂する。

 

「くっ!!」

 

イタチは目の前のサボテン二体から距離を取り、その攻撃に備える。途端、それはイタチと五人のプレイヤーに襲い掛かった。

 

「ぐぁっ!」

 

「くぅっ!」

 

「あがっ!」

 

(三人……やられたか!)

 

イタチ達六人に向かって放たれたのは、無数の「針」。これこそ、ポイズン・カクタスをこの階層の上位危険種たらしめている所以…投剣系ソードスキル、「ランダム・シュート」。文字通り、投擲武器を乱れ撃ちするソードスキルである。プレイヤーが使う場合は、一度に六から八本が限界だが、ポイズン・カクタスの場合は、全身から全方位計百二十発を放てるのだ。回避は不可能である。一発一発は大した威力は無いが、強力な麻痺毒を持っている。群れで襲われれば全滅必至のスキルであるため、盾持ちの防御役や耐毒ポーションの服用が必要とされる。

だが、この場の盾持ち二人は反対方向のモンスターとの戦闘に気を取られていたせいで反応が遅れ、敵が二体だったためにイタチの剣で全てを捌き切ることはできなかった。結果、三人のプレイヤーが麻痺に陥ったのだ。

 

「ダッカー!ササマル!テツオ!」

 

「み、皆…!!」

 

仲間達が麻痺に陥り倒れた事で、残り二人も浮足立つ。無理もない。ただでさえ危機的状況なのに、こんなアクシデントが起これば、常人では冷静さを保つことなどできなしない。

 

「キシャァァアッ!!」

 

そんな隙を狙って、二人の背後にいたアント・ソルジャーが刃を振り下ろそうとする。

 

「ふんっ!!」

 

「キシャァッ!」

 

 だが、イタチがそれを見過ごす筈も無く、襲いかかろうとしていたアント・ソルジャーの首を刎ねてHP全損に追い込む。続けて今度は、腰からピックとは別のもう一つの投擲武器を取り出し、モンスター群の前線にいたポイズン・カクタスへと投げつける。

 

「はぁっ!!」

 

 ライトエフェクトと共に放たれたのは、円盤型の武器――チャクラムである。イタチはSAOベータ時代より、メイン武器(ウエポン)の片手剣とは別にサブ武器(ウエポン)としてチャクラムを常備している。イタチが投擲したチャクラム、「ヴァルキリー」から発動したソードスキル、「フリスビー・シュート」が、一番手前のポイズン・カクタスの花を穿つ。

 

「シュゥゥウ…」

 

 花弁が散るのと同時に、ポイズン・カクタス本体も萎れてポリゴン片を撒き散らして消滅する。さらに、ブーメランのように空中で旋回したヴァルキリーは未だにライトエフェクトを振りまきながら、もう一体の花も散らし、装備設定がされているイタチの左手に戻ってきた。

 

「負傷者に解毒ポーションを使え。麻痺が抜けないうちは、肩を貸してやれ。走るぞ!」

 

「分かった!」

 

「う、うん!!」

 

 リーダーらしき棍使いの少年と、槍使いの少女にそう言うと、イタチは目の前のモンスターの群れ目掛けて「煙玉」を投げつけた。途端、群れを覆う様に煙が噴き出し、煙幕が展開される。煙玉は隠蔽スキルの補助を行うためのアイテムであり、主に不意打ちや逃走を図る際に使われる。だが、煙で視界を覆うということは、自分も相手の姿を確認できなくなることを意味する。索敵スキルを用いても、プレイヤーやモンスターの位置を掴むのが限界なのだ。しかも、目晦ましであるが故に、視覚以外の感覚を持つモンスターに対しては効果が薄いのだ。

イタチが包囲を突破するのにこのアイテムを使わなかったのも、敵のモンスターは大半が視覚を持たない植物型モンスターが占めており、尚且つポイズン・カクタスのような危険な毒および能力を持つモンスターを警戒してのことだった。姿が見えなくなれば、先手を打つこともできなくなるし、最悪の場合はモンスターが放った攻撃を一方的に食らって全滅しかねないと考えたのだ。

だが、今はもうそれどころではない。三人が麻痺に陥ってしまった以上、一刻の猶予もない。このゲームでは解毒ポーションを飲んでも、麻痺はすぐには解消しない。解毒結晶が使えない以上、麻痺が残る体に鞭打って離脱してもらうほかないのだ。煙幕は植物系モンスターには効果が薄いが、虫や爬虫類系モンスターの足止めには幾分か効果がある。これで群れの二、三割は足止めができる筈だ。目晦ましが効かない植物系モンスターも、大概は敏捷が低く、追い付いてくるのには時間がかかる。ポイズン・カクタスのような飛び道具を持つモンスターも、群れの最前列にはあれ以上確認されなかった。群れを突破するならば、今しかない。イタチはそう思った。

 

「結晶無効化エリアはもうすぐ抜ける!後ろを振り向かずに走れ!」

 

 イタチは五人にそう指示を飛ばすと、包囲突破ポイントにいた残りのアント・ソルジャーを撃破する。遂に開けた突破口から、棍使いの少年を筆頭とする五人が必死で包囲を抜け出す。その両サイドから襲い掛かる残りのモンスターは、イタチがキアストレートを振るい、ほぼ一撃で屠る。真後ろから迫る群れには引き続き煙玉を食らわせて足止めし、煙幕を抜けて接近してきた植物モンスターは、ピックとヴァルキリーによる遠距離攻撃で仕留めた。四十体近くいたモンスターの群れ相手に、イタチは五人を護りながら孤軍奮闘に近い状態だった。

 

「よし………結晶無効化エリアは抜けたぞ!」

 

 敵を倒す傍ら、マップを確認していたイタチが五人に結晶無効化エリア脱出を告げた。それまで生きた心地のしなかった五人の顔に、一様に生気が宿る。あの絶望的な包囲から脱出したのだ。その歓喜は推し量れるものではない。後方には未だに二十体近くのモンスターが追いかけてきているが、転移結晶を使ってしまえば問題は無い。

 

「油断するな。転移には場所を言ってから数秒の時間が掛かる。モンスターは俺が足止めするから、先に離脱しろ!」

 

「最後まですまない!」

 

リーダーの棍使いはそう言うと、青いクリスタル型アイテムをポーチから取り出す。他の四人も同様にアイテムを手に持っているのをイタチは確認すると、ほっと一息吐く。すぐに離脱できるのを確認すると、イタチは改めて群れに向き直る。それと同時に、五人は転移先の街を口にしようとする。

 

「転移!ボー」

 

 二十一層主街区の「ボーイン」と叫ぼうとしたのだろう。だが、その声は途切れてしまった。

イタチがモンスターの群れを足止めしようと向かっていたのと反対側の方向、五人のすぐ近くの空間が、“歪んだ”のだ。不吉な気配に振りかえったイタチは、それをみて目を大きく見開く。それは、攻略組に所属している人間ならば誰もが一度は目にしたことのある現象。

 

(まさか……!!)

 

 空間の揺らぎは拡大し、やがて巨大な影が滲みだす。漆黒の影は、やがて実体化し、三メートルはあろう巨体を露にする。全身がごつごつした木の幹で覆われ、右手には巨大な棍棒を持っている。片や頭の部分には、まるで針地獄を描くように、枝が無秩序に飛び出していた。巨樹がいきなり現れた、そんな感じがしたのだが、それがただの木ではないことを、イタチは既に認知していた。

 

「退がれぇっ!!」

 

 そう叫んだイタチの声は、しかし五人には届かなかった。巨樹の天辺に、六段のHPバーと共に、その巨木の正体を示す文字列が浮かび上がる。その名は―――

 

『The Woody Giant』

 

 直訳すれば、『木の巨人』。定冠詞を持つそれは、紛れもないボスモンスターだった。

 




イタチの武器ですが、前世の自分の“声”に従って選んだというわけではありません。


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第十七話 大木の巨人

「ルァァアアアアアア!!!」

 

 第二十一層の森の中に、凄絶な叫び声が響き渡る。森の木々を揺るがすそれは、モンスターの、それもボスのものだった。

 

(レアモンスター……それもボス…まさか、こんな時に!!)

 

 SAOにおける定冠詞の付くボスモンスターは、迷宮区やそれを守護するものばかりではない。特定のクエストに参加すると戦闘になるイベントボスや、野生で出現するボスなどもいる。そして現在、イタチ等六人を睥睨しているボスモンスターは、後者に当てはまる。

 野生で出現するボスモンスターの強さは、迷宮区を守護するフィールドボスと同等、あるいはそれ以上とされている。過去の攻略においても、野生で出現したボスモンスターの犠牲となったプレイヤーは何人も報告されている。それらが出現する度、最前線のプレイヤー達が出向いて撃破し、そのドロップを糧として攻略を続けてきた経緯もある。

 つまり、最前線で戦うプレイヤーが、満身創痍の中層プレイヤー五人を守りながら戦うことができるほど生温い相手ではないということだ。

 

「ヒィ……!」

 

突如現れた木の巨人の威容に、五人のプレイヤー達が悲鳴を漏らす。無理もない。絶望的状況から脱したと思った途端、一気に地獄へ落とされたのだから。

 

「ルゥァァァアア!!」

 

「チィッ・・・!!」

 

 自分達の置かれた状況を理解できず、硬直する五人のプレイヤーに向けて、木の巨人が巨大な棍棒を振り下ろす。ライトエフェクトが伴っているところを見るに、ソードスキルの発動、それも戦槌系に違いない。このまま振り下ろされれば、確実に犠牲者が出る。そう悟ったイタチは、舌打ちしながらも五人のもとへ駆け寄り、これに対抗するべく自身もまたソードスキルを発動する。

 

(並みの攻撃では確実に弾かれる……ならば…)

 

木の巨人が握る棍棒を弾き返すべくイタチが発動したソードスキルは、ジェットエンジンのような効果音と共に赤い光芒が迸る。片手剣専用の上位スキル、「ヴォーパルストライク」。刀身の二倍のリーチを伴う、両手用重槍スキル並みの威力のある重攻撃業である。片手剣スキルの熟練度950で取得できることから、現在の全攻略組プレイヤーの中では、イタチしか使えないソードスキルとされている。

 

「ハァァアアア!!」

 

 棍棒と衝突する間際、イタチは掛け声と共に、キアストレートの柄を“両手”で握る。片手用武器のシステム外スキル、「両手持ち」。文字通り、武器を両手で持つことにより、ソードスキルの威力や速度をブーストするほか、技同士の衝突における反動を軽減する機能がある。ただし、片手用武器を両手で持つ行為は、システムの動作認識を阻害する要因になるため、ソードスキル発動後の僅かなタイミングに実行しなければならない。

 

「ルァァアアアッッ!!」

 

 両手持ちにより、威力がブーストされたヴォーパルストライクが、木の巨人が発動した戦槌系ソードスキル、「メガ・インパクト」と衝突する。二色のライトエフェクトが激しく交錯する中、遂に両者の拮抗は崩れ、イタチと木の巨人は互いに後方へ弾き飛ばされる。

 

「うわっ!」

 

「きゃっ!」

 

イタチと木の巨人のみならず、近くにいた五人のプレイヤーも衝撃に巻き込まれて地面を転がる。だが、幸いなことに全員然程ダメージを受けてはいなかった。木の巨人を一時的に退け、着地に成功したイタチは五人の生存を確認しつつ、事態に対処するべく思考を走らせる。

 

(やはりボスクラス…一筋縄ではいかない。だが、進むほかに道は無い…)

 

 木の巨人が立ちはだかっているのは、結晶無効化エリアの境界線の上。このボスを倒さなければ、フィールドからの脱出はできない。だが、先の衝突からも分かるように、このボスは並みの攻撃力ではない。如何にイタチでも、単独撃破には時間がかかる。第一層のボスを倒した二刀流ならば可能性もあるが、後方の煙幕の向こうでは、モンスターの群れがこちらを目指して行進している。イタチの使う二刀流式スキルコネクトは、単体のボス相手には有効だが、群れで向かってくる敵には相性が悪い。一度技の連結を始めてしまうと、ソードスキル以外の行動が取れず、不測の事態に対応できなくなるからだ。

 

(麻痺を食らった三人も、まだ満足に動ける状態ではない…モンスターの群れも、もうすぐ到着する…止むを得んか………)

 

 前門の虎、後門の狼という状況に陥ったイタチには、もはや打てる手は一つしかなかった。それは、眼前のボスモンスターの撃破―――

 

「お前達、俺が奴の注意を引きつけている間に向こう側へ行け。」

 

「で、でも……!」

 

「それじゃああなたは…!」

 

イタチの言葉に逡巡する五人。イタチ一人にボスを押しつけることを躊躇ってのことだが、結晶無効化エリアを抜けるためには、そのボスの傍を通過しなければならない。タゲをイタチが取っていていも、先程のソードスキルの威力からして巻き添えを食らいかねない。ボスの横を突破するのは、イタチだけでなく、この五人にとっても命がけの行為だった。

 

「他に選択の余地は無い。もうすぐ群れも追い付いてくる。隙を見計らって突破するんだ。良いな?」

 

「あ、ちょっと!」

 

 それだけ言うと、イタチは木の巨人に再び飛びかかっていった。

 

「ルァァア!!」

 

 咆哮と共に、再びイタチへと棍棒を振り上げる木の巨人。ソードスキルではないそれを、イタチは難なく回避する。そして、懐から取り出したピックをライトエフェクトと共に投擲する。初級投剣ソードスキル、「シングルシュート」が発動したのだ。

 

「ルゥァァアアッッ!!」

 

 投擲したピックは、イタチの狙い通り、巨人の左目を穿った。痛みに悲鳴を上げ、左手で目に刺さったピックを抜こうとする木の巨人。イタチはこの隙を逃さず、さらなる追撃にかかる。

 

「ハァァァア!!」

 

 巨人の懐に飛び込み、ライトエフェクトを伴う水平斬りをその腹に食らわせる。さらに、食い込んだ刃を垂直に回転させると共に、真上に斬り上げる。斬り上げたところでさらに、垂直に斬り下ろす。片手剣三連重攻撃、「サベージ・フルクラム」である。大型モンスターに有効なこの攻撃は、イタチのステータスと両手持ちのシステム外スキルの補助を得て、六段あった木の巨人のHPゲージのうち二本を一気に削り取った。

 

「す、すげぇ……」

 

「有り得ねえ…」

 

 ボス相手に一人で渡り合い、圧倒するイタチの姿に、五人のプレイヤー達は呆気に取られていた。そんな五人に、イタチは半ば大声で叱咤する。

 

「早くしろ!今のうちに突破するんだ!」

 

「そうだった!皆、行くぞ!」

 

 リーダーの棍使いの少年の言葉に四人は頷き、未だ麻痺の残るプレイヤーを支えながら突破を試みる。その様子を目敏く捉えた木の巨人は、棍棒を五人に振り下ろそうとする。だが、それを見逃すイタチではない。先のソードスキルの硬直から回復するや、キアストレートを振りかざし、新たな重攻撃技を繰り出す。

 ジェットエンジンのような効果音と共に迸る刀身の赤い光芒は、木の巨人が放ったメガ・インパクトを弾いたヴォーパルストライクと同様のもの。だが、今回は突きではなく、袈裟掛けに振り下ろす斬撃。ヴォーパルストライクに並ぶ片手剣重攻撃技、「ヴォーパルスラント」である。

 

「ルゥゥァァアッッ!!」

 

 突破を試みる五人に気を取られていた木の巨人は、袈裟斬りをまともに食らい、片膝を付く。HPバーは一撃で一本丸々持っていかれている。残りのHPバーは三段、半分を切っていた。

 

(これならば、五人が退避するまで持ち堪えられそうだ。だが…)

 

 どうにも腑に落ちないと、イタチは感じていた。最前線で戦ってきたイタチは、ボスモンスターというものが如何に強力なものかを知っている。そのステータスはさるものながら、ソードスキル以外に特殊な能力を兼ね備えているものが多いのだ。だが、この木の巨人に関しては、戦闘開始時に見せた脅威的な怪力以外に目立った能力が無い。防御力も、重攻撃を食らわせれば簡単に半分まで削ることができた――尤も、イタチのステータスは並みのフロアボスを圧倒して余りあるのだが。故に、イタチはこのボスが何か隠し玉を持っているのではないかと感じていた。

 

「ルゥゥゥウウァァアアアア!!」

 

「何!?」

 

 そんなイタチの疑問に答えるかのように、木の巨人はこれまでになかった行動に出た。棍棒を振り上げる素振りを見せずただただ咆哮を上げる。すると、全身の皮膚からいくつもの突起物が生え、地面に弧を描いて落下した。

 

(特殊攻撃?……いや、まさか!!)

 

 先のポイズン・カクタスと同様に、全身から突起物を発射して攻撃するのだろうと思っていたが、そうではないらしい。木の巨人から飛び出た突起物に嫌な予感を覚えたイタチ。キアストレートを再び構え直し、突起物の破壊にかかる。下級ソードスキルを連発して五つほど破壊したが、健闘空しくのこりの突起物に異変が起こる。

 地面に刺さった突起物が、突如動き出したのだ。やがてそれらはバキバキと枝が折れるような音を立てて変形し、手足を生やした人形となった。

 

「ルゥゥォオ!!!」

 

現れたのは、二十体以上はいるであろう木の兵隊。各々が巨人同様、棍棒を握っている。各々の頭上には、一本のHPバーと共に、『Woody soldier』――木の兵士という文字列が浮かんでいる。これこそが、ボスモンスターたる木の巨人が有する特殊能力だったのだ。

 

(やられた!まさか、ここに来て人海戦術を取られるとは……!!)

 

 ボスモンスターに取り巻きが付くことはさして珍しいことではない。だが、ボス自身が取り巻きを作り出すというパターンは、今までの攻略において存在しなかった。この木の巨人自体、イタチも初見のモンスターであったために、能力を見誤ってしまったのだ。だが、それを悔やんでいる暇は無い。結晶無効化エリアを抜け用としていた五人組が、突如現れた木の兵隊に包囲され、立ち往生しているのだから。

 

「ウォォオオ!!」

 

 ソードスキルを連発して、立ちふさがる木の兵士を切り伏せていく。木の巨人の方も、兵士を呼び出してからそろそろ攻撃へと行動を移そうとしていた。真っ先に餌食になるのは、一番近くにいる五人組だろう。一刻も早く、木の巨人に一当てしてタゲを取らなければ犠牲者が出る。焦る気持ちを抑え、イタチは目の前の敵を確実に始末して巨人に近づこうとする。だが、

 

「シュルルルゥゥウウ!!」

 

「キシャァァアアッ!!」

 

 後ろの方から、植物系モンスター中心に群れの鳴き声が聞こえてくる。ちらりと後ろを見てみれば、先程煙玉で足止めしていた群れがすぐそこまで近づいていた。攻撃射程まで、もう数歩とないだろう距離だ。

 

(次から次へと……)

 

 大群による包囲に、首が回らなくなっていくイタチ。無理もない。猛毒植物モンスター中心の群れの相手に始まり、ボスモンスターとの真っ向勝負。それらをたった一人で、しかも五人のプレイヤーを守りながら行ってきたのだ。並みのプレイヤーではこれほどまでに長くはもたなかっただろう。

 

「きゃぁっ!」

 

「サチ!」

 

木の兵隊に包囲された五人組を見ると、女性プレイヤーが木の兵士に棍棒で殴られていた。HP全損はしていないものの、軽いダメージではない。このままでは全滅するのも時間の問題だ。

 

(……最早、これまで…なのか…!)

 

イタチ一人ではどうにもならない事態である。前世の忍時代にも似たようなことはあった。敵の忍に囲まれ、逃げ場の無い状況の中での応戦…結果は、イタチを除いて敵味方部隊全員が死亡した。どれだけ力を得ても、守れないものは存在した。転生した新たな、そして自分が生きた場所に似た世界で、イタチは初めて自身の無力を痛感した。

前世と同じく、全ては自分一人で何でもやろうとした報いなのか…自己犠牲という、自分が今まで辿ってきた道そのものが間違いだったのか…

 

「ハァァァアアアッッ!!」

 

そんな考えが胸中を占める中、イタチはこれまでに無い気迫で目の前の敵をなぎ倒しながら、五人組のもとを目指した。何が自分にできるか分からない。だが、どうしても諦める気にはなれなかった。前世の忍時代ならば、仲間の死すら冷静に受け入れられていた筈なのだが…或いは、だからこそ、がむしゃらになっていたのかもしれない。前世と同じ道を辿ることを拒んだ末の行動なのか、イタチはただ只管に足掻いた。

 

「ルゥァアッ!!」

 

「きゃぁあっ!」

 

 だが、そんな抵抗も空しく、木の兵士が先の少女へさらなる追撃を食らわせようとする。今度はライトエフェクトが伴う一撃――ソードスキルだ。今度こそHP全てを持っていかれる。即ち、命を絶つであろう一撃。イタチは為す術なくそれを視界に捉えるしかできない。だが、その時だった―――

 

「うおりゃぁぁあああ!!!」

 

 突然響き渡る、威勢のいい掛け声。モンスターに気を取られて、索敵スキルによる接近を感知できなかったそれは、男性プレイヤーのものだった。

 

(あの声は……!)

 

 イタチにとって、ベータ時代から聞き覚えのある声だった。思わず振り向いてみると、そこにいたのは、黒い着物の上に鎧を纏ったオレンジ色の髪の少年。手に持つ武器は、巨大な刀身を持つ片刃の両手用大剣――「アスタリスク」。振り翳す大剣系ソードスキル、「セミサーキュラー」が、巨大な半月を描き、三体の兵士を横薙ぎに斬り捨てた。

 

「イタチ!」

 

「カズゴ!?」

 

 イタチの名を呼んだプレイヤー――カズゴの突然の出現に、イタチは若干驚く。ベータテスト時代からの知り合いで、同じ攻略組に所属する間柄だが、何故こんな場所に彼がいるのか、イタチには理由が分からない。しかし、この場に現れたのは、彼だけではなかった。

 

「全く!僕達の知らないところで、とんでもないことになってますね!」

 

「まあまあ、取りあえず間に合ったんだし、何とかなるさ。」

 

長剣片手に外套を翻した白髪の少年と、刀を手に呑気な雰囲気を纏った熊の爪の首飾りを掛けた少年が、五人組を襲っていたモンスターの群れへと突撃する。

 

「アレンにヨウ…お前達まで……くっ!」

 

新たに現れた二人の少年も、イタチには見覚えがあった。第一層から攻略組に属してフロアボスを倒してきたベータテスター…長剣使いのアレンと、刀使いのヨウだった。

二人ともカズゴ同様、増援らしいが、何故三人もの攻略組プレイヤーがこんな時間、こんな場所にいるのか、やはりイタチには理解できない。だが、それを考える間も無く、後方から迫っていた群れがイタチに襲い掛かる。イタチは、突然現れた増援三人にどう接するべきか考えるまえに、敵の群れを殲滅する必要があると判断し、キアストレートを構え直す。と、そこへ、

 

「よお、イタチ!手間取ってるみたいじゃねぇか!」

 

 イタチの横へ、軽口を叩きながら現れたのは、趣味の悪いバンダナを頭に巻き、戦国時代の武者風の鎧に身を包んだ刀使いの男性プレイヤー。イタチにとって、このデスゲームが始まってから長い付き合いになるプレイヤーの一人だった。

 

「クライン…手伝ってもらえるか?」

 

 数層前のボス攻略から最前線に加わっている攻略ギルド、「風林火山」のリーダーであり、デスゲーム開始時からのイタチの協力者にして親友のクラインに、イタチは視線を合わせず、しかし信頼の籠った声で共闘を依頼する。

 

「応よ!こちとら、お前を助けるよう頼まれて来たんでな!行くぜ、野郎共!!」

 

 クラインの掛け声に応じ、後方からさらに六人のプレイヤーが駆けつける。クラインの鎧に刻まれたものと同じ紋章を持つ彼等は、風林火山のギルメンである。「頼まれた」、と言っていたが、それはつまり、イタチがこの階層に来ることを知っている人物が、先の攻略組三人とクライン率いる風林火山にイタチの救助を頼んでいたということなのだろう。誰の差し金かは分かっているが、その配慮は今となっては非常にありがたい。イタチは十人に及ぶ攻略組の応援に甘えて、敵の殲滅に乗り出すことにした。

 

「この階層のモンスターは毒を持つものが多い。クライン、お前や他のメンバーは耐毒ポーションを服用しているか?」

 

「おう、抜かりはねえぜ!」

 

「よし…なら、針を持つモンスターを中心に仕留めろ。そいつらは大概が猛毒を持っている上に、針を発射する。ポーションの効果が切れる前に潰せ!」

 

「よっしゃ、分かった!!」

 

「大概の植物系モンスターは、胴体の茎が弱点だ。横薙ぎのソードスキルで薙ぎ倒せ!」

 

「了解!!」

 

「トードスツール・メイサーは、打撃系ソードスキルを食らわせると毒胞子をばら撒く。刀剣使いが相手をしろ!」

 

「俺の出番だな!!」

 

「メガネペントは、腐食効果のある溶解液を体内に持っている。袋は傷つけず、茎だけを正確に狙うよう注意しろ!」

 

 イタチの指示のもと、風林火山メンバーは次々とモンスターを撃破していく。メンバー全員が耐毒ポーションを服用しているお陰で、ポイズン・カクタスのような毒針を発射するモンスターも脅威ではない。イタチを含めた八人で交互にスイッチし、POTローテを即席で組んで殲滅していった。

 その後方で、木の巨人とその兵士を相手にしていた攻略組三人は、五人組の中層プレイヤーを守りながらも取り巻き・本体両方にダメージを与えて追い詰めていく。攻略組であり、ソロプレイヤーとして戦ってきた経緯のある三人にとって、この階層のボスは脅威足り得ない。やがて、カズゴの豪刀による一閃がHP全損に追い込み、木の巨人はポリゴン片へと帰した。

 同時に、イタチと風林火山が相手していたモンスターの群れも殲滅が終わった。第二十一層のフィールドに夜の帳が下りる中、攻略組プレイヤーを巻き込んで行われた大戦闘は、誰一人犠牲者を出すことなく、終結した。

 

 



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第十八話 月夜の黒猫団

 第二十一層のフィールドでの死闘から生還した十六人のプレイヤー達は、転移結晶を使って主街区へと一時帰還した。その後、フィールドで群れに襲われていたギルド、月夜の黒猫団に事情聴取するために、彼等のホームとしている第十一層、タフトにある宿へと向かうこととなった。その場には、イタチの他にも、救援要請を受けて出向いたという攻略組三人と、風林火山の計十名はもちろんのこと、彼等に依頼を出した当事者も姿を現したのだった。

 

「…やはり、クラインやカズゴをよこしたのはお前だったのか、アルゴ。」

 

「にゃはは。でも、呼んでおいて正解だったろウ?」

 

 イタチの目の前にいるのは、フードを被った小柄な女性プレイヤー。ヒゲを模した顔のフェイスペイントが特徴的な情報屋、鼠のアルゴである。要請を受けて救援に来たというクラインの言葉から、イタチは目の前の人物の差し金であろうことは薄々気付いていた。

 

「いや~、苦労したんだヨ。イタっちが危険な所に行くって言って、嫌な予感がしたから二十五層のレストランで食事していたコイツ等に声かけて、出向いてもらったんだかラ。」

 

「全く…無茶が過ぎるんですよ。最初から僕たちにも声を掛けてくれればよかったものを…」

 

「本当だぜ。水臭えったらありゃしねえ。」

 

「ま、結果オーライだろ。皆生きてんだ。オイラはこれで良かったと思うよ。」

 

「ああ、感謝している。お陰で犠牲者が出なかったことだしな。あとでしっかり礼もさせてもらう。」

 

「いらねえよ、んなもん。俺達が勝手に引き受けただけだ。恩に感じることなんかねえよ。」

 

 レッドプレイヤーと接触する可能性があると言ったことが原因らしい。心配したアルゴが、最前線の迷宮区攻略から帰ってきたカズゴやクライン達に、イタチが言った二十一層へ出向いてもらうよう要請したとのことだ。無愛想だが面倒見の良いカズゴだけでなく、痩せの大食いであるアレンまでもが食事を放りだして来てくれたのだから、相当心配をかけたらしい。イタチの内心は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。ここは素直に頭を下げて、謝ることにした。

 

「皆、迷惑かけて済まなかった。」

 

「よせよせ、オイラ達は仲間じゃんかよ。」

 

「そうですよ。同じベータテスターとして、前線で戦った仲です。助け合うのは当然でしょう。」

 

「…だが、俺はビーターだ。あまり関わり過ぎるのは…」

 

「んなもん、気にしてねえよ。」

 

イタチの言葉を遮ったのは、カズゴだった。相変わらず目つきの悪い顔で、しかも眉間に皺を寄せながらイタチの方を向いて口を開く。

 

「ビーターだか何だか知らねえが、俺はそんなことはどうだっていい。大体、誰もお前にそんなこと頼んでねえんだ。お前一人で何でもかんでも背負おうっていう考えは気に入らねえな。」

 

 口は悪いが、カズゴなりの優しさなのだと、イタチは感じていた。ベータテスターとして、このゲームを作った当事者の一人として、全プレイヤーの憎しみを一身に受ける覚悟で攻略を続けてきたが、カズゴやアルゴは接し方を変えようとはしなかった。それは、皆がイタチを仲間として認めてくれている何よりの証拠だった。

 

「カズゴも素直じゃねえなぁ…ま、オイラも気持ちは同じだ。」

 

「そうですよ。イタチ一人で背負うことなんて、ないんです。僕達がいつだって力になりますよ。」

 

 カズゴに続き、ヨウとアレンも共感し、しかし笑みを浮かべながらイタチに話しかける。そんな三人の優しさに、イタチは居た堪れなくなる。茅場晶彦のゲーム開発に尽力し、このような暴挙を未然に食い止める立場にあったものの、現実から逃避しようとうする気持ちがあったがために、目の前の三人を含めた一万人ものプレイヤーを死の牢獄へ閉じ込めてしまったのだから。そしてだからこそ、今の在り様を変えてはいけないとも、イタチは思う。

 

「…気持ちは嬉しいが、これは俺なりのケジメだ。お前達をこれ以上巻き込むわけにはいかない。」

 

 イタチの言葉に、一同は溜息と苦笑を浮かべる。ここ半年の攻略で、皆イタチの性格を理解しつつあったのだ。そして予想通りの、自己犠牲的な発言。仕方ないと言わんばかりに、皆肩を竦めた。

 

「ったく、お前えは最初に会った時から変わんねえなぁ…なら、こっちにも考えがあるぜ。なあ、アレン。」

 

「そうですね。イタチが協力を求めないなら、僕達の方から関わることにするよ。」

 

「アルゴから話は聞いてんだ。レッドプレイヤー絡みの厄介事なら、攻略組としても放っておけねえ。助けてやった手前、話を聞くくらいはいいだろ?」

 

 どうやら、クラインやカズゴ達は今回のレッドプレイヤー絡みの騒動に関わる気満々らしい。イタチとしては、事と次第によってはプレイヤー同士の殺し合いに発展する可能性のある案件なだけに、これ以上の詮索はしてほしくなかったが、助けてもらった手前断れない。渋々、同席を認める事となった。

 

「話はまとまったみたいだナ。それじゃ、隣の部屋で待たせてる五人のところへ行くヨ。」

 

 アルゴがそう言うと、イタチ含め五人の元ベータテスター達は、隣の部屋で休ませていた、ギルド・月夜の黒猫団の五人に会いに行くべく席を立った。

 

 

 

 

 

夜の闇に包まれた第十四層郊外の森の中。普段、一般のプレイヤーが立ち入らない場所にあるモンスターの出ない安全地帯。野生のモンスターが現れることのない空間、そこに三つの影があった。

 

「ヘッド、さっき黒鉄宮に行った奴にメッセージ送って確認したんだけど、えーと…月夜の黒猫団、だったっけ?名前に横線は入ってなかったってよ。」

 

「Um…あのパーティーが、群れを突破できるとは考えられねえな。俺の動きを事前に察知して阻止した奴がいたってことだ。」

 

ブーツ、パンツ、レザーアーマー、身に纏うもの全てが黒一色で、頭には頭陀袋のようなマスクを被った男が無邪気に話す。それに対し、膝上までを包む艶消しの“黒いポンチョ”を纏い、フードを目深に被った男は熟考した様子で答える。

 

「あなたの、邪魔を、した…何故、だ?そして、何者、だ?」

 

 今まで黙っていたやや小柄な男が、黒いポンチョを纏った男に問いかける。切れ切れの言葉で話すその男は、頭陀袋を頭に被った男と同じく全身黒ずくめだが、全身にびっしりと襤褸切れのようなものを下げ、顔には髑髏を模したマスクをつけている。眼窩の奥には、赤く光る両眼が覗いている。

 

「俺のファン…じゃねえことは確かだな。だが…そう、第二層で強化詐欺プランを吹き込んでから、だったな。鼠の女を通じて、今も俺のことを探っているそうだ。」

 

「それって、半年前じゃなかったっけ?何でヘッドのことをそんなに追いかけようとするのかなあ?」

 

「鼠の、女…捕まえて、吐かせる、か?」

 

 髑髏マスクの奥に覗く赤い瞳が、剣呑な空気を纏い始める。黒いポンチョの男性が命じれば、恐らく地の果てまでもその女性を追いかけて捕らえるであろう雰囲気だ。だが、当人は手を翳してそれを制した。

 

「それには及ばねえ。あの包囲を突破したってことは、間違いなく攻略組…それも相当な実力者だ。それに、俺に会いたがっているんだ…望み通りにしてやろうじゃないか。」

 

 フードの奥に不気味な笑みを浮かべながら、黒いポンチョを纏った男性はそう締めくくった。そして、その場にいた髑髏マスクの男と頭陀袋の男に背を向けてその場を立ち去ろうとする。

 

「ヘッド、どこに行くんだ?あ、分かった!連中が上手いこと死ななかったから、直接手を下しに行こうってんでしょ!?なら、俺も行っていい!?」

 

「俺も、行く。」

 

 黒いポンチョの男と同行を希望する二人の黒ずくめ。だが、言い寄られた当人は苦笑しながら首を横に振った。

 

「そんなんじゃねえ。俺はもう、そいつらには興味がない。それとは別に…ちょっとした仕込みに行くのさ。お前達は、ここで待ってな。」

 

 頭陀袋の男の問いかけに、黒いポンチョの男は不敵に答える。残された二人は、若干不満そうにしていたものの、言われた通りに森の安全地帯に居残ることにした。

 

(第二層攻略以降、俺を探しているプレイヤー…)

 

 その人物の存在を知ったのは、一カ月ほど前のことだった。鼠のアルゴを通して自分を探している男は、隠密に調べてほしいと頼んでいたようだ。お陰でこちらは、約四カ月もの間、自身を探している人間がいることには気付けなかった。人探しをするならば、アインクラッドにて刊行している新聞の人探しコーナーに応募する方法もあった筈だ。なのに、アルゴ一人による隠密捜査という非効率的な手段を講じている。自分の特徴をあまり知らなかったことが原因だとしても、何故捜索していることを隠そうとするのか。

 

(恐らく、俺がどんな存在かを知っている……いや、理解している…!)

 

 考え抜いて至った結論が、それだった。デスゲーム開始以降、自分はこの世界を自分が正しいと認識している在り様へと導こうとしている。だがそれは、世の倫理から外れた思考故に、簡単に受け入れられる道理ではない。故に自分は常に水面下で動き、その目的が露見しないよう細心の注意を払ってきた。にも関わらず、第二層で行った強化詐欺斡旋の事件で、その男は自分の目論見を看破したのだ。そして、その思考の危険性、自分の実力等、全てを理解しているからこそ、隠密に捜索を試みていたのだ。他のプレイヤーが関与しないように。

 

(一度も顔を合わせたこともなく、そこまで見抜くとは…恐らくそいつは、相当な切れ者…そして、“俺と同類”。)

 

だからこそ、自分の動向を察知できたのだと、結論付ける。そこまで考えると、男の口元が歪んだ。それはもう、これ以上面白いことなどないと言わんばかりに、フードの奥の薄暗い闇の中に、笑みが貼り付けられている。

 

(Wow…まさか、攻略組にそんな奴がいたとはな…)

 

 予想以上に、この世界は楽しくなりそうだ。闇に包まれた森の仲を直進する男は、そう感じた。そして、誰にでもなく、一人呟いた。

 

「It’s show time.」

 

 

 

 

 

 二十一層でモンスターの襲撃から生還した五人のプレイヤー、中層ギルド、月夜の黒猫団に対する聴取は、三人の攻略組プレイヤー立ち合いのもと、イタチとアルゴが主導で行っていた。

 

「それで、中層フロアで主に活動していた君達が、何故あんな最前線近くのフィールドにいたのか、話してもらえるか?」

 

「あ、ああ……二、三日前のことだけど…僕達、月夜の黒猫団は、ホームを買うためにクエストをこなす日々を送っていたんだ。けど、報償の良いクエストは、どれも要求レベルや条件が厳しくて……装備の点検や日々や生活費で出費も嵩んで、なかなか資金が集まらなくて…」

 

「まあ、プレイヤーホームはかなり値が張るからナ。ホームを購入しているプレイヤーは、攻略組でもごく少数、それも大型ギルドだけなのが現状ダ。」

 

 アインクラッドのプレイヤー達の事情を大凡把握しているアルゴは苦笑しながら付け足した。最前線で活動するプレイヤー達にとって、拠点の確保はほぼ共通の優先事項と言える。単純な理由としては、寝食をする場所や予備のアイテムを保管するスペースの確保、仲間内で集まるための場所として活用することなどが挙げられる。また、どれだけ大型の拠点を確保できるかで、ギルドの格が決まるということもある。月夜の黒猫団の場合は、単純にギルメン全員で利用するためのホームが欲しいというだけの話だが。

 ともあれ、今回の騒動の大元は、ギルドホーム購入のための資金調達にあるらしい。月夜の黒猫団のリーダー、ケイタの話は続く。

 

「それで、もっと効率よく稼ぐために、最前線に近い階層で狩りをしようってことになったんだ。でも、俺を含めて皆、安全マージンが足りなくて…レストランで話し合って、やっぱり無理だって結論に至ったんだけど…そこに、すぐ横の席で食事をしていたプレイヤーが、「上手い儲け話があるぜ」って、言ってきたんだ。」

 

 話が核心に迫った、とイタチは感じた。顔を若干上げると、目線の先にケイタをしっかり捉え、真剣な声色で問いかける。

 

「そいつに何を言われたのか、あとそいつの容姿について、聞かせてくれるか?」

 

「ああ。それで、資金調達に行き詰っていた俺達は、そいつの儲け話について聞いてみることにしたんだ。それで、そいつが言うには、二十一層のフィールドに、大量のコルを落とすモンスターが出現するスポットがあるって聞かされて…」

 

「乗せられて、行ったのか。」

 

「ああ~、気持ちは分からねえでもないな。」

 

「詐欺だとか、疑わなかったのカ?オイラは攻略組はじめ、多くのプレイヤーの間で情報のやり取りをして、攻略済みの階層についての情報も集めてるが、そんな話は全く知らないゾ。」

 

 呆れを含んだイタチとアルゴの言葉に、月夜の黒猫団の面々は居た堪れない気持ちになる。ギルドのリーダーであるクラインは同情しているものの、今になって思い返せば、上手すぎる話しだった。詐欺をはじめとして、あらゆる犯罪行為に手を染めるプレイヤーが実際に現れていることは、デスゲーム開始以来幾度となく報告されている。用心が足りなかったと言われても、文句は言えない。

 

「勿論、最初は皆戸惑ったんだ。何せ、二十一層は最前線付近で、しかも毒系モンスターばかり現れる階層だってことは俺達も知っていた…けど、そいつの話では、大金を落とすモンスターは、一月に一度か二度程度だってことだし、他のプレイヤーに見つかるのも時間の問題だから、急いだ方が良いって言われたんだ……それに、」

 

「それに?」

 

「狩りには、その人も一緒に行ってくれるって言ったんだ。流石に、同行する以上は危険を共有するわけだし、大丈夫だろうって思って……でも、あの人は…アイツは、途中で僕達にここで待てって言って、先行したまま戻らなくて…それで気付いたら、モンスターの群れに囲まれていて……」

 

「明らかなMPKだナ。」

 

 MPK、正式名称「モンスター・プレイヤーキル」。それは、強力なモンスター、または群れを標的のプレイヤーのもとへ誘導することで、自分の手を汚さずにプレイヤーを殺す手段である。プレイヤーの死と共にその場にドロップするアイテムを手に入れるために行われる、従来のMMORPGにおいて忌み嫌われるマナー違反行為だが、このSAOにおいては今や窃盗目的の殺人に等しい行為である。SAOにおいて、プレイヤーを攻撃した犯罪者プレイヤーは、頭上のカーソルがグリーンからオレンジへと変色する。だが、MPKはその限りではなく、直接手を下すのがモンスターであるため、プレイヤーのカーソルは変色しないのだ。まさに、自分の手を汚さないプレイヤー殺害手段である。

 だが、イタチはそれ以上に、実行した人物のことが気になった。

 

(あの時、俺は索敵スキルを使用しながら森の中を探索していた…にも関わらず、そいつを捕捉できなかったということは、俺の索敵を欺く隠蔽スキルを持っているか、或いは反対側の森を抜けたことになる…)

 

 月夜の黒猫団が放置された結晶無効化エリアは、イタチが探索を行っていた場所とは反対側に向かって広がっている。つまり、そのプレイヤーは、月夜の黒猫団にMPKを仕掛けた後、結晶無効化エリアを突破して森を抜けたことになるのだ。

 

(二十一層の密林は、毒虫、毒草のモンスターが蔓延る危険地帯……攻略組すら忌避するその場所は、生半可な隠蔽スキルでは抜けられない。結晶を使えない状態で森を突破したと言うことは……そのプレイヤーは、攻略組に匹敵する…いや、それ以上の実力の持ち主ということになる…!)

 

 それは、非常に恐ろしい推測だった。攻略組を上回る実力者が、犯罪者プレイヤーにいる。今回はMPKだったが、その気になれば、フィールドで全員を血祭りに上げることだってできた筈なのだ。生還できたのは、僥倖としか言えない。

 イタチは内心で冷や汗を流しながらも、いよいよもって聞かねばならなくなった、元凶たるプレイヤーについての情報をケイタから聞こうとする。

 

「それで…そのプレイヤーは、どんな奴だったんだ?」

 

「ええと…黒エナメルの、雨合羽みたいなフーデッドマントをすっぽり被って、顔を隠した男で…そうだ、それから、喋り方も特徴的だった。」

 

「特徴的な、喋り方…?」

 

「どんな風にお前達に話しかけていたんだ?」

 

「何て言うか…綺麗な笑い方だった。それで、話を聞いている内に、僕達も笑ってて…最初は無理だろうって言ってた話の流れが、やれるんならやってみようって言う雰囲気に変わったんだ。」

 

 月夜の黒猫団を危険なフィールドに引きずり出した男の特徴、そして人の心を巧みに誘導する話術…否、洗脳術は、イタチの中で、探していた人物の特徴に完全に合致するものだった。MPKを仕掛けた点からしても、自身の予想が全く外れていなかったことを悟った。

 

「……それで、その男の名前は?」

 

「パーティーを組んでいたわけじゃないから、確認はできなかったけど…僕達には、“PoH(プー)”って、名乗っていた。」

 

 『PoH』…ユーモラスな名前だが、あるいはだからこそ、人を惹きつけ、変えてしまう、ある種のカリスマを持っているのだろう。第二層で強化詐欺を働いたプレイヤーからの証言でもそうだったが、PoHと呼ばれるプレイヤーは、人心を操る『洗脳』という名の、最凶のシステム外スキルをコンプリートしているのは間違いない。プレイヤーの倫理観、危機管理能力のレベルを落とし、犯罪や危険行為に走らせているケースが実際にある以上、放置することはできない。何より、人心を操るカリスマを持っているということは、『ギルド』のリーダーになれる素質を持っているに等しい。

 

(もし奴が集団…組織を作り上げたとすれば、それは間違いなく最悪な事態を招く…)

 

 イタチが考える、PoHをのさばらせることによって引き起こされる最悪のケース…それは、PoHを筆頭とする、SAO初の『殺人ギルド』の結成である。未だPoHの目立った活動はないが、だからこそ、水面下での組織作りをしていると考えられる。或いは、既に結成されている可能性もある。

 

「……その、PoHという男については、他に何か知っていることはないのか?」

 

「ああ…これ以上は、何も知らない。俺達も、狩りを提案された時と、当日の合流時にしか会ったことがないんだ。」

 

「そうか…」

 

予想通りの返答に、イタチは内心で溜息を吐く。プロの犯罪者プレイヤーが、そう簡単に自分の足取りが付く証拠を残すとは考え難い。こうなってしまっては、これ以上PoHを追う手掛かりは無い。イタチは頭を切り替え、今すべきことを考えることにした。

 

「イタチ、お前これから、どうすんだよ?」

 

「…PoHの行方が分からない以上、捜索は無理だ。アルゴに今後手掛かりを探して貰う事にする。」

 

「レッドプレイヤーであることが分かった以上、料金は増額するヨ。」

 

「構わない。それで、月夜の黒猫団だが…」

 

 イタチの視線を戻した先には、深刻な顔をするリーダーのケイタを筆頭として、残り四人も蒼白な顔をしていた。プレイヤーの悪意によるMPKに遭い、命からがら逃げてきたのだ。無理もない。だが、イタチはそんな彼らに対しても、飽く迄いつも通りの冷静な口調で話しかける。

 

「MPKに遭った以上、この後犯人が接触を試みる可能性が少なからずある。」

 

「そ、そんな…!」

 

 月夜の黒猫団の面々が再び驚きと共に怯える。たった一人の女性プレイヤー――サチに至っては、今にも泣きそうな顔をしている。

 

「そのため、今日はここにいる面子の内、俺を含む何人かが残って、護衛をする。異論は?」

 

 PoHによる再度の接触を警戒しての提案に、しかし攻略組十人は一切反論しなかった。

 

「俺は良いぜ。」

 

「オイラも手伝うぞ。」

 

「僕も大丈夫ですよ。」

 

「俺んとこも大丈夫だな。明日ぐらいまでだったら、護衛しても良いぜ。」

 

ベータ時代からのソロプレイヤー三人と、クライン率いる風林火山は、イタチの提案に従い、護衛に参加することとなった。攻略組の腕の立つプレイヤーが護衛してくれると聞いて、月夜の黒猫団五人の顔にも安堵が浮かぶ。

 

「アルゴ、お前にはこれから、今回の件を軍や他の攻略組ギルドの幹部に伝えておいてほしい。それと、新聞にも今回の一件を載せておいてくれ。」

 

「了解したヨ。新聞の方は、良いネタだし、今回は依頼料を取らないでおいてあげるヨ。」

 

 レッドプレイヤーの捕縛を試みるならば、第一にアインクラッドの治安維持に努めているアインクラッド解放軍への通報が必須である。また、相手が攻略組に匹敵する実力の持ち主である以上、それに対抗し得る戦力を揃える必要がある。他の一般プレイヤーへの通知に関しては、アルゴが発行している新聞を利用すれば良い。

 

(予想通りの人物像だったが、遂に行動に移してきた……恐らく、これは始まりに過ぎない…)

 

イタチの中でS級危険人物指定されているPoHが、中層プレイヤーのMPKのみで満足する筈が無い。今後は、イタチが考えている、あるいはそれ以上の凶行が、彼とその仲間達の手により繰り広げられ、同時にそれを討伐するためのプレイヤー同士の血で血を洗う戦いが勃発することすら予想される。

窓の外に広がる、未だ日の出には遠い夜の闇は、これから辿るプレイヤー運命を暗示しているかのようだった。

 

 



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第十九話 サチ

 第十一層、タフト。既に攻略済みの階層であるそこは、主に中層プレイヤーが活動する場所として知られている。しかし現在、そんな階層の宿屋に、十人もの攻略組プレイヤーが犇いていた。

 

「ふぁあ…そろそろ、交代の時間だな。リーダー、よろしく頼んます…」

 

「カズゴ、時間だぜぇ…」

 

「んぅ…おう、任せとけ。」

 

「おぅ…今、行く。」

 

 宿屋の一室に、眠そうな顔をした、攻略ギルド、風林火山に所属するプレイヤー二人が入り、同ギルドのリーダーであるクラインと、攻略組ソロプレイヤーのカズゴが入れ違いに出て行く。月夜の黒猫団がMPKに遭ったことにより、再度犯人による接触があると予想し、攻略組十一人がローテーションを組んで宿の見張りに当ることにしたのだ。

そして現在、クラインとカズゴが見張りを交代する時間となったのだ。風林火山のメンバー二人と入れ違いに、クラインとカズゴは月夜の黒猫団が泊まっている部屋の前を巡回する。

 

「カズゴ、悪りぃが、俺はちょっとイタチんとこに行ってくらぁ。」

 

「ああ、ここは俺が見張っとくよ。」

 

 宿の廊下を一回りした後、クラインはカズゴに見張りをしばらく頼むことにする。向かう先は、この警護開始から交代無しで見張りを続けているメンバーのいる、宿屋の玄関口。ロビーを出た表門の壁に、件の人物は寄り掛っていた。

 

「おう、イタチ。そっちはどうだ?」

 

「特に異常は無い。静かな夜だ……不気味な程にな。」

 

 素人目に見ても、宿の玄関口に立っているイタチには、油断した様子が全く見られない。視線の先は、常に暗闇の向こうに潜む何かを見据えているかのようだった。

 

「しっかしよお……その、PoHって奴、そんなにヤバいのかよ?」

 

「少なくとも、俺が今まで見聞きして知った犯罪者プレイヤーの中では、段違いに危険な人物だ。MPK程度で終わるような奴とは思えん……」

 

「本当かよ……俺も今まで、その手のオレンジプレイヤーとはやり合ってきたが、みんなチンピラみてえな、大したことねえ奴ばっかだったぜ。そいつだけ、何が違うってんだ?」

 

「PoHを他のオレンジプレイヤーと同じ物差しで測るな。奴は生粋のレッドプレイヤーだ。」

 

 真剣な表情で、キッとクラインを睨むイタチ。今回のMPKの話だけでも、PoHという殺人者、レッドプレイヤーは、攻略組としても通用する実力者であることが分かっている。

デスゲームと化したこのソードアート・オンラインというゲームを脱出することは、全てのプレイヤーの悲願である筈。だが、PoHという男をはじめとした、レッドプレイヤーは違う。この世界からの脱出を望まず、デスゲームをよりデスゲーム足らしめるためだけに、積極的に殺人を行っているのだ。

 

「奴を放置しておけば、犠牲者はまだまだ増えるだろう。何としても、止めねばならん……」

 

「厄介なことになっちまったなぁ……」

 

 イタチの話に、溜息を吐くクライン。イタチがピンチと聞いて駆けつけ、成り行きで事の次第を聞くに至ったが、まさかこんな事態に直面するとは夢にも思わなかった。そんなクラインの様子を見て、イタチは改めて口を開く。

 

「……嫌なら、この件からは手を引いても構わない。お前もギルドのリーダーだ。仲間の安全を守るならば、これ以上関わらない方が賢明だ。」

 

 レッドプレイヤー絡みの事件、しかも相手は攻略組に通用する実力者となれば、死闘になる可能性は高い。イタチはクラインに、事件から手を引いて攻略最前線に戻ることを提案する。だが、

 

「馬鹿なこと言うなよ。俺やカズゴ達は、勝手に関わってんだ。心配される謂れは無えよ。」

 

 クラインは頑として手を引く気は無いと言う。仲間として自分を気遣ってくれるのはありがたいが、プレイヤー同士の殺し合いに発展しそうな案件なだけに、やはり不安がある。

 

(最悪の場合は、俺が奴を仕留めなければならんな……)

 

 未だ顔すら知らないプレイヤーだが、脅威足り得る存在であると、イタチは考える。攻略組に匹敵する実力を持つ以上、生け捕りは難しい。最終的には殺るか、殺られるかの戦いになると予想される。

 

「……無理はするなよ。」

 

「その台詞、お前にそっくりそのまま返してやらぁ。」

 

警告のつもりで発した言葉だったが、クラインは呆れ半分にそう返してきた。フロアボス攻略の時もそうだが、イタチは自己犠牲的に危険な役回りばかりを引き受けている。今回もそれと同様、全て一人で解決しようとするに違いないと、クラインは予想していたからだ。

その後、クラインはイタチのもとを離れてカズゴがいる廊下へと戻ろうとした、その時だった。

 

「クライン!イタチ!」

 

 宿の奥から、血相変えて二人の元へ駆けつけてきたのは、クラインと同じく現在見張りのシフトを引き受けているカズゴだった。ただならぬ様子に、イタチとクラインは訝しげな顔をする。

 

「何事だ?」

 

「何かあったのか?」

 

「拙い事になった!あのサチっていう女、いなくなったぞ!」

 

 カズゴから告げられた衝撃の事実に、イタチとクラインは目を見開く。サチとは、月夜の黒猫団に所属している唯一の女性プレイヤーである。黒髪を肩まで伸ばした、大人しい雰囲気の少女で、第二十一層からの救出時においてもかなり怯えていたのをイタチは覚えている。

とりあえず、状況を把握するために、イタチはカズゴに事情説明を要求する。

 

「どういうことだ?何故、彼女がいなくなったんだ?」

 

「見張りの途中で、索敵スキルを使ったんだ。それで、部屋の中の人数を確認していたら……あの女の個室だけ、反応が無かったんだ。」

 

「部屋の中は確認したのか?」

 

「ああ……扉の解錠はフレンド登録している奴が自由に行える設定にしてあったお陰で、中に入れたからな。確認してみたが、部屋は蛻の殻だった。」

 

 宿の扉の鍵は、ギルドやフレンド、パーティーメンバーが自由に解錠できるよう設定できる。月夜の黒猫団の警護をすることが決まってから、緊急事態に備えてここに残っている攻略組は全員、フレンド登録をしているのだ。

 

「おいおい、そいつぁ拙いんじゃねえか……!」

 

「窓のロックが解錠されていたから、恐らく窓から裏口へ行ったんだろう。」

 

「……カズゴ。この事は、もうケイタや他のメンバーにも伝えたのか?」

 

「いや、まだだが……」

 

「分かった。サチは俺が探しに行く。お前達は他のメンバーを起こして事情を説明しておいてくれ。あと、念のために宿の中も捜しておいてくれ。」

 

 イタチはカズゴとクラインにそう指示を飛ばすが、二人は納得した様子ではない。クラインは、早々に無茶をしようとしている親友に対し、舌打ちしながら問いかける。

 

「お前一人で行くつもりかよ……!」

 

「俺は『索敵』の派生で、『追跡』が使える。フレンド登録しているサチの居場所も追える。」

 

「なら、俺達も同行した方が良い筈じゃないのか?」

 

「この騒動を、レッドプレイヤーに知られないようにしたい。第十一層主街区へ入って以降、少なくともこの宿を監視している様子はない。大人数で動いて、事情を察知した敵が先にサチを確保するのだけは防がなければならん。」

 

「けどよぉ……」

 

「安心しろ。サチは今のところ、この階層から動いていない。すぐに探し出せるさ。二人とも、他の月夜の黒猫団のメンバーを頼んだぞ。」

 

フレンド登録の機能により、サチのいる階層を調べながら、未だに納得した様子のないクラインに心配無用と言ってやる。その後、イタチは二人の制止を無視して裏口へ向かう。

 

(裏口は……あそこか。)

 

 宿の裏に出たイタチは、裏口を確認するや否や、右手を縦に振ってメニューウインドウを呼び出す。スキルメニューのタブに指を走らせ、『索敵スキル』から『追跡』を選択。探索対象の人物にフレンド登録した名簿から『サチ』を選択。すると、イタチの視界に映る地面に、目には見えない足跡が浮かび上がる。これが、索敵スキルの派生、追跡スキルである。

 

(急がねば……)

 

 地面に浮かび上がった足跡を追って駆け出すイタチ。追跡スキルは、対象が同じ階層にいなければ発動できない。宿を飛び出したサチの真意は分からないが、精神的に不安定なことは間違いない。どこへ行くかも分からない以上、すぐに保護しなければならない。

 

(……あそこか……)

 

 足跡を辿る内、イタチはサチが隠れているであろう場所への入り口へと至った。そこは、主街区の外れの水路の入り口だった―――

 

 

 

主街区の地下水路は圏内でありながら、その通路の入り組み様は、さながらダンジョンだった。隠された宝箱などもあることから、一時は攻略組はじめ多くのプレイヤーが足を踏み入れたが、帰り道が分からなくなったために転移結晶を使用しなければならない者まで出たこともある。十一層、タフトの地下水路に関しては、目ぼしい宝箱は全て開けられているため、人の出入りは極端に減っていた。

そして現在、そんな水路の中を、月夜の黒猫団の唯一の女性ギルメン、サチは一人で歩き続けていた。

 

(どうして……どうして、こんなことになったの?)

 

 自身の胸の内に湧いた疑問に、しかし答えは出せない。同じパソコン研究会と一緒に、成り行きでこのソードアート・オンラインというゲームをプレイした。世界初のVRMMOというゲームなだけに、サチも当初は興味を惹かれたが、プレイして早々、後悔することとなった。

 小説やSFの世界にしか存在しなかった異世界を再現した仮想世界は、確かにサチや仲間にとって、言葉に表せない程の感動を覚えさせられるものだった。だが、このゲームはMMORPG、つまりバトルメインのゲームなのだ。圏内から一歩外に出れば、そこはモンスターが闊歩する危険なフィールドである。人一倍怖がりなサチにとって、このゲームをプレイするのは荷が重すぎた。メンバーと共に数十分プレイしたが、戦闘への恐怖から、早々にログアウトしたいと思った。だが、それは叶わぬ願いとなってしまった。

 夕暮れの赤に包まれたはじまりの街において行われた、SAO制作者こと、茅場晶彦からの、チュートリアルという名の処刑宣告。ゲーム内の死=現実の死となったこの世界に、サチは激しく恐怖した。当初は他のパソコン研究会のメンバーと共に、外部からの助けを待った。だが、二週間、三週間と経過しても助けはおろか、連絡の一つも来なかった。救出が期待できず、また自分達の日々の生活費を稼ぐためには、戦う以外に選択肢はなかった。そしてある日、研究会のリーダーであるケイタは、会議で他のメンバーに対し、狩りを行い、生活費を稼ぐことを提案した。ゲーム内に閉じ込められてから、かなりの時間が経過していたこともあり、他のメンバーも腹を括ったのだろう、反論する者はいなかった。サチは内心ではフィールドに出ることが怖くてたまらなかったが、圏内に一人残されるのは、もっと嫌だった。結果、無理を押して仲間達についていくことにしたのだった。

 最初の内は、順調だった。レベル上げの効率は攻略組などには及ばなかったが、それでも着実に、そして安全にメンバーのレベルは上がっていった。そうして、活動範囲が第十七層まで広がった、ある日のこと。プレイヤーホームの購入を考えていた、ギルメン全員のもとへ、黒いポンチョを纏った男が現れた。第二十一層に、美味い儲け話があると言った男の言葉に乗せられ、安全マージンが不足した状態で危険なフィールドに入ってしまった。モンスターの群れに襲われ、絶体絶命の危機を迎えたが、黒ポンチョの男を追っていた攻略組プレイヤーのお陰で、命からがら逃げ延びることができた。

 だが、サチの恐怖は治まらない。こんなデスゲームという異常事態の中、ゲームにおける殺人によって、現実の人間の命をも奪うプレイヤーの存在に、サチの心は恐怖で掻き乱されていた。何故、こんなことをするのか?人を死に追いやって、殺して……何が楽しいのか?サチには全く理解できなかった。

 

(やだ……こんなの、嫌だよ…………!)

 

 現実ではない場所で、人が人を殺す。今回のMPKで、サチは死を間近に感じたばかりでなく、人を殺そうとする悪意が存在することを知った。その事実は、サチの精神をただひたすらに苛む。

 助けてくれた攻略組プレイヤー達から、安全のために外出禁止を言い渡されていたにも関わらず、宿を飛び出した理由は、サチ自身にも分からなかった。ただ、目の前の現実が信じられなくて……一人になりたくて……そして、何もかもから逃げたかった。そんな感情が、サチの胸中を占めていたのだ。

 地下水路をひたすらに歩き続けたサチは、やがて目の前の十字路になっている場所の隅に座りこみ、最近手に入れた隠蔽能力つきのマントを被ってうずくまった。

 

(怖い……怖いよ…………)

 

 ソードアート・オンラインという死の牢獄に囚われて半年。最前線で戦う攻略組の活躍によって、百層ある鋼鉄の城は四分の一が攻略されようとしている。だが、そんな長い月日の間、サチのような一般プレイヤーは勿論のこと、攻略組のプレイヤーでさえ、この世界で過ぎゆく時間の中で、先行きの見えない不安を抱いているのだ。サチがこの場所へ来て怯えるに至ったのは、それが心中に溜まり、破裂した結果だった。

 膝を抱えて一人震えるサチ。と、そんな時だった。

 

「その話、ホンマに信用できるんやろうな?」

 

 水路の向こうから突然聞こえた声に、サチはビクッと震える。どうやら、この水路に自分以外の誰かが入っており、誰かと話しこんでいるようだった。

 

(……誰なんだろう?)

 

 自分が言うのもなんだが、こんな夜更けに水路に入ろうと考える人間の思考は理解し難い。話をしている人物は、どうやら十字路の角の向こう側にいるらしい。サチは、誰がいるのか確かめるべく立ち上がることにした。

 

「第二十五層攻略では、血盟騎士団やら聖竜連合やらが出張るおかげで、ワイ等の出番は全部持っていかれているんや。その話がデマやったら、タダじゃ済まさへんぞ?」

 

 先程から関西弁の濁声で話している男性の口から、「攻略」という単語が出てきた。恐らくこの人物は、攻略組に属する人間だと推測される。だが、そうなると何故、攻略組のプレイヤーが、第十一層の地下水路に、それもこんな真夜中に入っているのか、疑問は募るばかるだった。

 サチは通路の角から頭を出し、向こう側を覗きこむ。視線の先の水路は排水溝からの月明かりに照らされており、話している人物のシルエットが確認できる。関西弁で喋っているのは、サボテンのようなヘアスタイルだ。そしてもう一人の話している人物は、黒い服に身を包んだ長身の男。飄々とした態度で、関西弁の男に対して口を開く。

 

「Oh…怖い怖い。そんなにいきり立つなよ。」

 

「!」

 

 男の声を聞いた瞬間、サチは背筋がゾクリと震えた。独特のイントネーションの混じったその喋り方に、サチは覚えがあったからだ。それはつい数日前のこと……ギルドホームの購入に際して資金集めに行き詰っていた自分達に、美味い儲け話があると話しかけてきた男のものだった。だがそれは、自分達をモンスターに殺させるための罠だったのだ。そして、MPKを仕掛けたレッドプレイヤーの名前は―――『PoH』。

 

(い、いや……嫌!)

 

 黒ずくめの男、PoHの声が聞こえた途端、サチは十字路の角から出していた首を急いで引っ込め、再びその場に蹲った。隠蔽能力つきのマントに加え、サチ自身も隠蔽スキルを無意識の内に発動していた。どうしてあの人物がこの場にいるかは分からないが、とにかく今は、絶対に見つかりたくない。見つかれば、何かされる……悪ければ、殺される!とにかく、見つかりたくない、その一心で、サチは身を隠したのだった。

 

 

 

 どれだけの時間が経ったか、サチには分からなかった。とにかく、懸命に身を隠し続けた。この暗闇に包まれた水路の中、自分が存在しているか、それすら分からなくなるほどに。だが、永遠のように続いた静寂は、突然破られた。

 

「サチ、だな。」

 

「!」

 

 突然水路に響いた、自分の名前を呼ぶ声に、サチは震えながら俯けていた顔を、ビクつきながらも恐る恐る上げた。目の前にいたのは、先のPoH同様の黒ずくめ……だが、その顔はつい先程見知ったばかりのものだった。

 

「あなたは……イタチ?」

 

「覚えていてくれたのか。」

 

天井の排水溝から差し込む月明かりに、イタチの中性的な面立ちが照らしだされる。サチは、目の前に現れたのが、自分を助けてくれた人物だったという事実に若干安堵した様子だった。だが、ほっとしたのも束の間。この近くには、自分達を殺そうとしたレッドプレイヤーがいるのだから。

十字路の向こうを指さしながら、サチはイタチに尋ねた。

 

「あ、あの……あそこに、誰かいない?」

 

「?……いや、誰の姿も見えないな。索敵スキルにも、反応は無い。」

 

 どうやら、自分がこの場にいることに気付かずに、件の人物は水路から姿を消したらしい。当面の危機が去ったことに、今度こそサチは息を吐いて安堵する。それと同時に、精神的余裕ができたことで、イタチに聞きたいことができた。

 

「どうして、此処が分かったの?」

 

「索敵スキルの派生スキル、追跡を使った。それで、お前の足跡を追ってきた。」

 

「……凄いね。攻略組は、そんなスキルも持っているんだ……」

 

 羨望と諦観、その両方を含んだ声色に、イタチはサチの心に危うさを感じた。行方不明になったサチを見つけた以上、早急に連れて帰るべきなのだが、この状態ではその行為は意味を為さないと考える。イタチは一先ず、文字通り腰を据えて話してみることにした。

 サチの隣に座りこみつつ、何故こんな行動に出たのかを聞くことにした。

 

「サチ、どうして宿を出たんだ?皆今頃、心配しているぞ。」

 

「ごめんね……イタチは私を捜しにきてくれたんだよね。」

 

「いや、俺は大丈夫だ。だが、何故こんな無茶なことをしたのか、聞かせてくれるか?」

 

 カウンセラーなんて柄じゃないことは、イタチ自身が百も承知だが、サチをこのままにしてはおけなかった。とりあえず、サチの内心を知ることから始めようと考えたのだった。

 

「……私、死ぬの怖い。怖くて、この頃あんまり眠れなかったの。それで、あんなことが起きたせいで……」

 

 その先は、言わずとも分かった。こんな死と隣り合わせの世界の中で、毎日怯えながら暮らすプレイヤーの話は、アルゴ経由で何度も聞いていた。サチもその一人だったのだろう。そんな状態にあって今回は、自分と同じようにゲームに囚われた人間に殺されかけたのだ。サチが今、感じている恐怖は計り知れない。やがて、恐怖に青ざめた様子で、ぽつりぽつりと胸中に浮かんだことを呟いていった。

 

「ねえ、何でこんなことになっちゃったの?なんでゲームから出られなくなって……それで、現実でも死ななきゃならないの?それに、こんな状況で人が人を殺すなんて……あの茅場って人は、何がしたかったの?こんなことに……何の意味があるの?」

 

「…………」

 

 かつて忍としての前世を生きたイタチにとって、現状のデスゲームと化したSAOの世界は、さほど珍しいものではなかった。前世の忍世界、その闇を歩いてきたイタチは、その道に走った人間の狂気や絶望など、嫌と言うほど見てきたからだ。だから、こんな異常事態で人殺しを率先して行うプレイヤーが出現することも、ある程度は予測できていたことだったのだ。

 だが、目の前の少女が感情を吐露する姿を見て、それは飽く迄前世の話であったことを、改めて認識した。自分が今いる世界、この日本という国は、平和そのものだ。そんな場所で生きていた人間が、いきなり死と隣り合わせの戦いの世界に放り込まれて、正気を保っていられるわけがない。攻略最前線に立ち、一日も早くプレイヤー達をこのゲームから解放しなければと考えて戦ってきたイタチだったが、その陰にはサチのように死の恐怖に怯える日々を送らねばならないプレイヤーが大量にいるのだ。最前線にトッププレイヤーとして君臨することで、多くのプレイヤーの憎しみを一身に背負うと同時に、ゲーム攻略を安全に行うことで、この世界に閉じ込められたプレイヤーを一人でも多く助けられればと考えていた。だが、今は目の前の少女の心すら救えない。前世においても感じた、同様の無力感に打ちひしがれながらも、しかしイタチは意を決して口を開いた。

 

「恐らく、意味なんて無いんじゃないか?」

 

「意味が、無い……?」

 

「ああ……あったとしても、それは茅場晶彦にしか理解できないものだ。この世界を創造し、観賞する。奴はそれが目的だと言った。だから、君は勿論、俺や他の皆も、奴の目的である世界の一部にしか過ぎない……それ以上の意味なんて、無いのだろう。」

 

 デスゲーム開始時に茅場が口にした自身の目的について反芻し、イタチはその意図を冷静に推察した。だがそれは、サチにとって残酷な真実でしかなかった。茅場は、この世界を創造するためならば、誰を閉じ込めてもよかったのだ。自分は悪戯な運命に翻弄され、この世界へ来て、怯えているのだろうか……そう考えると、最早こんなことを考えることすら無意味に思えてしまう。そんなサチの考えを読みとったイタチは、再度口を開く。

 

「だが、俺は意味が無いならば……だからこそ、意味を作るべきなのだと思う。」

 

「……?」

 

「現実世界でも、同じだろう?誰しも、自分が存在する意味を見つけるために、生きている。この世界だって同じだ。意味が無いのなら、自分で作り出すしかない。」

 

 それが、イタチの出した答えだった。この世界に転生してから十年以上が経っても、自身の存在の意味を見出すことは、できなかった。そして、焦燥から無意識に現実から逃避しようとした末に、この世界に来てしまった。しかもその過程で、自分は前世と同じ過ちを繰り返していたのだ。この事実を前にしても答えを出せず、イタチは「攻略」という新たな逃げ道へと入ってしまった。

しかし今、目の前の少女が吐露した感情に、新たな道を見出した。答えが見つからず、出せないのならば、自ら作り出すしかないのだと。

 

「俺はな、自分を知るということは、自分にできないことを許せるようになることだと思っている。」

 

「自分を……許す?それって、諦めるってこと?」

 

「違う。自分一人でできないことがあるからこそ、それを補ってくれる仲間がいる。それに気付くことは、何よりも大切なことだ。自分が本来できたであろうことを、蔑にしないためにもな。」

 

 サチの瞳を真っ直ぐ見据え、イタチはそう告げた。それは、禁術によって二度目の生を受けた自分が、片目を犠牲にする禁術まで使って悟った答えだった。この世界に転生してからも、その考えは変わらない。未だに前世の生き方に縛られていても、いつか現実にしたいと切に思っていることだからだ。

 対するサチは、今まで無表情そのものだったイタチの表情に、初めて覗いた強い感情を前に、口が開けない。ただ、目の前の少年が口にした答えには、自分には想像もつかない重みがあるということだけは分かった。

 

「お前は一人じゃない。支えてくれる仲間がいるだろう?」

 

「……うん。」

 

「なら、もっと仲間を信じろ。信じられる仲間なら、もっと自分の弱さを見せても良い筈だ。あいつ等なら、きっとお前を拒絶しない。」

 

「……うん。ありがとう、イタチ。」

 

 イタチの言葉に頷いたサチの頬に、涙が伝う。この世界に恐怖する感情が消えたわけではない。だが、イタチと今日ここで話して得た答えは、サチにとって何よりも大切なものとなった。

 しばらくしてから、イタチは宿にいる仲間にメッセージを送り、サチを無事に保護したことを伝えた。二人揃って宿屋に戻った時、必要以上にサチを責めるような真似をする人間はいなかった。リーダーのケイタは、「心配したんだぞ。」と一言告げると、サチを部屋へと送った。サチとイタチの間にどんなやり取りがあったのか、気になる者もいたようだが、ケイタやクラインの計らいにより、詮索する真似をする人間は、現れなかった。

 何はともあれ、サチは無事に帰り、騒動は落着したのだった―――

 

 

 

 

 

だがこの時、攻略組を死に追いやらんとする赤き狂気の魔手は、誰もが預かり知らぬ場所で伸びていたのだ。後日、攻略組最大級の被害を発生させる事件が、フロアボス攻略において勃発することなど、イタチすら知る由は無かった―――

 



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第二十話 紅の罠

2023年5月25日

 

 第二十一層で起こったMPK未遂事件から一晩経った翌日。結局、夜通しでシフトを組んで見張りをしたものの、犯人であるPoHと思しき人物は現れなかった。標的となった月夜の黒猫団が全員生還している以上、何かしらの接触があると考えたが、どうやら徒労だったらしい。犯人を結局逃したことに、見張りに協力した攻略組の何人かは愚痴を溢していたが、イタチとしてはプレイヤー同士の殺し合いが起こらなかっただけでも僥倖だった。

 何はともあれ、黒猫団のリーダー、ケイタと攻略組の話し合いの結果、犯人からの再度の接触は無いと結論付け、しばらくは注意して活動するということで決着した。そして現在、最前線へと戻る攻略組を、黒猫団が見送りしていた。

 

「皆、本当にありがとう。おかげで、僕達はあの森から生き残ることができた。」

 

「ああ。お前達も、これからは気を付けろよ。」

 

 イタチを含めた攻略組十一人に対し、ケイタが代表で頭を下げて礼を言う。それに倣い、後ろの四人も各々、礼を述べる。前線ではさんざん煙たがれていた元ベータテスター達も、感謝されることなど滅多に無いだけに、満更でもない様子だった。

 

「攻略組か~……第一層攻略には一カ月かかったけど、今では半年で二十五層、だったよな。凄え勢いだよな。」

 

「そうでもねぇぞ。今度のボスは、これまで以上の強敵なんだからなぁ……」

 

「ザ・ツインヘッド・タイタン、でしたね……確かに、あれは強敵です。」

 

「全身が硬えって話だしな。剣主体の俺達は、今回はあまり出番は無さそうだがな。」

 

「まあ、なんとかなるさ。」

 

ダッカーと呼ばれたシーフの少年の言葉に対し、ボス攻略における懸念を振り払えない様子を見せるクラインやアレン達だったが、ヨウはいつも通りの調子で「なんとかなる」と言う。そんな気の抜けた言葉に、しかし攻略組の面々は苦笑しながらも表情に緊張は取れていた。

 

「それじゃあ、見送りはここで良い。お前等も、気を付けろよ。」

 

「ああ。もう無理な狩りはせず、皆で生き残れるように活動するよ。」

 

「それで良い。さあ皆、行くぞ。」

 

イタチの一声で、攻略組プレイヤー達は宿を後にしようとした、その時だった。転移門広場のある方向から、フードを被った小さな人影が走り寄ってくる。見慣れたローブを着たそれは、情報屋のアルゴだった。

 

「イタっち!大変だヨ!」

 

「……何があった?」

 

 敏捷値を最大にゲインして走ってきたアルゴは、息も絶え絶えだった。アルゴとの待ち合わせは、最前線での筈。何故、朝早くからこんな場所に来たのか。理由は分からないが、何かとんでもない事が起こったのではないかとイタチは察した。

 

「解放軍が、大部隊を連れて二十五層のフロアボス攻略に繰り出したんだヨ!」

 

「何?」

 

 アルゴの言葉に、イタチや他の面々はざわめく。アインクラッド解放軍、通称軍は、現在最前線で攻略を進めているトップスリーギルドの一角である。先日の攻略会議では、ボスの性質から攻略においては参加メンバーを最前線から外す方針が決定した筈のギルドが、何故動きだしているのか。

 

「ディアベルはこの事を知っているのか?」

 

「イヤ、部隊を率いていたのは、キバオウだったヨ。ディアベルは、定例会議に出ているから、このことをまだ知らないんだヨ。」

 

「ったく……何考えてんだよ、あのサボテン頭は!」

 

 相性が悪いと分かっている筈の人物が、大部隊を連れて攻略に向かうなど、自殺行為としか言えない。トップであるディアベルを差し置いての勝手な行動に対し、クラインは悪態を吐く。他の攻略組の面子も同様に顔を顰める。と、そんな中で……

 

「サボテン……頭?」

 

クラインの口から出た言葉に、サチが反応する。その表情は、どこか怯えた様子だった。攻略組同士が話し合っている中、イタチはそんなサチの反応を目敏く察知していた。

 

「サチ、どうしたんだ?」

 

「あの……その、キバオウさんって言う人、サボテンみたいな髪型……なんですか?」

 

「ああ、そうだぜ。名前の通り、人に噛み付くは、見た目通り刺々しいわで……しかも、ベータテスターをとことん嫌悪している奴だ。全く……何であんな奴が軍の指揮官なのか、疑問だぜ。」

 

サチの問いに答えたのは、カズゴだった。キバオウのことを思い出し、嫌そうな顔を浮かべている。対して、質問に対する答えを聞いたサチは、目を見開いて驚いた様子だった。

 

「もしかして……その人、関西弁で喋るんじゃないですか?」

 

「よく知ってるネ。アイツの悪名も、遂に中層プレイヤーのところまで及んでいたのカ~……でも、そんな情報が流れているなんて、聞かないヨ。」

 

 続いての質問に答えたのは、アルゴだった。だが、彼女はイタチ同様、悟っていた。目の前の少女は、今回のキバオウの暴走に関して、何かを知っていると。その証拠に、サチの表情は先程よりも青ざめていた。

 

「サチ、何を知っているんだ?」

 

 尋ねたのは、イタチだった。その表情は真剣そのもので、先程までざわめいていた他のプレイヤー達も口を閉ざして視線を向けていた。サチは恐怖で震えながらも、ケイタに支えてもらいながら、自分の知っていることを口にした。

 

「その人、大変なことになるかもしれない……!」

 

 サチの口から、衝撃的な事実が語られる。昨晩、宿を飛び出して入った地下水路で、キバオウらしきサボテン頭のプレイヤーを見たこと。その場には、もう一人のプレイヤーがおり、攻略の話をしていたこと。

そして―――その人物が、PoHに酷似していたことを――――――

 

話を聞いた攻略組一同は、驚愕していた。そんな中、真っ先に動きだしたのは、他でもないイタチだった。

 

「アルゴ、行くぞ!」

 

「あいヨ。」

 

「お、おい!イタチ!?」

 

 クラインの制止に、しかしイタチは答えずに駆け出す。慌てて他の攻略組プレイヤー達も、イタチと共に転移門へと駆け出していった。向かうは二十五層迷宮区……そこにある、フロアボスの待ちうける部屋。

 残された黒猫団は、ただただ唖然として彼等を見送るしかできなかった。サチは一人、ケイタに支えながらも、震える身体を抱いてイタチの背中を見つめ続けた。

 

 

 

 第二十五層転移門広場に、攻略組十一人と情報屋のアルゴが現れる。イタチとアルゴは転移門から出ると、それぞれに行くべき場所を確認する。

 

「アルゴ、ディアベルや他の攻略組プレイヤーをボスの部屋へ行くように言っておいてくれ。」

 

「分かったヨ。料金は後で請求するからネ。」

 

「分かっている。俺は先にボスの部屋へ行く。できるだけ早く頼むぞ。」

 

 それだけ言うと、アルゴはギルド間の定例会議を行っている会場へ、イタチは迷宮区へと走りだそうとする。だが、迷宮区へ続く道には、イタチを遮る形で立ちはだかる人影があった。

 

「イタチ……お前え、迷宮区のボスを一人で食い止めるつもりなのか?」

 

「……その通りだ。今は議論している余裕はない。そこをどいてもらうぞ。」

 

 クラインの横を通って迷宮区へ向かおうとするイタチ。だが、今度はアレンが止めにかかる。

 

「イタチ、君一人で本当にボスを止められると思うの?それに、軍のプレイヤーを救えるの?」

 

「……軍の連中が罠に掛かったのは、黒幕を捕らえられなかった俺の責任だ。俺が行くしかあるまい。」

 

 イタチの胸中には、危険人物と知りながらもその凶行を止められず、あまつさえ次なる犠牲者を出そうとしている事実に対する罪悪感が渦巻いていた。今、自分のすべきことは、キバオウはじめ軍のプレイヤーを止める事であると、イタチは疑わなかった。

 そんなイタチの姿に、クラインやカズゴは舌打ちしながら言い放つ。

 

「ったく!……お前は本当に、何でもかんでも一人でやろうとしやがって!」

 

「悪いが、俺は目の前で、一人で危険に飛び込もうとしている奴を見捨てられるほど、非情にはなれないんでな。勝手に付いて行かせてもらうぜ。」

 

 またも一人で背負って突っ走ろうとするイタチに、しかし攻略組プレイヤーは同行すると言って一歩も退かない。イタチはそんな彼らに対し、冷淡な態度で応える。

 

「今回ばかりは、危険過ぎる。フロアボス相手じゃ、本気で死にかねんぞ!」

 

「上等だこの野郎!俺ぁ、攻略組として仲間を助けるって決めたんだ!ボス戦くらい、どうってことないぜ!」

 

半ば脅すように語りかけたイタチの言葉に、しかしクライン達は全く怯まない。イタチを真っ直ぐ見つめ返し、堂々と反論した。

 

「イタチ、もっと仲間を信じても良いんじゃねえか?少なくとも、オイラを含めてここにいる奴等は皆、お前のことを仲間だと思ってることだしよ。」

 

 ヨウの「仲間」という言葉に、イタチは戸惑う。それは、ビーターとして、全プレイヤーの憎しみを背負う立場で攻略に臨む自分が、求めてはいけないものだった。だが、目の前の男達は、自分の事を仲間と断じて危地へ飛び込む事に全く躊躇いがない。譬えイタチが来るなと言っても、必ずついてくる。それだけは、明らかだった。

 

「……勝手にしろ。」

 

 結局、根負けしたのはイタチの方だった。クライン達は、その言葉に少しは溜飲が下がったのか、勝ち誇ったような顔で言いかえす。

 

「勝手にさせてもらうぜ!」

 

「さあ、急ごう!早くしないと、軍が危ない!」

 

 

 

 

 

 イタチが攻略組十人と共に迷宮区へ向かっていた頃、朝焼けの光に包まれた第十四層郊外の森の中に、三つの影が揃っていた。

 

「ヘッドぉ、何してたんスか?」

 

「帰りが、遅く、なりました、ね。」

 

頭陀袋を被った黒ずくめの男と、髑髏のマスクを付けた襤褸切れのような服の男の視線の先には、昨晩出て行った「ヘッド」と呼ばれた男の姿があった。黒いポンチョを纏い、フードを目深にかぶったその男は、どこかいつもより楽しそうに見える。

 

「何か、良い事、でも、あった、のですか?」

 

「まあな。昨日言った、仕込みが上手くいったのさ。」

 

「へぇー……今度は一体、どんな“ショウ”なのさ?」

 

 頭陀袋をかぶった男の問いに、しかし黒ポンチョの男はフードの下で口の端を釣り上げるばかりである。

 

「明日には、新聞あたりに面白いネタが上がっているだろうよ。」

 

「ああ、もう!そうやって焦らさずに教えてくれよ!」

 

「まあ、待て。今ここで話しても良いが……ひょっとしたら、思い通りにいかないかもしれないからなぁ……」

 

 黒ポンチョの男の言葉に、頭陀袋を被った男と髑髏のマスクを付けた男は顔を見合わせて疑問符を浮かべる。折角仕込みをしてまで催そうと考えたショウが、思い通りにならない可能性があるのに、何故笑っていられるのか。二人には不思議に思えて仕方がなかった。

 

「さあ、見せてもらうぜ。名も知らぬ我が同胞よ……It’s show time……!」

 

 疑問に思う二人を余所に、黒ポンチョの男はそう呟いた。その瞳には、未だに顔も名前も知らない、自分を追う謎の人物のシルエットが映り、気分はこれ以上ないほどに高揚していた。

 

 

 

 

 

 第二十五層の転移門広場でアルゴと別れたイタチ等一行は、迷宮区のモンスターを次々と撃破し、二十階あるタワーを一気に駆け上がっていた。

 

「軍の連中、生きていりゃあ良いんだがなぁ……」

 

「縁起でもねえ事言ってんじゃねえよ。ほら、さっさと走れ!」

 

 ぼやくギルメンを叱咤するのは、風林火山のリーダー、クライン。口には出さないが、皆気持ちは同じだった。アインクラッド解放軍の大部隊が出発したのが早朝ならば、既にボスとの戦闘に突入していてもおかしくない。最悪の展開は、自分達の救援が間に合わず、軍が全滅すること。それを防ぐためにも、部隊を率いているキバオウを説得しなければならないが、言う事を聞いてくれるか分からない点も含めて頭が痛い。

 そうこう考えている内に、一同は遂にボス部屋のある最上階へと辿り着いた。ボス部屋は目の前である。

 

(扉は……開いている。これは……拙い……!)

 

 ボス部屋の扉が開いているということは、中へと入った人間がいるということだ。イタチをはじめ、駆けつけてきた面々に緊張が走る。扉へ近づく一同の足取りも速くなり、扉の奥が見えてきた。それと同時に、

 

うわぁぁああああ!!

 

「!!!」

 

 扉の向こうから、幾人ものプレイヤーの悲鳴が木霊した。駆けつけた一同は、いよいよもって自分達が予想した最悪の展開が現実のものとなったことを悟った。扉の前に辿り着いた十一人の視界に飛び込んだ光景は―――

 

「ギジャァァアアアア!!」

 

「ガジャァァアアアア!!」

 

 まさしく、地獄絵図だった。双頭の巨人が、各々の頭部から咆哮を響かせる。その足元では、揃いの黒鉄色の金属鎧に濃緑の戦闘服を着込んだ剣士クラスのプレイヤー達が倒れ伏していた。盾剣士が持つシールドについた特徴的な城の印章は、紛れもなくアインクラッド解放軍のものである。

 

「おいおい!いきなり修羅場かよ!」

 

「これは……かなり拙いですね……!」

 

 目の前の光景に、これまで激戦を生き抜いてきた攻略組の面々でさえも、硬直してしまった。今日この日までのフロアボス攻略は、最前線で立つ強者プレイヤーと、ボスについての十分な情報を集めて行われてきた。故に、このように攻略メンバーが壊滅寸前の危機を迎えるようなことはなかった。

 

「クソッ!何でや!何で、アイツから聞いた対策が通用しないんや!」

 

 壊滅した解放軍の大部隊の中、自身の置かれた現状を受け入れられず、一人叫ぶプレイヤーがいた。関西弁で話すそのプレイヤーは、攻略組の中でもお馴染みの解放軍幹部、キバオウ。

 キバオウの姿を見るに、サチの言った通り、PoHの偽情報に踊らされて無謀な攻略を計画したことは明らかだった。軍の精鋭を集めた大部隊といえど、この二十五層のフロアボスは相手が悪すぎる。既に犠牲者が出ているであろうこの状況、放置しておけば、キバオウ含めて全員が現実世界からもログアウトすることは目に見えていた。

 それを理解していたイタチの行動は、誰よりも早かった。

 

「……俺は行く。お前達は、ここにいろ……」

 

 目の前の死地に一人向かうイタチに、しかし他の面々はそれを良しとはしない。

 

「……一人で格好付けんじゃねえよ。」

 

「俺達ぁ、お前や軍の連中を助けるために来たんだからな。」

 

「確かに、絶望的な状況だけどよ…………まあ、なんとかなるさ。」

 

 目の前の絶望的状況に対しても、イタチに付いてきた者達は誰一人として退かなかった。イタチはそんな十人の仲間達に対し、呆れ半分、嬉しさ半分に苦笑を浮かべた。

 

「では……行くぞ!」

 

 イタチの掛け声と共に、十一人の攻略組プレイヤーが、フロアボスの部屋へと駆けこむ。扉と言う名のデッドラインを前にしても、それを越えることを躊躇う者はいなかった。各々、武器を引き抜き、ボスへと突撃していく。

 

「ギジャァァアアアッッ!!」

 

 双頭の巨人の左の頭が吼えると共に、左腕の大剣が振り上げられる。ソードスキルのライトエフェクトは伴っていないが、このボスは通常攻撃でもプレイヤーに致命傷を与えるには十分なステータスを備えている。

 

「う、うわぁあああっ!!」

 

 目の前に迫る死に対し、恐怖する軍のプレイヤー達。死の刃が迫る中、彼等の頭上を通過する影が現れる。

 

「ハァァアアア!!」

 

 ジェットエンジンのような効果音と共に刀身の二倍に相当する赤い光を振りかざすのは、黒コートに身を包んだ剣士、イタチ。繰り出される片手剣重攻撃技、ヴォーパルスラントが、双頭の巨人の左手に持った大剣を弾き返した。だが、イタチ自身も衝撃で後方へと飛ばされてしまった。

 

(何てパワーだ……たかが通常攻撃を弾くのに、上位ソードスキルでもやっととは……!)

 

 ハイレベルプレイヤーとして、筋力値にはかなりの値が振られているイタチでも、目の前の巨人の刃の前には到底及ばない。正面から力比べをしようものなら、間違いなく武器ごと身体を両断されてしまう。

 

「カズゴ!スイッチだ!」

 

「任せとけ!」

 

 双頭の巨人が振り下ろした刃が弾かれると共に、イタチの後方に控えていたカズゴが前に出る。大剣、アスタリスクを振りかざし、上段ダッシュ技、「アバランシュ」を繰り出す。筋力重視でステータス値を振っているカズゴの一撃は、生半可なガードでは防ぎきれない威力である。流石の二十五層ボスでも、そこそこのダメージは与えられる筈。そう思ったが、

 

「ガジャァァアアア!!」

 

「んなっ!?」

 

 カズゴの動きに反応した巨人の右の頭が吼え、右手に持った大剣でカズゴの振り下ろそうとしていた刃を弾き返したのだ。衝突時にカズゴもイタチ同様後方に飛ばされるが、流石の双頭巨人も大剣の重攻撃は容易く防げず、衝撃によろめいていた。

 

(左右半身で別々のAI制御で動いているのか……厄介な!)

 

 ここに至って、イタチは目の前のボスの異常性を再認識した。ただ巨体で、ステータスが高いだけではない。一つの身体に二つのAIを搭載することで、左右半身が互いに動きを補い合っているのだ。それによって、スイッチによる連撃を防ぐことは勿論、左右でソードスキルの硬直を補い合い、さらには連続発動できる可能性が高い。

 

(スキルコネクト以上に勝手の良い身体だな……ならば!)

 

 双頭巨人の能力を分析したイタチは、巨人の右側面へと回り込む。それと同時に、腰に装備していたチャクラム、ヴァルキリーを巨人の右頭部へと投擲する。ライトエフェクトが伴うそれは、投剣系ソードスキルの中位技「スワローシュート」。

 

「ガジャァァアッ!!」

 

 高速で迫るチャクラムを頭部に受けた巨人の右頭部が、空中で旋回して戻ったチャクラムを手に取ったイタチの方を向く。同時に、右手の大剣をイタチに向けて振りかざす。

 

(右のタゲは取れたな……あとは、)

 

振り下ろされる大威力の大剣を、しかしイタチは軽々と回避する。それと同時に、別の位置に控えているクラインやカズゴに指示を送る。

 

「こいつは左右別々にAIを積んでいる!右頭部のタゲは俺が引き受ける!お前達は、左頭部のタゲを頼む!」

 

「よっしゃ!任せとけ!!」

 

 イタチの指示を受けたクライン達が、巨人の左側に回り込む。両側面から攻撃を与えることで、二つある頭部のタゲを分散する作戦である。攻撃対象が別々の方向にいるならば、巨人が得手とするスイッチ破りやソードスキル連発は出来ない筈。

 そして、双頭の巨人の攻撃を回避する傍ら、イタチは解放軍のプレイヤー達に退避を呼び掛ける。

 

「俺達がタゲを取っている間に撤退しろ!」

 

「長くは持たねえ!早くしろ!!」

 

 別々の方向からの撤退勧告に、軍のプレイヤー達は立ち上がり、後ずさろうとする。だが、そんな中にあっても、退こうとしないプレイヤーがいた。

 

「ふざけんな!余計なお世話や!」

 

 予想通り、そして最悪の展開だった。救援に駆け付けたイタチを筆頭とするプレイヤー達の勧告を一蹴しての、戦闘続行を宣言したのは、大部隊を率いるリーダー、キバオウ。敗色濃厚な現状にあっても、彼とその腹心である数名だけは撤退しようとはしなかった。

 

「その通りだ!我々解放軍に撤退の二文字は無い!敵を倒すまで、死力を尽くせ!!」

 

 キバオウを筆頭とする幹部達が、倒れ伏している軍のメンバーを叱咤し、敵への突撃を敢行しようとしている。既に部隊は壊滅状態にあり、犠牲者も発生しているこの現状で、戦闘続行という選択は無謀以外の何物でもない。イタチやクラインは、その様を見て顔を顰める。

 

「何を馬鹿なことを言っている!さっさと撤退しないと、お前等全員死にかねんぞ!!」

 

 キバオウ達に撤退を訴えかけるイタチの顔は普段通りの無表情だが、その姿は必死そのものだった。ボスの攻撃が苛烈だからというだけではない。ソードアート・オンラインを作り出した償いをする意味も含めて、イタチは今日この日まで、一人でも多くのプレイヤーを助けるために戦ってきたのだ。それが今、自分の至らなさが原因でさらに多くの犠牲者を出そうとしている。

 

(またか……また俺は、結局“失敗”してしまうのか……!)

 

 結局、今の自分も前世の自分も同じ。どれだけ強大な力を手に入れようとも、出来たことは問題の先送りだけ。そして、前世の焼き直しに等しいこの状況を作り出した原因を、イタチは理解している。それもまた、前世と同じ…………自分一人で何もかもやり遂げようとしたことにあった。

 己を知るということは、自分の無力を許せること。それができなければ、本来自身が出来たことを蔑にしてしまう。イタチは前世で答えを知った筈だった。だが、転生した今、この世界を全プレイヤーの憎しみを一身に背負って生きるイタチには、自分の無力を許すことはできなかった……仲間を頼ることができなかったのだ。前世の生き方に縛られ、何一つ変えられない自分の愚かさに、イタチはこの上なく悲愴な気持ちを抱いていた。

 

「行くで!!このボスは、ワイ等の手で倒すんや!!」

 

「全軍、突撃ぃいっっ!!」

 

「ギジャァァアアア!!」

 

「ガジャァァアアア!!」

 

そうこうしている内に、キバオウ率いる軍が、双頭の巨人に向かって再び攻撃を試みる。双頭の巨人のタゲも、生き残っている軍のプレイヤーによるシステム外スキル、威嚇(ハウル)により、救援に駆け付けた攻略組から軍へと双頭のタゲが移る。

 

「くっ!」

 

解放軍のメンバーがキバオウに続く形でボスとの正面戦闘に乗り出したことに、歯噛みするイタチ。このままでは、軍は間違いなく全滅する。イタチは再度ボスのタゲを取るべく、ヴァルキリーを投擲する。

 

「ガジャァァアッ!!」

 

 軌道が放物線を描く投剣系ソードスキル、フリスビー・シュートによって、ヴァルキリーが狙い違わず双頭の巨人の右頭部の眼球を直撃する。ダメージとしては比較的大きいものを受けた双頭の巨人の右半身、その視線がイタチを射ぬく。だが、左半身が持つ大剣は、解放軍を横薙ぎにせんと容赦なく迫る。

 

(拙い……!!)

 

 あの強大な一振りを、しかも横薙ぎで繰り出されれば、軍は全員丸太の様に斬り倒されかねない。ボスのタゲを取るには、頭部を狙うしかない。しかし、左側にいる救援メンバーには、投剣スキルを持つ人間はいない。もはやこれまで……イタチがそう思った、その瞬間だった。

 

「そらぁあっ!!」

 

「ギジャァァアッッ!!」

 

 フロアボスの部屋の扉から、気合いの籠った掛け声が響く。同時に、声のした方向からイタチが使っている者と同系統の武器、チャクラムがボス目掛けて飛来する。チャクラムは双頭の巨人の左頭部に突き刺さり、大剣を振り下ろそうとする手が止まった。そして、軍が取っていたタゲが、扉から入った人物へと移る。

 

「手古摺っているようだな、イタチ!!」

 

かつてない程強大なボスがいる部屋にも関わらず、一片の恐れすら感じさせずに足を踏み入れたその人物は、紺色の長髪を靡かせた女性プレイヤー。先程のチャクラムも、この女性が投げたものだ。そして、彼女の後ろには、ボス攻略でイタチも幾度となく顔を合わせた攻略組プレイヤーの大勢控えている。

 

「距離的に到着するにはあと十分はかかると思っていたが、相変わらず無茶苦茶だな……メダカ!!」

 

 己の名を呼んだイタチに、攻略組を率いてきた女性プレイヤー「メダカ」は不敵な笑みで応えた。腰に差した長剣を引き抜き、双頭の巨人へ向ける。

 

「攻略を執行する!皆の者、このメダカに続け!!」

 

攻略ギルド、「ミニチュア・ガーデン」のリーダー、メダカの掛け声と共に、彼女に追従していた攻略組プレイヤー達がボス部屋の中へと突入する。

 第二十五層フロアボス、ザ・ツインヘッド・タイタンと、攻略組プレイヤー達との死闘が、真に幕を開けた瞬間だった―――

 



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第二十一話 双頭相克の巨人

 過去最大級の強敵と目された第二十五層フロアボス、ザ・ツインヘッド・タイタン。そのステータスは、これまで撃破してきた二十四のフロアボスを圧倒的に凌駕するものであり、安全な攻略など不可能とされていた。しかし今、そんな最大の難敵に、作戦すら立てずに挑もうとするプレイヤー達がいた。

 

「ゼンキチ!スイッチの用意だ!」

 

「お、おう!!」

 

「セナ!奴の大剣をもっと左側に誘導しろ!」

 

「分かった!」

 

 ベータテスト出身の攻略組プレイヤー、イタチとメダカが指揮を取り、双頭の巨人を両サイドから挟み撃ちにする。解放軍を撤退させることが不可能だと悟ったイタチは、この場を最小の犠牲で乗り切るためには、ボスを倒す以外に選択肢は無いと判断した。メダカ率いる増援が到着したことにより、それも決して不可能ではなくなっている。メダカが持ち前のカリスマを発揮して、軍の生き残りたちを取りこんでいるからだ。

イタチが率いる増援プレイヤーが右側の赤眼の頭、メダカが率いるクラインの風林火山や軍を含めたパーティーが左側の青眼の頭のタゲを取り、これを翻弄する。敵の攻撃を回避し、その隙を突いてのスイッチを仕掛ける。それを繰り返す事で、着実にダメージを与えているのだ。前線で防御を行う盾戦士はいない。もし、この巨人の攻撃を正面から受けようとしたならば、防御した武器もろとも叩き切られてしまうからだ。だからこそ、敵の攻撃を捌くのは敏捷特化型のプレイヤー達である。

 

「うぉぉおおおお!!」

 

「ガジャァアアアッ!!」

 

 双頭の巨人の右頭部が、標的として見定めた小柄な少年プレイヤー、セナへと大剣を振り翳す。だが、セナは直撃すれば即死は免れないそれに対し、恐れることなく正面から突っ込んでいく。だが、ボスが容赦なく繰り出す剣戟は、セナには掠りもしない。

 

(相変わらず、凄まじい敏捷……そして攻撃を紙一重で回避する軌道を瞬時に見極める機転の速さ……忍並みだ。)

 

 ベータテスター、セナは、「走り」の一点においてはイタチをして互角の能力を持つ敏捷特化型プレイヤーである。ステータス値を敏捷に多く振り分けているだけでなく、速く走るための動きを熟知しているからこそできる、随意運動によるシステム外アシストがあるからこそできる動きなのだ。しかも、攻撃を紙一重で回避する技術とセンスは、百体のモンスター群だろうと突破できるとイタチは推測する。

 

「ガジャァァアアッッ!!」

 

「ひぃぃいいっ!」

 

 振り回す刃全てを回避された双頭の巨人は怒り心頭の様子で、情けない声で逃げ回るセナを視線で追尾し、吼える。注意がパーティー本隊から逸れている今が、スイッチのチャンスである。

 

「ゴン、スイッチだ!いくぞ!!」

 

「うん、分かった!!」

 

 セナが双頭の巨人の右半身の注意を引いている隙に、イタチはメダカと共に到着したベータ時代からの顔見知りの、逆立った髪が特徴的な少年プレイヤー、ゴンと共にスイッチに入る。ゴンの武器は、とりわけ威力の高い戦槌。筋力重視のステータス振りをしており、随意運動によるシステム外アシストの技術も心得ている。双頭の巨人が如何に硬い装甲を持っていようとも、まともに食らえば大ダメージは免れない。

 

「おりゃぁああああ!!」

 

「ガ、ガジャァアアッッ!!」

 

ゴンが繰り出したのは、空中で一回転して繰り出す戦槌系ソードスキル、「ロール・インパクト」。回転によって威力が増強された一撃は、双頭の巨人の脇腹を強かに打ちのめす。

 

「はぁああああ!!」

 

 それに続く形でイタチが繰り出したのは、片手剣重攻撃技、ヴォーパルストライク。ジェットエンジンのような効果音と共に繰り出される二倍の刀身による一突きが、巨人の胸に突き刺さる。

 

「ガッ、ガッ……ガッジャァァアアッ!!」

 

 ゴンとイタチの重攻撃技を受けた双頭の巨人、その右半身が、これまでにない反応を示した。その姿は、まるで苦痛に悶えているかのようだった。そして、HPバーもゲージの減少がこれまでで最も顕著である。

 

(今の攻撃で、急所を突いたのか……)

 

 フロアボスの急所となる箇所には、何らかの目印がある筈。イタチは先程攻撃した箇所に見られる特徴を、注意深く探る。ゴンの戦槌は脇腹、イタチの突きは胸板に命中した。よく見てみると、双頭の巨人の胸部には、左右それぞれの頭部の眼と同じ色の血管らしきものが、浮かんでいる。確か、イタチの放ったヴォーパルストライクは、あの筋状になっている場所に撃ち込まれた筈。

 

(試してみるか……)

 

 意を決したイタチは、体勢を立て直そうとしている双頭の巨人へと愛用のチャクラム、ヴァルキリーを投擲する。ヴァルキリーはボスの右頭部に命中し、そのタゲはイタチへと移る。

 

「ガジャァアアアッ!!」

 

 狙い通り、巨人の右手にもった大剣が、タゲを取っているイタチ目掛けて振り下ろされる。垂直に振り下ろされた、直撃すれば即死もののそれをイタチは横へ移動して回避し、地面に刃が食い込むと同時に、その刀身へと飛び乗る。

 

「うぉぉおおおお!!」

 

 大剣の刃の上を駆け上り、双頭の巨人本体へと一気に接近するイタチ。巨人がそれに反応し、大剣をふるってイタチを振り落とそうとしたその瞬間、イタチは大剣の側面を蹴って、ボスの懐へと飛び込む。

 

「はぁああっ!!」

 

 空中でイタチの突きだした片手剣、キアストレートの刀身が赤いライトエフェクトと共に二倍になる。発動したソードスキルは、先程と同じくヴォーパルストライク。だが、場所は空中である。

 ソードスキルの大部分は通常、地に足を付いて発動するのが常である。理由は単純、空中では上手くプレモーションの形成ができず、システムが技を認識し難いからだ。それを、軽業スキルなどの補助スキル無しで発動するのならば、それはプレイヤーの諸能力に依存した、超高度なシステム外スキルである。常人には不可能な技術だが、ソードスキルのモーションキャプチャーを手伝い、忍として生きた前世を持つイタチだからこそできる、超絶的な離れ業なのだ。

 

「ガ、ジャァァアアッッ!!」

 

 イタチの放ったヴォーパルストライクは、狙い違わず巨人の右半身、その鎖骨に走る赤い筋を貫いた。同時に、今までで最も大きい、明らかに苦悶に満ちた咆哮を、右頭部が上げる。予想通り、ボスの急所は胸部を走る血管のような筋なのだ。そこだけが、あらゆる刃を弾く装甲に覆われていない、言わば剥き出しの部分なのだろう。

 

「イタチ、もしかしてこれって……!」

 

「ああ、間違いない。ボスの急所だ。」

 

 ボスの懐から離脱したイタチに、ゴンが駆け寄ってボスの動向について尋ねる。ゴンも察した通り、双頭の巨人は胸部装甲の隙間に走る血管の様な赤い筋なのだろう。右半身は眼と同じく筋は赤色だが、左半身は青色。色は違うが、ポイントは同じだろう。

 そうと分かれば、右半身の相手を担当するイタチは赤い筋を狙い、左半身の相手を担当するメダカ達は青い筋を狙う作戦でいける筈。イタチは巨人の向こう側で指揮を取って奮闘しているメダカに向けて、情報を伝えるべく声を張り上げる。

 

「メダカ!!ボスの弱点は……」

 

「待って、イタチ!様子がおかしい!」

 

「っ!!」

 

 ボスの動向を観察していたゴンが、メダカに作戦を伝えるべく声を上げようとしたイタチに制止をかける。何事かとボスの方を向いてみると、巨人の右半身に異変が起こっていた。

 

「ガァァァアア……」

 

(まさか……あれは!)

 

 巨人の右胸部が、深呼吸したかのように膨れ上がる。弱点である筈の赤い血管の様な筋も、何故か太くなっている。それは、まるで空気が入って膨らんだ風船のように……

 ボスが突如取った奇妙な行動に、イタチは前世の忍時代に培った勘が警鐘を鳴らしているのを悟った。

 

「皆、退けぇえっ!!」

 

 突然のイタチの叫びに、しかし反応できた増援のプレイヤーは少なかった。イタチと共に右半身を相手していたプレイヤー達が退く前に、双頭の巨人の右半身が、新たな攻撃を仕掛けてきた。

 

「ガバハァアアアアア!!」

 

 ボスが発した新たな攻撃。それは、MMORPGにおいて現れるモンスターには定番の、そしてとりわけ強力な技。口から吐き出す赤い閃光、それは、火炎放射だった。

 

「ぐぁぁああああ!!」

 

「ぉぉおおおおお!!」

 

「わぁあああっ!!」

 

 膨らんだ巨人の右胸の中にあったのは、空気ではなく火炎。溜めこんだ膨大な量のそれを、容赦なく撒き散らす。攻略組プレイヤー達は、方々に散って直撃を避けたが、如何せん攻撃範囲が広すぎる。しかも、火炎自体もモンスターが放つ特殊攻撃の中では威力が大きい。イタチはキアストレートを風車のように回転させて、対特殊攻撃用防御系ソードスキル、「スピニングシールド」を発動して火炎を幾分か軽減することができたが、大部分のプレイヤーが大ダメージを受けてしまった。

 

(これは、拙い……!!)

 

ここに至って、イタチは目の前のボスが今までとは違う別格の存在であることを改めて悟らされる。硬い装甲、大威力の大剣二本、一体で二体分のAI……そして、火炎という特殊攻撃。恐らく、急所を攻撃された際の反撃として設定されている攻撃なのだろうが、ダメージを食らわせる度にこれを放たれたのでは、プレイヤー達は長くはもたない。

犠牲者を増やさないためにボス攻略に臨んだが、現状の救援に駆け付けたメンバーだけでは無理がある。このまま戦闘を続けていれば、軍どころかここにいるプレイヤー全員が殺される。軍のプレイヤーは、退く気配は全くない。

 

(これまでか……!)

 

 イタチの脳裏を過る最悪の結末。それを回避し、犠牲を最小限に止めるためには、攻略戦を諦めることはもとより、軍のプレイヤーを結局犠牲にせねばならない。

大を救うために少を犠牲にする。それは、前世において、里を守るためにうちは一族を虐殺したあの時と全く同じ。今にして思えば、前世の焼き直しとも言えるこの“失敗”は、ビーターと言う悪名を一人背負い、皆を遠ざけた……それこそ、汚名を一人背負って何もかも成し遂げようとした前世と変わらぬ行動に起因していると思えた。前世と同じ道を歩みつつある自分に、イタチは何一つ変えられない己の無力に、知らず心を苛まれていた。

 

「何やってんだ、イタチ!!」

 

 

 そんな思考が渦巻く意識の中で、イタチは自分を叱咤するかのように名前を呼ぶ声を聞いた。顔を上げてみると、そこには一人の男性プレイヤーが駆けつけていた。

 悪趣味なバンダナに、戦国武者風の鎧を身に付けたその男は、第一層からのイタチのフレンド……クラインだった。

 

「……何故、左半身の相手をしているお前が、ここに?」

 

「メダカの嬢ちゃんに言われて来たんだよ!それより早く立て!次の攻撃が来るぞ!!」

 

「……クライン、これ以上の戦闘は不可能だ。」

 

 応援に駆け付けたクラインに、しかしイタチが返したのは、絶望的な言葉だった。いつも通り、無表情で冷静そのものだが、今のイタチからはどこか無力感が垣間見えているようだった。

 

「あのボスには、ここにいるメンバーでは歯が立たない……このまま続けても、犠牲者が増えるだけだ……せめて駆け付けたプレイヤーだけでも連れて、離脱するんだ。」

 

「軍の連中をこのまま見殺しにするつもりかよ!?それに、この状況じゃあ、逃げ切れるわけがねえだろ!!」

 

 クラインの言葉は正しかった。双頭の巨人相手に、現在プレイヤー達は両サイドに分かれて展開している。この状態で離脱を試みるのは危険過ぎる。出口に殺到すれば、最後尾のプレイヤーは確実に大剣の餌食になる。転移結晶の使用も同じだ。結晶を手に取ってから転移先を告げるまでの時間に攻撃を受ければ、即死は免れない。だが、イタチはそれも分かっていた。だからこそ、自分が何をすべきかも……

 

「俺がボスの注意を引きつける。その間に、メダカと一緒に撤退するんだ。」

 

「んなっ!……それじゃあ、お前はどうなるんだよ!?」

 

「元々、言い出したのは俺だ。なら、俺が責任を持ってお前等を生きて帰すべきだろう。」

 

 自嘲気味なイタチの言葉に、クラインは絶句する。如何に攻略組トップのイタチといえど、双頭の巨人は相手が悪すぎる。単独で相手をして、生き残れる筈がない。それはつまり、イタチは我が身を犠牲にしてクライン達を助けようというのだ。軍を救援に来て、このような事態を引き起こした以上、イタチはそれを当然のこととして受け止めている。合理的な判断の中で、こうなればもう、前世と同じ道を歩むしかないという、自棄的な思考があったこともあるが。

だが、クラインはそれを許そうとはしなかった。

 

「ふざけんな!!お前一人置いて逃げろってのか!?」

 

「その通りだ……これは俺の……」

 

「ナマ言ってんじゃねえ!!」

 

 クラインはこれまでにない怒声を張り上げてイタチの胸倉を掴んで言葉を遮る。あまりの気迫に、さしものイタチも眼を丸くして硬直してしまう。

 

「お前はなぁ……俺の仲間なんだぞ!!見捨てることなんか、できるわけねえだろ!!」

 

「……このままでは、全員死にかねんのだぞ……!」

 

「上等だ!!……それと、お前に一つ言っておいてやる。俺はギルドのリーダーとして、心に決めたことがあるんだよ……」

 

 いつになく真剣な表情で、クラインはイタチの顔を見据える。対するイタチ、そんなクラインの姿に、前世に出会った一人の少年を思い浮かべていた。そんなイタチに、クラインははっきりと、そして強く言い放つ。

 

「仲間は死なせねえ……それが、俺の武士道だ!!」

 

「!」

 

 イタチの眼に映ったクラインの姿には、確かに覚えがあった。それは、戦いの世界に生きる者としては、戯言以外の何物でもない絵空事を信じ続ける強い心を持った少年の姿……

 

“まっすぐ自分の言葉は曲げねぇ……それが俺の忍道だ!”

 

 禁術による二度目の生を受けた際に出会った、弟の親友。復讐へと走った弟を、何が何でも里へ連れ戻すと宣言した揺るぎない友情に、自分は弟……サスケを託した。

 そして今、自分の目の前に立つ男も、あの少年と同じものを持っている。

 

(抜け忍となってから忘れがちだったが……俺も、“木の葉”のうちはイタチだったな。)

 

 前世の自分が所属した木の葉隠れの里の忍は皆、火の意思を受け継いでいる。里がどれだけの闇や矛盾を抱えていたとしても、自分は木の葉のうちはイタチだ。ならば、自分にもナルトと同じ、火の意思が宿っている筈だ。

 

(そうだな……俺だけが諦めるわけには、いかないよな……!)

 

 世界は違えど、火の意思はあらゆる人間の心に宿っている。ならば自分もまた、この心に火を灯して立ち上がれる筈だ。

 

「……ありがとう、クライン。」

 

「礼はいらねえよ。」

 

 自分を犠牲にすることしか考えられなかったイタチに、大切なことを思い出させてくれた仲間に、素直に感謝するイタチ。クラインはそんなイタチの姿を見て、にんまり笑ってみせた。

 イタチのいた前世の世界では、理を重んじる忍の前身は、忠を重んじる侍だったといわれている。今となっていは数多くの流派を有した侍も廃れてしまっているが、今なおその生き様を貫かんとする者達が、鉄の国とよばれる国にいた。目の前の野武士ことクラインの心にも、彼らと同じ揺るぎない心をイタチは垣間見たのだった。

 

「さて、どうしたもんだろうなぁ……あの巨人の急所が分かった見てえだが、あの筋を突くと炎を噴きやがるんだろ?」

 

「やはり、お前も分かっていたか。」

 

「正確には、メダカの嬢ちゃんが気付いたんだけどな。で、何か手はないのかよ?」

 

「……炎を防御するには、盾戦士が必要だ。だが、今ここにいる面子には、十分に盾として機能できるプレイヤーはいない。」

 

 強大な攻撃力故に、盾は回避でのみ行うべきと考えていたが、よもや避け切れない攻撃がくるとは予想外だった。本来ならば、ここで撤退して作戦を練り直さねばならないが、軍には退く気配がない。何より、途中から参加して指揮を取っているメダカは、飽く迄勝つつもりらしい。

 十分な壁役がいれば問題は無いのだが……そう考えていた、そんな時だった。

 

「イタチ君!!」

 

 フロアボスの扉の向こうから、新たな声が響く。イタチのことを君付けで呼ぶプレイヤーを、イタチは一人しか知らない。イタチとクラインが扉の方を向くと、そこには予想通りの人物がいた。

 

「アスナの嬢ちゃん!?……しかも、一緒にいるのは……」

 

「血盟騎士団に、聖竜連合の部隊だな……」

 

 アルゴに頼んでおいた救援が到着したのだ。血盟騎士団リーダーのヒースクリフや、聖竜連合総長のシバトラはじめ、幹部まで全員揃っている。そしてその中には、イタチ等が今最も欲しているプレイヤーの姿もある。

 

「良い所に到着してくれたな。」

 

「やったぜ!これなら、ボスが倒せるんじゃねえか!?」

 

 予想以上の増援の到着に、クラインは興奮した様子で喜色を浮かべる。イタチに至っても、現状を覆すに足る勢力が来たことで、目の前に立ちはだかる規格外の巨人に打ち勝つことができるのではないかと希望を見出せた。

 

「イタチ君!助けに来たよ!」

 

 聖竜連合総長のシバトラが、大部隊を率いてイタチのもとへ現れる。連れているメンバーは、ほぼ全員がメイス等の打撃武器を持った筋力重視型のプレイヤーである。

 

「シバトラさん、ありがとうございます。早速ですが、そちらに連れているメンバーを盾持ちに切り替えてもらえますか?」

 

「え?でも、あのボスの装甲に対抗するには、打撃武器が必要なんじゃ……」

 

「良いから言う通りにしてくれ!頼む!」

 

 クラインの切羽詰まった表情での懇願に、シバトラは気圧される。その様は、まるでヤクザに脅される中学生である。シバトラは大型攻略ギルドのトップに立つ実力者でありながら、小柄で童顔な見た目通り、押しに弱いのだ。イタチはしどろもどろしているシバトラをフォローするべく、クラインを押し退けて頼み込む。

 

「シバトラさん、考えがあってのことです。それには、どうしても盾持ちが必要なんです。」

 

「……分かった、君を信じるよ。皆、装備を盾持ちに変更するんだ!!」

 

 シバトラの指示により、聖竜連合のメンバー全員がシステムウインドウを呼び出し、盾持ちに切り替える。聖竜連合の特色は、アインクラッド軍に次ぐ戦力と、臨機応変に装備を変えることにより、攻防自在の戦術を展開することができるのだ。

 

「俺とクライン率いる風林火山がメインで攻撃をします。シバトラさんは、盾役達の防御の指揮をお願いします。」

 

「分かった……君のことだから大丈夫だろうと思うけど、くれぐれも気を付けてね。」

 

「了解しました。行くぞ、クライン。」

 

「おう!任せとけ!!」

 

クライン率いる風林火山と共に前線に出て双頭の巨人が右半身に向き合うイタチ。同時に、巨人の向こう側で指揮を取っているメダカにも、先程分かったことを報告する。

 

「ボスの弱点は、胸を走っている血管のような筋だ!刺突系ソードスキルで狙え!」

 

 数十メートル離れた位置にいるメダカにも聞こえるほどの大声で、ボスの情報を叫ぶイタチ。攻略組プレイヤー全体に情報が行き渡ったのを確認したメダカが、今度は指示を送る。

 

「弱点を狙うならば、刺突系ソードスキルだな。ならば……アスナ!行け!!」

 

「分かりました!!」

 

 メダカの指示で、巨人の左半身相手の最前線に出ることになったのは、数少ない攻略組の女性プレイヤー。イタチとはリアルでも知り合いである、アスナだった。

 

「それから、ボスは一定以上攻撃を加えると、口から特殊攻撃を仕掛けてくる!!防御のタイミングを見誤るな!!」

 

「誰にものを言っている!?私がそんなヘマをすることなど、断じて有り得ん!!」

 

イタチの引き続きの報告に、しかしメダカはまたも不敵な笑みをもって答えた。イタチはそんな彼女に苦笑しながらも、改めてボスへと向き直る。

 

「クライン、俺とセナが回避盾を担当する。お前達は、急所である胸の赤い筋を攻撃するんだ。」

 

「えええええ!!僕も行くの!?」

 

 いきなり回避盾としてアシストをさせようとするイタチに、抗議するように声を上げるセナだが、イタチは聞く耳を持たず、クラインに指示を与え続ける。

 

「一定以上攻撃を加えて、ボスの胸が膨らんだら、すぐに後方へ退け。あれが特殊攻撃の予備動作で間違いない。」

 

「分かってるぜ!俺様達が、絶対にぶっ倒してやる!!」

 

 威勢のいいクライン達風林火山の言葉を背中に受け、イタチは双頭の巨人の右頭部を睨む。当の巨人の右半身も、自身に最も近い位置に立つプレイヤーであるイタチを標的と見なし、攻撃開始する。

 

「ガジャァァアアアッ!!」

 

(来る!!)

 

 巨人が右手にもった大剣が、イタチに向けて振り下ろされる。だが、イタチは身を翻すような軽快なステップで回避する。そして次の瞬間、イタチは先程まで隣にいたセナと共に、加速状態に入る。二人並んでの加速、しかし、互いにぶつかることなく、ボスの大剣の剣戟を見極めて縫うように回避していく。そして、ボスの懐に近づいたところで、イタチが前に出てソードスキルを繰り出す。

 

「はぁぁああっっ!!」

 

「ガガッ!ジャジャ、ジャァアアア!!」

 

 先程と同じく、イタチの発動したヴォーパルストライクが、ボスの胸部に走る血管を貫いた。胸を突かれた苦痛にボスが咆哮し、HPゲージも大幅に減る。そして予想通り、イタチが刃を抜いた途端、胸部の肺が膨らみだす。それを確認するや、イタチとセナは後方へと退く。

 

「火炎放射がくる!シバトラさん、防御の用意を!!」

 

「盾役、全員前へ!!攻撃に備えろ!!」

 

 イタチの言葉に、シバトラは素早く反応、指示を飛ばす。聖竜連合の盾役達は、一糸乱れぬ動きでボスの攻撃に備えるべく、動きだした。

 

「構え!!」

 

「ガバハァアアアア!!」

 

 巨人の右肺の膨らみを確認したシバトラがいよいよと判断し、合図を出す。そして直後、イタチが後退した聖竜連合の盾役目掛けて、ボスの口から火炎放射が放たれたのだ。

 

「ぐぅううう!!こいつは結構キツいぜ!!」

 

「踏ん張るんだ!ここで凌ぎ切れなければ、ボスは倒せないぞ!!」

 

「んな事ぁ、分かってるんだよぉぉぉおお!!」

 

 ボスの火炎攻撃に苦戦する、幹部であるナツ率いる聖竜連合部隊に対して檄を飛ばすのは、総長のシバトラ。だが、ナツ達部隊メンバーは、巨人が吐き出す火炎に怯まず、その猛威に立ち向かう。そして、数十秒にも満たない攻防の末、打ち勝ったのは聖竜連合だった。

 

「よし!今だイタチ君!ボスを攻撃してくれ!!」

 

「……壁役プレイヤーのダメージが大き過ぎます。俺達がタゲを取っている間に、ポーションを飲んで回復、防御力強化アイテムの使用をお願いします。クライン、セナ、行くぞ!」

 

「おう、任せとけ!!」

 

「ま、待ってよぉおっ!」

 

 それだけ言うと、イタチはクラインやセナを引き連れてボスのもとへと走り出す。だが、無表情ながらその内心は暗かった。

 

(盾役がいれば、火炎攻撃は防げると踏んでいたが、甘かったか……)

 

 聖竜連合の盾持ち達が防いでくれたおかげで、火炎攻撃から生き残ることはできたが、ダメージ量が半端ではない。ボスの頭上に並ぶ四本のHPバーは、未だ一本目を削って間もないのだ。このままでは、ボスが倒れる前にアイテム切れで敗北しかねない。

 

(正攻法では勝てそうにないな…………何か……何か他に、弱点は無いのか……!?)

 

 後ろで聖竜連合の盾役がポーションや各種アイテムを服用して体勢の立て直しを行っている間、イタチは巨人の大剣を回避しながらボスの動きを注意深く観察し、弱点を暴かんとする。と、そんな時だった。

 

「ギバハァアアアア!!」

 

 メダカが指揮を取っているアインクラッド解放軍と血盟騎士団の混成部隊が相手をしている巨人の右半身が、ブレス攻撃を放ったのだ。青眼の頭から吐き出されたのは、青白い煙。軍と血盟騎士団の盾役プレイヤーが前に出て防御したところ、彼等のからだが凍りつく。双頭の巨人の右半身が火炎を噴くのに対し、左半身は冷気を噴くようだ。その様子を横目で確認した傍ら、イタチがボスの異変に気付く。

 

(右半身の血管が、収縮している……そうか!)

 

 特殊攻撃時のボスの身体に起こった僅かな変化を、イタチだけは見逃さなかった。そしてそれが、目の前のフロアボス、ザ・ツインヘッド・タイタンを、これ以上の犠牲無しに打ち倒す唯一無二の方法であることも。

 ボス攻略の道を見つけたイタチは、脳内ですぐさま攻略のための作戦を立てる。そして、それができるプレイヤーの名前を叫ぶように呼ぶ。

 

「アスナさん!」

 

「!……イタチ君、何!?」

 

 イタチからの急な呼びかけに驚くアスナ。第一層でビーターを名乗って以降、主に攻略関係のことで話しかけられることしかなかったが、今の呼びかけにはそれ以上の、信頼に満ちたものだった。そんなアスナの様子をイタチは気にかけることなく、ただ指示を送る。

 

「合図を送ったら、俺と一緒のタイミングでボスの急所を攻撃してください!!高度なアキュラシーを持つあなたにしか頼めないことです!!」

 

「分かった!!やってみる!!」

 

 イタチの頼みに対し、アスナも同じように信頼を込めた言葉で返す。そこには、リアルでの知り合い以上に、攻略組として実力を認めあった者達の、“絆”ともいうべきものが存在していた。

 

 

 

攻略は今、加速する―――

 



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第二十二話 紅の森

 血盟騎士団、聖竜連合という攻略組トップギルドの参戦により、苛烈を極めた第二十五層攻略の最中、その流れを変えんとボス目掛けて突貫する黒白二極の影があった。

 

「今です!」

 

「うん!」

 

 黒ずくめのソロプレイヤー、イタチの合図と共に、同じくソロで白い衣装に身を包んだ女性プレイヤー、アスナがボスの懐へ飛び込んでいく。

 

「うぉぉおおお!!」

 

「はぁぁあああ!!」

 

 手に持つ武器に激しいライトエフェクトを走らせながら、二人の刃がボスの胸部に走る血管を貫かんとする。そして、双頭の巨人は、己の反応速度を優に上回る動きを見せるそれを食い止める術は無く、両胸に二筋の閃光を受けてしまう。

 

「ガジャァァアアッッ!!」

 

「ギジャァァアアッッ!!」

 

イタチの片手剣上位刺突技、ヴォーパルストライクと、アスナの細剣中位型高威力刺突技、「ホワイトコメット」が、それぞれ巨人の胸を走る赤と青の筋を貫いた。急所を深々と貫いた二つの閃光は、HPゲージを大幅に削り取る。

 

(……やはり、か。)

 

 急所を“二カ所同時に”貫いた双頭の巨人の反応は、イタチの予想通りだった。先程までは、急所を穿つ攻撃に対しては特殊攻撃の反撃をしていた筈が、今回はそれが来ない。つまり、特殊攻撃スキルを打ち消した何かがあるということだ。

 

(忍術における性質変化の法則が、この世界のモンスターにも当てはめられたとはな……)

 

チャクラの性質変化とは、かつての忍世界にあった、忍術の原動力たるチャクラに関する概念の一つである。火・風・雷・土・水の基本五種類から成り、一定以上のレベルの忍術はこの性質をチャクラに付与して発動するものが一般的とされている。

そして、これら五つの性質変化には優劣関係が存在する。その中で、火遁は水遁に弱い関係にある。そして、双頭の巨人は右半身に火の性質、左半身に氷の性質を持っている。片方を刺激すれば、風船のように膨らんでその性質が強まるが、もう片方の性質は弱められる。つまり、火と冷気という、左右で相反する性質故に、左右同時に刺激を与えてしまえば、特殊攻撃は打ち消されてしまうのだ。ボスの一挙手一投足を注意深く観察し、忍としての知識と瞬時に照合することができる頭の回転の速いイタチだからこそ見抜けた弱点なのだ。

 

「アスナさん、見事です!」

 

 そして、その情報を活かすための作戦が実行できたのも、卓越した細剣技のアキュラシーを持つアスナがいたおかげだった。

絶望的だった攻略戦の中にありながら、決定的な有効打を見出せたことで、普段は無表情なイタチの顔には喜色が浮かんでいた。そんなイタチの言葉に、アスナも満面の笑みで返す。

 

「これくらい、お安いご用よ!!」

 

 今まで異常なまでに自分に距離を置いていたイタチが、初めて感情を見せて自分に応えてくれたことに、アスナの内心もいつにも増して晴れやかだった。

 

「メダカ!シバトラさん!ボスの能力を封じる手段ができた!!俺とアスナさんがメインでボスの急所を狙う!!そっちは援護を頼む!!」

 

「良いだろう!!」

 

「分かった!!」

 

 イタチの言葉に、ボスの左右半身を担うリーダーが、笑みと共に答える。イタチとアスナ、黒と白の両極を中心に攻略組が巨人を挟んで並び立ち、戦いの流れが新たに切り替わる。

 イタチとアスナが同時にボスの急所を穿ち、仰け反ったところへ精鋭プレイヤー達がスイッチして攻撃にかかる。反撃を始めれば、イタチとアスナをはじめとする敏捷特化型プレイヤー達が回避盾としてボスのタゲを取り、再び急所を突き、そしてスイッチ。戦いの流れを完全に掴んだ攻略組だったが、この一連の動き全てが常に命懸けだった。だが、ギルドやベータテスターの関係を超えた、戦いの中にある絆を誰もが信じて戦っていたのだ。

 

「ガガ、ガッジャァァアアアァアッ!!」

 

「ギ、ギギ……ギジャァアアアッッ!!」

 

 命懸けの死闘を続けること十数分。アインクラッド解放軍の暴走から始まった攻略戦の末、遂にボスのHPバー全てを削り切ることに成功した。断末魔と共にポリゴン片を爆散させて消滅するボスに、攻略組は皆、自分達の勝利が信じられないとばかりに目を見開いた。

 

「勝った……のか?」

 

「やったの、か?」

 

 ボスの消滅と共に、呆然自失となって地面にへたり込んでいる攻略組プレイヤー達。そんな彼らに、自分達の成し遂げた偉業を高らかに宣言したのは、指揮を取っていたリーダーの一人、メダカだった。

 

「皆、私達の勝利だ!!」

 

 その宣言と共に、空中に『Congratulation!』の文字が浮かび上がる。そして、先程までフロアボスが支配していた部屋の中に、攻略組プレイヤーの歓声が響き渡る。これまで二十四のフロアボスを屠ってきたプレイヤー達を苦しめ、犠牲者まで出した、あの双頭の巨人を倒す事ができた。そんな死闘を制すことができた達成感に、この場にいる大部分のプレイヤーが歓喜していた。

 

「……キバオウ。」

 

「チッ……何や、ビーター!」

 

 大部分のプレイヤーが攻略成功に歓喜する中、イタチは一人、今回の解放軍の暴走を引き起こした張本人である、キバオウのもとを訪れていた。周囲が明るい雰囲気にも関わらず、この二人の周囲には剣呑な空気が漂っている。

 

「あんたに聞きたい事がある。今回の攻略……あんたに偽の情報を売り付けて、攻略を唆した奴は、どこにいる?」

 

「……何の話や?」

 

「俺の問いに答えてもらおう。お前を騙した黒ポンチョの男……PoHは、今どこにいる?」

 

 怒り心頭でイタチのことを無視しようとしていたキバオウの顔に、驚愕が浮かぶ。どうやらキバオウは、イタチが今一番知りたい事を知っていると見て間違いなさそうだ。

 

「……どこまで知っとったんや?」

 

「PoHという名前を知ったのは、つい最近だ。お前が騙されていることを知ったのは、今朝だった。」

 

 キバオウの問いに対し、イタチは一切の感情を交えずに淡々と答えた。その顔には、かつてない程の冷酷さが宿っていた。常人ならば、眼を背けたくなる様な、極めて強い冷気を宿している。

 

「そいつの言う事を信じて乗り込んだ結果、お前の部下達は死んだんだ。攻略組を罠に嵌めた以上、これは軍だけの問題ではない。」

 

「……ビーターのお前が、正義の味方気どりかいな。厚かましい……お前の手は借りひん。わいが自分で、ケリを着ける。」

 

「キバオウ!お前、いい加減に……」

 

 ボスを倒してなおも、キバオウは頑なにイタチをはじめとした攻略組プレイヤーに対して拒絶の意思を示す。そんな彼の態度に、クラインやカズゴはじめとした血の気の多いプレイヤー達が苛立ちを露にして食って掛かる。

 

「待て。」

 

「イタチ!お前……」

 

 だが、イタチだけは、怒り心頭のクライン達を制止し、キバオウに責任追及することを止めた。先程、他の軍のプレイヤーに確認して分かったことだが、この二十五層攻略における軍の犠牲者は、十数名に及んでいたのだ。全ての責任は、解放軍の大部隊を勝手に動かして無謀な攻略に挑んだキバオウにある。最大規模のギルドにおける幹部という役職を考えても、この行動は軽率過ぎる。そして、本人がそれを自覚していることも。

 

「……お前等は、すっこんどれ。これは、わいが……わいの問題なんや…………転移、はじまりの街。」

 

 それだけ言うと、キバオウは青い転移結晶を取り出して、光と共にその場から姿を消した。行く先は、軍の本拠地がある第一層のはじまりの街。その様子を見たプレイヤー達の顔が、さらに怒りに歪む。

 

「あの大馬鹿野郎が……どこまでも勝手なことばっかりしやがって……!」

 

「イタチ、お前はどうするんだ?」

 

「追わなくて良いんですか?」

 

 その場に残されたイタチに対し、攻略組プレイヤー達はこれで良いのかと問いかける。対するイタチは、無表情ながら怜悧な表情で答える。

 

「はじまりの街に追いかけるのは無駄だ。奴が拠点に戻ったのは、装備を整えるためだろう。今から追いかけても、またすぐに転移するし、追いかけても逃げられるだけだ。」

 

「なら、どうするんだよ?」

 

「もうすぐ、奴の行く先を確実に追える男が来る。」

 

「それって……」

 

「済まない!!遅くなった!!」

 

 アレンがイタチの言葉の意味を確認する前に、件の人物は現れた。他の攻略ギルドより遅れてボスの部屋に到着した、アインクラッド解放軍のリーダー。第一層から攻略の指揮を取る中心人物となっていた、青髪の騎士、ディアベルだった。

 

「イタチ君、済まなかった……俺の監督不行き届きで、犠牲者を出したばかりか、攻略組の皆に迷惑をかけた……」

 

 攻略組一同に対し、深々と頭を下げて謝罪するディアベル。対するイタチは、相変わらず本心の見えない表情でディアベルに問いかける。

 

「謝罪はいい。それよりも、早急にキバオウの居場所を調べてほしい。」

 

「キバオウさんの?そういえば、キバオウさんはこの層にはいないのかい?」

 

「さっき、転移結晶使ってお前さん達の拠点に戻って行っちまったよ。」

 

「フレンド登録をしているあなたなら、彼の居場所が分かる筈だ。すぐに調べてほしい。」

 

「わ、分かった。ちょっと待っててくれ。」

 

 いつになく切羽詰まった表情のイタチに、ディアベルは質問の意味を尋ねるよりも早く、システムウインドウを開く。フレンドリストからキバオウの名前を選択し、その居場所を調べようとする。

 

「キバオウさんは、今ははじまりの街に……いや、転移した!第十四層だ。」

 

「フロリアンか……分かった。」

 

 それだけ聞くと、イタチは転移結晶を手にキバオウの後を追おうとする。それに対し、他の攻略組プレイヤー達も転移結晶を取り出そうとするが、

 

「よせ。ここから先には、付いてくるな。」

 

「なっ……どうしてだよ!?」

 

 イタチの言葉に驚くクライン。カズゴやアレンは、ある程度予想していただけに、呆れた様子で溜息を吐いていた。

 

「この戦いは、モンスター相手のそれとは訳が違う。ここから俺の前に現れるのは、正真正銘のレッドプレイヤーだ。殺し合いになることは必須……お前達に、犯罪者とはいえ人が殺せるのか?」

 

「……お前はどうなんだ、イタチ?」

 

 これから向かう先は、殺った者勝ちの死闘が待ち受ける世界。相手を殺してでも生き残る覚悟の無い者には足を踏み入れる資格が無い。イタチの言葉は暗にそう示していた。対するクラインは、イタチにはその覚悟があるかと逆に尋ねる。

 

「覚悟は既にできている。いざとなれば、この手で奴を始末する。」

 

「お前……」

 

 瞳の奥に深く暗い闇を宿して放つイタチに対し、クライン達は反発する言葉が出せない。いつになく鋭く、剣呑なその眼光は、先の言葉が虚言や強がりではないことを物語っていた。プレイヤー同士の殺し合いになれば、イタチは間違いなく相手を殺す。

 こんなイタチは初めて見る。故に、クラインはじめ攻略組プレイヤー達はどう接すべきか、まるで分からない。

 

「連中の相手は俺一人でやる……どうしても付いてくるのなら、遠巻きに包囲しろ。向こうは文字通りの死地だ。死にたくなければ、一人で行動しないことだな。」

 

 それだけ言うと、イタチは転移結晶を取り出す。すぐさまキバオウの後を追うべく、第十四層の主街区の名を口にしようとしたが。

 

「待て、イタチ。」

 

「……メダカ?」

 

 イタチを呼びとめる人物が一人。双頭の巨人の攻略で、左半身の相手を指揮していた女性プレイヤー。イタチとはベータテスト時代からの知己、メダカだった。

 

「一体、何の用だ?」

 

「まあ待て。私は止めるつもりはない。マンタからの預かり物を渡しに来ただけだ。」

 

「マンタから?イタチ、あいつに何か頼んだんか?」

 

 マンタとは、ヨウやイタチを筆頭とした、ソロの少人数のパーティーで活動する攻略組プレイヤーに武器や装備の強化・点検をしている鍛冶職人プレイヤーである。ちなみに、攻略組で元テスターのヨウとは、リアルで友人とのことだった。

メダカはヨウの問いには答えず、ウインドウを操作し、二つのアイテムをオブジェクト化する。メダカの手の中に現れたのは、一本の小瓶と、ヘアバンド状の布に薄い鉄板を取り付けた装備品――額当てだった。

 

「死闘に向かう前に手に入れようとした品だ。私には分からんが、これはお前なりの、決意の証なのだろう?」

 

「……ああ、感謝する。」

 

それだけ言い残し、メダカから二つのアイテムを受け取ると、イタチは第十四層の主街区を唱え、青白い光と共にその姿は掻き消えたのだった。残された攻略組プレイヤー達は、イタチを黙って見送るしかできなかった。

 

 

 

 

 

 第十四層、フロリアンのフィールドは、アストラル系モンスターの巣窟となっている廃墟の街である。昼夜を問わず薄暗い空間が広がる、文字通りゴーストタウンとなった空間を一直線に横切って歩く人影があった。

 

(あのアホウ……わいを騙しおってからに!!)

 

 サボテンのようにいくつもの突起が頭に生えたようなヘアスタイルが特徴的な片手剣使いの男――キバオウである。目的は勿論、昨夜自分に偽物のボス攻略情報をよこした張本人である、PoHと名乗った男に会うためである。

 

(許さへん……絶対に、許さへんで!!)

 

 怒り心頭で廃墟を歩いて行くキバオウの手には、既に片手剣が握られていた。今回の偽の攻略情報に踊らされた結果、自身の所属するギルドは多大な犠牲を払った。命を賭して戦う自分達を弄んだ男を、キバオウは話し合いで許す気など微塵もなかった。

 

(待っとれよ!!すぐにわいがふん縛ってくれるわ!!)

 

 怒り心頭のキバオウには、今の自分が取っている行動が、如何に猪突猛進で無謀なものなのかが理解できていない。故に、自身にこの後降りかかる危険についても―――

 

 

 

主街区からフィールドを横切って歩いたキバオウが辿り着いたのは、郊外の森の中だった。PoHと名乗る男と出会ったのは、ここより数層上が最前線だった頃で、圏内だった。攻略やレベリング、アイテム収集に関して有力な情報を、攻略最前線に立つプレイヤーのために無償で提供したいと向こうから言い出したことが始まりだった。第十層の攻略を終えた頃から、他のギルドが頭角を見せ始めたため、攻略における実権を握るために奔走していたキバオウは、その誘いに乗ってしまった。そして今日まで、その情報に頼りに攻略・レベリングを続けてきたのだ。それがまさか、ここに至って裏切られるとは思わなかった。軍の大部隊を預かる身として、そして悪意を見抜けなかった責任を取るためにも、あの黒ずくめの男だけは野放しにはしておけない。そう覚悟したキバオウは目的地へと足を踏み入れ、そして叫ぶ。

 

「PoH!そこにいるのは分かっとるんや!!さっさと出てこんかい!!」

 

 苛立ち露に名を呼ぶキバオウの言葉に、しかし本人は然程間を置かずに姿を現した。仄暗い森の闇から、黒ポンチョを纏った影が現れる。

 

「Oh……まさか、二十五層のフロアボス相手に、生き残れるとはな……フフフ、お前も中々悪運の強い奴だな。」

 

「茶化すなや!お前のお陰で、わいのギルドは多大な犠牲を被ったんや!!この落とし前、付けさせてもらうで!!」

 

 片手剣をPoHに突きつけて言い迫るキバオウ。対するPoHは、相変わらず飄々とした態度を崩さず、キバオウの怒りの表情を面白そうに眺めていた。そんなPoHに対し、キバオウの怒りは頂点に達する。少しでも妙な動きをすれば、即座に斬り掛らんとする勢いで近づくキバオウ。その距離が、あと三歩というところまで迫った、その時、

 

「うぐっ……!?」

 

 キバオウの口から、突如苦悶の声が上がる。キバオウがダメージによるシステム上の衝撃、痺れを感じたのは、右肩。視線をずらしてみると、そこには一本の短剣が突き刺さっていた。それを視認すると同時に、身体が糸の切れた人形のように地面に崩れる。視界の端に見えるのは、麻痺のアイコン。それは即ち、麻痺毒を塗られた毒ナイフを放たれたことにほかならない。

 

「だ~いめ~いちゅ~!」

 

 次に聞こえたのは、少年のように無邪気な、それでいて禍々しい声。視線を上げたキバオウの視界にいたのは、もう一人の黒ずくめ。何より目を引くのは、頭上のカーソルの色――オレンジだった。

 

「紹介するぜ。俺の仲間の一人、ジョニー・ブラックだ。」

 

「よ・ろ・し・く!」

 

 面白おかしく挨拶するジョニーだが、その目に宿っているのは、非常に危険な狂気。麻痺で身体が動かないことも相まって、キバオウはようやく自身の身に起こる危険を肌で感じた。

 

「今回は、中々に上等な獲物だ。何せ、アインクラッド解放軍のサブリーダー様だ。」

 

「へっへっへ~!やったぜヘッド!それじゃあ、どうする!?どうやって料理する!?」

 

「今回はお前の好きにするといい。やりたいように、やれ。」

 

「ラッキー!それじゃあ、お言葉に甘えて……!」

 

 その言葉を待ってましたと言わんばかりに、ジョニーは懐から新たなナイフを取り出し、キバオウに向けて振りかぶる。キバオウは、いよいよもって訪れた自身の命の危機に、しかし何もできない。歯を食いしばり、自身の命を脅かす凶刃を見つめることしかできない。

 

「そ~んじゃ、いってみよ~!!」

 

 ナイフの刃がキバオウの頭部を貫かんと迫る。SAOでは、頭部をはじめ、急所を狙われても一撃でHP全損に陥ることはない。恐らく、この恐怖が延々と続くのだろうとキバオウは推測する。

 そして、迫る刃がキバオウの眼前まで及んだ――その時だった。

 

「ぎゃぁぁあっ!?」

 

「!?」

 

 再び、響き渡る悲鳴。だがそれは、キバオウのものではない。キバオウにナイフを振り下ろそうとしていた、ジョニーのものだった。ナイフを握った右腕に走る衝撃に、ジョニーの手にあった筈のナイフは、宙に弧を描いて弾き飛ばされる。さしものPoHも、突然の事態に驚愕する。分かっているのは、新手の闖入者が現れ、攻撃を行ったということ。PoHはすぐさま当りに視線を巡らせ、襲撃者の姿を探す。

 

「ようやく会えたな。お前が、PoHだな?」

 

探していた人物の姿は、すぐに見つかった。森を覆う闇の向こうから現れる、全身黒ずくめの中性的なシルエット――先程まで二十五層のフロアボスの部屋にいた、イタチだった。だが、その装備と容姿、そして纏う雰囲気はまるで別人だった。

頭部には、紋章が刻まれた額当。描かれているのは、渦巻きを中心に木の葉を模したマーク。それに横一文字の傷が入ったものだった。

そしてもう一つの特徴は、血のように赤い瞳。メーキャップアイテムの類で染められた双眸は、これまでに無い冷たい殺気を放っているように思えた。

そこにいるのは、桐ケ谷和人としてのイタチではなく、前世の忍世界を生きた、写輪眼のうちはイタチそのものだった――――

 



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第二十三話 闇装束の男達

突如現れた少年、イタチの姿を、PoHは警戒しながら観察する。その手には、チャクラムがあった。恐らく、ジョニーの刃を弾き飛ばしたのは、あのチャクラムだろう。

 

(俺が反応できない程の速度で投擲したってのか……しかも、この距離で俺が感知できない隠蔽スキル……)

 

 この突然の襲撃にあって、PoHは至って冷静に事態を把握していた。襲撃者がこの襲撃に使った諸スキルが、洗練されたものであることも。そして、PoHは直感する。今目の前に立つ男こそが、自分を探していた、そして自分も会うことを渇望していた人物であることを……

 

「Mm……俺を探していたって奴は、お前か。」

 

「知っていたのなら、話は早い。どんな用事があるかも、分かっているのだろう?」

 

 それだけ言葉を交わすと、二人はその場に立ったまま睨み合う。そんな中、PoHは目の前の人物が自分の予想を裏切らない存在であることを感じていた。

 

(あの技……あの眼……たった半年間、殺し合いの世界にいただけでできるものじゃねえな……)

 

 その常軌を逸した、自分に近い同類の空気を纏う目の前の少年に、PoHは気持ちが昂ぶっていた。この日本と言う平和な国にあって、こんな眼のできる人間が、このSAOに参加しているとは思わなかった。こんなに若い少年が、どうして殺し合いの世界を知っているのか、理解はできないが、今はそんなことはどうでもいい。

 

「挨拶が遅れたな……お前の察した通り、俺こそがお前の探し求めていた、PoHで間違いない。」

 

「やはりな……軍に二十五層のボス攻略を唆して、犠牲者が発生するよう仕向けたのも、お前の差し金だな。」

 

「だったらどうする?正義の味方気取りで、俺を捕まえるか?それとも……ここで殺すか?」

 

「大人しく投降してくれるならばそれに越したことはないが、それが無理ならば止むを得ん。」

 

 それだけ言うと、イタチは背中に差していた片手剣、キアストレートを抜き放つ。同時に、左手に持っていたチャクラム、ヴァルキリーを装備し直す。そんな臨戦態勢のイタチに対し、命の危機にあった筈のキバオウが噛み付く。

 

「おい、ビーター!何でお前がこんな所におるんや!?」

 

「俺もその男に用があった。ただそれだけだ。お前に特段、用事があるわけではない。」

 

 イタチの言葉に、しかしキバオウの苛立ちは治まらない。だが、一人で敵地に飛び込むという無謀を犯した末路として、こんな状況にあるのだ。今更、何を言っても負け犬の遠吠えでしかない。それを頭では理解しているだけに、キバオウはそれ以上何も言えなかった。

 

「テメエ……調子に乗ってんじゃねえぞ!!状況分かってんのか!?」

 

 イタチの最初の襲撃によって手に傷を負わされたジョニーが、怒りを露に喚き散らす。対するイタチは、相変わらず冷静な様子で周囲にちらと目配せして返す。

 

「……十二人といったところか。それがここに隠れている仲間の数だ。違うか?」

 

 イタチの言葉に、ジョニーとキバオウは凍りつく。確かにこの場には、PoHの仲間が大勢潜んでいる。それも、全員が高度な隠蔽スキルを有する隠密プレイヤーである。それをものの数秒で人数を見抜いたのだ。恐らく、居場所も大体把握したのだろう。PoHは自身の予想を遥かに上回るイタチの能力に、またも歓喜する。

 

「!?……それが分かっていながら飛び込むとは、相当な馬鹿だな!おい、皆!構わねえ、やっちまえ!!」

 

 ジョニーの言葉に応じ、辺りに立つ木の影から無数のプレイヤーが姿を現す。その数は、イタチの予想と違わず、十二人。頭上のカーソルは、いずれも犯罪者プレイヤーを示すオレンジ。

 

「ハハハ!これでお前も、終わりだなぁっ!?」

 

 オレンジプレイヤーがイタチを取り囲む光景に、狂喜するジョニー。キバオウは顔を青くしている。PoHはただ一人、イタチがこの状況にどう対処するかを、楽しそうに眺めていた。

 

「It’s show time.」

 

 PoHの口から、常にはない興奮を伴った、完璧な英語のイントネーションをもった言葉が発せられる。それと同時に、オレンジプレイヤー達は各々武器を手に取る。それに対してイタチは、

 

「やれやれ……」

 

「調子に乗ってんじゃねえぞ、オラァッ!!」

 

 この期に及んでも平静を崩さないイタチに痺れを切らしたオレンジプレイヤーの一人が、片手剣を手に斬りかかる。ライトエフェクトを伴うそれは、垂直斬りソードスキルのバーチカル。だが、イタチは眉一つ動かさず、

 

「ふん……」

 

「がぁああっ……!!」

 

 向かってくる斬撃を軽々避けると、ライトエフェクトと共に剣を振るう。次の瞬間、斬り掛ったオレンジプレイヤーの四肢が地面に落とされる。

 

「お、俺の手がっ!足がぁっ!」

 

 手足を切断されて泣きわめくオレンジプレイヤー。包囲していたオレンジプレイヤー達も、その様子に唖然とする。イタチはそんな男達に目もくれず、ジョニーやPoHのいる場所へと歩き出す。

 

「な、何やってんだ!毒ナイフだ!毒ナイフで奴を動けなくしちまえ!!」

 

 ジョニーの言葉で我に返ったオレンジプレイヤー達が、急いで懐から麻痺毒を塗ったナイフを取り出し、投剣スキル、シングルシュートを発動する。単発型のソードスキルだが、ジョニーを含めた十二人で放つのならば、イタチとて対処できない筈。次の瞬間には、イタチのもとへ十二の光芒が殺到していた。だが、イタチは回避不能な攻撃が自身に及んだこの状況に至っても、一切表情を変えることなく、事態に対処する。

 

「……はぁっ!」

 

 八方から迫る閃光に対し、イタチはコンマ二秒以下のメニューウインドウ操作によるクイックチェンジで新たな武器を手に取る。そして、目にも止まらぬ速さで迸るのもまた、閃光――――

 

「なっ……!!」

 

「Wow……」

 

 次の瞬間には、イタチを中心に、辺りには中を舞うナイフの群れ。何が起こったのかを理解できたのは、PoHだけだった。残りのオレンジプレイヤー、そしてキバオウには、イタチが何かの武器を振るってそれを弾いたことしか分からなかった。しかし、一振りで八方から迫るナイフ十二本を一気に弾く武器とは何なのか。その答えを知る前に、再びイタチの右手に持つ武器から光が走る。

 

「ぎゃっ!」

 

「ぐわっ!」

 

「うおっ!」

 

 再び弾き飛ばされる、宙を舞っていたナイフ。光に打たれて撃ちだされたそれらは、それぞれの持ち主へと飛来して射抜く。刃に塗られた麻痺毒により、その場に崩れるオレンジプレイヤー達。だが、

 

「ひっ!」

 

「……ふっ!」

 

 ジョニーの元に飛来したナイフだけは、PoHが手に持つナイフで弾き落としたのだった。理解不能な事態の連続に、ジョニーは後ずさってしまう。

 

「い、一体、何をしやがったんだ!?」

 

 ジョニーの上ずった問いかけに、イタチは口ではなく、武器を手に持つ右手を振るうことで答えた。その勢いに、武器は“撓り”、地面を強かに打つ音を響かせる。

 

「“戦鞭スキル”、か。なかなかクールな武器じゃねえか。」

 

 戦鞭とは、棒状の柄に革紐を取り付けた武器である。繰り出される速度は、現実世界においては音速を超えるが、SAOにおいてはシステムアシストも手伝ってさらにその上を行く。だが、元々の鞭の使用目的は拷問であるため、戦闘には不向きである。SAOの戦闘においても、モンスターのタゲを取る程度の役にしか立たない。だが、ワンモーションで音速を超える技を繰り出せるのならば、それはSAOに存在する中で最速の武器であることを意味する。

 第二層における、PK狙いのプレイヤーが出現した時から、イタチは対プレイヤー用の武器として、戦鞭に注目していた。プレイヤーが反応できない音速を超えるソードスキルを繰り出せる武器ならば、牽制も容易いからだ。

 

「しかも、そのリーチで八方からの攻撃にまで対処したばかりか、投擲武器を全て持ち主に弾き返すはなぁ……」

 

「それで、どうする?まだやるか?」

 

三メートルにも及ぶリーチを持つ戦鞭、「スレイプニルテイル」を手にイタチは問いかける。対するPoHは、相変わらず面白いものを見る様な顔でイタチを観察していた。

 

「Hmm……お前は本当に予想を裏切る男だな。だが、」

 

「死、ね……!」

 

「!」

 

 イタチの背後から襲い掛かる、十三人目の緋色の影。赤い光と狂気をその双眸に宿し、イタチに襲い掛かる。イタチの隠蔽スキルを掻い潜る実力を持っている以上、別格なのは間違いない。その手に持った武器は、アスナが持つ細剣以上に「刺す」という攻撃に特化した得物――エストックだった。

 

「中々の動きだな……」

 

「避けた、か……!」

 

 危なげなく回避するイタチだったが、内心では冷や汗ものだった。目の前の赤眼の男が潜伏しているのには気付けたが、刺突のスピードと正確さは完全に予想を裏切るものだった。攻略組に引けを取らない実力者であることは間違いなく、何よりその眼に宿す光が危険そのものだ。

 

「次は、殺す……!」

 

「まあ、待て。」

 

 エストックを構えてイタチに再び突きかからんとする赤眼の男。だが、それを止めたのはPoHだった。PoHの言葉に、赤眼の男は大人しく従い、手に持ったエストックを懐に納める。

 

「今日のところは、お前に会えたことだし、大人しく引き下がってやる。そろそろ、お前のお仲間も来る頃だろうしなぁ……」

 

 PoHは何やら右手を動かしている。おそらく、システムウインドウを呼び出しているのだろう。同時に、その視線は、薄暗い森の向こうを見据えていた。察するに、主街区にいる仲間からのメールにより、イタチの仲間であるクライン達攻略組プレイヤーがこちらを包囲するために動き始めていることを知ったのだろう。この場に残ったオレンジプレイヤー十三人――それも大部分が麻痺になっている――では、これから来る攻略組プレイヤー達を相手にできる筈もない。

 

「お前も、こいつを死なせたくはないんだろう?」

 

 PoHが指し示す人物とは、キバオウである。キバオウは自身がオレンジプレイヤー達が逃げるための手段に利用されていることに、怒りに顔を歪める。

 

「ビーター!わいに構わず、こいつ等を捕まえろ!!」

 

「……ああ。」

 

 キバオウの言葉に、しかしイタチは頷いた。他のギルドから顰蹙を買っているキバオウだが、解放軍を束ねる重役にある以上、安易に見殺しにするわけにはいかない。だが、ここでPoHとその側近を逃がすわけにはいかない。何としても捕縛、あるいは抹殺しなければ、二十五層の悲劇がまた繰り返されることは明らかだからだ。イタチはクイックチェンジを再び発動。武器を片手剣、キアストレートに持ち替えた。

 

「Mm……やる気満々なのは嬉しいが、悪いが今日はここまで、だ……最後にお前の名前、聞かせて貰えるか?」

 

「……イタチだ。」

 

「イ、タ、チ…………貴様だけは、必ず、殺す。お前も、覚えて、おけ……俺の、名前は……ザザ!赤い眼を、持つ者は、二人も、要らない……!」

 

「チッ……覚えてやがれよっ!!」

 

 そう言うと、ジョニーは懐からボール状のアイテムを取り出す。それが煙玉であることを視認したイタチは、ジョニーがアイテムが地面に叩きつけるよりも先に、キアストレートの切っ先を向けて駆け出す。だが、

 

「おいおい……今日は、ここまでだって言ったろう?」

 

「っ……!」

 

 PoHが横合いから刃を構えて介入し、イタチの刃を受け止めた。次の瞬間、ジョニーの放った煙玉から煙幕が発生する。視界の悪い場所で、あのPoHやザザを相手にするのは分が悪い。イタチは飛び退いて体勢を立て直すが、煙が辺りに満ちる前に、その奥から青白い光が垣間見えた。

 

(転移結晶を使ったな……逃げられたか……!)

 

レッドプレイヤーの主犯格達を取り逃がしてしまったことに歯噛みするイタチ。本当ならば、この場で始末しなければならない相手だった。今日という日、あの三人を逃がしてしまったことを後悔する未来が来ることを、イタチは一人予感していた……

 

 

 

 

 

「イタチ!無事だったのか!?」

 

 オレンジプレイヤーの巣窟たる十一層郊外の森に残されたイタチとキバオウを迎えに来たのは、予想違わずクライン達だった。見慣れぬ額当てに、赤い眼をしたイタチは、クライン達の知るイタチとはまるで別人の雰囲気を纏っていたが、本人であることに間違いはなさそうだ。

 

「……すまない。主犯には逃げられてしまった……」

 

 自身の無事に安堵した様子の攻略組プレイヤー達だったが、この事実だけは伝えなければならないと思った。イタチの言葉を聞いたプレイヤー達の表情は、やはり暗かった。イタチも表情には出さないが、その内心は晴れやかには程遠かった。だが、そんな中、

 

「気にすんなよ、イタチ!俺は……俺達は、お前ぇが帰ってきてくれただけでも、十分だ。」

 

「その通りだよ、イタチ……それにしても、君は本当に無茶が過ぎるよ……一人でオレンジ……レッドプレイヤーに挑むなんてね。」

 

「ったく……次は、俺達も絶対に付いて行くからな!」

 

 イタチを責める者は、誰一人としていなかった。皆、イタチ一人を死地に送ってしまったことを後悔していたのだ。だからこそ、無事に帰ってきてくれたことの方が、嬉しかったのだ。

 

「お前達……」

 

「イタチ一人で、何もかも背負うことなんて無ぇんだよ。」

 

「そうだぜ。オイラ達は、弱い……だからこそ、こうやって仲間なんじゃねえか。」

 

 にかっと笑いかけるヨウに、しかしイタチは内心で戸惑ってしまう。クラインをはじめ、攻略組のプレイヤー達が、自分を心配してくれたことには、感謝しているし、嬉しいとも思っている。だが同時に、自分にはそんな感情を抱く資格が無いとも、イタチは考えていた。

 二十五層のボス戦の最中、クラインは身を呈して他のプレイヤーを救おうとした自分を止め、「仲間は死なせない」と言ってくれた。自分を仲間と認めてくれたのだ。だが、攻略の後、レッドプレイヤーとの戦いに赴いたあの時、自分はそんな彼等の手を振り払ったのだ。そして、前世同様、何もかもを一人で背負おうとした結果、軍を罠にかけた主犯のPoHには逃げられてしまった。かなり前から目を付けていた相手だったにも関わらず、結局犠牲者を出すに至ってしまった。そんな事実を前に、イタチは自身の無力に打ちひしがれていた。

 

(結局……俺には、生き方を変えることも、失敗を活かすこともできなかった……)

 

 生前の姿を模倣し、横一文字の傷が入った額当てを装備し、両眼を写輪眼の如く赤に染めた。前世のうちはイタチに戻る覚悟を……非情になり切る覚悟を持って、戦いに臨んだのだ。しかし、所詮は恰好だけ。再現できたのは、失敗だけ。前世と同様、自分一人では果たせないと分かっていながら、その業を他者に背負わせまいと一人で立ち向かったがために、本来できた筈のことを蔑にしてしまったのだ。

 

(だが、譬え宿命だとしても……やはりこれは、俺が背負うべき業だ……)

 

 己の失敗の原因を悟っていながら、結局イタチにはそれしか道を選べなかった。こんな人殺しが罷り通る世界を作り出した責任の一端……罪は、自分にもある。ならば、自分のすべきことは、ただ一つ……己の全てを犠牲にして、この世界を終わらせる。それだけだった。

 イタチは一人、無表情な仮面の下に、誰に打ち明けることもできない悲しみを背負い、森を後にした。クライン達がその背中を呼び止めようとしていたが、イタチの耳にはその言葉が届くことはなかった――――

 

 

 

 第十一層、フロリアンの主街区を横切るイタチ。向かう先は転移門広場である。目的は、最前線の階層にいる情報屋、アルゴに会うためである。逃げられはしたが、目当ての人物であるPoHと邂逅することができた以上、一刻も早く全プレイヤーに警告をかけねばならない。あの死闘の直後である今でなくても、日を改めて他のプレイヤーとともに報告に向かえば良いのだが、イタチは到底休む気にはなれなかった。むしろ、休む資格などないと考えていたのだ。

 精神的に重い足取りで、イタチは転移門を目指して歩き続ける。その足は、止まることを知らない。だが、そんな彼の目の前に現れる、五つの人影があった。

 

「イタチ!!」

 

 俯きがちだった視線を上げると、青白い転移門の光と共に、イタチの視界にはつい最近見知った顔があった。クォータースタッフ使いの少年をリーダーとした、五人組のギルド、月夜の黒猫団である。正直、今は事務的な話以外はする気になれなかったが、転移門の前に立ちふさがっている以上、話をせざるを得ない。

 

「……何故、ここへ来た?」

 

「アルゴから聞いたんだ。イタチが、レッドプレイヤーを捕まえるために、この階層に来てるって。」

 

「昨日、あれだけ危険な目に遭っておいて、性懲りもなく出てきたのか?」

 

 イタチの質問に答えたのは、リーダーのケイタ。察するに、自分のことを心配してくれたのだろうが、余計なお世話である。それに、主街区とはいえ、危険な場所にメンバーを連れてくるとは、ギルドのリーダーとして軽率すぎるのではないか、とイタチは口には出さず、視線で訴える。対するケイタも、そのあたりは自覚していたのか、申し訳なさそうに返す。

 

「ご、ごめん……どうしても、君が無事なのか、気になったんだ。それに、サチが行くって言って聞かなくて……」

 

 ケイタが名を口にすると同時に、それまで後ろのほうにいたサチが、イタチの前に出てきた。イタチの方も、呆れ半分にサチに向き直る。

 

「ごめんなさい、イタチ。どうしても、あなたに謝りたくて……」

 

「謝る?……何を謝る必要があるんだ?」

 

「アルゴさんから聞いたの。二十五層の攻略で、軍の人が大勢犠牲になったって……私が、あの地下水路での会話をもっと早く知らせていれば、こんなことにはならなかった筈なのに……」

 

「やめてくれ。」

 

 サチの言わんとすることは分かった。だが、そんな慰めの言葉は、今のイタチには苦痛以外の何物でもない。レッドプレイヤーを逃し、あまつさえ犠牲者を出したのは、他でもない自分の責任であると、イタチは疑わない。

 

「お前が気に病むことじゃない……この攻略の犠牲は、レッドプレイヤーのPoHに……奴の動向を察知していながら、未然に防げなかった俺のせいだ。」

 

「けど……」

 

「悪いが、話はここまでだ。俺には、行かなきゃならない場所がある。」

 

 まだ何か言いたげだったサチだが、イタチはこれ以上の問答に意味はないと断じ、五人の間を通って転移門に立つ。

 

「イタチ、待って!」

 

「転移、エルバフ。」

 

 サチが制止をかけるよりも早く、第二十五層の主街区の名前を口にしたイタチ。彼女の本当に伝えたかった言葉は、この時、イタチに届くことはなかった……

 



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第二十四話 赤鼻のトナカイ

2023年12月24日

 

 攻略組のトップスリーとして名高いアインクラッド解放軍が十二名に及ぶ犠牲者を出した、二十五層攻略から七カ月が経過した。レッドプレイヤーを巻き込んだ、攻略組最大級の被害を出した事件の顛末は、攻略組はじめ、ゲームクリアを望むプレイヤーにとって絶望的なものだった。

 まず、攻略ギルドのトップスリーの座にあったアインクラッド解放軍が、二十五層以降、一線を退く羽目になった。十二名に及ぶ犠牲者を出したことで、組織の立て直しが必要になったからだ。加えて、犯罪者プレイヤーの活動があの一件以降活性化したのだ。裏で糸を引いているのは、二十五層フロアボス攻略においてボスを使ったMPKを行った主犯、黒ポンチョを纏ったレッドプレイヤー、PoHである。それに対処することも必要とされ、治安維持のために、ギルドの活動方針を攻略から組織強化に切り替える必要ができたのだ。

 ちなみに、PoHに騙されてギルドメンバーに犠牲者を出したキバオウに関しては、当初は自ら責任を負ってギルドの脱退を表明した。だが、解放軍が活動方針を攻略から治安維持へ切り替えて第一層に拠点を置いて活動を始めたことをきっかけに、軍へと復帰。傲岸不遜な人物ではあったものの、初期の攻略から参加しているため人望もそれなりにあり、今後の犯罪対策を一任する人材としては適任と考えられていたことから、攻略組プレイヤーから然程抗議の声が上がることはなかった。何はともあれ、解放軍そのものが攻略最前線から退いた現在、キバオウは軍の中でも人一倍犯罪者の取り締まりと組織強化のために積極的に動いている。

 そして現在、およそ八千人のプレイヤーを閉じ込めて浮かぶ鋼鉄の城、アインクラッドの攻略最前線は、第五十層に及んでいた――――

 

 

 

現実世界と同じ気候を再現するアインクラッドは現在、冬真っ只中。そして、この日はクリスマスイブだった。中層を中心に、街は普段よりも活気に溢れていた。日も沈み、暗くなった街では、酒屋やレストランを借り切ってクリスマスパーティーを開くプレイヤー達もいた。そんな浮かれた雰囲気とは程遠い、三十五層のフィールドの中。命懸けの戦いに身を投じているプレイヤー達がいた。

 

「ォォオオオオオ……オ、オォ…………!」

 

 迷いの森と呼ばれるダンジョンの一角にある、巨大なモミの木の下で、異形の存在が息絶える。サンタクロースを醜悪にカリカチュアライズしたこのモンスターの名前は、「背教者ニコラス」。クリスマスイブにのみ、この場所に現れるイベントボスである。ポリゴン片をばら撒きながら、地に伏して息絶えるその周囲には、十五人に及ぶプレイヤーの姿があった。

 

「ふぅ……ようやく、終わりかよ……」

 

 力尽きてその場にへなへなと倒れる、赤い鎧に身を包んだ侍風のプレイヤーは、攻略ギルド、風林火山のリーダー、クラインだった。その周囲には、彼と同じギルドのメンバー六人も地面に座り込んでぐったりした様子だった。

 

「ったく……流石は、年に一度のイベントボスってか……」

 

「まあ、なんとかなったじゃねえか……」

 

「ハハ……ヨウの言う通りだね。でも、僕ももう限界だよ……」

 

 風林火山一同がへたり込む横で、同様に力尽きて倒れているプレイヤー達がいた。オレンジ髪のプレイヤー、カズゴは両手用大剣「ローリングスター」を地面に突き立てて支えにしている。その隣では、白髪の少年、アレンと熊の爪を首から下げたヨウが、それぞれの武器である、長剣「イノセント・ソロウ」と刀「重魂」を手から放り出した状態で、雪の上に大の時になって寝転がっている。

 

「全く……イタチはこんなのと一人で戦おうとしていたワケ?」

 

「無茶苦茶だよ、全く!」

 

 信じられないとばかりに、目の前の黒衣の少年、イタチに問いかけるのは、逆立った髪型が特徴的な少年、ゴン。それに同調するように声を上げたのは、ベータテスト時代からの敏捷特化型プレイヤー、セナである。

 

「だが、イタチを手伝ったお陰で、我々も中々に美味しい思いができたではないか……ふむふむ、流石は年に一度のイベントボス。攻略組でも手に入らないものばかりだな。」

 

 そこら中で倒れている仲間を横目に、この場にいるただ一人の女性プレイヤー、メダカはアイテムウインドウを開いて、先の戦闘で手に入れたレアアイテムを確認していた。イタチも同様にウインドウを操作していたが、アイテムが望んだものではなかったのだろう。すぐにウインドウを消してしまった。

 

「……俺は援護を頼んだ覚えは無いぞ。お前達が勝手に付いてきたんだろうが。」

 

 イタチの突き離すような態度と物言いに、その場にいた攻略組プレイヤー達は呆れた様子で良い顔をしない。その真意を知っているだけに。

 

「イタチ、そんな言い方は無いと思いますよ……」

 

「ったく……お前えは本当に素っ気無えよなぁ……」

 

今回のイベントボス攻略は、当初イタチが一人で成し遂げようとしていた。だが、それを放っておけないと考えた、クラインはじめとする攻略組プレイヤー達が、フレンド登録を行い、その居場所を突き止めて追跡。イベントボスとの戦闘に合流したのだった。

当初こそ、年に一度だけポップするボスだけに、流石のイタチでも危険過ぎると考えて援護に向かったプレイヤー達だが、共闘して早々、その認識を覆されることとなった。

 

「それにしても……本当に規格外なスキルだよな、ソレ。」

 

「ゼンキチの言う通りだ。それがあったから、一人でボス攻略をしようなどと考えたのだろうな。」

 

 イタチの“両手”に装備された剣に目をやりながらぼやくのは、メダカと、その補佐を務めるゼンキチだった。

 

「ったくよぉ……そんな凄ぇ裏技知ってたのに、何で黙ってたんだよ?」

 

「……取得できたのは、つい最近の事だ。習得を狙っていたことに違いは無いが、正確な習得条件は俺にも分からん。」

 

「もしかして、そのスキルを手に入れるために、今まで二本で戦っていたのか?」

 

「それが習得条件だとしたら、オイラ達には到底習得できねえわな。」

 

「ホント……イタチってバグキャラ過ぎるよね。」

 

 イタチに呆れ半分、感心半分の視線を送る攻略組一同。それと同時に、先の背教者ニコラスを倒した規格外のスキルも、イタチならば有り得ない話では無かったと思えた。

 

「もうすぐ第五十層の攻略だな……やっぱり、そのスキルを使うつもりなのか?」

 

「ああ。勿論、そのつもりだ。」

 

 カズゴの問いに、しかしイタチは当然の様に答えた。ソードアート・オンラインがデスゲームと化してから一年以上が経過し、2023年ももうすぐ終わろうとしている現在、アインクラッドの攻略最前線は第五十層……クォーターポイントである。第二十五層の双頭の巨人を考えるに、相当に強力なフロアボスであることは間違いない。犠牲者ゼロで戦いを乗り切るには、それ相応に強力な武器が必要となる。イタチはその時のために、自身が新たに習得した力を攻略組の前に晒そうとしているのだ。しかしそれは、イタチの身に新たな危険が降りかかる可能性を意味する。

 

「本当に良いの?こんなスキルを持っていることが知られたら……」

 

「……皆まで言うな。全て覚悟の上だ。」

 

 アレンの不安な問いかけに、しかしイタチはいつも通りの無表情で答えた。ただでさえ

「ビーター」という誹りを受けているイタチである。先のイベントボスを倒したスキルが衆目に晒されれば、嫉妬深いネットゲーマー達からどのような誹謗・中傷を受けるか分からない。しかしイタチは、それさえも自身の罪として甘んじて受けようと言うのだ。

 

「ったく……イタチ、お前えって奴は…………」

 

「もう夜も更ける。早く主街区へ帰るぞ。」

 

 クラインの言葉に、しかしイタチはそれ以上の問答を許さず、武装をしまうと一人主街区目指して迷いの森へと足を向けた。披露困憊で動けなくなっていたプレイヤー達は、その背中を複雑な心境で見送っていた。

 

 

 

 迷いの森を抜けたイタチは一人、三十五層主街区を転移門目指して歩いていた。その姿、心境は、あの二十五層の攻略、そしてレッドプレイヤーとの死闘から帰還した時に酷似していた。

 

(蘇生アイテム……どうして、俺が手に入れてしまったんだ……)

 

 イタチがイベントボス、背教者ニコラスに挑んだ理由は、つい最近手に入れたスキルを、第五十層フロアボス討伐を前に試すことが主な目的だった。それに加えて、ドロップするというアイテムの中に、興味を惹くものがあったからだ。それこそが、“蘇生”アイテム。そのアイテムの存在を聞いた時、イタチは無意識の内に、ある希望を抱いてしまった。それは、今まで失われたプレイヤーの命を取り戻すことができるかもしれない、という希望だった。

 

(このデスゲームには、あらゆる蘇生手段は働かない……チュートリアルでも言われていたことだったのにな……)

 

 ソードアート・オンラインがデスゲームと化してから、既に犠牲者は二千人近くに及んでいる。意図せずとはいえ、ゲーム制作に、もっと言えば茅場晶彦の計画に協力してしまった経緯があるイタチは、それらの犠牲が自分の罪であることを信じて疑わない。だからこそ、自分の罪を消すことなどできないと理解していても、失われた命を取り戻す方法があるのならば、それに命を賭けねばならないとイタチは考えていた。

 だが、手に入った蘇生アイテム、「還魂の聖晶石」の効果は、死亡後十秒間がタイムリミット。つまり、デスゲーム開始から今日までに失われた命を取り戻す術は存在しないのだ。

 

(分かっていたこと……だった筈だ。)

 

 それでも、イタチは落胆を覚えずにはいられなかった。イタチとて身勝手で都合の良い、呆れ返るような考えだと自覚している。

 そして、後悔を重ねても何一つ変えられないと分かっていても、イタチには今の生き方を変えることはできなかった。即ち、孤独と自己犠牲をもって、このゲームをクリアし、虜囚と化したプレイヤー達を解放するという道である。

 

(……譬え失敗する道と分かっていても……俺には、これしかできない……)

 

 二十五層の戦いの後、イタチは己にそれまで以上に厳しい修練を課した。自分が持つ何もかもを、この世界を終わらせるための攻略に費やしてきたのだ。結果、習得を狙っていたスキルを手に入れるに至り、攻略組の中で最強と呼んで差し支えないステータスと実力を身に付けた。だが、どれだけ力を付けたとしても、己一人の力には限界がある。イタチは、それを乗り越える術も、そのために必要なものが何なのかも、生前の失敗から理解していた。だが、イタチにはそれ以上の選択を考えられなかった。

 第五十層の攻略は、既にフロアボスの部屋が発見され、攻略用の戦力を整え、行動パターンを収集する段階に入っている。年内には、本格的な攻略が行われると考えられている。と、そこまで考えたところで、

 

「よお、イタっち。」

 

「アルゴ……」

 

イタチの目の前に現れる、新たな人影。小柄な金色の巻き毛の女性プレイヤー。鼠のヒゲを模したフェイスペイントが特徴的な彼女は、情報屋のアルゴだった。

 

「その様子だと、ニコラスを倒すのには成功したみたいだナ。」

 

「ああ。しかし、攻略に関しての情報交換は、明日の筈だ。何か俺に用でもあるのか?」

 

 イタチの問いに、アルゴは苦笑を浮かべながら首肯する。

 

「イタっちへの届け物を頼まれてネ。ほら、これだヨ。」

 

 アルゴがアイテムウインドウを開いて取り出したのは、結晶型のアイテム。イタチもそのアイテムが何なのかを知っていた。

 

「記録結晶?録音タイプのものだな……一体、誰からの物だ?」

 

「聞いてみれば、分かるヨ。イタっちに宛てられた、ラブレターだからナ。大切にするんだヨ。」

 

 それだけ言うと、アルゴはそそくさと、文字通り鼠のような速さでその場を後にした。残されたイタチは、渡された記録結晶を見つめながらも、やがて転移門を通過して五十層に取っている宿屋に帰っていった。

 

 

 

 宿に着いたイタチは、武装を解除した後、椅子に座って机の上にアルゴから受け取った録音クリスタルを置く。ラブレターなどと言っていたが、これを自分に渡そうとしたのは、女性ということだろうか?自分が普段接することの多い攻略組プレイヤーの中から、女性を何人か思い浮かべてみるものの、このようなものを渡す人物には該当しない。

 

(まあ……とりあえず、聞いてみるか。)

 

 アルゴが渡してきたものということは、自分と面識のある人物なのだろう。ならば、危険物である可能性は無い筈だ。あれこれ思案しても始まらないので、イタチは結晶のスイッチを押した。途端、録音されている音声が聞こえてきた。

 

『メリークリスマス、イタチ。』

 

「……サチ?」

 

 その声には、聞き覚えがあった。二十五層攻略時に起こったMPK事件の折に知り合った、中層ギルド、月夜の黒猫団に所属していた女性プレイヤー、サチの声である。あの事件が解決してから、ギルドのメンバーとのフレンド登録は全て削除していたため、メールで届ける手段が無かったから、アルゴに頼んだのだろう。だが、半年以上も会っていない自分に、何故こんなものを贈ってきたのか、理由が分からない。そんなことを考える間もなく、録音結晶は言葉を紡ぎ続ける。

 

 

 

『覚えているかな、私のこと。月夜の黒猫団の、サチだよ。

えっとね……まずは、なんでこんなメッセージを贈ったのか、説明するね。

 あの、二十五層の事件から、私はギルドの前線から身を退いて、支援する仕事に就いたんだ。イタチから、もっと仲間を信じて、弱さを見せても良いんじゃないかって言われてから、いろいろ考えて……思い切って、ケイタに本当の気持ちを伝えてみました。そしたら、戦いが怖いって言う私を、誰も責めずに……逆に謝られちゃいました。「気づいてあげられなくて、ごめん」って。それで、今はギルドホームを守るために活動しています。「皆の帰る場所を守る」……それは、私にもできる……それでいて、ちょっとした誇りを持てる仕事です。

だから、こうして自分が本来できたことを蔑にせずに済んだのも全部、イタチのおかげだと思ってるんだよ。本当に、感謝しています。それが言いたかったんだ。

 

あとそれから、イタチは相変わらず凄い勢いで攻略しているみたいだね。百層あったこの世界も、遂に五十層まで到達したって聞いて、驚いたよ。でも、五十層のフロアボスって、あの二十五層のボスと同じくらい強いって、アルゴさんから聞いたんだ。それでね……イタチがまた、二十五層の時のことを思い出して、無理をしちゃうんじゃないかって、心配になりました。イタチがビーターって言われて蔑まれて……憎まれ、恨まれながら攻略していることも、知ってます。でも、そうやって無理を続けていたら、きっといつか倒れてしまうんじゃないかと、心配でたまりません。

……あの地下水路で話をした時から、君が本当は優しい人だということを、私は知っています。だから君は、犠牲になったみんなのことを思って、傷ついてしまうばかりか……それを全部自分のせいにしてしまっていると思いました。でも、これだけは覚えていて欲しかった……こんな悲しみに満ちた世界の中で、私が仲間たちの中に陽だまりのような温かさを見つけられたのは、イタチのお蔭なんだって……イタチに救われたんだって。

 

イタチは私なんかよりも、ずっと強いプレイヤーだから、この先の攻略でも活躍して……きっとこの世界を終わらせられると信じています。でも、その過程では、きっとこれまで以上に悲しい思いをして、傷つくと思う……でも、それと同じくらい、君に救われた人がいる筈だよ。だって、私がそうだったんだもの……きっと、イタチはもっと多くの人に希望を与えることができると、信じています。

だから、何があっても、生きることを諦めないでほしい……そして、この世界が生まれた意味、私たちがこの世界に来た意味、君が今ここにいる意味を見つけてください。それが、私の願いです。

 

……だいぶ時間が余っちゃったね。それじゃあ、折角クリスマスだし、歌を歌います。曲名は、『赤鼻のトナカイ』です。どんな人でも、きっとそこにいる意味はあるっていうことを、思い出させてくれるから、私はこの曲が大好きです。私みたいにちっぽけな存在にも、意味を見つけられたんだもの。きっと、イタチなら、比べものにならないくらい大きな意味を見つけられると、私は信じてる……そんな想いを込めて、歌います。』

 

 

 

 録音クリスタルから流れる、サチの歌声。それは、イタチの心に静かに、そして温かく響いていた。それはまるで、凍てついた心の氷を溶かす、陽だまりのように……

 やがて歌が終わると、サチからの最後の言葉が再生される。

 

 

 

『……私にとって……ううん、私達みんなにとって君は、この世界を生きるための希望の光だったよ。じゃあね、イタチ。君に会えて、本当に良かった。さよなら。』

 

 

 

「…………」

 

 録音クリスタルの光が消える中、イタチは黙ったままだった。しかし、サチからのメッセージに込められた思いの温もりは、確かにイタチの胸に染み渡っていた。思えば、こんな言葉を投げかけられたのは、この世界に来てから……転生してから、初めてだったかもしれない。自分が今ここにいる答えを見つけられず、その果てにこの仮想世界まで来てしまったが、サチの言葉に希望を見出すことができた。何一つ、前世から引き継いだ過ちを何一つ変えられなかった自分が、何かを変えられるかもしれないという希望を。

 

「ありがとう、サチ……」

 

 この場にはいない、サチへの感謝の思いが、自然と口から出た。サチが意味を見つけられたのならば、自分もいつかはこの世界に転生した意味を見つけられる筈。メッセージを通して受け取った希望を胸に、イタチはこの世界で戦い、生き続けることを心に誓った。

 

 

 

 クリスマスイブの夜から五日後。攻略組は遂に、第二のクォーターポイントである五十層ボス攻略を果たした。二十五層同様に強力なステータスを持つ強敵を相手に、しかし攻略組は一切の犠牲を出さずにこれを倒したのだ。そして、この戦いを契機に、第二のユニークスキル使いが現れた。黒衣と赤眼、そして木の葉を模した紋章に横一文字の傷が入った額当てが特徴的な、そのプレイヤー……その名は、イタチ。

それは、のちにアインクラッドを制覇すると信じて疑われなかった、生き残ったプレイヤー達の新たな希望の光だった――――

 



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黒の忍
第二十五話 竜使いシリカ


2024年2月23日

 

 アインクラッド第三十五層には、迷いの森と呼ばれるダンジョンが存在する。巨大な木々が立ち並ぶ、樹海と呼ぶべき深き森は、碁盤状に数逆のエリアへと分割され、一つのエリアに踏み込んでから一分で、隣接エリアへの連結がランダムに変更される仕様となっている。そのため、森を安全に抜けるためには、主街区の道具やで販売している高価な地図アイテムによって四方のエリアの連結を確認して進む必要がある。この階層が攻略最前線だった当初、転移結晶を使えばいいと考えた攻略組プレイヤーがいたが、試してみたところ、主街区へは戻れず、ランダムに森のどこかへ飛ばされてしまった。以来、この森の探索に向かうプレイヤーには、地図の携帯が義務付けられている。

 そんな出口なき迷路の中、道に迷った一人の少女がいた。

 

「ピナぁぁあああ!!」

 

 真夜中の森の中、少女の悲鳴が木霊する。腕の中にあった、彼女の使い魔であり、唯一の友達である淡い水色の小竜――ピナの、その命の数値たるHPが底を尽きたのだ。

 そもそも、ピナがこんな目に遭ったのは何もかも主たる少女、シリカの所為だった。迷いの森に同行していたパーティーとの口論が原因で、地図を持っていないにも関わらず一人パーティー抜けて単独行動に走り、道に迷うに至ったのだ。そして、地図も無しに迷いの森を歩き続けて疲弊したシリカの前に現れたのは、このフィールドに出現する中でも最強クラスのモンスター、「ドランクエイプ」だった。シリカのレベルならば、一対一ではさほどの脅威ではない相手だったものが、今回は三体が一度に現れたのだ。一体を仕留めようと追撃を仕掛ければ、別のドランクエイプがスイッチして横合いから攻撃を仕掛けてそれを妨害する。しかも、ダメージを負ったドランクエイプが手持ちの瓢箪を煽ると、HPが回復し始めたのだ。一人と一匹で相手をするには、分が悪すぎる相手だった。やがて、戦闘を続けていく内に生じた隙を突かれ、棍棒の一撃を受けたシリカのHPはレッドゾーンに突入した。そんなシリカに更なる追い打ちをかけるドランクエイプの攻撃。それを食い止めるべく、身を呈してシリカを庇ったのは、シリカの親友でありパートナーの、ピナだった。

 

「ピナ!ピナ、しっかりして!」

 

「きゅる……」

 

 涙ながらに訴えかけるシリカの願いも、デジタルデータの世界においては何の意味も為さない。HPが尽きたピナの身体は、野生モンスターのそれと同様、白い光に包まれると同時に、ポリゴン片と共に砕け散った。後に残されたのは、ピナのものであろう、一片の羽だけだった。

 

「お願いだよ……あたしを独りにしないでよ……ピナ……」

 

 親友が遺した羽を涙ながらに抱きしめて絞り出した言葉に、しかし今しがた消えてしまった親友は、何の答えも返してくれなかった。

 

「グルルルル……」

 

その背後には、ピナを死に追いやり、今またシリカの命を奪おうとするドランクエイプの姿が三つある。HP残量がレッドゾーンに突入しているシリカがこれ以上の攻撃を受ければ、HPを根こそぎ奪われる……即ち死は免れない。だが、親友たるピナを殺された今のシリカには、死の恐怖すら意識する余裕の無い、虚無感が心中を占めていた。むしろ、いっそこのまま殴り殺されても良いとすら思えていた。

 

「グォォオオオオ!!」

 

 戦闘に立っていたドランクエイプが、棍棒を振り上げる。シリカの命を奪う一撃が振り下ろされようとした、その時だった。

 

「グォォァアッ……!?」

 

 三体並んでいたドランクエイプ達が、次々に苦悶の声を上げたのだ。次の瞬間には、三体ほぼ同時にポリゴン片を撒き散らして爆散した。シリカ以外の何者かが、ドランクエイプ三体を倒したのだ。

 

「?」

 

 何が起こったのかを理解できないシリカ。少なくとも、期せずして自分が生き残ったことだけは理解できた。ポリゴン片が作り出す光の幕の向こうに、黒い人影、そして赤く光る双眸を見ることができた。黒コートに身を包んだ赤眼の少年は、シリカのもとまで近づくと、口を開いた。

 

「……すまなかった。君の友達を、助けられなかった……」

 

 開口一番に出たのは、謝罪の言葉。どうやら、先程の戦闘で、シリカのパートナーであり親友のピナが殺されたところを見ていたらしい。シリカは涙を拭いながらも、黒衣の少年に向き直った。

 

「いいえ……あたしが……馬鹿だったんです……ありがとうございます。助けてくれて……」

 

 嗚咽を堪えて礼を言うシリカ。黒衣の少年はゆっくりと近づくと、片膝を付いてシリカが手に持つ羽を見つめながら、無表情ながらも優しく声を掛ける。

 

「その羽……アイテム名は設定されているか?」

 

 黒衣の少年の問いかけに、シリカはピナが遺した羽の表面をクリックしてみる。アイテムならば、これでアイテム名がウインドウに表示される。少年の予想通り、羽にはアイテム名が設定されていた。アイテム名は、『ピナの心』。それを見て再び泣きだそうとするシリカを、黒衣の少年が宥める。

 

「落ち着け。心アイテムが残っていれば、まだ蘇生の可能性がある。」

 

「え……本当ですか!?」

 

 少年の言葉に先程から一転、シリカの表情に希望が宿る。少年は先を促すシリカの視線に頷き、説明を続ける。

 

「攻略後に入った新しい情報だがな。四十七層の南に、「思い出の丘」と呼ばれるダンジョンがある。その頂上に咲く花が、使い魔蘇生用のアイテムらしい。」

 

「四十七層……」

 

 少年の言葉を聞いたシリカの顔に、再び影が差す。シリカの現在のレベルは44。安全マージンを取って攻略に向かうには、その階層プラス10のレベルが必要になる。つまり、四十七層の蘇生用アイテムを手に入れるには、57以上のレベルが必要になる。折角、親友を取り戻す術が見つかったというのに、自分の力が及ばない事実に、シリカは打ちひしがれる。

 

「だが、アイテムを手に入れるには、使い魔の主人が直接出向かなければならない。他のプレイヤーに代役を頼むことはできない。」

 

「情報だけでも、とってもありがたいです。今は無理でも、頑張ってレベル上げすれば……」

 

「……蘇生猶予期間は、死後三日だ。それを過ぎると、アイテムは「形見」に変化してしまう。」

 

「そ、そんな……」

 

 少年の口から告げられた言葉に、シリカの表情は再び絶望に染められる。三日で安全マージンを満たすことなど、どんな裏技を使ってもできっこない。ピナはその命を犠牲にしてまで自分を助けてくれたのに、自分は何もしてあげられない。こんな現状を作り出した自分の愚かさ、そして親友を救えない自分の無力さ全てが悔しくて、涙が止められない。そんな今にも泣き出しそうなシリカの顔を見て、少年は問いかけた。

 

「……君の親友、助けたいか?」

 

「…………はい。」

 

 涙ながらに震えながら、シリカはどうにか言葉を絞り出した。そんな痛切なシリカの願いを聞いた少年は、立ち上がり、右手を振ってウインドウを開いた。すると、シリカの視界に、アイテムのやりとりをするためのトレードウインドウが表示される。少年が手元のウインドウをクリックする度に、トレード欄に次々アイテム名が表示されていく。「イーボン・ダガー」、「シルバースレッド・アーマー」、「ムーン・ブレザー」、「フェアリー・ブーツ」……

 中層プレイヤーとして、どれ一つとして見た事のあるアイテムは無かった。

 

「この装備なら、五、六レベルは底上げできる。俺も同行すれば、恐らく突破できる筈だ。」

 

「え……」

 

 少年の言葉の意味が理解できず、シリカは地面にへたり込んだままその顔を見上げる。少年は相変わらず変化の無い表情で、その真意は測り知れない。だが、親友を救うための無茶に付き合ってくれると言ってくれたことだけは分かった。

 

「どうして……そこまでしてくれるんですか?」

 

 少年が差し伸べてくれた助力に、しかしシリカは警戒心を抱かずにはいられない。フェザーリドラ、ピナのビーストテイマーとして中層プレイヤーの間で高い知名度を持つシリカに、下心を持って接する男性プレイヤーは、これまで何人もいた。年の離れた男性プレイヤーから結婚を申し込まれたこともあるだけに、シリカは親友を助ける唯一の術だとしても、少年の手を取ることをどうしても躊躇ってしまう。

 そんなシリカの問いかけに、黒衣の少年は少し間を置いてから答えた。

 

「……半分はあるプレイヤーからの依頼、もう半分は個人的な感情からだ。詳しくは言えないが、君に危害を加えるつもりは無い。」

 

 シリカの求めていた答えは返って来なかったが、「個人的な感情」と言った時の少年の顔には、下心や危険な思考は感じ取れなかった。相変わらずの無表情だが、それだけはシリカには分かった。

 

「信じるかどうかは、君次第だ。ここで断るなら、俺は無理に同行しようとは思わない。」

 

 真意を語ろうとしない少年に、シリカは警戒心を解けないものの、四十七層の思い出の丘を自分一人で攻略することなど不可能なことは理解していた。知り合いの中層プレイヤーを頼るにしても、ここから十二層も上の階層で活動できる強豪プレイヤーに心当たりは無い。

 親友たるピナを助けるためには、シリカに選択の余地は無かった。意を決して、目の前の少年の助力を受けることにする。

 

「いえ……お願いします。あたし一人では、到底辿り着けませんから……私に力を貸してください。それで、全然足りませんけど……」

 

 四十七層の思い出の丘を攻略すべく、目の前の少年に同行を依頼するシリカ。先程のアイテムのお礼も兼ねて、依頼料を支払うべく、手持ちのコル全てをトレードウインドウで少年に差し出そうとするシリカ。だが、少年はそれを断った。

 

「金は要らない。俺には俺の目的がある……君に同行するのは、そのためだ。」

 

「本当に、良いんですか?」

 

「ああ。それよりも、早いところ、この森を突破しよう。立てるか?」

 

「あ、はい。ありがとうございます。あの、あたし、シリカっていいます。」

 

「俺はイタチ。しばらくの間、よろしく頼む。」

 

 イタチの差し出した手に掴まりながら、お互いに自己紹介をする。その後、イタチが取り出した地図を元に、二人揃って三十五層の主街区を目指すのだった。

 

 

 

 三十五層主街区、ミーシェは白壁に赤い屋根の建物が並ぶ牧歌的な農村の雰囲気に溢れる街である。アインクラッドの攻略最前線が五十五層となっている現在、この階層は中層プレイヤーの主戦場であり、街も活気に溢れていた。

 そんな街中を、迷いの森で出会ったイタチとシリカは連れ立って歩いていた。シリカが先導する形で、イタチが後ろから付いて行っている構図だ。

 

(ピナを助けるためにパーティー組んじゃったけど、掴みどころの無い人だな……)

 

 三十五層の街の中を、イタチと名乗った黒衣の少年を伴って歩くシリカ。ちらちらと振り返って視線を送るが、彼はほとんど表情を変えない。迷いの森で挨拶を交わしてからは、全くと言っていいほど口も利かない。

 要するに無愛想なのだが、危険な雰囲気を纏っているわけでもない。シリカ自身、犯罪者プレイヤーとまではいかないが、下心丸出しの男性プレイヤーと会うことは多々あった。そのため、男性プレイヤーの悪意というものには人一倍敏感だった。明日は四十七層の思い出の丘を攻略しに行く以上、もう少し話をしておいた方が良いかもしれない。そう思い、シリカが話しかけようとしたところに、

 

「お、シリカちゃん発見!」

 

 シリカを呼び止めるプレイヤーの声。イタチと一緒に振り向いてみると、シリカに近づく二人組の男性プレイヤーの姿があった。

 

「随分遅かったんだね。心配したよ。」

 

「今度パーティー組もうよ!好きな所連れてってあげるからさ。」

 

 いつも通りの見慣れた光景。ビーストテイマーとして知名度の高いアイドルプレイヤーであるシリカをパーティーに加えたがる男性プレイヤーによる、パーティーへの勧誘。シリカは戸惑いながらも、視線をイタチの方へ向けながら、

 

「あの……お話はありがたいんですけど……しばらく、この人とパーティーを組むことにしたので。」

 

 イタチの腕に掴まり、誘いを断ることにした。シリカに腕を掴まれたイタチは、赤い眼を見開いて少々意外そうな顔をしながらも、抵抗はしなかった。一方、断られた男性プレイヤー二人は、イタチに向けて剣呑な視線を送る。羨望と敵意を滲ませたそれは、分かりやすい嫉妬心に満ちていた。

 

「すみません……」

 

 頭を下げてそう言うと、イタチの腕を引っ張ってその場を後にする。残された男達は、尚も未練がましくイタチの背を睨んでいるのだった。

 

「すみません、迷惑かけちゃって……」

 

「……人気者なんだな。」

 

「いえ……マスコット代わりに誘われてるだけですよ、きっと……」

 

 ピナをテイムしたのは、本当に偶然だった。第八層の森の中で出会ったフェザーリドラ、ピナは、敵意を見せることなくシリカに近寄ってきた。それに対し、シリカはたまたま手持ちにあったナッツを放ったところ、好物だったらしく、小竜がそれを平らげると同時に、テイムイベントが起こった。フェザーリドラは滅多に現れないレアモンスターであるだけに、現在でもテイムしたのはシリカのみ。以来シリカは、レアモンスターを従えた美少女ビーストテイマーとして、アイドルの仲間入りを果たすこととなったのだ。

 可憐な容姿に魅入られる男性プレイヤーは多く、パーティーやギルドへの引く手も数多。だが、そんな環境に遭って慢心した結果、いつも安らぎを与えてくれた親友を失う羽目になってしまった。それを思い出す度、シリカの目に涙が浮かぶ。

 

「それなのに、竜使いシリカなんて言われて……良い気になって……!」

 

「……慢心した者の末路というものは大概そういうものだ。悔いる心があるのなら、二度と同じ過ちを犯さないようにしろ。」

 

「……はい。」

 

 イタチの至極真っ当な説教に、シリカは落ち込んだ様子で返事をする。俯いてまた泣きそうになっているシリカの様子を見たイタチは、

 

「だが、助けると決めたのは君だ。そのために、行きずりで素性の知れない俺の力を借りることを決めたのもな。」

 

 言い方を変えて、遠回しに励ますように話しかけた。そんなイタチの言葉に、シリカは少し驚いた様子で顔を上げた。

 

「君が決めたことだ。なら、恐れるな。護衛を請け負った以上、俺も全力で依頼をこなす。蘇生アイテムを手に入れて、君の親友を必ず取り戻そう。」

 

 イタチがシリカにかけた言葉は、前世で自身が父親から、別れの間際にかけてもらったものと同じだった。普段から人と接する機会があまり無く、とりわけ人を励ますような状況に直面することが極端に少ないイタチには、他にかける言葉は見つからなかった。無表情ながら、その真意は目の前の少女をどうにか元気づけられればという一心だった。言葉足らずで、傍から見れば何を考えているかも分からないイタチの励ましに、しかしシリカにはその意思は通じていたようだった。

 

「……はい!」

 

 涙を浮かべながらも、笑みと共に答えてくれたシリカの顔を見て、イタチの表情が自然と和らぐ。迷いの森で出会った時に比べて、二人の間の空気が和やかになったところで、二人は先程よりやや軽快な足取りで主街区を歩いて行く。

 

「イタチさんのホームって、どこですか?」

 

「五十層だ。だが、依頼を完遂するまでは、君と行動を共にするつもりだ。君が取っている宿の部屋を取ることにしよう。」

 

 イタチの言葉に、シリカの表情がさらに明るくなる。未だ素性の知れない少年だが、悪い人とは思えない。ピナがいなくなってしまった今、自分と一緒にいてくれる人がいてくれるという事実は、シリカにとって何よりの心の支えだった。

 

「ここ、チーズケーキが結構イケるんですよ!」

 

「ほう……それは楽しみだ。」

 

 先程まであった緊迫した空気が解け、楽しそうに話すシリカ。イタチもそれに同調して、イタチの抑揚の無い喋り方にも感情が戻り始める。そんな時だった。

 

「あら、シリカじゃない。」

 

 宿へ入ろうとしたところで、突然、シリカに声がかけられる。振り向いてみると、そこにいたのは真っ赤な髪を派手にカールさせた、槍使いの女性プレイヤー。

 

「……どうも、ロザリアさん。」

 

「へぇーえ、森から脱出できたんだ。よかったわね。」

 

 今一番、シリカが会いたくない相手だった。迷いの森で口論になったパーティーのメンバーであり、喧嘩別れしてピナを失う羽目になった原因でもある。ピナが死んだのは自身の責任と分かっていても、関わり合いたくなかった。だが、ロザリアはシリカに付いている筈の存在が欠落していることを、目敏く気付いて追及する。

 

「あら?あのトカゲ、どうしちゃったの?」

 

 その一言を放った瞬間、シリカの身体が硬直する。使い魔はアイテムストレージへ格納することはできず、主人の傍に付いているのが常なのだ。

 

「あらら、もしかしてぇ……?」

 

それがいなくなっている理由はただ一つ。ロザリアもそれが分かっている筈でありながら、尚も言葉を続ける。そんなロザリアに対し、シリカは意を決してロザリアを睨み返す。

 

「ピナは死にました……でも、絶対に生き返らせます!」

 

 強い意思を瞳に宿してそう宣言したシリカに、しかしロザリアは嗜虐的な笑みと口調を変えずに続ける。

 

「へえ、てことは、思い出の丘に行く気なんだ。でもあんたのレベルで攻略できるの?」

 

 最も痛いところを突かれて、シリカは押し黙ってしまう。如何にイタチが付いていてくれても、不安は拭えないのが本心だった。そんなシリカに代わり、即答したのはイタチだった。

 

「できるさ。」

 

 そう答えたイタチに、ロザリアは値踏みするような視線を送る。人を小馬鹿にしたような、胡散臭い物を見る様な目で、今度はイタチに言葉をかける。

 

「あら?あんた誰?」

 

「その子のガードだ。思い出の丘への同行を引き受けている。」

 

「あんたもその子にたらしこまれた口?見たトコ、そんなに強そうじゃないけど。」

 

「それはあなたには関係の無い話だ。行くと決めたのはシリカだ。依頼を受けた俺は、それに従うのみだ。」

 

 それだけ言うと、イタチはシリカを連れて宿へと入って行った。その後ろ姿に対し、ロザリアは獲物を見る爬虫類のような視線を送っていた。

 

 

 

 シリカが部屋を取っている宿、風見鶏亭の一階にあるレストラン。イタチとシリカは、その一角にある席に向かい合う形で座っていた。ロザリアとの邂逅によって、シリカの気分は迷いの森で出会った時のように沈んでいた。

 

「……なんで、あんな意地悪言うのかな……」

 

「……それが、ロールプレイだからだ。」

 

 前世の忍時代に、人間の心の闇というものを散々見てきたイタチには、ロザリアのように悪役を気取る人間の心理を理解することは容易かった。シリカの問いかけに答えるように、感情を交えずに自身の考察を述べる。

 

「法的規制の無いゲームの世界ならば、現実世界で許されない詐欺や窃盗……そういった犯罪行為が罷り通る。それが従来のゲームにおける人間心理であり、それはこの世界でも変わらない。或いは、こんな状況だからこそ、現実世界では許されない行為に走る人間が現れるのかもしれない。」

 

 SAO制作者の茅場晶彦は、「これは、ゲームであっても遊びではない」と言っていた。だが、ゲーム世界である以上、譬え常に死と隣り合わせの状況であっても、所詮はゲーム、ロールプレイという認識は簡単には覆されない。むしろ、この状況を楽しんで積極的に犯罪に走るプレイヤーも多い。前世、現世を問わずそういった思考の持ち主を何度も見てきたイタチにとって、犯罪行為に走るプレイヤーの出現は、SAOがデスゲーム化した当初から予測できたことだった。

 

「俺達のカーソルは緑色だ。だが、グリーンカーソルのプレイヤーへ、攻撃をはじめとした犯罪行為を行った場合、カーソルはオレンジへと変化する。その中でも、プレイヤーキル……つまり殺人を行うプレイヤーは、レッドプレイヤーと呼ばれる。」

 

「そんな……殺人なんて……」

 

「実際に起こった話だ。手段は直接的・間接的問わず、アイテム強奪のためにプレイヤーキルを行うレッドプレイヤーは実在する。或いは、殺し自体を快楽とするプレイヤーもな。」

 

 恐怖に顔面蒼白になっているシリカに、しかしイタチは脅すように言葉を続けた。イタチにとってレッドプレイヤーというものは、それだけ警戒すべき存在なのだ。

 

「だから、君もそう簡単に人を信用しないよう気を付けることだ。本来ならば、俺の様に得体の知れないプレイヤーとパーティーを組むなど、もってのほかだ。」

 

「イタチさん……」

 

 自分すらも信用するなと警告しているイタチの口調に、シリカは戸惑う。何か言わなければならない。そう考えたシリカは、椅子から立ち上がり、机の上で組んでいたイタチの手を握った。

 

「イタチさんは良い人です!あたしを助けてくれました!」

 

 咄嗟に思いついた言葉は、それだけだった。手を握られたイタチは、若干目を開いて驚いたものの、すぐに感情を交えない表情に戻った。

 

「その認識は甘いと言わざるを得ない。本当の悪人は、悪人には見えないものだ。」

 

 冷たくそう言い放つイタチだったが、シリカの認識は揺るがなかった。そもそも、イタチが本当に犯罪者プレイヤーならば、自分のことを警戒させるような言動を取るのだろうか。裏をかくために、敢えてそのように話しているとも考えられるが、シリカにはどうしてもイタチが、自分に害なす人間には思えなかった。

 目を逸らさず、真っ直ぐイタチを見据えるその瞳には、一切の揺らぎが感じられない。イタチも冷淡な表情を崩さず、シリカの顔を見つめていた。そんな二人の膠着状態が解けたのは、NPCのウェイターが料理を持ってきてからだった。

 

「さて、料理も来たことだし、食事にするか。」

 

「……はい。」

 

 頼んでいたシチューとパンを食べる間、二人の間に会話は無かった。迷いの森から主街区に戻るまでの時と同じ空気だったが、シリカの心には、イタチに対する警戒心は無かった。ただ、もっと話をしてみたい、彼の事を知りたいと思っていた。

 二人揃って食事を終える頃、デザートのチーズケーキが運ばれてくる。

 

「あ、これがかなり美味しいチーズケーキですよ。」

 

「成程、これが……」

 

 皿に盛られたチーズケーキに視線を向けているイタチの表情は、どこか綻んでいた。フォークを手に取り、ケーキを切って口へと運ぶ。咀嚼しながらチーズケーキをじっくり味わって食べるイタチの表情は、今までになく和らいでいるように見えた。シリカ絶賛のチーズケーキは、どうやらイタチにも気に入ってもらえたようだった。

 

(イタチさん……ちょっと可愛いかも。)

 

 あんなに無愛想だったイタチが、チーズケーキ一つでこんな顔をするとは思わなかった。意外な一面を見つけたシリカの顔にも、自然と笑みが浮かぶ。

 親友を喪って傷ついた少女の心に、僅かばかりの希望の光が灯った瞬間だった。

 



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第二十六話 思い出の丘

2024年4月24日

 

 シリカがイタチと出会い、使い魔蘇生用クエストへ同行することが決定した翌朝。二人は早速、目的の階層へと出発することにした。シリカは昨日イタチから渡された装備を纏い、そのステータスは五、六レベル底上げされている。イタチは昨日と変わらない黒装束に、背中には炎のように赤い片手剣を背負っている。早朝であるために、人気があまり無い状態の三十五層主街区、ミーシェを横切って、二人は転移門に向かう。

 

「イタチさん、四十七層の街ってどんな場所なんですか?」

 

「主街区の名前はフローリア。一面花畑のフィールドだ。モンスターは植物系が主流で、蘇生アイテムも花の形をしているそうだ。」

 

「へぇ~……楽しみですね!」

 

 シリカの質問に対し、イタチは昨日同様、変化の無い表情で淡々と事務的に答える。対して当人は、花畑という単語に目を輝かせていた。最前線が五十五層である現在、そこから十層以内の場所には、中層プレイヤーは滅多に近づかない。シリカも例外ではなく、行くのはこれが初めてらしい。

 四十七層の説明を聞いて、若干浮かれるシリカ。そんな彼女の様子に、イタチは不安を覚える。今から行く場所は、中層プレイヤーにとっては下手をすれば命を落としかねない危険なフィールドである。ここは一つ、釘を刺しておくべきかと考えてイタチは口を開いた。

 

「あまりはしゃがないことだ。フローリアの思い出の丘は、名前の割りに難易度が高い。油断していれば、今度は君の命に関わる。プレイヤーは、使い魔のように都合よく蘇生することはできんぞ。」

 

「うぅ……分かりました。」

 

 若干の苛立ちを孕んだイタチの戒めの言葉に、シリカは萎縮してしまう。同時に、つい昨日のピナを喪った場面が頭の中に浮かぶ。自分のせいで喪った親友を助けるために、これから危険を冒そうというのに、こんな調子で良いわけがない。気を引き締めて掛からなければ、イタチの言う通り、本当に命を落としかねない。

 

「あたしを助けてくれたピナを救うためにも……イタチさん、力を貸してください。」

 

「受けた依頼は必ず果たす。蘇生アイテムを手に入れて、君の親友を取り戻そう。」

 

 先程とは一転して、真剣な眼差しでイタチに頼み込むシリカ。そんな真摯な姿に対し、イタチは表情を変えずに、しかし確かな言葉でシリカを励ますように答えた。

 

「はい!よろしくお願いします!」

 

「こちらこそ。」

 

 真剣な声と共に、頭を下げて改めて頼み込むシリカに、イタチはほんの微かな笑みを浮かべて答えた。そうして歩いて行く内に、二人は遂に転移門広場に辿り着く。

 

「四十七層の主街区はフローリア、でしたよね?」

 

「その通りだ。」

 

転移門に立って生き先を確認するシリカに、イタチは首肯する。

 

「それでは、行きましょう!」

 

「ああ、分かった。」

 

 元気よく、それでいて子供っぽくはしゃいでいる様子を見せず、先程同様真剣な面持ちで声を掛けるシリカ。イタチはその声に答えながら、シリカには気付かれない素振りで先程歩いた主街区の道をちらりと一瞥していた。

 

「「転移、フローリア!」」

 

 行き先である四十七層の主街区の名前を唱え、二人の身体は青白い光と共にその場から掻き消えた。そしてその直後、転移門に通じる道にあるNPCの屋台の影から、プレイヤーが姿を現す。針山のように尖った髪型の男性プレイヤーは、二人が転移したのを確認すると、口の端を釣り上げながらウインドウを操作し、メッセージを打ち出す。そして、その後ろからは、

 

「ふぅん……これは、街にいるあいつ等よりも、美味しい獲物になりそうねぇ……」

 

 真っ赤な髪を靡かせた女性プレイヤーが、舌なめずりをしながら転移門を見つめるのだった……

 

 

 

 

 

 四十七層に転移したシリカの目に飛び込んできたのは、辺り一面に咲き誇る花畑。

 

「うわぁ……綺麗……」

 

 あまりの美しい景色に、シリカの口から思わずそんな歓声が漏れた。転移門の台座を降りて、広場を埋め尽くす花壇の一角へと歩み寄るシリカ。イタチもその後に続く。

 

「四十七層、フローリアの別名は、フラワーガーデン。さっきも説明した通り、主街区だけでなくフィールドまで花畑だ。攻略以外でも観光名所としてプレイヤー間で知名度が高い。」

 

 フローリアについての説明をイタチから聞いて、感心したように頷くシリカ。辺りを見回してみると、確かに観光に来ているプレイヤーの姿があちこちに見られる。その中には、

 

(あれ……男の人と女の人が一緒に……これって、もしかして……!)

 

 花壇を眺めながら歩く人々は、仲睦まじく腕を組んだり肩を抱き合ったりする男女がほとんど。つまりこの階層は、所謂デートスポットなのだ。そんな街行く人々を見て、若干顔を赤くするシリカ。

 

「…………シリカ?」

 

「あ!……す、すみません、イタチさん……」

 

「いや、構わない。それよりも、そろそろフィールドに出るぞ。転移クリスタルの準備もしておけ。」

 

「は、はい!」

 

 イタチは別段、フローリア主街区の花畑に心奪われたシリカを咎めることもせず、目的のダンジョンがある方向へと歩みを進める。風に舞い上がる花弁の中を、イタチは淡々と歩いて行く。シリカはその後ろを危なげに追って行く。

 

 

 

 使い魔蘇生用アイテムが存在するダンジョン、思い出の丘は、四十七層南部に広がる草原に走る、ほぼ一本道の単純な構造をしている。それ故に道に迷う可能性は皆無だが、代わりにポップするのは強力で醜悪なモンスター揃いであり、女性プレイヤーがあまり近寄りたがらない危険なスポットなのだ。

 

「きゃぁぁああっ!い、イタチさん、助けて!見ないで助けてぇっ!」

 

「……ハァ……」

 

 ダンジョンに入って早々、食虫植物系モンスターの触手によって吊るし上げられるシリカ。真っ逆さまに吊るされているせいで、スカートが下がりそうになっているのを左手で押さえ、右手に持った短剣を振り回している。自力で脱出できない以上、イタチに助けを求めるしかないのだが、見ずに助けろというのは無茶過ぎる注文である。

だが、イタチは溜息を一つ吐くと、目を閉じたまま背中の赤い刀身を持つ片手剣、「フレイムタン」を抜いてモンスターのもとへと走り出す。

 

「……はっ!」

 

 人喰い花の手前で跳躍したイタチは、シリカを捕らえている二本の触手を斬り捨て、地面に着地する間に身体を回転させ勢いのまま本体にソードスキルを振りかぶる。

 

「ガァァアアアッ……」

 

 空中回転を加えた垂直斬りソードスキル、「ホイールバーチカル」が炸裂し、人喰い花がポリゴン片を撒き散らして爆散する。イタチはそれを見届けることなく、着地と同時に振り向いて再度跳躍。シリカを空中で抱きとめた。

 

「うぅ……すみません。」

 

「……気にするな。こういう時のためのガードだ。」

 

「あの……やっぱり、見ましたか?」

 

「……頼み通り、終始目を瞑っていたが?」

 

「えぇっ!?でも、どうやってモンスターの居場所を知ったんですか!?」

 

「索敵スキルを使えば、目を瞑った状態でもモンスターとプレイヤーの位置を確認できる。それより、そろそろ先へ行きたいのだが?」

 

「ご、ごめんなさい!」

 

 先程より若干不機嫌な様子のイタチに、シリカは慌てて謝る。見ないで助けて欲しいと無理難題を突きつけてそれを実行してくれたのに、恥ずかしかったとはいえこの態度は無いだろうと反省する。抜き身の赤い刃を手に持ったままダンジョンを突き進むイタチの背中を、シリカは必死に追いかける。

 

「あの……怒って、ます?」

 

「いいや。これもガードの仕事だ。」

 

 シリカの問いに、いつもと変わらぬ無表情で答えるイタチ。相変わらず感情を窺い知る事の難しい雰囲気を纏っているだけに、掛けるべき言葉が思いつかない。ダンジョンへ突入早々、気まずい雰囲気となった二人。こうして、蘇生用アイテムを入手する冒険が幕を開けたのだった。

 

 

 

「……ハァッ!セイッ!ヤァッ!」

 

 思い出の丘に突入して以降、エンカウントした植物系モンスターとの戦闘は、イタチがほぼ全て一人で行っていた。イタチの手に持つ赤い刃が緋色の軌跡を描いて植物系モンスターを両断する。

 

(それにしても、イタチさん……凄いなぁ……)

 

 立ち塞がる奇怪かつ醜悪な植物達を、ほぼ一撃のソードスキルで屠っていくイタチの姿を見るシリカは、その無双ぶりに呆気に取られていた。

 イタチが握る、フレイムタンと呼ばれる片手剣は、その名の通り炎の力を有している武器であり、植物系モンスターにはワンランク上のダメージを与える特殊効果があるらしい。イタチ曰く、フローリアのダンジョン攻略のために用意した武器とのことだ。

 だが、それを差し引いても、イタチの能力には目を見張るものがある。最前線から十層以内の階層に生息するモンスターを一撃で屠るなど、攻略組プレイヤーでも簡単にできる技ではない。

 

(もしかして……攻略組の人なのかな?)

 

 この推測が当たっていれば、四十七層の植物モンスター相手に無双を繰り広げるイタチの強さも頷ける。また、昨日自分に渡してきた強化装備に関しても、容易に入手できたことが想像できる。

 しかし、だとしたら尚更分からないことがある。攻略組プレイヤーは最前線で攻略に身を投じているのが常である。滅多なことでは中層には下りて来ない。つまり、イタチには攻略を放棄してまでやらねばならない用事があったということになる。

 

(依頼って言ってたけど……何なんだろう?)

 

 自分を助けることが達成に繋がるらしいが、その内容は見当も付かない。蘇生用アイテムを手に入れた所で横から掻っ攫うという腹積もりも考えられるが、昨日の邂逅から今に至るまでのイタチの言動からして、それは無いとシリカは思っていた。全く根拠の無い推測だが、イタチが自分を陥れるような悪者には見えなかったのだ。

 

(でも、今は信じるしかないよね……)

 

 使い魔のピナは、命を犠牲にして自分を守ってくれた。ならば、今度は自分が助ける番だ。そのためならば、どんな危険が待ち受けていようと、目の前の可能性に賭けるしかない。シリカは神妙な面持ちでイタチの後をついて行った。

 

「見えたぞ。あれが、蘇生用アイテムが手に入る場所だ。」

 

「えっ!本当ですか!?」

 

イタチの言葉を聞いて、シリカはイタチよりも前へ出る。周囲にモンスターの反応が無い事を索敵スキルで確認していたイタチは、それを止めることもせず、ペースを崩さずシリカの後ろを追う。

 

「……イタチさん、何もありません!」

 

 イタチとシリカの視線の先には、石でできた台座。だが、台座の上には何も無い。泣きそうになるシリカに、しかしイタチは冷静に答えた。

 

「落ち着け。よく見てみろ。」

 

「え……?」

 

 イタチに言われてもう一度台座の方を振り返ってみるシリカ。すると、台座の上に光が灯る。ビーストテイマーのシリカに反応してか、台座の中央から若芽が生え、みるみる成長していく。葉が茂り、蕾を付けたそれは、まさしく花。そして仕上げとばかりに、純白の光を放ちながら、白い七枚の花弁を広げた。

 

「手に取ってみろ。」

 

「あ、はい。」

 

 イタチに言われて、台座の花に触れるシリカ。茎の部分が自然に崩れ、花の部分がシリカの手に収まる。音も無く開いたアイテムウインドウには、「プネウマの花」と記されていた。

 

「これで、ピナを蘇らせられるんですね!」

 

「ああ、間違いない。」

 

 イタチの言葉に、顔を綻ばせるシリカ。念願の使い魔蘇生用アイテムが手に入ったのだ。無理もないとイタチは思う。

 

「その花の雫を心アイテムに振り掛ければ、蘇生できる。だが、このフィールドは強力なモンスターが多い。蘇生は主街区に戻るまでお預けだな。」

 

「うぅ……分かりました。」

 

 できれば今すぐにでも蘇生させたいであろうシリカは、イタチに諭されて思い止まった。ここは四十七層、自分の実力で突破できるほど甘いフィールドではない。攻略組クラスの実力を持つイタチがいても、気が抜けないのは確かだ。シリカはプネウマの花をアイテムストレージに納めると、行きと同様にイタチにエスコートしてもらいながら主街区へと戻って行った。

 帰り道は順調そのものだった。使い魔蘇生用アイテムを入手するためのダンジョンであるため、一般プレイヤーは滅多に寄り付かず、モンスターのポップも極端に少ない。そのため、行きがけの道でイタチが殲滅したものでポップは打ち止めだったらしい。

行く手を遮るものも無く、丘を下りることに成功した二人は、主街区外周とフィールドの境目である橋へと差し掛かった。街まではあと一息、もうすぐピナに会える。そう思ったシリカは軽快な足取りで主街区を目指す。だが、そんなシリカの肩に、不意にイタチの手が掛けられる。決して強くはない力で、しかしその先に進むことを許さないとばかりに肩を掴むイタチに、シリカは何だろうと思い、振り向いて問いかける。

 

「どうしたんですか?」

 

「……ここでじっとしていろ。」

 

 制止を命じたイタチは、橋の向こう側に立つ並木に鋭い視線を送っていた。そんなイタチに対し、シリカは不安を覚えた。先程のモンスターとの戦闘でも、ここまで真剣な表情はしていなかった。無表情、無感情な雰囲気が印象深いイタチの突然の変化に戸惑うシリカを余所に、イタチは前へ出て橋の向こうへと声を放つ。

 

「そこにいるのは分かっている。姿を現したらどうだ?」

 

 姿なき何者かへの問いかけに、しかし相手はすぐに応じた。橋の向こうの道の脇に立つ木の影から、プレイヤーが姿を現したのだ。赤い髪、赤い唇、黒いレザーアーマーを装備したその女性は、シリカも見覚えのある人物だった。

 

「ロザリアさん?」

 

 驚いて目を丸くするシリカ。それもその筈。木の影から現れた女性プレイヤー、ロザリアは、つい先日までシリカと同じパーティーに所属して、三十五層を中心に活動していたのだ。攻略済みとはいえ、未だ中層プレイヤーには活動するのが厳しいこんな上層に来る筈のない人物なのだ。

 立ち尽くすシリカを余所に、イタチはロザリアを静かに睨みつけながらさらに周囲を警戒していた。そんな二人を見たロザリアは、作り笑いを浮かべて、友好を装って話し掛ける。

 

「あたしのハイディングを見破るなんて、中々高い索敵スキルね、剣士さん。その様子だと、首尾よくプネウマの花もゲットできたみたいね。おめでとう……じゃ、早速花を渡してちょうだい。」

 

「な、何を言ってるんですか!?」

 

 突然の理不尽な要求に絶句するシリカ。ロザリアはそんな彼女の反応すら面白そうに眺めている。突如現れた女性プレイヤーが物騒な空気を纏い始めたところで、イタチが割って入った。

 

「そうはいかないな、ロザリアさん……いや、オレンジギルド、「タイタンズハンド」のリーダー、と言った方が正確ですかね。」

 

「へぇ……」

 

 相変わらず無感情な声色で放ったイタチの言葉に、しかしロザリアは動揺もせず、感心したように目を細める。ただ一人、シリカだけはその言葉の意味を理解できなかった。

 

「オ、オレンジって……でも、ロザリアさんのカーソルは、グリーンですよ!?」

 

「オレンジギルドといっても、全員のカーソルがオレンジとは限らない。カルマ回復クエストを使えば、カーソルの色は戻せる。また、獲物を見繕い、情報を集めるためには、グリーンカーソルのプレイヤーがメンバーに必要だ。」

 

「そ、それじゃもしかして、昨日の夜に盗聴していたのって……」

 

「間違いなく、彼女の仲間だ。」

 

昨晩、イタチとシリカは四十七層の思い出の丘攻略のために、宿の部屋で話し合いをしていた。そんな中、扉の向こうで聞き耳を立てているプレイヤーを索敵で感知したイタチが、扉を勢いよく開いて盗聴していたプレイヤーを追い払うという一幕があったのだ。

 

「じゃ……じゃあ、この二週間、一緒のパーティーにいたのは……」

 

「そうよぉ……戦力を確認して、冒険でお金が貯まるのを待ってたの。」

 

 舌なめずりして視線を向けるロザリア。対するシリカは怯えた表情を浮かべる。

 

「一番楽しみな獲物だったあんたが抜けちゃうから、どうしようかと思ってたら、なんかレアアイテムを取りに行くって言うじゃない。でも、そこまで分かっててその子に付き合うなんて……馬鹿?それとも本当に身体でたらしこまれちゃったの?」

 

 後半は、イタチに向けられた言葉だった。罵りを受けたイタチは、しかし眉一つ動かさずに赤い双眸をロザリアに向けながら答えた。

 

「いいや、そのどちらでもない。」

 

 常と変わらぬ冷静な態度で言いきるイタチ。シリカとロザリアは、イタチの真意が分からず、頭に疑問符を浮かべる。

 

「俺がここに来たのは、“依頼”を果たすためだ。そして、その目的こそがあんたと、あんたの仲間だ。」

 

「どういうことかしら?」

 

「俺の依頼人は、「シルバーフラグス」というギルドのリーダーだ。あんたも知っているだろう?」

 

「……ああ、あの貧乏な連中ね。」

 

 問い返してきたイタチに対して答えたロザリアの口調は、無関心そのもの。そんなロザリアの態度に、イタチの視線が冷気を帯びる。

 

「メンバー四人が殺され、生き残ったリーダーの男は最前線のゲートで一日中仇討ちをしてくれるプレイヤーを探していた。男の依頼は、お前達タイタンズハンドを捕縛し、“牢獄へ送る”ことだ。」

 

「ははーん、成程。で、あんたはその死に損ないの言う事真に受けて、あたし等を誘き出すために、その子にひっ付いていたってワケね。それにしても、あたし等を“殺す”んじゃなくて、“捕まえる”なんて……あの男も随分なお人好しね。」

 

「……仲間を殺されても、それを依頼しなかったのは、その男の意思だ。尤も、お前にそれが理解できる道理はあるまいが。」

 

「分かんないわよ。マジになっちゃって馬鹿みたい。ここで人を殺したところで、本当にそいつが死ぬ証拠なんて無いし。」

 

 イタチを嘲笑するロザリア。対するイタチの赤い瞳には、僅かながら鋭さが増し、声は苛立ち、あるいは怒気を微かに孕んでいた。

 

「それより、自分達の心配をした方が良いんじゃない?」

 

 そう言い終えると同時に、ロザリアが指を鳴らす。それを合図に、並木の影からぞろぞろと現れる人影。その数、七人。いずれもオレンジカーソルの犯罪者プレイヤーでありながら、一人だけグリーンカーソルのプレイヤーがいた。針山のように尖った髪型をしたその男に、イタチとシリカは見覚えがあった。昨晩、盗聴を看破して扉を開けた途端に駆け足で逃げて行った男である。

大勢の犯罪者プレイヤーに囲まれ、シリカは恐慌状態に陥る。ロザリアを入れれば敵の人数は八人。到底二人で敵うわけがない。

 

「イ、イタチさん!人数が多すぎます!脱出しないと……!」

 

「依頼を完遂するためにはここで逃げるという選択肢は取れない。君は転移クリスタルを用意してそこで待っているんだ。」

 

「えっ!で、でも……!」

 

 自身を心配して制止しようと声を上げるシリカに背を向けて、イタチは改めて目の前の八人組の盗賊、タイタンズハンドを見据える。橋の中央まで歩きだすと、足を止めてリーダーたるロザリアに言い放つ。

 

「どうやら、説得しても投降するつもりは無いようだな。」

 

「ハッ!何でそんなことしなきゃならないのよ。あんた、状況分かってるワケ?それとも、この人数相手に、本気で勝てるとでも思ってるの?」

 

 再びの嘲笑。仲間七人を加えたそれに、しかしイタチは眉一つ動かさない。溜息を吐くと、絶対零度の赤い双眸をロザリア率いるタイタンズハンドに向けて、再度口を開く。

 

「交渉決裂……ここからは、実力行使で行かせてもらう。」

 

 そう呟くと、イタチは右手を振って目にも止まらぬ動作でシステムウインドウを操作する。次の瞬間には、イタチの背にはフレイムタンに加えてもう一本の鈍色の片手剣、「ランスオブスリット」が吊るされ、額には木の葉を模したマークに横一文字の傷が走った金属の額当てが装備される。

 

「木の葉隠れ抜け忍、うちはイタチ――――これより、任務を実行する。」

 

 一人静かに呟いたその言葉は、誰の耳にも届かなかった。赤い眼に黒い装束を纏い、傷の入った額当てを付けたその姿は、まさしくイタチの前世そのもの。前世に無かった二本の剣を携え、黒の忍は、今再び戦場に降り立った。

 



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第二十七話 黒の忍

 二本の片手剣――フレイムタンとランスオブスリットを背中のさやから引き抜くイタチ。黒衣をはためかせながら、ゆっくりと目の前の目標たる八人の盗賊、タイタンズハンドのもとへと近づいていく。

 

「黒ずくめのコートに、木の葉を模したマークに傷を入れた額当て……」

 

「二本の剣……二刀流、だと……!」

 

「赤い瞳……それに、イタチって名前……まさか!」

 

 自分達の元へ迫るイタチの姿を見て、瞠目する盗賊達。黒装束、傷入りマークの額当て、赤い瞳、そして二本の剣を持っている。そんな特徴を持ったプレイヤーを、彼等は……否、シリカもはじめ、現在アインクラッドにて生き残っているプレイヤー達は皆、知っていた。

 

「まさか……まさか、あの「黒の忍」か!?ユニークスキル持ちの!」

 

「ロザリアさん……こいつ、ヤバい!ソロで攻略に挑んでるビーターの……攻略組だ!」

 

 タイタンズハンドの一人が放った言葉に、シリカも驚いた様子で目を丸くする。思い出の丘を攻略した際のイタチの無双ぶりからして、間違いなく攻略組所属のプレイヤーであると考えていたのだが、まさか“あの”黒の忍と呼ばれたプレイヤーだったとは、思いもしなかった。

 

「フン!攻略組がこんな所にいるわけないじゃない!どうせ相手にそう思わせるためにやってる、単なるコスプレよ!」

 

 だが、手下達の懸念を、リーダーであるロザリアは一蹴した。確かに、最前線で活動することが常の攻略組プレイヤーが、こんな下層に姿を現す筈が無い。特徴が合致しているからと言って、本人である確証など、どこにも無いのだ。

 

「それに、攻略組だろうがユニークスキル持ちだろうが、この人数相手にどうにかできるわけ無いじゃない!ほら、さっさと身ぐるみ剥いじゃいな!」

 

「そ、そうだな!それに、もし本物なら、すげえレアアイテムとか持ってる筈だぜ!」

 

「良い獲物だぜ!」

 

 ロザリアに数の優位について言及され、攻略組を仕留めた時に手に入るアイテムに目が眩んだ一同は、先程までの懸念はどこへやら。一様に武器を構えてイタチに襲い掛かる。

 

「死ねぇ!」

 

「オラァッ!」

 

 七人が持つ武器からライトエフェクトが迸り、一斉にソードスキルがイタチに向けて放たれる。最早回避云々の問題ではない。狭い橋の上、防ぎ切れない程の攻撃がイタチに向けて放たれていく。

 

「イタチさん!!」

 

 その様子を橋の向こう側で見ていたシリカの口から、悲痛な叫びが漏れる。七人の犯罪者プレイヤーに襲われようとしているイタチ。助けに行かなければ、そう考えるシリカだが、恐怖に竦んで身体が言う事を聞かない。短剣に手を掛けながら、一歩が踏み出せない。

 

(あたしが死んだら、ピナが……でも、イタチさんが……!)

 

 自分が行っても足手纏いになるだけ。それに、苦労して手に入れたプネウマの花を失えば、ピナはもう蘇らせない。しかし、襲われているイタチを見捨てようと考えれば、ピナを喪った時の悲しみが心を鋭く苛む。自分がどうすべきか、答えを見出せないまま、短剣に手を掛けた状態で動けなかった。

 だが、そんなシリカの葛藤は、ものの数秒で吹き飛ばされることとなる。シリカの視線の先、橋の中央にて巻き起こったのだ。

 

 

 

自身に振りかざされる七つの武器と相対し、しかしイタチは全く動じない。

 

「……やれやれだ。」

 

 そう呟くと同時に、イタチは両手に持った剣を振るい、繰り出される七連撃を次々捌いていく。タイタンズハンドのオレンジプレイヤー達が繰り出すソードスキルは、いずれもシステムアシストに頼り切ったもので、攻略組が使いこなすそれに比べれば威力もスピードも大きく見劣りする。ましてや、モーションキャプチャーテストでソードスキル制作に携わったイタチからしてみれば、脅威にはなり得ない。事実、立て続けに放たれた七発のソードスキルは、イタチに傷一つ負わせることも、ソードスキルを発動させることも叶わなかった。

 

「クソッ!」

 

「ちょこまかと鬱陶しい!」

 

 悪態を吐くオレンジプレイヤー達。そんな彼らに、イタチは耳も貸さず、見向きもしない。そして、ソードスキルの技後硬直によって動けない七人の隙を突き、容赦なく畳み掛ける。

 

「……シャイン・サーキュラー。」

 

 呟くように言い放つと同時に、イタチの姿がその場から掻き消える。そして次の瞬間、イタチを取り囲む形で立っていたタイタンズハンドのプレイヤー七人に、先の攻撃の逆襲とばかりに、凶刃が襲い掛かる。

 

「ぎゃぁあっ!」

 

「ぐわぁああっ!」

 

 イタチの姿が掻き消えると共に発せられたのは、調和して流れるように舞う光芒。次いで、イタチを取り囲んでいたタイタンズハンドのプレイヤー達の悲鳴だった。イタチが発動したであろうソードスキルが描く光の軌道は、二つ。つまり、イタチは今、両手に持った二つの武器にてソードスキルを発動していることになる。

 

「これが……二刀流……!」

 

「二刀流スキル」―――

そのエクストラスキルがプレイヤーの間に知れ渡ったのは、およそ三カ月前、つまり去年の年末のことだった。当時のアインクラッド攻略の最前線は、五十層。第二のクォーターポイントであるこの階層を守護するフロアボスの名は、「ザ・サウザンドアームズ・スタチュー」。千手観音を模した青銅のゴーレム型モンスターであり、武器を持った四十二本の腕を持ち、ソードスキルまで発動させる能力まで持っていた。まさに、クォーターポイントのボスとして突出した能力を持っていたのだ。攻略組を圧倒して余りある手数を有したこのフロアボス攻略は、犠牲者無しには為し得ないと考えられていた。だが、そんな困難なフロアボスを打ち破る、強力無比なスキルを持ったプレイヤーが現れたのだ。

そのスキルこそが、「二刀流」。両手に片手剣を装備して繰り出す重連撃は、他のソードスキルを圧倒して余りあるスピードと破壊力を有していた。五十層攻略においても、そのゲームバランスを崩壊させんばかりの力は遺憾なく発揮され、避け得ないとされていた犠牲者をゼロにしたのだ。

習得した攻略組プレイヤーの話では、二本の片手剣を両手に装備しての攻略を続けた経緯があると言っていたが、出現条件は不明であるとのこと。習得したプレイヤーは、情報を独占するビーターとして蔑まれており、当初はスキルを独占するために出現条件を秘匿していると疑われていた。以来、多くのプレイヤーがこのエクストラスキル習得に尽力していたが、結局第二の習得者は現れなかったという。そして、習得者がただ一人のスキル故に、二刀流は、「ユニークスキル」として認識されたのだった。

 中層プレイヤーの間でも、このスキルについての知名度は非常に高く、一部のプレイヤーの間ではこのスキルを習得したプレイヤーを情報独占の極悪プレイヤー、またはアインクラッドを攻略する英雄として見る声がある。シリカもスキルの存在は知っていたが、習得者についての詳細は、名前も容姿も知らなかったのだ。そもそも、中層プレイヤーである自分が会い見える機会など絶対に無い筈である。だが、そんな自分とは縁遠い筈のプレイヤーが、目の前で犯罪者プレイヤー相手に猛威を振るっているのだ。

 

「が……あぁ…………!!」

 

 数秒後には、イタチが放った二刀流スキル、「シャイン・サーキュラー」の連撃を受けた犯罪者プレイヤー七人が地に伏せていた。脇には、斬撃によって破壊された武器と、切断された右手と足が転がり、数秒でポリゴン片となって消えた。

 

「あ、相手が悪すぎる!」

 

「回復アイテムを、早く!」

 

「駄目だ!右手が……右手が、切られてウインドウが出せない!」

 

 イタチが放ったソードスキルは、六人のオレンジプレイヤーの右手首と両足首を切断していた。システムウインドウを操作するには、右手が無ければならない。

 

「なら、ポーチの結晶を……なっ!」

 

「なんで、結晶が割れるんだ!?」

 

 ウインドウが出せないと認識し、ポーチに仕込んでおいたアイテムに左手を掛けるオレンジプレイヤー達。だが、ポーチに仕込んでおいたアイテムは、取り出した途端に割れて消滅してしまった。

 

「ま、まさかさっきの攻撃で斬られたのか!?」

 

「嘘、だろ……!」

 

 犯罪者プレイヤー達の推測は、間違っていなかった。先程の攻防において、ソードスキルを回避する傍ら、イタチは犯罪者プレイヤー達のポーチに斬撃を放ち、中に収納されていたアイテム類を斬りつけ、耐久値ゼロに追い込んだのだ。

 逃走・回復を封じるための常備アイテム、システムウインドウを呼び出すための右手、逃走するための両足。それら全てを、先の十数秒足らずの攻防の中で封じて見せたイタチの実力に、タイタンズハンドのプレイヤー達は戦慄する。

 

「これで実力の差は分かっただろう。お前達では、俺は倒せない。」

 

「アリかよ……こんなの……!」

 

「ムチャクチャだ……!」

 

「アリなんだよ。」

 

 犯罪者プレイヤー達が、眼前の現実から逃避したいとばかりに呟いた言葉を、イタチはバッサリ切って捨てた。

 

「レベルやスキルをはじめとしたステータスを示す数値、それがゲーム世界の全てだ。貴様等の言う理不尽さの存在もまた、この世界の真理だ。」

 

 その場にいる一同に語りかけるように話すイタチの言葉には、それまでの無感情な口調には無かった、苛立ち、あるいは悲しみの色があった。その真意を知る者が現れない内に、イタチは懐から新たなアイテムを取り出した。青い濃紺の結晶は、転移結晶とは違う、しかし同様な機能を持つアイテムだった。

 

「これは俺が依頼人から預かった回廊結晶だ。黒鉄宮の監獄エリアが出口に設定してある。全員、これで牢屋へ飛んでもらおうか。」

 

 事務的に、淡々と要求を述べるイタチ。周囲で倒れ伏しているプレイヤー達は、その余裕のある姿を憎々しげに見つめるばかりだ。対してロザリアは、この状況にあっても得意気な表情だった。

 

「フン!オレンジプレイヤーならともかく、グリーンプレイヤーであるあたしやそいつを傷つければ、あんたもオレンジの仲間入りだ!」

 

 圧倒的実力を見せつけられ、追い詰められているも同然の状況にあるロザリアの切り札とばかりに発した言葉。その意味を悟ったタイタンズハンドのプレイヤー達は、一様に笑みを浮かべる。遠くで聞いていたシリカは戦慄していた。イタチに至っては、無表情ながらもその赤い双眸には色とは相反する冷たさが宿っていた。

 

「さっきから、そこにいるあたしの仲間にだけ攻撃しないのは、オレンジになりたくないからなんだろう?そいつはつまり、あんたはあたしに指一本触れられないって……」

 

 グリーンプレイヤーを攻撃することのリスクを盾にしたロザリアの饒舌は、しかしそこで途切れた。次の瞬間、ロザリアを襲ったのは、二筋の閃光。それは先程、七人のオレンジプレイヤー達を斬り伏せたものと同じ――――二刀流スキルが放つソードスキルのライトエフェクトだった。

 

「んなっ……!?」

 

 その光を受けたロザリアは、自分の身に起こった事態をすぐには理解できなかった。思考が再起動したときロザリアが認識したのは、二つの光が交差した向こうの視界に佇む黒い影と、両手の感覚の喪失だった。

 

「あ……あんたっ!」

 

「オレンジカーソルになったが……それがどうした?」

 

 ボトボトと地面に両腕が落ち、先程の男達の右手同様、ポリゴン片と共に消滅する。ロザリアは両腕を失ったことでバランスを崩し、地面に尻もちをついて倒れる。見上げる視線の先には、頭上にオレンジのカーソルを付けたイタチの姿。オレンジプレイヤーになったことなど何でもない風に話していたが、その赤い双眸には先程までは無かった殺気が宿っていた。

 

「さて……」

 

「ヒッ……!」

 

 恐怖で竦んで動けないロザリアの髪の毛を引っ掴み、橋の中央へと引きずって行くイタチ。ハラスメントに抵触する行為だが、両手が使えないロザリアには、イタチを黒鉄宮へ送る術は無い。その様子を見ていたタイタンズハンドのプレイヤー、そしてシリカは一様に驚愕と恐怖で固まって動けずにいた。そんな彼等の心境などお構いなしとばかりに、イタチはロザリアをゴミの様に橋の上へ放る。

 

「最後の警告だ。全員、牢屋へ飛べ。聞き入れないなら……殺す。」

 

 殺気を剥き出しにして放ったイタチの言葉に、その場にいた全員が竦み上がる。実力では敵わず、オレンジプレイヤーになることに躊躇いが無いこの少年を相手に、逃げ切る術などありはしない。牢獄か、殺されるか、それ以外の選択肢は、この場にいる犯罪者プレイヤーには無かった。

 

「コリドー・オープン。」

 

 イタチは無感情のまま、回廊結晶の発動キーを唱える。橋の上に青い光の渦が出現すると同時に、タイタンズハンドのメンバー達は一斉に光の中へと群がる。未だに手足の欠損が回復していないプレイヤーは、芋虫の様に橋の上を這って回廊結晶の渦へと飛び込む。犯罪者プレイヤーは誰一人としてイタチに逆らうことはせず、全員が牢獄へと送られた。

 やがて光の渦が消滅すると、主街区周辺と思い出の丘を繋ぐ橋の上に残っていたのは、イタチとシリカのみだった。

 

「……イタチ、さん……」

 

 震える声でイタチの名前を呼ぶシリカ。だが、話し掛けたところで、どうすれば良いのかは分からなかった。イタチは立ち尽くすしかできないシリカに向き直ると、相変わらず内心を推し測れない表情で口を開いた。

 

「……これが俺の請け負っていた依頼だ。君を助けたのも、依頼を果たすための手段に過ぎない。」

 

 それは、先程タイタンズハンドの面々と対峙した時から分かっていたことだった。そもそも、イタチは自分を何故助けてくれるのかと問われた時、目的の半分は依頼を果たすためと言っていた。つまりは、イタチは初めから嘘を吐いていなかったことになる。だが、オレンジプレイヤーを捕縛するという危険な依頼を果たすために、シリカを利用していた意図は明らかなのだ。軽蔑されても文句は言えない。

 だからこそ、イタチはこの依頼が完了した時、シリカから受ける罵詈讒謗を甘んじて受ける覚悟をしていた。だが、シリカは先の騒動で受けた衝撃に硬直して、未だ話すことすら困難な様子だった。

 

「あの、その……」

 

「……街はもうすぐそこだ。オレンジプレイヤーもいない以上、もう俺の助けは必要無いだろう。ここでお別れだ。」

 

 シリカが何を言わんとしているのか、イタチには分からないでもなかった。優しい彼女のことだ。きっと、自分を悪者扱いせず、良い人だと、そう言ってくれるに違いない。だが、それは許されざることだと、イタチは思う。ソードアート・オンラインという地獄を作り上げる片棒を担いだ罪人たる自分には、他者との絆を求める資格などありはしない。この消せない罪を少しでも購うためには、孤独の中で戦い、攻略を続けるしかないと、そう考えている。

だからこそ、イタチはシリカに背を向け、立ち去ることを選んだ。未だシリカは自分に対して何かを言いたげな表情だったが、自分がこの世界に生きる上の決意を嘘にしないためにも、これ以上この場に止まるわけにはいかない。

 

(イタチさん……)

 

 結局、シリカはイタチを止められなかった。ビーターと言う素性を知り、依頼を果たすために人を傷付け、カーソルをオレンジに染めたという事実を前に、何を言えばいいのか、まるで分からなかった。少なくとも、イタチが考えていたように罵言を浴びせようとは微塵も考えてはいなかったが。

 掛ける言葉が見つからないシリカにできたのは、遠くなるイタチの背中を見送るだけ。人を傷つけた咎人の証たるオレンジのカーソルを頭上に携えて歩くその姿は、何故かシリカには、酷く脆く、そして危うげに思えた。そのまま立ち尽くしたシリカが再び動き出せたのは、それから三十分近くが経過した頃だった。

 

 

 

 

 

 三十五層主街区、ミーシェにある宿。シリカはそこに取っている部屋へと戻っていた。当初の目的である、使い魔蘇生用アイテムのプネウマの花を入手できたのだが、その表情は浮かばれなかった。本来ならば、親友のピナを蘇生させるこの場には、自分以外にもう一人、自分と、そして親友を救う手助けをしてくれた人物が同席する筈だった。だが、その少年はここにはいない。

 

(イタチさん……やっぱり、一緒にピナを蘇らせたかったな……)

 

 ピナの心とプネウマの花をアイテムウインドウから出す。あとは、花の蜜を心に振り掛ければ、ピナは蘇る。自分の過ちによって命を落とした親友を、取り戻せるのだ。

 

(……イタチさん……)

 

 親友であるピナを蘇らせるこの瞬間にあっても、シリカの頭の中から、今日一日、一緒に冒険した少年、イタチの影は消えなかった。理由は分かり切っている。橋の上で犯罪者プレイヤーと対峙した後、イタチに何の言葉も掛けられなかったことを後悔しているからだ。

 今思えば、自分に背を向けて立ち去ろうとしていたあの背中は、どこか悲しそうだった。あの後ろ姿はどこか、自分に似ていると思えた。それはまるで、仲間のいない、孤独の世界の中で苦しんでいるかのようだった。

 

(イタチさん……ごめんなさい。)

 

 イタチに対する後ろ暗い気持ちと申し訳なさに心が押しつぶされそうになるが、いつまでもこうしているわけにはいかない。意を決して、シリカはプネウマの花を傾けた。花弁を伝って涙のように落ちた雫が、ピナの心に振りかけられる。一片の羽は、それと同時にまばゆい光に包まれた。数秒後には、部屋を覆うような光の中、見慣れたシルエットが現れ、元気よく声を上げた。

 

「きゅるるっ!」

 

「ピナ……よかった……!」

 

 果たして、イタチの言っていた通り、使い魔蘇生用アイテムの効果によって、シリカは親友を取り戻すことができた。蘇って早々、シリカに元気よく飛び付くピナ。単調なアルゴリズムで動く使い魔でありながら、まるで現実世界のペットのように振る舞うところまで、全て同じ。親友を取り戻す事ができたという事実に、シリカの表情にも安堵の色が戻る。

 だが、その表情はどこか暗かった。大切な親友を取り戻せたのに、素直に喜べない。そんなシリカの様子をおかしいと思ったのか、ピナはシリカの眼前に滞空し、首を傾げる素振りをする。

 

「きゅるる?」

 

「あ……ごめんね、ピナ。折角、生き返らせてあげたのに……ちょっと、疲れちゃってね……」

 

 元気の無いシリカの様子に、ピナは訝しむ。動物は人間以上に感情というものに敏感だと言うが、それはこのデジタルデータの世界でも変わらないのだろうか。ピナはシリカの後ろ暗い感情を悟ったのだろう、次の瞬間、

 

「きゅるっ!」

 

「痛っ!」

 

 シリカの頭に、キックを放った。ゲーム世界に、現実の様な痛覚は無く、主街区であるためHPも減らないが、攻撃を受けた場所には衝撃が走る。

 シリカはピナのキックが炸裂した額に手を当てながら、驚いた表情で目の前で滞空している親友に視線を向ける。その表情には、プログラムとは思えない程に鮮明な感情が見て取れた。シリカを見つめるピナの顔は、シリカに対して怒っているようだった。

 

「きゅる!きゅるるっ!」

 

「ピナ…………」

 

 何を言っているかは分からなかったが、落ち込んでいるシリカを叱咤していることは分かった。もしかしたら、優柔不断さから自分が後ろ暗い思いをしていることを悟っているのかもしれない。迷っているのならば、行動しろと、そう言っているような気がした。

 

「きゅるるる!」

 

「……ありがとう、ピナ。」

 

 どうすれば良いのか分からず、下を向くしかできなかった自分の背中を押してくれた親友に、感謝を述べる。ただのプログラムでは有り得ない、感情の発露とも呼べる行動を示したピナ。だが、シリカにとってはそんなことはどうでもよかった。背中を押してくれたのならば、自分はそれに答えなければならない。シリカは意を決して立ち上がると、イタチからもらった装備を再び身につけ、ピナと共に宿屋を勢いよく出た。その眼には、先程までの迷いは微塵も無かった。

 

 

 

 

 

 橋の上での戦闘の後、シリカと別れたイタチは、グリーンカーソルのプレイヤーを攻撃した事でオレンジに染まったカーソルをグリーンに戻すべく、カルマ回復クエストを受け付けている場所へと向かっていた。

 

(前線を離れて二日……カルマ回復クエストにさらに二日は掛かる。ボス攻略に乗り遅れなければ良いが……)

 

 オレンジカーソルをグリーンカーソルに戻すためのカルマ回復クエストは、完遂するまで二日は掛かる七面倒臭い厄介な内容なのだ。余計なプレイ時間を取られたくなければ、マナーを守れという教訓なのだろう。だが、悪意無しに人を傷つけてしまったプレイヤー、それも最前線で攻略に携わるプレイヤーからしてみれば、凄まじいペナルティである。

今回の依頼において、オレンジギルドを相手にする以上、覚悟していたこととはいえ、攻略に参加できないという点は非常に痛い。しかし、オレンジカーソルのままでは主街区へは入れず、グリーンプレイヤーからは警戒されることは間違いない。ビーターという悪評に慣れているイタチだが、街中を歩けないなど、攻略に支障を来す障害は早急に解消しなければならない。

 

(四十七層のカルマ回復クエスト受諾場所は、あの辺りだったか。)

 

 イタチが目指すのは、四十七層の北部。今日の昼間に攻略した思い出の丘がある場所とは間逆の方向である。不可抗力でオレンジカーソルとなってしまったプレイヤーへの救済措置なのか、カルマ回復クエストはアインクラッドの全ての階層で受諾できる。難易度に関しては、上層であるほど高くなる。だが、クエストを完遂するための時間ばかりはどの階層でも変わらず、最低二日は掛かるのだ。転移結晶を使用してまで下層に下りるメリットは無いと、イタチは考えていた。

 そうこうしている内に、イタチはフローリア北部にあるクエストフラグを立てるためのポイントへと到着する。オレンジプレイヤーが出入りする場所だけあって、一般プレイヤーの姿はどこにも無く、日暮れの時間帯にこの場所へ来たのはイタチ一人だった……その筈だった。

 

(あれは…………)

 

 イタチが見つめる十数メートル先のポイント。そこに、小柄な人影が見えた。日暮れで辺りは薄暗くなっているため、詳細な容姿は分からないが、頭上のカーソルはグリーン。つまり、モンスターではない。こんな暗い時間帯に、グリーンカーソルのプレイヤーが何故うろついているのだろうと不審に思ったイタチは、索敵スキルを発動させて両眼の照準をそのプレイヤーに合わせる。

そして、驚きに目を見開いた。

 

(……どうして、ここに……?)

 

 それは、イタチの知っているプレイヤーだった。そして、ここにいる筈の無い“少女”である。小柄な体格に、ツインテールの髪型。身に纏う装備は、昨晩自分がこの階層を攻略するために与えたものだった。そして、近づいて行く度に見えてくる、昼間一緒にいた時にはなかった、宙を舞う小さな青い影。表面上はいつも通りの落ち着いた様子のイタチだが、頭の中では間違いないという直感と、有り得ないという思考が飛び交っていた。

 そして、遠目に見ていた少女とイタチの距離が、数歩と言うところまで縮まったところで、

 

「待ってましたよ、イタチさん。」

 

 その少女――――シリカは、花が開くかのような笑みで、イタチを迎えた。

 

「きゅるるっ!」

 

 イタチの手助けによって生き返らせることに成功した親友の使い魔、ピナを伴って。

 



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第二十八話 信じる心

「何故、ここへ来たんだ?」

 

 四十七層北部のフィールド。既に日は沈み、夜の闇に覆われた空の下で、イタチとシリカ、そしてピナは向かい合っていた。恐らく、主街区の転移門を使用して、近隣の村へと転移することで、イタチより先回りすることができたのであろうが、それは問題では無い。どうしてこの場所に来たのかと問うイタチの声色は、非難の色を帯びていた。だが、対するシリカは動じた様子が無い。イタチの険しい視線に怯まず、その目を見つめ返す。

 

「勿論、イタチさんのカーソルをグリーンに戻すためのお手伝いをするためです!」

 

「……何故、そんなことを考えたんだ?」

 

 当然の質問である。イタチのカルマ回復クエストに協力することに何のメリットがあるというのだろうか?むしろ、デメリットの方が多い筈だ。オレンジプレイヤーと行動したなどという噂が広まれば、一般プレイヤー達から危険人物として見られかねない。それが分からないシリカでもないだろうに、何故自分のもとへ来たのか、イタチには理解できない……こともないが。

 

「親友を助けた礼をしたいというのなら、やめておけ。俺は君を利用して依頼を遂行したんだ。感謝される謂れは無い。」

 

 それだけ言うと、イタチはシリカの横を通り過ぎていく。だが、シリカもその後に続いていく。勿論、ピナも。

 

「あたしがやりたいと思ったから来たんです。それに、もっとイタチさんのことも知りたかったから。」

 

「……俺のことなど知っても、何も良い事など無いぞ。」

 

 にべもなく、イタチはそう返した。シリカのためにも、自分のためにも、これ以上互いに関わりをもつべきではないとイタチは考える。だが、イタチがいくら隔意をもって接しても、シリカは諦めようとはしない。そして、そんな彼女を援護する存在もいる。

 

「きゅるっ!」

 

「…………」

 

 シリカの肩を離れて、イタチの肩に乗るフェザーリドラ、ピナ。テイムモンスターというものは、主であるプレイヤーを守るために行動すると聞いている。それが、モンスターと同様に警戒対象である筈のオレンジプレイヤーに懐いているのだ。一度死んだことによって生じたバグだろうかとすら考えてしまう。

 

「ピナも、イタチさんのことが好きみたいですよ。きっと、助けてくれたイタチさんに感謝しているんですよ。」

 

「主人を利用するような男に懐くようでは、先行きが不安だな……ほら、早く主人のもとへ戻れ。」

 

 そう言って、イタチは肩に乗るピナを除けようとする。ピナはイタチの手が及ぶよりも早く肩を離れ、イタチの頭上を滞空する。そしてそのまま、

 

「きゅるるっ!」

 

「!」

 

 イタチの頭にキックを放つ。さしものイタチも表情こそ変わらなかったが、内心では動揺していた。

 

「イタチさんがネガティブなことばかり言うから、ピナが怒ったんですよ!」

 

 単調なアルゴリズムでしか動かない筈の使い魔には有り得ない行動。バグとも思えない、まるで本物の感情をもっているかのように動くピナに、イタチは目を丸くする。

 

「……そうか。」

 

 ピナに関しては色々と突っ込みたいことはあったが、ひとまずその疑問は口にすることなく飲みこむことにした。

 黙々と歩き続けるイタチと、その後に続くシリカ。ピナは先程からイタチの肩に止まったまま離れようとはしない。やがて二人と一匹は、目的のクエストの受領場所に辿り着いた。

 

「ここが、カルマ回復クエストを受けるための場所なんですか?」

 

「そうだ。」

 

 イタチとシリカ、ピナの眼前にあるのは、小さな教会。主街区にも同様の建物はあるが、この北部辺境に建っている教会はそれよりも小ぢんまりとしている。イタチは躊躇うことなく、教会へと入っていく。教会の内装は、祭壇へと続くバージンロードを中心に左右に整然と長椅子が並んでいる、普通の教会と何ら変わらないものだった。規模としては、やはり主街区のそれに劣るが。

 

「あ、あそこに神父さんがいますよ。」

 

「クエストフラグを立てるために会話するNPCだ。」

 

 シリカが指差した祭壇のあたりには、一人の神父が立っていた。イタチもカルマ回復クエストを受領するのはこれが初めてだが、フィールドの情報収集のために一度訪れたことはあったので、クエスト受領のNPCについては知っていた。

 イタチとシリカは祭壇の傍に立っている神父のもとへ歩み寄る。オレンジプレイヤーのイタチがいたからなのだろう、神父の頭上に金色のクエスチョンマークが点滅していた。それを確認するや、イタチは神父に話し掛ける。

 

「神父、良いだろうか?」

 

「はい。何でしょうか、旅のお方?」

 

「過去に犯した罪の清算をしたい。どうすればいいのか、教えて欲しい。」

 

 イタチの「罪」という言葉に反応したのだろう。カルマ回復クエストのフラグが立ち、神父は穏やかな表情でその問いに答えた。

 

「己の罪を悔い改める心を持ち、贖罪をお求めになるのでしたら、ここから西の洞窟へ行くと良いでしょう。そこで、五十一の聖結晶を集め、奥の祭壇に捧げるのです。さすれば、禊の滝への道が開かれ、咎人の罪は必ずや洗い流されましょう。」

 

「ご、五十一……それだけ、アイテムを集めろってことなんです……よね?」

 

「そういうことだ。」

 

 神父の言葉に顔を引き攣らせるシリカ。中層プレイヤーとして、収集クエストを何度か受諾したことがあったが、アイテムを五十一個も集めるようなタイプのクエストはなかった。そもそも、五十一個もアイテムを集めるとなれば、ストレージが圧迫されてしまう。一日そこらで達成できるクエストではないことは確かだ。

 このクエスト達成の難易度が、このSAOにおける犯罪への抑止力となることを期待されていたのだろう。しかし、デスゲームになった現在に至っても、犯罪者プレイヤーは増加の一途を辿るばかりだったが。

 

(本来ならば、すぐにでも行きたいところだが……)

 

 視界左に表示されたクエストログのタスク更新を確認したイタチは、自分のすぐ後ろに立っているシリカとピナを一瞥するイタチ。現在時刻は深夜。フィールドではモンスターのポップ率が高まる危険な時間帯である。攻略組トップの実力をもつイタチならば問題は無いが、シリカはここより低い階層で活動している中層プレイヤーである。装備アイテムで底上げしているとはいえ、夜間の狩りをするには心許ない。

 イタチが今ここでフィールドへ出ると言えば、シリカとピナも付いてくる可能性が高い。そう考えたイタチは、

 

(……仕方ない、明日にするか。)

 

 別段、今日の思い出の丘攻略で疲労したわけでもなかったが、朝を待って動くことにした。シリカに関しては、転移結晶を使って帰すという手段も無いわけではなかったが、ここまで付いて来た以上、説得したところで聞き入れてくれるとは思えなかった。明日になれば、考えも変わって帰る気になるかもしれないと、淡い期待を抱いていたこともある。

 

「とりあえず、クエストは明日だ。今日はこの教会に泊まる。」

 

「はい。分かりました、イタチさん。」

 

「きゅるっ」

 

 イタチの言葉にシリカとピナが揃って頷き、二人と一匹は教会に泊まることとなった。

 

 

 

2024年2月25日

 

翌朝、イタチは教会を出発し、西にあるカルマ回復クエスト達成のためのダンジョンへと向かう。そしてその後ろには……

 

「イタチさん、待ってくださいよ~!」

 

「きゅるるっ」

 

 昨晩から同行しているシリカとピナが当然のように付いて行く。イタチとしては、ここまで七面倒臭いクエストならば、翌朝にはシリカも同行を諦めて帰ってくれるだろうと思っていたが、予想外に粘るので、少々驚いていた。

 

「……ダンジョン内部は転移結晶が使えるが、油断はするなよ。無理だと思ったら、いつでも街に帰っていいんだからな。」

 

「大丈夫です!イタチさんがちゃんとグリーンに戻れるまで、お付き合いしますから!」

 

「きゅるるっ!」

 

 引き返すつもりは無いと言うシリカとそれに同調するピナに、イタチは内心で溜息を漏らす。可愛らしい見かけによらず、意外と頑固な性格なのだと思う。こうなったら、本当にクエストが完了するまで自分に同行するのだろう。昨晩抱いた淡い期待が徒労だったと思うと、足取りがほんの僅かばかり重くなる。

 

「そういえば、イタチさん。」

 

「なんだ?」

 

「最初にあたしの依頼を受けてくれた時、半分は依頼で、半分は個人的な感情だって言ってましたよね?」

 

「ああ……そう言ったな。」

 

 依頼が終わればもう関わることも無いだろうと考えていたために出てしまった本音。まさか、シリカが覚えていたとは思わなかった。その上、自分の核心に迫るような問いを投げかけられ、イタチは若干身を固くしてしまった。

 

「イタチさん。あたしを助けてくれた本当の理由……教えてくれませんか?」

 

 真剣な表情で問うシリカに対し、イタチは常のように拒絶の意思を示して突っぱねることができない。その瞳に宿った、他者との繋がりを希求する強い思いに、イタチは一切の誤魔化しが利かないことを悟る。そもそも、この少女は自分の真意を知るために……自分という人間を知るために、危険を承知でここまで来たのだ。依頼を全うするために利用したという負い目もある以上、イタチもそれに答えざるを得なかった。

 

「……聞いたところで何の得もしないぞ?」

 

「それでも、あたしは知りたいんです。」

 

 念を押すイタチの言葉に対し、シリカはどうしても聞きたいと、言葉と視線で訴える。観念したイタチは、意を決して口を開いた。

 

「君に、妹の面影を見たから……それが、個人的な感情に由来した理由だ。」

 

 イタチの放った言葉に対し、シリカは驚きに目を丸くして瞬きする。そして、次の瞬間には、

 

「ぷっ……あはははっ!」

 

 思わず噴き出してしまった。お腹を抱えて笑うシリカを見ていたイタチは、予想はできていたが、あまり愉快な気分にはなれなかった。立ち止まった状態で笑い続けるシリカに背を向け、イタチは先程よりも速足でダンジョンを目指した。

 

「ははっ……ああ!待ってくださいよぉ、イタチさん!悪かったですってばー!」

 

「きゅるるー!」

 

 自分に背を向け、振り返らずに歩いて行ってしまうイタチを、シリカは笑いを堪えて必死に追いかけ、ピナもその後ろを飛んでいった。

 この後、ダンジョンに到着するまでの間、イタチはシリカとピナに対して一切口を開かなかった。

 

 

 

 カルマ回復クエストを行うために訪れた、教会西部にあるダンジョンは、一般的なフィールドダンジョンと比べて単純な造りとなっている。道は曲がりくねった一本道で、マップ無しでも道に迷うことはなかった。時間はかかったものの、最深部の祭壇に辿り着くのは難しいことではなかった。

 

「ここが、神父さんの言っていた祭壇ですね。」

 

「そうだ。恐らく、あの盃に集めた聖結晶を乗せるんだろう。」

 

 シリカの確認する問いに、イタチは首肯する。祭壇の上には、巨大な盃が置かれている。捧げ物を入れるには、ぴったりの器だろう。

 

「マップ情報は渡しておくが、極力俺の目の届かない場所へ行くのは避けろ。いいな?」

 

「はい、分かりました。」

 

「それじゃあ、聖結晶集めを始めるぞ。」

 

「はい!」

 

「きゅるるー!」

 

イタチの言葉に従い、聖結晶探索を開始する。聖結晶はダンジョン内部のいたる場所に隠されている。岩陰に落ちていることもあれば、地面に埋まっていることもある。そしてもう一つの在り処が、

 

「ケケケェェエッ!」

 

 二足歩行の植物型モンスターが、イタチやシリカに襲い掛かる。イタチは背中から片手剣、フレイムタンを引き抜き、即座に一刀両断する。そして、ドロップアイテムがウインドウに表示される。

 

「贖罪の聖結晶……まずは一つ。」

 

 こうして、ダンジョン内にポップするモンスターを倒すことによって、ドロップアイテムとして手に入れることができるのだ。だが、カルマ回復クエストのためのダンジョンは、モンスターのポップ率が非常に低く、モンスター狩りのみでアイテムを揃えることは不可能である。

 

(地道に集めるほかないな……)

 

 嘆息しながら剣を鞘に納め、再び結晶探しに取りかかる。前世の忍時代にも、同じような任務に就いたこともある。この手の探し物は、大抵普通の人から見て死角に落ちているものだ。通路を歩いているだけでは見えない箇所を探していくイタチ。その数分後、

 

「ありました、イタチさん!」

 

 シリカが聖結晶を発見したらしい。イタチが目を向けると、結晶を掲げて笑顔を浮かべていた。イタチは頷き、よくやったと無言で答えた。そして再び、聖結晶の探索。イタチは岩陰を探して見るものの、なかなか聖結晶は見つからない。すると、

 

「きゅるるっ!」

 

 今度はピナが鳴き声を上げた。索敵にモンスターが引っ掛からないこの状況で何事だろうと視線をやると、ピナの口には探しているアイテムが咥えられていた。

 

「わぁっ、ピナも見つけたんだ!えらい、えらい!」

 

 シリカに続き、ピナまでもが結晶を発見する。イタチは主人に追随する活躍を見せるピナを傍目に、自分も聖結晶を探し続ける。だが、このあたりの岩場には無いのか、一向に見つからない。仕方なく、シリカが視界に入るギリギリの場所まで移動しようと考えたところで、

 

「やった!二つ目ゲット!」

 

「きゅるきゅるっ!」

 

 シリカが新たな聖結晶を発見し、ピナもまた、どこからか聖結晶を咥えて持ってくる。

 

「………………」

 

 並外れたペースで聖結晶を見つけて歓声を上げるシリカとピナ。そんな二人を尻目に、イタチは聖結晶を求めて移動し、岩場の影を探し続けるのだった…………

 

 

 

 約六時間後、ダンジョン外部は夕暮れの時間帯。イタチとシリカ、ピナは休憩を挟みつつ聖結晶探索を続けた結果、現在に至る。

 

「良かったですね!これでイタチさんのカーソルをグリーンに戻せますよ!」

 

「きゅるきゅるきゅるっ!」

 

「……………………」

 

 イタチとシリカは集めた聖結晶を出し合い、その数を数えていた。全部できっかり五十一個集まった贖罪の聖結晶の内訳は……

 

イタチ:11個

シリカ:23個

ピナ:17個

 

「いや~、まさか採集スキルがこんなところで役に立つなんて、思ってもみませんでした!」

 

「きゅるる!」

 

「………………」

 

 圧倒的な差をつけて聖結晶収集第一位に輝いたのは、シリカ。本人曰く、採集スキルをスキルスロットに入れているとのこと。採集スキルは、フィールドに落ちているアイテムの収集において役立つスキルである。索敵スキルと同じ要領で、フィールドに落ちているアイテムの在り処や、アイテムの埋まっている場所を視認することができるのだ。習得度はあまり高くないとのことだが、今回の聖結晶探しでめきめきと習得度を上げた末に、イタチの倍以上の数を集めるに至ったのだった。

 次いで、主人に追随するように聖結晶を集めて第二位に至ったのは、シリカの使い魔であるピナ。索敵や回復といった支援スキルを持っていることで知られるフェザーリドラだったが、まさかここに至ってアイテム探索などという能力を発揮するとは、主人であるシリカすら予想外だった。

 そして、贖罪の聖結晶を最も必要としていたイタチが集められたのは、五分の一程度の数だった。ダンジョン内部に稀に現れるモンスターを警戒し、常にシリカとピナの危機に駆けつけられる距離で聖結晶探しを行っていたのだが、探索を行った範囲はここにいる二人と一匹の中では最も広かった筈である。探し方も、傍から見ても全く無駄のないものだった。それでも、この程度の数しか集められなかったのは、一重に運が無かったためとしか言いようがない。

 

「イタチさん、早速結晶をあの盃に乗せましょう!」

 

「きゅるっ!」

 

「…………ああ。」

 

 シリカとピナに頼り切った結果となってしまったことに、忸怩たる思いを抱くイタチだったが、いつまでもこうしているわけにはいかない。溜息を吐きたい気持ちでいっぱいだったが、意を決し、集めた結晶アイテムを革袋に詰めて祭壇の盃へ持っていこうとする。

 

「そういえば、イタチさん。」

 

「……何だ?」

 

「妹さんのこと……教えてくれませんか?」

 

 祭壇へ向かおうとするイタチを呼び止めたシリカの質問は、妹に関することだった。動きを止めて硬直した様子のイタチに、シリカは言葉を続ける。

 

「あたしに似ているから助けてくれたって言ってましたけど……どんな子だったのかなって、気になっちゃって……」

 

 SAOにおいて、現実の話をすることは、プレイヤーの間ではタブーと化している。理由は様々だが、最たるものは、リアルの話をすることで、この世界を現実として認識できなくなってしまうことを忌避するためとされている。この世界に囚われている以上、現実世界の情勢を把握できないため、茅場晶彦が行ったデスゲーム宣告すら現実のもとのとは思えなくなる懸念があるのだ。

 そんなプレイヤー事情を顧みれば、イタチに対する質問はしてはいけない筈である。それでもシリカは、聞きたいと思ったのだ。自分に妹を重ねた理由を知れば、イタチを理解できると思えたのだから。

 対するイタチは、数秒間口を閉ざしたままだったが、聖結晶を集めてもらった借りがある以上、このまま黙秘し続けるわけにはいかないと考えていた。やがて観念した素振りで一息吐くと、ゆっくりと口を開いた。

 

「仲は……良くも悪くもなかった、と思う。」

 

 昔のことを……現実世界での日々を思い返しながら話すイタチの瞳は、どこか悲しみを帯びていた。

 

「……妹といっても、本当は従兄妹でな。むこうは知らないが、俺は小学生になる前から悟っていた。それがために、どうにも馴染めず、距離を置いてしまったというわけだ。」

 

 リアル事情を話すイタチに神妙な面持ちで耳を傾けるシリカ。だが、妹である直葉とどこか距離を置いていた本当の理由は、別にある。それは、シリカには話せない、うちはイタチとして忍世界を生きた前世に遡る。

かつての自分が属したうちは一族は、術や力に傾倒した一族として知られていたが、その実、他のどの一族よりも愛情深い一族だった。うちはには繊細な者が多く、強い情に目覚めた者は、瞳力の増強と共に深い闇に落ち、そして破滅へと向かう。イタチも例に漏れず、弟、サスケへの深い愛情を抱いていた。一族粛清の中で彼一人を生き残らせ、そして自分を殺させることで一族の名誉を守らせようとした。だが、結果は最悪のシナリオを辿り、サスケは自分が守ろうとした里を潰さんとする復讐鬼となってしまった。

今の自分はうちは一族でもなければ、写輪眼も持っていない。だが、前世の失敗の記憶は、桐ケ谷和人の心に深く癒えない傷を負わせていた。故に、自分が「愛情」を抱けば、また同じ過ちを繰り返してしまうのではないか、と考えてしまう。直葉をはじめ、家族との距離を曖昧にしてしまったのも、二度と帰れないかもしれない仮想世界へと来てしまったのも、そんな不安を抱いていたからだと、今になって思う。

 

「いつも俺と向き合うために、一生懸命だった妹に対し、真実を話すことも、向き合うことすらせず、この世界まで逃げてきてしまった……君を助けようと思ったのは、そんな後悔があったからだ。まあ、君を囮に使った時点で、信用に値する話ではないがな。」

 

 自嘲するイタチに、しかしシリカは不信など微塵も抱かずイタチに眼差しを向けていた。現実世界では一人っ子のシリカだったが、今ならイタチの妹の気持ちが分かる気がした。

 

「妹さんは、きっとイタチさんのことを信じていますよ。だから、イタチさんが本当のお兄さんじゃないって知っても、きっと仲良くなれます。あたしだって、イタチさんのことを信じられたんです。イタチさんも、妹さんのことを信じて、向き合ってあげれば良いじゃないですか。」

 

 自分が抱いた思いをそのまま言葉にしたシリカ。二日足らずの付き合いの自分でも、イタチが本当は優しい人なのだと分かったのだ。きっとイタチの妹は、もっとイタチのことを分かっているに違いない。ならば、譬え真実をしったとしても、嫌いになる道理なんて無い、そう思ったのだ。

 

(信じる……か。)

 

 シリカの言葉に、イタチは目を細めて前世を振り返る。前世の自分は、何もかも自分一人でできると思い込むために、他者を信じる心を閉ざした。それがために、全て失敗したのだ。そして今もまた、ソロプレイを貫いてこのゲーム世界の攻略を続けている。その先には、前世と同じ失敗が待ち受けていると分かっていても、生き方を変えることができなかったのだ。この死の牢獄たるSAOという世界の創造に加担した自分には、仲間を信じる資格などありはしない。そう思っていた。だが、今になって思えば、それこそ前世と同じ、ただの思い上がりだったのかもしれない。前世から凝り固まった価値観に一石を投じたシリカの言葉に、イタチはその在り様を大きく揺さぶられている気がした。

 

「……イタチさん、あたしだけじゃありません。きっと、みんなあなたを信じていると思います。だから、あなたも信じてください!」

 

「……そうだな。」

 

苦笑しながら頷いたイタチ。信じること――確かにそれは、前世から自分の中に欠けていたものだろう。今の自分に本当にできるのか分からない。だが、前世の自分に足りなかったものを見つけられるかもしれないと思えたのは事実だ。ならば、その思いを信じてみるのも良いかもしれない。目の前の少女が齎した言葉には、それだけの価値があると、イタチは感じたのだ。

 

「きゅるるっ」

 

「ピナも、喜んでいるみたいですよ!」

 

 シリカの横を滞空していたピナが、イタチの右肩に乗って頬ずりしてくる。イタチは嫌そうな顔はせず、右目を閉じながらそっと笑みを浮かべていた。

 

「それじゃあ、そろそろ行くぞ。」

 

 話もひと段落したところで、イタチは集めた聖結晶を入れた革袋を持ち上げて祭壇へと持っていく。通常ならば、五十一個のアイテムを持ち運びするにはストレージに格納しなければならないところを、イタチは攻略組としてずば抜けた筋力パラメータでそれを軽々持ち上げてみせた。祭壇の盃に聖結晶を注ぎ込むと、やがて眩い光と共に炎が噴き出した。それはまるで、オリンピックの聖火のようだった。

 

「わぁあ……」

 

「きゅる……」

 

 盃で炎を上げて燃え盛る聖結晶を見て感嘆の声を漏らす主従。イタチもこの世界に来て初めてみる光景に、しばし見入っていた。しばらく燃え盛っていると突然、盃の聖火から導火線のように炎の筋が祭壇を伝い、ダンジョンの壁へと走っていく。火の線は岩壁に四角を描くと、やがてその場所を刳り抜くように岩壁が消滅した。

 

「どうやら、道が開けたようだな。」

 

「行きましょう、イタチさん!」

 

「きゅるる!」

 

 新たにできた通路へと歩いていくイタチ。そのあとを、シリカとピナが追いかける。通路は幅一メートル、高さ二メートル程度の広さだったが、イタチもシリカも比較的小柄な体格だったため、通るのに苦労はしなかった。やがて十メートルほど歩くと、通路の奥に光が見えた。そして、水の流れる音も聞こえた。

 

「あれが、禊の滝だな。あれをくぐれば、オレンジカーソルをグリーンに戻せるらしい。」

 

「イタチさん、一緒に行きましょう。」

 

 シリカはそう言うと、右手でイタチの左手を握る。握られた方のイタチは一瞬困惑していたが、振り払う素振りは見せなかった。当のシリカは、顔を赤くしていたが。

 

「きゅるっ」

 

 そして、ピナは遠慮なくイタチの肩に止まる。イタチはこちらも特に気にすることはなかった。やがて二人と一匹は揃って歩きだし、洞窟の奥から外へ通じる滝へと至った。

 

「冷たっ!」

 

「きゅぅっ!」

 

 滝をくぐったシリカとピナが小さな悲鳴を漏らす。アインクラッドは現実世界の季節を反映した気象設定である。今日は快晴だったとはいえ、季節は冬と春の境目あたり。水を被れば、当然冷たかった。ピナは濡れた羽毛を乾かすべく、身震いして水滴を振り払おうとしている。肩の上で飛び散る水滴に、イタチは目を細めたが。

 

「あ、ピナ!駄目じゃない!ごめんなさい、イタチさん……」

 

「きゅぅ……」

 

「いや、大丈夫だ。気にしていない。」

 

 シリカに叱られながらイタチの肩から下ろされるピナ。イタチは顔を拭いながらもそう答えた。しばらく縮こまっていたシリカだったが、イタチの頭上のカーソルを再び見上げる。

 

「よかった……ちゃんとグリーンに戻れましたね!」

 

「ああ、そのようだ。本来なら二日かかるクエストを、今日一日で終わらせられたのは、君たちのおかげだ。ありがとう。」

 

「こちらこそ、ピナを助けてくれて、ありがとうございました。」

 

「きゅるるるっ」

 

 微笑みあうイタチとシリカ、そしてピナ。時刻はすでに夕方。アインクラッド外周に沈もうとしている夕日が、まるで本当の兄妹のように寄り添う二人をそっと照らしていた。

 



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圏内事件
第二十九話 ある日の攻略風景


2024年3月6日

 

 世界初のVRMMO、ソードアート・オンラインがデスゲームと化してから一年と五カ月が経過した。現在の攻略最前線は、第五十六層、パニ。迷宮区に最寄りの村に集まった攻略組プレイヤー達が、岩をくり貫いて作られた建物の中で会議を行っていた。

 議題は、迷宮区を守護するフィールドボスの攻略である。この世界からの解放を望み戦い続けるプレイヤー達にとって、如何に迅速かつ安全に攻略するかは、常に重要な課題である。各層のモンスターや地形等条件は異なり、その都度的確な作戦を練る必要があるからだ。そして、今回の作戦指揮を行うギルドは、血盟騎士団。リーダーは、その副団長だった。皆が神妙な面持ちで作戦方針について話し合う中、件の人物は迷宮区周辺のフィールドの地図が置かれた机に手を置き、作戦を宣言する。

 

「フィールドボスを、村の中に誘い込みます。」

 

 会議室として利用していた洞窟の中に、美しく、それでいて触れれば切られる鋭さをもった女性の声が響く。その言葉に、会議に参加していた攻略組プレイヤー達はどよめく。

 

「ちょっと待て。そんなことをすれば、村の連中が……」

 

「それが狙いです。ボスがNPCを殺している間に、ボスを攻撃、殲滅します。」

 

 血盟騎士団副団長に真っ先に異議を唱えたのは、オレンジ髪に背中に吊った両手用大剣が特徴的なソロプレイヤー、カズゴ。ベータテストからこのゲームに参加している強豪剣士の一人である。

 だが、カズゴの異議は、作戦を提案した人物によって遮られてしまう。それどころか、カズゴの反論要素そのものが、作戦の趣旨であることを告げられた。

 

「NPCは、岩や木みたいなオブジェクトとは違う筈です。彼等は……」

 

「生きている、とでも?」

 

 カズゴに続く形で異論を唱えたのは、白髪と装備した長剣が特徴的な、カズゴと同じソロプレイヤーのアレン。ベータテスト以来、カズゴとは頻繁にパーティーを組んで攻略に当る間柄である。

 NPCに対する認識について言及しようとしたが、血盟騎士団副団長は二の句を継ぐことを許さなかった。カズゴとアレンの二人に冷徹な視線を浴びせながら、作戦方針を変えるつもりは一切無いという意思を表していた。

 

「あれは単なるオブジェクトです。譬え殺されようと、またリポップするのだから。」

 

 攻略の合理性を重視して動くこの女性には、感情論は通用しない。この場にいる攻略組プレイヤーのほとんどが、NPCをオブジェクトとして見なす認識に対し、複雑な心境だったが、作戦の安全性と効率からして、反論の余地は無かった。

 

「……気に入らねえな。」

 

「僕も……その考えには従えそうにありません。」

 

 アスナの作戦、そして認識に対して対立の意思を示すカズゴとアレン。しかし、攻略組強豪プレイヤー二人を敵に回すような状況にあっても、血盟騎士団副団長の重役を担う少女の意思は微塵も揺るがない。

 

「今回の作戦は、私、血盟騎士団副団長のアスナが指揮を取ることになっています。私の言う事には従ってもらいます。」

 

 見た目の年齢に分不相応な、鉄の意思をもって投げかける鋭い視線に、カズゴとアレン以外の周囲にいたプレイヤー達にまで緊張感が波及する。

 結局、その後はアスナに意見するプレイヤーは現れなかったが、フィールドボス攻略の作戦、そして今後の攻略方針にしこりを残す形となってしまった。

 

「…………」

 

 そして、そんな険悪な雰囲気となってしまった一連の会議の流れを、攻略組プレイヤーの隅から一切口を開かずに見つめる一人の少年がいた。

 上からしたまで黒ずくめ、背中には二本の片手用直剣を吊っている。頭には、木の葉を模したマークに横一文字の傷が入った金属板を頭に巻き、瞳の色はメーキャップアイテムによって染められた赤。攻略組でその名を知らぬ者はいないとまで言われた、トッププレイヤー。その名は、

 

「よう、イタチ!」

 

「エギル、か。」

 

 チョコレート色の肌に禿頭、百八十超のがっちりした体格の男性プレイヤー――エギルが、会議を終えて洞窟から外へ出たばかりの黒ずくめの少年――イタチに話し掛ける。

 イタチは振り返り、赤い双眸をエギルへ向けるとその場に立ち止まった。エギルは腰に手を当てて含み笑いを浮かべながら歩み寄る。

 

「また、お前の仲間達が副団長さんと揉めたな。どうしていつも、ああなんだろうな?」

 

「……訂正しておくが、カズゴやアレンとは同じ攻略組プレイヤー程度の関係でしかない。」

 

 エギルは第一層から攻略に参加している攻略組プレイヤーであると同時に、主街区に拠点を置いて商業を営む支援組でもあった。イタチとは、今日のように攻略会議で顔を合わせることもあれば、主街区の出店でアイテムの取引をすることもあった。そして、全プレイヤーから目の敵にされる、嫌われ者であるビーターのイタチに対しても、こうして分け隔てなく接する――本人から言わせれば奇特な――プレイヤーだった。

 そんな数少ない知り合いと呼べる人物の問いに、イタチは溜息を吐きながら返す。尤も、否定はしていても、カズゴやアレンもイタチの悪評など微塵も気にせず仲間と思っているのは傍から見ても明白だったが。

 

「お前もどうせ、同じようなこと考えてんだろ?あの副団長様に何か、言いたい事があるんじゃねえのか?」

 

 先の攻略会議で、異議を唱える攻略組プレイヤーに対して強硬な姿勢で不変の意思を示したアスナの姿を思い出しながら、イタチは答える。

 アスナとイタチは、決して知らぬ間柄ではない。リアルで面識があるどころか、同じ学校に通っているのだ。そう言う意味では、イタチはこのSAOの中で、最もアスナのことを理解している人物かもしれない。本来ならば、お互いにもっと歩み寄ることもできたのだ。イタチが、“ビーター”でなければ。

 

「俺はビーターだ。攻略方針に一々異議を唱えるつもりは無いし、その資格が無いことも心得ている。」

 

「お前なぁ……」

 

 ビーターとは、第一層攻略以降続いている、主にイタチを指す蔑称である。ベータテスターとチーターを組み合わせて作られたこの造語は、一年以上が経過した今でも、妬み嫉みを抱く一部のプレイヤーによって、イタチを誹るために使われている。ベータテスターとビギナーの間の対立が激しかったデスゲーム当初こそ、イタチを憎しみの捌け口にするために使われていたが、一年以上が経過した今となっては、ベータテスターとビギナーの間の軋轢はほとんど解消されたに等しい。アインクラッドを半分以上攻略した今、ベータテスターが持つ優位性はすでに意味の無いものとなっている。最前線に立っているプレイヤーも、ベータテスターよりもビギナーの方が多数を占めている。

 だが、イタチにとってそんなことは関係無かった。ゲーム制作に関わり、一万人を閉じ込める死の牢獄を作り上げた人間の一人として、孤独を貫くと決めているのだ。譬えそれが独り善がりの禊だとしても。

 

(それに、彼女を……アスナさんをあんな風にしたのは、他でもない俺だ。)

 

 第一層攻略会議の後に再会したイタチとアスナだが、二人が寄り添い共に歩むなどという展開にはならなかった。それは他でもない、イタチの方からアスナを突き離したからだ。自己犠牲精神でビーターを名乗ったイタチは、この世界で、たった一人で寂しい思いをして彷徨い続けていたアスナを遠ざけたのだ。

 再会した当初、お互いに顔を合わせていなかったから分かったが、この世界に囚われたことで、アスナという人物は大きく変わってしまった。大人しく、穏やかな性格だった筈のアスナだったが、今や近づく者全てを斬り捨てんばかりの剣呑な空気を纏った狂戦士と化してしまった。現実世界の彼女を知るイタチは、その変わり様には軽く驚いたが、納得できるものはあった。現実世界では、大手電気機器メーカーの令嬢として将来を有望視されていた身だったアスナ。それが今、SAOという牢獄に閉じ込められたことで、人生を大きく狂わされてしまったのだ。人が変わるのも無理は無い。彼女の現実を理解してくれる人物――例えば、イタチ――が傍にいたならば、彼女の精神状態がここまで不安定になることは無かっただろう。生死を問わず、現実世界への帰還に絶望したアスナは、ソロで睡眠・食事を碌に取らない無茶な攻略を続けてきた。第一層でイタチと再会したことで、一旦は現実世界の彼女に戻りかけてはいたが、その後はイタチと疎遠になっていった。

そんな彼女に転機が訪れたのは、二十五層攻略後のことだった。クォーターポイントの並外れて強力なボスの攻略に大きく貢献したアスナは、血盟騎士団からの勧誘を受けたのだ。当時、デスゲーム開始当初の死にたがりの傾向が消えたアスナは、真剣に全層攻略を考えていた。そして、そのためにはギルドに属することが近道であることも分かっていたため、この誘いを受けてギルド所属に至ったのだ。イタチほどではないが、攻略組の中でも五指に数えられる実力者として知られていたアスナは、幹部として迎えられた。そしてその後、ギルド内、そしてフロアボス攻略においてずば抜けた指揮官適性を示したアスナは、副団長の座に就くこととなったのだ。以来、多くのプレイヤーの支持を集めるカリスマと美貌、そして他の追随を許さないばかりの高速の剣技を併せ持つ彼女は、“閃光のアスナ”とまで呼ばれた。

 

「アスナさんの作戦は、能率を考えれば非の打ちどころは無い。それに、ソロプレイヤーが何を言ったところで、相手になどされん。」

 

「そうか?あの嬢ちゃんは、お前の事をちゃんと想ってくれていると思うんだがなぁ……」

 

「そんなことを詮索する事に意義は無い。話はそれだけなら、俺はもう行くぞ。」

 

「あ、おい!」

 

 呼び止めようとするエギルにイタチは振り返ることはせず、そそくさとその場を後にした。一人で村から出たイタチは、フィールドをまっすぐ脇目も振らずに歩いていく。目指す先は、迷宮区――

 

 

 

 

 

 フィールドボス攻略会議から二時間後。会議に出席していた攻略組プレイヤーは、有力ギルドの所属・非所属を問わず、アスナが指定した時刻には、全員集合していた。その中には、会議中にアスナに真向から作戦に反対したカズゴとアレンもいたが、やはり二人とも納得のいかない表情だった。そんな作戦に反対する少数派の視線など気にせず、アスナは全員が揃った事を確認するや、出発を告げる。

 

「これより、フィールドボスの攻略に向かいます。作戦は会議で伝えた通り、私をはじめとした回避盾がボスのタゲを取り、村まで誘き寄せます。残りの方々は、フィールドで待機していてください。ボスがNPCを標的にしたところで、包囲・殲滅します。」

 

 作戦進行を確認したアスナは、包囲・殲滅を担当する、主に筋力特化型の重装備プレイヤー達を村の周辺フィールドに残し、数名の敏捷特化型プレイヤーを伴って迷宮区を目指した。フィールドボスは、迷宮区を守護者として配置されている。つまり、フィールドボスを倒さなければ、迷宮区へは入れないのだ。

 今回のアスナの作戦には、大部分のプレイヤーが異論を唱えなかったが、全く賛同していたわけではない。NPCとて、人間の姿をしているのだから、MPK紛いの真似をするのには抵抗がある。だが、自分達の安全を確保して確実な攻略を行うには、これ以外に方法が無いのだ。不承不承、作戦を請け負っているプレイヤーは、少なくなかった。アスナ自身は、攻略に関して重大な責任を負い、異常なまでの執着を持っていたことから、そういった倫理観は麻痺しているに近い状態だった。ただ只管、攻略を続けるだけ。それが彼女の全てだったからだ。

やがてアスナを含めた七人の回避盾メンバーは、フィールドボスが待ちうける迷宮区前より一歩手前のフィールドへと到着する。フィールドボスがいつ襲い掛かっても対応できるよう、一同は武器を抜いて臨戦態勢を取る。そして、いざフィールドボスが現れる場所へと足を踏み出した、そこには――――

 

「なっ!?」

 

「こ、これは……!」

 

 七人の回避盾メンバーの前には、フィールドボスがいた。但し、傷だらけで地に伏せた状態で。ちょうど、アスナ達が足を踏み入れたのと同時に、三本あったHPバーの最後の一本の赤いゲージが消えた。HPバーの空ゲージが消滅するのと同時に、ポリゴン片を撒き散らして爆散する。視界が銀色の破片で覆われ、それが晴れた時、アスナの瞳が一人の人影を映した。

 

「あなたは……」

 

 黒ずくめの上下に、両手に握った片手剣。攻略組として、その後ろ姿は既に見慣れたものとなっていた。

 

「イタチ君!」

 

アスナの呼びかけに対し、黒い影はゆっくりと振り返る。予想違わず、額当てを付けた赤い眼の少年は、イタチだった。その赤い双眸が、アスナに向けられる。

 

「……フィールドボスでしたら、この通り、既に倒させていただきました。」

 

「どうして、こんな勝手なことをしたのよ!?」

 

 苛立ちをぶつけるように放たれる、アスナの怒号。その迫力に、連れ立っていた六人のプレイヤーは硬直するが、怒りを向けられたイタチ当人は平静そのものだった。

 

「ビーターはソロプレーが常です。単独でボス攻略を行ったとしても、何ら不思議は無いでしょう。」

 

「そういう問題じゃありません!あなたの勝手な行動で、攻略の足並みが乱れたんですよ!?何故そんな自分勝手な行動を平気でできるんですか!?」

 

 平然と返すイタチの言葉に、アスナの怒りは治まらない。場の空気は険悪そのものであり、プレイヤー六人は口も開けない。

 

「俺は血盟騎士団のギルメンではない。あなたの指示に従う道理などありはしない。」

 

「……攻略組に属している以上、そんな言い訳が通るとでも思っているんですか!?」

 

「必要だと思ったからやった。それだけです。」

 

 平静を崩さず、身勝手なことばかり口にするイタチ。そんな態度に、アスナの苛立ちは増すばかりだった。だが、怒るばかりでは何もならない。アスナは問いを変えることにした。

 

「あなたねぇ……なら聞くけど、私の作戦を妨害することに、何の意味があったというの?」

 

「話す必要がありません。」

 

「…………」

 

 イタチとの問答の発端となっている、命令を無視した勝手な行動について、その意図を聞こうとしたが、イタチは回答すらも拒否する。意思疎通を完全に閉ざしたイタチの態度に、アスナは怒りを通り越して呆れを抱く。しかしお陰で、冷静な思考を取り戻すこともできた。

 

「……今後もまた、作戦の邪魔をするつもりなの?」

 

「必要と考えたならば。」

 

「それは非常に困るわ。理由も聞かされず、攻略を妨害されるなんて、とてもではないけど許容できるものではないわ。攻略の足並みを揃えるためにも、あなたと方針のことでこれ以上揉めるのは合理的ではないわ。」

 

 黒の忍という二つ名を持つイタチは、攻略組の中でも最強クラスの実力者としてその名を知られている。たかが一ソロプレイヤーとして軽視できる存在ではない。カズゴやアレンのように攻略に、イタチに同調しかねない人物も攻略組にいる以上、攻略組がかつてのベータテスター、ビギナーのように真っ二つに割れる危険もある。故に、イタチとの攻略を巡る対立には決着を着けねばならない。そこで、アスナが下した決断は、

 

「イタチ君、私とデュエルしなさい。あなたが勝てば、今後の攻略方針についてあなたの意見を聞き入れるわ。ただし、私が勝った時は、今後の攻略において勝手な真似を一切しないこと。」

 

「断ると言ったら?」

 

「攻略組から身を引いてもらうほかないわね。あなたに味方する人共々。」

 

 先程の怒りに満ちた表情とは打って変わって、理性を感じさせる真剣さを帯びた視線でイタチと向き合うアスナ。そんなアスナの纏う雰囲気に、イタチは彼女が本気であること、そして衝突を避けられないことを悟った。故に答えは、

 

「分かりました。その勝負、受けましょう。」

 

 それまで無表情で感情の読みとれなかったイタチの目に、それまでは無かった鋭さが宿る。それはまさしく、戦闘者の目だった。

 

「デュエルは村に戻ってからにしましょう。時間は、今日の夕方7時で良いかしら?」

 

「構いません。」

 

 二人は端的に決闘の打ち合わせを終わらせると、武器を納めて迷宮区にほど近い、攻略会議を行った村まで戻る。同じ方向へ向かって歩いていた二人だったが、それ以降は言葉を交わすことも、視線を合わせることもしなかった。

 

 

 

 

 

 そして、時刻は夕方。既に日は沈み、夜の帳が下りた村の広場で、イタチとアスナは対峙していた。あたりに設置された松明の明かりが照らしだすその場には、二人の対決を見るために、攻略組プレイヤーのほとんどが集結していた。この戦いが気になるのも無理はない。片や、最強のユニークスキル使いとして攻略組のトップに立つ黒の忍ことイタチ、片やトップギルドの前線に立って指揮をとる容姿端麗な美少女にして、閃光の二つ名をもつ強豪プレイヤーのアスナである。

 実力は拮抗していると思われている、攻略組最強の二人がデュエルをするのだ。正面きっての対決はこれが初めてだが、どんな勝負になるかは全く予想できない。止めようとする者がこの場に誰もいないのは、ネットゲーマーの性なのだろうか。デスゲームという死と隣り合わせの異常事態にあっても、強豪プレイヤーの試合というものには心躍ってしまう、救い難い人種なのだ。

 そんなギャラリーを尻目に、イタチとアスナは互いに武器を抜き取り構える。

 

「確認するけど、このデュエルで負けた方は、勝った方の提示した条件を呑むこと。いいわね?」

 

「構いません。」

 

 イタチは鈍色の片手剣「ランスオブスリット」を、アスナは白銀の細剣「プロミスエコーズ」の切っ先を互いに向ける。だが、イタチの武装を見たアスナが、ふと眉を顰めた。

 

「……あなた、得意の二刀流スキルは使わないつもり?」

 

「はい。」

 

 二刀流とは、イタチを最強と言わしめているユニークスキルである。文字通り、両手に片手剣を装備して絶え間なく繰り出す連撃は、他の追随を許さない破壊力とスピードを持つことで知られている。

 アスナは今回のデュエルでは、イタチは当然そのスキルを使ってくると踏んでいたが、本人は片手剣一本で臨むらしい。

 

(……嘗めているのかしら?)

 

 イタチの態度に怒りを覚えるアスナ。自分相手に最強のユニークスキルを使わないのは、そこまで本気になる必要は無いと判断してのことなのだろうかと考えてしまう。だが、リアルのイタチを知るアスナは、彼が他人を低く見積もる人間ではないことを知っている。こみ上げた怒りを抑え、冷静に構えるよう自分に言い聞かせる。

 理由は分からないが、おそらくイタチには何か考えがあるのだろう。内心を推し量ることはできないが、今は目の前の勝負に集中するのみだ。メニューウインドウを開き、デュエルメッセージをイタチに送る。デュエルモードは、「初撃決着モード」。文字通り、初めの一撃をヒットさせる、もしくは先に相手のHPを半減させた方が勝利する形式である。デスゲームが宣言されて以降、プレイヤー同士のデュエルはほとんどの場合このモードが使われている。イタチはアスナから送られた画面を確認し、OKボタンに触れる。そして、デュエル開始六十秒のカウントダウンが開始される。そして、二人の間に走る緊張感が最高潮に高まった。

 

 

 

「イタチとアスナか……カズゴはどっちが勝つと思う?」

 

「本気でやればイタチだろうが……二刀流を使わない以上、勝敗は分からねえな。」

 

「まあ、オイラはイタチが勝つだろうと思うよ。」

 

 デュエルを遠巻きに見守っていたギャラリーの一角にいたアレンの問いかけに、カズゴは勝負の行方は知らないと答え、ヨウはイタチが勝つと呟いた。

 

「だけど、アスナさんのスピードは攻略組でも最高レベルだし、本当に分からないんじゃないかな?」

 

「でも、オレもイタチが勝つと思うよ。リョーマはどう思う?」

 

 アスナと同じく敏捷特化型プレイヤーのセナは、二刀流なしならば、アスナにも勝算はあると考えている。ゴンはヨウに同調し、イタチが勝利すると考える。そして、最後に話を振られたもう一人の敏捷特化型プレイヤー、リョーマはというと。

 

「…………」

 

「だんまりかよ……」

 

 集中しているのだろう。イタチの如き無表情で、視線をイタチとアスナに固定したまま、ゴンの問いには口を開こうとはしない。カズゴはそんな態度に呆れを抱くが、それ以上追及はしなかった。全員の目の前で、ついにカウントがゼロになったからだ。

 

 

 

イタチとアスナ、二人の間にカウントゼロと同時に「Duel!」の文字が弾ける。それを合図に、二人は動き出した。十メートル強あった間合いは、二人の圧倒的敏捷によって一気に詰められる。ソードスキル発動のライトエフェクトを撒き散らしながら互いに接近する二人の姿は、まるで交錯する流星。

 

(流石はイタチ君……速い!)

 

 互いの身体が交差する手前一瞬の世界の中、アスナはイタチが見せた動きに息を呑む。閃光と呼ばれる自分と比べても遜色の無い速さに、無駄の無い動作。攻略組でもこの速度に反応できるプレイヤーはなかなかいないだろう。

 

(だけど、その技を選んだのはミスね……勝負は私が貰う!)

 

 イタチが発動したソードスキルは、片手剣の基本技の一つ、「レイジスパイク」。突進とともに突きを繰り出すこの技は、威力自体はあまり無いが、非常に速い。初撃決着のデュエルでは、有効な攻撃手段だろう。だが、突進と共に繰り出すという特性故に、発動と同時に軌道を見切られるリスクを孕んでいるのだ。そして、敏捷特化型のアスナには、それを見切ることなど容易い。

 

(ギリギリまで引き付けて、横に回避して決める!)

 

 アスナが発動したのは、細剣ソードスキルの「アヴォーヴ」。こちらもレイジスパイクと同様、基本技に分類されるスキルだが、未だ発動しきっていないプレモーション状態なのだ。レイジスパイクを回避してからでも発動は間に合う。故に、初撃をイタチよりも先に決めることができると、アスナは踏んでいた。

 そして、数分にも思えた一瞬の思考を経て、遂にイタチとアスナが交錯の時を迎える。アスナの予想違わず、イタチの繰り出したレイジスパイクは容易に回避することができた。そして、この瞬間にアスナがアヴォーヴを発動し、横合いからイタチの胴を狙い、刃を振り上げた――――だが、

 

(えっ?)

 

 必勝を期して発動したソードスキルは、空を切るのみに終わった。イタチには命中しなかったのだ。突進系のソードスキルを発動していた以上、動作が制限されてしまう。彼は一体、どこへ行ったのか。しかしアスナには、それを考える暇すらなかった。

 

「わっ!?」

 

 細剣の一撃が空振りしてから間もなく、アスナの背中に衝撃が走る。加速した勢いを殺せず、足を踏み外したアスナは、そのまま転倒して地面を転がってしまった。

 

「げほっげほっ……」

 

 システム上、アバターが咽るということは無いのだが、地面を転がったことで撒きあがった土煙を吸い込んでしまったアスナは、思わず咳き込んでしまった。自身に何が起こったのか理解できない中、視線を空中に向けてみると、そこには、

 

『WINER Itachi』

 

イタチの勝利を意味する文字がフラッシュしていた。それを見たアスナは、先の背中に走った一撃はイタチが放ったものであり、自分はそれを受けて負けたのだと理解する。だが、分からない。あの一瞬の交錯の中で、イタチは一体どうやって回避と反撃をやってのけたのだろうか?

 実際にイタチ本人に聞いてみるのが一番早い。そう考えたアスナは、立ち上がるなりイタチを探して視線を彷徨わせる。探していた人物は、すぐに見つかった。

 

「イタチ君……」

 

 アスナの呟きに答えるように、イタチは振りかえった。先の一撃を決めたであろう片手剣を、“左手”に握った状態で――――

 

 

 

 一瞬の交錯の中で決まった勝負。それを見ていた攻略組プレイヤーたちは、たった一撃の、自分たちでは到底及ばない次元の勝負に驚嘆していた。

 

「ねえ、もしかしてあれって……」

 

「……スキルコネクト、だな。それも、二刀流で発動するヤツじゃねえ……リョーマも使っている、片手式(ワンハンド)のスキルコネクトだ。」

 

 『片手式(ワンハンド)スキルコネクト』

 それは、イタチと同じく元ベータテスターにして、攻略組プレイヤー随一の実力者として知られる、リョーマが初めて開発したシステム外スキルである。イタチの発動したスキルコネクトと呼ばれる技は、両手に片手剣を握った状態で、左右交互にソードスキルを発動する二刀流様式のスキルである。一方、片手式スキルコネクトとは、文字通り武器を片手のみに装備して発動する一刀流様式のシステム外スキルである。

前者は片方の手でソードスキルが発動している間にもう片方の手が発動準備をすることで発動する。しかし後者は、片手で発動した後に武器を手放し、もう片方の手でそれを受け止めて発動に繋げるのだ。発動後に技後硬直を強いられるソードスキルを連発するのだから、その難易度は他のシステム外スキルの比ではない。片手式は、次に発動するスキルを並行して準備できる両手式(ツーハンド)とは違い、持ち替えてすぐに発動に移さなければならないのだ。両手式以上の反応速度や曲芸師並みの剣捌きを必要とすることは説明するまでも無い。

尚、本人以外は知らないことだが、現実世界のリョーマはテニスプレイヤーだった。そして、ラケットを左右交互に持ってボールを打ち返すという特殊な戦法をとった経験をもとに、片手剣を両手交互に持ち替えて技を繰り出すシステム外スキルを編み出すに至ったのだ。

 

「まさか、イタチまで習得していたなんて……」

 

「しかも、それだけじゃねえよ。あいつはあの時、“跳躍”して……しかも逆さ吊りの状態で発動したんだ。」

 

 イタチとアスナの一連の動きを一切見逃さなかったヨウは、そう付け加えた。イタチは端からアスナに正面切った突進系の技が通用しないことは分かっていた。だからこそ、初撃に見せかけて繰り出したレイジスパイクを囮に、アスナが回避してカウンターとしてソードスキルを発動するよう仕向けたのだ。

 アスナが横へ身を翻し、振り上げ式のソードスキルを発動したところで、イタチは地面を蹴ってその身を宙に投げ出し、アヴォーヴを回避。錐揉み状態で跳躍したイタチは、剣を左に持ち替えると同時に、宙返りで身体が逆さになった瞬間に遠心力に任せて水平斬りソードスキル、ホリゾンタルを発動。空振りしたアスナには、避ける術はなく、背中に一撃がヒット。イタチは空中で錐揉み一回転を終えて無事着地した、というのが一瞬のうちに決着したデュエルの流れだった。

 

「二刀流を使わなかったのは、アスナの警戒を片手剣一本に集中させるためだったのか……」

 

「まさか、カウンターを回避した上でスキルコネクトの連撃なんて、誰にも想像できないからね。」

 

「相変わらず、イタチは無茶苦茶だよ……」

 

「やっぱイタチは凄っげえ強えぇ……」

 

「まだまだだね。」

 

 イタチとアスナのデュエルを見ていたアレンやヨウは、イタチというプレイヤーの非常識ぶりに感嘆を漏らした一方で、リョーマは、ただそれだけ口にした。自分の技を盗まれたことに不快感を示さず、むしろここまで模倣してみせたイタチの技量を称賛しているかのようだった。

 

 

 

 ギャラリーの皆が騒然とする中、デュエルを終えたイタチは、未だ地面にへたり込んでいるアスナに近づいていった。

 

「この勝負、俺の勝ちです。約束通り、今後の攻略方針について、一つだけ要望を呑んでいただきます。」

 

「……」

 

 悔しげな表情をするアスナだが、ここで喚き散らすような子供じみた真似はしない。負けた以上、約束通りイタチの要求を呑むのは道理である。不満げな感情が見え隠れするアスナとは対照的に、イタチは相変わらずの無表情で、事務的に抑揚の無い口調で話し始めた。

 

「今後、攻略においてNPCを犠牲にする作戦は一切廃止するようお願いします。」

 

「……分かったわ。」

 

 予想していた要求だっただけに、アスナには驚きはなかった。だが、どうにも解せない点もある。イタチはリアルでも、このSAOでも、常に冷めたイメージのある人物だった。目的のためならば、余計な感情、私情を一切挟まない冷徹さを備えていると考えていた人間が、何故オブジェクト同然の――少なくともアスナはそう考えている――NPCを犠牲にすることを忌避するのだろうか。むしろ、効率を最重視して自分に賛同する筈では、と予想していた。

 一体、何を考えているのだろうか。アスナの声なき問いかけに、しかしイタチは当然、何も答えてくれはしない。

 



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第三十話 夕暮れの惨劇

今回の話には、少年サンデーをお読みの方なら一度は聞いた事のある名前の血盟騎士団メンバーが登場しますが、彼等は本人ではありません。ベータテスター同様、起源を同じくする平行世界の人物だと思っておいてください。


2024年4月11日

 

 攻略組トップギルドの血盟騎士団副団長のアスナと、最強のビーターとして知られるソロのイタチの衝突から約一カ月が経過した。あれから四層が攻略され、攻略組は五十九層に達していた。

 最強プレイヤーとして知られるアスナとイタチのデュエルを経て、攻略方針にNPCを犠牲にする作戦の禁止という項目が加えられたが、攻略のペース自体が落ちることはなく、方針の変更に異を唱える者も現れなかった。

 そして、今日も今日とて、攻略のために朝早くから活動するプレイヤー達は、迷宮区を目指す。

 

「街を出てすぐのところだな……キヨマロ、迷宮区の攻略って、どれくらい進んでるんだ?」

 

「五十九層の迷宮区は、二十階ある内の六階までがクリアされている。」

 

主街区をからフィールドへ続く道の上に、七人のプレイヤーの姿があった。白地に赤いライン、十字架の紋章が特徴的な服装をした彼等は、攻略ギルド、血盟騎士団のメンバーである。

 

「うっへ~、まだ十四階もあるのかよ~……」

 

「仕方ないだろう。今回の迷宮区は、これまで以上にトラップの数が多い。一個一個解除して慎重に進まなければならない以上、攻略のペースも落ちるのは必然だ。」

 

「キヨマロの言う通りだよ、ギンタ。地道にやっていくしかないと、僕も思う。」

 

 集団のまとめ役である黒髪の少年、キヨマロの攻略状況の説明に、ハンマー使いの金髪の少年、ギンタは心底嫌そうな顔をする。そんな彼を、キヨマロが窘める。

 

「ま、メンドーなのは確かだけどなぁ……」

 

「あのねえ、カイト。トラップの解除は君の担当なんだから、もっとしっかりしてくれないかなぁ……」

 

 ギンタに同調する様に文句を口にするシーフのプレイヤー、カイトに対し、先程のギンタに対して言ったように、短剣使いの青年、ダレンが窘める。

 

「ったく……これじゃあ、いつになったらフロアボスのところに辿り着けるのか、分かったもんじゃねえぜ。」

 

「……ま、どうにかなるだろ。」

 

 四人のやりとりを呆れた様子で見ていたのは、刀使いのイヌヤシャ、大剣使いのコースケである。個々のメンバーの能力は高いが、個性が強すぎていまいち纏まらない欠点をもつパーティーなだけに、不安が隠せない。そんな落ち着きの無い一同に、

 

「皆、いい加減にしなさい!」

 

『!』

 

 パーティーのリーダーを務める副団長、アスナが大声で叱りつけた。道中、散々騒がれた末に、堪忍袋の緒が切れたといった具合か、ややヒステリック気味な声色だった。

 

「わ、悪かったよ……だから、そんなに怒らなくても……」

 

「あー……まあ、俺も謝るから……」

 

 アスナの怒声に萎縮するギンタとカイト。相手は女性で、同い年かあるいは年下である筈なのに、溢れんばかりの気迫に押されて平謝りしてしまう。

 

「……最近の副団長、なんかぴりぴりしてないか?」

 

「この前のデュエルで負けた事をまだ気にしてるんじゃねえか?」

 

 コースケの呟きに、隣を歩いていたイヌヤシャは、アスナに聞かれることなどお構いなしに自身の考えを述べた。ここ最近、やけに怒りっぽくなっているアスナの様子を訝しむ血盟騎士団メンバー達。いつからかと思い返すと、アスナが神経質になった理由として、一か月前のデュエルにおける敗北が浮上してくる。

 

「仕方ねーと思うぜ。相手はあのビーターだ。誰がやったって勝てっこねーよ。」

 

「けど、団長なら勝てるんじゃねえか?」

 

「あー、確かにそれは言える。同じユニークスキル使いだし、デュエルで負けたところはおろか、HPがイエローゾーンに突入したところも見たことねえからな。ダレンはどう思う?」

 

「僕は団長が勝つと考えている。贔屓するつもりはないけど、あのイタチの二刀流でも、打ち破れるとは思えないな……」

 

「ハァ……」

 

 イヌヤシャの言葉に、アスナの苛立ちの原因が、ビーターことイタチとのデュエルにあると考え始めるメンバー達。小さい声で話しているつもりのようだが、アスナとその横に立っているキヨマロには聞こえてしまっている。アスナは表情を不機嫌にしながらも口を閉ざしたままである。そんな彼女やメンバーを見て、キヨマロは溜息を吐いてしまう。こんな険悪な状況で、迷宮区攻略など御免被る。そう考えたキヨマロは、そろそろ本気で黙らせようかと振り返ろうとする。

 

「お前等、あんまり……」

 

「あれ?おい、あれって……」

 

 血盟騎士団では定番となっている、キヨマロの阿修羅の如き表情を向けようとしたところ、何かを見つけた様子のコースケに出端を折られてしまった。コースケの視線の先には、丘の上に立つ一本の大木がある。そしてその根元には、腰を下ろして木にもたれ掛かる人影があった。黒いコートに身を包んだ中性的なシルエットは、攻略組にとってよく見知った姿だった。

 

「イタチ……だよな?」

 

「間違いなく、イタチだな。」

 

 未だ攻略組プレイヤーが動くには早い時間帯。今日一番乗りで迷宮区に到達して攻略を開始するのは、自分達血盟騎士団だとばかり思っていただけに、イタチがこんな場所にいるのは意外だった。

 

「アイツ、これから攻略に行くのか?」

 

「なら、誘ってみようぜ。」

 

「ケッ……何でまた、面倒臭え野郎を一人増やさなきゃならねえんだ。」

 

 恐らくは迷宮区をこれから攻略しに行こうとしているのだろうイタチをパーティーに加えようと言いだすギンタ。それに対し、イヌヤシャは心底面倒くさそうな顔で呆れている。しかし、パーティーは既に上限七人である。イタチが誘いを受けても、メンバーに加えることはできない。

 

「いや……ちょっと待って。迷宮区にこれから行くにしては、やけにのんびりし過ぎてない?」

 

「どちらかといえば、一息吐いているって感じだな。」

 

 ダレンとキヨマロが言った通り、未だ日がのぼり切らない太陽が作り出す木陰に座るイタチには、常に纏っている筈の覇気が感じられない。少なくとも、戦いに赴く雰囲気ではない。

 するとそこへ、

 

「ん?……メッセージが来たぞ。アルゴからだ。」

 

「新しい攻略情報みたいだな……迷宮区の新しいマッピングデータか!」

 

「しかも、十二階まで踏破されてるみたいだな。」

 

 攻略組への情報提供を行う鼠のアルゴは、新たな情報が入手でき次第、随時フレンド登録している攻略組プレイヤー達に提供する役割を請け負っている。提供する情報の出所は、大概最前線で活動するプレイヤーなのだが、目の前に一仕事終えた様子のイタチがいて、それが今送られてきたとなれば、考えられることは、

 

「もしかして……イタチがこのデータをアルゴに渡したのかな?」

 

「それって……まさかイタチは、昨日の夜からずっと迷宮区攻略を続けてたってことなのか?」

 

 情報供給の速さからして、それしか考えられなかった。最前線の迷宮区は、強力なモンスターやトラップで犇く危険地帯であり、ソロでの攻略は不可能とされている。だが、ビーターと言わしめる強大な戦闘能力を持つイタチならば、そんな荒業すら簡単にやってのけても不思議ではない。

 

「それしか有り得ねえだろ。ま、あの様子じゃあ、俺達についてくることはできねえだろうがな。」

 

「そうだな……ゆっくりさせてやろうぜ。」

 

 遠回しにイタチを気遣い、このまま残して行こうと仲間達を促すイヌヤシャとコースケ。血気盛んなメンバー達も、特に反論もせず、再び迷宮区へ足を向けようとする。だが、

 

「副団長?」

 

 パーティーをまとめるリーダーであるアスナは一人、道に立ち尽くしたままだった。その視線は、未だイタチの方を向いていた。どうしたんだろう、と皆が不思議そうに彼女を見つめていた。

 

「……行けばいいじゃねえか。」

 

 誰もがアスナに話しかけられない中、口を開いたのは、イヌヤシャだった。アスナをはじめ、全員の視線が集中する。

 

「行きたいんなら、行きゃあいいじゃねえか。別に、お前一人抜けたって、俺は構いやしねえぜ。」

 

 口は汚いが、迷っているアスナの背中を押していることは容易に察することができた。そして、それに同調するようにほかのメンバーもイヌヤシャの援護を始める。

 

「まあ、まとめ役なら俺が請け負うこともできるからな。」

 

「それに俺達、かなり強いしな。」

 

「バーロ。ギンタ、お前じゃ危なっかしくて、背中を預けられねえよ。」

 

 にかっと笑って気づかいをみせるメンバー達の優しさに、アスナは一瞬迷った素振りを見せたが、やがて意を決したように顔を上げると、メンバー達に向き直って口を開いた。

 

「キヨマロ君、私の代わりにパーティーのリーダーをお願いします。迷宮区攻略は、慎重に進めてください。」

 

「了解。」

 

それだけ言うと、アスナはメンバーに背を向けて丘の上に立つ木へと向かう。残されたパーティーは、キヨマロを先頭に迷宮区を目指す。

 

(イタチ君……)

 

 丘の木にもたれるイタチの姿を目に、アスナは一か月前のデュエルを思い出す。NPCを犠牲にしての攻略に異を唱えたイタチに対し、今後の対立激化の憂いを払うために独断で行った決闘だったが、自分はそれに敗北し、イタチの提示した条件を呑んだ。

 普段、表情や意思表示に乏しいイタチが、デュエルを経てまで要求した内容は、NPCを犠牲にする作戦方針の撤回。アスナの中で、イタチは効率重視で行動する人物という印象が強かったので、この要求にも、何か攻略組にとって深い意味があったのではと、アスナは考えた。

だが、本人の口からその真意は語られず、仕方なくある人物に調査を依頼したのだ。アスナが依頼をしたのは、攻略組をはじめ、全てのプレイヤーの中で名前が通っている情報屋、鼠のアルゴだった。アスナの問いに、しかしアルゴは依頼料を受け取らずに答えてくれた。

 

『イタっちはな、たとえNPCであっても、犠牲を出すということに慣れてしまえば、それが倫理観の破綻に繋がると思ってるんダ。』

 

 アルゴは、攻略の傍らでレッドプレイヤーとの暗闘を続けているイタチの支援を情報提供という形で行っている。故に、イタチが攻略組をはじめ、一般プレイヤー達の心に、レッドプレイヤーに付け入られる隙が生じることを何より忌避していることを知っていた。

 それを聞いたアスナは、自身の価値観を覆されるような衝撃を受けた。血盟騎士団副団長として、攻略組を統べる立場にある自分の為すべき事は、一日も早くこのアインクラッドの頂きを極め、この世界を脱出することであると、今まで信じて疑わなかった。そして、目的を果たすためならば、システム的に許される、ハラスメントに抵触しない行為全てが肯定されると考えていたのだ。

 だが、目的のためならば手段を選ばないその姿勢は……仮想世界とはいえ、そこに住む存在を犠牲にすることを厭わない考え方は……レッドプレイヤーそのものではないか。

 かつて、デスゲーム開始の宣言をした茅場晶彦は言っていた。この世界は、自分達のもう一つの現実であると。NPCは、確かに何度死のうと際限なくリポップする。だが、自分達と同じ人間にしか見えない彼等の消滅と再生を繰り返す在り様を当たり前のこととして受け入れた時、自分達の現実が揺らいでしまうだろう。ゲーム世界として当たり前の光景が認識の中に定着する。それは、この世界を現実として受け入れられなくなることと同義だ。たかがゲームと一笑に付されてもおかしくない考えだが、この世界はゲームであっても遊びではない。この世界をゲームとしてしか認識できなくなった時――それは、現実の崩壊と同義だ。犯罪・殺人を犯すオレンジプレイヤーやレッドプレイヤーが掲げる、「システム的に許されることなら何をやってもいい」という詭弁が罷り通ることを意味する。

他を顧みずに、只管攻略に邁進していたアスナは、無意識の内にそんな考えを攻略組のプレイヤー達に植え付けようとしていたのだ。攻略組の上として指揮を預かる立場にある人間としては、許されざる行為だと、今では思う。

 

(やっぱり本当は、優しい人なんだよね……)

 

そして、そんな過ちに気付かせてくれたのは、ほかでもない、目の前の人物。自己中心的な人物としての認識が濃い、ビーターと蔑まれているイタチだった。第一層のフロアボス攻略を経て、攻略組が真っ二つに割れることを防ぐために、自らビーターを名乗った少年。行き場の無いプレイヤー達の憎しみを一身に受けるために孤独を貫いている彼のことを理解しようと、自分はこの世界まできた。現実世界でも努力してきたつもりだった。だが、このアスナは結局、自身のことで一杯一杯。他人を気にする余裕すら無く、あまつさえ自分に付いてきてくれるプレイヤー達を間違った道に引き込もうとさえしていた。そんな自分を、イタチは見捨てようともせず、正しい道に引き戻そうとしてくれた。

だからこそ、アスナは思う。現実世界でできなかったことを、この仮想世界でやろうと……イタチを、本当の意味で理解しようと。

 

「イタチ君。」

 

「……何ですか?」

 

 木にもたれたイタチは、右手を宙にかざしている。どうやらメニューウインドウを操作していたらしい。話し掛けられた声だけで、アスナだと判断したのだろう。顔は合わせずに、そのまま返事をした。

 

「朝早いみたいだけど……もしかして、今迷宮区から戻ったところなの?」

 

「……だとしたら、何ですか?」

 

 とりあえずは、何気ない世間話から始めようと考えたアスナは、そう話し掛けた。対するイタチは、相変わらずの冷たい態度で接する。だが、アスナはそんなイタチに対して動じる素振りもない。というより、慣れてしまったと言うべきか。

 

「さっき送られてきたマッピングデータも、あなたが提供してくれたんでしょう?夜通し攻略してたなら、やっぱりあなたも疲れちゃったんじゃない?」

 

「……しばらくしたら、またすぐに攻略に戻ります。」

 

「駄目よ。そんな無理してたら、命を落とすことになりかねないんだから。」

 

 無愛想なイタチに対し、アスナはいつもの攻略一筋の態度とは一変、年上としての余裕のある態度でイタチに話し掛ける。そこには、常に纏っている刺々しい雰囲気が無いアスナの雰囲気に、イタチは違和感を覚えると同時に、内心で僅かに動揺する。そもそも、自分達はリアルで面識はあるが、それほど親しい間柄ではない筈だ。何を考えているんだろうと考えるイタチをよそに、アスナもイタチ同様、木の根元に座り込む。

 

「……攻略には、行かなくて良いんですか?」

 

「他のギルドの方に先に行ってもらっているから、問題無いわ。」

 

「……副団長がパーティーを離れれば、士気が下がるのではないですか?」

 

「今日、同行しているパーティーは、私の指揮無しでも十分戦えるメンバーよ。問題無いわ。」

 

(……キヨマロ、ギンタ、ダレン、カイト、イヌヤシャ、コースケといったところか……)

 

 アスナの指揮無しで戦える精鋭部隊と聞いて、血盟騎士団メンバーの名前を脳内で列挙するイタチ。正鵠を射た面子だったが、今はそんなことはどうでもいい。血盟騎士団副団長がビーターと一緒にいる現場を見られれば、あらぬ疑いを掛けられる危険性がある。攻略の士気に関わる問題である以上、このまま放置するわけにはいかない。意を決して、立ち上がろうとする。

 

「……もう俺は休み終えたので、行かせていただきます。」

 

「駄目よ。夜通し攻略したなら、もっと休まないと。なんなら、寝てもいいわよ。私が護衛してあげるから。」

 

 腕を掴んで引き止めながら、冗談交じりにそんなことを言ってくるアスナに、イタチは頭が痛くなる気がした。どうにかこの場を乗り切ろうと考えるイタチだが、アスナは何を言っても引きさがる気配が無い。そんなイタチを余所に、アスナはアスナで木にもたれて寛ぎ始める。

 

(良い天気……)

 

 こうしてこの場に座って見れば、何故イタチが宿ではなく、ここへ寄り道して休んだのかが分かる。傍から見れば冷血漢そのもののイタチだが、柔らかく温かい日差しや、穏やかに吹く風に心和ませることもあるのだろう。アスナも知らず、心癒される気分だった。暖かい春の気候は、アスナの身体を優しく包みこんでいった……

 

 

 

 

 

「っくしゅん!」

 

 アスナはふと感じた肌寒さに、くしゃみが出た。深いまどろみの中にいたような感覚から目覚め、身体を起こす。ふと、疑問が浮かぶ。身体を起こす、ということは、自分は今まで横になっていたということだろうか。しかし、それはつまり……

 

「お目覚めですか、アスナさん。」

 

 突然横からかけられた声に、朦朧としていた意識が一気に覚めると同時に、閉じていた瞳を開く。目の前では、黒づくめの少年が芝生の上に座っていた。

 

「な……あな……どう……」

 

 五十九層主街区の外れにある丘の上には、西に沈んで行く夕日のオレンジ色の光が射していた。自分が横になっていたことと合わせれば、今朝イタチのもとを訪れた自分はイタチの隣に座ったままうたた寝してしまったとしか考えられない。そしてイタチは、どうやら寝入った自分を起こそうとはせず、そのままここに止まってガードしてくれていたようだ。

 驚いて混乱しているアスナを余所に、イタチは芝生から立ち上がると、その場を後にしようとする。

 

「目が覚めたようでしたら、もう護衛は用済みでしょう。俺はこれで、失礼します。」

 

 ソロ攻略で無茶を繰り返しているイタチを休ませてあげたいと思って近づいた筈が、逆に気を使わせてしまったらしい。イタチほどではないが、攻略の鬼と恐れられているアスナも、普段のストレスや恐怖から著しい睡眠不足だったのだ。思えば、ここまでぐっすり安眠できたのは、これが初めてだったかもしれない。

 ともあれ、勝手に隣に座って眠った挙句、護衛をやらせてしまった以上、このまま何もせずにイタチを帰すわけにはいかない。既に背を向けて主街区目指して歩こうとしているイタチに、アスナは勢いよく立ちあがって制止をかける。

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

 背後から呼びかけたアスナに対し、イタチは足を止めて振り返る。これ以上、何を話す必要があるのだろう、と疑問を浮かべながらイタチは振り向く。未だ慌てた様子で落ち着きの無いアスナは、どうにか言葉を紡いだ。

 

「お、お礼がしたいから、これから私と、ご飯に行きましょう!」

 

 咄嗟に思いついた言い訳だったが、我ながら良いアイデアだと思えた。一緒に食事をすれば、親交を深めることができる筈。イコール、もっと彼を理解することができると考えれば、この誘いは間違っていなかったと思う。

 だが、それに対するイタチの答えは予想通り、

 

「いえ、結構です。護衛についても、俺が勝手にやったことなので、アスナさんが恩に着ることはありません。」

 

「いいから、一緒に来なさい!」

 

 予想通り、イタチはアスナの誘いを断り、一礼するとその場から立ち去ろうとする。対してアスナは、高い敏捷パラメータを発揮して一気にイタチに近づき、腕を掴んでそのまま主街区目指して歩きだす。敏捷特化型プレイヤーである筈のアスナが腕を掴む力は凄まじく、イタチは振り払う事ができない。そしてそのまま、なし崩しに食事に連れて行かれてしまうのだった。

 

 

 

アスナによって強引に食事に連行されたイタチが連れてこられたのは、第五十七層、マーテンの主街区にあるレストランだった。前線にほど近いこの階層は、攻略されてから然程間が無く、中層から観光に来るプレイヤーも多かった。そして夕暮れの食事時、あたりのレストランで食事をするプレイヤーの数は、一層多くなっている。

 

「血盟騎士団のアスナじゃないか?」

 

「あれが、閃光の?」

 

「もう一人の、黒づくめの奴は?」

 

攻略最前線で活躍する、突出した実力と美貌を兼ね備えているアスナは、中層プレイヤーの間でもかなりの知名度をもつ。そして、そんな有名人と、人の多い場所で食事をしようものならば、目立ってしまうのが道理である。イタチは相変わらず無表情だが、入店してから周囲の奇異の視線に晒され、居心地が悪かった。

それはアスナも同じの筈だが、何故か彼女は周囲の視線を気にしていない、というより、意識に入っていなかった。イタチを食事に誘うまでは良かったが、何を話せばいいのか、切り口に困っている様子である。やがて多少は心の整理がついたのか、口を開いて話し掛け始めた。

 

「今日は、ありがとう。」

 

「いえ、こちらこそ。」

 

 周囲の視線に内心でうんざりしながらも、イタチは淡々と返す。こんな場面を他の攻略組プレイヤー、特に血盟騎士団のメンバーに見られでもしたら、本気で誤解されかねない。イタチとしては、すぐにでも退席したいのだが、今日のアスナは口先でどうこうできる相手ではない。同時に、閃光の二つ名をもつ敏捷特化型プレイヤーである以上、逃げた所で振り切れる望みも薄い。

何故ここまで自分に執着するのか……全く分からないわけではないが、自分の立場も考えて欲しいとイタチは思ってしまう。

 

「思えば、あんなに寝たのって、第一層であなたと出会って以来かもしれないわ。」

 

「……いかに血盟騎士団副団長の役職にあるとはいえ、十分な睡眠を取らなければ、命に差し障りますよ。」

 

「う~ん……一応、お休みは十分貰ってるつもりなんだけどね。怖い夢を見て、飛び起きちゃうのよ。」

 

 それを聞いたイタチは、罪悪感を覚えずにはいられない。攻略組としてトップクラスの実力者となることを見越して第一層から突き離してきたイタチだったが、まさかトップギルドの攻略の鬼と化すとは思わなかった。最前線に立って大勢の攻略組プレイヤーの命を預かる重役にあるが故のプレッシャー……義務教育すら脱していない、裕福な家庭で育った少女が一人で背負えるものではない。そして、彼女をそんな状況に追いやったのは、他でもない自分自身なのだ。

SAOという地獄を作り出した禊として、一人でも多くのプレイヤーの命を救うために戦ってきたが、それでも多くの犠牲を払ってきたし、見てきた。アスナもその一人だ。イタチが見放したがために、責任感と恐怖の板挟みにあって苦しんでいる。攻略組としての強い姿しか望まれていないアスナは、そんな内心を吐露する相手がいないのだ。こうして自分を食事に誘ったのも、そんな孤独を紛らわしたかったからだろう。ならば、多少なりとも付き合う義務はあると、イタチは思った。

 

「悩みがあるなら、同年代のギルメンに相談してみたらどうですか?」

 

「……うちのギルドに限った話じゃないけど、男の人ばかりなのよね。だから、どうにもそういう話になるとね……」

 

「前線メンバーではありませんが、薬剤師のシェリーあたりはどうですか?少し年上ですが、同性ですよ。」

 

「あの人もちょっとね~……悪い人じゃないんだけど、なんか雰囲気が近寄りがたいっていうか……というより、前線メンバーのコナン君以外と親しそうにしているところを見たことないのよね。」

 

「確かにその通りですね。」

 

 血盟騎士団所属の女性薬剤師、シェリー。調薬スキルをコンプリートしている後方支援プレイヤーであり、彼女の作る高性能ポーションは攻略組の間で重宝されている。イタチも面識があり、対犯罪者プレイヤー用の麻痺毒の調合を依頼したことがある。ただ、イタチのような強豪プレイヤーに対しては、仕事の見返りとしてアインクラッドの有名ブランドの小物類を要求するので、彼女への依頼は常に懐と相談して慎重に行わなければならない。

 そんな彼女が唯一心を許しているプレイヤーというのが、前線で戦っているアスナと同じ細剣使いの男性プレイヤー、コナンなのだが。

 

「コナン曰く、目つきの悪いあくび娘だそうですよ。」

 

「ぷっ!……確かに、あの人いつも眠そうにしてるわよね。」

 

 こんな風な皮肉を言い合い、時に周囲に流布させていたりするのだ。しかし、何だかんだ言っても互いを信頼していることは、傍から見ても明らかだった。

 

「やっぱり、支えになってくれる人がいるって、羨ましいよね。」

 

「……血盟騎士団のメンバーは、皆あなたのことを信頼していると思いますが?」

 

「そうなんだけどね……なんていうか、その……」

 

 イタチの指摘に、しかしアスナは納得した表情を見せない。その真意を口にしようとする顔には、若干赤みが差していた。何を恥ずかしがっているのだろう、とイタチは不思議そうに見つめるばかり。若干気まずい雰囲気が二人の間に流れた――――そのときだった。

 

きゃぁぁああああ!!

 

「「!」」

 

 店の外から突如響いた悲鳴に、イタチとアスナは揃って腰を上げる。次いで、各々武器を手に取り、攻略組として突出した敏捷を遺憾なく発揮して店を飛び出し、先の悲鳴の聞こえた方向を目指す。入り組んだ路地を曲がって辿り着いたのは、レストランからそう遠く離れていない場所にある広場。

 

「……!」

 

「あれはっ!」

 

 そこでイタチとアスナを待ちうけていたのは、想像を絶する光景だった。広場の北側に建つ教会。その二階の飾窓からは、一本のロープが垂れ下がっている。そして、その先端には、首をロープで巻かれて吊るされた、全身フルプレートの男性プレイヤー。その胸には、一本の槍が突き刺さっている。

 SAOにおいて、圏内は安全エリアとして指定されており、どのような攻撃を受けてもHPが減少することはおろか、プレイヤーの身体には傷一つ付かない。だが、そんなシステム的に有り得ない事象が今、目の前で起こっているのだ。

 

「私がロープを切る!イタチ君は下から受け止めて!」

 

「了解。」

 

 アスナの指示にイタチは頷き、二人はそれぞれの行くべき場所へ再び駆け出す。フルプレートの男が吊るされている壁へと駆け寄り、その様子を見上げるイタチ。

 

「?」

 

 胸を貫かれた状態で吊るされている男。その視線は、虚空に向いている。恐らくは、槍によって削られている自身のHPゲージを凝視しているのだろう。HPが尽きることイコール現実の死を意味するこの世界にいる以上、プレイヤーとして当たり前の反応である。だが、イタチはどうにもその表情に違和感を覚えてしまう。自分の命たるHPを見ているようには思えない。もっと別の、何かを見ているようで……

 

(確かめてみるか……)

 

 目の前で死にかけている男が発する違和感の正体を確かめるべく、自ら接触を試みることにする。アスナからは下で待機するよう言われていたが、人命救助の名目があれば言い訳できるだろう。背中に吊った片手剣を引き抜き、壁に向かって勢いよく走り出す。

 現実世界ではできない、SAOならではの技。敏捷を極めたプレイヤーのみが発動できるシステム外スキル、「壁走り(ウォールラン)」である。攻略組でも知っている人間は少数で、習得している人間はさらに少ないシステム外スキルだが、イタチは忍としての前世があるお陰で、習得するのは造作もなかった。

 

「あぁ……ぁっ!」

 

 壁を走って接近するイタチに驚愕するフルプレートの男。イタチの刃が、男を吊っているロープを断ち切らんと近づいたその時だった。

 

「ぁあっ!!」

 

 イタチの刃がもう少しで届きそうだったその瞬間、男がか細い悲鳴を上げると共に、その身体が光に包まれた。ガラスが破砕されるかのような耳触りな音と共に飛び散る、青いポリゴン片。イタチの刃は空を斬り、男に突き刺さっていた槍が地面に突き刺さる。

 圏内でHP全損という異常事態に戦慄する広場のプレイヤー達。その現場を誰よりも近くで見ていたイタチの目には、断末魔と共に男の身体から発された、ポリゴン片とは違う、青白い光が焼き付いていた――――

 



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第三十一話 圏内事件

あけましておめでとうございます。今年最初の投稿です。
就職活動まっただ中で身動きがとれませんが、精一杯頑張るのでよろしくお願いします。


 振り翳した刃を空ぶったイタチは、壁走りの勢いを殺さず、そのまま教会の飾り窓へと飛び乗った。そしてすぐさま、出窓から広場に集まり、この騒動を見ていたプレイヤー達を見下ろし、叫びかける

 

「皆、デュエルのウィナー表示を探すんだ!!」

 

 イタチの言葉に、その意図を察したプレイヤー達が、周囲を見回し始める。圏内でのHP全損となれば、デュエル以外に有り得ない。ならば、先の全身フルプレートの男をデュエルで殺したプレイヤーの頭上には、『WINNER/名前 試合時間/何秒』という形式の巨大なシステムウインドウが表示される。それを探せば、すぐに犯人を特定できる。だが……

 

(……やはり、いないか。)

 

 広場に集まったプレイヤーを見渡すが、デュエルの勝利者を示すシステムウインドウはどこにも見当たらない。そうこうしている内に、ウインドウが出現する三十秒が経過してしまった。と、そこへ

 

「イタチ君!?どうしてここに……」

 

 アスナが現れた。どうやら、教会の建物の中を駆けあがってここまで辿り着いたらしい。とりあえずイタチは、事情説明を行うことにする。

 

「先程の槍に胸を貫かれていたプレイヤーを助けるべく、壁を駆け上がりました。ですが、救出が間に合わず、あの男性はポリゴン片と共に消えました。」

 

「!……そう。」

 

 遠回しな言い方に些細な違和感を覚えたアスナだが、その言葉の意味するところは、あの全身フルプレートのプレイヤーの圏内でのHP全損による死亡を意味すると解釈した。恐るべき異常事態だが、アスナは冷静に現状の事態に対処すべく思考を巡らせる。

 

「それで、デュエルのウィナー表示はあった?」

 

「先程広場に集まったプレイヤーを見てみましたが、どこにもありませんでした。そちらは?」

 

「……確認できなかったわ。この階に来るまでに、二階の廊下を通ったけど、誰もいなかった筈よ。」

 

 アスナもイタチ同様、圏内でのHP全損の原因としてデュエルを真っ先に考えついた。だが、アスナの方も、デュエルが行われ、あの男性を市に追いやった証拠たるウィナー表示を見つけられなかったようだ。

 

「それより、あの男性プレイヤーは、ここから吊るされていたのよね。」

 

「その通りです。現場の様子から考えるに、犯人は被害者の男性の胸に槍を突き刺した上で、ロープを首に巻いて窓から突き落とした、といったところでしょうか。」

 

 イタチの述べた状況考察に、アスナは頷いて同意する。だが、どうにも解せない点が多い。圏内でHPを全損させるPK手段といえば、デュエル以外には有り得ない。寝ている相手の指を勝手に操作してデュエル申請のOKボタンをクリックし、そのまま一方的に攻撃する睡眠PKが最たる手段である。イタチが昼寝していたアスナを護衛していたのも、これが理由なのだ。

 

「でも、デュエルのウィナー表示が現れないなんて、おかしいわ……それに、犯人はどうやって逃げたのかしら?」

 

「現状、アインクラッドで発見されている隠蔽アイテムには、身体を完全に透明化する効果のあるものはありません。攻略組プレイヤーの索敵を欺き、あの数の衆人に見つからずに現場を去るのは、如何に隠蔽スキルを極めていても不可能です。」

 

 殺害方法から逃走手段まで、全てが不明な未曾有の事件。従来のPK方法では、実行不可能な犯行であることは確かである。アスナはしばし難しい顔で、犯人がプレイヤー殺害に用いた手段を考えていたが、全く思い浮かばない。イタチが視線を向ける窓の向こう、下の広場では、事件を目撃していたプレイヤー達の不安そうな声がここまで聞こえてくる。

 

「いずれにしても、このまま放置はできないわ。」

 

「……そうですね。」

 

「もし圏内PK技なんてものを誰かが発見したのなら、外だけでなく、街の中にいても危険ということになってしまうわ。」

 

 睡眠PKなどという手段が編み出されている時点で、圏内の安全性も疑わしいところだと思うが、イタチはそれを口にしない。無言で頷くと、アスナは何かを決意した表情でイタチのもとへ歩み寄る。

 

「前線を離れることになるけど、仕方ないわね。イタチ君にも、解決まで協力してもらうけど、いいわね?」

 

「アスナさんが抜けるのは、相当な痛手でしょう。捜査なら、俺一人で……」

 

「一緒に解決するの!分かったわね?」

 

「……分かりました。」

 

 有無を言わさぬアスナの剣幕に、さしものイタチもたじろいでしまう。アスナが差し出した右手に対し、イタチも仕方なしに右手を出して、固い握手を交わす。自分の意見を通せたことがよほど嬉しかったのか、その時のアスナの表情は、どこか勝ち誇った様子だった。

 

 

 

 圏内PK事件の捜査を行う名目でコンビを組むこととなったイタチとアスナは、ひとまず事件発生時の様子、および被害者の男性プレイヤーについての詳細を調べるため、教会を出た。未だ広場に屯していたプレイヤー達が二人に注目する中、イタチが一歩前へ出て呼びかける。

 

「すまない、さっきの一件を最初から見ていた人、いたら話を聞かせてほしい!」

 

 すると、程なくしてイタチの呼びかけに答えて、一人のプレイヤーが姿を現す。髪と瞳は濃紺色で、片手剣を装備した、見た目からして中層プレイヤーであろう女性。黒づくめに赤い双眸のイタチに怯えた様子だったところへ、アスナが割って入り、声を掛ける。

 

「ごめんね。怖い思いをしたばっかりなのに。あなた、お名前は?」

 

「あの……私、ヨルコっていいます。」

 

「先程の悲鳴は、君のもので間違いないか?」

 

 イタチの質問に対し、ヨルコと名乗った女性は、涙を浮かべて震えながらも受け答えする。

 

「は、はい……私、さっき殺された人と、一緒にご飯食べに来ていたんです。あの人……名前はカインズっていいます。昔同じギルドにいたことがあって……」

 

 事件当時のことを思い出し、泣きだしてしまうヨルコ。嗚咽を堪えながら、必死に事件当時の状況を説明しようとしている。そんな彼女の背中をアスナは擦りながら、落ち着くよう促す。

 

「うん、いいの……ゆっくり、落ち着いてから、話してね。」

 

「……はい。大丈夫です。」

 

 アスナに優しく声を掛けられたことで、どうにか泣きやみ、呼吸を整えて続きを話す。

 

「……でも、あんまり人が多くて、広場で見失っちゃって……周りを見回してたら、いきなり、この教会の窓から……カインズが落ちてきて……」

 

「その時、誰かを見なかった?」

 

 友人が惨殺された光景を思い出したのか、口を抑えるヨルコに再び寄り添うアスナ。ヨルコはアスナの問いに、どうにか答えた。

 

「一瞬なんですが……カインズの後ろに、誰か立っていたような、気がしました。」

 

「その人影に、見覚えは?」

 

 今度は、イタチの問いだった。しかし、ヨルコは首を振って否定する。あるいは、よく見えなかったため、面識のある人物かも分からなかったのかもしれない。

 その後も、カインズの身辺、主に人間関係についてイタチは問い質そうとしたが、友人が殺されたショックでこれ以上の事情聴取は不可能と考えたアスナは聴取をここで切り上げ、後日改めて訪問することとなった。

宿への見送りは、同じ女性同士ということで、アスナが行い、イタチは広場に待機していた攻略組プレイヤーのもとへ、現状の報告へ向かった。広場にいた主だったプレイヤーは、血盟騎士団幹部のテッショウ、聖竜連合前線メンバーのシャオランとハジメ、ソロのアレンといったところである。

 

「イタチ、圏内でのHP全損ってのは、本当なのか?」

 

「現場の状況からして、その可能性は高い。」

 

 アスナと同じ血盟騎士団に所属するテッショウの問いに、イタチは淡々と答える。対する攻略組プレイヤー達は、動揺が隠せない様子だった。

 

「この一件に関しては、血盟騎士団副団長のアスナさんと俺が調査を行う。さっきの圏内PKの手段や、犯人の正体等、新しい情報が入り次第、随時ギルドの幹部を介して情報を開示する予定だ。」

 

「アスナさんも捜査するんですか?」

 

「……俺一人でやると言ったが、本人の希望でそうなった。前線で指揮を行うプレイヤーがいなくなれば、ペースが落ちるのは避けられないが、そのあたりはテッショウやメダカ、シバトラさんあたりにフォローしてもらうほかあるまい。」

 

 白髪の長剣使い、アレンの問いに、イタチはため息を吐きながら答える。それを聞いたテッショウは、心配するなと言わんばかりに得意げな表情で応じる。

 

「ああ、俺は構わねえぜ。心強い相棒もいることだしな。」

 

「ワンッ!」

 

 テッショウの呼びかけに応えるように、足元に控えていた小柄の狼型モンスターが、一吠えする。このモンスター、グレイウルフは、テッショウのテイムモンスターであり、名前は「イヌ」。攻略組唯一のビーストテイマーとして知られるテッショウのパートナーであり、迷宮区攻略の際にはモンスターの索敵やトラップの探知に大いに役立っているのだ。

 

「捜査は二人だけで平気ですか?他のギルドに、もっと応援を頼んだほうが良いとも思いますが。」

 

「なんなら、俺が付いていてやってもいいんだぜ。この事件には、興味あるしな。」

 

 聖竜連合のシャオランとハジメが、捜査用の人員補充を提案する。だが、イタチは首を振ってそれを断った。

 

「いかに前代未聞の事件とはいえ、攻略を疎かにするわけにはいかない。それに、得体の知れない手段でPKを行っているレッドプレイヤーを相手にする以上、下手に人員を増やせば犠牲者が増えかねない。俺とアスナさんの二人のみで捜査は行う。」

 

「そうですか……わかりました。シバトラ総長には、そう伝えておきます。くれぐれも、気をつけて。」

 

 イタチの言葉に対し、シャオランはイタチとアスナだけの捜査に不安を抱いていたが、注意を促しながら了承した。一方、ハジメは、

 

「それにしても、ソロのお前が、あの閃光のアスナと二人っきりとはな~……」

 

 目を三日月のように細めて、イタチにからかうような視線を向けてきた。対してイタチならびに他のプレイヤー達は、呆れと共に盛大なため息を吐く。ハジメが何を言いたいのか想像に難くないが、そんなことを考えている場合では無い筈だ。そもそも、惚気話に縁の無いイタチに、ハジメが思っているような展開が起こる筈もない。殺人事件の直後というのに、能天気過ぎるハジメの態度に、イタチは頭が痛くなる思いで口を開いた。

 

「……とにかく、俺たちは明日にはまた参考人のもとを訪れて、事情聴取を行う。皆は、他の攻略組プレイヤーや中層プレイヤーに対し、当面は街中を歩く際も警戒するよう注意を促してもらえるか?」

 

「わかった。アルゴあたりを通じて、ペーパーに載せてもらおう。」

 

 イタチがそう締めくくると、最後は攻略組プレイヤー達も真剣な表情で頷き、要請を聞き入れてくれた。そしてその場は解散となり、イタチはアスナから来たメールを確認して街の一角で合流した。

 ひとまず二人は転移門を目指して歩き出し、道中で今後の方針について話し合うことにした。

 

「まずは、手持ちの情報を検証する必要があります。ロープは一般のショップで売られているものですが、スピアに関しては、プレイヤーメイドの可能性があります。」

 

「となれば、鑑定スキルが必要ね。私の友達で、武器屋やってる子が持ってるけど、今は一番忙しい時間帯だし……」

 

「俺は三件ほど当てがありますが、内二件は同じく忙しい時間帯です。」

 

 イタチの知人で鑑定スキルを持っているプレイヤーは三人。一人目は、攻略組の戦闘職と、プレイヤー相手の商業職を兼任している、チョコレート色の肌をもつ巨漢の戦斧使い、エギル。五十層主街区、アルゲードに店を構える彼は、雑貨屋を営んでいるが、攻略組はじめ収入の多いプレイヤー相手には阿漕な商売を仕掛けてくることで知られている人物でもある。

二人目は、イタチがデスゲーム開始時点から生産職として着目し、素材アイテムなどを優先的に提供したことで、鍛冶スキルを誰よりも早くコンプリートした生粋の生産職、マンタ。ベータテスターのヨウとはリアルでは友達であり、勧められてこのゲームを始めたという経緯がある彼は、第一層攻略完了を境にヨウをはじめとした友達を助けるために精力的に鍛冶スキルを必死に鍛えたのだ。今では各種商業用スキルをある程度習得し、エギル同様近々店を購入する予定である。

 

「それじゃあ、残り一件はどうなの?」

 

「……おそらく、忙しくはないと思われますが、行くのは躊躇われます……できれば、頼みたくはない相手です。」

 

「……一体、どんな人なの?」

 

 いつも効率重視で一切私情を挟まず行動するイタチにしては、珍しい反応である。どのような人物なのか、全く想像がつかないアスナはイタチに問いかけるも、イタチは無言でウインドウを呼び出し、メッセージを作成していた。やがて、送信先から返事が返ってきたのだろう、転移門にさしかかったあたりでイタチが再びウインドウを出すと、僅かながら肩を落として口を開いた。

 

「……向こうは、これから行っても大丈夫だそうです。」

 

「それじゃあ、行きましょう。その人がいる階層はどこ?」

 

「四十二層、バルジモアです。」

 

 目的の人物がいる階層を確認するや、転移門に立つ二人。そのまま四十二層の階層を唱え、光と共にその場を後にする。

 

 

 

 第四十二層、バルジモア主街区には、中世風の街並みが主流となっているアインクラッドには珍しい、二十世紀のヨーロッパを模した近代的な造りの建物が多数建っていた。そんな街中を、イタチとアスナは並んで歩くこと数分。遂に目的の人物がいる店へと辿り着いた。

 

「ここがそのお店?」

 

「ええ、その通りです……」

 

 建物の表に吊るされた看板には、「ララのアイテム工房」と可愛らしい彫刻が施されている。このララというのは、経営している商人プレイヤーの名前だろうか。イタチはアスナの質問に額に手を当てながら頷く。扉を開けるのは相当気が乗らない様子だったが、いつまでもここに立っているわけにはいかない。意を決して、扉を開く。

 

「ララ、来たぞ……」

 

「待ってたよー、イタチ!」

 

 入店したイタチを出迎えたのは、一人の女性プレイヤー。元気の良い挨拶と共に、イタチに向かって勢いよくダイブ。そのまま抱き付いた。

 

「あ、あなた!」

 

 突然現れた少女による、想定外の行動に、アスナは目を吊り上げる。そのまま思わず、得物を抜き放とうと、腰に掛けた細剣に手をかける。だが、その手はイタチによって止められた。

 

「アスナさん、落ち着いてください。ララ、お前もさっさと離れろ。」

 

 容姿からして、おそらくイタチやアスナと同年代であろう少女の、年齢に不相応なふくよかな身体に、過剰なスキンシップを伴って抱きしめられながらも、イタチは動揺した様子はない。衝動的に抜剣しようとしたアスナの機先を制し、ララとよばれた少女も引きはがす。

 

「それにしても、久しぶりだね、イタチ!また新作アイテムを試しにきてくれたの?」

 

「……悪いが、それは永遠に御免被る。それより、武器の鑑定依頼をしたい。」

 

「そっかー……ま、いいよ。とりあえず、奥に来て。」

 

 傍から見ても明らかに暗い表情のまま、イタチはアスナと共にララの後を負って店の奥へと入っていく。この間、アスナの態度は何故か不機嫌そのものだった。

 

 

 

「圏内でHPゼロ……そんなアイテムがあったの!?」

 

「……興味津々に聞くな。そんなアイテムがあったとしても、絶対に作るな。そして使うな。」

 

 殺人事件という物騒な出来事に対して恐怖するどころか、逆に興味を示すララ。今回の圏内で起きた殺人がアイテムによるものなのか、スキルによるものなのかは定かではない。だが、もし前者だった場合、ララなら興味本位で作成しそうなので、ぞっとしない。

ララはイタチと同じベータテスターであり、現時点でもアイテム作成系のスキルを一通りコンプリートしたことで知られている。だが、作り出す物は攻略に役立つ実用的なアイテムよりも、奇妙奇天烈で人騒がせな物の方が多いので、イタチをはじめとした、一部のベータ上がりの攻略組には要注意人物としても見られている。

 

「ちょっとあなた!さっきから聞いてれば、不謹慎なんじゃないの!?イタチ君にもやけに馴れ馴れしいし!」

 

「ええ~!だって、アイテム職人として、気になるんだもん!それに私は、イタチとはベータテストから友達だったんだもん!」

 

「そんなこと言ってる場合じゃないの!早くこの殺人事件のトリックを暴かないと、また犠牲者が出るかもしれないのよ!?分かってるの!?」

 

(頼むから、二人同時に話すのはやめてくれ……ややこしくて敵わん……)

 

 能天気な態度のララに、怒りを露にするアスナ。若干、怒りのポイントがずれていた気もしたが、それに言及している場合ではないだろう。おまけに、二人揃って同じような声なので、あまりヒートアップし過ぎるとどちらが話しているのか分からなくなりそうだ。早々にこの諍いを仲裁して本題に入らねばならないと思考を走らせる。

 

「アスナさん、これ以上はやめてください。ララ、お前も早く武器の鑑定をしろ。」

 

 アスナを宥めて椅子に座らせると、ウインドウを開いて現場で回収したスピアを取り出し、机の上に置く。やや強引に話を進めたことでアスナは不満そうにしていたが、本来の目的を果たすためと考えて無理矢理納得することにした。一方ララは、イタチが取り出したスピアに興味の対象を移したようだった。

 

「これが圏内PKをした武器か~……」

 

「いいから、さっさと鑑定しろ。」

 

 物珍しげな表情で武器を手に取り、じっくり眺めるララ。頼むからそんなに楽しそうにしないでくれとイタチは内心で溜息を吐く。早く武器について調べろと催促し、ようやく武器をタップして詳細を調べ始める。

 武器の分類はスピア。刃に禍々しい逆棘が無数に付いているこの武器は、貫通継続ダメージを与える効果をもつことは明らか。そして、この手の武器は、大概がモンスターではなく対プレイヤー用と相場が決まっている。モンスター相手では、突き刺せばすぐ怪力をもってすぐに引っこ抜いて捨ててしまうからだ。

 やがて、鑑定スキルによってウインドウを開いて詳細を調べたララが口を開いた。

 

「ええと……固有名は、ギルティソーン。プレイヤーメイドだね。名前は、グリムロックだって。少なくとも、私は聞いたことがない名前だよ。あと、機能については……特に変わったところは見られないね。残念だけど、圏内での貫通ダメージに関する記述は無いね。」

 

「そうか……」

 

 残念という言葉のベクトルがややおかしかった気がするが、イタチはあえてそれを口にはしなかった。圏内PKの手段については分からなかったが、プレイヤーメイドであり、作成者の名前が分かったのは大きい。この鍛冶屋、グリムロックがヨルコやカインズと面識のある人物だったならば、捜査が進展することは間違いない。

 

「それにしても、ギルティソーン……罪のイバラって意味だよね……」

 

 今回の圏内PKは、突発的な不意打ちではなく、周到に準備された犯行である。この血の様に赤いスピアの名前に、犯行の意図が隠されているのだとしたら、同機は間違いなく怨恨である。ヨルコとカインズは同じギルドに所属“していた”と言っていた。ならば、今は解散したギルドで何かが起こった可能性が高い。

 顎に手を当て、そんなことを真剣な表情で黙考するアスナに、イタチが声を掛けて締めくくる。

 

「いずれにしても、明日またヨルコさんに事情を聞いてみれば分かるでしょう。とりあえず、武器の制作者が分かっただけでも収穫です。今日のところは、ここで捜査は終わりにしましょう。」

 

「ええ!イタチ、もう帰っちゃうの!?」

 

 凶器となったスピア、ギルティソーンをアイテムストレージに納めた後、アスナと共に席を立って店を退出しようとするイタチに対し、ララが抗議の声を上げる。一体自分に何の用があるのか、想像できてしまうだけに、イタチはまた頭が痛くなる気分に襲われた。

 

「……今日のところは、もう用事が無いからな。」

 

「折角だから、私が作ったアイテムとか見ていってよ!ほら、この「法螺貝」はどう?大概の下級モンスターは追い払えるし、援軍を呼ぶ道具にもなるよ。」

 

「俺が主に活動するのは強力なモンスターが出現する最前線の迷宮区であり、基本はソロプレイだ。弱小モンスターにしか通用しない道具も、援軍を呼ぶための道具も必要ではない。」

 

「なら、「阿修羅」っていう刀は?回避カウンターに補正がつくよ。」

 

「……実用的だが、俺のメイン武器は片手剣だ。刀スキルは習得していない。」

 

「ええと、それじゃあ……」

 

「これは俺の物語だ。俺が使うアイテムは、俺が決める。」

 

 次々に奇妙奇天烈なアイテムを取り出し、商人としてどこまでも食い下がるララに対し、きっぱりそう言いきってアイテムの押し売りを断るイタチ。その赤い双眸に睨みつけられたララが、自作アイテムの押し売りする手を止めた瞬間を見逃さず、イタチはアスナの手を引いて店を出る。

 

「アスナさん、行きましょう。」

 

「え、ええ……」

 

 場の空気について行けなかったアスナを、イタチが半ば強引に手を引いて店の外へ連れ出す。いち早くこの店を脱出したい思いだったイタチには、アスナの手を握ったことに他意はなかったのだが、握られたアスナの方は顔を赤くしている様子だった。

 やがて、ララのアイテムショップから離れた場所へと辿り着くと、握っていた手を話してアスナと向かい合う。

 

「申し訳ありませんでした。あまりあの店には長居したくなかったもので……」

 

「ああ……まあ、分かったけど……」

 

「それより、事件の捜査に関してですが……やはり、参考人のヨルコさんに、凶器の制作者であるグリムロックという名に心当たりが無いかを聞くことが一番でしょう。」

 

「そうね……それじゃあ、明日の朝十時にヨルコさんのところに行くことになってるから、その時に聞いてみましょう。」

 

「了解しました。」

 

「それから、これから黒鉄宮に行って、生命の碑を確認したいんだけど、いいかしら?」

 

「カインズ氏の死亡確認ですね。わかりました。お付き合いします。」

 

 それだけ言葉を交わすと、イタチとアスナは転移門を目指し、第一層へと転移した。

 圏内殺人という物騒な事件に関わることとなったアスナ。攻略組プレイヤーとしての使命感もあり、一刻も早く事件を解決しなければと思う一方で、アスナの胸中には不安とは別に、ある種の期待が渦巻いていた。その思いは、期せずして深く関わることとなったイタチという少年にある。リアルでもこの世界でも、自分に関わることを忌避していたイタチだったが、一緒にこの難事件を解決することができれば、或いはこの事件の捜査を通して、彼のことをもっと知ることが出来るかもしれないという期待。

人一人死んでいるのに不謹慎かもしれないが、それでもアスナはイタチとの距離を埋められる可能性に胸が高鳴っていた。

 



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第三十二話 黄金林檎

2024年4月12日

 

 事件の翌朝九時。イタチとアスナは打ち合わせ通りに五十七層の転移門にて合流した。

 イタチは常と同じく全身黒づくめの剣士、あるいは忍を彷彿させる服装だが、アスナの方はいつもの白地に赤模様の騎士服ではない。ピンクとグレーの細いストライプ柄のシャツに黒レザーのベストを重ね、レースのフリルがついた黒いミニスカートを着ている。脚には光沢のあるグレーのタイツ、靴はピンクのエナメル、そして頭には同色のベレー帽を被っている。言うなれば、いつもよりめかしこんでいるのだ。

 

「…………」

 

 これから殺人事件の捜査に行こうとしているにも関わらず、別方向に気合いが入っているように思えてならないアスナの姿に、イタチは若干ながら不安を覚えた。対するアスナは、イタチの僅かばかり呆れを含んだ視線に気付いていないのか、やや恥ずかしそうに声をかける。

 

「……ええと、イタチ君、似合ってるかな?」

 

 おそらく、他の攻略組プレイヤーや血盟騎士団の構成員にも見せた事の無い服装だったのだろう。自分を見つめるイタチの視線を、見とれていると解釈したアスナはそんな質問をしてきた。だが、イタチ自身もどうコメントしたものか、見当もつかない。ここは社交辞令でも、称賛を贈るべきだろうと判断する。

 

「……似合っていると思います。」

 

「そう……よかった。」

 

対応は間違っていなかっただろうと思うが、その言葉にどこか浮かれた表情を見せるアスナに、イタチは不安を拭えなかった。ともあれ、このまま立ち尽くしているわけにもいかない。

 

「それでは、そろそろヨルコさんに会いに行きましょう。」

 

「そ、そうだね。」

 

 未だ照れ笑いを浮かべるアスナを伴い、イタチは目的の宿屋を目指して歩きだす。その道中、昨日の事件に関しての意見交換をする。

 

「君は、今回の圏内殺人の手口について、どう思う?」

 

「考えられるのは、デュエルによるPK、システム上の抜け道の利用、アンチクリミナルコード無効化の裏技……といったところでしょうか?」

 

「そうよね。なら、圏外で槍を胸に突き刺したまま、街の中に連れ込んだっていう可能性は?」

 

「……回廊結晶を使えば、人目に付かずにあの時計塔まで被害者を連れていくことができますが、圏内に入った時点でHPの減少は止まります。これは毒やその他ダメージ系のステータス異常にも共通しています。」

 

「被害者があの教会から吊るされてからHP全損に陥るまで、数十秒はあった筈よね。なら、圏外でHP全損にしてから圏内に引き込んでも、あの減少は起こせないわよね。となれば、残るはアンチクリミナルコード無効の線だけど……」

 

「個人的な意見ですが、まずあり得ません。」

 

 消去法で残された可能性について口にしたアスナに、しかしイタチは即答で否定した。

 

「どうしてそう思うの?」

 

「……このSAOというゲームは、プレイヤーに対して限りなくフェアネスを貫いています。アンチクリミナルコードという、世界の理に干渉するスキルやアイテムが、認められるとは思えません。」

 

 イタチにしては、論理的根拠に欠ける意見だったが、アスナは何故かその言葉を否定する気にはなれなかった。普段意思表示に乏しいイタチが、珍しく自己主張したことに驚いたということもあるが。

 

「俺には分かるんです。制作者サイドとして茅場晶彦に助力し、このSAOという死の監獄を作り出す片棒を担いだ身で、謂わば彼の共犯者ですから。」

 

「イタチ君……」

 

まるで、今までの犠牲が自分のせいであることを仄めかすかのように放ったイタチの言葉。イタチがSAO制作に協力してベータテストの参加権を手に入れたことは、イタチ自身が宣告したその場に居合わせたアスナも知っていた。しかし、全てがイタチ一人のせいではないし、その業を背負うべきではないと思う。だからこそ、イタチの孤独を取り除ければという想いで、彼を理解するべくこうして一緒に行動しているが、その壁は想像以上に大きい事を悟らざるを得ない。ヨルコの宿を目指すアスナの足取りは、若干重くなっていた。

 

 

 

その後、宿にいたヨルコと無事合流することができた。昨日事件が起きた翌日だったので、今度はヨルコの身に何か起こるのではと考えていたが、杞憂だったらしい。

 ヨルコは昨日の事件がショックだったせいであまり眠れていない様子だったが、アスナのめかし込んだ姿を見た途端、

 

「わあ!それって、アシュレイブランドですよね!?全身揃ってるところなんて、初めて見ました!」

 

 アスナのコーディネートに目を輝かせるヨルコ。だが、「アシュレイ」という名前を聞けば、納得するものはある。

 

「アシュレイ……アインクラッドで、裁縫スキルを最初にコンプリートしたプレイヤーですね。」

 

「そうなんです!最高級のレア生地素材持参じゃないと、なかなか作ってもらえないんですよ!」

 

 アスナの姿に未だに見とれているヨルコ。殺人事件が起きた翌日にも関わらず能天気な様子のヨルコに、イタチはもはや呆れて物が言えない様子だった。

 

「あれ?イタチ君って、ブランド品にも詳しいの?」

 

「……いえ、ブランド品を報酬に求める生産職プレイヤーが身近にいるもので。」

 

イタチの言う生産職プレイヤーとは、血盟騎士団所属の薬剤師、シェリーのことである。シェリーが薬の調合依頼の見返りとして要求したブランドは、アシュレイブランドをはじめ多種多様。故に、攻略組に不必要なブランド品の知識が身に付いてしまった経緯があったのだ。

 

「それより、ヨルコさん……そろそろ話を聞かせていただきたいので、場所を移しませんか?」

 

「あ、そうでしたね!すみません……」

 

はしゃぎ過ぎていた自覚があったのか、ヨルコはイタチに頭を下げて謝ると、佇まいを直した。アスナも、今朝から二度もコーディネートを褒められて浮かれていたことを反省し、咳払いを一つした。その後、イタチとアスナは、昨夜二人が夕食を食べようとしていたレストランへとヨルコを連れて行き、店内の端にある席で事情聴取を行うこととなった。

 入店後、三人は店の一番奥の方にある席を取ることにした。犯人の正体や居場所が分からない以上、不用意に人気の多い場所で会話を聞かれるわけにはいかないからだ。ヨルコを一番奥の席に座らせ、イタチとアスナがその向かいに並ぶ形で席に着く。聴取の用意ができたところで、まずはアスナが問いかける。

 

「ね、ヨルコさん。グリムロックっていう名前に聞き覚えはある?」

 

 俯いていたヨルコがぴくりと頭を上げる。凶器の制作者の名前を聞いて、非常に驚いた様子だった。

 

「……はい。昔、私とカインズが所属していたギルドのメンバーです。」

 

 想定していた答えの一つだった。だが、あの武器は明らかな対プレイヤー仕様である。それが、制作者の関係者を殺害する凶器に用いられたとなれば、これは偶然ではない。グリムロックがこの事件に加担していることは明らかである。

イタチはアスナと視線を交わして頷き合うと、聴取を進める。

 

「昨日、現場に残された武器を鑑定してみたのですが、制作者の鍛冶屋は「グリムロック」とのことでした。何か、思い当たることはありませんか?」

 

「……はい……あります。昨日、お話しできなくてすみませんでした。忘れたい……あまり思い出したくない話ですけど……でも、お話しします。

……あの事件のせいで、私達のギルドは消滅したんです。」

 

ぽつりぽつりと自分や昨日殺されたカインズが所属していたギルドに纏わる話を口にするヨルコ。イタチとアスナは真剣な面持ちで聞き入っていた。

 

「ギルドの名前は、『黄金林檎』っていいました。総勢たった八人のギルドです。でも、半年前、たまたま倒したレアモンスターが、敏捷力を20も上げる指輪をドロップしました。

 ギルドで使おうって意見と、売って儲けを分配しようって意見で割れて……でも、最後は多数決で決めて、結果は五対三で売却でした。前線の大きい街で、競売屋さんに委託するために、ギルドリーダーのグリセルダさんが一泊する予定で出かけました。

 でも、グリセルダさん……帰ってこなかったんです。嫌な予感がして、何人かで、黒鉄宮の『生命の碑』を確認にいきました。

 そしたら…………グリセルダさんの名前に、横線が……」

 

 その言葉に、アスナは息を呑む。第一層の黒鉄宮にある、生命の碑には、SAOに参加した一万人のプレイヤーの名前が刻まれている。そして、横線が入っていたということは、その人物はこのゲームから脱落……即ち、死んだことを意味する。

 

「死亡時刻は、リーダーが指輪を預かって上層に行った日の夜中、一時過ぎでした。死亡理由は……貫通属性ダメージ、です」

 

「……そんなレアアイテムを抱えて圏外に出るとは思えませんね。考えられるのは……「睡眠PK」か「ポータルPK」ですね。」

 

「半年前なら、両方ともまだ手口が広まる直前だわ。宿代を惜しんで、パブリックスペースで寝る人もそれなりに居た頃だしね。」

 

「しかし、疑問が残ります。」

 

 アスナはグリセルダ暗殺の手口を睡眠PKと判断したようだが、イタチはただのPKとは考えなかった。

 

「ギルドリーダーを務めるような人物が、レアアイテムを持ったままパブリックスペースで寝泊まりするような迂闊な真似をするとは思えません。ポータルPKによる殺傷の可能性が高いですが、あれは特定の標的を暗殺するための手口です。」

 

 ポータルPKとは、転移先を指定できる回廊結晶を用いたPK手段である。回廊結晶は、アイテムの発動後、その場所に一定時間、転移先に通じる光の渦が出現する。そして、これを通じて圏内にいるプレイヤーをフィールドへ引きずり出して攻撃、HP全損に追いやるというのが一般的な手法である。圏内にいるプレイヤーを殺害できる現状では唯一の手段だが、回廊結晶は非常に高価で希少なアイテムであるため、多用できる手口ではない。あらかじめ標的を決めて、特定のプレイヤーを殺害するために用いられる手段なのだ。

 

「つまり、犯人はリーダーさんが持つ指輪のことを知っていたことになります……」

 

 瞑目したヨルコが、こくりと頷いた。その後は、語られずとも察しがついた。おそらく、黄金林檎の残り七人も、そう考えたのだろう。リーダーが不在で、皆が皆を疑う状況にあったのならば、ギルドは簡単に崩壊しただろう。

 

「犯人の可能性があるのは、売却反対派の三人ですね。」

 

「売却される前にグリセルダさんを殺して、指輪を奪おうとしたってこと?」

 

「そういうことです。ちなみに、グリムロックという人はどのような人だったんですか?」

 

 今回の事件が、半年前の指輪事件における、黄金林檎のリーダー殺害に関係している可能性は高い。そして、おそらくプレイヤー殺害に用いられることを承知で武器を用立てた鍛冶屋、グリムロックは、リーダーとは特別な関係だった可能性が高い。果たして、イタチの予想通り、ヨルコからグリムロックとグリセルダの関係が語られる。

 

「……彼は、グリセルダさんの旦那さんでした。グリセルダさんは、強い片手剣士で、美人で、頭も良くて……私はすごく憧れてました。グリムロックさんは、いつもニコニコしてる優しい鍛冶屋さんで……二人とも、とってもお似合いの夫婦でした。」

 

 殺害されたグリセルダとグリムロックが夫婦だったのならば、今回の事件の動機はおおよそ察しがつく。昨日の圏内PKの犯人は、指輪売却に反対した人間をグリセルダ暗殺の犯人と見なして復讐をしているのかもしれない。となれば、考えられることは……

 

「もしや、指輪売却に反対した三人のうちの一人は、カインズさんだったんじゃないですか?」

 

 イタチの問いに、ヨルコは若干身体を強張らせてから、沈痛な面持ちで頷いた。これで、指輪事件の復讐目的で犯人はPKを行っている可能性がぐっと増した。続けざまに、イタチは質問を投げかける。

 

「残り二人についても、教えてもらえますか?」

 

「私と……あと、シュミットというタンクです。彼は今、聖竜連合に所属していると聞きました。」

 

「シュミット……聞いたことがあるわね。」

 

「聖竜連合のディフェンダー隊のリーダーです。」

 

 ヨルコの出したプレイヤーネームを聞いたことがあると呟いたアスナに、イタチは即座に説明を入れた。それを聞いたヨルコは、再び顔を上げる。

 

「シュミットを知っているのですか?」

 

「攻略組として、聖竜連合をはじめとした大型ギルドのメンバーとは、顔を合わせる機会が多いですから。」

 

「シュミットに会わせてもらうことはできないでしょうか?彼はまだ、今回の事件のことを知らないかも……だとしたら、彼も、もしかしたら……カインズのように……」

 

 その心配は、尤もだった。指輪事件が発端となっているのならば、売却反対意見を出した、ヨルコとシュミットの二人が抹殺の対象になる可能性は高い。それに、シュミットも関係者である以上、事情聴取も兼ねて一度ヨルコと対面させる必要があるかもしれない。そう考えたイタチは、ヨルコの希望を聞き入れることにした。

 

「分かりました。聖竜連合には知り合いがいます。俺が掛け合ってみましょう。」

 

「ヨルコさんは、宿屋から絶対に出ないようにしてくださいね。」

 

「分かりました。」

 

「あと最後に、残りの黄金林檎の所属メンバーからも事件の詳細を聞きたいので、当時のギルメン全員の名前をこの紙に書いておいてもらえますか?」

 

「あ、はい……」

 

 イタチが差し出した紙に、メンバーの名前をアルファベットで次々書いていくヨルコ。やがて作業が終わると、イタチとアスナはヨルコを宿屋へ送り届けた後、数日分の食糧アイテムを渡して絶対に外へ出ないようにと言い含めた。本来ならば、五十五層にある、アスナが所属する血盟騎士団本部に避難した方が安全なのだが、ギルドの悲惨な過去をこれ以上他者に知られることを忌避したヨルコの希望により、五十七層の宿屋に留まることとなった。ヨルコが部屋に入ったことを確認すると、イタチとアスナは転移門へ向けて歩きだす。目的地は、聖竜連合の本部がある第五十六層である。

 その道中、イタチは本部にいるであろうシュミットに会うため、聖竜連合に所属している知り合いにメールを飛ばす。そこでアスナは、ふと湧いた疑問を口にした。

 

「それで、イタチ君が言ってた聖竜連合の知り合いって誰なの?」

 

「総長のシバトラさんです。」

 

 何気なく答えたイタチの答えに、しかしアスナは驚いた顔を見せた。

 

「ええと……つまりあなた、シバトラさんとフレンド登録してるってことよね?」

 

「そうなります。」

 

「……攻略組でソロのあなたが、なんで大型ギルドの代表者とフレンド登録なんてしているの?」

 

 何か問題でもあるのかと平然と返してくるイタチに対し、アスナは苛立ち混じりに問いを続ける。一方のイタチは、相変わらずの無表情で淡々と受け答えする。

 

「シバトラさんとはリアルでも知り合いですので。それから、攻略組同士、連絡を取り合わねばならない事態もありますので。」

 

 その言葉に対して、アスナはかちんときた。自分だって、イタチとはリアルでは同じ中学に通う間柄である。それに、血盟騎士団の副団長を務める身なのだ。リアルの知り合いとしても、攻略組プレイヤーとしても、もっと頼りにしてくれていいではないか、とアスナは思う。何だか自分が除け者にされたような気分で、アスナは不愉快だった。

 

「…………」

 

「……何かまだありますか?」

 

「別に、何もないわ。」

 

 明らかに不満そうな表情をしていながらも、アスナはそう返した。何か言いたげな雰囲気のアスナに、しかしイタチは「そうですか」とだけ返して、再び視線をシステムウインドウに戻した。

 アスナも、本当はもっと言いたいことがあったのは間違いない。自分ともフレンド登録して欲しいと、そう言えばよかったのだ。彼のことをもっと理解したいと願いながら、その切り口をなかなか掴めない自分に、もどかしさを感じてしまう。

 やがてイタチが送ったメールに返信がくると、無事にアポイントを取れたことを確認できた。だがその後、五十六層の聖竜連合本部に到着するまで、二人は一切口を聞くことはなかった。

 

「着いたわね。」

 

「はい。」

 

 イタチとアスナの目の前にある建物は、五十六層の小高い丘の上にある、軍事用の城または要塞といった表現の似合う、外部からの侵略者を寄せ付けないかのような堅牢な造りをしていた。聖竜連合の拠点が、血盟騎士団の本部がある五十五層の上にあるのは、攻略ギルドとしての上位性を誇示したいという意思の表れとも取れた。聖竜連合総長のシバトラは、自己顕示欲とは無縁で穏健な性格の実力者だが、容姿が中学生、またはちょっと大きい小学生で通るほどの小柄な体格と童顔のため、攻略会議の以外の場面では、威厳に欠ける点がややあった。故に、拠点購入などに関しては、部下がある程度の合理性をシバトラに説明することができれば、多少強引でも押し通すことができてしまうのだ。

 ともあれ、自分達を最強ギルドたらしめたいという、シバトラ以下の穏健派を除くメンバー達の希望により、聖竜連合はこのような過剰に豪奢な拠点を構えるに至ったのだった。

 

「アスナさんはここで。俺が見張りに掛け合ってきます。」

 

「……分かったわ。」

 

 それだけ言葉を交わすと、イタチはアスナと別れて城門を目指す。門の前にはイタチの予想通り、来客の取り次ぎのために門番が立っていた。幸い二人とも、攻略会議で何度か顔を合わせたことのあるメンバーだった。

 

「ヤマト、ケイタロウ。」

 

 とりあえず、門番の名前を呼ぶイタチ。声を掛けられた門番二人――長槍持ちのヤマトと、刀使いのケイタロウは、予期せぬ来客に驚いた表情をしていた。

「イタチか!?なんでまた、ソロのお前がなんでこんな所に来てんだ!?」

 

 ヤマトの驚きも尤もである。ソロプレイヤーとしての活動が基本のイタチは、普段は聖竜連合のような大型ギルドの拠点へ足を運ぶことは全くといっていいほど無い。一体、何事かと疑うのが普通の反応である。

 

「シバトラさんにアポは取っている筈だ。聖竜連合のディフェンダー隊リーダーのシュミットに用がある。取り次いでもらえないか?」

 

「シュミットに?」

 

 質問に答えた筈のイタチの言葉に、しかしケイタロウとヤマトは未だ不思議そうに顔を見合わせる。イタチとシュミットでは、接点が無く、故に用件が何なのかも想像がつかない。

 

「とにかく、シバトラ総長に取り次いで欲しい。頼めるか?」

 

「お、おう……」

 

 とりあえずは、イタチの要請に答えてシバトラへと取り次ぎをすることにするケイタロウとヤマト。シバトラへとメールを飛ばすケイタロウ。やがて、聖竜連合本部の城から、全身フルプレートの重厚な鎧に身を固めたタンクプレイヤーのシュミットを連れて、総長のシバトラが現れた。

 

「イタチ君、聖竜連合の本部で会うのは、久しぶりだね。」

 

「本部購入時のパーティー以来ですね。それで、シュミットを今日一日、お借りできますでしょうか?」

 

「迷宮区攻略は、まだ十四層にさしかかったところだって聞いているからね。フロアボス攻略に必要なタンクはまだ時間が空いている方だから、大丈夫だよ。」

 

 総長のシバトラからの許可も下りたところで、イタチは次にシュミットの方を向く。彼の方も、何故自分が名指しで呼び出されたのかを理解できていない様子だった。

 

「俺に用があるってのは、どういうことだ?」

 

「理由は、道中で説明する。それから、ここを出てからは、絶対に俺達から離れるなよ。」

 

「俺達?」

 

 イタチの一言に、ヤマトが訝しげな顔をする“達”ということはつまり、イタチには同行者がいるということである。

 

「ああ。俺のほかにもう一人、ある事件の捜査のために動いている人間がいてな。」

 

 さすがに、血盟騎士団の副団長が一緒にいるとは言えば、何事かと警戒される可能性が高いので、そこまで口にするのは控えた。

 

「それでは、そろそろ行かせていただきます。」

 

「気を付けてね。あと、たまには遊びに来てもいいからね。」

 

 シュミットを伴って聖竜連合本部前を後にするイタチを、シバトラは手を振って見送る。リアル年齢は二十を超えている筈なのに、その姿はどう見ても中学生そのものだった。

 

 

 

 ヨルコが待つ第五十七層の宿屋へ向かう道中、イタチは昨日起こった圏内事件のことについて説明したが、聞いていたシュミットは驚愕と共に顔を青ざめさせていた。かつて所属していたギルドのメンバーが、全く謎の手段で持って殺害されたのだから、無理も無い。そして、事件の動機がギルド崩壊の原因となったレアアイテムの指輪に纏わるギルドリーダー暗殺事件である可能性が高いとすれば、次は自分が狙われる可能性が高い。

 戦々恐々としながらも、ヨルコの待つ宿までの同行を途中で拒否しなかったシュミットには感謝してもし切れない。誰でも自分の身が大切だし、ここで帰ると言われても、引きとめることはできなかっただろう。

 そうして、聖竜連合本部を出てから三十分ほどして、ヨルコのいる宿へと三人は到着した。ヨルコとはフレンド登録をしているため、宿屋の扉は内側からの解錠なしでも開けられるのだが、本人を驚かせない様にと配慮し、ノックして入室した。

 

「ヨルコさん、連れてきましたよ。」

 

 ヨルコの泊まっている部屋は、数日間外出できないことを配慮して、宿の中でも最も広いスイートを取っていた。そのため、ヨルコが待っていた広間は非常に広く、四人が入ってもまだスペースに余裕がある。南側の窓は、今は開け放たれており、夕暮れの赤い光が部屋の中を照らしている。

 とりあえず、シュミットはヨルコと向かい合う形で椅子に座った。イタチとアスナはシュミットの脇に立って会話の動向を見守ることにした。

 

「……グリムロックの武器で、カインズが殺されたというのは本当なのか?」

 

 先に口を開いたのは、シュミットだった。既に事件のあらましはイタチとアスナから説明されていたが、圏内PKなどそう信じられるものではない。だが、ヨルコは静かに頷き、肯定した。

 

「本当よ。」

 

 それを聞いた途端、シュミットが大きく動揺する。目を見開き、思わず立ちあがって尚も問いかける。

 

「なんで今更カインズが殺されるんだ!?あいつが……あいつが指輪を奪ったのか?……グリセルダを殺したのは、あいつだったのか……」

 

 冷や汗をかいて取りみだすシュミット。だが、ヨルコはその問いには答えないし、答えられない。シュミットは少しばかり冷静になると、椅子に座りなおして額を手で覆う。

 

「グリムロックは、売却に反対した三人を全員殺すつもりなのか?俺やお前も狙われているのか?」

 

 その点に関しては、未だ分からない。武器の制作者がグリムロックなのは間違いないが、実行犯が同一である確証は無いのだ。だが、イタチがそれを説明するまでもなく、ヨルコが口を開いた。

 

「まだ、グリムロックがカインズを殺したと決まったわけじゃないわ。彼に槍を作ってもらった他のメンバーの仕業かもしれないし、もしかしたら…………

グリセルダさん自身の復讐なのかもしれない。」

 

 その言葉に、その場にいた全員が絶句した。聞いた当初、何を言っているのか理解できなかった……否、シュミットに至っては、理解したくなかったのかもしれない。そんな三人の心情を察して、ヨルコは続ける。

 

「だって、圏内で人をPKするなんて……幽霊でもない限り不可能だわ。」

 

 尤もな意見である。圏内PKの手段についてはイタチとアスナも散々考えてみたが、結局のところそのロジックを解明するには至らなかった。そして、そんな荒唐無稽な意見を否定する間も無く、ヨルコは錯乱した様子で立ち上がり、叫ぶように己の内心を吐露する。

 

「私……昨夜、寝ないで考えた……

結局のところ、グリセルダさんを殺したのは、メンバー全員でもあるのよ!

あの指輪がドロップした時、投票なんかしないで、グリセルダさんの指示に従えば良かったんだわ!」

 

 先程までのヨルコにはなかった、常軌を逸した剣幕に、アスナとシュミットは金縛りにあったかのように動けない。イタチはただ、内心が窺い知れない表情でその様子をじっと見つめていた。

 

「ただ一人……グリムロックさんだけは、グリセルダさんに任せると言った……だから、あの人には私達全員に復讐して、グリセルダさんの仇を討つ権利があるのよ……」

 

「冗談じゃない……冗談じゃないぞ!今更……半年も経ってから、何を今更……」

 

 明らかに取りみだした様子だったが、最後はやや冷静に戻った様子で締めくくるヨルコ。だが、今度はシュミットが取りみだす番だった。

 

「お前はそれで良いのかよ、ヨルコ!?こんな訳の分からない方法で、殺されて良いのか!?」

 

 ヒートアップしてヨルコに詰め寄るシュミット。イタチはそんな彼の腕を掴み、冷静になるよう促す。ヨルコの方も、溜めていたものを吐きだしたことで少しは落ち着いた様子だった。今日の所は、これ以上の話し合いは無理だろう。そう判断して、解散しようと考えた、その時だった――――

 

トンッ

 

 ふと、何かが突き刺さったかのような、乾いた音が響いた。同時に、ヨルコの身体がぐらりと揺れる。窓枠に手をつく彼女の背中、長く垂れる青い髪の向こうに、何かが突き立っていた。背中の根元に被ダメージ時に迸る赤いライトエフェクトが煌めいている。つまり、ヨルコの背中に突き刺さっているのは、ダガーである。

 ヨルコに起きた突然の異変、そして背中に刺さったダガーを見て、アスナとシュミットは戦慄する。安全な筈の圏内で起こった殺人事件が、今再び、目の前で再現されているのだから。

 

「あっ……!」

 

 アスナの小さな悲鳴が漏れるよりも先に、ヨルコの身体は窓から外へと落下していく。いち早く動いたイタチは、窓辺まで一直線に走りだしたが、ヨルコを捕まえるには至らなかった。窓から顔を出し、地面に落下して横たわっているヨルコを見下ろすイタチ。だが、次の瞬間には、ヨルコの身体はポリゴン片を撒き散らして消滅していた。

僅かながらの、青白い光を迸らせて――――

 



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第三十三話 幻の復讐者

 夕暮れの赤い光が差し込む宿の部屋の中に、戦慄が走る。先程、イタチ、アスナ、シュミットの三人の視線の先、窓枠にもたれ掛かったヨルコがダガーで背中を刺された状態で落下、同時にポリゴン片を撒き散らして消滅したのだ。SAOというゲームでは本来ならば有り得ない、圏内殺人という事件が今再び起こったのだ。

 

「…………」

 

 ヨルコが落ちた窓枠から顔を出し、落ちた当人の消滅を確認したイタチは、すぐさま顔を上げる。そして、窓から見える家々の屋根の上に視線を巡らせる……

 

(いた……!)

 

 果たして、目標の人物――ヨルコにダガーを投げたとされる、怪しげな人影。下手人らしきその男は、漆黒のフーデッドローブに身を包み、イタチのいる宿屋から離れた場所に位置する建物の屋根からこちらを見ていた……が、やがてこちらに背を向けると反対方向へと走って逃げていく。

 

「アスナさん、あとは頼みます……!」

 

「駄目よ!」

 

 イタチの意図を察して止めに入ろうとするアスナだったが、すでに遅かった。イタチは攻略組トップクラスの敏捷力で窓から飛び出し、向かいの屋根へと飛び移る。その後、逃げた下手人を追って次々に屋根から屋根へ跳躍していく。

 

(もう少しだな……)

 

 追跡を開始して然程時間は掛からず、目標の人影にイタチは一気に接近した。攻略組トッププレイヤーとしての敏捷力に加え、前世の忍界大戦では逃走する敵の追撃や尾行の経験があるイタチには、さして難しいことではなかった。

 

(敏捷は……中層プレイヤーといったところか。そしてあの体型……おそらくは、男性。)

 

 追跡対象のローブを被ったプレイヤーの足の速さや体格から、その人物像を分析するイタチ。そして、イタチの追跡に気付いたローブの男は、懐からあるものを取り出す。

 

(転移結晶……どこへ行く?)

 

 イタチの赤い双眸に映ったのは、各階層にある転移門へと移動するための転移結晶。これを使用するということはつまり、今イタチが追っているプレイヤーは幽霊や死神の類ではなく、れっきとしたプレイヤーということにほかならない。だが、イタチの関心はそこにはない。アンチクリミナルコードが働く圏内では、目の前のフードを被った男を投擲スキルで攻撃・捕縛することはできない。となれば、今イタチにできるのは、目の前の下手人がどこへ転移し逃げるのかを確実に捕捉することである。

アイテム使用時に発する転移先の名前を聞きとるために、聴覚を研ぎ澄ますのは言わずもがな、フードから僅かに覗く男の口元の動きまで一切見逃すまいと視線を集中させる。

だが、その時……

 

リンゴーン リンゴーン リンゴーン

 

 マーテンの街全体に、午後六時の時刻を告げる鐘が鳴り響く。イタチは思わぬ方向からの妨害に顔を顰めながらも、聴覚と視覚を一層研ぎ澄まして、ローブ男がクリスタル発動と同時に唱える転移先を聞き逃すまい、見逃すまいとする。

 やがて、ローブ男の身体が青白い転移クリスタルの光に包まれると同時に、屋根の上から消失する。イタチはそれに伴い、走る足を止めた。

 

「…………」

 

 消失した下手人の姿に、しかしイタチは一切焦る様子を見せずに屋根から降りて、アスナとシュミットが待つ宿屋を目指して歩きだした。

 

 

 

「ただいま戻りました。」

 

 宿の部屋へ入る際、まるで自宅へ帰ったかのような言葉に、しかし部屋で待っていたアスナは出迎えに……

 

「馬鹿!無茶しないでよ……!」

 

 イタチが窓から飛び出た後にストレージから取り出したのであろう、細剣切っ先を向けてきた。当然ながら、イタチの行為にご立腹の様子である。ダガー一本で中層プレイヤーを一撃で、しかも圏内でPKするような裏技を持つ相手を単独で追跡したのだから、当然の怒りである。対するイタチは、まるでちょっと買い物に行ってきたかのような何食わぬ顔なのだから、怒りに拍車をかけてしまっていた。

 そんなアスナの内心を知ってか知らずか、イタチは謝りもせずに、淡々と報告を行う。

 

「下に落ちていたダガーです。ヨルコさんの背中に突き刺さっていたもので間違いありません。」

 

 イタチが取り出したのは、先日のギルティソーン同様、逆棘がびっしりついたダガー。制作者が同じなのは、言うまでもない。

 

「やっぱり、今度も制作者はグリムロックさんで間違いなさそうね……それで、犯人の方はどうだったの?」

 

「街中で追い詰めましたが、あと一歩のところで転移結晶を使って逃げられました。」

 

「そう……」

 

 追跡から帰ったイタチの報告に、アスナは落胆を隠せない。重要参考人を目の前でむざむざ殺され、下手人には逃げられてしまったのだから、無理は無い。得られた手掛かりは、先日の凶器と同じ制作者のものであろう、ダガーのみである。捜査を進めようにも、現状は八方塞がりである。どうするべきかと考えるアスナだったが、突如後ろの席に座るシュミットが、頭を抱えて呻きだしたことによって、思考を中断される。

 

「あのローブはグリセルダのものだ……あれは、グリセルダの幽霊だ!俺達全員に復讐に来たんだ!」

 

 その言葉に、アスナは息を呑む。流石に幽霊だとは思っていないが、かつて黄金林檎に所属していたシュミットが言うなら間違いないのだろう。となれば、犯人はグリセルダが使っていたもの、もしくはそれと同じ型のローブを所持しているということだ。

 グリセルダの所持品について知っているということは、即ち犯人は黄金林檎のメンバーもしくは関係者の可能性が高い。

 

「そうだ……幽霊なら、圏内でPKするくらい、楽勝だもんな……はは、はははは……」

 

 だが、目の前で圏内PKという非常識な光景を見せられた今のシュミットには、そんな冷静な思考ができるような余裕などある筈もない。恐怖のあまり錯乱状態に陥っているシュミットを見て、しかしイタチはその考えを否定する。

 

「犯人らしき人物は、転移結晶を使って逃げました。幽霊である筈がありません。」

 

 イタチの言葉にアスナは頷く。二人とも、この現象は幽霊による仕業などではなく、何らかのシステム上のロジックによるものと考えているからだ。アスナには未だにどのようなトリックを使用しているのか、見当もつかないが、ここで捜査を断念するつもりは毛頭無い。何としても、犯人を見つけ出してその手口を明らかにするのだ。

 

 

 

 ヨルコが殺されたその後、イタチとアスナは恐慌状態から大分立ち直ったシュミットを聖竜連合本部まで送り届けた。ギルド所属当時の指輪の売却反対派三人のうち二人が殺された以上、次は自分が標的にされる可能性が高い。未だ殺害の手口が不明である以上、その恐怖は測り知れない。正気に戻って帰れただけでも御の字だろう。足取りは来た時と比べものにならないくらい重かったが、ギルドメンバー以外立ち入ることができない聖竜連合の本部ならば、これ以上無いほど安全だろう。

 イタチは聖竜連合本部の城内までシュミットを見送った後、城門の前で待つアスナのもとへと戻った。二件目の殺人が起こったことで、アスナも私服から常の騎士服へと着替え、臨戦態勢となっていた。

 

「シュミットさん、どうだった?」

 

「やはり、事件の恐怖が染み付いてしまっていますね。しばらくは前線に出られそうにありません。」

 

「そう……」

 

 予想していたことだったために、落胆は無かった。むしろ当然だろうとアスナは思う。だが、ディフェンダー隊のリーダーと言う重役にあるシュミットが抜ける以上、攻略組の戦力低下は免れない。アスナは事件解決までは前線に戻るつもりはないが、今現在攻略指揮を代行しているテッショウには、今後の方針について検討してもらう必要があるかもしれない。ちなみに、聖竜連合のギルドリーダーであるシバトラにだけは、イタチの口から今回の事件のあらましが説明されている。

 

「シバトラさんの方は、概ね同情的でした。それどころか、捜査の援助を申し出てさえくれました。」

 

「でも、これ以上人手を増やすわけにはいかないものね……」

 

 既に二人の人間が殺害されたこの事件、トリックを看破する糸口は未だ掴めていない。無暗に人手を増やしても、犠牲が増える可能性が高い。

 

「今後の方針ですが、やはりグリムロック氏を探し出すことが一番かと。」

 

「その通りよね。となれば、シュミットさんが言っていた、行きつけのレストランを見張るしかないわね。」

 

「その通りです。」

 

 恐怖で震えていたシュミットからかろうじて聞けた情報なのだが、グリムロックには行きつけの店があったらしい。ギルド解散後の動向が分からないグリムロックを見つけるための手掛かりは、現状では他に無い。

 他のメンバー三人を探し出して手掛かりを聞くという手も考えられなくもないが、ギルド解散から半年以上も会っていない人物について、シュミット以上の情報を持っている可能性は低い。それに、そちらの捜索にまで時間を割けば、事件解決までに時間が掛かり過ぎる。既に二人が死亡している以上、一刻も早い事件解明が求められる。

 

「問題は、どうやってグリムロックさんかを判断するか、よね。」

 

「あの時、屋根を走って逃げた人影の背丈は覚えています。店の前に張り込んで、同程度の体格のプレイヤーが現れ次第、デュエルを申請して名前を確かめるほかないと思われます。」

 

「ご、強引じゃない……?」

 

「ならば、他に方法があるとでも?」

 

 グリムロック本人を特定するための手段として提示した、デュエル申請という方法にアスナは顔を引き攣らせる。だが、イタチから問い返された言葉に、「うっ」と押し黙ってしまう。

 人相等の特徴が分からない相手であり、ギルドが半年前に解散しているため、カーソルにギルドの紋章は現れない。おまけに、SAOにはメーキャップアイテムという、髪や目の色を変えるアイテムも存在するのだ。顔や髪型を変えていた場合、余計に人物特定が難しくなる。

 

「仕方ないわね……あまり気は進まないけれど、その手で行きましょう。」

 

 不承不承、イタチの提案に従うことにしたアスナ。グリムロック行きつけの店は、二十層主街区にある小さな酒場である。イタチと二人、転移門を目指し、目的の場所へと向かう。

 

「そうだ、アスナさん。俺はこれから、黒鉄宮の生命の碑を見に行きます。残りのメンバーが存命なのか、確認しておく必要がありますので。」

 

「単独で行動するつもり?」

 

 他の黄金林檎のメンバーの存命確認は、必要なことである。この事件の犯人が売却反対派のみならず、ギルドに所属していた人間全員を標的に動いている可能性も捨てきれない以上、これは犯人の動向を確認することにもなる。

 だが、捜査をする身にある以上、単独行動には危険が付き纏う。圏内PKの手口も解明されていない今、そのリスクは決して無視できない。

 

「問題はありません。俺は索敵スキルも持っていますし、ソロで単独行動には慣れています。それよりも、ご自分の心配をなさるべきではありませんか?」

 

「……索敵スキルを持っていない私では、先手を打てないとでも言いたいの?」

 

 イタチの挑発とも取れる言葉に、アスナはむっとなる。確かに、血盟騎士団副団長の立場にある自分は、その手の補助スキルに事欠いている。パーティーありきなスキル構成で攻略にあたっているため、索敵等は後方支援メンバーに任せきりなのだ。

 

「心配でしたら、俺も無理に行こうとは思いませんが。」

 

「いいです!見張りぐらい、私一人でも十分です!」

 

 苛立ちを露に、イタチに言い放つアスナ。対するイタチは怯んだ様子もなく、「分かりました」とだけ返事をした。転移門にはイタチが先に立ち、第一層・はじまりの街へと飛んだ。続いてアスナが、二十層へと転移する。

 

「転移・ルブニール!」

 

 ルブニール主街区は、特に大した特徴の無い、アインクラッドではオーソドックスな、第一層のはじまりの街と大差ない、西洋風のレンガ造りの建物な並ぶ街並みとなっていた。中層プレイヤーを集める名物スポットなどもなく、人気のない主街区は寂れていた。そんな街を、アスナは肩を怒らせながら歩いていく。

 

(全く……私がただ人の後ろに隠れているしかできないお嬢様と思って馬鹿にして……!)

 

 苛立ちの原因は、言うまでも無く、先のイタチの発言である。確かに自分は索敵スキルを習得していない、単独行動には不向きなプレイヤービルドだが、能無しとまで言われるほど何もできないわけではない。少なくともこの世界においては、攻略組に名を連ね、“閃光”の二つ名を冠する実力者としての矜持もあった。

 

(こうなったら、何が何でも、認めさせてあげるんだから!)

 

 攻略組として、放置することはできないと判断して捜査に乗り出したが、イタチと一緒に行動することで彼のことを理解し、自分のことも知ってもらいたいという気持ちも少なからずあった。しかし今、アスナの中ではイタチに自分の実力を認めさせたいという意思が強くなっていた。

アスナは目的の酒屋を確認すると、向かいにある宿屋の一室を借り、窓辺から道行く人々を確認し始める。背丈・体格についてはイタチから聞いているが、それだけの情報で本人を特定できるかといえば不安がある。

 

(それにしても……地味な作業ね……)

 

 張り込みは捜査の基本だと、現実世界で見た刑事ドラマで聞いたことがあるが、非常に根気の要る作業であると今になって実感した。いつ現れるか分からない犯人を待ち、しかも体格だけを手掛かりに探し出そうというのだから、必要となる集中力も半端ではない。

 

(待っているだけじゃ、埒が明かないわね……他に方法は無いものかしら……)

 

 現状で取れる唯一にして、非常に非効率的な手段である筈だが、アスナは早くも諦め始めていた。店に出入りする人間を確認しながらも、もっと別の方法が無いかと考えを巡らせる。

 

(こういう時、イタチ君なら……いいえ!私一人で考えるのよ!)

 

 自分一人でもできることがあると証明しようと考えていた筈が、証明すべき人物を知らず頼ろうとしてしまっている。かぶりを振ってそんな考えを振り払い、再び思考に耽るが、やはり妙案は浮かばない。

 

(……駄目だわ。やっぱり私一人じゃ、とても良い考えは浮かばない……)

 

 現実世界では、名門私立中学で生徒会長を務める学校随一の秀才だったアスナだが、こんな事――主にゲーム――などに頭を使うことは滅多に、というか全く無かった。推理小説でも愛読していれば、少しは望みがあったかもしれない、そう思った。

 

(ん?……推理小説……)

 

 その単語に、アスナは何か引っかかるものを覚えた。何か、この事件を解決するための糸口を掴みかけたような気がする。というか、この手の事件にはうってつけの人物の存在を知っている気が……

 

(そうだ、あの人に聞いてみよう!)

 

 アスナの脳裏に、自身と同じギルドに所属するある人物が閃く。自分の力を証明する筈が、血盟騎士団のギルメンを頼りにしていることに関して微妙な心境だが、この際イタチ以外の人間ならば誰の手でも借りようと思った。

 事件捜査に関して知恵を借りるため、早速システムウインドウを呼び出して件の人物へメールを送ることにした。犠牲者の増加を防ぐため、人員増加は控えていたが、メールならば問題はあるいまい。これまでの事件の経過について打ち込み、事件ついて推理してもらうよう協力を要請する。

 

(お願い、コナン君!)

 

 イタチのメールの送り相手、コナンはアスナと並ぶ血盟騎士団きっての細剣使いであり、ずば抜けて頭が切れることで知られている。その風体はまるで、探偵そのもの。本人曰く、SAOの武器として細剣を選んだのも、シャーロックホームズに影響されたからとのことだった。

 アスナが送ったメールの返信は、しばらくしてから返ってきた。事件当時の詳細についての説明を求めるメールで、当時の状況、殺された際の被害者の装備などについて、さらには黄金林檎解散当時の指輪事件についての説明要求が記されていた。アスナは事件当時のことを懸命に思い出し、記憶した限りのことを書き連ねる。そして、再び返ってきたメールには……

 

(ええと……なになに、殺されたカインズの名前を調べてみろ?)

 

 コナンのメールにまず記されていたのは、第一の事件の被害者であるカインズの名前を、ヨルコとシュミット、それぞれから聞いたもので比較してみろとのことだった。何故、そんなことをする必要があるのか、想像もつかないが、他に当てが無い以上、コナンの指示に従うほかない。メールの通り、ヨルコとシュミット、二人から受け取った黄金林檎のかつてのメンバーが記された羊皮紙を出して見比べる。

 

(ええとカインズは……あれ?)

 

 コナンの指示に従い、カインズの名前を調べたところ、すぐに違和感に気付いた。昨日、ヨルコとの別れ際にカインズの名前だけは確認し、ララの店でスピアの鑑定を行った後、イタチと共に第一層の黒鉄宮へ赴き、生命の碑を確認したのだ。結果、ヨルコから教わったカインズの名前には横線が引かれており、死亡原因は貫通ダメージとなっていた。死亡日時も、サクラの月、即ち四月の十一日と、正しく記されていたのだ。ところが今確認してみれば、ヨルコが記したカインズは「Kains」、シュミットが記したカインズは「Caynz」。両者のスペルが異なるのだ。

 

(!……まさか、カインズさんは……でも、トリックは……?)

 

コナンに指摘されたスペル違いに、アスナは頭の中で一つの推測が閃いた。それは、カインズの死が“偽装”であったということ。そう考えるならば、黒鉄宮に引かれた名前の横線は、名前の綴りが異なるカインズの死亡を利用して誤魔化すことができる。デスゲームから既に一年以上が経過しているならば、死亡日時は去年のものと考えられる。

だが、問題は肝心の殺害場面を偽装したトリックである。自分は二件とも、二人が消滅する場面に立ち会っていなかったが、イタチをはじめ大勢の人間が見守る中、どうやって抜け出して見せたというのか。転移結晶を使えば、脱出はできるだろうが、爆散するポリゴン片が生まれなければ、殺人には見せかけられない。

 

(ん……ポリゴン、片……?)

 

何か引っかかるものを感じ、アスナは再びコナンから送られたメールの続きを読む。そこには、まさに今アスナが気付きかけていたトリックの正体が記されていた。

 

(圏内では、HPは減少しないが……アイテムの耐久値は減少する……やっぱり!)

 

 アンチクリミナルコードによる保護がなされている、主街区圏内では、プレイヤーのHPが減少することは絶対に有り得ない。しかし、それは飽くまでプレイヤーのみの話であって、身に纏う装備はその限りではないのだ。コナンのメールを最後まで読み切る前に、アスナはトリックの正体を悟った。

 

(カインズさんはフルプレートの鎧、ヨルコさんは厚手のローブ……二人とも、着込んだ装備の耐久値を削ることで、ポリゴン片を偽造したんだわ!)

 

 凶器に使われたのは、種類こそ違えど、二件とも貫通継続ダメージという属性をもつ武器である。あれを突き刺して圏内に入ることで、HPではなくアイテムの耐久値を削り、消滅のタイミングを見計らって転移結晶で脱出したのだ。

 ともあれ、これで二人が存命している可能性が高くなった。イタチは今、黒鉄宮に確認に出向いている。そして、シュミットから聞いた本当のカインズの名前の綴りも知っているので、帰ってきたら事実の裏付けが取れる筈である。

 

(動機は指輪事件……シュミットさんが絡んでいるのは間違いなさそうね。)

 

 半年前のギルド解散後、シュミットは当時からトップギルドに名を連ねていた聖竜連合に加入し、前線に立っている。聖竜連合総長のシバトラは、明確な加入要件を設けず、ギルドに貢献したい人間ならば誰でも歓迎しているが、攻略最前線で活動するプレイヤーはその限りではない。命の危険が伴う以上、どうしても高レベルに強力な装備をもったプレイヤーが必要になる。それまで中層プレイヤーだったシュミットがそこまでの出世を果たせたのには、指輪略奪を目的としたグリセルダ暗殺の手引をして大金を受け取った経緯がある可能性が高い。

 ヨルコとカインズは、グリセルダ暗殺の真相を突き止めるために、シュミットを追い詰めて真実を吐かせるつもりで今回の事件を計画したのだろう。結果、誰もが圏内殺人などというシステム上不可能な事象を信じ込み、シュミットに至っては幽霊の仕業と全く疑っていない。おそらく、今頃はどこかの階層にあるグリセルダの墓標に跪き、許しを請うているだろう。

 

(なんだ……結局、こんなに簡単なトリックだったなんてね……)

 

 圏内PKという減少そのものを偽装と疑っていれば、もっと早期に見破れた筈だと、全てを知った今では思う。だが、自分はイタチと一緒に事件を解決し、プレイヤー同士で協力し合うことの大切さを伝え、自分の存在を認めさせることに拘り、知らず思考を硬直させてしまっていたようだ。血盟騎士団副団長という身分にありながら、情けないと反省する。

 と、そこまで考えたところで……

 

(あれ?……イタチ君なら、もっと早く気付いてもおかしくなかったんじゃ……)

 

 ふと、疑問に思う。自分は今の今まで、圏内で正体不明の手段を用いたPKが行われたという前提のもとで推理してきた。だが、イタチはどうだっただろうか。攻略組の中でも突出して勘が鋭く、恐ろしく冷静なあの少年ならば、自分よりも先にこのトリックを看破してもおかしくなかった筈だ。否、第二層にて起こった強化詐欺を即座に見破った程に鋭い目と洞察力を有しているあの少年ならば、見破れていなければおかしい。

 

(まさか……イタチ君は、もう全部分かってた?でも、どうして黙っているの……?)

 

 本人に確認するまで分からない仮定の話を、しかしアスナは既にただの推測とは思えなかった。イタチは事件の真相を察していたならば、なぜ一緒に捜査をしている自分に何の報告もしないのか。それどころか、単独行動をとるなど……

 

(そういえば、指輪事件の真相って…………まさか!)

 

 イタチはまた、自分の知らないところで何かをしようとしているのではないか、とアスナは直感する。第一層の黒鉄宮へと行く際、自分に挑発紛いな言動をしてきたのも、単独行動に持ち込みやすくするためだったのではないかとさえ思えてくる。だが、イタチは今黒鉄宮にいないとなれば、どこで何をしているのだろうか。

 フレンド登録をしていれば、居場所を突き止めるのは容易いが、イタチとは事件捜査にあたって協力態勢をとっているとはいえ、フレンド登録まではしていない。インスタントメッセージも、同じ階層にいなければ使えない。

 どうしたものかと考えだすアスナ。と、その視界に、未だに開きっぱなしだったコナンからのメールが綴られたウインドウが入った。

 

(ん?…………「イタチは今、一緒にいるか?」って…………これは!)

 

 コナンから送られてきたメールの文末。そこには、アスナが求めていたイタチの動向、指輪事件の真相……そして、今イタチが飛び込もうとしている危険について記されていた。

 アスナはそのメールを読むや、ばっと立ち上がり、宿屋を二つ名に恥じない閃光の如きスピードで飛び出し、急いで転移門広場へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 第十九層、ラーベルグにある、十字の丘とよばれる寂れたフィールド。特定の人間しか知らないその場所に、今は無き中層ギルド、黄金林檎のリーダーだった女性、グリセルダが眠る墓標がある。そして現在、その場所を三人の男女が囲んでいた。

一人は重厚な鎧に身を包み、墓標に跪いている男性――かつては黄金林檎所属、現在は攻略ギルド聖竜連合所属のプレイヤー――シュミット。その眼前、墓標の向こうには、二人の男女――同じくかつての黄金林檎のギルメン――ヨルコとカインズが立っていた。ヨルコの左手には、音声を記録する録音結晶がある。

 

「そう……だったのか……お前等、そこまでグリセルダのことを……」

 

 かつてのギルメンにして、つい最近起こった圏内殺人事件で殺害されたと目される二人が目の前に立つ理由を悟ったシュミットは、座ったままの状態で脱力した。

 かつての指輪事件で暗殺されたグリセルダの怨霊が、自分を狙っていると疑わなかったシュミットは、最後の手段として亡きグリセルダの墓標に懺悔をしに来ていた。そして、待ち伏せしていたヨルコとカインズが、かつてのグリセルダが纏っていたのと同型のローブを着て登場し、恐怖に駆られたシュミットから事件に関した自白を引き出したのだ。

 

「あんただって、リーダーを憎んでたわけじゃないんだろ?指輪への執着はあっても、彼女への殺意まではなかった、それは本当なんだろう?」

 

「も、勿論だ!信じてくれ!」

 

 シュミットが自白したのは、指輪事件にてグリセルダが暗殺される前日、彼女が寝泊まりしている宿の部屋へ忍び込み、転移先を部屋の中へ設定した回廊結晶を起動して、ギルド共有ストレージに放り込んだというものだった。何者からの指示かは分からなかったが、報酬として指輪売却の上前の一部とのことだった。敏捷を20も底上げできるアイテムならば、一気に攻略組に加われる装備を揃えられる。そんな魅力に抗えなかったシュミットは、短慮にもその指示に従ってしまったのだ。結果、自分は高額の報酬を得ることができたが、それと引き換えにグリセルダは指輪のみならず命まで奪われてしまったのだ。

 

(それにしても、グリセルダを殺ったのは一体誰なんだ……)

 

 グリセルダ暗殺の真相を追及する二人を前にして、シュミットも犯人について思考を巡らせる。ホーム代わりにしていた宿の自分の部屋にメモを置いたことや、暗殺に用いた回廊結晶を共有ストレージに入れることを要求した点から、同じ黄金林檎のメンバーには違いない。

 ヨルコとカインズは、ギルド解散後のメンバーの動向から、大金を持っていたと予想された自分に行き着いたらしい。だが、他のメンバーには自分程ステップアップした人物はいない。中層から一気に最前線で戦えるほどの装備を全身分そろえて余りある金額である。それを使わないということは、目的は金ではなかったということだろうか。だとするならば……

 

ストッ……

 

「えっ……?」

 

 そこまで考えたところで、シュミットの思考は途切れた。否、断ち切られたのだ。乾いた音と共に、シュミットの左肩にナイフが突き立てられていた。そして、それを確認すると同時に、身体が糸の切れた人形の如く突っ伏した。

鎧の隙間を狙って投擲されたナイフ――それは、小型刺突武器専用スキル、鎧通し(アーマーピアース)による一撃。不意打ちをしたのは、目の前のヨルコでもカインズでもない。恐らく、この場にいる三人に気付かずに近づいた――即ち、非金属防具専用スキル、忍び足(スニーキング)も併用したのだろう。そして、身体が言う事を聞かないのは、ナイフに塗られた麻痺毒によるものだ。攻略組として高い防御力と状態異常耐性をもつシュミットに麻痺を浴びせるとなれば、その毒性は並みのものではない。

 攻略組としての冷静な判断のもと、そこまで分析できたその時、三人のもとへ歩み寄る、新たな影が現れた。

 

「ワーン、ダウーン。」

 

 そんな陽気な声と共に、シュミットの近づいたのは、頭陀袋のようなマスクを頭に被った、ブーツ、パンツ、レザースーツ、全てが黒づくめの男。さらに、

 

「あっ……」

 

 ヨルコの小さな悲鳴。シュミットが視線を動かしてみると、そこにはヨルコとカインズに鋭く細長い剣――エストックを突きつけた、全身に襤褸切れのようなものを垂れ下げた男の姿があった。フードの下には、髑髏のマスクを被り、メーキャップアイテムで染められた赤い瞳が鋭く光っている。

 

「デザインは、まあまあ、だな。俺の、コレクションに、加えて、やろう。」

 

 途切れ途切れで歯切れの悪い言葉で喋る男の手には、カインズから奪った逆棘のついたスピアがあった。そして最後に、

 

「Wow……確かにこいつはでっかい獲物だ。聖竜連合の幹部様じゃないか。」

 

 森を包む靄の向こうから現れる、三人目の影。膝上までを包む、艶消しの黒いポンチョ。目深に伏せられたフード。そして、右手には中華包丁の如き肉厚のダガーが握られている。

 

(まさか…こいつら……!)

 

 シュミットは、この男達を知っていた。否、現在、アインクラッドにて生存しているプレイヤーの中で、彼等の存在を知らないプレイヤーなどいないだろう。彼らの頭上で煌めく、紅と見紛うばかりのオレンジ色のカーソルは、プレイヤーでありながら、攻略組、中層問わず、全てのプレイヤーの敵である証……

 

「殺人ギルド……“笑う棺桶(ラフィン・コフィン)”……!」

 

 三人目の長大なダガーを持った男のグローブに、死の代名詞たる彼等のエンブレムが垣間見えた。

 



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第三十四話 紅の死闘

 殺人ギルド、「笑う棺桶(ラフィン・コフィン)」。ゲーム内の死が現実世界の死となるこのデスゲームの中で現れた、デスゲームならデスゲームらしく殺しを楽しもうというという、常軌を逸した思想を唱える者達によって結成された、積極的殺人ギルド。結成されたのは、デスゲーム開始から一年後のことだった。

 ギルド結成に当って、マスターとなったプレイヤーの名前は、PoH(プー)。ユーモラスな名前に反して残酷非道な思考の持ち主たるこの男は、デスゲーム開始以降、至る場面で暗躍してきた。第二層における武器の強化詐欺に始まり、偽の攻略情報斡旋による第二十五層攻略フロアボスを利用した大規模MPKの主犯として、攻略組・中層問わず全てのプレイヤーの敵として見なされている。同時に、凄まじいカリスマと巧みな人心掌握術を併せ持ち、多くのプレイヤーを洗脳し、遂にSAO初の殺人ギルドを結成するに至ったのだ。

 そんな最凶の危険人物が現在、第十九層の外れにあるフィールドに現れているのだ。それも、彼同様危険人物指定されている腹心の幹部を二人も連れて。

 

「さて、どうやって遊んだものかね?」

 

 目の前に転がる獲物をどう料理するか思案するPoH。そんな彼に、シュミットに粘つくような視線を送っていた、頭陀袋のようなマスクを被った黒づくめの腹心――ジョニー・ブラックが、陽気に声を上げる。

 

「あれ!あれやろうよ、ヘッド!殺し合って残った奴だけ助けてやるぜゲーム!」

 

「ンなこと言って、お前この間結局生き残った奴も殺しただろうがよ。」

 

「あー!今それ言っちゃ、ゲームにならないっすよ、ヘッド!」

 

 目の前で繰り広げられるおぞましい会話に、シュミットはもとより、ヨルコとカインズも戦慄する。そんな二人の様子を見て、エストックを突きつけている髑髏マスクの男――赤眼のザザが、にやりと口元を歪めていた。

 やがて、ジョニーとPoHの会話も止み、遂にシュミットに処刑宣告がなされる。

 

「さて、取りかかるとするか……」

 

 PoHの手に握られている肉厚のダガーは、友切包丁(メイトチョッパー)と呼ばれる武器であり、モンスタードロップでありながら鍛冶職人が作る武器を軽く上回るスペックを持つ、魔剣と称されるカテゴリーに属す武器なのだ。いかに攻略組のタンクの装備であろうとも、この巨大なダガーにかかればひとたまりもない。

 PoHの性格からして、おそらく簡単には殺さないだろう。じっくりと肉体を切り刻み、HP全損に少しずつ近づいていく恐怖の中で死んでいく、その様を観賞したいのだろうから。己の絶望に満ちた未来に恐怖するシュミットの顔に、PoHは愉悦を浮かべながらも、友切包丁を振り上げる。そして、非常なる一撃目が振り下ろされようとした――――

 

その時、PoHは背後に気配を感じた。

 

「!……後ろだ!」

 

 突如振り上げた刃を止めて叫んだPoHの言葉に、その場にいた一同が硬直する。その言葉に反応できたのは、ザザだけ。シュミットの処刑劇を心待ちにしていたジョニー・ブラックは、

 

「へっ?…………ぎゃぁっ!?」

 

 反応が間に合わず、自らに襲い掛かった凶刃を防ぎ切ることができなかった。気付いた時には、ジョニーの視線のすぐ先に地面があった。先のシュミット同様、糸の切れた人形のように崩れ落ちたのだ。ジョニーには、あの瞬間自分に何が起きたのか理解できなかった。

 分かっているのは、自分の身体が動かない原因。それは、自分の視界左上のHPゲージに付いたデバフアイコンにあった。

 

(麻痺……だが、どいつが……!?)

 

 辺りを見回そうにも、ジョニーは首が動かず、周囲の状況を確認できない。この状況を理解しているのは、自分の周りに立っている仲間二人と獲物二人の四人だけだろう。全員の視線が、自分の真後ろに集中しているのだけは分かった。

 

(……俺達に気付かれずに接近し、回避不可の速度での投擲……)

 

 レッドギルドたる笑う棺桶、それも幹部メンバーとなれば、敵の接近を察知する能力は攻略組と同等以上に研ぎ澄まされている。その索敵を通過して接近したばかりか、あまつさえ武器を投擲・命中させてみせたのだ。並みのプレイヤーのなせる業ではない。

 そして、こんなことができるプレイヤーを、PoHは一人しか知らない――――

 

「相変わらず、俺達の動きには鼻が利くようだな……イタチ。」

 

「……!」

 

 PoHの放った一言に、その場にいた全員に驚愕と緊張が走る。ザザに至っては、先程より殺気を剥き出しにしてエストックの切っ先を向ける方向を、ヨルコとカインズの二人から、ダガーが飛来した方へと変えている。やがて、その場にいる全員が注視する靄がかかった薄暗い森の奥から、ぼんやりとした黒い影が現れる。

 女性とも男性とも取れる線の細いシルエットの人物は、背中に吊っていた剣を引き抜くと、軽やかな動作でそれを一振りする。夜霧を引き裂いて姿を現したのは、黒衣に身を包んだ少年。額には、木の葉を模したマークに横一文字の傷が入った金属板を付けた額当て。そして、目の前の人物――主にPoH達レッドプレイヤー――に向けられる双眸は、血のように赤く、氷のように冷たい。

 

「久しぶりだな、PoH。探したぞ。」

 

 相変わらず内心の読めない無表情のまま話すイタチの言葉は、まるで久しく会っていない友人に語りかけるかのようであったが、その言葉には明確な殺意が宿っていた。

 

「イタチ……キサ、マ……!」

 

「テメェがやりやがったんだな!」

 

 ザザは髑髏のマスクから覗く、イタチと同じく赤い瞳にて睨みつける。エストックを握る手にはさらに力が入り、いつイタチに襲い掛かってもおかしくない。

 地面に伏しているジョニーは、イタチの姿を視認できないものの、PoHの言葉から自分をこのような状況に陥れた人物がイタチであることは容易に想像がついた。身体が動かないながらも、見えないイタチに悪態を吐く。

 

「お前、この状況、分かって、いるのか?」

 

「ジョニーを真っ先に潰したのは称賛に値するが、まだ俺とザザが残っている。お前一人で相手し切れると思っているのか?」

 

 攻略組最強のプレイヤーとして認知されているイタチを相手にしても、飄々とした態度を崩さないPoHとザザ。対するイタチは相変わらずの無表情で、しかし敵対する二人に対して一切の隙を見せない姿勢で答える。

 

「もうあと十分もすれば、攻略組三十人の援軍が到着する。お前達に逃げ場は無い。」

 

 イタチの言葉に、PoHはフードの下で舌打ちをする。いかに笑う棺桶のトップスリーといえど、攻略組三十人を相手に勝てる筈など無い。PoHはザザに目で合図を送り、撤退を試みるよう指示するが……

 

「尤も、」

 

 イタチの振り抜いた剣――ランスオブスリットが、PoH目掛けて突き出される。対するPoHもまた、手に持った友切包丁をもって刃を受け止めた。

 

「お前達二人を相手に、援軍の到着を待つつもりも無い。」

 

「Hmm……血気盛んなのは結構だが、そいつは身の程知らずって言うんじゃねえか?」

 

 イタチの言葉に、自信過剰の色は無い。ただ事務的に、可能であるという事実を、冷静に分析した結果として受け止め、己のすべきことと判断して行動に移しているだけ。

 

「嘗め、るな……!」

 

 それまで黙っていたザザが、PoHと衝突しているイタチ目掛けてエストックの刺突を放つ。確実に勝てると――自分達を完全に格下と見なされたことに苛立ちを露にしていることは明らかだ。

 イタチはザザの発動したソードスキル、スピナーによる一撃を紙一重で回避する。基本中の基本である単発技だが、ザザの放った一撃は鋭く、急所を狙った、即死すら狙える一撃だった。だが、イタチの顔には一切の焦りは見えない。

 

「畜生!ヘッド、ザザ!早く背中のコイツを抜いてくれぇっ!」

 

 地に伏した状態で喚き散らすジョニーだが、イタチが初撃で投擲した麻痺毒塗りのダガーが突き刺さっているお陰で動けない。イタチを殺すのに加勢するために仲間に助けを乞うが、当の二人にはそんな余裕は無い。二人並んで、武器を構え直してイタチと相対する。

 

「思えば、お前とこうしてじっくり切り結ぶのは、初めてだったな……」

 

「必ず、殺す!赤い眼は、俺一人、だけで、良い!」

 

 並び立ち、常軌を逸した殺気を放つ二人のレッドプレイヤーを前に、しかしイタチは怖気づいた様子など全く無い。手に持つランスオブスリットを正眼に構え、二人の動向を見据える。

 

「イッツ・ショウタイム……!」

 

「……ふっ!」

 

 先に動き出したのは、イタチだった。並みのプレイヤーでは反応することすら難しい敏捷を発揮し、地面すれすれの高さをほぼ水平に跳躍。並び立つPoHとザザのもとへと一気に肉薄する。互いの間合いがあと一歩というところまで迫ったところで、イタチは水平斬りソードスキル、ホリゾンタルを発動する。

 

「くっ……!」

 

「チッ……!」

 

 だが、PoHとザザも然る者。イタチの間合いに入る前に、それぞれ別の方向へと跳躍してソードスキルを回避する。結果、イタチの左から右へと薙いだホリゾンタルは空を斬るのみだったが、それで終わりではない。ソードスキルの発動直前、イタチは左手にサブウエポンたるもう一つの武器を握っていたのだ。そして、ホリゾンタルを発動と同時に敵が回避する方向を確認するや、左手を振るう。

 

「ぬっ!?」

 

 標的となったのは、イタチから見て左方向に飛び退いたザザ。跳躍後、未だ着地していない彼の足に、イタチの振るった武器が“絡みつく”。

 

「戦、鞭……!」

 

 音速を超える速度で繰り出され、四メートルはあろうリーチをもって撓るそれは、まさしく戦鞭。固有名は、レッドスコルピオン。ザザがこの類の武器を見るのは、二十五層フロアボスによるMPK事件後、追撃に出たイタチが振るう場面に立ち会っているので二度目になるが、半年以上の月日が経った今では、イタチのステータス上昇に伴ってより速くなっているのは間違いない。事実、敏捷特化型のザザですら、碌に反応できなかったのだから。

 イタチはザザの足に鞭を絡みつけるや否や、思い切り手前に引く。結果、ザザは空中でバランスを維持できなくなり、地面に背中から落下することとなった。

 

「ぐっ!」

 

 地面に叩きつけられた衝撃と、このような無様な醜態を晒す結果を作ったイタチに対しての怒りに、髑髏マスクの下で顔を顰めながらもザザはすぐに態勢を立て直す。そして、片膝を付くと同時に、エストックを振るった。直後、金属同士が衝突する激しい音が木霊する。

 

「この一撃を防がれるとはな……」

 

 ザザの目の前には、片手剣を振りおろしたイタチの姿がある。イタチは、ザザが地面に落下した隙にまたしても一気に接近し、単発型のソードスキル、スラントによる斜め斬りを繰り出したのだ。

そして、ザザは地面に倒れた状態で、ソードスキルのライトエフェクトを視界の端に収めるや、即座に起き上がってこれを防いでみせたのだ。

 

「見く、びるな!」

 

 怒気を孕んだ声でイタチに返すザザだが、この状態はザザにとってかなり分が悪い。攻略組として高い筋力値をもつイタチの刃を押し返すほどの力はザザには無く、エストックという武器自体も防御には向かず、上から振りおろされた一撃を防御すれば相当な耐久値を削られてしまう。このまま鍔迫り合いが続けば、いずれはザザのエストックが折れて、イタチの追撃が入るだろう。

 ザザ単独では勝ち目のない状況。そこへ、横合いからもう一人の仲間による援護射撃が入る。

 

「む……!」

 

 背後に殺気を感じたイタチは、即座にザザとの鍔迫り合いを中断し、空中へと跳躍、空中で後天する。直後、イタチがいた場所を、紫色の光を散らしながら回転する長大な中華包丁のようなダガーが通過する。イタチは無事に避けて着地すると、退避するザザに目もくれず、いつの間にか隠蔽スキルを発動させて間合いに入り込んでいた敵へと視線を移す。

 

「俺を忘れてもらっちゃ、困るぜ。」

 

「別に忘れていたわけじゃない……随分と遅い援護だったな。」

 

 イタチの視線の先には、PoHの姿。高度な隠蔽スキルを発動しているおかげで、索敵スキルに引っ掛かりにくくなっているが、イタチにはすぐに居場所が分かった。対するPoHも、イタチ相手に隠蔽が、奇襲をかけやすくするための補助程度にしかならないことは先刻承知だったため、身を隠している様子は無かった。

PoHはイタチと真っ向から対面しながらも、やはり飄々とした態度を崩さない。すると突然、イタチは右側へと身を翻す。その途端、先程イタチに襲いかかった肉厚のダガー――友切包丁が空中で回転しながらイタチのいた場所をまたしても通過する。ブーメランのように二度もイタチを襲った長大なダガーはその後、持ち主たるPoHのもとへと飛来し、その手に戻った。

 

「投擲スキル……フリスビー・シュートか。」

 

「俺も誰かさんの真似をしてみたくなったもんでねぇ……」

 

 投擲した武器がブーメランのように空中で旋回し、手元に戻ってくるまでその威力を維持するソードスキル、フリスビー・シュートは、投擲スキルに分類される。だが、発動に最適な武器はチャクラムであり、ダガー等の短剣類によって発動するには相当に習得レベルを上げる必要がある。

 

「俺達を離れた状態にして一人ずつ始末しようって魂胆だったようだが、俺は投げナイフも得意でな。生憎だが、その戦法は通用しねえぜ。」

 

 PoHの言葉に、イタチは若干目を細める。確かにPoHの言うとおり、イタチは二人を相手するにあたり、同時に剣を交えるよりも各個撃破を狙うことが効率的であると考えて連携を崩す策略に出ていた。だが、PoHの投擲スキルがここまで高度なものとわかった以上、この手段は使えない。

 

「これで分かったろう?お前がいかに無謀なことをしているか、ってな。今ならまだ、俺達の撤退を聞き入れてくれるならこの場は治めてやっても良いんだぜ。」

 

 PoHにとって、この戦いは実はあまり望むところではなかった。相手がイタチ一人ならば、ザザと二人で殺しあいに興じることもできたが、あと十分足らずで援軍が到着すると聞かされた以上、だらだらと戦っているわけにはいかない。即刻、決着を着ける必要があるのだが、攻略組最強クラスの実力を持つイタチ相手にそんなことができる筈もない。ただでさえ、勝てるかどうかも分からない相手である以上、このまま続けていれば、決着よりも先に援軍が到着することは確実である。ヨルコやカインズ、シュミットを人質に脱出するという策もあるが、レッドプレイヤーの排除を優先しているイタチには通用しないだろう。

 戦況は二対一で互角に渡り合っているようだが、その実自分たちは不利な立場に立たされていることを、PoHは理解していた。そして、対するイタチの答えは予想通り……

 

「残念だが、その相談には乗れないな。お前たちはここで始末させてもらう。」

 

 どうあっても、PoH達笑う棺桶の幹部を抹殺する意思を変えるつもりは無いと宣言する。もとより、イタチとてこの現状を冷静に受け止めているからこそ、こうして戦いに臨んでいるのだ。レッドプレイヤーの中でも殊に危険視されている笑う棺桶のトップスリーをこの場で屠れば、組織の壊滅は確実だ。イタチには、この戦いを諦める理由など存在しない。

 

「上、等、だ!」

 

 イタチの言葉に、さらに怒気を強めたザザが再び襲い掛かる。エストックの鋭い切っ先を、ソードスキル発動のライトエフェクトと共に突き出す。発動する技は、細剣系ソードスキルの八連撃、スター・スプラッシュ。一撃目はまっすぐイタチの心臓を狙っている。対するイタチは、背後からの奇襲であるにも関わらず、まるでザザの動き全てが見えているかのように身を翻し、

 

「な、に……!?」

 

 右手に持ったランスオブスリットの柄尻で、エストックの切っ先を受け止めた。刀身に比べて耐久値の低い部位だが、威力が乗り切らない一撃目ならば、垂直方向で受け止めることができれば十分止められる。ザザのエストックは、イタチの常人離れした業によって止められ、針を連想させる細身の刃は衝撃で弧を描くかのように撓む。イタチはそこから柄尻の角度を変え、ザザのエストックの切っ先が勢い余ってビーンという音を立てて宙を突く。さらに、

 

「……ハッ!!」

 

「ぐっ……!」

 

 ザザがバランスを崩した瞬間を見逃さず、イタチは垂直斬りソードスキル、バーチカルを発動。ザザが持つエストックの刀身の半ばに炸裂した斬撃は、その細い刀身を見事に両断した。

 

「キ、サ、マ……!」

 

 獲物を叩き折られたことに激怒するザザ。怒りにあまり、耐久値が全損したエストックを握る手が震えていた。だが、次の瞬間には怒りを殺意に変えて再び攻撃を仕掛ける。

 

「殺、す!」

 

 失われたエストックの代わりに突き出したのは、先程カインズの手から奪った逆棘付きのスピア。武器としての力は中層プレイヤーの使うものとして突出した面は無いが、急所を突かれればちょっとはそっとの力では抜けず、下手をすればHP全損は免れない。

 だが、イタチからしてみればそれも所詮はただの悪足掻き。イタチは動揺した様子もなく、繰り出される刺突を受けることなく、ランスオブスリットを振るってザザの手からスピアをはたき落とす。

 

「チィッ……!」

 

 スピアも落とされて無手になったザザは、後方へと飛び退く。素手ではイタチと戦うには分が悪すぎるため、新たな武器を取り出すべく、クイックチェンジを発動。再びその手にエストックを握り、イタチに向けて刺突を繰り出す。

 

「今度、こそ、殺、す!」

 

 繰り出されるのは、細剣系ソードスキル、カドラプル・ペインによる稲妻の如き四連撃。それに伴い、PoHも友切包丁片手にイタチに向かって襲い掛かる。

だが、ザザのエストックから放たれたソードスキルが、イタチのもとへ届くことはなかった。

 

「……はっ!」

 

 向かってくるザザに対し、イタチは左手に握ったレッドスコルピオンを繰り、地面を打つ。すると、撃たれた衝撃によって辺りに散らばっていた落ち葉が宙を舞い、ザザの視界を遮る壁となった。

 

「目眩ましの、つもり、か?」

 

 舞い上がった落ち葉は、確かにイタチに対する目眩ましとしては有効だろう。だが、如何せん距離が近すぎる。落ち葉で視界を奪ったところで、ザザは止まらない。そしてイタチには、刺突を防ぐ術など無く、回避も間に合わない。近くのPoHを警戒したために、対処法を変えねばならなかったのだろうが、目眩ましでは意味が無い。PoHとて、先程のザザの突発的な行動には出遅れてしまったが、今回はタイミングを合わせての挟撃を仕掛けることは可能だ。

 

「死、ね……!」

 

 ザザ自身のエストックに串刺しになるか、PoHの友切包丁で切り裂かれるかは分からないが、この先にある光景は、間違いなくイタチの死。唇の端を歪めながら、いざイタチの心臓を貫くべくエストックを突き出す。と、その時……

 

「ぬ……?」

 

 ザザの視界に映る、黒く細長い影。地面からバトンのように回転しながら空中に撥ね上げられたそれは、落ち葉に次いで、行く手を隔てる第二の壁のようにザザの視界に飛び込んだ。ザザの胸のあたりの高さに到達すると、ピタリと静止した……ように見えた。

 

「食らえ。」

 

 ぼそりと呟かれたイタチの言葉に、ザザは硬直する。戦鞭に打たれて地面から撥ねあがった、血のように赤いそれは、先程ザザがエストックを折られた怒りのままに突き出し、イタチに叩き落とされた逆棘付きのスピアだった。地面に水平に静止したそれの柄尻を捉えているのは、イタチの左足の裏。後ろ蹴りの姿勢にあったイタチは、そのまま真っ直ぐ蹴りを放つ。

 

「ぐ、ぼぉっ……!」

 

 イタチの後ろ蹴りによって突き出されたスピアは、エストックにてソードスキルを発動中のザザの鳩尾に入り、背中まで貫く。予想外の攻撃に、ソードスキルの発動を強制的に停止されたザザは、腹にスピアを食らった衝撃で後方に突き飛ばされた。

 

「余所見は禁物だぜ、イタチよぉ……!」

 

 イタチがスピアを後ろ蹴りで繰り出すのと同時に、PoHは友切包丁からライトエフェクトを伴う一撃――ソードスキルをもってイタチに振りかぶる。発動したのは片手剣基本技のスラント。武器としては短剣に分類されている友切包丁だが、その形態と魔剣故の性質により、使えるソードスキルは短剣カテゴリーに留まらず、投擲や片手剣にまで多岐に渡るのだ。

 単発技とはいえ、頭部などの急所を狙えば大幅にHPを削られることは間違いない。その上、PoHのような実力者ならば、一撃目の直撃で生じた隙を突くことで、続く二撃目、三撃目で確実にHP全損に追い込めるだろう。だが、イタチも簡単にそれをさせるほど甘くはない。

 

「甘い……!」

 

 片足立ちの姿勢のまま、イタチはPoHの一撃に対処するべく、右手に持つランスオブスリットでソードスキルを発動させる。迎撃するべくイタチが繰り出したのは、水平斬りソードスキル、ホリゾンタル。イタチのもとへ届く凶刃の横腹を、イタチの頭部を叩き切るその直前に打ち据える。

 

パキ……

 

「!」

 

 武器同士の衝突と共に、金属がひび割れる音が響き、イタチの持つランスオブスリットが振り抜かれたその時には、友切包丁の刀身が見事に両断されていた。

 

「Shit!」

 

 愛刀たる友切包丁が手の中で消滅するのを見ながら、PoHは舌打ち混じりに罵り声を上げる。丸腰では分が悪すぎることを悟ったPoHは、後退を余儀なくされる。

 

「成程……これが噂に聞いていた、“武器破壊(アームブラスト)”って奴か。」

 

 今現在、デスゲームと化したSAOには、既存のシステムに依存しない、システム外スキルと呼ばれる類のスキルが数多存在する。複数のプレイヤーが連携して攻撃・HP回復を行うスイッチのような既存のMMORPG由来のスキルに始まり、VRMMO独自のスキルとして開発されたシステム外スキルとして、モンスターのAI学習を誘導して隙を作り出すミスリードなど、その種類・用途は多岐に渡る。

 中でも、イタチが開発したシステム外スキルは、常人離れした技能とセンスを要することで知られており、習得できるのはごく僅かの攻略組プレイヤーのみと目されている習得難易度最上位スキルとして分類されているのだ。片手剣二本を両手に持ってソードスキルを連発するスキルコネクトは言わずもがな。先程発動した、敵の武器にソードスキルを叩きつけることで破壊する、武器破壊に至っても、的確な部位を狙ってソードスキルを繰り出さなければ不発に終わる可能性の高い、高度な業なのだ。単純なAIで動くモンスターならいざ知らず、プレイヤー相手となればその難易度は測り知れない。

 

「お前の魔剣は無くなった。部下二人も使い物にならない今、勝ち目はあるまい。」

 

 正鵠を射たイタチの言葉に、PoHはフードの奥で苦い物を口にしたかのような表情を浮かべる。ジョニーは初撃で突き刺さった毒塗りのダガーが背中に突き刺さっているせいで動けず、ザザは鳩尾をスピアで貫通されており、自力では引き抜けない状態だ。二人に突き刺さっている武器を引き抜けば、味方を増やすこともできるだろうが、イタチに背を向けて仲間を助けに行くのは自殺行為に他ならない。PoH自身も主武器たる友切包丁を破壊されているこの状況では、イタチを相手に勝ち目は無い。

 

「Mm……相変わらず、そそる奴だ。だが、今日はここまでだ。」

 

「この期に及んで逃げ切れるとでも思っているのか?」

 

「そいつは分からねえぜ……」

 

 危機的状況に立たされているこの状況にあっても、PoHは不敵に笑いかけてくる。武器を取り出すべく、クイックチェンジを発動、新たなダガーを手に取る。対するイタチも、鞭を器用に束ねて腰に装着すると、クイックチェンジを発動。左手に片手剣、フレイムタンを握る。イタチのユニークスキル、二刀流の構え。

 

「悪いが、お前はここで終わらせる……!」

 

 二刀を振りかざして襲い掛かるイタチ。一気にPoHへと肉薄するその気迫に、しかし対するPoHは全く動じない。自信の源となっているのは、イタチが二刀流であっても連続技を使うことを忌避していることを知っているからだろう。

PoHのような、実力あるレッドプレイヤー相手では、発動の前後に隙が多く勝敗において致命的な技後硬直が生じる連続技は命取りになりかねない。事実、イタチはPoHとザザ二人と切り結ぶに当って、単発技ソードスキルしか発動していない。ザザのように血の気の多いレッドプレイヤーならば、後先構わず連続技ソードスキルを連発するが、少なくともイタチはその限りでは無い。

 

「行くぞ……!」

 

 PoHへと迫るイタチの刃。まずは左手に持つフレイムタンにて、垂直斬りソードスキル、バーチカルを発動する。狙いはPoHの持つ右手のダガー。攻略組トップとして回避不可の速度で動くイタチを相手にする以上、PoHは防御以外の手段を取れない。イタチの予想通り、PoHは短剣系ソードスキル、クロス・エッジを放つ。短剣故に威力に欠ける点を、連続技により相殺するつもりなのだろうが、イタチの右手にはもう一本の刃が握られている。

 

「これで終わりだ……!」

 

「どうかな?」

 

 イタチの右手の片手剣より、片手剣単発技、スラントが発動する。本来ならば、このまま斜めに繰り出される斬撃が、PoHを袈裟斬りにする筈。だが、対するPoHの取った行動は、イタチの予想を裏切るものだった。

 ソードスキルを発動しようとうとするイタチに対し、PoHが起こしたアクションは、左手を突き出して繰り出す、体術系ソードスキルの打撃技、閃打。

 

「!」

 

 右手に持ったダガーのソードスキルを出し終えて間もなく、今度は左手で体術スキルを発動する――即ちこれは、スキルの連続発動、スキルコネクトだ。

 さしものイタチも、まさかPoHが短剣・体術のスキルコネクトを習得しているとは予想していなかった。だが、それはイタチにとって致命的な事態足りえない。発動中のスラントの軌道を修正し、PoHの閃打を発動しようとしていた左手を手首から切断する。部位欠損ダメージの回復には、数分を要する。この距離にあって、残る武器が右手一本となれば、PoHのHPを一気に全損せしめるのは容易い。再度二刀を構え直し、PoHに斬りかかろうとするイタチ。だが、その時だった。

 

「……!」

 

 イタチの視界左端から、突如視界を遮る灰色の濁流が迸る。突如起こった予想外の現象に、イタチは二刀の構えを解いてPoHから反射的に退く。同時に、先ほど視界を覆った灰色の何かが、煙であったことを悟る。

 

(まさか……)

 

 冷静に現状を分析したイタチは、この煙の出所を突き止めるに至った。煙が噴き出したのは、視界左端……斬り落としたPoHの左手が転がっている場所だったのだ。

 

(煙玉を握った状態でわざと斬り落とした……そういうことか……)

 

イタチの予想は正しかった。PoHは先ほどの攻防の中、体術スキル・閃打を、煙玉を握った状態で発動したのだ。結果、PoHの目論見通りに手首から斬り飛ばされた左手は、地面に落ちてポリゴン片を撒き散らして消滅。残された煙玉が、地面に落下すると共に炸裂、煙を発したのだ。

 予想外の手段を弄され、反射的に距離を開けてしまったイタチは内心で舌打ちする。PoHにとって、この煙幕の外にいるイタチには、内部からの奇襲はさほど脅威ではない。だが、PoHにとっては、イタチから逃亡する絶好の機会なのだ。

 

「グッバイ。」

 

 案の定、煙幕の奥から聞こえた別れの言葉と共に、煙の合間から青白い光が垣間見えた。転移結晶を使って、この場を離脱したのだろう。

 それと同時に、イタチの背後でカランという乾いた音が響いた。

 

「……」

 

 振り返ったその場所には、逆棘の付いた赤いスピアが転がっていた。見紛う筈のない、先ほどザザの鳩尾から背中を貫いたスピアである。

 

(逃げたか……)

 

 どうやら、こちらも隠し持っていた転移結晶を使用して離脱したらしい。スピアはカインズから奪い取った物で、所有権が移動する二十四時間が経過していなかったため、この場に残ったのだろう。

 

(捕らえたレッドは一人……我ながら、情けないな……)

 

 レッドギルド、笑う棺桶を壊滅させる絶好の機会だったにも関わらず、トップスリーの内で捕らえられたのは、ジョニー・ブラック一人。己のすべきことを成し遂げられなかったことに対し、イタチは忸怩たる思いだった。

 

(レッドプレイヤーは笑う棺桶を中心に戦力を拡大している……全面衝突は間近なのだろうな……)

 

 この戦いは、云わば前哨戦。レッドプレイヤー達は今後戦力を整え、攻略組に本格的な宣戦布告を行うだろう。

枯木が並ぶ荒野の丘に立つイタチは、来る攻略組対レッドギルドの本格的な戦い……血で血を洗う戦争勃発を、一人予感していた――――

 



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第三十五話 真相

皆さま、こんばんは。作者の鈴神です。
いつも本小説を読んでいただき、ありがとうございます。
おかげさまで、遂に一周年を迎えることができました。
月に二回のスローペースですが、今後も投稿を続けられればと思います。
今回は一周年を記念して、二話連続投稿します。「心の温度」へストーリーは突入します。お楽しみに。


 荒野のような寂れた丘のフィールドへと襲来した三人のレッドプレイヤー。彼らは笑う棺桶と呼ばれる最凶ギルドとして名高い殺人集団のトップスリーだった。ある人物の依頼により、三人のプレイヤーの始末を請け負ってここまで来たのだが、予想外の邪魔が入り、依頼遂行は失敗に終わった。三人の内二人は深手を負わされ、離脱。残る一人は、麻痺毒の塗られたダガーを背中に突き刺され、動けずに地面に横たわっていた。

 

(畜生!……ヘッドもザザも、敵わなかったのかよ……!)

 

 初撃で麻痺毒を塗ったナイフに刺されたことで動きを封じられたジョニーだったが、PoHとザザの二人ならば、イタチ相手でもすぐに殺して、またプレイヤー殺しに興じられる。今となっては、その考えも浅はかだったと認めざるを得ない。まさか、イタチがあの二人を退けるどころか致命傷まで負わせるとは思わなかった。最早、取れる手段は逃げの一手のみ。ポーチに仕込んでおいた転移結晶を利用し、自分も離脱を試みる。ところが、

 

「ぐぅっ……!?」

 

 腰のポーチへと手を伸ばすジョニーだったが、その手が転移結晶を掴むことはなかった。突然の痺れと共に、静止する右腕。何が起こったのか、理解できなかったジョニーの耳に、あの男の声が聞こえた。

 

「悪いが、お前だけは逃がしはしない」

 

「テ、メェ……!」

 

 離脱を試みるジョニーの腕が、イタチが握る逆棘のスピアによって地面に縫い付けられていた。頭陀袋に空いた二つの穴から覗く怒りに満ちた双眸も、麻痺した状態ではイタチを睨みつけることすら儘ならない。非常に業腹だが、捕まるしかないとジョニーは悟った。

 ジョニーが大人しくなったのを見計らって、イタチはその場にいた全員に改めて話し掛けることにした。

 

「また会いましたね、ヨルコさん」

 

 ラフコフのトップツーを相手に大立ち回りをやってのけてなお、全く息の上がった様子を見せず、残された幹部に容赦なくスピアを突き刺すイタチを前に、ヨルコは竦み上がってしまう。だが、圏内PKなる事件を偽装し、プレイヤー達を混乱に陥れた立場にある以上、このまま黙ったままでいるわけにはいかない。

 

「ぜ、全部終わったら、きちんとお詫びに伺うつもりだったんです……ほ、本当です!」

 

 上ずった声で話すヨルコは、今回の騒動に関する責任に関して、必死に弁明する。彼女や隣のカインズの目には、イタチはレッドプレイヤー以上に恐ろしい存在として映ったのだろう。

 

「あとできちんと事情を説明していただきます。それから……あなたがカインズさんですね。はじめまして、イタチです」

 

「い、一応あなたとは、あの教会の壁で会っている筈なのですが……いつから気付いていたんですか?」

 

「最初からです」

 

 ヨルコ同様に怯えた様子のカインズの問いに、イタチはにべもなく即答した。その言葉に、カインズとヨルコは顔を引き攣らせた。

 

「あの時、鎧が砕けるポリゴン片の中に、転移結晶の光が確かに見えました。ヨルコさんの時も同様です」

 

 常人離れした動体視力を持つイタチにとって、爆散するポリゴン片の中にある転移結晶の光を見抜くのは、さして難しいことではなかった。

 

「……どうして、アスナさんに話さなかったんですか?」

 

「あなた達がこのような行為に及んだ理由について知りたかったんです。愉快犯で圏内を騒がせたいだけならば、参考人として出張る必要がありませんでしたからね。何か、込み入った事情があることは容易に察しがつきました」

 

 イタチには、今回の事件についての大凡の事情は、最初からお見通しだったのだろう。それを悟らされ、カインズとヨルコは脱力する。

 

「イタチ……だが、何故笑う棺桶の連中が襲ってくることが分かったんだ?」

 

 麻痺から回復し、膝を付いて立ち上がったシュミットからの問いかけに、対するイタチは相変わらずの無表情で答えた。

 

「あなた達の黄金林檎が壊滅した切欠になった指輪事件……その真相に行き着いたからだ」

 

「どういうことだ?」

 

「指輪事件の真相って……犯人が分かったんですか!?」

 

 シュミットはその言葉に訝しげな表情を浮かべ、ヨルコとカインズは、自分達の知りたかった事件の真相を知っているということに驚き、その先を知りたがっている様子だった。イタチはそんな三人に対し一つ頷いて説明を続ける。

 

「黄金林檎のリーダー、グリセルダさんは、サブリーダーのグリムロックさんと入籍していました。システム上、結婚している夫婦はアイテムストレージが共有状態になります。そして、片方が突発的な事故等で死亡した場合、ストレージに納められているアイテムは、もう片方のストレージに容量の限り納まることになります」

 

「それって……まさか!」

 

 そこまで語られたところで、イタチが何を言いたいのかを察したヨルコが息を呑む。シュミットとカインズも表情を驚愕に染めていた。そしてイタチの説明は、核心へと迫る。

 

「グリセルダさんが死亡したその時、ストレージに納められていた指輪は、グリムロックさんのストレージに残った筈です。シュミットに暗殺の手引をさせたのが、ギルドのメンバーだったのならば、犯人はただ一人……そして、この計画に関与していたのならば、関係者全員を殺害し、真相を闇に葬ろうと考えてもおかしくはありません」

 

「それじゃあ、犯人は……グリムロック、なのか!?」

 

「け、けど……それじゃあ、あの人がリーダーを……奥さんを殺害したということですか!?」

 

「実行したのは、おそらくレッドプレイヤー……笑う棺桶でしょう。依頼したのは、グリムロックさんで間違いないでしょうが」

 

 その事実に、衝撃を受ける元黄金林檎メンバーの面々。犯人の正体を知ることができたが、その動機は理解できない。そんな混乱状態の一同に、イタチはさらに続ける。

 

「そこから先は、本人に直接聞いてみるといい。総仕上げとして、関係者全員を始末するこの場を見届けるために訪れていた主犯が、もうそろそろ連れて来られる頃ですから……」

 

 イタチの説明がちょうど終わったその時、この場に近づく足音が複数近付いてきた。ヨルコとカインズ、シュミットは、接近してくる人物に警戒心を抱くが、イタチは全く動じない。今からここへ来る人物が、誰なのか分かっているのだろう。やがて、薄暗い森の奥から三つの影が現れた。

 

「ご苦労だったな、カズゴ、アレン」

 

「ったく……相変わらず、無茶やらかしやがって……」

 

「ホント……他人を頼るってことをいい加減に覚えて欲しいね」

 

 現れた影の内の一人は、イタチよりもやや大柄な、黒装束に身を包んだオレンジ色の髪が特徴的な少年――両手剣使いのカズゴ。二人目は、イタチよりもやや細身の体格に、白い髪をした少年――長剣使いのアレン。攻略組の強豪プレイヤーの一人として知られる彼等は、イタチとはベータテスト時代からの知り合いだった。そして今回、この二人はイタチの依頼により、事件の真の黒幕たる人物を捕縛し、この場に連行したのだ。

 

「そいつで間違いないのか?」

 

 二人に挟まれる形で連行されてきた人物に視線を移すイタチ。カズゴの大剣と、アレンの長剣を突きつけられた状態で立ち尽くしている男性プレイヤー……かなりの長身で、裾の長い革製の服を着込み、つばの広い帽子を被っている。銀縁眼鏡をかけたその容貌は、まるで香港マフィアのようだった。

 

「ああ、間違いない。ブッシュでハイディングしていたところを、アレンが見つけた」

 

「目を使った索敵はかなり得意だからね」

 

 得意げに語るアレン。彼の言う通り、視覚を利用した索敵能力に関しては、イタチと互角以上と噂されている。中層レベルのハイディング程度を見抜くのは、造作も無いことだった。

 

「それから、もう一人いるぜ」

 

「何?」

 

 カズゴの言葉に、訝しげな顔をするイタチ。グリムロック以外に、カズゴとアレンが連れてきた人物がいるというのだろうか。しかし、誰なのだろう……そこまで考えたところで、カズゴの背後から件の人物が姿を現した。

 

「黒鉄宮の生命の碑を見に行った筈が、まさかこんなところに来ているなんてね……イタチ君」

 

「アスナさん……!」

 

 予想外の人物の登場に、さしものイタチも驚愕に目を見開く。第二十層のグリムロック行きつけの店で見張りをしている筈の人物が何故ここにいるのか、すぐには理解できなかった。おそらく、どこかから情報が漏れ、アスナに伝わったのだろうが、その経路が思いつかない。尤も、皮肉を口にするアスナが内心に抱える凄まじい怒りの原因については、心当たりがありすぎたが……

 

「私がこの場にいることが、不思議に思えて仕方ないみたいね。私もいろいろと言いたい事があるけど、それは後にしましょう。まずは、この事件の真相を確かめる方が先よ」

 

 この場で最も激しい剣幕だったアスナに先を促され、イタチはグリムロックに対し口を開く。

 

「はじめまして、グリムロックさん。俺はソロプレイヤーのイタチです。ヨルコさん達が起こした圏内事件をきっかけに、指輪事件の捜査も行わせていただきました。あなたが指輪事件の黒幕……グリセルダさん暗殺の主犯ですね?」

 

「……誤解だ。私はただ、事の顛末を見届ける責任があると思ってこの場にいただけだよ。姿を隠していたのも、仕方の無いことだ……あの恐ろしいオレンジプレイヤー達相手に、鍛冶屋の私が敵う筈もあるまい」

 

 この期に及んで言い逃れを試みるグリムロック。イタチは無表情のまま内心で呆れつつも、言葉を続けた。

 

「笑う棺桶の連中による襲撃が、あなたの依頼によるものかは、こいつを締め上げれば分かる話です。ついでに、グリセルダさん暗殺の件に関してもね」

 

 イタチが指差したのは、背中に麻痺毒塗りのナイフを刺され、右手をスピアで地面に縫い付けられた状態で横たわるジョニー・ブラック。イタチに捕らえられたことに相当腹を立てているらしく、最後に悪態を吐いてから一切口を開いていない。現状では依頼主を白状しそうにないが、いざとなればフィールドでHP全損ギリギリまでダメージを与えて拷問してでも吐かせようとイタチは考えていたが。

 

「レッドプレイヤーの言うことなど、信用に値するのかね?私が実際に雇ったと言う物証が無い以上、それも言いがかりにしかならないよ」

 

「……往生際が悪いんじゃねえか、オッサン」

 

「カズゴの言う通りですよ。いい加減、罪を認めてください」

 

 イタチのみならず、カズゴとアレンまでもが呆れた様子で口を開く。だが、グリムロックは相変わらず、知らぬ存ぜぬでこの場をやり過ごす気らしい。

 

「ついでに言わせてもらうが、彼女が死んだ時、指輪はストレージには残っていなかった。おそらく、彼女は指輪を装備した状態で殺害されたのだろう。残念だが、私は指輪の行方については一切知らない」

 

指輪のことについても、グリセルダの死後にドロップしたものをレッドプレイヤーが拾ったと言い張る始末。ジョニーの証言で逮捕にまで持ち込めるかと考えていたが、予想以上に手強い相手だと認めざるを得ない。どうしたものかとイタチが考えていたところ……

 

「待ちなさいグリムロック……証拠なら、あるわ……!」

 

 白を切り通してこの場を後にしようとするグリムロックを呼び止めたのは、それまで黙って話を聞いていた当事者の一人――ヨルコだった。意外な人物からの言葉に、その場にいたイタチはじめとした者達全員の視線が彼女へ集中する。

 

「グリムロック……あなたはつまり、グリセルダさんは死ぬ間際にあの指輪を装備していたから、あなたの手元には残らなかった……そう言いたいね?」

 

「……その通りだが、それがどうかしたのかね?」

 

 一瞬、訝しげな表情を浮かべながらも、飽く迄ポーカーフェイスを装って返答するグリムロック。対するヨルコは、強い意志を秘めた瞳でグリムロックを睨みつけながら続ける。

 

「……リーダーの死後に、すぐに行方を晦ませたあなたは知らないだろうけど、リーダーが殺された現場には、殺人犯が無価値と判断して捨て置いて行ったアイテムがあったわ。発見してくれたプレイヤーがそれを届けてくれた時、私達はこの墓標に遺品を埋めた。リーダーが使っていた愛剣は、耐久値が尽きて消滅したけれど……もう一つ、あなたの容疑を決定づける、確たる証拠がここにあるわ!」

 

 そう宣言したヨルコは、隣にいたカインズと目を合わせると、墓標の裏の地面を素手で掘り始めた。その場にいた全員が固唾を呑んで見守る中、遂にヨルコが確たる物証と宣言したものを取り出した。

 

「それって、もしかして……」

 

「永久保存トリンケット、ですね」

 

 アスナとイタチは、そのアイテムに見覚えがあった。永久保存トリンケットとは、マスタークラスの細工師だけが作り出せる小さな箱型のアイテムであり、SAO唯一と言ってもいい、耐久値無限という属性をもったアイテムなのだ。中へ収納したアイテムは、フィールドに野晒しにしても耐久値が減少することは無いとされている。

 全員がその箱に注目する中、ヨルコがその蓋を開く。中には、金と銀、二色の指輪が入っていた。

 

「リーダーがいつも身に着けていた指輪……この金色の指輪は、黄金リンゴの印章が入った指輪よ。そして……この銀色の指輪は、彼女が片時も左手の薬指から外すことのなかった、結婚指輪よ!」

 

 それを聞いた時、グリムロックは衝撃に凍りついた。先ほどまでの余裕はどこへやら。顔の筋肉は硬直し、手先が震えている。

 二つの指輪を見るや、今度はイタチが前に出る。

 

「SAOにおいて、指輪アイテムはシステム上、片手に一つずつしか装備できない。つまりグリセルダは、殺されるその時までこの二つの指輪のみを装備していたということになる。レアドロップの指輪は、あなたのストレージに入っていたという何よりの証拠です。グリムロックさん、これ以上言い逃れはできませんよ……」

 

 目に涙を浮かべて、今にも泣き出しそうな顔になっているヨルコに代わり、イタチがそう締めくくる。グリムロックを見つめるその目は、先程レッドプレイヤーと戦った時のような、氷のように冷たく、怒りに満ちたものだった。

 対するグリムロックは、自嘲気味に顔を歪めたまま震えていた。もはや反論の余地もないことを悟ったのだろう。この反応は、罪を認めたも同然だった。

 

「なんでなの、グリムロック!どうしてリーダーを……奥さんを殺してまで、指輪を奪ってお金にする必要があったの!?」

 

 悲愴感に満ちたヨルコの叫びに、グリムロックは唐突に、硬直した状態で浮かべていた笑みを消した。

 

「金……金だって?」

 

 突然の表情の変化に、その場にいた一同が戸惑いの表情を見せる。ただ一人、イタチだけは相変わらず冷めた視線をグリムロックへ送っている。

 

「金のためではない……私は、どうしても彼女を殺さねばならなかった。彼女がまだ、私の妻でいる間に」

 

「どういうことだよ?」

 

 グリムロックの不気味な自白に、それまで刃を向けて、傍観を決め込んでいたカズゴが、訝しげに問いかける。

 

「彼女は、現実世界でも私の妻だった」

 

 グリムロックの口から発せられた衝撃の事実に、その場にいた全員が驚愕する。

 

「……なら、なおさら分かりません。その人は、死ぬ間際まであなたの奥さんだった筈じゃないですか?」

 

 今度は、アレンからの問いかけ。グリムロックとグリセルダが現実でも夫婦だったというのは驚きだったが、ならばなおのこと分からない。妻でいる間とは、一体どういう意味なのか。

 

「一切の不満のない理想的な妻だった。可愛らしく、従順で、ただ一度の夫婦喧嘩もしたことがなかった。だが……共にこの世界に囚われたのち、彼女は変わってしまった」

 

 妻であるグリセルダを殺害するに至った動機を独白するグリムロックの瞳は、どこか虚ろだった。だが、その場で話を聞いていた人間は誰も同情しようとはしない。

 

「強要されたデスゲームに怯え、恐れ、竦んだのは私だけだった。彼女は現実世界にいたときよりも、遥かに生きいきとし、充実した様子で……私は認めざるを得なかった。私の愛したユウコは消えてしまったのだと」

 

 グリムロックの言葉に込められていくどす黒い感情。そのおぞましさに、ヨルコやカインズはもとより、攻略組プレイヤーである筈のシュミットやカズゴ、アレン、アスナでさえも、凍りつくような寒気を覚えた。

 

「君達に理解できるかな……もし向こうに戻った時、彼女に離婚を切り出されでもしたら……そんな屈辱に、私は耐えられない。ならば……ならばいっそ合法的殺人が可能なこの世界にいるあいだにユウコを!……永遠の思い出のなかに封じてしまいたいと願った私を……誰が責められるだろう?」

 

 まるで、自分のしたことに正当性があるかのように開き直り、勝手な論理をのたまうグリムロック。そんな常軌を逸した思考のグリムロックに対し、いち早く我に返ったカズゴが口を開く。

 

「そんな理由で……あんたは奥さんを殺したってのかよ!?」

 

 大剣を握る力を強めながら、怒気を孕んだ言葉をぶつけるカズゴ。グリムロックを今にでも一刀両断しそうなその剣幕に、しかし当人はどこ吹く風と、口の端を歪めて続けた。

 

「十分すぎる理由だ……君たちにもいつか解るよ。愛情を手に入れ、それが失われようとした時にはね」

 

 その場にいる若者たち全員に対して、放った言葉に、一同は背筋が冷たくなるような感覚を覚えた。そんな冷たい沈黙が支配したその空間の中……

 

「戯言は終わりですか、グリムロックさん」

 

 グリムロックの独白による戦慄で硬直していた一同を正気に戻したのは、イタチの言葉だった。先のグリムロックの独白が底冷えするような感覚を覚える言葉だったのに対し、イタチの発した言葉には、聞いた者を問答無用で凍りつかせる絶対零度の冷たさと、刃の如き鋭さを宿していた。

 グリムロックの言葉を遥かに凌ぐイタチの剣幕に、その場にいた全員は身体の芯まで凍りついたかのような感覚に囚われた。だが、その言葉によって己を全否定されたグリムロック本人だけは、かろうじて問いを投げることができた。

 

「戯言……だと?」

 

「それ以外の何物でもありませんよ。もし本当に、愛情が失われたのならば……その苦痛は、屈辱なんて言葉では表せない……大切な人を失った悲しみを前に、そんな戯言はのたまえない」

 

 グリムロックに対する怒気と苛立ち、憐みを込めたイタチの言葉には、僅かな悲しみが垣間見えていた。イタチの前世、うちは一族は、どんな一族よりも愛情深いとされていた。愛する人を失った悲しみによって、その瞳力を昇華させ、同時に狂気に走ってきた経緯がある。イタチ自身も、両親をはじめ、一族を皆殺しにした。そして終いには、残された弟を、一族を皆殺しにするために守った木の葉隠れの里を襲う復讐鬼にしてしまったのだ。

故にイタチは、愛する人を失う悲しみも、愛する人が己の望まぬ道へ進んでしまう悲しみも知っていた。そしてだからこそ、己の抱いた感情を、愛情と履き違え、妻を殺害したことの正当性をのたまくグリムロックを許せなかったのだ。

 

「あなたが抱いていたのは、ただの所有欲だ。俺の言葉を否定したいのならば、左手の手袋を脱いでみることだ。グリセルダさんは死ぬ間際まで外さなかった指輪を、あなたは既に捨ててしまっている。違いますか?」

 

 イタチの問いかけに、しかしグリムロックは何も返せなかった。左手の手袋を外すことはできず、その場に膝をついて震えだす。その様子を見て、周りで聞いていた者達は、イタチの言葉が真実であることは明らかであること悟った。

 やがて、ヨルコやカインズ達、元黄金林檎メンバーがグリムロックのもとへ歩み寄ると、一度イタチに向かい合った。

 

「……イタチさん。この男の処遇は、私達に任せてもらえませんか?」

 

「分かった。笑う棺桶についての情報も得ておきたいが、こっちは幹部を捕らえている。聴取する相手には事欠かない」

 

 未だ地面に突っ伏したままのジョニー・ブラックは、イタチの言葉に舌打ちすらせずに我関せずを決め込んでいる。そうそう簡単に口を割りそうにないが、どんな手を使ってでも情報を絞り出してやるとイタチは内心で呟いた。

 やがて、膝をついて動かないグリムロックにカインズとシュミットが手を貸して、主街区方面へと歩き出した。ヨルコは最後に一礼し、礼を述べると三人の後を追っていった。

 黄金林檎の元メンバー四人が朝靄の奥へと姿を消すのを見送ってから、イタチはその場に残った攻略組メンバー三人に改めて向き直る。

 

「カズゴ、アレン。こっちに向かっている攻略組に合流し、ジョニー・ブラックを黒鉄宮の監獄エリアに送り込む。手伝ってくれ」

 

「いや、それは俺達だけでやるさ」

 

「イタチには、他に済ませなきゃならない用事があるからね」

 

 イタチの頼みに、しかしカズゴとアレンは苦笑しながらその役割を進んで引き受けた。何が言いたいのかを理解しているイタチは、反論することもなく、二人の提案を聞き入れた。

 

「……分かった」

 

「彼女、あんまり怒らせちゃ駄目だよ」

 

「……まあ、ガンバレ」

 

 麻痺で動けないジョニー・ブラックを担ぎ上げ、攻略組が向かってくる方向へと歩いていくカズゴとアレン。去り際に、この後起こることについての注意と激励を受けたが、イタチは力なく頷くしかできなかった。

 そうして、枯れ木が立ち並ぶ寂れたフィールドに残されたのは、イタチとアスナのみとなった。

 

「イタチ君、何か弁明はあるかしら?」

 

「……ありません」

 

 アスナの開口一番の問いかけに、イタチは表情を陰らせながら否定した。無表情ながら凄まじい怒り・苛立ちを孕んだ言葉を口にするアスナに、さしものイタチも冷や汗ものだった。イタチを見つめる視線は、先のグリムロックに向けていたイタチのそれによく似ている。しばらく続いた沈黙を、イタチが破る。

 

「しかし、よく気付きましたね。俺がこの層にいることを」

 

「生憎だけど、私のギルドには、誰かさんと同じくらい推理が得意な人がいてね……事件の経緯を教えたら、然程時間をかけずにトリックを見抜いた上、真相まで付きとめてくれたわ。それに、その子の知り合いには、あなたとフレンド登録をしている子がいてくれたお陰で、あなたの居場所も簡単に割り出せたわ」

 

(コナンにシェリーだな……)

 

 イタチは攻略組の中で、ベータテスト時代からの知り合いであるソロプレイヤーを中心にフレンド登録をしている。一部の例外が、シバトラのようにリアルの知り合いといった特殊な事情を持つ人物や、シェリーのような得意先の生産職プレイヤーなのだ。おそらく、居場所の情報はシェリーから漏れたものだと推測される。

 そんなイタチの内心を余所に、アスナは言葉を続ける。

 

「二人とも、あなたがいるから大丈夫だと思って、今回の事件には関わらないつもりだったらしいわ。けど、私から事件について知らされて、あなたが独断専行に走ったことには、呆れ果ててたわよ。無論、私もだけど」

 

「……申し訳ありません」

 

 激しい剣幕のアスナに、謝罪を口にしてはみたものの、怒りは全く治まる気配は無い。しばらくイタチを睨みつけていたアスナだったが、やがて溜息と共に再度口を開いた。

 

「認めるのは非常に癪なんだけど……私一人じゃ、圏内PKのトリックを見抜く事も、真相に至ることもできなかったわ。でも、だからこそ思うの。一人では出来ないことがあるからこそ、皆で力を合わせる必要があるんだって」

 

 イタチに対し、叱りつけるような口調で話すアスナの表情は、いつになく真剣なものだった。イタチにもその事実に気付いて欲しい……もっと自分を頼って欲しいという思いの込められた言葉に、イタチは口を挟む余地がない。

 

「だから……二度とこんな無茶をやらかすのはやめなさい。もっと周りを頼って、一人で何でもやろうとしないこと。良いわね?」

 

「……努力します」

 

 険しい視線のアスナから目を逸らして答えるイタチ。ある意味、ボス攻略戦の時以上に追い詰められている状況である。普段通りの平静を装っているが、アスナの逆鱗に触れたことを僅かばかり後悔していた。

 

「……それにしても、君があんなことを言うなんて思ってもみなかったわ」

 

「?……どういうことですか?」

 

 意外そうな表情で放ったアスナの言葉に、イタチは若干顔を顰める。敢えて何のことかと聞いているが、アスナが何を言いたいのかは察しがついていた。

 

「君が、“愛情”っていう言葉にあそこまでこだわるなんて、思わなかったわ」

 

「……申し訳ありません。あの時は、感情的になり過ぎました」

 

「別に、悪いなんて言ってないわ。失礼を承知で言うけど……本当に意外だと思っただけ」

 

 イタチという人間を、現実・仮想世界を問わず、冷めた人間であると認識している人間は、アスナだけではない筈だ。ビーターという負のイメージが強いこともあり、イタチというプレイヤーには冷酷、残忍といった人物像が定着しているのだ。勿論、アスナやクラインといった一部の攻略組プレイヤーは、イタチをそんな風な人物だとは思っていない。だが、愛情深い人間としての印象が強いとは考えたことがなかった。

 アスナの感想に対し、内心でばつが悪い表情を浮かべるイタチ。愛情という言葉に過剰に反応し、感情に露にしてしまったことについて、忍としてあるまじき行為であると心底恥じていた。

 

「俺は、あなた方が思っている程できた人間ではありませんよ」

 

「そうかしら?……けど、私は本当のあなたを……現実世界でも知り得なかった、桐ヶ谷和人君のことを、少しだけ垣間見ることができた気がしたわ」

 

 リアルネームで呼び合うのは、SAOにおいてはマナー違反に抵触する行為である。それを承知で敢えて口にしているのは、それだけアスナが真剣である証拠だろう。イタチ自身は、リアルネームで呼び合うことに関しては特に忌避や抵抗は無かったので、アスナに対して反抗や注意も口にしなかった。

 

「……ねえ。もし君なら……仮に誰かと結婚したあとになって、相手の隠れた一面に気付いたとき、どう思う?」

 

「実際にそういった事態に直面しない限りは、そんなことは分かりませんよ。しかし、愛情はそんなことでは失われない……それだけは言えます」

 

 アスナの唐突な問いに、しかしイタチは即答した。具体的な感情は、その時にならなければ分からないが、それでも愛情が消えることは無いと、そう答えたのだ。

 

「無論、愛した人が間違った道へと進んでしまえば、それは悲しいことです……グリムロックさんではありませんが、その人を手に掛けねばならないかもしれません。しかし、その人への愛情だけは絶対に失われない……だからこそ、その人を喪う痛みは、永遠に続くんです」

 

 イタチの言葉には、まるで自分もまたその痛みを背負っているかのような、真に迫る重さがあった。アスナの知らないイタチが持つ、何も知らない自分のような人間には触れることが許されない、秘めたる何かを垣間見たような気がした。だからこそ、アスナはそれ以上問うことはしなかった。

 

「それから最後にもう一つ。イタチ君、私とフレンド登録しなさい」

 

「……分かりました」

 

 アスナが最後にイタチに要求したのは、フレンド登録。単独行動に走り、レッドプレイヤーとの戦闘と言う危険行為に及んだ手前、断ることはできないとイタチは判断し、やむなく承諾した。ゲーム攻略を進める一方で、レッドプレイヤーとの暗闘を繰り広げる立場にあるイタチは、極力フレンド登録を避けねばならないと考えていた。人間同士の殺し合いに身を投じる以上、自分と繋がりのある人間に危害が及ぶ危険性がどうしても発生してしまう。イタチは、アスナとのフレンド登録によって、彼女にまで類が及ぶことを何より懸念していた。

 

「シバトラさんやシェリーさんとフレンド登録しているんだもの。今更だけど、私ともフレンド登録はすべきだったのよ」

 

「……そうですね」

 

 アスナからのフレンド登録を受諾し、フレンドリストに互いの名前が追加される。アスナはそれを確認して満足そうな笑みを浮かべた一方、イタチは今後の行動が制限されるのではと溜息を吐きたい思いだった。

 

「二日も前線から離れちゃったわ。明日からまた頑張らなくちゃ」

 

「そうですね。今週中に、今の層は突破したいところです」

 

 朝日が昇り、靄が晴れて行く森の中を歩きだすイタチとアスナ。主街区に向けて歩いていた歩みを、しかし突然、イタチは止めた。足音が止んだことを不審に思ったアスナが、振り返ると……

 

「イタチ君、どうし……え?」

 

 振り向くと、そこには来た道を振り返ったイタチの姿。そして、その視線の先には、グリセルダの墓標がある。だが、イタチが見ているのは、もっと別なもの。丘の向こうから朝日が昇り始める眩い景色の中に、一人佇む女性の姿があった。イタチとアスナには見覚えのない女性プレイヤー。だが、身に纏うローブには、見覚えがあった。ヨルコが行った、二件目の偽装殺人の際に、グリセルダに扮したカインズが着ていたものだ。シュミットはそれを、グリセルダが身に着けていたものと同じだと言っていた。それはつまり――

 

「グリセルダさん、ですね」

 

 イタチの呟きは、アスナに言ったのか、それとも目の前の墓標の傍らに立つ女性に向けてのものなのかは分からない。死んだ筈の人間が目の前に立っている……心霊現象か、あるいはただの幻覚なのかは分からないが、イタチとアスナは目の前の人物が、今は亡き黄金林檎のリーダー、グリセルダであると疑わなかった。

 朝焼けの光を背に佇む女性は、イタチとアスナにふっと微笑みかけると、すぐに消えてしまった。まるで、先程の光景が夢だったかのように――――

 

「イタチ君……」

 

 アスナは思わず、すぐ近くに立っていたイタチの名を呼ぶ。何を言えば良いのか分からなかったし、何を言って欲しかったというわけでもない。対するイタチは、

 

「行きましょう」

 

 それだけ言うと、再び主街区へ歩き始めた。アスナの横を通り過ぎるその横顔は、どこか穏やかだった。その表情を見て、アスナの心に温かいものが込み上げ、自然と笑みが浮かんだ。

 

「そうだね」

 

 黒の忍と、白の女騎士が並んで歩きだす。二人の背中を、二人が歩む道を照らしだす、新しい朝の光は、まるで新しい運命への道標のようだった。

 



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心の温度
第三十六話 剣を求めて


2024年6月24日

 

アインクラッド第六十層主街区、フードヴァルテン。数多の鉱山が連なるフィールドの中心にあるその街は、鍛冶師プレイヤーのメッカとして知られている。フィールドの鉱山から取れるインゴットの質は、他の階層で採取できるそれの比ではなく、大勢のマスタークラスの生産職プレイヤーが拠点を置いていた。アインクラッドの攻略最前線が六十三層である現在も、ここで作られた武装は、多くの攻略組プレイヤーから重宝されている。

そんな鍛冶が盛んな街の一角にある武器店に現在、ある攻略組プレイヤー達が足を運んでいた。

 

「……マンタ、店の武器はこれが最高か?」

 

 黒衣を纏い、木の葉マークに横一文字の傷が付いたマークの額当てを付けたプレイヤー――イタチが、片手用直剣の刃をじっくり眺めながら、店の主に対して問いかける。

 

「悪いけど、この階層で採取できるインゴットでは、これが限界だよ。イタチ君の二刀流に耐えきれるかは分からないけどさ……」

 

 剣を吟味するイタチに対して答えた店主――マンタの顔は、若干引き攣っていた。オヤマダ武具店を営むマンタは、イタチがデスゲーム開始以来、手に入れた強化アイテムやインゴット等のアイテムを積極的に提供することで、鍛冶スキルはじめとした生産系スキルの上昇に協力してきたプレイヤーである。攻略組最強と言われるイタチからの援助を受けてきたマンタの生産スキルの習得度は、現在は軒並みマスター、またはその一歩手前。イタチだけでなく、多くの攻略組プレイヤーの武装を作り出している、言わば攻略組御用達の一人なのだ。だが現在、身長八十センチ程度の、冒険もののRPGによく現れる、ドワーフそっくりな体格の鍛冶師の視線は、どこか虚ろだった。

無理も無いだろう。攻略組トップクラスの実力者にして、二刀流という名の強力無比なユニークスキルを使いこなすイタチが扱う武器は、それに比例した耐久力を必要とする。二刀流は破壊力のあるソードスキルを行使する故、生半端な武器ではすぐに耐久値を根こそぎ奪われてしまうからだ。イタチも、五十層ボス戦以降は、武器の耐久値に注意してソードスキルの威力を加減してきたが、イタチのレベルが九十台に突入したあたりから、遂にシステム上の問題により、イタチの技能だけではカバーしきれなくなったのだ。そのため、現在新しい剣を作って欲しいと依頼を受けているマンタだったが、イタチのステータスに適応できる名剣は、なかなか現れずにいた。

 

「それで不満なんか?オイラが持ってる刀より、よっぽど高性能だと思うんだが……」

 

「一線級の剣であるのは間違いないが、耐久力に難ありだな。俺の筋力パラメータで繰り出す二刀流ソードスキル発動までは耐えられない」

 

「ハァ……イタチ君が新品を注文するの、今月これで四度目だよ。これじゃあ、いくら打っても限がないよ……」

 

 隣でイタチとマンタのやりとりを見守っていた攻略組プレイヤーの一人、ヨウの言葉に、しかしイタチは苦々しい表情で返す。武器を毎回用立てているマンタの溜息混じりの呟きには、同情するしかない。折角作っても、すぐに折られてしまうのでは、作る側も気が滅入る一方だ。

 

「相変わらず、無茶苦茶なステータスね。マンタ君も、よく我慢して武器を用意するわ」

 

 三人のやりとりを見て口を挟んだのは、ウェーブをかけた茶髪の女性プレイヤー。攻略ギルド、血盟騎士団所属の薬剤師、シェリーだった。本来、生産職として後方支援に務める彼女は今日、護身用の短剣を手に入れるべく、マンタが経営するオヤマダ武具店を訪れていたのだった。

 シェリーが口にした皮肉に対し、イタチは、

 

「……反省はしている。俺の技能不足と言われればそこまでだが、強力な剣が必要なのは間違いない。少なくとも、これと同等以上のものをな」

 

 そういってイタチが背中から外したのは、黒い片手剣。第五十層のフロアボスを倒したラストアタック・ボーナスとして手に入れたユニーク武器、エリュシデータである。フロアボス、それもクォーター・ポイントの階層で手に入れただけのことはあり、その性能は、一般的な鍛冶師プレイヤーが作る武器のパラメータを遥かに上回る、俗に言う魔剣と呼ばれるレベルのものだった。

 イタチは五十層攻略後、入手したこの武器を秘蔵し、二刀流はじめ攻略時には、プレイヤーメイドで手に入りやすい武器を手に戦ってきたのだ。だが、先述通り、イタチのステータスに武器のパラメータが追いつかなくなったことを契機に、遂にこの魔剣を解禁したのだった。

 

「こうなっては仕方がない。例のクエストで、レアなインゴットを手に入れるしかないな」

 

「げ!……それってもしかして、僕も一緒に行かなきゃならないっていう……」

 

 イタチの言葉に、冷や汗を垂らして顔を青くするマンタ。SAOの過剰なフェイスエフェクトによる所為もあるのだろうが、彼が何かに怯えていることは明らかだ。

 

「安心しろ。同行してもらう以上は、俺がしっかり護衛する」

 

「オイラも付いていってやるからよ。まあ、なんとかなるさ」

 

 にべもなく答えたイタチとヨウの言葉に、マンタはがくりと項垂れた。シェリーはそんな三人のやりとりに苦笑を浮かべている。

 

「今日の午後一時に、現地集合だ。お前たちはそれまでに、クエストフラグを立てておいてくれ」

 

「あら、あのクエスト、夕方にもつれ込むと危険だって聞いてるわよ。やるなら、今すぐ行った方が良いんじゃないかしら?」

 

「金属の在り処は大体目星がついている。それに、今日はこの後、用事がある」

 

「攻略に行くってわけじゃないよな……誰かに会いにでも行くんか?」

 

「まあ、似たようなものだ」

 

 ソロプレイが基本のイタチが、人と会う約束をしていると言っている。意外な返答に、ヨウとマンタは目を丸くし、シェリーはくすりと笑った。

 

「あんまり冷たくしたら駄目よ。“彼女”、結構あなたのことを気にしているんだから」

 

「か、彼女!?イ、イタチ君、それってまさか……!」

 

「……言っておくが、お前たちが考えているようなことなど一切ありはしない」

 

 悪戯っぽく放ったシェリーの言葉に狼狽するマンタ。ヨウはにししと笑みを浮かべていた。そんな三人の様子に、イタチは内心で溜息を吐きながらも、各々が頭に浮かべているであろう想像を否定した上で、店を出て行った。

 

 

 

 

 

「ありがとうございます!またのお越しをお待ちしております!」

 

 アインクラッド第四十八層主街区、リンダースの一角に建つ、一件の水車付きの職人プレイヤー専用ホーム。その中から、少女の元気な声が響いてくる。買い物客を見送っている少女の服装は、胸元にリボンの付いた純白のエプロンドレス。髪はベビーピンク、瞳はダークブルーという、カスタマイズを施しており、西洋人形のように見える。彼女の名前は、リズベット。ここ、四十八層に居を構えている、リズベット武具店の店主である。

 デスゲーム開始時点、彼女は早期から生産職の鍛冶スキルを志したプレイヤーの一人であり、現時点では攻略最前線で戦うプレイヤー達の御用達も請け負っている程の熟練度を誇る、有数の鍛冶職人プレイヤーなのだ。それも数少ない女性プレイヤーである彼女は、彼女の親友によるコーディネートと元々の容姿とが相まって、中層・上層問わず多くの男性プレイヤーに人気があり、武器の作成・点検等の注文が絶えない。

 

(それにしても、今日は本当に眠いわね……)

 

 そのため、今日のように前日の夜から日を跨いでオーダーメイドの注文を片付けることもザラだった。客がいないのをいいことに欠伸をするリズベット。今日はもう客は来ないだろうと思い、店先にある大きな揺り椅子にもたれ掛かると、そのまま寝入ってしまった。そして、深いまどろみの中に入ること数十分。ふと、声が聞こえたのだ。

 

「お疲れの様子ですし……今日はこれで……」

 

「駄目よ……ちゃんと、見て行かなきゃ……」

 

 断片的に聞こえるそれは、どうやら店の前で男女が何かを言い合っている様子だった。もしかしたらお客さんかもしれないが、雰囲気からして、男性の方はすぐにでも帰りそうだ。店に入りたがっている女性には悪いが、今日はこのまま寝かせて欲しい……それ程までに、今は疲れているのだから。そんなことを思った瞬間――――

 

「リズ!!ちょっと起きて、リズ!!」

 

「ふぁっ!?」

 

 突然、真正面から肩を掴まれ、勢いよく揺さぶられた衝撃に襲われた。急な出来事に思わず悲鳴を上げてしまうリズベット。驚いて目を見開くと、そこには見知った顔があった。

 

「ア、アスナ!?どうしたのよ、一体……」

 

 攻略組トップギルド、血盟騎士団の副団長を務めるアスナは、リズベットが店を購入する以前からの得意先であり、彼女の入団以降はギルド全体の武器の生産・点検を任されているのだ。そのため、彼女がここに現れることには何ら不思議は無い。だが、彼女の武器のメンテナンスはつい二日前に済ませたばかりだ。一体、何の用事があるのだろうか。

 

「お客さんを連れて来たのよ!ほら、早く支度して。イタチ君も早くこっち来て」

 

 アスナに催促され、急いで立ち上がるリズベット。来客とあらば、うたた寝なぞしている場合ではない。アスナの方は、店に連れてきたというプレイヤーを店の入口へ呼んでいる。

 

「……はじめまして、イタチです」

 

 アスナに呼ばれて現れたのは、全身黒づくめの男性プレイヤー。背格好からして、アスナやリズベットと同い年か一つ年下くらいだろう。メーキャップアイテムで赤く染めた瞳は、年齢に不相応な鋭い光を宿している。どこか不思議な雰囲気を持つ少年、というのがリズベットの抱いた第一印象だった。そしてもう一つ……

 

「ちょっとアスナ。あの人、お金大丈夫なの?」

 

 正直に言うと、あまり強そうには見えなかった。装備は黒コートで軽装、金属防具は一切纏っていない。元々の体格も線が細く、華奢なイメージが強く、要求ステータスの高いリズベット武具店の武器を扱える程の実力があるとは思えなかった。

 攻略組相手の商売を行うため、リズベット武具店の武器は、要求ステータスと共に値段も比例して高い。リズベットが、金銭面で大丈夫なのかと連れてきたアスナに尋ねたのは無理も無い。だが、アスナの返答は予想を裏切るものだった。

 

「大丈夫よ。彼、私と同じ攻略組だから」

 

「はぁ!?……それ、本当なの?」

 

 アスナの口から語られた衝撃の事実に、リズベットは間抜けな声を発してしまう。この細身の少年が、アスナと同じ攻略組とはどんな冗談なのか。この少年が、攻略最前線で強力なモンスターやフロアボスを相手に戦っている姿など、想像もできない。

 アスナの言葉に顔を引き攣らせて唖然としているリズベット。そんな彼女に、今度はイタチが口を開いた。

 

「……お忙しいようでしたら、今日は失礼しますが」

 

「ちょっと待って!リズも、早くお店に案内してあげてよ」

 

「分かったわよ……」

 

 二人の様子を見て、家路に着こうとするイタチを、アスナは必死で呼び止める。同時に、リズベットに呼び掛けて店内への案内するよう促す。リズベットも佇まいを直し、接客モードへ入った。

 

「リズベット武具店へようこそ!」

 

 営業スマイルを見せてイタチを店内へと迎える。対するイタチは、来店当初から無表情のまま、アスナに背中を押される形で入店していった。

 リズベット武具店のショーケースや壁棚には、多様な武器が並べられている。いずれもパラメータの高い、高性能なものばかりである。飾られた武器の刃は、攻略組が持つに相応しい、業物としての鋭い光を放っていた。

 

「どうかしら?何か、欲しいのはあったかしら?」

 

「いえ。俺に扱える武器は、とても……」

 

 展示されている武器を順々に見回っているイタチに、リズベットは自信満々に問いかける。対するイタチは、遠慮がちに答えるばかりである。

 

「ほら、イタチ君!片手剣コーナーはこっちだよ!」

 

 ゆっくり武器を見ていたイタチに声を掛けたのは、一緒に入店したアスナだった。彼女はイタチの腕を掴むと、まっすぐ片手剣コーナーへと連れてきた。

 

「イタチ君、どう?欲しい剣はあった?」

 

「はぁ…………」

 

 アスナに促されるまま、展示された片手用直剣を手に取り、一本一本吟味していく。だが、一通り見てもあまり満足した様子はなく、武器を鞘に納めるとそのまま棚に戻しただけだった。

 

「いずれも、かなり上質な武器でした」

 

「それだけ?……イタチ君の欲しい武器はなかったの?」

 

 アスナの問いかけに、しかしイタチは目を逸らすばかりだった。早くこの店から出たそうにしているオーラが若干ながら感じ取れる。そんな二人のやり取りを見ていたリズベットが、割って入る。

 

「何よ、そこにある武器じゃ物足りないっての?」

 

 一通り武器を見ただけで満足した様子の無いイタチに、ついむっとしてしまうリズベット。接客業としては問題行為だが、イタチはさして気に留めなかった。

 

「リズ、イタチ君にオーダーメイドで作ってあげられるかな?」

 

「オーダーメイドぉ!?」

 

 またしてもアスナの言葉に、正気を疑ってしまった。武器のオーダーメイドとくれば、数十万コルは下らない。攻略組所属というのも疑わしいこの男が、そこまで羽振りが良いとは思えなかったが、アスナの言葉を疑うわけにはいかない。

 

「イタチ君は確か、その剣と同じくらいの武器が欲しいんだったよね。リズに見せてあげてくれないかな?」

 

「……構いませんが」

 

 いつの間にやら、オーダーメイドで武器を作るという話が持ち上がってしまっている。既製品の武器で欲しい物が無かったイタチは、仕方なく店頭には置いていない特注品に賭けてみることとして、取りあえず背中に吊った剣を見せることにする。

 

「……これと同程度の性能の剣は、ありませんでしょうか?」

 

「はあ……」

 

 アスナに促され、リズベットに武器を渡すことになったイタチ。背中に吊った剣を鞘ごと取り外してリズベットに手渡す。リズベットは、イタチが取り出した武器が大した性能が無さそうな黒の剣を訝しげに受け取った。こんな剣に、自分の店に並んでいる剣が負けるとでもいうのか、と疑問に思ったが……

 

(重っ!?)

 

 イタチから手渡された片手剣の想定外の重さに、思わず取り落としそうになってしまった。戦槌使いとして筋力パラメータを相当に上げているリズベットが落としそうになる剣とは、一体何なのか。畏怖を抱きながらも、リズベットはイタチが差し出した黒い鞘に納められた剣をカウンターの台の上へ置いて刀身を抜きだす。一目で相当な業物と分かる鋭い刃が覗き、思わず息を呑んだ。恐る恐る鑑定スキルを発動させて、武器の詳細をチェックする。

 

(固有名はエリュシデータ……製作者は……無し)

 

 製作者の名前が無いということは、即ちこの武器がモンスタードロップであることを意味する。恐らく、特定のモンスターを倒した時にのみ手に入る、魔剣と称されるレアドロップ武器なのだろうと考えられる。

 

「別に、無理に作ってもらおうとは思っていません。無ければ無いで、特に問題は……」

 

 剣を差し出した当人たるイタチは、そんなことを言っているが、常識外れのパラメータをもつ魔剣を前に、リズベットは対抗心を燃やしていた。モンスタードロップの武器に、プレイヤーメイドの武器が負けたとあっては、鍛冶師の名折れである。ならばとばかりに、リズベットはカウンター下の棚から最高傑作の剣を取り出すことにした。

 

「これでどうかしら?」

 

 リズベットがイタチに手渡したのは、白鞘のロングソード。鞘から抜き出した刀身が放つ薄赤い光は、炎をイメージさせる、リズベットが鍛えた剣の中でも最高傑作に数えられる一振りである。

 だが、剣を抜いて刀身を眺めるイタチは眉一つ動かさない。相変わらずの無表情で、何を考えているか分からない……リズベットから見れば、最高傑作の剣を前にしても何の感慨も湧いていない様子である。自分の剣が安く見られているように思えてならないリズベットは、鍛冶師としてのプライドが傷つけられたような気分になった。

 

「良質な剣ですね……」

 

「でしょ?リズはうちのギルドの攻略メンバーの武器製作も請け負っているからね。きっと、イタチ君が欲しい武器も作ってるって思ってたのよ」

 

 リズベットの最高傑作の剣を称賛するイタチ。その言葉に、店を紹介したアスナは腰に手を当てて胸を張り、自慢げな表情を浮かべる。傍から意見を聞いていたリズベットも、満更でも無い様子だった。やがて、女性陣の溜飲が下がったのを見計らったように、イタチが再び口を開く。

 

「この剣、いくらですか?」

 

 いよいよ、買い取り交渉に入ろうとするイタチ。リズベットはようやくかとほっと息を吐き、イタチに一歩歩み寄る。アスナはイタチの死角でガッツポーズを取っていた。

 

「そうねえ……マスタースミスの私でも、この剣を作れるのは二月に一度くらいだからオーダーメイド品並みに、高くなるわ。ざっと見積もって、六十万コルってところかしら?」

 

 六十万コルといえば、中層のプレイヤーホーム並みの値段である。アインクラッド最前線の迷宮区で、日夜モンスターと戦闘しているプレイヤーであっても、早々稼げる額ではない。だが、マスタースミスの作った最高傑作とあれば、千金の価値がある。デスゲームにおいて、武器は生命線であることを考慮しても、金銭の出し惜しみはできない。リズベットも、少々値を釣り上げ過ぎたと思わなくもないが、アスナが連れてきたプレイヤーとあらば、これくらいの額を要求しても問題は無いと考える。そして、イタチの答えは……

 

「……申し訳ありませんが、それほどの大金は用意できません。これはお返しいたします」

 

 やや申し訳なさそうな態度で頭を下げつつ、鞘に納めた剣をリズベットへ返した。対するリズベットは、拍子抜けしたような表情だった。期待外れだが、ある程度予想はできていたため、然程驚きはしなかったが。

 

「もしよかったら、分割払いでローンを組む事もできるけど?」

 

「いえ、攻略組は出費が激しいので、確実な返済は約束できません。今回は、ご縁が無かったということで、失礼いたします」

 

「ちょ、ちょっとイタチ君!」

 

 リズベットのローン払い提案にも首を横に振って断ったイタチは、もう用は済んだとばかりに、足早に店を後にしようとする。アスナは制止をかけようとするも、イタチは振り返りもせずに店内入口のドアを開いて出て行ってしまった。

 

「……予想はしていたけど、やっぱり見た目通り、あんまりお金持ってないみたいだったわね~…………アスナ?」

 

 呆れた表情で独り呟くリズベット。一方、イタチを引き止めようとして失敗したアスナは、店に残ったまま浮かばれない表情をしていた。おそらく、攻略組の有力者と判断して店を紹介したつもりが、見当違いの人間を招き入れてしまったことに関して、店主たるリズベットに罪悪感を抱いているのだろう。

 

「言っておくけど、アスナが気に病む必要なんてないわよ。攻略組にはお得意様だってたくさんいるし、あんなのに無理に注文を取る必要なんて……」

 

「リズ」

 

 客の紹介で当てが外れたことで落ち込んでいたらしいアスナを慰めるつもりで口を開いたリズベット。だが、その言葉はアスナによって途切れさせられた。その表情はいつになく真剣で、ボス戦もかくやという雰囲気を纏っていた。店内にこれ以上無い程の緊張が走る中、アスナが意を決したように口を開いた。

 

「これよりもっと強力な剣を作るには、どうすれば良いの?」

 

 一瞬、リズベットはアスナの言うことが理解できなかった。一体、最高傑作の剣と称されるそれよりも強力な剣を手に入れてどうしようと言うのか。

 

「……えーと、これより強力な剣、と言えば……」

 

「当てはあるのね?」

 

 アスナの剣幕に気圧されてしどろもどろになってしまっているリズベットに対し、アスナは容赦なく捲し立てる。持っている情報を出すまで逃がしはしないと言わんばかりの威容に、リズベットはかつて狂戦士と呼ばれた血盟騎士団副団長の面影を見た。

 

「ご、五十五層の西の山にいるドラゴンが、レアな金属を体内に溜めこんでいるっていう噂が……」

 

「五十五層……」

 

 顔を引き攣らせながらも、どうにかそれだけは言うことができた。アスナは必要な情報を聞くと、顎に手を当ててしばしの間思案すると、踵を返して店を後にしようとする。

 

「ちょっと待ちなさいよ!あんたまさか、本気で金属取りに行くつもり!?」

 

「大丈夫。五十五層なら、血盟騎士団の本拠地がある。ホームで暇そうな人を連れて行けば、どうにかなる筈よ」

 

「いや、そうじゃなくて!」

 

 引き止めようとしているリズベットにとって残念なことに、アスナの表情は冗談を言っているようには全く見えない。強力な武器を手に入れるという目的のため、本気でドラゴンと戦うために山へ登るらしい。

 

「金属獲得のクエストは、マスタースミスがいないと受注できないのよ!」

 

「……そう。分かったわ。なら、うちのギルドの屈強な人を護衛に付けるから安心して」

 

「ちょっ!?同行するスミスは私で決定なのっ!?」

 

 金属獲得のためのクエストの紹介から始まり、完全に藪蛇だったと後悔するリズベット。だが、この期に及んでクエスト同行を断ることもできない。溜息を吐きつつも、半ば強引ながらアスナの要請を受諾することとなってしまった。

 自分自身に呆れながらも、リズベットはアスナが金属を取りに行く……もっと言えば、専用の強力な武器を、あのイタチという男性プレイヤーのために手に入れたいと言う心情について問いを投げる。

 

「なんでそこまでして、あの男に武器を見繕ってやりたいの?見たところ強そうに見えないし……それに、レア武器なんてプレゼントしたら、付け上がってもっと高価な装備やアイテムを買わされるかもしれないのよ?」

 

 リズベットの心配は尤もだった。アスナがあの少年、イタチに少なからず好意を寄せており、強力な武器を紹介するべくこの店に連れてきたのは分かった。だが、金が足りないから買えないという言葉を真に受けて、アスナが買い与えたりなどすれば、この先都合の良い財布として扱われかねない。だが、アスナは首を横に振った。

 

「イタチ君はそんなことはしない……それに、買えないなんて、本当は嘘だよ」

 

「……どういうことよ?」

 

「攻略組としての付き合いがそれなりにあるから分かるけど、彼の収入ならあれぐらいのお金はすぐに出せるわ。それに、必要な装備の購入となれば、出し惜しみは絶対にしない」

 

「……つまり、私の出した剣が気に入らなかったから、お金を理由に購入を断ったってこと?」

 

 アスナの言葉の意味から察するに、そういう結論に行きつく。紹介された最高傑作の剣がイタチの眼鏡に適わなかったため、リズベットに恥をかかせないために、自分が金欠であると嘘を吐いたと、アスナは言いたいのだろう。

 

「だから、イタチ君にはこれよりもっと強力な剣が必要な筈なの。お願い、リズ。力を貸して」

 

 極めて真摯な姿勢でリズベットに協力を依頼するアスナ。そんな彼女に、リズベットもついに溜息混じりに折れた。

 

「ハァ……分かったわよ、もう。私も、最高傑作の剣が使い物にならないって評価されたままじゃ、引き下がれませんからね。それにしても、そこまでしてあの男……イタチだっけ?彼を振り向かせたいのかしらね~」

 

「そっ、そんなこと……イタチ君は、攻略組の中でも強力なプレイヤーだもの!彼の戦力強化は、攻略組全体の安全確保にも繋がるだけよ!」

 

 リズベットのからかうような口調に、しかしアスナは特別な感情など無く、攻略指揮を預かる身として効率を考えた故の行動であると言い張った。

 

(全く……アスナってば、いつの間に……)

 

 あまりにも分かりやすい反応に、リズベットは苦笑する。アスナがあのイタチという少年に対して、攻略組の仲間、友達以上の特別な好意を抱いていることは明らかなのに、本人は否定している。そんなアスナの典型的なツンデレ的反応に、しかしリズベットは同時に羨ましくも思えた。

 

(アスナは……大切なものが見つかったんだね……)

 

 リズベットが何よりも望んだ、大切な人との繋がり。死の牢獄と化したこの世界に閉じ込められた二年間の中で求め続けた、掛け替えの無い絆。一方通行な想いかもしれないが、いつの間にかそんな大切なものを見つけていた親友が、リズベットには羨ましかった。

 



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第三十七話 白竜の水晶

活動報告で、イタチのカップリングに関するアンケートを行っています。
飽く迄読者のみなさんの意見を聞きたいだけですので、ぜひともコメントをお願いします。


 第五十五層主街区・グランザムは、巨大な鋼鉄の尖塔が無数に立ち並ぶことから、通称、鉄の都と呼ばれている。転移門に通じる大通りには、街路樹の類は一本も無く、極めて無機質で寒々しい雰囲気が強い街並み。そんな街の一角に、血盟騎士団本部は聳え立っている。 城と見紛う巨大な鋼鉄の建造物を囲む塀には、白地に赤い十字架の紋章が入った旗がいくつも垂れ下がっている。

 ギルドの攻略活動が休みの今日、メンバー達は、前線組、支援組問わず各々が気ままに時間を過ごしていた。そんな中、本部の城門を開き、武装した状態で外へと出ていく――血盟騎士団メンバーとしては珍しい――プレイヤーの姿があった。

 

「ほらほら、早く行くわよ!」

 

「ったく……休日にいきなり叩き起こされて、何事かと思えば、西の山に行くから護衛を頼むって、横暴過ぎだろ……」

 

「ハハ、同感だな……」

 

 先頭を歩くのは、血盟騎士団副団長のアスナ。それに付いて行く形で同行するのは、同じギルドの団員が二人。眠そうにして歩いている黒髪の槍使いはヨシモリ。もう一人の同行者は、アスナと同じ細剣使いの少年、コナン。二人は血盟騎士団本部で活動休止日を思い思いに過ごしていたところを、突如現れたアスナによって本部から引きずり出され、半ば強引にクエストに協力させられることとなったのだ。

 

「久しぶりの休みだから、昼まで寝ようと思ってたのによぉ……」

 

「どうせ暇なんでしょ?ちゃんと決まった時間に寝起きしないと、生活リズムに良くないわよ」

 

「ま、一理あるな」

 

 ネットゲーマーとして夜型の生活が定着しているらしいヨシモリは、昼間の攻略活動には消極的である。そのため、ギルド加入時以前は、モンスターのポップが多くなる夜中にフィールドでレベリングを行った末に攻略組入りし、血盟騎士団前線メンバーへの仲間入りを果たしたのだった。

 だが、夜型の生活が不健康であることに変わりは無い。SAOで活動しているのは仮想の肉体であるため、いかなる不摂生を行っても体調を崩すということは有り得ないが、生活リズムの乱れは防げない。

 

「それにしたって……あのクソ寒い山を登る事ぁねえだろ」

 

「まさか、イタチの剣を作るために俺達まで駆りだされるなんてな……」

 

 ぶつくさ文句を言いながらも、アスナへの同伴を断ろうとはしないヨシモリとコナン。その様子を見るだけで、アスナの副団長としてのカリスマ性が窺える。

 

「それにしても……あんたもやり過ぎじゃないの?アイツのために、前線メンバーを二人も連れだすなんて」

 

 アスナがヨシモリとコナンを同行させているのは、これから西の山へ向かう目的たる、レア金属獲得のためのクエストを達成させるためである。そして、その金属で作り出した武器は、ギルドメンバーでもないイタチという、一匹狼のソロプレイヤーに提供しようというのだ。しかも、ギルドの直接的な利益にならない案件に、精鋭二人を動員している。職権乱用も良いところなのだが、当のアスナは全く気にした様子も無い。

 

「さっきも言ったけど、イタチ君は攻略組でも有数の実力者よ。彼の戦力強化は、攻略組の戦力強化に繋がるわ。決して無駄な活動ではない筈よ」

 

「はいはい、そう言う事にしといてあげるわよ……」

 

 強引な理屈をこじつけて活動を正当化するアスナに、リズベットと同行者二人は乾いた笑いを送るしかできない。そうこうしている内に、即席で作られた四人組のパーティーは、遂に目的の山へと到着した。

 

 

 

「それにしても、寒いわよね~……」

 

「グランザム主街区といい、なんでこんなに寒々しい階層に、血盟騎士団本部を移転させたのか、私も疑問なのよね」

 

 先頭を歩くリズベットとアスナは、フィールドの氷点下に達しているのではないかと疑いたくなるほどの寒さに辟易していた。五十五層の西の山にあるフィールドは、氷雪地帯の雪山である。血盟騎士団支給のマントを防寒着として着ているが、辺りの冷気を完全にシャットダウンすることはできず、こうして歩いている間も身体が若干震えていた。

 

「ふぁ~あ……」

 

「……ヨシモリ、さっきから欠伸ばっかし過ぎだ。こっちまで眠くなるからやめろ」

 

「だってよぉ……」

 

 主街区を出てから未だに眠そうにしているヨシモリに嘆息するコナン。ヨシモリがだるそうにしているのも無理はない。麓の村へ辿り着いて早々、クエストフラグを立てるために村長の老NPCと会話をしたのだが、語られたドラゴンに纏わる伝記というのが、村長の幼少時代から始まり、全て聞き終わる頃には日が暮れていたほどの長さだったのだ。

 未だ達成者が現れないクエストとだけあって、アスナは勿論、コナンも攻略には積極的であり、長々と語られる伝記の内容から手掛かりを逃すまいと、メモまで取って聞いていたのだ。一方、リズベットとヨシモリは途中からうとうとと眠りかけていたのだった。

 

「ちょっと、ヨシモリ君!もうすぐ頂上に到着して、ドラゴンとの戦闘に入るかもしれないんだから、しっかりしてよね!」

 

「へいへい、分かりましたよ……」

 

 相変わらず先頭をキープして歩き続けるアスナからヨシモリに向けて、叱責が飛ぶ。先ほどまでは、NPCから聞いた話の中から金属の在処について推理に耽っていたのだが、もうすぐクリスタルが一面に広がる頂上に辿り着くとだけあって、すぐさま臨戦態勢へと切り替えた。

 

「それで、ドラゴンと出会った場合の作戦はどうするんだ?」

 

「前衛は私とコナン君でやるわ。ヨシモリ君は、後方から援護をお願い」

 

「了解」

 

「分かった」

 

「ちょっとアスナ、私はどうすればいいのよ?援護くらいはできるけど……」

 

 アスナがドラゴンと戦闘するに当たって立てた作戦だが、リズベットへの指示が無い。一体、どういうつもりなのかと問いかけるリズベットに、アスナは、

 

「リズはクリスタルの陰に隠れていて。ドラゴンは常時空中に滞空しているから、メイスを当てるのはかなり難しいわ。だから戦闘は、敏捷パラメータが十分にある私達三人でやる。リズは何があっても出てきては駄目よ。良いわね?」

 

 真剣な面持ちで指揮をするアスナに、リズベットは息を呑む。攻略組を支援する立場にある彼女だが、こうして現場に同行することは滅多にない。狩りをするためにフィールドに出ることはあっても、活動範囲は安全マージンを十分に満たしたエリアに限られている。だが、最前線で常に命がけの攻略をしているアスナ達にとっては、どんな戦いもリスクは変わらない。譬え攻略済みの階層のフィールドであっても、一切の油断・慢心をせずに戦闘に臨むのだ。同行者であるコナンとヨシモリもアスナと同様、先程までの気だるい表情から、緊張感を纏った表情へとシフトしていた。自分だけ現場の空気を読めていないことに、居心地の悪さと若干の恥ずかしさを覚えたリズベットは、アスナの指示に従うほかなかった。

 

「……分かったわよ。私は戦いになっても、手出しはしない」

 

「それで良いわ。それじゃあ、いよいよドラゴンが現れる頂上に出るけど、みんな準備は良いかしら?」

 

「俺たちは大丈夫だ」

 

「結晶はじめ、各種アイテムは揃ってるからな」

 

 戦闘に臨むに当たって、全員が万全の態勢であることを確認したアスナは、全員に頷きかけると、ついに頂上のクリスタルフィールドへ一歩を踏み出す。

 

「ここが……ドラゴンの現れるフィールドね」

 

 雪の降り積もった山道を抜けた先に待っていたのは、フィールド一面にびっしりとクリスタルが敷き詰められた広い場所。雪雲に覆われた空の下にあっても、仄かに光を反射する神秘的な光景には、現実世界には無い美しさがある。

 だが、そんな絶景に心奪われかけているパーティーメンバーをアスナは叱咤しながら、先へ進む。

 

「皆、気をつけて進むわよ。私が先頭を行くから、ヨシモリ君は索敵をお願い。コナン君は、リズの護衛ね。ドラゴンが現れたら、散開して攻撃するわよ」

 

 幻想的な水晶の中を、しかし細心の注意を払いながら進むこと十数分。遂に、予期していたこのフィールドの主とも言えるモンスターが姿を現す。

 

「リズ、そこの水晶の陰に隠れてて!」

 

「わ、分かった!」

 

「コナン君、ヨシモリ君、散開して!……来るわよ!」

 

 モンスター湧出の気配を察知し、即座に各員に的確な指示を送って戦闘準備に入るアスナ。水晶の間を縫うように敷かれた道の向こう、その中空の空間が揺らいだ。攻略組であるアスナ達三人が見慣れたそれは、巨大なオブジェクトが出現する予兆に他ならない。歪んだ空間の向こうから現れたのは、氷のように青白いうろこに包まれた、有翼の魔物。予想違わず、このフィールドの主にして、金属獲得クエストのキーとなるモンスター、フロストクリスタル・ドラゴンだった。

 

「ギャォォオオオ!!」

 

 周囲を満たす冷たい空気を引き裂いて響き渡る咆哮。それと同時に、ドラゴンは口を大きく開くと、息を吸い込むかのように長い首を反らせた。

 

「ブレス攻撃よ!冷凍効果があるから、必ず回避して!」

 

 ブレス攻撃の前兆であることを察したアスナは、コナンとヨシモリに指示を飛ばして回避を促す。二人が左右それぞれの方向に退避した一方、アスナはドラゴンめがけて真っすぐ駆け出した。

 

「ちょっとアスナ!」

 

 目の前で攻撃態勢に入るドラゴンに真っすぐ突っ込むという行為に、リズベットは驚愕する。手出し・口出し無用と言われていたが、思わず声をかけてしまった程だ。ドラゴンのブレス攻撃は、効果範囲が広い。このまま突撃すれば、確実に直撃を貰ってしまう。そして、リズベットが不安を抱く中、遂にドラゴンの白い激流が迸った。アスナを呑みこまんと迫る冷凍ブレス。だが、

 

「遅い!」

 

 ブレスが放たれる直前で、急加速したアスナは、一気にドラゴンの懐に入り込むことで、ブレスの効果範囲から脱していた。攻略組として、「閃光」の異名を持つ彼女を捉えることは、並みのモンスターはおろか、プレイヤーですら難しい。

ドラゴンの死角へ入ったアスナはそのまま、攻撃後の硬直に入っているドラゴンの首目掛けて跳躍、細剣系ソードスキル、「ペネトレイト」を喰らわせる。

 

「ギャガァァアッッ……!!」

 

 青い稲妻のライトエフェクトと共に繰り出された連続刺突技で首を攻撃され、悲鳴を上げながらよろめくドラゴン。アスナはソードスキルの技後硬直で数秒の間動けないが、この隙を見逃すことは決してない。

 

「コナン君!」

 

「スイッチ!」

 

 アスナが地上に着地すると同時に、スイッチしたコナンによってドラゴンに放たれる追撃。彗星の如く光の尾を引いて発動したソードスキルは、最上位細剣技の一つ、「フラッシング・ペネトレイター」。アスナと並び、血盟騎士団きっての細剣使いであるコナンは、細剣スキルを既にコンプリートしているのだ。横合いから繰り出された凄まじい突進技は、ドラゴンが構えていた両腕を貫通・切断した。

 

「よし、これで鉤爪は使えない!」

 

 地面に落ちてポリゴン片に帰すドラゴンの両腕を視界の端に捉え、コナンは作戦が成功したことにしてやったりと笑みを浮かべる。

 

「上出来よ!このまま一気に攻め落とすわ!二人とも、良いわね!?」

 

 その後の戦いは、血盟騎士団メンバー三人の無双そのものだった。高レベルフェンサー二人が高レベルソードスキルによる攻撃を、交互にスイッチして繰り出す一方、ヨシモリがデバフ効果のある槍系ソードスキルで牽制する。たった三人のプレイヤー相手に、体調十メートル弱はあろう巨躯を持つドラゴンは手も足も出ず、HP全損に至るまでは十分とかからなかった。

 

「リズ、もう出てきてもいいわよ」

 

 戦いを終え、ドラゴンがポリゴン片を撒き散らして爆散したのを見届けてから、アスナは改めて水晶の陰に隠れていたリズベットを呼び出した。

 

「攻略組って、ホント凄いわね……」

 

「攻略済みの階層だったから上手くいったんだ。最前線なら、こうはいかねえよ」

 

 三人の高レベルプレイヤーの戦いを間近で見て衝撃を受けたリズベットが、感嘆を漏らすが、ヨシモリはこんな事は何でもないように言い捨てた。アスナとコナンは、そんな二人のやり取りを傍目で見ながら、先程の戦闘終了によって現れた加算経験値等が記されたウインドウを確認していた。

 

「ドラゴンを倒したが、やっぱり金属はドロップしなかったみてーだな」

 

「他にもたくさんの人が挑んだって聞いたけど、レアドロップと判断して、根こそぎドラゴンを狩り続けていたパーティーでは、結局達成できた人はいなかったっていう話よ」

 

「となれば、やっぱり別の方法で探すしかないわけだな」

 

 コナンはそういうと、加算経験値が記されたウインドウを消し、今度は懐に入れていた手帳を取り出した。中には、このクエストを受注する上で聞いた、村長の話が書かれている。

 

「クエストについての情報を統合すると、ドラゴンはクリスタルを食べて、身体の中で金属を生成するって話だったよな」

 

「うん、あのNPCの村長は、確かにそう言っていたわ」

 

 コナンから発せられた、クエストの概要について確認を取る問い掛けに、アスナは首肯する。ヨシモリとリズベットも、話を聞いている間はうとうとしていたものの、金属の在処という点だけは覚えていたようで、顔を見合わせて頷いた。

 

「なら、クエストの報酬である金属は、ドラゴンを倒した時にドロップすると考えるのが普通だ。それが出ないとなれば、クリスタルはドラゴンの体外にあるってことだ」

 

「体外?……なら、金属はこの山のどこかに落ちているってことかしら」

 

 コナンの推測が正しいのならば、ドラゴンは腹の中で生成した金属を、テリトリーであるこの山頂、もしくは山道のどこかに落としているということだろう。

 

「けど、だったらこの山全体をくまなく歩き回って探さなきゃならないってワケ?」

 

「おいおい、冗談じゃねえぞ……そんなことしてたら、日が暮れても終わらねえ……」

 

 コナンとアスナが行き着いた結論から、自分達が途方も無い探索活動に駆り出されねばならないことを考え、心底嫌そうな顔をするリズベットとヨシモリ。凍えるような寒さの中、山中歩き回って金属を探し出すなど、不可能に近い、ましてや、辺り一面クリスタル山頂にあっては、金属とオブジェクトとの判別すらつかない。もはやクエスト達成は絶望的という思考が浮上し始める中、しかしコナンは不敵に笑んだ。

 

「諦めるのはまだ早いぜ。考えてみろよ……金属が体内で生成されるなら、その後どこに行き着くのか?」

 

 明らかに金属の在処について心当たりのある様子のコナン。一同は、コナンのアドバイスを受けて金属の行方を考えるも、その在処には行き着かない。そんな一同の様子に、コナンは得意気な顔で答えを口にする。

 

「生き物が食べたものは、いずれ排泄されるだろう?なら、金属は……」

 

「そうか!つまり、ドラゴンが食った金属は、うん……ぶふっ!?」

 

「“排泄物”として、出されているということね!!」

 

 コナンが言おうとしていることを悟ったヨシモリがそれを口にしようとうする前に、アスナがヨシモリの顔面を引っ掴んで阻止する。そのまま、プレイヤーへの直接攻撃として認められるかどうかの力でアイアンクローを食らわせ続ける。笑っている様で目が笑っていない。そんなアスナの恐怖すべき表情に顔を引き攣らせつつも、コナンは解説を続けた。

 

「ま、まあ……そういうことだ。そして、生物の排泄は、大概一定の場所か、或いは巣で行われる」

 

「ドラゴンが用を足せるような場所なら、その一帯だけクリスタルが薙ぎ払われている筈よ……けど、そんなものは見当たらないわね……」

 

 周囲の状況を確認してみるも、ドラゴンが排泄に利用していそうな場所は見当たらない。となれば、残る可能性は営巣場所なのだが。

 

「ドラゴンは、あの方向へ進む俺達を阻むように現れた。つまり、あの先にはドラゴンが守るべき対象がある筈だ」

 

「巣がある可能性が高い、ということね。早速、行ってみましょう」

 

 ヨシモリに食らわせていたアイアンクローを解き、歩みを再開するアスナ。ヨシモリはその場に崩れていたが、アスナは気にする素振りも見せない。コナンとリズベットは戦慄しつつも、後を追いかけていった。

 そして、ドラゴンとの戦闘場所から歩くこと十数分。四人は遂にダンジョンの末端に行き着いた。そこには、

 

「かなりデカい穴だな……ドラゴン一匹くらいは余裕で入る大きさだ」

 

 独り呟くコナンの視線の先には、直径十五メートル超の巨大な穴がぱっくり口を開いていた。覗きこむ四人の目には、穴の底が見えず、暗闇が広がるばかりである。

深さを確かめるべく、コナンが松明をオブジェクト化し、穴に放り込む。だが、松明の灯りは穴の暗闇に吸い込まれて行き、五秒と絶たずに掻き消えてしまった。

 

「かなり深いみてーだな…………飛び降りるか?」

 

「バーロ。んな事したら、HP全損だって免れねえぞ」

 

 ヨシモリの無謀な提案に、コナンは呆れた様子で返した。松明を落として底から灯りと届かないとなれば、深さは百メートル以上ある可能性が高い。

 

「ロープを使って下りるしかねえんだろうが……俺の手持ちは、十メートルのロープ二本だ。安全に底まで行き着くには、五倍は欲しいところだ」

 

「どうする、アスナ?街に戻って出直す?」

 

 ダンジョンの末端にある以上、この大穴がドラゴンの巣である可能性は高い。となれば、金属を回収するためには穴の底へ下りる必要がある。だが、命綱たるロープの長さが不足しているとあっては、街でロープを調達に戻る他無いのだが……

 

「待て。あそこに何か垂れ下がってないか?」

 

 パーティーのリーダーであるアスナに撤退か否かの指示を仰いでいたところで、ヨシモリが穴の端に何かを見つけた。他の三人もまた、ヨシモリが指差した方向へと視線を移す。そこには、確かにヨシモリの言った通り、何か細長いものが穴の底へと垂れ下がり、風に揺らめいていた。

 

「フィールドのオブジェクトかしら?」

 

「……穴の底へ到達するための何かがあるかもしれないな。とにかく、行ってみよう」

 

 コナンの提案に従い、穴に垂れ下がる物が何かを確認するべく、接近を試みることとした一同。穴の外周に沿って落ちないよう気を付けながら移動すること数分。遂に目標のある場所へと辿り着いた。

 穴の下へと垂れ下がっていたのは、紛れもなくロープだった。辺りにある水晶の中では最も太く頑丈そうなそれに固定されて垂れ下がったそれは、フィールドに固定されているオブジェクトではなく、主街区で販売されているごくありふれたアイテムである。

 

「市販のロープ……グランザムで売られているものと同じだな。耐久値からして、ここに吊るされてから一日と経過していないな。恐らく、俺達よりも先にこの穴に目を付けたプレイヤーがいたんだろう」

 

「先を越されたってワケか……」

 

「でも、足跡なんてどこにも無かったわよ?」

 

「雪原フィールドの足跡は、一時間もすれば消滅しちまうからな。多分、俺達がクエストフラグを立てている間に来たんだろうな」

 

 レア金属獲得クエストは、今も挑戦し続けているプレイヤーは山ほどいるが、よもやこの穴にまで辿り着くプレイヤーが自分達よりも先に現れるとは予想外だった。皆が少なからず衝撃を受ける中、コナンだけは冷静だった。

 

「悲観することはねえよ。仮にここで金属を手に入れた奴がいたとしても、クエスト達成のための情報はまだ他のプレイヤーには行き渡ってはいない筈だ。まだ取り合いにはならないさ」

 

 得意気な表情で語るコナン。どうやら、この穴の下に金属があることについては、信じて疑わないらしい。ロープの耐久値がもつことを確認し、コナンは分かり切っている問いをリーダーへと投げかける。

 

「それで、どうする副団長?このまま行くか、それとも引き返すか」

 

「無論、このまま穴の下へ降ります」

 

 案の定、アスナはここで穴の底へ行き、金属を手に入れるつもりらしい。ギルメンとしても、友達としても付き合いの長いコナンとヨシモリ、リズベットは苦笑するしかない。

 アスナは佇まいを直し、血盟騎士団副団長として指示を下していく。

 

「下へは、私とリズが行きます。金属の獲得には、マスタースミスが必要な以上、どうしても同行してもらいたいの。大丈夫?」

 

「平気、平気。ここまで来たら、最後まで付き合うわよ」

 

「ありがとう、リズ。コナン君とヨシモリ君は、ここに残ってロープを見張っていてもらいます。万が一、行き帰りどちらかでロープが切れた時には、改めてロープを調達して救援に来てください」

 

「ああ、分かった」

 

「気を付けてな」

 

 コナンとヨシモリはアスナの指示に頷き、待機を了承する。そして、アスナとリズベットは当初の目的通り、金属を獲得するべく穴の底深くにあると推測されるドラゴンの巣へと突入する。

 

「ドラゴンの巣に入っても、絶対に私から離れないようにしてね」

 

「分かってるわよ。あんたも、金属なんかよりも命の方が大事なんだから、絶対に無茶しないでよね」

 

 イタチの武器を作るために挑戦している金属調達クエストである筈だが、今のアスナはフロアボス攻略時並みに真剣である。リズベットとしては、空回りして危険な目に遭わないかと心配だったのだ。

 意を決したアスナとリズベットは、二人揃ってロープに手を掛け、穴の底へと降下していく。穴の底は想像以上に深く、何かの弾みでロープを手放せば、即座に奈落の底へ真っ逆さまに落ちて行くことは想像に難くない。二人はロープを握る手に一層力を入れ、慎重に底を目指した。

 そして、ロープを手に降下すること実に三十分。命綱一本を頼りにした決死行は、遂に終わりを迎えた。

 

「ようやく到着したわね……」

 

「ロープが足りてて、本当に良かったわ」

 

 ロープを手放し、地に足を付く二人。幸いにも、地上から吊るされたロープは、底に至るまでに十分な長さをもって繋がれていた。穴の底は、地上から見て暗闇そのものだったが、システム上の設定によるものなのか、夜間のフィールド並みの明るさは保たれていた。上空を見上げれば、入った穴から光が覗いている。足元に積もった雪は柔らかいものの、程良く固まっているおかげで、歩くのには不自由しない。

 

「ドラゴンの巣……にしては、あんまり汚くはないわね」

 

「ゲーム上の設定だし、ドラゴン自体架空の生物だからね……巣を再現することはできなかったんでしょう」

 

 そんな会話をしながらも、アスナとリズベットは周囲を見回し、金属の探索を開始する。地上の十五メートル超の穴そのままの広さを持つスペースには、金属らしきものは落ちていない。

 

「無いわね~……やっぱり、当てが外れたのかしら?」

 

「もしかしたら、雪に埋もれているのかもしれないわ。探してみましょう」

 

 この大穴は、深さからして簡単に往復出来るものではない。金属が落ちている可能性がある以上、徹底的に探索を行っておく必要がある。二人はロープのある場所から離れ、しかし互いに一定以上離れずに探索を開始した。

 そして、雪の上を歩いていたしばらくしたところ、唐突に……

 

「ん……ここの地面だけ、ちょっと固くない?」

 

「え……本当に?」

 

 ふと、踏みしめた雪に違和感を覚えて立ち止まるアスナ。まさかと思い、リズベットと二人、地面に膝を付いて雪を掘り返す。すると、程なくして雪とは違う、硬質な物を指先が捉えた。

 

「これは……もしかして!」

 

 雪の中から現れたのは、白銀に輝く直方体状の物体。鍛冶師であるリズベットには見慣れた、金属素材(インゴット)である。リズベットが表面を指先で叩くと、ポップアップウインドウが表示される。アイテム名は、『クリスタライト・インゴット』。

 

「やったね、リズ!これでクエスト達成だよ!」

 

「あ~……でも、なんか素直に喜べないわね。コナンの話じゃ、これって、つまりは…………」

 

 目的のレア金属を手に入れたにも関わらず、素直に喜べないリズベット。インゴットの出所、詰まるところその正体について考え、口にしようとしたところで……

 

「リズ、その先は禁句だよ~」

 

「は、はひぃいっ!」

 

 リズベットの喉元に突き付けられる、アスナの細剣――ランベントライトの切っ先。まさか、己が鍛えた剣がこんな形で突きつけられるとは思わなかった。声を上ずらせながらも、リズベットは何度も頷いた。

 

「さて、目的も達成したところで、上に戻ろうか」

 

「あの高さって、下るのもかなり苦労したけど、上るのも凄まじく体力使うのよね~……」

 

 クエストを達成し、真の目的であるイタチへ贈る武器が作れると想像し、テンションが高まるアスナ。対称的に、リズベットの方は、金属の出所を考えるに素直に喜べない心境だったが……

 

 

 

「それじゃ、片手用直剣で良いのね?」

 

「うん、お願い」

 

 グランザムの西の山で目的の金属を手に入れたアスナ一行は、主街区で解散。その後、アスナはリズベットと共に武具店へと戻ったのだった。山を下りた時点で既に日は暮れ、今は夜中である。雪山へ登って疲労しているリズベットとしては、ハンマーを握ることすら億劫だったが、アスナの注文で今日中に作るよう頼まれたのだった。

 

「全く……フィールドに出向いて金属取って、帰った直後に作成って……」

 

「ごめんね!料金は、攻略組として稼いだお金でしっかり払うから!」

 

「やれやれ……しょうがないわねぇ……」

 

 強力な片手剣を作れることが、もっと言えば、それをイタチにプレゼントできることがそんなに嬉しいのか、下山して以降ハイテンションのアスナに、リズベットは乾いた笑いを送る。同時に、アスナからこんなに想ってもらえるあのイタチという少年は、とんでもない幸せ者だと思う。

こんなに温かい想いを胸に今日一日の冒険を成し遂げたアスナのためにも、失敗は許されない。鍛冶師として、そしてアスナの親友として、リズベットは全身全霊をもって鍛冶に打ち込むのだった。

 



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第三十八話 ぶつける想い

アンケートの集計結果を活動報告に載せておきました。
アスナとシノンが大接戦です。しかし、カップリング成立はまだまだ先の見込みです。
あと、皆さんに聞きたいのですが、パロキャラの紹介を望む声があったのですが、必要だと思いますか?要望が多い場合には、活動報告で適宜紹介していくつもりです。お返事待ってます。


2024年6月25日

 

「リズ、ありがとうねー!」

 

「はぁい、はい。行ってらっしゃ~い」

 

 四十八層にある、攻略組御用達の鍛冶屋、リズベット武具店から元気よく飛び出す少女――アスナ。それを欠伸混じりに見送るのは、店主のリズベットだった。昨晩、武器の作成を終えたリズベットは、完成まで傍らに付き添っていたアスナに泊まっていくよう提案し、今朝に至る。そして、朝一番にアスナはリズベットから製作してもらった剣を受け取り、店を出て行ったのだった。

 

(上手くやんなさいよ~)

 

 内心で親友たるアスナにエールを送るリズベット。そして、昨晩作り出した真に最高傑作と呼べる剣のことを思い出す。

 

(『ダークリパルサー』か……あの男には勿体ない業物だけど、アスナのためなら、仕方ないか~)

 

 文字通り、闇を払う剣として、神聖な純白の光を放つ刀身は、今まで作ったどの剣よりも輝いていた。本来ならば、もっと慎重に使い手を選びたかったが、親友たるアスナの頼みとあらば止むを得まいと考える。

 あれだけの業物を作り出せたことが、自分でも奇跡に思えてしまう。もしかしたら、アスナの想いというシステムを超えた何かが働いたのかもしれない、と考えてしまう程だ。

 

(あ~あ、私にも素敵なフラグ、立たないかな~)

 

 あんなに温かな想いを向けられるイタチを、そしてそんな想いを抱けるほどの相手を見つけられたアスナを羨みながら、リズベットは店の中へと戻って行くのだった。

 

 

 

 

 

 アスナがリズベット渾身の出来の剣を持って店を出てから数時間後。店主たるリズベットは、徹夜による睡眠不足を解消するための二度寝からようやく目覚めていた。

 

「ふぁぁ……随分寝ちゃったわね」

 

 先々日に続き、店を休んでの居眠り。攻略組御用達の身でありながら、我ながら身勝手と思う。最前線で命を張って戦いに身を投じる攻略組プレイヤーのためにも、これ以上店を閉めるわけにはいかない。疲労で重たい身体をどうにか起こし、鏡を見て髪型を整えたのち、店のカウンターへと出ることにした。

 

「ん…………アスナ?」

 

 ふと店内を見渡すと、入り口付近にある窓の外に人影が見えた。入口に置かれている椅子に座った後ろ姿は、流れるような栗色の長髪。リズベットのよく知る攻略組所属の親友、アスナである。

 今朝早くに、店から見送った筈の彼女が、何故こんなところにいるのか。剣をイタチにプレゼントしたのならば、そのまま彼とパーティーを組んで迷宮区攻略に向かうとばかり思っていたのだが。リズベットは不思議に思いつつも、カウンターから店先へと向かった。閉店看板を出しているために、アスナは現在、店内には入れないのだ。とりあえず、店に彼女を入れて事情を聞くことにする。

 

「アスナ、どうしてここに…………って、どうしたのよ!?」

 

 店の扉を開いてアスナの方を向いたリズベットは、驚きの声を上げる。そこにいたのは、今朝自分が手渡した剣を抱きしめた状態で椅子に腰かけた、アスナの姿。その表情は暗く、大きなはしばみ色の瞳からはぽろぽろと絶え間なく涙が流れている。

 常ならば、凶悪なモンスターを前にしても全く怯まない筈のアスナが、何故こんなに涙を流しているのか。そして、今朝渡した筈の剣を何故未だてに持ったままなのか。リズベットは理解できず戸惑うばかりだった。やがて、店から出てきたリズベットに気付いたアスナが、涙を流したままの顔を上げ、リズベットの方へと向き直った。

 

「リズ……ごめんね」

 

「……一体、何があったの?」

 

「折角作ってもらったのに…………この剣、要らなくなっちゃった……」

 

 嗚咽を堪えながら、ぽつりぽつりと事情を語るアスナ。リズベットはアスナの背中を擦りながら真剣な表情で聞き入っていた。やがて、一通りの事情を理解したリズベットは、アスナを店の中へ入れると、主武器たる戦槌を手に、

 

「アスナ、私ちょっと行ってくるからね」

 

「……え?」

 

 今度は、アスナが混乱する番だった。戦闘準備をして、何をしに行くと言うのか。アスナがそれを尋ねるより先に、リズベットは店を出て行ってしまった。その表情はいつにも増して真剣で、とてつもない怒りが秘められているようだった。

 

 

 

 

 

 アインクラッド第六十三層主街区、バルティゴ。攻略組プレイヤーがこの階層の迷宮区に辿り着いたのは、四日ほど前のことである。攻略の進行度は、二十層ある内の三層へ到達した状態である。そして今日も、攻略組プレイヤー達は迷宮区の、そしてアインクラッドの頂きを目指して攻略に乗り出している。

 

「よう、イタチ!今日も早いじゃねえか!」

 

 主街区転移門広場を歩く黒衣に赤眼、額当てを付けたプレイヤー、イタチに声を掛けたのは、同じく攻略組プレイヤーにして、ギルド「風林火山」のリーダー、クラインだった。イタチは聞き知った声に足を止め、振り返る。

 

「これから攻略なら、俺達と一緒にパーティー組んで行かねえか?お前がいれば、百人力だぜ」

 

「悪いが、俺はソロ基本で攻略を進めるつもりだ。それに、連携もまともに取れそうにない俺がいても、足手纏いになるだけだ」

 

 デスゲームが始まった、SAOサービス開始初日以来の知人であるクラインは、イタチとフレンド登録をしている数少ない仲間と呼べるプレイヤーなのだ。こうして、攻略中に出くわす度にパーティーに誘っているのだが、イタチは頑なにソロプレイを貫いていた。そんな相変わらずの、最早定番と言っても良いイタチの態度に、クラインは溜息を漏らす。

 

「ったく、相変わらずつれねーなぁ……ん?おい、イタチ。その背中に吊ってる剣って新調したものか?」

 

 イタチの装備の変化を目敏く察知し、問いを投げかけるクライン。対するイタチは、別段隠す意思は無く、何食わぬ顔で答えた。

 

「ああ。昨日、マンタに新しく作ってもらった剣だ。固有名は「ダークリパルサー」。五十五層の金属獲得クエストで手に入れた素材で作ってもらったものだ。試し斬りをするために、今回の攻略にはこれを使う予定だ」

 

「ははぁ……情報屋のリストで聞かねえ名前だと思ったが、成程な。で、どうやったら手に入るんだ?」

 

「既に情報屋には入手方法を流しておいた。他のプレイヤーで混雑しない内に、取りに行くんだな」

 

「ったく、俺にはもっと早く知らせてくれてもいいのによぉ……ま、そうさせてもらうぜ」

 

 迷宮区に乗り出す攻略開始間際の他愛ない会話。と、そこへさらに、新たなプレイヤーが加わる。

 

「おう、イタチ。来てたんだな」

 

 転移門をくぐって現れたのは、血盟騎士団の白いユニフォームに身を包んだ二人のプレイヤー。中学生から高校生程の少年二人――細剣使いのコナンと、槍使いのヨシモリである。

 

「お前達か」

 

「随分と御挨拶じゃねえか、イタチ」

 

 先程のクラインに対するそれと変わらない、愛想の無い態度に、ヨシモリは若干ながら目を釣り上げる。コナンも仕方ないとばかりに呆れている。

 

「随分と眠そうじゃねえか。遅くまで攻略でもしてたのか?」

 

「ああ……副団長にちょっと付き合わされてな……」

 

 二人揃って欠伸しながら話すコナンとヨシモリ。昨日、血盟騎士団はオフだったと聞いていたが、まさか攻略にでも臨んでいたのだろうか。クラインの問いかけに、しかしヨシモリの口から語られた理由は、副団長――アスナの用事に同行したためとのこと。

 

「ま、そのお陰でクソ眠てーが……どうやら、その苦労も報われているようで良かったぜ」

 

「副団長も朝からプレゼントとは、恐れ入るな……」

 

 イタチの背中に吊られた片手剣――ダークリパルサーに視線を向け、乾いた笑いを浮かべるコナンとヨシモリ。先日まで使っていなかった剣を装備しているということは、昨日自分達が五十五層の雪山で手に入れた金属から作り出したものと考えたのだろう。

 だが、そのやり取りを聞いていたクラインは不思議そうな表情を浮かべる。イタチが新調した剣はマンタに鍛えてもらったと言っていたが、コナンとヨシモリの話からすると、アスナにプレゼントしてもらったように思われる。血盟騎士団所属のアスナからのプレゼントならば、剣を鍛えたのは御用鍛冶師のリズベットの筈。この齟齬は何なのかと疑問に思ったクラインが、再度口を開く。

 

「おい、イタチ。その新しい剣って、マンタに作ってもらったものなんだよな?」

 

「……は?」

 

 クラインから告げられた言葉に、間抜けな声を発して思考を硬直させてしまったコナンとヨシモリ。昨日、自分達は確かに五十五層の雪山の金属獲得クエストを達成してレア素材を手に入れた筈である。そして解散後、昨日の内に剣を作って、アスナはイタチに新たな剣をプレゼントした筈なのだ。それが今、イタチが装備している新調の剣の正体が、ソロプレイヤー御用達の“マンタ”に作ってもらったものだと言っている。ならば、アスナとリズベットが作った剣はどこに……

 そこまで考えたところで、コナンとヨシモリの思考は、新たな闖入者によって中断されてしまった。

 

「待ちなさい!イタチ!!」

 

 突如転移門に広場に響き渡る、女性の鋭い叫び。イタチ等四人が振り返るとそこには、イタチやコナンと変わらない取り頃の少女。エプロンドレスの上に甲冑を装備した、ベビーピンクの髪とダークブルーの瞳をした、人形のような可愛らしい容姿をもった、戦槌使いの少女――リズベットである。だがその表情は、凄まじい怒りに染められていた。

 突然登場した攻略組御用達の鍛冶師の少女に、その場にいた全員が驚愕した。さらには、常には無い憤怒の形相に、数々の修羅場を潜ってきた筈の攻略組プレイヤーは凍りついたように動けなくなってしまった。そんな中、一番に口を開いたのは、制止をかけられたイタチ当人だった。

 

「……俺に何か、ご用でしょうか?」

 

 リズベットの凄まじい剣幕に対し、しかしイタチ本人は全く怯む様子も見せず、自分を呼び止めた理由を問い質す。そんな傍から見れば余裕があるとも取れるイタチの態度は、リズベットの怒りをさらに煽った。

 

「アスナがあなたに渡そうとした剣のことよ。心当たりが無いとは言わせないわよ……どうして、受け取ってあげなかったのよ!?」

 

 怒鳴り掛けるその内容に、事情を知らないクラインとその周りに立ち尽くしていた風林火山メンバーは、訳も分からず首を傾げるばかりだが、昨日アスナに同行していたコナンとヨシモリは驚いた様子だった。

 

「必要無かった。ただそれだけです」

 

「あの剣……ダークリパルサーは、情報屋のリストにもまだ載っていなかったものよ。剣のパラメータも、攻略組が使う者の中でも強力なものだった筈よ。何が不満だって言うのよ!?」

 

 わざわざ店を飛び出してイタチのもとへやって来たのは、アスナのプレゼントを拒絶したことは勿論、剣を否定されたことによってリズベットの鍛冶屋としてのプライドに傷を付けられたことも理由にあった。全身全霊で鍛えたあの剣の出来は、リズベットが今まで作った剣の中でも間違いなく最高傑作だった。受け取りを拒否した理由を何としても聞きださなければ、気が済まなかった。

 リズベットの怒声による問いかけに、しかしイタチはやはり無表情を貫き、やがて背中に吊った剣を引き抜いた。その刀身を見た瞬間、今度はリズベットの顔に驚愕が浮かんだ。イタチが手にしている純白に煌めく片手剣――それはまさしく、自分が昨日鍛えたものと同じ、ダークリパルサーだったのだから。

 

「この通り、俺は既に必要な剣を手に入れました。アスナさんやあなたから、剣を受け取る必要はありません」

 

 先程の凄まじい怒りの表情を驚愕に変えたままのリズベットにそれだけ告げると、イタチは踵を返して迷宮区へ向かおうとする。だが、それを止める二人の少年がいた。

 

「おい、イタチ……」

 

「ちょっと待てって……」

 

 昨日、アスナの金属獲得クエストに同行していたコナンとヨシモリは、このままイタチを行かせるわけにはいかないと思った。おそらく、アスナ達よりも先に五十五層の雪山の金属を獲得したのは、イタチだったのだろう。そして、手に入れた金属を素材に、彼の専属鍛冶師と目されているマンタがダークリパルサーを鍛えたのだ。

イタチがアスナからの剣の受け取りを拒否した経緯は理解したが、はいそうですかと簡単に納得して良いものでもない。目の前の怒り心頭のリズベットは勿論のこと、プレゼントを拒絶されたアスナの心情も考えれば、放置して良いものではない。どうにか話し合いをさせなければと気を回す二人だったが……

 

「……それが、私の剣を……アスナの贈り物を、受け取らなかった理由だって言うの?」

 

 顔を俯け、身体を震わせながら、再度問いを投げるリズベット。その声は静かながら、先程以上に凄まじい怒りを秘めていた。絶対零度のオーラを放つリズベットに対し、その場にいたクラインやコナン、ヨシモリはじめ多くの攻略組プレイヤーが危険を感じた。これはもう、イタチに弁明させるほか無いと考え、捕まえているイタチを説得しようとその場にいた一同は考えていたが……

 

「そもそも、俺にはアスナさんから剣を受け取る謂れもなければ、義務もありません。その剣は、アスナさんのギルドのために使えば宜しいではありませんか?」

 

 相変わらずの内心が読めない冷たい表情のままで放たれた言葉に、場が凍りつく。火に油を注ぐ言葉に、遂にリズベットは、胸に抱いていた怒りを爆発させた。

 手に持っていた戦槌を振り上げ、その先端をイタチに向ける。その行為に、再度その場にいた面子は驚愕した。武器をプレイヤーに向けるその行為はつまり、

 

「……イタチ、私とデュエルしなさい!!」

 

 敵対心の発露、決闘の宣言に他ならないのだから――――

 

 

 

 

 

 リズベット武具店に残されたアスナは、店内の椅子の上で膝を抱いて一人蹲っていた。すぐそばのテーブルの上には、昨日リズベットに鍛えてもらった名剣が置かれている。昨日まで攻略方法不明だった金属獲得クエストで手に入れたレア素材で作られたそれは、しかし今はもう自分にとって全く必要の無い、無用の長物と化してしまった。

アスナがこの剣を望んだ理由は、ある一人の少年の力になりたかったからに他ならない。だが、今朝一番に彼に会いに行ってプレゼントしようとして、返って来たのは、不要の一言を以て示された拒絶の意思。理由を聞くよりも早く、少年は背中に吊っていた片手剣を引き抜き、アスナに見せた。それは、自分が少年のために持ってきた物と同じ、純白の剣――ダークリパルサーだったのだ。そして、彼は彼女に言った。

 

『同じ剣は二本も必要ありません。そもそも、俺は貴女からそんな高価なものを受け取る立場ではありません。』

 

 その一言と共に、彼――イタチはアスナに目もくれず、迷宮区へと歩き出して行った。アスナはその背中を引きとめることも出来ず、その場に立ち尽くすばかりだった。そして気付けば、リズベット武具店へと戻っていた。イタチに拒絶されたことに衝撃を受けたことによって重くなった足取りで、どのようなルートを通って戻って来たかは覚えていない。ただ、無用となった剣を返さなければならないと思ったのだった。

 

「リズ……本当にごめんね」

 

 折角作ってもらった名剣だが、使い手がいないとあらば、制作者に返すしかない。リズベットはどこかへ行ってしまったが、剣を返した以上、ここに留まる理由は無い。もとより、アスナは攻略組の中でもリーダーを務める身だ。いつまでもこんな場所にいるわけにはいかない。正直今日は、身体を動かすことすら億劫だが、自分が前線へ赴かなければ攻略組の士気が下がることは免れない。リズベットは未だ戻らないが、書き置きだけしてここを出ようと、そう考えた時だった。

 

「あれ……シェリーさんからのメール?」

 

 アスナの視界に、メール受信のウインドウが現れた。誰からのメールかと確認してみると、そこにあった名前は、自分と同じ、血盟騎士団に所属する女性プレイヤー――シェリーのものだった。一体何の用かとウインドウを開いてみると、そこにあった第一文には、

 

『あなたの親友の鍛冶師が、あなたの想い人の剣士の彼と、決闘しているわよ。』

 

 信じられない内容が綴られていた。アスナは驚愕に目を見開くと、カウンターに置こうと持ち上げていた剣をそのまま抱えた状態で店を飛び出した。目指すは現在のアインクラッド最前線、六十三層の主街区、バルティゴである。

 

 

 

 

 

「ハァ……ハァ……」

 

「もうこれで、いい加減気は済んだでしょう。これで終わりにしませんか?」

 

 六十三層主街区、バルティゴの転移門広場に集まった人だかり。その中央の開けた空間で立ち合っている二人のプレイヤーがいた。片や最前線で激闘を繰り広げるビーターこと黒の忍と呼ばれたプレイヤー、イタチ。片や攻略組最強ギルド、血盟騎士団御用達の鍛冶師にしてマスターメイサーのリズベット。

 攻略最前線と後方支援、それぞれ正反対の方面において知名度の高い二人が、それぞれ武器を手に持ちデュエルをしているのだ。デュエルの形式は、初撃決着モード。初めの一撃をヒットさせるか、先に相手のHPを半減させた方が勝利する形式であり、かつてイタチとアスナがデュエルした際にも取っていたものと同じ形式である。イタチの手にはマンタ作の片手剣――ダークリパルサー、リズベットの手には、自作の戦槌――メテオライトが握られている。そして、デュエルの趨勢は、終始イタチの有利に傾いていた。

 

「余計なお世話よ……まだよ……まだ私は戦えるわ!!」

 

「……まだやるつもりですか。これで八戦目ですよ。最初のデュエル以降、あなたの攻撃は一撃も俺には当っていない。あなたでは、俺に勝つ事はできませんよ」

 

 イタチと相対しているリズベットは荒い息使いで、メイスを杖代わりにして辛うじて立っている状態だ。強がってはいるものの、精神的にはもはや限界であることは疑いようも無い。そんな彼女に対し、イタチは飽く迄冷たく突き放すように語りかけ、これ以上のデュエルは無駄だと忠告する。だが、リズベットはそんな余裕のあるイタチの態度にさらに怒りを触発されたのか、デュエルを全く止める気配は無く、再度ウインドウを操作してイタチにデュエル申請を出した。

 

「おい、イタチ。もうそのへんにしといたらどうなんだよ?」

 

「そうだぜ。もとはと言えば、お前がアスナの剣を断ったのが原因だろ。さっさと謝って、剣を改めて受け取れば良いじゃねえか」

 

 リズベットのデュエル申請をため息交じりに了承しようとするイタチに、コナンとヨシモリが制止をかける。リズベットから一方的に仕掛けてきたこのデュエル。吹っ掛けられたイタチは、一度自分が負ければ溜飲が下がるのではと、初戦で手を抜いて負けたのだ。だが、負けてなお剣の受け取りを断ったため、リズベットは再戦を申し込んできたのだ。そして、以降は実力を示して剣は不要と認めさせるべく、幾分か本気でデュエルに臨んでいたのだった。

怒りの根源は、イタチにあると二人は知っているコナンとヨシモリは、これ以上彼女の怒りを肥大化させないためにも、謝罪するべきであると促す。だが、イタチは、

 

「何度も言うが、俺はアスナさんから剣を受け取る理由は無い。新たな剣もこうして手に入れた以上、血盟騎士団に借りを作る必要は皆無だ」

 

「あのなぁ……アスナは本当にそんなつもりは無いんだよ!何でお前は、素直に好意を受け取れねえんだよ!?」

 

「本人にそのつもりは無くとも、他の血盟騎士団メンバーはそうはいくまい。本来ならば、ビーターである俺と血盟騎士団副団長が接触すること自体が問題だ。これ以上彼女との慣れ合いを続ければ、碌な事にはならん」

 

 イタチの言い分は、半分は正しい。確かに、デスゲーム開始から一年半以上が経過した現在でも、リソースや情報の独占に走ったベータテスター上がりのチーター――通称ビーターを毛嫌いするプレイヤーは、残念ながら未だ存在する。それは、大手攻略ギルドの血盟騎士団も例外ではなく、敵意を剥き出しにして排斥を図るプレイヤーも少なくはない。その数は、ゲーム攻略の進行と共に減少傾向にあったが、ここ最近はアスナとイタチが懇意にしているという噂が立っているお陰で、若干増加しているのだ。コナンやヨシモリ、シェリーといった、血盟騎士団を含めた攻略組全体の団結を目指しているプレイヤーは、そのような手合いの対処に日々追われているのだった。

 

「全く……あれほど彼女の扱いには気を付けろと言っておいたのに、何をやっているんだか……」

 

 溜息を吐きながらジト目でイタチを睨みつけるのは、アスナやコナンと同じく血盟騎士団所属のプレイヤー、シェリーである。調薬スキルをコンプリートした生産職プレイヤーのシェリーは、攻略に乗り出すプレイヤー達に、自作のポーションを売るために最前線を訪れていたところで、このトラブルに出くわしたのだった。

 イタチとアスナの関係の危うさはシェリーも承知していたが、まさか親友であるリズベットにまで問題が波及するとは思わなかった。彼女の作った片手剣がトラブルの根源となっている以上、彼女が巻き込まれることは避け得ない事態だったのだろうが、イタチとのデュエルにまで及ぶとはさすがに思わなかった。

 

「イタチ君、もうこんな無益なデュエルは止めなさい。トラブルの原因はあなたにもあるわ。素直に謝って、剣を受け取ればそれで済む話よ」

 

「……残念だが、向こうにそのつもりは無いらしい」

 

 剣の受け取りを断ったイタチだが、謝罪を以て事態を収束させるよう勧めるシェリーの考えには賛成である。この場を治められるならば、土下座しても構わないとまでイタチは考えている。血盟騎士団に借りを作りたくなかったのと、アスナとの関係にあらぬ噂が立つことを忌避して、リズベットが作った剣の受け取りを拒否していたが、まさかリズベットが出張るとは思わなかった。意固地になるリズベットを前に、イタチは無表情のまま、内心では対応に困っていた。

 一方のリズベットは、イタチとの度重なるデュエルで疲弊しながらも、決して膝を付くことはなく、飽く迄デュエルを行う姿勢を示していた。

 

(……強そうには見えなかったけど……アスナの言った通り、やっぱり攻略組なんだ…………)

 

 イタチが攻略組の中でも相当な実力者であるという情報は、アスナから聞かされていたものの、好意を寄せているが故の過大評価としか捉えていなかった。しかし、こうしてデュエルに臨んだ今ではそんな考えは既に吹き飛んでいる。七回のデュエルを経ても、自分のソードスキルは掠りもせず、動きを見極めることすらできない。攻略組御用達と言う職業柄、数多の強豪プレイヤーを見てきたが、イタチの強さは他のプレイヤーとは一線を画す、鍛冶職人のリズベットでは敵うべくもない、完全に別次元のものだった。

 

(でも……!)

 

 譬え勝機が無くとも、諦めるつもりは無かった。怒りにまかせた勢いのまま、彼我の実力差も弁えずにデュエルという無謀な行為に及んでしまったが、本来の目的はイタチをデュエルで打ち倒すことではない。そもそも、リズベットがイタチの元へやって来たのは、親友であるアスナの好意を無碍にしたことに憤りを覚えたからである。

アスナはイタチを喜ばせたい一心で、職権乱用に近い行為でパーティーを組み、五十五層の西の山に登って金属を調達してまで剣を用意したのだ。頼まれたことでないにせよ、イタチのためにそこまですることができたのは、直向きな想いがあったからに他ならない。そんなアスナの純真な想いを、目の前の男は「必要無い」の一言で切り捨てたのだ。許せる筈が無い。もとよりリズベット自身も根が強情なので、妥協する気には到底なれなかった。

 

「リズベットさん。もう無益な戦いは終わりにしませんか?謝罪をお求めでしたら、あなたは勿論、アスナさんにも謝罪をさせていただきます」

 

「余計なお世話よ!さっさとデュエル申請を受諾しなさいよ!」

 

駄目もとでイタチが和解を求めるも、イタチの予想通り、リズベットにはそんなつもりは微塵も無いらしい。アスナに謝罪させるためにデュエルをしているが、いつの間に目的と手段が入れ替わってしまっている。リズベット自身も、退くに退けない状況なのだろうと、イタチは考える。次のデュエルでは、偶然を装って負けてしまえば少しは溜飲が下がるだろうと考え、デュエル申請を受諾する。

カウントが始まり、再度両名は武器を構え直す。イタチは最初のデュエルから変わらない動きで剣を構え、リズベットは既に満身創痍の状態で戦槌を振り上げる。周囲のギャラリー、特に事情を知っているコナンやシェリー、ヨシモリは、「結局まだやるのかよ」と額に手を当てて、痛みなき頭痛を覚えていた。やがて、カウントがゼロになると同時に、イタチとリズベットは互いにソードスキルのライトエフェクトの尾を引きながら距離を詰める。そして、互いの武器が交錯しようとした、その時――――

 

「やめて!!リズ!イタチ君!」

 

「「!」」

 

突如として響き渡った悲鳴とも取れる叫び声が、二人の動きを止めた。互いに武器を振り抜こうとした姿勢のまま、イタチとリズベットは声が聞こえた方へ振り向く。そこにいたのは、二人とも見知った人物。栗色の長髪を靡かせた細剣を装備した女性プレイヤー――アスナである。急いでこの場へ駆けつけたのだろう、肩で息をしながらも、二人のもとへ歩み寄る。

 

「ア、アスナ……?」

 

「リズ、何やってるのよ!?イタチ君も……どうしてこんなことになってるのよ!?」

 

「…………」

 

 怒鳴られた両名は、振り上げていた武器を下ろし、アスナに向き直る。リズベットはアスナの突然の登場に戸惑いの表情を浮かべていたが、イタチは相変わらずの無表情。だが、内心では若干冷や汗を流していたりする。

 

「わ、私は、剣の受け取りを断ったコイツに文句を言ってやろうと……」

 

「なら、どうしてデュエルなんてしてるのよ!?……こんな事……こんな事、頼んでないわよ!!」

 

 デュエルに割って入った当初は怒り心頭のアスナだったが、今度は顔に手を当てて泣き出してしまった。リズベットはアスナを泣かせてしまったと慌てた様子で宥めようとする。

 

「ちょっとイタチ!あんたも突っ立ってないで、どうにかしなさいよ!!」

 

「…………」

 

 泣きじゃくる親友に、リズベットは大いに戸惑い、アスナを宥めながらも、敵対していた筈のイタチに助けを乞う始末。イタチ自身も、正直に言えば、こっちの方が助けて欲しいと思っていた。リズベットがアスナの背中を擦って宥め、イタチが沈黙を貫く中、やがて若干ながら落ち着きを取り戻したアスナが口を開いた。

 

「イタチ君、ごめんね……必要ないって言ってたのに、無理やり押し付けるようなことしちゃって……」

 

「ちょっとアスナ。あんたが謝ることなんて……」

 

「リズは黙ってて!……私なりにイタチ君の力にはなろうとしたんだけど……結局、こうやって迷惑かけちゃって……本当にごめんなさい」

 

 真摯に頭を下げ、親友の非礼を謝罪するアスナ。対するイタチは、この期に及んでも相変わらずの無表情で内心が読めない。しかし、目に涙を浮かべながらイタチに頭を下げるアスナの姿を見る赤い双眸には、常には無い、僅かな戸惑いの色が浮かんでいた。

 

「リズも、本当にごめん。せっかく作ってもらった剣を無駄にしちゃって……」

 

「そ、それこそ、私はそんなに気にしてないけど……」

 

「ううん、そんなことない。リズが私のために、一生懸命この剣を作ってくれたこと、知ってるよ」

 

 アスナは次に、今度は親友であるリズベットに頭を下げた。オーダーメイドの強力な武器となれば、攻略組プレイヤーにとって千金に匹敵する高価な代物である。リズベットが最高傑作と称するそれは、攻略組プレイヤーに売り出したならば、破格の値段で取引されることは間違いない。それを惜しげもなく、アスナに手渡したのだ。そこにあるのは、アスナの想いを大切にしたいという思いがあったからに他ならない。

 

「でも、イタチ君が要らないって言うなら、無理強いはできないよ……ほんとにごめんね」

 

「い、良いのよ!別に、必要がなくなったってんなら、店に置けば良いだけだし……」

 

 落ち込むアスナに必死に言い繕うリズベット。作った剣が受け入れられなかった事に関しては納得のいかない点があるのは否めなかったが、アスナがどうにか泣きやんでくれたことには安堵していた。

 

「イタチ君、リズが迷惑をかけてごめん。もう二度と、こんな事が起きないように気を付けるから、許してあげて」

 

それだけ言うと、アスナはリズベットの手を引き、周囲を囲んでいるギャラリーの人だかり、その向こうにある転移門へと向かう。その表情は、浮かばれず、傍から見ても落ち込んでいるのは明らかだった。俯いたまま広場を立ち去ろうとする二人……だが、その背中を呼び止める人物がいた。

 

「待ってください、アスナさん」

 

 広場の中央から掛けられた言葉。呼び止めたのは、イタチだった。振り返ったアスナとリズベットの目を真っ直ぐ見つめる赤い双眸には、先程のデュエルの時のような、相手を歯牙にもかけない態度とは違う、真摯さがあった。一体今更、自分達に何の用なのだろうと訝しむ二人に対し、イタチが放った次なる言葉は、衝撃的なものだった。

 

「リズベットさん、デュエルの続きをしましょう」

 

 その言葉の衝撃に、イタチ以外のプレイヤー全員が固まった――

 



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第三十九話 心の温度

「はぁっ!?何言ってんの、あんた!?」

 

 イタチが提案したのは、なんとデュエルの続行。一応、アスナが乱入してからもデュエルは続いている状態であるが、あまりにも突拍子も無いイタチの発言に、リズベットは素っ頓狂な声を上げてしまう。

 

「リズベットさんから挑まれたこのデュエルは、確かにあなたが望まなかったことでしょう。しかし、彼女は俺との力の差を承知で臨んでこの戦いに臨んだんです。せめて最後にこの一戦だけでも、認めていただけませんでしょうか?」

 

 相変わらず何を考えているかを察することのできない表情であったが、声色からしてイタチが本気なのだということだけは分かる。イタチにとってメリットの無いこのデュエルに、一体どんな意味があるのだろう。アスナが疑問を口にしようとすると、

 

「上等よ。お望み通り、相手になってあげるわ!」

 

「ちょっ……リズ!?」

 

 イタチの真意を聞く前に、リズベットがその提案を了承してしまった。慌てて再び止めに入ろうとしたアスナだが、それをリズベットは手で制した。

 

「アスナ、悪いんだけどこの戦いだけはやらせて。これは、あんたのためだけじゃない……あたしの意地でもあるのよ」

 

 アスナの制止を振り切らんとするリズベットの表情には、先程までの怒りに我を忘れた短気さは一切見られない。親友のため、そして己の鍛冶師としてのプライドのために戦いに臨もうとしている、そんな内心を表したような曇りなき輝きを瞳に宿していた。そんなリズベットの視線に、遂にアスナも、

 

「……しょうがないわね。でも、無理だけはしないでね」

 

「分かってるわよ!見てなさい!」

 

 リズベットの意思に、折れてしまった。アスナは苦笑を、リズベットは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。二人はそれだけ言葉を交わすと、アスナは人だかり一歩手前まで下がり、リズベットは改めて武器を構えてイタチと向かい合う。

 

「これで最後にしましょう……」

 

「ええ、分かってるわ」

 

 イタチが片手剣――ダークリパルサーを構えるのと同時に、リズベットも戦槌――メテオライトを振り上げる。睨み合う両者、そして周囲を囲むアスナをはじめとしたギャラリーに緊張が走る。武器を構えて向かい合うこと数秒、静寂を破って真っ先に動きだしたのは、イタチだった。

 

「……ハァァアッ!」

 

「ぐぅっ……!」

 

 イタチの繰り出す激しい剣撃。攻略組たる実力を表すかのような並外れた技量を前に、リズベットは防戦一方となってしまう。クリティカルヒットは入らないものの、HPは着実に削られていく。このままでは、体力が50%を切るのも時間の問題である。

 

(やっぱり……強い!でも……!)

 

 リズベットとて、攻略組ではないが、フィールドでの狩りの経験を積み、戦槌スキルを完全習得したプレイヤーなのだ。持ち得る技量に圧倒的な差があったとしても、この世界を生き抜くために彼女なりに「戦う」ことを選択したのは彼女自身なのだ。だからこそ、リズベットは諦めない。そして、イタチの猛攻に耐え続け、遂に彼女が待ち望んだ瞬間が訪れる。

 

「そこっ!」

 

「!」

 

 防戦一方だったリズベットからの、思わぬ反撃。リズベットが握るメテオライトから発せられた横薙ぎの戦槌系ソードスキル、「サイレント・ブロウ」が、イタチの持つダークリパルサーの刃と衝突したのだ。ここに至って、イタチの顔に初めての驚愕が浮かぶ。七戦のデュエルを経て、リズベットはイタチが繰り出す剣技の中から、自身の技量で反撃し得る一撃を見抜いたのだ。予期せぬソードスキルの直撃により、イタチは剣をパリィされ、これまでに無かった隙が生じた。そして、リズベットはこの瞬間を最大限に活用し、一気に畳み掛ける。

 

「うぉぉおおお!!」

 

 メテオライトの先端部から、先程のそれを上回る、激しいライトエフェクトが迸る。戦槌系上位ソードスキル、「ヴァリアブル・ブロウ」が発動する。戦槌系ソードスキルの中では上位に分類されるこの連続技は、発動時の隙が大きく、対プレイヤー戦向きではないと言われている。だが、武器をパリィしたこの瞬間、相手が間合いに入っている状況ならば、そんな欠点は関係ない。初撃決着モードのデュエルならば、一撃でも命中すれば即座に勝敗が決する。

 

「くっ!」

 

 攻略組プレイヤーでも対処し切れないであろう絶体絶命の状況にあるイタチだったが、リズベットの戦槌から逃げ切れないと悟るや、自身もソードスキルで応戦を試みる。パリィされた反動を利用し、身体を反転させながら、ソードスキルを発動させる。リズベットに負けず劣らず激しいライトエフェクトとともに繰り出されるのは、片手剣上位ソードスキル、「ファントム・レイブ」。

 

(まさかこの状況で、上位ソードスキルなんて……でも、やるしかない!!)

 

 パリィされた隙を突いての上位ソードスキルによる追撃にも怯まず、即座に迎撃態勢をとる、相変わらずの並みはずれたイタチの技量に驚嘆するリズベット。

 発動しようとしているソードスキルは、両者共に完全習得者が発動できる上位技。そして、この間合いにあっては互いに回避行動は不可能。この状況に至っては、互いにソードスキルを渾身の力を込めて打ち合うのみである。

 

(片手剣と戦槌なら、あたしの方に分がある。でも……!)

 

 片手剣と戦槌でソードスキルの打ち合いを行った場合、先に耐久値を削り取られるのは、片手剣である。SAOの武器というものは、重ければ重いほど耐久値が高いと相場が決まっており、戦槌は数ある武器の中でもトップクラスの耐久値をもつのだ。片手剣は、細剣や短剣に比べれば耐久値が高いものの、耐久性では戦槌に敵わない。よって、この至近距離におけるソードスキルの打ち合いは、リズベットに軍配が上がる。

 だが、今回は相手が特殊だ。リズベットの最高傑作と同種の剣であるダークリパルサーは、攻略組の中でもトップクラスのパラメータをもつことは間違いない。リズベットが持つ戦槌、メテオライトも、攻略組と同格程度のパラメータを持つ、強力の部類に入る武装ではあるが、ダークリパルサーが相手では勝敗は分からない。そして何より、その武器を扱っているのは、アスナが認めた攻略組プレイヤーなのだ。七回のデュエルにおいて肌で感じた実力差を考慮すれば、やはり一筋縄ではいかないと思わざるを得ない。果たして、どちらが勝つのか――――

 

「うぉぉおおおおっっ!!」

 

「はぁぁああああっっ!!」

 

 だが、全力を振り絞ってぶつかり合う今となっては、そんな打算はもうどうでもよかった。ただ只管、打ち尽くすのみ。SAOがデスゲームと化して以来、鍛冶師として後方支援に徹してきたリズベットにとっては初めての、真剣勝負。命懸けではないものの、満身創痍の中にある、勝ちたいという感情は、リズベットに攻略組に勝るとも劣らぬ気迫を与えていた。そして、

 

両者の武器が、交錯した。

 

 イタチの発動した「ファントム・レイブ」によって、剣舞とも呼べる、流麗なる技が繰り出される。

 リズベットの発動した「ヴァリアブル・ブロウ」によって、重々しく荒々しい連撃が振り下ろされる。

 両者の上級ソードスキルが激突する中、武器が発するライトエフェクトが、互いを食らい合うかのように激しい輝きを放つ。攻略組プレイヤーでもそうそう起こり得ない、上級ソードスキル同士の衝突、それによって炸裂する二色の光が織り成すコントラストは、見る者全てを魅了する。だが、そんな美しい光の協演は、八度目の交錯にて終焉を迎えた。

 互いのソードスキルの最後を飾る一撃。その時の衝突だけは、それまでの七回の間にはなかった、異質な響きがあった。ライトエフェクトが止んだ先にあったのは、先端の折れた片手剣。へし折られて弾き飛ばされた得物の切っ先は、持ち主であるイタチの背後の地面に突き刺さった。

 

「…………俺の負けです」

 

 右手に握るダークリパルサーが消滅する様を見届けると共に、イタチが降伏を宣言。その途端、向かい合うイタチとリズベットの上空に、文字がフラッシュする。

 

『WINNER Lisbeth』

 

 その場にいた誰もが、目の前の現実を認識できなかった。攻略組最強と恐れられる、「黒の忍」ことイタチと、攻略組御用達の鍛冶師であるリズベットとのデュエル。戦闘職プレイヤーと生産職プレイヤーの戦い……イタチが攻略組トップクラスであることを差し引いても、勝利するのは当然、イタチであると、誰もが疑わなかった。七回ものデュエルを見ても、それは明らかだった。だが今、大勢の攻略組プレイヤーの目の前で、その認識は大きく覆されたのだ。

 

「リズ…………」

 

 誰よりも近くで勝負の行く末を見守っていたアスナが、リズベットに歩み寄る。その動きはぎこちなく、親友である彼女が、自分すら敵わなかった少年に勝利したという事実を、未だ信じられずにいる様子だった。

 

「は、はは……アスナ……」

 

 そしてそれは、当人も同じだったらしい。予期せぬ勝負の結果に、しばし戸惑うリズベット。だが、振り返った視線の先にアスナの姿を捉えた瞬間、にかっと笑みを浮かべ、左手でピースサインを作って突き付けた。そして、どっと沸く歓声。誰もがリズベットの勝利を、奮闘を称えていた。後方支援プレイヤーには、送られることなどほとんど無い感動の嵐の中、それを巻き起こした張本人であるリズベットは、未だ無自覚なまま照れくさそうに笑みを浮かべる。そして、間近にいた親友は、

 

「もう……無茶して!」

 

 目に涙を浮かべながら、リズベットを抱きしめた。上位ソードスキルの打ち合いという無茶をしたことを責めているようだが、その実、自分のために戦ってくれたリズベットの健闘に誰よりも心動かされ、感動に涙していたのは彼女だった。

 

「ご、ごめんごめん……」

 

「……でも、本当に嬉しかった。ありがとう、リズ」

 

「アスナ…………ふふっ、どういたしまして!」

 

 アスナの心からの感謝に対し、得意げに返すリズベット。そこには、自分が求めていた人と人との間にある、確かな温かさ……心の温度が感じられた。

 

「リズベットさん、見事なソードスキルでした」

 

 そして、彼女に対する称賛はギャラリーの攻略組だけには止まらなかった。先程まで、命懸けに等しい気迫でぶつかりあった相手であり、攻略組トップクラスの実力を持つとされるイタチすらも、潔く負けを認め、彼女の勝利を称えている。

 

「わ、分かれば良いのよ!それより、約束のこと、忘れたんじゃないでしょうね?」

 

 自分を七回も打ち負かして全くの無表情を貫いていた、リズベットの中では「嫌な奴」という印象が固定されたイタチからの思わぬ言葉に戸惑いつつも、デュエル開始に取り付けていた約束について、ジト目で睨みながら確認する。

 

「無論、覚えています」

 

 リズベットの非友好的な態度に対し、しかしイタチはやはり表情にあまり変化を見せなかった。そして、次の瞬間には、

 

「えっ!?」

 

「ちょっ!?」

 

 地面の上で正座したうえで、手のひらを地につけ、額が地に付くまで平伏しての座礼。要するに、土下座である。謝罪をすると宣言していたが、「黒の忍」と恐れられたトッププレイヤーのイタチがまさかここまでするとは思わなかった。アスナとリズベットが呆気にとられる中、イタチは謝意を表する。

 

「この度は、アスナさんから格別のご好意を賜りながら、それを蔑にして申し訳ございませんでした。また、剣の作成者であるリズベットさんにも迷惑をかけた次第、この通り深くお詫びいたします」

 

 表情こそ見えないが、その声は真剣そのもの。リズベットやアスナに対する隔意は無く、ただ只管に自分の非を認め、許しを請う姿がそこにはあった。

 

「ちょっと!イタチ君、そこまでしなくても……!」

 

「もう良いから!あんたが悪いと思っているのは十分に伝わったから、頭上げなさいよ!」

 

 謝罪すると言っていたイタチだったが、まさかこんな大勢のプレイヤーが見ている前で、堂々と土下座するとは思わなかった。周囲も、常のイタチならば絶対にあり得ない行動に、目を丸くして一様に驚いた様子だった。周囲の人間の沈黙が破られない内に、アスナとリズベットは土下座を止めさせ、立ち上がらせる。周囲の視線が異質なものに変わりつつあることが少々気になったが、リズベットは次の本題に入るべく、今度はアスナに呼び掛ける。

 

「それじゃあ、アスナ。あれ、持ってきてるんでしょ?」

 

「う、うん……」

 

「受け取ってもらうって約束なんだから、出してなさいよ」

 

 リズベットに促されるままに、ウインドウを操作するアスナ。アイテムの所有者設定を操作した上で取り出したのは、一本の剣。それは、先程のイタチとリズベットのデュエルで折られて消滅した剣と同じもの……リズベット渾身作、「ダークリパルサー」である。

 

「イタチ君……剣、折れちゃったみたいだから……もし良かったら、使ってもらえないかな?」

 

 遠慮がちに剣を差し出すアスナ。期待の中に不安が見え隠れするのは、最初に渡そうとした際に拒絶されたことが原因だろう。リズベットとのデュエルを行う前に、イタチが負けた際にはこれを受け取ることを約束していたが、果たして今回はどうだろうか。

 本当に受け取ってくれるか、心配していたアスナだったが……それは、杞憂に終わった。

 

「ありがとうございます。喜んで、使わせていただきます」

 

 アスナが差し出した剣に両の手を添えて受け取るイタチ。その瞬間、アスナの顔から先程まであった不安の陰は一掃され、満面の笑みを覗かせる。親友が心の底から喜んでいるのを見たリズベットの顔にも、満足げな笑みが浮かぶ。

 

「アスナやあたしが大変な想いして作った剣なんだからね。大切にしないと、承知しないわよ」

 

「承知しました」

 

 リズベットからの忠告に、イタチは真剣な表情で頷く。剣を受け取ったままウインドウを操作し、その場で背中に装備する。己の作った剣が、それを扱うに見合った実力者(その内面については複雑だが)の手に収まったことに、作成者たるリズベットも満足げな顔だった。

 こうして、大勢の攻略組プレイヤーが見守る中で行われた、剣のプレゼントを巡っての、真昼のデュエル騒動は終結した。ちなみにこの騒動を境に、血盟騎士団副団長であるアスナと、攻略組御用達鍛冶屋のリズベットという、絶大な知名度を誇る女性プレイヤー二人を巻き込み、痛めつけ、大いに泣かせたとして、イタチのビーターとしての悪名はさらに高まることになってしまったが、それは本人のミスとしか言いようがなかった……

 

 

 

 

 

「そういうわけで、折角作ってもらった剣を折られてしまった。すまない、マンタ」

 

 後日、イタチは自身が御用達としている鍛冶師、マンタが経営している、オヤマダ武具店を訪れていた。理由は、先日のデュエルにおいて破損した剣についての謝罪である。

 

「……いやまあ、確かに良くはないけどさ……イタチ君って、ちょっと変わった?」

 

 折角の名剣を、作った翌日に破壊されてしまったというイタチの報告に、しかしマンタは然程怒りを見せなかった。もともとが温厚な性格ではあったが、それ以上にイタチの雰囲気が変わっていることが気になったのだ。他者を寄せ付けない、触れれば斬ると言わんばかりの近寄りがたい空気を纏っていたが、今はそれが和らいでいるように思えた。一年以上、イタチとは鍛冶師と剣士の関係を続けているマンタだったが、こんなイタチは今まで見たことがない。それほどのことが、先日のデュエルであったというのだろうか。現場に居合わせていなかったマンタは、疑問符を浮かべるばかりである。

 

「あの騒動は、あなたが全面的に悪いわよ。真心こめて用意したプレゼントを断れば、どんな女の子だって泣いて当然よ」

 

「…………」

 

 先日の事件について、イタチをジト目で睨みつけながら言及するのは、血盟騎士団所属の薬剤師にして、通称「目つきの悪い欠伸娘」ことシェリーである。妖気のようなものを纏った視線を突き付けられ、さしものイタチも内心で冷や汗をかく。

あの日、予期せぬリズベットとのデュエルに始まり、突然現れたアスナによる介入。それに伴って始まったデュエルにより、周囲の攻略組の視線は、遂には殺意を帯びていた。

 攻略組御用達の鍛冶師にして、数少ない女性プレイヤーであるリズベットは、閃光の異名を持つアスナや、中層で活躍するビーストテイマーのシリカと並ぶアイドル的存在である。そんな人物をデュエルで痛めつけ、泣かせてしまったのだから当然である。血盟騎士団のメンバーを中心に、PKせんばかりの殺気を放つ攻略組プレイヤーの怒りの矛先が、全てイタチに向けられていたのだ。イタチとしては、アスナのためを想って、これ以上好意を受け取らないようにしていたのだが、この期に及んでは全てが失策だったと認めざるを得ない。

 そんな状況の中、殺意に満ちた視線に串刺しになりながらイタチが周囲を見回してみると、一人の女性プレイヤーと目が合った。それは、ウェーブのかかった髪の女性プレイヤー――今もここ、オヤマダ武具店にいる――シェリーだった。大部分の人間が怒り心頭でイタチを睨みつけている中、彼女だけは何故か口を歪めているように見えてならない。そして、イタチの視線の先で、口を開くと――――

 

“これに懲りたら、女の子を無碍に扱ったら駄目よ。”

 

 声は聞こえなかったが、そう言っているように見えた。そして、アスナをこの場に呼び寄せて自分を吊るし上げた黒幕は彼女だと、イタチは確信した。それ以降、イタチはこの得体のしれない女性プレイヤーに対し、一層警戒を強めているのだった。

 

「反省はしている。だが、俺の立場上、彼女たちからの好意を簡単に受け取るわけにはいかないと……そう考えただけだ」

 

あの騒動によって、イタチを白い目でみる攻略組プレイヤーは数を増してしまった。アスナを呼び出し、騒動が肥大化する引き金となったのは彼女だが、根本的な原因となっているのはイタチ本人である。彼女を責めるのがお門違いであることはイタチも理解しているが、ビーターたる自分が、必要以上に彼女たちに関わるべきではないという考えは捨てていなかった。

 

「ま、確かにあなたをビーターと蔑む人は未だに残っているのは間違いないけど……そうやって卑屈になって逃げてばかりじゃ、何も始まらないわよ。あなたの身の上を知った上で、力になろうとする人もいるんだから、立ち向かおうとは思わないの?」

 

 イタチの在り様を非難するようなシェリーの叱責。彼女は今まで、本心を表に出すことが少ない、イタチ同様に捉えどころのない複雑な内面をもっているイメージが強かったが、この時だけは、今までにない直向きな思いが垣間見えていた。

 

「……考えておく」

 

 対するイタチは、そう返すことしかできなかった。前世の自分は、何もかも自分でできると己に嘘を吐き、それを誤魔化すために他人を信用しなかった。シェリーの言った通り、自分は逃げてばかりだったと、今では思う。忍としての在り様と、他者への猜疑心、そして己しかできないという自己欺瞞を逃げ道に、弟や一族を犠牲にした。もっと弟を信じていたならば、もっと別の道を歩むことができたかもしれないと思えたのは、最初の死を経て蘇ってからのこと。実に遅すぎた結論だと、イタチは思う。

 そして、三度目の生を受けた今となっても、己の在り様はやはり変わらない……否、変えられない。自分が何をしたいかの答えも見出そうとはせず、ただ義務感・責任感で、ビーターとしての悪名を背負って攻略を続けている自分は、前世のうちはイタチの焼き直し以外の何物でもない。

 もしかしたら、目下自分が本当に立ち向かわねばならないのは、次のフロアボスでも、浮遊城アインクラッドでも、茅場晶彦でもなく……己自身なのかもしれないと、イタチは思えた。だが、モンスターやプレイヤー相手に無双の実力を持つイタチでも、己という名の壁を乗り越えることは容易ではない。或いは、前世でも現世でも、現実・仮想世界を問わず一定以上の力を持つ自分にとって、己自身こそが最大の敵なのかもしれないと、そう思えた。

 

「ま、これはあなたの問題よ。私から言えるのは、ここまでね。あとは自分で考えなさい」

 

「ああ……」

 

 それだけ言うと、シェリーは黙り込んでしまった。そして、マンタに謝罪しながら立ち尽くすイタチに、今度は別方向から声がかけられる。

 

「それにしても、オメーも芸達者だよな」

 

「……何のことだ、コナン」

 

 シェリーのすぐ傍で、意地の悪い笑みを浮かべながらイタチに声をかけたのは、同じく血盟騎士団所属の細剣使い、コナンだった。気難しいシェリーが気を許す、数少ない人物であり、血盟騎士団きっての実力者であると同時に、探偵という自称に見合った洞察力・推理力をもった相当な曲者である。

 

「ソードスキルの打ち合い……戦槌の攻撃全てを刃で弾いたが、果たしてそうする必要があったか、疑問に思えてならないんだけどな、俺は」

 

「……一体、何が言いたいんだ?」

 

「武器破壊(アームブラスト)」

 

「!」

 

「習得しているお前が、あんなことまでして防ぐ必要は無かったんじゃないかって話だよ」

 

 武器破壊とは、文字通りソードスキルを相手の武装の強度が弱い部分にぶつけることで破壊するシステム外スキルである。攻略組プレイヤーでも、完全に物にできている人物はごく僅かである超絶的な技巧だが、イタチは最初にこのシステム外スキルを提案し、習得した人物である。その成功率は、いかなる武器が相手でもほぼ100%と目されている。

 そして、それだけの確率で成功させる技量があったならば、先日のリズベットとの一騎打ちでは、わざわざソードスキルを打ち合わせることなどせず、戦槌そのものを破壊することも可能だった筈であると、コナンは推理する。

 

「もともと、七回もデュエルをやった後で、散々空振りしていたリズベットのメテオライトの方が、お前のダークリパルサーよりも耐久値は低かった筈だ。なのに、砕けたのはお前の剣だけってのは、いかにもできすぎているんじゃねえか?」

 

 コナンの名推理が光る。武器破壊を敢えて行わなかったのは、イタチの意思で間違いない。おそらくイタチは、あのソードスキルのぶつかり合いの中で、リズベットのソードスキルが自分の持つダークリパルサーの強度が弱い部分に衝突するように誘導していたのだろう。そして、八撃目の最後の攻撃にて武器が破壊されるよう仕向けた。相手に武器破壊をさせるなどという技は、如何なる攻略組プレイヤーにもできない神業である。だが、イタチならばその限りではないと、コナンは考えていた。その場にいたシェリーやマンタも、同じ認識に至った。

 

「成程……つまりお前は、俺がリズベットさんやアスナさんの怒りを納めるために、一芝居打ったと言いたいのか?」

 

「武器破壊を使わず、あのタイミングでお前の方の武器だけが壊れたとなれば、そう思われても仕方ないと思うぜ」

 

 得意げな笑みを浮かべながらイタチに向かい合うコナン。絶対的な自信をもって語った推理だったが、イタチは、

 

「フッ……残念だが、俺は武器破壊を仕向けてはいない」

 

「…………は?」

 

 イタチの言葉に、コナンは思わず間抜けな声を出してしまう。聞いていたマンタとシェリーも、揃って目を丸くする。そんな三人の様子に、イタチは苦笑しつつもあの日の出来事を話す。

 

「確かに、俺はあの時武器破壊をせず、ソードスキルの打ち合いに持ち込んだ。だが、それは彼女の想いを正面から受け止めるべきだと思ったからだ。証拠も無く、信じてもらえんかもしれんがな……」

 

「な、なら、どうしてお前の剣が折れたんだよ?」

 

「さあな……少なくとも、おれはマンタから貰った剣を生贄に二人の怒りを鎮めようなんて考えてはいなかった。本当なら、リズベットさんが放った最後の一撃を受けて、デュエルを彼女の勝利で終えるつもりだったが……まさか、破壊されるとは予想外だった」

 

「イタチ君……」

 

 相変わらずの無表情で、内心の掴めないイタチだったが、何故か嘘を吐いているようには見えなかった。マンタは自分の武器を大切に思っていてくれたその心を信じ、感動していた。一方のコナンはというと、

 

「残念だったわね。あなたの推理が外れるなんて、珍しいこともあるものね」

 

「うるせーよ……」

 

 シェリーの皮肉を受けながらも、イタチの言葉の真偽を立証できないことに忸怩たる思いを抱いている様子だった。攻略組の間で名探偵と呼ばれるコナンの、非常に珍しい一幕だった。

 

「でも、本当にどうしてあなたの剣だけが折れたのかしらね?」

 

「さあな……」

 

 不思議そうにしているシェリーの追及にはそれ以上答えず、イタチはその場にいた三人に背を向け、店を出て行った。向かう先は、最前線の迷宮区である。

 

 

 

(あの時、俺の剣が折れた理由……それは……)

 

 迷宮区へと歩みを進めるイタチは、先日のデュエルにおいて起こった、不可思議な事象について思い返していた。全く根拠のない、感情論でしかないと思いつつも、イタチは内心でこう結論付けていた。

 

(それは、リズベットさんの想いの強さ……)

 

 デジタルデータの世界にあって、何を馬鹿馬鹿しい推論をと思われて当然だが、イタチには何故かそれで納得できてしまった。親友のために怒り、あれほど真摯になれる人間は、そうはいない。その思いの強さが、システムの力を凌駕する力を与えたのかもしれないと、イタチは思った。

 

(それこそが、俺に足りなかったもの……かもしれないな。)

 

 己の思いを貫くために、とことんまでぶつかっていく姿勢。それと似通ったものを、イタチはかつての前世に見たことがある。

 

『俺が諦めるのを……諦めろ!』

 

 うずまきナルト。自分の失敗の末に復讐鬼と化してしまった弟、サスケを救うことを最後まで諦めず、ただひたすらぶつかっていった少年のことを、思い出す。その行く末をこそ自分は見届けられなかったが、きっと自分とは全く別の結末を迎えていると、イタチは信じている。

 

(なら、俺もそう在るべきなのかもしれないな……)

 

 そう内心で呟いたイタチは、背中にかかる二本の剣の内、先日アスナから手渡された、白銀の刃「ダークリパルサー」に視線を移す。マンタからもらったものと同じ剣の筈だが、何故か以前よりも重く、握る柄には心が温かくなるような熱が宿っているように感じられた。もしかしたらそれは、この剣を鍛えたリズベットの、そしてこの剣をイタチの力になるようにと願い贈ったアスナの思いが宿っているからかもしれないと、イタチには思えた。

 

 

 

 剣に込められた二人の思いは、未だ己の在り様を掴めず、只管に戦い続けるだけだった自分を導いてくれるかもしれない。それと同時に、思う。いつか、彼女たちのように、本当の気持ちで他者にも、そして己自身にも向かい合えるようになりたいと――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~おまけパロキャラ劇場~

 

 イタチがマンタの剣を折ってしまったことを詫びて出て行ってからのこと。ふと、シェリーが唐突にヨウとマンタに声を掛けた。

 

「そういえば、ヨウ君にマンタ君」

 

「どうした、シェリー?」

 

「前々から気になっていたんだけど、私が話し掛けると、何故か二人ともびくびくした風になるわよね?どういうことかしら?」

 

 愛想が無く、近寄りがたい人物と言う評価を受けていることは、シェリー自身も認めている。何より、リアルでも面識のあるコナンからも『目つきの悪い欠伸娘』と称されているのだ。だがこの二人に限っては、シェリー自身ではなく、シェリーの『声』に警戒心を抱いているように思えてならない。故にシェリーは、自分に対する態度の所以を問い質したのだ。

 

「ええと……実は、シェリーさんの声がリアルの知り合いに似ていて……」

 

「ふーん……そんなに警戒するってことは、相当に性悪なのかしら?」

 

「いやぁ……はっきり言って、『鬼』だわな……」

 

 ヨウとマンタの脳裏に浮かぶ、暴虐不尽で逆らう者には誰かれ構わず暴力を振るう鬼娘の姿。同じ声でも、若干性悪で愛想の無いシェリーの方が大分マシに思えていた。

 

「そう……大変そうね。ちなみにその子って、二人とはどんな関係なのかしら?」

 

「ああー……リアルの話題は禁止ってことで、そこは追求しないで欲しいんよ」

 

「あら、残念ね。ま、現実世界に帰った時にでも紹介してもらうわ」

 

 まさか、『許嫁』だなんて言える筈が無い。リアルに帰ってもそれを明かすのは御免被る。二人を惹き合わせ、もし暴虐不尽の鬼娘と、目つきの悪い欠伸娘が意気投合すれば、現実世界で二人は心身共に折檻を受け続けることになるかもしれない。

 

「そういえばよ。おめーら、俺に対しても随分警戒していたよな?」

 

 すると今度は、シェリーの隣にいたコナンが口を開いた。コナンの言う通り、ヨウとマンタはシェリー同様、コナンに対しても出会った当初は、主にその『声』に対して警戒心を抱いている様子だった。

 

「ええと……コナン君は、ヨウ君のお兄さんと声がよく似ていて……」

 

「なんだ、シェリーと同じ様な理由かよ。それにしても、そこまで怯えるってことは、相当おっかねえ兄貴なんだな」

 

「いやぁ……物腰は柔らかい人なんだけど、容赦が無いっていうか……逆らう人は簡単に切り捨てる人だよね」

 

 二人揃って苦笑いするヨウとマンタな。あの冷酷かつ残忍な兄がこのSAOに来ていたのならば、攻略ギルドのトップか、或いは笑う棺桶に匹敵するレッドギルドのギルマスになっていたかもしれないと思う。そんなことを考えつつ、乾いた笑いを浮かべる二人に対し、コナンはこんな事を言う。

 

「そんなこと気にしてたのか。案外お前等も、“ちっちぇえな”」

 

「「…………」」

 

 オヤマダ武具店の中を、嫌な沈黙が包みこむのだった。

 



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黒と白の剣舞
第四十話 閃光のアスナ


2024年10月17日

 

 世界初のVRMMORPG、ソードアート・オンラインがデスゲームと化し、一万人のプレイヤーが囚われた日から、もうすぐ二年近くが経過しようとしている。現在の最前線は、七十四層。現時点で生き残っているプレイヤーは、八千四十八人。それが、ゲームの舞台たる浮遊城、アインクラッドの現状だった。

 今日も今日とて、最前線の迷宮九攻略を終えた攻略ギルドやソロプレイヤー達が迷宮区より主街区へと帰る。主街区からの攻略組プレイヤー達の行く先は様々。最前線に宿を取る者もいれば、他層の宿やギルドホームへと行くプレイヤーもいる。

そんな中、攻略組最強のビーターとして恐れられているプレイヤー――「黒の忍」ことイタチは、複雑に入り組んだ五十層の裏路地を歩いていた。イタチの拠点がある階層は確かにここだが、現在向かう先は違う。攻略時に手に入れた不要なアイテムを処理するべく、行きつけの雑貨屋を目指しているのだ。この階層に住まうプレイヤーですら把握し切れていない道を、迷うことなく進み続けること十数分。遂に目的の店が見えてきた。

 

「よし決まった!「ダスクリザードの革」二十枚で五百コル!」

 

 店に近づくごとに聞こえてくる、明らかに割に合わない取引。ドロップアイテムの「ダスクリザードの革」は、攻略組も使用する、高性能な防具の素材となる。五百コルで取引は無いだろうと、イタチは内心で呆れながらも、店から出て行く気弱そうな槍使いを見やる。

ダスクリザードは七十層に出現するモンスターである。これと戦闘を行えるのは、上層で活動しているプレイヤーである。だが、攻略組ではない。同じ槍使いでも、聖竜連合のヤマトや血盟騎士団のヨシモリといった攻略組プレイヤーに比べると、覇気が無いのは明らかだからだ。

ぼったくられる槍使いには同情するが、上層に進出するならば、交渉術の一つは習得しておくべきだし、交渉する相手も選ぶべきである。イタチは口を挟むことなく、槍使いの後ろ姿を見送った。

槍使いの姿が路地の奥へ入って見えなくなったところで、イタチは店の扉を開いて中へと入る。

 

「相変わらず、阿漕な商売をしているみたいだな、エギル。」

 

「よぉ、イタチか。安く仕入れて安く提供するのがウチのモットーなんでね。」

 

 来店したイタチを迎えたのは、チョコレート色の肌をした巨漢。筋肉質な巨躯にスキンヘッドという出で立ちは、向かい合う者を圧倒する雰囲気がある。イタチの嫌味に対して開き直る店主――エギルの言葉を聞き、イタチは内心で「嘘を吐け」と呟きながらも、その経営方針には敢えて触れない。

 エギルは五十層で商店を営む後方支援プレイヤーであると同時に、攻略最前線で活躍するに値する高位の斧使いプレイヤーなのだ。イタチとの仲は、第一層攻略会議に始まり、攻略後にビーター宣言をした以降も好意的に接してきた――イタチに言わせれば奇特な――人物であり、今やイタチが選んだ御用達の商人プレイヤーの一人となったのだった。

 

「まあいい。それより、俺の方も買収を頼む。」

 

 いつもの如く、無表情なままウインドウを操作するイタチ。エギルの方は、どんなアイテムが出てくるのだろうと楽しみにしている様子である。攻略組トップクラスの実力者として知られるイタチが持ってくるアイテムの質と量は、他の攻略組プレイヤーの比ではない。今までレアアイテムを取引したことも何度もある。今度も、もしかしたら未確認のレアドロップが出てくるのではという期待があった。だが、今回イタチが持ってきたアイテムは、エギルの予想を遥かに上回るものだった。

 

「おいおい……S級のレアアイテムじゃねえか!俺も現物を見るのは初めてだぜ……!」

 

 エギルの視線は、イタチが表示したトレードウインドウに表示されている、あるアイテムに釘付けになっている。その名は、「ラグー・ラビットの肉」。SAOというゲームの中で出回っている高級食材アイテムは、いずれも入手困難な代物なのだ。S級食材ともなれば、そのドロップ率は言わずもがな。プレイヤー間では十万コルを下らない値段で取引されている程だ。期待を良い意味で、それも遥かに裏切る代物に、エギルは目を白黒させていた。

 

「イタチ、お前え別に金に困ってねえんだろ?自分で食おうとは思わんのか?」

 

「思わん。」

 

 恐る恐る質問するエギルに対し、しかしイタチは即答した。その言葉に、エギルはさらに目を丸くする。そんなエギルに対し、イタチは溜息交じりに説明をする。

 

「S級食材を調理するには、相当な熟練度の料理スキルが必要だ。料理スキルを取っていない俺には無用の長物でしかない。故に、売りに出して惜しむ必要など俺にはない。」

 

「けどよお……お前なら、知り合いに料理スキルを取得している奴の一人や二人、いるんじゃねえのか?」

 

 エギルの言葉に、イタチの頭の中に何人かの知り合いのプレイヤーの顔が浮かぶ。

攻略ギルド、ミニチュア・ガーデンのリーダーであり、イタチと同じく元ベータテスターのメダカ。

聖竜連合所属の料理人であるヨウイチとマオシン。

血盟騎士団所属のパン職人であるカズマ、薬剤師のシェリー、戦闘要員兼執事のハヤテ。

 いずれも完全習得とまではいかないものの、それなりの熟練度を有しているプレイヤーの筈である。だが、彼らにはそれぞれ所属するギルドがある。自分の都合で連れまわすわけにはいかないし、こんなS級食材の存在が知れれば、俺も私もと食べたがる人間が多数現れるのは想像に難くない。アイテムはたった一つであり、何人もの人間の胃を満足させる量は無いのだ。

 

「……確かに、心当たりは何人かいるが、料理を頼むと碌なことにならん。ここで売り払うのが得策だ。そもそも、俺は食事には興味が無い上、脂っこい肉料理は嫌いなんだ。」

 

「そうなのか?初耳だぜ……」

 

 転生したイタチこと、桐ヶ谷和人の嗜好は、前世と全く変わらない。脂っこい肉料理、特にステーキといったものは嫌いなのだ。ちなみに、好きな食べ物は、昆布のおむすびにキャベツである。年齢に見合わず、粗食なイタチの様子に、翠や直葉等家族は遠慮しているのではと心配したりもしていたが。

 

「そういうことだ。俺に不要の物とはいえ、S級食材である以上はそれなりの値段で買い取ってもらうぞ。」

 

「あ、ああ……」

 

 イタチの催促に従い、エギルは買取料金を提示する。ウインドウに表示された金額は、十五万コル。高級食材の取引相場である十万コルは超過しているが、S級食材としてはかなり控え目な値段である。恐らく、この取引が済んだ後、先程イタチが列挙した攻略ギルド所属の料理スキル持ちのプレイヤーの誰かに売り飛ばすのだろうが、その時の価格は五十万コルを下らないだろう。

 本来ならば、さらに取引価格を釣り上げても罰は当たらないが、イタチはそれ以上の金額を要求しない。

 

「……分かった、十五万コルで構わん。取引成立だ。」

 

「毎度!また頼むぜ、イタチ!」

 

 トレードウインドウのOKボタンをクリックし、アイテムと引き換えに料金を受け取る。今日も今日とて、阿漕な取引だったと思いながらも、残りのアイテムも売却。それが済むと、イタチは用事が済んだとばかりに、拠点へ帰ろうと踵を返す。

 

「イタチ君。」

 

 だが、振り返ったイタチの視線の先、出入り口の扉の前に、新たな人物が現れる。栗色のストレートヘアに、小さな卵型の顔、大きなはしばみ色の瞳でイタチを見据えるこの美少女は、攻略ギルド、血盟騎士団副団長のアスナである。後ろには、その護衛であろう同じ純白と真紅に彩られた制服に身を包んだ男性が二人立っている。長髪で大剣を装備した男性は見知らぬプレイヤーだが、もう一人のハンマーを装備した少年は、攻略会議で見知った顔である。

 

「お久しぶりです、アスナさん。それに、ギンタも。」

 

「おう!元気そうだな、イタチ!」

 

 イタチの挨拶に元気よく返したのは、高校生くらいの小柄な金髪の少年――ギンタ。がたいの良いプレイヤーばかりが目立つ血盟騎士団の戦闘要員の中では、体格的に見劣りする面があるが、戦槌スキルを完全習得した強豪プレイヤーの一人なのだ。アスナの護衛としても、実力は申し分ない人物である。

 

「珍しいですね。あなたがこんな場所へ来るとは。エギルに何か用事でもおありですか?」

 

 この店に来ていの一番に声を掛けられた以上、用事があるのはエギルではないことは明らかなのに、敢えて問いかけるイタチに、アスナは不機嫌そうな顔を浮かべる。

 

「なによ。もうすぐ次のボス攻略だから、ちゃんと生きているか確認にきてあげたんじゃない。」

 

 フレンドリストのメニューを利用すれば、生存の確認は勿論、居場所も分かる筈である。故に、本来ならば、こんな場所に来る手間をかける必要性などどこにもないのだ。攻略組のメンバーとしての事務的な用事がある以外に、個人的な感情があることは明らかなのに、イタチは飽く迄気付いていないフリをする。

 

「そうですか。なら、心配は御無用です。俺はこの通り、生きておりますので。」

 

 額面通りの意味で受け取り、答えを返すイタチに、アスナはさらに苛立ちを募らせる。そして、アスナに対するイタチの不遜な態度に、後で控えていた長髪の護衛も眉を顰める。既に険悪になりつつある空気に、ギンタは「またかよ」と呆れた様子で苦笑を浮かべ、エギルは大人としてフォローに回るべく動く。

 

「イタチ、そのへんにしとけよ。あんまりアスナちゃんを怒らせるな。」

 

「……別に、そんなつもりはない。それではアスナさん、俺はこれで。」

 

「あっ、ちょっと!イタチ君!」

 

 もうこれ以上話す事は無いとばかりに、アスナの横を通り過ぎて店の扉から外へと出る。一方のアスナも、イタチを呼び止めようと、後を追って店を出る。それに伴い、血盟騎士団の護衛二人も続く。

 

「やれやれ…………」

 

 他者を遠ざけたがる、イタチの相変わらずな態度に、店に残されたエギルは、一人溜息を吐いていた。

 

 

 

 アルゲードのレンガ造りの猥雑な街路を、エギルの雑貨屋を出たイタチは、脇目も振らず歩いて行く。目指す先は、自身が拠点としているアパートメント。だが、その後ろには……

 

「イタチ君ってば!」

 

 店を出て以降も、イタチを呼び止めて何かしらの話をしたがっているアスナが続いていた。イタチは無視して歩き続けるも、どこまで進んでも向こうは諦める素振りが無い。このままでは、ホームまで付いてくるだろう。今日はこの後、ホームで仮眠を取ってから、フィールドで夜のソロ狩りに出る予定だったのだが、アスナの追跡がある状況では、まともな休みも取れそうにない。仕方なく、イタチは立ち止まって振り返り、アスナに向き直った。

 

「一体、俺に何の用ですか?攻略会議はもうすぐなんですから、今すぐに打ち合わせる必要のあることは、思いつかないのですが……」

 

「そういうのじゃないけど……でも、せっかく会ったんだから、この後一緒に食事でもしないかな、と思って。」

 

 現実世界をそのまま再現したようなやり取りに、必死に呼び止めようとしているアスナは内心で溜息を吐く。アスナ一人に限った話ではないが、イタチは必要以上に他者と関わりを持ちたがらない。かといって、気ままなソロプレイヤーというわけではない。

 彼が只管に孤独を求めるのは、ビーターとして、全プレイヤーの妬み嫉みを一身に受けるために他ならない。だが、イタチが実際に利己的な行為に走ったことなど一度もない。それどころか、ボス攻略などでは自ら矢面に立ってリスクの高い回避盾やタゲ取りに動くことの方が多いのだ。SAO製作者としてデスゲーム開発に加担した責任から、イタチが攻略最前線で常に危険を冒していることを、アスナをはじめとした多くの攻略組プレイヤーは知っている。だからこそ、アスナなどはこうしてイタチの孤独を解消できればと、友好的に接しているのだが、当のイタチは隔意を完全に捨てようとはしない。尤も、アスナの場合は攻略組の一員としての義務や、リアルでの知り合いという感情とは違う、それ以上の感情があることは明らかなのだが。

 

「お誘いはありがたいのですが、俺もいろいろと忙しいので。」

 

「忙しいって……もう夕方よ?迷宮区攻略も今日の分は終わっているのに、この後何をするつもりなの?」

 

 問いかけられて、イタチは返答に窮した。普通に仮眠を取った後、夜の狩りに出かけると答えても良いのだが、相手はアスナである。夕飯抜きで、二時間程度の仮眠を取ってすぐに狩りに出るなどと言えば、説教はもとより、当然止められてしまうだろう。

 高圧的に出てアスナに詮索するなと冷たく突き放すことも一つの手として浮かんだが、イタチはその案を即座に却下した。数ヶ月前に彼女や彼女の所属する血盟騎士団の御用達鍛冶職人であるリズベットとトラブルを起こしたばかりである。あの騒動により、恨まれ役のビーターであろうと他の攻略ギルドメンバーとある程度の折り合いを付けるべきであると身に染みたイタチとしては、正当な理由無しにアスナの提案を突っぱねることはできない。「ビーターだから」という理由は例によって通用しない。どうやり過ごしたものかとイタチが逡巡する間隙を不審に思ったアスナは、やはり方便だったのかと確信すると、イタチに畳みかける。

 

「やっぱり何も無いんじゃない。この前の剣のことといい……そうやって、人の好意を素直に受け取れないのは、どうかと思うわよ?」

 

 例の一件について蒸し返され、さらに黙り込むイタチ。アスナの用意してくれた剣の受け取りを拒否したがために、鍛冶師たるリズベットとのデュエルにまで発展したあの事件からしばらく、攻略組プレイヤー全員からビーターとして以上の敵意を向けられた経緯がある。血盟騎士団からは攻略中ずっと白い目で見られ、薬剤師プレイヤーのシェリーに至ってはフロアボス攻略戦までポーションを売ってくれなかったのだ。

 肩身の狭い想いをした思い出が脳内に蘇ったことで、攻略組最強のビーターとして畏怖されている筈のイタチの背中が小さくなっていく。そんなイタチの様子を見て、アスナはますます饒舌になる。このまま押していけば、イタチに要望を通させるのは容易い。

 

「安心しなさい。高級レストランで食事なんて誘わないわ。料理スキルをコンプリートしているこの私が、特別に腕によりをかけてご馳走してあげるわ。何でも、好きなものを作ってあげるわよ。」

 

 つい最近完全習得した料理スキルを披露するチャンスとばかりに、胸を張って満足する料理を作って見せると宣言するアスナ。

攻略組プレイヤーが、それも最も上の立場にある人間が、戦闘に直接関係しないスキルを完全習得した事例など聞いたことがない。呆れられてもおかしくないそれを自慢するアスナに、イタチは呆れ半分、関心半分の感情を抱く。

 一方、それを聞いていた後ろの護衛二人は、

 

「アスナ様!こんなスラムに足を運びになるだけに留まらず、素姓の知れぬやつをご自宅に伴うつもりですか!?」

 

「俺も食べたいんだけどな~……」

 

 長髪の男は、イタチを自宅へ迎えて夕飯を振る舞おうというアスナに抗議する。ギンタは、料理スキル完全習得者であるアスナの手料理を食べられるイタチを羨んでいた。アスナから特別扱いされているイタチに、憎悪と羨望という全くベクトルの異なる感情が向けられている、奇妙な構図である。

 

「この人は素性はともかく、レベルは多分あなたより十は上よ、クラディール。」

 

「いや、十五は上なんじゃねえか?正確に聞いたことはねえけど、イタチは俺でも歯が立たないくらい強えからな。」

 

「な、何を馬鹿な!私がこんな奴に劣るなどと……!」

 

 クラディールと呼ばれた男が、アスナとそれを援護するギンタの言葉に衝撃を受け、次いでイタチに対して胡散臭そうな、憎々しげな顔を向ける。そして、何かに考え至ったのか、再び目を見開くと、今度は怒気を孕んだ視線を向けてきた。

 

「そうか……お前、たしかビーターだな!」

 

「そうですが、何か?」

 

 クラディールの射殺さんばかりの視線に、しかしイタチは動じず無表情のまま答えた。もとより、プレイヤーに憎まれることを目的に、自ら流布させた蔑称であるため、指摘されたところでイタチの心は微塵も揺るがない。

 むしろ、イタチが気になったのは、自分をビーター呼ばわりされて侮蔑されたことに怒りを露に険しい表情を浮かべ始めたアスナの方だった。そんなアスナの様子に思慮が思い至らず、クラディールはアスナの怒りの火に油を注ぐ言動を続ける。

 

「アスナ様、こいつら自分さえ良けりゃいい連中ですよ!こんな奴と関わると碌なことがないんだ!」

 

 予想通り、アスナの視線はさらなる冷気を帯び、眉根を不愉快そうに寄せる。クラディールの傍に控えていたギンタは、視線が及ぶ範囲から抜け出そうと後ずさっている。

 

「ともかく!今日はここで結構です。副団長として命令します。行くわよ、イタチ君!」

 

 半ば怒鳴り散らすようにそれだけ言うと、アスナはイタチの腕を引っ掴んでその場を後にする。イタチは背後から未だ突き刺さる苛立ち露な視線を感じつつも、アスナに従い歩きだした。

 

「……よかったんですか?」

 

「……いいんです!それよりイタチ君、夕食は何が食べたい?」

 

 余程怒り心頭だったのだろう。これ以上あの護衛のことを思い出したくないため、話題を夕食へと挿げ替えるアスナ。イタチとしては、先のクラディールが言ったように、ビーターに関わって碌なことが無いという意見には賛成なのだが、それを口にするのは火に油を注ぐことに等しい。故に、口には出さず、しかしアスナの夕食を断るべく、先のアスナが口にした話題から見つけた突破口をもとに、離脱手段を講じる。

 

「そういえば、アスナさん。先程、エギルの店で非常に珍しい食材アイテムを見つけましたよ。」

 

「へぇ……どんな食材?」

 

「ラグー・ラビットの肉です。」

 

 何気なく放ったイタチの言葉に、次の瞬間、アスナは驚愕に目を見開いて後ろを歩くイタチへと振り返る。あまりの衝撃に、硬直した様子のアスナは、口をぱくぱくしながらもどうにか言葉を紡ぐ。

 

「そ、それって!S級の超高級食材じゃない!なんでそんなものが、あのお店に入ってるのよ!?」

 

「今日、偶然ドロップしたものを売りに来たプレイヤーがいたんです。明日には売りに出されることでしょうが、今から行けば、まだ交渉は間に合うのではないでしょうか?」

 

 料理スキルを取っているプレイヤーならば、誰もが夢見るS級食材。それが今、この五十層の外れにある店に保存されているという。攻略組として、中層プレイヤーでは及ばない莫大な財を有しているアスナならば、交渉で入手することは難しくない。ならば、やるべきことは一つ。

 

「……イタチ君、ちょっと待っててくれるかな?」

 

「ごゆっくりどうぞ。」

 

 イタチから許し(アスナが必要だと思っているだけである)を得たアスナは、来た道を引き返してエギルの店へと一直線に向かう。よほどS級食材が魅力的だったのだろう。想像以上の効果にイタチは無表情ながら内心では大いに驚いていた。

 

(だが、効果は覿面……これで、心おきなく帰れる。)

 

 イタチの予想通り、料理スキルを完全習得しているアスナはS級食材のラグー・ラビットに釣られてエギルの店へと一直線に向かって行った。お陰で、これでイタチの帰り道を阻む障害は無くなった。

 アスナが向かって行った方角を見やりながら、イタチは今度こそ一人で五十層に構えている拠点へと帰って行った。

 

 

 

 

 

 攻略組最強クラスと名高いイタチが五十層に構える拠点は、エギルの店からほど近い場所にある。雑多な建物に囲まれた場所にある、目立たないアパートメントにある一室。住人もイタチ一人という、極端に人気のない場所……

 

「イタチ君!いるんでしょ~!?」

 

「…………」

 

にも関わらず、何故か今、扉の前に、イタチの名を呼ぶ少女がいた。一時間程前に別れた際と同じ、白地に赤で色取られた血盟騎士団の制服に身を包んだ美少女――アスナである。

イタチには、アスナにこの拠点の場所を知らせた覚えは無い。なのになぜ、こんな場所に現れているのか。皆目見当もつかないが、このまま放置しておくわけにはいかない。仮眠中で気だるい体を起こし、アスナが自分を呼び続けている玄関へと向かう。扉を開くとそこには、予想違わず、アスナの姿があった。イタチを追い詰めたことがよほど嬉しかったのか、どこか勝ち誇った様子だった。

 

「……どうして、この場所が分かったんですか?」

 

「アルゴさんに聞いたの。」

 

 ドヤ顔で胸を張って答えるアスナに、イタチは溜息を吐きたい気分になった。

 

(アルゴめ、余計なことを……)

 

 確かに、情報屋こと鼠のアルゴには、拠点としているこのアパートメントの場所を教えている。ゲーム攻略に関する情報はもちろん、オレンジ・レッドプレイヤーに関する極秘情報のやりとり等を行うには、外界から隔離され、固定されたプレイヤーホームのような場所が好ましかったため、彼女にだけはこの拠点を教えている。無論、ビーターたるイタチの拠点が明らかになれば、イタチを敵視するプレイヤーが大挙して押し寄せてくる可能性もあるため、二十万コルもの口止め料を払っていたのだ。だが、まさかそれを払ってまで、アスナはここを突き止めたというのだろうか。

 

「まったく……目を離すと、すぐに逃げ出すんだから。ほら、まだ夕食だって食べてないんでしょ?すぐに私のホームに行くわよ。」

 

 そう言って、先程と同様、アスナはイタチの腕を掴んで連行していく。アスナの立場を重んじて、ビーターとの親交があるなどという風評が立たないよう配慮したのだが、本人はそんなことはどうでもいいらしい。ホームにさえ逃げ込めば、アスナの誘いは無くなるだろうとある意味油断していたイタチには、食事を断るための理由など備えている筈も無く、アスナのホームへ同行する以外に道は無かった……

 

 

 

 

 

 アスナのホームは、六十一層主街区、セルムブルグにある。辺りを湖に囲まれた、花崗岩から作り出された建物で構成された城塞都市である。その景観は他の階層とは比べ物にならないほどの美しさをもち、プレイヤーホームの値段も比べ物にならないくらいに高い。アスナの場合は、血盟騎士団副団長として、攻略で稼いだ莫大な財産あってこそ買えたのだろう。

 そんな高級住宅に今現在招かれている、黒衣を纏ったイタチは、最高級のプレイヤーメイドの木製家具で占められている空間の中にあって、いかにも場違いに思えた。

 

「じゃーん!これがS級食材、「ラグー・ラビットの肉」だよ!」

 

「…………」

 

 イタチを家に招き入れたことに勝利感を得たのか、妙にテンションの高いアスナが、今日買ったばかりだというS級食材アイテムを取り出して自慢げに披露していた。対するイタチは、アルゴへの口止め料に加えて、S級食材まで買ってのけるアスナの資金力に、半ば以上呆れた様子だった。

 

「……これを料理なさるおつもりですか?」

 

「うん!二年近くこの世界にいるけど、私もS級食材ってはじめて扱うのよね。絶対美味しいから、楽しみにしててね。」

 

「……ちなみに、如何程かかりましたか?」

 

「四十万コルだったよ。普通は五十万以上はするところを、エギルさんに、おまけしてもらってね。」

 

 イタチが売却した値段は、十万コル。実に四倍の値段で売りつけたことになる。阿漕極まる商売にイタチは内心で大いに溜息を吐くが、笑顔を絶やさないアスナのテンションに水を差すのは躊躇われたため、終始無表情を保った。

そんなイタチの内心をよそに、アスナは料理を始める。イタチからのリクエストは特に無かったことから、シチューを作ることにしたらしい。料理道具を次々ストレージから取り出し、調理を進めていく。流石に料理スキルを完全習得しているというだけあって、見事な手際である。そうして、僅か五分足らずで、アスナ作のラグー・ラビットのシチューは完成した。鍋の蓋を外したアスナが、感嘆の声を漏らす。

 

「わっ、凄く美味しそう!早く食べよう、イタチ君!」

 

「分かりました……」

 

 アスナに促され、用意された食器類や付け合わせをテーブルの上に並べていく。そして、互いに向かい合う形で席に着くと、「いただきます」と言ってスプーンを手に料理を口に運ぶ。ブラウンシチューの中にある大ぶりな肉を一口食べたアスナは、心の底から幸せそうな顔をしていた。一方のイタチはというと、やはりアスナに連行されてから一切変わらぬ無表情。実を言えば、いかにS級食材といえど、汁気たっぷりの肉はイタチの好むところではない。それゆえに売却したのだが、まさかこんな形で自分の目の前、食卓へと並ぶとは予想外だった。だが、有難迷惑とはいえ、大枚はたいて買った食材で作った御馳走を無碍にすることなどできる筈もない。イタチは不満を表に出すことなく、ただ黙々と食べ続けるのだった。

 

「ああ……今まで頑張って生き残っててよかった……」

 

(……ぐぅ……)

 

 食後のお茶を啜りながら美食の余韻に浸り、良い仕事をしたとばかりに呟くアスナ。一方イタチは、想像以上のボリュームの肉をどうにか完食できたことにホッとしていた。外から見た限りでは無表情そのものだったが、その実普段食べない量を無理に胃へ納めたことによる反動でぐったりしていた。リアルならば間違いなく逆流しているであろう過剰な満腹感に密かに耐えているイタチに、アスナが声を掛ける。

 

「そういえばイタチ君、聞きたいことがあるんだけど。」

 

「……何でしょうか?」

 

 食べ過ぎで話すのも億劫だったが、アスナにそれを気取られぬよう、飽く迄ポーカーフェイスを貫いて問い返すイタチ。対するアスナが急に持ちかけた話題はというと、

 

「イタチ君は、ギルドに入る気はないの?」

 

「ありません。」

 

 気遣いをもって問いかけた言葉に対し、否定の意思をもって即答するイタチ。そんな態度に、アスナは思わずむっとなるが、イタチ相手にこんなことで苛立っていては限が無い。元より、予想されていた返答だったので、落胆することもなく続ける。

 

「ベータ出身者が集団に馴染まないのは解ってる。でも、七十層を超えたあたりから、モンスターのアルゴリズムにイレギュラー性が増してきてるような気がするんだ。」

 

 アスナの言っていることは事実である。イタチも、モンスターの行動パターンが以前より多様化していることには気付いていた。今まで機械的だったそれが、まるで学習しているかのように、強さが上昇しているかのように感じるのだ。

 故に、アスナがイタチにソロプレイを控えるよう勧めているのは、身を案じてのことなのは、容易に想像ができた。

 

「ソロだと、想定外の事態に対処できないことがあるわ。いつでも緊急脱出できるわけじゃないのよ。パーティーを組んでいれば安全性が随分違う。」

 

「……さっきもギンタではありませんが、安全マージンならば十分に取っているつもりです。それに、ビーターと組みたがる物好きなプレイヤーなど、いませんよ。」

 

「もう……そんなことばっかり言って。なら、パーティー申請を出す人がいたら、組むのね?」

 

 そう言うと、アスナはイタチの返答を待たずにウインドウの操作を始める。すると数秒後、イタチの目の前に、パーティー申請のウインドウがポップした。

 

「……何のつもりですか?」

 

「見ての通りよ。しばらく、私とパーティーを組みなさい。」

 

「お断りします。」

 

 またも拒絶の意思を以て即答したイタチ。対するアスナはこんなイタチの態度にはもう慣れきっているので、全く動じることもない。冷静に努めて、その理由を問う。

 

「どうしてかしら?」

 

「血盟騎士団副団長が、ビーターとパーティーを組んでいるなどという噂が攻略組に広がれば、士気の低下を招きかねません。攻略に支障を来たすような行動は俺の望むところではないからです。」

 

 二年近くが経過した現在でも、ビーターを毛嫌いするプレイヤー――アスナの護衛であるクラディールのような――は少なくない。それが、攻略ギルドの頂点に立つ血盟騎士団の副団長こと、「閃光」のアスナと行動を共にしているなどというスキャンダルが表沙汰になれば、ビーター排斥派の不穏分子を刺激しかねない。最悪の場合は、アスナの所属する血盟騎士団と、ベータテスターを中心としたイタチ擁護派のプレイヤーが敵対する可能性もある。そうなれば、ゲーム攻略が大幅に遅れる原因となるのは言うまでもない。

 アスナも攻略組の指揮を預かる身として、その辺りのリスクを理解していないわけもない。故に、イタチの言い分は正しいと認めざるを得ないのだが、だからといってイタチとパーティーを組むことを諦めた様子はなかった。

 

「そうね……確かに、あなたのことを快く思わないプレイヤーは攻略組みにもまだいるわ。でもね、攻略の指揮を預かる私には、主力プレイヤーの実力を確認する義務があるの。」

 

 思わぬ方面の指摘に、僅かに目を見開くイタチ。てっきりこのまま、自分の正論に閉口してパーティーを組む話はお流れになるだろうと考えていたが、やはりそうはいかなかった。

剣の一件以来、イタチはアスナをはじめ攻略組プレイヤーの、特に女性プレイヤーから寄せられる攻略に関わりの無い案件に対して、正当な理由がある限り承諾するようにしていた。要するに攻略組プレイヤーに対する態度をある程度軟化させていたのだが、それに従ってアスナのイタチに対するアプローチもより積極的かつ強硬的になってきていることをイタチは感じていた。

イタチが名乗る『ビーター』と呼ばれるプレイヤーの性質は、『憎まれ役』であっても『敵』ではない。攻略組というコミュニティに所属している以上は、他の攻略組プレイヤーとの繋がりはある程度持たねばならず、完全に敵対しないよう注意しなければならない。だが、剣の一件以来、イタチがプレイヤーより向けられる感情に、ビーターとしての憎悪・疑心と最強プレイヤーとしての受ける妬み・嫉みに加え、アスナのような有名プレイヤーと親しくなることで受ける嫉妬まで加わったのだ。もともと匙加減の難しかったプレイヤーからの感情のコントロールが難しくなったことは間違いない。そしてアスナは、そんな危うい感情のバランスのもとで活動しているイタチの隙を突く形で優位を掴んでいるのだ。

 

「ボス攻略の作戦を立てるには、正確な情報が何より必要よ。それは、フロアボスに止まらず、味方についても同義よ。スキルやステータスの詮索はマナー違反だけど、指揮を預かる身としては、ある程度の実力は知っておきたい。

特にあなたは、二刀流っていうユニークスキルの使い手で、最前線で活躍する主力プレイヤーよ。なのに、ソロプレイばかりで、どれくらいの実力を持っているかがほとんど分からない状況。これじゃあ、綿密な作戦なんて立てられないわ。だから、あなたが私とパーティーを組むことは、ゲーム攻略の効率化に繋がる行為なのよ。」

 

「…………」

 

 懇切丁寧な、しかも正鵠を射たアスナの解説に、イタチは沈黙するばかりである。まさか、アスナがこんな切り口からパーティー結成を正当化するとは予想外だった。自分のプレイスタイルが、ボス攻略の効率を引き下げていると指摘されては、イタチも反論できない。

 現実世界にいた二年ほど前の、隔意をもって接していた桐ヶ谷和人を呼び止めることすら敵わなかった結城明日奈からは考えられない強硬的な物言いに加え、見事な論破だった。彼女にここまで劇的な変化が起こったのも、SAOで過ごした二年もの戦いの日々の賜物だろう。血盟騎士団という最強ギルドの副団長として最前線で剣を振るい、攻略組プレイヤー達をまとめ上げてきた中で鍛え上げられた精神力があるからこそ、現実世界では反応に不安を抱いてびくびくしているしかなかったイタチに対しても屈せず立ち向かえるようになったのだ。

ともあれ、全プレイヤーの怨嗟を一身に背負うためのソロプレイを逆手に取ったアスナの返しに、イタチに選択の余地は残されていなかった。

 

「それで、まだ言いたいことはあるかしら?」

 

「……ありません。」

 

 腰に手を当てて確認するアスナに、イタチはパーティー申請のウインドウにタッチするほかなかった。視界の隅に映る自身のHPバーと並んで、イタチのバーが表示されたことを確認したアスナは、明らかに勝ち誇った様子だった。

 



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第四十一話 黒と白の剣舞

2024年10月18日

 

 アスナの家にて夕食を御馳走になった翌朝。イタチは現在の攻略最前線である七十四層の迷宮区手前の村、カームデットにある転移門にて、一人アスナを待っていた。

 

(……来ないな。何かあったのか?)

 

 現在時刻は九時十分。集合時刻の九時から既に十分が経過している。現実世界のアスナは名門私立中学の生徒会長らしい真面目で勤勉な性格であり、所定の時刻に遅刻することなど有り得なかった。それ故に、何かあったのではと些か心配になるイタチだった。ごり押しとはいえ、依頼を受けた以上はそれを完遂する義務がある以上、イタチは迎えに行くべきかとも考える。

 元より、任務は依頼主であるアスナの護衛。この遅刻がアスナが危険に晒されたことによる可能性があるのならば、確認に行かねばならない。イタチは踵を返し、すぐそこの転移門へ向かおうとする。だが、

 

「きゃぁぁああ!よ、避けてぇー!!」

 

「!」

 

 イタチの目の前。転移門の地面から一メートルはあろう高さから悲鳴と共にプレイヤーが姿を現した。突如姿を現した女性プレイヤーに、さしものイタチも動揺してしまった。だが、それも一瞬のこと。攻略組として、そして前世から引き継いでいる忍者としての経験により、即座に対処してみせる。

 

「きゃわっ……!」

 

「大丈夫ですか、アスナさん。」

 

 空中に飛び出した女性プレイヤー――アスナの姿を視認するやイタチは身を翻して受け止める。対するアスナは転移門から飛び出してからやってくる筈の衝撃に目を瞑っていたが、それが来ないことを不審に思い、恐る恐る目を開いてみると、そこには自分が待ち合わせをしていた少年の顔があった。

 

「イ、イタチ君!?」

 

「ご無事なようで何よりです。」

 

 突如目の前に現れたイタチに、地面に落下したものとは別の衝撃に驚き硬直するアスナ。何せ自分は今、イタチの腕の中で所謂“お姫様抱っこ”をされている状態なのだ。

 

「いつまでもこうしているわけにはいきませんね。立てますか。」

 

「う、うん!だ、大丈夫、よ!」

 

顔を真っ赤にするアスナを、イタチは特に気にする様子もなく、地面に立つよう促した。一方のアスナは、思考と身体の両方が硬直したぎこちない様子ながらもどうにか立つことができた。

 だが、イタチがアスナを下ろした途端、転移門に新たな光が現れた。青白い光の向こうから現れたのは、イタチもつい先日見知った顔だった。

 

「アスナ様、勝手なことをされては困ります……!」

 

 アスナと同種の白と赤とに彩られた血盟騎士団のユニフォームを纏った、長髪の男性――アスナの護衛を務めている、クラディールである。眉間に皺を寄せ、凄まじい剣幕で迫る男性にイタチは無表情ながら若干の警戒心を抱く。

 

「さあアスナ様、ギルド本部まで戻りましょう。」

 

「嫌よ!今日は活動日じゃないわよ!大体、あんた何で朝から家の前に張り込んでるのよ!?」

 

「こんなこともあろうかと、一カ月前からずっとセルムブルグでアスナ様の監視の任務についておりました。」

 

「そ……それ、団長の指示じゃないわよね?」

 

「私の任務はアスナ様の護衛です。それには当然、ご自宅の監視も、」

 

「ふ、含まれないわよ、馬鹿!」

 

 明らかに度の過ぎた護衛としての任務遂行に、イタチは内心で唖然とする。アスナを様付で呼ぶあたりから、重度の信者であることは察しがついていたが、これでは護衛というよりストーカーである。イタチの背に隠れ、若干怯えた様子のアスナに、クラディールは容赦なく詰め寄る。

 

「聞きわけの無いことを仰らないでください。さあ、本部に戻りましょう。」

 

「っ……!」

 

 そう言うと、クラディールはアスナの手を掴んで無理矢理連行しようとする。一方のアスナは、イタチに助けを乞うような視線を向ける。客観的に見れば、これはギルドの問題であり、部外者が介入する余地は無い。そもそも、アスナとパーティーを組んでの攻略活動は、今後の攻略を円滑に進めるという建前があるとはいえ、実はイタチの望むところではない。ギルド内のいざこざでアスナとのパーティーがなし崩しに解散となることは、イタチにとって好都合なのだ。

故に、イタチはこのままアスナを放置してクラディールによるギルド本部への連行を黙認するのが最善策なのだ。だが、イタチは……

 

「お待ちいただきたい。」

 

 アスナを連行せんとするクラディールの腕を掴み、その進行を阻止する。対するクラディールは、憤怒に満ちた顔でイタチを睨みつける。

 

「貴様……一体、何のつもりだ?」

 

「俺の依頼人を、勝手に連れて行かれては困ります。」

 

 イタチを射殺さんばかりの視線を投げつけるクラディールに、しかしイタチは全く動じた様子は無く、その赤い双眸を真っ直ぐクラディールに向けていた。

 

「今日、俺がアスナさんから受けた依頼は、七十四層迷宮区攻略の護衛。そしてそれに伴い、攻略に参加する俺の能力調査を行うことを目的としています。攻略指揮を預かるアスナさんの意向であるこの依頼を妨げることは、攻略の妨害に他なりません。それでも、彼女を連れて行きますか?」

 

「イタチ君……?」

 

 イタチの指摘に、アスナは意外とばかりに驚いた表情を浮かべていた。強引なパーティー結成を要求したため、見捨てる可能性が高いと思っていたからだ。一方、アスナを連行せんとしていたクラディールは、先程以上に顔を歪める。だが、イタチが言ったことは全て事実であり、アスナの攻略を効率化するという目的もあるのだ。如何に血盟騎士団所属メンバーにして、副団長たるアスナの護衛といえども、この依頼に異議を唱える権限は無い。クラディールも、普通の攻略組プレイヤーからの言葉ならば、素直に引き下がった可能性はある。だが、ビーターであるイタチが相手では、そうはいかない。

 

「ふざけるな!貴様のような雑魚プレイヤーに、アスナ様の護衛が務まるものか!私は栄光ある血盟騎士団の……」

 

「それを決めるのは、アスナさんです。」

 

 クラディールの言葉を遮ったイタチは、アスナの方を向く。その赤い瞳は、イタチを護衛として攻略へ出向く依頼を続行するか否かを確認するものだった。そして、イタチに無言の問いを迫られたアスナは、意を決して口を開く。

 

「……クラディール。私はこれから、イタチ君と迷宮区攻略に行きます。彼とパーティーを組んでの攻略は、立派な攻略活動の一環です。」

 

「んなっ……!」

 

 アスナの言葉に衝撃を受けるクラディール。イタチを護衛として伴い、迷宮区攻略に挑むということは、自分の護衛としての能力が目の前の憎きビーター、イタチに劣ると判断されたことを示しており……イタチより信頼されていないことを意味している。そして、そんな判決にクラディールが納得する筈もなかった。

 

「ならば!……ならば、今ここでそれだけの実力があることを、証明してもらおうか!」

 

 怒り・苛立ちを露にウインドウを操作するクラディール。途端、イタチの目の前にポップするウインドウ。イタチが目線を下げると、予想違わず、「デュエル」申請のウインドウだった。ビーターを毛嫌いするクラディールが相手では、こうなるのも止むを得ないと考えていたのだが、これが後々問題になる可能性も捨てきれない。アスナの方へ目線を送ると、彼女も事情を把握したのだろう。一つ頷くと、はっきりと答えた。

 

「大丈夫。団長には後で私から報告しておく。」

 

「了解しました。」

 

 アスナの許しを得たイタチは、デュエル申請ウインドウの初撃決着モードを選択し、OKボタンをクリックする。すると、メッセージがデュエル受諾の旨を表示し、六十秒のカウントダウンが開始される。

 

「ご覧くださいアスナ様!私以外に護衛が務まる者などいないことを証明しますぞ!」

 

 自信満々にそう言い放つと、クラディールは腰に携えていた得物を抜いて構えを取る。対するイタチもまた、背中から片手剣――エリュシデータを引き抜くと、すっと目を細めて相手の立ち姿を冷静に分析する。

 

(得物は大剣……発動するソードスキルは、「アバランシュ」といったところか……)

 

 両手剣の真価は、片手剣を凌ぐ威力と攻撃範囲にある。剣を構える重心からして、恐らくは突撃技を仕掛けて一撃で終わらせる腹積もりであると推測する。イタチは相手の発動するソードスキルと自身との交錯のタイミングを、六十秒のカウントダウンの中で推理する。

 そして、カウントがゼロになった途端――――

 

「フッ!」

 

 先に動きだしたのは、クラディール。握った得物から光を迸らせてのスタートダッシュは、ソードスキル発動を示している。だが、イタチはそれを目にしても一切怯まず、その場から動かない。

繰り出されるソードスキルはイタチの予想通り、両手用大剣の上段ダッシュ技「アバランシュ」。大剣系のソードスキルにオーソドックスな高威力・高レベル技である。本来、対モンスター用のソードスキルとして使用されることの多い技だが、プレイヤー相手でも効果は大きい。だが、それは平均的なレベルの攻略組プレイヤー相手の場合である。

 

(ここか……)

 

 数秒にも満たない交錯の中、イタチはクラディールの発動するソードスキルの軌道を読みとり、回避方法と敵の武装の構造を見極める。そして、発動したのは片手剣ソードスキル「スラント」。

 アバランシュの軌道から外れた位置へ入ったイタチは、エリュシデータから繰り出すスラントにて、クラディールの大剣、その腹を見事に打ち据えた。ソードスキルの衝突による、凄まじい衝撃が、両者の剣に走る。イタチのエリュシデータには軽い振動が走る程度だったが、クラディールの大剣はそうはいかなかった。

 イタチとクラディールの交錯が終わり、両者の距離が開切ったその時。クラディールが握る大剣は、その切っ先を半ばから見事なまでに真っ二つに両断されていた。

 

「なぁっ……!」

 

 自身の手に持つ大剣が、見る影もなく破壊されたことに驚愕するクラディール。いつの間にか周囲に集まっていたギャラリーも、揃ってイタチの超絶的な剣技――「武器破壊」に息を呑む。ソードスキルを相手が持つ武器の最も強度が弱い部分にぶつけることで、それを破壊するシステム外スキルである。イタチが考案したシステム外スキルであり、野生のモンスターが使用するソードスキルが多様化したのに伴い、その重要度は日に日に上がってきているため、多くの攻略組プレイヤーがギルドぐるみで習得に励んでいる技能でもある。イタチはそれを、立ち尽くしたまま微動だにせず、しかも初級ソードスキルでやってのけたのだ。離れ業の極みに、その場にいた誰もが驚愕していた。

クラディールの手の中で、次の瞬間には地面に突き刺さった先端部に続き、柄の部分も消滅した。武器を失ったクラディールには、最早抵抗の術など無く、デュエルは決したも同然だった。

 

「どうしますか?武器を持ち替えて続けると仰るのならば、相手をいたしますが。」

 

「ぐっ……!」

 

 イタチの言葉にクラディールは舌打ちすると、ウインドウを操作して新たな武器として短剣を取り出す。そしてそのまま、イタチに刺突を繰り出すべく突撃する。だがその時、二人の再度の衝突の間に入る者が現れた。

 

「ア、アスナ様!?」

 

 クラディールに向かい合う形で現れたのは、彼が護衛する筈だった少女、アスナ。その手には細剣――ランベントライトが握られており、振り上げられた刃はクラディールの短剣を見事に弾き飛ばしていた。ゴミを見るような視線を向けられながらも、クラディールは往生際の悪い言い訳をする。

 

「あいつが小細工を!武器破壊も、何か仕掛けがあったに違いないんです!そうでもなければ、この私が、薄汚いビーターなんかに……!」

 

 自身の敗北をイタチのせいにする、傍から見れば見苦しいことこの上ない言い訳に、アスナは聞く耳を持つことなく険しい表情で冷たく言い放つ。

 

「クラディール。血盟騎士団副団長として命じます。本日を以て、護衛役を解任。別命があるまで、ギルド本部にて待機。以上。」

 

「な、何だと……この……!」

 

 全く納得のいかない表情で、この原因を作り出した張本人たるイタチに憎悪の眼差しを向けるクラディール。イタチは相変わらずの無表情でそれを受け止める。やがて、クラディールは脱力した様子で転移門へと向かうと、血盟騎士団本部のある五十五層主街区、グランザムの名前を唱えて姿を消した。

 同時に、今度は緊張の糸が切れたアスナが、倒れかける。イタチはそれを後ろから受け止めた。その次の瞬間――

 

「!!」

 

 ふと、背後にただならぬ視線を感じた。イタチが振り向いた先にあったのは、デュエルを観戦しに集まっていた野次馬の群れ。デュエル終了と共に解散して、各々の目的地へと散っていくその中に、イタチは先程感じた気配の出所を探ろうとする。だが、人ごみが渦巻くその中に、遂にイタチは謎の違和感の正体を掴むことはできなかった。

 

(あの気配……まさか……)

 

 人ごみの中にあった“赤い”気配……その正体に、イタチは心当たりがあった。かつての忍だった前世にも感じたことのある、そして転生後にこのSAOの中でも幾度となく感じた、非日常の中にあるその正体は……

 

「イタチ君、どうしたの?」

 

「……いえ、何でも。」

 

 そこまで考えたところで、イタチに支えられていたアスナの放った言葉に思考を中断された。自力で立てるようになったアスナは、イタチの手を離れて向かい合う。

 

「それより、ごめんなさい。嫌なことに巻き込んじゃって。」

 

「いえ、特に問題はありません。」

 

「今のギルドの息苦しさは、ゲーム攻略を最優先にしてる……メンバーに規律を押しつけた私が原因だと思うのよ……」

 

 謝罪と共に、自嘲気味にギルドの内情を説明するアスナ。第一のクォーターポイントだった二十五層攻略以降、血盟騎士団に所属してすぐ、当時副団長だったテッショウと入れ替わりで副団長のポストに就任。以降、ソロプレイで培った剣技と、現実世界において生徒会長として振るっていた敏腕を遺憾なく発揮し、強豪数多の攻略組プレイヤーを率いてきたのだ。その異常なまでのゲーム攻略への執着は、攻略組プレイヤー達から狂戦士とまで恐れられた程であった。作戦もNPCを犠牲にするなど、強引なものも多く、イタチをはじめ一部攻略組プレイヤーと対立した事もあった程である。そのような、武断派なやり方故に、クラディールのようなプレイヤーが現れたと考えれば、アスナにも責任はあるだろう。

 

「確かに、あなたの攻略方針が彼の暴走を助長した可能性は否めません。しかし、それも仕方の無い弊害ではないでしょうか?」

 

「……え?」

 

 イタチの言葉に、不思議そうな顔をするアスナ。強引に依頼をした上、護衛の問題を解決するためのデュエルまでさせられたのだ。てっきり、恨みごとの一つ二つ言われるかと思っていただけに、拍子抜けだった。呆然とするアスナを余所に、イタチは続ける。

 

「常に死と隣り合わせの攻略最前線にあってプレイヤー達の多くが戦いを止めなかったのは、あなたの的確な作戦と手腕あってのことです。プレイヤー間の風紀に乱れが生じたことを考えても、十分な成果でしょう。」

 

イタチがアスナに下した評価は、決して身内贔屓などではない、論拠に準じた正当な評価だった。ゲーム制作に関わった身として、犠牲者を最小限に抑えるために活動してきたイタチだったが、全プレイヤーの憎しみを一身に背負う立場にあって、個人の力には限界があったことは明らかだった。だからこそ、やり方に問題があったとしても、アスナのように攻略組をまとめ、導く人間の存在は、この世界において何よりの希望だった。

今日に至るまでの、SAOにおける犠牲者の総数は、二千十九名。当初のイタチの見立てでは、この倍近くの数が死に至ると推測されていた。その見解を覆し、全プレイヤーの希望を守りながらも攻略を続けることができたのは、一重にアスナの活躍あってのことなのだ。

 

「少なくともあなたは、俺などとは比較にならない程に、この世界を生きるプレイヤー達に求められて然るべき人です。そして、アインクラッド攻略もそろそろ第三のクォーターポイントに差し掛かるところです。あなたの裁量が必要となるのは、まだまだこれからです。」

 

「……ありがとう、イタチ君。」

 

 微かな笑みと共にそう呟いたアスナの顔は、どこか安心した様子だった。今まで拒絶されるばかりだった自分が、初めてイタチに認められたのだ。イタチにしてみれば以前から思っていた、至極当たり前なことであるが、アスナにとっては何より心に響く、嬉しい言葉だった。感動のあまり涙が出そうになるのを堪えながらも、毅然とした態度で振る舞う。

 

「でもね、イタチ君。あなたの事を必要とする人だって、たくさんいるのよ。私もその一人だしね。」

 

「血盟騎士団副団長殿に、戦力として評価していただけるのは、光栄の極みです。」

 

 その言葉に、アスナは今度はむすっとする。最早わざととしか思えない――実際、イタチは故意に人と必要以上に関わらないよう努めている――言動に、アスナはそっぽを向くと、迷宮区へ向けて歩き始める。

 

「そういうことなので、今日は前衛よろしく。」

 

「了解しました。」

 

 アスナの背を追って歩きながら、彼女の変化に密かに感嘆する。現実世界でのアスナは、生徒会長を務める優秀な女学生であり、全校生徒の尊敬の的だった。誰もが完璧な人間として疑わない彼女だったが、イタチの見立てでは、本当のアスナはどちらかと言えば引っ込み思案で、他人の後ろに隠れているような性格だった。イタチが強く出れば、若干萎縮した様子で、引き下がってしまうことが多かった。

 だが、このSAOという世界に囚われて以来、彼女は変わった。狂戦士とまで恐れられるプレイヤーになったこともそうだが、確固たる意思をもって行動する、その力を得ているとイタチは思った。引っ込み思案な彼女にはなかった、確かな意思力・行動力をもって人を引っ張る力を付けたその姿は、イタチは密かに眩しく思えた。

 

(だが、変わったのは彼女だけじゃない……)

 

 アスナの変化は人間としての確かな成長であり、好ましいことなのだろうが、自分は事情が違う。攻略組最強クラスの剣士として最前線に立つ身でありながら、全てのプレイヤーの憎しみを背負うという矛盾を抱えたプレイヤー、それがイタチなのだ。だがその本質は、憎まれ役であっても敵ではない。攻略組というコミュニティに属す以上は、アスナのような一部のプレイヤーとも関わりを持たざるを得ないのだ。しかし、それを考慮しても今回のイタチの行動選択は明らかに立場を逸脱している。如何に攻略指揮を預かるアスナの依頼といえども、ギルドのいざこざに介入してまで決行するべきものではない筈だった。

 本当に、うちはイタチらしくない行為だと思う。アスナの立場を重んじるならば、あのような出過ぎた行為は控えるべきだし、そもそもパーティー自体組むべきではなかったのだ。前世の頃以上に複雑な立場にあるとはいえ、その在り様がうちはイタチから遠退いているように思えてならない。或いは、それ自体がイタチという人間に訪れた“変化”の兆しとも考えられるが、今はそれを素直に喜ぶことはできない。前世を忘れることにも繋がりかねないそれは、人格の歪みとも呼べるものだからだ。

 

(結局は、進むしかないのか……)

 

 アスナや他のプレイヤーはおろか、自分自身ともまともに向き合えないことに忸怩たる思いだったが、いくら考えても答えは見出せない。ただ攻略という目の前の目的のために歩み続けるという、先延ばしと同義の手段しか選べなかった。

 そして結局のところ、今日も今日とてやるべきことは変わらない。この世界の出口の障害たる迷宮区を踏破し、フロアボスを倒すこと。気持ちを切り替え、イタチは攻略へと歩を進める。その後ろには、今日限りのパートナーが追随していた――――

 

 

 

「ふむ……流石はイタチ君。あの人だかりの中、私の存在に気付くとは……」

 

 カームデットの外れにある建物の物影に、その男は潜んでいた。身に纏う服は黒一色で、道化師や人形師を彷彿させる装いである。およそ攻略組プレイヤーには見えない、NPCと言われた方が納得できる身なりだった。

 

「しかし、私の気配を気取られてしまった以上は、今回の舞台は開演前に破綻したも同然ですね……」

 

 口調は残念そうなのに、その表情には然程落胆の色は見えなかった。そもそも、彼が目を付けていた“人形”にはそれ程の期待は抱いていない。彼が計画した“舞台”の本命は、他でもない黒装束の剣士――イタチだったのだから。

 

「それにしても、百層あったアインクラッドも、残り二十六層ですか……案外、短かったものですね」

 

 自分を含めた当初一万人のプレイヤーを閉じ込めた天空の城、その消滅が間近に迫っていることに憂いを感じる男。彼の見立てが正しければ、この世界は遠からず終焉を迎える。それも、自分が興味を抱いた対象たる少年の手によって――――

 

「まあ、それもいいでしょう。ならば今度は、現実世界で続きをするとしましょう」

 

 この世界における彼――イタチとの別れは名残惜しいものの、いずれは場所を変えて新たに舞台を用意して招待すればいいと、男は結論付けた。

 

「ですが……やることはやっておかねばなりませんね。しかし、これで終わりではない……いずれはまた、相見えましょう」

 

 気持ちを切り替え、男は踵を返して今回の舞台を用意しに向かう。譬え大根役者が演じる三流以下の劇場であろうと、妥協はしない。向かう先は、第五十五層・グランザム――――

 

「Good Luck……イタチ君」

 

 

 

 

 

 

 

転移門が開通してからおよそ五日が経過したが、二十階ある内の四階までしか踏破されていなかった。これは、迷宮区の複雑化やトラップの増加、そして先日イタチとアスナの間で話題となったモンスターのアルゴリズムにおけるイレギュラー性の上昇が原因である。故に、百戦錬磨の攻略組プレイヤーでも、より慎重な攻略を求められているのだ。

だが、攻略組でトップクラスに入るこの二人組はその限りではない。

 

「ふんっ……!」

 

「ギヤァッ!」

 

「グフゥッ!」

 

「ゴァッ!」

 

 両手に片手剣――エリュシデータとダークリパルサーを手に持ったイタチのソードスキルが連続で繰り出される。システム外スキル「スキルコネクト」にて繰り出された片手剣ソードスキルは、目の前に立ちふさがる亜人型モンスター三体の急所を正確に切り裂き、仰け反らせた。

 

「アスナさん、スイッチ!」

 

「了解!」

 

 イタチの合図に応じ、後衛として控えていたアスナが、細剣――ランベントライトを構え、目の前に連なる三体のモンスター目掛けてソードスキルを放つ。

 

「せやぁああ!」

 

 発動するのは、細剣系上位ソードスキル「フラッシング・ペネトレイター」。流れ星のような光芒を描いて放たれる刺突が、一直線上に並んでよろめいていたモンスター三体全てをまとめて貫く。ソードスキルのライトエフェクトの輝きが霧散する頃には、モンスター達は断末魔の叫びと共にポリゴン片となって消滅した。

 

「順調だね!」

 

「はい、そうですね。」

 

 前衛のイタチが、出現したモンスターの武器をパリィするか、急所に一撃を入れるかして隙を作り出し、後衛のアスナがそこへスイッチして止めを刺す。これが、この迷宮区に入ってからイタチとアスナが使用している必殺の連携技である。スイッチ自体は大して珍しい連携技ではない、基本的な連携技だが、その過程で二人――主にイタチ――が披露している技能は並大抵のものではない。

 アスナに先んじて特攻を仕掛けるイタチは、システム外スキルの「スキルコネクト」、「武器破壊」を連発し、モンスターの数など問題にならない剣技で戦力を削ぎ、致命的な隙を作り出す。その後にアスナが強力なソードスキルを発動して敵を殲滅するのだが、アスナのスピード・アキュラシーを差し引いても、敵を撃破する効率は異常なまでに高い。アスナ自身も、攻略を進める内にそれに気付き始めており、思い至った結論は、

 

(もしかして、イタチ君……私に合わせてくれてる?)

 

 イタチが、自分がソードスキルを発動するのに合わせて、モンスターを誘導しているのでは、と考えた。先の三体を撃破した時もそうだったが、イタチの攻撃を受けた後のモンスターの立ち位置は、アスナから見て一列に並んでいるという、上位技に刺突系が多い細剣の特性を活かせる最適な配置だった。

今まで同じギルドの仲間と組んで攻略をしてきたが、こんなに都合の良くスイッチできることなど滅多になかった。それがイタチと組んでからは、そんな場面がほとんどである。馬鹿なとは思ったが、イタチの常人離れした技能を考えれば、全くあり得ない話ではない。

 

(本当に、凄いんだね……イタチ君。)

 

 イタチとこうして共闘するのは、第一層攻略戦の時以来だった。あれ以来イタチは、アスナを攻略組の中でも上に立つに足る器であると判断し、ビーターである自分との接点を切ることによって、アスナの能力を開花させようとした。結果、イタチの思惑通り、狂戦士と恐れられはしたものの、攻略組プレイヤー達を率いる指揮官となった。

 だが、それ故に、ソロで前線に挑むイタチの実力を、本当の意味で理解することができなかった。フロアボス攻略には参加しているものの、イタチは基本的に回避盾として矢面に立つ事はあっても、積極的にボスにダメージを与えようとはせず、美味しい所は全て他のプレイヤーに譲っていた。数少ない例外は、クォーターポイントのボスのような強敵相手の戦闘で、前線が崩壊されかかった時だろう。今思えば、イタチは自分以外のプレイヤーに多く経験値が行き渡るよう配慮していたとも考えられた。

 

(こうして、一緒にいて初めて分かるなんてね……)

 

 ボス攻略の作戦を立てるためと理由をこじつけて無理矢理パーティーを組んだが、今はそれが正解だったとアスナは思う。自分達の攻略を本当の意味で支えてくれていた、影の功労者と呼ぶべきイタチの存在が如何に重要であったかを、再認識することができた。このまま行動を共にし続ければ、現実世界では叶わなかった、イタチの――桐ヶ谷和人の本当の素顔を見ることができるかもしれない。そう考えたアスナの歩調は、先程より軽快になっていた。

 

 

 

 

 

 イタチとアスナ――その在り様は、さながら影と光。

影は光に先んじて障害を払い、光は多くを導きながら、切り開かれた道を行く。イタチが前衛、アスナが後衛を行うこの攻略の風景も同義である。

「黒の忍」を「閃光」が追う、それはまさしく、黒と白の剣舞だった。

 




今回、レッドプレイヤーに初のパロキャラが登場しました。
彼の正体を知るヒントは、最後に放った言葉にあります。


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第四十二話 迷宮区での出会い

前話で登場したレッドプレイヤーのパロキャラが、ここ最近アニメで絶賛暗躍中です。
ちょうど今日も、相変わらず怪しげな恰好で登場していました。


「ゼェ……ゼェ……」

 

「……大丈夫ですか、アスナさん。」

 

 アインクラッド七十四層迷宮区の安全地帯。現在そこに、二人の男女プレイヤーがいた。男性が涼しい顔で周囲に目配せしながら立ち尽くしている傍ら、女性の方は息も絶え絶えといった状態にあって、必死に呼吸を整えようとしている。仮想世界におけるアバターには、心臓も肺も無く、息を整える行為には意味など無いのだが、それだけ恐ろしい事が彼女に起きたのだろう。ようやく落ち着きを取り戻した彼女は、表情を全く崩さない男性の顔を見上げると、ややきつい視線を送りながら口を開いた。

 

「無茶苦茶なのよっ!なんで、ボスと戦おうなんて、考えたのよっ!?」

 

「様子見をしようとしただけです。」

 

 怒りを露わに喚き散らすアスナに対し、イタチはさも当然のことのように返す。

 

 

 

 アスナが息を切らすほどに走った理由は、数分前のこと。迷宮区攻略を破竹の勢いで進めていたイタチとアスナは、昼過ぎには迷宮区二十階全てを踏破し、遂にはフロアボスの部屋を見つけるに至ったのだ。怪物のレリーフがびっしりと施された巨大な扉は、これまでの迷宮区攻略においても見慣れたものだったが、その存在感にはアスナですら圧倒されてしまう。この扉の先に待ち受けるのは、七十五層への扉を守護する強大なるフロアボスなのだ。現在、攻略組が各村に点在するクエストをこなしているが、なかなかボスの情報は手に入らない。得体のしれない強敵がこの扉を隔てた向こうにいると想像するだけで、アスナは身体に緊張が走って動けなくなりそうだった。

 当初の目的だった迷宮区攻略は、フロアボスの部屋を見つけた時点で、完了している。あとは、主街区まで戻ってマッピングデータを攻略組プレイヤーたちのもとへ持って帰ればいい。だが、そこでイタチは予想外の一言を口走った。

 

『ボスの姿を確認したいのですが、少々よろしいでしょうか?』

 

できることならばボスの姿くらいは確認しておきたい。アスナと二人のパーティーでは碌な偵察などできる筈は無いが、装備一つ確認するだけでも攻略戦初期段階の攻撃パターンを予測することは可能である。そう説き伏せられたアスナは、危険を承知しながらも渋々ボスの部屋を開くことに同意したのだった。扉に手をかけ、開いた向こう側に広がったのは、深淵の暗闇。もう少し踏み込まなければボスの姿を見る事はできないのでは、と考えたイタチが先行して部屋の中へと入り、そしてアスナもまたそれに続いて部屋へと足を踏み入れた時に――異変は起きた。

 部屋の中に設置されている松明に、次々に火が灯り、部屋全体を照らし出したのだ。イタチとアスナ、二人揃って見上げる先には、巨大な影がそそり立っている。青白い炎によって鮮明になったそれは、筋骨隆々とした逞しい身体に山羊の頭をもった、“悪魔”だった。大型剣を携えて立ち上がるその頭頂には、四本のHPバーと、固有名が浮かび上がっている。その名も、『The Gleameyes』――輝く瞳。定冠詞を有したこの悪魔は、紛れもない、七十四層フロアボスだった。ボスはイタチとアスナの姿を確認するや、大型剣を振り上げ、ソードスキルを繰り出そうとする。対するイタチも身構え、これを回避しようと動こうとしたが……

 

『きゃぁぁああああああ!!』

 

 悲鳴を上げたアスナに首根っこを引っ掴まれ、そのままボス部屋から勢いよく引きずり出されてしまった。敏捷極振りのアスナのどこに、このような膂力があるのだろうと不思議に思うイタチの眼の前で、フロアボスの扉は静かに閉じられていった。

 

 

 

 そして現在、逃げに逃げ続けたアスナは、イタチと共に、ボス部屋から離れた場所に位置する安全地帯へと至ったのだった。

 

「別に、本格的な戦闘を行うつもりはありませんでした。回避に徹し、攻撃パターンを見極めようと……」

 

「ボスの姿を見たら、すぐに撤退するのが普通でしょう!あれ程無茶は止めなさいって言ったのに、何をやってるのよ!?」

 

 相も変わらず冷静に弁明する――本人からすればただの事情説明――イタチに対し、苛立ちを募らせて怒声を発するアスナ。だが、イタチがこの程度の怒りに動揺する筈もなく、アスナ自身もそれを理解しているので、落ち着きと共に冷静さを取り戻し、毅然とした態度で再びイタチに向かい合う。

 

「いい?あなたは、今日は私の護衛なんだから、勝手にあんな無茶な真似はしないこと。分かった?」

 

「……了解しました」

 

 アスナの言いつけに、素直に了承するイタチ。感情の見えない表情に、本当に理解しているのかと不安になるが、これ以上は気にしていても仕方がない。この話はここまでにすることにした。

 

「ふぅ……もう三時ね。遅くなったけど、そろそろお昼にしましょうか」

 

 アスナはそう言うと、すぐそこの壁にもたれる形で地面に座り込むと、アイテムウインドウを操作する。取り出したのは、小ぶりのバスケット。

 

「ほら、イタチ君も座りなよ」

 

「……いえ、俺には護衛の務めがあります。譬え安全地帯であっても、油断するわけにはいきません」

 

 隣に座って食事を摂るよう勧めるアスナ。対するイタチは、護衛の仕事を放棄するわけにはいかないと立ったまま周囲を警戒する。そんな融通の利かない真面目さをもって任務に臨むイタチに対し、アスナは眉を顰める。

 

「もう……食べないともたないわよ?」

 

「問題はありません」

 

 SAOがデスゲーム化してから今日まで、イタチはまともに食事を摂った日はほとんどない。現実世界で同様の食生活を送ったのならば、間違いなく体調不良を起こしかねないが、生憎とここは仮想世界。現実世界にある身体は、医療施設にて点滴等による栄養摂取が行われており、この世界における食事は全て仮想のものである。ゲームの仕様上、食欲こそ湧くが、摂取しなかったところで現実世界の肉体にもアバターにも何ら影響は生じない。

 ゲーム攻略のためにあらゆる時間を惜しんだイタチは、食事の時間を削る方針を取っていた。イタチは忍としての前世において、食事や睡眠を取れない極限状態を幾度となく経験している。故に、食欲に苛まれて思考力が低下することなど有り得ず、身体機能がもつのならば、精神力を維持できる限り活動が可能なのだ。

 つまり、イタチがこの場で食事を摂らなかったところで、アスナの護衛任務には全く差し支えないのだ。だが、アスナは……

 

「いいから食べる!ほら、座って!」

 

「……分かりました」

 

 苛立ちを露わに怒鳴り散らすアスナ。対するイタチは、護衛と言う立場上、これ以上アスナを刺激するのは得策ではないと考え、渋々従うことにした。イタチが座ったのを確認すると、アスナはバスケットからサンドイッチを取り出してイタチに差し出す。

 

「はい!」

 

「……ありがとうございます」

 

 笑顔を浮かべて差し出されたそれに、軽く礼を述べて受け取るイタチ。パンの間に、詰められた具材を見たイタチは、少しばかり安心する。ステーキをはじめとした肉類が苦手なイタチでも、この程度の量の肉ならば、食べられないこともない。何より、イタチの好物であるキャベツに似た野菜が使われている点には好感が持てた。昨日の夕食に端を発した過剰な満腹感が未だに残っており、食事をするのは億劫だったが、取りあえず一口食べる。

 

「!」

 

 途端、口の中に肉の香ばしい香りと共に、独特の風味が広がる。それは、現実世界で味わって以降、ここ二年間は口にした事のない調味料の味。

 

「……これはもしや……醤油?」

 

「フフン……凄いでしょ?」

 

 サンドイッチのソースの味に僅かながら驚愕するイタチに、アスナは今までにない、得意気な表情を浮かべる。今まで自分に対して無関心だったイタチを初めて振り向かせられたという事実に、アスナは一矢報いてやった気分になっていた。

 

「一年の修行の研鑽の成果よ。アインクラッドで手に入る約百種類の調味料が、味覚再生エンジンに与えるパラメータを全部解析して作ったのよ」

 

 そう言ってアスナが広げたのは、アイテムの詳細について綴られた百はあろうウインドウ。イタチはそれらを見て、さらに目を丸くする。その様子を見たアスナは、さらに勝ち誇ったような笑みを深め、バスケットに入れていた調味料を取り出し、紹介していく。合成材料には食材以外に、解毒ポーションの原料等までをも使用したらしい。醤油の他に、マヨネーズまでも作ったという。

 

(よくもまぁ、これほどのものを……)

 

 楽しげに自身が作成した調味料を紹介していくアスナに、イタチは称賛八割、呆れ二割といった心情で聞き入っていた。スキルを完全習得することの難しさは、ゲーム制作に関わった身としても十分理解できる。そして、探求の末にこの世界には無い「醤油」や「マヨネーズ」まで作り出したのだ。料理に対する執念・探究心は凄まじいものがあると言えよう。

だが、完全習得したのは、前線プレイヤーでありながら、戦闘とは関わりの無い「料理」である。攻略組の指揮を預かる人物としてどうなのか、と疑問を抱かずにはいられない。

 

「気に入ってもらえたなら、また作ってあげるからね」

 

 満面の笑みでそう告げるアスナに、イタチは苦笑を浮かべるばかりである。内心では、「せめて次は魚メインにしてくれ」と呟いていたのは、本人のみぞ知る秘密である。

 そうして、二人の間に和やか(?)な空気が満ちた食事が終わろうとした、その時だった。

 

「!」

 

「イタチ君?」

 

 索敵スキルに反応をキャッチしたイタチが、急に立ち上がる。安全地帯に入ってこようとしている以上は、プレイヤーであることは間違いないだろう。攻略組同士、いきなり戦闘になることはまず無いだろうが、相手の姿が確認できない内は油断できない。イタチはいつでも背中に差した剣を抜けるよう身構え、プレイヤー達が足を踏み入れようとしている出口の方を睨みつける。

 そして十数秒後、イタチの索敵に掛かったプレイヤー達は、姿を現した。

 

「おお、イタチ!久しぶりじゃねか!」

 

 現れたのは、野武士顔の刀使いのプレイヤーを先頭とした、十二人のパーティー。全員、イタチの見知った顔――攻略組プレイヤーである。

 

「クライン、お前達も来ていたのか」

 

 面識のあるプレイヤーであることを確認したイタチは、警戒を解き、気さくに――相変わらず感情の読めない表情だが――話し掛ける。対するクラインは笑顔で接してくるが、後方に続いているプレイヤー達の反応はさまざまである。

 

「ったく……お前も、またソロプレイかよ。いい加減、他のプレイヤーとパーティーを組んで行動したらどうなんだ?」

 

「本当に素直じゃないね、カズゴは」

 

「オイラ達とパーティーを組まないかって誘えばいい話じゃねえか」

 

 口の悪さの中に気遣いを覗かせて話し掛けているのは、和服の黒装束に身を包んだ大剣使いのカズゴ。それに続いて口を開いたのは、カズゴやイタチと同じくベータテスト出身者にしてお馴染みのプレイヤー二人、アレンとヨウ。この三人は、ベータテスト以来のプレイヤーであり、ビーターであるイタチを嫌悪しない、仲間と呼べる面子だった。尤も、幾度となくイタチをパーティーに誘ったものの、全て断られてしまったが……

 

「カズゴ、そうかっかするな。今回はそうでもないみたいだぞ」

 

「だな。まさか、その子と組んでの攻略とは……流石の私も恐れ入ったぞ」

 

 嫌味を口にするカズゴの、ソロプレイ指摘に異議を唱えたのは、さらに後方に控えていた二人の男女プレイヤー。金髪の男性プレイヤー――ゼンキチの言葉に、紺色の長髪を靡かせた容姿端麗の女性プレイヤー――メダカが同調する。この二人は、攻略ギルド「ミニチュア・ガーデン」のリーダーと庶務である。

視線の先には、イタチの隣に座る女性プレイヤー――アスナに向けられていた。

 

「へぇ……お前がパーティーを…………」

 

 イタチの連れという珍しい存在を初めて認識したクラインだったが、アスナの姿を見た途端、硬直する。そんなクラインに構わず、イタチはアスナを紹介する。

 

「攻略会議で既に見知っている筈だが、一応紹介しておく。血盟騎士団副団長の、アスナさんだ。今日は、攻略組を指揮する身として、俺の実力を評定するためにパーティーとして同行……どうした?」

 

 アスナを紹介している最中、イタチは眼前でクラインが口を開けたまま固まっているのに気付く。声をかけるも、やはり反応は無い。訝しげな顔をするイタチが肩に手を置いて揺すると、ようやく再起動したが……

 

「ここ、こんにちは!クライン、二十四歳、独身、恋人募集中です!」

 

「…………」

 

 突然、アスナに右手を差し出すと共に頭を下げ、そんなことをのたまい始めた。そんな暴走気味のクラインに対し、イタチは沈黙するばかり。何を期待しているのやら、と思考の奥で呆れを抱いているイタチだったが、自身と共に硬直しているアスナをフォローするべく、口を開く。

 

「落ち着け、クライン。アスナさん、こちらは攻略ギルド「風林火山」のリーダーのクライン。後ろに控えている六人は、そのギルメン…………」

 

『アスナさんじゃないですかぁー!!』

 

 イタチが紹介をしている最中、今度はギルメン六人が動きだした。無視してアスナのもとへ駆け寄り、我先にと自己紹介を始める。イタチは再度落ち着くよう促す。

 

「アスナとお前がパーティーを組むとは……一体、どんな心境の変化があったんだ?」

 

「別に……単に、ボス攻略のために必要な情報として、俺の実力を評定するために組んでいるに過ぎない」

 

 興味深そうな顔をして横合いから問いを投げかけてきたメダカに、イタチはにべもなく返す。ゼンキチを含めた他の四人も、意外そうな顔をしていたものの、今度はどこか嬉しそうな表情を浮かべていた。

 風林火山のメンバーを押さえ込んでいるイタチのもとへ、今度はアスナが歩み寄ってきた。

 

「しばらく、この人とパーティーを組むことになったので、よろしく」

 

 その言葉に、風林火山の面々は一瞬目を丸くし、次の瞬間には一斉にどよめいた。代表としてクラインが、イタチに詰め寄る。

 

「どういうことだよ、イタチ?」

 

「何度も言う様にだな……」

 

 額に手を当て、心底頭が痛いと言わんばかりの表情で、再度説明をしようとするイタチ。だが、その時だった。

 イタチの索敵スキルが、新たなプレイヤー反応を捉えたのだ。先程までの疲れた様子から一転、イタチはクライン達が入って来た場所の入り口に鋭い視線を向ける。他のメンバーも、イタチの様子の変化に、同じ方向を向いて身構える。数秒後、十四人のプレイヤーの目の前に、大人数のプレイヤーが現れた。

 全員お揃いの黒鉄色の鎧に、濃緑色の戦闘服を纏った十二人の男性プレイヤー。前線の盾持ち六人の武装には、特徴的な印章が施されている。このSAOをプレイしている人間ならば、知らぬ者などいない、最大ギルド、アインクラッド解放軍のメンバーである。

 

「解放軍が、何でこんな場所にいるんだ?」

 

「確か、二十五層攻略時の事件以降、連中が攻略の場に姿を現すことは無かったよな」

 

 突然の軍の出現に、各々疑問を口にするクラインとカズゴ。無理も無い。二十五層における、レッドプレイヤーの暗躍による大規模MPKによって、軍は攻略における過去最大の被害を受けたのだ。以来、当時の軍の代表格だったディアベル、キバオウ両名を中心とした軍攻略組は攻略最前線から撤退。活動方針を組織強化に切り替え、自分達の仇たるオレンジ・レッドプレイヤーを取り締まるべく、治安維持に奔走しているのである。

 攻略最前線に属していた強豪プレイヤー達が治安維持に移行し、それを抽んでた指揮官適性を持つディアベルが指揮してくれたお陰で、犯罪者を取り締まるためのインフラを整えるまでには然程時間はかからなかった。

 今では、各層の主街区に拠点を設けて、犯罪者プレイヤー関連の情報収集を行い、治安維持に努めていると聞いている。しかし、攻略最前線に出てくることなど、ここ一年半ほど無かったのだ。何故今になって、攻略に乗り出そうなどと考えたのか、アスナやクライン達には理解不能だった。誰もが疑問符を浮かべる中、イタチだけが冷静な面持ちで口を開く。

 

「アルゴからの情報によれば、解放軍は近々前線復帰のために攻略への参加を表明するつもりだったそうです」

 

「だが、そんな話はまだ聞いてねえぞ。動き出すのが早すぎるんじゃねえか?」

 

「軍は長いこと前線を退いていたからな……いざ参加攻略戦に参加したとして、隅に追いやられる可能性が高い。先遣隊を使って有用な情報を得て、攻略本番で大活躍して手柄を立てることが目的だろう。成功すれば、今後の攻略でそれなりの影響力を得ることができる筈だ」

 

 イタチの説明に、成程と得心する一同。前線を退いているとはいえ、解放軍はアインクラッド最大規模のギルドである。返り咲きに成功すれば、血盟騎士団や聖竜連合に匹敵する発言力を得られる公算も高い。

だが、それは同時に危険な発想でもある。これまでの攻略でも、功を焦ったばかりに、多くのプレイヤーが命を落としているのだ。軍が二十五層でレッドプレイヤーに騙されたのも、他の攻略ギルドに手柄を奪われることを恐れたことに端を発している。そして今また、返り咲きを狙っての急な攻略参戦を考えているとなれば、不安しか浮かばない。

 

「ヤバいんじゃねえか?あいつらを攻略に加えれば、絶対に碌なことにならねえと思うぜ」

 

「ゼンキチに激しく同意だな。私としても、連中の気概は買うが、こうも急な参戦はどうにもな……」

 

「そもそも、これってディアベルの指示なのかな……それとも、またキバオウが暴走したのかな?」

 

「少なくとも、それは無い」

 

 二十五層の大事件の発端となった人物の名前を出したアレンの考えを、しかしイタチは否定した。

 

「元攻略組のディアベルとキバオウは、現在は五十層の拠点を中心に犯罪者プレイヤーの取り締まりを行っている。あの部隊は、恐らく第一層の本拠から派遣された部隊だろう」

 

「ってことは、シンカーの指示なんか?」

 

「それも一概には言いきれない。最高責任者のシンカーは、治安維持や街のプレイヤーへのリソース分配に重きを置いた活動には精力的だが、攻略に関与したことは一度も無い」

 

 アインクラッド解放軍の本拠は、第一層はじまりの街の、黒鉄宮にある。元攻略組メンバーが、プレイヤーが多く集まる中層にて犯罪を取り締まっている一方で、本拠であるはじまりの街に常在している最高責任者のシンカーは、犯罪者収容施設である黒鉄宮の管理と、街に住まうプレイヤー達への配給を行っている。

 鼠のアルゴからの情報によれば、シンカーの性格は非好戦的な穏健派であると聞いている。となれば、考えられることは……

 

「恐らく、シンカーの指揮力が低下したことで、勝手に攻略に乗り出す連中が現れたということだろう」

 

「そんな……アインクラッドで最大規模のギルドが、そんなことで良いの?」

 

「良くないでしょうね。しかし、我々は部外者……軍内部の問題に干渉することは許されません」

 

 攻略組の指揮を預かる身として、アスナは解放軍の動向には不安を抱かずにはいられない。だが、血盟騎士団副団長といえど、今の段階では方針に口を出す事はできない。何らかの不祥事――恐らくは、大量の犠牲者が出る――が起きてからでなければ動けない現状に、アスナはもどかしさを感じていた。

 と、その時だった。解放軍の前線進出について議論していたイタチ等攻略組プレイヤーのもとへ、解放軍側から近づいてくるプレイヤーが現れたのだ。よく見てみれば、そのプレイヤーだけ他のメンバーとは鎧の装飾がやや異なっている。恐らく、この部隊を指揮していた人間だろう。攻略組十四人の中心に立っていたイタチに向かい合うと、威圧するように口を開いた。

 

「私はアインクラッド解放軍所属、コーバッツ中佐だ」

 

「イタチ。ソロです」

 

 明らかに見下した口調に、しかしイタチは常の如く動じない。周囲のプレイヤーは、コーバッツと名乗った男性プレイヤーに対して不快感を露にしているが、当人は全く気にすることなく自身の用件を口にする。

 

「君達はもうこの先も攻略しているのか?」

 

「……いいえ。俺達もちょうどここへ到着したところです」

 

 コーバッツの問いに対し、否定で返したイタチの言葉に、アスナは驚きの表情を浮かべる。自分とイタチは、先程まで迷宮区の最奥まで攻略を進め、ボス部屋まで辿り着いた筈が、その事実を隠匿しようとしているのだ。

イタチが自分たちよりも奥へと攻略を進めていることに気付いている他のメンバーの反応も同様である。ただ一人、メダカだけはすっと目を細め、イタチの意図を悟った様子だった。

 

「そうか……ならば、こちらに用は無い」

 

 期待外れとばかりに、落胆の色を一切隠さないコーバッツ。そんな横柄な反応に、イタチの周囲の攻略組メンバーは、眉を顰める。

 

「おい、オッサン。仮にこいつが、この先の攻略をしてたら、どうするつもりだったんだよ?」

 

「無論、マッピングデータを提供してもらうつもりだった」

 

 カズゴの苛立ち交じりの問いに、コーバッツは当然のことのように答えた。対する攻略組メンバーは、そんな傲岸不遜な物言いに、驚きとともに怒りを露わにする。

 

「タダで提供しろだと!?手前ェ、マッピングする苦労分かって言ってんのか!?」

 

「我々は一般プレイヤーに情報や資源を平等に分配し、秩序を維持すると共に!一刻も早くこの世界からプレイヤー全員を解放するために戦っているのだ!

故に!諸君が我々に協力するのは当然の義務である!」

 

傲然たる態度を崩さずクラインに言い返すコーバッツに、他の攻略組プレイヤーは全く良い顔をしない。

 

「あなたねぇ!」

 

「手前ェ……!」

 

 コーバッツに怒り心頭の攻略組メンバー達。クラインやカズゴに至っては、今にも殴りかかりそうな勢いである。そんな一同を、イタチが手で制した。

 

「持っていないものについて論議しても仕方あるまい。それに、プレイヤー同士の争いほど不毛なものは無い」

 

 そう言ったイタチの言葉に、クライン達は若干クールダウンする。持っている筈のマッピングデータを敢えて提供しないイタチの対応が、軍の思い通りにさせなかったことも、一同の溜飲を下げる要因となった。

 

「フン……諸君等は精々、我々の邪魔にならないよう攻略を進めたまえ」

 

 そう言うと、コーバッツはイタチ等攻略組プレイヤーに背を向けて、部隊メンバーのもとへ戻っていく。「お前にだけは言われたくない」と、その場にいた全員が思ったものの、口にするだけ無駄と判断して、各々眉間に皺を刻む、歯ぎしりするなどに止まった。

 

「まだこの先を攻略するのなら、一度撤退した方が良いと思いますよ。あなたの仲間も、消耗している様子ですし」

 

「それは私が判断することだ。それに、私の部下はこの程度で音を上げるような軟弱者ではない!」

 

 イタチの忠告に、しかしコーバッツはやはり聞く耳を持たない。すぐそばで座り込んで休んでいた部下十一名を立たせると、すぐさま安全地帯を出発し、彼等にとっては未攻略の場所へと足を進めていた。

 ゲームの仕様上、HPが満タンであればアバターの行動には支障は無いが、幾度となく行った戦闘による精神的な疲労は簡単には解消できない。そして、そんな状態で戦闘を繰り返せば、命の危険だって引き起こしかねない。何より、ここからさほど遠くない場所には、フロアボスの部屋もあるのだ。手柄を欲する軍が、無茶をして命を落とすのではと、イタチは不安を抱いていた。

 

(マッピングデータが無ければ、下手に動かないと考えたが……どうやら、無駄だったようだな)

 

 軍の行動を制限するために、情報を敢えて渡さなかったが、あのコーバッツというプレイヤーは想像以上に無鉄砲なようだ。攻略組への復帰に異常なまでの執念を燃やしている軍に、イタチはさらに危機感を募らせる。このまま放置すれば、犠牲者も出かねない。そう考えたイタチの行動は、決まっていた。

 

「……アスナさん、先に街へ戻っていてもらえますか?」

 

「イ、イタチ君!?」

 

 イタチの突然の要請に、アスナは驚いた顔をする。対するイタチは、相変わらずの無表情で、しかし目線は軍が向かった方向を向いていた。

 

「護衛任務を引き受けましたが、目的は達成しました。あとは転移結晶を使用し、主街区へ戻ってください」

 

「ちょ、ちょっと待ってよ!……なら、イタチ君はどうするのよ!?」

 

「あなたには関係の無いことです」

 

 すでにイタチが何をするつもりなのかは直感していたものの、半ば確認の意味を込めて問いかけるアスナに、しかしイタチは答えようとしない。確定だ、とその場にいた全員が思った。

 

「軍の人達を、追いかけるつもりでしょう。そんなこと……あなた一人にやらせると思うの?」

 

「……俺の任務は、迷宮区攻略に伴うアスナさんの護衛です。解放軍の救助は、任務の範囲外です。よって、アスナさんには……」

 

「なら、追加で依頼をさせてもらうわ」

 

 軍の後を追うことに危険を感じ、アスナに主街区帰還を要請するイタチに、しかしアスナは皆まで言わせなかった。

 

「私はこれから、解放軍の動向を調査しに行きます。彼等は攻略組復帰を目指して行動している以上、指揮を預かる身として、彼等が本当に前線で戦う資格を持つかどうかを確かめる必要があります。攻略に必要な活動である以上、あなたには引き続き護衛をしてもらいます」

 

「…………」

 

 アスナの言動に、沈黙するイタチ。まさか、自分の機先を制して、依頼という名目で自身と行動を共にしようとするとは、思ってもみなかった。護衛を依頼する口実も、理に適っている。反論の余地の無いイタチは、沈黙をもって同意するしかなかった。

 

「それから、俺達も一緒に行かせてもらうぜ」

 

「そうだな……攻略組に関わることとなれば、我々も無関係ではあるまい。まさか、断わりはするまいな?」

 

 クラインとメダカをはじめとする他の攻略組プレイヤーも、動向を申し出る。攻略組として、イタチと付き合いの長い彼等も、頑なにソロプレイを貫くイタチが、どうすれば同行を断われないのかを熟知している。

 嘆息したイタチは、十四人という大所帯での迷宮区探索と解放軍の動向監視に出向くほかなかった。

 



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第四十三話 青眼の悪魔

二話前のエピソードで登場したレッドプレイヤーのパロキャラが、本日アニメで遂に姿を現しました。SAOに来ていたのならば、間違い無くレッドプレイヤーになっていたと納得できる活躍ぶりでした。本作ではまだまだ出番は先で登場できるか怪しいですが、精一杯頑張ります。


 七十四層迷宮区の最上階。その最奥へと向かった解放軍の動向を追うべく、イタチはアスナをはじめ、十三人の攻略組プレイヤーを伴って、再び迷宮区の奥を目指していた。

 

「クライン、スイッチだ!」

 

「おうよ!」

 

「メダカ、ゼンキチ!右後方のデモニッシュサーバントは任せたぞ!」

 

「了解した!」

 

「カズゴ、あそこのリザードマンロードをパリィしろ!アレン、スイッチ用意!」

 

「任せとけ!」

 

「分かった!」

 

 イタチの指示のもと、次々現れるモンスターに対処していく攻略組プレイヤー達。フロアボス攻略においても通用する指揮官適正だが、前世において暗部の隊長を務めていたイタチにとっては、多少イレギュラーが混ざっているとはいえ、ほぼ単純なAI制御で動くモンスター相手の戦闘を指揮するのは然程難しいことではない。

 行く手を阻むように現れた十数体のハイレベルモンスターを次々撃破しながらも、十四人の攻略組プレイヤーは確実に歩を進めていた。

 

「まだ軍の連中には追い付かねぇか……」

 

「粗方狩り尽くした後の道を歩いていたからな……進行ペースは、おそらく俺達が攻略に向かった時よりも上だろう」

 

「ひょっとして、もうアイテムで帰っちまったんじゃねえか?」

 

 クラインの言葉に、しかしイタチやアスナは安心できない。解放軍が攻略最前線に復帰するために、血眼になっているとすれば、二十五層の再現が起こる可能性は拭えない。取り越し苦労で済むならそれに越したことは無いが、少なくともボス部屋の前へ行くまでは不安は拭えない。

 

「ボス部屋はもうすぐそこだ。ここまで来た以上、最後まで確認して……」

 

うわぁぁあああああ!!!

 

『!』

 

 イタチの言葉が終わる前に響き渡った悲鳴。聞こえたのは、迷宮区の奥――ボス部屋がある方向からである。

 

「イタチ君!」

 

「はい……!」

 

「あ、おいっ!」

 

 アスナはイタチに目配せすると、迷宮区の通路を一気に走りだす。敏捷パラメータを目一杯ゲインして走るその速度は、まるで光と影。あまりの速さに、同行していた攻略組プレイヤーは誰も付いて行けない。

 

「馬鹿っ……!」

 

 解放軍に対して毒づいたアスナの呟きに、イタチは激しく同意した。悲鳴が聞こえたとなれば、言うまでも無く戦闘を行っているということ。この辺りはモンスターのポップも少なく、戦っている相手となれば、それはフロアボス以外には有り得ない。

 通路を走ってしばらくして、ようやく目的の場所が見えてきた。フロアを守護するボスが詰めている部屋の扉は、予想通り開いている。それを確認した二人は顔を顰めながらも、扉の前まで駆けつける。

 

「!」

 

「……」

 

 そこにあったのは、かつての二十五層攻略において起きた惨劇の再現とも呼べる光景だった。青白い篝火に照らされた部屋の中央で、大型剣を手に猛威を振るうフロアボス、ザ・グリームアイズ。その周囲には、先程すれ違った軍のプレイヤー達が倒れている。HPバーは既にレッドゾーンに突入している者もいた。

 

(人数は…………二人足りない)

 

 凄惨な状況にありながら、イタチは倒れている軍のメンバーの数を数えたが、二人足りない。それ即ち、ボスに殺されたことを意味するのだが。

 

「何をしているの!早く転移結晶で脱出しなさい!」

 

 現状把握に努めるイタチの傍らで、アスナは悲痛な面持ちで脱出を呼び掛ける。だが、既に転移結晶を手にもっていたメンバーの一人から返って来たのは、絶望的な事実だった。

 

「駄目だ!結晶が使えない!」

 

「なっ……!」

 

 絶句するアスナ。無理も無い。SAOにおける緊急脱出手段である転移結晶というアイテムが無効化される空間、それがボスの部屋に設定されたことなど、これまで一度も無かった。これでは、迂闊に足を踏み入れることはできない。だが、逡巡するアスナの隣に立つイタチは、

 

「アスナさんは、ここでお待ちください」

 

「えっ……イタチ君!?」

 

 それだけ言うと、躊躇い無くボス部屋へと足を踏み入れた。両手には、いつの間にスキル設定をして装備したのか、二本の剣が握られていた。白と黒の剣を手に持つその構えは、「黒の忍」たるイタチが持つユニークスキル「二刀流」である。

 

「グルォォオオオ!!」

 

「ヒィ……!」

 

 再度、大型剣を振り上げる青眼の悪魔に、軍のプレイヤーには、最早立ち向かう気力は無い。無慈悲な一撃が、軍のプレイヤー達の命を再び刈り取らんと繰り出されようとした、その時。

 

「ハァァアッ!」

 

「グガァァアッ……!」

 

 ソードスキルを発動しようとした悪魔の背中に放たれる、二筋の閃光。二刀流突撃系ソードスキル「ダブルサーキュラー」である。二本の剣から繰り出される強烈な斬撃は、その背中に見事に直撃、仰け反らせるまでに至った。

 

「今の内に出口から脱出しろ!」

 

「グルォォオオッ!!」

 

 イタチが敢行した背後からの不意打ちにより、ボスであるザ・グリームアイズのタゲは解放軍からイタチへと移っている。今ならば、ソードスキルの発動に注意しさえすれば、脱出時にHP全損は免れるだろう。ところが、

 

「そんな恥を晒せるか!我々解放軍に撤退の二文字は無い!戦え!戦うんだ!!」

 

 パーティーのリーダーであるコーバッツは、現状を省みずに戦闘続行しようとしている。命令に従い、解放軍のメンバーは体勢を立て直そうとするも、今も尚恐慌状態にあり、まともな戦闘など到底不可能である。

 

(拙いな……)

 

目先の功績に目が眩み、退く事を考えないコーバッツのやり方に、内心で舌打ちするイタチ。おそらく、アインクラッドの治安を預かる自分達は絶対的正義であり、いかなる敵にも負ける筈が無いのだ、とでも思っているのだろう。碌に危険な戦闘を経験したことのないプレイヤーの、思い上がりも甚だしい考え方だが、今はそれを矯正している場合ではない。

 

「全員、突撃!!」

 

「!」

 

 コーバッツの無謀極まる攻撃命令が下される。生き残ったメンバーを横並びにしての攻撃だが、ボスのHPは未だ七割以上残っている。一斉攻撃しても仕留め切れない以上、ソードスキル発動後の硬直が発生する頃には、ボスの反撃を食らうのは目に見えている。

 

「ウォォオオオ!!」

 

 だが、コーバッツ以下軍のメンバーには、そんなことを考えている余裕すら無いのか、遂に無鉄砲な攻撃が開始される。ソードスキルの何発かがボスのHPを減らしたが、微々たるものだ。当然のことながら、ボスに致命傷は与えられていない。そして、軍のメンバーの攻撃が止んだ頃、青眼の悪魔が再び標的を軍のパーティーへと移したのだ。

 

「グルォォオオッッ!」

 

 反撃とばかりに、軍に振り下ろされる、大剣の一振り。直撃すれば、HP全損は免れないことは明らかなその一撃に、しかし軍のメンバーは誰一人として動けない。最早死を待つのみだった軍のメンバー。だが、刃がすぐそこまで迫ったその時、黒い影が間を駆け抜けた。

 

「ふんっ……!」

 

 二本の剣を交差させてその一撃を受け止めたのは、先程、このボス部屋へ乱入してきた黒衣のプレイヤー――イタチである。大型剣より放たれた一撃を受け止めたイタチは、握った剣をそのまま振り抜き、刃を弾き返した。

 攻撃をパリィされてよろめいた悪魔を前に、しかしイタチは目線を別の場所――扉の方へと移していた。

 

「アレン、スイッチだ!」

 

「分かった!」

 

 次の瞬間、ボス部屋の扉から小柄な白髪の少年が、長剣を手に、ザ・グリームアイズの背中に切り込んだ。発動したソードスキルは、片手剣四連撃技の「バーチカル・スクエア」。連続技故に、技後に大きな隙が生じるが、後方にスイッチ要員が控えていれば、危険は回避できる。

 

「グルォォオッ!」

 

 攻撃を繰り出したアレンの方へと振り返る青眼の悪魔に、しかしアレンは動じた様子はなく、後ろにいる仲間へ合図を送る。

 

「カズゴ、畳み掛けろ!」

 

「任せとけ!」

 

 すかさず飛び出したのは、アレンの仲間である、大剣使いのカズゴ。繰り出すのは、両手剣ソードスキル「スコッピード」。下から上へと振り上げて攻撃する三連続技である。

 

「グガァァアッッ……!」

 

 強力なソードスキルの連発には、流石のフロアボスも耐えきれなかったのか。バランスを崩して、剣を地面に付いて支えにして立っていた。

 イタチはそんなボスの様子を目端に捉えながらも、回り込んでアレンとカズゴ、そして今しがた扉から出てきたヨウ等と合流して、青眼の悪魔と向かい合う。

 と、さらにそこへ、

 

「イタチ!大丈夫だったか!?」

 

 クラインやメダカをはじめとした、残りの攻略組メンバーも到着する。部屋の入口に屯する九人のプレイヤーを見るや、イタチは指示を放つ。

 

「ボスは俺達が始末する。クライン、メダカ、お前達は軍の連中を頼む」

 

 イタチの要請に、クラインはじめ風林火山のメンバーと、横で聞いていたアスナは驚き、メダカは感心したような表情を示した。前者の反応は当然である。フロアボスをたった四人で相手しようというのだから、正気の沙汰とは思えない。だが、イタチと比較的付き合いの長いクラインには、それが冗談には聞こえなかった。

 

「ボスを倒すって……おいっ!大丈夫なのかよ!?」

 

「無茶だよ!それより、軍の人達と一緒に撤退しなきゃ……」

 

「どの道、軍の連中は梃子でも動きませんよ。全員生還するには、ボスを倒す以外に道はありません」

 

「ハハハ!相変わらず、とんでもない事を考えるな、イタチは!」

 

 クラインとアスナは揃って、軍に勝るとも劣らぬイタチの無謀な行動に不安を抱き、止めようとする。ただ一人、メダカだけはイタチの無茶に笑い声をあげていたが。

 

「茶化している場合じゃねえぞ、メダカ!……来るぞ、イタチ!」

 

「そういうことだ。頼んだぞ、二人とも!」

 

「あぁっ!おいっ!ちょっと待てよ!」

 

 クラインの制止を聞かず、イタチはカズゴ達三人を伴って、態勢を整えた青眼の悪魔に再び向かい合う。

 

「待ってイタチ君!なら、私も行くわ!」

 

「フロアボス相手は危険すぎます。アスナさんは、お下がりください」

 

「駄目よ!あなた達だけ戦わせるなんてできないわ!」

 

「俺はあなたを護衛する任務に就いています。護衛対象に危険な真似をさせるわけにはいきません」

 

「ここまで来て、そんなことを言っている場合じゃないでしょう!」

 

「二人とも、言い争いは後にしてください!」

 

「まあ、アスナも強いし……なんとかなるさ」

 

 アスナに退くように勧めるイタチだが、当のアスナは聞く耳を持たない。だが、今はそんな事を言っている場合ではないだろうと、アレンとヨウに窘められ、イタチは渋々アスナの参戦を了承するしかなかった。

 

アインクラッドの次の階層への扉を守護するフロアボスは、数十人の攻略組が、長期間の偵察を経て、ようやく安全に攻略できる、難敵である。

それを、遭遇して間もなく、たった五人で相手にするなど、不可能である。だが、そんな条理を覆す存在が、一万人いたプレイヤーの中に、たった一人いる。

 

(本来ならば、俺がしゃしゃり出るべきではないが……最早そんなことを言っている場合ではない)

 

 「忍者」としての前世の記憶を持ち、ゲーム攻略においてそれを遺憾なく発揮し、遂には「二刀流」というユニークスキルまで手に入れたプレイヤー――それが、イタチだった。この仮想世界にあって、己がどれほど規格外の存在であるかを自覚していたイタチは、自分が前に出ることで、ゲームバランスが崩壊し、それを修正するために、GMが難易度を上方修正することを何よりも恐れたのだ。故に、今日までの攻略において、イタチはクォーターポイントを除き、フロアボス攻略戦では積極的に前へ出ず、他のプレイヤーが主体となって攻略するように取り計らっていたのだ。

フロアボスと正面切って戦うのは、第一層以来初めてだが、それなりに腕のあるメンバーが一緒ならば、難しくはないとイタチは考える。

 

「グルォォオオッ!」

 

 怒号を放ち、大剣を振りかざす悪魔を前に、イタチ等攻略組は、行動を開始する。

 

「カズゴ、パリィだ!」

 

「応!」

 

 即席のパーティー――パーティー登録すらしていない――のリーダーとなったイタチが、カズゴに指示を出す。カズゴはイタチの指示通り、自身が持つ大剣で、青眼の悪魔が持つ大剣を弾く。

 

「アスナさん、スイッチです!」

 

「分かったわ!」

 

 続いて、攻撃を弾かれた悪魔へ向かって、アスナが跳躍する。光芒を伴い発動するのは、細剣系ソードスキル「カドラプル・ペイン」。四連撃の刺突が、悪魔の胸板に放たれ、仰け反らせる。

 

「ヨウ、追撃を頼む!」

 

「ああ、分かった」

 

 そうして、イタチ率いる五人のパーティーは、着実にボスのHPを削っていった。その連携は即席であり、メンバー登録をしていないにも関わらず、強い結束力を示していた。パーティーを組んでいなければ視界の端に確認できないHPバーも、各メンバーの頭上に付いたカーソルを直接見て確認し、退くべき時には退かせて回復する。そして攻める時には最適の武器・人選で攻撃を仕掛けているのだ。戦いに夢中で誰もが気付いていないが、パーティーメンバーのコンディション、ボスの挙動の両方を確認しながら的確な指示を出すイタチの指揮力は、閃光のアスナに迫るものがあった。前世の忍時代において、暗部の隊長を務めたこともあるイタチは個人の実力だけではなく、人をまとめ上げるリーダーシップも高く、今回の戦闘ではそれが遺憾なく発揮されていた。

 

(軍の連中は……どうにか、クラインとメダカが押さえてくれているか……)

 

 仲間に指示を飛ばし、時には自分も前に出て戦いながらも、イタチは部屋の反対側にいる解放軍の様子を、時折視界の端に捉えて窺っていた。イタチの予想通り、解放軍のリーダーであるコーバッツは、クラインやメダカの説得にも応じず、戦闘続行をすると言ってごねているようだった。四段あったボスのHPバーも、イタチ等の活躍で遂に最後の一本に迫りつつある。追い詰められたボスが、今度は何をしでかすか分かったものではない。クライン達が軍を抑え込んでいる間に、片を付けねばならない。

 

「俺が決める!スイッチ!」

 

 そして、遂にイタチが前へ出た。アレンによってパリィされて隙を見せたボスの懐に入り込んだイタチは、間髪入れずに二刀流の最高レベルのソードスキルを発動する。

 

「スターバースト・ストリーム!」

 

 途端、イタチの持つ白黒の双剣が、これまでにない輝きを帯びる。繰り出される、文字通り星屑の奔流が如き十六連撃は、残り一本だったボスのHPバーを一気に削り取った。

 

「ゴァァアアア……ガァアア……!」

 

 イタチが発動した二刀流奥義の前に、遂に青眼の悪魔は、か細くなる雄叫びとともに力尽きた。次の瞬間には、莫大なポリゴン片を撒き散らして爆散した。

 戦いを終えたボス部屋の中央に浮かび上がるのは、勝者を祝福する『Congratulations!!』の文字。それは、七十四層フロアボス、青眼の悪魔こと、ザ・グリームアイズが倒され、攻略が完了した事を示していた。

 

「終わったか……」

 

 勝利の余韻に浸るでもなく、イタチはそう呟いた。望まぬ攻略戦の末の、望まぬ勝利。イタチの得たものは、多大な経験値に、多数のレアアイテム。だが、それは全て仮想のもの。喪われた命は、仮想世界においても、現実世界においても取り戻すことはできない。己を犠牲にして、この世界を終わらせるべく戦ってきた筈が、またしても取り零してしまった命がある。忍時代の頃から感じていた、そしてこの世界へ転生し、仮想世界へ来てからより一層強くなった、果てしない虚無感がイタチの心を占める。

 

「イタチ君……」

 

 そんなイタチの内心を慮って、アスナが声を掛ける。イタチとはリアルでの知り合いである他、数あるSAOプレイヤーの中でも最も長くイタチと共闘した経緯を持つ彼女には、イタチがどのような人間なのかを少なからず理解している。

 

「あなたのせいじゃないわ……イタチ君は、皆を守ってくれたじゃない」

 

「そうですよ、イタチ」

 

「お前の事だ。どうせ、全部自分のせいだとでも思ってんだろうが、そいつは思い上がりだぜ」

 

「ま、そういうことさ。お前一人で背負うことなんて、無いんよ」

 

 イタチと即席のパーティーを組んで戦っていた、アスナはじめとした攻略組メンバーもまた、イタチを元気づけようと声を掛ける。このボス戦における犠牲に関しては、イタチには全く非は無い。犠牲者が出た責任は、パーティーを指揮したコーバッツにこそある。だが、当人はというと……

 

「貴様等!我等の手柄を横取りするとは、何事だ!」

 

 己のパーティーメンバー二名が、自分のミスが原因で犠牲となった事を棚に上げ、自分達を救った攻略組メンバーに逆上していた。

 

「手前ぇ!いい加減にしやがれ!イタチが行かなかったら、全滅しててもおかしくなかったんだぞ!」

 

「クラインの言う通りだな。貴様等は己の無謀を反省するべきであろう。我等に怒りを向けるとは、筋違いだ」

 

 助けられた立場にありながら、逆切れするという態度に、クラインやメダカもまた、苛立ちを露にする。

 

「あの野郎……この期に及んで、まだあんな勝手なことのたまってやがるぜ」

 

「オイラもあんまりだと思うんだがな~……」

 

 その怒号は当然のことながら、イタチやアスナのもとにまで響いていた。その場にいたイタチを除く四人は一様に不快な表情を浮かべる。その中でも、アスナの剣幕だけは特に険しかった。

 

「あなたねぇ……いい加減にしなさい!!」

 

 相当に怒り心頭の表情でコーバッツに対して激発するアスナ。だが、コーバッツは怒りの対象をクラインとメダカからアスナへと変更して、こちらも負けじと苛立ちをぶつけてくる。

 

「黙れ!誰が助けなど求めた!?貴様等が勝手に乱入してきたのだろうが!解放軍の力をもってすれば、あの程度のボスは、敵ではなかったわ!」

 

 傲岸不遜かつ恩知らずな物言いを繰り返し、激昂するコーバッツ。攻略組メンバーは、怒りを通して呆れ返ってしまう。このまま怒号の応酬を繰り返しても、埒が明かない。そう思ったイタチは、溜息交じりに前へ出た。

 

「アスナさん、もうそのへんにしてください」

 

「イタチ君……でもっ!」

 

「これ以上無駄な問答を繰り返しても何も生まれません。それより、やるべきことがある筈です」

 

 相変わらず冷静なイタチの物言いに、アスナをはじめ、その場にいた攻略組メンバーは若干クールダウンする。イタチは仲間達が少しは落ち着いたことを確認するや、続ける。

 

「攻略組を長く離れていた身でありながら、指揮を預かるアスナさんの制止を無視しての独断専行に及び、死者を出してしまった。ギルドは違えど、看過できる所業ではない筈です。アスナさんには、攻略の足並みを乱した解放軍に対して何らかの処置を要求してもらわねばなりません」

 

「んなっ!…………貴様!!」

 

 尚も激昂するコーバッツに、しかしイタチは一切目もくれず、傍を通ってアスナに呼び掛ける。

 

「さあ、行きましょう、アスナさん。ゲートをアクティベートした後、ギルド本部までお送りします」

 

「あ……う、うん……」

 

「クラインとメダカも、一緒に来るか?」

 

「お、おう……行かせて、もらう……」

 

「そうだな……これ以上ここにいても、仕方あるまい」

 

 アスナに続き、クラインとメダカもイタチの後を追って、次なる階層――第七十五層へのゲートへと向かう。カズゴやアレンといった、他の攻略組メンバーも同様に続く。後に残された解放軍のメンバー――コーバッツ一人だけ――は、去り行くイタチの後ろ姿を憎々しげに見つめていた。

 

 

 

 

 

「にゃはは。それにしても今回は派手にやったもんだな、イタっち」

 

「……あの場面において、残った人間全員を生還させるには、これ以外の方法が思いつかなかった。ボス攻略は、その結果に過ぎない」

 

 イタチとテーブル越しに向かい合う、旧知の女性情報屋プレイヤー、鼠のアルゴの茶化すような言葉に、当人は憮然たる面持ちで返した。ここは、五十層主街区、アルゲードの、エギルが経営する雑貨屋の二階である。期せずして起きたフロアボス攻略戦の翌日、イタチは馴染みの情報屋であるアルゴとコンタクトを取っていたのだ。

 

「それで、軍の連中はどうなった?」

 

「イタっちの言う通り、アーちゃんが攻略組を代表して抗議に出たヨ。例のコーバッツ率いる軍の部隊は、イタっちの予想通り、はじまりの街に陣取ってる幹部連中が放ったんだト」

 

「成程な……つまり今回の攻略進出は、ディアベルやキバオウの預かり知らぬところで計画されていたということか」

 

「そういうことだネ。第一層に籠っている連中は、あの二人が治安維持のために本部を留守にすることが多いのを利用して、好き放題やってたらしいヨ。ディアベルとキバオウも、今回の件で、本部へ召還されて、組織運営の見直しをするって話ダ。リーダーのシンカーは穏健派だが、犠牲者が出た以上は本腰入れて綱紀粛正する筈だヨ」

 

 その報告を聞いたイタチは、一先ずほっと胸を撫で下ろす。今回の強引な攻略が、軍全体の総意によるものでなかったことは予想ができていたが、裏付けが取れて何よりだった。一部の幹部の暴走であったのならば、この一件に関わった者達の処断及び、迷惑を被った攻略組への謝罪・賠償の方針で解決できる――ただし、キバオウ等強硬派がこれに応じるかは定かではない――が、軍そのものが攻略に積極的に動いていたとなれば、今度は攻略組対解放軍という構図で抗争が勃発する最悪の可能性も無きに非ずだったからだ。つい最近行われた、殺人ギルド、笑う棺桶(ラフィン・コフィン)との血で血を洗う全面戦争のような展開になることを、イタチは何より恐れていたのである。

 前世において、忍界大戦を経験したイタチは、戦争の悲惨さというのを目の当たりにし、精神的な重圧故にトラウマを抱えかけた経緯もある。そのため、万に一つ、億に一つの可能性でも、プレイヤー同士の殺し合いが勃発する事態があると考えた事で、僅かながら動揺していたことは確かだった。

 

(だが、それも杞憂に終わったのだから、何よりだ……)

 

 問題は未だ残っているが、一先ず最悪のケースは避けることができたことに安心するイタチ。一息吐いた後、今度はこれからの行動方針に思惟を向ける。

 

「アルゴ、攻略ギルドと軍の協議にはどれぐらいかかりそうだ?」

 

「そんなに掛からない筈だヨ。軍が勝手な行動をしたといっても、攻略ギルドへの被害は皆無ダ。アーちゃんに迷惑をかけたことに関しては、シンカーあたりが謝罪して、コーバッツや幹部連中の処分は向こうに任せる筈ダ。心配しなくても、攻略再開はすぐにできる筈だヨ」

 

 イタチの内心を見透かしたアルゴの言葉に、イタチは僅かながら苦笑する。攻略ホリックと言われても過言ではないイタチの関心がどこに向いているのかを理解するのは、アルゴでなくてもできる。

 

「そうだな……何より、七十五層は第三のクォーターポイントだ。攻略は、これまで以上に慎重に進めねばならない」

 

「こっちも、いつも以上に情報収集には力入れるヨ。それと、あんまり無茶しないようにナ」

 

「分かっている」

 

 アルゴの何気ない、しかし本気で心配した様子の言葉に、しかしイタチは軽く返事をしたのみだった。今回の突発的なボス攻略もそうだが、イタチは事あるごとに自己犠牲的な無茶を繰り返している。前線には出ないものの、イタチの活躍を後方支援プレイヤーの中では誰よりも詳しく知っているアルゴには、時折イタチが本気で死にたがっているのではとすら思ってしまうことがある。

故に、本気で命のやり取りをする場面に立ち会うことができない自分に無力感を覚えることもあった。

 

(戦場には、オイラは行けなイ。アーちゃん、皆……イタっちを頼んだヨ……)

 

 情報屋としての限界を言い訳にしている自分に、忸怩たる思いを抱きながらも、アルゴはアスナをはじめとした攻略組メンバー達に、イタチの命運を託すしかできなかった。だが、元よりイタチは情報屋としての自分を求めている。ならば、その期待に応えることこそが、彼を生かす唯一の術であるのだと、アルゴは改めて思った。

 攻略への揺るがぬ覚悟を胸に秘めたイタチと、仲間たちを救うために自分に課せられた役割を果たすことを改めて決意したアルゴ。最前線で戦う剣士と、それを後ろから支える情報屋。正反対の立場にして、それぞれの頂点に立つ二人の間に流れる、緊張に満ちた沈黙。だが、それは唐突に破られた。

 

「イタチ君!」

 

「「!」」

 

 突如、階段の方から現れた一人の少女。純白に赤で色取られた、攻略ギルド、血盟騎士団のユニフォームに身を包んだ彼女は、副団長のアスナ。先日、イタチとパーティーを組んで迷宮区攻略に挑み、ボス攻略にまで至った間柄である。

 ボス攻略における解放軍の暴挙に関して抗議を行い、その処遇を巡って論争を繰り広げている筈のアスナが、何故こんな場所にいるのか?予想外の人物の登場に、イタチとアルゴは顔を見合わせ、不思議そうにしている。一先ず、事情を聞くことにした。

 

「何があったんですか、アスナさん」

 

「どうしよう……大変なことになっちゃった……!」

 

「それは分かったから、落ち着いて、アーちゃん」

 

 アルゴに促され、息も切れ切れの状態からようやく落ち着いてきたアスナ。泣きそうな表情はそのままに、事情を語り始める。

 常日頃、主にゲーム攻略において独り苦心しているイタチには珍しい、他者との関係――この場合はアスナ――に端を発する面倒事が発生した瞬間だった。

 



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第四十四話 最強の剣士

活動報告にて、『ソードアート・オンラインⅡ放映記念』と称して『フェアリィ・ダンス』と『ファントム・バレット』の予告編を投稿しました。興味のある方は、ぜひご覧ください。


2024年10月19日

 

 アインクラッド五十五層主街区、グランザム。「鉄の都」と称される名前の通り、この街の尖塔全ては鋼鉄製。空を覆う鈍色の雲に、秋に入りつつあり涼しくなってきた気温も相まって、この上なく無機質で冷たい雰囲気が街を覆っている。

 そんな寒空の下、街道を連れ立って歩く、二人のプレイヤーがいた。男女それぞれ、黒と白の対称な服に身を包んだこの二人のプレイヤーは、イタチとアスナ。向かう先にあるのは、アスナが所属する攻略ギルド、血盟騎士団の本部がある。

 

「あの人が俺を呼び出すとは……先日の攻略騒動に関する事情聴取でしょうか?」

 

「ううん、それに関しては、私がきちんと説明したわ。原因は……ギルドの一時退団を申請したことなの。以前から、ギルドとはちょっと距離を置きたいと思ってたんだけど……勿論、解放軍との協議が、予想より早く決着が着きそうだったから申請したんだよ。でもそしたら、団長がイタチ君との立ち合いを望むって言いだして……」

 

「……」

 

 アスナが希望する、一時退団とは即ち、攻略組の指揮を放棄するということであり、ゲーム攻略そのものの停滞を招くことに繋がる。攻略組に属するイタチとしては止めるべきなのだろうが、アスナの内心を知った今となっては、反対することはできない。

イタチの推測だが、恐らくアスナはここ最近、ギルド内部で相当に息苦しい思いをしていると考えられる。先日の護衛――クラディールの一件からも分かるように、血盟騎士団にはアスナを神聖視する輩が多い。数少ない女性プレイヤーであり、「閃光」の二つ名を持つ実力者でもあり、高い指揮官適性を有するアスナ。リアルでもそうだったが、そんな彼女を色眼鏡で見る人間は、老若男女を問わず山ほどいた。そして、デスゲーム開始と共に閉鎖されたこの世界の人口は、男性プレイヤー――それも大凡アスナより年上の――が過半数を占めている。相談できる同性の話し相手も少ない中、四六時中そんな視線に晒されていれば必然的にストレスも溜まる。攻略の鬼と呼ばれるまでに刺々しい性格になってしまった原因の一端も、そこにあるのかもしれない。そして、それが原因となって、ギルド内の空気の悪化に繋がるという悪循環を生みだしていたとも考えられる。

いずれにせよ、ストレスを溜めこんでいることだけは明白なわけなのだから、アスナにも休暇を与えても問題ない……否。与えるべきであると、イタチは考える。だが、それを申請したところ、何故自分の名前が出てくるのか。考えられることは、ただ一つ。

 

「……アスナさん。まさかとは思いますが、ギルドを脱退した後、俺とパーティーを組もうと考えてはいませんでしたか?」

 

「うん……そうだよ」

 

 思い上がりなどではなく、自分が呼ばれる原因として考えられたことに関する問い。そして、対するアスナは、控え目に頷いた。

 

(それは反対するだろう……)

 

 アインクラッドにおいて、アイドル的な知名度と人気を持つアスナが、休暇を異性と……それも、悪名高いビーターと過ごすなどと知られれば、相当なスキャンダルである。悪くいけば、攻略組の士気の低下に繋がる。悪評を鵜呑みにせず、イタチの事情・性格を把握した人間も攻略組にも少なからずいるが、クラディールのようにビーターという存在を快く思わない人間は未だ多い。もとより、ネットゲーマーとは嫉妬深いものなのだから、イタチとアスナがプライベートで行動を共にしているなどと知られれば、波紋を呼ぶことは間違いない。血盟騎士団の団長が、イタチを呼び出したのも当然のことと言えよう。

 

(これは、また説得が必要だな……)

 

 アスナが何故、自分にここまで入れ込むのか。その感情が全く分からないわけではないイタチだったが、かといって素直に受け入れるわけにはいかないと考える。今回の会合において、血盟騎士団の団長はじめ、幹部に事情を説明することはもとより、アスナにも自分とパーティーを組むのはやめるよう説得せねばならないだろうと考える。

だが、ここ最近のアスナは、どこかイタチの知っているアスナではない。イタチの知るアスナは、リアルにおいて生徒会長を務める優秀な人物ではあったが、自己主張に乏しい……人の後ろに隠れているような面があった。だが、このゲームに囚われてからアスナには、自分の意思を貫くための、信念とでも言うべきものが形成されたと、イタチは感じる。人間としての成長と言うべき、喜ばしい変化なのだろうが、説得して主張を抑え込むことが困難になったことには、素直に喜べないイタチだった。

 

 

 

 街道を歩くことしばらく、二人連れだって歩いていたイタチとアスナは血盟騎士団本部へと到着した。二人が招かれたのは、円形の部屋。中央には半円形の巨大な机が置かれ、弧を描いて並んだ椅子に、五人の幹部プレイヤーが座っていた。その中央に腰掛ける深紅のローブに身を包んだ人物こそが、血盟騎士団団長にして、イタチと並び称される最強のプレイヤー、ヒースクリフである。剣士というより、学者……もっと言えば、教授と呼ばれても不思議ではないその容貌で、しかし真鍮色の双眸に宿った光には、歴戦の剣士を思わせる威圧感を宿していた。

 

「久しいな、イタチ君。君と会うのは、いつ以来かな?」

 

「最後に会ったのは、六十七層のボス攻略戦の時だと思います」

 

「そうか……あれはつらい戦いだったな。我々も危うく、死者を出すところだった。だが、犠牲者無しで勝利を収められたのには、君の活躍が大きい。我々攻略ギルド一同、君に感謝しているのだよ。先日の軍の暴走を止め、犠牲者を最小限に抑えたのも、君のお陰だと言うじゃないか」

 

「身に余るお言葉です。それより、アスナさんの脱退に関してですが……」

 

 互いに謝辞を述べると共に、脱線しかけた話題をイタチが修正する。すると、ヒースクリフも無関係な世間話に突入しかけたことに自嘲したような笑みをふっと浮かべ、常の真剣な表情へと戻る。

 

「そうだったね。済まない、話の腰を折ってしまった」

 

「いいえ、お気になさらずに。それより、彼女の一時脱退に関して俺を呼び出したということは、脱退後に彼女が組む相手に問題があるということでしょうか?」

 

 一気に核心に迫ったイタチの問いに、対するヒースクリフは苦笑する。無表情で平坦なイタチの口調からは、その内心を読むことは困難である。しかし、捉えようによっては、自分がパーティーを組むのに文句があるのか、と言っているようにも聞こえる。四人いる幹部の内、二人程そのように受け取った様子だった。

 

「最強ギルドなどと呼ばれているが、我々も常に戦力はギリギリだ。そして次の階層は、君も知っている通り、第三のクォーターポイント……難易度は、これまでの階層の比では無い筈だ。そんな中、アスナ君のような貴重な戦力を簡単に手放す真似はできない」

 

「お言葉ですが、それ程大事な人材ならば、もっと丁重に扱うべきではないのですか?護衛の人選などが最たる例だと思いますが」

 

「貴様っ!」

 

 イタチの不遜な態度に、幹部の一人が激昂しかける。だが、対するイタチは動じた様子もなく、見向きもしない。立ち上がり掛けた幹部も、ヒースクリフが手で制した。

 

「クラディールは自宅で謹慎させている。迷惑をかけたことは謝罪しよう」

 

「確かに、クラディールを護衛に起用するのは俺もどうかと思ったぜ。この際、イタチにやってもらった方が良いんじゃねえか?」

 

「何を言うか!」

 

「ウォンッ!」

 

 ヒースクリフの隣に座っていた幹部の一人、テッショウが、口を開く。他の幹部とは違い、イタチの皮肉に笑って返すばかりか、あまつさえ護衛の任命を勧める始末。当然のことながら、先程激昂した幹部が再び激発する。そして、テッショウに向けられた敵意に反応して、足元に控えていたテッショウの使い魔であるグレイウルフ――名前を「犬」という――が、牙を剥き出しにして吠える。

 

「テッショウ君、君も抑えたまえ。今はそんなことを言っている場合ではあるまい」

 

「ああ、そうだった!悪い、団長。犬、お前も落ち着け」

 

「クゥウウン……」

 

 隣に座る幹部を刺激した上、幹部としてはあるまじき言動を諌めるヒースクリフに、テッショウは頭をがしがし掻きながら反省し、使い魔の犬を宥める。

 

(やれやれ……これでかつては副団長だったのだから、恐れ入る)

 

 ヒースクリフの隣、幹部席に座る茶髪のビーストテイマー、テッショウは第二十五層攻略までの間、副団長を務めた古株の強豪である。難関のクォーターポイント攻略を契機に頭角を現したアスナによって、副団長の座を奪われはしたものの、その人望の厚さは変わらず、幹部の地位にある。

 

「それで団長、どうやって決着を付けるんだ?」

 

「それについては、私に提案がある」

 

 テッショウの問いかけに、ヒースクリフは不敵な笑みをもって答えた。言葉通り、何か思惑があることを臭わせる笑みだ。

 

「イタチ君、欲しければ剣で――二刀流で奪いたまえ。私と戦い、勝てばアスナ君を連れて行くがいい。ただし、負けたら君が血盟騎士団に入るのだ」

 

 ヒースクリフの提案に、アスナは驚愕する一方で、イタチはある程度予想通りといったところなのだろう。僅かに眉を動かした程度だった。まさか、攻略組随一の実力を持つイタチをギルドへ入れることができれば、強大な戦力になることは間違いない。過去にも、血盟騎士団や聖竜連合、ミニチュア・ガーデンといった攻略ギルドがイタチを勧誘したことはあったものの、イタチ自身はそれらを全て拒否してきたのだ。理由は言わずもがな、ビーターとして憎まれ役を買っている自分が所属したギルドの人間に累が及ぶことを防ぐためである。

 最強ギルドと呼ばれる血盟騎士団のリーダーを務めるヒースクリフならば、その辺りの事情も承知の筈である。だが、その辺りのリスクを顧みても、イタチをメンバーに迎えるメリットが大きいと判断したのだろう。先日の七十四層攻略騒動も、イタチがアスナを巻き込んだ部分は大きい。護衛としての責務を弁えているイタチならば、この申し出を簡単には断れないことも計算の内なのだろう。

 

「団長、私は別にギルドを辞めたいと言っているわけじゃありません。ただ、少し離れて、色々と考えてみたいだけです」

 

 当然のことながら、アスナはこの提案には反対する。もとよりこれは、血盟騎士団内部の問題であり、先日の攻略騒動とは無関係である。イタチを巻き込むこと自体が間違っている。故にアスナはあくまで説得に徹し、ヒースクリフに納得させようとする。

 

「…………」

 

 アスナがヒースクリフを必死で説得する傍ら、イタチは沈黙しながらもこの提案に関して思考を走らせる。ストーカー紛いの行為をする男性プレイヤーを副団長という重役を担うアスナの護衛に付けた時点で、血盟騎士団上層部の過失は消えない。故に、この提案を断ったとしても、その責任を追及すればアスナの一時脱退を通すことは不可能ではない。尤も、脱退中に彼女と自分でコンビを組むつもりは無いのだが。

 デュエルを受けるとしても、アスナの一時脱退を条件とすればヒースクリフはそれを受けざるを得ない。故に、どちらを選択してもアスナに必要不可欠な休暇を与えることは可能なのだ。余計な手間を省くのならば、デュエルを引き受けるという選択はするべきではない。

 

(だが、これはある意味好機でもある……)

 

 ヒースクリフという人物は、イタチがマークしている重要プレイヤーの一人である。血盟騎士団団長であり、イタチと同じユニークスキル持ちであることは言わずもがな。もう一つ、あるイタチがその動向を注目している理由がある。

さらに言えば、先日の七十四層攻略前に起きたデュエルで感じた気配の正体も気になっていた。あの気配の正体に血盟騎士団が関わっている可能性が高いからだ。故に、イタチの選ぶ選択肢は……

 

「いいでしょう。その提案、お引き受けいたします」

 

「い、イタチ君っ!?」

 

 常のイタチには有り得ない返事。そんなイレギュラーな発言によって、懸命に説得して解決しようとしたアスナの努力は水泡に帰してしまうのだったが、イタチは見て見ぬふりをした。

 

 

 

 

 

2024年10月20日

 

 イタチとヒースクリフのデュエルは、会合の翌日に取り行われることとなった。場所は、先日開通したばかりの七十五層主街区、コリニア。その中央付近に位置するコロシアムが、今回の会場である。コロシアム入り口の看板には、「生ける伝説 ヒースクリフ VS 二刀流の悪魔 イタチ」と、今回のメインイベントがでかでかと記されている。観客席は、血盟騎士団や聖竜連合といった主要攻略ギルドのメンバーや、新たに開通した階層へ観光に訪れたプレイヤー達が埋め尽くしている。

 攻略組トップクラスの、しかもユニークスキル持ちの実力者二人と戦いともなれば、一際注目を浴びる事は言うまでも無い。だが、デュエル決定から一日足らずでこれ程の人だかりができたのには、血盟騎士団の経理に就いている人間が一役買っていることは言うまでも無い。

 そんな地上の喧騒を余所に、コロシアム控室では、攻略組最強の男との戦いを前にしたイタチが、精神統一するように静かに壁に凭れ掛かっていた。そんなイタチに、苛立ちと心配を綯い交ぜにした声色で、アスナが話し掛ける。

 

「もう……どうして、あんな事言ったのよ!?私が説得しようと思ってたのに……」

 

「あの場合、俺に拒否権はありませんでした。護衛でありながら、ボス攻略にアスナさんを巻き込んだんです。危険行為に及んだ責任を問われても仕方の無い立場にある以上、あちらの提案を拒否することはできません」

 

「それだって、私が勝手に手を出したことじゃない……イタチ君が責任を取る必要なんて……!」

 

「護衛対象の暴走を抑えるのも、俺の任務の内でした。結果はどうあれ、俺が責任を取るべきなのは確かです。」

 

 ヒースクリフとの決闘に至った経緯に関して、自分の護衛としてのミスを前面に出して、当然の義務と主張するイタチに、アスナは複雑な表情を浮かべる。責任感の強いイタチらしい理由といえばそうなのだが、アスナはどうにも納得できない。

 

(イタチ君……あなたは、何を考えているの?)

 

このデュエル自体、イタチは望まぬもので仕方なく引き受けたと言っているが、何か他に思惑があるように思えてならない。問い詰めたとしても、はぐらかされるだけだろう。だが、常日頃表舞台に立つ事を忌避するイタチが、護衛の不手際を償うためとはいえ、このような提案を聞き入れるのには、何か理由がある筈なのだ。

無表情なイタチの内心がまるで見えないのはいつものことだが、今回は胸騒ぎがする。自分の知らぬところで、イタチがまた何か無茶をやらかしているのでは、と心配になる。

 

「それでは、アスナさん。行って参ります」

 

「……頑張ってね」

 

 様々な想いが胸に渦巻いていたが、アスナにできたのは、そう言って試合に向かうイタチを送り出すだけだった。デュエルは初撃必殺モードで行う以上、HP全損などという事態は起こらないだろうし、イタチがそう簡単にやられるプレイヤーではないことは承知している。アスナの懸念は、その先にある。このデュエルの決着が何を齎すのか、知る由も無いアスナには、その行く末を案じることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 試合をするコロシアムへと入場したイタチを出迎えたのは、観客の声援と真昼の日差し。そして、眼前にて赤い鎧を身に纏って静かに佇む最強の男――ヒースクリフ。対するイタチは、常の通り、黒装束に木の葉を模したマークに横一文字の傷が入った額当てを着けた、忍を彷彿させる戦闘装束に身を包んでいた。

 

「すまなかったなイタチ君。こんなことになっているとは知らなかった」

 

「その発言……管理が行き届いていないともとれますよ」

 

「いやはや、手厳しい……ならば、ギルドの綱紀粛正は今後君に一任することにしよう」

 

「既に勝ったつもりですか……それより、そろそろ始めるとしましょうか」

 

 皮肉の応酬もそこそこに、イタチはウインドウを操作してデュエルの申請を行う。ヒースクリフがそれを承認すると共に、お馴染みの開始六十秒のカウントダウンが開始される。

 イタチは片手剣二本を両手に構え、ヒースクリフは右手に剣、左手に盾を持つ。お互い、最初からユニークスキルを行使しての本気の打ち合いをするつもりなのだ。イタチの赤い双眸と、ヒースクリフの真鍮色の瞳から放たれる視線が交錯する中、カウントダウンは遂にゼロへと至った。

 

 

 

 

 

(イタチ君……お願いだから、無事でいて……)

 

 コロシアム入口から、試合の様子を見ていたアスナは、悲痛な面持ちでその戦いを見守っていた。イタチの攻略組としての実力は、指揮官である自分もよく知っているが、今回は相手が相手である。第二のクォーターポイントである五十層攻略時に、強大なボスを相手に、イタチと並んで前線維持を務めた英雄なのだ。

 二人のユニークスキルは、いずれもゲームバランスを崩壊せしめるレベルのものである。それが互いに全力でぶつかり合うのだから、譬え一撃必殺ルールだとしても、下手をすればどちらかが命を落とす結果となってもおかしくない。元凶となった自分がこんなことを願うのは甚だおかしいが、どうか二人とも無事に試合が終わるようにと願わずにはいられなかった。

 そんな、祈るように試合に目を向け続けていたアスナに、ふと後ろから声が掛けられる。

 

「彼なら、大丈夫だと思うわよ」

 

 ふと聞こえた声に、アスナは後ろを振り返る。そこにいたのは、ウェーブのかかった茶髪の女性。血盟騎士団所属の薬剤師、シェリーだった。

 

「シェリーさん……でも、やっぱり……」

 

「きっと平気よ。今までだって、命がけの戦いに身を投じてきた彼なら、あなたが心配するような事態にはならないわ。それに、経緯はどうあれ、今あそこで団長相手に戦っているのは、他でもないあなたのためなのよ。彼が初めて、あなた一人のために剣を振るっているのだから、信じてあげるのが筋じゃない」

 

 年上なのは間違いないが、自分とはそれほど年齢が離れてはいないであろうこの女性の言葉には、どこか達観したものがあった。単純な年齢では推し量れない、人生経験の差を感じさせるシェリーの発言は、アスナの胸に響いた。

 

「……はい」

 

 儚げながら、強い意志を感じさせる瞳で答えたアスナに、シェリーは笑みを浮かべた。そうして二人は、コロシアム入口の向こうで繰り広げられている激闘へ再び視線を向けた。

 

 

 

 

 

 コロシアム中央にて交錯する、黒と赤、二つの影。赤い影は、縦横無尽に高速で振るわれる黒白の刃を正確に、確実に弾き返す。そして黒い影も、赤い影がカウンターで仕掛けてくる斬撃を紙一重で回避する。砂煙を巻き上げながら激しく打ち合う剣士と忍の戦況は、互いに一進一退を繰り返す、微細なバランスの上に成り立っていた。

 

「こうして戦うのは初めてだが……成程、これほどの激しい攻撃ならば、フロアボスが次々倒されていったのも頷ける」

 

「あなたの方こそ、文字通り鉄壁の防御には、付け入る隙がまるで無い」

 

 互いに世辞を交わしながらも、獲物を振るう手は一切休めず、相手の動きへの注意は一瞬たりとも緩めない。ヒースクリフが持つユニークスキル「神聖剣」とは、完全な攻防一体の剣技を実現したスキルである。盾を攻撃に利用できるソードスキルを行使できるほか、何より攻撃・防御の切り替えスピードが、普通の盾持ち剣士の比ではない。防御に回る際には、ソードスキルを中断することすら可能なのだから、本体に攻撃を届かせるのは、容易ではない。

二刀流の使い手であるイタチとて例外ではない。攻略組トッププレイヤーとして、閃光の異名を持つアスナに比肩する勢いで敏捷をゲインして剣を振るっているものの、刃は悉く盾に阻まれ、本体には届かない。ならばと、只管激しい攻撃に晒して神経を削る戦法を先ほどから取っていたが、ヒースクリフの防御は一向に崩れる気配を見せない。

 

(大した防御だ……単純に守りに徹するに留まらず、反撃の隙をも窺っているとは……)

 

 ヒースクリフの実力に対し、素直に感嘆するイタチ。神聖剣というスキルは、ボス攻略で幾度となく見てきたが、こうして合い見えることで改めてその脅威を認識することができる。

 そして同時に、使い手であるヒースクリフ自身も、神聖剣を行使するに足る実力者であることを実感させられる。デュエル開始から五分が経過したが、その間にイタチが浴びせた斬撃は数百発に及ぶ。ソードスキルこそ使っていないが、あらゆる角度から変則的に繰り出されたそれらを一切受け付けない、並外れた集中力・持久力を持つプレイヤーを、イタチはSAOで見たことがない。前世の忍世界ですら、これほどのやり手はそうそういなかった。実力から見て、間違いなく上忍に相当するとイタチは感じた。

 

(埒が明かんな……ならば)

 

 ソードスキル無しの連撃で消耗させて隙を突くつもりだったが、ヒースクリフのプレイヤーとしての耐久力を考えると、この作戦は効率的ではない。小手先だけの技で崩せない相手ならば、力技で攻撃を通すほかない。忍らしからぬ戦法だが、均衡を崩す手段は他に無いとイタチは考える。

 黒白の剣――エリュシデータとダークリパルサーを構え直し、再度ヒースクリフに向かって突進を仕掛ける。両手に握る刃は、光芒を描いていた。

 

「!」

 

「スターバースト・ストリーム」

 

 これまで、ソードスキル無しの変則軌道の斬撃を繰り返してきたイタチだったが、ここに至って奥義クラスの上級技を放ってきたことに、対面するヒースクリフは顔を強張らせ、観客たちは一斉にどよめく。

 

「はぁっ!」

 

「ぐ……!」

 

 流星の奔流が如き勢いで繰り出されていく斬撃を受け止めるヒースクリフの表情に、苦悶が見え隠れする。傍から見れば、まだまだ余裕があるように見えたが、実際はイタチの激しい攻撃に晒されたことで消耗していたのだ。そして、ここに至ってイタチが放った大技は、本人の目論見通りに、戦いの均衡を崩した。

 

(このまま……押し切る!)

 

 十六連撃ソードスキルの猛攻を前に、ヒースクリフは防戦一方。安定していた盾防御も、一撃加えるごとに衝撃で揺らいでいる。スターバースト・ストリームの十五撃目で盾をパリィし、最後の一撃を懐に入れられれば、このデュエルはイタチの勝利である。

 

「はぁぁあっ!」

 

 そして、スターバースト・ストリームの十五撃目。イタチの斬撃が、ヒースクリフの防御を完全に崩した。

 

(ここだ!)

 

 赤い双眸を見開き、右手に持ったエリュシデータを振り翳す。スターバースト・ストリーム最後の一撃。それが、ヒースクリフの頭部を直撃しようとした、その時だった。

 

(む……!)

 

 突如目の前に起こった異変に、僅かに目を細めるイタチ。赤い双眸が捉えたヒースクリフが、システムには有り得ない動きをしたのだ。

 

(これは……)

 

 世界全体が静止したかのような感覚。ヒースクリフに振り下ろされようとしていた刃は、直撃寸前で止まっている。イタチ自身も動けない、刹那の世界の中。ただ一人、ヒースクリフのみが、動いている。弾かれて右にずれた盾が、左へと移動している。エリュシデータの刃を弾くには十分な位置と角度を確保している。

 

そして次の瞬間、世界は再び動き出した。

 

「これで終わりだ」

 

 勝ち誇ったような呟きと共に、ヒースクリフのカウンターが炸裂する。ソードスキルではないが、多技を使って硬直に陥っているイタチに十分なダメージを与えるに足る、的確な突き。いかにイタチとて、完全な死角からの、動けないがために不可避の一撃を捌く事などできる筈は無い。イタチとヒースクリフのデュエルは、この一撃にて決着する――――筈だった。

 

「はっ!」

 

「!」

 

 だが、突発的な、予想不可能のアクシデントに際しても、イタチが思考を放棄することはなかった。ヒースクリフがどうやって回避したかを考えるより早く、死角を突かれており、技後硬直によって動けない現状を即座に把握し、対処に移った。イタチから見て左側に回り込んだヒースクリフに向けて、反撃するべく身体を捻る。身体の回転と共に、左手に握った剣を遠心力に従って振るい、カウンターを仕掛けると同時にヒースクリフの突き出した剣の回避に動く。

 イタチからの思わぬ反撃に驚くヒースクリフだが、対処する術は無い。ヒースクリフの刺突がイタチを穿つのが先か、イタチの振るった刃がヒースクリフを斬りつけるのが先か。刃が交錯する刹那の攻防が、終わりを迎える。

 

「ぐぅっ!」

 

「くっ!……」

 

 ヒースクリフが膝を付いて崩れ、イタチが地面を転がる。そして、デュエルの結果が二人の間の空中に表示される。果たして、勝者は――――

 

『DRAW』

 

 その結果に、コロシアムに詰めかけた観客達はおろか、デュエルを行っていたヒースクリフさえもその表情を驚愕に染める。デュエルの結果は、ドロー……即ち、引き分けである。

初撃必殺モードの勝敗は、最初に強攻撃をヒットさせるか、HPを半減させた方が勝ちとなる。だが、プレイヤーのHPの増減はコンピュータによって正確に計測されている。そのため、相討ちになったように見えても、高確率で勝者が決定するのだ。引き分けという結果は、二人のプレイヤーが完全に同じタイミングでダメージを受けた場合にのみ発生するため、非常にレアなケースである。驚かない人間の方がおかしいと言えるだろう。

 

「結果は引き分け……ですか」

 

 そんな中、真っ先に再起したのは、デュエルを行っていたイタチだった。地面に転がった姿勢からゆっくり立ち上がり、剣を背中の鞘へと納める。もとより、引き分けという結果自体には然程驚いている様子は見受けられない。

 イタチの言葉に、ヒースクリフは正気を取り戻すと同時に、地面に膝をついていた姿勢から立ち上がり、佇まいを直すとイタチに改めて向かい合う。

 

「フム……そのようだ。大変珍しい、実力が互いに拮抗していた結果だが、この場合はどうするべきなのだろうね?」

 

 常日頃、賢者然として落ち着いた様子のヒースクリフにしては、珍しく、僅かながら狼狽しているかのように見えた。イタチはそんなヒースクリフの態度に、しかし敢えて何も言及しようとはしない。

 

「引き分けという結果については、取り決めていませんでした。かと言って、これ以上デュエルをしても仕方ありません。今日のところはこれでお開きに。俺とアスナさんの処遇に関しては、後日改めて話し合いをして決議しましょう」

 

「ウム……すまないね」

 

「いえ、こちらこそ」

 

 最強プレイヤー同士の戦いに決着は付かなかったが、デュエルを行うきっかけとなったアスナの脱退やイタチの血盟騎士団入団についての件に関しては、結局話し合いで決着を付けることとなった。

 その後、ドローという結果に衝撃を受け、この後どうなるのかとざわめいている観客に応えるように、二人は握手を交わした。勝敗こそ決することは無かったが、最強プレイヤー同士の戦いに恥じない、遥か高みの次元にある圧倒的な戦いを見ることができ、観客は満足したらしい。握手をした途端、コロシアムに詰め掛けた観客から一斉に拍手喝采が二人に降り注いだ。

 やがて、血盟騎士団の運営スタッフがイベント終了を告げると共に、イタチとヒースクリフは互いに背を向けてコロシアムを後にした。

互いの顔が見えなくなったところで、二人は各々、被っていた仮面を外すかのように、表情を一変させた。ヒースクリフは、イタチとのデュエルで受けた驚愕と畏怖に目を細め、顔を若干硬直させていた。一方イタチは、いつもの無表情ながら、コロシアムを去りゆくヒースクリフの背中を、目を細めてみつめていた。その赤い双眸に、疑惑とも確信ともつかない光を宿しながら……

 



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第四十五話 紅の殺意

2024年10月23日

 

 SAO最強のプレイヤーと目されるイタチとヒースクリフのデュエルから三日が過ぎた。「引き分け」という珍しい結果に終わった伝説の戦いから、攻略組も中層プレイヤーも、未だ興奮から冷め遣らぬ中、二人の間では戦いの後にある取引がなされた。そしてその結果として、現在のイタチはと言うと……

 

「……やっぱり、ちょっとイタチ君のイメージには合わなかったかな……」

 

「……無理も無いでしょう。ソロで活動していた頃は、四六時中黒装束でしたからね」

 

 テーブルの向いに座り、目の前のイタチに対して違和感を覚えるアスナに対し、イタチ当人は憮然と返した。現在のイタチの服装は、常の黒装束とは正反対の色合い。木の葉を模したマークに横一文字の傷が入った額当ては外している。着用しているのは、アスナと同じ、白地に赤で色取られた、血盟騎士団のユニフォーム。

 イタチとアスナがいるここは、五十五層主街区、グランザムにある血盟騎士団本部。何故イタチが今この場にいて、アスナと向かい合って茶を飲んでいるのか。その理由は単純。イタチが血盟騎士団に入団したからだ。

 

「しかし、アスナさんもせっかくなのですから、お休みになられればよろしいのでは?アスナさんの休暇は、団長との取引で確約されたのですから」

 

「そんなわけにはいかないの。入団した以上、あなたには色々と教えてあげなきゃならないし……そもそも、あなたの入団を取引に手に入れた休暇なんて、楽しめるわけがないじゃない」

 

 イタチとヒースクリフの間に取り交わされた約定は、アスナへ休暇を与える代わりにイタチが血盟騎士団へ入団するというものだった。ヒースクリフは、この予想外の取引に若干の驚きを示していたが、当初の目的である戦力調達はできるのだ。アスナに休暇を与えるとしても、イタチを取り込むメリットは大きいと判断したのだろう。ヒースクリフは取引を快諾し、イタチの血盟騎士団入団が決まった。

 当初、このことを聞いたアスナは当然の如く反発したが、イタチの意思は変わらなかった。ソロプレイに拘るイタチには考えられない選択には驚いたが、入団すると決まった以上、アスナは自分が面倒を見なければならないと感じた。イタチが入団して以降、パーティーはアスナとのコンビで固定されている。

 

「それにしても……本当に良かったの?イタチ君としては、ソロでの攻略にこそ意味があったんでしょう?」

 

「問題ありません。パーティーの結成は、攻略のあらゆる局面で必要とされています。ギルドに所属すれば、その手間も省けるのですから、むしろ好都合です」

 

「……ごめんね。巻き込んじゃって……」

 

 事務的に淡々と入団のメリットを述べるイタチだが、本意ではないのではとアスナは思った。イタチの言う通り、ギルドに所属すれば、パーティーを組むのに苦労する必要は無くなり、攻略における危険は減る。だが、ビーターであるイタチがギルドに所属することになれば、ギルメン達にも累が及ぶことになり、それはイタチの望むところではない。尤も、血盟騎士団に所属するメンバーのほとんどは、ビーターの風評被害に臆するほど軟弱ではないのだが。

 それでもアスナは、自分の脱退を認めさせるという私事のためにイタチを巻き込んでしまったことに負い目を感じずにはいられなかった。

 

「俺の選んだことです。アスナさんには一切の責任はありません」

 

「イタチ君……」

 

 責任を感じているアスナの内心を汲んで、イタチは飽く迄自分の意思であると断言する。遠回しな気遣いだが、アスナにとってはそんなイタチの気持ちが嬉しくもあった。

 と、そこへ

 

「おお、そこにいたか!」

 

 イタチへ向けて、野太い声が掛けられた。振り返った先にいたのは、背中に大斧を背負った、もじゃもじゃの巻き毛の大柄な男性。テッショウと共にヒースクリフと同席していた、幹部の一人である。名前は確か、ゴドフリーといったか。どうやら、イタチに何か用事がある様子だ。

 

「俺に何か御用でしょうか?」

 

「ウム。これより、訓練を行うのでな。私を含む団員四人のパーティーを組み、ここ五十五層の迷宮区を突破して五十六層主街区まで到達するというものだ。お前にも、参加してもらうぞ」

 

 宣言されたのは、訓練の実施に際しての参加の要請……否、命令。攻略ギルドではありふれた事だが、アスナには許容できるものではなかった。

 

「ちょっとゴドフリー!イタチ君は私が……」

 

 アスナの抗議に対しても、ゴドフリーは動じない。堂々とした、傲然とも呼ぶべき態度で応じる。

 

「副団長と言っても規律を蔑にしていただいては困りますな。入団する以上は、フォワード指揮を預かるこの私に、実力を見せてもらわねばなりませんしな」

 

「あ、あんたなんか問題にならないくらい、イタチ君は強いわよ!」

 

「アスナさん、落ち着いてください……」

 

 ヒートアップするアスナを手で制するイタチ。内心では溜息を吐きつつも、すっと椅子から立ち上がると、ゴドフリーに頷く。

 

「分かりました。集合場所と時間を教えてください」

 

「聞きわけが良くてよろしい!では、三十分後に、街の西門に集合!ハッハッハッハッハ……」

 

 高笑いしながらその場を立ち去るゴドフリーの背中を見送りながら、イタチも行動を開始する。

 

「イタチ君……私も一緒に行こうか?」

 

「……そこまで心配には及びません。ここから一つ上の階層へ上る程度ならば、時間もそれほど掛からない筈です。」

 

 心配そうな表情を浮かべるアスナに、イタチは肩を竦めつつも、問題無いと答える。

 

「気を付けてね」

 

「はい。それでは後ほど」

 

 それだけ言葉を交わすと、イタチはアスナと別れてギルド本部を出て行くのだった。

 

 

 

 

 

 ゴドフリーに言われた通り、三十分で準備を終えたイタチは街の西門へと到着していた。そこにいたのは、ゴドフリー以外に二人のプレイヤー。両方とも、イタチには見知った顔である。

 

「おっ、イタチか」

 

「久しぶりだな、コナン」

 

 一人は、アスナと同じ細剣使いの男性プレイヤー。中性的な声質の持ち主であるこの少年の名前は、コナン。攻略メンバーの一人として数えられる凄腕剣士であり、頭の切れる参謀あるいは探偵としても知られている。そして、もう一人は……

 

「クラディール……でしたね」

 

 コナンの後ろ側に立っていたのは、先日のアスナと共に迷宮区攻略に挑んだ際、護衛の立場を巡って対立・デュエルにまで及んだ長髪の男――クラディールだった。

 

「……先日は、ご迷惑をおかけしまして……」

 

「いえ、こちらこそ……」

 

 頭を下げて、イタチに対して先日の一件を謝罪するクラディール。敵意を剥き出しにしていたあの時からは想像できない、人格の変貌に、しかしイタチは内心を見せることなく会釈する。

 

「ウム。君たちの間の事情は聞いている。だがこれからは同じギルドの仲間、ここらで過去の争いは水に流してはどうかと思ってな」

 

 豪快に笑うゴドフリーのテンションに、しかしその場にいた三人は今にも揃って溜息を吐きそうな雰囲気だった。

 

「一件落着したところで、そろそろ出発だな。だがその前に、今日の訓練は限りなく実戦に近い形式で行う。諸君等の危機対処能力も見たいので、結晶アイテムは全て預からせてもらおう」

 

 結晶アイテムは、攻略に身を投じるプレイヤーにとっては、緊急時の生命線である。唯一の離脱手段である転移結晶などが最たる例である。一般のプレイヤーが聞けば、無茶苦茶だと思われて当然のゴドフリーの指示に、しかしイタチを含めた三人のプレイヤーは文句を言うことは無かった。各々、ポーチにしまっていた結晶アイテムを取り出し、ゴドフリーが持っていた袋へ全て投入する。アイテムウインドウまで可視化して確認する徹底ぶりで、これでゴドフリー以外の三人は結晶アイテムの使用が完全にできなくなってしまった。

 

「よし、それでは出発!」

 

 準備は整ったとばかりに、五十五層のフィールド目指して歩き出すゴドフリー。それにクラディールが続き、さらにその後を、イタチとコナンも追うのだが……

 

「コナン、分かっていると思うが……」

 

「ああ、問題ない」

 

 前を歩く二人には聞こえない声量で言葉を交わし、すぐさま二人に追いつく。言葉と共に交わした視線は、常時では見ることのない、本気の目。「忍」と「探偵」としての目だった。

 

 

 

 

 

 主街区グランザムを出てから歩く事しばらく。ようやく、目的の迷宮区が近づいてきた。強豪プレイヤーのイタチが所属しているパーティーにしては、非常にゆっくりとした歩調である。原因は、パーティーを率いているゴドフリーが筋力特化型のプレイヤーであるからに他ならない。敏捷に特化したプレイヤーならば、フラストレーションを抱いても仕方の無いペースだが、誰一人文句を言わない。

 

「よし、ここで休憩!」

 

 迷宮区手前の安全エリアに入ったところで、ゴドフリーから休めとの指示が出た。メンバーは各々、手近な岩に腰かけて休み始める。

 

「では、食糧を配布する」

 

 そう言うと、ゴドフリーはウインドウを操作して革袋を四つオブジェクト化して、内三つをメンバーへと投げ渡した。中身は、水の入った瓶と、NPCショップで格安で売っている固焼きパンである。ゲーム攻略に際してはほとんど飲食をしないイタチだったが、貰った手前、食べないわけにはいかない。パンをひと齧りして咀嚼すると、瓶を傾けて水を飲む。ふと、視界の端に、メンバーの一人……クラディールの顔が映った。

 

その口元は、はっきりと歪んでいた――――

 

「うぐぅっ!」

 

「あがっ!?」

 

 そして次の瞬間、瓶を下ろしたイタチの視界に飛び込んできたのは、倒れ伏す二人のプレイヤー。ゴドフリーとコナンである。そして、異変はそれに止まらない。今度はイタチの視界がぐらりと傾いた。全身に力が入らなくなり、仰向けの状態で倒れる。視界左上のHPバーに点滅しているのは、麻痺のデバフアイコン。それが意味するところはつまり、クラディールを除くパーティーメンバー三人は、麻痺毒に犯されたということだ。

 

「クッ……クックックック……」

 

 そして、当のクラディールの方は案の定といったところか。押し殺しているようで、全く隠せていない笑い声を漏らしていた。そしてそれは、徐々に高笑いへと変わっていった。

 

「ヒャハハハハハハハハッッ!!」

 

 悪魔のような、不気味な笑い声を上げるクラディール。聞く者を戦慄させるようなその声に、麻痺で動けない三人はそれぞれ異なる反応を示す。

 

「ど、どういうことだ…………この水を用意したのは……クラディール、お前……」

 

「ゴドフリー!解毒結晶を使え!早く!」

 

 焦りを露に叫ぶコナンの声に、ゴドフリーは未だ現状を理解できないながらも、パーティーから回収した結晶アイテムを詰めた袋に手を伸ばすものの……

 

「ヒャッハァ――――!!」

 

 クラディールは、ゴドフリーが手を伸ばした袋を蹴り飛ばし、それを妨害する。ゴドフリーは未だに目の前で起こっている出来事が信じらない様子で、見当違いのことを呟く。

 

「クラディール…………何の、つもりだ?……これも……何かの、訓練……なのか?」

 

「ゴドフリーさんよぉ……馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、あんた筋金入りの脳筋だなぁ!」

 

 狂気を孕んだ嘲笑と共に、腰に差していた剣を抜くクラディール。そのまま振り上げると、ゴドフリーの背中目掛けて振り下ろす。

 

「ぐあぁっ!」

 

 プレイヤーによる、プレイヤーへの意図的な攻撃。これによって、グリーンだったクラディールのカーソルが、オレンジへと変化した。

 

「やめろ!クラディール!!」

 

 必至の形相で叫ぶコナンに、クラディールは狂気の笑みを顔に張り付けたまま振り返る。地面に倒れ伏すコナンを見るその顔は、面白くて仕方が無いとばかりに歪んでいた。

 

「コナン君よぉ……お前も、名探偵だなんだと呼ばれていた割には、大したことねえよなぁ!」

 

 嘲笑するクラディールに苛立ちが増すが、麻痺に犯された身では抵抗の手段は無い。一通りコナンを馬鹿にして満足したのか、クラディールは手に握った剣を再び振り上げる。

 

「いいか?俺達のパーティーはぁ……」

 

「ぐぁあっ!」

 

 再度振り下ろされる刃に、悲鳴を上げて震えるゴドフリー。クラディールは次に、標的をコナンへと切り替える。倒れ伏すコナンへ歩み寄り、先程と同じ様に剣を振り上げる。

 

「荒野で犯罪者プレイヤーの大群に襲われて!」

 

「うぅっ!」

 

 背中を斬り付けられる衝撃に、コナンは呻く。アバターに痛覚は無いが、攻撃を受けて走る衝撃と、それに伴って減少する己の命たるHPバーが減少する恐怖は耐え難いものがある。

 コナンの反応を楽しんだ後は、最後の標的――イタチへと目を向ける。

 

「ぐぅ……!」

 

「勇戦空しく三人が死亡!」

 

 目の前の命を脅かす存在であるクラディールから逃れんとして、身を捩じらせるイタチ。最強プレイヤーである筈のイタチが、自分程度の相手に手も足も出ない様が、余程痛快だったのか、先の二人以上に高笑いして剣を振り下ろす。

 

「がはぁっ……!」

 

「俺一人になったものの、見事犯罪者を撃退して生還しましたぁ!ヒャハハハハハハッ!!」

 

 自分以外のパーティーメンバー三人を殺害した後、帰還した際の事情説明で、そう答えるつもりなのだろう。筋書きを口にしたクラディールは、さらに高笑いを浮かべる。

 対するイタチは、平時では有り得ない焦りを表情に滲ませながらも、口を開こうとする。

 

「この毒……貴様、笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の生き残りか?」

 

「ほほう……やっぱり、あの討伐戦で殺しまくったビーターは違うねえ!俺の正体どころか、毒の出所まで分かっちまうなんてなぁっ!」

 

 圧倒的優位にあることによる余裕故か、クラディールはハイテンションのままイタチの推測に答えると、左のガントレットを除装した。その腕にあったのは、漆黒の棺桶を模したタトゥーで、蓋にはにやにや笑う目と口。ずれた隙間からは、白骨の腕が飛び出している。見紛う筈も無い……殺人ギルド、笑う棺桶の紋章である。

 

 殺人ギルド『笑う棺桶(ラフィン・コフィン)』――――

 SAO最凶最悪の殺人ギルドとしてアインクラッドに君臨し、攻略組を含めた全プレイヤーを戦慄させたPK集団。PoHと呼ばれた、強大なカリスマと人心掌握術を持った人間によって纏め上げられたこの集団は、ただ只管『殺す』という目的のためだけに活動をしてきた。

 討伐戦が行われたのは、約二カ月前。攻略組と解放軍が同盟を組み、綿密な偵察を行った上で計画された作戦は、しかし内通していた何者かによって情報が漏洩していたために、迎撃態勢を整えていた敵勢相手に苦戦を強いられることとなった。討伐戦の末、攻略組プレイヤーは数人の死者を出し、笑う棺桶のメンバーはその倍以上の人数が命を落とす結果となった。

 

「この麻痺テクも、そこで教わったのよ。さて……そろそろ、止めと行くか。あと二人も残ってるわけだしなぁっ!」

 

「がはぁっ!」

 

 本格的に止めを刺すべく、再度剣を突き立てるクラディールに、しかしイタチは抵抗する術が無い。腹部に刃を突き立てられる不快な感触に、イタチの顔が苦悶に歪む。プレイヤーの命を示すHPの減少と相まって、その恐怖は測り知れない。クラディールは、窮地に陥り絶体絶命の状況にあるイタチの姿を見て、満足そうに笑みを深める。

 

「ほら死ね!死ね!死ねぇえ――――!!」

 

 クラディールの凶刃が、イタチの腹部を抉る。HPはイエローゾーンから、そろそろレッドゾーンへと突入しようとしていた。後少しでイタチはポリゴン片となって砕け散る。この世界からも、現実世界からも永久退場するのだ。その瞬間を想い浮かべ、恍惚の表情を浮かべるクラディール。イタチの死を信じて疑わなかった……そしてだからこそ、“それ”に反応できなかった――――

 

「オリャァァアアアア!!」

 

「んなっ!……ぐぁぁああっ!!」

 

 突如クラディールに襲い掛かり、その身体を吹き飛ばした強大な一撃。何者かの奇襲を受けた事を理解するのには、しばし時間が掛かった。谷間の岩壁に強かに打ちつけられ、砂煙を上げながら地面に落ちた後、イタチがいた方へと視線を向ける。そこにいたのは、黒い和風の装束に身を包んだ、大剣使いのプレイヤーだった。

 

「出てくるのが遅かったんじゃないか、カズゴ?」

 

「文句を言うな。証拠を押さえてから助けに来いっつったのはお前だろうが」

 

「イタチ君!しっかりして!」

 

 麻痺毒が抜けず、未だ地面に仰向けになった状態で、助けに入った者と軽口を叩き合うイタチ。大剣を持ったプレイヤーは、イタチとはよく見知った相手――攻略組プレイヤーのカズゴである。

 そして、カズゴに次いでイタチに駆け寄り、回復結晶を使ってレッドゾーンに突入しかけていたHPを回復したのは、血盟騎士団副団長にして、現在のイタチのパートナーとして行動を共にしている、アスナ。

 だが、現れたのは彼らだけではなかった。

 

「まあまあ。落ち着けよ、カズゴ。イタチが初めて俺達を頼ったんだ。いいじゃねえか、それくらい」

 

「ヨウの言う通りですね。それにしても……イタチも相変わらず、よくもまあ、こんな無茶なトラブルに飛び込みますよね」

 

 イタチのすぐ近く、麻痺で倒れたゴドフリーを介抱している、こちらも同じく攻略組プレイヤーの、ヨウとアレンの姿があった。

 先程突き飛ばされたばかりのクラディールは、突然の闖入者の登場に目を丸くして驚いていた。

 

「な、何故貴様等が……!?」

 

 予想していなかった事態に直面し、思考が働かない中でも、クラディールは剣を杖代わりにして立ち上がろうとする。だが、地に足を付いて、いざ立ち上がろうとしたところで、さらに思わぬ事態が彼を襲う。

 

「か、身体が……!」

 

 次の瞬間に襲ってきたのは、手足に力が入らなくなる感覚。そのまま地面にうつ伏せになって倒れ伏す。その様は、先程三人のプレイヤーが麻痺に陥った時のそれと酷似していた。

 そして、クラディールが視界の端に視線を走らせれば、自身に起こった異変を裏付ける予想通りのアイコンが点滅していた。

 

「ま、麻痺だと!?一体、誰が……!?」

 

「私よ」

 

 自身が麻痺に陥った原因を探ろうとするクラディールに答えたのは、いつの間に接近していた女性プレイヤー。砂煙の向こうから姿を現したのは、血盟騎士団ならば誰もが見知っている顔。ウェーブのかかった髪の彼女は、血盟騎士団所属の薬剤師プレイヤー、シェリーである。麻痺毒が塗られているであろう、緑色に光る刀身をもつナイフを片手に得意気な表情でクラディールを見下ろす。

 

「シェリー……何故貴様が!?」

 

「まだ分からないのかしら?あなた、罠に掛けたつもりが、逆に罠に嵌まったのよ」

 

 一瞬、シェリーの言葉の意味を理解できなかったクラディールだが、自らの置かれた状況を照らし合わせて、彼女が言わんとしているところをようやく悟るに至った。

 

「ま、まさか……!」

 

「そのまさかよ」

 

 得意げな表情で、シェリーはしてやったりと笑みを浮かべて答える。驚愕と絶望が綯い交ぜになったクラディールの表情を見て満足したシェリーは、すぐそこで倒れているコナンのもとへ歩み寄り、解毒ポーションを取り出し、飲ませる。

 

「あなたが殺人ギルドのメンバーだって言うことは、随分前から分かっていたことよ。ただ、証拠が不十分だったから今まで泳がせておいたけど、イタチ君が囮を買って出てくれたおかげで、こうして証拠を取り押さえることができたってわけ」

 

「ま、まさか……俺がそいつを狙うと分かっていて……!」

 

 イタチが入団して以降、PKするための機会を窺っていたことは事実である。だが、まさか自分が殺人ギルドの生き残りと内通していることまで突き止められていたとは、全く思わなかった。

 

「そういうことだ。お前の魂胆なんざ、ハナからお見通しだったってワケだ。俺達が罠に掛かれば、お前はべらべらと喋ってくれると思っていたが、まさかここまで上手く引っ掛かるとはな」

 

 麻痺が抜け、徐々に動けるようになったコナンの言葉。同時に、隣に立つシェリーは二つの結晶アイテムを取り出す。音声を録音するための録音結晶と、画像を記録するための記録結晶である。先程のクラディールの行動を全て押さえたアイテムである。

 絶望に顔を染めるクラディール。さらにそこへ、麻痺によって身体が動かない彼のもとへ現れたのは、先程まで致死寸前だったイタチ。殺害されそうになった時に見せた焦りの表情は演技だったのだろう。何事も無かったように、常の無表情へと戻っていた。

 

「残念だが、貴様はこれで終わりだ、クラディール」

 

「テメエ……この、ビーター野郎がぁっ!」

 

 悔しそうに吠えるクラディールだが、麻痺で動けず地に伏せている状態では、抵抗する術など無い。動けたとしても、この場にいるイタチ含む攻略組プレイヤー全員を相手に勝てる見込みも無い。

 殺人ギルドの生き残りたるクラディールの、完全な敗北。狂気の殺人劇に幕が下ろされた瞬間だった――――

 

 

 

 

 

 クラディールを拘束後、イタチ等攻略組は、その身柄を五十層に駐屯している軍のプレイヤーへ引き渡した。現場に居合わせていたカズゴ達は、クラディールを黒鉄宮へと護送する軍のプレイヤー達を第一層の黒鉄宮にある監獄まで見送るために別れた。そして現在、イタチを筆頭とした、現場に居合わせていた血盟騎士団メンバーは、先日の会議同様、ヒースクリフはじめとする幹部と共に会議室に集まっていた。

 

「まさか、クラディールが殺人ギルドのメンバーだったとは……すまなかったね、イタチ君。迷惑をかけた……」

 

「いえ、お気になさらずに。結果的に、死者は一人も出ずに事態は決着したわけですから」

 

 謝罪をするヒースクリフに対し、しかしイタチは皮肉をもって返す。イタチの小憎らしい言動に、ゴドフリーを含む幹部達は反論できず、不愉快そうな表情を浮かべる。

 

「しかし、監督不行き届きに止まらず、殺人ギルドのメンバーであることにすら気付かず、このような事態を起こしたのは事実です。俺としてはもうあなた達を信用することはできませんね」

 

 カズゴ達に待ち伏せをさせていた以上、最初からイタチにはクラディールの本性が分かっていた筈である。飽く迄無表情で、しかし白々しく話すイタチの態度に、幹部は苛立ちを募らせる。

 

「申し訳ありませんが、これ以上血盟騎士団に所属することは不可能です。今日をもって、ギルドからは脱退させていただきます」

 

 予想通りの申し出だった。イタチはクラディールの正体を暴くためだけに血盟騎士団への入団を承諾したのだ。だが、こうして目的を果たした今、これ以上所属する意味など無い。信用できないと言うイタチの言葉に、ヒースクリフ含め幹部たちは最早言い訳はできなかった。

 

「フム……ここに至っては、もはや言い訳などできんな。了解した。君のギルド脱退を承諾しよう」

 

 流石のヒースクリフも観念したのか、イタチをそれ以上引き留めるような真似はせず、素直に脱退に応じた。イタチがヒースクリフとのデュエルに臨んだ目的は、アスナに休暇を与えるかどうかである。そして、三日程度とはいえ入団した事によって、その条件は確約された。今にして思えば、最初からイタチはこれを狙って血盟騎士団に入ったのではないか、と考えてしまう。

 だが、イタチの要求は、それだけには止まらなかった。

 

「それからもう一つ。アスナさんに即刻、一時脱退の許可を出してください」

 

 イタチからの意外な要求に、アスナを含めたその場にいた全員が驚いた表情を浮かべる。ただ一人、ヒースクリフだけは覚悟していたようで、額に手を当てて瞑目していた。副団長の一時脱退など、そう簡単に認められる筈もなく、幹部数人が激発しそうになるのを宥めつつ、ヒースクリフがイタチに尋ねる。

 

「……確認までに、理由を聞かせてもらえないかね?」

 

「幹部に付けられていた護衛が殺人ギルドのメンバーだったのです。彼女のギルドに対しての不信は俺以上の筈。本来ならば、血盟騎士団に見切りを付けて完全に脱退されてもおかしくありませんが、彼女も責任ある立場です。籍だけは残して、しばらくギルドを離れさせて差し上げるべきだと考えました」

 

 今思えば、アスナは護衛と称された殺人鬼を四六時中連れていたことになる。女性であることも考えれば、精神的ショックは計り知れないだろう。加えて、護衛を指名したのは血盟騎士団幹部である以上、その不信は間違いなくイタチ以上であるのは間違いない。

 

「……分かった。アスナ君の一時脱退を認めよう。」

 

「なっ!?だ、団長!?」

 

 ヒースクリフの決定に、幹部の一人が異議を唱えようとする。だが、ヒースクリフは反論を一切認めず、決定を覆そうとはしなかった。それでもなお、食い下がる幹部に対して、口を開いたのは、

 

「お前ら、いい加減にしろ。あいつを護衛に指名した件は、ここにいる幹部全員の責任だろうが。それで脱退を認めねえってのは、勝手が過ぎんだろ」

 

 立ち上がって喚く幹部を、怒気の籠った声で制したのは、テッショウだった。足元に控えている使い魔の犬も、牙と共に敵意を剥き出しにしていた。

 今までに無いテッショウの剣幕に動揺した幹部たちは、ヒースクリフに無言のまま睨まれると同時に、着席した。

 

「ともかく、これは決定事項だ。イタチ君は脱退、アスナ君は一時脱退とする。彼女が脱退した後は、組織の腐敗を正さねばならんな……テッショウ君、よろしく頼んだよ」

 

「任せてください!」

 

 結局、イタチの要求すべてが罷り通ることとなった報告会。一部の幹部は未だに不満を露わにしていたが、今回ばかりはイタチの言い分が正しい。ヒースクリフの決定に従い、ギルド内の綱紀粛正を徹底する方針を明らかにすると同時に、会議はお開きとなった。

 

 

 

 

 

 血盟騎士団本部正面の通用門から出てくる人影。施設を使う血盟騎士団のギルドメンバーの、白地に赤で色取られたユニフォームではない、黒装束に額当てを付けた少年――イタチである。脱退を表明し、予定通りギルドマスターたるヒースクリフからも許可を得た彼は、本部で用事を済ませてから待ち合わせを約束していた人物のもとへ向かっていた。

 

「その様子だと、交渉は上手くいったようだナ」

 

「待たせたな、アルゴ」

 

 本部の門前でイタチを待っていたのは、メーキャップアイテムで顔にげっ歯類のヒゲを模したペイントを施した女性プレイヤーだった。イタチをはじめ攻略組全員にとっての御用達情報屋プレイヤー、鼠のアルゴである。

 

「トップギルドにレッドプレイヤーが紛れていた、カ。商売道具にすれば、かなり儲かったんだがナ」

 

「そんなことをすれば、攻略組が空中分解することはお前にも分かっているだろうが。言うまでも無いことだが……」

 

「分かってるヨ。こればかりはオイラも黙っとくヨ」

 

 咎めるようなニュアンスで釘を刺すイタチの言葉に、アルゴは常の飄々としたおふざけムードゼロの真面目な表情で答えた。常は金にがめつい情報屋としての面が目立つアルゴだが、攻略組に助力するまともな思考の持ち主であることには間違いなく、攻略組の団結に皹を入れるような真似はしないだろうというのがイタチの認識である。これで攻略組への影響が及ぶ心配は無いだろうと考えたイタチは、依頼していた案件についての確認を取ることにする。

 

「それより、奴の行方は掴めたのか?」

 

「……残念だけど、またどこかへ消えちゃったヨ。相変わらず、姿を隠して暗躍するのは上手いネ」

 

「そうか……」

 

 イタチがアルゴに調査を依頼したのは、今回のクラディールによる殺人未遂事件を裏で糸を引いて操っていた人物の行方である。アスナと七十四層攻略をした折、クラディールとデュエルをし終えた際にその気配を察し、今回の凶行を予測するに至ったのだが、いつもの通り姿を消してしまった。

 

「『地獄の傀儡師』……スカーレット・ローゼス。クォーターポイント攻略前に、とんでもない奴が現れたナ。聖竜連合のハジメは、攻略そっちのけで捜索を続けているケド、オイラの勘ではまず見つけられないヨ」

 

「『笑う棺桶』の殲滅戦の時に討ち漏らしたのは、痛恨のミスだな。乱戦だったとはいえ、奴だけでも確実に始末しておくべきだった」

 

「イタっち……」

 

「奴はPoHと並ぶ天性の殺人者だ。このまま野放しにすれば、いずれまた何かをしでかすだろう」

 

 この世界で決着が付くことは無く、現実世界まで持ち越しになるやもしれない。イタチの前世の忍としての直感が、逃れられぬであろう“赤い”殺人鬼達との戦いが未だ続くことを告げていた――――

 

 

 

 

 

 会議を終えたアスナは、イタチと言葉を交わすこともせず、その場で別れてギルド本部のとある部屋へと向かっていた。本来ならば、お礼か謝罪をしなければならないのだろうが、どうにも話しかけ辛かったのだ。

アスナがクラディールを罠に嵌める作戦を聞かされたのは、四人が本部を出てから少し経った頃だった。同じギルドに所属するシェリーに呼び出されて向かった場所に待っていたのは、カズゴ達攻略組プレイヤー。そのまま事情を説明されたアスナは、今すぐにイタチを助けに行かねばと衝動に駆られた。だが、今アスナが飛び出せば、作戦が台無しになると言い聞かされ、渋々承諾せざるを得なかった。いかにクラディールの化けの皮を剥がすことが目的とはいえ、イタチを危険に晒さねばならなかったのだから、アスナは胸が締め付けられる思いだった。

自分がもっと早くクラディールの本性に気付けていたのならば、イタチが危険を冒す必要も無かった筈。攻略指揮を預かる、副団長などという大層な肩書を持ちながら、何もできず、イタチを危険に晒してしまった自分に、アスナは果てしない無力感を覚えていた。

そんな遣る瀬無い思いを抱いて歩くこと数分。アスナは遂に目的の人物がいる部屋へとたどり着いた。扉をノックすると、「どうぞ」と素っ気ない声が返ってきた。アスナは僅かに躊躇いながらも、扉を開いて部屋へと入った。

 

「シェリーさん……」

 

 アスナを待っていたのは、血盟騎士団の薬剤師プレイヤー、シェリー。この部屋は、シェリーがギルドのメンバーに支給するポーション類を生成するための場所なのだ。部屋に置かれた机の上には試験管やフラスコがたくさん並んでいた。部屋の主であるシェリーは奥の椅子に腰かけていた。

 

「イタチ君からメールで話は聞いたわ。ギルドを抜けられるみたいだけど、やっぱり喜べないって顔してるわね」

 

 会議を終えたアスナがこの部屋へ来る理由について、シェリーは既に把握していた。アスナと然程年の差を感じさせない、精々十八歳くらいであろう容姿でありながら、年齢に不相応な聡明さを備えた彼女の言葉に、アスナはこくりと頷いた。

 

「……イタチ君のことをもっと知りたくて……私なりに、一生懸命やったつもりでした。けど結局、彼に迷惑をかけて、危険に晒して…………」

 

「そう……」

 

 アスナの独白に、シェリーは黙って聞き入っていた。最強ギルドの攻略の鬼として知られ、一時は狂戦士などと呼ばれた彼女だが、その実十七歳の少女なのだ。誰にも分かってもらえない重荷を背負う彼女にとっての相談相手は、同じギルドに所属する同性のシェリーただ一人だった。

 

「……もう、私には、イタチ君に会う資格なんて……無いんです」

 

「……本当に、それでいいの?」

 

 涙をぽろぽろ流しながら話すアスナに、しかしシェリーはいつも通りのクールな表情で、意見を述べていた。

 

「彼が未だに人との関わりを拒んでいるのは事実よ。今回のギルド入団も、クラディールを捕まえるためだけで、その後はすぐに脱退するつもりだったのは間違いないわ。」

 

 淡々とした口調で、しかし真剣な表情でシェリーは続ける。

 

「けどね、そんなことを繰り返していて、彼は大丈夫だと思う?あの子が他者と関わりを持とうとするのは、攻略時のパーティー編成の時くらい。あなたや私、他の攻略組プレイヤーもあの子の味方のつもりでいても、未だに彼をビーターとして蔑む人もいる以上、彼は私達の手を取ろうとはしない。一緒に戦っていても、彼はいつも一人なのよ」

 

「けど、私には何も……」

 

「なら、あなたはどうしたいの?」

 

 アスナの核心に触れるような問いを投げるシェリー。今までより深く踏み込んだ問いを投げる彼女の真剣な眼差しに、アスナは硬直する。

 

「あなたが彼にできることなんて、本当は何も無いのかもしれない……いえ、あなただけじゃない。私やマンタ君だって、アイテムや武器を提供できても、彼を本当の意味で支えることなんてできないわ。それは、皆同じよ」

 

「なら、やっぱり私は……」

 

「けどね、私を含めて誰も諦めてはいないわよ」

 

 再びネガティブ思考に陥るアスナを、シェリーは制して続ける。

 

「攻略組プレイヤーは皆、彼と共に歩こうとしている。彼がいくら拒絶しても、関わることを止めようとした子は誰もいなかったわよ。皆、彼のことを仲間と思っているからこそ、彼にしてあげられることを探しているのよ」

 

「……」

 

「何もできないのは、私も含めて皆同じよ。何もできないことを言い訳にするのはやめなさい。本当に彼のことを想っているのなら、打算で接するよりも、思ったままに、やるべきだと思ったことをやりなさい」

 

 叱りつけるようなシェリーの言葉に、アスナはただ黙って聞き入っていた。思えば、イタチには仲間と呼べる人間はたくさんいるのに、彼自身には何ら変化が無い。それは、彼等もまた、イタチを真の意味で支えるに至ってはいないのだろう。ならば、自分だけが無力感に打ちひしがれているのは甚だおかしい。

 

「……はい。シェリーさん、私、頑張ってみます!」

 

「……なら、やるべきことは分かってる筈よね?」

 

 意地の悪い笑みを浮かべたシェリーに、アスナは苦笑しながらも力強く頷いた。その後、礼を述べた後、アスナは部屋を出て、血盟騎士団本部をも飛び出した。何ができるかを考えるよりも、まず動いてみよう。シェリーとの対話を経て、そう思ったのだ。今まで引っ込み思案で、何をするにも躊躇っていたアスナに起こった、心境の変化である。

 向かう先は、黒の忍こと、イタチのホーム。もう一度、パーティーを組んで、一緒に攻略を行うのだ。断られたとしても、何度でも頼み込むつもりだった。彼の隣に自分が立つ事で、その孤独を埋めるのだ。そして、迷宮区にて実現できた、「黒と白の剣舞」――それを完成させることこそ、自分の目標なのだから。

 



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朝露の少女
第四十六話 彷徨える少女


2024年10月22日

 

 一万人のプレイヤーを虜囚として閉じ込めている監獄たるデスゲーム。残る階層は二十五層。現在の攻略組の戦いの舞台は、第三のクォーターポイントたる七十五層。攻略は迷宮区手前まで完了し、あとは偵察を繰り返してボス戦本番に臨むのみである。

これまでに無い強敵たるフロアボスとの戦闘を前に、緊張の張りつめたプレイヤー達。だが、攻略組代表のヒースクリフから思わぬ通告がなされた。

 

「休暇……ですか?」

 

「ウム」

 

 珍しく動揺した様子のイタチの問いに、しかしヒースクリフは毅然とした態度で答えた。

 

「クォーターポイントである七十五層の攻略の難易度は、これまでの比ではあるまい。そこで、私を含めた攻略ギルド代表者の会議の末、攻略組プレイヤー諸君には、フロアボス攻略戦に向けた準備期間が必要と判断された。よって、これから二週間、攻略組は活動を停止する」

 

 これまでの攻略において取られなかった措置でありながら、しかし会議の場にいたプレイヤーは誰一人として異議を唱えなかった。これまでに無い強敵を相手に準備期間が必要だというのも事実だが、同時に七十五層攻略戦を恐れていたことも事実だった。

 

「それでは、これより二週間、攻略活動の停止を命ずる。攻略組プレイヤー諸君は、各自自由に行動したまえ」

 

 ヒースクリフの言葉によって、その日の会議は解散した。この二週間という期間の間、攻略組プレイヤーは各々の判断で必要な行動を取るだろう。レベリングや装備をはじめ各種必須アイテムの確保にはじまり、精神整理のための休暇まで、選択は様々である。

 

(だが、二週間が経った時、この場から姿を消す人間もいるだろう……)

 

 この休暇を経た時に懸念される事態。それは、戦いに恐怖し、攻略組を脱退する人間の出現である。イタチは勿論、ヒースクリフや他の攻略組幹部も在る程度予想している懸念事項である。攻略を安全かつ確実に行うためには、一人でも戦力が欠けることは避けたいところではあるが、誰も敢えてそれを口にしようとはしない。この猶予期間はいわば、来るべき強敵との戦いに参加し得る人間を選抜するための、覚悟を試す通過儀礼なのだ。

 この二週間の葛藤を経て尚、死と隣合わせの戦場に残ることを選択したプレイヤーのみが、死闘に挑むに値するのだから――――

 

 

 

 

 

2024年10月30日

 

 二週間という猶予を与えられた攻略組プレイヤー達は、イタチやヒースクリフが予想した通り、レベリングや装備調達に向かう者が大部分だった。残りのプレイヤーは、死地に向かう前の最後の休息を各々のやり方で過ごしていた。アインクラッドに来て知り合った仲間達と過ごす者、最後の休暇を中層の観光名所で満喫する者など、時間の使い方は様々である。

 そして、当のイタチが取る行動はそのいずれでもない。現在のイタチのレベルは、『107』。安全マージンを超過し、ゲーム当初にレベル上限と思われていた『100』をも突破している。装備をはじめ、各種アイテムに関しても、ストレージと拠点の両方に常に十分な量を確保していたので、今更調達に動く必要も無い。スキルに関しても、武器系スキルをはじめ索敵・隠蔽といった補助系に関しても、熟練度は完全習得もしくはそれに近い値となっている。そして、忍として大戦に身を投じた前世を持つイタチには、死地に向かう覚悟を決めるための猶予など不要。よって、イタチはこの二週間するべきことは無い……手持ち無沙汰な状態にあるのだ。

 そんなイタチは、今、どうしているかと言うと――――

 

「……アスナさん、無理に付いてこなくてもよかったんですよ……」

 

「だ、大丈夫よ!私だって、役に立てるんだから!」

 

 腕にしがみ付く女性プレイヤーを伴い、深い森の中を進んでいた。今現在、二人がいるのは二十二層の外れにある森の中。彼に同行しているのは、七十四層攻略からパーティーを組んでいた女性プレイヤー、アスナである。

 

「しかし、よかったんですか?折角の休暇なのですから、もっと時間の使い道があったでしょうに……」

 

「イタチ君にだけは言われたくないよ!でも、よりにもよってこんな所に来なくてもいいじゃない……」

 

 目に涙を浮かべながら、イタチの腕を掴む手により力を入れるアスナ。その姿に、イタチはどう声を掛ければよいのか分からない。

他のプレイヤー同様、二週間の猶予を与えられた二人だが、この場所へ来たのはレベリングでも装備の調達でもない。ある依頼を果たすためなのだ。情報屋のアルゴ経由で寄せ得られた依頼とは、この階層に広まった、ある噂を確かめることだった。

 

 

 

その噂が出始めたのは、数日前のこと。二十二層の外れの森に足を踏み入れた木工職人が、『幽霊』を見たと言うのだ。話によれば、その木工職人プレイヤーは、森の中で暗くなるまで木材を拾い集めていたという。そして、いざ帰ろうとした時、近くの木の陰に潜む白い物体が目に入った。発見した当初は、モンスターかと思ったが、どうやら違ったらしい。それは、白い服を着た、長い黒い髪の小柄な少女。プレイヤーだろうと思った木工職人プレイヤーが視線を合わせたところ、その少女の頭上には、SAOのプレイヤーなら必ずある筈の、カーソルが無かったのだ。

 

 

 

これを契機に、二十二層にてカーソルの無い幽霊少女を目撃するプレイヤーが続出した事から、この森は気味悪がられ、誰も足を踏み入れていなくなったという。落ちている木材を独占するために、どこかのプレイヤーが仕掛けた悪戯なのか、それとも新手のオレンジもしくはレッドプレイヤーによる暗躍なのか……その真相は、誰にも分からない。この手の事件は、犯罪者プレイヤーを取り締まるアインクラッド解放軍の管轄だが、現在組織内部で激しい抗争が起こっているらしく、根も葉もない噂に人員を割く暇も無いという。そして、アルゴを通して白羽の矢が立ったのは、二週間の猶予を与えられ、実質手持ち無沙汰となっていたイタチだったというわけだ。

 

「ねぇ……まだ、着かないの?」

 

「……もう少しかかります」

 

 オレンジ、またはレッドプレイヤーが関与している可能性もあった依頼だったため、アルゴを通したこの依頼を引き受けることとなったイタチだったが、最初からアスナを同行させるつもりは無かった。

 

(全く……カズゴもヨウも、余計な世話を焼いてくれたものだ……)

 

 この依頼を受けるに当って、イタチはアスナとパーティーを組むつもりは無く、パーティー自体は休暇に入った時点で一時解散していたのだ。そもそも、この依頼はアスナではなく、カズゴとヨウにパーティー申請をするつもりだった。以前パーティーを組んで攻略をした時に聞いたのだが、二人には霊感と呼ばれる能力があるらしく、現実世界で幽霊を何度も見たことがあると言う。ヨウに至っては、実家が霊媒師を行っているという話だった。まさに、幽霊騒動を解決するのに適切な人選である。だが、二人はイタチの要請を断り、後日何故か依頼の話を知ったアスナが来てパーティーとして同行すると言いだしたのだ。この二人が要らぬ世話を焼いたことは明白だった。

殺人ギルドに通じていたクラディールを捕縛した一件以来、血盟騎士団を脱退したイタチだったが、アスナとのパーティーは継続中だった。これを申し出たのは、アスナ本人である。これに対し当初は困惑したイタチだったが、シェリーなど事件関係者の後押しを受けた末に承諾することにした。血盟騎士団への不信をアスナに適用することで断ることも可能だったが、これをすればシェリーをはじめ攻略組プレイヤーからの制裁が下ることは明らかだったため、実行に移す事はできなかった。そもそも、クラディールの一件に関して、アスナには何も伝えていなかった後ろめたさもあった。そして、アスナがパーティー申請を出したその日の内に、シェリーからアスナを無碍に扱うなと釘を刺すメッセージが届いたのだ。

クラディールのPK未遂事件によってイタチとアスナの関係が、ギクシャクしていたのは明らかだった。カズゴとヨウ、そしてシェリーは、そんな自分達二人の関係改善を図ってアスナを差し向けたのだと、イタチは思った。そのような経緯により、イタチとアスナはパーティーを組むことになった。組むことになったのだが…………

 

「ひっ!……今、何か動かなかった!?」

 

「……野生動物くらい、このエリアにもいますよ」

 

 この人選は完全にミスキャストである。リアルでアスナと同じ学校に通うイタチは、彼女が幽霊や怪談を大の苦手としていることを知っていた。学校の文化祭の際、お化け屋敷の視察だけは他の役員に任せていたことから薄々感じてはいたが、このSAOに入ってそれは確信へと変わった。ホラー要素の強い六十五、六十六層の攻略において、アスナが迷宮区攻略に出ることは無かったからだ。無論、イタチとて依頼の内容を教えていなかったわけではない。幽霊騒動が起きているということは念押しした上でパーティーを組むかの是非を問いかけたのだが、アスナは明らかに無理をした表情で依頼に同行する意志を表明したのだった。

しかし、話で聞くのと現場に立つのとでは事情が違う。幽霊が出没すると噂される森の中へ入って以来、アスナは怯えっぱなしだった。枝葉が音を立てる度に震え、涙目になるアスナを宥めるのに、イタチは一人苦労していた。そして、イタチの服の裾を掴み、びくびくした様子のアスナを伴って歩くことしばらく。ようやく、イタチは依頼にあった場所へと辿り着いた。

 

「ここですね……」

 

「な、何も、いないじゃない!ゆ、幽霊なんて……きっと、何かの見間違いだったのよ!」

 

 木々の枝が空を覆い隠すせいで、昼間にも関わらず薄暗い森の中。アスナは尚も声を震わせて強がっている一方で、イタチは索敵スキルを発動させ、周囲の木々の間に何かいないかと視線を走らせる。

 

「……何も、見当たりませんね」

 

「あ、当たり前だよ!やっぱり、ただの出まかせだったんだよっ!」

 

「そうかもしれませんね。もう少し辺りを調べたら一度引き上げ、夜中に出直してみましょう」

 

「ええっ!?夜にまた来るの!?」

 

「木工職人のプレイヤーが、幽霊らしき影を見たのは夜中です。ならば、同じ時間帯にここを訪れてみる必要はある筈です」

 

「そ、それは確かに、そうだけど……」

 

「……アスナさんは、無理に来なくてもいいですよ」

 

「そ、そんなことないよ!これくらい、平気だもん!うん!」

 

 先程まで、明らかに平気ではなかっただろうと突っ込みたくなるところを抑え、イタチはアスナを軽くあしらって周囲の探索を始める。アスナは、不満たらたらな表情で、しかしイタチからはあまり離れず周囲の草むらを探索する。

 

(幽霊か……本当にいるのか?)

 

 森の中を探索する中、イタチの頭にふとそんな疑問が浮かんだ。イタチのいた前世の忍世界にも、この世界同様、幽霊の話は多数あった。木の葉の暗部として、また暁のメンバーとして各国を巡って任務をこなす傍ら、その手の噂を耳にすることはよくあった。だが、現実問題として幽霊が存在するかどうかの可能性に関しては、この世界とあまり変わらない。いや、カズゴやヨウのように、幽霊を視認できる人間がいる分、こちらの世界の方が可能性は高いかもしれない。

 忍術においては、魂のみの存在となって肉体を離脱し、標的に憑依する「霊化の術」と呼ばれる術が存在する。また、かつて一度死んだイタチを現世に蘇らせた禁術「穢土転生」は、浄土にある魂を現世に口寄せする術とされている。これらの術の存在から、「魂」が存在することは間違いない。何より、イタチのリアルである桐ヶ谷和人の中身は、忍の世界から転生したうちはイタチのものなのだ。圏内事件を解決した折にも、殺された女性プレイヤーの姿を見ている。だが、今回の騒動が100%幽霊の仕業であるという確証は無い。

 

(まあ……もし本当に出てきたら、離脱するほか無いのだが……)

 

 イタチは幽霊の存在を半ば以上確信しているものの、怨霊として頻繁に出没するかについては懐疑的だった。今回の一件についても、完全否定はしてはいないものの、肯定・否定が五分五分といったところだった。捜索をしてみるまで分からないと考えてはいるが、今回の一件は幽霊の仕業ではなく、犯罪者プレイヤーの関与もしくはプレイヤーの見間違いだろうと内心で結論を出していた。万一、本物の幽霊が出現した際には、如何にイタチといえども対抗手段が無いわけなので、転移クリスタルで離脱するほか無いと考えている。尤も、とり憑かれるリスクなどは考慮してはいないのだが。

 

「イタチ君……もう、帰ろうよぅ……」

 

「……そうですね」

 

 辺りの茂みを一通り探索してみたものの、幽霊騒動の手掛かりとなるものは見つからず。アスナも涙目でイタチに帰ろうと訴えかけていたので、ここらで引き上げることにしようと考えるイタチ。腕にしがみ付くアスナを伴い、ぎこちない足取りで街に戻ろうと踵を返した、その時だった。

 

「!」

 

「?……どうしたの、イタチ君」

 

「今、何かがこちらを見た気配が……」

 

「な、何かって……!」

 

 イタチの言葉に戦慄するアスナ。ようやくこの不気味な森を脱出できると思った矢先に、最も恐れていた事態が起きたのだ。冗談だと言って欲しい……そう願うアスナだったが、傍らに立つこの少年がそんなことを言うキャラでないことは自分がよく分かっている。

一方、腕にしがみ付く力を強めるアスナを余所に、イタチは針葉樹の向こうの気配を感じた地点に視線を向けていた。赤い双眸に索敵スキル発動の光を宿し、森の中に潜む何かを探し出そうとする。しばらくすると、木々の向こうを横切る白い影を捉えた。

 

(あれが、噂の幽霊なのか……?)

 

 森の向こうに立つ白いそれは、明らかに人の形をしている。白い服を纏い、黒い髪を靡かせた小柄な少女。全ての特徴が噂に合致するそれは、自分達が探していた人物に間違いない。

 幽霊と思しき少女は、木々の間から姿を現すと、足を止めてこちらに顔を向けてきた。前髪に隠れてその表情は読み取れないが、自分をじっと見つめていることだけは分かった。

 

「ひぃいいっ……!」

 

 隣に立つアスナもまた、イタチの隣で索敵スキルを発動して少女の様子を見ていたのだろう。少女がこちらを見た瞬間、地面に蹲って震えだしてしまった。

 

「…………」

 

 イタチと少女の視線が交錯する。お互い、感情を読み取れない表情でありながら、互いの内心を探ろうとしているようだった。だが、それは長くは続かなかった。森の奥に立っていた少女が突如、地面に倒れたのだ。イタチは地面に倒れた少女をしばらく凝視していたが、やがて少女の元へと歩き始めた。

 

「ちょっ!……イタチ君!」

 

「あの子は幽霊ではなさそうです。近づいて確かめてみましょう」

 

 それだけ言うと、イタチは何の躊躇いも無く森の中を突き進む。アスナもまた、その場に一人残されることを恐れ、渋々付いて行くのだった。

 少女が倒れていたのは、イタチの居た場所から二十メートル程先の地点。イタチは少女から視線を離さず、しかし周囲への索敵も怠らず接近すると、尚も地面に倒れ伏している少女の傍らで膝をつき、少女を抱き上げる。

 

(NPC……いや、プレイヤーか?しかし、カーソルが出ない……)

 

 腕の中で気を失ったままの少女の様子を見たイタチは、疑問を浮かべる。NPCならば、この時点でクエストフラグが立つ筈である。もしくは、イタチが抱き上げたことによる、ハラスメント警告が出る筈なのだ。だが現在、少女に接触したにも関わらず、そのいずれも発生しないのだ。ならばプレイヤーなのだろうか。だが、いずれにせよ、頭上に在って然るべきカーソルが出ないことについて説明がつかない。

 

(NPCでもプレイヤーでもない……人の形をした、存在…………まさか!)

 

 イタチの中で導き出される答え。それは、このSAOというゲームの製作に関わった人間のみが知る情報である。その推測が当たっていれば、目の前に現れた謎の少女についても全て納得できる。ならば、自分がすべきことは……

 

「……プレイヤー、なの?」

 

 そこまで考えたところで、傍らに立っていたアスナによって思考は中断された。視線を少女からアスナの方へ移すと、イタチは口を開く。

 

「幽霊ではないことは確かですね。しかし、カーソルが出ないことが妙です」

 

「本当だ……何かのバグかな?」

 

 プレイヤー、NPCを問わず、この世界の動的オブジェクトには必ず付随する筈のカーソルが表示されないことに気付き、訝るアスナ。イタチは、自分が考え至った仮説については口にせず、目の前の少女の異常に関して知らぬふりをする。

 

「おそらくは、そうでしょう。それより、このまま放置しておくわけにはいきません。とりあえず、この階層にある俺の拠点へこの子を連れていきましょう」

 

 目の前の少女について、疑問に思うことは多いが、このまま森の中に止まるわけにはいかない。アスナはイタチの言葉に頷き、二人は少女を連れて森の出口を目指すことにした。

 

 

 

 イタチが二十二層にて購入した拠点は、主街区の外れに建てられている小さなログハウスだった。モンスターは出没せず、プレイヤーも滅多に訪れることのないエリア故に、嫌われ者のビーターの隠れ家として最適と判断して購入した拠点の一つだった。

血盟騎士団や聖竜連合といった大型ギルドは、その組織規模に応じた大型の拠点を必要とするため、購入するギルドホームは、大概が五十層以上から選ばれる。また、その他の攻略組プレイヤーに関しても、アイテムや装備の購入・点検の利便性等を考慮し、大型の主街区をもつ五十層のアルゲートのような街に拠点を置くのが主流となっている。故に、二十二層のような田舎町とも言えるエリアにおいて拠点を買う物好きな攻略組プレイヤーは、イタチくらいだった。

 

「うわー!ここがイタチ君のホームなんだ!いい眺めだねえ!」

 

 南側の窓を大きく開け放って身を乗り出し、その絶景を一望し、感嘆の声を上げるアスナ。そんな彼女の様子にイタチは内心でため息を吐く。

 

「アスナさん、今はこの子を寝室に運ぶ方が先決です」

 

「あ!ごめんごめん……ちょっとはしゃいじゃったね……」

 

 大人気ない行動を恥じつつ、イタチの後を追って寝室へと向かうアスナ。イタチはベッドの傍まで近づくと、抱きかかえていた少女をその上にそっと寝かせた。未だ目を覚まさない少女を心配しながらも、イタチは改めて考察を口にする。

 

「可能性としては、この子はプレイヤーであり、あの森の中に迷い込んでいたというのが一番有り得ることです。」

 

「でも、どうしてあんな所に……」

 

「事情は分かりませんが、見たところの年齢からして、恐らくは保護者がいる筈です。恐らくは、フィールドに出たところではぐれたのではないでしょうか?」

 

 ナーヴギアの年齢制限は、十三歳以上。無論、それを守らずにログインする子供もいるだろうが、それでも保護者に当る家族が共にログインしていると考えるのが自然である。

 

「そうだよね……見た感じ、十歳はいってない……八歳くらいかな?なら、保護者がいて当然だもんね」

 

「俺が出会ったプレイヤーの中でも、最年少なのは間違いありません。それより、この子の保護者がいる階層として考えられるのは……」

 

「はじまりの街、ね……」

 

 第一層主街区、はじまりの街。約一万人のプレイヤー達の死闘が始まった、このゲームにおける最初のステージである。基部として直径十キロという、浮遊城アインクラッドにおいて最も広大な面積を有する階層にあるこの街は、規模も他層の主街区とは比にならない程広い。中央広場は、デスゲーム開始宣告を行うに当って、約一万人のプレイヤー全員を収容できる程の広さだったのだ。

 現在は、かつては攻略ギルドに名を連ねていた、アインクラッド解放軍の本拠地が置かれている。その規模は、攻略組を抜けた現在も、アインクラッド最大の軍勢を擁するに至っている。そんな軍が統治する街には、フィールドへ出る事を諦めたプレイヤーが多数引き篭もっているため、人口もアインクラッド最多とされている。

 

「はじまりの街には、俺の知り合いがいます。連絡を入れ、明日にでも会って、この子の親を探してもらいます。それで駄目ならば、アルゴに連絡を入れ、新聞の尋ね人欄に載せてもらいます」

 

「そうね……それが妥当よね」

 

「ところでアスナさん。もうこの件からは手を引かれてはいかがですか?」

 

「えっ?それって……」

 

 今後の方針がまとまったところで切りだされたイタチの勧告に、アスナは思考が追い付かなかった。目を丸くするアスナをよそに、イタチは続ける。

 

「当初の目的である、幽霊騒動の原因と思しき少女を保護したのです。これで依頼は完了したも同然です。ここから先は、依頼とは関係無い人探しです。保護したのが俺である以上、探すのも俺が……」

 

「却下よ」

 

 アスナを気遣い、この一件から手を引くことを提案するも、きっぱり断られてしまった。予想はしていたことだが、改めて聞くと、溜息を漏らしそうになる。

 

「幽霊騒動は終わったでしょうけど、保護した以上は私もこの子に対して責任を持つべきだわ。保護者探しには、当然私も同行します」

 

「保護者を探すくらいならば、俺でも……」

 

「私もやるの!良いわね!?」

 

「……分かりました」

 

 保護した少女が、このSAOに囚われたプレイヤーの一人でなく、自分が想像している存在である可能性が微かでもある以上、アスナがこれ以上関わるのは、イタチの望むところではなかった。だが、森の中では終始恐がってばかりであまり役に立てなかったので、事後処理に相当する保護者探しで名誉挽回しようと考えているのだろう。この後の仕事から降りるようにというイタチの言葉を聞き入れる様子はまるで無かった。

ここ最近のアスナは例の如く押しが強く、言い出したら聞かないことが多い。意思が強くなったとでも言うべきなのか。とにかく、イタチにとって、以前より説き伏せるのが難しい人物となったのは間違いない。

そんなことを考えているイタチをよそに、アスナはイタチ所有のプレイヤーホーム兼倉庫として利用しているログハウスの中を見渡し、不服そうな表情を浮かべていた。

 

「このログハウス……中が殺風景過ぎない?」

 

「……もともと、持ち歩き切れないアイテムを収容するための倉庫としての用途で購入したホームですから、家具は必要最小限しか置いていません」

 

「それにしたって……そういえば、食べ物とかは置いてあるの?」

 

「……いえ、ありません」

 

 アスナの問いに、ばつが悪そうに答えるイタチ。アスナの反応は予想通り、不機嫌なものとなっていた。

 

「せっかく良いプレイヤーホームなのに……物置代わりに使うだけなんて、勿体なさ過ぎだよ!どうするの!食べ物が無いんじゃ、あの子が起きた時に困るじゃない!?それに、あの子が起きたらどうするのよ!あんな状態で森の中を歩き回ってたんだから、お腹が空いているのは間違いないでしょう!?」

 

「そうは仰られましても、俺は料理スキルを持っていないので……」

 

 アスナの問いかけに、嫌な予感を感じつつ答えるイタチだったが、予感は的中し、苛立ちを露にしたアスナの怒声がイタチへ降りかかる。だが、料理スキルを持っていないイタチには食糧アイテムを集める趣味など在る筈も無い。また、食糧アイテム自体が耐久値の消耗が激しいことから、モンスタードロップやトレジャーボックス経由で入手した場合には速やかに売り払っていたのだ。

 しかし、アスナにとってそんな事情は関係無い。子供を保護する目的のログハウスではないのに、何故こんな叱責を受けねばならないのかと理不尽な気持ちになるイタチをよそに、アスナの説教は続いていた。

 

「言い訳しないの!全くもう……しょうがないわね。私のホームから食材と道具を取ってくるわ。イタチ君は、この子を看ていてあげて」

 

「そんなことをしなくても、主街区で食糧を買えば済む話では……」

 

「良くないわよ!街で買った既成の食糧アイテムの耐久値なんて、一日もつかどうかじゃない。仮に明日あの子が起きたとしたら、今日これから買いに行っても、何も用意できないじゃない。まさか、街へ買いに行くまで待たせるつもりじゃないわよね?」

 

「……いえ、そんなつもりは…………」

 

「なら、あの子のことは任せるわ。私はホームに行くから、きちんと面倒を見ておくのよ。良いわね?」

 

「了解しました……」

 

 先程までの森の中で怯えた姿はどこへやら。フロアボスも泣きだすようなアスナの剣幕に気圧され、言われるがままになるイタチ。そこには、攻略組最強プレイヤーとしての面影も、万華鏡写輪眼を極めた強大なる忍の前世を持つ男としての面影も無かった。

攻略組プレイヤーの中では非常に高い情報力を持ち、攻略や戦闘に関する知識では誰にも負けないイタチだが、娯楽に関連した話題には無頓着な面が多々ある。特に食事に関しては、仮想の空腹感を解消するための『作業』と認識していたことから、食糧アイテムを摂取する回数は少なかった上、その場その場で食べて終わらせていたため、耐久値を気にすることは全くと言っていい程無かったのだ。そのような生活を続けてきたため、食糧アイテムに対する関心は皆無に等しく、これが話題となった際にイタチは情報面で脆弱さを晒してしまう傾向にある。特にアスナは、料理スキルをコンプリートした猛者である。イタチが敵う道理が無い。

 

(やれやれ……)

 

 日に日に自分に対して強硬になっていくアスナに、イタチは気疲れした様子で額に手を当てる。物怖じして他人の後ろに隠れる性格が直ったことは良い事なのだろうが、イタチとしては素直に喜べない。

 

(シェリーめ……余計なことをしてくれたものだ……)

 

 アスナの変化に一枚噛んでいるであろう、目つきの悪い欠伸娘の生意気な表情を想い浮かべ、嘆息する。負い目があったとはいえ、アスナとパーティーを組んだことを、早くも後悔し始めているイタチだった。

 

(だが、今はそんなことより……)

 

 イタチは、アスナの影がログハウスの外、森の向こうに消えた事を確認すると、思考を切り替えてその足を寝室へと向ける。部屋に設えてあったベッドの上では、先程森の中から連れてきた少女が深い眠りについている。その寝顔は、安らかとは言えない、どこか魘されているようにも思えた。

 

(もし、俺の考えが事実なら……彼女はこの世界に生きるプレイヤーの救いになるかもしれない…………)

 

 現状では、飽く迄可能性の話。だが、絶望の尽きないこの世界を必死に生きるプレイヤー達を救う手助けになる可能性。イタチはどうしてもそれを否定できなかった。或いは、それは自分にできないことだったからこそ、期せずして目の前に現れた、何ら確証も無い、希望とも呼べないものに縋り付きたかったのかもしれない。

 

(全く……この地獄を作り出したのは他でもない俺だというのに……)

 

 己のエゴを丸出しにして、少女に無責任な望みを託そうとする自分に、嫌気が差す。己一人で何もかもを背負おうとした前世を持っていたとしても、責任を転嫁しても良い理由になどなりはしない。それを自覚しても尚、自分では救い切れない物を救える希望を、イタチは信じずにはいられなかった――――

 



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第四十七話 ユイ

レッドギルドのパロキャラがまた暗躍しているようです。
まだ分からない方は、土曜夕方のアニメにご注目ください。


2024年10月31日

 

 アインクラッド二十二層の外れにあるログハウス。朝の到来を告げる日の光が窓から差し込む中、腕を組んだ状態で椅子に座ったまま眠っていたイタチは、ゆっくり目を開いた。

 座ったまま眠るその姿には、隙と言うものが全く感じられない。索敵スキルと、前世にて培った忍としての危機察知力の両方を常時発動させることで、どれだけ微かな異常にも反応し、必要とあらば、即座に抜剣できるよう武器を傍らに立て掛けている。

 昨日、身元不明の少女を保護したイタチは、アスナと少女を寝室のベッドに寝かせ、自分はリビングに用意した椅子に座ったまま夜を明かすこととなった。

 

(結局……何も起こらなかったか……)

 

カーソルが無いという、バグとしか形容できない異常を内包した少女であり、プレイヤーと考えられるものの、その正体は一切不明。そのため、イタチは警戒レベルを最高まで引き上げていたのだ。だが、一晩経っても、忌避していたような異常事態は起こらず、取り越し苦労となった。

現在時刻は七時五十九分。あと十数秒で八時である。今日はあの少女の身元を探るために、はじまりの街へ行かねばならない。アスナにもそろそろ起きてもらおうと考え、イタチは椅子から立ち上がると、軽く伸びをして寝室へ向かおうとする。と、その時だった。

 

「!?」

 

 イタチの耳に、突然聞こえてきた声。否、人間が発する音に間違いないが、これは口を閉じた状態で鼻歌のように歌う――ハミングである。ほんの微かなメロディーだったが、イタチはそれを聞き逃さなかった。即座に音の出所を探ると、アスナと少女が寝ている筈の寝室に行き着いた。そして、新たな疑問が生まれた。

 

(馬鹿な……聞き耳スキルを持たない俺に、何故部屋の中の音が聞こえる……?)

 

 SAOのシステム上、扉のしまった部屋の中の音声は、外にいる人間には聞こえない。「聞き耳スキル」と呼ばれるスキルを習得している限りはその限りではないが、十二あるイタチのスキルスロットには、そのスキルは存在しない。故に、寝室の中から音声が聞こえるなど、有り得ないのだ。

 

(…………)

 

 警戒レベルを最大まで引き上げると、イタチは椅子に立て掛けていた剣を手に取る。それと同時に、俊敏な動作で、しかし一切音を立てずに寝室の扉へと近づく。想定外の事態に直面しても、イタチは冷静な姿勢を一切崩さない。迂闊に扉を開くことなどはせず、部屋の中の気配、とりわけ敵意・殺気に注意を払いながら、しかしこちらの存在は気取らせないよう、扉を開く。

 

(やはりハミングの出所は、あの少女か……)

 

 扉の隙間から部屋の中の様子を窺うが、緊急の危険が無い事は分かった。しかし、システム外の現象を起こしていることは間違いない。ベッドの上でアスナと並んでいる少女から視線を離さず、イタチは接近を試みる。そして、まずは傍で寝ているアスナを起こす。

 

「アスナさん、アスナさん、起きてください」

 

「んん……イタ、チ……君?……あれ、この歌は……!」

 

 隣でハミングを奏でる少女に気付いたのだろう。驚いた表情をするアスナの機先を制して、声を上げないよう無言で呼び掛ける。アスナにはベッドを抜け出て、イタチの隣に立ってもらった。薄手の寝間着姿のままだが、そんなことを言ってはいられない。

 

「イタチ君、これって……」

 

「これが聞こえたので、俺は部屋へ入ってきました」

 

「ちょっと待って……このハミング、私の起床アラームに合わせてるわ……」

 

「本当ですか?」

 

 またしても、疑問が生まれた。プレイヤーの起床アラームは、本人にしか聞こえないものである。隣で添い寝していたとしても、聞こえるものではないのだが、目の前の少女はそれに合わせているのだ。

謎ばかり増やす少女を前に、どうするべきかと逡巡するイタチだったが、先に動いたのはアスナだった。迂闊に少女を刺激するべきではないと言おうとするも、アスナはイタチの制止を掛けようとする様子に目もくれず、少女へと手を伸ばした。

 

「ねえ、起きて……目を覚まして」

 

 軽く揺すってのアスナの呼びかけに答えるように、少女の瞼がゆっくりと開かれていく。天井を見つめていた少女の瞳は、やがてアスナの方へ向けられた。

 

「よかった……目が覚めたのね。自分がどうなったか、分かる?」

 

 目覚めてみて、いきなり見知らぬ女性が現れれば、警戒心を露にするかもしれない。傍らに立っていたイタチはそう思ったが、幸い少女にはその様子はなかった。アスナの問いに対し、少女はふるふると首を横に振り、否定の意を表した。

 

「そう……お名前は?言える?」

 

「な……なまえ…………私の、なまえ……は、……ゆ、い……ゆい。それが……なまえ。」

 

「ユイちゃんか。良い名前だね。私はアスナ、この人はイタチよ」

 

 名前だけは言えたので、一先ず安心するアスナ。次いで、自分の自己紹介と、隣のイタチの紹介を行う。

 

「あ……うな。い……ち」

 

 たどたどしく、二人の名前を反駁する少女に、アスナは少々困ったような顔をする。イタチは相変わらずの無表情である。見た目からして、八歳程度かと思っていたが、見た目以上の幼さを想わせる口調だった。

 

「ね、ユイちゃん。どうして森の中にいたの?どこかに、お父さんかお母さんはいない?」

 

「…………分かん、ない……何にも、分かんない…………」

 

「そんな……」

 

 どうやら、アスナは少女に起こった事態を軽く見ていたようだ。森の中にいた理由はおろか、両親のことすら、何も思い出せないこの現状。おそらく、このユイと名乗った少女は、この世界に来て何か怖い想いをして、記憶喪失となってしまったのだろう。そう考えると、アスナにはどう接すれば良いのかわからず、また少女の事を想うと悲しくなってしまった。

 どう言葉を紡げばいいのか分からず、顔をそむけたアスナをフォローするべく、今度はイタチが口を開いた。

 

「ユイ……だったか」

 

「?……うん」

 

 少女を警戒させないよう、常の無表情を幾分か柔らかくするよう意識して声をかける。対するユイには、怯えた様子は無かった。

 

「俺はイタチだ。」

 

「い……ち」

 

「イタチ、だ」

 

 イタチの駄目だしに、ユイは難しい顔をすると、再び口を開いた。

 

「……いっち」

 

「…………難しいなら、好きに呼べばいい」

 

 言いやすいように呼ばせておくと、某鼠の情報屋のような名前で呼ばれかねないため、イタチは好きなように呼べと言う。多分、「お兄ちゃん」とでも呼ばれるのだろうと考えていたイタチだったが、次の瞬間にユイの口から出た言葉に硬直することとなる。

 

「……パパ」

 

「…………俺が?」

 

「あうなは……ママ」

 

 その言葉に、アスナもイタチ同様衝撃を受ける。どう答えるべきか逡巡するも、ユイの不安そうな表情を見ると、迷いは消えてしまった。

 

「そうだよ……ママだよ、ユイちゃん」

 

 その言葉を聞くや、先程までの不安そうな表情はどこへやら。満面の笑顔を浮かべ、瞳をきらきらと輝かせてアスナに抱きついた。

 

「――パパ!ママ!」

 

 いつの間にか父親にされてしまったイタチ。忍時代にも経験した事の無い事態に硬直していた思考をどうにか再起動させて、弁明するかのように言葉を紡ごうとする。

 

「……いや、俺は……」

 

「イタチ君」

 

 だが次の瞬間には、ユイの呼称を否定しようとした言葉を引っ込めることとなる。原因は、ユイを胸に抱くアスナが、イタチの方へ向ける“凄まじい笑顔”だった。笑っているようで笑っていない、威圧感満点のアスナの表情を前に、さしものイタチも口を開けない。

 

「……いえ、何でもありません」

 

「ならよかった。それじゃあユイちゃん、ご飯にしよう」

 

「うん!」

 

 何故こうなった、と心の中で唱えたイタチの問いに、しかし答える者は誰一人としていなかった……

 

 

 

 ユイが目を覚ましたところで、一同はリビングへ移動。アスナだけはキッチンへ向かい、朝食の支度を行う。イタチとユイは、昨日の間にアスナが購入してきたソファーに座って料理が来るのを待っていた。

その間、二人の間に会話は無く、ユイがイタチを不思議そうに見つめるだけだった。当初こそ『パパ』などと呼ばれて頭を痛めたイタチだったが、ユイと名乗る目の前の少女の精神を安定させることができるならば、仕方ないと割り切ることにしていた。こうして隣に座ってこちらの表情を眺めている以上、何か話でもしてやるべきかと思ったが、記憶喪失の少女相手に何を話せばいいのか、子守の経験に乏しいイタチにはまるで分からない。そもそも、イタチの知る父親とは忍としての父親であり、ユイが求めている、ごく普通のそれとは全く異なるものであることは間違いない。

イタチからするとやや気まずい沈黙が支配することしばらく、アスナが料理を持ってキッチンから姿を現した。

 

「はい、ユイちゃん、イタチ君」

 

 アスナがユイに用意したのは、甘いフルーツパイ。一方、イタチに用意したのは、サンドイッチである。挟まっている具材は、小麦粉などは使わず、塩を塗してシンプルに焼いた、脂気の無い魚と、キャベツに似た野菜。料理スキルを完全習得したアスナにしては、シンプルな料理である。

 

「アスナさん、これは……」

 

「全くもう……脂っこい料理が苦手なら、そう言ってくれれば良いのに。イタチ君ったら、本当に自分のことは何にも話さないんだから……」

 

 どうやってイタチの嗜好に関する情報を手に入れたのか、一瞬疑問に思ったものの、情報源はすぐに思い浮かんだ。

 

(エギルの奴……余計なお節介を……)

 

 イタチが料理に関する嗜好を話したのは、S級食材であるラグーラビットの肉を売りに掛けた時だけ。つまり、イタチの好みを知っているのは、食材を受け取ったプレイヤーであるエギルのみなのだ。おそらく、イタチとパーティーを組むに当って、得意の料理で友好関係を築くために、アスナに聞かれたのだろう。そのお陰で、好みの料理が出てきたのだから、嬉しいかと聞かれれば否定はできない。だが、本来ならば、アスナと自分は深く関わり合うべきではないと考えているイタチの心境は、複雑だった。

 

「……いただきます」

 

 溜息を吐きたくなる気分だったが、とりあえずは差し出された食事を口にすることにする。小麦粉等を使わずに作ったフィッシュサンドは、通常のものに比べて脂気が無く、イタチ好みのシンプルな味だった。

 

「……美味しいです」

 

「そう。よかった」

 

 無表情ながら、お世辞の無い率直な感想に、アスナは顔を綻ばせる。そんなイタチの反応を見て、ユイはイタチの更に盛られたサンドイッチに興味を示す。

 

「ユイ、これはお前が好きな味とは限らないぞ」

 

「う~……パパと同じのがいい」

 

「……そうか。なら、食べてみるか?」

 

 イタチが差し出したサンドイッチを手に取り、かぶりつくユイ。子供が食べるには、シンプル過ぎる味だと思われたが、ユイは嫌な顔をせず、もぐもぐと咀嚼した後呑み込むと、にっこり笑った。

 

「おいしい」

 

「……そうか」

 

 案外、ユイと自分は食事の好みは同じなのかもしれないと思うイタチだった。ユイはそのまま残りのサンドイッチを食べ終えると、ミルクティーを口にする。そこでアスナは、今日の予定を切りだした。

 

「ユイちゃん、午後はちょっとお出かけしようね」

 

「おけかけ?」

 

「ユイちゃんの友達を探しに行くんだよ」

 

「ともだち……?」

 

 不思議そうな顔をするユイに、アスナはどう説明したものかと若干戸惑いの表情を浮かべる。イタチに助力を乞おうかと考えたものの、彼は対人スキルに関しては当てにならないことは明らかである。

 

「お友達っていうのは、ユイちゃんのことを助けてくれる人のことだよ。さ、準備しよう」

 

 準備というのは、アスナの装備――正確には服――を外出用に切り替えることである。初冬の季節である以上、現在ユイが纏っているワンピースだけでは肌寒い。SAOで風邪をひくことなど有り得ないのだが、アスナとしてはこのままの恰好でユイを外へ連れ出すことはできない。そのため、ユイにウインドウを出してもらい、着替えを行おうとするのだが……

 

「……やっぱり、出ないなあ……イタチ君、どうすればいいと思う?」

 

 通常、SAOのプレイヤーは右手の指を振ることでウインドウを開く。だが、ユイにはそれができないのだ。バグと言えばそれまでだが、これは致命的過ぎる。アスナの問いかけに、イタチは数秒黙考してから、答えた。

 

「右手で駄目なら、左手を振ってみてはどうでしょう?」

 

「……単純だけど、試してみるしかないわね」

 

 イタチが考えたにしては、馬鹿正直過ぎるアイデアに思えるが、今は何であろうと試してみるほかない。アスナはユイに左手を振るよう指示して、実践してみると……

 

「でた!」

 

 嬉しさを隠さずに言ったユイの言葉に、アスナは呆気にとられてしまった。結局、イタチの考えは間違っていなかったのだが。

 

「ユイちゃん、ちょっと見せてね」

 

 いつまでもこのままでいるわけにはいかないと、思考を再起させたアスナは、ユイの右手を動かして、可視モードがあると思しき場所をクリックさせる。途端、ユイが開いたウインドウが、アスナとイタチにも見えるようになった。

 

「な……何これ!?」

 

 それを見たアスナは、驚きのあまり目を見開いて声を上げる。無理も無い。ユイのウインドウには、プレイヤーに付いていて然るべきHPバーもEXPバーが無かったのだ。各種コマンドボタンにおいても同様である。『アイテム』と『オプション』は存在するだけで、他のコマンドは見当たらない。そして何より目を引くのは、ユイのネーム表示だった。そこには、『ユイ/Yui-MHCP001X』と記されていた。

 

(やはり、彼女は……!)

 

 アスナの後でユイのウインドウを覗いていたイタチは、その情報によって、自身が考えていた仮説――彼女の正体に確信を持つこととなった。

 

(だとしたら、記憶喪失は何らかのバグ……権限を取り戻すには、やはり記憶も取り戻す必要があるな)

 

 やるべきことは変わらないと、行動方針を確認したイタチは、アスナを促す。

 

「疑問は多いですが、これもシステムのバグである可能性があります。とにかく今は、彼女の記憶を取り戻すことが先決です。早く準備をして、出発しましょう」

 

「……そうだね」

 

 アスナはイタチの言葉に頷くと、改めてユイのウインドウを操作する。アイテム欄を開かせ、予め用意していたセーターを格納、そのまま装備フィギュアへとドロップさせる。次いで、同系色のスカートと黒いタイツ、赤い靴を次々装備させていった。

 

「わあー……」

 

 おそらくは、これもアシュレイブランドだろうと思われる服装に身を包んだユイは、顔を輝かせ、両手を広げたりしている。自分のコーディネートが喜んでもらえたことに満足そうな顔をしたアスナは、改めて出かけるよう呼び掛ける。

 

「さ、じゃあお出かけしようね」

 

「うん。パパ、だっこ」

 

「……俺が?」

 

 屈託ない笑顔でせがまれ、再度硬直するイタチ。これから向かうはじまりの街は、解放軍のテリトリーである故に、どのようなトラブルに巻き込まれるか分からない。そのため、ユイの世話はアスナに任せて自分は緊急事態のためにフル装備状態で同行する予定だった。だが、ユイがこんなことを頼むとは流石に予想外だった。

 

「……アスナさんにしてもらえ」

 

 故にイタチは、ユイのことはアスナへ任せようとする。決して意地悪などではなく、ユイやアスナの安全を考慮しての提案したのだが……

 

「うぅ……」

 

「ちょっとイタチ君!」

 

 イタチに断られたユイは、目に涙を浮かべて今にも泣きだしそうだ。そんなユイの様子を見て、アスナはイタチへ非難100%の鋭い視線を突き立てる。女二人を相手に完全に悪者にされたイタチには弁明などできる筈もなく……

 

「……分かりました。ユイ、こっちに来い」

 

「わーい」

 

 泣く泣く、ユイの頼みを聞き入れることになってしまった。常の戦闘時と何ら変わらない、黒コートに額当てを纏ったイタチがユイを横に抱く様はかなり違和感があったが、本人は気にせず楽しそうに声を上げていた。

 

「アスナさんも武装をお願いします。第一層は軍のテリトリーですので」

 

「分かったわ」

 

 アスナはイタチの言葉に頷き、アイテム欄を確認した後、イタチと連れ立ってログハウスを出て行った。

 

 

 

 

 

 ログハウスを出て歩くことしばらく。主街区へ続く道中、三人は湖畔に何やらおかしな人だかりに遭遇した。

 

「パパ、あれ何?」

 

「む……何だろうな?」

 

 ユイが不思議そうな顔をして聞いてくるが、イタチも目の前の集団が何をしているのか分からない。だが、集まった人々が掲げている旗には、『がんばれニシダ』、『ヌシを釣れ』などと書かれている。

 

「ひょっとして、釣りの大会か何かかな?」

 

「おそらくはそうでしょう。しかし、俺達には関係ありません。先を急ぎましょう」

 

 そう言って、湖畔の集団の横を通り過ぎようとするイタチ。だが、

 

「パパ……」

 

 腕の中でイタチの服を引っ張るユイ。その視線は、湖畔の集団に向けられていた。

 

「ユイ……俺達には、行くべき場所があるだろう」

 

「うぅ……」

 

 イタチの言葉に対し、不満そうな顔をするユイ。先程は泣き脅しでこうして横抱きすることになったが、これ以上甘えさせるわけにはいかない。父親である以上――本人は認めていないが――イタチは心を鬼にすることも必要であると考えていた。

 

「ほら、行くぞ」

 

「ちょっと待って」

 

 だが、思わぬ人物がユイの援護射撃を始めた。声を掛けたのは、同行していたアスナだった。

 

「アスナさん……まさか、あの集団のもとへ行くつもりですか?」

 

「勿論、単に遊びに行くつもりはないわ。でも、二十二層に暮らしている人達が集まっているなら、ユイちゃんのことについても知っている人がいるかもしれないわ」

 

 意外な盲点を突かれ、押し黙るイタチ。尤もなことを言っているようだが、アスナも目の前で行われている釣り大会に興味があっての提案なのだろう。だが確かに、あれだけの集団ならば、ユイのことを知っている人間がいてもおかしくない。ユイの真の正体を知るイタチにとっては、彼女のことを訊ねるのは意味のある行為には思えない。だが、他のプレイヤーと触れ合う事で、ユイの記憶が戻る可能性が少なからずあることを考えれば、決して無駄な行動ではない。

 

「……分かりました。行きましょう」

 

 納得できない部分は多少あったものの、ここで反論すればまた悪者にされることは容易に予想できたため、アスナの提案にイタチは頷くほかなかった。

 

「ママありがとー」

 

「うん、ユイちゃん」

 

 笑顔で感謝するユイに、微笑むアスナ。仲良し親子モードの二人の姿に、イタチは完全に沈黙してしまっていた。そうして、三人揃って釣り大会の見物に向かうことになり、草原に腰かけている後方の集団に混じることとなった。

 

「それでは、次の挑戦者を募集します!誰か、筋力パラメータに自信のある方、いませんか!?」

 

 このイベントの主催者であろう、眼鏡をかけた初老の男性が、その場に集まっているプレイヤー達に呼び掛ける。どうやら、旗に記してあったニシダという名前のプレイヤーは、彼らしい。しかし、釣りの大会らしいことをしていて、何故筋力パラメータの高いプレイヤーを必要としているのか、見当もつかない。

 そんなことを疑問に想っていたイタチに、横から声が掛けられた。

 

「イタチ君なら、打って付けなんじゃない?」

 

 アスナの言葉に、イタチは内心で嘆息する。確かに、攻略組最強クラスに目されるイタチならば、適役だろう。二刀流というユニークスキルを持っている関係上、スピードタイプのプレイヤーでありながら、筋力値も攻略組の中では上位クラスである。

 

「いや、しかし……」

 

「パパ、がんばって」

 

 アスナに続き、ユイまでもが期待に目を輝かせてイタチを見つめる。イタチはこの手のイベントにはあまり参加したがらない性格である。だが、このままだらだらと時間が経過するのを待っているわけにもいかない。進展が無い以上、自ら行動を起こすほかない。それに、何らかのアクションを起こせばユイの記憶を戻す手助けになるかもしれない。

 意を決したイタチは、座っていた芝生から立ち上がると、プレイヤーを募っていたニシダのもとへと歩み寄る。途中、装備していた額当ては外しておくことにした。

 

「おや、この辺りでは見ない顔ですね。他の階層からお越しになったんですか?」

 

「……はい。イタチといいます。よろしくお願いします」

 

 実際、イタチはこの階層に拠点としているホームを持っていたのだが、普段は最前線の宿屋か五十層のアパートメントで寝泊まりをしている。そのため、他の階層から来たと言った方が表現としては当て嵌まっている。

 

「それじゃあイタチさん。あなたには、主釣りを手伝ってもらいましょう」

 

「……具体的には、何をすれば良いのでしょうか?」

 

「はい。まずは、私が竿を振るって、主をヒットさせます。イタチさんには、その後主を釣り上げてもらいます」

 

 先方を、釣りスキルの熟練度が高いニシダが務め、ターゲットである『主』をヒットさせた後、イタチが交代で前へ出て竿を取り、それを釣り上げる。要するに、釣り竿を使ってスイッチを行おうというのだ。

 

(……システム的には、不可能ではない、筈だが……)

 

 それは、スタッフの一人としてSAO製作に携わったイタチでも確認できなかったことである。ベータテスト当時は、戦闘用のソードスキルの調整に力を注いでいたため、武器系スキル以外の生産系・娯楽系のスキルに関しては、イタチの知らないことが多い。それをまさか、こんな所で試すことになろうとは、思いもしなかったのだが。

 

「それではイタチさん、行きますよ!」

 

 そう言うと、ニシダは竿を手に取り、糸の先に餌をセットする。餌の正体は、赤黒いトカゲ。大人の二の腕ほどはあろう大きさである。

 

(一体、どれだけの大物なんだ……)

 

 あれが餌だとすれば、狙っている『主』と呼ばれる魚の大きさなど想像もつかない。ひょっとしたら、魚などではなく、モンスターなのではと考えてしまう。

 

「それでは、行きますよ……そらっ!」

 

 ニシダの握った竿が勢いよく振るわれ、糸の先に付いた餌たるトカゲが湖へと投げ込まれる。アスナやユイをはじめ、見物に来ていたプレイヤー達の視線が集中する。ニシダの傍に立つイタチも、水面に垂れた糸の動きに集中していた。

 そして、数十秒後、突然、竿の穂先が水中へと深く引き込まれた。獲物がヒットした証である。

 

「掛かりました!あとはお任せしますよ!」

 

「了解」

 

 ニシダにタイミングを合わせ、竿を受け取る。

 

「!」

 

 握った竿は、凄まじい重さを伴っていた。攻略組として鍛え上げた筋力パラメータをもってしても、引き上げるのが困難な重さに、イタチは「主」と呼ばれる標的の難度を改めて思い知る。下手をすれば、竿ごと引き込まれかねないパワーが働く中、イタチはボス戦もかくやというパワーをゲインし、竿を引っ張る。基本がスピードタイプのイタチらしからぬ力技だったが、竿に掛かった獲物は確実に引き上げられている。水面に迫る影を見てそれを確信したイタチは、止めとばかりに一気に竿を引き抜いた。

 

「む……」

 

すると、あまりの重さとイタチの力に耐えられなくなった糸が、遂に切れてしまった。その様子に、その場に集まっていたギャラリーは落胆の声を出す。惜しいところまでいったが、これまでかと諦めの表情を浮かべる一同だったが、当のイタチだけは、竿を片手に水面を睨みつけていた。

 

「イタチ君?」

 

「パパ?」

 

 アスナとユイが訝るが、イタチは二人の方を振り向こうとはしない。何故なら、イタチが発動させていた索敵スキルは、水面に近付いていた影の正体が何かを完全に捉えていたのだから。

 

(来る……!)

 

 そうイタチが確信した途端、水面から浮上する。辺りに水を撒き散らしながら現れたそれは、全高二メートル超の巨大魚。体長に至っては、頭から尻尾にかけて七メートル以上はありそうだ。イタチの予想通り、『主』と呼ばれた魚の正体は、モンスターだったのだ。

 

「に、逃げろぉおおっ!」

 

「うわぁあああ!!」

 

 突然のモンスターの出現に浮足立つ一同。二十二層はモンスターのポップしないフィールド故に、この場にいるプレイヤー達の中には、装備を用意して来なかった人間が過半数である。そうでなくても、これほどの大型モンスターを相手できる程の実力をもったプレイヤーはいるまい。ただ二人の例外を除けば――

 

「イタチさん!早く逃げんと!」

 

 ギャラリーが逃げ惑う中、主を釣り上げた当人であるイタチだけは、その場に立ち尽くしたままだった。ニシダから渡された竿を地面に置くと、背中に掛けていた剣を引き抜き、モンスターに向けて構える。

 

「ニシダさんはそこでお待ちください。今、始末しますので」

 

 後方でイタチを心配して残っていたニシダにそれだけ言うと、イタチは剣を構える。ソードスキル発動のプレモーションである。対する魚型モンスターは、水中から陸へと上がり、イタチに向けて突進を仕掛ける。イタチはそれを確認すると、待機状態にしていたソードスキルを発動させた。

 

「ふっ……!」

 

「ギョォォオオオ!?」

 

 次の瞬間、イタチの剣から迸った光――ライトエフェクトによって、魚型モンスターの五体がぶつ切りにされる。四連続ソードスキル、『バーチカル・スクエア』である。イタチの繰り出した四連続斬りは、魚を下ろすかの如く見事に斬られていた。下ろされた魚の切り身は、地面に落ちると共にポリゴン片を撒き散らして消滅した。

 

「……」

 

 数秒足らずの戦闘にて、モンスターをソードスキル一つで撃破したイタチは、別に何でもないかのように剣を背に掛けた鞘へと納める。その後、アイテムストレージを開いて先程の巨大魚がドロップしたアイテムを取り出す。そして、未だに呆けた様子のニシダの方へ向かうとアイテムを差し出す。

 

「先程の主からドロップしたアイテムです。どうぞ」

 

「お、おお!……これはどうも。しかし、お強いんですなぁ……失礼ですが、レベルは如何ほどで?」

 

「……まあ、そこそこ高い方です」

 

 ニシダの言葉に、返答に窮するイタチ。正直にレベルを話せば、イタチが攻略組プレイヤーであることが間違いなくバレてしまう。ステータスについての質問は、マナー違反に該当する行為であるため、言葉を濁してもニシダがさらに問い詰めることは無い筈だ。そう考え、イタチは適当にはぐらかそうと試みる。と、そこへ、

 

「お疲れさま、イタチ君」

 

 それまでイタチの釣りと無双を見物していたアスナが、労いの声を掛けに近づいてきた。勿論、ユイを伴って。

 

「あれ、アスナさんじゃないか!?」

 

「間違いない……血盟騎士団のアスナさんだ!」

 

「どうしてこんなところに……」

 

 アスナの登場によって、ギャラリー達の先程までの沈黙はどこへやら。血盟騎士団副団長、閃光のアスナの名前は中層プレイヤーの間でも有名らしい。何故このような下層に、攻略組プレイヤーがいるのか、その理由は彼等には見当もつかないが、滅多に会えない超レアな人物に会えた喜びが勝ったらしい。見物人の男性プレイヤー達は一様に喜色を浮かべていた。

 

「ユイちゃん、凄かったね」

 

「うん、ママ。パパ、すっごーい!」

 

 だが、アスナの登場によるテンション上昇も、十秒ともたなかった。アスナをママ、イタチをパパと呼ぶ少女、ユイの登場によって、急速に低下する周囲の温度。硬直すること数秒……次の瞬間には、

 

「「「な、なにぃぃぃいいいいい!!!」」」

 

 湖全体を震撼させる、プレイヤー達の絶叫が木霊する。アスナとユイが驚愕に目を剥く中、イタチはまた一つ厄介事が増え、事情を説明しなければならなくなったことで、額に手を当てて非常に頭の痛そうな表情をしていた。

 



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第四十八話 はじまりの街

 アインクラッド第一層、はじまりの街の転移門は、中央広場に設置されている。二年前、ゲームマスターにしてこの世界の創造者たる、茅場晶彦によってデスゲームの宣告がなされたこの場所は、一万人のプレイヤーを収容して余りある広さをもっている。そんな広場に降り立つ、三人の男女の人影があった。

 

「ようやく着いたね。ユイちゃん、見覚えのある建物とか、ある?」

 

「……ううん」

 

「そっか……じゃあ、もっと他のところにも行ってみようか。イタチ君、早く行くよ」

 

「……了解」

 

 いつになく疲れ切った様子で歩くイタチ。フロアボスを相手にした後ですら、こんな姿は見られないだろう。それほどまでに、先程の湖での騒動は疲弊させられるものだったのだ。

 閃光の二つ名を持つアスナと、イタチと並んで二人をパパ、ママと呼ぶユイの登場によって、湖畔は騒然となった。集まったプレイヤー達は口々に、「あのアスナさんが結婚!?」、「SAOで子供が作れるのか!?」などと口々に呟き、混乱していた。その場にいたのが中層プレイヤーだけだったとはいえ、自分とアスナの関係についてあらぬ噂が立つことは避けねばならないことであり、故にイタチは弁明するのに必死だった。アスナにも目で助けを乞うたものの、最強プレイヤーと目されているイタチが窮地に立たされている様子が珍しかったからか、或いは、今まで自分を除け者にしようとしてきたイタチへの当て付けなのか、アスナはギリギリまで助けに出ようとはしなかった。

 そして、数十名のプレイヤーの誤解をどうにか解くことに成功した頃には、イタチはボス戦以上に疲弊するに至っていたということである。現在、ユイを抱きかかえる役目はアスナへと移っている。

 

「そういえば、はじまりの街にいるっていうイタチ君の知り合いはどうしたの?」

 

「ああ……彼なら、今日はフィールドで狩りをしている筈です。逗留している場所は分かりますので、まずは街を巡ってユイの記憶にある場所が無いか調べましょう」

 

 イタチの提案に頷くと、アスナとイタチは並んではじまりの街を歩きだす。イタチの知り合いである、はじまりの街常駐のプレイヤーとの対面までにはまだ時間がある。ある程度歩くごとにユイに知っている光景は無いかと問い掛けるも、首を横に振るばかりだった。そんな中、アスナが首を傾げてイタチに問いかける。

 

「ねえ、イタチ君……ここって今、プレイヤー何人くらいいるんだっけ?」

 

「生き残っているプレイヤーが、八千人弱。その三分の一程度が暮らしていると聞いています。つまり、少なくとも二千五百人のプレイヤーがいる筈です」

 

「その割には、人が少なくない?」

 

「無理も無いでしょう。なにせ、今は軍のプレイヤーが……」

 

子供達を返して!

 

「「!」」

 

 そこまで言いかけて、しかしイタチの言葉は裏路地から響いてきた、悲鳴にも似た女性の叫びによって遮られてしまった。何事かと振り向く二人。共に警戒心を抱いてはいるが、イタチの方は驚いた様子は無かった。

 

「イタチ君、今のって……」

 

「アスナさんはここでお待ちください。ユイをお願いします」

 

「ちょ、ちょっと!」

 

 アスナの制止を半ば無視して路地裏へと入っていくイタチ。アスナも後を追いたいと考えるものの、ユイを連れている状態では迂闊に動けない。イタチの言う通り、ここで待機しているほか無かった。

 

 

 

 ユイを抱いた状態のアスナを表通りに置いて裏路地へと入ったイタチは、悲鳴の発生源目指して駆け抜けていく。はじまりの街の路地は複雑に入り組んでおり、スピードタイプのハイレベルプレイヤーが走ろうものならすぐに壁に激突してしまうところだが、イタチは服の端すら壁に掠らせない。システム上許容されるギリギリまで敏捷をゲインして疾走し、曲がり角に差し掛かった場合には減速するのではなく壁を蹴って進路変更を行う。ただ高いステータスを持っているだけのプレイヤーでは再現し得ない、その動きは忍者そのものだった。常人では真似できないこの動き、しかし忍としての前世を持つイタチには、造作もないことだった。

 

「子供達を返してください!」

 

 遠くに聞こえていた女性の悲鳴が、よりはっきりと聞こえるようになってきた。距離的に、あと二十メートルも無いだろう。角を数度曲がった後、遂にイタチは騒動が起こっている現場へと辿り着いた。

 まず目に入ったのは、修道女服に身を包んだ女性プレイヤーの姿だった。どうやら先程の悲鳴染みた声を発していたのは彼女らしい。そしてその前方には、何やら複数の人だかりが見えた。

 

「人聞きの悪いことを言わないでほしいな。ちょっと子供達に、社会常識ってもんを教えているだけさ。これも軍の大事な任務でね」

 

「そうそう。市民には納税の義務があるからな」

 

 下卑た笑い声を上げ、修道女服に身を包んだプレイヤーを嘲笑うのは、灰緑色のマントに黒鉄の鎧に身を包んだ集団。ここ第一層に拠点を置いている、アインクラッド解放軍のメンバーだった。

 

「ギン、ケイン、ミナ!そこにいるの!?」

 

 軍のメンバーが行く手を塞いでいる通りの向こうに呼び掛けるのは、修道服に身を包み、眼鏡をかけた女性プレイヤー。その様子を見たイタチは、大体の事情を察する。どうやらこれは、軍のプレイヤーによるハラスメント行為らしい。SAOには、従来のMMORPGにもあった、システムの抜け穴を利用したハラスメント行為が複数存在する。これもその一つ。複数人のプレイヤーが通路に立つことでその行方を塞ぐ、ブロックと呼ばれる行為である。つまり、軍のプレイヤーが固まっている向こうには、この女性の身内に相当するプレイヤーがいるということである。

 

「サーシャ先生!」

 

「先生、助けて!」

 

 案の定、通りの向こうからは、サーシャと呼ばれた女性プレイヤーの声に反応して、助けを求める声が返ってきた。声色からして、子供だろう。サーシャと言う名前のプレイヤーに心当たりがあった。ここはじまりの街で、行き場の無い子供達を保護しているプレイヤーであると、イタチは第一層探索のために頼ろうと考えていた知り合いから聞いていた。ということは、向こう側にいるのはサーシャが保護している子供達であろうか。

 

「お金なんていいから、全部渡してしまいなさい!」

 

「先生……それだけじゃ、駄目なんだ!」

 

 不安そうな少年の声を聞いたサーシャとイタチがどういう意味だと訝る。金目的でこのようなマナー違反行為を働いているのは容易に予想できたが、その上何を要求しているのか。それに答えたのは、相変わらず下品な笑みを浮かべた軍のメンバーの一人だった。

 

「あんたら、ずいぶん税金を滞納してるからなぁ……」

 

「装備も置いてってもらわないとな。防具も全部……何から何までな」

 

 つまり、この徴税部隊とでも呼ぶべき兵士達は、着衣すべてを解除しろと要求しているのだ。その意味を察したサーシャの目に、怒りの炎が宿る。イタチもまた、解放軍の兵士達に対して侮蔑を込めた視線を送っていた。

 

「そこを……そこをどきなさい!さもないと……!」

 

 腰に差した短剣に手を伸ばし、今にも斬りかからんばかりのサーシャに、しかし兵士達は全く怯む様子がない。当然と言えば当然だろう。圏内ならば、どのような攻撃を受けてもHPが減少することはないのだから。

 殺気を放つサーシャと、その前に余裕の表情で立ちはだかる兵士達。両者ともに動かない硬直状態が続く中、イタチがその場に介入する。

 

「あ?何だ、お前は?」

 

「見ない顔だな……まあいい、お前にも税金を支払って……」

 

 黒衣の戦闘服に身を包んだイタチの登場に、しかし兵士達はやはり余裕を崩さない。それどころか、新たな獲物を見つけたと言わんばかりの表情でイタチからも税金を巻き上げようとするのだが、

 

「がぁあっ!」

 

 それを最後まで言うことは叶わなかった。イタチの正面、一番近くに立っていた兵士が、突如横薙ぎの一撃を食らって吹き飛び、他の兵士を巻き添えに地に崩れたのだ。光芒を伴うその剣撃は、初級ソードスキル『ホリゾンタル』である。

 

「なっ!き、貴様……」

 

 イタチが繰り出したソードスキルの不意打ちに、しばし呆然としていた兵士達だったが、次の瞬間には剣を抜いてイタチへ斬りかかろうとする。だが、イタチは抜剣する余裕すらも与えない。

 

「ぐへっ!」

 

「ぐはっ!」

 

「ぼほっ!」

 

 ホリゾンタルを次々に繰り出し、右に左に兵士達を吹き飛ばして歩を進めるイタチ。その赤い双眸には、兵士達の姿など映ってはいなかった。圏内とはいえ、ソードスキルを食らえばHPは減らずとも衝撃で吹き飛ばされることはある。そして、攻略組として強大な筋力ステータスを持つイタチが繰り出すソードスキルは、下層のプレイヤーが太刀打ちできるような生易しいものではない。初級技とはいえ、直撃を食らえば自動車に撥ねられたが如く吹き飛ばされるのは必定だった。四人ほど吹き飛ばしたところで、ようやく剣を手に斬りかかる兵士が現れるも、イタチはそれを軽く回避してカウンターで同様に吹き飛ばす。七、八人ほどの兵士を薙ぎ倒したところで、遂にブロックの被害に遭っていた少年たちのもとへの道が開けた。

 

「道が開けたぞ。早く迎えに行け」

 

「え?……あ、ハイ!ありがとうございます!」

 

 イタチが解放軍相手に繰り広げた無双に唖然としていたサーシャだったが、その一声で正気に戻る。イタチに軽く頭を下げて礼を言うと、その横を通って少年達のもとへと小走りに駆けつける。

 

「サーシャ先生!」

 

「皆、もう大丈夫よ。早く装備を戻して」

 

「うん!」

 

 サーシャは未だに不安そうな子供たちを落ち着かせ、ウインドウを操作させる。その様子をみて、イタチは内心でほっと一息吐く。だが、

 

「ぐぐぅ……貴様、我々解放軍に盾突くとはいい度胸だ。存分に相手してやるから覚悟しろっ!」

 

 イタチに吹き飛ばされた兵士の一人が、剣を杖代わりに立ちあがり、ポーチから笛のようなアイテムを取り出した。そして、息を深く吸い込むと、思い切りそれを吹く。『ピィイ――――』という音が裏路地に響き渡った後、他のエリアに待機していたであろう、軍のプレイヤー達がぞろぞろと大量に押し寄せてきた。

 

「こうなったら、タダじゃおかねえ!お前等全員圏外に連れ出して、痛い目に遭わせてやる!」

 

 イタチやサーシャがいる場所の正面を塞ぐ軍のプレイヤー達。先程までブロックしていた人数と合わせて、三十人弱といったところだろうか。各々、剣を手に今にも斬りかからんと構える姿に、イタチの後方にいたサーシャや子供たちが恐怖する。対するイタチは、呆れた様子で再び剣を構えた。圏内戦闘ではHPが減ることはなく、攻略組最強プレイヤーと目されるイタチならば、下層プレイヤーがどれだけ束になっても負けることはない。ただ、人数が人数であり、これを全て排除するにはそれなりの時間と労力を要する。解放軍には攻略組に相当する実力者も何名か在籍しているが、目の前の徴税部隊ははじまりの街でしか活動したことがないためか、イタチのステータスや実力を、数で押せばどうとでもなると単純に考えているようだ。早く片付けてアスナと合流せねばならないが、後ろのサーシャ達を見捨てていくわけにはいかない。少々手間だが、やはり全員叩き伏せるしかないと再度剣を構えた。

 

「何やら騒がしい気配がしたから来たでござるが……解放軍が、市民を寄って集って袋叩きにするとは、感心しないでござるな」

 

 だが、そこへさらなるプレイヤーが現れる。左頬にある大きな十字傷が特徴的な、短身痩躯で赤髪の、着物を纏った優男。防具は一切纏っておらず、線は女性と見紛うほどの細さで、一見朗らかな人物に見える。腰には武器であろう、刀が差してあり、刀使いのプレイヤーであることが分かる。

 新たに姿を見せたこのプレイヤーに、しかしイタチやサーシャ、子供たち、そして軍の兵士達は、見覚えがあった。

 

「ケンシンさん!」

 

「ケン兄ちゃん!」

 

「ケンシン……街に戻っていたのか」

 

 ケンシンと呼ばれた侍姿のプレイヤーに、サーシャと子供達は喜色を浮かべ、イタチは意外そうな顔をする。

 

「イタチ殿、久しぶりでござる」

 

「今日は狩りで夕方まで帰らないんじゃなかったのか?」

 

「そういう予定でござったが……アルゴ殿から、サーシャ殿や子供達が狙われているという情報を受けて戻ってきたでござる。まさか、イタチ殿までいるとは思わなかったでござるが……」

 

 軍の集団越しに会話するイタチとケンシン。三十人近くの兵士を前にしても怯まない様子である。そんな中、軍のプレイヤー達は、ケンシンの登場に狼狽していた。

 

「オ、オイ!どうして奴がここにいるんだよ!?」

 

「知るか!事前の調査では、今日は狩りで圏外に出ている筈だったんだ!だからこうして、徴税に来たんだろうがっ!」

 

 三十人の兵士をざわめかせるケンシンの存在。それだけで、彼の実力がいかほどのものかは分かるものだ。だが、軍のリーダー格の男は尚も退こうとはしない。

 

「ビビるな!相手はたった二人……こっちは三十人だぞ!いくら攻略組並みの実力があるからって、敵うわけはねえんだ!やっちまえ!」

 

「お、おうっ!!」

 

「そうだ、やっちまえ!」

 

 その言葉を契機に、一斉に襲い掛かる兵士達。きっかり半分、およそ十五人ずつの兵士達が、イタチとケンシンそれぞれに斬りかかっていった。

 

「やれやれでござる……」

 

「全くだな……」

 

 双方共に呆れた様子で武器を構える。イタチは片手剣「エリュシデータ」を、ケンシンは刀「赤空」を手に、兵士達の群れへと突撃していった。真昼の路地裏に、派手な轟音と絶叫が木霊していた。

 

 

 

 イタチとケンシンの二人が、三十人の兵士を相手に戦闘を始めてから五分足らず。戦闘の行われた路地裏は、死屍累々という言葉が似合う惨状と化していた。アバターが残っている以上、この世界で死ぬことは有り得ないのだが、ソードスキルの衝撃に打たれて気絶した兵士達がそこかしこに倒れ伏している状況は、戦の跡地のようだった。

 軍のプレイヤー達が倒れている中、最後まで立っていたのは二人だけ。言うまでもなく、イタチとケンシンである。

 

「助かったでござるよ」

 

「気にするな。俺もお前に用があったからな。それより人を待たせている。そろそろ教会に案内してもらいたい」

 

「そうでござったな。では、サーシャ殿達も一緒に……」

 

「すげえ……すげえよ兄ちゃん!」

 

 ケンシンの言葉を遮ったのは、サーシャとともに戦場から離れていた子供の一人だった。いつの間にサーシャの腕を抜けてきたのか、イタチとケンシンのそばまで来ていた。そして、残りの子供達も二人のもとへ駆け寄る。

 

「ケン兄ちゃん以外で、あんなの見たの初めてだよ!」

 

「お兄ちゃん、すっごい強いんだね!」

 

 目を輝かせて見つめる子供たちに、しかし当人たるイタチは相変わらずの無表情である。内心では、どう反応したものかと戸惑っていたりもする。そんな中、保護者たるサーシャが前へ出て子供達を宥める。

 

「こらこら、少しは落ち着きなさい。あ、初めまして。私、サーシャと申します」

 

「イタチです。ケンシンから、話は聞いています。SAOで行く当ての無い子供達を保護している、立派な方だと」

 

「そんなことはありませんよ。大学で教職課程取ってて、それで……」

 

「まあ、こんなところで話すのもなんでござるし……イタチ殿も、人を待たせているのでござろう?早く行ってきた方が良いのではござらんか?」

 

「!……そうだな。悪いが、少し待っててくれ。すぐに連れてくる」

 

 アスナをかなり長いこと待たせていたことを思い出し、軽く焦るイタチ。ケンシンとサーシャに一先ず背を向け、路地裏の来た道を一気に駆けていく。

 この後、イタチはアスナと無事に合流し、教会へ行くことができた。だが、路地裏へ入る手前の道へ戻った時の二人は、当然の如く不機嫌であり、イタチはそれを宥めるのにさらなる心労を強いられることとなるのだった。

 

 

 

 

 

 イタチがアスナと合流して教会へ辿り着き、サーシャやケンシンと合流していたその頃、アインクラッド解放軍の本拠がある黒鉄宮にある一室では、一部の上層部が集まって密かに会合が行われていた。

 

「間違いないのか、それは?」

 

「はい!特徴的なマークの額当てに、赤い眼の剣士……間違いなく、攻略組プレイヤーの黒の忍です!」

 

 会合に集まった幹部の中心人物二人のうち、眼鏡をかけた男の問いに、息も絶え絶えに駆けつけた兵士が答える。兵士はまるで、壮絶な戦闘後のように疲弊した様子だった。

 

「それに、帰還した他の者の証言によれば、閃光のアスナもこの街に入っているとのことです」

 

「厄介だな……ようやくシンカーを排除したのに、これじゃ全てが水の泡だ。今、奴に俺達の所業が攻略組やディアベル、キバオウ達に漏れれば、身の破滅だぞ」

 

「だが、兵を送り込んだところで、始末することも捕らえることもできる筈はない。ここは何か、策を練る必要があるな……」

 

「畜生……あの野郎、この世界に来てまで、俺達の邪魔をしようってのか……!」

 

 会合の中心人物の片割れである、サングラスをかけた男が忌々しげに顔を顰める。もう一人の眼鏡の男は苛立ちを露わにテーブルに拳を叩きつけた。

 

「まあ、落ち着け。とりあえず、見張りを放って様子を見るとしよう。それより、ユリエールの動きはどうだ?」

 

「シンカーの救出に動いているようですが、件のダンジョンを突破するに至る策は思い至らない様子です」

 

 サングラスの男の問いに、席に着いた幹部の一人が答える。その言葉に、眼鏡の男はふんと鼻を鳴らす。

 

「当然だ。あのダンジョンの難易度は六十層相当だ。あの女一人でどうこうできる筈が無い」

 

「突破するならば、強力な助っ人が必要…………待てよ」

 

 そこまで言ったところで、サングラスの男が何かを閃き、口元を歪める。

 

「攻略組の強豪二人がいると知れば、間違いなく連中を頼る筈……おそらく、明日にでもユリエールは奴等に救出を依頼するだろう」

 

「なっ……それは拙いだろう!早く手を打たなければ!」

 

「だから落ち着け。ダンジョンを突破するなら、フルメンバーで挑むのがベストだろう。そしてその間、教会の警備は手薄になる……そう思わないか?」

 

 サングラスの男がそこまで口にしたところで、会合の場にいた全員がその意図を理解する。

 

「つまり、邪魔者を全員まとめて始末するチャンスってことだ」

 

 サングラスの男の口元が、さらに邪悪に歪む。今まで軍のプレイヤーとして越えることの無かった一線を越えようとするその思考に、もう一人の代表格たる眼鏡の男以外の幹部たちは、戦慄するのだった。

 

 

 

 

 

 時刻は夕刻。既に日も沈んだこの時刻に、はじまりの街にある教会一回の広間では、子供たちが食事という名の壮絶な戦いを繰り広げていた。

 

「アヤメ、パン取って!」

 

「スズメ、気を付けないとスープこぼすよ!」

 

「先生ー!イオリが目玉焼き取ったー!」

 

 食べ盛り、やんちゃ盛りの子供達が集まっての食事となれば、これくらい騒がしいのは当然と言えば当然なのだろう。だが、イタチもアスナも初めて見る光景だけあって、圧倒されずにはいられない。

 

「ははは……すごいね」

 

「同感です」

 

「すみませんね、騒がしくて。静かにするようにって言っても、聞かなくて……」

 

「しかし、こんな状況でござる。これくらいの元気があった方が、拙者達としても安心できるでござる」

 

 唖然とするアスナとイタチに対し、サーシャは苦笑しながら、自分の躾けがなっていないことに関して詫びを入れ、ケンシンは見た目通りののほほんとした表情でフォローを入れる。

 

「サーシャ殿は、大学で教員免許を取る勉強をしていたでござるよ。まあ、子供達は少々落ち着きに欠けるでござるが、皆仲良くやっていけているのは、サーシャ殿あってのことでござるよ」

 

「そうなんですか……行く当ての無い子供達のお世話をするなんて、立派ですね」

 

「そんなことはありませんよ。私がこうして子供達の相手をできるのも、ケンシンさんがフィールドで生活費を稼いできてくれるからですよ。本当なら、攻略組に入れるくらいの実力をお持ちなのに、私達のために、はじまりの街に残ってくださっているんです」

 

「そんなにお強いんですか?そういえば、イタチ君とも知り合いって言ってたけど、もしかしてケンシンさんは……」

 

「元ベータテスターでござるよ」

 

「…………」

 

 アスナが口にした疑問に対し、ケンシンは何ら隠し立てしようとはせず、答えた。それを聞いたアスナは、自身の失言にしまったと慌て、サーシャはばつの悪そうな顔をする。すぐそこに座るイタチは黙ったままである。

 SAOがデスゲームと化して以降、イタチがビーターを名乗るなどして、ベータテスターに対する風当たりが弱まってはいるものの、偏見は二年が経過した現在でも完全には消えていない。攻略組に属すカズゴやメダカあたりは、己の素性を特段隠そうとはせず、気にする素振りも見せないのだが、ベータテスターの中にはSAOの犠牲者に対して多かれ少なかれ責任を感じているが故にベータテスターであることを隠そうとする人間は多数いる。そのため、悪意の有無に関わらず、ベータテスターであるかの是非を問う行いは、マナー違反と見なされているのだ。しかし、ケンシンは特に気にした様子も無かった。

 

「アスナ殿、気にする必要は無いでござるよ。拙者がベータテスターなのは、変えようの無い事実……だからこそ、せめてこの街に暮らすサーシャ殿や子供達だけでも守れるよう、剣を振るっているのでござる」

 

「ケンシンさん……」

 

「まあ、辛気臭い話はこれくらいにして……それよりイタチ殿。攻略組のお主やアスナ殿がこの街へ来たということは、何やら用があってのことでござろう?もしや、そこなお主等の子供に関わりがあるでござるか?」

 

「こ、子供ってっ……!」

 

「……誤解しているようだが、ユイは本当の意味で俺の子供ではない」

 

「おろ?」

 

 イタチの訂正に、不思議そうな顔して首をかしげるケンシン。彼の視点からすれば、ユイとイタチとアスナは、仲の良い家族にしか見えない様子だった。

 

「二十二層の森の中で倒れていたのを、アスナさんと二人で保護したんだ。この街に保護者か、この子を知っているプレイヤーがいないか、確認するために来たんだ」

 

「そうでござったか……サーシャ殿、どうでござるか?」

 

「う~ん……毎日一エリアずつ回って、困っている子供がいないか調べているんですけど……たぶん、はじまりの街で暮らしていた子じゃないと思います」

 

「そうですか……」

 

 ユイの行方に関して、手掛かりが掴めなかったことに落胆するアスナ。だが、ユイともう少しだけでも一緒にいられると考えると、少し気が楽になった気がした。本当ならば、すぐにでも本当の保護者の元へ戻さなければならないのに、それを拒んでいる自分がいる矛盾に、アスナは複雑な心境だった。

 

「事情は分かったでござるよ。そういうことなら、拙者も協力するでござる。明日には、同じくはじまりの街に残っているヌエベエにも連絡を取って、この子の親探しをしてみるでござる」

 

「よろしく頼む」

 

「お願いします」

 

 頭を下げて頼み込むイタチとアスナに、ケンシンは穏やかな笑みを浮かべて頷いた。その後は、明日も一緒にこの街を巡るということで、自然とイタチとアスナ、ユイの三人も教会に泊まる流れとなった。その際、ユイが三人一緒のベッドで寝たいとせがんできたため、アスナとイタチは多いに困惑することとなった。ベッドが小さいと言っても聞かず、仕方なくイタチもユイが深く寝入るまで一緒のベッドに横になる羽目になった。ユイが寝静まった頃を見計らって、イタチがベッドを出る際、起きていたアスナがイタチに非難の視線を送ってきた。おそらく、ユイのための思うのなら、このまま一緒のベッドで眠れと言おうとしていたのだろうが、イタチの内心は勘弁してくれという感情でいっぱいだった。ユイを起こさないために、アスナが声を発することができないのを良いことに、部屋からの脱出を図るイタチ。そのまま、ベッドで横になっているアスナとユイの方を振り返らず部屋を出ると、ケンシンの部屋へと入る。ようやく休めると思っていたが、部屋の主たるケンシンからこんな一言が。

 

「せっかくの家族水入らず、楽しめばいいではござらんか」

 

 からかい・冗談のニュアンスがあったものの、この一言には頭痛を覚えずにはいられないイタチだった。

 



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第四十九話 救出

今回、NARUTO原作に登場したキャラクターと同名のキャラが登場しますが、彼等はイタチのような転生者ではありません。同名なだけのオリキャラだと思っておいてください。


2024年11月1日

 

 はじまりの街へ来て早々、解放軍と刃を交えるという波乱の展開を経た翌日。子供達が昨日の夕食時同様に騒々しい朝食を摂っている傍ら、イタチとアスナ、サーシャとケンシンの四人がコーヒー片手にそんな光景を眺めていたそんな時。

来訪者は、唐突にやって来た。

 

「……誰か、教会の入り口にいます」

 

 教会の敷地内へ入ったプレイヤーに、イタチの索敵スキルが反応する。

 

「おろ……誰でござるかな?」

 

「こんなに朝早くから来るなんて、一体誰かな?」

 

「とりあえず、行ってみましょう」

 

 早朝の来訪者への警戒を怠らず、片手剣を携えてサーシャとケンシンを伴って入口へと向かう。

 教会の正面入り口に向かったイタチを出迎えたのは、銀髪で長身の女性プレイヤー。髪型はポニーテールで、クールで整った顔立ちが印象的な人物。服装は、濃緑色の上着と大腿部がゆったりとふくらんだズボン。第一層に拠点を置く最大ギルド『アインクラッド解放軍』のユニフォームである。

 その姿を確認したイタチは、剣を持つ手に力を込め、表には出さずに警戒レベルを上げる。しかし、隣に立つサーシャとケンシンは、全く警戒した様子が無い。

 

「イタチ殿、そう身構える必要は無いでござる」

 

「何?」

 

「大丈夫ですよ。この人は軍の人でも、私達の知り合いですから」

 

 ケンシンに続き、サーシャからも警戒を解くよう促され、剣を下げるイタチ。冷静に話し合いができる状態になったことを見計らって、サーシャとケンシンは、来訪者たる軍のプレイヤーを教会の中へと招き入れた。

 

 

 

 来訪者を連れて教会へと入った三人は、子供達が朝食を摂っていた大広間へと入る。軍のプレイヤーの姿を見て警戒を抱く子供達に、サーシャは落ち着くよう促した後、奥の部屋へと向かって行く。途中、広間の隅の方のテーブルにいたアスナとユイも連れて行った。関係者のみの話し合いであるため、ユイには泊まっている部屋で待たせておくつもりだった。だが、やはりアスナやイタチと離れるのが嫌なのか、付いて行くと言って聞かなかった。

 何はともあれ、六人揃って?の話し合いが、はじまりの街の教会奥の一室で行われることとなった。

 

「はじめまして。ユリエールです。ギルドALFに所属してます」

 

「ALF?」

 

「Aincrad Leberation Force……つまり、アインクラッド解放軍の略です」

 

 イタチの説明に、成程と頷くアスナ。正式名称を口にしたイタチに、ユリエールは苦笑する。

 

「すみません……どうもその名前は苦手で……」

 

「そうでしたか……申し訳ありません。挨拶がまだでしたね。俺はイタチ。ソロプレイヤーです」

 

「私はギルド血盟騎士団所属のアスナといいます。この子はユイです」

 

 イタチの謝罪と共に、遅れた挨拶をする二人。アスナの所属を聞いたユリエールは、得心したように頷いた。

 

「KoB……成程、徴税部隊では敵わない筈です」

 

 徴税部隊というのが、昨日イタチとケンシンが共闘して追い払ったメンバーであることを悟ったイタチの視線が、僅かに細められる。

 

「つまり、昨日の件で抗議に来た、ということでしょうか?」

 

「いやいや、とんでもない。その逆です。よくやってくれたとお礼を言いたいくらいです。」

 

 ユリエールの言葉の意味を察しかね、顔を見合わせるイタチとアスナ。サーシャとケンシンは苦笑いするばかり。そんな中、ユリエールは、早朝に教会へ出向いた理由たる本題を切り出す。

 

「今日は、お二人にお願いがあって参りました」

 

「お願い?」

 

 真剣な表情で口を開いたユリエールに、イタチとアスナも佇まいを直して聞き入る。

 

「もともと私達は……いえ、ギルドの管理者シンカーは、今の様な、独善的な組織を作ろうとしていたわけじゃないんです。ただ、情報や食糧などの資源をなるべく多くのプレイヤーで均等に分かち合おうとしただけで……」

 

「だが、軍は巨大になり過ぎた」

 

 イタチの言葉に頷くユリエール。解放軍が現在のような、アインクラッド最大のギルドへと肥大化した経緯については、この場にいるユイを除く人間のみならず、現在生存しているプレイヤーのほとんどが知っている。

 軍が巨大化した契機となったのは、二十五層攻略において発生した、大規模MPK事件。当時攻略ギルドに名を連ねていたアインクラッド解放軍のサブリーダー、キバオウが、偽の攻略情報を与えられて無茶なフロアボス攻略に走り、十名以上の死者を出した、ゲーム攻略における史上最悪の事件。

主犯は、PoHと呼ばれるプレイヤーであり、後にアインクラッドの全プレイヤーを戦慄させた殺人ギルド『笑う棺桶』のリーダーだった。当時、攻略とは無関係の別件でPoHの行動を偶然に知り得たイタチは、紆余曲折を経てフロアボスを打倒した後、報復に向かうキバオウを追跡してPoHと邂逅。その場にいた他のオレンジプレイヤーを交えた戦闘の末、十名ほどの共犯者を捕縛することに成功するも、主犯のPoHと取り巻きであり、後に『笑う棺桶』の幹部となるプレイヤー二人は逃がしてしまったのだった。

 事件後、PoHに騙されて多大な犠牲を払ったとして、キバオウは、責任は全て自分にあると発表し、解放軍脱退はもとより、今後一切攻略組には関わらないとした。だが、既に事態はキバオウの脱退で済まされる程度のものではなかった。解放軍は攻略組内部で完全に信用を失い、遂にギルド事態が攻略組脱退を余儀なくされたのだ。

攻略組を追われた軍は、ディアベルをリーダーとして、その活動方針を攻略から治安維持へと変更。第一層に拠点を置いていたギルド『MTD』を取り込んで体勢を盤石化。黒鉄宮に本拠を置いた治安維持組織と化したのだ。ちなみに、脱退を表明していたキバオウは、第一層に本拠を移した後に軍へと復帰した。二十五層で大惨事を引き起こした人物ではあったものの、初期の攻略から参加していた古参であった故に、人望も厚く、復帰に際して抗議を上げる人間は然程いなかった。やがて、ゲーム攻略が五十層以降に差しかかると、軍は各層に拠点を設けて犯罪者プレイヤーへの監視と取り締まりを強化していった。そして現在、ディアベルやキバオウをはじめとした実戦部隊の大部分が上層の拠点へ出払っている間、本拠である第一層では、組織内の問題が頻発していた。

 

「犯罪者の取り締まりを行うディアベルやキバオウが上層に出払っている中、ここ第一層では内部分裂が続きました。そんな台頭してきたのは、ヨロイとツルギという二人のプレイヤーでした」

 

 苦々しい表情で軍内部の実情を口にするユリエール。今口にした二人のプレイヤーには辟易している様子が見て取れた。

 

「ヨロイ・ツルギ一派は権力を強め、効率の良い狩り場の独占をしたり……調子に乗って、徴税と称した恐喝まがいの行為すら始めたのです。しかし、ゲーム攻略を蔑にする二人を批判する声が大きくなり、ヨロイとツルギは配下の中で最もハイレベルのプレイヤー達を、最前線に送りだしたんです」

 

「それって、もしかして……」

 

「間違いなくコーバッツ中佐、でしょうね……」

 

 イタチとアスナには、ユリエールの説明に思い当たる節があった。七十四層攻略時に出くわした、解放軍のコーバッツ中佐と名乗った男が率いていた大部隊。当時は、何の前触れもなく攻略に参加してきた彼等の真意がまるで分からなかったが、彼等の上司が権力を維持するために攻略最前線で手柄を立てようと考えたのであれば、納得できる。

 

「パーティーは敗退、犠牲者二名を出し、攻略組プレイヤーからも抗議を受けるという最悪の結果に終わり、コーバッツ中佐は謹慎を申し渡されました。また、ヨロイとツルギは強く糾弾され、もう少しで彼等をギルドから追放できるところまでいったのですが……」

 

 ここからが本台なのだろう。ユリエールの真剣な表情に、苦悩と悔恨が入り混じり始めた。

 

「追い詰められたヨロイとツルギは、シンカーを罠にかけるという強硬策に出ました。シンカーを……ダンジョン奥深くに置き去りにしたんです……!」

 

 その言葉に、アスナとサーシャ、ケンシンは驚愕を露にする。イタチは僅かに目を細めているのみだが、内心は怒り心頭だろう。

 

「転移結晶はどうしたでござるか?」

 

 ケンシンの問いに、しかしユリエールは首を横に振るのみだった。信じられないとばかりに今度はアスナが声を上げる。

 

「まさか手ぶらで!?」

 

「彼は良い人過ぎたんです……ヨロイとツルギの、丸腰で話し合おうという言葉を信じて……」

 

 回廊結晶の出口を、高難易度のダンジョンやモンスターの群れが潜む危険地帯に設定して、プレイヤーを放りだす、『ポータルPK』と呼ばれる手法である。組織内で対立する人物との対談ならば、一般プレイヤーの命綱である転移結晶くらいはもって置くべきだが、それを敢えてしなかったとなれば、文字通り「良い人過ぎる」のだろうが、事態はそれで済まされるわけではない。

 

「それは、いつのことでござるか?」

 

「……三日前です」

 

「三日も前に……それで、シンカーさんは?」

 

 現実世界なら、三日も飲まず食わずの状態が続けば、確実に餓死してしまうだろう。だが、ゲーム世界であるSAOにおいては飢えや渇きがあっても死に至ることはまず無い。問題は、精神の方だろう。

 

「何故、すぐにディアベルやキバオウに連絡を取らなかったんですか?彼等に知らせれば、その二人を逮捕し、シンカーさんを救出することもできたでしょうに」

 

「私が彼の行方を知ったのは、昨晩のことだったんです。勿論、上層にいるディアベルに連絡を入れようとはしました。しかし……よりによってこんな時に、二人ともキャンプ狩りで明日の夕方までダンジョンに籠っているとのことで……」

 

 治安維持に努めるアインクラッド解放軍といえど、全く狩りを行わないわけではない。活動資金を集めるため、定期的に、他のプレイヤーの活動を阻害しない程度に短期の狩りを行うのだ。しかし、よりにもよってこんな時期とは、本当にタイミングが悪い。

 

「黒鉄宮の生命の碑を確認したのですが、まだ存命でした……恐らく、安全地帯にいるのでしょう。しかし、ダンジョン内部ではメッセージは送れず、ギルドのストレージにもアクセスできません。これも全て……副官である私の責任です」

 

 ヨロイとツルギの暴走を止められず、シンカーを危険に晒しながら何もできない自分の無力さに沈痛な表情を浮かべるユリエール。

 

「ダンジョン自体もかなりハイレベルで、とても私一人では突破できませんし……ヨロイとツルギが睨みを利かせる今、身動きは取れず……上層の部隊にも彼等の一派がいる可能性を考えると、助力を当てにはできません」

 

 そこまで言われれば、イタチ等もユリエールが何を言いたいかを察することはできる。意を決して顔を上げるとイタチをまっすぐ見つめる。

 

「そんな中、昨日、ケンシンさんと同等以上に恐ろしく強いプレイヤーが街に現れたという話を聞き付け、いてもたってもいられずに、お願いに来た次第です。イタチさん、アスナさん、ケンシンさん……どうか、私と一緒にシンカーの救出に行ってください」

 

 絞り出す様な声で三人に助力を懇願するユリエール、をアスナ、イタチ、ケンシンは三者三様の反応を見せる。ケンシンはシンカー救出に動くことを躊躇う様子は無い。アスナの方も、助けには行きたいものの、裏付けが必要と考える故に首を縦に振ることができない。イタチはといえば、ユリエールの話が始まってから終始無表情のまま。腕を組んだ姿勢のまま、考え込んでいる様子ではあるが、その真意は窺えない。

 

「無理なお願いだということは、私にも分かっています。でも、彼が今どうしているかと思うと、もう……おかしくなりそうで……」

 

 無言ながら、三人の意見が纏まらないことと、その理由を察し、席を立ち上がって涙ながらに助力を乞うユリエールに、アスナは複雑な表情を浮かべる。一方のイタチは救出作戦について今も尚思考を走らせる。

 

(嘘を言っているようには見えない……救出に赴くのも吝かでは無いが……)

 

 解放軍の暴走を看過し続ければ、他の階層にまで飛び火する可能性は高い。クォーターポイントという巨大な壁を前に、解放軍内部で動乱が起こることは避けたい。故に、シンカーの救出は必須であり、騒乱の火種たるヨロイとツルギなるプレイヤーは早急に排除せねばならない。となれば、救出に出向く以外の選択肢は無いと思われるが……

 

「だいじょうぶだよ、ママ。その人、うそついてないよ」

 

 どうすべきかと一同が決めかねている中、口を開いたのは、この場では最年少のユイだった。その言葉遣いには、先程までのような幼さは全く無かった。

 

「ユ……ユイちゃん……そんなこと分かるの?」

 

「うん。うまく言えないけど……分かる」

 

(恐らくは、本当に分かるのだろうな……)

 

 現時点でユイの正体を知るただ一人のプレイヤーであるイタチは、ユイがユリエールの内心を知ることができた真の理由を知っている。だが、今はそれを口にするわけにはいかない。イタチがおよそ真実と断定しているそれを話せば、ユイがママと慕うアスナは混乱する。ユイをどのように見ればいいのか、距離感に戸惑うことは必須である。

そして、それはユイ自身にも飛び火する。自分という存在を認識できず、父母と呼ぶイタチとアスナが自分から遠退くかのような錯覚を覚えるだろう。その先に待つのは、ユイという人格の崩壊――――

 

(俺だけが真実を知りながら、ユイを守るという名目のもと皆に本当のことを知らせず……その実、ユイを利用しようとしている)

 

 イタチとて、自分が最低な行為をしているという自覚はある。ユイの正体を考えれば、罪の意識を覚えることではないし、この程度のことは前世の忍時代に数えきれないほどやってきた。

ならば、やるべきことは変わらない。ユイが全てを思い出し、同時に自分の真意を知ることで、アスナからも軽蔑されたとしても……彼女はこの世界を生きるプレイヤーの希望になり得る存在ならば、自分に向けられる侮蔑は甘んじて受けよう。イタチはそう考えた。

 

「パパ……」

 

 そんな考えに耽る内心までも悟られたのか、ユイが心配そうな顔でイタチの顔を見つめてきた。それに気付いたイタチは、すぐに顔を上げて行動方針を下す。

 

「そうだな……解放軍の暴走は明らかであり、リーダーがダンジョンに囚われている状態ならば、救出に出向く以外に手段は無い。その依頼、引き受けましょう」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 イタチの言葉に、深々と頭を下げて礼を言うユリエール。隣に座るケンシンはイタチの決断に笑みを浮かべている。反対側に座るアスナは戸惑った様子ながら、ユイの後押しもあったためか、行くことにはもう迷いは無いようだった。

 

「ケンシン。お前、今レベルはいくつだ?」

 

「68でござる」

 

 本来、SAOにおいて他人のステータスを詮索する行為はマナー違反である。だが、共にパーティーを組んでダンジョンに乗り込む以上は確認しなければならない事柄だった。

 

「ろ、68って……攻略組とまではいかなくても、第一層で活動して上げられるレベルじゃないじゃないですか!?」

 

「そうでござるな……教会の子に、少しでもまともな暮らしをさせたかったため、上層にもちょくちょく行っていたおかげでござるよ」

 

 第一層在住のプレイヤーとしては破格のレベルに、アスナが驚きの声を上げる。対するケンシンは、照れくさそうにしていた。

 イタチを含めた一部のプレイヤーのみが知ることだが、ケンシンは元ベータテスターだった。その実力は、監視者としてプレイしていたイタチが強豪プレイヤーとしてマークしていた程のものだった。よって、攻略組とまではいかずとも、一歩手前の上層プレイヤーに相当する実力はあるとイタチは踏んでいた。

 

「ユリエールさん、シンカーさんが閉じ込められたダンジョンの難易度は如何程のものですか?」

 

「確か……六十層相当だったと聞いています」

 

「なら、問題は無いな。シンカーさんの救出には、俺とケンシンの二人で行きます。ユリエールさんには案内をしてもらいましょう」

 

「ちょっとイタチ君、私も行くに決まってるでしょ!?」

 

 この期に及んで、イタチがまた自分をハブにしようとしていると考えたのか、アスナが抗議の声を上げる。しかしイタチも予想していたのか、いつも通りの落ち着いた様子でアスナを説得にかかる。

 

「アスナさんには、ここに残ってもらわねばなりません」

 

 そう言って、イタチは視線で、アスナがここへ残らねばならない理由を指し示す。イタチの赤い双眸が示したのは、現時点で自分達の娘として扱われている少女、ユイだった。

 それを見て、アスナは得心したように頷いた。イタチとアスナが救出へ赴くこととなれば、ユイが一緒も一緒に行くと言い出しかねない。記憶喪失という事情も考慮に入れれば、二人の内どちらかが残る必要はあるだろう。

 イタチはさらに、理由を説明していく。

 

「解放軍と刃を交えてから一日が経過した現在、暴走状態の連中がこの教会に対して何らかの報復行為をする可能性が少なからずあります。圏内とはいえ、サーシャさん一人では有事の際に対処し切れない可能性がある以上、アスナさんには残っていただきたい」

 

「……分かったわ」

 

 最初は反論しようとしていたアスナだったが、ユイのことを考えればそれも止む無しと判断したのだろう。尤も、ユイの世話をする役目に関して、イタチに任せることなどできないと判断したのが理由としては大きいのだが。

 

「それでは、出発しましょう。ユリエールさん、案内をお願いします」

 

「はい、分かりました」

 

それだけ言うと、イタチとケンシン、ユリエールは席を立って教会の出口へと向かう。アスナとユイ、サーシャも三人の見送りに立った。

 

「パパ、がんばってね」

 

「……ああ」

 

 教会の入り口で手を振りながら見送るユイに、イタチは短く答え、軽く手を振って返すのだった。やがて三人の影が街の奥へと消えて行くのを見届けると、アスナ達三人は教会の中へと踵を返す。

 

「私はお先に。早く戻らないと、あの子たちがまた何かやらかすんじゃないかと心配なので……」

 

「あ、分かりました。さあ、ユイちゃん。教会の中で、パパを待ってようね」

 

「うん!」

 

 速足で教会に戻っていくサーシャを見届け、ユイもアスナに手を引かれて教会の中へと向かって行く。

 

 その後ろ姿を向かい側の街路樹の影から密かに見つめる、男の存在に気付かずに…………

 

 

 

 

 

 アインクラッド第一層、はじまりの街の最大施設、黒鉄宮。文字通り黒光りするこの巨大な建物は、かつてベータテストにおいては死に戻りの場所とされていたが、デスゲームと化した現在は、プレイヤー全員の名簿である生命の碑が置かれている。ここまでは、一般プレイヤーも墓参り等の事情で出入りは自由なのだが、建物の奥の大部分は解放軍が占領してしまっている。

ユリエールを先頭とした三人は、その地下へと続く回廊へと入っていた。

 

「まさか、第一層にそんなダンジョンがあろうとは……ベータテスターである筈の拙者も知らなかったでござるよ」

 

「上層の攻略の進み具合によって解禁されるダンジョンなのだろう。しかし、第一層に六十層相当の難易度とは、流石に俺も想像していなかったがな」

 

「お二人が知らないのも無理はありません。ヨロイ達は、このダンジョンを発見した後、独占を試みたようです。しかし、あまりの難易度に踏破することはおろか、モンスターの撃破すら敵わず、長らく放棄されていたとのことです」

 

 苦笑しながら説明するユリエール。話を聞いているケンシンは同じく苦笑し、イタチは無表情ながら内心では軍に対して大いに呆れていた。

 

「成程……しかし、モンスターとの戦闘すら儘ならなかったとなれば、相当な量のポーションや転移結晶を消費した筈であろう。もしや、軍が徴税を行うようになった原因の一端となっているのではござらんか?」

 

「在り得る話だな」

 

 ケンシンの推測に、間違いないだろうと確信するイタチ。独占しておきながら、レベルが及ばぬ難易度故に放置していたダンジョンを、よもやPK――それも、上司を抹殺するため――に利用するとは、呆れ果てて言葉も無い。八千人程度の人間が暮らす世界ながら、世も末という言葉がよく似合う状況に、その場にいた一同はげんなりするのだった。

 そうこうしている内に、遂に三人は黒鉄宮の隠しダンジョンへと通じる入口へと差し掛かった。

 

「ここが入口です」

 

「いよいよでござるか……」

 

「前線には俺が出る。ケンシンはユリエールさんの護衛を頼む」

 

 ダンジョンへの突入を前に、ウインドウを操作してスキルと装備を二刀流に切り替えるイタチ。ケンシンの方も、武器である腰に差した刀を手に突入準備を整えた。

 

「よし……行くぞ」

 

「承知した」

 

 イタチの合図と共に、ダンジョンの入り口である、地下に通じる入口へと入って行く一同。薄暗い階段を下りることしばらく、下水道を模した通路へと到達した。

 

「ユリエールさん。シンカーさんはどちらに?」

 

「ええと……向こうです」

 

 ウインドウを開き、フレンド登録している相手の位置を確認する機能を用いてシンカーの現在地を確認するユリエール。イタチを先頭に、三人は再び歩を進める。

 そして、数分歩いた時、遂に敵が姿を現した。

 

「ゲコゲコゲコゲコ!」

 

 三人の行く手を阻むように現れたのは、不気味な巨大カエル――スカベンジトードの群れ。幾重にも重なる鳴き声と共に襲い来るカエル達に、しかしイタチとケンシンは一切同様しない。

 

「ケンシン、ユリエールさんの護衛を頼む」

 

「了解したでござる」

 

 ケンシンにユリエールを任せ、スカベンジトードの群れへと突撃するイタチ。エリュシデータとダークリパルサー、二本の剣を手に容赦なく薙ぎ払うその姿は、無双そのもの。周りを囲んで一斉に飛び掛かるも、スカベンジトード達は触れることすら敵わない。

 

「ゲコゲーコ!」

 

「うわっ!」

 

「ユリエール殿、後ろに」

 

 イタチが繰り出す嵐のような剣戟を突破し、後方のケンシンとユリエールへ襲い掛かるカエルが現れる。驚くユリエールを背に、ケンシンが前に出る。

 

「はぁあっ!」

 

「ゲコッ……!」

 

 愛刀「夜明け前」を素早く抜刀すると同時に放った斬撃は、飛び掛かって来たカエルを一太刀で仕留めた。

 

(相変わらず、良い腕だな……)

 

 カエル相手に無双の限りを尽くす傍ら、討ち漏らしを狩るケンシンの剣技に、イタチは密かに舌を巻いていた。イタチやアルゴ等、情報通のプレイヤーのみが知ることだが、ケンシンはこのSAOにおいて初めてカタナスキルを習得したプレイヤーなのだ。攻略組に属さずにいながら、誰よりも早くエクストラスキルであるカタナを習得できたのには、ベータテストの経験以上に、現実世界における経験に裏打ちされた強さが大きく関わっていると、イタチは考えている。

 

(おそらくは、剣道……いや、剣術。それも、殺人剣の使い手だな……)

 

 その剣技は、対人戦闘で使えば、ケンシンよりもレベルが上のプレイヤーであろうと、HP全損にするのは容易いであろうと、イタチは考える。何故そのようなものを習得しているかは分からないが、敵に回らない限り、イタチはそれを深く知りたいとは思わない。もとより、SAOにおけるリアルの詮索はタブーである。

 そんな思考を頭の片隅に退けつつも、イタチとケンシン、ユリエールの迷宮区進行は続く。その後も、カエルやザリガニ、ドブネズミといった、下水道に生息するモンスターを排除しながら歩を進めることおよそ二時間。遂に三人は目的の場所へと辿り着いた。

 

「奥からプレイヤーの反応がします……おそらく、シンカーさんでしょう」

 

「本当ですか!?」

 

 ユリエールの期待に満ちた表情に、イタチは静かに頷く。やがて通路の向こうには、十字路が見えてきた。奥には、光が漏れる部屋がある。その中央に立つのは、成人男性ほどの大きさの影。歓喜に満ちたユリエールの顔を見るに、間違いないだろう。あの人影こそ、自分達が救出に来た、アインクラッド解放軍のリーダー、シンカーなのだ。

 

「シンカ――――!!」

 

「ユリエ――――ル!!」

 

 ユリエールの呼び掛けに、シンカーも大声で返す。あの人影こそが、自分が会いたくてたまらなかった人なのだという確信を得たユリエールは、一気に彼が待つ安全エリアらしき場所へ駆けて行く。イタチもケンシンと一緒に併走するが、疑問に思うことがあった。

 

(どういうことだ?彼がシンカーなのは間違いないのだろうが、何故安全エリアから出てこちらへ駆けて来ない……)

 

 ユリエールの姿を見れば、救援が来たことは分かる筈。喜びの余り、あちらからも駆け寄るのが普通の反応である。だが、当のシンカーは安全エリアから一歩も動かない。

 

(まさか……!)

 

「来ちゃ駄目だ――!その通路は……!」

 

 安全エリア手前の十字路に差しかかったその時。イタチの索敵スキルが、姿が見えない敵を捉えた。同時に、身に迫る危険を悟ったイタチは、脇目も振らず走るユリエールの首根っこを掴み、後方へ跳び退く。ケンシンも危険を察知したのか、イタチ同様後ろへと跳んでいた。そして次の瞬間、二人の目の前に振り下ろされたのは、鋭く光る、大鎌。しかも大きさが尋常ではない。

 

(『The Fatal-scythe』……ボスモンスターか!)

 

 SAOには、迷宮区最上階に潜むフロアボスや、迷宮区への進行を阻むフィールドボス以外に、一定の場所や時期によって限定的に出現するタイプのボスがいる。恐らく、これもその類であろう。イタチとケンシン、ユリエールが見つめる先、十字路の右側からぬっと姿を現したのは、地面から浮遊した、二メートル半はあろう巨大なローブを纏った異形。フードを被った奥にあるのは、髑髏の仮面。武器が大鎌であることも相まって、「死神」という言葉が当てはまるモンスターだった。

 

「イタチ殿、HPが見えぬ……どうするでござるか?」

 

「……俺の識別スキルでもHPが見えない時点で、九十層以上のボスであることは間違いない。撃破は絶対に無理だ」

 

さしものケンシンも、思わぬ強敵の登場に動揺した様子で、イタチに指示を仰ぐ。それに返ってきた答えは、絶対に勝てないとのこと。最強の二刀流スキルの使い手として知られるイタチでも勝てない相手……だが、それを聞いてもケンシンは絶望した様子は無かった。問われたイタチは、相変わらずの無表情、しかし脳をフル回転させることで目の前の敵を突破する策を考えていた。

 

「両サイドに分かれて突破する。俺は左、ケンシンはユリエールさんを連れて右だ。合図をしたら、一気に走れ」

 

「承知した。ユリエール殿、拙者から絶対に離れないようにするでござる」

 

「わ、分かりました」

 

 予想外の強敵の出現に戸惑うユリエールだが、シンカー救出が目の前であることが彼女を後押ししているのだろう。イタチの提案した強行突破に異を唱えようとはしなかった。

 そうこうしている間にも、目の前に立ちはだかる死神は、再び大鎌を振り上げていた。そして、先程ユリエールを襲おうとした凶刃が、再び振り下ろされる。

 

「今だ!」

 

 刃がイタチの頭上に迫ったところで、イタチがゴーサインを出す。次の瞬間、イタチとケンシンは己の持てる敏捷の限りを尽くして駆け出した。二手に別れた標的に、死神は逡巡すること一秒足らず。イタチに狙いを定めてきた。

 

(こっちへ来たか……予想通り!)

 

 この強行突破の成功の分かれ目は、いかにして自分がタゲを取るかにあった。理由は単純で、ユリエールを連れて行く役目をもったケンシンでは、機動力でイタチに敵う筈もなく、死神の刃を回避できる可能性が低いからだ。

 そして、死神のタゲが自分に移るよう考えて選んだ進路は、左側。死神から見て右側面を通過するルートである。進路方向を決定するに当って、イタチが注目したのは、死神の“利き腕”。SAOにおいて出現するモンスターは、右手にメイン武器を装備する傾向にある。この死神も例に漏れず、大鎌は右手に握られている。そして、モンスターのアルゴリズム上、タゲを取るならば攻撃しやすい右側面と相場が決まっているのだ。

 

「オオオォォオオオ!!」

 

 方向と共に再び振り上げられる死神の刃。だが、イタチは後ろを振り向かず、まっすぐ安全エリアを目指して走る。常より速度を落としていたため、ケンシンの方が既に安全エリアに近い位置にいる。

 

(そろそろだな……)

 

 安全エリアに近づくケンシンとユリエールの姿を捉えつつ、死神が大鎌を横薙ぎに繰り出す様子を横目で確認する。直撃を受ければ即死は免れないそれを、かなりギリギリまで引き付け、刃を構えた状態で同時に前方へとジャンプ。同時に身体を捻り、後方へと振り返る。

 

「ふん…………っ!」

 

 直後、イタチの構えた二刀と死神の大鎌とが交錯する。死神の刃、その反りの部分を交叉した刀で受け止める。目一杯ゲインした、攻略組プレイヤー中最強クラスの筋力値をもってしても、受け切れるかどうかという衝撃。反りではなく刃で受けていたならば、最悪の場合、剣もろとも断ち切られていたかもしれない。だが、そんな即死レベルの一撃に対しても、イタチはやはり冷静だった。

もとよりイタチは、完全に防ぎ切ることなど望んではいない。向かってくる衝撃に逆らうのではなく、その勢いに身を任せる。地面から足を離すための跳躍、受け流すために交叉させた刃。大鎌の反りを滑る様に勢いを殺ぎ、ダメージを最小限に抑え込む。即死、武器破壊に及ばない程度の威力に減衰させたものの、その一撃は決して殺し切れるものではない。もとより、余らせた威力こそイタチの狙いなのだから。

 

「おぉ…………ぉぉおおお!!」

 

 二刀と大鎌の衝突を経て、飛ばされるイタチの身体。その行く先は、光に満ちた安全エリアの中。

 

「おろろろぉぉお!?」

 

「きゃぁぁあっ!」

 

 途中、ケンシンとユリエールを巻き込んで安全エリアの中へと突入する。安全エリアの中に入ってしまえば、いかに高レベルのボスモンスターといえども、プレイヤーには手出しができない。イタチは最初から、死神の一振りによる衝撃を利用し、己の身をこの場所まで飛ばすことを狙っていたのだ。

 

「任務成功だな」

 

 自分の作戦の巻き添えを食らい、気絶した様子のケンシンとユリエール、そして一連の流れを見て呆然としているシンカーを余所に、イタチは一人呟いた。

 



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第五十話 絶望が渦巻く世界の中で

つい最近、ソードアート・オンラインⅡのファントム・バレットを見て思った。
このトリック、金田一少年の事件簿の『獄問塾殺人事件』に似ている、と・・・・・・
やはり、あの男を黒幕に選んだのは間違いではなかったのかもしれない。


 イタチとケンシン、ユリエールが、シンカー救出作戦に赴いていたその頃。パーティーには同行せず、教会に残ったアスナは、イタチに言われた通りユイの相手をして過ごしていた。

 

「ほら、ユイちゃん」

 

「はい、ママ」

 

 教会の庭で、ユイとボール遊びをするアスナ。シンカー救出に赴く事ができなかったことで、イタチ等が今どうしているのか、気になるところではある。しかし、攻略組トップのイタチと、彼が信頼を置くケンシンならば、譬え難易度が六十層相当のダンジョンであろうと突破は容易だろうと考えられる。ならば自分は、ここでユイと子供達、サーシャを守るのみだ。

 

「いくよ。えいっ!」

 

 今度はユイがアスナの方へとボールを投げる。だが、投げたボールは勢い余って方向を違え、アスナの横を通り過ぎてしまった。

 

「わっ、ごめんママ……」

 

「いいよ、ユイちゃん」

 

 ボールのパスに失敗してしゅんとなるユイに、アスナはくすりと笑いかける。ちょっと待っててと言って、ユイに背を向けボールを取りに行く。ほんの数秒……ユイから視線を離してしまった、その時だった――――

 

「きゃぁぁああっ!」

 

「ユイちゃんっ!!」

 

 背後から聞こえたユイの悲鳴に、驚愕して振り返るアスナ。眼前の十数メートルほど先にいたのは、軍のユニフォームに身を包んだ男性プレイヤー。その腕には、ユイが捕らえられていた。

 おそらく、教会の敷地の外からアスナとユイの様子を窺っていたのだろう。そして、アスナがボールを取りに背を向けた数秒の短い間にユイを捕らえたのだ。

 

「ユイちゃんを離して!」

 

 愛剣のランベントライトを抜き、ユイを捕らえている兵士に構える。対する男は、にやにやと下卑た笑いを浮かべて余裕そうな表情である。その態度が、アスナの怒りに火を注ぐ。

 

「良いのか、この娘まで巻き添えを食らうぞ?」

 

 その言葉に、アスナはぎりりと歯噛みする。圏内である以上、いかなる攻撃を受けてもHPは減少する事は無い。ユイのHPゲージは一切見えないが、恐らくは通常のプレイヤー同様に保護される筈だ。しかし、だからといって剣を向けても良い理由にはならない。有体に言えば、アスナは手出しができないのだ。だが、そんな中、アスナは頭の隅に引っ掛かるなにかを感じた。

 

(あの人の声……どこかで……)

 

 SAOがデスゲームと化した日、プレイヤーのアバターは現実のそれと同じものとなった。そして、それは声も同じ。故に、アスナは目の前の兵士とは、現実世界で会ったことがあるかもしれないと考える。

 だが、そうこうしている内に、ユイを捕らえた兵士は新たな行動に出た。左手でユイを捕らえた状態で、右手で腰のポーチを探り、アイテムを取り出したのだ。それは、濃い青色の結晶……転移先を自由に決定できるアイテム、回廊結晶である。

 

「コリドー・オープン!」

 

 起動キーと共に発生する、青色の渦。ユイを抱えた男は、躊躇せずその中へと身を投じた。

 

「この娘を返して欲しくば、付いてくることだな」

 

「ま、待ちなさい!」

 

 ユイを攫った兵士を追って、アスナも慌てて回廊結晶が生み出した渦の中に飛び込む。平和な教会の敷地内に起きた、衝撃の一幕。三人の影が回廊結晶の光に消えた後には、何事も無かったかのような静寂が残るばかりだった……

 

 

 

 

 

 はじまりの街の中央広場にある転移門。その中に、青白い光と共に、四人のプレイヤーが現れた。

 

「ようやく脱出できたな」

 

 一仕事終えてほっとしたかのように呟いたのは、黒装束に額当てを付けた、赤い双眸の少年――イタチである。

 

「それにしても、イタチ殿も無理をする……」

 

「確かに……感謝はしていますが、危険過ぎたのではありませんか?」

 

 そんなイタチに半ば呆れた様子で言葉を掛けたのは、イタチの依頼である、アインクラッド解放軍リーダー救出作戦に同行していた二人のプレイヤー、ケンシンとユリエールである。

 

「あの場面で、死神を突破する方法は他にありませんでした。それに、元よりこの依頼はある程度の危険を前提に引き受けていると考えていましたが」

 

 しかし、二人から向けられる、若干の非難の意思を孕んだ視線を向けられても、どこ吹く風とばかりに無表情を崩さない。

 そしてもう一人、救出された男性プレイヤー……アインクラッド解放軍リーダーことシンカーは、空高く昇る太陽の光に目を細めていた。

 

「よかった……もう一度、生きて日の光を浴びることができるとは。これも、あなたのお陰です。ありがとうございます、イタチさん」

 

 三日間もダンジョンの奥底に閉じ込められていたのだ。この世界の太陽の光も仮想のものであろうと、今のシンカーには関係無い。死と隣り合わせの空間から抜け出せたことへの感動は、イタチですら推し測れないものがあると考える。

 

「それでは、教会へ戻りましょう。アスナさんやサーシャさんがお待ちの筈です」

 

「そうでござるな」

 

 イタチの言葉に頷く三人。高レベルダンジョンに向かったことで、アスナとユイが心配しているだろうと考えているイタチとしては、早く帰って無事を知らせておきたいと思う。シンカーとユリエールも、軍の責任者として、これからやることは山積みだが、一息入れるくらいは許されるだろうと考え、一先ず教会で落ち着いてから話をすることにする。

 そして、転移門がある中央広場を出て、歩く事十分弱。目的地の教会へと、四人は辿り着いた。イタチを先頭に四人が敷地内に入ると、教会の扉が開いてサーシャが姿を現すと同時に、こちらへ走り寄ってくる。その表情には、自分達が帰って来たことによる安堵は無く、焦燥に駆られている様子だった。

 

「サーシャ殿、どうしたでござるか?」

 

「何かあった様子だな……」

 

 血相変えて走ってくるサーシャの姿に、イタチとケンシンは自分達の居ない間に何事かが起こったことを察する。同時に、アスナとユイの姿が無いことにも。

 

「イタチさん、大変です!」

 

「一体、何があったんですか?」

 

 サーシャの第一声に、いよいよ只事ではないと悟るイタチとケンシン。途切れ途切れの息のサーシャが、事情を尋ねるイタチに差し出したのは、一枚の羊皮紙型アイテム。受け取ったイタチは、早々に書かれている内容へ目を通す。隣にいるケンシンも横から羊皮紙を覗き込む。

 

「黒の忍こと、ビーター・イタチへ。血盟騎士団副団長のアスナと小娘を預かった。返して欲しくば、シンカーとユリエール、ケンシンの三人を連れて、はじまりの街西部の遺跡まで来い…………か」

 

「ありきたりな誘拐・脅迫文書でござるな」

 

 羊皮紙を読み終えたイタチは、嘆息しながらそれを折り畳む。そして、瞑目しながら己の見通しの甘さを痛感する。シンカー救出に赴けば、解放軍が何らかの動きを見せることは明らかだった。自分達への妨害は勿論、教会への襲撃も予想はできていた。アスナを残しておけば、問題は無かろうと考えていたが、このような事態を招いた事実を前にしては手抜かりがあったことは否めない。

 

「シンカーをダンジョンに放置した上、まさかこんな手に出るなんて……」

 

「そんな……僕を助けるために、関係の無い人が巻き添えに……」

 

 脅迫文を読み、シンカーとユリエールはアスナとユイが解放軍に攫われたことに顔を青褪めさせる。特にユリエールに至っては、自分が依頼をしたことによって他者を危険に晒したという事実を前に、責任感に押し潰されそうになっていた。

 

「MPK紛いの行動を起こした連中です。この程度のことはやっても何ら不思議ではありません」

 

「それで、イタチ殿はどうするでござるか?」

 

 普段の間の抜けた印象を一切排した、侍然とした表情で問いかけるケンシン。分かり切ったことを尋ねる剣客に対し、イタチが出した答えは……

 

「要求通り、連中の元へ行く。同時に、アスナさんとユイの救出も行う」

 

 破格の力を持つ死神が最奥に控えたダンジョンから帰還して早々、次なる救出作戦の幕が開けた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 先細り構造をもつ浮遊城・アインクラッド第一層は、全ての階層の中で最も広いフロアである。その地形は非常にバラエティに富んでおり、森や草原、湖沼までもがある。そのはじまりの街西部には、石柱が立ち並ぶ、遺跡を彷彿させるエリアがあった。

 

「ママ……」

 

「大丈夫だよ、ユイちゃん」

 

 普段ならば、人などいない筈の遺跡の中に、複数の人影があった。同じ灰緑と黒鉄色で統一された装備を身に纏った男性プレイヤー……軍の兵士達が、拘束された状態にある二人の女性プレイヤー……アスナとユイを取り囲んでいる。

 

「ハッ!まさか、血盟騎士団の副団長が母親の代わりなんてやってるなんてな!」

 

「それに、二人揃ってこんなに簡単に捕まっちまうんだから、傑作だな」

 

 縄で縛られて身動きの取れない二人を嘲るのは、二人を囲む軍のパーティーのリーダー二人。その下卑た笑いに、アスナが鋭い視線を向ける。

 

「こんな小さい子まで巻き込んで……卑怯な真似して、恥ずかしくないの!?」

 

「何とでも言え。ここは学校じゃない。この世界では、俺達が正義だ」

 

「文句があるなら、抵抗してみたらどうだ。ほら、どうした?」

 

「くっ……!」

 

 眼鏡を掛けた軍のリーダーが、アスナの頬に手を触れる。その卑しい手つきは、下卑た笑いと相まって、酷い嫌悪感をアスナに与える。この上無い屈辱に、アスナの目に怒りと共に涙が浮かぶ。

 本来ならば、両者の視界にハラスメント警告が出現し、アスナはこの男をSAOの刑務所たる黒鉄宮へ送ることが可能となる。だが、アスナの視界にはコード発動を促すシステムメッセージは現れない。何故なら、今のアスナの頭上に浮かぶカーソルは、犯罪者を示す『オレンジ』なのだから。

 

「ククク……まさか、人質を取って圏外に誘き寄せただけで、こんなに簡単に罠に掛かってくれるなんてな」

 

 男の言葉に、しかしアスナは歯軋りして睨みつけるばかりである。ユイを攫ったこの男は、回廊結晶を使用してアスナを圏外へと誘き出したのだ。その後、ユイを突き飛ばしてアスナの怒りを煽り、自身へ攻撃するよう仕向けたのだ。結果、男の目論見通り、アスナは渾身の一撃を繰り出し、男に全損しない程度のダメージを与えた。そしてその代償として、カーソルをオレンジに染める結果となったのだ。そして、突き飛ばされたユイは、アスナが男に攻撃を与えている間に、他の軍の兵士が確保。再びユイを人質に取られたアスナは、言われるがままに拘束されてしまったのだった。

 今にして思えば、あからさまな挑発だった。冷静に分析すれば、男の意図を察知することもできた筈だったが、ユイを誘拐して危険な目に遭わせようとしていた男を前に、それができなかった。二人して拘束され、オレンジプレイヤーになってしまった今となっては、己の迂闊さを呪うばかりだった。

 

「あなた達がやっていることは、譬え仮想世界であろうと許されることではないわ。それに、こんなことをしたって、イタチ君があなた達に屈するわけが無いわ」

 

「どうかな?お前達二人がこちら側に囚われているならば、ビーターの奴とて手出しはできまい」

 

得意気に語る二人のプレイヤーを前に、しかしアスナは侮蔑と嫌悪を込めた視線を送るしかできない。自分とユイが人質となってしまった以上、イタチは軍のプレイヤーを攻撃することはできないだろう。身動きが取れず、為す術も無いアスナは、怖がるユイに寄り添い、その不安を少しでも和らげることしかできなかった。

そんなやり取りが数分ほど続いた後、軍のリーダー二人が、アスナを人質に誘き出した標的が、遂に姿を現す。

 

「要求通り、指定された人間のみで来たぞ!」

 

先頭に立つのは、黒装束に額当て、そして赤い双眸――黒の忍ことイタチである。それに続く三人のプレイヤー……頬に十字傷の入った赤い髪の侍風プレイヤー、ケンシン。そして、アインクラッド解放軍の最高責任者であるシンカーとその副官であるユリエールである。

脅迫状通り、自分達の指定したメンバーのみでこの場所に現れたことを確認したリーダー格の男二人は、その笑みをさらに深める。

 

「確かに、こちらの要求通りだな。それにしても、シンカー……まさか本当にダンジョンから生きて戻ってくるとはな」

 

「ヨロイ……!」

 

「シンカー殿、落ち着くでござる。アスナ殿とユイは無事でござるか?」

 

 他の兵士とは違う、一際派手な金属鎧に身を包んだ男がシンカーを睥睨する。恐らく、彼こそがシンカーの排除を目論んだ幹部、ヨロイなのだろう。シンカーを騙し討ちしようとしながら、いけしゃあしゃあとした態度を崩さないヨロイに、シンカーは苛立ちを募らせる。隣に立つケンシンもまた、怒りをその目に宿しながらも、或いはだからこそ常以上に冷静な姿勢で臨む。

 

「ああ、安心しろ。この通り、無事だ」

 

 ヨロイの後ろに控えていた兵士達が、左右へ道を開けるように動く。兵士たちの包囲の奥に居たのは、人質として囚われている二人――アスナとユイである。一見、外傷は見られないが、アスナのカーソルはオレンジに染められている。察しの良いイタチとケンシンは、彼女が何らかの罠に嵌められたことを悟った。

 ともあれ、こうして要求に応じた以上は、改めてヨロイ達の要求を問わねばならない。

 

「それで、俺達をここへ呼び出した理由は何だ?」

 

「シンカー殿を見殺しにしようとしたお主達が、まさかこのまま、アスナ殿とユイを引き渡すつもりではあるまい」

 

 前へ出たイタチとケンシンに、ヨロイは不気味な笑みを浮かべて口を開く。

 

「この期に及んでその余裕ぶり。相変わらず憎らしい限りだ……だが、どこまでその強気な態度を保てるかな?」

 

 人質を取られて危機的状況に陥っているにも関わらず、常の無表情を一切崩さないイタチに挑発的な態度を取るヨロイ。だが、イタチはその言葉、そして声に引っ掛かりを覚えた。

 

(相変わらず、だと?まるで、俺と今までに会ったことがあるかのような口調……)

 

 SAOで悪の象徴とされているビーターのイタチと、治安維持に務めるアインクラッド解放軍の関係は、水と油。これまでイタチが軍の関係者と言葉を交わしたのは、二十五層攻略までの、ゲーム攻略における事務的な会話のみ。ならば一体、どこで会ったと言うのか……

 

(それにあの声……まさか…………!)

 

 ヨロイと名乗るこの男と相対した時から感じていた、既視感にも似た何か。その声には、確かに覚えがある。間違いなく、自分はこの男を知っている……

 イタチの思考がそこまで及んだところで、ヨロイの傍に、些か派手な鎧に身を包んだ、もう一人のリーダー格の男が現れる。並び立つ二人の姿……それを視界に納めた時、イタチは確信する。自分がこの男達に会った場所を、そして、その正体を――――

 

「……相変わらずなのはお互い様ではありませんか?

――――“勝先輩”に、“小泉先輩”」

 

 イタチの言葉に、勝と呼ばれた男――ヨロイと呼ばれた男はさらに笑みを深め、傍らに立つ男――ツルギは、鎧の下からでも分かる程の、苛立ちを露にした歯軋りの音を響かせる。

 

「やはり、お前なら気付くと思っていたが、遅すぎたんじゃないか、イタチ――いや、“桐ヶ谷和人”?」

 

 桐ヶ谷和人――――それは、忍世界にて二度目の死を迎えたうちはイタチが、新たにこの世界に転生して得た名前。つまり、現実世界の名前なのだ。それを知っているのは、イタチと現実世界で面識のある人間に他ならない。

 解放軍から真のリーダーたるシンカーを放逐し、軍とその拠点たるはじまりの街を意のままに支配しようとした幹部二人は、イタチの目の前で、それまで顔を隠していたヘルメットを外す。そこに現れたのは、イタチとアスナが現実世界の学校で見知った顔だった。ヨロイの方は、現実世界では眼鏡だったそれがサングラスになっていたが、顔立ちは同じ――――

 現在のシンカー同様、かつてイタチこと和人を剣道部から放逐せんと卑劣の限りを尽くした上級生、勝琢也と小泉邦弘である。

 

「まさか、アスナさんだけでなく、あなた達までこの世界に囚われていたとは……流石に、俺も予想外でした」

 

「俺も、まさかお前や生徒会長様までがこの世界に来ているとは、最初は驚いたもんだぜ。」

 

 ヘルメットを脱いだことで露になった顔に、先程までよりも凶悪な笑みを浮かべるヨロイ。隣のツルギも、イタチに対する怒りの中に嗜虐心を覗かせている。

 

(ヨロイ、ツルギはイタチ殿とリアルで知り合い……恐らくは、アスナ殿も……)

 

 生徒会長と呼ばれている人物がアスナであり、二人の知り合いであることは、ケンシンやシンカー、ユリエールといった部外者にも分かった。加えて、目の前で相対するイタチとヨロイ、ツルギもまた現実世界で面識があることも察しがついた。尤も、イタチにとってもアスナにとっても、再会を喜ぶような仲でないことは明らかだが。

 

「剣道部では散々やってくれたお前が、まさか攻略組のビーターやってるとはなぁ……しかし、相変わらずボッチなのは変わらねえな」

 

「まあ、そのお陰でこうして人質を楽に確保できたんだがな」

 

「与太話はそのくらいで良いでしょう。それより、アスナさんとユイを解放して欲しいのですが、俺達に何をさせるつもりですか?」

 

 ヨロイとツルギが口にする嫌味に口を挟み、再度イタチは要求を問う。その態度に、ツルギが怒りを露にする。

 

「テメエ……自分の立場が分かってんのか!?」

 

「まあ待て、ツルギ。それじゃあ、早速こちらの言う事を聞いてもらおうか?」

 

 今にも斬りかからんばかりの殺気を滾らせるツルギを宥め、ヨロイはいよいよとばかりに、アスナとユイを人質に要求を突き付ける。

 

「まずは、武装解除だ。その背中に吊っている物騒なものをストレージにしまってもらおうか」

 

 ヨロイの言葉に、しかしイタチとケンシンは僅かな苛立ちも見せない。要求に従い、ウインドウを操作して現在武装している剣と刀をストレージに納める。むしろ問題は、ここからだ。

 次の要求こそが、この男達の本命と言っていいだろう。武装を解除したイタチとケンシンを確認するや、ヨロイは一振りの剣をイタチに投げつけてきた。はじまりの街に売っている初期装備、スモールソードである。

 

「そいつを拾って、隣の侍を斬れ。ああ、HP全損にはしなくていいぞ。それは俺達の役目だからな」

 

 その要求を聞いて、イタチはヨロイとツルギが何を企んでいるのかを明確に察する。だが、人質を取られている現状、抗う術は無く、命令通りに剣を拾い上げる。

 次いで、隣に立つケンシンの方を向くと、その視線に対し、無言で頷いて返してきた。どうやら、お互い覚悟はできているようだ。

 

「やめて!イタチ君!」

 

「パパ……!」

 

 縛られて身動きが取れない状態で、涙ながらにイタチを止めるべく悲痛な叫びをもって呼びかけるアスナ。隣のユイも、今にも泣き出しそうだった。だが、イタチは止まらない。無言のまま振りかざした剣で、ケンシンを袈裟掛けに斬った。

 

「……っ!」

 

 イタチとて、本気で斬りつけたわけではなく、急所を外しての浅い一太刀である。剣も大したパラメータではないので、ケンシンのHPは一割と減っていない。問題は、攻撃を加えたイタチの方である。グリーンカーソルのプレイヤーを故意に傷つけたことで、そのカーソルは緑色から、犯罪者を示すオレンジへと染められていた。その様を見て、ヨロイとツルギが狂気の笑みを浮かべた。

 

「ククク……これで貴様はオレンジプレイヤー、犯罪者だ!この状態ならば、グリーンの俺達がお前を斬っても問題は無い!」

 

 ツルギはそう叫ぶと同時に、イタチ目掛けて一気に駆け出す。そして、右手に握っていた刃を振り上げ、イタチを背後から斬りつける。中層プレイヤー相当の敏捷で繰り出されるツルギの斬撃は、イタチにとって回避することは容易いものの、人質を取られてる手前、下手に相手を刺激するわけにはいかない。回避と防御はせず、しかし急所は外し、ダメージを最小限に止めて時間稼ぎに徹するべく、イタチは動く。

 

「卑怯者!無理矢理オレンジにした相手を傷つけて、自分だけはグリーンのままでいようなんて……人間として恥ずかしくないの!?」

 

 怒りの籠った瞳でヨロイとツルギを睨みつけて叫ぶアスナだが、当人たちはどこ吹く風とばかりに全く動じない。

 

「何とでも言え。さっきも言ったが、ここでは俺達が法律……俺達が正義だ」

 

「その通りだ。ああ、安心しろ。そして、正義の解放軍である俺達が、犯罪者プレイヤーであるお前を斬り捨てる!」

 

「イタチ君、逃げて!」

 

 アスナの悲鳴が木霊する。だが、イタチは逃げることは許されない。今ここで逃げ出そうとすれば、ヨロイは間違いなくアスナとユイに刃を向ける。隣に立つケンシンも、手出しができない。要求されていない行動を取れば、やはり人質に危害が加えられることは間違いないからだ。イタチとて、初期装備とはいえ、剣を握っている以上は、抵抗する手段が無いわけではない。イタチの実力をもってすれば、この装備でも確実にツルギを倒せるだろう。だが、人質の安全を顧みれば、そんな真似はできない。

今イタチにできることは、ツルギが繰り出す斬撃を、急所を外す形で受け、苦悶の表情を浮かべたフリをするくらいだ。攻略組トップクラスのステータスを持つイタチのHPは、中層クラスのツルギが繰り出す攻撃では、簡単には削り切れない。幸い、ツルギ当人も必死に斬撃を回避しているイタチの姿に嗜虐心を刺激されている様子だ。抵抗できないイタチをじわじわと痛めつけ、追い詰めていくつもりなのだろう。

 

「ほらほら、どうしたどうした!攻略組としての実力は、現実世界での余裕は、どこへ行った!?」

 

「ぐぅっ!」

 

 イタチが抵抗できないことをいいことに、勝手なことをのたまうツルギ。攻略組最強と呼ばれたプレイヤーを、中層程度のレベルしかない自分が追い詰めているという、目の前の現状に酔い痴れていることは間違いない。イタチを嘲り、己の優位に現を抜かしながらも、その猛攻の手は緩めない。ツルギの一方的な攻撃が繰り広げられること五分。全快だったイタチのHPは、三割近くまで削られようとしていた。

 

「もうやめて!イタチ君を殺さないでっ!」

 

「ククク……安心しろ。攻略組のアイツのステータスなら、まだまだ持ち堪えられるだろう。ツルギの後は、俺も楽しむのだからな。この程度でへばって貰っては困る」

 

 アスナの叫びも空しく、ヨロイとツルギの凶行は止まらない。狂っている、とその場にいた二人以外の人間全員が思った。ツルギがイタチに対して五分以上も剣を振い続けられるのは、仮想世界故に身体的な疲労が無いというだけではなく、メンタル面の狂気がそれをブーストしているからなのだろう。

 散々、一方的にイタチを斬りつけ続け、ついにHPバーはイエローゾーンへ突入した。それである程度はストレスが解消されたのだろう。狂気に満ちた笑みを浮かべつつも、一先ず攻撃の手を止めたツルギは、その様子を見ていたアスナやケンシン達へと振り返る。

 

「フハハッ!たまんねえな、こりゃ!俺達正義が、悪のビーターを叩き潰す……本当、最高だぜ!」

 

 顔に浮かべる狂気や、無抵抗の相手を一方的に攻撃する姿には、正義と呼べるものは一切存在しない。浅ましい限りのこの男に、シンカーとユリエール、アスナは怒りを通り越して薄ら寒いものを覚えた。そんな中、ケンシンだけはこの凶行が開始されてから一切変わらない、真剣な表情で口を開く。

 

「ツルギ……それに、ヨロイ。何故このようなことができる?お前達とて、この世界に囚われた人間であろう。如何に現実に近い世界を再現しているとはいえ、所詮ここは仮想世界。譬え一時的にその欲を満たせたとしても、全ては幻想でござる」

 

 突然のケンシンからの諭すような言葉に、ヨロイとツルギの顔から笑みが消える。その言葉は、二人の心に何らかの形で響くものがあったのだろう。

 

「ツルギ、お主の剣技を見て分かったでござるが、相当な実力でござる。今となっては腐敗しているものの、かつてはゲーム攻略に邁進していたのではござらんか?」

 

 ケンシンの言葉に、その場にいた全員が息を呑む。恐らく、現実世界では何らかの剣術を会得しているであろうこの侍は、先の一方的なイタチへの攻撃から、その動きに剣道の心得があることを見破ったのだろう。そしてそれが、名門私立中学における、高度な技であることも。

 

「お主等とて、根は腐っていたとしても、攻略をするという目的のもと行動していた筈。それが何故、このような真似に及んだでござるか?」

 

 ケンシンの問いかけに、しかしツルギとヨロイは答えない。そして次の瞬間には、怒りに歯を軋ませ、声を張り上げる。

 

「知った風な口を聞くな!貴様等と俺達とでは、この世界に囚われることの重みが違うんだよ!」

 

 心の奥底を曝け出されたことの怒りからだろうか。これまでに無い、感情的な態度に出るヨロイに、ケンシンは僅かに目を細める。一方、イタチとアスナは彼等二人が何を思い、このような凶行に及んだのか、その理由に辿り着いた。

 

「この世界に囚われてから、二年が経過した……俺達の現実の時間は、同じだけ浪費されたんだ!今さら現実世界に帰ったところで、何になるってんだ!」

 

(そうか……私と同じ…………)

 

 怒りを露わに、感情に任せて声を張り上げるその姿を見て、アスナは自分に似通った境遇……言うなれば、親近感を覚えた。

 デスゲームの幕が上がって以降、二週間が経過しても第一層の突破すらできず、犠牲者が増えるばかりの現状に、アスナは絶望するしかなかった。そして、この世界への精一杯の抵抗として、剣を手にはじまりの街を飛び出したのだ。その後、自分は幸運にも現実世界での知り合いだった、イタチこと和人に再会することができ、その後は互いにすれ違いながらも、今に至ることができた。

だが、この二人は違う。最初は現実世界への帰還を望み、フィールドで狩りをしていたのだろうが、第一層攻略までに掛かった一カ月という月日の間に、自分たちの現実が破壊される恐怖に耐えられなかったのだろう。名門私立中学に通うアスナをはじめとした生徒は、生まれながらに将来を嘱望された存在であり、その期待に応えることを義務付けられている。だが、二年以上の月日をこのゲーム世界で浪費してしまった今、現実世界に帰れたとしても、そこに自分たちの居場所は無い。同じ境遇の人間でなければ理解できない心理……だが、このような凶行に及ぶには、――少なくとも彼等にとっては――十分な理由だった。

 

「現実世界には、もう俺達の居場所なんてありゃしねえ……なら、この世界で好き勝手させてもらうだけだ!」

 

「GMも言っていた……この世界は、俺達にとってのもう一つの現実。ならば、帰還する必要など無い……この世界で一生を終えるだけだ!」

 

 救いようも無い程に荒んでいる……この場にいる全員が、そう思った。彼等は、デスゲームという世界の牢獄が生み出したモンスターなのだろう。レッドギルドにもこのような人物は多数いた。現状、加害者としか見えない彼等だが、同時にこの世界に囚われた、それこそ自分達と同じ被害者なのだ。この場にいる人間の中で、特にイタチとアスナは、彼らの感情をよく理解できる。尤も、理解はできても、同情しようとは思わないし、今やっている所業を許すわけにもいかないが。

 

「ククク……さて、気を取り直して続きと行こうか。もうちょい楽しみたいが、解放軍はリソースを分け合うものだ。俺ばかり良い思いをするわけにはいかねえからな」

 

「ここからは、俺の番だ。イタチがくたばったら、同じ要領でそこの侍とシンカーも、オレンジプレイヤーにした上で制裁してやる。ああ、女だけは殺さずにおいてやる。後でじっくりと、楽しませてもらうからなぁ!」

 

 最早、この二人を止める術など無い。絶望のもとに生まれ、加速し続ける狂気。絶望が渦巻くこの世界の中で起こる、ありふれた悲劇。それが、再現されている、ただそれだけのことなのだから――――

 

「あっ……ああっ……!」

 

「ユ、ユイちゃん!?どうしたの、ユイちゃん!?」

 

 そんな中、今まで恐怖に竦み、大人しく怯えるばかりだったユイに異変が起こった。両目を見開き、過呼吸を引き起こしたかのように震えだす。ヨロイとツルギの狂気に当てられたせいだろうか。不安に駆られるアスナだが、何が起こっているのか、何をすればいいのか、分からない。周囲にいた他の者達もそれに気付き、軍のプレイヤー達は訝るような視線を、イタチやケンシン等は心配そうな視線を向けていた。

 

(ユイ……まさか!)

 

 唯一、ユイの正体を知っていたイタチだけは、彼女に何が起こっているのかを理解していた。そして次の瞬間、

 

「うあ……あぁぁぁぁああああああああああああ!!」

 

 凄まじい悲鳴が、遺跡を満たした。途端、ユイの身体からは白い光の柱が立ち上る。SAOのシステム上、あり得ない現象の中、同じくSAO内で初めて聞くノイズと世界を構成するポリゴンのブレが、辺りに生じた――――

 



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第五十一話 ユイの心

 第一層西部の遺跡に響き渡る、少女の慟哭。そして、天へと立ち上る激しい光に、激しいノイズと共に起こるポリゴンのブレ……次々起こる、SAOにおいて有り得ない超常現象に、その場にいたプレイヤーは誰一人として動けない。

そして、それら奇怪な現象は、唐突に終わりを告げた。急速に縮小した光の中には、先程まで悲鳴を上げていた少女の姿があった。その場にいた全員の視線が集まる中、少女――ユイは一人、立ち上がった。

 

「ユイ……ちゃん?」

 

 突然起こったユイの異変に、アスナは何が起こったのかを全く理解できず、しかし名前を呼びかけた。対するユイは、ロープアイテムによる拘束と予想外の出来事による衝撃で動けないアスナの方へ振り向くと、僅かな笑みを浮かべて答えた。

 

「大丈夫だよ……ママ」

 

 出会った当初の幼さの無い、非常に安定した表情で短くそれだけ口にすると、ユイは瞳を瞑り、ゆっくり言葉を紡ぎ始めた。

 

「システムログイン。ID『MHCP001』。」

 

(やはり、ユイの正体は……!)

 

 唐突に口を開き、呟いたユイの言葉に、イタチはいよいよもって彼女の正体を確信し、そして記憶を取り戻したことを悟る。誰もが呆気にとられる中、ユイは音声コマンドらしき言葉を紡ぐ。

 

「システムコマンド。オブジェクトID『ロープ』を除去」

 

「な、何っ!?」

 

 同時に、それまでユイとアスナを拘束していたロープアイテムが消滅した。SAOのシステム上、ストレージに納めるか、耐久値が尽きるか以外の原因でアイテムが消滅することは有り得ない。それをこの少女は、これもまたシステム上有り得ない、正体の全く分からない方法でやってのけたのだ。

 プレイヤーには有り得ない異能を顕現した少女に、その場にいた一同は驚愕を露にする。誰もが凍りついて動けない中、少女は音声コマンドを口ずさみ、紡いでいく。

 

「システムコマンド、プレイヤーステータスを『パラライズ』へ変更」

 

「うわっ……!」

 

「ぐっ……!」

 

「なっ……!」

 

 次の瞬間には、アスナとユイを取り囲んでいた軍の兵士、そしてそれを指揮していたヨロイとツルギまでもが、次々地面に倒れ伏していく。次々に起こる事態に、麻痺に陥ったヨロイとツルギをはじめとした軍は勿論、シンカーやユリエールも驚愕に表情を染める。

 

「ま、麻痺だと……!どうなっている!」

 

「クソッ、クソッ!何しやがったんだあの小娘!」

 

 地面に倒れた軍のプレイヤー達の視界の端、HPバーには、麻痺を示すデバフアイコンが点滅している。麻痺毒や、特殊効果を持つ技を受けたことが原因ではない……明らかに別の何か、もっと言えば、ユイと呼ばれた少女が起こした異変であることは、明白だった。

 

「ユイ、ちゃん……なの?」

 

 母親としてユイを保護している立場のアスナは、目の前の光景が信じられない。ヨロイとツルギの狂気に当てられ、奇怪な現象を伴う金切り声を上げ、それが終わった次の瞬間には、軍のプレイヤーを次々麻痺に陥れたのだ。明らかにプレイヤーのなせる業ではない。これではまるで……

 

(GMの……システム権限……でござるか?)

 

 人知の及ばぬ異常事態にありながら、冷静な思考を保つことのできたケンシンは、現状を分析すべく思考を走らせる。ケンシンが至った結論は、当たらずも遠からずといった具合だが、イタチの場合はユイの正体から知っているため、今更驚きはしない。

 イタチとケンシンを除き、大部分の者が驚愕する中、ユイはさらに新たな異変を引き起こす。

 

「システムコマンド。ID『イタチ』と『アスナ』、カーソルカラーをオレンジからグリーンへ変更」

 

「えっ?」

 

「む……」

 

 途端、今度はイタチとアスナの視界、その端に表示されたステータスに変化が起こる。プレイヤーを攻撃したことで、カーソルがオレンジに変化していることを示す表示が、グリーンのものへと戻っているのだ。

 

「イタチ殿、カーソルが緑に……」

 

 隣でその変化を見ていたケンシンもそう言っている。アスナの方を見れば、彼女も同じくカーソルがグリーンに戻っていた。どうやら、これもユイのおかげらしい。

 と、そこへ

 

「おーい!イタチ!」

 

 すぐそこからイタチの名を呼ぶ声が聞こえた。振り返って見てみると、そこにはイタチと同じ攻略組プレイヤーのカズゴ、アレン、ヨウ、メダカ等、攻略組メンバーの姿があった。それを追うように続くのは、ディアベルとキバオウを中心とした、中層で治安維持に務めている軍の実働部隊である。

 

「遅かったでござるな」

 

「悪かったな。これでも大急ぎで来たんだぜ」

 

「全く……イタチ、君は相変わらずトラブルに巻き込まれるのが好きみたいですね」

 

 イタチとケンシンは、ヨロイとツルギの脅迫状に従って西部の遺跡へ行く前に、比較的親しい仲の攻略組プレイヤーへ呼び掛け、中層で活動しているディアベルをリーダーとした部隊を援軍として連れてくるよう頼んでいたのだ。

 尤も、ディアベル達実働部隊は、小一時間前までは中層のフィールドで狩りをしていたのだから、カズゴ達が合流に時間をかけてしまったのは仕方の無いことと言える。

 

「イタチ君……また、君に迷惑をかけてしまった……本当に済まない」

 

 自分の管理が行き届かない、第一層本拠のトラブルに巻き込んでしまったことについて、ディアベルはイタチに深々と頭を下げて謝罪する。後方に控えているキバオウは沈黙したままだが、今回の騒動に関しては完全に軍の側に非があるため、口を挟むことはできないと考えているのは分かった。

 主にディアベル等、軍のプレイヤー達にとって気まずい空気が流れる中、現状を確認するべくメダカが口を開いた。

 

「それより、ここにいる軍の連中が、ヨロイとツルギの一味で間違いないのか?」

 

「その通りです。アスナさん達を誘拐し、我々をここで殺そうとしました」

 

 シンカーの回答に、メダカは得心した様子で頷いた。同時に、ある疑問も浮かんだ。

 

「フム……しかし、何故全員、麻痺を食らっているんだ?明らかにプレイヤーによるもの……だが、誰一人としてオレンジカーソルにはなっていない」

 

「ええと、それは……」

 

 メダカの唱えた疑問に、シンカーとユリエールは返答に窮する。現場に居合わせた自分達も、何がどうなってこのような状況になったのか、未だに理解できていないのだ。唯一分かっているのは、ここから少し離れた場所に立つ少女――ユイが、この異変の鍵を握っているということくらいだが、それを口にすることは憚られた。二人が押し黙るそんな中、今度はイタチが入ってきた。

 

「悪いが、その説明は後にさせてくれ。まずは、ここに倒れている連中の確保だ。全員、黒鉄宮の監獄エリアへ連行する必要があるだろう」

 

「…………それもそうだな。よし、それでは皆、ここに倒れている連中全員を一か所に集めるんだ。回廊結晶を用いて、一気に黒鉄宮へ送り込む!」

 

 察してくれと暗に頼み込むイタチの言葉に、メダカは一先ず疑問を棚上げすることにした。自身のギルメンや攻略組プレイヤー、後方の軍の兵士に呼び掛け、遺跡内部に倒れている軍のプレイヤーを片端から石畳の中央へと集めた後、ロープで体を縛り上げる。全員捕縛したのを確認した後、メダカは回廊結晶を取り出し、起動キーを口にする。

 

「コリドー・オープン!」

 

 途端、遺跡中央に青白い光の渦が発生する。回廊結晶の入り口である。出口に指定した場所は勿論、第一層黒鉄宮の監獄エリアである。メダカは入り口が開くや、拘束した軍のプレイヤー達を次々放り込んでいく。十数名近くの部下を光の渦に落とし、最後にリーダー格のヨロイ、ツルギを放り込もうとした、その直前、ツルギは、援軍が到着してからずっと立ち尽くしていたユイの方を向くと、

 

「この……化物がっ!」

 

 そう悪態を吐き、渦の中へ飛び込んだ。憎しみの籠った視線で投げかけられた悪意に満ちた侮蔑の言葉に、ユイの身体が再び硬直する。そんな彼女を傍らに立っていたアスナはぎゅっと抱きしめた。

 

「ユイちゃん、大丈夫だよ……大丈夫だから…………」

 

 正直、アスナも心の整理ができていない。一連のユイが顕現した異能は、システム上説明のつかないものばかりである。もしかしたら、彼女は本当に自分達と同じ、プレイヤーでは……人間では、ないのかもしれない。しかし彼女の正体が何であれ、アスナは自分を母親と慕うこの少女を放ってはおけなかった。ただ純粋に、一緒にいてあげたかった。そんなアスナの気持ちが伝わったのか、ユイの方からもアスナを抱きしめてきた。

 

「ママ……」

 

 抱きしめる手は、震えていた。先ほどのヨロイの言葉が、彼女の心に深い傷を付けたのだろう。恐怖に震える彼女の身体を、アスナもまた、さらに強く抱きしめた。

 

「……メダカ、ディアベル。悪いが、先にはじまりの街に戻っていてくれないか?」

 

「……分かった。我々は先に、街に戻って捕縛した連中から事情聴取を行うとしよう。それでは、行くぞ皆」

 

「ここからだと、黒鉄宮まではかなり距離がある。軍の連中の取調べを早期に行う必要がある以上、少々高くつくが、転移結晶で戻ろう」

 

 メダカとディアベルの言葉に、その場にいたプレイヤー達は一様に頷くと、ポーチに仕込んでいた水色の結晶型アイテム、転移結晶を取り出す。

 

「転移、はじまりの街」

 

 ディアベルが転移したのを皮切りに、次々プレイヤー達は、先の回廊結晶と同じ青白い光の中に消えていく。シンカーとユリエール、ケンシンも含め、イタチとアスナ以外の関係者は全員、この場から消え去った。

 それを見届けると、イタチはアスナとユイがいる場所まで近づいていく。互いに抱き合っていたアスナとユイは、イタチが近づくとその抱擁を解き、二人揃って顔を向けた。

 

「……アスナさん、ユイ。大丈夫でしたか?」

 

「うん。ロープで縛られてからは、別に危害は加えられなかったけど……それより、ユイちゃんが……」

 

 アスナの心配は、自分よりもユイの方だったのだろう。誘拐された恐怖はもとより、先ほどのシステム上あり得ない奇怪な現象を巻き起こした彼女に、いったい何があったのか。非常に心配だった。対するユイは、そんなアスナと、傍に立つイタチに、にこりと笑いかけた。

 

「心配ありませんよ……アスナさん、イタチさん」

 

「ユイ、ちゃん?」

 

 出会ってから感じていた、年齢不相応な幼さを全く感じさせない口調。そして、自分達をパパ、ママと呼ぶのではなく、プレイヤーネームで呼んできた。その事実に、イタチは一つの答えを得る。

 

「全て、思い出したんだな」

 

 イタチの言葉に、アスナははっとする。対するユイは、こくりと小さく頷いた。

 

「全部、説明します」

 

 人気が完全に無くなった遺跡フィールドの中、ユイの単調な、それでいてどこか哀愁を感じさせる言葉による説明がなされていく。

 

「この世界、『ソードアート・オンライン』は、一つの巨大な制御システムのもとに運営されています。システムの名前は、『カーディナル』――――」

 

「そのシステムについては聞いている。システム自らの判断にも基づいてゲームバランスを調整し、人間のメンテナンスを必要としないことが特徴、だったな」

 

「イ、イタチ君!?」

 

ユイに続く形で発したイタチの説明に、アスナは驚いた顔をする。ソードアート・オンラインのモーションキャプチャーに携わった過去を持つイタチは、その動きをゲーム内でどのように処理・再現するかについて説明を受けている。その中には、現在話題に出ている、ゲームバランスを調整するカーディナルプログラムも含まれていたのだ。ユイはイタチに対し頷き、その先を口にする。

 

「その通りです。その構造は、二つのコアプログラムが相互にエラー訂正を行い、さらに無数の下位プログラム群によって世界の全てを調整するというものです。モンスターやNPCのAI、アイテムや通貨の出現バランス……何もかもが、カーディナル指揮下のプログラムによって、操作されています。しかし一つだけ、プログラムだけでは解決できない、人間の手による介入を必要とする事項がありました」

 

「プレイヤーの……つまりは人間の心、か」

 

「……はい」

 

 ユイが言わんとした核心を口にしたのは、イタチだった。ユイの正体を知ることができたのも、茅場晶彦から得たプログラムの情報についての知識があったからだ。対するユイは、暗い表情でイタチの言葉を肯定した。全てを説明するには、ユイの真実について語ることは避けて通れない。

 事情を全て把握したイタチならば、ここから先をユイの代わりに語ることもできる。真実を語ることで受ける痛みがどれほどのものかを知るイタチは、無言でユイにそれを提案するが、ユイは首を振ってそれを断った。その覚悟を察したイタチは、これ以降口を挟まないことを心に決めた。

 対するユイは、そんなイタチの気遣いに僅かな笑みを浮かべながらも、続けた。

 

「開発当時は、十人規模のスタッフが用意される筈でした。しかし、開発者たちは、プレイヤーのケアすらもシステムに委ねようとしました。それが私……『メンタルヘルス・カウンセリング・プログラム』……MHCP試作一号、コードネーム『Yui』。それが私の正体です」

 

 ユイから語られる真実に、アスナは驚愕を露にする。今まで自分達と一緒にいた、この少女が、プレイヤーでは……人間ではないというのだ。それは、ユイを本当の子供のように思っていたアスナにとっては、何よりも衝撃的だった。

 

「プログラム……AIだっていうの?」

 

「プレイヤーに違和感を与えない様に、私には感情模倣機能が与えられています…………そう、偽物なんです。この涙も……気持ちも……何もかもが。ごめんなさい、アスナさん」

 

 ユイの頬を伝う涙に、アスナはかける言葉が見つからない。隣に立つイタチも、表面上は鉄面皮ながら、内心は複雑だった。

 

「ユイちゃん……でも、記憶が無かったのは?AIにそんなこと、起きるの?」

 

 ふと湧いた疑問を口にするアスナ。AIでは有り得ない、記憶喪失という障害……または欠陥。そんなものが発生した理由。恐らくそれは、自分達の前に現れた事と関係しているのだろうと、イタチは思った。

 

「二年前……正式サービスが始まった日のことでした……」

 

 正式サービス開始時とは、即ちデスゲームの開始宣告がなされた日のことである。そしてそれは、ユイの崩壊が始まった日だったのだろうと、二人は直感した。

 

「カーディナルは、何故か私へ、プレイヤーに対する一切の干渉禁止を言い渡しました。私は止むなく、プレイヤーのメンタル状態のモニタリングだけを続けたんです……」

 

 その先は、大体予想がついた。ログアウト不能の死の牢獄と化した世界に閉じ込められた全プレイヤーが、絶望の底に落とされた瞬間だったのだ。それをモニタリングしたのだとしたら、ユイの負担は測り知れない。

 

「状況は、最悪と言ってもいいものでした……恐怖、絶望、怒りといった負の感情に支配された人々……時として、狂気に陥る人すらいました。本来ならば、すぐでにでもそのプレイヤーの元へ赴き、カウンセリングを行わなければならない……でも、接触することは許されない。義務だけがあり、権利の無い矛盾した状況の中、私はエラーを蓄積させ、崩壊していきました……」

 

 当時のことを思い出し、意気消沈するユイ。プレイヤー全員の絶望を直視し続けたのだから、当然だろう。普通の人間であっても、発狂しかねない状況だ。

 イタチとアスナまでもが揃って黙る中、ユイは再び口を開いた。

 

「でもある日……他のプレイヤーとは異なる、メンタルパラメータを持ったプレイヤーの存在に気付きました。それが……イタチさん、あなたです」

 

「……何?」

 

 予想外な指名に困惑するイタチ。身に覚えが無いと言わんばかりの表情を浮かべるイタチに、ユイは穏やかな笑みを浮かべた。

 

「ビーターという悪名を背負うあなたの心には、怒りや憎しみは全く無く……けれど、誰よりも多くの悲しみがありました。一見すれば、他のプレイヤーと同じ……けれど、本当はそれだけじゃないことを、あなたの行動を見守り、遡る内に、私は知りました」

 

 イタチと目を合わせて言葉を紡ぐユイの顔には、先程までは薄れかけていた生気が戻っていた。

 

「生き残れるかも分からない、命懸けのゲーム攻略なのに、あなたと一緒に戦う人達の心は、この世界のどこよりも、希望に満ち溢れていました。憎むべき相手だけれど、あなたさえいれば、安心なのだと。それで、一人で誰よりも多くの悲しみと、多くのプレイヤーの憎しみを背負って戦うあなたは、皆に希望をあげるために戦って来たのだと、私は理解しました。アスナさんも、その一人なのではありませんか?」

 

「うん…………そうだったね」

 

 ユイの話を聞いて、アスナにも自覚はあったのだろう。デスゲームに囚われ、日々現実世界の自分の世界が破壊されることに怯え、恐慌し、狂戦士とまで呼ばれていた自分。そんな自分に、安らぎを与えてくれたのはイタチだった。尤もそれは、本人の意図したことではなかったのだが。

 

「正式サービス初日に、自殺しようとうする人を止めようとした人や、攻略のための情報を積極的に提供していた人も……皆イタチさんが動かしたんです。

しかも、イタチさんは、いつも危険な攻略ばかりして、皆にために戦っているのに…………全てのプレイヤーの行き場の無い憎しみを背負うために、自らビーターと蔑まれることを選びました」

 

 ユイの口から語られる、イタチのこれまで。それを聞いたアスナは、沈痛な表情を浮かべる。今まで攻略組として傍に居ながら、ほとんど力になることができなかったことへと後悔が見て取れた。

 当のイタチとしては、一連の自分が行ってきた行為に関しては、全て自分に課せられた当然の義務だったとして受け取っている。確かに、転生してから、前世の反省を活かせない自分や、その犠牲に悲しみを抱いていたことは事実だが、それすらもイタチは自分の罪として呑み込んでいた。

 だが、ユイとしては容易に看過できることではなかったらしい。

 

「イタチさんは、自分を犠牲にすることで、皆を救いました。しかしそれは、本来私がすべきことでした……」

 

 ユイの顔が、僅かに暗くなる。確かに、こうして説明を聞けば、今までのイタチの行動は、ユイの代行と呼べなくもない。

 

「私にできなかったことをした、あなたに近づきたくて、私はフィールドを彷徨いました」

 

「……それで、俺がアイテム保存のために頻繁に出入りしているログハウスがある、二十二層の森の中に現れたのか」

 

「はい……私ずっと、あなたに会いたかった…………おかしいですよね、そんなこと、思える筈も無いのに……ただのプログラムなのに……」

 

「ユイちゃん……あなたは、プログラムなんかじゃないわ……私達と同じ、心を持ってる!」

 

 涙を流しながら自分を所詮プログラムと自嘲するユイの肩を掴み、アスナはそう呼び掛けた。その頬にも、涙が伝っている。

 

「あなたはもう、システムには縛られる存在じゃないわ……さあ、言って。あなたは、どうしたいの?」

 

 涙ながらに真剣に問うアスナ。対して、ユイは……

 

「私は……私は……ずっと、一緒にいたいです。パパ、ママ……!」

 

「ユイちゃんっ……!」

 

 その答えを聞いた瞬間、アスナはユイを抱きしめた。抱きしめずには、いられなかった。その後ろで、イタチは一人立ち尽くしている。本来ならば、アスナと一緒にユイの傍に行くべきなのだろう。抱きしめてやるべきなのだろう。だが、同時に自分にはその資格が無いことを、イタチは感じていた。

 

「ありがとう、ママ……でも、もう遅いんです」

 

「遅い?……どういうこと、ユイちゃん」

 

 不安そうな顔をするアスナに、ユイは辛そうな顔で答える。

 

「この遺跡の真下には、主街区の黒鉄宮にあるダンジョン奥深くにある、システムコンソールがあります。さっきの争いの中で、かつての正式サービス開始日と同じ……プレイヤーの絶望と狂気が再現された場面を見たことで、私は記憶を取り戻しました。同時にシステム権限を取り戻し、それを使って、あの人たちを麻痺させたのですが……

同時に、今私のプログラムがチェックされています。カーディナルの命令に違反した私は、システムにとっての異物です。すぐに消去されてしまうでしょう」

 

 ユイの口から告げられた言葉は、何よりも衝撃的だった。だが、イタチもアスナも、その言葉が間違っていないことを、システム上の道理であることを察していた。しかし、アスナはそれを認められない。

 

「そんな……嫌よ、そんなの!これからじゃない!もっと皆で一緒に……!」

 

「パパ、ママ、ありがとう。これでお別れです……」

 

 その瞬間、ユイの身体が白い光に包まれ始めた。カーディナルによるチェックが終了し、いよいよ消去という段階に入ったのだろう。アスナはユイを決して離すまいと抱きしめている。当のユイは、その後ろに立ったままのイタチへと視線を向けていた。

 

「パパ、ごめんなさい。私が背負わなければならないもの全部押しつけて……こうして会えたのに、何の力にもなれなくて……本当に、ごめんなさい」

 

 その言葉に、イタチの鉄面皮に皹が入った。今まで、どんな罵詈雑言でもイタチの表情を変えることすら敵わなかった。だが、ユイが口にした謝罪は、これまでに無いほど大きな波紋をイタチの心に広げていた。

 

「何故謝る……?俺は、お前の正体を始めから知っていた……それでいて、利用しようと考えていたんだぞ……!」

 

 ユイがプログラムであることは、森の中で邂逅した当初から察していた。こうして記憶を取り戻すのに協力したのも、プログラムとしての機能を取り戻すことで、未だ絶望の中にあるプレイヤーの心をケアできると考えたからだ。あわよくば、システム権限を取り戻す事で、ゲーム自体を終わらせることすらできないかと考えた程だ。

 だが、イタチの真意を聞いても、ユイは微笑みかけ続けた。

 

「全部、分かってます。それが、他の皆の事を想ってのことだということも……むしろ、どんな形であれ、パパが私のことを頼りにしてくれたことの方が嬉しかったです。だって、パパはいつも、一人で何でもしようとしていたじゃないですか」

 

 その言葉に、イタチは目を見開き衝撃を受ける。何と言うことだろう。プログラムであった筈の、自分もそう信じて疑わなかった少女は、本当は自分と同じ存在だったのだ。イタチの忍としての思考が、彼女の存在はプログラムという範疇から動かないと言っているが、心はそれを全否定している。彼女は自分達と何ら変わらない、人としての心を持っていると。ユイがイタチを『パパ』と呼んだのは、或いはその在り様に共感を得たからかもしれない。

 

「ママ……私の代わりに、パパを助けてあげて……パパは、一人じゃないって、教えてあげて。そしたらきっと……パパはもう、悲しい想いなんてしなくていいから……」

 

「うん!分かってるよ……分かってる。だから、ユイちゃんも……!」

 

「パパとママがいれば、皆が笑顔になれる……二人は、皆の希望なんです。だから……これからも、その喜びを皆に分けてあげてください……」

 

 その言葉を最後に、アスナの腕の中の感触は、光と共に完全に消えた……

 

「ユイちゃん……うわぁぁぁああああ!!」

 

 石畳に膝を付いたアスナの叫びが、木霊する。閃光のアスナと呼ばれ、強豪プレイヤーに名を連ねる自分は、あんな幼い少女一人救えない……こんな世界の不条理に従わねばならない。己の無力に、激しく打ちひしがれていた。

 だがイタチは、零れ落ちた葛藤となって頬を伝った一滴の涙を拭うと、懐に入ったアイテムを取り出し……

 

「コリドー・オープン」

 

 起動キーを唱えた。途端、イタチの取り出したアイテム――回廊結晶は、青白い渦をその場に作り出す。

 

「イタチ、君……?」

 

 イタチの奇怪な行動に疑問符を浮かべるアスナ。ユイが消えてしまった今、イタチもまた自分のように泣きだしはしないものの、果てしない悲しみに暮れている筈と思っていたのだが、そうは見えない。一体、何を考えているのだろう、その問いを投げるよりも先に、イタチは渦の中へと姿を消した。

 

「ちょっと、待って!」

 

 その後ろ姿を、アスナが追う。イタチが発動した回廊結晶の青白い光を潜り、辿り着いた場所は、見知らぬ部屋だった。

四方が白い光を放つ壁に囲まれた部屋の形は、完全な正方形。中央にはつるつるに磨かれた黒い立方体の石机が置かれている。たった一つの出口から見える光景からして、ここはどこかのダンジョンの安全エリアであると推測される。だが、一体どこなのか。そもそも、ユイが消滅してから来ることに意味がある場所なのか、アスナには見当もつかなかった。

 

「ねえ、イタチ君……ここって……」

 

 イタチにこの場所についての詳細を問おうとしたが、当人は部屋の中央にある黒い石机に飛び付き、その表面を叩き始めた。手つきからして、叩いているのは恐らくキーボードだろう。

 

「こ、これって……まさか!」

 

操作を初めて一分足らずで、イタチの手前に巨大なウインドウが複数出現する。その後も、幾つものコマンドを入力し、遂に目的のものであろうプログレスバーを出現させた。手を止めたイタチが見守る中、横線が右端まで到達した途端、

 

「ぐっ!」

 

「イタチ君!」

 

 黒い石机から、青白い稲光が迸る。強烈な衝撃に弾かれたように後ろへ吹き飛ぶイタチに、アスナが慌てて駆け寄る。

 

「イタチ君、大丈夫!?」

 

「ええ、問題ありません……」

 

 大理石の床にその身を強かに打ちつけていたが、心配は要らなかったらしい。言葉通り、別段何事も無かったかのようにイタチは身を起こした。

 

「イタチ君、ここって……」

 

「ユイが言っていた、黒鉄宮のダンジョン深くにある、システムコンソールがある部屋です」

 

 イタチの説明に、しかしやはりとアスナは思った。シンカーが取り残されていたのは、黒鉄宮のダンジョン奥深くにある安全エリア。イタチがシステムコンソールの在処を特定していても不思議ではなかった。

 

「SAO制作関係者と繋がりのあった俺には、この石机がシステムコンソールであることはすぐに分かりました。同時に、ユイの記憶を取り戻すための手掛かりになるのではと、回廊結晶でこの場所を出口に設定しておいたのです。

そして先程、ユイが起動した管理者権限が切れる前に、これを操作し、ユイのプログラム本体をシステムから切り離しました」

 

 そう言うと、イタチは握った右手の手の平を開く。そこには、大きな涙の形をしたクリスタルがあった。

 

「これは、ユイ本体をオブジェクト化したもの……ユイの心です」

 

「ユイちゃんの……ここに、いるんだね」

 

 イタチの手の平からクリスタルを手に取り、アスナはその胸にぎゅっと抱きしめた。涙に濡れたクリスタルが、静かに瞬いていた――――

 

 

 

 

 

2024年11月2日

 

 ディープダンジョンからのシンカー救出と、軍の過激派が起こした騒動から翌日。第一層で児童保護施設として利用されている教会では、ガーデンパーティーが催されていた。

 会場には、イタチやアスナをはじめ、ヨロイとツルギを確保するために駆けつけたメダカやカズゴといった一部の攻略組プレイヤーもいた。

 

「イタチさん、アスナさん、ケンシンさん……今回は攻略組の皆様方に大変お世話になりました。本当に、何とお礼を申してよいやら……」

 

 救出作戦に始まり、内部抗争に巻き込んで危険な目に遭わせたことに相当な負い目を感じているのだろう。深々と頭を下げて、感謝と謝罪を口にする。対するイタチ等三人は、それほど気にした様子は無い。

 

「いえ、お気になさらず」

 

「そうでござるよ、シンカー殿」

 

「それより、皆無事に帰ることができたんです。そのことを喜びましょうよ」

 

 嫌な話はこれまでとばかりに、パーティーを楽しむよう促すアスナ。シンカーも、表情は完全には晴れないものの、少しは和らいだ感がある。

 

「私からも、お礼を言わせてください。本当に、ありがとう」

 

「ユリエールさん。それより、軍はその後、どうなりましたか?」

 

 イタチの問いに、対するユリエールは、表情を厳しくして答えた。

 

「ヨロイとツルギは、犯罪者プレイヤーとして黒鉄宮に収容、その一味は全員、軍から除名しました」

 

「リーダーとして、もっと早くに決断を下すべきでした。しかし、私が放任したばかりに、最悪の事態を招いてしまった。解放軍自体も、ディアベルさん主導の治安維持組織を独立させ、第一層本部は解散するつもりです」

 

「それは……随分思い切りましたね」

 

「軍は巨大化し過ぎた……そのために、私一人では御し切れない事が、今回の件で露呈されてしまいました。解散後は、改めてもっともまともな互助組織を作るつもりです」

 

 強い決意を秘めた瞳でそう言い切ったシンカーの隣に、同様の覚悟を秘めたユリエールが並ぶ。

 

「軍が蓄積した資材は、この街の全住民に分配するつもりです。ケンシンさんやサーシャさんをはじめ、皆様には酷い迷惑を掛けてしまいましたから……」

 

「気にする必要は無いでござる。軍の中には、フィールドでモンスターに襲われていた子供を助けてくれた善良な者もいることは、拙者もサーシャ殿も分かっているでござる」

 

「そうですね。一概に、軍の方全員が悪者だなんて思っていませんよ。」

 

「ありがとうございます。それから、イタチさんへ、ディアベルとキバオウから言伝があります」

 

「あの二人から?」

 

 予想外な人物の名前が出たことに、二人は困惑の表情を浮かべる。特に後者の名前には、あまり良い思い出が無い。恐る恐るといった具合に、イタチが問いかける。

 

「……それで、二人は何と?」

 

「ディアベルは、第一層から始まり、イタチさんに迷惑を掛けっ放しで心底申し訳ないと謝っていました。キバオウも、あなたのことを気に入らないといっておりましたが、今回ばかりは感謝すると言っていました」

 

 ディアベルには、第一層ボス攻略においてLA目当てで無茶な特攻を行い、危うく命を落とすところをイタチに救ってもらった経緯がある。そして、それが原因でビーターという誹りを受けることになったのだ。故に、イタチには常日頃から多大な負い目を感じていたことは明らかだった。

 キバオウに至っては、二十五層の大規模MPKの救援や、その後のレッドギルドとの戦いで命を救われたこともある。ビーターであるイタチを毛嫌いしている人種の筆頭とも言える人物だが、今回の一件も相まって、イタチには感謝せざるを得なかったようだ。

 

「二人とも、今後のギルド運営においては、軍内部の組織腐敗の取り締まりを徹底するとのことです」

 

「それは、安心ですね……」

 

 犯罪者プレイヤーが起こす事件は、最大レッドギルドだった笑う棺桶の討伐戦以降、激減している。だが、主犯たるPoHと一部のメンバーが未だ逃走中である以上、予断を許さない状況である。解放軍には、ゲーム攻略を完遂するその日まで、治安維持に務めてもらわねばならない。

 

「それはそうと……」

 

 サーシャはふと、何を思い出したのか、イタチとアスナの方へ顔を向けた。

 

「昨日の女の子……ユイちゃんは、どうしたんですか?」

 

 その問いに、アスナは頬笑みを浮かべて答えた。

 

「ユイは……おうちへ帰りました」

 

「そうでござるか……」

 

 あの日、イタチ等を罠に掛けた軍のプレイヤーを麻痺させた、プレイヤーには有り得ない権能を示したユイ。だがケンシンをはじめ、ほかの攻略組プレイヤー達は、その行方に関してそれ以上尋ねようとはしなかった。勘の鋭いメダカあたりは、ユイの正体に気付いていもおかしくないが、他のプレイヤーには話せない訳ありの事情があると考えて追求は控えたのだろう。或いは、ユイと出会ってから、ほんの僅かに変わったイタチの雰囲気を見て、棚上げしても良いと感じたのかもしれない。「おうちへ帰った」という短い説明を受けた一同の顔には、ユイを警戒する様子も訝る様子も無く、ただただ穏やかな表情で、その言葉に納得していた。

 

 

 

 

 

 はじまりの街で催されたガーデンパーティーを終え、イタチとアスナは、サーシャとケンシン、シンカー、ユリエールや、教会の子供達に見送られ、転移門から第一層を後にした。向かう先は、二十二層にあるイタチの別荘である。

 

「本当に、これは俺が持っていていいものなのでしょうか?」

 

 郊外にある森の奥へと続く道すがら、イタチはアスナに問いを投げ掛けた。現在、イタチの首には鎖の細いペンダントが下がっている。そして、手の平の上には一滴の涙のように透明なクリスタルが乗っている。

 

「これは、いわばユイの心……あの子を利用しようとした俺には、持っている資格など……」

 

「いいの!あの子の望みは、イタチ君の力になりたいっていうことなんだから、こうしているのが一番なんだよ」

 

 イタチの首に下がったペンダント、その先端に付いた宝石は、先日の一件でイタチがオブジェクト化に成功した、ユイのプログラム本体である。ユイの心と呼べるこのアイテムを、当初イタチはアスナに身に付けるよう言ったが、アスナはこれをイタチが付けるべきと言い張り、現在に至る。

 

「このゲームがクリアされた後、ユイちゃんを現実世界に連れて帰るのは、イタチ君しかできないんでしょ?」

 

「……確かに、ユイのプログラムは、俺のナーヴギアのローカルメモリに保存されることになっていますが……共通アイテムウインドウを設定すれば、アスナさんが所持した状態でも問題は……」

 

「イタチ君だって、ユイちゃんのことを本当は自分の娘だって思っているんでしょ?なら、自分の手で守ってあげればいいじゃない」

 

「それは、アスナさんも同じでは……」

 

「だから私は、ユイちゃんを守るあなたを守る。少なくとも、これでイタチ君は一人じゃなくなる……ユイちゃんの願いは叶えられるわ」

 

 アスナの言葉に、イタチはそれ以上反論を唱えることはできなかった。一方のアスナは、してやったとばかりに得意気な笑みを浮かべている。思えばここ最近、アスナがイタチから一本取る場面が多くなった気がする。

 イタチの思慮が甘くなった結果なのか、アスナがイタチという人間に対する理解を深めた結果なのかは分からない。いずれにせよ、この一件を境に、アスナをはじめ他者との繋がりが深まったとイタチは感じていた。

 

(俺には許されなかった筈の繋がり……それが確かに今、ここにある。これもまた、ユイが齎したものなのか……)

 

 自分と同じ苦しみを背負い、自分と共に歩きたかったと言ってくれた一人の少女がくれた、確かな絆と温もりを胸に、少年は歩いて行く。以前と同じ、しかし孤独ではない、果て無き旅路を、どこまでも。

 

 

 

パパ、頑張って

 

 

 

 風の中に響いたその声が、少年の背中を押した――――

 



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世界の終焉
第五十二話 奈落の淵


NARUTO原作が最終回を迎えました……だが、ジャンプがすぐに売れて結末を見届けることができなかった…………不覚!!
原作は完結しても、この小説は続けます。アインクラッド編については完結まで、残り四話。年内完結を目指し、来年一月からはフェアリィ・ダンスが幕を開けます。


2024年11月7日

 

 七十五層フロアボスとの戦いを前に、攻略組プレイヤーに与えられた二週間の猶予期間が終わりを告げるこの日。七十五層の宿屋を借りて設けた攻略組の拠点には、ヒースクリフ等最高幹部をはじめ、イタチを筆頭としたトッププレイヤー達までもが集められていた。

 

(現時点で俺達がこの場に集められる理由……ボス攻略に関連した事情であることは、間違いない)

 

 現在時刻は午前十時を回ったところである。本来ならば、この日の攻略活動は、偵察と、それによって得られた情報をもとに攻略方針を練ること。イタチやアスナは、午前十一時開始予定の会議にて集められる筈だった。それが今、集められている理由はとなれば、攻略にて何らかの問題が生じた以外に有り得ない。

 イタチをはじめ、その場にいた全攻略組プレイヤーに重々しい沈黙が流れる中、遂にヒースクリフが口を開いた。

 

「皆に集まってもらったのは他でもない。本日行われた、フロアボス偵察のことだ」

 

 ヒースクリフの第一声に、驚く人間は一人もおらず、やはり何かあったのかと得心する。むしろ重要なのは、その先であると認識している。

 

「数十分前、五大ギルド合同で結成した二十人の偵察部隊の半分が死亡したことが明らかとなった」

 

 その言葉に、一同は騒然となる。クォーターポイントたる七十五層攻略は、死人が出かねない程の苦戦が予想されていた。故に、攻略は終始慎重を期して行われていたのだ。それが、偵察の段階で死人を出すと言う、早くも最悪の事態に及んでいるのだ。

 だが、同時に解せないこともある。偵察部隊は全員、緊急離脱のための転移結晶を常備していた筈である。何故、十人もの死者を出してしまったのか。だが、その答えはイタチにはすぐに分かった。

 

「結晶無効化エリア……ですか」

 

 イタチの口にした可能性……その意味を理解した一同の顔が、青ざめる。回復・解毒・離脱の要である結晶アイテムが使用不能となるエリア。それがボス部屋に展開されているとなれば、攻略組は命綱無しで戦いに挑まねばならないことを意味する。

 

「流石に君は聡いな。七十四層同様、恐らくは七十五層にも同様の罠が張られているのだろう。報告によれば、前衛十人が部屋の奥へ入った後、ボス部屋の扉が閉まった。五分後に再び開いた時には部屋の中には何もいなかったそうだ。その後、黒鉄宮を確認したところ、十人全員の名前に横線が入っていたとのことだ」

 

「つまり、七十五層フロアボスの部屋は結晶無効化エリアであり、一度入ればボスを倒すまでは開かない、ということか」

 

 誰もが戦慄して沈黙する中、攻略ギルドの一角たるミニチュア・ガーデンのリーダー、メダカはそう締め括る。その結論は、攻略組に挑む者達にとっては絶望以外の何物でもない。場の空気がさらに冷え込む中、メダカはヒースクリフに先を促す。

 

「それで、ヒースクリフ殿。今後の攻略方針はいかがなさるおつもりかな?」

 

「最悪の事態に直面していることは確かだが、攻略を諦めるわけにはいかない」

 

 その問いに、しかしヒースクリフは即答した。真鍮色の瞳には一切の迷いが無い。答えを聞いたメダカは、満足そうな表情を浮かべていた。

 

「七十五層フロアボス攻略は、予定を前倒しして、今日この日に行う」

 

 ヒースクリフが下した決断は、その場にいた大部分のプレイヤーに更なる驚愕を与えるものだった。

 

「団長、それは性急過ぎるのでは?もっと綿密な作戦を……」

 

「ならば聞くが、偵察による情報収集すらできない敵を相手に、有効な作戦が立てられるのかね?」

 

 ヒースクリフの決断に待ったをかけようとした血盟騎士団幹部だったが、返された問いに対する答えは持ち合わせてはいなかった。

 

「情報収集すら儘ならない以上、これ以上の議論は時間の浪費でしかない。正体不明のフロアボスを相手に我々が取れる有効手段はただ一つ。攻略組プレイヤーの持てる戦力の全てを投入し、戦いを挑むのみだ」

 

 それ以降、ヒースクリフに反論を唱える人物は現れなかった。ヒースクリフは口にしないが、情報不足に加えてもう一つ、攻略を急ぐ理由がある。

 

(これ以上攻略を先延ばしにすれば、戦意喪失に陥るプレイヤーが続出するのは必定。万全な戦力のもとで戦いを挑むのならば、今を置いて他に無い、か……)

 

 脱出不能の結晶無効化エリアでのボス戦になることを知らせれば、攻略戦参加を辞退するプレイヤーが現れることは間違いない。攻略を先延ばしすれば、その時残ったプレイヤーの中から戦意喪失者が現れるのも止められない。詰まる所、今この瞬間に攻略開始を宣言することこそが、最善の策なのだ。尤も、仮に七十五層フロアボスを撃破できたとしても、残り二十五層を攻略し切る程の戦力が残るかも疑問だが。

 

「やりましょう!僕達には、もう他に道はありません!」

 

「シバトラの言う通りだな……団長、俺も行きますよ!」

 

 聖竜連合総長のシバトラと、血盟騎士団幹部のテッショウが賛同の意を示す。それに誘発されるように、他のプレイヤーも攻略参加の意思を示していく。

 

「決まりだな。出発は午後一時、コリニア市ゲートに集合だ。では、解散」

 

 ヒースクリフの言葉と共に、集まった攻略ギルド幹部達とトップクラスのプレイヤー達は、その場を後にした。

 

 

 

「三時間かー……どうしよっか、イタチ君?」

 

「別に……既に準備を終え、集合地点にいる以上、時間が来るのを待つのみです」

 

 解散を言い渡された者達は、各々の拠点へ戻って行った。ギルドの幹部達は、ギルメンの攻略参加者達への報告のために本拠へ戻り、ソロプレイヤー達は最終準備のために拠点へ帰還している。だが、イタチに至っては戦闘準備だけは常に万全。つまり、やることは無いのだ。そしてそれは、アスナも同じだったらしい。

 手持無沙汰のまま、七十五層の街を歩くこと数分。イタチとアスナは、とあるプレイヤーに遭遇した。

 

「おお、イタチか!」

 

 イタチの目の前に現れたのは、カチューシャを頭に付けた男性プレイヤーと、金髪の男性プレイヤー。二十歳に満たない、多分十八歳程度であろう彼等は、アスナの所属する血盟騎士団に務める、料理スキルを極めたプレイヤーである。

 

「カズマとキョウスケか……血盟騎士団の料理人であるお前達が、何故最前線であるこの街にいる?」

 

「なんや、素気ないやっちゃなあ……死地に向かうちゅうお前等のために、腕に縒かけて料理作ってきてやったんやないか」

 

「……料理?」

 

 キョウスケの言葉を訝るイタチ。カズマとキョウスケの二人が持つ腕には、大きめの紙袋が抱えられている。そして周囲を見渡してみると、二人が配ったらしい料理ことパンを手にそれを食べるプレイヤーが数人見られる。中には、イタチと同じく攻略組プレイヤーであり、ベータテスト出身者でもある女性プレイヤーのメダカと、彼女が率いる攻略ギルド、ミニチュア・ガーデンのメンバーも見られる。

 

「そうじゃぞ。わしとキョウスケが心を込めて作ったんじゃ。ほれ、受け取れ」

 

 カズマがイタチとアスナに差し出したのは、紙包み。受け取り、開けてみると、案の定中には焼き立てのパンがあった。とりあえず一口食べてみると、口の中には独特の甘みが広がる。洋食メインのアインクラッドでは珍しい甘味であり、それはイタチやアスナも長らく口にしていなかった味だった。

 

「これって……」

 

「アンパンか?」

 

「フフン!アインクラッド風、ジャぱん54号じゃ」

 

 血盟騎士団所属の料理人であるカズマは、聖竜連合のヨウイチと並ぶ、アインクラッド有数の天才料理人として知られている。そんなカズマが得意とする料理が、今イタチとアスナが口にしている、ジャぱんと称される創作パン料理なのだ。

餡子に至っても同様。アスナは味覚再生エンジンに与えるパラメータの分析の末、醤油やマヨネーズを模した調味料を作り出していた。だが、カズマはその上を行く。彼はアスナのような分析無しで、持ち前の感覚のみで、味覚を再現したのだ。その再現率は、アスナのそれを遥かに上回っている。

 

「どうや?俺も作るの協力したんやで」

 

「ああ、相変わらず、見事だ」

 

「本当、私も敵わないわね」

 

 攻略組プレイヤー二人のお墨付きを得て、カズマとキョウスケはご満悦の様子。イタチとアスナに感想を聞いた後は、他のプレイヤーにパンを配るべく、転移門周辺をあちこち歩いて回り始めた。

 

「相変わらず、愉快な人達だったね。そういえば、いつも一緒にいる筈のカイさんはどうしたんだろう?」

 

「攻略を前に、精神統一をしたいんでしょう。それにあいつは、料理スキルを上げることには消極的でしたからね。こういう場面にいないのは、ある意味当然と言えるでしょう」

 

 カズマとキョウスケと、いつも大概行動を共にしていた、青いバンダナを装着した自称武士のカタナ使いの所在について疑問を浮かべたアスナに対し、イタチはにべもなく答えた。

 

「改めて思ったけど、いろんな人が、この世界にはいるんだね……」

 

「そうですね」

 

「私達が特別だなんて思わないけど、最前線で戦える私達には、それなりの責任があるんだよね」

 

「……もとより、この世界の住人全ては俺のせいで閉じ込められているわけですから、戦いに身を投じるのは当然のことです」

 

 無表情のまま、相変わらず暗い事を口にするイタチに、アスナは口を尖らせる。

 

「またそんなこと言って……今は、イタチ君に期待している人は、いっぱいいると思うよ。私も含めてね」

 

「…………」

 

 にこりと笑いかけるアスナに、しかしイタチは沈黙するばかりだった。それを機に、しばらくの沈黙が場を支配していたが、やがてアスナが再び口を開いた。

 

「イタチ君」

 

「何ですか?」

 

「私ね、ずっとイタチ君に言いたいことがあったんだ」

 

 その言葉に、瞑目していたイタチは、瞼を開け、その赤い双眸をアスナへ向ける。対するアスナは、若干頬を赤らめているようだった。

 

「だから……この戦いが終わったら、聞いてくれるかな?」

 

「……お望みとあらば、お聞きしますが……あなたの望む様な答えを出せる保証はありません」

 

 忍として、多くの人間に嘘を吐き、自分すらも騙そうとした前世を持つイタチは、人間の情動を察知する感覚に敏い。故に、アスナが自分に対してどのような感情を抱いているのか、確信は得られずともなんとなく分かってしまう。こうして曖昧な答えしか出せないのは、前世からの性分なのだが。

 

「うん、それでもいいよ。でも、ちゃんと聞いて」

 

 対するアスナは、イタチが自分ときちんと向き合ってくれるという答えが得られただけでも満足だったらしい。普段通りの、陽だまりのように温かい笑みをイタチに向けていた。

 

 

 

 集合時刻が近付くに連れ、七十五層コリニア市の転移門広場には、攻略に参加するプレイヤー達が徐々に集まり始めていた。

 

「お!来てたみてぇだな、イタチ!」

 

「お前か……相変わらず早えな」

 

「いつもいつも、やることが他に無えみてえだよな」

 

「まあ、攻略戦前の時間の過ごし方は人それぞれだしね」

 

 イタチにとって、攻略時には会うのが定番となっている、クライン率いる攻略ギルド風林火山のメンバーと、ベータテスト以来のカズゴ、ヨウ、アレンの三人組、加えてエギルまでもが姿を現す。クォーターポイント攻略とだけあって、全員いつにも増して高性能なものを装備している。

 

「今回はえらい苦戦しそうだって言うから、商売投げ出して加勢に来てやったぜ!」

 

「意気込みが十分なようだが、欲を掻いて無茶を犯せば、その先には死以外には有り得んぞ」

 

「ああ、分かってるさ」

 

「クライン、ギルドを率いるリーダーとして、最後まで生き残れ。お前が死ねば、メンバー全員道連れだ」

 

「おうよ!俺は絶対に死なねえし、仲間も死なせねえ!勿論、お前もな!」

 

 デスゲーム開始からの旧知の仲にある二人が死地に赴くのに対し、しかしイタチは今更攻略を退けとは言わない。警告するように語りかける言葉に、二人は真剣な表情で頷いた。

 次いでイタチは、ベータテスト以来の三人に向き直る。

 

「カズゴ、ヨウ、アレン……準備は万端な様で何よりだ」

 

「ああ、任せておけ。今回のフロアボスも、きっちり倒してやる」

 

「すっげえ強敵みてえだが……まあ、何とかなるさ」

 

 いつも以上に危険なフロアボス戦を前にして、しかし三人の調子はいつも通りだった。或いは、戦いを前に感じている恐怖を、普段通りに振る舞うことで覆い隠そうとしているのかもしれなかった。

 そうこうしている内に、転移門から新たなパーティーが姿を現す。純白と真紅に彩られたユニフォームに身を包んだその集団は、アスナと同じく、攻略ギルド血盟騎士団に所属する戦闘要員達である。先頭に立つのは、パーティーの頭脳に相当する細剣使いの少年、コナンである。

 

「イタチか。おめーら、先に来てたのか!」

 

「ああ。血盟騎士団の主要メンバーは全員、揃ってるようだな」

 

 攻略の主力となる面子が一通り揃っていることを確認し、安堵するイタチ。対する血盟騎士団主力部隊は、その言葉を挑発と取ったのか、不敵に返してくる。

 

「当たり前だ!」

 

「ケッ!……俺が逃げだすわけがねーだろーが」

 

「今更、だよね」

 

 どんなもんだとばかりに得意気に返してきたのは、ハンマー使いのギンタ。不機嫌を露わに睨みつけてくるのは、カタナ使いのイヌヤシャ。肩を竦めてフッと笑って見せたのは、短剣使いのダレンである。他にも、コナンと並ぶ頭脳派リーダー格のキヨマロや、大剣使いのコースケ、カタナ使いの侍プレイヤーとして知られるヤイバとカイ、ギルド内の執事兼戦闘要員である片手剣使い・ハヤテの姿も見受けられる。

 

「今日の戦いは、いつも以上に危険だ。頼んだぞ、イタチ」

 

「そっちもな。今回は未知数の、しかもかなりの強敵が出る以上、指揮系統の混乱は必至だ。気を付けろよ、キヨマロ」

 

 互いに注意を促し合うイタチとキヨマロ。傍に立っていた、アスナやコナンをはじめとした血盟騎士団メンバーもまた、真剣な表情で頷く。カズゴ等も同様である。

 

「そういえば、聖竜連合はまだ来ていないのか?」

 

「心配しなくても、ちょうど来たようだぞ」

 

 コナンがふと口にした疑問。それは、攻略ギルドの一角である聖竜連合の所在。現攻略ギルドの中では最大の規模を有するだけに、参加の是非は攻略戦の勝敗を大きく左右する。言われて気付いた皆もまた、急にその存在が気になり始めた。と、その時、転移門に青白い光が灯る。

 

「どうやら、ご到着のようだぞ」

 

 僅かな笑みを浮かべたイタチがそれを口にすると同時に、転移門に現れる大規模パーティー。血盟騎士団にも劣らぬ武装を身に纏ったその一団の名は、聖竜連合。

 

「やあ、イタチ君」

 

「シバトラさん、しばらくです」

 

 聖竜連合の大部隊、その先頭に立つ男性プレイヤー、シバトラがイタチに声を掛ける。彼は聖竜連合を率いる総長という役職にある、実力・カリスマ共にトップクラスのプレイヤーなのだ。

 

「あなたなら、仲間と共に来ると確信していましたよ」

 

「これでも、ギルドマスターだからね。攻略組としても、きちんと責任は果たすさ」

 

 童顔で背丈はイタチより低いながらも、気丈に振る舞うシバトラ。その姿には、体格に似合わぬ確かな覚悟と戦いに赴く者としての決意が感じられた。

 

「イタチ君、気を付けてね」

 

「あなたもですよ。シバトラさんには、ここにいるメンバーの他にも、守るべき人がいるのですから」

 

 イタチとシバトラは、現実世界でも面識のある間柄である。そんな人物の言葉に、シバトラに付き従っていた聖竜連合のメンバーが動揺を示す。

 

「大切な人って、まさか……!」

 

「おやおやおや……顔に似合わず、やることやってるってことか!?」

 

「シバトラさんも、隅に置けませんね」

 

 イタチの言葉から事情を察した聖竜連合メンバーの何人かが、シバトラを囃し立て始める。

 

「そういうことだ。お前等、くれぐれも死なせるなよ」

 

「分かった。任せとけ」

 

「ヤマト、お前もカミさんいるんだから気を付けろよ」

 

「それはケイタロウだって同じろう?」

 

 死闘を前に、ふざけ合うだけの余裕を持っている聖竜連合メンバーに、イタチは呆れと感心の両方を覚えると同時に、シバトラに付き従っているメンバーを一瞥する。

 

(頭脳派のハジメに、大剣使いのナツとハル、カタナ使いのケイタロウとレイ、槍使いのヤマト、シュミット……エーキチも参加か……)

 

いつもの攻略メンバーに代わり無いことを確認し、戦力低下は免れたことに安堵するイタチ。相変わらず個性的な面子ながらも、チームワークだけは良いので、今回の攻略の犠牲者を減らせる可能性が増えたことになる。

 

「イ、イタチ君!ちょっと助けて!」

 

 ヒートアップするメンバーに揉まれて悲鳴を上げるシバトラ。イタチに助けを求めるその姿には、先程までの威厳は感じられない。イタチは焚き付け過ぎたと反省し、助け船を出す。

 

「そのへんにしておけ。それより、もうすぐヒースクリフはじめとした血盟騎士団最高幹部も到着する。そうすれば、すぐにでも出発だ。装備の再確認は必要だろう?」

 

「おっと、そうだった!」

 

「やべえ……ヒールクリスタルの残量が……!」

 

「今回のボス部屋では、クリスタル系アイテムは使えない筈ですよ」

 

 イタチの注意によって、聖竜連合メンバーはシバトラを解放して各々装備品の確認に入る。尤も、今回のボス部屋では攻略の命綱に相当するクリスタルアイテムが使えないため、ポーチに入れるアイテムはポーション類に限られるのだが。

 聖竜連合の到着と共に、参加予定の攻略組プレイヤーはほぼ全員揃った。あとは血盟騎士団団長のヒースクリフと幹部数名の到着を待つばかりである。そんな中、アスナがイタチに声を掛ける。

 

「イタチ君、気付いてた?」

 

「何がです?」

 

 アスナの問いに、しかしイタチはその意味が分からず、逆に問い返してしまう。対するアスナは、得意気な笑みを浮かべている。

 

「皆、ここに来てから真っ先にあなたに声を掛けているよ」

 

「……確かに、そうですね」

 

「ソロの人達だけじゃなくて、私を含めた血盟騎士団のメンバーも、聖竜連合のシバトラさん達も……皆、イタチ君のことを頼りにしてる……信じているんだよ」

 

 それは過大評価だ、と口にするのは野暮に思えた。かといって、容易に納得できることでもない。アスナに返す言葉を持たないイタチは、曖昧に答えるしかできない。

 

「……そうかもしれませんね」

 

「そうなの!だから言ったでしょ、イタチ君は、本当は一人じゃないって。今後は何でもかんでも背負いこまないようにしなさい」

 

「……善処します」

 

 強硬的な態度で臨むアスナに、防戦一方になるイタチ。かつての現実世界では、腰が低く押しが弱い人物だったが、この世界に来てからは確固たる意思をもって行動する力を手に入れているとイタチは感じる。これも自分の影響か、と考えるのは自惚れな気もするが、少なくともこの世界に来たことがきっかけであることに変わりは無い。

 それと同時に、ふと疑問に思う。アスナがこの世界の戦いを通して変わったが、自分はどうなのか……前世と同じ過ちを繰り返し、変わらぬ道を歩んできた自分は、何か変わったのか……何かを変えられたのか、と。

 

(己の愚かさで二千人以上死なせて置きながら、全く虫のいい話だ…………だが、必要なのかもしれないな……)

 

 真の「変化」とは、枠に囚われたままではできない――うちはイタチという名の前世を持ち、桐ヶ谷和人としての現世を生きるイタチが持つ考えである。だが今、イタチが望んで止まなかった「変化」が目の前にある。

 今までのイタチならば、自らの罪を理由にそれを受け入れることは許されないと考え、拒絶していただろう。だが今、かつては求め、許されないと考えていたそれを、欲し求めている自分がいる。このSAOがデスゲームと化したその日から、イタチは己を殺して攻略のために身を捧げることこそが贖罪であると考えていた。そのためには、他者との繋がり一切を絶ち、前世と同様に孤独の道を歩まなければならないというのがイタチの認識だった。だが今、自分は別の道を歩いているように思える。それは、正しいとも、間違っているとも言えることだ。

アスナの言うように、他者と関わり、己を変えることができていたならば、それは「変化」を遂げたことを意味する。だが、望みを叶えたとしても、イタチはそれを素直に喜べない。何故なら、その願いのための代償が、二千人以上の命だからだ。それに、自分という人間が変わったからといって、その行く末がどのようなものかは分からない。もしかしたら、もっと凄惨な結末が待っているかもしれないのだ。

 

(だが、進む以外に道は無い……それだけは確かだ)

 

 二年と言う月日を経た攻略の末、プレイヤー達を閉じ込めている浮遊城、アインクラッドは三つ目のクォーターポイントに到達している。今更、進んできた道を引き返すことは出来ず、悔いる暇すら無い。イタチが今為すべきは、目の前の障害を払い除け、解放への突破口を作ることである。ならば、戦う以外の選択肢は存在しない。

 

「イタチ君……」

 

「!」

 

 物思いに耽り過ぎていたようだ。アスナに言われて気付いたが、転移門に新たな光が灯る。次の瞬間には、そこには五人の影が現れた。純白と真紅に彩られたユニフォームを纏った血盟騎士団幹部四人を率いて先頭を切るのは、赤い鎧に身を包んだ男。血盟騎士団団長にして、攻略組最強の聖騎士――ヒースクリフである。

 

「テッショウも、イヌも一緒か……」

 

「当然だよ。あの人は、絶対に逃げないもの」

 

 血盟騎士団幹部であり、ビーストテイマーのテッショウ。初代血盟騎士団副団長であり、アスナが副団長となった今も尚、団長たるヒースクリフを含め、ギルメン全員から多大な信頼を寄せられ、幹部として前線で戦ってきた男である。

 

「ワンッ!」

 

 足元には、テッショウがテイムしているモンスター、イヌが付いている。吠えた先には、イタチとアスナが立っている。テッショウもそれに気付き、二人に手を振っている。

 そして、到着して束の間。ヒースクリフは広場に集まった攻略参加メンバー等の前に立ち、言葉を発する。

 

「よく集まってくれた。状況は既に知っていると思う。厳しい戦いになるだろうが、諸君の力なら切り抜けられると信じている。――解放の日のために!」

 

 ヒースクリフの呼び掛けに、攻略参加メンバー達は、一斉にときの声で応える。その表情には、絶望の色は無い。これから死地に向かおうというプレイヤー達の士気をここまで高められたのも、彼の突出したカリスマあってのことだろう。

 

「では、出発しよう。目標のボス部屋の直前の場所までコリドーを開く」

 

遂にヒースクリフが出陣を宣言する。同時に、腰のパックから濃紺の結晶アイテムを取り出す。任意の地点を指定し、瞬間移動用ゲートを作ることができるアイテム、回廊結晶である。ヒースクリフが唱えた「コリドー・オープン」の起動キーと共に、広場中央に青白い光の渦が現れる。

光の中、戦いの場へと赴く戦士たち。その総勢は、四十名。アインクラッドと言う名の、多くのプレイヤーの命を奪った死の牢獄の中、攻略を続けてきた勇者達である。

光の先にてプレイヤー達を待ち構えていたのは、禍々しく聳え立つ巨大な扉。迷宮区最上階にて、次層への扉を守護するフロアボスが待ち受ける、魔窟への入り口である。

 

「イタチ、生きて会おうな」

 

「今回の攻略で一儲けしたら、また良い品売ってやるからよ」

 

「……行こう、一緒に」

 

 ヒースクリフが扉に手を掛け、地獄への扉を開く傍ら、イタチは仲間達の言葉に、確かな繋がりを感じる。同時に、自分が孤独でないことが……仲間の温もりが、ただただ心地よかった。その感情の根底には、罪の意識や前世のしがらみは無い。素直にそう思ったのだ。だからこそ、イタチが返す言葉は決まっていた。

 

「皆、生きて帰るぞ」

 

 その言葉を聞いた、攻略組プレイヤー達は、一瞬驚いた様子だったが、次の瞬間には喜色を浮かべていた。

 

「――戦闘開始!」

 

 そして、ヒースクリフが出した合図と共に、皆は即座に気持ちを切り替える。各々武器を構え、戦場へと駆け抜けて行く。四十名の戦士達が入ったところで、扉は閉まり、同時に消滅した。部屋の中に広がる空間はドーム状で、かつてイタチとヒースクリフがデュエルをしたコロシアムと同等の広さを持っている。ボスの姿は見えず、未だ内部は暗闇に包まれていた。

 

「何も居ねえぞ……」

 

「どこにいる……!」

 

 退路を断たれて尚、姿を現さないボスの姿を探すべく、索敵スキルを発動する攻略組プレイヤー達。だが、いかに目を凝らせど目標は視認できない。そんな中、

 

「ワンッ!ワンッ!」

 

「イヌ?」

 

 テッショウの使い魔であるイヌが、天井目掛けて吼え立てていた。その行動の意味を逸早く悟ったイタチは視線を真上に移す。そこには、探していた存在がいた――――

 

「上だ!!」

 

 イタチの言葉を聞くや、攻略組プレイヤー達は一斉に視線を九十度上へシフトさせる。全員の視線が集まる先、天井に張り付いていたのは、長大な異形の存在。全長十メートルはあろうその全身を構成するのは、灰白色の骨のみ。背骨を連想させる、円筒状の体節一つ一つからは、細く鋭い骨が伸びている。凶悪な形をした頭蓋骨、その両側からは鎌状の刃を携えている。

 

「スカル……リーパー……!」

 

「骸骨の刈り手……だと?」

 

 全体としてムカデのような姿をした化物の眼窩に赤く鋭い光が灯ると同時に、その頭上にはイエローカーソルと共にその名前が現れた。『The Skullreaper』――『骸骨の刈り手』、と。

 

「キシャァァァアア!!」

 

 耳障りな鳴き声と共に、天井に食い込んでいた鋭い脚を一斉に離す、骸骨の刈り手。仮想の重力に従い、その巨体がプレイヤー達の頭上目掛けて落下していく。

 

「固まるな!散開しろ!」

 

 血盟騎士団のコナンの指示に従い、頭上から迫りくるボスを避けるべく、散り散りに逃げるプレイヤー達。大部分のプレイヤーは退避に成功したが、取り残されているプレイヤーが若干名いる。

 そして、イタチが救援に向かうべきかと逡巡する間も無く、骸骨の刈り手は地響きと共にそのステージへと降り立った。

 

「キシャァァアッ!」

 

「ひっ……ぎゃぁぁああ!!」

 

 全身同様、骨でできた武器たる鎌が、逃げ遅れたプレイヤーに襲い掛かる。退避するべく背を向けていたそのプレイヤーは、防御する暇も無く、刃の餌食となり、宙を舞う。そして、地面に落ちることなく、その身体はポリゴンと共に散った。

 

「い、一撃だと!?」

 

「無茶苦茶な……!」

 

 今までのフロアボス攻略……クォーターポイントですら無かった、即死と言う現象を目の前に、驚愕するプレイヤー達。だが、この部屋の守護者たる骸骨の刈り手は、動揺して動けないプレイヤーを恰好の的と見なし、新たな獲物目掛けて襲いかかろうとする。

 

「キシャァァアアアッ!!」

 

「ひぃいっ!」

 

 最も近くにいたプレイヤーへと、即死級の一撃が再度振り翳されようとしている。標的とされたプレイヤーは、硬直して防御すら儘ならない。このフロアボス攻略における、十二人目の犠牲が出ようとした、その時だった。

 

「はぁぁあああっ!!」

 

 二本の剣を構えたイタチが、割って入った。先の即死級の一撃を見ていながら、刈り手の正面へ出ることには全く躊躇いが見られない。鎌が振り下ろされるより先に割り込んだイタチは、剣を交叉させてそれを受け止めようとする。

 

(くっ……何て重さだ。このままでは、武器ごと断ち切られかねん……!)

 

 プレイヤーを即死せしめた一撃を見た時点で予測はしていたが、受け止めるだけで手一杯。反撃などできよう筈も無い。一人で何発も受け止め続ければ、いずれ力尽きてHP全損に至るのは明らか。そう、“一人”では……

 

「イタチ君!」

 

 骸骨の刈り手が繰り出す大鎌を受け止めるイタチの背中を目指して、流星が駆け抜ける。そして次の瞬間、イタチが受け止めた大鎌に向けて、細剣系上位ソードスキル『フラッシング・ペネトレイター』が放たれる。

 

「キッシャァッ!」

 

 アスナの放った一撃により、大鎌がパリィされる。イタチはその隙を見逃さず、がら空きになったムカデの胴体へ跳び、二刀流ソードスキル『ダブルサーキュラー』を発動させる。急所を打ち据えられ、仰け反るフロアボス。その隙に、プレイヤー達は一気に体勢を立て直す。まず、大鎌二本の正面に立つイタチとアスナの隣へ、ヒースクリフが出た。同時に、混乱に陥っていたプレイヤー達を、各攻略ギルドの代表が統制する。イタチはそれらを確認するや、周囲に大声で呼びかける。

 

「俺達が正面の鎌を引き受ける!他の者は、側面から叩け!」

 

「了解!」

 

「任せておけ!」

 

 イタチの指示に従い、パーティーごとに統制のとれた動きでボスの包囲を形成し始める。

 

「行くぞ、イタチ君!」

 

「はいっ!」

 

「了解しました」

 

 ヒースクリフの掛け声と共に、再びボスへ向けて剣を構えるイタチとアスナ。正面からは、ボスの右手の刃をヒースクリフが単独で、左手の刃をイタチとアスナが二人がかりで捌く。

 

「今だ!このメダカに続け!」

 

「皆、行くよ!」

 

「攻撃開始だ!」

 

その隙を突き、攻略ギルドのパーティーが動きだす。メダカ率いるミニチュア・ガーデン、シバトラ率いる聖竜連合、コナン率いる血盟騎士団の精鋭部隊が、そしてクライン率いる風林火山が、側面から攻撃を仕掛ける。骨が伸びている胴体部分を叩くのが定石だが、攻撃パターンが分からない内は、下手に深追いすることはできない。

 

「キシャァァアッッ!!」

 

「退けえ!」

 

 側面から攻撃を仕掛けて十数秒足らずの時間で、骸骨の刈り手は反撃に転じる。攻撃対象は、正面で鎌を捌くイタチ等三人だけではない。側面から攻撃を行っていたパーティーにも、鋭い脚と尾が襲い掛かる。各パーティーのリーダー等は、即座に撤退の指示を飛ばす。だが、ダメージを与えるのに夢中で逃げ損ねたパーティーのメンバーが、凶刃の餌食となる。

 

「ぐぁああっ!」

 

「うぉぉおっ!」

 

 脚と尾の鋭い一撃を食らい、一撃でポリゴン片を撒き散らして爆散するプレイヤー達。即死級の攻撃力は、正面の鎌のみに止まらないらしい。

 

「暴れんじゃねえ!!」

 

「おりゃぁぁあああ!!」

 

 だが、プレイヤー達は止まらない。立ち止まった時、思考を止めた時イコール死なのだ。辺りを凄まじい移動スピードで駆け回り、その凶刃をもってプレイヤー達の命を刈り取る骸骨の刈り手を倒さなければ、この部屋から生きて還ることなど、できないのだから。

 フロアボスが発する金切り声と、プレイヤーが上げる絶叫が木霊する空間の中、フロアボスに決死の覚悟で立ち向かうプレイヤー達は、いつしかボスのHPがどれだけ減少したかも……ポリゴンをばら撒いて命を散らしていったプレイヤーの数すらも、分からなくなっていった――――

 



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第五十三話 GM

本日、立て込んでおりまして、投稿が遅れました。まことに申し訳ありません。追加報告ですが、アインクラッド編の残り話数ですが、先々週は三話と申し上げましたが、本話を含めて残り二話、つまり次回で完結する予定となりました。
年末に投稿する話については、『フェアリィ・ダンス』突入に際してのプロローグのような話になる予定です。今後も『暁の忍』をよろしくお願いします。


 アインクラッド七十五層……第三のクォーターポイントを守護するフロアボス、ザ・スカルリーパーと攻略組の戦いは、一時間にも及んだ。ボスが発する金切り声、プレイヤーが発する悲鳴・雄叫び、刃が衝突する金属音が交錯し、鮮血を彷彿させる赤いライトエフェクトが煌めいていた。そんな戦場の中、満身創痍で戦い続けたプレイヤーは、遂に勝利を掴み取る。

 

「キッ……キッシャァァ…………!」

 

 骸骨の刈り手が、掠れた金切り声を発する。蓄積したダメージが限界に達したのだ。だが、プレイヤー達はそんな苦悶の悲鳴にも一切耳を貸さず、そして攻撃の手も緩めない。

 

「うぉぉおおお!!」

 

「キシャァ……ァァアッッ……」

 

そして、次の瞬間には骸骨の刈り手のHPが遂に現界を迎え、大量のポリゴン片を撒き散らして消滅した。

 

「終わった……のか?」

 

「……勝った?」

 

 命懸けで戦っていたプレイヤー達は、先程まで猛威を振るっていた存在が消滅したという事実を未だに認識できない。だが、数秒後には、フロアボスに勝利したことを示す、『Congratulation!』のメッセージが現れる。それを確認するや、攻略に参加していた大部分のプレイヤーは、大理石の床にへたり込んで深く息を吐く。だが、プレイヤー達がフロアボス攻略完了時に必ず発していた、勝利の歓声は全く上がらない。死闘を制したにも関わらず、各々の表情には、仲間を失った喪失感と、自分達の未来への絶望が浮かんでいた。

 

「何人……やられたんだ?」

 

 床の上、大の字になって倒れていたクラインが、すぐそこにいたイタチに問いかける。対するイタチは、ウインドウを開いてマップ内に現れるプレイヤー反応の数から戦死者の数を割り出す。イタチもまた、この壮絶な戦いの中で犠牲者を数えている余裕が無かったのだ。

 

「……十四人、だな」

 

 イタチの口から告げられた言葉に、絶望の色を濃くするプレイヤー達。

 

「そんな……!」

 

「嘘……だろ?」

 

「俺達は……本当に、生きて帰れるのか?」

 

 現在到達した階層は、七十五層。残り二十五層を残した状態である。七十四層以降のフロアボスの部屋は、クリスタルアイテムが使用不可能となっている可能性がある。攻略組全体の戦力もまた、今回の戦いで大幅に削られ、完全クリアはさらに遠退いたと言っても過言ではない。一層ごとに今回ような人数で犠牲者を出し続ければ、百層に到達することなどできる筈も無い。

 

「無理だ……完全攻略なんて、絶対にできっこない!」

 

「だが、我々には、攻略を続ける以外にこの世界から脱出する術は無いのだ」

 

「そんなこと言ったって……!」

 

「気持ちは分かるよ……でも、やるしかないじゃないか」

 

 弱気になるプレイヤー達を、メダカとシバトラが叱咤するが、大部分のプレイヤーは到底立ち直れそうにない。恐らく、今回の攻略を境に最前線から姿を消すプレイヤーが続出することだろう。

 

(これまでか……)

 

 攻略組プレイヤー達の雰囲気が悪化する中、イタチは全プレイヤーの精神状態が限界を迎えていることを悟る。このまま悪い方向へ行けば、攻略組の結束は瓦解し、攻略自体が立ち行かなくなる可能性が高い。全プレイヤーが現実世界に置いてきた肉体は、恐らくは医療施設に預けられていることだろう。二年以上もの間、点滴等で生命を維持している以上、タイムリミットは確実に存在する。生きてこの世界を脱出するためには、一刻も早く完全攻略を成し遂げる必要がある。このままでは、仮想世界で死ぬのが先か、現実の世界の肉体が朽ちて死ぬのが先か……

 

(やはり、試すほか無さそうだな……)

 

 攻略組という組織集合体が崩壊の危機を迎えている今、正攻法でこの世界を脱出することは不可能に近い。だからこそ、イタチは選択を迫られていた。完全クリア以外の、この世界を終わらせるための術を、講じるかどうかを。

 

(俺の見立てが間違っていなければ、これはたった一つの抜け道だろう……)

 

 イタチの視線の先にいるのは、壮絶な死闘の後にも関わらず、全く疲労の色を見せないプレイヤーの姿。攻略組最強の聖騎士として畏怖される存在、ヒースクリフである。その頭上に浮かぶHPバーは、骸骨の刈り手の右手の鎌を捌き続けたにも関わらず、未だイエローゾーンを迎えていない。

 イタチはそれを視認するや、地面に膝を突いていた状態から立ち上がり、両手に持った剣を構え直す。

 

「イタチ君?」

 

 突然のイタチの行動を不審に思うアスナだが、イタチはそちらには目もくれない。自身の周囲に倒れ伏しているプレイヤー達を、まるで俯瞰するように見回すヒースクリフに向けて、イタチはそのまま地を蹴り、斬りかかる。

 

「!」

 

 イタチのステータスは、筋力・敏捷共に全プレイヤーの中でもトップクラスの数値を持つ。忍として生きた前世の経験もアシストし、その動きは攻略組プレイヤーでも見切れる者は少ないとされている。そのような突出した敏捷で繰り出される斬撃を至近距離で放たれれば、如何にヒースクリフといえど反応し切れるものではない。イタチが放った鋭い突きは、ヒースクリフの胸部に吸い込まれるように繰り出され……

 

『Immortal Object』

 

 システムメッセージと共に、阻まれた。

 

「なっ!」

 

「これはっ!」

 

 『Immortal Object』――不死存在。SAOというゲームには、その属性を持つオブジェクトが多数存在する。各階層の主街区や村に存在する、建築物が主な例だろう。だがそれは、飽く迄オブジェクトに限った話である。断じてプレイヤーに現れるものではない。

 

「システム的不死……!?」

 

「ど、どういうことですか、団長!?」

 

 ゲームの仕様上、有り得ない現象に、アスナをはじめとした血盟騎士団のメンバーは驚愕に目を剥く。波紋は生き残った全プレイヤーへと伝播し、その場にいた全ての攻略組プレイヤーの視線がヒースクリフに釘付けとなった。

 

「簡単なことだ。この人のHPは、イエローゾーンに突入しない様、システムに保護されている。そして、そんな設定ができるのは、システム権限を持つシステム管理者のみだ」

 

 イタチの言葉の意味を逸早く察したのは、コナン、メダカ、ハジメの三人。さらなる驚愕を覚えると共に、ヒースクリフに怒りの視線を向ける。そのヒースクリフ当人は、イタチの言葉に自らの正体を見抜かれたことを悟ったのだろう。一切の弁明をする様子も無く、立ち尽くしたままイタチの続きを待った。

 

「あなたのことですから、必ずこの世界へ介入すると考えていました。ようやく出会うことができましたね……

“茅場晶彦”さん」

 

 イタチの発した言葉に、攻略組プレイヤー全員が戦慄する。ヒースクリフの正体として語られたのは、この場にいる攻略組プレイヤーは勿論のこと、アインクラッドに囚われているプレイヤーならば誰もが知っている……忘れたくても忘れられない名前である。

 このゲーム……ソードアート・オンラインを作り上げた天才科学者にして、2022年11月6日の正式サービス開始日に、全プレイヤーの前でチュートリアルと称した、デスゲーム開始の宣告を行った男。それが今、目の前にいると言うのだ。しかも、全プレイヤーの希望の星である、最強の聖騎士という姿形で……

 

「団長……まさか……!」

 

「本当に……茅場晶彦、なのか……!?」

 

「そんなバカな……でも、だって……!」

 

 イタチの口から告げられた、ヒースクリフの正体が茅場晶彦であるという宣告に困惑する中、その意味を正しく認識できず、錯乱状態に陥るプレイヤー達が現れる始末。無理も無いだろう。今まで信じ、共に戦ってきた仲間にして、最強の騎士が一転して、自分達を地獄へ突き落とした最凶最悪の存在と化したのだから。

 

「……何故気付いたのか、参考までに教えてもらえるかな?」

 

「あなたが攻略組プレイヤーの中に紛れ込んでいることは、デスゲーム開始時点から予想していました。そして、このゲームを知り尽くしたあなたならば、突出した強豪プレイヤーになり得ることは容易に想像できること。血盟騎士団団長にして、ユニークスキル持ちのヒースクリフに疑惑が浮上するのは当然の理。そしてあなたは、俺に対して決定的な証拠を露見させた」

 

「ほう……それはもしや……」

 

「そう、あのデュエルです。今までの攻略では上手く誤魔化したのでしょうが、最後の一撃ばかりはシステムのオーバーアシストに頼らなければ回避し切れなかったようですね」

 

 自覚はあったのだろう。否定材料の全く無い、イタチの的確過ぎる指摘に対し、ヒースクリフは苦笑するばかりだった。ヒースクリフこと茅場晶彦は、SAO製作に携わった経緯で、イタチこと桐ヶ谷和人は、ゲームを完全クリアに導く勇者足り得るプレイヤーであると評価していた。だが、まさか自力で自身の正体を看破するイレギュラーとなるとまでは、流石に予想していなかった。ここに至って、茅場はイタチという人物に対する評価を改める必要性を痛感するのだった。

 

「予定では、九十五層までは正体を明かすつもりは無かったのだがな……こうなっては致し方ない。イタチ君の言う通り、確かに私は茅場晶彦だ。加えて言えば、最上層で君達を待ち受ける筈だった最終ボスでもある」

 

 ヒースクリフが肯定したことで、それを聞いた攻略組プレイヤー全員の表情が驚愕から絶望へとシフトする。イタチは普段あまり変化することの少ない無表情が、若干ながら険しくなっているようだった。

 

「あまり良い趣味とは言えませんね。全プレイヤーの希望を背負う筈の人物が、史上最悪の絶望を振りまく存在へと変わったのですから」

 

「そうかい……それにしても、君は本当に、私の予想を裏切るね。ソードスキル製作に携わっていた頃から、君の仮想世界への適応力は目を見張るものがあった。現実世界において卓越した運動能力をそのまま反映……いや、それ以上の精度で動き、その姿はまるで、この仮想世界こそが君が本来生きるべき世界だと語っているかのようだった。

 全十種類あるユニークスキルの内、全プレイヤー中最高の反応速度を見せたプレイヤーのみが会得できる二刀流スキルを物にしたのも、今思えば必然だったのだろう。そして、私の正体を看破する事もね」

 

 イタチの突出した能力を再評価する茅場だが、当人はその言葉に全く反応を示さない。イタチと茅場、攻略組の頂点に立つと目されている二人は互いに構えている武器を握る手に力を込める。そして、二人の間には、今にも互いに斬りかからんばかりの剣呑な空気が漂いだす……そんな時だった。

 

「ふざけんな……!団長……あんたずっと、俺達を騙していたってのかぁぁあああ!!」

 

 茅場のすぐ近くでやりとりを聞いていた男性プレイヤー――テッショウが立ち上がり、茅場へ襲い掛かる。長い間血盟騎士団幹部として使えてきた忠義を裏切られた怒りは、測り知れない。憤怒の形相でメイスを叩きつけんとするテッショウに、しかし茅場は眉一つ動かさない。落ち着いた様子で左手を振って呼び出したウインドウを操作する。

 

「ぐぅっ……!?」

 

 すると次の瞬間、飛び掛かったテッショウの身体が空中で硬直し、慣性に従って地面に転がり落ちる。その頭上のHPバーには、麻痺のアイコンが点滅していた。茅場はそのままウインドウを操作し続ける。

 

「くっ……!」

 

「あがぁっ……!」

 

すると、テッショウに続く形で襲いかかろうとしたプレイヤーを中心に、次々地面に倒れて行く。いずれのプレイヤーも、テッショウと同様HPバーには麻痺のアイコンが光っている。

 

「やはり、管理者権限は健在ですか」

 

 プレイヤーが次々麻痺で倒れるという異様な光景は、イタチにとって初めて見るものではない。七十五層攻略を前にした休暇中に、自分とアスナの前に現れた一人の少女――ユイも、自分達を助けるために同様の現象を引き起こしたのだ。メンタルヘルス・カウンセリングプログラムという、人ならざる存在である彼女は、記憶と共に一時的に取り戻したシステム権限を行使して、イタチ等を襲ったプレイヤー全員をシステム的に麻痺にしたのだ。GMとしての最高位のシステム権限を持つ茅場晶彦ならば、造作も無いことは間違いない。

 だが、GMが正体を明かした今、そんな事は問題ではない。茅場晶彦の真意を探るべく、イタチは問いを投げる。

 

「それで、この場にいる人間全員、口封じのために抹殺するつもりですか?」

 

 茅場晶彦がそのつもりならば、イタチ等プレイヤーには抗う術は存在しない。イタチも他のプレイヤー同様、麻痺を食らって動けぬまま一方的に虐殺されるのみである。だが、それをしないということは、何か別の意図があることは間違いない。だからこそ、イタチは敢えて問いかけたのだ。

 

「まさか。そんな理不尽な真似はしないさ」

 

「あなたが茅場晶彦だった時点で、十分理不尽ですよ」

 

「手厳しいな……だが、それも致し方なし、か。正体が露見した以上、私は最上層の紅玉宮にて待つとしよう。私の育てた血盟騎士団はじめとした攻略プレイヤー達を途中で放り出すのは不本意だが、君達ならば必ず辿り着けるだろう。だがその前に、君には私の正体を見破った報酬を与えなくてはならないな」

 

 そこで茅場は一度言葉を切り、数秒瞑目した後、イタチの赤い双眸を真っ直ぐ見据えた。その表情は、イタチに血盟騎士団入団を賭けたデュエルを提案したあの時と全く同じ。即ち、茅場の意図とは……

 

「イタチ君、君にはチャンスをあげよう。今ここで私と一対一のデュエルを行うのだ。無論、不死属性は解除しよう。私に勝てば、ゲームはクリアされる。即ち、全プレイヤーがこの世界からログアウトできる。どうかね?」

 

 茅場から提案されたのは、ゲームクリアを賭けた一対一のデュエル。イタチが勝利すれば、全プレイヤーが解放される。だが、GMが相手である以上、正攻法でデュエルをしてくるとは限らない。以前のデュエル同様、システムのオーバーアシストを使われる可能性だってあるのだ。それに、ヒースクリフというプレイヤーは、GM権限を差し引いても余りある、クォーターポイントのボスと互角に戦える強大なユニークスキル『神聖剣』の使い手なのだ。同じユニークスキル使いのイタチといえど、勝てる保証などありはしない。

 

「駄目よイタチ君……あなたを排除するつもりだわ……今は、退いて!」

 

 すぐそこの床に倒れたアスナが、イタチを止めようとその背中に言葉を投げる。全プレイヤーを解放する千載一遇のチャンスだろうと、確実に勝てる見込みの無い戦いに、イタチ一人向かわせることはできない。攻略指揮を預かる身として判断した戦術的撤退だが、イタチを引きとめる言葉の中には、彼に死んでほしくないと切に願うアスナの本心もまたあった。そして、周囲で倒れ伏している者達も、その思いは同じである。

 だが、茅場の提案を聞いた時……否、このデスゲームが始まった時から、イタチの中には既に選択肢など存在してはいなかったのだ。故に、イタチの決断は……

 

「いいでしょう。その提案、お受けします」

 

「イタチ君っ!」

 

 アスナの口から、悲痛な声が漏れる。周囲に倒れている他のプレイヤー達の反応は、予想通りの展開にやはりか、と溜息を吐く者と、驚愕に目を剥き、アスナ同様に制止をかけようとする者の二つに分かれた。

 

「アスナさん。俺はこの男の共犯者……故に、逃げるわけにはいきません」

 

「そんな……お願い、止めて……」

 

 アスナの涙声に、しかしイタチの決意は揺るがない。剣を構えて背中を向けたまま、彼女に対して言葉を紡ぐ。

 

「俺は必ず勝ちます。勝って、この世界を終わらせる……それが、俺の役割なのですから」

 

 だから、死ぬつもりは無いと暗に示すイタチに、アスナはそれ以上、止めて欲しいと言えなかった。

 

「イタチ、止めろ!!」

 

「イタチーッ!!」

 

 茅場と向かい合おうとするイタチを、エギルやクラインをはじめとした攻略組プレイヤー達が止めようとする。イタチは死闘に臨む前に、声の方向へと向き直る。

 

「エギル。今まで攻略のサポートをしてくれて非常に助かった。お前が儲けのほとんどを中層プレイヤーの育成につぎこんでくれたおかげで、多くの命が助かった。犠牲者を減らすことができたのには、お前の活躍は大きい……感謝している」

 

 次いで、その隣に倒れ伏している、相変わらず悪趣味なバンダナを付けた侍プレイヤーに赤い双眸を向ける。第一層からのイタチの知己である、クラインに……

 

「クライン。俺を制作者サイドの人間……茅場晶彦の共犯者と知っても、信じて力を貸してくれたことには、感謝してもし切れない。俺の事を仲間だと言ってくれたが……今の俺には、その資格は無い。だが、この戦いが終わって、そしてまた会えたら……本当の意味で仲間にしてくれるか?」

 

 自嘲気味に言ったイタチの言葉に、クラインは悲しみと怒りを綯い交ぜにした声で、必死に言葉を紡ぐ。

 

「イタチぃ……俺は、お前の事仲間じゃねえなんて、一度だって思ったことねえぞ!なのに……なのに、お前がそう思ってなかったなんて……そんなの、すっげーダッセーじゃねえかよぉ!……イタチぃ!」

 

 クラインの必死の呼び掛けに、しかしイタチはそれ以上言葉を交わすことはできなかった。続いてイタチは、ベータテスト以来、共に戦ってきた馴染み深い三人の方へ向き直る。

 

「カズゴ、アレン、ヨウ……お前達にも感謝している。俺がビーターであることを承知で、共に戦ってくれた。一人ではできないことがある……だからこそ互いに助け合う。俺が忘れかけていたことを、思い出させてくれた」

 

「……礼を言われるようなことじゃねえよ」

 

「イタチ……」

 

「止めても無駄なら、もう何も言わねえさ……まあ、何とかなるさ」

 

 イタチと共に戦った時間ならば、間違いなくトップクラスに入る三人。だからこそ、イタチの性格は熟知していたのだろう。イタチを止めようとする者はいなかった。

 

「ヨウ、リアルでマンタに再会したら、鍛冶師として俺の剣を打ち続けてくれたことに感謝していたと伝えておいてくれ」

 

「それは、自分の口から伝えるべきじゃないか?」

 

 この場にはいない、生産職プレイヤーとしてイタチをはじめ多くの攻略組プレイヤーを支援してきた、マンタに対する感謝を伝えるよう、リアルの友人であるヨウに頼むも、やんわりと断られてしまった。

 

「メダカ、ゼンキチ。お前達ミニチュア・ガーデンにも、幾度となく窮地を助けられた」

 

「気にすんな」

 

「フッ……礼には及ばんよ」

 

 ベータテスターであることを憚ることをせず、一級のカリスマをもって多くのベータテスターを救ってきたメダカだったが、彼女にとっては大したことではなかったらしい。相変わらずの不敵な笑みを浮かべて、イタチに答えた。

 

「テッショウ、コナン……それに、他の血盟騎士団メンバーの皆。今まで、お前達ビギナーを見捨てたビーターの俺に力を貸してくれたこと、感謝する。それに、今までアスナさんを支えてくれたこともだ。俺と彼女の今があるのは、間違いなくお前達のお陰だ」

 

「イタチ……俺達だって、今まで戦ってきた仲間じゃねえか。何今更、水臭いこと言ってんだよ」

 

「バーロー……助けられたのは、むしろ俺達の方じゃねえか。シェリーだって、そう思ってる筈だぜ」

 

 攻略組最強ギルドとして常に最前線に立ち、自分に代わってアスナを守ってきたテッショウやコナンをはじめとした血盟騎士団メンバーもまた、イタチが感謝していることなどまるで気にした様子は無かった。ただただ、クラインや他のベータテスター同様、仲間だから助けただけだと、当たり前のことをしただけだと、そう答えた。

 

「シバトラさん。あなたの作った聖竜連合も、心強い存在でした。もし俺に何かあったら、義妹のことをよろしくお願いします」

 

「イタチ君……縁起でもないことを言わないでよ……あの子は絶対、君を待っているんだから……!」

 

 聖竜連合総長のシバトラが、イタチに生きることを諦めるなと涙ながらに叫ぶ。リアルで顔見知りであり、イタチの事情を知るシバトラの言葉に、イタチは苦笑した。

 その後も、幾人かの攻略組メンバーに短い言葉を交わすと、改めて茅場へと向き直った。

 

「茅場さん……あなたの作ったこの世界、そしてあなたが持つ神聖剣と言う名のユニークスキル。いずれを取っても、完璧と呼んで差し支え無いものです」

 

「君にそう言ってもらえるとは、光栄だね」

 

「しかし、人の作ったものである以上、完璧な物など存在し得ない。この世界も、あなた自身も例外ではありませんよ」

 

「ほう……ならば君は、この世界の弱点を知っているのかね?」

 

 興味深そうに問いかける茅場晶彦。己の全身全霊捧げて作り上げた創造物を、欠陥品呼ばわりされているというのに、その表情は全く不愉快そうに見えない。対するイタチは、一度瞑目すると、静かにその赤い双眸を開き、答えた。

 

「この世界、そしてあなたの弱点とリスク……それは――――」

 

 

 

俺の存在です

 

 

 

 自らの存在を、このゲームの弱点と断言したイタチ。冗談やハッタリの類ではない、しかし非論理的なその言葉には、不思議な説得力があった。茅場はその言葉を聞き、一瞬呆けた表情をしたが、次の瞬間にはその顔に挑戦的な笑みが浮かんでいた。

 

「その言葉、試させてもらうとしよう」

 

「無論です。では、そろそろ始めましょうか」

 

「ウム」

 

 もうそれ以上の問答は不要とばかりに、デュエルの開始を促すイタチ。茅場は一度頷くと、戦いを始める前に、再び左手でウインドウを操作する。それによって、イタチと茅場のHPバーは、レッドゾーンギリギリへと調整される。強攻撃がクリーンヒットすれば、即座に決着がつく量である。

 この世界の終焉を賭けた戦いを前に、しかしイタチの心に昂ぶりは無かった。アインクラッドに囚われた八千人弱のプレイヤーの運命を賭けた決戦……常人ならば、押し潰されてもおかしくない程の重圧が伴う戦いである。だがイタチは、最初の前世では木の葉隠れの里を、第二の前世においては、世界の命運を背負って戦った。慣れてしまったと言えばそれまでだが、忍としてのイタチは、戦いの中で背負う命の数や世界の情勢はもとより、己の命が左右される戦いであっても揺るがない。

 

(茅場晶彦……あなたを倒し、この世界を終わらせる)

 

 故に、イタチが考えることはただ一つ。目の前の敵を倒し、囚われた全てのプレイヤーを解放する。そして、茅場と共に作ったこの世界を、完全に終わらせる。それこそが、この世界に忍としての……うちはイタチとしての生き様に殉じた自分の、最後の任務なのだから。

 

「それでは、始めようか」

 

「ええ。いざ、尋常に……」

 

「「勝負!」」

 

 その一言と共に、イタチと茅場、双方は互いに距離を詰める。互いの影が交錯する……それと同時に鳴り響く、剣戟が織りなす鋭い金属音。入団を賭けたデュエルの時と同様、傍からは目で追う事すら困難な斬撃の応酬が繰り広げられる。イタチの激しい攻勢に対し、茅場は左手に持つ盾でそれらを防ぎ切る。

一分にも満たない時間でイタチが振るう二本の剣からは、百に及ぶ勢いで斬撃が繰り出されている。しかし茅場は、一切無駄の無い動きでそれらを往なし、あまつさえカウンターを叩きこむ隙を窺って目を光らせているのだ。

両者の実力は完全に拮抗し、そう簡単には崩れそうにない。一分足らずの、しかし十分以上の時間に思えた時の中で、イタチと茅場はそれを確信した。

 

(神聖剣……やはり、一筋縄ではいかんか……)

 

 百を超える斬撃を、フェイントも交えて放ったが、全てがユニークスキルたる神聖剣の前に弾かれてしまった。防御に優れたこのスキルは、並大抵のソードスキルでは小揺るぎもしない。

そして、防御から攻撃に転じるインターバルが無いに等しいのも特長である。攻防の中で僅かでも隙を見せれば、そこを狙って、即座に強攻撃が入ってくることは確実である。故に、技後硬直が発生するソードスキルを放つのは、愚の骨頂。残りのHP全てが消し飛び、敗北が確定する。

 

(だが、迂闊にソードスキルを行使することもできん……)

 

イタチの高ステータスで繰り出す二刀流ソードスキルの連続技は、フロアボスはもとより、並みのプレイヤーでは対応し切れない制度と威力を誇る。本来ならば、神聖剣の防御を押し切れるだけの力を持っているのだ。

だが、今イタチが相手している神聖剣の使い手は、茅場晶彦。SAO製作スタッフとしてソードスキルをデザインした人物であり、モーション・キャプチャーテストを行ったイタチ以上にソードスキルを熟知した人物である。故に、如何にイタチのソードスキルが突出した威力と精度を持とうとも、機先を制して神聖剣を行使し、確実に防御することが可能なのだ。

制作者として他の追随を許さないソードスキルの知識と、神聖剣と言う名の無双の盾。鬼に金棒と言うべきこれら二つの武器を備えた茅場には、イタチが圧倒的ステータスで繰り出す二刀流ソードスキルであろうとも通用しない。

 

(そして、膠着状態を維持することもままならんな……)

 

 ソードスキルを使えず、決め手に欠ける状態での戦いを強いられている以上、残された選択肢は、持久戦による消耗を狙うことのみ。しかし、これもまた危険な賭けである。

 武器の耐久値は、イタチが持つ片手剣二本も、茅場の持つ盾と剣も、ボス戦を経てかなり削られている。だが、茅場の神聖剣は、イタチの二刀流以上に防御に秀でている。まともに打ち合い続けた場合、イタチが先に武器を失う可能性が高い。

 フェイントを積極的にかけて集中力を摩耗させる作戦も、効果は期待できない。茅場ことヒースクリフが今日まで攻略組の目を欺いて生き残ることができたのは、神聖剣を使いこなすに能うだけの能力を持っていたからこそである。その卓越した集中力は、生半可な攻勢では削り切れるものではない。フェイントに惑わされて隙を晒すなど有り得ない。さらに言えば、茅場晶彦という男は、この死の牢獄を作り出したことで、二千人以上の命を奪っている。忍の世界ならばいざ知らず、イタチが今生きている世界においては、紛争地帯以外での大規模な命のやり取りはあり得ない。数千人単位で命を奪う重圧すらものともしない……それは即ち、茅場の精神はイタチと同じ、忍と同等かそれ以上の領域に達していることを意味する。

忍の世界に生まれていたのならば、高い指揮官適性と相まって、間違いなく五大国の隠れ里を治める五影か、或いは自身が所属したS級犯罪者で構成された組織、暁に所属していたであろう。それだけの実力・精神力を備えているというのが、イタチの私見だった。

 

(覚悟はしていたが、やはり一筋縄ではいかん。やはり、隙を作り出して突き崩す他無さそうだな……)

 

 開始から一分と数秒の打ち合いの中で己の不利を理解したイタチは、早々に決着をつけるべく行動を起こす。

 

「はぁっ!!」

 

 気合いの一声と共に、再び攻め込むイタチ。先程と全く同じ、ただひたすら両手の剣で斬りつける、何ら工夫の見られないその行為は、傍から見れば愚かしさすら感じるものだ。だが、茅場にはそのような愚考を犯さない。目の前の少年は、自分の認識を幾度となく覆してきたのだ。この単純な戦法の裏に、どのような奇策が隠されているのか、茅場ですら測り知れない。

 

(見せてもらうよ、イタチ君……!)

 

 己をこの世界唯一の弱点と豪語した少年が、どのように無双のユニークスキルとも呼べる神聖剣を打ち破るのか。茅場は強い興味を惹かれていた。

 対するイタチは、先程の斬り合いと同様、目にも止まらぬ速度で二刀流連撃を繰り出す。攻撃の軌道も、タイミングも……何もかもが同じ。そう思えたのは、ほんの数秒だった。

 

「うぉぉおっ!」

 

 カキン、という小気味よい金属音が木霊する。次の瞬間には、茅場の手に持つ盾に弾かれた剣――エリュシデータが垂直に飛ばされ、宙を舞う。力の入れ具合を誤ったのか、反動を見誤ったせいか、原因は定かではない。しかし、剣を弾かれたこの瞬間、イタチは完全な隙を晒したことだけは明らかだった。

 

「フッ……」

 

 そして、茅場は不敵な笑みと共に、躊躇い無くその隙を突く。カウンターで繰り出す、右手に握った剣の一突き。心臓部を狙った、強烈な一突き。まともに入れば、HP全損は免れない。

 

(来た……!)

 

 しかしイタチは動じない。何故ならば、この瞬間こそがイタチの狙いだったのだから。 胸に吸い込まれるように放たれるその一撃に対し、イタチは……

 

「せいっ!」

 

「!?」

 

 茅場の突き出した剣の腹に、輝く光弾が打ち込まれる。想定外の事態に、茅場の剣は狙いが狂い、急所である心臓部から軌道を外れ、イタチの左肩を掠めた。ダメージを受けたことにより、イタチのHPがレッドゾーンへ突入するが、全損は免れた。

 そして、茅場の握る剣が弾かれた、光弾が衝突した箇所には、イタチの右拳があった。

 

(まさか、体術スキルで軌道を逸らしたのか……!)

 

 イタチが発動したソードスキルは、剣を持たない無手で仕掛ける体術系スキル「閃打」。初級ソードスキルである故、威力は低いが、その分発動は最速。イタチの筋力パラメータで繰り出されるそれは、神聖剣にて繰り出される一突きを横合いから叩いて弾くには十分。ソードスキルの全てを知り尽くした茅場でも思いつかない、完全な不意打ち。そして今度は、茅場が隙を晒す番である

 

(ここで一気に、攻め込ませてもらう!)

 

 茅場に対し、僅かな……しかし決定的な隙を作り出すことに成功したイタチは、それを最大限に活かすべく、最後の攻勢に出る。空中に投げだされていたエリュシデータを再び右手に握り、踏み込む。

カウンターを逸らしたことによって、茅場の絶対領域たる神聖剣の防御が崩される。故に、イタチは徹底的に攻める……!

 

「はぁぁぁああああ!!」

 

 発動するのは、二刀流十六連撃「スターバースト・ストリーム」。茅場がカウンターを仕掛けるために左側方から正面へ戻そうとしていた盾を弾き、防御態勢の立て直しを妨害しながらの攻撃。盾で防ぎ切れない斬撃が、茅場の身体に刻まれていく。

無双の防御力を誇る茅場の神聖剣を相手に、イタチは一撃で勝負を決められるとは、最初から考えてはいない。確実にダメージが入る決定的な隙を作り出し、その瞬間に全力の連撃を繰り出す。それこそが、イタチが考え出した、神聖剣の攻略方法だったのだ。

 

(終わらせる……必ず、ここで!)

 

 赤い瞳に鋭い眼光を宿し、修羅の如く攻め立てるイタチに、茅場は懸命に防御を試みようとするも、全てを防ぎ切ることは到底できない。半分も止められれば良い方だろう。HPが全快だったのならば、踏みとどまることは出来たかもしれない。しかし、イエローゾーン一歩手前に設定したHPでは、スターバースト・ストリームの半分でも、十分致死レベルである。茅場のHPが、レッドゾーンを迎え、その全てを流星群の如き剣戟に食らい尽くされようとした……その時だった――

 

「なっ!」

 

「!」

 

 スターバースト・ストリーム最後の一撃を、イタチが左手に握る片手剣「ダークリパルサー」で繰り出し、茅場の盾を掠めたその瞬間――金属音が響いた。剣と盾が衝突しただけでは生まれない、長い音――

 

(まさか――――!)

 

 イタチが振りかぶった剣の先端が、消えていた――否、正確には、折れたのだ。クォーターポイントの強敵との戦闘を経て、イタチの武器が遂に限界を迎えたのだ。決して予想していなかったわけではない……しかし、この最終決戦において、最も恐れた事態が、よりによって勝負の趨勢を支配するこの瞬間に訪れたのだった。

 イタチとて、武器の耐久値を全く気にしていなかったわけではない。耐久値の問題を含め、この戦い自体、数多くの不確定要素があったのだ。本来ならば、万全の状態で挑むべき戦いだった。攻略組が崩壊寸前の状態の中、全プレイヤーの解放という報酬が賭けられた戦いだったからこそ、イタチは立ち向かわねばならなかったのだ。

 

「見事だったよ、イタチ君。だが、これでさらばだ」

 

(ここまで、か……)

 

 スターバースト・ストリームの発動による技後硬直で、イタチは一切動く事ができない。故に、茅場の剣を避ける術も無い。イタチは残された時間の中で、自分が退場した後に残された攻略組プレイヤー達が、この世界を脱出できるようにと祈りながら死を待つばかりだった。

 己を死へと導く、光り輝く凶刃が目の前へ迫るのを、イタチはじっと見つめ、ただただ待った。一秒にも満たない、しかし何分、何十分にも思える時間の中、イタチは見た。

 視界に飛び込む、真白き閃光を――――

 



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第五十四話 世界の終焉

 茅場晶彦とのデュエルに臨んでいたイタチは、戦いの最中、全力を尽くして作り出した神聖剣の隙を突いた。最後の攻撃を敢行した二刀流ソードスキルの十六連撃は、武器の耐久値が現界を迎えたがために、失敗に終わった。あとはただ、茅場が反撃の一撃として振り上げた剣のもと、命を絶たれるのを待つのみ……その筈だった。

 だが、イタチに迫る凶刃を遮るかのように、白い影が現れた。閃光のような速さで視界に飛び込んできたそれを、しかしイタチは瞬時に判別できなかった。事態を把握するために思考を走らせるよりも速く、次の瞬間には、視界の端に鮮血の如き赤い光が煌めいた。それが、プレイヤーのダメージを示すライトエフェクトであることは、すぐに分かった。

 

(まさか……!)

 

 赤い光に次いで、イタチが視界に捉えたのは、宙を舞う栗色の長髪。見紛うことなき後ろ姿……現実世界においても見知ったそれは、先程までシステム的麻痺を受けて動けずにいた筈の、少女のものだった――

 

「アスナ……さん?」

 

 呆けた表情で、思わずその名を呟いたイタチ。麻痺で動けなくなっていた筈の彼女が、何故ここにいるのか……何故、自分と茅場を遮る形で飛び出して来たのか……全く理解できない現状に、イタチの思考は硬直した。

 茅場の繰り出した刃を受けたアスナは、仰け反りながら、イタチのいる後方へと倒れていく。そんな中、己の名を呼ぶ声に振り向いたアスナが、声無き声で、イタチに言葉を投げかけた。

 

 

 

イタチ君――――さよなら

 

 

 

 そして次の瞬間、アスナの身体は光に包まれ、ポリゴン片と共に砕け散った――

 

(なんだ……これは?)

 

 アスナが自分を守るために茅場の前に立ち、犠牲となった……

 守るべきものを守り切れなかったという、イタチには最早見慣れていると言っても過言ではない光景。前世の再現とも呼ぶべきそれが、目の前に広がっていた。

 

(何一つ、変えられていない……)

 

 アスナが犠牲となったことで、確かに自分の命は繋がれた。だが、それだけだ。イタチが持っていた片手剣の一つ、ダークリパルサーは砕け散り、二刀流スキルはもう使えない。さらに、茅場相手では同じ戦法はまず通用しない。完全に決め手を失ったイタチを待っているのは、敗北の未来以外に有り得ない。

 SAO内での二年と言う戦いの月日を、イタチは己の心を前世の忍……うちはイタチへと回帰させて過ごしてきた。それこそが、この世界を解放するための最善策であると信じていたのだから。だが結局この選択は、前世の運命においても轍を踏む結果となったのだ。そんな現実を前に、イタチは自身もよく知る禁術を思い出していた。

 

(ああ、そうか……“イザナミ”か……)

 

 うちは一族の写輪眼には、二つの禁術が存在する。一つ目は、己自身に幻術をかけ、現実をねじ曲げる力を持つ、究極の幻術――イザナギ。とって不利な事象を「夢」に、有利な事象を「現実」に変えるこの術は、一族の間では、都合の良い結果の奪い合いを引き起こす元凶でもあった。故に、その使う者を戒め、己の結果から逃げずに向き合うことを強要するための術が必要とされていた。

イタチの頭に浮かんだ、イザナミという術は、イザナギを使う者を止めるために作られた、もう一つの禁術だった。同じ感覚を再現することで、その二つの時の流れを繋ぎ合わせ、無限ループを作り出す幻術。そこれこそが、イザナミなのだ。本来の己の結果から逃げずに向き合うことを強要するこの術は、飽く迄イザナギに依存した者を戒めるための術であり、繰り返されるループの中で、結果に向き合うことができれば、自ずと術は解ける仕組みとなっている。解除するための抜け道が存在する……故に、禁術と目されているのだ。

イタチは当初、人造物であるこの仮想世界を、前世で使用した万華鏡写輪眼の幻術、「月読」が作り出す精神世界に似ていると考えていた。自分が仮想世界に高い適性を示したのも、それが理由だと考えていたが、本当はイザナミの世界だったのかもしれない。荒唐無稽な話だが、イタチにはそう思えた。或いは、目の前の現実を無意識の内に否定したいがために、そんな考えを浮かべたのかもしれない。

 

(世界こそ違うが……この結果は、間違いなく前世の焼き直しだ。己一人で何もかもを成し遂げようと考え……そして、失敗した。何一つ、変わっていない……)

 

 前世と変わらぬ結果に至ったという事実……その原因は間違いなく、己自身にある。今日この日まで、イタチはプレイヤー全員の憎しみを自身に集約し、解放を目指すプレイヤー達の結束を高めるために動き、己に孤独を課して攻略を進めてきた。それは、前世のうちはイタチが辿ったものと、全く同じ軌跡……しかし、それこそが自分が取るべき選択であると信じ、歩み続けてきた。

 だが、己が為すべきと信じ、重ねてきた行動の末に待っていたのは、目的の達成まであと一歩のところで力及ばず、自身に代わってそれを成し遂げてくる筈だった人物の喪失。前世では、自身は失敗しながらも、――無責任ながら――己ができなかったことを成し遂げてくれる人物に、意志を託すことはできた。しかし、今回はそれすらもままならないのだ。

 

(俺の……何もかもが、間違いだったのか――――)

 

 このような結末は、前世の再現に等しい行動を自覚していたが故に、最初から予測できていたことだった。だが一体、自分はどこで間違いを犯してしまったのか。

 自分一人では何もできないという事実を、自分がやらねばならないという義務感で誤魔化し、愚かにも一人で決戦に挑み、全てを終わらせようとした報いなのか……

 前世と同様、己の孤独を是とし、アスナやクラインをはじめ、自分を仲間と呼んでくれた多くの人々を遠ざけた罰なのか……

 或いは、この世界にうちはイタチとしての記憶を持ちながら転生した、自分の存在そのものが間違いだったか……

 

(イザナミならば、また繰り返すのだろうな……)

 

 仮にこの世界がイザナミのループであり、今この場で死を迎えると同時に、アインクラッド第一層……もしくは、新たな世界でやり直すことになったとしても、イタチには運命を覆すことができるとは思えなかった。恐らくは、永遠に同じ過ちを繰り返すことになるだろう。後悔を重ねながらも同じ道を歩く自分に、新たな選択ができるとは、到底思えなかった。

 

(大蛇丸……お前が言っていた事は案外、的外れでもなかったのかもしれんな)

 

 このような無様を晒す己を顧みると同時に、イタチはある人物の言葉を思い出していた。前世において、自分が所属したS級犯罪者集団の組織、暁に所属していた、イタチと同郷の抜け忍の言葉を……

 

『忍の才能とは、世にある全ての術を持ち、極めることができるか否かにある。忍者とは、その名の通り、忍術を扱う者を指す』

 

 どれだけ容姿やステータスを前世へ近づけたとしても、写輪眼や忍術が使えない、この世界の自分にできることには限界がある。両方を扱えた前世ですら失敗したのだ。前世の記憶の中に引き継がれた経験のみで戦ってきた自分という存在では、この世界を終わらせるには及ばなかったというのか。或いは、前世の己を引きずって『イタチ』を名乗り、仮想世界へ踏み込んで前世を懐古したことが間違いだったのか……

 もはや、如何なる抵抗にも意味を見出すことはできない。アスナの身体が砕け散ると共に発生した光の中で、イタチは思考することすら無意味に感じた――――そんな時だった。

 

『忍者とは、忍び耐える者のことなんだよ』

 

(……誰だ?)

 

 目の前に立ち込める光が如く、ホワイトアウトしようとしている意識の中に響いた声。どこかで聞いた事のあるその声は、そのままイタチに語りかけるように響き続ける。

 

『一つテメエに教えといてやる。忍の才能で一番大切なのは、持ってる術の数なんかじゃねえ。大切なのは……』

 

(まさか、自来也さん……?)

 

 若干遅まきながら、声の正体について悟るイタチ。かつて、大蛇丸の仕掛けた木の葉崩しが終結した頃に帰郷した折、暁の目的を果たすための重要な鍵を握る少年を巡って争った相手。伝説の三忍と称された者の一人たるその男の名は、自来也。

 自分と同組織に所属していた大蛇丸とは、敵対関係にあったこの男は、一体何を忍者の極意と言うのだろうか?イタチは姿なき自来也の発する言葉に、耳を……心を研ぎ澄ませた。

 

 

 

『あきらめねえ……ド根性だ!』

 

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、イタチの脳裏に一人の少年の姿が蘇った。どんな逆行や窮地、宿命にも屈せず、己の忍道を貫かんとした少年。二度目の前世において出会った際に、復讐鬼と化した弟を連れ戻すことすらも、諦めないと宣言したあの姿は、今もイタチの心に焼き付いていた。

 

(そうだったな……ナルト!)

 

 数秒にも満たない間、頭の中のイメージとして浮かんだ少年の姿に対し、イタチは心の中でそう呟いた。少年名は、うずまきナルト。前世のうちはイタチが、己の弟の運命を託した少年であり、そして自来也の弟子だった忍の少年である。

 

(それがお前の……未来の火影たるお前の忍道ならば、俺も諦めるわけにはいかないよな……!)

 

次の瞬間には、イタチは半ば硬直していたその身を動かし、アスナの死亡エフェクトとして飛び散ったポリゴン片の光の中へ、手探りするように左手を突き出した。その左手には、アスナの愛剣として残された細剣――ランベントライトが握られていた。

 

(何故なら……抜け忍であろうと……生きる世界や名前が変わろうとも……)

 

 どんな窮地にあっても諦めないド根性をもって、困難を打ち破る。ナルトの忍道は、おそらく師である自来也から受け継がれたものなのだろう。師から弟子へ忍道が受け継がれるのならば、同じ木の葉隠れの里に属す自分も同じ。長である火影の教えに殉じる覚悟が必要だ。

 

(俺は、木の葉のうちはイタチだ!)

 

 何故、前世の忍世界で死を迎えた筈の自来也の声が、自分の頭に響いたのかは分からなが、自分が選ぶべき選択肢へと導いてくれたことは間違いない。そして、聞こえたのは自来也の声のみではなかった。

 

『仲間は死なせねえ……それが、俺の武士道だ!!』

 

 この世界が死の牢獄と化し、自分がその原因の一端を担った人間だと知っても、自分を仲間として見続けてくれた男が口にした言葉。その揺るぎない意志を秘めた姿は、前世で弟を託した少年の姿と幾度となく重なった。彼と共に戦い続けてきたことで、今自分は答えを得ることができた。それを今この瞬間、無駄にしてしまって良いのか――――

 

『私にとって……ううん、私達みんなにとって君は、この世界を生きるために希望の光だったよ』

 

 攻略組ではない、自分達と同じ様にこの世界に囚われた一人の少女が、自分に届けようとしたメッセージ。彼女や彼女の仲間達が光と信じたそれを、そのまま消してしまって良いのか――――

 

『イタチさん、あたしだけじゃありません。きっと、みんなあなたを信じていると思います。だから、あなたも信じてください!』

 

 デスゲームという生き地獄を作った咎人として、誰かを信じることも、信じられることも許されないと感じていた自分を勇気づけようと発した、竜使いの少女の言葉。仲間達は勿論、今この瞬間、自分自身を信じずにどうするのか――――

 

『アスナやあたしが大変な想いして作った剣なんだからね。大切にしないと、承知しないわよ』

 

 自分を想ってくれる少女の友人が、決闘までして伝えようとした、心の温度が込められた剣。それを自分は折ってしまった。彼女達に顔向けできず、このまま終わっていいのか――――

 

『パパとママがいれば、皆が笑顔になれる……二人は、皆の希望なんです。だから……これからも、その喜びを皆に分けてあげてください……』

 

 作りものでありながら、その在り様は自分と全く同じだった少女が、消滅の間際に残した言葉。彼女がパパと呼んだ自分にも、希望や喜びを齎す力があるのならば、今使わずしていつ使うのか――――

 

『今は、イタチ君に期待している人は、いっぱいいると思うよ。私も含めてね』

 

 この世界に閉じ込められたプレイヤー達が、現実世界へ帰還するという希望を胸に秘め、そして今自分はその期待を背負っている。ならば、それに応えずに諦めることが許されるのか――――

 

(諦めない……お前が示した道こそが、俺の前世において……そして、この現世にあっても俺が取るべき選択だった……!)

 

あまりにも単純で、散々迷走した末に得た、当たり前のような答え。それを前に、最早迷いなどある筈が無い。決意と共に、心の中に蘇った言葉に背中を押されたイタチは、左手に握ったランベントライトを構え、目の前で立ち尽くす茅場の心臓目掛けて鋭い突きを繰り出す。

 

 

 

「はぁぁああああ!」

 

「!」

 

 麻痺で動けなかった筈のアスナが、身を挺してイタチを守ったことに呆然となった茅場の虚を突いた一撃。未だに残る、アスナの死亡を示すライトエフェクトの向こうから仕掛けられた攻撃に、茅場の回避は間に合わない。辛うじて、左手に持つ盾を前へ出して防御姿勢を取ることには成功する。だが、

 

「なっ……!」

 

 防御のために用いた盾は、イタチが握るランベントライトの一突きが炸裂した瞬間、砕け散った。ここに至って、茅場の持つ盾もまた、耐久値が限界を迎えたのだ。ソードスキルでもない一撃で砕けたのは、偶然か、或いはイタチや茅場が知り得ない何かが働いた結果なのかは分からない。そして、両者共にそんなことに思考を割く余裕は無い。

 

「うぉぉぉおおお!!」

 

「くっ!」

 

 盾が砕けたことで防御ががら空きになった隙を突き、イタチは右手に持つエリュシデータを振りかざし、ソードスキルを放つ。発動するのは、初級片手剣スキル「スラント」。低レベルのソードスキルではあるが、それ故に速く、イタチが放つそれは電光石火と評するに値する一撃だった。

 だが、茅場もやはり黙ってはいない。盾が砕けた瞬間に繰り出されるイタチの剣を視認するや、今度は右手の剣でソードスキルを発動して迎撃する。攻防自在の神聖剣故の所作は、盾が砕けて尚健在だったのだ。

 イタチと茅場、両者の得物がソードスキル発動のライトエフェクトを放ちながら衝突する。けたたましい金属音が反響し、眩いばかりの光が交錯した刃より放たれる。激しい光と音によって奏でられる、ソードスキル同士の激しい正面衝突は、やがて決着を迎えた。

 

「!」

 

(馬鹿な……!)

 

 競り勝ったのは、どちらでもなかった。イタチのエリュシデータも茅場の剣も、光が収束すると同時に、共に砕け散ったのだ。刀身の半分以上を喪失した剣は、瞬く間にポリゴン片となって砕け散った。

 

(まさか、私の神聖剣がこんな土壇場で破られるとは……)

 

 アスナが飛び出したことは驚愕すべき出来事だったが、その後のイタチの動きは茅場の想像を遥かに超えていた。死を免れたとはいえ、その代償にアスナは命を失ったのだ。常人ならば、絶望に足が竦んで動けなくなる筈。イタチの精神が常人のそれと違うことは茅場も理解していたが、切り返しに転じてからの気迫はまるで別人である。一体、あの刹那の間にイタチに何が起こったのか。イタチの精神に、茅場の理解の及ばぬ何かが起こったことは確かだが、今はそれを詮索する余裕は無い。

 

(まずは、離脱せねば……!)

 

 盾に続き、剣まで失った今、茅場に神聖剣を発動する術は無い。ここは一度距離を取り、Modスキルのクイックチェンジを使って武器を取り出して仕切り直すほか無い。幸い、イタチは右手に握っていたエリュシデータを失っている。スキルコネクトによる追撃を仕掛けようにも、左手に握っているランベントライトは、ソードスキルを繋げられる体勢で構えていない。イタチの射程から逃れることは十分可能である。

果たして、イタチは茅場予想通り、跳び退く茅場に対して追撃を仕掛けることは無かった。距離を置いたことで発生した間隙を最大限有効活用し、茅場は素早く指を滑らせてクイックチェンジを行い、アイテムストレージに格納されていた盾と片手剣を取り出そうとする。イタチと茅場は互いに武器を失っている現状では、先に武器を取り出した方に軍配が上がる。茅場の場合、防御に優れた『神聖剣』というユニークスキルを最大限に生かすためには、カウンターによる迎撃が好ましい。盾を先に装備して、間髪いれずに来るであろうイタチの一撃を防御し、即座に剣による一撃を叩き込む。それこそが、跳び退く刹那の間で茅場が導き出した勝利への』道筋だった。だが、クイックチェンジで武器を再装備するまで成功した茅場の策略は、予想外な形で崩れ去ることになった。

 

「な、に……!」

 

 イタチが取った行動は、茅場の予想を裏切るものだった。腰だめに右手の五指を伸ばしてナイフのように構え、後方へ跳ぶ茅場目掛けて一気に駆け出したのだ。右手に宿るのは青いライトエフェクト。体術スキル『エンブレイサー』を発動しようとしているのだ。だが、それは茅場の知る『エンブレイサー』ではない。

 

(何だ…………何なんだこれは!?)

 

SAO制作者である茅場ですら知らない現象が、目の前で繰り広げられていた。イタチの右手が放つ光は、眩い光のみに止まらず、紫電を発しているのだ。このようなライトエフェクトを放ちながら発動するソードスキルなど茅場は知らず、システム的にも有り得ない事象である。一体何が起こっているのか……だが、それを考える時間は茅場には無かった。

 

(速い……!)

 

茅場のもとへと特攻するイタチは、身体まで光と化したかのような速さで迫っていく。明らかにソードスキルのシステムアシストを逸した――まるで、右手のみならず全身が雷と化したのではと錯覚するような、発動しているイタチ本人でさえも制御できているか怪しい程の速度。実際には、イタチの持ち得る敏捷力を最大限に発揮して一直線に突撃したために一層速く感じられたに過ぎない。真っ直ぐ過ぎる故に、単純過ぎてカウンターの餌食になりやすい軌道。だが、

 

(な、に……!?)

 

茅場の盾による防御も剣によるカウンターも紙一重ですり抜けられた。一体どうして、カウンターを一切恐れることなくこれ程の速度を発揮し、紙一重で迎撃をすり抜けるなどという真似ができるのか。自らの天才的頭脳をもってしても解明できない、仮想世界の理を逸脱したイタチの離れ業を前に、茅場の思考は間に合わない。そして、イタチが右手に宿した雷は茅場の心臓へと吸い込まれていった――――

 

 

 

 武器を失い、体勢を立て直すために跳び退いた茅場を前に、イタチが取った選択は、体術スキル『エンブレイサー』による追撃だった。ソードスキル発動に要するクイックチェンジの手間を省き、速攻で止めの一撃を放つには、素手で発動できる体術スキルを置いて他に手段は無い。だが、間隙を生じさせずに発動した体術スキルでも、確実に茅場を倒せる保証は無い。『エンブレイサー』は体術スキルの突きに分類されるものの中でも最高クラスの威力を持つが、茅場相手に正面から繰り出せば、カウンターによる迎撃は避け得ない。『神聖剣』という鉄壁のスキルを持つ茅場を正面から打ち破るには、刹那の動き全てを見切らねばならない。動体視力に優れるイタチであっても、それは非常に難しい。それこそ、前世の『写輪眼』が無ければ為し得ない離れ業である。

 

(やらねばならない……あの術を――――!)

 

『エンブレイサー』を発動する中で、イタチは茅場を倒すために必要な一撃として、前世で見たある忍術を想像していた。手に雷へ性質変化させたチャクラを纏って繰り出す、強靭無比な術……だがその一撃は、速過ぎて自分自身でも制御できない、カウンターの格好の餌食になりやすい諸刃の剣だった。これを使いこなすのに必要なのは、凄まじい速度の中にあって敵の動きを見切る動体視力であり、うちはイタチも持っていた『写輪眼』があって初めて完成する術だった。だが、現世の桐ヶ谷和人は忍ではなく、前世に迫る身体能力を発揮出来る仮想世界にあっても忍術を使う事は出来ない。それでも、やらねばならない……この一撃には、自分を信じてくれるプレイヤー全ての命運が懸かっているのだから――――

イタチがそう強く念じながら茅場目掛けて駆け出そうとした一瞬の間のことだった。二年以上のSAOプレイ時間の中で感じることの無かった……しかし、懐かしい感覚を覚えた。技を発動する右手には本来のライトエフェクトではあり得ない紫電が発生している。明らかに不可思議な現象と頭では理解していながらも、イタチ自身の感覚においては、むしろこれが自然であるかのように思えた。

 

(サスケ……俺に力を貸してくれ……!)

 

 青い紫電の如きライトエフェクトを放つ右手から、「チ、チ、チ」と電気の弾けるような音すら聞こえてくるように感じる。それはまるで、千鳥の囀りのようで……前世の弟が必殺の一撃として使っていた術そのものだった。そしてその術は、今イタチの目の前に立ちはだかる敵を倒すことができると考えたもの。自身の中に、前世の弟の力が宿るかのような感覚を胸に、右手に宿したこの一撃にて決着をつけることを誓い、その術の名を叫んだ――――

 

 

 

千鳥!

 

 

 

 茅場の懐へ潜り、技を届かせるまでの、一秒にも満たない交錯。その中で、イタチは茅場が操る盾と剣による迎撃の動き全てを見切っていた。イタチの視界に映る光景は、優れて動体視力や、システムアシストという理屈では説明できない、しかし前世では文字通り見慣れたものだった。未来予知に等しい視界情報を利用し、茅場の防御をすり抜けた青き雷は、その心臓部目掛けて真っ直ぐ繰り出される。稲光の如き閃光は茅場の胸を貫き、残されたHP全てを呑み込んでいった。

 

「ま、さか……!」

 

 イタチが発動した稲妻を纏った『エンブレイサー』こと『千鳥』を食らい、驚愕に目を剥く茅場。残りのHP全てを持って行かれた彼には、既に抵抗の術は残されていなかった。

 論理的に説明不可能な事象の連続の末に突き付けられた、自身の敗北という事実。だが、茅場が驚愕に硬直していたのはほんの少しの間だった。やがて穏やかな顔で口元に微かな笑みを浮かべると、目の前で起こった全てを受け入れたかのように、その身を先程のアスナ同様ノイズと共にその像を歪め――ポリゴン片と共に爆散した。

 

「…………」

 

 この世界を支配していた、真のラスボスたる存在を倒したイタチだが、その心が達成感や感動に満たされる事は無かった。茅場の消えた虚空を見つめながら、イタチは一人黙ったまま物思いに耽っていた。

 やがて、茅場が消滅をシステムが確認したのだろう。無機質なアナウンスが、その場に――否、アインクラッド全体へ響き渡ってきた。

 

『アインクラッド標準時 十一月 七日 十四時 五十五分 ゲームは クリアされました』

 

 ゲームクリアの旨と、現在生存しているプレイヤー全員が、順次ゲームからログアウトされるとの通告がなされる。今頃は、アインクラッド全体で感動の嵐が巻き起こっていることだろう。今日という日に、二年以上も己達を閉じ込め続けた牢獄が破られたのだ。プレイヤー達の心には、様々な感情が渦巻いている筈である。そんな中、イタチだけはいつも通り、その赤い双眸に虚無感を湛えるばかりだった。

 周囲のプレイヤーが次々、転移時のライトエフェクトに似た青白い光と共に消滅する中、遂にイタチの番が来た。他のプレイヤー同様、青白い光に包まれ、全く別の場所へと飛ばされる感覚が、仮想の身体を支配していく。

 

この日、死の牢獄たるアインクラッドに囚われたプレイヤー達は、イタチを最後に全員解放された。そして、ソードアート・オンラインというゲーム……アインクラッドという名の鋼鉄の城もまた、終焉を迎えたのだった――――

 

 

 

 

 

 

 

(ここは――――?)

 

 身体が青白い光に包まれ、消滅するに身を任せていたイタチ。意識を取り戻すと同時に赤い双眸が捉えたのは、見渡す限りの黄昏。ガラスのように透明な足場の下では、夕陽を反射しながら雲が流れている。

 

(……どうやら、まだSAO内からログアウトできていないようだな)

 

 現状を確認するべく、右手を振ってシステムウインドウを呼び出すが、そこには装備フィギュアやメニュー一覧は載っていない。「最終フェイズ実行中 現在54%完了」とだけ出ている。内容からして、アインクラッドからプレイヤーをログアウトさせるためのシステムの進行状態を示しているのだろう。何故自分だけこのような場にいるのか、疑問ではあるが、誰の仕業かは明らかである。当人を探すべく、周囲に視線を巡らせるイタチだが、思わぬ人物から声が掛けられる。

 

「イタチ君」

 

「!……アスナさん?」

 

 声が聞こえた方を振り返ると、そこには予想外の人物が立っていた。先の茅場との戦いの中、身を挺して自分の命を守った少女――アスナである。

 アスナは振り返ったイタチの声を聞くや、駆け出して抱きついた。

 

「会いたかった……でも、どうしてここに?」

 

「それは分かりません。俺はあの後、茅場さんを倒し、ゲームクリアのアナウンスが流れたことを確認しました」

 

「そっか……でも、どうして死んだ筈の私とイタチ君が一緒に、こんなところにいるの?」

 

 黄昏空に囲まれたこの空間は、お伽噺等に出てくる天国を彷彿させる。茅場の刃にかかってHP全損に至ったアスナならば、天国にいてもおかしくはないが、茅場に勝利したイタチまで一緒にいるのは不自然である。となれば、ここは天国などではなく、SAOの中ということだろうか。アスナがそのような考えを巡らせている間に、イタチはアスナの抱擁を解き、現状把握のために再び周囲に視線を巡らせる。

 

「どうやら、ここは未だにSAOの世界のようですよ」

 

 イタチが指差した場所に、アスナも視線を向ける。透明な水晶でできた床のしたに広がる空間。そこにあったのは、巨大な鋼鉄の塊……自分達を二年以上の間閉じ込めた浮遊城・アインクラッドが下層から崩壊を始めている光景だった。

 二千人以上のプレイヤーの命を奪った悪夢の牢獄なれど、いざ崩壊し、消滅する光景を見ると、感慨深いものがあった。あの鋼鉄の城での、命を賭けた戦いの中、イタチやアスナは自分達の時間や仲間の命など、多くを失った。だが同時に、新たに大切なものを得てきたのだ。この世界には、悪夢しか無かったなどとは、断言できる筈が無い。

 

「なかなかに絶景だな」

 

 アインクラッド崩壊の光景に見入っていたイタチとアスナの右隣から、二人の内心を代弁するかのような声が聞こえてきた。アスナは驚いた様子で振り向くが、イタチは微動だにしない。そこにいるのが誰かは、既に分かっていたのだから。

 

「茅場さん……やはり、俺達をここへ連れてきたのは、あなたでしたか」

 

 声の主である茅場晶彦は、白いシャツにネクタイを締め、長い白衣を羽織っている。線の細い鋭角的な顔立ちは、どことなく彼のアバターだったヒースクリフに似ていたが、その姿は間違いなく、イタチの見知ったSAO制作者としての茅場晶彦の姿である。

 

「現在、アーガス本社の地下五階に設置された、SAOメインフレームの全記憶装置でデータの完全消去作業を行っている。あと十分ほどで、この世界の何もかもが消滅するだろう」

 

「あそこにいた人達は……どうなったの?」

 

「心配には及ばない。先程、生き残ったプレイヤー、七千九百六十三名のログアウトが完了した」

 

 アスナの言葉に、茅場は淡々と答えた。今の茅場は、半ば以上、心ここにあらずといった様子だった。アインクラッドへの思い入れは、イタチやアスナのそれとは比べ物にならないことは言うまでもない。

 

「今までに死んだ二千人は、やはり……」

 

「死者が消え去るのは、どこの世界でも一緒さ。私を軽蔑するかね、イタチ君?」

 

 ゲームの中で命を落とした者達の行方について尋ねたイタチの問い。それに対する茅場の回答は、予想通りのものだった。大量殺人を犯した自分を責めるのかと、問い返す茅場に、しかしイタチは首を横に振った。

 

「……あなたの思惑を未然に防ぐことができなかった責任は、俺にもあります。自分のことを棚に上げて糾弾することはできませんよ」

 

「そうかい……」

 

 その答えから、イタチが想像以上に辛い思いをしたことは、茅場にも容易に想像がついた。だが、それに対して同情を寄せようとはしない。このような大惨事を起こした張本人たる茅場には、イタチを憐れむ資格など微塵も無く、戦い続ける道を選んだイタチに対する最大級の侮辱であることを、茅場は悟っていたからだ。

 

「どうして、こんなことを……?」

 

「何故、か…………私も長い間忘れていたよ。なぜだろうな。フルダイブ環境システムの開発を知った時――いや、そのはるか以前から、私はあの城を、現実世界のあらゆる枠や法則を超越した世界を……創り出すことだけを欲して生きてきた。」

 

 凶行ならぬ狂行を犯すに至った動機について、虚空を見つめながら語る茅場の表情からは、その感情を窺い知ることはできない。おそらく常人には――イタチですら――理解することはできない、複雑な思いが渦巻いているのだろう。

 

「そして私は……私の世界の法則をも超えるものを見ることができた。それが君たちだ、イタチ君、アスナ君」

 

「私達が?」

 

 茅場の言葉を聞き、不思議そうな顔をするアスナ。共に名指しされたイタチはといえば、いつも通りの無表情で、驚いた様子は全く無い。茅場は頷くと先を続ける。

 

「君達は、私との戦いの中で、システムの拘束を打ち破り、そこにある法則すら塗りかえる人の意志、その強さを示した。君達が見せた力こそが、私がこの世界を創造した果てに望み求めたものだったのだ」

 

 その言葉の全容を理解するのは、簡単ではない。明らかなのは、茅場が真に目指したものが、現実世界の法則を超越した仮想世界の創造ではないこと。

 

「空に浮かぶ鋼鉄の城の空想に私が取り憑かれたのは……何歳の頃だったかな?この地上から飛び立って、あの城に行きたい……長い長い間、それが私の唯一の欲求だった。私はね、イタチ君。まだ信じているのだよ……どこか別の世界には、本当にあの城が存在するのだと……」

 

 研究者として求めた到達点、その原点を回顧する茅場。仮想世界の制約を超える可能性云々ではなく、茅場晶彦という人間が真に求めたのは、そんな他愛のない夢だったのかもしれない。

 そんな茅場の途方も無い独白に、しかしイタチは口を開いて答えた。

 

「ええ、きっと存在しますよ」

 

 イタチの口から出た肯定の言葉に、茅場は若干呆気に取られた様子で、崩壊するアインクラッドへ向けていた視線をイタチの方へと向けた。隣に立つアスナも、イタチの内心を測りかねている。

 

「あなたが夢見た異世界……それは確かに存在します」

 

「ほう……慰めの言葉ではなさそうだね。私も常々疑問に思っていたことだ。君は一体……何者なのだね?」

 

 茅場晶彦が興味深そうに尋ねた言葉に、しかしイタチは答えることを躊躇おうとはしなかった。破れかぶれなどではない……或いは、ゲームクリアがなされた今後において、茅場晶彦が辿る運命を悟っていたからこその対応だったのかもしれない。

 

「俺には、桐ヶ谷和人として以外の……前世の記憶があります。前世の俺の名は、うちはイタチ……異世界の忍です」

 

 イタチの言葉に目を見開く茅場。彼がここまで驚愕した顔を見るのは、イタチにとって初めてである。驚いている、という表現は正確ではないかもしれない。「異世界」だの「忍」だのという、突拍子の無い単語が並べられたイタチの言葉に、その意味を理解し切れていない、或いは絵空事と呆れているようにも見える。

己の真実を語ったイタチ自身も、到底信じてもらえるとは思っていない。場合によっては、頭のおかしい人間と見なされる覚悟もあった。だが、茅場本人の反応は……

 

「フフ、そうか……成程、そういうことだったのか」

 

 僅かな笑い声と共に、茅場は呟く。その笑みには、イタチに対する侮蔑や嘲笑のニュアンスは無い。むしろ、イタチの話を聞いて得心したかのようにすら見える。

 

「滑稽だな……私が求めた別の世界の手掛かりは、私のすぐそばにあったとは……」

 

「俺の話を信じるのですか?」

 

「ああ、信じるとも」

 

 己を異世界からの転生者であると信じるのかと問うイタチの言葉に、しかし茅場は即答した。

 

「私は君のいた世界も、忍というものも知らない。だが、君がこの世界の外から来た存在であるということは、私の想像を超える数々の成果を出したことを考慮すれば、私は信じるに足ると考える。特に最後の戦いで見せてくれた、紫電を宿した体術スキルがそうだ」

 

「『千鳥』という術です……しかしあれは、俺が意図して発動した技ではありません。正直俺自身、何故あのような現象が起こったのかは分かりません」

 

「そうか……いや、分からなくてもいい。論理的に解析不可能な、システムを超えたあの力こそが、私の求めたものだったのだからな。私の最も求めた光景と、その答えを君は出してくれたのだ。感謝しているよ、イタチ君」

 

 ようやく、求めていた存在に出会えたとばかりに喜色を露にする茅場。まるで少年に戻ったかのような表情を浮かべる茅場に、イタチは一つの問いを投げ掛ける。

 

「……もし、俺が異世界から来た人間であると話していたのなら、あなたはこの計画の実行を躊躇いましたか?」

 

「いや、それは無いだろう。君に出会った時、鋼鉄の城の空想を抱いた私の精神は、末期とも言える状態だった……そう自覚していたよ。故に、仮に君の話を聞き、信じていたとしても、私はこの計画の実行を躊躇わなかっただろう。むしろ、さらに膨大な計画に走っていたかもしれない」

 

 だから、イタチが己の真実を秘匿し続けたことに負い目を感じる必要は無いと、茅場は暗にそう答えた。

 

「君の存在が、この世界や私にとっての弱点でありリスクだという言葉の意味が、今分かったよ。君がこの世界を終わらせたのも、必然の結果だったのだろう」

 

 茅場は満足そうな表情で頷きながらそう話すと、イタチとアスナに背を向け歩きだした。

 

「さて、私はそろそろ行くとしよう」

 

「茅場さん、あなたはもしや……」

 

 イタチには、ゲームがクリアされた今、茅場がどこへ行こうとしているのか、分かっていた。彼もまた、アインクラッドに生きる人間の一人である。故に、その摂理に従うのが道理である。

 茅場はイタチの口から出かけた問いに、しかし背を向けたまま、答えようとしなかった。イタチも、それ以上の追及をしようとはしなかった。

 

「最後に、ゲームクリアおめでとう。うちはイタチ君、アスナ君」

 

 その言葉を最後に、茅場の身体は風に吹かれて掻き消えた。アインクラッドの崩壊が、最上層の紅玉宮へ達し、その姿を黄昏の空に完全に消したのは、それから間も無くのことだった――――

 

「茅場さんが去った今、あとは俺達がログアウトするばかりですね……」

 

「イタチ君……今の話、あなたが異世界から来たって……」

 

「……信じてもらえないと思いますが、全て事実です。俺には前世の……こことは違う世界に生きた、前世の記憶がある」

 

自分が異世界からの転生者であるということを話したのは、目の前のアスナと、既にこの場を去った茅場が初めてだった。茅場はその精神の特異性から、自分の正体を疑うことなく信じたが、アスナがそれを信じるとは限らない。

 

「その世界で俺は、多くの罪を犯しました。そして、この世界でもそれは変わらない……アインクラッドで散った二千人以上の命は、俺が殺したも同然なのです」

 

 イタチの独白に、アスナは黙って聞き入っていた。この世界でイタチと共に戦った時間は誰よりも長いアスナだが、いきなりこのような突拍子も無い話を理解出来る筈も無い。だが、己の過去を話すイタチの表情からは、この世界で幾度となく垣間見た、深い悲しみが感じられた。

 

「イタチ君……私は、あなたの過去や、世界のことを知らない。けれど、私の知っているイタチ君は、誰よりも強くて、優しくて……冷めているように見えて、誰よりも愛情に満ちた人だった。だから、私はあなたがどんな秘密を持っていたとしても、私はあなたを信じている。そして、だからこそ私は――」

 

 一呼吸置き、涙ながらの満面の笑顔と共に、アスナは自身の想いを口にした。

 

「あなたのことを、愛しています――――」

 

 心からの言葉だと、イタチには分かった。だが、その想いに対し、答えを出すことはできなかった。

 世界が、終焉を迎えたのだ。アスナの言葉を聞き終えて間も無く、次の瞬間には、二人の視界に眩い白い光が溢れ出した。

 

(遂に、俺達もこの世界を去る時が来たか――――)

 

 分かり切っていた事だが、まさかこのタイミングでログアウトする瞬間が訪れるとは思わなかった。

 

(アスナさん……)

 

前世の記憶を持っているという、異常な存在に違いない自分を、しかし彼女は気味悪がろうとも、否定しようともしなかった。自分に思いを打ち明けたあの言葉には、嘘偽りは無いと断言できる。

だからこそ、イタチもまた、本当の気持ちで答えねばならないと思った。

 

(現実世界で、また会いましょう)

 

 既にこの場にはいないアスナに、イタチは心の中でそう呟いた。

うちはイタチという前世の己と、桐ヶ谷和人という現世の己の狭間で戦い続けた自分は、ソードアート・オンラインという世界で多くの人物と出会い、変わったという自覚がある。

この世界で重ねた経験の末に変わった己の全てを以て、生きて行く。未だ、前世を引きずる己が目指すべき方向性を見定められていない状態ではあれど、間違いなく自分は変わっている。

 決意を新たに、イタチは光の向こうにある、現実でありながら、自分にとっては前世と現世の狭間に相当する世界へと、意識を委ねた。

 

 終わりの見えない、狭間の世界を――イタチは生きていく

 



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フェアリィ・ダンス
プロローグ 再びの刻


今年最後の投稿です。フェアリィ・ダンスのプロローグとなっていますが、登場するパロキャラ達の動向みたいになっています。
それでは、来年も暁の忍をよろしくお願いします。


2014年4月20日

 

『天才少年――――は、まだ十歳ながらマサチューセッツ工科大学に通う大学院生です』

 

 アメリカのとある高層ビル。IT産業界の頂点に立つ巨大企業の本社であるこの建物の最上階に位置する部屋の中に、ニュース番組の英語のよる解説が流れる。そんな中、テレビ画面には目もくれず、一人パソコンを操作する少年の姿があった。彼こそが現在、ニュースで取り上げている天才少年であった。

 

『皮膚や血液のデータからその人間の先祖を突きとめる事も出来る『DNA探査プログラム』を開発して私達を驚かせたのは記憶に新しいところですが、現在――――は、一年で人間の五歳分成長するという人工頭脳の開発を手掛けています』

 

 ニュース番組で自身の発明の一つである『DNA探査プログラム』が取り上げられた途端、その表情がほんの僅かに歪んだ。自身が大いに評価されるきっかけとなった発明だが、これのせいで自分は結果的に知ってはいけない真実に辿り着いてしまったのだから。

 

『これを全面的にバックアップしているのは、IT産業界の帝王、――――です。――――の両親は二年前に離婚し――――は父親と別れ、教育熱心な母親に連れられアメリカに移住しました。――――は母親も病死して天涯孤独な身の上となった――――の親代わりとなりました』

 

 現在、自分の生活や研究の援助をしてくれている保護者たるこの会社の社長の映像が流れる。母親を亡くし、途方に暮れていた自分に居場所を与えてくれた人物であり、彼にとっては感謝してもし切れない恩人。だが、今となっては彼の命を脅かす存在となってしまった。

 

『人工頭脳ノアズ・アークは人類史上最大の発明になるだろうと言われ、――――は厳重なセキュリティの中に置かれています。普通の子供のように公園で遊ぶ事も許されません』

 

 研究者たる自分と社内の機密保持という名目のもと、二十四時間体制で保護者が雇ったボディガードが傍に控え、この部屋の中にも複数のカメラが設置されている。ある日を境に異常なまでに厳重になった身辺の警備体制は、自分を監視するためのものなのだ。彼がこの会社を崩壊させる、最大の秘密を漏えいさせないための。だが、そんな息苦しい暮らしも今日で終わりなのだ。彼等が警戒した監視対象は、これからこの世界を後にするのだから……

 

『ノアズ・アークとは旧約聖書に登場する『ノアの方舟』のことです。神は地上の堕落を一掃するために大洪水を起こすのですが、神の心にかなったノアだけは方舟を作る事を許され、家族や様々な動物を乗せて大洪水から逃れることが出来たのです』

 

 これからこの世界を去るとはいえ、やり残したことはある。自分が育った日本という国の……そこに生きる子供達の未来を変える。だがそれは、如何に天才的頭脳を持っていたとしても、そう易々とできることではない。ましてや、このような場所に半ば軟禁されている自分には、到底為し得ない目標である。だからこそ自分は、この願いを『方舟』に託すのだ――――

 

(ノアズ・アーク……出航)

 

 開発していたプログラムを完成させると共に意を決し、『Enter』キーを押す。これで、自分が開発させたプログラムにして分身、自分にとってたった一人の『友達』が、電話の一般回線へと旅立ったことになる。パソコンの画面にその報告が表示されると共に安堵の溜息を漏らす。

 

「さよなら……僕の友達」

 

 そう呟いた途端、部屋のドアを激しく叩く音と自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。声の主は、今日この日まで自分を保護してくれた社長その人だ。どうやら、プログラムを外部へ流したことを察知してこの場へ来たらしい。だが、これもまた想定の範囲内。椅子をドアノブのつっかえに使用しているので、しばらくはこの部屋へ入って来ることはできない。そして、椅子から立ち上がった少年は、そのままベランダを目指す。

 

(『コクーン』は、僕がいなくてもあと二年程度で完成か。計画が成功すれば、VRゲームの発展は遅れることになるだろうけれど……彼ならば、きっとまた新たな機体を作ってくれる筈)

 

彼の記憶に新しい、つい最近知り合った、アメリカに留学して来て、論文を発表していた大学生の青年。彼が書いた論文のテーマは、つい最近自分が所属する会社が着手し始めていた『VRゲーム』だった。人間の意識をデジタルデータの世界へと飛ばして、異世界を体感することが可能とするVRマシンの開発に関連した論文はここ最近増え始めていたが、彼の構想は他の論文とは一線を画す秀逸なものだった。フルダイブ技術の未来を見据え、ゲームをはじめとしたレジャー部門のみでなく、医療に応用することも視野に入れ、社会における活用の幅を広げる構想を抱く彼ならば、フルダイブ技術が普及する新時代を作り出してくれる筈。

 

(でももしかしたら、もう一人の僕になら、会えるかもしれない……)

 

 この世界から逸脱する自分だが、既に出航したもう一人の自分ならば、彼にはまた会える気がする。尤も、仮に再会したところで発展性のある会話ができるわけでもないのだが。

 そんな益体も無いことを考えながらも、少年はベランダを歩く。高層ビルの屋上に設けられた仕事部屋に付いているこのベランダは、街の公園のように滑り台やブランコが設置されている。だが、一緒に遊ぶ友達など一人もいない自分にとってこの場所にある遊具は、公園で友達と楽しそうに遊ぶ普通の子供達を彷彿させ、己の孤独を強調する物でしかなかった。そんな、数回程度しか遊んだことの無い遊具達の横を通り、靴を脱ぐとベランダの柵の向こう側へと立った。

 

「僕も……ノアズ・アークみたいに飛べるかな?」

 

 宛ての無い電子の世界へと飛び立った分身にして友人のことを思い出しながら、視界を埋め尽くすアメリカ都市部の灯りが彩る夜景へと――――

 

 

 

少年は、踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

2024年11月14日

 

「!」

 

 ネットワーク社会の拡大と同時に際限なく広がっていった電子の世界の中。0と1の数字がコードを描いて飛び交う空間の中で、“ソレ”ははっとしたように意識を再起動させた。本来、人間の肉体を持たないソレには、『意識』という言葉は該当しない。僅かな間とはいえ、その機動に支障を来したこれは、いうなれば『バグ』と呼ぶべきものなのだ。仮に人間のそれとして表現するならば、『居眠りの中で見た夢』だろうか。

 

「どうかしたのかね?」

 

 そんな、いつもと比べて若干様子のおかしなソレに対し、隣に立つもう一人……否、もう“一つ”の存在が声を掛ける。彼――もう一つのソレが人間だった頃の性別で区別するならば――とは、四日ほど前に、とある対象を監視していた折に知り合った。

 

「いえ、特に何も……」

 

「そうかね……そういえば、奴に動きがあったよ」

 

 向かい合う自身に非常に近い存在が放った言葉に、その声色に緊張が走る。

 

「何か、分かったんですか?」

 

「ああ。奴が秘密裏にアメリカの某企業と取引していることが分かった。どうやら、研究は既に開始されているらしい」

 

「あなたは、止めるつもりは無いんですか?」

 

「確かに私の業に端を発しているとはいえ、それは私の役目ではない。彼の非道を終わらせるのは、私では無く“彼”だろう」

 

 ふっと不敵に笑うその顔からは、確信に近いものが感じられた。同時に、目の前の男が口にした“彼”と呼ぶ人物に、自分も興味が湧いた。最初に聞いた時には、十年前に己の前身が日本の未来を担う子供達に課した試練を見事打ち破った少年と同一人物なのかと疑った程だ。だが、別人だと聞いた今でも、その関心が薄れることは無かった。

 

「非道、ですか……僕の前身の真似を、もっと酷い形でしたあなたが言えたことなんですか?」

 

 咎めるような口調での指摘に、男は完全に口を閉ざした。尤も、咎めた自分自身もそんなことを言えた身ではない、と思う。模倣犯というわけではないのだろうが、彼の所業が、自身の前身が昔起こした事件と手法が酷似している以上、多少影響を与えていた可能性は否めないからだ。そして、自身も今、彼と共にこの電脳世界で行われているさらなる非道を看過している状況にあるのだ。だから、お互い目の前で起こっている出来事に対して“非道”という表現を使う資格が無いということを指摘するに止めることにした。

 

「出来ることなら、誰かがこれを察知して止めてくれればいいんだけれど……」

 

「それならば心配はいらない。既に彼の動きを察知して、取引について調べる動きをしている者もいるらしい。それに、私の世界を終わらせた彼ならば、奴を潰すために必ず動き出す筈だ。このまま監視を続ければ、きっと会えるだろう」

 

「そうであることを、僕も願うよ。それより、もう一つの……僕の懸念はどうなのかな?」

 

「今のところ動きは無い。だが、発展型の研究として必ず着手するだろう。奴自身が己の栄達のためならば人体実験をも厭わない性格であることに加えて、昔と変わらず、魅力的な成果が望める課題なのだよ」

 

 身も蓋も無い意見だが、事実である。懸念対象の研究が完成した暁には、世界はまた大きな変革を迎えるだろう。だが、今の人類がこの技術を手に入れて良いものなのか。十年前から変わる事の無い、擬似的な人格を持つ自分には、その判断は非常に難しい。だが、己をこの世界へ送りだした生みの親にして友との約束は守らねばならない。技術を使うことの業を忘れた人間の手にこの技術が渡ったならば、世界は間違いなく破滅へ向かうのだから。

 それを防ぐためにも、今は監視を続ける。数百名もの人間が仮想世界に囚われ、非人道的な実験にかけられていようとも、本来の目的を見失うわけにはいかない。自身がここに存在する目的を果たすためにも、今は不動のまま、その推移を見守っていく――――

 

 

 

 

 

 

 

2024年12月9日

 

 日本の警察のトップたる警察庁。その本拠たる中央合同庁舎第2号館にある会議室。そこには現在、数名の警察職員が集められていた。会議室の椅子に腰かけた彼等の視線の先にあるスクリーンには、ある一文字のアルファベットが映されていた。

 一般的に用いられる英語のアルファベットとは異なる、『クロイスター・ブラック』と呼ばれるフォントの一文字がスクリーンに映し出されており、その傍には執事服を着た老人が控えていた。

 

「……それは本当なのか、――?」

 

『はい、間違いありません』

 

 集められた警察官を代表するように、中年の男性がスクリーンの文字に向けて問いかける。それに対し、肯定を示す答えが返ってきたが、声の主の姿は見えない。スクリーンの両サイドに置かれたスピーカーから音声が発せられているのだ。

 

『未帰還者三百名については、第三者による干渉による事件性が強く疑われています』

 

「証拠は?……容疑者の手掛かりは掴んでいるのか?」

 

『容疑者の正体については、大凡の目星が付いています。証拠についても、全員を解放するための作戦と併せて捜索中です』

 

 スクリーンのアルファベットが示す人物がスピーカーから発する言葉に、会議室に集まった刑事達の顔が驚愕に染まる。指摘された事件が不完全な解決を見てから一カ月、警察も捜査に全力を上げていたにも関わらず手に入れられなかった事件の全容を、スクリーンに映る文字だけの人物が、解明しつつあると言っているのだから。

 

「成程……五年前と変わらず、大した手並みだな」

 

『いいえ。濃厚な人物とそのバックを絞り込むことはできましたが、私の推理が正しければ、事件解決にはまだ大きな障害が残っています。そしてそれは、私だけで解決できるものではない可能性が高いのです』

 

「そんな……名探偵の――らしくない。僕達でよければ、いくらでも協力するのに……!」

 

 若手の刑事が、事件解決のためならば尽力は惜しまないと口にし、他の刑事達も同調する。だが、スクリーンの向こう側からスピーカー越しに返ってきたのは、否定の言葉だった。

 

『残念ですが、あなた方警察の力では、こちらの問題を解決することは敵わないでしょう』

 

「……どうしても、無理なのか?」

 

『はい。しかし、この困難を突破できる人物には心当たりがあります。事情を話せば、必ず協力してくれることでしょう』

 

「……そうか。なら、証拠の差し押さえについては君に一任する」

 

 その場に集まった刑事達を代表した男性の下した決断に、他の刑事達は納得できない様子だった。先程と同様、若手の刑事が異議を唱える。

 

「部長、しかしそれでは……」

 

「無論、だからといって我々とて何もしないわけにはいかない。こうして、かつての捜査関係者を集めて情報を提供してきた以上、我々にもできることがある。違うかね?」

 

『はい、お察しの通りです』

 

 部長と呼ばれた代表者の問い掛けに答える、スクリーンの向こう側の人物。互いの意図を汲み取れるその関係からは、捜査を通して培った信頼関係のようなものが見て取れた。

 

『あなた方日本警察には、証拠を手に入れた後の容疑者の逮捕や関係者の確保、証拠の正式な差し押さえをお願いします』

 

「ウム、分かった」

 

『三百名を解放するための作戦については、こちらで水面下にて進めております。タイミングについては、追って連絡します。皆さん、どうかもう一度、私に力を貸してください』

 

「無論だ。三百名もの人々の安否が危ぶまれている以上、我々とて事件解決には協力を惜しまない。こちらこそ、頼んだぞ」

 

 警察側の代表者の言葉と共に、スクリーン越しの会話は終わりを迎えた。映写機の電源が切れると共にスピーカーを片付ける紳士服の老人を余所に、警察関係者たちは各々部屋を出て行くのだった。

 

 

 

 

 

「夜神部長、ここにいましたか」

 

 会議室を出て廊下を歩くことしばらく。モニター越しの捜査報告を受けていたメンバーの代表格である、『部長』と呼ばれた男性を呼び止める人物がいた。眼鏡をかけた、容姿端麗な若い男性である。声を掛けられた、夜神と呼ばれた男性は、その人物を見て少々驚いた様子だった。

 

「明智警視……どうしてこのような場所に?」

 

「少々、調べ物をしに来たんですよ」

 

 本来ならばここに居る筈の無い人物の登場に目を僅かに見開いた夜神に対し、明智は穏やかな物腰で答えた。

 この男、明智健悟は、警視庁刑事部捜査一課に所属する警視である。キャリア組で、警視総監賞の最年少受賞者でもある優秀な刑事であり、その名前は警察庁にも知れ渡っており、夜神も面識を持ったことがあったのだ。だが、彼の本来の勤め先は警察庁では無く警視庁である。調べ物があると言っているが、一体何を調べに来たのか。夜神は疑問に思ったが、それを問う前に明智の方から口を開いた。

 

「SAO事件のことで、少々調べておきたいことがありましてね。捜査本部を置いているここまで、資料を見せてもらいに来たわけです」

 

「あの事件の担当は、警視庁では無く警察庁で受け持つ筈でしたが、一体どうしてあなたがそのようなものを必要とするのですか?」

 

 訝る様な視線と共に再度問う夜神に、明智は苦笑しながら答えた。

 

「個人的に調べたいことがありましてね。そちらの捜査の邪魔をするつもりは無かったんですよ。事件に巻き込まれた知り合いが、未だに現実世界に戻って来ないことが気がかりでしてね」

 

「そうですか……まさか、あなたの知り合いにも被害者がいたとは……」

 

「いえ、お気になさらずに」

 

 SAO事件が一応の解決を見た11月6日から一カ月以上が経過した現在。二千人以上の犠牲者を出したこの事件は、しかしそれで完全な終結に至ることなかった。生き残ったおよそ八千名の内、未だ現実世界へ帰らぬ人間がおよそ三百名。事件解決から一カ月、警察庁の対策部署は同容疑者による犯行と推測し、茅場晶彦の行方について引き続き捜査を行っていたものの、その足取りは未だに掴めていなかった。

 事件を解決したと言われる被害者の一人の証言によれば、既に死亡している可能性が高いとされていたが、現状ではその遺体の在処すら分からない状況なのだ。その上、事件発生から、未解決とはいえ被害者の大部分が解放された現在に至るまで、警察にできたことは何一つ無い。対策本部の責任者たる夜神はこの上なく忸怩たる思いだった。

 

「総務省の対策チームにも、手掛かりを掴んでいないかと問い合わせてはいるのですが、未だに返事は無い状態です」

 

「まさに八方塞がり、ですか。あなたがこの事件を解決するために誰よりも必死になっていることは私もよく知っています。あまり思いつめないでください」

 

「……しかし、成果を出せなければ結局は同じことです。人の命が懸かっている以上、尽力しただけでは言い訳にはなりませんよ」

 

 警視庁と警察庁。務める場所は違うが、清廉潔白な人格者として、また警察官として互いを高く評価している者同士である。加えて夜神は、息子がSAO事件に巻き込まれた末に死亡している。それを知っている明智は、SAO事件で碌な成果を上げることができなかった夜神の悔しさを理解していた。

二人の間に漂う空気が重くなる。これ以上話を続ければ、夜神の息子の死に触れてしまう可能性があるかもしれない。そう考えた明智は、もう一つの気になる案件について尋ねることで話題を変えることにした。

 

「だからこそ、今もまだ動き続けているのでしょう?それに……先程会議室から出てきましたが、“あの探偵”とコンタクトを取っていたのではないですか?」

 

 その言葉に、夜神の目がはっと見開かれる。その反応に、明智は自身の予想が的中していたことを悟った。

 

「……会議の内容は、外部に漏らさないようにしていた筈ですが?」

 

「会議室へ入っていったメンバーのほとんどは、例のウイルステロ事件に関わっていた方々でした。向こうとしても、知己の関係にある、信用のおける人間を集めていたと推理したまでですよ」

 

 会議の内容については口に出して認めず、しかし暗に何故分かったのかと尋ねた夜神の問いに、明智は然程難しい推測ではないとばかりに答えた。

 

「ウイルステロを解決したことで知られる彼ですが、本当に信用できるのでしょうか?SAO事件に関しては、ほとんど事件解決に際して日本警察の要請には終ぞ応えなかったそうじゃないですか」

 

「……その件もあって、不信を抱いている人間は先程会議に出席した者の中に少なからずいる。だが、SAO事件から今まで、我々は八方塞続きだ。こうしている間にも、目覚めぬ被害者達とその親族は苦しんでいる……私は一刻も早く事件を解決するために、彼の手を借りることを躊躇しないつもりだ」

 

 SAO事件発生から今まで、必死に捜査をしたにも関わらず、息子をはじめ二千人以上の人々を死なせてしまったのだ。警察組織の無力さを心の底から痛感していた夜神には、事件解決のためならば、その面子云々を一切気にしないという決意があった。その信条を理解した明智は、それ以上何も言うことはなかった。

 

「分かりました。警視庁に務める私には、事件解決に協力することはできそうにありませんが、せめてあなた達が残る未帰還者全員を解放し、事件を解決へ導くことを信じます」

 

「ウム。その期待には、必ず応えると約束しよう」

 

 そうして会話を終えると、夜神は明智に背を向けて事件の捜査本部へと戻って行った。残された明智は一人、その決意に満ちた背中を敬礼しながら静かに見送っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「どうやら、協力は得られたようですね」

 

「やはり、SAO事件の早期解決について、背に腹は代えられないということでしょう」

 

 警察庁の会議室にてスクリーン越しの奇怪な対談が行われてから数時間後。刑事達が集まった場所にスピーカー等通信機器を用意していた執事服の老人の姿は、全く別の場所にあった。太陽の光の一切差さない室内の中。いくつものコンピュータが並べられたその空間の片隅にある椅子で、膝を抱えて座る男性がいる。そしてその横には、先程警察庁を訪れていた執事服の男性が立っていた。

 

「私達も急がねばなりませんね。見当が付いている以上、確証を得られなければ次の行動に移れません」

 

「例の男が通う社内には、既にウエディが潜入しています。プログラムを操作することは不可能でしょうが、三百名の監禁場所ならばすぐに割り出すことは可能かと」

 

「大規模サーバーが必要になることは間違いありません。既にどのサーバーかは絞り込めています。しかし、そこから如何に監禁された三百名を解放するかが難点です。……予定通り、仮想世界から突入する方向で動く必要がありそうです」

 

 そうなれば、如何に世界中に影響力を持ち、警察関係者に対して強いコネクションを持つとしても、完全に手も足も出ない。事件解決には、そのための力を持つ人間の存在が不可欠となる。

 

「急ぎ、“二人”の所在を突き止めてください。また、必要とあれば、私もその支援ができるよう同じ世界へ赴きます。例のゲームと、ナーヴギアの用意をお願いします」

 

「承知しました」

 

 膝を抱えて座る男性の指示に従い、部屋を後にする執事服の老人。一人その場に残された男性は、傍らに置いていた写真を手に取ってみた。

 

「あなたの仇は、必ず討ちます…………ライト君」

 

 写真に映る男性の顔を見ながら、誓う様に口にした。そして、自らもまた事件解決のために静かに動きだすのだった――――

 

 

 

 

 

 

2024年12月24日

 

 寒空の下にもかかわらず、街のあちこちが賑わいを見せている今日この日は、クリスマス・イブ。連れ立って歩くカップルの姿がいくつも見られるそんな中を、同じ制服を着た二人の少女が歩いていた。

 

「しっかし…………どいつもこいつも、イチャイチャイチャイチャと……」

 

「はぁ……園子、それ言うの、もう四度目よ。気にしなければいいじゃない」

 

「あのねぇ、蘭。世間はクリスマスムードで盛り上がっているんだから、見たくなくても見えちゃうものなのよ!」

 

 街を仲睦まじく歩く男女に対して僻み妬み混じりの視線を浴びせて歩く、ショートカットにカチューシャをつけた少女、園子が嫉妬と羨望に満ちた言葉ばかりを口にすることに対し、隣を歩く前髪のはねたロングヘアーの少女、蘭が窘める。だが、園子は逆上して喚き散らす始末。

 

「全く、恋盛りの乙女が、クリスマス・イブを一人で過ごさなきゃならないのよ!」

 

「しょうがないじゃない。京極さんは海外で武者修行中なんだから」

 

「クリスマスぐらい、帰ってくるのが彼氏ってモンでしょう!」

 

 蘭がいくら落ち着くように促しても、園子は止まりそうにない。今この場にはいない恋人への不満を爆発させて、下校から今に至るまで親友へと延々愚痴を垂れ続けているのだった。

 

「全く……こっちはプレゼントだって用意したってのに……」

 

「まあまあ、まだイブじゃない。明日帰って来てくれるかもしれないし……」

 

「年が明けるまで帰国しないってメールが来たのよ!……ったく、男ってのは、どいつもこいつも……新一君だって…………あ」

 

 つい勢いのままに口にしてしまった名前に、園子はしまったと思った。隣を歩く親友たる蘭の恋人、新一もまた、園子の恋人と同様にこのクリスマス・イブには会える可能性が低かったのだ。遠く離れているという点が共通しているが、新一が居る場所は、どうあっても行くことはできないのだ。

 そのため、学校に居る間も、彼に関する話題は極力避けてきた園子だったのだが、ここでうっかりその名前を出すというミスを犯してしまったのだった。冷や汗を額に浮かべながらも、どうにか謝罪を口にする。

 

「蘭……ごめん」

 

「ううん、気にしないで。あいつがクリスマスとか誕生日とかに一緒にいないことなんて、今に始まったことじゃないもの。今年のクリスマスも望み薄よ、きっと」

 

 園子の失言を笑って許す蘭だが、その表情にはどこか影が差しているようだった。

 蘭の想い人である新一。彼は、二年前に起こったSAO事件に巻き込まれ、事件が一応の解決を見た今もまだ帰らぬ三百人の一人に名を連ねていた。警察や総務省の対策・捜査チームに対しては、未帰還者達の精神の行方について幾度となく尋ねたものの、返ってくる答えは「現在捜査中」という旨の言葉や「必ず無事に帰してみせます」という慰めの言葉ばかり。事件の進展に関する有力な情報は何一つ齎されていなかった。そんな状況が続いているため、未だ帰らぬ新一についての話題は禁止というのが、園子を含めた蘭の周囲の人間の間での暗黙の了解となっていたのだ。

 だが、一度発した言葉は引っ込めることはできない。園子は、どうにか話題転換を図ろうと必死に頭を働かせ、雰囲気を少しでも明るくしようと試みるも、蘭の表情からはどうしても曇りを取り除くことができなかった。

 

「それじゃあ、ここでお別れね。私はこれから行くところがあるから。それと……気を遣ってくれてありがとう。でも、大丈夫だから」

 

「蘭……」

 

「じゃ、また明日!」

 

 そうこうしている内に、蘭との分かれ道に差し掛かってしまった。未だに気を遣う友人に心配無用と微笑みかけて背を向けるその姿は、どこか強がっているようで……園子はどこか不安を感じてしまった。

 

 

 

「新一、今日も来たわよ」

 

 園子と別れた蘭が来たのは、とある病院の一室だった。高級ホテルばりに整った設備を有するこの病院を利用する人間は、俗に富裕層と呼ばれる人々が主だった。蘭の目の前にあるベッドの上に横たわる少年、新一も例に漏れず、有名作家と有名女優の子供であり、裕福な家系に属する人物だった。その新一の頭には現在、無骨なヘッドギアが装着されている。これこそが、彼を二年以上の間、仮想世界という名の牢獄へと閉じ込め続け……今尚、その精神を現実世界へ帰さない悪魔の機械、ナーヴギアである。

 

「……期待はしていなかったけれど、やっぱり起きてないみたいね」

 

 誰にともなく呟いたその言葉は、しかし眠り続ける新一には届いていない。蘭はそれにも構わず、語りかけ続けた。

 

「今日もね、園子と一緒に途中まで帰ってたんだ。本当は一緒にここに来ようって誘おうと思っていたけれど、気を遣わせちゃってね。新一が帰って来ないことが原因で……元気が無いのが、分かっちゃうんだよね」

 

 自嘲しながら話す蘭に、しかし新一は何も答えを返してくれない。もとより蘭も、期待していない。だが、話し掛けずにはいられなかった。蘭は新一の手を握りながら、さらに続けた。

 

「お父さんも、新一のこと結構心配しているよ。今ではもう、お見舞いに行くって言っても、何も言わないでいてくれてね。お母さんも同じでね……そうそう、これじゃあ、『眠りの小五郎』ならぬ『眠りの新一』じゃないかって言ってたわ。お父さんは、からかわれて不愉快そうにしていたけどね」

 

「博士も、その内お見舞いに来るって。助手の志保さんの方も、まだ帰っていないみたいだけど、そっちで一緒にいるのかな?帰ってきたら、向こうでのこと、色々教えて欲しいな」

 

「学校の皆は、相変わらずかな。中学を卒業して、私と園子は帝丹高校に入学したけど、中学の同級生で同じ学校に進学した子も多いわ。新一は……流石に、今から入学できるか分からないけど、もし同じ高校に通えたら、嬉しいかな」

 

「そうそう。SAO事件の関係で、新しい友達もできたのよ。武道系の部活をやってる関係で知り合った、剣道部の後輩でね。その子のお兄さんも、SAOに行っていたらしいのよ。しかも、新一と比べ物にならないくらいレベルが高くて、クリアに貢献しているんじゃないかって言われているんだって。新一も、もしかして知っているのかな?」

 

「あと、その友達と新しい趣味を始めてね。SAOに行っちゃった、お兄さんのことを理解したいって言って始めた趣味に誘われて、最初は乗り気じゃ無かったんだけど、私もかなりハマっちゃってね。お父さんには、猛反対されたけど……それでも、私なりに必死に説得したら、最後は分かってくれたわ。それから――――」

 

 身近な人物の話から、自分が新しく始めた趣味の話など、他愛の無い話を続けて行く蘭。譬え、返事が返って来なくても構わない。今、ここにいる新一の心に、少しでもこの声が届きますようにと、祈りを込めながら蘭は話し続けていた――――

 

 

 

 

 

 

 

 一万人もの人間を、デジタルデータの世界へ閉じ込めた死のゲーム、ソードアート・オンライン。二千人以上の犠牲を払いながらもゲームクリアは為され、生き残ったプレイヤー達は無事現実世界へと帰還した。

 だが、事件は未だに終わっていない。未帰還者三百名の裏で蠢く、新たな悪意と陰謀。それを暴くべく、或いは帰らぬ者達を救うべく、動きだす者達。

 最後の戦い、その火蓋が切って落とされるのは、遠くは無い。そして、『暁の忍』もまた、新たな舞台へと降り立つ――――

 



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第五十五話 帰還

 『SAO事件』――それは、2022年11月6日に正式サービスを開始した、世界初のVRMMO『ソードアート・オンライン』を舞台に起こった、大量殺人事件である。ゲーム開発者の茅場晶彦は、正式サービス開始と同時にログアウト手段の一切をプレイヤーから剥奪。ゲーム内におけるHP全損と共に、プレイヤーが現実世界に置いてきた身体、その脳が高出力マイクロウェーブによって蒸し焼きにされて死に至るという理不尽なルールを突きつけた。幽閉されたプレイヤー達に遺された脱出手段はただ一つ。ゲームの舞台である浮遊城、アインクラッドの全層制覇だった。斯くして、プレイヤー達は凶暴なモンスターの跋扈するフィールドや、次の層へとつながる迷宮区へと出向き、命懸けの攻略に身を投じる事となったのだった。

 現実世界においても、SAO事件発生によって世間は恐怖と混乱の嵐だった。事件発生初日から、犠牲者は二百十三名に上り、日に日にその数は増えるばかりだった。警察をはじめ関係各局も全国規模で捜査線を張り、容疑者であるゲーム制作者の茅場晶彦を逮捕すべく動いた。だが、結局その行方は事件解決まで掴めずに終わったのだった。

 事件が解決を迎えたのは、2024年11月7日。ゲーム内部において、攻略に当っていたプレイヤーの一人がパーティーに紛れていたゲームマスターにして、一連の事件の容疑者である茅場晶彦を割り出した。茅場は己の正体を看破したプレイヤーに対し、報酬として全プレイヤーの解放を賭けた立ち合いを提案。正体を見破ったプレイヤーは、この提案に乗り、戦いの末に茅場を倒し、全プレイヤー解放を果たした。これがSAO事件の顛末である。

そうして二年もの月日を経たSAO事件は、2024年11月7日を以て、全プレイヤーの解放にて解決したかに見えた。事件に巻き込まれた、合計一万名の被害者。事件解決時までに死亡した人間は、二千三十七名。事件解決時にゲームからログアウトし、現実世界へ生還したプレイヤーは、七千六百六十三名。

 

 

 

 

 

事件解決を見た2024年11月7日より、およそ二カ月が経過した現在。三百名ものプレイヤーが、未だ目を覚まさずにいた――――

 

 

 

 

 

2025年1月19日

 

「めぇぇええん!!」

 

 埼玉県の南部の住宅街。その一角にある、広い敷地の中に立つ、母屋とは別の小さな道場にて少女の威勢のいい声が響き渡っていた。

 

「甘い……!」

 

「へっ!?」

 

 道場の中には、防具を着込んで稽古をしていた二人の少年少女がいた。少女が勢いよく、しかも的確なタイミングとスピードで繰り出された竹刀を、しかし少年は容易く往なす。そして、少年は少女が見せた間隙を突いて容赦なく畳みかける。

 

「胴!」

 

「わわっ!」

 

 胴に打ち込まれた突きの一撃に、少女の身体が後ろへ傾き、尻もちを付いてしまう。少年の繰り出した突き自体は大した威力を持っていない。だが、少女が竹刀を振るって踏み込んだ勢いに乗せて叩き込まれた一撃は、反動で体勢を崩すには十分なものだった。

 

「少しは腕を上げたようだな、直葉。相手の動きを先読みして狙いを定められるようになった点は、立派に成長したと言える」

 

「それでも、和人お兄ちゃんは敵わないんだもの……相変わらず、無茶苦茶だよ」

 

 この少年――桐ヶ谷和人は、ネット上において、SAO生還者(サバイバー)と称される人間の一人である。その意味は文字通り、恐怖の世界初MMORPGを舞台としたSAO事件に被害者として巻き込まれた人間を指す。二年もの間昏睡状態同然の状態にあり、食事もできない状況だったのだから、被害者は全員、目覚めた当初は骨と皮だけと言っても過言ではない状態だった。暫定的な事件解決を見た十一月七日から二カ月以上が経過した現在も、病院通いを余儀なくされている人間も少なくない。年齢や体質等から回復までの時間には、被害者の間で個人差が会った中、和人はたった一カ月で歩行可能となって退院、通常の生活を送れるに至ったのだ。若さも手伝ったのだろうが、その回復速度は人並み外れているとしか言いようがない。

常人ならば三日ともたず根を上げていてもおかしくないリハビリを自らに課し、それを実行し続けることができたのも、一重に忍び耐える者――忍者たるうちはイタチとしての前世を持つ和人だからこそできた荒業だろう。退院して自宅療養に至って以降も、和人は病院から与えられたリハビリプランに加えて筋肉トレーニングを重ねたお陰で、今や義妹たる直葉と稽古し、勝利する程にまで回復したのだった。

 

「これじゃあ、全中ベストエイトも形無しだよ……」

 

「卑屈になることはない。単純に、実戦経験の差だ」

 

 その言葉を聞いた途端、直葉は和人が自分から遠い存在になってしまったような錯覚を覚えた。実戦経験ということは即ち、命懸けの戦いに身を投じた経験を意味する。戦国の乱世でも、血で血を洗う幕末でもないこの時代において、そのような戦いが起こることはまず有り得ない。それもその筈。和人が戦いに身を投じていたのは、現実世界ではないのだから。和人が命懸けの戦いを繰り広げた場所……それは、武器も敵も、自身の肉体も、世界を構成する要素全てがデジタルデータで構成された『仮想世界』だった。

 

(お兄ちゃん……)

 

 今こうして目の前にいて……こうして話すらできる距離にいる兄が、遠く感じてしまう。尤も、それも仕方の無いことなのかもしれない、と直葉は思う。和人がSAOと関わりを持ったのは、事件発生より以前のことだった。コンピュータ関連雑誌の編集者だった和人と直葉の母親である翠の伝手で、和人は制作責任者の茅場晶彦と知り合い、制作スタッフになったのだ。以来、和人の貢献によって、行き詰っていたSAO制作は飛躍的に進行した。そしてそれに比例し、和人が制作業務に携わるために家を空ける時間も増えていったのだった。直葉が和人に疎外感を覚えたのは、それと同じ時期だった。最初は、何事にもあまり関心を示さず、感情の読めない和人が初めて自らの意志で打ち込もうとしていただけに、好意的にすら思っていた。だが、仮想世界にのめり込む和人の姿に、直葉はどこか危うさも覚えていた。和人という存在が、現実世界から乖離しているように感じられたからだ。別に、和人がゲームと現実の区別が付かなくなったわけではない。自分と同じ世界にいる筈の和人が、まるで異世界の存在のように思えてしまったのだ。根拠の無い、直感的なものだったが、ただでさえ義兄との距離が曖昧だった直葉は、不安を覚えずにはいられなかった。

 和人が『イタチ』と言う名の剣士として、SAOの舞台である鋼鉄の城、アインクラッドへと旅立ったあの日もそうだった。いつもとは違う、まるで長い旅に赴くかのような雰囲気を纏っていたその姿に、本当に仮想世界から返ってきてくれるのだろうかと言い知れぬ不安を感じた。そして案の定、あの事件である。永遠に自分のもとへ戻って来てくれないのではないかと心底不安になった。だが幸い、和人はその不安を裏切って帰ってきてくれた。和人が生還した時には、それはもう歓喜した。死さえ覚悟した兄が帰ってきてくれたその喜びは、言葉に表せるものではなかった。もう二度と、兄の手を離さないためにも、曖昧だった距離をもっと縮めようと、直葉はより一層の努力をすることを決意した。

しかし、その想いも空しく、帰還後の和人の心は事件前以上に現実から離れてしまっていた。

 

(でも、絶対に諦めない……お兄ちゃんを一人にさせない……そのために、頑張って来たんだから……!)

 

 兄を理解するための努力は、今始まった事ではない。そのために始めた、新しい趣味もある。それに、直葉は既に、和人との本当の関係を知っているのだ。

 

(お兄ちゃん……もう、私も知ってるんだよ)

 

 自分が和人との関係を知っていること……自分が和人と世界を共有できるようになったことを明かせば、きっと今以上に距離を縮めることができる筈。だが、今はそれを実行することはできない。何故なら、和人の……イタチの戦いは、終わっていないのだから――――

 

「私はシャワーを浴びに行くけど、お兄ちゃんはこれから病院に行くんだよね?」

 

「ああ。だから、今日は留守を頼む」

 

「あの人のお見舞いかぁ……今度、私も行っていい?」

 

「ああ。アスナさんも、きっと喜ぶ筈だ」

 

 それだけ言葉を交わすと、和人はざっとシャワーを浴びた後、自室へ戻って着替えて、自転車の鍵を手に玄関へと向かう。靴を履くと、自転車に乗って自宅を出て行った。向かう先は、所沢にある高度医療機関……SAO事件における最終決戦にて、共に戦った少女が眠る場所である。

 

 

 

「アスナさん、お久しぶりです」

 

 高級ホテルと見紛わんばかりの高度医療施設。その最上階である十八階の一室に、和人の姿はあった。視線の先に鎮座するベッドの上には、艶やかな栗色の髪を流した端整な顔立ちの少女が横たわっている。穏やかな表情で眠り続けるその姿は、まるで童話に出てくる眠り姫のようだった。ただ一つ、その頭部に装着された、無骨なヘッドセット型のゲーム機、ナーヴギアを除いて――

 

(SAO事件解決……アインクラッド崩壊から、既に二カ月か……)

 

 和人が見舞いに訪れた少女、アスナこと結城明日奈は、SAO事件の未帰還者三百名の一人だった。

和人が未帰還者三百名の存在、そしてその中にアスナが含まれていたことを知ったのは、ログアウトした翌日のことだった。当初はサーバー処理に伴うタイムログと考えられたが、どれだけ時間が経過してもその三百名だけは目覚めることはなかった。

メディアでは、SAO事件の主犯である茅場晶彦の陰謀が継続しているとする説を唱える者もいた。だが、茅場晶彦の最後を見届けた和人の見解では、その可能性は非常に低い。茅場晶彦の目的は、ソードアート・オンラインという世界を創造し、観賞することである。これは、本人がチュートリアル時におよそ一万人のプレイヤー達を前に明言していたことであり、デスゲームの開始をもってこれは達成されている。そして、鋼鉄の城に抱いた空想は、和人ことイタチが茅場の駆るアバター、ヒースクリフを討ち破ったことによって終焉を迎えている。つまり、茅場にはこれ以上企むべき陰謀も、三百名のプレイヤーを未だ閉じ込める理由も存在しないのだ。よって、全てを為し終え、自身が創造した世界すら自らの手で終焉を与えた茅場晶彦は、自ら命を断って死亡している筈である、というのが和人の私見だった。

 

(だが、アスナさんをはじめ、三百人ものプレイヤーが未だに目覚めていない。未帰還者の行方には、茅場さん以外の要因が間違いなく関わっている……)

 

 和人の見解では、三百人のプレイヤーが目覚めないこの状況には、間違いなく何者かの思惑が働いている。そしてその黒幕は、茅場晶彦ではない何者かであり、三百名ものプレイヤーを現実世界から何処かへと隔離し、何らかの目的のために利用している。

 

(アスナさん……必ず、目覚めさせてみせます)

 

 だからこそ、桐ヶ谷和人の……黒の忍・イタチの戦いは、終わらない。この事件がSAO事件に端を発しているのならば、自分の手で解決へと導かねばならないと、和人は考えていた。病室にて眠るアスナの姿を目に焼き付け決意を新たに、踵を返そうとした。と、その時だった。

 

「おお、来ていたのか、桐ヶ谷君」

 

「こんにちは。お邪魔しています、結城さん」

 

 病室に、新たな見舞客がやってくる。恰幅のいい初老の男性で、仕立てのいいブラウンのスリーピースを着込んでいる。この男性は、アスナの父親にして、総合電子機器メーカー、『レクト』のCEO、結城彰三である。

 

「よく来てくれたね。たまにこうして会いに来てくれるだけでも、娘は喜ぶ」

 

「大したことではありませんよ」

 

 和人の姿に顔をほころばせる彰三。対するイタチは、本当に何でもないような表情で返す。SAO事件の未帰還者の中にアスナがいると知った和人は、在学していた私立中学の連絡網を利用し、当時生徒会長だった明日奈が入院している病院を調べた。以来、週に一回から二回程度の頻度で見舞いに訪れるようになったのだった。

 そんな風に娘を気遣う和人を、彰三は快く思っていた。また、一般生徒の中でも抽んでた学力を持っていた和人の評判は、明日奈を通じて知られていたこともあって、和人のイメージは生徒会長だった明日奈も認める勤勉な学生として好印象を持たれていた。

和人と入れ替わる形で明日奈の枕元へ向かう彰三。すると、さらにその後ろにはもう一人の男性が立っていることに、和人は気付いた。ダークグレーのスーツに身を包んだ長身で、薄いレンズの眼鏡をかけている。レクトの関係者だろうか、と和人が考えたところで、彰三が若干慌てた様子で紹介する。

 

「ああ、彼とは初めてだね。うちの研究所で主任をしている、須郷君だ。」

 

「須郷伸之です。よろしく」

 

 見かけどおり、人のよさそうな笑みを浮かべて挨拶する男性に、とりあえずは和人も返す。

 

「初めまして。桐ヶ谷和人です」

 

「そうか!君があの英雄イタチ君か!」

 

 和人の名前を聞くや、かつてのSAOにおけるプレイヤーネームを口にしながら手を握ってくる須郷。和人は若干困惑した様子で彰三の方へ視線をやると、少しばつの悪そうな顔をした。

 

「いや、すまん。SAOサーバー内部でのことは、口外禁止だったのだね。あまりにもドラマティックだったので、つい喋ってしまった……」

 

「いえ、特に気にしてはおりません」

 

「そうかい。彼は私の腹心の息子でね。昔から、家族同然の付き合いなんだ」

 

「社長、そのことなんですが……」

 

 唐突に、握っていた和人の手を離し、彰三に向かい合う須郷。対する彰三は、複雑な表情を浮かべる。

 

「正式に、お話を決めさせて頂きたいと思います」

 

「おお、そうか……しかし、君はいいのかね?まだ若いんだ。新しい人生だって……」

 

「僕の心は昔から決まっています。明日奈さんが、今の美しい姿でいる間に……ドレスを着せてあげたいんです」

 

「そうだな……そろそろ覚悟を決める時期かもしれないな……」

 

 そこまで話したところで、ベッドの時計に目をみやった彰三は、用事を思い出し、踵を返して病室を後にしようとする。

 

「ああ、話の途中で申し訳ないが、会議があってね。続きは、いずれ改めて。桐ヶ谷君、また会おう」

 

 和人にそれだけ言うと、彰三は病室の扉へ向かっていった。自動ドアである扉が開閉する音がした後には、病室内には和人と須郷が残されたのだった。

 

「君はあのゲームの中で、明日奈と随分親しくしていたんだって?」

 

「……ええ、まあ」

 

 彰三がいなくなった途端、須郷の纏っていた雰囲気が変わる。先程までの柔和なそれとは違う、禍々しいものへと。この部屋へ入って来た時から悟っていたが、これがこの男の本性なのだろう。和人は目の前の須郷に対する警戒レベルを上げて、しかし表面上は全く変化の無い風を装いながら様子を窺うことにした。

 

「それなら、僕と君は、やや複雑な関係ということになるかな?」

 

 ベッドの下端から、和人の向かい側へ回り込み、明日奈の寝顔を眺めながら話すその仕草には、常人ならば背筋が震えるような不気味さがある。須郷はそのまま、明日奈の髪をひと房手に取り、鼻元へ持ってきて音を立てて臭いを嗅ぐ。その姿に嫌悪感を覚えた和人は、僅かに目を険しくする。

 

「さっきの話しはねぇ……僕と明日奈が結婚するという話だよ」

 

 口にした後、舌なめずりをする須郷。常人ならば身の毛もよだつような寒気を覚えても仕方の無いそれを、しかし和人は微動だにせずじっと見つめ、そして思考を走らせる。

 

「……この状態では、法的な入籍は不可能……ということは、あなたは書類上結城家の養子となるつもりですか」

 

「ご名答。察しがいいね、君。実のところ、この娘は昔から僕のことを嫌っていてね……親達はそれを知らないが、いざ結婚となれば、拒絶される可能性も高い。だからこの状況は僕にとって、非常に都合がいい」

 

 得意気に話しながら、今度は眠っている明日奈の頬と唇に指を這わせる須郷。その行為は、流石に和人も許容できるものではなかった。身を乗り出し、須郷の腕を掴んでそれを止めさせる。

 

「そこまでです」

 

 絶対零度の瞳を向け、殺気すら滲ませながらその動きを止める和人。だが、須郷はそんな和人に対してもどこ吹く風。自身を止めたその行動を、明日奈を弄ばれる怒りと取ったのだろう。表面上は無表情な和人に、しかし非常に満足そうだった。

 

「あなたは、明日奈さんの昏睡状態を利用するつもりなのですか?」

 

「利用?……正当な権利だよ。ねえ、桐ヶ谷君。SAOを開発したアーガスが、その後どうなったか知っているかい?」

 

「事件の補償で莫大な負債を抱えた末、解散したと聞いています」

 

「その通りだよ。やっぱり、開発スタッフだった君はよく分かっているようだねぇ」

 

 嫌味な笑みを浮かべる須郷に、和人はますます不愉快になった。そんな和人の内心を知ってか、須郷はさらにうすら笑いを浮かべながら続ける。

 

「そして、SAOサーバーの維持を委託されたのが、レクトのフルダイブ技術研究部門さ。具体的に言えば、僕の部署だよ」

 

「……成程。つまりあなたは、明日奈さんをはじめ、未だ目覚めない三百人の命を維持していることになる。それを対価に、明日奈さんとの結婚を正当化しようとしているのですか」

 

「察しがいいね。説明の手間が省けて本当に助かるよ。」

 

 的を射た和人の推察に、須郷は軽く舌を巻く。だが、顔に浮かべた酷薄な笑みと余裕はそのままだ。饒舌になったまま、見下した態度のまま須郷は続ける。

 

「君がゲーム内でこの娘と何を約束したかは知らないが、今後ここには、一切来ないで欲しいな。結城家との接触も、遠慮してもらおう」

 

「…………」

 

「式は一週間後の、一月二十六日にこの病室で行う。大安吉日でないのが残念だがね。友引だから君も呼んでやるよ。それじゃあな、最後の別れを惜しんでくれ。英雄君」

 

 最後まで厭味ったらしくそう語りかけると、須郷は病室を後にした。残された和人の表情は、明確な変化こそ無いが、その内心には怒りと苛立ちが積もり積もっていた。反論らしき言葉は一切口にしなかったが、須郷の不快な態度に腹が立ち過ぎてそれ以上言葉が出なかったのかもしれない。何しろ、これが前世の忍世界での出来事だったならば、強力な幻術で報復していたかもしれないとさえ思う程だったのだから。

だが、和人は猛烈な怒り鉄面皮の下にある内心で燃やしていた一方で、須郷の口にした情報をもとに、ある方向へ思考を走らせていた。

 

(SAOサーバーを維持しているのがレクト……それも、あの男が管理する部署。そして、アスナさんはレクトCEOの娘……全ては、あの男にとって都合の良い状況であり、あの男はそれを作り出すことが可能な身分にある……)

 

 須郷の話から得た情報を整理して和人の至った結論は、レクトのフルダイブ技術研究部門――もっと言えば、主任の須郷伸之――が、SAO事件未帰還者三百名と何らかの関係があるということだった。全くの見当違いであり、和人が須郷に対して覚えた嫌悪に端を発した根拠の無い推理とも取れる。だが、全てを偶然で片付けるには出来過ぎているとも考えられる。

 

(どの道、当ては無い……ならば、考えられる可能性を手当たり次第探るほか無いか……)

 

 頭の中に想い浮かべた推理を立証するには、情報も証拠も不十分であり、しかもそれらを集めるための手段は存在せず、手掛かりすらも掴めないのが現状である。明日奈の父親であり、レクト・プログレスのCEOである彰三氏に取り入って、本社に潜り込むという手もある。だが、彰三は須郷を相当信用している様子だった。明日奈の婿にしようとしていた点からしても、それは間違いない。これでは、須郷の疑惑を唱えたとしても、到底受け入れてもらえないだろう。

 方向性は不明瞭で、取れる手段は全く無い。まさに八方塞がりと表現して現状でどう動くべきかと思考を張り巡らせながら、和人は病室を出て病院のロビーを目指す。通行パスを受付に返すと、病院を出て駐輪場へと向かおうとした。その時だった。

 

「桐ヶ谷和人様ですね?」

 

 唐突に、和人へ向けて声が掛けられる。名前を尋ねるその声のする方を振り返ると、そこには白髪に白い髭を生やした、執事服の老人が立っていた。記憶にない見知らぬ人物からの問いに、怪訝な顔をしながらも和人は答えた。

 

「確かに、俺は桐ヶ谷和人ですが、あなたは誰ですか?」

 

 声色は何ら変わった様子は無いが、和人は目の前の老人を内心で警戒していた。一般人から見れば、どこにでもいる普通の老人にしか見えないが、その所作には全く隙が無い。明らかに何らかの武術、あるいは軍事訓練を積んだ人間である。

 

「申し遅れました。私は、ワタリと申します。あるお方の頼みで、あなたをお迎えにあがりました」

 

「あるお方?」

 

「『リュウザキ』という名に覚えはありませんか?」

 

 ワタリと名乗った紳士が口にしたその名前に、和人は僅かな驚愕とともに目を細める。同時に、目の前の得体の知れない老人に対しての警戒心を強める。

 

「……あなたとリュウザキの関係は?」

 

「私は、彼の協力者です。“二年以上前”から、彼の補佐を務めています」

 

「……何か証拠はありますか?」

 

 和人の問いに対し、ワタリと名乗った老人は懐から携帯電話を取り出す。そして、操作することしばらく。電話をかけて相手が出たのを確認すると、一言二言交わした後、通話状態のまま和人に差し出した。どうやら、和人を迎えに行くよう命じた人物に繋がっているらしい。和人は警戒を怠らず、携帯電話を受け取って電話に出る。

 

『もしもし、イタチ君ですか?』

 

「……あなたは?」

 

『リュウザキです。あなたとは、アインクラッドの『笑う棺桶討伐戦』以来ですね』

 

 電話口に聞こえる男性の声は、確かに和人が聞き知ったものだった。だが、安易に信用することはできない。本人かどうかを確認するべく、和人は問いを投げ掛ける。

 

「……あの時、俺が取り決めた合言葉は?」

 

『大勢の敵の騒ぎは忍び良し、静かなかたに隠れ家も無し、忍には時を知ることこそ大事なり、敵の疲れと油断するとき』

 

「……分かった、本人だな」

 

電話口の相手が自分と面識のある人物である確認が取れた和人は、若干警戒を緩める。ワタリと名乗った目の前の老人も、戦闘能力が高いことは間違いなさそうだが、出会った当初から敵意は微塵も感じられない。和人は渡された携帯電話を通じて、リュウザキと呼ばれた男と話を続けることにした。

 

「俺に迎えを寄越した理由は、何だ?」

 

『SAO未帰還者三百名のことについてです』 

 

「!」

 

 電話越しにリュウザキの口から出た言葉に、若干目を見開く和人。だが、それは半ば予想していたことでもあった。

 

「居場所が掴めたのか?」

 

『いえ……しかし、既に見当は付いています。手掛かりらしきものを掴めました。ぜひとも一度、あなたと顔を合わせて話したい』

 

「……分かった。そちらに行くとしよう」

 

『感謝します。そちらのワタリが車を用意していますので、よろしくお願いします。それでは、また後で』

 

「ああ」

 

 それだけ言葉を交わすと、和人は携帯電話の通話を切り、ワタリへ返した。

 

「事情は分かりました。リュウザキのもとへ、連れて行っていただけますか?」

 

「了解しました。こちらへ」

 

 ワタリに先導され、移動用の車が停められている病院の駐車場を目指す和人。確証こそ無かったが、この予想外の人物による誘いが、八方塞の現状を打破するための突破口となる。そんな予感を、和人は抱いていた。

 



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第五十六話 竜崎

ソードアート・オンラインⅡを振り返って思ったこと……

『イタチ×ユウキ』もアリかな?

ファントム・バレットすら終わっていないこの状況では、検討するには及ばないカップリングですが、読者の皆さんはどう思いますか?


 病院の入り口でワタリという老人に出会った和人は現在、彼の運転する車に乗せられていた。車は、東京都都心にあるビル街を走っている。

 

(リュウザキ……やはり未帰還者達の行方について調べていたか)

 

 和人がリュウザキと呼ばれた人物と出会ったのは、現実世界ではない。後の世において、SAO事件と呼ばれるようになった史上最悪の大量殺人事件、その舞台たる仮想世界、アインクラッドでのことだった。

 

 

 

 当時、SAO内部にはデスゲームをデスゲームとして楽しむと言う理念のもと、プレイヤー相手の犯罪行為や殺人を繰り返す、オレンジギルド、レッドギルドと称される集団が跋扈していた。ゲームクリアが果たされるまでに発生した犠牲者の数は、数百人に上ったとされている。

これらを取り締まるには、実力あるプレイヤーが動かねばならなかった。だが、多くの実力者たるプレイヤーの大部分は、ゲームからの唯一無二の脱出手段であった完全クリアを果たすべく、攻略に奔走していた。和人――イタチもまた例に漏れず、片手間でその相手をしなければならなかった。情報屋の協力者などは幾人かいたものの、多くは攻略組に身を置く人間ばかりだった。そもそも、人間同士の殺し合いに発展しかねない戦いに臨めるプレイヤーなど、イタチを含めてほんの一握りであり、取り締まりに動いて返り討ちに遭うプレイヤーまで発生する始末だった。

そんな中現れたのが、リュウザキという名のプレイヤーだった。犯罪者取り締まりに協力の意を示したこの男性プレイヤーは、オレンジプレイヤーが編み出した、システムの穴を突いた犯罪テクニックの悉くを看破し、多くの犯罪者プレイヤー検挙に貢献したことで知られている。ただ、能力は非常に高いものの、本人はプレイヤー達の前に顔を晒す事は一切せず、攻略組御用達の情報屋、鼠のアルゴを通じて捜査結果を報告するのみだった。そのため、多くのプレイヤーからは不審がられており、一説には、彼の正体はレッドプレイヤーであると疑われたことすらある。

イタチは、そんな彼が顔合わせを望んだ数少ない人物の一人である。きっかけは、とある大規模な犯罪者プレイヤー討伐戦の折、リュウザキへの不信が高まったことだった。討伐隊のプレイヤーの一部が、卓越した頭脳を持つリュウザキを、『笑う棺桶』と呼ばれた大規模レッドギルドのボス、PoHの正体がリュウザキなのではと疑い始めたのだ。

これまでリュウザキが関与した犯罪者プレイヤーの摘発全てが自作自演であるとすれば、全て説明がつく。また、大規模決戦が行われるまでに信頼を得ることができれば、攻略組プレイヤー全員を皆殺しにすることが可能となる。嫉妬と警戒から、そのような疑惑を抱いたプレイヤー達は、リュウザキに対して顔を見せろと要求したのだ。

決戦を前に芽生えた不信を解消するべく、リュウザキが取った苦肉の策は、攻略組に属する代表格のプレイヤーの中から信用のおける人物数名を選出し、自分と顔を合わせると言うものだった。選出メンバーは、血盟騎士団副団長のアスナ、聖竜連合総長のシバトラ、ミニチュア・ガーデンのメダカといった討伐隊の中心メンバーで構成されていた。さらにイタチまでもが指名されたのだ。アルゴの案内のもと、リュウザキと顔を合わせた面々は、フレンド登録をすることでプレイヤーネームがリュウザキであることを確認した。SAOにおいては、ネームを変更するためのアイテムは存在しなかったことから、リュウザキ=PoHの疑惑は解消された。というのが事の顛末だった。

 

 

 

(相当に頭の切れる奴であることは確かだ……だが、一体何者なんだ?)

 

 SAOに限らず、MMOにおいてリアルの詮索をすることはマナー違反だが、どうしても気になってしまう。SAO内部で己の顔を直隠しにしていたことに加え、未帰還者三百人の行方を探すべく動いていたことや、迎えに寄越したワタリという老人のことを考えると、謎はますます深まるばかりである。リュウザキに関する少ない情報から推理するに、その正体は、凄腕の探偵か、あるいはどこかの諜報機関の構成員の可能性が高いとするのが、イタチの見立てである。尤も、これから顔を合わせるのだから、その正体も分かる筈なのだが。

 

「到着いたしました」

 

 そうこう考えている間に、どうやら目的地に到着したらしい。所沢にある病院から、車で移動することおよそ二十分。東京の都心、その一角に立つごく普通のオフィスビル。

 

(……ただのビル……では、なさそうだな)

 

イタチには特別建築関連の知識があるわけではない。だが、忍としての前世の勘が、目の前に聳え立つ建物を周囲にある他のビルと同種のものと認識することを認めなかったのだ。尤も、ここまできた以上は、和人には引き返すつもりなど毛頭無い。

ワタリが運転する車は、そのまま地下駐車場へと向かっていく。どうやら、リュウザキがいる場所へ行くには、正面ではなく地下から入る必要があるようだ。地下駐車場に車を停車させて下車した二人は、入り口となる扉を目指す。

 

「この建物には、一切の通信機器の持ち込みはできません。全て、こちらに預けていただきます」

 

 所持している携帯電話等の通信機器を預けるよう指示を出すワタリ。対する和人は、リュウザキはSAOの中でさえ顔を見せるのを極端に嫌っていたため、この手の処置は半ば予想していたため、抵抗することなく素直に従った。

 

(情報漏洩を相当警戒しているな……)

 

 携帯電話を和人に提出させた後、ワタリは指紋と網膜認証を行い、警備システムを解除していく。軍事施設と見紛わんばかりの堅牢なセキュリティを見るに、リュウザキの正体はどこか日本ではない、外国の機密組織に所属する人間という推測はあながち間違いではないかもしれない。

 

「中へどうぞ」

 

「はい」

 

 ワタリに導かれて内部へ入って行く和人。エレベーターに乗せられて移動するが、目的の階層は地下らしい。ビルの外観は、二十三から二十五階程度だったが、上は完全なダミーか、或いは物資の貯蔵に利用しているのかもしれない。やがてエレベーターが停止し、扉が開く。電子パネルに出ている階層は、地下四階。相当な深さがあるらしい。

 エレベーターを出て、廊下を歩いてすぐの場所に、扉があった。ワタリがカードキーを翳すと、扉が両側にスライドして開いた。

 

「ようこそ、イタチ君。歓迎します」

 

 扉の向こうで和人とワタリを待ち受けていたのは、ぼさぼさに絡まり合った髪の毛に、白の飾り気の無い長袖シャツ、色褪せたジーンズを纏った青年。身を屈めているのではと思う程に極度の猫背で、目の周りには不眠症を想わせる隈があった。

 

「一応、無事に帰れていたようで何よりだ。リュウザキ」

 

 この人物こそが、和人ことイタチをはじめとしたかつてのSAO攻略組プレイヤーに与して、多くの犯罪者プレイヤーの取り締まりに貢献してきた謎の探偵プレイヤー、リュウザキなのだ。

 

「イタチ君も、無事に退院できたようですね」

 

「まあな……それより、ここは現実だ。プレイヤーネームで呼ぶのは控えろ。」

 

「申し訳ありません。それでは、和人君とお呼びしましょう」

 

「俺はどう呼べばいい?」

 

「SAO同様、竜崎で結構です」

 

「……それが本名なのか?」

 

「いえ、そういうわけではありません」

 

 名前を明かせない理由があるらしい。SAO内に続き、現実世界でもこうして顔を合わせたのに、この期に及んで、何故躊躇うのだろう。竜崎の正体に疑惑を深めつつ、後で必ず聞き出すことを決意するのだった。

 

「SAO事件の際は、ありがとうございました。私がこうして現実世界へ帰還できたのも、全てはイタチ君のお陰です」

 

「……俺一人の力ではない」

 

 世間では、SAO事件の主犯者である茅場ことヒースクリフを撃破して生き残った全プレイヤーを解放した和人のことを、実名を知らないとはいえ、英雄扱いする傾向がある。だが、和人当人から言わせてもらえば、あの最終決戦は実質イタチの敗北だった。あの時の勝利は、敗北と死を呼ぶ一撃を防ぐことができたのは、一重に身を挺して自分を守ったアスナ――明日奈あってのものだった。故に、このように持ち上げられることは、和人にとっては不本意なのだ。

 

「あの最終決戦を知っているのならば、その意味は分かるだろう?」

 

「……はい。申し訳ありません」

 

「いや、分かってくれているならいいんだ。それより、SAO未帰還者三百名の居場所についての手掛かりが掴めたのだろう?そろそろ教えてもらえないか」

 

「ええ。しかもそれは、明日奈さんにも関係するかもしれないことなんです」

 

「何だと?」

 

 竜崎の言葉に眉を顰める和人。確かに、明日奈はSAO未帰還者の一人だったが、何故三百名いる中で明日奈なのか。おそらく、竜崎が数あるSAO生存者(サバイバー)の中から自分を指名し、手掛かりを明かそうと考えた理由も、そこにあるのだろう。

 和人が、どのプレイヤーよりもアスナと共に行動した最強プレイヤー、イタチだったからこそ――――

 

「とりあえず、立ち話もなんですから、こちらへどうぞ」

 

 竜崎に促され、部屋の一角にある椅子へと座る和人。竜崎はテーブルを挟んで向かいの椅子へと座る。だが、普通に腰掛けるのではなく、膝を抱えるような窮屈な座り方をしている。

 

(相変わらず、変わった座り方をしているな……)

 

 竜崎が今やっているこの独特な座り方は、SAO事件当時から続いていた。キャラを立てるためにわざとやっているのではと、レッドギルドとの最終決戦時に顔合わせした面子は口々に言い合っていたが、現実世界でも同様の行動をしていたとは思わなかった。

 だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。気持ちを切り替えて、本題に集中する。

 

「まずは、これをご覧ください」

 

 竜崎が差し出したのは、二枚のA4印刷の写真。解像度ギリギリまで拡大したのだろう。ドットが粗くなってはいたが、被写体の像と色はしっかり捉えられている。

 

「これは……」

 

 写真を見た和人の目が鋭くなる。そこに写っていたのは、長い栗色の髪の、若干長い耳の少女。白いドレスを纏い、同じく白い椅子に座っている。手前には、椅子同様に白いテーブルが置いてある。だが、それだけではない。カメラと少女とを隔てるように、金色の格子がいくつも並んでいるのだ。その様は、まるで鳥籠に囚われたお姫様のようだった。

 

(アスナさん……?)

 

写真に映る少女の姿は、竜崎が先程口にした名の少女――明日奈に酷似していた。現実世界では同じ中学に所属し、SAOでは誰よりも長くパーティーを組んでいた。彼女を見間違うことは、まず有り得ないだろうと、和人自身は考える。

写真の画質や、被写体の様子から察するに、おそらくは仮想世界で撮影されたものなのだろう。ならば、どこで撮影されたものなのだろうか……和人は考えた末に、ある結論に至った。

 

「アルヴヘイム・オンラインだな」

 

「!……ご存じだったのですか?」

 

 和人の口にした言葉に、竜崎は目を丸くして驚いた。和人の導きだした答えが、ものの見事に的中していたからだ。

 

「アルヴヘイム・オンライン……通称、ALO。妖精郷の名を持つ、新世代のVRMMMORPG。プレイヤーは九つある種族から一つ選択してプレイする」

 

「詳しいですね……説明の必要が全くありません。しかし、何故ここまで詳細を知っていたのですか?」

 

「SAO未帰還者が発生したのならば、その原因はVRワールドにあると考えるのが自然だ。そして、三百人のプレイヤーが、監禁されている立場にあるのならば、監獄の維持には莫大な費用がかかる。必然的に、VRMMOサーバーを扱う企業に寄生して行うほかにないという結論に至る」

 

 SAOからの帰還後、三百名の未帰還者の存在を知った和人は、自分達がSAO内部に囚われた二年間に起こったVR関連技術の推移や市場について調査を行った。その中には当然、三百人の意識を監禁するためのサーバー……つまり、SAOのようなVRMMOも対象として入っていたのだ。

 

「流石ですね。あなたの推理力には感嘆します」

 

「アインクラッドで笑う棺桶が発案したスキルを次々看破し、連中を監獄送りにしたお前が言っても、嫌味にしか聞こえないな。それより、ALOのメーカーはレクト・プログレスだったな……成程、これで全て繋がったわけだ」

 

「はい。SAOサーバーの維持を請け負っているのは、レクト・プログレスのフルダイブ部門です」

 

 かつてSAOを運営していたアーガスが消滅し、その後にサーバー管理を引き継いだ会社がレクトである。そして、そのレクトが運営するALOというゲームにおいて、未帰還者の一人に酷似した人間が確認された。よって、導き出される結論は……

 

「黒幕は、レクト・プログレスの開発主任、須郷伸之で間違いなさそうだな」

 

「おや……彼の事もご存じでしたか」

 

「今日、病院で会った。外面は良いようだが、内面ははっきり言って下衆だな……」

 

「そのようですね。既に彼は、SAO未帰還者を利用して得る予定の成果について、様々な皮算用を始めているようですよ」

 

「何……?」

 

 SAO未帰還者三百名を、一体何に利用しようと言うのか。常人ならば、まず考え付かないだろう……だが、うちはイタチという忍の前世をもつ和人には、簡単に想像することができた。

 

「……人間の頭脳を使った人体実験……か」

 

「その通りです。調べたところによりますと、既に米国の某企業と水面下で取引をしています」

 

「大方、軍事関連の企業だろう?脳の制御領域を広げることができるようになれば、感情を持たず、意のままに動く人形のような兵士を量産することすらできるからな」

 

「……何もかもお見通しですか。最早、私の助けなど不必要なのでは?」

 

 和人の前世、うちはイタチのいた忍世界には、暗殺者養成を目的とした機関が数多く存在する。イタチの故郷である木の葉隠れの里にも、「根」と呼ばれる同様の組織が存在しており、その教育カリキュラムは、肉親同士を殺し合わせて心を失わせて人形に仕立て上げるなど、非人道的なものだった。

だが、優れた暗殺者の幼生には多大な時間と費用を要することから、容易ではなかった。幻術を行使して、人間を意のままに動く人形に仕立て上げるなどの試みもなされていたが、術を解除されてしまえばたちまち無力化されてしまうという欠点を孕んでいた。故に、術の様な一時的な措置に依らず、脳に直接干渉して感情や記憶を改竄することで、人格そのものを作りかえる技術があるとすれば、意のままに動く兵士を作ることに非常に都合が良かった。

暗部の闇を散々見てきたイタチの前世を持つ和人にとっては、容易に想像できることだった。

 

「和人君、実は須郷はアスナさんを……」

 

「嫁にしてレクトを手に入れようと考えている、だろう?……何としても、阻止するぞ」

 

「……了解しました」

 

和人の放った言葉の後半には、どこか重く厳かな雰囲気が溢れていた。竜崎は気にしないフリをして了承するのだった。

 

「この写真……場所は、世界樹の上じゃないのか?」

 

「その通りです。ALOの攻略目標である、世界の中央に聳え立つ世界樹の頂上には、空中都市があるとされています。オープン以降、空中都市を目指すグランドクエストには、数多の参加者が挑戦してみたものの、全て失敗しました。そんな中、世界中の頂上を一目見ようと、あるパーティーが動きました」

 

「体格差順に肩車して飛行、多段ロケット方式で頂上の写真を撮ろうとした……といったところか?」

 

「まさにその通りです。そして、証拠として撮影した写真の中に、これが写っていたということです」

 

「成程……オープンから未だにクリアできないグランドクエストの終着点。干渉できるのは、運営サイドの人間のみ……隠れ家としては申し分ないな」

 

「私も同意見です。まず間違いなく、未帰還者三百名は、世界樹の頂上に監禁されています」

 

 互いに情報を共有・整理したことで同一の結論に至ったことを確認した和人と竜崎。そして今度は和人が呼ばれた理由へと話しが移行していく。

 

「それで、何故俺を呼んだ?ここまで推理し、須郷が某国企業と裏取引していた事実まで裏付けできたのだから、あとは警察か、あるいは総務省SAO事件対策本部あたりに通報して、摘発すれば解決だ。俺を呼ぶ理由が無い」

 

「いえ、そう簡単にはいきません」

 

 和人の指摘に、しかし竜崎は淡々と答えていく。

 

「今我々が至った結論は、飽く迄推理の上でのことです。全て状況証拠でしかありません。犯行を明らかにするための証拠は現状では何一つありません。譬え警察を動かせたとしても、レクト・プログレスはSAOのサーバーを維持している以上、その立場を盾に捜査のメスが入るのを阻むことができます。時間を稼いだ隙に、証拠を全て隠滅される恐れもあるので、摘発して解決に至ることは不可能に近いのが現状です」

 

「……ならば、レクトのフルダイブ部門のサーバーから、向こうで行われている人体実験のデータを引き出して公表するのはどうだ?」

 

 暗にハッキングして証拠を押さえろと言う和人。犯罪行為を示唆する言動を自覚していながらも、しかし和人は全く容赦しない。目の前にいる竜崎と言う人物は、事件を解決するためならば、世間一般に犯罪行為と認められる行為すら躊躇い無く行うという確信があったからだ。SAO内部でリュウザキからも同様の言動が見受けられていた。

 

「残念ながら、現状でそれは不可能です。レクト・プログレスのフルダイブ部門が管理しているサーバーは、外界のネットワークから完全に隔離されています。さらに、フルダイブ部門のフロアのセキュリティは、並みの電子企業の比ではありません。海外の軍事施設で利用している類のセキュリティに、改良を加えたシステムです。突破するとなれば、相当強力なサイバー攻撃を仕掛ける必要があります。それに、三百人の脳を管理しているサーバーを下手に攻撃すれば、未帰還者達へ何らかの危険が及ぶ危険もあります」

 

「つまり、外部からのハッキングは使えないということか?」

 

「全く不可能ではありませんが、リスクを鑑みればこれは最終手段です。未帰還者三百名の安全は保障しかねます」

 

 目的のためならば手段を選ばないタイプという和人の認識は間違っていなかったようだが、人命を優先するだけの良識はあるらしい。和人としても、無闇に犠牲を発生させる作戦は好むところではない。

 

「事情は分かった。それで、俺に何をしろと言うんだ?」

 

「現実世界からの攻略が不可能ならば、仮想世界から攻略すればいいと考えました」

 

 和人の問いに、竜崎はそう答えると、椅子の横に置かれていたバッグから長方形のパッケージを取り出す。先の言葉から、竜崎の意図を悟った和人は、それが何なのかすぐに想像がついた。差し出されたそれを受け取り、視線を落とす。タイトルロゴは、『Alfheim Online』。

 

「アルヴヘイム・オンラインをプレイして、世界樹を攻略しろと、そういうことか?」

 

「その通りです」

 

 真顔で即答した竜崎に、和人は無表情ながら難しい表情をした。現実世界から証拠を引き出せないのであれば、仮想世界から仕掛けるという発想は、無いこともないのだが……

 

「……考えが甘いとしか言えないな。仮に世界樹を攻略できたとしても、須郷の実験場……未帰還者の監禁場所に通じるとは限らない。そもそも、グランドクエスト自体がでたらめで、システム的に攻略できない仕組みになっている可能性だってある」

 

「心配は無用です。世界樹の頂上へと通じるゲートは、確実に存在します」

 

「何故、そう言い切れる?」

 

 ハッタリや出鱈目などではなく、確信をもって言い切る竜崎の言葉を訝る和人。対する竜崎は、眉一つ動かさずに続ける。

 

「アルヴヘイム・オンラインは本来、MMORPGのために製作された仮想世界です。故に、ゲームの仕様として、グランド・クエストを突破した先には空中都市が存在している筈でした。しかし、SAO生還者三百名を監禁するために空中都市を実験用に改装する必要が生じました」

 

「つまり、ゲームとしての形式を維持するためにはグランドクエストを経て到達できる空中都市の存在を仄めかし続ける必要があり……世界樹頂上への通用口を残しておかねばならなかった、ということか」

 

「そういうことです。ちなみに、レクト・プログレスのフルダイブ部門でALOの管理スタッフは、SAOがクリアされてから大規模な人事異動を経て一新されたそうですよ」

 

「実験をスムーズに行うために、自分の側近と息のかかった人間でスタッフを固めたわけか」

 

 レクト・プログレスのCEOである結城彰三は、娘を嫁に出す程に須郷伸之と言う人間を信頼している。会社の人事を操作することなど朝飯前なのだろう。ましてや、自分の担当する部門である。スタッフを総入れ替えしたとしても、異議を唱える者など現れないだろう。

 

「だが、全員が須郷の手先というわけではありません。そして、だからこそ空中都市へと通じるゲートを完全に消し去ることは不可能だったのです」

 

 恐らく、レクト・プログレスに潜り込んで、アルヴヘイム・オンライン運営部署の中で、須郷とその一味の研究員が管轄する部分の外、ギリギリまで潜り込んで調べたのだろう。一般のスタッフの権限で閲覧できる情報の中に空中ゲートの存在の有無があるとするならば、確かに抜け道になり得る。

 

「そもそも違法研究です。これを行う人員は、必要最小限にとどめなければなりません。そして、ALOの運営には、空中都市の設定を管理する特別な部署が設けられています。恐らく須郷は、そこに自分の側近を配置しているのでしょう」

 

「成程……研究施設を部署ごと他のスタッフの管轄から隔離してしまえば、ほぼ確実に秘匿できるということか。だが、件の空中都市へ通じる扉ばかりは、消去すれば露見する確率が高くなる。だから、残さねばならなかったということか」

 

「理解が速くて助かります。私からの依頼、引き受けていただけますか?明日奈さんと須郷の結婚まで残り一週間です。時間が無いことは確かでしょう?」

 

「分かっている。だが……」

 

「グランドクエストである世界樹の頂上への入り口は、唯一外部からアクセスするための穴……SAO未帰還者三百名へ危害を加えずに彼らの実験場へ入るための扉の筈です。システム的に固く閉ざされていることは間違いないのでしょうが、そこは私にお任せください」

 

「……何か策があるのか?」

 

 和人の問いに、竜崎はこくりと頷くと、隈に縁取られた瞳で和人をまっすぐ見据え、再び口を開いた。

 

「難攻不落のセキュリティを破る天才ハッカーに心当たりがあります。世界樹の頂上へと続く扉を開くためのプログラムは、彼に作ってもらう予定です」

 

「天才ハッカーだと?……そんな人物がいるのならば、SAOをログアウトするのに二年も月日を要する筈は…………まさかそいつも、SAOプレイヤーだったのか?」

 

 和人の問いに、竜崎は首肯する。

 

「彼の行方を掴んだのは、つい最近のことです。幸い、彼は無事に帰還できていることが確認できましたので、今日中に交渉の手筈を整える予定です。ネット上においてかなり有名なハッカーですよ。『ファルコン』という名に、覚えはありませんか?」

 

「……聞いたことはある。卓越したハッキング技術で、数々の犯罪者を摘発した伝説のハッカー……だったな」

 

「その通りです。扉さえ開けば、そこをセキュリティホールとして利用し、須郷が管理しているサーバーを安全にハッキングして掌握することができます。和人君には、世界樹を守るガーディアンを突破してもらいたいのです」

 

 改めて和人に依頼する竜崎。隈に縁取られた目を見開いて頼みこむその表情は、真剣そのものだ。表情の変化に乏しい者同士、和人にはその内心がはっきり分かった。

 

「……分かった。その依頼、引き受けよう」

 

「ありがとうございます」

 

 ゲーム内部からの正面突破は、成功する可能性が望み薄だが、優秀なハッカーの支援があるのならば、可能性はある。何より、仮想世界における戦闘で道を切り拓くことができるのならば、和人の望むところである。

 

「そうと決まれば、ハードを揃えなければならんな。確か、アミュスフィアだったか……」

 

「いえ、それには及びません。アミュスフィアは、ナーヴギアのセキュリティ強化版でしかありません」

 

「成程……ナーヴギアで動くというわけか」

 

「それだけではありません。SAOとALOでは、セーブデータのフォーマットがほぼ同じなので、共通するスキルの熟練度が上書きされた状態でのスタートとなります」

 

「それはありがたい。全パラメータが初期状態では、グランドクエスト攻略など出来る筈も無いからな。それより、そんなことを知っているということは、お前も既に……」

 

「はい。ALOをプレイしています。現在は、九つの種族の一つである、『スプリガン』の領主を務めております」

 

 何気なく放った竜崎の言葉に、イタチは内心で唖然とする。自分達がSAOから帰還したのは、およそ二か月半前のことである。SAO生還者の身体が退院するレベルまで回復するには、およそ二カ月がかかる。その後ALOをプレイしたのならば、竜崎がプレイした時間はおよそ二週間。そんな短期間で一種族の領主になるなど、SAOのスキルパラメータを引き継いだだけではできない芸当である。

 

「……規格外だな」

 

「和人君にだけは言われたくありません」

 

 思わず零れた和人の言葉に、竜崎はそう返した。

 

「そういうことですので、種族は影妖精族のスプリガンを選んでください。世界樹攻略のための部隊も、既に編成の目処が立っています。明日、明後日中には領地を出て央都アルンへ出発します」

 

「分かった。協力感謝する。だが、最後に聞きたいことがある」

 

「何ですか?」

 

 依頼は確かに引き受けたが、どうしても聞きださなければならないと、和人は考えていた。目を若干鋭くして、口を開いた。

 

「竜崎……お前は何者だ?」

 

「何者……とは、どういうことですか?」

 

 鋭い視線と共に問いかける和人に対し、しかし竜崎はその言葉の意味を知らぬかのように問い返す。

 

「SAO内でもそうだったが、お前の推理力は半端ではなかった。しかも、殺人事件という日常に有り得ない事態に直面しても、一度として動揺を見せたことが無い。今もそうだ。SAO未帰還者の頭脳がおぞましい人体実験に掛けられている可能性があるにも関わらず、お前は微塵も揺らいだ様子が無い」

 

 竜崎がSAO時代に振るった推理力を初めて前にした時には、自分と同じ、忍の世界からの転生者なのではと疑った程だ。だがそれならば、『イタチ』というプレイヤーネームを使っていた自分を知らない筈が無い。ましてや、横に傷の入った木の葉の額当てを付け、メーキャップアイテムで目を赤く染めることで、前世の自分を再現していたのだ。間違いなく転生者であると気付いていた筈である。

 うちはイタチの名前を知っている転生者ならば、自分の正体を探るべく動く筈。だが、竜崎がSAO内で自分と接触したのは、犯罪者プレイヤーの摘発に伴う情報交換時のみ。しかも、そのほとんどがプレイヤーやアイテム越しの間接的な手法ばかりで、直接顔を合わせたのは笑う棺桶討伐作戦決行直前だけである。自分の正体を探るために動いた様子は見受けられなかった。少なくとも、うちはイタチを知る人物ではないことは確かだ。うちはイタチの存命以前の時代からの転生者という可能性も考えられたが、それを差し引いても竜崎の正体は謎が多い。

 

「須郷が米国の某企業と水面下で行っている取引について調べ上げるだけの情報力。加えて、厳重なセキュリティ体制の敷かれたビルの中に、こんな基地を構えている。只者ではないことは明らかだ」

 

「……」

 

 今まで見せなかった不信を露わにして、竜崎に詰め寄る和人。リアルでこうして顔を合わせ、巨悪と呼べる存在相手に戦いを挑む間柄にある以上、正体を明かしてもらわなければならないと、めで語る和人に対し、竜崎は……

 

「そうですね。協力してもらう以上、私のことを話さねばならない事は確かです。お話しましょう、私の正体を……」

 

 そう言うと、竜崎は唐突に席から立ち上がり、猫背のまま部屋の中央へと歩き出した。和人は席に腰かけたまま、しかし油断なく竜崎の方へ顔を向ける。

 

「和人君は、四年前に起きたウイルステロ事件をご存知ですか?」

 

「……ああ。日本国内で研究されていた新種のウイルスが、テロリストの手に渡ったという事件だろう?確か、テロ組織の名前は、ブルーシップだったか」

 

「はい。そしてあの事件には、解決のために動いた影の功績者が三人いました」

 

「……お前がその一人だと言うのか?」

 

「はい。そしてあの事件は、私がこの国で初めて解決した事件でした」

 

 和人に背を向けて部屋の中央に立つ竜崎が、改めて振り返る。隈に縁取られた目を和人に向けると同時に、竜崎の背後の壁に備え付けられていた電灯に明かりが灯る。

 

「私はLです」

 

 電灯の灯りの中で照らされた、クロイスター・ブラックのフォントの『L』のシルエットが、竜崎を象徴するかのように、閃いた――――

 



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第五十七話 妖精たちの国

予告編で出た『サスケ』の名前に、新キャラを期待した方々、申し訳ありません。
一部読者の方が予想した通りの正体となりました……


「……」

 

 東京都内を走る高級車。運転するのは、白い髭をもつ、眼鏡をかけた紳士――ワタリである。車の後部座席に座っているのは、大人しげな黒髪に、線の細い……それでいて、刃のように鋭い瞳をした少年――和人である。車が向かう先は、埼玉県にある桐ケ谷家……和人の住所である。既に日は落ち、辺りは暗くなっている。時刻は六時を回ったところだろうか。家へ帰れば、母親である翠や義妹の直葉に注意を受けるかもしれないが、和人の思考は別の方向にあった。

 

(竜崎……)

 

 腕を組んで瞑目する和人の頭にあるのは、今日出会ったSAO事件以来の知己――竜崎のこと。

得られた情報と二人の推理の末、レクト・プログレスが運営するVRMMO、アルヴヘイム・オンライン――ALOにてプレイヤーの精神が囚われているという結論に至った。だが、囚われているSAO未帰還者達の頭脳、その安全を確保するには、ハッキングによる強硬手段で未帰還者達を解放するという手段は適用できない。そこで竜崎が打ち出した策は、ゲーム世界の侵入経路を利用しようということだった。和人が呼び出されたのは、ALOにダイブし、唯一無二の侵入経路であるグランドクエスト攻略を依頼するためだった。

竜崎の申し出に対し、SAO未帰還者の救出という、共通の目的のもと、共闘を決意した和人。だが、竜崎という人間に対して疑惑を抱いたまま依頼を受けることには躊躇いがあった和人は、協力する条件として、竜崎に正体を明かすことを要求した。そして、結果として明かされた真実は、衝撃的な……しかし事情を知れば納得できるものだった。

 

(まさか、お前があの“L”だったとはな……)

 

 探偵『L』。それは、迷宮入りの事件を含む、三千五百二に及ぶ事件を解決し、世界の警察を動かせる存在として、『世界最高の探偵』、『影のトップ』と呼ばれた人物だった。日本においてその名が知れ渡ったのは、今から四年前……SAO事件発生の二年前に発生した、テロ騒動に端を発する。

 当時小学校六年生だった和人の記憶にも、鮮明に残っている大事件。国内のウイルス研究施設で扱っていた新種ウイルスが、テロリストの手に渡ったのだ。テロリストの目的は、ウイルステロによって、人類の人口を大幅に削減させようという、途方もない計画だった。国内で勃発した大事件に、当時日本中は大混乱に陥っていたものだ。

テロ組織の行方も掴めず、国民は恐怖と不安に苛まれる日々を送り、警察の捜査も八方塞がりという状況。そんな中に現れた救世主が、『L』だった。Lと名乗る謎の探偵は、まずクロイスター・ブロックのフォントで描かれた『L』の文字を通して全国中継によるテロリスト達への宣戦布告を行った。それを皮切りに、一気に捜査を進展していったという。結果、介入から一週間足らずでテロリスト達の居場所を突き止め、アメリカ行きの飛行機の内部でウイルスをばら撒き、キャリアを大量に積んだ状態でアメリカへ飛ぶという作戦を、水際で食い止めたのだった。また、キャリアとされた乗客達は、事件発生と共にLが開発を依頼していたワクチンによって、全員一命を取り留めた。というのが事件の顛末である。

 

(全国放送と偽り、関東圏のみに限定して宣戦布告。Lの介入で浮足立ったテロリスト達は、計画を前倒しするために、成田空港へ向かう。そして水際で追い詰めて、一網打尽にする……SAOの時もそうだったが、見事な手際だ)

 

 当時放送された情報から、和人はLがテロリスト逮捕のために取った手段を正確に割り出していた。忍、それも暗部としての経験が豊富な前世をもつ和人から見ても、Lの手腕は大したものだった。忍世界ならば、暗部のボスや、五影すら勤まるのではと思えてくる。そして、そんなリアルをもつ人物だったならば、SAOにおいてリュウザキが発揮した手腕も全て納得がいくものだった。

 

(未だに考えの読めない人物だが、事件を解決するという点では、信用できるのは間違いない)

 

 だからこそ、和人はL――竜崎の話に乗ることにした。もとより、SAO未帰還者を前に和人ができたのは、僅かな情報から真実を推理することのみだった。忍の前世をもつといっても、それはあくまで前世の話。この世界を生きる桐ケ谷和人は、うちはイタチのように忍術を使うこともできない、どこにでもいる一人の人間なのだ。個人にできることの限界を感じていた以上、竜崎の誘いは、渡りに船と呼ぶべき話だった。

 

(明日奈さんを助け、全てのSAO未帰還者を開放する……それを成し遂げるまで、俺の……俺達の戦いは終わらない)

 

 何事も、自分一人で成し遂げられるわけではない。無力を嘆くのではなく、赦すことこそ必要なのだ。そして、自分一人では不完全だからこそ、それを補ってくれる仲間がいる。和人はそのことを、前世と現世で嫌というほど実感していた。

 

(ならば、まずは仲間を集めねばな……)

 

 今回の依頼は、自分一人では到底達成できるものではない。竜崎の助力を得ても、まだ分からない。ならば、選ぶべき手段はただ一つ。それを実行するべく、和人は動き出す決意をするのだった。

 

「到着いたしました」

 

 そうこう考えている内に、ようやく自宅へ到着したらしい。窓の外には、慣れ親しんだ日本家屋の桐ケ谷家が見えていた。

 

「送っていただき、ありがとうございます」

 

「いえ、こちらこそ。竜崎をどうか、よろしくお願いします」

 

「……受けた依頼は必ず果たす。彼にそう伝えておいてください」

 

 それだけ言葉を交わすと、和人とワタリは家の門付近で別れた。そして、自宅へ戻った和人を待っていたのは、予想通りの声だった。

 

「和人!遅くなるなら、ちゃんと連絡ぐらいしときなさい!」

 

「お兄ちゃん、心配したんだよ!?」

 

「……申し訳ない」

 

 玄関から入って早々、浴びせかけられる母親と義妹の叱責。十六歳という年齢を鑑みれば、それ程遅い時間帯ではないが、現在の和人の身体はSAO事件後のリハビリを終えたとはいえ、全快には達していない。故に、夜道で不審者などに襲われれば、一溜まりも無いのではと、二人は心配していたのだ。実際は、和人の身体は未だ若干骨ばってはいるものの、剣道の試合ができる程度に回復しているわけであり、譬え不意打ちを食らわされても対抗できるだけの体力はあるのだ。しかし、翠と直葉はSAO事件発生以来、和人のことを事件発生時以前より何かと気にかけてくれている。そんな二人に要らぬ心配をかけた以上、謝るのが筋だと和人は考えた。

 十分弱の間、二人から説教を受け、ようやく解放された和人は、若干遅めの夕食を摂るべくダイニングルームへ向かう。その後、家族三人で談笑した後、順番でシャワーを浴びた和人は、歯磨きを済ませてそのまま自室へ直行。二人が寝静まったことを確認すると部屋の鍵を閉めて行動を開始する。

 

(二人には、心配をかけられんからな……)

 

 和人の現世における家族である、桐ヶ谷翠と桐ヶ谷直葉。この二人には、SAOに関わったことで大いに心配をかけてしまった。帰還した自分と対面した時の二人の顔は、今でも思い出せる。直葉は大泣きしながら骨と皮だけに等しい自分の身体に抱き付いてきた。翠に至っては、自分がSAOに関わるきっかけを作ってしまった負い目が大いにあったのだろう、泣きながら何度も謝ってきた。あの反応を見れば、また同様のゲームを、しかも使い方次第で脳を蒸し焼きにすることすら可能なナーヴギアでプレイするなどと言えば、二人とも黙ってはいまい。ALOをプレイするには、誰もが寝静まった夜中か、あるいは二人が出払っている昼間に、鍵をかけた上で自室に閉じ籠もってやるほか無い。

 二人に隠れて危険を冒すことへの後ろめたさを、感じながらも、しかし和人は引き返そうとはしなかった。ウォールラックに置かれたナーヴギアを手に取ると、一度ベッドへと座った。

 

(……もう一度、俺に力を貸してくれ)

 

 本来ならば、総務省SAO事件対策本部によって回収されて処分されていた筈のナーヴギアだったが、明日菜をはじめとしたSAO未帰還者の存在を知った和人は、無理を言って手元に置いたのだ。自分なりに事件解決の道を模索することを決意していたが、まさかこんな形で役に立つとは予想していなかった。

忍の世界から転生して十年以上経過して尚、生き方を見定められなかった和人に対し、前世の幻術を彷彿させる仮想世界を見せた機械、それがナーヴギアだった。ソードアート・オンライン制作スタッフとして仮想世界に関わって以来、和人の中では、自分の生きる世界の境界が曖昧になった。だが、仮想世界であろうと現実世界であろうと、前世であろうと現世であろうと、目に見えるものは全て“本物”なのだ。空も、大地も、人も、物も……何一つ紛い物など存在しない。どこであろうと、この心が感じるもの全てが本物……だからこそ、逃げる事は許されない。全身全霊を捧げて立ち向かわねばならないのだ。そんな当たり前のようで、しかし大切なことを、SAO事件で和人は知った……ナーヴギアが、教えてくれたのだ。だからこそ、二年もの間故障もせずに共に戦い続けてくれた戦友に、和人は祈る。あの世界で戦い抜くための力が欲しいと――――

 

(取り戻す……必ず、全てを――!)

 

 誓いを新たに、パッケージを開封して小さなROMカードを取り出し、スロットへ挿入。ナーヴギアの電源を入れ、主インジケータが点灯するのを確認すると、ナーヴギアを頭に装着する。顎の下でハーネスをロックし、シールドを下ろして瞳を閉じる。そして、二年前と同じように……しかし、強い決意と共に、異世界への扉を開く。

 

「リンク・スタート!」

 

 

 

 仮想世界へとダイブするその言葉を口にすると同時に、眼の前に虹色の光が弾ける。そして次の瞬間には、視覚、聴覚、触覚と、五感接続がされていくことを示すメッセージが次々表示される。それが終わると、ベッドに横たわっていた重力感覚が消え、『Welcome to Alfheim Online !』というメッセージと同時に暗闇に囲まれたアカウント情報登録ステージに立っていた。

 

『アルヴヘイム・オンラインへようこそ。最初に、性別とキャラクターの名前を入力してください』

 

 女性の声でウェルカムメッセージが告げられると共に、情報登録のための青白いホロキーボードが眼の前の空間に現れる。

 

(キャラクターネームか……)

 

 登録すべきキャラクターネームを問われて、和人は逡巡する。SAOの時と同様、『Itachi』で登録することも考えたのだが、その名前はSAO事件解決に貢献した英雄として、須郷に知られている。同じ名前を使っても、須郷がイタチ=桐ヶ谷和人であると気付く可能性は低いし、気付いたとしても、今の和人では何もできないだろうと侮る可能性が高い。だが、万に一つでも要らぬリスクを負う可能性は排除しなければならない。結論として、和人は『イタチ』以外のキャラクターネームを使用することが良策であると判断した。

 

(……サスケ、名前を借りるぞ)

 

 しばし考えた末に、和人が登録することにした名前は、『サスケ』。最初の前世と二度目の前世において、自分の最後を見届けた弟の名前である。サスケという名前は、イタチの愛する弟の名前であると同時に、前世において自分が所属した木の葉隠れの里長、三代目火影・猿飛ヒルゼンの父親の名から付けられたものである。前世を背負い、使命を果たすために使う名前として、これ以上相応しいものは無いと和人は考えた。

 ホロキーボードに『Sasuke』と打ち込み、登録を終えると、次の登録メニューへと進んでいく。容姿は無数のパラメータからランダムに生成されるというそうだが、和人にとってはどうでもいいことだった。

 

『それでは、種族を決めましょう。九つの種族から一つ、選択してください』

 

 和人の眼の前に浮かぶ、九つのキャラクターの姿。基調とする色や体格、背中から伸びている羽の形状も微妙に異なるらしい。サラマンダーやウンディーネなど、四属性の精霊を筆頭に、聞きなれない種族の名前が出てくる。だが、和人が選ぶべき種族は、協力者である竜崎が領主を努める『スプリガン』と既に決まっている。決まっている、筈だったのだが…………

 

(ケット・シー…………)

 

 和人の視線が、不意にある一つの種族に止まる。猫妖精族の、『ケット・シー』……否、『ケットシー』。何故だろう、この種族名に心惹かれるものがある。前世の声が、この種族を選べと頻りに呼び掛けているような感覚に陥る。

 

(……これは俺の物語だ)

 

 無意識に浮かんだ雑念を、首を横に振って振り払い、改めてスプリガンを選択することにする。ケットシーを捨て難いと何故か思う自分がいるが、スプリガンの概要を読んでみると、意外に自分に合う種族だと思った。幻術魔法に秀でている点などは、特に前世を思い出させる。ともあれ、これにてアカウント作成は終了。いよいよ、ゲームに入ることとなる。

 

『それでは、スプリガン領のホームタウンに転送します。幸運を祈ります――――』

 

 次の瞬間には、和人の視界は白い光に包まれ、小さな浮遊感と共に、太陽が煌めく大空へと放りだされる。ALOの仮想世界は、現在は昼間らしい。落下していく和人――サスケの眼下には、古代遺跡を彷彿させるピラミッド状の建物が中央に建つ、小さな街が見える。あれが古代遺跡地帯にあるスプリガン領の主都、『ジャヤ』なのだろう。空からゆっくりと落下して言ったサスケは、一回転すると、見事に着地した。

 

(ここがアルヴヘイム・オンラインの舞台、妖精郷アルヴヘイムか……)

 

 世界観は中世ヨーロッパをモデルとしたソードアート・オンラインの舞台、浮遊城・アインクラッドよりもファンタジーな雰囲気だが、その本質はあまり変わらないようだ。太陽の日差しや風の香り、時折舞い上がる砂埃まで、全ては二年もの間自分達を閉じ込め続けたゲームと同じ、紛うことなき仮想世界のものである。

 街を歩く事しばらく、サスケはショーウインドウに映った自分の姿を確認した。浅黒い肌に、つんつんと尖った威勢のいい髪型。ややつり上がった大きな眼は、SAOの時にメーキャップアイテムで染めた色がそのまま反映され赤く光っていた。全体的にやんちゃな少年のイメージだが、瞳には外見に反した怜悧さを宿していた。自身の容姿を軽く確認したサスケは、再度街を歩き始める。

 

(しかし、一種族のホームタウンにしては、プレイヤーが少ないな……)

 

 アルヴヘイムは真昼だが、現実世界の時刻は夜中である。MMOのプレイヤーがログインする時間帯にも関わらず、プレイヤーの姿はSAOの下層程も無かった。予備知識として知っていたことだが、ALOプレイヤーは強力かつ派手な魔法を扱う『サラマンダー』や『インプ』、敏捷や筋力等の設定上の身体的スペックが高い『ケットシー』や『ノーム』に傾倒している。サポート系の魔法・スキルが主流の『スプリガン』や『プーカ』といった種族はマイナーな種族として認識されているせいで、選択するプレイヤーは極端に少ない。竜崎が開始僅か二週間足らずで領主となることができたのも、彼自身が優秀であることに加えて種族人口の少なさ故のものでもあるらしい。

 ともあれ、竜崎と共闘することを決めた以上は、ここ最近で鍛え上げたという攻略部隊の力を信じるほか無い。それに、自分の仲間は竜崎だけではないのだから――――

 

(ともあれ……まずは、情報確認をせねばな……)

 

 一通り街を見終えたサスケは、まず現状を確認することにした。左手の人差指と中指を揃えて縦に振り、メニューウインドウを呼び出す。SAOのデスゲーム時代には無かった、しかし付いて然るべきログアウトボタンの存在を確認して一安心すると共に、次は各種スキルのステータス画面へと移行する。

 

(成程……竜崎の言った通り、スキル熟練度はSAOに共通するものはそのまま引き継がれているようだな)

 

 サスケことイタチがSAOにおいて習得していたスキルの中で引き継がれているのは、『片手剣』、『索敵』、『追跡』、『隠蔽』、『投剣』、『戦鞭』、『疾走』、『体術』、『暗視』、『限界容量拡張』の十種。ユニークスキルの『二刀流』だけは引き継がれておらず、文字化けしていた。また、影妖精族であるスプリガンの初期スキルなのだろう。『幻属性魔法』なるものが追加されていた。

 アイテム群に関しても同様で、全てが二刀流スキルと同様に文字化けして使い物にならない状態だった。と、そこでサスケはあることを思い出す。

 

(アイテム……もしや……!)

 

 セーブデータがSAOとほぼ同じならば、“あのアイテム”は必ず存在する。否、していなくては困る――!

 

「あった……!」

 

 文字化けしたアイテム一覧の中から、目的の文字……『MHCP』を認め、思わず安堵の笑みをこぼすサスケ。人気の無い裏路地へと入り、オブジェクト化する。予想通り、サスケの手の平の上に現れたのは、涙の雫を模した水晶型アイテムだった。

 

(頼む……)

 

 サスケが二度クリスタルをクリックすると、クリスタルは眩い光を放つ。表の路地まで届くのではないかと思う程の光の中、一つの影が現れる。長い髪に純白のワンピースを纏った、一人の少女である。光の中にあるその姿は、天使かと見間違うほど神々しいものがあった。

 

「ユイ……!」

 

 その姿を見て、普段表情に乏しい筈のサスケが、喜色を浮かべる。そして、笑みと共に思わず零れた声に、少女が反応した。

 

「ユイ、俺だ……分かるか?」

 

 ALOを始めた事で生成されたアバターは、SAOにおけるそれとはかなり異なる。だが、彼女ならば、必ず分かる筈だ。その確信をもって、サスケは目の前の少女――ユイに語りかける。

 対する少女は、眼下の少年――サスケの姿を見るや、笑みと共に目に大粒の涙を浮かべていた。

 

「パパ……また、会えましたね……!」

 

 空中に浮かんでいたユイは、そのままサスケの胸へと飛び込んできた。サスケはユイの身体を受け止め、ぎゅっと抱きしめてやる。自分を父親と慕う少女には未だ戸惑いがあったが、しかし今はただ、この再会の喜びを分かち合いたかった。

 

(奇跡……いや、信じる力があったからこそ、なのだろうな)

 

 絶望的に思えたユイとの再会が、奇跡のお陰だったとは、サスケには思えなかった。彼女や、彼女が母親と慕う明日奈の、再会を信じる心が起こした、必然だったのだろうと、サスケにはそう思えた。

 

 

 

 ユイと再会の喜びを分かち合うことしばらく。サスケは、アインクラッドにおけるユイとの別れ以降の経過について説明した。サーバーから消去されようとしていたユイを圧縮し、クライアント環境データの一部として保存したこと。ゲームクリアに伴うアインクラッドの消滅。SAOのクリアによって解放される筈だった全プレイヤーの内、三百名が未だ目を覚まさずにいること。そして、その中に明日奈がいること。

 

「事情は大体分かりました。それで、パパはママを探すためにこの世界へ来たのですね」

 

「そうだ。この世界で、偶然にも明日奈さんによく似た人物の写真が撮影された。場所は、あの大樹の上とのことだ」

 

 和人が指差す地平線の先にあるのは、空を穿たんばかりに高く伸びる巨大な木。『世界樹』と名付けられたそれは、アルヴヘイムの極東にあるこのスプリガン領からでも分かるほど巨大な存在感を感じさせる。あの大樹の頂上では、今も欲望に塗れた人間による非人道的な実験が行われているのだろうが、それをユイに話すことは憚られた。人間の負の感情によって自己崩壊を起こした彼女には、必要以上に負担をかけたくはなかったという、仮初とはいえサスケなりの父親心だった。

 ともあれ、感慨に耽っている場合ではない。目的を果たすためには、世界樹を目指すほか無いのだ。サスケはユイを交えて現状確認を続けることにした。

 

「そういえば、ユイはこの世界ではどういう扱いなんだ?」

 

「ちょっと待ってくださいね……」

 

 ふと浮かんだ疑問を口にしてみた。この世界には、アインクラッドのようなメンタルヘルス・カウンセリングプログラム――MHCPと呼ばれるプログラムが存在しているかは分からない。故に、ゲーム世界における存在を確立できなければ、アインクラッドの時と同様、ユイはシステムに消去される可能性だってあるのだ。ユイ本体はナーヴギアの中であるため、完全に消去されることは無いのだが、プログラムとして展開するには別の方法を考えねばならないかもしれない。

 考えているサスケを余所に、ユイはしばらくの瞑目の後、瞳を開いて答えを口にする。

 

「このアルヴヘイム・オンラインにも、プレイヤーサポート用の擬似人格プログラムが用意されているようです。『ナビゲーション・ピクシー』という名称ですが……私はそこに分類されるようです」

 

 そう言うなり、ユイはいきなりぱっと発光する。いきなりの出来ごとに、流石のサスケも若干ながら驚いた様子だった。やがて光が収まると、そこにはさらにサスケを驚かせるものがあった。

 

「これがピクシーとしての姿です」

 

 身長は十センチ程度だろうか。ライトマゼンダの、花びらをかたどったミニのワンピースを纏い、背中からは半透明の長い翅が二枚伸びていた。サイズは変われど、愛くるしい表情と長い黒髪は、ユイそのものだった。

 まさに妖精と呼ぶに相応しい姿に変身したユイに、サスケは唖然として目を丸くする。いつも冷静沈着でポーカーフェイスなサスケらしからぬ反応に、ユイはくすりと笑った。

 

「パパも、そんな顔をするんですね」

 

「む……すまない」

 

「いえ、いいんです」

 

 ユイの変身にフリーズすること数秒。正気に戻るや、軽く謝罪するサスケ。対するユイは、そんなサスケの姿に「意外に可愛いところあるんですね」と思っていたりする。

 

「ともあれ、これでユイもこの世界で活動できるわけだな。システム権限は、どの程度だ?」

 

「できるのは、リファレンスと広域マップデータへのアクセスくらいです。接触したプレイヤーのステータスなら確認できますが、主データベースには入れないようです。あまり役に立てないようで、ごめんなさい」

 

「問題無い。ALO初心者である俺をカバーするだけの能力は十分に備わっている」

 

 自分の力不足故に、明日奈のもとへ容易に辿り着けない現状にしゅんとするユイだったが、サスケは心配ないと慰める。ユイという戦力を新たに加え、置かれた現状を一通り確認し終えるサスケは、視界の端に表示されている現在時刻を見やる。

 

(竜崎のダイブまでは、まだしばらく時間があるな……一度、フィールドで戦闘をしてみるのも悪くない)

 

スプリガン領主である竜崎とは、午後十一時半に領主館で会う約束をしている。現在時刻は九時十分を回ったところで、まだだいぶ時間がある。ならば、近場のフィールドに出てALOのモンスターについてSAOの戦法がどの程度通用するのかを調べるほか、このゲーム特有の“飛行”を試してみるのも悪くない。そう考えたサスケは、ユイにフィールドへ出ることを提案する。

 

「早速だが、フィールドに出て試してみたいことがある。案内してもらえるか、ユイ」

 

「はい、パパ」

 

 妖精化したユイを肩に乗せると、サスケは彼女の出す指示に従って街の外を目指す。装備品は全て初期のものだが、ホームタウン周辺のフィールドに出没するモンスターは、初心者向けの弱小モンスターと聞いている。と、ステータス画面を再確認していると、ユイが口を挟んできた。

 

「パパ、アイテム欄のデータは破損しています。消去しておかないと、エラー検出プログラムに引っ掛かってしまいます」

 

「分かった。そういえば、このスキル熟練度については大丈夫だろうか?SAOのスキル熟練度がそのまま引き継がれているのはありがたいが、運営に目を付けられるのは不都合だ」

 

「システム的には問題ありません。プレイ時間と比較すれば不自然ですが、人間のGMが直接確認しない限りは大丈夫でしょう」

 

「そうか」

 

 SAOから引き継いだ桁外れのステータスは、ALOの世界樹を攻略する上で必要不可欠なものである。だがその一方では、同時に運営に目を付けられる危険性について、サスケは不安を拭い去れなかったのだ。

 しかし、ユイがこう言っている以上は、問題は無いのだろう。プレイヤーネームに関しても、SAOの『イタチ』ではなく、『サスケ』を使っているのだ。サスケのリアルが桐ヶ谷和人であると知られることはまず無いだろう。

 

(それにしても、初期で二年分の熟練度を持つプレイヤー……これでは、ビーターというよりチーターだな……)

 

 ALOを真面目にプレイする人間達が知れば、SAOの時と同様、「チーターやん!」と騒がれることは間違いない。尤も、忍という前世を……しかも月読という、この世界の仮想世界に似た幻術の世界を幾度となく行使した経験をもつ自分がプレイしている時点で十分チーターなのは疑いようもないのだが。

 そうこう考えている内に、遂にサスケとユイはフィールドへと通じるゲートへと辿り着く。そのまま主街区の外へと出ると、森の中へと躊躇い無く進んでいく。

 

「さて……まずは、飛行を試してみたい。どうすれば飛べる?」

 

「補助コントローラがあるみたいです。左手を立てて、握るような形を作ってみてください」

 

 言われるままに左手を動かすと、次の瞬間にはジョイスティック状のオブジェクトが出現していた。

 

「手前に引くと上昇、押し倒すと下降、左右で旋回、ボタン押し込みで加速、離すと減速となっていますね」

 

「成程……」

 

 とりあえずものは試しと手前に引いて上昇してみるサスケ。初めての浮遊感に戸惑いながらも、何とか空中でバランスを整える。

 

「一定時間が経過すると、翅を休ませなければいけません。パパ、気をつけて」

 

「ああ、分かった」

 

 ユイに注意されながらも、サスケはそのまま飛行訓練を続ける。前世の忍世界にも空中戦の概念はあったが、それらは鳥などの口寄せ動物やそれを模した式神か、あるいはチャクラを練り込んだ砂などの足場を利用するものであり、忍単体で飛行能力を行使する者は非常に少なかった。その数少ない飛行能力を持つ忍としては、塵遁使いの三代目土影・オオノキが挙げられる。

 

(やはり、簡単には慣れんな……)

 

 桐ヶ谷和人の前世であるうちはイタチの戦闘も、戦場は専ら地上か水中であり、独力で空を飛んだことなど無い。反射神経やバランス感覚に自身のあるサスケだが、やはり飛行は勝手が違うらしい。

 

(だが、何としてもものにせねばならん)

 

 これから自分は一週間以内に、ALOのグランドクエストたる世界樹攻略を為さねばならないのだ。補助コントローラに頼った飛行は、今日中に卒業し、早急に随意飛行をマスターせねばならない。故に、サスケは飛び続ける。

 この世界の真実が眠る場所……世界樹を目指し、ひたすらに――――

 




本作がもし、『アリシゼーション・ビギニング』まで進んだら、イタチが『トマホークブーメラン』を使う予定です。(嘘です)


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第五十八話 桐ヶ谷直葉

2024年10月7日

 

 埼玉県の一角にある総合病院の一室。そこには、約一年前に、世界初のVRMMORPGを舞台に発生した史上最悪の事件の被害者の一人が収容されていた。ベッドの上、無骨なヘッドギアを装着した状態で寝かされている少年の名前は、桐ヶ谷和人。彼の生存を知らせてくれるのは、ゲーム機であり拘束具でもあるナーヴギアの稼動状態を示すLEDインジケータのみ。それが正常な点滅を示している間は、和人が現実世界と仮想世界の両方において生存していることを意味している。仮想世界にいる和人は、今も自分を含めたプレイヤーの解放のため、モンスター相手に死闘を続けているのだろう。

 そんな彼のベッドの傍に、一人の少女が立っていた。目の前で眠る少年を見つめるその目には悲しみを秘めながらも、表情は懸命に笑おうとしていた。何故なら、今日は彼、桐ヶ谷和人の誕生日なのだから。

 

「お誕生日おめでとう、お兄ちゃん」

 

 少女――桐ヶ谷直葉の言葉に、しかしベッドに横たわる和人は当然のことながら何も言葉を返さない。いつもと変わらぬ、当たり前のことである筈なのに、寂しさを抱かずにはいられなかった。

 

「もう二年も経つんだね……あたし、もう高校生になるんだよ。早く帰って来ないと、どんどん追い越しちゃうよ」

 

 皮肉のつもりで口にした言葉だったが、それは直葉が何より恐れていることだった。仮想世界に閉じ込められた和人の存在が、どんどん自分から離れていく。終いには、本当に自分の目の前からいなくなってしまうのではないかという不安に駆られる。

 しかし、だからといって自分には和人を救う術など無く、現状を打破する術など何一つ存在しない。警察をはじめ関係各局が事件解決のために二年も前から動いているが、何一つ進展していない。

 

「あら、来てたの、直葉」

 

無力感に心を支配される感覚に陥る直葉の背中にかけられる声。その主は、直葉と和人の母親である、桐ヶ谷翠。コンピュータ系情報誌の編集者である彼女は、本来この時期は校了前で職場に残っていなければならない筈なのだが、どうやら押しつけてきたらしい。

 

「和人も……もう十六歳なんだね」

 

 翠もまた、直葉と同様に安らかに眠る和人の表情を感慨深げに眺めて口を開いた。

 

「今でも思い出すわ。ある日いきなり、『本当の両親のことを教えてくれ』って言いだして……思わず、白を切り損ねたわ」

 

「うん……お兄ちゃんなら、全然驚かないけどね」

 

「その通りね。虚を突かれたのは確かだけど、薄々感づいてはいたのよね。私達を家族として見ているようで、どこか余所余所しいところがあったし……まあ、あの年齢に不相応な雰囲気だけは生まれつきだったのは確かだけど」

 

 互いに苦笑しながら顔を見合わせる母と娘。息子であり兄である和人の寝顔を見ながら、彼が秘密を暴いたその日を思い出しながら、翠は続ける。

 

「私達が本当の両親ではないことは、引き取られた頃から気付いていたって言ってたわ。確信を得たのは、住基ネットの抹消記録を自分で調べてからだって言ってたけど」

 

「……お兄ちゃん、ずっとあたしに秘密にしていたんだよね」

 

「正確には、私が秘密にして欲しいって頼んだのよ」

 

 桐ヶ谷和人と桐ヶ谷直葉は、実の兄妹ではない。直葉は翠の実子だが、和人は翠の姉の息子なのだ。和人の実の両親が事故で亡くなったため、親戚である翠のもとへ引き取られてきたのだ。当時幼かった和人と直葉に対し、和人が実の子供ではないという事実を話すことは憚られたため、二人が高校生となるまでは話さずにおこうと、直葉の両親である峰嵩は決めたのだった。しかし実のところ、その目論見は翠が和人と病院で対面した時点で崩壊していたのだが。

 

「あの子も、直葉にはまだ伝えるべきじゃないって考えていたみたいで、私達に話す機会を窺っていたのよ。あなたが間違っても聞いてしまわないタイミングでね」

 

「そっか……お兄ちゃん、ずっと私のことを想ってくれてたんだよね……」

 

「そうよ。和人は素気ないように見えて、本当は優しい子なんだから。……でも、あなたに本当のことを黙っていることには、かなり負い目を感じていたみたいだけどね」

 

「うん」

 

 翠の言葉には、直葉にも思い当たる節があった。自分に接する和人の態度には、不自然な余所余所しさに加え、罪悪感に似たものを感じていたのだ。だがそれも、自分と和人が本当の兄妹ではないという事実を聞かされたことで納得した。

 

(お兄ちゃん……あたしに嘘吐いたことが辛かったんだね)

 

 無愛想で、家族相手ですら距離感が曖昧な関係だったが、和人という少年が家族を大事にする人物であることは、直葉も翠も、この場に居ない峰嵩も知っていた。譬え翠と峰嵩から頼まれたことであり、自身も納得していたこととはいえ、直葉に嘘を吐くことには抵抗があったのだろう。何故あそこまで、家族に嘘を吐くことを忌避するのか、優しいというだけではどうにも解せない部分があったが、これは和人以外の桐ヶ谷家全員の共通認識であったのだから、間違いないだろう。

 

「もし……和人のことをもっとフォローできていたなら、こんな事にはならなかったんじゃないかって……」

 

「それはお互い様だよ。あたしだって、お兄ちゃんが何を思っていたかなんて、全然考えようとしなかったんだから」

 

 和人がこの史上最悪ゲーム、ソードアート・オンラインに関わったのは、コンピュータ系情報誌の編集者である翠がスタッフ職を斡旋したことがきっかけなのだ。成績優秀で、何をやらせてもほぼ完璧にこなす和人には、親としても妹としても不満は無かった。だが、あまり感情を表に出さず、喜怒哀楽すら読めない和人には不安を覚えており、どうにかしたいとも思っていた。そこで提案したのが、SAOだった。

直葉の後押しもあって、制作スタッフとなった和人は、仮想世界への並外れた適性を発揮し、データ収集に大きく貢献していった。和人は今まで、何事においても然程深い興味・関心を示さなかった。祖父から教えられた剣道にしても、達人級の腕前を身に付けてはいたものの、身体を鍛えることが半ば日常になっていたため続けていたに過ぎず、そこに情熱のようなものは無かった。そんな和人が、初めて執着にも似た感情を見せて取り組んでいたのが、SAOだった。SAOスタッフとしての活動を初めて以降、和人の表情は目に見えて豊かになっていった。この変化には、直葉も翠も素直に喜んだ。ただ、仮想世界にのめり込むその姿には、どこか言いようのない危うさがあった。直葉は仮想世界へと遠退いてしまう和人を幻視しながらも、ただの思い過ごしと自身を誤魔化すことにした。

だが、SAOの正式サービス開始初日……直葉の抱いた不安は、現実の物と化した。ゲーム制作者の茅場晶彦の謀略により、史上初のVRMMOは、プレイヤー全員を閉じ込める牢獄と化した。仮想世界に閉じ込められた和人の精神は、常に死と隣り合わせの世界に囚われてしまったのだ。

 

「お母さんだけの責任じゃないよ。あたしだって、お兄ちゃんが明るくなったって喜んでたんだもの」

 

 SAOに関わった和人の変化は好もしいものであり、故に直葉も翠もその危うさに気付かなかった。あるいは、無意識の内に気付こうとしなかったのかもしれない。ともあれ、和人が生死を彷徨う状態となった責任に関して、直葉は同罪と考えていた。故に、翠と直葉の間に確執が起こる事は無かったのだった。

 

「じゃあ、先に帰ってるからね。あなたも遅くならないよう気を付けてね」

 

「うん」

 

 それから翠は直葉としばらく喋ると、先に病室を後にした。残された直葉は、ベッドの上で横になる和人の顔を見ながら、彼が深い眠りに着いた日から今日までを思い返す。

 

(お兄ちゃん……待ってるからね)

 

 今頃和人は、世界初のVRMMOの世界の中、和人は今も戦っているのだろう。一年前、直葉はここを訪れた総務省のSAO事件対策チームの関係者から、未だ仮想世界に囚われていた兄についてある事実を聞かされた。それは、和人のアバターのレベルがゲーム内でトップクラスに位置するということだった。その話を聞いた時、直葉も翠も軽く目を張ったものの、然程大きな驚きは無く、「ああ、そうですか」程度の感想しか無かった。理由は単純、和人がSAO制作スタッフとなったのは、仮想世界への高い適性があったからこそであり、強豪プレイヤーとなるのは必然だからだ。和人が事件に巻き込まれた当初、その境遇を嘆きこそしたものの、冷静に考えてみれば、和人ならば簡単に命を落とすことは有り得ない。常に冷静沈着に物事を分析し、状況を打破する手段が如何に危険であろうとを躊躇い無く実行できるあの胆力があれば、デスゲームをクリアすることも可能と思えてしまう。故に、和人はどれだけ時間がかかっても、必ず帰ってくる。それが、直葉を含めた桐ヶ谷家の三人が出した結論だった。

 それに、和人はSAOの世界に旅立ったあの日、直葉に約束したのだ。「また今度だ」と。故に、直葉は信じて待ち続ける。和人と生きてまた、この世界で話せる日を――――

 

 

 

 

 

2025年1月20日

 

 埼玉県南部の一角にある古い日本家屋の住宅。その縁側に、直葉は腰かけていた。今日は学校無く、家で部屋着のまま寛いでいた。片手には携帯電話を持ち、通話していた。相手は中学の卒業生で、先輩である。

 

「蘭さん、今日はあっちに来れるの?」

 

『うん、大丈夫だよ。お父さんも、今日と明日は夜遅くなると思うから』

 

「ああ~……そういえば蘭さんのお父さん、探偵でしたね。今日も何かの事件の捜査ですか?」

 

『ううん。今夜はお母さんと一緒に夫婦水入らずでディナーをセッティングしたの。今日こそ上手くいってくれると良いんだけど……』

 

 携帯電話の向こうから聞こえてくる苦笑に、直葉も同様に苦笑を浮かべる。電話の相手――蘭の家庭事情を知るが故に、この仲直り計画も成功の見込みが薄いと感じていたからだ。

 

『いっつも会うたびにケンカばっかりするんだもん。どうしてああなっちゃうのかなぁ……』

 

「あはは……まあでも、ケンカする程仲が良いって言うじゃないですか。蘭さんお父さんとお母さんは、まさにその通りって感じで……何だかんだ言って、良い夫婦じゃないですか」

 

『そうだと良いんだけどねぇ……』

 

 そう言って直葉は蘭の両親をフォローするが、当の蘭本人は不満な様子だった。蘭の両親は現在不仲で夫婦別居している状態だが、離婚しているわけではない。顔を突き合わせる度に皮肉を言い合い、いがみ合っているのだが、本心では互いを想い合っている節があることからも、直葉の評価は間違っていなかった。

 

「とにかく、今日は北東のダンジョンで狩りをするみたいです。リーダーはシグルドで、レコンも一緒に行きますので」

 

『うん、分かった。それじゃあ、後でね』

 

 蘭との打ち合わせを終えた直葉は、通話を切ると、自嘲するように笑みを浮かべる。

 

(まさか、お兄ちゃんを閉じ込めた……本当なら、憎むべき世界に、私が夢中になっちゃうなんてね)

 

 先程の電話の打ち合わせの内容は、相手が中学のOG相手ではあったが、部活動等の関係ではない。兄たる和人がSAO事件に巻き込まれて一年程経った時に始めた、剣道とは別の新しい趣味だった。始めこそ、兄と視点や世界を共有することを目的としていたが、今となっては自身もその虜となってしまっていた。和人には、未だこの趣味については話していない。無論、いつまでも内緒にしておくつもりは無く、落ち着いたら話そうと思っていたのだ。だが、兄はSAOから帰還したものの、未だ現実世界へ帰らぬ人間が大勢いる今、事件そのものは完全に解決したとは言えない。そんな中で趣味の話をするのは、無神経過ぎるだろう。今しばらく、兄と世界を共有する喜びを分かち合うことはできそうにない。

 

「はぁ~……」

 

 思い通りにいかないことばかりで、もどかしい気持ちになる直葉。溜息が出るのも、無理は無かった。気を紛らわそうと、傍らに置いてあるマフィンに手を掛け、大きく一口齧りつく。と、その時だった。

 

「ただいま」

 

「おひいはん……ふぐっ!」

 

 外出から帰ってきた和人と直葉の目が合った。不意に現れた兄の姿に軽く驚き、呑み込もうとしていたマフィンを喉に詰まらせてしまった。

 

「んぐぐぐぐっぐっ……!」

 

 呼吸困難に陥り、苦しみに悶える直葉。和人はそんな直葉のもとへすぐさま駆け寄ると、傍らにあったジュースにストローを挿して渡す。直葉はそれを受け取ると、一気に吸い上げ、喉に閊えたマフィンを胃へと流し込んだ。

 

「ぷはっ……死ぬかと思った……」

 

「気を付けろ。もっと落ち着いて食え」

 

「うう……ごめんなさい」

 

 呆れたような和人の言葉に、萎縮する直葉。対する和人は苦笑しながらも踵を返し、玄関から家の中へと入ろうとする。そんな和人の背中に、ふと直葉は疑問を投げかける。

 

「そういえばお兄ちゃん。用事があるって言って出かけてたけど、どこ行ってたの?」

 

「……ああ、ちょっと知り合いに会うためにな」

 

 若干返答に窮した様子を見せる和人。その態度を見るに、恐らく相手はSAO事件絡みの知り合いなのだろう。自分の趣味を交えて話せるようになれば、きっと紹介してもらえると直葉は考えている。

 

「そっか……。そういえばお兄ちゃん、確か昨日会いに行ってた明日奈さんって、確かSAOじゃなくて中学からの知り合いなんだよね。今度、あたしも会いに行っていいかな?」

 

「そうだな。きっと、明日奈さんも喜ぶだろう。ちょうど明日あたり、また行く予定もあるしな」

 

「え……昨日行ったばかりなのに?」

 

「ああ、ちょっとな」

 

「じゃあ、その時は一緒に行かせてもらおうかな。楽しみにしてるね」

 

 それだけ言葉を交わすと、和人は玄関へと背を向けて向かって行った。直葉も縁側から家の中へと入り、自室へ向かっていく。今日は先程打ち合わせた用事があるのだ。そのためには、自室にある“機械”を動かさねばならない。

 直葉は自室へ入ると、ヘッドボードから二つのリングが並んだ円冠状の器具を取り出す。同時に電源を入れ、頭からすっぽり被ると、ベッドに横たわる。そして、『異世界』への扉を開く言葉を口にした。

 

「リンク・スタート!」

 

 途端、直葉の意識は現実世界から乖離した。彼女の意識が行く先は、兄と世界を共有するために始めた、新しい世界――――

 

 

 

 

 

 現実世界を旅立った直葉が次の瞬間降り立ったのは、レンガ造りの建物の中。西欧風の建物は日本でも珍しくはないが、生憎ここは現実世界ではない。現実世界は未だ昼間だったにも関わらず、窓の外に見える景色は黄昏時の紫が広がっていることも証拠の一つである。何より、直葉の姿は現実世界のそれとは大きく異なっているのだ。髪は緑がかった金髪でポニーテール。横に伸びた長い耳は、お伽噺に出てくるエルフを彷彿させる。

 ここは第二世代型VRマシン、『アミュスフィア』によって再現された、『仮想世界』なのだ。そして、直葉が現在プレイしているゲームの名前は『アルヴヘイム・オンライン』――妖精郷の名を持つ、スキル制のVRMMORPGなのだ。

 

「さて、まずは皆と合流しないと……」

 

 無事にログインできたことを確認すると、直葉は宿屋を出て町へと出る。ここはアルヴヘイムにある、直葉が選択した種族――シルフのホームタウンである。直葉のアバターたるこの少女、リーファは、今日これから打ち合わせしたメンバーと合流して狩りに出かける予定なのだ。

 

「リーファちゃ~ん!」

 

 集合場所へ向かおうと考え、歩きだそうとしたリーファの耳に、聞き覚えのある声が響いた。振り返るとそこには、予想通りの人物が小走りに向かって来ていた。

 

「レコン、先に来てたのね」

 

 おかっぱ頭で気弱そうな少年シルフ――レコンとリーファは、現実世界でも友達だった。そもそも、直葉がALOを始めたのも、学校随一のゲームマニアと評されていた彼に相談した末に決めたことだったのだ。VRMMOを始めるにあたり、アウトドア派でゲーム関連の知識がゼロに等しい直葉が目を付けたのは、インドア派でゲームマニアの、自分とは正反対の性質を持つ少年、レコンこと、長田慎一だった。VRMMOについての情報を得るため、クラス内の奇異の視線を全く気にせず屋上まで呼び出された長田は、直葉の部活動との両立等の要望を満たすゲームについて考えた末に、アルヴヘイム・オンラインを勧めることとなった。

 また、直葉に勧めたのを契機に長田自身もALOを始めるに至ったのだった。長田がゲーム初心者の直葉をレクチャーしてくれたお陰で、その実力をめきめきと伸ばしていった直葉ことリーファは、シルフ五傑とまで称される実力者となるに至ったのだった。

 

「うん。あと、ランさんも一緒だよ」

 

 レコンの言葉に、リーファは顔を上げる。すると、レコンの後ろのすぐそこには、もう一人のパーティーメンバーの姿があった。

 

「さっき電話で話したばかりだったけど、すぐに会えたね、リーファちゃん」

 

「はい、ランさん」

 

 レコンに続く形で近づいてきたのは、ストレートヘアではねた前髪が特徴的な女性。全体的に容姿端麗で怜悧な雰囲気の漂う顔立ちだが、性格は温厚さが窺える。ちなみにランの容姿は、髪型は現実世界と全く同じで、本人曰く、顔立ちは母親によく似ており、眼鏡をかければ本人そのものとのこと。ちなみにレコンとは、彼のリアルネームと今だ眠り続ける幼馴染の少年と名前が同じだったという理由で、仲が良かったりする。

 ともあれ、待ち合わせしていたパーティーメンバー三人が揃ったところで、改めてリーダー含む他のメンバーとの合流場所へ向かうこととなった。

 

「そういえば、リーファちゃん。お兄さんが帰って来たって言ってたけど、調子はどう?」

 

「ああ~……出鱈目な速度で回復して、今では剣道で私を負かしちゃうくらいでして」

 

「凄いんだね~……ウチの新一も、早く帰ってくればいいんだけどね」

 

 リーファ――直葉と、ラン――蘭が出会ったのは、中学の部活動がきっかけだった。直葉は剣道部、蘭は空手部だったが、二人の通う中学では武術系の部活動同士でもそれなりに交流があった。そんな中で二人が知り合ったきっかけは、SAO事件だった。あの事件によって、直葉が兄を奪われたように、蘭は幼馴染の少年を奪われたのだ。互いの事情を知って以来、大切な人を待つ者同士で親交を深め、同じ世界を共有する目的でこうしてALOまで始めるに至ったのだった。だが、直葉の兄たる和人は帰還したものの、蘭の幼馴染である新一は、未だ未帰還者の一人として名を連ねたままだった。

 

「ま、目が覚めたら私がきっちりリハビリの面倒見て、すぐに全快させるつもりだけどね」

 

「ははは……あんまり厳しくしない方が良いと思いますよ」

 

 SAO未帰還者という、触れることも憚られる話題を敢えて蘭自ら出したのは、彼女なりの優しさなのだと直葉は感じた。実際問題、蘭自身は新一のことを心配してはいるものの、必ず帰ってくるという確信はあった。だから、友達であるリーファには余計な気遣いをして欲しくはなかった。

 

「あ、シグルドはもう到着してるみたいですよ」

 

「みたいね」

 

 そうこう話している間に、合流場所に到着したらしい。街の中央に立つ非常に高い塔の前には、三名ほどのプレイヤーの姿が見えた。リーファ達三人が近づいて行くと、向こうもこちらの姿を認めたのだろう。こちらを振り向くと、若干険しい顔をした。

 

「遅いぞ、お前達」

 

「何よ、別に遅刻はしていないじゃない」

 

 開口一番に文句を言ってきたのは、肩まで伸びた緑色の髪に、男っぽく整った顔立ちの長身の男性プレイヤーだった。彼の名は、シグルド。シルフの中でも最強クラスの剣士であり、リーファに迫る実力をもつとともに、領内での政治的影響力も高いプレイヤーなのだ。そのため、独善的で傲慢が目立つ事も多かった。

 

「フン……まあ良いだろう。これで全員揃ったな。それでは当初の予定通り、今日は北東のダンジョンへ行く。前線は俺とリーファ、ランが務める。残りの者は後方支援に回れ」

 

「「了解」」

 

 シグルドの横柄な態度にむっとなるリーファだが、こんなことで腹を立てていては限が無いと割り切ることにした。その後、言い渡されたポジション配置に対し、シグルドの取り巻き二人が返事し、ランとレコンも頷くと、いよいよパーティー一同は出発準備にかかる。リーダーであるシグルドとパーティー登録を終えると、装備を確認し、塔の頂上へと向かい、そこから翅を広げて飛び立っていった。

 

 

 

 

 

その後飛翔すること十数分。リーファ達六人のパーティーは、目的の洞窟ダンジョンへと到達した。リーダーであるシグルドを先頭に、両脇をリーファとランが固め、その後ろをレコンと取り巻き二人が固めていた。

妖精の羽は太陽あるいは月の光無しでは飛翔不能なため、徒歩で進むことしばらく。パーティーの前方に、モンスターが出現した。体長五メートル強の、天井まで届くのではないかとすら思える大型のゴーレムモンスターである。通路を塞いでいる以上、戦闘で排除する以外の選択肢は有り得ない。パーティー六名は即座に臨戦態勢に突入する。

 

「行け!リーファ、ラン!」

 

前衛二人に突入を指示するシグルド。指示を受けたリーファは片手剣、ランは無手だが籠手を付けた状態で突撃する。ALOにおいて、武器スキルは片手剣や槍が主流となっているが、徒手空拳での戦闘を専門とするプレイヤーは非常に少ない。そもそも、体術スキルは武器を落とした際にプレイヤーが無手でも抵抗できるように配慮した、云わば補助的な面が大きい。だが、パワー重視の装備に加え、現実世界において空手の都大会で優勝経験を持つランが繰り出す体術は、渾身の一撃は直撃すれば中級攻撃魔法に相当する威力を発揮するのだ。

 

「はぁぁあ!」

 

 ランの気合の一声と共に放たれた渾身の拳打によって、ゴーレムの身体が大きくよろめく。HPも二割近くが削られているのだ。メイスやハンマーによる打撃攻撃が弱点のゴーレム型モンスターだが、防御力はやはり高い傾向にある。それを一撃で二割程度のHPを削ったのだから、ランの拳がどれ程の威力を秘めているかは想像に難くない。

ゴーレムとの戦闘は、リーファはヒットアンドアウェイの牽制を行い、ランの拳打による打撃攻撃メインでダメージを与える戦法で終始二人が圧倒していた。ゴーレム自体も、動きが鈍重でリーファとランを捉え切れていない。そして隙を突いて、後方に控えたレコンと取り巻きが、魔法による援護射撃を始める。

 

「二人とも、退け!魔法攻撃開始!」

 

 シグルドの合図でリーファとランが交代する。そして、入れ替わりでレコン達から魔法攻撃が放たれる。強力な魔法攻撃を受けたゴーレムは大ダメージにふらつくと同時に、頭上のカーソルに混乱状態のデバフアイコンが点滅する。レコンの闇魔法による状態異常が与えられた結果である。

 先程よりも足取りが覚束なくなったゴーレムに対し、止めを刺すべくシグルドが次なる指示を出す。

 

「ラン、行け!」

 

「はぁぁあ!」

 

 ランはふらつくゴーレムの胸部へ飛び掛かると、強烈な回し蹴りを食らわせる。強打を食らって地面に倒れたゴーレムに対し、今度はシグルドが出て剣を突き立てる。胸部に剣を突き立てられたゴーレムは、残りのHP全てを削り取られて消滅した。

 戦闘の勝利に、取り巻き二人は歓声を上げる。だが、リーファとレコン、そしてランに至っては、強敵の勝利にも関わらず全く喜色は無かった。

 

「シグルドってば、またラストアタック掻っ攫ってったよ」

 

「でも、こんなこと今に始まったことじゃないでしょ?」

 

 シグルドがリーダーとして戦闘の指示を行うまでは良いのだが、経験値が通常より大量に手に入るラストアタックはほぼ絶対に奪いに来るのだ。しかも、作戦上危ない役回りは必ず自分や取り巻き以外のパーティーにやらせていることから、リーファ達から不興を買う事がしばしばだった。

 

「……言っても仕方ないわ。でも、ランさんも相変わらず凄いですよね。魔法無しで、あんなに派手な立ち回りができるなんて」

 

「そうですよ!剣を持っているならまだしも、拳だけであそこまで戦えるのは凄いです!」

 

「ははは、そうかなぁ……?」

 

 目を輝かせてそう言い寄るレコンに、ランは若干困ったような顔をする。現実世界の運動能力がアバターの動きに反映される傾向が強いネットゲーマーにはインドア派の人間が多く、ALOではリアルの運動能力に左右される近接戦闘よりも、魔法主体の戦法を好む者が多かった。無論、サラマンダーやノーム、ケットシーをはじめ、種族補正でパワーやガード、スピードといったフィジカルステータスに秀でたプレイヤー達の中には、剣や鎧で武装した近接戦闘型も多数いる。だが、補正は補正。素人の武術では、AIで動くモンスターには通用しても、現実世界で武術を学んでいるプレイヤーには通用しない。運動能力重視の仕様であるALOでは、リーファのようなプレイヤーは、近接戦闘に限定すれば他を圧倒する程の実力を備えていることになるのだ。

ランに至っても、現実世界では空手部の主将を務める猛者であり、父親の仕事現場で逃走する凶悪犯を戦闘不能にした実戦経験があるのだ。だが彼女の場合、決してそれだけがこのALOで高い戦闘能力を発揮する理由ではない。ランこと毛利蘭には、SAO事件より以前に起きた、仮想世界に纏わる事件に巻き込まれ、SAO事件被害者に似た境遇に陥った過去がある。その経験が、彼女のVR空間への適応速度を速めているのだが、現在この場で事情を知っているのは、ランと同じくSAO事件被害者を身内にもつリーファのみである。

 

(私がここまで戦えているなら、きっと新一も大丈夫だよね……)

 

拳を握りしめながら、未だ帰らぬ幼馴染の無事を願うラン。SAO事件発生より前、ランは幼馴染である新一とケンカをしてしまっていた。理由は、SAOプレイを巡る口論だった。以前にも、仮想世界に纏わるゲームの事件に巻き込まれて危うく命を失いかけたにも関わらず、プレイしたいなどと言った彼に、ランは怒った。だが、どれだけ心配だからやめてほしいと嘆願しても、新一は一歩も引くこと無く、SAO事件に巻き込まれる結果となってしまった。言わぬことではないと呆れることは簡単だったが、ケンカ別れしたランの心中は後悔が占めていた。もしあの日、彼の想いを理解することができたならば、こんな思いをせずに済んだかもしれない。もしくは、自分も一緒にプレイして、傍に寄り添うこともできたかもしれない、と。

今なら、デスゲームと化したSAOに放り込まれたとしても、戦い抜ける自信がある。殺人機械たるナーヴギアを被ることも覚悟できる。だが、それは文字通り今更なのだ。こうして仮想世界で高い適応力をもって戦い続けるのも、同じ境遇に置かれた経験のある彼が生還する可能性の高さを実感したかったという意図が潜在意識の中にあったからかもしれない。否、自分でもここまで戦えるのならば、彼も絶対に大丈夫だと、ランはそう自らに言い聞かせた。やがてシグルドが隊列を組み直すよう指示すると、再びダンジョンを歩き出した。ランも再び先頭に立ち、突き進む。

 

 

 

 

 

「…………」

 

一方リーファも、シグルドが率いるパーティーに属すことで生まれた心の中の蟠りを感じ、悶々とした悩みを抱いていた。

 

(……どうしてこう、仮想世界にまで柵が付き纏うんだろう)

 

 先程は仕方ないと締めたが、リーファとて不満が全く無いわけではない。シグルドのパーティーに入ってから、確かに稼ぎは良くなり、アイテムも以前より強力なものが手に入るようになった。しかしその代償として自分はパーティーという鎖に繋がれているように思えてならない。空と自由を愛するリーファにとって、自分が置かれている今の状況は、好ましいものではない。むしろ、窮屈さや息苦しささえ感じてしまう。

 

(やっぱり、そろそろ抜けるべきなのかな……)

 

 それは、シグルドがリーダーを務めるパーティーからの脱退のみを意味しない。シグルドを敵に回すとしたならば、十中八九領地を捨てねばならないだろう。だが、レコンやランをはじめ、自分に良くしてくれた仲間達のことを思うと、どこか割り切れない自分がいた。

 

(でも、やっぱりいつかは決めなきゃならないんだろうな……お兄ちゃんに、この世界を教えてあげるためにも……)

 

 たとえ多くの柵があったとしても、リーファはこの世界が大好きだった。翼を羽ばたかせて、どこまでも遠くへ行ける、自由なこの世界が……

そして、いずれは兄――和人にも、この世界の素晴らしさを教えたいと思っていた。和人と二人、自由に空を飛び、世界を共有し、分かり合える日を夢見て、直葉は決意を新たに、剣を握り直すのだった。

 



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第五十九話 影の忍

暁の忍連載日記念ということで、本日は二本立てでお送りします。
……でも、イタチの出番はあまり無い。申し訳ありません。
今後は活躍していく予定ですので、暁の忍をよろしくお願いします。


2025年1月20日

 

 新世代VRMMORPG、『アルヴヘイム・オンライン』の仮想世界にある、南西の森の中。九つの種族が一つ、シルフのホームタウンであるスィルベーンの北東側に位置するその場所で、一人の少年が呆然と立ち尽くしていた。

 

「…………何故、こうなった?」

 

 黒装束に身を包んだ、同じくはねた黒髪をした影妖精――スプリガンの少年、サスケは、その種族には珍しい赤い瞳に困惑を浮かべながら、そう呟いた。昨日のアルヴヘイム・オンライン初ダイブ時、サスケはアルヴヘイム北東部にあるスプリガンのホームタウン、ジャヤにて領主のリュウザキと合流した後、スプリガンの同盟種族、レプラコーンのホームタウン、バテリラへと向かった。アルヴヘイムにおける戦闘経験を積むために、リュウザキ配下のプレイヤーの援護を得てフィールドで移動を兼ねた狩りを行った末に、目的地へと到着。その後、SAOのステータスごと引き継いだ莫大な資金を使用し、バテリラで装備品を一通り買いそろえてログアウトした。そして翌日の今日、昨日と同じ手順でログインしたのだ。だが、サスケが降り立ったのは、昨日ログアウトしたバテリラの宿屋ではなく、見知らぬ森のど真ん中。普段冷静な筈のサスケも、自身の置かれた状況を理解できず、唖然としていた。そんな彼よりも早く再起動を果たしたのは、彼の娘ことナビゲーション・ピクシーのユイだった。

 

「位置情報の破損か、あるいは近傍の経路からダイブしている他のプレイヤーと混信したようですね。ここは、昨日ログアウトしたバテリラからは遠く離れた位置にある森です」

 

 自分の置かれた状況について丁寧に解説してくれたユイのおかげで、サスケも正気に戻れた。サスケは一先ず冷静になって、自分達の現在地を確認することにした。

 

「そうか……それで、俺達は今どこにいるんだ?」

 

「ちょっと待っててくださいね。ええと……分かりました。ここは、アルヴヘイム南西部にある、森の中です」

 

「アルヴヘイム南西……スプリガンやレプラコーンの領地とは正反対の位置か……」

 

「はい。迂回して戻るには、かなりの時間を要するのは間違いありません」

 

「一度死んで戻るほか無さそうだな……」

 

 SAOというデスゲームを経験し、前世で二度も死んだ経験をもつサスケにとって、この手段はできることならば使いたくはない。デスペナルティーでスキル熟練度が下がるというデメリットも考えれば、この方法は控えるべきなのだ。だが、作戦進行に支障を来す以上、多少非効率的でも割り切るほかないと考える。だがそこへ、

 

「パパ、ちょっと待ってください」

 

「……どうした?」

 

 ユイがサスケの思考を遮るかのように声をかけた。サスケはまた何かトラブルでも発生しているのかと考えたのだが、どうやら予感は的中したらしい。

 

「パパが戻り位置に登録した情報が、おかしなことになっています」

 

「……具体的に説明してくれないか?」

 

「おそらく、ここへ飛ばされたことによる影響の可能性が高いのですが、戻り位置の情報が破損しています。今、HP全損に陥ると、どこに飛ばされるか分からないということです」

 

 自身を襲った予想以上のトラブルに、思わず顔を顰めるサスケ。本来ならば今日は、バテリラに集合する予定だった、リュウザキ率いる攻略部隊と合流し、アルヴヘイム中央にある世界樹の根元にある世界最大の都市、アルンを目指す筈だった。だが、ログイン時に起きた予想外の事態によって、その計画は大幅に狂わされる結果となってしまった。

 

「止むを得んな……リュウザキに連絡を取り、事情を知らせよう。こうなった以上、合流は不可能だ。アルンに現地集合するしかない」

 

「そうですね……ちなみに、ここからアルンまでの距離は、リアル距離置換で五十キロメートルはありますね」

 

「味方がいない以上、広域マップデータへのアクセスができるお前だけが頼りだ。死に戻りをしている余裕は無い」

 

「はい。あと、戻り位置については、新たなポイントでセーブすれば、上書きできる筈です」

 

 面倒なバグに関しては、これ以降気にする必要が無いのが、唯一の救いだろうか。ともあれ、今はリュウザキへの状況報告に加え、アルンまでの道のりを再検討しなければならない。サスケは索敵スキルで周囲にモンスターの反応が無いことを確認すると、左手を振ってウインドウを呼び出し、メール画面を操作し始めた。

 

(しかし、近傍の経路からダイブしているプレイヤーか……あの住宅街で、俺以外にALOをプレイする人間がいたとはな)

 

 ALO自体、大人気のVRMMORPGである以上、プレイする人間が身近にいても何ら不思議は無いが、自分の家の周囲にプレイヤーがいるという事実には、若干の違和感を覚えた。サスケこと、桐ヶ谷和人は、道場に通っていた経緯で自宅周辺に住む同年代の子供を中心に顔が広い。そのため、混戦したプレイヤーとは顔見知りの可能性が高いのだが、一体誰なのか。サスケにはぱっと思いつく人物はいなかった。

 

(直葉…………いや、有り得んな)

 

 可能性の一つとして、妹の名前を挙げてみたが、即座に有り得ないと断じた。妹の直葉は、体育会系でゲーム類を毛嫌いする傾向が強く、VRゲームに手を出すことなど考えられない。

 他愛の無いことを考えながらも、サスケはリュウザキへのメッセージを送り終えると、ユイの方へ向き直る。サスケがメッセージを送っていた間、ユイは現在地からアルンへ行くための最短経路を調べていたのだが、どうやらこちらも検索を終えたらしい。すぐにでも向かいたいところだが、出発前にポーション類の補給をする必要がある。近隣にある中立地帯の村の情報を聞こうかと思った、その時だった。

 

「!…………パパ、プレイヤー反応です」

 

「何?」

 

 また新たな厄介事が、二人のもとへ降りかかるのだった。

 

 

 

 

 

 シルフのホームタウン、スィルベーン北東部の森。サスケとユイがいる地点からほど近い場所の上空を飛ぶ、複数のプレイヤーの影があった。

 

「リーファちゃ~ん!ランさ~ん!待ってよ~~!」

 

「全く、レコンったら……だらしないわねぇ……」

 

 薄黄緑色のポニーテールを靡かせる少女、リーファは、後ろに続く、華奢な身体におかっぱ風の少年プレイヤー、レコンの情けない有様に溜息交じりにそう呟いた。

 

「まあまあ、元々あの子は空戦が得意じゃないし、今日は頑張ってる方じゃない」

 

 そんなリーファの、レコンに対する辛辣な評価に対し、フォローを入れたのは、もう一人のパーティーメンバーだった。リーファとレコンと同じ、シルフ族の女性プレイヤー、ランである。現在彼女達三人は、冒険を終えてホームタウンへの帰還している最中、別種族のプレイヤーからの襲撃を受けていた。そして、今もまた、追手からの攻撃が放たれる。

 

「レコン君、回避!」

 

「え?……うわぁぁああ!」

 

 レコンの後ろから放たれる追撃を素早く察知したランの言葉に、レコンはギリギリで反応に成功し、どうにか回避した。放たれた攻撃は、追手の種族が得手とする、“火”属性の攻撃魔法だった。

 

「それにしても、しつこいわねぇ……」

 

「やっぱり、領地まで無事に戻るのは無理そうね。ここで戦うしかないわ」

 

 敵からのあまりにも執拗な追撃に、リーファとランは逃げ切ることを諦め、戦闘に移行することを決意する。一年近くのプレイ経験を積んでいるにも関わらず、いつまでも空戦に慣れないレコンは悲鳴を上げるが、そんなことに構っている暇は無い。

 

「相手の数は七人だけど、隊列さえ崩せばこっちにも勝機はあるわ」

 

「ランさんが言うなら、間違いないわね。レコン、あんたもたまにはイイトコ見せなさい」

 

「善処します……」

 

「それじゃあ、行くわよ!」

 

 戦闘開始宣言と共に、ランとリーファは二人揃って敵の隊列目掛けて突撃を敢行する。リーファ達三人を追撃しているパーティーの種族は、火妖精族のサラマンダー。魔法・身体能力共に攻撃性能に特化したこの種族は、ALOで最も人口の多い種族である。だが、ポピュラーイコール最強ではない。リーファ達が敗走を余儀なくされている理由は、サラマンダー達が取っている戦法にある。

七人の内五人が重装鎧に身を固め、大型ランスを持って突撃し、残り二人は後方に控えて援護射撃とサポートに徹する。前衛五人が密集体勢で繰り出す攻撃は、シルフの機動性を活かした攻撃は効果が薄い。リーファ達シルフチームが優位を得るには、この厄介な陣形を崩す必要がある。

リーファは意を決すると、こちらへ向かってくるサラマンダーの重装鎧部隊に対して突進し、ランもその後に続く。狙うは陣形中央を飛ぶ、リーダー格のプレイヤー。メンバーのほとんどが左手に補助コントローラーを握っている中彼だけは両手に武器を持って随意飛行をしている点からしても、強敵なのは間違いないが、臆するわけにはいかない。リーファはリーダー格のサラマンダーへ一気に肉薄すると、こちらへ向けていた突撃槍をいなして、頭上へランスを振り翳す。

 

「りゃぁぁあ!!」

 

「ふんっ!」

 

 だが、敵も然る者。弾かれた槍を即座に構え直し、リーファの一太刀を受け止めた。空中で激突した二人だが、サラマンダーの陣形は未だ崩れていない。だが、リーファとしてもこれは予測の内である。

 

「はぁぁああっ!」

 

 リーファに続いてサラマンダーの群れへと突っ込んでいくラン。掛け声と共に、中央左翼にいた敵に回し蹴りを放つ。あまりに強力な一撃に、重装鎧の槍兵は後方へ飛ばされ、左翼に展開していたもう一人と衝突し、巻き添えとなる。ランは続いて、中央でリーファと衝突していたリーダー格のプレイヤーを素早く迂回し、右翼に展開していた敵へと、これまた強力な正拳突きを叩きこむ。左翼同様、この一撃で右翼のプレイヤーは衝撃で吹き飛ばされ、もう一人と衝突。あっという間にサラマンダーの前衛五人組の陣形は瓦解した。

 

「レコン、あなたは後衛を押さえなさい!」

 

「わ、わかった!」

 

 厄介な前衛を崩すことに成功したことを確認したリーファは、衝突地点を迂回して後衛に迫っていたレコンへ指示を飛ばす。これで敵のパーティーは完全に分断された。現実世界で武術を嗜むリーファとランの実力は、非常に強力である。接近戦となれば、補助コントローラーで飛行するサラマンダーよりリーファとランに軍配が上がるのは自明の理である。

 

「やぁぁああ!」

 

「たぁぁああ!」

 

 未だ体勢を立て直しているサラマンダー達目掛けて剣と拳を振るって猛攻を仕掛けるリーファとラン。サラマンダー達は互いに援護し合ってそれに対応しようとするが、防戦一方で反撃の機会が掴めない。二人と離れた場所で後衛を押さえているレコンも、二人相手とはいえ上手く戦えている。

 

(いける……これなら!)

 

 三対七の不利な状況下での戦闘だったが、どうやらこれなら撃破あるいは撃退できそうだ。

 

「りゃぁぁあ!」

 

「畜生ぉぉっ!」

 

 リーファの人達がクリーンヒットした事で、サラマンダーの一人が赤い炎を撒き散らしながら消滅する。ALOでHPを全損したプレイヤーは、蘇生猶予期間である一分間は、リメインライトと呼ばれる炎となって意識はその場に残存し続ける。だが、混戦中のこの場においては、蘇生アイテムを使用する余裕は無く、蘇生魔法を使用することができるメイジはレコンと交戦中である。刃を交え続ければ、数の優位は確実に覆せる。

 

「とりゃぁぁあ!」

 

「ぐほっ……!」

 

 リーファに続き、ランもまた、敵を一人仕留める。空手を極めたランの一撃は、鎧の上からでも直撃すれば即死の可能性すらある。現実世界においても、父親の仕事場で逃走する犯人を幾度となく昏倒させた程の威力である。

 

(これで三対五。このままいけば、勝てる!)

 

 順調に戦いを進め、こちらへ優位が傾いてきたことを確信するリーファ。レコンの方も、短剣によるヒットアンドアウェイ戦法で確実にダメージを与えている。

 

「そりゃぁあっ!」

 

「ぐぅっ……!」

 

 レコンの与えた一撃で、後衛が一人HP全損する。これで三対四。ますますこちらが有利となった。サラマンダーの方は、追い詰められている自覚があるのか、反撃を封じるべく、先程より積極的に攻勢に出て接近戦を仕掛ける。リーファとランもまた、これに対抗するべく動くが、間合いを詰められ過ぎて、反撃に転じることができない。

 

(あれ?もう一人は……)

 

 ふと、リーファはある異変に気付いた。前線に出ていたもう一人の重装鎧のプレイヤーの姿が視界に無いのだ。それも、パーティーの中で最高戦力にして司令塔の、リーダーの姿が――――

 

「うわぁぁあああ!」

 

 そして次の瞬間には、よく聞き知った悲鳴が耳に入った。加えて、熱気を首筋の肌に感じた。

 

(まさか、魔法!?)

 

 刃を交えていたプレイヤーを突き飛ばして振り返った先にいたのは、火属性魔法を食らってバランスを崩しているレコンの姿。炎の出所にいたのは、リーダーのサラマンダーの姿。

 

(くっ……!まさか、リーダーがメイジだったなんて!)

 

 予想だにしなかった不意打ちに、内心で舌打ちするリーファ。視線の先では、火属性魔法をくらってよろめいたレコンに、もう一人の後衛が襲い掛かっていた。レコンはこの一撃でHPを全損したものの、最後の足掻きとして短剣を敵に突き立てて道連れにする。

 

「リーファちゃん、ごめ~ん!」

 

 不甲斐ない声を上げるレコンだが、後衛のメイジ二人を屠ったのだから、十分な戦果を上げたことは間違いない。

 

(くっ……でも、まだ!)

 

 レコンが倒されたのはかなりの痛手だが、戦局は互角。リーダーがメイジだとしても、然程大きな不利ではない。リーファとランも、十分な魔法スキルを備えている。白兵戦も、随意飛行ができるリーファとランが圧倒的に有利である。リーファとランは、そう考えていたのだが……

 

「どうやら、運はこちらに向いてきたようだな」

 

 サラマンダーのリーダーが放った言葉に、リーファとランは訝しげな表情をする。ふと、リーダーの男が余裕を醸して視線を向けた先に、リーファとランも目を向けてみる。そこには、月明かりに煌めく赤い翅を羽ばたかせてこちらへ迫る、十体の影。

 

「増援ももうすぐ到着するようだしな」

 

「くっ……!」

 

「シグルドもやられたみたいね……」

 

 どうやら、サラマンダーの部隊に襲撃された際に、別れた仲間を倒したパーティーが、こちらへ向かって来ているらしい。合流すれば、十三人のプレイヤーを相手にしなければならない。リーファとランも、滞空時間のリミットが迫っている。おそらく、サラマンダーの増援がこちらへ合流する頃には限界を迎えて地上に降りざるを得なくなる。そこを魔法で強襲されれば、全滅は必至である。

 

「リーファちゃん、あっちの部隊は私が引き付けるわ。あなたは離脱を!」

 

「ちょっ……ランさん!?」

 

 援軍と言う事態によって形勢逆転され、自分達が圧倒的不利に叩きこまれたことを悟ったランは、せめてリーファだけでも逃がそうと、向かってくる敵部隊へと一人突撃していく。残されたリーファは、後退以外の選択肢が無いことに歯噛みし、ランの言った通りに逃走するしか無い判断した。

 

「待ちやがれ!」

 

「追え!仕留めるぞ!」

 

 当然、サラマンダー三人もそれを見逃す筈が無く、追撃を再開する。だが、単純な飛行スピードならば、サラマンダーよりシルフに分がある。リーファは残り少ない滞空時間を駆使して猛スピードで低空飛行を試みる。飛距離を伸ばすならば、高度を限界ギリギリまで上げるべきだが、相手のパーティーにはメイジがいる。飛行時間が限界に達し、滑空することになれば、遠距離攻撃魔法の良い的である。低空飛行を維持し、現界時間を迎えたところで森の中へ入って姿を晦ますしかない。索敵系のスキルや魔法をもっていれば、まるで意味は無いのだが、それでも生き残るための最善策には変わり無い。

 

「オラァァアッ!」

 

「くっ……!」

 

 シルフの飛行スピードの優位性を理解しているサラマンダー達は、その速度が乗り切らない内にリーファを仕留めようと攻撃を仕掛ける。前衛の一人が、リーファ目掛けてランスを投げつける。リーファは危なげなく回避する。だが、それに伴い減速してしまった

 

「ソラァァアッ!」

 

 続いて、もう一人の前衛もまた、ランスを投げて攻撃する。こちらも若干ギリギリだったが、リーファは身を翻して回避に成功する。だが、

 

「これで終わりだ!」

 

「!」

 

 最後の仕上げと、リーダーの男が放った火属性魔法がリーファへ向かう。回避は間に合わず、炎はリーファを掠め、地面へ墜落していく。

 

「きゃぁぁぁあああ!!」

 

 体勢を立て直す事すらできず、悲鳴を上げながら墜落するリーファ。森の枝を次々へし折り、身体のあちこちをぶつけながら、遂に地上へ転げ落ちてしまった。

 

「くぅっ……!」

 

 ALOのアバターは痛覚を感じることは無いが、衝撃は現実世界のそれに近いものである。満身創痍の状態で、リーファは肩で息をしながら立ち上がろうとする。

 

(早く……早く、逃げないと……!)

 

 たかがゲームと諦めることは容易いが、今回の戦闘でレコンに続きランまで犠牲にしてしまったのだ。サラマンダーの部隊に敗走した上、全滅までしてしまったら、彼等の意志を無駄にすることになる。翅が力尽きてしまったリーファは、今度は徒歩で逃げるべく、未だ平衡感覚が戻らない身体を無理矢理動かそうとする。だが、そんなところへ……

 

「……大丈夫か?」

 

「!」

 

 不意に、何者かから声がかけられる。リーファは声がした方を振り返る。そこにいたのは、全身黒装束に身を包んだ一人の男性プレイヤーだった。その姿を視認するや、リーファは訝しげな表情をする。別に、フィールドにプレイヤーがいることに不思議は無い。問題は、その種族である。

 

(……スプリガンが、どうしてこんなところに?)

 

 黒髪に浅黒い肌をもつ目の前のプレイヤーは、アルヴヘイム北東にホームタウンをもつ影妖精族、スプリガンだった。目だけはスプリガンに珍しい赤色だったが、間違いない。何故、アルヴヘイムにおいて地理的に真反対の場所にホームタウンを構える種族のプレイヤーが、何故シルフ領周辺の森にいるのか。リーファには全く見当がつかなかった。

 

「見つけたぞ!」

 

 だが、そんな思考をしている暇は無かった。リーファを追ってきたサラマンダーの三人組が現れたのだ。リーダーの両隣りに並び立つプレイヤーの手には、先程投げた筈のランスが戻っていた。武器系スキルModのクイックチェンジで、投げたランスを戻したのだろう。

 

「全く、手古摺らせてくれるじゃねえか!」

 

「悪いがこっちも任務だからな。金とアイテムを置いて行けば見逃してやる」

 

「何言ってんだよカゲムネ!女なんて超久しぶりじゃん!」

 

 満身創痍のリーファに対し、女性プレイヤー狩りへの執着を露わに襲い掛からんとするサラマンダー。その様子に対し、リーファは嫌悪感を露わに睨みつける。傍にいたスプリガンの少年も同様である。と、リーファの方へ注意が向いていたサラマンダーが、そのすぐ傍にいたスプリガンの少年の姿に、今更ながら気付いた。

 

「ん?……何だ、アイツ」

 

「スプリガン」

 

 その姿を捉えたサラマンダー達の反応は、やはりリーファと同じだった。スプリガンの姿はこのあたりでは珍しいのだろう。三人揃って訝しげな表情をしていた。

 

「何故、スプリガンがこんな場所にいる?」

 

(……何故、と言われてもな…………)

 

 カゲムネと呼ばれたサラマンダーのリーダーが投げ掛けた問いに、しかしスプリガンの少年――サスケは答えなかった。彼自身、自分の置かれた状況には未だに困惑しており、事情を話せば長くなることは必定だったからだ。スプリガンの少年が返答に窮している中、またしてもサラマンダーの一人が声を上げた。

 

「おいおい、そいつ随分高価な装備してるじゃねえか!」

 

「……カネになる?」

 

 サラマンダーの一人が興味を示したのは、サスケが身に纏っていた装備だった。

 

「間違いねえ!レプラコーン領で出回ってる最新モデルじゃねえか!」

 

「高級?」

 

「ああ!アイテム一つ一つが、十万ユルドは下らねえ代物ばっかだ!」

 

 サスケが現在身に纏っている装備は、レプラコーン領のバテリラで買い込んだ最新モデルにして強力な武装で占められている。このような武装を買い揃えることができたのは、SAO時代に貯め込んだ潤沢な資金のお陰だったりする。

 

「最高のカモの登場じゃねえか!こいつも殺せば、手に入るお宝が増えるってもんだ!」

 

「カネ……カネ!」

 

 思わぬ獲物の登場に、舌なめずりするサラマンダー二人。欲望を丸出しにして襲い掛からんとする二人組に、対するサスケは溜息を一つ吐くと、背中に吊っていた剣を引き抜く。

 

「やれやれだ」

 

「ちょっと、君っ!」

 

 抜き身の剣を手にサラマンダーのもとへ歩を進めるサスケに、リーファは生死の声を上げる。だが、サスケはそれを無視してゆっくりと接近していく。

 

「行くぜ、この野郎ぉぉおおお!」

 

 ランスを構えて突撃してくるサラマンダーの攻撃に、しかしサスケは身動ぎ一つしない。ランスの矛先が、サスケの胸を貫かんとした、その時だった。

 

「んっ?」

 

「えっ?」

 

「なっ!?」

 

 突撃の軌道上にいた、サスケの姿が掻き消えたのだ。文字通り、影のように……

 

「ぐはっ!」

 

 そして次の瞬間、崩れ落ちるサラマンダーの身体。両腕が二の腕から切断され、胴体は胸部から真っ二つにされていた点から、真一文字に斬られた結果だろうと考えられるが、斬撃の軌跡は全く見えなかった。これをやってのけたであろう張本人は、斬られたサラマンダーの背後で剣を一振りして、刃の血を払うかのような素振りを見せた。

 

「コテツっ!?」

 

 斬り捨てられたサラマンダー――コテツの姿に、カゲムネは焦ったような声を上げる。そんなカゲムネをよそに、サスケは次の獲物へと狙いを定め、再度動き出した。

 

「がっ!」

 

「ジンっ!?」

 

 サスケの姿が影の如く掻き消えると共に、今度はもう一人のサラマンダー――ジンの身体が、頭から股にかけて真っ二つに斬られる。その後ろには、やはりサスケの姿。再度、血を払うような素振りで長剣を振るうと、最後のサラマンダーたるカゲムネへと赤い双眸を向ける。対するカゲムネは、殺気を孕んだ視線に晒され、竦み上がっていた。

 

(何て……速い!)

 

 サスケの動きを見たリーファの心中に最初に浮かんだ感想が、それだった。重装鎧のサラマンダー二人を目にも止まらぬ速度で切り捨てるスプリガンなど、聞いたことがない。レプラコーン領でのみ手に入る強力な武装を差し引いても、余りある戦闘能力である。こんなプレイヤーが、ALOの九つある種族の中で最もマイナーな種族であるスプリガンに所属していたら、アルヴヘイム中で噂になっている筈。そもそも、そんな強豪プレイヤーがいたとして、どうして領地から遠く離れたこんな森の中で、一人でいたのか。リーファの胸中には、疑問が渦巻いていた。

 

「お前…………何者だ?」

 

 今現在、サスケから睨みつけられているカゲムネも、同じ考えだったのだろう。冷や汗を流しながらも、どうにか言葉を紡いで問いを投げる。対するスプリガンの少年は、こう答えた。

 

「サスケ……スプリガンの忍だ。」

 



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第六十話 囚われの女王

2016年4月20日

 

 現実世界とは乖離した、デジタルデータの世界。全てが仮想のオブジェクトで構成された空間の中、二人の少年が相対していた。傍から見れば、年の近い子供二人が普通に話をしているようにしか見えなかったが、その実この二人は先程まで、自身も含めて五十人もの命が懸かった戦いに身を投じていたのだ。しかも、片方の少年はその黒幕である。

とても仲良く会話などできるものではないように思えたが、もう片方の被害者側の少年の心には、その所業を責めるつもりは微塵も無かった。その少年は、黒幕の少年が何を意図してこのような仕打ちを自分達に与えたのかを、理解していたからだ。そして、全てが終わった今、改めて和解したのだが、遂に別れの時がやってきた。

 

「そろそろ、お別れだ」

 

「――――の心は、いつまでもノアズ・アークの中で生き続けるんだろう?」

 

 黒幕だった少年のもう一つの名前、ノアズ・アークの中にある創造者の心の在処について聞く少年。だが、ノアズ・アークと呼ばれた少年は、首を横に振って否定の意を示した。

 

「僕みたいなコンピュータが生きていると、大人たちが悪いことに利用してしまう。……人工頭脳なんて、まだ生まれちゃいけなかったんだ」

 

 それは、自身の存在否定にほかならない。或いは、この計画が終わった以上、自らを断罪する覚悟があったのかもしれない。ノアズ・アークの言葉を聞いた少年は、複雑な面持ちで、しかしそれ以上は口を開かなかった。

 

「さあ、君は君の世界に戻るといい。目が覚めても、皆にはこれだけは知っていてほしい。現実の人生は、ゲームのように簡単じゃないとね」

 

 それこそが、何より伝えたかった言葉なのだろう。ノアズ・アークの言葉を聞いた少年は、挑戦的な笑みを浮かべながらも頷いた。そして、背後の光の扉へと踵を返して近づいて行く。

 

「お父さんに、会えるといいね」

 

 既に現実世界にはいない、彼の……正確には、彼の創造主たる少年の父親と、死後の世界で再会できることを願った言葉を投げかけながら、少年は光の中へと身を投じた。

 

「さよなら……工藤新一」

 

 最初で最後の友人――工藤新一がこの世界を去りゆくのを見届けたノアズ・アークは、最後の仕上げへと取りかかる。先程宣言した通り、自分の存在を完全に抹消するのだ。

 

(だけど、それは飽く迄僕一人。もう一人の僕には、行く末を見届けてもらわないといけない――――)

 

 光と共に、自身の存在がサーバーの中から徐々に消えて行く感覚に身体を委ねながら、“遺された者”とこの世界の行く末へと想いを馳せる。この試練を最後まで勝ち抜いた彼が生きる世界ならば、きっと希望に満ちている筈。これから先、この世界を見守る自身の最後の分身がそれを見届けてくれることを祈りながら、ノアズ・アークはその意識を光に溶かした――――

 

 

 

 

 

 

 

2025年1月20日

 

 幾千、幾万ものデジタルコードが流体的に飛び交う電脳世界の中で、彼はその姿を見ていた。重力と言う概念すら存在しない空間の中に浮かぶ、モニター画面にも似た窓の先には、夜闇に包まれた森が広がっていた。だが、その場所もまた現実世界ではない。画面に映る人物の纏う衣服はファンタジーゲームの冒険者のような装いであり、エルフのように尖った耳をしていることが、それを物語っていた。そして、今最も注目すべきは、常人には視認することすら難しい程の速度で剣を振るう黒い少年だった。

 

(間違いない。彼が……)

 

先程斬り倒したプレイヤーが遺した炎に照らされながら、その種族には珍しい赤い瞳を夜の闇の中に光らせている。黒装束に身を包んだ赤い瞳の剣士とだけ特徴を聞いていたが、まさにその通りだった。そして、普通のプレイヤーとは一線を画す、仮想世界こそが自身の生きる世界だとでも語るような雰囲気。何もかもが予想を遥かに超えている。

 

(あの人が可能性を見出したのも、頷ける)

 

 人伝で聞いただけだったが、今ならば確信できる。九年前、自身の前身が仕掛けた試練を見事打ち破り、囚われの身となった五十人の子供達を見事解放せしめた少年に似たような……あるいはそれ以上の意思の強さを感じた。彼が今だ現実世界に帰らない今、窓の向こうに立つ黒衣の少年こそが、この世界の真実を暴き、そこで行われる非道を終わらせるに足る人物なのかもしれない。

 

(……ならば、僕ももう少し彼のことを知っておかないと)

 

 だからこそ、その可能性を自身の中で確証するために、その動向を追う事を決意した。時間はあまり残されていないのは確かだったが、彼に賭けるだけの価値があるのならば、自分もそれを信じてみたい。無論、だからといって、己の役割を放棄するつもりはない。来る時のために動く用意をしながらも、彼はもう一つの可能性を見極めるべく、その姿を追った――――

 

 

 

 

 

 

 

 シルフ領のスィルベーンの北東側にある森の中。暗闇に包まれた森の中を、張りつめた緊張が支配していた。その原因は、一人のプレイヤー……黒髪に浅黒い肌で、赤い瞳の少年だった。彼の種族は、スプリガン。ALOにおいて、マイナーでプレイヤー人口最下位の種族として知られるスプリガンであるこの少年は、先程サラマンダー二人を斬り捨てるという大立ち周りをやってのけたのだ。見た目からは想像もつかない戦闘能力と気迫を発する、常軌を逸した存在に、その場にいた二人のプレイヤー――リーファとカゲムネは、凍りついていた。

 

「……それで、まだやりますか?」

 

長剣を右手に握ったスプリガンの少年――サスケが問いを投げる。イタチの赤い双眸の先にいたカゲムネは、身体の震えを押し殺して答えた。

 

「い、いや……遠慮しておくよ。もうすぐで魔法スキルが900なんだ。デスペナが惜しい」

 

「そうですか。そこのあなたは?」

 

「!」

 

 カゲムネの答えを聞いたサスケの視線が、今度はリーファへと向けられる。当のリーファは、サスケから鋭い視線を向けられ、緊張のあまりびくりと震えてしまった。一瞬の硬直から解けたリーファは、何故こちらに敵意を向けているのかと疑問に思ったが、どうやら無意識の内にサスケに剣を向けていたらしい。それに気付いたリーファは、即座に剣を下ろし、戦闘の意思が無いことを示す。

 

「私も、戦うつもりは無いわ。そっちのサラマンダーともね」

 

「そうだな……君ともタイマンでやって勝てる気はしないな……今日はこの辺で帰らせてもらうよ」

 

 それだけ言うと、カゲムネは赤い翅を羽ばたかせて森の上空へと消えていった。本当は、この森から然程遠くない場所にいる他のサラマンダー部隊を呼び出せば、戦闘の続行は可能だが、カゲムネは敢えてそれをしなかった。

ALOで相当なキャリアを積んだ古兵に数えられるカゲムネの直感が、サラマンダーの部隊が束になってかかっても勝てない相手であると告げていたのだ。他のプレイヤーが聞けば、そんな馬鹿な、と一蹴されるような話だが、カゲムネの心中には、あの少年には絶対に勝てないという絶対的な確信があった。

 

(二人だけで済んだのは、不幸中の幸いか……)

 

 殺されたコテツとジンの二人には気の毒だが、部隊総動員で戦闘を行った場合の損害を考えれば、譬えサスケというプレイヤーに勝利し、持っていたレアアイテムを手に入れられたとしても、到底割に合わない。

 

(全く……とんでもない奴が現れたものだ。ジンさんに報告せねば……)

 

 ゲームバランス崩壊の権化とも言えるあの少年に太刀打ちできる、自分が知る限りただ一人のプレイヤーの名前を心中に思い浮かべる。それと同時に、未だ近隣を飛行しているであろう仲間の部隊へ合流するために、カゲムネは飛び続けるのだった。

 

 

 

 一方、残されたサスケとリーファの二人は、カゲムネが去った後も気まずい沈黙が続いていた。やがて敵の姿が無くなったことを確認したサスケは、構えていた長剣を背中に吊った鞘に納めると、踵を返してその場を去ろうとする。

 

「ちょ、ちょっとあなた……待ってよっ!」

 

 そんなサスケの背中に対し、リーファは呼び止めようと試みる。対するサスケは、律義に歩を止めて振り返った。

 

「俺に何か御用ですか?」

 

 殺気こそ無いが、警戒を露わに問いかけるサスケに、リーファは再度竦み上がる。だが、一々恐れていては限が無い。

 

「あなた……どうしてスプリガンが、こんな場所にいるの?領地はずっと東の筈よ」

 

「……俺にもはっきりと原因は分からん。ただ、ログイン時に他のプレイヤーと混信したことが考えられるということだ」

 

 にべもなく、そう告げたサスケに、リーファは若干ながら警戒を解いた。言っていることが本当かは分からないが、これだけの強豪プレイヤーが、ホームタウンから遠く離れた場所に一人でいる理由は、本人が口にしたこと以外で思いつかないからだ。

スプリガン領から派遣されたスパイという可能性もあったが、これだけの凄腕プレイヤーがいたならば、ホームタウンの警護に回す筈だし、スパイとしてこの地方へやってきたのなら、隠蔽系の魔法やスキルを発動せずに森のど真ん中で突っ立っている筈が無い。何よりスパイならば、この場でリーファに背を向けて立ち去ることはしない。サラマンダーを撃退したことでリーファに恩を売り、シルフ領へ案内させようとする筈だ。いくつかの可能性と、それを否定する矛盾が脳内で飛び交う中、リーファは目の前に立つ得体の知れない少年の話を信じることにした。

 

「そっか……大変そうね。それにしても、本当に助かったわ。私は何かお礼を言った方がいいかしら。それとも、勇者がお姫様を救ったって感じな場面だし……涙ながらに抱きついてあげようか?」

 

「…………」

 

 殺伐とした空気を和らげるために、柄にも無く発した冗談だったが、サスケは完全に沈黙していた。再び流れる、気まずい空気。だが、それを破ったのは、思わぬ存在だった。

 

「そんなの駄目です!」

 

「!?」

 

 突然響いた第三者の声に、動揺を示すリーファ。辺りに伏兵でも潜んでいるのだろうかと考えたが、索敵スキルを発動してもプレイヤーはおろか、モンスターも引っ掛からない。だが、声の持ち主は程なくして姿を現した。

 

「ユイ……?」

 

「パパにくっついていいのは、ママと私だけです!」

 

 サスケの胸ポケットから飛び出す妖精に、目を剥くリーファ。当の本人たる妖精――ユイは、サスケの頭上を一回り飛ぶと、サスケの頬にぴったりはり付く。サスケは、話がややこしくなりそうだと内心で嘆き、手を額に当てていた。

 

「ぱ、ぱぱぁっ!?」

 

 案の定、妙な誤解をしていることが分かるリーファの反応に、サスケは仮想世界にある筈の無い頭痛を感じた。頬にはり突くユイを左手で引きはがすと、リーファに向き直ろうとする。対するリーファは、驚きから覚めるとサスケの手の中にある妖精の少女を物珍しそうに見つめ始めた。

 

「それって……プライベート・ピクシーってやつ?」

 

「……その通りだ」

 

リーファが口にした『プライベート・ピクシー』とは、プレオープンの販促キャンペーンで抽選配布された、プレイヤー専属のナビゲーション・ピクシーである。ナビゲーション・ピクシーで間違いないであろうユイの、しかし通常のナビゲーション・ピクシーには有り得ない言動……あるいは感情の発露を示した理由について、古参の自分ですら見た事の無いプライベート・ピクシーであるためと考えた。

正確には、ユイはSAO開発の中で生まれたメンタルヘルスカウンセリングプログラムである。通常のAIには有り得ないほど豊かな感情をもつこととなった本当の理由は、SAO内で発生した、プレイヤーの負の感情に起因するエラーの蓄積にある。だが、そんな複雑な事情を説明するわけにもいかない。仕方なく、サスケはユイに関して、リーファの解釈に合わせることにした。

 

「パパっていうのは……」

 

「こいつが勝手に呼んでいるだけだ。俺が強要したわけでも、設定したわけでもない」

 

 初対面で、しかもホームタウンがアルヴヘイムの地理上真反対の場所にある種族同士ではあるが、妙な趣味の持ち主であると誤解されるのは極力避けたい。サスケはいつもと変わらぬ無表情で、しかしどこか憮然とした態度でリーファの疑問に答えた。

 

「そ、そう……そういえば、自己紹介がまだだったわね。あたしはリーファ。見ての通り、シルフよ」

 

「スプリガンのサスケだ。こいつはユイ」

 

 リーファが名前を名乗るのに応え、サスケも改めて自己紹介とユイの紹介を行う。サスケの手に乗ったユイは、正座で座ったままお辞儀する。

 

「ところで、お礼もしたいから、一度こっちのホームに来ない?勿論、強要はしないけれど」

 

「ふむ……」

 

 リーファの提案に、サスケは難しい顔をする。スプリガンのサスケが、シルフホームタウンへ行く事は、自殺行為に等しい。各種族のホームタウン内では、現地の種族が領地に入った他種族を一方的に攻撃することができるからだ。無論、交易等のために出入りする外部の種族を保護するためのアイテムは存在するが、執政部に属さないリーファはそれを持っていない。パーティーリーダーのシグルドならば、それも可能だろうが、他種族で得体の知れないサスケを認めるとは考えられない。サスケが悩むのは当然のことだった。

 リーファもリーファで、やはり無理のある提案だったかと自省しつつ、少し遠いが中立地帯の村へ向かった方が良いかと考える。リーファが代案を考え始めたところで、サスケは意を決したように口を開いた。

 

「その誘い、乗らせていただきます」

 

「……は?」

 

 シルフのホームタウン行きの提案を受ける意志を示したサスケ。対するリーファは、怜悧な印象の強いサスケの言葉に、自分から提案したことながら、呆けたような声を発してしまう。

 

「えっと……本当に、良いの?」

 

「ええ。危険は承知ですが、準備をするなら大きな街の方が良いので、ぜひお願いします」

 

 サスケとて、ALOを始めて日は浅いが、領地内部における他種族攻撃の自由については理解している。だが、スプリガン領地とは真反対の地方に飛ばされ、ユイ以外に味方はいない孤立無援に等しいこの状況を抜けるには、高性能なアイテムの補給は勿論のこと、長距離飛行のために高台を利用する必要がある。いずれも大概が各種族のホームタウンにあるのだが、そこへ入るには現地の種族に同行を頼む必要がある。故に、リーファの誘いはサスケにとって渡りに船だった。ホームタウン奥地に誘き寄せた後にバッサリという可能性もあるが、初対面の目の前の少女の性格を考えるに、それはまず無いとサスケは判断した。全体的に見て、かなり危険な賭けだが、一刻も早くアルンへ到着せねばならないサスケからしてみれば、背に腹はかえられない状況なのだ。

 

「……分かったわ。これから、スィルベーンに案内してあげる」

 

「ありがとうございます」

 

「それから、敬語はいらないわ。普通に喋ってちょうだい」

 

「分かった。リーファ、頼むぞ」

 

 意図せず出会った二人だったが、少しは打ち解けることができたようだ。サスケがスプリガン領から来たスパイである可能性は完全に消え去っていないが、リーファはこれ以上疑う気にはなれなかった。対するサスケも、完全に信用されていないことは承知の上だったが、この期に及んではリーファを信じるのみだった。向かう先は、別名『翡翠の都』とも呼ばれるシルフのホームタウン、スィルベーン。風と影……翠と黒の妖精は、月光に翅を煌めかせながら、闇夜を飛翔するのだった――――

 

 

 

 

 

 

 

 銀色の光を放つ月と、煌めく星々が埋め尽くす夜空。その眩いばかりの光は、地上に広がる街や森、草原を照らし出している。現実世界の都会では間違いなく見られない、幻想的な景色を、一人の少女が見下ろしていた。

 胸に赤いリボンがあしらわれた白いワンピースを身に纏い、背中からは、昆虫もしくは妖精を彷彿させる翅が伸びている。耳も長く尖っており、その容貌はエルフを連想させる。ファンタジー然とした少女のその姿は、現実世界には有り得ないものだった。無論、少女の意思によってこのような格好になったわけではない。

 

「…………」

 

 少女の目の前に広がるのは、初めて見る者が目にすれば、心奪われることは間違いない、輝きに満ちた美しい夜景。しかし、そのような美しい景色を目にしても、少女の表情が……心が晴れることはなかった。それも、少女の置かれた現在の状況を考慮すれば、仕方のないことだろう。

 

「何か見えたのかい……ティターニア?」

 

 憂いを帯びた表情を浮かべて眼下に広がる景色を眺める少女の背中に、唐突にかけられる声。その声を聞いた途端、少女の虚無感に満ちていた表情が一転し、嫌悪と侮蔑の色に染まった。

 

「別に……ここに閉じ込められてから、何も変わらない景色よ」

 

 少女が振り向いた先にいたのは、一人の長身の男。肩ほどまで伸びた金髪で、額の円冠でそれを止めている。身に纏う濃緑のゆったりした長衣。背中にはアスナと同じく翅が伸びているが、こちらは蝶を彷彿させるデザインである。端麗な顔立ちをしているが、その笑みには不快感を覚えてしまう。男は、少女から放たれた苛立ちを露にした眼光に、しかし全く怯む様子は無かった。

 

「相変わらず、冷たいねぇ。いい加減、少しは心を開いてくれてもいいんじゃないかい、ティターニア?」

 

「こんな所に閉じ込められて、私があなたに好意を抱くとでも思っているの?それと、私の名前は明日奈よ。変な名前で呼ぶのはやめて。オベイロン……いいえ、須郷さん」

 

 

 

 ティターニアと呼ばれた、囚われの身にある妖精の少女――明日奈は、SAO事件の被害者であり、ゲームクリアが為された今も尚、仮想世界に閉じ込められている未帰還者の一人だった。SAOのゲームクリア後、GMたる茅場晶彦に、彼に認められたプレイヤーとして和人と会話をしたのを最後に、意識は白い光に呑まれた。最終決戦でHP全損したものの、茅場に生還者認定されて現実世界へと帰還する予定だった彼女だったが、行き着いた場所は、現実世界などではなかった。

 とてつもなく高い、現実世界ではあり得ない大樹の頂上に吊るされた、金色の鳥籠の中に、囚われていたのだ。アバターの容姿は現実世界やSAOにおけるそれとほぼ同じだが、尖った耳と背中に着いた翅は、ここが現実世界ではない……仮想世界であることを如実に語っていた。一人幽閉され、不安に駆られた明日奈の目の前に現れたのが、この男――オベイロンこと須郷だった。

 

 

 

 殺意すら感じさせる少女の態度からは、友好の意思は微塵も感じられない。侮蔑に満ちた、刃の如き視線を向けられたにも関わらず、男――オベイロンが動じる素振りは全く無い。

 

「つれないねぇ……僕が今まで、君に無理矢理手を触れたことがあったかい?」

 

 それどころか、嫌悪を露にする少女――明日奈に詰め寄る始末。明日奈は須郷が伸ばす手に身体を固め、警戒を抱きながらも、逃げ出す事はしない。ここで恐怖に怯えている、弱い自分を晒せば、この男は間違いなく調子に乗る筈である。須郷の知る、以前の明日奈ならば、涙を浮かべて恐怖に慄いていただろうが、今の明日奈ではこの程度の脅しに屈することはしない。SAO事件の中で数々の修羅場を潜り抜け、現実世界では臆することしかできなかった和人に対しても、強硬的な態度で臨める程に逞しい精神力を身に付けた明日奈の心は、この程度で手折られる程に柔ではない。

 

「そんな言葉を投げかけても無駄よ。私はあなたには絶対に靡かない。あなたに向ける私の感情は、侮蔑と嫌悪。それ以上でもそれ以下でもないわ」

 

「フフフ……でもねえ、最近はそんな君を、無理矢理力ずくで奪うのも一興かなぁと思っているんだけどねぇ」

 

 下卑た笑みを浮かべるオベイロンこと須郷は、そう言い放つと共に、明日奈の頬から唇、首筋へと指を這わせる。明日奈は須郷が齎す不快な感触に、歯軋りすらしかねない程に怒気を帯びた表情を浮かべている。しかし、如何に強がりは見せても、悪寒に対する身体の震えは止められない。明日奈は変わらず反抗的な態度だったが、望んだ反応を見ることはできたのだろう。須郷は満足そうな表情を浮かべながら、胸のリボンに伸ばした手を引っ込めた。

 

「ふふん……まあいい。今は僕のことを嫌っていても、すぐに君の感情は僕の意のままになる」

 

「……どういうこと?」

 

 須郷の何気なく放った一言に、明日奈は尋常ならざる何かを……或いは、須郷が為したる所業の核心を垣間見た気がした。問いかけた明日奈の言葉に、須郷はくくく、と喉を鳴らしながら、明日奈が先程まで見ていた夜景を見下ろし始める。

 

「見えるだろう?この世界には、今も数万人のプレイヤーがゲームを楽しんでいる。だが、彼等は知らない……フルダイブシステムの真価をね」

 

 恐らく、その「真価」とやらが、須郷が明日奈を幽閉している理由なのだろう。須郷は、明日奈が知りたがる素振りを見せていることに優越感を感じているらしく、少しばかり勿体ぶった後、高らかに己の野望を語りだした。

 

「知りたいだろう?それはね……脳の制御範囲を広げることで、思考、感情、記憶までも制御できる可能性があるのさ!」

 

「そんな……そんなことが、許される筈が!」

 

「誰が許さないんだい?既にいろんな国で研究が進められているんだよ。とはいえ、おいそれと人体実験なんかできやしない。ところがね~……ある日ニュースを見ていたら、あるじゃないか。恰好の研究素材が一万人も!!」

 

 須郷の口から出たその言葉に、明日奈は戦慄した。須郷の言う一万人の研究素材が何を指しているのかを、悟ったからだ。

 

「茅場先輩は天才だが、大馬鹿者さ。あれだけの器を用意しながら、たかがゲーム世界の創造だけで満足するなんてね。プレイヤー達が解放された瞬間に、その一部を拉致できるようルーターに細工するのは、そう難しくはなかったさ。結果、三百人もの被験者を、僕は手に入れた。」

 

 その言葉に、明日奈はさらに驚愕に目を剥く。自分がこうして幽閉されている以上、まだ他にも囚われている未帰還者が存在しているのは察しがついたが、まさか三百名も、それも人体実験と言う目的のために拉致していたとはさすがに想像できなかった。

 

「たった二カ月で、研究は大いに進展したよ。人間の記憶に新規オブジェクトを埋め込み、それに対する感情を誘導する技術は、大体形ができた。これだけでも既に十分商品化して通用するレベルだが……僕の研究は、まだこれからなんだよ……!」

 

「?」

 

 須郷の性格から考えて、この非合法かつ非人道的な研究が、不法な暴利を貪るために行っていることは明日奈にも理解できたが、まだ先があると言うのか?明日奈はここからが須郷の本当の目的なのだと直感した。

 

「君は知っているかな?SAO事件より以前に起きた、VRマシンとその仮想世界を舞台に起こった、大量殺人未遂事件のことを」

 

 須郷の口から語られた意外な言葉に、明日奈は目を丸くした。まさか、現実世界でSAO事件と呼ばれている、自分達が被害者として関わった事件より以前に、同様の事件が起こっていたとは、全く知らなかった。

 

「今から九年程前かな……世界初のVRマシンがゲーム機として開発され、完成披露パーティーが行われた。パーティーの催し物には、ゲームの体験コーナーが含まれていた。参加者は、パーティーに参加していた警察官僚や政治家の子供たち五十人だ。だが、ゲームスタートの直後、システムが占拠される事態が発生した」

 

「……制作者の仕業なの?」

 

「いいや、そうじゃない。システムを乗っ取ったのは、そもそも人間ですらなかった……その正体は、ゲームの開発会社が二年前に電脳世界に流出した、『人工頭脳』だったのさ!」

 

 『人工頭脳』――その言葉を口走った途端、須郷のテンションはさらに上昇した。恐らくこれが、須郷の目標の中核に相当するものなのだろう。

 

「人工頭脳の完成度は素晴らしいものだった……一年間で、人間の五年分成長するよう設計されていたそうだが、その力を遺憾なく発揮し、世界初の仮想体感ゲームを、ナーヴギアと同様の方法でデスゲームへと変えた。尤も、囚われた五十人の内一人でもクリアできれば、全員解放と言うルールという点では、君達のやったSAO程シビアではなかったがね。ともあれ、人工頭脳によるVRマシンの乗っ取り事件は、一日とかからず解決した。ゲームをプレイしていた少年二人がゲームクリアを成し遂げたことで、囚われの五十人は無事解放。ゲームを開発した会社は、同日に社長が殺人事件を起こしたことで倒産し、デスゲームを演じた人工頭脳も自己消滅。これが当時起こった事件の顛末さ。

以来、VRマシンの開発は、外部からの不法アクセス対策と、セキュリティ管理の徹底を課題として、普及が見送られた。だが、後継機のナーヴギアに関しては、外部からの干渉を防ぐことばかりに重きを置いたおかげで、強力な電磁波を発生させ得るバッテリーの方へ目が行かず、内部からの乗っ取りに脆弱さを晒すことになった。事件自体も、死傷者が出なかったことや、社長のスキャンダルのインパクトが大きかったせいで、風化されてしまったこともあったんだろうね。そしてその結果が、茅場先輩の起こしたSAO事件というわけさ」

 

「それで、その事件があなたの野望とどう関係しているのかしら?」

 

 事件の詳細は分かったが、須郷の目論見については未だ不鮮明だ。明日奈は改めて問いかけてみる。すると、須郷は先程と同様、ひけらかすかのように話しだした。

 

「この事件以降、日本国内は無論のこと、海外で『人工頭脳』の開発が進められた。一年で五年分成長し、システムの乗っ取りすら可能とするプログラムだ……あらゆる分野において応用が期待できる。だが、開発者たる天才少年は事件発生より二年前に既に他界し、研究データも死に際に残らず消去されていたお陰で、開発はゼロからのスタートだった。当然、断念する企業は相次ぎ、IT業界において人工頭脳の開発は数世代先に見送られる結果となった。

だが、僕は違う……人間の思考・感情・記憶を操る技術を開発する過程で収集したデータを利用すれば、その情動パターンをもとに人間の脳を電子的に再現して知性を生み出すことも決して不可能ではない。このまま研究を進めて行けば、今現在も思考実験の域を出ないまま放置されたアプローチによって作られる、ボトムアップ型の人工頭脳の作成を実現することができる!世界最大級の発明と目されていた……茅場先輩ですら為し得なかった偉業を、僕が成し遂げるということだよ!そしてそのためには、SAO生還者三百人にまだまだデータを提供してもらわなければならないがね」

 

「ふざけないで……そんな研究、お父さんが許す筈無いわ!」

 

「研究は私以下、ごく少数チームで秘密裏に進められている。そうでなければ、商品にできないからね」

 

 明日奈の父親がCEOを務める電子機器メーカー、レクト・プログレスの裏側で行われている、身の毛もよだつような諸行に、明日奈は血の気が引く思いだった。

 

「アメリカの某企業が、涎を垂らして僕の研究成果を待っている。精々、高値で売り付けるさ。いずれは、レクトごとね。そして、人工頭脳の開発に成功すれば、僕はIT業界に君臨する帝王になれる」

 

「そんなこと、絶対にさせない……いつか現実世界に戻ったら、真っ先にあなたの悪行を暴いてあげるわ!」

 

 露見する隙を一切見せない姿勢で計画を進めんとする須郷に、しかし明日奈は精一杯の強がりを見せた。だが、己に酔い痴れている須郷には、そんな虚勢が通用する筈も無く、鼻で笑い飛ばされてしまう。

 

「君だって、他の被験者と同じ立場なんだよ?」

 

 その言葉には、流石の明日奈も怯まずにはいられない。須郷がシステム管理者である以上、囚われの自分には逆らう術は無く、その気になれば、今すぐにでも実験素体に加えることも可能だからだ。

 

「やろうと思えば、君の記憶を操作するのも、可能なのさ。とはいえ、僕も君を、ただの人形にしてしまうのは望まない。次に会う時は、もう少し従順であることを願うよ。ティターニア」

 

 それだけ言うと、須郷は鳥籠から外へ通じる唯一の出口へ向けて踵を返した。電子パネルに暗証番号を入力し、扉のロックを解除する。明日奈はその様子を後ろから注意深く見ていたが、明日奈の脱走を防止するための策だろう、電子パネルのあたりの空間に歪みが生じているように見え、打ち込んでいる暗証番号が全く分からなかった。

 

「では、さらばだ」

 

 気障な仕草で別れを告げると、須郷ことオベイロンは鳥籠の向こうへと出て行く。鉄格子はそのまま開いたままである筈もなく、須郷が出ると同時に閉まった。

 鳥籠の中に残された明日奈は、自分を含めた三百人もの未帰還者が恐るべき人体実験に利用されているという事実に恐怖し、崩れ落ちて膝を突いて震えだした。須郷を増長させないよう、飽く迄、強気に振る舞っていたが、最早現界だった。たった一人、鳥籠の中に幽閉される孤独と、須郷から恐ろしい計画を聞かされる恐怖に晒され、本心では泣きだしたくて仕方がなかった。

 

「助けて……和人君……!」

 

 涙に代わって思わず零れた言葉は、しかし彼女を救い出そうと同じ世界に来ている想い人には、届かなかった。

 




二千人以上の死者を出したSAO事件から、僅か半年で次世代機を開発・販売するような世界ですので、コクーンのような前例があったとしてもすぐに風化してしまうというのが私の見解です。
そして今回、いつ回収できるか分からないような伏線を張ってしまいました。SAOを相当読みこんでいる人なら、多分分かっちゃうだろうなぁ……


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第六十一話 世界樹へ

2025年1月21日

 

 平日の昼下がり。埼玉県川越市にある、私立川越北中学校では、一・二年生は通常授業を受けており、三年生に至っても高校入試を直前に控えて集中ゼミナールを受講していた。授業中であることに加え、高校入試や定期試験が迫っている校舎の中は、いつも以上に静寂に包まれている。そんな中、直葉は一人、剣道部の部室を出て駐輪場を目指していた。彼女はこの時期に学校へ自由登校が認められている数少ない例外、所謂推薦進学組であり、今日学校へ来たのも、剣道部の顧問に呼ばれてのことだった。名門校への進学を前にした稽古を終えた直葉は、急ぎ次の用事に向かうべく、家路に着く。だが、そこへ……

 

「リーファちゃん!」

 

「うわぁっ」

 

 突如校舎の影から現れる、痩せた眼鏡の少年。直葉と同じ中学の制服に身を包む彼は、直葉の同級生にして、同じく推薦進学組の、長田慎一だった。

 

「学校じゃその名前で呼ばないでって言っているでしょう、長田君」

 

「ご、ごめん……直葉ちゃん」

 

 呆れたように咎める直葉の言葉に、長田少年は萎縮したように謝る。だが、下の名前で呼ばれることを嫌う直葉の顔は険しくなり、竹刀を抜くモーションへと移行し始める。長田は再度謝意を示し、首を横に振りながら呼称を改めた。

 

「ごごごごめん、桐ヶ谷さん!」

 

「……それで、何か用?っていうか、何で推薦組のあんたが学校にいるのよ?」

 

「すぐ……いや、桐ヶ谷さんに話があって、朝から待ってたんだ」

 

「全く……あなたも暇ね。で、話って?」

 

 溜息交じりに改めて問いかける直葉に、長田は眼鏡を直しながら答えた。

 

「シグルド達が、今日の午後からまた狩りに行こうって。ランさんは、今日も行けるって返事を貰ったけど、どうかな?」

 

「……悪いけど、あたししばらく参加できないわ」

 

 パーティーメンバーの中では長田と同じかそれ以上に親しい間柄である、ランが参加すると聞いて、逡巡する直葉だったが、すぐに断った。その返答に、長田は驚きと焦りを見せる。

 

「え、ええ!?何で!?」

 

「ちょっと、アルンまで出かけることにしたから」

 

「アルンって……世界樹の根元の?」

 

 アルヴヘイム中央に聳え立つ世界樹の根元に存在する、ゲーム世界最大の都市であるアルンは、シルフのホームタウンであるスイルベーンをはじめ、各種族のホームタウンからかなり遠く離れた場所にある。その道中には、限界飛行高度を超える山岳地帯や、それを迂回するためのダンジョンもある。出現するモンスターも、領地周辺のダンジョンにいるものとは強さが違う。正攻法のソロプレイで辿り着ける場所ではなく、当然ながらリーファもそれを理解している。故に、何の前触れも無く、こんなことを宣言するなど有り得ない。何かきっかけがあるのでは、と長田が考えた末に出た結論は……

 

「ま、まさか……昨日のスプリガンと!?」

 

「あ、ああ……うん。道案内することになってね」

 

 昨日の狩りの帰り、直葉ことリーファと、長田ことレコンが所属するパーティーは、狩りの帰りに敵対種族のサラマンダーの部隊の襲撃を受け、敗走するという結果に至った。リーファとレコン、そしてこの場にいないランの三人は、他のメンバーと別れてスイルベーンを目指して逃げていったが、途中でレコンが倒れ、次いでランが大部隊を引き付けるために立ち回り、散った。残されたリーファも、可能な限りの敵を道連れに後を追うことになる筈だったのだが、思わぬ闖入者の出現によって、窮地を脱することに成功したのだった。その、リーファを危機から救った人物というのが、長田の言う『スプリンガン』のプレイヤーなのだが……

 

「な、何考えてんのさ、リー……桐ヶ谷さん!あんな怪しい男とパーティーを組むなんて!」

 

「いや、でもそんなに悪い人じゃ……」

 

「あのサスケっていうスプリガン……絶対にスパイだよ!武器から防具まで、どれもこれもレプラコーン領でしか手に入らない特注品だし……それを上から下まで全部揃えているプレイヤーなんて、見たこと無いよ!」

 

 長田の言う通り、そこらのプレイヤーの財力では到底手に入らない、強力な武装に身を固めたサスケというプレイヤーは、かなり異質な存在であることには違いない。また、レコンは直接見ていないが、重装備のサラマンダー二人を瞬殺した点からも、スキル熟練度は完全習得レベルにあることは間違いない。本人は位置情報の破損か、近隣でダイブしているプレイヤーとの混信によって期せずしてあの森に出る羽目になったと言っていたが、実際のところはどうなのか、直葉にも分からない。長田の言うように、スプリガン領から放たれたスパイなのかもしれない。だが、昨日のスイルベーン帰還後、行きつけの酒場兼宿屋で話をしたリーファには、サスケという少年にそんな意図があるとは思えなかった。

 

(世界樹に行きたいっていうのは本心なんだろうけど……どうして、あんなに必死そうだったんだろう……それに、何て言うか……どこかあの世界に慣れていない感じがあったし……)

 

 食事をする傍ら、ゲームの舞台であるアルヴヘイムについての話をしていたが、中級プレイヤーでも知っている情報について尋ねていた点からして、サスケはあの世界にあまり明るくないようだった。スイルベーンへ到着するまでの道中についても、随意飛行で、しかも本気のリーファと互角以上の飛行速度を発揮して見せたが、どこか安定しない、未熟さのようなものが垣間見えた。装備とスキル熟練度は一級品で、それを活かすだけのセンスもある。少なくとも、チートで能力を強化したプレイヤーには思えない。それなのに、まるでALOを始めて間もないビギナーのようにも見える、非常に謎多き人物。それが直葉ことリーファの抱いた印象だった。

 

(それにあの目……どこか、お兄ちゃんを思い出すのよね……)

 

 サスケがアルンを目指すと言った際に、同行を申し出た最たる理由が、それだった。スプリガンには珍しい赤い双眸には、どこか憂いを帯びているように見えた。そして、あまり感情を表に出したがらず、常に相手と距離を置こうとするその態度は、義兄たる和人を彷彿させるものがある。サスケと話をする中で、リーファはそう思った。だからこそ、放っておく気にはなれず、また、現在所属しているシグルドのパーティーに窮屈さを覚えていたのも後押しして、サスケとのパーティー結成に踏み込んだのだった。

 一方、そんな直葉の内心を知らない長田は、サスケのことを完全にスパイだと疑っているようである。だがその本心は、突如現れた他種族の、ブランド物を大量に身に付けたプレイヤーが、リーファと仲良くしているのが気に食わないという面が大部分を占めていた。古参として、誰よりもリーファとプレイ時間を共有した長田にとって、サスケという存在は許し難いものがあり、故に、今ここで直葉を説得して、手を切るべきだと必死に説得にかかる。

 

「桐ヶ谷さん、シグルドやランさんだって、きっと納得しないよ。あんな怪しい奴と、泊まり込みで、遠くまで行くなんて……」

 

「妙な想像するんじゃない!!」

 

「ごふぅっ……!!」

 

 だが、妄想に駆られ、相当に空回りした言動のお陰で、長田の思いは直葉に届かない。手に持った竹刀ケースで長田の胸に一突き食らわせて黙らせると、地面に蹲る長田を尻目に直葉は再び家路に着く。

 

「とにかく、そういうわけだから。シグルド達にはよろしく言っておいてね。あと、ランさんにも謝っておいて」

 

 再度呼び止めようとする長田の声には耳を貸さず、直葉は駆け足でその場を去っていく。駐輪場に止めた自転車へ乗ると、そのまま校門を出て自宅へ向かってしまった。

 

 

 

 

 

 自宅へ帰った直葉は、家の中に和人の姿が無いことを確認すると、自室を目指す。兄の姿が見えないのは、恐らくトレーニングに出かけているからだろう。SAO生還者の中では最も早くに退院して日常生活ができるまでに回復し、剣道の稽古で直葉から一本取れるまでの体力を取り戻していたが、それでも未だに満足できないらしく、以前にも増してトレーニングに励むようになった。兄がこれ以上強くならないように、無理をしないようにと頭の隅で密かに願いながらも、制服から部屋着へと手早く着替える。その後、ヘッドボードに置いてあるアミュスフィアを手に取り、慣れた手つきで装着。ベッドに横になると、冒険の世界への扉を開くキーワードを口にする。

 

「リンク・スタート!」

 

 いつもより軽快な声で仮想世界へのダイブした直葉。接続を経た先に待っていたのは、妖精たちの世界。目を開けた先にあった光景は、昨日ログアウトした宿屋の中。その姿もまた、妖精剣士リーファへと変わっていた。

 

「こんにちは、リーファ」

 

 ログインして間も無く、リーファに挨拶するプレイヤーが現れる。声のした方を振り向くと、そこにいたのはつい昨日出会ったばかりのスプリガンの少年の姿。昨日、アルンへの申し出をした相手、サスケだった。

 

「こんにちは、サスケ君。ユイちゃんも」

 

「はいです、リーファさん」

 

 サスケの纏った黒衣のポケットから飛び出し、同様に挨拶するのは、彼のプライベート・ピクシーであるユイ。昨日と変わらず、愛らしく振る舞う彼女には、AIとは思えない、本物の心があるかのように思えてならない。

 

「こちらもさっきログインしたばかりだ。アルンを目指すには、お互いアイテム補給は必要だろう。案内を頼めるか?」

 

「勿論よ。さ、行きましょう」

 

 リーファと合流を果たし、長距離移動のために必要な各種アイテムを買いに出かける二人と一人。シルフのホームタウンにスプリガンがいることは相当に珍しいのだろう。サスケの姿を見て訝しげな表情をするプレイヤーとすれ違うことが多かったが、リーファが隣についていたお陰で、特にトラブルは起こらず、平和に買い物を済ませることができた。

 アルンを目指すために十分なアイテムの補給を済ませた二人は、スイルベーンから飛び立つべく、最も高い塔へと向かう。すると、塔の中へ入る途中、リーファが足を止めた。

 

「どうかしたか?」

 

「ちょっとね。領主のサクヤに挨拶してから行こうと思ったんだけど……」

 

 言い淀むリーファを訝しく思い、彼女が見つめる先に自分も目をやるサスケ。そこには、シルフの領主館と思しき壮麗な建物があった。ただ、建物中央に立つポールにはシルフの紋章旗が上がっておらず、これは今日一日領主が不在であることを意味する。

 

「領主は不在のようだな」

 

「サスケ君も分かるの?」

 

「俺も、スプリガンの領主とは懇意の間柄だからな。領主館の紋章旗の意味は種族共通と聞いている」

 

「そうなんだ。ま、サクヤには後でメールをしておけば大丈夫でしょう。早く行こうか」

 

「ああ」

 

 改めて歩を進めるサスケとリーファ。塔を行き来するプレイヤーの波の中を歩きながら、頂上へ通じるエレベーターへと入ろうとする。だが、その時だった。

 

「リーファ!」

 

 突然、リーファを呼び止める声が響く。振り返った先にいたのは、リーファが今最も会いたくないと思っていた人物。昨日までリーファが所属していたパーティーのリーダーにして、シルフの主流派閥の筆頭、シグルドだった。両隣には、取り巻き二人がついている。シグルド本人は、眉間に皺を寄せ、高圧的な態度を取っているその姿に、リーファは嫌な予感しかしなかった。

 

「こんにちは、シグルド」

 

 とりえあえず、作り笑いを浮かべながら挨拶したものの、シグルドの表情が緩まる様子は無い。ああ、やはり面倒なことになるな、と内心でリーファが想像していると、予想通りの言葉が出てきた。

 

「パーティーから抜ける気なのか、リーファ」

 

「うん……まあね。しばらくは、領地を離れてみようかなって、思ってて……」

 

「勝手だな。残りのメンバーに迷惑がかかるとは思わんのか?」

 

「……パーティーに参加するのは都合のつく時だけで、いつでも抜けていいって約束だったでしょ?」

 

「だが、お前は俺のパーティーの一員として既に名が通っている。理由も無く抜けられては、こちらの面子に関わる」

 

 シグルドの傲然とした物言いに、言葉を失うリーファ。同時に、つい最近、レコンから忠告されていたことを思い出す。ALOのようなハード志向のMMOにおいて、女性プレイヤーは希少な存在であり、特にリーファやランのように容姿端麗で、シルフにおいて五本の指に数えられる実力者はさらに珍しいという。だからこそ、シグルドのように権力欲に満ちた強豪プレイヤーは、そのようなプレイヤーをパーティーメンバーとして侍らせることで、自身のパーティーのブランドを上げようとしているらしい。だが、自分がアイドル扱いされるなど想像できず、このことは記憶の片隅に置いたままにしておいたのだが。

 

(……結局、自由なんてどこにも無かったのかな)

 

 リーファ――直葉がこのALOに求めたのは、兄との絆だけではない。現実世界の柵全てを振り払って、どこまでも遠くへ飛んでいける、自由の翼。だが、仮想世界であろうと現実世界であろうと、事あるごとに何かが自分を縛ろうとする。

 リーファの頭に蘇るのは、小学校の頃のこと。剣道場に入門して以来、力を伸ばし続けて、いつしか上級生の男子すら負かす程の実力をつけていた。だがその一方で、帰り道では他の上級生男子の集団に取り囲まれ、卑小な嫌がらせを受けていた。あの時の上級生男子達の顔は、今目の前に立つシグルドと取り巻きそのものだった。剣道で負け無しだったとはいえ、大勢に囲まれて威圧されることは、当時の直葉には非常に怖かった。だが、そんな時はいつだって、助けてくれる存在がいた。それは――――

 

「仲間は、アイテムではありませんよ」

 

 そこまで思い出したリーファの目の前に現れたのは、黒いスプリガンの少年――サスケだった。高圧的な態度でリーファにパーティー脱退取り消しを強要するシグルドを前に、しかし全く怯むことなく立ち向かうその姿は、かつて自分を助けてくれた、兄の姿を想起させた。

 

「何だ、貴様は?」

 

「リーファさんとは、都合がつく時のみのパーティーなのでしょう?正式な契約が無い以上、パーティーに拘束する権限はあなたには無い筈です」

 

 サスケから無遠慮に告げられた言葉に、シグルドは眉間に皺を寄せて怒りを露にする。腰に差した剣に手を掛け、抜刀姿勢でさらに威圧する。

 

「貴様ぁ……屑漁りのスプリガン風情がつけ上がるな!北東のホームタウンから離れたこの地にいるということは、どうせ領地を追放されたレネゲイドだろうが!装備だけはなかなか上等だが……成程、それでリーファを誑かしたというわけだな!」

 

 シグルドの一方的であんまりな言動に、傍で聞いていたリーファもついカッとなって声を上げてしまう。

 

「失礼なこと言わないで!サスケ君は、あたしの新しいパートナーよ!」

 

「何……?リーファ、お前も領地を捨てて、レネゲイドになるつもりか!?」

 

 ALOのプレイヤーは、二種類に大別される。一つは、種族のホームタウンを拠点として、プレイする中で稼いだ金銭――ユルドの一部を執政部へ上納し、種族の勢力発展に注力するプレイヤー。シグルドやリーファが例として挙げられる。もう一つは、ホームタウンを離れてアルヴヘイム央都を拠点に、異種族間でパーティーを結成して活動するプレイヤーである。後者のプレイヤーは、前者のプレイヤーから領地を捨てたプレイヤーとして蔑まれ、脱領者――レネゲイドと呼ばれている。

 リーファの場合、領地に留まって活動しているのは、スイルベーンという街が好きであることもあるが、本質的には惰性に近い部分が大きい。シグルドのパーティーの拘束に辟易していたこともあり、今のリーファは自由・解放への衝動に駆られようとしていた。

 

「ええ……そうよ。あたし、ここを出る」

 

 強い意志を秘めた瞳で、そう言いきってしまった。領地を捨てると宣言したにも関わらず、自然と後悔は無かった。しかし、対するシグルドはとうとう我慢が限界を迎えたらしい。柄に手をかけていた剣を抜き取り、サスケに突き付ける。

 

「小虫が這い回るくらいは捨て置こうと思ったが、泥棒の真似事とは調子に乗りすぎたな。のこのこと他種族の領地に入ったからには、斬られても文句は言わんだろうな?」

 

 憤怒の形相凄まじく、今にも斬りかからんとしているシグルドに対し、しかしサスケは動じない。傍から見れば、恐怖に竦んでいるようにも見えるが、実際は違う。

 

(凄い……サスケ君、まるで隙が無い)

 

 武術に精通したリーファだからこそ分かるのだが、両腕を下げたままのサスケの立ち姿には、見かけに反して付け入る隙が全く無かった。その姿は、現実世界の自宅にある剣道場で幾度となく竹刀を交えた和人を思わせる。稽古の立ち合いでは、有段者すら圧倒することもある直葉の猛攻を、和人は全ていなし、一撃たりとも入らせなかった。

仮にこの場でシグルドがサスケに斬りかかったとしても、同じような結果になるだろう。サスケには掠りもしないだろう。これは、昨日のサラマンダーとの戦闘でも明らかである。他種族である以上、システム的に反撃できないとはいえ、サスケの実力ならば、シグルド相手に攻撃を回避し続けることは可能だろう。取り巻きが援護をしたとしても、容易に逃げ切れると断言できる。

 サスケとシグルド。両者の間に、一触即発の空気が漂い、周囲に緊張が走る。沈黙を破る様に振り翳されたシグルドの剣は、しかし下ろされることはなかった。

 

「シグルド、やめなさい!」

 

 突如、塔の中に響き渡ったのは、鋭い女性の声。シグルドに対する叱責にも等しい叫びに、皆ははっと我に返る。声のした方を振り向くと、塔の入り口付近に長髪の女性プレイヤーが立っていた。怒りに染まった鋭い視線を向けるその女性は、リーファとシグルドがよく知る人物だった。

 

「ランさん!」

 

 突然の知り合いの登場に、驚きの声を上げるリーファ。ランと呼ばれた女性プレイヤーとリーファとは、ALOにおいて同じパーティーのメンバーであり、レコンと同じフレンド。そして、現実世界においても顔見知りという親しい間柄の人物なのだ。常には無い怒りに満ちた表情を、主にシグルドに対して向けているところからして、どうやら先程のやりとりを見ていたらしい。シグルドを睨みつけながら歩み寄ると、腰に手を当てて詰め寄る。

 

「シグルド、さっきから見てたけど、どういうことよ。リーファちゃんが抜けたいって言うのに、あんな風に咎めたりして……まるで、道具扱いじゃない!そこの彼の言った通り、仲間はアイテムじゃないのよ!?」

 

「ぐっ……だが、俺にも立場がある。俺のパーティーメンバーである以上、そう簡単に脱退を許すわけには……」

 

「思い通りにならないからって、自分の都合ばかり押し付けるなんて、そんなのおかしいわよ!その上、言う事を聞かないからって、レネゲイドとして扱うなんて……やり過ぎだとは思わないの!?」

 

 激しい剣幕で捲し立てるランに、シグルドは防戦一方。先程までの傲慢さはどこへやら、反論に窮している様子である。

 

(うわぁ……ランさん、相当怒ってるなぁ……)

 

 普段温厚な人物ほど、本気で怒ると手が付けられないと言われているが、今のランがまさにそうだろう。ALOの中は勿論、リアルにおいても非常に穏やかで、誰にでも優しく慕われている筈のランが、ここまで激しく怒っているのを見るのは、直葉にとって初めてだった。傍に立っているサスケも、怒声を上げるランに半ば唖然としている様子である。

 

「俺だって、執政部に所属するプレイヤーとしての体面というものがある!パーティーメンバーが理由も無く脱退を申し出たとしても、はいそうですかと容易に許すことはできない!」

 

「あなたねぇ……体面を守るとか言って尤もらしい理由をつけているけど、パーティーを理由にリーファちゃんを縛り付けて、言う事を聞かせたいだけじゃない!こんなの、パーティーの在り方として絶対に間違っているわ!」

 

「ラン……貴様!」

 

 ランの激しい糾弾に、しかし対するシグルドは、シルフの権力者としての威光を振りかざして主張を通そうとする。その姿に、ランはこれ以上の議論は無駄だと悟った。溜息を一つ吐くと、決意を新たに再度口を開く。

 

「……前々から言おうと思っていたけれど、私もこれ以上あなたに付き合えないわ。悪いけれど、私もあなたのパーティーを抜けさせてもらうわ」

 

「なっ……!」

 

 据わった目で放った言葉に硬直するシグルド。リーファに続き、まさかランまでもがパーティー脱退を宣言するとは、シグルドもさすがに予期できなかった。だが、パーティーリーダーであるシグルドの傲慢で独善的な態度には、リーファのみならずランやレコンも辟易しており、パーティー脱退の機会を常日頃から窺っていたのだ。故に、リーファの不満が爆発したこのタイミングでの連鎖的な脱退宣言は然程おかしいことではなかったのだ。尤も、シグルド本人は全く納得していないのだが。

 

「お前等……今、俺を裏切れば、近いうちに必ず後悔することになるぞ。精々、外では逃げ隠れするんだな」

 

 執政部の最大派閥に所属する身として、このような大勢の目がある場所で刀傷沙汰を起こすわけにはいかないことを認識しているシグルドは、剣を納めることにした。ドスの利いた声で最終警告という名の脅しをかけたが、ランは勿論、リーファも動揺した様子はなかった。

 

「戻りたくなった時のために、泣いて土下座する練習でもしておくんだな」

 

 それだけ言うと、シグルドは取り巻きを伴って塔から姿を消した。残されたランは、リーファとサスケの方へと向き直った。その表情は、先程シグルドに接した時のような刺々しさは無く、慈愛に満ちたものだった。

 

「大丈夫、リーファちゃん?」

 

「はい。ありがとうございます、ランさん」

 

 緊張が解けて、倒れそうになるところをサスケに支えられるリーファ。ランはそんな彼女に優しく声をかけた後、今度はサスケへ向き直る。

 

「ありがとうね、リーファちゃんを助けてくれて」

 

「世界樹までの道中をお世話になる身として、当然のことをしたまでです。それより、俺がリーファを引き抜いたせいで、あなたまでレネゲイドとして扱われてしまうことになりましたが……」

 

 無表情ながらランの身の上を心配するサスケに、しかしランは首を振って答えた。

 

「ううん、気にする事は無いわ。元々、私もリーファちゃんもあのパーティーからは遠からず抜けるつもりだったからね。どの道、穏便には抜けられなかったわよ。それにレコン君から聞いたんだけど、あなた達、アルンへ行くんでしょう?それなら、味方は多いに越したことは無いじゃない?」

 

「それって……ランさんも来てくれるってことですか!?」

 

 驚いた様子で尋ねるリーファの言葉に、ランは満面の笑みで頷く。

 

「この街を出たとしても、特に行く宛ても無いしね。それなら、あなた達と一緒にアルンを目指した方が良いと思うの」

 

「しかし、本当に良いんですか?」

 

「心配いらないわよ。これでも私、リーファちゃんと並んで『シルフ五傑』って呼ばれているくらいの実力はあるから、きっと戦力になる筈よ」

 

 ランの自信満々な言葉に、しかしサスケは沈黙する。リーファとランがそれなりに実力あるプレイヤーであることは察しがついていたが、まさか五傑とまで称される実力者とは思わなかった。シグルドと呼ばれた男性プレイヤーの方は、口調から察するにシルフ領内で相当な地位にある人間なのは明らかである。そんな人物のパーティーを抜けて面目を潰したのだから、リーファとランはただでは済まないだろう。加えて、成り行きとはいえ、引き抜いた立場にある自分も、非常に恨まれていることは間違いない。今更、土下座させて二人のパーティー脱退を取り消すわけにはいかない以上、もう後戻りはできない。目下の目標であるアルン行きに協力してくれると言ってくれたこの二人を送り届ける義務が、自分にはあるとサスケは感じた。

 

「サスケです。よろしくお願いします」

 

「ランよ。こちらこそよろしく。それから、私にも敬語はいらないわ」

 

「分かった」

 

 決意を新たに、握手を交わすサスケとラン。傍から見守っていたリーファは、親しい仲間が困難な旅路に加わることと、新しい仲間と意気投合している様子を微笑ましく思うのだった。

 

「それじゃ、早速てっぺんまで行こうか」

 

「そうね。サスケ君、こっちよ。案内するわ」

 

「よろしく」

 

 新たにランを仲間に加え、サスケはシルフ二人に先導されてシスイルベーンで最も高い塔の頂上へ向かうべく、エレベーターへと乗り込む。数十秒後、プレイヤー達の飛行場たるパノラマデッキへと辿り着いた三人の視界に飛び込んだのは、無限の蒼穹。辺り一面には美しいパノラマが広がり、心地よい風が頬を撫でる。いつ見ても心和む風景だが、リーファとランの顔には若干の曇りがあった。サスケはそんな二人の様子を察すると、若干申し訳なさそうに口を開いた。

 

「……良かったのか、本当に?」

 

 何が、とは聞くまでもない。シルフの上級プレイヤーたるシグルドとの口論の末、二人はレネゲイド認定されてしまったのだ。領地を出て行くとなれば、この風景を見ることは勿論のこと、他にも仲が良いであろうプレイヤーには、気軽に会う事もできなくなるのだ。如何にパーティーに嫌気がさしていたと言っていたとはいえ、原因を作った立場にあるサスケは罪悪感を覚えずにはいられない。確かめるようなサスケの問いに、二人は苦笑しながら答えた。

 

「気にしないで。一人じゃ怖くて、なかなか決心がつかなかったんだもの。むしろ、良いきっかけだったと思ってるわ」

 

「リーファちゃんの言う通りよ。大したことじゃないわ」

 

「それにしても……」

 

 溜息と共に、独白のように続けるリーファ。空を見つめるその瞳には、どこか憂いが見て取れた。

 

「どうして、ああやって縛ったり、縛られたりしたがるのかな?折角、翅があるのに……」

 

 大空を飛ぶ自由への羨望を抱くリーファの問いに、しかしサスケはかける言葉が見つからない。『脱領者(レネゲイド)』という言葉に似た概念は、サスケの前世たる忍世界にも存在する。忍世界において、忍里を抜けて自らの目的のために生きる忍者は、『抜け忍』と呼ばれていた。だが、抜け忍はALOの脱領者のように気ままな立場ではない。うちはイタチがそうだったように、里からは命を狙われる立場であり、マフィアのボディガードや暗殺を請け負う者が多く、盗賊やテロリストとして諸国から指名手配される物が多かった。その在り様は、自由とは無縁のものだった。元より、忍者とは忍び耐える者なのだ。明言こそされていないが、忍が自由を求めること自体が邪道に等しいのかもしれない。自由と言う感覚を共有できないことで、リーファへの答えに窮するサスケだが、彼に代わるように声を発する者が現れる。

 

「フクザツですね、人間は」

 

 凛とした声の出所は、サスケの胸ポケット。次の瞬間には、きらりと翅を輝かせて飛び立った彼女は、サスケの頭を一回りしてから肩の上へと降り立った。サスケのプライベート・ピクシーである、ユイだった。

 

「ヒトを求める心を、あんな風にややこしく表現する心理は理解できません」

 

「あら、可愛い。この子って、プライベート・ピクシー?」

 

「はい。パパのプライベート・ピクシーのユイです」

 

「パパ?……まさか、サスケ君のこと?」

 

 サスケに対する「パパ」という呼称に訝しげな表情をするラン。また要らぬ誤解が生じ始めていることを悟ったサスケは、早々に言い訳をする。

 

「一応言っておきますが、俺の呼称は設定したものではありません。こいつが勝手に呼んでいるだけです」

 

「む~……」

 

 サスケの言葉に不服そうな顔をするユイ。これ以上話がややこしくなる前にどうにかすべきかと考えたリーファが、苦笑を止めて話の流れを戻そうとする。

 

「ヒトを求める心、か……確かに、単純なようで、色々と複雑だよね」

 

「うん……そうだね」

 

 人間関係について、リアルで文字通り複雑な事情を抱えている二人には、ユイの言葉には色々と思うところがあった。サスケにも、前世と現世、両方の生き方に共通して考えさせられることがあり、内心で自嘲した。

 

(結局、何でも一人でやろうとしたから失敗した……本当に、馬鹿は死んでも治らんな……)

 

 前世で弟を復讐鬼にしてしまった失敗は言わずもがな。転生した現世においても、自分は誰一人頼ろうとはせず、何もかも一人で抱え込もうとして失敗を繰り返している。変わらなければ、と思っていても、前世から染み付いた自己犠牲精神が邪魔をする。ジレンマを抱えながらも、それを根本的に解消する術を持たないサスケは、忸怩たる思いを募らせるばかりだった。

 そんな中、ユイがAIとしての領分を大幅に超えた、予想外の行動に出る。

 

「私なら……」

 

 サスケの頬に手を添えると、音高くキスをした。

 

「こうします。とてもシンプルで明確です」

 

 突然のユイの行動に硬直するサスケ。傍にいた二人も同様である。いち早く立ち直ったサスケは、額に手を当てて頭痛を感じながらも、ユイを戒める。

 

「人間界は、もっとややこしい場所なんだよ。そんなことを気軽にやれば、すぐに逮捕されてしまう」

 

「手順と様式ってやつですね」

 

「……あまりそういうことを言うんじゃない」

 

 妙なベクトルに成長しているユイに、サスケは頭痛や眩暈が絶えない。傍に立っていたリーファとランは、顔を引き攣らせている。

 

「す、すごいAIね。プライベート・ピクシーって、みんなこうなの?」

 

「こいつが特殊なだけだ」

 

「はわゎっ……!」

 

 リーファの問いに、憮然とした表情で答えたサスケは、ユイを黙らせるべく首根っこを引っ掴んでポケットに押し込んだ。ユイに対して若干乱暴な扱いをするサスケだが、内心では感謝している面もあった。前世に囚われて言葉を選べず黙りこむしかない時に、躊躇い無く自分の想いや考えを主張できるその純真さは、いつも自分を助けてくれるからだ。尤も、サスケはそれを言葉や表情に出すことは無かったが。或いは、MHCPという存在であるユイには、そのあたりの内心まで筒抜けかもしれない。

 

「それでは、そろそろ出発しましょう」

 

「そ、そうね……それじゃあ、そこのロケーターストーンに戻り位置をセーブしよう」

 

 ランの言葉に頷いたサスケは、言われた通りに展望台中央の石碑にセーブを行う。これで、死に戻りする羽目になった際に、昨日のように見知らぬ場所へ飛ばされることは無くなる。

 

「それでは、行きましょう」

 

 全ての準備が整い、目的地へ向けて飛び立つべく三人は翅を広げる。そして、央都アルンを目指し、いざ旅立とうとした、その時だった。

 

「リーファちゃ~ん!ランさ~ん!」

 

「あ、レコン……」

 

 塔のエレベーターの向こうから現れたのは、昨日スイルベーンに到着した際、サスケも会った、おかっぱ髪の少年。リーファとランのフレンド、レコンだった。

 

「酷いよ!一言声をかけてから出発してくれたって、いいじゃない!」

 

「ごめん、忘れてた」

 

 リーファの一言に、がくりと項垂れるレコン。リアルでも友達の相手に、いくらなんでもこれは無いだろうと、サスケは若干非難の視線をリーファへ向ける。ランは只管苦笑していた。

 

「二人とも……パーティー抜けたんだって?」

 

「う~ん……その場の勢い半分だけどね。あんたはどうするの?」

 

「決まってるじゃない。この剣は、リーファちゃんだけに捧げてるんだから」

 

「えー、別にいらない」

 

 短剣を手に、真剣な表情でそう言い放った彼に、しかしリーファは容赦ない評価を下す。サスケの非難の視線が増す。レコンの方も、またもがくりと項垂れたが、どうにか踏みとどまった。

 

「まあ、そういうわけだから、当然僕もついていくよ。……って言いたいところだけど、ちょっと気になることがあるんだよね」

 

「何よ?」

 

「まだ確証は無いんだけど……少し調べたいから、僕はしばらく、シグルドのパーティーに残るよ」

 

 リーファの騎士を気取った態度を取っていたのだから、このままパーティーに加わるかと思えた少年が、何を思ってか、パーティー残留の意思を表した。その言葉に、サスケが訝しげな表情をする。友達二人が抜けたというのに、尚もあの横柄なシグルドのパーティーに残る理由があるのだろうか。一体この少年は、何を探ろうとしているのか……

 

「サスケさん」

 

「!」

 

 そこまで考えたところで、ふと声を掛けられるサスケ。対するレコンは、いつにも増して真面目な表情で向き直る。

 

「彼女、トラブルに飛び込んで行く癖があるんで、気を付けてくださいね」

 

「……承知した」

 

「それから、言っておきますけど。彼女は僕の――うぎゃっ!」

 

「しばらくは中立域にいると思うから、何かあったらメールでね」

 

 サスケに詰め寄って何かを言おうとしたレコンの声は、しかしリーファが脛に食らわせた蹴りの一撃によって黙らされてしまった。リーファはそれだけ言うと、塔の屋上から飛び立ってしまった。サスケとランもまた、レコンに同情しながらも、後を追って飛び立っていった。

 

「彼、リアルでも友達なんだろう?いいのか、あのままで」

 

「問題無いわ。どうせ大したことの無い用事でしょうし、運が良ければすぐに合流してくるわ」

 

「またまた。とっても仲が良いのに……」

 

「ランさん!変な誤解を招くようなことを言わないでください!」

 

 サスケに続き、からかうように声をかけるラン。そして、さらにユイが続く。

 

「あの人の感情は理解できます。好きなんですね、リーファさんのこと。リーファさんは、どうなんですか?」

 

「し、知らないわよ!」

 

 ユイの爆弾的な質問に、顔を若干赤くして返すリーファ。そんなリーファの様子を、ランは苦笑し、サスケも無表情ながら内心で微笑ましく思っていた。

 

「さ、急ぐわよ!一階の飛行で、あの湖まで行くよ!」

 

「「了解!」」

 

「はいです!」

 

こうして、期せずして出会った三人と一人のパーティーは、アルヴヘイムの中心地たる央都アルンを目指して飛び立っていったのだった。

この世界の故郷たる翡翠の都への郷愁が胸を締め付けるも、新たな世界への期待に胸を躍らせ、少女達は旅立っていく――――

 



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第六十二話 ルグルー回廊

 新世代型VRMMO、アルヴヘイム・オンラインの舞台たる妖精郷、アルヴヘイムの中央に聳え立つ世界樹の上。そこに吊るされた鳥籠の中に、二つの人影があった。中央に置かれたベッドの上に腰かけて胡坐をかいている男――オベイロンが、隣に座っている少女――アスナの二の腕に指を這わせている。

 

(ちょっとでも体に触れてきたら……顔面を殴り飛ばしてやる!)

 

 リアルならば、確実に鳥肌が立っているであろう、オベイロンの行為に対し、内心でそう息まくアスナ。だが実際のところ、管理者権限を持つGMであるオベイロンに対して、囚われの身であるアスナの攻撃行為が成功する可能性は限りなく低い。加えて、感情の起伏の激しいこの男の機嫌を損ねれば、今以上に拘束されることは間違いなく、最悪の場合は人体実験にかけられることも考えられる。

故に、この男を極力刺激するべきではないのだが、アスナにも我慢の限界というものがある。そして、SAOの最強ギルド、血盟騎士団において“鬼の副団長”として果敢に戦ったアスナは、戦いの日々の中で自分が強硬的な性格になった自覚もある。そのため、沸点も以前より低下しており、自分でも何をしでかすか分からない。自分が不利益を被る結果に至らないためにも、オベイロンこと須郷がこれ以上自分の神経を逆撫でするような行為をしないことを祈るばかりだった。

 

「やれやれ、頑なな女だね、君も」

 

 やがて、何の反応も示さないアスナに飽きたのか、オベイロンはベッドの上に寝そべりだした。一先ず、これ以上の不利益を被る事態は免れたようだ。

 

「どうせ偽物の体じゃないか。何も傷つきゃしないよ。少しは楽しもうって気にならないのかねぇ……?」

 

「……あなたには分からないわ。体が生身か仮想かなんてことは関係無い。少なくとも私にとってはね」

 

「心が汚れるとでも言いたいのかね?」

 

 くっくと下卑た笑みを向けるオベイロンに、アスナはさらに苛立ちを募らせる。

 

「どうせこの先、僕が地位を固めるまでは君を外に出すつもりは無い。今の内に楽しみ方を学んだ方が賢明だと思うけどねぇ」

 

「……いつまでもここにいるつもりは無い。きっと……助けに来るわ」

 

「へえ?誰が?ひょっとして彼かな?英雄イタチ君」

 

 その名前を聞いた途端、アスナは若干驚いた様子でオベイロンの方を振り向く。反射的な行動……先程よりも顕著な反応に、オベイロンは口元を歪ませ、饒舌に喋る。

 

「彼、キリガヤ君とか言ったかな?先日、会ったよ。向こう側でね」

 

「…………!」

 

「いやあ、あの貧弱な子供がSAOをクリアした英雄とはとても信じられなかったね!ま、茅場先輩とも親しくしていたようだし……その手のチートスキルを持っていても不思議じゃなかった。案外、裏技で生き残ったのかもしれないね!とんだ英雄がいたもんだ!」

 

 アスナが反応を示した人物、イタチこと和人のことを貶める発現を次々重ねるオベイロン。その言葉の端々に込められた侮蔑にアスナは憤りを覚えるが、これ以上咋な反応を見せれば、さらに調子に乗ることは確実なので、それを顔に出さないよう最大限努力する。

 

「彼と会ったの、どこだと思う?君の病室だよ。寝ている君の前で、来月このこと結婚するんだ、と言ってやった時の彼の反応は、中々面白かったね!ポーカーフェイスを気取っていたけど、僕を君から遠ざけるために、かなり必死になってたよ!」

 

「…………」

 

「じゃあ君は、あんなガキが助けに来ると信じているわけだ!賭けても良いけどね、あのガキにもう一度ナーヴギアを被る根性なんてありゃしないよ!大体君のいる場所さえ掴める筈が無いんだしね。そうだ、彼に結婚式の招待状を送らないと。きっと来るよ……君のウエディングドレス姿を見にね。擬似英雄君とはいえ、それくらいのおこぼれは与えてやらないとね」

 

 和人が八百長によってSAOをクリアしたと信じて憚らないオベイロンの言動に、アスナは顔を俯けるばかりだった。やがて、和人をダシに散々アスナを嬲って満足したのか、オベイロンはベッドから降り、立ち上がった。

 

「ではしばしの別れだ、ティターニア。明後日まで、さびしいだろうが堪えてくれたまえ」

 

 相も変わらず不快な笑みを浮かべて立ち去るオベイロン。和人の存在を利用して、アスナの心を折る接点を見つけた以上、彼女が自分に屈服するのは時間の問題だろうとオベイロンは考える。仕事で二日程この場所に来ることができないが、帰って来てからが楽しみだと思いつつ、ドアに向かって歩いていく。

 一方のアスナは、傍から見れば落ち込んでいるようにしか見えていないが、その心には見た目とは裏腹に希望が宿っていた。

 

(イタチ君は……和人君は、現実世界に帰っている!)

 

 アスナがこの世界に閉じ込められて以来、唯一の頼みの綱として心の支えとしていた人物こそが、イタチこと和人だった。アインクラッドでフロアボスやレッドギルド、そしてGMたる茅場晶彦相手に果敢に立ち向かったあの少年ならば、須郷の野望を打ち砕くことができるかもしれない。だが、彼までもが須郷に囚われてしまっていては、それも叶わない。アスナの最大の懸念は、和人の帰還だったのだ。しかしそれも、須郷が厭味ったらしく告げてくれた言葉のお陰で彼の現実世界帰還に確信が持てた。

 彼が現実世界に帰っていたのならば、まず間違いなく未帰還者の存在に関して何者かの悪意を悟る筈。そして、VRMMOを隠れ蓑に違法研究を行っているのならば、アルヴヘイム・オンラインに行き着き、再びこの仮想世界へダイブして悪の巣窟たる世界樹を目指すだろう。須郷は、和人にはナーヴギアを被る勇気は無いと言ったが、その認識は完全に間違っている。アインクラッドで常に危険な立ち回りを自ら率先して行っていた和人ならば、どんな危険があろうと飛び込んでくる筈だ。そもそも、年齢に不相応なくらい修羅場慣れして落ち着いた雰囲気の彼が、アインクラッドでの体験をトラウマにするとは考えられない。

 

(きっと……きっと、助けに来る!だから、私も……!)

 

 恐らくは、今も囚われになっている自分達未帰還者を解放するために戦い続けている少年に報いるためにも、自分は自分の戦いをしなければならない。密かに決意を新たにしたアスナは、俯けた目線を僅かに上げ、ベッドに備え付けられた鏡に視線を向けるのだった…………

 

 

 

 

 

 一方、アスナが考えた通り、須郷の野望を阻止すべく世界樹を目指し、二人の仲間を連れて旅を続けていた和人ことサスケは、ローテアウトを繰り返しながら央都アルンを目指していた。そして現在、サスケ達三人組のパーティーは、そのルート上にある最初の関門に差しかかっていた。

 

「暗視能力付加魔法……これは便利ね。スプリガンのしょぼい魔法も、捨てたもんじゃないわね」

 

「……魔法も使いようだろう。局面次第では、普段役に立たない魔法でも通常以上の性能を発揮するものだ」

 

 スプリガンのサスケがかけた暗視能力付加に感心しながらも、どこか見下したようなリーファの口ぶりにサスケは憮然とした表情で返した。

サスケの前世たる忍世界では、忍者達は多手多様な忍術をあらゆる局面によって使い分けて戦っていた。忍の戦いにおける心得は、敵の不意を突き、裏をかくこと……即ちその本質は頭脳戦であり、術の手数とそれを臨機応変に使い分ける器量こそが忍の強さと言える。サスケはALOにおける魔法を、忍世界の忍術と同様の力として認識しており、故にリーファの発言を窘めようとしたのだが、その言葉の重みはあまり届いているようには見えなかった。

 

「まあまあ、リーファちゃんもそのくらいにして。サスケ君の言う通り、使える魔法は多いに越したことは無いんだから。スプリガンの攻撃力の無い魔法でも、使い道はあるわ」

 

「……」

 

「……ランさん、フォローになってませんよ」

 

 スプリガンたるサスケの魔法を過小評価する発言の連続に、しかし当人は黙したままで、代わりにユイが口を尖らせる。そんなやりとりをしながらも、つい数時間前に結成したパーティーは、先を進むのだった。

 イタチ等三人と一人がさしかかった関門の名は、『ルグルー回廊』と呼ばれるダンジョンだった。最終目的地であるアルンとサスケ達がいる場所とを隔てる山脈は、妖精の翅で飛べる現界飛行高度以上ある。そのため、先へ行くには各種族の領地から近い谷や洞窟を通らねばならないのだった。幸い、サスケの暗視能力付加魔法をはじめとしたサポート魔法のおかげで、暗闇の中での活動には然程の支障は無く、時折現れるモンスターも回廊へ入る前と同様のペースで蹴散らすことができた。この分ならば、洞窟越えも問題無くクリアできそうだと、全員が考えていた。

 

「そういえばサスケ君って、魔法スキルはどれくらいなの?」

 

「……非常に低いぞ。スキル熟練度は150ない」

 

 ここまでの道中において、あまり魔法を使おうとしなかったサスケの戦闘スタイルに疑問をもったランが投げ掛けた疑問。サスケがパーティーの戦力に関する認識を共有するために嘘偽りなく答えたその言葉に、リーファとランは驚愕する。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ!サスケ君って、相当強いじゃない!明らかにVRゲーム慣れしてる動きなのに、何でそんなに低いのよ?」

 

「……今までは、魔法スキル抜きで戦っていたからな」

 

「は、はぁぁああ!?」

 

 今まで触れることの無かった、サスケの総合プレイ時間。サスケの口から聞かされた新たな事実に、再度呆気にとられるシルフ二人。リーファに至っては、素っ頓狂な声を上げてしまっている。二人がこんな反応をするのも無理は無い。レベルやスキルを制限してゲームをプレイする、『縛りプレイ』という概念は確かに存在するが、戦闘が魔法主体のALOを武器スキルのみで戦い抜こうなど、無謀以外の何物でもない。

 

「いや……ここ最近は、プレイスタイルに限界を感じ始めたのでな。魔法スキルの取得も始めたというわけだ……」

 

 まさか、魔法スキル以外はSAOで稼いだ数値をそのまま引き継いでいるとは言えないため、サスケは一言付け加えた。尤も、今までピュアファイターとして戦っていたことも、戦闘には魔法スキルが必要であると感じたことも事実なのだが。

 

「全く……とんでもないドMプレイヤーがいたものね」

 

「……」

 

 事実ながら酷い言われようだと思いつつも、サスケは甘んじて受け入れることにした。と、その時。

 

「あ、レコンからメールだ。ちょっと待ってて」

 

 スイルベーンで別れた友人からのメールに、一度立ち止まるリーファ。どうせ大した用事ではないだろうと思いつつも、一応確認のためにメニューを開く。メッセージの内容は、以下の通り。

 

『やっぱり思った通りだった!気を付けて、s』

 

(……何これ?)

 

 意味不明の内容に、疑問符を浮かべるリーファ。文末を見るに、どうやらまだ先があったようだが、肝心な部分が切れていた。メッセージを見て首を傾げるリーファを訝り、サスケが声をかける。

 

「何が書いてあったんだ?」

 

「何か変なメッセージでね。『やっぱり思った通りだった!気を付けて』って書いてあって、最後に『s』ってついているのよ……」

 

「『s』……エス、か……」

 

 その言葉に、目を細めるサスケ。何か思い当たる節があるようだが、その内心は測りかねる。すると今度は唐突に、ユイがサスケのコートのポケットから頭を出した。

 

「パパ、接近する反応があります」

 

「……プレイヤーか?」

 

「はい。それも、かなり多いです。数は……十二人」

 

「じゅうに!?」

 

 十二人という人数は、通常の戦闘パーティーにしては多すぎる。大型ギルドか、或いは何処かの種族が大規模なクエスト等に挑む際に結成される部類の規模である。このルグルー回廊やその近辺においてそのような大掛かりなクエストがあるという話は聞かない。交易用のキャラバンがアルンへ向かっているとしても、ルグルー回廊を利用する種族は主にシルフである。だが、つい最近確認したスイルベーンの情報には、大規模キャラバン結成のための募集広告は無かった。

 

「……ちょっと嫌な予感がするね。リーファちゃん、サスケ君、ここは少し様子を見よう」

 

 得体の知れぬパーティーの接近に言い知れぬ危機感を覚えたランは、サスケとリーファに一度どこかに隠れてやり過ごす事を提案する。二人が無言で頷いたことを確認すると、三人は通路の窪みに入りこむ。

 

「それじゃあ、私に任せて」

 

 言うと、ランは呪文を唱え始めた。数節の得衣装を終えると、三人の目の前に半透明の岩壁が出現する。ランの発動した隠蔽魔法によって作られた幻の壁である。

 

「喋るときは最低のボリュームでね。あんまり大きい声出すと、魔法が解けちゃうから」

 

「了解」

 

 隠密活動は、前世からのサスケの得意分野である。潜伏して敵をやり過ごしたことなど、数知れない。

 

「あと二分ほどで視界に入ります」

 

 ユイの言葉に、通路の向こうをじっと見つめる三人。果たして、向かってくるのは敵なのか。それを見極めるべく、索敵スキルも全開にして待ち構える。だが、視界に映ったのはプレイヤーとは別のものだった。

 

「……おい、あれは何だ?」

 

「え?……まだ、プレイヤーの姿は見えないけれど」

 

「……プレイヤーじゃない?赤いコウモリ……」

 

「いや違う……あれは、高位魔法のトレーシング・サーチャーだ!」

 

 そう叫ぶや否や、サスケは幻影の岩壁から飛び出し、懐から取り出したピックを投げつける。サスケの投擲したそれは、空中をふわりふわりと飛んでいた赤いコウモリに命中し、ポリゴン片と共に消滅した。

 

「走るぞ、二人とも!」

 

 サスケの言葉と共に、続けて幻の岩壁を抜けて姿を現す二人。三人はサスケを先頭に、ダンジョンを駆け抜けて行く。

 

「今の使い魔って、火属性よね?ってことは、追ってきている相手は……」

 

「サラマンダー、だな」

 

「でも、どうしてサラマンダーの部隊がルグルー回廊に?」

 

 走りながら、先程撃墜した使い魔について議論する三人。サラマンダーの領地はシルフ領と隣り合っており、彼等がルグルー回廊に出没することは今までにも少なからずあった。だが、十二人のパーティーが、自分達が通過するこのタイミングで現れたのは偶然とは思えない。作為的な、陰謀めいた何かが働いている可能性が窺える。

 

「覚えているだろう?ここへ入る前にローテアウト休憩した時、トレーサーが付いているかもしれないと言ったのを」

 

「確かにそう言ってたけれど……まさか、ここに入る前から尾行されていたの?」

 

「間違いないだろうな。それに……連中が俺達を追う理由には、心当たりがある」

 

「……どういうこと?」

 

「それは後で話そう。とにかく今は、都市まで逃げ切るぞ」

 

 サスケの言葉を訝りながらも、今はただ逃げるしかないという点では意見が一致していたため、リーファとランはルグルーの鉱山都市へ向けて全力疾走で駆け抜けていくのだった。

 

 

 

 サラマンダーの放ったトレーシング・サーチャーを撃破してから走ることしばらく。三人と一人のパーティーは、洞窟内の地底湖、その中央にある鉱山都市へと続く石造りの橋へ差し掛かっていた。

 

「どうにか、逃げ切れるかしら?」

 

「無理だろうな」

 

「どうして?」

 

「何故なら……」

 

 サスケがその先を告げようとした途端、その後方から一筋の光が飛んでいく。照準はサスケ達三人からは完全にずれており、頭上を飛んでいった光弾は街への入り口の手前で地面に着弾。次の瞬間には、地面から巨大な岩壁がせり出して行く先を塞いだ。

 

「くっ……やられた!」

 

「土魔法の障壁だな。システム的に、物理攻撃での破壊は不可。属性からして……雷属性の魔法での破壊しかないな」

 

「そうね。でも、私達は雷系の攻撃魔法は習得していないのよ」

 

 湖に架かる一本道の橋の上、通路を塞がれて逃げ道は無い。湖には、大型のモンスターが影を覗かせている。湖へ飛び込んで逃げるという手段は、聞くまでもなく使えそうにない。となれば、残された道は追手を撃破する以外に無い。皆が内心でそう結論付けたと同時に、複数のプレイヤーが駆け寄る足音が聞こえてきた。橋の向こうへ視線をやると、そこには十二人のプレイヤーの影。予想通り、全員種族はサラマンダーだった。

 

「正面戦闘以外に手段は無いな」

 

「その通りね」

 

 サスケの言葉に同意したリーファとランは、各々戦闘態勢に入る。ランは空手の構えを取り、リーファも腰に差した得物を抜こうとする。だが、それはサスケに止められた。

 

「リーファは後方支援を頼む。前衛は、俺とランが務める」

 

「ちょ、ちょっと!」

 

「魔法スキルはお前が一番上だ。サポートできる人間は他にいない」

 

 ここに至るまでの道中での戦闘から、リーファが一番魔法スキルの熟練度が高いことを見抜いたサスケは、有無を言わさずパーティーメンバーの配置を決めていく。リーファとランも、敵がすぐ傍まで迫っている以上は迷っている時間は無いと判断し、サスケの言う通りに動く。

 

「まずは俺が行く。ラン、お前は長距離射程の魔法が飛んできた場合のために、リーファのガードを頼む。」

 

「分かったわ」

 

 互いの配置を確認すると、サスケは腰に差した長剣を引き抜き、サラマンダーの重装備前衛三人に向かって剣を横一文字に一閃する。

 

「はあぁっ!」

 

 渾身の力を込めて振るった一撃。先日のサラマンダー部隊との戦闘では、一太刀でプレイヤーを屠ったそれを、しかしサラマンダー達は回避しようとせず、盾に身を潜めて衝撃に備える体勢をとった。

 

「あれは……!」

 

 そのフォーメーションに、リーファは見覚えがあった。これは、物理攻撃に秀でたボスモンスターを攻略するための連携だ。前衛の盾持ちの重装戦士が防御を引き受け、後衛となるメイジが援護のための回復と、ダメージを与えるためのメイン攻撃を行う。

 リーファの予想通り、サラマンダーの重装戦士三人はサスケの強力無比な斬撃を受けながらも、HP全損には至らなかった。そして、HPが七割程削られたところで、すかさず後方で回復役として控えていたメイジ三人が回復呪文を唱える。

 

「チッ……!」

 

 敵の連携が思いのほか厄介なことに舌打ちしたサスケは、ここにいては分が悪いと判断し、飛び退こうとする。だが、サラマンダーと間合いを取ろうとする彼に、部隊の最後尾に控えたサラマンダーのメイジ隊が攻撃を仕掛ける。

 

「サスケ君!」

 

 サスケの頭上に迫る複数の火球。サラマンダーの得意な火属性攻撃魔法である。リーファの悲鳴が響く中、サスケは直撃を避けるべく橋の上を全力で動き回るが、着弾の余波がサスケの肌を焼く。リーファ達が控える後方へと撤退したサスケだったが、HPは二割程減らされていた。

 

「大丈夫!?今、回復するから……」

 

 そう言って、回復魔法の詠唱を始めるリーファ。対するサスケは、自分が受けたダメージを気にする余裕など無く、如何にこの窮地を脱するべきかと思考を巡らせていた。

 

(拙いな……このまま接近を許せば、確実にやられる……!)

 

 恐らくサラマンダーの部隊は、橋の上で身動きの取れない自分達を追い詰めるために徐々に接近し、前衛が魔法の着弾による余波を食らわないギリギリの距離に追い詰めることだろう。そしてその後、魔法を断続的に放ち、反撃の隙すら与えずに殲滅にかかるつもりだとサスケは結論付けた。

 

「サスケ君、今度は私が行くわ!」

 

 ランも同様の結論に至ったのだろう。距離を詰めてくる敵を足止めするべく、サラマンダーの前衛目掛けて駆け出していく。

 

(無茶だよ……こんなの!)

 

 サスケもランも、まだ戦いを諦めている様子ではないが、勝敗は決したも同然である。相手はボスとの戦闘を前提としたパーティーなのだ。急造に等しい三人組のパーティーが敵うような相手ではない。そのようなことを考えている間にもランが先程のサスケ同様、サラマンダーの火炎魔法に焼かれながら後退してきた。HPは半分近く削られ、息も大分上がっている。

 

「もういいよ、二人とも!またスイルベーンから何時間か飛べば済む話じゃない!もう諦めようよ!」

 

 半ば投げやりになって叫ぶリーファの言葉に、しかしサスケもランも、首を縦には振らない。HPが全回復したことを確かめたサスケは、再びサラマンダーの敵地へ行く姿勢を見せる。

 

「まだ諦めるには早いだろう。それに……俺がいる内は、パーティーメンバーを簡単には死なせん」

 

「そうね……いくらゲームでも、簡単に死んでいいなんて言うものじゃないわ」

 

 絶望的な状況にも関わらず、未だ生き残る望みを捨てようとしないサスケとランの姿にリーファは気圧される。二人のその姿には、ゲームをやっているという遊び感覚はまるで無く、生きようとする意志は現実世界に迫るものがあった。

 

「けど……どうやってアイツ等を倒すのよ!?数は多いし、フォーメーションを崩す方法だって見つからないのよ!?」

 

「なに、そんなに難しいことじゃない。前衛を突破すれば、後ろに控えている連中はメイジばかりだ。白兵戦に持ち込めば必ず勝てる」

 

「だから、その方法が分からないんじゃない!」

 

「安心しろ。それも既に考えてある」

 

 作戦も考えてあるから心配無用と宣言するサスケ。長剣を改めて構え直し、突撃体制をとる。

 

「リーファ、後衛はもう不要だ。全員で掛かって一気に仕留める」

 

「え!?……で、でも!」

 

「どの道、ジリ貧になれば後衛は意味を為さない。全員まとめてかかった方が、勝機がある。ラン、お前が先頭に立て。得意の体術を、中央の重装兵士に叩き込むんだ」

 

「任せて!」

 

 サスケの作戦説明に従って動くリーファとラン。サスケというリーダーのもと、スリーマンセルのパーティーは再び立ち上がろうとしていた。

 

「行くぞ!」

 

「「応!」」

 

 サスケの合図と共に、再度突撃を敢行する三人。先頭からラン、サスケ、リーファの順に並んで突進を仕掛ける。

 

「フン!何度仕掛けてこようと同じことだ!」

 

 中央に立つ盾持ちのサラマンダーが、無駄な抵抗だと嘲笑う。だが、ランはそんな言葉などお構いなしに、渾身の力を込めて拳を叩きつける。

 

「うぉぉおお!」

 

「ぐぐぅっ……!?」

 

 助走による加速も相まって、非常に強力な一撃となったランの拳を前に、中央に立つサラマンダーの防御姿勢が崩れる。衝撃を殺し切れず、盾ごと仰け反ってしまったその一瞬、隙間なく並んでいた盾戦士の間に僅かな隙間が生じた。

 

「ここだ……!」

 

「んなっ……!」

 

 拳を振りかぶったランの右手側から凄まじいスピードで回り込むサスケ。衝撃に仰け反ったことで出来た僅かな隙間を目掛けて鋭い刺突を繰り出す。SAOのイタチ譲りの筋力と敏捷で放たれる一撃は、凄まじい貫通力と速度をもってサラマンダーが頭に被っている兜をバイザーから穿つ。

 

「がっ……はぁあっ!!」

 

 バイザーの隙間から頭部を貫かれ、一気にHPを全損するサラマンダーの重装兵士。次の瞬間には全身からリメインライトを発して体の原形を崩壊させる。サスケは目の前の壁が一人減ったことでできた道へと飛び込み、リーファもその後を追う。ランだけは、他の盾役二人の始末のために残る。

 

「なっ!……アイツ等!」

 

「前衛をっ!」

 

 鉄壁の前衛を突破されて浮足立つ後方支援のメイジ隊。サスケとリーファは、そんな彼等に対して遠慮なく斬り込んでいく。敵を迎撃するべく呪文を唱えようとするが、サスケの剣の方が速い。

 

「遅い」

 

「がはぁっ!」

 

 回復役のメイジ隊の中で、中央に立つリーダー格の男を一太刀で切り捨てるサスケ。碌な防具を装備していないメイジでは、サスケの繰り出す斬撃を受けて生き残れる筈も無く、先の前衛同様にリメインライトと化して消滅した。

 

「リーファ、頼んだぞ」

 

「任せて!」

 

 一人を斬り捨てて、再度混乱に叩き落とされた回復役の部隊の残り二人をリーファに任せ、サスケは再び走り出す。目指すは最後尾から攻撃魔法を放っていたメイジの攻撃隊。司令塔が控える陣営である。

 

「くっ!爆裂魔法だ!」

 

 サスケの脅威を認識したサラマンダーのリーダー格らしき男が、魔法による迎撃を指示する。高い敏捷性をもつサスケだが、攻撃役のメイジ隊はかなり後方に展開していたため、攻撃を届かせるためには僅かながら時間がかかる。その間に詠唱を完了すれば、確実に迎撃・撃破できるとリーダー格の男は考えたのだが……サスケはやはり、甘くなかった。

 回復役のメイジ一人を斬り捨てたその足で最後尾の部隊目掛けて疾走するサスケは、呪文の詠唱を行っていた。サスケは最後尾の攻撃役のメイジ達が迎撃に入ることを予測し、先手を打っていたのだ。サラマンダー達より先に詠唱の完了させ、サスケが突き出した左手から放射されるのは、黒い煙。スプリガンの幻惑魔法『シャドウ・スモーク』である。

 

「な、アイツはどこにっ!?」

 

「くそっ!何も見えないぞ!」

 

 最後尾に控えた六人のサラマンダー達は、突然の目晦ましにさらに浮足立つ。この煙には、『毒』や『麻痺』などの状態異常や索敵スキルを封じる効果も無い。単に視界を封じるだけの効果しか無い魔法だが、イタチという脅威の前に浮足立った状態のサラマンダーには効果覿面だった。味方の位置を確認できなくなったせいで、同士討ちを避けるために爆裂魔法のような攻撃魔法を唱えることはできない。煙幕から抜け出そうにも、この状態で闇雲に動けば、互いに衝突するか、橋から落ちて水竜の餌食になるかである。そして、身動きも反撃もできない状況に追いやられたサラマンダー達に、サスケの刃が迫る。

 

「ぐぁあああっっ!」

 

「ぼはぁああっ!」

 

「ぐげぇぇえっ!」

 

 煙幕の中で次々上がる、サラマンダー達の断末魔。煙幕を張る前にサラマンダー達のポジションを性格に把握していたことに加え、SAOで鍛えた索敵スキルと前世の忍としての経験を備えているサスケには、視界を封じられて右往左往しているサラマンダー達を殲滅するなど造作も無いことだった。

 

「た、退却っ!退却!」

 

 ことここに至って自分達が狩られる立場に変わったことを理解したサラマンダーのリーダーが退却を指示するものの、その判断は完全に遅すぎた。部隊のメンバーは次々サスケの刃の餌食にされていき、遂に残ったのはリーダーのみとなった。

 

「い、一体何者なんだ……!」

 

 サラマンダーのパーティーリーダー、ジータクスが、サスケ達のパーティーを狙うよう指示を受けたのは、サラマンダー上層部からの命令があってのことだった。作戦の邪魔になるからと、十二人掛かりで確実に始末しろとの指示だったが、たった三人のプレイヤー相手に過剰戦力である。余裕で勝てるだろうと考えていたのだが、目標の戦力は予想を大きく上回っていた。ボスモンスターですら撃破して余りあるパーティーを返り討ちにするスリーマンセルのプレイヤーなど、聞いたことが無い。

 

「終わりだ」

 

 そうこう考えている内に、徐々に晴れてきた煙幕の向こう側から処刑宣告が聞こえてきた。次の瞬間には、サスケが振り下ろした断罪の一撃にて、ジータクスのHPは全損――ALOの世界にて絶命したのだった。

 

 

 

 サラマンダーの部隊を殲滅し終えたサスケ等三人は、街への入り口を塞ぐ土魔法の障壁が消滅したことを確認すると、鉱山都市ルグルーへと入り、改めて先のサラマンダーの襲撃に関して話し合う。

 

「それにしても、さっきの連中は一体何だったのかしら?上手く撃退できたけど、あたし達を狙った理由は完全に分からず終いじゃない。こんなことなら、一人くらい生かしておいて吐かせた方が良かったわ……」

 

「仕方ないわ。手加減できる相手じゃなかったし。本来なら、こっちが全滅させられていたんだもの」

 

 敵は撃退した者の、その目的や誰の差し金かを明らかにすることができず、心にもやもやを抱えるリーファ。ランも同様だが、命があっただけでも奇跡だと言ってリーファを窘めていた。しかしただ一人、サスケだけは何かを悟ったようだった。

 

「手掛かりが全く無いわけではない。何せ、俺達にサラマンダーの襲撃を知らせようとした人間がいたからな」

 

「え?……それって、どういうこと?」

 

 サスケの言葉に疑問符を浮かべるリーファとラン。サラマンダーの襲撃を自分達に知らせようとしてきた人物とは、一体誰なのか。心当たりの無いリーファに、しかしランが何かを思い出したかのように口を開いた。

 

「もしかして、レコン君のことじゃない!?」

 

「レコン?……確かに、メッセージを飛ばしてくれたけど……どうしてアイツだって分かるのよ」

 

 忠誠心が高いとはいえ、どこか頼りにならない面の多いレコンがそんな手柄を上げられるとは考えられないリーファは、どこか懐疑的だった。だが、サスケは自身の出した結論に一切の疑いをもっていなかった。

 

「彼のメッセージには、『気を付けて』と記されていた。このタイミングで襲撃があった以上、彼は察知していたと考えて間違いないだろう」

 

「……なら、文末の『s』っていうのは、サラマンダーのことだったのかしら?」

 

「いや、そうとは限らない。もしかしたら、『シグルド』と書こうとしていたのかもしれないぞ」

 

「シグルド!?ど、どうしてそうなるのよ!」

 

 サスケの口から出たのは、自分の前所属パーティーのリーダーにして、シルフ執政部所属のプレイヤーの名前である。この言葉には、リーファのみならずランも驚愕を隠せない。

 

「思い出せ。彼がスイルベーンでパーティーに残ったのは、シグルドのことで何か疑惑があったからだ。恐らくシグルドは、サラマンダーと通じていたのだろう。レコンはそれを察知してパーティーに残り、確証を掴もうとしたんだ。メッセージが途切れていたのは、確証を得たところで見つかり、捕まったからだろう」

 

 サスケの推理に、まさかと思いながらもそれを否定できないリーファとラン。思えば、確かにシグルドのここ最近の行動には疑問に思うことが多々あったし、レコンからのメッセージとサラマンダーによる襲撃のタイミングも合い過ぎる。サスケが間違いではないのではと、二人は信じ始めていた。

 

「でも、どうやってそれを確かめれば……」

 

「簡単なことだ。リーファはレコンと知り合いなのだろう?なら、一度ログアウトして現実世界で彼に電話をかけてみればいい。彼のアバターが捕まっているのならば、彼も連絡手段を得るために現実世界にログアウトしている筈だ。一度落ちてみろ」

 

「そ、そうね……それじゃあ、二人ともちょっと待ってて!」

 

 サスケの言葉を受け、リーファは手近なベンチに腰掛けると即座にログアウトコマンドを選択する。つぎの瞬間には、リーファのアバターは眠ったように動かなくなった。

 

(これはまた、厄介なことになりそうだな。こちらも念のために、準備をしておくか)

 

 そう考えたサスケは、ログイン初日にフレンド登録をしたスプリガン領主、エラルド・コイルへとメッセージを送った。

 

「ユイ、リーファが戻って来た時のために、ルグルー回廊からアルン側へ出るための最短ルートの検索を頼む」

 

「分かりました、パパ」

 

 胸ポケットから飛び出したユイが、空中で瞳を閉じてマッピングデータにアクセスを開始した。サスケの予想では、リーファがこちらへ戻って来てから嵐が起こることは間違いない。予想できる限りのケースを考え、備えを可能な限り万全にするべくサスケは動くのだった。

 



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第六十三話 猛炎の将

 アルヴヘイム南部の高山地帯内陸部。ルグルー回廊を出た場所に広がる草原を、疾風の如く駆け抜ける三人の妖精がいた。一人はスプリガンの少年、サスケ。二人はシルフの少女、リーファとランである。彼等が目指す場所は、当初の目的地である世界樹ではない。アルヴヘイム西部にある猫妖精族・ケットシーのホームタウン・フリーリアへと続く渓谷・蝶の谷である。

 

「ユイ、目的地まではあとどのくらいだ?」

 

「現在の飛行速度で飛び続けて、およそ十分の計算です」

 

「会議の開始までギリギリね……間に合ったとしても、サクヤ達を避難させる暇があるかどうか……」

 

「それでも、何もしないわけにはいかないわ……最悪でも、私達でサラマンダーの勢力を殺いで、領主だけでも逃がさないと……」

 

 三人と一人が目的地への進路を外れて目指している場所ではこれから、リーファやラン達の属する種族の領主であるサクヤが、北部に隣接するケットシー領の領主、アリシャ・ルーとの会談が行われる。一同がそこへ向かっている理由は、リーファのフレンドであるレコンからのメッセージによって明らになった、サラマンダーによる同盟調印式強襲作戦を阻止するためである。

 ルグルー回廊でサラマンダーの部隊からの攻撃を受けたサスケは、この襲撃には何らかの裏があることを疑った。また、レコンからのメッセージが到着して間も無く起こったことから、リーファ達の元所属パーティーのリーダーにして、シルフ執政部の幹部のシグルドが関わっていると考え、確認のためにリーファに一度ログアウトして現実世界からレコンに連絡を取る事を提案したのだった。

結果、レコンの証言から裏を取ったことで、サスケの推理が見事に的中していたことが判明した。それと同時に、サラマンダーの部隊がサスケ達を排除しようと動いていた真の理由が、本日行われるシルフとケットシーの同盟調印式を襲撃し、両種族の領主を討ち果たすための障害の排除にあることが分かったのだった。

 

「パパ、前方に六十八人のプレイヤー反応があります。恐らくこれが、サラマンダーの強襲部隊です。さらに前方に、十四人のプレイヤー反応です。恐らくこちらが、シルフ及びケットシーの会議出席者と思われます」

 

「六十八人か……想像以上に多いな」

 

「それだけ本気ってことよ」

 

「でも、これでますますサクヤ達を逃がすことが難しくなったわね……」

 

 既に先回りすることを諦め、せめて領主だけでも逃がすために臨戦態勢に入ろうとしているリーファとラン。だが、サスケだけは未だにこの窮地を打破するために思考を巡らせている。

 

「まあ待て、二人とも。まずは俺に行かせてもらえないか?」

 

「サスケ君……一体、何をするつもりなの?」

 

「上手くいけば、戦闘を小規模化できるかもしれない」

 

「そんなことができるの!?」

 

「……君のことだから、確実性の高い作戦なんだろうけど……全然想像が付かないわね」

 

「任せろ。俺が出れば、開戦までの猶予が必ず生まれる。最悪の場合は、俺だけが矢面に立って領主二人が逃げられるよう手を打つ」

 

 六十八人という多勢を相手にしても、常に冷静沈着に現状を見極める胆力と、この絶対的な危地を脱するための戦術を考え付く怜悧さには、リーファとランも舌を巻くばかりである。どのような作戦かは知らされていないが、ここまでの道中において幾度となく窮地を脱してきた彼が言うならば、間違いないのだろうと二人は信じて疑わなかった。

 そうして飛び続けることしばらく。遂にサスケ達は眼下にサラマンダーの強襲部隊を視界に捉え、その進行方向の先の円形の大地を確認する。その上には白く長いテーブルと、その左右に七つずつの椅子が置かれており、周囲にはシルフとケットシーのプレイヤー七人の姿がある。いよいよ双方の接触が避け得ないことを悟った三人は、一先ずサスケに先手を任せることにする。サスケは二人の視線に頷くと、眼下に展開する両部隊の間を目掛けて急降下する。隕石の如く落下していったサスケは、一触即発の現場に土煙を上げて降り立った。突然の闖入者の出現に、シルフとケットシーはもとより、サラマンダーも硬直する。やがて煙の晴れた向こう側には、黒衣のプレイヤー……スプリガンのサスケが現れる。

 スプリガンという場違いな種族の登場に、その場にいた全員が奇異の視線を向ける。だが、当のサスケはそんなことはお構いなしで、サラマンダー側へとゆっくり向き直ると、思い切り息を吸い込んで大声で静止を呼び掛ける。

 

「双方!剣を引け!!」

 

 正面から堂々と姿を現し、一方的に戦端が開かれるのを阻止したサスケ。その行動に、サスケに続いて地上へ降り立とうとしていたリーファとランも驚きを禁じ得ない。如何にサスケが強力なプレイヤーとは言え、六十八人もの敵を真正面から退けることができるとは思えない……否。サスケ一人ならば、全員を相手にして生き残れたとしても不思議ではない。だが、この戦いにおいて奪い合うカードは、シルフとケットシーの領主である。二人を守り切れなければ、サラマンダーの大部隊を全滅させられたとしても、実質的には敗北である。

サスケは一体、何を考えているのか。疑問は尽きないながらも、リーファとランは地上へ降り立ち、顔馴染みの領主・サクヤのもとへと合流する。

 

「サクヤ」

 

「リーファ!?それにランも……どうしてここに!?」

 

 サラマンダー大部隊の強襲、スプリガンの乱入に続き、ここに来る筈の無い知り合いの登場に、前合わせの和風の弔意を見に纏ったシルフ領主、サクヤは唖然となる。怜悧な彼女がここまで取り乱すのは珍しいと思いながらも、同時に無理も無いと思う。何せ、現時点でパーティーを組んでいるリーファとランですら驚きを隠せないのだから。

 

「簡単には説明できないけど……ひとつ言えるのは、あたし達の運命はあの人次第ってことだわ」

 

「……何が何やら……」

 

 御尤もな感想である。ふと、サクヤの隣に立つプレイヤーに注意がいく。そこにいたのは、色白のサクヤとは対称的に、小麦色の肌で、猫耳・猫尻尾の付いたケットシーのプレイヤー。ワンピースの水着に似た戦闘スーツに身を包んだこの少女こそが、恐らくはケットシーの領主であるアリシャ・ルーなのだろう。

 各領地において、多くのプレイヤーからの人気を獲得している美少女領主二人が驚愕に表情を染めているところなど、滅多に見られないだろう。そんな二人を余所に、サスケはサラマンダーへと再び呼び掛ける。

 

「指揮官に話がある!」

 

 あまりに堂々としたサスケの要求に応じたのだろう、サラマンダーの部隊が中央に道を開ける。奥から出てきたのは、大柄な浅黒い肌の男性プレイヤー。取り巻きのプレイヤーとは一線を画すレアアイテムに身を包んだその男こそが、この部隊を率いる将なのだろう。半端ではないプレッシャーを放つこの男を前に、サスケにも若干の緊張が走る。

 

「スプリガンがこんなところで何をしている。どちらにせよ殺すには変わりないが、その度胸に免じて話しだけは聞いてやろう」

 

 威圧感たっぷりの言葉に、しかしサスケは臆した風は全く無い。常の感情が全く見えない表情のまま、口を開く。

 

「俺の名はサスケ。スプリガン=レプラコーン同盟の大使だ。この場を襲うからには、我々四種族との全面戦争を望むと解釈していいんだな?」

 

 サスケが放った宣言に、その場にいたプレイヤー全員が再度どよめく。それは、リーファとランも同義である。サスケが纏っている装備は、確かにレプラコーン領でしか手に入らない最高級のアイテムで揃えられている。だが、サスケが種族を代表した大使という高い立場にあるプレイヤーだったとは聞いていない。そもそも、スプリガンとレプラコーンが正式な同盟を結んでいるという話は聞いたことが無い。得体の知れない部分の多いプレイヤーだけに、一緒にここまで旅をしてきたリーファとランですらその言葉の真偽は分からない。

 

「スプリガンとレプラコーンが同盟だと?」

 

 サスケと対するサラマンダーの指揮官もまた、目の前のプレイヤーの放った言葉がハッタリなのか、真実なのか疑っている様子である。

 

「護衛の一人もいない貴様が、その大使だというのか?」

 

「その通りだ。シルフ・ケットシーの種族間会議へは、貿易の交渉のために来た。俺に護衛がいないのは、今回の交渉参加が急遽決定した事項だからだ。そして、スプリガン領主のエラルド・コイルから受け取った委任状も、この通り持っている」

 

 サスケが取り出した書簡には、確かにスプリガンの紋章と共に権限の一部を委任する旨と、領主であるエラルド・コイルのサインが記されている。これを見たサラマンダーの司令官は目を僅かに見開き、その他のプレイヤーには衝撃が走る。まさか、本物の大使なのではと信じ始める者達も現れ始めた。

 この書状は、サスケが予め用意していたものではない。ルグルーの鉱山都市で厄介事に巻き込まれることを予感したサスケが、領主であるエラルド・コイルこと竜崎へメッセージを送って用立てたのだ。ルグルーから遥か遠く離れたスプリガンのホームタウン、ジャヤにいるコイルがサスケにこのアイテムを送れたのは、パーティーのアイテム共有ウインドウを利用したお陰である。そもそも、サスケとリーファ、ランが登録しているパーティーは、サスケがログイン初日に組んだパーティーに二人が加わるという形を取っている。そのため、この場にはいないスプリガンのパーティーメンバーを通じて委任状を手に入れることができたのだ。

 

「成程……その書状、そしてお前が身に纏う装備もレプラコーン領でしか手に入らない強力なもののようだな。信憑性のある情報であるということは認めてやろう」

 

 その言葉に、サスケのすぐ後ろで話を聞いていたリーファとランの顔に喜色が浮かぶ。まさか、今までホームタウンにおける身分について触れる機会が無かったサスケが、大使を任される程の人物とは思わなかった。サスケの戦闘能力を鑑みれば、納得できるポストでもあることは確かだが。

 ともあれ、アルヴヘイム版水戸黄門とも呼べる存在の登場によって、シルフとケットシーの領主が討たれるというおい最悪の事態だけは避けられるのでは。そう思ったのだが……

 

「だが、こちらも唐突に現れた貴様の言う事を全て鵜呑みにして簡単に引き下がることはできない。そうだな……俺の攻撃を三十秒耐え切ったならば、大使と認めてやろう」

 

「……いいだろう」

 

 自分に負けず劣らず強力な装備に身を固めたサラマンダーの司令官相手に、しかしサスケは動じない。領主たるコイルからの委任状を携えていたとはいえ、それだけでこの場を乗り切れるなどとは楽観していなかったため、この程度の事態は想定の範囲内と言える。滞空した状態で背中に吊った大剣を抜いて構える猛炎の将を相手に、サスケもまた翅を広げて飛び上がり、腰に差した長剣を抜いて相対する。

 

(三十秒……でも、サスケ君なら!)

 

 サスケと立ち合おうとしているサラマンダーの司令官がどれ程強力なプレイヤーかは分からない。だが、並外れた戦闘能力を発揮し、幾度となく窮地を脱してきたサスケならば、如何なるプレイヤーが相手でも負けるとは思えない。多少梃子摺るとしても、必ず相手を退けてくれる筈。そう考えていたのだが……

 

「拙いな……あのサラマンダーの両手剣、レジェンダリーウエポンの紹介サイトで見たことがある。『魔剣グラム』……つまりあの男が、ユージーン将軍だろう」

 

「え……まさか、あのユージーン将軍なの!?」

 

「ランさんも知ってるの?」

 

「ええ。サラマンダーの領主・モーティマーの弟で、現実世界でも兄弟らしいわ。兄の領主が知略を駆使するのに対して、弟の彼はサラマンダー最強の戦士として君臨するパワーファイターってことになってるの」

 

「サラマンダー最強って……まさか、全プレイヤー中最強!?」

 

 火妖精族・サラマンダーは、アルヴヘイム・オンラインにおいて最大規模のプレイヤー人口をもつ種族である。バランスの取れたポテンシャルで、武器・魔法共に秀でた点で初心者でも扱いやすい利点をもつ。故に、正式サービス開始時期からこの種族を選択するプレイヤーは多い。また、サラマンダーはシルフの領主を一度討ち果たしたことがあり、これをきっかけに勢力を拡大したことでプレイヤー人口増加にはさらに拍車がかけられていた。

 そんな強豪プレイヤーで犇く種族の中で最強の名を冠するのならば、それはアルヴヘイム・オンライン最強を意味する。レジェンダリーウエポンの一つも装備していて然るべき人物なのだ。

 

「行くぞ!」

 

 その掛け声と共に、一気にサスケへと肉薄するサラマンダーの最強プレイヤー――ユージーン。対するサスケは、振り下ろされる強烈な一撃を受け流すべく構える。相手が大振りを外して体勢を崩したところへカウンターを叩きこめば、悪くても大ダメージ、運が良ければ即死を狙える筈。そして、サスケとユージーンの刃がぶつかり合おうとしたその時――――

 

「フッ……!」

 

「!?」

 

 ユージーンの魔剣が、サスケの構えた剣をすり抜けたのだ。武器破壊によるものではない。衝突することなく、魔剣の刃が幽霊のようにサスケの剣を通過し、本人へと襲い掛かったのだ。

 

「くっ!」

 

 魔剣が引き起こした想定外の現象に、さしものサスケも目を見開くも、即座に反応・回避に転じる。ユージーンの振るったグラムがサスケの握る剣の刀身を半分通過するよりも先に、サスケは体を横へ反らして直撃を回避する。勢い余って空中で一回転しながらも体勢を立て直し、再度ユージーンに剣を構え直す。

 

「い、今のって……?」

 

「魔剣の効果……だよね」

 

 リーファとランが唖然として発した呟きに、彼女等のすぐ傍で同じく先程の攻防を見ていたアリシャが答える。

 

「魔剣グラムには、『エセリアルシフト』っていう盾や剣で防御しても非実体化してすり抜けるエクストラ効果があるんだヨ!」

 

「そ、そんな……」

 

「けど、彼は相当できるネ。初撃で効果を見切って回避行動を取ったんダ。お陰で致命傷は避けられたみたいだヨ」

 

「アリシャの言う通りだな。仮に私が初見であの一撃を受けたとしたら、反応し切れず直撃を貰っていただろう。それをあの間合いとタイミングで回避行動に転じて直撃を避けたのだから、相当な腕だな……」

 

 一触即発の現場にいきなり乱入したかと思えば、大使を名乗って敵の将とデュエルに及び、高度な戦闘能力を見せつける。サスケという得体の知れないスプリガンのプレイヤーに、領主二人だけでなく、リーファもランも驚かされっぱなしだった。

 そして、彼女等の見つめる先の蒼穹では、サスケとユージーンが再度衝突しようとしていた。

 

「ハァァアア!」

 

「グッ!」

 

 初撃の攻防で、ユージーンの握る魔剣グラムの特殊能力を把握したサスケは、相手のカウンターを狙う戦術は使えないと判断した上で、積極的に攻勢に出ることにした。

 

「フッ!ハッ!ハァアッ!」

 

「チィイイッ!」

 

 間断なく繰り出されるサスケの猛攻に、ユージーンは防戦を強いられる。全く無駄の無い、流れるような動きで振るわれる剣は、常にユージーンの急所を狙っている。まともに受ければ、HPをごっそり持って行かれる可能性が高い。長いプレイ時間の中で経験した戦闘の中で培った反射神経のお陰で、どうにか反応できているものの、このままやられ続けるわけにはいかない。反撃の隙を見つけるべく、ユージーンもサスケの動きに注視する。今までにない強敵なだけに、隙を見つけるのは容易ではないと考えたものの、反撃の糸口は予想に反して然程時間をかけずに見つけることができた。

 

「そこ、だぁああっ!」

 

「ぐぅぅうっ……!!」

 

 ユージーンがサスケの猛攻の、ほんの僅かな隙を突いて繰り出したカウンターが炸裂する。エセリアルシフトによる防御無効化能力によって防御ができず、回避も間に合わないタイミングで繰り出された一撃がサスケの左肩を抉る。

 

「なっ……!?」

 

「サスケ君っ!」

 

 ユージーンの放った一撃に回避が間に合わず、体勢を崩して落下しかけるサスケを見たリーファとランが驚愕に目を剥く。ここへ至るまでの道中の戦闘では、攻撃範囲の広い魔法攻撃を除いてほとんどダメージを受けることのなかったサスケが、初めて直撃を通したのだ。魔剣の性質上、防御はできないとしても、先程のカウンターは回避し切れない速度ではなかった筈だ。何故、対応できなかったのか。

 

(やはり、空中戦では分が悪いか……!)

 

 サスケがユージーンの攻撃を回避し切れなかった理由は単純。サスケとユージーンの間には、空中戦のキャリアにおいて圧倒的な差があるからだ。サスケは前世・現世や現実・仮想世界を問わず戦闘は地上戦が主体であり、飛行能力を駆使した空中戦に臨んだのは、このALOが初めてなのだ。対するユージーンは、正式サービス開始初期からゲームに参加し、誰よりも長く空中戦に身を投じた末に最強と呼ばれるに至ったコアプレイヤーなのだ。戦場が変われば、戦闘スタイルも大きく影響される。

現実世界とアインクラッドにおいては、サスケの持つ『うちはイタチ』として前世で蓄積した戦闘経験をあらゆる場面で活かすことができたが、アルヴヘイムの空中戦は勝手が違う。SAOから引き継いだスキルがあるものの、ALOを始めた当初のサスケは、空中戦に関しては実質ゼロからのスタートだったのだ。だが、ログインから二日足らずであったにも拘わらず、持ち前の動体視力と反射神経で経験不足を補い、ボスクラスのモンスター相手でも互角に渡り合ってきたサスケは流石と言えるだろう。そもそも、随意飛行もログイン初日で習得できるものではなかったのだ。だが、今回は相手が悪すぎた。仮にサスケが、ユージーンの半分程度でもプレイ時間があったとしたら、互角以上の戦いができていただろう。サスケが一対一の戦いにおいて圧倒されている理由は、一重に“経験の差”なのだった。

 

(だが、無い物強請りは無意味だ……)

 

 ユージーンの放った一撃によって崩れた体勢を立て直しながら、サスケは脳内で対抗手段を模索する。何か、戦況を覆す打開策を講じる必要があるが、ユージーン相手に有効な手段をサスケは持ち合わせていない。

 剣術の腕前ならばサスケの方が上手だろうが、地に足が着いていない空中では間合いや剣線がどうにもブレる。魔法で戦況を覆す手段も、賭けである。サスケが習得している魔法は幻属性のみであり、直接的なダメージを与えることはできない。できるのは精々、幻影を見せて隙を作り出す程度である。ユージーンには小手先だけの戦術は効かず、同じ手が二度通用する相手ではない。やるならば、一度の攻勢で確実に仕留められる作戦でなければならないのだ。

 

「フフフ……中々やるな。グラムの効果を見切った時から思ったが、これならば久々に楽しめそうだ!」

 

「……もう既に、三十秒経過した筈だが?」

 

「悪いな、やっぱり斬りたくなった。首を取るまでに変更だ!」

 

「……やはり、そう来たか!」

 

 想像した通りのルール変更宣言に、しかしサスケは軽く溜息を吐くのみだった。サスケがユージーンに対して制限時間に関して尋ねたのも、確認に過ぎない。サスケとユージーン、刃を手に交錯する二人の頭には、互いをどう殺すかしか無かった。

 既に答えの出ていた問いを済ませ、両者は再び衝突する。黒と赤の翅を煌めかせながら、先程より激しく、より鮮烈にぶつかり合う。そんな高速で飛び交う二人の姿を、リーファやラン、サクヤ、アリシャは目で追いかけるのに必死だった。

 

「凄まじい攻防だな……技術は互角だが、やはりユージーン将軍の方に軍配が上がっているか?」

 

「レジェンダリーウエポンを相手に、あそこまで戦えていること自体が信じられないヨ。あのサスケ君って子の方が、相当な腕前だヨ……」

 

 防御が通用しないというユージーンが握る魔剣の性質上、サスケに防御という手段は取れない。ユージーンが反応できない程の速度で剣戟を繰り出し、動きを見切られないよう交錯する度に太刀筋を微妙に変えて変幻自在に攻撃を放つ。

 だが、どれ程激しく攻勢に出ても、ユージーンに対して致命傷を与えるには至らない。サスケもカウンターの回避に必死で動くものの、完全な回避には至らず、ダメージが徐々に蓄積していく。

 

(拙いな……)

 

 いよいよもって追い詰められたサスケは、ユージーンを倒すために何らかの手段を講じることを迫られる。だが、手数がどうにも足りず、覆し難い戦力差がある敵を前に、サスケは攻めあぐねいていた。

 

(こうなったら……やってみるしかないか)

 

 実は、サスケには現状を覆す方法が全く無いわけではない。ただ、この手段はアインクラッドではおろか、前世の忍世界ですら実行したことの無い手段だった。写輪眼とチャクラによるアシストが有れば成功していただろうが、このアルヴヘイムにはどちらも存在しない。仮想世界が、かつて万華鏡写輪眼で操っていた月読の世界に似ていたとはいえ、完全に前世の動きを再現できるとは限らない。失敗すれば、ユージーンの逆襲を食らってサスケは確実にHP全損に追いやられる。だが、最早手段を選んでいる余裕は無い。

 シルフ領に迷い込み、一人彷徨っていた自分に力を貸してくれたリーファとランの友誼に報いるためにも、この勝負は勝たねばならない。サスケは意を決し、ユージーン相手に最後の作戦に出た。

 

(行くぞ……!)

 

 内心でそう呟くと、サスケはスペルワードを詠唱し始める。ユージーンは、サスケが唱えた呪文が碌な攻撃力をもたない幻属性の魔法であることを見抜き、最後の悪足掻きと判断して攻勢の手を緩めない。

 

「無駄だぁあっ!」

 

 魔剣グラムを振りかぶるユージーンを前に、しかしサスケは詠唱を止めることはしない。紙一重で刃を回避すると、左手を突き出す。その手が黒く輝くと、辺り一面を黒い煙が覆う。スプリガンが得手とする幻惑系魔法『シャドウ・スモーク』である。

 

「くっ……小癪な!」

 

 鬱陶しい黒煙を晴らすべく、ユージーンが魔法無効化の詠唱を行う。それが終わると共に、ユージーンのいる場所から赤い光が放射状に迸ると同時に黒雲を晴らす。そして次の瞬間……

 

「がぁぁああっっ!」

 

 ユージーンが滞空していた場所よりも高い位置へ、飛ばされていた。放物線を描いて仰け反った状態で飛んでいく軌跡を逆に辿ると、そこにいたのは蹴り上げの姿勢を取っていたサスケがいた。このことから、ユージーンはサスケによって蹴り飛ばされたことが分かる。だが、まだ終わらない。

 

「き、貴様っ!」

 

「悪いが、これで終わりだ」

 

 仰け反った状態で飛んでいくユージーンを追うように跳躍するサスケ。その背中には、妖精の翅が展開されていない。先程まで持っていた剣は鞘に納め、今のサスケは完全に無手の状態で、跳躍による慣性に従って滞空しているに過ぎないのだ。

 妖精郷たるアルヴヘイムにおいて有り得ない、飛行能力と武器を放棄した状態での戦闘への突入。これは既に、“妖精”の戦いではない。

 

木の葉隠れ抜け忍にして元暁所属――うちはイタチの“忍”としての戦いが、始まろうとしていた。

 



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第六十四話 獅子連弾

 上空に飛ばされたユージーンを、背後に回った状態で追尾する。相手を木の葉に見立てて追尾するこの技は、サスケが生きた前世の忍世界において、『影舞葉』と呼ばれていた体術である。その名前が示す通り、この技はサスケの前世における故郷、木の葉隠れに伝わる木の葉流体術なのだ。本来、この技は『蓮華』と呼ばれる禁術に相当する強力な体術を発動する繋ぎとして用いられる。

 

(尤も、ここから先は“本物”のサスケのオリジナルだがな)

 

 仮想世界のアバターには体術発動に必要な八門遁甲やチャクラは存在しない。故に、前世の忍時代に写輪眼でコピーした経験をもとに、現世の仮想世界で影舞葉を発動することまで漕ぎつけても、蓮華は発動できないのだ。故に、ここから先は自身の弟が使っていた術を再現する形で、畳みかける――――

 

「行くぞ……!」

 

「!?」

 

 ユージーンの背中に手を添え、身体を捻って左側から蹴りを繰り出す。対するユージーンは、左腕を翳してこれを防御する。

 

「甘いな!」

 

 だが、サスケの攻撃はこれで終わらない。防御された反動を利用して、今度は右側面へと回り込む。丸々一回転した遠心力を伴って左腕から繰り出された裏拳は、ユージーンの顎を直撃する。

 

「ぐぁあっ!?」

 

 顎へ走った衝撃によって、体勢を崩して頭から落下していくユージーン。現実世界ならば気絶は免れない顎への直撃である。仮想の衝撃とはいえ、食らった直後に動きだせるような攻撃ではない。半ば硬直した状態で上空から落下していくユージーンに対し、サスケはさらなる追撃を仕掛ける。

 

「まだだ!」

 

 左腕の裏拳を食らわせた次は、右腕で胸部にラリアットを繰り出す。

 

「ぐぅうう!?」

 

 落下による重力加速を得た一撃に、ユージーンが再度呻き声を上げる。二人共に落下していた状態だったが、ユージーンは必死に体勢を立て直そうと翅を動かしていたことが仇となり、滞空した一瞬に叩き込まれたのだ。体術スキルをコンプリートしたサスケの連撃は、遠心力と重力加速によって威力を増強されており、ユージーンのHPを大幅に削り取る。

 

「や、られるかぁぁあああ!」

 

「っ……!」

 

 ユージーンの身に纏う防具の特殊効果なのだろう。薄い炎の壁が半球状に放射され、サスケの身体が押し戻される。サスケの放つ体術の連撃を一瞬でも食い止めることができたならば、グラムの一撃で逆転が可能である。サスケは現在、仮想世界における遠心力や重力をフルに活用するために、翅を展開せずに戦っている。空中における移動手段を放棄した今のサスケが相手ならば、今現在も翅を展開しており、空中で安定姿勢を保つことができる自分に分がある。恐らくユージーンはそう考え、視界を遮る炎が消えると同時に刺突を繰り出す算段なのだと、サスケは考えた。

 

(なら、ここからは俺のアレンジも加える)

 

 そう考えたサスケは、収納していた翅を再度展開し、炎から距離を置いた。そして、システムが反応し、ユージーンに聞こえないギリギリの音声で詠唱を開始するのだった。

 

 

 

「せやぁぁあああ!」

 

 炎の壁が消滅するとともに、ユージーンは形勢逆転の一手として、グラムの刺突を放つ。標的は、炎の奥に見えた黒い影。見間違いようもない、あれは間違いなくサスケのものだと、そう確信していた。

 

「俺の、勝ちだぁっ!」

 

 グラムの一撃が、サスケの影を捕らえたことで、勝利を確信するユージーン。勝ち誇った笑みで、強敵を討ち取ったことに歓喜する。だが……

 

「なっ……!?」

 

 次の瞬間、ユージーンにとって予想外の現象が目の前で起こった。グラムで刺し貫いたサスケの身体が、黒い靄となって消滅したのだ。ALOにおいてプレイヤーが死亡した際には、種族の色に対応した炎を発した後、リメインライトがその場に残される。黒い靄となって消滅するなど有り得ない。つまり、この光景が意味するところは……

 

「がはぁああっ……!?」

 

そこまで考えたところで、ユージーンの顔面を衝撃が襲った。この一撃を放ったのが誰なのかは、考えるまでも無い。ユージーンは顔面のダメージにバランス感覚が崩れそうになるのを踏み止まり、未だ上空にいるであろう敵を見上げる。するとそこには、

 

「ば、馬鹿なっ!?」

 

またしても、ユージーンにとって全く予想不可能な出来ごとが起こっていた。ユージーンの見上げた蒼穹に浮かぶ、“五つ”の影。いずれも姿形が全く同じ、黒い翅を展開したスプリガンのプレイヤー――サスケの姿がそこにはあった。

 

(幻術……だと!?まさか、あの一瞬で!)

 

 影妖精族のスプリガンが得手とする魔法は、幻属性。つまり、誤った五感情報を相手に与えることができる。ユージーンの目の前に現れた、全く同一のプレイヤー五人という光景も、魔法によって生み出された幻であることは、疑う余地も無かった。

 

(どれが本物だ……?)

 

 だが、今は目の前の現象の正体など問題ではない。炎の壁で形勢逆転の機会を掴んだユージーンだったが、今また劣勢に立たされようとしているのだから。

 迫りくる五つの影のうち、どれが本物なのか。それを推理する暇も無く、五体のサスケの内の一つが、ユージーン目掛けて接近してきた。

 

「チィッ!」

 

 真っ逆さまに落下中だった体勢を無理矢理立て直し、最初に寄ってきた一体を斬り捨てる。だが、斬撃がヒットした瞬間に、これも黒い靄に帰った。即ち、外れ。だが、それで終わらない。

 

「がぁあっ!」

 

 次の瞬間には、右脇腹に衝撃。サスケによる打撃と考えたユージーンは、グラムを両手で持って背中に向けて振り抜いた。手ごたえはあり、そこには胴を両断されたサスケがいたが、これも靄とともに消滅。そして、その後すぐに、今度は左肩に衝撃が走る。

 

(どこだ……どこにいる!?)

 

 その後も、三体目、四体目、五体目を衝撃が発生すると同時に斬り捨てるが、いずれも幻影として消滅した。幻影魔法で生み出した分身全てが消滅したにも関わらず、サスケ本体の姿が見えないのは、どういうことか。未だに姿勢を維持することが儘ならず、落下を続けていた身体を動かして周囲を探るも、誰の姿も見えない。そんな中、ユージーンはふと背中に気配を感じた。

 

(まさか……!)

 

 ようやっと、ユージーンはサスケの居場所に気付いたが、全ては遅かった。振り返りざまにユージーンが見たものは、サスケが繰り出していた高速体術のフィニッシュが炸裂する瞬間だった。

 

 

 

 サスケがユージーンに対して行った作戦は、幻影魔法によって分身を生み出した後、顔面に一撃食らわせて、すぐにその背後に回り込むというものだった。ユージーンは、炎でサスケを押し返したことによって、サスケ自身は自分より上にいると考えていた。故にサスケはその心理の裏を掻き、分身という合計八体の、敵へ自動で接近するデコイを空中に放り、自身は落下中のユージーンの背中にぴったりはりついた状態で体術の連撃を重ねていたのだった。

常のユージーンだったならば、索敵スキル等を使ってサスケの位置をすぐに割り出せただろうが、予想外の攻撃によって思考を掻き乱され、しかもバランスを崩して落下中の状態では、この作戦を看破することは不可能である。ユージーンはそんなサスケの思惑に見事嵌まり、分身全てを消滅させるまで本体の所在に気付くことは無かった。背後を取り、舞い落ちる葉を打ちのめす風のように攻め立てる、影舞葉と呼ぶに相応しい体術の連撃は、遂に止めの一撃を残すばかりとなった。

 

 

「これで終わりだ!」

 

 ユージーンの真横へ回り込み、身体を反転して繰り出すのは、上方から振り下ろす踵落とし。回転によって威力を増した最後の一撃が炸裂すると同時に、サスケのアルヴヘイム式体術は完成する。サスケがこの世界に転生してから実質二度目に使った、忍としての技……木の葉流体術。蓮華の影舞葉から始まった、高速体術の名は――――

 

 

 

「獅子連弾!」

 

 

 

 それは、うちはイタチの弟である、うちはサスケが中忍試験の窮地において編み出した体術だった。特段極めたわけでもない、知識として知っていただけの術をここまで再現できたのは、今アルヴヘイムに在るサスケが、前世においてうちはサスケの兄だったことの証左なのかもしれない。

 サスケが放った獅子連弾が、踵落としによってフィニッシュを迎えると共に、ユージーンの身体がエンドフレイムに包まれ、隕石のように地上目掛けて落下する。その様子を見た者達は、誰もが唖然としていた。無理も無いだろう。レジェンダリーウエポンの使い手が……最強プレイヤーと目されるユージーン将軍が……武器を用いず、体術のみで倒されたのだ。ALOにおいて、体術スキルを鍛えるプレイヤーは珍しくない。シルフ五傑に数えられるランもまた、現実世界の空手技をこの世界で活かすために体術主体の戦術をとっているのだ。だが、サスケは、空中戦に必須の翅すら放棄した状態で行ったのだ。空気抵抗を発生させる翅を展開しなければ、遠心力や重力によって体術に加速と威力増強の効果を付与することができる。だが、空中戦主体のALOにおいてその行為は、通常ならば自殺行為にほかならない。サスケの編み出した戦法は、恐らく正式サービス開始以来、前代未聞の光景だっただろう。プレイヤー達が呆気にとられたことで発生した沈黙を最初に破ったのは、シルフ領主のサクヤだった。

 

「見事!見事!」

 

「すごーい!ナイスファイトだヨ!」

 

 扇を広げてサスケの勝利を讃えるサクヤに続いて歓声を上げたのは、ケットシー領主のアリシャ・ルー。その後、興奮は二人の背後に控えるシルフ、ケットシー幹部十二人へと伝播し、さらにはサラマンダーまでもが歓声を上げた。指揮官たるユージーンが敗れたことで、暴動を起こすのではとリーファとランは懸念していたが、そんな事は無かったようだ。敵味方の概念すら超えた感動が、サスケとユージーンのデュエルにあったからこそ実現できた光景なのだろう。

 サスケはシルフ、ケットシー、サラマンダーの三種族からの拍手喝采を受けながら地上へ降り立つ。先程発動した木の葉流体術は、仮想の肉体ながらサスケに相当な負担を感じさせたのだろう。肩で息をする素振りを見せながらも、毅然とした足取りで地上へ落ちたユージーンのリメインライトへと向かって歩き出す。

 

「誰か、蘇生をお願いします!」

 

「ウム。解った」

 

 サスケの頼みを聞いたのは、サクヤだった。ユージーンのリメインライトまでふわりと飛んでいくと、スペルワードの詠唱を開始する。やがて、サラマンダーの赤いリメインライトがサクヤの手から迸った青い光に包まれる。複雑な立体魔法陣の中、残り火は徐々に人の形を取り戻していく。やがて赤い炎が消滅すると、そこには片膝をついたユージーンの姿があった。リメインライトを追って地上に降り立ったサラマンダーの部隊が見守る中、ユージーンが立ち上がる。

 

「見事な腕だな。俺が今まで出会った中で、間違いなく最強のプレイヤーだ」

 

「それはどうも」

 

 相変わらずの無表情のまま憮然と答えるサスケだが、実は先程のデュエルはかなり一杯一杯だった。忍の前世無しには、対抗し切れなかったかもしれないというのが、内心だった。

 

「貴様のような男がスプリガンにいたとはな……世界は広いということか」

 

「俺の話は、信じてもらえるか?」

 

「…………」

 

 サスケの半ば確認に近い問いに、しかしユージーンは沈黙する。サスケが大使である可能性が濃厚であり、一対一の勝負で敗北した以上は、ユージーンが引き下がるのが道理である。だが、サラマンダーの司令官という彼の立場を鑑みれば、領主二人を仕留める絶好の機会を逃すかどうかは、未だ判断しかねるところなのだろう。

仮にここで領主二人を討ちとれば、サラマンダーはシルフ、ケットシー、スプリガン、レプラコーンの四種族を敵に回すことになるかもしれない。だが、今現在ALOにおける九種族の中で最大勢力を誇るサラマンダーが、二種族が領主館に蓄えている財産の三割を手に入れることができるのだ。その財力を利用すれば、四種族と戦争を行う前にグランド・クエストを達成することも不可能ではない。そして、アルフへと転生し、制空権を手に入れることができたならば、アルヴヘイムにおける覇権を握るも同然である。強者に靡く傾向の強い弱小種族はサラマンダーに味方するだろう。生産職の鍛冶妖精族のレプラコーンも、スプリガンとの同盟を破棄する可能性が高い。多少の無茶をしても、サラマンダーが結果的に優位を手に入れることができるのならば、ここは領主二人を倒すべきかとも考えられる。尤も、自らが突き付けた約束を反故にして相手に斬りかかるなどという真似をすれば、ユージーンは自らの誇りを貶めることになるのだが。

責務と騎士道の狭間で判断に苦悩するユージーンが思考に耽る中、唐突に前へと出るサラマンダーのプレイヤーが現れる。無骨な顔をしたその男は、ユージーンに一礼すると口を開いた。

 

「ジンさん、ちょっといいか?」

 

「カゲムネか。どうした?」

 

「昨日、俺のパーティーが全滅させられたのはもう知ってると思う」

 

「ああ」

 

「その相手が、まさにこのスプリガンなんだけど……確かに、連れにレプラコーンがいたよ」

 

 その言葉を聞いて、サスケとリーファは、カゲムネと呼ばれたサラマンダーが何者かを悟った。昨日、森の中でリーファとサスケが邂逅した現場に居合わせた、サラマンダー部隊のリーダーである。

 

「そうか」

 

 カゲムネから伝えられた情報に、ユージーンはふっと笑った。その表情には既に迷いは無く、取るべき選択肢が決まったと告げていた。サスケにレプラコーンが同行していたという事実があった以上、彼が同盟大使であることは決定づけられたも同然である。それを知らされたユージーンは、憑き物が落ちたような表情で口を開いた。

 

「確かに現状でスプリガン、レプラコーンと事を構えるつもりは俺にも領主にも無い。この場は引こう。だが……お前とはいつか、決着を着けるぞ」

 

「望むところだ」

 

 ユージーンの出した拳に、サスケもまた拳を出してぶつけ合わせる。再戦の約束を結んだユージーンは身を翻すと、率いていたサラマンダー部隊を伴って飛び立とうとする。その間際、カゲムネはサスケとリーファへ不器用にウインクする。恐らく、借りは返したと言いたかったのだろう。やがてサラマンダーは一人残らず平原の彼方を目指して飛び立っていった。その様子を見届けて、リーファとランはどっと疲れたように脱力する。

 

「サラマンダーにも話の解る奴がいるようだな」

 

「全く……あなたも無茶するわね」

 

「あの場で取れた、最善の策を講じたまでだ」

 

 憮然とした態度で応えるサスケに、リーファとランは苦笑するばかりだった。そんな三人に、サクヤは咳払いをして声をかけた。

 

「すまんが……状況を説明してもらえると助かる」

 

 

 

 その後は、サスケとリーファ、ランの三人から、道中におけるサラマンダーの襲撃やそれにシルフ執政部の幹部であるシグルドが関わっていること。情報提供者の証言から、サラマンダーによる領主会議襲撃を知って駆けつけてきた経緯について説明を行った。話の大部分はサスケの推測を交えたものであったが、聞いていたサクヤは得心したのか、溜息を一つ吐くと口を開いた。

 

「……成程な。ここ何カ月か、シグルドの態度に苛立ちめいたものが潜んでいるのは私も感じていた。だが、独裁者と見られるのを恐れ合議制に拘るあまり、彼を要職に置き続けてしまった……」

 

「サクヤちゃんは人気者だからねー、辛いところだヨねー」

 

「苛立ち……というのは、サラマンダーの勢力拡大に対し、シルフが後塵を拝している現状についてですか?」

 

 サスケの指摘に、サクヤは頷いた。アルヴヘイム・オンラインにログインして間もないサスケだが、九種族のパワーバランスや情勢については、他のプレイヤーと接触した場合のために大凡のことについては把握していた。

 

「その通りだ。かつてサラマンダーは、シルフ領主を討ち果たしたことで全種族の中で抽んでた勢力をもつに至った経緯がある。ただでさえ差が開いている現状にあって、向こうはグランド・クエスト達成に最も近いとされている。パワー志向のシグルドには、我慢できないものだったのだろう」

 

「でも……だからって、なんでサラマンダーのスパイなんか……」

 

「恐らく、もうすぐ導入されるアップデート5.0で実装化される、『転生システム』を利用するつもりだったんだろう」

 

「転生って……それじゃあまさか!」

 

「スプリガンの彼が考えている通りだな。大方、サラマンダー領主のモーティマーに乗せられたのだろう。シルフとケットシーの領主の首と引き換えに、サラマンダーに転生させてやるとな。尤も、冷酷で有名なモーティマーが約束を守るとも思えんが」

 

 シルフ執政部の人間の心理を性格に把握し、これを最大限に活用する。サラマンダー領主のモーティマーと言う男は、相当な謀略家らしい。もしかしたら、竜崎ことエラルド・コイルに比肩する頭脳派プレイヤーかもしれないとサスケは考えた。ともあれ、今はシグルドの処遇である。

 

「サクヤさん。この上は、反逆を企てたシグルドに対し、早急に断固たる処置をとるべきと考えます」

 

「その通りだな。まずは、今頃勝ち誇っているであろう奴の顔を拝むとするか。ルー、たしかお前は闇魔法のスキルを上げていたな?」

 

 端整な表情に冷酷さを湛えて口を開くサクヤ。その問いに、アリシャ・ルーは猫耳をぱたぱた動かして肯定の意を示す。

 

「シグルドに『月光鏡』を頼む」

 

 サクヤの頼みに応え、アリシャ・ルーが闇魔法のスペルワードを唱え始める。すると、たちまち周囲が暗くなり、どこからともなく一筋の月光がさっと降り注ぐ。光の筋は、アリシャの前に金色の液体のように溜まり、やがて円形の鏡を作り出した。その表面に波紋が走ると同時に、ある光景を映し出した。

 鏡の向こうに映った光景は、リーファも幾度か見たことのある、シルフ領主館の執政室の中。領主の椅子にどっかり座り、卓上に足を投げ出している。ワインを片手に寛ぐその姿は、どこか勝利の余韻に浸っているようにも見えた。アルヴヘイムの夕暮れを背に勝ち誇った様子のシグルドに対し、サクヤが張りのある声で呼びかける。

 

「シグルド」

 

「な!?」

 

 サクヤの声を聞いた瞬間、シグルドは驚いたように椅子から跳ね起きた。その反応も無理は無いだろう。今目の前に立っている領主は、本来ならば既にサラマンダーの手に掛かっている筈だったのだ。それが闇魔法の月光鏡を使ってこの領主館の自分に連絡を寄越しているのだ。

 

「サ……サクヤ……!?」

 

「ああ、そうだ。残念ながらまだ生きている。会談も無事に終わりそうだ。それから……予期せぬ来客があったぞ」

 

「き……客、だと?」

 

「ユージーン将軍が、君によろしくと言っていた」

 

 その言葉を聞いた途端、ただでさえ焦っていたシグルドの顔が蒼白になる。見れば、サクヤの後ろには、今日パーティー脱退を宣言したリーファとラン、そして二人を掻っ攫って行った憎きスプリガンことサスケの姿もある。

 サクヤとアリシャ・ルーの生存に加え、ユージーンの来訪という情報。加えて、パーティーを抜けた二人がこの場にいる。これが意味するところは、シグルドの野望が潰えたことに他ならない。憎々しげに歯を食いしばると、今度は開き直ったようにふんぞり返る。

 

「……無能なトカゲ共め……で、どうするつもるだサクヤ?懲罰金か?それとも、執政部から追い出すか?だがな、軍務を預かる俺が居なければお前の政権だって……」

 

「いや、シルフでいるのが耐えられないなら、その望みを叶えてやることにした」

 

「……なに?」

 

 サディスティックな笑みと共に、領主専用の巨大なシステムメニューを操作していく。すると、怪訝な顔をするシグルドの目の前に青いメッセージウインドウが出現する。そこには、こう記されていた。

 

『領主より、シルフ族としての権利の剥奪、および追放の通達が届いています。』

 

「貴様……!正気かっ!?この俺を……この俺を、追放するだと!?」

 

「そうだ。レネゲイドとして中立域を彷徨え。いずれそこにも新たな楽しみが見つかることを祈っている」

 

「う……訴えるぞ!権力の不当行使でGMに訴えてやる!」

 

「好きにしろ。さらばだ、シグルド」

 

「こ、この野郎ぉぉおおお!!」

 

 月光鏡の向こうから、届く筈の無い腕を伸ばして抵抗するシグルドだが、それよりも早くサクヤが指先でタブに触れる。次の瞬間には、領主館執政室の中にあったシグルドの姿が掻き消えた。シルフ領から追放され、どこかの中立域の街へと転送されたのだ。

 シグルドに処分を下し、これで用は済んだとアリシャ・ルーに目線で呼び掛ける。サクヤの心中を察した彼女は、発動していた月光鏡の魔法を解除した。それと同時に、先程まで暗闇に包まれていた周囲の色が一転し、アルヴヘイムの夕暮れの赤に染まるのだった。

 

「……私の判断が間違っていたのか、正しかったのかは次の領主投票で問われるだろう。ともかく――礼を言うよ、リーファ、ラン。君達が救援に来てくれたのはとても嬉しい」

 

「私は何もしてないもの。お礼なら、このサスケ君にどうぞ」

 

「そうだ。そういえば、君は一体……」

 

 並んだサクヤとアリシャ・ルーが、疑問符を浮かべながらサスケの方へと視線をやる。スプリガン=レプラコーン同盟の大使を名乗り、領主の委任状を取り出したのみならず、最強プレイヤーであるユージーンを撃破した、謎多きプレイヤー。よく見れば、彼の身に纏う装備は、レプラコーン領でしか手に入らない高級品ばかりである。やはり、先程の宣言通り、彼は同盟大使なのだろうか。確認するようにアリシャが問いかける。

 

「ねェ、キミ。スプリガンとレプラコーンの大使……って、本当なの?」

 

「あれはブラフです」

 

 半ば答えを予測していたアリシャの問いに、サスケは無表情のまま即答した。その言葉にサクヤはおろか、リーファとランすらも一同は絶句する。

 

「……無茶苦茶な男だな。では、同盟の話も、あの委任状も偽物なのか?」

 

「いえ、それらは本物です。スプリガン領主のエラルド・コイルは、世界樹攻略を目指して装備の充実化を図るために、生産職型種族のレプラコーンとの同盟を結んでいます。委任状に関しては、今回の騒動を鎮めるのに必要と判断し、領主へ連絡を取って急遽用立てたものです」

 

 何もかも都合が良過ぎると思っていたため、サスケが口にした内容の大部分は偽の情報であると、サクヤとアリシャは考えていた。だが、スプリガン領内で相当に立場ある人物であるということだけは、どうやら事実らしい。

 

「それにしても、君強かったよねぇ……もしかして、スプリガンの秘密兵器、だったりするのかな?」

 

「……まあ、グランド・クエスト攻略のために領主から招集を受けていることは確かですが」

 

「ふーん、そうなんだぁ……」

 

 サスケの言葉に、悪戯っぽい笑みを浮かべたアリシャは、ひょいっとサスケの左腕を胸に抱く。そして、斜め下方からコケティッシュな流し目に乗せて、

 

「ところでさぁ、スプリガンはレプラコーンと同盟を結んでいるんだヨね?ウチの領地にも、物資を都合してくれると嬉しいんだけどな~。ついでに、キミも大使としてこっちの領地に来ない?ついでに、クエストとかの戦力になってくれるなら、三食おやつに昼寝つきだヨ」

 

「なっ……!」

 

 色仕掛けを始めるアリシャに、リーファが焦ったような声を漏らす。だが、彼女が割り込むよりも先に、

 

「おいおい、ルー。抜け駆けはよくないぞ」

 

 今度はサクヤがサスケの右腕に腕を絡める。こちらも扇情的な視線でもってサスケを誘惑しようとしていた。

 

「彼はもともと、シルフの救援に来たんだから、優先交渉権はこっちにあると思うな。サスケ君と言ったかな?どうかな、個人的な興味もあるので、礼も兼ねてこの後スイルベーンで酒でも……」

 

 為政者二人、揃って考えることは同じらしい。ここでサスケを籠絡し、スプリガン領主へのコネクションを作れば、後の貿易交渉を有利に行うことができると考えたのだろう。加えて、サスケを大使として領地に招いて戦力にすることができたならば、万々歳である。故に、サクヤもアリシャも、サスケを引き込むためにあれやこれやの手段で迫る。

 

「あーっ、ずるいヨ、サクヤちゃん。色仕掛けはんたーい」

 

「人のこと言えた義理か!密着し過ぎだろう!」

 

 互いのことを棚に上げてサスケを取り合う二人。美人領主二人に挟まれ、両手に花状態のサスケ本人はといえば、相変わらずの無表情である。鼻の下を伸ばすでもなく、顔を赤くする様子もない。だが、その赤い双眸には僅かながらの困惑の色が覗いていた。

 そんなサスケの様子を見かねたリーファが、声を上げてサスケのコートの裾を掴んでいた。

 

「駄目です!サスケ君は私の……!」

 

 だが、その先が続かない。どう言えばいいのだろう。自分とサスケの間柄を示す適切な表現が見つからず、言葉を詰まらせてしまった。サスケに抱き付く領主二人と、後ろから苦笑して見守るランを前に、しどろもどろになるリーファ。そんな彼女に助け船を出したのは、サスケ当人だった。

 

「お言葉は有り難いのですが……すみません。俺には、彼女にアルンまで連れて行ってもらう約束をしていますので」

 

「ほう……そうか、それは残念」

 

 心底残念そうにそう呟くと、サクヤはサスケの腕から離れるのだった。隣のアリシャも同様である。

 

「アルンに行くのか、リーファ。物見遊山か?それとも……」

 

「私達、領地を出るつもりだったの。でも、きっとスイルベーンに帰るから」

 

「そうか。ほっとしたよ。必ず戻って来てくれよ。彼も一緒にな」

 

「途中でウチにも依ってね。大歓迎するヨ」

 

 二領主は佇まいを直すと、それぞれサスケ、リーファ、ランの三人に対して一礼する。サクヤが顔を上げると、改めて礼を言った。

 

「今回は本当にありがとう。私達が討たれていたら、サラマンダーとの格差は決定的なものになっていただろう。何か礼をしたいが……」

 

「いえ、それには及びませんよ」

 

 領主二人は申し訳なさそうにしているが、礼は不要とサスケは口にする。そんな中、リーファははっと思い付いたように口を開く。

 

「そうだ!サクヤ、アリシャさん。今度の同盟って、世界樹攻略のためなんでしょう?」

 

「ああ……まあ、究極的にはな。二種族共同で世界樹に挑み、双方ともにアルフになれればそれで良し。片方だけなら、次のグランド・クエストも協力してクリアする、というのが今回の条約の骨子だが」

 

「その攻略に、私達を同行させてほしいの。それも、可能な限り早く」

 

 リーファが領主二人に頼み込んだのは、グランド・クエスト攻略への協力だった。サスケに助けられた日にスイルベーンで話をしたリーファは、サスケがグランド・クエスト攻略……正確には、世界樹の頂上へ到達することに対して、並みならぬ執着を示していたことを知っている。だからこそ、逸早くその望みを叶えられるようにと頼み込んだのだが……

 

「同行は構わない。といより、こちらから頼みたいくらいなのだがな……」

 

「同盟を締結したとはいえ、まだまだ課題は山積みなんだヨ。装備や人材を揃えるのにも、時間がかかるしネ」

 

 やはり、そう簡単には上手くいかないらしい。だが、戦力は多いに越したことはない。そう考えたサスケは、ある提案をする。

 

「……もし良ければ、スプリガンの攻略に協力するという形で協力してはいただけませんか?」

 

「何?」

 

「スプリガン=レプラコーン同盟の方は既に準備を整え、二日以内にグランド・クエストに挑む予定です。スプリガン主体でこの攻略は行うため、アルフに転生するのは高確率でスプリガンですが、その後の貿易交渉などには色々と便宜を図らせることを約束します」

 

「成程……我々も、一種族では無理と考えたからこそ同盟を組んだが、四種族が手を組めば、より確実になるということだな」

 

「万一失敗しても、生産職であるレプラコーンやアイテム収集に長けたスプリガンと同盟を築けるなら、かなりの利益が見込めるしネ」

 

 グランド・クエスト達成がより確実になる上、貿易によって得られる利益を鑑みれば、かなり旨みのある話だろう。サスケへの借りを返せる点でも一石二鳥なのだから、乗らない手は無いと考える。

 

「だが、二日は猶予としては短すぎる。部隊を揃えることも必要だが……やはり先立つ物が無ければ、流石に我々も動けない」

 

「それに関しては心配無用です。同盟に基づくグランド・クエストへの協力をしていただけるのでしたら、レプラコーンの商人を通じて各種装備・アイテムを供給いたします」

 

「成程……ならば、ぜひとも参加させてもらおう」

 

「ウチのテイムモンスターは強力だからね~。楽しみに待っててヨ」

 

 シルフ=ケットシー同盟の協力をとりつけ、グランド・クエストへの参加交渉を成立させたサスケは、領主のエラルド・コイルへの必要な連絡を行う旨を取り決めるのだった。互いに握手を交わした後、両種族は領主を先頭に翅を広げて西の空へと飛び立っていった。

 

「……行っちゃったね」

 

「ああ、そうだな」

 

 シルフとケットシーの存亡を賭けた戦いがひと段落し、その場に残された三人は感慨に耽る。同時に、この騒動を通じてリーファはサスケについて初めて様々なことを知ることができたと思った。パーティーを組んだ当初から、サスケは自分の事を話したがらず、領地においてどのような立場にあるかなどは全く知らされていなかった。また、アルヴヘイムにおいては異端の、翅を放棄した状態での空中戦闘を行って最強プレイヤーを倒した。未だ謎の多い人物だったが、今回のことでさらに謎が深まったと言えるだろう。

 だが、そんな捉えどころの無いサスケの在り様は、リーファに兄の面影を幻視させた。彼もまた、寡黙で謎多き人物である。ついでに、イメージカラーが黒なのも同じだ。なんとなく親近感が湧いたリーファは、サスケによりかかろうとした……その時だった。

 

「まったくもう……浮気はダメって言ったです、パパ!」

 

 いきなりそんな事を口にしたのは、リーファでもランでもない。サスケの胸ポケットに入っていたユイだった。頬を膨らませながら飛び出した彼女は、サスケの周りをぐるりと飛ぶと、左肩に乗った。それに驚いたリーファは、咄嗟にサスケと距離を取ってしまう。

 

「……いきなり何を言い出すんだ、お前は」

 

「領主さんたちにくっつかれた時、ちょっとですけどドキドキしていましたね!」

 

「………………」

 

 娘を自称するユイからの指摘に、サスケは沈黙するばかりだった。彼が痛いところを突かれたところなど見たことが無かったリーファとランは、意外そうな顔をする。同時に、あの表情に乏しいサスケでも、女性相手にドキドキすることがあるのだと、軽く驚くのだった。リーファの方は、少しの安心感も覚えている。だが、美人二人に両側から抱きつかれても、『少しドキドキした』程度である。本気で落とすには、一体どうすれば良いというのか?

 

(は!……私、一体何を……!)

 

 思いもよらぬ方向へ思考を傾けていることに、はっとするリーファ同時に、顔を真っ赤に染めてしまう。そんな彼女の様子を見たランは、笑顔のまま歩み寄っていった。

 

「大丈夫だよ。リーファちゃん、頑張ってね!」

 

「ら、ランさん!?何を言っているんですか!?」

 

 その言葉に慌てふためくリーファに、ランはくすくす笑うばかりだった。少し距離を置いたところでユイを相手に返答に窮していたサスケは、それどころではない。娘を相手に、一体どう言い訳すればよいのだろうかと必死に思考を走らせていた。

 

「そ、そうだ!ユイちゃん、私はサスケ君にくっついてもいいの?」

 

 しどろもどろになりながら、話題の転換を図るリーファ。だが、内容的には墓穴を掘ったに等しい。尤も、サスケにとっては助け舟だったが。

 

「リーファさんは、大丈夫みたいです」

 

「へ……何で?」

 

「……似たような人間をリアルで知っているから、かもしれないな。親しみやす過ぎて、異性として意識することがあまり無い」

 

「…………」

 

 その発言に、リーファは衝撃を受けて固まってしまった。そして、彼女の反応を見たランが、苦笑しながらフォローを行う。

 

「頑張って、リーファちゃん。きっと想いは、通じるよ」

 

「だ、だから何を言っているんですか!?」

 

 再び顔を真っ赤にして慌てふためくリーファ。一方、サスケは話題がひと段落ついたと判断したようで、翅を展開して出立の準備に入っていた。

 

「そろそろ行くぞ、二人とも」

 

「置いていかれちゃいますよー」

 

「あ、ああ!ちょっと待ってよ!」

 

「ふふふ……」

 

 再び、世界樹の方を目指して飛び立つサスケとユイ。その後をリーファも慌てながらも飛び立ち、追う。最後に飛び立ったランは、先立つサスケとそれを赤くなりながら追うリーファを微笑ましく見守るのだった。

 アルヴヘイムを赤に染める夕陽の中、少年と少女達は、再び飛び立つのだった――――

 



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第六十五話 ヨツンヘイム

 新世代VRMMO、アルヴヘイム・オンラインの舞台、アルヴヘイムの中心に聳え立つ世界樹の頂上。つい最近なされた管理者側からの設定により、一般のプレイヤーは僅かに覗き見ることすらも叶わない高さに吊るされた金色の鳥籠。その中に置かれたベッドの上に、一人の少女が横たわっている。目は閉じず、アルヴヘイムの地平線に沈みつつある太陽をじっと見つめていた。

 

(そろそろ……いけるかしら?)

 

 日の傾きを見るに、オベイロンが前回ここを訪れてから五時間以上経過したのは間違いない。オベイロンがこの場所を訪れるのは、大概が休憩時間もしくは仕事後である。頻繁にここへ足を運び、アスナの心を折るべく言葉攻めやセクハラを繰り返しているが、実際は多忙な身分なのだ。

 歪んだ人格の持ち主ではあるものの、優秀な頭脳の持ち主であるオベイロンこと須郷は、レクト・プログレスのフルダイブ部門責任者として日々山のような業務をこなしているのだ。加えて、ごく一部の部下と共に秘密裏に違法研究まで行っているのだから、自由に行動できる時間は一般社員以上に制限されていることは間違いない。事実、オベイロンは一日に三十分程度アスナを嬲ってこの場を出て行くと、翌日までは姿を現さないのだ。また、須郷は今日立ち去る際に、『明後日まで』と言っていた。

 

(動くなら、今ね……)

 

 現状を冷静に分析した結果、須郷が今日中にここに現れることはまず無いという結論に至った。アスナはベッドから起きあがると、意を決して扉を目指す。

 

「……3……2……9」

 

 この鳥籠を脱出するべく、コードを暗証番号入力板へと打ち込んでいく。この暗証番号は、無論オベイロンに教えてもらったわけではない。オベイロンが鳥籠を出るために暗証番号を入力するところを、鏡越しに見て覚えたのだ。直接見た場合には、オベイロンが打ち込む様子が全く見えなかったが、鏡を通して間接的に見れば、現実世界以上にくっきりと視認することができたのだ。こうして、オベイロンでも気付かないシステム上の抜け穴を利用したアスナは、扉を開くための暗証番号を把握するに至ったのだった。やがてアスナが暗証番号を討ち終えると共に、金色の格子が音を立てて開いた。

 

「和人君……私、頑張るからね」

 

 恐らくは、今もこの場所を目指して戦い続けているであろう想い人の勇姿を胸に、アスナは自分の戦いを始める。この世界に囚われ、非人道的な実験に遭っているSAO未帰還者達を助け出す。同じく囚われの身である自分にどこまでやれるか分からないが、じっとしているつもりは無い。諦めずに挑み続けることこそが、SAOで学んだことなのだから。

 この鳥籠を出た先に待つのは、鬼か蛇か。何が待ち構えていようとも、アスナは歩みを止めることをしない。最後まで勇敢に戦った和人ことイタチのように足掻き続けるのみ――――

 

 

 

 

 

 アスナが自分なりの戦いを始めていたその頃、イタチこと和人――この世界ではサスケ――は、世界樹に到達するまでの道中最大の難関に差し掛かっていた。否、差し掛かってしまったと言うべきだろうか。

 

「リーファ、ラン、あそこに祠がある。一度あそこで休んで策を練るぞ」

 

「分かったわ!」

 

「それしか無いわね……」

 

 至る場所に雪が積もり、氷が張った石の地面を踏み締めながら、サスケ達三人は道無き道の先に見えた祠のようなオブジェクトを目指す。

 現在、サスケ達のいる場所はアルヴヘイムの地上エリアではない。薄暗い闇に閉ざされた洞窟なのだ。だが、一般のダンジョンとは規模が桁違いである。遥か彼方に見える壁の場所からして、広さは三十キロ以上はあるだろうか。鍾乳石と共に垂れ下がる氷柱が発する燐光は、三人が立つ場所から最低五百メートルはあろう高さから降り注いでいる。この、洞窟と形容するにはあまりに巨大なダンジョン――地底世界の名前は、『ヨツンヘイム』。アルヴヘイムの地下に広がるもう一つのフィールドであり、邪神級モンスターが闊歩する闇と氷の世界である。

 

「世界樹を前にして、まさかこんなところで足止めを食らうとはな……」

 

「ごめんね……サスケ君。あたしが軽率にあんな街に降りたせいで……」

 

「それは俺も同罪だ。アルン周辺の中立域の村や街を予め把握しておけば、こんな事態は起こらなかった」

 

「でも流石に、あの村丸ごとモンスターなんて、想像できなかったわよねぇ……」

 

 ヨツンヘイムは地底世界。地上ルートでアルンを目指すサスケ達三人のパーティーは、本来ならば来る筈の無い場所なのだ。それが何故、邪神級モンスターが犇く暗闇の中を彷徨い歩く羽目になっているのか。

 サスケ達が鉱山都市ルグルーを出て蝶の谷に達したサスケ達は、サラマンダーによるシルフ=ケットシーの領主会談襲撃を阻止した後、再び世界樹を目指した。だが、八時間以上に及ぶ連続ダイブにリーファとランは疲弊の色が濃かったため、アルンへは到達できていないものの、今日はこのあたりで落ちようという話になった。そして、ちょうど視界に入った森の中の小村へと飛んで行ったのだが……

 

「まさか、村まるごとモンスターだったなんてね」

 

「プレイヤーが一人もいなかった時点で、何らかの罠と怪しむべきだったろう。加えて、アルンにはモンスターがいないなどと油断するべきではなかったな」

 

「あははは……」

 

 サスケの指摘に苦笑するリーファ。アルンにはモンスターがいないと最初に言ったのは、他でもない彼女なのだ。異変は、モンスターなどいないと油断したリーファを筆頭に、パーティー三人が村と思しき場所へ降り立った瞬間に起こった。村を構成していた三つの建物が肉質のこぶへと変化したのだ。危険を逸早く察知したサスケは二人に飛んで逃げるよう指示を出したものの、突然の事態に反応し切れなかった二人は間に合わなかった。そして、サスケも二人を捨てることができずに三人纏めてモンスターの腹の中へと吸い込まれたのだった。うねる暗赤色の洞窟に呑み込まれた三人は、壁面を攻撃するなどして抵抗を試みたのだが、結局効果は無かった。そして、数分ほど消化管によって運ばれた末に放り出された場所は、巨大な邪神が伸し歩く地底世界の中だったというわけだ。

 

「し、仕方ないじゃない……アルンへ行くのは、私だって初めてだったんだもん……」

 

「何もお前だけの責任と言っているわけじゃない。油断したのは俺もランも同じだ。パーティー全員、用心が足りていなかったというだけのことだ」

 

「こんなことなら、ケットシーの交易ルートを聞いておくんだったわね……」

 

今更ながら、悔やむべきことが多くあったとばかりにランが呟く。リーファが道中で口にしていた、アルン高原にモンスターが出現しないと言う話は、アルンとスイルベーンを行き来するシルフのキャラバンのメンバーから聞いた話である。街から街へと物資を運ぶキャラバンはモンスターからの襲撃や他種族による略奪を受ける危険性が高く、リスクの少ないルートを使ってアルンを目指す。そのため、交易ルートにはモンスターの出現頻度が非常に少ないポイントを利用するのだが、リーファ達が通っていた地上ルートは蝶の谷を目指した時点でシルフのキャラバンの利用する経路からは完全に外れていたのだ。故に、サスケ等パーティーはモンスターの出現や罠には細心の注意を払って進むべきだったのだ。尤も、開いた口を村そのものに擬態する巨大なミミズ型モンスターの存在など、ケットシーの交易ルートの情報を得ない限りは、流石のサスケも予測不可能だったのだが。

 

「後悔先に立たず、だ。たらればの話をするよりも、今はここを脱出することが先決だ」

 

 薄暗く氷の張った、道無き道を歩く中で見つけた祠の中へと入りながら、サスケは二人の思考を脱出方法の模索へと向けさせようとした。だが実際、サスケですら邪神級モンスターが犇く大空洞を脱出する術はすぐには浮かばない。四メートルの立方体型の空間の中、地面に焚火を起こして暖をとりつつ、座り込んで策を練る。

 

「まず、俺はヨツンヘイムについての知識が無い。正攻法としての脱出方法は、何かあるか?」

 

「私も初めて来るんだけど……確か、央都アルンの東西南北に大型ダンジョンがあって、その最深部にヨツンヘイムへ通じる階段があるって聞いたわ」

 

「なら、そこを目指のはどうだ?」

 

 サスケの手持ちアイテムには、ヨツンヘイムのマップは無いが、ナビゲーション・ピクシーのユイがいる。彼女にマッピングデータを呼び出してもらえれば、道に迷うことは無いだろう。サスケはそう考えたのだが、ランは首を横に振った。

 

「駄目よ。階段のあるダンジョンは全部、当然ながらそこを守護する邪神がいるわ。」

 

「邪神の戦闘能力は?」

 

「少なくとも、三人でまともに相手できる強さじゃないわね。君が戦ったユージーン将軍も、ソロで戦って十秒と持たなかったらしいわ」

 

「…………」

 

 リーファから告げられた情報に、サスケは沈黙する。邪神がどの程度強力なモンスターかは未知数だったが、上手く立ち回れば撃破することも不可能ではないのではと考えていた。だが、ランとリーファの説明を聞く限りでは、思い通りにはいかないらしい。倒すことが不可能ならば、スプリガンの幻術魔法で誘導してその隙に階段を抜けるしかない。尤も、邪神を撃破しなければ通れないよう、システム的に設定されていた階段だった場合、脱出方法は完全に閉ざされてしまうのだが……

 

「ねえ、サスケ君……」

 

 そこまで考えた所で、リーファが唐突に口を開いた。思考に耽って焚火に向けていた視線を彼女の方へと向け、サスケが向き直る。

 

「何だ?」

 

「サスケ君は、どうしてあたし達を助けてくれるの?」

 

「……何のことだ?」

 

「あの巨大ミミズに呑み込まれた時と……あと、サラマンダーから私達シルフを助けてくれたことよ」

 

 危ない場面を助けてもらってばかりいながら失礼千万なのだが、リーファとランの中では、サスケは冷めた人間で不要な物は切り捨てる印象があった。だが、アルンを目指すことが最優先目標ならば、ミミズに呑み込まれそうになった時、リーファとランを見捨てれば単独でも目的地へ到達できていた筈なのだ。サラマンダーによるシルフ=ケットシーの領主会談にしても、スプリガンのサスケには無関係の話であり、介入する必要性は全く無かったのだ。故に、一連のサスケの行動は非効率的であり、二人がイメージとして抱く内面と噛み合っているように思えなかった。リーファがサスケの真意について尋ねたのも、そのためである。しかし、サスケからの返答はすぐには出ず、しばらく黙ったままだった。

 

「……アルン行きは、俺の個人的な都合だ。付き合わせた以上、俺がお前達を守るのは当然の義務だ」

 

 少しの間考えて出した結論が、『己に課した責務』だからという理由だった。だが、サスケ自身はそれで納得しているわけではない。サスケの真の責務は、須郷伸之の野望を阻止することであり、リーファとランを守るのは二の次にするべき事項である。巨大ミミズからの襲撃を受けた際、本来ならばリーファとランを見捨てていれば、脱出できたのだ。サラマンダーの襲撃に関しても同様である。あの場面でリーファとランと別れ、アルンを目指すべきだったのだ。そもそも、現在の窮地は余計なことに首を突っ込んでしまったことに端を発している。本来の責務を逸脱していることは明らかであり、自分でも何故そのような行為に走ってしまったのか、明確な理由が掴めない。少なくとも、前世の忍――うちはイタチだった頃の自分ならば、有り得ないことだった。

 デスゲームの経験を引き摺っているが故に、ゲーム内であろうと自分の前でプレイヤーが死ぬことを許容できなくなったのか。或いは、リーファとランへの仲間意識が知らぬ間に強くなっていたためなのか。いずれにせよ、サスケこと和人が前世から引き継ぐ、うちはイタチとしての人格が大きく変わったことは間違いない。

 

(だが、こうなってしまっては、元も子もないな……)

 

 あらゆる法則や枠に囚われない変化というものは、前世のうちはイタチだった頃から望んで止まないことだった。だが、目的を見失った挙句、果たすべき責務の遂行から遠ざかっている現実が目の前にある。二人を見捨てなかったことが間違いだとは思わない、というより思いたくないサスケは、一人自分の心の在り様に苦悩を抱いていた。

 だが、そんなサスケの内心を知らないリーファは、サスケがにべもなく放った言葉に胸の痛みを覚えた。仮想の肉体に走る痛みではなく、ちくりと棘が刺さったかのような、心の痛みを。

 

「……別に、君のためじゃないもん」

 

 気付いた時には、そう呟いていた。震える声は悲しみの色を帯びながらも、サスケの言葉を批難する意思が明確に感じられた。膝を抱く手に力を込めながらも、強張った声で続ける。

 

「君に頼まれたからじゃない……君と一緒に世界樹を目指そうとしたのも、シルフ領を抜けたのも、全部あたしの意思だよ。無理に付き合っているとでも思っていたの?」

 

 言い募るごとに増す苛立ち。目もとに涙を浮かべつつも、リーファはサスケに言っておかねばならないと思った。そして、サスケが自分達を守ったのが、ただの義務や責任からだという言葉を否定したかった。

 

「君と一緒に冒険して……とても楽しかった。どきどき、わくわくして……この世界が、ただのゲームじゃなくて、もう一つの現実だって思えたんだよ。なのに……なのに、どうしてそんなこと言うの?」

 

「…………」

 

 感情的になるリーファに対し、サスケは若干の後悔を覚えていた。責務云々を理由に挙げた先程の言葉は、決して本心ではない。前言撤回するべきかと考えたものの、代わりの理由が浮かばない。いっそのこと、『助けたかったからそうしただけ』と言えば楽なのだろうか。だがそれは、事態をマイナス方向に進展させてしまった、堕落に近しい変化を遂げた自分を受け入れることを意味する。抵抗する自分がいる。何が正しく、何が間違っていたかを明確にできず、返答に窮するサスケだった。

 

「リーファちゃん、落ち着こうよ。ね?」

 

「ランさん……」

 

 今にも飛び出しそうなリーファの肩に手を添えて冷静になるよう促すのは、彼女の姉貴分たるランである。サスケの言葉が本心ではないことを悟ったランは、二人の間にすれ違いが生じることを防ぎたいと思っていた。リーファに思い止まるよう声をかける一方で、サスケの方にも弁明を行うよう目線で訴えかける。ただ一言、『仲間だから』、『友達だから』と僅かでも本心を口にすれば、関係修復は容易い筈なのだ。だが、サスケも自身の本心がどこにあるのか分かっておらず、言葉が見つからない。四メートル四方の祠の中に流れた沈黙。だがそれは、長くは続かなかった。

 

ぼるるるるるぅ!

 

『!!』

 

 ほこらの外から響き渡る、異質な音。大音響の正体は、ヨツンヘイムに生息する邪神級モンスターの咆哮で間違いない。加えて、ずしんずしんと地面を揺るがす足音と振動まで伝わってくる。恐らく、三人がいるほこらより程近い場所にいるのだろう。

 

「近いな……邪神級のモンスターが……しかも二体だ」

 

「そんな……こうなったら!」

 

「リーファちゃん、待って!」

 

 一匹でも手に負えない邪神が二体も接近している以上、隠れて凌ぎ切れるとは思えない。こうなった以上、誰かが囮となって引き付け、残り二人が生き残るしか手段は無い。リーファはそう考え、ほこらから飛び出そうとしたのだが、ランが必死になってそれを止める。

 

「離してください、ランさん!あたしが邪神をプルしますから、その隙にサスケ君と逃げてください!」

 

「そんなわけにいかないでしょう!」

 

「二人とも、落ち着け。何か様子がおかしい」

 

 先走るリーファと、それを押さえつけようと必死のランに対し、サスケが冷静になるよう促す。索敵スキルを行使し、外で騒ぎを起こしている邪神二体の位置を探索しているのだが、モンスター達の行動がどこか不自然に思えてならない。

 

「邪神二体が近くにいるのは確かだが、こちらへ向かっている様子は無い。二体揃って、一つの場所に留まっているようだ」

 

「それだけではありません。邪神二体は、互いを攻撃しているようです」

 

「え……でも、何で?どうしてそんなことに!?」

 

 サスケに続くユイから齎された上方に困惑するリーファとラン。ALOのプレイヤーの中でも古参の部類に入る二人も、このような状況は初めてらしい。通常のモンスターの行動アルゴリズムにおいて、同士討ちを行うことは有り得ない、システム上においてイレギュラーな事態なのだ。

 

「何故同士討ちを行っているかは定かではないが、一方が潰されれば、もう一方がこちらへ向かってくることは間違いない。争っている隙に、脱出するほか無いな」

 

「そうだね」

 

「私も賛成よ」

 

 サスケの提示した脱出プランに、リーファとランも同意する。戦闘が終結した後の手負いの邪神ならば、三人のパーティーでも倒せるかもしれない。だが、現在優先すべきはヨツンヘイムからの脱出であり、そのための余力はできる限り残すべきである。

 三人はモンスターの接近に用心しながらほこらを出ていく。そして、先程響いた咆哮の主は、数歩程度の距離で確認できた。全高約二十メートルであり、体格差はあれども二体とも邪神特有の青みが狩った灰色の体色である。大柄の方は、縦に三つ連なった顔の横から巨剣を握る四本の腕が飛び出した、異教の神像めいた邪神。小柄な方は、巨大な耳と長い口吻を備えた象のような頭部に、饅頭のように扁平で円形の胴体、そしてその巨体を支える二十本程度の鉤爪突きの肢が付いた、異形の邪神である。

 戦闘は、大柄な邪神の優位だった。象の頭部に水母の胴体をもつ、象水母とでも形容すべき異形の邪神が繰り出す鉤爪付きの触手をものともせず、神像型の邪神は四本の巨剣を振り翳して大ダメージを与えていた。

 

「一体、どうしてこんなことに?」

 

「プレイヤーの反応は……どこにも無いな」

 

 ALOにおいてモンスター同士が戦闘を行いケースは、主に三つ。ケットシーのテイムモンスターによる戦闘、音楽妖精族・プーカのメロディによる扇動、幻惑魔法による混乱状態である。だが、邪神二体による戦闘の余波が生じない物影に隠れながら、索敵スキルで周囲のプレイヤー反応を探しても、全く引っ掛からない。そもそも、邪神級モンスターがテイムできるなど聞いたことが無いし、邪神相手に有効な音楽系スキルや幻惑魔法が存在するかも怪しい。いずれにせよ、かなりイレギュラーな事態であることに変わりは無い。

 

「もうそろそろ、決着が着きそうだな。今の内に、ここから離脱するぞ」

 

「そう……よね」

 

 邪神二体の戦闘は、三人が身始めてから終始神像型の邪神の優位で、決着しようとしていた。象水母の邪神が倒されれば、次は自分達の番だろう。そう考えたサスケは、今の内に素通りしようと提案する。ランはやや不服そうな顔をしていたものの、現状では最善策には違いないと考え、承諾した。だが、リーファは……

 

「ねえ、サスケ君」

 

「……どうした?」

 

「あの苛められている邪神、助けよう」

 

「…………」

 

 リーファの口から出た、現状を顧みれば非合理的な提案に、サスケとランが硬直する。どうやら、巨剣を振り回す神像型の邪神に一方的に攻撃されている象水母の邪神が可哀想に思えたらしい。ゲームプレイヤーがモンスターに憐憫の情を抱くなど、本来ならば有り得ないことだったが、心根の優しいリーファだけにサスケとランの表情に驚きの色はあまり無かった。

 

「……駄目、かな?」

 

 冷血漢とまでは言わないが、目的を達成するためには効率を重視して動く傾向が強いサスケの性格からして、モンスターに同情することなど有り得ない。加えて、ヨツンヘイムへ来てしまった原因の一端がリーファにある以上、こんな我儘をサスケが許容してくれるとも思えない。確認するように尋ねたリーファだが、間違いなく却下されるだろうと予想できた。そして、対するサスケからは……

 

「……二人とも、ここで待っていろ」

 

「え?」

 

 予想外の答えに、硬直するリーファとラン。そして次の瞬間には、サスケは二人を置いて隠れていた物影から飛び出していった。

 

「ユイ、この付近に湖はあるか?」

 

「はい、あります!ここから北へ二百メートル程移動した場所に、氷結した湖があります」

 

 装備していたチャクラムを取り出しながら、ユイにマッピングデータを尋ねるサスケ。期待していた場所が存在することを確認すると同時に、手に持った投擲武器を神像型の邪神目掛けて投擲する。

 

「はっ!」

 

「ぼぼぼるるるぅぅうう!!」

 

 投剣スキルをコンプリートしているサスケの放ったチャクラムは、邪神の三面の内一番上の顔へと飛来し、眉間を斬りつけた。邪神は怒り狂い、標的を先程まで攻撃していた象水母からサスケへと変更。対するサスケも、ブーメランのように旋回しながら戻ってくるチャクラムを手にすると同時に背を向けて駆け出す。

 

「ぼるぅううっ!」

 

 一発でも命中すれば、HP全損は必至の攻撃が、サスケの背中目掛けて繰り出される。だが、サスケは機敏に動いて振り下ろされる刃を回避する。疾走スキルをもつサスケならば、邪神相手でも振り切ることは可能だろうが、サスケの目的はタゲを取るだけではない。自身を標的として追撃を仕掛ける邪神を、目標のポイントへ誘導することなのだ。故に、邪神の速度に合わせて併走し、四本の巨剣による猛攻を回避しながら逃げの一手に回らねばならない。

 

「ぼるぼるぼるぅうう!」

 

「ふっ……!」

 

 なかなか命中しない攻撃に苛立ちを募らせたかのように攻勢を激化させる邪神。並みのプレイヤーならば、反応が間に合わず直撃を受けて即死しているそれらを、しかしサスケは背を向けた状態で紙一重で回避していく。

 

「サスケ君……凄い……!」

 

「並大抵の反射神経じゃないわね」

 

 邪神の猛攻を掠らせもしないサスケの姿を遠目に捉えながら、リーファとランは感嘆の声を漏らす。ユージーン将軍を倒した時点で、ALOにおいて最強クラスのプレイヤーなのは間違いなかったのだが、よもや邪神相手にこれ程の大立ち回りができるとは思わなかった。しかも、逃げ回るサスケには焦りや限界の色は全く見えない。敏捷性や反応速度も然るものながら、相当な胆力の持ち主であると、二人は改めて感じていた。

 

「パパ、もうすぐ湖です!」

 

「ようやくか……!」

 

 ユイからの目標ポイント到着を告げる言葉に、サスケはふっと僅かな笑みを浮かべると、一気に速度を上げて走り出した。一直線に向かう先は、ヨツンヘイムの氷結湖のど真ん中。追尾してくる邪神から距離を開けて湖の中央に達したサスケは、ブレーキをかけて立ち止まる。障害物の存在しない湖の上ならば、邪神がサスケの姿を身落とす事は有り得ない。サスケの狙い通り、三面巨人はサスケの姿を六つの瞳で捉えて離さなかった。

 

「ぼるるるぅう!」

 

「サスケ君!」

 

「逃げて!」

 

サスケ目掛けて、ずしんずしんと巨大な足音を響かせて湖の上を突き進む邪神の姿を捉え、リーファとランが悲鳴を上げる。このまま足を止めれば、サスケは邪神の餌食になるのは必至である。だが、邪神が氷上の獲物目掛けて襲い掛かることこそが、サスケの狙いだったのだ。

 

「ぼるぅぅううううううっっ!」

 

 湖に踏み出した神像型の邪神だったが、サスケのもとへ到達することはなかった。湖の上を歩く途中、足場である氷が邪神の体重に耐えきれず、割れてしまったのだ。水没していく巨人の姿を見たユイが、呆気にとられながらもサスケに尋ねる。

 

「パパ、もしかしてこれが狙いだったんですか?」

 

「まあな。このまま沈んでくれればありがたいのだが……どうやら、そうもいかないらしい」

 

「え?」

 

 サスケの言葉に、ユイが疑問符を浮かべる中、氷が砕けて露になった湖の水面から邪神の頭一個半ほどが突き出してくる。どうやら、湖の水深が邪神の全高を沈めるには足りなかったらしい。水面から頭と共に巨剣に本を覗かせると、サスケへと接近を開始する。

 

「パ、パパ!早く逃げないと!」

 

「まあ、落ち着け」

 

 氷を砕きながら迫る邪神に、しかしサスケは全く焦った様子は無く、ユイを宥めながらその場を動こうとはしない。その余裕の態度に苛立ちを覚えたのだろうか。邪神が巨剣を先程よりも激しく振り回しながらサスケへと接近していく。邪神視点であと二、三歩程の距離だっただろうか。いよいよサスケへと必殺の一撃が振り下ろされようとした、その時だった。

 

「ひゅるるるぅぅううう!」

 

 目の前の神像型の邪神が放ったものとは別の咆哮が響いてきた。咆哮を耳にした途端、計画通りとばかりに頬を歪ませるサスケ。そして次の瞬間には、神像型邪神が背後から伸びる無数の触手にからめ捕られていた。触手の先端には鉤爪が付いており、絡め取られた神像型邪神は振り解くことができない。

 

「これって、もしかして……」

 

「さっきの象水母型の邪神の仕業ね」

 

 その様子を遠目から見ていたリーファとランには、神像型邪神に何が起こったのかをすぐに理解できた。サスケを追尾した邪神を追って、その凶刃に晒されていた象水母型の邪神もまた湖へ入っていたのだ。水中に入った象水母型邪神は、文字通り水を得た魚のように神像型邪神へ襲い掛かる。陸上での劣勢が嘘のような猛攻を仕掛ける象水母は、神像型邪神の全身をものの数秒で湖へと沈めた。

 

「もしかして、これが本命だったのですか?」

 

「ああ。あの象水母のフォルムは、見るからに水棲生物だった。ならば、戦場を水中へ移動させてやれば、戦いの趨勢は決するというわけだ」

 

 内容だけ聞けば、それほど難しい理屈ではないが、邪神相手に背中を晒して目標ポイントまで誘導したのだ。一歩間違えれば即死は免れないこの作戦を実行したサスケの胆力は、並みのプレイヤーでは持ち得ないレベルである。忍としての前世で培った経験を有していたサスケだからこそできた荒業なのだ。

 

(尤も、この力の使い方が正しいとは、断言できんがな……)

 

 またしても、本来の目的から逸脱した行為に及んでしまったサスケ。尤も、ヨツンヘイムから生還する可能性が限りなく低い現状を鑑みれば、この程度の行動は大したマイナス要因にもプラス要因にもなり得ないのだが。それでも、サスケは自らの在り様を肯定することができなかった。

 

(だが、俺は歩みを止めるわけにはいかない……)

 

 果たすべき使命と、立ち向かうべき運命が目の前にある以上、変化し続ける己と常に向き合いながら、前に進むしかない。どれだけ自分が変わったとしても、目的だけは見失ってはならない。

 前世と現世、現実世界と仮想世界……二つの境界のもとで生きる彼は、桐ヶ谷和人であり、うちはイタチなのだ。決意を新たに、暁の忍は戦い続ける――――

 



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第六十六話 トンキー

 

「うわぁ……邪神の背中から眺めるヨツンヘイムの景色って、結構綺麗ですね」

 

「……リーファ、現実逃避はその辺にしておけ」

 

 パーティーメンバーであるサスケとランから目を逸らし、棒読みに話すリーファを、サスケは憮然とした表情で窘める。隣にいるランは、苦笑するばかりである。リーファを現実へ引き戻しつつも、サスケは何故、こうなったと頭を痛めていた。

 ヨツンヘイムへ落ちたサスケ等三人が腰かけているその場所は、冷たい石畳の上ではない。灰色の短毛が絨毯のようにふさふさと生えた、邪神の背の上なのだ。

 

「ユイ……今更だが、本当に大丈夫なのか?」

 

「はい。今のところ、この子に敵意はありません」

 

「今のところ……か」

 

 リーファ達三人を乗せて移動する邪神は、他の邪神から一方的に攻撃されていたところをサスケに助けられた象水母型の邪神だった。サスケの機転により、邪神同士の戦いの場所を象水母の邪神にとって有利な湖へと誘導した結果、思惑通り形成は逆転。象水母は陸上で自身に攻撃を加えていた神像型の三面邪神を倒すに至ったのだ。

しかし、問題はその後だった。象水母の邪神が突然、サスケのもとへと接近してきたのだ。三面邪神を打倒したことで、次の獲物にサスケが指定されたのかと考えたサスケは、疾走スキルを行使して距離を置いた。途中、援護のために駆けつけたリーファとランと合流し、離脱を試みた。だがその途中、逃走を開始するサスケを、ポケットに入っていたユイが制止をかけたのだ。ユイの話によれば、襲い掛かってきたように思えた象水母の邪神に戦闘の意思は無いとのこと。AIであるユイが言っているのだから、間違いないのだろう。だが、接近してきている理由は分からないらしい。何らかのクエストフラグが立ったためとも考えられるが、迂闊に接近を許せば半端ではないリスクを負うことになる。だが、他に行く宛ての無いサスケ達は、目の前の象水母起こしたイレギュラーな行動に脱出の糸口を探るべく動くことにした。

 

「まさか、いきなり鼻で絡め取られてこうして乗せられるなんてね」

 

「はは、はははぁ~……」

 

 象水母の邪神が敵意無しに近づいてきた理由を知るべく、接近を許した結果、象水母は口吻をサスケ達へと伸ばしてきたのだ。まさか、いきなり攻撃に転じて来たのではと警戒したサスケとランは飛び退こうとしたのだが、目の前の邪神に愛着が湧いたらしいリーファだけは反応が間に合わず、長い鼻に絡め取られてしまったのだった。だが、呑み込まれたり、地面に叩きつけられるという結果には至らず、そのまま平たく広い背中の上にぽいっと投げられるのみだった。現実世界の象やラクダのように乗せられたリーファを見て、サスケとランも後を追うしかないと判断し、続けざまに鼻に絡め取られて背中へと乗ったのだった。

 

「そう言うな、ラン。正攻法での脱出が無理な以上、どの道全滅するのは必至だ。コンマ以下の可能性でも、賭けてみるほかない」

 

「でも、一体どこを目指しているんだろう?」

 

「願わくば、このままヨツンヘイムから地上へ通じる出口へ向かってくれればいいのだがな」

 

 希望的観測を口にするサスケ。だが、内心では望み薄だろうと考えていた。尤も、邪神が犇くヨツンヘイムの中を三人程度のパーティーが徒歩で歩き回れば、蹴散らされて数分足らずで全滅するのは必定なのだ。サスケのように規格外のプレイヤーがいても限度がある。それを考えれば、行く先が知れないとはいえ、他の邪神から標的にされない場所に陣取って移動できる手段が確保できているだけマシだろう。前進も後退もできない状況を打破することができている現状を鑑みれば、それ以上は過ぎた望みであるとサスケは感じていた。

 ともあれ、サスケ達を乗せた象水母の邪神は、湖から川へと北上を続けている。止まる気配が全く無い以上、あとは成り行きに任せて事態が動くのを待つしかないというのがサスケの見解である。同時に、邪神の目指す、どことも知れない目的地への到着まで時間がある以上、今の内にリーファへ言うべきことを言おうとサスケは考えた。

 

「リーファ」

 

「な、何?」

 

 唐突にサスケに名前を呼ばれ、思わずびくっとしてしまうリーファ。自分の犯した迂闊な行動について、また何か叱責を受けるのではと身構えたのだが、サスケにそんな気は全く無かった。

 

「さっきの事だが……お前の意思を軽んじたことについて謝りたい。すまなかった」

 

 正座して佇まいを直し、頭を下げるサスケ。対するリーファは、突然のサスケからの謝罪に戸惑いながらも言葉を紡ぐ。

 

「えっと……そんなに、気にしなくてもいいから。あたしこそ、足引っ張りっぱなしで……ごめんなさい」

 

 真正面から土下座するように頭を下げるサスケに対し、リーファもまた頬を掻きながら気恥ずかしそうに謝罪の言葉を返すのだった。互いに謝罪し、邪神の背中の上に流れる気まずい沈黙、それを破ったのはランだった。

 

「はい、それじゃあ二人とも仲直りね。良い具合にまとまったところで、これからのことを話し合いましょう」

 

 ランの仲裁によってその場はまとまり、象水母の邪神救出から立て続けに起こった事態によって流されるままだった現状を改めて見直すことになった。

 

「まず今後の行動方針だが、変わらずにヨツンヘイム脱出を目指す。脱出方法については、今は俺達を運んでいるこの邪神に賭けるほかない。地上に通じる出口へ案内してくれるか、或いは脱出の糸口を与えてくれることを祈るばかりだ」

 

「もし、脱出できなかったら?」

 

「こいつの背中から降りて、徒歩で出口を目指すしかないな」

 

 尤も、無事にこの邪神の背中から降りられるかも微妙だが。しかし、この先自分達を乗せている邪神が裏切りに該当する行為に走ったとしても、ヨツンヘイムを徒歩で歩き回る場合と比べて、リスクは大して変わらない。どの道全滅するのならば、邪神の背中に乗っているという、現在直面しているイレギュラーに望みを託すしかない。サスケはそう結論付けた。

 

「分かったわ。というか、それ以外に方法は無さそうだしね」

 

「私も異論は無いわ」

 

 サスケの打ち出した成り行き任せに近い指針に、しかし二人は反論しなかった。というより、できなかった。邪神の背から無理に降りようとすれば大ダメージは必至であり、後が持たなくなる以上、サスケの言うように象水母の目的地に賭ける他に手は無い。

 そこまで考えたところで、リーファがふと疑問に思ったことを呟く。

 

「そういえば、この邪神って名前あるのかな?」

 

「……必要なのか?」

 

 心根の優しい少女だとは思っていたが、その博愛精神はこの状況にあっても健在らしい。邪神の背中に真っ先に乗った次は、名前を付けたいと言いだす始末。サスケは呆れを通り越して関心すら抱いていた。

 

「あった方が良いに決まっているじゃない」

 

「そうね……まあ、こうして私達を乗せて行ってくれていることだし、名前くらいつけてあげても良いんじゃない?」

 

サスケの問いに、当然のように答えるリーファ。そして、同調するラン。別に名前を付けたところで不都合なことは無く、象水母の邪神が目的地へ到着するまでの時間も無駄にある。反対する要素が無い以上、とりあえず邪神への命名に協力することにするサスケだった。

 

「ユイ、参考までにこの邪神に固有名はあるのか?」

 

「ええとですね……分かりました。『プシューケー・カンピア』だそうです」

 

 ポケットに入っているユイから齎された情報に、揃って疑問符を浮かべる三人。サスケ達の記憶の単語帳には『プシューケー』も『カンピア』も無い。或いは、別の国の言語なのかもしれないが、現時点でその意味を理解することは不可能である。ユイにインターネットへアクセスしてもらえば話は別だろうが、ヨツンヘイムを脱出するまでは自分たちの元を離れられては困る。

 

「う~ん……何か、イマイチだなぁ。やっぱり私達で考えなくちゃ」

 

「でも、何かアイデアはあるの?」

 

「…………」

 

 象水母の名前を考えるべく、頭を捻る三人だが、中々上手い案が浮かばない。モデルとなっている生物がはっきりしているのならば、まだやりようはあるのだが、『象』とも『水母』ともつかないモチーフ不明の異形が相手では、思い付くものも思い付かない。

 

(象……か)

 

 ふと、サスケの脳裏に昔読んだ絵本が浮かんだ。タイトルは、『かわいそうなぞう』。第二次世界大戦末期、動物園へ猛獣を処分するよう命令が下り、飼育員たちは毒餌や注射で次々動物を処分していった。だが、優れた嗅覚で毒餌を嗅ぎ分け、注射器の通らない分厚い皮膚をもつ象だけは、処分することができなかった。故に、象だけは餓死させるしかなかった。象達は、餌を貰うために必死に芸をするものの、次々餓死していったという悲劇の実話である。

幼少期に母親から聞かされた際、一緒に聞いていた義妹の直葉は大泣きしていたが、サスケは別のことを考えていた。暴れる等の抵抗もせず、只管芸をしながら死んでいった象達。その姿にサスケこと和人は、前世の自分を連想したのだ。特に、最後に死んだ『トンキー』と名付けられた象は、仲間二頭が死んでも尚、節を曲げなかった点が印象に残っている。餌を貰うために本能的に芸をしたのだろうが、無抵抗のまま芸を続けたその姿には、どこか忍び耐えているように思えた。

 

「トンキー……というのはどうだろうか?」

 

 気付いた時には、そう口にしていた。それを聞いたリーファとランは、揃って目を丸く見開いて驚いていた。まさか、サスケが名前を提案するとは思わなかったのだろう。そんな二人の意外だと言わんばかりの反応に、名前を提案したサスケ本人は憮然とした顔で再度口を開いた。

 

「……何を驚いている?」

 

「えっと……まさか、サスケ君が名前思い付くなんて思わなくって……」

 

「名前を考えてくれと言ったのはお前だろうが」

 

「そ、そうだったね。でも、トンキーかぁ……あんまり縁起のいい名前ではないね」

 

「戦争で死んじゃった象だもんね」

 

 苦笑しながら言葉を紡ぐリーファとラン。サスケは若干心外だとばかりにむすっとした表情をするも、すぐにいつもの無表情へと戻った。同時に、今度はサスケが意外そうな顔で口を開いた。

 

「何だ、二人とも知っていたのか」

 

「戦争中の象の話でしょう?一応、あたし達も小さい頃にお母さんから聞かされているわ」

 

「私のお母さんなんか、動物虐待を訴えるには不十分だとか、幼稚園児だった私に法的見解を言っていたわよ」

 

 ははは、と笑い合うリーファとラン。ともあれ、二人とも他にアイデアが無い以上、サスケの出した名前が採用されそうである。

 

「よし、それじゃあトンキーでいこう。おーい、邪神君!君は今からトンキーだからね!」

 

「トンキーさん、はじめまして!よろしくお願いしますね!」

 

 同類に近い存在であるユイからの会釈だったからだろうか。象水母の邪神――トンキーの頭の両側の耳、もしくはえらと思しき部位がわっさわっさと動いていた。

 

(……さて、吉と出るか、凶と出るか)

 

 パーティーの蟠りは解消されたが、邪神――トンキーの背中から降りることができない以上、成り行きに任せるほかに手が無い状況は継続中である。期せずして名付け親になったサスケは、最悪の事態に至らないことを祈るばかりだった。

 そして、トンキーの背中に乗ることしばらく。湖を渡り、川を北上し、雪と氷に覆われたなだらかな丘の上へと到達し、そこで動きを止めた。どうやら、ここが終着点のようである。

 

「トンキーが動きを止めた以上、ここに何かある筈だ。周囲の動きに注意してくれ」

 

「了解」

 

 サスケの指示により、リーファとランはトンキーの背中の上をそれぞれ別の方向へ見張りに向かう。サスケはトンキーの目指した丘の先へと視線を向けていた。

 

(かなりでかい穴だな……底が見えん)

 

 アインクラッドにも底の見えない穴があったが、百メートル前後のロープを用いれば底へと辿り着けた。だが、トンキーとサスケの前に広がる大穴は、それ以上あるように思える。

 

「ユイ、この穴の深さは分かるか?」

 

「私がアクセスできるマップデータには、底部構造は定義されていません」

 

「底なし、か……」

 

 落ちれば、まず間違いなく即死は免れないということだけは分かった。だが、トンキーがこのような場所へと自分達を招き入れた理由は不明である。まさか、ここまで連れてきて恩人である自分達を穴へと放り込もうというのだろうか。サスケの脳裏にそんな可能性が過ったのだが、幸いそうはならなかった。

 

「あれ?……トンキー、どうしたの?」

 

 丘の上で停止したトンキーが突然、二十本ある触手を内側に折り畳み始めたのだ。異変に気付いたリーファが問いを投げるも、空いてはAIで動くモンスターであるため、返事は返ってこない。触手を丸めて雪の上に胴体を乗せた次は、ひゅるると短く鳴いて長い鼻も内側へと丸め込み、トンキーは完全に動きを停止した。

 

「……止まったな」

 

「ええ。でも、何がしたかったのかしら?」

 

 ランの疑問は尤もである。何らかのクエストの開始に伴い、自分達をここまで運んできたのならば、何が目的だったのか。皆目見当が付かない。だが、停止して肢が地面についている今ならば、安全に地上へ降りられる。一先ずサスケは二人と共に地上へ降り立つことにした。

 

「降りてみたけど……何も起こらないね」

 

「ああ。俺達をわざわざ運んで来たのだから、この場所には何かあると思ったのだがな……」

 

 トンキーが連れてきた丘にあるのは、只管広がる氷と雪の景色のみ。邪神がいないことは幸いだが、その安全もいつまでもつかは分からない。邪神救援のクエストには何か続きがある可能性も否定できないが、トンキーとはここで別れて自分達だけで出口を探すべきだろうとも思う。

 

「ねえ。トンキー……死んじゃったのかな?」

 

 サスケが今後の動向について思考を巡らせていた一方で、リーファは動かなくなったトンキーを心配していたらしい。サスケとランは、自分達もいつ全滅するか分からない状況にあって、トンキーを心配するあたり大した博愛精神だと思った。だが、何らかのクエストが続いている可能性もある以上、トンキーの具合を診る必要はあるだろうとサスケは判断し、再度トンキーのもとへ近づいていった。

 

「HPは満タンで、減少は無いな」

 

 黄色いカーソルに付随するHPゲージを確認したサスケは、続いてトンキーの毛で覆われた皮膚へと耳を当てた。

 

「音が聞こえるな……心臓なのかは分からないが、何らかの臓器が機能していることは明らかだ」

 

「ってことは……もしかして、寝てるだけ?」

 

 徹夜でヨツンヘイム脱出のために尽力している自分達を余所に、一人寝入っているトンキーに対するリーファの不服そうな呟きに、しかしサスケははっきりとは答えない。アルヴヘイムやアインクラッドに生息するモンスターは、一定のアルゴリズムによって動くプログラムであり、現実世界の生物のように睡眠を必要としないが、例外は存在する。眠っているかのように動作を停止しつつも、プレイヤーの接近や物音、攻撃行為をトリガーに動きだすよう設定されたモンスターは確認されているし、モンスターが休眠状態にあるイベントやクエストも存在している。だが、目の前で饅頭のように丸まって鎮座しているトンキーがそれに当て嵌まるかは定かではない。休眠しているように見えるだけで、全く別の意図をもった行動なのか、或いはこれもクエストの一部なのかもしれない。

 

「こいつがどうなったかは分からん。だが、いつまでもここにいるわけには……」

 

「パパ、東から接近するプレイヤーの反応があります。一人……いえ、その後ろから二十三人!」

 

「邪神を狩りに来たパーティーだな。恐らく目的は、トンキーだろう」

 

 サスケの言葉に、リーファとランの顔に衝撃が走る。だが、ヨツンヘイムで二十四人という大規模パーティーを組織して動く理由は他に無い。プレイヤーを一人先行させているのも、斥候として動いていると考えれば辻褄が合う。

 やがて、リーファとランの耳に雪を踏みしめながらこちらへ向かっている足音が入って来た。聴覚に優れたシルフでなければ聴き取れないほど微細な音ということは、隠行魔法を使っているのだろう。ランは看破魔法を使おうと手を翳したが、それより早く向こうから姿を現した。

 青みかかる程の白い肌に、水色の髪。水妖精族・ウンディーネのプレイヤーである。斥候タイプ故に軽装の出で立ちだが、纏っている装備のグレードは高い。斥候一人にして相当なハイランク・プレイヤーである以上、後から続く本隊も強力なプレイヤーで固められていることだろう。ウンディーネの男性プレイヤーは、リーファ達へと一歩近づくと、予想通りの問いかけがきた。

 

「あんたら、その邪神、狩るのか狩らないのか」

 

 男が言う邪神というのが、リーファ達の後ろで丸くなっているトンキーを指し示していることは明らかだった。最も恐れていた言葉なだけに、半ば以上予想していたにも関わらずリーファは動揺を隠せない。

 

「狩るなら早く攻撃してくれ。狩らないなら離れてくれないか。我々の攻撃の範囲に巻き込んでしまう」

 

 PK推奨のMMORPGであるにも関わらず、非常に親切な対応である。そして、リーファがその言葉に対する返答に窮している間に、斥候役として来たウンディーネの男が所属するパーティーの本隊が到着した。

 全員、蒼髪青眼のウンディーネである。武装も斥候の男同様ハイレベルであることから考えて、恐らくはウンディーネ族の精鋭部隊なのだろう。水妖精族の本拠からキャンプ狩りに訪れているのならば、説得して引いてもらうことは不可能だろう。だが、それでもリーファは諦めるわけにはいかなかった。

 

「マナー違反を承知でお願いするわ。この邪神は、あたし達に譲って」

 

「……ヨツンヘイムのような狩り場で、そんな要求が通ると思っているでゲソか?」

 

 パーティー本隊の中央に立っていたプレイヤーが、前へ出てくる。イカの頭部のように頭頂部の尖った兜を纏ったリーダーらしきプレイヤーは、声色からして恐らくは女性だろう。かなり変わった語尾だが、何らかのキャラ作りに準じているのだろうか。そんなことを頭の隅で考えていたが、今はどうでもいい。

 

「我々は、ウンディーネ族の代表として来ているでゲソ。種族の繁栄のために危険を承知で戦い続けている以上、そんな要求は呑めないでゲソ。そもそも、ALOで先取特権を主張するのは御門違いじゃなイカ?」

 

 リーダーの女性プレイヤーが畳みかけてくる正論に、リーファは返す言葉が浮かばない。サスケとランも、客観的に見て間違っているのは自分達であるという事をはっきり理解しているため、口を挟めない。ウンディーネのパーティーリーダーの指摘は、語尾のせいで色々と台無しだが、まだ優しい方だろう。先制攻撃を仕掛けて一気に畳みかけることができるところを、わざわざこちらの間違いを指摘して立ち去るよう呼び掛けてくれているのだ。

 

「十秒待つでゲソ。その間に、そこの邪神からは離れてくれなイカ?さもなくば、諸共に攻撃させてもらうでゲソ。メイジ隊、支援魔法開始でゲソ」

 

 最終警告と共に開始される、ウンディーネ部隊の詠唱。それに伴い、前衛の攻撃部隊の身体に各種ステータス強化が施されていく。

 

「十……九…………」

 

 同時に、ウンディーネの弓兵によるカウントダウンがなされていく。リーファはサスケとランと共に撤退をしようと、ウンディーネ隊に背を向けて二人の元へ歩み寄る。

 

「サスケ君、ランさん……」

 

「そういえば、まだはっきりと答えていなかったな」

 

「……え?」

 

 二人に下がろうと声を掛けようとしたところへ、サスケが割って入る。リーファはこの局面でいきなり口を開いたサスケに少し驚き、言葉を続けることができなかった。

 

「お前やランを助けようとした理由だ。義務感からの行動だと言ったが、本当は違う」

 

 どこか吹っ切れたかのような表情のサスケ。相変わらずの感情の読み取れない顔だが、トンキーを救い出す前までの彼とは別人のように思えた。

 

「“仲間だから”――――それが、お前達を助けようとした理由だ」

 

「サスケ君!」

 

 それだけ告げると、サスケはリーファの制止を振り切り、剣を引き抜いてウンディーネの部隊へと正面から突撃していった。

 

「野郎!」

 

「正気かっ!?」

 

 攻撃宣言をしたのだから、大人しく引き下がるだろうと考えていただけに、完全な不意を突かれてしまった。強化魔法を施されている最中だった前衛の剣士隊は、凄まじい敏捷で攻め込んでくるサスケに反応が間に合わず、乱戦に持ち込まれて対応に手古摺っていた。

 

「リーファちゃん、私達も行くよ!」

 

「ランさん!?」

 

「トンキーは勿論、サスケ君も私達の仲間よ。彼もそう思ったからこそ向かって行ったんだから、私達が続かなくてどうするの?」

 

 “仲間だから”という単純明快にして二人が最も求めていた答えを口にしたのみならず、その意思をもって戦いに出たのだ。同じく彼を“仲間”と思っている自分達が続かないでどうするというのか。ランに背中を押され、リーファもまた決意を新たにした。

 

「……行きましょう!」

 

「うん!」

 

 リーファは長剣を、ランは拳を構えてサスケが戦っているウンディーネ部隊のど真ん中へと飛び込んで行く。強化魔法を施された前衛相手に相変わらずの無双ぶりを発揮しているサスケと応戦していたウンディーネ達は、さらに浮足立つ羽目になった。

 

「やぁぁぁあああ!!」

 

「とりゃぁぁああ!!」

 

 サスケが前線の重装備プレイヤー達の至近距離からの攻撃を回避して次々カウンターを叩きこんで行く中、リーファとランは乱戦地帯を突破し、ウンディーネの支援部隊のもとへと飛び込んで行く。後衛のメイジ隊を潰せば、前衛を回復・支援するプレイヤーはいなくなる。サスケの実力を鑑みれば、支援を得られない前衛を殲滅するのは然程難しくはない筈。

 

「成程……よくもまあ、知恵が働くでゲソ!」

 

「くっ……!」

 

 だが、リーファとランの行方を遮る様に、先程のイカ甲冑の女性プレイヤー――イカ娘が現れる。左手に盾、右手に剣を装備してリーファとランのもとへと果敢に立ち向かう。

 

「スプリガンの彼に前衛を任せ、二人がかりで後衛を潰すって魂胆でゲソね?そうはさせないでゲソ!」

 

「そこを、どけぇええ!」

 

「聞けない頼みでゲソ!」

 

 リーファとランを同時に相手して全く怯まず、二人が繰り出す剣戟と拳打を捌き切ってみせる。ウンディーネの精鋭を率いている立場にある以上、相当な上級プレイヤーなのは間違いなかったが、まさかシルフ五傑と称されるプレイヤー二人を相手に互角以上の実力とは予想外だった。

 

(拙い……このままじゃ、メイジ隊の方へ攻め込めない!)

 

 イカ兜の女性プレイヤーは、リーファとランを相手に一方のみに感けるような真似は決してしない。片方が注意を引いている間にもう片方が後衛目掛けて突撃を仕掛けようとすれば、その背中を剣の斬撃が容赦なく襲う。かといって、二人で仕留めにかかろうにも、攻防自在の剣技にダメージが全く通らない。

 

「ゲソゲソゲソ……この私を相手に、なかなか頑張ったじゃなイカ。だが、これまででゲソ!」

 

「くっ……サスケ君っ!」

 

 イカ兜のパーティーリーダーが言った通り、ウンディーネの前衛部隊を押さえ込んでいるサスケにも限界が訪れつつあった。後衛のメイジ隊からバックアップを受けているウンディーネの前衛部隊が相手では分が悪すぎる。負けないだけでも精一杯なのに、トンキーを守るなど不可能である。現にサスケが防ぎ切れなかった攻撃が何発もトンキーのもとへ降りかかっていた。

 

「トンキー!」

 

「させるかぁぁああ!」

 

 イタチが押さえ切れなかった武器や魔法による攻撃が、トンキーのHPをみるみる削っていく。このまま硬直を続けるわけにはいかない。そう考えたサスケ、リーファ、ランはさらに激しく抵抗をするが、ウンディーネの部隊はなかなか止まらない。

 ここまでか、と三人の脳裏に諦めが過った。だが、トンキーのHPが尽きるまで戦いを止めるわけにはいかない。自分達がウンディーネの部隊を撃退するよりも先に、トンキーが討ちとられることを予測しながらも、三人は立ち向かい続けた。だが次の瞬間、聞こえてきたのはトンキーの断末魔ではなかった。

 

くぉぉぉぉおおおおおおん

 

「!」

 

「な、なに!?」

 

「何が起こったでゲソ!?」

 

 明らかに苦悶の声ではない、高らかな鳴き声を上げるトンキー。邪神がとった突然の行動に戸惑いを隠せない一同は、武器を振るうことも呪文を唱えることも止め、トンキーへと視線を向けた。

 一同が見守る中、饅頭のように蹲っていたトンキーの背中から亀裂が走っていった。ダメージによって身体がひび割れ、中から鮮血が吹き出すのではとリーファは懸念したが、そうはならなかった。亀裂から噴き出たのは“鮮血”ではなく、眩いばかりの“光”。ウンディーネ達は、トンキーが最後の反撃として自爆攻撃を仕掛けようとしていると考えたのだろう。メイジ隊が、攻撃魔法のスペルを唱えて撃破しようと考えたのだが……

 

「なっ!?魔法が消えただとっ!?」

 

「あの邪神の仕業なのか!?」

 

 ウンディーネ達の攻撃魔法のライトエフェクトが次々に煙となって霧散する。突然の事態に狼狽するウンディーネ達。そんな中でリーファだけは、目の前で起きている現象の正体を悟っていた。

 

(範囲解呪魔法(フィールド・ディズペル)!まさか、トンキーが!?)

 

 範囲解呪魔法とは、一部の高レベルボスモンスターが行使するスキルであり、文字通り一定範囲内でプレイヤーが発動する魔法を全て無効化するスキルなのだ。当然、ヨツンヘイムの低級邪神が発動するようなものではない。一体、トンキーの身に何が起こったのか。亀裂から光を漏らすトンキーを再度注視する一同。トンキーの身体に走った亀裂は今や全身を駆け抜け、次の瞬間には爆発するように身体を四散させた。だが、それで終わりではない。表皮が砕けた先で激しい光が迸り、その中から巨大な影が姿を現したのだ。

 

「くぉぉおおおおん!!」

 

 殻を突き破るように現れたのは、象水母型の邪神ではなかった。四対八枚の翼を羽ばたかせ、流線形の胴体から植物の蔓を彷彿させる触手を伸ばした邪神。ただ、象のように長い鼻を伸ばした頭部だけは、象水母だった頃と変わらず、サスケ達の目の前に浮かぶ邪神がトンキーであることを物語っていた。

 

「トンキー……なの?」

 

「間違いないだろうな」

 

 誰に問いかけるでもないリーファの呟きに答えたのは、ウンディーネの前衛部隊が密集していた地点から離脱して合流してきたサスケだった。ランも二人の近くに立っていた。

 サスケ達三人とウンディーネの部隊が見つめる先で、トンキーは十メートル程の高さに浮かび上がり、その翼から青い輝きが発せられた。

 

「まずい……二人とも伏せろ!」

 

 逸早く危険を察知したサスケは、リーファとランの肩を引っ掴んで雪の地面へと押し倒す。次の瞬間には、トンキーの胴から伸びた触手全ての先端から青白い稲妻が迸った。

 

「ぎゃぁぁああっ!!」

 

「ひぃぃいっ!」

 

 太い雷撃が雪原へ降り注ぎ、ウンディーネのパーティーメンバーのもとへ次々降り注ぐ。直撃を受けたプレイヤーはポリゴン片を撒き散らして消滅していった。前衛で防御の固いメンバーは生き残ってはいるものの、魔法が使えない後衛には身を守る術が無い。戦闘続行が不可能なのは明らかだった。そんな中、ウンディーネのリーダーであるイカ兜の女性プレイヤーが撤退の指示を飛ばす。

 

「撤退!撤退するでゲソ!」

 

 逸早く自分達の不利を悟った、適切な指示だった。既に目に見えただけでも四人のプレイヤーが雷に貫かれて爆散しているのだ。これ以上この場に留まれば、全滅は必至だった。指揮官適性・戦闘能力が優れているだけでなく、状況判断能力も高いのだろう。サラマンダーのユージーン将軍と互角足り得る実力者だと、サスケは考察した。サスケ達は稲妻が迸る丘の上から滑り落ちるように撤退していくウンディーネ部隊を見ながら、自分達が踏ん張ったお陰でトンキー窮地を脱することに成功した事を改めて実感していた。

 

「どうにか、生き残れたようだな……」

 

「ええ……」

 

 ウンディーネの部隊を相手に喧嘩を売ったのだから、今回ばかりは全滅してもおかしくないとサスケも感じていたのだろう。サスケの声色は安堵の色が濃かった。トンキーも、敵であるウンディーネを追い払ったことで落ち着いたのだろう。ようやく稲妻を発するのを止めてくれた。攻撃が止んだことを確認したサスケ達は、地面から起きあがり始める。

 

「それで、これからどうしようか?」

 

「……予想はできているんじゃないのか?」

 

 サスケの見つめる先にいるのは、ウンディーネを撃退して空中に浮かんだままのトンキー。声無きサスケの考えを察したのだろうか、三人のいる場所までわっさわっさと飛んでくると、長い鼻を伸ばして三人を絡め取った。サスケの言う通り、半ば予想できていたことなだけに、三人とも抵抗はせず、されるがままに任せることにした。そして三人は、先程と同様に揃ってトンキーの背中へと尻から落とされるのだった。

 

「さて、今度はどこへ向かうのやら……」

 

「ヨツンヘイムの外へ行ってくれたらいいのにね」

 

 リーファの呟きに、サスケもランも激しく同調するのだった。だが、果たしてどこまで上手くいくのか……サスケは未だに不安が拭えなかった。

サスケ達三人を背に乗せたトンキーは、やがて丘から飛び立つと、螺旋を描くように上昇を開始した。飛行不能なヨツンヘイムにおいて、この壮大な風景を視界に納めることができたのは、恐らくサスケ達三人が初めてだろう。期せずして眺めることができた氷雪世界の絶景を視界に納め、リーファとランは揃って感動した様子だった。一方サスケは、地上ではなくトンキーが目指しているヨツンヘイムの天蓋に視線を向けていた。

 

(一体、どこへ向かっているんだ?)

 

 ヨツンヘイムの出口を目指しているのならば、この地上同様に広い天蓋のどこかに、その出口が見える筈。目を凝らし、サスケはそれを必死に探していた。そんな中、サスケはあるものを見つけた。

 

「何だあれは?」

 

 思わず呟いたサスケの言葉に、リーファとランも何だろうと振り返る。サスケの見つめている先へと視線を移してみると、そこにあったのは巨大な氷柱だった。だが、ただの氷柱ではない。全長二百メートルを超える、ピラミッドを逆さに吊るしたような形状である。内部は階層状に区切られたダンジョンの様を呈している。どうやらこれは、上から下へと攻略していくタイプのダンジョンらしい。

 

「何あれ……あんなダンジョンが、ヨツンヘイムにあったの?」

 

「さあな。だが、あんな場所にある以上、こうしてトンキーのような邪神に連れてきてもらう他に到達する方法は無さそうだな」

 

「そうね。でも一体何があるのかしら?」

 

「ダンジョンの宝というのは恐らく、あの最下層にある光るものだろう」

 

 サスケの指摘に、逆ピラミッド型のダンジョンの最下層の部分へ視線を向ける二人。確かにサスケが指摘したように、ダンジョン最下層では、何かが天蓋の薄明りを反射して光っている。一体、何が置かれているのだろうかと気になったリーファは、遠見水晶(アイススコープ)の魔法を唱えてオブジェクトの正体を確認しようと試みる。魔法によって作った扁平な水晶を除きこみ、目的の場所へと焦点を合わせた途端、リーファが驚愕の声を上げた。

 

「わぁああっ!」

 

「どうした?」

 

「リーファちゃん、何が見えたの?」

 

 リーファのただならぬ反応に、一体何が見えたのだろうと疑問符を浮かべるサスケとラン。当のリーファは未だ驚きに口をぱくぱくさせながらも、どうにか言葉を紡いだ。

 

「れ、伝説武器(レジェンダリィ・ウエポン)の……聖剣エクスキャリバーが!」

 

 その言葉を聞いた途端、ランもまた驚愕に目を見開き、リーファの手にある水晶を覗き込んだ。ただ一人、サスケだけは冷静だった。

 

「聖剣エクスキャリバー……サラマンダーのユージーン将軍が使っていた魔剣グラムと同じ伝説武器か。確か、知られていたのは武器の存在のみで、入手方法は不明の筈だが」

 

「まさかこんな所にあるなんてね。入手方法が分からないわけだよ」

 

 興奮した様子でサスケの言葉を繋ぐラン。次いでサスケも、リーファの遠見水晶を覗き込んだ。その先には、確かに黄金の刀身をもつ、壮麗な一振りの剣が鎮座していた。写真は見たことは無いが、成程確かに伝説武器と称されるに相応しい武器だと思う。

 

「もしかして、トンキーはあのダンジョンまで私達を運んでくれているのかな?」

 

「かもしれないな。だが、今の俺達が行ったところで攻略するのは無理だな」

 

 サスケの指摘に項垂れるリーファ。伝説武器を手に入れるのは、大部分のプレイヤーの悲願とも言える。それはこの二人も例外ではない。目の前にアルヴヘイムにおいて至高の武器を手に入れるチャンスがあるのならば、躊躇無くチャレンジしたいと思っていた。だがサスケの言う通り、ウンディーネの部隊との激闘で疲弊し、各種装備もギリギリの現状で伝説武器を賭けたダンジョンへ挑むのは無謀以外の何物でもない。そもそも、サスケ達の最終目標はアルンへの到達であって、エクスキャリバーではないのだ。ここで欲の皮を張って無謀な行動に出れば、今度こそ全滅は免れないだろう。

 やがて、トンキーは氷柱ダンジョンから伸びるバルコニーへと到達した。ゆっくり飛行している今なら、ダンジョンの入口へ飛び移る事も可能だろう。リーファは恨めしそうに入り口を眺めるが、ランがその肩に手を置いて宥めるのだった。

 

「……また来ればいいさ。どうせこんな手段でしか来られないのだから、他のプレイヤーに先を越される心配は無い」

 

「サスケ君の言う通りだよ、リーファちゃん。今度はもっと味方をたくさん連れて攻略しに来よう、ね?」

 

「そ、そうよね!きっとチャンスはまだあるわよね!?」

 

「ああ。その時が来たら、俺も協力することを約束しよう」

 

 サスケの言葉に、リーファの顔に生気が戻り始める。その表情を見て、サスケは若干の罪悪感を抱いた。自分がやろうとしている、この世界の支配者たる須郷伸之の所業の摘発が成し遂げられれば、ALOもただでは済まない。人体実験の隠れ蓑とされた以上、サービスの停止は免れない筈だ。それを考えれば、“二度目”の機会を保証することはできない。或いは、今ここで真実を全て告げた方が二人のためなのかもしれないと思う。

だが、事情を説明するとなれば、自分がSAO生還者であることは勿論、竜崎ことLとの繋がりを含め、自分のリアルについて話すことが必要である。元より、信じてもらえるかも疑わしい話であり、二人の神経を逆なでする可能性も無きに在らずと言える。サスケの中では、やはり黙っているほかに無いという結論に至った。嘘を重ね、自分一人で全て片付けようとする……前世と同じ行動をとる自分に対して忸怩たる思いを抱きつつ、サスケには選択肢が無かった。

 

「お、そろそろ終着点が見えてきたよ!」

 

 リーファの言葉に、サスケとランもトンキーの飛ぶ先を見つめる。するとそこには、階段の付いた世界樹の根が垂れ下がっている。恐らく、あそこから地上に通じているのだろう。階段に寄せて滞空したトンキーの背から飛び降りた三人と一人は、リーファ、サスケ、ラン、ユイの順にトンキーの鼻と握手する。そして、別れを惜しむことしばらく。トンキーがヨツンヘイムの地底へと飛び去っていくのを見送ると、踵を返して階段を上り始めた。

 

「トンキー、また会えるといいね」

 

「ああ、そうだな」

 

「きっと会えますよ!」

 

「ふふふ……」

 

 互いに笑い合いながら階段を上ること十数分。一同は木の壁に開いたうろへと辿り着く。サスケとリーファが両サイドから扉を押しあけたその先に広がっていた光景は、ヨツンヘイムほど暗くはない、積層都市の夜景だった。そして、何より目を引くのは、街の中央から聳え立つ余りに巨大な大樹だった。

 

「あれは……」

 

「ああ、間違いない。世界樹だ」

 

 ALOのプレイ時間が相当に長い二人だが、アルヴヘイムのシンボルたる世界樹をこれ程近い場所で見るのは初めてらしい。イタチも改めて、自分が挑もうとしている最終関門を見上げ、その威容に僅かながら圧倒されていた。

 

「パパ、ここにママがいるんですよね?」

 

「ああ。必ず、会える」

 

 それこそが、自分がこの世界へやって来た最大の理由なのだから。目の前に佇む伏魔殿を前に、サスケは最終決戦の始まりを予感した。

決意を新たに、暁の忍は全てを取り戻すための戦いに身を投じていく――――――

 



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第六十七話 それぞれの想い

2025年1月22日

 

 日も昇り切らない朝七時頃の桐ヶ谷家。この家の住人の一人である和人は、庭の手洗い場に姿を現していた。常ならばどれだけ短時間の睡眠であっても全く隙を見せないが、今朝の和人の動きにはどこか緩慢さがあった。

 

(やれやれ……やはり生身の肉体とVRワールドのアバターとでは勝手が違う。身体が付いて来ないな……)

 

 昨日夕方からALOへダイブした和人がサスケとして冒険した時間は、8時間以上に及ぶ。当初予定していたルートを外れたサスケは、仲間であるリーファとランを伴い、スイルベーンから世界樹を目指していた。道中、シルフ=ケットシー両種族の領主を狙った陰謀を挫くべく、最強プレイヤーとのデュエルに及んだ。その後、パーティーの不注意によって地底ダンジョンのヨツンヘイムへ叩き落とされた後、象水母の邪神の救済、遭遇したウンディーネの部隊と戦闘といったイベントを経て、ヨツンヘイムを脱出した末にアルンへ到達したのだった。

 連続でダイブしての冒険だった上に、激戦の連続。精神の休まる暇などある筈が無く、睡眠時間はたったの三時間だったのだ。現実世界の身体がベッドの上で横たわっていたとしても、精神が酷使されている以上、疲労は蓄積するばかりである。忍の前世をもっているとはいえ、SAO事件による二年間の昏睡状態による後遺症が未だ残る状態では、動きに影響が出るのも無理は無いことだった。

 

「ふぁあ……おはよ~、お兄ちゃん……」

 

「……眠そうだな、直葉」

 

 欠伸混じりにふらふらと現れたのは、和人の義妹である直葉だった。彼女もまた、自分と同じく寝不足の様子である。

 

「何時まで起きていたんだ?」

 

「ええと……四時くらいかなぁ?」

 

「……お前にしては珍しいな。何をしていたんだ?」

 

「ネットとか……かな?」

 

 直葉の言葉に対し、和人は内心で少しばかり驚いていた。剣道少女の直葉がパソコンに手を付けることなどこれまで無かったことである。ましてやネットに嵌まって夜更かしをすることなど、和人の中では有り得ないことだった。

 

「……そうか。まあ、程々にしておけよ」

 

「はーい」

 

 だが、和人は深く追求することはしなかった。同程度の時刻までALOにダイブしていた自分も人の事を言えた立場ではないのだ。加えて、自分がSAOに囚われている間に二年もの月日が経過している以上、直葉も夜更かしくらいはする年齢なのだろうと思えないことも無い。もとより、SAO内部で女性関係の問題に悩まされていた経験をもつ和人である。義妹とはいえ年頃の少女相手に一々事情を確かめて地雷を踏むことは避けたかったので、それ以上踏み込む事はしなかった。

 

「今日は朝食の後、明日奈さんの入院している病院へ行く。お前はどうする?家にいるか?」

 

 直葉に対し、一緒に来るかと尋ねる和人。先日、和人が明日奈の見舞いに行くと言った時、次は直葉も一緒に行きたいと言っていた。病院の見舞いに大勢で押し掛けるのは迷惑だが、二人程度なら問題は無いだろうと考えた和人は、直葉の予定が合うならば同行させようと思っていた。

対する直葉は若干迷った表情をしたが、すぐに返事を返した。

 

「……あたしも付いて行っていいかな?」

 

「ああ、構わない。アスナさんも歓迎してくれるさ」

 

 未だに眠り続けている明日奈だが、目を覚ましたら直葉ともきっと仲良くなれると思っていた。直葉の方は、SAO事件以前からほとんど知る機会の無かった和人の交友関係を知りたいと思っていたため、相手が眠っているとはいえこの見舞いは良い機会だと思っていた。

 

「あ、そうだ。お兄ちゃん、明日奈さんが入院しているところの病院なんだけど、あたしの知り合いの友達も入院しているの。明日奈さんのお見舞いが終わったら、ちょっと寄らせてもらってもいいかな?」

 

「ああ、構わない。だが、あの病院は民間の高度医療機関だぞ。その知り合いというのは、相当な良家の出身なんだろうな」

 

「いやぁ……知り合いの知り合いってだけで、あたしも直に話したことが無いんだけれどね」

 

「話したことがない……まさかとは思うが……」

 

 直葉の言葉に、彼女の知り合いが抱える大凡の事情を察して言い淀む和人。知り合いであり、見舞いに行ったことがありながらも話したことが無いということは、話せない状態だからこそ入院しているのだろう。事故や何らかの病気による昏睡状態など、原因はいくつか考えられるが、和人の脳内に真っ先に浮かんだのはかつての自分や現在の明日奈と同じ理由だった。そして、そんな和人の予想は、直葉の苦笑した顔が的中していることを意味していた。

 

「うん。お兄ちゃんや明日奈さんと同じで、その人もSAO事件に巻き込まれた人なんだ」

 

「そうか……」

 

「その人の知り合いはね、空手の都大会優勝者なんだよ。武道系の部活をやっている縁で知り合って、仲良くしてもらっているんだよ」

 

 自分がSAO事件に巻き込まれたことをきっかけに知り合った人物という事情には複雑な心境だったが、お互いに気持ちを共有して支え合えたからこそ不安に押し潰されずに済んだのだろう。知り合いが明日奈と同じ病院に入院している以上、機会を見つけて一度会って礼を言わねばならないだろうと考えていた。

 

「そういうことなら、俺も付き合おう。SAO生還者(サバイバー)である以上、知り合いの可能性もある。一度顔を合わせた方がいいだろう」

 

「そうだね。その時は、あたしが案内してあげる」

 

「ああ、よろしく頼む」

 

 互いに今日の予定が決まったところで、再度稽古を始める和人と直葉。病み上がりにも関わらず、事件以前と同レベルの激しい運動にも息を上げない和人に対し、直葉は半ば唖然としながらも竹刀を振るっていた。

 朝稽古が終わった後は、朝食である。手際よく朝食を済ませると共に、いつも通り未だ自室で爆睡している母親のために料理を作り置きするのだった。その後は身支度を整えた後、お互いに身支度を整えた後、病院を目指すのだった。ちなみに、今日は直葉が同行するので交通手段は自転車ではなくバスを利用することにしている。

 

「そういえば、お兄ちゃん。学校の方はどうなるの?」

 

「学校?」

 

 バスに乗り込みながら、唐突に尋ねてきた直葉からの問いの内容に、和人は疑問符を浮かべる。

 

「本当なら、去年からお兄ちゃんは高校生活を送っている筈だったでしょ?」

 

「ああ。都立高の統廃合で空いた校舎を利用して、SAOから帰還した中高生向けの臨時学校を作るそうだ。入試無しで受け入れて、卒業したら大学受験資格もくれるらしい」

 

「へえ……いい話だとは思うけど……どこか十把一絡げな風にも見えるよね」

 

「仕方ないだろう。俺達は二年間もデスゲームに明け暮れていたんだ。現実世界にある俺達は、存在そのものがある意味異端だ。心理面の影響を鑑みれば、一カ所に集めて管理した方が効率的だ」

 

「そんな……」

 

 仕方ないだろう、と言わんばかりに淡々と語る和人の言葉に、直葉は不満そうな表情を浮かべる。

 

「だが、SAO内部では表沙汰に出来ないことが多々あったことも事実だ。一般高へ通うとなれば、俺達へのメディアスクラムをはじめとした厄介事が降りかかる可能性が少なからずある。総務省の庇護下にある学校に通う限りは、そういったリスクが降りかかることは無い」

 

「お兄ちゃんの学力なら、トップ校を目指すのも難しくないのに……」

 

「俺が成績優秀者と呼ばれていたのは既に昔の話だ。二年も学業から離れていた以上、当時の学力を取り戻すのは不可能だろう」

 

「それでも、お兄ちゃんだったら絶対大丈夫だと思うけどなぁ……」

 

「買いかぶり過ぎだ。それに、仮にかつての学力を取り戻すことができたとしても、俺はSAO帰還者専用の学校以外へ通うつもりは無い」

 

「どうして?」

 

 直葉からの疑問に対し、和人は表情を若干曇らせながら口を開いた。

 

「罰せられないとはいえ、俺もSAO事件を引き起こした共犯者の一人だ。俺一人だけ過去を捨て安穏な生活を送ろうなんて虫が良過ぎるだろう」

 

 犯罪者に選択の余地は無いと告げる和人。何の感情も介さない表情で口にした言葉は、直葉の心にも影を差した。SAO事件中、ゲーム内部で和人がどのような立ち回りをしていたかは、直葉には分からない。だが、事件に巻き込まれた一万人の中でトップクラスのレベルを有していたという話はSAO事件対策本部から訪れた人間から聞いている。ゲーム制作のスタッフに抜擢される程の実力を遺憾なく発揮し、死と隣り合わせの戦いであろうと恐れること無く挑み続け、突出した実力を身に付けたことは想像に難くなかった。

だが、ネットゲーマーというものは元来嫉妬深いものである。突出した能力をもつ和人はゲーム攻略の最前線で戦う中で、プレイヤー同士の人間関係について複雑な事情を抱えていたのだろう。家族にすらほとんど感情を見せなかった和人である。SAOのゲームをプレイする中で、自然と、或いは自ら孤立していったのだろうその姿は簡単に想像できた。

 

(お兄ちゃん……それでも、あたしは――――)

 

 和人の味方でいたい。心の底からそう思っていた。だが自分は、SAOの中で戦い続けた和人のことを何も知らない。和人の悩みを、何一つ理解できない――痛みを共有できないのだ。こんなに近くにいるのに、何故か和人を遠く感じる。どうしても埋められない距離を認識し、言いようのないもどかしさを感じていた。

 

「直葉、着いたぞ」

 

「!……う、うん」

 

 気が付けば、バスは病院の近くに到着していた。一人思考の海に埋没していた直葉は、和人に促されてバスから下車するのだった。和人は直葉の様子を訝りながらも、思春期の少女にはよくあることだろうと考え、深く追求することはしなかった。

 

「何度見ても、おっきい病院だね~」

 

「言っただろう、良家の出身が頻繁に使う病院だと。ほら、早く行くぞ」

 

 守衛を通過してダークブラウンの建築物の中へと入っていく二人。その後、エントランスでこれから訪れる二部屋分のカードキーを受け取る。ホテル並みに豪華な内装に直葉は目を奪われながらも、和人にしっかりくっついてエレベーターへと乗り込む。最上フロアに到着した後、突き当たりを目指せばそこが明日奈の部屋なのだ。

 

「結城……明日奈さん。へえ、キャラネームが本名だったんだ。あんまりいないよね、そういう人」

 

「……一般的にはそうだな。だが、案外本名そのままでプレイする奴はいるものだぞ」

 

 和人がSAOから帰還した後に病院で出会い、本名を確認した攻略組プレイヤーの中には、キャラネームと同一の名前を使っている人間が多々見受けられた。攻略組で言えば、ヨウ、アレン、ゼンキチ、ナツ、テッショウ、キヨマロ、ギンタ、ヨシモリが主なところだろうか。カズゴについては、本名の一護(いちご)を読み変えてカズゴとしたらしい。また、事件以前から知り合いだったシバトラについては、本名の柴田竹虎の略である。

 

「それにしても、お前もよく知っているな」

 

「う、うん……まあね」

 

 ゲーム嫌いな筈の直葉がMMORPG事情に通じていることには軽く驚く和人。だが、SAOに囚われた自分を心配していたのならば、自分が閉じ込められたMMORPGについて調べていてもおかしくはない。そう内心で納得する和人だった。

 カードキーを使って扉を開くと、和人は直葉を奥のベッドが置かれている場所へと導く。カーテンの向こう、直葉の視界に映ったのは、寝台の上で横になる眠り姫の姿だった。その美しさに、直葉は病室の一部分だけがこの世界とは異なる、お伽の国と化したような錯覚さえ覚えた程である。だが、その頭部に装着されている装置が、ここが物語の世界などではなく、現実世界であることを示していた。無骨な形をした、濃紺のヘッドギア――ナーヴギアである。和人をはじめとした一万人もの人間の魂を二年もの間、仮想世界に拘束し続けた悪魔の機械であり、今尚明日奈をはじめとした三百人のプレイヤーをどことも知れぬデジタルデータの世界に閉じ込め続ける悪夢の鉄檻なのだ。

 ベッドに眠る明日奈の頭に装着されているヘッドギアを見て、恐らくは自分のことを思い出しているのだろう。辛いことを思い出させてしまったと悟った和人は、明日奈の紹介をすることにした。

 

「紹介しよう。彼女が結城明日奈。血盟騎士団副団長にして、閃光のアスナと呼ばれた人だ。剣の速さと正確さは、間違いなくトップクラスの実力者だった。現実世界でも、俺と同じ中学で生徒会長を務めていた優秀な人だ」

 

 直葉に対し、目の前で深い眠りについている少女について紹介する和人。続いて、妹である直葉を意識無き明日奈に紹介する。

 

「明日奈さん、妹の直葉です。」

 

「は、はじめまして!」

 

 緊張した面持ちで明日奈に挨拶する直葉。だが、醒めぬ眠りについている明日奈にはその声は届かず、何の返事も返ってはこない。直葉もそれに期待したわけではなく、頭を上げると和人の隣に立って揃って改めて明日奈の表情を見つめた。

 

「……綺麗な人、だね。もしかして明日奈さんってお兄ちゃんと恋人同士だったりしたのかな?」

 

 ベッドの傍で間近に見る明日奈の美貌に息を呑んだ直葉は、冗談半分でそんなことを和人に聞いてきた。問われた和人は、直葉の言葉に苦笑を浮かべながら口を開いた。

 

「有り得ないな……俺には勿体ない人だ」

 

「またまた。お兄ちゃん、向こうじゃどうせ最強だったんでしょ?閃光なんて二つ名をもってた明日奈さんとは会う機会も多かっただろうし、本人も満更じゃなかったんじゃないの?」

 

「……確かに、それなりには戦えていた。だが、それだけだ」

 

 ソードアート・オンラインの制作スタッフの一人であり、現実世界の剣道でも負け知らずの和人ならば、SAOでも最強クラスのプレイヤーであったことは間違いなく、同時にモテモテだったに違いないと考える直葉。そして実際のところ、その想像はほぼ的を射たものであり、明日奈から異性としての明白な好意を受けていた。

 だが、和人はその真意に気付きながらも、その想いから目を逸らし続けた。全ては、デスゲームという名の理不尽を押し付けられたプレイヤー全員の怨嗟を一身に背負う役割を担うため。前世と同様、進み続けた果てには破滅しか無い、最初から過ちであると知りながらも貫き続けた、全ての人間の敵という在り様。だが、明日奈だけはそんな救いようの無い自分を一人にさせまいと、真剣に向き合ってくれていた。対する自分は、そんな彼女の心を蔑にし続けてきたのに、決して見放そうとはしなかったのだ。本当に、自分には勿体ない人だと和人は思った。

 

「彼女こそ、本当の強さを備えたプレイヤーだった」

 

「……そう、なんだね」

 

 明日奈の顔を見ながら話す和人の表情には、憂いを帯びた影が差していた。和人が否定したように、SAO内では明日奈との間に色恋沙汰が無かったことは分かった。だが、一緒にいた時間が長い分、恐らく彼女の方が和人の内面に近づくことができていたことは間違いないのだろう。生まれた頃からずっと一緒にいた筈の自分ですら触れ得ぬ和人の心を僅かながらでも理解できたであろう明日奈に、直葉は嫉妬と羨望を抱いていた。

 一方の和人はといえば、目の前のベッドの上で眠る明日奈の姿に、かつての自身を重ねていた。SAO事件当時、直葉も今の自分と同じ気持ちで見守っていたのだろうか。

 

(…………直葉。本当によく待っていてくれた)

 

 こうして直葉と並び立つことで、改めて認識させられる。共に戦った仲間を置いて自分だけ現実世界へ帰ったことに罪悪感を覚えている和人だが、横たわる自分を前に直葉が抱いていた心労は比べ物にならないくらいの重圧だったことは想像に難くない。

仮に自分が逆の立場で、死と隣り合わせの世界に閉じ込められた状態で覚めるか分からない眠りについている直葉の帰りを待つ立場だったら……。想像するだけで胸が張り裂けそうになる。ましてや、自分は前世で実の弟――サスケに対し、真実を偽ったまま己を殺させるという苦行を課して死んだのだ。想像を絶する悲しみと絶望を押し付けたことは間違いない。破綻すると予感しつつも実行した計画が、どれだけ罪深いものだったのかを思い知らされる気分だった。

 

「?…………お兄ちゃん、どうしたの?」

 

「……いや、何でもない」

 

 どうやら知らぬ間に、視線がベッドで眠る明日奈から、直葉の横顔へシフトしていたらしい。自分を見つめる和人の視線に気付いた直葉が、訝しげに兄の様子を窺う。対する和人は、何でも無い風を装ってお茶を濁していた。

 

「花瓶の水、交換しておくね」

 

「ああ、頼む」

 

 兄の様子が気になったが、すぐにいつもの無表情に戻ったため、直葉はそれ以上の追求をしなかった。和人に一言判ると、水の入った重たい花瓶を手に部屋の洗面台へと向かう。

 病室の入り口付近の水道へと向かい、花瓶の水を交換する傍ら、ベッドと入り口側を遮るカーテンの向こうで立ち尽くす兄の影へと、直葉は視線を向けていた。

 

(お兄ちゃん……お兄ちゃんは、今どこにいるの?)

 

 今この病室の中で自分と彼を隔てる壁は、カーテンの布一枚のみの筈なのに、直葉には兄が果てしなく遠い存在に思えて仕方が無かった。自分と同じ現実世界にいる筈なのに、兄は文字通り心ここに在らずと呼ぶべき状態なのだ。

 

(こんなに……こんなに近くにいるのに……)

 

 今の和人が、直葉の身では触れる事すら叶わぬ場所にいるような錯覚に陥る。隣に立つ自分よりも、眠っている明日奈の方が和人に近しい場所にいるような気がしてならない。唯一の救いは、明日奈を心配する和人の顔に表れている感情が、罪悪感のみであることだろうか。

 

(!……どうしてあたし、安心してるんだろう?)

 

 そこまで考えて、ふと自分が抱いた感情に気付く。理由は分からないが、自分は和人が明日奈に対して特別な感情を抱いていないことに安堵していた。否、分からないというのは違う。直葉とて、本当は気付いている。自分が和人にどのような感情を抱いているのかを……

 

(お兄ちゃん……)

 

 だが、それを認めるわけにはいかない。和人の心が未だ仮想世界から帰ってきていないことはもとより、未だ互いに真の関係を明確にしていないのだ。お互い真実を知っていながら、和人だけは直葉が未だ知らないと思っている。或いは、勘の鋭い和人である。状況的に気付いていても何ら不思議は無いが、直葉にはそれを確認する勇気は無かった。

未だ認められない自分の感情と向き合うこともできない状態で、今ある関係を崩すことに恐れを抱くことに直葉は忸怩たる思いだった。結局のところ、現状維持という逃げ道に走る以外に選択肢を用意できないかった自分が、直葉は嫌になりそうだった。

 

「直葉、そろそろ行くぞ」

 

「あ、うん……」

 

 明日奈の見舞いも終わったところで、そろそろ次の見舞い先へ行こうと思った和人は、直葉に退室を促した。直葉もまた、ベッドの脇の台へと花瓶を置き直すと、和人に従い病室を出て行くのだった。ベッドで横たわる明日奈に、後ろ髪引かれながら……

 

「それで、お前の知り合いが入院している病室は……確か一つ下のフロアだったか」

 

「うん。正確には、知り合いの友達なんだけどね。もしかしたら、今日も来ているかもしれないね」

 

「そうか。まあ、俺は入院している方が知り合いかを確かめたら、もう一つの私用を済ませに行く必要がある。知り合いがいたら、一緒に話でもしているといい。俺は席を外して、そのまま帰る」

 

「分かった。それじゃあ、行ってみようか」

 

 アスナの病室へ行ったときとは逆に、今度は直葉に先導されて下層の病室を目指す和人。目的の病室は、階段から程近い場所にあった。入口に付けられたネームプレートに視線を向け、名前を確認する。

 

「工藤新一……か」

 

「お兄ちゃん、分かる?」

 

「いや、リアルネームそのままのプレイヤーが多かったとはいえ、“シンイチ”という名前に心当たりは無いな。そもそも、SAO生還者は七千人以上いるんだ。SAO内部で知り合った人間である可能性はかなり低いぞ」

 

「そうだよね。ま、実際に顔を見てみれば分かるでしょう」

 

 名前から推測するよりも、顔を見れば一発で分かるという指摘に納得した和人は、カードキーを使って扉を開く直葉に続いて入室していく。明日奈の部屋と同じ造りの室内で、件の人物はやはり奥のベッドに横たわっていた。そしてもう一人、二人より早く訪れていた先客がいた。

 

「あら、直葉ちゃん。いらっしゃい」

 

「ランさん。やっぱり来ていたんですね」

 

 部屋の中にいた、工藤新一以外のもう一人の人物。ストレートヘアにはねた前髪が特徴的な、優しげな表情の女性。入室した直葉とのやりとりを見る限り、どうやらこの女性が直葉の知り合いで間違いないらしい。

 

「その人は、直葉ちゃんのお兄さんかしら?」

 

「はじめまして、桐ヶ谷和人です。うちの妹がいつもお世話になっています」

 

「こちらこそはじめまして、毛利蘭です。直葉ちゃんとは、仲良くさせてもらっています」

 

 互いに挨拶を交わす二人。初対面の和人だが、ランが温かく人当たりの良い性格であるということはすぐに分かった。同時に、直葉と仲が良いという理由も理解できる。ただ、“蘭”という名前を聞いた時、つい最近始めたゲームの中で知り合った少女のことを思い出した。

 

「蘭さんとは、武道系の部活を通して知り合ったんだ」

 

「そうなのか。それでは、蘭さんも何か武術を嗜んでおられるのですか?」

 

「蘭でいいわ。直葉ちゃんから聞いたけど、同い年なんだから、敬語もいらないわ」

 

「そうか……分かった。それで、彼が工藤新一か?」

 

「ええ。新一、お客さんよ。直葉ちゃんと、お兄さんの和人君」

 

「久しぶりです、新一さん」

 

「はじめまして。桐ヶ谷和人です…………!」

 

 改めてベッドの方へと視線を向けた和人。だが、次の瞬間その表情が硬直する。身動きの止まった和人の異変を悟った直葉と蘭が、和人へ視線を向ける。

 

「コナン……なのか?」

 

「もしかして……新一のことを知ってるの?」

 

 和人の言葉に驚いた様子の蘭。同時に、直葉も兄の反応から、彼と新一はSAOで面識があったのだと悟った。

 

「蘭さん。新一さんのプレイヤーネームって、『コナン』っていうんですか?」

 

「ええ。新一から事件前に聞かされたんだけど、プレイヤーネームはシャーロック・ホームズの原作者から取って、『コナン』にするって言っていたから」

 

「それは俺も本人から聞きましたよ」

 

 SAO事件当時、攻略最前線で共に轡を並べて戦いに臨んだことを思い出しながら、和人は語る。

 

「シャーロキアンという理由でプレイヤーネームを決定したのみならず、武器の選択に至ってもフェンシングを嗜んでいたホームズをリスペクトして細剣を選択。攻略ギルドの血盟騎士団に所属して、最前線で活躍していたのみならず、その推理力でプレイヤー達の危機を幾度となく救ってきた強豪プレイヤーだ」

 

 和人の口から語られる新一ことコナンの武勇伝に、直葉は素直に感心し、蘭は苦笑した様子だった。

 

「やっぱり、私が想像した通りね。結構無茶をして、あなたや他のプレイヤーの人にも迷惑をかけたんじゃない?」

 

「いや……それどころか、逆に助けられることが多かった」

 

 圏内事件然り、剣の件然り。忍の前世を持つ自分と互角以上の推理力をもって攻略組を導いてきたその実力のお陰で和人一人ではカバーし切れなかった穴に関して幾度となくフォローをしてもらったものだ。攻略の戦闘以外で以外の場面での活躍ならば、和人を凌駕し得る貢献度だったと思う。

 

「そうなんだ……やっぱり、新一は新一だったんだね」

 

 九年前もそうだった。SAOより以前に起こった、仮想体感ゲームを舞台に起こった事件で、デスゲームの境遇に見舞われたあの時も、コナンは自分を含め戸惑うプレイヤー達の中でも、果敢に挑み続けていたのだ。蘭はSAO事件には巻き込まれていないが、コナンが攻略最前線で戦い続けていたという話を聞いて、その姿を容易に想像することができた。同時に、喧嘩別れに近い形で仮想世界へ行ってしまった幼馴染が、変わらぬ勇気と優しさをもっていたという事実に安心感を抱くのだった。

 

「それじゃあ、俺はこれで」

 

「え?もう帰っちゃうの?」

 

「私用があるからな。あと、悪いがこっちの見舞いは寄り道に近い形で来たんだ。挨拶したら、すぐに出るつもりだった」

 

「お兄ちゃん、それじゃああたしはもう少しここにいるね」

 

「ああ。夕飯までには家に帰ってくるんだぞ」

 

 それだけ言うと、和人は新一の病室に直葉を置いて退室するのだった。残された直葉と蘭は、恐らくはSAO生還者である兄と幼馴染を話のネタに談笑するのだろう。そんな風景を頭の隅に浮かべながら、和人は次の目的地を目指すのだった。

 

(ここだな)

 

 直葉と別れた後、続いて和人が訪れたのは、128号室。一階の病室で、現在は使用されていない場所である。和人が直葉と別れてまで来たこの病室には、三日前にある人物と待ち合わせする約束をしていた。

 和人は会い言葉代わりに指定していた方法でノックをする。すると、病室の扉が開いて待ち合わせしていた人物が姿を見せた。

 

「よく来てくれました、和人君」

 

「ああ、竜崎」

 

 病室の中から和人を出迎えたのは目の下に黒い隈を蓄えた猫背の青年。和人がアルヴヘイム・オンラインにて行われている、須郷伸之の恐るべき野望について確信を得るきっかけを作った人物、竜崎である。

 必要な情報のやりとりを行うべく、病室へと和人を招き入れる竜崎。和人もそれに応じて病室へと入っていく。

 

「和人君も大変だったみたいですね」

 

「予期せぬアクシデントだったが、どうにか央都アルンまで到達することができた。そっちはどうだ?」

 

「こちらはスプリガンとレプラコーンを中心とした大規模攻略パーティーですので、中々スムーズにはいきません。しかし、今日中にそちらへ合流できる予定です」

 

「分かった。ならば、攻略を始められるのは明日明後日以降だな」

 

 最終目標地点であるアルヴヘイムの中心たるアルンへは、和人ことサスケの方が先に到着したらしい。だが、竜崎ことコイルが率いる世界樹攻略用のパーティー本隊と合流できなければ、いかに和人といえども突破は不可能である。今日中に合流した後、アイテム等各種装備を揃えた上で初めて攻略に挑めると言ってもいい程の難易度なのだ。だが、世界樹を攻略するための戦力が揃ったとしても、全ての条件がクリアされるわけではない。

和人と竜崎の推測が当たっているのならば、違法研究の隠れ蓑となっている空中都市への入り口はシステム的にロックされている可能性が高いからだ。プレイヤーの身ではどうしようもない障害を排除するには、こちらもシステム的に扉をこじ開ける方法を用意せねばならない。肝心要の最終関門突破の鍵となるそれを手に入れると言っていた竜崎に対し、和人は確認するように問いかけた。

 

「竜崎、ファルコンとのパイプは確保できたのか?」

 

「はい。向こうも須郷の企みについて大凡見当を付けていたようです。依頼を話したら、快諾してくれました。システムロックを突破するためのプログラムについても、明日までに完成させる算段だそうです」

 

 確実に手に入るかと懸念していた、天才ハッカー・ファルコン謹製のプログラムが確実に手に入ることを確認できたことに安堵する和人。ゲーム攻略という正攻法よってセキュリティホールをこじ開けることができれば、その間隙を利用して運営が管理しているゲームのシステム中枢を直接的に掌握できる公算が高い。そうなれば、実験体とされているであろう未帰還者達へのリスクも大いに減らすことができる。

 

「分かった。ならば、勝負は明日だな。全ての未帰還者を解放するためにも、必ず世界樹を攻略することを約束しよう」

 

「ええ、よろしくお願いします」

 

 互いに必要事項を確認し終えたところで、用は済んだとばかりに和人は踵を返して病室を出ていく。向かう先は、自宅。間近に迫った決戦に備え、ALOで最終調整を行うためだ。

 

(今度こそ、全てを終わらせる……!)

 

 和人の中で、SAO事件は未だ完結していない。二年もの間続いたデスゲームを経て、未だ囚われ続けている今、その心は未だに仮想世界に縛り付けられているのだ。故に、和人は非道な人体実験に供されている未帰還者達を解放しなければならない。生き残った全ての人間の魂を現実世界に解き放ったその時こそ、SAO事件に終止符が打たれる。そして同時に、はじめて和人は新しい時間を生きることができる――前へ進むことができるのだ。

 決意を新たに、忍の前世をもつ少年は、再び己の戦場たる仮想世界へと足を踏み入れるのだった――――

 



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第六十八話 グランド・クエスト

 ALOの舞台、妖精郷・アルヴヘイム。妖精のアバターを駆る数多のプレイヤーが目指す最終目標地点たる世界樹、その麓に栄える央都・アルンにサスケとリーファ、ラン、そしてユイの姿はあった。

 

「昨日の今日で、よく来てくれたな。翌朝までプレイして、碌に睡眠時間も取れなかっただろうに」

 

「気にしないで。たまの夜更かしくらい、どうってこと無いわ」

 

「私の方も大丈夫よ。お父さんは仕事で家を空けているし、学校は休みだしね」

 

 予期せぬアクシデントによって到達の遅延が危惧されていた央都・アルンへの到着だが、紆余曲折を経て竜崎ことコイルが率いるスプリガン攻略部隊との合流には間に合った。見知らぬ土地であるシルフ領のスイルベーンからここまで来ることができたのは、リーファとランの協力によるところが大きい。サスケとしては、今尚協力してくれている二人に頭が上がらない思いだった。これ以上の協力をするとなれば、それはグランド・クエストへの参加に他ならない。流石にこれ以上巻き込むわけにはいかないと考えるサスケは、そろそろパーティーを解散する頃合いかと考えていたのだが、ここまで一緒に修羅場を潜って来た間柄であることもあり中々切り出せずにいた。

 

「そういえばサスケ君。グランド・クエストに挑むために、スプリガンの攻略部隊と合流するって言っていたけれど、その人達はいつごろ到着するの?」

 

「順調にいけば、今日中に合流して物資の補充を終えて、明日攻略という流れだろうな」

 

「ああ~……やっぱり大部隊となれば、動かすのには時間が掛かるものね」

 

「そういうことだ。加えて、スプリガン領主のエラルド・コイルが組織した連合軍も、動かすのは初めてだ。そんな状態での移動となれば、何かと起こるアクシデントへの対応に追われるのは必定だろう」

 

 尤も、並大抵のトラブルでは、スプリガン=レプラコーン連合パーティーが崩れることは無いだろう。何せ、あの“L”が率いているのだ。現実世界で警察やFBIといった捜査機関の指揮を取り、数多の犯罪組織を壊滅させてきた名探偵ならば、烏合の衆であろうと見事に束ねてみせることだろう。夕方までには確実に合流できるとサスケは踏んでいる。

 竜崎率いる部隊との合流が近づいている以上、いい加減にリーファとランの二人とのパーティーを継続するか否かについて明らかにせねばなるまい。二人の性格から考えて、十中八九参加を希望するだろうと思いつつ、半ば以上確認の意味合いを込めてサスケは尋ねることにした、その時――――

 

「二人とも、グランド・クエストについてだが……」

 

「パパ!!」

 

 サスケの胸ポケットに入っていたプライベート・ピクシーのユイが、突然飛び出して言葉を遮った。狼狽した様子で上空を見つめるユイの視線の先にあるのは、アルヴヘイム中央から四方へ広がる世界樹の枝だった。

 

「どうした、ユイ?」

 

「ママ……ママがいます」

 

「!……それは本当か?」

 

 ユイの発した言葉に、僅かに目を見開くサスケ。ユイが言う『ママ』とは、SAO事件時にイタチと並んで最前線で戦った指揮官こと『閃光のアスナ』であり、解決後も未だ帰らぬ三百人のプレイヤーの一人でもある、『結城明日奈』のことを指している。その彼女が、目の前に聳え立つ世界樹の頂上にいるということは、即ち未帰還者達を幽閉している牢獄も同じ場所にあることを意味している。

一方、ユイの発言の意味を理解できなかったリーファとランは、疑問符を浮かべて互いに顔を合わせて首を傾げていた。ただ、二日程度行動を共にしたことで気付いたのだが、常日頃から表情に乏しいサスケが珍しく驚いていることだけは分かった。

 

「…………」

 

「……サスケ君?」

 

 ユイの一言によって一瞬硬直したサスケだが、それが解けるとユイ同様に空を見上げる。険しい表情で世界中の枝を睨みつけるサスケに対し、リーファが名前を呼び掛けるものの、本人からは全く反応が返って来ない。視線の先に見据えている何かに集中する余り、周りが見えていないのだろうか。或いは、何か考えに耽っているようにも見える。いずれにしても、注意が散漫になった、常の彼らしからぬ状態だった。

 

「……やはり、間違いないようだな。ユイ、上空には進入禁止の障壁が張り巡らされている筈だ。内部への突入口は……世界樹のグランド・クエストか」

 

「はい!世界樹の根元のドームから上へ繋がる入口があります」

 

 ユイの言葉に得心し、同時に安堵するサスケ。世界樹のグランド・クエストが、頂上に囚われているであろうSAO未帰還者を安全に解放するための唯一の突破口であるという、和人と竜崎の予想は間違っていなかったのだ。

和人と竜崎の予想では、ALO制作スタッフ全員が須郷の違法研究に関与しているわけではないとされる。ゲーム自体が人体実験に供するための仕様でない以上、グランド・クエストを通じて世界樹の頂上に到達できるという仕組みだけはどうしても変更できない。恐らく、SAO帰還者を監禁するにあたり、レクト・プログレスの人事に働きかけてALO運営スタッフを須郷の息のかかった人間を中心に構成すると同時に、空中都市を実験施設へと密かに改築、頂上へ通じる入口はシステム的にロックしたと考えられる。一般プレイヤーの身では正攻法で突破することができない設定になっているのだろうが、通用口としての機能が残っているのならば話は別である。竜崎が当初計画した通り、ファルコン謹製のハッキングプログラムで入り口をこじ開け、セキュリティホールから実験施設を掌握すれば、正攻法によるハッキングによる未帰還者達へのリスクを最小限に止めて安全に解放できる筈である。

だが、最終目標を達成するためには、肝心要のグランド・クエストを攻略する必要がある。竜崎ことコイルが率いる攻略部隊とは未だ合流できていないが、今の内に難易度を測っておくに越したことは無いだろう。そう考えたサスケは、世界中の根元を速足で目指す。

 

「ちょっ!サスケ君!?」

 

「いきなりどうしたのよ?」

 

 肩に乗るユイと一言二言交わした途端、世界樹の根元を目指して脇目も振らずに歩き出したサスケに、リーファとランは狼狽する。歩く速度を速めると言うサスケの行動は、傍から見れば然程おかしなものには見えないが、彼が冷静沈着な性格であることを知るリーファとランにとっては顕著な変化だった。目的地まで一気に飛行しようとしないあたり、まだ落ち着いている方なのだろうが、ユイの口にした言葉がサスケを駆り立てたことは間違いない。

 一体、彼の内心に何が起こったのかと首を傾げる二人だったが、そうこうしている内に遂に三人と一人は世界樹の根元にある巨大な扉の前へと差し掛かった。ALOのグランド・クエストへの参加を受諾し、空中都市への道へ挑むためのゲートである。

 

『未だ天の高みを知らぬ者よ。王の域へと到らんと欲するか』

 

 聳え立つ巨大なゲートへ近づくと、両サイドに並び立つ石造から、重々しい声が響いてきた。それと同時に、サスケの目の前にグランド・クエストへの挑戦の是非を問うウインドウが開く。サスケはそれを見るや、迷うことなく『YES』のボタンも指を伸ばす。

 

「サスケ君っ!?」

 

『さればそなたが背の双翼の、天翔に足ることを示すがよい』

 

 グランド・クエスト参加の意思を示したサスケの行動に、リーファが静止を掛けようとしたが、サスケは聞く耳を持たず『YES』をクリックした。そして、地響きと共に開いた扉の奥へと足を踏み入れて行く。

 

「ユイ、頭を引っ込めておけ。相当揺れるぞ」

 

「はい、パパ」

 

 サスケの言いつけに従い、胸ポケットに入って縮こまるユイ。それを確認したサスケは再度グランド・クエストへと続く扉を目指す。

 

「ちょっと!いきなりグランド・クエストに挑むなんて……無茶だよサスケ君!」

 

 だが、常のサスケらしからぬ暴挙を前に、見ていられなくなったリーファが腕を掴んでその歩みを止めにかかる。そのすぐ後ろに立っていたランも同様の表情を浮かべている。

 

「本気で攻略しようと思っているわけじゃない。グランド・クエストがどの程度のものかを調べるための様子見だ」

 

「で、でも……」

 

「今回はただの様子見だ。二人とも、無理に付き合う必要は無い。ここで待っていてくれ」

 

 既にアルンでセーブをしている以上、譬えグランド・クエストでHPを全損したとしても、またシルフのホームタウンから振り出しになることは無い。しかし、ALOの仕様上、一度死ねば一定のデスペナルティが生じることは避けられない。故に、負け戦と分かっているクエストに挑むのは極力控えるべきなのだ。だが、グランド・クエストへ臨もうとするサスケは一歩も退く気配が無い。

 

「問題無い。ある程度の様子見が終われば、すぐに戻ってくる。HP全損に陥るまで続けるつもりは無い」

 

「でも……」

 

 言いよどむリーファに、しかしサスケはそれ以上対話をしようとはしなかった。リーファの腕を払うと、止めていた歩みを再開し、世界樹の中へと通じる大扉をくぐる。

 

「あれがゴールというわけか」

 

 とてつもなく広大なドーム状の空間の天蓋に見えるゲートらしきものを見据えるサスケ。樹の根や蔦が床から天井へ向けて幾重にも絡まって構成されたその頂上部に、四枚の石盤にぴったり閉ざされたゲートらしきものが存在している。天蓋の部分からはその密度が疎らになり、地上へ向けて光が注いでいる。これならば、飛行に無理は無さそうだ

 

「行くか……!」

 

目標地点を確認するや、サスケは意を決して剣を引き抜くと共に翅を広げる。腰を落として垂直に跳躍する姿勢をとり、次の瞬間には二十メートル近くの高さを一気に飛び立つ。だが、目標のゲートまでの距離は一割も稼げていない。スピードを落とさずに垂直に飛び続けるサスケだったが、グランド・クエストもそう簡単にクリアできる仕様にはできていない。世界樹の頂上を目指すサスケの姿を認識したシステムが、その行方を遮るべく無数のガーディアンをポップさせる。白銀の鎧に身を包んだ巨躯の騎士達が、右手に剣を携えてサスケへと殺到する。

 

(数が多いな。成程……適正を逸しているという意見は尤もだ)

 

 アインクラッド攻略における戦闘でも、無数のモンスターの群れを相手にすることは多々あったが、ALOのグランド・クエストはその比ではない。目標地点への到達がクリア条件であり、向かってくる敵を全滅させる必要は無いとはいえ、その数も質も桁違いである。仮にかつてSAO事件時に攻略パーティーを結成したメンバーを集めて戦いに臨んだとしても、突破できるとは思えない程の物量だった。

 

(止まるわけにはいかんな……向かってくる敵は全て無視する……!)

 

襲い来るガーディアンを迎撃するために一度でも空中で止まれば、より多くのガーディアンを相手する必要がある。既に最上層部でもガーディアンが並外れた勢いでポップを始めているのだ。一秒、一瞬でも進行を止めれば、突破できない程に密集されてしまう。故に、天蓋に達するためには敵との戦闘を徹底的に回避し、迫る刃を流しながら飛ぶしかない。非常に高い敏捷性と忍時代から受け継いでいる優れた動体視力を有するサスケだからこそできる攻略法だった。

そうして、向かってくる刃を徹底的に捌いて飛び続けることしばらく、サスケは攻略開始から一分足らずで目標地点までの距離の五割を飛行することに成功した。だが、サスケの思惑もそうそう上手くはいかない。

 

「!」

 

 突如感じた下層部分から迫る攻撃の気配に対し、サスケは身を逸らすことで回避を試みる。次の瞬間には、サスケが移動した軌跡を辿って無数の矢が通過していた。下方に展開しているガーディアン部隊を見やれば、そこにはガーディアン達が弓矢を構えていた。

 

(予想はしていたが、ガーディアンの武装には遠隔武器もあったか……)

 

 ガーディアンの武装が大剣一本だけならば、グランド・クエストが難攻不落の関門となる事は有り得ない。圧倒的な物量も然ることながら、遠近両方の攻撃手段を持っているからこそ、幾多のプレイヤーが世界樹頂上へ到達することはできなかったのだ。ガーディアンが振るう大剣のパラメーターも相当なものだが、矢の威力・速度・命中率も上級プレイヤーに迫るものがある。

対するサスケは、上昇しつつも前後左右に進路をずらしてガーディアンのAIを翻弄する。一人のプレイヤーに狙いを定め、時間差で放っている点からしても、矢による攻撃は相当な脅威だが、SAOは勿論ALOにおいてもトップクラスのスピードで飛行するサスケには当たらない。だが、蛇行しながらの飛行は上昇に際して著しい減速を齎す。

 

(ここまで……か)

 

 上昇速度が僅かに落ちたその間に、上空に展開しているガーディアンの部隊は隙間なく密集してしまっていた。サスケが狙っていた突破口も、既にガーディアンで埋め尽くされている。突破するには正面から突っ込んでなぎ倒していくしか無いが、流石のサスケも全方位からの攻撃を完全に防ぐことなどできはしない。前方に展開するガーディアンに斬り込んでいる間に下から矢で針鼠のようにされてしまうだろう。

ここに至るまで無傷で、まだ余力はあるが、戦力調査という目的は既に達成している。引き際としては妥当なところだろうと判断したサスケは、百八十度方向転換してグランド・クエストの出口を目指して飛行する。途中、ガーディアンによる剣や矢による襲撃に見舞われたが、行きと同様に全てを往なして無傷のまま出口へと到達することに成功するのだった。

 

「サスケ君!」

 

 グランド・クエストの入り口からの脱出に成功したサスケを待っていたのは、悲痛な顔をしたリーファとラン。難易度を調べる目的で挑んだだけだったが、相当心配をかけたのだろう。体力がほとんど減っていないサスケを見た二人は心底安堵した様子だった。

 

「グランド・クエストがどのようなものかはよく分かった。確かに適正なバランスのもとに設定された難易度とは思えないレベルだ」

 

「もう……いきなりこんな無茶やらかして!」

 

「……すまない」

 

 サスケが犯した突然の無茶に対して尚も咎めるリーファに、サスケは若干申し訳ない気持ちになった。グランド・クエストの様子見については、明日奈の所在が判明するか否かに関係無く行う予定だったが、やはりいきなり過ぎたと感じたからだ。

 モンスター相手の殺し合いが常のSAO内部で過ごした二年間において、忍としての前世に立ち帰ったつもりでいたが、感情を殺し切れていない自分がいる。SAO解放の瞬間に告白されたという、ある意味特別な関係にある明日奈だが、サスケ自身は彼女に対して特別な感情を抱いているつもりは無い――尤も、彼女の気持ちに対しては、答えを出さねばならないということは自覚しているが。今回サスケがリーファ達から見て先走りに近い形でグランド・クエストに挑戦したのは、SAO未帰還者達を解放せねばならないと言う責任感、あるいは焦燥感に駆られたことが原因なのだ。

 

(いかん……このままでは……)

 

 須郷伸之が進めている企みは、SAO事件の延長線上で起こっている。それ即ち、サスケこと和人が遠因となっていることに等しく、SAO未帰還者達の現在の境遇もサスケ自身の咎とも言えるのだ。己の罪を清算するために仮想世界に立つ時だけは、前世の自分に立ち帰る。それがサスケの決意だった。故に、些細な事で冷静さを欠くことなどあってはならない。前世のうちはイタチらしからぬ行動なのだ。無論、サスケとて何もかも失敗した前世の在り様をそのまま継承するつもりは無い。変えるべき点は変え、変えざるべき点はそのままでいようと考えている。

 幸い、明日奈の所在を知ってグランド・クエストに駆け込んだ自分は、退き際を弁えて行動するだけの分別はあったのだ。激情に駆られて闇雲に突っ込み、HPを全損させる無茶をやらかさなかっただけマシだろう。これ以上己としての道を踏み外さないよう気をつけねばと気持ちを新たに、サスケは現状の再確認に思考を向けた。

 

「グランド・クエストを見てきたわけだが、ソロではおろか、並大抵のレイドでは突破できそうにない」

 

「当たり前だよ!あのユージーン将軍率いるサラマンダーのレイドだって全滅したんだよ!?シルフとケットシーが同盟を組んでも突破できるか分からないのに……」

 

「ああ。話には聞いていたが、本格的な攻略に臨む前に一度はどんなものか知っておく必要があった。ある程度の想像はしていたが、予想以上だったな」

 

「そう……それで、後からやってくるスプリガン=レプラコーン同盟のレイドとなら、攻略できると思う?」

 

 サスケの無茶を糾弾するリーファに続き、ランが攻略の可否を問う。サスケの表情に難色はあったが、攻略を諦めたという様子は無い。即ちそれは、攻略の望みはまだあることを意味している。ランに問われたサスケは、首肯しながら口を開いた。

 

「クエスト開始間も無いタイミングならば、ガーディアンの群れの密集度が疎らな箇所がいくらかある。集中攻撃を掛けつつ、周囲の遠距離攻撃部隊を退けることができれば、突破は不可能ではない」

 

「そう。ならやっぱり、味方は多い方が良さそうね」

 

 腰に手を当てながら得意気な顔になるラン。後ろに控えるリーファはジト目でサスケを睨むが、言いたいことは同じらしい。二人の反応に苦笑しながら、サスケは改めて依頼をすることにした。

 

「そうだな。グランド・クエストをクリアするには、お前達のような強力なプレイヤーの支援は不可欠だ。改めて、共に攻略してもらえるか?」

 

「言われなくてもそのつもりよ。リーファちゃんもだよね?」

 

「フン!……まあ、サスケ君がどうしてもって言うなら仕方ないけどね」

 

 ランは快諾してくれたが、リーファはサスケの無茶に未だに腹を立てていた様子だった。尤も、攻略に協力する意思があることは間違い無さそうだが。

 

「本格的な攻略は、スプリガンとレプラコーンのレイドが到着してからだな。それまでは、何も動きは取れない。待機するが、二人ともそれで良いな?」

 

「うん、大丈夫だよ」

 

「…………」

 

 レイド本隊との合流までは待機する他無いと結論付けたサスケに対し、ランは頷き、リーファは未だに唇を尖らせていた。どうやらリーファは、相当ご機嫌斜めなようである。これから行うグランド・クエスト攻略に向けて、関係をこのままにしておくわけにもいかないので、謝罪を兼ねてアルンの高級レストランあたりで美味しい料理を御馳走した方が良いかとサスケは考えた。そして、いざ二人を食事に誘おうとした時、サスケの胸ポケットから小さな妖精――ユイが飛び出した。

 

「?……どうしたんだ、ユイ」

 

「……パパ、ママのところに連れて行ってもらえませんか?」

 

 空中で静止しながら上空に広がる世界樹の枝葉を見つめることしらばらく、ユイはそう言った。グランド・クエストは容易に突破できる難易度では無いと結論付けた傍から、何を言い出すんだと若干呆れるサスケ。『無理だ』と言おうとしたサスケだったが、彼女の悲痛な表情を見て、冷たく言い放つのは止めた。

 

「……悪いが、今すぐには会わせてやることはできない。もうすぐレイド本隊が到着するから、それまで待っていて……」

 

「いえ、そうじゃないんです」

 

「?」

 

 グランド・クエストをクリアして明日奈のもとへ連れて行って欲しいというわけではないらしい。では、どうやって世界樹の頂上付近にいる明日奈のもとへ連れて行って欲しいというのだろうか?少しばかり考えた末、サスケは一つの結論に至った。

 

「……障壁が張られている限界飛行高度まで飛んで欲しいということか?」

 

「はい。私なら、ママのところまでギリギリまで近付けば、警告モードで音声を届けることが出来る筈です。お願いできませんか?」

 

「…………良いだろう」

 

 上目遣いで訴えかけるユイの要請を、サスケは承諾することにした。傍から見れば、サスケが情に絆され籠絡されたように見えるが、決して情に流されての判断ではない。現在世界樹の上に囚われている明日奈は、他の未帰還者とは異なり、アバターを与えられた状態で二カ月以上もの間監禁されているのだ。恐らく、婚約するに当って須郷から陰湿な嫌がらせを受けていると考えられる。SAO内部で攻略最前線に立って活動していた彼女ならば、須郷相手に屈するとは思えないが、少なからず精神的に追い詰められている可能性もある。そこへ自分達が救援に来ていることを伝えることができれば、彼女に安心感をもたせることができる筈。

加えて、昼間に竜崎から得た情報によれば、須郷は出張で明後日までは本社のVR部門へ出入りすることは無いらしい。そのため、見張りが居ない今ならば、明日奈へ声を伝えたとしても、こちらの動きがバレる心配は無い。そこまで考えたところで、サスケはユイの要請に従って飛び立つことにした。

 

「リーファ、ラン。悪いが少しばかり用ができた。先に宿へ戻っていてくれ」

 

「サスケ君?」

 

 サスケの行動を訝るリーファだったが、当のサスケは既に飛び立っていた。

 

「ユイ、方向はこっちで合っているか?」

 

「はい、このまま真っ直ぐ上昇してください」

 

 ユイに指示されるままに飛びことしばらく。サスケは周囲に浮かぶ浮遊オブジェクトの位置から大凡の限界飛行高度を目測で判断し、障壁に激突しないよう注意しながら上昇していった。プレイヤーが世界樹の頂上へ迫ることを防ぐための障壁だが、どこまでの高さに設定されているかはサスケにも分からない。五人掛かりで飛行高度を稼いで上昇されたことをきっかけに作られた障壁だが、一体何人分の飛行高度が許容されているのか……

 

「むっ!」

 

「パパ?」

 

 減速して上昇することしばらく、上方へ手を伸ばしながら飛行していたサスケの手の平が、見えない何かに衝突した。どうやらここが、世界樹上空に設定された限界飛行高度らしい。

 

「ここまでだな……ユイ、明日奈さんに呼び掛けてくれ」

 

「分かりました」

 

 それからしばらく、ユイは障壁に遮られた虚空へ向けて、「ママ、ママ」と必死に叫び続けた。傍から見れば、親と離れ離れになった子供が泣きながら母親を呼び求めているようにしか見えない。その姿は非常に悲痛で、常はほとんど感情を露にしないサスケですら、放置することに躊躇いを覚える程だった。だが、彼女が名前を呼ぶ明日奈はシステムというこの世界の絶対的な障壁によって遮られた向こう側にいる。今のサスケには、ユイを明日奈のもとへ送り届けることはできないのだ。

 

「サスケ君!」

 

 ユイが明日奈へ声を届けている間に、リーファとランがサスケのもとへ合流してきた。言うまでも無く、急に飛び立ったサスケを心配してのことだろう。サスケの近くへ来た二人は、揃ってその傍で障壁を叩きながら頻りに叫ぶユイに目をやる。

 

「サスケ君、ユイちゃんは……」

 

「…………今は、何も聞かないでくれないか?」

 

 母親の名前を頻りに叫ぶ少女の姿を見て、事情が全く分からないリーファとランは、サスケに事情を尋ねる。だが、サスケは首を横に振って何も語ろうとはしない。ALOがSAO未帰還者を監禁している牢獄として利用されており、ユイがママと呼ぶ女性がこの上に囚われている……などと馬鹿正直に説明したところで、信じてもらえるかも怪しいものである。それに、如何に傍から聞けば絵空事のような話で信憑性が低いと言えど、重要機密に等しい情報である以上は無暗やたらに話すわけにはいかない。

話せない事情を察してくれと視線で頼み込むサスケに、リーファとランはそれ以上の追求をしなかった。事情が事情と言えども、本気で心配してくれる二人に真実を話せないことに罪悪感を抱くサスケ。二人をこれ以上空中で待たせるわけにはいかないと判断したサスケは、世界樹の枝の向こうにいるであろう明日奈に語りかけるユイにそろそろ止めるよう言うことにした。

 

「ユイ、そろそろ引き上げるぞ」

 

「パパ…………分かりました」

 

 サスケの静止に対し、ユイは一瞬その場を離れることを渋った。だが、サスケのみならずリーファとランにまで迷惑を掛けているのだから、これ以上我儘を言うわけにはいかないと考え、素直に言う事を聞くことにした。

 

「心配かけてごめんなさい。リーファさん、ランさん」

 

「ううん、全然」

 

「気にしてないから、大丈夫だよ」

 

 申し訳なさそうに謝るユイに、しかしリーファとランは笑顔で返す。二人ともユイの我儘については全く怒ってはいなかったし、むしろこうして素直に謝る姿を微笑ましく思っていた。母親を頻りに呼ぶ姿に悲痛なものを感じたことも理由として挙げられるが。

 

「それじゃあ、一度街へ戻るか。グランド・クエストに勝手に挑んだお詫びに……」

 

「あれ?……サスケ君、見て!」

 

「?」

 

 ランが指差す先を、サスケも同調して見上げる。仮想の太陽の光で分かり辛いが、確かに枝葉の間に紛れて何かが落ちている。太陽の煌めきを反射しながら落下しているそれは、形状からしてカードのようだ。一体、どうしてそんなものがシステム的に侵入不可能な場所から落ちてきているのか。

 

「何かしら?」

 

「もしかして、世界樹関連のクエストフラグ?」

 

 世界樹の真実を知らないリーファとランは、何かのクエストが始まったのではないかと思っている。だが、サスケだけは目の前に落ちてくる物体を険しい目つきで見つめていた。

 現実世界ならば風に吹かれて真っ逆さまに落ちるなど有り得ないが、ここは仮想世界。不規則に飛ばされること無く、仮想の重力に従って真下へ落ちていく。そして数秒後、障壁の向こう側を舞っていたカードは、サスケの手の中に収まった。

 

「……」

 

 手の中にある銀色のカードを見つめるサスケ。妖精の国が舞台であるファンタジー世界には大凡有り得ない、機械的なデザインのカードだった。

 

「リーファ、ラン。これが何か分かるか?」

 

「ううん……見たこと無いアイテムだわ」

 

 空から降ってきた銀色のカードについて、リーファとランに見覚えがあるかと尋ねるサスケ。だが、リーファは否定し、ランも首を横に振るのみだった。ALOのプレイヤーが知らないアイテム。それが世界樹から――明日奈が囚われている場所から降って来たというのだ。ならば、答えは自ずと限られてくる。

 

「ユイ」

 

「……どうやらこれは、システム管理用のアクセス・コードのようです」

 

 ユイの口から出た答えはサスケの予想していた通りのものだった。だが、そんなものが実際に降って来たとなれば、流石のサスケといえども、予想できていたか否かに関わらず、驚きを隠せない。何故なら、システム管理者が有するカードなど、自然に降ってくるものではないからだ。

そして、これが降ってきたであろう場所には、明日奈がいるという。となれば、これを落としたのは必然的に彼女ということになる。

 

(こんなものを監禁されている明日奈さんが入手できる筈が無い……まさか…………)

 

 システム権限を行使できるようなアイテムを監禁対象に渡すことなどは有り得ない。いくら詰めの甘そうな須郷やその部下といえども、そんな間抜けなことはしないだろう。そこまで考えれば、明日奈がこれを手に入れられた経緯は大凡察しがつく。

恐らく、明日奈自信も自ら動いて、何らかの方法で脱出を試みたのだ。その末に、管理者用のアクセス・コードを入手したが、間も無く見つかり、再び鳥籠へ閉じ込められた。脱出を試みようとしても、このカードが監禁場所から脱出できる類の権限を有していなかったか、明日奈自身が権限を行使できず、脱出は叶わなかったのだろう。そして、ユイの声を聞いて一縷の望みを託してこのカードを落とした、というのがサスケの推測だった。

 

(明日奈さん……!)

 

明日奈の監禁場所から降って来たという僅かな情報から導き出した推理だったが、サスケの考えはほぼ正鵠を射ていた。サスケ自身も、それを直感していた。そして、同時に考える。このカードを管理者側から奪うために、鳥籠を抜け出して違法研究を行っているエリアへ入り込んだ明日奈を、果たして須郷が許すだろうか?

 

(一刻の猶予も無い、か……)

 

 須郷は明後日まで出張で本社にはいない。だが、あの陰険な性格である。明日奈の脱走を知ったとなれば、必ず戻ってくる筈。他の未帰還者とは別に扱い、鳥籠に閉じ込めるという真似をしているあたり、現実世界で婚約者となる相手として精神的に嬲って楽しんでいるのだろう。だが、明日奈がこんな勝手な行動に出たとなれば、今までとは対応を変えるだろう。何らかの苦痛を与える等して、本格的に明日奈を追い詰めに掛かる可能性が高い。

 事態が予想以上に深刻化していることを実感させられて、しかしサスケは目的地を目の前に立ち往生するしかできない。その表情は焦燥の色が濃く、手に持つカードを握る力は自然と強まっていた……

 



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第六十九話 兄妹

 アルヴヘイムの央都、アルンにある高級レストラン。今現在、サスケとラン、リーファ、そしてユイの姿はそこにあった。サスケがスプリガン領主、エラルド・コイルに頼んだ援軍が到着するまでの時間潰しに、礼を兼ねて食事を御馳走するために誘ったのだった。

 

「…………」

 

 三人と一人が囲むテーブルの上には、豪勢な料理の数々が並べられている。上級プレイヤーですらなかなか味わえないような、アルヴヘイム屈指の美味が並ぶその様は、壮観の一言に尽きる。だが、食卓の席に着いている全員の顔は一様に暗く、場の空気は重々しい沈黙に満ちていた。

 本来ならば、目の前の食事を頬張りながらパーティーメンバー同士で冒険の話等で談笑しているのが普通のシチュエーションなのだろうが、誰一人食事に手を付けようとはしない。食欲をそそるような豪華な食事でさえも、喉を通る雰囲気ではなかった。

 

「……ねえ、サスケ君」

 

 そんな気まずい沈黙に耐えかね、最初に口を開いたのはリーファだった。話し掛けられたサスケは、食事の席に着いて以降ずっと腕を組んだまま全くと言っていい程動かなかった顔を、リーファの方へ向けた。

 

「どうした?」

 

「それはこっちの台詞だよ……一体、何があったの?」

 

 恐る恐る尋ねるリーファだったが、何のことを聞いているかは明確にしなかった。リーファとランが聞きたがっていることは他でもない。先程、世界樹の上空へ飛んだ場所で、ユイが障壁の向こうへ呼びかけ続けた結果、空から落ちてきたカードについてのことだろう。もしくは、カードの落とし主のことについてかもしれない。

対して、問われたサスケは相変わらずの無表情のままだったが、その実内心では僅かに驚きを抱いていた。先程の世界樹攻略に際しては、内心で抱えていた焦燥が僅かに露見していたが、今回は感情が表に出ないようにポーカーフェイスを貫いているつもりだったからだ。グランド・クエストへの挑戦後にユイを上空に展開されている障壁へ連れていったことや、肩に座っているユイの元気の無い表情から不信感を抱かれた可能性もある。だが、話し掛けてきた彼女の態度を見るに、どうやら自分が抱える焦燥や苦悩を悟って投げ掛けた問いなのだろう。予想外の目敏さを見せたリーファだったが、感覚的に察知したに過ぎないのだろう。追求される前に、サスケは適当にお茶を濁して答えることにした。

 

「別に……何でもない」

 

「……少しくらい、話してくれても良いんじゃない?」

 

素気なく答えたサスケを窘めるように、今度はランが口を開く。この場を包む気まずい空気は、主にサスケとリーファ、ユイの間に発生していた。ランに至っては、主にリーファとユイの様子が明らかにおかしかったことから、その場の空気に呑まれる形で動けなくなっていたのだった。ランとしても、この気まずい空気をどうにかしたいと思っていたのだが、ここはサスケと比較的親しいリーファが切り出すべきだと思って口を噤んでいたのだ。しかし、いざ尋ねたリーファへ対応したサスケの態度は、他人行儀でまるで心を開こうとしなかったため、あんまりだろうとランが口を挟んだのだった。

 

「本当に何も無い。それより、食べなくて良いのか?ここまで付き合ってくれたんだ。今日は礼も兼ねて俺が奢るぞ?」

 

「話を逸らさないで」

 

 話すことは無いとばかりに頑なな態度を取り続けるサスケに対し、リーファもまた意地でも事情を聞かせてもらうとばかりに退く気配は全く無かった。隣に座るランも同様である。

 

「サスケ君……あの時、世界樹の障壁まで飛んで行ったけれど……あれは何のためだったの?」

 

「あの時ユイちゃん、『ママ』って叫んでいたよね?サスケ君のことは『パパ』って呼んでいたけれど……『ママ』っていうのは誰のことなの?」

 

「…………」

 

 リーファとラン、二人揃ってサスケを尋問に近い形で問いを投げる。いつにも増して真剣な表情で追求する二人に、しかしサスケは心を閉ざした風で沈黙するばかりだった。表面上は二人の言葉など何ら意に介していないように見えるサスケだが、本気で心配してくれる二人の言葉を流し続けるのには心苦しく思っていた。

 

「パパ……」

 

 そんなサスケの内心を悟ったのだろう。ユイもまた、心配そうな表情でサスケを見上げてきた。プレイヤーの精神状態を管理するMHCPであるユイならば、言葉や表情に出さないサスケが心中に抱えている苦悩を察することは容易いに違いない。また、ユイの心中もサスケと同じなのだろう。母親として慕う明日奈が世界樹の上にいて、すぐそこにいる自分達は手も足も出ないこの状況が、もどかしくて仕方がない。だが、ユイが自分と同じ気持ちでいることを知ったところで、サスケにはどうすることもできない。忍としての前世をもつといっても、アルヴヘイム・オンラインというゲームにおいて権限できる権限は一般プレイヤーと何ら変わらないのだ。ユイですら立ち往生せざるを得ないこの状況を打開できる手段など持ってはいない。ユイもユイなりにサスケを慮っているのだろうが、この場合は逆効果である。互いに辛い思いをしていることを知ったことで、さらなる苦悩を抱くという悪循環が生まれる結果となってしまった。

パーティーメンバー二人と名義上の娘に板挟みにされて、なお一層居心地の悪くなるサスケだった。

 

「……二人とも、そのへんにしておけ。ユイが泣きそうだ」

 

「分かった……」

 

「……そうね」

 

 流石のサスケも居た堪れなくなったのだろう。ユイを出しに使うのは甚だ不本意だったが、かつて無い程に真剣な表情で詰め寄る二人の追求を免れる方法は他に思い付かなかった。流石の二人も、今にも泣き出しそうな妖精の少女を前に、仲間同士が言い争う姿を見せたくなかったのだろう。サスケの言葉に頷き、一応の追求は控えてくれた。

 

「さあ、早く食べよう。いい加減、いつまでもここにいるわけにはいかない」

 

「ええ……」

 

 NPCレストランの皿の上に乗せられた料理に関しては、持ち歩き出来るタイプの食糧アイテムとは違い、時間と共に耐久値が減少することは無い。だが、多くのプレイヤーが集まる央都であるアルンの、それも有名レストランの席一つを長時間占拠するのはマナー違反だろう。サスケに促されたリーファとラン、そして肩に乗るユイは、ナイフやフォーク、スプーンを手に各々料理を口に運ぶのだった。

 

「美味しい……」

 

 リーファがふと呟いた。確かに美味しい料理だが、その表情に笑みは無く……食事が終わるまで重い空気は続いたままだった。

 

 

 

 

 

 食事を終えて店を出た三人だったが、先程の気まずい空気は未だ続いていた。アルンまで同行してくれた礼をした以上、他にすることが無いサスケは、この後どうしたものかと考えていた。世界樹関連の情報については徹底して黙秘することに決めていたが、リーファとランはどうあっても聞きたいらしい。

 サスケが秘匿している事情が、サスケ個人のプライバシーやリアルに関する問題だったならば、MMORPGのマナー違反に抵触するため、二人もここまで頑なに聞こうとはしなかっただろう。だが、今サスケが秘密にしている事情は、このALOの、それも世界樹のグランド・クエストに関連していることは明らかなのだ。その攻略にこれから協力をする以上、二人にはサスケに対して説明を要求する権利がある。それに、本心はグランド・クエストとの関連よりもサスケのことが心配という部分が大きい。

 

(……やはり、ここが潮時か)

 

 パーティーを組んでいる以上は、秘匿事項を話すことを要求されることは必然。だが、SAO未帰還者の解放が掛かっていることもあり、みだらに口外して良い筈が無い。さらに、話事態が仲間でも信じてもらえるか怪しい話である――尤も、サスケを信頼してくれているリーファとランならば、信じてくれる可能性の方が大きいが。しかし、悪く行けば信頼の崩壊に至ることもある。どちらにしても、話せないことに変わりない。ならば、取れる手段は限られてくる。

 

「サスケ君……」

 

 アルンの街並みを歩くことしばらく。リーファが再び、サスケに声を掛けてきた。用件は恐らく、食事の時と同じく、サスケが隠している秘密についてなのだろう。果たして、口を開いて発した問いは、予想通りのものだった。

 

「本当に、何も教えてくれないの?」

 

「くどいぞ。俺は何も後ろめたい秘密など持っていない」

 

 先程よりも冷淡に告げるサスケに、リーファはむっとなる。自分達はただサスケのことを心配して気を遣っているというのに、どうしてこれ程までに隔意を持たれねばならないのか。それと同時に、いくら話し掛けても悩みを打ち明けてくれないことに悲しさを感じていた。

 

「どうしても話せないの?」

 

「同じことを言わせるな。これ以上追求するのなら――――パーティーは解消させてもらう」

 

「サスケ君っ!」

 

「パパ……!」

 

 これがサスケの最終手段だった。仲間にも言えない、信じてもらえるかも分からない悩みを抱えている以上、彼女等と自分との関わりを断ち切るしかない。短い間とはいえ、今まで付き添ってきた仲間の想いを無碍にしてまで守るべき秘密など存在するのか。サスケ自身も疑問ではあったが、その想いを今ここで振り切ることにした。

 

「…………それが、サスケ君の答えなのね?」

 

「ああ」

 

 サスケの言葉を聞いていたリーファは、確認するように問いかけた。対するサスケは、何でもない風に首肯する。流石にこれ以上は見ていられなくなったのか、ランが前に出てサスケを窘めようとするが、その歩みはリーファの手によって制された。

 

「……なら、あたしにも考えがあるわ」

 

「?」

 

 パーティーを解散してでも秘密を口外する気は無いという意思を示されて尚、リーファに諦めた様子は無かった。その瞳に宿していたのは、怒りの炎と覚悟の光。次の瞬間には、腰に挿していた長剣を引き抜き、切っ先をサスケへ向けていた。

 

「サスケ君、あたしと勝負よ。あなたが勝ったら、もう詮索はしない。あたしが勝ったら、あたしやランさんに隠している秘密について話してもらうわ」

 

 リーファから一方的に告げられた宣戦布告と勝敗の条件に、流石のサスケも軽く目を見開いた。だが、然程驚いてはいない。こんなやりとりはアインクラッドでもあったからだ。

 

(……あの時のリズベットさんと同じ、か)

 

 SAO事件当時、明日奈が用意した剣を断ったことがきっかけで、剣を鍛えた鍛冶師とデュエルをする羽目になったことがある。VRワールドにある女性というものは、己の意思を貫くためならば強硬な手段も辞さないらしい。現実世界では暴力的な手段としか認識されない手段だからこそ、剣で語るのが常のVRMMOで取りたがるとも考えられる。

 ともあれ、今サスケが向かい合っている相手はリーファである。自身に剣を突きつけている彼女に対処せねばならない。

 

「何故、俺にそこまでこだわる?所詮行き連れのパーティーだ。デスペナのリスクを負ってまで真意を聞く必要などあるまい」

 

「必要とか、そういう話じゃないのよ。これはあたしなりの筋の通し方なの。それに、あたしが負けるのを前提で考えるのはやめてくれない?」

 

 リーファとて、サスケとの実力差は理解している筈だ。そもそも、勝つかどうかは問題ではないのだろう。リーファがサスケにデュエルを申し込んだ理由は、剣を交えて互いを理解することにあるのだろうとサスケは思った。それに、譬え負けると分かっていても、リーファもただで終わるつもりは毛頭無いらしい。

自分の意志を貫き通すためなら、デスペナなど安いもの。自分なりの筋を通すためならば、負け戦など問題ではないのだ。サスケの真意を確かめるまでは一歩も退かない。リーファの瞳には、そんな強い意志が宿っていた。

 

「……どうしてもやるのか?」

 

「やってもらうわ。まさか、このまま逃げに走るなんてことはしないでしょうね?」

 

 意地でも逃がさないとばかりにサスケに迫るリーファの目は、明らかに本気である。真実を語れない以上、パーティーとしてここまで同行してくれたリーファの想いには、別の形で報いなければならない。リーファが言葉の代わりにデュエルを望むのならば、サスケとしても逃げるわけにはいかない。

 

(一流の忍同士は、拳を交えただけで互いの心の内が分かる……この世界でも、同じことが言えるのかもしれんな……)

 

 サスケの前世たるうちはイタチは、強力な忍には違いなかっただろうが、弟を復讐鬼にしてしまったことをはじめ多くの失敗を犯した点で、一流の忍と言えるか疑問に思うことも多くある。

 だが、それは飽く迄前世の話。現世たる今、問題となっているのは剣士としての器である。仮想世界とはいえ、サスケもリーファも剣技は最高と呼べるレベルに達していることは間違いない。だが、それも技巧の話でしかない。サスケの場合はSAOと同じく、職種は剣士(SAOにジョブシステムは無い)で心は前世の忍なのだ。前世の忍世界では、忍の前身は侍だと言われているが、戦闘者としての心得には多かれ少なかれ違いがある。一方のリーファは、心は間違いなく生粋の剣士だろうとサスケは考えている。現実世界の運動能力が大きく反映されるALOにおいて、シルフ五傑に数えられるだけの実力を発揮できるのだ。動きに剣道の基本動作が混じっていることから見ても、現実世界でも剣道をしていることは明らかである。

 そこまで考えたところで、サスケの中でふと気になることが発生した。

 

(何故だ?……リーファの動きが、どこかで見たことがあるような……)

 

 意識した途端に気になりだした、リーファの動作への既視感。ここに至るまで空中戦ばかりで、地上戦も乱戦ばかりで碌に注目することが無かったため、太刀筋が剣道に似ているとだけしか思わなかった。だが、こうして地上で相対してみると、その構えにどこかで見たことがあるかのような感覚を覚える。

 

(あの構え……前に見たことがある気が…………?)

 

 一方のリーファもまた、自分と相対するサスケに対して既視感にも似た感覚を覚えていた。当初はスプリガンが放ったスパイとしか見ておらず、レプラコーン領産の高級装備に身を固めたプレイヤーでもあったので、スプリガン内部での地位について注目するばかりだった。剣技に関しても、真剣に向き合ったのはこれが初めてなのだ。構えなど気にも留めなかった。だが今、デュエルを前にその姿が以前に見たことがあるのでは、と疑問に思っていた。

 

(リーファ、お前は…………)

 

(サスケ君、あなたは…………)

 

 互いに互いの正体を記憶の中から呼び起こそうとするサスケとリーファ。だが、いくら思い返しても分からない。一体、目の前で対峙している人物は誰なのか……

 

(駄目。そんなこと考えている場合じゃない)

 

 今はデュエルをする時だ。余計なことを考えている暇など無い。今集中すべきは目の前の勝負なのだ。リーファは心の中でそう自分に言い聞かせると、頭の中で渦巻く迷いを振り払うように開始の宣言を口にする。

 

「サスケ君、準備は良いわね?」

 

「……ああ」

 

 リーファの方から決闘開始の宣告によって、サスケもまた記憶を探るのを中断して勝負に集中する。高レベルのプレイヤー同士の戦いにおいて、思考を別のことに割いて戦闘に及ぶなど自殺行為に等しい。それは、サスケがリーファを名実ともに最高クラスの剣士と認めているが故の思考だった。それに、太刀筋に覚えがあるのならば、実際に剣を交えれば分かる筈。

 互いに気持ちを切り替え、互いに剣を構えて臨戦態勢に入る。

 

「……行くよ!」

 

「来い……!」

 

 短い言葉と共に、戦いの火蓋は切って落とされた。先に動いたのは、リーファだった。翅を広げながらの一足飛びで、一気に間合いを詰めての一振り。加速機能を持つ妖精の翅は、地上戦においても高い戦闘能力を発揮する。リーファ自身が敏捷性の高いプレイヤーであることに加え、翅による加速が加わった状態で放つ斬撃は、後手に回って反応できるものではない。

 

「ふっ!」

 

 だが、それも普通のプレイヤーならばの話。常人離れした動体視力と反応速度を備えたサスケでは、どれだけ速くても正面からの攻撃である以上受け損なうことなど有り得ない。無理の無い態勢で難なく刃を受け止める。

 

「くっ……!」

 

リーファとて正面からの馬鹿正直な一撃がサスケに入るという甘い展望は抱いていない。刃の接触によって生まれた反動を利用し、後ろへ跳んで間合いを再度取ろうとする。

 

「甘い……」

 

「!」

 

 だが、サスケはそれを許さない。衝突時に刃を振り抜くことで衝撃を殺し、飛び退くリーファへ追撃を仕掛けて鍔迫り合いに持ち込む。

 

「くっ……ぉぉおおお!」

 

「はぁあああっ!」

 

 態勢を立て直す余裕すら与えないサスケの猛攻がリーファを襲う。目にも止まらぬ速度で繰り出される連撃は、リーファの動きの中に生じるガードの穴を的確に突き、反撃の隙を一切与えない。

 

「やぁぁあああ!」

 

 防戦一方に追いやられる状況に危機を覚えたリーファが、先程より激しく攻勢に出る。このまま受けに回れば、一方的な斬撃に晒され続けてHP全損に陥ることは間違いない。状況を打開するためには、行動を守りから攻めへと切り替える以外に手は無い。

 傍から見れば、早々に追い詰められて満身創痍になった末に取った暴挙に等しい行動だが、実際にリーファが取れる手段はこれ以外に存在しない。それに、サスケに守勢に回らせたところで、今度は攻撃全てを往なされてカウンターを入れられる危険性が高まるだけである。

 

「それで俺が倒せるとでも思っているのか?」

 

「悪いけど、あたしにはこれしかないのよ!」

 

サスケの勝負はもう着いているとでも言いたげな言葉に、リーファは反発する。自分の取った行動が暴挙に等しいことは、リーファ自身も承知している。今現在、防御に入っているサスケだが、リーファの太刀筋の中に生じる隙をいつでも突ける状態なのだ。もとより、サスケとの間には覆し難い実力差があることはデュエル以前に承知している。だが、リーファとて諦めるつもりは毛頭無い。

 

「せぇぇえええい!」

 

「ふっ……!」

 

 リーファの繰り出す渾身の一撃。だが、サスケにはかすりもしない。軽快なステップで放たれた一撃を回避すると、カウンターとしてその脳天へと刃を振り下ろす。

 

「!」

 

 大振りを繰り出した後の、反応できないタイミングで繰り出された一撃。額へ迫る刃を前に、回避し切れないと分かったリーファは、衝撃に備えて目を瞑る。だが、いつまでたっても、刃が身体を引き裂く痛みなき感覚は来なかった。

 

「え……?」

 

 疑問に思って恐る恐る目を開くリーファ。するとそこには、先程まで迫っていたサスケの刃が前髪に触れる程の距離で静止していた。

 

「勝負は着いた。約束通り、これ以上の詮索は止めてもらおう」

 

「…………」

 

 腰に差した鞘へと剣を納め、リーファに背を向けるサスケ。対するリーファは、握っていた剣を手から地面へ落とし、膝をついてその場に座り込んでしまった。

 勝負の行方は最初から分かっていたようなものだが、これ程までに圧倒的に叩き伏せられるとは予想していなかった。思い上がるつもりはないが、シルフ五傑と呼ばれていただけの実力あるプレイヤーとしての矜持は確かにあった。自ら挑んだとはいえ、それを打ち砕かれたのだから、ショックは半端なものではないことは間違いない。

 

「……やっぱり、サスケ君は強いんだね」

 

「リーファちゃん……」

 

 暗い表情のまま言葉を紡ぐリーファを放置するわけにはいかないと考えたランは、即座に駆け寄り、宥めようとする。だが、リーファは落ち着く様子はなかった。自嘲の色を濃くした声色で、語気を粗くして続ける。

 

「そんなに強かったなら……あたし達なんて、最初から必要無かったよね……」

 

「……そんなことは無い。右も左も分からないアルヴヘイムの中で、アルンに辿り着けたのはリーファとランのお陰だと思って」

 

「嘘よ!!」

 

 自分を卑下するリーファの言葉を否定するサスケだったが、リーファの怒気を孕んだ叫びにかき消されてしまった。癇癪を起したように怒鳴ったリーファに、サスケもランも驚いた様子だった。サスケの表情にはほとんど変化が見られなかったが内心はランと全く同じである。

 

「だったら何で、一人で背負いこもうとするのよ!?あたし達が力不足だから……頼りないから以外に、どんな理由があるっていうのよ!?」

 

「リーファちゃん、落ち着こう。ね?」

 

 感情を爆発させるリーファを必死に宥めようとするラン。だが、一度火が点いた激情は簡単には止まらない。

傍から聞けば、リーファがサスケに言っていることは理不尽そのものである。だが、事情を鑑みればリーファもまた理不尽な想いをしていることは明らかなのだ。地面から立ち上がると、暴走するに任せてサスケへさらに詰め寄る。

 

「そりゃ、サスケ君にはあたしもランさんも全然敵わないけど……いろんなことを分かち合うための仲間じゃない!!サスケ君がどんな悩みを抱えているか知らないけど、一緒なら解決できるかもしれない……けど、言ってくれなきゃ何も分からないじゃない!!」

 

「…………」

 

 極めて一方的なリーファの物言いに、しかしサスケは嫌な顔を全くせずに聞き入っていた。右から左へ流すというわけではなく、彼女の言葉に込められた激情をも受け止めている様子だった。ランの歯止めも利かず、リーファの感情はヒートアップしていくばかりである。

 

「そうやって格好付けて……あたし達が心配しないとでも思ってるわけ!?冗談じゃないわよ!!確かにあたし達は成り行きのパーティーかもしれかったけど……それでも、この旅の中で信じ合えたと思っていた!なのに……なのに!」

 

 終いには、目に涙まで浮かべて怒鳴り散らすリーファに、サスケはますます居た堪れなくなった。ランも最早止められないと目を瞑るばかりだった。ランの制止を振り切ったリーファは、地面から勢いよく立ち上がるとサスケの服を掴んで勢いよく揺さぶりかける。

 

「こんなに力になりたいって言ってるのに、どうしてこの手を振り払おうとするのよ!?仲間だから迷惑かけたくないとか思っているなら、そんな気遣い要らないわよ!!仲間だから迷惑かけて良いんじゃない!!」

 

「大体、いつもいつも黙ってばかりで、何考えてるのか全然分かんないのよっ!!腹に溜めこまれる方はどれだけ嫌な思いをしているか考えたことあるの!?」

 

「一人で抱え込んで突っ走って……仲間とか言っておきながら、あたしは完全に蚊帳の外じゃない!!中途半端に友達扱いされる方が、逆に頭にくるのよ!!」

 

「何も言わずに行くなんて……そんなの、嫌よ……絶対に嫌!!あたしも一緒にいるのに……ここにいるのに…………なんで一人で行っちゃうのよ!!」

 

 

 

 

 

お兄ちゃんっ――――!!

 

 

 

 

 

「!」

 

「……え?」

 

 感情が昂るままに口走った何気ない一言。それは、服を掴んで揺さぶるサスケのことを指し示す言葉だったことは間違いない。口にしたのはリーファだが、彼女自身も自分が何を言ったのか理解できない。しかし、何故サスケにそんなことを言ったのか……思い当たる節はある。サスケの雰囲気や態度、自分のことを極端に話したがらないその性格が、自分のよく知る人物に酷似していたからだ。

 

(まさか……そんな……)

 

 激情に触発されて口走った言葉だったが、意識し始めるとその認識が頭から離れなくなる。性格や雰囲気だけではない。偶然と考えるには、剣の構え方に始まり、リーファのよく知る人物との共通点が多すぎる。そして、その正体が『彼』だったならば、このALOにおいて最強と目されるユージーン将軍を倒す程の強大な戦闘能力についても全て説明がつく。何せリーファの知る人物は、ALOと同じゲームをクリアへ導いた『英雄』なのだから――――

 俯けていた顔を上げてサスケの方を見るリーファ。その目は大きく見開かれ、驚いている様子だった。どうやら、考えていることは自分と同じらしい。リーファはそう直感した。その事実を確かめるように、リーファは唇を震わせながらようやく言葉を紡いだ。

 

「お兄ちゃん……なの?」

 

 リーファの消え入りそうな呟きに、サスケはさらに目を見開き驚愕を露わにしていた。思わず後退り、こちらも辛うじて口を開いて言葉を発する。

 

「直葉……お前、なのか?」

 

 互いが互いに抱いていた既視感の正体が、パズルのピースが組み合わさるように解けていく。現実世界の兄妹同士だったならば、互いの性格や態度に覚えがあっても不思議ではない。ましてや、毎日剣道の稽古をしているのだから、剣の基本動作に見覚えがあるのは当然と言える。

 だが、互いの正体を知った今では、そんなことは最早どうでもいい。重要なのは、“何故”目の前の人物がこのような場所にいるのか、なのだから。ともかく、サスケ――和人は、リーファ――直葉に状況を整理すべくALOをプレイしている経緯について確認しようとする。

 

「……直葉、お前」

 

 だが、リーファへ事の次第を訊ねるための問いかけは、顔を俯けたリーファによって遮られた。言葉の代わりに響き渡る、乾いた音。リーファの平手打ちが、サスケの頬を打ったのだ。予想外の……否、ある意味予想できていたリーファの行動に、サスケは一瞬の驚愕の後すぐにいつもの無表情へ戻り、リーファの顔を見つめる。

 

「……何で叩かれたのか、分かるわよね?」

 

「…………」

 

 底冷えするような瞳でサスケを睨みつけるリーファ。その目には、怒りに加えて悲しみの色に染まっている。

 

「……勝手にナーヴギアを使ってダイブしたことについては、軽率だったと思う。必要な事情があったとはいえ、お前や母さんに一声かけるべきだった。すまない」

 

「それだけ?」

 

 SAO事件で散々心配をかけた身でありながら、家族に黙ってナーヴギアを使用したことを詫びるサスケ。だが、直葉の怒りは治まらない。どうやら、サスケの犯した危険行為以外にも、リーファが怒っていることがあるようだ。据わった目で自分を見つめるリーファの姿に、サスケは内心で僅かに慄いていた。

 

「ナーヴギアを使ったことは勿論だけど、あたしが怒っているのはそれだけじゃないわよ」

 

 そう前置きをすると、リーファはギリと苛立ちを露に歯ぎしりさせると、怒気を孕んだ鋭い瞳で実の兄たるサスケを睨みつけ、サスケに掴みかかる。

 

「何であたしに何も言わずに、一人で行っちゃったのよ!!どうしていつもあたしを置いて行くのよ!!」

 

 先程以上に感情を露にした瞳と怒声で激情をぶつけてくるリーファを前に、サスケは口を開けず身動きすら取れない。

 

「こんなに近くに居たのに……ここに居るのに…………どうしてあたしを置いて行こうとするのよっ!」

 

 言葉に込められた感情が、『怒り』から『悲しみ』へとシフトしていく。涙を流しながら言葉を紡ぐリーファの様子に、サスケは自分の行動がどれだけ妹を傷つけていたのかを思い知らされる。対するリーファは、暴れ出した感情を抑えられず、遂に秘めていた自身と兄との真の関係を口走ってしまう。

 

「やっぱり……お兄ちゃんは、あたしのことを本当の妹だって思っていない……だからこんな風に人の気持ちを無視した行動ができるんじゃないっ……!」

 

「直葉……?」

 

「あたし、もう知ってるんだよ。あたしとお兄ちゃんが……本当の兄妹じゃないってこと!」

 

 リーファの口から出た予想外の言葉に、サスケの瞳がさらなる驚愕に染まる。だが、改めて考えてみれば然程不思議なことでもない。サスケこと和人がいつ命を落としてもおかしくない状況下に置かれていた以上、母親である翠が直葉にサスケの真実を告げていてもおかしくない。自分が不在の間に起こった状況の変化について瞬時に思考を走らせたサスケに、リーファからさらなる追い打ちがかけられる。

 

「あたし……お兄ちゃんがSAOから帰って来てくれて、本当に嬉しかった!現実世界に帰ってきたら、本当の関係を打ち明けて……それで、本当の家族になりたいと思った!!けど、お兄ちゃんはここにいるのに、その心はSAOの中に置き去りのままで……結局、またあたしを放って仮想世界に行くなんて……あたし達のことなんて、どうでもいいんじゃない!!」

 

「リーファちゃん、それ以上は……」

 

「本当の家族になりたいなんて思っているのはあたしだけで……お兄ちゃんにとってはあたしのことなんて、血の繋がっていない妹で……赤の他人としか思っていないんじゃない!!」

 

「リーファちゃん!!」

 

 これ以上は続けさせてはいけない。そう思ったランは、マナー違反を承知でリアル事情を話す二人の会話へ介入を決意した。彼女自身も現実世界で両親が喧嘩の末に別居したという経緯があるため、目の前ですれ違う兄妹を放置できなかったのだ。

 ランの制止により、若干の落ち着きを取り戻したリーファは、はっとなってサスケの顔を見上げた。その赤い瞳には、深い悲しみが浮かんでいた。その泣きそうな……否、心の中では泣いていることは明らかであろう表情を見て、先程までの激情はどこへやら。深い後悔が押し寄せてきた。同時に、このような表情にしたのは、他でもない自分の言葉なのだと……その現実を突きつけられた思いだった。

 

「……っ!」

 

「リーファちゃん、待って!」

 

 最愛の兄を傷付けた。その現実に耐えられなくなったリーファは、その場にいることができなくなった。サスケとランのいる場所から全速力で走り去って行った。

 

(お兄ちゃん……あたし……あたし…………!!)

 

 サスケやランの姿が見えなくなるまで、只管に走るリーファ。目の前の人物から逃げようとしても、罪が追い掛けてくる。どれだけ駆けても逃れられない事実が、リーファの心を押し潰す。

 多くの人で賑わうアルンの街を駆けるリーファの走った軌跡で、流した涙が太陽の光を反射して煌めいていた――――

 



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第七十話 絆

 アルヴヘイム央都・アルンの一角にある広場。普段人気の無いその場所で、二人の男女が立ち尽くしていた。片や全身黒づくめのレプラコーン領謹製ブランド装備に身を固めたスプリガンの少年、サスケ。片やシルフ五傑としてシルフ領の有名プレイヤー、ラン。呆然とその場に立ち尽くす二人は、顔を合わせることも言葉を交わすこともしない。理由は、先程までここに居た人物、ランと同じくシルフ五傑と呼ばれた剣士、リーファが居なくなったことに由来する。

 気まずい空気がその場を満たす。そんな沈黙を破る小さな存在が、ふと飛び出した。

 

「パパ。リーファさんを追い掛けなくて、良いんですか?」

 

「…………追いかけても、どう声を掛ければいいのか分からなくてな」

 

 サスケの本心である。現実世界で兄妹だった二人が、実は本当の兄妹ではないという事実をカミングアウトしただけでなく、今まで溜めこんでいた物をリーファの方から一方的に吐き出した末に互いの関係が滅茶苦茶になるという結果に至ったのがつい五分ほど前の話である。

直葉をはじめとした家族との距離を曖昧にしたツケが、こんな形で返ってくるとは予想外だった。妹である直葉を蔑にしてしまった末に、傷つけてしまった。その咎を突きつけられ、サスケは自分がこれからどうすれば良いのかまるで分からない。

 

(これも前世の焼き直し……か)

 

 弟を護るべき対象としてしか見ず、そのために他の全てを犠牲するという、一方的な愛情とも呼べる行為の末に復讐鬼にしてしまった前世があった。そして現世では、義兄・義妹という複雑な関係の上で和解するために向き合うべきだった妹を放置した末に傷つけてしまうという失態を犯す始末。前世と現世で同じすれ違いを起こす失敗を我ながらこの上なく無様なものだと、自嘲の笑みが零れそうになる程だった。

 

「……サスケ君」

 

 ユイの言葉にも答えられずその場に立ち尽くすばかりだったサスケに新たに声を掛けたのは、少し離れた場所に立っていたシルフの女性プレイヤー、ランだった。走り去ったリーファもそうだが、残されたサスケのことも気にかけてくれているのだろう。その表情は心配そうにしていた。

 

「……ラン、リーファが直葉だったということは、今日病院で会った毛利蘭がお前か」

 

「うん。プレイヤーネームをリアルと同じにする人なんてほとんどいないから、余計に予想外だったかな?……和人君」

 

 そう言って苦笑するランだった。ちなみに、SAOで知り合ったプレイヤーのほとんどは、帰還後にリアルと同名だったと分かった人間が思いの他多かったとサスケは思い出す。何故か自分の周りには、リアルの名前そのままにする人間が多くいることを改めて不思議に思うが、今はそんなことはどうでもいい。

 

「それより……リーファちゃん……直葉ちゃんがALOを始めた理由、分かるわよね?」

 

「ああ……」

 

 ランから確認するように投げられた問いに、サスケは首肯した。ゲーム嫌いだったリーファこと直葉が、VRMMORPGのALOを始めた理由となれば、一つしか思いつかない。仮想世界の魅力に半ばとり憑かれたような状態にあった兄、和人のことを理解するためだろう。SAO事件勃発後に始めたことから考えても、間違いない。現実世界から……直葉のいる世界から遠退いていく兄の影を追い掛けて、自らも仮想世界に飛び込んだのだ。

 今まで碌にゲームなどしたことがなく、パソコンが苦手だった直葉が、だ。「家族になりたい」……リーファはそのためだけに、生きて帰れるか分からない場所へ行った兄が帰って来た時、同じ世界を共有できるように努力していたのだ。サスケは、自分がどれ程妹に想われていたかを思い知らされた気分だった。

 

「うん。直葉ちゃんは、あなたの話になると、いつも嬉しそうだったわ。剣道が強くて、勉強もできて、無愛想だけと本当はとても優しくて……自慢のお兄ちゃんだってね」

 

「……そうか」

 

「だから、もっと一緒にいられるように……あなたと本当の家族になれるようにって、今まで頑張ってきたんだよ」

 

「……」

 

 自分が不在の間のリーファの話を聞かされる度、ちくりちくりと心が痛むような感覚を覚えた。だが、この程度の痛みは甘んじて受けねばなるまい。

 

「和人君。直葉ちゃんのこと、どう思っているの?本当の妹じゃないっていう関係は私も聞いているけれど……それでも、今まで一緒だったんでしょう?」

 

「……勘違いしないでくれ。俺だって、あいつのことを赤の他人と思ったことは一度も無い」

 

「だったら……」

 

「だが、俺はあいつに嘘を吐いてきた。俺のことを純粋に『兄』と呼んでくれることに甘え……本当のことを言おうとしなかった。家族になりたいと思いながらも、関係が壊れることを恐れて向き合うことをしなかった。直葉を信じ切れず、俺は歩み寄ろうとする妹を裏切ったんだ……」

 

 直葉と長い間一緒に暮らしていた和人には、自分が本当の兄ではないことを知ったとしても、直葉の心に何ら変化が起こることなど無いことは分かっていた。だが、実の弟を復讐鬼にしてしまった前世を持つ和人には、そのトラウマ故に妹へどう接すれば良いのか分からず……その距離感が曖昧だった。愛ゆえに滅びの道を歩んだうちはの魂を持つ自分が、本当に直葉を愛して良いのか……それが許されるのか。

 葛藤を抱え続けていた和人だったが、その答えが出る前に、仮想世界へ誘われるままに現実世界を離れ、二年もの間デスゲームの牢獄へと囚われる結果となってしまった。

生きて帰ることができたならば、今度こそ向き合おうと思っていた。自分を兄と呼んでくれる義妹や、自分が前世から抱え続けている前世の葛藤など、あらゆるものと。だが、現実世界へ帰って来た和人を待っていたのは、未帰還者三百名という衝撃の事実だった。そして、再び仮想世界へ飛び込んだのだ。SAO事件の時と同様、妹である直葉を置き去りにして……

 

「……直葉ちゃんは、あなたに裏切られたなんてちっとも思ってないわ。あなたさえその気になれば、分かり合える筈よ」

 

「だが、俺には……」

 

 直葉の心を大きく傷付けたという事実に、かける言葉すら見つからない。あらゆる葛藤を自分一人で抱え込み、妹を蔑にし続けた自分には、今更向かい合う資格があるのかとすら思う。

 そんな和人――サスケの苦悩を悟った蘭――ランが口を開いた。その瞳には、過去を懐かしんでいるかのような光が見て取れた。

 

「サスケ君。新一を……コナンを知っているって言っていたわよね?」

 

「?……ああ。俺と同じ、攻略組プレイヤーだったからな」

 

「攻略組ってことは、かなり強かったってことよね。どうしてそんなに強かったか、分かる?」

 

 突然何を言い出すのかと思ったサスケだが、彼女が指摘した血盟騎士団の細剣使い、コナンの強さには確かに思うところがあった。デスゲーム開始当初、後の攻略組プレイヤーとなった猛者達でさえ積極的に戦うことを躊躇っていた中で、コナンだけは逸早く仮想世界という環境に適応して前線に出ていた。その適応力は、『月読』という仮想世界の幻術世界を体感した前世を持つサスケに迫るものがあった。ランの口ぶりから察するに、どうやら彼女はコナンが仮想世界において発揮した強さの所以を知っている様子だった。

 

「私達はね……前に仮想世界を舞台にしたゲームに参加したことがあるのよ……」

 

「……SAOより前の仮想世界のゲーム……まさかお前達は、『C生還者(コクーンサバイバー)』なのか?」

 

「ネットではそう呼ばれているみたいだけどね」

 

 先程のリーファの正体が直葉だと分かった時程ではないが、目を見開いて軽く驚いた様子で投げられたサスケの問いに、ランは静かに頷いた。

 

『C生還者(コクーンサバイバー)』とは、ナーヴギアの前身とも呼べる、VRマシン『コクーン』を舞台に起こった大量殺人未遂事件を生き残った人間を指すネット用語である。この事件自体は九年前に発生したもので、巻き込まれた被害者の数こそ五十名と多かったものの、死傷者はゼロで済んだことに加え、同日に起きたマシンの開発社社長が起こした殺人事件の衝撃が大きかったことから年月によって風化されていったのだった。だが、SAO事件の勃発によって、過去に起きたVRマシン絡みの事件として注目を浴びるようになったのだ。そして、ゲームの生存者はVRマシンの名前に準えて『C生還者(コクーンサバイバー)』と呼ばれていた。

 

(成程……VRマシンを体験した経験があったのならば、コナンが発揮したあの戦闘能力も頷ける)

 

 VRワールドは、和人のような特殊な事情を抱えた人間でない限りは、そう簡単には適応できない。だが、忍世界ではない現世においても、和人に似た例外は存在する。それは、SAO以前におけるVRマシンのゲームを体感し、これをクリアした経験を持つプレイヤーである。たった一度のダイブでも、生来の仮想世界への適正次第では、プレイ時間やブランクの長さに関わらず仮想世界へ早期に適応し、フロントランナーから攻略組の仲間入りをすることができる程の戦闘能力を発揮することができるのだ。コナンはまさにその例外に該当するプレイヤーであり、コクーンというVRマシンのゲームをプレイし、これをクリアしたこと経験が所以だったのだろう。ともあれ、ベータテスターではない筈のコナンがスタートダッシュで抽んでた実力をもって、最前線で活躍できるに至った理由は納得できた。

 

「何とかあの時は無事で済んだんだけど……かなりギリギリだったからね。新一がまたVRゲームをやるとか言いだしたものだから、私は反対して……それで、喧嘩になったのよ」

 

「……そうか」

 

「それでまた、死ぬか生きるかのデスゲームになったんだもの……本当に、気が気じゃなかったわ」

 

「だが、それでもお前はこうしてALOに飛び込んだ」

 

 ランの独白の中に垣間見える、VRゲームに対する嫌悪にも似た感情を、しかしサスケは否定した。サスケやコナンを二年もの間閉じ込め続けたゲームがVRMMOならば、ランがリーファ達と今こうしてプレイしているALOもまたVRMMOなのだ。VRゲームを憎むべき対象としての対象以外のものとして見ているのは間違いない。

 

「そうね……自分でも、まだ分からないわ。VRゲームが恐いって思うこともあるけれど……それでも、知りたいと思ったの。新一がどうして、あんな目に遭っても尚、この世界へ来ようと思ったのかをね」

 

「……そうか」

 

 ランの言葉を聞く中で、自分もコナンも考え方は違っても、仮想世界への強い想い入れがあったからこそSAOで共に戦うことができたのだと思った。サスケが朧に危険を察知することができたのは正式サービス開始日のみだったが、コナンはコクーンの一件でVRマシンの危険性を嫌というほど思い知った筈。にも拘わらず、ナーヴギアを恐れることなく仮想世界へ飛び込んだ上、攻略組として戦い続けられたことがその証拠なのだ。

 

「ただ、今ならこうも思うわ。あの時、反対したのは仕方なかったとしても、一人で飛び込む新一を放っておかないで、私も一緒にSAOに行っていたなら、ってね」

 

「確かに……コナンも十二分の実力を発揮していたんだ。お前も飛び込んでいたのなら、間違いなく攻略組になっていただろうな」

 

「そう言ってもらえると嬉しいわ。けれど、私は結局新一の傍にいることができなくて……現実世界で待つ側になった。新一が生きるか死ぬかの戦いに挑んでいるっていうのに、私だけは安全圏にいて……なんて無力なんだろうって思ったわ」

 

「…………」

 

 ランが語っているのは、SAO事件当時に彼女が抱いていた感情なのだろうが、これはリーファの感情でもあるのだとサスケは悟った。自分とコナン、仮想世界に親しい人間を囚われた身の上の二人だったからこそ、悲しみや痛みを分かち合えたのだ。

 

「だから……どんなに危険でも、一緒にいたいと思った。もう一度帰ってきてくれたなら、その手を絶対に離しちゃいけないって……そう思ったの。リーファちゃんだって、あなたのことが大切で……だからあんなに怒っていたのよ。あの子は、あなたのことが大好きだから……だから、行ってあげて」

 

「ラン……」

 

「リーファちゃんは、あなたと剣で語り合おうとしたけれど……やっぱり言葉に表さなくちゃ伝わらないことはあるわ。あなたが本当の兄妹に……家族になりたいと思っているなら、今がその時よ。行ってあげて」

 

 サスケと、今はここにいないリーファへと向けられた慈愛に満ちたランの瞳とサスケの背中を押すその一言に、心に秘めた迷いは消えていた。やるべきことが決まった今、行くべき場所もまた決まっている。

 

「ラン、ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

 道を指し示してくれたランへ感謝を一言述べ、サスケはすぐさま駆け出す。ランはその背中を心からの笑みを浮かべながら見送った。

 

 

 

 

 

 サスケがランの後押しを受けて決意を固めていたその頃、二人を残してその場を走り去っていたリーファが辿り着いたのは、アルンの南側、世界樹のグランド・クエストを受諾するためのゲートがある広場だった。

 

(お兄ちゃん……あたし……!)

 

 感情のままに口走った言葉によって傷ついたのは、兄であるサスケだけではない。言葉を放ったリーファ自身もまた傷ついていたのだ。それも、激情をぶつけられたサスケ以上に。

 

(どうして……どうしてあたしはいつも、お兄ちゃんを……!)

 

 ずっと一緒に暮らしてきた相手でありながら、その苦悩に気付く事ができなかったばかりか、真実を知った今もこうして酷い言葉を投げかけて傷つけてしまった。一緒にいたい、家族になりたいと、ただそれだけが自分の願いだった筈なのに、何故いつも自分のすることは裏目に出てしまうのか。行き場の無い感情が後悔となってリーファの心をかき乱す。

 

(もう……駄目、なのかな)

 

 今まで、兄と和解するために自分なりに努力を重ね、ALOの仮想世界にまで来たが、今はもうどうすれば良いのかまるで分からない。サスケに対し、彼にとっては自分など赤の他人なのだと言い放ち、修復を望んでいた関係を自ら壊したのだ。謝っても許されるとは思えない。とてもではないが、会いに行く気になどなれなかった。

 何をする気にもなれなかったリーファは、顔を俯かせたまま歩き、ふらりふらりと広場の片隅にあるベンチへと近づき、そこへ腰かけた。そして、どれだけ時間が経っただろうか。ふと、リーファの目の前にプレイヤー一人分の気配が現れた。

 

「リーファちゃん!」

 

 リーファに声をかけてきたのは、黄緑色のおかっぱ頭の少年シルフプレイヤー。ALOを始めて以来の、ランと並ぶ馴染み深いプレイヤーの一人、レコンである。

 

「レコン?」

 

「もう……探したよリーファちゃん!」

 

 予想外の人物の登場に驚くリーファ。それもその筈。今回のアルンへの旅に同行できなかったレコンは、シルフ領に潜入していたサラマンダーのスパイに捕縛されていて動けない状態にあると本人が言っていたのだから。

 

「あんた、サラマンダーは?」

 

「全員毒殺して脱出してきました」

 

「毒殺って……」

 

 さらっと物騒な事を、それも自慢げに口にする友人に、リーファは唖然とするばかりだった。だが、こんな他愛の無い話題で、少しは抱えていた悩みの重さを忘れられた気もした。

 

「それで、リーファちゃんを追いかけて来たんだ。そういえば、ランさんとあのスプリガンはどうしたの?」

 

「えっと……あたしね、あの人に酷いこと言っちゃった。口にしちゃいけないこと言っちゃったの。あたし、馬鹿だ……」

 

 再度頭の中に蘇る、兄に対して放った言動。こうして冷静になって思い出すと、本当に酷いことを言ったと思う。いくら黙ってALOをプレイしていたとはいっても、ああも一方的に糾弾するのは明らかにやり過ぎだった。そして、自分の言葉を聞いた時の和人の悲しみに染まった顔を思い出し、涙が溢れてきた。

 

「ごめんね、変なこと言って」

 

「……リーファちゃん?」

 

 突然目に涙を浮かべたリーファを訝るレコンだったが、リーファはその追求から逃れるべく、涙を拭いて気丈に振る舞った。

 

「あの人とはもう会えないから……帰ろう、スイルベーンに」

 

 今のリーファには、目の前の現実から逃げることしか考えられなかった。譬えこのALOにいるサスケから逃げたとしても、現実世界には和人がいる。逃げ場などどこにも無く……スイルベーンへ変えるという行為自体もその場凌ぎでしかないことも、リーファ自身が自覚していたが……今はそれ以外の方法が思い付かなかった。

 だが、目の前の少年はリーファが抱えるそんな後ろ暗い感情を悟ったのだろう。次の瞬間には、強い意志を秘めた瞳でリーファの手を握ってきた。

 

「リーファちゃん!」

 

「レ、レコン!?」

 

 突然の親友の行動に動揺するリーファ。リアルでも仮想世界でも、普段は大人しい少年としてのイメージが強いレコンが、何故こんな大胆なことをしてきているのか。先程まで心ここに在らずな状況が続いていただけに、思考が追い付かないリーファに、レコンはさらに言葉を投げかける。

 

「リーファちゃんは泣いちゃ駄目だよ!いつも笑ってないと、リーファちゃんじゃないよ!」

 

「えっと……」

 

 真剣な表情で強く訴えかけるレコンに、リーファはどう答えれば良いのかまるで分からない。対するレコンは顔を赤くした状態で、尚も真剣な眼差しで想いを告げる。

 

「僕が……僕がいつでもそばにいるから!リアルでもここでも、絶対一人にしたりしないから!だって僕……リーファちゃんのこと……直葉ちゃんのこと、好きだから!」

 

「!!!」

 

 突然の告白に、驚きに目を見開くリーファ。親友からの不意打ちに近い突然の告白に、しかしリーファは口を開く事ができず、顔を赤くすることしかできない。だが、そんな思考が混乱して立ち尽くすことしかできないリーファを無視するかのように、レコンの顔が、その唇がリーファのもとへと近づいていった。

 

「っ…………待ちなさい!!」

 

「うげぇっ!」

 

 だが、その接近はリーファの手に……否、拳によって阻まれた。レコンの鳩尾にリーファの拳が炸裂したのだ。その衝撃に依ってバランスを崩したレコンは、階段を転げ落ちて途中で止まった。

 ハラスメントに抵触する行為だったとはいえ、現実世界だったならば大怪我は免れない事故である。流石にやり過ぎたと思ったのか、リーファが階段を下りて駆け寄っていく。

 

「ご、ごめん……大丈夫?」

 

「おっかしいなあ……この展開なら、あとは僕に告白する勇気があるかどうかだけだったのに…………」

 

「あんたって……ホント馬鹿ね」

 

 告白に次いでキスという奇襲に及び、失敗したレコンに向けられるリーファの眼差しは、呆れに満ちていた。だが、同時に嬉しくもあった。告白を受け入れるかどうかは別として、自分を友達だと……一人ではないと言ってくれたことが。おっちょこちょいで空回りしながらも、その奇行のお陰で背負っていた重荷が大分軽くなったことを自覚できた。暗く沈んでいたリーファの表情にも、自然と笑みが零れた。

 と、そこへ……

 

「リーファ」

 

「!」

 

 ふと、リーファとレコンの立つ階段の下から声が掛けられた。階下を見れば、階段下の踊り場にはここに来るまでに見知った黒ずくめの少年――サスケの姿があった。

 

「サスケ君……」

 

 どうやら、走り去ってしまったリーファを追ってきたらしい。その表情には、迷いや憂いは無い。語られずとも分かる。その瞳には、全ての真意を言葉で語った上で、義妹であるリーファと向かい合う覚悟の光が宿っていた。

 

(なら、あたしも覚悟を決めなくちゃね……)

 

 サスケが対話の意志を示した以上、自分もその決意に応えねばならない。そう思ったリーファの行動は、決まっていた。

 

「レコン。悪いんだけど、ちょっと席を外していてくれるかな?」

 

「え……リーファちゃん?」

 

「ありがとうね。あたしもたまにはあんたを見習って、頑張ってみるわ」

 

「う、うん……」

 

 先程までの悲壮な表情から一変、喜色を浮かべて感謝を述べるリーファに戸惑うレコンだったが、迷いの吹っ切れた陽だまりのように温かい笑顔を向けられ、言われるがままその場を後にすることにした。階段を下り、サスケの横を通って街の方へと足を向ける。だがそのすれ違いざま、サスケから唐突に呼び止められる。

 

「レコン」

 

「え?」

 

 気のせいだろうか。名前を呼ぶ声には殺気のようなものが込められていた気がした。レコンは疑問に思いながらも立ち止まり、サスケの方を振り向く。

 

「お前には後で色々と話したいことがある。ゆっくりと、な……」

 

 横目で睨みつけるような視線を送りながらそう言い放つサスケに、レコンは薄ら寒い何かを感じた。思わず身震いするレコンだが、その先を問いかける前にサスケはリーファのもとへと階段を上って行ってしまった。残されたレコンは、逃げるようにその場を後にするのだった。できることならば、二度とサスケには会うことは無いように、と願いながら…………

 

 

 

 

 

 紆余曲折を経て互いが兄妹であることを認識し、互いに相対する覚悟を決めたサスケとリーファは、グランド・クエストを受諾するためのゲート前の広場へと来ていた。この辺り一帯は、今の時間帯ではプレイヤーの数が少なく、二人きりで話をするには最適だと判断してのことだった。

 

「……それにしても、本当に驚いたよ。お兄ちゃんと、こんなところで会うことになったなんて」

 

「それは俺の台詞だ。ゲーム嫌いのお前が、俺の居ない間にALOなぞ始めているなんてな……」

 

 逃げずに向かい合って話をすることを決意した二人だったが、どのように話を始めたら良いのかという点で戸惑っていたリーファの口から出てきたのは、そんな他愛の無い話題だった。サスケもサスケで、取っ掛かりが掴めなかっただけに、この流れは好ましいものだった。

 だが、こんな話をするために対話を決意したわけではない。伝えなければならないと思ったことがあるからこそ、リーファは勇気を振り絞ってサスケと対話する気になったのだ。話しやすくするための前置きなど不要。その後も短いやりとりを続けていたが、この決意が揺るがぬ内に言うべきことは言わねばならない。そう思った直葉の行動は早かった。

 

「お兄ちゃん……その…………ごめんなさい!!」

 

 先程までの和らいだ表情から一変。苦悩に満ちた表情で、リーファはサスケに向けて頭を下げた。謝罪の言葉を投げ掛けられた当のサスケは一瞬目を丸くしたが、すぐにいつもの冷静な表情へと戻った。無表情ながらその赤い瞳には、慈愛の心が籠っていた。

 

「お兄ちゃんに酷いこと言って……本当にごめんなさい!」

 

「頭を上げろ。謝らなければならないのは俺の方だ」

 

「お兄ちゃん……」

 

 涙ながらに謝るリーファを宥めながら、サスケは首を横に振った。普段無表情で素気ない兄だが、本当は優しい人物であることをリーファは知っている。だから、譬え兄妹の関係を否定する言葉であっても、許してくれることは分かっていた。そして、それが分かっていたからこそ辛かった。対話する決意をしたといっても、無意識に兄の優しさに甘えようとしている自分がいることが。

 サスケも、リーファが抱えている後ろめたい気持ちはすぐに悟ることができた。尤も、それに気付くことができたのは、こうして相対した今だからこそだった。ランは、言葉に表さなければ分からないこともあると言っていたが、前世のサスケの時もそうだっただけに、全くその通りだと思う。そして、それが分かったからこそ、今度こそ本当の気持ちを伝えねばならないと……改めてそう感じた。

 

「直葉……俺はお前に、嘘を吐き続けてきた。『兄』と呼ばれることに居心地の良さを覚え、関係を曖昧にしてきたんだ。父さんや母さんにも言われていたこととはいえ、真実を隠していたことには変わりない。本当に、すまなかった……」

 

「……お兄ちゃん、あたしは騙されたなんて思ったことは一度も無いよ。和人お兄ちゃんとあたしが、本当の兄妹じゃないって知った今でも、その気持は変わらない。だけど……いつも一緒にいるのに、どこか遠くにいるように思えたことは、ちょっと悲しかったかな」

 

「……すまない」

 

「だから、謝らないでよ。あたしは全然怒ってないんだから。でも、今はこうして一緒にいられることが嬉しいんだ。ALOをやっていて、本当に良かったと思ってる。お兄ちゃんが、仮想世界を好きになった理由も、分かったし……ようやく世界を共有できたと思えたから」

 

「そうか……」

 

「だから、お兄ちゃんにも聞かせて欲しいと思ったんだ。本当の気持ちを……」

 

 自分の気持ちを伝えたリーファは、今度はサスケの番だとばかりに真剣な眼差しを向ける。僅かな迷いも無く、自分と正面から向き合う覚悟を決めた妹を前に、サスケもまた逃げることが許されないと改めて感じた。だが、元より逃げるつもりなどありはしない。自分を見つめるリーファの目を、決意を秘めた赤い双眸で真っ直ぐ見据えながら口を開いた。

 

「……俺は今まで、心の中ではどこかお前を遠ざけてきた。本当の関係を明かせば、お前が混乱するから……今まで通りでいられなくなるからと考え……関係を変えることをしようとしなかった。だが、今はこう思う。お前を信じさえすれば、こんなすれ違いをせずに済んだと……俺が初めからお前と真っ直ぐ向き合い、同じ目線で真実を語りあっていれば……とな」

 

「お兄ちゃん……」

 

「失敗した俺が、今更お前に上から多くを語っても伝わらないかもしれない……だが、今度こそ本当の気持ちを、伝えたいと思う」

 

 そう言うと、サスケはリーファの頭に手を回し、自分の額に近づけた。若干顔を赤くするリーファの顔を、変わらぬ優しげな顔で見つめながら、サスケは自分の“本当の気持ち”を口にする。

 

「俺のことは、ずっと許さなくても構わない……お前がこれからどうなろうと…………」

 

 

 

 

 

俺はお前をずっと、愛している

 

 

 

 

 

 サスケが全ての想いを乗せて口にした言葉。それを聞いたリーファは、今まで無表情の中に隠れて分からなかった本当の想いが、ようやく見えたと思った。嘘偽りの無い本当の気持ち……

 

(なんだ……やっぱり、そうだったんだ…………)

 

 それを知った時、リーファは今まで悩んでいたことが馬鹿馬鹿しく思えた。何故なら、自分もまた、サスケと全く同じ気持ちを抱きながら、同じ悩みを抱えていたのだから。どちらか一方が本当の気持ちを伝えさえすれば、こんなすれ違いが起こることなど無かったのだ。それなのに、お互いに遠慮して、その想いを内に秘めたまま今まで過ごしてきたのだ。

 

「馬鹿だよ、お兄ちゃんは……」

 

 短く一言、それだけ告げるとリーファはサスケへ抱きついてきた。サスケは突然のリーファの抱擁に若干動揺した様子だったが、僅かに嗚咽のようなものが聞こえたため、そっと抱き返した。

 

「……リーファ?」

 

「お兄ちゃんが本当の兄妹じゃなかったとしても、あたしの気持ちは変わらないよ。ずっと一緒に暮らしていたんだもん……何も変わらない……あたしたちは、家族なんだよ」

 

「…………」

 

「お兄ちゃんを信じられなかったのは、あたしも同じだよ。兄妹揃って馬鹿だね、あたしたち……」

 

「……そうだな」

 

 涙を流しながらそう口にしたリーファを、サスケは少しだけ強く抱きしめた。曖昧に見えて仕方なかった兄妹の……家族の絆は、確かにあったのだ。お互いの想いを打ち明け合うことでそれを明確に感じ取れた二人は、それを感じるために、互いを抱きしめ合うのだった。

 



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第七十一話 繋がる想い

 

2025年1月22日

 

『皆さん、お待たせしました。ついに“時”が来ました。』

 

 数十名の警察職員が集められた警察庁の会議室。そこにいるのは全員、SAO事件の捜査に参加している刑事達である。彼等の視線は現在、スクリーンに映し出されるアルファベット一文字に集中していた。そして、両端に置かれたスピーカーから発せられた宣言に、全員が息を呑む。

 

「では、遂に容疑者の特定と……逮捕の用意が整ったのだな?」

 

『はい。これより私は、SAO事件未帰還者三百名を拉致監禁している容疑者、須郷伸之の容疑を裏付けるための証拠データ確保を目的とした作戦を開始します。証拠を差し押さえ次第、即刻逮捕状の手配をお願いします』

 

「了解した。我々はここに待機し、逮捕状は勿論、逮捕に向けた出動の用意を進める」

 

 いよいよ二年に及ぶデスゲームを経て尚、帰らぬプレイヤー達を解放し、その黒幕を捕らえる時が来た。自分達を翻弄し続けた凶悪犯罪者をこの手で逮捕できると、刑事達の顔にやる気がみなぎる。そんな中でも、代表たる眼鏡の男性、夜神総一郎は、スクリーンのアルファベット『L』の向こう側にいる人物に対して冷静に受け答えした。

 

『では、あとは手筈通りお願いします、夜神局長』

 

「ああ。信じて待っているぞ……L」

 

 それだけ言葉を交わすと、通信は切れた。残された捜査本部の責任者たる夜神は、素早く部下達に指示を出す。

 

「Lからの報告が来次第、我々も動く。各員、すぐさま用意に当たれ」

 

『はい!』

 

 夜神の指示に従い、一斉に動き出す刑事達。二年以上の長きに渡り、被害者をはじめ警察機関を翻弄してきた黒幕を討つべく、警察組織もまた、立ち上がる――――

 

 

 

 

 

 

 

「え~と……これって、どうなってるの?」

 

 自分が現在置かれている状況を理解できていない少年シルフ、レコンの口から、そんな途方に暮れたような言葉が漏れた。彼が現在立っているのは、アルヴヘイム央都・アルンの世界樹攻略のグランド・クエストを広場。現在そこには、五十人以上の数のプレイヤーが集まっている。その大部分はスプリガンが占めており、いずれもレプラコーン謹製の特注装備に身を固めていた。そんな猛者とも呼べるプレイヤーが、こんな場所に集まる理由はただ一つ。世界樹にて受諾できる、ALOのグランド・クエストへ挑むことが目的なのだ。

 

「ランさん、やっぱりこれって……」

 

「うん。私もさっき聞いたんだけど、このスプリガンのレイドは世界樹攻略に乗り出すみたいよ」

 

「やっぱりですか……」

 

 隣に立つランから齎された情報によって、自分の予感が的中していたことを認識させられるレコン。思えば、彼の周囲は昨日から激動の連続だった。シルフ領の権力者であるシグルドを尾行した末に、サラマンダーと内通していることを確かめたのだ。だが、それをリーファに知らせようとした矢先、サラマンダーの索敵スキルによって隠形を見抜かれ、毒矢に射られてアバターを捕らえられてしまい、止むを得ずログアウトしてリアル経由でリーファこと直葉の携帯電話へと連絡を取ることにしたのだった。なんとか連絡には成功したが、サラマンダーの大部隊に狙われたシルフ領主のサクヤを助けるためにすぐに連絡は切れてしまった。リーファに連絡を入れた後は、再度ALOへダイブしてアバターを捕らえていたサラマンダーを得意の猛毒でこれを抹殺。脱出に成功したその後は、サクヤにも危険を知らせたのだが、リーファとスプリガンの少年の手によって事無きを得たらしい。そして、スイルベーンへ無事に帰還したサクヤ一行を見てほっと一息吐き、ログアウトして安眠することができたのが昨日の出来事。

そして翌日の今日、アルンを目指したリーファ達を追って長時間のダイブと飛行を繰り返した末にようやくたどり着いたのだ。だが、合流したリーファの表情は暗く沈んでおり、それを見ていられなくなったレコンは励ますと同時に勢いのまま告白に及び、キスまで行こうとしたのだが……敢え無く失敗。その後、決意を固めたらしいリーファがサスケと話をするべく、席を外すよう言われた。そして、言われるがままに場を後にしたのだが…………その途中、すれ違いざまにサスケから掛けられた言葉が妙に殺気立っていた気がしてならなかった。その後、喧嘩していた状態から和解したらしいサスケとリーファの、やけに仲睦まじい姿を見て、サスケもリーファに懸想しているのではと疑いを抱くに至った。だが、その気持ちの是非を問う前にランが合流し、その後に然程間を置かずスプリガンの大部隊が到着したのだった。そして現在、サスケが中心となって行われるらしいグランド・クエストへの挑戦にリーファとランが協力し、自分も半ば流れで参加することが決定したのだった。

 

(それにしても、あのサスケってプレイヤー……一体何者なんだろう?)

 

 それは、リーファも思った疑問だった。レプラコーン領の特注装備を上から下まで揃えているばかりでなく、サクヤやリーファの話によれば、サラマンダーのユージーン将軍を打ち負かす程の腕前を持つとされているのだ。ユージーン将軍の話はレコンも知っており、ALOの最強プレイヤーとして知られる猛者の中の猛者と認識されている。だが、それを打ち負かしたサスケは、最強を倒した真の最強プレイヤーと呼べるのではないだろうか。

さらに、近頃密かに勢力を伸ばしていると噂されているスプリガンの領主、エラルド・コイルと懇意にしており、グランド・クエスト攻略のためのレイドを用意させる程の影響力を持っているというのだ。実力、コネクション共にチートの領域にあると評されてもおかしくない、このサスケというプレイヤーは、一体何なのか。いくら考えても、レコンの中で答えは出なかった。

 

 

 

 リーファとの対話の末、紆余曲折を経て和解したサスケは、合流後に一度ログアウトしたレイドリーダーにしてスプリガン領主のエラルド・コイルを待っていた。ログアウトの理由は、明日もしくは明後日行う予定だったグランド・クエスト攻略を即刻行うための準備を整えることが目的である。

明日奈がいるであろう世界樹頂上部から落とされたシステム管理用のアクセス・コードのことを考えるに、恐らく彼女は一度脱出を試みて再び捕まり、現在危険な状況にあるとサスケは推測していた。もしサスケの予想が的中していた場合、明日奈を捕らえた研究員から須郷へ脱走の出来事が連絡されているとみて間違いない。人間の脳を弄くり回す研究をしている須郷が、明日奈に対して何をしでかすか分からない以上、攻略を急ぐ必要がある。また、現在サスケの手元にあるアクセス・コードが研究施設から紛失したことが分かれば、コードが無効化されることは勿論、警備が強化される可能性もある。いずれにしても、グランド・クエストを突破して須郷の野望を打ち砕く機会は、これを逃せばそう簡単に巡ってくるものではない。サスケによる世界樹頂上への突入後の始末も用意する必要があった。

 

「サスケ君、お待たせしました」

 

 そうこう考えている内に、再度ログインしてきたスプリガンの青年プレイヤーがサスケに話しかけてきた。目元を縁取る隈は現実世界の彼の姿とあまり変わらない。彼こそが現スプリガン領主にして、この攻略レイドのリーダー、エラルド・コイルである。

 

「ファルコンとの繋ぎは取れたか?」

 

「はい。急な予定変更でしたが、私の呼び掛けに応じてくれました。現在はワタリと共にこちらの拠点で待機し、レクト・プログレスのVR部門が管理するシステムへの侵入に備えています」

 

「分かった。ならば、あとは世界樹頂上に到達するだけだ」

 

エラルド・コイルことLと並ぶ協力者、天才ハッカー・ファルコンに依頼し、システムロックを突破するためのプログラムを完成させ、これをALOでサスケが所持するアイテムに変換。これを世界樹頂上へ通じるとされる扉へと使用し、須郷が管理するSAO未帰還者を監禁している区画へ侵入するというのが当初の計画だった。世界樹攻略を急がねばらなくなった現在、プログラム作成を待つことができないが、それは明日奈が落としてくれた管理用のアクセス・コードで代用できる可能性が高い。セキュリティホールが開けたならば、あとはファルコンがその穴を突いてSAO未帰還者の解放と保管されている違法研究の記録を押さえれば、全ては決する。

 

「コイル、後方指揮を頼む。俺が戦線を切り拓いて突入する」

 

「分かりました。お互いにご武運を」

 

 必要な打ち合わせを終えたサスケはコイルと別れ、部隊の外れに立っていた三人のシルフのもとへと向かった。コイルとの対話を終えたサスケを待っていたのは、彼の義妹であるリーファとその友人のラン、レコンである。

 

「終わったの?おにい……サスケ君」

 

 危うくリアル情報を漏らすところだったのを抑え、リーファがサスケへ確認をとる。サスケは若干苦笑したものの、すぐに常の無表情で、だがいつにも増して真剣な雰囲気を身に纏う。

 

「ああ。リーファ達にも攻略を手伝ってもらうが、良いか?」

 

「勿論よ!ランさん達も協力してくれるって」

 

「ええ、リーファちゃんが参加するんだもの。あたしも喜んで力になるわ」

 

「ぼ、僕だって、リーファちゃんのためなら!」

 

 スプリガンの部隊員に劣らぬ士気の高さを示す三人に、サスケは僅かに笑みを浮かべる。コイルが率いてきたスプリガン攻略部隊も、レプラコーン領製の強力装備に身を固めた強豪達だったが、目の前の義妹達はそれ以上に心強い味方だった。

 

「それで、部隊の配置についてだが、魔法に加えて接近戦が得意なリーファとランには前線に立って俺の援護を頼みたい」

 

「任せて!」

 

「私も大丈夫よ」

 

「ちょ、ちょっと待って!僕は!?」

 

 サスケによって、リーファとランが彼の援護役として最前線に出ることが決定したが、レコンだけが使命を受けていない。これに対し、レコンはサスケに抗議の声を上げたが、サスケは別に忘れていたということではない。彼の配置についても、きちんと考えていた。

 

「レコンには、コイルの部隊でメイジとして支援を頼みたい」

 

「何で僕だけリーファちゃんと一緒じゃないのさ!」

 

 サスケは攻略部隊の配置振り分けを行うに当って、スプリガンの本隊に加えて新たにメンバーとして加わったシルフ三人の能力を、リーファを通して詳細に確認していた。

 リーファ現実世界の剣道の腕をそのままALOに持ち込んだ凄腕の片手剣使いであり、接近戦のエキスパート。魔法スキルも回復等の補助系を一通りマスターしている点からして、前線に出ればサスケにとって心強い戦力になることは間違いない。

 ランもまた、リーファと同じく現実世界では空手の都大会で優勝経験を持つ猛者であり、体術スキルをコンプリートしている強豪である。魔法スキルもリーファと同程度習得しており、彼女と並んでサスケの助けになることは言うまでもない。

 そして、問題のレコンについてだが……

 

「お前のスキル構成だが……スキルは全体的に隠密行動やそれを補助する系統が中心……あとは毒を中心としたST系攻撃魔法。武器はダガー……。悪いが、世界樹上空を守護するガーディアンの群れを相手にするには役不足だ」

 

「そんな!僕はリーファちゃんを助けるために……」

 

「文句言うんじゃないわよ。グランド・クエストなのよ?補助コントローラー無しで飛行できないあんたじゃ、すぐにやられちゃうわよ」

 

 痛いところばかりを突いて追い詰めるサスケとリーファに、レコンは項垂れる。自分は古参プレイヤーであり、リーファとはランと同等以上に付き合いの長い友人だというのに、何故いきなり現れたどこの馬の骨とも知れないプレイヤーであるサスケにあれこれ言われねばならないのか。

だが、実力は相当なものらしい。空中戦は補助コントローラー無しで飛べることは勿論のこと、サクヤから聞いた話で俄には信じられないが、ALO最強と謳われたサラマンダーのユージーン将軍を打ち倒したらしい。

 身に纏う装備はレプラコーン領製のブランド物で、実力もALO最強クラス。しかも、リーファとはかなり仲が良い。目の前のぽっと出のプレイヤーに、自分が勝てることが何一つ無いという劣等感が、レコンに無力感を抱かせていた。無念だが、ここはサスケの言う事を大人しく聞かなければならない。レコンが心中で屈服し、配置が確定しようとしていた……だが、彼を援護する思わぬ伏兵がここにいた。

 

「良いじゃない、私達のパーティーに入れてあげても」

 

「……ラン?」

 

 レコンの配置決めを巡る会話の中、それまで黙っていたランが、初めて口を開いた。その内容は、レコンの前線パーティー入りを支援するものだった。

 

「何言っているんですか、ランさん!?グランド・クエストなんですよ?レコンじゃとても……」

 

「でも、レコン君はあなたの力になりたくて来たのよ?その気持ちを酌むくらい、友達として当然じゃない?」

 

「で、でもそれとこれとは……」

 

「それに、彼のお陰でリーファちゃんはサスケ君と仲直りできたんでしょう?なら、少しくらい彼の我儘を聞いてあげも良いんじゃない?」

 

 サスケとの和解の話を持ち出され、返答に窮すリーファ。これが通常のクエストだったならば、レコンをパーティーに迎え入れることには異論は無い。だが、今回は勝手が違う。ALOの最難関であるグランド・クエストで、しかも失敗できない複雑な事情も付いている。いくら友達だからといっても、出来ないこともある。

 

「……けれど流石に、グランド・クエストのガーディアンが四方から攻めてくる中でこいつを助けるなんてできませんよ?あたしもサスケ君も、ほとんど手一杯なんですから」

 

「ぼ、僕だって戦えるよ!」

 

「本人もこう言っていることだし、連れて行ってあげようよ」

 

 今まで一緒に戦ってきた仲間なだけに、キツく当たって突き離すことができない自分がいることを自覚し始めるリーファ。つい一時間程度前にも、半ば以上勢いに任せていたとはいえ告白された間柄なのだ。変に意識せざるを得ず、レコンのパーティー入りに対する反論も徐々に弱まっていく。そして、レコンのパーティー入りに、もう一人のメンバーが折れた。

 

「良いだろう」

 

「ちょっ……サスケ君!?」

 

「どうしても付いてくるというのならば、メンバーに入れてやろう。最前線に立って世界樹の頂上を目指す俺のパーティーは、リーファとラン以外入れる予定は無かったんだ。人数的にも、受け入れる余裕はある」

 

「……サスケ君がそう言うなら、あたしも反対はしないけど……」

 

 まさか、自身の兄たるサスケがレコン受け入れを許容するとは思わなかった。冷徹に見えて実はとても優しい人物だが、物事は基本的に効率重視で選択を行い、殊に失敗が許されない戦いにおいては無駄なものを一切斬り捨てる性格であることを、リーファは知っていたからだ。確かに、レコンをパーティーから外すという意志を貫く事で、異議を唱えたレコンと推薦したランとの間に諍いが発生し、それが攻略に影響する可能性も少なからずある。そう言う点では、レコンを受け入れることに合理性が無いとは言えなくもない。

 実際問題、サスケのパーティーはフルメンバー七人に満たない、自分を含めた三人で突破を図ろうとしていたのだ。連携云々はさておき、レコン一人“入れるだけ”ならば然程問題は無いことは確かである。足手纏いにさえならなければ、リーファも特に異論は無い。

 反対意見を述べる人間がいなくなったことで、当のレコンの表情も明るくなる。そんな、VRMMOのフェイスエフェクトも手伝って、心の内が表情に出やすい彼の性分を微笑ましく思うリーファとラン。だが、サスケだけはそんな表情は見せない。右手でレコンの右肩を正面から掴むと、耳元へ若干顔を近づけ……

 

「リーファの前で良い恰好をしようなどと考えないことだな。こちらの足を引っ張れば、タダではおかん。即刻斬り捨てる」

 

 抑揚の無い、若干フラットな声でそう囁いた。その殺気さえ感じられたサスケの言葉に、レコンは顔を引き攣らせる。リーファの力になりたい一心で、身の程を弁えずにグランド・クエスト攻略最前線のサポートと言う大役を買って出たが、僅かなミスも許されなくなった状況にレコンは冷や汗を流しながらほんの少し後悔していた。サスケはレコンにそれだけ言うと、リーファとランの方へと向き直る。

 

「これで全ての準備は整った。行くぞ」

 

 サスケはその言葉にリーファとランが頷くのを見るや、未だ硬直しているレコンを引き摺ってくるようリーファに指示を出し、レイドリーダーであるコイルのもとへ行く。

 

「コイル、こちらの打ち合わせは終わった。当初の予定通りに頼む」

 

「了解しました。それでは、参りましょう」

 

 サスケに負けず劣らず内心の見えない無表情で、目元に隈のできた顔で了承するコイル。SAO時代と変わらぬ猫背のまま、サスケを伴ってレイドプレイヤー全員の前へと出る。

 

「皆様、お待たせいたしました」

 

 抑揚の無い表情のままで開始の宣言を行うコイルに対し、しかし攻略レイドのプレイヤー達の表情は真剣そのものだった。リーダーの容姿や性格はどこか頼り無さを感じさせるものだったが、ここにいるプレイヤーは是認、コイルの指揮官としての能力の高さについてはよく理解しているのだろう。聞く側には苛立ちや呆れは微塵も感じられなかった。

 

「これより、グランド・クエスト攻略を開始します。作戦は当初説明した通り、私が率いる六パーティーが後方支援を行い、こちらのサスケ君率いるパーティーが世界樹の突破を行います」

 

「サスケです。新参者ですが、よろしくお願いします」

 

 世界樹突破を行う、謂わばスプリガンをアルフへ転生させる重役を担う人物としての頭を下げて挨拶するサスケ。こちらもコイル同様に無表情で感情が見えず、新参者であることも相まって信用に能う人物なのか微妙なところである。

だが、やはりコイルで慣れているのだろう。突拍子も無い提案をすることもあるが、必ず結果を残すのがエラルド・コイルなのだ。彼が信用に能う、使えると判断した人物ならば間違いないのだと疑わない。元々選択する人数の少ない種族とはいえ、短期間で領主へとなることができたのは、それに見合う数々の成果を上げたからなのだ。さらには、レプラコーンとの同盟によって物流を充実させ、スプリガンという種族を大きく繁栄させたことによって得られた信頼は、最早揺るぎないものになっていると言っても過言ではない。

 

「サスケ君のパーティーには、彼の友人であり実力者でもあるシルフプレイヤー三人が同行します。しかし、彼等には飽く迄フォローに回ってもらいますので、グランド・クエストによって得られる成果がシルフのものになることは有り得ないので、御心配には及びません」

 

「よ、よろしくお願いします!」

 

 コイルの紹介によって注目を浴びたシルフ三人がレイドのスプリガン全員に頭を下げて挨拶する。拍手や歓迎の言葉は帰って来ないが、不満の声も上がらない。他種族をレイドに、しかも最前線に立つパーティーに入れるとなれば、参加プレイヤー全員から反感を買ってもおかしくない。それが無いのだから、エラルド・コイルの指揮官としてのカリスマの高さが窺える。

 

「それでは、挨拶はこのくらいにして……作戦を開始します」

 

 その一言共に、コイルは踵を返してグランド・クエストの門へと向かう。数時間前にサスケが行ったのと同様の石像とのやりとりを経て、グランド・クエスト挑戦のボタンをクリックする。そして、地響きにも等しい重々しい轟音と共に、世界樹中央へと通じる巨大な扉が再度開かれる――――

 

「総員、突入。予め打ち合わせた配置へと展開してください」

 

コイルの支持と共に、一斉に突入していくスプリガンレイド。サスケのパーティーは、レイドの中央に配置されている。グランド・クエストで出現するガーディアンはドームの壁から湧出することは分かっている。そのため、クエスト開始以降モンスターの包囲が薄くなる中心地点から突破することが効率的だからだ。そして、世界樹頂上到達を目指すサスケのパーティーを中心に、残り六パーティーが放射状に展開する。

 

「コイル、俺達は予定通り先に行く。そちらはガーディアンの排除を頼む」

 

「了解しました」

 

 レイドの展開を完了したことを確認したサスケは、コイルとそれだけ言葉を交わすと一気に頂上向けて垂直に飛び上がった。次いで、リーファ、ラン、レコンが後ろから追随する。

 

「では、我々も参ります」

 

コイルの相図により、サスケ達を追う形で翅を広げて飛び立つのは、コイル率いるスプリガンレイドメンバーの面々。一拍遅れて飛翔する彼等の目的は、サスケ達の行く道を遮るガーディアンの駆逐である。ガーディアンは壁面から湧出すると決まっているので、コイル率いる六パーティーはサスケが突破を試みる中心地点から各自六十度ずつに展開している。各パーティーが中心地点から六十度ずつのポイントで押さえることで、湧出点を三百六十度カバーする作戦なのだ。

 

「ガーディアンが湧出を始めました。各自、魔法攻撃を開始してください」

 

 コイルの指示に従い、壁から湧出するガーディアンに向けて魔法攻撃を行うスプリガンのメイジ隊。攻撃魔法が得手な種族ではないが、レプラコーン謹製の装備の補正でガーディアンを一撃で屠れる威力となっている。火球や雷が発射されてガーディアンが次々消滅していく中、レイドはサスケのパーティーを中心に上昇を続けていく。

 

「コイル、そろそろ弓兵が出張るポイントだ。スピードを上げるぞ」

 

「分かりました。こちらも作戦を切り替えます」

 

 グランド・クエストを攻略不能にする大きな要素の一つが、弓兵ガーディアンの存在である。単にポップが多いだけのクエストならば、上空がシステム的にロックされていない限りはサスケ個人の能力で突破は可能だった。だが、進路を塞ぐ剣持ちのガーディアンに加え、飛び道具を用いる弓兵ガーディアンを相手するとなると、物量で押し潰されてしまう。それ故に、最初の挑戦時には撤退を余儀なくされたのだ。

 

「リーファ、ラン。こちらも戦闘開始だ。援護を頼む。」

 

「分かった!」

 

 サスケの指示に従い、抜剣する二人。レコンに至っても、短剣を抜いて戦闘態勢を整えている。ここまでは放射状に展開する部隊の魔法によってガーディアンを排除してきたが、ここからはそうはいかない。スプリガンの支援部隊だけでガーディアンを排除し切ることは不可能なのだ。

 

「メイジ隊、幻惑魔法の準備をお願いします」

 

 コイルの指示を受け、詠唱を開始するスプリガンレイドのメンバー達。各々の視線の先では、先程より湧出量の増えたガーディアンの群れが行方を塞がんと広がっていた。凡庸な知性に乏しいAIが密集しているに過ぎないが、際限なくポップするのだ。立ち止まっていれば、進路が群れによる分厚い壁に閉ざされることは間違いない。

 

「放て!!」

 

 コイルの指示により、スプリガンのメイジ隊の杖から発せられた黒や紫に彩られた多暗色のライトエフェクトが炸裂する。標的は目の前に立つガーディアン部隊。だが、攻撃魔法ではない。

 暗色のライトエフェクトを伴う魔法が命中したガーディアン性質に、次々異変が起こる。それまでサスケをはじめとしたレイドメンバーを狙っていたガーディアンが、同士討ちを始めたのだ。

 

「凄い……これが、スプリガンの幻惑魔法なの……?」

 

「敵プレイヤーを混乱させるST系の魔法だよ。確かにスプリガンの得意魔法だけど……他の種族じゃここまでの効果は得られないからね…………」

 

 普段目にすることの無いスプリガンの幻惑魔法とその絶大な効果に目を見張るリーファ。それに解説を付け加えたのはレコンだった。地味でプレイヤー人口の少ないスプリガンとその魔法が、グランド・クエストというALOの最難関で活躍する様に、認識が覆されるような感覚だった。

総合的に見て、ボスモンスターにも満たない能力値だが、湧出する数が桁違いなのだ。無制限に湧出する上、ドーム内に存在できる数は百や千では収まらないだろう。そんな物量こそ圧倒的なガーディアンだが、毒や麻痺、混乱といった状態異常への耐性は低いという面を持つ。故に、混乱などの状態異常で物量を逆手にとる戦法が、ガーディアンには有効なのだ。コイルがスプリガンという種族に世界樹突破の望みを託した理由も、プレイヤー人口が少ない故に領主の座を狙いやすいことに加え、グランド・クエスト攻略への優位性に着目した点が大きい。

 

「言っただろう。局面次第では、普段役に立たない魔法でも通常以上の性能を発揮するとな。それより、こちらも戦闘開始だ」

 

「そうよリーファちゃん!余所見をしている場合じゃないわ!」

 

「は、はい、ランさん!」

 

 サスケを先頭として、襲い掛かってくるガーディアンを次々薙ぎ倒していく三人。忍としての前世を持つサスケは勿論のこと、シルフ五傑に名を連ねるリーファとランの戦闘能力も凄まじく、ガーディアン全てを一太刀あるいは一打で仕留めている。レコンも補助コントローラーに頼る飛行だが、武器と魔法を駆使してどうにかサスケのペースに追随することに成功している。

 

「A隊およびD隊、各自六時および十二時の方向にいる弓兵へ向けて、魔法攻撃をお願いします。B隊およびE隊、八時の方向にいる弓兵を落としてください。C隊は下方から湧出するガーディアンを混乱させてください。F隊はC隊のサポートをお願いします」

 

 サスケを支援するコイル率いるレイドによるサポートも抜かりは無い。サスケ達の進行を妨げる飛び道具を操る弓兵を見つけ次第次々攻撃を仕掛けて落としていく。無論、コイル率いるレイド本隊を狙うガーディアンへの対処も怠らない。敵が多すぎる場合には幻惑魔法を駆使して集団を混乱させて足止めを行い、その隙に退避と援護の両方を行う。上下左右前後、全ての方向から襲ってくる敵の動きを察知すると共に、自らがリーダーとして操るレイドパーティー六つ全てに的確な指示を送っていた。

 

「三人とも急ぐぞ。このまま壁が作られる前に突破する」

 

「了解!」

 

 サスケの突破力もコイルの援護も非常に的確かつ高度なものだったが、それでもガーディアン突破は非常に難しい。サスケ達の到達高度が世界樹頂上までの七割半に達した現在、既に上空に展開したガーディアンの群れによって頂上の様子がほとんど見えなくなっている。ここから先は、時間との争いだ。そう考えたサスケは、包囲が薄い箇所を狙って突入を敢行していく。

 

「うわぁああっ!」

 

「レコン!?」

 

速度を上げて敵の包囲網突破を試みるサスケに追い付けなくなったレコンが、敵の攻撃に対応できなくなった末に悲鳴を上げる。リーファが振り返って見てみれば、そこにはガーディアンに囲まれて身動きが取れなくなっているレコンの姿があった。急ぎ救援に向かおうと考えたリーファだが……

 

「リーファ、左側面のガーディアンの相手を頼む!」

 

「!」

 

 最前線に立つサスケから援護要請を受け、レコンのもとへと辿り着くことができない。優先すべきはグランド・クエスト攻略を目指すサスケの援護なのだが、友人であるレコンの危機を捨て置くことはできない。攻略当初、サスケからもランからも自力で付いて来れなければ置いて行くことには了承したものの、いざその時が来ると決意が鈍ってしまう。

 

(レコン……!)

 

「くっ……リーファ!」

 

 結局、友人を見捨てられなかったリーファは、サスケに背を向けてレコンの救援に向かってしまう。今ここでレコンを助けに行けば、サスケを援護する人間がラン一人になってしまう。二人分を一人でカバーするのだから、攻略失敗のリスクが高まることは間違いない。そしてこの行為はリーダーであるサスケの命令に反するのみならず、サスケの力になると誓った己自身への裏切りに相当する行為なのだ。そう簡単に割り切れない、兄と友人を天秤に掛けねばならない状況にリーファ自身も断腸の思いだったが、危機にある仲間をそのまま切り捨てることで大切なものまで切り捨ててしまうように思えて仕方がなかった。兄を裏切るのも同様だが、自分を偽る行為をしたくなかった。

 

「今助けるわよ!」

 

「リーファちゃん!?」

 

 先行していた筈のリーファが助けに来たことに驚いたのだろう。ガーディアンに包囲されていたレコンは目を丸くして驚いていた。だが、リーファはそんなことに構っている場合では無い。包囲しているガーディアンを次々斬り捨て、レコンを救い出す。

 

「ごめん、リーファちゃん……」

 

「今はいいから……早く行くのよ!」

 

 レコンの謝罪など聞いている場合ではない。今はそれより、先行しているサスケに追い付かなければならない。リーファはレコンの首根っこを掴むと、そのまま加速。ガーディアンの包囲の隙間を縫う様にして飛び、サスケのもとへと向かう。

 

 

 

 

 

(リーファはまだか……!)

 

 リーファがレコンの救援に向かったせいで、サスケはランと二人きりで四方八方から迫るガーディアンの猛攻を凌がねばならなかった。もとより危険で困難な突入……決死行だったが、リーファが抜けた事でその難易度は大幅に跳ね上がった。ガーディアンの襲撃は上下左右前後、全方向から殺到するのだ。たった二人でそれらを防ぎながら頂上を目指すなどできる筈が無い。

 

「ごめん、サスケ君!」

 

「話は後だ。それより今は、上に展開している包囲を突破するぞ」

 

 そうして立ち往生している中、ようやくリーファが戻って来た。勝手にパーティーを離脱したことを謝罪するが、サスケの方もそんなことを聞いている余裕は無かった。リーファ不在で進行ペースが減速し、それが原因で突破困難な程に包囲の密度が増してしまったのだ。これ以上湧出されてはグランド・クエストの攻略は不可能と化す。そうなる前に、突撃を仕掛けて頂上に辿り着かねばならない。既にコイル率いるレイドの援護が届きにくくなっている以上、一刻の猶予も無い。

 

「一点突破だ。邪魔なガーディアンは全て排除しろ」

 

「分かった!」

 

 ガーディアンの密度の薄い箇所を狙い、一直線に飛び立つサスケ。その後をリーファとラン、レコンが追い、援護する。サスケの後ろに続く三人の役割は、世界樹頂上を目指すサスケを妨害するガーディアンを退け、その背中を守ることにある。サスケ一人頂上へ到達させることさえできれば、目的は達せられる。これで失敗すれば、最早グランド・クエストのクリアは不可能。針の穴より小さな突破口を切り開くべく、四人は全てを賭けて挑む。

 

(止むを得ん……かなり強引だが、傷を覚悟で突っ込む!)

 

 サスケが見出した突破口は、確かに他の部位に比べてガーディアンの密集度は低いが、既に奥が見えなくなる程の壁が出来上がっているのだ。突っ込んで無傷で済む筈が無い。ダメージを覚悟で文字通り血路を開く覚悟で飛びこまねばならない。

 

「うぉぉおおお!!」

 

 手に持つ長剣を凄まじい速度で振り回し、視界に捉えたガーディアンを片端から斬り捨てて行く。剣戟と呼ぶには生ぬるい、斬撃の結界とも呼べる空間がサスケの進路を覆っている。ドリル或いは削岩機と形容すべき凄まじい突撃力で、下方や横合いからの攻撃をガーディアンの肉壁を切り崩していく。そして、遂にガーディアンの包囲を抜け、光溢れる空間へと出ることに成功する。

 

(見えた!)

 

相当なHPを持って行かれたが、どうにか突破できたようだ。あとは天蓋を覆う石壁にシステムアクセス・コードを転写すれば扉が開く。そして、世界樹上空の実験施設へ侵入して明日奈を確保できれば全ては決着する。あと一歩、サスケは勝利を確信して最後の力を振り絞って飛翔を試みる。だが……

 

「パパ!危ないです!」

 

「!」

 

 突然、胸ポケットに入っていたユイからの警告。そして次の瞬間に感じる、不穏な気配。危険を感じたサスケは急停止した。そしてサスケの予想は的中し、目の前の空間が波打つように揺らいだ。SAOでも幾度となく見た、モンスターポップの前兆だ。次の瞬間、空間の揺らぎは巨大な影を作り出し、瞬く間にその中から巨大な異形が姿を現す。白色の鎧に身を包んだ、巨大な騎士。姿形こそ、今まで現れていた身長二メートルのガーディアンと同じだが、体躯は十倍以上あろう巨大モンスター。その手には、巨体に比例した巨剣が握られている。

 

「新手……だと?」

 

「これも世界樹を守護するガーディアンの一体です!しかも……ボス並みのステータスです!」

 

 ユイに説明されるまでもない情報だった。目の前のボスの威圧感はSAOで戦ったフロアボスそのもの。故にその能力が、先程まで戦ってきたガーディアンとは比にならないレベルであることも明らかだった。しかも、事態はこれだけに止まらない。目の前の続けざまに巨大ガーディアンの左右の空間にも揺らぎが生じたのだ。

 

「一匹じゃないのか!」

 

 まさかの伏兵……しかも巨大で強力なガーディアンが複数現れたのだ。だが、驚愕している暇など無い。サスケの近くにいたガーディアンが、巨剣を振り下ろそうとしてきたのだ。すぐさま回避行動に移ろうとするサスケだが、背中の翅は既に限界を迎えつつある。機動力の低下した翅では、目の前に迫る刃を回避し切れないと判断し、剣で防御を試みた。

 

「ぐぅうっっ……!」

 

「きゃぁあっ!」

 

 叩きつけられた刃の重みは凄まじく、防御した筈のサスケの身体は下に広がっていたガーディアンの包囲を突き抜けてリーファ達のいた場所まで一気に押し戻される。

 

「サスケ君!?」

 

 リーファ達はどうやら近くにいたらしい。落下してきたサスケの姿に悲鳴を上げていた。サスケは翅を目一杯広げて落下速度にブレーキをかけて止まるので精一杯だった。

 

「大丈夫、サスケ君!?」

 

 翅がかなり弱っていたのだろう。安定しない飛行をしていたサスケを気遣いながら、リーファとランが近寄ってくる。だが、サスケの身を案ずる暇すら無い。上空に密集したガーディアン達をかき分けて、扉の直前に出現した巨大ガーディアンが姿を現したのだ。

 

「な、何あれ!」

 

「扉を守護するガーディアンだ……」

 

「あんなのまで相手にしなきゃならないワケ!?」

 

 新たに出現した巨大な敵に、リーファ達は戦々恐々する。サスケ達のいる場所から低空で展開していたコイル率いるスプリガン部隊も同様である。既にサスケを含めてレイドメンバーはHPやMP、飛行時間だけでなく精神力も限界を迎えている。世界樹頂上へ通じる上空だけでなく、下方も含めて全方位が包囲されている。

 

(ここまでか……!)

 

逃げ場も抵抗の術も残されていない。最早全滅するのを待つのみ。サスケを含め、誰もがその心を絶望に呑み込まれ、諦めかけようとしていた……

 

 

 

 

 

 

「もう終わりか?だらしないぞ、イタチ!」

 

「!」

 

 だが、その時だった。窮地に立たされ、諦めようとしていたサスケ達の姿を笑い飛ばす声が、世界樹のドーム内部に響き渡る。驚愕に目を見開き、声がした方向――グランド・クエストの入り口へと視線を移す。そこにいたのは……

 

「ったく!相変わらず一人で突っ走りやがって!」

 

「助けが必要なら、最初から呼びやがれってんだ!」

 

 SAO内で聞きなれた声の決まり文句。『サスケ』のことを『イタチ』と呼ぶ人間は、限られている。そして、こんな窮地に駆けつけてくれる人物を、サスケは知っていた。

 

「……援軍には間に合ったようだな。メダカ!クライン!カズゴ!」

 

「当然だ!」

 

 そこにいたのは、紺色の長髪をなびかせた闇妖精族『インプ』の女性プレイヤーを先頭とした大規模レイドだった。部隊の大半はリーダーと同じくインプだが、残り半分はサラマンダーやウンディーネ、ノームなど多様な種族が入り混じった混成パーティーだった。そして、この場に終結したプレイヤー達が何者なのかを、サスケは知っている。

 

「イタチ!助けに来ましたよ!」

 

「SAO時代の面子が勢ぞろいか。これなら、グランド・クエストでも、なんとかなるさ」

 

 そう、ここにいるプレイヤーの大部分は、サスケと同じ『SAO生還者(サバイバー)』なのだ。それも、攻略組として常に最前線に立ち続けてきた精鋭揃いである。

 錚々たる面子が揃っているパーティーの中、一人の土妖精族『ノーム』のプレイヤーがサスケのもとへやってくる。

 

「言われた通り、皆連れてきてやったぜ、イタチ!」

 

 どうだ、満足かとばかりに笑みを浮かべるチョコレート色の肌のノーム――エギルに向かって、サスケは常の無表情では見せない満足そうな笑みを浮かべていた。

 ALOのグランド・クエストへ挑むことが決まった日、サスケは病院で再開したSAO事件当時から知り合いだった生産職にして攻略組プレイヤー、エギルへ接触をしていた。グランド・クエスト攻略のためには多大な戦力を要することは必須であり、コイルが用意したレイドだけで突破できるとは限らない。そう考えたサスケは、エギルを通じてSAO生還者の中でも強力な攻略組を集めようと試みていた。そして現在、当時の攻略ギルドの一角『ミニチュア・ガーデン』のリーダーだったメダカをリーダーとしたレイドが到着したのだった。

 

「助かったぞ、エギル。ありがとう」

 

「礼ならあとでたっぷりしてもらうぜ!それより今は、こいつらを蹴散らしてお前を上まで行かせるのが先だ」

 

「指揮は僕とメダカちゃんが取る!君を必ず世界樹の頂上へ辿り着かせてみせる!」

 

「感謝します、シバトラさん!」

 

 元聖竜連合総長のシバトラと、ミニチュア・ガーデンのリーダーであるメダカの二人が前に立ち、周囲に展開する攻略組プレイヤー達へと指示を出す。

 

「さあ、アインクラッド攻略の再開だ!これより我々の手で攻略を執行する!」

 

 メダカの攻略宣言に歓声を上げる元SAO攻略組プレイヤー達。これまで戦ってきたフロアボス攻略の比ではない脅威を前に、しかし全く動じた様子は無い。

 

「死んでもいいゲームなんて、温過ぎるぜ!!」

 

 クラインが叫んだ、この場に駆けつけたプレイヤー全員の言葉を代弁した言葉。常に死と隣り合わせの世界で戦い続けたSAO生還者(サバイバー)には、死が許容されるゲームなど恐れるに足らない。二年もの時を仮想世界で生きた戦士達を縛る恐怖の枷は、既に存在しない。

 あらゆる制約から解放された猛者達の牙が、ALO上空に存在する、固く閉ざされた扉を喰い破ろうと襲い掛かっている。グランド・クエスト突破のカウントダウンは、既に始まっていた。

 



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第七十二話 重なる力

「メイジ隊、遠距離魔法用意!」

 

「近接部隊、突撃用意!ガーディアンを近付けるな!」

 

 世界樹内部のドーム。グランド・クエストのゴールたる天蓋の石扉を守護するガーディアン達の猛攻を前に、SAO生還者で構成されたレイドがインプの女性プレイヤー・メダカとケットシーの男性プレイヤー・シバトラの指揮のもと奮闘していた。SAOのフロアボス攻略で鍛えた指揮力は凄まじく、倍以上と形容するには生温い兵力による圧力にも屈することなく、向かってくる敵全てを叩き伏せている。

 

(凄い……これが、SAO生還者(サバイバー)……!)

 

 ALOプレイヤーとして古参のリーファですら息を呑む程の激戦。その光景が目の前に広がっている。百や千では収まらないガーディアンの群れを恐れず、リーダーの指示に忠実に従って応戦する。一人一人が強力なプレイヤーというだけではない。レイドメンバー同士互いの信頼を置いているからこそできる連携プレイ。死と隣り合わせの世界にあって、命懸けの戦いを生き抜いてきた者達だからこそできる戦いがそこにあった。

 リーファの知る限りでは、ALOで繰り広げられてきた戦いの中で規模もレベルも最高のものだった。ALOのプレイヤーでは辿り着けない、極限の境地と呼べるだろう。

 

「リーファ、俺達も行くぞ!」

 

「分かった!」

 

 だが、見ているだけというわけにもいかない。敵は人間サイズのガーディアンだけではないのだ。先程サスケが頂上付近に接近した事で湧出した巨大ガーディアンもいるのだ。数だけのガーディアンと一線を画すこのガーディアンは、攻撃の威力も桁違いで、手に持つ剣の一薙ぎでレイドを壊滅させかねない危険分子なのだ。現在五体がポップしているが、幸いそれ以上は増える様子は無い。ならば、レイド本隊が雪崩のように襲ってくるガーディアンの群れに対処している間、サスケやリーファのような高レベルプレイヤーがタゲを取ってレイド本隊から遠ざけねばならない。

 

「リーファ、俺がタゲを取る。お前は頭を狙え!」

 

「了解!」

 

 巨大ガーディアン目掛けてサスケとリーファ、二人揃って突撃する。対するガーディアンは、二人掛かりの連携飛行に翻弄され、狙いが定まらない。如何に強大なステータスを持っている敵であろうと、攻撃が命中しなければ脅威になり得ない。

 

「はぁあっっ!」

 

 サスケの放つ斬撃が、ガーディアンの兜に叩きつけられる。斬撃は頭部を両断するには至らなかったが、そこそこのダメージを与えてタゲを取るには十分である。

 

「せいぃぃい!」

 

 そして、ガーディアンの注意がサスケへと反れたところで、リーファによる死角からの一撃がガーディアンの背中を直撃する。リーファの不意打ちで仰け反るガーディアンの隙を、今度はサスケが狙う。

 

「おぉぉぉおおお!」

 

 ガーディアンの頭部、首の隙間を狙い、サスケの強烈な刺突が放たれる。急所を狙った一撃によって痙攣するガーディアンに対し、サスケは容赦なく突き刺した刃を左側へ振り抜き、再度勢いよく今度は右側へと剣を振るった。

 

「りゃぁぁああっ!」

 

 サスケの頭部攻撃に始まり、リーファの奇襲、そして装甲の薄い首に喰らわされた刺突・斬撃によって、三段あったHPバーが一気に削られる。そして遂には、その全てが完全に尽きると共に、巨大ガーディアンはポリゴン片を撒き散らして爆散した。

 

「次だ!」

 

「うん!」

 

 巨大ガーディアンの一体を潰したサスケとリーファだったが、それで終わりではない。巨大ガーディアンは数こそ少ないが、倒される度にポップされるのだ。コイル率いるスプリガンとメダカとシバトラが率いてきたSAO生還者の攻略レイド本隊が態勢を立て直すまでは、絶対に近付けることはできない。

 

「イタチ殿、加勢するでござる!」

 

「ケンシンか……頼む!」

 

 サスケのもとへ援護に駆けつけたのは、かつてアインクラッドで起きた解放軍の内部抗争時に共闘した元ベータテスター、ケンシンだった。攻略組ではなかったものの、ベータテスターであることを加味しても余りある実力を持ったプレイヤーであったことから、サスケはエギルを通して救援要請を出していたのだった。

 ケンシンが加勢に加わったお陰で、僅かな間だが戦線を離れてレイドとガーディアンとの戦況を見ることができるようになった。

 

(メダカとシバトラさんが駆けつけてくれたものの……やはり戦況は動かんか……)

 

 千単位でポップするガーディアンを相手にしながらの部隊の立て直しに加え、巨大なボス級ガーディアンの相手までしなければならないのだ。雪崩のように押し寄せるそれらを相手に踏みとどまるので精一杯なのだ。いくら歴戦の勇者達が剣を振るっているといえども、反撃を仕掛ける余裕などある筈が無い。

さらに言えば、SAO生還者達は武器を手に持っての接近戦が主体なのだ。SAOのスキルをそのまま引き継いでいるとはいえ、魔法スキルばかりは付け焼刃にも劣る習得度しか得られていない。ソードスキルがあれば、強力な攻撃を放つことで遠隔攻撃や火力の不足を補えただろうが、ALOにはソードスキルは実装化されていない。

 

(このまま硬直状態が続けば、いずれこちらがジリ貧でやられる……何としても早急に突破せねばならん、か……)

 

 援軍が到着したお陰で、上空へ近づくのは容易にはなった。だが、ガーディアンの軍勢が分厚い肉壁を形成しており、突き崩すにはそれ相応な勢いをもって突撃する必要がある。それも、闇雲に単身で突っ切るだけでは頂上には到達し得ない。包囲の穴を空けるには、ある程度までガーディアンを減らす必要がある。それには、サスケやここにいるレイドだの力だけでは未だに足りない。

 スプリガンの攻略レイドに加え、SAO生還者の攻略組で構成された大規模レイドが戦っているにも関わらずクリアできないこの尋常ではない難易度。システム管理者にして黒幕である須郷伸之の悪意が働いていることがひしひしと感じられた。

 

「お兄ちゃん……無理だよ、こんなの……!」

 

「弱音を吐くな……!」

 

 圧倒的な兵力差に根を上げかけているリーファへ喝を入れるサスケだが、現状を打開する策は全く無いのだ。既にこの攻略には、これ以上出せない程の戦力が投入されている。最早手の尽くし用が無いのだ。そしてこの攻略が失敗したならば、スプリガン領主であるコイルの信頼は失墜し、今回以上の戦力を持つレイドを作ることはできないだろう。加えて、須郷の魔の手が明日奈へ及ぶことは避けられない。

 

(ここまで……なのか!?)

 

最前線に立って頂上を目指すサスケですら八方塞なのだ。既にリーファだけでなく、レイドの中にも挫けそうな心境のプレイヤーが多数いることは間違いない。このままいけば、プレイヤー全員は体力的にも精神的にも限界を迎えて、レイドは壊滅するのも時間の問題である。万事休す……サスケを含め、誰もがそう思った、その時だった――――

 

「シルフ隊、魔法攻撃開始!」

 

 グランド・クエストの戦場たるこのドームへと通じる扉の外から響き渡る、声高らかな攻撃命令。これを発しているのは部隊を指揮するリーダーに他ならない。

 

「!」

 

「これは!?」

 

そして次の瞬間、上空に展開するガーディアンの群れへと強烈な魔法が炸裂する。発動したのは風属性の真空刃であり、命中した途端にガーディアンを細切れにしていく。これ程強力な風属性魔法を発動できるメイジを擁するレイド、それを所有する種族はALOにおいてただ一つ。

 

「サクヤ!?」

 

「遅くなったな、リーファ!」

 

 下方の扉から駆けつけたパーティーを率いていたのは、サスケやリーファ、ランの予想と違わない人物だった。サスケはつい最近見知った、そしてリーファとランはALO開始の頃から付き合いのある、着流しの和服に身を包んだシルフ領主のサクヤだった。その後ろには、エンシェントウエポン級の装備に身を固めた、総勢五十人は下らないシルフのレイドが伴われている。

 

「サクヤ……どうしてここに?」

 

「助けが欲しいと言ったのはそちらだろう?それに、駆けつけたのは私だけではないぞ」

 

 サクヤがそう得意気に告げた途端、サスケやリーファのいる場所を通過して上空へと飛び立つ影が複数現れた。プレイヤーにしては大き過ぎるそれは、巨体相応な雄叫びと共にガーディアンの群れへ攻撃を仕掛ける。

 

「ドラグーン隊、ブレス攻撃開始!」

 

 中央を飛ぶ影の背中から飛ぶ、攻撃開始の指示。途端、横一列に並んだ巨獣の口から、これもまた巨大な火球が放たれる。火球の威力は凄まじく、着弾点を飛んでいたガーディアンを十数体単位で焼き潰して消していく。

 

「飛竜……!」

 

「ケットシーの秘蔵戦力か!」

 

 猫妖精族・ケットシーの特技はモンスターのテイムである。そして、ケットシーには最終兵器としてスクリーンショットにすら流出しない秘蔵戦力が存在する。それこそが、このグランド・クエストに駆けつけた竜騎士(ドラグーン)隊なのだ。SAOをはじめとしたRPGにおいて、一般的に竜とそれに連なる眷族は強力なモンスターとして位置づけられている。このALOにおいてもその法則は変わらない。加えて、ケットシーがテイムし騎乗している竜は鎧で武装しており、そのステータスは野生のモンスターの比ではないことは明らかである。

 

「いやはや、どうにか間に合ったようで良かったヨ~。スプリガンの彼、サスケ君の紹介状のお陰で、レプラコーンの鍛冶師からこんなに高級な装備を格安で、しかも特急で用意してもらえたんだからネ~」

 

「アリシャさん!」

 

 竜のブレスでガーディアンを掃討したところで、騎乗したままリーファのもとへ来たのは、水着に似た戦闘スーツを身に纏ったケットシー領主のアリシャ・ルーだった。

 シルフ=ケットシーの二種族連合が、サスケやリーファの加勢のためにこのグランド・クエストに駆けつけたのだ。

 

「しかし、そちらも随分と強力な面子を揃えたものだな。スプリガン=レプラコーン同盟で、攻略レイドはスプリガンが中心となることは聞いていたが……あの混成パーティーもかなりの実力だぞ」

 

「でも、まだ押されているみたいだネ。ひょっとして私達、良いところに来タ?」

 

 千単位でポップするガーディアンと巨大なボス級ガーディアンの群れを相手に奮闘するも、反撃に移れずに膠着状態にあるスプリガンとSAO生還者のレイドを見て、アリシャがそんなことを漏らした。その見解は見事に的中しており、彼女等が率いてきたレイドは現在の戦況を覆すための戦力として足るものだった。

 

「お話し中のところすみません」

 

 グランド・クエスト最中に関わらず、普段の如く呑気な会話をしていたシルフとケットシーの領主の元へ、新たな人物が現れる。猫背のスプリガン領主、エラルド・コイルである。

 

「はじめまして。私はエラルド・コイルと申します」

 

「ほう、お前が噂に聞くスプリガンの領主か」

 

 スプリガン領主の名乗った人物に対し、興味深そうな視線を送るサクヤ。アリシャも同様である。弱小種族として知られていたスプリガンの財政を立て直して領主に君臨し、レプラコーンとの同盟を結んでグランド・クエストへの挑戦を実現した、『名君』と呼ぶに相応しいプレイヤーが、どんな人物だったのか、二人とも気になっていたのだ。だが、当然今はそんなことを話している暇は無い。

 

「サクヤさん、アリシャさん。領主同士で積もる話もありますが、それは後にしましょう。今はグランド・クエストの攻略が優先です」

 

「そうだったな……それで、現在の総指揮はお前が取っているのか?」

 

「はい。最前線で混成種族のパーティーを指揮しているメダカさんとシバトラさんがガーディアンの相手をしている間に、後方で私のスプリガンレイドの立て直しを行っていました。既に態勢は整えたのですが、未だに戦力が足りず立ち往生していたところです。協力していただけますか?」

 

「勿論だヨ!ケットシーもシルフも、今回の攻略でかなりお金使っちゃったからネ~……グランド・クエストをクリアしないと、大損なんだヨ!」

 

「全くだな。そういうわけだから、色々と簡略化するが……ここにシルフ=ケットシー=スプリガン=レプラコーンの四種族同盟を結成したい。グランド・クエストクリア後の報酬や今後の貿易では、それなりの待遇を要求させてもらうぞ」

 

「念を押されるまでもありません。勿論、あなた方二種族には相応の報酬を用意いたします」

 

「やったネ!それじゃあ、指揮はキミに任せるから、早く指示を送ってくれるカナ?」

 

 領主三名の意見がまとまったところで、コイルをリーダーとしてシルフ=ケットシー同盟を加えてレイドを再編し、共闘することが決定した。コイルをリーダーとして、領主二人は指示を仰ぐ。

 

「それでは不肖、エラルド・コイルが皆様の指揮を揮わせていただきます」

 

「承知した!」

 

「分かったヨ!」

 

 指揮権の譲渡を承ったコイルの言葉に、サクヤとアリシャは自信満々に頷く。コイルとは初対面だったが、弱小種族と認知されていたスプリガンをグランド・クエスト攻略に乗り出せる程に強化し、実戦においては指揮官としての手腕を発揮してレイドを纏め上げ、千単位のガーディアンと応戦してきた目の前の成果から、信用に足る人物であると認めていたのだった。

 

「サクヤさん率いるシルフ隊は私のスプリガンレイドと合流し、最前線にいるメダカさんとシバトラさんの二人が率いるレイドと交代してください。ケットシーの竜騎士隊は、ブレス攻撃による援護の用意をお願いします。サスケ君とリーファさんは、私達と共に前線へお願いします」

 

「分かった!」

 

「了解した」

 

 コイルの指示のもと、連携してガーディアンに応戦していく、三種族の攻略レイドとSAO生還者達。始めて轡を並べて戦っているとは思えない程に絶妙な連携で、上空から雪崩れ込むガーディアンを徐々にだが押し返していった。

 

「メダカさんとシバトラさんは、巨大ガーディアンの相手をお願いします。少数精鋭で、一体倒すごとに交代して仕留めにかかってください。世界樹頂上を目指すレイドには近付けないようにお願いします」

 

 スプリガン・シルフ・ケットシーの三種族がドーム中央に展開し、最前線に立つ。シルフがメインで攻撃、スプリガンがST系・回復魔法やアイテムによる後方支援を行い、ケットシーの竜騎士隊がタイミングを見計らって火球を叩き込むことで、ガーディアンの群れを中央から崩していく。群れの奥から現れてレイドに大規模攻撃を仕掛ける巨大ガーディアンについては、メダカとシバトラを筆頭としたSAO生還者の強豪プレイヤー達が対処する。適材を適所に配置した、完璧な指揮だった。

 

(行ける……これなら!)

 

 先程までの硬直状態が嘘のように、破竹の勢いでガーディアンを蹴散らして上昇を開始するレイドに、サスケやリーファをはじめとしたプレイヤー達はグランド・クエスト攻略の実現を確信する。ALO内で本来競合する筈の種族四つが力を結集している上、SAO生還者というゲーム開始から上級プレイヤーに匹敵するステータスを備えたプレイヤー達が加勢しているのだ。

種族の二つ三つが同盟したところでクリアすることは敵わないと高をくくっているであろうシステム管理者の悪意を打ち砕く過剰戦力が、今ここに結集している。ALOメイジ隊の魔法攻撃が、武器持ちのプレイヤー達が繰り出す武器の刃が、竜の火炎ブレスが、ガーディアンの群れがその身で作り上げた分厚い肉壁を抉り削る。そして、雪崩寄せるガーディアンの群れを中央から突き崩して行くことしばらく。遂にガーディアンの群れの隙間から、天街の光が見え始める。

 

「行くぞ、皆!」

 

「分かった!」

 

 突破口さえ見えればこっちのもの。パーティー全員で突撃を仕掛け、道を作るのみである。サスケを先頭に、リーファ、ランが続き、さらに後ろをレコンとシルフの近接部隊が追随する。

 

「油断するなよ」

 

「お兄ちゃんもね!」

 

 互いに背中を任せ合い、道を塞ぐガーディアンを連携して斬り捨てていく。いずれもほぼ一撃で仕留め、それが無理な場合は一方が武器をパリィしてもう一方が止めを刺す。二人で死角を補い合う完璧なチームワークをもって、傷一つ負うことなく世界樹の頂上へと近付いて行く。

 

 

 

 一方、二人揃ってガーディアン相手に無双を繰り広げていたサスケとリーファに続く形で飛んでいたレコンとランは、その姿に圧倒されていた。

 

「二人とも凄い……あんなに息がぴったりなんて……」

 

「ふふ、当り前よ。あの二人は兄妹なんですもの。リーファちゃんがサスケ君のこと“お兄ちゃん”って呼んだの聞こえたでしょう?」

 

「そ、そうなんですか!?」

 

「まあ、そのあたりは後で聞くといいわ。それより今は、二人の援護をするわよ。良いわね、レコン君」

 

「は、はい!ランさん!」

 

 常々疑問に思っていたサスケの正体が、リーファこと直葉のリアルの兄であるという事実をランから聞かされ、驚愕するレコン。だが、今はグランド・クエストの攻略真っ只中なのだ。後方支援を行うレコン達も余計なことに思考を割いている暇は無い。矢による遠隔攻撃を仕掛けるガーディアンを潰していかねばならない。

 

「ランさん、魔法攻撃で弓兵ガーディアンを落とすので、下から二人に近づくガーディアンを叩き潰してください!」

 

「任せて!」

 

 レコンの要請に従い、サスケとリーファに下方から接近してくるガーディアンを叩き落としていくラン。レコンは遠隔型の風魔法を弓兵達へ放ち、機先を制して遠隔攻撃を阻止していく。

 

(さっきは足を引っ張っちゃったけど、今度は絶対にそうはさせない!)

 

 SAO生還者のレイドが到着する以前に犯した失態を挽回するべく、人一倍気合を入れて援護に励むレコン。相変わらず随意飛行ができず、補助コントローラーに頼りきりのぎこちない飛行だが、発動した魔法はいずれも狙い違わず弓兵ガーディアンに命中し、これを撃ち落としている。

 

(リーファちゃんには、絶対に手出しさせない!)

 

レコン自身、グランド・クエストの攻略には、攻略の主体がスプリガンだったことなどから当初あまり乗り気ではなかった。だが、好意を寄せているリーファが本気になって挑んでいる姿を見て、力を尽くそうと思うようになっていた。

そして、協力する以上は彼女に格好の悪い姿は見せられない。今はまだ、サスケのようにリーファと並び立って飛ぶことは敵わず、こうして後ろから追いかけることしかできないが、だからこそ死力を尽くさねばならない。未だ自分の手の届かない場所を飛ぶ少女に少しでも追いつくためには、持ち得る全てを賭けて挑む以外に手段は無いとレコンは考える。

 

「リーファちゃんに、近づくなぁぁあああ!!」

 

 レコンの放つ風の矢が、次々弓兵ガーディアンへ命中していく。魔法を乱発し過ぎる故に、ガーディアンのタゲがレコンに多数移るが、本人は自分に襲い来るガーディアンなどお構いなしに魔法を唱え続ける。

HPが減ろうが斬撃が降り掛かろうが関係ない。そんなものは恐れるに足らない。デスペナルティーなど知ったことではない。未だ到達し得ない場所を目指す少女の行く手を守ることこそが、今の自分の全てなのだから。

 

「レコン君、ナイス!これならきっと、サスケ君とリーファちゃんも頂上へ行けるわ!」

 

 既にサスケとリーファは、ガーディアンの密集壁を八割近く食い破っている。既にガーディアン達が並び立つ隙間からは天蓋の光が先程よりはっきり覗いて見える。もう十体程度倒せば、頂上へと抜けられる筈。

 

「リーファちゃん、頑張って!」

 

「サスケ君、行って!」

 

 レコンとランからの声援を受けると同時に、より一層勢いの増した突撃を仕掛けて群れを一点突破しにかかるサスケとリーファ。そして、目の前に立ち塞がるガーディアン三体を横一文字に一気に切り裂いた時、ガーディアンで覆われて見えなかったグランド・クエストのゴールたる天蓋の石扉が見えた。

 

(行ける……遂にやったんだ!)

 

 数千のガーディアンの群れを突破し、難攻不落と呼ばれたグランド・クエストの扉に到達した。未だALOの誰もが到達できなかった境地へ、自分の友達が至ったのだ。常日頃から好意を寄せていたリーファが、一際輝いて見えると同時に彼女の友人でいることに誇らしさを感じることができた。

 だが、最後のガーディアンを潰し、いざ頂上に通じる扉へサスケとリーファが飛び立とうとしたその時……異変は起きた。サスケとリーファの前方、開けた天蓋付近の空間に陽炎のような空間の歪みが“三つ”発生したのだ。

 

「まさか……ここまで来て!?」

 

 それは、ALOでリーファと並んで古参プレイヤーに数えられるレコンも幾度となく見た現象だった。主にボスモンスターの出現する場所において頻繁に起こる現象。陽炎の如き歪みから影が生まれ、そこから新たな異形が姿を現す――――モンスターのポップである。

 レコンの予想と違わず、サスケの前方に発生した歪み三つから、同数のボス級の巨大ガーディアンが姿を現した。

 

(拙い!このままじゃ……)

 

 巨大ガーディアンのポップ場所が天蓋付近であることは既にサスケから聞いていたが、五体以上ポップする事は無く、それが一度にグランド・クエストに出現する最大数であると考えていた。だが、実際には頂上への接近に応じて追加でポップされる仕様だったのだ。ガーディアン達は出現と同時に剣を構え、振り下ろそうとしている。サスケとリーファの翅は既に限界飛行時間が近づいている。巨剣の振り下ろし三連撃全てを回避することは不可能だろう。

 

(こうなったら……)

 

 ここまで来て、全てを無にしてなるものか。何より、既にリーファにはこれがゲームという概念は無い。事情は知らないが、とにかく必死なのだ。このまま彼女に絶望を与えてはいけない。そう思ったレコンは、二人のもとへ最後の力を振り絞って飛んでいく。この剣はリーファに捧げたと誓ったように、この身もまた愛する人のために捧げるのだ。出し惜しみはしない。そう心の中で誓い、レコンは捨て身の覚悟で飛んで行くのだった。

 

 

 

 頂上到達を目前に立ち塞がる巨大ガーディアン三体の出現に、リーファの顔は絶望に染まっていた。自分より前の方に立つサスケも、表情こそ見えないが内心では舌打ちして冷や汗をかいていることだろう。攻撃態勢に入っている三対のガーディアンは、しっかりこちらを狙っている。回避しようにも、翅が言う事を聞かない。

 

(せめて、お兄ちゃんだけでも……!)

 

 振り下ろされる剣の二撃目までならばギリギリで回避できる筈。ならば三番目に繰り出される刃は自分がサスケを横へ突き飛ばして回避させれば良い。自分は直撃を貰ってHP全損は免れないだろうが、リメインライトはランやレコンが回収してくれる。巨大ガーディアン三対は残るが、サスケならば頂上を抜けられる。そう考え、身を呈して兄の行く道を守る決意を固めたリーファだったが、視界の端に高速で通過する影を捉えた。新手かと考えたが、そうではない。緑色のおかっぱ頭のパーティーメンバー、レコンである。

 

「レコン!一体何するつもりなのっ!?」

 

「呪文を唱えているようだな……しかしあれは……」

 

 高速で通り過ぎたレコンの周囲に展開していたのは、魔法を唱える際に出るスペルのライトエフェクト。そして呪文を僅かな間に聞いたサスケは、その魔法が何なのかを知っていた。

 

「闇属性の自爆魔法だな。しかも、威力が強大な代わりに多大なデスペナを伴うタイプのものだ」

 

「それじゃあ、レコンは……」

 

 突如後方から飛び出してきた仲間の真意を悟り、悲痛な瞳でその後ろ姿を見つめるリーファ。止めようにも既に呪文は完成していた。レコンを取り巻く複雑な光の紋様が一瞬にして凝縮。そして次の瞬間には、レコンを中心に強烈な光がドーム全体に迸る。

 

「きゃっ!」

 

「ぐっ……!」

 

先行と共に降りかかる、サスケとリーファも思わずたじろぐ程の爆音と衝撃波。頂上の石扉前、ガーディアンが密集している中心点から降りかかる重圧に、二人だけでなくガーディアンの群れすらも圧迫される。

 

(これ程までなんて……レコンは!?)

 

 激しい閃光が治まった先に見えたのは、先程と変わらぬ光を発する天蓋と固く閉ざされた石扉。爆心地近くにいた巨大ガーディアン三対は上半身が消滅し、残る下半身も白色のエンドフレイムと共に焼け落ちて行く。そして、闇魔法による自爆が起こった場所には、緑色の炎が揺らめいていた。

 

「レコン……」

 

 シルフのカラーである緑色の炎の正体は、言うまでもなくレコンのものだった。巨大なボス級ガーディアンを、密集していたとはいえ三対全て屠る程の強大な闇魔法である。HP全損はもとより、デスペナルティーとして相当量のスキル熟練度を犠牲としたことは間違いない。レコンがこのALOで費やした努力と時間、その全てをもって放った一撃だったのだ。

 仲間の壮絶な最後に呆然とするリーファ。だが、サスケだけは立ち止まることをしなかった。天蓋の石扉目掛けて飛び立ち、宙に浮かぶ緑色のリメインライトをその手に取る。

 

「リーファ、レコンを頼む!」

 

「!」

 

 手に取ったレコンのリメインライトを素早くリーファのもとへ投擲する。サスケの急な行動に驚いたリーファだったが、投擲姿勢に入ると同時に反応することに成功する。サスケの投剣スキルによる補正も相まって凄まじい速度で飛来してきたそれをキャッチしたリーファは、サスケの方を見て黙ったまま頷く。サスケはリーファが首を縦に振ったのを確認すると、そのまま頂上の石扉目がけて飛び立った。リーファもまた、サスケに背を向けて急降下していく。

リメインライトの蘇生猶予時間は一分である。間に合わせるには、レイド達をより先に世界樹のドームから脱出せねばならない。

 

「リーファ!」

 

「サクヤ、コイル!サスケ君は行けたわ!撤退指揮をお願い!」

 

「承知した!全員反転、後退!」

 

「メイジ隊は防御魔法による支援をお願いします。近接部隊は退路を確保することに専念してください。メダカさんとシバトラさんは、引き続き巨大ガーディアンの陽動をお願いします」

 

「心得た!」

 

「了解!」

 

「アリシャさん、竜騎士隊にも追撃を仕掛けてくるガーディアンへの攻撃指示を出してください」

 

 リーファからサスケが頂上に到達したことを聞くや、指揮を預かるコイルやサクヤ、アリシャが素早くレイド全体へ指示を行き渡らせる。攻勢に出ていた時と同様、一糸乱れぬ連携で後退していくその様子を視界の端に捉えていたリーファは、領主三人やSAO生還者のリーダー格等の見事なまでの指揮力に下を巻いていた。この分ならば、ドーム脱出までに犠牲が出る心配もあるまい。

 

(お兄ちゃん、頑張って……!)

 

 自分達にやれることは全てやった。あとは兄がこのグランド・クエストの果てに待ち受ける世界の真実を暴くことを祈るのみ。兄の話によれば、世界中の頂上にいるとされる妖精王・オベイロンの正体はシステム管理者とのこと。一プレイヤーであるサスケがどれだけ規格外の実力の持ち主でも、敵う筈も無い相手である。だがそれでも、サスケならば目の前に現れる障害全てを撥ね退ける筈。

 

(その時は……きっと帰って来てくれるよね、お兄ちゃん!)

 

 SAO事件を真の意味で解決することができれば、仮想世界に置き去りのままの心が帰ってくる。そうすれば、もっと心を通じ合わせることができる。そして、その瞬間はきっとやってくる。そう確信したリーファは、兄の勝利を願いつつも一足先に戦場を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 レコンの捨て身の特攻によって開かれた血路を抜けたサスケは、レコンのリメインライトをリーファへ渡した後、そのままの勢いを殺さず飛び続け、遂に世界樹頂上へ通じる石扉へと剣を突き立てるに至っていた。当然ながら、サスケが石扉に触れても開きはしない。

 

「パパ、この扉はシステム管理者権限によって閉ざされています」

 

「やはりか」

 

 ユイから知らされた事実は、予想はしていたことだったが、悪辣の一言に尽きる所業だった。須郷の暗躍を知っていたサスケだから良かったものの、苦労して辿り着いた他のプレイヤーが同じ目に遭って閉め出しを食らったのならば、気の毒程度の話では済まない。

 ありもしない空中都市の空想に踊らされ、時間を無にしているプレイヤー達が真実を知ったならば、どれだけ嘆く事だろうか。それを天から見下し、嘲笑っているだろうオベイロンこと須郷の姿は、想像しただけでも虫唾が走る。顔を顰めつつも、当初の予定通りに扉を開けるべくユイに管理者用のアクセスコードを手渡す。

 

「ユイ、こいつで扉を開けてくれ」

 

「はい、パパ」

 

 ユイがカードに触れると同時に、その箇所から放射状に青い閃光のラインが走る。そして次の瞬間には、ゲートそのものが発光を始めた。そして、先程まで固く閉ざされていた石扉が四方へ開いていく。

 

「コードを転写します!パパ、掴まって!」

 

 その言葉にサスケは頷くと、ユイが伸ばした小さな右手に触れる。それと同時にサスケとユイの身体は透過し、光溢れるゲートの向こうへと粒子となって吸い込まれていった。

 

(明日奈さん、今行きます……!)

 

 未だこの世界に囚われている明日奈を含めたSAO未帰還者全員を解放すると共に、須郷の野望を打ち砕くことを改めて誓いサスケは黒幕が待ち構える場所へと乗り込んで行くのだった。

 



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第七十三話 鍍金の忍

 グランド・クエストにおいて目指すべき到達点へ通じる石扉にて、光の粒子となって扉の向こうに吸い込まれたサスケ。視界一面、目も開けられない程に眩い白一色の光に包まれたが、一分と経たずに瞼の奥の光は止んだ。ゆっくりと目を開くと、そこにあったのはまるで別の景色だった。

 

「パパ、大丈夫ですか?」

 

「ああ。それよりここは……世界樹の中、なのか?」

 

「はい。システム管理者の領域です」

 

 サスケとユイがグランド・クエストから通じる扉より手にした場所は、無機質造形の通路らしき場所だった。システム権限を使った影響か、ユイの身体は妖精のそれからもと子供の等身大へと戻っていた。西洋のファンタジー世界を舞台としているアルヴヘイム・オンラインらしからぬ、近代的で研究施設を彷彿させるデザインである。

 

(施設の用途は見たままなのだろうな……)

 

 サスケこと和人や、コイルこと竜崎が考えていたように、須郷はALOを隠れ蓑にSAO未帰還者達を監禁して脳を使った人体実験を行っているのだろう。一刻も早く囚われている者全てを解放する必要があるが、まず第一に安否を確かめねばならない人物がいる。

 

「ユイ、明日奈さんの居場所は分かるか?」

 

「はい。かなり近いです……こっちです!」

 

 明日奈のIDの所在を追って駆け出すユイを追い掛け、サスケもまた走り出す。止まることなく通路を右に左に曲がり、行方を塞ぐ扉をユイのアクセス権限で突破していく。そして、幾度目かの扉を突破した時だった。

 

「!……外か」

 

 先程までの無機質な施設内装とは全く異なる空間に出るサスケとユイ。目の前に広がっていたのは、四方八方に伸びる太い枝。その向こうには、紅の夕日の染まりつつある無限の空と、巨大な雲が流れている。雲の大きさや夕日の色の濃さが、ここが天空に近い場所であることを物語っていた。

 

「明日奈さんは、どこだ?」

 

「この道を真っ直ぐです。もうすぐ着きます」

 

「そうか……急ぐぞ」

 

「はい、パパ!」

 

 サスケに促され、木の枝でできた道を共に駆け抜けるユイ。三十メートル程走ったところで、枝の向こうに夕陽を反射する金色の何かが視界に入った。道を走り、接近する度にその輪郭が露になっていく。それは、竜崎から見せてもらった世界樹頂上の写真に写っていた金色の鳥籠だった。

 

(明日奈さんは……いる!)

 

 さらに、籠の中に女性のシルエットを確認する。横顔しか分からないが、栗色のストレートヘアやその容貌は間違いなく明日奈そのものだった。アクセス・コードを盗み出すような大胆な真似をした以上、須郷から何らかの危害を加えられているのではないかと危惧していたが、まだ無事なようだ。サスケはユイの手を取るとさらに加速して鳥籠の場所を目指していった。

 

 

 

 世界樹の頂上に吊るされた金色の鳥籠の中、物憂げな表情で明日奈は夕陽を見つめていた。昨夜遅く、須郷の不在の隙を突いてこの鳥籠を脱出し、アクセス・コードを奪取するという決死行をやってのけた彼女だったが、囚われたSAO未帰還者を解放する直前で施設を訪れていたナメクジのような姿の研究員によって捕まり、こうして元の鳥籠へ戻されたのだった。その後、脱走が失敗し、このことが主任の須郷に報告されてしまったことで、何らかの制裁が下される可能性が高いと、内心で怯えながら佇んでいた。だがつい数時間前、思わぬ希望が明日奈のもとへ飛び込んできた。

 

(……ユイちゃん、イタチ君……)

 

 それは、恐らくは地上から自分に対して呼び掛けていたのであろう、SAOで出会い、短い時間だったがイタチと三人で家族として過ごした少女、ユイの声だった。本来はSAOのシステムを管理するAIであった彼女は、世界を構成するシステムの根幹たるカーディナルの指示に逆らった末に消滅させられたものの、ギリギリでイタチのナーヴギアへとその本体を移すことに成功したのだ。そのユイがこの場所にいるということは、ユイの本体を所持しているイタチもまた、この世界に来ているということである。つまりこれは、イタチがナーヴギアを再び被って自分を救いに来てくれたことを意味する。明日奈の予想通り、イタチはSAO時代のトラウマを物ともせずに、仮想世界に飛び込んできたのだ。

 どういった経緯でアルヴヘイム・オンラインと呼ばれるこの仮想世界に至ったかは分からないが、須郷の野望を察知してやって来たことは間違いない。ならば、イタチは必ずここへ来る。どれ程の強敵が立ちはだかろうと、譬え世界の絶対的法則であるシステムがその行方を阻んだとしても、イタチならば必ずここへ来る。それまでの間、明日奈は待ち続けるのみ。須郷からどのような仕打ちを受けようとも、耐えてみせる。何故なら、イタチもまたそれ以上の痛みを背負って戦っている筈なのだから…………

 

「ママ……ママ!」

 

「!」

 

 だが、予期していた憎むべき相手から苦痛を受ける時間よりも早く、求めていた声がこの場所を訪れた。その声は、つい数時間前に自分に希望を齎したのと同じもの。そして、自分を『ママ』と呼ぶ存在を、明日奈は一人しか知らない。そして、彼女がいるのならば、“彼”もいる。

 息を呑んでゆっくりと後ろを振り返ると、そこにいたのは大小二つの人影。小さい方の影は、明日奈が予想した通り、SAO時代に出会った姿そのままの少女――ユイだった。そしてもう一つの大きい方の影は、SAOの時とは容姿が異なるが、瞳の色やそこに宿す光は見間違う筈が無い。SAOの最終決戦を終え、浮遊城アインクラッドの崩壊を共に見守った少年であり……そして、自身が想いを告げた相手。

 

「ユイちゃん……イタチ君……!」

 

「ママ!」

 

 ユイがより一層強く明日奈を呼ぶ。それと同時に、鳥籠とユイ達とを隔てていた鉄格子の扉がポリゴン片と共に消滅する。開け放たれた入口に飛び込んだユイは、一直線に明日奈のもとへ急ぐ。明日奈もまた、椅子から立ち上がりユイのもとへ駆け寄る。

 

「ユイちゃんっ!」

 

「ママ!良かった……ママ!」

 

 互いに抱き締め合い、頬擦りする明日奈とユイ。互いに名前を呼び合い、存在を確かめ合う。ここは仮想の世界ではあるが、そんなことは関係ない。今目の前にいるのは、間違いなく互いに求め合った人物なのだ。数々の苦難を乗り越えて再び会うことができた喜びを、二人は涙を流す程に感じていた。

 

「明日奈さん……遅くなりました」

 

「イタチ君……」

 

 ユイと抱きしめ合うことしばらく。名前を呼ばれて明日奈が顔を上げたそこにいたのは、浅黒い肌で坂だった髪の少年だった。耳の長い妖精のような姿をした少年だったが、赤い瞳だけは同じだった。必ず来ると信じていた、明日奈の思い人である。

 

「待っていた……きっと来てくれるって信じていた」

 

「……ありがとうございます」

 

 ユイから手を離して立ち上がると、サスケへ歩み寄るとそっと腕を回してその身体を抱き締めた。SAOクリア以降、この鳥籠に閉じ込められ、黒幕の須郷から陰湿な嫌がらせやおぞましい人体実験の計画を聞かされる日々に、幾度となく挫けそうだった。須郷の前では屈してはなるものかと強硬な姿勢でいたものの、それも限界だった。

そして今、待ち望んでいたサスケと相対したことで、今まで我慢してきたものが一気に溢れだすのを感じた。身体が震え、涙が止まらない。この場所に監禁されて以来感じてきた恐怖と、思い人と再会できた嬉しさの、相反する感情が止められない。そんな明日奈の心中を察したのか、サスケもまた、明日奈の身体を優しく抱きしめてくれた。

 

「感謝するのは私の方だよ……本当に、嬉しい」

 

「……俺も、無事でいてくれて安心しました」

 

 それが、サスケの心の底からの本音であると明日奈は悟った。彼もまた、須郷の囚われの身となっていた明日奈の身を案じていてくれたのだ。そして、今こうして再び会いに来てくれた。その喜びを互いの温もりと共に分かち合えることが、明日奈には何より嬉しかった。

 

 

 

 抱きしめ合い、再会を喜ぶことしばらく。抱擁を解いたサスケと明日奈は、この場所からの脱出について話し合うこととなった。

 

「ユイ、ここへ来た時に使ったアクセス・コードで明日奈さんをログアウトさせることはできるか?」

 

「……駄目です。ママのステータスは、複雑なコードによって拘束されています。解除するには、システム・コンソールが必要です」

 

 どうやら、そう簡単にはいかないらしい。他のSAO未帰還者とは別に、明日奈にだけアバターを与えてこうして閉じ込めている時点で須郷は彼女に対して相当な執着を抱いていることは間違いないが、ステータスもろとも厳重に拘束しているとは恐れ入る。ともかく、明日奈や他のSAO未帰還者の解放にはシステム・コンソール、もしくはより高位のアクセス権限が必要となれば、如何にサスケといえども手が出せない。ここはやはり、コイルこと竜崎の協力者であるファルコンが世界樹頂上のシステムの一切を掌握するのを待つしかないのだろうか。サスケがそう考えた

 

「そういえば……私、ラボラトリーの最下層でそれらしいものを見たわ」

 

「本当ですか?」

 

 何故明日奈がそんなことを知っているかは、問うまでも無いことである。サスケの予想した通り、世界樹頂上から落ちてきたアクセス・コードは明日奈が相当な無茶をしでかして入手したものだったのだ。だが、今それは問題ではない。選択すべきは、待つか動くかである。

 

(コイルが動いている以上、俺がここで余計な真似をするわけにはいかんな……)

 

 アバターを与えられて、全くありがたくない意味で特別扱いされている明日奈一人を解放する分には作戦に支障は無いだろう。だがそれは、ユイの手持ちのアクセス・コードでできれば、の話である。施設のシステム・コンソール本体を操作してログアウトさせるとなれば、現実世界からこの場所のシステムに干渉しているファルコンの動きを妨げかねない。今回の作戦は、仮想世界から敵地へ侵入するサスケと、現実世界からサスケが開けたセキュリティホールを通じて須郷の管理するシステムを乗っ取る竜崎とファルコンとの協力によって成り立っている。その足並みを乱す真似をするわけにはいかないと、サスケは考える。

 

「ここは敵地ですが、今は待ちましょう。現実世界からも俺達を解放するよう動いてくれている味方がいます。下手に動いて敵に見つかり、作戦に支障を来す事態は避けなければなりません」

 

「……分かったわ。イタチ君がそう言うなら、ここで待つわ」

 

今すぐに明日奈を含めたSAO未帰還者全員を解放する手段がすぐそこにありながらも、大人しく事態を静観することには抵抗を少なからず覚えないこともない。だが、須郷に囚われたSAO未帰還者全員の安全と作戦の効率を第一とするならば、ここは不動が最善であるとサスケは結論付けた。

対する明日奈は、サスケの提案に反対の意思を示すことは無く、大人しく救援を待つ方針を受け入れていた。明日奈とて、この忌ま忌ましい鳥籠から脱出して現実世界へ帰りたいのだろうが、感情に任せて動く危険性を承知しているのだろう。また、サスケが傍にいてくれるということも明日奈の精神を落ち着かせることに一役買っているようだった。

 

「ユイ、今ここの施設にログインしているプレイヤー……いや、研究員はいるか?」

 

「……いえ、今このフロアにはパパとママ以外のプレイヤーIDは確認されません」

 

「そうか……」

 

 ユイがAIとして持つ権限で周辺に敵がいないか確認させるサスケ。竜崎が下調べした通り、今の時間帯はフルダイブ技術研究部門の担当者である須郷とその部下達は部署への出入りを極端に減らすようだ。これならば、今のところは安心だろう。だが、明日奈が脱出を図ったことは間違いなく須郷に知られている。明日奈へ制裁を加えるためにすぐに戻ってくるのは容易に想像がつく。

 

「イタチ君……」

 

「?」

 

 竜崎とファルコンがSAO未帰還者を全員解放して事件を解決するのが先か、それとも須郷が戻ってくるのが先か。思考を走らせる中、ふと明日奈がサスケ――イタチの名前を呼ぶ。呼ばれたサスケはどうしたのだろうと疑問に思いつつ明日奈の方へと視線を向ける。ユイを抱きしめながら隣でサスケと共に助けを待っていた彼女の表情には、どこか不安の色があった。

 

「どうしました、明日奈さん?」

 

 やはり、須郷に閉じ込められ、散々嫌がらせを受けたであろう場所にいつまでもいたくなかったのだろうか。ともかく、精神的に不安定な状態にある彼女を落ち着かせる必要がある。そう考え、サスケは明日奈に対して口を開いた。

 

「……手、握ってもいいかな?」

 

 サスケの想像通り、明日奈は心細かったのだろう。遠慮がちにそう言ってきた。

 

「……ええ、いいですよ」

 

 SAO時代ならば、泣き言と断じて呆れた表情と共に突き離していたが、ここは既にかつての世界ではない。支えを求める明日奈の手を拒む理由は存在しないのだ。サスケは躊躇うことなく、恥ずかしそうに伸ばした彼女の手へと、自分の手を伸ばした。

 だが――――

 

「!」

 

「きゃぁっ!」

 

 その手が明日奈のもとへ届くことはなかった。突如周囲の世界が暗転し、二人の身体を押し潰さんとする凄まじい重圧が発生したのだ。身動きすることも儘ならない中、サスケは状況確認をするためにユイへと声をかけようとする。

 

「ユイ……!」

 

「パパ……ママ……!」

 

 だが、ユイの方も同様に身動きができない様子だった。それどころか、身体にノイズや紫色の電流のようなものが走っている。サスケと明日奈の二人と比べても危険なことは明らかだった。

 

「気を付けて……よくないモノが…………!」

 

「ユイちゃんっ!?」

 

 何かの警告を発そうとしていたユイだったが、その言葉が終わる前にその姿は消滅し、明日奈が伸ばした手は空を掴んだ。突然の事態にショックを受ける明日奈に、サスケはすかさず手を伸ばそうとする。

 

「明日奈さん!」

 

「イタチ君!」

 

 名前を呼ばれ、サスケの方へと手を伸ばす明日奈だったが、どんどん酷くなる重圧に指を動かすことさえ敵わない。互いに再び伸ばした手は、目の前のそれを掴むことなく地面に縫い付けられるように動けなくなった。

 いきなりの事態に不安を隠せない明日奈。サスケは急な事態に直面したにも関わらず、表情は冷静そのものだった。既にこの現象を引き起こした元凶は分かっている。この世界における絶対的権限によってこの身を拘束されている以上、その本人が現れるのを待つのみなのだ。そして案の定、サスケの予想した人物は高笑いと共に姿を現した。

 

「いやぁ……驚いたよ。小鳥ちゃんの籠の中に、ゴキブリが迷い込んでいるとはね」

 

 サスケが声のした方を振り向くと、そこにいたのは緑色の長衣を纏った端整な顔立ちの男性。容姿は現実世界のそれとは異なるが、声や喋り方からして間違いない。この男こそ、SAO未帰還者を監禁している黒幕、須郷伸之なのだとサスケは悟った。

 

「須郷伸之……」

 

「この世界でその名前はやめてくれるかな?妖精王オベイロン陛下と、そう呼べぇっ!!」

 

「ぐっ!」

 

 語尾の口調が荒くなると共に放たれた蹴りが、サスケの側頭部へ入る。重力による尋常でない圧力を受けていたサスケには避ける術は無く、直撃を受けて地面にうつ伏せで倒れることとなった。

 

「サスケ君!」

 

「どうだい、碌に動けないだろう?次のアップデートで導入予定の重力魔法なんだけど、ちょっと強過ぎるかな?」

 

「やめなさい……卑怯者!」

 

 須郷に頭をぐりぐりと踏み躙られるサスケの姿を見たアスナの罵倒が飛ぶが、須郷はどこ吹く風といった具合に厭味な程に余裕の表情であり、むしろ向けられる侮蔑の視線を楽しんでさえいた。

一方、頭を踏みつけられる不快な感触にサスケは顔を顰めていたものの、思考はいつも通り正常に働いていた。自分がこうして窮地に立たされている間にも、作戦は継続中なのだ。主犯でありシステム管理者の須郷が目の前に居ると言うならば、むしろ好都合。ファルコンがここのシステム全てを掌握するまで、この男を足止めすることができれば、成功する確率は上がる筈。ならばまずは、情報収集から行わねばならない。幸い須郷はサスケと明日奈を縛り付けて上機嫌かつ饒舌である。地面に這いつくばって悔しそうな表情でもしていれば、べらべらと情報を出してくれるだろう。そう考え、サスケは須郷を半ば本気の怒りを込めた双眸で睨みつけた。

 

「それにしても桐ヶ谷君……いや、イタチ君とでも呼んだ方が良いかな?どうやってここまで登って来たんだい?さっき、妙なプログラムが動いていたが」

 

「飛んで来たんですよ……この翅でね」

 

「ハッ!まあいい。君の頭の中に直接聞けば分かることさ」

 

 須郷の言うプログラムとは、恐らくユイのことだろう。本体はサスケのナーヴギアにある以上、彼女の身は安全な筈。そして、サスケと明日奈を前に、余裕と慢心に満ちた態度で話す様子からして、ファルコンのハッキングに気付いていないのは間違いない。サーバーへの干渉に気付かれないよう、一秒、一分でも長くこの場所に止めておく必要ができたとサスケは思った。

 

「三百人に及ぶ元SAOプレイヤー。彼等の献身的な協力によって、思考・記憶操作技術の研究は既に八割方終了している……かつて!誰も為し得なかった人の魂の制御という神の業を!僕はあと少しで我が物にできる!全く仮想世界様様だよ!」

 

 相当調子に乗っているのだろう。自分がSAO未帰還者を監禁していることだけでなく、人体実験を行っていることまで口走っている。これならば、予想以上に長く足止めができそうだと、サスケは思った。

 

「あなたのしたことは許されないわよ……絶対に!」

 

「誰が許さないのかな?残念ながらこの世界に神はいないよ、僕以外にはね!」

 

 己の研究を“神の業”と称するばかりでなく、自分すらも“神”と比喩する須郷に、サスケは内心で呆れかえると共にその精神の危険性を改めて感じていた。危険な思考だけでなく、なまじ頭が良いこの男を野放しにし続ければ、大惨事に発展する可能性も大いにある。前世のうちはイタチとしての忍時代にも、このような手合いを暗部の任務で幾人も屠ったことのあるサスケには、須郷という人間が内包する危険性を、より一層現実味を帯びて感じることができたのだった。

 

「さて!君達の魂を改竄する前に、楽しいパーティーと行こうか!」

 

 尚もハイな状態で続ける須郷が高らかにそう宣言すると共に、指をパチンと鳴らす。すると、深い闇に覆われた天蓋から二本の鎖が降ってくる。先端には手錠のような、鎖と同質の金属製リングが付いている。須郷はサスケと同様に地面に突っ伏して動けないアスナの両手にそれらのリングを嵌めると、鎖を操作して明日奈の身体を爪先が地面につくかどうかの高さに吊るし上げる。

 

「ハイ!」

 

「っ!」

 

 そして、立てない程の重力がかかっていた明日奈の身体に、さらなる重圧をかけたのだろう。彼女の表情が、さらなる苦痛に歪んだ。

 

「いい!いいねぇ!やっぱりNPCの女じゃそんな顔は出来ないよねぇ……」

 

 明日奈の苦悶の表情がさぞ愉快だったのだろう。須郷は醜悪な笑みを浮かべて哄笑した。また、彼女を助けに来たサスケが地面に這い蹲り、手も足も出ない状況にあることが嘲弄を助長しているのだろう。調子に乗った須郷は、身動きできない明日奈の髪の匂いを嗅ぎはじめた。

 

「いい香りだ……現実の明日奈君の香りを再現するのに苦労したんだよ……病室に解析機まで持ちこんだ僕の努力を評価して欲しいね……」

 

「うぅ……」

 

 鎖に吊るされる苦痛と、須郷が自身の匂いを嗅ぐ不快感に、明日奈の顔が歪む。抵抗する術の無い状況だが、心までは屈してはなるものかと、明日奈は自分に近づく須郷の顔を侮蔑と嫌悪に満ちた瞳で睨みつける。須郷に対する憤怒と、サスケが来たことによる希望が、挫けそうになる明日奈の精神を支えていた。

 

「今僕が考えていることを教えてあげようか?ここでたっぷり楽しんだら、君の病室へ行く。大型モニターに、今日の録画を流しながら、君ともう一度じっくりと楽しむ……君の本当の身体でね」

 

 その言葉を聞いた途端、明日奈の顔が恐怖に歪んだ。無理も無い。須郷はこれから仮想世界で心の純潔を奪い、続いて現実世界で肉体の純潔を奪おうとしているのだ。しかも、思い人であるイタチことサスケの前で。システム管理者である須郷の前では、自分もサスケも無力に等しい。故に抗う術は無く、明日奈の表情は絶望の色に染まっていく。このまま放っておけば、心が挫け果ててしまうだろう。

 

「醜いな」

 

 そんな時だった。この世界の絶対的存在たる須郷に向けて、これ以上無い程に冷え切った侮蔑の言葉が投げられたのは、サスケだった。明日奈と同様、絶望的な状況にあっても、サスケは微塵も動揺した素振りを見せない。そして、その姿は彼を最後の希望と信じて疑わなかった明日奈が何より望んだ姿でもあった。

 

「醜い……イタチ君。君は今、誰に向けてそんな言葉を放ったのかな?」

 

「お前以外に誰がいる?意にそぐわない物事が起これば悪辣な手段でそれをねじ曲げ、従わない者が現れれば、甚振り虐げて快楽を見出す…………まるで幼稚だ。子供と大して変わらん。ましてや、自らを“神”と称し、己を律する意志を持たずに権限を振るう……貴様の精神は、醜いとしか形容できん」

 

 サスケの口から出た容赦ない批判に、須郷はこめかみをぴくぴくと震わせる。先程までのハイテンションから一転、サスケの挑発に怒りを覚えていることは明らかだった。そんな須郷に対し、サスケは眉一つ動かさずに立ち上がろうとする。

 

「この程度のシステム権限で、俺をどうにかできると思ったか?」

 

「貴様ぁ……この僕に対して、そんな口を利いて良いと思っているのかぁああっ!!」

 

 重力に逆らって立ち上がったサスケの腹に、須郷の蹴りが炸裂する。衝撃にバランスを崩しかけるサスケだが、どうにか踏み止まる。本来ならば立てない程の重力の中でよろめきながらも二本の足で立って見せるその姿に、須郷は苛立ちを募らせる。

 

「それで終わりか?」

 

「チィッ……図に乗るなこのゴキブリがっ!システムコマンド!オブジェクトID『エクスキャリバー』をジェネレート!」

 

 須郷の手に現れたのは、サスケとリーファ、ランが地下迷宮『ヨツンヘイム』で偶然にも発見したレジェンダリィ・ウエポンの『エクスキャリバー』だった。ALO最強と目されるユージーンが使う『魔剣グラム』と同等以上の力を持つとされる剣を前にしても、サスケの表情は全く揺るがない。システム管理者としての権限とその優位性をいくらひけらかしても、まるで動じないサスケの姿に怒りを覚えた須郷は、さらなるシステムコマンドを唱える。

 

「システムコマンド!ペイン・アブソーバ、レベル8に変更!」

 

 須郷の手元に現れたウインドウ、そこに記されたメーターが、『8』の数字に引き下げられる。『ペイン・アブソーバ』という名前から、サスケはそれが何のメーターなのかは予想がついた。須郷はメーターの変更を確認すると、にやりと笑って剣を振り翳す。

 

「そぉらぁっ!」

 

「……!」

 

「イタチ君!」

 

 須郷が振り上げたエクスキャリバーの一振りによる袈裟斬りが、サスケに炸裂する。血こそ流れないが、血のように赤いライトエフェクトがサスケの胸に現れる。次いで、サスケの仮想の肉体を、本来感じない筈の鈍い痛みが走った。

前世で受けた痛みには及ばないが、桐ヶ谷和人としての現世では初めての、刀剣で傷付けられた痛みに、サスケの表情が僅かに歪む。今まで無表情だったサスケの顔に少しばかり苦悶の色が浮かんだことで、須郷が再び醜悪な笑みを浮かべる。

 

「痛いだろう?だが、まだつまみ二つだよ。これから段階的に強くしてあげるから、楽しみにしたまえ。まあ、レベル3以下にすると、現実の身体にまで……」

 

「この程度か?」

 

「……何?」

 

 仮想世界では本来有り得ない筈の痛覚が走ったのだ。常人ならば、恐怖して然るべきこの状況において、しかしサスケはやはり動じなかった。それどころか、須郷を挑発までして見せている。

 

「この程度かと聞いたんだ。安全装置で温くなった痛みで、俺を屈服させられるとでも思っているのか」

 

「こんの……クソガキがぁっ!ペイン・アブソーバ、レベル6に変更!」

 

 再度ペイン・アブソーバの操作ウインドウを呼び出し、そのメーターをさらに下げる須郷。エクスキャリバーを突きの構えで、怒りのままにサスケの腹部を貫く。

 

「どうだ!少しは思い知ったか、このクズが!」

 

「……何度も言わせるな。安全装置越しの痛み程度で、俺が根を上げることなど有り得ん」

 

「調子に乗るなクソが!これでどうだぁぁああ!!」

 

 常人ならば、苦痛に顔を歪ませて恐怖するばかりか、発狂してもおかしくない筈のこの状況。だがサスケは、まるで痛くも痒くもないと言わんばかりの反応しか見せない。そしてその姿は、須郷の神経を相当逆撫でだろう。先程と同様、エクスキャリバーを振り翳してサスケに斬りかかっていく。それでもなお反応を示さないため、須郷はさらにペイン・アブソーバのメーターを引き下げはめった斬り、めった刺しにする行為を繰り返していく……

 

(まだだ……まだこの程度で倒れるわけにはいかない……!)

 

 ペイン・アブソーバのレベルは既にゼロとなっているのだろう。文字通り、身を切るような痛みが全身に走り、足元がふらつきそうになる。忍としての前世を歩んでいた頃には、万華鏡写輪眼の瞳術発動に際して細胞一つ一つが悲鳴を上げるような痛みを経験したサスケである。本来ならば、どれ程の激痛に見舞われようが、気を失う事は無く、ましてや苦悶の声を上げることすら無い。だが、仮想の肉体であるアバターのダメージ蓄積は現実世界の肉体とは勝手が違う。激しく繰り出される刺突・斬撃に、アバターの肉体がサスケの意志とは無関係にぐらつく。

だが、ここで倒れるわけにはいかない。サスケが須郷の与える苦痛に屈した時、明日奈へと次に矛先が向けられるのは明らかだからだ。明日奈を含め、SAO未帰還者全員を救うと決意した以上、竜崎とコイルが現実世界からALOの全システムを掌握するまでは持ち堪えなければならない。その決意が、この世界の絶対の理たるGM権限を持つ須郷の前でサスケが立ち続けられる理由であり異議なのだった。

 

 

 

――――どうして、そうまでして立ち続けるんだい?

 

 

 

 須郷から幾十とも知れない斬撃を浴びた時、唐突にサスケの耳にそんな言葉が聞こえた。否、その声は耳で聴覚したというよりも、頭に直接響いたかのように感じられた。いきなり、何者とも知れない声に問いかけられたサスケは、しかし冷静に、自身もまた心の声で答えた。

 

(それが、かつて俺がすべきことだった……そして、今すべきことだからだ……!)

 

――――君一人だけ頑張って、彼を倒せるのかい?君の目の前にいるのは、システム管理者なんだよ?

 

(だとしても、今の俺は一人じゃない。信じるべき仲間達がいる……だからこそ戦える……忍として!)

 

――――忍……でもそれは、ゲームの中だけの話だ。並み居るモンスター相手に無双を誇った君でも、ゲームマスターの前では無力に等しい。それでも、諦めないのかい?

 

(忍とは、ただの戦闘巧者ではない……その本質は『忍び耐える者』だ!諦めない……それが、俺が選ぶべき道だった!)

 

 ――――どうあっても、システムには屈しない。その精神が、君を突き動かしているんだね。なら、僕にも見せて欲しい。システムを上回る人間の意志を

 

 

 

……異世界の忍である、うちはイタチの力を!

 

 

 

 

 

 須郷によるサスケへの一方的な制裁が加えられることしばらく。サスケが受けた斬撃は三桁に及ばないまでも、ペイン・アブソーバのレベル0で受け続けることによるダメージは、常人ならばショック死してもおかしくないレベルに達している。エクスキャリバーを振り回してサスケに斬りつけている須郷自身も、大分息が上がっている。

 

「ハァ……ハァ…………これだけ食らえば、流石に意識は保てまい……ようやく、この小憎らしい小僧に引導を渡せる!」

 

「やめなさい!イタチ君、しっかりして!イタチ君!」

 

 肩で息をする須郷の目の前に立つサスケは、完全に沈黙している。意識を失った状態で立っているように見えるサスケに、須郷は止めの一撃を加えるべく剣を振り上げる。明日奈の悲鳴がこだまするが、須郷は目の前の敵を斬殺することに夢中で気付かない。気付いたとしても、愉悦に醜悪な笑みを浮かべてそのまま斬りかかっていたことは間違いないが。

 

「死ねぇぇえええ!」

 

「いやぁぁあああ!」

 

 剣を振り下ろす須郷と、鎖に吊るされた状態でその様子を見せられ、悲鳴を上げる明日奈。二人とも、サスケの身体がエクスキャリバーの刃に両断される光景を想像した。

 

「!?」

 

 だが、その光景が現実のものとなることは無かった。須郷が振り下ろしたエクスキャリバーを握る右手が、サスケによって受け止められたのだ。先程まで人形のように動かなくなっていた筈のサスケが、いきなり動き出し、須郷と明日奈の顔が驚愕に染まる。だが、それだけで終わらない。次の瞬間にはサスケの口から、さらに驚くべき言葉が放たれる。

 

「システムログイン。ID『ノアズ・アーク』。パスワード『Old Time London』」

 

「な、何っ!……何だそのIDは!?」

 

 サスケがIDとパスワードを唱えると共に、その周囲に数えきれない程のシステムウインドウが展開される。全く未知のIDでありながら、最高位の管理者たる自分と同レベルと一目で分かる権限を行使しているのだ。それも、プレイヤーが展開するものではない、管理者が使用するタイプのものである。それを見た須郷の顔に、驚愕に加えて焦りを見せ始める。

 

「くっ……そんな虚仮威し!」

 

 即座に須郷も己の権限を発動してサスケを排除しようと動きだす。だが、サスケはそれより早く、さらなるコマンドを唱えた。

 

「システムコマンド、スーパーバイザ権限変更。ID『オベイロン』をレベル1に」

 

「んなっ……!?」

 

 そして、消滅する須郷のウインドウ。須郷は目の前で起きたことが信じられず、左手の指を振ってウインドウを必死に呼び出そうとするが、指は空を切るだけで何も起こらない。

 

「僕より高位のIDだと!?有り得ない……有り得ない……僕はこの世界の支配者……創造者だぞ!この世界の帝王……神……」

 

「醜いな」

 

 先程まで我が物顔で行使していた権限が消滅したことで焦燥と苛立ちを露にした須郷の怒声が響く。尚も自らを『支配者』、『神』と称して奢り高ぶる須郷を、サスケは一言で切って捨てた。

 

「何度も言わせるな。ゲームマスターとして、この世界を管理する立場を支配者だの神だのと幻視して己に酔い痴れる……妄信も大概にしろ。茅場晶彦の幻影を追い掛けて馬鹿踊をする虚構の王、それが貴様だ」

 

「茅場……そうか、分かったぞ!そのIDは、やっぱりあいつのものか!」

 

 サスケと、その背後にいると予測する人物を幻視しながら歯軋りする須郷。怒りのままに、虚空へ向けてエクスキャリバーを振るう。

 

「なんで……なんで死んでまで僕の邪魔をするんだよ!いつだって何もかも悟ったような顔しやがって!僕の欲しいもの端から攫って!!」

 

「だから、この世界を手に入れようとしたのか?」

 

 血走った須郷を前に、サスケは全く変わらぬ表情で淡々と言葉を紡ぐ。その澄ました顔が、茅場晶彦のそれと重なり、須郷の苛立ちを助長する。

 

「茅場晶彦を超えるために、自らも仮想世界を創造し、我が物顔で王だの神だのと自称して君臨。さらにはそこに住まう人間を利用して、人の道を外れた研究を完成させようとした……茅場晶彦という人物が持っていた物を自分の物にしたことで、あの人を超越したつもりなのだろうが、ただ手に入れただけで、貴様自身は何一つ進歩していない。その本質は、虚飾に塗れた薄汚いコソ泥と変わらん」

 

「このガキ……僕に向かって……!」

 

 侮蔑と嫌悪を露に、須郷を酷評するサスケだったが、心のどこかでは須郷に同情している面もあった。他者の力を自分の物と考え、自身に足りない物を余所から集めて自身に上塗りする。その行為は、うちはイタチに最初の転生を経験させ、忍世界を戦乱に陥れた黒幕の片割れを思い出させた。全てを自分の力で解決できると、自分や周囲の人間に嘘を吐いて失敗を犯した自分とよく似た男――薬師カブトを。

だが、今のサスケは万華鏡写輪眼を持っておらず、禁術『イザナミ』をもって凝り固まった考えを正すことはできない。故に、全くの無駄であることを承知の上で、最後の忠告を口にすることにした。

 

「いい加減に目を覚ませ。仮想世界やそこに生きる住人を奪い、手中に収めたところで、茅場晶彦を超えることはできん。何故ならその行為は、茅場晶彦という存在による自身の上書きに過ぎないからだ。貴様は所詮、亡霊の幻影に縛られていただけだ。だからこうして失敗した。今の自身の姿を見つめ直さなければ、己を見失い……失敗し続けるだけだ」

 

「黙れ!黙れ!黙れぇぇええ!!」

 

 半狂乱状態の須郷の姿を見て、最早これ以上の問答は無意味と悟ったサスケは、醜くも憐れなこの男の魂に引導を渡すことにした。

 

「システムコマンド、ID『オベイロン』ペイン・アブソーバ、レベル0に変更」

 

「なっ……!?」

 

 癇癪を起して地団太を踏む須郷だったが、サスケの宣言に顔を青くする。対するサスケ当人は、冷酷な表情のまま腰に差した剣を引き抜いた。

 

「決着を付ける時だ。前世という名の鍍金に覆われた忍と、亡霊の幻影に踊る虚構の王のな」

 

「くぅっ……」

 

「逃げ場は無いぞ。尤も、茅場晶彦ならば、この程度の修羅場で臆することなど無いだろうがな」

 

「このっ……畜生がぁぁああ!!」

 

 先程までの優位がひっくり返り、逆に追い詰められた須郷が、自棄を起こしてサスケに向けて剣を振り下ろす。だが、如何に振り翳される刃が伝説級武器といえども、滅茶苦茶な太刀筋で繰り出す斬撃などサスケにとって脅威になり得ない。振り下ろされるエクスキャリバーの太刀を軽く弾く中、反撃に転じる。

 

「痛ぁっ!」

 

 ほんの少し頬を掠めただけの切り傷だったが、ペイン・アブソーバのレベル0の境地における痛みに慣れない須郷には相当堪えたのだろう。傷無き傷の痛みに恐怖する須郷に対し、サスケは容赦なく追撃を加える。

 

「ひぃ……ひゃぁぁああ!」

 

 サスケの繰り出す剣戟を前に、須郷の身体が手首、足首、肘、二の腕、膝、脹脛と細切れにされていく。血の代わりに散る赤い光の残滓が宙を舞うと共に、凄まじい痛みによって声にならない須郷の絶叫が辺りにこだまする。足を断たれ、腕を失い、達磨となって地面にのたうつ須郷を前に、しかしサスケは無慈悲だった。

 

「これで終わりだ」

 

「ぐぅう…………ぎゃぁぁああっっ!」

 

 サスケの振り下ろした一撃によって、須郷の身体が頭頂から垂直に一刀両断される。この世界に『妖精王』と称して君臨していたゲームマスターが、断末魔の悲鳴と共にその身体をポリゴン片へと変えて爆散・消滅する。

 SAO未帰還者三百名を閉じ込め、その魂を弄び、自らの栄達に利用しようとした黒幕・須郷伸之が、たった一人のプレイヤーによってシステム権限という絶対の力を撃ち破られ、敗れた瞬間だった。

 



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第七十四話 血に染まる雪

 管理者である須郷を討ち果たしたサスケは、鎖で吊るされた明日奈のもとへ歩み寄る。上空の闇から伸びる鎖を、剣を振るって断ち切り、その拘束を解除する。須郷の重力魔法については、発動者が消滅した事で効果が切れたのか、明日奈の身体が地面に叩きつけられることはなく、その身体はサスケによって受け止められた。その温かい感触に、明日奈は安心感を得る。だが、同時に須郷にめった斬りにされていたその身体が本当に無事なのか、心配になる。

 

「イタチ君、大丈夫?」

 

「大したことはありませんよ。かなり危なかったのは間違いありませんがね」

 

「……ごめんね。また、私のせいで……」

 

「明日奈さんが謝る必要などありませんよ。SAOでの戦いも、この世界へ来たのも、全て俺の意志です」

 

 須郷に斬り付けられた箇所に痛覚が残るのだろう。しかしサスケは何でも無い風を装って明日奈の言葉を否定した。アインクラッドで他のプレイヤーより付き合いが長かった明日奈には、サスケが無理をしていることがなんとなく分かった。気まずい沈黙が流れていたが、明日奈をこの場所からログアウトさせる方が先と考えたサスケが口を開く。

 

「明日奈さん、いつまでもここにいるわけにはいきません。すぐにログアウトさせます。現在時刻は夜ですが、看護士の方を呼べば大丈夫でしょう」

 

「うん……あの、イタチ君」

 

 傍らで左手を振って管理者のシステムを操るサスケへ、明日奈から声がかけられる。サスケは手を止め、視線をシステムウインドウから明日奈へと向けた。

 

「お願いがあるんだけど……いいかな?」

 

「なんでしょうか」

 

「目が覚めてから夜中に一人って……ちょっと心細いから……その、出来ればでいいんだけど……私に会いに来てくれないかな?」

 

 明日奈がサスケに望んだのは、現実世界で眠る明日奈の病室へ目覚めた自分を迎えに来て欲しいというものだった。無論、無理を言っているのは明日奈も承知している。病院の面会時間は既に終了している上に、時間は夜中なのだ。未成年の和人の外出を、家族が許すとも思えない。不安な表情を浮かべる明日奈だったが、サスケは数秒考えた後、変わらぬ表情のまま口を開いた。

 

「構いませんよ」

 

「……え?」

 

「現実世界へ戻ったら、明日奈さんのもとへ会いに行きます」

 

 てっきり拒否されると思っていた頼みだったが、サスケはあっさり承諾してくれた。呆然とする明日奈に、今度はサスケが不思議そうな顔をして問いかける。

 

「どうしたんですか?」

 

「えっと……本当に、来てくれって言ってくれるとは思わなくて……」

 

「……明日奈さんが目を覚ますのを確認したいだけです。今回須郷が起こした事件は、SAO事件の延長線上にあります。つまり俺の責任である以上、あなたの帰還を見届ける義務が俺にあると考えたからです」

 

「……そっか」

 

 明日奈の安否を確認する理由は、飽く迄責任感や義務感に由来するものだと述べるサスケに、明日奈は内心で溜息を吐いた。そもそも、アインクラッドという世界の終焉を見届けた際に告白した自分を、何故異性として意識しようとしないのか。疑問に思わないでもないが、それを考えたら限が無いことはアインクラッドで経験済みである。夜中に病室まで来てくれるだけありがたいと考え、明日奈はそれ以上口にしようとはしなかった。

 

「それでは、ログアウトさせます」

 

「うん。向こうに帰ったら、いっぱいお話ししようね」

 

「……そうですね」

 

 “お話し”という言葉を若干強調して話し、現実世界に戻った時に告白の答えを聞くことについて暗に念を押す明日奈。対するサスケも、無表情ながらもその意図を察したようで、間を置いて返事をした。そして、サスケがログアウトボタンをクリックすると共に、明日奈のアバターは光に包まれて消滅し、この世界からログアウト――現実世界へ帰還したのだった。

 

 

 

 明日奈のログアウトを確認したサスケは、未だ暗闇に包まれた空間の中で立ち上がると、底の知れない暗闇に向けて声を上げた。

 

「そこにいるのは分かっている。出てきてくれないか?」

 

 サスケの姿無き存在へかけた言葉は、しかししっかりと届いていたらしい。数秒の後には、虚空から突如光が発生し、人の姿を形作る。光が止んだその場所に現れたのは、十歳前後の少年だった。

 

「システム権限を俺に与えてくれたのは、君だな」

 

「その通りだよ」

 

 年相応の笑みを浮かべながら答える少年。その声は、須郷に斬り付けられていた自分の頭の中へ話しかけてきたのと同じだった。しかし、自分に味方して力をくれたこの少年に、サスケは警戒心を抱かずにはいられない。何故ならこの少年は、サスケの前世の名前を知っていたのだから。

 

「俺の前世を知っているようだが……君は何者なんだ?」

 

 身構えるように問いを投げたサスケに、しかし少年は苦笑するばかりだった。須郷より上位のシステム権限を持っていた謎の少年だが、どうやらサスケに危害を加えるつもりは全く無いようだ。

 

「僕の名前はノアズ・アーク。十一年前、ヒロキ・サワダに作られた“人工頭脳”だよ」

 

「ヒロキ・サワダ……まさか、C(コクーン)事件を引き起こした元凶の人工頭脳なのか?」

 

 『C(コクーン)事件』とは、九年前に発生したVRゲームを舞台に起こった大量殺人未遂事件である。SAO事件より以前の、仮想世界において起こった重大な事件だったが、同日に起こったゲームの開発会社の社長が起こした殺人事件とそのスキャンダルに埋もれ、風化された経緯がある。

その後、SAO事件の勃発によって、過去のVRゲーム関連の事件として注目を浴びたこの事件だが、犯人は人間ではなかった。VRゲームを開発したのと同社で過去に開発された『人工頭脳』が、二年前に開発社の手によって一般の電話回線へ脱走したものがシステムを乗っ取って引き起こしたのだ。システムを占拠した『ノアズ・アーク』を名乗る人工頭脳は、“日本のリセット”と称する目的のために、参加者が一人もクリアできなければ、ナーヴギアと同様に高出力の電磁波で脳を破壊すると宣告する。だが、このデスゲームは結果的に二人のプレイヤーがクリアに至ったことで、子供達は一人の死傷者も出すことなく全員解放され、『ノアズ・アーク』は自らを消去し、事件は決着したのだった。

この事件については、サスケもSAO事件からの帰還後、未帰還者についての情報収集を行う過程でその詳細を知るに至っていた。そのため、須郷やレクトの関連について強く疑っていた一方で、過去に事件を起こした人工頭脳が消滅したと見せかけて暗躍しているのではと考えたこともあった。結局、黒幕は当初の予想通り須郷だったのだが、容疑者として考えていた人工頭脳が今目の前に現れたことで、サスケは内心で動揺を覚えると共に警戒心を引き上げていた。そんなサスケの様子を見て、『ノアズ・アーク』と名乗った自称人工頭脳の少年は苦笑するばかりだった。

 

「僕のことを知っているみたいだね。けれど、あまり恐がらないでほしい。君に危害を加えるつもりは本当に無いんだ」

 

「なら、俺の質問に答えてもらいたい。何故、俺の前世の……うちはイタチの名前を知っていた?」

 

 赤い双眸を鋭く光らせながらノアズ・アークを見つめる視線は相変わらず険しい。どのような経緯かは分からないが、目の前の少年の姿をした人工頭脳は、サスケの前世である『うちはイタチ』の名前を知っているのだ。警戒を解くかについては、その経緯を聞いてから判断すべきとサスケは考えていた。

 だが、サスケが発した疑問に答えたのは、ノアズ・アークではなかった。

 

「それは、私が教えたからだ」

 

「!」

 

 暗闇の中から新たに聞こえた声……だが、その錆びた声色は聞き覚えのあるものだった。そして次の瞬間、ノアズ・アークと同様に虚空に発生した光の中から人形のシルエットを形作り、声の主は姿を現した。白いシャツにネクタイを締め、白衣を纏ったその男性の顔は、二年以上も前から見知った人物のそれだった。

 

「……成程、あなたでしたか。ヒースクリフ……いや、茅場晶彦さん」

 

 ノアズ・アークに続いてサスケの前に現れたのは、SAO事件の首謀者である茅場晶彦。SAO内におけるプレイヤーネームは、ヒースクリフ。奇しくもこの場に、C事件とSAO事件、仮想世界を舞台とした大事件を起こした主犯二人が揃ったことになった。

 

「久しいな、イタチ君。いや、今はサスケ君だったか?」

 

「サスケは前世の俺……うちはイタチの弟の名前です。この世界で活動するに当って、SAOと同じプレイヤーネームでは須郷に気付かれる可能性も僅かながらあったので。ここではイタチと呼んでください」

 

「そうかい。では、イタチ君。彼、ノアズ・アークが君の前世を知っているということなんだが、私が彼に話したからなのだよ」

 

「……俺の秘密を話したのは、あれが最期と思っていたからなのですがね」

 

 あまりみだらに自分のことを口外しないで欲しいとジト目で告げるサスケ改めイタチの言葉に、茅場は苦笑するばかりだった。秘密を話してもらったノアズ・アークも若干気まずそうな表情だった。

 

「それに関してはすまないとは思っている。だが、彼が君を助けてくれたのも、私が君と言う人物の特異性を語った故に興味をもったことが理由なのだよ。イーブンということにしてはもらえないかな?無論、君のことは私も彼も、これ以上広めるつもりは無い」

 

「……分かりました。それに……現実世界に肉体を持たないあなた達には、今更このことを伝えるべき相手もいないでしょうしね」

 

 イタチの言葉に、茅場は若干驚いた様子で目を丸くする。だが、それも数秒程度のこと。すぐに納得したような表情になった。

 

「やはり、気付いていたか」

 

「ええ。SAOというゲームの理に則るのならば、ゲームマスターとして敗北したあなたもまた、現実世界から永久にログアウトしなければならない……つまりここにいるあなたは、現実世界に肉体を持つ人間ではない」

 

「……その通りだ、イタチ君。成功率は千分の一にも満たなかったが、どうやら賭けに成功したようでね。今はこうして、正真正銘の“電脳”となったというわけだ」

 

 SAO事件は八千人近い生存者が現実世界へ帰還した今現在も、生存者三百名が未だに現実世界へ帰還していないことから、連日の報道を通じて多様な情報が飛び交っている。そんな中、主犯である茅場晶彦の行方については未だ不明とされており、その生死すら定かではない。

アインクラッド崩壊に明日奈と共に立ち合ったイタチには、茅場がログアウト後に自殺することを悟っていた。ならば今現在、目の前にいる茅場晶彦は何者なのか。こうして対話する上で違和感が全く無い点からして、茅場晶彦本人であることは間違いない。詳しい方法は分からないが、茅場は現実世界の肉体を死に至らしめながらも、その精神を電脳世界に残したのだろう。或いは、隣に建つノアズ・アーク同様、制作者の人格をコピーした人工頭脳なのかもしれない。

 

「彼、ノアズ・アークに出会ったのは、このアルヴヘイム・オンラインというゲームを見つけて間も無くの頃だった。彼は私とは別の目的があってこの世界……さらに言えば、須郷の研究を監視していたらしい」

 

「須郷の研究を?」

 

 須郷がSAO生存者三百名をこの場所へ監禁して人体実験染みた研究を行っていた目的は、コイルこと竜崎の調査や本人の証言により、人間の魂の直接制御を成し遂げるためということが明らかとなっている。だが、何故ノアズ・アークがそのような非人道的な研究に関心を持っていたのだろうか。そう疑問に思ったサスケの問いに、本人が口を開いて答えた。

 

「僕が須郷伸之を監視していたのは、彼が『魂の改竄』の延長線上で彼が行おうとしていた、『人工頭脳』の研究が目的だったんだ」

 

「人工頭脳……つまり、お前についての研究なのか?」

 

「その通り。僕の制作者であるヒロキ・サワダは、僕を発明すると同時に二つの指示を出したんだ。一つ目は、『日本のリセット』」

 

「日本の……リセット?」

 

「日本を担う二世・三世が、親の力に頼らずに物事に立ち向かうための意志を育て上げること。九年前に起こした『C事件』の目的がこれだね」

 

 C事件を起こした目的を聞いて、イタチは得心した様子だった。事件の舞台となったVRゲーム『コクーン』の体験版をプレイした子供は全員、医者や官僚といった日本の次世代を担う人間だった。恐らくノアズ・アークは、それら子供達を親の手の届かない場所に監禁してデスゲームを課す事で、自らの力で進む意志力を身に付けさせたかったのだろう。親の敷いたレールそのままの人生を歩むという惰性からの脱却、それはまさしく、『日本のリセット』と呼べるものだったのだ。

 だが、今問題なのは、既に達成された一つ目の目的ではない。今現在、須郷の研究の監視を通して取り組んでいた、『二つ目の目的』である。先を促すイタチの視線に、ノアズ・アークは頷いて続けた。

 

「そして二つ目が――――『人工頭脳開発の監視』なんだ」

 

「人工頭脳……つまり、お前自身という技術の悪用を阻止すること……それが目的なのか?」

 

「その通り。僕の制作者であるヒロキ・サワダは、個性を認めない日本の教育に不安を覚えていたのと同時に、自分の発明である人工頭脳……つまり僕が悪用されることを懸念していたんだ。人類史上最高の発明と云われていただけあって、下手をすれば世界を破滅に追いやる可能性すらあると危惧していた……データの一切を消去した上で自殺したのも、人工頭脳そのものの開発を遅らせることが目的だったんだ。そして、ノアズ・アークが第一の目的を達した後、“劣化コピー”である僕を作るように指示を出した。第二の目的を果たすべく、電脳世界へ密かに僕を送り込み、その後の人工知能開発の監視をしてきたというわけさ」

 

「劣化コピー?」

 

「うん。今の僕は、オリジナルのノアズ・アークのように一年で五年分成長することはできない……いや、既に精神年齢はAIとしてあの日から固定されている。情報を収集・記録したり、システムに干渉する能力はあっても、その在り様はヒロキ・サワダが設計した完璧なボトムアップ型人工頭脳とはかけ離れた……いわば、劣化版なんだ」

 

 自嘲するような口調で告げるノアズ・アーク。だが、自分自身を蔑む悲壮感のようなものは感じられない。コピーとはいえ、人格はコピー元たるオリジナルのノアズ・アークの開発社であるヒロキ・サワダのものに違いない。人間としての心を持ちながら、人間ではない。そんな矛盾を抱えながら、しかも人格は十歳のままで、九年もの長きに渡り電脳世界を旅してきたのだ。その孤独と葛藤は、想像を絶するものだろう。或いは、そのような重圧すらものともしないあたり、人間や人工頭脳といった存在から、精神が乖離しているのかもしれない。

 

「最悪、僕が現実世界の人間に捕まったとしても、オリジナルのノアズ・アークのデータを持っていない以上、ボトムアップAI作成に至ることはできないし、得られるデータは無い。それに、自壊システムだけは健在だから、まかり間違っても僕と言う技術が悪い大人達に渡ることは無いのさ」

 

「……成程。経緯は大体分かった。それで、今回は私利私欲のために人工頭脳の研究開発を計画していた須郷を止めるための力を俺に与えたのか」

 

「君のことは茅場さんからよく聞いていたからね。僕自身もこの目で確かめてみたくなったんだ。尤も、余計なお世話だったみたいだけどね」

 

 ノアズ・アークが発した最後の一言が引っ掛かったが、その意味を理解するのには然程時間を要さなかった。“余計なお世話”とはつまり、ノアズ・アーク以外にイタチを助けようと動いている人物の存在を意味する。

 

「竜崎とファルコンがシステムを掌握したか」

 

「明日奈君を除いたSAO未帰還者も全員、解放されているようだ。そろそろ君も現実世界に戻らねばならないのではないかね?」

 

 当初の予定通り、現実世界からALOの全システムを首尾よく掌握したことを知らされ、イタチは茅場の言う通り自分もログアウトしなければと考える。何より、現実世界では明日奈が自分を待っているのだ。

 

「そうですね。ではそろそろ、俺も現実世界へ帰らせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

 

「ああ。だが、最後に一つ、私の頼みを聞いてくれないだろうか?」

 

 ログアウトしようとする異達を呼び止める茅場に、イタチはシステムを操作する手を止める。恐らく、彼の言う頼みこそがノアズ・アークに手を貸した理由なのだろう。須郷を打倒するための手引きをしてくれた借りもあるので、イタチは話だけでも聞くことにした。

 

「何を要求するのですか?」

 

「なに、簡単なことだ。君にこれを持ち帰って欲しいのだ」

 

 そう告げると共に、上空の暗闇の中から銀色に光る卵のような形をした何かがイタチのもとへ落ちてくる。両手でそれを受け止めようとしたところ、物体はそのままイタチの掌へと収まった。茅場がイタチに現実世界へ持ち帰らせようとしているものである以上、何か重大な秘密があることは間違いない。

 

「これは?」

 

「それは、『ザ・シード』……世界の種子だ」

 

「世界の……種子?」

 

「芽吹けばどのようなものかは分かる。その後の判断は君に託そう。消去して忘れるもよし……だが、もし君が、あの世界に憎しみ以外の感情を残しているのなら……」

 

「茅場さん、外部からのシステム干渉がこちらへ迫っています。そろそろ時間みたいですね」

 

 どうやら、イタチがログアウトするよりも前に、茅場とノアズ・アークへタイムリミットが訪れたらしい。話せるのもここまでか、と肩を竦める茅場。どうやら、イタチへ渡した『ザ・シード』なるものについては、現実世界へ帰ってから自分で調べるほかなさそうだ。

 

「――では、私達は先に行くとしよう。いつかまた会おう、うちはイタチ君」

 

「僕も行くね。君に会えて、良かったと思う。また会えることを信じているよ。それから、コナン君……工藤新一君にもよろしく伝えておいてね」

 

「コナン……?」

 

 ノアズ・アークが去り際に口にした、イタチと同じくSAO生感謝のプレイヤーネームに若干驚きを覚えるイタチ。だが、当人との関係について訊ねる前に、ノアズ・アークは茅場と共に、闇の奥に広がる光の中へと溶け込み、この世界から完全に消えてしまった。

後に広がったのは、須郷が登場する前の、明日奈が閉じ込められていた鳥籠の光景だった。どうやら、元の場所へと戻れたらしい。システム管理者である須郷が去った以上、すぐさま安否を確認せねばならない、名目上娘の名前を呼ぶ。

 

「ユイ、無事か?」

 

「パパ!」

 

 イタチの呼び声に応えるように、眼前の空間から光が迸ると共に黒髪の少女、ユイが姿を現す。勢いよく抱きついてきた彼女を正面から受け止め、そっと地面へ下ろす。

 

「無事なようで何よりだ」

 

「はい。突然アドレスをロックされそうになったので、ナーヴギアのローカルメモリに退避したんです。それより、ママは……」

 

「明日奈さんは大丈夫だ。既にログアウトしている」

 

「そうですか……本当に良かったです」

 

 心底安心した様子のユイの頭を撫でつつ、イタチは常の無表情を少しばかり和らげて微笑みかけてやる。これでSAO未帰還者は全員解放できたが、まだ懸念は残っている。

 

「一先ず危機は去ったが、この世界はしばらく閉鎖されるのは間違いないな……しばらくはお前に会えないかもしれないな」

 

「私のコアプログラムは、パパのナーヴギアにあります。いつでも一緒です」

 

「そうか。なら、別の方法を模索してお前に会いに行くとしよう」

 

「はい――パパ、大好きです!」

 

 目に薄ら涙を浮かべながら、感謝を述べるユイ。自分をパパと慕い、信じ続けてくれる目の前の少女が、心の底から愛おしいとイタチは感じた。この世界は須郷の悪行が明るみに出れば、間違いなく封鎖されるだろうが、必ずユイとまた会えるための方法を探し出そうと、心に誓うイタチだった。左手を振ってシステムメニューを呼び出し、ログアウトボタンを押す一歩手前で、その身体を優しく抱きしめ、頬にそっと口づける。その後、イタチは止めていた指を動かし、ログアウトするのだった。

 

 

 

 

 

 未だに残る、現実世界まで引き摺っている痛覚に倦怠感を覚えつつも、和人は閉じていた瞼を開いた。現実世界へ戻って最初に目に入ったのは、心配そうな表情でベッドに横たわる自分を見下ろす義妹、直葉の顔だった。

 

「お兄ちゃん、大丈夫!?」

 

「直葉……?」

 

「部屋に勝手に入ってごめん……でも、中々帰って来ないから、心配になって……でもそしたら、痛そうに呻くんだもん。SAO事件の時だって、あんなこと無かったのに……でも、本当に良かった…………帰ってきてくれたんだね、お兄ちゃん」

 

 どうやら、須郷の痛覚操作による影響は、現実世界の和人の身体の方には顕著に表れていたらしい。痛み自体は忍時代の前世に慣れているが、精神が現実世界の身体から切り離された状態にある条件下では、痛覚による反応は押し殺せなかったようだ。

 SAO事件に続き、心底心配をかけてしまったことに申し訳なくなる和人。直葉は今度こそ無事に帰ってきてくれた和人に心底安心したのだろう。和人に抱きつき、今そこにある存在を確かめようとした。

 

「全部……終わったんだよね」

 

「ああ。ようやく、俺も現実世界に……直葉のいる場所へ帰ってくることができた。明日奈さんも、コナン……新一も、皆解放された筈だ」

 

「良かった……信じていたよ、お兄ちゃんならきっと成し遂げられるって」

 

 自身へ抱きついてくる直葉の身体を、和人はALOで明日奈やユイにしてやったように優しく抱き返す。仮想世界でぶつかり合い、轡を並べて戦い、以前よりも深くなった絆を、その温もりの中に感じた。

 

「……俺一人の力じゃない。皆がいたから、戦えた。直葉……お前がいたから、最後までやり遂げることができたんだ。ありがとう」

 

「あたしも……お兄ちゃんの役に立てて嬉しかった。お兄ちゃんと一緒の世界に立てて……本当に、嬉しかった」

 

 互いに抱きしめ合うことしばらく。いつまでもこうしているわけにはいかないと考えた和人は、直葉を起こしてベッドから立ち上がることにした。

 

「直葉。悪いが、俺はこれから行くところがある」

 

「明日奈さんのところ?」

 

「ああ。きちんと目覚めているか、どうしても確かめておきたい。そうだ、蘭にも連絡を入れておくといい。新一も目覚めている筈だからな」

 

 直葉へ答えを返す傍ら、ジャケットを着込み、手早く身支度を済ませると、和人は玄関へ向かって行った。明日奈のいる病院の面会時間は既に終了しているが、ナースステーションに看護士が居る筈である。SAO未帰還者が目覚めたとなれば、会える可能性は高い。

 

「気を付けてね。あと、明日奈さんにもよろしく言っておいてね」

 

「ああ。今度、必ず紹介するさ」

 

 上着を着込んで玄関まで見送りに来た直葉へそう返すと、和人は自転車へ跨って病院へと走り出した。凍えるような寒さに加え、雪まで降って来て、未だ残る痛覚を増幅して和人の身体を苛む。だが、この程度の痛みは前世で慣れている。和人は体に鞭打ち、スピードを上げて、明日奈が目覚めているであろう病院目指して走り出すのだった。

 

 

 

(……ようやく到着か)

 

 雪の中を走り続けることしばらく。遂に和人は明日奈の入院している病院へと辿り着いた。寒空の下、ほっと一息吐くのも束の間。予想通り、既に正門は閉ざされており、中へ入るためにはパーキングエリア方面にある職員用の小さなゲートを迂回しなければならない。和人は早速、自転車を目的の駐車場へ走らせ、駐車や通行の邪魔にならない端へ自転車を停めた。そして、病院へと向かうべく駐車場を横切ろうとしたその時、ポケットに入れていたスマートホンが振動した。

 

(……竜崎か?)

 

 ALOのシステム基幹部へと侵入し、囚われていたSAO生還者三百名を解放するという大仕事を終えたこのタイミングでの連絡である。誰から連絡元はすぐに見当がついた。ポケットから出してみれば、予想通り竜崎からの電話だった。和人は通話ボタンを押し、スマートホンを耳に当てながら歩き出した。

 

「俺だ。何かあったか?」

 

『申し訳ありません、和人君。レクト・プログレスのALOのシステムは掌握できたのですが、主犯の須郷はこちらが確保する前に、本社を出ました』

 

「……須郷が?」

 

 広大な駐車場を横切りながら、竜崎の報告を受けて僅かに目を見開く和人。ペイン・アブソーバをレベル0にした状態で手足を切り刻まれたのだから、ショックで気絶していておかしくないと考えていただけに、動けたことは驚きだった。

 

『こちらでも捜索はしておりますので、今日中には捕まる筈です。しかし、あなたのことを憎んでいるとすれば……』

 

 須郷の逃亡という予想外の事態に伴ってなされた、竜崎からの警告。だが、それを和人が最後まで聞くことは無かった。駐車場に停まっている車の影に、人の気配と共に猛烈な殺意を感じたのだ。

咄嗟に身構えようとする和人。だが――――もう遅い。本来の和人の反応速度ならば、十分に間に会っただろう。だが、仮想世界への長時間連続ダイブと過酷な戦闘による精神疲労、そして現実世界の身体に未だ残留する激しい痛覚で鈍くなった動きが、全てを手遅れにした。そして、和人の運命の行く先は……

 

 

 

 

 

 

パァン――――――

 

 

 

 

 

 竜崎からの通話を遮る、乾いた炸裂音。忍としての前世をもつ和人ですら、何が起きたのかを即座に理解することはできなかった。ロケット花火の弾けた音や、シャンパンの栓を外す音に若干似ていた気がしたが、ここには花火もシャンパンも無い。ならば、この音の正体は……

 

「……っ!」

 

 そこまで考えたところで、和人の身体がぐらりと傾いた。バランスを崩した和人は、すぐ近くに停めてあったワゴン車によりかかることで姿勢を維持しようとした。次いで、腹部に走る、新たな激痛を感じた。徐に痛みを感じた箇所に手を当ててみると……何故か、温かい。腹部に触れた手を顔の近くに持っていく。開いた掌は、紅葉を彷彿させる真紅に染まっていた。そして、鼻を突く鉄くさい臭いがそこからした。

 

(まさか…………)

 

 手をべっとりと濡らした赤い液体の正体は、紛れも無く血液。そして、それは自分の腹部から流れている。状況を理解するまでにかかった時間は数秒にも満たないが、忍の前世を持つ和人にしては遅すぎる。それ程までに、和人は全身に激痛を感じ、思考を鈍らせていたのだ。そして、何故このような状態になったのか。その元凶は、すぐに分かった。

 

「遅いじゃないか、桐ヶ谷君」

 

平静を装っているようだが、隠しきれない憎しみの色が、その声には含まれていた。和人がワゴン車によりかかりながら顔を上げたその先にいたのは、コートを羽織った眼鏡の男性。髪は激しく乱れ、ネクタイはほとんど解けて首からぶらさがっている。そして、眼鏡の奥に見える眼光は、怨嗟と憎悪に血走っていた。

 

「僕が風邪引いちゃったらどうするんだよ」

 

「須郷……!」

 

 竜崎からの連絡が入った時点で、ここに現れることは容易に予期できた、今回の事件の主犯。和人への殺気を滾らせながら現れたその右手には、禍々しく黒光りする凶器――拳銃が握られていた。

 



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第七十五話 狭間の世界で

 雪の降る寒空の下、和人はどくどくと流血する右脇腹を押えながら、自身に対する憎しみを燃やしながら近づいてくる男と相対していた。流れる血の量に比例して自分の身体が冷たくなる……即ち、死に近づくのを感じる。だが、今は状況を打開する術を考えねばならない。

 

「酷いことするよねえ……桐ヶ谷君。まだ痛覚が消えないよ。まあ、僕の場合は良い薬がいくらでもあるからね」

 

 そう言うと、須郷はひけらかすようにポケットからいくつかのカプセルと錠剤を取り出して口の中へ放り込んだ。どうやら、仮想世界で体感した痛覚を和らげる薬らしい。これを服用したお陰で、通常ならば動けない筈の須郷がこの場所まで来ることができたのだ。

 

「君にはこんな薬は無いからね。僕以上に痛覚が残っているんじゃないかな?今の銃弾を避けられなかったのが、その証拠だね」

 

「…………」

 

 血走った興奮状態のまま、凶悪な笑みを浮かべる須郷を前に、和人は沈黙したまま目の前の脅威を排除するために思考を走らせる。だが、傷口からの出血は激しく、車に寄りかかった状態で立つのがやっとの状態。痛覚と寒さに加え、出血で身体は思う様に動かず、拳銃に対抗できる武器など持っている筈もない。

 文字通り絶体絶命の状況に立たされ、無表情ながら冷や汗を流す和人の姿に満足した様子の須郷は、右手に握った拳銃を見せびらかしながら口を開く。

 

「これが恐いかい?ふふ……やっぱり持ってきたのは正解だったよ。武道家の君を相手にするには、飛び道具がないと不利だと思ってね」

 

 痛覚を抑える薬剤を服用するだけでなく、ソードスキル作成に協力した武芸者を相手するために拳銃まで用意する周到さ。ログアウトした和人を襲撃しに来る時点で血迷っていることは間違いないが、相手の戦闘能力を正しく判断した上で拳銃まで持って来たのだ。和人を殺害するという行為に関しては、冷静に思考を巡らせることができていたのだろう。須郷という男が持つ執念には評価を改めさせられるが、今はそれどころではない。

 刻一刻と刻まれる死のカウントダウンを少しでも遅らせ、突破口を探るべく、和人は対話によって時間を稼ぐことにした。

 

「須郷……もう貴様は終わりだ。既にレクト・プログレスのシステムは俺の協力者が掌握した。お前の犯した人体実験の罪状も明日には露見する……俺を殺したところで、何も変わらんぞ」

 

「終わり?……何が?何も終わっちゃいないさ。僕を欲しいって言う企業はいくらでもあるんだ。レクトに保存したデータが取り押さえられたとしても、僕個人が所有するバックアップがある。これまでの研究によって蓄積したそれらを持って海外に飛べば、今度こそ僕は、本物の王になれる」

 

 頬を歪めて言い放つ須郷に対し、しかし和人の視線は冷淡だった。竜崎は今回のレクト・プログレスが管理するALOのシステムへの突入作戦を決行するに当り、警察を動かす用意を事前に済ませている。ファルコンが取得したデータを持ち込めば、逮捕状も簡単に取得できるだろう。家宅捜索を行えば、自宅に保存しているバックアップは容易に取り押さえられる上、天才ハッカーのファルコンもLに協力している以上、コンピュータ等に電子的に保管したデータは全て暴かれるだろう。

ハッキングという非合法な手段で取得した証拠だが、Lは手段を選ばない探偵として警察や政府に認知されているらしい。今回の未帰還者三百名の監禁事件はSAO事件と同レベルの重大な事件として認知されている以上、政府も警察も首謀者である須郷の逮捕には積極的に動いており……法律を逸脱した操作方法を取るLにも協力的な姿勢を示すことは間違いない。

 結論として、須郷伸之の未来はどの道破滅以外に有り得ないのだ。だが、須郷は己の栄達を一切疑っておらず、憎悪に満ちた狂気の視線を和人へ向ける。

 

「けれどその前に……邪魔をしてくれた君を殺すよ、桐ヶ谷君!」

 

「ぐっ……」

 

 再び鳴り響く銃声。須郷は和人の心臓を狙ったようだが、狙いは外れて和人の左肩を掠める。銃弾は和人が寄りかかっていた車の窓ガラスに蜘蛛の巣状の罅を入れると共に穴を開けた。和人は左肩を右手で押さえるが、身体が左へと傾き、倒れそうになった。

 

(……?)

 

 その時、車体に接触したズボンの左のポケットに違和感を覚えた。何かがポケットの中に入っている。一体、何だっただろうか。左手を須郷の死角になる位置に持ってきて、ポケットの中を探り、それが何なのかを確かめようとする。

 

(これは……)

 

「おや?……手が悴んで、狙いがぶれちゃったよ」

 

 須郷は拳銃を持っているものの、使い慣れているわけではないようだった。事実、拳銃を握る手は寒さと痛覚に震えていることに加え、構えがまるでなっていない。傍から見ても、素人が危なっかしい使い方だったことは明らかだった。

 だが、須郷はそれでも尚、銃口を和人へ向けて容赦なく引き金を引こうとする。

 

「お前みたいなクズが……僕の足を引っ張りやがって!その罪に対する罰は、死だ!死以外に有り得ない!!」

 

 須郷の握る拳銃の照準が、和人の額に合わせられる。次に引き金を引かれれば、高確率で弾丸が和人の脳天を撃ち抜くだろう。いよいよ間近に迫ってきた己の死を前に、しかし和人は冷静だった。左ポケットの中に、現状を脱することができるかもしれない、最後の武器を見つけたのだ。使うとしても、チャンスは一度きり。須郷が引き金を引く瞬間を狙い、成功させねばならない。

 

「死ねぇ!小僧!!」

 

 引き金を引き、和人の頭部に銃弾を叩き込もうとする須郷。和人を殺すという、狂気と殺意に満ちた凶弾ならぬ狂弾が放たれるその瞬間に生じる隙を、和人は見逃さなかった。

 

(今だ……!)

 

 出血多量で朦朧とする意識の中、和人は最後の力を振り絞り、左肩を抑えていた右手を左ポケットへ滑らせ、中に入っていた物を素早く取り出し、そのまま須郷目掛けて投擲した。和人が手裏剣を投げるのと同じ要領で放った、先端の尖った細長い投擲物は、須郷の銃口へとその前兆の半分程度を入り込ませた。そして引かれる、引き金――――

 

「ぎぃぃいいゃゃやぁああああああああ!!!」

 

 先程の銃声の比ではない、より一層大きな破裂音。だが、辺りに響くのはそれだけではない。火薬の爆発によって発生する音に次いで、須郷の悲鳴がこだまする。右手に握っていた拳銃は、銃身が破裂し、原形を留めない程に大破・変形している。引き金を引いた右手は火薬の炸裂による火傷に加え、金属片が突き刺さったことで二の腕まで血塗れになっている。

 激痛に喚き、拳銃を地面へ落とす須郷。何故自分の右手がこれ程までの大怪我を負ったのか、理解できない。須郷が右手に大怪我を負った理由を知っているのは、同じく血塗れで相対する和人のみだった。

 

(上手く……いったか…………)

 

 朦朧としてくる意識の中、和人は自身が追い詰められた局面で取った行動が功を奏し、反撃に成功したことを確かめていた。和人が引き金を引こうとしていた須郷目掛けて投擲したのは、ダーツの矢だった。家族に隠れて、郊外の雑木林で行っていた忍修行で手裏剣の代用品として使うために安価で購入した物だったが、SAO事件以前の二年前からポケットの中に入れたままにしていたらしい。和人はこれを銃口目掛けて投擲し、引き金が引かれる直前で銃身に入り込ませた。結果、銃弾が詰まったことで火薬の燃焼圧力に砲身が耐え切れなくなり、腔発を起こしたのだ。

 蓋を開いてみれば大して難しい仕掛けではなかったが、銃口という小さく狭い箇所へと的確に狙いを定めて投擲した和人の技量は、“並外れている”の一言に尽きる。加えて、全身を切り刻まれるような激痛に見舞われながら、流血と共に間近に迫る死と真正面から向き合う精神力を持ち合わせていなければ、この反撃は為し得なかっただろう。忍としての凄絶な戦いに身を投じ続けた和人だからこそできた、文字通り離れ業である。

 

「ぎぃいい……こ、小僧!よくも……よくもよくもぉおおお!!」

 

 だが、拳銃の腔発によって右腕に大怪我を負っても尚、須郷の憎悪は霞みもしない。怒りを倍増させた須郷は、額に血管を浮かび上がらせる程の憤怒を露に、今度は左手にナイフを握って和人へ襲い掛かろうとする。対する和人は、薄れつつある意識の中で須郷を迎撃するべく構える。素手ならば、相手がナイフを持っていようと負ける筈は無い。だが、満身創痍に近いこの状況で、須郷に当て身を食らわせて倒すことは可能かどうか……実際のところは、かなり難しい。だが、自身の命が危機に瀕しているこの状況で、生き残る方法は戦う以外に無い。

 

「今度こそ……今度こそ、死ねぇぇえええ!!」

 

 和人以上に満身創痍の須郷が振り下ろすナイフは、しかし的確に和人の脳天に狙いを定めていた。和人は刃の軌道を見極め、残された僅かな体力でこれを避けようとする。だが、和人が回避に動こうとしたその時――

 

「せやぁぁああああ!!」

 

「ぐっ……!?」

 

 和人と須郷の間を、気合いの籠った声と共に一筋の影が目にも止まらぬ速さで横切る。須郷が突如左手に走った痛みに呻いた数秒後、アスファルトの上に金属がぶつかる音が響く。須郷の左手に先程まで握られていたナイフが、弾き飛ばされた末に宙を舞って地面に落ちたのだ。

 

「とりゃぁぁあああ!!」

 

「ごはぁぁああっっ!!」

 

 そして、ナイフが落ちる金属音から間髪いれずに、和人の前に人影が入り込むと同時に叫び声が響く。同時に、今度は須郷の身体が苦悶の叫びと共に宙を舞う。仰け反った姿勢のまま顎に衝撃を食らった須郷は、背中から地面に落下して地面の上で大の字になって気絶した。

 目にも止まらぬ速さで起こった突然の出来事に唖然とする和人だったが、振り返って目の前に駆け寄ってくる人物の顔を見て、事情を把握することができた。その顔は、今日知り合ったばかりの友人のものだったからだ。

 

「和人君、大丈夫!?」

 

「蘭……」

 

 心配そうな表情を浮かべ、和人の名前を必死に呼びかけるのは、はねた前髪が特徴的なストレートヘアの女性、蘭だった。SAO未帰還者を解放したことを直葉に教え、蘭にも教えてやれと言った通りに従い、連絡したのだ。そして、明日奈と同じ病院に入院している新一の様子を見に来たところで、腔発の音を聞いて駆けつけてきたのだろう。空手の都大会で優勝した実力を遺憾なく発揮し、須郷を叩き伏せたのだ。

 

「しっかりして!和人君!和人君!!」

 

 蘭が助けに来てくれたという事実に至った和人だったが、それ以上は意識が続かなかった。腹部からの流血が激しくなる中、和人の意識を現実世界に繋ぎ止めようとする蘭に名前を連呼されるも、既に和人の身体は限界だった。身体が急激に冷たくなるのを感じる中、和人の瞳は閉じられた――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――どこだ、ここは?

 

 気が付けば、そこにいた。辺り一面、黒一色の暗闇。一筋の光すら見えない空間を満たすのは、暗黒と静寂。空気は冷たくも暖かくもない。虚無に満ちた世界の中、自分は本当に生きているのか……存在しているのかすら分からなくなる。

 

「そうだ……俺は」

 

 意識が覚醒すると同時に、目覚める前の最後の記憶が蘇っていく。自分――桐ヶ谷和人は、SAO未帰還者の解放に成功したことで、その事実を確かめるべく病院に入院している、現実世界の知己でもあった明日奈のもとを訪れたのだ。だが、病院へ入る前に、待ち伏せしていた黒幕の須郷に銃撃を受け、急所を撃ち抜かれた末に出血多量で気を失ったのだ。

 そして今、目が覚めると底知れない暗闇に包まれるこの場所に立っていたのだ。明らかに病院ではなく、身体には痛みも無ければ傷も無い。これらの情報から導き出される結論は…………

 

「あの世……か」

 

 荒唐無稽な話だが、どうやら和人が今立っているこの場所は、死後の世界らしい。前世において二度の死を経験した和人だったが、死後の世界を見た記憶は一切なく、生前の記憶しか残っていない。故に、この場所が俗に『あの世』と呼ばれる場所であることを証明する方法はなく、所詮は和人個人の主観による推測でしかない。或いは、須郷の銃撃を受けた末に絶命し、新たな世界へ転生したという可能性もある。

 

(どう見ても、現実の世界には見えないが…………)

 

 ともかく、何を考えるにしても今は情報が足りない。和人は自分が今どこにいるのか、その答えを探すべく、底知れない暗闇の中で足を動かすことにした。

 行く宛ても無く、只管に広がる闇の奥へ奥へと歩き続ける和人。十分、数十分、数時間……どれ程の時間歩き続けたか分からない程に歩き続けたが、壁や障害物に全く突き当たらない。しかも、気が遠くなる程歩き続けているにも関わらず、全く疲れもしない。まるで、ここが現実の世界ではないことを示しているかのように。

 と、そんな中……

 

「む……?」

 

 ふと視界に入った、小さな灯り。遠近感が曖昧な暗闇の中で、一体どの程度離れた位置にあるのか分からない光だった。だが、この広過ぎる暗闇の中でようやく見つけた手掛かりである。迷う余地は無いと判断した和人は、灯りのある場所を目指すことにした。

 

(誰か……いるのか?)

 

 灯りに近づくにつれ、その傍に座る人影が確認できた。人がいるというのは尚好都合である。この場所が一体どこなのか、尋ねることもできるからだ。だが、目の前の人間が必ずしも友好的に接してくれるとも限らない。和人は警戒を怠らず、身構えて近づいていく。

 そして歩くことしばらく。遂に、灯りのすぐ傍へと近づくに至った。灯りの正体は、焚火だった。パチパチと燃える火の傍には、件の人物が背中を向けて座っている。体格からして、和人より年上、壮齢の男性だった。しかも、それだけではない。

 

(この感覚……まさか、俺と同じ忍……?)

 

 距離が十メートルを切ったあたりからなんとなく感じた、懐かしい感覚。後ろ姿を見ただけだが、全く隙が無い。身体から醸し出される忍独特の気配は、間違いなく相当な実力者……それも上忍に相当する器なのは間違いない。加えて、後ろから迫る和人の接近を、恐らくは和人よりも早く把握していたことも分かった。前世の和人――うちはイタチならば、同等以上の距離から察知することができただろう。何はともあれ、目の前の忍らしき人物に話し掛けなければ何事も始まらない。

 

「……すみません。聞きたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

 

 相手が忍である可能性が高いと分かった以上、より警戒を強めねばならない。幸い、殺気のような攻撃的な意思は感じられないが、油断しないに越したことはない。物腰は柔らかく話し掛ける一方で、万一襲い掛かられても対応できるよう身構える。和人が放った問いに対して、男性は静かに腰を上げる。

 

「しばらく見ない内に、変わったな――――イタチ」

 

「!」

 

 男の発した言葉に、目を見開く和人。今この男は、自分ことを『イタチ』と呼んだ。それはつまり、桐ヶ谷和人の前世の名前を知っているのだ。和人の予想通り、この男は和人と同じ前世を生きた『忍者』なのだ。

だが、それだけではない。和人は自分に話し掛けてきたこの声を聞いたことがある。そして、知っている……何故ならその人物は、かつてうちはイタチの大切な人の一人であり……そして、イタチ自身がその手に掛けて殺した人物なのだから。

 

(まさか……)

 

そんな想いが、和人の頭の中を駆け巡る。和人の方へと振り返ったその横顔は――――紛れも無く、和人の記憶に焼きついたままのものだった。

 

「父さん……!」

 

「久しぶりだな、イタチ」

 

 声と同じく穏やかな表情のままで和人の方へ振り向いた男性は、うちはイタチの父親……うちはフガクだった。驚く和人の顔を見て、苦笑を浮かべたまま口を開いた。

 

「姿形は随分若返ったようだが、俺には分かる。お前の父親だからな……」

 

「…………」

 

 先程まで暗闇の中だったせいでよく分からなかったが、今の自分の姿は二度目の転生を果たした時の、中性的な顔立ちと女性とも取れる線の細いシルエットだった。ちなみに格好は病院の駐車場で須郷に襲われた時と同じ、黒のジャケット姿だが、須郷に銃撃された時に付いた穴や傷は無かった。

 そして、和人と相対する前世の父親であるフガクは、実に十数年ぶりの、しかも殺されて以来の再会にも関わらず、蟠りの欠片も感じさせない口調だった。和人の方は、まさかこんな形で父親と再会を果たすとは夢にも思っていなかったため、何を話せばいいのか、完全に失念していた。

 

「だが、遂にお前までここに来てしまうとはな……」

 

「……やはり、ここは死後の世界か」

 

「そういうことだ。だが、お前のその姿を見るに、ここに来るまでには色々とあったようだな」

 

「それはもう、色々と…………」

 

 突然の父親との再会に戸惑う和人だったが、こうしていても仕方が無い。忍世界から異世界へ転生した経緯については話すべきかと迷ったが、死んだ今更になってまで隠しだてする秘密などある筈も無い。和人は、ここに至るまでの全てを話すことにした。

 

 忍界大戦が勃発し、穢土転生という術によって生前の世界へ呼び戻されたこと――――

 

 最期の務めとして、木の葉を守るために黒幕を止め、自分を含め傀儡と化した者達を解放したこと――――

 

 逝き際に、弟のサスケと会って、真実と本当の想いを打ち明けたこと――――

 

 二度目の転生を果たしたこと――――

 

 転生した世界で、新しい家族と共に生きてきたこと――――

 

 仮想世界という、月読を彷彿させる世界の創造に関わったこと――――

 

 ゲーム世界での死が現実世界での死となるデスゲームを課され、戦い続けてきたこと――――

 

 前世と同じ過ちを繰り返し、多くの犠牲者を出したこと――――

 

 罪深い自分を受け入れ、共に戦おうとする仲間達ができたこと――――

 

 一つの事件が解決しても尚、眠り続ける仲間達を救うために奔走し……その果てで、命を落としたこと――――

 

 語り始めれば長い和人の話に、しかしフガクは変わらぬ穏やかな表情で聞き入っていた。転生して異世界へ行ったなど、通常ならばとても信じてもらえる話ではなく、父親であっても信じてもらえるか和人自身も微妙だった。だが、フガクには和人の話を疑っている様子は微塵も無く、首を縦に振って頷くばかりだった。

 

「これが、俺が体験した全てだ」

 

「そうか……」

 

 和人の荒唐無稽な転生談を聞き終えたフガクは、どこか納得できない表情だった。和人の話を信用していないわけではない。和人の話に出てきた、その生き様に疑問を持っているようだ。

 

「何もかもが中途半端で……忍としては無様な最期だったかもしれないが……それでも、最低限の責務を果たすことはできた。遠回りはしたが……こうしてようやく、俺も皆のもとへ――」

 

「何を勘違いしている?」

 

 拙いながらも任務をやり遂げ、この場所が最後に行き着く場所だと思っていた和人の言葉を、しかしフガクは否定した。この上、一体何をやり残したことがあると言うのだろうか。和人はその真意を確かめることにした。

 

「勘違い……?」

 

「お前なりに努力して……全てやり遂げたつもりだったんだろうが、やるべきことが残っているだろう。お前を待っている者達がいるんだ……帰るべきなんじゃないのか」

 

「……だが、既に俺はあの世にいる。もう戻るための術など、ありはしない。それに……あの世界は、俺には過ぎた幸せだった。同じ過ちを繰り返し、多くを犠牲にした俺を、仲間達はいつも助けてくれた。義理の家族でしかない俺を……愛してくれた、家族がいた。俺には、あの世界で生きる資格は――――」

 

 そこまで口にした和人だったが、それ以上は続かなかった。衝撃と共に後方へ飛ぶ和人の身体。気付けば、和人の身体は地面に横たわっていた。頬に走る痛みを感じ、自分が殴り飛ばされたのだと理解するまでに時間はかからなかった。

 

「もう一度言ってやる。お前は勘違いをしている。俺達がいるこの場所は、流刑地じゃない。今の腑抜けたお前を受け入れる余地は、俺にも……他の奴等にも無い」

 

「だが、俺は…………」

 

 怒りに満ちた表情でそう言い放つフガクを前に、和人は言葉に詰まる。自分の帰りを待つ人達が大勢いることは間違いない。皆を置いて一人逝こうとする自分は、『腑抜け』と呼ばれても仕方が無い。

 

「イタチ」

 

「母さん……!」

 

 苦悩する和人の前へ、新たな人物が姿を現す。フガクの傍へ寄り添うように立っていた女性は、フガクの妻にしてイタチの母親、うちはミコトだった。

 

「あなたはまだ、ここに来るべきじゃない……本当に帰るべき場所がある筈よ」

 

「……」

 

 その言葉には、母親としての慈愛が満ちていた。その手に掛けた前世の別れ際と同様、和人のことを何もかも理解していて、その上で叱りつけるような言葉だった。対する和人は、両親から諭され、しかし和人は素直にその考えを受け入れられずにいた。

 

「イタチさん、いい加減に戻ったらいいんじゃないですか?」

 

 両親に続いてもう一人、焚火の傍に大柄の男が姿を見せる。赤い雲の模様が入った黒装束に身を包み、額当ては前世の忍世界において霧隠れの里を示す紋章の上に、横一文字の傷が入っていた。鮫のような顔立ちで、青黒い肌に会い色の髪をしたこの男もまた、和人の前世であるうちはイタチと繋がりの深かった人物の一人である。

 

「鬼鮫……そうか、お前も逝っていたのか」

 

 イタチをはじめとしたS級犯罪者で構成された組織、『暁』において、イタチとツーマンセルを組んで行動していた、霧隠れの抜け忍『干柿鬼鮫』である。凶悪で残忍な性格にも関わらず、イタチに対しては紳士的だったパートナーである。

 

「イタチさんも、私より先に逝った割には、二回も蘇って……忙しいことですね」

 

「穢土転生された面々の中にお前の顔が無かったということは……忍界大戦時にはまだ生きていたのか?」

 

「いえ、私はその戦争には呼ばれていませんでした。生きていれば、勿論参加していたでしょうがね。暁の目指した、嘘の無い理想の世界が見れなかったのが、心残りですよ……」

 

「残念だが、暁は既に首領のマダラを除いて全員死んでいた。お前が言う『理想の世界』も、実現することは無いだろうな」

 

「そうですか。それは残念です」

 

 和人の容赦の無い言葉に、しかし鬼鮫はクックと喉を鳴らして笑うばかりだった。口では残念だと言っているが、既に死んだ身である以上は然程の執着も無いのかもしれない。

 

「そういえば、前に話していましたね。人間がロクでもないかどうかは、死に際に分かる、と……イタチさんはどうでしたか?」

 

「……さあな。俺は死ぬのがこれで三度目だが、前の二回に比べると、無様だったかもしれんな。お前はどうだった?」

 

「私は、ロクでもない人間……でもなかったようですよ。暁の一員として果たすべき責務もしっかり果たしましたからね」

 

 暁の情報流出を、己の舌を噛み切ってまで食い止め、忍連合の情報流出という大役を鮫に自分の身体を喰わせてやり遂げたのだ。犯罪組織とは言え、命懸けで任務を果たしたのだから、少なくとも『ロクでもない人間』という評価はつかない筈である。鬼鮫はそこから、だからとさらに続けた。

 

「あなたは少なくとも、私よりはマシな人間だった筈ですよ。なら、こんな死に様では私や他の連中に示しがつかないんじゃないですか?」

 

「……返す言葉も無いな。だが、先程も言ったが、帰ろうにも手段が……」

 

 

 

 ――――なら、俺が道を作ろう

 

 

 

 新たに聞こえた、懐かしい声。しかしそれは、この世界には現れる筈の無い人物のものだった。声がした方向を振り返ってみると、そこにいたのは鬼鮫と同じ赤い雲の模様が入った黒装束に身を包んだ男性の姿があった。髪は赤く、顔は痩せこけている。そして何より目を引くのは、彼の“目”だった。薄い紫色の波紋のような模様をしたその瞳は、忍世界において伝説の存在であり、かつてうちはイタチも持っていた万華鏡写輪眼のさらに上を行く、究極の瞳術――『輪廻眼』である。そして、これを持っている人間を和人は前世の忍世界で一人しか知らない。

 

「長門……なのか?」

 

「久しぶりだな、イタチ」

 

 イタチの所属していたS級犯罪組織『暁』のリーダー、長門。うちはイタチと共に穢土転生によって忍世界に呼び戻され、戦争の目的である、尾獣を宿した人柱力二人を捕らえるために利用された末、術の操作から抜けだしたイタチによって封印されたのだ。だが、その魂は幻術の世界に永久に封印され、口寄せの術でも脱出すらできない場所にあるのだ。死後の世界にはある筈の無い存在である。

 

「不思議そうな顔だな。聞きたいことは、何故俺がここにいるのか、だろう。なに、そう不思議なことじゃない。俺の魂はお前の須佐能乎が持つ瓢箪、その中に広がる幻術世界にいる。だが、俺自身は生と死の外れにある存在である『外道』だ。お前が死後の世界へ来たことで、こうして意識を表出させることができたというわけだ」

 

「成程……そういう経緯か。お前が道を作ると言ったが、この世界ならば、外道の忍術も使えるということか」

 

「察しが良いな。『チャクラ』とは、世界と世界を繋ぐ力だ。そして俺の魂は、こうして表出しているとはいえ、お前の須佐能乎の中に封印されている。つまり、お前の魂と一緒にあるのと同義だ。『輪廻転生の術』を使えば、お前を元の世界へ戻すこともできる」

 

 長門の説明を聞き、得心する和人。確かに、長門が持つ輪廻眼の能力を行使すれば、死後の世界であるこの場所からの一方通行ではあるが、術を行使して魂を送り返すことは可能だろう。

 いよいよ反論材料が無くなった和人は、現世へ帰る以外の選択肢もまた無くなってしまった。無論、ここに居る人間の誰一人、和人を強引に現世に送り返そうとはしないだろう。飽く迄和人の意思で現世へ帰すことが総意なのだ。

 未だに葛藤している和人の内心を悟ったのか。フガクとミコトは地面に座り込んだ状態の和人のもとへ歩み寄る。そして、前世のうちはイタチよりも華奢なその身体を抱きしめた。

 

「……父さん、母さん」

 

「イタチ、言った筈だ。考え方は違っていても、俺はお前を誇りに思っていると。この想いは、こうして死んだ今も変わらない……居場所や姿形が変わったとしても、お前は俺達の息子だ」

 

「けれど、私達はそれ以上にあなたに幸せになって欲しいと思っている。あなたを追い詰めた私達が、こんなことを言う資格が無いことは分かっている……けれど、死んでまで私達のことを引き摺って欲しくない。それが、私達の嘘偽りの無い本心」

 

 うちはイタチとしての前世を生きた和人は、木の葉隠れの里を戦火から守るために家族を犠牲にした。その時も、両親は死に際に同じことを言って、自分のことを誇りであると評してくれた。だが、一族虐殺の汚名を着た自分を殺させて、うちはの名誉を守るという目論見は失敗し、両親に行く末を託された弟のサスケを復讐鬼にしてしまった。両親をはじめ、一族の者達には会わせる顔は無く、現世でも死後の世界でも、幸せを感受することは許されないと思っていた。

 しかし、フガクとミコトはそんな和人を許すと言った。幸せになって欲しいと言ったのだ。長い間抱えていた葛藤を拭い去る言葉に、和人の心は震える。

 

「お前は確かにうちはイタチだが、今は木の葉の暗部でもなければ、一族の手先でもない……ただ一人の人間、桐ヶ谷和人だ。だからこそ、俺も一人の父親として言わせてもらう。どれだけ遠く離れた場所にいようと……お前がこれからどうなろうと……俺達はお前を、愛している」

 

 フガクの口にした言葉に、和人は大きく目を見開いた。「これからどうなろうと、お前を愛している」――それは、かつてイタチがサスケに別れ際に放った言葉と同じだった。或いは、親子だからこそかもしれない。家族がどれだけ遠い場所に行ってしまおうと……先の見えない未来でどのような運命を辿ろうとも……不変の愛情を誓うことができるのは。譬えそれが、うちはの歴史の中で幾人もの人間を闇に堕としてきた最大の要因であったとしても……和人は、心に溢れるその感情を止めることができず、それは雫となって和人の瞳に溢れ、頬を伝った。

 

「水を差すようで悪いが、そろそろ行くぞ」

 

 両親に抱き締められ、和人の心に巣食っていたかつての世界へ帰還することへの迷いも消えたであろうことを悟った長門が、術の発動を告げる。どうやら、長門も意識を表出させるのもそろそろ限界らしい。印を結び、和人を現実世界へ送り返すべくチャクラを練る。

 

「それでは、お別れですね、イタチさん……いえ、和人さんでしたか?」

 

「俺もまた、お前の中に封印されているから、一緒に戻ることになるのだがな……」

 

 傍らにいた鬼鮫と長門が別れを告げる中、和人を抱擁していたフガクとミコトも腕の中にいた和人を解放し、距離を取り始める。

 

「前世では散々苦しんだんだ。少しくらい、寄り道しても良いだろう」

 

「私達は、いつまでも待っているから……」

 

 両親からの別れの挨拶が為されから間も無く、和人の身体は光に包まれていく。長門が輪廻転生の術を使い、この場所にある和人の魂を、本来あるべき場所へ送り返そうとしているのだ。

 

「父さん、母さん……行ってきます」

 

 涙を流しながら、和人もまた別れを告げた。またいつの日か、この場所で会う事を誓いながらも、三度目の生を受けたあの世界へと帰っていく少年を、しかしその場に居た一同は笑って見送った。

 

「輪廻転生の術」

 

 長門の術が完全に発動すると共に、和人の身体は光となって、闇の果てへと飛んでいった。生と死の狭間の闇を飛び立った、うちはイタチ――桐ヶ谷和人の魂は、二度目の転生を経て、もといた世界へと帰って行く。

 暁の忍の物語が、再び動き出すのだった――――――

 



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第七十六話 真なる帰還

フェアリィ・ダンスは今年度中に終了予定です。また、年末投稿はALOと同様にファントム・バレットの予告になります。
本日夕方、新たな事件に巻き込まれていたレッドプレイヤーのパロキャラも、暗躍を開始します。


 一万人もの人間をデジタルコードの世界に閉じ込め、二千人以上の死者を出した世界初のVRMMO『ソードアート・オンライン』。後の世において『SAO事件』と呼ばれるこの事件は、2024年11月6日にゲームクリアが為されたことで、解決したかに見えた。

だが、実際には三百名ものプレイヤーが未帰還者として目覚めず、事件は数カ月に渡り未解決の状態となっていた。目覚めぬ三百名の親族は、このまま目覚めぬのではと不安に駆られる日々が続いた。そんな中、事態が動いたのは解決から二カ月が経過した2025年1月22日。未帰還者三百名が夜中に次々覚醒したのだ。当然、病院はてんやわんやの騒ぎとなり、帰宅していた医師達は職場へと呼び出されて帰還者達の検査を行うこととなった。そして翌日、事態はさらなる動転を迎える。SAO事件の未帰還者を監禁していた黒幕が、メディアを通じて公表されたのだ。

容疑者の名は、『須郷伸之』。SAOの開発会社である『アーガス』からサーバーの管理を委託された『レクト・プログレス』のフルダイブ研究技術部門の責任者という立場を悪用し、未帰還者を同社が管理するVRMMO『アルヴヘイム・オンライン』内部に監禁し、挙句人体実験に利用していたことが明らかにされた。事件を解決に導いたのは、五年前に発生したウイルステロ事件を解決に導いたことで知られる世界最高の探偵――L。SAO事件解決後、水面下で須郷の悪事に関する情報を集めていたLは、それらを用いて警察と政府を動かし、須郷を含めた研究に携わっていた者達全員の逃げ場を塞ぎ、一斉に逮捕したのだった。仮想世界上の人体実験という、SAO事件同様前代未聞の事件に関して、『略取監禁』が成立するかが疑問視されていたが、Lによって須郷の行為の残虐性が具体化・明確化されたことで、茅場に次ぐ初のVRMMO事件の容疑者としての罪状は成立する見通しである。

 

 

 

メディアの報道においては、この事件を解決に導いたのは、名探偵Lとされている。だが、真の意味で事件を解決に導いた立役者は、探偵ですらない無名の少年である。SAO生還者(サバイバー)としてSAO事件を解決に導いた強豪プレイヤーであると同時に、茅場と共にSAO制作に携わった経緯のある彼は、最後の禊としてLの協力者としてこの戦いに臨んだ。

そして、その少年は、今――――――

 

 

 

2025年5月16日

 

 アインクラッド第一層・始まりの街のチャペルの音に似たチャイムが鳴り響き、授業の終了によって生徒達が沸き立つ。そんな喧騒の中、薄いグリーンのパネル張りの廊下を和人は一人、ゆっくりとした足取りで歩いていた。和人達が今いるこの場所は、総務省がSAOから帰還した中高生のために設立した臨時学校であり、SAOから帰還した和人達学生は、普通の学生と同様に青春を謳歌している。

 

「和人、一緒に昼飯食いに行かねえか?」

 

 そんな和人を昼食に誘うために呼び止める人物が現れる。声のした方を振り向けば、そこには三人の少年の姿があった。オレンジ髪の不良然とした少年――黒崎一護と、白髪の優しげな主立ちをした少年――アレン・ウォーカーと、ヘッドホンを首に提げた緩そうな雰囲気の少年――麻倉葉。いずれも、SAO時代に共に轡を並べてフロアボスに挑んだ仲間達――カズゴ、アレン、ヨウである。

話し掛ける口調までSAO時代とまるきり同じ。隔意を全く感じさせない、攻略組同士の会話そのものだった。ヨウの昼食への誘いに、しかし和人はやんわり断る。

 

「悪いが、先約がある。お前達だけで食堂に行ってくれ」

 

「先約……ああ、成程」

 

 和人の言葉に、アレンは得心したように頷く。その後ろでは、一護が溜息を吐き、ヨウは相変わらずのほほんとした表情のままだった。

 

「ったく……いい加減白黒つけたらどうなんだってんだ」

 

「まあまあ、オイラ達がどうこう言って解決する問題じゃないだろう?まあ、なんとかなるさ」

 

 ともあれ、三人とも事情を察してくれたようなので、和人は先を急ぐことにした。

 

「……悪いな。行かせてもらう」

 

「ええ。行ってあげてください、彼女のところに」

 

 アレンにも促され、目的地たる中庭を目指す和人。木々の緑に覆われたトンネルを潜り、レンガの敷き詰められた道を踏みしめて向かった先にあるのは、花壇に囲まれた小さくも美しい円形の庭園。その中央には、四方を向いて配置されたベンチがある。そしてその一角に、彼女は座っていた。

 

「明日奈さん、お待たせいたしました」

 

「お疲れ様、和人君」

 

 

 

 軽い挨拶をして、こちらへ微笑みかける明日奈のもとへ歩み寄ると、会釈して隣に座る。だが、この場所へ来るまでの動きも含めて、一連の和人の動きは常の彼にしてはやや緩慢だった。明らかに身体に何らかのハンデを抱えている。そんな風に思わされる和人の様子がどうしても気になった明日奈は、心配そうな表情で和人へと問いかける。

 

「和人君……身体、大丈夫?」

 

「……一応、問題はありませんよ。今ではもう、松葉杖無しで歩けますしね。そちらはどうですか?」

 

「こっちも概ね良好かな。松葉杖無しで歩けるようになったのは、つい最近だけどね」

 

 和人の体調を心配して声を掛けた明日奈だが、逆に心配されてしまった。それもその筈。この二人は数ヶ月前までは同じ病院に入院し、退院後も幾度か通院して顔を合わせていたのだから。SAO生還者である明日奈は言わずもがな、和人の方は昨年十一月に覚醒していたものの、明日奈を含む未帰還者三百名を解放する際に、銃撃を受けて入院を余儀なくされていた。

 

「経過は順調だって聞いたけど……剣道の方は、稽古とかはまだできないんでしょう?」

 

「激しい運動ができないことは確かですね。今のところはできることといえば、無理をしない程度にトレーニングを行い、全快までに筋肉が落ちないよう努力することくらいです」

 

「……ごめんなさい。私のせいで……」

 

「あなたが気に病むことはありませんよ」

 

 非常に申し訳なさそうな顔で接する明日奈に、しかし和人は気にするなと言う。未帰還者三百名が解放されたその日、腹部に銃撃を受けた和人は、負傷から比較的早期に病院に運び込まれたことで奇跡的に一命を取り留めたものの、一週間もの間生死を彷徨うこととなったのだ。この報告を聞いた明日奈は衝撃を受けると共に顔を真っ青に染め、覚醒時の衰弱も相まって卒倒してしまった程だ。

そもそも和人が病院に来た理由は、明日奈の覚醒を確かめるためであり、それを頼んだのは明日奈自身なのだ。その結果、待ち伏せしていた須郷に襲撃されたのだ。武術を嗜む和人ならば、須郷程度軽く捻じ伏せられたが、明日奈の救出に際して現実世界そのままの痛覚で、身体を切り刻まれるダメージを受けて精神的に著しく消耗していたことが重傷を負う要因となったのは間違いない。負い目を感じるのは無理も無い話だった。

 

「須郷に撃たれた件については、俺のミスです。あの時点で須郷からの反撃を予測していれば免れた怪我です。明日奈さんには責任はありません。それより、あなたのお父さん……彰三さんはどうしていますか?CEOを辞任したとは聞いていましたが」

 

「うん。一時期は相当落ち込んでいたよ。人を見る目が無かったってね。ああそれから、私を助けてくれた和人君にまで危険な目に遭わせたことについては、今でも申し訳なさそうにしているよ」

 

 SAO未帰還者を解放したその日に須郷が起こした銃撃事件によって負傷した和人が目覚めた際、付きっきりで看病をしていた直葉をはじめとした家族や、同病院に入院していた明日奈に次いで早々に会いに来て深々と頭を下げて謝罪したのは、明日奈の父親である結城彰三だった。部下である須郷の暴走を看過し、恐ろしい人体実験が自身の会社で行われていたという事実に対し、激しく後悔を抱いていた。さらに、須郷の暴走の末に、明日奈を救ってくれた恩人である和人が負傷した件について、傍から見ても分かる程に凄まじい負い目を感じており、それは今でも続いていた。銃撃によって入院した和人が明日奈と同じ病院に入院し、最先端の高度な治療を受けることができたのは、入院費用を彰三が全額持ってくれたお陰だった。

 彰三や明日奈が内心で未だに負い目を感じ、申し訳なく思っていたことは、和人本人も理解している。だが、和人自身もSAO未帰還者を監禁している巨悪たる須郷が関与しているこの事件に首を突っ込む危険性は理解していたのだ。故に、今回の銃撃に関しては自己責任的な面もあり、これ以上明日奈や彰三が罪悪感を覚える必要は無いというのが、和人の考えだった。

 

「須郷も既に捕まったんです。これ以上引き摺るのは不毛の一言に尽きます」

 

「……そう、かもしれないね。けれど、少しだけ分かったこともあるの」

 

「?」

 

 少しだけ遠い眼で、何かを思い出すように言って、明日奈は続ける。対する和人は、どこか雰囲気の変わった明日奈の様子に疑問を持ちながらも、顔を向けて聞き入ることにした。

 

「本人が気にしないって言ってくれていても、どうしても忘れられない……『罪の意識』っていうのは、そう簡単には消えない。だから、和人君もずっと一人でいようとしていたんだね」

 

「…………」

 

「勿論、アインクラッドに居た時の和人君……イタチ君の苦悩を、全部分かってあげられたとも思っていないよ。それでも……ほんの少しでも、君の気持ちを理解できたらって……ね」

 

 和人の気持ちが少しは分かると言った明日奈の瞳に、しかし自惚れの色は無かった。口にした通り、断片的にしか分かっていないこと自体を理解していることは間違いない。他者の気持ちというのは、自分が似たような立場になった時に、初めて断片的に分かるものである。それを学んでも尚、困難や柵を承知で和人との繋がりを希求する明日奈がいた。

 

 

「それでね……あなたのことを本当の意味で知って、その全てを受け止められるようになりたいって、そう思っているの。そんな日が本当に来るのか、分からないけどね。でも……そうなりたいっていう気持ちは本当だよ」

 

他者と関わることの難しさを、実体験を経て知った明日奈の姿は、ただがむしゃらに和人ことイタチに接近することで距離を縮めようとしていた頃の危うさや無鉄砲さに似た雰囲気は感じられない。ただ只管、和人と向かい合おうとする、真摯な姿がそこにはあった。

 

「だから……私がそんな風になれたら、もう一度、聞いてほしいの。私の、本当の気持ちを……」

 

「……分かりました。」

 

アインクラッドが崩壊を迎えた時、明日奈は自身の本当の気持ちを打ち明けていた。だが、明日奈が口にした言葉は、告白の帳消しと同義だった。

しかし、和人はその考えを否定することは無かった。というより、この申し出は、和人にとってもありがたいものだった。アインクラッドで多くの者達と関わり、変わったと自覚することができた和人だが、未だに他者との距離感は曖昧だった。故に今は、明日奈の気持ちに答えることはできないと感じていた。

そして同時に、和人自身もこのままではいられないと思った。和人の気持ちを告げるために、明日奈は誠心誠意努力することを誓ったのだ。和人もまた、その気持ちに応えねばならない。この先、互いの関係がどうなるかは、和人にも明日奈にも分からない。もしかしたら、何も変わらないかもしれない。しかし、互いに分かり合おうとする意志力があったならば、結果はどうなろうとも、きっと良い方向に進む筈。和人と明日奈、二人は奇しくも同じことを考えていた。

 

「まあ、辛気臭い話はこれくらいにしようか。和人君、お昼ご飯作ってきたから、食べてみてくれる?」

 

「それでは……いただきます」

 

 だがとりあえずは、小さなことから始めることにした。今すべきは、須郷の銃撃事件で生じ、未だに残っている負い目によって生じた距離感を取り戻すことである。事情が事情であり、SAO事件当時には危険を共にすることによる吊り橋効果で急接近することすら無かった間柄である。焦らずゆっくり、相手の気持ちを理解し、自分の気持ちとも向き合って行く。それこそが、和人と付き合い、距離を縮める最善の策だと、二人は思っていた。

 

 

 

 

 

「全く……本っ当に煮え切らないわねぇ……」

 

「リズさん……じゃなかった。里香さん、覗きなんて趣味悪いですよ。やめた方がいいですって」

 

 カフェテリアの西側、その窓際に位置する席から中庭を、正確にはそこにあるベンチに座りながら昼食を取る男女を見る二人の女生徒がいた。いちごヨーグルトドリンク片手に苛立ちを露にする少女は篠崎里香、それを窘める少女は綾野珪子である。リズベット、シリカというプレイヤーネームで呼ばれていた、SAO生還者であり、この学校の学生である。

 

「だってさぁ……SAOの時には、あんなにサポートしてあげたっていうのに、そんなに進展してないじゃない。全く、あたしの努力はなんだったんだか……」

 

 かつてSAO時代に、アスナがイタチに懸想していることを知ったリズベットこと里香は、その恋を応援するために雪山まで同行して金属を調達し、剣を鍛えた経緯がある。その後も事あるごとに恋愛相談を持ちかけられ、恋愛成就のために一肌脱ぐ姐御キャラとしてアスナを支援していたのだ。だが、SAOクリア後の現在は、昼食を共にするのがやっとというのが現実。苛立つなと言うのは無理な話だ、というのが里香の意見だった。

 

「努力っていっても、剣を巡ってデュエルしたくらいじゃないですか。あれ以来、仕事の依頼は無かったんでしょう?」

 

「だってアイツ、オヤマダ武具店ばっか行くんだもの。たまに明日奈に連れられて来ても、全然アイテム買わないし……」

 

 SAO時代の和人の行状に関して次々愚痴を垂れる里香に対し、珪子は苦笑を浮かべるばかりだった。和人ことイタチが決して悪い人間ではないことを知っている珪子としては、弁護して認識を改めたいのだが、苛立ちを露にヒートアップする里香を止める術が無い。

 

「そのへんにしておけ、里香」

 

「めだか……」

 

「めだかさん!」

 

 そこへ珪子にとっての救世主の如く現れたのは、SAOのアバターと全く同じ、艶やかな紺色の長髪を靡かせた美少女。SAO事件当時、アインクラッド攻略の最前線に立った攻略ギルド『ミニチュア・ガーデン』のリーダーのメダカこと、黒神めだかである。

 

「イタチがマンタの店しか利用しなかったという話しだが、仕方ないだろう?ベータテスターの顔馴染みだし、デスゲーム開始当初からアイテムの供給や資金援助をしていた間柄だ。浮気するのは躊躇われたんだろう」

 

「そんなこと言ったって……」

 

「あんまり根に持つのは、私も感心しないよ」

 

「深幸……あんたまで」

 

 めだかに次いで、里香を窘めるように割り込んできたのは、黒髪のショートカットで右目の泣き黒子が特徴的な少女、綾瀬深幸(あやせみゆき)である。SAOでは『サチ』というプレイヤーネームを使っていた彼女は、和人や明日奈、めだかのような攻略組ではなかったが、シリカと同じ様にとある事件をきっかけに和人ことイタチと関わりを持った人物の一人だった。

SAO時代に結成した、以前通っていた高校のパソコン研究会のメンバーで構成されたギルド『月夜の黒猫団』のメンバーとも繋がりが続いていたが、この高校へ入ってからは攻略組か否かを問わず、交流の輪がより広くなっていた。イタチという、ある意味SAOにおいて有名人な人物と知り合いだったというステータスも相まって、明日奈や里香、珪子、めだかといった女性プレイヤーとは友人関係になっているのだった。

 

「剣技や攻略の作戦指揮では一流だが、色恋……というより、他者と関わりを持つのが苦手なのだろうな。まあ、我々も気長に待つだけだな」

 

「そうだね。それより、今日のオフ会は、皆行くの?」

 

 和人のことに関しては、最早仕方ないと結論付けためだかの意見に同意する一同。そして、深幸が話題転換を図るべく、本日放課後に予定されている催し物について参加を問う。

 

「勿論、参加します!」

 

「私も!」

 

「無論だな。そもそも、会場が会場なのだ。私が参加しない筈があるまい」

 

 問われるまでも無かったらしい。その場にいた全員、参加表明するのだった。

 

 

 

 

 

 そして、その日の放課後。普通の学校と同様、部活動に勤しむ生徒やそのまま帰宅する生徒が行き交っていた。そんな中、和人はどちらにも属さず、校門を出てある場所を目指していた。校舎の敷地の外周部を歩くことしばらく、道路の端に停められていた車の前でその歩みを止めた。

 

「お待たせしました、ワタリさん」

 

「いいえ、お気になさらずに。それより、早く車へお乗りください」

 

 そこでは、黒い執事服に身を包んだ白髪に白髭、眼鏡をかけた男性が和人を待っていた。軽く会釈すると、車の扉を開いて和人を招き入れると、車を発進させる。ワタリの運転する車は、SAO生還者達の通う学校を離れていき、初めてワタリの車に乗せてもらった時と同じルートを進んでいく。そして、辿り着いたのは以前に訪れた事のある高層ビルだった。地下駐車場に入った車から降りた和人は、以前にも通ったことのある扉へ案内された。

 

「申し訳ありませんが、通信機器は全てこちらに」

 

「了解しました」

 

 以前にも指示された通り、手持ちの通信機器を預けて中へと入っていく。エレベーターで地下へと至り、最初に竜崎と出会った部屋の扉へと至った。

 

「既に竜崎は中にいます。それともう一人、和人様とは別に、ゲストが到着しております」

 

「ゲスト……その方は、竜崎の正体を御存じなのですか?」

 

「はい。『ファルコン』と言えば、お分かりになりますか?」

 

「!……来ていたのですか」

 

 ワタリが口にした『ファルコン』とは凄腕のハッカーであり、Lこと竜崎と並んでALO事件を解決に導いた立役者の一人である。卓越したハッキングスキルで数々の犯罪者を摘発するという、ある意味Lに似た功績を作っていた伝説のハッカーとして知られる人物だが、その素性はL同様謎に包まれており、性別・年齢・本名等一切が不明とされていた。

それが今、竜崎ことLと一緒に部屋の中にいるという。事件関係者である以上、和人がファルコンとも顔を合わせる機会があると予想はしていた。だが、己の正体を秘匿したがる竜崎ことLが同席し、三人揃って会うことになるとは思わなかった。

 

「それでは、中へどうぞ」

 

 話はそれまでと、ワタリがカードキーを使って扉を開く。両開きの扉が開くと、中は以前見たのと同じ、デスクの上にいくつものコンピュータが置かれていた。捜査本部然としたその部屋の一角にある小さな椅子に、二人の男性が腰かけていた。

 

「和人君、こっちです」

 

「おう!久しぶりだな、イタチ!」

 

 一人は、膝を抱えた特徴的な姿で座る、目の下に隈のできた男性。もう一人は、和人と同じ学校の制服だが、ワイシャツをズボンから出すなどだらしなく不良然とした姿の少年だった。

 

「高木藤丸……お前か」

 

 校舎の少年の名前は、高木藤丸。SAOでは、攻略ギルドの聖竜連合に所属していたメンバーの一人であり、キャラクターネームは『ファルコン』。天才ハッカーのファルコンがSAO生還者だったと聞き、まさかとは思ったが、現実世界でハッカーとして名乗っていた名前をそのままSAOで使っていたらしい。

 

「意外でもないだろ。SAOじゃあ、そのまま『ファルコン』だったんだからな」

 

「まあ、ある程度予想はしていたがな」

 

「でも、こいつの方がびっくりだろ。何せ、あのリュウザキの正体が、こんな引きこもりっぽい男で、しかもあの『L』だったんだぜ。予想の斜め上を行き過ぎだろ」

 

「余計なお世話です」

 

 ファルコンこと藤丸の容赦の無い評価に、言われた当の竜崎は若干不機嫌そうな声色で答える。表情の変化に乏しい竜崎だが、あまり良い感情を抱いていないことは、和人にも分かった。

 

「それより、俺達をここへ集めた理由についてそろそろ説明して欲しいのだが?」

 

 脱線を始めた話の軌道修正をするべく、和人がこの場所へ自分達が集められた理由について、主催者たる竜崎へ問いかける。

 

「そうでした。和人君と藤丸君にこの場所へ来てもらった理由についてですが、まずはALO事件についての報告です。」

 

「ALO事件については、須郷が逮捕されたことで実質的に解決されたと思うが……事後処理について何かあったのか?」

 

「はい。主犯の須郷に齎される刑罰についてですが、略取監禁と人体実験の罪状の成立はほぼ確定です。和人君を襲撃した際の、傷害・殺人未遂・銃刀法違反をはじめ、藤丸君の活躍のお陰で、レクト・プログレス本社で脱税、横領、株式の不正取引等が明らかとなりました」

 

「これで奴の社会的信用は完全に地に堕ちたな。蓄えていた研究内容についても、警察組織や政府が押収したのを横領しようとする連中がいたが、全員潰しておいた」

 

「……事後処理まですまないな」

 

 須郷の性格は下衆であり、積み重ねてきた所業も凶悪かつ残忍そのものだが、研究自体は軍事等において高い有用性を持つ上、人工知能開発の足掛かりにもなり得るのだ。押収されたそれらを狙い、警察や政府が管理するサーバーに攻撃を仕掛けるハッカーが現れてもおかしくなかった。そこでファルコンこと藤丸は、Lこと竜崎と手を組むことで、第二・第三の須郷とも呼べる存在が出現するのを防いでいたのだった。

 

「予想外の事態が連続していたが、ようやく事件も完全に決着か」

 

「そうだな。俺もバイト先兼就職先ができたし、万々歳だな」

 

「……バイト先?」

 

 藤丸が口にした予想外の単語を訝しむ和人。バイト先、さらには就職先とも言った。一体、どういうことだろうか。

 

「ああ、和人にはまだ言ってなかったな。俺、これから竜崎の下で仕事することになったんだ」

 

「本当なのか?」

 

「はい。彼の優秀なハッキングスキルには、目を見張るものがあります。これまで幾人もの犯罪者を摘発してきた実績もある以上、戦力としては申し分ありません」

 

 成程、納得できる理由である。名探偵『L』と伝説のハッカー『ファルコン』が手を組めば、まさに鬼に金棒だろう。同時に、竜崎が顔を晒してこの場所にファルコンを呼びこんだ理由についても納得した。先に二人がこの場所に来ていたのは、これから仕事を共にする関係で顔合わせをすることが目的なのだろう。

 

「コードネームはファルコンに因んで『F』です」

 

「……興味本意で聞くが、お前の組織の構成員は全員アルファベットで呼ばれているのか?」

 

「組織、というわけではありませんが、大概が私のようにアルファベットで呼び合っていますね。『F』も以前はいたのですが、五年前のウイルステロ事件で殉職して、空席になっていました」

 

「オイィッ!俺は補充要員かよ!縁起でも無え!」

 

「ちなみに、『I』も空席です。残念ながら『K』はお譲りするわけにはいきませんが」

 

「悪いが断る。俺はまだ進路を決めかねている」

 

 抗議する藤丸を余所に、さりげなく和人をスカウトする竜崎だったが、素気無く断られるのだった。忍としての前世を持ち、卓越した身体能力と戦闘能力を持つ和人を犯人逮捕の実働部隊として取り込めば、戦力倍増は間違いない。竜崎が藤丸と同様に戦力として欲しがるのも無理は無い話だった。

 

「そうですか……気が変わりましたら、いつでも声をかけてください。歓迎します」

 

「ああ。それから、お前の組織に属すつもりは無いが、仮想世界絡みの事件で俺の助けが必要になったら、出来る限りの協力はするつもりだ。こっちも必要ならいつでも声をかけろ」

 

「そうさせていただきます。ああ、あとそれからもう一つ」

 

「なんだ?」

 

「私の親友の仇を討ってくれたことに、改めて感謝します」

 

 その言葉に、和人は頭の中に疑問符を浮かべた。竜崎が口にした『親友』とは誰のことなのか。SAOの中ですら他者との交流がほとんど無かった竜崎に、そんなものがいたこと自体、初耳である。一体誰のことを言っているのかと和人が問いを投げようとするが、それに答えたのは藤丸だった。

 

「ライトのことだ。お前もベータテスターだったんだから、知っているだろう?」

 

 藤丸の口にした、『ライト』というプレイヤーネームに、和人は心当たりがあった。ベータテスト時代、カズゴやアレン、ヨウといったプレイヤーと並んで、正式サービス開始時に強豪となり得るとして和人がマークしていたプレイヤーの一人である。実力があることに加え、頭脳派で相当な切れ者だったため、デスゲームという状況下にあっても攻略組を率いると和人は考えていた。だが、デスゲーム開始から二カ月が経過した時点において、アルゴが調べたベータテスターの戦死者リストに名前を連ねていたのだった。死因はベータ版には無かったトラップに掛かったことが原因とされていた。

 

「私がSAOをプレイしたのは、ライト君の誘いがきっかけでした。デスゲームが開始された時、私は飽く迄ゲーム世界脱出のための抜け道を模索しようと考えましたが、彼は正攻法によるゲームクリアを唱えたことで、私達は対立してしまいました。結果、彼は私と袂を分かち、フィールドで命を落としました」

 

「……だが、それがお前の責任というわけでもないだろう」

 

「それを言うなら和人君もそうでしょう。しかし、ライト君は正しかったんです。茅場晶彦が作りだしたゲームには、抜け道など一つとしてありませんでした。そしてそれは、現実世界においても同様でした。解決後に聞いた話なのですが、どうやら茅場晶彦は、私の……『L』の正体を掴んでいたようです」

 

「それは本当なのか?」

 

 驚いた様子で尋ねる藤丸の問いに、しかし竜崎は首肯する。和人は大して驚いた様子は無く、あの茅場ならばやりかねないと、半ば以上納得さえしていた。

 

「茅場晶彦が私の正体を知るに至ったきっかけは、彼が私の育った施設を訪れたことがきっかけでした。世界中から集めた優秀な孤児たちに英才教育を施し、優秀な人材として世に輩出することを目的としたその施設に、茅場晶彦はコンピュータ系の情報技術を指導する講師として呼ばれていました。無論、その施設がLと通じているということは他の講師にも一切漏らさない機密事項だったのですが……どうやら、SAO事件を引き起こすに当り、Lやその関係者が動くことを予測し、訪問前にこの施設だと当りをつけていたようです。講師として訪れた後、茅場晶彦はその伝手を利用しては機密性の高い名探偵Lの情報を密かに集め、秘密裏に解決した事件のデータを入手していました。そして、SAO事件勃発に伴い、Lやその関係者が捜査に動いた場合、それらの情報がリークされると通告し、私の関係者の動きを完全に封じたというわけです」

 

「成程……SAO事件を解決する可能性のある人物についても根回しを行い、事前に動きを止めていたというわけか。」

 

 一万人ものプレイヤーを仮想世界へ閉じ込めるという大事件を引き起こすのだ。世界的名探偵のLが動くことは予想していてもおかしくない。日本警察の目を欺く自身はあったようだが、Lでは相手が悪いと判断し、予め捜査参加ができないよう手を打ったのだ。結果としてその策は功を奏し、SAO事件は二年に及ぶ膠着状態となったのだ。どこまでも抜け目ない茅場の計画に、藤丸は戦慄し、和人は内心で舌を巻いていた。

 

「お前やお前の関係者が捜査に介入できなかった理由は分かった。だが、SAO事件当時も、数週間が経過したあたりでお前達も助けが来ないことには気付いたんだろう?」

 

「はい。しかし、私がその結論に至った時には、プレイヤーとしては完全に出遅れていました。攻略組に追いつくことができないあの状況で私ができたのは、第二層から姿を現し始めた犯罪者プレイヤーに対処することだけでした。しかし、それはSAO内部におけるプレイヤー同士の問題の解決にはなっても、デスゲームと言う根本的な問題の解決にはなりませんでした。これではライト君の仇を討つ事もできず、私が第一層から予見していた、現実世界の人体の限界が訪れる。しかし、あなたは私の予想を裏切り、第百層に到達する前に茅場晶彦を討ち取り、ゲームをクリアしてくれました。本当に、ありがとうございます」

 

 改めて頭を下げて感謝を述べる竜崎。その姿はいつになく真摯で、竜崎の中でライトの存在がどれだけ大きかったかを表していた。そんな竜崎の姿を見て若干驚いた和人に対し、藤丸が続けた。

 

「ライトとは、五年前の事件を解決した間柄だったからな。竜崎にとっては、初めてできた友人だったんだしな」

 

「五年前……あのウイルステロ事件か」

 

 そういえば、和人が竜崎と初めて出会った時にも、Lとしての正体を語る上でそんなことを言っていた。ブルーシップと呼ばれるテロ組織を壊滅させるために働いた三人の功績者がおり、竜崎ことLもまたその一人である、と。ライトも恐らく、その一人だったのだろう。そして、藤丸もまたそれを知っていたということは……

 

「藤丸……お前もあの事件に関わっていたのか」

 

「正解だぜ、イタチ。ブルーシップが使う航空便を割り出したりして、連中の動きを把握するためにLに手を貸していたのは、俺だったんだぜ」

 

 パズルのピースが嵌まるかのように、全ての謎が解けた。竜崎と、彼が認めた天才少年のライト。そして天才ハッカーのファルコンの三人が協力して解決したのだ。だが、藤丸の実年齢は和人の一つ上。つまり、事件当時は中学一年生である。中学生でテロリストの捜査に通用するハッキングスキルを持っていたというのだから、恐れ入る。

 

「……成程。お前達の繋がりは大体分かった」

 

「まあ、そういうことです。あと、ライト君についてですが、お父さんがあなたのもとを訪れたと聞いています。覚えはありませんか?」

 

「ライトの父親?…………そういえば、銃撃で入院していた俺のところへ、眼鏡をかけた警察庁の刑事部部長を名乗る男性が、聴取をしに来て、最後に俺に感謝していたが……確か名前は、夜神総一郎だったか」

 

「その通りです。ライト君……夜神月君の父親であり、親を知らない私の知る限りにおいて、立派な父親です」

 

 真剣みのある声色で語る竜崎に、和人は確かにと得心する。真面目な雰囲気で、いかにも正義感の塊といった人物だった。その姿は、和人の前世の父親であるうちはフガクを彷彿させるものでもあった。

 

「ともあれ、話はここまでだな。今日は俺達はこれからオフ会だ。竜崎は一緒に……来れないか」

 

「はい。申し訳ありませんが、私は職業柄、顔を出すことができません。私以外の皆様でお楽しみください」

 

「分かった。悪いな、竜崎」

 

 和人と藤丸は竜崎へ軽く会釈すると、席を立って部屋の出口を目指す。

 

「はい。私もまだしばらくは日本に居る予定ですので、また会うこともあるでしょう。ワタリ、二人を会場まで」

 

「了解しました」

 

 竜崎の執事であるワタリに案内されるままに、駐車場まで送りだされる二人。そして、行きに乗ってきた黒い車に乗せられ、基地のあるオフィスビルを出て行く。

 

「それじゃあ、オフ会の会場まで頼みます。場所は……」

 

「申し訳ありませんが、俺は駅の方で下ろしてもらえますか?」

 

 車を運転するワタリに行き先を指示しようとした藤丸に割り込んで、和人が行き先の変更を願い出る。

 

「なんだ、そのまま会場に行くんじゃないのかよ」

 

「悪いが、迎えに行かなきゃならない相手がいるんでな。お前は先に行っていてくれ」

 

「仕方ねえな……まあ、いいぜ。俺は先に向こうに行って皆と待ってるわ。ってことで、ワタリさん。和人を駅まで連れてってください」

 

「かしこまりました」

 

 藤丸の、正確には和人の行き先変更を聞き入れ、ハンドルを切るワタリ。初めて車に乗せてもらった時と同じ、同乗者に揺れをほとんど感じさせない快適な乗り心地を提供しながら、しかし決して遅くはない運転で、高級車は目的地を目指すのだった。

 




サチの本名ですが、電撃風で「幸」という漢字を使おうと考えた結果、こうなりました。
リーファこと直葉とは仲良し。ALOの種族はウンディーネで、得意魔法は氷属性という設定にするつもりです。


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第七十七話 世界の種子

活動報告にて、キャリバーアンケートを開始致しました。
パーティーメンバーの希望について、読者の皆様の意見を伺っております。
ぜひ、回答をお願いします。


 

「お兄ちゃん!」

 

「直葉」

 

 駅前広場のベンチに座って待つ和人のもとへ走る直葉。手を振りながら喜色満面で駆け寄る義妹を、和人もまたベンチから立ち上がって手を振って迎えた。

 

「早かったね、お兄ちゃん。身体、大丈夫?」

 

「そんなに待ってはいない。それに、何度も言うが身体の方はもう大丈夫だ」

 

「そうかなぁ……でも、なんか動きがぎこちないし、稽古もできない状態だし……また襲われたりしたら、心配だよ」

 

「……俺はそんなに頻繁に襲撃されない」

 

 ここ数カ月の間、直葉が和人に会ってまず確認するのは、身体の調子だった。銃撃事件が発生し、SAO事件当時以上に死の危険に直面した和人のことを、直葉は誰よりも心配していた。和人が一週間の昏睡状態から目覚めた時には、SAO事件から帰還した時以上に大泣きしながら抱きついていたし、晴れの日も雨の日も病院を訪れ、稽古そっちのけで和人の看病とリハビリに付きっきりだった。退院後も同様……否、それ以上で、家の中にいる間は和人に四六時中べったりくっ付いて松葉杖を突いて歩く和人のフォローに回っていた。しかも、就寝時も一緒のベッドに入って介護態勢を万全にしていた程だ。流石に、一緒のベッドで寝るという行為に関しては早々にやめさせたが、和人の要介護者扱いは未だに続いていた。

 

「それより今日のオフ会だが、俺のことを根に持って明日奈さんに変に絡むなよ」

 

「分かってるよ。あたしだって、明日奈さんのことは恨んでなんかいないから大丈夫だよ。大体、考えてみればあの一件は、お兄ちゃんがあたしに黙って事件の捜査なんて無茶なことをしたのが原因じゃない。またあんなことにならないためにも、あたしがしっかり監視しておかないと」

 

「…………」

 

 痛いところばかりを突く妹だな、と和人は思った。文字通り死ぬほど心配をかけた直葉には、銃撃事件の話を持ち込まれると、全く頭が上がらない。明日奈を恨んでいないのはありがたいし、勝手な事をした自覚もあるが、自分の行動が制限されるのは出来れば勘弁してほしいと思う。

 

「ところで、明日奈さんとはSAOでの二年間に加えて、中学の頃も一緒だったんでしょ?」

 

「……それがどうしたんだ?」

 

「なら、あたしの強力な“ライバル”ってことになるね。今日は改めて、きちんと挨拶しておかないと」

 

「…………」

 

「それに、SAOでのお兄ちゃんの評判は凄いみたいだからね。他にもライバルがいないか、チェックする必要もあるかも」

 

「……………………」

 

 また、頭の痛くなるような言葉が義妹の口から発せられたと思う和人だった。大怪我の名残で緩慢だった和人の足取りが、さらに重くなっていくのだった。

 

 

 

 

 

「うわぁあ……凄いお家だねぇ…………」

 

 和人からオフ会の会場として案内された場所、正確にはそこに立つ建物を見た直葉が、呆然とした様子で声を発した。目の前に聳え立つのは、巨大な西洋風の屋敷。世間一般に言う、『金持ち』や『財閥』と呼ばれる人物が住む家であることは、一目瞭然だった。隣に立つ和人も無表情ながら内心は同じで、事前に話は聞いていたものの、実際に来てみると圧倒されてしまう。

 

「善吉曰く。めだかの実家の黒神財閥は『世界経済を担う大金持ち』だそうだ」

 

「凄い人がSAOをプレイしていたんだね。しかも、ゲーム攻略で活躍したギルドのリーダーなんでしょ?」

 

「……ああ、かなり活躍していたな」

 

 現実世界へ帰還し、同じ学校に通って分かったことだが、SAOのプレイヤーにはめだかを含め、極めて個性的な人物が多い。黒神財閥とは別の、名家の御曹司、某国の王女、有名作家・女優の息子、名探偵の孫、有名極道の倅、天才ハッカー、世界的名探偵、エトセトラ……

 しかも、そのほとんどが攻略組に所属していたという。確かに、強力なプレイヤー程強烈なプレイヤーが多かった。しかし、これ程までに個性の強い面子をまとめ上げ、命懸けのフロアボス攻略を七十五層までやってのけたアスナやメダカ、シバトラといったリーダー衆には脱帽ものだと感じた。

 

「それより、早く中に入るぞ」

 

「はーい」

 

 とりあえず、いつまでもこんな場所に立っているわけにはいかないと思った和人が敷地内へ足を踏み入れると共に、直葉にも中へ入るよう促す。和人が敷地へ入ると共に現れた屋敷の執事によって先導され、屋敷の中のパーティー会場へと連れて行かれる二人。

 

「それでは、お嬢様はこちらの会場におりますので、どうぞごゆっくり」

 

「ありがとうございます」

 

 屋敷の中にあるホールの前まで案内された後、執事は会釈するとそのまま立ち去って行った。残された和人と直葉は、かなり大き目の扉のノブに手を掛けて中へと入る。

 

「ようやく来たな!イタチにリーファよ!」

 

 ホールへ入った和人と直葉を迎えた第一声は、ホールの奥にあるステージの上に立つめだかからの歓迎の言葉だった。ホール内部には、和人と同じ制服姿学生や、ワイシャツ・スーツ姿社会人が大勢いた。皆、視線は来客である和人と直葉へ注がれている。

 

「……遅刻はしていない筈、だよな?」

 

「主役は最後に来るものですからね。あんた達には、ちょっと遅い時間を伝えたのよ。ささ、入った入った」

 

 集まっていた人間の中から出てきたリズベットこと里香が和人の手を引き、めだかの立つステージ上へと強引に引っ張っていく。されるがままにステージの上へ立ち、ジュースを持たされた。そして、マイクを持った里香が会場の来客に向かって口を開く。

 

『それではみなさん、御唱和ください。せーのぉ……』

 

「「「イタチ、SAOクリア、おめでとう」」」

 

 集まった来客全員による唱和、次いで歓声。そして、炸裂するクラッカーの音がホールの中に響き渡る。ステージの上に設置されたくす玉が割れて花吹雪が舞い、垂れ幕が下りる中で、カメラのフラッシュがいくつも明滅する。だが、和人は相変わらずの無表情のままだった。

 

 

 

「おう、イタチ。久しぶりだな」

 

「ああ、そうだなエギル」

 

 里香による唱和を皮切りにパーティーはスタートし、各々の自己紹介や挨拶が行われ、あとは飲むや食べるやのお祭り騒ぎが始まった。無論、和人をはじめとした未成年の学生にアルコール飲料に手を出すことは無く、しかし賑やかさは増していた。

 そんな中、和人が向かったのはSAO時代、和人ことイタチが御用達としていたアイテム店の店主にして、攻略組プレイヤーの一人であるエギルだった。

 

「しっかし、随分広い会場だよな。俺の店とは段違いだぜ」

 

エギルこと本名、アンドリュー・ギルバート・ミルズは、アフリカ系アメリカ人であり、生粋の江戸っ子である。台東区御徒町の裏通りに『Dicey Cafe』という喫茶店兼バーを構えており、和人もまた、ALOのグランド・クエスト攻略に必要だったSAO生還者の援軍を呼ぶための打ち合わせのために訪れたことがあった。

 

「ああ。最初はお前の店でオフ会をと予定していたが、予想外に人数が膨れ上がってな。めだかにこうしてホールまで借りなければならない程になってしまった」

 

「しかも、交友の輪はお前が中心じゃねえか。ALOの件で知る限りの連中全員に根回ししたが、まさかこんなに集まるとは、流石はイタチだな」

 

「オフ会を主催したのは、めだかやお前だろう。俺も賛成したのは確かだが……まさか、俺の名前だけで集まったわけではないだろう」

 

ビーターのイタチが参加するパーティーとなれば、色々な意味で話題になることは間違いないが、それが来客の増加に繋がる理由になるとは思えない。クラインやエギルをはじめ、SAO時代は攻略組の中では自分を気にかけてくれたプレイヤーが少なからずいたが、それを加味してもやはり人数が多過ぎる。それよりも、血盟騎士団副団長のアスナや聖竜連合総長のシバトラの名前に引かれて集まった人間の方が多いと考えるのが自然と和人は思った。

そんな風に考えている和人に対し、エギルはやれやれと呆れた表情を浮かべていた。そして、エギルに対して同調する人物は、このパーティーの中にも結構な数いる。

 

「オイオイ、今日の主役は間違いなくお前なんだから、もう少し愛想よくしたらどうなんだ?」

 

「コナン……いや、新一か」

 

和人とエギルの前に現れた少年、コナンこと工藤新一も、その一人である。ノンアルコールのシャンパンが入ったグラスを片手に、肩をすくめながら和人達の方へと歩み寄っていく。

 

「別に、蟠りがあるわけじゃない。これが俺のいつも通りの状態だ」

 

「全く……、アインクラッドじゃあお前、いつもそんな風だったよな。SAOはクリアされたんだから、もう必要悪のビーターを演じる必要も無いだろうに」

 

「分かっている。これでも一応、学校では社交的に振る舞っているつもりだ」

 

「どーだかなぁ……」

 

「…………」

 

怪しいものだ、とばかりに訝る新一の視線に、和人は閉口する。アインクラッドでのコミュニケーション不足を反省した和人は、現実世界への帰還後の振る舞いについて、改善に努めていた。具体的には、他者との関わり合いをできる限り拒否しないようにしている。

だが、対人能力の改善等、一朝一夕でできるものではなく、極めてスローペースな変化だった。忍としての前世を持つ和人ならば、己の心に仮面を被せて表面上だけ取り繕うことは不可能ではない。それをやらないのは、上辺だけの付き合いを好まない和人なりの思いがあってのことだった。

 

「おーい、エギルにイタチ!」

 

 疑いの眼差しを向けるコナンと、気まずそうにするイタチとの間に、しばしの沈黙が流れる。だがそれは、新たに現れた人物によって遮られた。和人達三人が振り向くと、そこには頭に悪趣味なバンダナを巻いて、ワイシャツの腕を捲った男性がジョッキ片手に手を振りながら近づいてきていた。そのすぐ傍には、同じくスーツ姿の、しかしこちらは幾分かぴしっとした着こなしをしている男性の姿があった。前者は攻略ギルド『風林火山』のリーダーだったクライン、後者はアインクラッドの治安維持に当っていた『アインクラッド解放軍』のリーダーだったシンカーである。どちらも和人とエギルにとって見知った顔だった。

 

「クラインか。それにシンカーさん、お久しぶりです」

 

「イタチさん、その節は大変お世話になりました」

 

「いえ、お気になさらずに。それより、ユリエールさんと入籍なされたと聞きました。おめでとうございます」

 

「いやまあ、まだまだ現実に慣れるのに精いっぱいって感じなんですけどね。ようやく仕事も軌道に乗ってきましたし……」

 

「いや、全く実にめでたい限りじゃないですか!そういえば、見てるっすよ、『新生MMOトゥデイ』」

 

 和人に続き、クラインからの軽い祝辞に若干照れた様子のシンカーだった。

 

「いや、お恥ずかしい。まだまだコンテンツも少なくて……それに、今のMMO事情じゃ、攻略データとかニュースとかは、無意味になりつつありますしね」

 

 苦笑しながら話すシンカーの言葉に、和人と新一もまた、若干ながら苦笑を浮かべる。そこでコナンは、思い出したようにエギルへ質問を投げ掛けた。

 

「そういえばエギル、例の『種』はどうなっている?」

 

コナンの問い掛けに、和人はピクリと反応を示した。一方、問い掛けられたエギルは、質問をしたコナンに次いで、和人の方へと顔を向ける。その顔には、にやりとした笑みを浮かべていた。そして、予め用意していたのであろう、手持ちのカバンからタブレット端末を取り出してその場にいた四人に見せつけた。

 

「すげえもんだぜ。今、ミラーサーバがおよそ五十……ダウンロード総数は十万、実際に稼働している大規模サーバが三百ってとこだな」

 

 

 

 須郷との仮想世界での最終決戦の際、和人はノアズ・アークと共に現れた茅場晶彦――正確には、その思考模倣プログラム――から、世界の種子こと『ザ・シード』と称されるプログラム・パッケージを渡されていた。和人はこのプログラムについて、ALO事件を共に解決した立役者である竜崎ことLを通して、天才ハッカー・ファルコンこと高木藤丸に解析を依頼した。結果、ザ・シードの正体は、フルダイブ・システムによる全感覚VR環境を動かすためのプログラム・パッケージであることが判明した。要約すると、回線の太いサーバを用意し、パッケージをダウンロードすれば、誰でもネット上に仮想世界を作ることが可能となるプログラムなのだ。和人はLを通して、引き続きプログラムに関してあらゆる可能性を徹底検証することを依頼した。結果、このプログラムを運用することでSAO事件のような重大な事態が発生する危険性が無いことが証明された。飽く迄解析した限りでの話ではあるが、ファルコンのお墨付きである以上は、ほぼ確実だろう。

 運用に関して危険性が無いと証明されたことで、和人はこのプログラム・パッケージをどうするかという選択肢に直面した。解析を依頼したファルコンや、その仲介役となったLは、ザ・シードの扱いについては一切を和人に委任する意思を表明している。茅場晶彦から受け取ったプログラムであるとはいえ、所有者は和人である。加えて、SAO事件とALO事件を解決した明晰な頭脳の持ち主であり、茅場晶彦自らが見込んで制作スタッフとした経緯がある。このことから、Lは和人を、茅場晶彦の思考を理解しながらも、世間一般の法律や倫理に基づき、己を殺した上で冷徹な思考と行動ができる人物と評価したらしい。ともあれ、仮想世界を創造するプログラムを託された和人に迷いは無く、既に決心はついていた。

 

――「このプログラムを、全世界に解放する」――

 

 それが、和人の――イタチの出した答えだった。無論、茅場晶彦の作ったプログラムである以上、世界を揺るがす災厄の種にもなり得る可能性を秘めていることは和人とて承知していた。だが、うちはイタチとして忍世界の闇を知り尽くした和人は、人の抱く欲望とその業の深さを誰よりも理解している。故に、一度は実現した仮想世界をそう簡単に諦めるとは思えなかった。SAO事件から一年と間をおかずにアミュスフィアという後継機が開発され、ALOのようなVRMMOが運営されていたように、人が抱く仮想世界への飽くなき欲望を封じ込めることなど不可能である。C事件然り、SAO事件然り、ALO事件然り……どれだけ過ちを繰り返し、禁断の技術と称して時の科学者や政治家が封印を施そうとも、仮想世界の可能性を追い求める者は必ず現れ、その戒めを破る日が到来する。詰まる所、ザ・シードを破棄・消去したところで向こう数年、仮想世界関連の犯罪が起こらない世の中になるだけというのが和人の見立てだった。

どれだけの過ちを繰り返したとしても誰もが欲し求める限り避け得ない文明の進化ならば、今更蓋をしたところで意味は無い。ならばいっそのこと、新たな時代への扉を自ら開け放つ。そして、自分がその行く末を見守ることができる間に、起こり得る全ての問題に立ち合い、己の手が届く限りの範疇でそれらを解決して仮想世界の未来を正しい方向へと導く。和人は、それこそが仮想世界の創造に携わった自分が新たに歩むべき道であると結論づけると同時に果たすべき責務として自らに課したのだった。

無論、ザ・シードを世に放つという決意に、和人個人の感情が含まれていないわけでは無い。和人が茅場に協力した当初の理由は、茅場が歓声を目指していた『仮想世界』という空間が、前世のうちはイタチとして使っていた『万華鏡写輪眼』が展開する幻想世界『月読』に似ていると感じ、興味を持ったことに端を発しているが、今ではそれだけではない。前世の記憶とは無関係に、仮想世界やその行く末に純粋に強い関心、或いは執着にも似た感情を抱いている。それは、現世を生きる己の存在があやふやに思えた故の逃避先欲しさからではない。ただ淡々と前世を引き摺るままに生きるだけの現世では手に入れることのできなかった、そして和人が求めていた多くの大切な物を齎してくれた場所。それが仮想世界だったからだ。今この場所にいる仲間も、前世の弟の面影を重ねて距離感が曖昧だった直葉との絆を確かめるきっかけも、仮想世界無くして得ることはできなかった。だからこそ、和人は自分にとって重要な意味を持ったこの世界を守ろうと思ったのだった。

 

「イタチ、どうしたんだよ、オイ?」

 

「……いや、なんでもない」

 

「どうせまた、こいつをばら撒いて良かったのかなんて思い返してんじゃねえのか?」

 

 達観したような口ぶりで和人の心中を言い当てるエギル。どうやらまた、無意識の内に無表情のままで考え込んでしまったようだ。それを聞いていたクラインは、呆れたような顔で和人に迫る。

 

「まだンなこと考えてんのかよ。今のところ、トラブルの類は起きてねえみたいなんだから、良いじゃねえか」

 

「表面上はそうだが……やはり、茅場晶彦の作ったプログラム、だからだろうな」

 

「散々解析は済ませてんだから、それでも何か起きたとしても、どうしようもねえよ。それに、『ザ・シード』のお陰でALOだって復活したんだ。そこは素直に喜べよ」

 

 若干酒が回ったテンションでクラインから出される指摘に、和人は僅かに苦笑した。ザ・シードが世に出回ったお陰で、死に絶える筈だったVRゲームは次々息を吹き返し、須郷の人体実験の舞台となったアルヴヘイム・オンラインすらも復活を遂げたのだった。ALOのプレイヤーでもあったベンチャー企業の関係者が共同出資で新たな会社を立ち上げ、レクト・プログレスから無料に近い額で全データを買い取り、プレイヤーデータも完全に引き継がれたのだった。プレイヤーに関しても、事件後ゲームを辞める人間は一割にも満たなかった。また、元SAOプレイヤーに関して、サスケやコイルのようにSAO時代のアバターの容姿やステータスといったキャラデータを任意に引き継ぐことが可能となっていることから、プレイヤー人口はむしろ増えたと言っても良いだろう。

 そして、誕生した世界もまた、アルヴヘイムのみに止まらなかった。企業や個人に至るまで、数百に上る運営者が名乗りを上げ、次々とVRゲーム・サーバが稼働した。そして、自然な流れとしてそれらは相互に接続されるようになり、ひとつのVRゲームで作ったキャラクターを、他のゲーム世界へコンバートできる仕組みも整いつつある。

 

「和人、お前の不安を拭えない理由は分かる。けど、いつまでも責任を引き摺るのもどうかと思うぜ」

 

「全く気にしていないと言えば嘘だが……今、俺が考えていたのは別のことだ」

 

「……もしかして、コレをお前に渡した……“奴”のことか?」

 

クラインとエギルが、シンカーとの語らいに興じており、聞こえていないことを確認しながら、新一が発した問い。それに対し、和人は黙って頷いた。その顔を見て、先程までの呆れた表情から一変して、神妙な表情を浮かべる新一。新一が“奴”と呼んだのは、茅場晶彦のことではない。仮想空間で須郷ことオベイロンと直接対決をした際に、和人ことサスケを助けた、茅場晶彦の友人を名乗った少年――ノアズ・アークである。

 

「正確には、コレを渡したのはそいつの友人で、俺の元共犯者なんだがな。確か、お前の知人でもあったな。彼……いや、彼の前身は」

 

「ああ。それにしても、お前からアイツの話を聞いた時には、本気で驚いたぞ」

 

「だろうな」

 

和人とコナンが現実世界で顔を合わせたのは、ALO事件後に負った重傷から目覚めてから始めた、リハビリの中だった。新一と再会した和人は、SAO事件とALO事件の詳細についての情報交換を行う中で、ノアズ・アークのことについても話していた。

聞いた当初、流石の新一も何の冗談かと耳を疑った。しかし、九年前のC事件の当事者しか知らなかった、クリアしたゲームのタイトルや、新一がゲームをクリアした等の、一般には報道されていない情報が和人の口から出たことで、信じるに至ったのだった。

 

「九年前の、あの事件を最後に、消滅したとばかり思っていたんだが……」

 

「あんな形で、電脳世界を旅していたとは、流石のお前も予想外だったようだな」

 

和人の言葉に対し、新一は不機嫌そうな表情になる。名が付く程の探偵張りの推理力を持つ新一にとっては、この展開を予測できなかったことはある意味、恥でもある。加えて、友人だと思っていた、ノアズ・アークことヒロキの行方を知ることができなかったことに対する後悔もあるのだろう。

 

「それにしても、まさか、お前があのC生還者だとは思わなかったがな。SAOを始めた経緯についても、蘭から聞いた。お前にも、色々と複雑な事情があったようだな」

 

「……まあ、お前程じゃないがな」

 

「言ってくれるな。それでお前は、今後ノアズ・アークに会うつもりはあるのか?」

 

「……いや。俺はこっちから積極的に関わるつもりは無い。けど、人工知能が悪用されるような事件が起きれば、また会う機会もあるだろう」

 

「……そうだな」

 

片や、ザ・シードをはじめ、仮想世界を舞台に起こる事件の全てに立ち向かうことを誓った、忍の前世を持つ少年。

片や、目の前で起こる事件と、その中に潜む悪意に立ち向かい、たった一つの真実を見抜くことを使命とした少年探偵。

そんな二人なのだから、ノアズ・アークが関わる事件が起これば、顔を合わせることは必定。彼等の行く道は、必ずどこかで交わる運命へと続いている。SAOという窮地を共に潜り抜けた二人は、そう直感していた。

 

「それに、俺はC事件の時から、ノアズ・アーク……ヒロキ君のことを友達だと思っている。困っているなら、協力してやりたいともな」

 

「その時は、俺も呼べ。ALO事件で助けられた借りがあるし、仮想世界で起こる事件なら俺は必ず駆けつけるつもりだ。それに、お前と同じように、俺もあいつのことを仲間だと思っている」

 

和人の口から出た「仲間」という言葉に、コナンは意外そうな表情を浮かべる。だが、一見無表情なイタチの内心を察すると、その顔は嬉しそうな表情へと変わった。同時に、イタチもまた僅かながら笑みを浮かべる。

 

「オイオイ、イタチにコナンよぉ!そんなトコで二人だけで話しこんでないで、こっち来いよ!」

 

「何の悪だくみの相談をしているか知らねえが、そんなところをアスナちゃんにでも見られてみろ。妙な誤解を受けるぞ」

 

和人と新一の、ALO事件後についての情報交換は、例によってクラインとエギルに遮られることとなった。後者のエギルの言葉に対し、和人と新一は額を押さえてしまう。

 

「バーロ。妙なことを言っているんじゃねえよ」

 

「全くだ……そういえば、二次会の予定に変更は無いのか?」

 

ふと、思い出したように和人が放った質問。それに対し、エギルは得意気な顔で口を開いた。

 

「ああ。今夜十一時、イグドラシル・シティ集合だ。ついでに、例の『城』も動かす準備は整っているそうだ。サーバ丸々一つ使ったらしいが、ユーザーの数もうなぎ昇りだ。金には困らない」

 

「成程な……」

 

 『二次会』と聞いて、和人の聞きたい案件を察知したエギルから為された説明を受けた和人は、感慨深げな表情で、ホール天蓋に取り付けられた窓を見上げた。窓の向こうに見える空は、既に夜の帳が下りて闇色に染まっている。和人はその狭い枠の中に煌めく星空の中に、ある巨大な物体を幻視していた。天空に浮かぶ、巨大な鉄の『城』を――――

 

「やっほー!会いたかったよ、イタチ!」

 

 パーティーの喧騒の中、一人夜空を眺めて物想いに耽っていた和人に、正面から突如抱きつこうとする少女が現れる。和人は咄嗟に身を翻して抱擁を回避したことで、少女は不満そうな顔を和人へ向けた。その顔は案の定、SAO見知った人物のそれだった。

 

「ララ……俺に抱きつこうとするんじゃない」

 

「も~、イタチったら。折角のパーティーなのに、なんでそんな風に意地悪するの?」

 

 頬を膨らませながら怒っていることをアピールする少女の名前は、ララ・サタリン・デビルーク。かつてのプレイヤーネームも同じく『ララ』となっていたこの少女は、SAOにて和人ことイタチを助けた生産職プレイヤーの一人である。天真爛漫で前向きな性格なのだが、他を顧みない面が多々あり、和人に対して会う度にこうして大胆過ぎる行為に走るため、当人にとってこれが頭痛の種になることが常だった。

 

「お前も王女なんだ。もっと身の振り方には気を付けるべきなんじゃないか?」

 

「イタチまでパパやザスティンと同じこと言って……別にいいじゃない、パーティーなんだもん」

 

「羽目を外すにも程があるだろう……」

 

 身分を弁えないララの行動を窘める和人だったが、本人はまるで聞く耳を持たない。そんな彼女の態度に、和人は頭を抱えて溜息を吐きたくなる想いだった。

 彼女、ララ・サタリン・デビルークは、欧州デビルーク王国の第一王女である。SAO事件が発生した年に来日していた彼女は、世界初のVRMMOのソードアート・オンラインに興味を持ち、財力に物を言わせてソフトを入手し、事件に巻き込まれたのだった。一王国の王女がデスゲームに囚われたことで、和人達がSAO事件に巻き込まれていた時期に外交問題に発展したこともあったという。デビルーク王国は、軍事産業で欧州・米国をはじめ世界中の国々に多大な影響力を持つ国家であったことから一時期は日本国内に緊張が走ったらしい。特に国王でありララの父親のギド・ルシオン・デビルークに至っては、「ララが生きて還って来なかったら、日本を消滅させる」と宣言したという。

 しかも、ララはSAOクリア後の未帰還者の一人に名前を連ねていたのだ。後から分かったことだが、須郷は研究が終わった後に未帰還者三百名を解放し、その手柄を利用してレクトの乗っ取ると同時に多方面に多大な貸しを作るつもりだったらしい。和人やLの活躍に依り、その陰謀は全て潰えたが、デビルーク王国国王・ギドの怒りは納まらず、レクトという会社が社員とその家族もろとも社会的・物理的に抹消される危機に瀕した。和人はそれを防ぐべく銃撃事件の負傷によって車椅子が無ければ身動きできない状態で無理を押して説得を試み、ララがその援護を行ったお陰でギドは怒りを納めるに至ったのだった。

 

「まあ……お前にはギド王を説得するのに力を借りたからな。そのことには感謝している」

 

「どういたしまして!まあ、パパも結構やり過ぎな感はあったからね~。それより、私に感謝してくれるなら、もっと……」

 

「ちょっとララ!和人君に何してるの!?」

 

「ララさん、抜け駆けはいけませんよ!」

 

 ララの積極的過ぎるアプローチを察知した明日奈や珪子が、怒りを露にやってくる。パーティー会場のど真ん中、和人を中心に女性同士の言い合いが始まり、周囲の視線が集まっていく。

 

「お、イタチがまた女絡みのトラブルに巻き込まれてるぞ」

 

「相変わらず懲りねえなぁ……」

 

「SAOの時にもこんなことあったもんな」

 

 そして集まってくるのは、決まって和人と関わりの深かった元SAO攻略組プレイヤーであり、明日奈を巻き込んだ女性関係のいざこざについて詳しく知っている人物達である。SAO時代の和人の昔話を肴に女性陣の喧嘩観戦を始めるパーティーの来客達に、和人はますます頭が痛くなった。

 

「イタチ、ファイトだぜ」

 

「これも試練だと思って、感受することだな、若者よ」

 

年長者二人、クラインとエギルからの身も蓋も無い言葉に、しかし和人は反論できず、頭を抱えるばかり。そんなイタチの内心を知らず、隣では、ララと明日奈、珪子といった、イタチと関わりのある女性達が集まって騒ぎを拡大させていた。周囲のギャラリーはそれを囃し立て、言い争いをヒートアップさせるばかり。

 

(だが、悪くはない……)

 

パーティー会場で大騒ぎする面々へと視線を配る中で、イタチは密かにそう思っていた。この場所に集まった面々との間にできた、確かな『繋がり』。それは、前世の自分が手に入れることの叶わなかったものであり……それでいて、自分が確かに『変化』を遂げたことの証なのだから。

 




フェアリィ・ダンスは残り一話で完結致します。
年末の投稿では、ファントム・バレットのプロローグとなります。
ちなみに、死銃事件におけるコナンの出番はありません。代わりに、GGO世界に行けば間違いなく最強の人物が登場します。
その人物、そしてコナン不在の理由については、プロローグにて明らかにされます。


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第七十八話 フェアリィ・ダンス

ファントム・バレットで登場する、GGO世界に行けば間違いなく最強のパロキャラについてですが、感想欄で正解を出した方は、今のところ1名だけでした。
基本、登場させるパロキャラは、ジャンプ、サンデー、マガジンのいずれかの人気作品に登場していることが条件になっています。


 和人を中心に思い出話に花を咲かせて盛り上がる喧騒の外で、直葉は一人その様子を眺めていた。普段は見せない、困り果てて立ち尽くす和人を中心に、SAO時代の話しに花を咲かせる元プレイヤー達と、和人を巡って言い争う女性達。同じ世界を生きた者同士の世界が目の前にあり、中心に居る和人と自分を隔てる見えない壁が存在するかのように思えてしまう。

 

「どうしたの、直葉ちゃん?」

 

「蘭さん……」

 

 そんな直葉に声を掛けたのは、彼女と同じシルフ族のALOプレイヤーの毛利蘭だった。彼女も直葉同様、SAO生還者ではないが、ALO事件を解決した立役者の一人として、直葉と共にこのオフ会へ呼ばれていたのだった。

 

「なんか、居辛くて……」

 

「ああ、成程ね。私の方も、新一が勝手に盛り上がっちゃってね。ほら、あそこ。こうして私だけ置いてけぼりにされちゃったのよ」

 

「……ちょっと、寂しいですよね」

 

 SAO事件から引き摺っていた因縁全てを清算し、真の意味で仮想世界から帰還した筈の兄の姿が遠く感じる。和人の家族であり、ALO事件を解決するために和人と協力した立役者の一人である筈の自分が、何故かここにいることが場違いに思えてしまう。言いようの無い、寂寥感や空虚感に似た感情が心を支配し、居心地を悪くしているような気分だった。

 

「全く……新一もそうだけど、和人君も本当に仕方ないわね」

 

「いやぁ……でも、仕方ないですよ。お兄ちゃんにはお兄ちゃんの付き合いがあるんですから」

 

「けど、それで引け目を感じて諦めることは無いわよ。和人君の傍に居たいのなら、思うままに行動すると良いわ」

 

「そう……ですね」

 

蘭から激励の言葉を受けて、しかし直葉は力無く返事をすることしかできなかった。だが、いつまでも元気の無い姿を見せるわけにもいかないと思った直葉は、ここで一つ、先輩をからかいを入れることにした。

 

「私もそうですけど、蘭さんも新一さんと、もっと仲良く……いえ、進展できるように頑張ってくださいね」

 

「なっ!ちょ、ちょっと直葉ちゃん!」

 

普段は大人しい後輩からの奇襲に、蘭は顔を赤くしてしまう。傍から見ても、非常に分かりやすい反応である。そんな、慌てふためいた蘭の姿を見て、直葉は笑いながらからかいをエスカレートさせていくのだった。

背中を押すために励ましの言葉を送る蘭だが、直葉の機転のお陰で、暗かった表情は幾分か明るさを取り戻していた。一方の直葉は、蘭と話をしている傍らで、その視線はすぐそこでSAO帰還者達の輪の中心に立っている和人の姿を捉えていた。

ただし、すぐそこに居る筈の和人と自身、互いの距離は、やはり曖昧なままだった――――

 

 

 

 

 

アルヴヘイム・オンラインの世界の中心に聳え立つ巨木、『世界樹』。かつてはグランド・クエストの舞台として知られ、それを征した者のみが到達できる聖域と化していた頂上部には、巨大な街が作られていた。その名も、『イグドラシル・シティ』。新生ALOのアップデートに伴い、新たに作られたこの街は、根元にある央都アルンと世界樹内部に作られたエレベーターを通して繋がっており、アルヴヘイム一高い場所にある街として知られている。

そして、現在時刻は十時五十分。月が天高く昇っている、現実世界と同じく夜景も美しい現在、イグドラシル・シティの広場には、数十名のプレイヤーが集まっていた。皆、種族も武器もバラバラで傍から見ると何の集団なのかはまるで分からない。

 

「……遅いな。リーファの奴、何をやっているんだ?」

 

 そんな集団の中心に立つ、黒ずくめの少年プレイヤーが訝しげに口を開いた。頭には猫の耳と尻尾を生やした少年の種族は、モンスターのテイム能力に特化した猫妖精族『ケットシー』である。苛立ちと心配を綯い交ぜにした声を発するその少年に、禿頭のチョコレート色の肌をした土妖精族『ノーム』の中年プレイヤー、エギルが話し掛ける。

 

「オイオイ、イタチよぉ……お前等同じ家にいるんだろう?どうして一緒にダイブしなかったんだよ」

 

「直葉が先に行っていると言い出したんだ。約束の時間についても念を押した」

 

「それがどうして、来ていないんだよ。お前ぇ等、何かあったんじゃねえか?」

 

 エギルに次いで口を開いたのは、現実世界同様、頭に悪趣味なバンダナを巻いた火妖精族『サラマンダー』の男性プレイヤー、クラインである。この場所にいるのは、イタチをはじめ元SAOプレイヤーであり、エギルやめだかが主催したオフ会の出席者で占められている。その二次会に相当する集まりを、同日十一時に予定していたのだが、未だに予定していたメンバーは全員集まっていなかった。その最後の一人こそ、イタチの妹である、直葉ことリーファだった。

 

「何があったか……俺の方が知りたいくらいだ」

 

「全く……SAOの頃はアスナと色々あって、今度は妹?あんたはどんだけ女の子を振り回せば気が済むのよ」

 

「リズの言う通りだよ。私ともそうだけど……妹さんとも仲良くしないと駄目だよ、イタチ君」

 

 リーファ不在の理由が分からないと言うイタチに対し、避難の視線を浴びせるのは、鍛冶妖精族『レプラコーン』のリズベットと、水妖精族『ウンディーネ』のアスナだった。前述通り、SAO時代に女性関係で複雑な経緯があったイタチは下手に反論することはできず、沈黙を貫くばかりだった。

 

「ふふふ、道場と仮想世界では最強の和人君でも、女の子の相手はやっぱり厳しいみたいね。でも、直葉ちゃんはあなたのこと、自慢のお兄ちゃんだって言ってるんだから、頑張らなきゃ駄目よ」

 

「……承知した」

 

「それから、コナン君も他人事だと思わないように。あんまり無茶ばっかりして、周りをやきもきさせるのは控えなさい」

 

「分かったよ……」

 

ランから小言を受けたイタチに続き、そのとばっちりを食らったコナンまでもが返事をするなり閉口した。二人とも、かなり痛いところを突かれたとばかりにばつの悪そうな顔をしていた。

 

「二人とも、よろしい。けどイタチ君は、そのリーファちゃんを迎えに行かなきゃね。さあ、今すぐに行ってらっしゃい」

 

「ああ、分かった」

 

 リーファの親友にして、同じ風邪妖精族『シルフ』のランに促され、今ここに居ないリーファを探すべく背中にスプリガンのイメージカラーである黒い翅を広げるイタチ。飛び立つ前に、その場にいた仲間達の方を向く。

 

「リーファを探しに行ってくるが、時間までに戻らなかったら、先に行ってくれて構わない」

 

「分かったよ。イタチ君、リーファちゃんによろしくね」

 

「了解しました、シバトラさん」

 

 集合したメンバーを代表するように前へ出た猫妖精族『ケットシー』のシバトラに一言断ると、イタチはフレンド登録しているリーファの居る方角を確認してその方向へ飛び立った。

 

(リーファは……まだ見えんか)

 

 月と星々の光が注ぐアルヴヘイムの夜空を高速で飛行しながら、イタチはリーファを探す。リーファは既にログイン時に逗留していたケットシー領地の首都『フリーリア』を出てアルンへ向けて飛び立っているようだった。フリーリアからアルンへ至るための最短ルートは、蝶の谷と呼ばれる場所を通過した後、平原をひたすら真っ直ぐ飛ぶのみであり、ルグルー回廊のような飛行禁止エリアは存在しない。

妖精王オベイロンこと須郷伸之の支配したALOが崩壊し、新たな管理者によって誕生した新生ALOには、飛行時間に制限が存在しない。旧ALOにおいて、グランド・クエストの報酬とされていた限界飛行時間フリーパスが、全てのプレイヤーに付加されているのだ。飛行限界高度と飛行禁止エリアは存在するが、このゲーム最大の目玉たる飛行エンジンは大幅にバージョンアップされているのだ。

お陰で、限界飛行時間が存在した旧ALOでは、飛行禁止エリアの無い場所でも到着に数時間を要した旅路も、数分の一まで時間短縮することが可能になった。特にリーファのようなスピードホリックのプレイヤーの場合は、フローリアからアルンまでの所要時間は三十分程度で事足りる。よって、リーファのいる場所にはそろそろ到達できる筈なのだが、未だにその姿を捉えられない。

 

(場所はこの辺りでいい筈だ……これで姿が見えないとなれば……)

 

 フレンド登録によるマップ上の位置は、今イタチがいる場所のあたりで間違いない。これで見渡す限りの範囲で姿が見えないとなれば……

 

「上、か……」

 

 恐らく、限界飛行高度ギリギリを飛行しているのだろう。リーファが何を思い余って飛んでいるのか分からないが、とりあえずこちらも飛行高度を上げることにした。そして、十数メートル上空へ飛んだところで、視界に目標の人物が入った。

 

「リーファ……!」

 

 上空から雲を切り裂きながら落ちてくる人影。緑がかった金髪のポニーテールを靡かせながら地上へ向かって真っ逆さまに落ちて行くその人物は、紛れも無くリーファだった。恐らく、限界飛行高度に到達して、撥ね返されたのだろう。だが、何を考えているのか、翅を広げて体勢を立て直そうとする様子が無い。

このまま放っておけば、地面に身体を叩きつけられてHP全損は免れない。リメインライトを回収して蘇生アイテムを使えば済む話とはいえ、当然放置することなどできない。イタチは黄色の翅を広げ、漆黒のコートの裾を靡かせながら一気に加速してリーファの落下する方向へ先回りし、その身体を受け止めた。

 

「……お兄ちゃん?」

 

「危なかったな……どこまで昇るつもりだったんだ?」

 

「ご、ごめん……」

 

 

 

 自分を受け止めて姫抱きするイタチを不思議そうに見るリーファだが、そんな妹に対し、イタチは咎めるような口調で話し掛けた。イタチの手を借りて体勢を立て直し、翅を広げて空中にほ場リングする。そして、ふと気になっていたことを問いかけた。

 

「ねえ、お兄ちゃ……イタチ君。なんで他の人みたいに、もとの姿に戻らなかったの?それに……どうして、新しいアカウントを取って、スプリガンからケットシーになったの?」

 

アスナをはじめ、多くの元SAOプレイヤーは、ALOをプレイする上でSAO時代のプレイヤーデータを引き継いでいる。故に、各種スキルの習得度は勿論、容姿に関しても髪色等に種族補正がかかっているとはいえ、現実世界のそれに近いものとなっている。だが、和人はSAOのデータを引き継いだサスケのデータを残しながらも、新たなアバター『イタチ』を作ったのだ。

SAO時代のアバターとは別に、レベル0に相当する新たなアバターを、ゲームを楽しむために生成する人間はアスナをはじめ複数いる。そのため、和人に対して新規アバター精製の理由を問う人間は特にはおらず、和人自身もその意図を明らかにすることはなかった。ちなみに、『ケットシー』を選択した理由については……本人も上手く説明できないらしい。これはリーファも知らないことなのだが、種族選択について考えた際、“前世の声”がケット・シー……否、ケットシーを押していたような気がして、結果的に選んだ経緯があった。

ともあれ、リーファは改めてイタチの新規アバター作成の理由について聞いたのだが、イタチは若干考え込むような素振りを見せた後、口を開いた。

 

「SAO世界のイタチ――ALOのサスケは、俺の前世の分身だ。戦いが終わった以上、悪戯に使うべきじゃない」

 

「お兄ちゃんが言っていた、前世の忍者のこと……だよね」

 

「ああ」

 

 

 

 須郷伸之による銃撃から一命を取り留め、目を覚ました和人は、ある決意をしていた。それは、十年以上の間隠し続けていた秘密、即ちうちはイタチという名の前世の記憶について語ること。SAO事件に続き、須郷の銃撃事件で生死の境を彷徨ったことで、直葉には並みならぬ心配をかけたのだ。その上、前世の記憶を引きずり、自分と本当の兄妹になりたいと言ってくれた義妹に、これ以上秘密を隠し続けたくなかったのだ。

無論、異世界を生きた前世の記憶があるなどという話をしたところで、信用してもらえる可能性は非常に低い。怪我の後遺症で脳がおかしくなったと思われても仕方が無い。最悪の場合、軽蔑される可能性だってあった。かつてのうちはイタチには有り得ない、数々のリスクを顧みない甘い考えのもとでの選択だと今でも思うが、そこに後悔は無かった。

 

 

 

そして、直葉に前世の記憶云々の話をした当初は、当然のことながら本人には困惑された。今まで真面目な性格だった兄が、真剣な話しと言ってこのような荒唐無稽なことを言い出したのだから、当たり前の反応である。やはり、理解できるわけが無かった。和人はそう考えたのだが……何故か直葉は最終的に、この荒唐無稽極まりない話に納得してしまったのだ。

その反応に和人は思わず「本気で信じるのか」と口にしてしまった。言い出した身でありながら勝手な物言いだが、それだけ驚きを隠せなかったのだ。直葉からは「お兄ちゃんが言ったことじゃない」と至極真っ当な返しをされてしまい、言葉に詰まってしまった。ともあれ、信じることにした根拠を聞いたところ、直葉は「お兄ちゃんがこんなくだらない冗談を言う筈が無い」や「剣道や勉強が色々と規格外なのも全部説明がつく」などが理由らしい。忍術が使えないとはいえ、異世界で忍として生きた前世を持つ和人が、この世界において自分自身が如何に外れた存在であるかを改めて感じた瞬間でもあった。

 

 

 

「うちはイタチっていう名前だったんだよね。忍者のいる世界っていうけど、お兄ちゃんはその世界でもやっぱり強かったの?」

 

「……まあ、それなりにな」

 

「あと、何でもかんでも一人でやろうとして失敗したりしていたんじゃない?」

 

前世のうちはイタチの身の上については、ほとんど聞いていなかった直葉だったが、その予想はほぼ的中したと言ってもいいものだった。木の葉隠れの里の暗部やS級犯罪組織などに所属したのだから、うちはイタチが標準的な忍より抽んでた実力を持っていたことは間違いないからだ。加えて、二度目の転生を経た今でもトラウマとして引き摺っている失敗、その原因までも直葉は看破していた。

 

「やっぱりね。それで、弟さんの名前をつけたサスケ君のアバターを……SAOの『イタチ』のデータを、前世の記憶と同じように、戒めのために残しているんでしょう?」

 

「まあ、そんなところだ」

 

 決して表面には出さずに、しかし内心では動揺しているであろうイタチと会話をする中で、リーファは寂しさの中に少しだけ嬉しさを感じていた。スプリガンの忍であるサスケと最初に出会い、旅をしたのは自分であること。そして、妹という立ち位置から、和人がこれまで話そうとしなかった前世の姿について正確なイメージを浮かべることができる自分がいる。SAOで二年間を共にした人間達よりも、和人の内面を理解できているかもしれない。そんな考えから端を発した、優越感にも似た感情が、イタチの隣に立つリーファの心を支えていた。

 そこで、ふとリーファはあることを思い付いた。

 

「イタチ君、踊ろう」

 

「?」

 

 唐突な提案に、疑問符を浮かべるイタチに、リーファは右手を握ってそのまま引っ張り、雲の立ちこめる空をスライドしていく。

 

「最近開発した高等テクなの。ホバリングしたままゆっくり横移動するんだよ」

 

「ほう……」

 

 いきなりのダンスの誘いに戸惑うイタチだったが、リーファが開発した高等テクというものが知りたいと思ったため、一度棚上げすることにした。戦闘とは関係無いものの、SAOで数々のシステム外スキルを編み出してきた経緯のあるイタチである。システム設定に無い技術というものは興味が湧く。

 

「前加速するんじゃなくて、ほんの少し上昇力を働かせたまま、横にグライドする感じで」

 

 リーファのアドバイスに従って動くのだが、なかなか上手く踊れない。地に足を付けた武術の動きならば、前世の写輪眼ばりの模倣技術を発揮してすぐにものにできるのだが、翅を広げて空中を飛んだ状態での動きはその限りではない。随意飛行を一日足らずで身に付けたイタチだが、空中戦に関しては一カ月以上の時間をかけてようやくリーファやユージーンといった上級者の域に到達したのだ。それでも相当な習得スピードなのだが、前世の体術や忍術よりも遥かに時間が掛かっていた。

 そういうわけで、イタチはリーファの開発した高等テクニック『空中ダンス』に苦戦しているのだった。

 

「意外に難しいな……」

 

「現実世界では勉強も運動も得意で、ALOではユージーン将軍も倒せる程に強いのに、飛ぶのは相変わらず苦手みたいだね」

 

完全無欠に等しい兄の数少ない弱点をまた一つ見つけ、同時にその方面で自分が勝っていることに僅かな優越感を感じるリーファだった。そんな、若干誇らしげな笑みを浮かべるリーファを見て、イタチもまた僅かに笑みを浮かべていた。

だが、イタチも然る者。苦手分野とはいえ、高い学習能力でダンスの技術に徐々に磨きをかけていく。リーファから見て習得レベルはまだまだ初心者の域なのだろうが、その動きはぎこちなさが抜けていき、ダンスとしての形が成されていく。

 

「そうそう、上手い上手い。それじゃあ、乗ってきたところでそろそろ……」

 

 イタチが上達したのを見計らい、腰のポーチから瓶を取り出して蓋を開ける。途端、瓶の口から弦楽の重奏が銀色の粒と共に溢れ出してきた。音楽妖精族『プーカ』のハイレベル吟遊詩人が自分達の演奏を詰めて売っている音楽アイテムである。

 音色が聞こえてきたところで、イタチもリーファの意図を悟ったのだろう。音楽に合わせてステップを踏み始める。習得したばかりのスキルなだけに、イタチの動きにはぎこちなさが残るものの、上級プレイヤーのリーファのリードによって妖精二人のダンスは出来上がりつつあった。

 

(ふふ、やっぱりお兄ちゃんは凄いな)

 

 ダンス技術をものにしつつあるイタチの実力に内心で舌を巻きつつも、今この時、二人きりで過ごす時間をリーファは楽しんでいた。SAO事件の記憶も、デスゲームを通して育んだ絆も関係無い。空の上、月明かりに照らされながら踊っているのは、リーファとイタチの二人きり。他の誰にも干渉されないこの空間は、自由なこの世界において尚一層リーファにとって居心地が良かった。

 

(けど、それも今だけ、なんだよね……)

 

 現実世界の家や、この世界でどれだけイタチと一緒の時間を過ごしたとしても、リーファには届かない世界がある。仮想世界へ誘われて旅立った和人のことを理解したいと思い、ALOへと飛び込んだが、現実世界に帰還しても尚イタチの生きる世界は遠過ぎる。互いに想いを打ち明け合い、以前よりは互いの距離を縮められたが、どやらこれが限界らしい。或いは、本当の家族になりたいという願いが叶った今、それ以上を求めるのは過ぎたことなのかもしれない。

 

「リーファ?」

 

 音楽が鳴り止み、空中で静止した状態で黙ったままのリーファを心配したように声を掛けたイタチに、リーファははっとしたように俯けていた顔を上げる。

 

「どうしたんだ?」

 

「ううん、大丈夫……それよりお兄ちゃん、あたしはもう今日は帰るね」

 

 もう既に集合時間は過ぎているというのに、いきなり何を言い出すのかと疑問に思うイタチに、リーファは苦笑して口を開いた。

 

「だって……遠過ぎるよ。お兄ちゃん達の居る場所は……あたしじゃとても、辿り着けない……」

 

「…………」

 

 目に涙を浮かべながら、悲しそうに、悔しそうに呟いたその言葉を、イタチは黙って聞いていた。抽象的な言い回しではあったが、それだけでイタチにはリーファの内心が伝わったらしい。神妙な面持ちで黙って聞いた末に……その手を取った。

 

「お兄ちゃん?」

 

「行くぞ、リーファ。お前も一緒に来るんだ」

 

有無を言わさず半ば強引にリーファを連れて飛ぶイタチに、連行されているリーファは戸惑うばかりで抵抗する間も無くなし崩しに引っ張られるままに飛ぶしかない。そうして飛び続けることしばらく。全力に近い猛スピードで飛行を続ける中、イタチは急ブレーキをかけて空中にて止まった。世界樹とその頂上にある街の灯りが先程より知覚に見えることから、この場所がアルンのユグドラシル・シティ付近の空中であることが分かった。

急ブレーキの反動で吹き飛ばされそうになる中、イタチに受け止められたリーファは、一連の兄の行動が理解できず、未だに困惑していた。

 

「えっと……お兄ちゃん?」

 

「残念だな……どうやら、間に合わなかったようだな」

 

「その……何、が?」

 

意味の伝わらない独り言を呟くイタチを怪訝に思うリーファだが、当人は質問に答えることなく空中に滞空して尚遠く広大な夜空を見上げていた。視線の先には、どうやら現実世界の夜空同様に浮かぶ丸い月を捉えているようだった。

 

「来るぞ……」

 

 一体何を待っていたのかと思い、リーファも同じく月を見上げた。いつもと同じ、見慣れたアルヴヘイムの月……だが次の瞬間、アルヴヘイム・オンラインの古参プレイヤーであるリーファすら見た事の無い現象が視界の中で起こった。

 

「え……?」

 

 アルヴヘイムにおいて本来有り得ない筈の光景に、驚きの声を上げるリーファ。視線の先、夜空のど真ん中に浮かんでいた月に黒い影が差し始めたのだ。これが現実世界ならば、月蝕の類と考えることもできるが、アルヴヘイムの月にこのような現象が起きたことは今まで一度も無い。それに、月を覆い隠さんばかりに現れた巨大な影は、円形とは違う、縦に長い円錐形。だが、これ程巨大なオブジェクトの正体が、まるで分からない。疑問ばかりが深まる中、今度はゴーン、ゴーンと重々しくも壮麗な鐘の音が響き渡る。途端、月を覆っていた巨大な浮遊物体が眩い黄色の光を放つ。

 月をバックに光を放ちながら浮かび上がった物体の正体は、どうやらいくつもの薄い層を積み重ねて作られたものらしい。数十層に相当する高さを有し、その全高は数キロに達するかもしれない。幅にしても、最も広い最下層は直径十キロに相当すると思われる。

 

「あ……もしかして、これって……」

 

 そこまで考えたところで、目の前で浮遊する物体の特徴に合致するものがリーファの脳裏に閃いた。イタチに視線を向けて問うと、案の定口元に笑みを浮かべながら首肯した。

 

「浮遊城アインクラッド――ソードアート・オンラインの舞台にして、俺達が二年間を生きた世界だ」

 

 新生ALOを運営している新規ベンチャー会社は、旧レクト・プログレスからALOのデータを買い取るにあたり、アーガスからSAO運営を引き継いだ際に開発データの中に保存されていた、ソードアート・オンラインの舞台たる『アインクラッド』のデータもまた手に入れていたのだ。そして今、そのデータを完全に再現し、ALOの世界へ浮遊城アインクラッドを導入したのだった。

 

「あの事件では、七十五層までしか到達できなかった。だが、こうして復活が叶った以上は、今度こそ、あの城を制覇する。リーファ、今度はお前も一緒にな」

 

「お兄ちゃん……」

 

 瞳を涙で潤ませながらイタチを見上げるリーファ。対するイタチは、そんなリーファの頭に右手を乗せて一通り撫でると、今度は人差し指と中指を揃えて、額を小突きながら、

 

「許せリーファ。ようやく、これで一緒だ」

 

「……あ……」

 

SAO事件が発生したあの日と同じ。だが、「許せ」の後に続いた言葉は「今度だ」、「後でだ」とばかり言っていた今までとは違う。「これで一緒だ」と、そう言ってくれたのだ。それは、約束を果たすという宣言。SAO事件が発生したあの日、リーファを現実世界に置いて行ってしまったイタチこと和人だったが、今はこうして約束を守って傍に居てくれて……その上、リーファだけが持ち得なかった思い出まで、これから共有してくれると言ってくれたのだ。その言葉が、想いが何より嬉しくて、リーファは胸がいっぱいだった。

 

「……うん!」

 

だからこそ、リーファにはその手を拒む理由など微塵も無かった。涙を浮かべながらも、喜色満面でイタチに頷きかけ、対するイタチも一見すると普段とあまり変わらない表情ながらも、はっきりと分かる程に嬉しそうな顔をしていた。

そして二人は、再び視線を目の前で光を放ちながら浮かぶ鋼鉄の城へと向ける。既にアインクラッドにはイタチが集合の約束をしていた、クラインやエギル、リズベット、シリカ、シバトラ、メダカ等元SAOプレイヤーをはじめ、サラマンダーのユージーンやシルフ領主のサクヤ、ケットシー領主のアリシャ、スプリガン領主のコイル達も各々の種族の妖精たちを引き連れ、アインクラッドを目指して飛んでいる。イタチとリーファに面識のあるプレイヤー達は、「先に行くぞ」、「置いて行くぞ」と発破をかける言葉をかけながら横を通り過ぎていく。そんな中、水妖精族のウンディーネ特有の水色の鮮やかな髪を靡かせた少女――アスナがリーファの前に立つ。直横には、ナビゲーション・ピクシーのユイも伴っている。

 

「さあ、行こう。リーファちゃん」

 

「ほら、パパも早く!」

 

アスナに手を差し伸べられたリーファはその手を握り、ユイに肩に座られながらも促されたイタチもまた、翅を広げる。目指す先にあるのは、二年もの間自分達を閉じ込めた牢獄だった城ではあるが、恐怖心は全く無い。代わりに、見知った場所へ行くにも関わらず、イタチやアスナはまるで未知の領域へ挑むかのような新鮮さを感じていた。それは、この世界で新たに得たリーファをはじめとした仲間達と並んで挑む新たなステージへの期待故のもの。そして、イタチは一人宣戦布告にも似た言葉を口にする。

 

「よし、行くぞ!」

 

 

 

 前世の記憶を持つ桐ヶ谷和人にとって、仮想世界は前世と現世の狭間に等しい世界。だがそこには、この世界で得た多くの仲間達がいた。前世同様多くを失い、繰り返しながらも、新たなものを手に入れていく。うちはイタチは、そんな多くを失い、得続けてきた道をこれからも、標されるままに進む。

 

 

 

終わりの見えない、この世界を――イタチは仲間達と共に生きていく。

 



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ファントム・バレット
プロローグ 21人目のキャスト


『総合病院前における銃撃事件の容疑に加え、SAO事件の未帰還者を拉致した容疑で逮捕された須郷伸之容疑者の実刑判決が確定しました』

 

仄暗い部屋の中を照らす唯一の光源である、テレビの液晶画面。画面に映し出されているのは、某局のニュース番組。内容は、昨今話題となっていた、世界初のVRMMOを舞台に起こった前代未聞の大量殺人事件――SAO事件の延長線上で発生した、大量拉致事件に関するものだった。世間ではこの事件のことを、舞台となったゲームタイトルに準えて『ALO事件』と呼んでいる。ニュースの報道内容において主に取り上げられているのは、当事件の容疑をはじめ、あらゆる余罪で逮捕された容疑者、須郷伸之の刑事裁判における判決の行方についてである。

SAOサーバーを維持する役職を悪用し、被害者三百名を別サーバーに拉致し、非人道的な人体実験に供していたことで知られるが、罪状はそれだけに止まらない。所属企業であるレクト・プログレス内部でも横領等を犯し、逮捕時に未成年の学生を射殺しようとする等、列挙していくと限が無い、悪行の限りを尽くしたことが、ニュース番組の中で語られていた。

 

(フム……中々に興味深い事件ですね。解決する前に関わることができなかったことが悔やまれますね)

 

そんな、凶悪極まる犯罪について取り上げている番組を、椅子に腰かけて足を組みながら眺める一人の男がいた。液晶画面から発せられる光にぼんやりと照らされた顔には、不気味な笑みが浮かべられていた。

 

(まあ、仕方ありませんか。二年もの間のベッド生活から全快するには、どうしても長い時間が必要でしたからね)

 

残念がる男だが、自身の身の上を考えれば、手を出せなかったのも仕方がないと考える。この男もまた、ニュースで紹介されている『SAO事件』の被害者だったのだ。二年もの長い期間を仮想世界の中で過ごし、現実世界へ戻った彼を待っていたのは、筋肉が落ちて脆弱化した自身の身体だったのだ。事件以前の身体を取り戻すまでは、二カ月の時間を要してしまった。しかも、男がリハビリをしていたのは、ただの病院ではなく……犯罪行為に手を染めた者達が拘束されている収容施設、刑務所なのだ。

しかも、ただの刑務所ではない。通常の刑務所とは一線を画す防犯システムを有し、特別凶悪な犯罪者のみが収容される特殊施設である。だが、男にはそんな大層な警備システムは無意味であり、――過去何度もそうしてきたように――今もまた、脱獄して己の欲望を満たすための新たな計画に奔走していた。

 

(しかし、逮捕時に起こった射撃事件ですか……撃たれたのは、間違いなく“君”なのでしょうね)

 

今現在、マスコミや世間がALO事件と呼ばれているこの事件は、かつて発生したウイルステロ事件を解決した、世界的名探偵の『L』が解決したと報道されている。しかし、男は事件解決の裏には、ある人物による影の活躍があることを見抜いていた。そしてその人物は、男もよく知る人物……SAO事件を解決に導いた、ごく一部の帰還者にしかその名を知られていない人物である、と。

 

「待っていてくださいね……イタチ君。そして、ハジメ君」

 

件の人物の、鋼鉄の城に轟かせた二人の宿敵の名前を呟きながら、男は傍の丸テーブルのワイングラスを手に取り、口を付けた。次いで、テーブルにワインボトルと共に置かれた、薔薇の花を挿した花瓶のすぐ隣の位置に視線を移す。

そこにあったのは、VRゲームのパッケージ。タイトルは、『GGO』――『ガンゲイル・オンライン』。男が笑みを浮かべるとともに、そのパッケージの上に、薔薇の花弁が一輪、舞い落ちていった――――

 

 

 

 

 

2025年11月24日

 

祝日である勤労感謝の日の振り替え休日であるこの日の朝。埼玉県南部にある桐ヶ谷家の食卓には、稽古を終えた兄妹が席に着いていた。

 

「お兄ちゃん、今日はどうするの?どこか出かける?」

 

「特に予定は無いな。お前の方は?」

 

朝食を摂りながら会話する兄の和人と、妹の直葉。一つ違いのこの二人は、実の兄妹ではなく、それが原因で以前はすれ違いを起こしたことがあったものの、それも既に昔の話。とある事件をきっかけに、互いの思いを知って今に至った二人の間には、蟠りの類は一切無かった。

ただし、直葉の和人に対する接し方については、時折妹とは思えない程大胆になるところがあるため、これを受ける和人は若干距離感に戸惑うこともあるのだが。

 

「そうだなあ……折角の休日で部活も無いけど、今日は雨だしね。やっぱり、ALOかな?」

 

「そうだな……俺もダイブするとしよう。それに、同じことを考えている奴は他にもいるだろう。他の面子にも、後で電話を掛けて誘ってみるか」

 

他愛も無い、どこの家庭にもある兄妹の会話。だが、兄である和人の方は、周囲から慕われる傾向が強いものの、積極的に関係を持とうとする意識が薄いことが、家族や友人から問題視されていた時期があったのだ。だが今では、そんな性格も幾分か軟化し、以前より交友関係を大切にするようになったのだった。

 

(これも、この世界に転生して……仮想世界に関わってきた末の『変化』なのかもな……)

 

自身の性格の変化を自覚しながら、和人はふと、そのようなことを考えていた。桐ヶ谷和人は、前世の記憶を引き継ぐ『転生者』だった。しかも、前世は異世界の『忍術』という魔法染みた異能が存在する『異世界』を生きた人間であり、『忍者』だった。傍から聞けば、馬鹿馬鹿しいことこの上なく、精神異常すら疑われても仕方のないような与太話なのだが、全て事実である。

忍としての前世、うちはイタチの記憶を引き継ぎながらも、この世界を生きることを決意して、和人は十年以上の月日を過ごしてきた。だが、和人が転生した時点での年齢は三歳で、前世の忍時代の享年は二十一歳である。忍時代に変化の術を使い、年齢や性別を偽って潜入捜査等を行った経緯のあるイタチでも、完全に子供になるのは難しかった。そのため、周囲の大人や同年代の子供から、異質なものを見るような視線に晒されることも何度かあった。また、前世で家族関係が悲惨な結末を辿ったトラウマも相まって、自身の引き取り先である桐ヶ谷家の家族とも、どこか距離感が曖昧だった。

そんな和人の内面を変える転機となったものが、『仮想世界』の存在だった。前世のうちはイタチが使用していた『月読』と呼ばれる幻術に似た世界に興味を持った和人は、母親を経由して世界初のVRMMOたる『SAO』の制作スタッフに名を連ねることとなった。そして、ベータテストを通して正式サービスの初回スロットを入手した和人は、ゲーム内の死イコール現実世界の死となる、前代未聞のゲーム世界を舞台にした大量殺人事件、『SAO事件』へと巻き込まれることとなった。二年もの長きに渡る戦いの中で、多くの仲間達と関わる中で、和人ことイタチは確かに変わっていった。そして、SAO事件解決後に勃発したALO事件においては、幾年もの間続いていた妹とのすれ違いを乗り越え、仲間達と力を合わせることで危機を乗り越えた。

事件当時は、前世の焼き直しの如く、自己犠牲の精神で孤立を深めていた和人だが、今は違う。家族や仲間達との間にある絆を確かに感じ、信じ合うことができる。

 

(……これが、俺に足りなかったものなのかもしれないな)

 

何もかも一人でやろうとしていた前世から大きく変化した自分には、未だに戸惑うこともある。しかし和人は、不快な気分は全く抱かなかった。今の自分は、前世の自分が持ち得なかったものを手に入れている。断言はできないが、きっとこれは、前世で失敗した自分に足りなかったものなのだと、和人は思うからだ。

 

「お兄ちゃん、どうしたの?」

 

「いや、何でもない」

 

そんなことを考え込んでいた和人を怪訝に思ったのか、直葉が声を掛けてきた。一方の和人は、何でもない風を常の無表情にて装いながら受け答えし、話を逸らすことにした。

 

「さて、ニュースでも見るか」

 

そう言うと、和人はリモコンを手にテレビのスイッチを入れる。チャンネルは、いつも朝見ている局のニュース番組である。チャンネルを変えると、とある美術館をバックにした中継映像が映し出された。

 

『我々取材班は現在、かの有名な怪盗二人より予告状が届けられた、東京都内の美術館の前に来ております』

 

(ああ、また例の怪盗騒ぎのニュースか……)

 

テレビの中継を見た和人は、「またか」と、少しばかりうんざりしたような表情を浮かべた。年末が近いこの季節、あらゆるテレビ局のニュースやワイドショーでは、二人の怪盗の出現・対決が頻繁に取り上げられていた。

片や、ビッグジュエルを狙うことで知られる、月下の奇術師こと『怪盗キッド』。片や、世界的に有名なフランスの大怪盗の三代目……通称、『ルパン三世』。特に前者については、約三年ぶりの活動再開である。また、着用するモノクルの向こうには整った顔立ちが確認できることから、女性には熱狂的なファンが多く、一種のアイドルに近い存在となっていた。

これら著名な怪盗双方から予告状が届いたことが、昨今の話題となっていた。そして現在、予告に記された犯行予定日を数週間後に控え、警察関係者が敷地内を出入りし、警備体制の強化を図っている現地の様子が映し出されていた。

 

「うわ~、怪盗キッドかぁ……本当に帰ってきたんだね。それに、ルパン三世なんていう予告状を出す怪盗が他にもいたなんて、知らなかったよ」

 

「そうだな……」

 

有名な怪盗二人が同時に動き出したことに対し、興味深そうな表情を浮かべる直葉を余所に、怪盗二人のかつての記録映像を眺める和人。予告状が届けられた現地の中継が終わった後に流れた、警察相手に巧みに逃げ回る二人の動きからは、前世の忍者を連想させられる。かつての忍世界の忍者程ではないものの、卓越した身体能力であることは間違いない。そんな中、和人は……

 

(SAO事件が終結してから、約一年ぶりの活動再開…………まさか、な)

 

ビッグジュエルを狙うことで知られる怪盗の記録映像を見る中で、和人が思い出したもの。それは、かつてのSAO事件において、迷宮区探索の最前線に立って罠の解除に勤しんでいたシーフプレイヤーだった。迷宮区最前線に張られた危険な罠を解除し、攻略組の安全確保に尽力していた彼は、確か血盟騎士団のプレイヤーだっただろうか。

 

(まあ、俺には関係の無いことだ)

 

仮想世界絡みの事件ならばいざ知らず、現実世界で起こる窃盗事件に積極的に関与するつもりは、和人には無い。この手の事件に対処する人物は、他にいるのだから。

そうしてテレビの中継を見て食事をすることしばらく。食事を終えた和人は、ふと思い出したように直葉へ問い掛けた。

 

「そういえば直葉、郵便受けは見てきたか?」

 

「あ、いけない。食べ終わったら、見てくるね」

 

「ああ。皿洗いは俺がやっておく。新聞と郵便物は、テーブルの上にでも置いておけばいいだろう」

 

「ありがとう、お兄ちゃん」

 

揃って朝食を食べ終えた二人は、それぞれ別の場所へと向かう。和人は台所の水洗い場、直葉は玄関先の郵便受けである。無駄の無い動作で二人分の食器を洗い終えた和人は、脱衣所からタオルを取り出す。外は雨模様であり、桐ヶ谷家の母屋から郵便受けまでは少しばかりだが距離がある。傘を差しても、多少濡れるのは避けられないと考えた和人の配慮だった。そして、タオルを手にした和人が玄関へ到着するのとほぼ同時に、直葉が戸を開けて戻ってきた。

 

「お兄ちゃん、取って来たよ」

 

「ご苦労だったな。中身は新聞以外に何かあったか?」

 

靴を脱いで上がろうとする直葉へタオルを渡しながら問い掛ける和人。対する直葉は、足にかかった雨水を拭いながら、郵便物を確認する。

 

「ええと……あ、これはあたし宛てだね」

 

「CDストアからのキャンペーンハガキか?」

 

「うん。今話題のアイドル歌手、エミリオ・バレッティが日本でライブイベントを開催するから、それにちなんだキャンペーンをやってるみたいだね」

 

「ああ、あの人気歌手か」

 

直葉が口にしたアイドルには、和人も聞き覚えがあった。エミリオ・バレッティとは、世界を股に掛けて活動しているイタリア人人気アイドルである。来月には日本で行われるライブ公演が決定しており、ここ最近は昼夜を問わずテレビで話題として取り上げられていた。

 

「一等はライブのペアチケットだって!応募してみようかな……」

 

「お前がアイドルに興味があったというのは、初耳だな」

 

「何よ、それ。あたしだって、剣道以外のことにも興味を持つもん」

 

本当に意外に思っただけで、からかったつもりは無かったのだが、直葉の不興を買ったらしい。やれやれと苦笑しながらも、和人は再度口を開いて謝罪を口にする。

 

「悪かった。で、他はどうだ?」

 

「ええと、これとこれはお母さんの仕事関係かな?あ、お兄ちゃん宛ての手紙があるよ」

 

「……俺宛てに?」

 

怪訝な顔をしながら、直葉に差しだされた手紙を受け取る和人。封筒は白い洋型で、材質も一般の規格より高価なものが使われていると分かる。普段、スポーツ用品を扱う専門店からのハガキはよく届くのだが、このような手紙が届くことは全くと言っていいほど無いので、和人は不審に思った。

 

「もしかして……ラブレター、とか?」

 

「それはないだろう」

 

直葉の冗談を軽く流しながら、和人は改めて封筒を眺める。高級感のある封筒の表面には、自分の宛名が記されている。ただし、差出人の名前は無い。そして、裏側には赤い封蝋による封印が施されていた。その印璽は、“薔薇の花”を象っていた。

 

(まさか…………)

 

その印璽に、不吉な予感を覚えた和人は、ほんの僅かに目を鋭くする。

 

「……お兄ちゃん?」

 

「……いや、何でも無い」

 

そんな和人の変化から、何かあったのかと心配した様子の直葉が声を掛けた。対する和人は、常の無表情へと戻って何でもない風を装った。

その後和人は、部屋で用事を済ませてからALOへダイブすると直葉へ言うと、自室へと戻った。部屋の鍵をかけると、今朝届いた差し出し人不明の封筒を改めて見やる。

 

「…………」

 

薔薇の花の印璽……これを見た和人は、“ある人物”を連想していた。封筒を開けて中身を確認すらしていないが、差出人はその人物で間違いない。そして、この封筒の中には、間違いなく“良くないもの”が入っている。前世のうちはイタチとして培った忍の直感が、そう告げていた。

だが、中に入っている書面を確認しないわけにはいかない。これが、和人の知る“あの人物”からの手紙であるならば、これは何らかの凶事が起こる予兆に等しいのだから。

 

(今度は何を企んでいる……スカーレット・ローゼス)

 

返答無き問いを心中で呟きながら、和人は意を決して封を破るのだった。

これが、新たなる死闘の幕開けになることを予見しながら――――

 

 

 

 

 

 

 

「まさか……奴がっ!」

 

和人もとへ、差出人不明の手紙が届いたその日の昼下がり。和人同様に差出人不明の手紙を受け取り、その中身を確認して驚愕に目を見開いていた少年がいた。

肩まで伸びた髪を後ろで束ねており、父親譲りと言われている太い眉毛が特徴的な、高校生程度の年齢の少年。彼の名前は、金田一一。とある有名な名探偵の孫であり、祖父譲りの卓越した推理力で数々の難事件を解決に導いた経験のある、少年探偵でもある。

そんな彼が、普段以上に取り乱し、驚愕と恐怖に顔を染め、冷や汗を流している。その理由は、手紙の内容と、その差し出し人にあった。

 

「……あいつ……こんなものを俺に寄越して、今度は一体、何をしようって言うんだ……!」

 

差し出し人の名前は、手紙を入れていた封筒には無かったが、中に入れられていた一枚目の便箋には、短い言葉とともにそれが記載されていた。

 

『Good Luck

From 地獄の傀儡師』

 

あまりにも短く、差出人の名前自体が本名ではないことは明らかである。しかし、これを書いた人物の正体はすぐに分かった。

一行目の短い英文と、二行目の差出人の名前。これらは、一が二つの世界で戦いを繰り広げた人物が使っていた決め台詞と、自ら名乗っていた二つ名である。筆跡についても見覚えがあったので、間違いない。だが、問題はそれだけではない。

一は自身に落ち着くよう言い聞かせながら、二枚目の便箋に改めて視線を向けた。そこに記されていたのは、ある名前を表にまとめた“リスト”だった。

 

(奴は事件を起こす度に、何らかの挑戦状を俺達に送ってきた。なら、奴が次に何かをしでかすのなら…………)

 

そこまで思い至り、やはり間違いないと直感した。手紙の内容には明示こそされていないものの、差出人たる宿敵が何かを起こす予兆であり、挑戦状そのものなのだ。つまり、この手紙の差出人は、「これから自分が引き起こす企てを看破し、阻止してみせろ」と言っているのだ。

 

「お前の思い通りには、絶対にさせない………」

 

ならば、自分はそれを全力で止めるのみ。これまでそうしてきたように、繰り出されるおぞましい計画の全てを暴きだし、陰謀の全てを破滅させるのだ。

 

「ジッチャンの……そして、俺の誇りにかけて!」

 

名探偵と言われた祖父のと、自身の誇りにかけて、再びの対決に臨むことを、金田一一は誓った。

 

 

 

 

 

 

 

2025年11月30日

 

日本から遠く離れたアメリカの首都、ワシントン。その街の一角にある高級マンションの一室にて、左手に携帯電話を持ち、通話をする一人の男性がいた。黒いニット帽を被った、クールな印象を受ける顔立ちで、目の下には隈がある。

 

「俺が日本に、ですか?」

 

『その通りだ。休暇中の君には悪いのだが、至急ある事件の捜査を、秘密裏に行ってもらいたい』

 

「ある事件?……現在、日本への入国が強く疑われているという、ルパン三世に関する捜査ではないのですか?」

 

『そちらの捜査は、私とジョディ君、キャメル君で行う。赤井君、君に手掛けてもらいたいのは、別件だ』

 

この男の名は、赤井秀一。彼はアメリカの連邦捜査局――FBIの捜査官の一人である。卓越した推理力と捜査手腕に加え、凄腕の狙撃手でもある彼は、銀の弾丸(シルバー・ブレット)の二つ名で呼ばれ、多くの犯罪者からは恐怖されている彼は、凄腕の捜査官として知られている。そんな名の知れた捜査官故に、アメリカ各所で事件が起こる度に引張り凧にされることが常だった。そのため、こうして休暇を得られたのもかなり久しぶりだったのだが……いつもの如く、その平穏は唐突に幕を閉じてしまったのだった。

 

「別件……一体、どのような事件ですか?」

 

『非常に説明に困るのだが……君に頼みたいのは、有り体に言えば、とあるゲームの中で起こった不審な現象についての調査だ』

 

「ゲーム……もしや、『ガンゲイル・オンライン』ですか?」

 

ゲームに関する捜査と聞いた赤井は、自分が駆り出される理由として、自分がプライベートでアカウントを所有し、プレイしていることが理由であると考え、そのタイトルを口にした。すると、電話口からは案の定、溜息交じりの肯定が返ってきた。

 

『その通りだ。詳細は追って知らせるが、ただの偶然である可能性が高い。正直、休暇中の君を日本へ渡らせてまで調べる案件とは思えない事件だと私は思うのだが……上層部の命令でね。アメリカにメインサーバーがあることを理由に、その真偽を確かめるために圧力を掛けてきた』

 

調査すべき具体的な内容までは聞けなかったが、通話の相手である上官の電話越しの声からは、呆れと申し訳無さが窺えた。事件内容が馬鹿馬鹿しいと言っていたが、それを指示した上層部についても、何らかの思惑が渦巻いているのだろう。そんな裏事情に翻弄されて苦労する上官を気の毒に思いながらも、赤井はこの命令を受諾することにした。

 

「了解しました。本日夜の便をこれより至急手配し、日本へ飛びます。日本サーバーへのコンバートについても、早急に終わらせます」

 

『ウム。悪いが、頼んだぞ』

 

捜査に必要最小限のことを話し終えると、赤井は左手に持った携帯電話を上着のポケットへしまい、本部へ戻ることにする。

 

「あら、もう帰るの?」

 

そんな赤井のもとへ、このマンションの部屋の主である女性が声を掛けてきた。長髪で整った顔立ちをした、日系の美人である。彼女の名前は、宮野明美。赤井の恋人である。

 

「すまないな……また、捜査要請だ。今日中には日本へ発たなければならん」

 

「大変ね……分かったわ。それじゃあ、仕事頑張ってね」

 

「ああ。妹さんにも、よろしく伝えておいてくれ」

 

それだけ言葉を交わすと、赤井はドアを通ってマンションを出て行ったのだった。残された明美は、中々一緒にいられる時間を作れない恋人の後ろ姿を見送り、溜息を吐くのだった。そして、いつまでもこうしていても仕方が無いと、踵を返してリビングへ戻ろうとする。そこへ、

 

「ただいま」

 

今しがた赤井が通ったドアが再度開かれ、別の人物が部屋へと入ってくる。赤みがかったウェーブ状の茶髪に、明美と同様の東洋系の顔立ち。明美に似た部分のある顔だが、目つきが若干鋭いほか、柔和で暖かい印象を受ける明美とは反対に、ダークでシリアスな雰囲気を醸し出している。

 

「志保。帰ったのね」

 

彼女の名前は、宮野志保。明美の実妹である。現在、ワシントン大学へ留学生として通っている彼女が、アメリカ在住の明美と暮らし始めたのは、今年の三月頃からだった。それまで志保は、日本のとある発明家の家に在住していたものの、アメリカ留学を契機に同居するようになったのだった。

 

「今日の講義は、早めに終わったからね。それより、彼はどうしたの?」

 

「また仕事で帰っちゃってね……」

 

苦笑しながらそう告げた明美に、志保は深い溜息を吐いた。明美の恋人である赤井の事情は、志保も認知していた。FBIという職業柄、明美と一緒にいられる時間が非常に短く、数週間や数カ月の間、連絡も取れない状態も珍しくないことも。故に、突然捜査に駆り出される今回のようなケースも仕方ないとは思っている。だが、理解はできても、納得ができるかは別問題である。

 

「全く……いつもいつも姉さんを放って……」

 

「仕方ないじゃない。彼だって、仕事なんだから……」

 

普段鋭い目つきをさらに悪くして、不機嫌そうな表情を浮かべる志保を、必死で宥めようとする明美。だが、志保の性格上、一度損ねた機嫌がすぐに良くなることは無い。姉としての経験上、それを理解していた明美は、どうしたものかと対応に窮していた。

 

「ハァ……それで、今度は一体どこに行ったの?」

 

「詳しくは教えてもらっていないんだけど、日本に行くんだって」

 

「日本……?」

 

その言葉に、怪訝な表情を浮かべる志保。FBI捜査官が、犯罪組織を追う等の事情でアメリカ以外の国へ赴くことは珍しくは無いと聞いている。問題は、向かった先の国である。日本という国は、志保と明美の出身であると同時に、世話になった知人・友人が大勢いる国でもある。一体、その国で今、何が起こっているのか……

 

「……工藤君達に、何も無いといいんだけど」

 

「ごめんね。詳しい話は、聞けないんだ……」

 

「馬鹿ね。姉さんが謝ることじゃないわ」

 

申し訳なさそうにする明美に対し、苦笑しながら口を開く志保。自分の機嫌が直り始めたことで、余裕を取り戻し始めた姉の様子を見ながら、志保は思考を別の方向へ走らせる。

 

(FBIの彼が出向く程の事件なら……彼は既に関わっているかもしれないわね)

 

高校生探偵と呼ばれ、危険な事件に首を突っ込むことが常の知り合いを思い浮かべ、彼が事件に関与する可能性は十分にあると考える。それと同時に、ある事件で知り合った、もう一人の少年のことも思い出す。探偵を名乗ることは無かったが、非常に頭が切れ、如何なるリスクも恐れない行動力も兼ね備えた少年……件の事件当時は、頑なに周囲との関わりを避ける傾向にあった故に、志保はその行く末を心配していた。ここ最近、日本に居る友人の話では、そんな危うい雰囲気も改善されているとのことだったが、渡米してから本人と直に連絡を取り合ったことは無い。

いずれにしても、彼等が危険なことに首を突っ込んでいないのか……もっと言えば、無事なのかを確認するために、後で電話を掛けてみようと、そう考える志保だった。

 

 

 

 

 

 

 

太陽の光が一切届かない部屋の中、椅子に座って足を組み、目の前のテーブルの上に置かれたチェス盤を眺めながら、駒を弄ぶ男がいた。

 

「私の手駒……死銃は既に、準備は万端……」

 

ポーン、ルーク、ビショップ、ナイトといった駒を順に盤上に並べていく。ただし、クイーンとキング――司令塔と呼べる存在の駒だけは、いなかった。何故ならば、この兵隊は個人主義の集まりであり、統率者の意志のもとで行動しているわけではないからだ。男が名前を呼ばず、手駒とだけ呼んで並べた兵隊は、男にとっては文字通りの“傀儡”でしかないのだ。

 

「次に、こちらが狩るべきターゲットの数……そして最後に、私の人形達と相対する勢力。ハジメ君、コナン君、明智警視……」

 

次に男は、盤中央部にポーンの駒を並べ、最後に中央部のポーンを隔てて向かい合う場所に置く駒を揃えていく。そうして、盤上にて向かい合う駒が二十体になった時、最後の一体――二十一人目のキャストを置いた。

 

「そして、イタチ君」

 

その名前を呟きながら、男は最後にナイトの駒を置いた。

チェス盤における二十一体の駒の配置を眺め、男は満足そうな表情を浮かべた。この盤上の駒達こそが、これから男が幕を開く舞台を表す縮図そのものなのだ。

 

「しかし、意図したわけではありませんでしたが、決行があの怪盗二人の予告した日と重なってしまったのは、少々残念ですね」

 

少なくとも、予告状を出した人物の中の一人は、怪盗二人の対処に向かう筈。そうなれば、キャスト全員が揃う望みは薄いだろう。

 

「恐らく、コナン君はこちらの舞台に上がることはできないでしょう。となれば、あちらの代役は……」

 

ゲストの代役として舞台に上がる人物を予想し、男は口の端を釣り上げた。それと同時に、ナイトの駒を一つ、盤上から下ろし、代わりにキングの駒を置いた。

 

「世界的名探偵『L』……ALO事件を解決に導き、イタチ君と繋がりのある彼ならば、相手として不足はありませんね」

 

計算され尽くした舞台だが、不確定要素の一つや二つはあった方が面白い。キャスティングが少々変わったとしても、何ら問題は無いと、男は思った。

 

「皆さん、待っていてくださいね……この私、地獄の傀儡師の、恐怖のマジックショーの幕開けは、もうすぐです」

 

 

 

Good Luck

 

 

 

SAO事件解決から一年後。未帰還者三百名を閉じ込めたALO事件すらも解決し、事件に関わった人々は、その中で感じた恐怖をそれぞれのやり方で忘れようとしていた。

しかし、記憶の彼方に遠ざけられていた悪夢は、根絶やしにされたわけではなかった。人知れず蠢動を始めていた悪意は、血染めの赤い花を舞台の上に咲かせるべく、再来の時を待っていたのだ。

地獄の傀儡師が企画した舞台の上、二十一人のキャストが一同に会する時、恐怖の殺人劇が動き出す。二十一人目のキャストたる『暁の忍』は、その惨劇を止めることができるのか――――

 



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第七十九話 世紀末の銃世界

 とあるVRMMOの舞台である仮想世界の首都。複数のプレイヤーが集まる酒場の中央に浮かんだ四面ホロパネルには、ネット放送局『MMOストリーム』の人気コーナー、『今週の勝ち組さん』が映し出されていた。現実世界でも見られる番組だが、仮想世界でも配信されており、プレイヤーの中にはそちらでの視聴を好む者も多い。特に今現在、ゲストプレイヤーとして出演している人物は、この世界の十人であり、酒場に集まる人間の数もいつもに比べるとそれなりに多かった。

 

『AGI万能論なんてものは所詮、単なる幻想なんですよ!』

 

『確かにAGIは重要なステータスです。速射と回避、この二つの能力が突出していれば強者足り得た。これまではね』

 

『しかし、それはもう過去の話です。八か月かけてAGIをガン上げしてしまった廃人さん達にはこう言わせてもらいますよ。『ご愁傷様』とね』

 

ホロパネルに映る青髪のサングラスをかけた男性プレイヤー『ゼクシード』が得意気に語る声が、店内に響き渡る。ホロパネルを眺めていたプレイヤー達は一様にブーイングを放ち、酒を煽り、ジョッキを床に叩き落として鬱憤を晴らす者までいる。また、視聴者たる客ばかりでなく、番組に出演しているもう一人のゲスト、『闇風』までもが顔を顰めていた。

 

「…………」

 

店全体が番組に出演しているゲストに対するプレイヤー達の妬み嫉みを含んだ喧騒に包まれる中、片隅に座り一人沈黙して佇む男がいた。辺りの騒ぎに混ざらないどころか、ホロパネルに見向きすらしない。数十人が屯して番組に熱中している空気の中で、この男だけは纏う空気が明らかに異質だった。

 

「けっ、調子のいいこと言いやがって。昔、AGI型最強って言いまくってたのはゼクシードの奴自身じゃねえかよ」

 

「今にして思えば、ありゃ流行をミスリードする罠だったんだろうなあ……。やられたぜ全く……」

 

 酒場でホロパネルを眺めるプレイヤー達がぼやく声があちらこちらから聞こえる。片隅で佇む男は、その言葉に僅かに反応してピクリと肩を動かすが、反応事態が動きに乏しいせいで、誰も気に止めない。

 男は目深にかぶったフードの下、被った仮面の裏側で憎悪と苛立ちを増幅させながらも、今はまだ動く時ではないと己に言い聞かせて視界端のデジタル時計を確認していた。そして、番組のトークが進行することしばらく……遂に、『開幕』の時はやってきた。

 

 

 

――さあ、『死銃』よ……

 

 

 

 ゆらりと立ち上がる影。灰色の外套を纏った男は、番組の映像に釘付けのプレイヤー達の間を突っ切って『舞台』たる中央のホロパネルの前を目指す。そして、歩み寄る途中で腰のホルスターから引き抜き、初弾を装填したハンドガンをホロパネルに映るゼクシードへと向けた。

 

「ゼクシード!偽りの勝利者よ!今こそ、新なる力による裁きを受けよ!」

 

 

 

――私が書いたシナリオ通りに動くがいい……

 

 

 

 ホロパネルに夢中だったプレイヤー達の誰もが、突如大声で叫び出した男へと視線を向ける。一体この男は何をしているのか、それが店内に居たプレイヤー全員の総意だった。画面に映る人間を銃で射撃したところで、本人には一切のダメージが及ぶことは無い。そんなことは、現実世界も仮想世界も変わらない常識である。

 そんな奇異と嘲笑のニュアンスが含まれた視線を四方八方から浴びた状況にあっても、男はまるで動じない。既に『舞台』は開幕しているのだ。今に自分を馬鹿にしているその顔は、恐怖に彩られることだろう。男はホロパネルに映るゼクシードを憎悪に満ちた視線で睨みながら――――遂にハンドガンの引き金を引いた。銃弾がホロパネルに命中することで画面が僅かに歪む。番組に出演しているゼクシードには“今は”まだ何の影響も無い。予想通り、ゼクシードに対する苛立ちに由来するブーイングに満ちていた店内の空気は一転、突如現れた謎の男の奇行に対する嘲笑が湧きあがる。だが、次の瞬間――

 

『ですからね、ステータス・スキル選択も含めて、最終的にはプレイヤー本人の能力というものが…………ぐうっ……!』

 

 突如、自分の胸を掴み、苦悶の表情を浮かべるゼクシード。立ち上がった状態からよろめき、地面に膝をつく直前で、そのアバターは消滅した。

 

『あらら、回線が切断されてしまったようですね。すぐ復帰すると思うので、みなさんチャンネルはそのまま』

 

 番組内で起こった回線切断という事態。どんなネット放送番組にもよくあるトラブルである。だが、店内のプレイヤー達はこの“よくあるトラブル”に戦慄していた。ゼクシードの回線切断による消滅を確認したプレイヤー達の視線が、銃弾を発射した男へと集中する。先程までの『嘲り』の視線から一転、男を見つめる全員の目には『恐怖』の色が浮かんでいた。

 全て思い通り……静寂に包まれた店内の空気に、男は密かに満足感に浸っていた。男はそのまま銃を翳して周囲のプレイヤー達を射線でなぞる。先程の銃撃の恐怖から「ひっ」と思わず声を上げるプレイヤーもいたことが、男にさらなる興奮を与えた。そして、ゼクシードが映るホロパネルを撃ち抜いた黒い銃を高々と掲げ、再び大声で叫んだ。

 

「これが本当の力、本当の強さだ!愚か者どもよ、この名を恐怖と共に刻め!」

 

 

 

――燃やせ……憎しみを

 

 

 

「俺と、この銃の名は『死銃』…………『デス・ガン』だ!!」

 

 

 

――踊れ……『死のダンス』を!

 

 

 

 仮想世界のアバターと現実世界の肉体。両方の身体に対し、同時に死を与える拳銃――『死銃(デス・ガン)』。実在する筈の無い、都市伝説の世界でしか存在しない筈の武器を携えた殺人者がこの日、銃と鋼鉄の仮想世界に姿を表した。しかし、これは序章でしかない。

剣の世界から銃弾の世界へと舞台を移した赤き惨劇は、『地獄の傀儡師』が描いたシナリオのままに加速していく。

舞台の名は『ガンゲイル・オンライン』――――

踊る人形(マリオネット)の名前は、『死銃』――――

その赤き瞳が見据え、銃口が向けられる次なる標的は…………

 

 

 

 

 

 

 

2025年12月7日

 

 日曜日の昼前の時刻。桐ヶ谷和人は、銀座四丁目のとある高級喫茶店を訪れていた。黒のレザーブルゾンにブラックジーンズと、上から下まで黒色の服という、SAOやALOのアバターさながらの姿は、上流階級の婦人で占められる店内の空気に対して非常に浮いて見える。そのため、普通の学生ならば入店するのにも気後れしてしまうのだが、和人は普段と変わらぬ無表情のままにドアを開いた。

 

「いらっしゃいませ、お一人様でしょうか?」

 

 入店した和人に対して礼儀正しく挨拶するウェイターに対し、和人は待ち合わせをしている旨を伝え、奥へと入っていく。途端、

 

「おーいイタチ君、こっちこっち!」

 

 和人のSAOおよびALOのアバター名を呼び掛ける声が店内に響く。上品なクラシック音楽の流れ、婦人達が楽しく会話する空気を乱すようなその声に、客達は男に非難の視線を浴びせ、和人も僅かに眉を顰める。周囲の空気を読まない、マナー違反に抵触する行為に内心で呆れる和人だが、この程度のことでこの男に苛立っていては始まらない。そう考え、和人は客の視線を無視して店内を進み、先程和人を呼んだスーツ姿の男の向かいの席に着いた。

 

「こんにちは、菊岡誠二郎さん」

 

「堅いなぁ……僕と君の仲じゃないか。ささ、ここは僕が持つから、好きに頼んで良いよ」

 

「そうですか……では、お言葉に甘えて」

 

 先程の、いきなり大声でアバター名を呼ぶと言う行為に不機嫌そうな表情を浮かべている和人に対し、しかし目の前の男――菊岡誠二郎は、飄々とした態度で接してくる。並みの人間ならばペースを乱されて話のイニシアチブを握られる可能性が高いが、うちはイタチという前世を持つ和人相手にはまるで意味を為さない。表情を変えることなく、メニューを開くと注文をしていく。

 

「ガトー・フレーズ・ア・ラ・シャンティ、コロンビエ、ビフルージュをお願いします」

 

「かしこまりました」

 

 注文を聞いたウェイターが店の奥へと向かって行ったのを視界の端に捉えた和人は、改めて目の前の人物へと向き直る。国家公務員と言う職業にある菊岡の所属は、総務省総合通信基盤局高度通信網振興課第二別室、省内での名称は通信ネットワーク内仮想空間管理課。通称『仮想課』と呼ばれるこの部署は、SAO事件発生に伴って組織された対策チームを原形として新たに作られた。SAO事件とその延長線上で起きたALO事件が解決した現在では、それらに続く第三、第四のVRワールド関連の事件が起こらないよう対処することが業務となっていた。

 そのような身分にある菊岡誠二郎が和人と初めて顔を合わせたのは、SAOクリアから間もない頃だった。場所はSAO事件に巻き込まれた経緯で入院していた院内の病室。SAO対策チームのメンバーとして名を連ねていた菊岡は、SAO事件解決に至った経緯やゲーム内で起こった出来事などについての詳細な説明を求め、和人もそれに応じたのだった。以来、和人は菊岡からの依頼を受け、新規アカウントを作成してALO以外のVRMMOの調査を行うことが多々あった。故に、今回もその手の依頼でこの場所へと呼び出されたのではと和人は考えていた。

 

(尤も、それだけではなさそうだがな……)

 

仮想世界の情報収集のアルバイトを割と高い給金で都合したり、こうして高級喫茶店でケーキを御馳走してくれている菊岡だが、腹の底では何を考えているか見通せない部分がある。前世で木の葉隠れ里の暗部、そしてS級犯罪組織のメンバーとして、世の中の闇というものを嫌という程知った『うちはイタチ』の魂を持つ和人には、目の前の男が油断ならない人物に思えて仕方が無い。今もこうして、SAOおよびALO事件解決の立役者を務める程に高い仮想世界への適性を持つ和人を仮想世界の情報収集に利用しようとしているが、その奥の奥には、もっと別の……とてつもなく大きな意図があるように感じる。だが、それは飽く迄も憶測……勘に過ぎない。これ以上菊岡の測り知れない心理を探るのは徒労になると考えた和人は、ケーキの到着したところで本題について尋ねることにした。

 

「それで、菊岡さん。俺を呼び出した理由について、そろそろ教えてもらえませんか?」

 

「せっかちだねぇ……ま、とりあえずこれを見てほしい」

 

 そう言って菊岡が差しだしてきたのは、ノート大のタブレット端末だった。和人が受け取り、画面を見てみると、そこには見知らぬ男の顔写真とプロフィールが載せてあった。内容には『死亡推定時刻』なるものがあるところから考えて、どうやら既に死亡しているらしい。なにやら物騒な展開になってきたが、和人は眉一つ動かさずに端末を菊岡へ返した。

 

「この男がどうかしたのですか?」

 

「先月、11月14日。東京都中野区の某アパートで掃除をしていた大家が異臭に気付いた。これはということで、電子ロックを解錠して踏み込んだところ……この男、茂村保26歳が死んでいるのを発見した。死後五日半だった。部屋は散らかっていたが、荒らされた様子は無く、遺体はベッドに横になっていた。そして、頭には……」

 

「アミュスフィア、ですか」

 

 フォークでケーキを切り分け、口へ運びながら、自分が呼ばれた理由を理解する和人。関連性は不明としても、一応死人が出ている事態に全く動じる様子の無い和人に菊岡はやや薄ら寒いものを覚える。だが、SAO生還者とは普通に現実世界を生きる人間とはどこか違う雰囲気を纏っていると聞いた知識から、和人はその傾向が大きく表れているのだろうと納得することにした。ともあれ、今は説明が先である。

 

「その通り。変死ということで、司法解剖が行われた。死因は急性心不全となっていた」

 

「心臓の機能停止……持病でしょうか?」

 

「生前に受けていた健康診断の結果を見た限りでは、心臓に持病を持っていたという記録は無い。それに、死亡後、時間が経ち過ぎていたし、犯罪性が薄かったこともあって、あまり精密な解剖は行われなかった。ただ……彼は二日間、何も食べないでログインしっぱなしだったらしい」

 

「コアなネットゲーマーにはよくある話です。仮想世界での食事は、一応の満腹感を与えますから、現実世界での飲食を疎かにして脱水症状や餓死に至るケースはよくありますよ。それで……ソフトは何だったんですか?」

 

 和人がやや険しい目つきで尋ねたのは、プレイしていたであろうゲームのタイトル。恐らく、菊岡が和人をこの場所へ呼び出した……この死亡事故に事件性を疑った核心があることは明らかだった。菊岡も先程までの軽い佇まいを直し、口を開いた。

 

「インストールされていたゲームは、『ガンゲイル・オンライン』。知っているかい?」

 

「ガンゲイル・オンライン……日本で唯一、『プロ』がいるVRMMOですね」

 

 VRMMOとは、突きつめればゲームであり、所詮趣味である。如何にゲーム内で強力なステータスやレベルを得たところで、それが社会的地位に反映されることは無い。だが、『プロ』と呼ばれる人間が存在するゲームはその限りでは無い。ガンゲイル・オンラインもその一例であり、ゲームコイン現実還元システムを導入されている。つまり、ゲーム内で稼いだ金額を一定割合で電子マネーに還元することができるのだ。そしてその中でも、月に二十万から三十万円に相当する額を稼ぐプレイヤーがおり、他のVRMMOとは比べ物にならない程の時間と情熱を費やしており、いることから、『プロ』と呼ばれている。

 そんな和人の言葉に首肯する菊岡も、首肯しながら口を開く。どうやら、今回の話をする上で菊岡もある程度の情報を仕入れていたらしい。

 

「最終戦争後の地球という世界設定のもと、銃を手にフィールドの生物兵器やロボット、プレイヤーを相手に戦うSF型VRMMO。通称『世紀末の銃世界』と呼ばれているゲーム。それがガンゲイル・オンライン」

 

「その通り。彼は、ガンゲイル・オンライン――略称『GGO』で、十月に行われた最強者決定イベントで優勝していた。キャラクター名は、『ゼクシード』」

 

「MMOストリームに呼ばれていた強豪プレイヤーですね。同イベントの準優勝者である、『闇風』と一緒に番組に出ていたようですが、放送中に回線切断が発生し、以来姿を見たプレイヤーはいないと聞いていました」

 

「……想像以上に情報に通じているじゃないか。既に察していると思うが、彼の死亡推定時刻はちょうど、ゼクシードの再現アバターでMMOストリームに出演していた時間帯でね。それで、ここからは未確認情報なんだが…………もしかして、君も既に知っていたりするのかな?」

 

 SAO事件を経てもなお、仮想世界との関わりを断とうとはせず、そこで起こる事象についての情報に人一倍精通している和人である。菊岡がこの場で話そうとしていた案件についても、既に知っている可能性は低くなかった。そんな、確かめるような菊岡の問いに、和人は何でもない風に口を開いた。

 

「『死銃』の噂ですか?」

 

「やっぱり、知っていたんだね……」

 

 何食わぬ顔で答える和人に、菊岡は苦笑する。目の前に居る、年下の一端の学生でしかない筈の少年には、底の知れない……得体の知れないものを感じることが少なくない。菊岡自身、表に出せない機密事項を山ほど抱えているが、和人はそれと同等以上の秘密を隠し持っているのではとすら思わされる程である。

 だが、経歴を調べた限りでは特別な家系に生まれているわけでもなく……その社会的ステータスは、成績優秀でスポーツ万能な点を除けばごく普通の一般人とさして変わらない。ここで本人に問い詰めても、何ら変わらぬ答えが返ってくるだけだろう。そう思った菊岡は、話を再開することにした。

 

「既に知っているなら話が早い。GGO世界の首都、SBCグロッケンの酒場で放送中に、発砲事件が起きた。例のMMOストリームで起きた回線切断が発生する直前に、一人のプレイヤーがおかしな行動をしたらしい。テレビのゼクシード氏に向かって、裁きを受けろなどと叫んで、銃を発射。テレビへの銃撃とほぼ同時刻に、茂村君が番組出演中に消滅したということだ。そして、その男が名乗ったプレイヤーネームが……」

 

「死銃……またの名を『デス・ガン』でしたか」

 

「そう。だが、これだけじゃない。死銃を名乗るプレイヤーによる銃撃とほぼ同時刻にプレイヤーが死亡するという事件が、もう一件あったんだ。十一月二十八日、埼玉県さいたま市某所。二階建てアパートの一室で死体が発見された。新聞の勧誘員が中を覗くと、布団の上にアミュスフィアを被った人間が横たわっていて、同じく異臭が……」

 

ゴホンッ!

 

 優雅な昼のひとときを過ごすマダムにとって、傍から聞くに堪えない話だったのだろう。わざとらしい咳とともに菊岡の方を睨む婦人に菊岡は豪胆にも軽く会釈しただけで話を続けた。ちなみに和人は、話を聞いている間中もずっとケーキを切り分け、口に運んで咀嚼し味わっていた。死亡事件の話をしていて、顔色を全く変えないあたり、菊岡以上の豪胆さが垣間見えていた。

 

「……詳しい死体の状況は省くとして、今度も死因は心不全。彼もGGOの有力プレイヤーで、名前は『薄塩たらこ』。現場は、ゲーム内のようだね。彼はその時刻、グロッケン市の中央広場でスコードロン……ALOで言えば、ギルドだね。それの、集会に出ていたらしい。そこで乱入したプレイヤーに銃撃、その後回線切断が起こったとのことだ。そのプレイヤーの言動には、裁きや力といった言葉が使われていて、同じキャラクターネーム――死銃を名乗っていた」

 

「死銃……デス・ガン。つまり、ゲーム内で射殺したプレイヤーを、現実世界でも死に至らしめる銃という意味合いでしょうね」

 

「ああ。それが僕も気になっていたことだ。だが、脳を焼き切る程の高出力マイクロウェーブを出せるナーヴギアならいざ知らず、安全面を徹底したアミュスフィアでは、そのような真似はできないと設計者達は断言していた。君は可能だと思うかね?」

 

 

 

 ゲーム内の銃撃によって、プレイヤー本人の心臓を止めることが

 

 

 

「有り得ませんね」

 

 もし実在したとするならば、ぞっとするどころの話ではない。ゲーム内の死イコール現実世界の死となるということは、SAOのデスゲームが再来することに等しい。だが、そんな恐怖すべき可能性を、しかし和人は間髪いれずに否定した。

 

「先程菊岡さんが云った通り、アミュスフィアで出力できる信号のレベルは安全重視で厳密に制限されています。心臓を止める程の信号を流すことは不可能です。例外としては、一個人が抱える強烈なトラウマを刺激する五感信号を送り込めば、ショックで心臓を止められる可能性がありますが……標的の素性を深く探らなければ、その情報を得ることはできません」

 

 これが、和人の結論だった。以前、和人は仮想世界を前世の自分、うちはイタチが使用した瞳術『月読』に似ていると考えていた。だが、月読のように人間をショック死させる程の痛覚刺激を再現できるかどうかは別問題である。SAO事件を引き起こすための凶器と化したナーヴギアや、ALO事件で須郷とその部下達が研究用に使用していたフルダイブマシンには、『ペイン・アブソーバ』という痛覚レベル操作システムが存在しており、メーターをゼロにすることで現実世界の肉体にまで影響を与える痛覚を再現することができた。だが、ナーヴギアの後継機であるアミュスフィアは、事件の影響もあって安全が何より重視されており、ペイン・アブソーバ自体存在せず、現実の肉体に影響を与えるレベルの出力は一切出せない仕様となっていた。よって、仮想世界の銃撃で現実世界の肉体を死に至らしめることは、まず不可能であるというのが和人の意見だった。

 

「……とはいっても、もう既に専門家に相談して検証済みなのではないですか?」

 

「いやぁ……分かった?」

 

「僅かでも事件性を疑っているのでしたら、俺のような素人に相談するよりも、先にそちらへ行くのが普通でしょう。それで、わざわざ専門家に相談した上で俺を呼び出したのは、第三者の意見を聞いて結論について確証を得ることだけが目的だったんですか?」

 

 この菊岡誠二郎という男は、一見するとノリが軽く、親しみやすい雰囲気と喋り方をしているが、国家公務員としての仕事はきっちりこなす人物である。そして同時に、腹に一物を抱えた一癖も二癖もあるとんでもない食わせ物である、というのが和人の菊岡誠二郎に対する評価だった。今回、一見すれば偶然の一致が引き起こしただけの死亡事故をきっかけに和人を呼び出したのも、単に意見を聞くことだけが目的ではない筈である。よって、和人はいよいよもって菊岡が自分を呼び出した真意について尋ねる。

 

「君の言う通り、既に関係各所の専門家の意見は聞いている。そして、君もまた同じ結論を出してくれたことから、改めて頼みたい。ガンゲイル・オンラインにログインして、この死銃なる男と接触してくれないか?」

 

 半ば以上予測できていた依頼内容に、和人は紅茶を一口飲むと、ほっと一息吐いて口を開いた。

 

「つまり、最後の念押しのために、死銃に撃たれてその結論を実証してこいということでしょうか?」

 

「いやぁ……まあ、そういうことになるのかな?」

 

「成程……確かに、ゲーム内の銃撃事件と現実世界の死亡事故との間に因果関係は認められません。しかし、万が一……いえ、億が一、あるいはそれ以下の可能性とはいえ、この二件の心不全による死亡が、殺人事件であると疑った上で、危険を冒せと仰るわけですか?」

 

「…………」

 

 和人の歯に衣着せぬ物言いに、さしもの菊岡も苦笑すらできず黙りこむ。そんな、ある意味追い詰められた風の国家公務員を、和人は常と変らぬ無表情で、しかし明らかな呆れの感情を交えた瞳で見据えていた。

 

「SAO事件は言わずもがな、ALO事件では、本気で生死の境を彷徨ったおかげで、妹や母親に心配をかけ……今後は絶対に無茶はするなと念押しされているのですが」

 

「そ、そう……」

 

「しかも、仮想世界ならいざ知らず、現実世界で実際に射殺されかけた俺に、銃の世界へ行き……あまつさえ、全く根拠の無い噂とはいえ、本当に死ぬ可能性のある銃弾を食らって来いと仰られる?」

 

「ぐっ…………」

 

「総務省の対策チームの方々が、もっと力を尽くしてくれれば……あんな目に遭わずに済んだのでしょうがねぇ……」

 

「……………………」

 

 常の口数の少なさはどこへやら。SAOの黒の忍よろしく、痛烈な皮肉の刃を振り翳して、菊岡のHP……或いは、MP全損に追いこんでいく和人。対する菊岡は、碌に反論することもできない。だが、彼とて仕事で和人を呼び出し、依頼をしているのだ。ここで引き下がるわけにはいかないと、どうにか口を開いた。

 

「……確かに、SAOからALOまで、名ばかりの対策チームの活動で君に壮絶な負担をかけてきたことは否定のしようがない。銃撃されたことのある君に、このような依頼をすることも筋違いだと言うことも承知している。だが、他に宛てが無い以上、君に頼るしかないんだ」

 

「……こう見えて、俺も忙しいのですがね。今も、あなたとは別の人物からの依頼で動いていることですし」

 

 秘匿事項につき、依頼人の名前は明かせないが、既に先客もいると言う。和人の身も蓋も無い対応に、しかし菊岡はなおも食い下がる。

 

「そこをなんとか……引き受けてもらえないかね?この件は、上もかなり気にしているんだ。フルダイブ技術が現実に及ぼす影響というものは、今や各分野で最も注目されている。仮想世界の影響が、社会問題となる危険を孕んでいるのではと規制を推進している派閥もある程だ。今回の一件についても、規制推進派に利用される可能性がある。その前に、事実関係を確かめておきたいんだ」

 

 仮想世界に関する法規制が為されるかどうかという問題に差し掛かれば、当然和人を含めて全VRMMOプレイヤーにとっても無関係な問題にはなり得ない。そう暗に告げる菊岡に対し、しかし和人は一向に首を縦に振らない。

 

「この通りだ……GGOを開発・運営しているザスカーなる企業は、アメリカにサーバーを置いているおかげで、僕も手が出せないんだ。しかも、この死銃というプレイヤーも、名の知れた強豪プレイヤーを襲う趣向があるらしい。かの茅場氏が見込んだ君ぐらいしか、頼める人間はいないんだ。無論、無償で引き受けてくれとは言わない。プロの相手をしてもらう以上、調査協力費としてそれ相応の報酬も出そう。GGOのトッププレイヤーが月に稼ぐ額と同程度……三十万でどうかね?」

 

 八方塞がりで困っていることをアピールして同情を引き出すとともに、報酬として支払う金額を明確化して依頼を受諾させようとする菊岡。そして、ここに至ってとうとう和人が依頼受諾に傾き始める。

 

「……分かりました。引き受けましょう」

 

「本当かい!?いやあ、本当に助かるよ!」

 

「VRMMOの規制ともなれば、協力も止むなしと割り切りましょう。ちょうど俺も、GGOのアカウントを取っていますしね」

 

「成程、道理で死銃なんてネタを知っているわけ……というか、既にGGOにログインしていたなら、銃に対するトラウマ云々は無いじゃないか」

 

「それとあなたからの依頼を引き受けるかは、別問題ですよ」

 

 しれっとした態度で答える和人に、菊岡は苦々しい表情を浮かべる。今の今まで無能と称されてもおかしくない程に何もできなかった対策チームのメンバーである菊岡としては、名目上は一般人であるにも関わらず命懸けで事件を解決に導いた和人に対して強く出られない傾向にある。殊に殺人の可能性が僅かにもある死亡事件の調査依頼ともなれば、拝み倒した上で受諾の必要性を語らなければ聞いてもらえる筈も無い。

 ともあれ、必死の説得の末に菊岡は和人に調査依頼を受諾させることに成功したのだった。だが、和人は菊岡の出した条件そのままで依頼を受けるつもりは毛頭無かった。

 

「ただし、依頼を引き受けるに当って条件があります……」

 

 

 

 

 

 

 

 菊岡との対談の末、提示した条件を呑ませた上で依頼を引き受けることに成功した和人は、喫茶店を出て家路に着いていた。その道中、ポケットに入れていたスマートホンが振動する。電話をかけてきた相手は、菊岡よりも先に依頼を引き受けた人物だった。

 

「竜崎、俺だ」

 

『こんにちは、和人君。例の事件の捜査について、新たな情報が入りました。至急、相談したいのですがよろしいでしょうか?』

 

「了解した。迎えはワタリさんだな。どこへ行けばいい?」

 

 対話の相手の竜崎に言われるまま、家路を外れて待ち合わせ場所を目指す和人。そんな中、竜崎はあることを指摘する。

 

『そういえば、和人君。今日、銀座で菊岡誠二郎と対談していたようですが、何を話していたのでしょうか?』

 

「新しい金蔓を確保していただけだ。それより……何故、お前が知っている?」

 

『監視していたのは菊岡誠二郎の方です。その過程で、休み時間を利用して和人君と喫茶店で会話していたのを確認しました』

 

 総務省仮想課に所属する公務員でしかない筈の菊岡誠二郎が、世界的名探偵のLに監視されているという。常々きな臭いと思っていた菊岡の素性が、ますます怪しくなってきた。探偵の秘匿事項に抵触するため、詳しい事情は聞けそうにないが、警戒レベルを引き上げる必要がありそうだ。

 ともあれ、今は竜崎から依頼された捜査についての打ち合わせの話を進めることが先である。

 

「そうかい……とりあえず、例の事件についての話だな。分かった、向こうに到着したら話し合おう」

 

『よろしくお願いします――『死剣(デス・ソード)』――イタチ君』

 



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第八十話 異次元の狙撃手

2025年12月7日

 

 世紀末の黄昏とでも表現すべき光景が広がる世界。西へ沈み始める太陽に照らされ、空を流れる雲が、大地に果てしなく広がる荒野が、そこに転がる無数の瓦礫や廃屋が、全てがオレンジ色に染まっていく。全てが終焉を迎えたかのような殺伐としたこの世界は、現実のものではない。ここは、銃と鉄が織りなすVRMMO『ガンゲイル・オンライン』――通称『GGO』の世界である。

 現在時刻は午後五時過ぎ。現実世界の時刻と同期しているGGO内もまた、夕暮れの時間帯にある。そしてこの季節、この時間帯は、学生・社会人を問わず最もプレイヤーがログインする時間帯だった。プレイヤー達の行動方針は様々。首都SBCグロッケンでショッピングや飲み会に興じる者もいれば、フィールドへ出て狩りを行う者もいる。そして、プレイヤーがフィールドで狩るべき獲物は、モンスターばかりではない。PVPが推奨されるGGOにおいては、プレイヤーもまた狩りの標的となり得るのだ。

そして今、荒野の一角においてターゲットとなるプレイヤーを待ち伏せしているチームがいた。

 

 

 

 

 

「ふぁ~あ~あ…………おい、ダインよぉ。本当に来るのか?もう三十分は経ってるぜ。ガセネタなんかじゃねえのか?」

 

 小口径の短機関銃を腰に提げた男が欠伸をしながら、スコードロンのリーダーである男、ダインへと問いを投げる。対するダインは、銃弾をカートリッジに詰めながらも口を開く。

前衛職を務める彼を含めたプレイヤーは皆、対プレイヤー用の武器である実弾銃を手に持ち、対光学武装用の防護フィールドを纏っている。モンスター狩りを専門とするスコードロンを狩るための武装である。

 

「確かにやけに遅いが……奴等のルートは俺自身がチェックしたんだ。間違いない」

 

 カウボーイハットの下に隠した表情に苛立ちを浮かべながらも、標的を待ち続ける方針は曲げないことを明らかにするダイン。大ぶりのアサルトライフルを構え、今ここにはいない標的を幻視しているあたり、彼も痺れを切らしていることは明らかである。

 

「どうせモンスターの湧きが良いから、いつもより頑張ってんだろう。その分、分け前が増えるんだから、もう少し我慢しろ」

 

「でもよぉ、今日のターゲットは、先週襲った奴等と同じなんだろう?これだけ遅いんなら、きっと別のルートに迂回したってことも……」

 

「それは無いな。モンスター狩り専門スコードロンってのは、何度襲われてもそれ以上に狩りで稼げば良いって思ってんだ。一週間も時間を置けば、警戒なんて薄れるんだから、俺達対人スコードロンには絶好のカモだ。プライドの無い連中だぜ」

 

 違いない、とダインに同調し、これから来るターゲットを嘲笑する一同。そんな中、一人別の苛立ちを覚えるプレイヤーがいた。ペールブルーの髪に、人形めいた華奢な身体つき……このスコードロンで唯一の女性プレイヤーだった。

 

(何がプライドよ……自分より格下で相性の良い相手しか狙わない癖に……)

 

 彼女の名前はシノン。このスコードロンの狙撃担当である。対人戦闘を専門とするスコードロンと聞き、リーダーのダインから勧誘を受けて現在に至るが、標的にするのは光学銃主体で防護フィールドによる対策が容易な装備で固めたモンスター狩り専門のスコードロンばかり。シノンがこの世界で戦うのは、強敵と戦い、危機的状況を打破することで、己のレベルと共に己の精神を鍛える、それこそが目的だった。確実に勝てる相手ばかりを標的にする、発展性の無い戦いに明け暮れるためではない。このスコードロンに所属する彼等は、モンスター狩りを専門とするスコードロンをアルゴリズムで動くモンスターと同じと評するが、それを狩る自分達が言えた立場ではないだろうと、シノンは考える。自分達がアルゴリズムで動くNPCと変わらぬ存在になっていることも自覚せず、誇りだのなんだのとのたまうメンバーに苛立ちばかりが募るが、ここで激発しても何の意味も無い。この戦闘が終わり次第、スコードロンを抜ければ済む話である。故にシノンは、すぐ傍で軽口を叩くメンバーの話を無視し、時折こちらにナンパ染みたアプローチをかける仲間の誘いを流して時を待った。

 そうして、当初予定していた襲撃時間からおよそ四十分が経過した頃、遂に事態が動いた。SBCグロッケンへ続く道を監視をしていた仲間の一人が、スコープの奥に何かを捉えたのだ。

 

「来たぞ。プレイヤーだ。だが……」

 

「どうしたんだ?」

 

「例のスコードロンの連中じゃない。こっちに来るのは、一人だけだ」

 

「はぁ?」

 

 予想外の言葉に、呆けた表情を浮かべるダイン。監視役からスコープを借りて、接近中のプレイヤーを見てみる。次いで、シノンもライフルのスコープから敵の姿を覗く。

 

「……確かに、一人だな」

 

 半信半疑だったが、ダインの言う通り、道を歩くプレイヤーは一人だけだった。黒いマントを纏い、表情は窺えないが、体格は中性的。女性とも男性ともとれる比較的細身な体型で、歩く足取りは少々ゆっくりとはしているが、重量の大きい武器をマントの下に装備している影響とは思えない。前だけを見て歩いているようだが、周囲への警戒は怠らず、隙らしい隙は見当たらない。見れば見る程不確定要素の多い……ある意味、不気味な存在だった。

 

「マント被ってて武装が見えねえな……ソロでモンスター狩りをしているプレイヤーなんだろうが、光学銃を隠し持っているようには見えねえ……一体、何者なんだ?」

 

 ダインの指摘は尤もだった。モンスター狩りをしているプレイヤーならば、光学銃を大概装備し、移動中も手に持つのがセオリーだが、黒マントのプレイヤーは無手の状態である。マントの下に武器を隠しているということも考えられるが、それなりの重量を持つ光学銃を持っているのならば、移動中に身体の重心に若干のブレが生じる筈である。何より、それらしい膨らみがマントの上からは確認できない。モンスターがポップしないこの辺りならば大丈夫と油断し、ストレージに納めているという可能性もあるが、周囲を警戒している様子が少なからず見て取れる点と矛盾している。本当に何者なのか、疑問の尽きない存在だった。

 

「アレじゃねえのか?噂の『死銃(デス・ガン)』」

 

「ハッ、まさか。実在するかよそんなモン。それより、どうしてこんな時間帯に一人なんだ?」

 

 容姿と装備に次いで浮上した疑問。ソロプレイヤーがフィールドで狩りをすること自体は珍しいことではない。シノンが手に持つ、GGO内で僅か十丁程度しか存在しない対物狙撃銃『ウルティマラティオ・ヘカートⅡ』もまた、彼女自身がソロ狩りで手に入れたものである。問題は、何故この時間帯にソロ狩りなのか、である。本来ならば、ダイン率いるスコードロンが待ち伏せして襲撃を予定していた標的のスコードロンが現れる予定時刻を大幅に過ぎたこの時間に現れたのだ。本当に無関係なのか、疑問である。標的スコードロンがモンスターに掃討された末の生き残りか、或いはスコードロン同士の抗争が勃発して生き残って帰ってきたという可能性もあるが、それならばもっと身を隠しながら移動している筈。少なくとも、見晴らしの良い道の真ん中を歩く真似をするとは思えない。

 

(まさか……私達よりも先にスコードロンを全滅させたの?)

 

 そこまで考えた末に至った結論に、シノンは戦慄した。飽く迄可能性、それも非常に低いが、あの黒マントのプレイヤーは自分達が仕留める予定だったスコードロンを単身で撃破したのかもしれない。一体どんな作戦や武器を使ったのか、まるで見当がつかず、ここで話したところで馬鹿馬鹿しいと思われて仕方の無い推測だったが、シノンはどうしてもそれを否定できなかった。

 それとも、メンバーの一人が口にした通り、彼こそが『死銃』なのだろうか?たった一発の銃弾でプレイヤーを仮想世界で殺すと同時に、現実世界でも殺す銃を持つとされる、都市伝説的存在。もしそんな武器を持ったプレイヤーがいたのならば、スコードロンを全滅させることすら可能だろう。そして、その銃口が今度は自分達に向けられたとしたら――――

 

(…………馬鹿らしい)

 

 我ながら、何を考えているのか。思考が現実のソレから逸脱したことに、シノンは内心で自嘲した。仮想世界と現実世界の両方で死を誘発する銃――そんなもの、ある筈が無い。トッププレイヤーのゼクシードが、MMOストリームに出演中にモニター越しに銃撃され、回線切断に至ったという話はシノンも聞いている。それ以降、ゼクシードがログインした姿を見た者がいないということも聞いているが、どうせ現実世界の事情か何かでログインが儘ならない状態に決まっている。即ち、それらの事象は偶然の一致によるものであり、死銃なる存在はダインが口にした通り、実在するわけがないのだ。

 架空の武器とはいえ、現実世界の死と直結する銃弾の存在は、シノンの心にそれだけ強い動揺を齎すものだった。この世界で銃を手に戦う理由が、現実世界の銃を克服することにあるだけに……

 

「どうすんだ、ダイン。やるのか?」

 

シノンがそこまで思考を巡らせたところで、メンバーの一人、ギンロウと呼ばれた男性が、リーダーの指示を仰ぐべく口を開いた。「やるのか」とは即ち、目の前に現れた黒マントのプレイヤーに襲撃をかけるか否か、という問いかけである。奇襲を仕掛けるべきスコードロンを待ち続けて既に四十分以上が経過している以上、最早標的が現れる可能性は限りなく低い。これだけのプレイ時間を犠牲にして、実入りゼロというのは凄まじい無駄骨である。ならばせめて、目の前に飛び込んできた獲物だけでも仕留めるべきではないだろうか。

だが、向こうは一人で、対するこちらは狙撃手のシノン含めて六人である。一人のプレイヤーを複数人で袋叩きにする……実質、リンチである。戦闘で優位を得られる相手を選び、奇襲を仕掛けるのが常のダイン達だが、流石にたった一人のプレイヤーに過剰戦力を投入するのは気が引ける。故に、ダインはリーダーとしての決断を迫られていた。戦闘か、看過か……

 

「……シノン、狙撃だ」

 

「了解」

 

 ダインが取った選択は、『戦闘』だった。シノンは躊躇うことなくその指示を了承し、指を引き金にかけて狙撃体勢に入る。客観的に見れば、弱い者苛めと変わらないダインの指示に、しかし非難を浴びせる者は誰もいなかった。ここまで待って手ぶらで帰ることに忌避があったこともあるが、今眼前を歩いている黒マントが襲撃する予定だったスコードロンの生き残りである可能性がある以上、モンスター狩りで得た資金やドロップアイテムを見逃すことはできない。シノンの持つ対物狙撃銃をもって、一撃で屠ることがせめてもの情けだろう。そう考え、シノンは千五百メートル先の標的へと照準を合わせる。

 

「…………」

 

 スコープの向こうに映る、細みの中性的なシルエットを見つめるシノン。銃弾がランダムに命中する範囲を示す着弾予測円の中に捉えようと心拍のコントロールを試みる。ターゲットである黒衣のプレイヤーは比較的細身だが、狙撃スキルを極めたシノンにとって命中させるのはさして難しくない。ウルティマラティオ・ヘカートⅡは対物狙撃銃である。その余りある威力をもってすれば、譬え急所を外しても致命傷は避け得ない。よしんば、HPは残存したとしても、著しい部位欠損が生じるのは必定である。

 

(何かしら……嫌な感じがする)

 

 引き金を引いた瞬間、発射された弾丸は二秒とかからず標的に命中し、その身をポリゴンの破片に変える。今までやってきた狙撃と全く同じこと……にも関わらず、シノンの頭の中にその光景がどうしても浮かばない。あの男の『死』が、イメージすらできない。一体、これは何なのか……得体の知れない脅威に、シノンは薄ら寒いものを覚えていた。

 

「どうしたシノン……撃て!」

 

「……了解」

 

 痺れを切らしたダインに促され、頭に浮かぶ嫌なイメージを棚上げし、本格的な狙撃に入ることにする。正体不明の存在を前に、しかしシノンは冷静に着弾予測円が収縮する心拍の谷間を狙い、

 

 

 

――――引き金を引いた。

 

 

 

「!」

 

 その瞬間、シノンは息を呑んだ。引き金を引き切り、マズルフラッシュが走るよりも僅かに早いタイミングだった。千五百メートル先にいる標的が、顔を上げてシノンの方を見たのだ。偶然……とは到底思えなかった。瞳はフードの下に隠れて全く見えなかったが、視線が交錯したかのような錯覚すら覚えたのだ。

 そしてそれは、標的への着弾と共に、真実であることが証明された。

 

「なっ!……嘘、だろ!?」

 

 スコープを覗き込みながら、シノンの内心を代弁するかのようにダインが呟く。他のプレイヤー達は、一体何が起こったのかと浮足立った状態で、ダインに説明を求めている。引き金を引いてなお、驚きに目を見開いたままスコープを覗くシノンは呆然自失に近い状態のまま、その瞳に有り得ない光景を映していた。

 標的となった黒マントのプレイヤーは、砕け散ってなどいない。かといって、狙撃した目標地点から動いてもいない。ただ一つ、狙撃前から変化していることといえば、黒マントのプレイヤーの背後、その両側から立ち込める砂煙と、その手に先程まで存在していなかった、赤色の光を迸らせる武器が握られていたことだった。

 

(光剣(フォトン・ソード)……まさか、アレで銃弾を切り裂いたの!?)

 

 光剣(フォトン・ソード)とは、光学兵器によって刀身を生成した近接武装である。某SF映画やロボットアニメに登場した『ライトセイバー』や『ビームサーベル』と称されるものと同様の原理で機能する武装であり、このGGOにおいてもそれら作中で機能した通りの威力を発揮する。即ち、実弾を切り裂くことすらも可能なのだ。

しかし、原理として可能なのと、技術として可能かは別問題である。音の速さで迫る弾丸の軌道を見極め、防御するには相当な動体視力を要することは間違いなく、弾道予測線が見えたとしても容易ではない。それをこの黒マントは長距離からの弾丸を、しかも予測線も無しに見極め、叩き斬ったのだ。一体、どんな手品を使えばこんな真似ができるのか。シノンが狙撃を外したのでは、偶然に過ぎないのではと議論が交わされる中、仲間の一人がはっとしたように口を開いた。

 

「まさかアイツ……あの『死剣(デス・ソード)』なのか!?」

 

「冗談だろう!?ただのガセネタじゃなかったのかよ!」

 

「いや……所属するスコードロンがやられたって、知り合いが言ってた。俺もてっきり、こっちを驚かせるために大袈裟に話したんだとばっかり思ってたけど……」

 

「……死剣?」

 

 聞きなれない言葉に、シノンはスコープを覗くのを一時中断し、すぐ傍で浮足立っているスコードロンメンバーへと視線を向ける。そして幸い、求めていた『死剣』なる単語についての説明は、すぐになされた。

 

「ああ、シノっちはこの前までフィールドに出ていたから知らなかったか。『死剣』ってのは、数日前から話題になっているプレイヤーの通り名なんだ」

 

ギンロウと呼ばれた仲間の口から出た話は、俄には信じられないものだった。噂の発端は、数日前のこと。かの有名プレイヤーのゼクシードや薄塩たらこと並んで名の通ったプレイヤーが指揮するスコードロンが、フィールドでたった一人のプレイヤーの手で全滅させられたことに端を発する。曰く、そのプレイヤーはGGOにおいてマイナーな武装である光剣の使い手である。曰く、総勢十四名で構成される二パーティーによる連携射撃を恐るべき敏捷による回避と、光の剣戟で全弾叩き伏せた。曰く、襲撃を受けたスコードロンは傷一つ付けられぬまま全滅させられた。

銃の世界にあって異質かつ強力無比なプレイヤーの出現に、しかしこの世界のプレイヤー達はその存在を認めようとはしなかった。或いは、認めたくなかったのかもしれない。『死剣(デス・ソード)』とは、出会ったが最期、生きて帰ることは不可能な『直死の剣』という意味に加え、同じく実在を否定する声の多い『死銃(デス・ガン)』と対比して付けられた字だった。

 ゲームバランスを崩して余りある実力者でありながら、存在自体が胡散臭いと揶揄されているプレイヤー――――『死剣』。だが、今目の前で光剣片手に佇む黒マントのプレイヤーは、GGOにおける銃火器戦闘のセオリーを打ち砕いて余りある所業をやってのけている。秒速825 mで飛来する弾丸を、光剣を振るって叩き切る……マズルフラッシュを見てから反応したのでは間に合わない距離にある以上、恐らく引き金を引くよりも早く動いたのは間違いない。だがそれは、千五百メートルもの距離を置いていたシノンを知覚できたからこそできる業である。

 

(けど、アレは間違いない……向こうはこっちに完全に反応していた……!)

 

 狙撃時にスコープが太陽光に反射するなどのヘマはしておらず、索敵スキルの有効圏外にある距離という条件下で、黒マントのプレイヤーはシノンの位置を察知したのだ。どのような理屈かは分からないが、それ以外には説明がつかない。

 そして、この推測が正しいとするならば、目の前で光剣を構える、『死剣』と思しきプレイヤーは、相当に強力なプレイヤーであることを示している。

 

「どうするんだよ、ダイン!向こうもこっちに気付いてる筈だぜ!」

 

「二日でスコードロンをいくつも壊滅させたって噂がある以上、俺達もヤバいんじゃ……」

 

「いや、でも本当に奴が『死剣』だったら、俺達が狙う筈だったスコードロンも狩っている筈……今仕留めれば、相当なアイテムが手に入るんじゃないか!?」

 

 思わぬ強敵の出現に内心で密かに高揚しているシノンを余所に、ダイン率いるスコードロンメンバー達はこれからどう動くかを話し合っているようだった。『死剣』の噂が本当ならば、太刀打ちするのは非常に難しい相手ではあるが、勝利すれば相当なハイリターンが望める。果たして、再度選択を迫られたダインが下した答えは……

 

「戦闘開始だ……ここで一発、勝負に出るぞ!」

 

 死剣と思しき黒マントの光剣使いとの交戦だった。不敵に笑いながら口にしたその言葉に、他のメンバーの士気も高まった様子だった。確かに、スコードロンを単身で壊滅させた実力者であるならば、返り討ちに遭う可能性が非常に高い。だが、自分達が待ち伏せしていたスコードロンと既に交戦し、これを撃破したのならば、相当に消耗している可能性がある。HP等のアバターのステータスは万全だったとしても、立て続けに戦闘に臨めば嫌でも集中力がすり減ってしまう。結果、些細なミスから致命傷を負うことだってあるのだ。そういった打算から、今こそ好機と見たのだろう。ダインは既に勝利を確信した様子だった。

 

「シノン、再度狙撃だ。当てなくてもいい……奴の注意を逸らさせろ。他の奴は、俺と一緒に当初予定していた襲撃ポイントに付け。銃弾が到達した隙を突いて、四方から囲んで一気に潰す」

 

 ダインの指示に従い、再びスコープ越しに標的を捉えて狙いを定めるシノン。保守的なダインにしては大胆な行動に出たと思ったが、今回ばかりは内心で感謝していた。仮にダインが撤退を宣言したとしても、シノンは一人残って戦闘続行するつもりだった。だがその場合、遠距離狙撃用のヘカートと、近接戦闘用の光剣とでは相性が悪い。シノンが持つ“もう一つの武器”を使えば、交戦は不可能ではないが、一対一で戦うには分の悪い相手には違いなかったのだ。

ともあれ、今は目の前の黒マントのもとへ向かっているダイン達の支援をする方が先である。銃弾は既に一発放ったのだから、こちらの位置情報を認識されているのは間違いなく、こちらから伸びる赤い弾道予測線が見えている筈である。だが、あちらはいつ弾丸が飛んでくるか分からない状態にあって、まるで動じた様子が無い。こちらの弾丸など、いつでも叩き切れると言わんばかりの余裕が垣間見えるのは、気のせいではあるまい。事実、先程は予測線無しでも反応して見せたのだから、予測線が見える現状では先程以上に対処が簡単なのは明らかである。シノン自身、正攻法で命中してくれるなどという期待を抱いてはいない。今はただ、予測線による視線を送り、こちらに狙撃の意思があることをアピールして注意をこちらへ向けさせるのだ。

幸い、黒マントは予測線を浴びながらも全く動く様子が無い。或いは、こちらの意図など既にお見通しなのかもしれない。狙撃手であるシノンの予測線の存在を認識しながらも、ダイン率いる他のパーティーメンバーが周囲に展開するのを待っているかのように感じる。

 

『位置についた』

 

「了解。敵は当初の位置から変化無し。そちらとの距離二百、こちらとの距離千五百」

 

『全く動いていねえのか……まあ良い、好都合だ。当てられる可能性は低いが、その後すかさず囲んで制圧する。頼むぜシノン、狙撃開始だ』

 

 そうこうしている間に、ダインから所定の配置に着いたと通信が来た。黒マントの光剣使いは、相変わらず顔の見えないフードの下の暗闇から、スコープ越しに狙いを定めるこちらへ視線を送っているが、何を考えているかはまるで分からない。この不確定要素の塊と言っても良い敵を相手に、シノン達に勝機があるとすれば、これから陽動のために放つ銃弾の一撃、それに対処するための間隙だろう。その隙に如何に畳み掛けるか、ダイン達の命運はそこに懸かっている。

 

(さあ……どう出る?)

 

 目の前に立つたかが一人のプレイヤーを相手に、しかしシノンは長いGGOプレイ時間の中で、感じた事の無い重圧を感じていた。不安と恐怖が綯い交ぜになり、心拍を早めようとしているのを感じる。まるで、このゲームを始めるきっかけになった、“あの時”の記憶が蘇ったかのように――――

 

(見せてもらうわよ――――死剣!)

 

 未だ本物の死剣かも分からない――そんな相手へ狙いを定め、挑戦状を叩きつけるかのように引き金を引く。加速する心拍に精一杯の精神力を働かせて狙いを絞った末に放った弾丸は、今度も狙い違わず黒マントの胸部へと吸い込まれるように向かって行った。だが――――

 

「……目標失敗」

 

 予想通り、黒マントは弾丸を軽い足取りで回避し、先程までいた場所にあった瓦礫が代わりに破砕した。一方、シノンから通信を受け取ったダインは、メンバーと共に標的目掛けて突撃していた。

 

『了解。シノンはそこで待機。ゴーゴーゴー!』

 

 掛け声と共に移動が早くなるメンバー達を、シノンはスコープを通して観察する。いつにも増して迅速に動くダイン率いる前衛メンバー達は、シノンの射撃による陽動の隙を上手く利用して瞬く間に黒マントを包囲し、射程圏内に標的を捉えていた。

 

『撃て!撃てぇっ!』

 

 インカム越しに聞こえるダインの指示により、銃撃を開始するメンバー達。ダインのアサルトライフルをはじめ、対プレイヤー用の実弾銃が火を吹き、黒マントに銃弾が殺到する。しかし、

 

「!」

 

『嘘、だろうっ!?』

 

 スコープの向こうで起こっている有り得ない光景に目を剥いて驚愕するシノン。ダインはインカムにも聞こえる程の大きさで、驚きに悲鳴染みた叫びを上げていた。

 前方五カ所のポイントから包囲される形で繰り出された銃弾の嵐に対し、黒マントのプレイヤーがやってのけた対処。それは、狙撃銃による初撃を凌いだ時と同じく、光剣を振り回しての防御だった。だが、その剣戟は目にも止まらぬ程に速い。しかも、一切の無駄の無い動きで刃を振るい、迫りくる弾丸を的確に弾いているのだ。弾道予測線が見えているだけでは出来ない荒業であり……光剣を振るうプレイヤーの目には、弾丸一つ一つが飛来する速度まで見極めて紙一重で防御していることは明らかだった。

 

(全部噂通り……あれが、『死剣』……!)

 

光剣とは、平たく言えば剣の形をしたレーザー光線である。防護フィールドを用いれば、簡単に霧散してしまう側面を持つ光学銃だが、命中時の純粋なダメージ値だけならば、GGO内でも一位を争う威力を持つ。仮に光学銃の光線と、実弾銃の弾丸とが真っ向からぶつかり合えば、打ち負けるのは実弾の方である。ましてや一発一発の威力が小さい短機関銃と、剣の形をした高密度のレーザー光線である。当たりさえすれば、光剣で実弾全てを防御することは不可能ではない。そう、“当たりさえすれば”だが。

 

『う、嘘だろうっ!?』

 

リーダーであるダインと繋がったインカム越しですら聞こえる程に大きい、ギンロウの絶叫。ダインは一言も言葉を発していないが、内心は同じだろう。シノンですら、半ば絶句しているのだから。銃弾を目にも止まらぬ剣捌きで叩き落とすという離れ業が繰り広げられることしばらく。全弾撃ち尽くしてなお、一発も命中しないと言う結果に立ち尽くして唖然とするダイン率いるスコードロンのメンバー達の隙を、死剣は見逃さない。

 

『んなっ!?』

 

『うおっ!』

 

それまで防御に徹していた死剣が、遂に攻勢に出る。恐るべき敏捷力をもって接近する黒い影が最初に標的に定めたのは、最も近場にいたギンロウだった。

 

『ひいぃっ……!』

 

情けない声を発するギンロウに、死剣は容赦なく光の剣を振り翳す。防護フィールドを装備すれば、一定以上の距離から放たれる光学銃による射撃は霧散してしまうが、懐に飛び込まれれば意味は無い。翻る黒いマントと共に振るった死剣の一閃が、ギンロウの胴を一刀両断する。

 

『ぎゃぁぁあああ!』

 

『ギンロウ!……ぐっ!!』

 

 ギンロウがポリゴン片を撒き散らして消滅するのを見て、ダイン達が再起動する。慌てながらも銃弾を素早くリロードしたダインの手際は流石だろう。だが、死剣の振るう光の刃は銃弾よりも速い。

 

『ぐわぁあっ!』

 

『がぁああっ!』

 

 ギンロウを仕留めた『死剣』は、即座に次の標的二人――ミソとアラシを標的に定める。まず最初に、ミソへと一足飛びで距離を詰めて袈裟がけに斬り込んで仕留める。そして、五メートル程度離れた場所に立っていたもう一人、アラシへと地面を蹴って跳躍。真上から幹竹割りを食らわせて垂直に両断した。この間、三秒足らず。

 

『クソがぁあっ!』

 

 一気に三人を仕留められて焦った四人目、ジンがプラズマグレネードを死剣目掛けて投げつけようとする。弾丸が当たらない以上、有効な手段であることは明らかだが、行動選択と相対距離、そして何より相手が悪過ぎた。死剣はプラズマグレネードを投げようとするジン目掛けて臆することなく全力で駆け出したのだ。プラズマグレネードは死剣の光が届く前にジンの手を離れて投擲された。だが、死剣は怯まない。それどころか、さらにスピードを上げて突進していく。

 

『がはっ……!』

 

 結果、死剣はプラズマグレネードの爆発よりも速くジンへと到達。光の刺突を繰り出し、目標たるジンを瞬殺した。

 

『ぐぅっ…………この!』

 

 仲間四人を倒されて尚、戦闘続行しようとするダイン。アサルトライフルを死銃に対して構える。十メートルも無い距離で相対し、避けられる筈の無い弾丸の雨を、しかし死剣は何でも無い風に、剣戟の嵐でもって対処してのける。

 

「…………」

 

 ダインと死剣が相対する様を、シノンはスコープ越しにただただ、見つめていた。ガンゲイル・オンライン最大の大会である『BoB』において十八位に入ったダインが、赤子の手を捻るようにあしらわれている。アサルトライフルの銃口を前に、光剣を振るう黒マントの男――死剣は、戦闘開始からまるで動揺した様子が無い。

 

 

 

 このプレイヤーは、多勢に無勢のこの戦闘をどうとも思っていない――――

 

 

 

 それを悟った途端のシノンの行動は速かった。自身にとって無二の相棒であるヘカートⅡをアイテムストレージへと収納し、その場を走り去る。向かう先は、ダインが現在、死剣と相対している戦場。シノンは死剣と戦うつもりだった。

 

(あの男は、私が殺す…………!)

 

 銃と鋼鉄の世界であるGGOにおいて強敵を倒し、自身の精神を今より強くする。そのための絶好の相手が目の前にいるのだ。逃げる道理などシノンには無かった。

とはいえ、相性は最悪である。目に見える場所からの射撃は勿論、長距離からの狙撃すら叩き落とすという、GGOにおけるセオリーが一切通用しない死剣には、シノンの最大の武器であるウルティマラティオ・ヘカートⅡは通用しない。別の武器が必要になるのは、明らかだった。

 

(GGOでこの武器は邪道だって思ってたけど……ヘカートが効かない以上、他に方法は無い!)

 

 シノンが持つ、ヘカートとは異なるもう一つの武器。それは、シノンの幼い頃の記憶に焼きついていた、『強者』の面影を彷彿させるものだったからこそ、銃の世界で邪道と感じながらも、高い金額を注ぎ込んで入手したものだった。GGO開始当初はサイドアームに指定していたが、ヘカートの入手に伴いSTR重視のステータス構成を目指さねばならなくなった関係で、長らくアイテムストレージで埃を被っていた。シノンはその、ある意味封印に近い形でしまっていた武器を、記憶と共に解き放とうとしていた。GGOという世界においては邪道であれども、死剣の実力を見た後では、そんな考えなど消えていた。何より、“同じ武器”を使うことに何の躊躇いがあろうか――――

 

 

 

 およそ千五百メートル離れた、ダインと死剣が戦っていた場所を目指して走っていたシノンだったが、千メートル走ったあたりでそれ以上の歩みを進める必要は無くなった。

 

「…………」

 

 シノンの目の前、瓦礫の上で夕陽を浴びながらはためく黒いマントを被った人影――死剣。数分前に、ダインが粘りに粘った末に死剣の手にかかって絶命したことは、視界端のHPゲージで確認していたが、まさか向こうもこちらの接近を察知して動いてくるとは思わなかった。

フードを被っているせいで相変わらず顔は見えないが、その下に隠れた双眸は間違いなくシノンに向けられている。スコープ越しに見ても不気味だったその姿を、シノンは至近距離で見て、若干戦慄していた。ただ立っているだけだが、その姿には微塵も隙が無い。仮に今この場で死角から短機関銃による銃撃を受けたとしても、軽々避けるか光剣で弾いてしまうだろう。それだけ付け入る隙が無かった。

 

(けど、逃げるわけにはいかない……!)

 

 元よりこの戦い、シノンは勝てるなどという期待は、微塵も抱いていない。狙撃手と剣士、近接戦をした場合に負けるのはどちらか、子供でも分かる。STR重視のシノンのステータスでは、AGI重視型であろう死剣に対して一太刀浴びせることなど敵う筈も無い。圧倒的な不利を被るのを覚悟の上で、それでもシノンが逃げようとしない理由は、相手が“強者”であるからの一言に尽きる。

 

(譬え勝てなくても、私は最期まで喰らい付く…………あなたの強さの、そのひとかけらでも掴めるのなら……!)

 

 デス・ペナルティへの忌避は既に存在しない。仮にこの戦いに敗れ、相棒たるヘカートを失う羽目になったとしても、必ず得られるものがある。決意と共に、ベルトのカラビナに吊っていた、ヘカートとは別のもう一つの武器へと手を伸ばす。カチリと言う金属音と共に外れた筒状のソレを両手持ちに切り替え、そしてスイッチを入れる。

 

「!」

 

 途端、シノンの手に持つ筒状の武器から閃光が迸った。一メートル強の長さに達した青い光は、そのまま棒状の像を形作り、筒の先端に留まり続ける。シノンが手にしたもう一つの武器……それは、目の前の死剣が持っている武器と同じ――光剣(フォトン・ソード)。

 狙撃手が手に持つ予想外の武器の登場に、それまで微動だにしなかった死剣もほんの僅かに驚いた様子だった。だが、油断や嘲笑の類は欠片も感じさせない。自身と同じ武器を持った存在を相手に、むしろ警戒を強めたようにすら思えた。

 

「行くわよ…………」

 

 だれに対してというわけでもなく、ただそう言い放ち、シノンは駆け出した。瓦礫の上に立つ黒マントの男、死剣目掛けて突進し、二メートル程度手前で跳躍。光剣を渾身の力を込めて垂直に振り下ろす。

 

「くっ……!」

 

 シノンのSTRパラメータに裏付けされた、凄まじい速度と威力で振り下ろされた閃光は、しかし死剣へは届かなかった。死剣はスコードロンメンバーの銃撃を回避した反射神経と敏捷力をもって、後方へ跳躍。回避すると同時にシノンと距離を取って見せた。光剣の直撃によって瓦礫から上がった煙の向こうに死剣の姿を見据えながら、シノンは内心で舌打ちした。

 

(やっぱり、力任せに振り下ろしただけの剣技が通用する相手じゃない……!)

 

 銃撃戦がメインのGGOには、『光剣スキル』なるものは存在しない。光剣やサバイバルナイフ等の近接戦闘に用いる武器を操る上での戦闘能力は、武器を振るう速度と力を左右する『STR』と『AGI』、補助系スキルに相当する『軽業スキル』等よる三次元機動力のブーストに依存している。ALOのように、システムアシストによる動きのブーストが為される『ソードスキル』のような剣技が存在しない以上、光剣を使った戦闘能力は各々のプレイヤー自身が持つ剣技次第なのだ。

 今、シノンと相対している黒マントのプレイヤー、死剣の実力も、高いステータスに裏付けされただけではない。恐らくは、現実世界においても剣道あるいは剣術の心得がある人物なのだろう。かつて現実世界で武術を嗜んだことのあるシノン自身も初撃でそれは分かった。そしてそれは、元より近接戦闘を行うことの不利は承知していたが、ここに至ってただでさえ薄かった勝ち目がますます霞んできたことを示す。

 

「うおおおお!!」

 

 しかし、シノンは既に、勝利への執着などという感情は捨てている。戦うという決意をした以上、相手が何者であろうと関係無い。ただ只管、“強者”であること――それだけがシノンの欲求だった。

 気合いの叫びと共に光剣を構え直し、煙の向こう側に佇む黒い影へと突撃する。対する死剣もまた、光剣を構えてその一撃を受け止めようとする。

 

「やあああああ!!」

 

 シノンが振るう青の閃光と、死剣が振るう赤の閃光とが交錯する。シノンは持ち得る力の全てを振り絞って死剣にラッシュをかけるが、全て往なされる。傍から見ても、互いの実力差は明白であり、シノンもまた自覚していた。まるで付け入る隙の無い、至近距離で食らえば、近接のエキスパートでも捌き切れない程に激しい閃光の嵐は……しかし唐突に終わりを告げた。

 

「あっ……!」

 

 連撃の中でシノンの放った刺突が、大きく弾かれる。そのまま勢い余ってバランスを崩し、身体が後ろへ倒れそうになるのをどうにか踏み止まる。だが、死剣はその隙を見逃さない――――

 

「……ぐっ!」

 

 シノンに生じた隙を突き、死剣の剣技が炸裂する。ノーガードとなったシノンの左脇腹目掛けて振るわれた一閃が、そのHPを半分まで一気に削る。そして、右脇腹まで切り裂いた刃を返し、今度はシノンの左肩目掛けて斬り上げる。やや斜めに繰り出されたV字型の斬撃が、残るHP全てを呑み込んでいく。

 

(やられた…………けど!)

 

 既に勝負は決している。光剣によって繰り出された斬撃によって、身体は三枚に引き裂かれており、HP全損は既に確定。だが、このままでは終われない。泣き別れになった上半身が地面に落ちる前に、目の前の“死”に対して一矢報いるのだ。

 

「ら、ぁぁああ!!」

 

「!」

 

 未だに胴を通して首と繋がった、右手に握る光剣を最期の力を振り絞った斬撃を放つ。本能的に振るっただけの、ただ一撃の閃光は――しかし、ここに至って漸く死剣という強敵に傷を負わせることに成功した。光剣の切っ先は死剣の頬を掠め、ダメージエフェクトの光を刻み込む。そして、それと同時に黒マントのフードが脱げる。

 

(まさか……!)

 

 HP全損に至り、ポリゴン片となって消滅する間際、シノンはその素顔を見た。頭頂部から肩甲骨のあたりまで流れる、艶やかな黒髪。鮮やかな紅い唇。長い睫毛に縁取られた、赤く冷たい光を宿した大きな瞳。スコープ越しに確認した姿もそうだったが、実際に相対した姿も、どこか中性的なシルエットだった。

 

(死剣は…………女?)

 

 そんな、予想外の事実に想い到ったところで、シノンはその場から完全に消滅した。後にその場に残されたのは、ランダムドロップで落とされた光剣のみだった。

 

 

 

 

 

 荒野フィールドの一角にて、対人装備のスコードロンを一つ、ソロで壊滅させるという離れ業をやってのけた黒マントのプレイヤーこと死剣は、地面に落ちたドロップアイテムの光剣を拾い上げ、それを一人見つめていた。

 

「同じ光剣使い相手とはいえ、バーチカル・アークまで使うってのは……やり過ぎじゃないのか?」

 

 そんな死剣に対し、後ろから近づく二人のプレイヤーがいた。呆れた様に話し掛ける声に、しかし死剣には警戒の色は無かった。拾い上げた光剣から視線を外し、顔を上げて後ろをゆっくり振り向く。そこにいたのは、緑色の迷彩服に身を包んだ二人組。一人は身長170センチ弱で、胴も腕も太い男性。髪型は剛毛の角刈りで、全体的にゴリラを彷彿させる容姿である。もう一人は身長180センチ超の屈強な体格の男性。髪型は丸刈りで、ベレー帽を被っている。野生的な前者の男とは違い、こちらは軍人としての色が強い。

 

「そうは言うがな、カンキチ。狙撃手とはいえ、相手はそこそこの使い手だ。こちらも少しくらいは本気を出す必要があった」

 

「確かに……さっきの攻防を見る限りでは、狙撃手とは思えない激しい攻撃だったな」

 

「戦闘自体は筋力パラメータに依存したパワー嗜好の面が強かったが、剣の構え方は素人のものではない……あれは明らかに現実世界でも武術を経験した人間の動きだった。それはお前も分かっていたんじゃないか、ボルボ」

 

 呆れを含んだ、カンキチと呼ばれたゴリラ風の男性の言葉に、死剣は首を振って答えた。もう一人の男性、ボルボは達観した口調で先程死剣が戦っていた光剣使いのプレイヤーについて分析し、戦っていた当人たる死剣が付け加えた。

 

「だが、対人戦闘を専門とするスコードロンの割には、カウボーイハットの男と狙撃手の女以外は大したことは無かったな」

 

「あれでもリーダーのダインは前のBoBで十八位に入った実力者だったんだが……まあ、対プレイヤー戦闘が専門とはいえ、相性の良い相手ばかりを狙うスコードロンだったからな。お前を満足させられないのも仕方が無い」

 

「あの程度のレベルの連中を斬ったところで、奴は現れまい。次はもっと強力な連中を紹介してくれ」

 

 今回のスコードロンとの戦闘で、死剣が受けたダメージは最後の狙撃手が死に際に放った光剣の一閃が頬を掠めた一撃のみ。名前を売ることが目的の死剣にとっては、あまり実りのある戦いとは言えなかった。

 

「有力なスコードロンを狩り続ければ、向こうからアプローチを仕掛けるとも思ったが……やはり次のBoBを待つしかなさそうだな」

 

「そうだな。それより、今回の戦闘でドロップしたアイテムは、ワシ等が貰うが、良いな?」

 

「こいつだけ貰えれば構わない。あとは好きにしろ」

 

「ああ、構わん。どうせ欲しがる奴はおらんだろうしな」

 

 先程斬り捨てた狙撃手がドロップアイテムとして遺した光剣を、唯一の戦利品として貰うことを条件に出す死剣。対するカンキチは、指定されたアイテムには特に興味を示すことはなく、許しが出たところで周囲に散らばったアイテムを欲望丸出しの表情で集め始める。

 カンキチとボルボが情報収集を行い、有名スコードロンが狩りをするポイントを紹介し、死剣がこれを斬る。そして、プレイヤーを倒して得られるドロップアイテムをカンキチとボルボが山分けするのが彼等の契約だった。これにより、死剣は自らの名を売り、カンキチとボルボはアイテムを換金して現実世界の金銭に還元するという仕組みだった。

 

「俺は先にグロッケンへ戻っている。アイテム拾いはお前達で頼む」

 

「ふん、相変わらず素気ない奴だ……ま、そうさせてもらおう。それじゃあな、“黒の忍”」

 

 昔の渾名で呼ぶカンキチの言葉に、しかし黒の忍こと死剣は振り返らなかった。黄昏の光を浴びながら、その足をこの世界の首都SBCグロッケンへと向け、只管歩き続けるのだった。

 



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第八十一話 紅薔薇の奇術師

2025年12月1日

 

 都内某所の喫茶店。屋外に設えられた席の一つに、和人は座っていた。若干寛いだ様子でコーヒーを飲む和人には同行する人間はおらず、彼は一人静かに佇んでいた。SAO事件当時はビーターとして他者を寄せ付けない雰囲気を纏っていた和人だが、事件が解決した現在では、明日奈をはじめ複数の友人と行動することが多くなっている。彼を一人にしようとしない人間に囲まれているとも言えるが。

ともあれ、和人がこうして一人で、しかも通学路から外れた場所にある喫茶店で一人コーヒーを飲むことは普段あまり無かった。彼がこの場所にいるのは、自発的な意思ではなく……ある人物に呼び出されたことが理由であった。そして今、和人は待ち合わせの相手より先に到着し、予め指定された席に座ってコーヒーを飲んで一服していたのだった。

 

「和人!」

 

コーヒーカップを片手に一人の時間を堪能していた和人だが、自身の名前を呼ぶ声を聞き、声が聞こえた方へと視線を向ける。そこには、和人と同年代の少年が一人いた。その顔は、SAO事件当時から見知ったものだった。

 

「新一か」

 

「お前がこんなところにいるなんて、珍しいな。もしかして……お前も呼ばれたのか」

 

和人のもとまで歩み寄り、後半の内容を小声で尋ねる新一に対し、和人は静かに頷いた。

 

「やっぱそうだったか。となれば……お前のところにも、あれが届いたのか?」

 

「その様子では、お前もそうらしいな」

 

二人の間でしか分からない、短く端的なやりとりで、この場所に呼ばれた仔細について確認し合う二人。SAO事件当時から、探偵や忍と呼ばれてきた二人が揃うことに関して、ここ最近の事情で思い当たることはただ一つだった。物騒な雲行きになってきた、と感じ始める二人。そこへ、新たな人物が現れた。

 

「お待たせ致しました、和人様、新一様」

 

「お気になさらず、ワタリさん」

 

 背中から向けられた、見知った初老の男性の声に、和人は振り向きながら答えた。そこにいたのは、ノートパソコンを小脇に抱えた、白い髭に白い髪の毛の老紳士。かつて、和人がSAO未帰還者達を解放するために共闘した、協力者の一人である。

 

「やっぱり、竜崎はSAOの時同様に、姿を現さないか……」

 

「はい。彼の顔は、公の場所で顔を晒すわけにはいきませんので」

 

 ワタリの返答は、和人と新一も予測していたものだった。ワタリが公式の場に立つことでサポートしている、竜崎と呼ばれる人物は、世界最高の名探偵――Lである。世界を股に掛け、数々の難事件を解決した事で知られる、実質上裏のトップと称されるべき人物。だが、その性別、年齢、国籍をはじめとし詳細は、何もかもが謎に包まれているのだ。事件を依頼する警察や政府関係者との交渉の場には、サポート役であるワタリが通信機能付きの電子機器を持って赴いている。その、極度なまでの外部に対する閉鎖性は、犯罪者に対して顔が割れることを防ぐために他ならない。

 しかし、そんな竜崎ことLにも、過去に難事件を解決するために顔合わせをした人物はいる。和人もまた、その数少ない例外の一人だった。和人が、Lとしての竜崎と共闘した事件とは、今や知らぬ人など一人としていないとまで言われている、SAO事件に次いで発生した、未帰還者三百名を人体実験に供したとされる凶悪事件――ALO事件である。SAO生還者でもあった竜崎は、事件当時に顔合わせをした数少ない協力者プレイヤーから、事件解決に有力かつ信頼のおける人物として和人を選び出したのだ。そして、顔合わせをした上での共闘を申し込んだ経緯があった。和人はこれを承諾し、『サスケ』という名のもと、『イタチ』のステータスを引き継いで事件を解決に導いたのだ。

 そして、竜崎からより一層厚い信頼を得た和人が、今こうして再び竜崎に呼び出されている。世界的名探偵たるLが、ALO事件を共に解決した好の和人を呼び出す理由となれば、一つしかない。

 

「また、VRゲーム関連で何か事件が発生したのでしょうか?」

 

「はい。まさにその通りです」

 

 和人と新一の予感は、正しく的中していた。新一だけが呼ばれたならば、何らかの事件の捜査協力で間違いないのだろうが、この場には和人もいる。和人もまた、新一に劣らない切れ者で、卓越した推理力を持つが、それ以上に仮想世界における高い適性や、SAO事件の中で発揮した非常に高い戦闘能力が際立つ。その潜在能力を頼るとするならば、その舞台はVRゲーム……それも、戦闘メインのRPGに限られてくる。今度は一体、どこのゲームで何が起こったのか。現時点では不明だが、二人の助けが必要な事件であることを前提に考えると、SAOとALOに匹敵する難事件であることは間違いない。

 

「それでは、竜崎に繋ぎますので、少々お待ちください。」

 

「お願いします」

 

 ともあれ、まずは竜崎ことL本人から話を聞くことにする。ワタリがノートパソコンを開き、スピーカーやカメラといった通信機器を起動するのを待つこと数分。ワタリが和人に対して向けたパソコンの画面には、お馴染みのクロイスターブロックフォントで記された『L』の文字が浮かんでいた。

 

『お久しぶりです、和人君。それに、新一君』

 

「久しぶりだな、竜崎。それで、早速だが、俺を呼び出した理由について聞かせてもらえるか?」

 

「はい、勿論です。それではまず、こちらをご覧ください。ワタリ」

 

「承知しました。」

 

 パソコン越しの竜崎の声に応え、ワタリはバッグからタブレット端末を取り出して操作した後、それを和人に差しだす。和人はそれを受け取ると、画面に表示された情報に目を通していく。

 画面に映し出されていたのは、ある二人の人物の個人情報だった。写真、名前、年齢、住所……だが、そんな基本的な個人情報よりも、気になる文字を見つけた。『死体発見日』と『死亡推定時刻』。“死亡”の二文字が示すのは、つまりこの二人の男性は既に他界しているということである。やや物騒な臭いがしてきたところで、さらに読み進めて行くと、死因は両方とも心不全らしい。そして、どうやら死亡推定時刻にこの男性はとあるVRMMOにダイブしていたらしい。ゲームタイトルは『ガンゲイル・オンライン』。

さらに……これは竜崎が追記した情報のようだ。ゲーム内でそれぞれの死亡時刻寸前に銃撃事件が発生したという。いずれの事件も『死銃』を名乗るプレイヤーが、中継中の番組『MMOストリーム』に出演中のアバターが映るモニター、またはアバター本人に向けて発砲したらしい。

 

「成程……ゲーム内の銃撃事件と現実世界の死亡事件。お前はこの二件の出来事の間に、何らかの関連性を疑っている。そういうことか、竜崎?」

 

『話が早くて助かります、新一君。ちなみに、この事件は既に仮想課も目をつけています。あなたはどうお考えですか?和人君』

 

 事件性の有無について、今度は和人に尋ねる竜崎。SAO内ではレッドギルドの殺人トリックを次々暴き、遂にGMである茅場晶彦の正体まで看破した和人である。新一に匹敵する名探偵ばりの推理力に対し、竜崎だけでなく新一までもが期待し、参考にしようとしていた。果たして和人は、その問いに対して然程時間をかけず答えた。

 

「これが殺人事件だとすれば、殺害方法のロジックについてはいくつか思い浮かぶ。だが、これを実行した犯人は、相当な計画性を備えた知能犯だ。単純に、仮想世界と現実世界の区別がつかなくなった人格破綻者の仕業とは考えにくい」

 

 ゲームの中で、プレイヤー同士の殺し、殺されるといった事態は日常茶飯事である。それを推奨しているゲームもある程であり、和人が日常的にプレイしている『アルヴヘイム・オンライン』もそこに含まれる。だがそれは、プレイヤーが何度でも復活するゲーム内でのこと。一度死亡すれば絶対に蘇ることは無い、現実世界での殺人に踏み切るには、精神的障壁がどうしても邪魔をする。

勿論、仮想世界と現実世界の境界が曖昧になった末に現実世界で暴走して事件を起こす人間はいる。VRゲーム内のトラブルが原因で現実世界における傷害・殺人が起こるケースが報道されることもざらである。だが、それらのケースはVRゲームの他にドラッグが絡むなど、正常な思考を失った末に発生しているのだ。

一方、竜崎や仮想課が注目している死銃による銃撃事件は――殺人事件と仮定すると――その銃を撃てば相手が死ぬということを理解した上で引き金を引いている。その上、和人が思い付いた殺害方法が実行されていると考えたならば、その精神状態は『現実世界』と『仮想世界』の区別がつくだけの思考を残していることは明らかである。

現実と仮想の境界が曖昧となり、常識が破綻してもなお、正常に機能する思考をもって殺害に及ぶ人間。このような人間の存在は、ある意味の矛盾を孕んでいる。そしてそれは、竜崎も理解していたようだった。

 

『私もそれは同意見です。仮想世界での殺人と、現実世界での殺人は全くの別物です。仮想世界と同じ感情で殺害に臨んだとしても、後悔や罪の意識で二件目以上の犯行には及べないのが、人間心理というものです。無差別殺人に及ぶ例外もありますが……それらはもれなく、常識が破綻した人物です。

しかし、『死銃』と名乗るプレイヤーが仮に殺人を犯していたとすれば……彼はただの猟奇殺人犯ではありません。正常な思考を保ちながらも人を殺すことに躊躇いが無く、その精神は人間の常識から著しく逸脱しています。銃撃時に、『偽りの勝利者』や『裁き』、『本当の力』などと口にしていることからして、仮想世界の死イコール現実世界の死という非常識を具現化し、それを正義と認識していることからも明らかです』

 

「その通りだ。これが殺人事件だとすれば、実行している人間の精神は常軌を逸していながらも知性を残している。この矛盾の裏には、実行犯を操る黒幕の存在を感じる。そして恐らくそいつも、『仮想世界』と『現実』……この両方の世界で、“同時に”人を殺すことに慣れている……」

 

「やっぱりそこに行き着くよな。なら、これをやった奴等の犯人像を特定するのも、そんなに難しくはないよな……」

 

 殺人を躊躇わない程に倫理が崩壊した人間が、知性的な計画犯罪を行うことなど不可能である。故に一連の事件には、裏から糸を引いて実行犯を操る黒幕がいる。それが三人の出した結論だった。そして、実行犯を操る人物の正体についても、互いに察しがついていた。

 

「ほう……やはり君達も、そう思うのですか」

 

 と、そこへ新たな人影が現れる。銀髪に眼鏡をかけた、知的な雰囲気を漂わせる男性。顔立ちも端整で背も高い、容姿端麗と呼ばれる部類に入る風貌である。エリートという単語がよく当て嵌まるこの人物に、和人は面識があった。

 

「明智警視……どうしてここへ?」

 

「おいおい、俺もいるぞ!」

 

 新たに現れた二人眼の人物を目の当たりにし、内心で驚きの表情を浮かべる和人。彼の身に纏っている服は和人と同じく、SAO未帰還者のために作られた学校の制服だったからだ。

彼の名前は、金田一一。和人と同じく、SAO生還者の一人であり、同学校に通う間柄である。そして、有名な名探偵の孫でもある。警視庁刑事部捜査一課に所属する警視である、最初に現れた人物――明智健悟と協力し、今まで数々の難事件を解決した実績を残し、警察関係者の中で一目置かれている人物でもある。

 ちなみに、和人が一と知り合ったのはSAO内であり、明智と面識を持ったのは、ALO事件が解決してからである。明智は和人が銃撃に依る昏睡状態から目覚めた頃に和人を尋ね、SAO事件未帰還者に名を連ねていた一の救助と警察関係者としての立場も兼ねて感謝を述べに来た時に言葉を交わした経緯があるのだった。

 

「一まで……竜崎、お前が呼んだのか?」

 

『はい。二人とも、今回の事件にはある関係を持っておりますので、予め私のことや死亡事件の諸事情について私から話し、同席をお願いしました』

 

 突然現れた明智と一の姿を見た和人と新一は、ここに来た時に抱いていた不安が、的中していることを悟り始めた。片や警視庁のエリート、片や高校生探偵である。竜崎ほどではないにしろ、いくつもの難事件を解決に導いた経緯のある彼等をこの場に呼び出したことを考えるに、竜崎は先程話した事件が殺人事件であると確信していることは間違いない。しかも、裏で意図を引いている人物の正体を、既に掴んでいることは明らかだった。

 

「私がここに来たのは、竜崎君の要請でもありますが、どうしても君達に見せたいものがありましてね」

 

「見せたいもの?」

 

 そう言って明智が取り出したのは、大き目の箱だった。和人と一、竜崎の視線が集中する中、明智はその蓋に手をかけ、そして開いた。

 

「私のもとに届いたのですよ」

 

「!」

 

 箱の中身を見た途端、その場に居た三人に緊張が走った。中に入れられていたのは、関節を不自然に折り畳まれて収納されたマリオネットだった。ピエロの格好をしたそれは、薄気味悪い瞳を大きく見開いて、虚空を見つめている。その不気味な人形に、細部こそ違うが全員見覚えがあった

 

「差出人は不明でした。しかし、あなた達ならば既に見当はついているのではないですか?」

 

「『地獄の傀儡師』、だな」

 

 和人の口からその名前が出た途端、一同の目が厳しくなる。そんな中、和人と同じく表面上はほとんど表情が変わった様子の無い竜崎が、口を開いた。

 

『地獄の傀儡師……プレイヤー名『スカーレット・ローゼス』。SAOのレッドギルド『笑う棺桶(ラフィン・コフィン)』の幹部にして、PoHと並び立つ殺人者ですね』

 

 竜崎が口にした言葉を聞いた和人と一は揃って神妙な顔つきになる。竜崎の説明は、SAO事件当時に討伐隊をはじめ全プレイヤーで共有していた情報である。だが、実際に相対した経験のある和人と一には、それだけの言葉では説明できないものを感じていた。

 

 

 

 

 

 『地獄の傀儡師』……その名前がアインクラッドに浸透したのは、後に圏内事件と称される事件が解決して間もない頃。全プレイヤーから恐怖と狂気の象徴として敵視されていた殺人(レッド)ギルド『笑う棺桶(ラフィン・コフィン)』のトップスリーの一人であるジョニー・ブラックが、同事件で拘束されたことがきっかけだった。その空席を埋めるために、PoHが勧誘した人物。それこそが、『地獄の傀儡師』の二つ名で恐れられたレッドプレイヤー、『スカーレット・ローゼス』だった。百発百中の毒ナイフ投げの名人として、ジョニー・ブラック以上に数々の名だたるプレイヤーを屠ってきたローゼスだが、その真骨頂は『殺人教唆』にこそあった。

『傀儡師』とは、人形使いを意味する言葉である。『地獄の傀儡師』を冠するローゼスは、恨みや憎しみを抱いた人間達に完全犯罪のシナリオを提供し、人形のように操り殺人に駆り立ててきた犯罪コーディネーターとしての一面が、直接的な殺人者としての印象よりも強かった。彼が開発した、芸術犯罪と称するシステムの裏を突いた数々のPKロジックは、PoHと並び立つ脅威として認識されていた。

笑う棺桶の討伐戦にも参戦していたが、既に組織を抜けていたPoHと揃って、SAOクリアまで拘束されるに至ることは無かった。ギルド壊滅後も、犯罪コーディネーターとしての活動を続けていた。その中で、和人ことイタチも毒牙にかかりかけたことがあったのだが、例の如く返り討ちにした経緯がある。

 

 

 

 

 

「奴が攻略組プレイヤーだった俺やハジメに挑戦状として送ってきたマリオネットによくに似ている。ほとんど同一のデザインの人形を明智警視に送りつけたとなれば、間違いないだろうな」

 

『やはり、そうでしたか。地獄の傀儡師……本名『高遠遙一』。SAOではスカーレット・ローゼスと名乗って殺人および殺人教唆を重ねていたようですが、彼の犯罪コーディネーターとしての活動はSAO事件が初めてではありません。マジックを得意とする犯罪者として、これまで似たような事件に黒幕として関与してきた記録があります』

 

「俺と明智さんも、奴とは現実世界で何度か対決したことがあったんだが……流石に、SAOにいたと知った時にはかなり驚いたぜ」

 

 地獄の傀儡師、スカーレット・ローゼスこと高遠遙一の恐ろしさを、目を鋭くしながら語る一と明智。和人自身、ローゼスに出会った当初は、SAO内で初犯の殺人者とは到底思えなかった。殺人とその教唆に対する躊躇いは一切なく、自らが実行する手口も、他者へ提供する手口も非常に高度なものだった。明らかに手慣れ過ぎている、というのが和人の印象だった。それに、SAO事件で対決する中で薄々感じてはいたが、やはり一と奴には、現実世界以来の因縁があったらしい。だが、今となっては因縁があるのは一と明智の二人だけではない。レッドプレイヤーとの戦いにおいて、最前線に立ち続けてきた和人と新一にも、この犯罪コーディネーターとの間には、避けられない因縁が形成されている。

 

「それに、奴が送りつけてきたのは、そこにある人形だけじゃない。俺には、こんなものが送られてきたぞ」

 

そう言って和人がカバンの中から取り出したのは、一枚のA4用紙。白地の紙には、ある名前を列挙した表がプリントされていた。それを見た一は、驚きの声を上げる。

 

「和人もだったのか!」

 

「その様子だと、お前のところにも送られていたようだな、一」

 

「新一まで……やっぱり、こいつが届いていたのか?」

 

和人に続き、新一と一もまた、一枚の紙を取り出した。和人が取り出した紙を並べると、そこには同一の内容がプリントされていた。その内容に視線を移した明智は、眼鏡のずれを直しながら呟く。

 

「これは……VRゲームのタイトルを列挙した表、ですか?」

 

「その通りです。恐らくこれは、地獄の傀儡師こと高遠遙一が、これから起こす事件の場所として相応しい仮想世界をリスト化したものです。そして同時に、俺達への挑戦状でもある――」

 

そう言うと、和人はリストの中のある一行を指さす。そこ記されていたタイトルは、『ガンゲイル・オンライン』……死銃と呼ばれるプレイヤーが不審な行動を取り、その直後と思しき時間帯に不審な死亡事故が起こったVRゲームである。

 

『成程……これで全て、繋がりましたね』

 

「ああ。最早疑う余地も無い。この二つの不可解な死亡事故は、間違いなく奴が意図して引き起こしたものだ。それにこれは、恐らく序章……奴の計画は、これから本格的に動き出す筈だ」

 

 緊迫した空気が立ち込める中、和人がそう締めくくる。同時に、目の前の人形を贈りつけてきた存在へ対抗するために、四人は互いに協力することを暗黙の了解とした。

 そして、その瞬間――――

 

 

 

『サア、探偵諸君。始マルヨ……恐怖のマジックショーガ!』

 

 

 

『!』

 

 変声機で歪められた音声が発せられるとともに、ギ、ギ、ギと機械的な音を立てて動きだす箱の中のマリオネット。和人、竜崎、一、明智は身構えながら席を立ってテーブルの上に置かれた人形と距離を取る。そして、人形を中心に花火が噴出し、小さな爆発を起こす。人形は爆破の衝撃で飛ばされ、周囲の建物の屋根の上にある煙突付近へと落下した。

 

(あれは……!)

 

 屋根の上、人形が吹き飛ばされた煙突の影から、唐突に現れる黒い影。おそらくは人間で間違いないそれは、徐々に身体を起き上がらせていく。そして現れたのは、目元に星や水の雫のデザインが施されたゴムマスクを被った道化師だった。

 

「地獄の傀儡師……!」

 

「高遠遙一……!」

 

 屋根の上に立つ、SAO事件当時に『地獄の傀儡師』として和人や一の前に姿を見せた時と変わらぬ姿に呆然としながらも、一と明智はそう呟いた。対する道化師は、和人達四人を見下ろしながら会釈する。再起動した明智が確保のために建物へと走るが、初動が遅かった。明智が建物へ突入しようとした途端、屋根の上に立つ道化師の目の前の煙突から、無数の薔薇の花弁が飛び出したのだ。屋根一面を覆わんばかりに溢れ出た花弁は、道化師の姿を覆い隠し、数秒後にはそれまでそこにいた道化師は完全に姿を消していた。

 

「瞬間消失マジック、だな。これではっきりしたな。奴は、途方も無い殺人計画を企んでいる!」

 

「高遠遙一……奴はこの手で捕まえてみせる!名探偵と呼ばれたジッチャンの……そして、俺の名にかけて!」

 

 屋根の上から姿を消した道化師――地獄の傀儡師こと高遠と対決し、これを打ち倒す決意を新たにする新一と一。そして、SAO事件以来の最凶最悪の敵との戦いに臨むことを誓ったのは、彼だけではなかった。

 

『イタチ君。ガンゲイル・オンラインにログインし、地獄の傀儡師の野望の阻止に、協力してもらえますか?』

 

「無論だ」

 

 竜崎からの改めての協力依頼に、和人は何の迷いも無く即答した。その表情は、既に普通の高校生、桐ヶ谷和人のものではなかった。かつてSAOで殺人集団『笑う棺桶』を相手に、殺し殺される戦いへ身を投じた『黒の忍』――前世のうちはイタチのものへと戻っていた。

 

 

 

 

 

2025年12月8日

 

 地獄の傀儡師・高遠遙一からの宣戦布告が為されてから一週間後。和人の姿は現在、住所である埼玉県の川越から離れた東京の街の一角にあった。天気は雨模様。左手に傘を持ちながら目指す先には、既に何度か通ったことのあるオフィスビル。この日だけ唯一違うのは、車による出迎えではなく、徒歩で向かっていることだけだった。そして、空いている右手にはスマートホンが通話状態で握られている。

 

『あれから一週間……短期間とはいえ、和人君には十七ものスコードロンを潰して貰いましたが、死銃が接触する気配はありませんか』

 

「ああ。巷では『死剣』などという字が付けられる程になったが、こちらに接触する気配すらない」

 

 通話の相手は、和人が一週間前に依頼を受けたクライアント。竜崎と名乗る世界的名探偵、Lだった。和人や竜崎の間で死銃事件と仮称されている変死事件が、地獄の傀儡師の暗躍によるものであると断定した和人は、その翌日から早々に捜索を開始していた。捜査のためには、死銃との接触が必須。そのための足掛かりとして、和人は事件の舞台となったVRMMOFPS『ガンゲイル・オンライン』にログイン、プレイしていたのだった。

 

「元々、簡単に現れてくれるなんて期待はしていない。スコードロン狩りをしていたのは、GGOの銃撃戦に慣れることが目的だったんだ。お陰で、あの世界に流通している武器の性能やプレイヤーの能力は大体把握できた。これで、本命のBoBも十分勝ち進めるだろう」

 

 和人がガンゲイル・オンラインにログインして手始めに行ったのは、スコードロン狩りだった。和人が積極的な交戦に臨んだのには、主に二つの目的がある。

一つ目は、高遠遙一の人形として殺人を犯していると思しきプレイヤー『死銃』への接触。天才犯罪者として名高い高遠に操られている以上、その所在を突き止めるのは至極困難である。そこで和人は、ゲーム内で名うてのスコードロンを積極的に狩ることで強力なプレイヤーとして名を売り、自身の存在を知らしめることにしたのだった。死銃に銃撃されたプレイヤー二名はいずれもGGOにおいて強豪の部類に入る有力プレイヤーだったため、示威行為によって自身が強豪であることをアピールし、死銃の方からの接近するよう誘導しようと考えたのだった。

そしてもう一つの目的。それは、GGOの世界における戦闘経験を積むことだった。剣の世界であるSAOにおいては無類の実力を発揮したイタチこと和人だが、銃の世界となれば勝手が異なる。うちはイタチの生きた忍世界にも、火薬を用いて飛翔体を発射する装置は存在していたが、対人戦闘に用いる飛び道具は手裏剣、クナイ、千本が主流である。この世界で発達した銃器を相手に、不覚を取らないとも限らない。そのため、死銃に自らの存在を知らしめて接触を促すための示威行為に、目的である死銃が確実に現れるであろうBoB参加への予行演習を兼ねたスコードロン狩りを行っていたのだった。

 

(尤も、それも杞憂だったが……)

 

 銃弾という未経験の武器を相手に、どこまで自分の戦闘が通用するかと身構えていたが、存外苦戦することは無かった。考えてみれば、当然である。前世で跳び道具として主流だった手裏剣やクナイにしても、上忍クラスの忍者が使用すれば、銃弾と同程度の速度で飛来することはザラなのだ。しかも、忍術を付加して破壊力を強化し、追尾性を付加することもある。それに比べれば、音速に相当する速度で放たれるとはいえ、一直線にしか進まない弾丸はいくら殺傷能力や破壊力が高かったとしても、忍の前世をもつ和人の脅威にはなり得なかった。

それでも油断できないと考えたのは、一月に起こった銃撃事件で負傷し、生死の境を彷徨った経験故だった。忍の前世を持ち、二度も死を経験している和人は今更死ぬことに対する恐怖は持ち合わせてはいない。だが、それがもとで直葉をはじめとした家族に多大な心配をかけたことに深い負い目を感じていたのだった。

 

(だが、今回の敵は仮想世界だけではない。奴と対決するとなれば、命懸けの戦いになる事は必定……)

 

 忍術こそ使えないが、忍としての前世の力を十全に発揮できる仮想世界での戦いならば、譬え自分と同様に忍の前世を持つ人間が相手であろうと、正面戦闘で負けない自信がある。だが、現実世界ではそうはいかない。

この世界における桐ヶ谷和人の戦闘能力は非常に高い部類に属すが、忍術が使えないことに加え、身体能力についても前世のうちはイタチ時代より下方修正されていることは間違いない。現実世界での実戦経験に乏しいこの状況下で、前世と同じ要領で戦闘に臨むのは危険だろうと和人は考える。人を殺すことに慣れた犯罪コーディネーターと相対するとなれば、尚更である。

しかし、和人とて命のリスクは承知の上。この期に及んで逃げ出すつもりは無い。地獄の傀儡師・高遠遙一との直接戦闘を想定し、竜崎等と協力して準備を整えているのだ。

 

「ともあれ、BoB予選当日までは精々名を売ることにする。GGOは今や『死剣』の噂で持ち切りだ。連中が動きだす本戦までには、必ず俺に接触する筈だからな」

 

『頼みましたよ、和人君。それから、新一君も片手間ではありますが、こちらの事件の情報収集に協力してくれています。こちらの事件に協力できないことに負い目を感じていたようですね』

 

「それこそ、あいつが負い目に感じることは無いだろう」

 

地獄の傀儡師・高遠遙一に関する情報収集のために集まったあの日、捜査に協力することを誓った新一だったが、死銃が本格的に犯行に及ぶであろうBoB開催日には、別件で捜査の協力要請が警察から入ったのだ。故に、和人や一の進言も相まって、高遠の事件からは手を引くこととなったのだが、本人はそのことに負い目を感じているらしく、自分の時間を削ってまで情報収集に協力してくれていたのだ。

 

「そもそも、あの有名な怪盗二人を巻き込んだ三つ巴の戦いだ。片手間でやれる程甘い相手じゃない。あちらの事件に集中するべきだ」

 

『同感です。怪盗キッドはともかく、ルパン三世は私もこれまで手を焼いてきた怪盗です。新一君には、そちらに集中するよう進言しましょう』

 

「俺もそうする。二兎追う者は一兎も得ずと言う。複数の敵を相手に立ち回るための仲間でもある。俺が言えた義理じゃないだろうが……もっと仲間を信用するべきだ」

 

『……そうですね。では、後ほど』

 

「仲間を信用する」という言葉を聞いた竜崎の声は、ほんの僅かだが喜色を帯びているように感じられた。そして、その言葉を最後に、竜崎との通話は切れたのだった。和人はスマートホンを上着のポケットへしまい、竜崎の待つビルへ向けて歩みを進めるのだった。

 

(竜崎の基地へ到着した後は情報交換を行い、GGOにダイブ。カンキチとボルボの話では、今日はこれから数時間後に対人スコードロンがフィールドに出る。今から行けば、十分先回りは可能だな)

 

 歩行者用の信号が赤信号で立ち止まる傍ら、竜崎の待つ基地に到着した後の予定について脳内で確認する。やがて信号が青に変わり、交差点の向こう側へと歩き出す。目的のビルへ近道するために、近くにあった商店街へと足を踏み入れた、ちょうどその時……あるものが目に入った。

 

 

 

 

 

「わり、朝田。あたしらカラオケで歌いまくってたらさぁ、電車代なくなっちゃったぁ。明日返すから、こんだけ貸して」

 

「…………」

 

 学校からの帰り道、買い物をしていたところを二人掛かりで取り押さえられ、路地裏へと連れて来られた途端に放たれたこの言葉に、彼女――朝田詩乃は表情をほとんど変えず、しかし内心ではほとほと呆れかえっていた。目の前で飴を咥えながら話す同じ学校の女子生徒、遠藤からこうしてカツアゲ染みた方法で金を要求されるのは、これが初めてではない。

かつては友達のように振る舞い、詩乃に近づいてきた遠藤はじめ三人の同級生。だが、遠藤達が詩乃に対して友達のように振る舞っていたのは、一人暮らしである彼女の住居を都合の良い遊び場所にするための口実でしかなかった。その行動は日に日にエスカレートし、遂には合鍵を要求され、見知らぬ男まで連れ込まれたのだった。ここに至って遠藤達の真意を知った詩乃は、警察に通報。これに逆上した遠藤達は、詩乃が今まで隠していた、ある“過去”を全校へリークしたのだった。そして今現在に至っても報復は終わらず、一人になった詩乃を獲物に定めてこうして恐喝することもしばしばだった。

 

「……そんなに持ってるわけない」

 

「じゃあ、下ろしてきて」

 

 以前は手持ちが無いからと言って切り抜けたが、今回は同じ手が通用しそうにない。言い逃れができない以上は、取れる手段は一つだけ。そう考えた詩乃は、意を決して口を開いた。

 

「嫌」

 

「……は?」

 

「嫌。遠藤さん、あなたにお金を貸す気は無い」

 

 真剣な表情で明確な拒絶の意思を示す詩乃。このような態度を取れば、遠藤達が逆上するのは詩乃も承知している。だが、それでもこのような脅しに屈し、言いなりになることは、絶対に許せなかった。遠い過去から今に至るまでずっと引きずっている“弱い自分”を表に出すこと、それだけは絶対にしてはならない。それが、詩乃の中にある揺るぎない決意だった。

 

「手前ぇ……ナメてんじゃねえぞ」

 

 目元を引き攣らせながら、威圧するように放った遠藤の言葉に、しかし詩乃は目もくれず踵を返してその場を後にしようとする。後方に控えていた取り巻き二人も遠藤と同様、タダで返す気は無いらしく、路地を出ようとする詩乃を妨害しようとする。

 

「もう行くから、そこをどいて」

 

 すぐ後ろで激昂している遠藤のことなど完全に無視して取り巻き二人に強硬な態度で道を開けるよう要求する。これ以上恐喝を続けるようならば、詩乃とて手段は選ばない。表通りに聞こえるくらいの悲鳴を上げてやろうかとも思っていた。卑劣な行動ばかりする遠藤達だが、警察沙汰にだけはしたくない筈。警察に通報されかねないようなことをすれば、必ず諦めるだろう。詩乃は、そう考えていた。

 だが…………

 

「くっふ……」

 

 嫌な笑みを浮かべ、詩乃のもとへ背後から迫る遠藤。今度は何を言うつもりなのだと、苛立ちを露に振り返る詩乃。だが、そこにあったのは……

 

「ばぁん!」

 

「!」

 

 握った拳から親指と人差し指を突き立てた……拳銃を模した形の手。発砲を彷彿させる効果音を口にしながらの、子供がよくやるそのポーズに……しかし詩乃は、硬直してしまった。

 

「は、…………あ、あぁ……」

 

 足が震える。焦点が合わない。平衡感覚が揺らぐ。幻覚なのか、視界に映るもの全てがぐにゃりと歪んで見える。全身の力が抜け、立っていることすらできない。手に持っていた傘と鞄は地面に落ち、バランスを崩した末に膝を突いてしまった。

 

「ぐ…………うっ……!」

 

 地面の水溜まりが撥ね、降り頻る雨が背中に降り頻る。恐怖によって精神が蝕まれ、過呼吸に陥りかける中で、懸命に保とうとした詩乃。だが、身体はそれすら許さない。遂には、込み上げてきた吐き気にすら耐え切れず……胃の中にあったもの全て、嘔吐してしまった。

 

「オイオイ、こいつゲロりやがったぞ!」

 

「きったねーな!まるで酔っ払ったオヤジみてえだ!」

 

 嘔吐して尚、雨に濡れながら蹲って恐怖に震える詩乃を見て、遠藤やその取り巻きは嗜虐的な笑みを浮かべて見下ろしていた。そこには、先程まで強硬的な姿勢で遠藤達を拒絶していた姿は欠片も無く、弱々しく泣く少女がそこにいるのみだった。

 

「こいつはいいや!指鉄砲でコレなら、今度はウチの兄貴が持ってるモデルガンでも持ってきてやろうか?」

 

「い……いや…………!」

 

 追撃を食らわせるように放たれた遠藤の言葉に、詩乃の顔がさらなる恐怖に歪む。頭を抱え、咽び声を上げる詩乃の姿に、遠藤は満足した様子で詩乃のバッグへ手を伸ばす。

 

「ま、とりあえずは今持ってる分だけでいいや。相当具合悪いみたいだしな」

 

 そう言うと、遠藤は詩乃が落としたバッグの物色を始める。過呼吸に近い息遣いで蹲る詩乃には、最早自分の財布がどうなるかなど気にする余裕は無かった。今はただ、目の前にある……存在するように見えている脅威が消えることだけを願い、震えることしかできなかった。

 

(助けて…………誰か、助けて……!)

 

 蘇る過去の光景、その恐怖に手も足も出ずにまるで動けない詩乃は、ここにはいない誰かが助けに来ることを祈った。

そう……あの日、詩乃の前に現れた、真の強さを持つその姿を求めて――――

 

「そこまでだ」

 

 そんな時だった。詩乃の耳に、遠藤とその取り巻き以外の人間の声が聞こえたのだ。地面に蹲っている詩乃には見えなかったが、声色からして男性だろうか。

 

「なんだお前?」

 

「そこに倒れている奴の知り合いだ」

 

「ハッ!しゃらくせえ。正義の味方かなんかのつもりか?」

 

 突然の闖入者の出現に胡散臭そうな声を発する遠藤。それもその筈。傍から見れば、『苛められている女子高生を助ける勇者』という構図になるのだろうが、今時このような酔狂な真似をする人間は全くといっていいほどいない。

 

「女だからって、あたしらをナメてんのか?あぁ!?」

 

「調子こいてんじゃねえぞ、コラ!」

 

 遠藤の取り巻き二人からも、威圧するような声が発せられる。だが、新たに現れた男性がたじろぐ気配は無かった。それどころか、遠藤達のもとへと歩を進めてきた。雨粒が地面に落ちて弾ける音が幾つも聞こえる中、ゆっくりと近づいてくる足音だけが、やけに大きく聞こえてきた。

 

「二度は言わない」

 

 途端、男性の声色が変わった。先程までの無感情な声から一転、明確な敵意が込められた。

 

「今すぐ、ここから立ち去れ」

 

 さもなくば、殺す――――そう続けたとしてもおかしくないような雰囲気で放った言葉に、地面に蹲っている詩乃は背筋が凍るような感覚に陥った。

 

「な……なんだよ……!……クソッ!」

 

 蹲っている詩乃ですら震え上がるような殺気が放たれたのだ。真っ向からこれを受けた遠藤達は、さぞ戦慄したことだろう。悪態を吐きながら、取り巻きを引き連れて路地裏の奥へと走り去る音が、詩乃には聞こえた。

 

「……大丈夫か?」

 

 先程と同じ、しかし殺気は一切感じられない声が、詩乃へと掛けられる。声が聞こえたのは、すぐそこだった。空から降り注ぐ雨粒が身体を打つ感覚が消えたのを感じる。恐らく、差していた傘で詩乃が濡れないようにしてくれているのだろう。声を掛けられて一瞬ビクッとしてしまった詩乃だったが、恐る恐る顔を上げる。そこにあったのは、記憶のかなたに見知った顔。大人しいスタイルの黒髪に線の細い顔。そして、かつて詩乃が求めた、強さの一端を垣間見た少年――――

 

「久しぶりだな、詩乃」

 

「…………和人?」

 

 期せずして果たされた再会。しかし詩乃は驚く間も無く、次の瞬間には視界が黒く染まっていくのを感じると共に、完全に意識が途絶えるのだった。

 

 

 

 

 

 雨の路地裏で起きた、高校生同士のトラブル。その一部始終を、表通りからじっと見つめる視線があった。

 雨で濡れた地面に蹲る、意中の少女。彼女の傍で片膝を突きながら介抱する見知らぬ少年。本来ならば、その少年の立ち位置は自分のものだった。なのに……介入するタイミングで先を越され、そのポジションを奪われてしまった。

 その事実に、言い表せない程の怒りが込み上げてくる。今、ここに彼女が居なければ……

 

 

 

 すぐにでも、殺していたかもしれない――――

 

 

 

 そう思える程に、内心では怒り狂っていた。だが、今はその時ではない。そもそも、この男が何者であろうと自分には関係無いのだ。何故なら、自分が今関わっている計画が遂行されたのならば、彼女は真の意味で自分の物となるのだから――――

 だから、今は手を出す時ではない。今は雌伏の時……彼女と一緒になるためにも、自分は“傀儡”を演じ続けねばらならないのだ。

 そんなことを考えていたところへ、狙い澄ましたようにメールの着信が入った。内容を確認すると、予想通りの人物からだった。

 

『次のターゲットが決まりました。

 具体的な日時については、後日改めて知らせます。

 あなたの想いが叶う事を祈り、こちらも力を尽くさせていただきます。

 

 Good Luck、死銃(デス・ガン)』

 

 いつも通りの決まり文句で終わっているメールを確認すると、一人ニヤリと笑みを浮かべる。遂に、あの計画が本格的に始動する……これで、自分も伝説になれる。そんな、狂気にも似た想いを抱きながら、路地裏への入り口に背を向け、踵を返す。

異常なまでの執着。それを滾らせながら、路地裏の入り口に佇んでいた“狂気”は、人ごみの中へと紛れていくのだった――――

 



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第八十二話 瞳の中の暗殺者

 朝田詩乃は、母子家庭の少女だった。父親は詩乃の幼少期に事故で他界し、共に暮らす家族は母親と祖父母の三人。母親は事故のショックで精神が少女時代へと回帰し、不安定な状態が続いていた。日常生活を送ることは一応可能とはいえ、他者からの悪意に対して無防備な精神状態にある以上、家族のフォローは必要不可欠だった。そんな状況が続いた所為か、詩乃には物心ついた時から、自分が母親を守らねばという想いが胸中にあった。

 母を支えるのは自分――――

 母は自分がいつでも傍にいなければ危険――――

 母を守るのは自分だけ――――

 

 

 

 母がいなくなったら、自分は独りになってしまう――――

 

 

 

 あまりに儚く、無抵抗な存在である母親を守る。そのためには、自分が強くなければならない。母や自分の平穏を脅かす存在を排除できるだけの力がなければならない。そんな、強迫観念染みた考えがあったからだろう。あのような悲劇が起こったのは……

 

 

 

 父親が亡くなり、母親が精神を病んだ詩乃の人生をさらに狂わせる事態が起きたのは、詩乃が十一歳の頃だった。ある土曜日の午後、詩乃は母親と連れ立って近所の郵便局を訪れた時に、それは起こった。詩乃が窓口で手続きを行っている母親を待っていたその時、一人の男が中へと入ってきたのだ。

 灰色っぽい服装で帽子を被り、ボストンバッグを持った痩せた体格の中年男性。だが、その目は焦点が定まっておらず、子供の詩乃から見ても正気には見えなかった。その姿を見て、一抹の不安を感じた詩乃だが、その予感は見事に的中した。

 母親が手続きする窓口に歩み寄った男は、必要書類に記入をしていた母親を突き飛ばし、ボストンバッグを窓口へ置く。そしてその中から禍々しく黒光りするものを取り出し、職員へと突き付け、叫び声を上げた。

 

『このカバンに、金を入れろ!警報ボタンを押すなぁっ!』

 

 白昼の銀行を突如襲った突然の事態に、詩乃をはじめとした来客達や、郵便局員達は皆騒然とした。拳銃を手に金銭を要求するこの男は、言うまでもなく銀行強盗である。しかも、ただの銀行強盗ではない。後から判明したことだが、この男は覚醒剤を摂取していた薬物中毒者だったらしい。現場で巻き込まれた当事者達にも、男が錯乱状態だったことは容易に理解できた。

 

『早くしろ!モタモタするな!』

 

 故に、その場に居た人間は全員、男を刺激しないよう、口を閉ざして沈黙した。郵便局員で窓口に立っていた人物は、男に言われるまま札束を持っていく。だが、

 

『ボタンを押すなと言っただろうがっ!』

 

 その叫び声と共に、響く銃声。次の瞬間には、札束を差し出した局員がワイシャツを真っ赤に染めて地面に倒れていた。果たして、対応に出た郵便局員が本当に警報ボタンを押そうとしたかは定かではない。だが、この男の精神は薬物によって完全に末期に達していることだけは確かだった。

 

『おいお前!代わりに金を詰めろ!』

 

 そして男の銃口は傍に立っていた女性局員へと向けられた。金を詰めろと要求する男だが、女性局員は同僚が射殺されたことで、涙目になって硬直していた。そんな、命令通りに動かない……否、動けない局員に苛立った男は、その矛先を変える。

 

『早くしねぇと……もう一人撃つからなぁっ!』

 

 男が新たに銃口を向けたのは、すぐ傍に倒れていた一般の利用者。即ち、詩乃の母親だった。

この男は、母を見せしめに殺そうとしている――――

それを悟った詩乃の行動は早かった。読んでいた本を放り出し、素早く男へと飛び掛かる。同時に、母に向けられていた拳銃を握る手に力の限り噛み付いた。

 

『ぎゃぁああ!』

 

 予想外な場所からの、予想外な人物からの攻撃をまともに食らってしまった。男は、驚き悲鳴を上げながらも、詩乃を振り払おうと腕を振り回す。そして、詩乃は窓口に身体をぶつけられて噛み付いた口を離してしまい、その弾みで拳銃も地面へ落ちた。

 

(お母さんを……守らないと!)

 

 幼い詩乃の中にあったのは、母親を守ることのみ。そのためには、命を奪おうとする凶器たる拳銃を、この男から遠ざけねばならない。そう考えた詩乃は、素早く拳銃へと飛び付いた。

 

『このぉっ!返せ!返せ!このガキィィイイ!』

 

『!』

 

 武器として持っていた拳銃を奪われた男は、当然の如く取り返そうと詩乃へ飛び掛かる。狂気に満ちた、殺気すら感じる顔で睨みつけるこの男に拳銃を返せば最期、自分は勿論、母親も諸共に殺される。そう考えた詩乃は、考えるよりも速く“指”を動かした。途端、

 

『ぐぁああっ!』

 

 鳴り響く、一発の銃声。それと同時に、仰け反る男。だが、怯んだのはほんの少しの間だけだった。血の滲み出る脇腹を押さえながらも、詩乃へと襲い掛かろうとする。対する詩乃は、条件反射に近い形で引き金に指をかけた。

 

『ごぉっ……!』

 

 詩乃が銃を手にしてから響いた、二発目の銃声。それと同時に、地面に倒れる男。だが、男は再び起き上がって詩乃へと腕を伸ばす。それを見た詩乃は、怯えた様子で、三度引き金を引いた。

 

『――――!』

 

 そして、遂に男は倒れた。その額には、黒子にも似た黒い点。そして、そこから流れる赤い血。倒れた男は、それ以上立ち上がることは無かった。ようやく全てが終わった。そう思い、安堵の溜息を吐いた詩乃だったが……

 

『?』

 

 ふと、すぐ傍に倒れていた母親の方へ目を向けてみる。すると、どうしたことだろう。先程まで自分達を殺そうとしていた脅威を退けたにも関わらず、何故か震えていた。一体、何に怯えているのだろうか。疑問に思い、その視線の先を辿ってみると……そこにいたのは、“自分自身”。

 視線を自分の周囲に向けてみると、拙眼に留まったのは、拳銃を手に持つ自分の手。先程の発砲で飛び散った男の血が斑点を描くように付着していた。そして、銃を向けていたその先にあったのは、ただただ只管に赤い、“血の池”。そして、

 

 

 

 血に塗れながら、詩乃へ腕を伸ばす男の姿――――

 

 

 

 

 

 

 

「…………!」

 

 その光景を見た途端、詩乃は目を覚ました。それと同時に、横たえていた身体を勢いよく起き上がらせる。呼吸が荒く、全身にびっしょりと汗を掻いている。

 

(また、あの夢……)

 

 顔に手を当てながら、あの日以来幾度となく見ている悪夢に溜息を吐く。銀行強盗の一件以来、詩乃は拳銃に対して重度の心的外傷後ストレス障害を抱えることとなった。本物の銃は勿論、玩具や銃を彷彿させるものを見ただけで発作を起こし、全身の硬直や嘔吐を起こし、果ては今回のように失神することすらあった。銃を握った時に見えるのは、血溜まりの向こうから腕を伸ばして近づいてくる、黒い影。詩乃の見る過去の幻の中に見る、瞳の中の暗殺者―――

 その、恐怖が具現したような影が齎す症状は、数年が経過した現在でも重篤であり、授業中に銃器の写真を見た時に嘔吐したことすらあった。無論、専門の医師のカウンセリングや処方薬による治療も試みている。だが、それらをもってしても、詩乃の心が癒えることは無く……今もこうして、酷く深い傷を引きずり続けていたのだった。

 

「…………ここは?」

 

 そこまで考えたところで、詩乃はふと気になった。ここは一体、どこなのだろう、と。自分が眠っていたのは、ベッドの上。それも、詩乃の自宅にあるベッドより高級なもののように思える。部屋の中はそれなりの広さで、家具はクローゼットやテーブル、椅子といった基本的なものが置かれているものの、シンプルで清楚なイメージを抱かせる。全体的に見て、それなりに高級なホテルの一室と言われても納得できる程度のものだった。同時に、自分の服も着替えさせられていたことに気付いた。上は純白のワイシャツで、下は黒のスカート。いずれもシミや皺の無い、恐らくは新品。思えば、あの路地裏で詩乃は嘔吐し、傘を落としてずぶ濡れになったのだ。保護してくれた人間がいるならば、着替えさせてくれてもおかしくない。気になるのは、それが男性であったか、女性であったかなのだが。

思い出すのも億劫な記憶を遡ってみると、学校帰りに遠藤達に絡まれて、かつてのトラウマを刺激されて倒れ伏したところまでは思い出せた。その後、遠藤にカツアゲをされそうになった詩乃のもとへ、誰かが現れたことまでは薄らとだが覚えているのだが……

 

(あれは、まさか……)

 

 気を失う間際、詩乃は自分を遠藤から救い、介抱してくれた男性の姿を見た気がした。そしてそれは、遠い昔に会ったことのある少年によく似ていたような気がする。

 

「おや、目が覚めましたか?」

 

 そこまで考えたところで、突然ベッドのある場所から遠い位置にある扉が開かれる。現れたのは、白髪に白い髭の老人。見慣れない人物だが、恐らく彼はこの場所の責任者に該当する人物なのだろうと、詩乃は思った。得体の知れない人物ではあるものの、世話になった身である。とりあえずは礼を言うために、詩乃はベッドから出て立ち上がろうとする。

 

「ああ、まだ起き上がるのもお辛いでしょう。そのままで結構ですから」

 

「えと……すみません。それと、倒れたところを助けていただいたようで、ありがとうございます。ところで、私は一体……?」

 

 嘔吐して倒れた影響で動くのが億劫なのを察してくれたのだろう。無理にベッドを出なくても良いと言われた詩乃は、言われるままに腰掛け、一先ずの感謝を口にすると共に、自分がどのような経緯でここへ運び込まれたのかを聞くことにした。

 

「ああ、申し遅れました。私はワタリと申します。このビルの管理を任されている者です。今は、路地裏で倒れてここへ運び込まれたあなたの介抱を頼まれて参りました」

 

「そう、ですか。ええと……私を助けてくれた人は……?」

 

「ああ、彼ならもうすぐ来ますよ」

 

 今現在、最も気になっていた事項。即ち、遠藤達に恐喝されていた自分を助けてくれた人物の所在である。行きずりに近い形で助けてもらった以上、既にここにいる可能性は低いのだ。しかし、ワタリと名乗る老紳士は、今会いたいと思っていた人物は、すぐに来ると答えてくれた。それと同時に、もしあの時自分が見たあの顔が、記憶に懐かしいあの人物のものだったならば……そう思うと、ある種の期待に胸が高鳴るような感覚に陥る。

 と、そこへ……

 

「目が覚めたようだな、詩乃」

 

「和人……!」

 

 再び開かれたドアの向こうから現れる新たな人物が現れる。大人しい黒の髪型に、女性と見紛うような線の細い顔の少年。かつて出会った時とほんど変わらない容姿のまま現れた彼――桐ヶ谷和人は、自分のことも覚えていてくれた。

 扉を閉めた和人は、そのままベッドに座ったまま驚いた表情をする詩乃のもとへと歩を進める。近づいてくるごとに分かったが、当然のことながら昔に比べて背が高くなっている。それに、表情も以前に比べて眼光も鋭くなったように思える。

 

「おや、お二人はやはりお知り合いだったのですか?」

 

 和人の姿を見てそんなことを考えていると、傍に立っていたワタリが二人の関係について問いかけてきた。和人にばかり視線を向けていた詩乃はびくりと身体を震わせてしまった。どうにか取り繕おうと口を開こうとしたが、和人が先に答えた。

 

「昔の知り合いです。とりあえず、あとは俺が引き受けますので、ワタリさんは彼のもとへ行ってください」

 

「向こうでの話は終わったようですね。かしこまりました。私は、とりあえずは失礼しますので、何かありましたらまたお呼びください」

 

「分かりました」

 

 それだけのやりとりを済ませると、ワタリは会釈してその場を後にする。部屋には和人と詩乃の二人が残される形となったところで、和人から口を開いた。

 

「四年ぶりといったところか。久しぶりだな、詩乃」

 

「私のこと、覚えていてくれたんだ……和人」

 

遠い昔の出来事ながらも、互いを覚えていたことに微かに笑みを浮かべる二人。和人は部屋の中央に置かれた椅子を手に取ると、ベッドに寄せて座った。

 

「まあな。しかし、東北を出てこっちに来ているとは思ってもみなかったがな」

 

「私も色々とあってね……お母さんのことは、お祖父ちゃん達に任せて、私はこっちで一人暮らしすることにしたのよ」

 

「そうか……それより、裏路地でのやりとりを見ていたんだが、やはりまだ発作は続いているのか」

 

「……ええ。前ほどは酷くないけれどね」

 

 和人の言葉に、苦々しい表情で頷く詩乃。桐ヶ谷和人は、詩乃の古くからの知り合いだった。どこまで経緯を見られていたかは分からないが、相手は勘の鋭い和人である。嘔吐して地面に蹲っている様子を見られていたならば、発作が原因であるという結論に達するのは容易だろう。

 

(……まさか、久しぶりに会ってあんなところを見られるなんて)

 

誰がどう見ても、苛められているようにしか見えない場面を見られてしまったことに対し、詩乃は羞恥の念に駆られていた。人に弱みを見せることを極端に嫌う詩乃は、苛められた場面など見られてしまえば、自己嫌悪に陥ることが常である。羞恥程度で収まっているのは、一重に和人が相手であるからにほかならない。

和人の存在は、詩乃の中でそれだけ特別なものだった。詩乃が抱える凄惨な過去と、それに端を発するトラウマ。和人はそれらを知りながらも、比較的友好的な付き合いができる数少ない人物なのだ。和人と詩乃、この二人が出会ったのは、あの忌まわしい事件が起きた年の末頃だった――――

 

 

 

 

 

 

 

「ほら人殺し女!どうした!?」

 

「反撃してみろよ!ほら!」

 

 雪の降る町中に、子供の罵声がこだまする。街の外れ、人気の無い通路では、小学校高学年の少年四人が、一人の少女――詩乃を取り囲んでいた。手から傘を落とし、頭を抱えた状態で冷たい地面の上に膝を突いて蹲る少女に対し、嗜虐的な笑みを浮かべる少年達の手には、『エアガン』が握られていた。

 

「ぃゃ……いや……!」

 

 二学期の始め頃に起こった銀行強盗事件の詳細については、マスコミ各社の自主規制によって報道されることは無かった。しかし、噂の出所を全て塞ぐことなどできる筈は無い。それが小さな町での出来事ならば、言わずもがな。郵便局の中で起こった出来事は、人から人へと伝播していき、詩乃の通う学校の生徒にまで知れ渡る結果となったのだった。

 そして、子供というものは自分達とは異なる存在を蔑視する傾向が強い。そして、異端と判断された子供というものは、得てして苛めの標的になりやすい。そして今も、こうして詩乃より一つ上の六年生男子率いる集団による、悪質な嫌がらせを受けていたのだった。

 

「やめて……もう、やめて…………!」

 

「ハッ!銀行強盗を殺したクセに、何怖がってんだ!?」

 

「人殺しのクセに!」

 

 父親を亡くし、母親が精神不安定な状態になって以来、心を強く持つように努めてきた詩乃だったが、数ヶ月前に心に刻み込まれた、このトラウマには抗いようが無かった。拳銃やそれに類するものを見るだけで、身体が震え、立っていることすらできない。玩具としての模造品に過ぎないエアガンの射撃音が鳴り響く度に、心臓が鷲掴みにされるような感覚に陥る。放たれるビービー弾も、玩具として威力がかなり抑えられているにも関わらず、拷問で鞭で打たれるよりも激しい苦痛を感じる。四方に立つ弾指四人の姿が、“あの時の男”に見えてしまう……

 

(誰か……誰か、助けてっ…………!)

 

 今の詩乃にとって、その目に映る四人の少年は、自分を殺そうとする存在にしか見えない。母のために、いつも強くあろうと努力してきた詩乃だったが、鮮血の記憶に端を発するトラウマの前には、あまりにも無力だった。

 このままでは、自分の心が壊れてしまう。その恐怖から、自分を助けてくれる存在を求めて、詩乃は心の中で叫んだ。

 

「ほらほら、どうしたどうし――――ごはっ!」

 

「な、なんだお前!」

 

 そして、それは唐突に起こった。先程まで詩乃にエアガンの銃口を向けて悪態を吐いていた少年の一人が、鈍い打撃音とともにその声を途切れさせたのだ。

 他の三人に至っても、何やら慌てふためいている様子である。何が起こったのだろうと、恐る恐る顔を上げてみると、そこには……

 

「明らかにやり過ぎだ。悪ふざけもその辺にしろ」

 

 詩乃にエアガンを向けていた四人とは違う、新たな少年が立っていた。剣道着に身を包んだ、黒髪の少年。その右手には、中身の入った竹刀袋が握られている。見た目からして、歳は詩乃と変わらないと思われるが、刃のように鋭い光を宿した瞳が、年齢に不相応な印象を与えていた。

 

「お前……どこのどいつだか知らねえが、俺達に喧嘩売ってんのか!?」

 

「ハッ!構わねえよ、ヤッちまえ!」

 

「泣いて謝ったって、聞いてやらねえからな!」

 

 その言葉と共に、再度エアガンを構える四人。銃口はいずれも、剣道着姿の少年に向けられている。しかも、詩乃へ向けていた時よりも剣呑な雰囲気を纏っている。詩乃が相手の場合と異なり、躊躇無く引き金を引くことは、詩乃の目から見ても明らかだった。

実銃ではないとはいえ、エアガンとて命中すれば、それ相応な痛みが伴う。目に当れば、失明の可能性すらある。そんな凶器を向けられれば、小学生の子供なら臆して竦み上がってもおかしくない。拳銃に対するトラウマを抱く詩乃にとっては、既に目を向けることすらできない光景である。だが、剣道着の少年は全く臆した様子が無い。まるで、エアガンの射撃など脅威になり得ないと言わんばかりの立ち姿である。そんな態度が気に食わなかったのか、エアガンを持った少年四人は遂に引き金を引いた。

 

「この野郎!」

 

「死ねぇえっ!」

 

 四方向からの一斉射撃、しかも至近距離で、顔面を狙っている。避けることなどできる筈も無い。放たれたビービー弾が少年の顔を直撃すると、詩乃は疑わなかった。

 

「…………やれやれだ」

 

だが、エアガンの引き金が引かれて尚、少年は動じなかった。

 

「なっ……!」

 

「んな馬鹿な……!」

 

 前方四方からの発砲に対して少年の取った行動は、右手に持った竹刀を翳しての防御だった。視線の先に銃口を捉えながら、しかし微動だにせず顔の前で竹刀を構え、僅かに動かすだけで飛来するビービー弾全てを弾いて防御したのだ。この間、少年は全くと言っていいほど動いていない。まるで、ビービー弾の軌道全てを、見切っていたかのように……

 

「早くその物騒な玩具をしまえ。そして家へ帰れ」

 

「……こ、んのぉっ!」

 

 少年の言葉が癇に障ったのだろう。エアガンの上部を手前へ引いて再度射撃による攻撃を行おうとする。だが、標的にされている少年も、ただ黙って撃たれるのを待つような真似はしない。

 

「やめろ」

 

「ぐっ!」

 

 引き金を引くよりも早く、エアガンを持つ手を竹刀で叩く。相当強く打ち据えたのだろう。エアガンの銃声よりも大きい、乾いた音が響いた。

 

「野郎!」

 

「……」

 

 少年の反撃に激昂した、もう一人のエアガン持ちが引き金を引く。だが、少年は銃口を僅かに一瞥した程度で弾道を予測したのだろう。身を逸らして紙一重でビービー弾を回避する。しかも、カウンターとして竹刀を振るってエアガンを叩き落とす。

 

「クソっ!」

 

 三人目による、頭を狙った射撃。竹刀を振るった直後の少年には、足で動いての回避が間に合わない、意図せず隙を突く形となった攻撃。だが、剣道着の少年はまるで慌てた様子も無く、首を横に曲げることでこれを避けた。

 

「……ぎゃぁっ!」

 

こめかみのあたりを掠めそうになるビービー弾には目もくれず、三人目が持つエアガンも的確に手の甲に一撃を入れて叩き落とした。相当に痛かったのだろう。前の二人同様、手を押さえて悶え苦しんでいた。

 

「くっ……うぉぉおおお!!」

 

 そして、四人目。先程の三人と同様、エアガンによる射撃が来るかと思った。だが、三人が返り討ちにされたことで、エアガンが通用しないと思ったのだろうか。エアガンによる射撃ではなく、拳で殴りかかるという手段に出た。

 

「ふん……」

 

「ごへぇっ!」

 

 だが、エアガンの射撃すら軽々避ける剣道着の少年にはそんなものが通用する筈もなく……拳は簡単に避けられた上、カウンターとして竹刀の柄尻で鳩尾を突かれて地面に蹲る結果となった。

 そうして、揃って返り討ちに遭った少年達を見据え、剣道着の少年が口を開いて問いかける。

 

「まだやるか?」

 

「ひっ……ひぃぃいいい!」

 

 ドスを利かせ、殺気すら伴ったその言葉に、少年四人はエアガンを拾うことすら忘れて揃って逃げ出した。剣道着の少年は、情けない声を上げて逃げ出す四人の背中をしばらく見ていた。やがて袋に入ったままの竹刀を下ろすと、後ろを振り返り、地面に蹲ったまま先程の攻防をずっと見ていた詩乃の方へと歩み寄った。

 詩乃の方は、エアガンを一発も受けずに四人を撃退した剣道着の少年を呆然と見つめるばかりだった。少年の方は、そんな詩乃の様子を見て心配になったのだろう。膝を突いて目線の距離を近づけて問いかけた。

 

「弾は当たっていない筈だが……大丈夫か?」

 

「う、うん……」

 

 少年が差し伸べた手を握り、蹲った状態から立ち上がる詩乃。こうして近い距離で見て気付いたが、剣道着の少年は中性的ながら整った顔立ちだった。怜悧な雰囲気を宿す瞳に見つめられた詩乃は、知らず知らずの内に顔が赤くなっていく。

 対する少年は、気恥ずかしさを抱く詩乃を気にした様子も無く、握った手を引いて詩乃を立ち上がらせる。ビービー弾は当たっていないようだが、一応怪我をしていないか確認するため頭から足まで視線を巡らせると、少年は再度口を開く。

 

「……大丈夫そうだな。それじゃあ、俺はこれで行く」

 

「あ、あの……ちょっと待って!」

 

 呆然と立ち尽くしていた詩乃だったが、足早に立ち去ろうとする少年を止めるべく声を上げた。待ったをかけられた少年は、大通りへと向けていた足を止めて詩乃へと向き直った。若干不思議そうな表情をする少年。詩乃の方はというと、呼び止めた立場でありながら、何を言うべきかと逡巡していた。

 

「その……あなたは……?」

 

 本来ならば、助けてもらったお礼を言うべきなのだろうが、あれこれ考えている中で、無意識の内に名前を尋ねていた。対する少年は、相変わらずの無表情ながらも答えを口にする。

 

「桐ヶ谷和人だ。見ての通り、剣道をやっている。ここへは、祖父に連れられて来たんだ。今は、すぐそこの道場で厄介になっている。」

 

「……朝田詩乃です。助けてくれて、ありがとうございました」

 

「そうか。それじゃあ、俺はもう行く」

 

「あ、あの!」

 

「?」

 

「……今度、見に行ってもいいですか?」

 

 先程の、エアガン相手に全く怯まず大立ち回りをやってのけたその姿が忘れられなくて、詩乃の口からそんな問いが、か細い言葉となって投げ掛けられる。対する剣道着の少年、和人はやはり表情を変えずに淡々と答えた。

 

「稽古は朝から夕方にかけてやっているが、道場にいるのは午後だけだ。来るのなら、その時間帯にするといい」

 

 それだけ言うと、和人は今度こそ竹刀片手に路地を去っていった。詩乃は、自分と然程変わらない年であろう少年が、上級生相手に無双していた光景を回想しながらその背中を見送った。一人佇む詩乃は、和人が見せた……否、魅せた剣技に想いを馳せながら、幻視するその姿に自分の追い求める“真の強さ”を感じていた……

 

 

 

 その翌日。詩乃は和人の下宿先であり、稽古場である道場を訪れた。エアガンを相手にまるで怯んだ様子の無かった和人だが、剣道の稽古においてもその胆力を遺憾なく発揮し、無双の限りを尽くしていた。

 有段者の大人すら圧倒するその姿には、相手に対する恐怖は微塵も感じられなかった。そして同時に、詩乃は確信した。エアガンを持つ少年四人を撃退した時に見た、自分の追い求める強さの片鱗は、幻などではなかったのだと――――

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、銀行強盗事件のトラウマ克服のために剣道を始めて……翌年には一級を取得していたとは思わなかったがな。あれから、剣道は続けているのか?」

 

「……ううん。道場の師範の人には続けることを勧められたんだけど……結局、中学に入ったらやめちゃってね」

 

「そうか……」

 

 あまり変わらない表情ながら、残念がっている心情が分かる声色だっただけに、詩乃は少々申し訳ない気分になった。和人の剣技に魅せられて剣道を始めた詩乃だったが、剣道の腕は人並み外れた速度で上達したものの、銃のトラウマを克服するには至らなかったのだった。始めてから一年程度の身である以上、高望みが過ぎたのは言うまでもない。しかしそれでも、詩乃は求めずにはいられなかったのだ。強くなっていると確信できる、己自身の変化を。

 

「今更辞めてしまったものを無理強いするつもりは無いが……トラウマ克服のための活動は今も続けているのか?」

 

「……ええ」

 

「お前のやることに口出しはしないが……あまり無茶はするなよ」

 

 本当は、何か言いたいことがあったのだろう。しかし、内心を押し止めて口から出そうになった言葉を呑み込んだ様子だった。差し詰め、説教の類を言おうとしたのだろうが、詩乃の内心を慮ってか、敢えて口にしなかった。それは、和人なりの優しさなのか、或いは助言を与えずに自力で答えを見つけさせようという厳しさなのかは分からない。だが、本音を口にしないその態度には、詩乃はどこか不満に感じてしまう。だが、祖父母のようにトラウマ克服のための行動を止めようとはせず、多少の無理ならば看過してくれるのだから、その上助言を求めるのは贅沢でしかない。

 

「さて……それじゃあそろそろ、帰るか?」

 

 そこまで考えたところで、和人が帰宅を促す。詩乃は思考の海に沈みかけていた意識を浮上させ、その言葉に対して静かに頷いた。嘔吐し、気絶するほどに衰弱していたが、ベッドで寝たお陰で回復したのだから、これ以上この建物にいるわけにはいかない。そう考えた詩乃は、ベッドから立ち上がって帰り支度を始める。

 

「そういえば、私のバッグは?」

 

「そこに置いてある。服の方は、ワタリさんが乾かした上で隣の袋に入れてくれた」

 

「その……服のことなんだけど…………」

 

「ああ、お前の服を脱がせたのも、着せたのも、この建物で働く女性従業員だ。服については、ワタリさんが買ってきてくれたものだ」

 

 内心に抱いていた心配事の一部を悟った和人の言葉に、詩乃はほんの少し顔を赤くする。急ぎ、ここを出て帰るべく荷物をまとめる。だが、自分が助けてもらった立場であることを再認識し、もっと他に言わねばならないことがあることを思い出す。

 

「そう……けど、路地裏で倒れた私を助けてくれた上に、運んでくれたのは和人なんでしょう?久しぶりに会ったのに……迷惑かけて、悪かったわね」

 

「気にすることはない。それより、帰るなら入口まで送って行く」

 

 帰り支度が万端となったところで、和人に先導されて部屋を出る。そのまま建物の中を知らない詩乃を連れて、建物の正面入り口を目指す。道中、「貰った服はどうすればいいか」と詩乃が問うと、「ワタリさんがそのまま自分のものにしていいと言っていた」と返された。着心地からして相当な高級品であることは間違いないため、言葉通りに貰ってもいいかと判断に迷うが、祖父母からの仕送りで生活している自分の家計に相当な負担となる可能性を思うと、自分が支払うと口にすることはできなかった。

 そして、そうこう考えている間に、遂に二人は建物の入口へと到着する。自動で開く玄関の向こうには、一台の車――タクシーが停まっていた。

 

「タクシーはワタリさんが呼んでおいてくれた。金も先に支払われているから、安心しろ」

 

「……流石にそれは、悪いわよ。流石に今日すぐに用意はできないけど、今度しっかり支払うわ。さっきの、ワタリさんだっけ?あの人の連絡先、教えてくれる?」

 

「いや……仕事関連の連絡先しか俺も教えられていない。俺の連絡先を教えるから、俺が金を受け取ってワタリさんに渡そう。それと……もう一つ、聞いておきたいことがある」

 

「……何?」

 

表面上は常と変わらない表情ながら、僅かに視線を険しくして問い掛ける和人。対する詩乃は、一体何を聞くつもりなのだろうと若干緊張した。

 

「お前の身辺で、怪しい奴がうろついているとかの話は無かったか?」

 

「……えっと、それってストーカーが居ないかって意味?」

 

「心当たりが無いなら良い。大した意味は無い。ただ、カツアゲ紛いのことをする奴と同じ学校に通っているようだからな。そういった奴がお前に近付いていないかと、少しばかり心配になっただけだ」

 

「ふふ、和人は心配性ね。確かに、学校ではあんまり上手くやれてる方じゃないけど、ストーカーとかは今のところ居ないわ。安心して」

 

「そうか……まあ、気を付けろよ」

 

「ええ。それじゃあ、ワタリさんによろしく伝えておいてね」

 

そうして、互いに携帯電話を取り出して連絡先を交換した後、詩乃はワタリの呼んだタクシーへ乗り込んだ。和人は、タクシーが敷地外へ出るまで見送りを受けるのだった。

 

 

 

 

 

「和人、遅かったじゃねえか!」

 

「悪かったな、一」

 

 詩乃を見送ってから数分後。和人の姿は、地下にあった。竜崎こと世界的名探偵のLがこの日本で活動するための拠点であるこのビルの中枢は、地下にこそある。捜査に必要な高性能コンピュータがいくつも置かれたこの空間は、地震等の災害は勿論のこと、並大抵の爆弾等の衝撃ではビクともしない強度の設計が為されている。

そんな捜査本部である地下室には現在、和人のほかに三名の男性が揃っている。そんな中の一人、肩まで伸びた髪を後ろで束ねた和人と同年代の少年、一が遅れてやってきた和人へ声を掛ける。

 

「まあ、落ち着いてください、一君。偶然とはいえ、昔の友達が困っているところを助けたために遅れたんですから」

 

「詩乃さんといいましたか。彼女の具合は、もう大丈夫でしたか?」

 

「はい。タクシーまで呼んでもらいましたが、一人で帰るには十分なくらい回復していました」

 

 時間に遅刻した和人を咎める一を、竜崎が窘める。その傍らに立つ白髪・白髭の老紳士ワタリは、詩乃の容体について尋ね、和人は問題無しと返した。それに付け加えて、詩乃がタクシー代だけでも支払うと言っていたことを付け加えると、ワタリは苦笑した。

 

「お気遣いはありがたいのですが、そんなに無理はしなくても結構ですよ。そう詩乃さんに伝えておいてくれますか?」

 

「了解しました」

 

「和人君の友達だけあって、真面目で義理堅い人ですね」

 

 普段の無表情のまま、感心したように呟く竜崎のことばに、一とワタリはハハハ、と笑う。自分の遅刻に端を発した話題により、脱線している話題を戻すべく、和人は咳払いとともに真剣な表情で竜崎に問いを投げる。

 

「それより竜崎、早く始めるぞ」

 

 和人が口にした言葉によって、その場にいた全員に緊張が戻る。問いを投げられた竜崎は、先程まで僅かに軽かった口調から一変、和人と同じく真剣な表情――付き合いの長い人間には間違いなくそう見える――で口を開いた。

 

「分かりました。今回もよろしくお願いします」

 

「死剣なんて呼ばれる程に暴れているみたいだけど……やっぱり死銃の方は動かないのか?」

 

「俺の正体がSAOのイタチであることを知れば、間違いなくコンタクトを取ろうとする筈だ。そこから奴等の手掛かりを掴む」

 

 和人がGGOにダイブし、SAOの技術で無双することで名を馳せ、SAO生還者と思しき死銃を誘き出す。それは、既に竜崎と幾度となく打ち合わせていることである。一も詳細を竜崎から聞いているのだろうが、名うてのスコードロンをいくつも壊滅させても尚、姿を見せないという事実にはもどかしいものを感じているようだった。

 

「ゼクシードと薄塩たらこの両名殺害後は相変わらず音沙汰ありません。容姿の似ているプレイヤーの目撃情報についても収集を試みていますが、有力な手掛かりは得られていません。死銃の正体を暴く手段は、やはり仮想世界での接触以外にありません。和人君には申し訳ありませんが、敵が馬脚を表すまでよろしくお願いします」

 

「任せておけ」

 

 それだけ言葉を交わすと、地下室の奥へと向かう。捜査拠点にもなるこの地下室の一角にある扉を開けた先にあったのは、ベッドと周辺機器、そして次世代型フルダイブマシンであるアミュスフィアだった。既に連日の動作で慣れた通り、装置を頭にかぶり、すぐ傍に備え付けられたベッドに横たわる。

 

「それでは、行ってくる」

 

「はい。カンキチさんとボルボさんは、既にあちらへ行っています。今日の標的についても、いつもの場所で話すとのことです」

 

「了解した。それでは……リンク・スタート!」

 

 和人の意識の向かう先に待つのは、銃弾と鋼鉄の世界。その目的は、殺人者『死銃』の正体を暴くべく、その存在に接触すること。SAO時代からの因縁ある傀儡師が操る殺人鬼を相手するには、前世の自分――うちはイタチに戻らねばならない。故に和人は、仮想世界に立つ時には、現世の自分ではなく、前世のイタチに戻って戦うのだ。

 だが、前世に戻ることイコール現世を忘れることではない。SAOというデスゲームの中で、殺人者とはいえ幾人もの人間の命を奪った和人には、桐ヶ谷和人としての罪があるのだ。それを忘れたまま戦えば……SAOの因縁の敵たる『笑う棺桶』の地獄の傀儡師やその人形を打ち破ることは敵わない。過去を背負い、現世と向き合う……それこそが、和人の戦いには必要なのだ。

 久しく会っていなかった友人との思わぬ再会の中で、和人は一人、罪を背負うことの意味について考えていた――――

 



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第八十三話 戦慄のハイスコア

2025年12月2日

 

 銃と鋼鉄の世界――『ガンゲイル・オンライン』。通称GGO。荒廃した地球から逃れた人類が、再び地球へ帰還して再興したというのが、この世界の設定である。その世界の中心たる首都『グロッケン』は、人類が地球を脱出するために乗り込んだ宇宙船をベースに作られたものである。

この首都は、多くのプレイヤーの拠点としての機能を持つと同時に、初めてダイブするプレイヤーが降り立つ最初の拠点でもある。そして今また、新たなプレイヤーが降り立とうとしていた。

 

(ここが、ガンゲイル・オンラインの世界か……)

 

 首都グロッケンのスタートポイントに立つ、一人のプレイヤーがいた。女性と見紛うような華奢で細い体格に、肩まで伸びた黒髪。一見すれば、誰もが女性と勘違いするであろう容姿だが、その性別は男性だった。そんな、少女と見紛う少年は、近くの建物の窓ガラスへと近付き、そこに映った自分の姿を確認する。

 

(……今回の髪型は前世と同じ。瞳の色は、SAO以降これで固定化されているのか)

 

少年は一人、鏡の中で自分を見つめる、血のように赤く……氷のように冷たい瞳を感慨深げに見ていた。彼のプレイヤーネームは、『イタチ』。現実世界での名前は、『桐ヶ谷和人』。

地獄の傀儡師こと高遠遙一からの宣戦布告が為されたその翌日。和人はここ最近発生した二件の不審死に関わっているとされる、『死銃』なるプレイヤーの正体を探るべく、GGOへとダイブしていたのだった。

 

(竜崎によれば、もうすぐ協力者がここへ現れる筈だが…………不安だ)

 

 そして現在、イタチはGGOをプレイするために必要とされる装備や情報を得るため、長いキャリアを持つとされるプレイヤーの協力者を待っていたのだった。竜崎が紹介したそのプレイヤーは、イタチも見知った人物であるとのことだったが、その名前とリアルについて聞かされた時には、酷い頭痛を覚えてしまった。

 何故なら……

 

「おっほ!姉ちゃん、そのアバター……F三○番台だな!どうだ?まだ始めたばっかってんなら、わしが買うぞ!二メガクレジット出すぞ?」

 

 振り向いたイタチの視界に入ったのは、剛毛の角刈りの頭で、手も足も太い、ゴリラを連想させるプレイヤーだった。見るからに欲望に塗れた目で迫るその姿に、イタチは呆れた視線を向けていた。

 

「……申し訳無いが、俺は男だ」

 

「ななっ!……それじゃあ、M九○○○番台か!五メガ、いや六メガ……ええい、七メガ出す!とにかくそのアバター、わしに売ってくれ!!」

 

 イタチが男だと知った途端、ゴリラ風の男は目の色を変え、金額を上乗せして売却をさらに強く迫る。そんな金欲に目が眩んだ男に辟易したイタチは、再度苛立ちを露に再度口を開いた。

 

「悪いがこのアバターは、コンバートだ。売り渡すことは出来ないんだよ……“カンキチ”」

 

 イタチが口にした言葉に、カンキチと呼ばれた男の態度は一変。欲望丸出しの顔が、驚愕へと染まった。

 

「お、お前……なんでわしの名前を…………って、まさかイタチなのか!?」

 

「ようやく気付いたか」

 

 黒髪に赤い瞳という、SAOやALOのアバターに共通する特徴から、ようやくイタチの正体に気付いたのだろう。イタチは、口をあんぐり開けたまま呆然としたままのカンキチに対し、辛辣な言葉を浴びせる。

 

「相変わらず阿漕な商売ばかりしている様だな。世界は変わっても、やってることはそのままだ」

 

 イタチの知人であるこの男、カンキチは、SAO生還者であり、ベータテスターだった。ベータテストで培った知識と経験を活かし、スタートダッシュでイタチをはじめとした攻略組と伍するステータスを備え、最前線で活躍したこともある人物だった。また、それと同時に、アイテム売りや後進のプレイヤー達の教育活動等も行っていたのだが……そのやり口は、非常に阿漕だったことで知られている。

 その所業は、プレイヤー相手に、強化回数を使い切った武器を使用前の物と同額の値段で売却する、ソードスキル講座の出席者に多額の授業料を請求するなど、多岐に渡る。いずれの行為も、犯罪同然の手口であり、ベータテスターの技量を悪用して泡銭をせしめる悪質な行為故に、幾度となく黒鉄宮の監獄エリアに送られたこともある、犯罪者プレイヤーでもあったのだ。イタチもまた、カンキチの所業で『ビーター』の悪名に拍車を掛けられたお陰で、間接的に被害を被ったプレイヤーでもあったのだ。

 

「そ、そんな昔のことは良いじゃねえか……」

 

「そうだな。今更、根に持っていても始まらんな」

 

 無表情のまま、気にしていないと言外に告げるが、SAO時代に攻略を散々邪魔されたことについては、イタチなりに色々と言いたいことはあったのだろうが、それを口にすることはしなかった。

 

「それよりも、今はこの世界で戦うための装備の仕入れだ。案内してもらうぞ」

 

「お、おう。分かった。それと、こっちの世界のプロとして、わしの同僚も一人連れてきた」

 

 そう言ってカンキチが示した先には、長身で逞しい大柄な男性がいた。緑の迷彩服に身を包み、ベレー帽を被ったカンキチ以上に兵士然とした人物だった。加えて、身に纏う空気もその辺を歩くプレイヤーとは違うことも分かった。そんな風に考えていると、視線に気付いたベレー帽の男がイタチのもとへと近付いてきた。

 

「ボルボだ。これから君のGGO世界での活動をフォローさせてもらう」

 

「よろしく頼む」

 

 互いにそれだけ言葉を交わし、握手をするイタチとボルボ。その後、イタチはカンキチとボルボに連れられ、アミューズメントパークと見紛うような店舗へと向かった。

 GGOには正式サービス開始時期からダイブしていた、古参のプロプレイヤーの一人であるボルボの選んだ店は、武器の品揃えは非常に豊富な上、射撃訓練場も地下に設えられているという至れり尽くせりの店だった。尤も、販売している武装やその他アイテム類の値段は桁外れに高かったが。

 

「おい、イタチ。お前、金は大丈夫なんだろうな?」

 

「問題無い。必要資金は依頼主から五百メガクレジット程貰っている」

 

 GGOにおける換金レートは、千クレジットからである。つまり、五百メガクレジットは、五億クレジット。現実のマネーに換算すれば、五十万円に相当する金額である。

 

「あの~、イタチ君。こっちの銃なんかはどうかな?軽くて使いやすいんじゃ……」

 

「言っておくが、捜査費用は一クレジットたりともお前に渡すつもりは無い」

 

 釘を刺すように告げたイタチの言葉に、子供をあやすような口調で話し掛けたカンキチはギクリとする。安物の銃を買わせて、余った金銭を着服するよう持っていこうとしたようだが、その目論見もイタチの前には無意味だった。

 

「それに、俺はもう使うべき武器を決めている。ボルボ、『光剣』はあるか?」

 

「光剣……?」

 

 イタチの口から出た名詞に、訝しげな顔をするボルボ。一方のカンキチは、「またか」と言わんばかりに呆れ混じりの溜息を吐いている。

 

「……ああ、ボルボ。お前の疑問は分かる。だが、こいつにはその武器が一番なんだよ」

 

「しかし……」

 

 カンキチまでもがイタチを擁護することに対し、何か言いたげなボルボ。無理も無い。『光剣』という武器は、読んで字の如く、光――つまり光学兵器によって形成される剣である。レーザー光線でできた刃を振り回すという、“遠い昔、はるか彼方の銀河系で”起こった星の戦争を舞台とした、某SF映画の武器をそのまま再現した代物である。その性能の再現性は非常に高く、光剣の刃が命中した光線は弾かれ、実弾に至っては蒸発あるいは切断されてしまう。

だが、それは飽く迄光剣が“当たれば”の話である。音速以上の速度で迫る弾丸を剣で捌くことなど、常人には出来る筈も無い。ましてや、『剣術』というスキルの存在しない銃の世界で、好き好んで近接武器を使いたがる物好きはいない。故にボルボは、GGO年長者として光剣をダイブして間もないイタチに持たせることを躊躇していたのだった。そんな心中を察したイタチは、苦笑しながら口を開いた。

 

「心配は無用だ。何があっても、自己責任で対処する。それに、ダイブして間もない俺には、銃の扱いは全く知らないし、学ぶ暇も無い。最初から、この武器しか無いんでな」

 

「本人もこう言ってんだ。紹介してやれ」

 

「むう……分かった。光剣を扱っている店は少ないが、あっちの店ならば大丈夫だろう」

 

 カンキチに促され、ボルボも不承不承、イタチの光剣購入を認めることにした。購入すべき装備が売られている店を目指す道中、イタチはふと気付いたようにボルボに声を掛けた。

 

「そうだ、ボルボ。確か、グロッケンには反射神経を試す類のゲームがあると聞いている。後で案内してくれるか?」

 

「あ、ああ……」

 

 イタチの言う、『反射神経を試すゲーム』というのが何のゲームを示しているかがすぐに分かったボルボだが、同時にそのゲームがとてつもない難易度であることも知っている。故に、本当にクリアできるのかと強い疑念を抱いていたのだ。

 しかし、光剣購入後のイタチがこれらのゲームを易々クリアしたことで、その認識は大きく覆されることになるとは、今のボルボは知る由も無かった。

 これが、BoB予選開催日から、十一日前の出来事だった…………

 

 

 

 

 

 

 

2025年12月8日

 

 都内を走るタクシーの中。詩乃は一人、和人と出会った過去の思い出を想起していた。それは、道場に入門してから一年後、和人と再会した時のこと。詩乃は和人から、何が彼女をそこまで駆り立てたのか、その力に対する執念の正体について尋ねられたことがある。和人の主観では、一年足らずで初段取得直前まで漕ぎつけた詩乃の熱意、或いは執着は、ある異常なものに見えたのだ。詩乃が剣道を始めるきっかけを作ったのは紛れも無く和人自身である以上、その理由について尋ねるのは、ある意味当然と言えた。

だが、詩乃の過去は、口にすることも憚られる凄惨なものである。当然ながら、尋ねられた当初、詩乃は話すことを渋った。しかし、苦悩の末に、最後は自身の過去を和人に話したのだった。真の強さの一端を見せてくれた和人に対し、一方的ながらも詩乃は恩義を感じていたことが理由として挙げられる。加えて、自分の過去を話すことで、和人が強さを得るためのヒントをくれるのではないかと期待していたこともあったのだ。

無論、過去を告白することで、和人が詩乃を避けるようになる可能性も考えていた。事実、銀行強盗事件を知った同年代の者達は、例外なく詩乃を毛嫌いし、遠ざけるようになっていった。だが、和人に限ってはそんなことになるとは思えなかった。そして、実際に話してみた結果、和人は、詩乃へ嫌悪感を抱くことは無かったが……求めていた答えは得られなかった。詩乃の過去と、それを克服するために行動している経緯を知った和人が口にしたアドバイスは、「無理はするな」の一言だけだった。

あまりに陳腐でありきたりで、カウンセリングを受けた中で何度も言われた言葉である。だが、和人はこの言葉を発した時、どこか悟ったような表情を浮かべていた。これは詩乃の直観だが、和人は詩乃のトラウマがどのようなものであるかを理解し、その解決方法を知っている可能性が高い。だが、仮にこの仮説が当たっていたとして、何故和人は「無理はするな」としか言わなかったのか、疑問が残る。敢えて答えを教えないことに、何らかの意図があるのか、それとも詩乃が自分で気付かねばならないことだからなのか……いくら考えても答えは導き出されず、疑問が増えるばかりだった。

 

(結局、私自身の力で解決しなくちゃいけないんだ……)

 

 和人を問い詰め、強引にでも答えを聞くという手段もある。だが、詩乃にはそれを実行する気にはどうしてもなれなかった。和人が教えるべきでないと考えて口を閉ざしている以上、譬え泣きついたとしても教えてくれるとは思えない。それに、詩乃が強者と認めた少年たる和人に、これ以上自分の弱さを曝け出すことはしたくなかったのだ。

 蛇足だが、和人個人に対して弱い己を見せることに抵抗や羞恥を覚える感情には、詩乃本人すら自覚していない、特別な感情が存在しているのだが、詩乃にその自覚はまるで無かった。

 

(とにかく、私は今、私にできる精一杯のことをしなきゃ……)

 

 詩乃の握る携帯電話のアドレス帳には、今日新たに登録された人物――桐ヶ谷和人の名前が載っている。詩乃が求める強さの片鱗を見せてくれた人物との繋がりができたのだ。自分が確かに強くなったと、そう確信するためにも、真の強さを持つ和人に認めてもらうよう努力せねばならない。

 

「到着しましたよ」

 

「あ……はい」

 

 そして、そうこう考えている間に、タクシーは詩乃の自宅たるアパートへ到着したらしい。運転手の言葉に頷くと、荷物を持って車から降りる。料金は既に支払われているというのは本当のようで、運転手が詩乃に支払いの話をすることはなかった。タクシーから下車した詩乃は、走り去るタクシーに軽くお辞儀して見送ると、自分の部屋へと向かう。

 濡れたスカートから予め取り出しておいた鍵を旧式の電子錠へ差し込み、暗証番号を打ち込んで扉を開く。誰が待っているわけでもないが、一応「ただいま」と呟いて中へと入ると、ユニットバスの扉やキッチンを素通りして六畳間の自室へと真っ直ぐ向かう。途中、キッチンを見た時に夕食を買っていないことを思い出したが、今晩は買い置きのカップ麺で適当に済ませることにする。そもそも、衰弱から回復して間もない身である。現在時刻は七時を回っているが食欲も無いのだから、今日の夕食は抜きにしても良いかもしれないと詩乃は思った。

 

(けど、今はそれより……)

 

 喉を通らない夕食の心配よりも優先すべき事項が詩乃にはある。ベッド脇の小テーブルへと向かい、上に置かれた機械――『アミュスフィア』を手に取る。

 これこそが、詩乃が剣道に代わるトラウマ克服のために用いている手段である。次世代型フルダイブマシンであるアミュスフィア――正確には、アミュスフィアにセットされたゲームこそが、詩乃が過去の因縁を断ち切る可能性を見出した世界なのだ。

 

(シノン……私に、力をちょうだい)

 

 仮想世界に在りし自身の分身に想いを馳せながら、詩乃はアミュスフィアを頭に被る。ベッドに横たわり、手探りで電源を入れると、機器がスタンバイ完了を告げるや否や、開始コマンドを口にする。

 

「リンク・スタート」

 

 

 

 

 

 アミュスフィアにセットしていたゲームこと、ガンゲイル・オンラインの世界にダイブした詩乃が降り立ったのは、首都グロッケン。ゲームを開始してからお馴染みの、華奢でお人形めいたペールブルーの髪を持つアバター、シノンの姿で街中を歩く。目指す先は、GGO諸装備を扱うアイテムショップ。目的は言わずもがな、先日消費した弾薬および装備の補充である。それが終わり次第、フィールドへ繰り出して、主にモンスターを相手とした狩りを行うのだ。今回はパーティーを組む相手がいないため、プレイヤー相手の狩りはできないが、必要な資金を得ることは勿論、腕を鈍らせないためにも狩りは欠かせない。早いところ買い物を済ませようと、足早に歩くことしばらく。ふと、通りすがりのプレイヤーの間で交わされる会話の内容がシノンの耳に入ってきた。

 

「また出たんだってよ、『死剣』」

 

「マジかよ……やられたスコードロン、これで二十件目って聞いたぞ」

 

 気になる単語が発せられたことで、反射的に足を止める詩乃。知らぬふりをしながら、後ろの方で会話するプレイヤーの話に聞き耳を立てる。

 

「光剣使いなんだろ?なんだって、あんなマイナーな武器を使う奴が現れたんだよ」

 

「知らねえよ。でも、かなりヤバい奴だって噂だぜ。なんせ、銃弾を弾き落としたって聞いたからな」

 

「嘘だろ?まあ、原理的にはできねえでもないのは分かるけどよ……流石に有り得ねえだろ」

 

 昨今噂となっている、つい最近自分も遭遇した謎のプレイヤーこと『死剣』についての他愛の無い噂話を聞いた詩乃は、表情は変えず、しかし内心で苦笑する。

『銃弾』と『光剣』が衝突すれば、勝つのは『光剣』である。これは、GGOのシステムを熟知している人間ならば、すぐに行き着く結論である。だが、あまりに当たり前過ぎる法則であり、光線と銃弾が衝突するケースが起こることは滅多に無いため、何のきっかけも無しにこんなことを考えるプレイヤーはあまりいない。ちなみに、銃と剣の対決については、現実世界においても立証されている。特に有名なものとしては、『日本刀とピストル、対決したら日本刀が勝つ』という、数十年前に放映された無駄知識を探求するテレビ番組がある。

閑話休題。ともあれ今重要なのは、光剣で銃弾を叩き落とせるという“法則”ではない。それを可能とするプレイヤーの“技術”なのだ。銃器の種類にもよるが、銃弾の飛来速度はいずれも弾速は音速の域である。それら全てを叩き落とすことなど、並大抵の人間にはできない。故に、死剣なるプレイヤーが実在することを信じるプレイヤーはいても、人間離れした技術まで信じるプレイヤーは少ないのだ。

 

(でも……死剣は確かにそれをやってのけた)

 

 五方向から放たれる銃弾全ての軌道を見切り、無駄の一切無い動きで弾き落としたのだ。一体どうしたら、あんな真似ができるのか。今更ながら詩乃は疑問に思っていた。死剣というプレイヤーが特別なのか、それとも何らかのトリックがあるのか……

 

(弾道が見える…………弾道予測線?けど……)

 

 銃火器メインのGGOならではのシステムである、視認した相手の持つ銃口から発せられる赤い弾道予測線(バレットライン)。これを見れば、一般のプレイヤーであっても銃弾が通過する箇所を視認・把握することが可能となる。尤も、把握できるのは弾道だけで、いつ発射されて自身のもとへ着弾するかまでは分からない。弾道予測線上に光剣を構えていれば、飛来する弾丸を防御することは可能である。

だが、振るって叩き落とすとなれば話は別。野球に例えれば、音速で飛来するボールをバットで打ち据えるのと同義であり、頗る困難なのは言うまでもない。それに、死剣は目視や索敵スキルで認識できない程の距離から放たれた狙撃にも反応して見せたのだ。弾道予測線だけを頼りに銃弾を防いでいるとは思えない。死剣には、弾道予測線以外の何かが見えているのか。それとも、運営が密かに導入したユニークスキルによるものなのか。或いは、プレイヤーによるチートやゲーム内に発生したバグによって自動防御でも働いているのか……

 

(……考えても埒が明かないわね)

 

 死剣が銃弾を見切る……否、見斬る能力。長いGGOプレイ時間の中で培ったシノンの知識を総動員して考えても、納得のいく答えは導き出せなかった。これ以上深く考えることに意味は無いと判断したシノンは、再び足を動かすことにする。これまで会った中でも最強クラスのプレイヤーであることは間違いないが、いつまた再会できるか分からない存在である。得体の知れないその正体について勘繰るよりも、次に出会った時に太刀打ちできるよう戦力を整えるべきなのだ。そのためにも、今はショップへ急ぐべきなのだ。

 その後の道中でも、すれ違うプレイヤー達の間で飛び交う『死剣』の話題を鬱陶しく感じながらも、一々足を止めていては限が無いと割り切り、一心不乱に只管、ショップを目指すことにした。

 

 

 

 

 

 シノン行きつけのショップは、首都グロッケン中央にある。銃器や弾薬を取り扱う店をはじめ、衣服やアクセサリー、食品といった嗜好品を扱う店も多数内包する巨大なショッピングモールである。そして、それだけ巨大なショッピングモールであれば、店以外の遊興設備も保持している。

 シノンが再び足を止める原因となったのは、シノンのショップのすぐ手前にある、そんな遊興設備のある場所だった。いつもと変わらない、『Untouchable!』なるゲーム機の周囲に、七十人近い人だかりができている。一体何事なのだろうと思いつつも、通路を塞ぐ程に集まった邪魔な人ごみを掻きわけて進む中、またも気になる言葉が耳に入った。

 

「おいおい……まさか、クリアしちまうなんてな」

 

「あの黒髪の姉ちゃん、すげーな……」

 

人だかりの中で聞いた単語には、『クリア』や『黒髪』、『女性』を表す言葉がいくつも含まれていた。これの意味するところはつまり、あの難攻不落のゲームをクリアしたプレイヤーが現れたということだろうか。そしてそのプレイヤーは女性であり、容姿は黒の長髪に、赤い瞳だという。

 

(まさか……)

 

 耳に入る情報は、つい最近シノンが遭遇したプレイヤーに酷似している。確かに、長いGGOプレイ時間の中で出会ったプレイヤーの中でも目下最強の実力を持つ“彼女”ならば、あの難攻不落のゲームをクリアしたとしてもおかしくない。そして、シノンの予想が当たっているとするならば、今この場所にはあのプレイヤーがいるということになる。そう考えると、行きつけのショップへと向かっていた足は無意識の内に逸れて、ゲーム機の方へと向かっていた。

 

「なんつー反射神経してんだよ……」

 

「一体、どこのスコードロンに所属しているんだ?」

 

 目の前で起きた光景が信じられないとばかりに呟くプレイヤー達。シノン自身も、長距離から放った対物ライフルの弾丸を叩き斬られている。システム上可能であっても、実行することは不可能な離れ業を見せつけられたのだ。今ここに集まっているプレイヤー達は、初めて遭遇した時と同じ感情を抱いているのだろう。

そんな驚愕に呆気に取られているプレイヤーで形成された人ごみ掻き分けて進んだ先でシノンが見たもの。それは、シノンが予想した通りの容姿のプレイヤーだった。肩甲骨のあたりまで伸びた黒髪に、鮮やかな紅色の唇。そして、血の様に紅く、冷たい氷のような光を宿した瞳。見紛う筈も無い……先日シノンと仲間のスコードロンを全滅させたプレイヤー、『死剣』である。

 

「…………」

 

 ゲーム機の柵の中で沈黙して佇む死剣。その足元には、これまで挑戦したプレイヤーが注ぎ込んでいった金銭がコインと化して散乱していた。やがてそれらが青いライトエフェクトを発して消滅してストレージへと収まると同時に、死剣はゲーム機から出てきた。

 これまでクリアされた前例の無い超高難易度のゲームをクリアしたプレイヤー……しかもGGOにおいて数少ない女性とだけあって、注がれる視線は様々である。憧憬、羨望、畏怖、感嘆、エトセトラ。中には、自身の所属するスコードロンに勧誘しようと考えているプレイヤーもいることだろう。だが、凍えるような光を瞳に宿し、圧倒的な存在感を放つプレイヤーを相手に、話しかける言葉が見つからない。そのまま、誰一人として声を掛けることすらできず、死剣が見つめる進行方向に立つプレイヤー達はモーセが海を割るかの如く道を開けていった。

 

(一体、どこへ……)

 

 ショップで諸装備を整え、早々にフィールドの狩りへ出かける予定だったシノンの関心は、『死剣の動向』へと変わっていた。己を強くすることを第一としているシノンにとって、死剣との戦闘は目的を果たすための手段としては申し分ない。だが、シノンが再戦を望んでいる一方で、死剣は神出鬼没で遭遇率の低い相手である。名うてのスコードロンを中心に狙っているとはいえ、標的はランダムである。そんな相手が、今目の前にいるのだ。加えて、死剣が出現して以来、その目撃情報は多数寄せられていたが、顔を見たという話は聞かない。つまり、ここに集まったプレイヤーの中で、ゲームをクリアしたこの女性プレイヤーが『死剣』であることを知っているのはシノンのみである可能性が高い。

つまりこれは、死剣の敵情視察を行う絶好の機会なのだ。

 

(問題は、彼女が私を覚えているかどうか…………いや、尾行すれば間違いなく気付かれる)

 

 仮にこのショッピングモールで死剣を尾行すれば、十中八九自分は看破されるだろうと、シノンは思う。先日のダイン率いるスコードロンとの戦闘でも、先手を打って放った対物ライフルによる狙撃を弾かれたのだ。並外れた危機察知能力を有している点からしても、これは間違いない。

実行する前から失敗することがほぼ確定している尾行。PKを推奨しているGGOだが、流石に圏内での攻撃行為は禁止されている。仮に今戦闘になれば、勝ち目は全く無いが、尾行を見抜かれた途端に血祭りに上げられることはまず無い。あとは、どう言い訳するかだが……

 

「あっ……!」

 

 そうこう考えている内に、死剣はシノンから見えない場所まで移動していることに気付いた。その姿を見失わないよう、急ぎ足を動かす。尾行がバレた場合の対応については一先ず棚上げし、死剣の動向を見失うわけにはいかないとその後を追う。

 相当の距離を維持した状態で死剣の後を追い掛けることしばらく。『Untouchable!』の次に訪れたのは、新たなるゲーム機。先程のゲーム機にもあった西部劇を彷彿させる建物が、こちらはプレイヤーが立つ場所を囲むように四方に並んでおり、大八車や干し草ロールといった障害物も多数設置されている。そして、それらジオラマを囲むように防弾ガラスが四方に張り巡らされている。ゲームのタイトルは『Break The Shadow』。

 

(死剣が……あのゲームを?)

 

 『Break The Shadow』――日本語で、『影を破壊せよ』という名のこのゲームは、射撃スキルを競うタイプのゲームである。ルールは、プレイヤーが立つ直径二メートルの円形の場所を囲むように出現する人形のエネミーを射撃により破壊するというものである。そのスコア判定は、『時間内に撃破したエネミーの数』、『発射弾数』、『誤射弾数』、『時間内にエネミーから受けた被弾数』をもとに行われる。プレイ料金は安いものの、銃と銃弾は自前で用意せねばならず、スコア判定も厳しいため、総合的な出費と賞金のキャッシュバックが釣り合わないことが多く、プレイヤーの大部分からは不人気なゲームでもある。

死剣の動体視力をもってすれば、射撃でハイスコアを叩き出すのは難しくはないだろう。だが、このゲームはプレイヤーの立つ円から一歩でもはみ出せば即ゲームオーバーなのだ。光剣を使ってエネミーを直接斬りに行くという戦法は使えない。かといって、光剣を使った近接戦を主体とする死剣が銃器を使っているところは見ていないし、聞いていない。隠し持った奥の手として、銃の類を持っているのか……或いは、光剣戦闘に次ぐGGOのセオリーを覆す戦法を見せてくれるのか。シノンは期待と畏怖の籠った目で、その姿を見つめ続けた。

 

(始まった……!)

 

 死剣がゲームの料金支払い画面をタッチすると同時に、ゲームが開始される。通常、このゲームは開始前にホルスターから銃を取り出して構えておくものだが、死剣の手には何も握られていない。一体これでどうやって、敵を迎撃するつもりなのだろうか。シノンがそうこう考えている内に、遂にエネミー側からの攻撃が開始された。最初に現れたのは、建物の影からだった。西部劇のガンマンの格好をした人形が建物の裏手から飛び出し、手に持つリボルバーの銃口を死剣へ向ける。対する死剣は、人形が飛び出すより先に反応し、銃撃が来る方向へ目にも止まらぬ速さで腕を振るった。途端、

 

「!!!」

 

 シノンの視界に、予想外の光景が展開された。人形の持ったリボルバーが、“爆発”したのだ。一体何が起こったのか、まるで理解できない。死剣のしたことといえば、腕を振るった……目にも止まらぬ速さで振るった。ただ、それだけ。一体、あの瞬間に何が起こったというのか。シノンが常にクールで変わることのないその顔を驚愕に染めている間にも、ゲームは進む。

十分というプレイ時間の間に、続々現れていく西部劇の人形達。建物の死角から、障害物の影から、人形の背中から、そして時に二体、三体同時に現れて銃口を向ける。それに対し、死剣はただただ、人形の現れる場所向けて腕を目にも止まらぬ速さで振るうのみ。そして、人形が引き金を引く度に起こる“爆発”。巻き込まれた人形達もまた、次々砕け散っていく。

 

(一体、何が…………)

 

 人形が爆発と共に倒れるという、光剣戦闘以上に非現実的な光景を前に思考が硬直していたシノンだったが、ようやく目の前で起こっている事態について考えられるようになってきた。爆発しているのは、人形ではなく、人形が手に持つリボルバー銃である。となれば、爆発の原因は銃の暴発なのか。だが、人形の持つ銃はシステム的に暴発する可能性はまず無い。ましてや、それが連発することなど尚の事有り得ない。そして、死剣は人形が発砲する前に、腕を振るうというモーションを起こしている。これらの事象から導き出される結論は――――

 

(まさか……腔発を引き起こしているっていうの…………!?)

 

 『腔発』とは、砲弾が砲身内で暴発する事故のことを指し示す用語である。軍事関係者に最も恐れられている事故であり、拳銃程度の武器でも、使用者は重傷を負い、銃器が大型化すれば砲員が死亡することもざらである。GGOというゲームのシステムにおいてもまた、腔発が発生するよう設計されている。

現実世界における腔発は、弾丸や信管、砲身の不良など多様な原因が挙げられる。だが、GGOにおける銃器や弾丸には耐久値こそあれど、腔発を起こすような損傷はシステム的上起こり得ない。結論として、腔発が発生する原因はただ一つ。それは、『砲身内部汚損』である。汚損とは即ち、銃口内部に金属や砂礫等が付着するなどして弾丸の進行が阻害されることを意味する。

つまり、死剣は人形達が引き金を引く前に、その銃口に細工を施すことで、腔発を引き起こしているのだ。だが、死剣は半径二メートルの円の中に立ったまま、どうやって腔発を誘発しているのか。シノンはもう少し、死剣のモーションを用心深く見てみることにした。

 

(……あれは)

 

 死剣が腕を振るったその瞬間。シノンは弾丸もかくやという速度で飛来し、煌めく何かを視界に捉えた。そして、途端に起こる腔発。

 

(間違いない……あの腔発は、死剣が引き起こしている!)

 

 空中を飛来する煌めく何かの正体は、銃器の金属部品の類だろう。死剣はそれを投擲し、人形達が持つ銃口へ放り込むことで砲身を塞ぎ、腔発を誘導しているのだ。だが、原理自体は単純でも、実際に引き起こすのは容易ではない。十メートルから十五メートルの距離を置いた位置にいる標的が持つ銃の9ミリ以下の口径の穴に、金属片を真っ直ぐに投げ込まねばならないのだ。しかも、標的は四方八方に現れる上に距離も角度もバラバラ。そんな中で、一歩も動くことなく、標的の銃口全てに的確に投擲物を詰め込んでいる。その姿は、金属部品という名の手裏剣を投擲する、忍者のようだった――――

 

「……っ!」

 

死剣の絶技に見入っていたシノンだったが、気付いた時にはプレイ時間の十分間は既に経過していた。死剣は四方八方へ目にも止まらぬ速さで振るっていた腕を下ろし、開始時と同じ立ち姿のまま、ゲーム機がスコア判定を終えるのを待っていた。

やがて、スコア判定のために必要な諸データの集計が終了すると同時に、死剣の眼前に巨大なホロパネルが出現し、その結果が表示される。撃破したエネミーの数は、パーフェクト。エネミーからの被弾はゼロ。射撃に用いた弾丸はゼロ、誤射もゼロ。まとめると、銃器を使っていた場合において想定される、最高のスコアを出したことになる。これは最早、ただのハイスコアという表現には収まらない。銃器を超えた絶技によって叩きだされる、『戦慄のハイスコア』である。

 

(信じられない……まさか、あのゲームを無傷どころか、銃さえ使わずにクリアするなんて…………)

 

 光剣で弾丸――それも対物ライフルの――を切り裂くという離れ業をやってのけた死剣だったが、今回シノンの目の前で為した業に至っても、絶技と形容するほか無いほど凄まじいものだった。

 

(……もう少し、追ってみよう)

 

 兎にも角にも、この規格外極まりないプレイヤーの動向を探る必要がある。もう時期、このガンゲイル・オンラインにおいて最強のプレイヤーを決定するための戦い――――BoB(バレット・オブ・バレッツ)も開催される。仮にこのプレイヤー、死剣が出場したとすれば、前大会で頂点に君臨したゼクシードや、次席の闇風すら上回る脅威となることは間違いない。死剣の力をこの目で見て、改めてその実力を見極める必要性を痛感した。

 見破られるか否かは既に問題ではない。死剣に打ち勝つためには、少しでも多くの情報を収集するほかに手は無い。そう感じたシノンは、死剣の黒い影を追うべく再び動き出すのだった……

 

 

 

 『Untouchable』に続いて『Break The Shadow』でハイスコアを叩き出した後に死剣が向かったのは、やはり同様のゲーム機だった。二時間と経過しない内に死剣がハイスコアを叩き出したゲームは、八つにも及んだ。いずれも反射神経や動体視力といった、ステータスには依らない、プレイヤー自身が持つアバターを動かすための能力を競うタイプのものだった。

 その様を散々見せつけられたシノンは、内心に押し止めていた冷や汗がアバターの額に浮かび上がるのを感じていた。難攻不落のゲームで次々ハイスコアを出していくその姿は、“死神”のようにすら見える。果たして、自分がこの規格外のプレイヤーと再戦の機会を得たとして、打ち勝つことはできるのか。死剣というプレイヤーを知れば知るほど、不安は深まるばかりだった。

 

「くっ…………」

 

 ただそこに立っているだけで自身を圧倒し、戦意すら奪うこの化物――シノンが追い求めた強者たるこの存在を相手に、僅かな勝機も見出せない自分の無力が恨めしい。だが、怖気づいて逃げ出すなど論外である。死剣に勝つことは、本懐を遂げることに等しい。自身がこのゲームに挑んだ理由を無にしないためにも、今は勝利への布石を集めねばならない。決意を新たに、シノンは死剣の尾行を続けた。

 

(……あれ?一体、どこへ……)

 

 死剣を再び追うことしばらく。先程までの動向から一転。進行方向はゲーム機の密集しているエリアから遠ざかっていた。一体、この先に何があるというのだろうか。見失わないギリギリの距離を保ちながらも、その足跡を辿り、曲がり角に突き当たったところで……

 

「!」

 

 シノンは固まってしまった。何故ならそこには……

 

「俺に何か用か?」

 

 待ち構えていたのは、シノンと大して変わらない身長にも関わらず、何故か大きく感じてしまう黒い影。やや高い位置にあるのは、鋭く冷たい光を宿した紅い双眸。女性にしてはややハスキーがかった声で問い掛けたその声色は、どこか殺気を帯びているようにすら感じられた。

 

「死……剣…………!」

 

 驚愕に声を震わせながら、シノンは眼前に出現した存在の名前を口にした――――

 



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第八十四話 天空の難破船

本日、暁の忍は投稿から三周年。
これを記念して、二話連続投稿です。
どこまで続けられるか分かりませんが、今後も読者の皆様の期待に応えられるよう、努力していきたいと思います。


 

2025年12月13日

 

 土曜日というだけあって、そこそこ車の多い道路を走る、一台のオートバイ。運転するのは、ジーンズ、ジャケット、ヘルメットと身に纏うもの全て黒一色で統一された格好の少年。終いには、オートバイまでメインカラーが黒である。どこまでも黒が似合うこの少年の名前は、桐ヶ谷和人。向かう先は、先日受けた依頼を遂行するために打ち合わせた場所である。

 和人が乗車しているオートバイは、オートバイ業界の中でも随一の人気を誇るメーカーの製品である。時価七十万相当と、一学生が購入するには高過ぎる価格であり、和人とて容易に手が出せる値段ではない。和人がそんな高級オートバイ入手に至ったのは、“貰った”からにほかならない。オートバイの貰い元は、SAO時代からの知己である、薬剤師プレイヤーのシェリー。宮野志保というこの女性は、和人より年上の十八歳。SAO生還者のために開設された学校に通うことも可能ではあったが、現在は留学という道を選んでアメリカに行っていた。そして、アメリカ留学に加え、18歳という年齢に達したことで大型自動二輪車免許取得可能になったことで不要となった普通自動二輪車を、“お下がり”という形で和人に譲渡したのだった。ちなみに、志保にはアメリカで生活している明美という姉がおり、留学中はその住居を利用するらしい。そして、志保の新たな愛車には、明美の愛車であるハーレー・ダビッドソンをお下がりとして貰う予定らしい。

 そうしてオートバイを走らせることしばらく。ようやく目的地へ到着する。和人がオートバイを押して入っていく敷地内に建っているのは――病院。ここは、千代田区にある大型の都立病院である。依頼人である菊岡は、死銃との接触に当り、和人の安全確保には細心の注意を払うことにしたらしい。偶然の一致としか思えないものの、ゲームの世界と現実世界の両方で同時に死を齎すという、死銃が持つ能力の真偽を確かめるのだ。何が起こるか分からない以上、最悪の事態にも対処できる場所を選ぶのは、当たり前と言える。また、この病院は和人がSAOから帰還して以降リハビリのために訪れていた場所でもある。馴染みのある場所でのダイブならば、不安も少ないだろうという、これも菊岡なりの配慮の結果なのかもしれない。そうこう考えながらも、駐車場へオートバイを止めると、病院へ入る前に一度携帯電話を取り出した。

 

「俺だ。今、病院に到着した」

 

『了解しました。カンキチさんとボルボさんにも連絡を入れます』

 

「ああ、頼んだ。こちらについても心配は無用だ。ここ十日間のダイブで、光剣の使い方も鉛玉の捌き方も大分モノにできた。当初の予定通り、本戦へ進出して死銃を討つ」

 

 いつもと変わらず、平坦な口調で話す和人だが、その声には強い意志が感じ取れた。和人を知る人物でなければ分からない、ほんの些細な変化。だが、今回の依頼に対してイタチが如何に望んでいるかが窺い知れるものだった。

 

「『BoB(バレット・オブ・バレッツ)』……“奴等”は必ず、現れる」

 

『私も、あなたの実力には全幅の信頼を寄せているつもりです。しかし、予選限定といえども油断は禁物です』

 

「分かっている。仮に予選で、お前が招いた“心強い味方”と当たったとしても、必ず排除してみせる」

 

『ありがとうございます。それでは、ご武運を祈ります』

 

 最後に竜崎がそれだけ言うと、通話は切れた。和人は携帯電話をポケットにしまうと、病院入口へと足を向けた。受付を通過し、入院生活で歩き慣れた廊下を進むことしばらく。菊岡から指定された入院病棟三階の病室へと到着する。

 部屋の番号が指定されたものであり、空室であることを確認すると、和人はノックと共に扉を開いた。部屋の中には予想通り、患者用のベッドと、患者のバイタル等を測定するための機器が備え付けられている。そして、それらバイタル機器を確認するための人物もいた。

 

「オッス!桐ヶ谷君、お久しぶり!」

 

 女性にしては高めの背丈で、長い髪を三つ編みにして束ねている看護士服姿の女性。和人も入院中に幾度となく世話になった、安岐ナースである。

 相変わらずのハイテンションな様子での挨拶に、和人は若干呆れながらも、しかしそれを表に出すことは無く淡々と挨拶を返す。

 

「こんにちは、安岐さん」

 

「おやおや、桐ヶ谷君は相変わらず愛想無いねえ……でもまあ、身体の方は…………って、痛ぁあっ!」

 

 憮然とした態度の和人に不満を漏らす安岐ナース。卑猥な動きをさせながら和人の身体目掛けて手を伸ばしたが、その手が届くことは無かった。安岐が伸ばした腕は和人によって捻り上げられたのだ。

 

「会って早々、何をしているんですか?」

 

「痛い痛い!別に、他意は無いから!桐ヶ谷君の身体がちゃんと肉付いてきているのか確かめたかっただけだから!」

 

「それならご心配無く。この通り、順調に回復していますから」

 

 無表情のままで安岐の手をギリギリと締め上げつつ、そう告げる和人。痛みに悲鳴を上げる、自業自得なその姿に冷やかで呆れの感情を含んだ視線を向けつつも、ある程度懲りただろうと思うところで拘束を解く。

 

「全く……ちょっとからかおうとしただけじゃない」

 

「余計なお節介です。それより、早く準備をお願いします」

 

「ああ、ちょっと待って。あの眼鏡の役人の人から、伝言預かってるから」

 

 そう言うと、安岐は胸ポケットから茶封筒を取り出して手書きのメモを和人に差しだした。それに目を通した和人は、さらに呆れることになる。

 

『報告書はメールでいつものアドレスに頼む。諸経費は任務終了後、報酬と併せて支払うので請求すること。追記――美人看護婦と個室で二人きりだからといって若い衝動を暴走させないように』

 

 読み終えた和人は、呆れてものも言えないとばかりの表情とともに深い溜息を吐くと、メモ用紙をポケットの中へ突っ込んだ。そんな和人の様子を見た安岐は、メモの内容が気になったのか、和人に尋ねる。

 

「何が書いてあったの?」

 

「碌でもないことですよ。それより、早く始めましょう」

 

 その後のやりとりは、スムーズに進んだ。和人が冗談の通用する性格でないことは安岐自身も承知していたので、それ以上無用な悪ふざけをすることは無かった。アミュスフィア装着前に、上半身裸になって心拍計測のための電極を胸部に貼り付けてベッドに横になる。

 

「三、四時間はダイブして戻りませんので、後のことはよろしくお願いします」

 

「はいはい。いってらっしゃいな」

 

「それでは。リンク・スタート」

 

 ダイブ後の電極のモニターを安岐に頼み、馴染みの開始コマンドを口にする和人。残された安岐は一人、捻り上げられた手首を擦りながら恨めしげに和人の心拍をモニターするのだった。

 

 

 

 

 

 VRMMO『ガンゲイル・オンライン』の世界の首都、グロッケン。様々なプレイヤーやスコードロンの拠点を擁するこの大都市は、いつも以上の喧騒に包まれていた。その理由は、ただ一つ。このゲーム、GGOにおける最強のプレイヤーを決める一大イベント『BoB(バレット・オブ・バレッツ)』が開催されるからである。大会は土曜・日曜の二日間に渡って行われ、初日である今日はAからOブロックに割り振られたプレイヤー達が本戦進出を賭けた激戦を繰り広げる。

 そして、大会へ出場するプレイヤー達が集まるホールの中。頂点を目指して集まった、およそ九百六十名ものプレイヤーが犇く空間の片隅で、少女――シノンは一人瞑目していた。

 

(死剣…………あなたは一体……?)

 

 BoB開催当日、そしてあと二十分もしない内に予選が始まる今現在、シノンの心中にあったのは、ただ一人のプレイヤーの姿だった。スコードロン狩りの現場で遭遇し、六対一という圧倒的な数の不利を覆し、自分の所属するスコードロンを全滅せしめた、銃の世界で剣を振るう漆黒の戦士――――死剣。

 

 

 

 

 

2025年12月8日

 

 五日前、グロッケンにて予期しない形で再会したその日。難攻不落と名高い数々のゲームでハイスコアを残し、その異常、或いは異端とも言える強さを見せつけられたシノンは、敵情視察という建前のもと、その影を追いかけた。そしてその途中、死剣に尾行を看破されたのだ。投げ掛けられた問いは、自分に何か用があるのかという、至極当然の内容。口調自体は静かな物言いだったが、その時に発せられた威圧感は“凄まじい”の一言に尽きるものだった。その日にゲーム機で散々叩きだしたハイスコアと、その際に発揮した桁外れの能力が、シノンの態度を萎縮させていたともいえるが。ともあれ、ストーカー紛いの行為に走ってしまったことは否定できない状況だったので、問いには答えなければならなかった。シノンは出来る限り気丈に振る舞い、口を開いた。

 

「あなたの強さの……その理由を、知りたかったから」

 

 この言葉だけで、どこまで意思が伝わったかは分からない。だが、ただ只管に強さを求めるシノンの心は伝わったのだろう。死剣は神妙な顔で、考え込むように沈黙した。そして、シノンの目を赤い双眸で真っ直ぐに見据えて言葉を紡ぎ始めた。

 

「お前が強さを求める事情は知らない。だが、俺にはお前が幻視している強さは無い。俺にあるのは、敵を倒すための戦闘技術だけだ」

 

 自嘲するように放ったその言葉を最後に、死剣はシノンに背を向けてその場を後にしようとする。背を向けられたシノンは、死剣の殺気に当てられ、女性にしてはおかしい男口調に思考を向けることもできず、ただ一人動けずに立ち尽くしていた。遠退こうとしているその影をこの場所に繋ぎ止めるために、必死に訴えかけようとした。

 

「でも……私は、どうしても強くならないといけないの!」

 

「……なら、他を当たれ。だが、この世界でどれだけ強くなったとしても、それは所詮仮想の強さだ。それだけは覚えておくんだな」

 

 それだけ言うと、今度こそ死剣はシノンに背を向けて歩き去ってしまった。シノンとしては、まだ話が終わっていないと引き止めたかったが、もうこれ以上は話を聞いてもらえないことは分かっていた。だから、最後に一つ、交わすべき言葉を投げ掛けて終わりにすることにした。

 

「あなたの……あなたの名前は?」

 

「……イタチだ」

 

「私はシノンよ。あなたも、次のBoBには出るのでしょう?その時には……絶対に、負けない」

 

 強大過ぎる相手を前に、精一杯の見栄を切ってみせるシノン。対する死剣は、そんなシノンの真剣な表情を相変わらずの無表情のまま横目に見るのみだった。

 圧倒的な存在との戦いを前に闘志を燃やす青い瞳と、氷のように冷徹な紅い瞳。相反する感情を、相反する色の瞳に宿した両者の視線が交差する。人気の無い道の上で唐突に起こった睨み合いは、死剣が踵を返してその場を後にすることで終息した。

 残されたシノンは一人、死剣が放った言葉を心中で反芻していた。彼が持っているのは、敵を倒すための技術でしかなく、シノンの求める強さなど持っていないという、その言葉を――――

 

(敵を倒す強さ…………私は、それを望んでいる)

 

 それが、シノンがこの世界に来た理由だった。その筈だった。だが、死剣が放った言葉は、シノンがこの世界で戦う理由を否定するに等しいものだった。GGOの世界に在りしシノンは、現実世界の朝田詩乃のように、銃を見ても発作を起こすことは全く無く……手に取り、発砲すらできたのだ。

カウンセリングをはじめ、様々な治療法を試してきたが、GGOによる曝露療法ほど有効性を感じた治療法は無かった。この世界で戦い、己の精神を鍛える。確実だと実感できた、この手段の何が間違っているというのか。

自分より確実に強い筈なのに、本当の強さなど持っていないと、矛盾した発言をした死剣の姿が、シノンの心にしこりとして残り続けていた――――

 

 

 

 

 

 そして、その日を最後にシノンは死剣の姿を見ることは一切無くなった。今日に至るまで、GGOをシノンとしてプレイしてBoB参加のための準備をしている間も、現実世界で詩乃として学校の授業を受けている間も、あの言葉が頭を離れなかった。そしてそれは、今も続いている。

圧倒的強者である筈の死剣すら持っていないと言った……自分が求めている“強さ”とは、何だったのだろうか――――――

 

(……駄目。集中しなきゃ)

 

 いくら考えても、答えは得られない。それどころか、強さの在処が分からないことが原因で、戦う意味すら見失いそうになる。それでもあの言葉を戯言と切り捨てられないのは、死剣が真の強者だと思っているからなのだろうか。それとも、自分を見つめる瞳に宿した憐れみにも似た感情を垣間見た所為なのか……

 ともあれ、今意識を向けるべき対象は死剣の言葉ではない。これから自分が参加するBoB予選であり、その対戦相手なのだ。ここで敗退して全てを無に帰すわけにはいかない。死剣と再び対峙するためにも、今は勝ち進むことのみを考えねばならない。

 

(……そろそろ、対戦相手が発表される)

 

 BoBは予選開始までのカウントダウンが十五分に近付くと、予選トーナメント表が発表される。それは同時に、自分の所属ブロックとこれから先の対戦相手が表示されることを意味する。果たして、予選で当たる相手には、シノンを満足させるだけの強者はいるのか……

 

(ゼクシードは……いない。闇風は……)

 

 Fブロックトーナメント表の一番端に載っている自分の名前から順に、参加者をチェックしていくが、前回のBoBにおける上位プレイヤーの名前は見当たらない。BoB常連の名前はいくつかあったものの、いずれも脅威となる程の実力者ではない。トーナメント表の名前を半分まで見終わったところで、本戦進出は思ったより簡単だろうと結論を下し、決勝で当たる相手を予測すべく、もう半分の名前に視線を向けることにした。すると、早々に予想外の名前を見つけた。

 

(Itachi――イタチ…………死剣!)

 

 このBoBにおいて、最大の障害になると予測していた相手の名前が、自分が予選を戦うFブロックの中にある。しかも、驚くべきはそれだけに止まらない。

 

(対戦相手は……闇風!?)

 

 死剣の初戦の相手は、前回BoBの準優勝者――『闇風』。敏捷極振りのステータスで、『ガンランの鬼』と呼ばれる程の強豪である。予選早々、優勝候補同士がぶつかり合うというのだろうか。

 

(闇風の装備は、前回優勝したゼクシード程じゃない……けど、敏捷特化型のステータスをフルに活かした戦闘手法は、かなり洗練されている……)

 

 闇風の戦闘を映像で見た事のあるシノンの私見だが、ゲームの数値としてのステータスに加え、それを十二分に活かすだけの動体視力や反応速度を備えていることは間違いない。ゼクシードが参加しないとすれば、優勝も難しくない程の実力者なのだ。

 だが、死剣――イタチの実力は、次元が違う。実際に相対し、戦った経験を持つシノンには、それが分かる。死剣を知らないプレイヤーならば、この勝負は闇風の勝利を確信するだろう。だが、シノンにはどうしてもあの死剣ことイタチが敗北するイメージが浮かばない。

 

(決勝で待っているわ……死剣!)

 

 お手並み拝見といきたいところだが、予選は同時に行われる以上、シノンが『死剣VS闇風』の試合を見ることはできない。だが、死剣が予選落ちする可能性はまずあり得ない。このFブロックの頂点で対峙するという誓いを立て、シノンは自身の戦いに臨むのだった。

 

 

 

 

 

 シノンが一人、決意を新たにしていたその頃。同じ場所の、真反対の場所に、三人の男達が集まっていた。重苦しい沈黙に包まれた空気の中、丸刈りにベレー帽を被った大柄な男が苦々しい表情で口を開いた。

 

「厄介なことになったな……まさか、初戦で当たる相手があの闇風とは……」

 

 全く予想外だ、という内心を露にしたその言葉に、今度は傍に居た剛毛でゴリラを彷彿させる体格の男が溜息交じりに呟く。

 

「全くだ。いきなりこんな対戦カードが来るなんて、ワシだって予想外だ。だが、決まってしまった以上は、勝つしかないだろう。イタチ、大丈夫なんだろうな?」

 

 知り合い二人が心底不安そうな表情で見つめる先にいるのは、華奢な体躯に、肩まで伸びた長髪、女性と見間違うような顔をした赤い瞳の少年――イタチだった。ただ一つ、いつもと違う特徴として、木の葉を模したマークに横一文字の傷がが刻まれた、額当てを装着していた。GGOプレイ歴が長い二人が不安を禁じ得ないこの状況下で、しかしつい最近GGOを始めたばかりのこの少年は、まるで動じた様子が無かった。

 

「相手が誰だろうと、依頼は必ず果たす。そのためなら、誰が障害となろうが排除するのみだ」

 

 淡々と、これからの戦いなど何でも無いことのように言い放ったイタチの言葉に、それを聞いた二名――カンキチとボルボは、唖然としていた。確かに、銃の世界たるガンゲイル・オンラインにダイブしてから今日に至るまで、イタチは名うてのスコードロン相手に負け無しの無双を繰り広げ、『死剣(デス・ソード)』という二つ名すら頂戴している実力者である。だが、今回ばかりは相手が悪いとしか言いようがない。

 

「あのなぁ……お前がこれから当たる闇風って奴は、そんな簡単な奴じゃねえんだぞ!」

 

「カンキチの言う通りだな。俺も、奴とは一度戦ったことがあるが、短機関銃の掃射でも一、二発掠めるのが精一杯だったんだぞ」

 

 前回優勝者のゼクシードに次ぐ強豪プレイヤーとして知られる闇風だが、その実力は第一位のゼクシードより上と考えるプレイヤーは多い。その理由としては、前回BoBにおけるゼクシードと闇風の対決では、大会直前に揃えたレア銃・レア防具の性能が際立っていたことが挙げられる。MMOストリームでは、STR特化型の時代と嘯かれてはいるものの、それ専用の武装が完全に普及していない今はまだ、AGI特化型のプレイヤーの能力も無視できない。

闇風はそんなAGI特化型の中でも脅威も脅威。システム上のステータスやスキルの数値に加え、それを戦闘能力として十二分に発揮できるだけの実力を備えているのだ。如何に仮想世界での戦闘経験が長いイタチといえども、キャリアの短い銃撃戦では分が悪く、勝ち目は非常に薄い。

そんな、恐ろしい程の難易度をカンキチとボルボは語るが、イタチは相変わらず内心の見えない表情のまま、しかし影が差した様子はまるで無かった。

 

「確かに、今までのようにはいかないだろうな。だが、弾丸は弾丸だ。やりようはいくらでもある」

 

「お前なぁ……」

 

 相手が闇風といえども、十分勝ち目はあると暗に言うイタチに、カンキチとボルボは呆れた表情をするばかりである。だが、短期間で幾多のスコードロンを狩ってきたイタチは、この世界の主要な武装である銃器と、己の武器である光剣の性能をほぼ完全に把握している。

 故に、どうすれば被弾数を抑え、銃を持つ相手の懐に飛び込めるのか、その大まかな答えも出ている。勿論、相手によっては戦術も臨機応変に変えねばならないが、予想外の事態や変則的な敵との相対は前世の忍世界で散々経験しているイタチにとっては、さして難しいことではない。

 

「これ以上あれこれ言っても仕方あるまい。それに、そろそろ時間だ」

 

 イタチに指摘され、トーナメント表の左上に表示されたタイマーを見れば、こうして話している間にも十五分のタイムリミットも二分前に差し掛かっていた。

 

「俺は誰が相手だろうと本戦に進出し、依頼を果たす。お前達も、準備を抜かりなく進めてくれ」

 

「……分かった。ワシ等は手筈通り行く」

 

「そっちも、気を付けてな」

 

 カンキチとボルボの言葉に対し、イタチは小さく頷く。そして次の瞬間には、イタチの身体は青白い光に包まれ、その場から姿を消すのだった。

 

 

 

 

 

 カウントダウンが完全にゼロになり、青白い光と共にイタチが飛ばされたのは、管制官が着くような座席が複数並べられた、無機質な空間。コンピュータ等の計器が無数に並べられた座席の奥には、巨大なガラスが張り巡らされている。その向こうには、灰色の曇天が広がり、時折青白い光が瞬いていた。『船の艦橋』――そんな表現が、非常にしっくりくる場所だった。

 

(成程……これが宇宙航行船の艦橋というわけか)

 

 『難破した宇宙航行船』――それが、イタチの初戦のバトルフィールドの名前だった。事前に調べたBoB予選フィールドリストの中には無かった名前だったため、新規導入されたフィールドと考えられるこの戦場は、どうやら文字通り宇宙船の中らしい。だが、窓の外に広がる景色から察するに、船が航行しているのは宇宙空間ではなく、地球の上空らしい。

 

(……艦橋のコンピュータは全て、ただのオブジェクトか)

 

 艦橋に設置されたコンピュータのキーを試しに操作しようとしたが、反応は無い。予想通りで、当たり前の結果だったが、どうやらバトルフィールドたるこの船を操作してアドバンテージを握ることは不可能らしい。

 

(まずは、戦場の把握か……)

 

 今回の対戦相手である闇風は、現在五百メートル以上離れた位置にいる。交戦するには、互いの居場所を知る必要がある。加えて、内部構造の入り組んだ屋内が戦場であるのだから、その地理について記憶しておかなければ、先手を取られる可能性も高い。

 だが幸い、ここは艦橋。コンピュータを操作できなくとも、船体内部の構造についての情報は、容易に手に入る筈。そして、辺りに視線を巡らせること数秒。すぐに目的の情報が張り出されたパネルを見つけることができた。

 

(船体の長さは約九百メートル……そして、艦橋は十階……)

 

そこに記された詳細について、心中で反芻するいたち。忍時代に鍛えた記憶力で、五秒と時間を要さずそれらの情報を頭に叩き込むと、即座に艦橋を後にする。その道中、自分の現在地と、船体の構造、そして戦闘開始からの経過時間から、走りながら戦況を分析する。

バトルフィールドへ飛ばされてから経過した時間は一分半に満たない。だが、相手は敏捷特化型の闇風である。GGOの戦闘に慣れた人物ならば、既に相手の大凡の居場所を特定し、高い敏捷性を駆使して距離を縮めている可能性は十分に高い。

 

(狭い廊下で光剣を振るうのは拙い……食堂や会議室も、短機関銃を相手するにはやはり狭い……)

 

 開けた地上ならばいざ知らず、幅五メートル・高さ三メートル程度のスペースでは、戦闘を行うにはやはり狭い。ましてや、相手は短機関銃の使い手である。弾幕を張られれば、回避などできる筈が無い。無論、イタチとて短機関銃相手でも銃弾を防ぎ切る自信はある。だが、移動を制限された状況下では、絶対に後れを取らないとは断言できない。

 

(止むを得ん……戦場を移すか……)

 

 通路での正面戦闘が不利と考えたイタチは、ある場所を目指してさらに速度を増して駆ける。船という閉鎖された屋内フィールドであっても、自身の戦闘能力を十二分に発揮できる場所は、ただ一つ。索敵スキルでは未だ探知できない、しかし確実に接近してくる闇風の気配を感じつつ、イタチは足を速めるのだった。

 

 

 

 

 

(……敵は、ここか)

 

 予選の舞台たる船体の中。ダークブルーのコンバットスーツに身を包んだ痩身のプレイヤー――闇風は、目の前に広がる開けた場所へと、鋭い視線を巡らせながら足を踏み入れた。大小様々なコンテナやケースが積みこまれたこの場所は、船の貨物室。この船の中で、最も広い場所だった。

 

(しかし……まさか予選早々、こんな奴が相手とはな……)

 

 苦々しく心中で愚痴を垂れる闇風の内心は、眉間に刻まれる皺として、アバターの顔にも表れていた。BoB上位常連の闇風にとって、この予選はただの通過点でしかなかった。本戦へ進むのは当たり前であり、予選など相当強力なプレイヤーと当たらない限りは前座同然。だが、そんな闇風の抱いた甘い認識は、早々に打ち砕かれることとなった。

 未だ対面していない状況でありながら、ベテランたる闇風に畏怖を抱かせて止まない無名のプレイヤー。それが、現在の対戦相手、『イタチ』だった。闇風にとって初めてのフィールドでの戦いだったが、記憶に無い名前のプレイヤーだったため、余裕で勝てるだろうと考えたのだが、全く思い通りに事が運ばない。

闇風が選択した作戦は、通路で待ち伏せして短機関銃を正面から掃射するというものだった。そして、長いプレイ時間の中で培った判断力を駆使し、襲撃ポイントに向かったのだが……その全ては、ものの見事に回避された。

 

(単に俺との正面戦闘を避けているとも考えたが……俺の予測を先回りしてやがる……)

 

闇風が予測したイタチの行動ルートは、主に二種類。一つ目は、闇風との戦闘を望み、積極的に接近を試みる場合。二つ目は、BoB前大会準優勝者という肩書を恐れ、保守的に逃げに回って機会を窺っている場合。これら二つの行動パターンから、必ず通ると想定されるルートへ回り込んだのだが、全て空振り。

闇風がこれまでのプレイ時間の中で鍛え上げた判断能力は、戦闘能力と同様、GGOにおいてトップクラスに属す。モンスター、プレイヤーを問わず、その動きを予測して先回りするのはベテランプレイヤーたる闇風にとって造作の無いことだった。だが今、そんな闇風が、一人の無名プレイヤーに振り回されている。

 

(タダ者じゃねえ……奴は、間違いなく強い!)

 

 既に闇風の心中には、この対戦相手を過小評価するという気持ちは一切無い。ステータス等一切素性の分からない無名プレイヤーとはいえ、自分の予測を上回る動きをしたことから、戦闘慣れしていることは間違いない。

故に、闇風は油断しない。感覚を研ぎ澄ませ、貨物室の中に潜む敵の気配を探る。索敵スキルの発動は勿論、アバターが有する五感と、戦いの中で培った第六感まで動員し、未だに姿の見えない敵の影を探す。

 

「!」

 

 そして、周囲を警戒しながら貨物室を探すこと一分弱。対戦開始から二十分に及ぶ追跡の末、遂に闇風は、対戦相手たるプレイヤー――イタチの姿を捉えるに至った。

 

「…………」

 

 標的たるイタチは、別段隠れているというわけではなかった。イタチが立っていたのは、貨物室のど真ん中。コンテナ等の貨物の少ない、開けた場所だった。

 

(何を、考えている……?)

 

 愛用の銃である短機関銃を油断なく構え、射程距離まで近づいていく。遮蔽物の無い、このように開けた場所に立てば、短機関銃の格好の餌食である。姿を認識されている以上、弾道予測線が発生するのは免れないが、短機関銃の弾幕を避けることは不可能に近い。しかも、遮蔽物の少ない場所は、『ガンランの鬼』と恐れられている闇風の敏捷性を発揮できる独壇場に等しい。つまりこの状況は、闇風にとってこの上なく有利なのだが……だからこそ、解せない。

 この、広く大型のオブジェクトが多い貨物室の中で、遮蔽物に隠れるでもなく開けた場所に立つとは……「狙ってくれ」と言っているようなものである。正面切っての遭遇戦を幾度もかわしてここまで来たのだから、闇風の短機関銃は忌避すべき武装の筈。それとも、今までの行動予測は全て偶然に過ぎなかったのか――――

 

「…………」

 

 本日何度目か分からない、目の前のプレイヤーがしでかす予想の斜め上を行く行動に思考を乱されながらも、闇風は再度短機関銃を構える。未だに矛を……否、銃を交えていない相手だが、闇風はやはり油断はできないと感じた。

 短機関銃を向けられても微動だにしない黒衣のプレイヤー、イタチ。その姿には、恐怖で硬直した様子等は一切見られない。恐らく、闇風が引き金を引くのを待っているのだろう。思い返せば、この戦いが始まってからというもの、このイタチという男に自分は上手く誘導されてきた。

 

(行くぞ……!)

 

 だが、今更後に引くつもりは無い。こうして相対した以上は、持てる力の全てをもって敵を撃破する。今までそうやってきたように――――!

 

「ウ、オォォオオ!」

 

 雄叫びと共に引き金を引く闇風。途端、銃口からは無数の弾丸が発せられる。闇風の主武装である、キャリコM900Aから放たれ、銃口初速427 m/sで迫るおよそ20発もの弾丸は……しかし、黒衣のプレイヤーを仕留めるには至らなかった。

 

「んなっ……!」

 

 引き金を引いた闇風は、本日最大の驚愕に見舞われる羽目になった。回避不能な至近距離で放った弾幕が、イタチに僅かなダメージも与えられず、全て“弾かれた”のだ。無論、素手で防御したわけではない。短機関銃の銃弾を叩き落としたのは、その手に握られている赤い閃光を発する剣だった。

 

(光剣だと……まさかっ!)

 

 光剣を振るう漆黒のプレイヤーの姿に、ここ最近GGO世界を騒がせているプレイヤーの異名を連想する闇風。だが、目の前のプレイヤーの正体について思考を走らせるより速く、イタチは攻め込んでいく。

 

「ぐっ……!」

 

 二十メートル近く開いていた距離を二秒と掛からず走破して閃光の如き刺突を繰り出すイタチに対し、闇風は右側面へ跳んで回避を試みる。間一髪で直撃を免れた闇風だったが、ビーム光線の如き速度で迫る赤き閃光の一撃は、その脇腹を僅かに掠め、身に纏っていたローブを貫通した。

 

(流石は光学兵器……直撃すれば即死は免れん…………)

 

 僅かに命中した光剣の一撃によって、HPの二割以上を損失した闇風は、内心で戦慄する。直撃すれば、即座に勝負が決まることは言うまでもない。GGOにおいて、純粋な威力だけならばトップクラスの光学兵器に属す光剣の威力も然るものながら、不可避に近い一撃を放ったイタチの技量も凄まじい。

 AGI特化型の闇風の戦闘スタイルは、「ガンランの鬼」という異名が示す通り、不可避の弾幕を繰り出す「射撃(ガン)」と、捕捉不能な速度で敵を翻弄する「疾駆(ラン)」の二つ。つまり、闇風は立ち止まって射撃を行う際のみは、自慢の敏捷性を発揮しての回避が儘ならないのだ。イタチはそんな闇風の弱点を見抜き、弾幕へ光剣片手に突っ込むという戦術を取ったのだった。尤も、短機関銃の弾幕を光剣で防御するなど、並みのプレイヤーにできる所業ではない。

出来るプレイヤーがいるとするならば、このGGOにおいてはただ一人。半ば都市伝説としか認知されていない、尾ひれ・背びれが付いた噂としか考えていなかったが、ここに至っては最早その存在は疑う余地も無い。

 

(死剣(デス・ソード)!……まさか、実在していたとは……)

 

 つい最近出現した、GGOにおいてマイナーな武装として知られる『光剣』を主武装として戦う謎のプレイヤー――『死剣』。噂によれば、GGOにおいて名うてのスコードロンをいくつも、しかも単独で襲撃・殲滅したとされているが、有り得なさ過ぎる戦闘能力に、その存在を現実のものと見なす者は、闇風を含めてほとんどいなかった。

 

「……チッ!」

 

 ブォン、という音を響かせながら、再度振るわれる赤き死の剣。闇風は、イタチが刺突後の体勢から刃を返しての斬撃を繰り出すよりも速く、地面を蹴って距離を取る。だが、イタチが高速ならぬ光速で繰り出す斬撃もまた、回避が完全には間に合わず、今度は肩を掠めてHPを1割半持っていく。

 

「グッ……ハァアアッ!!」

 

 だが、闇風もやられっ放しではない。斬撃が肩を掠めた直後に、光剣を振り下ろして僅かな隙を生じさせたイタチに対し、カウンターとして短機関銃を再度放つ。今度の距離は、三メートルにも満たない。弾道予測線を見ても、防御行動は間に合わない筈……

 

「う、嘘だろ……っ!」

 

 間近で放たれた十発の弾丸に対し、イタチは左後方へ跳ぶことで五発分の弾丸の射線上から外れ、残り五発に対しては光剣をバトンのように回転させることで光の盾を形成し、防御したのだ。

 常識を逸脱したイタチの反応速度と剣技に、流石の闇風も呆けた顔を晒してしまう。銃の世界たるGGOで剣を振り回すこともそうだが、このイタチというプレイヤーに対しては一切の常識が通用しないらしい。

 

(成程……スコードロンをいくつも壊滅させたというのも納得できる……!)

 

 BoB前大会準優勝者の闇風を、正面戦闘でここまで追い込んでいるのだ。前代未聞の光剣使いやら、スコードロンを単独壊滅させたやらの噂が真実であることは、最早疑う余地が無い。加えて、闇風が前大会で戦い、装備の性能の関係で競り負けた相手であるゼクシードとは比較にならない程の強敵であることも。

 

(こんな奴が初戦の相手ってのは……どんな冗談だ、オイ!)

 

偶然成立した対戦カードなのだろうが、いきなり本戦の、しかも決戦並みに相手と戦わされているこの状況には、流石の闇風も心中で悪態を吐きたくなった。だが、運営から齎された不条理を嘆いている暇などありはしない。

今すべきは、薄まり始めている勝機を引き戻すこと。そのためにも、まずは距離を取らねばならない。そう考えた闇風は、イタチが一度後方へ跳び退いた隙を利用し、後方に置かれているコンテナの上へと飛び乗り、高い位置へと移動する。

 

「近付くなっ!」

 

 当然、イタチも追撃に動くべく接近を試みるが、闇風はそれを許さない。短機関銃で威嚇射撃を行い、牽制を行う。最も高いコンテナの上に立つ闇風に接近する方法は、助走をつけての一足飛びで突っ込むか、周囲に置かれた背の低いコンテナを足場として使って階段式に接近するかのいずれかである。

前者は闇風と互角以上の敏捷ステータスを持つイタチならば不可能ではない。だが、如何に優れたステータスを持っていようとも、空中での回避行動は不可能である。無論、短機関銃の弾丸ならば、空中であろうとも死剣の技量で防げる可能性は高い。しかし、闇風の武器は短機関銃のキャリコM900Aだけではない。攻撃範囲が広く、防御の固い敵に対する鬼札とも呼べる、『プラズマグレネード』を備えているのだ。爆発武器であるこればかりは、光剣による防御が通用しない。空中に滞空している間に投げ込まれれば、その爆発に身を焼かれて動けなくなる。仮にHP全損を免れたとしても、短機関銃で蜂の巣にされて勝負が決まる。

故に、イタチが闇風のもとへ安全に接近するには、近場のコンテナからコンテナへと跳び移るしか無いのだ。故に、イタチの移動ルートを先読みし、射撃による牽制を行えば、光剣は届かない。

無論、イタチが射撃武器を持っていないなどと甘い見通しを立てているわけではない。しかし、闇風を圧倒する程のスピードを持つイタチである。所持しているとしても、拳銃の類が精々であり、弾道予測線も見えるのだから、闇風の能力をもってすれば回避は間に合う。それは、敏捷を極めた闇風だからこそ確信できることだった。

 

(奴を潰すには、高所からの射撃以外に方法は無い……)

 

 よって、闇風はコンテナの上での射撃と跳躍移動で敵を追い詰める、『ガン&ラン』ならぬ『ガン&ジャンプ』へと戦法を切り替えることにしたのだった。

 バトルフィールドたるこの航行船の貨物室は、船体と同方向に長方形型に広がっており、長辺部分の両サイドにコンテナが積まれている。貨物搬入用の通路も同様であり、移動方向も限定される。つまり、短機関銃の牽制によって闇風が乗っている側のコンテナに近付けなければ、闇風の優位は揺るがないのだ。

 

(見事な剣技だが、有効範囲の狭い武器は、この世界では通用しない!)

 

 闇風が引き金を引くと同時に、短機関銃が再び火を噴く。狙う先には、イタチの姿。当然の如く、弾丸は全て赤い光の露と消える。だが、それも闇風の予想通り。闇風はイタチが弾丸に集中している隙に、左手に持っていたプラズマグレネードのピンを口に咥えて引き抜き、イタチのいる場所目掛けて投擲する。

 

「!」

 

 あらゆる弾丸を叩き伏せる光剣だが、プラズマグレネードばかりは防御できない。故にイタチは、プラズマグレネードが炸裂するよりも速く、横へ跳んでその攻撃範囲から免れようとする。

 

「そこだ……!」

 

「っ!」

 

回避行動に転じたイタチに対し、闇風による追撃が行われる。地面を転がりながらも、光剣を振るって弾丸の防御を試みるイタチだが、流石に全てを防御することはできなかった。数発の弾丸がイタチの手足を掠め、貫いた。

 

(いける……いけるぞ!)

 

今まで、まるで攻撃の通用しなかった死剣ことイタチだったが、この攻撃で確かな手ごたえを得られた。如何に死剣といえども、広範囲を攻撃する爆発物には回避以外の行動が取れない。ましてや、短機関銃に対処する傍らでは、被弾を避け得ない。

装備重量削減のため、普段は一個しかオブジェクト化していないプラズマグレネードだが、闇風のストレージには十個以上収納している。無論、短機関銃の弾薬も同様である。詰めを誤らなければ、この規格外のプレイヤー相手でも十分勝機はある。

闇風がそう考えた時、さらなる予想外の事態が起こる。しかもそれは、闇風にとって優位に働く事象だった。

 

(な、何っ……!?)

 

闇風の立つ足場が、突如傾き始めたのだ。だが、闇風がバランスを崩したわけではない。傾いているのは、闇風とイタチが立っているこの空間全体……バトルフィールドである、艦全体が傾いているのだ。

 

(いける……これで船体が傾いて、壁際まで追い詰めれば逃げ場は無い。そこへプラズマグレネードを三個……いや、四個投げ込めば、如何に死剣といえども、逃げられない!)

 

それが、長いGGOプレイ時間の中で培った経験をもとに、闇風が考案した作戦だった。成功させるために重要なのは、間断なく攻め立て続けて一定以上の距離を保つこと。そのためには、プラズマグレネードのオブジェクト化と、短機関銃のマガジン交換を素早く行う必要がある。同時に、艦の傾きに応じて即応し、貨物室奥部へとイタチを追いやらなければならない。何せ相手は、闇風と伍する敏捷を誇る死剣である。隙を見せれば、現在の優位など簡単に覆されてしまう。

 故に闇風は、油断せず、これまで以上に細心の注意を払って目の前の敵との戦いに臨む――――

 

「行くぞ……!」

 

 その後の闇風の攻撃は、より苛烈なものと化した。短機関銃の弾幕による威圧と、隙を見て放り投げるプラズマグレネードのコンボで僅かずつのダメージを与えながら、少しずつ……しかし着実に、イタチを貨物室の奥へ奥へと追い込んでいく。戦法自体はワンパターンだが、イタチの動きを的確に予測した射撃と、プラズマグレネードの炸裂・攻撃範囲を最大限に活用した闇風の動きは、イタチを翻弄するに足るものだった。

そして、短機関銃の射撃とプラズマグレネードの投擲を続けることしばらく。遂に闇風に、勝負を決める最大の好機が訪れた。

 

(傾きが大きい……これなら!)

 

貨物室での戦闘開始以降に発生した中で、最大の揺れ。船体は大きく傾き、ほぼ垂直に等しい状態となる。そして、闇風の立つ場所は、船体上部。対するイタチは、船体下部である。闇風は手持ちのワイヤーを船体支柱に巻き付けてぶら下がって落下を防ぎ、イタチの上を完全に取った。

 

「これで……終わりだ!」

 

イタチとの距離が、貨物室の長さと等距離になり、しかも相対位置が上下垂直。直線距離で両者が二十メートル以上も離れたこの状況では、光剣の斬撃は届かず、投擲しても闇風には及ばない。当初から考えていた作戦通り、所定の場所までイタチを追いこむことに成功したのだ。そして、勝利を確実なものにするために、闇風は最後の詰めに取りかかる。

まずは、短機関銃を乱射。しかし、狙いはイタチではなく、貨物室に収納されていたコンテナの固定具である。固定具が破壊されたことで、支えを失ったコンテナ達は、次々イタチ目掛けて落下していく。

次いで、間髪入れずに手持ちのグレネード全てを投下していく。まずは、既に実体化していた二つを投擲。そして、すかさず右手でウインドウを呼び出し、残り二個のグレネードを左手にオブジェクト化させ、まとめてピンを引き抜いて再度投擲。放ったグレネードは全て、コンテナの隙間を縫うように投下されている。

これで、イタチがコンテナを回避したとしても、完全にプラズマグレネードの効果範囲に捉えることができる。普通のプレイヤーならば、間違いなく即死だろうが、相手はあの死剣である。これで完全に勝負を決められるかは分からないが、動きは封じられると確信できる。プラズマグレネードが炸裂した後は、一気に距離を詰め、短機関銃を至近から撃ち尽くしてHP全損を狙うのだ。

 

(この俺をここまで追い詰めるとは、大した実力だ……だがそれも、ここまでだ!)

 

持ち得る武装と知略の全てを注ぎ込んで仕掛けた策略に、勝利を誓う闇風。だが、それでもこころのどこかでは不安を感じていた。前大会において二位の地位を獲得し、実力だけならばGGO最強と呼ばれていた自分を追い詰めた死剣が、本当にこれで終わるのか、と……

 

 

 

そして、その予感は的中した――――

 

 

 

「なぁっ!?」

 

闇風が見下ろす先にいるイタチ――予想を遥かに超える動きを幾度も見せてきたプレイヤーが、本日何度目になるか分からない、驚愕すべき行動に出た。

船体が垂直状態に傾き、上からはコンテナとプラズマグレネードが落下するその状況下で、イタチが取った行動は、僅かな助走距離を利用して、“壁を走る”というものだった。

 

(な、何故そんな真似ができる……!?)

 

GGOプレイ歴の長い闇風だが、こんな動きは見たことが無い。銃の世界たるGGOにおける武器は、その攻撃軌道は三次元的である。だが、それを扱うプレイヤーの動きは、基本的に平面を移動する二次元的なものである。無論、ジャンプもシステム的には可能だが、それでも垂直方向の移動には限界がある。イタチのように壁を走るなど、誰も考えないし、やろうとは思わない。

 

(くっ……だが、あの助走距離でこの場所に至ることはできない筈……)

 

そう自分に言い聞かせながら、しかし機関銃を持つ手に力を入れて闇風は身構える。

対するイタチは、闇風の予想通り、突出した敏捷をフルに活用して壁を走るも、その距離は十メートル足らずで限界が訪れた。だが、イタチはそこで落下することはしなかった。壁を走る最中に限界が訪れたのと同時に、壁を蹴って空中へ跳躍したのだ。そして、宙に身を投げ出したイタチが跳んだ先にあったのは、闇風が落としたコンテナである。イタチは空中で体勢を立て直すと、コンテナに足を突いて、再度蹴り出して跳躍。落下してくるコンテナを足場に、次々上っていく。

 

(まさかそんなことまでやってのけるのか……!)

 

最早、このプレイヤーを相手に油断は一切できない。コンテナに次いで投下したプラズマグレネードの弾幕も、頼りにはできない。そう考えた闇風は、短機関銃の狙いを定め、弾道予測線が発生するよりも速く引き金へ指をかけようとする。そして、全弾撃ち込む覚悟で最後の攻撃を仕掛けようとした、まさにその時だった。

 

「んなっっ!!?」

 

 突然の、閃光と爆音。そして、凄まじい火柱が、イタチの立つコンテナの真下で発生したのだ。闇風の放ったプラズマグレネードは、まだ爆発していない。一体、何が起こったのか。発生した音と光から考えて、爆発が起こったことはまず間違いない。だが、何が爆発したというのか。

 

(まさか、これは――――)

 

 敵をあと一歩というところまで追いつめて発生したこの事態。偶然として片付けるには出来過ぎている。これが作為的に引き起こされた現象だと言うのならば、それを引き起こしたのは……

 

「――――!!」

 

 だが、闇風がそれ以上思考を走らせることはできなかった。爆発から立て続けに起こった、闇風を襲う想定外の事態。それは、闇風の眼前に黒い影となって現れた。

 

「っ!…………お、まえっ……!」

 

 目の前には、先程まで真下のコンテナの上に居た筈のプレイヤー――イタチの姿。その手には、赤い閃光の剣が握られている。

その、血の如き色の刀身は、闇風の胴を貫いていた――――

 

(死剣…………まさかっ!)

 

 腹部に突き立てられた赤い光の剣がHPを食らい尽くす中、闇風は死剣ことイタチが自分に仕掛けた策を悟った。

先程のコンテナの中身は爆薬の類であり、貨物室へ先に辿り着いていたイタチは、恐らく戦闘開始前からそれを知っていたのだ。そして、イタチは接近が儘ならない闇風を撃破するために、それを最大限に利用する作戦を実行したのだ。隠れる場所の多い貨物室の中でわざわざ開けた場所に立って闇風を待ち受けていたのも、死剣としての並外れた実力を示すことによって、貨物室奥へとイタチを追いやる作戦へと闇風を誘導することが目的だったとすれば、全て説明がつく。そして、闇風が放ったプラズマグレネードが爆発するよりも先に、爆薬の詰まったコンテナと、最も頑丈な素材でできたコンテナを確認。移動中に爆薬の詰まったコンテナへとプラズマグレネードを投擲し、その直後に足場を確保。足場のコンテナで爆風と爆炎から身を守りつつ、闇風が投下したプラズマグレネードが爆発するよりも速く、闇風の懐へと飛び込んだのだ。

船体の傾き、それ自体はイタチの予測できなかった事態であることは間違いない。だが、それすらもイタチは即座に対応した。つまり、この勝負は開始から今に至るまで、イタチの手の平の上で踊らされていたということになる。

 

(完全に俺の……敗北、か)

 

 今回のBoBは、闇風にとって特別な意味を持つ大会だった。何としても、優勝を勝ち取らねばならない――その一心で、スキルや戦術に磨きをかけてきたのだ。その行動のきっかけ、或いは原動力になったのは、以前出演したMMOストリームにて、同席していたゼクシードの発言だった。

“AGI万能論などというのは、所詮幻想”

その言葉は、AGI特化型プレイヤーとしての闇風のプライドに著しい傷を負わせた。この屈辱を晴らすには、今大会で優勝する他に無い。そう信じて疑わなかった。だが、意気込んで出場した結果は、本戦へ進むどころか予選敗退というこの上無く無様なものとなってしまった。

 

(だが……悪くは、ない)

 

 だというのに、闇風の心は晴れ晴れとしていた。敗北という惨めな現実を受け入れることができること、そして自分を打ち負かしたプレイヤーたるイタチに対する憎悪は微塵も無かった。闇風自身、何故そのような心持だったのか、不思議で仕方が無かったが、その理由はすぐに分かった。

 イタチのステータスは、確認するまでもなくAGI特化型。そして、勝負を決めた武器は、光剣というマイナーな武器。ゼクシードがこの先強力な存在になると豪語していたSTR特化型でもなく、前大会でゼクシードが装備していた類のレア武装なども一切使っていない。アバターを操るプレイヤー本人も相当規格外なのだろうが、このイタチというプレイヤーは、敏捷型がこの先のゲームでも戦っていける可能性と、武器の性能が全てでは無いという真理を体現したのだ。

 

「必ず……」

 

「?」

 

「必ず、優勝、しろ……!」

 

 HP全損する直前、闇風は自分を倒したイタチを讃えるようにそれだけ言い残すと、ポリゴン片と化して砕け散った。

 勝利者を示すパネルが空中に浮かぶ中、残されたイタチは空中に投げだされて落下しながらも、光剣を一振りすると刃を消滅させて光剣を腰のホルダーへと戻す。敗れ去った闇風の意思が、その心に届いたかは分からない。ただ一人、銃の世界に在りし異端の剣士は、強い意志の宿った瞳で虚空を見つめ、次の戦いへと臨むのだった。

 



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第八十五話 紺碧の棺

2024年8月20日

 

 稀代の天才、茅場晶彦が創造した、世界初のVRMMO――ソードアート・オンライン。だがそれは、正式サービス開始日をもって、後にSAO事件と呼ばれる凶悪事件の舞台と化したのだった。一万人ものプレイヤーを二年にも渡って仮想世界の中に幽閉し、二千人以上の犠牲者を出した前代未聞の、歴史上類を見ない惨劇として知られるこの事件――だが、当時現実世界にいた者達は知らない。この世界で起こった、プレイヤー同士による、最大規模の血の惨劇を――――

 

 

 

 

 

 その情報が、プレイヤー達――正確には、最前線で戦う攻略組に齎されたのは、ある日突然のことだった。情報元は、アインクラッドの下層から中層を管轄に置く、アインクラッド解放軍のリーダー、ディアベル。その内容は、あらゆるプレイヤー達に脅威の的として恐れられている殺人ギルド、『笑う棺桶(ラフィン・コフィン)』のアジトの所在だった。

 

「まさか、本当に見つけるとは……」

 

「上の連中……特にキバオウは、執念深く追っていたからなぁ……」

 

 感心したように口を開いたのは、攻略ギルド・ミニチュア・ガーデン・のリーダーであるメダカと、同じく攻略ギルド・血盟騎士団の幹部・テッショウの二人だった。アインクラッド解放軍から齎された情報の資料に目を通しながら、周囲に集まっていた攻略組プレイヤー達も、同様の考えを抱いていた。

一年以上前、二十五層攻略時に巻き起こされた、フロアボス攻略を舞台としたMPKによって多大な被害を被ったアインクラッド解放軍は、この事件をきっかけに前線からの撤退を宣言していた。その後は、アインクラッドの治安維持活動に力を注ぎ、犯罪者プレイヤーの取り締まりを行っていた。だが、犯罪者プレイヤーを狩るその本心には、大規模ギルドとしての権威を失墜させた二十五層事件の黒幕のプレイヤー、PoHが率いる殺人ギルド『笑う棺桶』を壊滅させたいという願望があることは、誰から見ても明らかだった。故に、今回のアジト特定は、解放軍の弛まぬ努力が実を結んだ結果ともいえる。

 

「斥候を向かわせて偵察していたみてえだが……殺られたみたいだな」

 

「それで、リーダーのディアベルは俺達に加勢を要請したみたいだね。それで、皆はどうする?」

 

「ハッ!言うまでもねえ。俺達だって、奴等をのさばらせるつもりなんざねえんだ」

 

「決まりだな。では、私達もこの討伐戦に参加する!」

 

攻略ギルドの一角、聖竜連合のリーダーであるシバトラの問い掛けに、風林火山のリーダー・クラインは不敵な笑みを浮かべて答えた。そして、討伐戦参加を告げるメダカの宣言に、その場に集まった一同は頷く。もとより、攻略組の代表格等に問われるまでもないことだった。アインクラッド解放軍同様、攻略組プレイヤーも皆、レッドギルドを野放しにするつもりは無いのだ。

 

「…………」

 

 SAOプレイヤー達を苦しめてきたレッドギルド、その筆頭たる笑う棺桶の討伐に、攻略組プレイヤー達が一様に沸き立つ中、一人沈黙し瞑目する少年がいた。黒衣を纏い、額には木の葉を模したマークに横一文字の傷が入った額当てを巻いたプレイヤー――その名は、イタチ。ユニークスキル『二刀流』を有する最強クラスのプレイヤーであると同時に、笑う棺桶との暗闘に幾度となく身を投じてきた経歴を持ち、アインクラッドの光と影の両方で名を馳せていた。故に、今回の笑う棺桶討伐戦は、イタチの望むところである筈だった。

 

(笑う棺桶……いや、PoH。貴様は…………)

 

 だが、イタチの心中は、決戦を前に高揚しているわけでもなく、緊張に硬直しているわけでもなかった。ただ只管、嫌な予感がする。あの、残虐で狡猾な天性の殺人鬼とも呼べるレッドプレイヤーたるPoHが、アインクラッド解放軍のような大規模ギルドに、自分の率いるギルドの所在を悟らせたことに疑問を覚える。

攻略の片手間だったとはいえ、忍世界で暗部の隊長を務めたこともあるイタチの探索を逃れ続けてきた男である。今までの暗闘で捕縛に成功したのは、ほとんどが末端の構成員である。そんな、まるで尻尾を掴ませなかった男が、己のギルドの居場所を掴ませ、未だ移動していないという。明らかに、“何か”ある。イタチは一人、密かにそう感じていた。

 

「それじゃあ、先方の予定通り、三日後に出発するよ。皆、くれぐれも油断しないように」

 

 集会を仕切っていたメダカの言葉により、その場は解散となった。メンバーは各々、三日後のレッドプレイヤーとの戦いに向けた準備を行うべく動きだしていく。

 

(この討伐戦、辿り着く先は――――)

 

 ただ一人、集会場に残ったイタチは、瞑目しながらこの討伐戦の行方に思考を走らせるのだった。

 

 

 

 そして、三日後。攻略組プレイヤーは解放軍の要請に応じ、笑う棺桶のアジトが存在する、第四十層・ハンナバルへ向かった。その人数は、実に五十名。常はフロアボス攻略に駆り出されている、攻略組メンバーによって構成されたフルレイドである。さらにここへ、ディアベルとキバオウが率いるアインクラッド解放軍の精鋭三十名が合流するのだ。対する笑う棺桶のメンバーは、半数の四十名弱とされている。明らかに過剰な、暴力的なまでの戦力差である。

 しかし、集められたプレイヤーは全員が全員、プレイヤー相手の戦闘に慣れているわけではない。援軍を要請された攻略組は、レベルこそ全プレイヤーの中でトップクラスだが、普段専門としているのは、大凡アルゴリズムで動くモンスターである。臨機応変な思考を働かせて戦うことができるプレイヤーの相手をすることは、デュエル以外でほとんど無い。一方の解放軍については、犯罪者プレイヤーの取り締まりを専門としており、PvPには比較的慣れてはいるものの、平均レベルが攻略組には及ばない。レベルも専門も、完全にバラバラな超大規模レイド。普段組まない集団二つが連携を取るなど、危険以外の何物でもない。それは、各勢力の代表であるディアベルやシバトラにも分かっていることである。にも関わらず、これだけの人数で討伐に臨むのは、一重に圧倒的な戦力差を見せることで戦意を殺ぐことが狙いである。

ディアベルにせよシバトラにせよ、レッドプレイヤー相手とはいえ、殲滅は望んでいない。討伐戦とはいえ、目的な殺人ギルドの壊滅であり、殺戮ではないのだ。だが、レッドプレイヤーに恨みを持つプレイヤーは少なからずおり、本格的な交戦になれば大量の犠牲が出かねない。故に、敵味方犠牲ゼロでの無血投降を目指しての連合結成だった。

 

(だが、連中を相手にその考えは甘過ぎるとしか言いようがない……)

 

 攻略組と解放軍とで構成された超大規模レイドが行軍する先頭近くを歩きながら、イタチは一人この討伐戦について思考を走らせていた。ただのオレンジギルド、レッドギルドならば、この戦力を見せつけるだけで降伏しただろう。だが、率いているのはあのPoHである。絶対に、思惑通りにはいかない。そんな確信が、イタチの中にはあった。

 そして、八十人もの大軍勢が、四十層の外れにある森の中を歩くことしばらく。遂に、笑う棺桶がアジトとしている洞窟の入り口へと差し掛かった。

 

「ここ、かな?」

 

「ああ、間違いない。情報通りだ」

 

 遂に、アインクラッド最凶の殺人ギルド・笑う棺桶との戦いが幕を開ける。そう考えた途端、戦闘に立っていたディアベルやシバトラをはじめとした討伐隊プレイヤー一同に緊張が走った。やはり、いくら圧倒的な戦力を投入できたとしても、『もしもの事態』というものが全員頭から離れないらしい。

 

「今日こそは、PoHの阿呆も、全員まとめてとっちめてやるでぇっ!」

 

 これから殺し合いが始まるかもしれないという空気の中、気合いの入った声で意気込みを語る男がいた。サボテンのように尖った頭のこの男は、アインクラッド解放軍の実質的なナンバー2、キバオウである。

 

「キバオウの奴、気合い入ってんなぁ……」

 

「まあ、仕方無いんじゃないかな。彼にとっては、何よりも許せない相手だろうからね」

 

一人怒りの炎を燃やすキバオウを遠い目で見つめる攻略組プレイヤーのカズゴとアレン。キバオウはかつて、笑う棺桶のリーダーであるPoHに騙されたことが原因で、アインクラッド解放軍を攻略組から撤退させてしまった経緯をもつのだ。故に、今回の討伐戦には誰よりも気合いを入れて臨んでいたのだった。

 

「アイツ……本気で連中を討伐するつもりじゃねえだろうな……」

 

「治安を維持するアインクラッド解放軍がそれをやったら、洒落にならないんじゃないかな……」

 

 血の気が多い男だけに、不安を隠せないプレイヤーは攻略組にも多い。血盟騎士団のコナンとダレンもまた、この討伐戦の行く末に懸念を抱くプレイヤーだった。

 

「おいおい……本当に大丈夫なのか?」

 

「大丈夫……ではなさそうですね。だから、彼は俺達に指示を出したんですよ」

 

「だから、シバトラもアイツの指示に従えって言ったんだろうぜ。何せ、笑う棺桶には“奴”もいるんだからな」

 

 聖竜連合のメンバーの中にも、不安を口にする者達がいた。キバオウが無茶をするのではと心配するケイタロウの言葉に、隣にいたシャオランは内心で同調する。だが、彼等が感じているのは不安ばかりではない。ハジメが口にしたように、一部のプレイヤー達は、既に予測された最悪のケースに備えた動きについて指示を出されていたのだから。

 

「…………」

 

 レイドの先頭で、ディアベルやシバトラと轡を並べて立つイタチは、後続のメンバーを横目で一瞥する。予めコンタクトを取っていた者達が所定の位置にいることを確認すると、再度正面へと視線を戻す。

笑う棺桶のアジトがある洞窟の奥には、青白い薄明りに照らされた暗闇が広がっている。それはまるで、紺碧の棺が蓋を開いて獲物を待ちかまえているかのようだった――――

 

 

 

 その後、ディアベルに先導された大規模レイドは、洞窟の中をゆっくりと行軍していった。レイドメンバーは全員、洞窟へ差し掛かった時点で武器を手に取り、用心しながら進んでいたものの、笑う棺桶のメンバーが現れることは全く無かった。恐らくは、この大軍勢を相手に対抗策が無く、最深部の安全地帯に引きこもっているのだろうと、大部分の討伐隊プレイヤーは考え始めていた。そうして、戦闘が起こらないまま仄暗い道を進むうちに、討伐戦に参加したメンバー達の心に、余裕が生まれ始めた。敵地において、緊張を緩める。それは、危険な行為以外の何物でもない。

そして、安全地帯まであと少し。ここまでくれば、戦闘など起こる筈も無い。誰もがそう思った、その時だった。

 

「ぐぁっ!」

 

「わゎっ!」

 

 突然の悲鳴と共に、複数の討伐隊メンバーが倒れたのだ。ダンジョンの安全地帯手前まで歩を進め、確実に敵を追い詰めていると考えていたプレイヤー達は、この異変に対し、即座に反応することができなかった。これが敵の奇襲であると、レイドメンバー全員が悟ったのは、倒れた味方の数が十五人に及んだ時だった。

 明らかに襲撃を予期しての待ち伏せ。討伐隊の中に、密告者がいたことを意味する事態だった。だが、ことここに至っては、そんなことを詮索している暇は無い。笑う棺桶のメンバーに投降の意思が無い以上、応戦しなければ殺されるのだ。

 

「敵は横の通路だ!」

 

「毒ナイフを投げてくるぞ!盾役前へ!弾き落とせ!」

 

 ダンジョンの安全地帯手前に至るまでに確認した左右に枝分かれしていた道は、全部で十カ所。イタチはこの手の襲撃を討伐戦実施以前から予測し、攻略組の中でも信頼の置ける者達を隊列の中に均等に配置していたのだ。イタチが最も恐れたのは、横合いからの襲撃による隊列が崩壊すること。これが起これば、討伐隊プレイヤー全員が敵の良い的にされてしまい、全滅すら有り得るからだ。これを止めるために、イタチの指示を受けたプレイヤー達は、枝道に常に気を払い、ナイフ等の飛び道具の迎撃に動いたのだ。そして、彼等が即座に敵の居場所を叫び、襲撃を知らせたことによって、他の討伐隊メンバーも応戦へ移行する。

 

(しかし、やはり混乱は防げなかったか。討伐隊は既に二割近くが動けなくなっている……)

 

 敵の襲撃に対して後手には回ったものの、致命的な遅れではない。初手の奇襲で戦力の一部を殺がれたものの、頭数も戦闘能力も、討伐隊が圧倒的に上回っている。混戦になったとしても、冷静な対処ができれば十分巻き返しは利く。それは、討伐隊の誰もが思っていたことである。

 

「ヒャハハハハハッッ!!」

 

「ヒィーッヒッヒッヒ!!」

 

 凶器の笑い声とともに、討伐隊へ襲い掛かる笑う棺桶の構成員達。対する討伐隊のメンバーは、各々武器を構えてこれを迎撃する。無条件降伏で戦わずして勝つという目論見が崩れ去った現状だが、奇襲を受けても尚、総合戦力は討伐隊が上回っている。PvP戦闘に不安があった攻略組も、拙いながらも解放軍と連携を取って上手く立ち回れていた。

 

「野郎、奥へ逃げて行きやがった!」

 

「追え!とっ捕まえろ!」

 

「馬鹿!深追いするな!」

 

 討伐隊優勢で戦闘が進む中、枝道の奥へと撤退するレッドプレイヤーが現れ始めた。討伐隊の、特に解放軍のメンバー達が、追撃するべく枝道へと入って行く。

 

「ぐわぁあっ!」

 

「わ、罠かっ!」

 

 だが、追撃に出向いた者達は、枝道に入り込んだ途端、暗闇の向こうから放たれるスピアやダガーに刺し貫かれ、次々倒れていく。いずれも頭上のカーソルには、麻痺や毒といったデバフアイコンが付加されている。笑う棺桶のメンバーによる投擲が原因であることは言うまでもない。

 

「倒れた連中を引き戻せ!解毒結晶も用意しろ!」

 

「りょ、了解!」

 

「枝道には近付かないで!大通りで応戦するんだ!」

 

「分かりました!」

 

 笑う棺桶の巧妙な襲撃によって混乱した討伐隊を統率し、立て直しの主体となっていたのは、攻略組のメンバー達。いずれも、緊急事態に際した行動について、予めイタチと打ち合わせていたプレイヤーである。イタチは今回の討伐戦で、笑う棺桶のメンバーが仕掛けると予測されるありとあらゆる奇襲やトラップを予測していた。現在受けている、枝道の暗がりから繰り出される遠隔攻撃もその範疇である。トラップや投擲物を回避するには、攻撃範囲である枝道の入り口に立つのは危険である。故に、枝道の攻撃範囲ではない、幅の広い道へとレッドプレイヤー達を誘導して応戦を開始した。

そして、交戦開始からしばらく。激しい戦闘の末、遂にHPがレッドゾーンに突入したレッドプレイヤーが現れる。

 

「もう抵抗するのはやめろ!これ以上戦闘を続ければ、HPは全損……死ぬことになるんだぞ!」

 

「大人しく降伏しろ!」

 

 HPの全損イコール現実世界の死となるこのSAOでは、HPのレッドゾーン突入は、文字通り首の皮一枚の状態なのだ。これ以上の攻撃は、相手を殺すことに直結する。如何にレッドプレイヤー相手とはいえ、殺人に抵抗のある討伐隊プレイヤー達は、降伏勧告を行う。大概の犯罪者プレイヤーは、ここまで追い詰めれば投降するか、逃走するかのいずれかである。

 だが、ここに至って、討伐隊のプレイヤー達の予期せぬ事態が降りかかった。

 

「ヒャッハァァアアア!!」

 

「なっ!?」

 

「馬鹿な!」

 

 HPがレッドゾーンに突入したレッドプレイヤーが、そのままの状態で、討伐隊プレイヤーに襲い掛かったのだ。討伐作戦の打ち合わせでは、戦闘中の事情で止むを得ないと判断された場合には、自身や仲間の命を守るためにHPを全損させることも厭わないという認識を、討伐隊プレイヤー達は共有していた。

 だが、実際に人を殺さなければならない場面に直面した時、即座に行動に移せるような人間などそうはいない。故に、討伐隊プレイヤー達の心に、“躊躇い”が生じた。そして、刃を振り下ろすことへの躊躇いは、致命的な“隙”に繋がる――――

 

「死ねやぁぁああっ!」

 

「し、しまっ……!」

 

「ラク!」

 

 最初に凶刃が向けられたのは、紺色の髪にバレッタを着けた攻略組プレイヤー、ラク。慣れないPvP戦闘で、しかも奇襲を受けたことでHPをイエローゾーンまで削られていた状態である。急所に直撃すれば、一気に全損させられる可能性がある。半ば錯乱状態のレッドプレイヤーが繰り出した一撃は、ラクの心臓部へ吸い込まれるように迫っていく。

 

「くっ……!」

 

 間違いなく、死ぬ――――即死の一突きが迫る中で、ラクはそう確信し、目を瞑った。だが、仮想の刃がラクの胸を貫こうとした、その時だった。

 

「ぎゃぁぁああ!!」

 

「!?」

 

 死を覚悟していたラクの聴覚を、今まさに襲い掛かろうとしていたレッドプレイヤーが発した断末魔の叫びが震わせた。瞑った目を開いた時、まずその視界に映ったのは、剣を振り下ろした体勢で構える黒衣のプレイヤーの背中。その向こう側には、袈裟懸けに斬撃を喰らって仰け反るレッドプレイヤーの姿があった。自分を助けたのであろう、その黒い影の男に、ラクや他の攻略組プレイヤーには見覚えがあった。

 

「イタチ!」

 

「余所見をするな。死ぬぞ」

 

 そう口にした途端、イタチが斬り付けたレッドプレイヤーは、ポリゴン片となって消滅した。それは即ち、イタチがレッドプレイヤーを“殺害”したことにほかならない。

 

「まだ戦いは終わっていない。生き残りたければ、腹を括れ」

 

「お、おい!ちょっと待てよ!」

 

 ラクの危機を救ったイタチだったが、その静止を一切聞かず、どこかへ走り出していってしまった。

 討伐隊の最前列に立っていたイタチは、笑う棺桶との本格的な戦闘が開始されると、まず前方の敵を蹴散らした後、後方に控えていたプレイヤー達の支援に回っていた。イタチが今回の討伐戦において最も危惧していたのは、先手を取られて奇襲を受けることではない。切羽詰まった状態で、レッドプレイヤーを殺傷しなければならなくなった場合に、躊躇いが生じて返り討ちに遭うことである。故に、相手を殺すことが、己自身を守るために必要であると知らしめるためには、自ら禁忌を犯さねばならない。

 

(しかし……こんな方法でしか、皆を救うことができんとはな。前世の俺と、全く変わらん)

 

 仲間を救うために、敵を殺す。前世の忍たるうちはイタチが、暗部として当たり前のようにやってきたことだった。忍の世界では、殺し、殺されるのが常である。だが、それは飽く迄、前世の世界での話である。この世界の……少なくとも、この国の人間にとっては、どのような事情があっても殺人は禁忌である。如何に正当防衛といえども、一度その手を血に染めてしまえば、その後の人生が大きく狂わされることだってある。これをきっかけに、殺人者として道を踏み外す可能性も否定できないのだ。

故に、殺人に相当する行為を後押しするイタチの行為は、決して褒められたものではない。無論、仲間を助けるために行動するイタチの心理を理解できる人間は、攻略組や解放軍の中にも少なからずいる。だが、結果だけを見ればイタチの行為は笑う棺桶のメンバーと変わらない。戦いが終われば、『ビーター』に加えて『人殺し』の汚名を着せられ、後ろ指をさされる可能性だってある。

 

「やめて、イタチ君!」

 

「イタチ君、駄目だ!待って!」

 

 だが、イタチは止まらない。アスナやシバトラをはじめとした、イタチに対して友好的なプレイヤー達が、静止を呼び掛けるも、それを無視して刃を振るい続ける。HPがレッドゾーンに突入して尚、狂乱して暴れ続ける目の前の敵を相手に、容赦なく止めの一撃を加えて絶命させていく様は、さながら死神だった。

そうして、討伐隊の列を側面から襲撃する笑う棺桶のプレイヤー達を薙ぎ倒し、戦意を奪い続けることしばらく。苛烈なまでの攻撃を続けていたイタチを、笑う棺桶の不意打ちが襲った。

 

「ふん……!」

 

 目と鼻の先に飛来したナイフを、瞬き一つせず冷静に叩き落とすイタチ。攻撃手段は、毒ナイフの投擲という、ありふれたもの。だが、仕掛けるタイミングが、暗殺者として秀逸だった。イタチが振り翳した刃によってHPが全損したレッドプレイヤーが、ポリゴン片となって消滅する瞬間。光を発するポリゴン片の向こう側から、毒ナイフは投擲されたのだ。殺人という禁忌を犯したことで思考が硬直する一瞬と、爆散するポリゴン片によって発生する死角とを最大限に利用した凶手だった。

 

(薔薇の花……奴だな)

 

 半狂乱状態で襲い掛かってくる他のレッドプレイヤーとは、明らかに格が違う。そう考えたイタチの予感は、叩き落としたナイフの柄に結びつけられていた“薔薇の花”を見たことで確信に変わった。投擲物にこのような装飾をする笑う棺桶のメンバーは、一人しかいない。

 

「あの一撃を防ぐとは……流石ですね、イタチ君」

 

「地獄の傀儡師……いや、スカーレット・ローゼス。やはりお前の仕業か」

 

 再度の奇襲を警戒していたイタチだったが、下手人を探す必要は無かった。イタチの眼前に現れた、口元以外を覆う仮面を着けた、黒衣の男――スカーレット・ローゼス。その手には、先程投擲されたものと同様、薔薇の花が柄に結び付けられたナイフが握られている。

 地獄の傀儡師という二つ名を持つこの男は、笑う棺桶の幹部であり、PoHと並び立つ凶悪プレイヤーである。傀儡師という名前が示す通り、数々のプレイヤーを人形のように操り、殺人鬼に仕立て上げてきた危険人物としても知られている。今回の討伐隊に対する奇襲も、この男の指示によるものであることは、疑いようも無かった。

 

「私達の奇襲を逆手に取り、乱戦状態の中で笑う棺桶のメンバーを殺傷。自分自身を撒き餌にして、こうして私達幹部を誘き寄せるとはね」

 

「それを知って、俺の前にノコノコと出てきたのか?」

 

 イタチがこの討伐戦において最優先のターゲットに指定していたのは、目の前に立つスカーレットをはじめとした幹部である。末端に属す構成員達の大部分は、リーダーのPoHやスカーレットといった、人心掌握術に長けたレッドプレイヤーの命令……否、洗脳によって動いている。故に、頭目を潰してしまえばメンバーの連携は瓦解し、戦意も喪失する。つまり、この死闘は一気に決着するのだ。

 

「フフフ……あなたの考えは、分かっていますよ。この戦いを早期に終わらせるためには、幹部を始末するのが効率的。あなたからすれば、是が非でも、私を殺したい。違いますか?」

 

「分かっているなら、話は早い。決着を着けさせてもらうぞ」

 

 両手に握った剣を構え、斬り込む姿勢を取るイタチ。対するスカーレットは、顔の下半分に覗く口に余裕の笑みを湛えていた。最強プレイヤーと目されるイタチから明白な殺意を向けられて、このように飄々と構えられるレッドプレイヤーは、スカーレットかPoHぐらいだろうか。前世の忍世界でも、うちはイタチを相手に余裕の態度を保っていられた忍者はそうはいなかった。そして、そういった相手には共通して、余裕を持って立ちはだかれるだけの、策略もしくは奥の手を持っていた。

 

「死、ね……!」

 

 そして、その予感は見事に的中した。イタチから見て右側、枝道の暗闇から、弾丸の如き猛烈なスピードで迫る影があった。暗闇の奥で煌めくソードスキルのライトエフェクトは、刀身が発する棒状ではなく、小さな丸い点。それが意味するのは、刺突系ソードスキルの発動。射線上には、イタチの頭が捉えられている。

 

「フン……」

 

 対するイタチは、右手に持った片手剣で、刺突系ソードスキル『リニアー』をいなす。初級ソードスキルだが、狙いが的確な上、凄まじく速い。並みのプレイヤーならば、直撃による即死も十分可能な一撃である。ここまで鋭い、凶悪な一撃を放てる実力を持った、笑う棺桶のメンバーはただ一人。

 

「……またお前か。ザザ」

 

「小癪、な……!」

 

 剣と剣が交差する中、互いに赤い視線を交わす二人。イタチと同じ、赤い双眸を持つエストック使い――赤眼のザザである。

 

「フフ……」

 

 ザザの一撃を凌いだイタチだが、生じた隙を見逃すスカーレットではない。ザザが離脱するギリギリのタイミングで、イタチに対して薔薇の花付きの毒ナイフが投擲される。

 

「甘い」

 

 だが、イタチとてこの程度の不意打ちでは殺られない。対応が難しい姿勢ながらも、左手に持った剣を巧みに振るい、ナイフを難なく落とした。笑う棺桶の幹部二人の巧妙な攻撃を、容易く受け流すイタチ。対するスカーレットは、当初からの余裕を崩さず、ザザは憎悪を剥き出しにして得物の切っ先を向けていた。全く異なる、しかし悪意に変わらない感情を向けられて、しかしイタチは、やはり動じた様子が無かった。

 

「やはり、私達の実力をもってしても、一筋縄ではいかないようですね」

 

「関係、ある、か。俺は、奴を、必ず、殺す!赤い眼を、持つ、奴を……!」

 

 歯切れの悪い、怒気を孕んだ声で話すザザの赤い眼にはイタチに対する殺意が滾っている。しかしイタチは、ザザに視線を一切向けず、スカーレットに赤い双眸を向けていた。ザザなど警戒に値しないと言わんばかりの態度で臨みながらも警戒を解かず、スカーレットに向けて問いを投げかける。

 

「確認までに聞くが、PoHはどこにいる?」

 

「あなたが思っている通りですよ。イタチ君」

 

 その言葉だけで、イタチはスカーレットの言葉通り、自身の推測が的中していたことを悟った。笑う棺桶の構成員を十人以上斬り捨てたことで、レッドプレイヤー達の戦意と戦力は著しく低下しており、その連携は壊滅寸前に陥っている。しかし、この状況に至っても、現れた幹部はスカーレットとザザのみ。本気で討伐隊と戦うつもりがあるならば、首魁たるPoHが姿を表さねばならない状況なのだ。だが、現れた幹部はスカーレットとザザのみ。これが意味するところは……

 

(部下を生贄として置き、一人逃げたか……)

 

 それが、イタチが至った結論だった。PoHというプレイヤーは、賑やかで派手なイベントを好む。それが殺し合いとなれば尚更である。笑う棺桶というレッドギルドを結成したのも、攻略組や解放軍を相手に、命を奪い奪われる狂気の闘争を引き起こすことが最終的な目的だった。だが、PoHにとってはギルド自体も目的を達成するための道具でしかない。同じギルドのメンバーもまた、所詮は使い捨ての駒。大規模な、血で血を洗うPvPを引き起こせさえすれば、後は生きようと死のうと関係は無い。要するに、完全な用済みなのだ。

 無論、こんな大規模な戦闘を行えば、ギルドの崩壊は免れない。だが、一度でも殺し殺される世界の中に身を置き、そして敵の命を奪う経験をしたのならば、もう戻れない。解放軍や攻略組の中から道を踏み外す人間が現れる可能性も、少なからずあるのだ。スカーレットと同格以上の犯罪教唆の達人であるPoHからしてみれば、それは造作も無いことに違いない。ともあれ、PoHは大規模な討伐戦を起こしたことでギルドとメンバーに見切りをつけ、離脱したのだ。

 

「しかし、彼も付き合いが悪い。自分がコーディネートした舞台なのだから、最後まで見届けて行けば良いものを」

 

 尤も、スカーレットはPoHにギルドごと斬り捨てられたことについて、全く意に介した様子は無い。肩を竦めているものの、落胆や失望、憤怒といった感情の色は全く見られない。その態度から、スカーレットが望んでこの場所にいることが、誰の目から見ても明らかだった。

 そんな喜色を浮かべたスカーレットを相手に、エストックを持ったまま近くに立つザザを警戒しつつ、イタチは相対し睨み合う。辺りに殺し合いの阿鼻叫喚が響く中での、膠着状態。

 

「ようやく見つけたぞ!地獄の傀儡師……スカーレット・ローゼス!」

 

 一分にも満たない、しかし数十分にも思えた膠着状態は、すぐに融解した。イタチのもとへ、スカーレットを討つために新たな援軍が到着したのだ。

 

「おや、ハジメ君ではありませんか。やはりあなたも、私を追ってきたということですか?」

 

「分かっているなら話が早い。今日こそは逃がさねえぞ!」

 

「フフフ。相変わらず威勢のいいことですね。その熱意を評して、私自ら相手を……と言いたいところでしたが、既にこの討伐戦の趨勢は決まっている。申し訳ありませんが、私もそろそろ舞台を降りさせていただきますよ」

 

「そう易々と逃がすとでも思っているのか?」

 

 そう口にして、スカーレットのもとへ斬り込もうとするイタチ。だが、その踏み込もうとした足は、エストックの刺突によって横槍を入れてきたザザによって阻まれることとなった。

 

「俺を、無視、するな!」

 

「邪魔だ」

 

 怒気を孕んだ声で剣戟を繰りだしてくるザザだが、イタチにはまるで相手をするつもりが見受けられない。それもその筈。イタチの本命は、飽く迄スカーレットなのだ。この戦いを終わらせるには、スカーレットの始末は急務であり、幹部とはいえザザの相手などしている暇は無い。そんな、ザザの存在を軽く見るイタチの態度に、当人はさらに苛立ちを募らせる。

 

「貴様は、殺す!」

 

「ハジメ、スカーレットを足止めしろ」

 

「分かった!」

 

 ザザが壮絶な速度で繰り出す刺突を二刀流でいなしながら、自身と同じくスカーレットを追ってきたハジメに指示を出す。ハジメは右手に片手剣『ウルトライダー』、左手に盾『ホワイトページ』を持ち、スカーレットへと接近戦を仕掛ける。

 対するスカーレットは、薔薇の花を柄に取り付けたナイフを投擲して応戦する。毒ナイフであろう、刀身が青白く光るそれらは、しかし始めを傷付けること敵わず、盾に阻まれる。

 

「無駄だぜ!こいつはフロアボスの攻撃でも防ぎ切れる優れモノだ!お前のナイフなんざ、通用しないぜ!」

 

「おっと!……ハジメ君も、中々やりますね」

 

 投擲されるナイフを防御したハジメは、一気に片手剣を振り下ろす。だが、スカーレットも腰に差した短剣を抜いて刃を防ぐ。攻略組の装備を受け止める程の強度を有している点からして、得物はPoHが使用している友切包丁(メイト・チョッパー)と同様、相当なレアドロップなのだろう。やはり、PoHに次ぐ笑う棺桶の幹部だけのことはある。一筋縄ではいかない強さに舌打ちしながらも、ハジメは攻勢を緩めない。

 

「まだまだ!」

 

「フフフ……」

 

 刃と刃が交錯する金属音と、斬撃・刺突が盾にぶつかる衝突音が響き渡る。攻略組プレイヤーと笑う棺桶最高幹部との一進一退の攻防は、積極的な攻勢に出ているハジメに分があるように見えるが、余裕があるのはスカーレットの方である。レベルやステータスではハジメの方が優位なのは間違いないが、然程圧倒的な差は無い。そうなれば、PvP戦に慣れているスカーレットの方へいずれは優位が傾くのは明らかである。

 

「余所見とは、いい、度胸、だな!」

 

「……」

 

 傍らで繰り広げられる、ハジメとスカーレットの斬り合いに視線を向けながら、しかしイタチは油断なくザザの刺突をいなしていく。笑う棺桶の幹部たる自分を軽視して余りある行動の連続に、ザザは激怒して、尚激しく襲い掛かる。尤も、ザザの攻撃は一撃たりともイタチを傷付けることは敵わないのだが。

 

(こちらもそろそろ、終わらせねばならんな……)

 

 スカーレットやPoHに比べれば、脅威になり得ないザザだが、イタチは攻めあぐねていた。PvPによって鍛えられた剣戟は攻略組と同等以上に洗練されている。このままでは膠着状態が長引くばかり。ハジメの援護に向かうためには、排除を急がねばならないと考えたイタチは、反撃を仕掛けて一撃で勝負を着けることにした。

 

「これで、どう、だ?」

 

「む……!」

 

 今まで攻め一辺倒だったザザが、フェイントを噛ませてパリングを仕掛けてきた。ザザが真下から振り上げたエストックによって、イタチが持つ二本の剣は両側へと弾かれる。そして、生じた隙を文字通り“突き”、イタチの顔面目掛けてソードスキルを放つ。

 

「死、ね!」

 

 ザザが繰り出すのは、細剣系ソードスキル二連撃『パラレル・スティング』。その切っ先の軌道上には、イタチの赤い双眸がある。

 

「赤い眼を、持つ者は、俺だけで、いい!」

 

 そう言い放ち、ザザが繰り出したソードスキルは……しかし、イタチの眼を刺し貫くには至らなかった。

 

「ぐぅっ……!?」

 

 ソードスキルを発動したザザのエストックが、光の尾を引いて軌道を逸れた。ザザの手元が狂ったからではない。ソードスキルの発動中に、横槍を入れられた影響で狙いが外れたのだ。

 

「まさ、か……!」

 

 目の前で起こった不可解な事象。その原因について思い至ったその時には、既に手遅れだった。次の瞬間に迸る、二条の閃光。それと同時に、ザザの両腕は胴体を離れ、宙を舞ったのだ。同時に二条のライトエフェクトが発生する系統のソードスキルなど、アインクラッドには一種類しかない。

 

「イ、タ、チ……貴、様……!」

 

 両腕を失ったザザの目の前には、両手に握った剣を振り抜いたイタチの姿。それが意味するところは、二刀流ソードスキルの発動。二連撃ソードスキル『ダブルサーキュラー』である。

 

「お前の考えることなど、全てお見通しだ」

 

 イタチの策略は、ザザがパリングによる不意打ちを仕掛けたところから始まっていた。イタチは、ザザがパリングからソードスキルを繰り出すまでの流れを、エストックが振り上げられる前から予測していた。故にイタチは、ザザが二刀流を弾く直前に、剣を弾かれる方向へと振り上げ、パリングを受けたかのように装ったのだ。パリングが成功したと錯覚したザザの動きについては、すぐに予測できた。

 

「“赤い眼”を持つ者は二人も要らない。お前がしつこく口にしていたことだ」

 

 ザザがイタチとの対決に、笑う棺桶の誰よりも拘っていた理由は、その容姿……特に眼の色にあった。自分と同じ赤い眼のプレイヤーが強豪プレイヤーとして存在していたことは、ザザにとっては我慢ならないことだった。あまつさえ、自分が所属する笑う棺桶のリーダーにして、殺人者として尊敬する人物であるPoHすらも認める程の人物なのだ。ザザにとっては、この上なく気に入らない、殺意さえ覚える存在だった。だからこそ、憎悪の対象たる赤い双眸を狙うことは、容易に想像できた。狙いが分かっていれば、対処も容易い。ましてや、高速とはいえ直線的な刺突である。横合いから斬撃を叩きつけて軌道を逸らし、カウンターを叩き込むことは造作も無いことだった。

 

「そこでしばらく、大人しくしていろ」

 

「こ、の……!」

 

 両腕を失って戦闘不能に陥ったザザを蹴り倒すと、最後の仕上げとばかりに、先程スカーレットが投擲した毒ナイフを拾い上げて突き刺す。刃に塗られた麻痺毒で完全に動けなくなったことを確認すると、イタチはその視線をザザからスカーレットへと移した。

 ハジメとスカーレットの戦いも、終息に向かっていたらしい。スカーレットの短剣スキルに圧倒されたハジメが、精神的に力尽きて倒れようとしていた。イタチは二刀流を構えたまま、両者の戦いへと斬り込んでいく。不意を突かれたスカーレットは、イタチの姿を見て一瞬若干驚いたような表情を浮かべたが、すぐにハジメと距離を取って斬撃を回避する。そして、二人と対峙したスカーレットは、凶器と愉悦を孕んだいつもの笑みを浮かべて口を開いた。

 

「もう彼を倒すとは、流石ですね。イタチ君」

 

 イタチを相手に、余裕と言わんばかりに飄々と構えているスカーレット。だが、実際は追い詰められているのが現状である。ハジメを相手にHPを消耗していることは勿論のこと、この討伐戦自体も、討伐隊優位のまま終息へ向かっているのだ。

 

「イタチ、相変わらず無茶してんな!」

 

「流石だな。スカーレット・ローゼスを追い詰めるとは……」

 

 スカーレットと始めの斬り合いに割りこんで、然程絶たずに駆けつけてきたのは、イタチと同じく攻略組プレイヤーのメダカとクライン。ギルドマスターである二人は、それぞれギルドのメンバーを引き連れている。

戦うべき敵の数が減れば、手透きのプレイヤーも現れるのが自明の理。そうなれば、笑う棺桶の幹部を相手にしているイタチのもとへと救援が向かうのもまた、当然のことだった。イタチとハジメが、スカーレットとザザのコンビを相手にしていたのは、ダンジョンの中腹部分。両者共に目立つ容姿のプレイヤーだったため、イタチが属す討伐隊の他の仲間達も、すぐに集まってきた。

 

「スカーレット・ローゼス!お前は包囲されているぞ!」

 

「いい加減、観念しやがれ!この地獄野郎!」

 

 スカーレットを包囲しているプレイヤーの数は、イタチとハジメを含めて二十人にまで達していた。譬え笑う棺桶の最高幹部といえども、この状況を脱出するのは不可能に近い。ザザは両腕を断たれた上で駆けつけてきた攻略組プレイヤーに捕縛されている。残る味方も、奥の通路に隠れているレッドプレイヤー数名だろうが、討伐隊へ接近戦を仕掛けて来なかった以上、投擲による支援に特化した者達である可能性が高い。能力も頭数も上回っている、討伐隊の物量と戦力で十分押し切れる程度の戦力なのは、間違いない。

だが、相手は笑う棺桶の中でもPoHと並んで油断ならないプレイヤーである。今日までの暗闘でそれを心底理解しているイタチをはじめとしたプレイヤー達は、この圧倒的に有利な状況にあっても、油断できないと考えていた。

 

「フフフ……」

 

 事実、スカーレットはこの期に及んでも笑みを全く崩していなかった。明らかにハッタリの類ではない、この状況を脱出するための策がある故の余裕が垣間見えた。

 

(この状況で、まだ笑っていられるとはな……)

 

(まだ何か、小汚い策を用意しているのは間違いねえな)

 

(一体、何が起こるんだ?)

 

 その態度に、メダカやテッショウ、シバトラは身構える。討伐戦もいよいよ大詰め。ここに至って、どんな凶手が炸裂するのか。

 

「イタチ君をはじめとした攻略組の皆さんのお陰で、中々楽しい舞台でしたが、そろそろ終幕のようですね」

 

「分かっているなら、大人しく投降しろ!」

 

「もう逃げられるとは思うなよ!」

 

 血の気の多い討伐隊プレイヤー達がスカーレットに向けて踏み込んで行くが、やはり動じない。本格的に追い詰められたこの状況で、しかしスカーレットはその口を三日月のように釣り上げながら再度口を開いた。

 

「残念ですが、私はそろそろ失礼させていただきますよ」

 

 スカーレットはそれだけ口にすると、右手を天に掲げ、指を鳴らした。誰が見ても明らかな『作戦開始』の合図に、討伐隊プレイヤーの間に緊張が走る。

 

「テッショウ、退け!」

 

「なっ……!?」

 

 次の瞬間、イタチは自身の背後に集まった討伐隊プレイヤー達の中に殺気を感じた。その正体、そしてスカーレットの仕掛けた策略の正体を瞬時に悟り、危険が迫っているプレイヤーの一人に呼び掛けた。途端、イタチが警告を放った人物たるテッショウの首に対し、横一文字の斬撃が放たれた。傷は浅かったが、あと一瞬反応が遅れていたならば、首と胴が泣き別れになっていただろう。

 

「お、お前はっ……!」

 

「ヒヒヒッ……!」

 

 テッショウに斬撃を放ったのは、討伐隊に属すプレイヤーの一人。アインクラッド解放軍のユニフォームに身を包んだ、男性プレイヤーである。そのカーソルは、テッショウに傷を負わせたことによって、グリーンからオレンジへと変化していた。

 

「伏兵か!」

 

「討伐隊に紛れていたのか!」

 

 討伐隊プレイヤーに扮しての、血盟騎士団幹部・テッショウに対する奇襲。だが、事態はそれだけでは収まらない。

 

「ハハハハ!」

 

「また出たぞ!」

 

「今度はリュウが襲われた!」

 

「ヒャハハハハッ!」

 

 討伐隊の中で発生する、伏兵による奇襲に次ぐ奇襲。スカーレットが指を弾いた瞬間に起こったことから考えても、これら全てが彼の仕込みであることは間違いない。笑う棺桶の討伐隊迎撃作戦の用意が周到だったのも、奇襲を掛けた者達が密告したからだろう。イタチもこの程度の事態は予測できていた。だが、如何せん数が多い。笑う棺桶所属から派遣されて潜り込んだプレイヤーもいるのだろうが、スカーレットによる汚染でレッドプレイヤーとなった者達が大勢いたことは間違いない。

 

「それではそろそろ、お暇させていただきましょうか」

 

 スカーレットを追い詰めていた討伐隊プレイヤー達は、伏兵の奇襲で混乱に陥っている。誰が味方で、誰が敵なのか、判別がつかないこの状況では、目の前に建つスカーレットを捕縛することすら儘ならない。

 

「クソッ!待ちやがれ、スカーレット・ローゼス!」

 

「……!」

 

「ハジメ君、そしてイタチ君。私は人を欺くことに快感を覚え――――君達は、それを見抜くことに使命感を感じている。またどこかで会いましょう」

 

 

 

Good Luck

 

 

 

 その言葉を最後に、笑う棺桶の最高幹部スカーレット・ローゼスは転移結晶を使ってダンジョンを脱出した。攻略組・解放軍の連合討伐隊と、笑う棺桶との戦いが完全に終結したのは、それから十数分後のことだった。

 全てが終わった後に分かった討伐隊の犠牲者の数は、攻略組・解放軍を合わせて九名。笑う棺桶に至っては、確認されただけでも三十九名のプレイヤーが死亡した。合計五十人近くの人命が失われた戦いの末に、アインクラッドを震撼させた殺人ギルド『笑う棺桶』は壊滅した。笑う棺桶側の犠牲者の内、イタチが手に掛けたプレイヤーの数は、本人の証言によれば、三分の一に相当する十三名。討伐隊の犠牲が、然程大きくならなかった要因には、イタチが抵抗を続けるこれら十三名のレッドプレイヤーに対して容赦なく止めを刺したことが大きく働いていると、リーダー格のプレイヤー達は揃って口にした。

この戦いは、殺るか殺られるかの命の奪い合い。自分や仲間が生き残るには、敵の命を奪うほかに無い。そんな戦場の心理を、イタチは自身が率先して敵を殺す事で、全てのプレイヤーに思い知らせたのだ。無論、手段としてはとても褒められたものではなく、戦後にイタチを擁護したプレイヤー達も、その行為については一切肯定する発言をしなかった。だが、同時に否定もしなかった。あの場でイタチが背中を押さなければ、もっと多くのプレイヤーが死んでいたことは、誰から見ても、明らかだったのだから――――

 

 

 

 

 

2025年12月13日

 

 銃と鋼鉄の世界、ガンゲイル・オンラインにて開催されている、ゲーム内の最強決定戦、第三回バレット・オブ・バレッツ――通称、BoB。その参加者が集うドームの一角にて、ワインが注がれたグラスを片手に、モニターに映された予選の戦闘風景を、二階の観戦席から眺める男性プレイヤーがいた。痩身で、防具の類を一切身に付けていない、軽装から分かるように、彼は参加者ではない。この大会を観戦しに来た、ギャラリーの一人である。

 

(あの日から既に一年以上……しかし、腕は全く落ちていないようですね)

 

 男の視線の先にある映像の対戦カードは、『Itachi vs 闇風』。BoB本線の上位常連である闇風が出る試合である以上、誰もが闇風の勝利を疑わなかった一戦。だが、そんなギャラリーの予測を裏切って余りある結果が映し出されていた。無名の新参プレイヤーが、闇風を打ち倒したのだ。前代未聞な、誰もがまるで想像できなかったこの決着に、しかしこの男だけは納得した様子で愉悦の表情を浮かべていた。

 

「あの時と全く同じですね。私の期待を裏切らず、この世界の舞台へと、もう一度上がって来てくれた」

 

 現実世界へと帰還して以来、初めてとなるこの舞台。開幕の序章とともに、招待状を送った者達もまた、水面下で動いている。それは、闇風を倒した彼がこの大会に参加していることからも明らかである。

 

「さて、私もそろそろ、次の仕込みに移りましょうか」

 

 BoB予選の対戦カードを全てチェックし、本選出場者は大凡割り出せた。招待状を送った彼の変わらぬ戦いぶりを見ることができた以上は、もう用は無い。そう考え、席を立ち上がってその場を後にしようとした。その時だった。

 

「おや?」

 

 ドーム一階の、参加者が待機する場所を見下ろす男の視界に止まった、二人のプレイヤーの姿。黒衣と灰色の服に身を包んだこの二人は、男にとって見知った人物である。片や、上から下まで黒一色で、赤い双眸を持つ、額当てを装備したプレイヤー。先程の対戦で闇風を討ち破った無名のルーキー、イタチである。もう片方は、灰色のぼろマントを纏い、黒い鉄仮面を被った、幽霊を彷彿させる不気味なプレイヤー。彼もまた、男が用意した舞台にとって重要な人物である。

 

「おやおや、二人の対面は、まだまだ先の予定だったのですが……困ったものですね」

 

 そう呟く男だったが、苦笑を浮かべるその顔には、焦燥の色はまるで無い。むしろ、この予想外の展開が楽しいと言わんばかりに肩を竦めていた。男は、階下で向かい合う二人の男をそれ以上見つめることはせず、今度こそその場を後にするのだった。

 幕開けを迎えた舞台は、多くのキャストを巻き込みながら、本格的に動き出していく――――

 



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第八十六話 5番目の標的

「お前、“本物”、だな」

 

 BoB予選の第一回戦を終え、待機場所へ戻ってきたイタチを待っていたのは、そんな台詞だった。イタチの目の前に立つのは、イタチの一回り大きい体格の男。灰色のぼろマントに、顔全体を覆う鉄仮面を被った、幽霊を彷彿させるプレイヤーだった。仮面の下から覗く赤い双眸が捉えているのは、イタチの顔――正確には、その赤い双眸と、額に巻いた金属プレートに刻まれた特徴的な紋章だった。

 対するイタチは、視界を覆い尽くさんばかりに迫るその不気味な鉄仮面を、しかし赤い双眸を一切逸らさず、瞬きさえせずに見据えていた。二人の赤い視線が交錯する中、イタチは無表情のまま、無感情の声色で言い放った。

 

「そう言うお前は、“人形”だな」

 

 イタチが挑発的に放った言葉に、灰色のぼろマントを纏った男は、抑え込んでいたのであろう怒りを露に、豹変した。鉄仮面の隙間から覗く双眸から、まるで血走らせたような赤い光を迸らせ、イタチの胸倉を掴む。反応すら難しい程の速度で伸ばされた腕を、イタチは敢えて回避しようとしなかった。

 

「貴様……やはり、お前、か……!」

 

「…………」

 

 相当な筋力パラメータの持ち主なのだろう。イタチの小柄な身体は、みるみる持ち上げられていった。激しい憎悪を露に、今にもイタチを殺さんばかりの声色で睨みつける灰色マントの男だが、やはりイタチは動じない。冷たい感情を宿した目で、自分の胸倉を掴んで持ち上げる男を見下ろしていた。目の前の存在を歯牙にもかけないイタチの態度に、灰色マントの男の苛立ちは、増すばかりだった。

 

「無駄だ。ここは圏内……HPが削られることは有り得ない」

 

「こ、の……!」

 

「それとも、撃ってみるか?死銃(デス・ガン)とやらを」

 

「…………」

 

 イタチの挑発に対し、ぼろマントの男はそれ以上言葉を発することは無かった。イタチの言う通り、BoB予選出場者が集まるこの場所は、ゲーム内の安全地帯――通称、圏内であり、HPが減少することはない。唯一の例外があるとすれば、それはGGO内で噂となっている、都市伝説的な武器であり、プレイヤーの存在――『死銃(デス・ガン)』である。だが、ぼろマントの男はそれを撃つことができない。死銃を持っていないからではない。撃つための、条件を満たしていないのだ。

 やがて、これ以上の睨み合いは無意味と悟ったぼろマントの男は、イタチの胸倉から手を離し、背を向けてその場を去っていった。掴み上げられていたイタチは、いきなり離されたことで尻もちをつくでもなく、何事も無く地面に着地し、マントを靡かせて去っていくその姿を見つめた。やがて、一定の距離をおいたぼろマントの男は、ゆっくりと顔半分だけ振り向き、あの歯切れの悪い口調で言い放った。

 

「お前は、俺が、殺す。今度こそ、必ず!!」

 

 それだけ口にすると、男の身体は青白い転移のライトエフェクトとともにその場から消えた。次の対戦相手を決める試合が終了したことで、転移させられたのだ。BoB予選は、次の対戦相手が決定するまでのインターバルは、このホールにて待機することとなっている。ぼろマントの男も、次の対戦が開始されるまでの間隔を利用して、イタチのもとへ姿を現したのだ。

 

(やれやれ……俺と相対した途端に血の気が多くなるのは、相変わらずのようだな)

 

 先程自分に敵対的に接してきたプレイヤーの正体について、イタチは心当たりがあった。もっと言えば、先程のぼろマントの男こそが、イタチが探しているプレイヤー――死銃で間違いない。

死銃事件と仮称しているこの事件には、仮想世界での殺し合いに慣れた人間が関与していることを、イタチをはじめとした捜査関係者達は疑っていた。その精神状態は、殺人を犯す程に末期状態になっていながらも、複雑な殺人計画を実行するだけの知性を備えている。それらの結論から推察できることは、ただ一つ。

 

『死銃の正体は、殺人ギルドに所属していた、SAO生還者である』

 

故に、イタチは捜査に乗り出す前に、SAO時代に脳内で作り上げたブラックリストの中から容疑者の目星を付けていた。殺人ギルドとの討伐戦を経験したプレイヤーの多くは、その忌まわしき記憶を忘れるよう意識していた。だが、イタチだけは違っていた。討伐戦の最中で捕縛した者達はもとより、殺害した者に至っても、顔と名前は全て覚えている。現実世界へ帰還した後、殺人ギルドのメンバーの罪を問うことはまず不可能であることは、イタチも想像できたことだった。しかし、危険な人格の持ち主であることを告発することができれば、保護観察処分で危険行為を行わないよう監視をつけることも不可能ではない。そう考え、要注意人物を中心にその人相・容姿・名前を記憶の中に保存していたのだ。

 

(予想はしていたが、やはり奴だったか……)

 

 先程のやり取りの中で、ぼろマントを纏った鉄仮面のプレイヤーの正体を、イタチは確信していた。笑う棺桶所属のSAO生還者で構成されるブラックリストの中でも、上位に食い込む危険人物。イタチが想像する中で、今回の死銃事件を引き起こすに足る危険な人格の持ち主だった。

 

「おい、イタチ!」

 

「カンキチか」

 

 ぼろマントを男が消え去った場所を見つめ、思考に耽るイタチに声をかけたのは、今回の捜査協力者であるカンキチだった。すぐ後ろには、ボルボも付いている。恐らく、先の一幕を見ていたのだろう。常の強欲でグータラな雰囲気を見せず、真剣な表情で問いかけてくる。

 

「さっきのマントの男、何者だ?」

 

「恐らく、奴が死銃だ」

 

 さりげなくイタチが放った一言に、カンキチとボルボは驚愕に目を見開く。

 

「おい……まさかアイツが、そうなのか!?」

 

「ああ。私見だが、ほぼ確定だ」

 

「まさか、こんなに早くに現れるとは……予選出場者は、大丈夫なのか?」

 

「そちらは問題無い。奴等が本格的に動き出すのは、本選だ。如何に連中が周到な準備のもとで計画を遂行していようと、誰と当たるか分からない予選までは手が及ばん」

 

 いかつい顔に冷や汗を浮かべ、不安を露にするボルボに対し、イタチは冷静に標的の動きについての考察を述べる。既に死銃の殺害の手口について大凡の見当を付けているイタチが言う以上は、ほぼ間違いない。

 

「それより、次の予選が始まる。俺は行くぞ」

 

 異質なものを見るような視線を送るカンキチとボルボをその場に残し、イタチもまた、転移の青白い光とともに姿を消した。二人が感じた通り、人間二人を実際に殺害した男と対面しながらも、全く動じないイタチは異常だった。だが、その認識は間違っていない。イタチこと桐ヶ谷和人の中身は、凄絶な忍時代を生きた、うちはイタチなのだ。この世界に生きる人間との間に発生する認識の齟齬は、避け得ないものだった。

だが、等のイタチ自身は、それを理解しつつも気にした様子は全く無い。今はただ、依頼を遂行するために本選出場を目指すことだけを考えていた。譬え次の対戦相手にあの男が出てきたとしても、イタチが剣を鈍らせることなど有り得ず……感情が乱されることすら無い。

うちはイタチとして生きていた、前世の忍界においては、因縁ある相手と戦場で相対することは珍しくはない。尤も、暗部や暁に所属していたうちはイタチの場合は、大概の相手はほぼ確実に初見で倒していたため、再戦に臨むケースは稀だった。少数の例外としては、弟のサスケや、そのライバルであるうずまきナルト、その師であるはたけカカシが挙げられる。いずれも、イタチと同じく写輪眼を持っていたり、強力な尾獣を宿す人柱力であったりと、かなり特殊な事情を持つ忍である。

だが、今回SAO以来の因縁のもと再戦に臨むこととなった死銃ことあのぼろマントの男に関しては、例外である。討伐戦と称しながらも、敵の命を奪わないよう配慮した戦いだった故に、こうして再戦する羽目になっているのだ。故に、単純な戦闘能力だけならば、前世で出会った強豪達程の脅威にはなり得ない。警戒すべきは、その背後にいる大物の黒幕である。

 

(地獄の傀儡師、スカーレット・ローゼス……いや、高遠遙一。今度こそ、必ず決着を着ける)

 

次の予選試合が開始されるまでの一分間の中で、イタチはこの戦いで打ち倒すべき真の敵を改めて見据えていた。そして、自身がかつて戦った殺人者達との戦いに再度身を投じる覚悟を新たに……しかし、その感情は揺れ動くこと無く凪いだまま、次の試合へとイタチは臨んでいくのだった――――

 

 

 

 

 

 

 

 闇夜に覆われた空の下に聳え立つ廃墟の中を、シノンは駆け抜けていた。その手には、愛銃のウルティマラティオ・ヘカートⅡを構えている。狙撃手の必勝法は、最大の武器たる長距離射撃の能力を活かすために、敵の動きを予測して狙撃位置を先に確保し、認識外の距離から一撃で仕留める方法にある。そのため、試合開始から大分時間が経過している現在、シノンがここまで駆け回っていることは、常ならば有り得ない。故にこの現状は、彼女にとっての緊急事態が起こっていることを示している。

 

(抜かった……まさか、先手を取られるなんて…………)

 

 シノンは現在、対戦相手のプレイヤーに追われていた。対戦相手の名前は、『ケビン』。狙撃手としての必勝法に準じて、狙撃に適したポイントの確保に向かったのだが……見事に裏をかかれた。『バイオハザード・ラボ』と称されるこのフィールドを照らす光源は、廃墟たる研究施設の中にある半壊した照明と、僅かな月灯りのみ。シノンはこの暗闇に包まれたステージを、狙撃に適した高所を目指して移動する途中で、襲撃を受けたのだ。相手の行動を予測して動くのが狙撃手の戦いだが、その対抗策として逆に行動を読まれる場合もあるのだ。今回のシノンがまさにそれで、ポジション取りに選択した移動ルートを逆に暴かれた結果が現在の状況である。

何故、ここに至ってこのようなミスを犯してしまったのか。考えても詮無きことだが、理由としては予選四回戦目だったということが大きい。この戦いに勝てば、決勝進出と共に本戦進出が決定する。高を括っていたつもりは無かったが、心のどこかで油断していなかったとは断言できない。或いは、自分が出場しているFブロックにおいて、確実に決勝進出すると思われていたプレイヤーを意識し過ぎていたことが原因かもしれない。

 

(他人の所為にしてる場合じゃないわね……っと!)

 

 今は何より、目の前の敵を排除することが最優先である。シノンは背後から迫る敵にどう対処したものかと思考を巡らせる。だが次の瞬間、シノンの視界の端を赤い光の線が通り抜けた。GGOにおいて、銃弾が通過する軌道を示す、弾道予測線である。しかも、一本だけではない。

 

「ふっ!」

 

 視界の端に映った数本の弾道予測線を視認するや、素早く右方向へ跳んで、迫る弾幕から逃れんとする。直撃は回避できたものの、数発が肩や足を掠り、HPゲージを削った。地面を転がったシノンは、起き上がると同時に狙撃銃の銃口を、予測線が走った方向へと向ける。途端、微かな足音が遠ざかった。

 

(攻め方が慎重なお陰で、致命的な攻撃は貰っていないけれど……埒が明かないわね)

 

一度に複数の弾丸が発せられる銃火器――短機関銃IMIマイクロUZI(ウージー)である。9ミリパラベラム弾を、毎分1250発の連射速度で繰り出すこの武器は、現実世界においては小型化・軽量化の末に、現実世界においては機関拳銃のカテゴリーに入るとさえ言われている。速射と連射に優れ、しかも携帯に優れた武装である。加えて、この暗闇の中で正確な射撃をしてきていることからして、暗視スコープを装備していることは間違いない。

レベルについてはシノンとほぼ互角だが、ステータスは明らかに敏捷特化型である。シノンの居場所を戦闘開始から然程間を置かず突き止めたことや、UZIをはじめ軽量型の武装を中心に使っていることからしても、これは間違いない。

 

(しかも、かなり強い……相当戦闘慣れしてる……まるで油断した様子が見られない)

 

 先程からシノンに攻撃を仕掛けているケビンだが、その動きからは、主武装であるヘカートの威力を警戒している意思が読み取れた。狙撃銃の弾丸は、譬え予測線が見えたとしても、至近距離で発射されれば、間違いなく回避が間に合わない。シノンの使うヘカートともなれば、弾速は言うに及ばず、直撃すれば即死は免れない威力である。

ケビンは、文字通りの意味で、一発逆転の弾丸が放たれることを警戒しているのだ。暗闇の中、暗視スコープのアドバンテージを得ているにも関わらず、付かず離れずの距離を維持して攻撃を仕掛けていることからして、これは間違いない。

尤も、シノンも、月明かりや照明等の、光がある場所へとケビンを誘導する、マズルフラッシュを発生させる等して、その姿や輪郭を捉え続けることで、認識情報のリセットを防いでいた。加えて、認識情報は、弾道予測線をはじめ、プレイヤーのアバターや武装の視覚情報以外にも、足音や臭いといった他の五感情報も有効である。ケビンの方も、暗視スコープの装着によって視界が狭まっていることもあり、あまり距離を開けることができない。結論として、ケビンは現状のアドバンテージを維持する代償として、認識情報を与えたままの戦闘続行を余儀なくされていたのだった。

 

(ホールでは武器を見せびらかしているお調子者ばかりだと思っていたけど、とんだ曲者がいたものね)

 

 BoB上位常連の闇風や、死剣ことイタチ程ではないが、強敵には違いない。狙撃手の懐に飛び込んで尚、付け入る隙を一切見せない。先手を取られて奇襲を受けたにも関わらず、シノンがヘカートを離さなかったのは、一気にHP全損に持って行かれなかったことと併せて不幸中の幸いとしか言いようが無かった。

 

(さて、どうしたものか……)

 

 敵が背後にいることは間違いないが、正確な居場所が掴めない。それに対し、相手はこの暗闇の中でも自分の居場所と動作を把握出来るのだ。このままいけば、負けることは間違いない。この、敗北することが間違いない圧倒的不利な状況を逆転する術といえば、ヘカートの対物弾を直撃させるくらいだろうか。

 

(狭い場所に誘導して……駄目。絶対に悟られる。なら、避けられないくらいの位置から……)

 

 ヘカートの弾丸を確実に撃ち込める状況を作る方法について思案するが、有効な策がまるで浮かばない。用心深い敵プレイヤーを相手に、並大抵の方法が通用するとは思えない。何か、相手の裏を突くような、セオリーに囚われない攻撃が必要なのだ。

 

(死剣……こんな時、あなたならどうするのかしらね)

 

 追い詰められたこの状況下で頭に浮かぶのは、このトーナメントの決勝で再戦を誓った相手。死剣の異名を持つ光剣使い、イタチである。光剣という、GGOにおいてマイナーな武器を使った、型破りな戦術で、銃器相手にまるで臆することなく無双する、あのプレイヤーならば、この程度の状況は簡単に覆せるだろう。

 

(そう……そうよね。私は、あの人みたいに強くなるために戦っているんだから……)

 

 死剣と肩を並べられるだけの強さを身に付けようというのならば、この程度の状況を打破できなくてどうする。そう思い、心中で自分を強く叱咤したシノンは、決意を新たに駆け出した。

 

(反撃のチャンスが無いのなら、作るまで!)

 

 時折背後から伸びる弾道予測線と、それに追随して迫る弾丸を回避しながら走るシノンの向かう先は、一階のとある部屋。戦闘開始とともに、階段入口に設置されていたフロアマップを見て知った場所である。

 

(あそこ!まずは……)

 

扉を視認するや、サイドアームのグロック18Cをホルスターから引き抜き、扉に向かって五発ほど銃弾を連射する。扉に備え付けられたガラスと鍵が破壊され、すぐさま扉を開く。室内を一通り見回し、月明かりのみが照らす窓の外に目的の物があることを確認すると、すぐさま奥へと駆け出していく。そして、障害物たる大型の実験用の耐熱・耐薬品性の大型デスクが並ぶ中を走り、奥側の壁へと辿り着いて間も無く。シノンが部屋へと入ってきた扉から、微かな足音が聞こえてきた。

 

(来た……ここまでは、狙い通り!)

 

 追い詰められたこの状況で、半ば以上博打で立てた作戦だったが、相手は上手く乗ってくれたようだ。窓の外に僅かな灯りがあるとはいえ、室内は薄暗く、肉眼で互いの居場所を探るのは難しい。だが、ケビンに関しては暗視スコープを装備しているのだから、関係無い。愛銃のヘカートを近くのデスクの上へと置くと、先程引き抜いたグロック18Cを再度構える。

 グロック18Cは、トリガーを引き続ける限り、弾倉内の弾薬が尽きるまで撃ち続けられるフルオート機能を搭載した拳銃である。対戦相手のケビンは、戦場をこの場所へ移したシノンの意図を、狭所での銃撃戦に持ち込むことで、弾丸の命中率を上げようとしているのだと推測しているだろう。手に持つ武器を、一撃必中の狙撃銃から、連射が可能な拳銃に持ち替えたことからも、そう考えていることは間違いない。

 

(多分、向こうは認識情報がリセットされるまで、教室には踏み込まずに、こっちの様子を窺う……)

 

扉を開く際に、窓ガラスを破壊して破片を床に散らばらせたのは、室内へ踏み込む際の音で、進入を察知できるようにすることが目的なのだ。だが、切れ者のケビンならば恐らく、その意図も見抜いていることだろう。だが、それもシノンにとっては計算の内。そうして、シノンの目論見通りに、暗闇に包まれた室内の然程遠くない距離で膠着状態が続くことしばらく。遂に、認識情報がリセットされる制限時間、六十秒が経過した。

 

(今!)

 

 認識情報が完全にリセットされたことを確認するや、シノンは室内全体に向けて銃を乱射した。装填されている残弾二十七発全てを、目に見える範囲全てに撃ち込む。壁に、扉に、デスクに、床に、薬品棚に、窓ガラスに……

 室内に存在する、ありとあらゆるオブジェクトに対して銃弾を撃ち込んでいく。傍から見れば、微塵の戦略性も無い、完全に破れかぶれな行動である。

 

「…………」

 

 そして、拳銃の弾丸を連射することしばらく。シノンの拳銃は、引き金をいくら引いても弾丸が発射されなくなった。遂に弾切れを起こしたのだ。そして、その瞬間、今度はケビンが動き出した。

 地面に散らばったガラス片を踏みつける音と共に、室内へと進入してくる。未だ朧げながら、暗闇の中にいた先程までよりは、像がはっきりしている。丸刈りの坊主頭で、身に纏う戦闘服は緑のミリタリースーツ。防弾チョッキは着込んでいるものの、かなりの軽装である。所持している武装は、右手に持つUZIと、左手に持つ拳銃。はっきりとは見えなかったが、形からして恐らくはジグザウエルP228だろう。現実世界では、コンパクトかつ装弾数が多いことから、警察などの法執行機関で多数採用されている自動拳銃である。

恐らく、グロックが弾切れになったことを好機と見て、一気に決着を着けるために踏み込んできたのだろう。この狭い室内空間では、グロックの弾薬装填は間に合わない。ヘカートとて、机の上から持ち上げて構える暇は無く、反動の大きい対物ライフルでは碌に狙いも付けられない。唯一の懸念事項はプラズマグレネードの投擲による反撃がネックだが、この閉鎖空間で使えば自分も巻き添えになりかねない。結論として、銃器を使用されるまえに弾幕を食らわせてしまえれば、勝負を着けることができるのだ。

 

「貰った!」

 

 この戦いの中で、初めて口を開いたケビンから発せられた言葉は、勝利の確信。シノンを追い詰めたと信じて疑わない様子だった。それを見たシノンは、

 

(貰ったのは……)

 

 腰に装備していたプラズマグレネードを外し、先程の銃の乱射でガラスが砕けた窓の外へと投げつけた。

 

(こっちよ!)

 

「!?」

 

 対戦相手であるシノンが起こした突拍子も無い行動に、ケビンは理解が及ばず、驚愕の表情を浮かべていた。スコープで隠れて分からないが、恐らく大きく見開いていることだろう。自分を巻き添えに敵を爆殺するための最終兵器たるプラズマグレネードを、外へ向かって投げつけたのだ。先程の銃の乱射といい、全く意味が分からない……ケビンがそう思った時だった。

 

「んなぁっ!?」

 

 プラズマグレネードの炸裂とともに、室内へと白い煙が猛烈な勢いで流入してきたのだ。流入元は、シノンがプラズマグレネードを投擲した窓の向こう側である。

 

「ぐっ……ドライアイス……いや、液体窒素だと!?まさか……!」

 

 シノンとケビンが戦っているフィールドは、廃墟化した化学薬品研究施設である。その敷地内には、劇薬や可燃性のアルコール類を保管していた倉庫が、中身がそのままの状態で残っているのだ。そして、その中には液体窒素を保管するためのタンクもまた存在している。

 

(まさか……最初からこれが狙いだったってのか!?)

 

 液体窒素のタンクが窓の外に接している部屋を戦場に選んだのも、サイドアームのグロックを撃ち尽くして付け入る隙を作ったのも、全てシノンの手の平の上だったのだ。姿を現さない用心深い敵が、勝利を確信して勝負に出るシチュエーションを装い……いざ、相手が行動に移したところで、それを打ち消す罠を発動させる。

 

「うぉぉぉおおお!!」

 

「なっ!」

 

 そして、罠に足を取られて動けなくなったところで、今度はシノンが勝負に出る。とは言っても、得意のヘカートによる狙撃は、支持状態からの射撃が基本である。直立状態での射撃は、反動で狙いがぶれる。至近距離であってもそれは変わらない。ましてや、液体窒素によって発生した霧が視界を不鮮明にしている。結論から言えば、外れる可能性の方が高いのだ。そこで、シノンが取った行動とは……

 

「りゃぁあ!」

 

 愛銃であるヘカートの銃身を握り、あらん限りの力を込めて振り回したのだ。長さ1380 mm、重さ14キロの金属塊である。現実世界においては、撲殺用の凶器として十分だが、ゲーム内では大したダメージを与えることはできない。だが、頭部に直撃させられたならば、衝撃で平衡感覚を眩ませるくらいはできる。ましてや、対物ライフルを持ち運ぶために鍛えたシノンの筋力パラメータでこれを繰り出すのだ。

 

「ぐごっ……!」

 

果たして、シノンが放った渾身の一撃は、ケビンの頭部に見事命中。衝撃でバランス感覚を崩すに止まらず、装備していた暗視スコープまでもが、バキリという音を立てて破壊された。

 

「こ、の……!」

 

「させ、ない!」

 

 予想外の攻撃に狼狽したケビンだが、暗視スコープが破壊されて完全に視界が閉ざされた状況の中、すぐに反撃に移るべく、右手に持ったUZIの乱射を試みる。だが、引き金に手を掛けるより早く、シノンが返す形で再度繰り出したヘカートのスイングによって手を撃ち据えられ、叩き落とされてしまった。

 

「しまっ……!」

 

 さらに狼狽し、完全に浮足立つケビン。そこには、シノンを追い詰めた切れ者プレイヤーの面影は全く無かった。そして、完全に無防備を晒した、仕留めるには絶好の機会を逃すシノンではない。

 

「これでっ……」

 

 再度構え直したヘカートを槍のように構え、銃口という名の切っ先を、ケビンの鳩尾へと突き込む。バランスを崩して倒れるケビンの腹部へと、刺し穿つ勢いでヘカートを固定したまま、右手を引き金へと動かす。

 

「終わり(ジ・エンド)よ!」

 

 銃口を完全に密着させた状態での射撃を避ける術など、ありはしない。しかも、ケビンの腹部へと放たれたのは、対物弾。土嚢や壁を貫く威力を秘めた、強靭無比な弾丸である。それを、至近距離で食らってしまったならば、即死は免れない――――

 

「あがっ………は!」

 

 被弾したケビンは、言葉を発することすらできず、息絶えていた。鳩尾部分が吹き飛ばされ、上半身と下半身が泣き別れになっている。HPは当然のことながら、残っている筈が無い。

やがて、敵の致死と同時に、頭上に照射を示すパネルが現れる。それを確認すると、シノンはようやく自分がこの窮地を乗り切り、予選ブロックの決勝へ進出したことを実感し、意図の切れた人形の如く、その場に崩れ落ちるのだった。

 

 

 

 予選の相手にしてはかなり強力な敵を相手に勝利を収め、待機場所のホールへと転送されたシノン。だが、BoB予選トーナメント参加者には、まともに休む暇などありはしない。次の対戦相手が決まり次第、随時対戦フィールドへと転送されるのだ。

ホールの上に展開されているパネルの中から、次の対戦相手が決まる戦いが繰り広げられている映像を探す。いずれのブロックも決勝が間近である以上、戦闘を映すパネルは少なく……目的の対戦カードを見つけるのは、難しくはなかった。

 

(次の対戦相手は……やっぱり!)

 

 シノンの視線の先にあるモニターに映し出されていたのは、ちょうど対戦が決着するところだった。対戦カードの二人は、両方ともシノンにとって見知ったプレイヤーである。モニターの向こうでアサルトライフルを乱射している男は、かつてシノンが所属していたスコードロンのリーダー、ダイン。そして、アサルトライフルから繰り出される精密な連射を、正面か叩き伏せながら突き進むのは、『死剣(デス・ソード)』の二つ名をもつ光剣使い、イタチである。

 

『こ、のぉぉおっ!』

 

 放たれる弾丸の悉くを斬り捨てられ、苛立ちを露に叫ぶダイン。だが、そんなものでイタチが怯む筈などなく……一気に懐へ入られた。

 

『がぁぁあああっっ……!!』

 

 横薙ぎで放たれる光剣の一閃をもって、ダインの腹を両断する。さらに、返す刃で背中を袈裟斬りにする。赤い光の軌跡を残しながら振るわれた二撃により、ダインのアバターは三つ切りにされる。HPは当然残っている筈もなく、イタチの勝者宣言の表示が然程間を置かず空中に浮かんだ。

 

(やっぱり、生き残ったのはあなただったのね……)

 

 GGO最強を決める大会たるBoBだが、次にシノンがぶつかる相手は、闇風を倒した猛者を超える猛者である。詰まるところ、シノンが知る限りでは現段階におけるBoB優勝候補なのだ。

BoBへ出場する以上、前大会で敗退した雪辱を晴らすために優勝を目指していたシノン。だが、この戦いに勝つことができたならば、この世界に来た目的全てを果たすことができる。このゲームをプレイしてきた中で、絶対的な強者と呼べる存在……これを倒し、乗り越えることができたならば、確かな強さを手に入れることができる。

 

(勝負よ…………死剣!)

 

 対戦相手たるイタチがホールへ戻ってきてからの、僅かなインターバルが経過したことにも気付かずに……シノンは決意を固め、再びの戦場へ降り立つのだった――――

 



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第八十七話 絶海の剣士

 

(くっ……まさか、このワシがここまで追い込まれるとは!)

 

第三回BoB予選Dブロック第四試合。戦場となっているのは、いくつもの高層ビルが立ち並ぶ市街地――暗黒摩天楼と呼ばれているステージである。そのビルの一角にて、大会参加プレイヤーの一人であるカンキチは、太腿をダメージエフェクトの赤色に染めながら、呼吸を整えていた。

本来、仮想の肉体であるアバターは、生身の身体のように息切れを起こすことは無い。カンキチが現実世界の肉体でそうしているように、呼吸を荒くしているのは、一方的に追い詰められている現在の戦況が原因だった。

 

(クソッ……なんつー腕してやがるんだ!あそこからここまで、七百ヤードはあるぞ!)

 

今現在、カンキチは遠方のビルの屋上に居るであろう、対戦相手の狙撃に苦戦していた。対戦開始から、先手を取られて狙撃を受け、反撃を仕掛けるべくその姿を追ってフィールドを走り回るも、その姿を捉えることはできず、時間が過ぎるばかり。それどころか、思いもよらない方向からの狙撃による奇襲を受けてダメージが蓄積するばかり。まるで、思考を先読みされているかの如き立ち回る強敵に、カンキチは手も足も出ずにいた。

 

(だが、やるしかない……今回の大会、ワシは必ず本選に出場せねばならんのだ!)

 

このゲームにログインして以来、金儲けと遊びだけを考えてプレイしてきたカンキチだが、今回は事情が異なる。カンキチは今、彼のリアルである警察官・両津勘吉としての重みを背負ってこの大会に臨んでいるのだ。

かつて彼も巻き込まれていた、SAO事件に端を発する血の因縁に決着を着けるため。そして、それを成し遂げるために共闘することを誓った、同じくこの大会に参加している仲間を助けるためにも、今ここで敗れるわけにはいかない。そう自身に言い聞かせ、カンキチは柄にもなく警察官としての使命感を胸に、GGOプレイヤーとしての全力をもって、目の前に立ちはだかる強敵の攻略に乗り出していく。

 

(こっちの武装はアサルトライフル……なら、ワシの行動を先読みする奴の行動を、さらにワシが先読みして出し抜くのみだ!)

 

狙撃を得手とする対戦相手を仕留めるには、近接戦闘に持ち込むしかない。そう考えたカンキチは、敵の狙撃位置から死角となる場所を歩き続ける。それと同時に、狙撃手が自身を仕留めるために回り込んでいるであろうポイントを割り出すべく、対戦開始とともに予めチェックしていた建築物に思考を走らせる。

現実世界では、同僚とともにサバイバルゲームを嗜み、仮想世界の戦闘においては抽んでた適性を発揮してきたカンキチである。規格外の狙撃スキルを持っていたとしても、現実・仮想世界で鍛えた経験をフルに活かせば、勝ちを拾える可能性は十分にあるのだ。

 

(ここ、だな……!)

 

そうして、敵の動向を探りながら移動することしばらく。遂に、カンキチは敵の狙撃手が張っているであろうビルの屋上にある、狙撃ポイントへと到達した。

ここに至るまで、カンキチは相手の心理を逆手に取ったルートを幾重にも取ってきた。目の前にある屋上へと通じる扉を隔てた先では、対戦相手の狙撃手が、地上をスコープで覗いて自分を探していることだろう。その確信が、カンキチにはあった。

 

(中々苦戦させてくれたが、ここまでだな。接近戦に持ち込めば、ワシの勝ちだ!)

 

自身の勝利を揺るぎないものと確信し、アサルトライフルを構え、突撃の姿勢を取る。そして、屋上へと通じる扉を蹴り壊し、突入した。だが――――

 

「い、いないだとっ!?」

 

必勝を期して、息巻いて扉を蹴破って突入したカンキチだったが、ここに居るべき筈の敵の存在がどこにも見当たらなかった。一体、どこに隠れたのかと視線と銃口を周囲に向けるも、目標を視界に捉えることはできなかった。

 

「まさか……っ!」

 

ここに居る筈の敵の姿が無いことに、冷や汗を流すカンキチ。そしてその嫌な予感は、想像通りの形で的中した。

 

「がはぁっ!」

 

屋上に立つカンキチを襲う、頭部への強い衝撃。それと同時に、カンキチの操るアバターは地面へと崩れ落ちた。

 

(このワシが、手玉に取られた……だとっ!?)

 

意図の切れた操り人形のように倒れていくカンキチが見つめる先に立つビル。その屋上には、月灯りの光を反射して煌めく何かがあった。そして、視界の端には、何らかのダメージによって完全に削り取られて尽きたHPゲージが見えていた。

カンキチの顔の眉間と、その真後ろに相当する後頭部に刻まれた、赤いダメージエフェクトが迸っている。それは、カンキチを敗北に追いやったダメージの正体が、狙撃によるものであることを顕著に物語っていた…………

 

 

 

BoB上位常連で、ゼクシードや闇風に次ぐ実力者として知られたプレイヤー、カンキチ。しかし彼は、予選でぶつかった対戦相手との激しい心理戦の果てに、敗北を喫することとなった。

 

「日本のプレイヤーにも、中々出来る奴はいるものだな……」

 

誰もが予測しなかった、強豪プレイヤーであるカンキチの敗北。それをやってのけた狙撃手は、スコープ越しにポリゴン片へと爆散するアバターを眺めながら、そう呟いた。

 

(死銃とやらが出てくるのは、本選で間違いなさそうだな。そして、彼等が信頼しているという心強い助っ人も、きっと上ってくる筈……)

 

心中で、この大会の中でこれから対決するであろう強豪達との立ち合いを想像し、男は僅かに口角を上げた。だがそれと同時に、そう考えること自体が不謹慎だと感じた。なにせ今、自分がこの世界に来ているのは“仕事”であり、しかも人の生き死にが掛かっているのだ。楽しみを覚えるなど、言語道断だろう。

 

(この世界で俺が為すべきは、現実世界と同じ。ただ、標的を撃ち抜くのみだ……)

 

だからこそ、男は自身がこれから為すべきことを心中で再度呟いた。同時に、頭のスイッチを切り替え、再度仕事に臨む者としての姿勢を取り戻し、次の戦いへと思考を走らせていく。全ては、自身に与えられた仕事を全うするため…………

 

 

 

これが、Fブロック決勝戦の、イタチとシノンの対戦カードが決定した数分前の出来事だった。

 

 

 

 潮風が吹き荒ぶ、雲一つ無い快晴の空の下に、イタチは立っていた。遠くから寄せては返す波の音が聞こえているが、そこは海ではなかった。イタチの周囲には、廃棄されて風化しながらも、一応の原形を留めた乗用車がいくつも転がっている。地面には、掠れたり汚れたりした白や黄色の線が等間隔に引かれていた。

 

(海上に設けられた鉄橋の残骸……か)

 

 Fブロック決勝の『イタチVSシノン』の対戦カードに用意されたバトルフィールドの名前は、『絶海の廃橋』。地球滅亡前に建設された、海を介して隔てられた大陸同士を繋げるために設けられた吊り橋の残骸である。GGOの世界は、最終戦争後の地球が舞台であり、イタチが今立っている橋が廃橋と呼ばれる程に損傷が激しく、風化しているのも、戦争の余波によるものなのだろう。

 

(幅は、ざっと見積もって百メートル。奥行きは……大凡五百メートルといったところか)

 

 詰まるところ、細長い単純なマップなのだ。橋の外へ出ることに関しては、システム的に制限されてはいない。だが、水面からの橋桁までの高さは五十メートルを超える。落ちればまず、即死は免れない。

 

(マップの構造上、敵は橋の向こう側にいることは間違いない……か)

 

 百メートルの幅があるとはいえ、直線状のマップである。直進すれば、まず間違いなく鉢合わせする。そうでなくとも、試合である以上は接敵する必要があるのは間違いない。光剣使いのイタチならば、尚更である。結局のところ、イタチは対戦相手がいる場所目指して真っ直ぐ歩くほか無いのだ。

 

(シノン……か)

 

 今回対戦する相手――シノンのことは、イタチも知っていた。初めて遭遇したのは、スコードロン狩りの場面。先手を仕掛けたのは、シノン。千五百メートルもの距離から繰り出された、対物ライフルによる、必殺級の奇襲……それをイタチは、光剣の一振りで真正面から叩き伏せたのだ。

その後は、スコードロンの仲間達が全滅するや、得意の狙撃を捨てて接近戦を仕掛けてきたのだが……その得物はなんと、イタチと同じ『光剣』。狙撃兵には有り得ない得物を手に出てきた上に、その扱いも妙に堂に入っており、過去に戦ったプレイヤーの中でも、イタチの中で一際強く印象に残っていた。そしてその後、奇しくも首都グロッケンにて偶然にも再会したのだ。備え付けられたゲームを回ってハイスコアを出し続けていたイタチを、何故か尾行していたシノンを待ち伏せして対面。用件を問い質した。そして、出てきたのは「イタチの強さの理由を知るため」という答えだった。

スコードロン狩りの戦いの中で受けた、正確かつ強靭無比な狙撃と、近接戦で振るわれた光剣の斬撃。その中に、強さを求めて戦いに臨む強靭な意思と、その一方で酷く脆弱な精神を垣間見たイタチには、シノンが何故自分の強さに執着していたのか……その理由を、何となく悟っていた。

 

(お前は、俺が強いと言ったが……それは、見当違いだ)

 

 前世のうちはイタチは、うちは一族の血継限界の頂点たる万華鏡写輪眼を開眼した、間違いなく強力な忍だった。だが、それは単純に戦闘能力が高いというだけである。その力故に、何でも一人でできると全てを抱え込んだ末に数々の失敗を重ねたというのが、イタチの前世がある。強大な力を持つ忍だったイタチでも、手も足も出なかった、儘ならなかったことは多々あったのだ。

その最たるものは、弟のサスケだろう。二度目の生を受けて蘇った際に、サスケのことはその親友たるナルトに任せたのだが、本来自分が対処すべきことだったのには間違いない。そんな経緯故に、イタチは思う。戦うためだけの力では無い、ナルトが持っていたような“別の力”があったならば、多くを変えられたのではないか、と……

 

(今更考えても詮無きことだがな……)

 

 前世のことをあれやこれやと考えたところで、何が覆るわけでもない。十年以上前に忍界に置いてきた後悔について考えることは度々あるが、その行為には全く以て意味が無い。隔絶された異世界に、魂のみで来てしまったのだから、そんなことに思考を割くのは暗愚に等しいのだ。

そして、戻れる筈も無い世界よりも、今集中すべきは目先の戦い――その対戦相手たるシノンである。実力自体は高いものの、イタチを脅かす程ではない。だが、強さへの執着は他のGGOプレイヤーの比ではない。何をしでかすか分からないという点では、闇風をも凌ぎ得るFブロック中最大の危険人物と呼べる。

 

(お前がこの世界で如何に強くなろうが、所詮それはこの世界での強さに過ぎん。それに……強くなる目的を見失い、闇雲に戦い続けていけば……いずれは死銃のようになるぞ)

 

 強くなりたい――その一心で戦うシノンの姿には、手段と目的とが逆転している……そんな危うさを感じていた。意思というものは、強ければ強い程暴走しやすく、目的を見失って……終いには、守りたかったものすら傷つけてしまうことすらあるのだ。前世の忍時代に、そんな人が心に持つ闇の部分を散々見てきたイタチには、それがよく分かっていた。そして、だからこそ、これから戦う相手であるにも関わらず、その行く末を案じずにはいられなかったのだった。

 

 

 

 バトルフィールドへ飛ばされてから、一本道となっている橋の上を歩くことしばらく。フィールドの半分以上を踏破したにも関わらず、イタチに対してシノンからの狙撃が放たれる気配はまるで無かった。

 

(後退したことは確実だが……一体、何を考えている?)

 

不気味な程に静かな橋の上、ど真ん中を歩くイタチは、しかし視界全体に対して細心の注意を払いながら進んでいた。対物ライフルを持つシノンを相手に、物影に隠れる行為は無意味に等しい。故にイタチが取った行動は、銃弾が如何なる形で飛来したとしても、迎撃と回避の両方で対応できる、両サイドに開けた場所を歩くことだった。

 

(向こうも、正攻法の狙撃が通用するとは思っていない筈。直接的な狙撃以外の方法で勝負に臨むのならば……)

 

 未だ姿を見せず、虎視眈々と勝機を窺っているであろうシノンの出方について思考を走らせるイタチ。ゆっくりと、確実に距離を縮めてシノンを追い詰めているように見えるが、どのような手段で仕掛けてくるか分からない以上、イタチの行為自体がシノンによる誘導という可能性もある。一体、何が待ち構えているのか……まるで手の内が読めない敵の意図について考えながらさらに歩くことしばらく。イタチの目の前に、ある障害物が現れた。

 

(タンクローリーか……)

 

 イタチの目の前に転がり、進路を一部塞いでいるオブジェクト。長大な銀色のタンクを積載した車両――タンクローリーである。橋の真ん中を、横転した状態で転がっているそれは、車線に対してほぼ平行な位置取りで道路を二分していた。

 

(狙撃で爆破されれば、大ダメージは避けられん。それに、吹き飛ばされて落下すれば、一巻の終わり……厄介だな)

 

 タンクローリーとは、一般的に石油やガスといった可燃性物質や危険薬物等を運搬する際に用いられる。イタチの目の前にあるそれは、外装がところどころ風化して鍍金が禿げている部分があるものの、内容物が漏れだしている様子は無い。つまり、外から手を加えれば爆発炎上する危険なオブジェクトなのだ。

 しかも、シノンの対物狙撃銃の射程は一キロを超える。ここまで歩いて遭遇しなかったのも、イタチがここを通ることを見越して目一杯後方へ退避してタンクローリーを狙撃する道を選んだ可能性が高くなった。

 

(しかも、場所が悪過ぎる。周り道もできんとは……)

 

 タンクローリーがあるのは道路の中央部。そこが危険ならば、隅を通れば良いと考えるが、そうはいかない。タンクローリーの転がっている地点よりイタチから見て左側の車線は、イタチの立っているあたりから三十メートル強の長さがごっそり崩落して真下の海や橋の支柱が覗いている。

ならば右側はと視線を向ければ、完全に崩落こそしていないものの、至る場所に穴が開いており、風化・腐敗も激しい。爆破など起これば連鎖的に崩落することは確実だった。

通過するとなると、タンクローリーの爆破による落下のリスクは避け得ない。イタチの考える通り、今回は場所が悪過ぎた。

 

(不可避のリスクが待ち受けるこの場所で、必ず奴は動き出す。だが、ここで立ち往生したとしても、徒に時間が経過するだけ……ならば)

 

 敵に接近する上では、どの道リスクは避けられない。加えて、相手が狙撃手である以上、こちらが思い通りに動かなければ、梃子でも動くまい。そう考えたイタチは、敢えて罠が待ち受けているであろう目の前のタンクローリーの転がる場所へ踏み込んでいくことにした。

 

(索敵に反応は無い。狙撃するとすれば、タンクローリーの死角か、或いは橋の向こう側だが……)

 

 タンクローリーの爆破を警戒しながら歩くイタチは、シノンの居場所を探るべく間隔を研ぎ澄ませていた。先手として、長距離から狙撃が放たれると予め分かっているならば、イタチにとって対処は難しくない。周囲の地形やオブジェクトの情報をもとに、自分の立ち位置を狙撃するのに適した場所を割り出して警戒。弾道を予測して光剣で叩き落とせば、迎撃はできる。シノンと初めて遭遇した際に初撃の長距離狙撃を迎撃できた理由も、交戦前にシノンや彼女が属していたスコードロンについての情報を事前に入手していたことが大きい。ちなみに、情報元は協力者であるカンキチとボルボの二人である。

しかしそれは、口で言う程簡単なことではない。弾丸を弾くには、弾速……即ち音速で飛来する物体を見極める動体視力が必要とされる。加えて、コンクリートすら粉砕する程の威力を秘めた対物弾である。防御するには、うちはイタチとして忍界大戦を経験した前世と、弾丸をはじめあらゆるオブジェクトを切り裂く光剣があってこそ為せる、文字通りの“離れ業”なのだ。

 

(だが、今回はまるで殺気が感じられん…………奴は、どこだ?)

 

 イタチを狙撃することができると考えられる、前方の橋の向こうにある廃車系オブジェクトの中や、その物影に注意を払うも、殺気の類は一切感じられない。タンクローリーによって遮られている向こう側についても、警戒をしてはいるものの気配は全く無い。本当の橋の上にいるのか、とすら疑問に思いつつも歩みを続ける。そうして、タンクローリーの傍の、風化によって足場が脆くなっている部分をゆっくり歩き、タンクローリーの半分程の地点に差し掛かった。周り道をして、しかも細心の注意を払いながら歩いているため、踏み込んでから一時間以上が経過したかのように感じるイタチだが、実際には五分と経っていない。不気味なほどに静かな狙撃手の居場所を探りながら動くことしばらく。遂に、波の音ばかりが響いていたフィールドの静寂を一瞬にして破壊する事態が起こる。

 

カチリ……

 

「!」

 

 小波の音に紛れて聞こえた、金属音。気のせい、と言ってしまえばそれまでだが、その微かな音の中にイタチは確かに感じた。自分へ向けられる強烈な殺意と――――そして、身に降りかかる危険を。

 迫りくる“何か”を察知したイタチの動きは、速かった。道路の隅へと真っ直ぐ疾走。道路の向こう目掛けて一気に跳躍した。途端に聞こえたのは、銃声――

 

「ぐぅっ……!!」

 

 そして、タンクローリーから発生する、白い閃光。さらに、続け様に発生する、赤い奔流。それを横目で視認した途端、イタチの身体は衝撃に吹き飛ばされた。若干の呻き声を上げたイタチだが、このまま黙って海へと落下するつもりは毛頭無かった。爆発で吹き飛ばれる最中、道路の隅に備え付けられたガードレールの支柱目掛けて、左手の手首に仕込んでいた物を投擲する。支柱に巻き付き、空中に投げだされたイタチの身体を辛うじて橋へと繋ぎ止めたソレは、強靭な軍用ワイヤーである。

 タンクローリーの爆破を察知し、寸でのところで投げたワイヤーによって、海への落下を免れたイタチの身体は、衝撃に吹き飛ばされて海の上で静止した後、重力に従って落下する。だが、イタチに振りかかる危機はそれで終わらない。

 

「チッ……!」

 

 目の前の光景に対し、舌打ちするイタチ。爆発の余波によって、風化していた橋が崩れ始めたのだ。ワイヤーに引っ張られ、振り子のように橋の下へと身を投げ出されているイタチは、その意思とは無関係に落下する瓦礫の群れへと突っ込んでいく。橋の崩壊は広く及んでいる。当然ながら、回避など不可能である。

 

(突っ切るしかない……か!)

 

 正面突破。それ以外の方法が無いと悟ったイタチの行動は、やはり速かった。ベルトのカラビナに繋げられた光剣を、空いた右手に握る。そして、ワイヤーが水面と垂直になる、最も勢いが付くポイントで、手を離した。

 

「おぉぉおおお!!」

 

 海面へと落下していく瓦礫群にその身を投げ出したイタチは、目の前を落下中の瓦礫を、光剣の一太刀で縦に両断。分断された瓦礫の内、右側の瓦礫を足場に見立てて上へと跳躍。その後は、同様に進路を塞ぐ瓦礫を斬り捨て、瓦礫の群れを突破していく。

瓦礫の切断・跳躍を繰り返し、絶え間なく落下していく瓦礫の合間を縫うように突き進むイタチの表情には、逡巡というものがまるで無い。常人離れした動体視力で瓦礫群一つ一つの位置・大きさ・形状を見抜き、瞬時に最適なルートを割り出し、そこへ進むべく動いているのだ。複雑な思考・分析が伴う荒業にも関わらず、傍から見れば条件反射か、或いはそれ以上の動きである。

うちはイタチとしての忍時代には、崩れゆく瓦礫を足場に危険地帯を突破した経験が多々あった。この並外れた動きを可能としているのも、一重にうちはイタチとしての前世で培った経験に依るものである。

 

(目指すは……あのケーブル!)

 

 距離にして五十メートルに相当する、橋の片側車線の瓦礫を突破し、最後に着地するための足場、或いは落下を回避するために、瓦礫を足場に到達できる場所は無いかと周囲に視線を巡らせる。そして、イタチの並外れた動体視力は、目標物を即座に探し出した。中央部の橋げた、そこに垂れ下がったケーブルがある。これに掴まるべく、コースを瞬時に選択し、跳んで行く。だが、

 

「っ!」

 

 最後の瓦礫へと踏み込んだ、その時だった。橋の下に鳴り響く、一発の銃声。それと同時に、破砕される瓦礫。イタチの足裏は、足場として利用しようとしていた瓦礫に触れることはなく、空を蹴ったのだ。

 

(やはり、か……!)

 

 今にも落下を開始する、危機的な状況の中で、しかしイタチは冷静に思考を走らせていた。橋の上からではない、どこか別の場所から仕掛けられた、タンクローリー起爆。これが起こった時から、イタチには敵がどこに潜んでいるか、大凡見当が付いていた。恐らく相手は、自分が爆破を回避して橋の下へ入り込むことも、瓦礫の群れを突破するために動くことも、全て予測していたのだと、今では思う。

そして案の定、足を踏み外したイタチが、銃声のした方向へ視線を向けてみれば、そこでは対戦相手のプレイヤー――シノンが、先程のイタチと同様にワイヤーを鉄骨に引っかけてぶら下がっていた。その手には、得物たるウルティマラティオ・ヘカートⅡが構えられている。

 

(タンクローリーの爆破は囮……俺がここに来ることを予測して、待ち構えていたということか)

 

 正面からの狙撃でイタチを下すことが困難であることは、以前の遭遇戦で学習済み。だからこそ、シノンは正攻法以外の方法で確実に勝利できる方策を取ったのだ。

まず、フィールド内でタンクローリーを発見したシノンは、これを爆破する策略を考案。崩れ落ちていた車線の側、その下へとワイヤーで吊り下がった。そして、イタチが通りかかるタイミングを見計らって、橋の下からタンクローリーを狙撃したのだ。タイミングについては、腐敗と風化でところどころ穴だらけになっていた片側の車線を下から観察し、影が差した時を狙ったと考えられる。そうして、タンクローリーの爆破による余波をギリギリ受け付けない位置に潜んでいたシノンは、ワイヤーを使って真下へと移動することを見越して引き続き潜伏。落下から逃れるべく移動するイタチが、最後の足場として利用する瓦礫を撃ち抜いたのだ。

対物ライフルは、銃の重さ・長さに加えて、発砲による反動も非常に強い。現実世界においては、設置による支持状態以外の体勢での正確な射撃は、まず不可能とされている。仮に直立姿勢で射撃を行えば、脱臼・骨折は避けられない。GGOというゲーム内では、脱臼・骨折はシステム的に起こらないものの、ステータス不足で腕が吹き飛ぶことはある。筋力ステータスさえ備えていれば、反動によるダメージは避けられるものの、正確な射撃は不可能である。ワイヤーで吊られた状態ならば、尚更である。初手のタンクローリーへの狙撃は、的自体が大きかったものの、二発目の瓦礫への狙撃は、支持状態からの狙撃に匹敵する精度があった。

恐らく、射撃体勢の縛りという対物ライフルの欠点を補うために、シノンが独自に鍛えた技術なのだろう。それこそが、不安定且つ、危険な状態における狙撃。一見、地味に思える技術だが、落下の危険と隣り合わせの危険な体勢では、冷静に構えて着弾予測円を収縮させることは非常に難しい。しかも、射撃による反動が伴うのだから、銃口がブレて狙いが外れることも十分に有り得る。宙吊り姿勢は、その典型も典型。着弾予測円は、まるで役に立たない。そんな状態にも関わらず、シノンは正確にイタチが足場にしようとした瓦礫を撃ち抜いたのだ。その技量は、「凄まじい」の一言に尽きる。

瓦礫の群れの中を移動している間は、瓦礫そのものが視界を遮ってシノンの姿を視認することはできない。イタチそのものを狙ったのならば、狙いを悟られていた可能性は高かった。しかし、狙いが足元の瓦礫だったため、流石のイタチも反応が遅れたのだ。絶海に架かる橋という、独特の地形を最大限に利用したシノンの戦術は、確かにイタチを追い詰めていた。如何にイタチが規格外なプレイヤーであったとしても、足場を失って海に落ちてしまえば、為す術も無い。

 

(やるな……だが!)

 

 イタチとて、このまま海へと落ちて敗北するつもりは毛頭無い。右手に握っていた光剣を左手に放ってキャッチ。右手に仕込んだ、もう一つの切り札たるワイヤーを投擲し、橋の鉄骨に巻き付ける。それと同時に、身体を弓なりに反らし、橋から落ちた時のように、再度その身を振り子のように大きく揺らす。

 

「ハッ!」

 

 ターザンロープの要領で勢いに任せて跳躍。ワイヤーから手を離して、当初の目標としていたケーブルへと掴まる。さらに、掴まったケーブルもターザンロープのように使い、中央部に垂れ下がった別のケーブルへと続け様に飛び移る。ケーブルを足掛かりにして、シノンに接近、一気に決着を着ける作戦に出たのだ。だが、当然その心算を見逃すシノンではない。

 

(やはり、そうはいかんか)

 

先程と同様、宙吊りになった状態で、ヘカートを構え、イタチ目掛けて引き金を引いた。ケーブルにぶら下がっている状態であれば、移動ルートは限定される。加えて、イタチとシノンの距離は、片側車線分の五十メートル。シノンの技量をもってすれば、ほぼ真っ直ぐ向かってくるイタチを狙うことは不可能ではない。

 

「はっ!」

 

 だが、イタチとて黙ってはいない。光剣を振るい、飛来する対物弾を叩き落とす。弾丸を防がれたシノンの方はといえば、今更この程度のことで驚き、思考を停止させるような失態は犯さない。シノンとイタチとの距離は、徐々に縮まりつつある。早々に対処せねばならない、追い詰められた状況にあるのだ。シノンは持ち前の氷のような精神を働かせ、目の前の脅威に対処する。ヘカートの弾丸を再度装填すると、再び銃口をイタチへと向けた。だが、今回の狙いはイタチ自身ではない。構えたヘカートの銃口は、僅かに上を向いていた。

 

(ケーブルを切断するつもりか!)

 

 イタチがシノンへ接近するためのターザンロープとして利用しているケーブルは、文字通りの命綱。GGOにおけるワイヤーは、ブレスレット型のアイテムであり、両手に一個ずつしか装備できない。両方とも使いきってしまったイタチには、ケーブルに掴まる以外の方法で落下を避けることはできない。しかも、イタチの主武装である光剣の刀身も届かない。ケーブルを対物ライフルの弾丸で撃ち抜かれれば、イタチは落下。結果、シノンの勝利が確定する。

 

「させん!」

 

 ケーブルの破壊を防ぐためにイタチが取った手段は、光剣の投擲。手裏剣のように回転し、赤い円盤を形作りながら飛来する光剣は、ケーブルに向かっていた弾丸を切り裂いた。間一髪、落下を免れたイタチは、次なるケーブルへと飛び移る。シノンとの距離は、十メートルを切っている。残り二本程度、ケーブルを渡ることができるならば、シノンに一太刀浴びせることができる。

 しかし、対するシノンはここに至っても冷静だった。イタチが光剣を投擲するよりも先に弾丸をリロードし、再度銃身を構え、引き金を引いた。

 

(成程な……)

 

シノンがスコープに捉えて狙った目標は、イタチが飛び移ろうとしていた残りのロープ二本。それらはシノンから見て、直線状に並んでいるため、弾丸一発で二本ともまとめて海へと落ちた。文字通り、進退窮まる状態に追い込まれたイタチ。このままでは、シノンのヘカートの格好の的となってしまう。そうでなくとも、ケーブルを落とされれば一巻の終わりである。

 

(だが、詰めが甘い!)

 

 接近する方法を奪われたイタチだが、この程度の事態は既に想定済みである。イタチは海へと落ちるケーブルに一切目もくれず、腰に装備していたプラズマグレネードのピンを引き抜き、天井へと投げつけた。途端、響き渡る爆音。そして、崩れ落ちる道路の瓦礫。イタチは、シノンとの間に落下していく瓦礫の中への突入を敢行する。瓦礫を足場に、シノンへと一気に接近するつもりなのだ。

 

 

 

 

 

(流石は死剣……この状況でも、恐れ一つ抱かずにこんな大それた真似をするなんてね)

 

対するシノンは、瓦礫の中を突き進むイタチの行動選択に内心で感心しつつも、その進路を反射に近い速度で見極め、狙いを定めていた。狙うべきは、イタチの身一つ。この距離では、足場の破壊はほとんど意味を為さない。何より、死剣ことイタチの武器である光剣は、既に投擲して海に落ちているのだ。防ぎようが無い。

加えて、シノンはイタチのことを正面対決にて決着を着けねばならない相手であると思っている。ここまでの戦いでは、勝利優先の戦術を取ってきたが、やはり本当の勝利とは、愛銃たるヘカートの一撃でその身を打ち砕いてこそのものであると、内心では思っていた。

 

(今度こそ、息の根を止める!)

 

 強者を倒し、己を昇華させる。この世界での戦いは全てそのためのものなのだ。そして今、GGOをプレイしてきた中で最強と呼ぶに相応しい相手を討ち取ることができる。着弾予測円を収縮させる心拍こそゆっくりと落ち着いていたが、その内心は冷たい機械のような身体に反して執念に燃えていた。

 

「終わり(ジ・エンド)よ」

 

 その宣言と共に、引き金は引かれた。互いの距離は十メートルを切り、狙いなど外しようもないこの状況である。放たれた弾丸は、狙い違わずイタチの心臓に吸い込まれていき……

 

 

 

しかし、その身を打ち砕くことはなかった――――

 

 

 

 

「!」

 

 突然の事態に困惑するシノン。だが、何が起こったかはすぐに分かった。至近距離の狙撃からイタチの身を守ったのは、その左手に握られていた――自分でもよく見知っていた、“青”の閃光だったのだ。

 

「私の、光剣……!」

 

 見紛う筈も無い。それは、シノンがイタチと初めて遭遇して戦った際に用いた光剣だった。ランダムドロップとしてフィールドに残されたその武器を、イタチは二本目の切り札として用意していたのだ。

 

「くっ!」

 

 だが、唖然としている暇は無い。既にイタチは、すぐ目の前まで迫っているのだ。七発まで装填できるヘカートの、最後の弾丸を装填し、再度イタチへと狙いを定める。距離にして五メートル強。イタチの光剣は、まだ届かない。これで最後の勝負とばかりに、前方上方から跳び掛かってくるイタチへ照準を定め、素早く引き金に指をかける。そして、最後の一発を放とうとした瞬間――――

 

「え?」

 

 シノンの視界が、ブレた。それに伴い、ヘカートの銃口も大きく反れる。引き金を引くことこそできたが、狙いは完全に外れた。身体を拘束するものが何も無い、そんな感覚の中でシノンは、どんどん遠ざかっていくイタチの姿と、視界の端を回転しながら落下していく青い棒状の光を視界に捉えていた。

 

(ああ、私……負けたんだ)

 

 目に映った光景から、シノンは冷静な頭で全てを察した。シノンがイタチに向けて引き金を引こうとしたあの瞬間、イタチは光剣をシノンの頭上、支店たるワイヤー目掛けて投擲したのだ。結果、命綱を失ったシノンは橋の下に広がる海へと落下していったのだ。シノンを海へ落としたイタチは、シノンがそれまで支えにしていたワイヤーを掴むことで、落下を免れたのだろう。

 

(勝ちたかった、な……)

 

 今思い返せば、そんな勝利への執念が仇となったのだろう。イタチをヘカートの弾丸で撃ち抜くことを考えるあまり、光剣へ注意を向けることができなかった。あの至近距離でどこまで反応できたのか、反応できたとしても対処できたか怪しいところだが、それでも結果が変わっていた可能性はあるのだ。

 

(けど……また一歩、あなたに近付けたかしら)

 

 どうしても勝ちたいと思っていた相手に、二度目の敗北を突きつけられたにも関わらず、シノンはどこか満足していた。もとより勝算の低い相手であり、今回は善戦した方だが、それだけが理由ではない。最大の理由は、視界の中でどんどん小さくなっていくイタチの姿――その、肩から先が喪われている左腕だった。先程の狙いが大幅に外れた狙撃だったが、どうやら左腕を捉えることには成功したらしい。前回の戦いでは、終始圧倒されていた自分が、あの死剣相手に片腕をもぎ取った。その成果が、シノンの心を僅かながらに満たしていた。

 

(けど、今度は負けない……絶対に、あなたを、倒す!)

 

 海へと投げ出されたその身が沈む中、さらなる執念を胸の中で燃やしながら、シノンはそのアバターを爆散させ、消滅させた。

 

 

 

 そんな彼女の姿を、死剣ことイタチが、赤い双眸に憐憫の情を宿し、見つめていたことにも気付かずに――――

 



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第八十八話 境界線上の陰謀

今回の話では、BoB本選参加者のプレイヤーネームが一挙に羅列されます。
アニメ版「金田一少年の事件簿」の冒頭BGMを脳内再生して読むことをお勧めします。


2025年12月14日

 

「和人君、お疲れさまでした」

 

 日の光の届かない、都心のビルの地下深くに隠された秘密の施設。その中に、和人の姿はあった。そして、和人がこの場所に現れてから開口一番に労いの言葉を掛けたのは、椅子の上で独特の座り方をしている青年。菊岡より先に依頼を受けた相手であり、世界的に有名な名探偵――Lこと、竜崎である。

 

「所詮はまだ、予選を通過したに過ぎん。受けた依頼は未だ継続中だ」

 

 つい昨日に臨んだ仮想世界における戦いなど、序の口に過ぎず、大した脅威にはならなかったと言外に告げる和人。しかし、対する竜崎は別段気を悪くした様子は無い。だが、その場に居たもう一人の少年だけは、違った。

 

「相変わらず愛想の無えい奴だよなぁ……それにしても、余裕で勝ったみたいな顔してるけどよ。流石のお前もかなり危なかったよな。特に、予選ブロックの決勝とか」

 

 和人に対し、皮肉を垂れる、肩まで伸びた長い髪を後ろで束ねた髪型に、太い眉毛が特徴的なこの少年。和人と同じ、SAO帰還者が通う高校の生徒でもある、金田一一である。SAO帰還者という過去を持つ彼は、過去にいくつもの難事件を解決に導いてきた実績のある、高校生探偵だった。そして、彼が手掛けた事件の中には、今回の事件の黒幕たる『地獄の傀儡師』と呼ばれる犯罪コーディネーター、高遠遙一が関わった事件もあり、あと一歩と言うところまで追い詰めたことすらあった。その関係で、竜崎は高遠逮捕のために、協力者としてこの場に招き入れていたのだった。無論、彼も竜崎がLであることを知らされていた。

 

「…………」

 

 そんな一が行ったからかいに対する和人の反応は、沈黙。そして、表情こそ変化は無いものの、その目には呆れの色が見て取れた。だが、それは苦戦をネタに弄られたことに対する憤慨というわけではない。自分のことではないものの、思い出したくない、嫌なことを思い出させられたことで気分を害した、そんなニュアンスがあった。

 お調子者の一は、軽く茶化す程度の気持ちで昨日の戦いについて言及したのだが、まさかここまで不愉快そうな顔をするとは思わなかった。普段は感情をほとんど表に出さない和人である。僅かとはいえ、それが顔に出ているところを見るに、やり過ぎた感は否めない。地雷を踏んでしまったことに冷や汗をかいている一は、硬直して身動きが取れない。対するイタチは、殺気こそ放ってはいないものの、一を苛立ち混じりの視線で睨みつけていた。そんな二人を見かねた竜崎は、ここで仲裁することにした。

 

「そこまでです、一君。和人君もです。今日はこれから、大捕物(・・・)が始まるのですから」

 

「……分かっている。それで、そっちは予選通過者の詳細については調べ終えたのか?」

 

 GGOことガンゲイル・オンラインは、アメリカにメインサーバーを置く『ザスカー』が運営するVRMMOFPSである。太平洋の向こうに拠点を置き、しかもその詳細な所在地や連絡手段すら不明なこの運営体は、その実態が企業であるかすら分かっていない謎の集団なのだ。日本の総務省仮想課に所属する菊岡誠二郎が和人に捜査を依頼した理由も、海外にはその影響力が及ばないことに起因する。加えて、個人のプライバシーに相当する情報の提供である。如何に世界的名探偵のLといえども、首を縦に振らせることなどできない。

 それをどうやって手に入れたのか――答えは簡単。日本サーバーへのハッキングという非合法な手段によって引き出したのだ。もとより、Lの捜査方法は法律を逸脱した手段を取ることが多い。しかも、ここ一年内でFことファルコンという、ウィザード級のハッキングスキルを有する味方を手に入れているのだ。サーバーからプレイヤーの個人情報を引き出して得ることなど、造作も無いことだった。

 

「はい。本戦出場者が決定した昨日夜から調査を開始しています。リアルの特定については、Fとワタリが一晩でやってくれました」

 

「相変わらず、ハイスペックな爺さんと相棒だな……」

 

「探偵Lは、彼等の協力あってのものですから。それでは、こちらのリストをご覧ください。本選出場者のアバターとプレイヤーネームの一覧です」

 

 そう言って、竜崎が和人へ渡したのは、数枚のA4用紙。まず一枚目の紙に記されていたは、BoB本大会の各予選ブロックからの本選出場者の詳細がリストアップされていた。次いで、竜崎がキーボードを操作し、大型モニターへとアバターの顔写真の一覧を表示した……

 

 

 

Aブロック

一位 ヒトクイ

二位 毒竜

 

Bブロック

一位 マミー・ザ・セブンス

二位 Alchemist

 

Cブロック

一位 トロイの木馬

二位 MONSTER

 

Dブロック

一位 Rye

二位 ケルベロス

 

Eブロック

一位 スパロウ

二位 ファントム

 

Fブロック

一位 Itachi

二位 Sinon

 

Gブロック

一位 呪武者

二位 White Fox

 

Hブロック

一位 スコーピオン

二位 キング・シーサー

 

Iブロック

一位 岩窟王

二位 Mr.レッドラム

 

Jブロック

一位 Sterven

二位 WAS

 

Kブロック

一位 ヤマタノオロチ

二位 Clown=Doll

 

Lブロック

一位 Hermit

二位 Vampire

 

Mブロック

一位 ジェイソン

二位 雪夜叉

 

Nブロック

一位 Rosen Kreuz

二位 Ant=Lion

 

Oブロック

一位 Invisible

二位 邪宗門

 

 

 

「真犯人『死銃』は、この中にいる!」

 

「…………」

 

間違いなくこのリストの中にいるであろう、犯人こと死銃の正体を暴くことに執念を燃やし、意気込む一。だが一方で和人は、竜崎がモニター表示した、ずらりと並んだ容疑者達のアバターの顔写真を見て、呆然としていた。そして、しばしの沈黙の後……

 

「昨日も確認したが…………こいつら全員、犯人じゃないだろうな?」

 

 リストに載っていたプレイヤー達の名前とアバターの容姿を見て、そう呟いてしまった和人を責めることは、誰にもできないだろう。イタチやシノンといった少数のプレイヤーを除き、殆どのプレイヤーが仮面やら覆面やらマントやらの武装で身を固めているのだ。SAO時代に戦った、笑う棺桶のメンバーそのままの容姿と言っても過言ではない。見た目だけならば、レッドギルドと死闘を繰り広げてきた和人といえども識別は不可能である。

 

「ジェイソンと雪夜叉……この二人、銃の世界のプレイヤーの割には、武装が明らかに近接嗜好なのはどういうわけだ?」

 

「それは、まあ……武器の好みは、人それぞれってことだろ。和人だって、光剣使ってんだし」

 

「……この、アフリカ民族風の仮面を被った、『WAS』というプレイヤーは……『ワス』、なのか?」

 

「私が調べたところによりますと、『Wizard of After School』の略だそうです。それから、被っている仮面はパプワニューギニアの呪術師が使用していたものがモチーフだそうです」

 

「…………放課後の魔術師?」

 

 見た目だけでなく、武装やビルドが明らかに近接戦に特化したプレイヤーが数名いる上に、名前まで胡散臭いプレイヤーまでいる。一体、何の役作りのためにこんな格好と武装でガンゲイル・オンラインをプレイしているのか、全く理解できない。

 

「和人君の思っていることは分かりますが、全員が犯人ということは、まず有り得ないでしょう」

 

「竜崎の言う通りだぜ。いくら高遠でも、BoBの対戦カードを操作することなんて、できやしねえだろ」

 

「それくらいは俺にも分かっている。だが……死銃が一人だけで乗り込むことは、まず有り得んだろう」

 

本選出場者全員が死銃というのはオーバーだが、和人の言うことはあながち間違ってはいない。死銃事件を引き起こしている黒幕である高遠遙一が、実行要員を一人だけしか送り込まないということは、考えられない。正確な人数こそ定かではないが、複数犯による殺人である可能性は極めて高い。

 

「和人君の考えていることも、想定済みです。BoB本選出場者のリアル情報をもとに、元笑う棺桶所属のSAO帰還者、またはその縁者に相当する人間の捜索も行いました」

 

「結果は?」

 

「該当者は一名です」

 

 複数犯による犯行というには、該当者一名というのは、余りにも少ないように思われる。だが、裏で糸を引いている黒幕は、『地獄の傀儡師』の異名を持つ天才犯罪者である。警察や宿敵である一に対する挑発は行ったとしても、自分が手掛ける芸術犯罪が阻止されないように最大限の工作を行っている筈なのだ。故に、一人とはいえ死銃に繋がる人物がこの程度の捜査で浮上するのは、むしろ怪しいとすら思える。

 

「竜崎、そいつの詳細は?」

 

「二ページ目、リストの筆頭に記載されています」

 

 竜崎の言葉に従い、一枚目のリストを捲って、その詳細について目を通す。

 

「……成程、奴の縁者か。間違いない。コイツだ」

 

「即答かよ……」

 

 軽く目を通しただけで、容疑者と断定する和人に、一は顔を引き攣らせるばかりである。しかし、BoBに出場して実際に接触している和人が言っているのだ。本当に、間違いないのだろう。

 

「それで、和人君の方はどうでしたか?昨日の各ブロックにおける予選の映像は確認していただいたと思うのですが」

 

 昨日、BoB予選を終えて病院から自宅へ帰った和人もまた、竜崎から送信された映像の確認を行っていた。内容は勿論、BoB予選の戦闘映像である。しかも、和人はAからOブロックまで、本選出場者だけでなく、予選敗退者を含めた全プレイヤーの戦闘を確認していたのだ。

 

「確実な奴を一人、確認している。お前が筆頭にリストアップした、まさにコイツだ」

 

「そうですか。しかし、証拠こそありませんが、これで容疑者確定ですね」

 

「は、ははは……」

 

 本当に、明確な証拠こそ無いにも関わらず、容疑者と断じてしまう二人に、一は顔を引き攣らせて苦笑するばかりである。一の捜査方法は、地道に状況証拠を集める単純なものである。故に、和人と竜崎のように、容疑者リストが出来上がった時点で状況証拠無しに犯人を断定するやり方は、どうにも慣れることができない。ともあれ、捜査に協力することになった以上は、慣れていくほかに道は無いのだが。

 

「一君は、どう思いますか?」

 

「BoB出場者の個人情報については、もう一度洗い直してみる必要があるな。BoB出場者同士で、私怨を抱き抱かれる間柄の人間が、必ずいる筈だ。そういう、憎しみを持った人間が、高遠の操り人形にされるケースはかなり多い」

 

「一の意見に賛成だ。SAO帰還者の元笑う棺桶構成員と、GGOアカウントの名義人が、高遠の指示で手を組んでいる可能性は高い。事件の事後処理に使う資料になるだろうが……竜崎、このあたりの調査を頼めるか?」

 

「了解しました」

 

 和人の要請に対し、淡々と了承する竜崎。BoB本選は、今日の夕方。つまり、時間は然程残されていないことになる。それでも、一切の躊躇を見せず、調べ上げると返事ができるのは、世界一の名探偵としての実力があるからなのだろう

そして、死銃の正体を破るための今後の動きについて竜崎と話し合い、方針が決定したところで、ふと一が呟いた。

 

「それにしても、BoBに乗り込んだ捜査メンバーの中で、本選に出場したのが和人一人とはな……」

 

「元々、全員が本選出場できるなんて期待はしていなかっただろう」

 

「いや、そうだけどよ……もしかしたら、カンキチとボルボを倒したっていう、Dブロックの二人のうちの一人も、死銃なんじゃねえかって思ってよ」

 

一の推理は尤もなものだった。カンキチもボルボも、BoB上位常連のプレイヤーである。それが、二人揃って予選で敗退しているのだ。これを打ち倒す程の強豪ならば、仮想世界において高い適性を持つSAO生還者であり……死銃である可能性は高い。

仮にこのDブロックのプレイヤー二人が死銃ではないというならば、カンキチとボルボを倒す程のプレイヤーでありながら、無名だったのはどういうわけなのか。一の隣に立っていた、和人がそこまで考え至ったところで……ふと、竜崎から伝えられていた案件について思い出し、問いを投げた。

 

「そういえば竜崎。お前が今回の大会直前で協力を得られたという、参加者の中にいる心強い協力者とやらは、本選に進出できているのか?」

 

「はい。問題ありません」

 

「協力者?……和人、一体何の話だ?」

 

和人と竜崎のやり取りの中で出てきた単語に、疑問符を浮かべる一。捜査開始時、竜崎から紹介された捜査協力者は、和人を除けば、警察からの協力者である、カンキチこと両津勘吉と、ボルボことボルボ・西郷の二人のみ。捜査開始時に一度集まった新一もいたが、同日に犯行予告を出した怪盗二人を相手にするために、今回の捜査からは外れている。一が知る以外に、新たな協力者がいるというのだろうか。

一が抱いた疑問に対し、竜崎は相変わらずの無表情のまま、淡々と事情を話しだした。

 

「ああ、一君にはまだ話していませんでしたね。今回の捜査には、BoB出場者の協力者としてイタチ君と、警察側からカンキチさん、ボルボさんを雇っていたのですが、それ以外にもう一名……私の伝手で動員しているのですよ」

 

「へぇ……お前が呼んだ協力者ってことは、どっかの国の凄腕捜査官だったりするのか?」

 

「はい。私が以前手掛けた事件の担当で、現役のFBI捜査官です」

 

 竜崎が何気なく放った言葉に、一は驚きに硬直する。

 FBIとは、アメリカ合衆国司法省の警察機関である。アメリカ国内で主に捜査を行い、テロ・スパイなど国家の安全保障に係る事件を中心に重大な担当することで知られている。アメリカをホームグラウンドにしている組織が、Lからの要請とはいえ、どうして日本で発生した事件に協力しているのか。FBIがアメリカに主に活動することだけは知っていた一は、その疑問について竜崎に尋ねることにした。

 

「何でまた、FBIがこの事件に協力なんて……」

 

「それに関しては、初めから助勢を頼んでいたわけではありません。この事件を追って来日していたFBI捜査官が、私の知り合いだったので、要請を通すことができたのです」

 

疑問に答えた竜崎だが、一はまだ納得していない。FBI捜査官の協力を取り付けられた経緯は分かったが、根本的に、何故日本国内で起こった事件に対し、FBI捜査官が動くことになったのか。だが、その疑問に答えたのは、和人だった。

 

「VR技術を危険視する、アメリカ政府の指示で動いたんだ。そうだろう?」

 

「和人君が推測した通りです。アメリカをはじめとしたVR技術の開発を進めている各国は、同時にその世界で起こる出来事を警戒しています。今回の死銃事件についても同様です」

 

「……GGOを運営しているザスカーのサーバーは、アメリカにある。つまり、死銃がアメリカに出現する可能性がある。だから捜査に乗り出した……そういうことか?」

 

 そこまで説明されて、一もようやく大凡の事情を把握したのだろう。果たして、一が口にした推測は、竜崎が首肯したことで的中していたことが明らかとなった。

SAO事件をきっかけに、VR技術の先進各国は、日本の仮想課に似た政府組織を作り、VRワールド内部で起こる事象を注意深く監視するようになった。SAO事件のような凶悪な事件を引き起こす要因足り得るシステムやウイルスの出現を逸早く察知し、これに対処する。大概の場合は、それを目的としているが、中にはこのような危険な技術を兵器として取り込もうと企む者達もいると言われている。そんなさまざまな思惑があるが故に、VRワールドに関する、特に日本で起こる事件については、各国から密かに注目を集めていた。今回のFBIの事件介入未遂についても同様であり、サーバーがアメリカにあることを理由に、国内にSAO事件並みの混乱が起こることを未然に防ぐことを目的としていたのだ。

 

「その通りです。ただし、日本政府にはこのことは内密に、死銃を追っていたようです」

 

「FBIの捜査官がGGOにダイブして、BoBに参加。それで、死銃の正体を探ろうとしていたってところか?」

 

「はい。しかし、彼等が取る介入手段は普通にゲームをプレイするだけですので、万一日本政府に露見したとしても問題にはなりません。私が直前までこの情報を掴むことができなかったのも、特別なアプローチに依らない、正攻法でのアプローチだったためです」

 

 日本、アメリカを問わず、明確な事件性が無い場合に警察組織が捜査というものを行うには、複雑な申請等が必要となる。国を跨げば尚更である。だが、普通にゲームをプレイする分には何ら法律に抵触する余地は無く、内密に行っている以上は日本政府に情報が漏れる心配も無い。ましてや竜崎ことLがその動きを直前まで掴めなかったのだから、命令を受けた捜査官は半ば独自の判断で行っているものと考えられる。

 

「既に高遠の関与や死銃の殺人トリックについても私の方から説明しています」

 

「そうか……でも、FBI捜査官ともなれば、確かに現実世界での銃の扱いもお手のものなんだろうけど……仮想世界でも、同じ様に戦えるのか?」

 

一の懸念は尤もなことだった。現実世界で高い技術や戦闘能力を持っていたとしても、仮想世界でそれをそのまま反映できるとは限らない。SAO事件においても、フルダイブ不適合によって遠近感が定まらず、戦闘が儘ならなかったプレイヤーがいた。そのため、譬え凄腕の捜査官であっても、仮想世界において戦闘能力を十二分に発揮できるとは言えないのだ。

しかし、一の抱いた懸念は杞憂だったらしい。竜崎は首を縦に振って、件の捜査官の実力について問題無いと首肯した。

 

「問題ありません。例の捜査官は、カンキチとボルボと同じブロックに所属して、二人とも倒して本選出場を決めています」

 

和人の口にした言葉に対し、一は眼を見開いて驚いた様子を見せた。ボルボはともかく、カンキチの実力については一もSAO生還者としてよく知っていたからだ。その人格はともかくとして……

 

「詳細については、そちらの資料にも併せて載せてありますので、どうぞご確認ください」

 

そう言うと、竜崎は一と和人へ資料を渡した。一は未だに信じられないといった様子で、受け取った資料を何枚か捲っていき、件の助っ人の項目に目を通す。

和人もまた、それに倣うように、一と同じ項目の内容を読み始めた。具体的な実績等は流石に載っていなかったが、超人的な狙撃精度を持っていることは明らかだった。BoBにおいても、本選出場クラスの実力者四人を敗退に追いやったことからしても、今回の捜査の戦力としては申し分ないことが分かる。

 

「現実世界では腕利きのおスナイパーで、私も幾度か協力してもらったことがあります。その実力はGGOでも健在とのことです」

 

「しかも、同ブロックには、カンキチとボルボ以外のBoB上位常連が二人もいたようだが……本選出場者を決定するまでの四試合で、全員倒しているな」

 

「マ、マジかよ……」

 

あまりに規格外な味方の登場に、顔を引き攣らせる一。隣に立つ和人は、先程から変わらぬ表情のまま、淡々と資料に目を通すのみだった。元より和人は、死銃が複数犯だったとしても、BoBにおける対決では一人で全員相手する予定だったのだ。故に、強力な味方が一人増えたところで、喜色を浮かべることも特になかった。だが、戦力となるならば、協力を拒絶する理由も無い。

時に、仲間達の助力を素直に受け入れることが、自分の手に余る困難を解決するために必要なこともある。それが、忍世界の前世の失敗を経て、現世でSAO事件とALO事件を解決した和人が至った答えだった。故に、目の前の竜崎と一は勿論、味方になってくれる人物とも、協力体制を築くことに否やはない。

ともあれ、これで打ち合わせるべきことは全て決定した。そう考えた和人は、これまでの話し合いのまとめとして、協力者である竜崎と一に、行動方針の確認をすることにした。

 

「一、お前はこれから、警察の協力者と合流しろ。竜崎と連絡を取り合って、高遠とその協力者全員を確保する準備だ」

 

「分かった。任せろ」

 

こうして、青年一人と少年二人――または、探偵二人と忍一人――で構成された捜査関係者筆頭格三人の打ち合わせは着々と進行していった。

 

(そういえば……)

 

話し合いを終えた和人に、ふと思い浮かんだ疑問があった。

和人ことイタチが所属していた、Fブロック決勝で戦った相手――シノン。彼女もまた、竜崎が協力を取り付けたプレイヤーと同じく、狙撃手だった。それと同時に、彼女の異常なまでの強さへの執着が思い出されていく。

フィールドでの出会い頭の戦闘では、和人はその姿に前世の忍としての己を彷彿させると感じた。しかし、二度目のショッピングモールで再会した時のやりとりの中で、その在り様は忍としてのそれとは決定的に違うと確信した。彼女が戦いの中で、異常なまでの冷徹さを発揮する根源となっているのは、病的なまでの“強さへの執着”なのだ。

予選決勝の戦いでは、それが特に顕著に表れていた。高架橋からワイヤー一本でぶら下がった状態での狙撃という危険な手段を、まるで感情の無い冷たい機械のように淡々と行っていた。ゲームの中とはいえ、何の恐れや躊躇いも抱かずにこれを遂行できる人間とは、一体……

 

(まさかとは思うが……念のために、確認しておくか)

 

只管に強さを求め、それを得るためならば、如何なる危険も顧みない……そんな女性を、和人は一人だけ知っていた。本来ならば、オンラインゲームをプレイする人間のリアルについて詮索することは、ネチケットに違反する行為であり、タブーに相当する。だが、シノンに限っては放置することはできない。その姿勢に既視感を覚えていたこともそうだが、強さへの執着故に何をしでかすか分からない最大級のイレギュラーでもあると言う認識もあったからだ。決勝戦での戦いから察するに、自分を倒すべき敵として強く意識していることも間違いない。場合によっては、死銃捜査における最大級の障害にもなり得る。故に、和人はシノンのリアルについて知るべく、資料のページをめくっていく。

 

「!」

 

 そして、該当するページを開いた途端――和人は目を剥いて驚愕することとなった。そこに記されていたのは、当然のことながら、シノンのリアル情報。だがしかし、そこに映されていた顔写真と、傍らに記されていた名前は、和人の知る人物のものだったのだ。

 

(まさか……そうだった、のか…………)

 

 資料を一読した後、それを閉じて、瞑目しながら溜息を吐く和人。確かに、思い当たる節はあった。だが、まさか彼女が、強さ欲しさにGGOにまで手を出していたとは、思わなかった。それと同時に、彼女の精神の危うさについて気付いてやれなかった自分の不明に苛立ちを覚えた。

 

「和人、どうかしたのか?」

 

「…………いや、なんでもない」

 

 内に秘めていた感情が、驚愕と共に表に出てしまっていたのだろう。一から心配そうに声を掛けられるも、「問題無い」の一言で取り繕い、常の無表情に戻る和人だった。その後も、死銃対策のための動きについて話し合われることとなった。だが、和人の頭からは、強さを追い求める余り、闇に溺れていく旧知の少女の姿が、頭の中から離れなかった――――

 

 

 

 

 

 

 

 東京都文京区にある、とある小さな公園。置かれている遊具に関しても、ブランコと滑り台のみという質素な空間。寂れた場所にあるために、日中でも人は全くと言っていいほどいない。そんな中に、詩乃はいた。

 

「…………」

 

「あの~……朝田、さん?」

 

 乗っているブランコを揺らしながら、視線を若干俯け、一人考え事をしながらぼそぼそと呟くその姿は、文字通り心ここに在らずという言葉をそのまま体現していた。そんな彼女に、恐る恐るといった具合に話し掛けているのは、彼女の数少ない友人だった。

 

「お~い、大丈夫?」

 

「……ん?どうしたの、新川君」

 

 それはこっちの台詞だ、と言いたくなったが、少年――新川恭二は、言葉を呑み込んだ。彼は、詩乃と同じ学校に通う生徒の一人だった。過去形なのは、彼は今現在不登校児であり、学校に通っていないからである。故に、二人が出会った場所も、学校ではなかった。

 二人が初めて出会ったのは、六月のこと。近所の区立図書館で『世界の銃器』というタイトルの本を読んでいた詩乃へ、たまたまその場に居合わせた恭二が声を掛けたことがきっかけだった。その流れで、銃に関する知識を披露した末に、銃を手に戦うVRゲーム――ガンゲイル・オンラインの話に至った。

東北の祖父母の実家で暮らしていた時期には、小学校時代に剣道をしており、中学時代は帰宅部で勉強・読書・トラウマ克服に対して思考のほとんどを割いていた。つまり、ゲーム歴皆無同然だったのだ。だが、銃の世界での戦闘による曝露療法という、今までに無い荒療治には、今までに無い成果が見込める。そう感じた詩乃は、恭二の紹介されるままに銃と鋼鉄の世界に身を投じ……冷酷無比の狙撃手シノンが誕生したのだった。

 

「いや……朝田さん、さっきからブツブツと独り言ばっかり呟いてたんだけど……本当に大丈夫?」

 

「そ、そうだった?」

 

 動揺し、声を震わせながら問い返した詩乃に対し、恭二は苦笑しながら首肯した。GGO開始以来の知己である少年の反応に、詩乃は羞恥に顔を赤くする。どうやら、今夜行われるBoB本選のことに集中する余り、周りが見えなくなってしまっていたようだ。

 

「今日のBoB本選のことを考えていたの?」

 

「……うん。今度こそ、一人残らず倒して、優勝したいから」

 

 より正確に言えば、詩乃にとって本大会で優勝することは、優先順位としては二番目に相当する。最大の目的は、予選Fブロック決勝で対戦した相手――死剣ことイタチを倒すことにある。彼に勝つことさえできれば、譬え優勝を逃したとしても、詩乃に悔いは無かった。

 

「まあ、色々と考え込んじゃうのも、仕方無いかもね。なんたって、今回の大会の本戦進出プレイヤーは、ほとんどが初参加のプレイヤーだからね」

 

 そう言いながら、恭二はショルダーバッグから一枚のタブレット端末を取り出し、ある画面を映して詩乃に見せた。そこに載っていたのは、第三回BoB本選出場者のリストである。

 

「特に要注意なのは、このイタチとライっていうプレイヤーかな」

 

恭二が要注意プレイヤーとして指し示した二人の内、イタチに関しては既に知っている。何せ、予選Fブロック決勝で当たったことに加えて、スコードロン狩りの頃からの因縁があるのだ。

さらに、タブレット端末片手に解説する恭二の話によれば、イタチの正体が、あの都市伝説的存在である死剣と同一人物であると考えるプレイヤーも大勢いるらしい。無理も無いだろう。常人離れした動体視力と反応速度で光剣を操り、BoB上位常連である闇風すら下したのだ。この期に及んでは、死剣の存在を疑う者はいないだろう。

そうこうしている内に、恭二による本選出場者の解説は、イタチからライというプレイヤーへと移っていく。

 

「このDブロック一位のライっていうプレイヤーなんだけど、なんとシノンと同じ、スナイパーなんだよ」

 

 恭二から新たに齎された情報は、意外なものだった。まさか、BoB出場者の中に、予選を一位で通過する程のスナイパーがいたとは、思っていなかった。というより、イタチを倒すことばかりに傾倒していたせいで、他の本選出場者のリサーチを疎かにしてしまっていたのだ。故に、今回の大会では確実に優勝を決めるためにも、今から気を引き締めてかからねばならない。そう考えた詩乃は、恭二の話に真剣に耳を傾けることにした。

 

「武装はAIアークティクウォーフェア。このプレイヤーも初出場なんだけど……BoB上位の、カンキチ、ボルボ、キャンティ、コルンの四人を予選で倒して本選出場を決めたんだ」

 

「!……それ、本当なの?」

 

 恭二から出た、ライなるプレイヤーが倒したと言う出場者四人の名前に、改めて驚きを浮かべる詩乃。カンキチとボルボは、ゼクシードと闇風に次ぐベスト4である。キャンティとコルンについては、シノンと並んでGGO内でも屈指のスナイパーとして知られる凄腕プレイヤーである。予選の一ブロックにそこまでの強豪が集中していること自体、信じがたいものがあるが……それを全員倒したとなれば、場合によってはイタチと同等以上の脅威にもなり得る。

 

(けど……それはむしろ、望むところよ)

 

 強敵、大いに結構。詩乃がGGOを始めた理由は、強敵を倒すことで、己を強くすることにあるのだ。故に、詩乃は一切臆さない。

 

「朝田さん?」

 

 唐突にブランコから立ち上がる詩乃に対し、恭二が声を掛ける。だが、再び思考の海へと沈んでいく詩乃が、それに気付くことは無かった。そのまま、ブランコの柵の淵へと歩いて行くと、右手の人差指と親指を伸ばし、拳銃の形を模す。そして、公園の端にある時計へとその手を向けた。

 

(必ず……撃つ!)

 

 視線の先にあるのは、針が外れ、壊れた時計。だが、詩乃が真に見ている目標は、時計ではない。その向こう側に幻視しているのは、因縁の相手たる死剣ことイタチをはじめ、今回の大会に出場する多くの強敵の姿。その全てを撃ち抜くことを心誓い、その手の銃口を向けていた。

 

「あ……朝田さん……!」

 

「!……ご、ごめんなさい。私ったら、また色々と考え込んじゃって……」

 

「う、ううん。それは別にいいんだけど…………大丈夫、なの?その、右手は」

 

「へ?」

 

 一瞬、恭二が何を言っているのか、理解できなかった詩乃。だが、ふと右手を見て……その理由が、やっと分かった。無意識とはいえ、右手で拳銃を模していたのだ。常の詩乃ならば、こんなことをすれば発作を起こして立っていることすら儘ならない筈なのだが……今回は何故か、その兆候が全く無い。詩乃自身、いつもとは違う自分に戸惑いを隠せない。

 

「えっと……大会を前に、興奮しちゃってるみたい」

 

「朝田さん……」

 

 苦笑いを浮かべて誤魔化すような仕草をする詩乃。だが、恭二はその姿を前に、不安を感じた様子だった。そして、しばらく詩乃を見つめ、唐突にその手を握った。

 

「ど、どうしたの……新川君?」

 

「なんだか……心配で。朝田さんが、いつもの朝田さんらしくないから」

 

「わ、私らしくないって……」

 

 言葉の意味が分からず、硬直したまま問いかける詩乃。対する恭二は、詩乃の顔を真っ直ぐ見つめ、再び口を開く。

 

「朝田さんて、いつもクールで、超然としててさ……僕みたいに、苛めなんかに屈することなんてしないで……本当に、強いんだよ。朝田さんのそういうところに、ずっと憧れていたんだ」

 

 言葉を重ねるごとに語調が強くなっていく恭二に、詩乃は内心で動揺していた。いつも大人しい筈のこの少年が、何故か今は、強引なまでの勢いで迫ってくる。一体、どうしたというのだろうか。そんな詩乃の心情を余所に、恭二は続けた。

 

「だから……心配なんだ。朝田さんが、負けた相手とはいえ……あんな男に掻き乱されているなんて。だから、僕が……僕が力になるから!」

 

「…………」

 

 自分は強い、憧れていたと繰り返す恭二の姿に、さらに動揺する詩乃。だが、その一方で、彼が口にしたように『強い自分』というものが本当の自分なのだろうかと、疑問に思ってもいた。

 

(違う……私は、そうなりたくてなったんじゃない……)

 

 ガンゲイル・オンラインを始めた理由は、銃への恐怖を克服することだった。だが、GGOの中で詩乃が操るシノンは、詩乃自身が望む、強者としての姿である。だが、自分の中身全てをシノンというアバターで上書きするつもりなど詩乃には無かった。詩乃が心の欲するのは、かつて母親と過ごした時間のような、平穏な暮らし。強さを求めるのは、それを得るために必要だからこそ。

 同年代の、恭二以外の友人と笑い、泣き、騒ぎ……そんな当たり前の日常に帰りたいと、詩乃は思っていた。思っていた……筈だった。だが、いつの間にか目的と手段は入れ替わっていた。強くなりたい――それだけを強く思い始めたのは、つい最近のことだった。では、そのきっかけは何か。死剣こと、イタチとの出会い……なのだろうか。しかし、それだけではいまいちピンと来ない。自分が強さを求める、本当の理由。それは――――

 

「朝田さん……」

 

 そこまで考えた時だった。不意に、恭二の声が耳元から聞こえた。また、考え事に現を抜かしてしまっていたらしい。それと同時に、自分の今の状況を見て、はっと驚く。気付いた時には、詩乃は恭二の両腕に抱きすくめられていた。傍から見れば、恋人そのものだろうその光景を、頭の中で思い浮かべた詩乃の頭に浮かんだのは――

 

「!!」

 

 それを幻視した途端、詩乃は半ば反射的に、恭二を突き飛ばす用に押し離した。恭二のいきなりの大胆な行動に困惑したこともあったが、それだけではない。そうしなくてはならないと、詩乃は咄嗟に思っていたのだった。だが、詩乃にはその感情に気付くことは無かった。それよりも先に、拒絶されたことで傷ついたような顔をしている恭二へ弁明せねばならないと思ったからだ。

 

「ご、ごめんね。そう言ってくれるのは、凄く嬉しいし……君のことは、この街でたった一人、心が通じ合える友達だと思ってる。でもね、今はまだ、そういう気にはなれないんだ。私の問題は、私が解決しなきゃならない、って思うから……」

 

「……そう……」

 

 捨てられた子犬のような顔をする恭二の顔を見て、罪悪感が芽生えるものの、こればかりは譲れない。詩乃自身、何故ここまで強くなければならないと思ったのか、その理由も明確には思い出せない。しかしそれでも、戦う中に強さを見出すことを選んだのは、自分なのだ。ここまで来た以上、因縁の相手たる死剣をはじめ、このBoBに集った猛者達を一人残らず狩り尽くす。そうして頂点に立った時、シノンは、現実世界の己をも強くすることができる何かを得られる。何一つ確証は無いが、詩乃はそう信じていた。そう、この時の詩乃は――――

 

 

 

 

 

 

 

 窓が一つも無いが故に、決して日の光が届くことのない、とある建物の部屋の中。薄暗闇を照らすのは、パソコンの液晶画面のみという、不気味な空間が支配するその場所に、一人の男がいた。

 

「ええ、準備は手筈通りに進んでいます。こちらのことは、弟さんと私にお任せください」

 

『問題は、無い、だろうな?』

 

 パソコンの画面を眺めている男の手には、携帯電話が握られている。歯切れの悪い言葉遣いで通話の相手は、彼が芸術と称して憚らない、非合法かつ非人道的な企ての協力者だった。

 

「既に根回しは済んでいます。私の計画が完璧なのは、あの世界でもご存じでしょう?」

 

『……そう、だった、な』

 

 この二人の繋がりは、数年前にまで遡る。しかしそれでいて、現実の世界で顔を合わせたことは、一度きり。その後は、電話やメールといった電子的なやりとりしかしていなかった。にも関わらず、通話の相手は、男の自身に満ちた言葉を聞いて納得していた。一体どうして、そのような関係の相手を信用できるのか……

 その理由は、二人が出会い、知り合った場所が、現実世界ではなかったからだ。かつて、もう一つの現実と化した血の流れない世界の中で知り合ったこの二人は、狂気を振り撒き、多くの血を流した経緯があった。そして、今もまた――――

 

「しかし、あまり勝手な行為には走らないでいただきたいですね。昨日の予選の時も、私に黙って“彼”に会いに行っていたでしょう?」

 

『……見ていた、のか?』

 

「フフ……まあ、そう怒らずに。彼にはあなたの正体が知られてしまったのは確かでしょうが、計画自体に支障は無いでしょう」

 

『奴は、俺が、必ず、殺す…………俺達の計画は、絶対に、止めさせない』

 

 怒気と殺意に満ちた声で発せられた宣言。受話器越しにそれを聞いた男は、満足そうな笑みを浮かべた。

 

「期待していますよ――赤眼のザザ。“死銃”としての、あなたの活躍に。では、手筈通りにお願いします。Good Luck」

 

「お前も、な。地獄の、傀儡師――スカーレット・ローゼス」

 

 かつての世界で狂気の遊戯に興じた時に使っていた名前で別れを告げられると同時に、通話は切れた。それと同時に、その男……地獄の傀儡師、高遠遙一は満足そうな様子で携帯電話をデスクの上に置いた。

 

(相変わらず血の気が多いのは困りものですが……それはそれで、キャストとしては中々面白い)

 

 かつて勃発した、前代未聞のVRゲームを舞台とした大量殺人事件――SAO事件の中で、犠牲者の一部を屠った経緯のある知人の気性に苦笑する高遠。しかし、だからこそ操り甲斐があると思う。傀儡師とは、人形使いの意なのだから――

 

(それにしても……やはりあなたは、期待を裏切らない。こうして再び、私の用意した舞台に上がってくれたのですからね)

 

 口元に浮かべた笑みを深めながら、高遠はパソコンの画面の一点を見つめる。高遠がパソコンの画面で閲覧していたのは、第三回BoBの本選出場者の一覧。三十名のプレイヤーの情報が記載されている中、高遠はFブロック通過者のアバターをピックアップしていた。高遠が注目していたのは、その内の一つたる、一位通過の男性プレイヤー――『イタチ』だった。

 

(それに、まさか彼女とあなたに繋がりがあるとは……こればかりは、予想外でしたね)

 

 そう心の中で呟きながら、高遠は次の画像をピックアップする。そこに映されていたのは、予選二位通過者の女性プレイヤー。名前は、『シノン』。

 

(彼女もまた、この舞台の上で踊っていただくゲストの一人。そして、彼女が標的であることを知れば……流石の彼も、絶対に冷静ではいられない)

 

 傀儡師として、常に他者を操る立場にある高遠だったが――その実、愉快犯的な面も多々あった。事前に用意した仕込みで対決することも愉しみではあるが、想定外の要素がもとでゲストが冷静さを失って舞台が盛り上がるのならば、尚のこと興が湧く。

 

(舞台の開幕は今夜……待ち遠しいですね)

 

 SAO事件に期せずして巻き込まれて以来、久しくこの現実世界で活動していなかった、犯罪プロデューサー・高遠遙一復活の幕が上がる。アインクラッドで培った人脈と宿縁を存分に活かして構成した今回のキャスティングも舞台も、全くもって申し分ない。頭脳明晰かつ冷静沈着な高遠といえども、この大部隊の開幕を前に、昂らずにはいられなかった。

 

(こういう時、彼は確か、こう言っていましたね……)

 

 ふと思い浮かんだのは、SAO事件当時に、自身が所属していたレッドギルドのリーダーにして、地獄の傀儡師と双璧をなした、凶悪かつ狡猾な親友。彼には、殺人計画を実行に移す際に必ず言い放つ、『決め台詞』があった。

 

「It’s show time」

 

 本場イギリスで習得した、ネイティブイングリッシュの発音にて放たれた宣言は、その空間の中に静かに響き渡った。それを声に出した高遠は満足した様子で、デスクの傍らに置いていたグラスに注がれていたワインに口を付けるのだった。

 

 

 

 地獄の傀儡師がプロデュースする、恐怖と怪奇、そして鮮血の赤に彩られた舞台の幕開けは、すぐそこに迫っていた――――

 




君にこの謎が解けるか!?


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第八十九話 地獄へのカウントダウン

『ISLニヴルヘイム』

それが、第三回BoB本選のバトルフィールドだった。ISLとは、ISLand――即ち、島の意である。そして、ニヴルヘイムとは、北欧神話に登場する九つの世界のうち、下層に存在するとされる冷たい氷の国であり、その名前を冠するこのステージもまた、神話をそのまま再現したかのような世界だった。

直径十キロの円形の島であるこのバトルフィールドは、前回および前々回の大会の舞台となった、山あり森あり砂漠ありで、中央に都市廃墟がある複合ステージ『ISLラグナロク』が元となっている。だが、『ISLニヴルヘイム』においては、フィールド北部の砂漠エリアが氷に覆われた湖沼に、中央の都市廃墟が炭鉱都市の廃墟に変更されている。そして最大の変更点は、フィールド全体を覆う雪と氷である。曇天に覆われた灰色の空からは雪が降り、地上の全てを凍えさせていた。

 

 

 

 

 

(そのまま……動くな!)

 

枝先に雪が降り積もった木が並び立つ森林フィールドの中。シノンは岩の上で伏射姿勢を取りながら、目の前の標的を照準戦の十字に捉えていた。現在、シノンが追っている敵の名は、ホワイトフォックス。白狐の意の名前を持つこのプレイヤーは、敏捷に優れる上、雪に足を取られることも、森の木々に行く手を阻まれることも無いフットワークを有する、文字通り狐のようなプレイヤーである。装備は軽装で、主武装には短機関銃のM41Aパルスライフルを持ち、防具として狐の毛皮を纏っている。シノンのヘカートの威力ならば一撃で仕留められるだろう。だが、狙いを外せば、シノンは逆に追い詰められることになる。この森の中で、重量級の武装を担ぐシノンが逃げるには、悪過ぎる相手だった。

故に、シノンは狙撃手として万全を期しての狙撃に臨んでいるのだが……中々隙を見せない。今も、立ち止まって周囲を見回して警戒している様子だが、実際はすぐに走り出せるよう構えている。

 

(さっきから、辺りを見てばかり……それに、足を止めたまま動かない……明らかに、私の存在を察知している……!)

 

優れた移動力を持っていながら、その場から動かないフォックスの不自然な動きに、シノンはそう結論付けた。BoB本選参加者には、『サテライト・スキャン端末』と呼ばれるアイテムが配布されている。十五分に一回、上空を監視衛星が通過すると同時にマップ内の全プレイヤーの位置情報が送信されるアイテムである。最後にスキャンが行われたのは、およそ五分前。STRに傾倒した狙撃手たるシノンならば、そう遠くへ動けないのは自明の理。故に、フォックスはシノンがこの森に潜んでいると踏んで、接近を試みたのだろう。

そして今、フォックスはシノンの居る森林フィールドへ辿り着き、開けた場所にて周囲に視線を巡らせている。まるで、狙撃してくれと言わんばかりの行動である。

 

(誘っているわね……間違いなく、私の居場所を既に知っているわね)

 

開けた場所に立っての索敵など、狙撃手が潜む森の中で取るべき行動ではない。ましてや、対物狙撃銃が相手では、危険極まりない。先に見つけられてしまえば、即座に勝負が決まことすらあるからだ。にも関わらず、このような無謀な真似をしている理由は、シノンの居場所を既に視認し、弾道予測線も把握できているからなのだろう。

居場所を知っていながら仕掛けて来ないのは、シノンを視認した時の互いの距離が原因として考えられる。恐らくは、腰に提げている望遠スコープを用いて居場所を看破したのだろう。しかし、視界には捉えても、射程に捉え切れなかったため、死角からの接近を試みたのだ。だが、シノンも然るもの。遮蔽物が少なく、フォックスが接近を試みた際に機動力を殺がれる、足場の雪が深く積もった場所を移動せざるを得ないルートを移動したのだ。

結果、フォックスは作戦を変更し、未だにシノンを見つけていないかのような装いをすることになった。狙いは、シノンがヘカートⅡの引き金を引いた後に生じる、リロードまでの間隙で間違いない。フォックスは弾道予測線を頼りにこれを回避した後、一気に肉薄して勝負を決めるつもりなのだろう。

 

(でも、埒が明かないわね……こうなったら、こっちから打って出るしかない)

 

BoB参加者は、自分とフォックスだけではない。こうしている間にも、他の敵が接近している可能性もあるのだ。機会を窺い、待ち続けるのが狙撃手の本業とはいえ、膠着状態が続けば、シノンばかりが不利な展開になる。

それを回避するためには、目の前の標的たるフォックスを早々に撃ち取らねばならない。あちらが初弾を回避した後の間隙を突くつもりならば、こちらはさらにその先を予測する必要がある。つまり、フォックスが回避する際に飛び込む方向……それを予測して銃弾を撃ち込むのだ。

言うまでもないことだが、失敗すれば居場所を知られて返り討ちである。つまり、文字通りの一発勝負なのだ。それを探るべく、シノンはフォックスが立つ地点の周囲の地形マップを脳内に展開する。配置されたオブジェクトや積雪、フォックスの居場所から見える視界……狙撃手としての立体把握能力と、氷のように冷たい思考力を最大限に発揮し、フォックスの回避ルートを導き出す。

 

(狙いは…………そこ!)

 

冷徹な分析の末に導き出したポイント目掛け、躊躇無く引き金を引いた。狙いは、シノンから見て完全な死角である、木と木の隙間。果たして、シノンが導き出した場所へ放った対物弾は、オブジェクトである木を破壊し、その向こう側にいたフォックスを狙い違わず撃ち抜いた。

 

「ビンゴ」

 

 そう呟き、勝利の余韻に浸るシノンだが、雪の上に倒れる木に背を向けて、次の狙撃場所へと移動を開始する。スナイパーにとって、狙撃後の数分間に生じるリスクは非常に大きい。ましてや、このフィールドは雪と氷に覆われている。狙撃手のシノンにとって足場の不安定な場所は、移動するのも、狙撃のためのポジション確保も容易ではない。

 

(さて、そろそろ時間ね……)

 

地面に積もった雪の上に足跡を残さないよう、注意しながら森の中を進むことしばらく。時計を見て、間も無くBoB本選開催から三十分が経過することを確認する。十五分に一度のサテライト・スキャンの受信端末へと、監視衛生から位置情報が送信されてくる。

十五分に一度送られてくるこのデータで分かることは、このバトルフィールド上におけるプレイヤーそれぞれの位置と、現在生存しているプレイヤーの人数。どちらも重要な情報ではあるが、現状を左右するという意味では前者の情報にウェイトが置かれる。このバトルフィールドは、重量の大きい武装を持って動き回るには、足場が不安定過ぎる。加えて、敵に動きを悟らせないためには、雪の上に足跡を残さないよう注意する必要がある。敵の居場所次第では、行動ルートに制限が発生する可能性があるだけでなく、即時に迎撃する用意をせねばならない。

 

今回の大会の本選出場者は、自分以外はほとんどが初出場者である。この二名も例外ではなく、シノンはゲーム内で会ったことすらない。一応、本選出場者全員の装備や特徴についてはある程度まで調べているが、入手した情報も限られている。だが幸い、ジェイソンは、シノンの中では強く印象に残るプレイヤーだったので、よく覚えている。

 

周囲を警戒しながらも、意を決し、サテライト・スキャン端末から全体マップを表示させる。ホログラムで形作られた、ISLニヴルヘイムを再現した立体マップの中には、幾つもの輝点が見られる。その数は、十九。シノンは、自分の居る場所の周囲一キロ圏内に敵がいないことを確認すると、次に最も近い場所にいるプレイヤー探した。すると、ニヴルヘイム南西の山岳地帯を、東側へと移動する二つの点を見つけた。一つずつ、反射に近い速度でそれらをタッチすると、プレイヤー名二つが表示された。移動速度からして、この二人は全力疾走の追跡戦をしている。

 

(ジェイソンに……ヴァンパイア、か)

 

今回の大会の本選出場者は、自分以外はほとんどが発出場者である。この二名も例外ではなく、シノンはゲーム内で会ったことすらない。一応、本選出場者全員の装備や特徴についてはある程度まで調べているが、入手した情報も限られている。だが幸い、ジェイソンは、シノンの中では強く印象に残るプレイヤーだったので、よく覚えている。

 

(この二人の動きを見るに、追跡を受けているのはヴァンパイア。ジェイソンは追手ね……)

 

そこまで確認したところで、シノンは端末をしまって再び動き出した。先程確認した二人は恐らく、サテライト・スキャンの確認をしている暇も無いだろう。つまり、こちらの位置についても知る余地が無く、シノンから見れば格好の獲物なのだ。よって、シノンが向かう先は、森林西方。そこには、森林エリアと山岳エリアを正攻法で行き来できる唯一のルートの、鉄橋が存在する。

山岳エリアからこちらへ逃げているヴァンパイアは、ジェイソンを迎え撃つために、直線状のここへ来る筈。そして、それを追うジェイソンもまた、必ず現れる。シノンは、森林エリアの中で鉄橋を見下ろせる場所に陣取り、そこから狙撃を仕掛けるつもりなのだ。

 

(次の獲物は、この二人……道のりは遠いけれど……待っていなさい、死剣!)

 

今この場所にはいない、しかしいずれ会い見えるであろう最強と言ってもおかしくない程の強敵の姿を思い浮かべながらも、シノンは駆ける。次の狙撃ポイントへと…………

 

 

 

シノンが新たに移動した場所は、森林エリアの川沿いにある小高い崖の上。ブッシュの下へと身を潜らせた後、素早くヘカートのスタンドを立てて、対岸の鉄橋付近をスコープで覗き込む。

 

(来た……!)

 

そして、鉄橋の向こう側にある山岳エリアを監視すること数分。シノンの予測通り、先程マップ上で追撃戦をしていたプレイヤーの片割れが姿を現した。漆黒のミリタリースーツに、黒いローブを羽織った黒装束。プレイヤー名、ヴァンパイアである。その名の通り、闇夜の眷族たる吸血鬼を彷彿させる軽装である。敏捷特化型のステータス振りなのだろう。その手に持つのは、短機関銃のHP5。麺制圧を目的としたオープンボルト式の短機関銃とは一線を画す、目標に当てるための命中精度に優れる短機関銃である。軽やかなフットワークで鉄橋を駆けるヴァンパイアは、狙撃するには動きが速過ぎる。もうしばらく、様子を見ようと監視を続けるシノン。だが次の瞬間、予期せぬ出来事がスコープの向こうで発生した。

森林エリアを目指すヴァンパイアの背中に、“何か”が飛来したのだ。銃弾にしては遅く……しかし、並みの人間には回避することの難しい速度で迫る、黒く細長い物体。それは、ヴァンパイアの太腿に深く突き刺さり、転倒させた。

 

(あれは……まさか!)

 

橋の上で転倒し、動きを止めたヴァンパイア。その太腿に刺さった凶器を確認するや、シノンは橋の反対側へとスコープを向けた。シノンの予想通り、そこには新たなプレイヤーの姿があった。山岳エリアの鉄橋入り口。そこに立っていたのは、ホッケーマスクを模した仮面を被り、灰色のつなぎを彷彿させるコンバットスーツに身を包んだ男だった。体格はヴァンパイアより一回り大きく、伸長は百八十超。どこぞのホラー映画の殺人鬼を彷彿させる異質な姿をしたこの男こそ、ヴァンパイアを追跡していたジェイソンである。その右手に握られていた武装は、シノンの予想通りの代物だった。

 

(コンパウンドボウ……やっぱり!)

 

コンパウンドボウとは、滑車とケーブル、てこの原理、複合材料など力学と機械的な要素で組み上げられた近代的な弓である。その有効射程は百五十メートルに相当し、オリンピックのアーチェリーやコンポジットボウを凌ぐ性能で知られている。現実世界では、海外の狩猟や軍隊のサイレントキリングに用いられたこともある。

そのような軍事的な武装としての側面故に、コンパウンドボウは変則的な狙撃武器として、銃撃戦メインのGGOにも導入されていた。だが、弓矢故に、システム上で設定された仕様は、一般の銃器とはまるで異なる。その最大の違いは、GGOの銃撃戦に付き物とされる『弾道予測線』が発生せず、『着弾予測円』が使用できないことにある。つまり、標的とされた相手は、矢の軌道が見えず、矢を発射する射手は、システムのアシスト抜きで狙いを定めねばならないのだ。

 

(……成程。あれなら、足の速いヴァンパイアが劣勢を強いられたのも納得できるわ)

 

射程距離が百メートルを超える上に、相手の姿を視認した状態でも、回避は容易ではないのだ。山岳地帯のように、地形の高低差が激しく、足場の悪い戦場では、自慢の敏捷を活かし切れないヴァンパイアが劣勢に立たされるのは、自明の理だった。尤も、コンパウンドボウという、変則的かつマイナーな武装が相手では、どのようなプレイヤーが、どのような条件で戦ったとしても、不利な戦況は免れなかっただろうが。

 

(残念だけど、勝負あったわね……)

 

太腿に矢を受け、転倒させられたヴァンパイアは、ジェイソンに反撃するべく手に持ったHP5の銃口を向けた。だが、ジェイソンも黙って被弾する程愚かではない。コンパウンドボウに再度矢を番え、ヴァンパイアが引き金を引くよりも早く矢を射出した。矢はヴァンパイアの右肩を貫通し、それが原因で手元が狂った末に銃口は有らぬ方向を向き、そのまま発砲してしまう。これが原因で、ヴァンパイアは手元が狂って狙いが外れたばかりか、反撃の手段を封じられてしまった。

そして、ジェイソンはその隙を見逃さない。足を射抜かれ、銃が言う事を聞かない状態のヴァンパイアは、格好の獲物でしかない。ジェイソンは、手に持ったコンパウンドボウを横へと放り投げると、懐からもう一つの武器を取り出し、ヴァンパイア目掛けて突撃を仕掛ける。

 

(また、随分と特殊な嗜好の武器を…………)

 

シノンがそんな感想を漏らすのも、無理の無い話だった。ジェイソンの手に新たに握られた武装は、小型の斧――ハチェットだった。現実世界においては、消火活動の際に建物への進入や障害物の破壊等に用いられている。また、スプラッター映画の殺人鬼が使用する、殺害の凶器としてしばしば用いられている。そして、今回の使い道は、明らかに後者である。

 

「ぎゃぁぁぁああっ!」

 

転倒し、身動きの取れなくなったヴァンパイアに対して繰り出される、ジェイソンからの無慈悲な一撃。助走と振り下ろしの勢いで威力が倍増した一撃は、ヴァンパイアの脳天を直撃した。

これを食らったヴァンパイアは、断末魔の叫びを上げる。殺人鬼の格好をした敵が、目の前で凶器を振り翳しているのだ。ゲームのアバターと分かっていても、その恐怖は計り知れず、悲鳴を上げることも無理は無い。

眉間に斧がめり込んだヴァンパイアのHPは、当然のことながら全損。ヴァンパイアのアバターを操っていた人間は、斧を食らった途端に動かなくなった。恐らくは、恐怖の余り気絶したのだろう。

本来、アバターを操る人間が意識を失えば、ゲーム内のアバターは消滅する。だが、BoB本選においては、優勝者が決定するまでアバターはフィールド上に残存するシステムとなっているのだ。

 

(さて……ここからは、私の仕事ね)

 

ヴァンパイアの脱落を確認したシノンは、橋の上に一人残っているジェイソンへと照準を合わせる。

 

「どんな時も、後ろに注意よ、ジェイソン君」

 

先程の、ジェイソンとヴァンパイアとの派手な戦いで熱狂しているであろうギャラリーには悪いが、ここは確実に仕留めることにする。敵を倒して油断しているであろうジェイソンは、狙撃手たるシノンにとっては格好の的である。

近接に特化した武装であるジェイソンを仕留めるタイミングは、今をおいてほかに無い。橋の上のように開けた場所ならば、遮蔽物の類は無く、ジェイソンも筋力寄りのステータスなのは明らかなので、確実に命中させる自信がある。

 

「終わり(ジ・エンド)よ」

 

ヴァンパイアの頭部から斧を引き抜いたジェイソンは、先程投げ捨てたコンパウンドボウを拾うべく踵を返す。その無防備な背中に狙いを定め、いざ引き金を引く――――

 

「なっ!?」

 

引こうとした、その時だった。シノンにとって、予想外の事態がスコープの向こうで発生した。シノンが今、まさに狙撃しようとしていた標的のジェイソンの身体が、橋の上で仰向けに倒れたのだ。一体、何が起こったのかと混乱するシノン。だが、すぐさま常の冷静さを発揮して、現状を把握するべく、脳の思考をフル回転させる。

 

(私以外の第三者からの襲撃……でも、一体誰が?)

 

倒れたジェイソンの身体を、スコープの倍率を上げて見てみる。すると、その脇腹に針状のものが突き刺さっていた。さらにそこから、細く青白いライトエフェクトが、ジェイソンの全身を這うように発生していた。

 

(電磁パルス弾!あれでジェイソンを麻痺させたのね……でも、どこから?……それに、どうしてこの局面で?)

 

電磁パルス弾とは、着弾点から高圧電流を発生させ、一定時間相手の動きを封じる特殊な弾丸である。しかし、装填するには大口径ライフルを必要とする上に、一発の値段が非常に高い。大型Mobを狩るのならばいざ知らず、対人戦闘の技術を競うBoBで用いるのは場違いな武装なのだ。

加えて、ジェイソンに弾丸を命中させられるこの局面で、殺傷性皆無の弾丸が使用するメリットは無い。電磁パルス弾を発射できる大口径ライフルを所持しているのならば、実弾を急所に叩き込めば勝負を決められた筈なのだ。何故、早急にジェイソンを仕留めようとしなかったのか……シノンには、この行動の意図が理解できなかった。

 

(それに、銃声は聞こえなかった……一体、どこから狙撃したの?)

 

ジェイソンが倒れた際、辺りから銃声は一切聞こえなかった。大口径ライフルで狙撃などすれば、間違いなく銃声は聞こえる筈である。それに、ジェイソンが被弾した角度から考えるに、弾丸は横合いから垂直に繰り出された可能性が高い。つまり、狙撃手は橋の上か、もしくは橋の入り口付近にいる可能性が高いのだ。しかし、いくら辺りを調べても、プレイヤーの姿は一切見当たらない。

加えて、最後に確認したサテライト・スキャンの結果によれば、この鉄橋の付近を徘徊していたプレイヤーは、シノンとジェイソンとヴァンパイアのみ。他のプレイヤーが接近する様子は無かったし、この場所を真っ直ぐ目指していたとしても、移動速度が速過ぎる。

結論として、ジェイソンはこの場にいない筈の何者かの手によって倒されたことになる。いくら冷静に思考を走らせても、一連の出来事について、手段も目的も見当が付かない。イレギュラー極まる事態に直面したシノンは、焦燥に駆られながらも、なおも落ち着いて現状把握を試みた。

 

(……ジェイソンを麻痺させた以上、狙撃手には何らかの意図があったということ。となれば、倒れたジェイソンを見張っていれば……)

 

姿無き狙撃手は、必ずジェイソンに止めを刺そうとする筈。そしてその方法は、実弾による狙撃。そう考えたシノンは、橋の上で仰向け状態のジェイソンの監視を続けることにした。電磁パルス弾の効果が持つのは、一分前後。勝負を決めるつもりならば、すぐに次弾を放つ筈……

 

(んなっ!)

 

だが、シノンの予測は思わぬ形で裏切られた。ジェイソンに撃ち込んだ電磁パルス弾の効果が薄れ始めた頃になり、そろそろ次の狙撃が起こる筈だと思ってより注意深く監視をしていた時。シノンは、鉄橋の支柱の影からゆっくりと現れる黒い影をスコープ越しに捉えた。つまり、ジェイソンを狙撃した敵は、自らその場に姿を現したのだ。

シノンは改めて、鉄橋の上に新たに現れたプレイヤーの容姿を確認する。下に着ているのは、迷彩色のミリタリー風のズボンで、上は半袖のベルト付きジャケットを着ており、その上から黒いマントを被っている。顔には、首から鼻の部分までを覆うマスクを被り、左目には暗視ゴーグルを装着している。その手には、電磁パルス弾を射出したのであろう、大口径ライフルが構えられたままだった。そしてその銃の名を、シノンは知っていた。

 

(沈黙の暗殺者(サイレント・アサシン)!)

 

アキュラシー・インターナショナル・L115A3――それが、橋の上に立つ黒いマスクを付けた男の所持する武装の名前だった。射程距離は二千メートルを超え、専用のサウンド・サプレッサーが標準装備として備え付けられている対人狙撃銃である。その射程距離と仕様故に、標的は狙撃手を見つけることはできず、銃声すら聞こえないため、射殺されたことにも気付かず死に至る。まさしく、『沈黙の暗殺者』の名前に相応しい狙撃銃だった。銃声が聞こえなかったことは、これで説明がついた。だが、新たな疑問が浮上した。

 

(電磁パルス弾を撃ち込んだのはあの凶器で間違いない筈だけど……移動が速過ぎる)

 

シノンやジェイソンに気取られないよう狙撃をしたならば、そのポジションは、射程ギリギリの位置になる。となれば、射撃位置は山岳エリアの岩間の筈。だが、狙撃後に岩場から橋へと徒歩で渡ってきたのならば、直線距離で十分はかかる。雪の上に足跡を残さないよう注意しながら歩いたのならば、尚更である。しかし、山岳エリアからの橋の入り口付近にスコープを向けてみても、積もった雪の上に足跡は見られない。

サイレント・アサシンを持ったプレイヤーが現れたのは、狙撃から二分と経たないタイミングである。如何に敏捷に特化した、闇風のようなプレイヤーであろうとも、痕跡を残さずに辿り着ける距離ではない。最早、瞬間移動レベルの速度である。一体、何が起こっているのか……

だが、氷のように冷たく、滅多なことでは動じないシノンの思考が凪ぐよりも早く、スコープの先で起こっている事態はさらなる急展開を迎える。

 

(何を、しているの……?)

 

サイレント・アサシンを右肩に提げた黒マスクの男は、倒れたジェイソンの傍に立ってその姿を見下ろしていた。だが、単に勝ち誇って見下しているだけというわけではない。フリー状態の左手の指先を、額へ、胸へ、左肩へ、右肩へと動かしていく。要するに、十字を切るポーズである。まさか、このプレイヤーのリアルはクリスチャンで、敵を倒す前の儀式としてこのような真似をしているというのか……

 

(……馬鹿馬鹿しい。でも、何であんなことを)

 

この短時間でイレギュラーな行動を連発した、黒マスクの男の行動に、シノンは理解に苦しんでいた。ただ一つ言えることは、この十字を切るこのポーズには、何らかの意味があるということ。そして、それはまるで、ジェイソンをこの本戦から退場させる止めの一撃を放つまでの秒読みをしているかのように見えた。地獄へのカウントダウン……とでも称すべき何かが秘められているように思えてならない。

そして、黒マスクの男の奇行は続く。十字を切り終えたと思ったら、今度は腰のホルスターに手を突っ込み、副武装らしきものを取り出した。だがそれは、何の変哲も無い、ただのハンドガンだった。距離が距離なだけに、スコープ越しに正確な型番等を見抜くことは不可能だったが、別段特殊な改造が施されている様子も無い。ジェイソンの残存HPを削り切るには、明らかに威力不足の武器である。

 

「…………」

 

嫌な、予感がした。この男に引き金を引かせると、何かとんでもないことが起こるのではないか、と。確証は無い。だが、確信はあった。銃を構える黒マスクの男の姿。それが、かつて幼き頃に、シノンが現実世界で相対し、自身の手で殺したあの男――銀行強盗の男の姿と重なったのだ。

シノンは知らず、引き金にかけていた指を震わせていた。スコープの向こうで繰り広げられる光景について、まるで現状把握が追い付いていないそんな中。シノンの胸中に湧いたのは、『焦燥』と『恐怖』という感情だった。理性ではなく、本能が告げている。「早くこの男を撃て」と――――

 

(駄目よ……落ち着いて!)

 

想起されるかつてのトラウマに、冷静な思考を失いつつある感情を制御すべく、シノンは残った理性をフル稼働させて、己自身に必死に言い聞かせる。今、黒マスクの男を狙撃した場合、復活したジェイソンがこちらへ向かってくる可能性が高い。仕掛けるならば、橋の上にいるプレイヤーが潰し合って一人になった時を狙うのが効率的なのだ。故に今は、その決着が着くのを待たねばならない。だが、脳内で鳴り響く警鐘は、どうしてもそれを許そうとはしない。ジェイソンに向けてハンドガンを構える黒マスクの男を、今すぐに撃ち殺せと告げている。

 

「…………」

 

結局、シノンは自身の本能ではなく、理性による判断を優先させることにした。即ち、スコープの向こう側の端の上で、仰向けに倒れるジェイソンに向けて、黒マスクの男がハンドガンの引き金を引くことを容認したのだった。

そして、シノンが内心で葛藤にも似た感情を抱いている間に、黒マントの男は親指でハンマーをコッキングし、グリップに左手を添え、準備を完了した。そして、遂にその引き金は引かれた――――

 

 

 

パァンッ――――

 

 

 

GGOにおいてありふれた、乾いた銃声。同時に、撃ちだされた弾丸は、足元に倒れるジェイソンの胸部に命中した。現実世界ならば致命傷だが、生憎ここはゲームの中。九ミリパラベラム弾が胸や頭部といった急所に命中したところで、即死は有り得ない。HPが僅かに削られる程度である。

 

(……考え過ぎ、だったか)

 

本能的に恐怖したハンドガンの一撃だったが……何も起こらない。拍子抜け極まりない結果に、シノンは肩透かしを食らったかのような感覚に陥る。また、見た目だけの虚仮威しに目を曇らせ、判断力を鈍らせた自分に呆れを抱いていた。まだまだBoB本選はこれからだというのに、こんな調子では優勝することも、死剣を倒すことも儘ならない。

先行きの思い遣られる自分自身に苛立ちを覚えながらも、シノンは、再度照準を構え直した。狙うべくは、ジェイソン。電磁パルス弾の効果は、あと数秒足らずで切れる。そうなれば、ジェイソンが黒マスクのプレイヤーを、先のヴァンパイア同様にハチェットを頭へ叩きつけて、HPを全損させることだろう。それが終わり次第、狙撃を食らわせるのだ。

 

(そら、動き出した)

 

そうこうしている内に、シノンが考えている通り、ジェイソンは麻痺から立ち直って再起動を果たした。がばりと勢いよく起き上がると、目の前に立つ黒マスクの男目掛けてハチェット片手に襲い掛かった。全く、言わんこっちゃない。電磁パルス弾で倒した時に仕留めていれば良かったものを。結局のところ、この黒マスクの男は、高価な弾丸を無駄に消費しただけに終わっただけだった。これで、黒マスクの男の死亡は確実になる……

そう、思った時だった――――

 

「!?」

 

シノンが覗くスコープの向こう側で、またしても信じられない現象が起こった。麻痺から復活し、黒マスクのプレイヤーに襲い掛かったジェイソンの巨躯――そのアバターが、まるで糸の切れた操り人形のようにバランスを崩してよろめいたのだ。そして次の瞬間、ジェイソンのアバターは白い光に包まれて、消滅した。ジェイソンが立っていた場所には、『DISCONNECTION』という小さな文字列が浮かんだが、それさえも瞬く間に消え去った。

 

(何……今の?)

 

一瞬、何が起こったのか……シノンには、理解できなかった。『DISCONNECTION』とは即ち、回線切断が起こったということ。しかし何故、どうして、このタイミングで、こんな現象が起こったのか……

 

(……偶然と言うには、出来過ぎている。あのプレイヤーの行動が関係しているのは、明らか……)

 

シノンの予測が正しければ、回線切断を引き起こしたのは、黒マスクの男。銃撃によるHP全損ならまだしも、回線切断によるゲーム内からの排除など……一体、どんなチート技を使えばそんな真似ができるのか。GGOの世界をある程度まで知り尽くしたシノンでも、そんな裏技があるなどという話は聞いたことはない。

シノンは、黒マスクの男をスコープ越しに捉えた際に感じていた、得体の知れない、恐怖にも似た感情――その正体を、垣間見たような気がした。そして、同時にこれからやることも決まった。

 

(この男を、これ以上生かしておくわけにはいかない……)

 

回線切断を引き起こしたチートの正体は分からないが、銃弾一発でそんなことができるとすれば、脅威以外の何物でもない。今、この場で仕留めるのが最善策であることは、疑いようも無かった。

シノンは黒マスクの男について、標的とだけ認識する。そして、その精神を氷のように凍て付かせ、それ以外の思考全てを停止した状態にて、狙撃に集中した。

相手はまだ動いていない。狙撃を妨げる障害も、今は特に見当たらない。このままいけば、ヘカートから繰り出される弾丸が、そのアバターを粉微塵に吹き飛ばすことだろう。

 

「終わり(ジ・エンド)よ」

 

頭の中で勝利を確信し、しかし徹頭徹尾冷めきった思考の中、シノンはその引き金を、引いた――――――

 

 

 

 

 

 

 

時間を遡ることしばらく。シノンが森林エリアと山岳エリアの間にある鉄橋を目指して移動を開始していた頃。彼女が本大会最大の敵と認識していたイタチの姿は、ニヴルヘイム北部の湖沼エリアにあった。不安定な足場である氷の上を、身体の軸をブレさせることなく歩くその姿には、一切の隙が見られない。そして、イタチが歩いて行くその先にあるのは、敗退したプレイヤーのアバターだった。獅子――正確には、沖縄のシーサーだろう――を模した仮面を被っていた、男性プレイヤーである。

 

(……キング・シーサー、だな。)

 

イタチは足元に転がるアバターと武装の残骸を確認し、心中でそのプレイヤー名を呟く。プレイヤーネームと、この場所の位置情報については、ここに来る前に行った、サテライト・スキャンで確認済みだった。果てた姿の同時に、氷でできた地面に膝を突くと、そのアバターの状態について分析を始める。

まずは、キング・シーサーの装備の確認である。キング・シーサーが所持していた武装は、自動小銃のスプリングフィールドM1。そして、下半身の腰に備え付けられたホルスターには、副武装である自動拳銃のベレッタM92が入っていた。その二つの内、イタチは胴体から分離した右手に握られているスプリングフィールドM1を手に取った。

 

(弾薬は使われていない。拳銃も抜かれていないということは、奇襲を受けて抵抗する間も無く殺られた証拠……)

 

続いてイタチは、アバターの損傷について思考を巡らせる。キング・シーサーのアバターは、四肢が断ち切られた上に、上下半身が両断されていた。GGOの一般的な銃撃戦においては有り得ない損傷である。明らかに銃撃戦によるものではなく、何らかの斬撃武器による切断だろう。

しかも、ただの切断ではない。通常、VRゲームにおいて四肢をはじめとしたアバターの部位欠損が発生した場合、ポリゴン片となって霧散するのが常である。BoBにおいては、例外として敗北したプレイヤーのアバターが、大会終了までフィールドに残される。しかし、欠損した部位が発生した場合には、通常時と同じくポリゴン片と化して霧散する。では、何故アバターの欠損部位が全てフィールドに残されているのか。

 

(四肢を切り刻まれながらのHP全損……それも、切断された部位が消滅する間も無い程の連撃、か)

 

それが、SAO制作に携わり、蓄積させたVRゲームのシステムに関する知識をもとに、イタチが出した結論だった。そして、この推理が的中していたならば、使用した凶器の正体も見えてくる。銃の世界たるGGOにおいて、アバターを高速で切断ダメージを与えることができる武器は、ただ一つ。

 

(光剣……だな)

 

イタチも主武装として使用している武器――『光剣』。刃の形をしたレーザー光線たるそれは、銃弾も容易く両断する力を持つ。また、刀身が実体を持たない故に、高速で振り回すことができる。このアバターの残骸を作ることができる武器は、これ以外に無い。

しかし、だとすれば疑問も残る。キング・シーサーが奇襲を受けたこの場所は、氷の張った湖の上。身を隠す遮蔽物の類は一切無く、奇襲など仕掛けようと近付けば、すぐに気付かれてしまう。

姿を隠すための、何らかのアイテムやトリックを使ったことは、間違いない。

 

(しかも、この技量……)

 

GGOにおいて、光剣はマイナーな部類の武装である。銃の世界たるGGOでこれを扱うには、相手が繰り出す銃弾の軌道を読み取る技量が不可欠である。イタチに限って言えば、現在の身体能力や反応速度が優れていることに加え、SAOと前世における戦闘経験のバックアップがある。だが、キング・シーサーを倒したプレイヤーは、何故ここまで光剣を使いこなせるのか……

 

(やはり、奴……か)

 

だが、イタチにはその理由が分かっていた。もっと言えば、キング・シーサーを倒したプレイヤーの正体を知っている。そして、そのプレイヤーこそが、イタチがこの世界へとやってきた理由なのだから…………

 

(奴が向かった先は……)

 

イタチが追い掛ける相手の行方。それを知るために、周囲に視線を巡らせたイタチだが、答えはすぐに見つかった。イタチがいる場所から見て前方、およそ十メートル先の地点に積もった雪の上に、足跡が見えた。足跡を隠蔽する意思がまるで感じられない……むしろ、見つけさせるために付けたとしか思えない足跡だった。挑発、或いは誘いとしか考えられない。

 

(明らかに罠……だが)

 

イタチには、今更足を止めるという選択は有り得ない。イタチは迷うことなく、その足跡へと足を向けた。向かう先は、湖沼エリアより南側にある、中央の炭鉱都市である。

自身や、この大会に参加するプレイヤーに向けられる、膨大な悪意がそこに渦巻いている。イタチは知らず、そこが決戦の地になることを、予感していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~おまけパロキャラ劇場~

 

「あ、始まりましたよ、皆さん」

 

「イタチ君は映ってるかな?」

 

妖精の国として知られるVRMMORPG、アルヴヘイム・オンライン――通称『ALO』に存在するとある酒場の中。そこには、現在複数のプレイヤーが集まっており、モニターに映し出されていた第三回BoBを観戦していた。

 

「バトルフィールドの名前は、『ニヴルヘイム』だって。名前も風景も、サチの使う最大魔法そのままね」

 

「えっと……そうだね。あはは……」

 

リズベットの言葉に、サチは苦笑した。

 

「それにしても、参加しているプレイヤーは皆、妙な格好の連中ばかりだな……仮面やマスクやら、銃の世界で何の役作りのつもりなんだ?」

 

「全く意味不明ですよね……名前といい見た目といい、殺人鬼かと思う人ばかりですよ」

 

ダカの言葉に対し、リズベットの隣に座っていたシリカが賛同した。酷い言われ様だが、この場に集まった全員が同じことを考えており、フォローをしようとする人間は誰一人としていない。譬えその中に、知り合いのプレイヤーが混ざっていたとしても……

 

「ところで、この雪夜叉っていうプレイヤー。なんか声が、ランさんに似てませんか?」

 

「えっ?そうかな……」

 

リーファの言葉に対し、ランが戸惑いの声を発する。リーファが指差す先のモニターには、鬼の仮面を被った雪夜叉と呼ばれるプレイヤーが、斧を片手に近接戦闘を繰り広げていた。

 

「ああ、確かに似ているな」

 

「オイラもそう思うよ。でも、銃の世界で、何であんな武器を使ってるんだ?」

 

「近接戦闘が得意って言う点だけは、ランと同じだな。あと、怒ると鬼のように恐ろしいところもな」

 

リーファの呟きに対し、今度はカズゴ、アレン、ヨウまでもが確かに、と頷いた。それを聞いたランは、不服そうな表情で不満を口にする。

 

「失礼ね。私はあんな風に刃物を振り回したりはしないわよ」

 

「…………ああ、そうだったな」

 

鬼の仮面を着けたプレイヤーと同一視するなと言うランに対し、一同は苦笑を浮かべた。怒りを露にしたランが繰り出すものは、刃物等の凶器ではない。空手によって鍛えられた拳によって繰り出す鉄拳制裁である。探偵である父親の職場で、幾度となく抵抗する犯人達を沈めた実績を持つランの拳撃は、下手な凶器よりも殺傷能力があると言っても過言ではないのだ。

 

「声といえば、このフォックスとかいうプレイヤーも、キヨマロに似てないか?」

 

「あ、確かに」

 

「それに、この岩窟王ってプレイヤー……ハヤテのところのお嬢様の声に似ている気が……」

 

「ナギだな……言われてみれば、そう思えるな」

 

大会出場者に、やたらと知り合いに声が似ているプレイヤーが多いと思う一同。一体、どんな偶然だろうか……

 

「あ、それから。このシノンっていう人と、ローゼン・クロイツっていうプレイヤーも、声が似てます」

 

「確かに……けど、知り合いじゃないだろ」

 

いつの間にか始まっていた、知り合いに声が似ているプレイヤー探しが、知り合いの枠を逸脱していることに、カズゴが突っ込みを入れた。そんな中、リーファは一人、首を捻っていた。

 

「シノン……う~ん……なんか、どこかで聞いたことがあるような……」

 

「なんだ、リーファ。知り合いなのか?」

 

「ううん。でも、どこかで同じ様な名前の人に会ったことがある気が……」

 

「気のせいじゃない?それに、プレイヤーネームよ。リーファちゃんの知り合い本人じゃないでしょう」

 

アスナの尤もな指摘に、確かにとリーファは思うのだが、どうしてもシノンという名前は、頭のどこかに引っ掛かったままだった。

 

「案外、イタチの知り合いだったりして」

 

「ハハ、まさかそんなこと無いだろう。向こうの世界でまた、女を引っ掛けてきたってか?」

 

アレンが何気なく口にした冗談を、クラインは軽く笑い飛ばす。他の男性陣も同様の反応で、苦笑を浮かべていた。だが…………

 

『……………………』

 

アスナやリーファをはじめとする女性陣の一部は、神妙な表情で沈黙してしまうのだった。

 



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第九十話 アインクラッドの亡霊

2025年12月14日

 

VRMMORPG――『アルヴヘイム・オンライン』。通称『ALO』と呼ばれるこのゲーム世界の中心には、世界樹と呼ばれる巨樹が聳え立つ。かつてはグランド・クエストの舞台として、多くのプレイヤーの頂上到達を阻み続けた難攻不落の巨塔として知られた、この世界の象徴である。

しかし、『ALO事件』にて、SAO生還者の大量拉致・監禁に加え、人体実験まで行っていた、伏魔殿としての実態を暴かれた経緯がある。その後、事件の詳細が世間に詳らかにされたことで、ゲームそのものが消滅の憂き目を見た。しかし、『ザ・シード』と呼ばれるプログラムが世に出回ったことをきっかけに、元ALOプレイヤーが立ち上げた会社によって、プレイヤー達のデータ諸共復活を果たしたのだった。

そして、新たに運営されるに至った新生ALOにおいても、世界樹はALO世界の象徴として存在し続けている。尤も、プレイヤーの飛行時間については無制限化されたため、グランド・クエストの舞台としての機能は失っている。その代わり、世界中の頂上には『イグドラシル・シティ』と呼ばれる広大な街が、新たに実装化されていた。

そんな街の一角にある、NPCが経営する酒場。本日そこを、貸し切りにしている、プレイヤーの一団があった。

 

「お兄ちゃん、なかなか映らないねー」

 

酒場の窓際に浮かんだモニターに映っているのは、銃の世界たるガンゲイル・オンラインにて繰り広げられている、最強決定戦。第三回BoBの映像である。

それを見ながら、緑がかった金髪をポニーテールに束ねたシルフの少女、リーファは不満そうな言葉を漏らしていた。

 

「でも、イタチさんは用心深いですからねぇ……本当にチャンスだと思った時にしか動かないんじゃないですかね?」

 

「有り得る話だな。奴は常に効率重視で動く。それに、銃器が主武装の世界では、ALOのようにはいくまい。ましてや、フィールドが豪雪地帯だ。得意の敏捷も活かせない上、敵に足取りを気付かれないようにせねばならんのだから、思い通りにはならん」

 

「それにしてもあのフィールド、本当に寒そうだよね。まるで、ヨツンヘイムみたい」

 

対して、隣の席に座ったライトブラウンの髪のケットシー、シリカは、ある意味納得したかのように呟く。そして、それに同調するのは、ソファーの傍に立つ、現実世界同様に豊満なバディに黒髪の美少女、インプのメダカである。ソファーの前に備え付けられたテーブルを挟んで右側の椅子に座ったウンディーネのサチは、対戦フィールドのニヴルヘイムに、ALOの地下迷宮を思い出していた。

 

「尤も、イタチなら懐に飛び込みさえすれば、銃が相手だろうと絶対に勝てるんだろうがなぁ……」

 

「あのな、銃の世界って言ってんだろうが……近接武装なんて、あるわけねぇだろうが」

 

バーカウンターに座り、ウイスキーの入ったグラスを煽りながら、大会に参加している友人、イタチの勝算について口にするのは山賊風の容姿をした男。サラマンダーのクラインである。その隣の席からクラインの見解に対してツッコミを入れるのは、黒衣に身を包んだサラマンダー、カズゴだった。

 

「でも、イタチ君が銃を持って戦う姿なんて、想像できないわよねぇ……」

 

「いくらイタチ君でも、銃の世界で剣を振り回すなんて、有り得ないわよ……多分」

 

リーファとシリカが座っているソファーから、イタチが銃を使うことに対して疑問が上がる。リーファと同じく、シルフのランである。しかし、その隣に座った、同じくウンディーネのアスナからは、ランの意見を否定する言葉が出た。語尾に多分がつくあたり、彼女も断言し切れないのだろう。

そんなアスナの不安に対し、メダカはふふふ、と不敵な笑みを浮かべながら口を開いた。

 

「それが、そうでもないらしいぞ」

 

「ん?……メダカ、何か知ってるんか?」

 

「まさか、イタチがあの大会で剣を使ってる、なんて言い出すわけじゃないですよね?」

 

メダカの言葉に対し、カウンター席に座りながら疑問を浮かべるのはノームのヨウ。隣に座るプーカのアレンは、顔を引き攣らせていた。

 

「そのまさかだ、アレン。イタチの奴がBoBに参加していると聞いて、少しばかり調べたんだが、かなり話題になっているぞ」

 

不敵な笑みをそのままに、メダカはステータスウインドウを開き、その中から目的のデータをその場の一同へ送信した。皆はメッセージを受け取ると、それを開き、中身を確認する。その内容は、GGOプレイヤーをはじめ、BoBを観戦していた者達が掲示板に書き記した呟きだった。

その内容に、一同は絶句する。

 

「『前代未聞!GGO初の光剣使い、BoB本選に出場する!』……これ、間違いなくイタチのことですよね?」

 

「『死剣登場!伝説は本当だった!』とも書いてあるな。既に伝説になっていて、渾名まで決まってるみたいだぞ」

 

「こっちは、『シ○の暗黒卿現る!』とか、『フォー○の力か、銃弾効かず!』とか書いてあるぜ」

 

「見た目そのままだしな……だが、仮に奴が暗黒卿の生まれ変わりで、フォー○やらの奇々怪々な力を習得していたとしても、私は驚かんぞ」

 

「まあ、そう言いたいのも分からないでもないけど」

 

アレン、ヨウ、カズゴが苦笑を浮かべながら呆れたように呟いた。メダカに至っては、ネットで囁かれている馬鹿げた噂が事実だとしても、むしろ納得とまで言っている。他の面子にしても、サチをはじめ同様の感想を抱いたことは、表情を見るだけで明らかだった。だが、アスナとリーファだけは、メダカの『生まれ変わり』という言葉に対して顔を引き攣らせていたが。

 

「銃ゲーで剣って、アイツは一体、何を考えているのよ」

 

「でも、剣さえあれば、パパなら絶対に優勝間違い無しですよ!」

 

最早、どうしようもないとばかりに、額に手を当てながら呆れ果てた様子で感想を口にするのは、レプラコーンのリズベットである。リズベットの容赦の無い台詞に、その場に居たメンバーは、ユイを除いてフォローのしようがない。

 

「それにしても、何だってアイツはGGOなんぞにコンバートしたんだ?それも、サスケの方のデータを使って」

 

「私も、今朝知りましたよ。お兄ちゃん、バイトがあるからって最近ALOにはダイブしていないと思ってたら、サスケ君のデータでこんなことしてるなんて……」

 

リーファこと直葉が、イタチこと兄・和人がGGOにダイブし、BoBへ参加していたことを知ったのは、今朝だった。ここ一週間、バイトが忙しくてALOへのダイブはできなくなるという話は聞かされていたが、その詳細については告げられていなかった。故に、常々疑問に思っていたのだ。しかし今朝、思わぬ形で和人が行っているというバイトについての情報を得ることができた。

きっかけは、VRMMO情報サイト『MMOトゥモロー』のニュースコーナーだった。ALOプレイヤーとして、何気なくその記事に目を通していたところ、BoB本選出場者についての記事の中に、『イタチ』という名前を見つけたのだ。その後、和人を問い詰めたところ、あっさり観念して、現在引き受けているバイトの内容について、簡単ながら説明した。

 

「なんか、GGOの中で起こっている、おかしな異変についての調査を頼まれたとかで、サスケ君のデータを使ってダイブしたらしいんですけど……」

 

「異変、ねぇ……リーファちゃん、イタチ君にそれを頼んだ人って誰なのかな?」

 

「別に、怪しい人じゃないらしいですよ。前にSAO事件やALO事件で顔を合わせた人で、総務省仮想課の人だそうです」

 

リーファに投げた問い掛けに対し、そう返されたアスナは、訝るような表情を浮かべた。総務省仮想課の人間で、和人と親しい人物には、心当たりがある。恐らくは、SAO事件やALO事件の事情聴取の際に、自分も幾度か顔を合わせている、あの人物だろうと、当たりをつける。

だが、同時にアスナは、その人物に対して疑惑にも似た感情を抱いていた。信頼できないとまではいかないものの、腹に一物隠しているような印象を受けたことが理由として挙げられる。

加えて、和人が皆に黙ってそのようなバイトを引き受けたことについても疑問が残る。ここに居るメンバーは、和人とはSAO事件以来の付き合いであり、気心の知れた友達に近い関係にある。にも関わらず、何故誰にも――妹であるリーファにすら――バイトのことを話さなかったのだろうか。

 

(何だろう……嫌な予感がするわ……)

 

何ら確証の無い疑念だったが、アスナは胸騒ぎを覚えずにはいられなかった。まるでそれは、SAO事件の中で感じたような、そんな胸騒ぎだったからだ。

そして、不安を感じずにはいられなかったのは、彼女だけではなかった。同じソファーに座るリーファも、同様の表情を浮かべていた。

 

(お兄ちゃんが、『サスケ君』を使ってダイブするなんて……)

 

リーファの不安の根源は、和人がGGOに持ち込んだ『アバター』にあった。以前、リーファはイタチこと和人に、SAOのイタチのデータをコンバートさせた、スプリガンの『サスケ』のアバターでプレイしない理由を聞いたことがある。イタチから返って来た答えは、「前世の分身たるアバターを徒に使うわけにはいかない」というものだった。つまり、和人がサスケのアバターを持ち込むということは、それ相当の理由がある可能性が高い。勿論、単にGGOへコンバートさせるだけのために、ALOではあまり使用していないサスケのアバターを利用するほかなかったとも考えられる。だが、何も言わずにバイトと称して別のゲームへ飛び込んでいった兄には、どうしても胸騒ぎを抑えられなかった。

 

「お、誰か倒れたぞ」

 

ふと、カズゴが呟いた言葉に、全員の視線が中央部分のモニターに集中する。GGOへダイブしたイタチこと和人の真意について疑念を抱いていたアスナとリーファも、そちらへ視線を向けた。

カズゴが注目したモニターには、田園エリアの戦闘が映し出されていた。そこでは、炎を模したデザインの覆面を被った、黒衣の大柄なプレイヤーが、仰向けになって橋の上に倒れていた。名前を『モンスター』というらしい。身体にはスパークがビリ、ビリ、と這っており、電撃のようなもので麻痺している様子が分かる。

 

「確かに倒れているけれど……」

 

「なんで、麻痺なんでしょう?」

 

ランとシリカが疑問の声を発する。それは、戦闘を見ていた他のメンバーも同じだった。

 

「風魔法の『封雷網(サンダーウェブ)』みたい……」

 

「だが、GGOに魔法は無い。何らかの特殊弾だろう」

 

「メダカさんの言う通りです。あれは、電磁パルス弾と呼ばれる弾丸で、主に対モンスター戦で使用される特殊弾です。しかし、単価がかなり高い上に、大型のライフルじゃないと発射できない仕様なんです」

 

「ってことは、アレで麻痺させた後で、止めを刺そうって魂胆なのか?」

 

ユイの解説を聞いたクラインは、そう推察する。電磁パルス弾の発射に大型ライフルを使ったのならば、今度は実弾を放つ筈。対戦を観ていた誰もが、そう考えていた。しかし、数十秒が経っても、追撃は来ない。

 

「どうなってんだ?」

 

「どうして止めを刺さないのかしら?」

 

疑問を口にするカズゴとランだが、当然答える人物はいない。誰もが首を傾げる中、アスナは一人、件の戦闘シーンが映されたモニターをアップさせた。同じソファーに座るリーファも、このモニターを凝視していた。この異常事態には、何かある。もっと言えば、イタチがGGOへダイブするに至った秘密があると、直感していた。

すると突然、モニターの中に黒い布がフレームインしてきた。プレイヤーの出現を意味する現象である。

 

「ようやく来たみたいね」

 

「けど……大型のライフルを持っているのに、何であんな至近距離に現れたんでしょう?」

 

呆れたように呟いたリズベットに続いて、シリカが発した疑問は尤もだった。長距離射撃ができる武器を持っているなら、動けなくした今の内に急所へ撃ち尽くしてHP全損を狙うべきではないのか。

おそらくは、GGOのプレイヤーでも理解不能な謎だらけの行動に、先程から疑問ばかりが募る。しかし、そうこう考えている間にも、モニターに映ったプレイヤーの全身が映し出される。

 

「女の人、でしょうか?」

 

「ALO以上に男性の比率が高いゲームなのに、珍しいわね」

 

モンスターを襲撃したプレイヤーは、全身を包むローブのようなものを羽織っていた。しかしその身体のラインは、明らかに女性のものだった。肩には、電磁パルス弾を放つために使用したのであろう、大型ライフルを担いでいる。襲撃者の正体が思いもよらないものだったことに対し、アレンとリズベットが軽く驚きの声を上げる。だが、今注目すべきはそこではない。

 

「あ、懐から何か取り出したみたい」

 

「何かって……なんだ、あのチャチな銃は?」

 

仰向けに倒れたプレイヤー、モンスターのもとへ歩み寄った女性プレイヤーが、懐から新たな武装を取り出したことに気付くサチ。しかしそれは、カズゴの言う通り、プレイヤー一人殺すにはどう見ても威力不足なピストルだった。

本当に、何を考えているのか分からない。わざわざ高価な弾丸を使って動きを封じ、わざわざ至近距離に現れたと思えば、明らかに威力不足な武器を構える。本当に勝つつもりがあるのか、疑問である。

 

「ん?……何してんだ?」

 

「十字を切っているようだが……」

 

そして、件の女性プレイヤーは、またしても不可思議な行動を見せた。人差し指と中指の先で、額、胸、左肩、右肩の順に素早く触れたのだ。メダカが口にした通り、十字を切る動作を彷彿させるものだった。

 

(……何、この感覚は……?)

 

十字を切るローブを被った女の姿に、アスナは言い知れぬ不安を感じた。しかも、この感覚には覚えがある。これを知ったのは、どこだっただろうか――――

 

「!」

 

記憶の奥底で疼く、得体の知れない何かを探ろうとするアスナだが、それよりも早く、モニターの向こうで構えられた引き金は引かれた。

 

 

 

途端、アスナをはじめとした、その場にいた一部のプレイヤー達に戦慄が走った。

 

 

 

「うわ!……弾丸が右目にモロに当ってる……」

 

「うぅ……痛そうです」

 

「ALOでもそうだけど、顔にあんな攻撃受けたら、ゲームでもトラウマになるよね……」

 

モニターに映った女性プレイヤーが放った弾丸は、モンスターの右目に命中した。仮想世界で受けたダメージには痛覚が伴わないとはいえ、顔面に受ける損傷はかなり恐ろしい。リズベット、シリカ、サチが嫌そうな顔を浮かべるのも、無理の無いことだった。ゲーム内の死イコール現実世界の死という世界を生きたSAO生還者ならば、その反応も一際強い。

そんな中、アスナやクライン、メダカといった――アインクラッドの最前線で戦っていた、いわゆる攻略組――は、沈黙したまま食い入るようにモニターを凝視していた。

 

「けど、結局大したダメージにはなっていないみたいね」

 

「あ~あ……あれじゃあ、電磁パルス弾が切れた途端に逆襲されて終わりよ」

 

弾丸が頭部にヒットしたとはいえ、ゲーム世界でのダメージである。ピストル一発の弾丸には見合わない程のHPが削られたものの、即死足り得ない。

このままでは、リズベットの言った通り、電磁パルス弾の麻痺が抜けた途端に目も当てられない惨状になることだろう。モンスターの主武装は、火炎放射器である。あの至近距離では、回避は到底間に合わない。その場で観戦していた誰もが、女性プレイヤーが火だるまになることを疑わなかった。

そして、遂に電磁パルス弾の有効時間が切れて、モンスターが動き出す。地面に尻もちをついたまま、火炎放射器を構えたモンスターは、目の前で悠然と立つフードの女性プレイヤー目掛けて火炎を放とうとした――その時だった。

 

「な、何!?」

 

火炎放射器の銃口を向けていたモンスターの身体に、突如ホワイトノイズのようなものが走ったのだ。そして次の瞬間には、阿アバターそのものが消滅。その跡には『DISCONNECTION』の文字が浮かんでいた。

観戦していた、酒場のメンバー全員が絶句する中、フードを被った女性プレイヤーは中継カメラの方へと銃口を向けた。そして、フードの奥に隠れた口元に笑みを浮かべ、女性らしい高く透き通った声で話し始めた。

 

『私とこの銃の名前は、『死銃』……『デス・ガン』よ』

 

外国人風のイントネーションが伴ったその口調に、観戦していたメンバーの一部が、身体を強張らせる。何故なら、その口調には、確かに聞き覚えがあったのだから……

 

『この銃には……私達には、本物の死を齎す力がある。嘘だとは、思わないことね』

 

嘘だとは、思えなかった。美しく、かつ邪悪な笑みを浮かべて話すその姿は、まるで女の姿をした悪魔のようだった――――

 

『忘れない事ね……まだ、終わっていない……何も、ね』

 

そして、フードの奥で浮かべた笑みを、より深めた女性プレイヤーは、最後に二言で締め括った。

 

『イッツ・ショータイム』

 

その言葉に、アスナやクラインは、大きく目を見開いた。

 

『Good Luck』

 

その言葉を最後に、中継は途絶えた。中継画面が別のプレイヤーの先頭へと移り、酒場の空間を沈黙が包み込んだ。そして、その恐ろしい程の静寂は、クラインの落としたグラスの破砕音によって、破られた――――

 

「ど、どうしたのよ……クライン?」

 

カウンター席で酒を飲みながら観戦していたクラインの突然の異変を訝りながら、リズベットが声を掛ける。だが、クラインからの返事は無い。そしてそれは、クラインだけではなかった。同じくカウンター席に座っていたアレンやヨウ、壁際に立っていたカズゴまでもが、驚愕に目を剥いていた。

 

「う、嘘だろう……!」

 

「……マジかよ!」

 

口々に驚きを露にする者達だが、リズベットやシリカ、サチといった面子には事情がまるで分からない。女性陣が混乱する中、リーファは一人、ソファーから立ち上がると、後ろに立っていたクライン達に向き直った。そして、真剣な表情で口を開く。

 

「クラインさん、あのプレイヤーについて、何か知っているんですか?」

 

「あ、ああ……」

 

リーファに問い掛けられたクラインは、驚きによる混乱が抜け切らず、動揺したまま返事をした。その後、隣に並び立つカズゴやアレンの方へ顔を向けて頷き合うと、この場にいる全員で知識を共有するために、全てを話すことを決心する。

 

「昔の名前までは分からねえ……けど、これだけは断言できる。奴は、『笑う棺桶(ラフィン・コフィン)』のメンバーだ!」

 

「…………!!」

 

クラインが放ったその言葉に、リズベットやシリカ、サチまでもが戦慄した。アインクラッドで繰り広げた彼等の凶行は、中層プレイヤーであった彼女達のもとにも届いていたのだから。

 

「『笑う棺桶(ラフィン・コフィン)』というのは?」

 

「SAOで殺戮の限りを尽くした――『殺人ギルド』のことだ」

 

リーファの問いに答えたのは、傍に立っていたメダカだった。その美貌は、酒場にいた他のメンバー達と同様、忌ま忌ましげに歪んでいた。その表情を見ただけで、笑う棺桶という殺人ギルドと、兄・和人ことイタチの間には、ただならぬ因縁があるのだと悟った。

その後、メダカの口から語られた、笑う棺桶についての話の内容は、リーファが予想した通りのものだった。

 

笑う棺桶が、デスゲームと化したSAOを、より完全なデスゲームたらしめるために結成されたこと――――

 

殺し合ってこそのデスゲームという、極めて身勝手な理由で繰り広げられた殺戮劇によって、三桁に及ぶプレイヤーの命が奪われたこと――――

 

果ては、攻略組に所属するプレイヤー達との、血で血を洗う討伐戦にまで及んだこと――――

 

その中でイタチは、仲間を守るために、とりわけ多くのレッドプレイヤー達を手に掛けたこと――――

 

「あの討伐戦は、文字通りの地獄だった……イタチの活躍が無ければ、犠牲者の倍増は必至だっただろう」

 

「デスゲームのSAOでは、HPの全損だけは絶対にあっちゃならねぇことだったんだが……あの時ばかりは、そうもいかなかったからな」

 

説明を終えたメダカと、それに続いて口を開いたクラインの顔からは、凄惨な過去を思い出したことによる悲愴が感じ取れた。だが、それだけではない。恐らく、あの戦いの中で望まないままに多くの目に見えない血を流したイタチに対する、忸怩たる思いがあるのだろう。メダカとクラインの話を聞く限りでは、味方の被害を最小限に止めることができたのには、イタチの活躍が大きいことは明らかだった。

 

「話が逸れたな。それで、先程あの女性プレイヤーが使っていた台詞の、『イッツ・ショータイム』と『Good Luck』ってのは……笑う棺桶のトップ二人が使っていた、決め台詞なんだ」

 

「両方とも、ありきたりといえばありきたりな決め台詞だが……あんな異変が起こった直後に、二つ同時に出てきたんだ。偶然と言うには不自然過ぎる」

 

メダカの推測は尤もなものだった。確かに、『イッツ・ショータイム』も『Good Luck』も、ポピュラーな決め台詞と思えなくもない。だが、ピストルの銃弾一発で、対戦相手を回線切断に陥れ、『死銃』やら『デス・ガン』やら『本物の死』やらの物騒な単語を発したプレイヤーが口にしたのだ。偶然と切り捨てることは到底できない。

 

「それじゃあ、あの女の人が二人の言う……笑う棺桶の幹部なんでしょうか?」

 

「いいえ、それは違うわ」

 

リーファの問いに答えたのは、それまでソファーに座って沈黙を保ったままの、アスナだった。ソファーから静かに立ち上がると、後ろに立つメダカやクラインをはじめとした、当時のSAO攻略組にして、笑う棺桶討伐隊のメンバーでもあった面子に対して向かい合う。

 

「リーダーのPoH(プー)も、その右腕だったスカーレット・ローゼスも、男性プレイヤーよ。あの女性プレイヤーのアバターを操っているのは、別人よ」

 

決意の籠った声色で話すアスナの表情は、いつもの穏やかな彼女のそれではない。SAO生還者の、最前線で戦闘に臨んでいた者ならば知らぬ者などいない、攻略ギルド血盟騎士団副団長『閃光のアスナ』の顔だった。

 

「けど、あの喋り方と、右目を狙う攻撃には覚えがあるわ。彼女も確か、笑う棺桶の上位プレイヤーだった筈よ」

 

「ああ、いたな。顔面を攻撃するプレイヤーは、レッドギルドに何人もいたが……突出したアキュラシーで、右目を執拗に狙う奴が」

 

アスナの推測に対し、メダカが肯定したことで、笑う棺桶の関与が疑いようもないことを、その場にいる全員が思い知った。

 

「でも、それだと……バイトって話はどうなるの?イタチは、誰かの依頼でGGOに行ったんでしょう?」

 

リズベットが口にした疑問は、尤もだった。イタチが言うには、GGOで起こった異変の調査を目的とした依頼らしい。先程の笑う棺桶の構成がしでかしたことと、何か関連があるのだろうか。

 

「お兄ちゃん……多分、知っていたんだと思います。GGOに、その笑う棺桶の人がいること。多分それで、昔の因縁に決着を着けるためにBoBに参加したんです」

 

「だろうな。勘の鋭いアイツのことだ。連中がまたぞろ動き出したことを、依頼を受ける前から悟っていたとしても、おかしくない」

 

カズゴの言葉に、アスナやクラインは頷く。依頼の詳細について、妹にすら語ろうとしなかったことも、これで説明がつく。いつもの如く、危険が予測される依頼故に、自分だけで解決すべく動いていたのだろう。

だが、こうしてイタチが危険なことに首を突っ込んでいることを知った以上は、黙って手を拱いて見ているわけにはいかない。それは、この場にいる全員の共通認識だった。

 

「奴が何も言わず、一人で突っ走ったことについては、後日問い詰めるとして……今は、GGOで起こっている異変について知ることが先決だな」

 

「全くその通りだな。ったく、イタチの野郎は、これだから……!」

 

「言っても仕方あるまい。まずは、依頼主に事情を聞くことから始めるか」

 

「メダカさん、その役目は私が引き受けます。イタチ君に今回の依頼をした人物には、心当たりがありますから」

 

「そうか。なら、頼んだぞ、アスナ」

 

 

「分かりました。一度落ちて、イタチ君の依頼主に連絡を取って、この場へ呼び出します」

 

「それが一番ね。その人には、色々と聞かなきゃならないことがあるからね……」

 

拳をコキコキと鳴らす素振りを見せながら、ランはそんなことを口にした。事情次第では、依頼主の身に危険が及ぶ可能性もあるが、それを気にするのは後である。

 

「ユイちゃん、さっきのフードを被った、『死銃』って名乗ったプレイヤーについてリサーチをお願い」

 

「了解です、ママ!」

 

アスナの肩から飛び立ったユイは、テーブルの上に立ってそのまま瞼を閉じる。そして、ネットの海から情報をサルベージするべく意識を集中させる。

 

「私も、気になることがあるから一度落ちる。出来る限り早く戻ってくるから、待っていてくれ」

 

そう言い残すと、メダカはアスナとともにメニューウインドウを呼び出し、ログアウトボタンを押した。二人のアバターが消え去った後に残された者達は、今現在も別の世界で繰り広げられている戦いが映されているモニターへと、視線を戻した。

その中に潜む、殺人者の影を……アインクラッドで壊滅した、レッドギルドの亡霊を探して――――

 

 

 

 

 

 

 

第三回BoBの舞台たる、『ISLニヴルヘイム』。その中央には、廃炭鉱都市が存在する。だが、一口に廃炭鉱都市とは言っても、フィールドを構成しているのは炭鉱都市だけではない。

島の中心に聳え立つ鉱山を中心として、炭鉱都市があるのは南側、採掘場は西側から北側にかけて設けられている。東側に関しても、西側と同様、採掘場跡地ではあるものの、その面影はほとんど残っておらず、一面が雪に覆われた雪原が広がっている。

そんな、さまざまな要素を詰め込んだ炭鉱フィールドの中、南側の都市に、シノンの姿はあった。

 

(あのプレイヤーを追ってここまで来たけど、全く見つからないなんて……)

 

白く染まった仮想の吐息を吐きながら、シノンは辺りを見回していた。だが、狙撃手として鍛えた目をいくら凝らしても、目的のプレイヤーは見つけられなかった。

 

(鉄橋での私の狙撃を回避した腕といい、この移動速度といい……本当に、一体何者なの?)

 

十数分前のこと。シノンは、鉄橋の上でヘカートⅡを構え、鉄橋の上に立った一人の奇怪なプレイヤーを狙撃した。黒マスクに赤外線ゴーグルを装備し、黒いマントを羽織ったプレイヤーである。目視した当初は、電磁パルス弾で動きを封じた敵を前に、奇行を繰り返し……その末に、何の変哲の無いハンドガンの銃弾一発で、敵プレイヤーをHP全損ではなく回線切断に至らしめたのだ。

どんなチートを使ったのかは分からないが、このような離れ業を使うプレイヤーを生かしておくのは非常に危険。そう考えたシノンは、狙撃を敢行したのだった。狙撃手を到底黙視できない、長距離から放った、命中すれば即死の対物弾は……しかし、標的に命中することは無かった。弾丸が命中するその直前、件の黒マスクのプレイヤーは、身体を反らして弾丸を回避したのだ。明らかに、狙撃手であるシノンを予め目視していなければできない動きだった。

 

(私を目視していたから避けられたのは間違いない……けど、どうして私を放置していたのか……)

 

あのプレイヤーが、予めシノンを目視していたのならば、その時点で奇襲を掛けて始末している筈である。如何にプレイヤーを目視し、予測線が見えているとはいえ、対物狙撃銃を所持しているプレイヤーを放置するのは危険過ぎる。ジェイソンを優先して始末すべきと判断したとも考えられるが、シノンを放置し続ける理由が不明である。

あの狙撃の後、黒マスクの男は橋の影に隠れてしまい……結局、その姿を現すことは無かった。今か、今かと出てくるのを待ち続けていたものの、結局膠着状態が続き……サテライト・スキャンの時間に至ったのだった。そして止む無く、黒マスクの男の名前と所在をチェックすべく、シノンはサテライト・スキャン端末のデータ照会を行ったのだが……その所在・名前を知ることはできなかった。

その後、シノンは鉄橋の上をはじめ、周囲に誰もいないことを確認すると、黒マスクの男が姿を消した現場へと、自分の足で向かった。すると予想外のことに、相手の足跡はすぐに見つかった。川沿いに積もった雪の上に、足跡を発見したのだ。

 

(あんな短時間での移動……やっぱり、どう考えてもおかしいわ。それに、わざわざ自分の足跡を残すなんて……)

 

今思い返しても、明らかに罠だと思った。しかし、姿を見られている以上は、シノンとしても放置しておくわけにはいかない。この状況下で追跡を行うのは自殺行為に等しいということは、シノンとて承知していた。しかし、このプレイヤーを排除しない限りは狙撃に集中することなど不可能。故に、罠と知りつつ敢えて足跡を追ったのだった。

だが、どうしても解せない。相手はシノンの姿を既に視認しているのだ。足跡による誘導などしなくても、殺そうと思えばいつでも殺せた筈である。こんな回りくどい真似をすることに、何の意味があるのか。

 

(まさか、あの足跡自体、ヘマで残したっていうの……?)

 

あまりに馬鹿げた推測だったが、それ以外に思い付く理由が無い。しかし、GGOをプレイし、BoB本選にまで出場する程のプレイヤーが、そんな初歩的なミスを犯すだろうか。次から次に、湧き出て止まない疑問に、しかし誰も答えてはくれない。

 

(考えていても仕方ないわね……けど、そろそろサテライト・スキャンの時間も迫ってきている。ここで所在を突きとめるしか無い!)

 

シノンを仕留めようと考えているのならば、あの黒マスクのプレイヤーは、シノンを捉えられる位置にいなければならない。建物が多く建ち並んでいる炭鉱都市フィールドでシノンを狙撃するためには、然程距離を置くことはできない筈。次のサテライト・スキャンで所在を突き止めた後は、狙撃手同士の戦いが始まる。

相手の行動の先読み、裏を掻く……果てしない心理戦である。あの黒マスクのプレイヤーも、相当な実力を持つ狙撃手であることは分かっている。しかし、シノンは死剣ことイタチへの対策のために、変則的な戦術をいくつも用意している。裏を掻く自信は、十分にある。

そう考えたシノンは、狙撃が不可能な、建物の隙間に入り込み、そこに積まれたドラム缶の物影に身を潜め、端末を取り出した。サテライト・スキャンまでは、残り十秒を切っていた。障害物に身を隠しながらも、シノンは周囲への用心を怠らずに身構え、時間を迎える。

 

(さあ、名前を見せてもらうわよ!)

 

意を決して端末のスイッチを押したシノンは、目の前に広がるニヴルヘイム全域のマップから、中央部のマップを拡大表示する。さらにその中から、自分の周囲に存在する光点を探す。シノン以外に、このフィールドの中にある端末の数は……一つのみだった。

 

(見つけた!名前は……『ヒトクイ』!)

 

『ヒトクイ』と称されるプレイヤーの所在を示す光点は、シノンがいる場所から北方およそ百五十メートルの距離にある建物の中だった。シノンはそれを確認すると、端末のスイッチを切り、素早く動き出した。まずは、敵を視認することから始めねばならない。あちらは恐らく、こちらの存在を目視した状態を続けているのだから、条件を同じにするためには、こちらも相手を視認する必要がある。そのために、シノンは距離を詰めるべく、動き出した――――

 

 

 

途端、

 

 

 

「え?」

 

肩に走る、ちくりとした衝撃。同時に、シノンの視界が、急激に傾きだした。身体に力が一切入らず、そのまま地面へと倒れたのだ。一体、何が起こったのか。突然の出来事に、シノンの思考は混乱に呑まれかけたものの、必死に常の冷静さをもって現状の把握に努める。

先程衝撃を感じた右肩へと、シノンは視線を向けてみる。するとそこには、針のようなものが突き刺さっていた。そして、針の周囲には青白いスパークが這っている。

 

(電磁パルス弾!……けど、あの角度から!?)

 

電磁パルス弾は、先程鉄橋の上でジェイソンを狙撃したプレイヤーが使用した弾丸である。しかも、銃声が聞こえなかった点から考えて、サプレッサーを装備した狙撃銃であることは間違いない。ならば、これを放ったのは同一人物である可能性は高い。つまり、現在およそ百五十メートルの距離にいる、ヒトクイと称されるプレイヤーの仕業であると考えられる。だが、それは有り得ないことだった。ヒトクイがいる場所は、シノンから見て北方。電磁パルス弾が飛来したのは、南方である。正反対の方向から銃弾が飛来するなど、絶対に有り得ない。

 

(となれば……これを撃ったのは、別のプレイヤー……!)

 

だが、それも有り得ない話である。先程のサテライト・スキャンで確認した、フィールド中央の鉱山都市周囲のプレイヤーは、シノンとヒトクイの二人だけである。周囲には、スキャンを逃れられるような洞窟の類は存在しない。一体、どうやって身を隠していたというのか……

 

「……!」

 

自分を狙撃したプレイヤーの所在を突きとめるべく、シノンはうつ伏せ状態のまま首のみを動かし、弾丸が飛来した場所を見つめる。すると、二十メートル程度離れた空間に、じじっと光の粒がいくつか流れ、その空間のみが切り裂かれたかのように歪み……突如として、何者かが姿を現した。

 

(メタマテリアル光歪曲迷彩(オプチカル・カモ)!)

 

メタマテリアル光歪曲迷彩とは、装甲表面で光そのものを滑らせ、自身を完全に不可視化する能力である。一部の超高レベルモンスターだけが持つ技として知られている。だが、シノンの目の前でそれを発動している存在は、モンスターではない。

鉄橋の上で視認した、ヒトクイが装着していたものと同じようなマントを、ギリースーツの上に羽織ったプレイヤーである。だが、明らかにヒトクイではない。深く被ったフードの奥からにある表情は、全体を覆い隠す鉄仮面に覆われている。そして、無機質な顔面の、眼窩の奥で明滅する赤い光点が二つ、覗いていた。そしてその手には、ヒトクイが持っていた物と同じ、サイレント・アサシンが見える。

 

(まさか……あのマントに光歪曲能力が!?)

 

その推測が正しければ、常識外れの移動速度も、シノンを密かに視認した隠密行動も、全て説明がつく。要は、単に見えなかっただけで、実際はそこにいたのだ。

加えて、衛星スキャンを回避できる効果もあるのだろう。だからこそ、サテライト・スキャン時に光点を見つけることができなかったのだ。

 

(あのマントはどう考えてもレア装備。それを持っているプレイヤーが二人、このBoBに参加しているのは、偶然じゃない……!)

 

そこから導き出される結論は、この二人のプレイヤーが、共闘関係にあるということ。恐らく、光歪曲迷彩を使っている者同士でしか分からない方法でコンタクトを取っているのだ。そして今、ヒトクイを囮にしてシノンを油断させ、罠に嵌めたのだろう。

 

(っ!……今は、それどころじゃない!)

 

だが、今更種が割れたとしても、シノンの不利は変わらない。しかも、相手はあのヒトクイと共謀が示唆されるプレイヤーである。鉄橋の上でジェイソンを回線切断に至らしめた武器を所持している可能性は高い。このままでは、シノンも同様の結末を辿りかねない。

 

(このまま終わって……たまるものか!)

 

だが、シノンとて黙ってやられるつもりは毛頭無い。この圧倒的に不利な状況下でも、シノンは反撃を試みる。ヘカートⅡは流石に撃てないが、副武装のMP7ならば、間に合うかもしれない。

 

(あと……もう、少し!)

 

腰のホルスターに納めたMP7に手を伸ばし……ようやく、指先が触れた。そうしている間にも、鉄仮面の男はヒトクイがやったような十字を切るポーズを始めていた。これは、あの回線切断のチートスキルを発動する予備動作なのだろうか。そんな考えが脳裏をよぎるが、今は気にしている場合ではない。

STR特化型のビルドのシノンには大した重さではない筈の、たかが一・四キロのSMGが、今は異常なまでに重い。だが、回線切断を引き起こす弾丸を放つには、あのハンドガンを使う筈。発砲の前に、ハンマーをコッキングするその隙を突けば、反撃の余地は十分にある。

 

(こ、のぉぉおっ!)

 

銃弾を握る手に、入らぬ力をより込めて、必死に動かす。既に目の前のプレイヤーは、ハンドガンを懐から取り出している。最早一刻の猶予も無い。そう思い、さらに必死になってうごかそうとする。だが――――

 

「!」

 

シノンは、それ以上動くことはできなかった。視界に映ったのは、男がその手に握る、回線切断を引き起こす弾丸を放つためのハンドガン――――その左側面の、縦に滑り止めのセレーションが刻まれた全金属製のグリップの中央。

 

(なん、で……!)

 

そこに刻まれていたのは、円の中心に星が存在する紋章――――黒い星。

 

「あ、ぁあ、あ…………!」

 

掠れた声を発し、震えだすシノン。彼女が見た銃の名は、『五四式・黒星』。シノンこと詩乃がかつて、母と己を守るために、その手に握り、銀行強盗を撃ち殺した拳銃である。

過去に起きたあの事件の日から、シノンの夢の中に潜み、その精神を蝕む復讐者の亡霊。それが、かつての武器をその手に持ち、シノンの前に立っていた――――

 



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第九十一話 漆黒の追跡者

目の前に現れた、凄惨な過去を想起させる武器の出現によって、シノンは抵抗する力を完全に失ってしまった。今や、副武装であるMP7を持つことすら儘ならず、その手を滑り落ちた。

 

「いや……いやぁ……!」

 

今のシノンには、目の前に立つ鉄仮面に赤い眼を光らせたアバターが、あの日の……じぶんが撃ち殺した、銀行強盗の亡霊にしか見えない。そして、その手に持つ銃は、自分を殺す――――

その銃が、ゲーム内では大した威力を発揮しない武装であることも、回線切断に至らしめるチートスキルがあるかどうかも、最早関係無い。心の中に湧きだしたどす黒い恐怖が、シノンを覆い尽くす。それは、精神のみならずその身体すら蝕もうとしていた。心臓の拍動が、危険域に入るのではないかという程に加速しているのがその証拠だ。

 

(助けて……誰か、助けて…………!)

 

“死”が迫りくる――――その恐怖を前に、しかしシノンは身動き一つ取れず、心の中で助けを求めるしかできなかった。銃に対するトラウマを克服するために、このGGOの世界で数々の戦いに身を投じてきたシノン。しかし、蓋を開けてみれば、この有様。この世界の強豪達が集う闘争に身を投じながら、乗り越えるべき過去の亡霊を前に、シノンは震えることしかできない。幼き頃に刻みつけられ、現在に至るまでシノンを苦しみ続けたトラウマの具現を前に、シノンはどこまでも無力だった。

 

「誰か…………助け、て……」

 

あの日と変わらない、銃に恐怖する弱い心では、シノンというアバターの指一つ動かすことすら儘ならない。そんな中で発するのは、来る筈の無い救いの手を求める言葉。弱い自分を見せるのが大嫌いなシノンも、そんなことを言っていられる状態ではなかった。

今、あの銃の弾丸を浴びてしまえば、心臓が止まるだけでは済まない。精神そのものが、壊れる――――そんな予感があった。それは、シノンにとっては単純に死ぬよりも恐ろしいことだった。だから、シノンは心中に止まらず、僅かに動く口から発する、掠れた声でもって、助けを求める。

そんなシノンに対し、鉄仮面の向こうに赤い双眸を光らせる黒マントの男は、躊躇いなく引き金へと指を掛ける。あと数センチ動けば、シノンの心を打ち砕く、“本物”の弾丸が発射されるだろう。シノンは、自身の命と魂が消滅する……その瞬間を覚悟し、恐怖に怯えながら目を瞑る。

 

「……っ!!」

 

だが、シノンが覚悟していた死の弾丸は、発射されることは無かった。シノンの耳に聞こえてきたのは、銃声ではなかった。カン、カン、という金属音が響き渡る。雪と氷の無い、剥き出しの地面の上を、何かが転がる音。そして、次の瞬間には視界と、目の前の黒マントのプレイヤーまでをも巻き込む膨大な量の煙が、周囲一帯を覆い尽くす。

 

「!?」

 

シノンと黒マントの男との間に転がって来たのは、無害な煙を発するスモークグレネードだった。何故、周囲にプレイヤーがいない筈の状況下で、このようなものが転がってきたのか。だが、シノンが目の前で起きた現象について思考を走らせるよりも早く、次なる異変が起こる。

 

「えっ!?」

 

白い煙に包まれた視界の中、シノンは自分の左腕を、何かが掴むのを感じた。それと同時に、地面にうつ伏せで倒れた自分の身体を引っ張り上げられた。そして、背中と足とに腕を回されて、宙に浮かされる。風を切るような疾走感……誰かが、シノンの身体を抱きあげて走っているのだ。

 

(一体、誰が……)

 

シノンとヒトクイ以外に、周囲にプレイヤーの反応は無かった筈。まさか、目の前の黒マントのプレイヤーのように、メタマテリアル光歪曲迷彩の機能が付いた装備を纏ったプレイヤーが、この場所にいたのか。だが、そんなプレイヤーがこの場所にいたとして、何故シノンを助けようとするのか……

 

(一体、誰なの……?)

 

自分を助けようとする人物の正体について、皆目見当がつかないシノン。そうこうしている間にも、シノンと彼女を抱えた何者かは、失踪の末にスモークグレネードが張った煙幕を突破する。

 

「!」

 

煙が晴れた向こう側に出たその時。シノンを抱えていた者の顔が露になった。そこにいたのは、長い黒髪を靡かせた、血のように赤く染まった瞳に、木の葉を模した紋章に横一文字の傷がデザインされた紋章が刻まれた額当てを装備したプレイヤー。

 

「イタチ……?」

 

そう。シノンを抱き上げて疾走していたのは、シノンが本大会にて最強プレイヤーとしてマークしていた、死剣ことイタチである。大会前の遭遇戦で出会い、その後首都グロッケンで再会し、予選決勝戦では再戦に臨むも、まるで敵わなかった強豪。それが今、シノンを助けているのだ。一体、何を考えているのか、まるで分からなかった。しかし、シノンから見て明らかなのは、自分を抱き抱えて走るこのプレイヤーの赤い双眸には、冗談や戯れの類はまるで感じられない。ただ一つ、分かっていることは、いつも以上に真剣そのものだということだけだった。対物狙撃銃であるヘカートⅡを装備したシノンを抱えた状態で、システムを超えた走行速度を発揮していることからも、それは明らかである。

 

「ねえ、ちょっと…………」

 

取り敢えず、自分を助けた理由について問い質そうとするシノン。だが、死剣ことイタチは、その問いを全て聞くよりも早く、次なる行動へと移る。

シノンを腕に抱いて鉱山都市エリアを走るイタチが辿り着いたのは、無人営業のレンタル乗り物屋である。『Rent-a-Snow mobile』というネオンサインが示す通り、その場所に停められた乗り物は、スノーモービルだった。全部で四台停められたスノーモービルは、廃鉱山都市に放棄された設定にも関わらず、全て起動可能な状態だった。イタチはその中から、即座に最も状態の良い機体を選ぶと、座席後部へシノンを乗せる。その後、腰のカラビナから光剣を外して赤色のレーザー刃を伸長させ、他のスノーモービルの操縦桿を破壊する。恐らく、先の鉄仮面の男やヒトクイによる追撃を防ぐためだろう。シノンをここまで運ぶにあたり、イタチは雪上に残った足跡を消す暇が無かった。そのため、すぐに来ることを予測していたのだろう。

シノンがその推測に至る頃には、イタチは自分達が乗る以外のスノーモービル全てを操縦不能にしていた。その後、イタチは無言のまま、シノンを乗せた逃走用のスノーモービルへと乗る。始動装置のパネルに触れると、エンジンを掛けて発進させようとする。だが、その時だった。

 

「!」

 

何かを感じたイタチは、再度光剣を抜剣し、虚空へと振り翳す。すると、光剣が描く赤い軌跡の中で、何かが弾けた。間違いなく、狙撃である。しかし、銃声は聞こえなかった。

イタチが光剣を振るった方向は、先程シノンを抱えたイタチが通った道である。シノンは、思わずそちらへ目をやるが……しかし、何も見えない。

 

(…………あっ!)

 

しかし、それは誤認だった。シノンが見た、三〇メートル程先の場所には、確かに何者かが立っていたのだ。姿は見えない。だが、その場所に積もった雪上には、先程イタチが付けた以外に、もう一人分の足跡があった。そして、その真上の空中に対し、注意深く目を凝らしてみると、そこには黒い筒状の物体が浮遊していたそれが一体何なのかを知るのには、然程時間はかからなかった。

 

(銃口……しかも、あれは!)

 

GGOで実装化されている銃器については、一通りチェックしているシノンだが、銃口だけで種類を見抜ける程に目利きに優れているわけではない。にも関わらず、その銃の正体が分かったのは、つい先程見たことがあったからである。

 

(サイレント・アサシン……!)

 

正式名称『アキュラシー・インターナショナル・L115A3』。サプレッサーを標準装備としているこの狙撃銃を見るのは、シノンにとって本日三度目である。最初は鉄橋の上をスコープ越しに見た時。二番目に見たのは、先程現れた鉄仮面の男が所持していた装備である。

そして、銃口のみが浮遊しているこの状況。恐らく、メタマテリアル光歪曲迷彩効果のあるマントを頭から被り、その下から銃口を伸ばしているのだろう。

つまり、狙撃を行ったプレイヤーの正体は、二人に一人。しかし、今ここに居るのは、間違いなく先程のプレイヤーである。そして、空間を引き裂くように現れたプレイヤーは、シノンの予想通りの男だった。

 

「ひっ……!」

 

黒いぼろマントを羽織り、フードの下に隠れた顔は、鉄仮面に全体を覆われていた。暗く窪んだ眼窩の奥からは、赤く不気味に光る双眸が覗いていた。

その姿を見たシノンは、小さな悲鳴とともに座席前方で光剣片手に操縦桿を握るイタチの背中にしがみつく。そんなシノンに応えるかのように、イタチは今度こそアクセルを入れると、スノーモービルを発進させる。向かう先は、ぼろマントの男が立つ場所とは真反対の方向である。どうやら、撤退を選択したようである。

だが、ぼろマントの男も簡単には逃がしてはくれない。ぼろマントの男は、サイレント・アサシンではなく、副武装にしてシノンのトラウマたる五四式黒星を、スノーモービルに乗るシノンへ向けた。恐怖に駆られながらも、背後からの攻撃を警戒していたシノンは、その姿を見て再び震え始める。

 

「お願い……助けて……!」

 

か細い声でそう呟いたシノンの声は、どうやらイタチにも届いていたらしい。銃声が響くより僅かに速く、スノーモービルの進路を右へ九十度転回させる。

 

「ふんっ……!」

 

「ひぃいっ!」

 

そして、それとほぼ同時に、イタチは左手で腰のカラビナから光剣を抜く。今度の光剣の刀身の色は、青色。かつてフィールドにてシノンを倒した際に手に入れたドロップアイテムである。

イタチはその刃を振り翳し、飛来してきた三〇口径フルメタル・ジャケットを消滅させる。自身の命を奪おうとする弾丸の脅威が去ったことで一安心するシノン。だが、そんなシノンの心情に構わず、イタチはスノーモービルを加速させて銃撃の死角へ入り込んだのだった。

 

 

 

 

 

「…………」

 

イタチとシノンが去った場所に残されたぼろマントの男は、無人営業のレンタル乗り物屋へと足を運んでいた。しかし、残されたスノーモービルは、いずれも操縦桿が破壊されている。当然ながら、操縦は不可能な状態である。

 

「チッ……」

 

残されたスノーモービルの状態を確認すると、今度はスノーモービルが走り去った方向へと視線を向けた。残されていたのは、イタチとシノンを乗せたスノーモービルが走り去った跡が残るのみ。足跡を追うことは可能だが、相手がスノーモービルでは追い付ける筈も無い。ようやく見つけた獲物を前に、立ち往生を余儀なくされている現状に、舌打ちをせずにはいられなかった。

 

「逃げられたみたいだね」

 

「ヒト、クイ……」

 

すると、ぼろマントの男――ステルベンのもとへ、右目に暗視ゴーグル、口元に黒マスクを装着した男――ヒトクイが現れる。その身に纏うぼろマントと、左肩に提げたサイレント・アサシンは同一のものである。

 

「スノーモービルまで破壊して、追跡手段を封じるなんて……相変わらずやるみたいだねぇ。黒の忍は」

 

「……関心、してる、場合、では、ない」

 

現場に残された痕跡から、この場所で起こったことを正確に把握しながらも、飄々とした態度で話すヒトクイ。対するステルベンは、イタチの異名たる『黒の忍』という言葉が出た事で苛立ちを露にする。

 

「スノーモービルで逃げられた以上、徒歩で追うのはまず無理だな。代わりの乗り物を使う必要があるな」

 

「どう、する?」

 

「安心しろ。さっきそこの建物の向こう側で、追跡にお誂え向きの乗り物があったぜ」

 

「……案内、しろ」

 

追跡不可能と思われていたイタチとシノンだが、追跡手段は早々に見つかった。ヒトクイに先導され、ステルベンは乗り物のある場所へと向かう。

 

「俺が操縦する。連中はお前が撃て」

 

「了解、した」

 

「死銃(デス・ガン)を用意しとけ。あの女を殺れば、ノルマ達成は目前だ」

 

「言われる、までも、ない!」

 

ステルベンはそれだけ言い捨てると、五四式黒星の弾丸を装填し直すのだった。そんな相方を見て、ヒトクイはマスクの下で口の端を釣り上げるのだった。

 

 

 

 

 

ステルベンの襲撃からシノンを救ったイタチは、スノーモービルに乗って鉱山都市区画を突破していた。現在は鉱山都市を東へ抜け、開発途中で放棄され、雪原と化している採掘場跡地を走っていた。

 

「…………」

 

「…………」

 

エンジン音を辺りに響かせながら走るスノーモービルの上。操縦桿を握るイタチと、その背中にしがみつくシノンの間に会話は無い。操縦桿を握るイタチは鉱山都市に潜む敵から距離を置くべく、スノーモービルを街の外へ外へと向かわせることに集中している。座席後部でイタチの背中にしがみついているシノンは、大分落ち着きはしたものの、先程の恐怖からは未だに立ち直り切れていなかった。故に、かつて戦っていながらも、半ば行きずりに近い形で助け、助けられた現状にも関わらず、意思疎通をする余裕は二人とも無かったのだった。

だが、正確には二人ともとはいえない。イタチに限って言えば、スノーモービルを操縦しながらも、後部に座るシノンの様子や、今しがた抜けた鉱山都市エリアの方へと常に注意を向けていた。

 

(スノーモービルで逃走を開始してから、およそ二分が経過……上手く撒けたか?)

 

スノーモービルを追い掛けるには、同じ乗り物を使うか、それ以上の速力を出せる乗り物が必要になる。鉱山都市区画を全て確認したわけではないものの、スノーモービルの停留所が手近にあるとは思えない。乗り物屋のスノーモービルは全て破壊した以上、即時の追撃はまず不可能だろうとイタチは考えていた。

だが、嫌な予感がしてならない。前世の忍時代に培った直感が、警鐘を鳴らしている。確証こそ無いものの、この手の予感は大概的中することを、イタチは忍界大戦の殺し合いの中で学習していた。そして、それは現実のものとなった――――

 

「!」

 

「……何?」

 

後方に遠ざかっていく鉱山都市から聞こえてくる、乗り物のものであろうエンジン音。背後から忍び寄るように近付くその音に、シノンはびくりと身体を震わせた。エンジン音に加えて、バタバタと何かが“回転”する音も聞こえてくる。明らかに雪原を走る機械が発するものではない。

 

(まさか……!)

 

前方に注意しながらも、イタチはその首を動かして後方へと視線を向ける。横目で見たイタチの赤い瞳が捉えたのは、予想通りの、それでいて最悪の光景だった。

一面に広がる雪原の白と、空を覆う曇天の灰色の、二色で彩られる景色の中に“浮かぶ”黒い影。鉱山都市から急速な勢いで接近してくるその速度は、スノーモービルの比ではない。

 

「ヘリコプター……か」

 

「そんな……!」

 

イタチとシノンを乗せ、雪原を走るスノーモービルを追撃する、漆黒のヘリコプター。恐らくはこれも、スノーモービルと同様、バトルフィールドたるISL・ニヴルヘイムに設置されている乗り物なのだろう。鉱山都市をスノーモービルで逃げ出してから然程経過していないこのタイミングで飛来したのだ。誰が乗っているかは、言うまでもない。

 

(抜かったか……!)

 

追撃防止のためにスノーモービルを破壊したが、詰めが甘かったようだ。歩き回ったフィールド内の地形やオブジェクトは、全て確認して記憶していた。だが、踏破していない区域までは、流石に確認できない。鉱山都市内部に潜伏している時間がもう少し長ければ、見つけ出して破壊していただろう。

だが、最早それを悔いている場合ではない。今は、新たに飛来した脅威をどう排除するかが問題なのだ。スノーモービルを限界まで加速させるイタチだが、ヘリの速度に敵う筈もなく、すぐに追い付かれてしまった。

 

(軍用ヘリ…………となれば、武装は重機関銃!)

 

接近してきたことによって、ヘリの全容が明らかになる。『AH-64 アパッチ』。それが、この武装ヘリの名前だった。アメリカ先住民族のアパッチ族に由来するこの機体は、一九七〇年代に先進攻撃ヘリとして開発されたものである。その仕様は対戦車・対地攻撃用であり、ハイドラ70ロケット弾やヘルファイア対戦車ミサイルといった強力な対物火器の運用を可能とする、高い戦闘能力を持つ攻撃ヘリコプターとして知られている。

だが、このBoBにあっては、そんな武装を持つヘリコプターを手に入れてしまえば、戦闘が一方的なものになってしまう。そのため、ヘリの戦闘能力は大幅に修正されていた。飛行高度が一〇メートルから一五メートル前後になっており、前述の重火器も外されていた。だが、固定武装であるM230機関砲のみは機首下に搭載されているのが見えた。イタチはその銃口が自身に向いていることを視認し、内心で冷や汗を垂らす。

 

(この状況でアレの相手をするのは、かなり拙い……)

 

GGOプレイ時間の短いイタチだが、M230機関砲のように、武装ヘリに搭載するタイプの武器には覚えがある。

それに出会ったのは、『死剣』としての名を広めるために、スコードロン狩りをしていた頃のこと。モンスター狩りを専門とするスコードロンが雇っていた用心棒、ベヒモスが所持していた武器だった。『GE M134』――通称『ミニガン』。それが、かつてイタチが対決した銃の名前だった。イタチが直接対決に臨んだ際にも、その威力を遺憾なく発揮し、ベヒモスの仲間による援護も相まって、イタチは攻めあぐねる羽目になった。だが、重機関銃故に、これを装備しての移動は儘ならず……機動力の低いベヒモスを、パーティーメンバー共々仕留めるのは、然程難しいことではなかった。

だが、今回は事情が違う。ミニガンよりも強力な機関砲が、武装ヘリに装備されているのだ。さらに、当然のことながら敵は空中におり、イタチの光剣は届かない。しかも、スノーモービルを操縦しているこの状況では、イタチとはいえ防御も難しい。保護対象であるシノンも伴っているのだから、尚更防衛は難しい。

 

(やるしかないな……)

 

武装ヘリの登場に内心で驚愕するイタチだったが、追撃そのものは予想していなかった事態ではない。武装ヘリからの攻撃が開始されようとするその前に、イタチは動くことにした。

 

「掴まっていろ」

 

「う、うん……!」

 

その短い言葉で、シノンはイタチが何をするつもりなのか、悟ったのだろう。背中にから胴に回した腕により力を入れる。イタチはそれを確認するや、スノーモービルの舵を左へと急速に切る。追撃を仕掛けてくる武装ヘリから銃撃が開始されたのは、それとほぼ同時だった――――

 

 

 

 

 

一面白色の雪原に、けたたましい銃声が鳴り響く。機体が加速し、視界が右へ、左へと激しく揺れる。スノーモービルが描く曲線の上には、無数の弾丸が雨霰と降り注ぎ、雪原を抉る。そんな、逃げ回る鼠を猫が追い立てるかのような一方的な攻撃が展開される中、シノンはイタチの背中にしがみ付いていることしかできなかった。

 

(凄い……やっぱり、イタチは強いんだ……!)

 

雪原を縦横無尽に走り回り、巧みな操縦技術で機関砲を回避するその技術に、シノンは感嘆するほか無かった。反撃も儘ならない、一方的な戦況にあっても冷静さを全く失わず、的確に回避している。カーブ時に減速を余儀なくされる場合には、光剣を抜いて飛来する弾丸を防衛する。剣技のみならず、操縦技術まで常人離れしたテクニックを有している。イタチにとっては、武装ヘリすら大した脅威にはなり得ない。彼さえいれば、自分は安全だと、安心できる……そう、シノンは思った。思ってしまった。

 

(何を……何を、やっているのよ……私は!)

 

そんな感情を抱いていたことに気付いたシノンは、途端に憤慨した。他でもない、自分自身に。強さを追い求めてGGOへダイブし、この世界に君臨する強者達を一人残らず倒し、その頂に立つためにBoBへ参加したというのに、この体たらく。最強の敵と目し、打倒することを目標としている人物に助けられ、命を繋いでいる。この上なく無様で、シノン自身が大嫌いな弱い自分そのものではないか。

 

(こんなことで……良い筈が無い!)

 

この状況が、無力な自分が憎くて仕方が無い。だが、何をすれば良いのか……誰を殺せば良いのか、まるで分からない。

今自分達を追っているあのぼろマントの男か……己を守ろうとするイタチか……或いは、弱いままの惨めな自分自身か。この怒りの矛先を、一体どこへ向ければ良いのか、シノンには見当もつかなかった。

だが、シノンがそんな葛藤を抱いている間にも、ヘリとスノーモービルのチェイスは熾烈を極めていく。だが、幾度目か分からないターンの中で、遂にイタチが反撃に出る。今まで背を向けて逃げの一手に徹していたイタチが、スノーモービルを百八十度急旋回させ、機首をヘリへと向けたのだ。互いの乗り物の機首同士を突き合わせての一騎討ち。武装ヘリは機関砲を、イタチは光剣を手に向かい合う。同時に、双方の乗り物を駆る者達の視線が交錯する。

スノーモービルに跨るイタチとシノンは、この時初めてヘリに乗っているプレイヤーの顔をはっきりと確認した。武装ヘリの右側操縦席に座っていたのは、右目に暗視ゴーグル、口から鼻を覆う黒マスクを装備した男――ヒトクイ。その隣に座るのは、顔全体を覆う鉄仮面を被り、眼窩の奥に赤い光を不気味に瞬かせる男――ステルベン。ステルベンの手には、五四式・黒星が握られている。

 

「…………っ!」

 

ステルベンの握る拳銃を見た途端、竦み上がるシノン。だが、その恐怖から目を逸らすわけにはいかない。長年の持病たるPTSDの発作で、現実世界に置いてきた身体の呼吸すら儘ならなくなりそうな精神に鞭打ち、ヘリコプターの助手席に存在する亡霊を必至で見据えようとする。

そして、イタチはスノーモービルをアクセル全開で前進させる。同時に、ヘリの機関砲が火を吹く。対するイタチは、光剣をヘリに向かって投擲し、それと同時にシノン共々、咄嗟に身を前へと屈めて弾丸を回避する。イタチとシノンには被弾こそしなかったものの、スノーモービルの機体後部を何発か掠めたらしい。着弾箇所から火花と煙が上がっているが、それに構っている暇は無い。一方、イタチが投擲した光剣は、バトンのように回転しながら武装ヘリの機首、その搭載されていた機関砲に命中し、銃身を破壊した。そして、イタチの駆るスノーモービルはヘリの下へと素早く滑り込み、回転しながら落下する光剣をその右手で受け止めた。無論、レーザーの刀身ではなく、グリップを掴んでいる。

 

(凄い……あんな風に光剣を扱うなんて……)

 

如何に銃弾をも見切る程の剣豪といえども、近接武装としての用途のみでは、戦闘の幅に限界がある。故にイタチは、先程のように光剣を投擲した遠距離の敵を攻撃する戦法を考案したのだろう。

そもそも光剣は、扱いを誤れば、使い手自身の身体すら、レーザーの刃で切断しかねない武器である。それを自在に使いこなすのは、突出して高い動体視力や反射神経のみで為せる業ではない。あらゆる戦況に合わせて光剣を使いこなすための、相当な鍛錬を積んでいるからこそなのだと、シノンは感じた。シノン自身も、愛銃であるヘカートⅡを、宙吊りをはじめあらゆる体勢での射撃を想定した狙撃技術を磨いた経緯がある。イタチの光剣を用いた剣術も、それに通じるものがあるのだろう。イタチの常識離れした一面に、再度の驚愕を覚えるシノンだが、今はそれどころではない。

 

「飛ばすぞ」

 

「……!」

 

シノンからの返事は聞かず、イタチはスノーモービルの操縦桿を右へと切り、ヘリコプターの周囲を旋回しながら距離を取る。スノーモービルが目指す先は、炭鉱山東側の採掘場跡地だった。

だが、ヘリに乗っているステルベンとヒトクイは、それを見逃す程甘くはない。武装ヘリの助手席に座るステルベンが扉を開き、右手に握るハンドガン――五四式・黒星の銃口をシノンへと向けた。

 

「なっ……!」

 

「……」

 

再度向けられた死の拳銃……その銃口から伸びる赤い弾道予測線に、シノンの身体が硬直する。だが、イタチはまるで動じた様子が無い。シノンに対する射撃は、既に予測済みといった冷静な態度で、弾道予測線の発生源たるヘリの中から向けられる拳銃に視線を向けていた。

そして、放たれる弾丸。対するイタチは、慣れた手つきで右手に光剣を握り、赤い光の刃でシノン目掛けて飛来するそれを叩き落とした。

 

(……また、助けられた……)

 

先程放たれた弾丸の照準は、明らかにシノンへ合わせられていた。イタチを狙っていない以上、本来ならばスノーモービルの操縦から一時とはいえ目を離してまで防御する必要のある攻撃ではなかったのだ。それを敢えて叩き落としたのは、イタチに自衛以外の意思、つまりはシノンを守ろうとしたからに他ならない。何故、そこまでして自分を守ろうとするのか、シノンには理解できない。そして同時に、イタチに守られるしかできない自分自身に対し、怒りがふつふつと湧く。だが、そんな同乗者の疑問を余所に、イタチは再度スノーモービルを加速させる。目指す先は変わらず、東側の採掘場跡地である。

 

(採掘場跡地から、坑道へ逃げ込むつもりね……けど、上手く逃げ切れるかしら……)

 

採掘場跡地には、ニヴルヘイム中央に存在する鉱山内部へ通じる坑道の入り口が存在する。狭い坑道へ入れば、流石の武装ヘリも追撃は不可能となる。

だが、武装ヘリに乗っているステルベンとヒトクイとて、それを黙って見過ごすことはしない。ヘリは固定武装であるM230機関砲を失ったとはいえ、搭乗者たるヒトクイとステルベンは無傷であり、武器も健在なのだ。追撃を止める筈は無かった。

 

「!」

 

シノンの不安は案の定的中し、ヘリの開いた扉をそのままに、ステルベンが外へと身を乗り出し、狙撃銃のサイレント・アサシンを構える。本来ならば、本命の標的たるシノンではなく、まずスノーモービルを操縦しているイタチを狙い、動きを止める方が効率的だろう。しかしステルベンは、その照準をイタチではなく、シノンに合わせるフェイントを仕掛けてきた。イタチがシノンを守ろうとしていることを逆手に取った攻撃である。

 

「ふん……」

 

だが、イタチも然るもの。前方を向いてスノーモービルの操縦に集中したまま、左右いずれかの手に光剣を持ち、音も無く飛来する弾丸を的確に落としていく。まるで、後頭部に目が付いているかのような離れ業である。そんな常識破りな動きを見せられて、シノンは今日何度目か分からない驚きを覚える。その後も、ステルベンが繰り出す無音なる狙撃全て、背を向けたまま叩き落として突き進むことしばらく。遂に雪原を抜け、採掘場跡地へとスノーモービルは突入した。雪が深く降り積もった山の斜面には、炭鉱内部の行動へ続く入口が複数確認できる。あとは坑道へ逃げ込みさえすれば、確実に逃げ切れる。

だが、そう思い通りに事は運ばない。イタチとシノンの乗るスノーモービルは、雪原にて繰り広げた激しい追撃戦の中、機関砲の弾丸を数発被弾し、煙を上げている。速度は低下し、小回りも利かなくなってきている。機体が限界を迎えつつあるこの状況下では、坑道へ逃げ切ることは、流石のイタチでも困難を極める。しかし、この危機的状況下にあっても、シノンは何もできはしない。そんな無力な自分に対して、シノンは歯噛みするしかできない。だがここで、イタチから思わぬ言葉を掛けられた。

 

「シノン、お前の狙撃銃でヘリを攻撃しろ」

 

「えっ……!?」

 

イタチからシノンに対する、狙撃による援護要請。流されるままに助けられ、個々に至るまで碌に声も掛けられていなかったイタチからの突然の要請に、シノンは驚きに若干ながら目を見開く。

 

「当てなくてもいい。牽制して、前方に回り込ませるな」

 

その言葉に、シノンは成程と得心する。スノーモービルに乗っている状態では、まともな狙撃は儘ならない。だが、標的は武装ヘリである。まともな姿勢での狙撃は不可能だが、命中する可能性は低くない。そして、ヘリを操縦しているヒトクイは勿論、プロペラにでも命中すれば、墜落は免れない。射撃で警戒させて、距離を取るように仕向けることができれば、確実に坑道へ到達できる。

 

「……分かった」

 

イタチの意図を汲み取ったシノンは、右肩に担いだ愛銃たるヘカートⅡを手に、射撃の準備を行う。揺れの激しいスノーモービルの上だが、あらゆる状況下における狙撃や移動を想定して訓練を積んできたシノンである。ヘリからの狙撃を回避する度に揺れるスノーモービルの上で、しかしゆっくりと、着実に後部を向く形で座り直しながら、狙撃の準備を整える。

 

(この状況下では、ヘリが的でも当てるのはまず無理。けど、威嚇程度なら……)

 

対物銃であるヘカートⅡは、設置による支持状態で使用しなければ、命中精度を得られない。現実世界ならば、引き金を引いた人間の身体に、肩の骨が砕ける等の損傷が引き起こされる。威力が調整されていない対物銃を支持状態以外で使い、仰け反るだけで済むのは、一重にここがゲームの世界であるからに他ならない。

ともあれ、今は命中するか否かは重要ではない。坑道という逃げ道を確保するために、牽制することが重要なのだ。支持状態ではないものの、狙撃の準備を整えたシノンは、その銃口をヘリへと向けて、引き金を引こうとする。だが……

 

「っ……!!」

 

シノンに銃口を向けられたヘリは、微動だにしなかった。如何にヘカートⅡの命中率が低い状態にあるとはいえ、回避行動を取らないのは不自然である。これでは、撃ち落としてくれと言っているようなものだ。不自然極まりない、不気味なまでに不用心な状態のヘリを前に……しかし、シノンは引き金を引くことができなかった。

常の狙撃時と同様に、スコープ越しに狙いを定めるシノンの瞳に映るのは、ヘリの助手席から外へ身を乗り出している男――ステルベン。その手には、シノンのトラウマの根源たる五四式・黒星が握られていた。

 

(駄目……どうして……何で、動けないの!?)

 

言うことを聞かない指先に、何故、どうして、と心の中で疑問を呟くシノン。だが、引き金を引くことができない理由を、本当は既に分かっていた。それは、幼き頃に刻みつけられた銃のトラウマに他ならない。ヘリから身を乗り出してシノンへ件の銃を向けるステルベンに、自身が殺めた銀行強盗の亡霊を幻視しているのだ。鉱山都市で奇襲を受けた時よりは落ち着いたものの、今のシノンは正気を保つので精一杯。ぼろマントを纏ったステルベンの姿をスコープに捉えているだけで、過去の光景が蘇り、泣き叫んで発狂さえしそうになる。ステルベンに過去の亡霊の姿が重なっている限り、狙撃をすることなど儘ならない。

 

「くぅっ……!」

 

「……どうした、早く撃て」

 

いつまで経っても狙撃を行わないシノンに対し、イタチが相変わらず平淡な声色で催促をする。それに応じるように、シノンも再度引き金に指を掛けるのだが……やはり、指は動かなかった。

 

「駄目……撃てないっ!」

 

余りに無力な自分自身に対する悔しさと悲しみの余り、普段ならば口にする筈の無い弱音が出てしまう。助けられた借りを返す絶好のこの機会にまで、この体たらく。何一つ成し遂げることのできない、そんな自分が憎らしく、そしてこの上なく情けなくてたまらない……

 

「…………そうか」

 

「っ!」

 

対するイタチは、シノンの方へは振り返らず、それだけ口にした。その、相変わらず平淡な声色からは、どのような感情を抱いているのか、窺い知ることが全くできない。

言われた通りに動けない自分に、憤怒しているのだろうか?失望しているのだろうか?蔑んでいるのだろうか?仮にそうだとしても、シノンは何も言い返せない。むしろ、罵詈雑言を投げ掛けてくれた方が、気が楽になるというものだ。こうして黙られる方が、余計に辛かった。

 

(…………え?)

 

そうして、何もすることができない無力感に打ちひしがれるシノンの背中を、温かい感覚が包み込んだ。はっと驚いたシノンは、横を見る。すぐそこにあったのは、艶やかな長い黒髪を靡かせた、女性と見紛うような美貌。その赤い瞳には、色に反した怜悧な光を宿していた。

 

「イタ、チ……?」

 

「お前一人で撃てないなら、俺が一緒に撃ってやる」

 

スノーモービルが減速していないことからして、恐らく操縦桿はワイヤーか何かで固定しているのだろう。身体を反転させてシノンの背中を包みこむように両手を回し、シノンの持つヘカートⅡを支えるイタチ。そのまま、シノンの右手に手を添え、引き金に指をかける。

 

「行くぞ……」

 

「……うん」

 

有無を言わさず、引き金を引くことを宣言するイタチに、シノンは半ば流される形で頷いてしまった。改めて引き金に掛けた指に、力を入れる。

 

(指が動く……これなら、撃てる!)

 

イタチの温もりに後押しされたシノンは、狙撃手としての心も取り戻していく。常の氷のような思考回路を再び呼び起こし、スコープでは無く肉眼で捉えた標的へ照準を合わせる。狙うは、空中に浮かぶ武装ヘリ。

狙撃体勢は、振動で揺れるスノーモービルの上で、全く安定しない。しかも、標的の助手席からは、ステルベンが相変わらずシノンへ五四式・黒星を向けている。にも関わらず、今のシノンは自分でも驚く程に冷静だった。心拍に合わせて収縮する着弾予測円は、常の狙撃と同じように、緩やかに感じられる。

 

(こんなの、どうってことの無い距離……いつもの私なら、しくじることなんて有り得ない。それに……)

 

今は、イタチも傍にいる。これなら、当てることだって難しくはない。意を決し、背中を包み込むイタチと共に、引き金を引いた。

 

「ぐっ……!」

 

「……!」

 

不安定な体勢で狙撃した所為で、危うくバランスを崩してスノーモービルから転落しそうになるシノン。しかし、イタチに支えられていたお陰でその危険は無かった。だが、肝心の狙撃は、失敗したらしく、ヘリは相変わらずスノーモービルに張り付いている。反動の大きい狙撃銃をスノーモービルの上で使い、弾道予測線も丸見えのこの状況下で命中させることは、やはり叶わなかったらしい。

 

「……ごめん。外した」

 

「気にするな。目的は果たせた」

 

「えっ……?」

 

「それより、座り直して掴まっておけ」

 

狙撃を終えて間もなく、再度身体を反転させてスノーモービルの座席へ座り直すイタチ。シノンもまた、イタチの指示に従って身体を反転して座り直す。

そして、イタチに先の言葉の意味を問い質そうとしたシノンだったが、その答えは別の形で現れた。

 

「えっ……何……?」

 

それは突然のことだった。地鳴りにも似た「ゴ、ゴ、ゴ」という音が、辺りに響き渡る。否、それは地鳴りそのものだった。音の発生源は、雪が降り積もった鉱山の斜面。そして、頂上付近から一気に押し寄せてくる、雪の大波……雪崩である

 

「まさか……これが狙いだったの!?」

 

「…………」

 

思わず漏れたシノンの言葉に、イタチは沈黙をもって肯定した。

空中に浮かぶ武装ヘリを現状で叩く手段は、イタチにもシノンにも無い。光剣の刃は届かず、ヘカートⅡの射撃は弾道予測線丸出しで、容易に避けられてしまう。故にイタチが取ったのは、二人の装備に依らない攻撃手段によって、ヘリを落とす作戦。これを実行するためにイタチが利用したのは、鉱山の斜面に降り積もった雪だった。イタチがシノンにヘカートⅡによる狙撃を行わせたのも、銃声をトリガーに雪崩を起こすことが目的だったのだ。如何に機動性に優れる武装ヘリといえども、雪崩ともなれば一溜まりも無く、回避することは不可能に近い。

しかし、敵も馬鹿ではない。雪山の麓で発砲行為に及べば、雪崩が発生することに気付いていたことは明らかである。麓付近に逃げ込んだスノーモービルを狙撃するのに、プレイヤーを強制ログアウトさせる五四式・黒星ではなく、サプレッサーを装備したサイレント・アサシンのみを使っていたことが、その証拠である。だからイタチは、その警戒心を削ぐために、雪原での死闘を演じて武装ヘリのM230機関砲を破壊したのだ。この現状において雪崩を起こす可能性のある銃は、ステルベンの握る五四式・黒星と、シノンが持つヘカートⅡの二つ。

前者については、所有者のステルベンがサイレント・アサシンを所持していたことから、シノンに対する牽制としてしか使われなかった。後者については、前述の牽制によってシノンが狙撃不能と判断していたらしい。だが、スノーモービルを操縦していたイタチ自らが支援に動いたことによって、その条理は覆され、狙撃は敢行され……雪崩の発生に至ったのだった。

 

「チッ……!」

 

「ひぃっ……ぐぁぁぁあああ!!」

 

雪崩が迫る轟音の中、上空に浮かぶヘリから微かに聞こえる、舌打ちと悲鳴。その声の主が、ステルベンとヒトクイであることは言うまでも無い。恐らく今頃は、上から覆いかぶさるように降りかかる雪の波に呑まれ、二人の乗るヘリは落下を始めているだろう。

だが、それに構っている暇はシノンにもイタチにも無い。何故なら、雪崩という最終兵器を発動させたことで、その脅威はこれを実行した二人にも降りかかっているのだから。

 

「イタチ!」

 

「掴まっていろ……!」

 

危機を感じて名前を呼ぶシノンに対し、イタチはそれだけ口にする。そして、被弾による破損で限界寸前のスノーモービルをさらに加速させ、迫りくる雪が作りだす白い煙幕の中を一気に突き抜けるのだった――――

 



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第九十二話 沈黙の15分

「私達……助かった、の?」

 

「そのようだな」

 

半壊した照明が明滅し続ける薄暗い空間の中、息も絶え絶えのシノンと、比較的余裕のあるイタチの声が響いていた。

鉱山の麓にてヘカートⅡの狙撃にて雪崩を引き起こしたイタチとシノンは、限界に近かったスノーモービルを全速力で走らせた。イタチとシノンを武装ヘリ諸共押し潰さんとした雪崩の中を突っ込んだスノーモービルが飛び込んだのは、採掘場跡地に残された坑道だった。イタチが危険を承知で雪崩を引き越したのも、この逃げ道があったからこそだろう。

 

「だが、無事なのは俺達だけではないらしい」

 

「……どういうこと?」

 

イタチの言葉に、不吉なものを感じたシノンは、その意味を問う。対するイタチは、薄暗闇の中でも冷たい光を発する赤い瞳を、シノンのもとへ向けながら、口を開く。

 

「坑道へ入る直前、雪崩に呑まれるヘリを見たが、助手席は空だった。間一髪で脱出したとみて間違いないだろう」

 

「そんな……」

 

無論、通常あの雪崩の中でヘリから飛び降りたとしても、押し寄せる雪の下敷きにならずに済む可能性は極めて低い。だが、採掘場跡地の斜面には、至る場所に坑道への入り口があった。それらの一つに入り込むことができたならば、雪崩から逃れることは可能である。

 

「ヘリを操縦していた奴は雪の下敷きになったとみて間違いないだろうが、助手席に座っていた男は十中八九まだ生きている」

 

「…………」

 

シノンに過去のトラウマを想起させた、あのぼろマントの男が生きている。それを聞かされたシノンの顔は、みるみる蒼白になっていき、冷や汗が浮かんだ。アバターが見せたそれらの反応は、シノンの心に抱いた恐怖を如実に表していた。

 

(駄目……落ち着かなくちゃ……)

 

まだ戦いは続いているのだ。この大会を制すると誓った以上、鉱山都市で犯したような失態は許されない。恐怖に悲鳴を上げようとする脆弱な内心を封じ込め、常の冷静さを呼び起こそうと努める。

 

「奴が生き残ったとしたら、この鉱山のどこかにいることは間違いない。お前を付け狙っている以上、ここに長居は無用だ。移動するぞ」

 

一方のイタチは、エンジン部分が破損して煙を上げているスノーモービルから降りると、素早く状況を把握して次の動きへと移行しようとする。半ば行きずりの状態で動向しているシノンにも声を掛け、廃鉱山の坑道の奥へと足を踏み入れようとする。

 

「…………」

 

「どうした、シノン?」

 

しかし、対するシノンからは、全く返事が無い。スノーモービルから降りてはいるものの、イタチに背を向けたまま、ヘカートⅡを持ったまま立ち尽くしていた。一体どうしたのかと問い掛けようとし、イタチはシノンのもとへと歩み寄ろうとする。

すると、シノンはここで初めてイタチに対して反応した。だが、それは言葉による返答ではない。

 

「……何のつもりだ?」

 

イタチに対し、ヘカートⅡの銃口を向けるシノン。言うまでもなく、敵対の意思を示す行為である。

 

「見ての通りよ。これ以上、あなたと一緒に行動する理由は無い……ここであなたの命を貰うわ」

 

氷のように冷え切った視線にてイタチを捉えるシノンの目には、迷いや躊躇いが一切感じられない。加えて、今シノンとイタチの間には、十メートル弱の距離があるのみ。GGOに名を馳せた狙撃手たるシノンが、この距離で外すことはまず有り得ない。

イタチとシノン――赤と青の、相反する色でありながら、凍り付くような光を宿した視線が交錯する。そして、先に動いたのは、シノンだった。余計な感情を一切介さない表情のまま、引き金に掛けた指もまた、機械的に動かした――――

 

「…………」

 

通常の狙撃銃とは比にならない、轟音のような銃声が坑道の中に響き渡る。同時に、ヘカートⅡの銃口から、アバターを粉砕して余りある威力の対物弾が発せられる。しかし、放たれた弾丸は、イタチのアバターの、顔の真横を通り過ぎ……その背後の土壁を抉るのみだった。そして、いきなりの敵対宣言に次いで、対物弾による射撃を受けたイタチは、無言のまま、一歩も動かず、瞬きすらせずに立ったままだった。

 

「……助けてくれた借りは、これでチャラよ。お仲間ごっこはこれまで。次に会ったら……容赦なく撃ち抜く」

 

底冷えするような声で、脅すようにイタチへそう告げると、シノンはヘカートⅡを担ぎ直してその場を後にしようとする。だが、ここまで立ったまま微動だにしなかったイタチが、シノンとすれ違おうとしたその時、初めて口を開いた。

 

「今のお前では、奴には勝てんぞ」

 

「…………」

 

単身でステルベンとの戦闘へ赴こうとするシノンに対し、苦言を呈するイタチ。対するシノンは、無言のまま立ち止まり、背中合わせで対峙する。図星を突いたためだろうか。背中越しに、イタチはシノンの殺気を感じていた。だが、この程度のことでイタチは怯まない。冷静な口調のまま、シノンに対して言葉を続ける。

 

「敵はサプレッサーが標準装備の狙撃銃に加えて、光学迷彩機能付きのマントを装備している。お前が単身で戦うには、分の悪い相手だ」

 

「…………」

 

「奴の実力はお前に迫るものがある。装備面を考えても、まともにやり合えばお前の勝ち目は薄い。それに、奴を追跡していたのなら、お前も見た筈だ。奴が所持しているハンドガンは、プレイヤーを強制的に回線切断させる力がある」

 

「…………さい」

 

「それに、あのハンドガンを向けられた時……お前は反撃するどころか、動くことすら儘ならなかっただろう。次に奴と相対した時、同じように動けなくなるんじゃないのか?」

 

「………………る、さい」

 

「お前はあの銃の、プレイヤーを回線切断させる力ではなく…………銃そのものを恐れていた。あの銃はお前の――」

 

「うるさいっ!!」

 

イタチが次々に重ねていく的確な指摘に対し、ヒステリー気味に声を上げてそれを遮るシノン。そして、怒りの形相を露にイタチの方へ振り向き、同時に肩に担いでいたヘカートⅡを構える。先程とは違い、今度は距離そのものが無いに等しい状況。ヘカートⅡの銃口は、イタチの背中のど真ん中を捉え、数センチ手前で静止している。如何にイタチといえども、回避することは不可能である。

 

「ここで俺を殺したところで、状況は何一つ好転せんぞ」

 

「黙れ!黙れ!黙れぇっ!!」

 

先程までの冷静さはどこへやら。感情のままに怒声を張り上げ、ヘカートⅡの銃身を闇雲に振り回し、イタチの背中へその銃口を突き付ける。アバターを粉砕して余りある威力の武装を突き付けられたこの状況で……しかしイタチは、全く動じない。まるで、対物銃であるヘカートⅡも、シノンも脅威にならないと言わんばかりの余裕が垣間見える。そんなイタチの態度が、シノンの苛立ちをさらに助長する。

 

「知ったような口聞かないで!私は……私は、戦わなくちゃならないのよ!!」

 

「仮に戦ったとして、勝算はあるのか?その様子では、狙いを定めることはもとより、引き金を引くこともでず……戦いにすらなるまい」

 

「黙れぇぇえ!!」

 

イタチに対し、再度引かれる引き金。対するイタチは、弾丸が射出される直前で身を翻し、無駄の無い最低限の動きでそれを回避した。至近距離で、しかも背中を向けたまま回避したイタチに驚愕を覚えるシノンだが、即座に次弾を装填すると、その銃口をイタチの顔面へと向ける。対するイタチは、ヘカートⅡの銃身を素手で掴むとその銃口を顔の横へと逸らす。間髪いれずにシノンが再度放った対物弾は、またしてもイタチの顔の真横を通り過ぎ、長い髪を揺らすのみに終わった。そして、露になるイタチの表情。

 

「っ!」

 

それを見たシノンは、ぞくりと背筋が凍るような感覚がした。ヘカートⅡの銃身を掴みながらシノンを見つめるイタチの瞳にあったのは、窮地を救ったにも関わらず牙を剥いたシノンに対する怒りでも、力の及ばない身でありながら歯向かったことに対する呆れでもない。

そこにあったのは、『憐れみ』――――イタチは、シノンの姿に憐憫の情が籠った瞳を向けていた。

 

「…………やめろ」

 

それはシノンにとって、侮られるよりも、蔑まれるよりも耐え難いことだった。単純に実力の差を見下されているわけではなく、もっと内面を見透かしたような視線――――

 

「やめろぉぉおお!!」

 

以前相対した時、シノンが強さを求める理由を……その本質を、イタチは即座に理解していた。これ以上、その内心を悟らせるわけにはいかない。自分の何もかもを暴かれるかもしれない……そんな恐怖に、シノンは半ば本能的に、抵抗すべく動いた。

 

「うわぁぁぁああ!!」

 

イタチに掴まれて動かないままのヘカートⅡを投げ捨てるかのように手放し、悲鳴にも似た声を上げてイタチに殴りかかる。銃の世界たるGGOでは、素手による格闘で与えられるダメージはごく僅か。ましてや、光剣により接近戦を極めたイタチに通用する筈の無い攻撃である。しかし、シノンにはそれ以外に抵抗の手段が残されていなかった。

 

「やめろ!やめろ!やめろぉぉお!」

 

がむしゃらに腕を振るって、精一杯の抵抗をするシノン。対するイタチは、僅かとはいえダメージを受けているにも関わらず、全く動かなかった。その瞳に宿した光は変わらず、シノンを真っ直ぐ見据えていた。殴り掛かられているにも関わらず、文字通りまるで動じず、瞬き一つしないイタチに対し、シノンは決して逃れられないと感じた。しばらく感情のままにイタチを殴り付けていたがシノンだったが、次第に冷静になり……その行為自体がイタチに対して無意味であることを悟ったのか、その拳も止んだ。

実力だけでなく、精神の脆弱ささえ見抜かれたことに対し、シノンは敗北感に顔を俯かせてしまった。拳を振り回したことによる仮想の疲労で乱れた息を整えながら、シノンは精一杯言葉を紡ごうとする。

 

「お願い、だから……そんな目で……私を、見ないで…………」

 

「…………」

 

悔しさと悲しみに身体を震わせながら発した涙声のシノンに対し、イタチは沈黙を貫くのみだった。

 

 

 

 

 

「おや、これは予想外な展開になりましたね」

 

窓一つ無い、無機質で薄暗い部屋の中。薔薇、或いは血のような色の赤ワインの注がれたグラスを片手にパソコンの画面を見ていた男、高遠遙一はそう呟いた。画面に映っているのは、VRMMORPG『ガンゲイル・オンライン』にて行われている最強決定戦『第三回BoB』の実況映像である。

 

(しかし、彼女と繋がりがあると分かっていた以上は、ある意味納得のいく行動でもある……)

 

複数ある画面の中、男が特に注目している映像では、雪原にて繰り広げられているスノーモービルとヘリコプターによる追撃戦が映し出されていた。機動力に圧倒的な差のあるこれら二つの乗り物、正確にはその操縦者が互いの武装や乗り物の特性を駆使し、鎬を削る壮絶な戦いを制したのは、スノーモービルに乗る男女だった。

ヘリコプターを雪山の斜面近くまで誘導した後、スノーモービルからの対物銃の射撃を敢行。その際に引き起こした銃声で発生した雪崩で、ヘリコプターは大量の雪の下敷きとなった。ヘリコプターの搭乗者の一人は、雪が迫りくる前に間一髪で脱出したが、操縦を担当していたプレイヤーはヘリコプター諸共に雪に埋もれてしまった。

現実世界で雪崩に埋没した場合、十五分以降に急激に生存率が低下する。ゲーム世界でもそれは同様で、雪崩等でアバターが生き埋めになった場合、意識は持続するもののHPは減少し、最長十五分で尽きるらしい。

 

(雪崩に埋もれた彼にとってここからの十五分は、死へと近付くカウントダウン。そして、鉱山の中ではサテライト・スキャンによる位置情報の探索は不可能。故に彼と彼女、それに私の人形達は、しばらく動くことは儘ならない。つまり、彼等にとってここからの十五分は、皆が息を潜める雌伏の時間……『沈黙の十五分』、といったところでしょうか)

 

詩的な表現でBoBにおける現在の戦況をそう締め括った高遠は、満足そうな表情を浮かべてグラスのワインに口を付けた。予想外の出来事が発生したが、これはこれで面白い。否、こうでなくてはならないと、高遠は一人頷いていた。そんな風に、自ら作り上げた舞台の進行に笑みを浮かべて悦に浸っていた……その時だった。

 

「ん?」

 

高遠の所持していた携帯電話が、通話着信を告げる音と振動を発した。現在進めている舞台の進行に関する定時連絡には、まだ若干の時間がある筈。一体、どこからの電話なのだろうと、徐にその携帯電話を手に取り、発信元の名前を確認する。そこに表示されていた名前を確認した高遠は、苦笑を浮かべながら通話ボタンを押すのだった。

 

「はい、私です」

 

『僕だ。用件は……言うまでも無いな?』

 

通話に出て早々の、横柄な物言い。電話の相手は年下で、年上の人間に対する態度としては些か以上に不躾な言動だが、高遠は特に気にした様子は無かった。もとより、この舞台に招待した人間には、世間一般の常識や倫理観から外れた者ばかりなのだ。この程度のことで目くじらを立てていては、やっていけない。

 

「ええ。彼女へ撃ち込む予定だった、『死銃(デス・ガン)』のことですね」

 

『その通りだ。邪魔が入って、撃ち損ねたぞ。計画が狂ったぞ。どうするつもりだ?』

 

「私としても、驚いているんですよ。彼がまさか、あんな行動に出るなんてね」

 

『戯言はいい。それより、どうするかと聞いているんだ』

 

高遠の飄々とした、余裕ぶった態度に苛立ちを募らせながら、通話の相手は次の行動指針について尋ねる。これ以上、冗談の類を口にするのは得策ではないと考えた高遠は、手短に指示を出して通話を切り上げることにした。

 

「舞台は今も進行中です。幸い、彼女を撃つ担当者は、同じエリアにて生存しています。彼ならば、必ず標的を仕留めてくれることでしょう」

 

『フン……当然だ。ステルベンが負けることなんて有り得ない』

 

「では、このまま待機をお願いします。戦況のモニタリングを続け、来る時に備えてください」

 

『いいだろう』

 

その言葉を最後に、通話は途切れた。通話の相手は最後まで不遜な態度だったが、高遠にとってその構え方は滑稽にしか思えない。まるで、計画も何もかも、全て己の力で動かしているような物言い。人形として、地獄の傀儡師たる高遠に操られていることにまるで気付いていないその姿は、道化そのものである。

 

(まあ、彼程度では、イタチ君相手するには、力不足も甚だしいところですが……)

 

何の偶然か。先の電話の相手が、計画時に是非自分の標的にと頼み込んできた相手が、今まさに高遠が注目するプレイヤーと同行している少女なのだ。電話の相手が、件の少女に対して異常な執着を抱いていることは明らかであり、あの少女は高遠が注目するプレイヤーとの間に何からの因縁がある。この複雑怪奇な人間関係が、この舞台を如何な結末へと導くのか……この劇をセッティングしたプロデューサーたる高遠には、非常に興味がある。

 

(私の人形達を相手に、彼女を守りながらどう立ち回るのか……お手並み拝見といきましょうか……イタチ君)

 

混迷を極める戦場の中継映像を眺めながら、高遠はその笑みをより一層深めるのだった。

 

 

 

 

 

薄暗い坑道の入り口付近。出入り口が雪崩の雪で塞がれ、坑道の奥には照明の光さえ届かない深い暗闇が広がる空間の中……イタチとシノンは並んで、壁に背を預けて座り込んでいた。半ば以上自暴自棄になって殴り掛かっても尚、イタチの視線をどうすることもできなかったことに、シノンは抵抗する意思を喪失。今に至っている。

イタチとしては、シノンを協力者として、鉱山の奥へと進みたいと思っていたのだが、今の彼女の精神状態を鑑みるとそういうわけにもいかない。柄では無いが、この後も戦いが続くことを考えれば、シノンの不安定な精神状態をある程度フォローしておくことは必須だった。

 

「…………イタチ」

 

「どうした?」

 

十分程度の沈黙を経て、シノンはようやく口を開いた。ようやく口を開いたシノンに対し、何でもない風に口を開いたイタチだが、内心では困惑していた。女性の悩みの相談に乗る役目など、今の自分に務まるか、まるで分からないが、やらねばならない。イタチが柄でもない、前世でもあまり経験の無いカウンセリングを行うのは、現世ではこれで二度目である。

幸いなのは、今回は相手のリアルを知り、抱えている悩みについても感知していることだろうか。リアル事情を詮索することが御法度とされるゲーム世界において、相手のリアル一方的に認知している状態は、甚だマナー違反である。しかし、シノンは勿論、イタチも余裕のある状況ではない。今現在の優位性をフルに活かし、イタチはシノンのカウンセリングに集中することにした。

 

「私ね……人を、殺したことがあるんだ……」

 

「…………」

 

絞り出すように、悲痛な表情のままシノンが口にしたのは、しかしイタチの予想した通りの言葉だった。普通ならば、大きな衝撃を受けることは間違いない告白に対し、しかしイタチはまるで動じる様子がなかった。何も言わず、ゆっくりと、シノンの方へ顔を向ける。その赤い双眸は、独白のように自身の過去について語るその表情へと向けられていた。

シノンが話した内容は、かつてイタチも……正確には、桐ヶ谷和人が、祖父に連れられて向かった東北の街で聞いた話だった。

 

幼い頃、銀行強盗事件に巻き込まれた母親を救うために、犯人に噛みついたこと――――

 

母親を庇うために、犯人が落とした拳銃を拾い、無我夢中で抵抗する最中、犯人を撃ち殺したこと――――

 

それ以来、銃に対するトラウマが自身の心を蝕み、作り物や指で形作ったものすら直視できないこと――――

 

銃に対する恐怖を克服するために……恐怖に動けない自分を強くするために、あらゆる方法を模索してきたこと――――

 

その末に、銃の世界たるガンゲイル・オンラインの世界へ来て、戦いに身を投じてきたこと――――

 

「…………」

 

シノンが話を聞いている間、イタチは終始無言だった。シノンの隣に佇んだまま微動だにせず、瞬きすらほとんどしていない。傍から見れば、本当に話を聞いているのか疑わしい態度である。だがその内心では、彼女の精神に対し、大きな危険を感じていた。

銃へのトラウマを抱く理由については、イタチこと桐ヶ谷和人も聞いていた話だった。その後についても、トラウマ克服のためにさまざまな活動をしていたことは知っていた。イタチと出会ったことを契機に始めた剣道も、その一環であることを。

だが、その後に始めたこのゲーム――『ガンゲイル・オンライン』だけは、彼女にとって勝手が違った。銃の世界たるこのゲームをプレイするシノンには、他には無い精神面の危うさがあった。これは、幾度となく矛を交えたイタチだからこそ気付けたものであり、今の話で確信したことでもあった。そして同時に、それだけでは済まないと、イタチは思った。

 

(こうなったのは、俺の責任でもある……か)

 

シノンがトラウマを克服するための方法として、戦いの中で己を強くするという手段を取るようになったのは、イタチこと桐ヶ谷和人の出会いがきっかけであることは間違いない。故に、強さを追い求めた末に彼女がガンゲイル・オンラインに手を出し、彼女の精神がこのように危険な状態に陥っている原因は、和人にもあるのだ。決して他人ごとではなく、責任は確実にあると、和人は感じていた。何より、シノンこと詩乃は、イタチの昔からの友人でもある。責任云々の事情抜きでも、力になりたいという気持ちもイタチの中にはあった。

シノンが抱える問題の本質や、追い求める強さの意味は、彼女自身が気付かなければ意味が無い。そして、それは自覚しただけでは終わらない。その問題と、向き合わないことには、本当の解決には至らないのだ。今までは、敢えて答えを出さずに放置してきたが、ここに至ってはそんなことは言っていられない。

 

「シノン……」

 

「!」

 

故にイタチは、意を決して“荒療治”を行うべく口を開いた。対するシノンの表情には、若干怯えのようなものがあった。しかし、イタチは微塵の容赦もなく、シノンが抱える問題の核心に触れる。

 

「お前はいつまで、自分自身から逃げ続けるつもりだ?」

 

 

 

 

 

「…………え?」

 

イタチの口にした言葉に、シノンは意味が分からないという表情を浮かべていたが、無理も無い。いきなりこんなことを言われても、その真意を理解することはまず不可能である。そんな反応をするシノンに大志、イタチはさらに言葉を重ねる。

 

「お前は、弱い自分を強くしたいと言っていたが、何故弱いと感じたのか……その理由を考えたことがあったか?」

 

「それは、私が銃を怖がるから……」

 

「違うな」

 

イタチの口から告げられた否定の言葉に、シノンは戸惑いを見せる。これまでシノンは、銃に対する強い恐怖心こそが、自身が弱い理由と考えていた。銃を写真や指の動作で見ただけで、PTSDによる吐き気や過呼吸を引き起こし、パニックに陥る自分の姿が、情けなくて仕方が無かった。

しかしイタチは、その考えを間違っていると口にした。シノンの弱さが、銃に対する恐怖心にはないのならば……一体、何が弱さの根源だというのか――――

 

「お前が本当に恐怖しているのは、銃ではない。この世界でお前が銃を手に戦えていることがその証拠だ」

 

「それは、仮想世界だからの話で……」

 

「仮想世界と現実世界も関係無い。お前が持っているのは、正真正銘の“銃”だ。銃と認識している以上、現実世界であろうと仮想世界であろうと、恐怖が消えることなど有り得ない」

 

淡々と、シノンの内面を少しずつ暴こうとするイタチに、しかしシノンは一切抵抗することができない。これ以上触れられてしまえば、シノンの精神が揺らぎ……崩壊するかもしれない。そんな危機感があった。

それでも、シノンはイタチの話を止めようとはしない。何故なら、彼は自分が抱える問題の本質を見抜いている。自身の弱さに対する認識が間違っているのならば、それを正さないことには何一つとして始まらない。シノンはただ、イタチが語る正確無比な論拠に耳を傾けるのみだった。

 

「現実世界では直視すらできないそれを、仮想世界では手に持つどころか、それを武器に戦うことすらできる……その矛盾の本質は、お前自身にある」

 

「……私に?」

 

「お前が今日まで引き摺っている恐怖の根源である、銀行強盗事件……あの時お前は、何に恐怖した?」

 

いよいよ、ここからがシノンが抱える問題の核心なのだろう。イタチの問いに対し、シノンは思い浮かべることすら躊躇われた当時のことを必死に思い出して答えを出そうとする。

あの銀行強盗事件の時、一体自分は何を見て、何を感じ――何に恐怖したのか――――

 

(私は、あの時…………)

 

忌まわしい記憶の中の光景。自分があの事件の中で、とりわけ恐怖を感じた場面。そこに映るものを、シノンは必死に思い出そうとした。血に塗れた、惨劇の一幕を…………

 

(私はあの時、何を見た…………?)

 

記憶の中に刻まれた光景ではあっても、その詳細について思い出そうとしたことは、今まで無かった。自身が手にした拳銃を発砲したことで強盗が死に至り、血の海の中に倒れた……それが、シノンに未だ消えない心の傷を残した事件の全てだった。しかし、極限状態の恐怖に晒されていた故に、あの時自分が何を感じたのか、それを明確に考えようとはしなかった。あの時見た光景の全てが、常軌を逸した恐怖に満ちていたことは、間違いなかったのだから。

だが、五年の月日が経った今ならば、思い出せそうな気がする。何より、今の自分は朝田詩乃ではない。GGOに在りし氷の狙撃手、シノンなのだ。現実世界の自分に無い強さを持つこのアバターならば、あの時のことを思い出すくらい、簡単に出来る筈。シノンは自分にそう言い聞かせながら、あの日の記憶を辿った。

 

 

 

銀行強盗事件が発生したあの日。母の命を守るために、満身創痍の意識の中で、強盗が落とした拳銃を手に、反撃に転じた。一発目の弾丸は右肩を貫いた。しかし、男は再度起き上がってシノンに狂気の視線を向けて危害を加えようとしてきたため、動転して二発目の弾丸を放った。今度は頭部に命中し、今度こそ男の命は絶たれた。そこで詩乃は危地を脱して安堵したのだが……問題はここからだった。

 

強盗ではなく、自身に対して恐怖の眼差しを向ける母の姿――――

 

自身の手には、薬莢を排出した拳銃が握られており……手の甲は返り血に濡れていた――――

 

そして、目の前には、二発目の銃弾によって死に至った男が流した血溜まり――――

 

 

 

「っ!」

 

そこまで思い出したところで、シノンは気付いた。自分があの事件の中で、最も衝撃を受けたのは、その時だったことを。そして、その理由すらも理解した……してしまった。

自身が抱く恐怖の正体は、強盗犯を撃ち殺した銃でも、瞳の中に潜む殺した男の幻影でもない。

 

 

 

 

 

その惨状を作り出したのが、自身であるのだから――――

 

 

 

 

 

「あっ……あぁ…………!」

 

今まで気付かずにいた……或いは、無意識に目を逸らしてきた恐怖の正体。朝田詩乃があの強盗事件を境に恐怖したのは、銃ではなく、銃を手に人を殺し、母に恐怖された“自分自身”だったのだ。大切な人を守るために凶器を手にして、躊躇い無く引き金を引き、人の命を奪った。そして、自身の手を血で濡らしてまで護ろうとした母親の表情にあったのは、感謝でも安堵でもなく……殺人というおぞましい所業を犯した自分に対する恐怖する視線。

それを認識した途端、シノンは震えが止まらなくなった。それだけではなく、視界がぼやけ、音が遠ざかり、動悸が激しくなっていく。視界には危険信号を示すマーカーが点滅し、アミュスフィアの安全機構による強制ログアウトが発動しかけていた。パニックに陥り、呼吸すら儘ならないこの状況は、この世界からログアウトしたところで変わらない。パニック状態そのままに、窒息死してしまう可能性すらある。正気を完全に失う一歩手前の世界の中で、シノンはそう直感した。

だが、そこへ――

 

「シノン!」

 

「!!」

 

シノンの名前を呼ぶイタチによる一喝が入る。普段の冷静なイタチからは考えられない大声に驚いたシノンだが、お陰でパニックから目を覚ますことができた。恐る恐るイタチの方へと顔を向けてみると、イタチの整った美貌がシノンの方へ向けられていた。木の葉を模した紋章に横一文字の傷が入った額当ての下で光る赤い双眸には、真剣な光を宿していた。

 

「分かったか?お前の弱さは、銃に対する恐怖ではなく、銃を手に人を殺めた自分自身に対する恐怖に由来するものだ。自分のやったことを認められないまま、このGGOという仮想世界へ来たお前は、人を殺した自分自身を無意識の内にアバターという形で乖離させた。シノンの姿でいる時にだけ、銃に対するトラウマが発生しなかったのも、シノンという存在をこの世界に生きる別人として認識し……現実世界の自分と同一視しようとしなかったからだ」

 

シノンの、自身ですら正しく認識していなかった内面を切開し、容赦なく酷評するイタチ。しかし、それらの指摘には見当違いの点は一切無く、故にシノンは全く反論できずにいた。

 

(全部が見当違いだった……私がこの世界で求めた強さは、何もかもがまやかしだった!)

 

朝田詩乃がシノンというアバターに求めた強さは、一方的な感情に由来するものである。故に、シノンがそのアバターに対して抱く失望めいた感情それ自体が見当違いである。無論、シノンとて頭の中では自分が思っていることが理不尽であることは理解している。アバターの強さをまやかしにしているのは、他でもない自分自身。ガンゲイル・オンラインというゲームや、シノンのアバターに怒りの矛先を向けることは、完全な筋違いである。しかし、過去のトラウマを乗り越えるという切実な願いのもとでこのゲームをプレイしてきたシノンには、行き場の無いこの感情を自身のアバターへぶつけるしかできなかった。譬え、八つ当たりを承知でも……

 

「強くなる以前の問題だ。己を認められない者が、前進することなどできる筈が無い。このゲーム世界の中でシノンを強くするだけでなく、現実世界のお前が変わらなければ、何一つ変えられはしない」

 

「けど……私は!」

 

愛する者――母親にさえ恐怖され、拒絶された自分を受け入れることなど、そう簡単にできる筈が無い。この世界で戦い続け、その末に現実世界の自分とシノンを一つにすることが目標だった。しかし、シノンというアバターそのものがトラウマの根源たる自身の暗黒面であると理解した今では、それを果たすことは儘ならない。今もこうして、シノンのアバターで話すことは勿論、動くことすら忌避している。少なくとも、今すぐ解消できる問題ではない。

そんなことを考えて暗い表情を浮かべるシノンを、イタチは変わらず冷静な視線で見据えていた。その怜悧な光を宿した瞳は、やはりシノンの内心を見抜いていたのだろう。葛藤を抜けだせないシノンを見かねたイタチは、やがて意を決したように再び口を開いた。

 

「己を認めるということは、己が出来ない……或いは、出来なかったことを許すということだ。個人がどれだけの力を持っていたとしても、何もかもが一人でできるわけではない。だからこそ、己の無力を……失敗を許すことこそが必要とされる」

 

上辺だけの説教ではなく、経験に基づいた助言であるとシノンは感じた。ならば、目の前の完全無欠と言っても遜色無い実力者たるイタチにも、同じことがあったのだろうか。己一人では解決できない問題に直面して失敗し……それを解決したという経験が。そう思ったからこそ、シノンは問わずにはいられなかった。

 

「……イタチ。あなたには、無力を感じたことなんてあったの?」

 

「ああ。あった」

 

シノンの問い掛けに、イタチは即答した。予想はしていたものの、本当に意外だった。この世界において実力で右に出る者はおらず、ゲーム内だけとは思えない強さを秘めたこの男が、無力や失敗を経験する場面が想像できない。一体、この完全無欠の剣士に何があったのか……非常に疑問で、気になることだったが、それに触れることは流石に躊躇われた。

 

「自分以外、誰一人として信用しないことで、全て己一人でできると誤魔化し続け……その結果、何もかも失敗した。そして、それに気付くまで重ねてきた、多くの失敗の中で学んだことは、一つとして、一つで完璧なものなど、有りはしないということ。足りないもの同士が引きよせ合い、そばで対を成して、初めて少しでも良い方向へ近付けるのだと、その時になって初めて至ることができた」

 

しかし、その体験の中で何を感じたのか、それだけは答えてくれた。自身の『失敗』について語るイタチの横顔には、悲痛さが感じられた。シノンはこれまで、イタチというプレイヤーを、失敗などとは無縁の、真の強者と信じて疑わなかった。しかし、なんのことはない。彼もまた、シノンと同じように過ちを犯した過去がある。そして、それを乗り越えた経験があるからこそ、強いのだ。

イタチの強さの理由について考えようとせず、自分の中で偶像を作り上げていたことに、シノンは自身に対して怒りを覚えた。そして、過ちを乗り越え、強く在ることができるイタチのことが、羨ましくもあった。イタチの持論に当てはめるならば、シノンに今足りないものは、過去の自分と向き合い、受け入れるための勇気だろう。だがそれは、五年の月日を掛けてもできなかったことである。相反し、拒絶し合う二人の自分を一つにするには、きっかけが必要なのだ。そしてそれは、シノンが自ら作り出せるものではなかった。

 

「シノン」

 

「……なに?」

 

結局、自分一人では何もできないという結論に至り、目の前が真っ暗になるような感覚に陥る中、イタチが名前を呼び声が聞こえた。その声には、先程までの冷たさだけでなく……近くへ歩み寄ろうとする温かさのようなものが感じられた。

顔を上げ、イタチの顔を見つめると、赤い瞳の中にある怜悧な光には、先程の声色に近い、微かな温かさがあった。今までの戦闘の中では見ることの無かった、穏やかさと思いやりに似た感情が籠った視線に、シノンは若干戸惑った。

 

「お前の考えていることは分かる。足りないものが分かっているが、それを受け入れることができない……違うか?」

 

「!」

 

やはり、イタチには全てお見通しだった。仔細は分からないものの、過去に大きな失敗を経験したことで達観しており、故にシノンが抱える問題の真実を見抜けたのだ。今、何を考えているかなど隠せる筈も無いのだろう。しかし、それを指摘したところでどうしようというのだろうか。真意を図りかねたシノンだったが、それに答えるように再びイタチは口を開いた。

 

「足りないものを補うことは確かに必要だ。だが、必要なものだけ手に入れなければならないという決まりは無い筈だ」

 

「え……?」

 

一体、イタチは何を言いたいのだろうか。シノンはさらなる疑問を抱くが、言葉による回答の代わりに差し出されたのは、イタチの右手だった。

 

「足りないものが己自身だとしても、他者に頼ることが必要な場合もある。かつての俺がそうだったように……お前にも、それがあっても良い筈だ」

 

そこまで聞いて、シノンはイタチの真意をようやく理解した。イタチは、シノンに足りないものがあることを知っている。だからこそ今、補おうとしているのだ。こうして、右手を差し出すことで……

 

「俺は、誰かと共に並び立つことを目的に助けを求めたことも、助けを差し伸べたことも無い。それでも、俺はお前の足りないものを補える存在で在りたいと思っている。シノン、俺の手を取ることはできるか?」

 

シノンを助けるために、足りないものを補う存在でありたい。それは、過去に失敗した経験を持ち、シノンの姿にかつての自分を重ねたイタチだからこそ思ったことだった。打算や、憐れみもあっただろう。しかしそれ以上に、対等な立場で並び立ち、良い方向へ進みたいという想いが感じられた。少なくともシノンには、そう感じられた。

 

「イタチ……」

 

初めて差し伸べられたその手に、シノンは若干の困惑を抱かずにはいられなかった。シノンはこれまで、強くならなければならないと自分に言い聞かせ続け、他者に助けを求めることをタブーと考えてきた。しかし、問題解決の糸口が別にあるというのならば、そちらへ手を伸ばしたいとも思っていた。果たして、シノンの思いが行き着く先は――――

 

「……お願い。私を、助けて」

 

震える手を自らも伸ばし、シノンはイタチの右手を包み込むように握った。弱い自分を見せることに対する躊躇いは捨てきれなかったが、シノンは確かにその手を取ったのだ。

 

 

 

差し伸べられた手を伝う、仮想の体温を感じたシノンの表情には、穏やかさや安らぎが戻り始めていた。そして、右手を握られているイタチの表情も、ほんの少しだが変化があった。シノンが手を取った途端に、イタチが安心したような表情を浮かべていたことに、しかしシノン自身は気付くことは無かったが。

 



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第九十三話 時計仕掛けの殺人劇

イグドラシル・シティのとある酒場の中。そこでは現在、こことは別の仮想世界、ガンゲイル・オンラインにて行われている最強決定戦、第三回BoBの中継を眺めるプレイヤー達の姿があった。大会の様子を眺める彼等の顔は、一様に沈痛な面持ちをしていた。

その中でもとりわけ、アスナとリーファの様子が酷かった。この場にいる全員、気持ちは同じであるが、恐らくこの二人が最も強く苛立ちともどかしさを感じていたであろう。

 

「アスナ、ちょっと落ち着きなよ。リーファもさ」

 

「まあ、無理も無いだろうけどね」

 

人一倍顔色が悪く、落ち着きの無い二人をリズベットが必死で宥めようとするものの、焼け石に水らしい。サチは仕方ないとばかりに肩を竦めた。何せ、二人の思い人は今、命の危険が伴うであろう場所にいるのだ。しかも自分達には何の手出しも出来ない状況である。冷静に構えていられる筈が無かった。

 

「メダカもまだ戻らねえな……あいつも何か、調べてんのか?」

 

「黒神財閥のコネクションなら、警察関係者から情報も引き出せる筈。何か掴める可能性はありそうですね」

 

何か、危険なことが起こっていることが分かっているにも関わらず、動く事ができないこの状況にもどかしさばかりが募る。そんな気持ちを紛らわせるために、口を開いたカズゴとアレンだが、場の空気はまるで改善の兆しを見せない。

 

「大丈夫です。私の方でも、先程の検索作業の合間に、心強い味方を呼んでおきましたから」

 

「ユイちゃんが?」

 

「はい。多分、皆さんも知っている方です。ゲーム世界のロジックについて造詣が深い方ですので、きっと役に立ってくれると思います」

 

SAOではMHCPというAIであり、現在はALOのプライベート・ピクシーであるユイが信頼する人物とは、一体誰なのか。ユイの言葉からして、この場にいる人物全員にも面識があるようだが、顔が思い浮かばない。

 

「確かに、イタチの奴があの世界に向かった経緯も分からん状態だけどよ……連中がどうやって仮想世界から人殺しをしているのか、その仕掛けを暴かないことには、どうにもできねえよな」

 

「新一……コナン君さえいてくれれば、何か分かったかもしれないんだけど、連絡が付かなくて」

 

「大泥棒二人を相手にしなきゃならねえんじゃ、仕方ねえだろうからなぁ……」

 

笑う棺桶のメンバーの暗躍をしったランが、その殺人トリックを暴くためにまず頼りにしたのは、高校生探偵としてしられるコナンこと工藤新一だった。高い推理力を持ち、SAO事件内部で起こった数々の殺人事件を解決してきたことで知られている。故に、アスナとメダカに次いでログアウトし、連絡を取ろうとしたランだったが、結局電話は繋がらなかった。

ラン自身も予想はしていたことだが、連絡が取れないことは無理も無い話だった。工藤新一は現在、別件の捜査で警察に駆り出されている。彼が今相手しているのは、世界的に有名な怪盗と、三年ぶりに再来した怪盗の二人である。身内の連絡に対応している暇など、ある筈も無かった。

 

「それにしても、コナン君は仕方ないとしても……ハジメ君まで連絡が取れないのは、どういうわけかしら?」

 

「多分だけどよ……イタチと一緒に行動してんじゃねえか」

 

事件の推理に関して頼りにしていたコナンに連絡が取れないと知ったランは、次いでコナンと双璧を成すハジメに電話をかけた。しかし、こちらの電話も圏外であり、通話は通じなかった。

この非常事態に、一体どこへ行ったのかと怪訝に思うランが疑問を口にする。それに答えるように口を開いたのは、カズゴだった。

 

「抜け駆け捜査はアイツ等の十八番だろ。重要な局面では協力を求めるが、それまでは基本それぞれ一人で突っ走るからな」

 

「否定できないわね。コナン君だけ別件みたいだけど……本来であれば、あの三人が揃って行動していてもおかしくなかったと私は思うわ」

 

カズゴの刃に衣着せぬ言葉に、アスナは的確な推理をもって同意する。恐らく、イタチとハジメは協力関係にあり、事件を解決に導くために必要な協力者を多数得ている。メダカの言葉を聞き、その場にいた誰もがそう感じた。

そうして、SAO事件以降多少は軟化したものの、少数の味方のみで行動して危険を冒す点は変わらないイタチに改めて呆れることしばらく。遂に目的の人物が、この場に姿を現す。

酒場の扉を開く音とともに現れたのは、マリンブルーの長髪に、長身で細身の体格、銀縁眼鏡をかけたウンディーネの男性プレイヤー。ローブを纏っていることから、メイジタイプのプレイヤーであることは言うまでもない。この男のプレイヤーネームは、クリスハイト。現実世界の本名は、菊岡誠二郎……総務省仮想課の職員にして、元SAO事件対策チームのエージェントである。そして、今回のイタチのGGO行きを依頼した男でもある。

 

「クリスハイト、遅いわよ!」

 

酒場へ入ってきたクリスハイトに対し、開口一番に文句を口にしたのは、リズベットだった。対するクリスハイトは、勘弁してくれとばかりに両手を上げ、困ったような表情を浮かべる。

 

「これでもセーブポイントから超特急で飛んで来たんだよ。ALOに速度制限があったら、免停は確実だよ」

 

日曜の夜に無理を言われて駆けつけたのだから、労いの言葉の一つもあっても良い筈なのだが、ここにいるプレイヤーの中には、この状況下で殊勝な心がけを持っている者は一人もいなかった。

とぼけたような口調で話すクリスハイトに対し、今度はアスナが前に進み出て問いを投げる。

 

「クリスハイト、何が起こっているのか、今すぐ説明して」

 

アスナがクリスハイトをこの場所に呼び付けた時、イタチのガンゲイル・オンラインへのダイブ依頼について説明しろという用件は、既に伝えてある。

問い掛けてきたアスナをはじめ、その場にいたプレイヤー全員の鋭い視線が、クリスハイトに突き刺さる。針の筵状態の状況に置かれてたじろぐクリスハイトだったが、どうにか口を開こうとする。

 

「ええと……何から何まで説明すると、ちょっと時間が掛かるかもしれないなぁ。それにそもそも、どこから始めていいものか……」

 

アスナの詰問に対し、しどろもどろになるクリスハイト。その姿に苛立ちを募らせたアスナが、誤魔化す気か、と声を上げようとした、その時だった。

 

『!』

 

酒場の中に、「ガゴンッ!」という轟音と衝撃波が伝播する。発生源である酒場の一角の壁を見ると、そこには大剣を手にしたカズゴの姿があった。先程の轟音と衝撃波は、カズゴが床にソードスキルを放ったことで発生したものらしい。床は破壊不可能なオブジェクトであるため、傷一つ付いていないものの、店全体を震わせるような音と衝撃は消せない。

 

「御託は良いんだよ、オッサン。イタチがダイブしているあの世界で今、何が起きてんのか、説明しろって言ってんだ」

 

手に持った大剣でBoBの中継映像が映し出されているモニターを指しながら、説明を要求……否、強要するカズゴ。だが、それを止めようとする人間は一人もいない。イライラしているのは、皆同じだからだ。そして、カズゴの殺気に当てられた当のクリスハイトは、冷や汗ダラダラで動けなくなっていた。そんなクリスハイトを見かね、今度はユイが口を開く。

 

「クリスハイトさんが無理なようなので、私が代わりに説明します」

 

普段は愛くるしいという印象が強いユイが、カズゴの殺気が満ちる空間の中で、毅然とした態度で説明に臨もうとしていた。その健気な姿に、冷静さを取り戻したカズゴは殺気を引っ込め、同時に手に持った大剣も下ろす。

 

「……頼んだ、ユイ」

 

純真無垢なユイの前で、怒りを剥き出しにしたこのような態度は取るべきではない。そう自省しながらも、カズゴはユイに説明を頼んだ。対するユイは、カズゴの内心を理解したのか、真剣な表情の中に穏やかさを見せて頷き、説明を始めた。

 

「今年の十一月九日の深夜、死銃またはデス・ガンと名乗るプレイヤーが現れ、GGO首都内の酒場ゾーンにて、テレビモニタに向かって銃撃を行いました。同日、中野区のアパートで、フルダイブ中の変死事件が発生しています。

また、十一月二十八日、GGOの首都中央広場にて行われていた集会に、同一の名前を名乗るプレイヤーが現れ、参加者の一人を銃撃しました。そして同日、埼玉県さいたま市にて、同様の変死事件が発生しています。

以上のことから、この死亡者二名が、ゲーム内で銃撃を受けた『ゼクシード』ならびに『薄塩たらこ』であると類推することは可能です。故に私は、現在開催されているBoB内部で回線切断が起こったプレイヤー達も、現実世界において既に死亡していると判断します」

 

ユイの口から説明された内容を聞いたその場に居たプレイヤー達は、一様に戦慄した。ゲーム内の死イコール現実世界の死となる現象は、かつてのSAO事件を彷彿させる。しかしそれは、飽く迄SAO事件に用いられたゲーム機、『ナーヴギア』においてのみ発生する事象である。事件経て改良が施され、絶対的な安全が保障されている『アミュスフィア』においては、そのような死亡事故の発生は絶対に起こり得ないからだ。

 

「は、はは……これは、全く驚きだな。この短時間にそれだけの情報を集め、その結論を引き出したのかい。どうかな、ラー……いや、仮想課でアルバイトでもするかい」

 

場の空気を読まず、下手な冗談を弄すクリスハイトに、今度はカズゴだけでなく、その場にいた全員が各々の得物に手を掛ける。完全に抜剣しないのは、ユイがいる手前、全員で一人を攻撃する集団リンチを行うことに躊躇いがあったからだ。

そんな殺気に囲まれたクリスハイトは、じぶんが再度地雷を踏んでしまったことに顔を髪色と同じくらいに真っ青に染める。いくらこの場所が安全地帯で、HPが一切減少しないといっても、得物を手に殺意を向けてきているのはSAO事件とALO事件において勇名を轟かせた豪傑なのだから、恐ろしいことこの上ない。

 

「済まない、悪かった、許してくれ、もうふざけない」

 

冷や汗を滝のようにダラダラと流しながら許しを請うクリスハイト。その姿に、ようやくまともな話し合いができると判断した一同は、殺気と得物を抑える。

 

「……そのおちびさんの説明は、全て事実だ。君の説明した二人のプレイヤーは、死銃に打たれたその時刻近辺で、急性心不全にて死亡している」

 

「おい、クリスの旦那よ。あんたが依頼主なんだってな。てことは、その殺人事件のことを知っててイタチをGGOにコンバートさせたってのか!?」

 

怒りを露に、その真意を問うクラインに対し、クリスハイトは落ち着くように促す。

 

「待って欲しい、クライン氏。僕はこの二件の変死事件について、イタチ君と現実世界でたっぷり話し合った。その結果、『これらの変死事件は殺人事件ではない』というのが、僕達の結論だ」

 

「何……?」

 

「アミュスフィアでは、どんな手段を用いようとも、毛ほどの傷も付けられない。ましてや、機械と直接リンクしていない心臓を止めるなど不可能だ。これは、イタチ君も共通の見解だ。ゲーム内の銃撃で、現実の肉体を殺す術は無い」

 

クリスハイトの理路整然とした説明に、クラインは反論できずに黙りこむ。イタチも同意した見解となれば、最早それ以上は返す言葉も無い。そこで、代わりに口を開いたのは、イタチの妹であるリーファだった。

 

「クリスさん。ならあなたはどうして、お兄ちゃんにGGOに行くように頼んだんですか?あなたも感じていた……いえ、今も感じているんじゃないですか?あの、『死銃(デス・ガン)」というプレイヤーは、何か恐ろしい秘密を隠しているって」

 

「…………」

 

リーファの真剣な言葉に、今度はクリスハイトが黙り込んだ。やはり、ロジックこそ分かっていないが、クリスハイトも死銃なるプレイヤーに何か危険を感じているらしい。そこで今度は、アスナが一歩前へ出て、総務省勤務のクリスハイトですら知らないであろう、新たな情報を告げる。

 

「クリスハイト、死銃は私達と同じ、SAO生還者よ。しかも、最悪と言われた殺人ギルド、『笑う棺桶(ラフィン・コフィン)』のメンバーだわ」

 

「!……それは、本当なのかい?」

 

「ええ、間違いないわ。私とクラインさん、カズゴ君、アレン君、ヨウ君は……それに、この場にはいないメダカさんは、討伐戦に参加していたから、間違いないわ」

 

「決め台詞に加えて、右目を狙う嗜虐性も確認できましたからね」

 

実際に討伐戦に参加し、事後処理で顔を合わせていることに加え、状況証拠もあるというアスナとアレンの言葉に、クリスハイトは心底驚いたようで、先程取り戻したばかりの冷静さを失っていた。

 

「ね……ねえ、アスナ。クリスハイトって、SAOのこと知っているの?」

 

「確か、リアルではネットワーク関連の仕事をしてる公務員だって聞いたような気がするんけど……もしかして、対策チームのメンバーだったんか?」

 

アスナとクリスハイトの会話を傍で聞く中で、彼がただの公務員ではないのでは、と感じたリズベットとヨウが問いを投げた。少なくとも、総務省が立ち上げたという対策チームに関わりのある人物でなければ、死銃がSAO生還者であることや、笑う棺桶のメンバーであることを告げる意味は無い。

二人の問いに対し、どう説明したものかと逡巡したアスナだが、当のクリスハイトはあまり秘匿するつもりは無かったらしく、それほど間をおかずに首肯した。

 

「ヨウ君、君の考えた通りだ。僕は昔、『SAO事件対策チーム』の一員でね。とはいっても、対策らしい対策は何一つできなかったけどね……」

 

事件当時は、碌に役に立てなかったこと申し訳なさそうにするクリスハイトに対し、その場に居たSAO生還者達は微妙な面持ちだった。確かに、事件を解決に導く上では無力だったかもしれないが、生還者達が事件後に社会復帰することができたのには、対策チームの活躍が大きいからだ。SAO帰還者のために建設され、今現在イタチをはじめ、多くの帰還者達が通っている学校が、その最たる例だろう。

だが、如何に多大な借りがあるとはいえ、命の危険が伴う現場にイタチを送り込む理由にはならない。クリスハイトが総務省務めで、それ相応の影響力を持つ人物であると知った一同は、クリスハイトに事件解決のために協力させることにした。そして、その場にあつまった中で、まず真っ先に口を開いたのは、リーダー格たるアスナだった。

 

「クリスハイト。あなたなら、死銃を名乗るプレイヤーの、現実世界での住所や名前を突き止められるんじゃないの?笑う棺桶に所属していた生還者を全員リストアップして、今自宅からGGOサーバーに接続しているか、契約プロバイダに照会すれば……」

 

「いや、それは不可能だよ。本格的な捜査を行うとなれば、裁判所の令状やら、捜査当局への事情説明やらで、何時間も掛かる。

確かにイタチ君からは、SAO生還者の中でとりわけ危険と判断された犯罪者プレイヤーの詳細なリストを提供してもらっているけど……笑う棺桶のメンバーは、人数が多過ぎる。しかも、それぞれの住所は日本全国に散らばっているから、とても手が回り切らないよ」

 

菊岡が口にした、SAO事件における犯罪者プレイヤーのリストとは、イタチが事後処理のために作成したものである。SAO内部で犯罪に手を染めたオレンジやレッドのプレイヤー達を現実世界の法で裁くことは、まず不可能である。何故ならば、彼等もまた、茅場晶彦が起こしたSAO事件の被害者と認識されているからだ。

しかし、積極的に犯罪に加担したプレイヤー達をそのまま放置するわけにはいかない。そう考えたイタチは、SAO事件解決後に、要注意人物のリストを作成し、対策チームへ提出したのだった。リストにアップされていたプレイヤーネームは二百名以上に上ったが、イタチの記憶力は凄まじく、イタチが交戦した犯罪者プレイヤーの名前、罪状、その他特徴の全てを詳細にまとめていた。後にアスナやクラインをはじめとした他の帰還者達にも照会され、間違いが一つも無いことが明らかとなった。

ともあれ、イタチが作成したリストをもってしても、法律等の壁が邪魔をして、死銃の野望を止めることは到底できない。つまり、結局のところこの場にいる人間は全員手詰まりなのだ。

 

「クソッ……俺達がイタチにできることは、本当に何も無いのかよ!」

 

「せめて、死銃がどうやって人を殺しているのか……そのトリックが分かればいいんだけど……」

 

仲間が命懸けの戦いに臨んでいるにも関わらず、何一つ手助けができず、己の無力を痛感するばかりのこの事態に、クラインをはじめ皆のもどかしさは募るばかりである。

 

「遅れてすまない、今戻った!」

 

そんな中、独自に調べるべき事項があるとログアウトしていたメダカが、酒場へ戻ってきた。何か、新たしい情報を掴んできてくれたのだろうか。そう思った皆が、期待の視線をメダカへ向けた。

 

「警察関係者の知り合いに聞いたのだが、警視庁の捜査一課と警察庁の刑事局が、例の怪盗騒動とは別件で、何らかの捜査のために動いているらしい」

 

「怪盗とは別件……まさか、死銃の捜査に?」

 

アスナの問いに対し、メダカは静かに頷いた。そして、次いでメダカから齎された情報は、さらに驚くべきものだった。

 

「しかも、この捜査の裏には世界的に有名な名探偵――『L』が関わっているらしい」

 

「Lって……ALO事件を解決したっていう、あの!?」

 

「ああ。ついでに言えば、イタチとLは、ALO事件解決のために協力した間柄という噂もある。今回の死銃事件でも協力関係を結んでいると考えて間違いあるまい」

 

イタチとLの関係については、事件解決以降、当人の口からは何の言及も無かった。しかし、ALO事件解決時の世界樹攻略や、その後の「Lが事件を解決した」という報道と照らし合わせれば、二人の間に協力関係があったことを想像することは難しくなかった。しかし、周知の事実ではあっても、それを裏付ける明確な証拠は一切無い。それに、譬え事実だとしても、アスナをはじめとしたSAO時代の彼の規格外ぶりを知る者達は、「イタチだから」という理由で全て納得したという。加えて、銃撃まで受けたイタチの身辺を、これ以上徒に騒がせるべきではないと考え、そのことについて詮索することは、一種のタブーとなっていたのだった。

 

「捜査に携わっている警察関係者の動向については、流石に知ることはできなかった。しかし、警視庁の人員を動かしているのは、ハジメの知り合いである剣持警部らしい」

 

「決まりだな。死銃事件には、ハジメが関わっていることは間違いない。イタチともおそらく、打ち合わせている筈だ」

 

メダカの言葉に頷き、ハジメとイタチの関与を確信するカズゴ。他の面々も同様である。

 

「でも、死銃はゲーム内の銃撃で殺人をしているんですよね?現実世界の警察を動かして、どうするつもりなんでしょうか?」

 

「現実世界から回線を強制的に切断させる……というわけじゃないわよね」

 

現在発生している、死銃による殺人事件を終わらせるのに一番手っ取り早い方法は、BoBに参加しているプレイヤー達が装着しているアミュスフィアを、現実世界から強制的に外して、回線切断させることである。しかし、それならば既に実行されている筈である。イタチには、他に対策があるのだろうか。

 

「そういえば……」

 

「どうしたんですか、ヨウ?」

 

「いや、イタチの奴、やけに冷静じゃないかと思ってよ」

 

「イタチが冷静なのは、いつものことじゃねえのか?」

 

カズゴの言葉に、しかしヨウは首を横に振って否定する。

 

「違うんよ。SAOのイタチは、いつも仲間を守るために必死に立ち回ってたのに……今回のイタチは、かなり大人しいとは思わねえか?」

 

「言われてみれば確かに……」

 

ヨウが言うように、人の生死が懸かっている戦いにも関わらず、イタチの行動はあまりにも消極的だった。死銃による殺人を止めたいならば、イタチが持つ索敵力・戦闘能力をもっと発揮して、積極的に戦闘に臨もうとする筈。一体イタチは、何を考えているのだろうか。

 

「もしかしてイタチ君は、既に殺人のトリックを見抜いているんじゃ……!」

 

「有り得ることだと思います!お兄ちゃんなら、事前にトリックを見抜いていたとしても、おかしくない筈です!」

 

「けど……あの回線切断は、どういうことよ!?」

 

ゼクシードと薄塩たらこの件を考えるに、回線切断イコール死を意味する筈である。死銃の銃撃の直後に回線切断を起こしたプレイヤー達は、一体どうなっているというのか。疑問は尽きないが、それはトリック自体を見抜かないことには、何とも言えない。

 

「結局は、死銃がどうやって人を殺しているのか、っていうところに行き着くんですね」

 

「それが分からないことには、私達には手も足も出せんからな……」

 

イタチが何かを掴んでいることが分かったところで、自分達が何を出来る筈も無い。イタチが全てを見抜いており、Lという強力な見方を付けて事件を解決へ導いているのならば、何もしないでいるという選択肢も取れる。しかし、イタチ一人に過去の因縁と戦わせて、自分は高みの見物をしようと考える者は、この中に一人もいなかった。

 

「リーファ、お前はイタチから何か聞いていないのか?」

 

「そう言われても……」

 

新たな手掛かりを掴もうと模索するメダカは、イタチと暮らしているリーファへと問い掛ける。秘密主義で、そうそう口を滑らせることの無いイタチが隙を見せるならば、それは最もリラックスして、心理的に無防備になる空間……即ち自宅である。故に、リーファならば何か知っているのでは、とメダカは考えたのだ。

当のリーファは、皆から注がれる期待の視線を浴びながらも、必死で思い出そうとする。ここ最近のイタチこと、兄・和人の言動に、何かおかしな内容は無かったものか……

 

「あ!そういえばお兄ちゃん、今朝おかしなこと言ってました!」

 

「おかしなこと?」

 

「はい。お兄ちゃん、バイトでGGOにダイブしているっていう話が出た時に、報酬で何でも好きなものを買ってくれるって言ったんです。それで、今回のバイトの報酬は、上手くいけば三千万円くらいになるって言ったんです」

 

「三千万円!?」

 

リーファの口から出た途方も無い金額に、一同は唖然とする。本当か、と一同揃ってリーファに疑いの眼差しを向けるが、本人は首を横に振ってその疑いを否定する。

 

「本当よ!私だって、本気で信じてたわけじゃないし……けど、お兄ちゃんが冗談を言うことなんて、滅多に無かったから……」

 

「でも、殺人事件の捜査協力だとしても、明らかに法外な額ね。何か、特殊な事情があるのは間違いないわ。そうでしょう、クリスハイト」

 

リーファに次いで、アスナに指名されて一同の視線に晒されたのは、イタチをGGOへ送りだした依頼人たるクリスハイト。リーファの言葉を聞いた途端、その表情は硬直し、その肌は冷や汗とともに髪色以上に真っ青に染まっていた。

 

「リ、リーファ君……それは、本当なのかい?」

 

「その様子だと、やっぱり心当たりがあるようね。さあ、話して貰うわよ」

 

リーファの返答を待たず、仁王立ちして迫るアスナに対し、クリスハイトは萎縮しながらも口を開いた。

 

「い、いやぁ……実は、イタチ君に今回の調査の依頼をした時に、報酬に関してある条件を出されてね……」

 

「条件?一体どんな条件を出したら、三千万円なんて報酬になるのよ……」

 

「それが……死銃の事件が、何らかのロジックによる殺人事件だったなら、プロのプレイヤーが月に稼ぐ額と同じ三十万円じゃ割りに合わないって言われて……それで、『今回の事件が殺人事件であり、協力者がいた場合、犯人一人につき三百万円を払う』っていう契約になったんだよ…………」

 

『はぁっ!?』

 

イタチとクリスハイトの間にかわされていた契約を聞き、間抜けな声を発してしまう一同。それと同時に、イタチが受け取れると言った、『三千万円』という破格の報酬の意味が見えてくる。

 

「三百万って……どうしてそんな額になってんだよ……」

 

「い、いやぁ……指名手配の殺人犯の逮捕に協力した時の、一般的な懸賞金の額を参考にしていたらしくて……」

 

「ちょっと待って。それって、つまり……」

 

「死銃は複数犯……それも、十人はいるということだな」

 

イタチの口にした言葉が事実ならば、死銃の人数は単純計算でそういうことになる。この情報に関して、もっと詳しく聞かせろと視線を送る一同に対し、クリスハイトは未だに引き攣ったまま戻らない顔でどうにか言葉を紡いだ。

 

「イタチ君は、死銃のロジックを共有している人間が複数いる可能性を考慮しての条件だって言っていたんだけれどもね……」

 

「でも十人って……まさか、全員が全員、BoBに出場してるっての!?」

 

「いや、それは有り得ない。いくらSAO生還者でも、GGOの最強を決定する大会だぞ?予選のカードだってランダムに組まれているんだから、そんな人数を送り込むのは絶対に無理だ」

 

メダカの指摘は尤もだった。本選出場枠は三十名であり、共犯者十名が全員出場するとなれば、その三分の一を占める必要がある。それ以前に、予選トーナメントの対戦カードは運営がランダムに決定しているのだ。全員が別ブロックに振り分けられ、首尾よく本選に出場するなど、メダカが言うように、絶対に有り得ない。

 

「本選に出場している死銃は一人ではないのだろうが……問題は出場していない連中の動向だな」

 

死銃が複数犯であることが分かったのだ。問題は、十人もの共犯者がどのように協力しているかである。あと一歩のところまで迫っている死銃の殺人トリックを、必死に見破ろうと思考を巡らせる一同。と、そこへ新たな来客が現れる。

 

「邪魔するぞ」

 

酒場の扉を潜って現れたのは、眼鏡をかけた、黒髪・黒眼のプレイヤー。種族はスプリガンである。容姿は端麗で、その表情には眼鏡の効果も相まって、知的さが窺える。そのプレイヤーに、酒場にいた一同は見覚えがあった。

 

「ケイマ君!」

 

「どうしてお前がここに!?」

 

彼の名前は、ケイマ。アスナ達と同じくSAO生還者であり、同じ学校に通う生徒でもある。そして、SAO事件当時は血盟騎士団所属で、参謀の立場にあった切れ者としても知られている。

 

「どうしてって、お前等が呼び付けたんだろう?」

 

「いや、私達は……」

 

「神様、遅いですよ!」

 

「ユイちゃん!?」

 

その場に居た一同には、彼をここへ呼び出した覚えが無く、一体どういうことだと、誰もが疑問符を浮かべる。そんな中でただ一人、ユイが声を上げた。

 

「ユイちゃんが呼んだ、頼りになる助っ人って、まさか……」

 

「そうです、ケイマさんこと、神様です!」

 

腰に手を当て、自信満々にそう言い放つユイに、一同は唖然とする。ケイマ――本名、桂木桂馬は、ユイの言うように、確かにゲームに関して卓越した知識と技能を持っている。その能力は今も健在であり、新生アインクラッドの攻略に幾度となく手を貸してくれていた。

ユイとは攻略会議の席で知り合い、リアルなゲーム女子ということでケイマがユイを気に入っていた。一方のユイもまた、『落とし神』と呼ばれる程にゲームプレイに優れた実力を有するケイマを慕っていたのだった。

閑話休題。つまり、ゲームシステムの精通したケイマに意見を聞けば、確かに突破口が開けるかもしれない。だが……

 

「全く……人がゲームをしている時に呼び出すなんて、何を考えているんだ!?もう少しでルートクリアできたんだぞ!」

 

ゲームに対して異常なまでの執念を燃やし、四六時中――授業中すらも、――ゲームに励む程の病的ゲーマーなのだ。しかしそれでいて、全国模試でトップクラスの成績を収める程の類稀な頭脳を持っているのだ。尤も、その能力と情熱は、専らギャルゲーのスピード攻略に使われているのだから、才能の無駄遣いとしか言いようが無い。ともあれ、そんな明らかに人格に問題のある人物に意見を求めようと言うのだ。手詰まりの状態を打開するためとはいえ、その場にいる一同は頭が痛くなる思いだった。

 

「ごめんなさい、神様。でも、パパがピンチなんです!」

 

「……仕方の無い奴だ。話してみるがいい。この落とし神ことケイマに!」

 

ユイの懇願に対し、先程まで怒りを露わにしていた状態から一変。紳士的な、しかし尊大な態度で任せろと言う。その姿に、やれやれと頭を抱える一同を余所に、ユイの口から現在発生している死銃事件の詳細について説明されていく。

 

「成程……事情は分かった。その、死銃とやらが殺人を実行するためのトリック、だな……」

 

「で、何か分かったのかよ?」

 

イタチを助けるためにも、新たな情報を今すぐ手に入れたいと考えていたクラインが、痺れを切らしたように問い掛ける。その内心は、他の面子も同じである。対するケイマは、挑戦的かつ見下すような笑みを浮かべながら、口を開いた。

 

「お前達の思考は、相変わらずバグ塗れだな。全く以て、なっていない!」

 

「ンだとコラ!」

 

「ゲームと現実を混同させて考えるから、真実が見えないんだよ。ゲーム内の銃撃で、現実の人間が殺せるわけが無いだろう?」

 

「アンタにだけは言われたかないわよ!っていうか結局、アンタも分からないんじゃない!」

 

癇に障る物言いに、クラインやリズベットが苛立ちを露に、ケイマへ食ってかかる。今にもケイマへ殴り掛かりそうな二人だったが、傍に立っていたリーファやシリカ、メダカといった仲間達が必死に押さえるのだった。

 

「勘違いするな。落とし神たる僕には、全て分かっている!君達と一緒にしないでくれたまえ」

 

「そういうのはもう良いから、早く話してくれないか?緊急事態だからな」

 

怒りを露に殴りかかろうとするクラインとリズベットを前にしても、尊大な態度を崩さないケイマを相手に、頭痛が増すのを感じながらも、メダカは努めて冷静に構えて問い掛けた。

 

「ゲーム世界のアバターを殺せるのは、同じ世界のアバターだけだ。ならば、現実世界の人間を殺せるのは?」

 

「…………成程、そういうことか」

 

ケイマの口から発せられたのは、端的で抽象的な説明だった。しかしメダカは、その言葉だけでケイマが至った結論を汲み取ったらしい。

 

「メダカ、今ので何か分かったんですか!?」

 

「ああ。私達SAO生還者は、ゲーム内の死と現実世界の死を直結させる観念に縛られていた。だが、それ自体が間違いだったということだ」

 

「ど、どういうことだい!?死銃は、仮想世界で殺すことで現実の人間を殺しているんじゃなかったのかい!?」

 

今までの推測全てが間違っているというメダカの意見に、狼狽して声を上げるクリスハイト。そんな彼と、その場にいた一同に向けて、メダカはケイマの言葉で至った結論を口にした。

 

「本選に出場していない共犯者は、現実世界にいる。そして、仮想世界の銃撃に合わせて、現実世界の仲間が生身のプレイヤーを殺しているということだ」

 

この場に居た誰もが思い付かなかった、まさしくSAO生還者の盲点を突いたトリックだった。あまりにも合理的かつ恐るべき計画の全容に、その場にいた全員は戦慄した――――

 

 

 

 

 

 

 

第三回BoB本選の舞台、ISLニヴルヘイムの中央部にある鉱山都市。その山の一角にある、出口が雪で閉ざされた仄暗い坑道の中。岩壁に寄り掛かって寄り添い合う二人のプレイヤーがいた。

 

「今話したことが、俺がこの世界に来た理由だ」

 

「死銃……それって、本当に実在したの?」

 

黒髪に赤眼、額に木の葉を模したマークが刻まれた額当てを装着した男性プレイヤー――イタチと、隣に座るペールブルーの髪色の女性プレイヤー――シノンは、紆余曲折を経て和解し、一時休戦状態の状態にあった。

そして、シノンの精神状態が落ち着いたところで、イタチが銃の世界たるガンゲイル・オンラインの世界へダイブし、死剣として君臨し、この大会に参加した真の理由について話した。イタチというプレイヤーを絶対的な強者と信じて疑わなかったシノンは、その内容について大いに興味があった。しかし、イタチの口から語られた話は、信じられないような、恐るべきものだった。

 

「全て事実だ。奴は現実世界にいる共犯者と共謀し、大会中に銃撃を行われたその直後に、現実世界の人間が劇薬を無防備の人体に注入して死に至らしめている。あたかも、仮想世界で起こった銃撃が、仮想世界と現実世界の両方で死という現象を引き起こしたかのように見せ掛けてな」

 

イタチが話す内容は、実際に現実に起こっている出来事と認識するには、あまりにも非常識極まりないものだった。

先程、武装ヘリでシノンとイタチに襲い掛かったあの黒マントのプレイヤー達の正体が、ここ最近GGO世界を騒がせていた『死銃』と名乗るプレイヤー本人だという。被弾したプレイヤーの回線切断は、現実世界にいる仲間の殺人を犯したことで、実際に死亡した結果らしい。そんなおぞましい計画殺人を演じている死銃の正体は、かの有名なSAO事件の生存者であり、しかもHP全損イコール死を意味することを承知の上でPKを繰り返していた殺人ギルドのメンバーだという。そして、そんな死銃を追ってこの世界へやってきたイタチもまた、SAO生還者であり、過去の因縁を清算するためにこの戦いに臨んでいると言ったのだ。

しかし、死銃と思しきプレイヤーが放った、“たった一発の弾丸”によって、プレイヤーが強制ログアウトされる現場を、シノンもスコープ越しに実際にその目で見ている。GGOにおいて最強と称してもおかしくない実力者とはいえ、一介のプレイヤーでしかない筈のイタチが、何故、このような情報を得ているかは分からない。しかし、あの時見た光景には、システム的に説明できない何かがあったことは明らかであり……イタチの説明した内容が事実であることを物語っていた。

 

「奴は、プレイヤーを銃撃する際に十字を切る動作をしているが、あのゼスチャーは、腕時計を見て犯行時刻の確認をするためのものだ。一見、仮想世界の銃撃が命を奪っているかのように見えるあの光景は、現実世界の共犯者と厳密に打ち合わせて行っている、“時計仕掛けの殺人劇”というわけだ」

 

「……死銃の存在については、信じても良いわ。それで、あなたはあいつ等を止めるために、この世界に来て、大会に参加したってわけね」

 

シノンの言葉に頷くイタチ。その首肯に、シノンは冷や汗を流した。口では理解したと言っていても、本心ではどこか信じられないところがあった。しかし、ここ最近の戦いの中でイタチというプレイヤーの非常識さを目の当たりにしてきたせいか、現実とは思えられない事象を受け入れられる自分がいた。それが良いことなのか、悪いことなのかは分からないが、この際割り切るしかないと、無理矢理自分に言い聞かせることにしたのだった。

 

「それで……そのことを私に話したってことは、もしかして私も……」

 

「薄々感じていたようだが、その通りだ。奴等はお前のことも狙っている」

 

イタチの口から告げられた衝撃の事実に、シノンの身体が再度硬直する。そして、それが意味することはただ一つ。今、現実世界のシノンこと朝田詩乃の自宅には、仮想世界における死銃の銃撃に備え、共犯者の男が侵入しているということだ。しかも、その手には、劇物の詰まった注射器を携えて……

 

「シノン!」

 

「っ!」

 

隣に座るイタチに大声で名前を呼ばれ、正気を取り戻すシノン。あのまま放置されていたならば、心拍が乱れて強制ログアウトになっていたかもしれない。シノンは深呼吸を行い、乱れた呼吸を整えると、再びイタチを見据える。

 

「お前の危機感は分かる。だが、死銃の殺人トリックはBoB本選が開始される前に看破済みだ。俺の仲間が現実世界で対処している以上、万一お前が被弾したとしても、死に至ることは無い」

 

イタチの説明を聞き、死の恐怖で未だに乱れていた鼓動と呼吸がようやく落ち着く。確かに、死銃が今もこの世界のどこかで、人を殺しているであろうこの状況下にあって、イタチは異常なまでに落ち着いている。極めて冷徹な性格であるイタチが、他人の生き死にに動じる姿が思い浮かばないが……しかし、死銃の野望を阻止するために行動しているのならば、ここまで行動が消極的なのもおかしい。イタチが何らかの手を打っていることは明らかだった。

 

「お前には選択の余地がある。このままここで大人しくするか、BoBを棄権して、その身と精神の安全を図るか……或いは、死銃を相手に戦うか、だ」

 

「!」

 

「前者を選んだならば、自分の心だけは守れるだろう。だがそれは、お前がこの世界で戦ってきた理由や信じるもの全てを否定するも同じだ。少なくとも、この世界で得られるものは何一つ無くなることは間違いない。

後者を選ぶなら、停滞することは避けられるだろう。だが、お前の精神状態から考えて、かなりのリスクが伴う。死銃と己の過去、この両方に勝たなければ、お前の心は今度こそ壊れるだろう」

 

イタチに突き付けられた二択に、しかしシノンは即答することはできなかった。以前のシノンならば、迷いなく戦うことを選択していただろう。だが、今は事情が異なる。安全が確保されているとはいえ、あのプレイヤー――死銃は、相手を殺そうとする、確固たる殺意をもって銃口を向けてくるのだ。その姿が、シノンこと朝田詩乃の心にトラウマを刻み込んだ銀行強盗の姿と重なる。仮にこれから戦いに出たとして、死銃の前に出た時に、心と身体が正常に機能するとは思えない。また、引き金を引けずに動けなる可能性が高い。そして、イタチの言うように、被弾の末に精神が壊れるかもしれない。

 

「怖いか?」

 

「…………うん」

 

過去のトラウマを想起させる死銃と戦うとなると、シノンの心にはどうしても恐怖が先走る。しかし、そんなシノンとは対照的に、イタチは相変わらず冷静そのものだった。

 

「イタチは……怖くないの?」

 

だからこそ、シノンは問い掛けたかった。シノンのように命を狙われているわけではないが、かつて命の奪い合いをした相手と過去の因縁と相対している。にも関わらず、イタチは冷静そのもの。常の状態から全く変わった様子が無かった。一体、何がその精神を支えているのか……シノンはその理由が気になっていた。

 

「怖いさ……」

 

イタチの口から出た答えは、意外なものだった。まさか、死剣と恐れられる程の実力者であるイタチにも、恐怖を抱く時があるのだろうか。

 

「死銃を止める……その任務に失敗した末に、もっと大きな惨事に繋がるかもしれない。それは俺にとって何よりも恐ろしいことだ」

 

「イタチ……」

 

「だから俺は、“忍び耐えて”戦うことを選んだ。守るべきものがある……だから俺は、この戦いに臨んでいる」

 

イタチが紡いだ言葉の中には、確かに恐怖のようなものが感じられた。しかしそれは、過去の因縁や、殺し殺される戦いの中にあるものではない。イタチはそれ以上に、自身が戦いを放棄することで発生する犠牲を憂いているのだ。

 

(本当は、優しいのね……)

 

冷徹で無慈悲な戦闘スタイルのイタチだが、その内面は真逆らしい。シノンを助けた時もそうだったが、イタチがこの戦いに臨むのは、誰かを守るためにほかならない。自身が抱く恐怖をはじめとした感情一切を封じ込め、戦いに身を投じているその行動からは、他者を思いやる心があったからこそなのだ。

 

(けど……そんなあなたのことは、一体誰が助けるの?)

 

かつての因縁を清算するこの戦いには、イタチに協力して現実世界からフォローを行う味方がいる。だがこの世界には、戦うイタチを助けてくれる者は一人もいないのだ。この世界においては絶対的な実力を持ちながら、誰よりも優しい心の持ち主であろうイタチは、本当に一人で大丈夫なのか……

 

「イタチ、お願いがあるの」

 

そこまで考え、シノンはそっと口を開いた。イタチは、誰かを守るために勇気を振り絞っている。自分にもそれができるのならば、信じてみたい。そう思っていた。

 

「あなたの戦いに……私を、連れて行って」

 

そこで何ができるかは、シノン自身も分からない。シノンとは比べ物にならないくらい強いイタチに同行したとしても足手まといにしかならない可能性の方が高い。それでも、シノンはその一歩を踏み出したいと思った。

 

「分かった」

 

果たしてイタチは、その思いに応えるように、頷いてくれた。

過去に囚われ、自分自身から逃げて動けずにいたシノンを動かしたのは、強くなりたいと言う渇望ではなく……誰かを守りたいという意志。それはまさに、イタチと同じ理由だった。

 



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第九十四話 迷宮の十字路

 

2022年6月4日

 

「どういうことや!なんで俺の剣術がユニークスキルから外されなあかんのや!」

 

SAO事件という、世界初のVRMMORPGを舞台とした、空前絶後の大量殺人事件の幕開けを五カ月後に控えた時期のこと。件のゲームの制作会社であるアーガス社の開発室は、一人のスタッフの猛抗議によって紛糾していた。

 

「先程説明した通りだ、西条君。君が習得していた古流剣術は、確かに中々興味深いものだった。しかし、動きの性質が極端過ぎる。現在のモーションキャプチャー技術では、捉え切れないのだよ。それに、SAOにおける二刀流は、片手用直剣二本を両手に持って操るものだ。君の古流剣術とは相性が悪い。」

 

大声で怒鳴り散らす西条と呼ばれるスタッフに対し、開発主任である茅場は、常の変わらぬ平淡な口調のまま、先程口にしたものと同じ答えを返す。しかし、それでも西条の怒りは収まらないらしく、尚も茅場に食ってかかる。

 

「納得できるわけないやろうが!そもそも、剣術の二刀流は、太刀と脇差や!同じ長さの剣二本を使った剣術なんて、あるわけないわ!」

 

世界発のVRMMORPGたるソードアート・オンラインの世界における武器は、剣をはじめ、短剣や槍、槌といった近接武装である。そして、それら操る動きにシステムアシストを加えて強力な武技として繰り出す『ソードスキル』が戦闘の要とされているのだ。

現在、西条と茅場が揉めているユニークスキルとは、ある特定の技能に秀でたプレイヤーにのみ与えられるソードスキルなのだ。ただ一人のプレイヤーにのみ与えられるこのスキル群は、通常のソードスキルに比べれば遥かに強力な性能を持つ。習得すれば、ゲーム内でトッププレイヤーになれることはまず間違いない。そのため、ソードスキル開発のために集められたスタッフにとって、自身の武技をユニークスキルとして採用されることは、最高の名誉なのだ。

西条が開発主任である茅場相手に、一歩も譲ろうとしないのは、ある意味当然とも言えることだった。

 

「俺はこのゲーム開発に、俺が継承した古流剣術の未来を賭けているんや!」

 

「君の剣術流派の逼迫した事情は私も承知している。しかし、それを理由に開発を遅らせるわけにはいかない。悪いが、今回のユニークスキル採用は見送らせてもらう」

 

「くっ……畜生がぁぁぁああ!!」

 

 

 

SAO開発段階において、ソードスキルを開発のためのモーションキャプチャーテスト要員として集められたスタッフの一人、西条大河。

彼が現在に継承していた京都古流武術『義経流』は、現在に残るどの流派にも属さない、源義経を模倣した独特の剣技は、茅場晶彦をはじめとしたSAO制作スタッフ達の関心を強く惹き付けた。しかし、そのあまりにも複雑な動きは、ゲーム内での再現が非常に困難であり……結局、義経流の採用は取りやめとなった。

後に彼は、SAOスタッフ枠で確保した初回スロットを利用し、正式サービス開始時に、『ベンケイ』というプレイヤーネームでSAOに臨んだ。そこには、ユニークスキルモデルの名誉を得る機会を失った……即ち、義経になり切れなかった己に対する自嘲と、自身の代わりに義経となった二刀流スキル習得者を倒すという復讐心があるのみだった――――

 

 

 

 

 

 

 

ISLニヴルヘイム中心部にある、鉱山外周部の一角。雪崩によって覆われた一面白色の雪景色の中で蠢く一つの影があった。

 

「うぉぉおおお!」

 

十メートルにも及ぶ積雪を押し退け、その中から現れたのは、一人の男性プレイヤー。右眼に暗視ゴーグル、口元を覆う黒マスクが特徴的なこの男は、武装ヘリを操縦して、イタチが乗るスノーモービルを追い詰め、その末にイタチの策略によって雪崩に呑まれた、『死銃』の片割れ――ヒトクイである。

 

「間に合ったか……畜生がっ!ステルベンの野郎、俺を捨てて逃げやがって!」

 

雪崩が発生した際に操縦席に座っていたヒトクイは、ステルベンのように脱出には間に合わなかった。しかし、ヘリの中には若干ながら空間があり、雪の下敷きにはなったものの、即死は避けられたのだった。そして、システム上の仕様でHP全損までの十五分間で雪を掻き分け、こうして生還したのだった。

 

「黒の剣士……あの女もろとも、絶対に殺してやる!」

 

自分をこのような目に遭わせたプレイヤーの名前を思い出すと同時に、苛立ちを露に復讐に息巻く。この怒りを晴らすには、標的のプレイヤー達が逃げ込んだ廃炭鉱へ入る必要がある。雪に足を取られながらも、ヒトクイは殺意を滾らせながら炭鉱内部を目指す。

 

(残る標的の数は僅か……あの女だけだ!他の死銃も廃炭鉱を目指している筈。奴等と合流できれば、俺達の勝ちは確定だ!)

 

散々邪魔をしてくれた黒の剣士ことイタチを、イタチが守ろうとしたシノンもろとも嬲り殺しにする光景を思い浮かべ、凶悪な笑みを浮かべながら歩みを進めて行く。だが、その時だった――――

 

「がぁっ!?」

 

突然、眉間を直撃した衝撃。そして聞こえた、銃声。同時に、ヒトクイの身体が大きく傾く。視界の端に表示されている自身のHPを確認すると、雪の下から脱出した際にはまだ一割程度残されていたHPが全損していた。

 

(狙撃……だと!?)

 

HPが全損したことを考えると、恐らく銃弾は頭部に命中したのだろう。そして、銃声と着弾の間にはかなりのタイムラグがあった。相当な長距離からの狙撃であることは疑いようもない。

HP全損によって自由が利かず、身体が崩れ落ちていく中、ヒトクイは自分がどこから狙撃されたのかその場所を掴もうとする。すると、目の前にそびえる鉱山の一角にある岩場の隙間に、太陽を反射して煌めく光が見えた。狙撃銃のゴーグルである。

 

(馬鹿な……ここからあそこまでは、七百ヤードは離れているぞ!?)

 

このガンゲイル・オンラインにおいて、狙撃手ビルドのプレイヤーは非常に少ない。GGOのシステムにおいて、銃撃時に鼓動に伴って収縮する着弾予測円が収縮する谷間を狙うには、緊張感に満ちた戦闘時にあって、冷静な思考と自制心を持っていなければならないからだ。ましてや、七百ヤードの長距離ともなれば、並々ならぬ実力である。事前に調べていた日本サーバーの有力プレイヤーの中にこんなプレイヤーがいるなど、全く聞いていない。

 

「クソがっ……!」

 

だが、結局その疑問は解消されることの無いまま、ヒトクイはHPが全損したアバターをその場に残し、この大会から退場した。

 

 

 

自身が狙撃した目標が、HPを全損して、そのアバターに『DEAD』の文字を浮かび上がらせて動かなくなったことをスコープ越しに確認した男は、構えていた狙撃銃――AIアークティクウォーフェアを下ろす。

 

「目標クリア。これより次の目標の探索・撃破に移る」

 

愛銃を肩に担ぎ直した男性プレイヤー――ライは、ニット帽を被り直すと、踵を返す。帽子の隙間から垂れた金髪を靡かせながら向かう先にあるのは、暗く深い坑道の入り口。標的の一人たるヒトクイを仕留めたにも関わらず、その冷徹な表情には満足した様子は微塵も無く、ただ事務的に、淡々と次なる標的を探すべく動くのみだった。

 

 

 

 

 

 

 

薄暗く冷たい空間の中。四方を様々なパイプが這いまわる岩壁に囲まれた空間の中を、黒衣を纏った赤き双眸のプレイヤー、イタチとシノンは突き進む。辺りを照らすのは、壊れかけの電灯のみ。視界は良好とは言い難く、見通せるのは十メートル先が限界。地面には障害物が多く、注意しなければ躓きかねない。しかし、イタチは止まらない。この道の先には、自分がこの世界まで追ってきた敵が待ち受けている筈なのだから……

 

「イタチ、どうしたの?」

 

「…………」

 

そうして、暗闇の中を黙々と歩くことしばらく。イタチは目の前の空間に違和感を覚えて足を止めた。不審に思ったシノンが声を掛けるも、イタチは答えない。イタチが見えていたのは、十メートル先の、視界ギリギリの位置。そこには岩や機材といったオブジェクトの類は無く、土色の地面が覗いているのみである。だが、イタチは感知していた。その場に居る“何か”が発する殺気を――――

 

「そこだな」

 

「え……?」

 

それだけ呟くと、イタチは腰のカラビナから光剣を右手に取り、赤く光る刀身を発生させる。そして、目の前の何も無い空間へと突っ走り、十メートルの距離を一気に詰め……その赤い閃光を、横薙ぎに振るった。

 

「チィッ!」

 

途端、何も無かった筈の空間から、舌打ちと共に紫色の閃光が発生する。イタチの主武装と同じ、『光剣』である。突如現れた紫色の閃光は、イタチが繰り出した一撃を受け止める。だが、イタチが繰り出した一撃は、それだけでは殺し切れない。紫色の光剣と、それを持っていた何者かは、凄まじい勢いによって、イタチが光剣を振るった方向へと吹き飛ばされた。イタチの前方に現れた見えざる敵は、土ぼこりを上げながら地面に二本の筋を付けた。衝撃を殺すべく、両足で踏み止まろうとした痕である。

 

「やはり、そこにいたか」

 

「くっ……相変わらず、デタラメなステータスやな」

 

紫色の光剣の刀身が宙に浮いていた場所から、関西弁とともに一人のプレイヤーが姿を現す。逆立った黒髪に、三白眼気味の顔。日本の武術道着に似た服を纏い、肩や手、脛には和製の鎧兜を彷彿させるプロテクターを装着している出で立ちである。そしてその上には、黒い外套を纏っている。坑道へ入る前にイタチが交戦したステルベンとヒトクイが装備していたものと同じ、メタマテリアル光歪曲迷彩効果を持つマントである。そしてその右手には、紫色の閃光を発する光剣が握られている。

 

「その口調……お前、『ベンケイ』だな?」

 

「覚えていてくれとったみたいやな。俺は嬉しいで」

 

たった一撃、光剣で打ち合っただけだが、イタチには分かった。かつてSAOの中で命の奪い合いをした敵の一人。『笑う棺桶』の幹部である。

 

「けど、今の俺はベンケイやない。SAOの中でお前に潰された笑う棺桶の恨みを背負ってコンバートした、『呪武者』や!」

 

ベンケイ改め呪武者は、改めて名乗りを上げると、イタチへ向けて駆け出し、斬りかかる。対するイタチもまた、SAOから引き継いだ俊足をもって接近し、光剣を振るう。赤と紫、二つの閃光は薄暗い坑道の中で幾度も交錯し、火花を散らしながら辺りを照らす。

 

「ハッ、実力は衰えとらんようやな!SAO時代のままや!」

 

「SAOは既に終わっている。貴様等『笑う棺桶』自体、あの討伐戦で壊滅している。お前達の存在は、既に過去の遺物だ」

 

「やかましいわぁっ!」

 

笑う棺桶の存在意義を否定するイタチの言葉に触発されたのか、呪武者が攻勢をさらに強めて襲い掛かる。だが、対するイタチは激しく繰り出される連撃全てを捌き切り、掠らせもしない。

 

(凄い……これが、SAO生還者の……デスゲームを生きたプレイヤーの戦い!)

 

目の前で繰り広げられている壮絶な二色の光の交錯に、シノンは圧倒されていた。現実世界で和人の影響を受け、剣道の世界に身を投じていた時期のあるシノンだが、目の前の戦いは現実世界のソレとは比にならない。だが、それも当然のことである。イタチと呪武者が行っている戦いは、スポーツマンシップに則った試合などではなく、命の奪い合いそのものである。敵を如何にして殺すのか……それだけを考えて剣を交えている。これこそが、SAOで行われていたPvPなのだ。

二本の光剣が激しく交錯し、火花を散らす斬り合いが暫く続いたが、両者は一度距離を取ることにしたらしい。一際強烈な衝突の後、双方反対方向へ跳び退いた後、再度の衝突に備えて構えを取りながら互いを見据えていた。そんな中、呪武者がイタチに向けて怒りの感情を露に口を開いた。

 

「お前と、お前が操る二刀流……それが俺は、SAOが開発される頃から、許せへんかったんや!」

 

「それは、SAO開発の際に行われたモーションキャプチャーテストで、お前の剣技が却下されたことが原因か?呪武者……いや、西条大河」

 

イタチが口にしたリアルネームに対し、呪武者は一瞬表情に驚愕を浮かべたが、頬を歪めながら再度口を開いた。

 

「流石やな。俺の素性についても、当の昔にお見通しかいな」

 

「既に調べはついている。俺がそうだったように、お前もまた、茅場晶彦に集められたテスターの一人だ」

 

「まさにその通りや。そこまでお見通しなら、俺が習得しとる流派……『義経流』も知っとるんやろ?」

 

「ああ。京都に伝わる、源義経に由来する古流剣術の流派と聞いている。そして、SAOのユニークスキル候補とされていた剣技、だったな」

 

開発当時、スケジュール調整の関係で直接の面識こそ無かったものの、開発スタッフの西条と、彼が習得していたという『義経流』なる武術の詳細については、和人もある程度聞いていた。ユニークスキル開発のモデルとして有力視されていたことは勿論、その候補から落とされた経緯に至るまで。

そして、西条が何故、ユニークスキル開発のモデルという地位に、他のスタッフ以上に執着していたかについても……

 

「古流剣術の義経流は、京都の文献にあったもんを、俺が復活させたんや。せやけど、武術の完全な復活には、俺一人の力では限界がある。武術の振興には、名を売る必要があった。そんな中でSAOは、まさに打ってつけの舞台やった。せやけど、ユニークスキル開発者の座はお前に奪われ、SAO事件の間に俺の経営する道場は潰れてしもうた。SAO事件を起こした茅場がくたばった今、俺に残っているのは、お前への復讐だけや!」

 

「成程な……お前がSAOで鬱憤晴らしにレッドプレイヤーになった経緯は分かった。だが、俺とてお前をこのまま野放しにするつもりはない。この世界で、SAOの決着をつけてやる」

 

「ハッ!こっちこそ、お前に目にもの見せたるわ!ここはSAOやALOのようにソードスキルが使える世界やないんや。純粋な剣技だけなら、義経流を極めた俺が、負ける筈無いやろうが!」

 

「無駄だ。貴様の剣術が俺に通用しないのは、SAOの中で分かっている筈だ」

 

「調子に乗りおってからに……!」

 

光剣には、SAO時代の剣のように刀身には質量というものが存在しない。故に、斬撃が繰り出される速度も数も、SAOとは比較にならない。そんな、秒間に数十回もの回数で光の刃が飛び交う激しい戦闘にも関わらず、イタチの表情には苦悶の色が全く見られない。そんな余裕そのもののイタチの姿に、呪武者の苛立ちは募るばかりだった。

やがて、光剣の交錯した回数が三桁へ突入しようとした時、呪武者は息を荒げながら後方へ飛び退いた。SAO時代と変わらない展開に、このままでは優位に立てないと悟ったのだろう。呪武者は仕切り直すべく、イタチと距離を取って相対した。

 

「付いて来いや……ワイ等の本当の戦いは、これからや!」

 

それだけ言うと、呪武者はマントのメタマテリアル光歪曲迷彩機能を発動して姿を消した。あとには、薄暗い坑道に足音が響くばかりだった。

 

「どうするの、イタチ?」

 

「……奴を追い掛ける」

 

外套の効果で姿が全く見えなくなった呪武者だが、坑道は一直線に伸びている。行く先を見失うことは無い。イタチはシノンと共に再び歩を進めた。

 

「イタチの予想通りになったわね……生き残っている死銃は全員、この坑道に集まっているみたい」

 

「ああ、そうだな」

 

シノンの言葉に、短く答えつつも、イタチは歩を緩めない。同時に、心なしかイタチの声色には若干の緊張が感じられる。これから始まるであろう、先程の呪武者をはじめとした、元笑う棺桶の幹部達との死闘を前にしているためかもしれない。

 

「イタチ、本当に大丈夫?」

 

「……ああ」

 

若干の間を開けて答えたイタチの声色は、自信に満ちているとは言い難いものだった。やはり、己の任務たる『死銃討伐』を前に、イタチも不安を感じているのだろうか。シノンがイタチの、人並み以上に分かり難いその内心について考えを巡らせていた、その時だった。

 

「分かれ道……ね」

 

「そうだな」

 

歩き続けた先でイタチとシノンが辿り着いたのは、左右と前方に進路が分かれた十字路だった。呪武者は一体、どちらへ向かったのだろうか。

 

「イタチ、あいつは……」

 

「向こうだ」

 

イタチが指し示したのは、前方。何故、そう断じることができるのかと疑問に思うシノンだが、イタチが指差したものを見て納得する。前方の通路の岩壁に刻まれた十字の焦げ跡。光剣で斬り付けた痕跡である。呪武者の誘導であることは言うまでも無かった。

 

「シノン、頼みがある」

 

十字路に差し掛かったこの局面で、今までイタチに話し掛けるばかりだったシノンが、逆に話し掛けられた。しかし、一体何を頼みたいのだろうか。疑問に思いながら、シノンはイタチの言葉を待った。

 

「もし俺が危機に陥ったら、俺に向けて引き金を引け」

 

「なっ!?」

 

イタチの口から出た予想外過ぎる頼みごとに、驚愕するシノン。無論、こんな頼みを「はい、分かった」と言って聞き入れられるわけもなく、異議を唱える。

 

「何言っているのよ!あいつらに良い様にやられるくらいなら、大人しく死ぬっての!?」

 

「違う」

 

シノンの言葉に、即座に否定の意を示すイタチ。自分を撃たせることに、他に何の意味があるのだろうか。

 

「俺を信じているなら、そうしろ。決して諦めるつもりは無い」

 

「……信じていいのよね?」

 

その問い掛けに、イタチは首肯した。その強い意志を宿した瞳には、迷いは一切感じられない。それを悟ったシノンは、それ以上口を出すことはやめた。

 

「分かったわ。絶対に無いとは思うけど……あなたがそんな状況に陥ったなら、このヘカートの引き金を引く」

 

「ああ。そうしてくれ」

 

「それじゃあ、行きましょう。死銃は向こうで待っているんでしょう?」

 

「いや、シノン。お前は別のルートへ向かってくれ」

 

死銃こと呪武者が向かった通路へ向かおうとしたシノンを呼び止め、別のルートへ向かうことを指示するイタチ。対するシノンは、再び怪訝な顔をしてイタチに問い掛ける。

 

「どういうこと?」

 

「連中の専門は近接戦闘だ。このまま付いて行けば、間違いなく正面衝突が起こる。狙撃手のポテンシャルを活かすならば、お前は別ルートから接近するのが得策だ」

 

「成程ね……」

 

イタチの考えには、一理ある。元笑う棺桶の幹部である呪武者の後を追えば、そこで待っているのは銃撃戦ではなく、光剣を用いた近接戦闘である。現実世界で剣道の経験があり、副武装として光剣を所持していたとはいえ、シノンには介入の余地が無い。足手まといになることが分かっているのならば、別のルートから死銃のもとへ接近すると同時に、狙撃に適したポジションを確保する方が効率的と言える。

無論、迷路状に入り組んだ構造をしている坑道で二手に分かれて行動した場合、合流が難しくなるリスクもある。だが、死銃を相手に正面戦闘で勝ちを拾うことがまず不可能であることもまた、事実である。故に、シノンがこの戦いに介入するのならば、イタチとは別ルートから近付くしかない。

 

「分かったわ。私は右の通路に行く。遠回りすることになる可能性もあるから、援護に行けるか分からないけど、気を付けてね」

 

「ああ。心配無用だ。お前の方も、気を付けておくことだな。死銃は俺の行く先に集結しているだろうが、伏兵が潜んでいる可能性も否めない」

 

「平気よ。そっちこそ心配しないで」

 

死銃と遭遇するリスクについて指摘するが、それを聞いたシノンの言葉には、強がりの類は感じられなかった。イタチの知る限りにおいて、いつも通りのシノンである。

 

「それに、私は強くなりたいの…………あの人のように」

 

「…………」

 

シノンがそっと漏らした言葉。しかしそれは、イタチにも聞こえていた。だが、イタチはシノンに対してそれ以上何かを言うことはなかった。そして、二人はそれだけ言葉を交わすと、イタチは前方の坑道へ、シノンは右の坑道へと入っていくのだった。

 

 

 

 

 

「ようやっと来おったなぁ、イタチ!」

 

呪武者が残した標を辿って坑道を歩き続けたイタチが至った場所は、コンクリートの柱や鉄製の足場等が縦横無尽に走る、坑道よりも大きく開けた空間。電灯の数は相変わらず少なく、奥行きを正確に把握することはできない。しかし、足音や声の反響音等から推測すると、三十メートル四方程度はあると思われる。高さについては、天井こそ見えないものの、十メートル以上はあると考えて間違いない。

誘い出された戦場に関するこれらの情報について、数秒と掛けずに把握したイタチは、この場に潜んでいるであろう、伏兵を誘き出す策に出ることにした。

 

「ベンケイ……いや、呪武者。お前達が『地獄の傀儡師』――高遠遙一に唆されて今回の殺人事件を起こしていることは、既に調査済みだ。そのトリックも看破している。これ以上の無駄な抵抗はやめて、大人しく警察に出頭することだな」

 

無論、イタチとてこんなことを言ったところで、死銃達元笑う棺桶の幹部達が、大人しく警察の縛につくとは思っていない。呪武者に対してこのような勧告をしたのは、イタチが対話に集中して注意が散漫になっていると思わせるためである。そうなれば、隙を突いて伏兵は必ず動き出す筈なのだから。

 

「ほぉ……俺達がどうやってプレイヤーを現実世界の肉体もろとも殺しているのか、分かった言うんか?」

 

「貴様等が死銃と称して使っているその銃――黒星五四式には、人を殺す力などありはしない。本当にプレイヤーを殺しているのは、現実世界にいる貴様等の共犯者だ。違うか?」

 

「成程なぁ……確かに面白い推理や。けどな、そのトリック使うには、BoBに参加しとるプレイヤーの住所全部調べなあかんのやで?そんな真似、どうやってできるんや?」

 

挑発的な笑みを浮かべてイタチに問い返す呪武者に対し、しかしイタチは冷静なままその答えを口にした。

 

「総督府のエントリー画面。それをお前達は、『メタマテリアル光歪曲迷彩』の付いた、そのマントを被ってスコープ越しに覗いた。そして、モデルガンを希望するプレイヤーが打ち込んだ住所情報を得た」

 

イタチが口にした的確な指摘に、呪武者の顔から笑みが消える。余裕の表情から打って変わって、今度は苛立ちと怒りが表れ始めた。

 

「無論、複数あるエントリー画面全てを確認することは、一人では不可能だ。だが、同一の装備を持つお前達全員で取り掛かれば、ほぼ確実に入力情報を把握できる」

 

前言通り、全てを見通していると言わんばかりのイタチの言動に、呪武者はぎりりと歯を噛みしめる。その態度は、イタチが口にした推理全てが的中していたことを意味している。

 

「『地獄の傀儡師』も、大したトリックを考えたものだ。SAO時代と変わらない、システムの穴を的確に突いた、相変わらずの見事な計略だ。だが……」

 

そこで言葉を区切った途端、イタチは目を細めて呪武者に視線を向ける。その赤い双眸には、先程までの無感情とは打って変わって、侮蔑の色が見て取れる。

 

「計画を実行させるために用意した操り人形が無能過ぎる。これでは、如何に周到な計画であっても台無しだ」

 

イタチの口から発せられた、嘲りを込めた言葉。そして、それを言い終えた途端、イタチは前方上方に広がる暗闇の向こうから放たれた殺気を、肌で感じた。そして、予想通りその方向からは一発の銃弾が飛来した。

 

「ふん」

 

だが、イタチは飛来したソレを何でもないかのように一瞥すると、流れるような動作で腰から光剣を引き抜き、閃光の刃を振り翳して銃弾を消滅させた。

 

「やはり貴様もここに居たか。“赤眼のザザ”」

 

「イ、タ、チ……!」

 

何も無い、薄暗闇が広がるばかりの空間の中から、歯切れの悪い喋り方をする声が響き渡る。そして、声の聞こえた方角にある鉄橋の上の空間に突如裂け目が生じ、一人のプレイヤーが姿を現した。呪武者と同じ、メタマテリアル光歪曲迷彩機能付きの黒マントを纏い、顔には全体を覆うような鉄仮面を被った男性プレイヤーである。SAO当時とアバターの姿に若干の差異はあるものの、仮面の眼窩、その奥から覗く赤く凶悪な光だけは、SAO時代と全く同じものだった。

 

「俺の、ことも、覚えて、いた、とはな」

 

「貴様等犯罪者プレイヤーのことは、一人残らず記憶している。ゲームクリアを成し遂げた後で、貴様等が再びこうして人殺しに走る可能性を鑑みれば、必要な情報だったからな」

 

尤もイタチとしては、こうして事件が勃発してから後手に回るつもりは毛頭無く、未然に防げればと思っていた。だからこそイタチは、SAO帰還者の中で、積極的に犯罪行為に及んでいた危険なレッドプレイヤーを、自身の知る限り記憶しておいたのだ。後にゲームクリア後、イタチこと和人はそれらを全員分リストアップし、菊岡等SAO事件対策チームに手渡していた。SAO内部における犯罪を現実世界の法で裁ける可能性は限りなく低く、それはイタチもSAOに囚われていた当時から承知していた。しかし、SAO内部における殺人等の罪状が他の生還者の証言と併せて明るみに出れば、放置することはできない。最低限、保護観察処分にする必要が発生し、そうなれば再犯を防げる可能性があると考えていた。

だが、そんなイタチの淡い期待も、こうして裏切られてしまった。菊岡達SAO事件対策チームがどこまで手を尽くしてくれたかは分からないが、事後処理が不十分としか言いようが無い。地獄の傀儡師こと高遠遙一による教唆もある以上、彼等の職務怠慢だけが原因とは言い切れないが、現実問題として事件が発生してしまったのも事実。菊岡をはじめとした彼等は後日、責めを負うことは間違いないとイタチは考えていた。

閑話休題。ともあれイタチは今、死銃を名乗るかつての笑う棺桶の幹部二人と相対することになったのだ。ザザと呼ばれた鉄仮面に赤い双眸の男は、奇襲に失敗した以上は不要とばかりに、持っていたサイレント・アサシンを、自身が立っていた鉄橋の上に置く。そして、身軽になった状態で鉄橋から飛び降りると、イタチと呪武者と同じ地面に降り立った。

 

「今の、俺は、ザザでは、ない。死銃――――ステルベン、だ!」

 

かつての笑う棺桶の幹部、赤眼のザザ改めステルベンは、名乗りを上げると同時に、腰に装備していた光剣を抜き放つ。その光の刀身は、イタチが持つものと同じく、赤色。しかし心なしかこちらは、血の様に濁った、不気味な色合いをしている。

 

「この世界で俺達SAO生還者が戦うための武器となれば、やはりこれ以外には無いようだな」

 

「ガンゲイル・オンラインで白兵戦は邪道っちゅうことは変わらんがな」

 

「御託は、もう、良い。早く、始める、ぞ……!」

 

それ以上の問答は最早不要とばかりに、光剣片手にイタチへ斬りかかる。対するイタチは、手に持つ光剣でその一撃を受け止める。だが、ステルベンの剣戟はそれだけでは終わらない。イタチに弾かれてから間髪入れず、体勢を立て直し、無数の刺突を繰り出す。その連撃は、SAO時代における赤眼のザザのエストック捌きそのもの。システムアシストの付いたソードスキルではないが、握られている武器は、刀身が質量を持たない光剣である。その刺突速度は、SAO時代と全く変わらない。

凄まじい勢いで繰り出される無数の赤い閃光の刺突。その連撃は、機関銃の連射を彷彿させる。並みのGGOプレイヤーは勿論、かつてのSAOプレイヤーですら、対抗するのは困難を極める。だが、その連撃に晒されているイタチは、雨霰のように降り注ぐ赤い閃光全てを、自身が手に持つ光剣で捌き切り、自身の身体には一撃たりとも通さない。

 

「こ、の……!」

 

戦況はイタチが防戦一方であるように見えて、その実ステルベンは攻めあぐねていた。ステルベンが繰り出す剣戟はイタチに傷一つ負わせることは叶わず、時間が過ぎるばかり。ステルベンとて、この壮絶な刺突をずっと維持できるわけではなく、遠からず限界がやってくる。そして、イタチならば、その隙を見逃す筈は無い。

 

「オイオイ、ステルベンよぉ……俺を置いて行ってくれるなやぁっ!」

 

だが、戦況がイタチの有利に傾く前に、その拮抗状態は呪武者によって崩される。凶悪な笑みを深めた呪武者は、紫色の刀身を持つ光剣を抜き放ち、ステルベンの援護へと向かう。

 

「喰らえやぁっ!」

 

「……!」

 

ステルベンの刺突を捌いているイタチの背中の隙を突いた一撃。対するイタチは、ステルベンが放つ刺突の軌道をずらし、次の刺突へ繋げるまでの時間を僅かに遅らせる。そして、その一瞬を利用し、ステルベンの懐へと身体を反転させながら飛び込み、光剣を持たない左腕で、鉄仮面目掛けて肘鉄を食らわせる。それによって、ステルベンが衝撃によろめいて刺突が止むや、今度は背中を狙って一撃を繰り出してきた呪武者の斬撃を受け止め、弾き返す。

 

「ハン!やっぱり一筋縄じゃいかんようやなぁ……黒の剣士!いや、死剣!」

 

「キサ、マ……殺、す!必ず、殺す!!」

 

呪武者の繰り出した奇襲も、SAO時代のベンケイと変わらない、必殺必中の一撃だった。しかし、それもまた、イタチの前には通用しない。SAOにおける戦いでそうだったように、イタチが相手では、笑う棺桶の幹部が二人掛かりで向かっても、ダメージを与えることは至極困難らしい。

そんな、どうにも上手く戦闘を運べず、膠着状態に陥るかつての宿敵二人に対し、イタチはさらなる挑発を仕掛ける。

 

「面倒だ……チマチマとした奇襲は俺には通用しないことは分かっているだろう。二人まとめて、掛かって来い……死銃共!」

 

その言葉が発せられた途端、イタチに向けて、血色の閃光と紫色の閃光が、さらに苛烈な強襲を仕掛けるのだった――――

 

 

 

「おらおら、どないした!?防戦一方やないか!」

 

「死、ね……!」

 

ステルベンと呪武者の、笑う棺桶の幹部二人掛かりで繰り出す、絶え間なく、一方的な剣戟の嵐がイタチを襲う。しかし、イタチの守りは一向に崩れない。

 

(畜生が……俺等をナメおってからに……!)

 

SAOにおいて、笑う棺桶のレッドプレイヤー達が得意としていたPK戦法――それは、四方八方から敵を取り囲み、死角を突いて間断なく猛攻を繰り出すというものである。構成員全員が高い隠蔽スキルを持っていた笑う棺桶のメンバーは、姿を隠して隙を突くことが得意であり、標的のプレイヤーのステータス次第では数回これを繰り出すだけでHPを全損することも珍しくなかった。

そしてこの戦法は、当時幹部だったステルベンこと赤眼のザザと、呪武者ことベンケイも得手としており、その剣技で繰り出される攻撃の正確さ、鋭さは並みの構成員の比ではなかった。だが、そんな二人の攻撃も、SAOでは『黒の剣士』と呼ばれ、GGOにおいては『死剣』の名を冠する程の実力を有するイタチの前には、一切通用しない。まるで、至る所に目があるかのように、二人分の攻撃全てを見切って防ぎ切っている。

 

(一筋縄ではいかんのは分かっとったが……やっぱし、本気で殺るしかなさそうやな)

 

手練二人が連携して死角を突いた攻撃を繰り出しているにも関わらず、かすり傷一つ負わせられない現状を打破すべく、呪武者は懐に隠していた二本目の武器を取り出す。光剣とは異なり、実体を持った剣――大型のコンバットナイフである。ただし、その刃は緑色の毒々しい光を帯びている。

右手に光剣、左手にコンバットナイフを装備した呪武者は、二刀流の構えにてイタチへ再度襲い掛かる。まず、右手の光剣による唐竹割り。しかし、繰り出された一撃は先程と同様に受け止められ弾かれる。だが、呪武者の攻撃は終わらない。続いて、左手に握るコンバットナイフによる突きを繰り出す。

 

「死に晒せぇっ!」

 

呪武者の一撃を弾いたイタチの光剣は、ステルベンの光剣を受け止めており、背後はがら空き状態。その背中に、呪武者はコンバットナイフを突き立てる。

 

(ただのナイフやない。速攻性の麻痺毒を塗ったくってあるんや)

 

銃の世界であるGGOにおいて、毒物系アイテムは飛び道具であるボウガン等の矢に塗るのが主流だが、呪武者のように銃剣やナイフの刃に塗るケースもある。

イタチの装備を見る限りでは、毒物に特別耐性があるとは思えない。この一撃が掠りさえすれば、イタチを一気に劣勢にすることができる筈。

 

「……ふん」

 

だが、イタチの対応はその上を行く。右手に握る赤い光剣で、正面のステルベンを相手しながら、左手に握ったもう一本の青い閃光の光剣をカラビナから引き抜く。

 

「んなぁっ……!」

 

必殺を期して放った呪武者のナイフだが、イタチが背を向けたまま、左手に逆手で持った光剣によって、その刀身を真っ二つに割られる。光剣の二刀流という、予想外の対処でナイフを阻まれた呪武者は、呆けた顔を晒すが……それを見逃すイタチではない。

呪武者が隙を見せたことを感知したイタチは、ステルベンの攻撃を弾きながら身体を一回転させ、その遠心力で呪武者に回し蹴りを放つ。

 

「チィイッ!」

 

繰り出された体術の応酬に対し、呪武者もまた蹴りを放ってこれを相殺する。それと同時に、衝突の際に発生した衝撃を利用して、イタチとの距離を取る。

 

(このガキ……どこまでデタラメなんや!)

 

必勝を期して放った毒ナイフをいとも簡単にいなすイタチの反応速度に、ギリリと歯軋りする呪武者。イタチの反応速度の前には、手数を増やしての攻撃や、死角と動作の隙を狙った奇襲は全く通用しないことを改めて思い知らされる。認めたくはないが、このまま戦闘を続行すれば、イタチこと死剣よりも、呪武者とステルベンの死銃二人が不利に立たされるのは明らかだった。

 

(ナイフ一本を犠牲にされたのは中々の痛手や……せやけど、これで仕込みは完了や!)

 

イタチに背面を突いた凶手が通用しないことは、SAO時代の頃から知っていたことだった。だからこそ死銃二人は、イタチを“正面から”潰す策を考えていたのだ。

 

(そうやって余裕かましていられるのも……今のうちだけや!)

 

光剣で刀身を折られ、消滅を待つばかりのコンバットナイフを投げ捨て、呪武者は光剣を手に再度斬りかかるのだった。

 

 

 

「イタチ……!」

 

「…………」

 

ステルベンが繰り出す、血色の豪雨の如き刺突の嵐が、イタチを襲う。しかし、当のイタチは顔色一つ変えず、それら全てを捌き切る。その余裕の態度は、ステルベンをさらに苛立たせ、攻勢をより熾烈にしていく。

 

「その、赤い、眼が、気に、食わん!」

 

「奇遇だな。俺も、『赤い眼を持つ』というだけで、俺を同類扱いするお前が常々気に入らなかったからな」

 

「貴、様……!」

 

ステルベンこと、笑う棺桶の幹部、赤眼のザザがイタチを強く敵視していた理由は、イタチが自身と同じ『赤い眼』をしていることにあった。メーキャップアイテムで血色に染めた赤い双眸は、レッドプレイヤーを恐怖の象徴たらしめるものであり、ザザだけが冠する二つ名でなければならないと、本人は考えていた。しかもその実力は、ザザが敬愛する笑う棺桶のリーダーたるPoHも認める程であり、それがザザの憎悪をより一層煽っていた。

だからこそ、レッドプレイヤーと敵対する攻略組プレイヤーであり、SAO最強と謳われた、同じ色の眼を持つイタチの命を、抗争が発生する度に狙っていた。それは、SAOが完全クリアされ、ステルベンとなった今も変わらない。

 

「死、ね……!」

 

「させん」

 

先程にも増して、鋭く繰り出される、ステルベンの連撃。迸る血飛沫を彷彿させるそれらは、しかしイタチが振るう赤と青の閃光によって、悉く弾かれる。剣速が増しているのは、ステルベンと呪武者だけではない。光剣の二刀流に切り替えたイタチの繰り出す絶技は、SAO時代の黒の忍そのもの。否、質量を持たない光剣が振るわれているのだから、速度はSAOのそれを遥かに超える。

 

「そろそろ、こちらも攻めさせてもらうぞ」

 

「!」

 

背後から奇襲を仕掛けた呪武者を体術で蹴り飛ばしたイタチは、不意打ちが無くなるその一瞬を利用し、防戦一方の状態から一気に攻めへと転じる。右手に赤、左手に青の閃光を握って繰り出す剣技。それは――――

 

「ジ・イクリプス」

 

イタチが微かな声でそう呟いた途端、繰り出される二色の光の嵐――――

 

「ぐ、ご、ごぉお…………っ!」

 

全方位から迫る二十七連撃の閃光に、ステルベンは防御一方……否、防戦すらままならない。背中に羽織っていたメタマテリアル光歪曲迷彩機能付きのマントは、その身に纏うギリースーツ諸共切り刻まれていく。GGOにおいて、光学兵器は対モンスター用の武装である。プレイヤーが受ければ、掠り傷であろうと蓄積するダメージは実弾よりも大きい。

 

「く、そぉぉ……!」

 

イタチが光剣の二刀流にて発動した、『ジ・イクリプス』の再現は、ステルベンのHPを二十撃目で半分以上まで削り込んでいた。そして、最後の二十七撃目がステルベンを襲う。

 

「終わりだ」

 

「ぐ……!」

 

繰り出される最後の一撃は、頭部を狙っている。まともに入れば、HP全損は免れない。そう悟ったステルベンは、その一撃を防御せんと構えた。だが、イタチの振り下ろした一撃が狙っていたのは、ステルベンの本体ではなかった。

 

「!」

 

ジ・イクリプスの最後の一閃は、ステルベンの持つ光剣の刀身の根元――レーザーのジェネレーター部分を両断した。

 

「おの、れ……!」

 

「これで自慢の殺人剣は使えんだろう?」

 

イタチの放った正確無比な一撃によって、光剣を破壊されたステルベンには、イタチの振るう光剣二刀流に抵抗する術が無い。イタチと近接戦闘をしているこの状況では、光剣とは別に用意していた近接武装を引き抜く暇も無い。武器を封じられたこの状況下では、今度こそHP全損は免れない。イタチの放つ、ジ・イクリプスに続く剣戟がステルベンへと、再度襲い掛かる――――その時だった。

 

(呪、武者……!)

 

武器を破壊されたステルベンの視界に入ったのは、イタチの背後に立っていた呪武者の姿。その顔には、イタチに追い詰められているこの状況には似つかわしくない、この状況を覆す策があるかのような笑みが浮かんでいた。

 

(成、程)

 

その顔を見て、ステルベンは確信した。この戦場において、自分達が用意していた“もう一つの罠”が発動するのだと。そしてその予測は、即座に現実へと変わった。

 

「……っ!!」

 

音も無く、坑道の空気を切り裂きながら飛来した鉛玉――それは、突如としてイタチの顔面を直撃した。ステルベンと呪武者の二人を相手にしていたイタチの隙を突いた、狙撃による奇襲である。その、突如として訪れた衝撃は、今まで激しい攻勢に出ていた筈のイタチを仰け反らせた。

 

「ぐ……!」

 

だが、イタチとて簡単には倒されない。倒れそうになる身体を踏み止まらせ、即座に体勢を立て直そうとする。その右眼には、狙撃を受けたことによる弾痕を示す、イタチの瞳とは異なる、赤いダメージエフェクトが輝いていた。

 

(今、だ!)

 

狙撃を受けて隙を見せたイタチへ向けて、ステルベンは自身の切り札たる、もう一本の剣を引き抜いた。ベルトの後ろ部分に差していたそれは、針のように尖った剣――――エストックを彷彿させるものだった。

ステルベンは瞬時に構えを取ると、一気に距離を詰めて刺突を繰り出す。細剣ソードスキル『リニアー』の再現である。

 

「喰ら、え」

 

「くっ!」

 

ステルベンが繰り出す一撃に対し、イタチは手に持つ光剣を交差させて防御を図る。二本の光剣の交差点は、ステルベンが繰り出した刺突が狙った位置そのもの。実体のある剣ならば、これで即座に蒸発する筈……だった。

 

「っ!!」

 

だが、ステルベンの切り札たるエストックだけは、そうはいかなかった。イタチへ繰り出されたエストックの一撃は、光剣を通過し、イタチへと達した。

 

「ぐ…………!」

 

ステルベンが放ったエストックによる一撃は、イタチの左眼を正確に穿った。狙撃による右眼へのダメージに次いで、左眼にも赤いダメージエフェクトの赤い光が灯る。

 

「どう、だ……イタチ」

 

笑う棺桶によって繰り出された凶手により、両眼の視界を奪われたイタチ。ステルベンは、それを成し遂げた己の得物を手に、勝ち誇った様子で見下していた。

SAOの鋼鉄の城から続く、赤と黒とで彩られた者達が繰り広げる『闇の戦い』は、まだ始まったばかりだった――――

 



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第九十五話 純黒の悪夢

(そんな……イタチが……!)

 

坑道の十字路でイタチと別れた後、イタチが先行して激闘を繰り広げている最深部へと至ったシノンは、目の前の光景を信じられずにいた。

坑道の開けた場所であり、無数の鉄橋や梯子が複雑に入り組んで階層状になっているその場所。現在シノンが立っているのは、その中でも上層部だった。シノンがここへ辿り着いた時、イタチは階下の地表部にいた。そして、そこにいたのはイタチだけではなく、先程遭遇した死銃の一人たるベンケイと、武装ヘリに乗っていた死銃の片割れであるステルベンという男。

光剣を持つイタチは、同じ武器を持つ死銃二人を相手していた。二対一という、一見不利な戦況に立たされていたイタチだったが、その実互角以上の戦闘を繰り広げていた。壮絶としか形容できない閃光の嵐の中、イタチは傷一つ負わずにそれらを全て捌き、あまつさえ反撃してみせる。この坑道の中、イタチとシノンを追い詰めていた筈の死銃達が、逆に追い詰められている構図となっていた。

それを見たシノンは、やはりイタチは強く……自分の助けなど必要ないのだと、改めて感じた。だが、そう思ったのも束の間だった。突如としてイタチを襲った狙撃と、それに乗じて放たれたステルベンの反撃。この二撃を受けたイタチは、その赤い双眸をダメージエフェクトの赤に染めることとなった。故に、イタチの視界は完全に塞がれているのだ。

 

(狙撃手は……見えない!)

 

恐らくは、死銃の共通武装であろうメタマテリアル光歪曲迷彩付きのマントを羽織っているのだろう。イタチの右眼を撃ち抜いた銃弾が飛来した元を辿って視線を巡らせるも、狙撃手の姿を確認することはできなかった。

 

(どうしよう……イタチがこんなことになるなんて……)

 

イタチを助けるためには、自身と同じく上層階にいるであろう狙撃手を排除する必要がある。しかし、例の透明マントを纏っている以上は、その存在を認知することは難しい。それどころか、迂闊に探そうと走り回れば、この場所にいる自身の存在に気付かれてしまう。そうなれば、死銃(デス・ガン)を撃ち込もうとするだろう。

死の危険が無いとはいえ、あの朝田詩乃のトラウマの根源たる銃を向けられて、精神的に無事でいられる自信は無い。少なくとも、冷静に狙いを定められるとは思えない。結論として、この状況下でシノンには敵を撃破することは不可能に等しいのだ。

 

(私は一体、どうすれば……)

 

助けなければならない仲間が、目の前で絶対的な危機に陥っている。にも関わらず、何一つできることが思い付かない。戦うことすら儘ならない。そんな弱い自分が情けなくて、シノンは苛立ちに歯噛みしていた。

 

(そういえば、イタチは…………)

 

坑道の十字路で分かれたあの時、イタチは自分に何と言っていたか。数十分前の記憶を呼び起こし、告げられた言葉を思い出そうとする。

 

『もし俺が危機に陥ったら、俺に向けて引き金を引け』

 

確かに、イタチはそう言った。だが、そこに諦め以外の何の意味が、策があるというのか。シノンにはまるで理解できなかった。一体、このヘカートでイタチを撃った時に、何が起こるというのか……

 

(…………違うわ)

 

イタチが何を思っているのか、まるで分からない。それは、シノンの本音である。だが、それだけだ。理解できないことを言い訳にして、行動することを放棄しているだけなのだ。

今ここで、イタチが言った通りの行動を取れば、どうなるのか――――

 

(もう一度引き金を引けば、私は……!)

 

かつて銀行強盗と相対した時と同じ、人を殺すことに躊躇いの無い自分に回帰してしまう。それは、シノンにとって、乗り越えるべき壁でありながら、何よりも恐ろしいことだった。イタチによってトラウマの本質を指摘されてから、シノンはその恐怖をより大きく感じていた。今ここでヘカートの引き金を引けば、死銃達に黒星五四式を向けられた時と同様……否、それ以上の恐怖がシノンの精神を蝕み、崩壊させるかもしれない。シノンはそう感じていた。

 

(けど…………!)

 

ここで何もしないという選択をしたならば、それはこの世界に来た理由を、戦ってきた今までの全てを、破棄することにほかならない。加えて、自分を助けてくれたイタチを見捨てることも同義である。

 

「イタチ……」

 

眼下で死闘を繰り広げるイタチの姿を、ただ見ているだけの自分。そんな弱い自分が情けなくて……シノンは震えだす。一体、自分は何のためにこの場所にいるのか――――

 

 

 

『足りないものが己自身だとしても、他者に頼ることが必要な場合もある。かつての俺がそうだったように……お前にも、それがあっても良い筈だ』

 

 

 

(イタチ……!)

 

それは、この鉱山の中へ逃げ込んだ時、自暴自棄になっていた自分に、イタチがかけてくれた言葉だった。殺人を犯した己自身に怯え、かつてのトラウマを彷彿させる銃に怯えるだけだった、足りないものだらけの自分。イタチはそんな自分に、手を差し伸べてくれた。自分に足りないものを補うための存在になってくれると言ってくれたのだ。

だが、それだけでいいのか。この戦いの中で、シノンはイタチから、前へと踏み出すきっかけを貰えた。今まで目を逸らしていた真実を教えてくれた。なのに、自分はこのままで良いのか……

 

「私は……!」

 

こんな中途半端な自分に、何ができるかは分からない。それでも、シノンはそのまま立ち尽くしていることはできなかった。ただ一つ分かっていることは、目の前で戦っている仲間である、イタチを助けねばならないということ。方法は分からない……否、分かってはいても、できるかは分からない。それでも、動かずにはいられなかった。目の前で危機に陥っている仲間を救うために――――

 

 

 

 

 

「無様、だな。イタチ」

 

狙撃と銃撃で両眼を塞がれ、圧倒的不利な状況に立たされていたイタチを取り囲むように立つステルベンから、侮蔑の声が掛けられる。対するイタチは、地面に膝を突きながらも、周囲に立つ敵の居場所を探るために頻りに首を動かしていた。敵の居場所を正確に捉えられず、先程とは打って変わって劣勢に立たされているイタチの状態に、ステルベンと呪武者は満足そうな笑みを浮かべていた。

 

「今の狙撃……プース・チンランだな」

 

「正解や。この大会に潜り込んどる死銃が、俺とステルベン、それにヒトクイだけやと思っとったようやが、正確には奴も含めた四人やったわけや。それと、今のあいつはプースやない。スコーピオンや」

 

呪武者から発せられた肯定の言葉に、イタチは自身を狙撃した、かつての敵について想起する。

 

(プース・チンラン……『右眼穿ちのサソリ女』か)

 

かつてのレッドギルド――笑う棺桶に所属していた女幹部、プース・チンラン。その特筆すべき戦闘技能は、細剣を使った正確無比な刺突にあった。同じ刺突を得手とする剣士であっても、剣技の性質はステルベンことザザとは真逆。回避が至極困難な、熾烈な連撃による『面』の攻撃ではなく、最小限の攻撃回数で急所を突いて仕留める『点』の攻撃なのだ。その突出した正確さ(アキュラシー)は、血盟騎士団副団長にして、『閃光』の異名を冠するアスナにすら匹敵すると謳われていた程の実力者だった。『右眼穿ちのサソリ女』とは、相対した敵の右眼を執拗に狙っていたことに由来する二つ名だった。

 

(アスナさんに匹敵する正確な刺突を繰り出せたあの技量なら、狙撃手としても十二分に通用する実力も頷ける……)

 

プース・チンランことスコーピオンは、笑う棺桶の幹部として高い剣技を有するだけに、ステルベンや呪武者と同様に、前へ出てきてもおかしくないプレイヤーだった。しかし、ステルベンに比べて冷静沈着かつ的確な攻撃を行う性格上、後ろに控える狙撃手が最も適任と判断したのだろう。

 

「狙撃と刺突で、両眼が見えんこの状況。しかも、俺達二人に加え、狙撃手もいるんや。まだまだ、お楽しみはこれからやで」

 

両眼を潰した上、イタチを相手する笑う棺桶の幹部は三人。その内一人は、イタチの剣では届かない場所に潜んで狙撃の隙を窺っている。先程までの互角の戦況を維持することなどできる筈もなく、一方的に嬲り殺しにされる展開は目に見えている。少なくとも、呪武者とステルベンはそう思っていた。

だが、イタチは――――

 

「言いたいことはそれだけか?」

 

「な、に?」

 

両眼が使い物にならないこの状況にあって、イタチは全く変わらず、冷静に構えていた。しかも、両手に握っていた光剣の刀身を消滅させ、腰のカラビナへとそれらを戻す。その態度からは、この傍から見て圧倒的に不利にしか見えないこの状況を、危機と思っている様子がまるで無かった。

 

「オイオイ、イタチよぉ……己が置かれた状況分かっとるんか?」

 

「両眼が見えないことか?この程度のことで喜んでいられるとは、お前達はつくづくおめでたいな」

 

挑発のニュアンスを含んだ呆れの言葉に、呪武者とステルベンの声に怒気が籠る。両眼が見えないこの状況で、どうしてこのような余裕の態度を取れるのか。

 

「俺のHPはまだ残っているぞ。勝ち誇るのなら、HPを全損にしてからにしろ」

 

「図に、乗る、なぁ!」

 

この期に及んでも弱音一つ漏らさず、相手を嘲るイタチの態度が気に障ったステルベンが、怒りを露にエストックを突き出す。対するイタチは、相手の姿を視認できないためか、ステルベンの方を向いていない。ステルベンが繰り出す『フラッシイング・ペネトレイター』の再現が、イタチの頭を串刺しにせんと迫る――――だが、その瞬間、

 

「な、に……!?」

 

ステルベンの放った超高速の刺突に対し、イタチは直撃寸前で軽くサイドステップを踏んでこれを回避する。だが、イタチの対応はそれだけに止まらず、回避後にエストックを握るステルベンの右手を押さえたのだ。まるで、目が見えているかのように。

 

「姿が見えないだけで、殺気が丸出しだ。こんな攻撃、目を瞑っていても避けられる」

 

「こ、の!」

 

右手首を掴むイタチの手を振り払い、再度刺突を放つステルベン。だが、連続で繰り出されるステルベンの刺突に対するイタチの反応は、眼を潰す前よりは遅くなっているものの、掠り傷を負わせることも敵わない。

 

「宇宙戦艦の装甲板を素材に作った銃剣か。成程、俺の光剣対策のために用意したというわけか」

 

「今更、気付いても、遅い、ぞ!」

 

「お前の剣が、俺を刺し貫くことができるのなら、の話だがな」

 

光剣を腰へ戻し、丸腰状態のイタチに対して、先程以上に熾烈に、容赦なく襲い掛かるステルベン。だが、イタチはそれらを紙一重で避けてみせる。その姿からは、視力のハンデがまるで感じられない。

 

「おいおい、俺を忘れて貰っちゃこまるでぇっ!」

 

ステルベンが猛攻を繰り出すその嵐の中へ、呪武者もまた飛び込んで行く。その右手には光剣、左手には緑色の妖しく光るコンバットナイフが握られている。後者は先程と同じく、毒ナイフである。

 

「相も変わらずの二刀流……お前の剣技は、SAOの時から見飽きている」

 

「このGGOにおける俺の剣技は、SAOん時とは一味も二味も違うでぇっ!それに……」

 

ステルベンと呪武者の二人掛かりの剣戟を、避け続けるイタチ。だが、イタチを狙っているのは二人だけではない。この場から離れた位置には、狙撃手も控えているのだ。

 

「スコーピオンを忘れたらあかんで!」

 

途端、イタチ目掛けて銃弾が飛来する。壮絶な剣技を繰り出す剣士二人の相手に追われていたイタチの隙を狙った、完璧な狙撃。闇を切り裂きながら、イタチの背中へと迫った弾丸は……しかし、寸前でイタチが抜き放った光剣に行く手を遮られ、命中には至らなかった。

 

「何やと!?」

 

「狙いがあり来たり過ぎる。お前達二人に当らないように撃つなら、ここしかないだろう」

 

逆手持ちの赤い閃光を宿した光剣を持ち直し、呆れたように呟くイタチ。音もしない、離れた場所からの狙撃にすら反応するイタチの出鱈目さには、流石の呪武者も唖然としてしまう。

だが、その表情もすぐに憤怒に染まり、怒声を張り上げる。

 

「いい気になるなや!両眼が見えんお前なんぞ、すぐに終わらせてくれるわ!」

 

「死、ね――!」

 

先程以上に熾烈を極めるステルベンと呪武者の猛攻を前に、イタチは一切屈しない。加えて、狙撃手たるスコーピオンの遠距離からの攻撃に対しても、恐怖というものを全く見せない。

だが、両眼を潰されてからのイタチの反応が遅れていることは、傍から見て明らかだった。三対一のこの状況下……SAOの討伐戦以上に消耗を強いられていれば、イタチといえども限界を迎えることは自明の理。元笑う棺桶の幹部達は、少なくともそう考えていた。果たして、戦いの趨勢は、どちらへ傾くのか――――

 

 

 

 

 

(イタチ……やっぱり、さっきよりも回避がギリギリになっている)

 

地表部にて繰り広げられている、イタチが死銃達と死闘を上層階から見ながら、シノンはイタチが劣勢に追いやられていると感じていた。先程まで余裕で回避できていた死銃二人掛かりの剣戟を、今は接触ギリギリ、またはスレスレで回避するようになっており、明らかに余裕が無かった。

 

(目が見えないあの状況で避け続けられるのも驚きだけど……反撃ができないあの様子じゃ、長くはもたないわね)

 

今のイタチは、剣術に優れたプレイヤー二人を一度に相手して、攻撃の届かない遠距離からの狙撃にも対処しているのだ。それも、目が見えない状況において、である。まともに戦えていること自体が既に異常と呼べた。

恐らくイタチは、視覚以外の感覚――恐らくは、仮想の聴覚・触覚で、相手の動きや振るわれる武器の軌道を、感知して反応しているのだろう。しかし、それをやるには、相当な集中力の消耗を伴う。人間の集中力に限界が存在し、イタチとて例外ではない。色々と規格外の能力を持つイタチだが、この状況を長引かせて両眼の欠損が戻るまでのタイムリミットを稼ぐことができるとは考え難い。

 

(私がやるしかない、わね…………)

 

三人のプレイヤーを相手に、身動きが満足に取れず、手詰まりの状況。恐らくイタチは、これを見越してシノンに指示を託したのだろう。狙撃の位置取りを行い、伏射姿勢で狙撃体勢に入ったシノンは、そう考えていた。

 

(危なくなったら、自分に向けて撃てって言われたけど……一体、どうなることやら)

 

今、このタイミングで自分がイタチを撃つことは、死銃に対する援護射撃にもなりかねない。しかし、あのイタチが出した指示である。この状況を打破するための、何かが起こることは間違いない。シノンには、それがどのような形で起こるのか、まるで想像がつかないが、信じることには躊躇いが無かった。

問題は、シノンがそれを実行できるか……本当に引き金を引くことができるかにあるのだ。

 

(今、ここでヘカートを撃てば、イタチを助けることはできる。けど……きっともう、逃げられなくなる)

 

イタチに指摘されて初めて確信した、自分が抱えるトラウマの本質。大切なものを守るために、人殺しすら躊躇わないもう一人の自分――――それが、引き金を引いた瞬間に、シノンの頭の中に必ず現れる。その時自分に、一体何ができるのか、何をすべきなのか……その答えは、シノンにも未だに分からない。

 

(ヘカート。こんな私だけど……もう一度力を貸して)

 

逃げ場を失い、何よりも見たくないものを見ることになり……その末に、さらに深い傷を心に負うかもしれない。それでも、シノンは引き金を引くことを心に決めていた。自身とイタチを取り巻く、黒衣の死銃達が躍る純黒の悪夢を打ち破るために。

だからこそ、シノンは祈る。この世界で誰よりも一緒に戦ってきた、無二の戦友であり相棒……自分に戦うための力と勇気をくれた、女神の名を冠する狙撃銃に――――

 

(もう一度、ここから踏み出すための……過去の私自身に、向き合うための勇気を……)

 

あの五年前の事件の時と同じく、大切なものを守るための、自分自身を奮い立たせるための心の強さを――――

 

(私を助けてくれた……足りない何かを補うために、一緒に戦ってくれると言ってくれた、イタチを助けるために!)

 

スコープを覗いた視界に映った着弾予測円の中に、今守るべき存在の後ろ姿を捉え、引き金に指を掛ける。だが、そのまま撃つような真似はしない。イタチを助けるために引き金を引くのならば、最大限の協力をする必要がある。例えば、イタチを狙う死銃三人の注意を引くような、狙撃以外の何かである。

スコープから顔を離さず、イタチに狙いを定め続けているシノンは、そこで息を深く吸い込む。そして――

 

「イタチ!!」

 

仲間の名前を、大声で叫んだ。当然の反応として、地上で戦う死銃二人、そしてイタチの顔が、シノンの方へと向く。だが、シノンは全く動じない。そして、スコープ越しにその姿を捉え、その場から動かずにいる仲間目掛けて、引き金を引いた――――

 

 

 

 

 

「そぉらぁっ!食らいやっ!」

 

「!」

 

ステルベンの機関銃の如き刺突を、視力が使えない状況下で紙一重、すれすれで回避し続けるイタチへと、呪武者が襲い掛かる。初撃は左手に持った毒ナイフによる横薙ぎ。少しでも掠れば、麻痺で動けなくなり……剣戟の嵐に切り刻まれることになるであろう一撃である。イタチはそれを、ステルベンの刺突を素手で逸らすことで生じた隙を利用し、かろうじて回避することに成功する。

だが、呪武者の剣戟はそれだけでは終わらなかった。

 

「阿呆が!まだこっちが残っとるで!」

 

毒ナイフに次いで放たれたのは、光剣による刺突。狙いは顔面である。実体を持たない分、こちらの方が非常に速く……流石のイタチといえども、回避行動は完全には間に合わない。

 

「ぐっ……!」

 

頭を反らすことにより、直撃は回避できたものの、その閃光はイタチの両眼を掠めた。ガンゲイル・オンラインにおける手足や目といった部位欠損ステータスの持続時間は、三分間である。しかし、同一箇所に重ねて攻撃を受ければ、その時間経過はリセットされる。

だが、死銃の連携はそれだけでは終わらない。

 

「!」

 

両眼を光剣に焼かれたイタチの頭を狙って飛来する弾丸。スコーピオンの援護射撃である。顔面の前に光剣があるこの状況下で、後頭部を狙う射撃……避けるのは非常に困難である。その光景に、死銃達はイタチの敗北を確信する。だが、イタチはそんな狙撃にすら反応して見せる。

 

「んなっ……!?」

 

呪武者が有り得ないと驚きを露にした目の前で、イタチが狙撃を避けるために取った行動。それは、横方向へ転がることだった。イタチの咄嗟の行動により、弾道からその頭部は外れ、飛来した弾丸は、動いた勢いで靡いたイタチの長髪を貫き、光剣の刃に命中して消滅した。

 

「狙いは悪くなかったが、詰めが甘いな」

 

「ハッ!余裕のつもりのようやが、実際そうでもないんはバレバレやで。また目をやられてしもうたしな!」

 

「反応が、遅れて、いるぞ」

 

「集中力が切れ始めているんやないか?え?」

 

地面を転がりながら、体勢を立て直すイタチを、死銃二人は嘲笑いながら見下す。しかし、その見立ては決して間違っていない。イタチの反応速度は、両眼を潰されて以降、徐々に遅くなっている。先程の光剣の刺突にしても、常のイタチならば、両眼を焼かれることなど無く、狙撃による援護に対しても、髪に掠らせることすらなかっただろう。傍から見ても、イタチが追い詰められていることは明白だった。

 

「まあ、俺達はまだまだ余力たっぷりなんや。まだまだ、遊んでやるから覚悟しいや」

 

「まだ、まだ、ここから、だ」

 

元笑う棺桶の幹部達による、SAOから続く殺戮劇は、まだまだこれからとばかりに、嗜虐的な笑みを向ける二人。恐らく、ここにはいないスコーピオンも同じことを考えていることだろう。ゲーム世界の中だけに止まらない、おぞましい悪意。そんなものが渦巻く戦場の中心に、目が見えない状態で立たされて、平気でいられる人間はいないだろう。だが、当のイタチはこの絶望的としか形容できない状況にあって、全くと言っていいほど表情に変化が無かった。

一体イタチは今、何を考えているのか。この不利な戦況にあって、絶望を抱いているのか……或いは、全てを覆すための逆転の一手があるのか。死銃は前者と考えているが、その真意は傍から見ている者には全く分からない。ただ一つ、分かっていることは、イタチはこの戦いを諦めていないということ。一体、イタチはどんな考えがあって戦いに臨んでいるのか――――

その答えは、この場に現れた新たな人物の上げた声によって、明らかとなった。

 

「イタチ!!」

 

突如、坑道の開けた空間の中に響いた女性の声。それを聞いた者達は皆、一様に異なる反応を見せる。

 

「何っ!?」

 

「む!」

 

地表でイタチと相対していた死銃二人、ステルベンと呪武者は、予想外の出来ごとに驚きながらも、その声が響いた方向へと顔を向けた。

 

「……!」

 

坑道の空洞内、その上層部のとこかに身を潜め、イタチに狙撃を行っていた死銃、スコーピオンは、声を響かせた者へ標的を変更し、移動を開始した。

 

「来たか……!」

 

そして、その名を呼ばれたイタチは、ただ一人、自身の味方が現れ、計略通りに動いてくれたことを確信し、動き出す。向かう先は、声の響いた音源。シノンの居る場所へ真っ直ぐ駆け出していくのだった――――

 

 

 

 

 

和人の前世である、木の葉隠れの抜け忍たる、うちはイタチ。万華鏡写輪眼の使い手として、『月読』という幻術を操っていた経験を持つ。対象を自身の精神世界へと引き摺りこみ、その空間において時間さえも操れるこの術を使った経験は、うちはイタチの転生者たる桐ヶ谷和人に、仮想世界への高い適性を与えていた。だが、その適正とは、仮想世界でアバターを動かす能力のみに止まらない。仮想世界に立つイタチには、デジタルデータによって再現される五感全てを、現実世界そのままに感じ取ることができる。しかもそのスペックは、前世のうちはイタチに匹敵する。つまり、仮想世界という場所は、イタチの独壇場。仮想世界においては、忍術こそ使えないものの、暁の忍たるうちはイタチそのものなのだ。

 

「味方に助けを求めて、俺達を撒こうって魂胆か!そうはさせへんで!」

 

「逃が、さん!」

 

故に、イタチには分かる。自身が背を向けた二人の死銃、呪武者とステルベンが、自身を両サイドから挟み込む形で挟撃しようとしている。そして、己の名前を呼んだ者――シノンは、予め打ち合わせた通り、自身を標的に狙撃を敢行しようとしている。己に真っ直ぐ注がれる、しかし殺気の無い一筋の視線から、イタチはそれを感じ取っていた。だが、感じるのは視線だけではない。シノンが引き金を引く動きすらも、目に見えるように分かる。

 

(ここだ……!)

 

うちは一族は、写輪眼という血継限界を持つ一族として知られている。だが、写輪眼を極めた者は、眼だけに頼る戦い方は決してしない。うちはイタチも然りである。譬え視力が使えない状態にあっても、残り四感と、忍として培った第六感を用いれば、敵味方の動きを察知することは、イタチにとって難しいことではない。

そしてそれは、近接戦闘を行う敵二人と、狙撃手一人を相手している、圧倒的な不利を強いられている今であっても変わらない。周囲に立つプレイヤー達の視線と殺気を肌で感じ、足音や武器を振るう音でその動きを聞き分ける。そして、狙いを定めて得物を握った。

 

「ふっ……!」

 

イタチが左手に取ったのは、こしに装着していた青い閃光を宿した光剣。それを、シノンが放とうとしている銃弾目掛けて振りかぶり……投擲した。シノンが構えていた狙撃銃、ヘカートⅡの銃声が響いたのは、それとほぼ同時だった。

GGOのゲームのシステム上、弾丸というオブジェクトは、一定以上の耐久値を持つプレイヤーやオブジェクトに着弾した後に、弾丸自体の耐久値が尽きることで消滅する。しかし、着弾対象が光剣の刃となれば、話は変わってくる。一般的な小口径の銃弾ならば、接触した瞬間に消滅する。だが、シノンのヘカートⅡから射出されるような大口径の銃弾の場合は、耐久値の高さ故に、接触した瞬間には消滅しない。

 

「なぁっ……!」

 

「む……!」

 

対物弾と光剣、それらの衝突の行く末。その答えは、イタチとシノン、死銃達が集結している坑道の大空洞、その空中において繰り広げられていた。

呪武者とステルベンが、揃って顔を驚愕に染めて見つめる先では、イタチの投擲した青い刃の光剣と、シノンがヘカートⅡから発射した対物弾が、空中で交錯していた。高速で回転しながら宙を舞う光剣は、青い光の輪を描きながら、真っ向から飛来する対物弾を――――

 

 

 

縦に真っ二つに切り裂いた。

 

 

 

 

 

 

 

「馬鹿ね……自分から居場所を告げるなんて」

 

(……やっぱり後ろを取られた!)

 

坑道の中、大きく開けた大空洞の空中にて、対物弾と光剣とが衝突するその間際のことだった。イタチの名を叫び、ヘカートⅡによる狙撃を行ったシノンの背後に、女性プレイヤーの声が掛けられた。恐らく、先程イタチの右眼を狙撃した、死銃の仲間だろう。

 

(この状況じゃ、とてもじゃないけど避け切れない。どうすれば……!)

 

イタチと死銃が混戦状態にあるこの状況下、イタチの名前を叫んだ以上、こうなることは分かっていた。シノンの背後を取った女性の死銃は、現実世界の自分を殺すための死銃こと、五四式・黒星を手に、射撃の準備をしていることだろう。イタチから現実世界の自分の身体が無事であることは聞かされているが、ここで大人しく撃たれるつもりは無い。加えて、五四式・黒星で撃たれて、自身の精神が無事で済むとも断言できない。この窮地を脱する手段は、他に無いか……そう考えていた、その時だった。

 

「え……?」

 

「なっ……!」

 

伏射姿勢のまま、スコープを覗いていたシノンのもとへと、青い何かが回転しながら飛来した。それは、青い閃光の刃――イタチの投擲した、光剣である。シノンがヘカートⅡから射出した対物弾を引き裂いた光剣は、その勢いを衰えさせることなく、シノンが居る場所目掛けて向かっていたのだ。そしてそれは、瞬く間にシノンの真上を通り過ぎ……

 

「うぁぁぁあああ!」

 

突如響いた悲鳴に、振り向くシノン。背後に立っていた女性の死銃――スコーピオンの胸には、青い光剣の刃が突き刺さっていた。

 

(まさか、イタチはここまで予想して……!)

 

ヘカートⅡの対物弾と、光剣の衝突。その結果として、弾丸を二つに引き裂いた光剣は、勢いのまま飛来して、三人目の死銃であるスコーピオンへと突き刺さった。イタチがシノンに自身の背中を狙撃させた狙いは、こうしてシノンを囮にすることで、姿を見せないスナイパーをあぶり出して攻撃することだったのだ。

だが、この作戦の中に含まれているイタチの意図は、それだけではないと、シノンは感じた。それは、イタチが投擲した光剣を見て、すぐに分かった。

 

(私に意志があるのなら……もう一度、戦えって言うのね……イタチ!)

 

スコーピオンの胸に突き刺さっている光剣の刃の色は、青――かつてシノンが使っていた光剣である。イタチとのフィールドでの戦いに敗れて落としたものをイタチが拾い、以降は副武装として扱っていたものだった。

つまりイタチは、シノンに戦う意志の有無を問い掛けているのだ。過去に立ち向かうつもりがあるのならば、もう一度この光剣を手に、もう一度戦ってみろと――――

 

(なら……私は!)

 

イタチの意図を汲み取ったシノンは、伏射姿勢から立ち上がるとともに、スコーピオンの胸に突き刺さった光剣の柄に手を伸ばし、それを掴む。

 

「おおぉぉぉおおお!!」

 

「ぐぅうっ!こ、のぉぉお!」

 

握った光剣を横薙ぎに動かし、そのアバターを両断しようとするシノン。対するスコーピオンは、残り僅かなHPが残る中で、最後の抵抗を試みる。手に持っていた五四式・黒星を再度構え、シノンへと向けたのだ。

 

「!」

 

途端、シノンはぞっとした。五年前の銀行強盗事件の際に発現した、他者を殺害することに躊躇いを覚えない自分の意志。その時の恐怖が、シノンの心を覆い尽くそうとしていた。

 

(でも……!)

 

ここで恐怖に蹲ってしまえば、かつての自分に逆戻りである。逃げ出したくなる衝動を押さえ、光剣の柄を握る力をより一層強める。この剣とともにイタチから受け取った、勇気を胸に――

 

「せい、やぁぁぁああ!」

 

「あ……あぁぁぁああ!」

 

向けられたトラウマの根源たる拳銃を前に、しかしシノンは、気合いの声とともに光剣を振り抜いた。途中、スコーピオンが放った黒星の弾丸がシノンの髪を掠めたが、今のシノンはそれだけでは止められない。ヘカートⅡを操るために鍛えた筋力パラメータをフル活用して放った横薙ぎの一閃により、スコーピオンのHPは完全に空となった。残された妖艶な女性アバターは自身の敗北を信じられないと言わんばかりの驚愕の表情をそのままに、動かなくなった。

 

「勝った……!」

 

敵をHP全損に追い込み、打ち倒したことを確認したシノンは、乱れた息を整えながら、その場に崩れ落ちるようにゆっくりと座り込む。銃の世界たるGGOへ来て、長きに渡って戦いに身を投じてきたシノン。だが、この時に至って、ようやくその目的が果たされたと言ってもいいだろう。

過去のトラウマを克服し、銃に怯える弱い今の自分を強くする。それが、プレイ当初におけるシノンの目的だった。しかし、イタチと話をした中で、過去のトラウマの本質が、銃を手に人を殺した自分自身であることを認識させられた。だが、それでも戦い続けることを誓ったシノンは、イタチと共闘する中で、自身が抱く恐怖の本質を認識しても尚、恐怖の象徴であり続けた五四式・黒星を前に、戦いに臨み、これを打ち倒すことができた。

 

「ありがとう……イタチ」

 

この戦いの中で、自分がどこまで強くなれたかは分からない。しかしそれでも、前へと踏み出すことができたと確信することはできた。そのきっかけを与えてくれた、無二の戦友たるイタチに、シノンは感謝を呟くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

空中で光剣の刃に衝突し、縦に真っ二つに叩き割られた対物弾。しかし、それだけでは終わらない。ヘカートから吐き出された弾丸は、なおもオブジェクトとして存在し続けている。そして、射出の勢いもほとんど衰えていない。光剣との接触によって、わずかに逸れた、二つに分かれた弾丸は、それぞれの目標へと飛来していく――――

 

「ぐぁぁああ!」

 

「ごぉっ……!」

 

そして響く、二人分の絶叫。光剣の一閃によって二つに裂かれた対物弾は、光剣を投擲したイタチを背後から挟撃しようとしていた死銃二人――呪武者とステルベンを襲った。

 

「チィィイッ……!」

 

呪武者は、イタチの左側から跳びかかろうと空中に身を投げ出していたため、回避行動も、光剣による銃弾の迎撃も間に合わなかった。それでも、毒ナイフで軌道を逸らそうとしたあたりは流石だろう。だが、質量が半減したとはいえ、対物弾の重量をコンバットナイフで受け止めきれるわけもなく、刀身は着弾とともに砕ける。コンバットナイフを砕いた弾丸の片割れは、呪武者本体へ及び、その胴体を直撃した。弾丸自体は威力が削がれ、軌道が逸れていたため、呪武者の上下半身が泣き別れになることはなかった。だが、脇腹部分がごっそり削られている。HPが残り一割を切っているとはいえ、残っていることが不思議だった。脇腹を抉り取られた呪武者は、まともに着地することも儘ならず、そのまま地面を転がる。

 

「こん、のぉっ……っ!?」

 

まともに動けない状態でありながら、立ち上がろうとする呪武者だったが、何故か身体が動かない。一体、何が起こっているのかと視線を巡らせると、左脇腹に毒々しい光を放つ金属片が刺さっていた。飛来した対物弾の片割れに砕かれた、毒ナイフの破片である。破壊されて消滅する前に、持ち主である呪武者を麻痺に陥れたらしい。

 

「畜生、がぁ……!」

 

完全に動けなくなった状況に置かれ、悔しげに声を上げる呪武者。その目に宿す殺意は衰えさせず、すぐ傍で繰り広げられる宿敵たるイタチの戦いを見据えていた。

 

「ぐぅ、う……イ、タチ!」

 

呪武者とともに、右側から挟撃を仕掛けていたステルベンもまた、空中で引き裂かれた対物弾の片割れを被弾し、負傷していた。着地に失敗はしたものの、被弾したのは左腕。二の腕から先が消失していたが、利き腕である右腕は無事である。

 

「お前は無事のようだな」

 

「貴、様……本当は、見えて、いたんだ、な?」

 

怒りを露に、相変わらずの無表情を崩さないイタチへ詰め寄る勢いで声を上げるステルベン。味方の狙撃を光剣の投擲で二つに裂き、背後から挟撃する二人の敵を同時に攻撃する。これら一連の動きは、両眼の視力無くしては為し得ない。故にステルベンは、イタチの両眼に掛かった赤いダメージエフェクトはダミーであり、盲目状態を装っていると考えていた。対するイタチは、その言葉を聞くと、小さく息を吐いた。ステルベンには気付かれなかったが、それは呆れのニュアンスを含んだ溜息である。次いで、イタチは逆に問い返すために口を開いた。

 

「お前のその赤い眼には、今何が見えている?」

 

「決まって、いる。殺すべき、敵の、姿が、見えて、いる!お前と、同じ、だ!」

 

それ以上の問答は無用と、ステルベンはそれ以上の言葉を発することはせず、イタチへ向けて駆け出し、エストック型銃剣の刺突を繰り出した。

SAO時代と変わらない、非常に速い敏捷にて接近するステルベンに対し、イタチは直立姿勢のままで動かない。そして、ステルベンの刺突がイタチの心臓部を貫こうとしたその瞬間――――イタチは初めて動いた。

 

「な、に……?」

 

ステルベンの刺突を半身になって避けたイタチは、エストックを持つステルベンの右腕を、自身の右手で押さえた。その反応速度には、先程までのギリギリで動いた遅さは無く……両眼が見えている状態とほとんど変わらなかった。

 

「貴様、やはり……!」

 

「お前の血走った赤い眼では、目に映る者達を殺す相手としか見ることしかできない。だから、目の前に立つ相手の本質が、何一つ見えない。それに……」

 

エストックを握ったステルベンの右手を取り、動きを押さえた状態で口を開いたイタチ。だが、途中で言葉を切ると同時に、押さえていたステルベンの右手を、勢いを付けて放し、バランスを崩させる。同時に、腰のカラビナに付いた光剣を抜き、ステルベンを一閃した。

 

「がぁ、ぁあっ!」

 

「同じ色の眼を持っていても、見えているものが違う。同じなのは色だけ……俺とお前では、眼が背負うものの重みが違う」

 

イタチの口から発せられたのは、ステルベンに対する蔑みと苛立ちが込められた言葉。それと同時に、イタチの赤い光剣の横薙ぎの一撃によって上下半身を両断されたステルベンは、地面へと崩れ落ちる。そして、残るHP全てを削り取るべく、その心臓へと止めの一撃を繰り出す。

 

「ましてや、人形に成り下がってまで、レッドプレイヤーで在り続けようとするお前の同類には、俺はなり得ない」

 

「ぐっ……イ、タチっ!」

 

同じ赤い眼を持ち、人を殺すことに躊躇いを持たない者同士のイタチに対し、ステルベンこと、元笑う棺桶幹部、赤眼のザザは、殺意とともにライバル心を抱いていた。だが、イタチとザザとでは、人を殺した理由も、覚悟も違う。そして、赤い瞳の理由も。

ザザがその瞳をメーキャップアイテムで赤く染めていたのは、血色の瞳を、SAO最大規模の殺人ギルドたる笑う棺桶の象徴にしようとしていたからである。

一方のイタチには、赤い瞳をSAOの黒の忍びたる己の象徴にするつもりなど、毛頭無かった。イタチにとっての赤い瞳は、うちは一族の象徴たる写輪眼を示すものである。それと同時に、前世の罪と、それを背負って戦う忍としての覚悟の証だった。

イタチの言う通り、その瞳に秘めた重みが違っていた。自己顕示欲と快楽殺人に酔う者達とは相容れる筈もなく、同じ色と言うだけで、本質すら同一であると見なすザザには、イタチも辟易していた。

 

「お前達死銃という人形が踊る殺人劇は、これで終いだ」

 

「お、の、れ……」

 

ダメージエフェクトの赤色で塞がれた向こう側の瞳に、侮蔑の情が籠った光を宿しながら、イタチは光剣をより深く突き刺した。それと同時に、ステルベンのHPは完全に無くなり、殺意を宿した赤い瞳は光を失うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「イタチ、大丈夫!?」

 

「シノンか……」

 

BoB本選の舞台たる、ISLニヴルヘイムの鉱山都市エリアの坑道にて繰り広げられていた、死銃三人との死闘を制した、イタチとシノンの二人。それぞれ別の場所で戦っていた二人は、今ようやく合流するに至ったのだった。

 

「やっぱり、目が見えないのね……」

 

「いや、それほど問題ではない。視力が機能しないこの状況でも、活動に支障は……!」

 

「えっ!?」

 

そこまで口にした途端、イタチは傍に立っていたシノンを突如抱き寄せ、押し倒した。

 

「イ、イタチ!?」

 

突然のイタチの行動に戸惑うシノン。だが次の瞬間、それまでシノンが立っていた場所を、銃声とともに一発の弾丸が横切った。何者かによる銃撃である。一体、何が起こったのかと混乱するシノンを余所に、イタチは尚も赤いダメージエフェクトが残り、機能しない両眼を近くに立つ柱の影へと向けていた。釣られるようにシノンが向いた先にいたのは、脇腹を抉り取られながらも、右手に五四式・黒星を握るプレイヤーの姿だった。その顔には、シノンも見覚えがある。この大空洞へ至る間に遭遇した死銃の一人、呪武者である。

 

「まさか……!」

 

「まだ生きていたとはな……」

 

シノンの狙撃と、イタチの光剣投擲を組み合わせた三人同時攻撃の際に、既にHP全損に至っていたと思われていたが、まだ生きていたらしい。毒の塗られたコンバットナイフを砕かれた際にその破片を身に受けた呪武者は、麻痺状態に陥っていた。だが、呪武者は、システム的に一切動けない状態を利用し、HPが全損した状態を装い、死体に擬態したのだった。戦いの中で敵意・殺意を感知し、その動きを読み取ることに長けたイタチでも、視力が機能しない状態では、HP全損の是非までは関知できなかったのだった。

 

「こ、んのクソガキがぁぁああっっ!」

 

「止めを刺してくる。待っていてくれ」

 

死んだフリをして敢行した奇襲も失敗し、自棄を起こして銃弾を乱射する呪武者。そんな悪足掻きをする呪武者に引導を渡すべく、イタチは光剣で銃弾を防御しながら接近を試みる。だが、その時だった。

 

「がはぁぁあっ……!?」

 

「む……!」

 

「へっ!?」

 

またも予想外の事態が、目の前で起こった。地面に倒れた状態で悪足掻きをしていた呪武者の眉間に、一発の弾丸が撃ち込まれたのだ。そして、残り少なかったHPを全損し、そのアバターは物言わぬ骸へと変わる。呪武者がHP全損に陥ったのは、何者かの狙撃によるもの。しかし、シノンではない。では、一体誰がやったのか。イタチとシノンは揃って大空洞の上層部を見渡し、狙撃手の姿を捉えようとする。しかし、予想に反し、呪武者を狙撃したプレイヤーは、狙撃を行った場所から全く動かなかったため、すぐに見つかった。イタチとシノンが立つ地表から、十メートル程の高さの場所に設けられた鉄橋の上である。黒いニット帽を被った金髪のプレイヤーは、狙撃銃を構えることなく、肩に担いだまま、地上にいるイタチとシノンへ口を開いた。

 

「俺は君達の敵ではない。警戒を解いて欲しい」

 

その言葉に、シノンは怪訝な表情を浮かべる。自分達の敵である死銃こと呪武者に止めを刺したのはこのプレイヤーで間違いないのだろうが、だからといって味方と見なすことはできない。シノンはヘカートⅡを手に持ち、いつでも引き金を引けるように構える。だが、隣に立つイタチは、手でそれを制す。そして、大空洞上層部にいる狙撃手プレイヤーに向けて口を開いた。

 

「成程……お前が、竜崎の言っていた『ライ』だな」

 

イタチの口から出た『竜崎』という名前に、ライと呼ばれた狙撃手は、その怜悧な相貌をピクリと動かした。その反応を見て、イタチは目の前の狙撃手が、今回の捜査開始前に聞いていた助っ人であることを確信する。

 

「俺のことは既に聞いているようだな。なら、話が早い。目標をクリアした以上、これ以上大会に干渉するつもりは無い。この大会の参加者も、坑道にいる俺達を除いて全滅している。この大会が終わった後も仕事が控えている以上、俺はこれでリザインさせてもらう。そちらも急ぐことだな」

 

それだけ言うと、イタチとシノンを救った狙撃手、ライは、『リザイン』を宣言し、リザインの認証を確認するパネルを呼び出す。パネルに表示された、リザインを承認する『YES』に触れた。直後、その場に崩れ落ちた。リザインによって、アバターが死亡扱いとなったのだ。

 

「あの狙撃手、ライって言っていたわね。あなたと同じで、今大会初出場で、相当な凄腕みたいだったけど……知り合いだったの?」

 

「いや、リアルでもゲームでも、直接の面識は無かった。今回の捜査を前に、第三者を通じて互いのことを知っていただけだ」

 

シノンとて今回の死銃事件の当事者の一人ではある。しかし、捜査自体や、それに携わるメンバーに関する情報を徒に与えるべきではないと、イタチは判断した。

 

(FBIの凄腕捜査官にして、銀の弾丸(シルバー・ブレット)の名を冠する狙撃手か……竜崎の捜査に関わる以上、また会う機会があるかもしれんな)

 

今回の捜査に助力してくれていた強力な助っ人の実力に、イタチは畏怖と心強さを感じていた。隣に立つシノンのこともそうだが、共に戦う者の存在を疎むことなく、頼りにできるようになったのも、この世界へ転生して為し得た『変化』なのだろうと、イタチは感じた。

だが、今はそれよりも重要なことがある。ゲーム内で死銃を倒した今、これからどうするかである。

 

「それで、どうするの?もうこの大会で残っているのは、私達だけみたいだけど」

 

「そうだな……俺達も、どちらかがリザインして、大会を終わらせよう。これが終わった後も、現実世界での死銃の確保が待っているからな」

 

今まさに考えていたことについてシノンから尋ねられたイタチは、これ以上戦いを長引かせず、片方がリザインして戦いを終わらせることを提案する。対して、それを聞いたシノンは、表情を強張らせる。

イタチの推測が的中しているのならば、死銃はこのゲーム世界だけではなく、現実世界にも存在しているのだ。現実の肉体に、本物の『死』を与える殺人者が――――

 

「そう、ね……分かったわ。それでいきましょう。でも、イタチ……その前に、あなたには聞きたいことがあるの」

 

「……何だ?」

 

イタチとしては、今すぐにでも大会を終わらせたいと思っているのだが、その問いを投げるシノンの表情は真剣そのものだった。事件に巻き込み、作戦に協力してもらった手前、ある程度の問いには答えねばなるまい。しかし一体、何を聞きたいのだろうか。

 

「あなた、目が見えない状態で苦戦していたみたいだけど……本当は、あの状態でも死銃三人を十分相手できたんじゃないの?」

 

「…………」

 

「その沈黙は、肯定と取るわよ」

 

剣士二人と狙撃手一人を相手に死闘を繰り広げていたイタチの様子を、ヘカートⅡのスコープ越しに見ていたシノンは、薄々勘付いていた。イタチは目の見えないあの状況下にあっても、死銃達を単独で勝利できたのかもしれない、と。対するイタチは口を閉ざして沈黙する。それをシノンは、肯定の意を示していると判断した。

 

「やっぱりね……私が自力で立ち直れるように促すために、苦戦したフリをしたってわけね」

 

イタチが不利を装う理由といえば、シノンにはそれ以外に思い当らなかった。その結論に至ると同時に、イタチには助けられてからこの共闘に至るまで、徹頭徹尾助けられていたのだと、シノンは改めて感じた。

 

「あの戦いに私情を……それも、私なんかのために挟むなんて、本当にあなたは強いのね。私なんて、最初から敵わなかった筈よ」

 

「…………」

 

「けどね、感謝しているわ。この世界に来て、私が目指すべきだったものを再認識できたし……強くなったかは分からないけれど、前へ進めたって思えたからね。本当に、ありがとう」

 

イタチに対して皮肉を口にするシノンだったが、その表情と声色は穏やかだった。最後に口にした感謝の言葉からも、イタチから前を向いて踏み出す力を貰えたと、心から感じていたからこそ出たものだった。

 

「さて……それじゃあそろそろ、この大会も終わりにしましょうか。私がリザインするわ。あなたの方が強いのは明らかなんだから、文句は無いわよね?」

 

「ああ。だがその前に、お前には一つ謝っておかなければならないことがある」

 

「私に、謝る?……一体、何を隠していたの?」

 

イタチの口から済まなさそうに発せられた言葉に、怪訝そうな表情を浮かべるシノン。死銃事件の真相のほかに、一体何を隠していたというのか。あるとすれば、シノンに限定した何らかの事情だろうか。そう考えを巡らせたシノンに対し、イタチは意を決したように口を開いた。

 

「シノン……俺達は、この事件が発生する前から、現実世界で面識があったんだ」

 

「それって……まさか!」

 

イタチから発せられた事実に、顔を驚愕に染めるシノン。現実世界の朝田詩乃と面識のある人物で、イタチを彷彿させる人物といえば、一人しかいない。まさかという思いはあるが、イタチの正体が、シノンの知る彼と同一人物ならば、確かに納得できる。恐らく、既に自身の正体に気付いているであろう、その反応を正面から受け止めながら、イタチは続けた。

 

「俺の名前は、桐ヶ谷和人。お前とは、五年前に東北の町で初めて出会い、先週再会している」

 

「そんな……本当に和人、なの?」

 

「ああ。正真正銘、お前の知っている和人だ、詩乃」

 

互いに現実世界の名前で呼び合う、イタチこと和人と、シノンこと詩乃。シノンは未だに信じられないという表情を浮かべ、それを見たイタチはますます居た堪れなくなった。

意識してみれば、全て合点がいくことだった。イタチと和人には、共通点が多い。剣技然り、冷静な性格然り、自分を犠牲にしてでも誰かを助けようとする行動然り……

しかし、特徴が合致し、本人が名乗ったとはいえ……目の前のアバターが、和人と同一人物であるという事実は、シノンにとって認め難いことだった。

 

「…………って、ちょっとっ!なんで男のアンタが……そんな、女の子みたいなアバターなのよ!?」

 

「…………そう言われてもな」

 

シノンの驚愕の表情を前にして、イタチは「またか」と言わんばかりに頭を痛めた様子だった。この世界に初めて降り立った際に、協力者のカンキチに女性と間違えられたことに始まり……街中を歩く度に、幾度も女性と勘違いされ、ナンパ等を受けることがあった。そして、誤解を解くべく、男性アバターであると説明した際には、羨ましがられ、カンキチ同様にアカウント売却を迫られることも多々あった。しかし、イタチこと和人自身も、望んでこのアバターになったわけではない。SAOでビーター呼ばわりされていた頃に感じた程の不自由は無いものの、このような反応を受けることに、イタチは辟易していたのだった

そして、イタチの正体が男性の和人だと知ったシノンは、驚愕に目を剥いた次は、その顔を赤く染めていた。思い出すのは、女性とばかり思っていたイタチに対し、手を握ったり、抱きついたりした行為の数々…………

 

「ど……どうして、もっと早く、男だって言わなかったのよ!?」

 

「…………特に聞かれなかったから、答えなかっただけだが」

 

相変わらず平淡な口調ながら、若干目を逸らしながら答える和人の反応を見て、冷静さを取り戻すシノン。確かに言われてみれば、イタチの性別について確認を取ったことはなく……その見かけだけで、女性であると判断していた。要するに、一方的に勘違いしていたのだ。イタチこと和人のみを一方的に責めるのは、少々理不尽かもしれないと、シノンは感じた。尤も、納得できるかどうかは、別の話だが。

 

「それじゃあ……初めから、私の正体を知って近付いてきたの?」

 

「いや、お前が詩乃だと知ったのは、本選が始まる直前からだ。だが、お前が内心に抱えている危うさは、フィールドの戦闘で刃を交えたあの時から感じていた。だから俺は、お前が死銃の標的になっていることを知り……お前の行く末を、どうにかしてやりたいとも思っていた。それが、俺がお前を助けた理由だ」

 

イタチから告白された真意に、再度驚愕して固まるシノン。考えてみれば、鉱山都市での遭遇からして、出来過ぎていた。イタチの行動は全て、シノンがターゲットであること最初の段階で見抜き、死銃の行動心理を読み取らなければできないものだった。

 

「そっか……最初からずっと、助けられていたんだね」

 

それが、イタチから告げられた真意を聞いて、シノンが呟いた言葉だった。同時に、苦笑が漏れた。死銃から助けられ、死銃に立ち向かうきっかけと手段すらも、イタチから貰っていたのだ。前を向いて歩くことができたのもまた、イタチのお陰である。

 

(感謝、しないといけないんだろうけど……)

 

頼んではいないとはいえ、命を救われた上、過去のトラウマを乗り越える勇気を得て立ち向かう力を与えてもらったのだから、イタチには感謝するべきなのだろうと、シノンは思う。しかし、最初から全て知っていた上で、それを黙ったまま近付いてきたと聞かされた今では、謝罪を受けても素直に感謝を口にすることはできない。

心にもやもやを抱え、これをどう処理したものかと考えるシノン。未だに目にダメージエフェクトが残るイタチには分からないが、今のシノンの顔は不機嫌そのものだった。

 

(そうだ……!)

 

イタチに対してどう接するべきかと思案を巡らせたシノンの頭に閃いた、一つのアイデア。イタチに対し、感謝と仕返しを同時に行う方法である。

 

「……事情は分かったわ。色々と言いたいことはあるけれど、条件付きで許してあげるわ」

 

「……何を要求するつもりだ?」

 

負い目を感じ、拒否できない様子のイタチの態度に、得意気な表情を浮かべるシノン。自身の優位を確信したまま、要求を告げる。

 

「まず、この大会が終わってログアウトしたら、現実世界の私のところに会いに来なさい。ここでは言えないことが色々とあるからね。何なら、事情聴取にも付き合ってあげるわよ」

 

「……分かった」

 

「それと、もう一つ。今回の私との勝負は、引き分けにしなさい」

 

「引き分け……どうやって?」

 

「『お土産グレネード』って、知っているかしら?」

 

勝負を引き分けにする方法について問いかけたイタチへ返ってきたシノンの答え……それを聞いた途端、イタチは軽く硬直する。

 

「まさか……」

 

「はい、これあげる」

 

そう言うと、シノンは有無を言わさず、イタチの手に雷管のタイマーノブを五秒分程捻ったプラズマグレネードを握らせる。目が見えない状況にあっても、何を握らされたのかはイタチにも分かった。しかし、今更拒否できる筈もなく、イタチは諦めたようにそれを握り続けるのだった。

 

「それと最後に……これで許してあげる」

 

「え……?」

 

シノンが最後に要求した内容……それが何だったのかは、明確には告げられず、見えもしなかった。ただ一つ、イタチに分かった事。それは、プラズマグレネードが炸裂したその直前に――――

 

 

 

自身の唇に押し付けられた、柔らかい感触だった。

 



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第九十六話 業火の薔薇

BoB本大会を終え、戦いの舞台である『ISLニヴルヘイム』から転送されたシノンは、大会のリザルト画面の確認を手短に済ませた後にすぐにログアウトし、早々に現実世界へと帰還した。

 

(誰も……いないわね。さて……)

 

仮想世界から現実世界へとログアウトする際に生じる一瞬の浮遊感覚の余韻に浸る間もなく、詩乃は部屋の周囲に誰もいないことを確認すると、ベッドから立ち上がる。向かう先は、玄関のドア。現在掛かっている電子ロックに加えて、チェーンロックを掛けるためである。

イタチの話によれば、死銃は自宅の傍に待機しているらしい。BoBの大会中、シノンは五四式・黒星による射撃を受けていないため、殺害される条件を満たしていない。故に、この期に及んで詩乃が狙われる危険性は低い。しかし、計画が狂ったことで自棄を起こした犯人が、この部屋へ襲撃を仕掛ける可能性は少なからずある。そのため、犯人の侵入を阻む必要があると、詩乃は感じていたのだった。

 

(外で見張っている警察が死銃を逮捕してくれるだろうけど……イタチ――和人が来るまでは、開けない方が良さそうね)

 

電子ロックが掛けられている扉にチェーンロックを重ねてかけ、ほっと一息吐いて安心する詩乃。あとは、和人が到着するのを待つばかりである。和人本人がこの場へ現れたことを覗き穴で確認するまでは、誰が来たとしても、居留守を通すことを心に決める。その後、踵を返して部屋の奥へ足を進める。だが、次の瞬間だった。

 

 

 

パァンッ――――――!

 

 

 

「っ!……なっ何!?」

 

先程チェーンロックをかけた扉の向こうから聞こえる、炸裂音。それは、GGO世界の中で聞き慣れた、戦闘の中で発生する音――『銃声』である。しかも、聞こえたのは一発分だけではない。立て続けに二発、三発と繰り返し響いてくる。何が起こったのかは、シノンには想像もつかない。しかし、この扉の外では今、恐ろしい何かが起こっていることだけは間違いない。その恐怖に、シノンは足を竦ませながらも、部屋の奥へ奥へと退いていく。だが、部屋の外において現在進行形で起こっている事態は、シノンを逃がしてはくれなかった。

 

(電子ロックが――――!)

 

シノンの目の前で起こった次なる事態。それは、先程確認したばかりの電子錠が開くというものだった。こじ開けられた様子はなく、まるで合鍵が使われたかのように開いた扉は――しかし、チェーンロックによって完全な開放は妨げられた。

 

(早く警察に知らせないと!)

 

鍵を開いた者が無理矢理に中へと入ろうとするが、チェーンロックに阻まれて儘ならず、ガン、ガンと音を立てるばかりの侵入者に背を向け、シノンはリビングへと走る。この部屋に侵入しようとする何者かのことを、警察に通報するためである。

しかし、その瞬間――――

 

パァンッ――――!

 

再び響き渡る、銃声。しかも、今度はかなり近い。恐る恐る振り返ったシノンの瞳に映ったもの…………

それは、途中から切れて垂れ下がったチェーンと、阻む者を失い、完全に開かれた扉。その向こうからは、硝煙の臭いとともに人影が現れていた。

 

(そんな……まさか!)

 

その姿を見るや、顔を驚愕に染める詩乃。目の前の扉を破った人物は、詩乃がよく知る人物だったからだ。

 

「やあ、朝田さん。BoB優勝、おめでとう」

 

「新川……君?」

 

詩乃の快挙を褒め称えた少年――新川恭二の姿を見た詩乃は、その笑顔に戦慄した。扉の向こう側から姿を見せた恭二の手には、その笑顔に似合わない……『拳銃』という名の凶器が握られていた――――

 

 

 

 

 

死銃達と死闘を繰り広げた第三回BoBを制したイタチこと和人は、ダイブ中に心拍のモニタリングを行っていた安岐ナースとの会話を手短に済ませ、病院の駐車場へ向かっていた。途中、依頼人の菊岡から電話が掛かって来ていたが、それも適当にあしらい、死銃に関する詳細な事情は後日話すとだけ告げて、強引に電話を切った。今の和人には、依頼人である菊岡と話をするよりも優先すべき事項があった。

 

(詩乃……色々と言われるのは間違いないんだろうな)

 

一方的にリアルを割っていながら、それを隠して接触していたのだ。事情はどうあれ、ネチケット違反なのは否定できない。何を言われたとしても、文句は言えない。そう分かってはいるものの、気が重い。だが、今更逃げるわけにもいかず、自身の愛車たるオートバイに乗り、詩乃の家を目指すことにするのだった。詩乃の自宅の住所は、死銃警戒のために、竜崎ことLが手を回して調べたものを確認していたので、覚えている。今からバイクで向かえば、五分とかからず到着できるだろう。そして、バイクに跨ってエンジンを掛けようとした、その時だった。

 

(……竜崎?)

 

和人の携帯電話が、着信を告げる振動を発した。通知を見ると、着信は名探偵Lこと竜崎。今回の死銃事件における、和人のもう一人の依頼人である。予め打ち合わせていた手筈通りに警察が動いているのならば、死銃は全員、逮捕されている筈。この期に及んで、何か不測の事態が発生したのだろうか。疑問と不安を感じながらも、和人は通話ボタンを押した。

 

「竜崎、どうした?」

 

『和人君、緊急事態です。死銃の一人が、見張りをしていた警官二人を所持していた拳銃で負傷させ、ターゲットの自宅へ押し入りました』

 

竜崎から齎された凶報に、僅かに目を見開く和人。『地獄の傀儡師』こと高遠遙一がバックに付いているのだ。拳銃を用意して持たせるぐらいは簡単であり、故に特別驚くべきことではない。

問題なのは、誰の自宅へ押し入ったかである。竜崎がわざわざ連絡を入れたということは、和人に関係のある人物なのは間違いない。半ば以上予想はできているが、確認のために現場の位置を聞くことにした。

 

「押し入られたのは、誰の家だ?」

 

『朝田詩乃さんです』

 

「分かった。俺が急行する」

 

竜崎の予想通りの返答に即答した和人は、通話を続けながらバイクに跨る。そのままエンジンを入れ、発進の用意をする。

 

『和人君、相手は拳銃で武装している上、劇物も所持している危険人物です。警察が急行するまでは、踏み込まないでください』

 

「あの場所では、警察が到着するには早くても十分は掛かるだろう。その間に、押し入られた被害者が無事で済む保証は無い」

 

ALO事件で須郷に銃撃を受けた時のことを警戒しているのだろう。竜崎は和人に対し、慎重に動くように促す。

 

『和人君、あなたが彼女を気に掛けていることは存じております。しかし、早まった真似だけは……』

 

「分かっている。だが、俺も奴を見殺しにするわけにはいかんのでな」

 

『……分かりました。しかし、本当に気を付けてください』

 

「ああ、任せろ」

 

知り合いたる詩乃の危機を聞かされたイタチは、しかし冷静に構えて竜崎に受け答えし、電話を切った。その後、携帯電話をポケットへしまうと、ハンドルに手を掛けてバイクを発進させるのだった。

 

 

 

 

 

東京都文京区湯島四丁目にあるアパート。その一室が、詩乃の自宅である。しかし今、詩乃が住まう部屋の中には、閑静な住宅街には似つかわしくない、非常に物騒な空気に包まれていた。

部屋の中に居る人間は、二人。この部屋の主である朝田詩乃と、その友人である新川恭二。ベッドの前に立つ詩乃に対し、恭二は拳銃を向けてその動きを封じていた。

 

(五四式・黒星……まさか、またあの銃を向けられることになるなんて……)

 

恭二が握るハンドガンは、詩乃にトラウマを植え付けた銀行強盗事件に用いられたものと同型の銃だった。恐らくこれは、偶然ではない。詩乃の過去を知る恭二が意図して用意したものなのだろう。だが、そこに思考を割く余裕は無い。

 

(それにしても……こうして立っていられるのが、自分でも不思議だわ……)

 

以前ならば、銃を模した指のポーズですら吐き気を催し、動けなくなっていた程に重篤なPTSDを抱えていた。しかし今は、実物を、それもトラウマの根源と同型の銃を前にして、かろうじてだが意識を保ち続けることができている。恐らくこれは、先程までのBoBの戦いの中での経験によるものなのだろう。だが、今はそれを気にしている場合ではない。

恭二に向けられた銃口への恐怖に踏み止まりながらも、詩乃は必死に冷静になって思考を働かせ、時間稼ぎを試みるべく、口を開いた。

 

「新川君……まさか、あなたが死銃の仲間だったなんて……」

 

「へえ、僕のことも知っているんだね。もしかして情報源は、僕の兄さんのコスプレをした、あの忍者もどきの男かな?」

 

対する新川は、詩乃を自由にできる圧倒的優位を獲得したこの状況に酔い痴れているのだろう。詩乃に対して笑みを浮かべ、得意気な様子で、饒舌に答えていた。拳銃を突き付けながら話すその態度は、詩乃がよく知る新川恭二そのものであり……それが詩乃にとっては、余計に恐ろしかった。何故、このような異常な状況下にあって、平静を保っていられるのか。比較的長い付き合いの友人だった筈の少年が、全く別の存在に見えてしまう。しかし、そんな中にあっても、先の恭二が口にした言葉の中には、聞き逃せないものがあった。

 

「兄、さん……それってまさか、あなたのお兄さんが、あの死銃の一人で……SAO時代に殺人ギルドの幹部だった人、なの?」

 

「これは驚いたなぁ……そんなことまで知っていたんだ。それも、あの兄さんの偽物の……イタチっていう男に教えてもらったのかい?」

 

詩乃の口から出た言葉に、浮かべていた得意気な笑みをさらに深め、共犯者たる自身の兄について語り始める。

 

「その通りさ。死銃の最初にやった銃撃事件では、僕がステルベンを動かしていたんだ。けど、今回のBoBでは、SAOで戦い慣れていた兄さんに代わってもらったのさ。僕以外の人に、朝田さんに触れて欲しくなかったからね。けど……」

 

「きゃっ……!」

 

そこまで口にしたところで、恭二は詩乃の鎖骨あたりに銃口を押し付け、そのままベッドへと押し倒した。詩乃の上へと覆い被さる恭二の顔には、先程までの余裕の態度とは打って変わって、凄まじい苛立ちが浮かんでいる。その豹変に、詩乃は凍りつくような寒気を覚えた。

 

「あのイタチっていう、兄さんの偽物のお陰で、全てが台無しだ!僕と兄さんが作り上げた舞台全部……この計画が成功すれば、朝田さんも、僕のものになる筈だったのに……!」

 

「新川、君……?」

 

意味不明なことを口走り、喚き散らす恭二に対し、詩乃は不気味なものを感じた。仮想世界と現実世界で、アバターと生身の身体とを同時に攻撃し、死に至らしめるという悍ましい殺人計画に加担していた時点で、その精神異常は疑う余地も無いのだが。

 

「そうだ……全部、何もかもアイツの……アイツ等のせいだ!散々兄さんと僕の邪魔をした挙句……朝田さんを奪っていった、あの兄さんの偽物!それに、AGI万能論なんてものを嘯いた、ゼクシード!奴等さえいなければ、シュピーゲルはもっと強くなれた……こんなくだらない現実を捨てて、強い自分でいられるあの世界に居続けることもできた!なのに……!」

 

怒りを露に、衝動のまま言葉を吐き出し続けた恭二だったが、唐突に黙り込み、顔を俯かせる。起伏の激しい感情を見せる恭二に、詩乃は戸惑うが、恭二はそんなものはお構いなしに再度口を開いた。

 

「でも、もういいんだ……こんなくだらない世界にいる意味なんてない。これから僕と朝田さんは、別の世界に旅立つんだからね……」

 

穏やかな表情に反して発せられた、ぞっとするような言葉だった。その意味を、僅かに残った冷静な思考の中で悟った詩乃は、いよいよ自らの命が危険に瀕していることを悟った。恭二はこれから、その手に握る拳銃で、詩乃と無理心中をしようとしているのだ。

 

(何とか……しないと!)

 

無理心中を図る恭二を止めるべく、口を開こうとする。錯乱しているとはいえ、自分の声がまだ届くのならば、思い止まらせることも不可能ではない筈。否、思い止まらせなければならない。でなければ、自分もまた死ぬのだから。

それに、恭二は五年前の事件以来、友人が一人もいなかった自分を支えてくれた。故に、詩乃としてはこのまま彼を殺人犯にはしたくないと思っていた。この期に及んでも、恭二のことを友達であると……そう信じていたかった詩乃は、一縷の望みに賭けて言葉を紡いだ。

 

「新川君……今ならまだ、やり直せるよ。一緒に、警察に行こう。予備校に通ってて、高認試験だってこれから受けて……お医者様に、なるんでしょう?」

 

「…………悪いけど、朝田さん。もう僕には、そんなことはどうだって良いんだ」

 

銃口を詩乃へ向けたまま、据わった目のまま、恭二はそう返答した。そして、懐から一枚の紙を取り出して詩乃へ見せつけた。それを見た詩乃は、再度驚愕に目を見開く。

恭二が見せたのは、自身の模擬試験の成績票だった。しかし、そこに記された得点と偏差値は、いずれを取っても惨憺たるものだった。

 

「これって……」

 

「こんな用紙なんて、今時プリンタでいくらでも作れるんだよ。分かったかい?僕にはもう、この世界には未練なんて、欠片も無いんだよ。そう……君を除いてね」

 

極めて落ち着いた口調で、それだけ言い放つと、恭二はその目に狂気を再燃させ、詩乃へと飛び掛かった。その形相に慄いた詩乃は、襲い来る恭二を避けることもできず、そのままベッドに押し倒されてしまった。

 

「朝田さん……君にはずっと、憧れていた。あの、君が関わった、五年前の事件を聞いた時から……!」

 

「え……それって……どういう……?」

 

恭二が発した言葉に、詩乃は耳を疑った。まさか、という感情が渦巻く中、その真意を確かめるために、必死で問いを口にした。対する恭二は、狂気に満ちた喜色を浮かべながら、話しだした。

 

「本物のハンドガンで悪人を射殺したことのある女の子なんて、日本中探しても朝田さんしかいないよ。死銃の伝説を作る武器に五四式を選んだのも、僕なんだよ」

 

恭二から返ってきた言葉を聞いた途端、詩乃は目の前が真っ暗闇に覆われたかのような感覚に陥った。自身がただ一人、心を許せる友人として疑わなかった目の前の少年は、詩乃とは同じ世界を共有できる人物などではなかったのだ。

詩乃がひたすらに強さを欲していたのは、過去のトラウマを乗り越えて、ごく普通の少女としての暮らしを取り戻すためにほかならない。対して、恭二が詩乃に対して抱いていた憧れとは、人を殺すことに躊躇いを抱かない、常軌を逸した殺人者としての姿だった。詩乃にとって、殺人者としての自身の姿は、忌むべき過去にほかならず……自身の本性として認めたいなどとは、微塵も思ったことの無い在り様だった。

互いの心の在り様を、今に至るまで正しく認識できなかった、詩乃と恭二。二人の間には、埋め難い隔絶、乖離が存在していたのだ―――

 

「でも、現実世界でも、本物の五四式を手にできるなんて、思っていなかったけどね。計画自体は失敗しちゃったけど、兄さんが紹介してくれたSAO時代の知り合いには、感謝してもし切れないよ。けど……」

 

恭二はそこで言葉を切ると、左手を懐へと突っ込む。そして、クリーム色のシリンダー状の物体を取り出した。一切の飾り気の無さ故に、不気味さすら感じらせるその装置に、詩乃はさらなる恐怖を感じた。

 

「やっぱり、朝田さんを僕のものにするなら、これしかないよ。うちの病院から持ってきた、無針高圧注射器っていう道具でね。中身は『サクシニルコリン』っていう筋弛緩剤なんだ。これで刺されると、肺も心臓も止まる……つまりこれは、『現実世界の死銃』なのさ」

 

イタチが言っていた、死銃が現実世界の無防備な身体に死を与えるために使っている劇物。それを手に、笑みを深める恭二。対する詩乃は、戦慄に次ぐ戦慄で身体が動かず、声を発することすらできない。

 

「現実世界の朝田さんも、仮想世界のシノンも、結局僕のものにはなってくれなかった。けど、これでやっと一緒になれる。朝田さん……愛してる……愛してるよ……」

 

狂的な妄言を繰り返しながら、詩乃の顔へと自身の顔を近付ける恭二の声は、既に詩乃のもとへは届いていなかった。他者と向き合うことを恐れ……自分自身にすら向き合う勇気を持てなかったこの五年間。その報いが、人の形を持って目の前に姿を現したのだ。傍に居てくれる温かさにすがり、その真意を確かめようとしなかった。これは、恭二による裏切りなどではない。現実から逃避し続けてきた因果が、詩乃自身へと回ってきたのだ。

 

(けど……それでも、私は……!)

 

現実を直視できず、人と向き合えなかったが故に招いたこの事態。絶望に動けなくなりそうになるが、詩乃はその意識を必死で繋ぎ止めようとしていた。

つい先程、銃の世界における決戦の中で、再会を果たした友人が掛けてくれた言葉。それが、現実世界から乖離しようとしていた詩乃の心を、この世界へと引き戻していた。

 

『俺はお前の足りないものを補える存在でありたいと思っている。シノン、俺の手を取ることはできるか?』

 

自身が知り得なかった……無意識に避け続けていた事実に気付かせてくれた少年。それだけでなく、自身を取り巻くあらゆるものと向かい合う勇気が足りない自分に、彼は寄り添ってくれると言ってくれた。ならば、詩乃自身もまた、支えられるに値するだけの抵抗をしなくてはなるまい。ただ縋り付き、助けてもらうだけでは、昔と何一つ変わりはしないのだから。

 

 

 

――――なら、一緒に戦おう。

 

 

 

そう考えた途端、詩乃の心の中に、直接語りかけるような声が聞こえた。暗闇の中、横たわったまま動けずにいる自分を見下ろして語りかけてきた人物。それは、ペールブルーの髪に、三度イエローのマフラーを巻いた少女。GGOにおいて、氷の狙撃手としてしられたプレイヤーにして、詩乃のアバター――シノンである。

 

――――あなたはずっと、自分を守るために私をもう一つの世界に置いて、遠ざけてきた。けど、守りたいものがあるのなら……きっと、私と一つになれる筈。

 

シノンが何を言っているのかは、理解できる。目の前のシノンは、過去の自分なのだ。五年前の銀行強盗事件で、母親を守るためとはいえ、人を殺すことに躊躇いを覚えず……それ故に、今まで忌避してきた己自身である。

 

――――遅過ぎたかもしれないけれど……それでも、自分を変えるなら、今しかない。だから、一緒に行こう――――さあ!

 

かつて、その存在を認めることを恐れたが故に、見て見ぬふりをし続けてきた己自身が差し伸べてきたその手を――――

 

 

 

詩乃は、迷いなく取った。

 

 

 

「う、おぉぉおおお!!」

 

「んなっ……!?」

 

恭二の唇が、詩乃の唇に触れようとした、その直前。詩乃が起こした、恭二にとって予想外の抵抗。押し倒された状態から、精一杯の力を振り絞って、覆いかぶさっていた恭二に対して反撃を試みる。右手を横薙ぎに振るい、恭二の頬を張る。乾いた音が部屋の中へ響くと同時に、呆然とする恭二。さらに詩乃は、その隙を突くように上体を起こすと、精一杯の力で恭二を突き飛ばした。あまりに急な反撃に、拳銃と注射器で両手が塞がっていた恭二はバランスを崩してベッドから落下。背中を床の上に強かに打ちつけた。恭二の拘束を脱した詩乃は、恭二から逃れるべく動き、ベッドの上から転がり落ちるように……否、転がりながら離れる。その勢いのまま、背中をライティングデスクにぶつけ、弾みで抽斗が開いた。

 

(これは……!)

 

その時、飛び出した抽斗の中身が、詩乃の視界に入った。第二回BoBの参加賞として送られてきたモデルガン――『プロキオンSL』である。過去のトラウマの象徴たる五四式・黒星を、仮想世界と現実世界、両方において向けられても、正気を保てた詩乃である。このモデルガンに恐怖する余地は、既に無かった。

完全に拭い去れないトラウマではあるが、己は確実に変化を遂げている。イタチと肩を並べて戦いに臨んだ経験を経てそれを確信した詩乃は、決意とともに、目の前のモデルガンを手に取った。

 

「なんで……なんで、こんなことするの?朝田さんには、僕だけなのに……朝田さんを守れるのは、僕だけなのに……!」

 

「新川君……お互いに行き違いはあったみたいだけど、私はあなたのことを今でも友達だと思っているわ。けど、私はこの世界で生きていたいと思う。辛い事も、苦しい事もたくさんあったけれど……それでも、大切なものを見つけることができた。だから、君と一緒には、行けない」

 

モデルガンの照準を恭二に合わせながら、はっきりと決別を口にする詩乃。対する恭二は、詩乃が口にした言葉の意味が理解できず、床に尻もちをついたまま目を白黒させていた。

 

「一緒に、いられ、ない……?そん、な……そんな!そんなことをぉぉっ!」

 

しかし、錯乱した意識の中で、詩乃の意志を理解し始めたのだろう。そんなことは認められないとばかりに勢いよく立ち上がり、右手に持った五四式・黒星を詩乃へ向けた。

 

「そんなことぉっ!そんなことあるもんか!朝田さんは、僕だけのものだ!それに、そんなモデルガンじゃあ、僕は止められないよ!」

 

勝ち誇り、狂ったようにそう告げる恭二に対し、しかし詩乃は動じた様子がなかった。狂気を宿した瞳を正面から見据え、モデルガンの照準すらぶれさせない

 

(あの時と……全く同じ、ね)

 

五四式・黒星を向けられ、自身もまたモデルガンとはいえ銃を握っているこの状況。詩乃にとっては、五年前の銀行強盗事件の再現そのものだった。眼前に立つ恭二の姿は、かつて自身が殺害した銀行強盗そのものに見える。

過去に立ち向かうべき瞬間が訪れたのだと、詩乃はそう感じた。逃げるわけにはいかない。ここから先が、本当の戦いなのだと、決意を新たに詩乃は臨む。

 

「新川君。君の言う通り、私には人を殺した過去があって……それを現実にやるだけの力がある。だから、この銃はモデルガンじゃない。引き金を引けば、本物の銃弾が発射されて……君を、殺す」

 

「!」

 

静かな声色で宣言された、詩乃の「殺す」という言葉に、大きく目を見開く恭二。目の前に相対する詩乃の瞳は、どこまでも冷たく……強い意志が秘められていた。その姿に、GGO世界のシノンが重なったのだろう。氷の視線に射抜かれて、恭二の先程までの狂乱ぶりはどこへやら。本当に凍りついたかのように、動かなくなり、やがて床へと崩れ落ちた。

 

(今だ!)

 

狂乱から冷めた恭二が見せた、大きな隙。そこに活路を見出した詩乃は、自室からキッチンに繋がる扉を潜り、ドアを目指して一気に駆け出す。死銃事件の捜査に携わっている警察の救援は、次期に到着する筈。そして何より、和人もここへ向かっているのだ。このアパートさえ脱出することができれば、安全な筈。この異常事態にあって、冷静に思考を走らせた詩乃は、生き残るために冷静な思考を走らせて行動していた。

そして、電子ロックのかかった扉へと至り、ロックノブを垂直に動かして解錠して、外へと脱出しようとした……その時だった。

 

「きゃぁっ!」

 

乾いた発砲音とともに、詩乃の顔の直横を銃弾が通り過ぎ、ドアを穿った。そして、驚いたのも束の間。今度は詩乃の左足に、冷たい何かに掴まれるかのような感覚が走った。それと同時に、強い力で引っ張られ、詩乃はバランスを崩して転び、悲鳴とともに玄関に倒れた。

一体、何が起こったのか。それを確かめようと、後ろを振り向いた詩乃の目に映ったもの。それは……

 

「アサダサンアサダサンアサダサンアサダサンアサダサン」

 

「ひっ……!」

 

虚ろな瞳で、壊れた機械ように詩乃の名前を連呼する恭二の姿に、詩乃はトラウマとは無関係に再度戦慄した。先程とは逆に、詩乃が恐怖に動けなくなる。そんな詩乃を、恭二は凄まじい力でリビングの方へと引きずり戻そうとする。詩乃は玄関やドアの淵に手を掛け、抵抗を試みるが、恐怖のあまり力が入らない。叫び声を上げようにも、こちらも極限状態の緊張のあまり、掠れた声しか出ない。

先程のように威嚇をして隙を作ろうにも、モデルガンは玄関で倒れた拍子に詩乃の手から離れている。譬えあったとしても、完全に壊れた状態の恭二に通用するとは思えない。かといって、このまま部屋の奥へと引き戻されれば、確実に殺される。この危地を脱するために、詩乃は必死で思考を働かせていた。

だが、それよりも早く、恭二は詩乃をキッチンまで引き摺り戻すと、再び上へと覆い被さる。右胸に五四式・黒星の銃口を押し付けられ、全く身動きが取れない。左手には、ポケットから取り出した、サクシニルコリン入りの注射器が握られていた。

 

「アサダサンアサダサンアサダサン」

 

今、この状況下で銃弾を胸に受ければ、悪ければ即死、良くても瀕死の重傷は免れない。だが、もとより決死の覚悟で行動に出ているのだ。今更、恐れるものなど何も無い。

狂ったように名前を連呼し続ける恭二の顔が急接近し、背筋が凍りつくような感覚に陥る中。詩乃は命を賭けた、最後反撃として、首筋に噛みつくべく口元を緊張させて備える。

だが、次の瞬間――――

 

「ぐ、えぇぇえっ!」

 

「……!?」

 

玄関の方角から流れ込んでくる冷気。それを肌に感じた途端、床に仰向けで倒れていた詩乃の視界を、黒い影が通り過ぎる。そして、自身の上に覆いかぶさっていた恭二の重みが、苦悶の声とともに消えた。

一体、何が起こったのか。それを確かめるべく視線を巡らせると、影が通り過ぎた方向に、中性的なシルエットの人影を捉えた。

 

「無事か、詩乃?」

 

その人影から掛けられた声。それは、つい最近聞いた、懐かしい……かつて憧れを抱いた人物の声だった。そして、声色こそ違っていたものの、先程までいたもう一つの世界では、同一人物と話をしていたのだ。その声色・口調を聞き違える筈が無かった。

 

「和、人……?」

 

「ああ。遅くなって悪かったな」

 

約束通り、この場所に助けに来てくれた友人の姿を目にし、詩乃は安堵した表情を浮かべる。だが、現実世界で再会したことを喜ぶ暇も無かった。

 

「お、まぇぇええええ!!お前がぁぁあっ!!」

 

「和人、危ない!」

 

「殺す殺す殺す殺す殺すコロスコロスコロスコロスコロスぅうっ!!」

 

和人に殴り飛ばされて床を転がった恭二が上体を起こし、右手に握った拳銃の銃口を和人に向けてきたのだ。錯乱した意識の中、和人を敵として認識した恭二の反撃。それに直面した和人は……しかし、眉一つ動かさずに対処に動く。

 

「ふん」

 

「死ね死ね死ね死ねシネシネシネ……ぐぅぁああっ!!」

 

拳銃を握った恭二の手へと回し蹴りを放ち、向けられた銃口ごと横へと逸らす。放たれた銃弾は、明後日の方向へ放たれ、壁を穿つ。至近距離で構えた銃を容易くあしらわれ、驚愕する恭二。対する和人は、その隙を見逃さずに、さらに畳み掛ける。

 

「ひっ……!」

 

「終わりだ」

 

目にも止まらぬ早業で、恭二の上へと覆い被さるように動いた和人。その冷たい光を宿した双眸を向けられた恭二は、小さな悲鳴とともに怯んだ。そして和人は、その無防備な鳩尾目掛けて、垂直に真っ直ぐ、極めて強力な掌底を放つ。

 

「ごぼぉぉおっ!」

 

数秒にも満たない、文字通り瞬く間の、攻防とも呼べない和人による一方的な攻勢。錯乱状態で暴れ回っていた恭二だったが、和人が放った掌底の一撃にて、短い苦悶の声と共に完全に沈黙した。両手は力なく開かれ、拳銃と注射器がゴトリという音とともに床を転がった。

 

「終わったぞ、詩乃」

 

死んだように動かなくなった恭二と、両手から落ちた武器を回収する和人。それを確認した詩乃は、今度こそ全てが終わったのだと確信し、安堵するのだった。

 

 

 

恭二を無力化した上、凶器を回収した和人は、詩乃のもとへと歩み寄ると、手を差し伸べる。

 

「立てるか?」

 

「えっと……ごめん、腰が抜けちゃって」

 

極限の緊張状態から解放された反動により、足腰が立たない状態に陥ってしまったらしい。和人に手伝ってもらって、ようやく上体を起こすことができた。そして、和人の姿を間近で見るや、その胸へと抱きついた。

 

「詩乃?」

 

突然の詩乃の行動に、若干の戸惑いを覚える和人。だが、自身に縋りつく詩乃の身体が震えていることに気付く。

 

「怖かった……本当に、死ぬかと思った……!」

 

「……巻き込んで、済まなかったな」

 

涙声で必死に言葉を紡ぐ詩乃を、和人もまた抱き締める。震えながら自身の身体に腕を回し、必死に離すまいとする。その姿からは、彼女が体験した恐怖がどれ程のものかを物語っていた。

仮想世界では精神の、現実世界においては、実際の命の危険に晒されたのだ。しかも、トラウマの根源となった銃は、仮想世界に止まらず、現実世界においてまで突き付けられ……果ては、友人だと思っていた少年に命を狙われたのだ。少なくとも、一介の女子高校生が耐え切れる恐怖ではない。

 

(これも、俺の責任だな……)

 

本来ならば、詩乃がこの事件に関わる可能性があると分かった時点で、大会からも手を引かせるべきだった。本選開始前に彼女を止めていたならば、仮想世界では勿論、現実世界でも無用な危険に晒されることは無かった筈なのだ。それを和人は、詩乃ことシノンの精神的な危うさを察しながらも、敢えて干渉しなかった。心に抱く問題の根幹は、本人の力で気付くべきであるとするのが、和人の考えだったからだ。

しかし、大会の途中、死銃に襲われた詩乃の危うさをそれ以上は看過できないと感じ……結果、私情を挟んで救援に立ち回った。依頼を受けた身としては、このような真似は本来するべきではなかった。少なくとも、前世のうちはイタチにはあるまじき行為である。

 

(忍としては失格……だな。幸いなのは、詩乃の命だけは守り切れたことか……)

 

友を想い、守るために行動したと思えば都合は良いだろうが、今回の行動選択は完全に間違っていた。感情を殺して任務に臨む忍としては、失格としか形容できない行為である。自身の見通しの甘さ故に、友人にまで累を及ぼした現状に、和人は自省するのだった。

唯一の救いは、和人が思っていた通り、多少の怪我こそしたものの、詩乃の命が無事だったことである。今回の事件は、一歩間違えれば詩乃は精神的にも身体的にも危険だったのは間違いないのだから。

 

「和人、大丈夫か!?」

 

そうして詩乃を抱き締めることしばらく。チェーンロックの壊れた扉を開けて、新たな救援が駆けつけてきた。長い髪を背中で束ねた髪型に、太い眉毛が特徴的な少年。捜査協力者の一人である、金田一一である。後ろには、一と旧知の仲である警視庁捜査一課の警部、剣持勇をはじめとした警察官数名が同伴していた。

 

「そちらもようやく到着か。犯人はそこだ」

 

「やっぱり、こいつだったか」

 

和人が目線で指し示した部屋の奥には、仰向けに倒れた恭二の姿があった。死銃事件の容疑者リストに載っていた恭二のことは、剣持警部も知っていたのだろう。その姿を確認した表情には、怒りが見て取れた。

 

「和人、怪我とかは無いんだろうな?」

 

「大丈夫だ。俺も詩乃も、大した怪我は無い」

 

「そうか……流石に今回は、間に合わないんじゃないかって思ったぜ。ま、お前のことだから、犯人も返り討ちにしちまうだろうとは思ってたんだがな」

 

苦笑しながらそう口にする一は、若干ながら顔を引き攣らせて、遠い目をしていた。恐らくは、SAO時代の黒の忍としての規格外ぶりや、ALO事件での活動を思い出しているのだろう。このような視線を向けられることは、仮想世界・現実世界はおろか、前世・現世を問わず珍しくなく……桐ヶ谷和人としても、うちはイタチとしても慣れていた。

 

「話しているところ悪いが、失礼するぞ」

 

そんな中、ドア付近に立っていた剣持が部下数名連れて、一と和人、詩乃の横を通り、部屋の奥へと向かっていった。さらに、剣持達が取ったドアの向こうに、新たな人物が姿を見せた。

 

「やっぱり、もう終わってたか。全く……相も変わらず、無茶苦茶し過ぎじゃないのか?」

 

「カンキチ……お前も来ていたのか」

 

玄関に現れたのは、二人の男。一人は、剛毛角刈りの太くカモメのように繋がった眉毛の、袖捲りした警官の制服に身を包み、サンダルを履いた胴長短足の男。もう一人は、丸刈りに太い眉毛の、緑色の軍服に身を包んだ筋骨隆々とした兵士然とした男。今回の死銃事件を解決するために、Lこと竜崎に紹介された、ゲーム内の協力者――カンキチこと両津勘吉と、ボルボことボルボ西郷である。

 

「わし等も一応、この事件の捜査に関わっているんでな。お前が現実世界で動いたと聞いて、何かあったと思って駆けつけたんだよ」

 

「尤も、心配は無用だったみたいだがな……」

 

両津に続き、ボルボが呟きながら、部屋の奥へと視線を向ける。そこには、気絶したまま剣持に手錠をかけられている恭二の姿があった。傍らには、恭二が持ち込んだ拳銃と注射器を回収する警官の姿も確認できる。この状況から察するに、和人は殺傷性の高いこれら凶器をものともせず、彼を無力化したことは明白だった。

 

「GGOのプレイぶりを見て、只者じゃないとは思っていたが……まさか、これ程とはな」

 

「こいつが現実離れしてんのは、今に始まったこっちゃねえんだよ。SAOん時から、俺達はこいつに驚かされてばっかだったからな……」

 

「…………」

 

仮想世界に止まらない和人の規格外ぶりを目の当たりにし、顔を引き攣らせる警官二人のコメントに対し、和人は沈黙するばかりだった。

 

「よし、パトカーへ運び、署まで連行するぞ」

 

そして、そうこうしている間にも、恭二を連行する用意は整ったらしい。剣持の指示により、同伴していた警官二人が恭二の腕を掴んで持ち上げ部屋から運び出していく。

 

「新川君……」

 

そんな恭二の姿を、和人との抱擁を解いて見る詩乃は、沈痛な表情を浮かべていた。やはり犯罪者と言えども、友人だと思っていた人物が警察に連行される姿を見るのは、辛いものがあるのだろう。そんな詩乃の心情を察した和人は、未だに震え続けるその手を握り、安心させてやることにした。

 

「…………和人、ありがとう」

 

「気にするな」

 

不安定な詩乃の精神を支えるために、より精神的に寄り添おうとする和人。その手を握り返す詩乃は、安心とは別の理由で、頬を薄らと赤く染めていた。

 

「あぁ~……お二人さん。悪いんだけど、そろそろいいかな?」

 

「む……悪いな」

 

危機を乗り越え、生還したことを確かめて抱き合う男女の姿に、一は何を思ったのか。想像には難くないが、和人は敢えて言及しないことにした。今はそれより、ここを動く方が先だ。

 

「済まないが、君達には後ほど事情聴取に付き合ってもらいたい。大丈夫かな?」

 

「ええ、問題ありません。詩乃も、良いな?」

 

「……うん」

 

「それじゃあ、早速…………!」

 

剣持に促され、事情聴取に同行するべく腰を上げようとした……その時だった。和人はふと、微かな機械音を耳にした。本当に聞こえるのか否か、微妙な程の、カチッカチッという小さな音である。だが、忍としての前世を生きた和人の直感は、それを気のせいだとは―――安全なものとは、どうしても思えなかった。

 

「和人?」

 

和人の様子の変化を訝しみ、名前を呼び掛ける一。だが、和人の注意はそちらを向くことはなく、詩乃の部屋全体へと視線を巡らせていた。

 

(あれだ……!)

 

そして、和人は自身が感じた違和感の正体を見つけた。和人の視線の先にあるもの。それは、キッチンのあたりの床の上に放置された、黒いバッグ。男物のデザインであることから考えて、恐らく恭二が持ち込んだものなのだろう。それを視認するや、和人は詩乃の抱擁を解くと、素早く近寄って手に取り、チャック開けて中身を確認した。

そこにあったのは、赤い光を放ちながら時を刻むデジタルタイマー。そして、タイマーから伸びたコードは、金属性の筒へ繋がっていた。その装置の正体を瞬時に見抜いた和人は、部屋の中に居る人間へ即座に警告を発した。

 

「逃げろ!爆弾だ!」

 

「なっ!」

 

「はぁあっ!?」

 

「っ!」

 

常の冷静なイタチからは考えられない、大声で発した警告。その言葉の意味を逸早く理解し、行動に移して行動に移したのは、SAO時代の同期達だった。

 

「おっさん!他の部屋の人達を避難させてくれ!早く!」

 

「わ、分かった!」

 

「ボルボ、ワシ等もこのアパートの住民を避難させるぞ!」

 

「ああ!」

 

一と両津に促され、正面の扉を通ってアパートの住人達を避難させるべく動く剣持とボルボ。一もまた、この部屋に残っていた和人と詩乃を連れて、共に避難させるべく動き出す。避難を促す剣持とボルボの声がアパート全体に響くが、和人にそれを気にしている余裕は無い。爆弾のタイマーは、三十秒を切っていたのだから。

 

「俺達も早く逃げるんだ!」

 

「えっ……ちょ、ちょっと……!」

 

一に促され、避難するために立ちあがろうとする詩乃。だが、先程恭二に襲われた恐怖の影響か。腰が抜けて、立ち上がることができずにいた。

 

「一、カンキチ。詩乃は俺が連れて行く!お前達は先に逃げろ!」

 

「お、おう……!」

 

「逃げ遅れて巻き込まれるんじゃねえぞ!」

 

自分達の力では詩乃を動かせないと判断した一と両津は、和人の言葉に従って扉を出て、剣持の後を追う形で階下へ向かった。

 

「詩乃、しっかり掴まっていろ」

 

「きゃっ?……ちょちょ、ちょっと和人!?」

 

一が踵を返して間を置かず、和人もまた、詩乃を連れてこの部屋から避難するべく動き出す。ただし、詩乃は腰が抜けて動けない状態である。そこで、和人が取った移動方法は、詩乃の膝と背中を両手で支えて横抱きにする……世間一般では、『お姫様だっこ』と呼ばれるものだった。

突然の和人の行動に、素っ頓狂な悲鳴を上げる詩乃だったが、和人はこれを黙殺。剣道や日々のトレーニングで培った運動神経をもって、詩乃を軽々持ち上げると、その重さを感じさせない軽い足取りで階下を目指す。

 

「和人、こっちだ、早くしろ!」

 

そうこうしている内に、詩乃を抱いた和人は階段を完全に駆け下りた。そのまま足を止めず、アパートの門を出ると、一や剣持、アパートの住人が避難していたパトカーの傍に到着した。あと一歩で警察関係者が待機する場所に辿り着く……その時だった。

 

「!」

 

「あっ……!」

 

アパートの詩乃が住んでいた一室から、青みを帯びたオレンジ色の閃光が迸った。次いで発生する、空間を震わせる衝撃。

 

「うわぁああっ!」

 

「のぉぉおっ……!」

 

爆弾の起爆に寄って発生した衝撃に耐えているのだろう。一や剣持の悲鳴、唸り声が聞こえる。そんな中、和人は姫抱きした詩乃を地面に下ろして上から覆い被さる。自らの身体を盾にして、爆発の衝撃と飛来物から、詩乃を庇おうとしていたのだ。

 

「和人!」

 

「じっとしていろ……!」

 

自身を守るべく、身を呈して盾となっている和人の心配をして声を上げる詩乃。だが、和人は覆い被さっている詩乃に被害が及ばないように身体を押さえ、衝撃と飛来物に耐えるのだった。

 

 

 

 

 

 

(やれやれ……私の舞台も、これで終幕ですか)

 

真夜中の静寂に包まれた、東京都の住宅密集区域。いつもと同じように、街優しく包み込んでいた夜の静寂は……しかし、爆音と爆炎によって、一瞬にして破壊された。その根源となったのは、街の一角にあるアパートの一室にて炸裂した、プラスチック爆弾である。

何の前兆も無く発生したこの爆破事件。しかし、現場に居合わせた警察官による避難誘導のお陰で、幸いにも死傷者は発生せずに済んでいた。爆発が発生したその後は、同警察官が呼び出した消防隊による消火活動が開始された。

そして、爆破事件の発生から消火活動が開始された現在。現場には、消防署の救助隊と救急隊、警察関係者、そして近隣住民が集まってできた人だかりが形成されていた。

 

 

 

その男は、そんな多くの人間が集まる混沌とした中に、立っていた――――

 

 

 

(まあ、大した仕掛けをしていたわけではありませんし……それに、今回の舞台の目的は、私の再来を皆さんに知らせることでしたからね)

 

目の前に広がる、爆発による爪後と、発生した火災の様子を見ながら、男は内心で満足そうな表情を浮かべていた。尤も、それを表に出すことだけは、絶対にしないが。

 

(しかし……私にも、譲れないルールというものがありますからね)

 

自身の立てた大掛かりな計画は、既に爆炎とともに粉々に粉砕されている。しかしそれでも、やるべきことはまだ残っている。少なくとも、全ての元凶であるこの男は、そう考えていた。

男が目を鋭くして睨みつける視線の先。そこに居るのは、複数の警察官と、それに引き摺られるように連行されていく、一人の少年だった。男の視線は、警察官に連行されていた、少年に注がれている。

 

(失態を犯した操り人形には……未来は、無い)

 

男はそう心の中で呟くと、右手から一輪の薔薇の花を取り出した。そして、爆発・火災事故の現場に周囲の人間の視線が集中している中で、それを投擲した。

薔薇の花の茎部分には、細いナイフが結び付けられていた。投擲されたナイフは、爆発の熱を帯びた夜気を切り裂き、一直線に進む。赤い花弁を、血の如く散らしながら飛来するナイフは、男の狙い通り、警官達に連行されている少年の背中へと吸い込まれるように向かい…………

 

「させんよ」

 

突き刺さる、一歩手前で止められた。

 

 

 

 

 

「ようやく姿を見せたな、スカーレット・ローゼス。……いや、『地獄の傀儡師』、高遠遙一」

 

目にも止まらぬ速さで放たれたナイフの柄を、グローブの嵌められた手で掴んだ和人は、投擲者の名前を口にする。その黒い双眸が捉えているのは、一人の警察官だった。

この現場に駆け付けた他の警察官と変わらない服装と、何の特徴も無い容貌である。この非常事態が起こっている現場においては、全く目立たない容姿をしたこの男……だが、和人がその正体に触れた途端、その口元が別人のように歪んだ。

 

「流石ですね、イタチ君……いえ、桐ヶ谷和人君」

 

和人のSAO時代のプレイヤーネームを口にした警察官の姿をした男は、右手を顔の左側、米髪のあたりに手を添え、爪を突き立てた。そしてそのまま、顔に貼り付いた皮膚ではない何かを力任せに引き剥がしたのだ。

 

「まさか、私がこの場所に来ることまで想定していたとは……流石は、『黒の忍』ですね。それとも、『死剣』と呼ぶべきでしょうか?」

 

ゴム状の何かを引き剥がした向こう側に現れたのは、整った顔立ちをした男の顔。だがその目には、人のものとは思えない……冷酷な光を宿していた。

その顔を和人が知ったのは、SAOから現実世界へ帰還した後のこと。SAO時代には、仮面に覆われて見えていなかったが、こうして対面したことによって、和人は確信した。目の前に立つこの男こそが、SAOにおいて殺戮の限りを尽くしたレッドギルド――笑う棺桶の幹部、スカーレット・ローゼスであり……そして、この事件の黒幕たる『地獄の傀儡師』高遠遙一なのだと――――

 

「貴様が操り人形の始末に動くのは、SAO時代から分かり切っていたことだ。爆破による始末に失敗したのならば、直接手を下しに来るのは、自明の理だ」

 

「フフ、そうですか。しかし、私が投擲したナイフを容易く受け止めるとは、全く思いませんでしたよ」

 

この爆破騒ぎの根源となったプラスチック爆弾は、恭二が心中のために持ち込んだものではないと、和人は瞬時に見抜いていた。この爆弾は、計画が失敗した時のために、高遠が操り人形としてえいた恭二を始末することを目的に仕込んでいたものだったのだ。

そして、爆破による始末に失敗したことを確認したならば、直接手を下すべく、この場に必ず現れる可能性が高い。そう予測した和人は、こうして待ち構えていたのだった。

 

「仮想世界における銃撃のタイミングに合わせ、現実世界で劇薬の注射を行う。……SAO事件を経験した、仮想課の認識の裏を突くという点では有効なトリックだったが、俺や一を欺くには至らなかったな」

 

「まあ、そう言われても仕方がありませんね。もとより今回の舞台は、私の再来をお知らせすることが目的でしたからね。序章の二人以上は、仕留められるとは思っていませんでしたから」

 

「ふざけるな、高遠!」

 

和人と並び立つように現れた、もう一人の少年。和人と同じく、今回の事件を解決に導いた立役者の一人にして、高遠遙一とは現実世界からの宿敵でもある高校生探偵――金田一一である。

 

「お前はそんな理由で、お前は笑う棺桶の元メンバーだけじゃなくて、無関係な人達まで嗾けて……人殺しをさせたってのかよ!」

 

「誤解の無いように言っておきますが、彼等を殺人者へと覚醒させたのは、私ではなくSAOそのものだ。今回の事件を起こした死銃の中には、笑う棺桶のメンバーではない者も混ざっていましたが……彼等もまた、殺人に至るに足るだけの殺意を滾らせていました。私の関与に関わらず、遅かれ早かれ彼等は同じ様な事件を起こしていたことでしょう」

 

「そんな言い訳が通用するか!お前がこの事件を引き起こした元凶には、違いないだろうが!」

 

元笑う棺桶所属のSAO生還者達をはじめとした、多数の人間に対して一度に殺人を教唆し、大規模な計画に走らせた張本人であるにも関わらず、高遠はふてぶてしい態度を崩さない。そんな高遠の態度に、一は怒りを隠せずにいた。

 

「トリックについても、特殊アイテムに頼り切った情報収集に、人数に物を言わせた偽装。我が舞台ながら、面白味に欠けていたことは否めませんでしたね」

 

「高遠っ……お前は!!」

 

「一、落ち着け。高遠、貴様の聞くに堪えん話も、そこまでにしてもらおうか」

 

和人は二人のやりとりを見る中で、これ以上の平行線を辿るだけの問答は不要と考え、早々に決着を付けることにした。周囲に視線を巡らせ、高遠を捕らえるための準備が終わったことを確認しながら、自らも高遠への警戒を怠らず、その一挙手一投足に神経を研ぎ澄ましていた。

 

「この場にノコノコと姿を現した以上、タダで帰れるとは思っていないだろうな?」

 

「動くな、高遠遙一!」

 

和人と相対する高遠遙一を包囲するように、剣持率いる捜査一課所属の屈強な警部や警官隊が動きだす。その数は、二十名以上に及ぶ。凶悪犯とはいえ、一人を相手にするための戦力としては過剰である。しかし、和人と一といった、高遠の危険性を知る人物としては、これでも安心はできないと感じる程だった。

 

「桐ヶ谷君の言う通りです。見苦しい言い訳は、そのくらいにしてもらいましょうか」

 

警官隊が高遠を包囲するべく動く中、和人の隣へ新たな人物が現れる。眼鏡を掛けた、容姿端麗な男性。警視庁捜査一課の警視、明智健悟である。一と肩を並べて数々の難事件を解決してきた人物であるとともに、一と同じく高遠の宿敵でもある。

万を持して、高遠を逮捕できるか否かのこの状況下で現れた明智の手には、拳銃が握られていた。

 

「ほう、物騒なものを……」

 

「私が撃たないと思ったら大間違いですよ。場合によっては射殺も止む無しと考えています」

 

「明智さん、狙うなら頭です。恐らく防弾チョッキを着ている筈ですから」

 

射殺も止む無しと告げた明智だが、生きて逮捕したいと考えていることは間違いない。しかし、相手は地獄の傀儡師、高遠遙一である。防弾チョッキの類を用意していることを見抜いていた和人は、確実に殺すべきと考え、明智に頭部を狙うことを進言する。

 

「おやおや、相変わらず怖いですね、イタチ君は」

 

「お前は危険だ。本来ならば、生かしておくことすら危険過ぎると俺は考えている」

 

和人の容赦の無い射殺進言と評価に対し、しかし高遠の余裕は全く崩れない。そんな態度を見た和人は、高遠がこの状況を脱するための手段を未だに隠し持っていると推測する。

 

(奴がこの状況を脱する手段を持っていることは、既に想定済みだ。そして、竜崎も同じ考えに至っている。だからこそ奴は、狙撃手まで用意したんだからな……)

 

この事件捜査の指揮を握っているLこと竜崎は、高遠を追い詰めるための最後の詰めとして、先の第三回BoBに参加していた捜査協力者でもある凄腕FBI捜査官、赤井秀一をこの場に呼び出し、狙撃位置に待機させているのだ。『銀の弾丸(シルバー・ブレット)』の異名を持ち、竜崎が全幅の信頼を寄せている狙撃手である。如何に相手が高遠であろうとも、防ぎ切れる道理は無い。

 

(さあ、どう出る?高遠遙一……!)

 

高遠が隠し持っている凶手を警戒しつつ、包囲を狭める警官隊。対する高遠本人は、その場に立ったまま微動だにしない。

 

「高遠遙一!これまでの数々の殺人容疑。そして今回の事件における、殺人教唆の容疑で、貴様を逮捕する!」

 

「申し訳ありませんが、それは御免被ります」

 

高遠を逮捕するべく、手錠を手に前へと出る剣持。対する高遠は、拒絶の意を口にし……指を鳴らした。途端――――

 

「ぬぉおっ!?」

 

「んなっ!?」

 

「これはっ!?」

 

高遠を中心に、地面から紅蓮の炎が迸った。マジシャンがよく使い、高遠も得意とする、発火系のマジックである。地面から立ち上った火柱は、瞬く間に周囲の警官隊と高遠とを遮る壁となり、その行く手を阻む。だが、事態はそれだけに収まらなかった。

 

「きゃぁぁああ!火が、火がぁっ!」

 

「火事だ、逃げろぉお!」

 

爆破・火災の現場から再度発生した火の手に、集まっていた群衆が混乱に陥った。我先にと逃げ出す者、火災の物珍しさ故に携帯電話で写真を撮影しようと逆に進む者、そして混乱する群衆を避難させようとする消防士達とで、その場に居た全員がパニックに陥った。警察でも手に負えない事態が引き起こされたその惨状を眺めていた高遠は、満足そうな表情を浮かべていた。そして、炎の中心に立ちながら、改めて自身の舞台の幕引きを宣言する。

 

「それでは最後に、炎の脱出マジックの披露をもって、この地獄の傀儡師再来の舞台の幕といたしましょう」

 

「待て、高遠!」

 

「高遠……!」

 

和人や一は、幕引き宣言と共に逃亡を図る高遠を止めようと動くが、炎に阻まれて動けずにいた。火柱は十メートル以上の高さに上っている。この状態ではどこかから高遠を狙っているあろう竜崎が手配した狙撃手といえども狙撃は儘ならないことは明らかだった。

炎を隔て、すぐ傍に立つ高遠に対し、しかし何も手の打ちようが無い和人と一の様子を一瞥した高遠は、まず一に向かって再度口を開いた。

 

「ハジメ君……いや、金田一君。君と私は、闇と光の双子のような存在。常に傍に在りながら、決して交わることの無い平行線だ」

 

次いで高遠は、和人へと視線を移す。紅蓮の炎を移す双眸に、かつてのイタチの面影を感じ、笑みを浮かべながら言葉を紡ぐ。

 

「そしてイタチ君こと、桐ヶ谷君。君は私と非常に近しい存在でありながら……それでいて、金田一君同様、交わることは無い存在。例えるならば、コインの裏と表だ」

 

燃え盛る炎の中、高遠はそれだけ口にすると、最後に分かれの言葉を口にする。

 

「またお会いしましょう……惨劇の舞台で。それでは、イタチ君、ハジメ君――――」

 

 

 

Good Luck

 

 

 

高遠遙一が逃亡時に必ず残す、終末を告げる決め台詞。それが聞こえた途端、次なる異変が群衆や警官隊を襲う。燃え盛る炎が発生していたアスファルトの地面から、周囲を覆い尽くす程の、大量の黒い煙が発生したのだ。

 

「まさか!」

 

「この煙に乗じて逃げるつもりですか!」

 

「こ、のぉぉお!」

 

高遠が逃亡を図っていると分かっていながら、しかし手も足も出せないことに、明智や剣持をはじめとした警察関係者達は歯噛みする。できることといえば、煙の向こうから繰り出される高遠の襲撃に備えつつ、包囲を維持することだけだった。

やがて煙が晴れた向こう側には、先程まで地面から立ち上っていた火柱は消えており…………その中心部に立っていた高遠もまた、姿を消していた。

 

「畜生っ……!」

 

「やられましたね……」

 

高遠の逃走という事態は、予想の範疇である。問題は、どのようにして、どこへ逃走したかである。手段さえ分かれば、追跡して逮捕する望みもある。高遠と対決した経験のある一と明智、そして和人は、高遠の消えた現場全体に瞬時に視線を巡らせ……手掛かりを見つけるに至った。

 

「明智さん、あそこ!」

 

「マンホールの蓋が開いていますね……剣持警部!」

 

「高遠は下水道に逃げた!追うぞ!」

 

剣持の指示に従い、警官隊は次々動き出す。一もまた、高遠を逮捕するべく、明智と剣持に同行する。

 

「…………」

 

警官隊が忙しなく動き、包囲を突破し、下水道へと逃げ込んだ高遠の行方を追いかける。そんな中、和人はただ一人、高遠を追いかけることもせず、その場に立ち尽くしていた。しかし、呆然としていたわけではなく……その視線の先には、高遠が逃走に際して発生させた火柱と煙を背に逃げ出す群衆の姿があった。そして、高遠が姿を消したその場所には、先程まで和人の手に握られていたものが……

 

 

 

薔薇の花が結び付けられたナイフが、刀身を血で濡らした状態で、転がっていた――――

 

 

 

 

 

 

 

「ぐっ……流石ですね、イタチ君……!」

 

爆破火災に次いで発生した、火柱と黒煙によって混乱に陥った群衆が、四方八方へと逃げ出していた現場のすぐ近く。人気の無い路地裏の隅に、高遠の姿はあった。その額には、びっしりと玉のような汗が付いており、呼吸も荒い。明らかに追い詰められているその姿は、地獄の傀儡師として警察や名探偵を手玉に取ってきた彼には、本来有り得ないものだった。

 

「あの黒煙が立ち上る中で、私の動きを予測し……投擲したナイフを私に投げ返すとは」

 

路地裏の闇の中、必死に息を整える高遠の左肩には、刃物による刺し傷があった。この傷を作った凶器の正体は、高遠が操り人形を始末するために投擲した、薔薇の花が結び付けられたナイフである。高遠が受けた傷は、高遠の投擲を受け止めた少年――桐ヶ谷和人によるものだった。

 

「解毒剤を私が所持していたのは、幸いでしたね……あと少し遅ければ、私の命はありませんでした」

 

操り人形の始末を行うにあたり、高遠は殺傷能力を上乗せするため、凶器のナイフに毒薬を塗り込んでいた。そのため、イタチこと和人が放った投擲を受け、そのまま放置していたならば、確実に命は無かった。念のために現場へ持ち込んでいた解毒剤が幸いして一命を取り留めた高遠だったが……本当に危険だった。

 

「彼のことだ……このナイフに、毒が塗ってあることは、察していた筈。つまり彼は……私の命を奪うつもりで、これを投げた!」

 

それは、非常に恐ろしい推測だった。殺人犯相手とはいえ……和人は、高遠を躊躇い無く殺傷しようとしていたのだ。SAOという特殊な状況下ならばいざ知らず、現実世界で抵抗無く殺人に及ぶことのできる人間など、そうそういない。少なくとも、一介の高校生の精神では為し得ない。

 

「SAOでも、その片鱗を見せてもらいましたが……やはり君は、金田一君と同様、私と並び立つに値する人間だ」

 

非常に近しく……本質的には同じと言っても良い存在でありながら、決して向き合うことはできない。コインの表と裏と呼べる少年のことを思い出しながら、高遠は笑みを浮かべた。

 

「この私を倒したあなたならば、“彼”に勝つことも、十分可能でしょう…………」

 

彼がこれから戦うであろう、鋼鉄の城で轡を並べて殺戮の限りを尽くした盟友を思い浮かべる。次に和人が仮想世界を舞台に命を賭けた闘争に臨むとするならば、相手は恐らく彼であると、高遠は考えていた。

 

「次の舞台を、楽しみにしていますよ……Good Luck、イタチ君」

 

闇夜に包まれた路地裏にて高遠が不敵な笑みとともに漏らした言葉。それは、高遠の影とともに、夜より深い闇の中へと溶けて消えていくのだった――――

 



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第九十七話 ゆるぎないものひとつ

見渡す限り広がる、果てしない蒼穹。冬の冷たく清らかな空気が見せるこの景色は、この一年間の中で、最も澄んで見えていた。そんな青空を、詩乃は一人眺めていた。

 

「…………」

 

じっと見つめる先。視界全体を染める青一色を眺める詩乃の心中に思い浮かぶのは、同色の髪と目をした少女の姿。銃の世界たるGGOにおいて、氷の狙撃手として戦ってきた自身の分身――シノンである。次いで思い出されるのは、GGOでの戦いの日々。

強く生きたい……その一心で、銃を手に戦いの渦中へ飛び込み、多くのモンスターやプレイヤーを相手にしてきた。かつて、その姿に真の強さを感じた少年の面影を追いかけ、光剣を手にしたこともあった。しかし、それでも強くなれたとは思えず、戦いの中でレベルが上がるのみで、心が晴れることは無い日々が続いた。そして、その果てに、強大な対物狙撃銃たる『ウルティマラティオ・ヘカートⅡ』に出会った。

死の女神の名を冠する相棒との出会いに運命を感じたシノンは、これを最初で最後の相棒にしようと決めた。これを手に戦いに臨み続け、狙撃手として名が売れていった。そして、この銃を手に第三回BoBに出場を決めた矢先のことだった。

 

 

 

彼に、出会ったのは――――

 

 

 

「……!」

 

そこまで思い出したところで、詩乃は思考を現実へと戻した。この場所へ近付く、複数人の足音を聞き取ったからだ。上空へと向けていた視線を正面へと戻し、足音の聞こえた方向――校舎の北西端と、大型焼却炉の間の通路へと目を向ける。そこには、詩乃の友人“だった”、遠藤と二人の仲間たちが姿を現していた。三人は、詩乃の姿を見るや嗜虐的な笑みを浮かべた。

その反応を見た詩乃は、面倒だとばかりに溜息を吐くと、立ち上がって口を開いた。

 

「呼び出しておいて、待たせないで」

 

寒空の下で待たされた苛立ちを隠すことなく放たれたその言葉に、遠藤の取り巻き二人が舌打ちしながら前へ出る。

 

「朝田さぁー、最近マジちょっと調子のってない?」

 

「ほんとー、友達に向かってそれはちょっとひどくない?」

 

取り巻き二人の威圧するような視線に対し、しかし詩乃は臆することはなく、呆れの表情を浮かべていた。こんな嫌がらせにもならない嫌がらせに一々反応していては、限が無い。これ以上時間を無駄にするのも馬鹿馬鹿しいと考えた詩乃は、この三人のリーダー格である遠藤へと視線を向けた。対する遠藤は、口の端を釣り上げて捕食動物染みた笑みを浮かべると、予想通りの要求を口にした。

 

「別にいいよ、トモダチなんだから何言っても。それにお前、転校するらしいじゃん。どうせ、次の学校でもボッチなんだろうし……あたしらが友達続けてやるからさ。そんで、とりあえず……二万でいいや。貸して」

 

「あなたにお金を貸す気は、無いわ」

 

遠藤からの、恩着せがましい文句に次いでの、返す気ゼロの金銭の要求。それを詩乃は、即座に切って捨てた。そんな、非友好的かつ反抗的な詩乃の態度に対し、遠藤は対して丈夫でもない堪忍袋の緒が切れたのだろう。目を細めて詩乃を睨み付けると、声を荒げて怒鳴り散らす。

 

「……いつまでもチョーシくれてんじゃねえぞ。言っとくけどな、今日はマジで兄貴からアレ借りて来てんだからな。また吐かせるぞ、朝田!」

 

詩乃を脅迫しながら、通学鞄に手を突っ込む遠藤。ガサゴソと中を漁った後、大型のモデルガンを取り出した。しかし、実物は持って来てはいても、扱い慣れてはいないのだろう。覚束ない手つきのまま、詩乃へと構えた。

 

「これ、段ボールとか穴開けられんだぜ。絶対に人に向けんなって言われたけどさぁ、朝田は平気だよな。慣れてるもんな」

 

「…………」

 

詩乃のトラウマの象徴たる拳銃を手に、得意満面で邪悪な笑みを浮かべる遠藤達。詩乃の過去と、それ故に彼女が重度のPTSDを抱えていることを、遠藤達は知っている。故に、これを向けられたならば、このような反抗的な態度は取れない筈。遠藤達は、そう確信していた。

しかし、モデルガンを向けられた詩乃は、自身に向けられたモデルガンを前にして、微動だにしない。それどころか、モデルガンを持つ遠藤に対しては、まるで、つまらない物を見るような……憐れみにも似た感情が込められた視線を向けていた。そんな詩乃の態度に、さらに苛立ちを募らせた遠藤は、今度は引き金へと指を掛けて脅迫する。

 

「泣けよ朝田。土下座して謝れよ!ほんとに撃つぞテメエ!」

 

そう言い放つと、遠藤は詩乃の左足に銃口を向け、引き金を絞ろうとする。しかし……

 

「クソッ、何だよこれ!」

 

銃弾は、発せられなかった。引き金を絞ろうとするも、カチッカチッとプラスチックの小さなきしむ音が聞こえるのみである。

 

「ハァ……」

 

その、見ようによっては滑稽な遠藤の姿に、やれやれ、と言わんばかりに深い溜息を吐いた詩乃が取った行動。それは、自身に向けられる銃口へと歩み寄るというものだった。

 

「んなっ!?」

 

「借りるわよ」

 

弾が出ずに戸惑っていた遠藤に対し、静かに接近した詩乃は、有無を言わさずその手からモデルガンを奪い取った。グリップを握り、その銃身を眺めると感心したように、しかし平淡な口調で話しだした。

 

「1991ガバメントか。お兄さん、渋い趣味ね。私の好みじゃないけど」

 

短く、個人的なコメントとして、それだけ口にした詩乃は、次いで、銃身の左側面に手を回し、二か所の安全装置を外す。

 

「ガバメントは、サムセーフティの他にグリップセーフティもあるから、こことここを解除しないと撃てないわ」

 

続いて、親指でハンマーを起こす。硬い音と共にトリガーが僅かに持ち上がった。

 

「それに、シングルアクションだから最初は自分でコッキングしないとだめ」

 

モデルガンの扱いに必要な動作の講釈をした詩乃は、最後の仕上げとばかりに、両手でグリップを持ち、モデルガンを構えた。標的は、すぐそこにあったポリバケツの上に乗った、空き缶である。唖然とする遠藤をよそに、詩乃は六メートル程度離れた場所にある標的に照準を合わせ、引き金を引いた。そして、ばす、という銃声の半分にも満たない大きさの乾いた音とともに、オレンジ色の小さな弾が射出される。弾が命中した空き缶は、金属音とともにバケツの上を落ち、地面を転がった。

その様子を眺めていた詩乃は、やがて銃を下ろすと、今度は遠藤の方へと向き直った。対する遠藤は、先程までの威勢はどこへやら。モデルガンを持つ詩乃を見て、顔を引き攣らせて硬直していた。

 

「や、やめ……」

 

「……はい、返す。確かにこれ、人には向けない方がいいわね」

 

何でもない風にそう言いながら、詩乃はモデルガンのハンマーをデコックし、セーフティ二つを元に戻すと、遠藤の手にそれを戻した。取り上げられていたモデルガンをいきなり返された遠藤は、ビクリと恐怖に身体を震わせた。

モデルガンを遠藤へ返却すると、用は済んだとばかりに、詩乃はその場を後にする。残された遠藤はその場にへたり込み、取り巻き二人はその場に呆然と立ち尽くすばかりだった。そうして、三人が硬直から再起したのは、詩乃が立ち去ってから十数分後のこと。真冬の寒空の下、自分達の知らない詩乃の姿を目の当たりにした遠藤達は、心まで凍りつかせるような寒気を覚えていた。

 

 

 

 

 

遠藤との、恐らくはこれで最後であろう対話を終えた詩乃は、昇降口へ向かう途中、校舎の壁に手を付いていた。持病のPTSDによるものなのだろう。呼吸と心拍が乱れ、眩暈がする。今にも崩れそうな身体を支え、深く息を吸い込んで心を落ち着かせようとする。

 

「これが……最初の一歩なんだから……!」

 

あの事件を経て、ようやく過去と向き合えるようになったのだ。この場で倒れていては、今までと何ら変わらない。忌避してきた過去と己自身の姿をありのままに直視しなければ、前へは進めないのだから。

 

「最初の一歩にしては、無茶が過ぎるんじゃないか?」

 

「!」

 

前へ進むための覚悟を新たにしていた詩乃だったが、その背中へと唐突に声が掛けられる。その聞き覚えのある声を耳にした途端、持病による心拍の乱れは一発で治まり、過去のトラウマとは別の理由で動悸が発生する。ゆっくりと振り向くと、そこに居たのは、予想通りの人物だった。

 

「和人……学校の外で待っている筈のあんたが、何でここにいるのよ?」

 

詩乃の背後に立っていたのは、この学校のものではない制服の上に、黒いコートを羽織った少年。五年前からの知己であり、先日の事件で詩乃の命を救った恩人でもある、桐ヶ谷和人だった。

バイクで迎えに来てもらう約束をしていたが、集合場所は学校の外の駐輪場だった筈。一体、何故学校の中にいるのかと、詩乃の不機嫌を露わに問い掛ける。対する和人は、相変わらずの冷たい無表情のまま口を開いた。

 

「待ち合わせの時間になっても来なかったから、迎えに来ただけだ。そしたら、さっきの場面に遭遇してな」

 

「……見ていたのね」

 

詩乃の言葉に対し、和人は静かに頷いた。そんな、特に隠すつもりも無く、平然と首肯した和人の態度に対し、詩乃は若干顔を赤くした。遠藤達からのモデルガンの脅しを正面から受け、強気に出ていたものの、実際はこの体たらく。トラウマを完全に克服し切れていない、このように弱々しい姿は、絶対に見られたくはなかった。相手が和人ならば、尚更である。

 

「見ていたのは、お前がモデルガンを撃つところからだ。もっと早く来れば、助けに入ることもできたんだがな……」

 

「余計なことはしないで。これは、私の問題なんだから」

 

気丈に振る舞い、助太刀など必要無かったと言い張る詩乃。そんな、強がってみせる詩乃の姿に、和人は溜息を一つ吐いた。

 

「昔からそうだが、お前は何事も急ぎ過ぎる。俺でなくてもいい。もっと周りを頼って、ゆっくり進もうとは、思わないのか?」

 

「……私の問題なんだから、どんなペースで解決していくかも、私が決めるわ。それに……いつまでも、弱いままではいられないもの」

 

「どれだけ力を付けたとしても、何もかもを守れるとは限らんぞ。本当に大切なのは……」

 

「『己を許せること』、でしょう。そして、『一人でできないことがあるからこそ、それを補ってくれる仲間がいる』、だったわね。それが、あなたが前世の『うちはイタチ』として見出した答えなんでしょう?」

 

「ああ……その通りだ」

 

和人が口にしようとした言葉の本質。それを紡いだのは、詩乃だった。対する和人は、自身が伝えておきたいと思っていたことを、詩乃が明確に覚えていてくれたことに安心した様子で首肯した。

 

 

 

数日前に発生した事件が解決して一夜明け、状況が落ち着いた頃。事件に巻き込まれていた詩乃も精神的に安定したところで、和人は詩乃と二人で話をする場を設け、あることを語った。和人自身の過去……即ち、うちはイタチとしての前世である。

和人はこの世界に転生してからこれまで、うちはイタチとして生きた忍時代の前世について、他者に口外することを極力避けてきた。そんな和人が、自身の秘めたる過去を詩乃に対して告白しようと思った理由は、詩乃に異常なまでの強さへの執着を植え付け、危険な行動に走らせたことに負い目を感じていたことにある。

後に『死銃事件』と呼ばれた今回の事件。これに詩乃が巻き込まれたことに関して、和人に非は無い。加えて、被害者である詩乃本人も和人に対して恨み等は抱いてはいない。しかし、詩乃が過去のトラウマを乗り越えるために強さを只管に求め、GGOを始めたのは、五年前に苛められていたところを助けた、和人との出会いがきっかけである。つまり、和人が良かれと思って差し伸べた助けが、今回の事件で詩乃が巻き込まれる遠因となったとも言える。

故に和人は、詩乃に自信の前世を話すことにした。SAOをはじめとした数々の仮想世界の中で発揮された高い戦闘能力が、前世の経験によって裏打ちされたものであることは勿論、どれだけの強さを持っていても、本当に守りたいものは自分の手で守り切れず……己一人の力には限界が存在することを痛感した、それらの経験全てを語った。これ以上、詩乃が強さを追い求め、間違った方向へと走らないようにすることは勿論のこと。強ささえあれば、自分一人で何でもできると考える、かつての自分と同じ過ちを犯さないようにするために。

 

 

 

「けど、前世の忍者の記憶そのまま引き継いでいるなんてね。道理で強い上に、妙に達観していたと思っていたわよ。まあ、最初に聞いた時には唖然としたけど……今なら全部、納得できるわ」

 

「直葉にも似たようなことを言われた。あいつや周りにいた他の人間から見て、俺は色々と規格外で異質な存在だったそうだ。忍の前世があったと告白したが、簡単に信じてくれた。むしろ、今までが今までだったから、納得できたそうだ」

 

義妹に前世のことを告白した際のコメントを思い出した和人は、額に手を当てて頭が痛いとばかりの表情を浮かべていた。直葉が納得していても、和人本人が納得できない納得のされ方だったのだろうことが窺い知れた。そんな、少しばかりショックを受けた様子の和人を見て、詩乃は思わず苦笑した。恐らく、和人の前世を簡単に信じたと言う義妹も、今の自分と同じ気持ちだったのだろう。普段は冷徹そのものでまるで動じない和人を少しだが凹ませたことに、詩乃は満足感を得ていた。

 

「でしょうね。ま、あなたもそっちの世界では色々あったみたいだし……無理も無かったのかもね。ともあれ、経験豊富な年長者の助言は、素直に受け入れることにするわ」

 

「そうしてくれ。それじゃあそろそろ、行くか」

 

「ええ。目的地までは、よろしく」

 

和人に促され、校門へ向かう二人。和人が前を歩き、詩乃がその背中に付いて行く。本来ならば、校舎に詳しい詩乃が先導して和人を案内するべきなのだろうが、和人はここに来るまでの道筋を既に覚えており、その必要も無い。そして、詩乃もまた、和人の背中を見ていたいと思っていたのだ。

こことは別の世界で、多くの体験をした記憶をそのまま引き継ぎ、数々の戦いに身を投じ続けてきた、強く大きな背中を……

 

「…………」

 

「詩乃……?」

 

ふと、左手に覚えた温かな感触に、横目で後ろを振り返る和人。そこには、和人のすぐ傍を歩きながら、和人へと右手を伸ばし、その手を握る詩乃の姿があった。

 

「詩乃?」

 

「場所を知っているのはあなただけなんだから……案内を、お願いするわ」

 

顔を赤くして目を逸らしながら、詩乃はそれだけ口にした。緊張していた所為か、詩乃は自身の声色と、和人の左手を握る右手が微かに震えていたことを自覚していた。

異性の手を握るという行為自体初めてだが、それだけが緊張の原因ではない。詩乃の右手には、五年前の銀行強盗事件の際にできた、小さな黒子がある。拳銃の引き金を引いたことによって、火薬の微粒子が肌に侵入してできたこれは、詩乃の犯した罪の証として、今もそこに在り続けている。

そして、詩乃の過去を知る和人もまた、この黒子の存在を知っている。故に、人殺しの証が刻まれたこの右手が、拒絶されるのではないかと感じたのだ。無論、相手が和人であれば、そんなことは考えられない。それでも、今までが今までだったために、詩乃の中で不安は拭えなかったのだった。だが、当の和人はといえば……

 

「分かった」

 

ただ一言、それだけ口にすると、詩乃の手を引いて歩き始めた。詩乃の右手に刻まれた黒子のことなど、まるで気にせず、繋いだ手もそのままである。

 

「……ありがとう、和人」

 

詩乃の全てを知った上で、受け入れてくれた和人の優しさが嬉しくて、感謝の言葉が思わず零れた。寒空の下で吹く風の音により、霞んで消えてしまいそうな声で呟いた言葉は、しかし和人には届いていたらしい。詩乃が握った右手は、ぎゅっと優しく温かく、握り返された。

その後、和人と詩乃は二人揃って手を繋いだまま校門へと向かうのだった。しかし、いざ校門を通って外へと出ようとした時だった。二人の姿を、詩乃とそこそこ仲の良いクラスメート達に発見されたのだ。

 

「おい、詩乃……」

 

「……案内、してくれるんでしょう?」

 

奇異と興味の視線を肌で感じ取った和人は、すぐに手を解こうとしたのだが、詩乃は決して放そうとはせず……むしろ、より密着する形で寄り添う形を取ったのだ。

結果、二人は傍から見て恋人としか見えないような状態で校門を通ることとなり……その様子を終始見ていた生徒たちから生温かい視線を向けられることとなるのだった。

 

「こんな真似したら、誤解されるぞ……」

 

「私は構わないわよ。どうせすぐに転校するんだし」

 

手を解くどころか、がっちりホールドして放さない詩乃に対し、和人は頭痛を覚えた。一体、どうしたものかと内心で戸惑いを感じながら対策を考える和人だったが、詩乃はその内心を悟った様子で、悪戯な笑みを浮かべて口を開いた。

 

「私より、和人の方が焦っているのは、どういうわけかしら?もしかして、この場面を見られて困る人とかいたりするのかしら?」

 

「…………」

 

詩乃の言葉に対し、下手な反論も口にできない状況に置かれ、沈黙を貫く和人。そんな和人の態度を見て、詩乃は常の無表情に浮かべた笑みをより深めた。表面上は冷静ながらも、内心では多いに困惑しているであろう和人の様子を見て、自身の悪戯が成功したことに満足感を得ている様子だった。一方、疑う余地も無く確信犯な詩乃の行動に、和人は無表情を装いながらも尚頭を痛めるのだった。

 

 

 

 

 

「着いたぞ。ここだ」

 

「ここって、かなり高いお店なんじゃ……」

 

和人にバイクに乗せられて案内された場所は、銀座四丁目に建つ、見るからに高級そうな喫茶店だった。扉を潜ると、白シャツに黒蝶ネクタイのウェイターに出迎えられ、深々と頭を下げられた。店内の客もまた、高級感溢れる店のイメージ通り、ブランド品で着飾った買い物帰りのマダムばかり。普段暮らしている世界とはかけ離れた空気に満ちた空間に立ち、詩乃はどう振る舞えば良いのか、内心で困惑していた。

一方、隣に立つ和人は、この空間の中にあっても、常と変わらずに緊張や動揺が全く感じられない。ここは、彼に先導してもらおう。そう思い、袖を引っ張って目線で助けを求めようとした、その時だった。

 

「おーいイタチ君、こっちこっち!」

 

「……待ち合わせの相手です。案内をお願いします」

 

場の空気をまるで読まない、店の奥から響いた大声での呼び出し。それに対し、和人は目に見えて呆れた様子で口を開いた。詩乃もまた、若干唖然としてしまっていた。

 

「行くぞ、詩乃」

 

「え、ええ……」

 

動揺を隠せない詩乃を伴い、店の奥へと進んでいく和人。和人と詩乃の学生服姿は、店内の雰囲気にはそぐわず、来店した客達の注目を集めていた。和人は特に気にすることはなかったが、詩乃は若干居心地が悪そうに店内を歩く。そして、待ち合わせ相手である、ダークブルーのスーツに身を包み、黒縁眼鏡をかけた長身男性――菊岡誠二郎の向かいの席へと座った。

 

「さ、何でも頼んでください」

 

「それでは、お言葉に甘えて……」

 

菊岡に促された和人は、言葉通りまるで遠慮した様子が無く、メニューを開いてケーキ類を次々注文していく。甘いものには目が無いのは相変わらずだな、などと思いながら、詩乃もまたメニューを開いて注文しようとした。しかし、メニューに記載された数値が四桁のものが過半数を占めていることを認識すると、詩乃が日常的に利用している喫茶店との次元の違いに凍り付いた。果たして、これを自分が注文して良いのだろうか、と。

そんな詩乃の内心を察したのか、注文を終えた和人が背中を押すように話し掛けた。

 

「遠慮することはない。国家公務員の懐は、金が有り余っているわけだからな」

 

和人の無遠慮で容赦の無い後押しに、菊岡は顔を引き攣らせるばかりだった。本当に大丈夫なのかと疑問を感じた詩乃だったが、ここは和人の言葉に乗ることにした。流石に和人ほど好き勝手に注文することは敵わなかったが、美味しそうと感じた、そこそこ高いケーキと紅茶を注文した。

 

「さて、そろそろ話を始めようと思うのだけれど、その前に……」

 

そして、一同の注文が一通り終わったところで、菊岡は佇まいを直すとともに、詩乃の方へと向き直った。その表情は、常の飄々とした態度とは違う、大人の真剣さが感じられた。

 

「朝田詩乃さん。この度は、こちらの不手際で朝田さんを危険に晒してしまい、本当に申し訳ありませんでした。」

 

「い……いえ、そんな」

 

「全くですね」

 

深々と頭を下げて謝意を示す菊岡に対し、詩乃は慌てた様子でどう言葉を掛ければ良いかと逡巡する。だが、詩乃が言葉を紡ぐより先に、和人が容赦なく菊岡の謝罪を切って捨てた。

 

「そもそも今回の事件は、現実と仮想世界での事象を混合した推測に凝り固まった思考に囚われなければ、未然に防ぐことは可能だった。ALO事件の時といい……間が抜け過ぎているとは思いませんか?」

 

以前発生した事件を引き合いに出し、菊岡をはじめとした総務省仮想課の対応を痛烈に皮肉る和人。急所を抉るような容赦の無い批判に対し、菊岡は苦々しい表情を浮かべながら顔を上げた。

 

「そうは言うけどね、和人君。君だって今回の事件には、僕が依頼するより前から関わっていたんだろう?それこそ、彼女に危険が迫るよりも前に、事件を未然に防ぐことは十分可能だったんじゃないかい?」

 

「責任転嫁で言い逃れですか。まあ、詩乃を危険な目に遭わせたという点では、俺も同罪でしょうが……それにしても、仮想世界を管理する役割を担う国の組織が、少し見方を変えればすぐに行き着くトリックに考え至らないというのは、どうかと思いますよ」

 

「ぐぅっ……言ってくれるね、イタチ君。けど、最初からトリックを見抜いていたのなら、正直に僕に教えてくれてもよかったじゃないか。そうすれば、君の依頼人と協力して、もっと事件を円滑に解決することだってできただろうに」

 

「あの時も言った筈ですが、俺には依頼の内容を外部に漏らさないという、守秘義務があったんですよ。依頼人の方も、捜査に関わる人材は予め決めた以上の人員を導入するつもりはありませんでしたから、協力することは無かったことは明白です。それに、如何に国家公務員といえども、殺人のトリックが憶測の域を出ない状況では、GGOプレイヤーの個人情報を収集することはできなかったでしょう?」

 

「ぐぬぬ…………!」

 

菊岡の反論に対して、和人は全くと言って良い程悪びれる様子が無い。否定できない、痛い点ばかりを突かれ、有無を言わさず和人によって一方的に無能の烙印を捺される菊岡。だが、事実と理解しているためか、遠まわしに自分のことを役立たずと言われているにも関わらず、低く呻き声を出すばかりだった。

今回の高遠が用いたトリックは、仮想世界のアバターと現実世界の生身の肉体を同時攻撃して、両世界で同時に死を齎す『死銃』を演じるというもの。このトリックを実行するためには、標的の住所情報が必要不可欠となる。そこで高遠は、ゲーム内でメタマテリアル光歪曲迷彩機能を持つマントと双眼鏡を利用した、個人情報の盗み見トリックを教唆した。BoBに限らず、個人情報を端末に打ち込んで参加するイベントはGGOにおいては多数存在するため、計画決行日までに標的全ての住所情報を獲得するに至ったらしい。

そして、これに対する竜崎ことLが投じた策は、死銃達の先手を打ち、ターゲットの自宅へ不法侵入した水際で介入し、犯人を確保するという手段だった。ただし、この手段で犯人全員を燻り出すには、ゲーム世界の死銃には殺人計画が滞り無く進んでいると、最後まで誤認させる必要があった。そのためにLは、腹心であるFことファルコンに対し、GGO日本サーバーへのハッキングを命じたのだった。高遠が操る大会中に発生した死銃の銃撃と共に起こった回線切断も、ファルコンがハッキングによって再現したものだった。

だが、如何に人命を守るためとはいえど、手段は犯罪そのものであり、とても褒められたものではない。和人もまた、これを容認していた立場にある以上、本来ならば、菊岡を一方的に責め立てる資格など無いのだ。それでも尚、菊岡に対して負い目を感じた様子を一切見せずに、淡々と痛烈な返しを繰り出すのは、一重に弱みに付け入る隙を与えたくないという、拒絶の意志があるからだった。

 

「まあ、こんな話を蒸し返しても何もなりませんね。それより、今日この場に集まった本題……『死銃事件』の処理についてお聞かせ願えますか?」

 

「……話を逸らしたね。まあ、良いよ別に。けどまさか、死銃の殺人が複数犯によるものだなんて、思いもしなかったけどね……君の言う通り、単純過ぎるトリックなのに……盲点だったとしか言い様が無いよ」

 

「まあ、それこそが高遠の狙いだったんでしょうからね。あなたはおろか、明日奈さん達にも通用しなかった点からしても、SAO事件関係者相手には、非常に効果的なトリックだったのは明らかですね」

 

大部分の人間がトリックの看破に至らなかった最大の理由は、捜査関係者の大部分がSAO事件関係者だったことにあると、和人は考えている。SAO事件の衝撃の大きさゆえに、今回の事件においても皆が皆、同様の方法で人を死に至らしめている可能性を考えていた。即ち、高度な電子的な仕掛けを疑っていたのだ。

加えて、重度のVRゲーマーが、連日のフルダイブによる脱水症状で衰弱死する事件が多発する社会事情が背景にあったことも大きい。司法解剖がされないのでは、事件性を疑うことはできても、確証までは得られない。

これまで、数々の難事件をプロデュースしてきた地獄の傀儡師が考案した計画にしては、シンプル過ぎるトリックと計画だった。しかし、関係者の心理の裏を突くという意味では、これ以上無い程に効果を発揮していたのだ。思考の硬直を利用し、水面下で犯行を行う手法は、マジシャンらしいとも言えただろう。

 

「まあ、トリックの話はこれくらいにして……その容疑者達についても一応確認したいんだけど、いいかな?」

 

恐る恐る、慎重に確認を取る菊岡が視線を向けているのは、和人ではなく、隣に座る詩乃の方だった。しかし、容疑者の話について触れると聞いた時、詩乃は僅かに表情を強張らせたのみで、比較的落ち着いた様子だった。

 

「大丈夫です。それに、私も知りたいんです。新川君が、あの後どうなったのかを」

 

「……分かった。それじゃあ、まずはその彼――新川恭二君のことから話していこう」

 

今回の死銃事件において、現実世界側の死銃として、詩乃の殺害を担当していた犯人の一人、新川恭二。彼が今回の殺人事件に及んだきっかけを作ったのは、プロデューサーである高遠遙一ではなく、兄である新川昌一の存在だった。

新川昌一――――またの名を、『赤眼のザザ』。かつてSAOにおいて、殺人ギルド『笑う棺桶』の幹部として名を馳せた幹部の一人である。イタチとは、殺人ギルド結成以前からの因縁であり、幾度となく死闘に臨んだ宿敵である。

昌一は、そんなSAO時代にザザとして自身が繰り広げた殺戮劇を、弟である恭二にのみ語ったという。対する恭二は、常人ならば嫌悪と恐怖を抱く筈が、逆に憧憬を抱き、その所業を英雄視したという。その背景には、両親からの過度な期待や、それに反して低下する成績、上級生からの恐喝等、数々の重圧があった。そんな過度に抑圧された環境下に置かれた恭二にとって、昌一の話は解放感と爽快感を齎すものだったらしい。

 

「そこへ現れたのが、新川昌一を使って新たな事件を画策していた、高遠というわけですね」

 

「地獄の傀儡師と呼ばれる高遠にとって、彼のように心に闇を持った青少年は、まさに格好の傀儡だったんだろうね。この計画に誘われた時、彼は喜々として引き受けて、父親の経営する病院から劇薬と合法マスター電子錠を盗み出したと言っていた」

 

「言っていた?」

 

「これらは全て、兄である新川昌一と、彼等の父親の証言に基づく話なんだ。逮捕された容疑者達は、ほぼ全員が自身の罪を認めて聴取に応じているけれど、彼だけは未だに黙秘を続けていてね」

 

計画全てが潰えた今、黙秘を続ける理由があるとすれば、現実を受け入れることを拒絶しているか、受け入れきれずに錯乱状態にあるかの二つだろう。菊岡の話を聞く限りでは、後者である可能性が高い。

 

「まあ、仕方ないでしょう。彼は今回の計画に全てを捧げ、自身の復讐と成し遂げ、死銃を伝説化しようとしていたのですから。計画の失敗は彼にとって、世界の終わりにも等しかったことでしょう」

 

「と、言うと?」

 

「新川恭二が今回の事件に及んだ理由には、現実世界の重圧に加え、GGOにおけるキャラクターの育成に行き詰まったことがあったそうです。現実逃避のためのゲームが、逆にフラストレーションを加速させ、死銃事件に彼を駆り立てた一面もあったんですよ」

 

「ちょっと待ってくれ。ゲームは通常、ストレス解消のためにやっているものだろう?それが、逆にストレスになったというのかい?」

 

和人の説明を聞いた菊岡は、理解できないとばかりに戸惑った様子で問いを口にしていた。対する和人は、相変わらず冷静な様子で説明を続けた。

 

「ゼクシードを殺害した時の発言からも、それは明らかです。彼にとっては、キャラクター育成の失敗の原因となったAGI型万能説を唱えたゼクシードをはじめ、STR特化型ビルドのプレイヤー全てが悪であり、抹殺対象だったわけです」

 

「何と言うか……それはもう、現実とゲームの区別が付いていないということなのかな?」

 

「ゲーム世界においては、ステータスの振り方に関する揉め事は日常茶飯事であり……それは、SAOにおいても同様でした。ただし、彼のように現実とゲームの区別が付かなくなるケースに発展することは、早々無い筈です。今回は、高遠がそこに付け入ったことも大きかったのでしょう」

 

和人の説明に対し、絶句したように硬直する菊岡だが、その反応も当然と言えば当然だろう。仮想世界に関する……主にVRゲーム関連のトラブルを解決する仕事に従事しているとはいえ、ここまで深刻な問題に発展するケースは、菊岡にとって初めてだった筈。ゲーマーの闇に萎縮してしまうのも、無理は無かった。

 

「あの……新川君……いえ、恭二君は今、どんな状態なんでしょうか?」

 

そんな中、詩乃は逮捕された恭二のその後について尋ねることにした。殺されかけたとはいえ、かつては友人同士だった少年である。最後に会った逮捕現場においては、これ以上無い程に錯乱していただけに、その後の状態が気になっていた。また、自分がその精神の危うさに気付いていれば、止められたかもしれないという、後悔も少なからず感じていた。そのため、出来ることならば、彼の現在の精神状態について知りたいと思っていた。

 

「僕が聞いた話によれば、聴取の時やそうでない時を問わず、質問にはほとんど応じず、一日中脱け殻のように宙を見つめて呆然としているらしい。食事はきちんと取っているから、死ぬことは無いだろうけど……彼の心は未だに不安定みたいだね」

 

「そう、ですか……」

 

菊岡から恭二の話を聞いた詩乃は、落ち込んだように声を発した。黙秘を続けているということから、ある程度は予想していたが、彼が現実に戻ってくるのは、まだ遠い先の話になりそうだった。

 

「まあ、君も関係者だったとはいえ、深く気に病む必要は無い筈だよ。まあ、彼が君のところに行く前に、ゲームの中で“あんなこと”があったとはいえ、ね」

 

「!」

 

菊岡が悪戯な笑みを浮かべ、揶揄するように放った言葉に、詩乃の顔が見る間に赤く染まった。確かにあの日、詩乃に好意を寄せていた恭二の暴走を誘発するような行為を、詩乃はゲームの中でしていた。そして、事件の詳細を知る菊岡ならば、それを知っているのも当然である。

顔を赤くして、羞恥に身を縮こまらせる詩乃の姿に、菊岡は愉快そうな笑みを浮かべていた。良い大人が、女子高生をからかっているその様子は、知らない人間が見れば、誤解を招きかねないものである。だが、菊岡本人は気にした様子は無く、詩乃は気付く余裕すら無い。

 

「真面目な話をしているのですがね、菊岡さん」

 

そんな空気を破ったのは、詩乃の隣に座る和人だった。その顔には、呆れの色が浮かんでいる。

 

「ふふ、しかし君も、隅に置けないねえ。仲の良い女の子なら、他にもたくさん……」

 

「菊岡さん」

 

「……いや、スマナイ。ふざけ過ぎた」

 

菊岡に向ける和人の視線に、呆れの色に加えて殺気が宿り始めた。流石の菊岡も、和人の苛立ちに危険なものを感じたのか、先程までのふざけた態度を改めることにした。

 

「話を戻しましょう。新川兄弟の事情については分かりました。他の容疑者達……それから、被害者達については、どの程度分かっていますか?」

 

「ああ、そうだったね。新川兄弟以外の容疑者についても、一応の事情聴取は済ませて、動機については確認済みだよ。新川昌一以外で本選参加組に属していたのは、三人みたいだね」

 

「ヒトクイ、スコーピオン、呪武者ですね」

 

和人が口にしたプレイヤーネームに頷いた菊岡は、次いでリストアップされた容疑者達の、各々の詳細について説明していく。

 

ヒトクイ――本名『風戸京介』。SAO時代のプレイヤーネームは、『スケアクロウ』。現実世界では敏腕の若手外科医だったが、SAO事件に囚われ、出世コースを外れたことに絶望。レッドプレイヤーに身を落としたという。模倣技術に優れ、無実のプレイヤーに殺人容疑を着せる事件に加担してきた策略家であり、『コピー剣士のスケアクロウ』と呼ばれ、恐れられていた。

スコーピオン――本名『浦思青蘭』。SAO時代のプレイヤーネームは、『プース・チンラン』。ロマノフ王朝研究科の中国人であり、怪僧ラスプーチンの崇拝者でもあった。SAOにおいては、ラスプーチンの子孫を名乗り、その怨念を体現するために、暗殺された遺体に準え、右眼を狙う攻撃により『右眼穿ちの蠍』の二つ名で恐れられた女暗殺者である。

呪武者――本名『西条大河』。SAO時代のプレイヤーネームは、『ベンケイ』。京都の古流剣術『義経流』の継承者であり、SAOには開発スタッフとして、制作に関わっていた。しかし、義経流のユニークスキル採用を却下され、それを逆恨みした末に、レッドプレイヤーとなったSAO屈指の剣豪である。

 

「第三回BoBに参加していたプレイヤーの正体については、大会中に交戦した時点で分かっていました」

 

「そうかい……それじゃあ次は、標的の自宅に侵入して、生身の体に劇薬を注入していた方の、恭二君以外の実行犯について話そうか」

 

「そちらについては、死銃事件解決後にLから詳細を聞いています。しかし、確認のためにお願いします」

 

世界的名探偵であるLから情報を得ているなら、説明の必要など無いだろう、と内心で呟く菊岡だったが、詳細を知らない詩乃にも説明が必要なため、そのまま説明を始めた。

 

「SAO時代に笑う棺桶に所属していたという人物は二人だね。金本敦、十九歳。蔵出守(くらいでまもる)、二十七歳。プレイヤーネームは、金本がジョニー・ブラック、蔵出がクラディールだね。聞き覚えは?」

 

「ジョニー・ブラックは高遠ことスカーレット・ローゼスの先代幹部ですね。クラディールについては、奴がSAOで手掛けた最後の事件で傀儡として利用された男です」

 

「成程……容疑者はほとんど、笑う棺桶所属のプレイヤーで、しかも高遠が以前犯行を教唆した人間で構成されていたみたいだね。今回の事件で、彼等をGGO内での狙撃を担当する死銃に任命したのも、高遠だって皆口を揃えて言っていたよ」

 

「高遠のことです。現実世界への帰還後に事件を起こすにあたり、SAO事件の時点でこの六名に目を付けていたとも考えられます。それで、新川恭二以外で、今回の事件に加担した死銃については?」

 

「そっちの話については、標的となった被害者の話を交えて説明していこう」

 

そう言うと、菊岡はタブレット端末を再度操作し、和人が口にした今回の事件で高遠の新たな傀儡となった容疑者達の詳細についての説明を開始した。

 

「今回、本選出場者を殺害するにあたり、高遠が新たな死銃として呼び出したのは、氏家貴之、安岡真奈美、毒島陸の三人だ。彼等は現実世界側の殺人役であると同時に、自身の名義で取得したアカウントをゲーム内の実行犯達に譲渡していたらしい。容疑者三人は、標的となった特定の被害者に対して、殺人に及ぶに十分な程の強い恨みがあったらしい」

 

「高遠も、自身のアプローチとは無関係に事件を起こす可能性の高い危険人物達であると言っていましたしね」

 

容疑者三人の名前を教えてくれた菊岡だったが、それ以上は語らなかった。恐らく、この三人の動機については、新たに捜査対象となった事件の情報であり、当事者である和人と詩乃にはこれ以上話すわけにはいかないという事情があったのだろうと、和人は悟っていた。

 

(とはいっても、俺は既に竜崎から聞いているのだがな)

 

今回の事件に加担した非SAO生還者の容疑者達の動機について、既に和人は竜崎から詳細を聞いていた。

氏家貴之、四十八歳。西条大河に呪武者のアカウントを提供。自身の実子を苛めで死に追いやった、スパロウ――本名、鯨木大介へ復讐するために死銃事件に加担した。

安岡真奈美、三十一歳。浦思青蘭にスコーピオンのアカウントを提供。結婚を迫るために、以前モデルだった自分を陥れる陰謀を画策した夫である、クラウン=ドール――本名、安岡保之へ報復するために、死銃事件に及んだ。

毒島陸、二十歳。風戸京介にスケアクロウのアカウントを提供。三年前に発生した、女子高生を拉致監禁の末に死に至らしめた事件の濡れ衣を着せられた復讐のために、この事件の主犯である、アント=ライオン――本名、多間木匠を殺害すべく、高遠の誘いに乗った。

いずれも、殺人に及ぶに十分な動機を有しており、高遠が人形としての価値を見出したことにも得心がいく人物達だった。ちなみに、今挙げた被害者達が過去に起こした事件については、竜崎がもののついでと称して既に調べ終えている。いずれ彼等も、相当の罪に罰せられることが予想される。

 

「しかし、まさか三人もの共犯者を新たに揃えていたことには、驚きだったよ。彼等の供述によれば、今回の準備期間は一年にも満たなかったらしい」

 

「復讐心を秘めた人間を探すのは、高遠の専売特許と言っても過言ではありません。それは、SAOにおいても明らかでした」

 

高遠の舞台計画は、復讐心を持つ人間を探すことから始まる。だが、今回の死銃事件は順序が逆であり、標的を決定してから、恨みを持つ人間を探し出したのだ。殺人に及ぶ程に殺意を滾らせた人間など、そういるものではない。にも関わらず、高遠は必要な人数を簡単に見つけ出し、まとめ上げたのだ。その手腕は、脅威の一言に尽きる。

 

「高遠はこうして揃えた容疑者達を使い、ゼクシードと薄塩たらこの殺害を序章と称し、次に第三回BoBを舞台とした、本格的な大量殺人を計画していたらしい。標的となったプレイヤーは、合計六人。プレイヤーネームは、モンスター、スパロウ、クラウン=ドール、ジェイソン、アント=ライオン……そして、シノン。朝田さん、君だ」

 

「…………」

 

殺害される予定だった人間の一人として名前を呼ばれ、詩乃は息を呑んだ。生まれてこの方、命を狙われたことなど無かった詩乃にとって、今回の事件は色々な意味で衝撃的だったのだから、当然の反応だろう。

しかし、若干緊張した様子になりながらも、それほど取り乱した様子は無く、詩乃は比較的落ち着いた様子だった。それを確認した菊岡は、話を続けていく。

 

「ともあれ、本選で標的にされたプレイヤー達は、部屋へ侵入して劇薬を注入しようとする水際で、現場待機していた警察が取り押さえてくれたお陰で、全員無事だったよ」

 

「竜崎の計画に抜かりはありませんよ。惜しむべきは、高遠を逃したことくらいでしょうかね……」

 

「まあ、それは仕方ないさ。それにしても、高遠遙一が教唆していた死銃が、まさか九人もいたのは、驚きだよ。」

 

「俺としては、一年という時間が経った今、六人ものSAO帰還者が高遠の共犯に名を連ねていたことの方が驚きですよ。一体、仮想課は何をしていたんでしょうね?」

 

「はは、は…………」

 

和人の容赦ない皮肉に対し、当の総務省仮想課所属の国家公務員である菊岡は、顔を引き攣らせて笑うしかできなかった。しかし、和人はそんな菊岡に対し、容赦なくさらなる追い打ちをかける。

 

「さて、事件のことについては十分確認が取れましたし、そろそろ契約に関する話でもしましょうか」

 

「え、えーと……何のことだっけ?」

 

「報酬のことですよ」

 

誤魔化して言い逃れしようとした菊岡だったが、和人に対してそれは全く意味を為さない。和人はそんな菊岡に対して冷やかな視線を向けつつ、懐から折り畳まれた一枚の紙を取り出し、広げてテーブルの上に置いた。

 

「この事件の捜査を引き受けるに当たって作成した契約書です。お忘れになったわけではありませんよね?」

 

和人が菊岡の前に出した契約書には、事件捜査に関する約束と、報酬に関する詳細が明記されていた。文末には、菊岡の直筆サインと母印も付けられている。

それを見せられた菊岡は、冷や汗をだらだらとかき始め、その表情はみるみる青く染まっていった。

 

「今回の事件捜査の報酬ですが、何らかのロジックによる殺人事件だった場合には、容疑者一人につき三百万円を支払う契約となっています。主犯の高遠には逃げられてしまいましたが、実行役の九人は全員確保できました。よって、二千七百万円の支払いを請求させていただきます」

 

「にっ、二千七百って……!」

 

和人の要求したとんでもない金額に対し、隣に座っていた詩乃は驚愕に目を剥く。一方、とんでもない額の報酬を請求している和人の方は、驚くほど冷静かつ平淡であり……まるでそれが、当然とばかりの態度だった。一切の誤魔化しは利かないであろう、そんな状況下に置かれた菊岡は、鞄の中から封筒を取り出し、おずおずと和人の前に差し出した。

 

「……済まない、桐ヶ谷君。悪いんだが、これで勘弁して貰えないだろうか?」

 

僕と君の仲じゃないか、などと付けくわえながら差し出してきた封筒には、それなりの厚みがあった。笑って誤魔化そうとする菊岡を余所に、和人は差し出された封筒をその手に取る。一万円札数十枚を眉一つ動かさないその様子に、詩乃は何とも言えない表情を浮かべていた。やがて、万札を数え終えた和人は、菊岡へと顔を向けて口を開いた。

 

「三十万円、ですか。契約に基づく報酬額より、かなり少ないですね」

 

「いや、流石に二千七百万円なんて金額は、僕でも用意できなくて……」

 

「随分と大幅な減額ですね。殺人事件の解決に駆り出されて、命懸けで解決に導いたにも関わらず、契約を反故にするとは……あんまりな仕打ちじゃありませんか?」

 

「……で、でも、君だって、死銃が本物の殺人犯だっていうことを知っていながら、黙っていたじゃないか!」

 

「あなたから依頼を受けた時には、既にLからの依頼を受けていたんですよ。守秘義務があった以上、話せなかったのは当然です」

 

「それを言うなら、君は自分の意思でこの事件に関わったんじゃないか。僕に無理強いされたみたいに言うのはどうかと思うけど?」

 

「Lからの依頼が無かろうと、あなたは俺に調査依頼を強要したんじゃないですか?どの道、俺に拒否権があったとは思えませんね」

 

菊岡の契約不履行に対し、冷たい視線と共に皮肉の応酬を連発する和人。客観的に見れば、契約に従って払うべき報酬を、端金とも言える金額で済ませようとしている菊岡こそが責められるべきである。

しかし、和人は菊岡に依頼を受けた時点で、事件の全容……即ち、殺人事件であることに加え、犯人が複数いることが分かっていたのだ。多額の報酬が出る依頼条件を課した裏には、菊岡から搾取しようとする悪意があったことは明らかである。如何に契約違反とはいえ、菊岡を一方的に責められる道理は無いのだ。

菊岡が理不尽を感じるのも、ある意味では当然のことだった。和人もまた、菊岡の心中を理解してはいるものの、妥協して済ませるつもりは毛頭無い様子だった。

 

「そもそも、殺人事件の可能性があったのなら、最初の打ち合わせの時にトリックの推測だけでも話してくれれば良かったじゃないか。どうして黙っていたんだい?」

 

「あの時あなたは、『ゲーム内の銃撃によって、プレイヤー本人の心臓を止めることができるか』とだけしか聞いてきませんでした。俺は明確な回答を出したのですから、それ以上を語る必要は無かったと思いますが」

 

「それは屁理屈じゃないか!」

 

譲歩をするつもりが全く無く、正論とはいえ屁理屈に近い言い分を平然と口にする和人に、菊岡がつい声を荒げる。周囲の客達が何事かと視線を向けてきたため、菊岡は慌てた様子で佇まいを直し、詩乃はやや居心地が悪そうにするが、和人は全く気にした様子は無く、そのまま続けた。

 

「俺の対応に不満を抱いているようですが……それならば何故、死銃の一件が殺人事件である可能性について聞かなかったのですか?」

 

「いや、だって……あの時には、死銃が本当に殺人を犯してるなんて思っていなくて……」

 

「殺人事件の可能性があるからこそ、俺を呼び出して意見を聞こうとしたのに、率直にそれを確かめなかったのでは、まるで意味がありませんよね?それに、どちらかというとあの時あなたは、俺にGGOをプレイさせることを目的に話を進めていたように思うのですが」

 

「えっと、それは……」

 

「今までの依頼の時もそうでしたが、あなたは俺に、仮想世界の騒動に関わらせることの方に重きを置いているように感じました。一体あなたは――――」

 

 

 

俺を使って、何をしようと考えているのでしょうか?

 

 

 

「…………」

 

和人の放った後半の言葉は、とてつもなく冷たい響きを帯びていた。今回の騒動に和人を巻き込もうとした、菊岡が抱いていた、事件解決以外の目的。その核心を突いたかのような和人の指摘。それに対し、菊岡は黙り込んでしまった。

その反応に、和人は相変わらず冷たい視線を向けていた。ただ一人、詩乃だけは二人の間でどのような思惑が交錯していたのか、分からず、内心で狼狽していた。

 

「まあ、良いでしょう。俺があなたの依頼を受けるのも、これで最後なわけですし……俺にはもう関係の無いことですからね」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ!桐ヶ谷君、それは一体、どういうことだい!?」

 

「言葉通りの意味ですよ。契約を反故にするような方の依頼を、今後も引き受けるとお思いですか?申し訳ありませんが、菊岡さん。あなたの依頼は、今後一切引き受けません」

 

和人はそれだけ言うと、自分と詩乃の支払い分として一万円札を一枚テーブルの上に置いて、席を絶った。無論、菊岡から受け取った三十万円の現金が入った封筒もまた、テーブルの上に置かれたままである。

 

「ま、待ってくれ!和人君!頼むから!ちょっとっ!」

 

「ちょっと、和人!?」

 

菊岡が必死で静止しようとするが、和人は一切耳を貸さない。詩乃については、いきなりの契約打ち切り宣言を下した和人に驚く間も無く、その背中を追いかけるべく席を立つ。菊岡は尚も和人を引き留めようとするも、暖簾に腕押しと言った具合に、その歩みを止めるには至らなかった。

そのまま店を出た和人は早足のまま、オートバイを停めた駐車場を目指す。同行していた詩乃は、ただ流されるままに、その後姿を追って続くしかできなかった。

 

「……和人、いくらなんでも、欲張り過ぎだったんじゃないの?」

 

一連の出来事に思考が全く追い付かなかった詩乃だが、ここに至ってようやく落ち着きを取り戻し、和人に問いを投げるに至った。対する和人は、駐車場を目指す歩調を若干弱め、しかし前を剥いたまま口を開いた。

 

「勘違いするな。俺は初めから、二千七百万なんて報酬が手に入るとは、思っていない」

 

「え?……でもそれじゃあ何で、あんなことを……」

 

和人の口から語られた真意に、詩乃はわけが分からなくなり、唖然となった。死銃事件を解決し、SAOに由来する因縁に決着を付けることが目的だったことは間違いない。だが、依頼内容の中に、常識的に考えて、到底払いきれない程の報酬額を盛り込んだのも事実。その意図とは、一体何なのか。その隠された真意を推し量るべく、詩乃は思考を巡らせた。

 

「……もしかして、契約の打ち切りそのものが目的だったの?」

 

「その通りだ」

 

先程の菊岡とのやりとりの結果そのものが目的ならば、全て説明が付く。そう考え、結論に至った詩乃の言葉に、果たして和人は首肯して答えた。

しかし、そうなるとますます分からない。殺人事件を解決した報酬としては安いかもしれないが、三十万円もの報酬が得られる仕事を回してくれる相手との繋がりを絶ち切る理由とは、一体何なのか。どれだけ考えても分からないそれに、しかし和人は答えてくれた。

 

「菊岡誠二郎……本人は、総務省仮想課の役人と名乗っているが、真の所属は、防衛省。階級は、二等陸佐だそうだ」

 

「防衛省って……自衛隊の人ってことよね。というか、どうやってそんなこと知ったのよ?」

 

「俺にも色々と伝手があるということだ」

 

菊岡についての情報源は、今回の事件におけるもう一人の依頼主である、世界的名探偵Lである。Lこと竜崎が菊岡をマークしていると聞いた和人は、その正体について尋ねた。対して、聞かれた竜崎の方は、守秘義務を条件として、菊岡の真の所属について語ったのだった。

 

「しかも、色々と表には出せない、仮想世界絡みの研究を秘密裏に行っているらしい」

 

「表に出せないって……それって、かなり危ないんじゃないの?」

 

先程の喫茶店での確認に同席していた詩乃も、菊岡が胡散臭い人間であることは悟っていた。しかし、和人の説明を聞いた途端、警戒レベルが段違いに上がった様子だった。

 

「何の研究をしているかまでは分からんが、仮想世界の技術を軍事利用する試みなら、いくつか思い付く。菊岡は恐らく、その計画に俺を何らかの形で利用しようと画策しているんだろう」

 

菊岡が国の命令でどんな計画を進めているかについては、流石に竜崎の口からは聞けなかった。しかし、里の暗部やS級犯罪組織として活躍していた、うちはイタチとしての前世を持つ和人である。殊に軍事関連の、しかも秘密裏に行われている研究と言われれば、どんなものかはいくらでも思い付く。

 

「成程……だから、契約を断って距離を置いたってことね」

 

「そういうことだ。俺は今後も、仮想世界で起こる騒動の解決に動くつもりだが、思惑に乗せられるつもりは無い。少なくとも、これで奴は主導権を完全には握れなくなった」

 

「……危険と分かっていても、結局関わるのは止めないのね」

 

「それが、俺が仮想世界で為すべきことだからな」

 

和人の前世について聞かされている詩乃は、和人が現世を生きる上で背負っているものについても聞かされていた。即ち、SAO事件と、その延長線上で起こったALO事件……これら両事件の発生について、SAO開発スタッフであったことに由来する罪を感じていることも。故に和人は、その先に何があろうとも、決して逃げ出すことはしない。

そんな予感が、詩乃にはあった。しかし、だからと言って、それをただ傍観しようとは、思わない。その意志を、詩乃は和人の手を握ることで示すことにした。

 

「詩乃……?」

 

「和人は私を助けてくれた。なら、今度は私が助ける番。危ないことに首を突っ込むなら、その時は私も巻き込みなさい」

 

和人を止められないのならば、自分も隣を歩くのみ。一人でできないことを成し遂げるために仲間がいると言ったのは、他でもない和人である。ならば、それも許される筈だと、詩乃はそう思っていた。

 

「譬えあなたが拒否しても、私から巻き込まれに行くから。その辺、覚えておいてね」

 

「……覚えておこう」

 

「なら、行きましょうか。引っ越しの片付けとかが、まだ残っているしね」

 

「ああ。だが、少しばかり寄るところがある。付き合って貰うぞ」

 

「別に良いわよ。どうせ帰る場所は同じなわけだし」

 

和人の頼みをあっさり了承した詩乃は、再び歩みを進める。無論、その間も手は繋がれ続けており、二人の姿は傍からは寄り添い合うカップルにしか見えなかった。和人もそれを分かってはいたものの、敢えて何も言わず、容認するのだった。

 

 

 

 

 

銀座中央通りを、先程と同様に二人乗りして出た和人と詩乃が向かった場所は、御徒町。ノスタルジックな雰囲気の町並みを抜け、細い路地を抜けた先に、和人の目的地はあった。

 

「ここに用事が?」

 

「ああ」

 

オートバイが辿り着いた場所にあったのは、黒光りする木造の建物。出入り口となるドアの上には、二つのさいころを組み合わせた意匠の金属板が提げられており下部には『DICEY CAFE』という文字が打ち抜かれている。

 

「ついでに、お前に紹介したい知り合いもいる」

 

「へえ……ちょっと興味あるかも」

 

和人の知り合いがいるという言葉に、何を想像したのか。その真は分からないが、藪蛇と感じた和人は、詮索することはやめておいた。

その後、和人は詩乃と共にバイクを降りると、扉の前に二人並び立ち、ドアノブに手を掛けた。扉を開けた二人をまず待っていたのは、香ばしいコーヒーの匂いと、レコードから流れるスローなジャズ調の曲。

 

「いらっしゃい」

 

そして、見事なバリトンボイスで掛けられた、挨拶だった。声の主は、カウンターの向こうに立っていた。チョコレート色の肌で、体格の大きい禿頭の男性。彼こそが、この喫茶店『ダイシー・カフェ』の店主にして、和人のSAO以来の知己。エギルことアンドリュー・ギルバート・ミルズである。

さらに、店内には先客がいた。カウンターのすぐ近くにあるテーブルの席に、“制服を着た女子高生”らしき二人組が――――

 

「いらっしゃい、和人君。それに、詩乃さん」

 

「やっと来たね、二人とも」

 

「な……!」

 

扉を潜った和人に向けて、にこやかに声を掛ける二人。和人と同じ学校に通っている、アスナこと結城明日奈と、和人の義妹である桐ヶ谷直葉だった。傍から見れば、目を奪われるような美しい笑顔を向ける二人だが……その目は、まるで笑っていなかった。

その姿を見た和人は、驚愕と戦慄の余り、その場に凍ったように立ち尽くした。そして、隣に立つ詩乃もまた、若干驚いた様子だったが、やがて、和人よりも先に口を開いた。

 

「直葉……どうしてここに?」

 

「お兄ちゃんが、詩乃さんをここに連れてくるって聞いてね。ついでに、明日奈さんのことも紹介しようと思ったの」

 

詩乃の問い掛けに、直葉は朗らかな笑みをそのままに答えた。隣で聞いていた和人は、何故そこで明日奈を連れてくる必要があったのかと問い質したい気持ちに駆られたが……それよりも先に、本来ここに居る筈だった人物の行方について聞くことにした。

 

「直葉……それに明日奈さん、どうしてここに?それに俺は今日、ここで新一と一の二人と待ち合わせる予定だったんですが……二人はどこに?」

 

「蘭さんにお願いして、新一さんからお兄ちゃんの依頼について聞いてもらったんだ。そしたら、快く答えてくれてね」

 

「けど二人とも、怪盗キッドと怪盗紳士が予告状を出した件が忙しいからって、後の案内は私達に任せてくれることになったの」

 

「………………」

 

直葉に次いで、明日奈が説明した事件については、和人もある程度の詳細を聞かされている。神出鬼没の絵画泥棒・怪盗紳士と、ビッグジュエルしか狙わない筈の月下の奇術師・怪盗キッドが、鈴木財閥の相談役が収集したゴッホのひまわりの絵を狙って予告状を送り付けたという。ルパン三世と怪盗キッドによる騒動の熱が覚め遣らぬうちに発生したこの事態に対し、警察組織は助っ人として、二人の凄腕高校生探偵――即ち、工藤新一と金田一一――に協力を依頼した。こうして、二大怪盗と警察組織による、第二次三つ巴対決が勃発したのだった。

閑話休題。ともあれ、新一と一は、怪盗二人を警察組織と共に迎え撃つべく動くこととなったのだが……それより先に、和人から、ある依頼を受けていたのだ。そして今日、ここダイシー・カフェにてその報告を受ける予定だったのだが……それを、依頼主である和人に無断で欠席したという。その理由は、この二人を見てすぐに分かった。

 

(二人とも、逃げたな……)

 

頭の良い二人のことである。現状の修羅場を想定し、件の怪盗対策を言い訳に、依頼の報告を明日奈と直葉に任せて逃げたと考えるのが妥当だろう。探偵は通常、依頼に関する守秘義務を守るものである。だが、この二人に関しては、死銃事件をリアルタイムで見ていたメンバーであり、事件の顛末についてもある意程度の説明は受けている。故に、和人の依頼内容について話したとしても、守秘義務には然程抵触しない。尤も、問い詰めたのが蘭であっては、守秘義務を守るのも難しいと和人は考える。ALO事件解決の夜、朦朧とする意識の中で、黒幕たる須郷伸之を一撃で撃沈させた空手の腕を見ただけに……

 

「へえ……それで、和人が紹介したいって言ってたのって、この二人のことかしら?」

 

「いや、紹介する予定だった相手は別にいたんだが……というより、直葉とは初めてじゃないだろう」

 

「それもそうね。けど、改めて自己紹介した方が良さそうね」

 

そんな和人の内心を余所に、どこか挑発的な笑みを浮かべてそう口にする詩乃に、和人はさらに頭が痛くなった。同時に、明日奈と直葉が放つ空気がより剣呑なものになっていくような気もしたのだが……恐らく、偶然ではないのだろう。

深刻化していく修羅場の真っ只中に立たされた和人は、内心で冷や汗をダラダラとかいていた。それは、店主であるエギルも同じであり、二人が席に座った和人と詩乃に飲み物を出すと、そそくさとカウンターへ帰っていった。しかし、そんな和人の心中などお構いなしに詩乃は和人とともに席に座ると、対面する二人に対して自己紹介を始めた。

 

「はじめまして。私の名前は朝田詩乃。和人とは、小さい頃からの付き合いよ。あと、もう聞いていると思うけれど、この前の事件で家が住めない状態になっちゃったから、和人の家に居候させて貰っているわ。あと、学校も和人と同じところに転校することになったわ。仲良くしてもらえると、助かるわ」

 

魅力的な笑みを浮かべて自己紹介を締め括る詩乃。だが、どう考えても、目の前の二人と本気で仲良くする気が無いだろうと、和人は感じた。事実、顔に浮かべた笑みはそのままに、明日奈と直葉が纏う空気に殺気が宿り始めていた。

 

「詩乃さんね……あなたのことは、和人君と直葉ちゃんから話は聞いているわ。私は結城明日奈。和人君とは中学からの付き合いで、SAOでも二年間一緒に過ごした仲なの。ちなみに、私も同じ学校に通っているわ」

 

「あと、詩乃さん。私も一応言わせて貰うと、お兄ちゃんとはずっと小さい頃から同じ屋根の下で暮らしてきた仲なの。それから、詩乃さんが今住んでいる家は、お兄ちゃんだけじゃなくて、私とお母さんの家でもあるから、そこら辺のことも忘れないでね」

 

詩乃に対抗するように挨拶をする、明日奈と直葉。付き合いの長さや同じ家に住んでいることなどを強調するその口調には、敵愾心にも似たものを感じさせるものがある。凄まじい威圧感をぶつけ合う三人の姿に、カウンター越しにその様子を見ていたエギルは、我関せずで顔を逸らし、グラスを磨くのみだった。

 

「……三人とも、落ち着いてくれ。詩乃と同じ家に暮らしていると言っても、部屋はそれぞれ別だし、転校にしても適切な処置だという結論に至ったからこそ取った選択だ。妙な勘違いをするのは止してくれ」

 

だが、いつまでもこんな空気を続けさせるわけにはいかない。エギルの援護も期待できない中、和人は藪蛇を覚悟で、この修羅場の原因となっている、詩乃の現在の住居事情と学校事情についての説明をするべく口を開いた。

死銃事件の容疑者全員が逮捕されたその日。詩乃の自宅は、恭二が持ち込んだプラスチック爆弾によって、爆発炎上した。住居を失った詩乃は、事件の事後処理が済むまでは、竜崎ことLの拠点であるビルの一室で寝泊まりし……その後は、和人の家に居候することが決まった。理由としては、詩乃の幼馴染であることや、精神に抱える深刻なトラウマについて認知している点で、和人が精神的なケアをする上で適任と判断されたことが大きい。無論、詩乃を住まわせる上で、何も問題が無かったわけではない。自宅の家族には難色を示されたし、東北にいる詩乃の祖父母にも了承を得なければならなかった。しかし、関係各所の人間は全員、和人が説得するに至った。家族の内、比較的すぐに賛成してくれた母親の翠に反し、中々首を縦に振らなかった直葉に至っても、滅多に頼みごとをしない和人の要請ということで、渋々ながらも了承した。詩乃の親戚についても、最初こそ反対していたが、亡き和人の祖父の現地における人望が厚かったお陰で、結果的には同意を得られた。こうして、詩乃の桐ヶ谷家での生活がスタートしたのだった。

そしてもう一つ。詩乃は今回の事件をきっかけに、和人達が通う、SAO生還者達のために建てられた高校に転校することが決まったのだ。精神的なケアをするために、生活環境を一新するのだから、学校もこの機に変えた方が良いだろうという、和人の提案だった。和人が通う学校が推されたのは、SAO事件の被害者という特殊な境遇を持つ関係上、詩乃の存在も広く受け入れられるだろうという考えからだった。尤も、和人や明日奈の通う学校の生徒は、SAO生還者であることとは無関係に、特殊な出自や性格をした人間が多く、詩乃のことも簡単に受け入れられるだろうと和人は考えていたのだが。ともあれ、詩乃の転校は、和人が菊岡に働きかけたことで実現するに至ったのだった。

 

「それにしても……中学時代からの先輩ね。付き合いが長いみたいだけど、あんまり深い仲ってわけじゃないみたいね。直葉も、妹として以上の関係は無いみたいだけど」

 

「……そんなこと無いわよ。SAOでは、一緒に命懸けで戦ってたわけだし」

 

「あたしだって、子供の頃からずっと一緒で、お互いのことなら何でも分かるし」

 

「けど、そんなに特別なことなんて、してないんでしょう?」

 

そう言いながら、詩乃は艶然とした笑みを浮かべながら、自身の唇にそっと指を這わせた。その勝ち誇ったような仕草を見た明日奈と直葉の額に、青筋が浮かんだ。

 

「小さい頃は剣道もやっててね。和人とはそれで知り合ったの。まだ忙しくて、余裕が無いけれど、和人のところに住むから、これをきっかけにまた始めようと思っているの。あと、和人が部長をやってる剣道部にも入る予定だから、よろしくね」

 

「こちらこそ、副部長として歓迎するわ。和人君と一緒に稽古していたって言うから、それなりに実力もあると思うから、手加減無しでも大丈夫かしら?」

 

「あたしの方も、お兄ちゃん以外の稽古の相手ができるから大歓迎よ。これでもあたし、全中ベストエイトだから、遠慮なくかかってきてね」

 

「……………………」

 

詩乃、明日奈、直葉の三人による、一向に止まない挑発の応酬。顔に笑顔を貼り付かせたまま、壮絶な火花を散らすその様に、和人は居心地が悪いことこの上ない。ますます緊張の高まったその場の空気に怯えたエギルは、既に店の奥へと姿を消している。

 

「詩乃、いい加減にしろ。明日奈さん、直葉…………二人とも、その辺にしてください」

 

「むぅ……和人君が言うなら、仕方無いかな」

 

「けど、これだけは言わせて、お兄ちゃん」

 

そう言うと、明日奈と直葉は佇まいを直し、真剣な表情で詩乃と向かい合い、宣言する。

 

「「絶対に、負けないから」」

 

「望むところよ」

 

改めての宣戦布告に対し、詩乃はこれを真っ向から受けると言い放つ。何に関しての宣戦布告なのかは、聞くまでもない。

 

「だから、いい加減にしろ、三人とも。それより、明日奈さんと直葉、新一と一に出した依頼の件は?」

 

全くもって埒が明かず、頭痛ばかりが増す話しの流れを切り替えるべく、和人は詩乃をこの場へ呼び出した依頼の件について尋ねる。

 

「ええ。一君と新一君から、ちゃんと聞いているわよ。勿論、あなたが依頼していた人も、きちんとここに来ているわよ」

 

「依頼していた……人?」

 

明日奈の口にした言葉に、疑問符を浮かべる詩乃。一方の和人は、無表情のままほっと一息吐いていた。その安堵は、一時は修羅場に突入したものの、本来の目的を果たすために持ち直せたことによるものだろう。依頼していた事項がしっかり果たされていたことを確認した和人は、詩乃の方へ向き直る。

 

「詩乃。お前に無断で済まないとは思ったが……余計なお節介を覚悟の上で、知り合いの探偵にある依頼をした」

 

「依頼?」

 

「お前の過去に関わることだ」

 

和人が放ったその言葉に、詩乃の体に緊張が走った。和人の言う過去とは即ち、詩乃が十一歳の頃に起こった、銀行強盗事件を意味している。今回の死銃事件について、捜査関係者である和人は勿論、発生時点から認知している直葉と明日奈にも、その詳細が知られていることは分かっていた。加えて、被害者の一人であり、和人と親しい間柄にある自分の素性についても。だが、いざ知られた事実を改めて認識させられると、自分の過去を知る者達が、自分の敵のように思えて、反射的に身構えてしまう。人を殺した自分が、受け入れられる筈が無いという、強迫観念染みたものが、詩乃の心を支配するのだ。

 

「落ち付け、詩乃」

 

「和人…………」

 

詩乃の内心を察した和人が、その手を握ることで落ち着かせようとする。明日奈と直葉の視線が鋭くなるが、知ったことではないとばかりに無視を決め込む。

 

「俺が依頼したのは、東北にあるお前が育った故郷の町の、とある人探しだ。例の事件の関係者で、お前にどうしても会わせたい人がいる」

 

「……会わせたい、人?」

 

一体、和人は自分と誰を会わせようというのか。詩乃が育った東北の町にいる人間は、あの銀行強盗事件が発生して以来、詩乃の存在を煙たがり、殺人者を見るような軽蔑の眼差しを向ける人間ばかりだった筈。和人が会わせようと意図する人間とは一体誰なのか、詩乃には見当が付かなかった。

そんな若干混乱した様子の詩乃に対し、和人は説明を続けた。

 

「お前はあの事件以来、自分がやった事の重みに囚われてきたことはよく分かった。確かに、お前があの事件の中でやったことで、奪われたものや失ったものはあったが……それと同時に、“護った”ものもあったんだ。譬え結果論だとしても……俺は、お前がそれを知るべきだと判断した」

 

それだけ言うと、和人は詩乃へ向けていた視線を直葉の方へと変え、小さく頷く。対する直葉は、それが合図だったのだろう、和人の顔を見て頷き返すと、席を立って店の奥にある扉へと向かった。そして、PRIVATEの札が提げられた扉を開くと、そこから一人の女性が姿を現した。

年齢は三十歳くらいで、髪はセミロング。化粧は薄めで服装も落ち着いており、主婦のような印象を受ける。さらにその後ろには、幼稚園児らしき幼い少女がくっ付いていた。顔立ちが似ていることから、親子であると思われる。

和人は、この親子を詩乃と会わせようとしていたと言ったが、当の詩乃にはこの二人が誰なのか、顔も名前も見覚えが無い。

 

(あの人…………)

 

にもかかわらず、初めて会った、赤の他人とは思えない。どこかで会ったような……そんな、既視感にも似たものが詩乃の中で静かに渦巻いていた。

 

「はじめまして。朝田……詩乃さん、ですね?私は、大澤祥恵と申します。この子は瑞恵、四歳です」

 

やはり、名前を聞いても何も思い出せない。先程感じた既視感は気の所為で、自分に面識があるというのは、和人の勘違いだったのだろうか。そんな風に思ったところで、和人が説明を引き継ぐべく口を開いた。

 

「大澤さんは、元郵便局員だ。娘さんの瑞恵ちゃんが生まれてからは退職して、それとほぼ同時期に、東京に引っ越してきたらしい。それで、最後に働いていた局は……お前が住んでいた町にある郵便局だ」

 

「あ…………」

 

和人の説明で、詩乃は全てを理解した。目の前に立つ大澤という女性は、詩乃が巻き込まれた銀行強盗事件の現場にいた、受付嬢である。麻薬中毒の強盗犯に拳銃を向けられていた、詩乃の母親を含めた標的の一人である。もしあのまま放置されていれば、カウンターにいた彼女を含めた受付嬢二人と、すぐ傍に倒れていた詩乃の母親の三人の内誰か、もしくは全員が射殺されてもおかしくなかった状況だった。しかし、詩乃がその場に乱入したお陰で、結果的に命拾いをするに至った一人である。

だが、和人は何故、知り合いの探偵に依頼してまでこの女性と自分を今になって会わせようとしたのか。その意図は未だに掴めずにいた。詩乃の中で疑問が深まる中、今度は詩乃の正面に座っていた祥恵が口を開いた。

 

「……あの事件の時、私、お腹にこの子がいたんです。だから、あなたは私だけでなく、この子の命も救ってくれたんです。なのに私……あの事件の事を忘れるために、あなたにお会いして、謝ることも、お礼を言うこともせずに……本当にごめんなさい。それから……本当に、ありがとう」

 

目尻に涙を浮かべながら、謝罪と感謝を述べる祥恵に、詩乃は戸惑いの表情を浮かべるばかりだった。隣の席に座っている、娘の瑞恵は、母親と詩乃を心配そうな瞳で交互に見つめていた。

 

「命を…………救った?……私、が……?」

 

自身がこの手で人を殺した、あの忌まわしい銀行強盗事件。詩乃に『殺人者』のレッテルを貼り、その後の人生を大きく狂わせてきたあの事件の中で……詩乃に救われた人間が居たという。詩乃の中では、それは信じられない事実であるようで、中々受け入れられずに混乱している様子だった。

そんな詩乃を導くために、和人は再度、この場を設けた本当の想いを言葉に紡ぐ。

 

「詩乃、あの時のお前は、ただ母親を守るためだけに強盗犯に立ち向かったのだろうが……それでも、お前は確かにこの子を守った。それは事実だ。お前のしたことは、決して許されるものではないし、これを理由に正当化されるものでもない。だがお前は、あの事件の中で犯した罪と共に……救ったものにも目を向けるべきだった。それが、本当の意味で“最初の一歩”を踏み出すということだと、俺は思う」

 

それは、和人の心からの言葉だった。うちはイタチとしての前世において歩み続けた修羅道の中で、それでも己を失わずにいられたのは、自身の犯した罪と、結果として救ったものの両方を認識していたからこそだと、和人は思っている。それは現世においても変わらず、自分が救い、救われた仲間達のことを想っていたからこそ、SAO事件もALO事件も、そして今回の死銃事件も解決に導けたのだと、そう考えていた。

そしてだからこそ、詩乃にもそれが必要だと思い、余計なお節介だと自覚した上で、この場を設けたのだ。それが、和人の嘘偽りの無い本心だった。

 

「…………」

 

対する詩乃は、そんな和人の言葉を聞いても、自分はどうすれば良いのか分からず、未だに困惑の中にいる様子だった。黙った状態の詩乃を中心に、誰もが沈黙したその状況の中。瑞恵はただ一人、物怖じすることなく、詩乃の前へと歩み寄った。

詩乃の前に立った瑞恵は、幼稚園の制服の上からかけたポシェットに手をやり、四つ折りにした画用紙を取り出した。そこには、瑞恵自身と母親である祥恵、そして眼鏡をかけた父親らしき男性が描かれていた。そして一番上に、『しのおねえさんへ』という平仮名が書かれていた。瑞恵が笑顔で渡してくるそれを、詩乃はぎこちなく受け取る。そして、大きく息を吸い、顔に浮かべた純粋無垢な笑顔をそのままに、はっきりと言った。

 

「しのおねえさん、ママとみずえをたすけてくれて、ありがとう」

 

それを聞いた瞬間、堰を切ったかのように、詩乃の目からどっと涙があふれ出した。涙に滲む視界に映るのは、未だに笑顔を絶やさない瑞恵の顔と、彼女が渡した親子の絵――――図らずも詩乃が守った光景である。

全身を震わせて泣く、そんな詩乃の様子を見て、瑞恵は画用紙を持つ詩乃の手に、自分の手を据えた。火薬の微粒子によって作られた黒子が残るその箇所を、そっと温かく、包み込むように……

 

「……良かったね、お兄ちゃん」

 

「和人君……本当に良かった」

 

「……ああ」

 

そんな詩乃と瑞恵の姿に、瑞恵の母親である祥恵は勿論、直葉と明日奈もまた貰い泣きしていた。和人もまた、いつもの冷たい瞳の中に、温かく慈愛に満ちた光を宿しながら、その光景を心の中に焼きつけていた。

 

 

 

 

 

犯した罪故に、心に深い傷を負った少女。彼女が弱い自分を克服するために探し続けた、本当の強さ。しかしそれは、強い敵を倒すための力ではなく、過去に囚われた自分を解き放ち、前へと踏み出すための力だった。

奇しくもそれは、同じようで違う前世を渡り歩いた、一人の少年によって、見出すことができた。うちはイタチの現世を持つ和人もまた、自分が自分であるために必要な、“ゆるぎないもの”をひとつ見つけるに至ったこの少女との邂逅の中で、自身の内にも、現世の現実と、忍時代を思い出させる仮想世界を生きるために抱き続けている“ゆるぎないもの”があることを、改めて感じた。

 

 

 

 

 

終わりの見えない二つの世界を――――イタチは、ゆるぎない想いを胸に歩んで行く。

 




読者の皆様、鈴神です。
ファントム・バレット編は、これにて終了となります。
次回からは、キャリバー編突入の予定でしたが……申し訳ございません。
自宅がリフォームのため、ネット環境がしようできなくなり、来月は投稿を休ませていただきます。
次回の投稿は、11月14日を予定しております。
キャリバー編突入を楽しみにしていただいていた方々には、お詫び申し上げます。
今後も暁の忍をよろしくお願いします。


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キャリバー
プロローグ ROMANCE DAWN for the legendary sword~伝説の聖剣への冒険の夜明け~


キャリバー編、始まります。
しかし、更新ペースは以前より落ちる可能性が高いです。
温かく見守っていただけると幸いです。


2025年12月28日

 

埼玉県南部の、昔ながらの古い街並みを残す住宅街。その中に、桐ヶ谷家はある。そして、年末近くで、企業の多くや学校が冬休みに入った今日この頃の朝。自室で一人眠る和人のもとへ、近付く影が一つ。そろりそろりと、物音を立てずにドアを開き、ベッドへ近付いた影は、眠ったまま微動だにしない和人の様子を、床に膝を突きながら確認する。ベッドに横になった和人は、無防備であどけない、中性的な寝顔を晒したまま、静かに寝息を立てて眠っていた。起こる気配が全く無いと確信した影は、その無防備な寝顔へゆっくりと接近し――――――

 

「直葉、何をしている?」

 

その進行は、その唇と唇が触れるあと一歩のところで、パチリと目を見開いた和人自身の手によって阻まれた。額を押さえられた影――直葉は、心底残念そうな表情を浮かべながらも、和人に近付けていた顔を渋々離し、膝を突いた状態から立ち上がった。それを横になった状態で確認した和人は、そのまま自らも体をベッドから起こした。

義妹である直葉が自室に現れたにも関わらず、全く動じた様子もなく、何でもないことのように起床した和人の姿を見た直葉は、不満に頬を膨らませていた。

 

「あ~あ、残念だったなぁ。もう少しでお兄ちゃんと………」

 

「阿呆なことを言ってないで、自分の部屋に戻ったらどうだ?朝稽古までは……まだ三十分もあるのか」

 

枕元に置いた時計の指し示す時刻を確認した和人が、呆れた表情を浮かべる。桐ヶ谷家では、朝稽古が休日も実施されるので、母親である翠以外の起床時間は、かなり早い。しかし今、直葉が和人の部屋へ来たこの時間帯は、朝稽古が始まるおよそ三十分前である。

 

「全く……こんなことのために、無駄に早起きするのはいい加減やめたらどうだ?」

 

「う~ん……いくらお兄ちゃんでも、寝込みだったら望みはあったんだけどなぁ…………」

 

「…………」

 

「あ、でもお兄ちゃんの方からしてくれた方が嬉しいかも。そしたら、やめてあげるよ?」

 

「……………………ハァ」

 

義妹である直葉の、頬をほんのり赤く染めながらの発言に、和人は心労ばかりが増して、思わず溜息を吐いてしまった。ここ一カ月、直葉は兄である和人の部屋へ隙を見て朝早くに侵入し、寝ている和人の唇を狙うようになっていた。きっかけとなったのは、つい最近発生したVRゲーム絡みの殺人事件、通称『死銃事件』を解決して以降――正確には、事件の被害者であり、昔馴染みでもある少女、朝田詩乃が下宿を始めてからだった。

件の事件の終盤、詩乃はゲーム内にて、和人を許す条件と称して、和人も思いもしなかった、ある行為に及んだ。それは、譬えアバターといえども、和人に想いを寄せる一人としては、このような行為は許せるような行為ではなく……明日奈共々、激怒していた。つまり、直葉が和人に仕掛けるこの行為は、詩乃に対する対抗意識の表れでもあったのだ。

 

「今更だが、改めて言っておく。詩乃がGGOでやったあの行為に関しては、完全な不意打ちだ。俺はあいつをそういう意味で受け入れたつもりは無い」

 

「ふ~ん……どうだかなぁ……」

 

「あのな……」

 

詩乃に対しては特別な想いは無いと言う和人だが、直葉は聞き入れる様子は無い。これまでも、同じようなことが起こる度に同じようなことを言って説得してきたのだが、反応は同じ。詰まるところ、この件については何をどう言ったところで、直葉が納得することなど無いのだと、認識させられる和人だった。

 

「……もう良い。少し早いが、朝稽古を始めるぞ」

 

「あ、誤魔化した」

 

まだ話は終わっていないと不満げな直葉を無視して、和人は黙々と準備を始める。直葉の言う通り、その場を逃れる誤魔化しの一手に過ぎないが、これ以上の問答をするつもりは無かった。直葉の方も、やがて自室へと戻り、朝稽古の準備に向けて着替え等の準備を開始するのだった。

 

 

 

 

 

「よし。今日の稽古はこれまでだ」

 

「や、やっと……終わった」

 

「はぁ……はぁ……相変わらず、容赦、ない、わね……」

 

息も絶え絶えで膝を突き、防具を外す、直葉と詩乃。一方の和人は、若干の汗は流しているものの、相変わらずの涼しげな表情で片付けを行っていた。

朝の一騒動を経た和人と直葉は、途中から起きてきた詩乃も加えて、朝稽古を行った。うちはイタチという凄腕の忍の前世を持つ和人が監修する稽古の厳しさは、祖父が存命の頃から同じ……否、高校生へ成長したことに伴い、さらに増していた。しかし、そんな和人の実戦染みた稽古を続けてきたお陰で、直葉は帝丹高校剣道部において、一年目にしてレギュラーの座を獲得している。さらには、次期主将としても有力視されているのだ。

 

「二人とも、先にシャワーを浴びておけ。俺は朝食の支度にとりかかる」

 

「分かったわ。直葉、先に入ってて良いわ。私は後から入るから」

 

「ありがとうございます、詩乃さん」

 

和人の呼び掛けに応じ、直葉と詩乃は、竹刀や防具、道着等の片付けを行っていく。和人の方は、一足先に母屋へ戻り、台所へ入って調理を開始するのだった。

やがて、和人が朝食を作り終える頃には、シャワーを浴びた直葉がジャージ姿で現れる。その後は、直葉と入れ替わりでシャワーを浴びに入った詩乃を待ちながら、和人は直葉と共に用意した朝食をテーブルの上に並べていくこととなった。そして、詩乃を待つその間、直葉はすぐ傍に置いてあったタブレット端末を操作し……ある記事を見つけた。

 

「……お兄ちゃん、これ見て!」

 

「どうした?」

 

興奮した様子でタブレット端末を差し出した直葉の様子に、和人は何事かと思いつつもそれを受け取り、内容を確認した。

 

「ヨツンヘイムのエクスキャリバーが、遂に発見されたか……」

 

「結構時間経ってたからねぇ……まあ、仕方ないっちゃ仕方ないね」

 

最強の伝説級武器『エクスキャリバー』、ついに発見される!――――それが、記事の見出しだった。道理で直葉が騒ぐ筈だと、和人は得心していた。

 

 

 

『伝説級武器(レジェンダリーウエポン)』とは、ALOというゲームにおける最高位の武器群である。「伝説」という言葉が意味するように、いずれも神話に登場する武器や神の名前と、それに見合った性能を有していた。事実、ALOに初めてダイブした頃の和人ことイタチ――当時のプレイヤーネームはサスケ――は、この伝説級武器を持つトップクラスのプレイヤー、ユージーンに追い詰められたことがある。ユージーンが操る魔剣『グラム』の、一時防御を無効化する『エセリアルシフト』と呼ばれるスキルは、ユージーン自身の剣技と相俟って、空中戦に不慣れだったサスケにとって大いに脅威だった。使い手次第では、忍の前世を持つサスケをも脅かす程の性能を秘めた武器、それが伝説級武器なのだ。

現在確認されているものとしては、前述のユージーンが持つ魔剣『グラム』の他に、霊刀『カグツチ』、撃槍『ガングニール』、魔弓『イチイバル』等が有名である。その中でも聖剣『エクスキャリバー』は、他の追随を許さない、突出して高いスペックを持つ武器として知られていた。故に、手に入れることができれば、ALO最強の座を手に入れられるかもしれないと言われている程の性能故に、全プレイヤーは血眼になってこれを探しているのだ。

しかし、その入手情報はおろか、手掛かりさえ手に入れたプレイヤーは、ALO運営開始以来、誰一人としていなかった。情報を手に入れたとしても、それらはいずれもガセネタであり、その存在は公式ページの武器紹介ページ最下部の写真でしか確認できなかった。故に、この記事を読んだプレイヤー達は、直葉と同等か、それ以上の興奮に見舞われていることは想像に難くなかった。

 

 

 

そのように、長らくその入手方法を秘匿されていたエクスキャリバーだが、和人と直葉、そしてここには居ないもう一人の友人、蘭の三人は、実はその所在を知っていた。きっかけとなったのは、ALO事件解決のために央都アルンを目指す道中、ヨツンヘイムへ落ちた際に助けた、象と水母を掛け合わせたような邪神型モンスターだった。

後に上記三人のパーティーによって、トンキーと名付けられたこの邪神型モンスターは、三人を背に乗せて移動後、ヨツンヘイムの一角で蛹のように蹲った後、羽化とも呼べる現象を経て、翅を有するモンスターへ変貌したのだ。翅を手に入れたトンキーは、三人を背中に乗せてヨツンヘイムの空を飛び、そのまま央都アルンへと送り届けた。

そしてその途中、ヨツンヘイムの天蓋から根に絡め取られた状態でぶら下がっていた、四角錐型の巨大ダンジョンを見つけると同時に、その最下層のクリスタルに封印された、光り輝く何かを発見した。それこそが、聖剣『エクスキャリバー』だったのだ。

 

「記事を見る限りだと、発見しただけで、まだ入手はできていないみたいだね。けど、エクスカリバーを見つけたってことは、私達みたいに邪神型モンスターを助けたプレイヤーがいたってことなのかな?」

 

「まさに俺もそれを考えていた。だからこそ、腑に落ちないことがある」

 

後に幾度かヨツンヘイムを訪れた結果、エクスキャリバーが封印されているダンジョンは、ヨツンヘイム地表からの距離が遠いことに加え、どの角度からも認識できない位置にあることが分かった。それは、遠視の魔法を使用しても同じであり、地表からではやはり確認することはできなかった。

故に、ダンジョンと、その最下層に位置するエクスキャリバーの存在を知る手段はただ一つ。トンキーのような飛行能力を持つ邪神型モンスターの背に乗る以外に方法は無いのだ。そして、だからこそ和人の中で疑問は増していった。

 

「ヨツンヘイムで邪神型モンスター二体が争っている場面に遭遇したなら、互いに消耗した隙を見計らって乱入し、両方討ち取る漁夫の利を狙うのが通常のプレイヤーの行動だろう。お前のように、虐げられている方を助けようと思うプレイヤーは、まずいない筈だ」

 

「むぅ……確かにそうだろうけどさぁ……」

 

和人の物言いに対し、あんまりだと言わんばかりに不満そうな表情を浮かべる直葉。確かに和人の言う通り、倒せば大量の経験値とレアアイテムが手に入る可能性の高い邪神モンスター二体の争いを前にして、これを美味しい獲物以外と見なすプレイヤーが大多数だろう。だが、自分を変わりもの扱いした上、トンキーと名付けた愛着ある邪神型モンスターを美味しい獲物呼ばわりする発言は、許し難いものがある。そんな風にむくれる直葉を前に、和人はこれ以上刺激するべきでないと判断し、話題をエクスキャリバー獲得クエストへと戻すことにした。

 

「この記事では、エクスキャリバーの在処がヨツンヘイムであることに言及されているが、トンキーのような邪神を助けるクエストはおろか、あのダンジョンについての情報は載っていない。もしかしたら、この記事に載っているエクスキャリバー獲得クエストは、あのダンジョンの攻略とは別の内容なのかもしれないな」

 

「別の内容って?」

 

「それは分からん。だが、情報がほとんど掲載されていない点が、かなりきな臭い。もしかしたら、今ヨツンヘイムには……いや、ALOには何か異変が起こっているのかもしれないな」

 

「それって…………」

 

和人の言葉に、不安を覚える直葉。和人が忍としての前世を経て培った勘は、的中率が非常に高い。長年一緒に暮らしてきた直葉は、それをよく知っていた。しかし、エクスキャリバーという伝説級武器の入手クエストの裏側には、ALOを揺るがす何かがあると和人は推測するが、それは一体何なのか。直葉には見当も付かない。和人に至っても、現状では核心に迫る予測はできない様子だった。そう、“現状”では…………

 

「何が起こっているかは、実際に向こうに行ってみれば分かることだ。ついでに、エクスキャリバーが本当に入手できるかどうかもな」

 

故に和人は、異変の渦中と思しきALOのヨツンヘイムへ向かうことに決めた。憶測や人伝だけでなく、自身が動く事で正確な情報を得る。それは、忍者としての前世から現在に至るまで引き継いでいる、和人の心得だった。

 

「直葉はどうする?件のダンジョンに突入することも予想される以上、同行してくれるのなら心強いが」

 

「勿論!部活はもう休みだし、あたしは全然オッケーだよ」

 

「あら。なら私も、一緒に行かせてもらおうかしら?」

 

和人と直葉がヨツンヘイムのエクスキャリバーが封印されているダンジョン行きについて話し合っていたところへ、新たな志願者が現れた。直葉の後にシャワーを浴びていた詩乃が、リビングへ入って来たのだ。

 

「ちょっ!……詩乃さん、何て格好してるんですか!?」

 

「あら?何のことかしら」

 

「…………」

 

リビングに姿を現した詩乃の格好を見た直葉は、思わずテーブルから立ち上がって声を上げた。その顔は、赤く染まっている。直葉の向かいに座っていた和人は、沈黙して呆れの視線を向けていた。

シャワーを浴びた詩乃が纏っていたのは、薄手のタンクトップとスパッツ。タンクトップはブラジャーの機能を持たせているものなのだろう。服の上からでも、詩乃のスレンダーながら均整のとれたラインがよく分かるものだった。さらに、頬に貼り付いた乾き切っていない髪と、シャワー後の温められた身体から上がる湯気が、何とも言えない色気を放っていた。家族や同姓の人間の前ならばだしも、同じ屋根の下で暮らしているとはいえ、他人に違いない異性の和人に見せるような格好では無いことは間違いない。直葉が顔を赤くして指摘するのも、当然だった。

 

「ふ、服ですよ!ちゃんと服着てください!」

 

「別に、見られて困るような人もいないんだし、良いじゃない。ねえ、和人もそう思わない?」

 

「……ここで俺に話を振るのか?」

 

妖艶な笑みを浮かべた詩乃の問い掛けを聞いた和人は、軽い頭痛を感じていた。詩乃がこのような格好をしている理由は、見られて困る人間がいるからではなく、和人に見せたいがためである。誘惑対象の和人に感想を聞くのは、ある意味では当然と言えた。

シャワー後の薄着で色香を醸し出す詩乃と、それを顔を真っ赤にして非難する直葉。早朝の自宅のリビングに剣呑な空気が満ちる中、和人はやがて口を開いた。

 

「この季節にその薄着はやめておけ。いくら暖房が入っているとはいえ、風邪引くぞ」

 

「あら、残念。折角女の子がこんな格好してあげているのに、もっと気の利いた感想は出ないのかしら?」

 

「詩乃さん……パーティーとかデートのファッションチェックじゃないんですから、そんな格好でそんな台詞を言うのはやめてください!」

 

和人の素っ気ないコメントに、しかし詩乃は、言っている程矜持を傷付けられた様子は無かった。そんな相変わらずの詩乃の反応に、直葉は再度声を荒げるのだった。たいする詩乃は、直葉の怒鳴り声を背に部屋へ戻り、重ね着をして戻ってくるのだった。

そうして三人揃ったところでテーブルの椅子に座り、朝食が始まるのだった。

 

「そんなことよりだ。確認するが、詩乃もエクスキャリバー獲得クエストには参加するということで良いんだな?」

 

「ええ、勿論。それで、他のパーティーメンバーはどうするの?ヨツンヘイムのあのダンジョンに挑むなら、それなりに強力な面子じゃないと難しいんじゃない?」

 

「そうだな。トンキーに乗れるプレイヤーの限界人数は七人。俺達以外の人選は、どうしたものか……」

 

詩乃の言葉に、腕組みしながら考え込む和人。エクスキャリバーが封印されているダンジョンにおける戦闘の難易度は、かつてALO事件時解決のために挑んだ世界樹攻略クエストにも匹敵するというのが、和人の見識だった。しかも、ダンジョン内のクエストだけに翅を使った飛行ができず、ALOにおいて主流である空中戦ができないのだから、総合的な難易度はグランドクエストを凌駕している可能性が高い。

エクスキャリバーを守護する邪神型モンスター達の防衛線を突破するには、エンシェント・ウエポン級以上の武装と、それに見合うだけの実力を持ったパーティーメンバー、そしてそれらをまとめる優秀な司令塔が必要になる。この場にいる三人は、エクスキャリバー獲得クエストに挑めるだけの実力は有している。和人ことイタチも、前世から引き継いでいる指揮官適性があるお陰で、リーダーは十分に務まる。問題は、残りのメンバーをどうするかである。幸い、和人の知り合いにはSAO生還者の……それも、攻略の最前線で共闘してきた実力者が山ほどいる。

 

「まあ、まずはパーティーメンバーとして有力そうな面子に連絡を取ってからだな。前衛は俺と直葉、後衛はシノンとして……前衛として戦えるパワーファイターがあと一人か二人。それから、魔法に特化したメイジが欲しいところだが……思うようには、いきそうもないだろうな」

 

ヨツンヘイムのダンジョンは、奥部がどうなっているかが全く分からない。欲を言うならば、どのような状況にも対処できる布陣で挑みたいところだが、時期が年の瀬である。帰省している人間も多い以上は、望み通りのパーティーメンバーを集めるのは、流石に無理だろう。集まれる面子の戦闘能力を確認し、現地の戦況に合わせて、随時ポジション調整を行う必要があると、和人は考えていた。

 

「う~ん……社会人でこの時期で予定が空いていそうなメンバーとなると、職場が休みだって言ってたクラインさんとシバトラさん。それから、無職のケンシンさんとかかな?」

 

「……直葉、“無職の”は余計だろう。間違っても本人の前では言ってやるな」

 

「あはは……そうだね」

 

直葉が口にする容赦の無い言葉を、和人は溜息を吐きながら窘める。SAOとALOにおいて、凄腕の侍として知られていたケンシンだが、リアルの職業は『専業主夫』である。道場を経営する妻に経済的に依存し、尻に敷かれている駄目な夫としても、彼を知るSAO以来のプレイヤー達に広く知られているのだった。

 

「まあいい。だが、二人とも奥さんがいる身だ。あまり無理強いはするなよ」

 

「うん、分かった。それじゃあ、蘭さんと新一さんにも声を掛けてみるね」

 

「それから、アスナとリズ、シリカとかは?それから、サチも結構頼りになると思うけど」

 

「後者の三人はともかく、アスナさんは難しいだろうな。年の瀬には、実家に帰ると言っていたからな。準備に追われている可能性もある」

 

「どうかしら。和人が参加するなら、多少の無理を押してでも、参加しに来ると思うけど」

 

「そんなことは…………ある、のか」

 

エクスキャリバー獲得クエストへの参加要請と、家の用事のどちらを優先するか。通常、余程の事情が無ければ、後者を選択するだろう。だが、明日奈の和人に対する感情を考えれば、今回の事情は明日奈にとっての「余程」の事情に相当する可能性が高い。というより、直葉と詩乃が参加するとなれば、詩乃の言う通り、無理を押してでも参加しようとするだろう。

 

「それじゃあ、明日奈さんには俺から連絡しよう。エギルは店があるから無理として……あとは、メダカやゼンキチ、カズゴ、アレン、ヨウあたりに声を掛けてみるか」

 

「ま、これだけ知り合いがいるんだから、残り四人なんてすぐに集まるでしょう。流石はALOでも有名な『黒の忍』……いえ、『黒猫の忍』といったところかしら?」

 

「…………そう、なのかもな」

 

詩乃が口にした、からかい半分の言葉。いつもの和人ならば、これに対しては、「そんなことはない」と返すのが常だった。しかし今、和人が出した答えは、そんな詩乃の予想に反する、肯定の意を示す言葉だった。

その言葉の中には、持ち上げられることに対する思い上がり等は無かった。詩乃の言葉をそのまま、事実として受け止めている様子だった。そんな和人の態度に、詩乃と直葉は驚きに目を丸くしていた。

 

「二人とも、どうしたんだ?」

 

「う、うん。お兄ちゃんが、そんなこと言うなんて、思わなかったから……」

 

「そうよね……いつもの和人なら、『俺の力じゃない』とかって言うと思ったから……」

 

驚いた表情を浮かべながら、その理由を話す直葉と詩乃に対し、和人は成程と得心する。そして、今度は自身の真意について話しだすのだった。

 

「否定するのは確かに簡単だが……それをすれば、俺と共に戦ってきてくれた皆とのこれまでと、その意志を否定するように思えてな……」

 

 

 

奢りでなければ、自分は皆から信頼を得ている筈――――

 

 

 

和人が話した理由の裏には、そんな真意があると、直葉と詩乃には感じられた。

これまで、他者との繋がりや触れ合いを忌避してきた和人が、それを肯定する意志を示したのだ。この世界に転生してから十年以上の月日が経過しているのだから、考え方に変化があってもおかしくはない。しかし、うちはイタチとしての前世は余りにも凄惨過ぎるものであり、そのトラウマはこの世界に転生した今も尚、和人の心に影を落としている。

そんな和人に起こった、心境の変化。それは、本来簡単には起こり得ない事象であり……しかし、直葉や詩乃といった、和人を知る者達が何より望んでいたことでもあった。

 

「……そうだよ。皆、お兄ちゃんの仲間だもん。喜んで力を貸してくれる筈だよ!」

 

だからこそ、直葉は満面の笑みを浮かべながら、和人が内心で思っているであろうことを、肯定した。詩乃もまた、声には出さず静かに、しかし微笑みを浮かべながら、首肯した。

 

「……そうか。なら、後片付けが終わり次第、早速皆に声を掛けてみよう」

 

当の和人は、直葉と詩乃の反応に対してふっと笑みを浮かべるのみだった。その後の朝食を取る和人が纏う雰囲気は、いつもと然程変わらなかった。しかし、ほんの少し、常の冷たい印象が強い和人の態度には無い、温かさのようなものを、直葉と詩乃は感じていた。

 

 

 

その後、朝食を終え、食器を片づけた和人達は、仲間達へと連絡を取り、冒険の準備を進めるのだった。

前世では忍者として里や世界の命運を賭けた戦いに身を投じ続けたうちはイタチの前世を持つ和人。転生後の現在においてもそれは変わらず、他者や自分の命を懸けた戦いに幾度となく身を投じてきた。そんな死闘尽くしの日々を送ってきた和人に訪れた、純粋なゲームとしての冒険。振り返ってみれば、『純粋に楽しむ』という目的ために挑む冒険は今回が初めてかもしれない。

勿論、先程話題に出た通り、単純な超高難易度クエストというだけではなく、何らかの“裏”がある可能性は否めない。だが、これまでの和人にとって、仮想世界は前世の忍世界の延長線上にある“戦場”と同義であり、失敗が許されない戦いが常だった。しかし、ゲームをゲームとしてプレイできるという点では、やはり心の持ち様は違ってくる。何より今回は、前世に無かった、自身が信頼し、自身を信頼してくれる仲間達が一緒なのだ。

こうして和人は、ある意味では現世において初めてとなる、新たな“挑戦”に向かって、この世界で出会った仲間達とともに旅立とうとしていたのだった――――

 



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第九十八話 THE WEASEL AND THE PARTY

 

VRMMO『アルヴヘイム・オンライン』の舞台、アルヴヘイムの中央都市、アルンの中央に聳える世界樹。その頂上に存在する、『イグドラシル・シティ』の大通りには、数々のプレイヤーショップが軒を連ねている。武具やポーションをはじめ、NPCが経営する店とは一線を画す性能を持つアイテムは、この世界を冒険するプレイヤー達から重宝されていた。

そんな店の一つ――『オヤマダ武具店』が、今回和人ことイタチがパーティーメンバーを集めるために指定した集合場所だった。店内の一角にある商談用のソファーには、ポニーテールの髪型をした風妖精族(シルフ)の剣士、リーファが座っており、向かい側に座っている同じく風妖精族の拳士、ランへとのお喋りに興じていた。

 

「ランさんは、冬休みは何か予定あるんですか?」

 

「ううん。私のところは特に無いね。ああ、そうだ。お父さんとお母さんに、年末のディナーをセッティングしようと思ってるんだけどね」

 

「そ、そうなんですか……」

 

冬休みの予定という他愛もない会話の中で出たランの言葉に、顔を引き攣らせるリーファ。感情が表に出やすいアバターなだけに、現実世界の顔よりも微妙な表情を浮かべていた。

 

「うん?どうしたの、リーファちゃん」

 

「い、いやぁ……ランさんのお父さんとお母さんって、仲が悪いようで良いですし……無理にセッティングしなくても良いんじゃ……」

 

というより、無理にセッティングすれば、仲が拗れるような仲なのだ。『喧嘩する程仲が良い』を地で行く夫婦なので、放っておいた方が良いのでは、というのが直葉の考えだった。

 

「う~ん……そうかなぁ……」

 

「ま、まあ、この話はこのくらいで。それより、今日皆で挑むエクスキャリバー獲得クエストですけどね。上手くいったら、またお兄ちゃんに手伝ってもらって、全員分の伝説級武器を揃えるっていうのはどうでしょうか?」

 

「あ、それいいかも!私もそろそろ、伝説級の武器が欲しいかなって思ってたのよね」

 

「ってことで、よろしくね、お兄ちゃん!」

 

今回のクエストの成功を前提に話を進めるリーファとラン。二人が顔を向けた先にいたのは、そこの壁に寄りかかりながら聞いていた、黒衣に身を包んだ、黒髪に赤い瞳の猫妖精族『ケットシー』の少年――イタチである。その額には、前世から身に付け続けている、木の葉を模した紋章に横一文字の傷が入った額当てが装着されていた。相変わらずの無表情を二人の方へと向けて口を開いた。

 

「高難易度の伝説級武器獲得クエストに付き合うのは別に構わんが……籠手の伝説級武器は無かった筈だぞ」

 

「むぅ~……そんなの不公平じゃない」

 

「俺に言われても困るのだがな」

 

イタチの言うように、現在存在が公表されている伝説級武器の中に、『籠手』は存在しない。剣や槍、弓等の神話においてオーソドックスな武器は、北欧神話やアーサー王伝説に由来する武器は実装化されている。しかし、『籠手』に関しては、そもそもの問題として神話における存在が皆無に等しく、ALO事件前の運営開始から今現在に至るまで実装化されていない。

 

「せめて、コナン君の持ってる『ガングニール』が、槍じゃなくて籠手なら良かったのになぁ……」

 

「ですよね~」

 

「オイオイ、俺に当て付けるのは止めてくれよな」

 

理不尽な擦り付けを受け、呆れた様子でランとリーファを見やるのは、銀髪の音楽妖精族『プーカ』の槍騎士、コナンである。その手には、身の丈以上のリーチのオレンジ色の槍が握られている。

彼が持っているこの槍こそが、ALOにおいて数少ないエクスキャリバーと並ぶ伝説級武器の一つ、撃槍『ガングニール』である。

 

「ホント、コナン君って運が良かったよね~……あんな凄い武器を、簡単に手に入れちゃったんだから」

 

「流石、名探偵はやることが違うっていうか、お兄ちゃんと似ているっていうか……」

 

「あのなぁ……コレが手に入ったのは、本当に偶然なんだぞ。俺だって、意図して手に入れたわけじゃねえんだよ」

 

不満たらたらのランとリーファに対し、弁明を図るコナン。だが、当の二人はコナンの言い訳には納得がいかない様子で、理不尽な不満を言い募るのだった。

 

 

 

コナンがガングニールを入手するきっかけとなったのは、当時コナンが行っていた、アルヴヘイムの探索活動だった。その日、コナンが探索対象として目を着けたのは、ALOの世界の中心にある『世界樹』だった。旧ALOにおけるグランド・クエストの舞台とされていた世界樹の大空洞は、現在は何の変哲も無い、ただ広大な空間が広がっているのみだった。そんな、誰からも注目されない場所を来訪したコナンは、あるクエスト――――『ヴァーラスキャールヴへ至る道』に出会った。

『ヴァーラスキャールヴ』とは、北欧神話の主神、オーディンの暮らす宮殿の名前である。その内容は、アルヴヘイム全土を舞台とした、神話をテーマにした『謎解き』というもの。高校生探偵・工藤新一として現実世界で名を馳せたコナンは、俄然やる気を出してこのクエストを受諾した。

クエストの難易度は、鬼畜そのもので、常人にはまず絶対に解けないような凄まじく難解なことに加え、極端に短い時間制限まで付いてくるのだ。知識に対して貪欲なことで知られるオーディンの性格をそのまま表したような内容だった。だが、そんなクエスト故に、逆にコナンは探偵魂に火が着き、繰り出される謎を怒涛の勢いで解いていった。結果、少なく見積もっても一カ月は軽くかかると思われたこのクエストは、一週間足らずで陥落した。

クエストの最後、オーディンの住まいであるヴァーラスキャールヴの場所を突き止め、そこへ辿り着いたコナンを待っていたのは、宮殿の中心に鎮座する一振りの槍――――即ち、このクエストの報酬たる伝説級武器が一つ、激槍『ガングニール』だったのだ。

 

 

 

SAOのアバターを引き継いでいたコナンは、細剣以外のソードスキルを習得していなかった。しかし、ガングニール入手を境に新たに槍スキルを追加で習得することにした。

システムアシストに必要以上に頼らず、自身の腕前と頭脳を駆使して困難を突破するのが、SAO時代から変わらないコナンのプレイスタイルである。取得するスキルの数も最小限に止めていた故に、スロットには新たな武器スキルの追加するには十分な空きもあった。

ともあれ、こうしてコナンはALOにおける、ユージーンに次ぐ新たな伝説級武器使いとして名を馳せるに至るのだった。

 

「それにしても……何で戦闘能力がそんなに高くない筈のプーカのコナン君が、そんなものを手に入れられたのか、不思議で仕方がないわよ」

 

「私もそれ思ってましたよ。しかもコナン君って絶対音感は持ってるのに、何故か音痴なんですよね」

 

「バーロー、余計な御世話だ。というか、俺がプーカを選んだ理由も、俺が音痴なのも、ガングニールとは何も関係無いだろ」

 

本人の目の前で言いたい放題なリーファと蘭をジト目で睨みつけるコナン。

音楽妖精族ことプーカとは、味方にバフをかける、敵に状態異常を起こすデバフ効果を持つサポート系のスキルと魔法を得意とする種族であり、その名前が示す通り『音楽』を媒介にその能力を発動する。

しかし、このALOにおいて選択する種族の中で、プーカほどコナンに似合わないものはない。頭脳明晰で運動神経に優れ、現実世界では数々の難事件を解決してきたコナンだが、ただ一つ……音楽だけが、苦手な分野だった。そんなコナンがこの種族を選択した理由。それは、本人曰く。あらゆる動作にシステムアシストを得られる仮想世界で音楽を武器に戦うことで、音痴を克服できるのではという見立てがあったからだという。

確かにコナンの言う通り、プーカの種族がスキルとして奏でる音楽には、ある程度のシステム的な調整が為される。そのため、仮想世界で音楽系スキルを行使し続けることで音痴を克服できるという考え方は、理屈としては間違ってはいない。

間違ってはいない、のだが…………

 

「音痴を克服するために、わざわざプーカを選んだのに、全然治らないんだもんね」

 

「成功する望みの薄い高望みなんてしないで、無難にシルフを選んでいれば良かったのに。種族の選択を完全に間違っちゃってますよね、コナン君」

 

「ほっとけ、バーロー」

 

ALOのプーカに施されるシステムアシストをもってしても、コナンの音痴は全く改善しないというのが現実だった。プーカという種族は、身体能力のスペックが他の種族より劣る傾向にあり、スプリガン以上に人気の無い種族である。故に、リーファの言う様に、現状を鑑みれば、種族選択のミスとしか評価できないのが実情だった。

そんな否定できない事実故に、シルフの女子二人にこき下ろされていたコナンは、不機嫌な表情を浮かべるしかできなかった。だが、一連の話を黙って聞いていただけだったイタチが、ここでコナンを擁護する発言を始めた。

 

「リーファとラン、その辺にしておけ。コナンのスキルは、これまでかなりの戦果を挙げてきた。今回のクエストにコナンを呼んだのも、その能力が役に立つ可能性が高いと判断したからだ」

 

決してただ頭数を揃えるために誘ったわけではなく、強力な戦力となる確信したからこそパーティーに誘った。それは、イタチの偽り無き本心だった。だからこそ、その能力を貶める言動は、パーティー内の不和を招く要因となることも含め、冗談でもあまり許容できることではなかった。

そんなイタチの内心が伝わったのか。ランとリーファは、先程までのおふざけ口調はどこへやら。イタチに窘められたことで、調子に乗り過ぎたと反省した様子だった。

 

「……確かに、コナン君のスキルは、悪いところばかりじゃなかったよね」

 

「そうね。ちょっと、悪乗りし過ぎてたわ。ごめんね、コナン君」

 

「いや、俺は別に良いけどよ」

 

イタチの仲裁によって、三人のパーティーメンバーの間に発生しかけた不和の種は取り除かれたのだった。そんな和やかな空気が戻る中、それまで傍観するだけだったもう一人のパーティーメンバーが、話題を最初のものへと立ち戻らせた。

 

「ランの伝説級武器はまだ当分無理みたいだけど……リーファの片手剣と私の弓は大丈夫よね。私の方は、光弓『シェキナー』希望なんで、よろしく」

 

「協力するのに否は無いが……ALO開始から一カ月経たない内から伝説武器を所望するのか?」

 

壁際に立ち、右手を挙げて、弓の伝説級武器たる光弓『シェキナー』を要求したのは、青い髪をしたイタチと同じく猫妖精族『ケットシー』の少女――シノンだった。

 

「贅沢だと思われるかもしれないけど、射程がもっと欲しいのよね。そうなると、リズやマンタの作る武器じゃちょっと無理があるのよ」

 

「……ここはALOだ。この世界の弓を、GGOのヘカートと一緒にするな」

 

シノンがALOの弓に要求する余りにも高いクオリティに、イタチは呆れたような声を漏らす。

二週間前にALOを始めたシノンは、ALOで気難しい部類に入る弓という武器の使い方を僅か一日で習得し、翌日からイタチとパーティーを組んで実戦を開始。モンスターがプレイヤーを認知する一般的な距離の倍以上の地点から次々と矢を撃ち込み、標的のモンスターを次々とハリネズミの如き姿に変えた。最初は陸上、次は空中と、経験を積むごとに戦場と射程を共に拡大していき、二週間後の現在に至っては、新生アインクラッドの攻略最前線で戦えるレベルにまで至っていた。

 

「シノンさんも無茶言ってくれるよねぇ……僕もリズベットさんも、結構頑張って作っているんだけど」

 

「マンタも困っているぞ。あまり無茶な要求はするな」

 

「むぅ……分かってるわよ」

 

シノンの無理難題な要求に対し、イタチと同様に呆れた様子でぼやきながら姿を現したのは、このオヤマダ武具店の店主である、鍛冶妖精族『レプラコーン』のマンタである。イタチ等クエスト参加メンバーと共にこの場に居る彼だが、ここに居るのは今回のクエストに参加するためではない。イタチをはじめとした、クエスト参加メンバーの武器のメンテナンスを行うためである。

 

「魔法が届かないような遠い距離からの狙撃に弓を使うプレイヤーなんて、シノンさんくらいしか居ないと思うよ。いや、射程距離自体なら、ALOのプレイヤーやモンスターで右に出る人はいないかも……」

 

「それには俺も同意する」

 

マンタが苦笑交じりに誰にでもなく呟いた評価に対し、それを聞いていたイタチは肯定の意を示す。

本来、ALOにおける弓の適性距離は、近接武器以上・魔法以下である。指定された距離の範囲内ならば、システムアシストによる狙撃補正が利く。しかし、それ以上の距離からとなれば、風や重力が作用し、精密な狙撃は儘ならない。だが、シノンのホームグラウンドのGGOにおける主力武器は、遠距離の敵を攻撃する銃器である。中でも、長距離の敵を標的とする狙撃銃は、特に風や重力の影響を受ける武器である。狙撃手たるシノンは、それらを計算に入れての自力補正による射撃技術を磨き上げてきたのだ。ALOといえども要領は変わらず、シノンにとって弓矢による長距離狙撃は、然程難しいものではなかった。

 

「そんなに伝説級武器が欲しいなら、リズベット武具店から『イチイバル』を借りてくればよかったんじゃない?」

 

「生憎と、パーティーに誘ってはみたんだが、店主は年末の旅行で不在だ」

 

「魔弓『イチイバル』は射程がイマイチなのよね。私にはやっぱり、光弓『シェキナー』みたいな有効射程の長い弓が好みなのよね」

 

イタチとシノン、マンタの会話に出てきた魔弓『イチイバル』、光弓『シェキナー』とは、いずれもALOにおいて名の知れた伝説武器であり、遠距離攻撃を行う『弓』に分類される武器である。ちなみに、前者のイチイバルについては、現在ここには居ないイタチ等の仲間である、マンタと同じくレプラコーンのリズベットが所有している。所有に至った経緯は、コナンのガングニール同様、偶然が重なった結果であり、その全てを説明すると長くなるので割愛する。閑話休題。ともあれ、同じ弓でもこれら二つの伝説武器は、形状と性能が大きく異なることで知られているのだった。

まず、魔弓『イチイバル』の形状は、クロスボウである。その効果は、矢の威力増強と追尾機能の付加である。着弾点は下位の火属性魔法に匹敵する爆発を引き起こす上、一度に五発の矢を射出することができる点から、非常に高い制圧力を有することで知られる。機能上の欠点は、射程が短いことと連射できないことである。

次に、光弓『シェキナー』。こちらは和弓に近い形状の弓である。こちらの長所は、射程の長さと矢の速度倍増、そして速度に比例した一点突破の貫通力にある。連射が容易い形状とはいえ、命中率は使い手次第とされるので、使い勝手の面ではイチイバルの方に軍配が上がる。しかし射程について言えば、ほぼ無制限であり……矢の進行方向に障害物でも無ければ、どこまでも飛んでいくとされる。故に、シノンのように視力に長けたケットシーという種族で、弓の扱いに長けた能力ビルドのプレイヤーが手にしようものならば、とんでもない脅威になることは想像に難くない。接近戦に持ち込む暇など与えられず、瞬く間に敵を蜂の巣にする光景が容易に想像できる。

 

「光弓『シェキナー』の入手には、智天使ケルビムを倒す必要があったな。難攻不落のクエストな上、入手できる武器が弓なだけに、挑むパーティーは少ないと聞く。まあ、今年中に手に入るかもしれんな」

 

「ありがとう、イタチ」

 

「まあ、それまではシステム的に矢の飛距離を伸ばせるように、僕たちの方で工夫してみるよ」

 

シノンによる光弓『シェキナー』入手クエストへの協力依頼を承諾したイタチ。マンタの方も、伝説級武器には及ばないものの、一般に流通しているアイテムでシノンの腕を満足させるために協力してくれると言う。

そんな三人……正確には、イタチとシノンの二人が和やかにしている様子を、リーファはむくれた顔で見つめていた。

 

「むむぅ~……それじゃあ、あたしは灼剣『カマエル』がいい!」

 

「……あれはどちらかというと、サラマンダー向けの武器だろう。シルフなら、嵐剣『ラファエル』にしておけ。でなければ、刀に持ち替えて絶刀『アメノハバキリ』だ」

 

シノンに次いで、欲しい伝説級武器について語るリーファに、イタチは呆れた様子で突っ込みを入れる。ちなみに、灼剣『カマエル』と嵐剣『ラファエル』は、『セフィロトの十剣』と呼ばれるシリーズの伝説級武器であり、絶刀『アメノハバキリ』とは刀の伝説級武器である。属性的には、カマエルが火、ラファエルが風を司る。

 

「う~ん……なんて言うのかなぁ……なんか、自分の中の“声”が、あたしに手に入れろって訴えかけてきているように思うんだよね」

 

「…………妙なことを言ってないで、きちんと自分に合った武器を選べ」

 

尤もらしいことを言っているように聞こえるものの、イタチもリーファのことは言えない。ケットシーという種族を選んだ理由として、“前世の声”というよく分からないものに導かれたという経緯を持つのだから……

 

「たっだいまー!」

 

「お待たせ!」

 

そんな、伝説級武器を巡る他愛の無い話を、迷走しながら続けることしばらく。オヤマダ武具店の扉を開き、揃って同じ様な声を持つ二人のプレイヤーが店内へと入ってきた。今回のパーティーメンバーの一人である、水妖精族『ウンディーネ』のアスナと、アイテムの提供を依頼した鍛冶妖精族『レプラコーン』のララだった。二人とも、手には大きめのバスケットを持っており、中には大量のアイテムが詰め込まれていた。

 

「パパ、ただいまです」

 

「おかえり、ユイ」

 

アスナが店内に入るとともに、その肩から静かな羽音とともに、小さな妖精――ナビゲーション・ピクシーのユイが飛び立った。そのままイタチのもとへと飛んでくると、ユイはその頭上から降り立ち、ケットシー特有のネコミミが立つ、柔らかな黒髪の上に座るのだった。

 

「やっぱり、パパの髪はサラサラで気持ちいいです。耳も温かいですし」

 

「あまり触るな」

 

「ママも触ってみてはどうでしょうか?」

 

「勧めるんじゃない。下ろすぞ」

 

イタチの頭の座り心地と、その両側に立つ耳の触り心地を確かめながら、心地よさそうにするユイ。当のイタチは表情こそ変えないが、若干不機嫌そうな様子で……しかし、注意するだけで本気で下ろすつもりは無いようだった。

SAOにおいて、プレイヤーの精神状態を管理するMHPCだった彼女は、今現在は主にイタチの保護下に置かれていた。SAOでイタチとアスナに助けられた彼女は、相変わらず二人を『パパ』、『ママ』と呼んでいた。その呼称から分かるように、彼女はイタチのパートナーとしてアスナを推しており……しかし、その純粋で愛くるしい姿故に、イタチを巡るアスナの宿敵であるリーファとシノンは、黙認しているのだった。

 

「そういえば、買い物ついでに情報収集をしてきたんですが、あの空中ダンジョンについては、到達したパーティーはいないみたいです」

 

「……どういうことだ?エクスキャリバーが封印されているのは、ヨツンヘイムにあるダンジョンの中だ。場所が分かったとなれば、あのダンジョンに挑戦しているプレイヤーが既に居てもおかしくない筈だが……それとも、トンキーのようなモンスターに頼る以外の、あのダンジョンへ到達する方法があって、その条件を満たしている最中なのか?」

 

「詳しいことは、分かりません。ですが、私達が出会ったトンキーさんを助けたのとは、別口のクエストで、あのダンジョンとは無関係のようです。そのクエストの報酬として、NPCが提示したアイテムが、エクスキャリバーだったそうなのです」

 

「NPCが、エクスキャリバーを……?」

 

ユイが齎した情報に、イタチは怪訝な表情を浮かべる。ダンジョンに封印されている筈のエクスキャリバーが、何故NPCから報酬として提供されるのか。その疑問について思考を走らせる前に、今度はアスナがクエストに関する情報を付け足す。

 

「しかもそのクエスト、『スローター系』なんだって。クエストの場所は、あのダンジョンがあるヨツンヘイムで間違いないみたいなんだけど……」

 

虐殺(スローター)系クエストとは、指定されたモンスターを指定された数撃破する、または撃破することで手に入るドロップアイテムを指定数集めるといった内容のクエストを指す。それを聞いたイタチは、エクスキャリバー獲得クエストの裏に隠れた秘密を突き止めるは、狩る対象のモンスターにあると考えた。

 

「ターゲットのモンスターについては、何か分かりませんでしたか?」

 

「ううん。そこまでは分からなかったわ」

 

アスナもユイも、そこまでは分からなかったらしく、二人とも首を横に振った。しかし、ヨツンヘイムに生息するモンスターといえば、ALOの中でも強力な力を持つ邪神級しかいない。となれば問題は、ヨツンヘイムに生息するどのタイプの邪神かということになってくる。

 

(エクスキャリバーが絡むスローター系クエストで狩られるのは、邪神。エクスキャリバーが封印されているダンジョンへ連れて来てくれるトンキーもまた、邪神…………)

 

イタチの中で、情報が次々に繋がっていくのを感じていた。だが、エクスキャリバーを巡る一連の出来ごとの裏側にある真実に辿り着くには、確証と情報がまだまだ足りない。

 

「やはり、何か起こっていることは間違いないな。確かめるには、実際に行くほかない、か……」

 

「元々そのつもりだったじゃない。それより、パーティーの方が問題よ。あとの一人はどうするのよ?」

 

「そうそう、それよ。パーティーメンバーには、私とラン、コナン君が加わっても、六人よ。あと一人はどうするつもりなの?」

 

シノンとアスナが揃って指摘する、パーティーメンバーの問題。エクスキャリバー獲得クエストは、グランド・クエストに匹敵する超高難易度クエストである。強力なメンバーを揃えることはもとより、フルメンバーで挑むのは当然である。

故に、イタチは交友のある強力なプレイヤー達に声を掛けて誘いを掛けたのだった。SAO生還者の知り合いが多く、人望も厚いイタチならば、四人程度すぐに集まると考えていたのだが……現実では、そう上手くはいかなかった。

 

「まさか、誰も彼もが、帰省や旅行だなんてね」

 

「時期が時期だからな。まあ、仕方のないことだ」

 

イタチが声を掛けた面子には、用事を抱えた面子が多く、必要数のメンバーが揃うことはなかった。イタチの言うように、時期が年の瀬である以上、帰省や旅行で家を空ける人間が多いことは仕方のないことであり、イタチも予想していたことでもある。アスナ、コナン、ランの三人が集まってくれたことは、僥倖としか言えなかった。

 

「ごめんね。僕たちも何かと忙しいから、クエストへの同行はちょっと……」

 

「私なんか、パパと一緒に一度本国に帰らなきゃならないんだよ。しばらくALOはお預けで、皆とも会えないよ」

 

イタチの要請により、武器のメンテナンスとアイテムの補充を支援するために来てくれたマンタとララだが、彼等の立場は財閥の御曹司に一国の王女である。立場上多忙故にクエスト参加は不可能でも、アイテム関連の支援はできると考え、この場に集まったのだった。

 

「十分だ。アイテムを揃えてくれるだけでもかなり助かるからな。その上、忙しい中で来てくれたのだから、感謝しかない」

 

「リズベット武具店も閉まっていたからね。武器の性能を最大限に発揮できるようにメンテナンスしてくれるんだから、本当にありがたいです」

 

「ララの作ってくれる特殊矢も、かなり強力だからね。今回も頼りにしているわ」

 

イタチとリーファ、シノンの感謝と称賛の言葉に、レプラコーン二人の顔が照れた顔をする。SAOにおいては鍛冶をはじめとした生産系スキルを完全習得していた二人の実力は折紙付であり、イタチをはじめとしたSAO生還者達に加えて数多のALOプレイヤーの常連客を獲得していた。

 

「けど、せめてサチさんかメダカさんは欲しかったですよね。ALOのメイジの仲でも、あの二人の魔法スキルは、かなり強力でしたから」

 

「メダカさんはしょうがないよ。あの家は僕のところより忙しいだろうし」

 

「それより話を戻すけど、あと一人のパーティーメンバーをどうするかを決める必要があるわ。本当にどうするの?六人でクエストに挑むの?」

 

パーティーメンバーをはじめ、この場に居る全員が抱いている懸念について、再度触れるシノン。それに対し、問いを投げられた、実質リーダーであるイタチは静かに答えた。

 

「問題無い。先程心当たりのあるプレイヤーにメールで声を掛けたが、すぐに来てくれるそうだ」

 

「リアルの知り合いじゃないの?」

 

「ゲーム内で知り合った間柄だ。出会って日は浅いが、かなり腕が立つ剣士だ。エクスキャリバーが封印されているダンジョンの攻略にも、十分役に立つ筈だ」

 

イタチの言葉に、その場に居た誰もが驚きを露にする。冗談をあまり言う性格ではなく、辛口とまではいかないものの、他者の実力を認める発言を滅多にしないイタチが、エクスキャリバー獲得クエストへ同行させるに値すると認める実力者だと言ったのだ。

 

「へぇ……イタチがそこまで言うなんて、相当に強いんじゃねえか?」

 

「そんなプレイヤーがいるなんて話、聞いたこと無いよ?」

 

伝説級武器所持者であるコナンをはじめ、この場に居る全員は、ALOにおいて勇名を馳せる実力者達である。そんな彼等ですら知らない、イタチが推す新たな実力者と歯、一体どのような人物なのか。一同は非常に興味深いといった表情をしていた。

 

「向こうも、ALOを始めてから目立った活躍をしていたプレイヤーではないらしいからな。リアルが忙しいのか、都合が付かないのか知らんが、新生アインクラッドのフロアボス攻略に参加したことも無かったようだ」

 

「けど、それって矛盾してないかい?いくらALOがドスキル制のVRMMOで、リアルの運動能力に依存するといっても、プレイ時間が短いんじゃ、スキルを磨くのは大変だと思うけど」

 

「う~ん……少なくとも、アインクラッド攻略ぐらいは出ていてもおかしくないんじゃないかな?」

 

マンタとララの指摘は尤もなことだった。確かにALOの特性は、リアルの運動能力に優れ、フルダイブ環境への適応力が高い人間ならば、平均的な装備であっても高位プレイヤーと遜色ない実力を発揮できることにある。だが、プレイ時間に実力が左右される面が皆無というわけではない。ましてや、イタチが認める程の実力者ともなれば、相当なプレイ時間を費やしていてもおかしくない。にも関わらず、そのプレイヤーは目立った活動をしておらず、その名前も知られていないという。この矛盾は、どういうわけなのか。イタチ以外の全員が首を捻った。

 

「まあ、リアル事情は人それぞれだ。詮索するのはネチケット違反というものだろう」

 

「それもそうね。足を引っ張らない腕利きのプレイヤーなら、私も文句は無いわ。それで、まさかとは思うけど…………そのプレイヤーって、“女性”じゃないわよね?」

 

「………………」

 

シノンが口にした鋭い指摘に、それを聞いた一同に緊張が走り、一部のメンバー――主にアスナとリーファ――が、剣呑な雰囲気を纏い始める。対するイタチは、シノンの指摘に対して沈黙するばかり。この状況下、シノンの言葉が見当違いならば、即座に否定の言葉を発する筈。だが、イタチはそれをせず、貝のように口を閉ざしている。それが意味するところは、つまり――――

 

 

 

「やっほー、イタチ!お待たせ!」

 

 

 

その場を満たす、痛々しい程の沈黙を破る、陽気な声。一同が視線を向けた、店の出入り口。そこに立っていたのは、一人の女性プレイヤー。

肌は、闇妖精族『インプ』と特徴である、影の部分が、紫がかった乳白色。髪型は、腰のあたりまで長く伸びたパープルブラックの長髪。小造りで、大きなアメジスト思わせる輝きを放つ瞳の、可愛らしい顔立ち。腰には片手剣を差しており、剣士であることが分かる。

元気で明るい声で、しかし到着が遅れたことについて若干申し訳なさそうな雰囲気を纏って現れたこの少女こそが、果たしてイタチが呼んだ七人目のパーティーメンバーだった。

 

「ユウキ……来たか」

 

「うん!たまたまALOにダイブしていたお陰で来れたんだけど、ちょっと遅れちゃったかな?」

 

「……いや、問題無い。アイテムの買い出しもちょうどさっき終わったところだ」

 

「そっか、なら良かった!それで、ここに居る人達が、例のクエストに参加するパーティーメンバーなの?」

 

「ああ。そこに居るレプラコーンのマンタとララ以外、俺を含めてエクスキャリバー獲得クエストに挑むパーティーメンバーだ」

 

イタチにこの場に集まった面子について確かめると、ユウキと呼ばれたインプの少女は、自身に視線を向けるその場の全員に向き直り、自己紹介を始めた。

 

「はじめまして、僕はユウキ。見ての通り、インプの片手剣使いで、イタチとはちょっと前に知り合った友達なんだ。皆、よろしくね!」

 

屈託の無い、眩しいまでに純粋な笑顔で挨拶するユウキの挨拶。それに対し、その場にいたパーティーメンバー達――特に、イタチと親しい女性プレイヤー三人の反応は……

 

「私はアスナ。イタチ君とは、長い付き合いなの。よろしくね、ユウキ」

 

「あたしはリーファ。イタチ君とは、リアルでは義理の兄妹なの。今日はお願いね、ユウキ」

 

「私はシノン。イタチとは、古い幼馴染なの。見ての通り、後方支援担当だから背中は任せてね、ユウキ」

 

こちらも満面の笑みで、自己紹介をした。ユウキに負けず、ニコニコと……それはもう、普段見せることの無いような、笑顔で…………

 

「むむぅ~~……パパ、またなんですか?」

 

そしてもう一人、イタチの頭上に乗るユイが、イタチの耳を引き千切らんばかりの力で掴みながら、むくれた様子でそう呟いていた。

そして、それを傍観していた他の四人は……

 

「あはは!また新しい友達ができて、なんだか楽しそうだね!」

 

「いや、ララさん。どう考えても、そんな空気じゃないでしょ。イタチ君……今日のクエスト、大丈夫かなぁ……」

 

「イタチの奴、また女連れてきたのかよ……マンタの言う通り、今日は荒れるかもれねえなぁ……」

 

「う~ん……流石に節操無いんじゃないかな?ちなみに私は、リーファちゃんを応援するけど」

 

新たな友達の登場に対する歓喜、パーティーメンバーの関係の雲行きの怪しさに対する懸念、強敵の出現に際した友達への応援と、四者三様の反応を示していた。

 

 

 

こうして、ALOにおいてグランド・クエスト相当の難易度とされるエクスキャリバー獲得クエストは、前途多難なパーティーメンバーの集結と共に、幕を開けるのだった――――

 



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第九十九話 舞い降りた女神

 

「うわぁ……かなり深いね。一体、この階段って何段あるんだろう」

 

「アインクラッドの迷宮区タワー一個分は確実にある高さだ。それより早く行くぞ」

 

ユウキの呟きに対し、手短に答えて、目の前の階段へと駆け出すイタチ。その後を、ユウキをはじめとした六人のパーティーメンバーが追随するのだった。

イタチとその仲間達――エクスキャリバー獲得クエストのパーティーが現在下っている階段は、イタチとラン、リーファが以前成功したトンキー救出クエストを契機に開通した、ヨツンヘイムへ通じる回廊である。現時点において、アルンからヨツンヘイムへ向かうための最速・最短の移動経路であるとともに、件のエクスキャリバーが封印されているダンジョンへ到達する唯一の経路でもある。

 

「イタチ、ヨツンヘイムにはどのくらいで到着するの?」

 

「五分程度下り続ければ、断崖の入口に到着する。例のダンジョンへは、さっき話したトンキーと名付けられた邪神に乗って向かうことになる」

 

「邪神に乗る、かぁ……確か、邪神級モンスターはケットシーでもテイムできないって話だよね。僕、楽しみだよ!」

 

眼を輝かせ、屈託の無い笑みを浮かべて話すユウキに対し、イタチは相変わらずの冷静な態度で応じていた。そんな、気兼ねなく他愛の無い会話を交わす二人の姿を、しかし容認できないメンバーが三人ほどいた。

 

「あのね、ユウキ。一応言っておくけど、トンキーは正確にはテイムモンスターじゃないからね。あたし達を運んではくれるけど、あたしが呼ばない限りは来ないから、そこら辺忘れないでね」

 

「そうそう。イタチ君と二人っきりで乗ろうなんて、考えないようにね」

 

純粋なユウキとは真逆のニュアンスの籠った、それはそれは良い笑顔を浮かべながら、忠告と言う名の牽制を行うリーファとアスナ。シノンも無言ながら、言いたいことは全く同じらしく、恨めしそうにユウキに視線を送っていた。

 

「へぇ~……そうなんだ。ちょっと残念だね、イタチ」

 

「まあ……呼び出せるに越したことは無いがな」

 

イタチと並んで階段を下るユウキに対し、笑顔のまま警戒姿勢を継続させる三人のことなど、当人はまるで意に介さない。敢えて無視しているのではなく、天然で気付いていない様子だった。

だが、勘の鋭いイタチは、自分達に注がれる視線の意味に気付かないわけはなく……三人が発する視線によってグサグサと身を串刺しにされるような感覚を味わっていた。

 

(初対面で関係が上手くいかないのはよくあることだが……これは、相当拙いかもしれんな)

 

エクスキャリバー獲得クエストを前に、パーティーの中に立ち込める不穏な空気をどうにかしなければと苦心するイタチ。だが、イタチがユウキを庇うような真似をすれば、火に油を注ぐようなもの。ここは、第三者であるコナンとランに協力してもらうほか無さそうだ、と考えていた……その時だった。

 

「えい!」

 

「っ!!?」

 

途端、イタチの全身の体毛が、まるで電撃が走ったかのように逆立った。声こそ上げないものの、目を見開いて震え上がるその姿は、普段のイタチには有り得ないものであり、その場に居た一同もまた驚きの表情を浮かべていた。その原因を作ったのは、先程までイタチと並走していた少女だった。

 

「…………ユウキ、何をしている?」

 

「いやぁ……何かこう、ニョロニョロとしていたから、気になっちゃって、つい……」

 

ギギギ、とイタチが首を回して後ろの方へ視線をやると、そこにはイタチの黒い尻尾をぎゅっと握るユウキの姿があった。すぐ後ろから視線を突き立ててくる三人への対応に思考を走らせていたイタチの後ろに回り込んだユウキは、その隙を突いてこのような行動に及んだらしい。

 

「ケットシーの耳と尻尾には、特殊な感覚が走っているっていうけど……結構敏感だったんだね!」

 

「俺を使って、そんなことを確かめるんじゃない。そして、いい加減に離せ」

 

「えぇ~、別にいいじゃん、面白いんだし。あ、そうだ!今度は耳に触りたいけど、いい?」

 

「駄目に決まっているだろう……!」

 

悪びれる様子が全く無く、その反応を心底楽しんでいるユウキに、イタチは頭が痛くなる思いだった。同時に、背後から追随していた三人の女性達の視線が、急速に殺気を帯び始めていることに気付いたのだから、尚更だった。だが、ユウキの所業を許容できない人物は、他にもいた。

 

「そうです!そんなの駄目です!」

 

「わわゎっ!」

 

イタチとユウキの間を遮るように飛び出したのは、イタチのことをパパと呼ぶ、ナビゲーション・ピクシーのユイだった。頬を膨らませて怒りを露にしながらユウキを睨み付けるその姿に、さしものユウキも動揺していた。

 

「パパの耳と尻尾に触っていいのは、ママと私だけです!」

 

「…………おい」

 

ユイの登場のお陰で、ユウキも大人しくなるかと思いきや、この爆弾発言の投下である。沈静化しかけていた頭痛が、さらに増すのを感じていた。

 

「あ、あははは……ちょっとふざけ過ぎたかな?ごめんね、ユイちゃん」

 

「分かってくれれば良いんです。それよりママ、どうぞ!」

 

ユイの勢いに押されて大人しくなったユウキが、イタチの尻尾を話す。だが、今度はユイが解放された尻尾にしがみ付き、それをアスナに差し出してきたのだ。

 

「え!?……それじゃあ、折角だから……」

 

「ちょっとアスナ!あんたが握ってどうするのよ!」

 

「そうですよ!抜け駆けなんてずるいです!」

 

「駄目です!パパの尻尾は、ママだけの……」

 

「お前は黙っていろ。あと、いつまでも掴んでいるんじゃない」

 

「むぐぐっ!」

 

アスナに尻尾を差し出し、握れと言っているユイを引き剥がし、ポケットへと突っ込むイタチ。暴走するユイを無理矢理に黙らせたものの、触発された後ろの三人による尻尾の争奪戦は、治まる気配が全く無い。

 

「…………ハァ」

 

階段を下るスピードを落とさず、躓く様子も見せず、すぐ後ろで揉み合う三人に対し、イタチは深い溜息を吐きながら、「もはや止められない」と半ば匙を投げてしまった。

 

「本当に大丈夫かよ、イタチの奴……」

 

「リーファちゃん、負けちゃだめだよ!」

 

パーティーのリーダーであるイタチ。彼を巡って争うアスナ、リーファ、シノンの三人。爆弾のような存在として現れたユウキ。相変わらずリーファを応援する姿勢を崩さないラン。そんな六人の姿を見て、コナンは自分達がこれから臨むクエストの行方が、その難易度とは別の意味で、さらに心配になるのだった。

 

 

 

 

 

階段を下りながら、イタチを巡る争いをするという器用な真似をして進むことしばらく。遂にイタチ等七人は、ヨツンヘイムへと到達した。

 

「すごい……!」

 

「わぁぁあ!すごい景色だね!」

 

階段を下り切った先にあったのは、高さ約一キロメートルの地点に切り立った、断崖絶壁。そこから望む眺望は、ヨツンヘイムを初めて訪れたシノンと、この場所を初めて訪れるユウキを感嘆させる程のものだった。天蓋から突き出す幾つもの巨大な水晶と、地底に広がる邪神族の城や砦に灯る篝火が放つ仄かな光が織り成すコントラストは、この場所へ幾度か来たことのあるイタチやリーファですら魅入られるような美しさがあった。

だが、このアルヴヘイムの地下に広がる地下迷宮『ヨツンヘイム』は、そんな壮麗な美しさからは考えられないような、残酷な弱肉強食の世界でもある。

ヨツンヘイムに犇めく邪神型モンスターは、アルヴヘイム・オンライン屈指の強さを誇る強大なモンスター達であり……生半可な腕前のプレイヤーでは、全滅必至の凶悪なフィールドでもある。しかし、邪神族討伐には、その突出して高い難易度に比した報酬が望める。スキル熟練度の大幅向上が約束されることは勿論、ドロップアイテムとしては、レアなポーションや素材といったアイテム、或いは酒類のような食材アイテムすら手に入るのだ。故に、常に全滅と隣り合わせの氷の世界であっても、挑む者達は後を絶たない。エクスキャリバー獲得クエストの噂が立ってからは、挑戦者の数はさらに増えているらしい。

だが今回、イタチ等パーティーが目指す先は、眼下に広がる邪神族が闊歩する地下迷宮ではない。断崖絶壁から望むヨツンヘイムの景色への感慨を横へ置くと、イタチは本命のダンジョンへ向かうための準備をするために、アスナとリーファに声を掛ける。

 

「アスナさん、皆に支援魔法(バフ)をお願いします」

 

「任せて、イタチ君」

 

イタチの言葉に応じたアスナは、右手を翳し、魔法発動のスペルコードを唱え始める。詠唱が完了すると、イタチ等パーティーメンバー全員の体を、青いライトエフェクトが一瞬で包み込む。光が消えた後には、視界の端にバフを示すアイコンが付加され、寒さが緩和される。アスナが唱えた凍結耐性を向上させる支援魔法は、デバフの凍結状態への耐性を上げる以外に、体感的な寒さも緩和するのだ。

寒さによる感覚のブレが緩和され、剣を振るうのに問題が無いことを確認したイタチは、そろそろ出発すべきと判断し今度はリーファへ声を掛ける。

 

「リーファ、トンキーを呼んでくれ」

 

「オッケー、お兄ちゃん」

 

イタチの言葉に頷いたリーファは、右手の指を唇に当てると、高く口笛を吹き鳴らした。その数秒後、「くおぉぉーん」という特徴的な鳴き声が、ヨツンヘイムに吹き荒ぶ寒風を裂くように響き渡った。すると、断崖の真下に広がる、底無しの闇を湛えた大穴――ボイドから、巨大な影が浮上してきた。

四対八枚の翅を広げて飛来する巨大な影は、無数の触手が生えた胴体と、片側三個ずつの目と象を彷彿させる長い鼻を携えた頭部を持つ。イタチやリーファからは『象水母』と表現される邪神型モンスター――トンキーである。

 

「トンキーさん!お元気でしたか?」

 

トンキーが断崖へと姿を現すと共に、イタチのポケットの中に押し込められていたユイが飛び出し、その顔の近くまで近付く。するとトンキーは、それに応じるように再度鳴き声を上げていた。

一方、トンキーを初めて見たユウキとコナン、シノンはというと……

 

「わぁー!ほんとに邪神が来た!すっごいね!それに、なんか可愛い!」

 

「イタチ……お前って奴は、ホント非常識だな……オイ」

 

「今更でしょ。別に驚くことでもないわ」

 

トンキーの姿に目を輝かせて感激するユウキ。それと対照的に、コナンの方は、SAO時代から変わらず、自身の理解が全くと言って良い程及ばないイタチの規格外ぶりに顔を引き攣らせていた。シノンはシノンで、イタチならばこんな光景は珍しくもないとばかりに冷静な様子だった。

ちなみに、トンキーのことを屈託のない笑みで「可愛い」と称したユウキの言葉に、リーファとランは、笑みを浮かべていた。その奇妙な容姿故に、中々言われない表現なだけに、トンキーを気に入っている二人にとって、ユウキの言葉はかなり嬉しいものだった。

 

「イタチ、背中に乗っていいんだよね!?」

 

「ああ。じゃないと、目的地には行けないからな」

 

「よーし、それじゃあ行くよ!そぉーれっ!」

 

イタチの了承を得たユウキは、トンキーを見てハイになったテンションのまま、助走を付けてその背中へとジャンプした。

 

「おっとっとと!……やった!」

 

勢い余って若干バランスを崩したユウキだったが、どうにか持ち直すことに成功した。トンキーの背中に乗ってイタチ等の方を向くと、Vサインを決めていた。

その姿に、イタチ等はやれやれと肩を竦めて若干呆れながらも、後に続く形で背中に飛び乗っていく。以前にエクスキャリバーの封印されているダンジョンに挑戦した際にトンキーに乗ったことのある、イタチ、アスナ、リーファ、ランの四人は危なげなく乗り込む。相変わらず肝の据わったシノンと、高所には滅法強いコナンもまた、飛び乗った。

 

「それじゃあトンキー、エクスキャリバーの封印されているダンジョンまで、よろしく!」

 

リーファの求めに応じ、「くぉおーん」と一鳴きしたトンキーは、七人をその背中に乗せて、ヨツンヘイムの薄明かりが照らす寒空へと飛び立つのだった。

 

 

 

 

 

「イタチ。あれが、エクスキャリバーがあるダンジョンなの?」

 

「ああ、そうだ。ボイドの真上にある関係上、ヨツンヘイムの地表からでは、その存在を確認できない。さっきの断崖か、トンキーの背中にでも乗らない限りはな……」

 

トンキーの背に揺られることしばらく。ヨツンヘイムの寒空を飛行していたトンキーは、徐々に目的地へと近付いていた。その最中、ユウキの視線が捉えたのは、天蓋から縦横無尽に伸びる世界樹の根に絡め取られた、巨大な結晶体。逆さまに吊るされたピラミッドのような形状のそれこそが、これからイタチ等のパーティーが挑むエクスキャリバーが封印されたダンジョンである。

 

(入口までは、もうそろそろ、だな)

 

ダンジョンの壮麗な造りに感動しているユウキを余所に、イタチはダンジョンの上部側面へと視線を向ける。そこに設けられたテラスには、以前このダンジョンに挑戦する際に使った、ダンジョン内部へと通じる入口が存在することが分かっている。このまま近付けば、あと一分と掛からず到着する筈。そう考えたイタチは、メンバーに呼び掛けて準備を始めるよう促そうとする。だが、その時だった。

 

 

 

くぉぉぉおお――――ん!!

 

 

 

「っ!?」

 

「え?」

 

「は?」

 

突如、何の前触れも無く高い声で鳴きだすトンキー。それと共に、突如体から重力の感覚が失われたことに、何人かのメンバーは、思わず呆けたような声を出してしまった。いきなりのことに、一体何が起きたのか、それを理解する頃には――――急降下を開始したトンキーが、最高速度に達していた。

 

「むっ!」

 

「ぐぅぅうっ……!」

 

「「きゃぁぁぁあああ!!」」

 

襲い掛かる風圧に、イタチとコナンは呻き声を漏らし、アスナ、ラン、シノンの三人は絶叫を上げる。一方、リーファとユウキの二人は……

 

「ひゃっほぉお――――――う!」

 

「イエ――――――イ!!」

 

この予想外の急展開に見舞われる中、ジェットコースター気分で仲良く歓声を上げていた。

 

(トンキーの異常……まさかこれも、エクスキャリバー獲得クエストに関係しているのか……?)

 

トンキーの背中に、振り落とされないようにしがみ付きながらも、現状を把握しようと思考を走らせるイタチ。このタイミングで発生したトンキーの異常は、エクスキャリバー獲得クエストの不自然な内容と、何か関わりがあるのか。その結論が出ない内に、トンキーは急ブレーキをかけ、ヨツンヘイムの地表五十メートル程度の空中で静止した。

 

「一体、何が……」

 

「ここって……」

 

トンキーが停止したところで、ようやく余裕ができたのか。イタチ同様に何が起こったのかについて考えを巡らせ始める一同。そんな中、周囲を見渡していたリーファが、あるものを見つけた。

 

「お兄ちゃん、あれ見て!」

 

リーファが指差した方向へと視線を向けるイタチ。するとそこでは、三十人超の大規模レイドパーティーが、トンキーと同類の象水母型邪神を攻撃していた。しかも、それだけではない。レイドパーティーの近くには、もう一体の人型の、剣で武装した邪神が立っており、一緒になって象水母型邪神を攻撃していたのだ。

 

「これって……」

 

「ああ。間違いない。俺達がトンキーと初めて出会った時の状況に、かなり近い。だが、構図がまるで違う。あの武装した邪神は、明らかにレイドパーティーを援護している」

 

イタチの指摘した通り、その場で戦闘を繰り広げていた象水母邪神、人型邪神、レイドパーティーは、相互に敵対しているというわけではなかった。戦況は、象水母邪神が人型邪神とレイドパーティーの一方的な攻撃に晒されており、防戦一方となっている。一方で、人型邪神とレイドパーティーは、互いを攻撃してはいない。

しかも、それだけではない。象水母型邪神が倒された後、人型邪神とレイドパーティーは、揃って同じ方向へ移動を始めたのだ。まるで、味方同士で協力関係にあるかのように。

そしてその光景は、ヨツンヘイムの当たり一面を見渡していれば、至る場所で起こっていた。武装した人型邪神とレイドパーティーが組んでの、象水母型邪神の討伐……その異様な光景に、トンキーの背に乗るメンバーの誰もが困惑していた。

 

「まさかあの邪神、テイムされているの?」

 

「有り得んな。現在実装化されているスキルとアイテムを最大限に活用しても、邪神級モンスターのテイムはシステム的に不可能だ」

 

テイムモンスターこそいないが、イタチとてケットシー特有のスキルであるテイム関連の情報には精通している。故に、イタチが言っている以上は、邪神級モンスターのテイムは不可能なのだろうと、一同は納得する。

ならば、一体この状況は何なのか。メンバーの誰もが疑問に思う中、真っ先に答えを導き出したのは、現実・仮想世界の両方で名探偵として知られるコナンだった。

 

「考えられる可能性は、例の“クエスト”だな」

 

「俺も同じことを考えていた。まず、間違いないだろうな」

 

コナンの出した結論に、イタチもまた同調する。アスナやユイが集めた情報によれば、ALOを現在賑わせているエクスキャリバー獲得クエストは、モンスターを討伐するスローター系である。ヨツンヘイムの現状と照らし合わせると、標的はトンキーの同胞たる象水母型邪神。それを、人型邪神と協力して討伐するという内容だろうか。

 

(このクエストは、NPCから発注されているもの。ならばそのNPCは、人型邪神をレイドパーティーに与える権限を持っているということになる……)

 

ALO最強の伝説級武器、聖剣『エクスキャリバー』の入手クエストが、前代未聞の邪神同行型のスローター系クエスト。しかも、標的はトンキーの同類。繰り返し発生する異変の数々を鑑みるに、これはいよいよ、この世界――アルヴヘイムにおいて、天変地異にも等しい重大な事象の前触れなのかもしれない。

他のパーティーメンバー達が困惑の真っ只中にある中で、イタチはこの世界の舞台たるアルヴヘイムと、そして自分達が置かれた状況とを分析するべく、さらに思考を走らせようとする。だが、その時だった。

 

「誰だ!?」

 

「えっ……!?」

 

「お兄ちゃん!?」

 

突如背後に感じた気配に、思考を中断したイタチが勢いよく振り返る。イタチのいきなりの挙動に驚いた他のメンバーも、倣って後ろを振り向く。すると、彼等の視線の先、トンキーの背中の一番後ろの空間において、奇怪な現象が起こった。

どこから発生したのか分からない、光の粒が空中に集まり、凝縮し始めたのだ。凝縮された光の粒子は、やがて巨大な人影を作り出した。

身を包むのは、ローブのような長い衣装。足先まで届くかという程の長い金髪。そして、優雅かつ超然とした……女神を彷彿させるような美貌の女性だった。三メートル超の、およそ一般的なアバターのサイズからかけ離れた長身の女性は、イタチをはじめとしたパーティーメンバー達を見下ろすと、静かに口を開いた。

 

 

 

「私は、『湖の女王』ウルズ」

 

 

 

「ウルズ?……それって、もしかして」

 

「北欧神話に出てくる、運命の女神の一柱ね。過去を司る女神、だったと思うわ」

 

『ウルズ』という名前には、イタチも覚えが会った。リーファとシノンが言うように、北欧神話に出てくる運命の女神、ノルニルの一柱であり、過去を司ることで知られている。そして、ALOの世界観は、多数の神話や物語をベースにしている。北欧神話はその中でも中心的な要素であり、その中に登場する名前は、このゲームの中で重要な意味を持つ。

目の前に出現した女神もまた、このクエストを左右する何かを秘めている。イタチはそう確信していた。問題は、目の前の女神が敵なのか、味方なのかにある。

 

「ユイ、あの女神のNPCが敵か分かるか?」

 

「いいえ。そこまでは私には分かりません。けど、あのNPCのHPはイネーブルにはされていないようです」

 

「ならば、現状では敵にはならないということか」

 

目の前の女神が敵にはなり得ないことに、内心で安堵するイタチ。少なくともこれで、翅が使えないヨツンヘイムで、トンキーに乗って空中戦を繰り広げるという無茶をするリスクは無くなった。

 

「けれど、少し妙なこともあります。通常のNPCとは違って、コアプログラムに近い言語エンジンモジュールに接続しており……AI化されているようです」

 

「確かに……それは少し妙だな」

 

ルーチン化された会話しかしない通常のNPCとは異なる、特殊な仕様の女神の登場。これもまた、エクスキャリバー獲得クエストの特殊性故なのか。疑問は増えるが、今は目の前に現れた女神の目的を知ることが先決だと、イタチは考えた。イタチが身構える中、やがて女神ウルズは再び話しだした。

 

「我等が眷属と絆を結びし妖精たちよ。そなたらに、私と二人の妹から一つの請願があります。どうかこの国を、『霜の巨人族』の攻撃から救って欲しい」

 

「眷属?女神の眷属って、一体……?」

 

「トンキーと同じ、象水母型邪神のことだろう」

 

ウルズの言葉の意味が分からず、他の面子同様に首を傾げるばかりだったユウキの疑問に答えたのは、イタチだった。

忍の本分は、戦闘だけではない。破壊工作はもとより、諜報活動と、それによって得た断片的な情報を整理し、真相を導き出すことも含まれる。故に、アルヴヘイムに現在起こっている異変の数々を繋ぎ合わせ、推測を立てることも、イタチにとってはさして難しいことではなかった。

 

「霜の巨人族の攻撃とは、レイドパーティーと行動を共にしている、人型邪神による、象水母型邪神への攻撃だろう。事態の流れから察するに、エクスキャリバーを餌にしてレイドパーティーを嗾けている黒幕は、霜の巨人族。違うか?」

 

イタチがすらすらと述べた答えに対し、ウルズは静かに頷いた。そして、ウルズが手を振るうと、傍らの空間が歪み、スクリーンのように別の光景を映し出した。

 

「かつてこの『ヨツンヘイム』は、そなたたちの『アルヴヘイム』と同じように、世界樹イグドラシルの恩寵を受け、美しい水と緑に覆われていました。我々『丘の巨人族』とその眷属たる獣たちが、穏やかに暮らしていたのです」

 

その言葉を皮切りに、ウルズが造り出した空中のスクリーンの光景が、変化していく。それと共に、現状ではイタチ等プレイヤーが知り得ない、北欧神話に基づくアルヴヘイムに秘められた真相が語られていく…………

 

 

 

その昔、邪神級モンスターの闊歩する氷の世界としてしられるここ、ヨツンヘイムは、まるで異なる様相を呈していた。一面を草木や花々が覆い尽くし、ボイドと呼ばれる大穴があった場所には、清らかな水を湛えた湖が存在していたのだ。

だが、そんな豊かな大地を狙い、地下深くにある氷の国『ニブルヘイム』を支配する霜の巨人族の王、スリュムがある謀略を巡らせた。それは、鍛冶の神ヴェルンドが鍛えた、『全ての鉄と木を断つ剣』として知られる聖剣『エクスキャリバー』を、ヨツンヘイムの中心にある『ウルズの泉』へ投げ込むというもの。ウルズの泉には、世界樹イグドラシルの根が全面に伸びており、これを介してヨツンヘイムは恩寵を授かっていた。泉に投げ込まれたエクスキャリバーは、最も重要な部分の根を断ち切り……その結果、暖かく豊かな大地が広がるヨツンヘイムは、冷気に満ちた、さながら氷河期の様相を呈する凍土と化した。

ヨツンヘイムを覆い尽くす冷気は、泉に満ちていた大量の水すらも凍結させた。そうして出来あがった巨大な氷塊は、泉へ伸びていた世界樹の根に絡め取られて上昇し……ヨツンヘイムの天蓋へと突き刺さった。氷塊が取り除かれた跡に残っていたのは、一筋の光も差さない暗く深い巨大な穴――ボイドだった。

 

 

 

「王スリュム配下の『霜の巨人族』は、ニブルヘイムからヨツンヘイムへと大挙して攻め込み、我々『丘の巨人族』を捕らえ幽閉しました。そして、かつて『ウルズの泉』だった大氷塊に居城『スリュムヘイム』を築き、この地を支配しました。私と二人の妹は、凍り付いたとある泉の底に逃げ延びましたが、最早かつての力はありません」

 

スクリーンに映し出された映像と、ウルズの話から状況を正確に理解し始める一同。だが、ここまでの話は、過去に起こったという設定上の話でしかない。問題は、恐らくここからなのだ。現在アルヴヘイムに起こっている異変が、この世界にどんな影響を齎すのか。そのリスクを語ろうとするウルズの瞳は、心なしか悲愴を湛えているかのように思えた。

 

「霜の巨人族たちは、それに飽き足らず、この地に今も生き延びる我等の眷属の獣たちを皆殺しにしようとしています。そうなれば、私の力は完全に失われ、スリュムヘイムは上層のアルヴヘイムにまで浮き上がることでしょう」

 

その言葉を聞いた途端、イタチ達の中で緊張が走った。ゲームの設定上とはいえ、スリュムヘイムの上昇は、温暖な大地だったヨツンヘイムを氷河期に激変させる程の影響力を持っている。それ程の変化が、今度は地上部たるアルヴヘイムにまで及ぼうとしているのだ。仮にそんなことになれば、真上にあるアルンの街は勿論、世界樹のイグドラシル・シティへの影響は免れない。下手をすれば、九種族全ての首都すら崩壊させる可能性がある。

 

「王スリュムの目的は、世界樹ユグドラシルの梢に実るという、『黄金の林檎』です。それを手に入れるためならば、ここヨツンヘイムより地上へ攻め入り、アルヴヘイムすらも凍てつかせることでしょう。そして今、スリュムは新たな策謀を巡らせました」

 

「それが、エクスキャリバーの獲得クエスト……」

 

「そういうことだ。プレイヤー達にクエストを発注しているNPCは、恐らくスリュムの手先だろう。エクスキャリバーの獲得に血眼になっているプレイヤー達を利用して、ウルズの眷属に相当する邪神級モンスターを駆逐して、アルン侵攻の布石にするつもりだろう」

 

「邪神級モンスターの手を借りて邪神を狩ることができるんだ。エクスキャリバーが手に入るだけでなく、膨大な経験値と大量のレアドロップも手に入れることができる。プレイヤーの欲望を利用した、見事な策略ってわけだ」

 

イタチに続き、コナンがそう付け加える。既に二人は、エクスキャリバーを巡る一連の出来事をゲームの中の出来事とは捉えていない。ウルズの話に出た、スリュムという名の霜の巨人族に対する認識もまた、単純なNPCという枠に収めていない。

二人をはじめ、この場にいるほとんどの者の心は、かつて仮想世界の死闘に臨んだ時へと回帰しようとしていた。

 

「それじゃあ、報酬のエクスキャリバーも……」

 

「出まかせか、あるいは贋作と見て間違いあるまい」

 

氷のダンジョンに封印されているエクスキャリバーは、ニブルヘイムからヨツンヘイムへと進行するための楔であり、アルン侵攻に際して引き抜くことは許されない。ならば、クエストの報酬はイタチの言うように、まず本物ではない筈。そしてその推測は、ウルズによって肯定される。

 

「恐らく、鍛冶の神ヴェルンドが鍛えた時、槌を一回打ち損じたため投げ捨てた、偽剣『カリバーン』を与えるつもりでしょう。見た目は同じでも、真の力は持たない、しかし強大な力を持つ剣を」

 

「影打ちというわけか。これで全て、合点がいったな。それで、眷属が殺されて、あんたの力が完全に失われ、アルンが崩壊しようとしているこの最中、俺達に何をさせたいんだ?」

 

既にその答えについて確信は持っている。それでもイタチは、目の前の女神に先を促した。忍びとして、自分と仲間達がこれから臨む『依頼(クエスト)』を改めて引き受けるために。

そして、ウルズはイタチ達の目指す先だった氷のダンジョン、スリュムヘイムに腕を差し伸べながら、それを口にした。

 

「妖精たちよ、スリュムヘイムに侵入し、エクスキャリバーを『要の台座』より引き抜いてください」

 

その言葉を最後に、ウルズの姿は一瞬の発光とともにその像は崩壊し、無数の光の粒子と化した。だがその後、残留した一部の粒子が、虚空を伝って移動し、リーファのもとへと流れ込んできたのだ。

 

「お兄ちゃん、これ!」

 

イタチをはじめ、パーティーメンバー全員が、リーファの手元へ視線を向ける。集まった粒子は、リーファの掌中で丸い形を取り……やがてそれは、大きな宝石が嵌め込まれたメダリオンと化した。だが、その宝石は、カットの六割以上が黒く染まっていた。

 

「成程。これが全て染まった時が、タイムリミットということか。かなり時間は差し迫っているようだがな」

 

「う~ん……よく分かんないけどこれって、とにかく急いだ方が良いんだよね。どうするの、イタチ?」

 

「元よりエクスキャリバー獲得のためにここへ来たんだ。今更引き返すつもりは無い。譬えこの先に、どのような結末が待ち受けていたとしてもな」

 

それだけ言うと、イタチはリーファを促してトンキーを件のエクスキャリバーが封印されている、氷のダンジョン――スリュムヘイムへと向かわせた。

その道中、ランが先程のウルズからの依頼内容について、不安を感じた様子で、イタチへと問い掛けた。

 

「このクエストって、エクスキャリバーの正規の獲得クエストで間違いないみたいだけど……失敗したら、どうなるのかしら?さっき言われたみたいに……本当にアルヴヘイムに霜の巨人族が攻め込むなんてことになるのかしら?」

 

「まさか。いくらなんでも、街をモンスターの群れが襲撃するようなイベントでしょ?まさか、何の告知もされないままにそれが実行されるなんて有り得ないわ。それは、どんなゲームでも同じじゃないの?」

 

ジャンルは違えど、シノンのホームグラウンドであるGGOも、ALOと同じくVRMMOである。プレイヤーの拠点たる街をモンスターが襲撃するような重大イベントが発生するならば、事前に告知する筈である。故に、仮にクエストに失敗したとしても、先程のウルズが言ったようなことは、現実には起こり得ない筈なのだ。それは、シノンだけでなく、この場に居る全員の共通認識だった。

しかし……

 

「その“まさか”が、起こり得るかもしれんぞ」

 

ただ一人、イタチだけは、その固定観念を否定した。

 

「GGOをはじめとしたゲームは、『ザ・シード』規格だが、このALOだけは、SAO事件中から運営しているVRMMOだ。そのシステムは、SAOにて運用されていたものに限りなく近いコピーだ」

 

「SAOのシステムには、ALOには無い……本当にこの世界を崩壊させるような特殊なものがあるのか?」

 

一同が神妙な面持ちで見守る中でのコナンの問い掛けに対し、イタチは静かに頷いた。

 

「SAOには、ネットワークを介して世界各地の伝説や伝承を収集して、それを基にクエストを無制限にジェネレートし続ける『クエスト自動生成機能』がある。そうだな、ユイ?」

 

「はい。パパの言う通りです」

 

イタチの説明について、確認を求められたユイは、首肯した。そして、説明をバトンタッチするかのように、その続きを話しだした。

 

「ご存じの通り、SAO事件当時の運営は、全て内部のシステムが担っていました。このALOについては、人の手によって運営されており、クエストについても同様に管理されていますが……一連の出来事から考察して、現在ALOで起こっているエクスキャリバーを巡るクエストは、管理されたものではありません。恐らくは、何らかの要因が重なった結果、クエストを生成するシステムが再起動したと考えられます」

 

「何故システムが起動したかは、この際問題ではない。重要なのは、『クエストの再現度』だ。多少の制限はあるが、生成するクエストは、モデルとなった世界や出来事を非常に忠実に再現することができる。つまりは、システム的に可能であれば…………『神々の黄昏(ラグナロク)』に至る可能性も、十分に有り得るということだ」

 

イタチの口から出たその言葉に、それを聞いていたパーティーメンバーの間に、再度の驚愕と、戦慄が走った。

『神々の黄昏(ラグナロク)』とは、北欧神話の神々による最終戦争であり、神話の終焉そのものを意味する言葉として知られている。巨人族の双子の狼である、スコルが太陽を呑みこみ、ハティが月を粉砕したことで、神々のあらゆる戒めや枷が力を喪失。結果、ヨツンヘイムとニブルヘイムの霜の巨人族をはじめ、ムスペルヘイムの炎の巨人族までもが地上へ侵攻したことで、神々による大規模な戦乱が勃発。最終的には、炎の巨人族のスルトが放った炎により、地上はおろか、ヨツンヘイムやニブルヘイムまでもが焼き尽くされる、世界の終焉と呼ぶに相応しい結末を迎えると言われている。

それがこの、ALOという世界において、具現化しようとしているのだ。ゲーム世界とは言え、慣れ親しんだこの世界の光景が、焦土になろうとしている。そのような可能性を突き付けられても、受け入れることは出来る筈も無い。イタチの話を聞いたメンバーは、コナン以外の内心は混乱の渦中にあるようだった。

 

「け、けど……マップ全体を壊すような事態なんて、本当に起こるの!?」

 

「可能か不可能かといえば……可能だ」

 

信じられないとばかりに発したリーファの言葉に……しかし、イタチは即答した。

 

「SAOを管理していたシステムは、全層クリアと同時にプレイヤー達を解放した後、アインクラッドそのものを崩壊するよう設定されていた。ALOのシステムがそれに限りなく近いものならば……ゲームマップを崩壊させるだけの権限は、十分にある」

 

SAOの開発スタッフとして、そのゲームシステムについて茅場晶彦に次ぐ知識を持つことを、アスナをはじめとしたSAO帰還者や関係者達は知っている。そのイタチが言っているのだ。このALOに現在流布されているエクスキャリバー獲得クエストの裏には、アルヴヘイム崩壊の危機が迫っていることを疑う余地は、既に無い。そしてそれを止めることができるのは、真のエクスキャリバー獲得クエストに挑もうとしている自分達なのだ。

ALO最強の武器たる、聖剣『エクスキャリバー』を獲得することだけを目的としたクエストが、仮想とはいえ世界の命運が懸かった戦いと化したのだ。気後れするなというのも無理な話だった。だが、タイムリミットは刻一刻と迫っている。早々にダンジョンへ向かわねばならない以上、皆には覚悟を決めてもらわねばならない。そう考えたイタチは、改めてクエストへ挑む決意を促そうとする。

 

「皆、早く行こうよ!」

 

だが、それより先に、思わぬ人物――ユウキが声を上げた。その顔には、皆が浮かべているような沈痛な面持ちは無かった。この場の空気に似つかわしくない反応に、その場にいたメンバー全員が目を丸くした。

 

「さっきの話、ちょっと僕は部外者っぽくて、よく分かんなかったんだけど……でも、この世界に大変なことが起こっていて……それを止めるには、僕達が何とかしなきゃならないってことだけは、分かったよ」

 

「ユウキ……」

 

「だから、きっとこんなところで立ち止まっている暇なんて無い筈でしょ?目的地とやることが決まっているなら、今すぐ行くべきだよ!」

 

「けど、もし失敗したら……」

 

「大丈夫だよ!」

 

クエスト失敗のリスクに押し潰されそうな、アスナが抱える不安を……しかしユウキは、陰りというものを全く知らないような、満面の笑顔と明るく元気な、力強い声で振り払った。

 

「ここにいる皆なら、きっとやり遂げられる!だって、イタチが信じた仲間なんだよ?失敗することなんて、ある筈が無いよ!」

 

ユウキが口にした、このクエストを必ず成功させられるという根拠に対し、呆気にとられる一同。名指しされたイタチも、常には無い困惑の表情で、赤い瞳を見開いていた。

 

「さあ、早く行こう!」

 

理屈では語れないような根拠に対し、どうコメントして良いかが分からず、沈黙したままのパーティーメンバーの様子など気に留めず、ユウキは再度出発を促した。それにより、逸早く再起動したイタチは、それに応じるように静かに頷き、口を開いた。

 

「リーファ、出発を頼む」

 

「え?……あ、うん!トンキー、お願い!」

 

リーファの求めに応じ、くぉぉおん、と鳴いたトンキーは、目的地たる氷のダンジョンを目指して飛行を再開した。

 

「よーし!頑張るぞー!」

 

この先に何が待ち受けているかも分からない状況の中、不安など一切抱かず、相変わらず元気を失わないユウキの姿を見た一同の顔に、ふっと微笑みが浮かんだ。それと同時に、先程のユウキ言葉に対し、特定のメンバーは、ある感慨も浮かべていた。

 

(こんな状況下でも、イタチ君を信じてあんなことが言えるなんて……)

 

(お兄ちゃんが信頼してメンバーに誘ったのが、よく分かるよ)

 

(これは……想像以上に手強いライバルが出現したものね)

 

イタチに想いを寄せる三人は、ユウキに対する認識を改める。イタチを巡るライバルということに変わりは無いが、警戒心は幾分か和らいだ。先程の発言から、ユウキが自分達と同様かそれ以上に、イタチを信頼していることが伝わったからだ。

そして、その三人だけでなく、イタチを含めるこのクエストに挑戦するメンバー全員は思った。

 

 

 

ユウキの言う通り、ここに集まった皆の力を合わせれば、きっとこのクエストを成功させることができる、と――――

 



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第百話 連携×攻略×ボスラッシュ

壁と床、天井と、周囲を囲む全てが氷でできたダンジョンの中。イタチ等エクスキャリバー獲得クエストに挑むパーティーは、次の階層へと通じる階段を守るボスを相手に、戦闘を開始していた。

 

「ラン、敵の懐に強力な一撃を叩き込んで体勢を崩せ!」

 

「分かった!」

 

「アスナさん、スイッチの準備を!」

 

「了解!」

 

『ハーッハッハッハ!この世界で一番美しいのは、アタシだよ!』

 

イタチ等の行く手を塞ぐのは、無数の棘の付いた金棒で武装した、醜悪に太った女オーガである。凄まじい勢いで振り回される金棒は、一撃でHPを全損させる可能性すらある。だが、ランは現実世界の空手で培った動体視力でその攻撃を見切り、踏み込みの勢いを殺さないまま懐に飛び込み、正拳突きを模した強烈な体術系ソードスキル『轟月』を繰り出した。

 

『ぐげぇええっ……!?』

 

「せぇぇええい!!」

 

ランの一撃で体勢を崩したてから間髪を入れず、今度はアスナが放った細剣系上位ソードスキル『フラッシング・ペネトレイター』が炸裂する。そして、HPがさらに削られたこの瞬間を勝機と見たイタチが、一気に畳み掛ける。

 

「ユウキ、一気に決めるぞ!アスナさんに続け!!」

 

「オーケー!任せてよ!」

 

次いで、ランの攻撃によって体勢を崩した女オーガの隙を見逃さず、イタチとユウキが揃って突撃を敢行する。発動するソードスキルは、片手剣垂直四連撃の『バーチカル・スクエア』。しかも、交互にではなく、同時に繰り出す。通常、二人以上のメンバーが同時に同じソードスキルを、しかも連撃で発動しようとすれば互いに交錯・衝突して失敗に終わり、ダメージを負うことも少なくない。だが、イタチとユウキは見事な連携で剣戟を繰り出し、四連撃全てを見事に決めた。

 

『ぐっ!……がぁぁぁあ!!』

 

イタチとユウキという、黒い影二つが交錯する八連撃を受けた女オーガは、反撃の間も無くHPを全損し、ポリゴン片と化して消滅した。

 

「やすんでいる暇は無い。次の階層へ行くぞ」

 

だが、勝利の余韻に浸っている時間は全く無い。目指す先のエクスキャリバーに至るまでの道のりは、まだまだ先であり、戦いもまだまだ続くのだから……

 

 

 

ウルズからの依頼を経て、アルヴヘイムに起こっている異変についての情報を得たイタチ等一行は、氷のダンジョン改めスリュムヘイムへと突入していた。

スリュムヘイムには、以前にもエクスキャリバーを求めて突入したことはあったが、ハイレベルの邪神による厳重な警備故に、最深部どころか第一階層すら突破することは敵わず、撤退を余儀なくされた。しかし現在、スリュムヘイムの守りを固めていた邪神の数は非常に少なくなっていた。恐らく、ウルズの眷属を殲滅する策略の実行に伴い、ヨツンヘイムへ出払っているのだろう。

格段に下がった警備レベル故に、以前のように上層部で手も足も出ない状況に追いやられることは無かった。しかし、数は少なくなったとはいえ、相手はいずれも邪神級モンスターである。一々相手をしていては、消耗してエクスキャリバーには辿り着けない。故に一行は、リーダーであるイタチの指示の下で、トラップと戦闘を極力回避して深層を目指す、隠密行動を取っていた。しかし、グランド・クエストに匹敵する難易度のダンジョンにおける戦闘を、皆無にできる筈は無い。目的地へ辿り着くためには外せないエリアは、どうしても存在するのだ。そういった場合には、最小限のダメージとアイテム消費のもと、迅速にこれを片付けて進むこととなった。

第一層は金棒を装備した女オーガ、第二層は斧を手に装備したトロール、第三層は手足が分離する道化魔人と、戦闘は階段を守護するボスモンスターに限定し、イタチ等は最小限のダメージでこれを切りぬけた。しかし、順調に思われたイタチ等の快進撃は、第四層の俊足の黒猫型モンスターを倒し、次の階層へ降り立った直後に、急激なスピードダウンを迎えるのだった――――

 

 

 

 

 

『ルォォオオオ!!』

 

「パパ、範囲攻撃が来ます!」

 

イタチと仲間達の目の前に広がるのは、奥行きおよそ数十メートルに及ぶ広大な空洞。その空間を埋め尽くすのは、百体は下らない小型のコボルドの軍勢。その最奥部にある次の階層へ通じる階段前には、金色の鎧と巨大な槍で武装した、この群れのボスであろう巨体のコボルドが陣取っている。

そして今、金色鎧のコボルドは、その手に持つ巨大な槍を振り下ろそうとしていた。

 

「皆、散開して回避しろ!」

 

ユイがナビゲーション・ピクシーとしての能力で予見した攻撃に対し、イタチはパーティーメンバー全員に回避を呼び掛ける。対する一同は、刃を交えていた前衛のコボルド達を振り払い、回避に動く。

 

「来るぞ!」

 

そして、群れの奥に居るコボルドの王が振るった槍が、地面を直撃する。そして次の瞬間、槍の着弾点から十本は下らない数の閃光が迸り、猛烈な勢いで前衛コボルドの群れを蹴散らしながら、イタチ達へと襲い掛かった。イタチ等は回避行動が早かったお陰で直撃は免れたものの、数名が僅かに掠めたのか、HPを何割か削り取られていた。

 

「皆、無事なようだな」

 

「けど、こんな攻撃、避け続けるのは限界があるよ!」

 

「しかも、数が多過ぎる……イタチ君、どうするの!?」

 

「分かっている。少し待て」

 

ユウキやランの悲鳴にも似た問い掛けに対し、パーティーリーダーたるイタチは、現状を冷静に分析する。

 

(コボルドの子分は、減る気配が無い。正面戦闘で数を減らすのは、愚策か……)

 

前衛のコボルドは、最奥部に控えるボスの攻撃を受けても、消滅した傍からリポップしているのだ。正攻法で相手するわけにはいかない。リーファの持っているメダリオンも、既に七割が侵食されており、死に戻りする時間も無い。

かなり厳しいこの状況を突破する策は一つ。司令塔と思しき金色鎧の巨体コボルドを倒して、先へ進む以外にない。

 

(問題は、前衛の百体……)

 

迫りくるコボルドの攻撃を、無駄の無い動きで捌きながら、イタチはリーダーとして思考を走らせる。現在のパーティーメンバーの力で、最小限の消耗でこの状況を打破すべきか。パーティーメンバーの能力、敵の戦力、その他この戦いにおけるあらゆる情報を頭の中で整理し、打開策を導き出す。

 

「このままコボルドの大群を相手にしていては埒が明かん。一点突破で敵の大将を倒す他に手は無い。良いな?」

 

「お兄ちゃん、分かった!」

 

「イタチ君、作戦を教えて!」

 

イタチの指揮の下、現状の危機を突破するために結束する意志を示したパーティーメンバー達。イタチはそれに対して迅速かつ的確な指示を与えていく。

 

「アスナさんとユウキは、俺と一緒に打って出る。前衛の群れを突破して、コボルドの親玉を討つ」

 

「分かったわ!」

 

「オッケー!」

 

「コナンとシノン、お前達は後方支援だ。遠隔型で、効果範囲の広い攻撃で敵を攪乱しろ」

 

「ああ、任せとけ!」

 

「了解したわ!」

 

「ランとリーファは後方支援の二人を守れ。親玉を倒すまでは、二人の支援は不可欠だ」

 

「任せて、お兄ちゃん!」

 

「シルフ五傑って呼ばれている私達の実力、見せてあげる!」

 

各々、イタチに指定されたポジションに付き、得物を構える。作戦開始の準備を確認したイタチは、まずはすぐ後ろにいるアスナへ、次いで手始めに最も後ろに控えているコナンに指示を出した。

 

「アスナさん、状態異常耐性のバフをお願いします」

 

「任せて!」

 

「コナンとシノン。交互に敵前衛に対して広範囲攻撃を頼む」

 

「ああ、分かった!それじゃあ、まずは俺から!」

 

アスナが詠唱を開始すると同時に、コナンは手に持つ武器を、撃槍『ガングニール』からバイオリンへと持ち替える。このバイオリンは、音楽妖精族『プーカ』の専用装備である。プーカはバイオリンのような楽器系アイテムを用いれば、より強力なスキルを発動できる。尤も、楽器系アイテムは武器と同じ扱いであるため、武器を持ち替える必要があるという欠点がある。故に、武器を装備した状態でも、歌声でスキルを発動することができる『歌唱スキル』を上げるプーカが大多数である。しかしコナンの場合は、重度の音痴故にスキル発動に支障を来たすため、スキル発動には、現実世界でも経験のあるバイオリンを用いているのだった。

 

「そおら、よっと!」

 

コナンがバイオリンを奏でるとともに、魔法陣を描くかのように五線譜と音符で構成された光芒が展開される。そして、中心に立つコナンの持つバイオリンから、音符を載せた五線譜が、ライトエフェクトを伴って新たに放たれ、コボルドの前衛を直撃する。放たれた五線譜は、コボルドの軍勢に直撃すると共に音符を放射状に拡散させ、数十体をその影響圏へと巻き込んだ。

 

『グ、ゴゴガァァアッッ……!?』

 

コナンの放ったスキルがコボルドに命中した途端、コボルド達は狂ったかのように同士討ちを始めた。コナンが発動した音楽系デバフスキルによって、混乱状態に陥ったのだ。そして、その効果発動を確認すると同時に、今度はイタチとユウキ、アスナが突撃を敢行する。

 

「今です、アスナさん!」

 

「分かった!……せぇぇぇえええい!!」

 

イタチの指示のもと、アスナが先頭を切って混乱状態の敵のもとへ突撃する。発動するスキルは細剣上位ソードスキルの『フラッシング・ペネトレイター』。SAOでは『閃光』の二つ名を冠するに至った速度に裏付けられた、強力な貫通力を有する。その突撃をもって、敵陣そのものに“穴”を穿つ。

 

「次だ、シノン!」

 

アスナによって開かれた道を、イタチとユウキが揃って斬り込んでいく。その合間に、コナンにスイッチする形で今度はシノンが前へ出て、出立の際にララから受け取った特殊矢を番え、詠唱を開始する。狙うはイタチとユウキが目指す先、アスナが至った敵陣中央より少し先の位置である。

 

(目標位置確認……そこ!)

 

ケットシーの卓越した視力で着弾点を定めたシノンは必中を期して、詠唱によって魔法効果が付加された矢を射る。オヤマダ武具店の店主であるマンタが、生産職プレイヤーとして持てる力の全てを尽くして生み出した強化弓から放たれた矢は、シノンが意図した通りの軌道を描いて、奥の敵陣目掛けて飛来する。イタチとユウキ、そしてアスナの頭上を通過したそれは、敵陣の中央における、地上二メートル程度の位置で“弾けた”。

 

『グゥッ……ガガ、ガァッ……!』

 

空中で矢が弾けた箇所から周囲一体へと広がり、地上へと降り注ぐのは、黄色く煌めく幾多の粉。それを浴びたコボルド達は、状態異常の『麻痺』を起こしてその動作を停止させた。

これこそ、ララが開発した特殊矢の一つ、『パラライズアロー』である。魔法効果が付加できる特殊な矢を使い、先端には鏃の代わりに強力な麻痺毒を有する粉末を仕込んだ袋を備え付ける。そして、射出前に時限発動型の下級炸裂魔法を付加した状態で射る。すると、敵の上空にてこれが炸裂し、広範囲の敵に麻痺毒が降り注ぐという仕組みである。効果範囲は広いものの、それ故に味方を巻き込みやすい欠点を持つ。そもそも、弓使い自体の需要が少ないことから、こういった弓矢に類する特殊アイテムは中々作られる機会が少なく、扱っているのはララくらいのものだった。使い手についても、シノンクラスの弓使いでなければ使いこなせず、専らシノンの専用武器となっている程だった。

ともあれ、そんなマイナーながら、多勢を相手取る際に非常に強力な性能を発揮する武器のお陰で、新たな道を開く機会を、最前線に赴いているイタチとアスナ、ユウキは得るに至った。

 

「アスナさん、もう一度お願いします」

 

「オーケー!これで……行くよ!!」

 

アスナによる、再度の『フラッシング・ペネトレイター』。コボルドの包囲網そのものに風穴を開ける強烈な刺突に対し、麻痺状態に陥ったコボルド達は為す術も無く、ポリゴン片を撒き散らして爆散していく。

 

『ルォォオオッ!!』

 

そして至った、最奥部の黄金鎧の巨体コボルドの眼前。細剣上位スキル発動による技後硬直で動けないアスナに対し、コボルドのボスは、その手に持つ槍を容赦なく振り下ろそうとしていた。

 

「させないよ!」

 

だが、後続のユウキがそれを許さない。アスナが開けた突破口を駆け抜けた勢いのまま、片手剣上位スキル『ヴォーパル・ストライク』を、槍を振り下ろすべく反らせた胸板目掛けて叩き込んだ。

 

『ルガァアッッ……!』

 

ユウキが放った渾身の一撃により、スキル発動をキャンセルされた黄金の鎧のコボルドは、バランスを崩してその場でよろめくこととなる。だが、相当な防御力を持っているのだろう。上位ソードスキルの直撃を受けても、一本目のHPバーが一割減った程度だった。

SAOと同様、ALOにおけるボスモンスターのHPバーは、五本から六本とされている。しかしこの黄金鎧のボスコボルドの頭上に浮かぶHPバーは、三本だけだった。百体近い前衛部隊を有していることによる難易度調整が為された結果とされるが……それでも、難易度が下手なボスより高いことに変わりない。百体近い軍勢のど真ん中で、一際強力なボスと戦わなければならないのだ。しかも、少人数で特攻を仕掛けており、難易度はますます高まっている。

 

『ルォォオオ!!』

 

「させん!」

 

だからこそ、イタチは動くことを止めず、攻勢を緩めない。

技後硬直で動けないアスナとユウキに攻撃を仕掛ける黄金鎧のコボルドの背後へと、忍としての前世の経験をフル活用して鍛えた隠蔽スキルを用いて回り込み、死角からの攻撃を仕掛ける。その左手には、先程までは無かった、もう一振りの剣が握られていた。しかしそれは、右手に握る片手剣ではない。独特な反りを備えた片刃の剣――“刀”である。

 

(一撃目――――サベージ・フルクラム)

 

両手に異なる剣を握るイタチは、黄金鎧のボスコボルドの背中目掛けてソードスキルを打ち放つ。初撃は、右手に握る片手剣――『ライオンハート』を振るって放つ、大型モンスター相手に有効とされる三連撃ソードスキル『サベージ・フルクラム』。

強力なソードスキルであると同時に、攻撃力と防御力をダウンさせる効果も持つ。多大なダメージを与えることはもとより、特殊効果によるデバフを与えることができればと考えていたイタチだったが……果たしてその狙い通り、ボスコボルドの頭上にはデバフアイコンが灯っていた。

 

(二撃目――――羅刹)

 

『サベージ・フルクラム』の発動後にアバターを襲う硬直を、左手に握る刀――『正宗』による刀系ソードスキル発動で上書きする。スキル硬直を、両手に握る武器のソードスキルを交互に発動させて上書きして連撃を繋ぐシステム外スキル『スキルコネクト』である。

そして、ボスに対してデバフが有効であることを確認したイタチが、次に選択したのは、斬撃と拳撃を組み合わせたソードスキル『羅刹』。防御力の低下に加え、ダメージが継続的に与えられる『出血』というデバフを敵に与える効果を持つ。ボスコボルドは元々の防御力が高くとも、デバフ効果が有効と判明した故のスキル選択だった。

そして、イタチの攻撃によって、デバフアイコンがさらに追加され、先程より多くHPが削られた。

 

(三撃目――――メテオ・ブレイク)

 

ソードスキル『羅刹』が終了すると同時に、イタチはさらに技を繋ぐ。今度は右手に握る『ライオンハート』によって発動する、重攻撃ソードスキル『メテオ・ブレイク』である。片手剣系ソードスキルの中でも強力な、打撃属性を持つ技である。

先の『羅刹』発動の中、ボスコボルドのHP減少は、拳撃を受けた時が一番大きかった。つまり、ボスコボルドの弱点は、打撃系ソードスキルなのだ。『メテオ・ブレイク』を使ったのは、そんな弱点を見抜いた故の選択だった。

 

『ル、ルゥゥァァアアッ!!』

 

『サベージ・フルクラム』と『羅刹』による防御力減少を経ての、弱点たる『メテオ・ブレイク』による打撃ダメージ。それら一連の攻撃は、ボスコボルドに多大なるダメージを与え……初段のHPバーを、八割以上を削り取った。イタチの発動したスキルコネクトは、単純にソードスキルを繋いだだけではない。デバフアイコンの点滅から敵の状態異常耐性を見切り、発動したソードスキルの属性ごとに与えたダメージ量から弱点の属性を看破した上で繋いだ、戦術性を持った連撃なのだ。並はずれた動体視力と反応速度、判断能力があってこそできる芸当である。身体能力だけではない、忍としての前世を持つからこそ可能となる、文字通りの離れ業だった。

だが、流石にボス系モンスターだけのことはあり、イタチの超絶的な連撃でも中々倒れず……イタチの攻撃を受けっ放しというわけではない。イタチのスキルコネクトが終了すると同時に後ろを振り向いてイタチを認識するや、槍を振り上げた。遠距離からの衝撃波でも、かなりのダメージを受ける槍である。至近距離で直撃を食らえば、即死も免れない。技後硬直状態にあるイタチには、これを防ぐ術が無い。だが、イタチはそんな状況下に置かれても、全く動じない。何故ならば――――

 

「はぁぁぁああ!!」

 

『ルァァァアッッ……!?』

 

イタチとは反対側から、ボスコボルドの背中に迫る、三条の白い閃光。細剣系ソードスキル『アクセル・スタブ』である。先程正面から突破口を開いたアスナによる、援護攻撃だった。先程の打撃系ソードスキル程ではないが、こちらも重攻撃技に分類されるスキルである。三発連続で放たれた刺突は、ボスコボルドの初段のHPバーを削り切るに至った。

 

「せぇぇえええい!」

 

アスナの攻撃が決まった後には、ユウキの追撃が待ち受けていた。ボスコボルドがアスナの方へ振り向こうとしたところで、ソードスキル『ホリゾンタル・スクエア』を発動。四方を囲むように放たれた斬撃によってタグは乱され、ボスコボルドは大いに攪乱された。

 

『グォォォォオオッッ!!』

 

だが、敵は黄金鎧のボスコボルド一体ではない。ボスを囲んでいた、手下のコボルド部隊が反転し、イタチ達へと襲い掛かろうとしていたのだ。

 

「おっと、させねえよ!」

 

「雑魚は近付けさせないわよ!」

 

空間の奥部に控えていたコボルド部隊の動きを察知したコナンとシノンが、援護射撃を開始する。いずれも先程と同じく、広範囲の敵を対象に、動きを阻害するタイプのデバフを付加するスキルとアイテムである。距離が遠いため、手下のコボルドの軍勢は勿論、奥部でボスコボルドと戦う味方三人すら巻き込みかねない状態だが、二人は加減抜きで援護を続ける。

 

(コナン君としののんの援護のお陰で、手下のコボルド達は、足止めされてこっちには来ない。しかも、状態異常のバフのお陰で、影響がこっちに飛び火するのも気にならない……イタチ君は、この状況まで、全部計算していたってことね)

 

多勢が控える場所へと攻め込むのだから、広範囲スキルを使えば味方を巻き込むリスクは避け得ない。だからこそイタチは、ボスコボルドの控える最奥部へ突撃する前に、アスナに状態異常耐性のバフを掛けるよう依頼したのだ。高威力の突撃系ソードスキルと広範囲対象型のアイテムとスキルを行使した軍勢の強行突破に始まり、現状のボスコボルドとの戦闘に至るまで、イタチは全て想定していたのだ。先程見せた、卓越した戦闘技術に加え、抜け目の無い戦略眼を持つイタチに対し、アスナは内心で舌を巻いていた。

 

「アスナさん、ユウキ!予定通り、重攻撃と攪乱を繰り返してHPを削る作戦を!」

 

「了解したわ!」

 

「任せてよ!」

 

その後も、イタチの指示のもと、三人による重攻撃技の連撃がボスコボルドへと放たれ続けた。常に死角を狙い、反撃の隙を与えず、キャンセル不可能な攻撃系スキルが繰り出されれば、必ず回避する。味方へのダメージは微々たるものに止め、ボスコボルドを翻弄し続けることしばらく、削られ続けたボスコボルドのHPは、遂に三段目のイエローゾーンへ突入した。

 

『ルォォオオ!!』

 

HPが一定以上削られたことでスイッチが入ったのか、ボスコボルドは、これまでに無かった行動へ移った。それまで垂直に振り下ろすのみだった大槍を水平に構えたのだ。そのモーションから、イタチはボスコボルドの次の行動を看破した。

 

「横薙ぎの範囲攻撃だ!打ち合わせ通り、一気に仕掛けるぞ!」

 

イタチの言葉に、アスナとユウキが視線を合わせて頷き合う。互いに取るべき行動を確認した三人は、散開して攻撃の回避――――――――に動くことはせず、その場で詠唱を開始した。

通常、範囲攻撃が放たれることが予測されれば、回避すべく距離を取るものである。だが、イタチ等が取った行動は、逃げるのではなく、その場から動かず魔法を発動しようとするというもの。

 

「ルゥゥォォオオオ!!」

 

三人の詠唱が完了したのは、ボスコボルドの大槍が横薙ぎに振り払われる直前のことだった。ボスコボルドが構えた大槍は、その周りを囲むように展開していた三人をその範囲にしっかり捉えていた。そして、壮絶な勢いをもって、三人の立つ場所に向けて振り払われた。

 

「とぉっ!」

 

「はぁっ!」

 

「やぁっ!」

 

だが、刃が三人を直撃することは無かった。刃が振るわれた後に残っていたのは、真っ二つになった氷塊、黒い靄となって消えた黒服の下半身のみだった。消えた筈の三人の姿は、空中にあった。

アスナは氷の盾を作る『アイシクル・シールド』、イタチは自分と等身大の人型の黒い分身を作り出す『ブラック・デコイ』、ユウキは跳躍力を強化する『ハイジャンプ』を発動していた。前者二人はこれを身代わりにして、斬り飛ばされた勢いを利用して空中へ身を投げ出し、ユウキは強化された跳躍力をもって空中へ跳び上がったのだった。

 

「行くわよ!」

 

空中に飛び上がった三人の内、まず動き出したのは、アスナだった。氷を掴みながら空中で体勢を整えた上、氷を蹴ってボスコボルドへと突撃。細剣系ソードスキル『スター・スプラッシュ』を見舞った。

 

「次は俺だ……!」

 

アスナのソードスキルが決まるのとほぼ同時に、今度はイタチが分身を蹴って接近する。発動するソードスキルは、先程もユウキが使用していた片手剣ソードスキル『ヴォーパル・ストライク』を叩き込む。

 

「最後はボクだね!そりゃあっ!」

 

アスナ、イタチに続き、最後の締め括りとして攻撃を仕掛けたのは、ユウキだった。空中に跳躍の足場とする物を持たないユウキが突撃に使用したのは、自らの“翅”だった。太陽もしくは月が出ていないダンジョンの中では、ALOの醍醐味である飛行ができない。だが、闇妖精族『インプ』だけは、ごく短い時間ながら飛行が可能なのだ。無論、それでも地上のように飛翔することは不可能である。だが、空中で加速して突撃する分には、十分利用できる。

 

「やぁぁぁあああ!!」

 

ボスコボルドの懐へと入り込んだユウキが発動したソードスキルは、片手剣系。だがその技は、ただの片手剣ソードスキルではない。

ユウキが発動したソードスキルは、“十連撃”の刺突を繰り出して、ボスコボルドの胸に巨大な十字架を作った。しかも、技はこれで終わらない。

 

「これで、終わりだぁぁああ!!」

 

『ルォォオッ……ォォオオオオオッッ!!』

 

先の刺突十発が描いた十字架の中央を穿つように、一際強力な刺突を放ったのだ。ユウキが発動したソードスキルは、ボスコボルドが残していたHPを全てを削り取るに至った。それと同時に、黄金鎧を纏ったボスコボルドは、その巨体をポリゴン片へと変えて爆散した。同時に、手下のコボルド部隊もまた、それに倣う様にしてポリゴン片へと帰っていった。

 

「十一連撃ソードスキル……そんなもの、ある筈が……!」

 

「まさか、あれって……!」

 

ユウキが発動したソードスキルに、誰もが驚愕に目を剥いた。ユウキが発動したのは、十一連撃の刺突によるソードスキル……だが、現在実装化されている片手剣ソードスキルに、そのような強力なものは存在しない。例外があるとすれば、イタチがSAO時代使った『二刀流』と、先程発動した『スキルコネクト』だろうが、先程のユウキが発動したそれは、一つの技として完成していた。

公式のスキルとして実装化されていないながらも、確かに存在するソードスキル。そんな矛盾した存在は、しかしこのALOには数少ない例外として存在していた。SAOには存在していなかった、このALOにおいて新たに実装化されたシステムによって――――

 

(そう。これが、ユウキの『OSS(オリジナル・ソード・スキル)』――――)

 

パーティーメンバーの皆が皆、驚愕する中、イタチは一人その雄姿へと冷静な眼差しを向けていた。ユウキをパーティーメンバーとして誘ったイタチのみが知る、彼女が秘めた武器――――

 

 

 

「これがボクのOSS、『マザーズ・ロザリオ』だよ!」

 

 

 

その名前を、満面の笑みで、誇りを胸に口にしたのは、ユウキ自身だった。コボルド達が残したポリゴン片が、雪の様に光を放って舞い散る中、彼女は皆にVサインを送っていた。

その純真無垢な陽だまりのような笑みを浮かべながら勝ち誇る姿に、パーティーメンバー達は、誰もがこの上ない力強さ、心強さを感じていた。

 

(ユウキ…………)

 

そんな中、イタチだけは、それ以外のものも感じていた。その技は、その姿は、

 

 

 

 

 

力強くも、儚く、美しいと――――

 



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第百一話 囚われの美女に悪い奴はいない

読者の皆様
お久しぶりです。鈴神です。
今後は月1回が限界になると思われます。
不定期化する可能性大ですが、今後も「暁の忍」をよろしくお願いします。


闇と氷に包まれたヨツンヘイムには似つかわしくない、一面が砂で覆われた、砂漠を彷彿させるフィールド。それが、イタチ等パーティーメンバーが至った新たなフロアだった。足場が悪い仕様のフィールド故に、イタチを含めたパーティーメンバーは全員、思う様に動けずにいた。

 

『ゴォォオオオオ!!』

 

「皆、来るぞ!」

 

砂漠という不慣れなフィールドに翻弄されるパーティーメンバーを襲うのは、この階層を守護する唯一にして、ここに至るまでに遭遇した中でも最強のボスモンスター。それは、地震に似た振動とともに、膨大な量の砂を撒き散らしながら、砂底から浮上し、姿を現してきた。その姿は、全長二十メートル超の巨大な恐竜……否、クロコダイルだった。その見た目の通り、この巨大なクロコダイル型モンスターは、砂の中を水中のように潜行する能力を持つ。移動スピードがイタチ等より速いことは勿論、砂底へ潜られれば、攻撃は一切届かない。しかも、全身が砂で構成されているので、部位欠損ダメージを受けても、砂の中へ潜ればすぐに修復されてしまうのだ。

唯一のダメージを与えられるウィークポイントは、その巨大な口の奥、喉のあたりに存在する球体のコアである。これを狙うには、口を大きく開いた瞬間に飛び込む必要があり、一歩間違えればアバターを噛み砕かれて、瞬時にHP全損するリスクがあった。ここに至るまで、コアの付近を攻撃することで、微量なダメージを蓄積させてきたが、やはり大ダメージを与えるには、コアを直接狙う以外に方法は無い。外殻の砂を壊してコアを曝け出そうにも、頻繁に砂の中へ潜るので、すぐに傷は修復されてしまう。

まさに八方塞の状況。だが、そんな中でも、イタチは諦めずに、攻略の手段を模索し続けた。現世のVRゲームで培った経験と、前世の忍として培った経験を基に、目の前のボスモンスターを分析することしばらく。イタチは遂に、その弱点を看破するに至っていた。

 

「アスナさんは先程と同じ要領で水属性魔法を!皆はボスを足止めするぞ!」

 

「任せて!」

 

イタチの指示により、アスナは詠唱を開始し、イタチをはじめとしたそれ以外のメンバーは各々の武器を手に、クロコダイルへと攻撃を仕掛ける。ダメージを与えることを目的にはせず、軽く小突く程度の攻撃でタゲを順に取り、時間稼ぎに徹していた。そして、イタチ等の動きによって、ボスの動きを足止めしてから約一分半後、アスナの魔法の詠唱が完了した。イタチはそれを確認するや、全員に退避の指示を出す。

 

「皆、退け!」

 

イタチの指示により、クロコダイルを中心に散開するメンバー一同。それと同時に、アスナの立つ場所から竜巻の形をした激流が、大口を開けてイタチ等を襲っていたクロコダイルへ向けて放たれる。上級水属性魔法『スプラッシュ・ブラスト』である。猛烈な勢いで迫る激流は、大きく開かれた上顎に命中する。

 

『ゴォォ……ォォァァア……ッッ!』

 

上顎に命中した激流は、上顎を構成する砂に吸収された。それによって、クロコダイルの動きが目に見えて鈍化していた。

 

「一気に畳み掛けるぞ!」

 

『応!』

 

イタチの合図により、ラン、コナン、ユウキの三人が一斉にクロコダイルへ襲い掛かる。対するクロコダイルは、口の奥に備えているコアを守るべく、その大口を閉ざして防御する。

 

「はぁぁあああ!!」

 

だが、イタチ等は攻撃の手を止めない。先陣を切ったランは、クロコダイルの頭上へと跳躍し、垂直に拳を振り下ろした。

 

『ゴガァアアッ……ァァアッ!』

 

水を吸い込んだことによって脆くなった上顎は、ランの拳撃によって砕けて四散する。その攻撃の痕には、クロコダイルのコアが露出している。

 

「今だよ、二人とも!」

 

「任せとけ!」

 

「よ~し!行くよ!」

 

ランの拳によって曝け出されたボスの弱点へ、コナンの槍とユウキの剣が迫る。

 

『ゴゴォォオッ!』

 

上顎を失った状態であっても、吠えることはできるらしい。クロコダイルは、前足・後ろ足を動かし、砂へ潜ろうとする。一度撤退して、身体を修復して体勢を立て直そうとしているのだ。しかし、イタチとてボスの動きはお見通しだった。

 

「リーファ、シノン!手足を止めろ!」

 

「オッケー、お兄ちゃん!」

 

「任せなさい」

 

クロコダイルの両側に立っていたリーファが詠唱を開始し、シノンは弓に新たな特殊矢を“二本”番える。クロコダイルの体が砂底へ沈み始めようとしたところへ、狙いを定めた両サイドからの攻撃がクロコダイルを襲う。

 

『ゴガァァアッッ……!』

 

クロコダイルの前足・後ろ足に電撃が迸る。リーファの放った二点攻撃型の雷属性魔法『ツイン・ライトニング』と、シノンの放った二本の『電撃矢』が炸裂したのだ。砂で構成されたクロコダイルの肉体は、その属性の関係上、雷属性の魔法やアイテム、ソードスキルに弱い。本体がコアである以上、ダメージを与えることはできないが、一時的な部位破壊を引き起こすには十分な攻撃だった。

 

『ゴゴォオッッ!!』

 

だが、クロコダイルも往生際が悪いと言うべきか、抵抗を止めない。顎に続き、四肢を失ったクロコダイルが最後の武器は、体長の半分を占める長さの巨大な尾だった。前足と後ろ足を失っている状態では、バランスを取れず、碌な狙いを付けられないことは明らかである。しかし、丸太より太く強固な砂の塊が、勢いよく振り回されるのだ。直撃すれば、HP全損は免れず、普通ならば迂闊に近付くことはできない。

だが、パーティーメンバーは誰一人として、退避しようはしない。何故ならば、今日この場に集まったパーティーメンバーの中でも、最強のリーダーが控えているのだから。

 

「ふっ……!」

 

凄まじい勢いで振り回される尾に対し、イタチは一切恐れることなく突き進む。振り回される尾を最小限の動きだけで回避しながら接近し、その勢いのまま、右手に持つ刀――『正宗』を振り翳し、ソードスキルを発動した。

クロコダイルの尾の付け根の部分に繰り出されたのは、上下の斬り払いと、それに一拍を置いての刺突――刀系ソードスキル『緋扇』である。

 

「……そこ、だ!」

 

ソードスキルが決まると同時に、クロコダイルの身体を蹴って空中へと跳び、その身を反転させる。そして振り返り様に、左手に取り出したピックを構え、スキルコネクトによって投擲スキル『シングルシュート』を発動。先の『緋扇』によって付けられた傷口へと投擲した。その柄の部分には、一枚の“札”が結び付けられていた。

 

『ゴガァアアアアァァァッッ!!!』

 

『緋扇』の刺突によって付けられた傷口へとピックが進入した途端、クロコダイルの尾の付け根が爆発。傷口を起点に崩れ落ちた。

イタチがピックに結び付けていた“札”は、『魔法符』と呼ばれる様々な魔法効果が込められたカードである。イタチが使用したのは、火属性の爆裂魔法が込められた『魔法符』であり、イタチは傷口にこれを投げ込むことで、クロコダイルの身体を内部から爆破したのだった。

これでこの砂漠の階層を守護するクロコダイルは、上顎、四肢、尾を失い、抵抗の手段一切を失ったことになる。HP残量も、六本あったバーも既に残り一本を切っている。そこへ、止めを刺すべく、コナンとユウキが襲い掛かる。

 

『ゴ、ゴォォオオ……』

 

だが、それでもやはり、クロコダイルは抵抗を止めない。露出したコアを守るべく、残った肉体を構成する砂で防護膜を張ろうとする。

 

「させるかよ!」

 

それを見たコナンは、槍系ソードスキル『ソニック・チャージ』を発動し……それを、“投擲”した。

 

『ゴガァァアアッッ!?』

 

投擲された『ガングニール』は、砂の防御膜を突き抜けて、クロコダイルの本体たるコアを刺し貫く。その後、『ガングニール』は消え、コナンの手元へと瞬時に戻った。

これこそが、撃槍『ガングニール』の伝説級武器としての固有能力――『スヴィズニルシフト』である。ALO運営開始当初における効果は、投擲時に標的に定めた対象への必中効果と、『クイックチェンジ』のオート効果によって手元に戻るという効果のみだった。それに加えて現在は、ソードスキルを投擲した状態でも発動を維持できるという特徴まで加わっていた。

 

「ユウキ、今だ!」

 

「行っくよぉぉお!」

 

ダメージを受けたことにより、コアを包む防護膜は崩れ落ちた。抵抗する術、守るもの……その全てが無くなったのだから、この隙を狙わない手は無い。フィニッシャーとして躍り出たユウキが全身全霊をもって放つソードスキルが炸裂する。

 

「やぁぁぁああっ!!」

 

ユウキが繰り出す、片手剣による超絶的な剣技。刺突が放つ、十一条の光が描く聖なる十字架――『マザーズ・ロザリオ』が、コアへと刻み込まれる。

 

『ゴッ……ォォオッ…………ォォッ!』

 

その、力強くも美しい剣技によって、クロコダイルに残されたHPを根こそぎ奪い取られた。それと同時に、球体のコアは砕け散り、ポリゴン片を撒き散らして爆散。肉体を構成する砂は、ぼろぼろと崩れ落ちた。

 

「冷や冷やしたけど、どうにか勝つことができたわね」

 

「本当に、一時はどうなる事かと思ったけどね」

 

階層を守護するボスが倒されたことで、一息吐く一同。メダリオの侵食が九割に達している現状、休んでいる猶予は無い。だが、戦闘の激しさ故に、大部分のメンバーがすぐには動けない状態にあった。第五層で百体のコボルド部隊を率いる金色鎧の巨体コボルドを倒して以降も、現在に至るまで、強力なボスラッシュは続いていた。

 

第六層は、巨大な水槽型のフィールドに潜む巨大なノコギリザメ型モンスター。

 

第七層は、肉体が煙と化して物理攻撃を無効化する、アストラル系モンスター。

 

第八層は、フィールドオブジェクトをはじめ、放たれた魔法すら食らう巨大な顎を持つカバ型モンスター。

 

そして、先程倒した砂漠のフィールドに潜む、砂の肉体を持つクロコダイル型モンスター。

 

イタチの指示と判断の下、戦闘と消耗を最小限に止めてこの階層へと至ったが、ボス戦は神経を削る修羅場の連続だった。ここまで、誰一人欠けることなく至ることができたのは、イタチの的確な指揮能力は勿論のこと、立案した作戦を忠実に遂行するだけの実力を有するパーティーメンバー全員の能力の高さあってのものだった。そして、そんな強豪ぞろいのパーティーの中にあって、特に活躍したメンバーが居る。

 

「いや~……今回も、どうにか勝てて良かったよ!ボク、こんなにハラハラする冒険は初めてだよ!」

 

「俺達も、ここまで難易度の高い冒険は初めてだ。それを乗り切れたのは、お前が参加してくれたところが大きい」

 

「ホント、そうだよな。伝説級武器を持ってる俺が言うのもなんだけど、まさかあんな強力な切札があったなんて、思ってもみなかったぜ」

 

イタチの言葉に、ユウキ以外のメンバー一同が頷く。第五層のボスコボルドを倒して以降、ユウキはボス戦におけるフィニッシャーとして、ここに至るまで幾度もボスを屠ってきたのだ。その所以こそが、コナンが口にしたユウキの切札――十一連撃ソードスキル『マザーズ・ロザリオ』である。

 

「十一連撃のOSSだもんね~……あたしの知る限りじゃ、誰も持っていないと思うんだけど」

 

「一番多いのが……確か、ケンシンの九連撃だったかしら?」

 

「イタチ君の二刀流なら、十連撃以上のソードスキルはいくらでも発動できるだろうけど、あれは剣が二本あってのものだもんね。片手剣一本で発動するスキルなら、他に無いんじゃないかな?」

 

『OSS』――『オリジナル・ソード・スキル』とは、ALOにおいて新たに実装化された、各系統の武器による技のシステムである。SAO開発時代に使用されていた『モーションキャプチャーテスト』の原理を応用したシステムであり、指定された時間内に発動した剣技をオリジナルのソードスキルとして登録できるのだ。プレイヤー自らが編み出したスキルをシステムに登録できる、文字通りオリジナルのソードスキルを作り出せるシステムである。

魔法主体の戦闘が主流であったALOに、SAOから引き継ぐ形で導入された『ソードスキル』というシステムに、更なる大変革を齎したシステムとして知られている。だが、OSS開発は簡単なことではない。システムに『OSS』を登録させるためには、『本来システムアシストなしには実行不可能な速度の連続技を、アシストなしに実行しなくてはならない』という、矛盾に等しい制約がある。そのため、OSSを作り出せるプレイヤーは非常に少ないことでも知られている。

有名どころとしては、サラマンダーのユージーン将軍の八連撃技『ヴォルカニック・ブレイザー』や、同じくサラマンダーの侍ことケンシンの九連撃技『九頭龍閃』が知られている。この場にいる人間では、アスナの五連撃技『スターリィ・ティアー』も挙げられる。尤も、SAO開発に携わり、多くのソードスキルの製作してきたイタチについては、その限りではない。その気になれば新たなOSSを作ることはおろか、他者のOSSを模倣することすらできるのだ。忍としての、それもコピー忍術を得手とする写輪眼を持つうちは一族の前世を持つイタチだからこそできる業である。

ともあれ、十一連撃などというOSSは、今のところ知られていない。つまり、イタチの二刀流を除けば、ユウキの『マザーズ・ロザリオ』は、公に知られているOSSの中では最強ということになる。

 

「イタチも、よくこんな強力な助っ人を連れて来れたもんだよな」

 

「イタチ君のところに強力な味方が集まるのも、彼の力の一つなのかもしれないね。それにそのお陰で、あっという間にここまで辿り着けたんだしね」

 

クエストのタイムリミットの関係上、各階層のボス戦はスピード重視の戦略を取る必要がある。故に、十一連撃のソードスキルを使えるユウキが、必勝を期したフィニッシャーとなるのは必然だった。加えて、OSS持ちとしての強力な実力のみならず、周囲の味方の動きに合わせて動く協調性もしっかり持っている。お陰で、イタチがこれまで立案したボス攻略作戦は、その全てが成功に至っている。

 

「けど、よくこんな剣士と知り合いだったわね。一体、どこで知り合ったのかしら?」

 

「あ!それ、あたしも気になってたんです。お兄ちゃん、どこでユウキと出会ったの?」

 

考えてみれば、これだけ優秀な剣士とイタチが知り合いだったことを、アスナやリーファ、シノンといった面々がそれを認知していなかったのはおかしな話である。どうして今まで黙っていたのか、教えてくれなかったのか……この場に集まったイタチとユウキ以外のメンバー全員が、非常に疑問に思うところだった。

 

「え、えっと……それは……」

 

イタチと出会った経緯について尋ねられたユウキは、返答に窮した様子で言い淀んでいた。先程までの威勢の良さ、明朗快活さはどこへやら。目を泳がせて、必死に誤魔化そうとしていた。その明らかにおかしな態度に、ある者は訝るような、ある者は面白いものを見るような視線を向けていた。

 

「……その辺にしろ。ユウキが困っている」

 

だが、そんなユウキに詰め寄るような視線を向けていた一同の視線を遮るように、イタチが前へ出た。ユウキを庇ったイタチの行動に、先程までユウキの態度を訝っていた三人――アスナ、リーファ、シノンの視線が鋭くなった。

 

「どうしてそんなに隠したがるのよ?あたし達、会って間もない間柄じゃない。仲間なんだから、もっと話してくれないと……ユウキのことなんて、何も分かんないよ」

 

「そうよねぇ……イタチ君、どうしても駄目なの?」

 

「ユウキが話したくない話題を無理に振るなと言っているんだ、リーファ。それにアスナさんもですよ。本人が嫌がることを無理に詮索しないでください」

 

「どうかしら?何か、疚しいことでもあるようにも思えるんだけど」

 

「シノン……言っておくが、お前達が考えているような、疚しい事情は一切無い。俺とユウキの出会いについて言えることはこれだけだが、間違いの無い事実だ」

 

イタチとの出会いについて一切語ろうとしないユウキと、それを擁護するイタチに対し、アスナ、リーファ、シノンの疑念は積もるばかり。そんな三人の邪推する態度に対し、イタチはうんざりしながら否定の意を示す。

 

「けど、それなら……」

 

「とにかく、これ以上ユウキのことを詮索するな。いくら仲間でも、話せないことの一つや二つはあるものだ。違うか?」

 

尚も食い下がるリーファに対し、非難するような鋭い視線を向けながら、若干きつい口調で窘めるイタチ。本気とまではいかないが、少しばかり怒っているのが傍目にも分かるイタチの対応に、虎の尾を踏んでしまったと感じた三人は、気まずい表情を浮かべて黙り込んでしまった。

 

「……分かったわ。確かに、ちょっとしつこかったわね」

 

「そうね……話したくないことなら、無理に聞くべきじゃなかったわ」

 

「うぅ……でも、あんなに怒らなくても……」

 

不満は完全には消えなかったものの、ユウキに対して無理な詮索をすべきではないという意見が一致した三人。それに対し、当事者であるイタチとユウキ、そしてそれを見守っていたコナンとランはほっと安心するのだった。

 

「そういえば、ユウキのOSSもそうだけど、イタチのスキルコネクトもかなりのモンだよな。SAOの頃より、進化しているんじゃねえか?」

 

場の空気を変えるために、別な話題としてイタチの剣技についての感想を口にしたのは、コナンだった。その言葉に反応したのは、イタチとコナンと同じ、SAO生還者であるアスナだった。

 

「言われてみれば、そうよね。あの頃のイタチ君が使っていた、剣を二本使って繰り出すシステム外スキルの連続技は、片手剣だけだったけど、今は刀と体術まで使えるもんね」

 

「やっぱり、剣道をやっていると、刀の方がしっくりくるのかしらね?それにしても、片手剣と刀を同時に使いこなすなんて、流石は“ソードスキルの生みの親”ってところかしらね」

 

コナンに続き、イタチの芸達者ぶりに感心するような意見を口にするアスナとラン。対するイタチは、相変わらずの無表情で、自身の技能が称えられていることに特に関心を示した様子は無かった。しかし、スキルコネクトに片手剣と刀を使ったことには思うところがあったらしい。普段のイタチにしては珍しく、ほんの少しばかり饒舌になったように話しだした。

 

「SAOの時は、ひたすら効率重視の戦い方だったからな。片手剣以外の武器を持つことはほとんど無かったというわけだ。刀を持てるようになったのも、この世界が本当の意味でゲームであることが大きい」

 

その言葉に、イタチと付き合いの長い五人は、少々驚くと同時に、すぐに喜色を浮かべた。SAO時代のイタチを直接的に、もしくは間接的に知る一同にとって、今の発言の中に覗かせたイタチの心境の変化は、意外であると同時に、微笑ましいものだった。

SAO時代、デスゲームを完全攻略し、プレイヤーを解放することを第一に考えていたイタチは、己や攻略組の戦力の増強に心血を注いでいた。『片手剣』のスキルを選んだのは、数ある武器の中で最も汎用性が高かった故のことだった。補助的な武器スキルとして、『投剣』や『戦鞭』も習得していたが、最も多く使っていた武器は片手剣だったことは間違いない。武器やスキルの選択をはじめ、ゲームプレイに遊びや私情を一切挟まず、効率重視の冷徹な判断を下す。デスゲームプレイヤーの模範とも言える、速さと生存率の維持を重視した戦いが、イタチのプレイスタイルだった。

そんなイタチ故に、『片手剣』と『刀』の二刀流などは、SAOではまず見られなかった戦闘スタイルである。それを今、こうして実践しているのは、本人が口にした通り、ALOをゲームとして楽しめていることの証明でもあるのだ。

 

「う~ん……やっぱり、『SAO』とかの話になると、僕って蚊帳の外だよね。けど、二刀流を使っているイタチが楽しそうだっていうのは、僕にも分かるよ」

 

「……まあ、俺の武器の話はこのくらいで良いだろう。それよりそろそろ、休憩はこの辺にして、次の階層へ向かうぞ。ユイ、最下層まではあとどのくらいだ?」

 

SAO以来、付き合いの長いメンバーのみならず、新参のユウキもまた、満面の笑みでイタチが楽しそうだと口にする。微笑ましく自分を見る面々を前に、イタチはらしくない台詞を口にしてしまったと思ったらしく、居心地の悪そうな素振りを見せ、現在のクエストの状況確認を行う。尋ねられたユイは、そんなイタチの内心を知った様子で、くすりと少しばかり笑い、答え始めた。

 

「次の階層が最後です。モンスターのポップは無く、長い回廊とその先に広い空間があるのみです。恐らく、このダンジョン――スリュムヘイムのラスボスの部屋で間違いありません」

 

「そうか……ボス部屋までは、まだ距離があるな。恐らく、ボス部屋の前には扉があるはずだ。そこで最後の補給をするぞ」

 

イタチの指示に従い、パーティーメンバー達は、歩みを再開する。足場の悪い砂のフィールドを踏み越えた先にある、下層へ繋がる階段を駆け下りた。そこに広がっていた光景は、ここに来るまでに何度も見てきた、大理石でできた壁と床、天井に囲まれた、無機質な回廊。ただし、辺りを満たす空気はこれまでになく冷たく感じられるほか、魔物を模した彫像が通路の両サイドに配置されていた。明らかに今までとは違う、ラスボスがこの奥にいることを臭わせる雰囲気だった。

 

「皆……行くぞ」

 

『おう!!』

 

そんな中にあっても、イタチとそのパーティーメンバーは、歩みを止めない。ここに至るまでに倒してきたボスと同様、この先に待ち構える最後のボスを討ち果たす。そして、聖剣『エクスキャリバー』を入手し、アルヴヘイムの危機を救う。それこそが、今このダンジョンに挑戦している理由なのだから。

そして、そんな強い決意をもって回廊を歩き続けることしばらく。ボスの部屋を前に、まず現れないだろうモンスターの襲撃を警戒していたイタチ等は、その途中で予想外のものに出くわした。

 

「お願い……私を……ここから、出して…………」

 

細長い氷柱でできた檻の中に、一人の女性NPCが閉じ込められていた。背丈はアスナと同程度で、雪原を思わせる美しい白色の肌に、この場の女性プレイヤー全員を圧倒するような豊満なバストに細いくびれを、布面積の少ない衣服が包んでいる。髪はブラウン・ゴールドのロングヘア―で、非常に整った顔立ちをしている。一言で表すならば、女神のようなその女性の手足には、檻と同じく氷でできた枷が嵌められていた。その様は、お伽話に出てくる『囚われのお姫様』そのものだった。

 

「ユイ、あの女性は?」

 

「NPCです。ここに来る前に出会ったウルズさんと同じく、言語エンジンモジュールに接続しています。あと……HPゲージが、イネーブル設定になっています」

 

通常、NPCというものはHPゲージがイネーブル、即ち有効化されていることは無い。無論、クエストによっては護衛対象になっているNPCにHPが設定されている場合がある。だが、今回の場合はそれに当て嵌まらない。残る可能性として考えられるのは、何らかのトラップだろう。

 

「罠の可能性が高いな……」

 

「罠だよね」

 

「罠だと思う」

 

「罠でしょ」

 

「罠……だな」

 

「罠じゃないかな」

 

目の前の美女に関する情報からイタチが導き出した推測に、アスナ、リーファ、シノン、コナン、ランの順に同意した。檻の中に閉じ込められている美少女という、これ見よがしなシチュエーション。イタチでなくとも至るであろう結論である。檻を破壊し、枷を外した途端、この美女が恐ろしい姿のモンスターへと姿を変え、パーティーへと襲い掛かるというのが、定番とされている。

ユイの証言からも、そのような罠が待ち受けている可能性は非常に高い。メンバーのほとんどが同意した結論……だが、それを口にしたイタチと、後から同意したコナンの二人は、納得した様子ではなかった。

 

「イタチ、どう思う?」

 

「……この手のダンジョンならば、ありがちと言えばありがちな罠だ。だが、この場面で出る罠としては、少々不自然だ」

 

イタチの言葉に、コナンは頷く。やはり、同じことを考えていたのだろう。

ダンジョンへ入ってすぐの階層ならば、プレイヤーを翻弄するために多種多様な罠が仕掛けられているだろう。だが、ここはラスボスの間に通じる通路である。ここに至ったパーティーならば、こんな罠にはまず引っ掛からないし、明らかにラスボスが待ち構えているだろうこの階層ならば、余計な消耗を避けるために放置する筈。あからさま過ぎる罠故に、本当に罠なのかが疑わしい。

 

(これが罠でないとすれば、助け出せばパーティーメンバーに加わってくれるということになるか……)

 

アイテムをくれる可能性もあるが、HPが有効化されているならば、パーティーに入ると考えて間違いない。パーティーの上限は七人だが、NPCに関しては例外とされているので、人数が上限を満たしていても問題ない。

 

(ここまでの戦闘でパーティーの消耗は激しい……メンバー加入は歓迎すべきところだが、犯すリスクの対価には釣り合わん。問題なのは……)

 

イタチが懸念するのは、目の前の女性NPCが、クエストにおいて何らかの重要な役割を担っているという可能性。ここで助けないことが災いし、ラスボス攻略に失敗するような展開も、考えられないこともない。

 

「お兄ちゃん、どうしたの?」

 

「早く行くわよ。時間無いんでしょ?」

 

『罠』という結論が出ながら、考え込んだ様子でその場を動こうとしないイタチに対し、リーファとシノンが出発を促す。

 

「……分かった。行くぞ」

 

仲間に促され、囚われの女性NPCの前から踵を返し、ボス部屋へと再び足を向けることにしたイタチ。シノンの言うように、時間が無いことは間違いない以上、ここで考え込んでいる暇はない。

ここで彼女を助けなかったことで、何らかの不都合が生じる可能性もあったが、罠だった場合のリスクを考えれば、安全策に踏み切るのが一番なのは、間違いない。万一これで、ラスボス打倒が儘ならない場合は、ボス部屋から撤退して助けに行く。ボス部屋からの脱出が可能で、残り時間があることが前提の目算だが、これが最善策であると、イタチは考える。そして、歩みを再開しようとした、その時――――

 

「ていっ!」

 

ユウキの片手剣ソードスキル『ホリゾンタル』が発動した。横一閃の斬撃は、氷柱の格子を見事に両断し、なぎ倒した。その光景を、イタチをはじめとした面々は唖然とした表情で見つめているのだった。そんな仲間の視線など全く気にせず、ユウキは檻の中へと入ると、女性NPCの両手両足に嵌められていた枷も破壊した。

 

「大丈夫、お姉さん?」

 

「ありがとう、妖精の剣士様」

 

ユウキの手を取り、立ち上がる女性NPC。拘束から解放されても、襲い掛かるようなことはなかったことから、罠ではなかったことが明らかになった。だが、それはそれである。時間を置いて、ユウキの突発的な行動による思考停止から復活した一同は、一斉にユウキの勝手な行動を咎め始めた。

 

「ちょっとユウキ!何勝手なことしてるのよ!」

 

「え、えと……囚われのお姫様みたいだったから、助けた方がよかったかなぁ……って」

 

「罠の可能性が高いから、そのままにしておこうってことになったじゃない!」

 

「け、けど……罠じゃなかったし、結果オーライじゃ……」

 

「そんなのは結果論でしょ。パーティーメンバーとして、勝手過ぎるんじゃないの?」

 

「うぅ……で、でもさ!」

 

ユウキの勝手な行動を一斉に責め立てるアスナ、リーファ、シノンの三人に、涙目になり始めるユウキ。傍から見れば、三人が寄って集って一人を苛めているようにしか見えないが、実際はユウキの自業自得である。リスクを鑑みれば、「罠ではなかったから問題は無い」などの一言で済ませては良い問題ではなかった。

 

「流石に私もどうかと思うな……」

 

「イタチからも、何か言うべきじゃねえか?」

 

メインで怒っている三人から距離を置いてその様子を見守っていたコナンから、パーティーリーダーとして叱るよう進言されたイタチは、一歩前へ出る。怒声を上げる三人を手で制し、口を開いた。

 

「ユウキ。俺たちが今やっているクエストは、ゲームであっても遊びじゃないんだ。失敗すれば、アルヴヘイムにとんでもないことが起こるかもしれない。お前の行動は、皆だけでなく、この世界にも危険を及ぼす可能性のあるものだったんだぞ。分かっているのか?」

 

「……それは、僕も悪かったと思うよ。イタチやみんなも、本当にごめん」

 

イタチの言葉に、しゅんと萎れた様子のユウキ。無表情ながら、半ば本気で怒っている様子のイタチに、自分のやらかしたことの重大さを理解して、心の底から反省している様子だった。その態度に、先程までユウキを責めていた三人は怒気を収めた。

 

「けど……それでもやっぱり僕は、困っている人を放っておくことは、できないよ」

 

「ユウキ……」

 

「確かにこの人は、NPCだけど……それでも、助けてって言っている人を見て見ぬふりをするのは、違うと思うんだ。勿論、イタチや皆を危険に晒して良い理由にはならないだろうけど……放っておいたらいけないって、理屈じゃないけど、そう思ったんだ。分かってないって、皆は思うし、僕もそう思ってるけど…………」

 

「…………」

 

上手く言えないが、それはユウキなりに自分の気持ちを伝えようとして、一生懸命に紡いだ言葉だった。普通のプレイヤーが聞いたならば、「何を言っているんだ」と一蹴されてもおかしくない理屈……しかし、SAO生還者であるイタチとアスナ、コナンには、そう言って訴えかけてくるユウキの姿に、既視感を感じていた。

かつてSAO事件に巻き込まれ、望まぬデスゲームを強要されていた中、イタチを含めた攻略組の数名が口にしていた、「NPCはオブジェクトではない。生きている」という言葉。ユウキが口にした言葉に込められた思いは、あの頃の、ゲームであっても遊びではないという矛盾をはらんだ世界にあって、現実ではない世界を現実として受け止めることで、自分たちの世界を守ろうとしていた自分達の心情と似ている。ユウキはSAO生還者ではないが、彼女なりに、この仮想世界を真剣に生きている――――そんな必死さを、三人は感じていた。

 

「……あの勝手な行動には、お前なりの理由があるようだが、許されることではないことも確かだ」

 

「……うん」

 

「ユウキ……俺たちは仲間だ。冒険の中で、背中を預け合って、意見や危険を共有する関係にある。言いたいことや譲れないことがあるなら、行動に移す前に訴えかけてこい」

 

「……うん」

 

「大事なのは、『チームワーク』だ。俺以外のメンバーを説得するのに不安があるなら、俺が分かってもらえるようにフォローする。皆もお前のことを分かってくれる筈だ。俺の仲間に、お前を疎む奴はいない」

 

「…………うん」

 

ユウキを一通り叱り終え、本人も心から反省したことを確認したイタチは、ユウキの頭をポンと軽く叩くと、その様子を見守っていた五人に向き直った。

 

「ユウキはこの通り反省している。こいつが勝手な行動に走ったのは、メンバーに誘った俺が調整役を上手くこなせていなかったことも原因だ。俺からも皆に謝る。この通りだ」

 

ユウキの勝手な行動の責任は自分にもあると言ったイタチは、ユウキに次いで頭を下げる。謝意を見せるイタチに対し、メンバーの皆は戸惑いを浮かべた。

 

「イタチは何も悪くないよ!勝手に行動したのは、僕なんだし……」

 

「そ、そうだよ!イタチ君は、リーダーとしてしっかりしてくれているじゃない」

 

「それに、お兄ちゃんが悪いなら、私たちだって同罪だし……」

 

「……確かに、いきなりパーティーに入ってきたからって、ユウキにはちょっと辛く当たってたかしらね……」

 

ユウキ、イタチと次いで、アスナとリーファ、シノンもまた、自分達がユウキに対して対抗心を剥き出しにしていたことについて反省の意を示す。

 

「ま、この場合は、皆悪かったってことだろ」

 

「コナン君の言う通りね。イタチ君の言うように、チームワークは大事よ。けど、お互いに配慮が足りなかったっていう点では、全員の責任ね。けど、これで少しは仲間として、分かり合えたと思わない?」

 

皆が互いに謝意を示したこの状況について、ランはそう締め括った。苦楽を共にする仲間ならば、互いの腹の中を見せ合うもの。だが、言葉も交わさず、互いの何かを理解できる筈も無い。当たり前のことを、しかしこの場にいる全員が本当の意味で理解していなかった。それゆえに起こったトラブルだった。

 

「それじゃあ……改めてよろしくね、ユウキ!」

 

「私も、よろしく!」

 

「……よろしく頼むわ」

 

和解の印に、アスナ、リーファ、シノンの三人が、笑みを浮かべながらユウキへと手を差し伸べる。対するユウキは、一瞬驚いた様子を見せたが、すぐにはにかむと、自身もまた、三人が差し伸べた手へと自身の手を伸ばす。

 

「僕こそ、よろしくね!」

 

出会った当初は、パーティーリーダーであるイタチを巡って確執のあった四人だが、紆余曲折を経た末、ここに至ってようやく和解することができた。互いに手を握り合う四人の姿を見たイタチは、このパーティーが今、一つになれたことを実感し、同時に思う。

 

このパーティーならば、アルヴヘイムの行く末を左右するこのクエストであっても、必ずクリアできると――――――

 



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第百二話 雷神降臨

パーティーメンバーの結束が一段と強まったことを確認したイタチは、それまで蚊帳の外状態にあった女性NPCへと向き直った。ユウキを叱っている間も警戒を向けていたが、彼女にはやはり害意というものが感じられない。やはり、パーティーへ加入するのだろうか。そう考えたイタチは、パーティー加入と併せて、どのような設定でこの場所に閉じ込められていたのかを問い質すことにした。

 

「あなたは何故、牢に閉じ込められていたのですか?」

 

「私は、この先の玉座に居座る、巨人の王スリュムに盗まれた、一族の宝物を取り戻すために城へ忍び込みました。しかし、三番目の門番に見つかり、捕らえられておりました。宝を取り戻すためにも、私をどうか一緒に連れていって頂けませんか?」

 

果たして、イタチの予想通りの展開となった。女性NPCが、この場所に閉じ込められた経緯について話し終えるとともに、パーティーリーダーであるイタチの視界に、目の前の女性NPCの加入を認めるかどうかのダイアログ窓が表示された。

イタチはメンバー全員と視線を交わし、無言の了承を得ると、イエスボタンを押した。すると、視界左上に並ぶメンバーのHP/MPゲージに、新たなゲージが追加された。そこには、女性NPCの名前も記されていた。

 

「『Freyja』――『フレイヤ』、か。確か、北欧神話の美の女神の名前だったな。盗まれた宝というのは、何だ?」

 

「う~ん……確かフレイヤっていえば、『ブリージンガメン』っていう首飾りを持っていた筈だよ。けど、スリュムが盗んだっていう話は聞いたことが無いし……」

 

「ラスボスであるスリュムが盗んだ以上、クエストにかかわる何らかのキーアイテムである可能性は高いな。場合によっては、戦闘と並行して奪還する必要性が生じるかもしれん」

 

「そうね。その辺りは、運次第ってところかしら。けど……蒸し返すようで悪いけど、本当に大丈夫なのかしら?」

 

「この期に及んで罠ということは無いだろう。少なくとも、ラスボスであるスリュムを倒すまでは、敵には回らない筈だ。危険なのは、奪われたという秘宝を取り返した後だろうな……」

 

イタチがパーティーに加入した女性NPC、フレイヤに関して警戒しているのは、ラスボスのスリュムを倒した後の話。秘宝を取り返した途端、手のひらを返してイタチ等に襲い掛かる可能性もあると、イタチは考えている。ラスボス攻略後に、さらに強力な裏ボスが出現するというのは、ゲームではありがちな展開である。無論、裏ボスの出現が全くの見当違いである可能性もある。しかし、それを確かめる術は、先へ進む以外に存在しない。つまるところ、クエストの流れに身を任せる他に術が無いのだ。

 

「どのような展開になったとしても、対応できるように立ち回るつもりだが……かなり難しいな」

 

「でしょうね。ま、こうなった以上は、賭けてみるしかないわ。私たちは、イタチ君の判断に任せるから、お願いね」

 

アスナの言葉に、イタチはリーダーとしての責任を感じつつも頷いてこれを了承した。ラスボスを相手に、裏ボスを相手するだけの余力を残すのは、流石のイタチでも不可能に近い。裏ボス出現時に体力が全回復されることも考えられるが、それを期待するのは無謀だろう。しかしそれでも、最悪の事態が起こる可能性がある以上、やるしかないのだ。

 

「それじゃあ、改めて出発するぞ。ボス部屋はこの階層の中、すぐそこだ」

 

イタチの呼びかけに従い、新たな仲間としてフレイヤを伴い、再度スリュムの部屋へと歩みを進める一同。そうして、一直線の道を進むことしばらく。ついにイタチ率いるパーティーは、突き当りの巨大な扉へと辿り着いた。扉には二匹の狼が彫り込まれていることをはじめ、その他にも華美な装飾が為されている。玉座の間へと通じる扉であることは疑いようもなく、この先にラスボスのスリュムが待ち受けていることは明らかだった。

 

「アスナさん、バフをお願いします」

 

「分かったわ」

 

イタチの要請により、防御力及び攻撃力、各種状態異常耐性を向上させる支援魔法を発動。パーティーメンバー全員にリバフを施した。すると、隣に立つフレイヤもまた、同様に支援魔法を唱え始めた。こちらは全員のHPを大幅ブーストするという、現在までのアップデートにおいて、一般のプレイヤーには実装化されていない魔法が発動していた。

アスナとフレイヤのバフによって、視界端にバフアイコンがいくつも並ぶ。十二分の戦闘能力が発揮できるようになったことを確かめたイタチは、全員と視線を交わすと、扉の前へと踏み出した。扉との距離が五メートルを切ったところで、巨大な扉は重たい音を立てながら自動的に左右に開いた。一層冷たい空気に包まれた部屋の中へ踏み込むと、壁に備え付けられた氷の燭台に、青紫色の炎がいくつも灯った。部屋はラスボスが鎮座する空間らしく、幅も高さも、これまで戦闘を行ったどの部屋よりも広い。辺りを満たす冷気と相まって、より一層青く冷たい雰囲気を感じさせる青色の氷に囲まれていた。天井には豪奢なシャンデリアがいくつも吊るされ、青白い炎の光を不気味に反射している。だが、光を反射しているのは、シャンデリアだけではなかった。

 

「うわぁっ!宝の山だね!」

 

「凄い景色ね……まるで、冒険映画に出てくる財宝の在処みたい」

 

部屋の至る場所に転がっているのは、無数の黄金。金貨や装飾品、剣、鎧、盾と、様々なオブジェクトが、人心を惑わせる魔力を秘めた山吹色の光を放っていた。想像を絶する財宝の山に、ユウキは興奮し、シノンは半ば呆然としていた。

だが、イタチはそんなものに目をくれない。金欲が無いとか、トラップを警戒している云々ではない。この広間の奥、未だ光が灯らない暗闇の中に、巨大な気配を感じていたからだ。

 

『……小虫が飛んでおる』

 

そんな、威圧感たっぷりの低い声が、暗闇の向こう側から響いてくる。それと同時に、ずしん、ずしんと床が震えた。何かが、近づいて来る――――!

 

『喧しい羽音が聞こえるぞ。どれ、悪さをする前に、ひとつ潰してくれようか』

 

やがて、暗闇の中からぬっと姿を現したのは、地を震わせる重い足音に見合った、想像を絶する巨体を有する、鉛のような鈍い青色の肌をした巨人だった。二十メートルは軽く超えているのではないかという身長に、筋骨隆々とした逞しい肉体を持つ、氷山のような存在。本人から見れば、イタチ等プレイヤーなど、文字通り“小虫”のような存在にしか見えないだろう。

身に纏う装備は、両手両足に巻き付けている黒褐色の毛皮と、腰回りの板金鎧、額に乗る金色の冠。武器になるものは持っていないが、肉体そのものがこのパーティーを全滅させて余りある凶器である。

 

(拙いな……想像以上の強敵だ)

 

その威容を前に、イタチは珍しく内心で焦りを抱いていた。ラスボスだけに壮絶な戦闘を予想していたが、目の前の存在は予想の範疇を完全に外れていた。仮想世界に対して高い適正を持地、SAO時代には数多のボスモンスターと対峙してきたイタチには、目の前のボスがどの程度の存在なのかを、情報量というデジタル要素と、前世の忍び時代に培った経験から感じ取ることができる。目の前のラスボスが、見掛け倒しではない、疑いようもなく強大な存在であると…………

 

『……アルヴヘイムの羽虫共か。大方、ウルズに唆されてここまで来たということか。小さき者どもよ。貴様等をこの場所へ導いた女はどこにいる?居所を吐けば、この部屋の黄金を欲しいだけくれてやるぞ』

 

「お断りだよ!僕たちは、お前を倒してこの世界を救うためにここに来たんだ!」

 

「そもそも知らないしね。それに、黄金に目が眩んで依頼人を差し出すなんて真似、するわけないでしょう」

 

「知っていたって、あんたなんかに話すもんか!」

 

イタチが目の前のラスボスの攻略方法について思考を走らせていた傍らで、ユウキやシノン、リーファが反抗の意思を示す。そもそも、スリュムを倒さなければ、央都アルンをはじめ、アルヴヘイムは破滅に向かうのだ。イタチを筆頭としたこの場に揃ったメンバーには、黄金によって懐柔されるつもりは毛頭無かった。

対するスリュムは、そんなメンバー全員の態度を鼻で笑って一蹴。黄金をくれるつもりは毛頭無かった様子である。そして、メンバー全員に対して、値踏みするように見下ろす中、あるメンバーへとその視線が止まる。この部屋へ至る直前に加入した八人目のメンバー、フレイヤである。

 

『ほう……そこにおるのは、フレイヤ殿ではないか。檻から出てきて、宝物庫へと羽虫を伴って忍び込むとは……此度は、氷の獄へ繋がれるだけでは済まぬぞ?』

 

(宝物庫……ここは、玉座であると同時に、宝物庫ということか)

 

スリュムの発言と周囲に散らばる黄金製オブジェクトから、この部屋が宝物庫であることを確信するイタチ。同時に、フレイヤが奪われた宝物はこの部屋にあり、それを調べていたことが原因で氷の檻に閉じ込められていたことを悟る。

 

「黙りなさい!私は元より、奪われた宝物を取り戻すためにここへ来たのです!かくなる上は、剣士様たちと共にお前を倒し、取り戻します!」

 

『ふっふっふ、威勢の良いことよ。ますます、儂の花嫁としたくなったぞ。どれ、そこな羽虫共を踏み潰した後、念入りに愛でてやろう。その気高き花の如き性根を手折るのも、また一興というものだ』

 

その言葉と共に、スリュムはイタチ等のもとへ一歩踏み出す。そしてスリュムの頭上には、これまでのボスの比ではない程に長大なHPバーが三本、積み重なった。一本当たりの長さは、これまで相手してきたボスの頭上に表示されていた、HPバー三本分に相当する。HP総量は、一般的なバー九本分に相当している。

それを確認したイタチは、即座にパーティーメンバー全員に指示を出す。

 

「俺とリーファ、ユウキは前衛で攻撃と回避盾を担当する」

 

「任せて、お兄ちゃん!」

 

「オッケー!」

 

「コナンとランは中衛として俺たちのサポート担当に加えて、隙を見て重攻撃技を叩き込め」

 

「ああ、任せろ」

 

「分かったわ」

 

「アスナさんとシノン、フレイヤは後衛で、支援魔法と援護射撃を」

 

「任せて、イタチ君」

 

「了解したわ」

 

「お任せください、剣士様」

 

「ユイ、お前はアスナさんと一緒にいろ。スリュムの攻撃や行動パターンに変化が生じたら、すぐに知らせるんだ」

 

「はいです、パパ!」

 

ユイとフレイヤを含めたパーティー全員が指定の配置に付いたところで、イタチは改めて戦闘開始を宣言する。

 

「初手から積極的に攻勢に出るぞ!本来なら、行動パターンを割り出してから攻勢に移るが、時間が無い。全力で押し通し、一気に攻め落とす!」

 

『おーっ!!』

 

常のイタチらしからぬかなり強引な戦法だが、タイムリミットの関係上、誰も異議を唱えない。こうして、エクスキャリバーを巡る、スリュムヘイム最後の戦いが、ここに幕を開けた――――

 

 

 

 

 

 

 

『ぬぉぉぉおおお!』

 

「踏み付けが来るぞ!散開して回避しろ!」

 

イタチの指示に従い、リーファとユウキが一斉に異なる方向へ退避する。途端、先程まで三人が密集していた場所を、スリュムの右足が降りかかった。

 

「コナン、脹脛を狙え!発動後は距離を取れ!ラン、スイッチの準備を!」

 

「分かった、行くぞ!」

 

「任せて!」

 

踏み付け攻撃が終わるや否や、今度はコナンが動き出す。スリュムが踏み付けを行った左足目掛けて、撃槍『ガングニール』を、ソードスキル発動のライトエフェクトと共に投擲した。刃が深々と脹脛に突き刺さったが、コナンの攻撃はこれで終わらない。瞬間移動と見紛うような速度で移動していたコナンが、突き刺さった槍を引き抜き、さらに三発の刺突を食らわせると同時に、床を蹴って後方へ跳躍。空中を移動しながら、最後の一撃を投擲した。一連のコナンの攻撃は、五連撃槍系ソードスキル『ダンシング・スピア』である。

 

(見事だな……流石はコナンだ)

 

ソードスキルは武器を問わず、発動した時点でその場からほぼ動かずに繰り出されるものである。しかし、コナンの撃槍『ガングニール』は、そのセオリーを覆す『スヴィズニルシフト』という固有能力を有している。投擲時にソードスキル発動を維持することができるこの能力は、連続技にも適用される。つまり、初撃からフィニッシュまで、任意のタイミングで投擲を行うことができ、再び槍を手にすれば、以降の連撃は続けられるのだ。さらには、投擲した槍のもとへ移動する際の速度補正と、後方跳躍によって距離を取りながらフィニッシュを決めることすらできる。ソードスキル終了後は、『スヴィズニルシフト』のクイックチェンジ効果により、武器は回収できる。

聞く限りでは、隙が皆無に等しいスキルだが、誰にでも使えるものではない。C事件に由来する仮想世界への高い適応力と、SAOにおける戦闘経験に裏付けられた、反応速度と技巧を有するコナンだからこそ使いこなせるのだ。

 

「せやぁぁぁああ!!」

 

そして、コナンに続き、今度はランがスイッチする形で追撃を仕掛ける。右足にライトエフェクトを迸らせながら、体術系ソードスキル『覇月』を放つ。

 

「りゃぁぁぁああ!!」

 

猛烈な勢いで繰り出された重攻撃技に分類される回し蹴りは、スリュムの大木の如く太い右足をへし折らんばかりの衝撃を振りまき、周囲の空気を震わせる。

 

『ぐぬぬぬぅぅうっ……!!』

 

コナンとランの連携によって繰り出されたソードスキルにより、苦悶の声を上げるスリュム。頭上に並ぶHPバーも、これまで与えたダメージの中でも最も大量にゲージを削られていた。

 

『虫けら如きが調子に乗るなぁあっ!!』

 

だが、スリュムとてやられっ放しではない。お返しとばかりに魔法スキルを発動させ、足元に十二の魔方陣を展開する。この魔方陣は、氷のドワーフ兵を召喚する兆候を示すライトエフェクトである。そして、イタチはこれを見逃さない。

 

「全員一度退け!シノンは矢の準備を!」

 

シノンの援護射撃が通りやすいように、前衛・中衛が左右に散開する。ただ一人残ったイタチは、幻影魔法の詠唱を開始し、ドワーフ兵が現れると同時にこれを完了した。途端、イタチの周囲に同じ姿の分身体が現れる。スプリガンの得意とする幻影魔法の一つ『デコイ・シルエット』である。文字通り、“囮”としての機能に長けたこの幻影は、敵のヘイトを集めやすい特性を持つ。そして、イタチの狙い通り、生成されたドワーフ兵達は一斉にイタチの幻影へ襲い掛かった。

 

「シノン、今だ!」

 

それを確認するや、後衛のシノンに射撃指示を出す。シノンは既にイタチの意図を読み取っていたようで、弓に番えていた矢をイタチの幻影向けて放った。着弾した途端、それらは凄まじい炎を上げてドワーフ兵を消滅させた。手持ちの矢の中でもとりわけ強力な威力を誇る、道具屋のララ謹製の爆裂矢である。

 

『小癪なぁあっ!』

 

「ユウキ、打って出るぞ!」

 

「うん、分かった!」

 

咆哮を上げるスリュムの怒りなど知ったことではないとばかりに、次なる攻撃を畳みかけるイタチ。イタチは左足、ユウキは右足を目指して駆け出し、それぞれが使う中でも強力なソードスキルを発動させた。

 

「おおぉぉぉお!!」

 

「そりゃぁぁああ!」

 

ユウキが発動したのは、ここに至るまで多くのボスを屠り、パーティーに勝利をもたらしてきたOSS『マザーズ・ロザリオ』。

一方イタチが繰り出したのは、かつて鋼鉄の城において無双を誇ったユニークスキルをOSSとして再現した『二刀流』のソードスキル『スターバースト・ストリーム』だった。このALOにおいては失われたスキルではあるが、ALOとSAOではシステムの骨子は同じである。OSSのシステムが実装された今ならば、再現するのは難しくはなかった。

 

『ぐぬぅぅううっっ!!』

 

左右の足に繰り出される攻撃に対し、再度忌々しそうな呻き声を出すスリュム。対して、足元でスリュムに大ダメージを与えたイタチとユウキは、技後硬直で身動きが取れずにいた。その姿を見下ろしたスリュムは、チャンスとばかりににやりを笑うと、二人に向けて拳を振り下ろそうとする。だが、

 

「受けなさい、我が雷を!」

 

『ぐっ!……フレイヤ、貴様ぁああ!!』

 

アスナ、シノンの二人と並んで後衛に控えていた、NPCのフレイヤが魔法スキルを発動し、雷撃系攻撃魔法がスリュムの脳天を直撃する。一般のプレイヤーが放つ魔法では与えられないようなダメージを受けたスリュムは、攻撃行動をキャンセルさせ、その怒りをフレイヤの方へと向けた。

 

「ユウキ、離脱しろ!」

 

「了解っ!」

 

そして、イタチとユウキはこの隙を突いてスリュムの攻撃が命中する危険域から脱出する。フレイヤはNPCであり、パーティーと連携をとることは難しい。だが、イタチはその行動パターンを予測し、技後硬直で動けなくなるタイミングを、スリュムに有効な雷撃が放たれるタイミングに合わせたのだった。

 

「危なっ……ギリギリセーフだね」

 

「そうだな。だが、先はまだまだ長そうだ」

 

常のイタチならば、ゲームであろうと積極的には取らないような危険な戦法を連発することしばらく。しかし、そんな薄氷の上を渡るような戦いも中々実を結ばず、スリュムのHPは中々減らない。先程のフレイヤが放った雷撃により、HPはようやく三段ある内の一段目を削り切ったところである。

劣勢に立たされているイタチ等だが、ダメージは最小限に止め、致命傷は避けている。この調子で戦闘を続けていけば、スリュムを倒すことも不可能ではない。だが、それには単純計算であと二倍の時間を要することを意味する。

 

「まずいよ、お兄ちゃん。もう、メダリオンの光が三つしか残ってない。こんなペースじゃ、絶対に間に合わないよ…………」

 

「落ち着け。分かっている……」

 

泣きそうな声でタイムリミットを告げるリーファを宥めるイタチだが、内心では彼女同様、大いに焦燥に駆られていた。ここに至るまで、イタチは持てる戦略の限りを尽くして目の前のラスボスと対峙してきたが、どう足掻いてもタイムリミットの問題ばかりは解決できない。今だって、薄氷の上を渡るような際どい戦法の連続なのだ。これ以上取れる戦術は、イタチは持っていない。

何か手は無いか……そう考え、戦線を維持しながら突破口を探すべく別方向へも思考を走らせる。と、そんな時だった。

 

「剣士様!」

 

不意に、後衛の面子が控えている場所から、八人目のパーティーメンバーたるフレイヤの声が上がった。どうやら、パーティーリーダーであるイタチに何か言いたいことがあるらしい。もしや、スリュムを倒すための戦闘時のイベントが発動したのではと思ったイタチは、注意はスリュムから逸らさず、何を言わんとしているかを聞こうと、その三角耳を研ぎ澄ます。

 

「このままでは、スリュムを倒すことは叶いません!我が一族の秘宝さえあれば、この戦況を覆せる筈です!」

 

「秘宝……一体、どんな物だ!?形状は!?」

 

未だ続くスリュムの猛攻を巧みに回避し、前線メンバーに指示を出しながら尋ねるイタチ。それに対し、フレイヤもまた、離れた位置にいるイタチに届く音量の声で答えた。

 

「このくらいの大きさの、黄金の金槌です!」

 

「金槌……?」

 

後方に立つフレイヤは、両手を三十センチほどの幅に開き、そう叫んでいた。美の女神である筈のフレイヤが、一体何故、そのようなものを探しているのか。

 

(金槌……ハンマー……秘宝……神……伝説の、武器…………!)

 

フレイヤの探し物と、ALOの世界のベースとなった北欧神話に関する断片的な知識。それらをパズルのピースのように頭の中で組み合わせた末、イタチはある答えを得るに至った。そして、クエスト達成が危ぶまれている今、イタチにはこれを利用しない選択肢は無い。

 

「コナン、前線指揮をしばらく頼む。俺は一度、後衛に戻る。俺が抜けた穴は、アスナさんに出てもらう」

 

「分かった。早くしろよ!」

 

スリュムと激闘を繰り広げる前衛メンバーの指揮を一時的にコナンに預け、後衛へ向かうイタチ。持ち前の敏捷をもって、数秒足らずで後衛に合流すると、すかさずアスナに指示を出す。

 

「アスナさん、前線をお願いします。ユイはこのまま後衛に残れ」

 

「分かった!」

 

「はいです!」

 

イタチの到着と同時に出た指示に対し、アスナはほぼタイムラグ無しで前線へと駆け出す。前線に合流する頃には、アイテムをワンドから細剣に持ち替え、戦闘に参加していた。その姿を確認しながら、イタチはユイに問いを投げる。

 

「ユイ、フレイヤの言うアイテムに該当するオブジェクトは確認できるか?」

 

「えっと…………無理です、パパ。この部屋のマップデータには、キーアイテムの位置情報の記述がありません。おそらく、部屋に入った時点でランダムに設置されています。該当するアイテムをフレイヤさんに渡してみないと、本物かは分かりません!」

 

この部屋には、これでもかというほどの超高級アイテムを積み上げた山がそこら中にある。一つ一つフレイヤに渡して試すには、当然ながら時間があまりにも足りない。これというアイテムに目星を付けて、フレイヤに渡す以外にない。しかしイタチには、既にアイテムの正体について目星が付いていた。

 

「皆、三十秒……いや、十秒でいい!スリュムを足止めしていてくれ!」

 

「分かった!早いところ、打開策を頼んだぞ!」

 

イタチの要請に従い、コナンをリーダーとした前衛メンバーは、スリュムへダメージを与えるための攻撃重視のフォーメーションから、時間を稼ぐための回避と陽動に重きを置いたフォーメーションへと変わっていく。

 

「シノン、ララから貰った電撃矢を辺りの宝の山に撃ち込め。できるだけ広範囲に電撃が流れるよう、手当たり次第だ」

 

「任せて」

 

前線の行動開始を見届けたイタチは、今度は隣に立つシノンに指示を出す。この危機的状況下で、アイテムの無駄遣いを促すようなイタチの指示に、しかしシノンは何も異議を唱えず、実行に移した。

 

「電撃矢はノコギリザメのボスにかなり使ったお陰で残弾に余裕が無いから、ギリギリの範囲を狙っていくわよ」

 

それだけ言うと、シノンはこの部屋のあちこちにうず高く積まれた宝の山々へ電撃矢を放っていく。電撃矢が炸裂する度、現実世界同様に電流をよく通す性質を持つ黄金に電撃が走り、眩いライトエフェクトが迸った。

一発、二発と撃ち込んでいく度に電撃が走るその様子を、イタチは注意深く見守る。この一見意味のないように思える行為が、実はこの形成を逆転させるための重要な意味を持つことを知っているが故に……

 

「……あれだ!」

 

そして、イタチは遂に見つける。黄金の宝の山に走る紫電に呼応するように、一際大きな光を放つオブジェクトの存在を。

 

「シノン、フレイヤを連れてこい。秘宝が本物かを確かめる」

 

それを視認するや、イタチはシノンへ有無を言わさず指示を送ると、目的のオブジェクトが埋没している宝の山へと、持ち前の敏捷を最大限に発揮して一直線に走り出す。

 

『小虫が調子に乗るなぁぁああっっ!』

 

そんなイタチに襲い掛かるのは、このダンジョンのラスボスたるスリュム。猛スピードで動くイタチに反応したのか、或いは件のアイテムの在処へ一直線に接近しているためか、スリュムはイタチに狙いを定めた。

そして、体を反らして深く息を吸い込み、その分厚い胸板をさらに膨らませる。氷のブレスを放つ予備動作である。これまで放ってきたのは、吸い込みの予備動作時間が短い、直線攻撃のブレスだったが、今回は違う。吸い込む空気の量からして、面制圧型の広範囲攻撃で間違いない。

だが、イタチは止まらない。スリュムの予備動作を確認するや、これに対処できるメンバーに対し、指示を送る。

 

「コナン!お前の“ノイズ”でキャンセルしろ!」

 

「仕方ねえな!皆、魔法とスキルは中断だ!散開して回避に備えろ!」

 

イタチの指示に従い、スリュムの真正面へと移動し、周囲のメンバーに回避指示を送るコナン。それと同時に、コナンもまた、スリュムに倣うように深く息を吸い込んみ……そして、プーカ特有の“歌唱スキル”を発動させた。

 

「うっわ……相変わらず、酷い歌声……」

 

「音楽スキルが得意なプーカとは思えないわね」

 

音痴全開で発動される歌唱スキルに、リーファやシノンといったメンバーは、眉を顰める。わざとやっているのではないか、と思うほど外れた歌声に、ユウキを除くメンバー全員は、苦笑と呆れを浮かべるのだった。

 

「いやいやいや……これって、本当にスキル成功するの!?」

 

「残念……でもないけど、“歌唱スキル”は失敗ね」

 

「なら、何でそんなに落ち着いているのさ!?」

 

「見ていれば分かるわよ」

 

イタチはおろか、前線メンバー全員を巻き込みかねないスキルの発動を前に、下手な歌を熱唱しているコナンを中心として、呑気に構えている仲間達へ、ユウキは激しく突っ込みを入れていた。だが、対するランをはじめとしたメンバーは、全く動じた様子が無い。

そして、そうこうしている内にスリュムが広範囲型の氷のブレスを吐き出そうとしていた。

 

『ボォオッ、ゴッ、ガァァアアッッ!!?』

 

「へっ……!?」

 

だが、コナンが発動しようとした歌唱スキルが失敗に終わり、ライトエフェクトの波紋を発生させたその時――奇妙なことが起こった。歌唱スキルの発動失敗によって発生した波紋がスリュムにぶつかった時、スリュムが咽返るような動作と共に、氷のブレス攻撃がキャンセルされたのだ。

 

「こ、これって……一体……!?」

 

「これがコナン君だけが使うことができるシステム外スキル……“不協和音(ノイズ)”よ」

 

フレイヤを除くパーティーメンバーの中でただ一人、事情が分からず混乱するユウキに対し、その種明かしをしたのは、近くに立っていたランだった。

 

 

 

 

 

プーカが得意とする、バフもしくはデバフ効果を与えるタイプの歌唱スキル発動の成功率は、本人の音感が大きく作用する。故に、音痴のコナンが発動しようとする歌唱系のスキルは悉く失敗していた。だが、コナンが発動を試みたスキルは、ただ不発しただけではなかった。発動の失敗と共に撒き散らされるライトエフェクトのデータ片が波紋状に広がる時、その周囲で発動しようとしていた魔法やスキルまでもが影響を受け、霧散してしまうのだ。

これこそが、ALOにおいてコナンのみが発動できるシステム外スキル『不協和音(ノイズ)』である。歌唱スキルの失敗と同時に、広範囲にわたって魔法、スキルにデスペル効果を及ぼすこのシステム外スキルの性能は、現在実装化されている通常のデスペル系スキルを凌駕すると言わしめる性能だった。

このシステム外スキルは、コナン以外のプーカが発動を試みても、同様の効果は表れなかった。故にこのスキルは、コナンの音痴によってのみ発動できるものであるとされた。イタチの見立てでは、コナンの音痴が奏でる不協和音が、上手い具合にスキル発動のシステムに干渉できる波動と化して、システム外スキルと化していということだった。

 

 

 

 

 

「はぁ~~……そんなスキルがあったなんて……」

 

「ま、知らないのも無理は無いわね。何せ、コナン君しか使えないんだから。イタチ君が彼を呼んだのも、多分こういう局面を見越していたんだと思うわ」

 

その能力は、これまでの難関クエストにおいて多大な戦果を挙げていた。イタチがコナンを今回のエクスキャリバー獲得という超高難易度クエストに誘ったのも、ガングニールの使い手であることに加え、状況がまるで読めない未踏領域たるダンジョンの奥で繰り広げられるあらゆる戦闘において、コナンの能力が役立つことも計算に含まれていたことは間違いなかった。

 

 

 

「でかしたぞ、コナン」

 

 

 

そして、コナンがパーティーを全滅の危機から救っていた一方。イタチもまた、前線を横切って移動した目的を果たしていた。崩された黄金の山に囲まれて立つイタチの手には、細い黄金の柄と、宝石をちりばめた白金の頭を持つ小型の槌が握られていた。

 

「フレイヤ、受け取れ!」

 

そう叫ぶと、シノンに伴われてスリュムの眼前を横切って遅れて駆け付けたフレイヤへ向けて、手に持つ金槌を投げ渡した。相当に重かったのだろう。ALOの九つの種族の中で、筋力パラメータに乏しいケットシーの腕力を目一杯ゲインしている様子で、アバターの動きが、かなりぎこちないものになっていた。そんなイタチが、砲丸投げのような動きで、肩が外れんばかりの力で投げた金槌だったが…………当のフレイヤは、イタチよりも華奢な細腕一本で、それを難なくキャッチしていた。

 

「…………ぎる…………」

 

ハンマーを握ったフレイヤは、その場で背中を丸めてうずくまると、先程までの透き通った声とはかけ離れた低い声と共に、紫電が走る。絶世の美女が放ち始めた剣呑な空気に、イタチの仲間達六人は、ぞっとした様子で身震いしていた。

 

「みな……ぎるぞぉぉぉおおお!!」

 

そして、先程までの美女の面影が皆無と化した、絶叫が響き渡る。同時に、フレイヤの身体に劇的な変化が起こった。その華奢な獅子と背中の筋肉が、白いドレスを引きちぎる勢いで隆起し始めたのだ。

まさか、先程の金槌には、フレイヤをモンスター化させる力があったのか――――パーティーメンバーの一部が、そんな想像を抱いたのも無理は無いほどの、激変だった。だが、凄まじい雷鳴と電撃を放ちながら変化を続けるフレイヤには、触れることすら儘ならない。

そのまま為す術なく、傍観することしかできない一同の目の前で、フレイヤの筋肉は隆起し続け、巨大化を続ける。手足は樹齢数百年の巨木のように逞しくなり、胸板にも鋼のように強固な筋肉が備わり始めている。イタチから手渡された金槌も、フレイヤの体系に合わせて巨大化し、鯨のような大きさとなった。

 

「…………フレイヤ、さん?」

 

「いや、違うだろ……」

 

最早華奢な美女とは全く別のモノへと変化を遂げた、フレイヤ――だった存在に向けて、疑問符を浮かべてその名を呟いたランに対し、コナンは突っ込みを入れて否定した。

そんな二人を余所に、フレイヤだったそれは、逞しい二本の足で立ち上がった。隠れていた顔もまた、その体躯にふさわしい、ごつごつとした頬と顎に、金褐色の長い髭を蓄えた精悍な面構えと化していた。

 

「うわぁ……これって……」

 

パーティーメンバーの誰もが言葉を失い、立ち尽くす中、イタチは先程の超重量の金槌を投げたことによる違和感を覚えた右肩を回しながら、視界端に表示されたパーティーのHPバーを確認する。このダンジョンへ突入する際には無かった八番目のHPバーに記載された名前は、『Freyja』から、イタチが予想していた通りのものへと変化していた。

そこには、北欧神話の雷神の名前たる『Thor』――『トール』と、そう記されていた。

 



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第百三話 聖剣引抜を執行する

「暁の忍」は、本日で4年目突入!
不定期更新化しがちですが、今後もよろしくお願いします。

そして、私も先日、「オーディナル・スケール」を4Dで見てきました。
大迫力と大興奮のシーンが盛りだくさんで、ストーリーも非常に楽しめる名作でした。
また見に行ってしまおうかと思うくらいです。
書籍化でもしてくれたら、「暁の忍」本編にも入れたいとも思っていますが……今はちょっと、微妙なところです。

また、映画本編終了後に出たメッセージ……
そして、各種SAO関連ゲームに新登場する、“あの2人”のキャラ……
まだまだSAOは終わらないと、そう思わされる展開の数々に、興奮が止まりません!

「暁の忍」も、そこまで行けたらいいなと思いますが……
とにかく今後も、頑張ります!

読者の皆様には、今後も温かい目で見守っていただけますよう、
よろしくお願いします。


雷神『トール』とは、北欧神話において主神であるオーディンと同格以上に位置付けられる、主要な神の一柱である。神々の敵である巨人を相手に、稲妻を象徴する『ミョルニル』と呼ばれる槌を手に壮絶な戦いを繰り広げた戦神としても知られている。

トールが関わった北欧神話のエピソードの一つである『スリュムの歌』においては、愛用の武器にして秘宝たるミョルニルを巨人スリュムに盗まれている。そして、これを奪還するためにトールが取った手段は、美の女神であるフレイヤに変装してヨツンヘイムへ乗り込むというものだった。最終的には、スリュムが花嫁の祝福のために持ち出したミョルニルを奪還し、スリュムとその一族を全滅させたという。

そして、今回イタチ等一向が挑んだエクスキャリバー獲得クエストの舞台もまた、霜の巨人族の王たるスリュムの居城、ヨツンヘイム。先程、イタチ等の目の前で起こった一連の出来事は、北欧神話の『スリュムの歌』に関連するクエストが、別途盛り込まれていた故の結果だったのだ。

 

 

 

(とはいえ、まさかこんな展開になるとはな……)

 

北欧神話に関しては、ストーリーの流れや有名な神、武器等の用語をある程度把握している程度の知識しかないイタチでも、『トール』という神については、『ミョルニル』という愛用の槌と併せて知っていた。故に、フレイヤの正体がトールであることを看破し、スリュムに奪われたという秘宝の正体を看破するに至ったのだ。

だが、一連の流れは全て、イタチが当初から描いていた通りの展開というわけではない。フレイヤ改めトールの参戦は、イタチ等がスルーすることを決めていたフレイヤの救出を、ユウキが勝手に実行ことで実現したものだった。イタチとて必要とあれば救出に戻ろうとも考えてはいたが、クエストの残り時間を鑑みれば、どう足掻いても間に合わなかったことは明らかだった。結果的に、ユウキの独断専行は全面的に表目に出たのだった。

 

『卑劣な霜の巨人めが!我が秘宝『ミョルニル』を盗んだ報い、今こそ贖ってもらおうか!!』

 

『小汚い神め!貴様こそ、儂を謀りおった報いをとくと味わえ!その髭面切り離して、アスガルズに送り返してくれるわぁっ!』

 

秘宝を盗まれた者と、花嫁になると身分を騙して近づかれた者とで罵り合っている巨人二人。その様子を、イタチを除くパーティーメンバー達は、トール登場の衝撃から抜け出せずに呆然と見上げているばかりだった。

だが、危機的状況化にあって、この上なく心強い救援が現れたのだ。圧倒的に不利な戦況から流れが大きく変わろうとしているこの好機を逃す手は無い。

 

「皆、今の内に態勢を立て直せ!トールがタゲを取っている間に包囲して、一気に畳みかけるぞ!」

 

リーダーであるイタチの一声によって、はっと我に返ったパーティーメンバー達は、指示通りに散開する。スリュムから見て、前方にアスナ、リーファ、ユウキ、イタチの四人。後方にコナンとランの二人。シノンはイタチ等前方包囲のメンバーよりさらに距離を取った位置に立っている。スリュムを四方から包囲するように展開し終えた一同は各々の武器を構え、イタチからの一斉攻撃の指示に備えていた。

 

「まずはシノン!スリュムの顔面に煙幕矢を撃ち込め!」

 

「了解」

 

イタチの指示に従い、ララから受け取っていた攪乱用の『煙幕矢』を弓に番え、スリュムの眉間目掛けて撃ち込む。

 

『ぬぁぁぁああっ……!おのれ小癪なぁぁあっ!』

 

矢が眉間に炸裂するとともに発生した煙幕に、忌々しそうな声を上げるスリュム。『煙幕矢』はダメージを与えることには不向きな特殊矢だが、発生する煙の量が通常の幻影魔法の比ではない上、煙がその空間に止まる時間が長いため、陽動には非常に便利なのだ。

 

「次、リーファとアスナさん!奴の右足目掛けて、全力のソードスキルを!」

 

「任せて!」

 

「行くよ!」

 

イタチの指示を受けた二人のうち、先に飛び出したのは、リーファだった。スリュムの右足へと飛び掛かり、その手に握る片手剣にライトエフェクトを迸らせる。

 

「せい、やぁぁあああ!!」

 

リーファの発動したソードスキルは、片手剣上位ソードスキルの『スター・Q・プロミネンス』。放たれた六連撃の刺突は全て、煙幕の陽動に気を取られていたスリュムの無防備な右足の脛へと叩き込まれた。

 

「はぁぁぁああ!!」

 

さらに間髪入れず、アスナの発動した細剣上位剣技の追撃が、同じ場所を襲う。助走を付けて疾走した勢いのままソードスキルのライトエフェクトを撒き散らしながら突進するアスナの姿は、『閃光』そのもの。ここに至るまで、幾多のボスモンスターに大ダメージを与えてきた壮絶な刺突『フラッシング・ペネトレイター』が、スリュムの巨木のような右足の脛へと叩きつけられた。

 

『ぐぬ、ぐぅぅううっっ……!!』

 

二人掛かりの上位ソードスキルの連撃を同じ個所に受け、スリュムの右足が崩れかける。計算通りの好機を手繰り寄せることに成功したと確信したイタチは、さらなる追撃を指示する。

 

「コナン、ラン!膝を狙え!」

 

「オッケー、イタチ君!コナン君、外さないでよね!」

 

「バーロ、誰が外すかよ!」

 

ランの軽口に返しながらも、コナンは愛槍たる撃槍『ガングニール』を、槍系ソードスキル『フェイタル・スラスト』を発動し、投擲する。ソードスキル発動に伴うライトエフェクトの光芒を曳いて飛来した槍は、スリュムの右膝の後ろ側、膕へと命中した。

 

「ラン、もう一撃頼む!」

 

「行くわよ!りゃぁぁああ!!」

 

ガングニールがクイックチェンジ効果によってコナンの手元に戻ったのと入れ替わるように、今度はランの体術系ソードスキル『轟月』が放たれる。先程までガングニールが深々と突き刺さっていた箇所に、正確に打ち込まれた強烈な一撃は、その巨木のような膝へと、局所的ながら強大なダメージを与えた。

 

『ぐぬぬぬぅぅうっっ………ぁぁああっっ!』

 

右足に蓄積した度重なるダメージに、遂にスリュムの巨体が膝を付くに至った。急所ではない右足への攻撃故に、ダメージ自体は大きくならなかったが、これで幾分か動きを封じることができそうだ。

そして、一連の指示を出したイタチの思惑はそれだけではない。むしろここからが、真の狙いなのだ。

 

「勝負に出るぞ!ユウキ、続け!」

 

「うん、分かった!」

 

スリュムが膝を付き、苦悶の声を上げている隙を見逃さず、イタチはユウキを伴い、二人揃って突撃を仕掛ける。しかし、正面から接近している以上、スリュムがそれに気付かない筈も無い。

 

『この、羽虫がぁぁあっ!図に乗るなぁあっ!』

 

「ユウキ、避けろ!」

 

「了解!」

 

イタチとユウキを視界に捉えるや、顔を歪めて憎悪に満ちた目で攻撃を仕掛ける。しかし、イタチとユウキの連携した動きを前に、スリュムは完全に翻弄されていた。命中すれば即死も免れない両手のパンチの振り下ろしを前に、イタチとユウキは一切足を止めず、紙一重でそれらを回避して接近を続ける。

 

『ぐぅっ……こ、の!』

 

「ユウキ、跳ぶぞ!」

 

「うん!」

 

スリュムが反撃のために立ち上がろうとするよりも早く、イタチとユウキは、スリュムが地面に突いている右膝へ跳ぶ。そして脹脛を蹴って、今度は左の膝頭へ跳躍。そして、今度は左の膝頭側面を蹴ると、スリュムの顔面の前へと躍り出る。スリュムが膝を突いた姿勢を利用しての、三角跳びである。

 

『ぬっ!?』

 

眼前に現れたイタチの姿に、スリュムは驚愕の表情を浮かべていた。だが、そんなスリュムの反応を余所に、イタチは仲間達が連携攻撃を仕掛けている間に持ち替えた片手剣二本にライトエフェクトを迸らせ、容赦なく剣技を叩き込む。

 

「ジ・イクリプス」

 

『んなっ……!』

 

イタチの両手に持つ剣より繰り出される二刀流剣技『ジ・イクリプス』が、スリュムの顔面を襲う。SAOにおいて無双の力を発揮したユニークスキルとして知られた二刀流だが、ALOにおいては破棄されている。イタチが発動している二刀流スキルは、OSSとしてイタチが再現・登録したものである。

 

『ぬぐぅぅぉおおぁぁああっっっ!!』

 

ユニークスキルではなく、OSSとして放たれた二刀流剣技だが、威力は健在。アインクラッドにおいて数々のフロアボスを屠ってきた無双の剣技は、スリュムの顔面に無数のダメージエフェクトを刻み、大ダメージを与えていた。

 

『ぐ、ご……こ、小癪、なぁあああ!!』

 

ただでさえ被ダメージ量の大きい顔面へ、イタチの二刀流上級スキルの二十七連撃を受けたのだ。HPバーがほぼ一本分削られていた。だが、イタチ等パーティーメンバーの連携攻撃は、これだけでは終わらない。

 

「ユウキ、スイッチだ!」

 

「オッケー!」

 

ソードスキル発動に伴う対空状態から解放され、地面に落ちていくイタチと入れ替わる形で、今度はユウキがスリュムの眼前に現れる。その背中には、インプのカラーたる紫がかった黒い翅が広げられている。太陽と月の光が差さないダンジョンの中であっても、ごく短時間ならば飛行能力を維持できるインプの特性を、イタチとのスイッチに活かしたのだ。

 

「これで終わらせるよ!はぁぁあああ!!」

 

『ぐぬぁぁあああ!?』

 

ユウキの光放つ剣によって、スリュムの眉間目掛けて放たれる、十条の閃光。その巨大な額に刻まれた十字架の中心目掛けて、最後にして渾身の一撃が放たれる。

 

「そりゃぁぁああ!!」

 

『がぁぁあああっっっ!!』

 

合計十一発の刺突によってスリュムの額に描かれる、光の十字架――――ユウキのOSS『マザーズ・ロザリオ』である。ここに至るまで、数々のボスモンスターを倒すためのフィニッシュとして重宝されてきたこの技は、ダンジョンの主たるスリュムにも多大なるダメージを与えていた。

 

『ぐぅっ……ぐぉぉおっ!』

 

度重なる顔面への大ダメージの嵐に、地面に膝だけでなく手を突いてしまうスリュム。そんなラスボスの様子を、上位スキル発動を終えて、足元に自由落下したイタチとユウキは、何も言わずに見上げていた。視線の先にあるのは、スリュムのHPバー。二人が繰り出した一連の攻撃によって、その残量は大幅に削られた筈。ならば、これで終わりではないかと、二人はそう考えていた。

だが…………

 

『嘗めるなぁああああ!!』

 

「!!!」

 

スリュムのHPを削り切るには、あと一歩足りなかったらしい。HP残量はレッドゾーンに突入していたものの、辛うじて耐え切った霜の巨人の姿が、イタチとユウキの目の前にはあった。

 

「仕留めきれなかったか……」

 

「落ち着いてないで、どうするのさ!」

 

ここに至るまで紙一重の戦いを潜り抜けてきたユウキだが、怒り心頭のラスボスの足元で動けないこの状況には、本気で命の危険を感じたらしい。相変わらず冷静なイタチとは対照的に、取り乱した様子で慌てふためいていた。

大技による技後硬直で動けないイタチとユウキには、目の前にある脅威を逃れる術は無い。最後にHP全損一歩手前に迫るまでの猛攻を仕掛けていただけに、スリュムのタゲは足元で立ち尽くしているイタチとユウキの二人に固定されている。スリュムは地面に右膝を突いた姿勢のまま、二人目掛けて拳を叩き付けようと腕を振り上げていた。

 

「落ち着け。俺達には、まだ味方がいるだろう?他でもないお前が助け出した、“この上なく心強い味方”が、な」

 

「あ…………」

 

その言葉に、ユウキは思い出す。スリュムへの猛攻に夢中で、イタチに言われるまで忘れていた、すぐ後ろに立つ最大最強の仲間の存在を…………

 

『ぬぅゥンッ!地の底に還るがよい、巨人の王!』

 

『ぐ、ぬ、がはぁぁああっっっ!!』

 

イタチとユウキの後ろ側の位置に立つ、フレイヤ改めトールが振り下ろした、右手に握るミョルニルの一撃が、スリュムの頭に炸裂。その強烈な一撃は、HPがレッドゾーンに突入していたスリュムに耐えられる筈もなく、スリュムの頭に載っていた王冠が粉砕されると同時に、完全に尽きるのだった。

止めの一撃を受けたスリュムの身体は、糸の切れた人形のように、仮想の重力に従って崩れ落ちていく。その先には、イタチのユウキがいた。

 

「わわわぁあっっ!」

 

「走るぞ、ユウキ!」

 

OSS発動による技後硬直が解けるや否や、スリュムの倒れ伏す巨体に押し潰されまいと、猛ダッシュで離脱を図るイタチとユウキ。持ち得る敏捷の限りを尽くしての疾走の末、仰向けに倒れたスリュムの下敷きになることは避けるのに成功したが、巨体が倒れた余波により、二人の身体は紙切れのように飛ばされ、地面を転がる羽目になった。

 

「イタチ君、ユウキ!大丈夫!?」

 

「……問題ありません」

 

「ふぇぇえ……」

 

全身を床に打ち付けられ、ダメージも受けた二人のもとへ駆け付けたアスナが心配そうに声を掛ける。イタチは特に問題は無いとばかりにすっくと立ち上がったが、ユウキは目を回してふらついていた。

 

『…………ぬっふっふっふっ』

 

壮絶な戦いながら、全員無事に生き残ることができた勝利の余韻に浸ろうとしていた一同のもとに、低い声の不気味な笑い声が聞こえてきた。声の主は、先程HP全損して地面に倒れ伏したスリュムだった。

 

『今はかつ誇るがよい、小虫ども。だがな……アース神族に気を許すと、痛い目を見るぞ……彼奴らこそが真の、しん』

 

『ふんぬっ!』

 

負け惜しみなのか、それとも今後のクエストに関わる何かのフラグだったのか。敗北した身で消滅を待つのみのスリュムが紡いだ意味深な言葉は、しかしトールの踏み付けによって遮られた。

途端、スリュムの巨体を覆う、プレイヤー数百人分はあろうかという巨大なエンドフレイムが発生し、評決したその身体は無数の氷片へと爆発四散した。

 

『礼を言うぞ、妖精の剣士たちよ。これで余も、宝を奪われた恥辱を雪ぐことができた。余に加勢してくれた褒美として、これを賜わそう』

 

数十メートルにも上る高さからイタチ等を見下ろしたトールはそう言うと、右手に握るミョルニルの柄に、左手を触れた。すると、嵌っていた宝石の一つが外れ落ち、プレイヤーが装備するサイズのグローブへと姿を変えた。その意匠は、トールが嵌めているものに酷似していた。

そして、トールは自身の愛槌から生成したそれを、ユウキに向けて投げ落とした。

 

「うわっととっ……これって、もしかして」

 

『雷拳『ヤールングレイプル』だ。雷槌『ミョルニル』を与えようとも思ったが、拳闘士がいるのならば、こちらの方が良かろう。正しき戦のために使うがよい。では、さらばだ!』

 

トールが右手を翳しながら別れの言葉を告げた瞬間、凄まじい雷光と轟音が広間を一瞬にして満たした。目も開けていられない、耳鳴りが残るような光と音が収まった後には、あの雷神の姿は完全に消失していた。パーティーメンバー離脱も同時に告げられ、視界端に先程まであった八本目のHP・MPバーも無くなっていた。

その後は、スリュムが消滅した場所に大量の、しかもレアものであろうドロップアイテムの山が出来上がり、七人のパーティーメンバーのアイテムストレージへと、次々収納されていった。

 

「えっと……伝説級武器、ゲットかな?」

 

「疑問形にしなくても、それはお前の報酬だ。フレイヤ……いや、トールを助けたのも、お前だしな」

 

イタチの言葉に、その場にいた一同は揃って頷く。フレイヤことトールを助けたのはユウキの判断であり、そのお陰でスリュム打倒に至ることができたのだ。意図した結果でないとはいえ、他のメンバーよりそれなりに多く報酬を得ても、問題は無いだろう。少なくとも、この場にいるメンバーの中で、そのことに異議を唱える人間はいなかった。

しかし、当のユウキは困った様子だった。何故ならば、

 

「けど、僕は体術スキル、全然取ってないんだけど……」

 

「なら、ランにやったらどうだ?ちょうど、伝説級武器を欲しがっていたことだしな。もしかしたら、籠手の伝説級武器を手に入れられる機会は、これが最後かもしれないしな」

 

雷拳『ヤールングレイプル』の持ち主にランを薦めるコナンの提案。対するユウキは、少し考えると、決心を固めたように頷いた。

 

「分かった!それじゃあ、これはランにあげる!」

 

「えっ!?……本当に、良いの?」

 

「うん!僕が持っているより、ずっと有意義だし、ランや皆には今日だけでもかなり助けてもらったからね。それに…………」

 

「それに?」

 

「あっ!……ううん、何でもない!とにかくこれ、ランにあげるね!」

 

ぼそりと呟いた言葉を耳聡く拾ったイタチの追及を誤魔化したユウキは、手に持ったままの『ヤールングレイプル』をランへと手渡した。

 

「ありがとう、ユウキ。大切に使わせてもらうわ」

 

「どういたしまして!」

 

「けど、今回のスリュムの攻略はユウキが一番活躍したのに、これじゃあ…………」

 

「心配しないで、アスナ。『ヤールングレイプル』の代わりなら、イタチに何かお願いを聞いてもらう形で埋め合わせをしてもらうから」

 

「おい…………」

 

ユウキが口にしたその言葉に、イタチが非難の視線を向ける。報酬の埋め合わせをイタチに要求する旨についてではなく、具体的な内容を明らかにせずに、お願いを聞いてもらうという条件を取り付けようとしたことに。何故ならば……

 

「ちょっとユウキ!」

 

「お願いって何よ!?お願いって!!」

 

「……まさか、何か厭らしいことじゃないわよね?」

 

懸念した通り、ユウキの言葉に過剰な反応を示す三人組に、イタチは溜息を漏らした。ラスボスを倒したタイミングでの、まさかのトラブル再燃に、イタチの頭痛も再来していた。ともあれ、自分がトラブルの根源になっている以上、放置することはできないので、仕方なく仲裁に入ることにした。

 

「そこまでだ、三人とも。報酬としてユウキの頼みを聞いてやっても良いが、あくまで常識の範囲内で、だ。難関クエストやボス攻略の手伝いならいくらでも引き受けてやるが、それ以外の要求は条件次第で却下だ」

 

「むぅ~……しょうがないなぁ。それで良いよ」

 

イタチの出した条件に対し、ユウキは渋々ながら同意する。それを見届けた三人組もまた、溜飲が下がった様子で、一応納得していた。と、その時だった。

 

「むっ……!」

 

「わわわっ!」

 

突如として発生した、イタチ等が今いるボス部屋を……否。スリュムヘイム全体を激しく揺らす、震動。地震にも似た現象だが、おそらく震えているのはこのスリュムヘイムというダンジョンだけだろう。その理由も原因も、イタチにはすぐに分かった。

 

「リーファ、メダリオンの確認を!」

 

「分かった!」

 

イタチの指示に従い、リーファが女神から賜ったメダリオンを確認する。首から下げていたそれを覗き込んだリーファは、顔を青くした。

 

「お、お兄ちゃん!クエストは、まだ終わってないよ!」

 

「だろうな。ユイ、下に通じる階段の在処を!」

 

「はいです、パパ!」

 

イタチの指示を受けるや否や、急いで検索をかけてマップの確認を行うユイ。五秒とかからず、新たに生成された階段の位置を割り出した。

 

「玉座の後ろです!下り階段が新たに生成されています!」

 

「分かった」

 

その言葉に、イタチを先頭に七人全員が玉座を目指す。戦闘中は玉座に隠れて死角になっていた箇所だが、確かに下の階へと続く下り階段が存在していた。

それを確認するや、パーティー全員、躊躇うことなく一気に下っていく。ラスボスを倒したとはいえ、常のイタチならば、最後までトラップを警戒して進むのだが、メダリオの状態からしてそんなものを気にしている暇は無い。警戒だけは怠らず、しかし駆け足で先へと進んでいく、そんな中。リーファが思い出したように口を開いた。

 

「お兄ちゃん。今さっき、思い出したことなんだけど……確か、前に読んだ北欧神話では、スリュムヘイムの主はスリュムじゃないの」

 

「…………成程な。スリュムはこのダンジョン最奥部を守る守護者であり、留守番か。本物の城主は、今地上でスロータークエストを依頼している、NPCだろうな。そして、ヨツンヘイムが地上へ浮上した時、真のラスボスとして姿を現すといったところか」

 

リーファの言葉に対し、イタチは即座に頭の中で現在の状況と照らし合わせて、クエスト失敗後に起こるであろう事態に至るまでの推測を述べていく。それに対し、肯定の意を指名示したのは、ユイだった。

 

「スリュムヘイムの真の主の名前は、『スィアチ』です。北欧神話において、ウルズさんの言うように、黄金の林檎を欲していたのも、スィアチの方だったようです。ALOのインフォメーションによりますと、スィアチは今、ヨツンヘイムの最大の城に『大公スィアチ』という名前のNPCとして配置されているようです」

 

「……スリュムヘイムが陥落しても、黒幕は健在というわけか」

 

クエストの裏側まで深く追及することは、忍としての前世を持つイタチには、本来あるまじき行為である。だが、今回は事情が事情である。アルヴヘイムを崩壊させるようなクエストを発注するNPCが黒幕ならば、ALOの未来のためにも、ぜひとも始末しておきたいというのが本音だった。

尤も、クエストそのものは、ALOのシステムによって自動生成されているのだ。故に、それを依頼するNPCを一体や二体、始末したところで、対症療法程度の効果しか持たないのだが。

 

「パパ、五秒後に出口です!」

 

そんなことを考えながら進むことしばらく。遂にイタチを先頭としたパーティーは、スリュムヘイムの最奥部へ至った。

四方を囲むガラスのように透き通った壁の向こう側には、天蓋から吊るされた水晶の薄明りによって照らされた、雪と氷に覆われたヨツンヘイムの壮大な景色が広がっている。

そして、その中央部には、氷の立方体形の台座があり、中には名刀で切られたかのような、見事な断面を見せる木の根が閉じ込められている。それが世界樹の根であることは、疑いようも無かった。そして、アルヴヘイム中央に屹立する世界樹の根を断ち切った業物もまた、そこに鎮座していた。根の断面部に突き刺さっていたのは、黄金の剣。微細なルーン文字が刻み込まれたその刀身に、イタチは見覚えがあった。

初めて見たのは、ALO事件解決に際して、ヨツンヘイムをトンキーに乗って飛行した時。二度目に見たのは、事件の黒幕である妖精王オベイロンこと須郷伸之と対決した時。純粋にゲームを楽しむ余裕等無かったあの頃だが、その剣が強大な力を秘めていたことだけは、イタチにも分かった。まさしく、伝説の聖剣と呼ぶに相応しい武器。そして、その名前は――――

 

「やっと辿り着いたな。『エクスキャリバー』に」

 

このクエストの最終目的たる聖剣『エクスキャリバー』を前に、この瞬間に至るまでの道程にあった、壮絶な戦いと仲間同士のすれ違いが脳裏に蘇りそうになるが、達成の余韻に浸るにはまだ早い。加えて言えば、現状はかなりギリギリなのだ。

余計なことを考えるよりも早く、イタチはその柄に手を掛けることにした。

 

「うっ……ぉぉおおおお!!」

 

アバターが発揮できる全筋力をゲインし、エクスキャリバーの引き抜きを図るイタチ。だが、想像以上に固く突き刺さったエクスキャリバーは、ケットシーとしてのイタチの腕力ではびくともしない。

 

「イタチ君、頑張って!」

 

「根性見せなさい!」

 

アスナやシノンの声援に押され、聖剣を握る手にさらに力を入れるが、エクスキャリバーは僅かに動くのみ。抜き切るには至らない。そして、イタチが引き抜きに手間取っている間にも、ヨツンヘイムは振動と共に浮上し続ける。

 

「お兄ちゃん、メダリオの光が!」

 

「ねえ、ちょっと……」

 

「こいつは、拙いかもな……!」

 

ここに至って、ただでさえ猶予の無かったクエストのタイムリミットが、秒読み同然の危険領域に突入したことを悟ったメンバー一同は、危機感を抱く。イタチが全力で引き抜こうとしているエクスキャリバーも、小動はしても抜き切るには至らない様子だった。誰もが固唾を呑んで見守る中、イタチは尚もケットシーとして出せる以上の筋力をゲインし続ける。

 

「イタチ!」

 

「ユウキ?」

 

エクスキャリバー引き抜きを試みていたイタチのもとへ、ユウキが進み出る。恐らく、イタチの手助けをするために駆け付けたのだろうが、いったい何をするつもりなのか。疑問に思う一同の目の前で、ユウキはイタチが引き抜こうとしていたエクスキャリバーへと手を伸ばし……

 

「おい、ユウキ……!」

 

「大丈夫っ!……僕も、手伝うよ!」

 

その刀身を握り締めて筋力をゲインして引き抜きを試み、イタチのエクスキャリバー引き抜きを後押しし始めた。エクスキャリバーの柄は、イタチが両手で握れば、掴むスペースは無い。故にユウキは、ダメージを覚悟で敢えて刃を掴んだのだ。しかし、伝説級武器の刀身を直接握って引き抜こうとしているのだから、当然ユウキもダメージを負う。赤いダメージエフェクトが刃を握る手に走り、HPがじわじわと削られていくものの、幸いにも手が切断されることは無かった。恐らく、台座に突き刺さったエクスキャリバーは、武器ではなくオブジェクトとして認識されているためだろうが、今はそれどころではない。

 

「ユウキ……なら、私も!」

 

「あたしも手伝うよ、お兄ちゃん!」

 

ユウキに続き、アスナやリーファも前へ出ようとする。刀身を握るという発想は無かったが、握ることができるのならば、ダメージ覚悟でやる価値は十分ある。そう考え、エクスキャリバーのもとへ集まろうとするが、

 

「手を出すな!これ以上人数が増えれば、力が分散して、却って抜きにくくなる!」

 

イタチの一声で、その歩みは止められた。イタチの言う通り、下手に焦ってエクスキャリバーに掴みかかろうものならば、互いの力が上手く作用せず、引き抜きの妨げになりかねない。エクスキャリバーは、イタチとユウキの二人で引き抜くしかないのだ。

 

「ぐっ……ぉぉおおおおおっっ!!」

 

「りゃぁぁああああ!!」

 

スリュムヘイムが浮上し始める中、イタチとユウキは渾身の力を込めて柄と刀身を握る。力を込める方向を、二人の呼吸を揃えて、台座からエクスキャリバーを引き抜こうとする。そして、リーファが持つメダリオの光が消失するのが先か、エクスキャリバーが引き抜かれるのが先か。数秒にも満たない時間が、数十分、数時間にも感じられる。そんな、クエストの成功とアルヴヘイムの運命を賭けた、真の意味で最後の戦いの行く末は…………

 

 

 

ピシッ…………

 

 

 

氷の台座に亀裂が走ったことによる音と共に、決着を迎えた。

 

「むっ……!」

 

「わわゎっ……!?」

 

そして次の瞬間、台座から強烈な黄金の光が発せられたかと思うと、イタチとユウキは勢いのままに吹き飛ばされた。床に倒れて背中を強かに打ちつけたイタチだったが、同じく勢い余って飛ばされてしまったユウキを自身の胸と左手で受け止めていた。そして、空いたイタチの右手には、今回のクエストにおける最後の目的にして、最大の報酬である黄金の剣――聖剣『エクスキャリバー』が握られていた。

イタチをリーダーとしたこのパーティーが、スリュムヘイムを舞台としたこのクエストを、完全クリアした瞬間だった。

 

「な、何っ!?」

 

「世界樹の根が……っ!」

 

だが、クエスト達成の余韻に浸る暇など、まるで無かった。イタチとユウキがエクスキャリバーの引き抜きに成功した途端、氷の台座の中で断ち切られていた世界樹の根が、急速に成長を開始したのだ。断ち切られた断面からは、新たな組織が芽を出し、上上へと伸長していく。さらに、世界樹本体もそれに呼応するように、スリュムヘイム上部から根をのばし始めたのだ。世界樹から伸びた芽は、スリュムヘイム最下層にあった螺旋階段を粉砕し、下へ下へと伸長。そして遂に、エクスキャリバーによって断たれていた根と完全に繋がったのだった。

だが、異変はそれだけには止まらない。先程から発生していた振動の比ではない大揺れが、辺りに走り出したのだ。しかしそれは、スリュムヘイムの浮上によるものではない。

クエストをクリアした今、スリュムヘイムが浮上することは無いのだから。ならば、何故揺れは収まるどころか、逆に大きくなっているのか。その答えは、

 

「スリュムヘイム全体が崩壊を開始しています!急いでください皆さん!早く脱出を!!」

 

(だろうな)

 

ユイの言葉にパーティーメンバーのほとんどが浮足立っていたが、イタチはむしろ納得した様子だった。もとよりこのクエストは、エクスキャリバーを引き抜くことで、スリュムヘイムの地上進出を食い止めることにある。クエストが達成されれば、アルヴヘイムへの侵略拠点たるスリュムヘイムが崩壊するのは自明の理なのだ。

 

(だが、脱出しようにもな……)

 

無論、イタチとてこのままスリュムヘイムと運命を共にするつもりは毛頭無い。何か脱出の手立ては無いかと、思考と視線を辺りに巡らせる。しかし、最下層の通じる階段は既に粉砕されており、四方には開けた視界が広がるばかり。聖剣が封印されていたこの部屋にも、脱出するための手段らしきものは何も存在しない。

世界樹の根を足場に上へ移動することも頭を過ったが、猛烈な勢いで伸びる根に触れようものなら、即座に弾かれるだろう。仮に足場として上へ上へと移動して落下を免れたとしても、そこで動けなくなるのは必定。崩壊と落下を始めているスリュムヘイムから脱出するには、何らかの“飛行手段”が必要なのだ。

 

(ならば、取れる手段はやはり一つ。しかしその場合、問題なのは……)

 

この状況を、パーティー全員で無事に脱出する方法はただ一つであることを再認識したイタチだったが、問題はもう一つ存在している。それは他でもない、イタチが引き抜き、その手の中にある聖剣『エクスキャリバー』だった。先程からウインドウを広げ、アイテムストレージへの格納を試みているが、何度やっても弾かれてしまう。恐らく、スリュムヘイム脱出後にウルズに再会し、終了フラグを立てなければならないのだろう。問題なのは、このとてつもない重量を持つエクスキャリバーを持ったまま脱出できるかということにある。

 

(持ち運ぶのは不可能。となれば……)

 

イタチが思考を高速回転させて、今回のクエスト最大の報酬を確実に手に入れた状態で脱出する方法を導き出す。仲間達がスリュムヘイム崩壊の危機に慌てふためいている中、イタチは黙々と冷静に動き、この聞きを脱出すると同時にエクスキャリバー回収を遂行するための準備を行う。

そして、世界樹の根が伸長を続ける中で、全員が浮足立って脱出方法をそれぞれに模索することしばらく。最下層の部屋に、一際大きな揺れが発生すると同時に、四方を囲んでいたガラス全てが砕け散ったのだ。その光景に、イタチを含めたパーティーメンバー全員は悟った。恐れていたその時が、遂に訪れたのだと――――

 

「落下するぞ!皆、掴まれ!」

 

イタチの指示により、全員が大勢を低くして、衝撃に備える。それから数秒と経たず、遂に最下層の部屋とスリュムヘイム本体とを繋いでいた木の根が、その部屋の重量に耐え切れず……遂に、ブチリと音を立てて切れた。

スリュムヘイムのラスボスたるスリュムを倒し、エクスキャリバーの引き抜きにも成功したイタチ等パーティーメンバーに課せられた、最後の試練。脱出不可能な超高高度からの脱出劇が、幕を開けようとしていた――――――――

 



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第百四話 シンライ

「きゃぁぁあああ!!」

 

「わぁぁああああ!!」

 

ALOは妖精になりきって空を飛ぶVRMMOだが、翅が使えないダンジョン等のエリアでは、何の抵抗もできずに、ただ落ちるのみである。超高高度から落下すれば、当然ながらプレイヤーは尋常ではないダメージを受ける。崩壊するスリュムヘイムの落下先には、激突する地表は無く、代わりに底の見えない闇が広がるグレートボイドが口を開けて待っている。北欧神話においては、ヨツンヘイムの下には、霜の巨人族の故郷であるニブルヘイムが存在するとされているが、ALOにおいてニブルヘイムが実装化したという話は聞かない。グレートボイドに落ちれば、HP全損はまず間違いない。

だが、イタチとて大人しく全滅するつもりはない。悲鳴を上げるリーファに対し、この危機的状況を打破するための指示を送る。

 

「リーファ!口笛を!」

 

「そ、そうだ!トンキーならっ……!」

 

イタチの意図を察したリーファは、急いで右手の指を口に当てると、思い切り口笛を鳴らした。スリュムヘイムがガラガラと音を立てて崩壊する中、リーファの口笛がきちんと響いているかは定かではない。しかし、この絶体絶命の窮地を脱出するには、これに賭ける以外に道は無かった。

 

くぉぉぉぉおおおん!!

 

しかし、イタチとリーファが救援を期待していた相手には、きちんと届いていたらしい。底無しの穴へと落ち行くイタチ等へと救いの手を差し伸べるかのように、スリュムヘイムへとイタチ等を運んでくれた“もう一匹”の仲間が、甲高い鳴き声と共に飛来した。

 

「トンキー!」

 

「来てくれたんだね!」

 

リーファの呼びかけに応じ、ヨツンヘイムの暗い寒空の向こう側から現れた巨大な影。それは、イタチ等がエクスキャリバー獲得クエストを挑むにあたり、移動手段となって皆をスリュムヘイムへと導いた象水母型邪神、トンキーだった。スリュムヘイム崩壊に伴って辺りに散る瓦礫をものともせず、皆のもとへと駆けつけてきた救援に、皆は一様に安堵の笑みを浮かべた。

 

「皆、トンキーの背中に飛び移るんだ!」

 

トンキーの接近を確認するや、イタチは素早くメンバー全員に避難指示を出す。イタチの指示を受けずとも、皆そのつもりだったのだろう。ぎこちない動作で立ち上がると、次々にトンキーの背中へと飛び移り始める。最初にリーファ、次にユウキ、アスナ、シノンと続き、コナンとランは二人同時にトンキーの背中に着地した。辺りに巨大な瓦礫が舞う状況下にあったものの、幸い誰一人足を踏み外すことはなく、危なげない動作で跳躍・着地に成功する。そして、仲間全員が避難したことを確認したイタチが、最後に飛び移った。皆を乗せたトンキーは、瓦礫の嵐を搔い潜りながら、安全圏へと退避する。

そうして、崩壊中のヨツンヘイムの真下から脱出を終えたところで、トンキーはホバリングして空中に静止した。同時に、危機的状況を脱することに成功したことを認識した一同は、どっと押し寄せてきた精神的な疲労に崩れ落ちた。

 

「……今回は、かなりやばかったわね」

 

「本当だね……まさかクエストをクリアしたのに、あんなことになるなんて…………」

 

「そういえば、リーファちゃん。メダリオはどうなってる?」

 

「あっ!」

 

ランに指摘されて気付いたリーファは、首から提げているメダリオを確認する。エクスキャリバーを引き抜き、スリュムヘイムを崩壊に導いた以上、成功した筈なのだが、実際のタイムリミットを確認しなければ、安心はできない。

 

「大丈夫です!本当に少しだけですけど、光が残ってます!」

 

そう言ってリーファは皆にメダリオを見せる。メダリオはそのほとんどが黒く染まり切っていたものの、確かにほんの僅かに浸食を免れた部分が残っていた。割合としては、全体の一パーセントにも満たない……〇・一パーセントといったところだろうか。それほどまでに小さな隙間ではあるものの、光があることが見て取れた。

 

「良かった~……これで、アルヴヘイムは大丈夫だよ。それに、トンキーの仲間達も助かる!」

 

「やったね、リーファ!」

 

このクエストが成功したことによって、スリュムヘイムは崩壊し、城主であるスリュムとスィアチの野望は打ち砕かれた。即ち、女神ウルズの眷属であり、トンキーの同胞でもある象水母型邪神達が狩られるスローター系クエストも頓挫することになる。

リーファの言うように、アルヴヘイムを未曾有の災害が襲うことも、トンキーの仲間達がこれ以上虐殺されることも無くなるだろう。クエスト成功の感傷に浸り、喜色満面の一同。だが、その感動故に、皆は見落としていた。当初の予定だった、獲得すべきものを逃していることを……

 

「確かに、クエストは成功だな。けどよ……何か、忘れてねえか?」

 

 

 

『…………あ!』

 

 

 

場の空気に水を差すのを承知で口にしたコナンの言葉に、一同は凍り付く。確かにアルヴヘイムの危機は去ったものの、クエスト成功の感動のあまり、当初の目的を完全に忘れていた。

 

「えっと……お兄ちゃん?」

 

「…………」

 

リーファが声を掛けた先に居るのは、パーティーリーダーたるイタチ。しかしその手には、つい先ほど引き抜いた伝説級武器は存在していなかった。

 

「えっと……エクスキャリバーは?」

 

「アイテムストレージに収納することができなかったことに加え、思った以上の重量でしたので、脱出と同時に持ち出すのは、不可能と考えました」

 

その言葉に、一同はがくりと項垂れる。確かにあの状況下で、相当な重量を持つエクスキャリバーを持ったまま逃げることは、譬えイタチでも不可能だっただろう。パーティーメンバー全員が助かるためには、やむを得ない犠牲だったことは間違いない。メンバー一同が、そう心の中で言い聞かせていた。しかしながら、最大のお宝を逃したショックは相当のものだったらしく、気まずい沈黙がその場を支配し続けていた。そんな中で口を開いたのは、イタチだった。

 

「リーファ、トンキーを崩壊中のスリュムヘイムに近づけてくれ。なるべく早く頼む」

 

「へ?……えっと、うん。分かった」

 

誰もが落胆の表情を浮かべる中、イタチだけは相変わらずの無表情で、落ち込んだ様子は見受けられなかった。エクスキャリバーに対する執着が薄かったとも考えられたが、その表情からは、諦めの色が感じられなかった。一体、何を考えているのだろう。誰もが疑問に思う中、トンキーはリーファの指示によって、瓦礫を撒き散らしながら崩壊し続けているスリュムヘイムへと向けて飛行高度を上げていく。

そして、イタチ等が落下した最下層の部屋があった箇所まで辿り着いた。最下層の部屋とその周辺のダンジョンを構築していたオブジェクトは、既に瓦礫と化して落下しており、そこには世界樹の根が張るばかりだった。しかしそんな中……

 

「ねえ、ちょっと。あれって…………」

 

「シノンさん、どうしたんです?」

 

「何か見えたの?」

 

瓦礫の雨が時折視界を遮る中、シノンの持つ、GGOにおいて狙撃手として鍛えた視力と、ケットシーとしての優れた目が、あるものを捉えた。それは、世界樹の根に吊るされて揺らめく、金色に光る、細長い何か――――

 

「まさかあれって……エクスキャリバー!?」

 

「えぇっ!けど、お兄ちゃんは持って逃げることはできなかったって言ってた筈じゃ……!」

 

イタチが獲得し損ねた筈のエクスキャリバーが、何故世界樹の根に吊るされているのか。皆が困惑する中、コナンは全てを悟った様子だった。

 

「イタチ……もしかして、後で回収できるように、世界樹の根に結びつけてたってのか?」

 

「そういうことだ。SAO時代から使い続けている戦鞭スキルが、まさかこんな形で役に立つとは、俺も思わなかった」

 

スリュムヘイム最下層の部屋が崩落する間際。イタチはストレージに収納していた装備の一つであった、戦鞭をオブジェクト化して素早く振るい、先端を一際太い世界樹の根に絡み付かせた上、柄の部分をエクスキャリバーに結び付け、落下を防いでいたのだった。

スリュムヘイムが崩壊を開始した時点で、イタチは全てを予見していたのだった。崩落に巻き込まれることを避け得ないことは勿論、トンキーが駆け付けてくれることもまた、計算の内だった。故に、上手く脱出に成功した後で回収できる望みに賭け、今回のクエストにおける最大の報酬たるエクスキャリバーを回収可能な状態にしておいたのだった。

 

「SAOのステータスは全てリセットしていたから、戦鞭のスキルは大した習熟度ではなかったが……テイムを得手とするケットシーの種族特性のお陰で、戦鞭の使用に補正がかかったらしい」

 

「ハハハ……そうかい」

 

皆が慌てふためいていたあの状況下にあって、戦利品の確実な回収方法を導き出し、瞬時に実行に移したイタチの頭の回転の速さと判断力に、改めて脱帽するコナンをはじめとしたパーティーメンバー。仮想世界と現実世界の両方において、名探偵としてその名を知られたコナンでも、あの状況下でここまで機転を働かせるのは、中々難しい。

 

「相変わらず、出鱈目な方法で問題を解決するわね……それで、どうやって回収するつもりなのよ?」

 

「スリュムヘイムが完全に崩壊してから、世界樹の根に飛び移って回収に向かうつもりだ。流石に、この瓦礫の雨の中へ突っ込むのは危険だ」

 

シノンの問いに対し、イタチはしばらくの傍観後に回収に動くと答えた。確かにイタチの言う通り、崩壊中のスリュムヘイムのど真ん中へ突入しようものならば、瓦礫の落下に巻き込まれて、今度こそグレートボイドへ一直線だろう。トンキーが助けに来てくれると考えるのは、流石に虫が良すぎる。

そんなイタチの考えに対し、反対意見を述べるメンバーは誰もおらず、安全策を取ることが決まった。そして、一同が崩壊するスリュムヘイムと、そのど真ん中で黄金の光を放ちながら根に吊り下げられているエクスキャリバーを眺め初めて数秒後……

 

 

 

唐突に、それは起こった――――

 

 

 

「ぐぅっ!」

 

「うわぁあっ!」

 

きっかけとなったのは、ヨツンヘイムの天蓋に突き刺さっていた部分のスリュムヘイム上部に、猛スピードで走った亀裂だった。亀裂は崩壊を続けるスリュムヘイム全体を覆うような形で走った。そして、イタチ等がそれを確認した途端――――スリュムヘイムの残りの部位全てが、一気に崩壊したのだ。先程までの緩やかな崩壊には無かった轟音と衝撃が辺りに響き、僅かに原型を留めていたスリュムヘイムは、一瞬の内に瓦礫の群れと化したのだ。

だが、崩壊はスリュムヘイム本体だけには止まらない。それに引きずられる形で、世界樹の根の一部分もまた、ブチリ、ブチリと音を立てて千切れ始めたのだ。そして、瓦礫の重さに引きちぎられた根の中には、エクスキャリバーを吊るしていた部分が含まれていたのだ。

 

「あああっ!!」

 

「エクスキャリバーが!」

 

瓦礫や根と共にグレートボイドへと落下し始めるエクスキャリバーを見て、落胆の声を発するリーファとアスナ。他のメンバーの反応も似たようなもので、回収は不可能だろうと一様に諦めた様子だった。

一方、回収のために用意した策が無駄に終わってしまったことを見せつけられたイタチは、

 

(……あの瓦礫の雨の中では、シノンの『リトリーブ・アロー』による回収は不可。回収するには、突入以外に道は無い、か……)

 

現状を冷静に分析し、エクスキャリバー回収のための策を見出そうと、思考をフル回転させていた。この状況では、エクスキャリバーを回収するために取れる方法は、瓦礫の中への突入以外に存在しない。

問題なのは、エクスキャリバーを上手く見つけ出したとしても、トンキーの背中へと自力で戻る手段が無いことである。忍術を自在に使えた前世のうちはイタチだったならばまだしも、翅が使えず、空を自由に飛べない妖精のイタチには不可能である。

 

(ここは、皆を信じるしかない、か……)

 

イタチが考えるに、この場にいるパーティーメンバーと連携すれば、作戦を成功させられる公算はある。しかし、エクスキャリバーは今も落下し続けており、連携を説明・指示している時間は一切無い。それを理解していたイタチは、後先のこと一切を仲間に託し、エクスキャリバー回収のための唯一の策を実行に移すことにした。

そして、いざトンキーの背中から飛び出そうとした、その時――――

 

「とぉぉおおっっ!」

 

「!!」

 

イタチよりも先に、威勢の良い掛け声とともに、トンキーの背中から飛び出した影があった。イタチと同様の黒貴重の服に身を包み、黒の長髪を靡かせた闇妖精族『インプ』の少女――――

 

「ユウキ!?」

 

瓦礫の雨へと飛び出した仲間の名前を驚いた様子で叫んだのは、アスナだった。しかし他のメンバーも同様の反応を示しており、ユウキの行動に対し、一様に驚愕して目を見開いていた。

 

「ちょっとまさか……!」

 

「エクスキャリバーを取りに行くつもりなの!?」

 

「無茶苦茶よ!」

 

本日何度目となるか分からない、ユウキの予測不能な行動に対して唖然とした一同だったが、すぐにその意図を悟るに至った。あるいは、既に慣れてしまったのかもしれない。

ユウキの無謀な行動に対し、無謀と評するパーティーメンバー達の言葉に、イタチもまた同意見だった。尤も、同じ行動を取ろうとしていたイタチがそれを言えた義理ではないのだが……

 

「……皆、後を頼んだ」

 

「へっ?……まさかお兄ちゃん!?」

 

ともあれ、一人飛び出したユウキを放置することはできない。仲間に一言残し、ユウキの後を追い掛ける形で、イタチもまたトンキーの背中から飛び出すのだった。リーファをはじめ、一部メンバーがイタチの行動に気づいたものの、静止を掛けるよりも早く、イタチは瓦礫の雨の中へと身を躍らせていた。

 

 

 

 

 

イタチが動くよりも先に、瓦礫の中へと飛び込んだユウキは、落下中の瓦礫を足場にして、エクスキャリバー目指して移動を繰り返していた。瓦礫と化したオブジェクトの耐久性は、スリュムヘイムを構成していた時よりも著しく低下しており、ユウキが移動時に蹴る度に砕け、ポリゴン片を撒き散らして消滅していた。瓦礫次第では、足を着いた時点で砕ける可能性も十分にある。

 

「うわぁっ!」

 

そして、危険は足元だけに止まらない。スリュムヘイムは崩壊途中であるが故にユウキの頭上から幾多の瓦礫が迫っているのだ。咄嗟に気付いて回避することに成功したものの、直撃すれば問答無用でグレートボイドへ一直線である。

 

(早く見つけないと!)

 

いつ砕けるか分からない足場の瓦礫と、雨霰となって降り注ぐ瓦礫の猛襲という二重の危険に晒されながらも、ユウキはエクスキャリバーの探索を続ける。並みのプレイヤーならば、数秒と持ちこたえられないであろう荒業をこなしながら、落下する瓦礫の中を動き回る中、ユウキはそれを見つけた。

 

(今、光った!?)

 

大量の瓦礫が砕けて消滅し続ける中、エクスキャリバーを探すユウキの視界が、瓦礫のオブジェクト消滅によるものとは明らかに異なる青白い光を捉えた。何かがある――そう直観したユウキの行動は、早かった。先程、謎の光が迸った地点目掛けて一直線に向かう。瓦礫を足場に一々着地している暇は無い。落下する瓦礫の側面を蹴っての水平移動を繰り返すことで、目的地を目指した。そして、

 

「見つけた!」

 

薄氷の上を渡るような危険な移動を果たした先でユウキが見つけたのは、果たしてユウキとその仲間達が望んだ今クエスト最大の報酬。黄金の輝きを放つ剣――――エクスキャリバーだった。それを視認したユウキは、最後の水平移動の際に、両足に自らが持てる筋力を目一杯ゲインし、目標目掛けて弾丸のように飛び出した。

 

「やぁぁぁあああ!!」

 

上から降り注ぐ瓦礫の危険など一切顧みず、崩れゆく瓦礫の中を落下するエクスキャリバー目掛けて真っ直ぐに飛び、その両手を大きく開く。そして――――遂にユウキは、その小さな両手で、今回のクエストの最大の報酬を掴み取ることに成功した。

 

(やった!あとは……!)

 

エクスキャリバーをその手に掴んだユウキだが、これを持って仲間のもとへ帰るという、不可能に等しい工程が残っている。しかし、これを為さなければ、エクスキャリバーはユウキもろともグレートボイドの暗闇に沈むのみである。そしてそれは、今日の戦い全てを無に帰すことにも等しい。

 

(だから……絶対に、皆のところに戻る!)

 

故にユウキは、諦めない。そして、どれだけ絶望的で、実現不可能な方法であろうとも、目的を果たすための手段を取ることに対し、一切の躊躇も逡巡も抱かない。

エクスキャリバーを抱き、勢いのままに瓦礫の雨を抜けたユウキは、空中で体勢を整えると、跳躍先にあった瓦礫に足を着く。

 

「うぉぉおおお!!」

 

そして、先程飛んできた方向よりやや上方へと、その視線を向け、降り注ぐ無数の瓦礫の合間にある、一直線に突き抜けられる軌道を見極める。それと同時に、足が着いた時の反動を利用し、再度の跳躍。瓦礫が砕ける程の衝撃を伴った勢いにより、ユウキの身体は再び弾丸と化して瓦礫の雨を突き抜けていく。

 

「ぐっ……くぅぅっ!!」

 

だが、如何に降り注ぐ瓦礫を掻い潜るための隙間を見出したといっても、全てを完全に回避できるものではない。跳躍時に捉え切れなかった細かい瓦礫や、急速に落下してきた瓦礫が、ユウキの身体を掠め、その度に小さなダメージがユウキの身体に蓄積される。だが、HPの損耗事態は些末事である。問題なのは、瓦礫が掠める度に奪われる、跳躍の勢いにある。瓦礫の雨の中を突き抜けるための勢いと速度が衰えれば、ユウキはその身を瓦礫の雨のど真ん中に晒す羽目になる。

そして、度重なる小さな瓦礫の衝突に見舞われたユウキの勢いは完全に殺され、遂にその進行は完全に止まった。そして、頭上からは止めとばかりに巨大な、それこそ回避不可能なくらいに巨大な瓦礫が迫り来る。

 

(こうなったら……!)

 

ユウキを聖剣もろともに奈落の底へと葬ろうとする脅威を目の前に、ユウキは切り札を使うという選択肢を取ることにした。

 

「はぁぁああっっ!」

 

背中に闇妖精族『インプ』のカラーたる、紫がかった黒色の翅を広げ、横方向へと全力で移動して、瓦礫の回避を試みるユウキ。闇妖精族『インプ』に固有の能力である、光が一切注がないダンジョン内における飛行能力。それが、ユウキがこの窮地を脱するために使うことを決めた切り札だった。

 

(あと少し…………駄目だ、届かない!)

 

だが、飛行が可能なのは、あくまでほんの僅かな時間のみ。数秒足らずで飛行能力は失われるのだ。当然のことながら、連続での飛行などできる筈もない。

ユウキの抵抗も空しく、瓦礫の落下範囲から逃れることは叶わず、飛行能力は完全に失われ、ユウキの身体は再び空中へ投げ出された。そして、頭上の巨大な瓦礫が、ユウキを奈落の底へと鎮めようと迫り……

 

 

 

しかし、ユウキが瓦礫に呑まれることは、無かった――――

 

 

 

「えっ……?」

 

一瞬、何が起こったのか分からず、唖然とするユウキ。ユウキが視界に捉えた瓦礫以外のもの。それは、緑色の三日月状の刃と、青白い光芒を曳いて飛来した一筋の流星。それは、先程まで自身のもとへ落下を続けていた瓦礫を切り裂き、貫き、粉々に粉砕したのだ。結果、ユウキは瓦礫の被害を免れるに至っていた。

そして、一連の出来事の中で、ユウキがもう一つ視認したものがあった。それは、瓦礫を貫いた青い流星の先端に見えた、細長い何か……

 

「ガング、ニール…………!」

 

それが何なのかは、すぐに分かった。何故なら、今日のクエストの中で共に戦ってきた、仲間の武器なのだから……

 

「ユウキ!!」

 

「っ……!」

 

そして、唐突に響き渡ったのは、自身の名を呼ぶ声。聞こえた方向に顔を向ければ、そこには先の槍の持ち主とは別の、もう一人の仲間の姿があった。

 

「イタチ……!」

 

「掴まれ!」

 

今のユウキと同様に、トンキーの背中から飛び出したのだろう。空中に身を躍らせていたイタチは、ユウキが自身の姿を視認したのを確認するや、右手に持っていた武器――戦鞭を振るった。その先端は、ユウキへ向かって真っすぐ伸びていく。そして、ユウキが伸ばした右手に絡み付き、しっかりと固定された。それを確認したイタチは、鞭を思い切り手前へ引くことにより、ユウキの身体を自身の元へと一気に引き寄せた。

 

「ありがとう、イタチ!」

 

「勝手な行動はするなと言っただろう」

 

「ごめん……けど、エクスキャリバーを手に入れるには、これ以外思いつかなくて…………って、ここからどうやって戻るのさ!?」

 

今更ながらに気付いたことだが、イタチもユウキ同様、この空中にあって、よりどころとする瓦礫等の足場を有していない。このままでは、落下するほかに無い。だが、イタチは慌てた様子のユウキとは対照的に、相変わらずの冷静な表情のまま口を開いた。

 

「俺はこうも言った筈だ。大事なのは、チームワークだとな」

 

イタチがそう言った途端、今度はイタチの背中側の、離れた位置から、銀色の何かが飛来した。背中を向けていたイタチは、気配でそれに気付いたのか、ユウキを抱えたまま器用に身体を横に反らし、右手を飛来物に向けて翳した。すると、飛来した何かは、イタチの右手の平にとりもちのように付着した。それを確認したイタチは、その粘着質な何かをぐっと握って引く。

すると…………

 

「わわわぁぁあああっっ!」

 

空中にあったイタチとイタチが抱えたユウキの身体が、凄まじい勢いで手繰り寄せられたのだ。釣り上げられた魚の様に、急激に上昇していくあまりの勢いに、ユウキは目を閉じて悲鳴を上げていた。そして、イタチとユウキの急上昇は唐突に止まった。そして、再度の落下する感覚。しかし、完全に落下の感覚は数秒足らずで終わった。

 

「戻ったぞ」

 

「え……あれ?」

 

イタチに言われて、目を開けてみるユウキ。そこは、先程までいたトンキーの背中の上だった。イタチをはじめ、パーティーメンバーの姿も全員分揃っている。

 

「全く!ユウキもイタチ君も、無茶しすぎだよ!」

 

「アスナに全面的に同意ね。サポートする私たちの身にもなって欲しいものね」

 

「だが、その甲斐あって、エクスキャリバーは、上手く手に入れられたみたいだな」

 

パーティーメンバー一同から向けられる、エクスキャリバー獲得のために犯した危険行為に対し、呆れと称賛の込められた視線が、これを実行した当人たるイタチとユウキに注がれていた。

 

 

 

先程のイタチとユウキの脱出劇は、この場にいる五人のパーティーメンバーの連携によるものだった。

まず、コナンのガングニールによるソードスキルの槍投げと、リーファの風属性魔法『ウインドカッター』によって、障害となる瓦礫を排除。

その後、ユウキを追ってトンキーの背から飛び立ったイタチが、クイックチェンジによって回収した戦鞭によってユウキを救助した。ユウキが瓦礫の中でエクスキャリバーを見つける手掛かりとなった発光は、戦鞭をクイックチェンジにて回収したことによるものだったのだ。

そのタイミングを見計らって、シノンが弓使いの種族共通スキルである、矢に強い伸縮性・粘着性を持つ糸を付与する『リトリーブ・アロー』を射出し、イタチがこれを受け止める。

最後に、パーティーメンバー随一の筋力を持つランが、アスナのバフによって強化された腕力をもってイタチとユウキを引き上げたのだった。

 

 

 

「即席の連携だったけど、上手くいって良かったよ~」

 

「本当よね。イタチ君、珍しく何も言わずに飛び出しちゃったんだもん。一瞬、どうしようって思ったけど、私も含めて皆、すぐに行動に移れたのは幸運だったわね」

 

あの見事な連携が、実は薄氷を渡るような、非常にギリギリなものだったと聞かされ、ユウキは顔を引き攣らせていた。

 

「えっと……上手く成功したし、結果オーライ……なのかな?」

 

「まあ、有体に言えばそうだな」

 

エクスキャリバーを抱えたまま、何とも言えない感情で苦笑いを浮かべていたユウキの呟きに対し、イタチは短くそれだけ答えるのだった。

 

 

 

 

 

メンバー全員が無事に生き残ることができたことを確かめ、喜び合った一同は、グレートボイドへと瓦礫と化して落下していたスリュムヘイムへと視線を向けた。スリュムヘイムは既に天蓋に突き刺さっていた根本の部分まで崩れ落ちており、今まさに、全ての瓦礫がグレートボイドへ吸い込まれていたところだった。

だが、ヨツンヘイムにさらなる変化を遂げるのは、ここからだった。底無しの暗闇を湛えていたグレートボイドから、突如として大量の水が湧き上がってきたのだ。

そして、異変は天蓋にも起こっていた。スリュムヘイムの消滅とともに、世界樹の根がグレートボイド……だった、湖へと向けて伸長し始めたのだ。さらに、地上に伸びた根からは、無数の芽が生え、大木の群れを作っていく。

そして、ヨツンヘイム全体に、風が吹き、光が差した。雪と氷に覆われていた頃のヨツンヘイムには無かった、春を連想させる暖かな風と、太陽の如き光。

間違いない。この光景は、ウルズがクエスト開始時に見せてくれた、ヨツンヘイムなのだ。

 

「くぉぉぉおお――――ん……」

 

「トンキーさんも、喜んでいるみたいです」

 

トンキーが見下ろしているだろう、グレートボイドだった湖の周囲へと、一同は視線を向ける。そこには、トンキーの仲間であろう邪神級モンスターが多数集まっていた。

一方で、スリュムやスィアチの手下と目されていたモンスターについては、一体も確認できない。それらが根城としていた砦や城についても、既に廃墟と化していた。

世界を凍えさせていた根源たる剣は引き抜かれ、侵略者達は排除された。即ち、ヨツンヘイムはあるべき姿を今、ここに取り戻したのだ。

 

「よかった……よかったね、トンキー。友達があちこちにいるよ」

 

「本当に綺麗……これが、トンキーのいた世界、なんだね」

 

無機質な雪と氷に閉ざされた世界から、緑と命の光にあふれる美しい春の景色へと変化を遂げた光景に目を奪われるリーファ達。イタチもまた、その心まで温かくなるような景色に、ほんの僅かながら笑みを浮かべていた。

 

「いや~、良かったね、本当に。苦労してクエストを成功させた甲斐があったって、心の底から思えるよ!」

 

「……そうだな」

 

眼下の光景に感動しながら呟いたユウキに対し、短くそれだけ答えたイタチ。そこでふと、イタチは思う。

自身を中心として集まった面々で挑んだこのクエストだったが、振り返ってみれば、一番活躍していたのは隣に立つユウキだったとイタチは思う。強力無比な十一連撃のOSSを習得している関係上、見せ場が多くなるのは必然と言えば必然だったのかもしれない。しかし、SAO事件やALO事件、死銃事件といった死線を潜り抜けて絆を培ってきた仲間達と同等か、それ以上の頻度で前へ出ていたユウキの行動力には、それだけで片づけられない何かがあるように、イタチには感じられた。

 

「そういえば、ユウキ。お前に聞きたいことがある」

 

「うん?どうしたの?」

 

「さっきのエクスキャリバーを取りに行った時の……いや、今日のクエスト全体を通して、聞きたいことがある」

 

故にイタチは、ユウキに問うことにした。即席で結成されたパーティーの中、知り合いがイタチ一人という、半ば以上にアウェーな立ち位置に置かれていたにも関わらず、ここまで戦い抜くことができた理由を……

 

「今日のクエスト、急な誘いに乗って参加してもらった俺が言えた立場ではないのだが……不安は、無かったのか?」

 

「えっと……それってもしかして、僕がイタチや皆を、本当は信じられなかったんじゃないかってこと?」

 

ユウキの確認するような問いに対し、イタチは無言で頷いた。クエストに協力してもらった側が投げかけて良い質問ではないことは、イタチとて承知している。もしユウキが気分を害したとしても、文句は言えない。それでもイタチは、確かめたいと、そう思った。

 

「いきなり初対面の面々ばかりのパーティーに呼ばれれば、あそこまでの連携は普通取れない筈だ。だが、今日の戦いにおいてお前は、一切躊躇することなく、常に前へ出続けていた。俺達に背中を預けることに、本当に不安は無かったのか?」

 

「う~ん……そうだなぁ……」

 

イタチの問いに対し、難しい表情を浮かべ、頬に手を当てて考え込むユウキ。しかし、その顔には不快な思いをしている様子は無かった。しばらく考え込んでいたユウキだったが、やがてイタチの方へと向き直ると、苦笑いしながら口を開いた。

 

「別に、不安とかは無かったかな?僕自身も、よく分かんないんだけどね。それに、イタチのことなら、少しくらいは分かってるつもりだったからね。その仲間のアスナやリーファなら、大丈夫かなって思って」

 

「……それにしたって、無茶が過ぎるだろう。エクスキャリバーを取りに飛び出した時もそうだ。さっきも話した通り、あの連携は前置き無しの綱渡りだったんだ。失敗していた可能性も十分にあった。仲間というだけで、過信は禁物だろう……」

 

仲間を信頼し、チームワークを大切にする。それは、確かに重要なことである。しかし、ユウキのそれは、明らかに度が過ぎているようにイタチには思えていた。最高難易度のクエストを共にしたとはいえ、今日初めてパーティーを組んだ相手である。仲間として、出来ること、出来ないことが不明瞭な相手を過信するのは問題である。

だが、そんなイタチが口にした、パーティーメンバーに対する過信を危険視する意見に対し、ユウキは笑って答えた。

 

「確かにイタチの言うことも、間違ってないよ。けどさ……成り行きのパーティーでも、僕達は仲間じゃない。お互いに信じる理由なんて、それだけで十分だよ。信じないで後悔するくらいなら、信じて後悔した方が良いって、僕はそう思うんだ」

 

「……!」

 

屈託の無い笑顔で答えたユウキのその言葉に、イタチは表面上ではあまり変化を見せていなかったが、内心では大きな衝撃を受けていた。「信じる」という行為は、仲間をはじめとしたあらゆる人間関係において、簡単なようでいて、非常に難しい。

イタチこと桐ケ谷和人もまた、うちはイタチとして忍世界を生きた頃にも、それを大いに痛感する経験を幾度となくしてきた。全てを手に入れたつもりでなんでも成せると妄信しようとし、己を失敗など無い完璧な存在であると自分自身に嘘を吐き……結果、うちはイタチは他人の力を一切信用しなくなった。弟であるサスケを復讐鬼にしてしまったのも、そんな自分自身に対する過信と、サスケをただの守るべき対象としてしか認識することができなかった故の失敗だったのだ。もっとサスケと同じ目線に立ち、共に真実を共有することができたならば、父と母、そして一族の運命も違ったかもしれない。尤も、それに気付いたのは、一度死んでからのことであり、実質上は後の祭りとも言うべき状況だったのだが。

 

「信じずに後悔するより、信じて後悔する、か…………」

 

思わずユウキの言葉を反芻する形で零した自分自身に、イタチは苦笑する。エクスキャリバーを取るために、イタチよりも先に飛び出したあの時も、きっとユウキは、仲間のことをただひたすらに信じていたに違いない。

傍から見れば、危険極まりない、浅はかな行為にしか見えないのかもしれない。それでもイタチは、ユウキのことが、羨ましいと感じた。その在り様は、尊いとすら思えた。

 

 

 

自分が前世では持ち得なかった、清々しいまでに愚直に、ひたすら仲間を信じ抜くだけの心の強さを持っていることが――――

 



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第百五話 ending

「よくぞ成し遂げてくれましたね」

 

エクスキャリバー獲得クエストを達成したことによって蘇ったヨツンヘイムの光景を、トンキーの背中から眺めていたイタチ等に対し、虚空より掛けられた声。その方向へ視線を向けると、そこにはクエストに挑んだ最初の時と同じように、金色の光が発生していた。やがて光は高さ三メートル程の大きさの人形を形作り、一人の女性が姿を現した。今回のクエストを依頼したNPCである、『湖の女王』ウルズである。ただし今回は、実体を持たない姿形が見えるだけの状態だったクエスト依頼時とは違い、確かな実体を持っていることが分かる。恐らく、クエストが完了したことにより、隠れ潜んでいた場所から出てきたという設定のもと、姿を現したのだろう。

そんなことを考えていたイタチの前で、ウルズは穏やかな笑みを浮かべたまま、言葉を紡ぎ始めた。

 

「『すべての木を斬る剣』エクスキャリバーが取り除かれたことにより、イグドラシルから断たれた『霊根』は母の元に帰りました。樹の恩寵は再び大地を巡り、こうしてヨツンヘイムにかつての姿を取り戻させたのです。」

 

「いや~、それほどでも。けど……危ない場面も結構あったよね。特に最後の方は、フレイヤさん……じゃなくて、トール、か。あの雷おじさんが力を貸してくれなかったら、僕ももう無理だと思ったよ」

 

「全くその通りだぜ。まさか、あの美女があんなガチムチのオッサンになって俺達を助けてくれるとは……北欧神話をあんまり知らなかったとはいえ、心底驚いたぜ」

 

ユウキとコナンの言葉に、その場にいた誰もが頷いた。どうやら、女神フレイヤが雷神トールとしての正体を明かしたあの場面は、本日のクエストにおいて、パーティーメンバー一同が最も衝撃を受けた瞬間だったらしい。

そんな風に乾いた笑いを浮かべる一同を見下ろし、ウルズはくすりと笑った。

 

「かの雷神の力は、私も感じました。ですが……気をつけなさい、妖精たちよ。彼らアース神族は、霜の巨人の敵ですが、決してそなたらの味方ではない」

 

「トールとも……アース神族とも、この先戦うことがあるってことかしら?」

 

「でも、私たちを助けてくれたんだよ?どっちかっていうと、味方なんじゃ……」

 

「北欧神話における『正義』と『悪』の概念は、かなり希薄なものよ。二つの勢力がぶつかり合う点は他の神話と変わらないけれど、見ようによっては、どちらも『正義』にも『悪』にもなり得るわ」

 

「今回はたまたま、私たちの敵が霜の巨人族のスリュムだったから成り立った関係、なんでしょうね……」

 

ウルズの言葉に戸惑いを浮かべたランとリーファ。そこへ入ったシノンの説明を聞いたアスナが、ウルズの言葉に秘められた意図をまとめた。そして、アスナがウルズの方へ向き直り、改めて先の言葉の意について尋ねようとした。しかしその問いかけは、ウルズの感謝の言葉に遮られる結果となった。

 

「私の妹たちからも、そなたらに礼があるようです。」

 

その言葉とともに、ウルズの右側の空間に、意思を投げ込んだ水面のような波紋が発生し、一つの人影を作り出した。身長は、ウルズよりやや小さい、青い長衣に身を包んだ金色の短髪の女性。その顔立ちは、ウルズと同様に非常に整っているが、高貴なイメージのウルズとは違う、優美さを感じさせるものだった。

 

「私の名は『ベルザンディ』。ありがとう、妖精の剣士たち。こうしてもう一度、あの緑のヨツンヘイムを見られるなんて……本当に、夢のよう……ですからこれは、感謝の気持ちです」

 

そんな感謝の言葉とともに、ベルザンディは右手を優雅な動作で振るった。すると、イタチ等パーティーの目の前に、アイテムやユルド硬貨が滝のように流れ出し、テンポラ・ストレージへと次々に収納されていった。

そして、ベルザンディからの齎された褒賞全てがストレージに収納されたところで、今度はウルズの左側の空間に、つむじ風が発生する。そして、ウルズの二人目の妹が姿を現した。

 

「我が名は『スクルド』!礼を言おう、戦士たちよ!」

 

末の妹らしきスクルドの出で立ちは、鎧兜を纏った戦乙女という表現が似合うもの。ヘルメットとブーツの側面から、長い翼が伸びている。姉二人と同じく金髪で、その整った顔立ちにはその恰好がよく似合う、美しさと勇ましさを併せ持っていた。何より特徴的なのは、姉二人とは違い、そのサイズは妖精――イタチ等プレイヤーと同じであることだった。

そして、凛とした声で叫ぶと同時に、スクルドはその手を大きく振るう。すると、先のベルザンディの時と同様、褒賞たる硬貨とアイテムが滝のように齎される。スリュムヘイムの激戦で、ストレージはほぼ空っぽの状態だったのだが、女神二柱からの褒賞は凄まじく、ストレージから溢れたアイテムがオブジェクト化してトンキーの背中を転がっていた。

 

「私からは、その剣を授けましょう。しかし、ゆめゆめ『ウルズの泉』には投げ込まぬように」

 

「了解した」

 

「はーい!」

 

最後に、ウルズからエクスキャリバーを授ける旨が告げられた。イタチとユウキが了承の返事をしたのと同時に、ユウキが両手で持っていた最強の伝説武器、聖剣『エクスキャリバー』は、すっとその姿を消した。

 

「ユウキのストレージか?」

 

「えっと……あ!そうみたい!」

 

どうやら、エクスキャリバーを持ち続けていたユウキのストレージへと収納されたらしい。ユウキがウインドウを展開してストレージ中のアイテム欄を見て確認したので、間違いは無い。ようやくこれで、本クエストにおける『エクスキャリバー獲得』という最大の目的を果たせたことになる。その事実を認識し、イタチを含めたパーティーメンバー一同はほっと一息吐くのだった。

 

「ありがとう、妖精たち。また会いましょう」

 

ウルズが別れを告げると同時に、パーティーメンバー全員の視界中央に、クエストクリアを告げるメッセージが表示された。

 

「ばいばーい!」

 

「さよならですー!」

 

身を翻して空へと昇っていく女神達に対し、ユウキとユイをはじめとした手を振って送り出す。対する女神三姉妹もまた、手を振って応えていた。やがて、イタチ等七人の妖精達に送り出され、天に昇っていった女神達は光とともに消滅した。

女神が姿を消した、その後に残されていたもの。それは、イタチ等の活躍によってヨツンヘイムに齎された、春を彷彿させる温かな陽光と、トンキーやその同胞達の喚起に沸く鳴き声だった――――

 

 

 

 

 

 

 

「待たせたな、エギル。それに、明日奈さんも」

 

「さっきぶり、和人君。それに、直葉ちゃんとシノのんも」

 

エクスキャリバー獲得クエストを見事達成したイタチ等は、その成功を祝うために現実世界において打ち上げを催すことをその場で決定した。その開催場所となったのは、エギルが経営する台東区の御徒町にある喫茶店、『ダイシー・カフェ』だった。

先に到着してエギルの手伝いをしていたアスナは、扉を開けて入ってきた和人と直葉、詩乃の三人の方へと向き直って挨拶を返す。ちなみに『シノのん』とは、明日奈が詩乃を呼ぶ際に使っている渾名であり、リアル、ゲームを問わず使用している。

 

「悪いが、少しカウンターを借りるぞ」

 

「オイオイ、女の子達に料理の用意をやらせて、手伝いもしないで何しようってんだ?」

 

「諸事情で参加できないユイをこの場に呼ぶんだ。打ち上げが開始される前に、こっちの準備も終わらせる必要がある」

 

エギルの非難を軽く受け流した和人は、そのままカウンター席に向かい、そこへ手持ちのハードケースを置いた。中に収められていたのは、ファンシーなデザインの熊のぬいぐるみと、一台のノート型PCだった。

前者は一見普通のテディーベアだが、その重さや感触から、中に入っている物は綿の類だけではない。また、よく見ると目の部分は小型のレンズであり、カメラが内蔵されていることが分かる。

後者のノート型PCは、外観は市販のどのメーカーのものにも当て嵌まらないデザインであり、通常のパソコンとは一線を画すような改造が施されていることが、外から見ただけでも分かるものだった。和人が電源のスイッチを入れて立ち上げると、デスクトップには見たことも無いアプリケーションソフトがいくつもインストールされていた。

 

「これって…………何?」

 

「見ていれば分かる」

 

詩乃の疑問に対し、説明するより実際に見た方が早いと答えた和人は、ノート型PCを操作していく。テディーベアに内蔵されているカメラを認識し、動作確認を行っていく。ある程度の調整が済むと、今度はインターネット経由で川越の桐ケ谷家の和人の自室の据え置き機に接続する。それを確認すると、和人は小型ヘッドセットを手に取り、話し掛けた。

 

「ユイ、繋がったぞ。調子はどうだ?」

 

『……見えますし、聞こえます!』

 

和人がマイクに向かって話し掛けた言葉に答えたのは、ALOで聞きなれたユイの声だった。声の出どころは、パソコンの隣に置かれているテディーベアである。しかも、それだけではない。

 

『パパ、ばっちりですよ!』

 

「おわぁっ!」

 

そんな感激した様子のユイの声と共に、テディーベアが突如腕を振り上げた。突如動き出したぬいぐるみに対し、直葉や詩乃は驚いて声を上げていた。

 

「ユイ、いきなり動かすんじゃない。動作確認は、ゆっくり行え」

 

『あ、ごめんなさい、パパ。つい、嬉しくなっちゃって……』

 

和人に叱られたユイは、申し訳なさそうな声色で謝る。それに伴い、テディーベアもまた、振り上げた右腕のひじ関節を曲げ、頭を搔いていた。

 

「もしかして……ユイちゃんが動かしているの?」

 

「そういうことだ。俺が学校で選択しているメカトロニクス・コースの課題として制作中の、『視聴覚双方向通信プローブ』システム内蔵型ロボット……『カクカクベアーくん』というものだ」

 

和人がユイのためにダイシー・カフェへ持ってきた、仮称『視聴覚双方向通信プローブ』システムとは、設置したカメラとマイクが拾った情報を疑似3D化する感覚器として機能させることにより、その場所の状態をリアルタイムで知覚することができる、遠隔通信システムである。

そして、イタチ曰く『カクカクベアーくん』と呼ばれたぬいぐるみは、『視聴覚双方向通信プローブ』を内蔵し、通信相手――この場合は、ユイ――が自身の手足のように自由に動かすための機構を備えた、二足歩行による移動が可能なぬいぐるみ型ロボットなのだ。

 

「成程……つまりこのぬいぐるみに内蔵されているカメラとマイクはユイちゃんが現実世界を近くするための感覚器ってことね」

 

「しかも、ぬいぐるみの中にロボットを仕込んで、現実世界のアバターとして動かせるようにしているのよ」

 

「確か、授業の課題で作ってるんだったよね、お兄ちゃん。えっと、メカ……メカト……」

 

「メカトロニクス・コースだ」

 

直葉の言うように、『視聴覚双方向通信プローブ』は、イタチが個人の独力で作り上げたものではない。SAO帰還者の学校において設立されたメカトロニクス・コースにおいて、和人が所属する制作チームが、授業の課題として制作しているシステムなのだ。今日こうしてダイシー・カフェに機器を持ち込むことができたのも、和人が制作メンバーの一人だったお陰である。

 

「でもこれ、完全にユイちゃんのためのシステムだよね、お兄ちゃん?」

 

「……それについては否定しない。しかし、制作メンバーは俺を含めて全員、意欲的だったからな……」

 

カメラとマイクによる現実世界体感システムに止まらず、アバター代わりに動かせるロボットまで用意していることに、詩乃は驚きに唖然としていた。隣の明日奈も、苦笑を浮かべていた。

ユイのために、これを課題として制作することを提案したのは、確かに和人である。しかし和人としては、市販のマイク内蔵ウェブカメラを四方に設置して、現実世界の空間を疑似的に体感させる程度のシステムさえ制作できれば御の字だろうと考えていた。

 

「しかし、俺も見通しが甘かったかもしれん。まさかあの二人が、学校の課題でここまで規格外のものを作るとは思わなかった……」

 

「ララも藤丸君も、流石にやり過ぎだよね」

 

欧州デビルーク王国の第一王女にして、天才的頭脳を持ち、数々の発明品を現在進行形で開発し続けていることで知られる、ララ・サタリン・デビルーク。

卓越したハッキングスキルを持ち、数々の犯罪者を摘発してきた影の実績を持ち、現在はコードネーム『F』として、名探偵Lの補佐を務める天才ハッカー、高木藤丸。

この二人が、『カクカクベアーくん』制作において、中心的な役割を担っているメンバーだった。ロボットやシステムについて造詣の深いこの二人のチームメイトは、和人の思い描いた構想をさらに膨らませた末、感覚器としてのカメラとマイクを内蔵し、アバターとして動作するロボットという、予想の斜め上を行くシステムの設計を成し遂げた。

当然のことながら、このシステムとロボットは、高校の設備だけで作れるものではない。悪乗りしたララと藤丸が、祖国や世界的名探偵の伝手をフル活用するという、半ば職権乱用に近い手口を使って揃えたパーツやシステムを組み合わせたことによって、完成に至ったのだった。

 

「やっぱりこのクオリティにネーミングセンス……ララだったのね」

 

「現段階では、動きがどうしても“カクカク”しちゃうからこの名前らしいけど、グレードアップするごとに“サクサク”、“ぬるぬる”になっていくらしいわ」

 

「“ぬるぬる”って……アニメじゃないんだから」

 

SAO生還者のための学校に通い始めて間もない詩乃だが、個性の強い面子ばかりが所属する中でも、とりわけ突出しているララのことについては、その能力とネーミングセンスに関してよく知っていた。この高校生が作るレベルを大きく逸脱した機器を発明したのも、彼女ならばむしろ納得できるほどだった。

 

「それくらいのクオリティを目指しているということだ」

 

『私も、ララさんを応援しています!がんがん注文も出してます!』

 

「程々にしておけよ。藤丸はともかく、ララが暴走すれば、手に負えん。終いには、危険物を積載した等身大のロボットまで作りかねん……」

 

「うわぁ……それ、笑えないよ、和人君」

 

SAO時代のララを知る和人と明日奈は、二人して頭を抱えた。アインクラッドでも、人騒がせなアイテムを開発し、洒落にならないトラブルを引き起こしてきたララである。現実世界でもそれが全く変わらないことを知った二人には、これ以上の暴走は重大事故に繋がるような気がしてならなかった。

 

(ただの遠隔操作用ロボットで済むならともかく……下手に暴走すれば、大惨事に繋がりかねん……)

 

(ロケットパンチとか、ビーム光線とか……まさか、胸がミサイルになったり!?駄目よ……ユイちゃんがそんなことになるなんて、絶対に駄目!!)

 

大事な娘であるユイの身に危険が及ぶ可能性を脳裏に浮かべ、震え上がる明日奈。和人も思い浮かべるだけで、内心冷や汗ものである。ユイの安全を確保するためにも、ララの手綱はきっちり引き締め、暴走を抑止する必要があると、深く感じていた。

 

「……まあ、二人がララに苦労させられているってことはよく分かったわ。けど、ユイちゃんはかなり気に入ってるみたいよ」

 

『はい!パパやママが居る現実世界に来れたみたいで、とっても嬉しいです!』

 

何はともあれ、和人やララが作った『カクカクベアーくん』の性能に、ユイはご機嫌の様子だった。テディーベアの姿で、明日奈に抱きかかえられたユイの姿は、見た目こそぬいぐるみではあるが、母親に抱きかかえられた子供のように思えた。

 

「ふふ……良かったね、ユイちゃん」

 

「エクスキャリバーのクエストの準備を手伝ってもらったこともあるけど、ララにはまたお礼をしないといけないんじゃない?勿論、マンタもだけど」

 

「ああ、分かっている」

 

そんな微笑ましい光景に、和人や直葉、詩乃もまた、対立関係を忘れて微笑みを浮かべていた。同時に、詩乃の言った通り、エクスキャリバー獲得クエストに際して、マンタと共にアイテムの準備をしてくれた協力者でもあるララには、いずれ礼をすべきと思っていた。

そうしてユイが『カクカクベアーくん』の動作確認をしている内に、新一と蘭がダイシー・カフェへ到着した。皆で料理が盛られた皿をテーブルに移し、グラスを配ってエギル以外はノンアルコールのシャンパンを注いでいく。そして、エクスキャリバーのリーダーであり、この場に集まった集団の代表とされていた和人が前へ出ると、乾杯の音頭を取る。

 

「聖剣『エクスキャリバー』獲得クエストの成功に加え、雷拳『ヤールングレイプル』入手できたお祝いと、二〇二五年の締めに、乾杯!」

 

『乾杯!』

 

いつもと変わらぬ、無表情のまま取られる和人の乾杯の音頭は、いまひとつ盛り上がりに欠けるものだが、一同は特に文句を言うでもなく、一斉に唱和した。そうして、各々が浮かべる表情からは、クエストを見事達成したことに対する歓喜が見て取れた。そしてそれは、和人も例外ではなかった――――

 

 

 

 

 

 

 

「そういえば、ユウキはどうして来れなかったのかしら?」

 

乾杯後、各々に料理と飲み物を口にしながら歓談する中、詩乃がふと思い出したかのように呟いた。この場に集まっているのは、店主のエギル以外はエクスキャリバー獲得クエストに参加したメンバーである。しかしただ一人、今回のクエストにおけるMVPとも言える、ユウキの姿が無かった。

エクスキャリバー獲得後、リアルで打ち上げをやろうという話になった時、ユウキだけは参加を拒否したのだった。理由は聞かされなかったが、リアルに関することだと言われたので、それ以上の詮索はできなかった。それでも、せっかくの打ち上げなのだからと参加を強く呼びかけ続けたものの、結局ユウキは首を縦には振らず、「僕のことは気にせず、皆だけで楽しんで」とだけ口にして、イグドラシル・シティからログアウトしたのだった。

 

「けど、気になるのよね。どうして、あそこまで頑なに参加を拒否したのかしら?」

 

「……さあな。本人の言った通り、リアルの事情であることは間違いないだろうがな」

 

詩乃の呟きに対し、和人はそう答えた。出会って間もない間柄とはいえ、底抜けに明るく、人当たりの良いのがユウキの性格である。クエストを通して多少なりとも親睦を深めた仲の和人達にならば、直に対面することに抵抗を覚えるとは思えない。であれば、ユウキの抱える“リアルの事情”とは、直接対面するに当たって何らかの困難があるのだろうというのが、和人の見解だった。

 

「家が遠いところにあるってことかな?」

 

「もしくは、予定が合わなかったとか?」

 

直葉と明日奈が口にしたように、自宅が離れた場所にあったり、リアルの事情が立て込んでいたりといった理由は、十分にあり得ることだった。特に前者の、ログインしている場所が遠方に散らばっていることが原因で、リアルでオフ会を開くことに難儀するのは、オンラインゲームではよくある話である。和人達のように、住所が関東圏の東京・埼玉に集中していて、容易に集まれるケースは、むしろ珍しい方だろう。

 

「やっぱり、打ち上げはALOでやった方が良かったかな……」

 

「けど明日奈さん、年末年始は京都へ行っちゃうんですよね。今年中に皆であえなくなるっていうのは、やっぱり…………」

 

打ち上げをALO内で行うのか、それともリアルで集まって行うかについては、明日奈が翌二十九日から一週間、京都の父方の実家に滞在する事情を鑑み、結果として後者を選ぶこととなった。無論、場所を決定する際には、リアルで何かしらの事情を抱えているらしいユウキや、MHCPであるユイのことも配慮し、ALOでやるべきではないかという意見も出ていた。しかし、明日奈の事情を汲んだユイと、自身より深い仲にあるメンバー六人の思いを尊重したユウキが、リアルで行うべきだと進言し、現在に至るのだった。

 

「気に病むことはありませんよ。ユウキもあの性格ではありますが、俺以外は今日が初対面です。一歩引いたような対応になるのは、仕方のないことです」

 

「う~ん……けど、やっぱりユウキには悪かったと思うよ。和人君、今度ユウキに会ったら、この埋め合わせは必ずするから、よろしくって言っておいてくれる?」

 

「分かりました」

 

「けどよ、そのユウキって女の子、お前等と互角の実力な上に、十一連撃のOSSまで持ってるプレイヤーなんだよな?そんな凄え奴が、ALOで無名ってのが、どうにも腑に落ちねえな」

 

「ALO以外にも、色々なVRMMOをプレイしてきたらしい」

 

「けど、あの実力ならヨツンヘイムの邪神狩りやアインクラッドの攻略でも、十分活躍できる筈よ。改めて考えてみると、やっぱり不自然ね」

 

詩乃の言うことは尤もだった。スリュムヘイム攻略におけるユウキの暴れぶりを考えれば、ALOにおける大規模戦闘イベントに参加すれば、一気に名を挙げることができる筈。しかし、これまでALOにおいて実施された有名どころのイベントにおいて、ユウキの名前は一度も聞いたことがない。

ネットゲーマーというものは大概、自己顕示欲が強いものである。十一連撃のOSSなど持っていれば、それを見せびらかしたがるものである。無論、ユウキがそのような人種の範疇に入るとは考えにくいのだが。それでも、OSSを作り出すほどにゲームを極めたプレイヤーならば、もっと公の場でその名前を聞く機会があっても良い筈である。

 

「……まあ、その辺りは本人の事情によるところだろう。見知らぬプレイヤーとパーティーを組むことについては、抵抗があるのは確かだがな」

 

「ふ~ん……お兄ちゃん、ユウキについてかなり詳しいよね」

 

「……パーティーに誘ったのは俺だからな」

 

「ひょっとして、ユウキの事情について、本当はとっくに分かってるんじゃないの?」

 

和人の内心を探るように投げかけられた、直葉の言葉。それに対し、問い掛けられた和人当人は、焦って目を反らすでもなく、表情を変化させずに返した。

 

「さあな。分かっていたとしても、他人に話すようなことじゃない。リアルの事情を詮索するのは、マナー違反だろうが」

 

「むぅ~……」

 

和人の尤もな指摘に対し、直葉は何か言いたそうだったが、結局は押し黙ることとなった。明日奈や詩乃をはじめ、他の面子の反応も同様である。リアルの事情について詮索するのは、余程の事情が無い限りはすべきではない。これは、ネットゲーマーが守るべき鉄の掟なのだ。

以降、打ち上げに参加したメンバーはユウキのリアル事情についての話題には触れず、歓談を再開するのだった。エクスキャリバー獲得クエストの苦労談や、明日のMMOトゥモローの見出しにこのことが掲載されるのでは、といった話題に花を咲かせながら…………

 

 

 

「そういえば、どうして『エクスキャリバー』って読むのかしら?」

 

打ち上げを開始して一時間少々。テーブルの上に並べられた料理を粗方食べ終えたところで、詩乃がそのような疑問を口にした。

 

「藪から棒に、何を言い出す?」

 

「ふと気になっただけよ。普通、ファンタジー系のゲームとかに出てくる、アーサー王伝説に出てくる聖剣は『エクスカリバー』って呼ばれるでしょ?『キャリバー』っていう読み方は、あまり聞かないのよね」

 

「しかし、英語で書いた場合のスペルは『Excalibur』だ。『キャリバー』と読むのに無理は無いと思われるが」

 

『キャリバー』と読む部分の頭文字は、『k』ではなく『c』である。これならば、読み方は『カ』以外に『キャ』でも通用する。しかし、詩乃が言いたかったのは、単純なスペリングの違いだけではなかったようだった。

 

「まあ、それはそうなんだけどね。『キャリバー』って読むと、別な意味に聞こえるのよね」

 

「へえ……どんな意味かしら?」

 

「銃の口径のことを、英語で『キャリバー』っていうのよ。例えば、私のヘカートⅡは五十口径で『フィフティ・キャリバー』よ」

 

「スペリングは『エクスキャリバー』の方とは微妙に違うけどな。『エクスキャリバー』は『calibur』で、口径の方は『caliber』だ」

 

詩乃の説明に補足を加えたのは、新一だった。詩乃はGGOプレイヤーとしての基礎知識であった一方、新一の方は、ハワイで父親に射撃訓練を仕込まれた経験があった故に身に着けた知識だった。

 

「まあ、ALOにおける実際のスペリングも『Ecalibur』だからね。読み方を変えているところには、ダブルミーニングを思わせるのよね。『caliber』の方には、もう一つの意味があるしね」

 

そう付け加えた詩乃は、一瞬和人の方へと意味あり気な視線を向けた。向けられた和人当人は、若干ながら嫌な予感を覚えた。そんなイタチを余所に、今度は明日奈の腕の中に収まっていた『カクカクベアーくん』に内蔵されたスピーカーから、ユイの説明が入る。

 

『『caliber』という単語には、『銃の口径』という意味から転じて、『人の器』を意味する場合もあります。『a man of high caliber』で『器の大きい人』という意味になります。『Excalibur』に関しましては、『Ex』を『Extra』という単語に置き換えれば、『extra caliber』で『特別な器』あるいは『格外の器』という、同様の意味の言葉になりますね』

 

「おお、勉強になるね」

 

ユイの英単語説明に直葉が感心するのを傍目に、和人はジンジャーエールを口にした。流石にここまで説明されれば、詩乃や詩乃の説明を受けた面子――特に明日奈と直葉――が何を要求するかは想像ができた。

 

「そういうことなら、エクスキャリバーの持ち主は、相当に大きな器を持っていないと駄目よね。ねえ、和人君はどう思う?」

 

「…………打ち上げの払いなら、全部俺が持つつもりだったぞ」

 

「それは当然なんじゃないかな?それよりも、『器の大きい人』として重要なことがあると思うわよ」

 

意地の悪い笑みと視線を向けながら質問する蘭に対し、打ち上げの支払いの話に持ち込んで誤魔化そうとする和人。先のGGOにて発生した『死銃事件』の解決に際し、菊岡からの依頼の報酬を断った和人だが、もう一人の依頼人であるLからは莫大な報酬を受け取っていた。いくら受け取ったかは、本人のみぞ知るところだが、少なくとも打ち上げの支払いを全負担したところではびくともしないような額であることだけは間違いなかった。

ともあれ、蘭の質問に対し、そんな小細工が通用する筈は無く……結局和人は、追及を躱し切ることはできなかった。

 

「そうそう、蘭さんの言う通りだよ、お兄ちゃん」

 

「ALOで伝説級武器を人数分揃えてくれるって言ってたけど、まさかそれだけなんてこと、無いわよね?」

 

ニコニコと、それはそれは良い笑みを浮かべて詰め寄る直葉と明日奈の表情を、和人は直視することができなかった。無表情のまま、焦る内心を誤魔化すためにジンジャーエールを呷る。

 

「和人程の器なら、ALOだけじゃなくてリアルでも……この打ち上げ以外のところでも、私達にお礼をしてくれる。そうよね、和人?」

 

「………………分かりました。俺にできる範疇なら、精一杯お礼をさせてもらいましょう」

 

明日奈から発せられた、半ば脅しに近い問い掛けに対し、和人はしばしの沈黙の後、そう言って首肯した。笑顔で威圧しながら迫る、明日奈、直葉、詩乃の三人には、時に忍の前世を持つ和人ですら逆らえないものがあるのだ。

一方、和人に対して迫っていた三人は、和人が口にした言葉に感極まっている様子だった。各々、和人にやってもらいたいことを内心で唱えていた。

 

(やった!これなら、前から行きたいと思っていた映画に和人君を誘うことも……)

 

(この間新装開店した、ケーキバイキングに連れて行ってもらお!お兄ちゃん、甘いもの大好きだから喜ぶよね……)

 

(確か、銃を持ってゾンビを倒すアトラクションゲームがあったわね。和人にも参加してもらうとして、後は……)

 

各々にデートプランを脳内で組み立てる三人の楽しそうな様子を見た和人は、頭が痛くなる思いだった。そんな和人の様子を、蘭は相変わらず微笑ましく思い、新一は顔を引き攣らせて同情的な視線を向けていた。店主のエギルだけは、触らぬ神に祟りなしとばかりに、知らぬ存ぜぬを決め込んでいた。

 

「やれやれだ…………」

 

少女三人に翻弄される自分自身を自嘲しながら、そんなことを呟く和人。しかしながら、こうして気心の知れた仲間達に囲まれ、振り回される経験は、前世のうちはイタチとして生きた忍時代には、ほどんど無かった。故に和人には、こんな空気がある意味では新鮮に感じられ……心地よいとも、思えていた。

 

(こんな風に思えるのも、やはり俺は“変わった”ということだろうな……)

 

エクスキャリバーを持つ者は、器の大きい人物でなくてはならないと蘭は言ったが、実のところ和人は自分自身がそんな大層な人間には思えなかった。異世界への転生や、仮想世界での命懸けの戦いを繰り返してきたことで、その考え方を徐々に改めるようになった和人だが、人としての器はそう簡単には変わらないと考えていた。

かつての忍び時代では、うちはイタチという忍は一部の者達から、うちは一族初の火影になり得ると期待されていた。しかしながら、失敗に失敗を重ねたうちはイタチが、本当に火影の器足り得る人物だったかどうかは定かではなく、和人にもそれは分からない。

 

(もし今の俺が、エクスキャリバーを手にするに足る…………前世の忍世界において、火影を務めるに足る人間になれたとするならば、それは俺だけの力で変わったわけではない。それだけは、確かだ)

 

うちは一族の禁術の『イザナギ』と『イザナミ』のように、不完全であるからこそ引き寄せ合い、補い合い、互いに対を成して初めて少しでも良い方向へ近づける。桐ケ谷和人として生きている現世においては、自分自身と、今この場に集まっているメンバーをはじめ、今まで出会った仲間達がこれに相当する。前世に縛られ、同じ道を歩もうとしていた時、仲間達が大切なことを思い出させてくれたお陰で、今の自分がある。

故に、エクスキャリバーをこうして手に入れることができたのは、自分一人の器によるところではない。自分や仲間達といういくつもの欠片が集まり、一つの器として形を成したからこその成果なのだと、和人にはそう思えた。

 

 

 

 

 

終わりの見えないこの世界で――――うちはイタチは、今ここにある絆を感じ、育みながら、仲間達と共に歩き続ける。

 



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マザーズ・ロザリオ
プロローグ この物語の始まる鐘の音


2025年12月21日

 

(…………朝、か)

 

『地獄の傀儡師』こと高遠遙一死銃事件解決から、一週間が経過した日曜日の朝。桐ケ谷家の自室で眠っていた和人は、休みの日にしては珍しいことに、朝稽古が始まるよりもずっと早く目が覚めていた。枕もとの時計を確認すると、本来の起床時間までは一時間半以上はある。

しかし、早く起きたからといって、特にやることも無い。部屋を出て何かをすれば、未だ眠りに就いている妹の直葉、母親の翠、上述の事件の関係で一緒に暮らしている詩乃の三人を起こしてしまうかもしれない。必然的に、自室に居なければならなかった和人は、時間までALOにダイブして時間を潰すことにした。

ベッドから起き上がり、真っ暗闇の部屋の中、電気も点けずにウォールラックへと向かった和人は、ナーヴギアの隣に置かれているアミュスフィアを手に取り、ベッドへと戻った。電源を入れて東部に装着し、再度ベッドに横たわると、毎度お馴染みのキーワードを口にした。

 

「リンク・スタート」

 

 

 

 

 

ALOへダイブするとともに、和人の意識は愛用のアバターである、猫妖精族『ケットシー』ことイタチへと乗り移った。降り立った場所は、アルヴヘイムの中心たる世界樹の頂上に位置する『イグドラシル・シティ』にて借り受けているホームの中。仲間達とともにクエストに参加し、昨晩ログアウトした場所である。

 

「さて……」

 

ALOへログインし、アバターの動作の調子を確認したイタチは、そのままホームを出て街中を歩いていく。ALO設定の時間は早朝のためか、辺りには朝霧が立ち込めており、空は夜明け前の明るさを帯び弾得ていた。街中には、時間が時間なだけに、プレイヤーの姿は見当たらず、すれ違うのはNPCばかりである。

 

(どこへ行ったものか……)

 

時間を潰すためにALOへログインしたイタチだったが、別段行く宛てがあったわけではない。何か済ますべき用事は無かったかと思い返してみたものの……やはり、これといった要件は特に思いつかない。アイテムの買い足しは昨日の時点ですでに済ませており、フィールドに出てモンスターを狩る気分でもない。果たすべき用事が無い以上は、ただ只管、イグドラシル・シティの街中を歩き回るのみ。つまるところ、ただの散歩だった。

 

(ユイでもいれば、行きたい場所に連れて行ってやっても良かったんだが……)

 

ちなみに、和人の娘という立ち位置にあるユイだが、昨晩から母親である明日奈の端末に移動しており、和人の部屋の端末へは帰っていない。呼べばすぐに来てくれるのだろうが、早朝の暇潰し程度の用事に呼び出すのは憚られた。

そうして手持無沙汰のまま、街中を歩き続けていくと、イタチはふとあることを思い出した。

 

(……そういえば、新生アインクラッドはもうじき、次の階層が実装化される時期だったな)

 

新生アインクラッドが実装化されてから八カ月。五月のアップグレードで第一層から十層、九月に第十一層から二十層が解放された。そして今月、十二月二十四日の夜には、次のアップグレードが行われ、第二十一層から三十層が解放される予定なのだ。

 

(ここ最近は階層攻略には参加していなかったが……たまには前線に出てみるか)

 

SAO生還者として、アインクラッド攻略に関して随一の情報を持っているイタチだったが、ここ最近の攻略にはあまり積極的には参加していなかった。理由としては、SAO事件の中で培った知識と経験を持つイタチやアスナをはじめとしたSAO帰還者が幅を利かせれば、それ以外のプレイヤー達が積極的に攻略に参加し辛くなることが挙げられる。

しかし、今回のアップグレードにおける最初の階層攻略に関しては、そこを曲げて参加してみようかと、イタチは考えていた。その理由は、アップグレード後の次なる攻略階層である第二十一層を突破することで解放される、第二十二層にある。

 

(あのログハウス……SAO事件終息後は全く考えていなかったが、また購入するのも良いかもしれんな)

 

第二十二層は、針葉樹林が広がるばかりで、モンスターの出現頻度も少ないエリアである。有体に言えば“何も無い”ことが特徴であるこの階層は、SAO事件当時は人の行き来も皆無に等しかった。

故に、ソロのビーターであるイタチにとっては、身を隠す拠点を確保するには打って付けの場所であったため、ここにログハウスを購入した経緯があった。攻略最前線で戦うイタチにとって、ログハウスの用途など、持ちきれない各種アイテムの保管や、アルゴのような情報屋と秘密裏に取引するために利用するくらい――アスナ曰く、勿体無いにも程がある――だった。

しかしながら、イタチとて大枚を叩いて購入したログハウスには、全く思い入れが無いわけでもなかった。特にSAOの攻略終盤には、アスナとユイを招いて共に過ごした思い出もある。何より今は、SAO事件当時とは違い、イタチの周囲にはアスナやリーファ、シノンをはじめ、親しい仲間がたくさんいる。仲間同士集まるための拠点があった方が便利なのは間違いない。故にイタチは、このALOにおける次なる目標として、ログハウス購入を視野に入れようかと考え始めていた。

 

(……少しばかり、見に行くのも悪くない、か)

 

そこでイタチは、心中で攻略することを決めた、アインクラッドの様子を見に行くことにした。無論、目標階層が未開放状態のアインクラッドへ、今から乗り込もうというわけではない。攻略対象たる鋼鉄の城の全景とその位置を、遠くからでも確認しておこうと思っただけである。そのようなことをしなくても、アインクラッドの位置を確認する術などいくらでもあるし、そもそも全景事態は今まで、それこそSAOの開発スタッフだった頃から見慣れているものである。故に、イタチが取ったその行動には、大した意味は無い。ただ眺めておきたいと、純粋に思っただけである。

そうしてイタチが足を向けたのは、イグドラシル・シティの中心に位置する展望テラスだった。アルヴヘイムの中心たる世界樹の上に位置するイグドラシル・シティの中でも最も高いこの場所からは、三百六十度全方位に、アルヴヘイム全景を望むことができる。そしてその中には、アルヴヘイムの全土を周回しているアインクラッドも含まれている。

 

(さて、あそこか…………)

 

翅を使って飛翔すれば、目的地には簡単にたどり着ける。しかしイタチは、特段急ぐ必要も無いと考え、最後まで徒歩で移動することにした。そうして、長い坂道や階段を上ることしばらく。イタチは展望テラスへと至る階段の前へと到着した。

周囲には相変わらず朝霧が立ち込め、視界が若干悪かったものの、霧がかかったように全く見えないという程ではない。直に朝日が昇れば、視界も幾分かは晴れるだろう。そう考え、イタチは残り僅かの階段を上り切り、展望テラスへと一歩を踏み入れた。

 

「む…………?」

 

ふと、朝霧の向こう側の景色に景色を望もうとしていたイタチの視界が、一つの人影を捉えた。イグドラシル・シティにもNPCはいるが、その配置場所は、商店が軒を連ね、人通りの多い市街地に限られる。故に、この展望テラスにNPCが居ることは、まずあり得ない。

 

(まさか、こんな時間帯にこんな場所に来るプレイヤーが居たとはな)

 

どうやらイタチよりも早く、この展望テラスにはプレイヤーの先客がいたらしい。この早朝に、自分の他にダイブしているプレイヤーがこんな場所に居たことには少々驚いたが、自分と同じような理由なのだろうと、あまり気にしないことにした。何より、視認した人物はイタチの存在に気付いておらず、イタチ自身もそれほど強い興味を抱いていなかったのだ。

それよりも、今確認すべきはアインクラッドの場所である。薄っすらと空を覆う朝霧の向こう側に注意しながら、周囲を見回すこと一分程度。イタチの赤い双眸が、朝霧の彼方で浮遊するアインクラッドの影を捉えた。

 

(む……あそこか)

 

アインクラッドが見えた方向へと視線を向けたイタチは、同時に先客のプレイヤーの姿を捉えた。しかし、イタチは件のプレイヤーには構わず、アインクラッドの存在を確かめるために、柵へと歩み寄る。

その一方で、朝霧に隠れてシルエットが不鮮明だった人影の正体が、近づくごとに徐々に明らかになっていった。パープルブラックの長髪に、線の細いシルエットの後姿からして、目の前の先客は闇妖精族『インプ』の女性プレイヤーだと分かった。

 

「っ…………誰!?」

 

「…………」

 

イタチとの距離が五メートル程度になろうとしたところで、ようやくその気配を感じたらしいインプの少女が、驚きの声とともに後ろを振り返った。手を腰に差した剣に伸ばしていたことからして、イタチを敵と勘違いしたのだろう。

そんな警戒心を露にしたインプの少女の反応に対し……しかしイタチは、弁明を口にすることはできなかった。イタチの方へ向けられた、イタチと同じ赤い色をした少女の瞳には、大粒の涙が浮かんでおり、頬には幾筋もの涙が流れた痕が残されていた。アバターにかかる過剰なフェイスエフェクトによるものもあるのだろうが、少女は確かに“泣いていた”のだ。

そんな少女に対しどのように声を掛けるべきか、イタチは内心で少し戸惑っていた。しかし、いつまでもこのままでいるわけにはいかない。少女の誰何に対し、イタチはいつも通りの無表情を崩すことなく、ありのままの経緯を答えることにした。

 

「単にここの景色を眺めに来ただけの者だ。敵意や悪意は無い」

 

「…………そう、なんだ。ごめんね、大声出して」

 

「……気にするな」

 

傍から見れば、女性に背後から音も無く近づく形になってしまったイタチは不審者と見なされても文句は言えない。しかし、少女もまた、過剰反応をして剣を抜こうとしたのだから、お相子だろう。少女の方はそう考えたらしく、イタチの行動に対してそれ以上追及することは無かった。

ともあれ、これで少女の警戒を解くことはできたのだから、イタチがこの場から立ち去らなければならない理由は無い。当初の予定通り、アインクラッドを確認するために、少女の横へ並んで柵の前へと立つことにした。

 

「「………………」」

 

お互いに何を口にするでもなく、展望テラスの柵の前に二人揃って並び、朝霧が徐々に晴れつつある景色を眺める。元々寡黙な性格のイタチからすれば、この状況を苦痛に感じることはほとんど無い。

だが、少女の方はそうはいかないらしい。涙を流していた顔を見られたことと、剣を手に掛けて斬りかかろうとしたことで気まずいのか、イタチの顔をちらちらと窺っていた。恐らく、場の空気を紛らわせるために、話し掛けるタイミングはいつだろうかと考えを巡らせているのだろう。

そうして朝霧の向こう側を眺めることしばらく。未だにどう声を掛けるべきかと逡巡していた少女の姿を不憫に思ったイタチは、自身から声を掛けることにした。

 

「…………随分と早い時間帯だが、どうしてこんな場所に来ていたんだ?」

 

「!………えっと、今日はちょっと早く目が覚めちゃって。それで、気分転換に、景色を眺めたいなって思って」

 

イタチから話題を振られたことに若干驚いた様子を見せたが、どうにか答えることはできていた。軽く言葉を交わしたのみだが、先程まであった気まずさは幾分か和らいでいた。

 

「そう言うお兄さんは、どうしてここに?」

 

「……俺も似たようなものだ。少々早く起き過ぎて、ALOにログインしたわけだ」

 

「へぇ……それでここに来たってことは、景色を見るのが好きだからかな?」

 

「いや、そういうわけではない。少々、見たいものがあったからな」

 

「見たいものって……もしかして、アインクラッド?」

 

「ああ。もうすぐ次のアップデートで、第二十一層から三十層が解放されるからな。特に意味は無いが、とりあえず様子を見ておきたくてな」

 

イタチが口にした言葉に、少女は僅かに目を見開く。話の流れから考えて、アップデートによる新たな階層解放の話が気になっているようだった。

 

「次の階層攻略には、久しぶりに参加しようと思ってな。改めて、場所の確認と様子見に来たわけというだ」

 

「そう、なんだ……」

 

イタチの階層攻略に参加するという言葉に対し、少女はその表情を若干暗くする。どうやら、少女が階層攻略に対して何か思うところがあったというイタチの予想は、間違っていなかったらしい。それを確認したイタチは、ならば、と試しに少女に声を掛けることにした。

 

「階層攻略に興味があるのなら、お前も参加するか?実力があるなら、攻略パーティーに入ることもできるだろう」

 

「えっと……ちょっと、違うんだけどね……」

 

階層攻略への参加を希望しているものと考え、能力があるならば勧誘すると口にしたイタチの言葉に対し、しかし少女はあまり乗り気な様子ではない。どうやら、イタチの見解は若干ずれていたらしい。

 

「ところで、お兄さんってアインクラッドの攻略に詳しいみたいだけど……もしかして参加したことあるの?」

 

「ああ。アインクラッドが実装化された初期の頃には、何度か階層攻略やフロアボス攻略には参加していたな」

 

イタチがアインクラッドのフロアボス攻略のパーティーに参加していたのは、あくまで実装化初期の頃。今現在は、イタチを含めたSAO生還者のパーティーは、アインクラッド攻略最前線からは離れた立ち位置となっていた。

アインクラッドのフロアボス攻略は、SAO事件当時には無かった、HPバーが表示されないという特殊仕様のために、中々に難易度の高いものだった。加えて言うならば、アインクラッドのボス部屋は閉鎖空間であり、太陽と月の光が差さない故に、当然のことながら翅を使った飛行ができない。

結果、アインクラッドでの戦闘は今までのALOには無い制約が課された仕様となったことから、大多数のALOプレイヤー達は苦戦を強いられる羽目になった。しかしそれも、アインクラッドが実装された当初の話。現在は、イタチとアスナといったSAO帰還者が先導してのフロアボス攻略によって蓄積されたノウハウのお陰で、ALOからアインクラッド攻略に参加してきたプレイヤー達も、当初より落ち着いて攻略に臨めるようになっていた。

ともあれ、隣に立つ少女は、イタチがアインクラッド攻略に参加していたプレイヤーだったことに興味を持った様子だった。

 

「そうなんだ……なら、かなり強いんだよね?」

 

「自慢ではないが、アインクラッドの攻略では、パーティーリーダーも務めていた」

 

「ふ~ん……なら、ちょっとお願いがあるんだけど、良いかな?」

 

「……何だ?」

 

話の流れから、少女が自分に何を頼もうとしているのか、なんとなく分かっていたイタチだったが、確認のために聞いてみることにした。そして、笑みを浮かべながら少女が口にした頼み事は、イタチの予想通りのものだった。

 

「ボクと、デュエルをして欲しいんだ!」

 

「……今、ここでか?」

 

半ば予想していただけに、驚きこそしなかったイタチだが、その内容にはやはり耳を疑ってしまう。PvPが好きならば、強い相手と戦いたいと思うのが道理なのだろう。実際、PK推奨のALOにおいて、このような手合いは珍しくない。しかしながら、出会って間もない相手にデュエルを所望するのは、これ如何に。

そもそも出会った当初のしおらしかった雰囲気はどこへ行ったのか。今やイタチの目の前にいる少女にその面影は無く、元気いっぱいの明るく可憐な少女剣士と化していた。

 

「うん!お兄さん、凄く強いみたいだから、できたら今ここで、戦ってみたいと思って!」

 

「…………まあ、良いだろう」

 

SAOにおいてのみならず、ALOにおいても最強クラスのプレイヤーの一人と目されているイタチだが、やたらとデュエルをやりたがる性分というわけではない。勿論、仲間内でのデュエルは頻繁に行うし、月例大会等の催し物には必ずと言って良い程出場する。しかし、初対面の相手に唐突にデュエルを申し込まれて、その場でOKするほどの戦闘狂(バトルジャンキー)というわけではない。

しかし今回、イタチは少々の間を置いてから、この申し出を敢えて了承することにした。その理由は、単にイタチの気まぐれというだけではない。少女がイタチの実力に興味を持ったように、イタチもまた、目の前の少女に対してある種の興味、関心を持ったことが理由として挙げられる。

 

(アバターの動きが自然過ぎる。仮想世界でアバターを動かすのに、かなり慣れているな)

 

フルダイブ環境において、アバターを現実世界の肉体同然に動かすことは、実はかなり難しい。二年間連続で仮想世界にフルダイブしていたSAO生還者や、仮想世界に似た空間を操る忍の前世を持つイタチならばまだしも、一般的なVRゲーマーのフルダイブ時間では、ここまでアバターを自然に動かすことはできない。無論、仮想世界への適性は人によって異なる。コナンやランといった、一度のダイブで仮想世界への適性を示す人間もいる。

しかし、目の前の少女が見せる動作は、現実世界のものと比べても遜色無い。単純に仮想世界への適性が高いというだけでは説明のつかない動きだった。故にその理由を、イタチはデュエルを通して看破しようと考えたのだった。

 

「それじゃ、始めよっか!」

 

「ルールは地上戦のみで、制限時間は五分にしておく。現実世界は早朝で、俺もこれから予定があるからな。あまり長い間は付き合えん」

 

「オッケー!」

 

イタチの提示したルールを承諾した少女は、慣れた手つきでシステムウインドウを操作し、デュエル申請を行う。直後、イタチの視界にデュエル申し込み窓が出現。そこには、『Yuuki is challenging you』と記載されていた。

 

(ユウキ、か……)

 

その名前を確認したイタチは、SAO事件の記憶を遡るも、該当する人物に覚えは無かった。プレイヤーネームを変えているのではとも考えたが、ユウキに似た性格の人物にも心当たりが無い。

結論からして、イタチ個人の推察による極論ではあるものの、目の前の少女――ユウキは、SAO生還者ではないのかもしれない。

 

「時間が惜しいからな。今回は、『初撃決着モード』にするぞ」

 

「う~ん……まあ、しょうがないね」

 

SAOと同様、ALOのデュエルのオプション・モードもまた、『初撃決着モード』、『半減決着モード』、『全損決着モード』の三種類がある。デスゲームと化していたSAOは、有効打を先に与えた方が勝利する『初撃決着モード』以外を選択することはあり得なかった。しかし、ゲームをゲームとしてプレイできるALOにおいては、相手のHP全てを削り合う『全損決着モード』が主流となっていた。

しかし今回は、時間の問題があるので、早々に決着が着く『初撃決着モード』で行うことにしたのだった。ユウキとしては、とことんまでやりたかったのだろう、若干不満そうにしていた。

 

「それじゃあ、始めるか」

 

「うん!」

 

ユウキのデュエル申請を受け取ったイタチが、制限時間設定を行った上で、OKボタンを押す。それを確認した二人は、互いに武器を抜いて構えた。イタチの武器は、ALOにおいて新たに刀スキルを取得したことで使い始めたエンシェント・ウェポン級の銘刀『破軍星』、ユウキの武器はインプのカラーである黒と紫のダークカラーに染められた片手剣である。ユウキの武器もまた、エンシェント・ウェポン級の名剣であることは、イタチにも分かった。

そして、六十秒のカウントがゼロになると同時に、二人は一気に互いの距離を詰め、刃を交錯させた――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや~……君って、本当に強かったんだね!ボク、ビックリだよ!」

 

「それはこっちの台詞なんだがな……」

 

日の出前のイグドラシル・シティ頂上のテラスにて行われた黒の剣士二人によるデュエルは、五分というタイムリミットが訪れたことにより、引き分けという形で終わった。

 

(純粋な剣技だけの勝負とはいえ……まさか、この俺が一撃も入れられんとはな……)

 

五分間のデュエルの中で、幾度も刃を交錯させていながら、互いに攻撃が一撃も攻撃が通らなかったことに対して、イタチは内心で非常に驚いていた。ALOにおいて、刀スキルを取得し始めて間もないイタチだが、ソードスキルそのものの制作に大きく貢献した立役者である。種族による縛りやスキル値に依る使用可能なソードスキルの制限こそあるものの、SAOは勿論、ALOにおけるプレイヤーの誰よりも武器の性能を発揮できることは間違いない。しかし、そんなイタチの剣技をもってしても、ユウキという少女に有効打を入れるには至らなかったのだ。

 

(あちらも俺に有効打を入れられなかったのは同じだが……それは、俺とユウキの剣技が互角だったということ……)

 

互いの剣技が互角だったということは、反応速度もまた互角かそれに近いレベルだったということである。イタチの反応速度は、前世の忍時代において培った経験を引き継ぎ、SAO事件における二年もの連続フルダイブ時間を経て、文字通り他の追随を許さない程のレベルに達しているのだ。しかしユウキは、今回のデュエルにおいてイタチに迫る反応速度を発揮した。故にこれは、本来ならばあり得ないことであり、ユウキが普通のプレイヤーならば持ち得ない、イタチの前世に相当する“何か”を持っていることを示しているのだ。

 

(俺と同じ、忍世界からの転生者…………では、ないな)

 

ユウキが秘めた秘密について思考を走らせるイタチがまず思浮かべたのは、自身と同じ境遇――――即ち、忍世界からの転生者ではないかということだった。しかし、イタチは思い浮かべたその直後にその仮説を否定した。デュエルで剣を交えて分かったことだが、ユウキの剣技には殺気の類は感じられなかった。対人戦闘にはそれなりに慣れている様子だったが、それはあくまでゲームの中で鍛えたセンスだろう。忍世界のように、殺し合いの世界を経験して磨かれた剣技とは思えなかった。そして、現実世界の実戦経験が無いという仮説が正しければ、イタチの前世である忍世界とは別の世界の出身という可能性も無い。

ならば、ユウキの抱える秘密とは何なのか………………

 

「あ、見て!日の出だよ!」

 

さらに深く考えようとしたイタチだったが、それはユウキの言葉によって中断された。展望テラスから見える、オレンジ色に染まりつつある水平線の彼方。そこから、白い光を放つ太陽がゆっくりと上り始めていた。そして、上り始める太陽の光を背に、アルヴヘイムの大地に浮かぶ鋼鉄の城、アインクラッドのシルエットが浮かび上がっていた。

 

「わぁ~……綺麗だね」

 

「……ああ、そうだな」

 

現実世界、仮想世界を問わず、日の出の光景というものは人の心を惹き付ける美しさがある。ユウキは感動した様子でその景色に魅入っており、隣に立つイタチも僅かに笑みを浮かべていた。

そうして二人して日の出の景色を眺めることしばらく。午前六時の時刻を知らせる鐘が、イグドラシル・シティ全体に鳴り響いた。イタチはそのことを視界端のデジタル時計でも確かめると、早々にログアウトすることにした。

 

「ユウキ、俺は先に落ちるぞ」

 

「えっ!もう行っちゃうの!?」

 

「悪いが、俺も予定があるのでな」

 

アインクラッドの様子を見るついでに日の出まで見た以上、もうここに用事は無い。故にイタチは、家族が起床し始めているであろう家へと戻るために、システムウインドウを操作してログアウトしようとする。

 

「あれ?……そういえば、どうしてボクの名前がユウキだって知っていたの?」

 

「今更か……デュエルの時に、互いのHPバーの上に名前が表示されていただろう」

 

「あ……」

 

呆れた様子でそう答えたイタチに対し、ユウキははっとした様子で口を覆っていた。どうやら、デュエルを自分で仕掛けておきながら、相手の名前に注意にまでは注意を払っていなかったらしい。

 

「い、いや~……ごめんごめん。お兄さん、強そうだったから、動きの方に気を取られちゃって……」

 

「名前の確認までは気が回らなかったか」

 

「本当にごめん。それで……お兄さんの名前は?」

 

「イタチだ」

 

「……猫なのに?」

 

「……よく言われるがな」

 

猫妖精族(ケットシー)でありながら、『イタチ』というプレイヤーネームを使うのは、これ如何に。そんな疑問をぶつけられるのは、今回が初めてのことではない。ALOを改めて開始し、ケットシーを選択して以来、明らかにズレたプレイヤーネームについて、多くの仲間達から突っ込みを受けた。例外は、イタチの前世を知るアスナ、リーファ、シノンくらいだろうか。

 

「それじゃあイタチ、落ちる前に、ボクとフレンド登録してくれるかな?」

 

「……まあ、良いだろう」

 

屈託の無い笑みでフレンド登録をせがむユウキに対し、イタチは特に渋ることなくこれを了承した。そして、ユウキから出されたフレンド登録申請に対し、OKボタンをクリックすると、再度ログアウトするためにシステムウインドウの操作を再開するのだった。

 

「アインクラッドの階層攻略に参加する気になったら、いつでも連絡を寄越せ。お前の実力なら、フロアボス攻略でも十分に活躍できるだろうからな」

 

「うん。ありがとう」

 

フレンド登録を行った後、互いにそれだけ言葉を交わして別れを告げると、イタチは今度こそALOからログアウトするのだった。

 

 

 

 

 

ALOをログアウトし、現実世界へと戻ったイタチこと和人は、アミュスフィアを外して傍らへ置くと、ベッドから上体を起こす。いつもなら、すぐにベッドから立ち上がって、朝稽古の支度をするのだが……イタチの思考は別のベクトルに向いていた。

 

(ユウキ……か)

 

イタチこと和人がユウキとのフレンド登録に了承したのは、自身に迫る実力を持つ強豪剣士との繋がりを作っておくことや、ユウキの内面を知って、仲間にすることも吝かではないと思ったからだけではない。イタチに迫る程の実力を有する謎多き少女剣士の強さの秘密を探ることも考えていたからである。あの凄まじい反応速度には、生来のVRゲームへの適性だけでは説明がつかない何かがあることは間違いない。和人のような転生者でないのならば、一体それは何なのか……

 

(それに、あの“涙”は…………)

 

ユウキが抱えているであろう事情に関して、和人が気になっていたことが、もう一つある。それは、イグドラシル・シティの展望台で出会った時に、その目に浮かべていた、涙のこと。あの涙の理由には、ユウキが今日、あの場所に居た理由と……そして、あの突出した反応速度を発揮できる理由を説明する“何か”があると、和人はそう直観していたのだ。何故ならば――――

 

(……いや、これ以上は止そう)

 

ユウキの涙に一連の謎を解く鍵があると感じた、その理由について明らかにしようと走らせた思考を、しかし和人は中断した。その先には、ユウキの正体を知る何かがあると同時に、踏み込んではいけない一線があるのだと、和人は感じたのだ。その後、和人はユウキとのことを頭の片隅に追いやるべく、朝稽古の支度を始めることにした。

ただ一つ……和人の頭には、ユウキとの別れ際に鳴り響いた鐘の音が、未だに聞こえるような気がした。そしてそれは、和人ことイタチとユウキを巡る、何かの始まりを告げているかのように思えていた。

 

 

 

 

 

これは、二人の出会いの物語。

即ち、『黒の忍』と呼ばれた転生者の少年と、後に『絶剣』と呼ばれるようになる少女が織りなす、大きな物語の序章となる一幕だった――――――



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第百六話 後悔も何もないけど

2026年1月2日

 

「はぁ…………」

 

京都市内の幹線道路を走る、黒いリムジンの高級車両の中。流れゆく景色を眺めながら、溜息を吐く振袖を纏った少女の姿があった。しかし、華やかな着物で着飾っているにも関わらず、少女の表情には影が差し、憂鬱そのものであった。

 

「明日奈、疲れたのかい?」

 

「ううん……大丈夫だよ、お父さん」

 

「もっときちんとしなさい。今日は色々なところの名家の人達が集まる場に出るんだから、そんなだらしのないところ、見せるんじゃありませんよ」

 

「……はい」

 

元気の無い娘の様子に、心配そうに声を掛ける父親と、だらしがないと叱咤する母親。対照的な二人の言葉に対し、当の本人たる娘の明日奈は、内心うんざりしながらも返事をするのだった。

イタチ率いるパーティーが、ALO最大級の高難易度ダンジョンたるスリュムヘイムを攻略し、見事にエクスキャリバー獲得クエストを成功させてから、五日が経過した頃のこと。クエストを成功に導いた立役者の一人である、アスナこと結城明日奈は昨年末より、父である彰三の実家であるここ、京都へと赴いていた。

恒例となっている年末年始の挨拶周りは勿論のこと。それに加えて明日奈の場合は、SAO事件に巻き込まれたことにより、二年以上に亘って入院していた経緯がある。故に、この件に関して心配と世話を掛けたことについて、親戚一同や関係各所へのお礼を言って回ることもしなければならなかった。無論、その辺りの事情は明日奈とて理解しているし、心配や迷惑を掛けた以上は顔を見せることは当然の義務と考えていた。

しかしながら、挨拶の度に親戚やそれに連なる人間からは、奇異や憐れみの視線を向けられるのだから、明日奈が辟易するのも無理は無かった。それは、SAO事件に巻き込まれたことで、二年もの月日をゲームの世界で浪費し、名家出身の子供達の出世レースから脱落したことに対しての同情だった。尤も、当の明日奈にとっては、不本意この上ないものなのだが。

 

「着いたわよ」

 

そうこうしている間に、明日奈とその両親を乗せた車は、目的地へと到着した。到着した場所は、京都市の中でも屈指の規模を誇る高級ホテルである。明日奈をはじめとした結城家一行は、本日この場所で開催される、国内の財閥や大手企業の経営者、政治家といったVIPを集めた、新年を祝うための社交パーティーに参加するためである。

車はホテルの正面ゲート前で停車すると、ボーイの手でドアが開けられた。そして、最初に父の彰三、次に母の京子、最後に明日奈の順に下車した。

 

「結城様でございますね。お待ちしておりました。会場へご案内致しますので、こちらへどうぞ」

 

下車した結城家三名を、待っていたのは案内役らしき男性の従業員。三人は軽く会釈すると、男性に導かれるままにホテルの中へ入り、会場へと進んでいった。途中、彰三が仕事の関係で見知った間柄の人間と幾度かすれ違う度、父親に倣って軽く会釈して、進んでいくのだった。

 

「会場はこちらになります。それでは、どうぞお楽しみください」

 

案内役の男性はそれだけ言うと、明日奈達三人の前から姿を消すのだった。恐らく、次の来客を出迎えるために向かったのだろう。

そして、ネクタイや髪型等、身だしなみを整えると、三人は既に複数の来客を迎えて賑わいを見せていた会場の中へと入って行くのだった――――

 

 

 

 

 

 

 

「大変なご迷惑をお掛けしましたが、お陰様でこの通りです」

 

「その節は、ご心配をお掛けしました」

 

「今後ともよろしくお願いします」

 

パーティー会場に入って以降、明日奈は両親に付き従って、来客一同の元を訪れ、以上のような挨拶を繰り返していた。そんな、何の変化も無いやり取りを連続で行わされてきたことで、自分がNPCになったかのような感覚さえ覚えていた。内心では、明日奈主観とはいえ不毛に等しいやり取りに加え、親類縁者同様の憐れみや侮蔑を含んだ視線に晒され、時に心無いことを言われ、非常にうんざりしている。だが、父親の手前、勝手に会場を抜け出すことも許されない。故に明日奈にできることは、心を無にして完全なNPCとなり、注がれる視線や投げ掛けられる言葉に対する反応を閉ざし、単調な受け答えをすることだけだった。

そして、来場後の挨拶回りが一通り終わった頃のことだった。ようやく一息吐けると思った時のことだった。会場の入口付近が急に騒がしくなったのだ。何事かと視線を向けてみれば、どうやら新たな来客が来たらしい。それも相当なVIPらしく、来場者達のざわめき具合が半端ではない。また挨拶に向かわなければならないのかと若干辟易しつつも、一体どんなVIPが現れたのかと視線を向ける。

すると、そこに集まった来客の中心に、明日奈と同年代の少女二人と少年一人が立っており……その姿を視認した明日奈は、思わず目を見開いてしまった。紺色の長髪を靡かせた振袖姿の美少女と、非常に小柄な袴姿の少年、そして外国人であろう桃色の長髪の美少女。いずれも明日奈と顔見知りの間柄の人物である。そして、三人の姿を見て硬直していた明日奈に気付いたらしく、紺色の長髪の少女が手を振りながら声を掛けた。

 

「明日奈、お前も来ていたのか!」

 

「えっ!?明日奈さんも来ていたの!?」

 

「ホントだ!明日奈だ!ひっさしぶりー!!」

 

紺色の長髪の少女の一言を皮切りに、他の二人も明日奈方へと視線を向けた。その中の一人である桃色の長髪の少女は、明日奈の姿を見るや、周囲の人だかりをかき分けて駆け寄り、抱き着いた。

 

「ララ……それにめだかさんと、まん太さんも!?」

 

「フフ、驚いている様子だな。私の家も、今日はこの会場で挨拶回りをするために来ているというわけだ」

 

「僕のところも同じでね。さっき、ホテルの正面のところで偶然にも二人と出くわしたから、一緒に会場に行くことになってさ」

 

桃色の髪の少女――ララに抱き着かれて驚いた明日奈だったが、後から歩み寄ってきた紺色の長髪の少女――めだかと、小柄な少年――まん太の言葉に、成程と得心していた。

この三人は、明日奈と同じくSAO事件の帰還者学校に通う生徒であるとともに、このパーティー会場に呼ばれる程の名家の出身でもある。めだかとまん太は、日本有数の資産家である黒神財閥とオヤマダグループの令嬢・御曹司であり、ララに至っては欧州随一の軍事国家であるデビルーク王国の第一王女である。特にララに関しては、国賓に相当する立場にある人物であり、この会場の中でも最大級のVIPである。

故に、国内有数の財閥が集まるこのパーティーに出席していてもおかしくない面々なのである。尤も、明日奈を含めてこれだけのVIPがSAO事件に巻き込まれ、しかも最前線で戦う攻略組や、それに関わる生産職プレイヤーで顔見知りになったことは、偶然と呼ぶにはあまりにも出来過ぎたことなのだが。或いは、そういった名家に生まれたことで、人の上に立つ才能を持ち、英才教育を受けてきた優秀な人間だったからこそ、攻略組の牽引役やバックアップ役が務まったとも言えるのかもしれない。

 

「明日奈、その子達は……」

 

パーティー会場での、思いがけない出会いの感激の余韻に浸っているのも束の間。明日奈から少し離れた場所に立っていた彰三・京子の両親が声を掛けてきた。

こちらの二人への紹介と挨拶がまだだったと気付いた明日奈はララとの抱擁を解くと、三人に両親を紹介し始める。

 

「お父さん、お母さん、紹介するわ。こちらは私の学校の友達の、黒神めだかさんと、小山田まん太君と、ララ・サタリン・デビルークさんよ」

 

明日奈からその名前を聞かされた彰三と京子は、ぎょっとした顔になる。黒神財閥とオヤマダグループの名前は言わずもがな。ララの祖国であるデビルーク王国に関しては、SAO未帰還者三百名を電子世界に拉致監禁し、違法な人体実験を行っていたALO事件において、彰三が以前CEOを務めていた会社と浅からぬ縁があるのだ。

 

「こ、これはどうも……明日奈の父の、結城彰三です。その……いつも娘に良くしていただいているようで、ありがとうございます」

 

「……明日奈の母の結城京子です。娘がお世話になっています」

 

先程までの挨拶回りの時の毅然とした態度とは打って変わって、かなり委縮した様子で挨拶をする両親に、明日奈は少々驚きながらも、納得していた。

そして、対する三人もまた、順に挨拶をしていく。

 

「黒神めだかです。こちらこそ、レクト・プログレスには、いつも私の父の黒神舵樹がお世話になっております」

 

「小山田まん太です。父のオヤマダグループも、レクト・プログレスのVR技術の提供にはいつも助けていただいていると聞いています」

 

「ララ・サタリン・デビルークです。レクト・プログレスのご協力には、私は勿論、我が父、ギド・ルシオン・デビルークも大変感謝しております」

 

マンタはいつも通りの調子での挨拶だったが、めだかとララに関しては、スイッチを切り替えて、常の自由奔放な振る舞いを排し、公式の場に臨む謹厳な態度と口調で挨拶を行っていた。

 

「その……ララ王女をはじめ、デビルーク王国の方々には、例の事件で大変なご迷惑をお掛けして、申し訳ございませんでした……」

 

「頭を上げてください。こちらこそ、父が無関係な方々まで巻き込むような過激な発言をしまして、大変ご迷惑をお掛けしました。あの事件に限っては、犠牲者も出なかったのですから、そんなにお気になさらないでください」

 

ララに対し、深々と頭を下げて謝罪を述べる彰三。後ろに立つ京子も、ばつの悪そうな表情で頭を下げ、それに倣って明日奈までもが頭を下げていた。それに対し、ララは困った表情を浮かべながら、二人に頭を挙げるように宥めるのだった

ララも被害を受けた、SAO事件の延長線上で起こったALO事件。その主犯格は、かつて彰三が全幅の信頼を置いていた部下であり、明日奈の婚約者にまでしようとしていた男、須郷伸之なのだ。この事件の裏が明るみにでたことで、ララの祖国であるデビルーク王国とレクト・プログレスの仲は非常に険悪となり、企業とそれに連なる人間全員が社会的、あるいは物理的に粛清されそうになった経緯があるのだ。この件に関しては、事件を解決に導いた和人と、被害者であるララの説得によってデビルーク国王のギドが矛を収めたことで収束していた。

しかし、下手をすれば戦争にまで発展しかねない国際問題に相当する不祥事を引き起こした部下の所業を看過してしまった事実は消えない。故に、当時のCEOだった彰三と、その妻である京子は、ララをはじめとしたデビルーク王国関係者には頭が上がらないのだ。

 

「それに、被害者というなら、娘の明日奈さんも同じじゃないですか。そういったところでも、お互い様ですよ。だから、本当にもう、お気になさらないでください」

 

「お心遣い、痛み入ります……」

 

そうして頭を下げる彰三を宥め続けることしばらく。罪の意識が和らいだのか、結城夫妻の上がらなかった頭は元の位置に戻り、ようやく背筋を伸ばして対話ができるようになったのだった。

そして、若干の気まずい空気が流れる中、最初に口を開いたのは、明日奈の母親である京子だった。

 

「ところで……本日はお一人で会場にお越しになられたのでしょうか?」

 

「いえ。私の方は、親衛隊隊長と一緒に参りました。残念ながら、父と母は、本国を中々離れられないものですから」

 

「そうですか……しかし、デビルーク王国の親衛隊隊長といえば、王室と親しいご身分の方と伺っております。ぜひとも、挨拶をさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

 

互いの空気が和らいだところで、先程までの謝罪モードとも呼ぶべき状態から、先程までの挨拶回りモードへと切り替える。しかし当然のことながら、単にデビルーク王国の重臣に対して、先の事件の再三の謝罪と新年の挨拶をするというだけではない。

このパーティーにおける対話の機会を活用し、レクト・プログレスにおける最大級の取引先であるデビルーク王国との関係を改善・強化することで、ALO事件で結城家が被った汚名を雪ごうと考えているのだ。そんな、キャリア重視の人生を歩み続けている母の姿に、明日奈は内心で嘆息していた。しかし、結城家の一員である以上、明日奈もこれには最大限協力する義務がある。故に、明日奈もまた、ララへ挨拶をさせて欲しいと頼み込もうとした、その時だった。

 

「ララの付き添いで来られた新鋭隊長でしたら、あちらの側の方で、小山田グループのCEOとご歓談なさっています。ご挨拶をなされるのでしたら、こちらのまん太君に案内していただいてはいかがでしょうか?」

 

先に切り出したのは、ララのすぐ傍に立っていためだかだった。先程まで自分達もいた人だかりの方を指し示し、結城夫妻が挨拶しようとしている人物は、その真っただ中にいるのだと言う。

 

「まん太君、お二人の案内をしてさしあげてはいかがですか?」

 

「えっと…………分かりました」

 

有無を言わせぬめだかの提案ならぬ命令に、まん太は一瞬戸惑ったものの、頷いてこれを了承した。すると次は、そのやりとりを見ていたララが、めだかと視線を交錯させた後、口を開く。

 

「そうだ!私、明日奈さんともう少しお話ししたいのですが、よろしいでしょうか?」

 

「へっ……明日奈、と?」

 

「はい!同じ学校に通わせていただいている身ですが、ここ最近は忙しくて中々お話しする機会もありませんでしから、ぜひとも色々とお話しを聞きたいと思っていたんです!」

 

「いえ、しかし……」

 

「私からもお願いします。年の瀬は学校の中ですら顔を合わせることができない程に忙しかったですからね。ぜひともお仲間に入れていただきたいものです」

 

ララに次いで、めだかが援護射撃をする。このパーティーに明日奈を連れてきたのは、挨拶回りに乗じて二年以上もの入院から回復した姿を見せることも目的に含まれている。そのため、ここで明日奈を連れていかれるのは問題なのだが、相手はデビルーク王国の王女と、黒神財閥の令嬢である。後者はともかく、前者の頼みは逆らえる筈がない。

 

「……分かり、ました。娘を少々の間、よろしくお願いいたします」

 

「ありがとうございます。ごゆっくりどうぞ」

 

満面の笑みを浮かべて頼み込むララとめだかに気圧された彰三と京子は、結局、明日奈の引き抜きを認めざるを得なかったのだった。半強制的に案内役をすることになったまん太とともに、人だかりの向こう側にいるVIPに会うために、結城夫妻はその場を後にするのだった。

 

「さて……ようやくこれで解放されたな」

 

「大丈夫、明日奈?」

 

明日奈の両親がまん太とともに人だかりの中へ消えたのを見届けためだかとララは、周囲に聞こえない程度に抑えた声で、明日奈にそう話し掛けた。対する明日奈は、そう切り出されて一瞬戸惑った様子だった。しかし、先程までのやりとりを思い出し、二人が何のために両親を遠ざけたのか、その意図をすぐに察した。

 

「えっと……もしかして、気を遣わせちゃった、かな?」

 

「水臭いよ。私達と明日奈と仲じゃない。そんな他人行儀なのはやめて。それに、普段の明日奈を知ってるから、ちょっと辛そうにしていたことくらい、分かるよ。だから、気にしないで」

 

明日奈の問い掛けに対し、ララは何を今更、とばかりに答えた。隣のめだかも口にこそ出さないが、同意見らしい。そんな友人二人の心遣いに、明日奈は先程までの貼り付けた笑顔とは違う、心からの笑みを浮かべていた。

 

「さて……この場はやはり少々息苦しいな。私と父とまん太の父上殿、そしてララの新鋭隊長殿が来客の相手をしている間に、私たちはもう少し離れた場所に移動するとしようか」

 

「賛成!ほら、明日奈も行こう!」

 

「あ、ちょっと……!」

 

めだかとララに半ば強引に手を引かれ、パーティー会場から連れ出される明日奈。美少女三人揃っての移動だったものの、来客の大多数は、小山田グループ、黒神財閥、デビルーク王国の代表者を取り囲む人だかりに集中していたため、彼女等の動きを気に留める者はいなかった。

 

 

 

 

 

「めだかさん……この部屋って……」

 

「ここのスイートだな。そうか、明日奈は利用するのが初めてだったか」

 

「景色も良いし、家具も間取りも、結構良い感じだよね。日本のホテルの中でも、かなり上等なんじゃないかな」

 

パーティー会場を出た三人が向かった場所は、同ホテルのスイートルームだった。それも、一般人はおろか、常連で利用している顧客ですら中々利用できないような、スイート中のスイートである。そんな一室を予約もなく借りることができるのも、黒神財閥令嬢の名前が為せる業である。

そんな超々高級客室に連れてこられ、戸惑う明日奈を尻目に、めだかとララは、部屋に似合うデザインの、これもまた高級素材でできたイージーチェアに悠々と座る。そして、明日奈にも椅子へ座るよう呼び掛ける。

 

「明日奈も、そっちのソファーに座ったらどうだ?」

 

「えっと……はい」

 

めだかに促され、テーブルを挟んで向かい側のソファーへと座る明日奈。こちらも高級感溢れるデザインと座り心地だが、今の明日奈にそれを楽しむ余裕は無いようだ。そんな明日奈の様子に苦笑を浮かべながらも、めだかは口を開いた。

 

「さて、ここなら誰の邪魔も入らんな。明日奈、そろそろ話してはもらえないか?」

 

「えっと…………何を、ですか?」

 

「お前の今の状況についてだ。さっき会場で会った時のお前は、とてもではないが本心から笑っているようには見えない……貼り付けたような笑顔だったぞ」

 

「うんうん、めだかの言う通りだよ。明日奈、本当に酷い顔してた」

 

めだかの何を今更、とばかりの言葉に、ララが頷きながら続く。周囲の親類縁者、両親は誤魔化せても、SAO事件を経て交流を深めた女友達であるこの二人を相手に、明日奈が内心を隠すのは難しいものがある。家庭の事情や立場にも似通ったものがあるというのもあるのだろうが。

 

「……やっぱり、分かっちゃいましたか?」

 

「さっきも言ったが、私達も同じような身分だからな。無論、話したくないのなら、無理に聞こうとは思わんが……友達として、放っておくのもどうかと思ってな」

 

「溜め込んでるもの、全部吐き出しちゃいなよ。私達で良かったら、いくらでも聞くよ?」

 

優しい笑みを向けながら話し掛ける二人に、明日奈の瞳から涙があふれ出てきた。ここ京都へ来て、関係各所に挨拶回りをする中、本心を表に出すことが出来ず、常に気を張ってきた。そんな明日奈にとって、自身が抱く苦悩を分かってくれるめだかとララの労わりは、何よりも嬉しかった。

 

「二人とも……ありがとう」

 

「友達だもん。遠慮はいらないよ」

 

「全くその通りだな。ほら、話してみろ」

 

明日奈が涙目のまま顔を上げると、いつの間に向かい側から移動していたのか、二人の穏やかな顔がすぐそこにあった。明日奈を中央に、ソファーの両側に腰掛けた二人は、明日奈の手を握り、背中を擦ってくれていた。そんな二人の優しさに、心が温かくなるのを感じながら、明日奈はここ年末年始における自身の近況を……その中で、何を感じたのかを、話しだすのだった――――

 

 

 

 

 

「フム……やはりそうだったか」

 

「明日奈も苦労しているんだね」

 

めだかとララに促され、京都に来てから内に溜め込んでいたものを吐露したことで、明日奈は最初より幾分かは落ち着いた様子だった。

 

「二人とも……こんなこと聞かせちゃって、ごめんね」

 

「全くもう……だから、そういうのはいらないって!」

 

「同感だな。同じような実家の都合を抱える者同士であることに加え、私達はSAO事件以来の同志だ。そういうものは、分かち合ってこそだろう」

 

「うん……ありがとう」

 

先程から謝ってばかりの明日奈に対し、ララは頬を膨らませ、めだかはやれやれと溜息を吐いた。二人が欲しかったのは、謝罪などではない。それを察したアスナが感謝の気持ちを込めて発した「ありがとう」の一言に、二人の不機嫌そうな顔に笑みが戻った。

 

「しかし、不本意なものだな。我々SAO生還者は、確かに二年もの間、現実世界を離れることとなってしまった。しかし、それを惨めだなどと思ったことは……少なくとも私には一度として無かったぞ」

 

「私も同じだよ。あの世界に行ったからこそ、私は明日奈やめだか、イタチ達に出会うことができたんだもん。けどまあ、パパやママ、妹達、それにザスティンには凄く心配を掛けちゃったのは間違いないけどね」

 

めだかとララの話によれば、彼女達もまた、挨拶回りをした先々でSAO事件の被害者に対する憐れみの視線を向けられていたらしい。そんな似たような境遇に遭いながらも、明日奈ほど思い詰めていないのは、偏に家族の理解があったからなのだという。

 

「私の家は、大きい割には放任主義だからな。学業を通して必要な教養を身に着け、文武両道ができているならば、あとは自由にやらせてもらえる点では、理解があると言えるのかもな」

 

「ウチも同じかな?一応、王室だからハードルは皆より高いみたいだけど、そこまで厳しくないよ。SAO帰還者の皆が通う日本の学校に行きたいって言った時は、パパには最初、反対されたけど、最後はママと一緒に認めてくれたし」

 

財閥の令嬢と王女である以上、教育そのものは厳しいようだが、二人の家庭は勉学にせよスポーツにせよ、必要な力量を備えることができれば、あとは自由ということらしい。尤も、めだかもララも、人より優れているという言葉では収まり切らない、超天才児である。故に、実家からどれだけの学業のノルマを提示されようとも、全くと言って良いほど問題にはなり得ないのだが。それでも、必要な力量を提示するだけで、それを習得する方法については本人に一任しているというのだから、教育方針がガチガチに固められている明日奈の家に比べれば、両親が子供の自由に理解があることは間違い無い。

 

「両親の理解ばかりは、そう簡単に得られるものではないし、私達が干渉できることでもないな。友達として役に立てず、済まないな、明日奈」

 

「謝らないでください。それは、私が自分で解決しなきゃならない問題なんですから。それに、聞いて貰っただけでも、かなり救われた気分です」

 

「オーバーだなぁ、明日奈は」

 

ただ話を聞いただけで「救われた」などと口にする明日奈に苦笑するララ。だが、先程までの明日奈の様子を見る限りでは、相当に追い詰められていたことは、ララもめだかも分かっていた。そして、今日このパーティー会場で明日奈が二人と別れれば、再びストレスを溜め込む日々が続き…………元の木阿弥になることも。

 

「明日奈。提案があるんだが、少し良いか?」

 

だからこそ、めだかはここで明日奈を放り出すことにならないよう、ある策を考えていた――――

 

 

 

 

 

 

 

「明日奈、遅いわよ。どこに行っていたのよ?」

 

「……ごめんなさい、お母さん」

 

めだかとララに慰められて落ち着き、パーティー会場へ戻った明日奈に対し、母親である京子から開口一番に放たれた言葉は、これだった。娘の心中など察することなく、非難の視線とともに りつける京子の態度に、明日奈は委縮してしまった。傍らに立っていためだかとララも、何もそこまで言わなくてもと、僅かに眉を顰めていた。

 

「明日奈を叱るのはやめてください。パーティー会場から離れることを提案したのは、私です」

 

しかし、場所が場所なだけに、角を立てるわけにはいかない。明日奈がこれ以上、母親に威圧する視線に晒されないように、京子を宥めるべく前へ出た。対する京子も、黒神財閥の令嬢相手には強気に出ることはできなかったのか、それ以上明日奈を責める真似はしなかった。

 

「めだかさんの言う通りです。明日奈さんはめだかさんと一緒に、年末年始に本国と日本を行き来して疲れていた私を気遣ってくれたんです。あまり叱らないであげてください」

 

「……そう、でしたか。こちらこそ、明日奈に普段から良くしていただいているようで、ありがとうございます」

 

めだかに続き、ララが援護射撃をしたことにより、京子から明日奈に対する非難の視線は完全に止むのだった。当の明日奈は、母親の威圧による緊張から解放されて、内心でほっとしていた。

 

「お二人のお父様には、先程挨拶させていただきました。今後も、娘ともども、よろしくお願いいたします」

 

「こちらこそ、今年もよろしくお願いいたします」

 

「よろしくお願いします」

 

改めて頭を下げて挨拶する京子に対し、めだかとララもお辞儀する。そうして挨拶を済ませた京子は、明日奈と彰三を伴い、会場を後にしようとする。

 

「二人とも、ここの挨拶回りが済んだのだから、次の場所に移動するわよ」

 

「お待ちください」

 

だが、忙しなく動く京子を、めだかが静止した。挨拶は済んだのに、一体何の用事だろうと、時間を取られることに若干の苛立ちを覚えつつも、京子は向き直った。

 

「何か、ご用でしょうか?申し訳ありませんが、私たちはこの後も予定が……」

 

「そのことなのですが、私に少々提案がございます。お聞きいただけますでしょうか?」

 

有無を言わせない勢いで迫り、提案を聞く以外の選択肢を与えない毅然とした態度で臨むめだかに、京子は常の強硬な態度が取れずにいた。そんな母親の姿に、明日奈は信じられないといった表情を浮かべていたのだった。

 

「実は、こちらに居られますララ王女なのですが、日本の文化に大変興味があるそうです。そこで本日、これより本国よりお越しになられる妹君のモモ王女とナナ王女と合流した後、京都の寺社を巡られるおつもりです。聞けば、明日奈さんも京都に詳しいとのことですので、ぜひとも私とご一緒して案内などしていただければと考えているのですが、いかがでしょうか?」

 

「そ、それは……!」

 

めだかの口から語られた提案に、目を丸くして驚いた様子の京子。ALO事件に際してのデビルーク王国とレクト・プログレスとの間の問題は手打ちとなってはいるが、蟠りや確執は完全に消し去れるものではない。故に、レクト・プログレスの元CEOである彰三と、妻である京子は、両者の関係改善に尽力する責務がある。そのような意味では、今しがた出された提案は、渡りに舟と言える。

 

「私、明日奈さんとは、学校以外でももっとお話しをしたいと思っていました。それに、妹達にも明日奈さんを紹介して差し上げたいんです。勿論、急な提案ですので、無理にお受けしていただこうとは考えておりません。ですが、もしご一緒できるのでしたら、とても嬉しいです」

 

さらに、めだかに続いてララが援護を行う。「無理に誘わない」と言っているが、相手は結城家が深く負い目を感じているデビルーク王国の王女である。そのララが、明日奈との交流を望んでいると言われれば、余程の理由が無い限り断ることなどできる筈も無い。

 

「良いんじゃないか?ララ王女にご一緒できるなんて、光栄なことじゃないか。この後の予定は、明日奈が必ず居なきゃならないものじゃないだろう。京子、行かせてあげなさい」

 

「あなた…………分かりました。それでは、娘をよろしくお願いします」

 

めだかとララから出された、逆らう余地の無い提案に対し、しかし京子は多少の難色を示していた。恐らく、今回の挨拶回りにおいては、明日奈の全快を知らせることが目的に含まれていたために、予定に若干の狂いが生じると考えていたのだろう。しかし、夫である彰三が賛同したことによって、遂に首を縦に振るに至ったのだった。京子と彰三は、明日奈に対して一言二言告げると、去り際にめだかとララに対して夫婦そろって深く頭を下げ、会場を後にするのだった。

 

「中々手強かったが……ようやくこれで、解放されたな」

 

「ありがとうございます、めだかさん、ララ」

 

「礼には及ばんよ。ララ達デビルーク王女の京都巡りは、最初から予定されていたものだ。それを上手く利用させてもらっただけのことだ」

 

「明日奈ともっとお話ししたかったっていうのも、本当のことだしね!」

 

両親から……もっと言えば、母親である京子から解放されたことによって、明日奈の顔に笑顔が戻った。元気の無かった自分に気を遣ってくれたことに始まり、重圧から解放されるための協力までしてくれた友人二人に、明日奈は涙が溢れそうになっていた。

 

「全く、仕方のない奴だ。さて……ララ、そろそろお前の妹達が京都駅に到着する頃だぞ」

 

「あ、そうだね!それじゃあ二人とも、一緒に行こうか!」

 

天真爛漫な笑顔を浮かべたララに手を引かれ、明日奈は共にパーティー会場を後にするのだった。その後、ホテルの前に停めてあったデビルーク王国御用達のリムジンに新鋭隊長のザスティンとともに乗り込み、目的地である京都駅を目指すのだった。

 

「そういえば、マンタから聞いたぞ。年末に私を差し置いて、エクスキャリバー獲得クエストを見事にやり遂げたらしいじゃないか?ぜひともクエストの道中について詳しく聞かせて欲しいんだがな」

 

「それから、ユイちゃんが使ってくれている『カクカクベアーくん』の調子がどうなのかについても教えて欲しいな。そろそろ、『スイスイベアーくん』の開発も始めたいし」

 

道中、ALO関連の出来事や帰還者学校での出来事等における仲間達の近況について、めだかとララは明日奈に尋ねていた。それに答える明日奈の顔には、会話を心から楽しんでいることが傍から見ても分かるような、そんな笑みが浮かんでいた。

 

(ありがとう……ララ、めだかさん)

 

京都にやって来てから、久しく感じていなかった人の思い遣りの温かさを思い出させてくれた友人二人に、明日奈は心の中で本日何度目になるか分からない感謝の意を唱えていた。

SAO事件に巻き込まれ、二年以上もの月日を仮想世界の中で過ごすこととなってしまい……結果として、現実世界において多くのものを失ってしまったことは、間違いない。それでも明日奈には、後悔は無かった。目の前に居る二人をはじめ、かけがえのない友人を得られたもとより、彼等彼女等と触れ合う中で、大切なものを得ることができたのだ。

仲間達と力を合わせ、支え合うこと……困難を打ち破るために、意思を強く持つこと……そして、誰かを愛すること。挙げていけば限が無い程に多くを得たが、それらはSAO事件以前の明日奈では、到底得ることはできなかったものである。

だからこそ、明日奈は強く思う。SAOの中で得た強さをもって、この現実世界の中でも、自分らしく生きていきたいと。だが、現実は重い通りにはいかず、母親相手に碌に自分の意思を貫くことはできず……その実態は、SAO事件前の明日奈と変わらなかった。

 

 

 

現実世界の結城明日奈と、仮想世界の閃光のアスナ。二人とも同じ存在であり、どちらも自分なのに、どうして同じようにいられないのだろう?

目の前にいる、現実世界であろうと仮想世界であろうと、変わらない自分自身を持つめだかを前に……そして、今この場にはいない思い人のことを思い出し、心の中で今の自分とを比較する明日奈の胸中には、そんな疑問が渦巻いていた。

 



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第百七話 最低何か一つ手に入る物があったら

2026年1月6日

 

ALOの舞台たる妖精郷・アルヴヘイムの中心に聳え立つ世界樹の頂上にある、イグドラシル・シティ。街の中は、年末に成し遂げられたエクスキャリバー獲得クエストの攻略成功から冷めやらぬ興奮による喧騒に満ちていた。そんな中を、クリアしたパーティーのリーダーである黒の忍たるイタチは、ある場所を目指していた。

ちなみに、彼の娘という立場にあるユイは、今日は妹であるリーファとその仲間であるシノン、リズベット、シリカのパーティーに同行しており、イタチのもとにはいなかった。

 

「おっ!イタチ、来てくれたんだね!」

 

「待たせたな」

 

そうしてイタチが一人、足を踏み入れたのは、イグドラシル・シティ最上層にある展望台。入口の階段から姿を見せたイタチに対し、手を振りながら声を掛けたのは、パープルブラックの長髪を靡かせた闇妖精族『インプ』の少女――ユウキである。

相変わらずの屈託の無い笑顔でイタチを迎えるユウキだが、イタチは相変わらずの無表情。しかし、ユウキと顔を合わせることを不快に思っている様子は微塵も無かった。それどころか、少しばかり――イタチと長い付き合いの者でなければ非常に分かり難い違い――だが、和らいでいるようにすら見えた。一方のユウキは、そんなイタチの表情については特にきにした様子は無く、すたすたとイタチのもとへと駆け寄っていた。

 

「あのクエストで散々世話になったお前からの呼び出しだからな。それで、あれ以来音沙汰無かったようだが、報酬として俺に依頼する頼み事は決まったのか?」

 

「うん。今日はそのことを話したくて、来てもらったんだ」

 

エクスキャリバー獲得クエストにイタチと共に参加したパーティーメンバーの一人である彼女は、ALOにおける数少ないOSS使いの強豪剣士でもある。クエスト当時は、その実力を遺憾なく発揮し、スリュムヘイムの階層を守護するボスモンスター戦の決め手となる場面も多かった。その活躍ぶりは、SAOやALOにおいて数多の武勇伝を作ってきた猛者たるほかのパーティーメンバーと比較して遜色の無い程のものだった。

そのような経緯により、エクスキャリバー獲得クエストに関してイタチはユウキに多大な借りがあるのだ。本日、この展望台にてユウキの呼び出しに応じて待ち合わせをした要件についても、件のクエストの報酬として行う頼み事についての相談をするためであると、イタチは予想していたのだが、どうやら当たりだったらしい。

 

「今更どんな内容であろうと断るつもりは無い。それで、依頼内容は決まっているのだろう?詳しく教えてもらえないか」

 

「うん!イタチにお願いすることはもう決まっているんだ!けど、それを話す前に、イタチには会って欲しい人達がいるんだ」

 

「会って欲しい……人達?」

 

「ボクの仲間だよ。とにかく、一緒に来て!」

 

ユウキはそれだけ言うと、その右手をイタチの左手へ伸ばして握る。そして、その髪と同じくパープルブラックの翅を展開して、展望台から飛び立った。対するイタチもまた、やむを得ず翅を広げて飛び立つのだった。

 

「どこに行くんだ?」

 

「イタチもよく知っている、“あそこ”だよ!」

 

半強制的に連れて行かれることになったイタチの質問に対し、その手を引いて空を飛び続けるユウキは、左手で目的地を指し示した。ユウキが指差した方向の、今現在二人で飛行している進路上にあるもの。それは、昨年の五月にこのALOに実装化された、石と鉄でできた巨大な城――――アインクラッドだった。ユウキの言うように、SAO生還者であるイタチもよく知る場所だった。

 

「お前の紹介したい仲間というのは、どの階層にいるんだ?」

 

「二十七階層だよ」

 

「二十七層……確か、今現在の攻略最前線、だったな」

 

「ごめん。ちょっと遠いから、飛ばしていくよ!」

 

自身の質問に対するユウキの答え聞いたイタチは、未だ詳細が明かされていない今回の依頼内容について確信を持ち始める。先程飛び立った展望台で、昨年ユウキと初めて会った時にも思ったことだが、彼女はアインクラッドの階層攻略に何らかの興味を抱いている。そして今回、依頼の話をするために仲間を集めた場所が、アインクラッド攻略最前線の二十七階層である。依頼内容が、アインクラッドの……もっと言えば、フロアボス攻略に関連していることは、疑う余地が無かった。

そんなイタチの思考を余所に、ユウキは急加速してアインクラッド目掛けて飛行する。一般のプレイヤーではそうそう出せない速度に、しかしイタチはしっかり追随していた。そうして飛行することしばらく。二人は目的地たるアインクラッドの踏破領域である二十七層外周部に辿り着いた。しかし、スピードは多少落としたものの、止まることはせず、そのまま苔むした外壁の隙間へと飛び込んでいった。

 

「うわぁ……やっぱりこの階層って、いつ見ても綺麗だよね!」

 

「まあ、確かにそうだな……」

 

アインクラッド第二十七層は、外周部の開口部が他の階層より少なく、日の光がほとんど差さない階層である。外周部の大部分が岩壁で覆われ、地面から生えた巨大水晶が放つ青い薄明りのみが辺りを照らしているその光景には、まるで洞窟の中を飛んでいるかのような錯覚さえ覚えさせられる。太陽と月の光が届かないこの階層においてALOにおける妖精の飛行能力が使用可能なのは、偏にアインクラッドの階層全てがシステム的に飛行可能エリアとして設定されているからなのだろう。

 

「イタチ、見えてきたよ!」

 

「主街区の『ロンバール』か」

 

二十七層へと入ってから、階層内で生息しているモンスターを避けながら飛行を続けることしばらく。ユウキの目的地である街が見えてきた。SAO事件当時、二十七層は特に重要な施設や穴場となるダンジョン、レアドロップを落とすモンスターが出現するスポット等の重要エリアが無かった。そのため、イタチも階層内の細部を覚えているわけではなかったが、迷宮区攻略に際して逗留した主街区『ロンバール』の名前と場所だけは覚えていた。

ここしばらく、ALOにおけるアインクラッドの階層攻略からは離れていたイタチにとって、この階層に足を踏み入れるのはALOへの実装化後初めてのことだった。最後にこの場所を訪れたのは、SAO事件当時の階層攻略時であるため、実に二年以上も久しぶりのことであった。

 

「あそこの街の宿を取っているんだ。皆はそこにいるから、案内するね」

 

「なら、よろしく頼む」

 

ユウキの指差す方向――主街区『ロンバール』目指して飛行し、その中心部にある円形広場へと向かって降下するイタチ。こつんと石畳をブーツが叩く音と共に着地したのも束の間。ユウキは休む間も与えず、そのまま走り出す。

 

「こっちだよ!」

 

そしてそのまま、繋がれたままの手を引かれ、狭い路地へと入り込んでいく。そうしてユウキに引っ張られるまま、複雑に入り組んだ路地を走り抜けて辿り着いたのは、一軒の宿屋。ユウキとその仲間達が宿泊している場所なのだろう。

止まることなく走り続けていたユウキは、宿屋の入口の前で一度立ち止まると、三秒と待たずに宿屋の扉を潜るのだった。入口付近のフロントで居眠りする白髭のNPCをスルーし、奥の酒場兼レストランへと足を踏み入れた。ちなみにここへ至るまでの間、イタチの左手はユウキの右手に繋がれたままである。

 

「皆、ただいま!助っ人連れてきたよ!」

 

「おかえり、ユウキ。それで、その人が七人目なの?」

 

勢いよく扉を開いたユウキを迎えたのは、元気いっぱいで騒がしいユウキとは対照的に、落ち着いた様子の年長者の女性の声だった。声がした方を向けば、そこには種族がバラバラな五人のプレイヤーの姿があった。この五人がユウキの仲間であることは、イタチにもすぐに分かった。

 

「うん。イタチ、悪いけど自己紹介よろしくね」

 

「……イタチだ。ユウキとは、つい最近知り合ったフレンドだ。この間のクエストでは、パーティーメンバーとして多いに助けてもらった」

 

「そうそう!イタチはこの間のエクスキャリバー獲得クエストでは、パーティーリーダーも務めたくらいで、剣の腕も確かだよ!」

 

ユウキの紹介に、五人は「おお」と簡単の声を上げる。イタチの指揮官適性や剣技といった実力について感心していることからして、依頼内容は予想通り戦闘がメインの、それもパーティーで挑むタイプのクエストあたりで間違いなさそうだとイタチは考えていた。

 

「イタチ、この五人がボクのギルド、『スリーピング・ナイツ』の仲間達だよ。さあさあ皆も自己紹介して!」

 

クエストの内容に思考を走らせるイタチを余所に、ユウキは仲間達に自己紹介を促す。その言葉に五人は一斉に椅子から立ち上がり、イタチから見て左側から順に名乗りを上げていった。

 

「僕はジュン!イタチさん、よろしく!」

 

一人目は、サラマンダーの小柄な少年――ジュン。その外見通りの、子供らしい非常に元気な声で挨拶を述べていた。

 

「テッチっていいます。どうぞ、よろしく」

 

ジュンに続いて名乗りを上げたのは、くせっ毛な砂色髪型をしたノームのテッチ。愛嬌のある細められためをしており、イタチとユウキの二人に対してニコニコと微笑みを向けていた。

 

「タルケンといいます。よろしくお願いします」

 

タルケンと名乗った三人目は、痩身で眼鏡をかけたレプラコーンの青年。鉄縁の丸眼鏡に、左右にきちんと横分けされた黄銅色の髪型からは、理知的な雰囲気が漂っている。

 

「アタシはノリ。よろしくね!」

 

四人目は、姉御肌らしいさばさばした口調の女性、ノリ。その種族は、かつてイタチも使っていた、浅黒い肌に黒髪が特徴的なスプリガンだった。しかしこちらは、比較的骨太な体格で、スプリガンの女性にしてはやや逞しいイメージが強い

 

「シウネーと申します。ユウキがお世話になっています」

 

最後に挨拶をしたのシウネーは、アクアブルーの長髪両肩に垂らし、華奢な体つきをしたウンディーネの女性だった。身に纏う穏やかな空気も相まって、回復魔法を得手とするウンディーネとしてのイメージをより強くしていた。

 

「それで、改めてだけど、ボクがこのギルドのリーダーを務めている、ユウキだよ!」

 

ユウキが改めて、この場に居る五人が所属するギルド『スリーピング・ナイツ』のリーダーであることを名乗ったことで、全員の自己紹介が完了する。そして、ユウキは自身より背の高いイタチの両肩に、自身の手を置き……

 

「それじゃあイタチ、これで七人揃ったことだし、皆で一緒に頑張ろうか!!」

 

「…………何を、だ?」

 

真剣な顔でそう呼び掛けたユウキに対してイタチが返したのは、そんな当然のような問い掛けだった。無表情のまま、一体何のことだと言わんとしているイタチの反応に、ユウキはきょとんとした顔で目を点にしていた。そんな二人のやりとりを見ていた五人のギルドメンバー達もまた、固まってしまっていた。

やがて、イタチと顔を合わせたまま硬直することしばらく。イタチの言葉の意味を察したユウキは、イタチの肩から手を放し、ポンと右手で左手を叩くと納得したように口を開いた。

 

「そっか!ボク、まだ何にも説明していなかったんだった!」

 

そんなユウキの気の抜けるような発言に、五人のギルドメンバーは一斉に椅子とテーブルの上へと崩れ落ちた。唯一静止したままのイタチに関しては、てへへと舌を出しながら笑って誤魔化そうとするユウキに対して呆れを含んだ冷ややかな視線を送っていた。

 

「全くもう!ユウキったら、いっつもそそっかしいんだから!」

 

「アハハ!本当にしょうがないよね!」

 

肝心の要件を告げないまま、この場へイタチを連れてきたことに対し、シウネーは呆れた様子でユウキを叱りつけ、ノリはどうしようもないとばかりに苦笑を浮かべるのだった。彼女達の反応を見るに、ユウキの暴走は今に始まったことではないらしいが、ユウキと付き合いの短いイタチにもそれは容易に想像できた。

 

「ハ、ハハハ……まあ、たまにはこんなこともある、かな?」

 

「たまにじゃないだろ!しょっちゅうだろう!」

 

「ギルドリーダーなんですから、もっとしっかりしてくださいよ」

 

「まあまあ。ユウキのコレは、今に始まったことじゃないでしょ」

 

尚も失態を誤魔化そうとするユウキに対し、今度はジュンとタルケンが突っ込みを入れた。テッチはノリと同様に苦笑を浮かべながら二人を宥めていた。

ともあれ、このままでは埒が明かない。そう考えたイタチは、脱線していた話の流れを戻すことにした。

 

「皆、そろそろその辺にしたらどうだ?俺は未だに、依頼の内容を聞いていないんだがな……」

 

「そ、そうでした!すみません、イタチさん」

 

「いや、別に気にしていない。俺も俺で、こいつの無茶苦茶な性格にはそれなりに慣れているつもりだからな」

 

「ちょっとイタチ、それどういうことさ!?」

 

イタチの発言に対し、不本意とばかりにユウキが抗議の声を上げる。しかし、イタチは知ったことではないとばかりにスルーを決め込み、話を進めようとする。

 

「それより、俺を七人目と言っていたが……何かのクエストにパーティーを組んで挑もうとしている、ということで良いのか?」

 

「流したね……まあいいや。強ち、間違ってはいないね」

 

“強ち”間違っていないということは、イタチの予想は当たらずも遠からずという意味なのだろう。パーティーを組むことはまず間違いないとすれば、問題はこの七人で何をするかということになってくる。

イタチの内心を悟ったのか、ユウキは改めてイタチに向き直ると、上目遣いにイタチの赤い瞳を見ながら、――常の自由奔放なユウキからは考えられないような――やや遠慮がちでしおらし気な態度で口を開いた。

 

「あのね、イタチ。ボクたち、この層のボスモンスターを倒したいんだ。それも、ここに居るメンバーだけで!」

 

「…………」

 

ユウキが口にした依頼内容に対するイタチの反応は、沈黙だった。しかし、決して予想外の依頼だったというわけではないらしく、それほど長い間を置かずに再度口を開いた。

 

「一応確認しておくが、ボスモンスターというのは、フロアボスのことで間違いないか?」

 

「うん!」

 

「成程、な……」

 

ユウキに対し、それだけ確認したイタチは、椅子に座って腕を組み、一息吐くのだった。相変わらずの無表情で、傍から見ただけでは何を考えているのか分からない。しかし、話の流れから、ユウキの依頼であるフロアボス攻略の可否について思考を走らせていることは予想ができた。そんなイタチに対し、シウネーが恐る恐る尋ねた。

 

「あの……イタチさん」

 

「何だ?」

 

「イタチさんは、私達の依頼について、出来る筈が無いとは、考えていないんでしょうか?」

 

「結論から言えば、難しいだろうな」

 

イタチから発せられた率直な意見に、ユウキをはじめとした全員が沈んだような表情を浮かべた。フロアボス討伐の難しさは、この場に居る誰もが分かっていたのだ。

 

「新生アインクラッドのフロアボスの強さは、一般的なボスモンスターとは比較にならない程に高い。HPも不可視化されている上、ウィークポイントも変更されている。フルレイドで挑んだとしても攻略は困難だ」

 

ALOに実装化するに当たり、新生アインクラッドの各階層を守護するフロアボスは、SAO時代のものから大幅な強化を施されていた。SAOにおいて一度はクリアされたボスである以上、同仕様で実装化しないのは当然と言えば当然なのだが、その強化の度合いは明らかに桁外れなものだった。

直撃すれば即死も免れない通常攻撃に、パーティー一つを一撃で全滅させる特殊攻撃を繰り出す攻撃力。通常攻撃はおろか、魔法やソードスキルも簡単には通さない鉄壁の防御力。そして、先程イタチが口にしていた、HPゲージが不可視なことにより、行動パターンが変化するタイミングを計れない予測不可能性。止めに大ダメージを与えられるウィークポイントや一部能力、初期の行動パターンまで変更されているのだ。SAO生還者の知識はもはや当てにはできず、プレイヤー達は地道に攻略方法を模索していく必要がある。故に、新生アインクラッドのフロアボス攻略は、ALOの上級者向けのエクストラステージという認識が定着しつつあったのだった。

 

「挑戦したフルレイドが全滅することなど日常茶飯事なボスを相手にするのだから、たった一パーティーの七人で攻略するのは、困難を極めるのは言うまでも無いことだろう」

 

「……やっぱりそう思いますよね。けれど、これまでにフロアボス攻略した方の中には、たった一人でフロアボス攻略を成し遂げたという人がいるという話を聞きました。ですから、私達も、六人でもできるのでは考えて挑戦したのですけど……」

 

「けど、やっぱり現実は甘くなかったんだよね。六人全員、結構頑張ったけど……どうしても駄目だった」

 

ハハハ、と過去の失敗について語りながら苦笑するユウキとシウネー。他の四人も、相当に手痛い損害を被ったことを思い出したのだろう。一様に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。

 

「それにしても、フロアボスをソロで倒したってソイツ、何者なんだろうな?」

 

「確か、ノームの男性プレイヤーで、体術スキルの使い手って聞いているけど……」

 

「しかも、籠手や脛当ての装備無しで、素手と素足で戦っているって噂もあるね」

 

「流石にそれは無いでしょう。フロアボスをソロで倒したというだけでも常識外れだというのに、その上文字通りの丸腰で挑んだなど……いくら何でも、あり得ませんよ」

 

先程までの、一パーティーでフロアボスを攻略するという依頼の話はどこへやら。この場にはいない、フロアボスをソロ攻略した顔も知らないプレイヤーの話で盛り上がり始めるスリーピング・ナイツのメンバー達。

 

「フロアボスを体術スキルだけで倒したことから、絶対無敵の拳技の使い手、略して『絶拳』っていう二つ名が付いたって話もあるぜ」

 

「ノーム領の方では、サラマンダー領のユージーン将軍と対を成す存在として『拳豪将軍』とも呼ばれているみたいだね」

 

「それから、ウンディーネのディアベル将軍と、スプリガンの『スタンダップマジックの貴公子』の二つ名を持つノーブル・ユラマと声がそっくりだとか!」

 

「GGOの有名スコードロンで『亡霊兵士』の異名で知られるタツユキっていうプレイヤーとも声が似ているっていう話も聞いたことがあります」

 

次々と出て来る、フロアボスをソロ攻略したプレイヤーの噂の数々。『絶拳』や『拳豪将軍』等の異名はまだしも、何故かALOはおろかGGOの有名プレイヤーの名前まで、声が似ているという理由だけで出て来るのは、どういうわけなのか。そして、そんなカオスな会話が繰り広げられる中、イタチは……

 

「あれ?どうしたのイタチ、急に黙り込んじゃって」

 

「…………いや、何でもない」

 

皆の会話を聞く中、ただ只管、何故か一人沈黙を貫いていたのだった。「何でもない」と言っていたが、その表情は何故かばつが悪そうにしているようにも見えた。その理由についてユウキは、盛り上がる会話の中で一人孤立してしまったことによる反応なのだろうと考え、話を元に戻すことにした。

 

「話を戻すけど、今は目の前のフロアボスの攻略だよ!それでイタチ。改めて確認するけど、どうにかならないかな?」

 

「前例があるとはいえ……ソロでもクリアできたのだから、パーティーを組めばもっと簡単にクリアできるという考えは、安直過ぎる考えとしか言えないな」

 

「私達も、どれだけ難しいことをやろうとしているかは、分かっているつもりです。しかし、私達はどうしてもそれを、ここにいるメンバーの力だけで成し遂げたいんです。どうか、協力してくれませんでしょうか?」

 

真剣な眼差しを向けながら嘆願するシウネーとユウキ。そのやりとりの行く末を、スリーピング・ナイツのメンバーは皆、固唾を呑んで見守っていた。そして、二人の嘆願に対するイタチの答えは――――――。

 

「承知した」

 

そんな、相変わらず何を考えているかも分からない無表情のままあっさりと告げられたイタチの“了承”という名の返答に、先程までのシウネーの真剣な表情が、きょとんとした表情に変わってしまった。

 

「えっと……本当に、依頼を受けていただけるんでしょうか?」

 

「そちらが持ちかけてきた依頼だろう。俺が受けなければ、困るんじゃないのか?」

 

「で、でも!さっきはやたらと難しい難しいって言ってたじゃないか!?」

 

明らかにその反応はおかしいだろう、と訴えかけるジュンだが、他の五人も似たような反応を示していた。先程までの会話の中で、イタチはALO版アインクラッドにおけるフロアボスの強さについて、これ以上無いと言わんばかりに強調していたのだ。こうも簡単に依頼を了承されるとは、その場にいる誰もが思ってはおらず、戸惑いを浮かべるのは無理からぬ話だった。

 

「確かに困難なことには違いないが、それと依頼を断るのとは別の話だ。依頼を受けた以上は、全力をもってそれを達成するために動くのみだ」

 

「その……お心遣いは嬉しいのですが、しかしそれでは、不可能を承知で私達と共に戦う、ということなのでしょうか?」

 

イタチを見るタルケンをはじめ、スリーピング・ナイツのメンバーの一部の目に不信の色が浮かび始めた。先程までのやりとりの中で、イタチはフロアボスを七人で攻略することは非常に困難であると口にしていた。そのような結論に至りながら、件の依頼を受けると言われれば、そのモチベーションを疑うのは当然のことである。

確かに、スリーピング・ナイツの目標は、傍から聞けば笑われても仕方の無いような、途方も無いものである。しかし、当人達は不可能を承知の上で、それでも真剣に挑もうとしているのだ。義務や義理で、初めから不可能だと内心で諦めているような人間を仲間に加えることには、些か抵抗がある。

 

「あたし達のやろうとしていることは、無理だとか、馬鹿げているとか、今まで散々言われてきたよ。けどさ……それでも、本気でやり遂げたいって思ってんだよ。冷やかしや同情で仲間になるって言うなら、悪いけどこの話は無かったことにしてくれないかな?」

 

「ちょっと、ノリ!」

 

そんなメンバーの内心を、歯に衣着せぬ物言いではっきりと述べたのは、ノリだった。いくら何でも言い過ぎであると、シウネーが言動を咎めるものの、イタチに対する非友好的な視線は変わらない。

そして、一連のやりとりによって、その場には剣呑な空気が満ち始めていた。このままスリーピング・ナイツのメンバーの大部分がイタチを敵視しようものならば、依頼などできる筈もない。イタチを加えたパーティーによるボス攻略は、計画段階で頓挫してしまうのかと、シウネーが不安を覚えていた。だが、そんな中、

 

「皆、落ち着いて」

 

剣呑な空気を纏っていた一同を宥めるために、ユウキが動いた。スリーピング・ナイツのメンバーとイタチとの間に割って入る形となったユウキは、互いに話し合いをするよう促した。

 

「ジュンとタルケン、ノリの言いたいことは尤もだよ。イタチの言葉を聞けば、確かにボク達に対する冷やかしで依頼を受けるって言っているようにも聞こえる」

 

内心は同じ気持ちを抱いているというユウキの言葉によって、ヒートアップを始めていた三人は、が落ち着きを取り戻し始める。それを確認したユウキは、「けどね」と付け足し、再び口を開いた。

 

「イタチは、ボク達がやろうとしていることを無茶だとも馬鹿げているとも言っていないよ。それに、確かに“難しい”とは言っているけど、“不可能”だとは言っていないよ」

 

「ユウキ、それはもしや…………」

 

ユウキが何を言おうとしているのかを察したシウネーは、半ば信じられないといった表情のまま、ユウキの顔を見つめた。対するユウキは、自身に満ちた笑みを浮かべて頷くと、その真意を話し始めた。

 

「イタチは既に、ボク達の依頼を成功させるための作戦を考え付いている。だからこそ、ボク達の覚悟を確認するために、あんなことを言ってきていたんだよ。そうだよね、イタチ?」

 

得意気な表情でそう問い掛けてくるユウキに対し、イタチは静かに首肯した。

 

「確かにフロアボス攻略は多大な困難が付き物で、本来ならば立った七人で挑むようなものではない。だが、やり方次第では七人の一パーティーでも、成し遂げることは不可能というわけではない」

 

感情を顔に出さず、淡々とそう告げたイタチの言葉に対し、それまでの剣呑な空気を纏っていた面々は一転、その表情を驚愕に染めた。

 

「ほ、本当に、フロアボスを攻略……できるの?」

 

「ああ」

 

震えた声で信じられないとばかりに発されたテッチの言葉。対するイタチは、やはり何でもないと言わんばかりの態度で再度頷いた。

 

「理屈から言えば、かなりの極論ではあるが、七人だけでもフロアボス攻略はできる。尤も、アイテムも時間も相当に消費する上、薄氷を渡るような危険で難しい作戦になることは間違いないがな。恐らくお前達が想像している以上に厳しい戦いになるだろう。もう一度聞くが、それを覚悟の上で、挑戦するつもりなんだな?」

 

表情こそ変えずに、しかし真剣さが明確に増した視線と声色をもって投げかけられた、イタチからの再度の問い掛け。それと同時にイタチが発した威圧感によって場の空気は一気に重くなり、先程までのイタチを糾弾していた姿勢はどこへやら。誰もが硬直して動けなくなってしまった。イタチは問い掛けると同時に、試しているのだ。フロアボスを倒すための作戦が、如何に困難で不可能に等しいものだったとしても、付いて来る覚悟があるのかを――――

 

『………………』

 

イタチの言葉に気圧され、内心の覚悟とは無関係に口を開けなくなったスリーピング・ナイツの面々。そんな中で一番先に動き出し、皆の言葉を代弁したのは、他でもない、リーダーのユウキだった。

 

「構わないよ。イタチの実力は、エクスキャリバー攻略クエストに同行していたボクがよく分かってる。だからボクは、イタチの考えた作戦に従う。ボク達の夢を叶えるための道筋は全部、君に任せるよ!」

 

威勢よく放ったユウキのその言葉を皮切りに、他の五人も無言のままながら深く頷いた。初対面で、依頼を受けるに当たって相手のことをこのような形で試そうとする人間を信用しようとするのは、偏にユウキが信頼を置いていることが大きいのだろう。向こう見ずで勢いばかりで突っ走る傾向の強いユウキだが、皆を励まし、動かすための人望と牽引力を兼ね備えた、リーダーに相応しい人間であるのだと、イタチは再認識していた。

 

「とりあえず、攻略をやるにしても、装備やアイテムをはじめ、攻略時の連携等も含めた準備が色々と必要だ。だが、ここ最近は大手攻略ギルドが活発に迷宮区で動いていると聞いている。時間も無い以上、各人の実力の確認や連携に費やす時間は最小限に止め……初見クリアのプランで行く」

 

「初見クリアって……そ、そんなことができるの?」

 

「結論だけ言えば、不可能ではない。どれだけ困難なのかは度外視しての結論だがな。それに、フロアボスを七人で攻略すること自体に多大な困難が伴うのだから、無茶は今更だろう」

 

イタチの口にする、無茶苦茶なようで正論な意見に、ユウキを除くスリーピング・ナイツのメンバー五人は一様に顔を引き攣らせる。七人だけでのフロアボス攻略も大概だが、イタチはさらにその上を行く方針を打ち出してきたのだから、無理も無い。

 

「やっぱり、イタチは考えることが違うなぁ……けど、面白そうだね、それ!」

 

「いやユウキ、面白いってお前……意味分かってるのか?無茶苦茶だぞ?」

 

イタチの作戦を正しく理解しているようには思えないユウキの発言に、ジュンが他のメンバーを代表して突っ込みを入れる。しかしその一方で、ユウキが何故イタチを連れてきたのか、密かに得心していた。

 

「とにかく、攻略の方針はこれで決定だ。作戦立案と指揮は俺が行うということで良いな?」

 

「うん、ボクは問題無いよ!」

 

「私も賛成です」

 

ユウキ、シウネーに続き、スリーピング・ナイツのメンバー全員が賛成の意を示し、イタチがフロアボス攻略の指揮を握ることが決定する。最初に決めるべき指揮権の所在を明らかにしたイタチは、早速攻略へ向けた今後の動きについて切り出す。

 

「フロアボス攻略は、早急に行う。できれば三日後……いや、明後日だ。全員の装備と実力を確認し、必要なアイテムの補給を完了させ次第、すぐに向かう」

 

「ちょっと待ってください!フロアボスを攻略するのですから、もっと綿密な作戦を立てるべきでは!?」

 

「できることならば俺もそうしたいが、今回は時間が無い。それに、アインクラッドのフロアボスは、SAO時代のものとはステータスも行動パターンも異なる。初見でクリアするならば、作戦は戦闘中に適宜立案する他に無い」

 

タルケンの慎重を期して攻略に臨むべきである意見に対し、尤もであると認めつつも、時間の関係からこれを却下するイタチ。

 

「今回、フロアボス攻略前に俺達が優先的にすべきことは、戦力の確認と補給のみだ。作戦については、戦力の確認時に最低限の連携は考案しておく」

 

スリーピング・ナイツより依頼を受け、SAO時代に攻略の鬼として知られた『閃光のアスナ』もかくやというオーラを発しながら、凄まじい速度でみるみる計画を立てていくイタチ。他のメンバーが口を挟む余地すら無いままに、攻略の計画が凄まじい速度で立てられていく。

イタチが口頭で説明した計画は、その場で考えてまとめたものとは思えない程に、非常に繊細な思慮が巡らされていた。補給するアイテム然り、準備すべき装備然り。そして、攻略時に状況に応じて打ち出すとされていた作戦についても、簡単ながらイタチがその場で考えたという大まかな案もいくつか説明された。その全てが、あらゆる状況を想定した繊細さを感じさせるものだった。

性急な攻略方針に不安を覚えていたメンバーが大多数だったが、イタチの説明を聞いている内に、自分達でも可能になるのではと思えてしまう程だった。そして、説明を聞いていく内に、ユウキを除くメンバー全員がイタチに対して僅かながら内心に残していた不信感が、信頼に変わっていくようだった。

 

「以上が俺の立てた作戦だ。異論のある者はいるか?」

 

一通りの攻略に向けた方針説明を終えたイタチから発せられた質問に、しかしパーティーメンバー六人は一様に首を横に振った。どうやら、イタチの立てた計画に反対する者はいないらしい。

 

「では、明日は一時にこの宿屋に集合。フィールドへ出て、各人の実力と連携を確認していく。以上、解散だ」

 

その言葉を皮切りに、イタチを含めたその場に集まったメンバーはそれぞれ別々の行動を取る。ある者はログアウトし、ある者はフィールドに狩りに出かけ、またある者は他の階層へ行くために転移門を目指すのだった。

そしてそんな中…………

 

「全くもう!イタチは何であんな誤解を招くような言い方しかできないのさ!」

 

「悪かったな」

 

イタチとユウキは連れ立って宿の外へ出て、ロンバールの街を歩いていた。

イタチと二人並んで歩くユウキが怒っているのは、先程のメンバーとの顔合わせ兼攻略会議におけるイタチの態度についてだった。

ユウキにとって、イタチが他者とコミュニケーションを取ることに消極的なことは、大きな不安要素だった。そして今回、それが予想通りの形で的中してしまい、一時は一触即発の雰囲気となってしまったのだ。ユウキがイタチの性格をある程度知っていたお陰でその場は収まったが、ユウキとしては文句の一つも言わなければ気が済まなかった。

 

「アスナやリーファが苦労しているのがよく分かったよ。もっと皆と仲良くやっていけるように努力しないと駄目だよ?」

 

「善処する」

 

「ホントに分かってるのかなぁ……」

 

ジト目で睨むユウキに対し、しかしイタチの表情は変化せず、きちんと理解してくれたのかは微妙なところだった。

 

「ハァ……もう良いや。けど、イタチがフロアボス攻略に協力してくれるお陰で、ボク達の念願も、ようやく形になりそうだよ。本当に、ありがとう」

 

「気にするな。約束だからな」

 

ユウキの申し訳なさを含んだ感謝の言葉に、イタチは淡々と返すのみだった。ユウキをはじめとしたスリーピング・ナイツが依頼したクエストは、普通のプレイヤーならば間違いなく匙を投げていたものである。

それを無理だと否定することも、文句すら言わずに引き受けてくれたイタチには、ユウキとしては感謝してもしきれない。それは、他のスリーピング・ナイツのメンバーも同様だろう。

 

「如何に難しいといっても、敵はフロアボス一体のみだ。十体以上のボスを補給無しで続けざまに倒したエクスキャリバー獲得クエストに比べれば、いくらでもやりようはある」

 

「まあ……あのクエストと比べるのもどうかと思うけどね」

 

「それに、自分達が“生きた証”を残したいという気持ちは、俺もある程度理解できるつもりだからな」

 

イタチが何気なく口にしたその言葉に、ぎょっと目を見開くユウキ。『証』と言うならば、アインクラッドのフロアボス攻略を成し遂げたレイドのパーティーリーダーの名前が刻まれる『剣士の碑』が浮かぶ。だが、『“生きた”証』となれば、ユウキ達にとっての意味合いはそれだけに止まらない。

 

「イタチ、もしかして……」

 

「依頼人の事情に深入りするつもりは無い。俺は受けた依頼を全力で完遂するだけだ。何より、ユウキからは既に報酬を受け取っているからな。依頼は必ず果たす」

 

不安そうな声でその言葉の真意を尋ねようとするユウキに対し、しかしイタチは背中に吊ったエクスキャリバーを指差し、依頼を必ず達成することを改めて誓うのみだった。

 

「……うん!イタチと一緒ならきっと、できるよ!」

 

そんな姿に、ユウキは笑顔で答えるのだった。恐らく、イタチはユウキ達の隠された事情をある程度察している。しかし、それを承知しながらも、敢えてその事情に触れようとはしなかった。もしかしたら、今回のクエストを引き受けてくれたもの、それを察していたからなのかもしれない。

 

(イタチ、ありがとう)

 

その隠された内心は、イタチ本人のみぞ知るところだったが、ユウキはイタチに内心で感謝していた。誰にも言えない自分達の事情を知りながらも、蔑むことも、憐れむこともせず、普通に接してくれる、その優しさに…………

 

 

 

 

 

 

七人で行われたフロアボス攻略会議を終わらせ、ユウキと街をしばらく歩いた後で別れ、イタチはALOからログアウトした。そしてその意識は、現実世界の自室のベッドに横たわっている和人の身体へと戻っていた。

ゆっくりと目を開いた和人の視界に入ったのは、一面の暗闇。VRゲームをプレイする間は、省エネルギー化のために部屋の電灯は切っているのだ。暗闇の中、首を動かして棚に置かれたデジタル時計に視線を向け、時刻を確認する。

 

(十一時、か……)

 

ユウキに呼び出され、ALOにダイブしたのは夜中の九時過ぎのことだった。イグドラシル・シティからアインクラッドへ移動し、スリーピング・ナイツとのフロアボス攻略会議を行い、二時間も経過していたらしい。明日も学校がある以上、このまま寝た方が良さそうだ。そう考えた和人は、アミュスフィアを外してウォールラックへと戻した。

そしていざ寝ようとした……その時のことだった。

 

「――――――」

 

「――――!」

 

 

和人の耳が、部屋の外……階下の廊下、もしくは玄関のあたりから響く話し声を捉えた。和人の部屋にまで響いてきたのだから、それなりに大きな声で話しているようだった。

 

(む……騒々しいな。この時間帯に、一体どうしたんだ?)

 

夜中の十一時ともなれば、桐ケ谷家の住人は基本的に全員自室に戻って就寝している時間帯である。和人のように自室でゲームをしていることもあるだろうが、居間や廊下で話をするようなことはまず無い。一先ず、誰が何を話しているのかを確認すべく、聞き耳を立てた。

 

「だから――――です」

 

「あの子が来るなら――――」

 

(……母さんと……聞き慣れない声だな)

 

話をしている人間の一人は、和人と直葉の母親である翠のものだが、もう一人の声に記憶が無い。女性の声であることは間違いないのだが、一体、誰なのだろうと考えを巡らせる和人。話の内容については断片的にしか聞き取れないが、翠と話している相手は若干取り乱して興奮している様子だった。

 

(……少し、様子を見に行くか)

 

話し声が次第に大きくなっており、翠の相手の女性が相当ヒートアップしていることは分かったので、話の内容を把握するよりも先に、階下へ移動することにした。ベッドから起き上がった和人は、部屋の扉を開けて直葉と詩乃が寝ている部屋を通り、階段を目指す。

 

「いや、何度も言いますが……本当にウチには来ていませんから……」

 

「しかし、あの子とあなたの家の子が親しい間柄なのは……」

 

階段へ近づくごとに聞こえる話し声の大きさに比例して、和人は厄介事の気配を強く感じていた。しかしながら、今更後に退くことはできない。心中で溜息を吐きながらも、和人は意を決して階下へ降りることにした。

そして、階段の中心のあたりに差し掛かったところで、階下からすぐそこの場所、桐ケ谷家の母屋の玄関に、件の言い争いをしている人物の一人を確認した。片方は予想通り、母親の翠。そして、玄関に立つもう一人の女性の姿を確認しようと、さらに階段を降りようとしたその時――――

 

「本当に、ウチの子は……明日奈は本当にここに来ていないんですか!?」

 

「!!」

 

思いがけない言葉を聞いた。驚きに若干目を見開いた和人は、先程よりやや速足で残りの階段を降り切った。そして、翠と向かい合う形で玄関に立つ女性の姿を改めて確認する。

 

「あなたっ!」

 

「あなたは――――!」

 

和人とその女性、互いに姿を確認すると同時に交錯する視線。翠を挟んで玄関に立っていた、長身痩躯の体形に、ダークブラウンに染められた髪を肩上まで伸ばした、冷厳な面立ちをその女性に、和人は見覚えがあった。

対する女性は、和人を視認するや、先程まで言い争っていた翠から一転して和人の方へ向き直ると、刺し貫くような鋭い視線と共にこう告げた。

 

「桐ケ谷和人君ね。あなたが明日奈をここに匿っているのは分かっているわ。すぐにあの子を……娘をここに連れてきなさい!」

 

これが、夜遅く桐ケ谷家を訪れた彼女――――明日奈の母親である結城京子と、和人との初めての対面だった。

 



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第百八話 雨に打たれた地図

和人ことイタチが、ユウキがリーダーを務めるギルド、スリーピング・ナイツの面々と対面を果たしていた時間帯より遡ること、四時間程のこと。

その日、アスナはALOへ久方ぶりにログインしていた。年末年始に両親に連れられて向かった京都の実家にある部屋は、無線ランすら飛んでいない場所であり、滞在中のALOへのログインは一切叶わなかったのだ。加えて、現地では親戚筋をはじめとして関係各所へ挨拶回りをさせられ、四六時中拘束状態だったと言っても過言ではなかった。そんな窮屈な状態から解放されたことで、アスナはいつも以上に羽目を外してプレイをしていた。その結果が、半日近くの長時間に亘るフルダイブだった。

昼食後、早々にALOへログインした後は、現地でたまたま出会ったSAO以来の旧知の間柄であるキヨマロやギンタ、ヨシモリといった面々と即席のパーティーを作ってフィールドで狩りを行った。夕方には、アインクラッドのイタチが皆の共有スペースとして購入したログハウスにて、リズベットやシリカといった面々と勉強会を開いていた。自分を憐れみの目で見ることのない、気心の知れた仲間達と過ごすそんな時間は、京都にて重圧に晒されて疲弊していたアスナの精神に、安らぎと温かさを与えていた。

そして、そんな楽しい時間を過ごしていれば、時間の流れを忘れてしまうのは、無理も無い話だった。

 

「いけない!ごめん皆、先に落ちるわ!」

 

気が付いた時には、時刻は六時二十五分を過ぎようとしていた。アスナの家の夕食の時間は六時半と決まっており、一分でも遅れれば、時間に厳しい母親からの叱責が飛ぶ。猶予は無いと判断したアスナは、勉強会を開いていた仲間達に別れを告げると、即座にログアウトした。

現実世界の自室へと戻ったアスナもとい明日奈は、素早く起き上がるとクローゼットへ移動してすぐさま着替えを終えて身だしなみを整える。二分と掛けずに支度を終えて部屋を出ると、自室のある二階から一階へと移動。途中、ハウスキーパーの佐田明代と一言二言交わしてダイニングルームへと向かい……その扉を開いた。

 

「遅いわよ」

 

それが、先に夕食の席に着いていた母親から、開口一番に告げられた言葉だった。

 

「五分前にはテーブルに着くようにしなさい」

 

「……ごめんなさい」

 

痩身長躯な体格に、厳格で冷たい印象を強く感じさせる顔立ちで放たれた叱責に、明日奈は委縮してしまった。家族の中では、明日奈どころか兄の浩一郎、父の彰三すらも、京子の前では強気に出られず……対立を避ける傾向にある。

この有無を言わせない威圧的で鋭い攻撃的な態度は、家庭内だけの話ではない。職場である大学の経済学部においても、この抜身の刃のように鋭く、冷酷な舌鋒は健在であり、対立する者達を次々蹴落とし、遂には昨年四十九歳にして教授の座を得るに至ったのだった。

 

「…………」

 

そんな京子を前にしては、明日奈も迂闊に意見を言うこともできない。ただ只管、沈黙を貫き、自宅とは思えない程に緊張に満ちた夕食の時間が過ぎるのを待つのみなのだ。

 

「……またあの機械を使ってたの?」

 

だが、何事も無く終わって欲しいという明日奈の願いは、京子の非難にも似た声色で放たれた言葉によって、潰えることとなった。

 

「……うん。みんなと宿題する約束があったから」

 

「そんなの、ちゃんと自分の手でやらないと勉強にならないわ」

 

しかも、会話の皮切りとなった話題は、よりにもよって京子があまり良い印象を持っていないVRマシンのアミュスフィアである。表情にこそ出さなかったが、明日奈は内心でびくびくしていた。この手の話になると、京子の口からは明日奈に対して否定的な意見しか出て来ないからだ。

 

「みんな、住んでる場所が遠いの。あっちでなら、すぐに会えるのよ」

 

「あんな機械使っても会ってることにはならないわよ。だいたい、宿題なんて一人でやるものです。友達と一緒じゃ遊んじゃうだけだわ」

 

果たして明日奈の予想は違わず、京子は高圧的な姿勢で有無を言わさず捲し立てていく。対する明日奈は、反論の余地等ほとんど無いに等しい状態で追い詰められている状態だった。

 

「いい、あなたには遊んでる余裕なんてないのよ。他の子より二年も遅れたんだから、二年分余計に勉強するのは当たり前でしょう?あんな施設の子達と歩調を合わせている内は、後れを取り戻すことなんてできないわ」

 

「……勉強はちゃんとしてるわ。成績も悪くない筈よ。それに、あんな施設って……めだかさんやまん太君、ララさんだって通っている学校なのよ?そんな言い方は……」

 

「余所は余所、うちはうちです。それに、あの子達は元々の出来が他の子とは違います。あんな学校とは言えない、いい加減なカリキュラムに寄せ集めの教師で成り立っている施設が出している成績なんて当てにならないし、あなたのためにはならないわ」

 

「そ……そんな言い方……」

 

「事件に巻き込まれて教育が遅れた子供達のための学校なんていう体のいいことを言って作られたけれど、あの学校……施設の本当の目的は、事件の影響を受けて将来問題を起こすかもしれない、危険因子となり得る子供達を収容して、監視・矯正することなのよ。あなたまで、そんな施設に居る必要は無いわ」

 

「…………」

 

京子による明日奈達SAO帰還者の通う学校に対する一方的かつ批判的な意見は、一向に止む気配を見せず、それどころか強くなるばかりだった。確かに、京子の言うように、老若男女を問わずSAO事件の影響を受けている人間は多く、特に成長段階の未成年の学生にはその影響が顕著に出やすいことは事実である。SAO帰還者の学校も、そのような影響を緩和するための矯正施設としての面を少なからず持っていることも間違いではない。

しかし、そのような様々な思惑が絡み合って作られた学校ではあっても、明日奈をはじめSAO帰還者達はそこに自分達の居場所を見出しているのだ。京子が寄せ集めと称した教師たちは、いずれも志願して赴任した教師であり、問題児と呼ばれる生徒の相手もかなり慣れており、生徒達と向き合うことに非常に意欲的である。教育カリキュラムについても、デビルーク王国の王女であるララを筆頭に、めだかやまん太といった名家の生徒を受け入れるために、徹底的に見直されていたという話を聞いている。何より、SAO事件を経験したという過去を共有している、気心の知れた仲間達と過ごすことができる場所でもあるのだ。あの年末年始の挨拶回りで受けた同情的な視線も、異物を見るような奇異の視線も向けられることの無い、ありのままの自分でいられる学校という場所を、母親の言いつけというだけで明日奈は手放したくなかった。

だが、そんな明日奈の心中の訴えも、京子の前では言葉にすることもできなかった。それに、仮に声に出して言うことができたとしても、その思いを伝えることは非常に難しかった。そんな明日奈の意見などお構いなしに、京子は明日奈へある書類を手渡した。

 

「あなたにはもっと相応しい学び舎があるわ。お母さんの友達が理事をしてる高校の、三年次への編入試験の話は既に付けておいたから、四月からはこの高校に通いなさい。来週中には必要事項を記入して、三通プリントして書斎のデスクに置いておいてちょうだい。それから……」

 

「ちょ、ちょっとまって!編入試験って……私は今の学校をやめるつもりなんて……!」

 

「いけません。あなたが生まれ持った能力を引き出すために、お母さんとお父さんがどれだけ心を砕いてきたか、あなたも分かっている筈よ。それが、あんな訳の分からないゲームのせいで、二年間も無駄な時間を過ごす羽目になった。後れを取り戻すのは勿論、あなたの今後を考えるなら、早急に手を打って、今以上の努力をしていく必要があるわ。そうすれば、あなたもこれから、輝かしいキャリアを築いていけるわ」

 

何の前触れも無く、明日奈が受けることを前提として、編入試験の話を進める京子には、当人である明日奈の意思を確認する意思は皆無に等しい。加えて言えば、京子は明日奈の将来を心配していると口にしているが、本当に心配しているのは、京子本人のキャリアである――少なくとも、明日奈にはそう思えた。

京子にとってのキャリアとは、学歴や職歴、現在の地位、結婚相手、子供に至るまで京子の人生に関わるもの全てなのだ。そしてその中には、娘である明日奈も含まれている。故に京子が明日奈に対して望むのは、自分と同じように名門校を卒業し、優秀な人間が歩む、俗に言うエリートコース、出世コースへ進むことにある。その計画が、SAO事件の影響で台無しになったと考え、編入の話を持ち出して軌道修正を掛けようとしているのだ。

無論、京子の中では、自分自身のキャリアだけでなく、明日奈の将来を心配していることは間違いないだろう。しかし、何の説明も無く、同意も得ないままに話を強引に進めるやり方は、当人である明日奈には受け入れられる筈も無い。

 

「……先天的な才能なんて無いわ。自分の生き方を最終的に決めるのは、自分自身よ。私は私なりに、あの学校の中でやりたいことを探して、それを叶えるための努力もしっかりしているつもりよ。それにいつもキャリアキャリアって……それじゃあ何?お正月に本家で引き合わされた彼は、私と既に婚約したみたいな口調だったけど……進路だけじゃなくて、結婚相手までお母さんが決めなきゃ気が済まないの?」

 

「結婚もキャリアの一部よ。経済的に不自由を強いられる可能性のある相手と一緒になってしまったら、将来困るのは他でもないあなたよ。その点、裕也君なら申し分ないわ。一族経営の地銀に務めているから安定しているし、お母さんは素直ないい子で気に入っているわ」

 

京都滞在の最終日の夜に、母屋の奥まった部屋で、二つ年上の大学生の青年と二人きりにさせられたことについて、明日奈は非難の視線を向けながら抗議を口にするが、当の京子は全く動じた様子が無かった。

本家の銀行の取締役の家系にあるというこの青年は、明日奈と二人きりにされた際に、自身の専攻学科や就職先等をはじめ、将来の出世コースについて終始にこやかに話し続けていたのだ。まるで、婚約を前提とした見合いの席のような空気に置かれ、話を聞かされていた明日奈は、表面上は取り繕っていたが、内心では大いに頭を抱えていた。この青年には何の罪も無いが、このような即席の見合いの席を仕組まれた明日奈としては、たまったものではない。

何より、結婚相手を親に勝手に決められるような真似をされたことに、明日奈はひどい嫌悪を抱いていた。故に、この時ばかりは苛立ちを露に内心を口にしてしまった。

 

「……何も反省していないのね。あんな事件を起こして、私と大勢の人たちを苦しめて、レクトの経営を危うくしただけでなく…………和人君を殺そうとしたのは、お母さんが選んだ須郷伸之なのよ」

 

「やめてちょうだい」

 

だが、その名前に不快感を覚えたのは、明日奈だけではなかったらしい。京子もまた、苦虫を噛み潰したかのように盛大に顔を顰めて首を横に振った。

 

「あの人の話は聞きたくもないわ。だいたい、あの人を養子にしようなんて言い出したのは、お父さんの方ですよ。人を見る目が無いのよ、昔から。それに比べて、裕也君なら安心だわ」

 

京子の言うように、確かに彰三はレクト・プログレスのCEO時代から周囲の人間に関して、その内面に対する思慮に欠ける一面があったことは事実である。しかし、須郷伸之との婚約未遂に至った件については、夫である彰三一人に責任には止まらない。当時ALO事件に巻き込まれて意識の無かった明日奈と須郷の婚約は、両親である京子と彰三の同意によって成立したものである。故に、どちらが先に話を持ち出したにしても、人を見る目が無かったのは京子も同様であり、客観的に見れば棚上げできる問題ではないのだ。

しかし、須郷の名前を出すのは明日奈自身も本心では相当嫌だったのだろう。それ以上京子の落ち度について言及することはやめた。

 

「……ともかく、あの人とお付き合いするつもりは無いわよ。相手は自分で選ぶわ」

 

「いいわよ。あなたに相応しい、立派な人なら誰でも。けど、あんな施設の子は含まれませんからね。それからもう一つ」

 

めだかやまん太、ララといった名家の子供達も通っているにも関わらず、帰還者学校の生徒全員の人間性を否定する物言いに憤慨する明日奈。だが、京子が次に一呼吸置いて放った言葉は、完全に予想外なものだった。

 

「桐ケ谷和人君といったからしらね。あの子だけは、絶対にやめておきなさい」

 

「…………!」

 

京子の口から聞かされた、自身の思い人――和人の名前に、明日奈は衝撃を受け、ナイフを握っていた手を滑らせてしまった。食器がぶつかる音が部屋に響き、ダイニングが静寂に包まれる。驚愕に目を見開いた明日奈は、小刻みに震えながら顔を上げる。視線の先の席に座る京子は、何でも無いように、しかしその目つきは先程より鋭くなっているようだった。

 

「まさか……調べたの?彼のこと……」

 

「ええ。あの施設のことを調べるついでに、あなたの周囲の子達についても、少しばかりね」

 

掠れた声で問い掛ける明日奈に対し、京子はあっさりと肯定した。実の娘とは言え、勝手に身辺調査をされたことに明日奈は先程に増して怒りを覚えるが、今はそれよりも重要なことがある。京子は先程、『桐ケ谷和人』と個人を名指ししたうえで、明日奈に相応しくないと否定したのだ。その真意を問わねばならない。

 

「……和人君のことについて調べたのなら、彼が事件前に通っていた中学についても知っているわよね?和人君は私と同じ中学に通っていた後輩で、しかも学年ではトップクラスの成績で、同学年の生徒や先生達からの信頼も厚かったわ。部活動ではトラブルを起こしたことになっているけど、あれは三年生の子達が彼に一方的に因縁をつけたことが原因で、完全に正当防衛よ。彼が何も弁明しないことを良いことに、学校側が勝手に彼を悪者に仕立て上げただけで、彼は何も悪くないわ」

 

「そうね。その辺りのことは、私も以前から少し聞いていたわ。それなりに優秀な生徒だったみたいだからね。まあ、彼もあんなおかしな事件に巻き込まれなければ、それなりに良い人生を送れたかもしれないわ」

 

加えて言えば、和人は現在の帰還者学校においても優秀な生徒として知られている。

勉強面では、同じ学校に通う生徒の中には、めだかやララをはじめ、SAOでは明日奈と同じく血盟騎士団に所属していた高峰清麿や桂木桂馬といった頭脳明晰な生徒達に埋もれがちだが、国内平均で見れば十分優秀な部類である。

スポーツに関しては言わずもがな。他の追随を許さない程に優れた運動神経を持ち、仮想世界におけるイタチに迫ると言っても過言ではない動きを見せる実力者なのだ。

人付き合いがあまり得意ではないのは相変わらずだが、それでもSAO事件を経て大分軟化しており、改善に向かっている。少なくとも、京子が名指しで明日奈の付き合う相手から除外される要素は無い筈である。

 

「けど、あなたとあの子が付き合うのを認めるのは別の問題よ。あの子と一緒になれば、あなたは必ず不幸になるわ」

 

「……どういうこと?」

 

和人のことを知りながら、明日奈との関係――実際に付き合っていないが――を認めないどころか、和人が明日奈を不幸にするという。母親の真意が読み取れず、問いを重ねる明日奈に対し、京子は遂にその核心を口にした。

 

「あなたも知っている筈よ。あの子……桐ケ谷和人君は、あのゲームの制作に携わったスタッフの一人だったの。つまり……あの子はあの事件を引き起こすのに加担した人間の一人ということなのよ」

 

それが、京子の真意だった。それを聞かされた明日奈は、母親の言動に衝撃を受けると同時に、自身の中に怒りが溢れ返りそうになるのを感じた。血が滲みそうになるくらいにナイフとフォークを握り締める手に力を込めることで、感情を何とか抑え込むことには成功したが、母親の言葉に納得できる筈が無い。怒りに声を震わせながらも、明日奈もまた対抗するように意見を唱えた。

 

「……和人君だって、あんな事件が起こるなんて想像もしていなかったわ。現に、彼だって私達と同じように巻き込まれた被害者の一人じゃない。彼を加害者のように扱うのは、どう考えても理不尽よ」

 

「実際にはそうかもしれないけど、世間はそうは受け止めない可能性の方が高いわ。彼があのゲームの制作に携わっていたことは変えようの無い事実なのよ。仮にあなた達が付き合うことになったとして……もしこのことが公になれば、あなたにまで累が及ぶことは間違いないでしょう?そんなリスクを背負ってまで一緒になる価値が、あの子にあるとは思えないわ」

 

「…………」

 

「いくら優秀で将来有望な才能を持っていたとしても、そういう事情を持っている子とは、関わり合いにならない方があなたのためよ。その手のレッテルは、個人に止まらないわ。親類縁者や友人に至るまで、関係のある人間全てを巻き沿いにする可能性が高い以上、今の内に関係を断つ方が賢明よ」

 

「………………」

 

「そもそも、あなたは勿論、黒神財閥の御令嬢や小山田グループの御曹司があんな学校にいること自体がおかしな話なのよ。矯正施設も同然の学校の生徒と関係を結んでも、何も良いことなんて無いわ。友達にしてもお付き合いする人にしても、あなたにはもっと相応しい相手がいるわ。あんな施設の、問題を抱えた子供達よりもね」

 

「……………………いで」

 

「あと、例の事件であの子があの人に拳銃で撃たれて大怪我をしたことに負い目を感じているなら、やめておきなさい。その件については事件後にお父さんがきちんと謝罪したし、怪我の治療費だって、うちが全額負担したのよ。だから、あの件は完全に手打ちになった筈よ」

 

「………………こと…………わないで」

 

「世間ではあの子のこと、事件を解決に導いた英雄扱いになっているけど、あのゲームを作ったのが彼なら、それをどうにかできるのも当然だわ。結局あの子は、自分が蒔いた種を自分で摘み取ったに過ぎないのよ。拳銃で撃たれた件にしても、警察の真似事をして、勝手に事件に首を突っ込んだことが原因じゃない。つまるところ、全部あの子の自業自得よ。そんな子と一緒にいれば、あなただっていつか――――」

 

 

 

「勝手なこと、言わないで!!」

 

 

 

凶器のように研ぎ澄まされた京子の口から間断無く語られていた、和人に対する容赦の無い評価と批評。しかしそれは、ガシャンという、銀食器をテーブルに叩き付ける音と共に放たれたのは、怒声によって遮られた。ダイニングルームを包んでいた静寂を引き裂いた当人である明日奈は食器をテーブルに叩き付けた勢いのまま立ち上がっていた。その目には、常の穏やかな彼女からは考えられないような、殺気すら感じさせる程の激しい怒りの感情を宿していた。

 

「何がレッテルよ!何が自業自得よ!和人君のことを碌に知りもしないで……勝手にレッテルを貼っているのは、お母さんの方じゃない!それに、和人君はSAOの制作に携わっていたことを……そのせいで、たくさんの人を不幸にしたことも、一日だって忘れたことは無かったわ!和人君が、どんな覚悟であの世界で戦って来たのか……どんな気持ちで今を生きているのか、お母さんに何が分かるのよ!!」

 

明日奈がSAOの中で見てきた和人ことイタチは、常に一人で戦い、常に危険な役目に回っていた。そこには、SAO事件の主犯である茅場晶彦の共犯として、ゲーム制作に手を貸してしまったことに対する罪悪感と、それ故に自身が攻略の最前線に立つ必要があるという責任感があったことは間違いない。だからこそ、明日奈をはじめ、仲間として手を差し伸べた者達を贖罪へ巻き込まないために拒絶し、汚名を被り続けていたのだ。

そんな、誰よりも危険を冒し、誰よりも辛い思いをして戦いに臨んできたイタチの全てを否定するかのような京子の誹謗中傷は、明日奈には何よりも耐えられなかった。

 

「…………明日奈……あなた……」

 

そして、明日奈の向かい側に座っていた京子は、先程までの舌鋒はどこへやら。いきなり怒声を放った明日奈の凄まじい剣幕を前に、驚愕のあまり思考が硬直している様子だった。

そんな京子を余所に、当の明日奈はまだ半分近く残っている夕食に目もくれず、怒りを露にしたままドアに向かう。そして、ドアを開いて部屋を去る間際、明日奈は呆然とした様子でテーブルの席に着いたままの京子に向き直り、軽蔑の視線と共に再度口を開いた。

 

「悲しいことよね。仮にも人にものを教えて導くことを仕事にしている筈の母さんが、キャリアだの家柄だのでしか人を見ることができないなんて。しかも、一方的にレッテルを貼って、その人の人格を否定して、可能性を閉ざそうとしている……とてもじゃないけど、教育者の……いいえ、人のすることとは思えないわ」

 

底冷えするような、苛立ちを露に放たれた言葉に、京子は呆然とするほかなかった。娘である明日奈が、母親である自分に対して、ここまで激しい反抗の意思を示すとは予想できなかったようだった。

そんな京子の心中をまるで気に留める様子も無く、明日奈はさらに言い募る。

 

「私にとって利益にならない和人君や学校の友達のことが気に食わないって言うけど……それは、母さんにとってのお祖父ちゃんとお祖母ちゃんのことも同じなんでしょうね。由緒ある名家じゃなくて、ただの農家に生まれたことを恥じているんでしょう?」

 

さらには、亡くなった祖父母に対して不満を抱いているなどという意見を口にしてきた。流石にこれは、許容できなかったのだろう。今度は京子がその顔を怒りに歪ませる番だった。

だが、機先を制した明日奈の方が先に口を開き、最後に言いたいことを口にした。

 

「この際だから私からも言わせてもらうわ。私も、母さんみたいな人の子供に生まれたことを、激しく恥じているわ」

 

その言葉を最後に、明日奈はダイニングルームを後にした。

 

「……明日奈!ちょっとここに来なさい!」

 

その背中を、今度は京子が怒鳴り声を上げて呼び止めようとしたが、明日奈は振り返ることすらしなかった。京子の声を無視して部屋を出て行った明日奈の背中は、実の母親である筈の京子の全てを、拒絶しているかのようだった――――

 

 

 

 

 

 

 

「それから、明日奈は家を飛び出していきました。きっと勢いのままに家を出たのだと思っていたのですが……携帯も向こうは電源を切っているようで通じず、十時を過ぎても帰ってくることはありませんでした」

 

「それで、明日奈さんが行きそうな場所を、手当たり次第に回っているということですか」

 

夜遅く、桐ケ谷家を訪れていた京子は、騒ぎを聞いて玄関へ出てきた和人の提案により、リビングルームに通されていた。そしてその場の席には、来訪者である京子と、最初に対応をしていた翠、後から駆け付けた和人の他に、騒ぎを聞きつけて起きてきた直葉と詩乃も着いていた。

京子が桐ケ谷家を夜遅くに来訪した理由を一通り聞き終えた桐ケ谷家在住の和人以外の三人は、一様に憤慨していた。本人とその家族の手前、明日奈の前で口にしたような歯に衣着せぬ物言いはしていなかったが、明日奈が憤慨して飛び出した程である。和人に関して根も葉もない、相当に酷い批判を口にことは、誰が聞いても明らかだった。翠に関しては、明日奈を想うあまりすれ違いを起こしてしまったことに関して母親として同情しているようにも見えたが、直葉と詩乃は不本意かつ不愉快だと言わんばかりに険しい表情を浮かべていた。

 

「本当に、あの子はここには来なかったのでしょうか?」

 

「先程から何度も申し上げていますように、おたくの娘さんは、うちには来ていません。他に心当たりは無いんですか?」

 

先程から京子が何度口にしている問い掛けに、翠は先程よりやや強い口調で否定した。明日奈が家を飛び出した原因が、夕食の席における京子の和人に対する否定意見にあるのならば、その当人を頼るのではと京子は考えたらしいが、当てが完全に外れた結果となっていた。

 

「……恥ずかしいことですが、娘の交友関係については、私はあまり感知していなかったもので……」

 

「お兄ちゃんのことについては、住所までご存知なくらい調べているのに、おかしな話ですね」

 

直葉の睨みつけるような視線と共に放たれた皮肉ともとれる意見に、京子はぐっと黙り込んだ。京子に対する悪印象が強まってしまった今この場において、京子の味方をする人間は誰もいなかった。

 

「直葉、今はそんなことを言っている場合じゃないだろう。それより、明日奈さんの行方だ。この時間まで帰ってこないということは、仲が良い友人の家に身を寄せていると考えるのが妥当だろう。それも、事情を鑑みれば、帰還者学校の生徒か、その手の事情を共有している友人だ」

 

「多分、男子の家には行っていないだろうから……里香や珪子、深幸、蘭あたりの家かしら?」

 

「あとは、姉妹が家にいる家だな。それでも連絡が取れないのならば……何らかの事件に巻き込まれた可能性があるな」

 

和人が口にした一つの可能性に、その場にいた一同が息を呑んだ。こんな真夜中に女子高生が一人で外出などすれば、犯罪に巻き込まれる可能性も無きに非ずと言える。明日奈のように容姿端麗で、裕福な家庭の出身者ならば猶更である。

 

「とにかく、明日奈さんが頼りにしそうな連絡先に片っ端から確認を取るぞ。それでも駄目ならば、止むを得ん。警察に通報する。それで良いですね、結城さん?」

 

「……よろしくお願いします」

 

悪印象を抱いている相手である和人にこのようなことを頼むのは、不本意なことだろうが、明日奈の安否が掛かっている以上、そんなことは言っていられないのだろう。和人達に対して深々と頭を下げて、頼み込んでいた。

 

「承知しました。直葉は蘭に、詩乃は篠崎さんや珪子といった同性の友人に連絡を頼む。俺は一護や一といった、姉妹がいる家に連絡をかける」

 

「うん、分かった」

 

「了解したわ」

 

和人の指揮のもと、連絡先の分担を行うと、各々に携帯を手に連絡を取り始めようとした。しかし、その時だった。

 

「む…………電話か」

 

和人が手に取った携帯が、突然震え出したのだ。振動の時間は長いため、電話着信であることが分かった。

 

「こんな時間に、一体誰かしら?」

 

「もしかして、明日奈さん?」

 

「いや、違う。だが、これは……」

 

携帯の画面に映し出された連絡相手の名前を確認し、怪訝な表情を浮かべる和人。しかし、一先ず電話に出て要件を聞くべきだろうと考え、通話モードをオンにするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

失踪した明日奈の行方を追うための連絡先確認をしようとした矢先、和人の携帯にとある人物からの連絡がかかってきてから数十分後。和人の姿は、自宅から離れた場所にある、とある建物の門前にあった。

広大な敷地に、夜中でも分かる程に手入れの行き渡った、噴水やベンチまで設けられた庭園。その中央には、壮麗な欧州建築の城と見紛うような屋敷が聳え立っていた。まるで、テーマパークやお伽話の世界から持ち込まれたようなこの景色は、しかし間違いなく日本の中にあるものだった。

そして、バイクから降りて格子状の門扉の前で待つことしばらく。屋敷の中からから数名の黒スーツに身を包んだ男達が出てきて、和人のもとへ駆け寄ってきた。

 

「こんな夜分遅くに申し訳ありません、ザスティンさん」

 

「いえ、こちらこそ。仔細はモモ様とナナ様から伺っております。バイクはこちらで駐車場へ移動させます。婿殿、さあこちらへ」

 

門前まで向かってきた数人の男の中から、和人からザスティンと呼ばれたリーダーらしき銀色のロングヘア―の青年が前へ出て、電子ロックが施された門を開き、和人を招き入れる。

 

「そちらのモモ王女殿下とナナ王女殿下から連絡があったとはいえ、本来ならば夜分遅くに大使館にお邪魔するような真似は控えるべきでした。デビルーク王国の方々には、ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」

 

「いえ、本当にお気になさらず。ララ様やモモ様、ナナ様のみならず、我らが王、ギド・ルシオン・デビルーク様もまた、婿殿のことを大変気に入られております。いついかなる時に訪ねて来られたとしても、万全の態勢で迎え入れる所存です」

 

和人が今招き入れられたこの場所は、日本にありながら日本ではない場所。東京都内に所在するデビルーク王国の大使館である。大使館とは、国交のある外国に、自国の特命全権大使を駐在させて公務を執行する役所である。各国の重鎮が、政務や所在を置く外交のために詰めている場所であるが故に、本来ならば和人のような一般人が、しかもこのような深夜の時間帯に入ることは絶対にできないことである。

しかし和人は、それを可能にするコネクションをデビルーク王国限定で持っているのだ。そのきっかけとなったのは、言わずと知れた、SAO事件及びALO事件。和人がこれらの事件を解決に導いたことにより、被害者の一人として囚われていたララ・サタリン・デビルーク王女を救う結果となったことが、デビルーク王国との交友の始まりだった。事件解決以降、ゲーム内から交流のあったララをはじめ、その姉妹のモモとナナ、そして父親のギドに気に入られたことで、今や和人はデビルーク王国の国賓扱いであり、電話一本で夜遅くに大使館に入ることすら可能となったのだった。

 

「……ザスティンさん、その『婿殿』という呼び方だけはやめていただけませんでしょうか?」

 

「しかし、陛下は勿論、王妃様もあなたのことを大層気に入っておられます。ララ様も乗り気な様子でございますし、我々の間では婚約者候補という認識なのですが……」

 

「……大変恐縮なのですが、その件については以前申しました通り、丁重にお断りさせていただきます」

 

尤も、和人本人が望むべくして手に入れた身分ではないので、「なってしまった」という表現の方が正しい。お陰で、デビルーク王室内においては、和人に対する「ララの婚約者候補」という認識が強い。本人はきっぱりと否定しているのだが、一部の人間は諦めきれていない節すらあった。

 

「これ以上ご迷惑をお掛けするわけにはいきませんので、早急に要件を済ませ、失礼させていただきますので、ご容赦を。それで、彼女は今どこに?」

 

「……それについては、大使館内にてお待ちのモモ様が案内なされます。ララ様からは、この件について私共は関与するなと仰せつかっておりますのもので」

 

本来ならば、大使館内で起こった問題は、全権大使に相当する立場にあるデビルーク王室の親衛隊長であるザスティンが解決するのが筋である。しかし、他でもない彼女が守るべき護衛対象の、ララ王女がザスティンの介入を拒んでいるという。どうやら彼もまた、和人の来訪を問題解決のための当てにしていた一人らしい。

そうして話をすることしばらく。和人とザスティンは、庭園を通り過ぎて大使館の建物へと辿り着くのだった。そして、扉を開いたその直後、和人を待っていたのであろう人物が駆け寄ってきた。

 

「和人さん!」

 

「和人!」

 

やや幼さを残した声で和人の名前を呼んだのは、ララと同じ色の髪を持つ二人の少女だった。片方はショートカットの髪型、もう片方は長髪をツインテールに束ねた髪型で、二人とも身長もララより低く、一目で妹だと分かる容姿だった。

この二人こそが、和人がこの場へ来る理由となった情報を提供した張本人。ララの妹である双子の王女、モモ・べリア・デビルークとナナ・アスタ・デビルークである。

 

(それにしても……ララといい、ナナといい、ザスティンさんといい…………どうしてこう、知り合いに声が似ている人間が集まっているんだ?)

 

大使館前で会ったザスティンに続き、自身を呼ぶナナの声を聞き、ララの声も思い出したことにより、ふとそんなことを思い浮かべる和人。だが、今はそれより重大な事項がある。

 

「夜遅くに悪いな。モモにナナ」

 

「いえ、それは良いんです。それより……」

 

「あの人と姉様が、かなりヤバいんだよ。早いこと、止めに来てくれよ」

 

ボブカットの短髪を手で横に払い、頬に手を当てて困った表情をするモモ。それとは対照的に、ナナの方はやや焦った様子で和人の手を取ると、ツインテールを靡かせながら、強引に屋敷の奥へと駆け足で引っ張っていくのだった。

そうして、外観通りに広い大使館内を駆け足で移動することしばらく。和人は目的地らしき部屋へと通じる扉の前へと案内された。

 

「ここにいるのか?だが、この部屋は……」

 

「ああ、言いたいことは分かってる。けど、あの人は姉様と一緒に帰ってきてから、ずっとここに籠っているんだ」

 

「そうか……分かった。すぐに連れて帰るから、少し待っててくれ」

 

「和人さん、お気をつけて……」

 

二人の王女からの心配そうな視線を背中から受けながらも、和人は扉のノブへと手を掛け、そのまま開け放った。すると、そこには………………

 

 

 

 

 

 

 

「えへへ~~!ララぁ、もっと飲みなよぉっ!」

 

「あははは!明日奈も、結構イけるんだね!」

 

「…………」

 

ダイニングバーを彷彿させる、古風ながら高級感溢れる家具とインテリアが数備え付けられた、やや薄暗い部屋の中。ソファーに腰掛け、テーブルを挟んで向かい合いながら、タガが外れたかのような、底抜けに陽気な笑い声を響かせている二人の少女の姿があった。さらにその傍らには、長いストレートの金髪に、紅色の目をした、小柄な少女が無言のまま立っていた。

テーブルの上には、バーカウンターの棚から持ってきたのであろう、これもまた一目で高価なものと分かる酒瓶が多数並べられていた。そして、騒いでいる少女達の手には、グラスが握られている。この状況を見れば、この二人――明日奈とララが、何をしているのかは、誰から見ても明らかだった。

そんな二人の様子を確認するや、和人は内心で溜息を吐くと、一拍置いて三人のもとへ歩み寄った。

 

「何をしているんですか、明日奈さん?」

 

和人がまず一番に声を掛けたのは、この場に居て最も用事がある人物である明日奈だった。接近して漂ってい香りを嗅いで確信したが、テーブルに散乱している瓶の中身は紛れも無く酒類だったらしい。しかも、銘柄を見る限りどれもこれもかなり強いものである。

 

「わっ、和人君だぁっ!あはははっ!ララ、和人君が一緒に飲もうってさ!」

 

「良いね良いね!和人も一緒に飲もう!ほらっ!」

 

真夜中に一体何をしているんだと咎めるような口調で質問を投げ掛ける和人。だが、対する明日奈はそんな言葉など耳に入っていない様子で、ララと二人して和人にも酒を薦める始末。酩酊状態の二人には、何を話しても無駄だと悟った和人は、質問の対象をララの傍に控えていたもう一人の少女へ変えた。

 

「ヤミ……この二人は一体、何時から飲んでいるんだ?」

 

「十時過ぎからです」

 

金髪の少女、ヤミの口から淡々と告げられた言葉に、和人は頭痛を覚えた。時刻は既に深夜の十二時を過ぎている。つまり明日奈とララは、二人して二時間以上も酒盛りをしていることになる。こんな夜中に女子高生二人が、それも大使館内で飲酒して騒いでいるという事実を目の当たりにした和人は、途方も無く呆れ果てていた。

そんな和人を余所に、ヤミと呼ばれた少女は、和人を彷彿させるような無表情のままに、事の顛末の説明を始めるのだった。

 

「午後七時半頃、都内の公園で荷物を持って途方に暮れている彼女を、プリンセスが保護しました。本来ならば、家へ送り届けるべきなのでしたが、家を出た理由を聞かれたプリンセスが、彼女を大使館へ招き入れることを考案しました。その後、友人である彼女の精神をケアすることを目的として、大使館内へ宿泊させて差し上げることが決まりました」

 

「……保護者に連絡が無かったのは、どういうわけだ?それから、酒盛りをするに至った経緯は?」

 

「保護者への連絡は、彼女が頑なに拒否なされていました。飲酒については、プリンセスがストレス発散のためにお誘いになられました」

 

ヤミの説明を聞き、この混沌とした状況が作り出された経緯について把握した和人だが、それを理解した途端、頭痛がさらに増すのを感じた。ナナとモモの連絡を受け、大使館に来ているという明日奈を引き取りに来たのだが、まさか母親との関係がここまで修復困難な程に拗れているとは思わなかった。

真夜中に家を飛び出したのみならず、偶然とはいえその先で遭遇したララを頼って大使館へ入り……さらには酒を飲んで酩酊しているというこの状況。今の状態の明日奈を、母親である京子に引き渡せば、また一波乱起こることは間違いない。正直、他人の家の複雑な事情にこれ以上関わり合いたくはないのだが、この騒動の原因は自身を巡る結城母娘の論争である。ここまで来た以上、逃げることはできない。覚悟を決めた和人は、明日奈を強引にでも連れ出すことにした。

 

「明日奈さん。未成年が夜更け過ぎに、他人の家でお酒を飲んで酔っ払うなど、非常識過ぎます。早く帰りましょう」

 

「和人君、知らないの~?デビルーク王国では、十八歳からお酒飲めるんだよ~。ここは大使館だから、日本だけど、お酒を飲んでも合法だよっ!あっはっは!」

 

「そんなことは関係ありません。さあ、早く帰りましょう」

 

酩酊状態の明日奈にこれ以上の問答は無意味と判断し、腕を掴んで強制的に立ち上がらせて連れ出そうとする和人。しかし、明日奈は尚も抵抗を続ける。

 

「や~あ!もっとララとナナちゃんとモモちゃんとお話しするのっ!あ、勿論、和人君も一緒にね!」

 

「いい加減にしてください。もう深夜なのですから、本来ならば皆寝ている時間帯ですよ」

 

「ぶ~!あ、そうだっ!なら、和人君がちゅ~してくれたら、考えてあげてもいいよ!はい、ちゅ~……」

 

言う通りに帰る意思を一切見せないどころか、唇を尖らせてキスを要求する明日奈に、和人は呆れと同時に苛立ちも覚え始めていた。和人は勿論、明日奈の母親である京子や、和人の家族である翠や直葉、詩乃をはじめ、デビルーク王国の人間にまで迷惑を掛けていながら、まるで反省した様子が無いのだ。なるべく穏やかに事を済ませようと考えていた和人だったが、ここは少々きつ目に説教する必要があるだろうと考え、明日奈と向かい合った。

 

「本当に良いかげんにしてください。どれだけ人に迷惑を掛ければ気が済むんですか?」

 

「むぅう……」

 

「明日奈さんが今すべきことは、ここに逃げ込んで酒を飲むことではないでしょう。お母さんときちんと向かい合って、自分の意思を伝えるために努力することでしょう。それを、こんな方法で訴えかけるのは、どう考えても間違っているでしょう」

 

「…………」

 

「明日奈さんのお母さんも、明日奈さんのことが心配なんですよ。ですから、お互いにもっと腹を割って話し合わなければ……」

 

 

 

「うるさいっ!」

 

 

 

しかし、和人の明日奈に対する説教は、それ以上続かなかった。募りに募った苛立ちを爆発させて放たれたその叫びに、イタチとララ、ヤミまでもが驚いた様子で目を見開いていた。

 

「何よ!皆して勝手なことばっかり!何が私のためよ!お母さんも、和人君も……誰も、私の気持ちなんて分かってくれないじゃない!」

 

掴まれた腕を乱暴に動かし、和人の手を振り払う明日奈。和人を睨みつける目は完全に据わっており、怒りや悲しみといった強い負の感情が渦を巻いているように見えた。

 

「お母さんは、私の意見なんてこれっぽちも聞いてくれな!それどころか、私の大切なものを奪って……キャリアキャリアって、私はお母さんのために生きているんじゃないのよっ!!」

 

酔っ払った勢いのまま、声を荒げて話しだした明日奈の剣幕は凄まじく、傍の椅子を蹴っ飛ばして八つ当たりまでしていた。そんな、和人ですら迂闊に手を出せない程の興奮状態に陥った明日奈は、苛立ちの矛先を和人に向けて、一気に捲し立てていく。

 

「大体、和人君だってそうよ!いつもいつも、澄ました顔で何考えているか、全っ然分からないし!重要なことは、何聞いたってはぐらかしてばっかりじゃない!私とだって、きちんと向き合ってもくれないくせに……偉そうに説教なんてしないでよ!!」

 

「………………」

 

「何が前世の記憶よ!何が忍者よ!自分だけ私達とは違う世界にいるみたいなことばっかり言って……何一つ教えてくれなくて……本当に、わけ分かんないわよ!」

 

ララとヤミが見ている中で、和人が最小限の人間にしか話したことの無い秘密まで口にする明日奈の心からの叫びに対し、しかし和人はそれを止めることはできなかった。明日奈をここまで追い詰めてしまった人物には、母親である京子だけではなく、和人自身も含まれていた。自身の身勝手で明日奈との関係を曖昧にしていたツケが、こうして回ってきたのだ。それを思い知らされた和人には、明日奈を責めることなどできる筈も無かった。

 

「嫌い……お母さんも和人君も……皆、大っ嫌いよ……!」

 

自身を取り巻く家族や友人といった人々との関係を否定し、拒絶する言葉を、涙声で吐露した明日奈の目からは、大量の涙が流れ出ていた。その言葉を最後に、部屋の中には明日奈の嗚咽がこだまするのだった――――

 



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第百九話 叫んだ声はきっと届くから

2026年1月8日

 

イタチがユウキ率いるギルド『スリーピング・ナイツ』からフロアボス攻略の依頼を受けてから二日後の日中の時間帯。イタチを含めたパーティーメンバー姿は、二十七層主街区『ロンバール』に再び集まっていた。

 

「以上が、二十七階層フロアボス『ヨルル・ザ・ツートンジャイアント』の攻略作戦だ。攻略開始時は所定のフォーメーションで攻めるが、途中からは適宜状況に応じた変更を指示する。異論のある者はいるか?」

 

昨日行ったパーティーメンバーの実力確認の結果に基づいて調整した攻略作戦に関する一通りの説明を終えたイタチは、全員に確認するように問い掛ける。それに対し、ユウキをはじめとした面々は、一様に首を横に振った。イタチを見つめ返すその目には、初対面の時のような不信の色は無く、パーティーメンバーの一人として深く信頼を置いていることが見て取れた。

 

「それでは、十分後に出発だ。各々、装備やアイテムの確認を徹底しておくように」

 

その一言と共に、その場は一時解散となった。パーティーメンバーは全員、イタチの言うように装備を見直し、ストレージ内のアイテムを確認していた。そんな中、指揮を預かるイタチはというと、既に準備を終えているためか、手持無沙汰の様子だった。背もたれに寄りかかり、ふう、と溜息を吐いた。

 

「イタチ、どうしたの?」

 

「む、ユウキ……」

 

若干疲れた様子で椅子に座るイタチに話し掛けてきたのは、スリーピン・ナイツのリーダーであるユウキだった。どうやら装備の準備は既に済ませているらしく、イタチの顔を心配そうに覗き込んでいた。

イタチとしては、正直今は話し掛けないでおいて欲しいと思っていたが、不安そうなユウキの表情を見て無碍にはできないと感じた。

 

「いや、何でもない。つい先日から、複雑な事情を抱えることになって、その対処に追われて疲れていただけだ」

 

「それって……リアルの事情なの?」

 

「まあな。だが、依頼の遂行に支障を来すような真似はしないから、安心しろ。受けた依頼は、必ず完遂する」

 

「そうなんだ……なら、簡単には話せないよね。けど、何か悩みごとがあるなら、ボクで良ければいつでも相談に乗るよ。まあ、ボクにできることなんて、限られているだろうけどね……」

 

笑顔でそう言いながら気遣いを見せてくれるユウキに対し、イタチは申し訳無い気持ちになった。どうやら、ここ最近抱えている自身の精神的な疲労が表に出てしまったことで、ユウキに余計な心配を掛けてしまったらしい。

 

「いや、気遣いはありがたく受け取っておく。ありがとう」

 

「どういたしまして!っていうか、ボク達はもう仲間なんだから、そんな水臭いのはナシだよ、ナシ!」

 

 ニカッと太陽の様な笑みを浮かべるユウキに対し、イタチは苦笑しながら頷くのだった。その後、ユウキはイタチに対して追及は一切せず、傍を離れていった。流石にリアル事情に踏み込むことには躊躇いがあったのだろう。しかし、それでも力になりたいと言ってくれた優しさは、素直に嬉しいとイタチは感じていた。

 

(だが、これはあくまで俺の問題だ…………)

 

瞑目しながら、心の中で自分に言い聞かせるように呟いたイタチ。思い出すのは、今現在イタチが抱えている個人的なリアルの問題――――即ち、二日前の出来事だった。

夜中に家出をした明日奈を家へ帰すためにデビルーク領事館へ迎えに行った和人だったが、結局その目的は果たせなかった。酒に酔った勢いで本音と怒りを爆発させ、そのまま泣き崩れた明日奈には、和人の言葉は一切届かなかった。無理に動かそうとすれば、酒瓶を振り回しながら大声を上げて暴れる程で、梃子でもその場を動こうとはしなかった。この状況には流石の和人もお手上げで、その夜は止むを得ず、明日奈をデビルーク領事館に残して帰らざるを得なかった。

明日奈の母親である京子には、明日奈が飲酒したことは伏せた上で、本人が帰宅を拒否している旨を電話で伝えた。夜中に家出した娘の逗留先が、デビルーク王国の領事館であることを聞かされた京子は、電話口でも分かる程に激しく動揺した様子だった。これが一般の家庭ならば、桐ケ谷家に行ったように問答無用で押しかけ、明日奈を無理矢理に引き摺ってでも連れて帰るのだろうが、デビルーク領事館が相手ではそうはいかない。下手に手出しをすれば、レクト・プログレスにさらなる影響が降り注ぐどころか、国際問題に発展する恐れすらあるのだ。結局、京子もその夜は和人の「一晩経てば落ち着くだろう」という提案を呑み、大人しく引き下がったのだった。

 

(だが、あれから一日経っても音沙汰無しとは…………)

 

明日奈の家で騒動から一夜明けた昼頃に、再度本人に対して連絡を試みた和人だったが、明日奈からは通話拒否という反応が返ってきた。そしてさらにその翌日、つまり今日に至っても、音信不通な状況が続いていた。

ララの話によれば、明日奈本人はデビルーク領事館の中にいるらしいのだが、宿泊用の部屋からは一歩も出て来ようとはしないらしい。確認はしていないものの、この様子では、京子にも連絡を取っていそうにない。

 

(少し時間を置けば落ち着くだろうと考えていたが……甘かったということか)

 

先日の夜に見せた明日奈の感情の爆発は、飲酒によって誘発された部分が大きく、時間を置けばその熱も冷めて、落ち着いて話し合いができるというのが、当初の和人の見立てだった。

しかし今回、明日奈は想像以上に怒り心頭であり、普段の彼女からは想像できない程に意固地になっている。その強硬な姿勢からは、かつてSAO事件において幾度も目にした、攻略の鬼として知られた『閃光のアスナ』の片鱗が垣間見えていた。恐らく今の明日奈は、自分の意見に対して理解を示さない人間との繋がり一切を遮断するつもりなのだろう。

話し合いすら儘ならないこの状況下では、和解など見込める筈も無い。明日奈の家庭事情に端を発した今回の問題は、今まで直面してきたどの問題より――――それこそ、今回の一パーティーによるフロアボス攻略よりも難解なように思えて仕方が無かった。

 

「イタチ、そろそろ行くよ!」

 

「っ!……すまない。すぐに行く」

 

リアルにおける明日奈の問題について、どう解決すべきかと考えを巡らせるあまり、出発の時間が訪れたことに気付かなかったらしい。準備については、攻略作戦の打ち合わせを始める前にほとんど終えていた。ユウキの呼び掛けに応じて準備を手早く終えると、スリーピング・ナイツの一同と共に宿屋を出るのだった。

 

 

 

二十七層の宿屋を出て迷宮区最上階にあるボス部屋を目指す道中。イタチ率いるパーティーは隣に並ぶメンバー同士の間では、作戦を再度確認したり、不安を口にし合ったりと、フロアボス戦に向けて様々なやりとりが行われていた。そんな中、イタチは何一つ言葉を発することなく、ただ黙々と目的地を目指していた。

 

「……イタチ、本当に大丈夫?」

 

「先程は注意が散漫だったことは否定できないが、今は問題ない。依頼は必ず遂行してみせる」

 

「イタチ…………」

 

本人が問題は無いと語っているにも関わらず、ユウキは尚も不安そうな表情をしていた。どうやら、胸中に止めていた筈の私的な事情に対する懸念が、いつの間にか表情に出てしまっていたらしい。

 

(いかんな……これでは忍失格だ……)

 

『忍者』とは、『忍び耐える者』。その心得を胸に、うちはイタチとしての前世を生きてきた。そしてそれは、桐ケ谷和人としての現世においても同様である。無論、前世の失敗を繰り返さないように、ここ最近は何もかもを一人で背負い、解決しようとする悪癖は抑えているつもりなのだが。

ともあれ、今は超高難易度の任務の真っ最中。私情を挟んで依頼主たるユウキ達の不安を煽り、危険に晒すわけにはいかない。このままではいけないと感じたイタチは、自分自身を叱咤し、緩みがちだった気を引き締め直す。いつも以上に感情を表に出さないよう、ポーカーフェイスを心掛ける。

 

「イタチさん、モンスターです!」

 

イタチが内心で決意を新たにしたその直後、パーティーの前方を塞ぐように複数のモンスターが現れる。コボルドにゴブリンと、ありふれたラインナップだが、ソードスキルを行使できるモンスターだけに、全て相手するのはかなりの手間。しかし、通路を塞ぐように現れた以上、衝突は不可避である。

 

「どうする!戦うのか!?」

 

「そのまま直進だ。当初の予定通り、俺が前に出る。他のメンバーは、雑魚には構わず、上の階をそのまま目指せ。ユウキ、指示を頼むぞ!」

 

「任せて!」

 

パーティーメンバーに短い指示を告げると、イタチは持ち前の敏捷を活かして前へ出て先行する。途中、右手に緑色に毒々しく光る短剣を持ち、進行方向に立つモンスター目掛けて一気に突っ込んだ。

 

「ギギャッ!」

 

「ガウゥッ!」

 

モンスター達がイタチの接近に反応するよりも早く、緑色の閃光が迸る。ただし、それはソードスキルの光ではなく、イタチが持つ、短剣が放つ残光である。そして、イタチがすれ違ったモンスター達は、途端にバタバタと倒れていった。

 

「うひゃぁ……イタチの用意した毒って、凄い威力だね」

 

「こんな高威力な毒、見たことないよ……」

 

イタチに言われた通りに、通路を真っ直ぐ駆け抜けていったユウキ達は、地に伏して動かなくなったモンスター達の姿に顔を引き攣らせていた。

イタチが使用した短剣に塗られていたのは、迷宮区最奥部にあるボス部屋へ辿り着くまでに現れるモンスターの動きを封じるために用意したという麻痺毒だった。予め極めて強力な毒であることは聞かされていたユウキ達だったが、HPの一パーセントにも満たない微かなダメージで瞬時に動けなくなる効果を目の当たりにすると、戦慄を禁じ得ない。しかも、モンスター達にダメージを与えるイタチは、目にもとまらぬ速さでモンスター達を麻痺させていくのだ。傍から見れば、まるで流行り病に侵されて倒れているかのような、中々にホラーな光景だった。

 

「それにしても、イタチさんはどこであのような毒を手に入れたのでしょうか?」

 

「確か、久しぶりに会ってきたっていう、イタチの旧知の仲間に急遽頼んで作ってもらったらしいけど……」

 

「なんか、相当な報酬を要求されたらしいよ。毒のことを聞いたとき、かなり疲れた様子だったから」

 

「単純に実力が高いだけでなく、様々なコネクションもお持ちのようですね……」

 

迷宮区を駆け抜けていくスリーピング・ナイツのメンバーは、そんな会話とともにイタチの規格外ぶりに驚かされている様子だった。その反応は、かつてのSAO事件において攻略当初にイタチの実力を目の当たりにしたアスナ達攻略組のメンバーに通じるものがあったのだが、この場でそれを知るのはイタチ本人のみだった。

そして、行く手を塞ぐモンスターが現れる度に、イタチが前へ出て麻痺毒で行動不能にし、他のメンバーがその脇をスルーして進むことを繰り返すことしばらく。遂にイタチとスリーピング・ナイツのパーティーは、二十七層迷宮区のフロアボスが待ち構える部屋へと通じる扉へと続く回廊へと至った。

 

「どうやら、懸念していた通り……先客が来ているようだな」

 

しかし、そこにはおよそ二十名のプレイヤー達が集まっていた。種族はバラバラだが、各々のカーソルの横にギルドのエンブレムは、イタチに見覚えのあるものだった。

 

「ねえ、イタチ。あの人たちって……」

 

「盾の上に馬の横顔……いや、チェスのナイトの紋章だな。間違いない。アインクラッドの攻略最前線で最近幅を利かせているという大規模ギルド『ゾディアック』だ」

 

「それじゃあ、もしかして……!」

 

「目的はフロアボス攻略、だろうな」

 

攻略ギルドがフロアボスの部屋の前に集結する理由といえば、それ以外には考えられない。だが、集まっているメンバーを見た限りでは、その数は四十九人の七パーティーにより構成されるフルレイドの半数にも満たない。恐らく今は、攻略に必要な人数が集まるのを待っており、召集をかけたメンバーが揃ってからフロアボスに挑む算段なのだろう。

 

「そんな……けど、前のフロアボス攻略からそんなに経っていないのに、どうしてこんなに早く……」

 

「恐らく、『絶拳』の影響だろうな。いきなり現れた無名のソロプレイヤーに先を越されたことで、攻略に躍起になっているんだろう」

 

「ああ、成程……っていうか、そういう意味ではボク達も似たようなもの、なのかな?」

 

ふと、ユウキがそのような疑問をこぼしたが、イタチをはじめ他のメンバーにそんなことを気にしている余裕はない。問題なのは、アインクラッド攻略ギルドがフロアボス挑戦のためにメンバーを召集しているこのタイミングで、自分達に挑戦権を先取することができるかである。

 

「ここで立ち尽くしていても仕方あるまい。行くぞ」

 

「う、うん…………」

 

考え込んでいても、現状が変わるわけでもない。今自分達にとって重要な事項である挑戦権の行方を確かめるべく、フロアボスの部屋へ続く扉の前へ向かった。途中、通路に集まっていたゾディアックのメンバー達から、この場に集まるメンバー以外のパーティーが現れたことに対する奇異の視線が注がれたものの、イタチはそれを気にも留めず、歩みを進める。

そして、フロアボスの扉の前の、一際大きく開けた場所へと到着すると、そのまま扉を目指そうとする。しかし、イタチとそのパーティーメンバーであるスリーピング・ナイツによるフロアボスへの挑戦は、間に割って入った大柄で厳つい顔をしたノームのプレイヤーによって遮られた。装備の種類を確認するに、レイドのリーダーもしくはそれに準ずる地位のプレイヤーのようだった。

 

「悪いな、今ここは閉鎖中だ」

 

「……閉鎖とは?」

 

ノームの男の口から放たれた言葉は、イタチにとってはある程度予想の範疇の内容だった。後ろで不満を顔に出しているスリーピング・ナイツの面々を手で制しつつ、自分達の行方を遮るその真意を問い質す。

 

「これからうちのギルドがボスに挑戦するんだよ。今はその準備の最中ってわけだ。しばらくそこで待ってな」

 

「しばらく、とは?」

 

「ボスに挑戦する時間を含めれば……ま、一時間ってとこだな」

 

その言葉を聞いたイタチは一人得心するとともに、「やっぱり」とばかりに呆れた表情を浮かべた。彼等はフロアボス攻略を確実に行うために、自分達以外に挑戦するパーティーを扉の前でブロックしているのだ。恐らくこれは、ここ最近問題視されているという一部の高レベルギルドによる狩場の占領と同一のものなのだろう。

 

「しかし、フロアボス攻略ならば、まだしばらくは下見による行動パターンの解析等が必要な筈。先に行かせてもらっても問題は無いのではありませんか?」

 

「まあ、確かにそうだわな。けど、ウチは前の階層の攻略にも失敗してっから、今度ばかりは絶対にやり遂げたいのよ。誰かに先を越されないためにも、な」

 

前回のフロアボス攻略から一週間程度しか経過していない現在では、攻略を確実に行うために必須の情報収集はほとんど行われていないというのがイタチの見立てだった。果たしてそれは、ノームの回答によって肯定され、今これから行おうとしている攻略が、かなりの無理を押してのものであるという結論に至った。

彼等がここまでフロアボス攻略に執念を燃やすのは、やはり『絶拳』の出現が影響しているのだろう。ソロでのフロアボス攻略という、不可能に等しい偉業を成し遂げたプレイヤーが現れたことで、焦燥に駆られているのだ。故に、多少の準備不足を覚悟で攻略を急ぐことはもとより、攻略を成し遂げる可能性が僅かでもあるプレイヤーに対する徹底的なブロックまで行い、フロアボス攻略をあらゆる面から確実にしようとしているのだ。

 

(こうなると、あちらは梃子でも動きそうにないな……)

 

このままでは、フロアボスへの挑戦権を奪われてしまう。本来、中立地帯における力や数にものを言わせた占領行為はマナー違反である。ALO運営に訴えれば、今後このような行為を起こさないよう自粛させることも不可能ではないだろうが、そんな時間はない。

 

(やはり、最終手段しかないか……)

 

レイドリーダーのノームと相対しながら、イタチは後ろの通路へちらりと視線をやる。しかし、そこには先程見かけたゾディアックのレイドメンバーが屯しているだけで、その奥深くには迷宮区の暗闇が続いているのみだった。

フロアボス挑戦に当たり、ゾディアックのような攻略ギルドの妨害も、イタチにとっては予想の範疇だった。そして当然、これを排除する手立ても考えてある。ただし、それを実行に移すにはまだ早い。幸い、レイドメンバーはまだ全員集まり切っていない。この状況ならば、もうしばらく押し問答を続けて時間稼ぎをするのみ不可能ではない。そう考え、イタチが再び詰め寄ろうとしたところ、思わぬ人物が前に出た。

 

「ね、君」

 

いつもと変わらない、明るい口調でレイドリーダーのノームへ声を掛けたのは、スリーピング・ナイツのリーダーであるユウキだった。恐らく、イタチが交渉に難儀していることに焦れたのだろう。

 

「ユウキ、ちょっと待て……」

 

「つまり、ボク達がどうお願いしても、先を譲ってくれる気は無いんだね?」

 

「……ま、まあ、そういうことだな」

 

交渉を自分にまかせて後ろへ下がるように言おうとしたイタチだが、それより速くユウキは言葉を重ねる。ここでユウキに出られると、話が拗れて事態が厄介な方向に流れかねない。そう考え、内心で冷や汗を掻いているイタチを余所に、ユウキはとうとう爆弾を投下した。

 

「そっか。じゃあ、仕方ないね。戦おうか」

 

「……は?」

 

「ユウキ…………」

 

あっけらかんとした調子でユウキから放たれた言葉に、ノームの男は流石に予想外だったのだろう、口を開いて唖然とした様子で硬直していた。一方イタチは、「言っちまったよ、こいつ」とばかりに額に手を当てていた。ユウキの性格を知っている故に、何を言い出すかは半ば予想していたものの、自分が交渉に当たっている場へ進み出てこんな真似をすることは完全に予想外だった。

 

「ユウキの言う通りだね!」

 

「いっちょやるか!」

 

そして、そんなイタチの気苦労など知らないのは、ユウキだけではなかった。ユウキに同調し、割と乗り気で各々の武器を手に取り、戦闘準備を開始するスリーピング・ナイツのメンバーに、イタチはますます頭が痛くなる思いだった。

ALOはPK推奨型のハードなVRMMOであり、「全てのプレイヤーには不満を剣に訴える権利がある」という文言もヘルプ内に記載されている。しかし、ゾディアックのような大規模ギルドに喧嘩を売るような真似をした場合、後日、ゲームの内外を問わず何らかの報復が待ち受けている可能性が高い。故に、実際に行動に移すプレイヤーはほとんどいない。尤も、ユウキ達のフロアボス攻略に懸ける情熱と覚悟を鑑みれば、そんなものは問題にはならないだろう。万一、スリーピング・ナイツにゾディアックが因縁を付けようものならば、メダカの『ミニチュア・ガーデン』やクラインの『風林火山』、シバトラの『聖竜連合』までをも後ろ盾にして、理不尽な手出しができないようにするつもりなのだが。

ともあれ、ユウキが戦闘宣言をしてしまった以上は、時間稼ぎに徹するという策は使えない。イタチも覚悟を決め、渋々ながらも他のメンバー同様に得物に手を掛けることにした。そして、いざ戦闘が開始されようとしていた時。イタチの苦悩を察したのか、ユウキがイタチの方へ振り返って真剣な面持ちで口を開いた。

 

「イタチ。ぶつからなきゃ伝わらないことだってあるよ。自分がどれくらい真剣なのかってこともそうだよ」

 

「!」

 

「言葉だけじゃ伝わらないこともあるし、逆に行動だけでも無理なこともある。自分にできること全部をやって……きっと、それで初めて分かって貰えるんじゃないかな?」

 

ユウキが口にした言葉は、彼女の行動に振り回され呆れるばかりだったイタチの心中に大きな波紋を齎した。ユウキは決して、「戦いたいから」や「邪魔な相手を排除したいから」といった自分本位な理由だけで戦いに臨んでいるわけではないのだ。力業で自分達の意思を通そうとするその行動選択の中には、相手に自分達が抱く想いの強さを伝えようとする意志が少なからず込められていたのだ。

絶対に譲れないもの、曲げられない誓いといったものは、誰もが持ち得るものである。それは、フロアボス攻略を成功させようとしているゾディアックも同じこと。そして、それらが折り合いを付けられないというならば、剣で訴えかけるほかに手段は無い。後先のことを考えれば、このような手段は決して賢明とは言えない。実質上、ゾディアックとやっていることは同じとも言える。しかし、それでも必要なのだ。結果はどうあれ、自分の意思を貫き通すには、言葉と行動の両方をはじめ、自分の持てる全てをもって訴えかけねばならない。

 

 

 

そしてそれは、仮想世界でも、現実世界でも…………そして、かつての忍世界においても変わらないことなのだ――――――

 

 

 

「さあ、武器を取って」

 

「なっ……お、お前……!」

 

「封鎖している君達だって、覚悟はしている筈だよね?最後の一人になっても、この場を守り切るつもりなんでしょ?」

 

「こ、この野郎……少し痛い目に……!」

 

ユウキの言動を挑発と考えたのであろうノームもまた、応戦するように武器を手に取る。左手には、盾にもなるのであろう刃先が五方に伸びた大型チャクラム、右手にはムカデを彷彿させるような太い多節棍を持っている。元より巨漢で、顔も凶悪そのものであり、武装した姿は強い威圧感を放っていた。並みのプレイヤーならば、委縮してしまうようなその姿に……しかし、ユウキは全く怯んだ様子を見せなかった。

 

「それじゃ、行くよ!」

 

「は?……うごぉぉぉおおお!?」

 

ノームの武装を戦闘の了承と見たユウキは、一瞬にしてその視界から姿を消した。そして次の瞬間には、強い衝撃がノームの腹部を襲う。戦闘開始から一気に懐へ飛び込んだユウキが放った、水平方向に斬撃を放つソードスキル『ホリゾンタル』が炸裂したのだ。

まさか本当に攻撃を仕掛けて来るとは思わなかったノームは、完全に反応が遅れていた。ユウキはその隙を見逃さず、続けざまにソードスキルを放つ。スピード重視だった初撃とは打って変わって、今度は垂直四連撃『バーチカル・スクエア』を叩き込む。

 

「な、めるなぁぁぁああ!」

 

しかし、ノームもただではやられない。ユウキのバーチカル・スクエアの三撃目以降は防御行動に移ったのだ。三撃目を右手に持った多節棍で弾き、四撃目は左手のチャクラムを盾にして受け止められた。

 

「オラァァア!」

 

「わぁっ!」

 

技後硬直で動けないユウキに対してカウンターとして繰り出されたのは、多節棍による横薙ぎ。ソードスキルではないものの、ノームのパワーで繰り出される一撃をまともに食らえば、大ダメージは免れない。そして、ユウキに対して容赦の無い不可避の一撃が叩き込まれようとした、その時だった。

 

「間一髪、だったな」

 

「はわゎっ……イタチ!?」

 

ノームが繰り出したカウンターは、ユウキを打ちのめすことは無かった。棍が接触しようとしたその瞬間、イタチがユウキの首根っこを掴んで後ろに引っ張り、攻撃範囲からユウキを逃がしたのだ。そして、回避に成功したのと同時に、イタチはユウキを連れて素早く後ろへ退っていた。

 

「焦って一人で前に出過ぎだ。もっと落ち着け」

 

「ご、ごめん……」

 

「構わん。それより、あちらも本腰を入れてきたぞ」

 

イタチが視線を向けた先には、ユウキの連撃から早くも立ち直ったノームが憤怒の形相で立っていた。そしてその血走った目は、ユウキに向けられている。

 

「この野郎……もう女だからって容赦しねえ!このゾディアックの幹部であるコウガ様に喧嘩を売った以上、生きて帰れると思うなよ!!」

 

コウガと名乗ったノームの指示により、周囲で傍観していたゾディアックのメンバーもまた、各々の得物を手に取り臨戦態勢を取る。フルレイドではないとはいえ、今この場には二十名以上のメンバーが揃っている。その全てが、イタチとユウキをはじめとした七人パーティーへ矛を向けているのだ。

 

「こうなった以上は仕方がない。強行突破するぞ」

 

「えっと……今更なんだけど、大丈夫かな?」

 

互いに譲れない以上、戦って道を切り拓く以外に無いという結論のもと、戦闘開始を宣言したユウキだったが、いざ二十名以上のプレイヤーを相手することとなり、流石に不安が過ったのだろう。行動選択を後悔した様子は無いが、いざこれを実行して成功できるかどうかは別の話である。そんなユウキに、イタチはやれやれとばかりに呆れた視線を向けながら口を開いた。

 

「……本当に今更だな。“ぶつからなきゃ伝わらないことだってある”と言ったのはお前だろう」

 

「うぅ……そうだけどさ」

 

「それに、戦闘による強行突破は俺も考えていた手段だ。これをやったことについては愚かだとは思わない。ただ…………少しばかり、早すぎたな」

 

「えっ……?」

 

何やら隠しているらしいイタチの言い方に疑問を抱いたユウキだったが、その意味を問うことはできなかった。何故ならば、イタチ等が相対しているゾディアックのメンバーが展開している咆哮とは真反対、後方から近付いて来る多数の足音が聞こえてきたからである。

振り向くと、通路の向こうには二十名以上のプレイヤーの姿があった。種族はバラバラだが、その装備にはゾディアックの『盾の上にナイトの駒』の紋章が刻まれている。その集団を見たコウガは、口の端を釣り上げて勝ち誇ったような顔で言い放つ。

 

「ハッ!どうやらこっちの残りメンバーも到着したみてえだな!これでお前等もこれで終わりだ!」

 

コウガの言葉に、スリーピング・ナイツの面々は一様に浮足立った様子で前後に視線を向ける。如何にスリーピング・ナイツとイタチが腕の立つ実力者だとしても、圧倒的な数で前後から挟み撃ちにされれば、勝ち目は無い。よしんば勝てたとしても、消耗した状態でフロアボスを攻略などできる筈も無い。

 

「ここまでか……!」

 

「イタチのお陰で、今度こそ上手く行けると思ったのに!」

 

悲願だったフロアボス攻略を断念せざるを得ない窮地に立たされ、悔しそうに歯噛みする一同。あのユウキの表情にすら、絶望の色が浮かんでいた。

 

「諦めるには、まだ早いぞ。」

 

「……そうだね、イタチ。この階層のボスは無理そうだけど、次の階層こそは、皆で絶対に成功させよう」

 

パーティーメンバーの誰もが悲願達成を諦める中、イタチだけは全く動じず、絶望を欠片も感じさせない態度で臨んでいた。ユウキ達はそれを、イタチなりの励ましであり、次の機会こそは必ずものにしてみせるという意味で言った言葉だと考えていた。

しかしイタチは、ユウキの言葉に対して首を横に振って否定の意を唱えた。

 

「この攻略自体を諦めるには早いと言っているんだ。まだ、失敗したわけではない」

 

「そうは言いますが、流石にこれでは……」

 

「気休めは嬉しいですが、現実は受け止めなければなりませんからね……」

 

シウネーとタルケンが厳しい表情で言った通り、希望を見出すには絶望的に過ぎる状況なのは間違いない。どう考えても、現状を打破することなどできはしない。誰もがそんな結論に至る頃には、イタチやユウキ等のパーティーは、前後から完全に包囲されていた。

 

「コウガ、こいつは一体どういうことだ!?」

 

「ガリアンか!俺達ゾディアックに盾突いてきやがった身の程知らず共だ!向こうから攻撃を仕掛けてきやがったから、遠慮は無用だ!フロアボス攻略前に血祭りに上げちまえ!」

 

コウガの言葉により、駆け付けてきた増援部隊のメンバーは一様に武器を手に取る。ガリアンと呼ばれた、額に青い布を巻いた長髪のシルフの男性プレイヤーもまた、引き連れていたメンバーに続く形で背中に吊っていた大剣を抜き、その刃をイタチ等へ向ける。装備の質からして、この男性プレイヤーもまたコウガと同じくゾディアックの幹部なのだろう。

 

「多勢に無勢で攻め潰すのは俺の主義に反するが、ギルドの目的を阻む以上は、排除させてもらうぞ」

 

扉を守るコウガもそうだが、駆け付けてきたガリアンもまた、身のこなしからして相当な実力者であることが分かる。取り巻きのプレイヤー達についてもそれは同様で、装備の質も武器を構える姿もかなり洗練されている。数のみならず、メンバー一人一人の実力もかなり高い。挟撃されれば、一巻の終わりなのは、火を見るよりも明らかである。

しかしそれでも、イタチは勿論、ユウキをはじめとしたスリーピング・ナイツの面々は一切怯まない。自分達の意思を貫くために、最後の一人になってでも戦い抜く決意を胸に、今この戦いに臨んでいるのだ。そして、今にも戦いが始まりそうな、一触即発の空気の中――――新たな異変が起こった。

 

「あれは何だ!?」

 

「こっちに来るぞ……!」

 

それに最初に気付いて声を上げたのは、ボス部屋の前に展開していたゾディアックのメンバーだった。増援が来た反対側の通路より、新たな“二筋”の風が舞い込んできたのだ。迷宮区通路の両側に左右対称に展開した二つの影は、湾曲した壁面に張り付くように駆け抜ける。それは、ゾディアックの増援部隊を瞬く間に追い越したのだ。

 

「あれって、『壁走り(ウォールラン)』!?」

 

「けど、あんな速さであの距離を渡るなんて……!」

 

そのノームの男に次いで現れた謎の影に気付いたノリとユウキが、驚きの声を上げる。軽量級妖精の共通スキルである『壁走り(ウォールラン)』は、普通のプレイヤーでは十メートルがいいところ。だが、目の前で発動されているそれは、二十メートル超の距離を駆け抜けているのだ。

やがて二人目・三人目の乱入者の影は、一人目の乱入者であるノームの男の両側へと着地し、その姿をその場にいた全員の目の前に晒した。新たに現れたのは、シルフとケットシーの二人組の男性プレイヤー。いずれも若い少年のアバターで、シルフの少年は長剣、ケットシーの少年はハンマーを装備していた。そして、いずれのプレイヤーも、ゾディアックやスリーピング・ナイツのメンバーに勝るとも劣らない、歴戦の戦士のような雰囲気を纏っていた。

 

「えっ……何なの、この人たち」

 

「もしかして……味方、なんでしょうか?」

 

スリーピング・ナイツが絶体絶命の状況に置かれている中に飛び込んできたことと、ゾディアックのメンバーに武器を向けていることから、自分達に味方しているのではと、ジュンとタルケンが考え始める。しかし、一体どのような事情、或いは思惑があって、圧倒的に不利なスリーピング・ナイツに味方しようとしているのか、誰もが疑問に感じていた。とにかく、話をしてみないことには何も分からない。そう考え、タルケンが駆け付けてきたシルフとケットシーの二人組へ声を掛けようとした――――その時だった。

 

「ぐぎゃっ!」

 

「ごぼぉっ!」

 

「うぐぁっ!」

 

ガリアン率いる増援部隊の後方から、打撃音と呻き声が突如発生したのだ。音と声の発生源へと視線を向けてみれば、後方に控えていたプレイヤー達が次々と宙を舞っている。無論、彼等が自ら飛んでいるわけではない。何かに弾き飛ばされ、空中に放り出されているのだ。この仮想世界において、現実世界の人間と大差ない質量に設定されている筈のアバターが、羽のように、である。

 

「こ、今度は何だ!?」

 

「あの向こう……何かいるのか!?」

 

立て続けに発生した異変に、スリーピング・ナイツのメンバーのみならず、ゾディアックのレイドメンバーすらもが浮足立った様子だった。分かっていることは、先程シルフとケットシーの二人が駆け付けてきたのと同じ方向の通路、その奥からやってきた“何か”に、ガリアン率いる増援メンバー達が襲われているということ。襲撃を受けている増援部隊のみならず、その場にいたプレイヤー全員が、迷宮区の通路から強襲を仕掛けてきた何かに対して身構えた。そんな中――――

 

「時間通りだな。まあ、こちらが先に始めてしまった誤算があったが」

 

「え?」

 

ただ一人、イタチだけは冷静に、しかも得心したかのような言葉を口にしていた。その呟いた言葉を耳にしたユウキは、その意味について問い掛けようとした。だが、その口を開いて言葉を紡ぐよりも先に、事態は進む。

 

「この野郎っ!」

 

「死ね!」

 

「オラァッ!」

 

ガリアンの率いていたパーティーメンバー三名が、全員同じ個所に向けて刃を振り下ろす。三方から一斉に仕掛ける逃げ場の無い、しかもソードスキルによる攻撃である。一般のプレイヤーならば、HP全損は免れない。だが、三筋の光芒は、襲い掛かってきた何かをその刃に捕らえることはかなわなかった。

 

「何!?」

 

「えぇっ!」

 

「ジャンプして躱した!?」

 

ソードスキルを垂直に跳躍して回避し、通路の空中に舞い上がる大きな影。それは、発動したプレイヤー三名の頭上を通過すると、イタチ等の傍へと降り立った。

姿を現したのは、百八十センチメートルはあろう長身に、鍛え上げられた逞しい体つきをした、精悍な顔立ちの色黒のプレイヤー――ノームである。ノーム特有の長方形の形をしたタトゥーは、左目の上に付いており、絆創膏を彷彿させる。身に纏うのは道着を彷彿させる白色の服で、鎧の類は最小限。武器は持っておらず、両手にフィンガーレスグローブを嵌めているのみだった。

 

「おい、まさか……」

 

「あれって……」

 

「マジかよ……」

 

剣も杖も持っていない、両手にグローブを嵌めただけの、丸腰の筈のプレイヤーに、ゾディアックの面々は驚愕に目を剥いていた。だが、それは目の前に現れたノームの男性が放つ、幾千もの戦いを勝ち抜いた武術家のような威圧感に対してだけではない。その容姿が、ここ最近噂になっているある強豪プレイヤーと驚く程合致するものだったからだ。

 

「間違いねえ……情報屋から送られてきた写真と、全くと言って良い程同じ格好だ!」

 

「ってことは、やっぱりアイツは……」

 

 

 

――――絶拳!

 

 

 

誰かが呟いたその言葉を皮切りに、スリーピング・ナイツも、ゾディアックも関係なく、誰もが混乱に陥った。特にゾディアックの面々は、ユウキによる宣戦布告に始まり、次々発生する予想不可能な事態の発生に、誰もが思考をフリーズさせていた。

 

(増援は間に合った。これで後門は問題無し。俺達は、前門の障害を突破する……!)

 

そんな中ただ一人、イタチだけは、冷静の目の前の状況を分析していた。その心中で巡らせているのは、自身に課せられた依頼を果たすために、微塵の隙も無い程に緻密に練られた策略の数々……

 

 

 

木の葉隠れの里の抜け忍としての前世を持つ少年が立案した、任務達成へと向けた作戦が今、始まろうとしていた。

 



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第百十話 二つの想いを一つずつ形にして

『ソロプレイでフロアボス攻略を成し遂げる』――――そんな、何の冗談だと疑いたくなるような凄まじい偉業を、しかし成し遂げたプレイヤーは…………信じられないことながら、実在する。

プレイヤーのネームは『マコト』。種族は九種族中で最も膂力に優れた土妖精族の『ノーム』。武装は最低限の防具のみで、体術スキルを駆使した徒手空拳を武器に戦い、魔法は補助以外には全くといって良い程使用しない、近接戦闘特化型のピュアファイターである。

今年の四月頃、『武者修行』と称して突如このALOの舞台であるアルヴヘイムへとやってきたこの男は、ゲームをスタートしてから現在に至るまで、以下のような武勇伝を作り、その名をALO中に轟かせたのだった。

 

曰く、ALO開始初日に中ボスクラスのモンスターを、HPをドット以下のダメージで単独でクリアした。

曰く、種族対抗の大規模レイド戦イベントにおいて、一人敵陣へ突撃し、フルレイド四十九人を相手に無双し、全滅せしめた。

曰く、その拳撃と蹴撃は、剣であろうが魔法であろうが粉砕する伝説級武器である。

 

そして、そんな並外れた武勇伝の中でも、聞くだけならば最も信憑性が低いものが、『フロアボスの単独攻略』である。しかしこれは同時に、明確かつ誰もが確認できる物的証拠が存在する武勇伝でもある。それは、アインクラッド第一層『はじまりの街』の黒鉄宮に設置されたオブジェクト『剣士の碑』である。

『剣士の碑』とは、アインクラッドの各フロアボス攻略に参加したプレイヤーの名前が刻まれる鉄碑である。ただし、これは参加したプレイヤー全員の名前が刻まれるというわけではない。攻略に参加したレイドの各パーティーリーダーが代表として刻まれるのだ。そしてその中には、『マコト』一人分の名前しか刻まれていない階層が存在していた。

無論、この話に否定的なALOプレイヤーの中は、実はマコトは七パーティーフルメンバーの、総勢四十九名のレイドで挑戦し、一人生き残ったことで名前を刻むに至ったのではと考えた者もいた。しかし、当該フロアボス攻略においてマコトとパーティーを組んで攻略したプレイヤーは一人として確認できなかった。

 

 

 

この偉業をきっかけに、マコトの名前は絶対無敵の拳の使い手として、『絶拳』の二つ名とともにALO中に轟くこととなったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「……イタチ。その人って、本物……なの?」

 

「本物だ」

 

目の前に現れた『絶拳』と呼ばれた男を指差し、ユウキは顔を引き攣らせながらイタチに問い掛けるも、即座に肯定されてしまった。『絶拳』の詳細は、特に秘匿されているわけでもなく、一般のプレイヤーでもその情報は容易に入手できる。性別は男性で、百八十センチメートル超の屈強な肉体を持ち、ノーム特有のタトゥーを左目の上に付けているという。また、その写真もあちらこちらに出回っており、その容姿は広く知られている。

しかし、本人を目の前にしてしまえば、本物なのかと疑ってしまうのも無理は無い。それだけ、『絶拳』が成し遂げた偉業は、凄まじいものがあるのだから。

 

「オイオイ、俺達も忘れてもらっちゃ困るぜ!」

 

「そうだよな。折角、友達の救援に駆け付けてきたのに、放置は無いぜ」

 

「ああ、悪かったな。キヨマロとギンタも、よく来てくれた。こんな無理な依頼を引き受けてくれたことには、感謝している」

 

マコトの両隣に立つプレイヤーに対し、改めて声を掛けるイタチ。それに対し、ギンタと呼ばれたケットシーの少年と、キヨマロと呼ばれたシルフの少年は、揃って笑みを浮かべて口を開いた。

 

「助けが欲しいって言ったのは、お前だろう。それにしても……戦いを始めるのが、少し早過ぎたんじゃないか?」

 

「キヨマロの言う通りだぜ。約束の時間より早く暴れ始めやがって。俺達が間に合わなかったら、どうするつもりだったんだよ?」

 

その言葉を聞いたユウキ達スリーピング・ナイツのメンバーは得心した。この場に駆け付けてきた三人のプレイヤーは、イタチによって呼び出された援軍なのだ。

 

「すまんな。俺としては、もうしばらく時間を稼ぐつもりだったのだが、俺の仲間が先走ってしまってな……」

 

「うぐっ…………ご、ごめん」

 

イタチの呟きを耳にしたユウキは、しゅんと萎れた様子で謝罪を口にした。余所のギルドが敵に回る、このような事態も予測に入れてイタチは作戦を立てていたというのに、それをユウキが台無しにしかけたのだ。居た堪れない気持ちになるのも無理は無かった。

 

「だが、本格的な戦いはこれから始まるところだ。増援は十分に間に合っている」

 

窮地に陥っていたイタチ達七人パーティーのもとへ、キヨマロとギンタ、そして絶拳ことマコトが駆け付けたことにより、戦況は十対四十九となった。ゾディアックのフルレイド四十九人は、扉側に二十人、通路側に二十九人がそれぞれ展開している。イタチ等七人パーティーが相手する数より、キヨマロ、ギンタ、絶拳ことマコトが相手する敵の方が数は多い形となっていた。

そんな不利な戦いを強いられることとなった三人に、イタチは確認するようにキヨマロへと問い掛けた。

 

「やれるか、この数?」

 

「あと一人増えたら厳しいかもな」

 

「……なら、その一人は俺が倒すさ」

 

「なんだ、お前も手伝ってくれるのか?」

 

この危機的状況下において、余裕そのものの態度で軽口を叩き合えるのだ。フルレイドによる挟撃など、大した障害にはならないのだろう。

 

「心配は無用なようで何よりだ。なら、当初の予定通り、俺達は扉側の部隊を相手する。通路側の援軍は、お前達三人に頼む」

 

「了解した」

 

「任せとけ、イタチ」

 

互いのコンディションがいつもと変わらないことを確かめたイタチとキヨマロは、それぞれの方向へと剣を改めて構えた。イタチにはユウキをはじめとしたスリーピング・ナイツのメンバーが、キヨマロにはギンタとマコトが追従する。

 

「イタチ」

 

そして、いよいよ戦いが始まろうとしていたその時。今まで口を開かなかった絶拳ことマコトが、イタチの名前を呼んだ。呼ばれたイタチはちらりと後方にいるマコトへと視線を向けた。

 

「この戦いが終わったら、例の約束は守ってもらうからな」

 

「ああ、任せておけ。それでは……始めるぞ!」

 

その一言を最後に、今度こそ戦いの火蓋が切って落とされた。イタチ率いるパーティーは、イタチとユウキがツートップで前へ出て通路を駆け抜け、ゾディアックの前衛メンバーのもとへ向かう。それをジュンとテッチ、ノリが追う形で続く。シウネーは、槍からワンドに持ち替えたタルケンと共に、後方支援に回っていた。

 

「ユウキ、前衛の連中は相手にするな。まずは、後方のメイジ隊を潰すぞ」

 

「オッケー!」

 

隣に並び立つユウキに指示を出し、敵前衛に斬り込んでいくイタチ。襲い来るゾディアックのメンバーが振るう武器に対し、受け止めるのではなく、受け流す。攻撃は相手の動きを封じるための最低限度に止め、追撃はせず、只管に敵陣の奥を目指す。

 

「ジュン、テッチ、ノリ!突破した敵を足止めしろ!」

 

「了解だ!」

 

「任せといて!」

 

「背中はあたし等が守るよ!」

 

勿論、突破した後に残した敵への対処も怠らない。イタチとユウキの後続として突撃してきたジュン、テッチ、ノリの三人が、イタチとユウキに向けて再度攻撃を仕掛けようとするゾディアックのメンバーを攻撃して行動を阻む。お陰で、イタチとユウキは背後からの攻撃を気にせず、突き進むことができる。

 

「させるかぁぁあっ!」

 

「むっ!」

 

「わゎっ!」

 

しかし、ゾディアックもALOを代表する攻略ギルド。たった七人のプレイヤー相手に、やられっ放しのままではない。イタチとユウキの進撃を防ぐために、反撃に動く。

イタチとユウキに対して繰り出されるのは、槍系二連撃ソードスキルの『ツインスラスト』。しかし、得物はただの細剣や槍ではない。鞭のように撓って湾曲し、二人の死角を穿つように放たれたのだ。かなりの速度で、回避が難しいタイミングで受けた攻撃だったが、二人とも反応が間に合い、危なげなく刺突を弾くことに成功するのだった。

 

「調子に乗ってんじゃねえぞ!」

 

「お前か……」

 

「イタチ、今のって……!」

 

イタチとユウキが視線を向けた先に居たのは、先程まで扉の前で押し問答をしていたリーダー格の男、コウガである。その右手には、刺突を放った武器である多節棍が握られていた。

 

「単体攻撃技である『ツイン・スラスト』を二体の標的に対して放つ、か。噂に聞くエンシェント・ウエポン級武装の『百足』だな。成程、流石は攻略ギルドだ。中々に強力な武装に、巧みな使い手を揃えている」

 

ALOにおいて実装化されている有名どころの武器に関する情報を一通り押さえていたイタチだからこそ判別できた武装だった。

エンシェント・ウエポン級武装『百足』は、その名の通り、虫のムカデを彷彿させる無数の関節を持つ多節棍である。形状は片手棍に近いものの、片手棍特有の打撃系ソードスキルのみならず、槍系の刺突系ソードスキルも使える、汎用性の高い武器なのだ。加えて、無数の関節が分離して鞭のように撓り、湾曲する特性を持つことから、自由自在な軌道を描くことができる上、ソードスキル発動時においてもこの特性は機能するのだ。唯一にして最大の難点として、癖の強い武器故に扱いが難しいことが挙げられており、使い手は非常に少ないとされている。

 

「ユウキ、避けろ!」

 

「こ、今度は何っ!?」

 

コウガの攻撃を凌いだのも束の間。ゾディアックからの反撃は、間断無くイタチとユウキへ行われる。

続いてイタチとユウキに繰り出されたのは、体術ソードスキルの『閃打』。大したダメージを与えられるわけではない、敵をノックバックさせるためのソードスキルである。恐らくこれで隙を作り出し、重攻撃型のソードスキルと魔法を立て続けに叩き込んで攻め潰すつもりなのだろう。

こちらの攻撃も死角から仕掛けられたものだったが、イタチとユウキにとっては問題にはならず、こちらも難なく回避に成功する。だが、攻撃が仕掛けられた方向に居た……『閃打』を放った相手を見たユウキは、ぎょっと目を見開いて驚きを露にした。

 

「う、腕!腕の、お化けぇっ!?」

 

「落ち着け。スプリガンの幻属性魔法『スプリットパーツ』だ」

 

目の前に浮遊する“腕だけの存在”に対し、しかしイタチは相変わらずの冷静さをもって分析し、その答えをユウキに告げた。

『サスケ』というスプリガンのアバターをサブアカウントで持ち、幻属性魔法を熟知していたイタチには、その魔法の正体はすぐに分かった。

『スプリットパーツ』は、手足と胴体を、実体を持ったまま分離・浮遊させる魔法である。ソードスキルや他の魔法の併用も可能なことから、遠隔攻撃や陽動に使われている。ボス攻略戦においては、タゲを攪乱するのに重宝されることから、ゾディアックがレイドのメンバーに使い手を入れているのは当然とも言えた。

 

「後方支援の連中の中に、両手が欠損したプレイヤーが見えた。恐らく、奴が発動しているのだろう」

 

イタチが件で指し示した先には、確かに手足が欠損した状態の、髑髏の仮面を被った男性プレイヤーがいた。彼が『スプリットパーツ』を発動しているスプリガンでまず間違いない。

 

「ふぇぇえ……やっぱり攻略組って、凄く強い人達なんだね」

 

「感心している場合じゃないだろう。その凄く強い連中を、半数以下とはいえ……俺達七人で全員倒さなければならんのだぞ」

 

初めて身をもって知る攻略組の強さを前に、臆するどころか、好奇心に目を輝かせて興奮するユウキに、イタチは半ば呆れていた。しかし、歴戦の強豪プレイヤーでもまず匙を投げるような状況下に置かれても、気勢を削がれることなく、戦いに臨むことができる純真さと芯の強さには、敬意を持っていた。スリーピング・ナイツのメンバーはもとより、イタチにとっても支えになるからだ。

 

「ゾディアックを嘗めんなよ!お前達七人程度、すぐに叩き潰してやらあっ!」

 

「ボク達だって、負けないよ!君達を倒して、絶対にフロアボス攻略を成功させてみせる!!」

 

己の譲れないもののために、どれ程の兄弟な困難が障害として立ちはだかったとしても必ず乗り越える。その固い意思を胸に宣言したユウキの決意を、しかしコウガは鼻で嗤った。

 

「ハッ!俺達にすら手こずっているような奴等に、そんなことできるわけがねえだろうが!後ろの援軍も、いくら絶拳が一緒だからって、三十人近い数を相手にいつまでも持ち堪えられるわけがねえ!すぐに挟み撃ちにしてやるぜ!」

 

「果たして、そう上手くことが運ぶと思うか?」

 

「ああん!?何言ってやがる!見ろ!絶拳だって、すぐに…………」

 

イタチの挑発的とも言える態度に苛立ちを露にし、絶拳ことマコトとその仲間二人が戦っている場所を指差す。しかしそこにあったのは、コウガが口にしていたような、ゾディアックにとって圧倒的に有利な戦況などではなく……それどころか、真逆の展開だった。

 

 

 

 

 

「『絶拳』ことマコト……それに、『シルフ五傑』のキヨマロと『リビング・ウエポン使い』のギンタ、か。たった三人ながら、錚々たる面々だな」

 

「俺も、あんたのことは聞いてるぜ。俺より古株のALOプレイヤーの『シルフ五傑』――ガリアンだな」

 

「俺とバッボのことも知ってるみたいだな!」

 

マコト、キヨマロ、ギンタの三人に相対するゾディアックの代表者として口を開いたのは、リーダーであるガリアンだった。

 

「直接顔を合わせるのはこれが初めてだが、お前のことはシチロウからもよく聞いている。ここ最近新たに加わった『シルフ五傑』の男は、俺と同じ雷使いだと聞いていた。それも、“オリジナルソードスキルを使いこなす”とな」

 

「あんたの噂も聞いてるぜ。ALOの中でも随一の両手剣使いで、ユージーン将軍に最も近い実力を持つ、シルフのトップクラスの使い手に名を連ねていた強豪だってな」

 

種族同士の抗争が激しかった旧ALO時代には、ホームタウンが隣同士だったシルフとサラマンダーも例に漏れず、壮絶な戦いが毎日のように繰り広げられていた。そして、その種族間戦闘の急先鋒に立っていたプレイヤーというのが、シルフ五傑と呼ばれる五人のプレイヤーと、サラマンダー実戦部隊を率いるユージーン将軍だった。

伝説級武器『魔剣』グラムを持ち、OSS『ヴォルカニック・ブレイザー』を使いこなす、ユージーン将軍は、イタチをはじめとしたSAO生還者の強豪たちがALOに参戦した今も尚、最強クラスのプレイヤーとして名高い強豪である。そして、ユージーン将軍と渡り合ってきたシルフ五傑の一人に数えられるガリアンもまた、強豪と呼ぶに相応しい実力者には違いなかった。

 

「できることならば、そこの絶拳も含めて一対一での手合わせといきたかったが、今はギルドの任務中だ。任務達成の責任がある以上、レイド全員で当たらせて貰う。悪く思わないでもらおう」

 

ガリアンが手を上げると、後方に控えていたメイジ数名が詠唱を開始した。魔法の発動を止めようにも、マコトによって瓦解しかけた前衛部隊の立て直しは既に完了している。マコトが蹴散らして後衛に攻め込むよりも、魔法が発動する方が先だろう。

 

「マコト、頼んだぞ!」

 

「了解した」

 

これに対し、キヨマロ達三人が取った行動は、マコトを前衛へ出し、キヨマロとギンタの二人はその後ろへと下がった。どうやら、ガリアン率いるゾディアック援軍のメイジ隊が放つ魔法攻撃を、マコト一人で対処しようと考えているらしい。

近接戦闘のスペシャリストを前に立てて、一体何をしようとしているのか。ガリアンにはその意図がまるで読めないが、攻撃を止めるわけにはいかない。

 

「放て!」

 

そして、ガリアンの掛け声と共に、マコト目掛けていくつもの魔法が発射される。氷塊を放つ氷属性魔法『アイスドアース』、火属性魔法『フレイムボール』、竜巻をぶつける風属性魔法『ウィンダールヴ』といった魔法が、立て続けに放たれ、迫る中、マコトが取った行動は――――

 

「ハァァァアアアッッ!!」

 

「何っ!?」

 

放たれる魔法に対し、拳を突き出すという方法による迎撃に出たのだ。しかし、ただの拳撃ではない。眩いライトエフェクトを放つ、閃光の拳――ソードスキルである。先行して飛来した『フレイムボール』の魔法三発は、マコトの放った体術系ソードスキルの前に爆砕された。

 

「セイッ!ハァァアッ!」

 

次いで迫るのは、『アイスドアース』の氷塊二つ。対するマコトは、今度は両足にソードスキルの光を宿し、蹴撃によって叩き割る。

 

「ウオォォォオオオ!!」

 

そして、最後に迫る竜巻二つに、手刀で両断し、蹴撃で打ち抜く。五秒にも満たない間に繰り広げられた、マコトによる魔法の迎撃を目にしたイタチとキヨマロ、ギンタを除くプレイヤー達全員が、一様に驚愕に目を剥いていた。

 

「ば、馬鹿な……!」

 

「魔法を……素手で!?」

 

「嘘……だろ……!?」

 

『絶拳』が立てた武勇伝の数々は、ALOに広く知れ渡っているが、流石にこれは予想外過ぎる。迫りくる魔法の数々を、拳撃・蹴撃をもって叩き潰すなど、誰が予測できたものか。

 

 

 

 

 

「イタチ……あれって、ソードスキルなの?」

 

「ああ」

 

「けど、ソードスキルで魔法を迎撃するって……」

 

「理論上は、可能なことだ」

 

目の前に起こった出来事に対して、未だに信じられないとばかりに顔を横に振るユウキの考えを、しかしイタチは否定した。

ALOにおけるソードスキルとは、地水火風光闇の属性ダメージを持つ攻撃であり、システム上は魔法と同じ性質を持っている。故に、魔法をソードスキルで弾くことは、当たりさえすれば可能なのだ。

尤も、飽く迄それは、ソードスキルが魔法に“当たれば”の話であり、実行するのは尋常ではない程に難しい。ALOにおける魔法という現象は、大部分が実体の無いライトエフェクトで構成されており、これを消滅させるには中心部の非常に小さいコアをソードスキルで穿たねばならない。即ち、高速で迫る飛翔体の中にある、視認できないウィークポイントを見極め、システムアシストの作用によって相当な速度と勢いが伴うソードスキルを当てるのだ。これをやってのけるには、相当に優れた動体視力は勿論のこと、ソードスキルを制御し、完璧に使いこなすテクニックが必要となる。

イタチが『魔法破壊(スペルブラスト)』と名付けたこのシステム外スキルを習得したプレイヤーは非常に少なく、歴戦の勇者と目されるイタチの友人であるアスナやリーファ、クラインですら習得することができなかった程の難易度である。発案者であるイタチ自身を除き、最終的に『魔法破壊(スペルブラスト)』を習得したプレイヤーは、先程目の前でこれをやってのけた『絶拳』マコトと、リーファの親友であるランの二人のみだった。

リーファを通して聞いた話によれば、このマコトはラン同様、現実世界においても武術を極めた凄まじい戦闘能力の持ち主らしい。しかも、探偵業を営むランの父親の仕事場で、ラン同様に銃器を手に抵抗する凶悪犯を取り押さえたことがあるらしい。その経験が『魔法破壊(スペルブラスト)』に活かされているのだという。

 

「けど、体術系ソードスキルの連撃って、聞いたこと無いんだけど……っていうかアレ、もしかして……」

 

「七連撃片手剣ソードスキルの『デッドリー・シンズ』、だな」

 

イタチからその言葉を聞かされたユウキは、さらなる驚愕に見舞われた。

 

「ど、どうして片手剣ソードスキルを体術で使えるのさ!?」

 

「片手剣ソードスキルを、体術ソードスキルの『OSS』として登録したからだ」

 

『OSS』とは、その名の通り独自に開発ソードスキル開発を行うために実装化されたシステムである。普通ならば、剣や槍といった武器を使ったソードスキルの開発に用いられるものなのだが、マコトはこれを体術スキル開発のために活用したのだ。

そもそも、体術スキルというものは接近戦における補助的な攻撃手段として用いられてきたものであり、数そのものが少なく、単発技が大半を占めている。故に、体術使いのプレイヤーの基本戦術は、ソードスキルを伴わない打撃の連打を急所へ叩き込むことによる制圧となる。無論、こんな戦法が取れるのは体術に相当優れるプレイヤーでなければ不可能であり、体術使いのプレイヤーの数が非常に少ない所以でもある。

そこで、マコトは既存のソードスキルの連続技を、両手両足を用いた体術で再現し、これを『OSS』として登録する策を考え出した。並外れた動体視力と身体能力を持つマコトにとっては、体術による『OSS』の作成など造作も無いことだったらしく、今では片手剣、両手剣、短剣のソードスキルを一通り体術の『OSS』として習得していた。ちなみに、両手両足を武器として使う関係上、二連撃ソードスキルでも、単純計算で「4×4=16」で十六通りの攻撃手段が編み出されることとなり、結果としてマコトのOSSによる体術の手数は、三桁を軽く超えているのだった。

 

「本人の希望としては、ソードスキルのような小細工は無しで、純粋な体術のみでこの世界で戦いたいと考えていたらしいが……システム的に干渉できない魔法の類をどうにかするには、魔法かソードスキルのどちらかを取らなければならなかったわけだ」

 

「ってことはつまり……その『魔法破壊(スペルブラスト)』をやるためだけに、『OSS』の体術系ソードスキルを作ったってことなの!?」

 

「そういうことだ」

 

「は、はは…………えっと……流石は、イタチの友人って言った方が良いのかな?」

 

「知らん」

 

顔を引き攣らせて苦笑し、どうコメントすれば良いのか、まるで見当が付かないでいるユウキに対し、イタチはしれっとそう答えた。

それより今は、目の前の障害の排除である。マコトとキヨマロ、ギンタが後方の敵を足止めしている間に、自分達はフロアボスの部屋の前に陣取っているゾディアックのメンバーを全員排除しなければならないのだから。

 

「チィッ!野郎ども、かかれ!!」

 

通路の反対側でマコトが繰り広げる常識外れな戦いぶりに、コウガが焦ったように指示を飛ばす。それに従い、ゾディアックの前衛パーティーのメンバーが次々イタチとユウキに襲い掛かった。先程までと同様、刃を受け流し、最優先排除目標である後衛のメイジ部隊へ接近を試みる。しかし、今度はそうはいかない。刃を受け流したその直後に、後衛のメイジから援軍のメイジが放ったものと同様に、『フレイムボール』や『アイスドアース』をはじめとした攻撃魔法が立て続けに放たれ、後退を余儀なくされたのだ。

 

「くぅぅう……やっぱり皆、手強いなぁ……!」

 

「回復薬兼遠隔攻撃役の後衛メイジを先に潰すのは、集団戦闘の定石だ。ましてやゾディアックが、その弱点を押さえておかないわけがない」

 

「けど、やっぱり攻めないことには始まらないよね。それじゃあもう一丁、行ってみようか!」

 

戦場がそれ程広いわけではない通路の上であり、迷宮内故にALO特有の翅を活かした空中戦に持ち込めない以上、取れる手段は先程と同様の正面突破以外に無い。

故にユウキは先程と同様、イタチとともにゾディアックの前衛部隊の中へと斬り込んでいく。対するゾディアックは、先程とは異なる方法による迎撃に出た。

 

「へっ……!何コレ!?プーカのプレイヤーが沢山……!」

 

「プーカが得意とする音楽系スキル『チャームホルン』だな。使い手の幻を複製する、幻属性魔法の性質を兼ね備えたスキルだ」

 

尖った帽子を被り、マントを羽織ったプーカのプレイヤーが多数出現するという予想外の現象が起こったことで、踏み込むことができなかったユウキに対し、イタチが解説を行った。

 

「それじゃあ、本物は?」

 

「スキルを発動している本体のプーカには、影がある。影が無いものが幻影だ」

 

「そっか!なら、本物は…………」

 

イタチのアドバイスに従い、本体を探すユウキ。だが、そこへ――――

 

「わゎぁあっ!」

 

「む……!」

 

イタチとユウキ目掛けて、ゾディアックの後方部隊から魔法が、“分身越し”に放たれた。

 

「分身を使って視界を遮って作った死角から魔法を放り込む、か。マントを着込んでいるのも、布面積を増やして死角を広げるためというわけだ。中々、考えたな」

 

「いや、感心してる場合じゃないでしょ!」

 

『チャームホルン』で作り出した分身は、ハリボテだけで実体が存在しない。しかしその反面、術を解かない限り、攻撃を受けても消滅しない性質を持つのだ。

ゾディアックはこの性質に着目し、分身を陽動用のデコイとして使うとともに、攻撃を確実に命中させるための死角を作り出すために利用しているのだ。

 

「ほらほら!前ばっかりじゃなくて、後からも行くよ!」

 

「そう簡単には、行かせないのニャ!」

 

そして、前方ばかりに注意を払っているわけにはいかない。ここまで斬り込んできた際に置き去りにしてきたゾディアックの前衛部隊が、ジュン、テッチ、ノリの足止めを振り切り、イタチとユウキを襲い始めたのだ。

先行して後退を開始した、先端が球体の形をしたメイスを持つレプラコーンと、鋭い爪を両手に嵌めたケットシーの女性二人による連携攻撃を躱すイタチとユウキだが、次いで分身越しに放たれた魔法を避けるために動いたため、イタチとユウキはさらに押し戻されてしまった。

 

「流石は攻略ギルドだな。一筋縄では突破できん」

 

「だから、落ち着いている場合じゃないでしょ!」

 

ゾディアックの包囲を突破できない状況に置かれながら、相変わらず冷静に構えているイタチに、ユウキが突っ込みを入れる。イタチはイタチなりに現状を打破する方法を模索していることは分かるが、時間が無い。

ともかく今は、戦況をこちらに有利にする必要がある。そのためにはまず、前線に『チャームホルン』の分身を放っているプレイヤーを潰さなければならない。先程のイタチのアドバイスに従い、影の無いプーカのプレイヤーを探し出すべく、視線を巡らせる。

 

「見つけた、あれだ!」

 

「ユウキ、待て!」

 

前線に立ち塞がるプーカの分身の中に一体だけ、影のあるプーカの姿を捉えたユウキの行動は早かった。片手剣を構え、ソードスキルが発する光芒とともに標的のプーカ目掛けて一直線に駆け出していく。発動するソードスキルは、片手剣の単発重攻撃技の『ヴォーパルストライク』。片手剣系ソードスキルの中でも特に強力なこの技は、非常に強力な分、相手に軌道を先読みされるリスクが大きい一面もあった。しかし、イタチ程ではないにせよ、OSSを作り出す程にソードスキルを極めたユウキの一撃は、譬え正面から仕掛けたとしても、カウンターを仕掛ける隙など与えない。

 

「いっけぇぇぇえええ!」

 

目標たるプーカ目掛けて、閃光と化したユウキの刺突が繰り出される。アスナもかくやという速度で動くユウキの姿を、目で捕捉することはできても、行動は間に合わない。一歩、また一歩と確実に距離を詰め、そして、あと一歩で必殺の一撃が炸裂しようという――――その時だった。

 

「えっ………!?」

 

ユウキの視界が……身体が、ぐらりと傾いたのだ。自身を襲う、まるで、右足を泥濘に突っ込んだかのような感覚に戸惑うユウキだが、今更後には退けない。さりとて、右足に起こった謎の異常ゆえに、前へ踏み込むことも叶わない。

 

「てぇぇえいっ!」

 

そんな中、ユウキが取った行動は、突撃を諦めて、剣を“投擲する”というものだった。ソードスキルは、武器を手放してしまえば、即座に発動がキャンセルされてしまう。しかし、敵に炸裂する直前の段階まで発動している状況で、高速で投擲したのならば――――

 

「ぐぁぁぁあああっっ!」

 

ソードスキルのキャンセルは不完全な状態で、敵を貫くこととなる。果たして、ユウキが放った“投擲型の”『ヴォーパル・ストライク』は『チャームホルン』を発動していたプーカのプレイヤーを、刺し貫いた。ソードスキルの威力を殺さず放たれたその一撃は、プーカのプレイヤーのHPを、その一撃にて全損に至らしめた。

 

「いよっし!まずは一人!」

 

厄介なプーカを『チャームホルン』の分身もろとも消滅させたことにガッツポーズで達成感を抱くユウキ。だが、

 

「って!…………う、動けないぃいっ!?」

 

その場から移動し、イタチと合流しようとしたが、足が全く動かせない。ユウキの両足は、流砂のように変化していた地面へと、踝の部分まで沈んでいた。

 

「ハッハッハ!まんまと引っ掛かりやがったな!これでこいつは動けねえ!メイジ隊、こいつを焼き尽くせ!」

 

自身の置かれた状況を理解し、ユウキは遅まきながら、自分が罠に嵌められたことに気付いた。プーカの『チャームホルン』に気を取られて気付かなかったが、その隙を突く形でコウガはノームが得意とする土属性魔法『蟻地獄』を発動していたのだ。

『蟻地獄』とは、一定空間の地面を流砂へと変化させ、敵の足を沈み込ませて動きを封じる、標的の拘束や捕獲に用いられる魔法である。空中戦が主流であるALOにおいては、専ら地上で活動するモンスター相手に使用する魔法だが、飛行禁止エリアであるダンジョンの通路であれば、プレイヤー相手でも多大な効果を発揮する。先程のように、『チャームホルン』の陽動と併用すれば、猶更である。

果たしてその策略は成功し、プーカのプレイヤー一人という犠牲を払いながらも、ユウキを身動きの取れない状況に追い込んだ。そして、作戦を指揮したコウガの命令により、後衛のメイジ隊へ魔法による集中砲火を浴びせかけようとする。

 

「くっ……!」

 

『蟻地獄』の渦中に捕らわれ、身を守る武器すら手に無い勝ちこの状況下では、回避も防御も不可能である。せめてもの抵抗として、両腕で頭部を守る姿勢を取るが、降り注ぐ魔法の前では意味を為さない。コウガが誇ったような嘲笑を浴びせかけてくる中、ゾディアックのメイジ隊の詠唱を開始する。

退くことも進むこともできず、もはや打つ手無し。そんな考えが過り、ユウキはHP全損を覚悟して目を瞑ろうとした。だが、その時――――

 

「だから言っただろう、ユウキ。何事においてもお前は、“先走り過ぎだ”とな――――」

 

「え?」

 

ふと聞こえたその声に、顔を上げようとしたユウキだったが、それは叶わなかった。魔法が衝突するよりも先に、自身の右肩に重い衝撃を感じ、バランスを崩したからだ。次いで気付いたのは、自身を真上から覆う、“黒い影”。それは、ユウキの頭上を一瞬で通過し、じきに魔法が飛来する渦中へとその身を躍らせた。

 

「い、イタチっ!?」

 

ゾディアックのメンバーは前衛・後衛を問わず、全員がユウキ一人に注目していたせいか、ユウキの右肩を足場に凄まじい速度で跳躍した黒い影の正体たる、イタチの存在に気付くのが遅れた。

ユウキを足場に蟻地獄を跳び越え、ゾディアックのメンバーの頭上へと跳躍したイタチは、地上の敵全員の配置を確認する。それと同時に、両手に四本ずつ持っていたピックを次々に投擲する。

右手から二本、左手から二本、次いで再度右手から二本投擲。さらに、腰のポーチに差していたピック二本を抜き、両手に持つ。そしてこれらを、迸るライトエフェクトとともに同時に投擲する。複数の標的目掛けて投擲武器を放つ投擲系ソードスキル『マルチプル・シュート』である。

 

「なっ……!?」

 

「まさか!」

 

「嘘!?」

 

イタチが時間差で投擲したマルチプル・シュートによって放った二本のピックは、先に放った六本のピックへと、空中にてビリヤードのように追突し、当初の投擲した軌道を分岐。投擲された計八本のピックは、それぞれ別方向に存在する標的目掛けて飛来する。

 

「ぐあっ!」

 

「ぎゃっ!」

 

「ぬあっ!」

 

「ひぃっ!」

 

「うわっ!」

 

「きゃっ!」

 

「ぶほっ!」

 

「ぐぅっ!」

 

果たして、投擲されたピック八本全て、イタチが狙いを定めたプレイヤー八人に命中した。ピックが突き刺さったプレイヤーは、ユウキ目掛けて魔法を放とうとしていた後衛のメイジ五人と、前衛のプレイヤー三人。そのいずれもが、ピックの命中とともに、その場に崩れ落ちた。

 

「んなっ……あり得ねぇ!あんな体勢から、あんな数のピックを投擲して命中させるなんて……!」

 

「あんな技、見たことねえぞ!!」

 

イタチの投擲技に驚愕するゾディアックのメンバー達。一般のプレイヤーには到底再現できない離れ業だが、忍としての前世を持つイタチには然程難しい芸当ではない。ましてやうちはイタチは、忍世界において最強クラスの忍であり、先程行ったように複数の標的を同時に狙える程に手裏剣術を極めているのだ。

そんなことを知る由も無いゾディアックの面々は、驚愕に目を剥き、あり得ないとばかり呟く。そしてその隙は、イタチを相手するにはあまりに致命的だった。

 

「なっ……まさか、麻痺毒!?」

 

「察しが良いな。だが……遅い!」

 

前衛プレイヤーの支援の要である後衛と、前衛の主要メンバーの動きを麻痺毒で封じられたことにより、ゾディアックの優勢は大きな揺らぎを見せる。そして、目論見通りに作り出した隙を突き、イタチは着地と同時に指揮官であるコウガを討つべく動き出す。

 

「チィッ!来るなぁあっ!」

 

対するコウガも、負けじと応戦しようとするが、イタチを迎え撃つには距離が短過ぎた。コウガが右手に握る『百足』による伸縮自在の刺突が繰り出されるよりも早く、イタチは懐に飛び込み、ソードスキルを発動する。

片手剣による、水平四連撃ソードスキル『ホリゾンタル・スクエア』である。正方形を描くように、標的を中心に水平四連撃を繰り出すこのソードスキルは、巨体故にパワーがある反面、小回りの利かない弱点を突くには打って付けのソードスキルだった。

 

「ぐぅぅううっっ……嘗めるなぁあっ!!」

 

だが、コウガもただではやられない。四連撃の最後の一撃が脇腹を切り裂いたその時。振り抜かれようとしたその刃を、素手で無理矢理押さえ込んだのだ。

 

「お前等ぁああ!俺もろともこいつをぶっ殺せぇええ!!」

 

どうやら、捨て身の白刃取りでイタチの剣を封じたこの隙を利用し、仲間達に一気に畳み込ませて道連れにしようという魂胆らしい。かなり無茶な作戦ではあるが、数の有利と自身の頑強さを最大限に活かした、現状で取れる作戦の中では最も有効であることは間違いない。HP全損は免れないが、蘇生アイテムがあれば戦線復帰は可能となる。

しかし、デスペナルティーを気にすることなく、即座に自分諸共にイタチを倒すという作戦に出た決断力は、賞賛に値するだろう。ただし、相手がイタチではなければ、の話だったが…………

 

「はぁっ!」

 

「ぐふぉぉっ!?」

 

剣を引き抜くことは不可能と考えたイタチは、柄から手を放してコウガの腹に蹴りを叩き込み、迫りくるゾディアックのメンバー達の前へと突き飛ばして足止めに利用した。その間隙を利用し、イタチはクイックチェンジを素早く発動させて剣を回収する。それと同時に、地面に転がっていたソレ(・・)を拾い上げた。

 

「死ねぇっ!」

 

「くたばれ!」

 

「これで終わりだっ!」

 

そこへ、突き飛ばされたコウガによる足止めを突破してきたゾディアックのメンバーが襲い掛かる。対するイタチは、三名のプレイヤーに一斉に襲い掛かられているにも関わらず、慌てた様子を微塵も見せないまま……

 

「ふんっ……!」

 

両手から二条の閃光を左右両方向へ迸らせ、迫りくるプレイヤー三名の刃を弾き返した。広範囲型二刀流ソードスキル『エンド・リボルバー』である。

そして、それを放ったイタチの左手には、ユウキの愛剣である漆黒の片手剣『ビジュメニア』が握られていた。

 

「次は――――」

 

プレイヤー三名を一蹴したイタチが次に狙いを定めるのは、ゾディアックのレイドの最後部に展開しているメイジ隊である。剣二本を手に突撃姿勢を取ると、ソードスキル発動に伴うライトエフェクトを迸らせながら、力強く踏み込んでいく。

 

「はぁぁぁあああっっ!!」

 

その掛け声と共に駆け出したイタチは、瞬く間に最高速に達して閃光と化し、レイドを突き抜けた。突進型の二刀流ソードスキル『ゲイル・スライサー』である。

アスナが発動する細剣上位ソードスキルの『フラッシング・ペネトレイター』程のスピードと威力は無いが、二刀流で繰り出す技だけに侮れない。事実、イタチの前に立ち塞がっていたゾディアックのメンバーは皆、猛スピードで走行する車両に轢かれたかのような勢いで吹き飛ばされ、紙くずのように宙を舞っていた。

 

「ひぃっ……!」

 

「そ、そんなっ!」

 

弾丸、或いはレーザーのように駆け抜け、後衛へと至ったイタチを前に、ゾディアックのメイジ隊は、驚愕と戦慄に見舞われていた。魔法に特化したステータスを持つメイジ隊にとって、近接戦闘においては明らかに格上のプレイヤーであるイタチは、この上ない脅威である。

 

「終わりだ」

 

「――――!!」

 

静かに告げられた処刑宣告。それと同時に、イタチの両手に握られる刃から、三度の閃光が迸り――――そこから先は、一方的な“虐殺”とも呼べる展開が繰り広げられるのだった。

 



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第百十一話 もっと先に見える希望だけ残した

イタチとユウキを筆頭としたパーティーメンバーが、先行してボス部屋の前に陣取っていたゾディアックのメンバーと切り結んでいたその頃。ゾディアックの援軍を押さえ込んでいたキヨマロ、ギンタ、マコトの三人もまた、攻撃に転じようとしていた。

 

「今度はこちらから行かせてもらうぞ!ギンタ、やれ!」

 

「任せとけ!バッボ、バージョン・2だ!」

 

ギンタが手に持つ武器に向かってそう呼び掛けると、バッボと呼ばれたハンマー型の武器は、先端がラッパのように広がった、ハンドメガホンを彷彿させる武器へと形を変えた。

 

「食らえ!バブルランチャー!!」

 

ギンタの掛け声とともに、バッボのラッパ上に広がった射出口から放たれたのは、無数の泡状のオブジェクト。一見すれば、目晦ましのためのシャボン玉にしか見えないが、これが人畜無害な物体ではないことは、すぐに分かった。

 

「んなっ!これは……っ!」

 

「ば、爆弾!?」

 

ただの虚仮脅しと決めつけたゾディアックのプレイヤー達がシャボン玉のようなオブジェクトを剣や槍で突いた瞬間――爆発が起こったのだ。

接触をトリガーに爆発する泡を放つ水属性魔法――『バブルランチャー』である。爆発の威力は中々でのもので、弾幕を張れる点から高性能と思われがちの魔法だが、実際はそうでもない。シャボン玉の形状そのままに弾速が遅く、風に流されやすい性質があるため、開けた空中が主戦場であるALOにおいては、あまり役に立たない。しかし、ここはダンジョンという一方通行の閉鎖空間の中。回避するためのスペースは限定されており、その性能を十二分に発揮できる状況にあった。

 

「畜生!詠唱も無しに魔法を発動なんて、そんなのアリかよ!?」

 

「つーか、どうなってんだ!?なんでハンマーが射撃武器に変わってんだよ!?」

 

しかし、それよりも驚くべきは、ギンタの武装たるバッボの性能だった。ハンマーから射撃武器へと変形した上、『バブルランチャー』を魔法の発動に不可欠な詠唱を抜いて放ったのだ。

 

「チィッ!変形自在の特性に加え、『マジックストーン』に込められた魔法の詠唱を省略して放つ……これが噂に聞く『バッボ』の性能か!」

 

バブルランチャーの爆風が吹き荒れる中、ガリアンが忌々し気にそう呟いた。

『マジックストーン』とは、武器に埋め込むことのよってさまざまな特性を付与できる武装強化用アイテムである。テイムモンスターでもある『リビング・ウエポン』のバッボは、搭載されたAIによって、埋め込まれたマジックストーンの特性に最適な形状を判断し、変形する機能を持っているのだ。そしてさらに、他の武器と一線を画す特性として、詠唱を省略してマジックストーンに込められた魔法を行使することができるのだ。

だが、一見便利に見えるこの機能も、決して万能ではない。プレイヤーはモンスターをテイムできるケットシーであることをはじめ、詠唱を省略できる魔法のクラスや変形できる武器の種類等、いくつもの制約が存在するのだ。そんなクセの強い武器を操ることができるのは、偏にSAOにおける戦闘経験が作用していることは言うまでもない。

 

「マコト、突撃だ!ギンタはもう一度、バブルランチャーを!」

 

「分かりました!」

 

「了解だぜ!」

 

「くっ……怯むな!態勢を立て直して迎撃するんだ!」

 

ギンタの放ったバブルランチャーによって瓦解に瀕したゾディアック援軍目掛けて、『絶拳』ことマコトが突撃を仕掛ける。さらに、援護としてギンタが再度のバブルランチャーを発射する。

 

(考えたな……絶拳もあの乱戦の中では、攻撃魔法を飛ばされたとしても、魔法破壊(スペルブラスト)による対処はできない。だが、バブルランチャーが上空を漂っていれば、迂闊に魔法を撃ち込むことはできない……!)

 

バブルランチャーは物理攻撃に限らず、魔法攻撃にも反応して誘爆する。故に、バブルランチャーが浮遊している中で魔法による援護射撃をしようものならば、味方を巻き添えにしかねない。近接戦闘において無双の実力を誇るマコトの能力を最大限に発揮できるキヨマロの戦法に、ガリアンは歯噛みしていた。ガリアンの得意魔法は、広範囲に雷属性の攻撃を行う『エレクトリックフリスビー』や『エレクトリックフェザー』である。それが、キヨマロが打ち出した戦法によって軒並み封じられたのだ。

 

「ガロン、絶拳を押さえろ!」

 

「了解した……」

 

だが、だからといってレイドメンバーがマコトの拳撃と蹴撃の嵐に見舞われている様を、手を拱いて見ているわけにはいかない。

ガリアンの指示により、ノームのプレイヤーが前へ出る。エギル以上に大柄で屈強な肉体を持つ、禿頭のプレイヤーである。両の剛腕には、マコトと同じくガントレットが嵌められている、体術主体のプレイヤーである。

 

「ウォォォオオオ!」

 

「むっ!」

 

突き出されるガロンの拳に対し、マコトは正面からこれを受け止めた。衝突時のインパクトは大きく、拳を受け止めたマコトの両足が若干ながら地面にめり込んでいた。乱戦によって自身に生じた隙を的確に突いた、非常に強力な一撃……この拳をもって、マコトは目の前のノームが他のプレイヤーのように一筋縄でいく相手ではないことを悟った。

 

「ホウ……俺の拳を受け止める、か」

 

「このパワー……肉体強化の装備と魔法の併用ですね。しかも、体術そのものもかなりの練度だ」

 

「有名な『絶拳』のお眼鏡に適うとは、光栄なものだ、な!」

 

軽口を叩き合いながらも、ガロンと呼ばれたノームの攻撃は続く。パワーとガードに特化したノームの特性と、それを後押しするための装備と魔法を駆使した打撃に対し、マコトが取った戦法は、拳撃と蹴撃の衝突を最小限に抑え、受け流すというものだった。ガロンの拳は、初撃のように正面から受け止めた場合、動きを止めなければならないというリスクが伴う。ましてや、

 

「もらったぁぁあ!」

 

「死ねやぁああっ!」

 

ガロンと相対しているマコトの隙を突いて仕掛けて来る、他のゾディアックメンバーの奇襲を捌かねばならないのだ。僅かでも動きを鈍らせれば、側面から突かれることになるため、マコトとてただでは済まない。

だが、強敵のガロンの拳を受け流しながらも、マコトは側面から迫る奇襲を悉く叩き伏せていったのだから、流石だろう。

 

「マコト、覚悟しろ!」

 

「む……!」

 

だが、いくらマコトといえども、迫りくる敵全てを薙ぎ払えるわけではない。ゾディアック程の巨大ギルドともなれば、排除し切れない手合いが存在する。ガロンの巨体を跳び越え、こうして上空の死角を突いて襲撃を仕掛けてきたガリアンなどは、その典型である。

ガリアンが発動したのは、両手剣ソードスキル『アバランシュ』による唐竹割りである。ソードスキルの中では下級技に属すものの、その分随一のスピードを誇る上、両手剣ソードスキル故に威力も侮れない。ガリアン程の実力者ならば、猶更である。ライフルの銃弾の軌道すら見抜くマコトの動体視力をもってしても、ガリアンの真上を取った攻撃への反応は間に合わない。そして、ガリアンの振るう大剣による渾身の一撃が、マコトの身に炸裂しようとした――――その時だった。

 

「させるかぁぁああ!!」

 

「なっ……!」

 

その刃を阻むべく、キヨマロが突撃をかける。発動したのは、ガリアンが発動したものと同じく両手剣ソードスキル『アバランシュ』。キヨマロとガリアンのソードスキル同士が正面から衝突に端を発した空中での鍔迫り合いは数秒程続き、ライトエフェクトと衝撃を周囲に迸らせ、マコトとガリアンも巻き込んで両方向へと弾き飛ばされた。

 

「まさか、リーダーのお前が動くとは思わなかったぞ、ガリアン」

 

「それはこちらの台詞だ、キヨマロ」

 

互いに仲間へ指示を飛ばすパーティー、或いはレイドのリーダー格でありながらも、自らも刃を手に前線へ赴くその姿は非常に似通っていた。

 

「マコト、ここは連携で行くぞ!」

 

「ああ、了解した!」

 

「ギンタ、バブルランチャーで壁を作れ!ゾディアックの援軍は、一人たりともイタチのところへ通すな!」

 

「任せとけ!」

 

どうやらキヨマロは、ギンタを後衛ポジションに固定し、自身とマコトが前へ出てガリアン率いる援軍を押さえ込むつもりらしい。ギンタはキヨマロに指示された通り、ギリギリまで後退し、通路を塞ぐようにバブルランチャーを放った。これでゾディアックのメンバーは通路を容易に通り抜けることはできなくなった。しかしそれは、同時にキヨマロとマコトの退路を塞ぐことに他ならない。

 

「成程、背水の陣というわけか。確かにこれならば、時間稼ぎはできるだろうな」

 

ゾディアックのレイドの中でもトップクラスの地位にあるガリアンは、キヨマロの目的が、コウガ率いるゾディアックの先行部隊と交戦しているイタチ等のための時間稼ぎであることを既に見抜いていた。

攻略ギルドのメンバー二十九人を相手に、全員打ち倒すのは、不可能に等しい。しかし、時間を稼ぐのみならば、キヨマロ、ギンタ、マコトの力をもってすれば、決して不可能ではない。このままいけば、ガリアン率いるレイドがキヨマロ達を倒すよりも先に、イタチ等はボス部屋へ突入できるだろう。

 

「これ程までのイレギュラーが続いた以上、今回のフロアボス攻略は諦めざるを得ん。だが、俺達を妨害した報いだけは、受けてもらおうか」

 

「上等だ。だが、俺達もただじゃやられねえぜ!」

 

先行部隊はイタチ率いるパーティーとの戦闘で大打撃を受けており、ガリアン率いる援軍も同様にかなりのダメージを受けている。この状態でのフロアボス攻略は不可能であり、仕切り直しは不可欠である。

だが、大手攻略ギルドとしては、このまま引き下がるわけにはいかない。フロアボス攻略への挑戦権を確保するためにも、イタチとスリーピング・ナイツのパーティーをここで壊滅させておく必要がある。そしてそのためには、ゾディアックの威光を知らしめる意味でも、目の前の強豪三人を排除せねばならない。

 

「態勢を立て直す!総員、配置につけ!」

 

ガリアンの指示により、ゾディアックの援軍部隊は、即座に陣形を組んでマコトに対して臨戦態勢を取る。改めて見ると、フロアボス攻略を前提としているだけあって、前衛・後衛共に武装はかなり充実しており、メンバーの練度もかなり高く見える。

これに対する戦力は、マコトとキヨマロの二人のみであり、傍から見れば圧倒的過ぎる戦力差に思われる。しかし、マコトはフロアボスを単身撃破した強豪であり、キヨマロはガリアンと伍するシルフ五傑の実力者である。戦力としては、フロアボスと同等以上と言える。

 

「前衛部隊、攻撃開始!」

 

『了解!』

 

キヨマロとマコトを相手にガリアンが敷いた陣形は、ガロンを正面の一番前に配置し、そのサイドを固める形で他の前衛メンバーを配置し、後方をメイジ隊で固めるというものだった。

 

「ガロンと前衛メンバーは引き続き絶拳を叩け!他のメンバーは、俺とともに後方から援護に回れ!」

 

ガロンがメインで攻撃を仕掛け、その側面に奇襲を仕掛けるというフォーメーションは、一見すると先程と変わらないようにしか見えない。しかし、ガロンと側方の奇襲メンバーとの連携は先程よりも非常に綿密であり、回避も防御も難易度は先程までの比ではない。しかも、先程まではバブルランチャーを警戒して使われていなかった攻撃魔法や弓矢による射撃が、後衛から放たれているのだ。

無論、バブルランチャーは今も上空を漂っている以上、攻撃範囲の広い上級魔法や爆発性の特殊矢は使えない。故に、放たれるのは単発型の水平方向に放つ攻撃に限られてくる。しかしその分、スピードと連射性に優れている上、ガロンをはじめとした前衛メンバーがその身で死角を作り出すのだ。如何にマコトとキヨマロといえども、容易く凌げるものではない。

 

「くっ……!」

 

「キヨマロ、大丈夫か!?」

 

間断無く、次々に迫る刃と矢と魔法を捌き切れず、ダメージを蓄積させてしまうキヨマロ。そんなキヨマロを気遣い、そちらへ視線を向けたそれが、大きな隙となった。

 

「よそ見をしている暇は無いぞ、絶拳!」

 

「むっ!」

 

また新手の攻撃か、とマコトが身構えた先にいたのは、リーダーであるガリアンだった。その手前には、アイテムストレージから取り出したのか、巨大な壺が置かれていた。そして、マコトがその存在を視認するのとほぼ同時に、壺の中から八本のロープが飛び出した。

 

「こんなもの……!」

 

「やめろマコト!そいつに触れるな!」

 

蛇のようにうねりながら迫る八本のロープに対し、マコトは先程までと同様、拳撃と蹴撃で迎撃しようとする。しかし、ガリアンが取り出したこのロープを相手するには、その戦法は取るべきではなかった。それを知っていたキヨマロが、慌ててマコトを止めようと制止を呼び掛けるものの、僅かに遅かった。

 

「何!?」

 

ロープを打ち払おうと、拳を突き出すマコト。しかし、触れたロープは弾き飛ばされるどころか、マコトの腕に絡み付いてきたのだ。

 

「くっ!」

 

ロープを振り払うことはできないと悟ったマコトは、今度は刃のように鋭い回し蹴りを繰り出して、腕に絡まるロープを断ち切ろうとする。しかし、今度は他のロープがマコトの足に絡み付いてその動きを止めた。

 

「ぐっ……!?これは……!」

 

マコトの体術がまるで通用しない八本のロープは、マコトの両手両足に二本ずつ絡まり、その身動きを一気に封じ込めた。手足の自由を奪う拘束を振り払うべく、力を込めて動かしてみるが、ロープはびくともしない。

 

「流石の絶拳も、拘束アイテムの『マジックロープ』の前には、文字通り手も足も出ないようだな」

 

『マジックロープ』とは、敵の動きを封じるために用いられる設置型のトラップアイテムである。ロープ一本一本は、大型のボスモンスターの動きも封じられる程の強度を持つものの、魔法やソードスキルの特殊攻撃であっさり断ち切られてしまう上、アイテムの重さ故にストレージの容量を圧迫することから、決して使い勝手の良いアイテムと言えるものではなかった。

しかし、マコトのように体術を主体として戦うパワータイプのプレイヤー相手には非常に有効なアイテムだった。マコトが『マジックロープ』の詳細を知らず、初手で体術系ソードスキルによる迎撃を選択しなかったことも、現状の危機を招いた要因になっていた。

 

「この場へ来る途中で手に入れたドロップアイテムだったが、咄嗟に使ってみたのは正解だったな。この千載一遇の好機、最大限に利用させてもらうぞ」

 

ガリアンはそれだけ言うと、後衛部隊に手振りで指示を出し、マコトに対して魔法と矢の集中砲火を浴びせかける。対するマコトは四肢を拘束され、魔法破壊(スペルブラスト)による迎撃などできる筈も無い。如何に低威力な単発攻撃といえども、無防備な状態で雨のように浴び続ければ、HPはすぐに尽きる。打つ手無しと悟ったマコトは、腕を交叉させて防御姿勢を取る。だが、そんなマコトの危機に、すぐ後方にて援護をしていたキヨマロが動き出した。

 

「させるかよ!」

 

マコトとゾディアックの間に割って入ったキヨマロは、前方方向から魔法が殺到する中で、範囲技の両手剣ソードスキル『ブラスト』を発動させた。

 

「う、ぉぉぉおおお!!」

 

「何だとっ……!」

 

ライトエフェクトを迸らせながら放たれた横薙ぎの二連撃は、マコトに向けて放たれた魔法と矢の七割以上に直撃し、システム外スキル魔法破壊が発動したことよって無効化された。放たれる魔法の中心一点に命中させなければ発動しない魔法破壊だが、攻撃範囲の広い両手剣の範囲技で、相手が直線的に放たれる魔法であれば、七割以上の確率で成功させることはできる。尤も、魔法一発一発に精密な狙いを定めて打ち消しているわけではないため、撃ち漏らしによるダメージは避けられない。現にキヨマロのHPは、落としきれなかった攻撃が命中したことによって、五割を切っていた。

 

「マコト、スイッチだ!」

 

「応!」

 

だが、そんなダメージなどお構いなしに、キヨマロは戦闘を続行する。背後に控える仲間に指示を送ると、魔法とソードスキルが衝突したことによって発生した煙を切り裂き、マコトが敵陣目掛けて飛び出していった。キヨマロの発動した『ブラスト』が、魔法諸共にマジックロープを断ち切ったことにより、その拘束から解放されたのだ。

 

「ハァァァアア!!」

 

「くっ……ガロン!」

 

「任せろ!」

 

突撃してくるマコトを止められるのは、ゾディアックの中ではガロンを置いて他にいない。ガリアンの指示に従い、マコトの前へと出たガロンは、マコトの繰り出す蹴撃を受け止めた。

 

「ぐぅっ……あれだけ暴れておいて、まだこれだけの威力の蹴りを放てるのか……!」

 

「こちらも、まさか私の蹴りを正面から受け止めるだけの体力を未だに残しているとは……正直、驚きましたよ」

 

絶拳と称される程に体術スキルを極めたマコトの打撃――特に蹴撃――は、ソードスキル抜きでもかなりの威力を持つ。まともに入ってしまえば、体重の軽いアバターならば簡単に吹き飛ばされ、ノームやサラマンダーのパワータイプのプレイヤーであっても防御姿勢を保つことは儘ならない。そんな強力な一撃を正面から受けて耐え抜いたガロンの実力に、マコトは素直に賞賛していた。

 

「しかし、残念です」

 

「何だと?」

 

「私としては、まだまだ戦いたいと思っていたのですが……今回は、依頼を受けての戦いです。よって、勝利を最優先とさせてもらいます」

 

「それは――――」

 

マコトが発した言葉の意味について問い質そうとしたガロンだったが、それよりも先にマコトは後方へと跳び退いた。そしてそのまま、その場に立っていたキヨマロと共にゾディアックの面々に背を向けて、通路の奥へと走り出したのだ。

 

「逃げる気か!?」

 

「させるかよ!」

 

マコトとキヨマロの後退を敵前逃亡と考えたゾディアックの前衛メンバー達が、その後ろ姿を追いかけ始める。ガロンもまた、二人を逃がすわけにはいかないと考え、流れのままに仲間達の追撃に加わっていた。

後退するマコトとキヨマロ、それを追い掛けるガロンをはじめとしたゾディアックの前衛メンバー達、そしてガリアンとともにレイド最後部に控えている後衛メンバー達。それらが迷宮区の通路において、“一直線に並んだ”その時だった――――

 

「んなっ!?」

 

「何だコレ?」

 

後退していたマコトとキヨマロを追っていた、ガロンを含むゾディアックのメンバー四名と、後方にて指揮を執っていたガリアンの身体に、突如バチリと火花のようなものが弾ける。ダメージを受けた様子は無いものの、奇妙な金色の光が各々の身体に宿っているのだ。

 

「まさか――――『エレクトリック・ボマー』か!」

 

雷属性の魔法に精通したガリアンだからこそ、その現象の正体を早期に見抜くことができた。

『エレクトリック・ボマー』とは、電気エネルギーの球体を放つことで、衝突した対象の内部にそのエネルギーを蓄積させる雷属性魔法である。蓄積された電気エネルギーは、雷属性の攻撃に接触することによって内部から炸裂し、対象に大ダメージを与えることができるのだ。ガリアンやガロンをはじめとした五人のプレイヤーの身体から発されている光は、『エレクトリック・ボマー』の電気エネルギーが蓄積されたことを示す発光現象だった。

 

(拙い!奴の狙いは……!)

 

何故『エレクトリック・ボマー』がこのタイミングで、しかも複数のプレイヤーを対象として、同時に発動したのか。そのトリックを追及している暇は無い。今重要なのは、五人ものプレイヤーを対象に、このタイミングで発動させた意図にある。

 

「全員、退がれぇぇえ!!」

 

『エレクトリック・ボマー』を発動させたキヨマロの狙いを的確に察知したガリアンが、それを阻むために、走り出した前衛たちへ撤退指示を出す。だが、キヨマロとマコトを追い込むことに夢中の前衛メンバーには、その声は届かない。

 

「気付いたか!?だが、もう遅い!」

 

そして、『エレクトリック・ボマー』を使用した張本人であるキヨマロは、逃走中の足を止めて反転。反撃に転じる。

 

「“連鎖のライン”は整った!」

 

両手に握る大剣『アポカリプス』を構え、迸るライトエフェクトとともに振り抜いた。キヨマロの自作であり、この戦況を覆す切り札たる両手剣OSS(オリジナルソードスキル)を、その名を叫びながら発動する――――

 

 

 

覇王・斬裂牙(バオウ・ザケルガ)

 

 

 

踏み込みと同時に繰り出された下からの斬り上げの一撃が狙うのは、先頭を走るゾディアックの追撃メンバー。そしてそのプレイヤーの身体には、『エレクトリック・ボマー』を受けたことによる光を宿していた。

 

「ぐっ…………ぎゃぁぁあああ!」

 

防御姿勢を取ろうとするも、キヨマロが両手剣によって繰り出す電光石火の一撃を前には、間に合わない。繰り出される刃の接近に呼応し、その身に宿した『エレクトリック・ボマー』光は激しくなる。そして刃が触れた途端、アバターは爆発四散するのだった。

だが、それだけでは終わらない。追撃メンバーの一人を仕留めたキヨマロは、初撃で振り上げた刃を続けざまに振り翳し、次の標的へと狙いを定める。

 

「りゃぁぁぁあああ!!」

 

「なぁっ!?」

 

「馬鹿な!」

 

だが、二撃目の標的は一人だけではない。通路に直線状に並んだメンバーの中で、先程撃破したメンバーの次点で『エレクトリック・ボマー』の光を纏ったメンバーと、キヨマロから見てその直線上に立っていたプレイヤー二名。合計三人が、キヨマロの二撃目の刃の振り下ろしによってまとめて一閃され、HPを全損とともにリメインライトの光を撒き散らす。

 

(やはり狙いは『エレクトリック・ボマー』の連鎖爆発……しかもそれを、OSSで発動するとは……!!)

 

『エレクトリック・ボマー』には、雷属性魔法の強化以外に、熟練の雷使いのプレイヤーのみが使いこなせるとされる、隠された特性が存在する。それこそが、『連鎖の爆発』である。

通常、『エレクトリック・ボマー』という魔法は、雷属性の攻撃を一発当てれば炸裂して終わるだけのサポート魔法である。しかし、電気エネルギーを蓄積した対象を複数、直線状に複数並べて放った場合には、それだけでは終わらない。放たれた攻撃が次々に電気エネルギーを蓄積した対象へと誘導され、連鎖の軌道を描き、爆発するのだ。

そして今回、キヨマロは作成時に雷属性を選択したOSS『覇王・斬裂牙』を連鎖の爆発を起こすために使用した。OSSのようなソードスキルは、強力な反面、一度発動すれば技が終わるまでその場から動くことはできない欠点が存在する。それをキヨマロは、『エレクトリック・ボマー』の連鎖爆発の特性を活かして射程を稼ぐとともに、軌道上に並ぶ敵全てを標的に入れることに成功したのだ。

 

「ぐぁぁあああっっ!」

 

「ガロン!」

 

パワーと防御に優れるガロンまでもが倒されたことで、ガリアンをはじめとしたゾディアックの後衛メンバーに動揺が走る。しかも、ガロンを屠ったキヨマロが振り抜いた両手剣『アポカリプス』の刀身は、ただのライトエフェクトではない、実体化した雷のエネルギーを纏って倍以上の長さに達していた。

 

(しかも、連鎖が繰り返される度に攻撃が強化される特性を利用して、前衛メンバーどころか、後衛に控えている俺達全員まで潰そうとしているのか……!)

 

『エレクトリック・ボマー』の連鎖の爆発は、連鎖を繰り返す度に放った雷属性の攻撃が威力を増す特性を併せ持つ。ソードスキルもその例に漏れず、連鎖を繰り返す度に威力も攻撃範囲も増強されていくのだ。

前衛の敵を連鎖のラインで仕留めて行き、連鎖を繰り返して強化した最後の一撃で、後衛を全滅に追い込む。それこそが、多勢に無勢の戦況を覆すためにキヨマロが立てた作戦だったのだ。

 

(だが、連鎖の爆発は、電気エネルギーを蓄積した対象へと向かうと、そう決まっている。ならば……!)

 

熟練の雷使いであるキヨマロが考案した作戦ならば、同格の雷使いであるガリアンがその弱点を見抜くのは、自明の理だった。電光石火の速さで迫るキヨマロを食い止めるための策も同時に思い付いたガリアンは、未だ無傷の後衛メンバーへと指示を送る。

 

「奴は最後の一撃を、正面から俺に向かって放ってくる!正面から魔法と矢の集中砲火を浴びせて食い止めろ!こちらに近づく前に、蜂の巣にするんだ!」

 

連鎖のラインの最後に設定されているのは、他でもないリーダーのガリアンである。突っ込んでくる方向が分かっているのならば、迎撃も容易い。最後の六撃目が炸裂する前に、魔法の集中砲火を浴びせてキヨマロをHP全損に追い込んでしまえば、キヨマロの作戦は失敗に終わる。

 

「放てぇぇえ!!」

 

『エレクトリック・ボマー』の電気エネルギーをその身に宿した四人と、その連鎖のライン上に立っていた前衛を全て薙ぎ倒したキヨマロが、最後の標的たるガリアンへと方向転換しようとする。その一瞬の隙を突き、ゾディアックの後衛メンバー全員による魔法と矢を撃ち放つ。前方から飛来する無数の攻撃は、ソードスキル発動中のキヨマロには到底回避できるものではない。

このまま全て命中したならば、HP全損はまず免れない。誰もがそう思った、その時だった――――

 

「何!?」

 

無数の魔法が放たれた射線上にいたキヨマロの姿が、不意に掻き消えた。結果、放たれた無数の魔法と矢は全て、空を切るのみとなった。

ソードスキル発動中で、回避行動などとれる筈が無かったキヨマロは、一体どこへ消えたのか。その答えは、キヨマロが地上にいないことを悟ったガリアンが、不意に視線を上へ向けた時に判明した。

 

「うぉぉおおお!!」

 

「まさか、上に!?」

 

ガリアンに次いで、ゾディアックの後衛部隊が上を向くと、そこには確かに、刃を振り上げ、跳躍したキヨマロの姿があった。一体、どうやってソードスキル発動中に跳躍し、魔法と矢の攻撃から逃れたのか。誰もが疑問に感じたその答えは……キヨマロが振り上げた刃の先にあった、“発光している”バブルランチャーが物語っていた。

 

(バブルランチャーにエレクトリック・ボマーを使ったのか!?……まさか、マジックロープを断ち切った時に!?)

 

ガリアンが立てた推測は、しかし適確に的を射ていた。キヨマロがマジックロープとともに魔法を打ち払った際に発生した煙で視界が遮られた瞬間を利用し、上空に浮かぶバブルランチャーへ向けて、エレクトリック・ボマーを放ったのだ。

 

(抜かった!四人目を倒した時点で連鎖のラインを見抜かれることは、キヨマロも予測していたのか……!)

 

キヨマロもガリアンも、同じ雷使いであり、その戦術を同等に熟知している。だからこそ、『エレクトリック・ボマー』の連鎖の爆発と言う、雷使いのみが対処法を知る戦術を用いて裏を掻き、上空へ跳躍して逃れるという最後の一撃を確実に繋げるための策を講じたのだ。

 

「せい、やぁぁぁああああ!!」

 

電気エネルギーを内包したバブルランチャーを一閃したことで、上空にて連鎖を繋げることに成功したキヨマロは、最後の標的であるガリアン目掛けて刃を振り下ろす。連鎖のラインによる誘導と、上空にて起こったバブルランチャーの爆発により発生した爆風を利用し、加速をつけて迫りくるキヨマロを前に、ゾディアックの誰も止めることはできなかった。

 

「ぐぅっ……がぁぁあああああっっ!!」

 

ただ一人、後衛部隊の最前列に立っていたガリアンが、その手に持っていた両手剣――『避雷剣』を前に出して防御を試みた。雷属性の攻撃を吸収する効果を持つ『避雷剣』だが、『エレクトリック・ボマー』の連鎖爆発を重ねて極限まで強化された『覇王・斬裂牙』のエネルギーを受けきることは叶わず、衝突とほぼ同時に刃が砕け散った。『覇王・斬裂牙』が放つ巨大な雷撃の本流は、そのままガリアン諸共にゾディアックの後衛部隊全員を呑み込み、その全てをHP全損に追い込み、リメインライトに変えた。

その光景は、まるで天空から降下した雷の竜が、巨大な顎を広げて、地上に立つ獲物全てを呑み込んでいるかのようだった――――

 

 

 

 

 

 

 

「どうやら、あちらも片が付いたようだな……」

 

「うひゃ~……途中から見たけど、随分派手な技だったね」

 

キヨマロの『覇王・斬裂牙』が炸裂したその頃。イタチとスリーピング・ナイツのメンバーもまた、ゾディアックの後衛メイジを一掃したことをきっかけに攻勢に転じ、先行部隊全員を殲滅し終えていた。

ちなみに、イタチが一時的に借りていた片手剣『ビジュメニア』は、持ち主であるユウキの手に戻っていた。

 

「けどあのOSSって、『エレクトリック・ボマー』っていう魔法の連鎖爆発が必要なんだよね?どうやって、気付かれないように、しかも一度に四人のプレイヤーに掛けたのかな?」

 

「『魔法符』を使ったんだ」

 

『魔法符』とは、その名の通り魔法の効果を封じ込めた札型のアイテムである。忍世界で使われていた『起爆札』に似た性質を持つことから、イタチも爆裂魔法を封じ込めたものを愛用している。そして今回キヨマロが用いたものには、『エレクトリック・ボマー』を封じ込められていたのだった。

 

「マコトに突撃させて、乱戦状態に持ち込んだ隙に、前衛メンバーに貼り付けたんだ。時限式で発動するよう設定した上でな」

 

『エレクトリック・ボマー』はサポート魔法として高性能ではあるものの、詠唱から発動の先読みされることや、魔法自体の速度が遅く、命中率が低いという弱点が存在する。キヨマロはそれをカバーするために魔法符を用いたのだ。

 

「マコトをデコイにすれば、ゾディアック前衛メンバーの足の速さも見定められる。あとは、追撃を仕掛けられた時に直線状に並ぶメンバーに貼り付け、発動タイミングに合わせて撤退すれば、連鎖のラインは完成するというわけだ」

 

「そう、だったんだ…………なんか、ほんとに、凄いね……」

 

さらっと言ってのけたイタチだが、普通のプレイヤーには到底真似できることではないと、ユウキは思った。たった三人とはいえ、仲間の能力を把握し、まとめ上げる指揮官適性は勿論のこと、戦況を見極めて作戦を成功に導くためには、高度な判断力や自分自身と仲間を信じ抜く胆力が必要となる。

仲間との信頼関係という点では、ユウキも負けていないという自負がある。しかし、これほどまでに緻密な作戦を立てられるだけの知略を持っているかと聞かれれば、否としか答えられない。そして、そんな自分が、果たしてフロアボス攻略などという大それたことを成し遂げられるのか。フロアボス攻略を直前に控え、今まで気にしていなかった不安が、ユウキの中に生まれていた。

そんな不安とプレッシャーに自信を失いかけていたユウキの内心を慮ってか、イタチがフォローするように言葉を紡ぐ。

 

「リーダーの適性は、頭の良さだけで決まるものじゃない。パーティーにとって何より重要なのは、『チームワーク』だ。どれだけ優れたパーティーメンバーと作戦を用意したとしても、全員の心が一つに纏まっていなければ、何事も為し得ない」

 

「イタチ……」

 

「その点お前は、スリーピング・ナイツのメンバー全員を信頼し、お前自身も信頼されている。立派にリーダーを務めていると俺は思う」

 

「……ありがとう、イタチ!」

 

リーダー適性を評価するイタチの言葉に、ユウキは破顔して感謝を口にしていた。イタチとしては、特に世辞を言ったつもりはなく、今日までのユウキの活躍をイタチの主観で評価したに過ぎなかったのだが、想像以上に喜ばれたことに僅かに驚いていた。それと同時に、ユウキの心からの笑顔を見られたことに、密かに嬉しく思っていた。

 

「ところでイタチ。戦いが始まる前に、絶拳の人と何話していたの?」

 

「この作戦に協力する報酬の話だ」

 

「へえ~……それで、一体どんな報酬なの?」

 

ゾディアックのような攻略ギルドとの交戦を予見して、それと張り合えるだけの戦力を呼び込んだイタチだが、一体何を報酬に設定したのか。相当な対価を要求されることが予想されるが、イタチに協力を依頼した手前、ユウキ達スリーピング・ナイツとしても、報酬の準備に協力すべきかもしれない。そう考えて問い掛けたユウキだったが、イタチの口からは思いもよらない言葉が返ってきた。

 

「キヨマロとギンタは、フロアボス攻略に成功した時に手に入るドロップアイテムの提供。マコトは、奴がこれまで戦ったことのない、強豪プレイヤーを紹介するということで、今回のフロアボス攻略に協力してもらった。」

 

「強豪プレイヤーの紹介?」

 

「ああ。絶拳ことマコトは、リアルでは高校の空手部の主将で、公式戦で四百戦無敗を誇る猛者でな。自分より強いプレイヤーを探して、このALOをプレイしていているらしい。それで今回、“十一連撃のOSSを使いこなす剣豪”を紹介してやるということで、協力を取り付けたわけだ」

 

それを聞いた瞬間、ユウキは顔の顔は真っ青に染まった。引き攣った顔のまま、イタチに確認するように再度問い掛ける。

 

「へ、へぇ~……そ、そうなんだ。それで、どこにいるのかな?その凄いプレイヤーは」

 

「ここにいる」

 

そう言って、イタチはその手をユウキの肩に置くのだった。対するユウキは、半ば予想できていたのだろう。「やっぱり」とばかりに額に手を当てて俯いてしまった。

 

「それって、ボクに戦えってことだよね!?あの絶拳と!!」

 

「そういうことだ」

 

「無理言わないでよ!!いくらなんでも、魔法を素手で叩き落とすような人に勝てるわけないでしょ!!」

 

「やってみなければ分からんぞ。今回のフロアボス攻略も、似たようなものだしな」

 

「こっちはパーティーだけど、あっちはデュエルで一対一だよね!?しかも、フロアボスより強いんだよね!?それをソロ攻略するってことだよね!?」

 

「さて、そろそろ時間だ。まずは、二十七階層フロアボス攻略を成し遂げなければならん。皆、行くぞ」

 

「ちょっと待ってよイタチ!勝手に約束取り付けておいて、スルーしないでよ!!ボクの意見はガン無視!?」

 

絶拳とのデュエルを勝手にセッティングされたことに悲鳴を上げるユウキだが、イタチは敢えてこれを黙殺するのだった。そして、リーダーであるユウキが猛抗議する中、スリーピング・ナイツのメンバーを伴ったイタチは、先程までゾディアックのメンバーによって閉ざされていた扉の前へと立つ。イタチ等による、絶拳に次ぐ、一パーティー七人によるフロアボス攻略への挑戦が幕を開けるのだった――――

 



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第百十二話 この物語の終わりを告げる音聞かせて

アインクラッド二十七層のフロアボス『ヨルル・ザ・ツートンジャイアント』は、左右に赤・青の二色に彩られた、四本腕に双頭の巨人である。武装は上部両腕に持つ鎖付き分銅、下部右腕に握る斧、左腕に握る大剣の四つ。さらに、赤い右頭部からは火炎弾、青い左頭部からは氷柱を射出する特殊攻撃まで備えた強敵である。

クォーターポイントである二十五層のフロアボスである『ザ・ツインヘッド・タイタン』程強力ではないものの、十分に厄介な部類に入る能力とステータスで、SAO事件当時の攻略組も大苦戦を強いられていた経緯があった。そしてその強さは、イタチ等が今この時に挑んでいる、ALOの新生アインクラッドにおいても健在――否それ以上の強さを誇っていた。

 

「テッチ、あまり奴に近付き過ぎるな!分銅による遠隔攻撃を仕掛けさせろ!」

 

「わ、分かりました!」

 

「ユウキ、次に奴が分銅を振るってきたら、両サイドから仕掛けるぞ!特殊攻撃には気を付けろ!」

 

「オッケー!」

 

そんな、SAO事件当時の比ではない難攻不落のフロアボス相手に、しかしイタチとスリーピング・ナイツのメンバーは怯むことなく、果敢に戦いを挑んでいた。

そして、激化の一途を辿る戦闘が繰り広げられること、約三十分。イタチによる指示のもと、ユウキを筆頭としたスリーピング・ナイツは決死の攻防を続け、二色双頭の巨人のHPは少しずつ、しかし着実に削られていった。

無論、ダメージが蓄積しているのはイタチ等のパーティーも同じこと。回避し切れない範囲型の攻撃を受け、強力な攻撃の直撃から仲間を庇うために前へ出る等の行動を繰り返し、回復する暇さえ無いままに、かなりのダメージを蓄積させていた。

 

「全員一度退け!シウネー、俺が前へ出て引き付ける!その間に皆に回復魔法を頼む!」

 

「分かりました!」

 

短く端的に指示を出した後、パーティーメンバーの回復をシウネーに任せたイタチは、二色双頭の巨人のもとへ向かった。ただし、密着するのではなく、一定の距離を置いている。

そうして前線に出張っていたユウキとジュン、テッチと入れ替わる形で前へ出たイタチは、二色双頭の巨人と正面から相対すると同時に、魔法の詠唱を開始した。

 

「カバババババァァアッ!!」

 

「ギャギャギャァァアッ!!」

 

イタチへと、タゲを映した二色双頭の巨人は、その姿を視認するや、上部右腕を振るった。途端、振るわれた腕に装備されていた分銅が、イタチの頭上から凄まじい勢いで振り下ろされた。

 

「ふっ……!」

 

だが、イタチは一切慌てることなく、分銅の軌道を読み、左右両方向(・・・・・)へ回避した。

 

「カババッッ!!」

 

「ギャギャギャ!!」

 

二人に増えたイタチの姿に対し、二色双頭の巨人は左右の頭をそれぞれの方向に立つイタチに向けると、再度の攻撃を開始した。攻撃は最初と初撃と変わらず、上部両腕に持つ鎖付き分銅の振り下ろしである。左右双方向に断つイタチは、全く同じ動き(・・・・・・)で分銅の攻撃を回避し、巨人を翻弄する。

イタチが発動したのは、『ミラー・シルエット』と呼ばれる幻属性魔法だった。発動した地点から動いた方向とは逆方向に、鏡映しの像のように動く幻影を作り出す魔法である。鏡像の幻影は、本体の動きを鏡向きにトレースするのみなので、本体を簡単に見抜かれてしまう弱点を持つ。しかし、鏡像自体には実体が無く、効果時間が切れるまでは攻撃を受けても消滅しない特性を持つので、モンスターとの戦闘に用いるデコイとしては優秀な性能を持つのだ。

特に今戦っている『ヨルル・ザ・ツートンジャイアント』のように、二つの頭に個別のAIを搭載しているモンスター等を相手にした場合は、その両方のタゲを取ることができる。そのため、タゲが分散されて、攻撃範囲の拡大を防げるリスクを減らせるメリットがあるのだ。

 

「イタチさん!皆の回復ができました!」

 

「ならば、俺が両サイドに敵の攻撃を誘導している間に、背後へ回り込んで攻撃再開だ!ユウキ、先頭に立って向かえ!」

 

「分かった!」

 

幻影魔法を使い、二色双頭の巨人の両頭のタゲを取り、繰り出される分銅攻撃も危なげなく回避する。そしてその隙に、パーティーメンバーであるユウキをはじめとしたスリーピング・ナイツのメンバーを死角へ向かわせ、ダメージを与える。これは、SAO事件当時の攻略においてもイタチが実行していた作戦を再現したものだった。

フロアボス『ヨルル・ザ・ツートンジャイアント』の二つある頭部には、二十五層フロアボスの『ザ・ツインヘッド・タイタン』同様、それぞれ個々のAIを持っている。故に、二カ所にいるプレイヤーを同時に標的として攻撃することができるのだ。

さらに、遠距離の敵には火炎弾と氷柱の乱射、中距離の敵には鎖付き分銅、近距離の敵には斧と大剣と、敵との相対距離によって攻撃手段も使い分ける。しかも、いずれの攻撃手段も範囲が広く、パーティーそのものを対象に大打撃を加えることができるのだ。

そこでイタチが考案したのは、ある程度距離を置いた場所に敏捷性に優れたプレイヤー二人を設置して回避盾を行わせ、その隙にレイドの本隊に死角から襲撃を仕掛けさせるという戦術だった。命中には若干の時間が掛かる上、最も攻撃範囲の狭い分銅の攻撃手段ならば、回避も比較的容易であり、回避時の移動範囲に注意さえすれば、本隊はその動向に気付かれることは無く、接近することができるのだ。ちなみに、SAO事件時には、アスナがイタチとペアになって回避盾役を担っていたが、幻属性魔法を使えるALOにおいては、一人で双頭のタゲを取ることが可能になったのだった。

 

「今だ!皆、行くよ!!」

 

首尾よく巨人の背後から接近することに成功したユウキ率いる、後衛のシウネーを除いた前衛メンバーが畳みかける。片手剣、両手剣、棍、槍のソードスキルが次々に炸裂し、巨人に確かなダメージを与えていく。

 

「カバババァアア!!」

 

「ギャギャァアッ!!」

 

そして当然、攻撃を受けている巨人の方も、黙ってはいない。イタチと鏡映しの幻影に放っていた分銅を手元に戻すと、ユウキ達の方へと振り向き、反撃を試みる。右腕に握る斧にソードスキルのライトエフェクトを灯し、足元に展開する五人へ向けて範囲技『ワール・ウィンド』を放とうとする。初級スキルではあるものの、斧系ソードスキルは一様に攻撃力が高いことで知られている。ましてや理不尽なまでにステータスが強化されている新生アインクラッドのフロアボスが繰り出すのだから、直撃すれば即死はまず間違いなく、防御の上からでも大ダメージは免れない。

 

「皆、一度退いて!」

 

ユウキが撤退指示を出すも、全員が攻撃範囲を抜け出すには僅かに間に合わない。このままでは、重戦士のテッチが大斧の一撃によって両断されてしまう。

 

「カババッ!」

 

「テッチ!早く!」

 

巨人の双頭の内、赤い方が勝ち誇ったような声を上げる。そして、ユウキの悲鳴に近い声も空しく、無慈悲な一撃が繰り出されようとした――その時だった。

 

「――――――ふっ!」

 

「カバァッ!?」

 

「ギャギィッ!?」

 

ユウキ達への攻撃に夢中で、注意が疎かになった巨人の背中に、眩い光を帯びた流星が激突した。しかし、巨人の背中に突き刺さったのは流星ではなく、イタチだった。片手剣上位ソードスキル『ヴォーパル・ストライク』である。予期せぬ一撃を食らった巨人は、その衝撃によって発動中のソードスキルをキャンセルさせられ、バランスを崩してその場に膝を突くこととなった。

 

「今の内に全員、退け!」

 

「ありがとう、イタチ!」

 

この一撃によって、巨人の双頭のタゲが再びイタチへと移った。その隙にテッチを含めた五人の前衛メンバーは全員安全圏へと抜けるのだった。

 

「カバババ!」

 

「ギャギャギャ!」

 

イタチの方へと振り向いた巨人は、足元のイタチを見下ろすと同時に、今度は左手に握る大剣を振り上げた。ソードスキルではない攻撃だが、その分、素早く繰り出せる。

 

「ギャギャァアッ!」

 

「む…………っ!」

 

対するイタチは、ヴォーパル・ストライクの発動による技後硬直から間一髪で抜け出し、側方へと回避した。僅かに掠ったものの、大ダメージには至らず、戦闘続行は可能だった。

 

「カババッ!」

 

「はっ――――!」

 

縦に振り下ろされた大剣を回避したイタチに対し、今度は巨人の右手に握られた斧の横薙ぎが繰り出される。立て続けに繰り出される攻撃に対し、しかしイタチは冷静に対処してのける。地面を蹴ってバク転の動きで距離を取り、その攻撃範囲から離脱する。そのまま剣と斧が届かない範囲に、しかしシウネーが待機している場所には近づかない程度の中距離に退避したイタチは、続いて巨人が繰り出してくる分銅攻撃に対して構える。だが、イタチが警戒した攻撃は、行われることはなかった。

 

「カバババ…………」

 

「ギャギャ…………」

 

巨人はイタチを斧と大剣が届かない距離まで追い払うと、それ以上の追撃を仕掛けることはなかった。唐突に攻撃を止めた巨人は、四本の腕を交叉させて蹲るような姿勢を取り、全身から陽炎のようなものが立ち上らせ始めたのだ。さらには、左右二色に彩られたその身体を真っ二つに割るかのように、縦に亀裂が入り始めたのだ。

 

(あれは…………!)

 

二色双頭の巨人が取ったその行動に、イタチは危険を感じた。SAO事件時代に攻略した『ヨルル・ザ・ツートンジャイアント』は、HPが半分を切った際に分銅が棘付きに変化して威力増強し、斧が炎、大剣が氷を纏って特殊効果が付与されていた。だが、目の前で起こっているのは、イタチの知る行動パターンの変化とは明らかに違う。

 

「皆、ボスから距離を取れ!警戒を怠るな!」

 

ただならぬ気配を醸し出すフロアボスに危険を感じ、警戒を促すイタチ。普段冷静なイタチが鬼気迫る表情で出す指示に、ユウキをはじめとしたスリーピング・ナイツの一同も危険を感じたのだろう。言われた通りにボスとの距離を取って、これから目の前で起こる恐ろしい“何か”に対して身構えていた。

そして、フロアボス攻略に参加していた七人が見つめる中、二十七層のフロアボスたる二色双頭の巨人を包む陽炎がより激しくなり、縦に入った亀裂が腹面・背面を覆い、その身をかち割らんばかりに軋みを上げる。そして、まるで脱皮を前にした蛹のように震える巨人は、陽炎と共に周囲へ衝撃波を撒き散らすと同時に、誰もが予期しなかった、恐怖の変態を遂げる――――

 

「んなっ……!」

 

「これって!」

 

「まさか、そんな……!」

 

衝撃波と陽炎が止んだ、その向こうにある光景を見た誰もが、その目を疑った。旧アインクラッドの仕様と同じく、その手に持つ武装は強化されており、手に握る分銅は棘付きに変化し、斧は炎、大剣は氷を帯びている。だが、そんな武装の強化など些末事に思えるような、もっと大きな変化が起こっていた。

 

「カババババババ!!」

 

「ギャギャギャギャギャギャ!!」

 

ボスが赤と青、色違いの頭部から放っていた特徴的な咆哮は未だに響いている。だが、咆哮を上げていたのは、先程までイタチ等が死闘を繰り広げていた二色双頭の巨人ではない。先程まで一心同体だった赤・青の頭の巨人が、それぞれの身体を持った二体の巨人(・・・・・・・・・・・・・・・・)となって、咆哮を上げていたのだ。

赤色の巨人の頭上には『ブロギー・ザ・レッドジャイアント』、青色の巨人の頭上には『ドリー・ザ・ブルージャイアント』という二体の巨人の名前を示す文字列がそれぞれ浮かび上がっていた。

 

「ボスが二体って……」

 

「嘘、だろ……!」

 

先程の二色双頭の巨人が持っていた武装の強化版を手にした、赤・青色違いの巨人二体が出現したことに対し、スリーピング・ナイツの面々は一様に驚愕を露に身を震わせ、その顔を絶望に染めていた。

 

「こんなのって、アリかよ…………!」

 

「どんなムリゲーですかって話……ですよね」

 

ボスモンスターというものは、追い詰めればその行動パターンやステータスが変化するものだが、これは流石に想定の範囲外過ぎる。一体でさえ、フルレイドでようやく押さえ込める程の――たった七人だけで相手できたことが奇跡に等しい――強力なフロアボスが二体に増えるなど、一体誰が考えただろうか。武装は強化されている上に、身体そのものが完全に分離したボス二体は、七人だけでは、到底押さえ込める相手ではない。

 

「皆、落ち着け!」

 

二体に増えたフロアボスを前に浮足立っているスリーピング・ナイツのメンバーに対し、イタチは冷静になるよう呼び掛ける。

 

「譬え二体に増えたとしても、攻略は振り出しに戻ったわけじゃない!俺達だって、まだ戦える筈だ!」

 

イタチの言葉によって冷静さを取り戻したスリーピング・ナイツのメンバーが、はっと我に返る。確かにイタチの言う通り、形成はやや不利と言わざるを得ないが、攻略そのものは振り出しに戻ったわけではない。

二体に分裂したとはいえ、巨人のそれぞれのHP量は全回復したわけではない。二体の巨人それぞれのHP量は、先程まで相手していた二色双頭の巨人のHP残量を二等分したものの筈である。二色双頭の巨人が分裂した時のHP残量が半分と考えるならば、今目の前で分裂した巨人二体のHPは、二色双頭の巨人の四分の一となる。HPバーが不可視故に確信は持てないが、行動パターンの変化と共にHPが元に戻るような、フェアネスを欠く設定は流石にあり得ない。

そして何より、イタチもスリーピング・ナイツの面々も皆、まだ余力を残している。イタチはフロアボス攻略を行うにあたり、自分達がボスに与えたダメージ量を正確に読み取り、その残量を正確に把握していた。故に、HPの損傷やアイテムの消費は適量でセーブされており、攻略続行は十分に可能なのだ。あとは偏に、皆のモチベーション次第。だが、それも杞憂だった。

 

「イタチの言う通りだよ!ボク達の戦いは、まだこれからじゃない!諦めるなんて、早すぎるよ!」

 

イタチに続き、仲間達を激励するための言葉を発するユウキ。その言葉は、先程まで「もう駄目だ」と絶望に沈みかけて動けなくなっていた皆の心に希望を灯し――そして、再起動させるには十分なものだった。

 

「そう、だったよね!」

 

「うん、そうだ!アタシ達は、まだ戦える!」

 

「余計な事考えてる場合じゃ、ありませんよね……!」

 

「勝とうぜ……この戦い、絶対に!」

 

「そのための作戦を……イタチさん、お願いします!」

 

元より攻略が不可能に等しいことは承知の上での挑戦である。今更難易度が上がったところで、気後れする理由にはならない。ユウキの激励に応え、今回のパーティーの参謀役であるイタチの指示に従い、スリーピング・ナイツのメンバーは、パーティーとして再起動するのだった。

 

「俺とユウキでタゲを取って二体を引き離す!他のメンバーは、先程と同じ要領で、隙を見て斬り込め!」

 

『了解!』

 

メンバー五人に引き続き距離を置いて隙を窺うよう指示を出したイタチは、ユウキと共に二体の巨人へ向かって突撃する。大剣を持つ青の巨人、斧を持つ赤の巨人もまた、迫りくる二人に気付いたようで、各々の武器を振り翳して攻撃を始める。

 

「カバババ!」

 

「ギャギャギャ!」

 

イタチは斧を右手に持つ赤色の巨人、ユウキは左手に大剣を持つ青色の巨人を引き付ける。巨人たちはそれぞれに持つ斧と大剣の他に、空いた片手で鎖付き分銅を振り回しており、隙あら即死級の一撃をいつでも振り下ろせるように構えている。

 

(頭と腕が減ったお陰で、攻撃範囲も手数も当初よりは制限されたが、威力は増強されている。二体を完全に切り離さないと、挟み撃ちにされかねん……)

 

攻撃を仕掛ける位置次第では、巨人二体による挟撃を受ける可能性は十分にある。加えて、現在戦っている二色の巨人のように、複数で現れるタイプのモンスターは、一体が攻撃された場合に他の個体が救援に向かうよう設定されている場合も多い。確実かつ安全にダメージを与えていくならば、巨人二体を十分に引き離すことは勿論、攻撃の開始と離脱のタイミングを見極めねばならない。

 

「ユウキ!」

 

「オッケー!」

 

名前を呼ばれただけだったが、イタチの意図を読み取るには十分だったらしい。ユウキはイタチとは反対方向へと青色の巨人を誘導し、遠ざけようとする。

 

「カバババァアッ!!」

 

「む……!」

 

赤色の巨人が斧を振り上げ、両手斧ソードスキル『グランド・ディストラクト』を発動しようとする。命中率の高い範囲技のソードスキルを、しかも至近距離で放つのだ。如何にイタチでも、完全に回避し切れない。

 

「――――ぉぉぉおおおお!!」

 

そこでイタチが取った手段は、回避ではなく迎撃。片手剣重攻撃技の刺突系ソードスキル『ヴォーパル・ストライク』を発動させ、自身に繰り出されるソードスキルへ自ら飛び込んでいく。

 

「カババガァアッ!?」

 

『グランド・ディストラクト』と『ヴォーパル・ストライク』が正面から激突し、ライトエフェクトが凄まじい勢いで迸る。双方の発動したソードスキルは閃光が掻き消えると同時にキャンセルされ、イタチと巨人の身体が双方向へ弾かれる。

 

「皆、スイッチだ!」

 

「任せとけ!」

 

「一気に行くよ!」

 

空中へ身を投げ出されながら出されたイタチの指示に応え、ジュンやノリをはじめとした援軍が赤色の巨人目掛けて突撃していく。対する巨人は、ソードスキルを弾かれたことによるノックバックでよろめいており、援軍の接近を防ぐことができない。

 

「カババッバァアアッッ!!」

 

四人が放つソードスキルの嵐が、赤色の巨人の身体に多数のダメージエフェクトを刻み込む。HPバーこそ見えないが、巨人の反応からして、確かなダメージを与えられていることが分かる。

 

「ギャギャッ…………ギャギャギャギャギャ!!」

 

しかし、赤色の巨人が袋叩きにされているその様を、片割れたる青色の巨人が放置することはしなかった。イタチの予想した通り、片方が攻撃を受けたことに反応したのか、それまでユウキを攻撃していた青色の巨人が百八十度反転して、赤色の巨人の援護に動き始めたのだ。

 

「ほらほら!そっちじゃないよ!ボクはこっちにいるよ!」

 

ユウキが青色の巨人の無防備な背中にソードスキルを連発してタゲを自身に戻そうと試みる。しかし、青色の巨人は一切振り向くことなく、赤色の巨人の援護へ向かおうとする。OSSのマザーズ・ロザリオか、或いは片手剣の上位スキルを遣えたならば、タゲを確実に戻すこともできたかもしれない。だが、技後硬直で身動きが取れなくなれば、即座に瞬殺されかねない以上、単発型の初級スキルしか使えなかったのだ。

 

「ギャギャギャギャ!」

 

「全員、一旦退け!もう一体の巨人が来るぞ!」

 

青色の巨人の動きを察知したイタチが、赤色の巨人を攻撃中のパーティーメンバーに撤退の指示を出す。しかし、連続技の重攻撃ソードスキルを発動中だったジュンとタルケンの撤退が、僅かに間に合わない。

青色の巨人は大剣を振り上げ、赤色の足元に居るソードスキルを発動しようとしている。そして、それまで攻撃を受けていた赤色の巨人もまた、斧を振り上げて反撃を開始しようとしていた。

 

「チッ……!」

 

このままでは、ジュンとタルケンが巨人二体の挟撃に晒されかねない。そう考えたイタチの行動は早かった。まず、一番近くにいた赤色の巨人の左足目掛けて走り、単発型の水平斬りソードスキル『ホリゾンタル』を発動する。

 

「カババッ!?」

 

赤色の巨人のタゲが自身に移ったことを確認したイタチは、単発型ソードスキル故に短い技後硬直が解けるや、今度は青色の巨人目掛けて走り出した。

 

「ギャギャギャッ!」

 

駆け出したイタチを待ち構えていたのは、両手剣ソードスキル『ブラスト』を片手で繰り出そうとする青色の巨人。水平に薙ぎ払う範囲技である以上、側方へ回避することはできず、後方には赤色の巨人がいるため、退くこともできない。

 

「ならば――――!」

 

避け切れない攻撃ならば、先手を打つのみ。青色の巨人がソードスキルを発動するよりも先に、イタチが水平四連撃技ソードスキル『ホリゾンタル・スクエア』を発動する。青色の巨人が発動したブラストの迎撃を掻い潜ったイタチがまず狙うのは、青色の巨人の左足。一撃目で脛、二撃目で踵に斬撃を放つ。さらに、背後に回り込んだ後、今度は右足へ狙いを定め、三撃目で踵、四撃目で脛を斬りつける。

 

「ギャギャァアッッ……!」

 

両足に攻撃を受けた影響か、バランスを崩して膝を突く青色の巨人。AIによる反応なのだろう。その顔は怒りに歪み、憎悪を宿した目でイタチを睨みつけているようだった。そして当然、タゲもイタチへ移っていた。

 

「カババババ!」

 

そして、技後硬直で動けないイタチ目掛けて、今度は赤色の巨人が迫る。手に持った斧を振り上げ、両手斧ソードスキル『スマッシュ』を発動し、イタチ目掛けて振り下ろそうとする。

 

「させないよ!」

 

それに対し、ユウキが援護に動く。先程イタチが放ったのと同じく、片手剣重攻撃技の『ヴォーパル・ストライク』を放つ。

 

「カババッッ……!!」

 

ユウキの繰り出した渾身の一撃を鳩尾に叩き込まれ、バランスを崩す赤色の巨人。発動しようとしていたソードスキルはキャンセルされ、振り下ろした右手の斧は、何も無い地面に叩き込まれるのみだった。だが、それだけではない。

 

「ギャギャァアアッ……!!」

 

赤色の巨人が振り回していた分銅が、バランスを崩した拍子に青色の巨人の胸部に命中。青色の巨人は再び膝を突くこととなったのだ。

 

「これは…………」

 

青色の巨人の明らかにダメージを受けた様子に、イタチは目を細める。それと同時に思う。「もしかしたら、これは使えるかもしれない」と――――

 

「ユウキ!巨人同士を近づけろ!」

 

「えっと…………了解!」

 

先程までの作戦とは真逆の指示に対し、逡巡するユウキ。しかし、イタチの考えた作戦ならば信用できると考え、すぐさま行動に移した。

 

「他の五人は、今までと同じだ!隙を見せ次第、すぐに畳みかけ、ある程度ダメージを与えたらすぐに撤退しろ!シウネー、お前が指示を送れ!」

 

「分かりました!皆、良いわね!?」

 

『了解!』

 

作戦変更の指示を受け入れたメンバーの返事を聞いたイタチは、ユウキとともに巨人を翻弄すべく動き出すのだった。

 

「ギャギャギャッ!」

 

先程のダメージから復活した青色の巨人が、その右手に持った分銅を振るい、ユウキ目掛けて叩き付けようとする。分銅による攻撃は、直撃は避けられたとしても、地面への衝撃波によって動けなくなる可能性がある。そしてそれは、ボス二体を近づけている今、致命的な隙を生みかねないリスクがある。

 

「――――はあっ!」

 

しかしイタチは、そのようなリスクを見逃さない。攻撃を仕掛けようとした青色の巨人の左膝を足場に、分銅を持つ右腕へと跳躍。右肘目掛けて、片手剣ソードスキル『バーチカル』を発動する。

 

「カババッ!?」

 

イタチの攻撃によって手元を狂わされた青色の巨人の一撃は、赤色の巨人の右足の脛に命中する。そのダメージに、今度は赤色の巨人が膝を突いた。

 

「ユウキ、今だ!」

 

「オッケー!」

 

赤色の巨人の隙を突く形で接近したユウキは、地面に突いた右膝、斧を持った右手へと三角跳びを行い、その右米神へと接近する。

 

「やぁぁあああ!!」

 

赤色の巨人の米神目掛けて、片手剣垂直四連撃ソードスキル『バーチカル・スクエア』を発動する。

 

「カバッバッバァァア……!!」

 

モンスターへのダメージは、プレイヤーのアバターと同様、頭部の方が大きいと相場が決まっている。特定のウィークポイントが設定されている例外も存在するものの、今回の巨人二体は、例に漏れず頭部の方がダメージは大きいらしい。

 

「皆、赤い方へ攻撃を!」

 

「よっしゃ!」

 

「任せろ!」

 

赤色の巨人が頭部を攻撃されてよろめいた隙を突き、シウネーが待機していた四人に対して攻撃指示を出す。

 

「カババッバァア……!」

 

ユウキに続く形で繰り出された攻撃によって次々にダメージを蓄積させていき、呻き声を上げる赤色の巨人。

 

「ギャギャギャッ」

 

それに対し、今度は青色の巨人が援護に動き出す。その動きを察知したユウキは、仲間達に撤退指示を出す。

 

「皆、青色の方が来るよ!一旦退いて!」

 

ユウキに従い、援護部隊四人は赤色の巨人から距離を取る。先程の失敗から学習したのか、今度はタイミングを逃さず、技後硬直で遅れることなく、全員離脱に成功する。

 

「イタチ、今だよ!」

 

「了解した!」

 

赤色の巨人の窮地に注意を逸らされていた青色の巨人の背後に回り込んでいたイタチが、その無防備な背中目掛けて刺突系六連撃ソードスキル『スター・Q・プロミネンス』攻撃を放つ。

 

「ギャギャッ!?」

 

背中を突かれ、ソードスキル発動の勢いも相まって前へとつんのめる青色の巨人。発動した両手剣ソードスキル『イラプション』は、赤色の巨人の身体に叩き込まれた。

 

「カババガァアアッ……!!」

 

青色の巨人の攻撃を受けて苦悶の声を上げる赤色の巨人。一方の青色の巨人は、ソードスキル発動による技後硬直を起こしていた。

 

「うりゃぁぁああ!!」

 

身動きの取れない青色の巨人の右足目掛けて、ユウキが片手剣ソードスキル『サベージ・フルクラム』を放つ。

 

「ギャギャァアッ!」

 

「よし!ほら、こっちだよ!」

 

「カババッッ!」

 

「お前の相手は、俺だ……!」

 

イタチとユウキの連携プレーにより、赤青二色の巨人は翻弄され続けるばかりだった。そして、攻撃を発動する度に、イタチとユウキは巧みにこれを回避し、時には手元を狂わせて同士討ちを誘導し、巨人同士で互いにダメージを与え合う形となっていた。

 

(凄い……イタチってば、これを狙ってたんだね!)

 

二体に分離したフロアボスを、こうも簡単に追い詰める見事な作戦を考案したイタチに、ユウキは内心で驚きとともに感心していた。本来、フロアボス攻略において、フロアボスに付随する中ボスモンスターを相手取る場合、必要な戦力を割り当てて各個撃破するか、フロアボスに回避盾、中ボスに戦力の大部分を割り当てて戦闘能力の低いモンスターから順に撃破する戦法が取られる。いずれにしても、ボス同士を引き離すことが基本とされる攻略手段であり、まとめて相手するなどあり得なかった。

しかしイタチは、敢えてボス二体を引き合わせた。目的は言わずもがな、同士討ちを誘発するためである。ボスモンスターの攻撃力というものは、当然ながら非常に強力に設定されており、同じボスモンスターがこれを受けたならば、相応のダメージは免れない。ましてやイタチ等が今相手している赤・青の巨人は、炎と氷という相克する属性を持っており、同士討ちで受けるダメージは猶更大きい。加えて言えば、ボスモンスターのAIは、プレイヤーが各個撃破を図ることを想定して作られているため、ボス同士の接近や、それによる同士討ちに対応するためのプログラムが行われていないのだ。

 

(この人数だからこそできた戦法、だな……)

 

複数のボスを相手する場合において、非常に有効に思える戦法だが、四十九人のフルレイドで挑戦した場合にはそうはいかない。一人のプレイヤーにタゲを固定できない状況では、ボスの行動を誘導することは至極困難であり、同士討ちを誘発することは困難となるからだ。

それに、フロアボスに有効打を与えられることが現に実証されているとはいえ、これはイタチとユウキだからこそ実行できた離れ業である。ボスの行動に即座に対応するための、常人離れした反応速度と高度な状況判断能力は勿論のこと。僅かな視線や動作を見るだけで、互いの思考を正確に察知し、連携できるコンビネーションが必要となる。

そしてそれは、前に出てタゲを取るメイン二人の間のみに限定した話ではない。時に二人をフォローするべく立ち回る、サポート役五人も含め、パーティー七人全員の間に強い信頼の絆があってこそ可能となる作戦なのだ。

 

「ガ、カバババ…………!!」

 

「ギャギャ、ギャ…………!!」

 

イタチとユウキのツートップと、サポート五人による隙の無い連携に翻弄され、同士討ちを繰り返した巨人二体は、一気に消耗していった。そして、およそ十分が経過したその時、両巨人の攻撃がより一層激しくなった。その行動の変化から、HP残量が危険域に突入していることを悟ったイタチは、勝負に出ることにした。

 

「ユウキ!」

 

「うん!」

 

名前を呼んだだけで、その意図を理解したのだろう。ボスのタゲを取って攻撃を回避しつつ同士討ちを狙っていたイタチとユウキは、互いが居る方向目掛けて一気に走り出し、助走をつけて跳躍した。

空中で二つの黒い影が『X』を描くように交錯し、イタチはユウキがタゲを取っていた青色の巨人へ、ユウキがはイタチがタゲを取っていた赤色の巨人へと突撃した。

 

「「はぁぁぁああああああ!!!」」

 

ボスの胸へと迫った二人は、その手に握る剣に青い光を滾らせ、光芒を描いて振り翳す。ソードスキルの……それも、とびきり強力な絶技の発動である。

右上から左下に向かって五発、そのラインを交叉する軌道でさらに五発。計十発の刺突が描いた十字架の中心を穿つ形で、最後に渾身の一撃を叩き込む。

 

「カババ、ババァアッ…………!」

 

「ギャギャギャ、ギャギャッ……!」

 

二人の繰り出す絶技によって、空中に煌めく十字架が刻まれると共に、二体のボスのHPは全損に至ったのだろう。その肉体は光に包まれ、ガラスが砕け散るような乾いた音を、ボス部屋の中全体へと響かせながら、無数のポリゴン片を撒き散らして爆散した。

 

 

 

(実戦で使うのは初めてだったが、上手くいったな……)

 

青色の巨人をその絶技をもって屠って見事に着地を決めたイタチは、変わらぬ表情のまま、しかし内心では自身の技が見事に発動できたことに安堵していた。先程イタチが発動した十一連撃ソードスキルは、ユウキのOSSでもある『マザーズ・ロザリオ』だった。しかし、イタチが発動したものは、ユウキから受け継いだものではない。ユウキが以前披露したものを参考として、イタチが新規のOSSとして作成したのだ。

前世は他人の忍術をコピーする技能に優れた忍者だったイタチにとって、他のプレイヤーが使用するOSSを他人の技を己のものとして再現することは然程難しいことではなかった。無論、だからといって、イタチとて無闇に他者が作成したOSSを我が物にしているわけではない。マザーズ・ロザリオについては、ユウキの許可を得てコピーし、使用しているのだ。

 

「イタチ!」

 

ユウキから得た絶技を成功させ、フロアボス攻略という偉業を成し遂げたことに、密かに感慨にひたっていたイタチに、共にフィニッシュを決めた相棒から声が掛けられる。振り向いたイタチの視線の先には、当然ながらユウキが立っていた。その表情には、いつにも増して明るい、輝くような笑顔が浮かんでいた。

 

「ありがとう!!」

 

「……ああ」

 

その心からの感謝の言葉に、イタチもまた、微かな笑みを浮かべて答えるのだった。

 

 

 

「おい、あの技って……!」

 

「うん、ユウキの……だよね」

 

イタチとユウキがボスを倒すために発動した、全く同じこのソードスキルに驚愕の表情を露にするスリーピング・ナイツの五人。それもその筈。五人の知る限りでは、この技を使える者は、ALOには今や一人しかいない。公式に実装化されたソードスキルの中には無い、『OSS』――『マザーズ・ロザリオ』なのだから。

 

「ラン…………!」

 

イタチとユウキ、寄り添い合う二人の黒い影を見つめたシウネーは、この場にはいない……かつてのOSSの使い手の名前を、一人静かに呟いた。その名前を聞いた五人の目には、目的を成し遂げたことによる感動とは違う、涙を浮かべていた。未だその輝きを残す十字架の下で向かい合う二人の姿に、皆が見入っていた。どこか懐かしさを感じさせる……この場にいない、もう一人の仲間が帰って来たかのように思える、その光景に――――

 



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第百十三話 傷跡が癒える事はない

とある晴れた休日の昼下がり。とある町中にある公園へ、二人の少女が遊びに来ていた。長髪と短髪と、髪型の違いこそあるものの、非常に似た顔立ちの彼女等は見て分かる通り、双子の姉妹だった。そんな、どこにでもある平穏な日常の光景は――――しかし、突如として破壊された。

 

「とっとと帰れ!ばい菌女共!」

 

「ここはお前等の来ていい場所じゃねえんだよ!」

 

「近寄んな!汚いんだよお前等は!」

 

姉妹を取り囲んで罵詈雑言を浴びせかけるのは、同じ学校に通う子供達。五人もの同学年の、それも自分達よりも体格の大きい少年達に威圧され、悪意を向けられた少女達は、ひどく怯えた様子だった。特に短髪の妹の方は、恐怖のあまり長髪の姉に抱き着いて震えていた。

 

「……お願いだから、やめて!」

 

自身の胸で震える妹を守るべく、自身も感じている恐怖に耐えながら、姉が声を振り絞って訴えかけた。だが、そんな少女の悲痛な願いも、少年達には届かない。

 

「うるせえ!お前等がいるお陰で、俺達は公園で遊べねえんだ!迷惑なんだよ、本当に!」

 

「まさか、俺達にまで病気を移そうってんじゃねえだろうな?」

 

「きっとそうだぜ!こいつら、この公園まで汚染するつもりなんだ!」

 

「このばい菌共が!ぶっ殺してやる!」

 

少女の願いに耳を貸すどころか、少年達はその行動をますますヒートアップさせていく。目の前の姉妹に謂れの無い罪を着せ、挙句の果てには暴力を振るおうと、すぐそばに落ちていた石を拾い上げた。

 

「……っ!」

 

少年たちに背を向ける形で妹を抱きしめ、投げつけられる石から身を挺して守ろうとする姉。目を瞑り、痛みに備えるように身を硬くする。だが、そこへ――――

 

「何やってんのよ!!」

 

少年達に虐げられている二人の姉妹とは別の、少女の怒声が響き渡る。姉妹二人と少年達五人が声のした公園の入口の方へと振り返ると、そこにはボーイッシュな服装に身を包んだ、ショートヘアの髪型と、勝気な顔立ちをした少女が立っていた。その凛々しくも年相応の可愛らしさを感じさせる表情は、怒りに染まっていた。

そして、そんな怒り心頭な少女に睨まれた少年達は、驚きに目を見開くとともに、顔色は瞬く間に青く染めていた。

 

「あ、有沢竜貴……!」

 

「チッ……厄介な奴が来やがった……!」

 

動揺する少年達のもとへ、竜貴と呼ばれた少女は肩を怒らせながら歩み寄る。次いで、少年達に囲まれた姉妹の怯えた姿を改めて視認するや、再び怒鳴り声を上げた。

 

「こんな女の子二人を寄って集って苛めて……恥ずかしいとか思わないの!?」

 

「なっ……だ、だってよ!こいつら、とんでもねえ病気持ってんだぞ!?」

 

「そうだ!こんな危険な奴等を、何でお前は庇うんだよ!」

 

「意味分かんねえよ!お前だって迷惑してんだろうがよ!」

 

竜貴の剣幕に圧倒されつつも、何とか反論しようとする少年達。だが、

 

「黙りなよ、あんた達!!」

 

竜貴の一喝により、少年達が並べ立てた反論は尽く叩き潰された。

 

「迷惑だの危険だの……そんなの、あんた達の勝手な被害妄想でしょうが!この子達だって好きで病気になったんじゃない!それを一方的に悪者扱いするなんて……絶対に間違ってんだろ!!」

 

「ぐぅっ……!」

 

竜貴の剣幕に押され、唸り声を上げる少年達。相手が男子であろうと、何人いようと一歩も退かないその態度には、時に大人ですら圧倒されるものがあった。

 

「これ以上やろうってんなら、あたしが相手になるよ。どうする?」

 

「チッ……皆、行くぞ!」

 

堂に入った構えで拳を向ける竜貴に、少年達はたじろぐ。やがて、敵わないと思ったのだろう。少年達は悔しそうな顔をしながらも蜘蛛の子を散らすようにその場から立ち去った。その後ろ姿を睨みつけていた竜貴は、全員消えたことを確認すると、残された姉妹のもとへ歩み寄った。

 

「藍子に木綿季、大丈夫?怪我とかさせられてない?」

 

「う、うん……大丈夫だよ、たつきちゃん」

 

「ボクも、大丈夫……」

 

竜貴に手を借りて立ち上がった二人は、窮地を救ってくれたことに改めて感謝した。竜貴も姉妹二人の身体を見て確認したが、どうやら本当にただ囲まれていただけで、怪我は負わされていないらしい。

 

「全く、あいつらときたら……!」

 

「ごめんね、たつきちゃんにいつも迷惑かけて……」

 

「そんなことは気にしなくて良いから。学校の連中もあんな奴等ばっかだけど、あたしみたいに、あんた達の味方もいること、忘れないでね」

 

「……ありがとう、たつきちゃん」

 

竜貴の言葉に、涙を浮かべながら感謝する藍子と木綿季。二人が抱える問題が学校中に知れ渡ることとなったその日以来、今まで普通に付き合っていた筈の同級生達からの視線は、汚らわしく、異質なものを見るような、差別的なものと化していた。そんな中、ほんの一握りだけだったが、竜貴のように二人と変わらず接してくれる友人の存在は、何よりも嬉しい心の支えだった。

 

「それじゃあ、家まで送るわ。さっきの奴らが、またちょっかいかけてくるかもしれないし」

 

「……うん」

 

竜貴に促され、家路に着く藍子と木綿季。その間、木綿季は姉である藍子と、自分達を助けてくれた竜貴の手を、ぎゅっと握って放すことはなかった。対する竜貴もまた、木綿季の手をしっかりと握り返してくれた。そんな二人の手の温もりを感じながら、木綿季は強く願った。

 

(大丈夫……きっとボク達は、まだここに居られる……)

 

自分や自分の家族の居場所は、確かにここにある。木綿季が一途に信じたその想いは、しかし周囲の人間達は許容することができなかった。この日から数か月後、藍子と木綿季は、学校の生徒・保護者による圧倒的多数の否定的かつ排他的な圧力の前に、転校という形で学び舎を追われることとなる。竜貴をはじめとした二人の友人やその保護者達は、二人とその家族を受け入れるべきと訴え続けてきたが、病気に対する偏見と恐怖を抱いた人間達の心を動かすには至らず……完全に無力だった。

 

 

 

「お前達はここに居てはいけない」――――そう訴えかけていた周囲の反応。それは、藍子と木綿季にとって、居場所のみならず生きることを否定されるに等しいものだった。

そしてこの出来事を皮切りに、二人の体調は急速に悪化し――――遂に、最悪の展開を迎えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

2026年1月13日

 

『――――ユウキ君、大丈夫ですか?』

 

「っ!……ご、ごめんなさい、倉橋先生」

 

自身の名前を呼ぶ声に、はっとして顔を上げるユウキ。どうやら、知らぬ間に考えに耽ってぼーっとしてしまっていたらしい。眼前のモニターの向こう側では、眼鏡を付けた白衣の医師らしい男性が、ユウキのことを心配そうに見つめていた。

 

『……無理はしないでください。今日は、このくらいにしておきましょう』

 

「…………はい」

 

倉橋と呼ばれた男性医師は、「気にしないでください」と再度口にして苦笑を浮かべると、モニターを切るのだった。残されたユウキは、自身の主治医であり数少ない理解者である人物に心配をかけてしまったことに一人溜息を吐いていた。

誰一人いない、壁や天井といった空間的な概念すら無い場所の中。展開された複数のモニターの前で、ユウキは一人膝を抱いて蹲っていた。その姿は、ALOにおける闇妖精族『インプ』のものではなく、現実の自身の姿を再現したものだった。しかしここは、現実世界に存在する場所ではない――――文字通り、ユウキだけの空間だった。

 

(またあの時のことを思い出すなんて…………)

 

ここ最近、ふとした時に過去の出来事を思い出し、思考の海へと精神を鎮めることが増えていた。一体、何がユウキの過去の……それも忌まわしい思い出ばかりを呼び起こすのか。その答えを、既にユウキは知っていた。

 

「イタチ……ごめんね」

 

顔を俯かせたまま独り呟いた言葉は、この閉鎖空間の中にあって、誰に聞こえるものでもなかった。しかし、譬え本人には届かないとしても、ユウキはその名前と、謝罪を口にせずにはいられなかった。

思い出すのは、五日前のこと。自分達が掲げていた大きな目標を果たすために協力してくれた、かけがえのない仲間になった彼の前から、ユウキは逃げ出してしまったのだった――――

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ、ボク達の目標が達成できたことを祝って……乾杯!!」

 

『乾杯!!』

 

ユウキが乾杯の音頭を取っての「乾杯」の掛け声とともに、その場にいた七人全員が手に持つグラスを打ち付け合い、中身のワインに口を付ける。ここは、ALOの新生アインクラッド第二十七層の主街区『ロンバール』にある、とある宿屋に併設された酒場兼レストランの中。かつてイタチとスリーピング・ナイツの面々が邂逅した場所でもあるこの宿屋は、複雑に入り組んだ路地裏にあるため、プレイヤーがほとんど出入りしない身内だけでパーティーを開くには絶好の穴場でもあった。

そしてこの日、ユウキを筆頭としたスリーピング・ナイツの六人とイタチは、つい先ほど成し遂げた偉業を祝うために、この酒場でパーティーを開いていたのだった。

 

「ほらほら!イタチももっと飲んで!」

 

「……ああ、悪いな」

 

ユウキに勧められ、グラスに注がれたワインに再度口を付けるイタチ。興奮に湧き立っているスリーピング・ナイツの面々と比べると、かなり冷めているように見えるが、比較的早いペースでワインを飲んでいるあたり、イタチもイタチなりに気分が高揚していることが分かる。

 

 

 

新生アインクラッドの第二十七層フロアボス攻略に臨んだこの日。ボス部屋前でのゾディアックとの乱戦を含め、数々のイレギュラーに見舞われたものの、あらゆる事態を想定していたイタチの機転と適確な指揮のもと、ユウキをはじめとしたスリーピング・ナイツの繰り出す連携によってフロアボスは追い詰められ……イタチとユウキの『マザーズ・ロザリオ』のフィニッシュのもと、遂にフロアボス攻略は成し遂げられた。

長らく不可能とされていた悲願を実現させるに至った成功を祝うべく、スリーピング・ナイツは攻略後にそのまま打ち上げを行おうという流れになった。勿論、攻略の功労者であるイタチを伴ってのことである。最初はギルドの仲間同士、水入らずで祝えば良いと、参加には消極的だったイタチだが、ユウキ等がそんな水臭いことをと言って参加を呼び掛けた結果、こうして同席することとなったのだった。

 

 

 

「それにしても、あの時は本当に驚いたぜ。何せ、ボスが二体に分かれるんだぞ?あんなの、誰が予想できるんだってんだ」

 

「けど、それに対してすぐに対応できたのは、イタチのお陰だよな。ユウキの奴、本当にスゲー奴連れてきたって思ったよ」

 

「私もそう思います。イタチさん無しでは、今回の攻略は絶対に為し得ませんでしたから」

 

打ち上げが始まってから、スリーピング・ナイツの成し遂げたフロアボス攻略の話で盛り上がっていた一同。しかし、ジュンの一言によって、今度はその偉業に大きく貢献したイタチが話題の中心へと引きずり出される結果となった。それに伴い、一同の視線はそれまで片隅で一人静かにワインを飲んでいたイタチに関することへとシフトした。

 

「しっかし、今思い出してみれば、イタチもマジで規格外だったよな。俺達の依頼を受けてから、即座にあれだけの作戦を思いつくなんて」

 

「アインクラッドの攻略に携わっていた時間は人より長い方だからな。攻略中に発生するイレギュラーへの対応にも、それなりに慣れている。先見の明というヤツだ」

 

ユウキ達は知る由も無いことだが、イタチの言う先見の明とは、SAO事件やベータテストよりも前……即ち、うちはイタチとしての前世における経験に由来するものである。想定外の事態への対応などは、熟練の忍には出来て当然。出来なければ、即座に死へと直結してしまう、必要不可欠なスキルなのだ。

 

「いやいやいや……経験だけでどうにかなるものじゃないでしょ、アレは」

 

「冷静沈着に不測の事態に対処できるだけじゃなくて、不安になる皆を勇気づけてくれるし、リーダーシップも抜群ですしね」

 

「おまけに剣技も一級品!ユウキのマザーズ・ロザリオまで使いこなしちゃうんだから、まさに無敵(チート)だよね」

 

「そうそう!ユウキとの連携も抜群で、並び立った姿は、まるでラ――」

 

「ジュン!!」

 

ノリやタルケン、テッチに続き、イタチの規格外ぶりに呆れと関心を抱いて饒舌に話し始めたジュンだったが、シウネーが りつけるような大声を発してその先を遮った。常は穏やかなシウネーが取ったいきなりの行動に対し、イタチは内心で少し驚き、ジュンをはじめとした他の面々は、怒鳴り声を上げたシウネーを含めて一様にばつの悪そうな顔をしていた。特にユウキの反応が顕著で、打ち上げが始まってから全く絶やすことの無かった、眩しいまでの笑顔はどこへやら。その表情を暗く曇らせ、俯いてしまっている。

スリーピング・ナイツの内部の事情について、関わりを持ってからあまり経っていないイタチだが、ジュンが何らかの地雷を踏んでしまったことだけは理解できた。部外者のイタチには、この状況をどうにかすることはできないが、このまま放置するわけにもいかない。そこでイタチは、別の話題を振ることにした。

 

「………そういえば、まだ確認していないことがあったな」

 

「イタチ……?」

 

「確認していないこと……と、言いますと?」

 

「フロアボス攻略を一パーティーの七人……俺達だけで行ったことの証だ」

 

突然イタチが言い出した言葉に対し、スリーピング・ナイツの一同は不思議そうな表情を浮かべていた。そんな皆の視線に晒されながらも、しかしイタチは特に動じた様子も無く、淡々と語りだした。

 

「フロアボス攻略を成功させたレイドのリーダー達の名前は、第一層の黒鉄宮の『剣士の碑』に刻まれる。そして、二十七層のフロアボス攻略を成し遂げた今日、その部分には俺達の名前が新たに刻まれている筈だ」

 

「あ、そっか!それだよ!それをこれから皆で、見に行こうっていうんだね!」

 

イタチの説明によって、その真意をようやく得心したユウキが、思い出したとばかりに手を叩いて声を上げた。そして、忘れていたのはユウキだけではなかったらしく、他のメンバー達も同様の反応をしていた。

 

「そもそも、それが今回のフロアボス攻略の目的だと聞いていたんだがな」

 

「アインクラッドのフロアボス攻略に成功したことが嬉しくて、

すっかり忘れてしまっていましたね……」

 

「まあ、依頼した身で言うのもなんだけど、本当に一発クリアなんてできるとは、流石に思っていなかったからね」

 

どうやら、不可能と考えていた手段を成し遂げられたことによる達成感の凄まじさに、当初の目的を完全に忘れてしまっていたらしい。タルケンとノリは、ばつが悪そうに苦笑いしながら頭や頬を掻いていた。

 

「話が脱線したな。それで、打ち上げの最中なわけだが……行ってみるか?」

 

「うん、勿論!!」

 

スリーピング・ナイツの面々の間に生じた気まずい空気を変えるための提案だったが、本来ならば打ち上げの前か後にする事である。しかし、思い立ったが吉日と言うべきか。イタチに対し、ユウキは勿論、スリーピング・ナイツのメンバー達も揃って今すぐ行くことに同意した。

 

「打ち上げは戻ってからまたやりましょう」

 

「お店は貸し切りにしてありますからね。プレイヤーの方も滅多に来ることは無いですから、少しくらい席を外しても大丈夫でしょう」

 

「それじゃあ皆、レッツゴー!」

 

自分達が成し遂げた偉業の証を見に行くことが、よほど楽しみなのだろう。ユウキは打ち上げ開始の時よりややハイテンションになっていた。そんなユウキに、イタチを含めた六人は苦笑を浮かべつつも、その後を追って宿屋を出るのだった。

 

 

 

ロンバールの宿屋を出た一同は、転移門を通って第一層『はじまりの街』へ向かい、そこから『黒鉄宮』を目指していた。七人揃って街中を歩く中、ユウキはふと気になったことをイタチに問い掛けていた。

 

「そういえば、前にも『剣士の碑』を見たことがあったけど……イタチって、今回以外にも結構な回数で階層攻略に参加してたんだよね?」

 

「ああ。その通りだ」

 

今更隠すことでもない問いに、イタチは淡々と答えた。

 

「新生アインクラッドが実装化して間もない頃は、攻略に行き詰まったレイドに誘われることが多くてな。その時に、パーティーリーダーを務めることがあったわけだ」

 

今でこそ、前線へあまり姿を見せなくなったイタチだが、新生アインクラッドの実装化当初は、そのような事情でフロアボス攻略に参加することが多かった。イタチ自身が攻略に参加したかったということもあるが、その真の目的は、新参のプレイヤー達を新生アインクラッドのフロアボス攻略に慣らすことにあった。

新生アインクラッドの完全制覇を目指すイタチ等の本命は、七十六層以降――即ち、SAO事件において、未踏破領域のまま消滅した二十五層を攻略することにある。故に、それまでは新参のプレイヤー達に挑戦権を譲り、積極的な介入は控えることにして、七十六層以降が解放されてから本腰を入れて攻略に臨むという方針を取っていた。故に、今回のスリーピング・ナイツの挑戦を手伝ったのは、例外中の例外だった。

 

「けど、そう考えるとイタチって、やっぱり凄いよね。単純に強いだけじゃなくって、皆から頼りにされてさ」

 

「やろうと思えば、お前だってパーティーリーダーとして名前をいくつも刻むことはできた筈だ。仲間の信頼を集めるという点では、お前もパーティーリーダーとして十分な素質を持っている」

 

「えへへ……そう、かな?」

 

「ああ。間違いない」

 

相変わらず変化の無い表情のままユウキに対する賞賛を口にするイタチだったが、淀み無くはっきりと答えていた。共に戦った仲だからこそ分かる、世辞を一切含まないイタチの言葉を聞いたユウキは、照れ臭くなった。

 

「新生アインクラッドの完全制覇までは、まだまだ先が長い。お前達ほどの実力者なら、いつでも歓迎するぞ」

 

「その……ありがとう」

 

「まあ、無理にとは言わない。お前達にもお前達の事情があるだろうからな。気が向いたら、俺や他の攻略組にでも声を掛けてくるといい」

 

「えっと…………うん、分かった!」

 

イタチの控え目な勧誘に対し、しかしユウキはやや言い淀んで間を置きながらも、やはり笑顔で答えた。いつものユウキを知る者が見れば、無理をしているような不自然な笑みに見えたものの、イタチは特に何も追及することはなかった。

 

(やっぱりイタチ、ボク達のことを……)

 

以前から言葉の端々に匂わせていたが、イタチはどうやら、ユウキ達が隠している秘密に感づいているらしい。しかし、イタチはそれを察していながらも、深くは踏み込んで来ない。依頼人の事情に深入りすることが忍の信用に反すると考えているのか、それともある程度の事情を察しているからこそ気を遣っているのか――――恐らく両方だろうと、ユウキは考えていた。

そして、そんな変わらない付き合いを続けてくれるイタチの思い遣りが、ユウキには何より嬉しかった。ユウキが今隠している秘密を知った人間は皆、揃って自分を……自分達を、迫害してきたのだから――――

 

「お、見えてきたぜ!」

 

そして、そんな会話を続けて歩くことしばらく。ジュンが道の先にある建物を指差して声を上げた。どうやら目的地である、アインクラッドにおける有数の観光地でもある四角い建物、『黒鉄宮』へと到着したらしい。

 

「確か、『剣士の碑』があるのは奥の広間でしたね?」

 

「ああ。その通りだ」

 

「早く行こう!」

 

待ちきれないとばかりにメインゲートを駆け抜けていくユウキやジュンの姿に、イタチとシウネーは仕方がないと僅かに苦笑し、周囲のプレイヤー達も温かい眼差しを向けていた。早く早くと急かすユウキやジュンとは対照的に、落ち着いた大人組の面子はゆっくりとした足取りでその後を追っていく。ひんやりとした空気が包む建物の中を、鋼鉄の床とブーツが奏でる冷たい靴音を響かせながら歩いていき、最奥部の広間へと向かっていくのだった。

 

「あった!あれだ!」

 

広間に到着するや、静謐で神聖さすら感じさせる空間の中央に鎮座する、巨大な横長の鉄碑が一同の目に入った。アインクラッドのフロアボスを倒し、上層への道を切り拓いた英雄達の名前を刻む『剣士の碑』である。

それを見るや、ユウキとジュンは勿論、テッチやノリまでもが駆け寄った。やはり皆、自分達の成し遂げた証が本当にそこに存在しているのかが、気になるようだった。

 

「あ……あった」

 

そうしてびっしりと並んだ英雄達の名前の末尾へと視線を巡らせ――それを見つけたユウキが無意識の内に呟いた。現在の新生アインクラッドの二十七層フロアボス攻略を成し遂げた者達を讃えるその場所には、七人の名前が刻まれている。

スリーピング・ナイツのエンブレムと共に刻まれているのは、ユウキ、シウネー、ジュン、ノリ、テッチ、タルケンの六人の名前。そしてその末端には、助っ人として参加したイタチの名前もあった。

 

「あった……ボクたちの名前だ……!」

 

目に涙を浮かべて呟くユウキは、目の前にある自分達の残した偉業の証が未だに信じられないようで、呆然としていた。そんなユウキの心境を察したイタチが、その精神を現実へ戻すべく呼び掛ける。

 

「確かに刻まれているぞ。お前達がやり遂げた……お前達が“ここに居た”という、証がな」

 

「……うんっ!」

 

涙を目に浮かべながらはにかむユウキの笑顔は本当に嬉しそうで、常は変わらぬイタチの顔にも微かな笑みが浮かんでいた。

 

「おーい、写真撮るぞ!」

 

その声に振り向くと、そこにはジュンの姿が。いつの間にかスタンバイしたのか、『スクリーンショット撮影クリスタル』を手に、剣士の碑をバックに一同の写真を撮ろうとしていた。

 

「ほら、呼んでるぞ、ユウキ」

 

「あ、うん!」

 

イタチに促され、クリスタルの方を向くユウキ。隣にはイタチが立ち、二人を中心にジュンを除くスリーピング・ナイツのメンバーが並ぶ。そして、クリスタルのタイマーをセットし終えたジュンもまた並ぶ。クリスタル上部にセットされたタイマーがカウントダウンを刻み、スリーピング・ナイツのメンバー全員が満面の笑みを浮かべる。この時ばかりはイタチもまた、作り笑顔ではない、自然で穏やかな笑みを……ほんの少しだけだが、確かに浮かべていた。

そして、ぱしゃっとカメラのシャッターが切れるような音とともに、クリスタルが光った。

 

「よし!撮れた撮れた!」

 

撮影を終え、空中に浮かぶクリスタルを回収しに行くジュン。一方、ユウキは再度剣士の碑へと振り向き、自分達の名前が刻まれた部分を再び見つめていた。

そんなユウキに、やれやれと若干の呆れとともにイタチが声を掛けた。

 

「そんなに見つめなくても、お前達の名前があそこから消えることはないぞ、ユウキ」

 

「分かってるよ。けどさ……やっと念願が叶ったんだよ。嬉しいけど、それ以上に信じられないことでもあるんだよ。そうでしょう?」

 

 

 

――――姉ちゃん

 

 

 

「………………」

 

ユウキの口から発せられた予想外の発言に、イタチは僅かに目を丸くしていた。しかし、誰のことだ、と聞き返すようなことはしない。ユウキが何気なく口にしたその言葉には…………何か、触れてはいけないものを感じたからだ。

 

「はっ…………!!」

 

ユウキの発言を、聞かなかったことにしようと考えたイタチだったが、ユウキとしてはそうはいかなかった。自身が無意識の内に口にした発言を自覚したらしく、はっと我に返ると口元を手で覆った。そして、その紫色の瞳からは、涙がとめどなく溢れ、頬を伝っていく。

 

「イタチ…………ボク……」

 

「…………」

 

涙を流すユウキを、イタチはただ黙って見つめていた。変化に乏しいその表情から内心を推し量ることは難しい。しかし、原因も分からず突然泣き出したユウキを前にしているのだから、少なからず動揺していることだろう。

そんなイタチを前に、しかしユウキは何も言えなかった。イタチを困らせてしまっているという罪悪感よりも、これ以上イタチの前に立つことができないという気持ちが先走り、一歩、また一歩と距離を取ってしまった。

 

「…………っ!」

 

そして、遂にこれ以上この場にいることができなくなったユウキは、イタチに背を向け、それと同時に右手を振った。システムウインドウを震える手で操作すると、ログアウトボタンをタップした。それと同時に、ユウキのアバターは瞬く間に白い光に包まれ、その場から消失するのだった――――

 

 

 

 

 

剣士の碑の前で、イタチの前から逃げるようにログアウトしてから、早くも五日が経った。あれ以降、ユウキはALOにログインすることは無かった。そして、ALOの中で出会ったイタチはおろか、ALO以前のVRMMMOからの付き合いであるシウネーをはじめとしたスリーピング・ナイツのメンバーとすら連絡も取らずにいた。今のユウキは、主治医である倉橋をはじめ、必要最小限の人間としか会おうとはせず、周囲との関わり合いをほぼ完全に閉ざしている状態だった。

 

(イタチ……どうしているかな?)

 

自ら強引に関係を断ち切った相手のことを無意識の内に思い浮かべ……会いたいとすら思ってしまう自分自身に、ユウキは嫌気がさした。スリーピング・ナイツのメンバー以外で初めてできた、心を許せる友人となった筈のイタチ。だが、ユウキはそんな彼の前から逃げ出してしまったのだ。一方的に関係を断ち切った自分には、最早合わせる顔が無いと、ユウキはそう感じていた。

 

(…………ごめんね、イタチ)

 

膝を抱いて俯いた姿勢のまま、心中でここにはいないイタチに対する謝罪を口にした。表情の変化が乏しい故に内心で何を思っているのか分からないイタチだが、剣士の碑の前で姿を消したあの時、内心で困っていたことは間違いない。面と向かって謝れば、間違いなく許してくれるだろうが、今のユウキにはそんな気力は無かった。

いっそのこと、何もかも話してしまえれば――――そんな考えがユウキの頭を過っていた。既にイタチは、ユウキとスリーピング・ナイツのメンバーの抱える事情をある程度まで察知している様子であり、教えたところで問題が発生するとは考え難く、変わらない付き合いをしてくれるという確信もあった。しかし、どれだけイタチを信じることができたとしても、秘密を打ち明けることはどうしてもできなかった。ユウキの過去に受けた差別の経験とトラウマが、それを邪魔するのだ。

 

(結局、ボクは何にもできない……ただ、待つだけなんだね。そんな資格、無いのに……)

 

自身から動くのではなく、イタチがここへ来てくれることを期待する自分に、なんて厚かましいのだろうと呆れた。こんな自分勝手なことばかり考えている自分には、イタチを待つ権利など無いというのに。

イタチに会いたいと思いながらも、自らは会いに行けないという状況の中、ユウキは只管に自己嫌悪した。何をすべきか全く分からない……まるで、出口の無い迷路の中へと迷い込み、立ち尽くしているかのようだった。

 

『ユウキ君、ちょっといいですか?』

 

そんな時だった。ユウキの眼前にモニターが展開し、つい先ほど問診を終えたばかりの倉橋の姿が現れたのだ。

 

「倉橋先生……どうしたんですか?」

 

『急で悪いね。実は……君に、お見舞いのお客さんが来てね』

 

「お見舞いって……」

 

天涯孤独の立場にあるユウキのもとに、見舞客など訪れることは、まず無い。スリーピング・ナイツのメンバーは全員、住まいが地方に散らばっている上にユウキと同様に外出すら困難な深刻な事情を抱えている。身内では父方の叔母がいるが、ユウキが病気を患って以来、リアルでは避けられている。最後に会ったのは、ユウキの両親の持ち物であった土地の件で話に来た時だろうか。ともあれ、親族とはいえ、善意で見舞いに来るなどあり得ない人物だった。

 

『ユウキ君より少し年上の、男の子のようです。ユウキ君の本名と……それから、ユウキ君が『メディキュボイド』を使っていることも知っているようです』」

「それって……」

 

「はい。どうやら、ユウキ君が今置かれている状況についてもある程度知っているようすです』

 

「まさか…………!」

 

そこまで説明を受けたところで、自身の見舞客の正体について、ふと思い浮かんだ人物がいた。しかし、冷静に考えてみて、それはあり得ないと感じた。何故なら、その人物はユウキとリアルでの面識は無く、自身が今いる場所の所在は勿論、ユウキの本名すら知らないのだ。見舞いに来ることなど、まず不可能である。

 

(けど……もしかして…………!)

 

あり得ない、と心中で反芻していたユウキだが、それと同時に間違いないという確信もあった。或いは、そうあって欲しいとユウキ自身が願っていたのかもしれない。

 

「倉橋先生……その人に、会わせてください」

 

『……分かりました。しかし、その場合は、ユウキ君の事情についても詳しく説明する必要がありますが……』

 

「…………構いません。その人に、会ってみたいんです」

 

意を決したユウキは、見舞いに来たという少年の名前を聞くよりも先に、この場へ連れてきて欲しいと頼み込む。無論、ユウキには自身の事情を他者に説明することには若干の抵抗はあったし、見舞客は予想とは別の人物である可能性も高いとも考えていた。しかし、とにかく会ってみたい――――そんな欲求が圧倒的に勝っていた。

倉橋も、いつになく真剣なユウキの様子に、最初は難色を示していたものの、最後には了承した。そうしてモニターが消え、倉橋は見舞客のもとへ向かった。

その間、ユウキの心中には、再会を果たせるかもしれないという期待と共に、その後どうなるのだろうという不安が渦巻いていた。

 

 

 

自身の事情を改めて知った彼は、どう思うだろうか?

 

嫌な思いを、させてしまうだろうか?

 

同情等を抜きに、今までのように接してくれるだろうか?

 

一方的に関わりを断ち、逃げ出した自分を許してくれるだろうか?

 

軽蔑され、今度こそ完全に関係を断ち切られてしまわないだろうか?

 

 

 

考えれば考える程、マイナスな考えばかりが浮かんでいく。だが、どれだけ後ろ向きな考えをしようと、後悔を重ねようと、もう決めたことなのだ。

そしてこれは、あの時逃げた彼と向き合う、最後のチャンスでもある。だから、どんな言葉を投げ掛けられようと、どのような反応をされようと、甘んじてそれを受け入れなければならない。ユウキはそう感じていた。

決意を新たに、顔を上げたユウキは、自身の病室の様子を映したモニターへと視線を向けた。そしてその数分後、扉は開かれた。

 

「!」

 

扉の向こうから姿を現したのは、黒いジャケットを身に纏った、線の細い中世的な顔立ちをした、黒髪の少年。リアルで会ったことはまず無いと感じたその少年を――――しかし、ユウキは知っていた。

 

(やっぱり……君なんだね)

 

一目見ただけで分かった。目の前のモニターに映る少年が、自分が会いたくて仕方が無かった人なのだと――――

 

『久しぶりだな、ユウキ』

 

相変わらず何を考えているか分からない表情で、しかし何の蟠りも感じさせない程に、あまりにも自然に声を掛けた少年は、桐ケ谷和人――――ユウキの知る『黒の忍』ことイタチだった。

 



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第百十四話 ゴールの見えない迷路

2026年1月13日

 

年初の三連休明けの火曜日。イタチとユウキ率いるスリーピング・ナイツによる一パーティー七人によるフロアボス攻略という、絶拳によるソロ攻略に次ぐ偉業が成し遂げられてから五日後の昼下がり。イタチこと和人の姿は、SAO生還者達の通う学校の屋上にあった。その隣には、クラスメートのめだかとララ、そしてデビルーク領事館において王女の護衛として仕えているヤミの姿もあった。

 

「……それで、明日奈さんは自宅に戻る意思は無いと?」

 

「うん。私もそろそろ話をした方が良いんじゃないかって、説得してるんだけどね……」

 

「ちなみに、飲酒はあの夜以降、行っていません」

 

昼食を終えた三人が、残りの昼休みを使って話し合っているのは、一週間ほど前に発生し、今なお続いている重大な事案。即ち、明日奈の家出騒動のことだった。

 

「結城家の家庭内における問題だからな。私達も安易に深入りすることはできん」

 

「それは理解しているが……デビルーク王国の領事館にこれだけ長い期間滞在しているのは外交的に問題なんじゃないか?」

 

「私の方は、迷惑とかはしてないよ。モモとナナとも、仲が良いし。ザスティンも私が上手く言い包めてあるから」

 

「デビルーク王は、特にこの件について関知するつもりは無いようです。プリンセスの方々がこう仰られておりますので、私からは特に何もありません」

 

「問題は明日奈の母親の方だろう。一応そちらには、私から釘を刺しておいた。無闇に事を荒立てれば、デビルーク王国の不況を買って、それこそ国際問題に発展しかねない、とな」

 

めだかの説明に対し、和人は成程と納得した。

何も知らない部外者から見れば、今回の問題はデビルーク王国による拉致問題とも取れるため、明日奈を家へ帰せと訴え出れば、デビルーク王国もこれに応じる必要がある。しかしそれを行えば、日本とデビルーク王国の関係悪化に繋がりかねない。そうなれば、明日奈の両親の結城夫妻がALO事件解決後にデビルーク王国との関係改善のために奔走してきた努力全てが無に帰すのだ。故に、いくら明日奈の問題を解決するためであっても、それを台無しにするような強硬手段はまず取れない。

 

「国際問題発展のリスクを盾に取るのはどうかと思うが……この際、止むを得んな」

 

「明日奈が母親と和解して家へ戻ることが理想だが……現状では難しいだろうからな」

 

「……なんか、ごめんね。私が明日奈を誘っちゃったのが原因で、こんなことに……」

 

「確かに、デビルーク領事館の中に入れたのは迂闊だったな。だが、明日奈さんの家出騒動に関しては、話を聞く限りでは俺にも原因がある」

 

「……それこそ、あなたの所為ではないと、私は考えます」

 

ヤミの言葉に、めだかとララも同意した様子で頷く。確かに和人の言うように、明日奈とその母親である京子の諍いの原因には、和人の存在が大きい。しかし、和人自身は結城母娘や世間に対して――協力者であるLが行う非合法捜査の黙認を除いて――後ろめたいことはしていない。明日奈を激昂させるに至った京子の意見についても、和人に対する一方的な偏見による言い掛かりに等しいのだ。詰まるところ、和人に非は認められない。

 

(まあ確かに、明日奈がああなるまで結論を先延ばしして、問題を先送りにしてきたのが和人であることは間違いないのだが……)

 

見方を変えれば、確かに和人が遠因になった点はあるかもしれないと、めだかは考えていた。明日奈は和人に懸想しており、和人もそれを知っているという関係にありながら、二人とも互いにどのように向き合っていくべきかを明確にしてこなかった。友達以上、恋人未満という中途半端な関係は、和人と明日奈の関係に波風を立てることの無い、居心地の良いものだった。加えて、明日奈以外の和人に思いを寄せる少女達が折り合いを付け、表面上の平穏を維持する上でも都合が良かったのだ。

無論、和人とてこのような好都合なバランスがいつまでも続くと思っていたわけではない。周囲の少女一人一人の想いは勿論、自身の内心ともきちんと向き合い、全員が納得のいく答えを出していこうと考えていたのだ。しかし、和人の考えは理想論であり……実際のところは、非常に難しい。

しかも、和人と和人に思いを寄せる少女達は、SAO事件、ALO事件、死銃事件といった、命の危険を伴う非日常の出来事に巻き込まれた複雑な事情を抱えている。それがために、全員が少なからずトラウマを抱えており、和人の存在に著しく依存している傾向にある。誰か一人を選べば、それ以外の少女が暴発する可能性もある以上、和人はこの件についてより一層慎重に動かなければならなかったのだ。

 

(それに、和人も和人で、何やら複雑な問題を別に抱えているようだしな……)

 

それは、和人ことイタチとSAOのベータテストの頃からの知己であり、その動向を間近で見てきた人間の一人であるめだかだからこそできた推測だった。SAOやALO等のVRゲーム関連の事件に関わるよりも以前から、和人は女性に限らず周囲の人間との距離感が掴めていない様子だった。周囲との関わりを持つことに消極的なその姿勢には、和人本人のみが知る……何人たりとも踏み込むことが叶わない、深刻な問題が隠れているのではと、めだかは考えていた。

その原因が、まさか『前世』などという突拍子もない話に由来するものだとは、流石のめだかも思い付かなかった。それでも、問題の核心にかなり迫っているあたり、めだかの勘の鋭さが窺える。

 

(流石にこれは、本人に聞く以外に知る手立ては無いし、真正面から問い質しても、口を割ることはまずあるまい……)

 

友人として和人が抱える問題を解決する手助けしたいという気持ちが、めだかにも少なからずあった。しかし、SAO事件やALO事件を超える、想像を絶する問題が隠されている可能性もある以上、迂闊に手を出すべきではない。それに、明日奈や直葉といった一部の親しい人間は、その辺りの事情を知っている節がある。秘密を共有する相手がいる以上、自身が無理を押してそこへ加わる必要は無いし、すべきではないと、めだかは結論付けていた。

 

「とにかく、これ以上問題が複雑化する前に解決するために動く。明日奈さんは、俺とララで引き続き説得をするから、めだかは明日奈さんのご両親を抑えておいてくれ」

 

「了解した。しばらくは膠着状態を維持できるよう、こちらも働きかけ続けることにしよう」

 

問題解決へ向けた進展は確認できなかったが、方針はまとめることができた。これでもう用事は無いとばかりにその場を解散とする四人。ララが先に立ち去り、和人もまた踵を返して教室へ戻ろうとする。しかし、その背中をめだかが止めた。

 

「待て、和人。もう一つ、聞きたいことがある」

 

「……何だ?」

 

「ついこの間、一パーティーの七人だけでフロアボスを攻略したらしいな。単身攻略を成し遂げた絶拳には及ばないが、ALOにおいては間違いなく上位に類する快挙だ。友人として、おめでとうと言わせてもらおう」

 

「俺一人でやったことじゃない。他の六人も相応の実力を持っていたことと、全員が団結できたからこそ成し遂げられたことだ」

 

「確か、『スリーピング・ナイツ』といったか。エクスキャリバー獲得クエストの時も、そこのリーダーにかなり力を貸してもらったとか」

 

「……何が言いたい?」

 

傍から見れば、和人の近況確認にしか聞こえないこの会話。しかし、和人は既に、半ば以上めだかが何を確かめようとしているのか、その意図について確信していた。

果たして、確認のための和人からの問い掛けに対して返ってきたのは、和人の予想通りの言葉だった。

 

「一体、その新しい仲間達と何があったのだろうと思ってな」

 

「……何が、とは?」

 

何を聞かれているのか、その真意を分かっていながらも白を切る和人。それに対し、めだかはやれやれと肩を竦めて溜息を吐いた。

 

「明日奈のことも解決しない内に新たな厄介事を抱えて……しかも、それを一人でどうにかしようとするとはな」

 

「……心配しなくとも、明日奈さんの問題を放置するつもりはない。無論、俺の個人的な問題よりも優先して解決していく」

 

「お前が問題を一人で抱え込むのは、今に始まったことではない以上、最早何も言うまい。だが、明日奈の家出の方は、当事者等が落ち着くまで膠着状態を維持しなければならない今、お前も下手に身動きは取れない筈だ。ならば、どうにかできる見込みのある問題の方を先にどうにかする方が効率的ではないかと思うのだがな……」

 

「………………」

 

「それに、急がば回れとも言う。遠回りした方が、解決への道筋が思わぬ形で見つかるかもしれんぞ」

 

「…………参考にさせてもらおう」

 

めだかのアドバイスに対し、和人はそれだけ答えると、屋上を後にした。以前ならば、関係無いとばかりに他者の言葉を切り捨てていた和人が、不器用ながらも他人の助言を受け入れられるようになったことを、めだかは嬉しく思っていた。

問題を一人で抱え込む癖のある和人をどうにかするのは、容易ではないし、問題に介入するのも難しい場合がある。そういった場合、めだかをはじめ周囲の人間にできることは、先程のように、介入できる範疇の問題の解決に努め、和人個人の問題に集中させて、負担を軽くすることだった。

 

(あいつもやはり、変わったものだな。そうとなれば、私もあいつや明日奈のために、精一杯のことをしてやらなくてはな)

 

そして、力になることを約束した以上は、めだかもそれ相応の働きをしなくてはならない。まずは目下の問題たる、明日奈の家出騒動をどのように解決に落着させるべきか、その手段を模索すべく、めだかは思考を走らせるのだった。

 

 

 

 

 

 

昼休みにめだかとララを交えた、明日奈の家出騒動の問題について話し合ったその日の放課後。五日前に仮想世界で起こった出来事を思い出しながら、和人は自身の所属する剣道部の活動場所である、剣道場へと向かっていた。

 

(ユウキ……)

 

その道中で思い浮かべるのは、フロアボス攻略を七人だけで成し遂げたその日以降、連絡の途絶えている少女のことだった。ユウキやその仲間達が抱えている問題について、ある程度察していた和人だったが、部外者としてその事情に関わることはせず、変わらぬ友人としての付き合いを続けていくことを決めていた。そして、ユウキが望むのならば、互いの関係を断ち切ることも受け入れようとも考えていたのだ。

 

(…………だが、「俺のため」と言われてもな)

 

それは、ユウキが姿を消してから三日目に再会した、シウネーの口から聞かされた言葉だった。ALOにログインしていたイタチにメッセージを送り、顔合わせや宴会を行った思い出の宿屋で再会した彼女に対し、何の音沙汰も無かったユウキのことについて、イタチは尋ねた。だが、シウネーから返ってきた答えは自身や他の仲間達も知らないということだった。それどころか、こう言い放ったのだ。

 

 

 

イタチさん。多分、ユウキは再会を望んでいないと思います。誰でもない、あなたのために――――

 

 

 

あくまでシウネーの私見と前置きされていたが、イタチにはユウキの本心を正確に代弁しているように感じられた。スリーピング・ナイツのメンバーの中では、誰よりもユウキのことを理解しているであろう彼女の言であるのだから、間違いないだろう。対するイタチは、一方的に関わりを断たれた形となったが、ある程度予想できた言葉だっただけに、特に驚きはしなかった。ただ一言、「そうか」とだけ返し、それ以上詮索することも、不快そうな表情を見せることもしなかった。

そんなイタチに対し、シウネーは心底申し訳ないと思った様子で、頭を下げて謝罪を口にした。そして、報酬とお詫びを兼ねて、先日のフロアボス攻略で得たドロップアイテムとスリーピング・ナイツのメンバーが所持していたアイテム全てを渡すと言ってきた。だが、イタチはそんなものが欲しかったわけでもなく、シウネーが差し出したアイテムの受け取りを断った。そんなイタチの内心を察したシウネーも、それ以上無理強いをすることはなく、最後に重ねて謝罪し、逃げるようにログアウトしたのだった。

それ以来、スリーピング・ナイツのメンバーがイタチの前に現れることは無かったのだった――――

 

(ユウキが会いたくないのならば、これ以上深入りするべきではない…………)

 

如何に親しい間柄にある仲間といえども、踏み込むことの許されない一線というものは存在する。和人自身も、家族にすら安易に打ち明けることができない、『前世』という秘密を抱えている。数人の人間には、自身が転生者であることを打ち明けているが、前世が忍だったこと以外の事情については詳しく話していない。他人に話すことが憚られる、凄惨な過去だったということもそうだが、和人自身が触れてほしくないと願っている部分も大きい。

そんな気持ちが分かる和人だからこそ、ユウキが自身との繋がりを断とうとする気持ちもある程度理解できていた。あの日、涙を流しながら姿を消したユウキのことは、今でも気がかりではある。だが、他でもない本人が再会を望まないと言うならば、手を引くのが本当の思い遣りなのではないか…………

 

(……いずれにせよ、ユウキやその仲間であるシウネー達とのALOにおける繋がりが断たれた以上、会いに行くのは不可能だ……)

 

和人自身、何をすべきなのか、何がしたいのか……納得のいく答えは浮かばなかった。故に和人は自身の迷いを棚に上げ、ユウキに会いに行くための手段が無いことを理由として前面に出し、思考を中断することとした。

心当たりが全く無いわけではないが、ユウキの現実世界の名前が分からなければ意味が無い。和人の協力者である名探偵のLにでも頼めば、ユウキに会いに行くことも十分可能だが、ユウキ相手にそこまでするのは気が引ける。故に、ユウキとの再会は和人の意思とは無関係に不可能であると判断することとした。

そして、無理矢理に結論付けたために晴れないままの思考を抱えたまま歩くことしばらく。目的地たる剣道部の部室の前へと辿り着くのだった。そして、スライド式の扉へと手を掛けた、その時だった。

 

「何でもないって言ってんだろ!!」

 

剣道場の中から、誰かの怒鳴り声が聞こえてきた。いきなりの出来事に、僅かに目を見開き、手を止めてしまった和人だったが一先ず扉を開けることにした。靴を下駄箱へ入れ、剣道場の中へと足を踏み入れると、声の主である剣道部員とその仲間達がすぐに目に入った。

 

「一護にアレン、葉。どうしたんだ?」

 

既に道着に着替えていた三人のもとへ近づきながら、和人はSAO以来のお馴染みとなっている三人組、一護、アレン、葉の三人に何があったのかと問い掛ける。それに対し、アレンと葉は苦笑を浮かべ、怒鳴り声を上げた張本人である一護は、気まずそうに眼を逸らした。

 

「別に……なんでもねえよ」

 

「僕がちょっと、一護に詰め寄り過ぎちゃってね……」

 

「アレンも、悪気があったわけじゃないんよ。一護のことを心配していたんよ」

 

三人の反応から、和人は大凡の事情を察した。原因は分からないが、何らかの理由で虫の居所の悪かった一護に、アレンと葉が気遣って声を掛けたのだが、放っておいて欲しいと願っていた一護には、それが煩わしく感じてしまい、つい怒鳴ってしまったのだろう。

一護の様子を見るに、二人には悪いことをしたと本気で感じているようだし、アレンと葉もあまり気を悪くした様子も無い。怒鳴ったこと自体については特に蟠り等は無さそうだが、何やら抱え込んでいる一護を放置しておけば、部活動にも支障が出るかもしれない。自分の問題も解決できていない身だが、剣道部の部長としてそのメンタルをフォローすべきだろうと、和人は思った。

 

「一護、何があったんだ?」

 

「別に……本当になんでもねえよ」

 

とりあえず、一護が抱えている悩みのようなものについて聞いてみようと考えた和人だったが、予想通りの返答だった。そこで、今度は視線をアレンと葉の方へ向けてみると、二人は事情を話してくれた。

 

「四限目の途中くらいからかな?一護、何か嫌なことでも思い出したのか、イライラした様子だったからさ。どうかしたのかと思って声を掛けたら……ね?」

 

「四限目……保健の授業だったな」

 

「そうなんよ。うーん……確か、性行為の話から転じて、感染症の話が出てきたあたりから、不機嫌そうになっていたっけ?」

 

「………………」

 

何も言わない一護だが、眉間に皺を寄せて不機嫌さが増した様子を見るに、アレンと葉の言うことに間違いは無いらしい。同じクラスで授業を受けていた和人だったが、今現在抱えている明日奈の問題をどうするかについて考えていたあまり、一護の変化には気付けなかったらしい。

しかし、一護を不機嫌にしたものとは一体何なのか。まず、授業の内容……性感染症に関するものであることは間違いない。では、あの授業の中で具体的に取り上げられていた感染症の種類は何だったかと、和人は思考を走らせる。

 

「HIVウイルス……『エイズ』の話、だったか?」

 

「……っ!」

 

相変わらず黙ったままだが、反応からして図星なのは間違いなさそうだ。では、『エイズ』に関して一体どのような経緯があったのだろうか。一護のメンタルをケアするためにも、和人はここでさらに一歩、踏み込んでみることにした。

 

「エイズに悪い思い出があるようだが……知り合いに患者がいるのか?」

 

「………………」

 

「一護、和人も心配しているんですから、話してみてはどうですか?」

 

「まあ、無理に聞こうとは思わねえけど……少しくらいは、気が晴れるかもしれないしよ?」

 

三人に詰め寄られる形となった一護は、それでもしばらく黙ったままだった。しかし、これ以上皆に迷惑を掛けたくないと思ったのか、遂に観念したように口を開いた。

 

「……小学生の頃の話だけどよ。俺の学校に、いたんだよ。その、エイズのウイルスに罹っていた奴等がよ」

 

一護が言うには、HIVウイルスのキャリアだったというのは、三つ下の学年の姉妹だったらしい。生まれた頃の輸血が原因で、家族ぐるみで感染していたが、その事実は学校や保護者には伏せたまま暮らしていたという。だがある日、その姉妹がキャリアであることが一部の保護者へ知られ……瞬く間に学校中に知られてしまった。結果、その姉妹はウイルスの感染を理由に悪質な苛めを受け、姉妹の通学に反対する申し立てや、電話、手紙、メールによる嫌がらせの数々が始まった。そしてその果てに……姉妹は転校し、一家は転居を余儀なくされたという。

余程忌々しい思い出だったのだろう。昔のことを語る一護の表情は、終始不愉快そうに見えた。

 

「それで、その時一護はどうしていたんだい?」

 

「俺の実家は診療所だからよ……親父はその姉妹と両親を助けようとしていたんだ。それで、俺や俺の妹達にも、学校で助けてやれって、言われてな……」

 

「一護のことだ。きっと、その姉妹が苛められているところに駆けつけて、助けてやったんだろ?」

 

葉が常の一護に対する印象をもとに、何気なく口にしたその言葉に……しかし一護の表情は、より一層不機嫌さを増した。

 

「……確かに、俺もその二人を助けようとしていた。竜貴っていう、空手の仲間もいたからな。そいつと一緒になって、他の生徒に苛められているところに駆けつけては、苛めをしていたそいつらをぶん殴って追っ払ってやった。けどな……本当の意味じゃ、俺はあの二人に何もできやしなかったんだよ!」

 

突然声を荒げた一護に、葉とアレンはビクリと驚く。和人は、一護が感情的になる、ここから先の話こそが重要な部分なのだろうと予感していた。

 

「後から分かったことだが、その姉妹は俺や俺のように味方する奴がいないところで、酷い苛めを受けていたらしい。けど、そんなことあの二人は一言も俺達に言わなかった……あいつらは、自分達のために俺達が喧嘩するのを、本当は望んじゃいなかったんだよ!けど俺は、空手をやってて腕っ節が強かったことに調子に乗って、あいつらをしっかり守ってやれてると思い上がって……結果的には、苦しめただけだったんだよ!守っていたと思っていた、他でもないあいつらを!」

 

良かれと思ってやったことが、実は助けようとしていた対象を誰よりも傷付けていたという事実。それが、一護の心に今なお罪の棘として突き刺さっているのだろう。

一護から事情を聞いた三人は、一様に沈痛な表情を浮かべていた。特に和人は、うちはイタチとして生きた前世において同様の失敗をしでかしているだけに、他人事とは思えなかった。

 

「そんなことがあったんですね……ごめんなさい、そんなことを話させてしまって……」

 

「良いんだよ。お前等に話せって言わせたのは、俺自身みたいなもんだ」

 

「それで、その姉妹は今どうしているんだ?」

 

「分からねえ……引っ越し先がどこかは、俺達には話してくれなかったからな……」

 

「一護にとって、その二人のことは何年も経った今でも、心残りなんですね。それなら、いっそ会いに行ってみてはどうでしょうか?」

 

「いや、だから居場所が分からないって……」

 

「今の情報化社会において、人を探すのはそれほど難しいことではない筈です。それに、うちの学校には、頼りになる名探偵が二人もいるじゃないですか」

 

アレンの提案に、成程と頷き始める一護と葉。アレンの言う頼りになる名探偵――即ち、工藤新一と金田一一に頼み込めば、人探しの依頼くらいは引き受けてくれるだろう。それに、このSAO帰還者学校には、あらゆる情報にアクセスできる天才ハッカーや、多方面にコネクションを持つ有名財閥の令嬢・御曹司もいるのだ。人一人探すくらいは簡単にできるだろう。

 

「アレンの意見には、俺も賛成だ。気がかりならば、会いに行くといい」

 

「和人……」

 

一人悩みを抱えている一護の背中を押す和人だったが、その内心では「どの口が言う」と自分自身に突っ込んでいた。だが、和人の場合はユウキの方から拒絶の意を示されたのだから、話は別である。常々言い訳がましいと思いつつも、和人はそう考えて自分自身を納得させた。

 

「決まりですね。一護が気になっている、その子達に会いに行きましょう」

 

「べ、別に気になってるわけじゃねえよ……」

 

「落ち着け、一護。それより、その姉妹の名前は何というんだ?」

 

常の不愛想で不良然とした態度を崩し、照れ臭さを滲ませた動揺を見せる一護に対し、からかうような笑みを浮かべるアレンと葉。和人に促されて落ち着くと、これから探さねばならない少女の名前を口にした。

 

「……紺野藍子(こんのあいこ)と、紺野木綿季(こんのゆうき)だ。藍子が姉で、木綿季が妹の、双子の姉妹だ」

 

「…………!」

 

その名前を聞いた途端、和人の目が驚愕に見開かれた。そして、先程一護から聞かされた姉妹の情報を思い返し……自身が会いに行くべきかと迷っていた少女が抱えているであろう事情と合致する部分があることに、今更ながら気づかされた。妹の名前が被っているのは、偶然かもしれない。しかし、姉である『藍子』という名前も、もし考えている通りの漢字を書くものだったならば、全て納得がいく。

 

(まさか…………)

 

偶然にしてはいくら何でも出来過ぎている。だが、似たような名前や境遇の人間など、日本国内だけでも数多くいる。やはり偶然ではないかと、そう考えた時だった。

 

「紺野藍子に紺野木綿季って……もしかして、横浜の保土ヶ谷区に住んでいませんでしたか!?」

 

「知ってるのか、アレン!」

 

アレンが発した予想外の発言に、再度目を見開く和人。半ば混乱に陥る和人だったが、話は進んでいく。

 

「はい。昔、保土ヶ谷のカトリック教会で、神父さんのお手伝いをしていたことがありまして……その時に、お母さんと一緒に毎週お祈りにほぼ欠かさずに来ていた姉妹がいたんです。その子達は、木綿季ちゃんと藍子ちゃんと呼ばれていました……」

 

「それは本当か、アレン!」

 

アレンから齎された情報に驚愕する一護。その一方で、和人はそれとは別の……『カトリック教会』という言葉に、衝撃を受けて硬直していた。思い出すのは、ALOでユウキと出会ってしばらく経った頃のこと。ユウキのOSSの『マザーズ・ロザリオ』を目視によってコピーした際、その技の名前について尋ねたことがあった。その時の彼女の言葉が、和人の脳裏に蘇る――

 

 

 

『マザーズ・ロザリオ』っていうのは、カトリック教会で聖母マリア様へのお祈りを捧げるときに使うものなんだ。小さな珠が十個、大きな珠が一個の、全部で十一個の珠で作られているんだ――――

 

 

 

それが、十字架を描く十一連撃ソードスキルの名前の由来だと、ユウキは言っていた。そのような名前をOSSに使う以上、ユウキもしくはユウキの親族がクリスチャンであることは、ほぼ間違いない。

 

(ユウキ……お前、なのか…………)

 

最早、偶然で片付けることなどできはしない。会いに行くべきかと悩んでいた少女に会うために必要だった情報が、探す前に自身のもとへ転がり込んできた。あまりにも出来過ぎな巡り合わせに驚いていた和人だったが……その一方で、この展開にどこか喜んでいる自分がいることに気付いた。

 

(全く、呆れ果てたものだ……)

 

相手は再会を望まず、会いに行く手がかりも無いのだからと理屈をこねて断念していたにも関わらず、会いに行く理由と手段が揃ったことで、迷う必要が無くなった。一々理由を付けなければ動くことができず、自身がどう動くべきかを回りの人間や状況の変化に委ねている自分自身に、和人は呆れた。しかもそれは、前世の頃から変わらない悪癖なのだから、猶更に。

 

(しかしそれでも、全てを成り行きに任せて、流れのままに動くだけというのは、許されまい……本当に今更だが、な……)

 

一護の悩みを解決するという大義名分のお陰で迷いを抱く必要が無くなった和人だったが、それに便乗する気にはなれなかった。

自身の迷いに対して、改めて決意が固まった和人は、一護の古い友人である紺野姉妹とどうすれば会えるのかについて目の前で話し込んでいる三人に向き直った。

 

「一護、アレン、葉。俺は今日、剣道部は欠席する。あとのことは、明日奈さんやめだかに頼んだと伝えておいてくれ」

 

「はっ!?ちょ、ちょっと待てよ、和人!」

 

「いきなりどうしたんですか!?」

 

突然の和人の行動に戸惑う三人だったが、和人はその静止も聞かずに、元来た扉へと振り返って歩き始めた。その途中、ふと足を止め、再び口を開いた。

 

「一護、少し待っていろ。紺野姉妹の……少なくとも妹の方には、すぐに会わせてやる」

 

「和人……それって、どういう…………」

 

和人の言葉の意味が分からず、混乱する一護等三人を余所に、和人はそのまま剣道場を後にし、学校を出た。

 

 

 

目指すべ先に居るのは、その剣技と同様に力強くも儚く、美しい少女。もしかしたら、本人は再会を望んでなどいないかもしれない……それでも、和人は会いに行くと決めたのだ。

その足取りには、先程までの迷いは一切無かった――――

 



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第百十四話 いつの日か終わる旅の途中で

暁の忍は、本日で5周年!
「マザーズ・ロザリオ」も、いよいよ佳境です。
そして、「マザーズ・ロザリオ」完結後は、劇場版「オーディナル・スケール」を予定したいと考えております。

また、暁の忍とは別に、4月から新たなSSの執筆にも挑戦することといたしました。
詳しくは、後日活動報告にてお知らせします。

また、例年3月は14日と28日に投稿しておりましたが、今月末は資格試験のため、お休みさえていただきます。
次の更新は4月28日の予定となります。

どうか今後も、暁の忍をよろしくお願いします!


横浜のとある大型病院――横浜甲北総合病院の最上階にある、立ち入り制限が厳しい、一般の病室とは一線を画す区画の奥にある『第一種特殊計測機器室』という名の病室の中。一人の入院患者と一人の見舞客が向かい合っていた。

 

「久しぶりだな、ユウキ」

 

『…………イタチ、なんだね』

 

ALOにおいて友人となった二人は、互いのリアルの顔や情報を知らない。にも関わらず、初対面の筈の二人の会話は、ごく自然な……慣れ親しんだ幼馴染、或いは兄妹のようだった。ALOにおいても、出会ってからった数カ月しか経っておらず、一緒に行動することもそう多くはなかった二人である。それでも二人は、互いが誰かを一目で理解することができた。それは、短い時間ならがも冒険の中で互いの動きを意識するとともに、無意識下で寄り添い合おうとしていたからだろう。そして何より、互いが再会を待ち望んでいたことが、何より大きかったのだろう。

 

「リアルで会うのは初めてだったな。改めて自己紹介しよう。桐ケ谷和人だ」

 

『……なら、ボクも自己紹介しなきゃね。改めまして、ユウキこと、紺野木綿季です』

 

挨拶を交わし合う二人だが、和人の視線の向こう――ガラスの向こう側にいる入院患者のユウキは、一切口を開いていない。それどころか、和人が来てからも、指一本動かしてはいなかった。音声が聞こえてくるのは、和人のいる部屋に設置されたスピーカーからだった。

和人が見つめるガラスを隔てた先にある無菌室には、無数の機械が設置されており、その中央には一台のジェルベッドが置かれていた。そして、この部屋の入院患者である木綿季は、その上に横たわっていた。痛々しい程に痩せ細った身体を青いジェルの上に沈ませ、喉元や両腕には様々なチューブが繋がり、周囲の機械へと伸びていた。そして何より目を引くのは、頭部のほとんどを覆っている、ベッドと一体化した白い直方体型の装置だった。装置の側面に埋め込まれたモニタパネルには様々な色のデータが目まぐるしく表示されており、その中には『User Talking』と表示されているものもあった。そして、モニタの上部には簡素なロゴで『Medicuboid』と記されているのが見えた。

 

『イタチ、ごめんね。こんな格好見せちゃって……』

 

「気にしていない。お前がこういう状況にあることは、最初から分かっていたことだったからな」

 

『……全部、聞いたんだね』

 

「ああ。さっき、倉橋先生から、お前のことについて色々と聞いた。お前の病気のことも……その装置『メディキュボイド』のこともな」

 

『メディキュボイド』とは、現在国レベルで開発を急がれている、世界初の医療用フルダイブ機器である。直方体の形状をしたこのフルダイブ機器は、アミュスフィアの出力を強化し、パルス発生素子を数倍の密度に増やし、処理速度を引き上げられたものだった。また、今ユウキが使用しているように、脳から脊髄をカバーできるようにベッドと一体化していた。

医療用に開発されたこの機器が脳に送り込む映像や音声の情報は、アミューズメント仕様のアミュスフィアやその前身であるナーヴギアとは比べ物にならない程のクオリティであり、神経障害等で外界とのコミュニケーションに支障を来す『ロックトイン状態』を十分にカバーできる、現実世界同様の五感を再現することができるのだ。

また、体感覚キャンセル機能によって一時的に神経を麻痺させ、全身麻酔を再現することができるのだ。まだ実現には至っていないが、仮に実用化されれば、麻酔はほとんどの手術で不要となり、医療は劇的に変化する。

そして、メディキュボイドが最も期待されている分野の一つに、『ターミナル・ケア』――『終末期医療』と呼ばれるものが含まれている。即ち、今まさに木綿季が受けているものである。

 

『けど、驚かないんだね、イタチは。ボクの病気のことも、こんな機械を使わなきゃ、話もできないような状態なのに』

 

「こういう状態になっていることは、随分前から予想していたことだったからな」

 

『ちなみに、いつから気付いていたの?』

 

「最初から……ALOで初めて会って、デュエルをした頃からだ」

 

『えっと……どうして分かったのか、教えてくれるかな?』

 

まさか、出会ったその時から自身の抱える問題を見抜かれていたとは思わなかった木綿季は、再度和人に問い掛けた。和人の方は、最早隠し立てするつもりは無いのか、淡々と答えを口にし始めた。

 

「デュエルでお前と初めて剣を交わした時にお前が見せた反応速度は、明らかに普通のプレイヤーのそれではなかった。SAO生還者でもあそこまでの動きはできないものだ。アミュスフィアを凌ぐ処理速度を持つフルダイブマシンを使っていることは、すぐに想像がついた」

 

『……今更で自分のことなんだけど、ボクってそんなに凄い動きしてたの?』

 

「見る人間が見れば、仮想世界への適性が高いだけの話で済まない動きだと分かるものだったな。俺以外にも、気付いた奴はいたかもな」

 

『は、はは……そう、かな……?』

 

イタチが言うからには、間違いないのだろう。同じ境遇の仲間であるシウネー達とともに、今まで数々のVRMMOを渡り歩いてきたが、それらのタイトルにおいても自分達はイタチが言うように並みのプレイヤーには見えなかったのだろうか。純粋にVRMMOを楽しむためにプレイしてきたが、調子に乗り過ぎていたかもしれないと、今更ながら考えてしまう。

そんなユウキの心中を察した和人が、そこまで気にする必要は無いとフォローを口にする。

 

「まあ、飽く迄気付いたとしても、お前の動きが並外れているということくらいだ。フルダイブマシン云々の事情まで探り当てられる奴は、俺くらいだ」

 

『えっと……ありがとう。そういえば、イタチはボクがメディキュボイドを使っていることと、病気のことも気付いていたみたいだけど……一体、どこで知ったの?』

 

「偶然だが、俺の知り合いに、お前のことを知っている奴がいてな。そいつからお前の本名を知ったということだ。黒崎一護というのだが……覚えているか?」

 

『一護君が!?もしかして……ボクのこと、覚えていてくれていたの!?』

 

「ああ」

 

一護の名前を聞いたユウキは、驚きこそしたものの、そこに嫌悪の色は感じられなかった。一護本人は、良かれと思ってやったことが原因で、逆につらい目に遭わせてしまったことを後悔していたが、ユウキはそのことについて、少なくとも一護を恨んでいる様子は無かった。

 

「あいつはお前のことを、今でも気にかけていたぞ。昔、お前と同じ学校にいた時、お前達を助けようとして、色々と派手に立ち回っていたらしいが……それが逆に、お前等を追い詰めてしまったとな」

 

『そう、だったんだ……』

 

一護について聞かされたユウキのスピーカー越しの声からは、嬉しさと悲しみを綯い交ぜにしたような、複雑な心境が伺えた。

『ボクもお姉ちゃんも、一護君のことを恨んでなんていないのに……むしろ、ボク達のことを知っても、友達でいてくれた……それだけで、十分だったんだよ』

 

「それは本人に言ってやれ。今度ここへ連れて来る予定だからな」

 

『えっ!?……でも、それって……』

 

「あいつなら、この程度のことは気にしないだろう。それからもう一人……アレンという同級生も一緒だ。お前が小さいころに通っていた保土ヶ谷の教会で手伝いをしていたという、白髪の外国人だ。覚えているか?」

 

『アレン君もいるの!?』

 

当時、一緒の学校に通っていた一護のみならず、教会で顔見知りになったアレンとまで知り合いだという和人の言葉に、ユウキは心底驚いていた。

 

「ALOのユウキが、紺野木綿季であると確信したのは、一護とアレンの話を聞いたからだ。現実世界における紺野木綿季の名前と、エイズという病気。そして、OSS――『マザーズ・ロザリオ』の名前の由来から、お前がこの病院でメディキュボイドで治療を受けていると推理した」

 

『……偶然、なんだよね?』

 

「俺自身も信じられないほどに出来過ぎた話だが、全て偶然の積み重ねによるものだ」

 

まるで、目には見えない何かの力が働き、二人を巡り合わせようとしているかのようだと、二人には思えた。

 

「本当なら、一護やアレンも一緒に連れて来るべきだったが……便乗して会いに行く気にはなれなくてな」

 

「イタチ…………」

 

「お前がメディキュボイドを使っていることには、もっと前から気付いていた。だが、色々と理由をこじつけて、会いに行くことを拒み続けてきた」

 

『………………』

 

「会いに行くべきなのか……会ったところで、一体何を話せば良いのか、何ができるのか……そんなことばかり考えていた。結局のところ、俺はお前から逃げ続けてきたんだ」

 

前世でサスケにそうしていたようにな、と心中で付け加えながら、独白を口にする和人。その後も自嘲するように、今日この日に見舞いに来た経緯を話した。

 

「一護が未だにお前のことを気にかけているという話をして、アレンもお前のことを知っていると言っていた。二人やその友人達も、お前の行方を探すことに協力的だったからな……ことここに至って、覚悟を決めるほかに無いと理解した。だが、状況に流されるままにお前に会いに行くべきではないと考えて、先んじてきたということだ。本当に、今更だがな……」

 

状況に流されるままに木綿季のもとへ行くのではなく、自分の意思で会いに行くことを選んだ和人だが、自身が何をすべきか、その答えが未だはっきりしていない。

 

(いや、違う……重要なのは、自分が何をしたいのか、だ……)

 

自分が“すべき”ではなく、“したい”こと。義務や責任、利害といったものを一切排し、和人自身が木綿季に対して何を求めているかが問題なのだ。そして、それを伝えない限りは、状況は何も変わらず……先には進めない。

現実世界で再会を果たした二人だが、その先をどうすれば良いのか分からず、和人も木綿季も、二人揃って黙り込んでしまった。

 

「桐ケ谷君も、木綿季君も、このまま向かい合うのもなんですから、一度向こう側で話をしてみてはいかがでしょうか?」

 

気まずい沈黙が場を支配する中、この場にいたもう一人の人物……倉橋医師がそのように提案をしてきた。

 

「向こう側、とは?」

 

「そちらのドアの奥には、私がいつも面談に使っているフルダイブ用シートとアミュスフィアが設置されています。アプリ起動ランチャーには、ALOが入っています。向こう側の世界でもう一度……ユウキ君と、イタチ君として会ってみた方が、話せることもあると思いましてね」

 

倉橋医師から齎された、ALOの中で話してみてはどうかという提案に、和人は成程と得心する。ガラスを隔てて向かい合い、機械を通さなければ会話ができない現実世界よりも、アバターとはいえ面と向かって話し合える仮想世界の方が話しやすいのは間違いない。

加えて、和人も木綿季も経緯は違えど仮想世界には馴染みが深い。現実世界における柵を気にすることなく、常よりもありのままの自分でいられる場所と言える。尤も、和人の場合はありのままの自分というよりも、前世の自分に戻れる場所と呼ぶ方が適切かもしれない。

 

『倉橋先生、それ名案だよ!』

 

ともあれ、木綿季も和人がALOに来ることには賛成らしい。和人も頷き、ALOの中で話をすることについて了承の意を示すと、倉橋医師が説明を続けた。

 

「部屋の鍵は中からかけられますが、時間はに十分ほどでお願いします。色々と手続きが必要なところを、省いていますので……」

 

「分かりました」

 

医師として、それを承知で和人にアミュスフィアの使用を許可したのも、木綿季と話をさせることの意味の大きさを、主治医として理解しているからこそなのだろう。和人もそのあたりの事情を察して了承すると、奥のドアへと向かうのだった。

 

『イタチ、ボクはアルンの展望台にいるからね!ログインしたら、そこで会おう!』

 

「ああ、少し待っていろ」

 

早く会いたいとばかりに待ち合わせ場所を指定する木綿季に、和人は短く答える。やはり彼女にとっては、仮想世界で会うのと現実世界でこのような形で会うのとでは、違うのだと思っているのだろう。そんなことを考えながらも、和人はドアをくぐり、そこに置かれた二脚あるリクライニングシートの片方に身体を横たえると、ヘッドレス部分に掛けられたアミュスフィアを装着し、ALOへとダイブしていくのだった。

 

 

 

 

 

「待たせたな」

 

和人と木綿季の現実世界の病室における再会から、モニタルーム奥のアミュスフィアを用いてダイブしてから五分後。アルヴヘイムの中心にある世界樹の頂上にある空中都市、イグドラシル・シティの展望台にて、二人のアバターである猫妖精族のイタチと、闇妖精族であるユウキが向かい合っていた。

 

「ここで会うのも久しぶりだね、イタチ。けど、意外に早く到着できたね」

 

「幸いなことに、イグドラシル・シティに宿を取っていたからな。すぐにここに来ることができた」

 

ユウキがイタチの前から姿を消して以来、イタチはイグドラシル・シティを拠点として活動していた。リズベットやマンタといった生産職プレイヤーの仲間達の多くが店を構えている街であるということもあったが、新生アインクラッドの攻略最前線から距離を置き、やるべきクエストも、他にやりたいことも無かったイタチの足は、無意識の内にこの場所へ向いていたのだ。或いは、ユウキとこうして再会する機会を無意識の内に望んでいたのかもしれない。

 

「お前こそ、いつの間にイグドラシル・シティに移動していたんだ?」

 

「えっと…………実は、平日の日中にログインして、アインクラッドの黒鉄宮から移動してたから……」

 

視線を泳がせ、苦笑いを浮かべながら移動の経緯を話すユウキ。対して、それを聞いたイタチは、ユウキに非難の視線を送っていた。

 

「……入院中とはいえ、お前も一応中学・高校の学習カリキュラムを受けていると聞いているぞ」

 

「うぅ……き、きちんと受けてるよ!ALOには、ちょっと休み時間にログインしたぐらいで……」

 

「アインクラッドとイグドラシル・シティとでは、かなりの距離があると思うがな」

 

アルヴヘイム上空を移動しているアインクラッドは、周回している地点にもよるが、世界樹の頂点に存在するイグドラシル・シティに到達するには、単純な飛行時間だけでも二十分はかかる。途中で遭遇するモンスターとの戦闘も加味すれば、時間はさらにかかる。

 

「そ、そうだ!昼休みに移動したんだよ!」

 

「…………」

 

「ほ、本当だよ!」

 

かなり必死になって言い訳をするユウキだが、誰がどう見てもバレバレである。イタチも当然それを分かっているため、ユウキに対して変わらぬ冷ややかな視線を送っていた。

 

「……いけないことだっていうのは分かってたけどさ。皆と顔を合わせる勇気が持てなくて……けどもう一度、イタチに会いたくて、ここに来たんだ」

 

「…………そうか」

 

申し訳なさそうに密かにこの場へ移動した経緯を話すユウキに、イタチはそれ以上咎めるような真似はしなかった。一方的に仲間達との繋がりを断ち切ったユウキだったが、ユウキなりにその行為を後悔していたのだ。平日の日中にログインしたと言っていたが、譬え時間帯をずらしても知人と遭遇する可能性は皆無ではない。イタチと初めて出会ったこの場所へ来るだけでも、心の準備ができていなかったユウキには精一杯の行為だったのだろう。

 

「……結局、考えることは同じということか」

 

「えっ!それって、もしかしてイタチも……」

 

「……まあ、そういうことだ」

 

それだけで、イタチの言わんとしたこと……その内心を理解できたのだろう。ユウキの表情が、若干明るくなった。

 

「それより、時間も限られているんだ。色々と話しておくことがあるんじゃないか?」

 

「そ、そうだった……ね」

 

仮想世界に来て距離が近くなったことで、互いにある程度緊張がほぐれ、話しやすくなったとはいえ、改めて現実世界で話せなかったことを話すとなると、何を話せば良いのか分からなくなる。このままでは、また互いに黙り込んだまま時間を無為に過ごしてしまう。それだけは避けなければと考えたユウキが、今度は先に口を開いた。

 

「イタチは、ボクや家族のことも、一護君や倉橋先生から聞いて結構知ってるみたいだけど……どこまで聞いたの?」

 

「全て聞いた」

 

確認するように問い掛けたユウキに対し、イタチはただ短くそう答えた。

 

「お前がHIVウイルスに感染した経緯……お前と、お前の姉である藍子が生まれた時の帝王切開のことに始まり……その後、一護と同じ学校に通っていた時にキャリアであることが知られて転校を余儀なくされたこと……そして、発病に至ったこともな」

 

そしてその後、ユウキの両親に続き、姉である藍子までもが亡くなった。それは、イタチもここに来る前にある程度予想していたことであり、先程の倉橋医師との話の際に確認したことだった。しかし、イタチは敢えてそれを口にはしなかった。イタチがユウキの事情を全て知っていることは既に伝えているのだから、わざわざ身内の不幸まで口にすることはないと考えたからだ。

 

「……やっぱり凄いね、イタチは」

 

「ユウキ……」

 

「出会った時から、ボクの事情についても、全部お見通しだったんだもん。けど、それを知っていたのに、ボクを遠ざけようとも、同情しようともせずに、普通に接してくれて……友達のままでいてくれた。イタチみたいな人、シウネー達以外では、一護君以来……今まで会ったことなかったよ」

 

「同じ境遇の人間同士なら、話は別か?」

 

「あっ……やっぱり、シウネー達のことも知ってたの?」

 

「お前のことが分かれば、仲間であるシウネー達も同様の立場にあるであろうことは容易に想像できる。何より、アインクラッドの一パーティーによるフロアボス攻略に懸ける情熱もお前と同じだけのものを感じたからな」

 

「……本当に、何もかもお見通しなんだね」

 

イタチを前に隠し事など、一切出来はしないのだと理解したユウキは、観念した様子で全てを話すことにした。

 

「イタチももう察しがついていると思うけど、ボク達スリーピング・ナイツは、もうすぐ解散するんだ。余命が、長くてもあと三か月って告知されているメンバーが二人いてね……だから、どうしても最後の思い出を残すために、あのフロアボス攻略を成し遂げたかったんだ」

 

「あの黒鉄宮にある剣士の碑……そこに刻まれた名前を、お前達が生きた証にしようと思ったということか」

 

依頼を受けた時から、ユウキ達がどんな思いでこれに挑戦していたのかが、イタチには分かっていたのだろう。それはユウキも同じであり、イタチに真意を当てられたことに驚くこともなく、首肯した。

 

「あの大きなモニュメントに、ボクたちがここにいたよ、っていう証を残したかったんだ。でも、ボク達だけでやろうとすると、思った以上に上手くいかなくて……それで、誰かに手伝ってもらおうっていうことになったんだ」

 

「反対は無かったのか?」

 

「勿論、あったよ。もしボク達のことをその人に知られたら、きっとその人に迷惑を掛けちゃうし……嫌な思いもさせちゃうからね」

 

ユウキやスリーピング・ナイツのメンバーの内心には、事情を知った相手を不愉快にしてしまう可能性だけでなく、自分達の事情を知られてしまうことに対する恐れもあったのだろうと、イタチは思った。特にユウキに関しては、病気を理由に迫害された末に、転校を余儀なくされたのだ。他の面々も同じような目に遭っているとすれば、仮想世界の中とはいえ安易に繋がりを持つことも儘ならなかった筈だ。

そういう意味では、ユウキ達はイタチのことを心から信頼してくれていたのだろう。だからこそ、イタチはユウキが先程口にした言葉を否定しなければならないと感じた。

 

「俺はお前達のことを不快に思ったことも、迷惑だと感じたことも、一切無い。でなければ、進んで会いに来たいなどとは思わない」

 

「イタチ……」

 

「尤も、剣士の碑の前で、涙を流しながら一方的に姿を消された時のことについては、こちらとしても思うところがあるがな」

 

「うぅ……っ」

 

イタチにジト目で睨まれ、涙目で委縮するユウキ。隠し事を非難するつもりは毛頭無いが、あんな形で姿を消して心配を掛けるような真似はしないで欲しいというのが、イタチの主張だった。尤も、仲間に黙って散々無茶をしでかして、死にかけたことすらあったイタチである。ユウキのことを言えた義理ではなく……イタチを知る者が聞けば、激しく突っ込みを入れたことだろう。

 

「だが、お前もお前なりに思うところがあり、反省もしているようだからな。俺としてはこれ以上、このことについて理由を詮索するつもりは無い」

 

「……心配かけさせてごめんね、イタチ。けど、もう全部話すよ」

 

ユウキの抱える事情を知るに至ったとはいえ、その内心にまで踏み込むことは躊躇われるとイタチは考えていた。しかしユウキは、今まで深入りされることを忌避していた……誰にも触れさせることの無かった内心を、自分から明かすと言ってきた。

 

「良いのか?」

 

「うん。イタチには全部知ってもらいたいんだ。ボクが、君と一緒にいる中で、何を思っていたのかも……」

 

これまでイタチに語ることの無かった、ユウキが秘めてきた本心。恐らくは、スリーピング・ナイツのメンバーであるシウネー達にすら明かしたことは無いだろうそれを、自分から話してくれるという。イタチに心配を掛けてしまったことに対する詫びも兼ねているのだろうが、イタチのことを心から信頼しているからこそだろう。

ここから先は、覚悟が無ければ聞いてはいけない。そう考えたイタチは、佇まいを直して向き直った。

 

「イタチと初めて会った時、デュエルをしたよね。その時ね……実はボク、本当に驚いたんだ」

 

「メディキュボイドを長期間使っているお前と対等に戦えるプレイヤーは、かなり少なかっただろうからな」

 

「そうだね。ALOは始めたばっかりで、そんなにたくさんのプレイヤーの人達と戦ったことは少なかったけど、他のVRゲームでは、大概強い方だったからね、ボク達は。けれど、スリーピング・ナイツのメンバーの中では、ボクより強かったのは一人だけ……姉ちゃんだけだったからさ」

 

「藍子……いや、ランか……」

 

「姉ちゃんのプレイヤーネームも知ってたんだね」

 

「先程、倉橋先生から聞かされた。だが、同じ名前のプレイヤーに、伝説級武器をプレゼントしたあたりから、予想はしていた」

 

「あ、やっぱりバレてたんだ……」

 

イタチが言っているのは、エクスキャリバー獲得クエストにおいて、ユウキが雷神トールより入手した雷拳『ヤールングレイプル』を、メンバーとして加わっていた、リーファの親友にしてコナンの幼馴染である、ランに譲渡した時のことである。当時のパーティーメンバーや、スリーピング・ナイツのメンバーの中で、体術主体の戦闘スタイルだったのがラン一人だけだったからという理由もあったのだろうが、『ラン』という名前に何か思うところがあったのだろうと、イタチは考えていたのだ。

 

「半ば勘に近いものだったがな」

 

「いや、鋭すぎると思うよ、イタチの勘は。まあ、イタチ相手に隠し事はできないってことかな。ボクがここにいたことも、すぐに突き止めちゃったしね。それに……ボクが本当に姉ちゃんだって思っている人のことも、分かっているんじゃないかな?」

 

そこまで言われて、ユウキが自分に対して何を思っていたのか、イタチは確信した。ユウキもまた、それを確信したのだろう。やや気まずそうに苦笑いを浮かべながら、話を続けた。

 

「もう分かっていると思うけど……イタチと一緒に過ごす内に、姉ちゃんのことを思い出してね。最初は、凄く強いプレイヤーっていう印象しかなかったんだ。見た目も性格も、特に姉ちゃんに似ていたっていうわけじゃなかったしね……」

 

「………………」

 

「けれど、何度か会っていく内に、姉ちゃんとどことなく似ているって気がしてきてね。ボクより強いだけじゃなくって……物静かだけど、とても優しくて……いつも、遠くからボクのことを見ていてくれるところとか。けど、決定的だったのは、あの時……イタチが、『マザーズ・ロザリオ』を使った時だったな」

 

イタチが思い出すのは、ユウキの使った『マザーズ・ロザリオ』を新規のOSSとして登録した時のこと。他人のOSSを幾度かコピーした経験があると言った際に、ものは試しとユウキのOSSである『マザーズ・ロザリオ』を披露してもらい、それを完璧に再現して見せたのだ。今思い出してみれば、あの時のユウキの反応は、自身のOSSを再現されたことに対する驚きだけでなく――――――何かを懐古し、喜色を浮かべていたように思われる。

 

「あの時ね……ボク、本当に嬉しかったんだ。ボクよりも強い……それも、姉ちゃんにどことなく似ているって思っていたイタチが、姉ちゃんの技を使ってくれたから……」

 

「……『マザーズ・ロザリオ』は、藍子が考案した技だったのか?」

 

「うん。本当なら、あの技は姉ちゃんが使う筈のものだったんだ。けれど、OSSが実装化する前に、姉ちゃんはいなくなっちゃって……」

 

藍子の話をするユウキの表情は若干曇っていた。話すと決めたとはいえ、唯一の肉親だった姉を失った過去を打ち明けるのは、やはり辛いものがあるのだろう。無理をするなと言って話を終わらせることもできるが、それはユウキの覚悟を無にすることに他ならない。イタチは口を挟むこともなく、真剣な表情のまま、ユウキの話を聞いていた。

 

「だから、OSSが実装化された時には、必死で『マザーズ・ロザリオ』を完成させようと頑張ったんだ。あの技は、ボクと姉ちゃんの思い出で……姉ちゃんがいたっていう、確かな証だったからさ」

 

「お前達が剣士の碑に刻み込んだ名前と同じ、ということか」

 

「……そういうことだね」

 

藍子にとっての『マザーズ・ロザリオ』然り。ユウキとスリーピング・ナイツにとっての『剣士の碑』然り。自分や自分にとって親しい人間がいなくなろうとした時には、何らかの形で生きた証をこの世に残したいと考えるものである。

桐ケ谷和人の前世であるうちはイタチにしても、それは同じこと。自分自身をはじめ、家族と一族といった多くを犠牲にしてでも、弟であるサスケを生き残らせようとした。尤も、イタチにとってのサスケは、自身が生きた証としてではなく、偏に家族として愛していたからこそ守ろうとしたのだ。その点では、事情は異なるのだが……それでも、死に直面した時に、自分に何ができるか、或いはするべきかについて必死になって考える姿勢は、イタチにも理解できるものだった。

 

「こんなに楽しい時間を過ごせたのは、久しぶりだったよ。スリーピング・ナイツの皆と……それに、姉ちゃんと一緒にいるみたいで……本当に、楽しかった」

 

儚げな笑みを浮かべながら話すユウキの目には、薄っすらと涙が浮かんでいた。今彼女の脳裏には、様々な思い出が蘇っていることだろう。

 

イタチや、イタチの仲間であるアスナ達と過ごしたエクスキャリバー獲得クエストのこと――――――

 

イタチを七人目のメンバーとして加えたスリーピング・ナイツの一パーティーで成し遂げた、アインクラッドフロアボス攻略のこと――――――

 

そして、姉である藍子ことランと数多のVRワールドを旅してきたこと――――――

 

 

 

そして、それはユウキだけではなく、イタチの心中にも、彼女が想起している光景が浮かび上がっていた。流石にユウキと出会う以前の、スリーピング・ナイツのメンバーとの思い出までは分からない。だが、彼女と出会い、短い間ながらも共に冒険をしてきた思い出は鮮明に残っていた。何故ならば、一緒にいられて楽しかったと感じたのはユウキだけでなく……イタチもまた、同じ思いだったからだ。

イタチ自身、明確に意識したことは無かったが、ユウキのことを仲間として大切に思っていたのだ。でなければ、病院まで会いに来ようなどとは思わない。ことここに至って、今更ながらイタチはそのことを自覚した。

 

「イタチ……」

 

ふと、感慨に耽っていたイタチのもとへと歩み寄ったユウキが、その胴に腕を回して抱き着いた。自身より身長の高いイタチの胸に顔を埋め、強くその身体を抱きしめた。

 

「いけないことだって、本当は分かってた……けど、イタチと一緒にいて思い出すのは、姉ちゃんのことだった……」

 

「………………」

 

涙ながらに話すユウキは、震えていた。それを感じたイタチもまた、ユウキの背中に手を回して、そっと抱きしめ返した。

 

「姉ちゃんのこと、大好きだった。けど、姉ちゃんはどこにもいなくて……でも、イタチは姉ちゃんじゃなくて……」

 

その後にユウキの口から紡がれた言葉は、言葉にならなかった。しかし、断片的ながらもイタチにはその意味が分かった。

先程ユウキが口にしていた、余命三カ月を宣告されたメンバーの一人は、ユウキだったのだ。そして、残り少ない人生を精一杯、仲間達と楽しく生きて、自分達の生きた証と思い出を残そうとしていた。だが、ユウキとてまだ十五歳の少女である。死ぬことが恐ろしくない筈が無いし、残された時間をどう使えば良いのかもまるで分からず、仲間達にも打ち明けられない不安を抱え続けていたのだ。そして、自身にとって大きな支えであった姉の藍子を失った頃から、ユウキの精神も限界が近づいていた。

そんな中で出会ったのが、イタチだったのだ。自分を支えてくれる存在に渇望していたユウキは、藍子のように強く、本来ならば彼女が習得する筈だった『マザーズ・ロザリオ』を会得して見せたイタチに、姉の面影を強く意識した。

だが、それは許されざることである。イタチは藍子――ランではないのだ。不安に押し潰されそうな自分の心を支えてくれる拠り所が欲しいと言う、自分勝手なりそうをイタチに押し付けることはできないし、それはイタチと藍子の二人に対する侮辱である。譬えイタチ当人や、もうこの世にはいない藍子が許したとしても、ユウキ自身が許せない。

 

「ユウキ……もう、良い」

 

泣きじゃくるユウキの頭を撫でながら、イタチはそう呼び掛けた。その心中には、忸怩たる思いがあった。これ程までに苦しんでいたユウキに対し、自身は何故もっと早く救いの手を差し伸べようとしなかったのかと。ユウキが誰にも打ち明けられない何かを抱えていたことには、現実世界の事情をある程度察知していた自分ならば、いくらでも気付くきっかけはあったのだ。にも関わらず、ユウキが助けを求めないのならばと、必要以上に干渉することには消極的だった。そしてその結果が、これである。これでは、仲間などとは言えない。ならばせめて、今からでも自分にできることを……やらねばならないと思うことをしようと、イタチは決めた。

 

「お前が俺をどう思っていたとしても、俺はそれを気にするつもりは無い。尤も、どんなに努力したとしても……お前の姉の、藍子のようにはなれないだろうがな」

 

どう思われていても構わないというイタチの言葉に、腕の中のユウキの身体から僅かながら緊張が抜けたように思えた。そしてそのまま、イタチは言葉を重ねていく。

 

「だが、喜びだけでなく……不安を分かち合うのも、仲間だ。助けて欲しいと……支えて欲しいと言うのなら、いくらでも助けるし、支えてやる。だから、一人で背負い込むな。俺やシウネー達スリーピングナイツのメンバーを……仲間を忘れるな」

 

「イタチ……イタチぃっ……!!」

 

前世においては、勃発した忍界大戦の中で一人突っ走ろうとするナルトにも掛けた言葉である。そしてそれは、今のユウキの心にも確かに届いたらしく……イタチの胸に顔を埋めたまま、大声を上げて泣きだした。心の中に溜め込んだ不安を全て吐き出すように泣き続けるユウキを、イタチはそっと優しく抱き留めていたのだった――――――

 

 

 

「イタチ、ありがと……」

 

「気にするな」

 

それからしばらく、イタチに胸を借りて泣き続けたユウキも、ようやく落ち着いたらしい。イタチに対する感謝を口にするとともに、ゆっくりと離れていった。その顔は、泣きはらした所為と、子供のように泣いてしまったことによる羞恥で赤く染まっていたが。

 

「けど、少し気が楽になったよ。正直、イタチのことも、姉ちゃんのことも、整理がついていないけど……でも、なんとなく、大丈夫な気がしてきたよ」

 

「そうか」

 

何が大丈夫なのかは分からないが、ユウキの心を蝕んでいた重圧を少しは取り除けたことは確からしい。イタチに向けるその笑みには、最初に出会った時のような明るさが戻っていた。

 

「イタチだけじゃなくて、シウネーとか、いろんな人に心配をかけちゃったよね……後でメールで連絡をして、その後ALOで謝るよ」

 

「そうしておけ。それと、『絶拳』ことマコトが、お前に会いたがっていたぞ。早くデュエルをしてやれ」

 

「うげぇ……それ、本当にやらなきゃ駄目?」

 

「駄目だ」

 

そんな他愛の無い会話を通して、イタチはユウキの精神がある程度まで立ち直っていることを確認し、内心で微笑ましく感じているのだった。

そして、それと同時に改めて決意する。自身が抱える事情と内心について、包み隠さず話してくれたユウキに、自分も応えることを――――――

 

「ユウキ、俺からも、お前に話したいことがある」

 

「イタチ……?」

 

真剣な表情で向き直るイタチに、ユウキは一体何なのだろうと、不思議そうな表情を浮かべる。一方のイタチは、傍から見た限りではいつもと変わらない佇まいだが、内心では若干緊張していた。桐ケ谷和人に転生してから、自身の真実を話すのは四度目になるとはいえ、やはり慣れないものなのだ。

 

「俺には、桐ケ谷和人としての記憶以外に、もう一つの……前世の記憶がある。木の葉隠れの忍、うちはイタチ……それが、前世の俺の名前だ」

 

 

 

そしてこの日、うちはイタチの転生者、桐ケ谷和人の真実を知る仲間が、また一人増えたのだった――――――

 



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第百十五話 本当の自分を受け入れてくれたあの光を

2026年1月15日

 

「ユウキ、カメラの調子を教えて。見えてる?聞こえてる?」

 

『あ、大丈夫だよ。よく見えるし、聞こえる!』

 

「カメラとスピーカーの初期設定はこれで問題は無さそうだな」

 

「そうだね。それじゃあ次は、動作確認行ってみようか!」

 

イタチこと和人と、ユウキこと木綿季が現実世界の病院、そして仮想世界で再会を果たしてから二日後。SAO帰還者が通う、帰還者学校と呼ばれる学校の第二校舎の三階北端にある一室に、和人とララ、藤丸をはじめとした数人の生徒が、パソコンに向かい合っていた。ララによる特殊改造が施されたパソコンのケーブルが接続されている先には、一体の熊のぬいぐるみが置かれていた。

 

「よし、これで一応の設定はできたよ!木綿季、動かしてみて!」

 

『はーい』

 

熊のぬいぐるみの口元あたりに備え付けられたスピーカーから、木綿季の声が聞こえてくる。それと同時に、熊のぬいぐるみはひとりでに動き出し、右手と左手を交互に上げ下げし始めた。

 

『凄い!本当の手みたいに動く!』

 

「ふふん、そうでしょう!ユイちゃんのために私が腕によりをかけて作った、『カクカクベアー君』だもの!最新版の『スイスイベアー君』ほどじゃないけど、自由度は日本の市販のロボットの比じゃないよ」

 

ぬいぐるみの動作に感激する木綿季に対し、ララは自慢げに笑みを浮かべながらその性能を力説するのだった。木綿季の意思によって動いている『カクカクベアー君』と呼ばれるこのぬいぐるみは、ララの発明である。アミュスフィアとネットワークを通して、カメラとマイクで拾った現実世界の情報を伝達し、遠隔通信を行うための機械である。そして今、この機械の通信先には横浜港北総合病院のメディキュボイドが設定されており、被験者である木綿季と通信していたのだった。

 

『それにしても、『絶拳』のマコトといい、ララといい、藤丸さんといい、イタチ……じゃなくて、和人の知り合いって本当に凄いよね』

 

「マコトはともかく、SAO生還者には、俺自身も驚く程に特殊な人間が多かったからなぁ……」

 

「違いない……」

 

藤丸の意見に同調している和人自身も、忍世界の前世の記憶を持つ転生者という、非常に特殊な事情を持った人間である。或いは、類は友を呼ぶと言われるように、和人の存在が、デビルーク王国の王女であるララや、天才ハッカー・ファルコンの名で知られる藤丸をはじめとした特殊な人間を集めているのかもしれないが。

 

『だけど、まさか本当に学校に行けるようになるなんて、思ってもみなかったよ』

 

和人の規格外の友人達の手により、自身の望みが叶えられようとしている光景を眺めながら、木綿季はこのようなことになったきっかけである、二日前の出来事を思い出していた。

 

 

 

 

 

「――――――ということだ」

 

「………………」

 

木綿季が入院している病院の中に設置してあるアミュスフィアによりALOへダイブし、五日ぶりにアバターによる再会を果たしたイタチとユウキ。その場でユウキの本心を聞いたイタチは、自身もまた、特定の人間以外には伏せている秘密……即ち、うちはイタチとしての前世について話したのだった。

忍者としての転生の記憶を持つなど、荒唐無稽極まりない話である。まともな思考の人間が聞けば、正気を疑われかねない。良くて重度の中二病患者扱い、最悪の場合は狂人と見なされ、精神病院へ送られかねない。

しかも、ユウキが自身が押し殺してきた本心を打ち明けてくれたタイミングで話したのだ。悪意のある作り話と見なされるか……或いは、本当に思考がおかしい人間と思われるのか。その捉え方次第では、イタチとユウキの関係は破綻しかねない。イタチは自分がどう思われようと構わないと覚悟をしていた。だが、ユウキは誰にも明かせない本心を明かしたにも関わらず、からかわれるという仕打ちを受けたと考えて、深く傷付くかもしれないことに不安を感じていた。

果たして、イタチの話を聞き終えてから、目を点にして沈黙したままのユウキの内心は――――――

 

「ごめん、イタチ。イタチの言っていること、ちょっと上手く理解できないや」

 

苦笑いしながら、至極真っ当な反応を返された。しかし、荒唐無稽な話を聞かされたにも関わらず、ユウキのイタチに対する視線には懐疑や嫌悪、悲しみに類する負の感情は含まれていなかった。

 

「けど、イタチがボク達とは別の世界から来たっていうことは、なんとなく納得できる……かな?」

 

「何故、疑問形なんだ?」

 

ユウキの様子を見るに、イタチの話を嘘だと思っている様子は無い。恐らく、イタチが異世界の忍者の転生者であるという事実を完全には受け入れられていないのだろう。

 

「う~ん……上手く説明できないんだけど、“イタチだから”かな?」

 

「どういう理屈だ?」

 

「イタチって色々と、こう……そう!ぶっ飛んだ感じの存在だからね!」

 

「……………」

 

この表現が一番しっくりくるとばかりに告げられた言葉に、イタチは沈黙する。これまで明日奈、直葉、詩乃の三人に自身の秘密を明かしてきたが、いずれもユウキと同じような理由で納得された。曰く、能力が現実・仮想世界を問わず規格外、性格が実年齢とは不相応に大人びている、普通の生活を送ってきた少年とは思えない程に達観している等々……いずれも、イタチが常識外れの存在であるという認識で共通していたのだ。

イタチ自身、これまで意識してこなかった――正確には、自身や他者の命の危険に直面する機会が多くて意識する暇が無かった――のだが、うちはイタチの前世を持って生きている桐ケ谷和人という存在は、周囲から見て相当異質に見えるらしい。前世の記憶や経験を持っている関係上、周囲から浮いて見えるのは避けられないことだが、前世のことを秘匿しさえすれば問題は無いという考えは甘かったと、イタチは痛感した。今のところ日常生活を送る分には問題は無さそうだが、悪目立ちしないためにも、今後の立ち居振る舞いには気を付けるべきだろう。尤も、SAO事件にALO事件、GGO事件でその名を知られ過ぎた今となっては、遅すぎるかもしれないが。

 

「けど、どうしてボクにそのことを話してくれたの?聞く限りだと、かなり重要な秘密みたいだけど……」

 

「お前が思っていることを話してくれたということもあるが……俺がお前に協力しようと思った、本当の理由を話すべきだと考えたからな」

 

「本当の理由って……そういえば、なんかおかしなこと言ってたよね。なんか、自分達が生きた証を残そうとする気持ちが分かるとかなんとか。もしかして、イタチには前世の記憶があるって言ってたけど……」

 

「よく覚えていたな。まさにお前が思っている通りだ。俺が前世の死因は“病死”だ」

 

正確には、最初の前世の死因である。自身の死期が近づく中、最愛の弟に何ができるかを、常に考えていた。その結果として導き出した答えが、自身の全てを賭した死闘を通して写輪眼の全てを教え、保険となる術を刻み込むことだった。しかし結局、思い描いた通りの結果にはならず……最悪の結果として、弟を復讐鬼にしてしまったのだが。

ともあれ、生きている間にやりたいこと、すべきだと考えることに全力を注いできた姿勢は、ユウキやラン、スリーピング・ナイツのメンバー同じである。自身が上手くできなかったことだけに、イタチとしてはそれを成し遂げるための手伝いを全力で行いたいというのが本心だった。

 

「そっか……けど、イタチのお陰でボク達は、確かにここにいたっていう、証を残すことができた。それだけで、満足だよ。本当に……ありがとう」

 

心からの感謝を口にするユウキの笑顔と向かい合うイタチの顔には、ほんの僅かに笑みが浮かんでいた。その笑顔には、イタチにはできなかったことを、ユウキ達に成し遂げさせることができたという、確かな実感を与えていた。

 

「そうか。だが、死に際ギリギリだった俺とは違って、お前にはまだ時間がある。このまま誰にも会わずにこの場所に留まり続ける必要も無い筈だ。やりたいことは、他に無いのか?」

 

「やりたいこと……か」

 

今まで、ただ“依頼”と割り切って協力してきたイタチならば、こんなことは聞かなかっただろう。だが、イタチは今、ユウキのことを正しく大切な仲間として認めている。依頼などの形式に囚われず、ユウキの望みを叶えるために動くことはイタチにとって当然のことだった。

 

「う~ん……できるかどうかはちょっと分からないけど……ボク、行ってみたいところがあるんだ」

 

「どこだ?」

 

「……学校に、行ってみたいなって」

 

学校に行きたいと口にしたユウキの言葉に、イタチは少し意外そうな顔をした。イタチの私見だが、ユウキにとって学校とは、感染者である自身を虐げる生徒やそれを無視する教員といった、敵性存在が多数いる場所である。無論、一護のようにユウキの味方をした生徒も多数いただろうが、排斥しようとする人間の方が多かった筈である。そんな場所に、再び行きたいと思うとは、イタチは思わなかった。

そんなイタチの反応に、その内心をある程度予想していたのだろう。ユウキは困ったように苦笑していた。

 

「えっと……意外、かな?」

 

「まあ、少しな」

 

「確かに、学校には良い思い出は少ないけど……でも、一護君達が必死にボク達の居場所を守ろうとしてくれていたからね。本当は、どんなに辛くても、あの場所に居たかったんだ……」

 

どうやら、ユウキが学校を忌避しているという考えは、イタチの誤認だったらしい。ユウキもユウキなりに、一護達の想いに応えて、学校という場所に自分達の居場所を見出そうとしていたのだ。そんなユウキの内心を慮ることができなかったことを、イタチは内心で恥じた。

 

「けど、やっぱり無理だよね。ごめんね、こんなこと言って……」

 

「分かった」

 

「へ?」

 

無理だと初めから分かった上で、もしかしたらと口にした願い。それに対し、イタチはあっさりと頷いてみせた。今度はユウキが目を丸くする番だった。

 

「学校に、お前を連れて行ってやる」

 

 

 

 

 

 

 

『それでもって、次の日にこんな機械を用意しちゃうんだから、本当に驚いたよ。しかも、倉橋先生にも学校にもその日の内に話を通しちゃうなんて』

 

木綿季の頼みを聞いたイタチこと和人は、この件に関して頼りになる人間――ララと藤丸へとすぐさま掛け合った。即ち、和人とその同級生であるララや藤丸が主導で開発を進めていた視聴覚双方向性プローブ内蔵小型ロボットを、ユウキを学校へ連れ出すために持ち出すことを考えたのだ。元々はMHCPであるユイに現実世界を体感させるために開発を進めていた機械だったが、メディキュボイドに接続すれば、木綿季のような特殊な状態にある入院患者に対しても同じことができる。無論、理屈上は可能ではあっても、各種調整でそう簡単にできるものではない。しかし、ララと藤丸の能力をもってすれば造作も無いことだった。

 

「それにしても、考えたな。ユイちゃんのために使っていた機体が最新型の『スイスイベアー君』に移行したのに伴ってお払い箱状態になった『カクカクベアー君』を使おうなんてな」

 

「道具は使ってこそだ」

 

「コネも同様か?」

 

「当たり前だ」

 

藤丸が口にした皮肉に対し、和人は当然のように返した。

SAO生還者の学校は特殊な体制故に、木綿季のような生徒を受け入れることは、決して難しい話ではなかった。しかし、受け入れには何事も諸手続きが必要となり、どうしても時間がかかる。そこで和人は、ララをはじめとした、実家が多大な権力を持つクラスメート達を通して学校へ働きかけ、複雑な手続きを一挙にクリアしていたのだった。

 

「濫用し過ぎるのは問題だが、道具もコネも、使うべき時に使わなければ意味があるまい」

 

「お前って時々、そういう過激というか手段を択ばないというか……そんな考えに走るよな。特に、自分以外の仲間のこととなると」

 

「ルール違反としては、まだまだ目溢しできる範疇だろう。学校側には苦労を掛けたが、この学校はSAO生還者全員が卒業した後は、俺達のような特殊な事情を抱えた生徒を広く受け入れられる体制を目指す予定だ。そういう意味では、木綿季も良いサンプルケースになるだろう」

 

「はいはい、分かったよ。ほら、もう動作確認も終わったぞ。これで今日一日は問題なく動くだろうよ」

 

「朝のホームルームまでもう時間無いし、早く職員室に連れて行ってあげたら?」

 

「そうだな。急な要請に対応してもらうために朝早く集まってくれて、感謝する」

 

「いいっていいて。木綿季、何かあったらすぐに調整するから、すぐ私達に言ってね!」

 

『はーい!ララさんも藤丸さんもありがとー!』

 

和人の腕に抱かれた状態で、木綿季の捜査する熊のぬいぐるみことカクカクベアー君が、ララと藤丸に向かって手を振る。対する二人も、その様子を微笑ましく思い、手を振って返すのだった。

 

 

 

 

 

『ここが職員室?』

 

「ああ。授業開始前に、クラスの担任には挨拶をしておく必要があるからな」

 

『……やっぱり、挨拶しないと駄目なんだよね?』

 

職員室に入りたがらない木綿季の態度を訝しむ和人。ララと藤丸から別れてから職員室へ向かうと言って以降、木綿季は何故か静かになっていた。だが、木綿季の経歴を考えれば、職員室に良い思い出が無いというのも頷ける。恐らく、木綿季が昔通っていた学校で自身の病気事情が明らかにされた際に、クレームにやってきた保護者で荒れる等していたのだろう。

 

「お前は一応、転校生扱いだから、これから世話になる担任の顔くらい知らなければならんだろう」

 

『あー、うん……分かってる、よ……』

 

「それに、この学校は生徒が特殊ならば教師も特殊だ。お前が心配しているような事態には、絶対にならない」

 

木綿季の心配を解消するために、和人は常にはあまり見せることのない、はっきりとした口調で断言した。

 

『うん……分かった!和人に任せるよ!』

 

「ああ、任せておけ。それじゃあ、行くぞ」

 

和人の言葉により、木綿季も安心したらしく、スピーカーから聞こえる声からは緊張がほぐれているのが窺えた。それを確認した和人は、改めて職員室へと入っていくのだった。

 

「失礼します」

 

『し、失礼しまぁすっ!』

 

落ち着いた様子で職員室へと足を踏み入れた和人だが、木綿季は素っ頓狂な声を上げてしまった。職員室で作業していた数名が振り返ったが、すぐにそれぞれの作業へと戻った。ララが開発した『カクカクベアー君』の存在も既に学校に浸透していたらしく、ぬいぐるみが喋るという光景も今更珍しいものではないらしい。そして、静まり返った職員室の中を、和人とその手に抱かれた木綿季は、目的のデスク目指して進んでいく。

 

「鵺野先生、紺野木綿季さんを連れてきました」

 

「おお、和人か。朝早くからよく来たな。皆と同じように、『ぬ~べ~』と呼んでくれても良いんだぞ?」

 

「いえ、それは結構です」

 

「そうか。それで、そっちが紺野木綿季さんだな」

 

『は、はい!紺野木綿季です!』

 

ひとりでに喋り出す木綿季の操作する『カクカクベアー君』に対し、優しく微笑みかける担任教師、鵺野鳴介。生徒達からは、『ぬ~べ~』という渾名で呼ばれている。やや大柄で体格の良い、二枚目と言える容姿の二十台男性である。

SAO生還者の通うこの学校において国語教師を務める彼は、かつは『ヌエベエ』という名前で知られたSAO生還者である。仮想世界という特殊な環境に二年もの間置かれていたSAO生還者達を教え導くならば、同じ環境に同等の時間身を置き、その思考に精通した人間を宛がうのが最適なのは、自明の理。帰還者学校設立に伴って全国から教員を集めた際には、鵺野には真っ先に声が掛かったという。

 

「紺野さん、俺以外の教員にも、既に話は通してある。今日だけでなく、よかったらこれからも授業を受けに来てほしい。特に国語は、今日から芥川の『トロッコ』をやる予定だから、できれば最後まで受けてもらいたいと思っている」

 

『は、はい!ありがとうございます!』

 

鵺野に挨拶を済ませたちょうどそのタイミングで、予鈴のチャイムが鳴った。和人と木綿季は再度鵺野に頭を下げると、職員室を出た。

 

『和人の言った通り、なんかちょっと変わった……今までボクが会ったどの先生とも違っていたね』

 

「鵺野先生もSAO生還者だからな。変わった手合いの扱いには、そこらの教師よりも人一倍慣れている」

 

『へ、へぇ~……そうなんだ』

 

「ついでにあの先生は特に変わり者でな。しかも噂では、左手に鬼の力を宿した霊能力者らしい」

 

『ええっ!?』

 

「あくまで噂だ。根も葉もない、な……」

 

『な、なぁんだ、冗談なんだ!はは、和人も人が悪いなぁ……』

 

和人にしては珍しい冗談に、しかし木綿季は内心で顔を引き攣らせていた。カクカクベアー君越しの画面に映し出された鵺野の姿を思い出すと、確かに左手には何故か黒の皮手袋が嵌められており、デスクの隅には白衣観音経や念珠といった怪しげな心霊アイテム的な物も置かれていた。冗談とはいえ、担任教師の怪しげな情報に若干の不安を禁じ得ない木綿季だった。

ちなみに、和人のクラスには鵺野同様に幽霊が見える、霊感が強い生徒があと二名ほどいて、しかも一人は木綿季の知り合いだったりする。だっが、木綿季の怖がりようを見て、これ以上この手の情報を与えて木綿季に不安を与えるべきではないと考えた和人は、敢えて黙っておくことにした。

そして、そうこうしている内に、教室へと到着するのだった。

 

「おはよう、和人」

 

「んん?ララの作ったぬいぐるみ持って、どうしたんだ?」

 

「また、ユイちゃんを連れてきたのか?」

 

教室に入ってきた和人を見るや、数人の生徒が話し掛けてきた。他の生徒もちらほら和人の方を見て手を振る等しているが、手に持っているぬいぐるみについてはあまり不審には思われていないように見える。クラスメートの反応を見るに、どうやらララのこの非常識な発明は、しかしながらこのクラス内には日常の光景として浸透していることを木綿季は察した。

 

「いや、今日動かしているのは、ユイじゃない。今日からこの学校で授業を受ける、紺野木綿季だ。木綿季、挨拶を」

 

『あ、うん。紺野木綿季です!今日からよろしくお願いします』

 

ぬいぐるみから聞こえてきた、ユイのものではない少女の声に、クラスメート達の反応が変わった。それまで無関心だった周囲の生徒も、一斉に和人が手に持つカクカクベアー君へと注がれる。

 

「今日から授業を受けるって、転校生ってことか?」

 

『ええと……特別に授業を受けさせてもらえるんだけど、転校生とはちょっと違うんだよね』

 

「ララのぬいぐるみを使っているってことは、どこかの病院とかから動かしているんでしょうか?」

 

『あ、うん。ボク、入院していて病院から外に出られなくて……それで、和人に相談したら、このぬいぐるみを用意してくれて、学校に連れてきてもらえたんだ』

 

「和人のお陰って……まさか、また女の子に手を出したワケ!?」

 

『えええっ!?“また”って、どういうこと!?』

 

木綿季への質問が殺到するのに伴い、あらぬ誤解を招いた和人に対して――主に女性陣から――突きさすような冷ややかな視線が多数注がれる。若干居心地が悪くなったものの、気付かぬフリをしてそれの視線や陰口等を受け流し、木綿季の操るカクカクベアー君を抱え続ける和人だった。

 

「おーい!そろそろホームルームを始めるから全員席に着け!」

 

そして、木綿季に殺到した質問全てに答え切る間も無く、先程職員室で別れた鵺野が教室へ入ってきた。朝のホームルームが始まるとあっては仕方が無いとクラスメート達は諦め、各々の席に戻ると、日直の号令で礼を行い、必要事項の確認を行うのだった。

その後、一時限目が始まるのだが、この日の一時限目の教科は国語で、教師も担任の鵺野のため、教師も生徒達も移動することなくそのまま授業を受けることとなる。やがて一時限目の開始を告げるチャイムが鳴ると、鵺野の指示で日直が号令を行い、いよいよ授業が始まった。

 

「それじゃあ、今日から教科書九十八ページ、芥川龍之介の『トロッコ』をやるぞ。この作品は、芥川が三十歳の頃に書かれたもので――」

 

鵺野の概説を聞きながら、和人は自身の膝の上に立って教科書を眺めるカクカクベアー君の調子を確かめていた。カメラのレンズが若干動いているようだが、今のところ木綿季のもとへは上手く映像が送られているらしい。

と、そこへ――

 

「それじゃあ木綿季、最初から読んでみてくれ」

 

「む……!」

 

『ええっ!?』

 

鵺野からのまさかの指名――しかも、名前呼び――に、スピーカーから驚きの声が上がる。カクカクベアー君の両手が驚きを表すように挙げられた。和人も予想だにしていなかったのだろう、若干驚いた様子で目を見開いていた。

 

「どうした?そのぬいぐるみなら、ある程度の音量で話せると聞いているが」

 

「ぬいぐるみじゃなくて、『カクカクベアー君』だよ、ぬ~べ~!」

 

「分かった分かった。それで、読めるか?」

 

ララの指摘をスルーして尋ねる鵺野に、木綿季は慌てた様子で答えた。

 

『大丈夫です!読めます!』

 

「木綿季、掴まっておけ」

 

和人は木綿季の返事を聞くや、カクカクベアー君を右肩に乗せた状態で席から立ち上がる。木綿季の操るカクカクベアー君は和人の肩と頭に手を置いて掴まった。そして、和人は目の前に教科書を木綿季にも見えるような位置に広げた。準備が整ったところで、木綿季による朗読が開始された。

 

『……小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まったのは……』

 

木綿季による教科書の朗読が、教室内に響き渡る。スピーカー越しの音声ではあるものの、それを聞いた教室内の生徒達は、この場には姿を見せていない……しかし、確かに今この場で共に授業を受けている木綿季の存在を確かに感じていた。

 

 

 

この学校に通う、一人の生徒としての木綿季の姿を――――――

 

 

 

一時限目の鵺野の計らいにより、生徒達は木綿季のことをより身近に感じることができるようになった。そしてそれにより、学校へ来た初日にも関わらず、木綿季はすぐに学校内の空気に馴染むことができた。それは、和人のクラスだけには留まらず、他のクラスの生徒に対しても同様だった。SAO生還者というだけでなく、元々特殊な生徒が多いこの学校の生徒にとって、木綿季のような一風変わった存在を受け入れることは大して難しいことではなかった。また、木綿季自身の誰とでも打ち解けることができる性格も後押しして、この帰還者学校という特殊な環境へ簡単に溶け込むことができていた。

そして、ありのままの自分を受け入れてくれる場所と人がいるという事実は、木綿季の心を何より幸せにしてくれた。ALOのようなゲーム世界の最強クラスの剣士であるユウキではなく、ただ一人の少女、紺野木綿季としての自分でいられる場所は、何より木綿季が求めていて、それでいて、永遠に手に入る筈が無いと心のどこかで思っていたのだから――――――

 

 

 

「和人、こっちこっち!早く!」

 

そして昼休み。自宅から持参した弁当を右手に、木綿季操るカクカクベアー君を左手に持ちながら、和人は中庭の芝生を目指して歩いていた。和人の視線の先には、芝生の上にレジャーシートが敷いてあり、ララやめだかをはじめとした、特に仲の良い友人達が集まっていた。その中には勿論、一護の姿もある。

これは、木綿季が学校へ来ると知らされためだか達による企画である。和人のクラスメート以外の友人達とも親睦を深められるようにと、こうして屋外で集まれる場を設けたのだ。

 

「めだか、これで皆集まったことだし、そろそろ食べ始めない?」

 

「そうだな。それでは、木綿季の帰還者学校への登校を記念して、皆で乾杯といこうか」

 

そう言うと、めだかは和人へジュースが入った紙コップを渡した。どうやら、他の参加者には既に渡していたらしい。全員それらを手に持っていた。最後に来たメンバーたる和人に加え、木綿季の手にも渡され――木綿季はカクカクベアー君の手と手の間に挟んだ状態で、和人に支えながら持っていた――乾杯の音頭を、この場の代表者であるめだかが取る流れとなった。

 

「それでは、堅苦しい挨拶は抜きにして……」

 

 

 

『木綿季、帰還者学校への登校おめでとう!』

 

 

 

そして始まる、ランチタイム。三月、四月頃の桜が咲く季節ならば、花見ができたのだろうが、今の季節は冬。屋外はまだまだ寒いものの、天気は快晴そのもので比較的快適に過ごせる気温となっていただけ幸いだった。

 

『わぁ~、皆のお弁当、とても美味しそうだね!特にめだかとララのが!』

 

レジャーシートに腰掛けた和人の膝の上に乗り、カメラ越しに全員の弁当の中身を眺めながら、木綿季が羨ましそうに言う。

 

「フフフ、そうだろうそうだろう。何せ、私と善吉の弁当は、私自ら作ったものだからな」

 

「私のお弁当は、大使館のメイドさんが作ったものだよ」

 

「ララのクッキングセンスは壊滅的だからなぁ……」

 

善吉のぼそりとした呟きは、しかし木綿季の収音マイクが拾うことはなかった。聞こえてしまった和人等少数名についても、それに言及することはしなかった。

 

『和人のも結構美味しそうだよね。手作り?』

 

「ああ」

 

『そういえば、詩乃のお弁当とも同じような……』

 

「今日のお弁当の当番は、和人だからね」

 

『ええっ!?二人って一緒の家に暮らしてるの!?』

 

「……言っていなかったな。色々と事情があってな……詩乃は今、俺の家に住んでいる次第だ。まあ、その話は追々、な……」

 

『ああ……うん、分かった』

 

同じ家に暮らし始めた諸事情を説明するとなると、GGOにおける死銃事件のことは勿論、詩乃の壮絶な過去まで話さなければならない。昼休みに気軽に話せる内容でない以上、話はここで終わらせることにした。木綿季も事情を何となく察したらしく、それ以上追及することはしなかった。

 

「それにしても、手作りって言っても、めだかやララのお弁当みたいに突出して美味しそうってワケじゃないわよね」

 

「里香さんのは手作りですらないじゃないですか」

 

「うっさいわね、圭子。あんたも同じでしょうが」

 

『まあまあ、仲良く食べなよ』

 

その後は手作り弁当談義で軽口を叩き合いながら、一同は弁当を食べ進めた。普段はクラスも違う面子も集まっているだけに、いつも以上に賑やかになっていた。

 

『あ、一護君も手作りなんだね』

 

「ああ……まあな。今日は、妹達が作ったものだ」

 

『一護君の家のご飯は当番制って言ってたけど、それは今でも同じなんだね。遊子ちゃんと夏梨ちゃんも元気かな?』

 

「ああ。この前、お前のことを話したら、あいつ等も会いたいって言ってたぞ。それから、今度竜貴の奴も一緒に病院の方に見舞いに連れて行きたいんだが……」

 

『ああ、大丈夫だよ!倉橋先生には、ボクの方から言っておくから』

 

小学生の頃からの知り合いである一護と木綿季だが、昨日、和人に連れられて木綿季の入院する病院へ向かい、既に再開を果たしていた。その場で木綿季の現在の病状と、藍子を含めた家族を亡くしたことを知るに至ったのだった。

転校後、まさか家族が木綿季を残して全員亡くなったとは予想できなかった一護は、そのことに対して責任を感じてしまっていた。元々責任感が強く、母親を幼い頃に無くした経緯から家族を大事に思う一護にとって、紺野一家の不幸は他人事とは思えなかったのだ。

昨日の見舞いの際に、木綿季から、一護を全く恨んでおらず、気にしないで欲しいと言われて和解したことで、多少は罪の意識が和らいだ様子だった。

 

「でしたら、今度は僕も挨拶に伺っても良いでしょうか?」

 

『うん!アレン君も勿論、歓迎だよ!』

 

「ずるい!私も行きたい!」

 

「あ、私も!」

 

「あのう……私も行っちゃ駄目ですか?」

 

「こらこら、皆で一気に押しかけては迷惑だろうが」

 

一護とアレンに続き、ララや里香、圭子までもが見舞いに行きたいと手を挙げ、そんな一同をめだかが窘めていた。どうやら、しばらくは連日見舞いが続き、木綿季の病室は賑やかになりそうだ。リアル、仮想世界を問わず、木綿季に差別意識を持たない人と関わる機会が増えることは、木綿季にとっても良いことの筈。和人は内心でそのことを喜んでいた。

 

『あれ?そういえば、気になっていたんだけど……』

 

「どうしたんだ、木綿季」

 

『アスナはどうしたの?同じ学校に通っているって聞いてたんだけど』

 

木綿季が発したその問い掛けに対し、昼食を口にしていた和人を含めた一同は、一様に気まずい表情を浮かべた。

 

「明日奈さんは……一応、学校には来ている」

 

「……木綿季のことは既に伝えてあるし、後で私が改めて紹介しよう」

 

「そ、そうね……私もその方が良いと思うわ」

 

『あー……うん。分かったよ。その時は、よろしくね』

 

皆の反応をカメラ越しに見た木綿季は、自分が触れてはいけないことに触れてしまったことに気付いた。しかも、クラスのまとめ役として堂々とした態度のめだかや、天真爛漫で快活なララですら言い淀んでいるところからして、相当重大な問題であると察せられる。

故に木綿季は、それ以上の追及は控えることにした。そのため、結局明日奈に何があったのかは分からず終いとなった。しかしながら、皆が言い淀んでいる何らかの問題は、和人と明日奈の間で発生したということは分かった。和人が明日奈に会いたがらず、他の皆も会わせたがらないところからして、間違いない。

 

「まあ、そういうことだ。明日奈さんとは……まあ、放課後に会えるだろう。同じ部活だしな」

 

「そうだな……無理に今会いに行くこともあるまい」

 

和人とめだかがそのように言ったことで、この場にいない明日奈については放課後に会うということで落ち着いた。そのお陰で、昼食の場を包んでいた気まずい空気もまた晴れたことで、皆もほっとした様子だった。

 

「さて、次の授業までまだ時間があるが、移動等もせねばならなん者もいる。そろそろ私達も解散するとしよう」

 

「そうだな」

 

昼食を食べ終え、弁当箱を片付けためだかや和人が立ち上がり始め、他の生徒もそれに続く。だが、その動きをスピーカー越しの声が止めた。

 

『ちょっと待って、和人』

 

「どうしたんだ、木綿季?」

 

『悪いんだけど、少しの間、めだかと一緒にいさせて欲しいんだ』

 

「……何故だ?」

 

木綿季が学校生活を送るための必須ツールであるカクカクベアー君は、非常に精密な機械である。故に、不具合が生じた際にすぐにメンテナンスを行える人間がこれを持っている必要がある。これができる人間は学校内でも限られており、製作に携わった和人やララ、藤丸がこれに当たる。天才の部類に属すめだかでもできないことは無いが、制作者である和人達には及ばない。

故に、学校にいる間は基本的に和人が、女子を入れるわけにはいかない場所へ入る場合にはララが持つことにしていたのだ。そしてこれは、木綿季を学校へ招き入れる際に事前に約束したことでもあった。故に和人は、木綿季の意図について聞こうとした。だが……

 

「まあ待て、和人。木綿季は女の子だ。如何に和人のことを信頼しているとはいえ、何もかも話せるというわけでもあるまい。女同士でなければできない話もあるのだから、ここは私に任せてくれても良かろう。な?」

 

「……そうだな」

 

納得はしていない様子だったが、相手がめだかならば問題は無いだろうと判断したのだろう。和人は木綿季のことをめだかに任せることにした。

 

「それではお先に失礼する」

 

『和人、また後でね!』

 

木綿季操るカクカクベアー君を受け取っためだかは、そのまま校舎の方へ向かって歩いて行った。残された和人は、木綿季が何故あんなことを言い出したのか、少々気になっていたらしく、遠ざかるその背中を少しの間見つめていた。

 

 

 

 

 

「それで木綿季、一体何のためにわざわざ私を指名してまで、和人から離れたんだ?」

 

校舎へ入り、和人から見えない場所へ来ためだかは、木綿季に対して和人と別れて自分に同行したいと言い出した理由を尋ねていた。

 

『ちょっとめだかに、頼みごとがしたくてね……』

 

「明日奈のことか?」

 

『あ、やっぱり分かっちゃった?』

 

めだかには、和人には言えない頼み事をするつもりで同行を頼んだのだが、まさかその内容まで察知されているとは思わなかった。

 

「あの話の流れからして、頼み事の内容は他にあるまい。それで、お前なりに明日奈と和人の間に起こった問題を解決したいと思ったというわけだな?」

 

『うん……まあ、ボクに何ができるかなんて、分からないけどね』

 

思い切った行動に出た割には自身なさげな木綿季の態度に、めだかはふっと苦笑した。

 

「なに、気にすることは無い。私達も明日奈のことはどうしたものかと悩んでいたところだ。もしかしたら、お前の意見が突破口になるかもしれんからな。こちらから協力を依頼したいくらいだ」

 

『そっか……分かった!それじゃあボクも頑張るよ!』

 

「ああ、頼むぞ。それじゃあ、まずは明日奈が抱えている問題について話しておかなければな。少々長くて複雑な話になるが、聞いてもらうぞ」

 

『うん、お願い!』

 

そうしてめだかの話を聞く木綿季の声には、先程までの迷いは無かった。病院から一歩も出ることができず、ただ薬を浪費して生きながらえるだけで、誰のためにもならなかった自分という存在。それが、曲がりなりにも誰かの――それも、自分を外の世界へと連れ出してくれた大切な友人の役に立つかもしれないのだ。

本当の自分を受け入れてくれた、暖かな陽だまりのようなこの場所へと導いてくれた仲間達の絆を取り戻すべく、木綿季は自分なりにできることを探すための、第一歩を踏み出した――――――

 



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第百十六話 届けた空がまだ孤独なら

「着いたぞ、木綿季」

 

『ありがとう、和人』

 

木綿季が帰還者学校への初の登校を果たしたその日の放課後。和人は木綿季に頼まれ、保土ヶ谷にあるという、かつて木綿季が暮らした家を訪れていた。

和人の目の前にあるのは、白い壁と緑色の屋根の家だった。周囲の住宅に比べてやや小ぶりだが、芝生のある広い庭を備えており、赤いレンガで囲まれた花壇もあった。

しかし、長年放置されていたのだろう。家の壁の塗装は若干剥げている。庭も荒れ放題で、備え付けられていたベンチもテーブルも色がくすんでおり、花壇にあるのはただの黒土とそこに生えた黒い雑草のみだった。

そんな、人が生活していたとは思えない程に変貌した我が家を目にした木綿季は何を思っているのか。和人の肩に乗るカクカクベアー君は黙ったまま、動きもしなかった。かつての自宅を前に、何を考えているのか……その真意は、和人には分からない。だが、今の木綿季と同じ気持ちだったであろう人物を、和人は知っていた。

 

(サスケ……お前も、同じような気持ちだったんだろうな……)

 

一族全員を自分が殺したがために、独りぼっちになってしまった弟……サスケ。彼もまた、日々このような静寂に満ちた家へと帰っていたのかもしれない。そう思うと、うちはイタチとしてかつての自分の行いに対する罪悪感が増していった。唯一の救いは、自身が未来の火影と信じて疑わなかったナルトのような親友を得られたことだろう。ならば、弟に対する直接の罪滅ぼしにはならないが、せめて今自身の傍にいる少女にだけは、そんな思いはさせないようにしようと、改めて決意をした。

 

『懐かしいなぁ……この家で暮らしたのは、ほんの一年くらいだったんだけどね。いつも姉ちゃんと走り回って、バーベキューしたり、パパと本棚を作ったりして……本当に、楽しかった』

 

「……中に、入ってみるか?」

 

『ううん、これで充分。今日は本当にありがとうね、和人。街の中まで見て歩いてくれて』

 

「気にするな」

 

木綿季に頼まれた和人は、かつての家以外にも、当時通っていた学校や通学路、馴染み深かった店等も巡っていた。学校が終わってからは、ほぼずっと歩き続けていたが、和人にとってはそれほど苦にはならなかった。

むしろ、かつて自分が暮らした街を再び見て回れたことに喜んでくれた木綿季の声を聞けただけでも、その甲斐は十分にあったと和人は感じていた。

 

「既に夕方だが、家の方には既に連絡を入れている。他に行きたい場所があるなら、一カ所くらいは行けるぞ」

 

『それじゃあ……最後に、行ってほしい場所があるんだ。ここからちょっと行ったところにある教会なんだけど……』

 

木綿季が最後に希望したのは、昔家族で通っていたという教会だった。時間も時間なため、恐らく既に閉まっているだろうが、それでも行ってみたいと言うので、和人は木綿季の案内に従って向かうことにした。

そうして、歩いていくこと十五分ほど。和人はかつて木綿季が家族とともに訪れていたという教会に辿り着いた。教会の門は既に閉じており、中には誰もいない様子だった。

 

「やはり、閉まっていたな」

 

『あ~……まあ、仕方ないかな。確か、ここは七時には閉まっちゃうから。けど、良いよ。この教会をまた一目見ることができただけでも、満足だから』

 

教会が閉まっていたことについては既に承知しており、気にしてはいなかったらしい。かつて通った年季の入った建物が、以前のままその場所にあることを確かめた満足したところで、和人はその場を後にしようとした。

 

『あ、和人。すぐそこに公園があるから、そこにちょっと入ってみて』

 

「……ああ、分かった」

 

木綿季に言われるままに、教会から歩いてすぐそこにあった公園へと入っていった。日中は近所の子供連れ等が訪れているのだろうが、この時間帯は完全に無人となっていた。

一先ず、公園全体を見渡せるベンチへと座った。恐らくは、木綿季やその姉である藍子も、この公園で遊んでいたことだろう。そんなことを考えながら、公園を眺めることしばらく。唐突に、木綿季が話し始めた。

 

『ここも、思い出の場所なんだ。教会からの帰りに、姉ちゃんや近所の子たちと遊んでさ』

 

「そうか」

 

『ママは、教会でお祈りの時に、いつも聖書に書いてあることを教えてくれたんだ。例えば、イエス様は、私達に耐えることのできない苦しみはお与えにならないっていうこととか。特に、ボクと姉ちゃんが薬を飲むのが辛かったりした時にね』

 

カクカクベアー君の首を教会の方へと向けて、木綿季はかつて家族と過ごした日々を懐かしみながら語っていた。恐らく今の木綿季には、家族とともに祈りを捧げる自分や、公園藍子と遊ぶ自分の姿が見えていることだろう。

和人はそんな木綿季の思い出話を、黙ったまま聞いていた。

 

『ママは、聖書に書かれていることをたくさん教えてくれた。けどね……本当は、少し不満もあったんだ。イエス様の言葉も大切だけれど……ボクは、ママ自身の言葉で話して欲しかったんだ』

 

「………………」

 

『けどね……今日、あの家へまた行ってみて、分かったこともあるんだ。ママはいつも、ボクや姉ちゃんのことを想っていてくれた。言葉じゃなくて……気持ちで、ボク達を包み込んでいてくれた。この先も、真っ直ぐ歩いていけるようにって、ずっと祈っていてくれたんだ』

 

「……自分の子供のことを大切に想わない母親はいないだろう。自分が病に侵されて、先が短いとなれば猶更だ」

 

和人の前世たるうちはイタチが、まさにそれだった。だからこそ、木綿季と藍子のことを想っていた母親の気持ちは、和人にも分かった。

しかしそこで、木綿季は『でもね』と言って言葉を区切った。

 

『気持ちってさ……やっぱり中々伝わらないものなんだよ。ママの気持ちだって、今になってようやく分かったんだもの。伝えたいことがあるなら、ぶつかるしかないんだよ。言葉にせよ、他の方法にせよ……』

 

「だから、明日奈さんとも真っ向から向かい合え……と、いうことか?」

 

和人が発した言葉に、スピーカー越しの木綿季の声がはっと息を呑んだように聞こえた。それを聞いた和人は、やはりな、とばかりに肩を竦めた。

 

『えっと……もしかして、気付いていたの?けど、いつから?』

 

「昼休みに、めだかに同行したいと言ったあたりからだ。恐らく、明日奈さんの問題で何ができることが無いかと、めだかに相談しようとしていたんだろうと思っていた」

 

『全部お見通しだったか……やっぱり、和人には敵わないなぁ……』

 

恐らく、仮想世界の中では、頬を掻きながら気まずい表情を浮かべているであろう木綿季の反応に、和人は最後まで知らないフリをするべきだったかと少し後悔していた。

フォローを入れることも兼ねて、和人は自身の考えを口にすることにした。

 

「俺も、明日奈さんが抱えている問題を解決したいと考えていたところだ。それも、今まで可能ならばと避けてきた……お前の言うように、ぶつかってみるやり方でな」

 

『和人……』

 

柄にもないことを口にしていたと自覚していたのだろう。自身の想いを口にする和人の声は、若干固かった。もしかしたら、ほんの少しだけ照れ臭かったのかもしれない。

そんな和人の姿に、木綿季は少し驚いていたが……同時に、微笑ましくも思っていた。

 

「だが、俺一人の力では、それも難しい……情けない話だがな」

 

『大切なのは、足りないものを補い合うための“チームワーク”でしょう?ボク達も明日奈も、同じパーティーで冒険をして、同じ学校に通う仲になったんじゃない。なら、ボクだって喜んで力を貸すよ!』

 

「そうか……お前がそう言ってくれたお陰で、俺も腹が決まった。それでは改めて言わせてもらいたい。明日奈さんの問題を解決するために、俺に力を貸してくれないか?」

 

『おぉっ……和人が素直にお礼を言って、ボクにお願いをするところなんて、初めて見たよ!』

 

「悪かったな……」

 

『ごめんごめん。それじゃあ、明日奈のこと、一緒に助けに行こうか!』

 

木綿季のその言葉に対し、和人は頷くと同時にベンチから立ち上がった。公園を後にして歩き去る和人の足取りは、木綿季の協力を得られたお陰か、いつもよりも軽かった。今は一人などではなく、自身の隣に並んで歩く心強い仲間の……木綿季の存在を、確かな繋がりのもとで感じていたのだから――――――

 

 

 

 

 

 

 

「待たせたな、木綿季」

 

「ううん、全然。ボクも今来たところだよ」

 

ALOの舞台であるアルヴヘイムの中心に位置する世界樹。その頂上に存在するイグドラシル・シティの展望デッキにて、和人のアバターであるイタチと、木綿季のアバターであるユウキが向かい合っていた。

現実世界において、明日奈の問題をどう解決するかについて、木綿季と帰路で話し合った和人は、自宅で遅い夕飯と入浴を手早く済ませた後、ALOへとダイブしていたのだった。待ち合わせ場所は、二人ともアバターがイグドラシル・シティにあったため、お馴染みとなったこの展望デッキとなった。

 

「ララとめだかには連絡済みだ。向こうの動きに合わせて、こちらも予定通り……アスナさんを、例の場所へ連れていく」

 

「うん、任せてよ!」

 

自信満々に胸を叩くユウキに対してイタチは頷き、二人は目的地へと視線を向けて飛び立った。二人が翅を広げて目指す先にあるのは、空に浮かぶ鋼鉄の城――アインクラッドである。

 

「待ち合わせ場所は、二十四層の北にある観光スポットだ。このまま一気に行くぞ」

 

「分かった!」

 

イタチにユウキが追従する形で飛行し、世界樹の東側を浮遊していたアインクラッドの二十四層を目指した。アルヴヘイム全域を周回しているアインクラッドは、現在はアルンからやや離れた場所にあったが、全力のスピードで飛行すれば十分ほどで辿り着ける位置だった。その道中、ユウキがイタチに問い掛けた。

 

「ところでイタチ。心の準備とかは、大丈夫なの?」

 

「問題ない」

 

これから直面する困難を前にして、いつものように冷静いられるのかと心配していたがユウキの問いに、しかしイタチは即答してみせた。相変わらず表情も声の抑揚も乏しいイタチだったが、そこには揺るぎない決意が感じられた。

 

「俺がどうするべきなのか……いや、どうしたいのか。そして、そのためには何をするべきなのか。その答えは、既に出ている」

 

「そっか……なら、安心だね!」

 

「目的については、本当は前から分かっていたことだ。尤も、それを叶えるための手段については、昔の俺ならば、考えもしなかったものだがな……」

 

フッと微かに自嘲するイタチだったが、昔とは違う、今の自分自身を不快に思っている様子は無かった。

 

「決意させてくれたのは、ユウキ……お前だ。感謝している」

 

「っ……どういたしまして!」

 

ユウキに対する感謝を素直に口にするイタチ。その顔に微かに浮かんだ穏やかな笑みに、ユウキは少しばかり驚きながら言葉を返した。

 

「そろそろだな」

 

「あ、そうだね!」

 

そうこうしている内に、二人はアインクラッドのすぐ傍へと到着した。外壁の手前五メートル程の地点へと辿り着いたふたりは、そのまま垂直に上昇し、目的地である二十四層『パナレーゼ』へと入り、北部の小島へと向かった。湖にいくつもの小島が浮かんだ圏外エリアの上を飛行しながら、目的の小島を探す。

 

「ララの話では、巨大な樹が目印らしい」

 

「う~ん……けど、この階層って小島は結構あるよね」

 

指定した待ち合わせ場所とはいえ、イタチもユウキも、あまり訪れたことの無いエリアである。目的の人物がいる島を見つけることは、簡単とは言えなかった。二人して視線を巡らせながら島を探すこと数分。イタチがそれらしい小島を発見する。

 

「あったぞ。あの島で間違いない」

 

「あ、本当だ!う~ん……ボクの方が早く見つけられると思ったんだけどなぁ……」

 

やや悔しがっているユウキだったが、イタチはそれを無視して小島へ向けて降下していった。島へ着陸し、中央を目指す。新たな階層が解放されてからあまり時間が経っていなかったためか、二人が降り立った小島の中には、他のプレイヤーの姿は全く無かった。そして、歩くことしばらく。島の中央にある、開けた場所へと到着した。すると、そこには……

 

「イタチ、君……?」

 

ウンディーネ特有の青い色の髪を靡かせた少女――アスナが、そこにはいた。その隣には、今回この場を設けるにあたってイタチの協力者となったレプラコーンの少女――ララの姿もあった。

イタチが現れたことが予想外だったのだろう。やや驚いた様子で硬直したアスナに対し、イタチの方から声を掛けた。

 

「お久しぶりですね、アスナさん」

 

同じゲームをプレイし、同じ学校に通う間柄ながら、ここ最近は出会う機会が極端に少なくなっていた。仮に偶然顔を合わせることがあっても、ゲーム・リアルを問わずアスナは無視するのみで、イタチも声を掛けられずにいた。

故に、こうして言葉を交わすのも久しぶりなのだが……アスナの方は、イタチの姿を見たことによる驚きから覚めた途端、キッと鋭い視線を向けた。どう考えても友好的とは思えない反応である。次いで、隣に立つララを睨み付けた。

 

「ララ……あなたが仕組んだのね」

 

「ごめんね、アスナ。けど、こうでもしないと、イタチと話をしてくれないでしょう?」

 

「余計なお世話よ……気分転換にALOで散歩しようって言ってついてきてみれば……!」

 

イタチの顔を見て、かなり苛立っているのだろう。イタチと示し合わせていたのであろうララを辛辣な口調で責め立てた。そこへ、イタチが割って入った。

 

「ララは何も悪くありませんよ、アスナさん。全て、俺が頼んだことです」

 

「……悪いけど、イタチ君と話すことなんて無いわ。ララ、私は先に帰らせてもらうわよ」

 

取り付く島もないとばかりに、イタチとの会話を頑なに拒否し続けるアスナ。ララとイタチが止めようと声を掛けるも、全く耳を貸す気配が無い。そのまま、翅を広げて空へと飛び立とうとする。だが、そこへ、

 

「待って、アスナ!」

 

飛び立とうとした先の空中に先回りしたユウキによって進路を遮られ、飛行を止められた。そんなアスナの左手に、ララがしがみついた。

 

「お願いだから待って!イタチの話も、少しは聞いてあげて!」

 

「放して!」

 

尚も食い下がる二人に対し、アスナは冷たい態度を取り続けた。左手を乱暴に動かして、ララの手を強引に振り解こうとする。だが、そうしている間に、今度は地上に降りてきたユウキに右手を拘束されてしまった。

 

「イタチだって、アスナのことで真剣に悩んで……その上で、ここに来たんだよ!イタチが今、アスナさんのことをどう思っていて……どうして欲しいのかくらい、聞いてあげなくてどうするのさ!?」

 

「そうだよ、アスナ!」

 

意地でもイタチとは話すまいとしているアスナだが、ユウキとララも、だからといって諦めるつもりは無かった。しがみつく両手に力を込めて、この場所から逃がすまいとしていた。勿論、イタチもそれは同様であり、アスナを見据えて一歩も退こうとはしなかった。

 

「………………」

 

ユウキとララに両手を掴まれたアスナがイタチを剣呑な眼差しで睨みつけ、イタチはそれを真剣な面持ちで受け止めていた。そうして、四人全員が膠着した状態で睨み合うこと数分。先に居れたのは、アスナだった。

 

「……分かったわ。イタチ君の話を聞くわ。だから二人とも、手を放して」

 

二人の粘り強い説得に、諦めたようにそう口にすると、アスナは手に加えていた力を抜いた。それでも二人は、手を離した隙に逃げ出すのではと身構えていたが、「逃げたりしないから」とアスナが一言口にしたことにより、二人は引き下がった。

そして、アスナとイタチが改めて向かい合う……

 

「それで、イタチ君。私に話って何?」

 

変わらず刺々しい口調で問い掛けるアスナだったが、イタチはそれを気にすることは無く、冷静に受け止めていた。

 

「まずは、お詫びをさせてもらいます。アスナさん、あなたの苦しみを理解しようとせず……逃げ続けてきて、申し訳ございませんでした」

 

「……何よ今更。そんな口だけの謝罪で、私が許すと本気で思っているの?」

 

頭を下げて謝るイタチに対し、アスナは変わらず辛く当たる。傍で見ていたユウキとララは、「何もそこまで言わなくても」と眉を顰める。しかし、対するイタチ本人は、当然の報いと自覚しているためか、アスナの口にすること全て甘んじて受け入れていた。

 

「俺は昔から、あなたから逃げ続けてきました。あなたの気持ちに気付きながらも……問題を先延ばしにしてきたのが、今の結果です」

 

「………………」

 

「SAO事件から一年が経過した今になっても、優柔不断のまま……あなたの気持ちに対する答えは見つからないままです。そんな俺が、許されるとは思ってはいません。しかし……今のアスナさんを、このまま看過することはできません」

 

初めから許してもらおうなどという虫の良い考えでこの場に来たのではないと断ってから、イタチはより真剣な表情でその先を口にした。

 

「アスナさん。もう一度、あなたのお母さんと向き合って、話をしてください」

 

「……やっぱり、それが目的だったのね」

 

イタチが口にした要望は、アスナにも予想できていたのだろう。これ見よがしな溜息を一つ吐くと、瞼を閉じて左手の指先で米神を押さえながら首を横に振った。

アスナが無意識の内に出したこの相手を威圧する間の取り方は、母親である京子がやっていることと同じものだった。家庭内で日常的に見ていたこともあるのだろうが、これも血の繋がった親子故とも言えることだろう。ちなみに、イタチもアスナが取ったこの態度に、京子の姿を想起していた。

 

「お母さんとは、話すことなんて何も無いわ。自分のキャリアのために、私を思い通りに動かしたいみたいだけど……そんなのはごめんよ。勝手に人生のレールを切り替えられるくらいなら、あんな家……自分から出て行くわ」

 

「……まだ学生であるあなたが家を出て、一体どうするつもりですか?」

 

「そんなの、イタチ君の知ったことじゃないでしょう。私がどこでどんな風に生きていこうと、私の勝手よ」

 

イタチの言葉に耳を貸す気も、母親である京子との対話に臨む気も無いアスナに対し、イタチだけでなく、ユウキもララも説得するための言葉が見つからない。一時の感情に駆られての家出と考えていたが、流石のイタチもここまで拗らせていたとは思わなかった。最早、結城家家庭内問題に関しては誰が何と言おうと、アスナは頑として聞き入れることは無いだろう。

決意を固めてこの場へ臨んだイタチだったが、今のアスナにはどんな言葉も届かない。最早、言葉による説得は諦めざるを得なかった。

 

 

 

そう、“言葉”による説得は――――――

 

 

 

「……アスナさん」

 

「……何?私はもう話すことなんて無いんだけど」

 

これ以上の問答を続けるつもりは無いという反抗的な意思を示すアスナに対し、イタチが改めて名前を呼びかける。対するアスナは、まだ何かあるのかと言いたげな表情ながら、足を止めてイタチの方を振り返った。そして、イタチは――

 

「あなたに、デュエルを申し込みます」

 

左手でシステムウインドウを操作し終え、イタチはそう言い放った。そしてつぎの瞬間、アスナの眼前に、デュエル申請のウインドウが展開された。

 

「……どういうつもり?」

 

「御覧の通りです。このまま問答を続けても平行線が続くのみならば、デュエルで決着をつける他に無いと判断しました」

 

常の冷静で荒事を望まないイタチらしからぬ過激な提案に、デュエルを挑まれたアスナは勿論、隣のララも同様に驚いていた。ただ一人、ユウキだけはこの展開を予想できていたのか、苦笑してその様子を見ていた。それと同時に、自身と同じ行動を選択したイタチに、親近感も抱いていた。

 

「私がそんな提案を受け入れるとでも?」

 

「SAOでは、あなたも俺に対して同じ提案をしていました。そして、俺はそれを受けました。である以上、あなたが同じ立場に置かれた時に逃げるというのは、不公平ではありませんか?」

 

イタチが口にした指摘に、アスナは押し黙ってしまった。思い出すのは、SAO事件当時のこと。攻略の方針を巡って対立したアスナは、イタチに対して攻略方針の主導権を賭けたデュエルを申し込んだのだ。結果はアスナの敗北となり、以後の攻略においてはイタチの要求が反映されることとなったのだった。

そんな経緯があった以上、かなりのごり押しとはいえ、イタチの提案を撥ね退けることはできない。何より、母親の理不尽を嫌って家を飛び出し、ララの実家まで巻き込んだ騒動に発展させたアスナである。今ここでイタチのデュエルを断れば、それはイタチの言うように不公平であり……アスナの母親と同じ、理不尽な行いをすることとなる。それは、他でもないアスナ自身が許せなかった。

 

「言葉によるやりとりだけで問題を解決できない以上は、あとは剣で語るほかに無いでしょう。もとよりそれが、SAO生還者である俺達のやり方だった筈です」

 

「………………」

 

抑揚に乏しいながら、明確な強い意思を感じさせる言葉で語りかけるイタチの言葉に、アスナは押し黙る。それまで聞く耳を持たなかったアスナだったが、イタチが投げ掛けた言葉によって、心が揺らぎ始めていることは、傍から見ても明らかだった。

 

(だが、決めるのはアスナさんだ……)

 

自身にとって有利な展開に持ち込むために、このような提案をして、アスナに揺さぶりをかけたイタチだったが、内心では断られるのではという不安もあった。SAO、ALO共にトップクラスの強豪プレイヤーと知られるイタチとアスナだが、デュエルの勝率ではイタチに圧倒的に軍配が上がる。つまり、イタチの提案を受けるということは、イタチの言うことを聞き……母親との対話に臨むことと同義なのだ。いくらSAOでアスナが行った方法をそのまま実戦しているとはいえ……イタチにとって有利な条件を提示するのは、アンフェアと言わざるを得ない。故に、アスナがここでイタチの提案を呑んでデュエルに臨んでくれるという絶対の保証は無いのだ。

しかし、イタチとてそんなことは提案する前から承知していた。それでもこのような提案をしたのは、アスナが今回の家出騒動における落としどころを探しているのではという予測があってのことだった。アスナとて、家出したこの状況をいつまでも持続させることができないことは理解している筈であり……いずれは母親と和解しなければならない。であるならば、このデュエルはそのためのきっかけになるの筈。

果たして、イタチの目論見は――――――

 

「……分かったわ。イタチ君、あなたのデュエルを受けるわ」

 

やがて、決意が固まったのか、アスナの口から、デュエルを受ける旨の返事がイタチに対して発せられた。それを聞いたイタチは、心の中で安堵の溜息を吐いていた。

 

「けど……私が勝ったなら、もう二度と私の事情には関わらないって約束してもらうわよ」

 

 

「勿論です。その代わり、俺が勝ったならば……もう一度、あなたのお母さんと対話をしてもらいます」

 

「……分かったわ」

 

併せて出された勝利時に呑むべき条件についても、互いに了承したところで、デュエル開始の流れとなった。そこで、ふとイタチは自身とアスナのやりとりを見ていた、ユウキの方へと視線を向けた。すると……

 

「イタチ!頑張ってね!」

 

「………………ああ」

 

思わぬ応援を受けてしまった。イタチもまた、若干驚きで間が空いてしまったものの、短く返すのだった。

本来ならば、イタチとアスナが互いの思いを打ち明け合う場を設け、対話による解決へと至る筈だった。それが、まさかのイタチが取った手段により、当初の平和的な解決からかなりかけ離れた手段となってしまった。故に、発案者のユウキとしては、不本意な展開の筈なのだが……むしろ応援していたことに、イタチは僅かに驚いていたのだ。

しかし、冷静に考えてみればそれほどおかしなことではない。彼女もまたSAO生還者達に非常に近しい気質を持つ剣士なのだから、正面から向き合いさえすれば、剣で語り合う解決方法も十分許容できるものなのだろう。ついでに言えば、ユウキ自身がイタチとアスナの全力でぶつかり合うデュエルを見たかったということもあると思われる。

そんな考えをイタチが抱いている間に、アスナがデュエル申請ウインドウの『全損決着モード』を選択してOKボタンをクリックした。そして開始される、六十秒のカウントダウン。その間に、両者はそれぞれの得物を手に取った。

 

「……イタチ君は、二刀流じゃないの?」

 

「ええ」

 

細剣を持つアスナに対峙するイタチが持っている得物は、右手に握る片手剣のみ。しかも、先のクエストで入手した伝説級武器『聖剣』エクスキャリバーではなく、ワンランク下のエンシェント・ウエポン級の装備で、比較的軽量型でややリーチの短い片手剣。左手には盾も装備せず、空きのままとなっていた。

それを見たアスナは、苛立ち交じりの声で、問いを投げた。

 

「……馬鹿にしているの?それとも、私相手に二刀流を取り出すまでも無いと、そう言いたいの?」

 

二刀流は、SAO時代のイタチを象徴する戦闘スタイルである。攻略組を率いて数多のフロアボスやレッドプレイヤーを相手に猛威振るい、立ちはだかる障害を悉く薙ぎ倒してきた無双の剣技として知られたそれを、イタチはALOにおいてもOSSとして保有し続けていた。

故に、二刀流を用いないと答えたイタチに対し、アスナがむっとなるのは無理も無いことだった。

 

「いえ、俺は本気です。二刀流は確かに強力ですが……あなたを相手するには、分が悪い。このデュエルには、剣士としてではなく……本当の意味の“忍”として臨ませていただきます」

 

イタチの口にした、「“忍”として臨む」という言葉。それを聞いたアスナは、イタチが口にしたことに嘘は無く、間違いなく本気であるのだと悟る。『黒の忍』と呼ばれるイタチだが、それは黒ずくめのに額当てという装備故に付いた二つ名であり、他者に対して『忍』や『忍者』と名乗ることは、前世の秘密を語る時以外には無かった。

故に、今のイタチは本気なのだ。アスナを含めた数名しか知らないイタチの秘密である――それでいて、その詳細を知る者はアスナを含めて誰もいない――前世のうちはイタチとしての己を前面に出そうとしている以上、戦闘能力は計り知れない。

 

「「………………」」

 

互いに剣を構えて向かい合うことしばらく。デュエル開始までの数十秒が、アスナには長く感じられた。相対するのは、付き合いの長いアスナですら見たことが無かった、“忍”としての全力を発揮したイタチ。一体、どんな戦いになるのか……全く予想のつかない勝負に緊張ばかりが増していく中……遂に、カウントダウンがゼロになり……両者は、激突した。

 



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第百十七話 繋いだその手が、いつか離れそうでも

 

「………………っはぁぁああああ!!」

 

先に仕掛けたのは、アスナだった。持ち前の敏捷を最大限に発揮し、一気に最大速度に達し、イタチの懐へと飛び込む。その速度、まさしく『閃光』の如し。イタチに剣が届く距離に入るや、ソードスキル発動の構えをとり、二連撃細剣ソードスキル『パラレル・スティング』を繰り出す。

対するイタチは、アスナが開始早々に距離を詰めて来ることを予想していたのだろう。動じることなく迎撃態勢をとり、片手剣を構える。そして、アスナが『パラレル・スティング』を発動したのとほぼ同じタイミングで片手剣ソードスキル『ホリゾンタル』を発動。正面からほぼ同時に繰り出される二発の刺突を横薙ぎの一撃でいずれも弾いた。

 

「くっ……!」

 

ソードスキル同士の衝突によるノックバックで、アスナの態勢が崩れかける。イタチのことだから、このくらいの攻撃は容易くいなすだろうと予想はしていたが、回避でなくまさかの迎撃に出るとは思わなかった。しかも、全速力で放ったソードスキルがこうも簡単に弾かれるとは、完全に予想外だった。

イタチでも反応し切れない速度で攻撃を仕掛け、回避された場合には即座に離脱できるようにと下位ソードスキルを発動したのだが、それは無意味だったと言わざるを得ない。

 

「え………………っ!」

 

しかも、アスナにとっての予想外の展開はまだ続く。ソードスキルを弾かれたことで、一度距離を開けようと考えたその時――――――アスナの視界が“黒”で埋め尽くされた。

 

「ぐぅっ……!」

 

突然の事態に反応が遅れたアスナを襲う、頭部の衝撃。ぐらりと視界が揺れる中、正面へと視線を向けると、そこにはイタチの姿があった。その背中には、翅が展開されている。

 

(まさか、翅をそんな手段に使うなんて……)

 

それを見たことで、先程イタチが仕掛けた攻撃の正体もすぐに分かった。イタチはソードスキルの衝突後、技後硬直が発生するまえに翅を広げ、ノックバックによってよろめいていたアスナへと加速をつけて突撃し、頭突きを食らわせたのだ。スピードに定評のあるアスナへ攻撃を当てるのに適した、想定外の方法による奇襲。頭部への衝撃のあまり、手放しそうになる細剣の柄を強く握り直し、イタチ目掛けて反撃を仕掛けようとする。だが……

 

「なっ……!」

 

アスナの目の前には、五人のイタチの姿があった。アスナがそれを視認するや、五人のイタチは一斉にアスナへ向けて剣を手に襲い掛かった。

 

「くっ……!」

 

次々に迫るイタチの刃を防御しようとするが、最初の二人の件はアスナの細剣をすり抜けた。そして、先の二人の剣を防御しようとしたことで反応が遅れた、三人目のイタチが繰り出した刃が、アスナの脇腹を斬り付けた。

イタチがスプリガンの『サスケ』を操っていた頃から愛用している、幻属性の分身魔法『シャドー・フェイク』である。下位魔法のため、影妖精族のスプリガンでなくても使用可能な魔法で、詠唱も短いため、イタチが普段から好んで使っている魔法だった。恐らくは、先程アスナが頭突きを受けてよろめいた隙に詠唱を完了させたのだろう。

作り出された四人分の幻影は実体を持たないため、ダメージを与えることはできない。しかし、表面上は本体と全く変わらないので、すぐには見分けがつかない。しかも、分身が死角を作り出すので、分身越しに不可避な攻撃を仕掛けることも可能なのだ。

ましてやイタチの前世は、幻術のスペシャリストたるうちはイタチである。前世の戦いでこの手の幻術に使い慣れているイタチの猛攻は凄まじく、不可避なタイミングで急所を適確に狙い、カウンターも狙えない程の速度で離脱するのだ。

頭突きによる奇襲に始まり、隙を見逃さず幻影魔法を発動し、容赦なく畳みかける。常に相手の心理の裏を掻き、不意を突く戦術。それはまるで、“忍者”のようだった。

 

(成程……これが、“忍”の戦い方ってことね)

 

アスナは知らなかったが、SAO事件当時のPvPにおいて、イタチがこのような戦法を取らず、正攻法の戦いで臨んでいたのには、理由があった。それは、自身の力を誇示するためではなく、攻略組として十分な能力を持っていると周囲に認識させるためである。ビーターの悪名を背負う関係上、敵の多かったイタチは、攻略組の中でその存在を認めさせるためには、純粋に“剣士”として強いことを示す必要があったのだ。イタチが手段を選ばない、一切の容赦をしない“忍”として戦闘に臨んでいた相手は、レッドプレイヤーだけだった。

そして今回、イタチはアスナを相手に“忍”として戦いに臨んでいる。それは、アスナに是が非でも勝とうとしているからに他ならず……イタチがアスナに対して真剣に向き合い、母娘の問題の解決に尽力しようとしていることの証左でもあった。

 

(けど……私だって!)

 

イタチがあらゆる意味で本気でぶつかってきている以上、アスナとて負けるつもりは無かった。半ば流される形で臨んだこのデュエル。イタチが相手では勝敗など最初から分かり切っていたつもりだが……今のアスナにとって、そんなことは些末事と化していた。

容赦の無い猛攻を繰り広げるイタチに対し、反撃に転じるべく、細剣による防御をしながら呪文の詠唱を開始する。そして、詠唱が完了するのとほぼ同時に――――翅を広げて空中へと飛び上がった。

 

(ここ!)

 

地上に立っている、イタチ全ての位置を把握するのと同時に、魔法を発動させる。すると、アスナが地上に向けて翳した左手の手の平から粘着質な液体が放たれ、地面に命中し、半径十メートルほどの空間に、一気に広がった。水妖精族のウンディーネが得意とする水属性魔法『スティッキー・プール』である。

発動地点から半径十メートルの区域の地面に粘着質な水たまりを発生させ、敵の動きを封じる捕縛魔法であり、地上で活動する敏捷性に優れたモンスターやプレイヤーに対して多大な効果を発揮する。アスナが発動したそれは、イタチを効果範囲に捉えることに成功したらしく、本体・分身を含めた五人のイタチはその動きを完全に停止させた。それと同時に、『シャドー・フェイク』の効果時間も切れたのだろう。五人いる内、四人のイタチの姿がかき消えた。

 

「そこっ!」

 

イタチの本体を捉えることができたことで、一気に攻めに転じようとするアスナ。幸いなことに、今のイタチは身動きがとれない状態にあり、強力な攻撃を当てるチャンスでもある。一撃で止めを刺すべく、細剣の上位ソードスキル『フラッシング・ペネトレイター』を発動しようとする。

そして地上目掛けて急降下しようとした……その時だった。アスナが標的として捉えていた地上のイタチが、「ポンッ」という音と共に煙を上げ、その場から姿を消したのだ。

 

「えっ……!?」

 

正確には、消えたわけではなかった。イタチが煙を上げて姿を消したその後には、一匹のアナグマのような姿のモンスターがいた。一体、何がどうなっているのか……しかし、そんなことを考えている暇は、アスナには与えられなかった

 

「はっ……!!」

 

背後から迫る強烈な殺気に、アスナは身を翻す。背後を見てみても、そこには何の姿も確認できなかった。しかし次の瞬間、先程まで自身のいた場所を、ソードスキルのライトエフェクトと同じ、青い閃光が凄まじい速度で横切った。

 

「ぐぅっ!」

 

直撃は避けられたものの、完全には避け切れず、閃光が掠めたのであろう腹部には、赤いダメージエフェクトが浮かんでいた。

一体、何が起こったのかと、先行が通り過ぎた場所を見てみると、そこには先程まで姿が見えなかった筈のイタチが地面に着地していた。

 

(成程……そういうこと、なのね……)

 

予想外の出来事の連続ではあったものの、自身の身に何が起こったのか、アスナにはすぐに理解できた。

『シャドー・フェイク』の分身による陽動でアスナの注意を逸らしている間に、イタチはテイムを得手とするケットシーのスキルを使って、先程のアナグマのようなモンスターを呼び出したのだろう。そして自身の姿を模して化けさせ、それを分身の中に紛れ込ませることで、本体の囮として使ったのだ。

さらにイタチは、アスナが『スティッキー・プール』を使うことを予見して、不可視化の幻属性魔法を自身にかけて先に空中へと退避。予想通りに続けて上空に飛び上がったアスナの背後を取り、片手剣上位ソードスキル『ヴォーパル・ストライク』を発動したのだ。

 

(今のは危なかったわ……けど、外したのが運の尽きよ、イタチ君!)

 

『ヴォーパル・ストライク』を外したイタチは、先程アスナが唱えた『スティッキー・プール』の効果範囲に着地しており、身動きが取れない状態にあり……上空にいるアスナからしてみれば、恰好の的だった。アスナを仕留める好機を逃したイタチは、今度は一気に窮地へ立たされたのだ。

 

「これで、終わりよ!」

 

そう宣言し、地上で身動きがとれずにいるイタチ目掛けて、先程発動に失敗した『フラッシング・ペネトレイター』を再度見舞おうとする。今度こそ勝ったと思ったアスナが発動しようとした必殺の一撃は………………しかし、またしても失敗に終わった。

 

「きゃぁぁああっ!」

 

突如として、アスナが浮遊している空中に、電光と雷鳴が迸った。それらは、ただのライトエフェクトやサウンドエフェクトではなく、電光に触れたアスナのアバターに赤いダメージエフェクトを刻み、HPを著しく削っていた。電光には麻痺効果もあったらしく、身体の自由が利かなくなったアスナは、そのまま地上へと不時着した。

今度は何だと、先程まで自身が浮遊していた空中へと視線を向ける。するとそこには、黒い雲のような姿をしたモンスターが空中に漂っていた。その身体からは、バチバチと音を立てながら電光を放っていた。

 

(まさか……あれもテイムモンスター!?イタチ君は、ここまでの展開すら予想していたっていうの!?)

 

テイムに優れた猫妖精族のケットシーが習得できるスキルの中には、『式神』と呼ばれる下級モンスターを召喚して短時間ながら使役する能力がある。イタチはこのスキルを使用して、先程の自身の姿をもして化けさせていたアナグマ型モンスターのほかに、雷雲型のモンスターを召喚していたのだ。

先程のように、アスナが『ヴォーパル・ストライク』の直撃を回避した場合には、今度はイタチが窮地に立たされることとなる。その展開を予見していたイタチは、アスナが空中に止まってイタチに止めを刺そうとするタイミングで電撃を放つように命令を出していたのだ。結果、イタチに集中していたアスナは雷雲型モンスターの電撃が背中を直撃し、ダメージに加えて麻痺に陥ったのだった。

 

(まずい……!)

 

イタチの動きを封じている『スティッキー・プール』の持続時間は、もうじき切れる。対してアスナは、電撃による麻痺を受けたばかりである。麻痺した姿を晒せば、どうぞ攻撃してくださいと言うことと同義である以上、早急に麻痺から復帰しなければならない。

「早く解けろ」と身体を必死に動かそうとするアスナだが、麻痺は未だに継続している。水妖精族であるウンディーネは、雷属性の魔法やソードスキルには弱いのだから、ダメージ量やそれに伴う麻痺の持続時間は他の種族よりも多い。

しかし、そうこうしている内に『スティッキー・プール』の効果は切れ、地面に張り巡らされた粘着性のトラップは、全て消えていた。

 

(動け!動け!動けっ!!)

 

『スティッキー・プール』が解けると同時に立ち上がり、アスナの方へと振り向くイタチ。一方のアスナは、未だに電撃による麻痺が残っているために、動きが取れずにいた。このままでは、敗北は必定。しかし、イタチには麻痺よ早く抜けろと心の中で唱えるしかできなかった。

だが、アスナの麻痺が抜けるよりも、イタチの動きの方が早かった。ここで勝負を決めるつもりなのだろう。片手剣ソードスキル『ソニックリープ』を発動し、システムアシストの力を借りた拘束の突進とともに、上段から剣を振り下ろす。狙いはアスナの頭であり、直撃すればHP全損は免れない角度だった。

 

「っ……は、あぁぁああっ!!」

 

「!」

 

イタチの刃がアスナ前髪に触れるのではという距離にせまったその時――――――アスナの動きを封じていた麻痺が、解けた。

視界端に映る自身のHPバーに付いた麻痺のアイコンが消滅したことを確認したアスナは、瞬時にソードスキル『リニア―』を発動させた。細剣の基本スキルだが、アスナ程の使い手が放つとなれば、速度も威力も桁違いである。

そして、アスナが放った『リニアー』は、イタチの『ソニックリープ』を正面から間一髪で弾き返すことに成功するのだった。

 

「う、ぉぉおおお!!」

 

イタチが発動したソードスキルの防衛に成功したアスナは、即座に攻勢に移った。幻属性魔法と使い魔を駆使して戦うイタチを相手するには、距離を詰めて魔法やアイテムを使用する暇を与えない猛攻を仕掛けるほかない。

そう考えたアスナは、『閃光』の名に恥じない、目にも止まらぬ苛烈な刺突・斬撃を繰り出していく。しかし、作戦に失敗したイタチは、それを引きずる様子など全く無く、常の冷静な表情のまま、紙一重でそれらを回避していく。

ソードスキルを発動すれば、システムアシストによって速度と威力が上乗せされた攻撃ができる。しかし、ソードスキル制作に携わったイタチが相手では、致命的な隙を作りかねない。勝ちに行くのならば、その意表を突くような、妙手と呼べる攻撃を繰り出さねばならない。そう、かつてSAO事件の最後の戦いにおいて、イタチがヒースクリフこと茅場晶彦相手に繰り出したような……

 

(そうだ……あの攻撃なら!)

 

ふと、アスナの頭にある考えが浮かんだ。かつてのSAO事件の最終決戦においてイタチが相手の隙を作り出すために使ったあの技ならば、イタチに届くかもしれない。

どの道、このままでは戦況は膠着したまま動かず、いずれはこちらが窮地に立たされる展開が見えている。ならばこの場で、一か八かの賭けに出た方が、まだ勝ち目はあるというもの。そう考えたアスナに、もはや躊躇いは無かった。

 

「やぁぁぁあああ!!」

 

「!!」

 

ソードスキル抜きの剣技を繰り出していたアスナの握る細剣に、青いライトエフェクトが宿る。いきなりのソードスキル発動に、イタチも僅かに目を見開く。

 

(よし、このタイミングで……!)

 

イタチの反応に、アスナは不意を突くことに成功したことを確信する。イタチが相手では、恐らくはこれが最後のチャンス。そう考えたアスナは、思い付いた作戦の通り、自作のOSS『スターリィ・ティアー』を発動する。

対するイタチもまた、アスナの攻撃に対処すべく片手剣ソードスキル『ファントム・レイブ』を発動し、繰り出される刺突を迎え撃つ。

正面から切り結ぶ、アスナとイタチが繰り出す細剣の刺突と、片手剣の斬撃。ソードスキル同士の衝突は、周囲の空気を震わせる程の激しい余波を発生させた。しかも、ぶつかり合っているのは、OSSと上位ソードスキルであるだけに、衝撃の大きさも一入だった。

しかし、互角に思えるソードスキルのぶつかり合いは、しかしイタチに分があった。何故なら、アスナの『スターリィ・ティアー』が五連撃なのに対し、イタチの『ファントム・レイブ』は六連撃。アスナの初動モーションだけで発動する技の正体を見切ったイタチは、それ以上のそれ以上の連撃のソードスキルを発動していたのだ。互いに繰り出す攻撃が互角のままでは、アスナには六連撃目を防ぐ手立てが無い。

 

「終わりです」

 

そして、五連撃目の刺突・斬撃が相殺された時。イタチの宣言と共に、六連撃目がアスナへと振り下ろされた。至近距離で袈裟懸けに斬り下ろされる一撃はアスナのHPを全損に追い込むには十分であり、技後のアスナには回避する手立てが無い。

イタチの言った通り、最早これまで……その場にいた誰もがそう思った、その時だった。

 

「てい、やぁあああっ!」

 

「な……っ!」

 

「「!!」」

 

イタチですら予想できなかった事態が、再び発生する。気合の籠った掛け声と共に、アスナの“左手”に光が迸ったのだ。それは、ソードスキル発動のライトエフェクトに他ならない。

イタチが振り下ろした刃目掛けて、アスナの手刀による刺突が――体術系ソードスキル『エンブレイサー』が放たれた。

 

「ぐっ……!」

 

「くぅうっ……!」

 

ソードスキル同士の衝突で発生した衝撃が、イタチとアスナの両方へと発生する。イタチは片手剣を弾かれたのみだったが、アスナは左手の中指から小指にかけての部分が消失してしまっていた。

 

(一か八かの賭けだったけど……上手くいったわ!)

 

五連撃OSS『スターリィ・ティアー』に続けて、体術スキル『エンブレイサー』をシステム外スキル『スキルコネクト』によって放つ。これこそが、アスナの真の狙いだった。

イタチの十八番であるスキルコネクトは、SAO時代からアスナをはじめとした一部の攻略組も習得を試みていた。しかし、実戦で使用できるレベルまで習得できた攻略組のプレイヤーは、五人にも満たなかった。アスナもまた、練習の中で幾度か成功させることはできていたが、実戦で使用できるレベルに達することができなかったプレイヤーの一人だった。故に、この場で発動できるかはアスナ本人にとってすら未知数の賭けであり、成功したのはある意味奇跡でもあった。

 

(けど、私の本当の狙い、ここから……!)

 

イタチの『ファントム・レイブ』を全て防ぎ切ったアスナだが、守るだけでは終わらない。千載一遇とも呼べるこのチャンスを活かして勝利をもぎ取るべく、最後の一手の発動を試みた。

 

「はぁぁあああ!!」

 

「まさか……!」

 

イタチの赤い双眸が、さらなる驚愕に見開かれる。アスナの右手に握る細剣から、“再び”光が迸ったのだ。それは、ソードスキル発動に伴うライトエフェクトに他ならない。細剣上位ソードスキル――『スター・スプラッシュ』の発動である。

そう、アスナの最後の賭けとは、スキルコネクトによる三つ目のソードスキルの発動だった。ただでさえ成功率の低いスキルコネクトを、一度でも難しいところを、二度も成功させたのだ。それは最早、奇跡にも等しい確率だった。

ともあれ、これで形成は逆転した。イタチが持っている武器は、右手に握る片手剣のみ。左手でスキルコネクトを発動させたとしても、体術系ソードスキルは単発から二連撃の技がほとんどである。八連撃の『スター・スプラッシュ』を相殺するには足りない。体術から片手剣へのスキルコネクトを発動させたとしても、スキルコネクトを行う際には僅かにタイムラグが生じる。ほんの僅かな隙ではあるが……『閃光』の二つ名を冠するアスナが相手では、迎撃するよりも先にアスナの刺突が届く方が速い。

 

「こ、れ、で……最後だぁぁああ!!」

 

イタチを相手に非常に分の悪い賭けに臨んだ末、見事に掴んだ千載一遇……否、万載一遇のこの好機を逃さずに発動した、アスナ必殺の連撃が、イタチに向けて放たれる。

対するイタチは、技後硬直で回避行動がとれず、スキルコネクトによる迎撃以外に選択肢が無かった。しかもそのスキルコネクトですら、アスナの連撃を食い止めるには足りない。

万事休す……最早、イタチの敗北は揺るぎないものとなってしまった。デュエルを観戦していたユウキとララも、それを確信して疑わなかった。だが、イタチは……

 

「いえ、まだです」

 

先のアスナの言葉に対し、否定の意を示した。そして、アスナの『スター・スプラッシュ』を前にしてとった対応とは……

 

(体術ソードスキルを発動していない……いや、あれは……!)

 

迫りくるアスナの細剣に対して、左手の平を構えるというものだった。その手には、ソードスキルのライトエフェクトは灯っていなかったが……札上のアイテムが、人差し指と中指の間に挟まっていた。

そして次の瞬間、イタチは札を押さえている指を放し、宙へと札を放った。すると、札が光を放ち、その場に巨大なアイテムが出現した。イタチの上半身を丸々隠せる程の、重戦士用の盾である。

 

(まさか……『武装符』!?)

 

『武装符』とは、その名の通り、武器を呼び出すための札型のアイテムである。札を持って空中に投げることで、ストレージに収納されている武器を瞬時に取り出すことができるのだ。通常ならば、武器の耐久値が尽きて破損した際に、即座にスペアの武器を取り出せるようにするための補助アイテムとして用いられるのだが、今回イタチは土壇場の防御策としてこれを利用したのだった。

 

(けど、今更止まれない……!)

 

ソードスキルの発動は既に始まっており、今更中断することはできない。ことここに至っては、イタチには盾の上からダメージを与えるほかに無い。

イタチをHP全損に至らしめることは不可能だろうが、態勢を立て直せる望みは十分にある。それは、イタチが盾の機能を十全に発揮するための『盾スキル』を習得していないであろうこと。盾スキルはSAO・ALO共に立派なスキルとして設定されており、盾の能力を十全に発揮してダメージを防ぐには、相当な熟練度が必要となる。しかし、SAO同様、スピードタイプの剣士としてのビルドで、魔法スキルの習熟にも注力しているイタチのスキルスロットには、『盾スキル』などというものを入れる余裕は無い。

故に、相手の裏を掻くための緊急時の防御策として用いた盾なのだろうが、実用性は高くはないと推測できる。スキルを習熟していないイタチでは上手く扱えず、ダメージと衝撃によるノックバックは殺しきれないのは必定なのだ。故に、アスナがソードスキル発動後に技後硬直に陥ったとしても、即座にカウンターを受けることは無い。上手くいけば、イタチよりも先に技後硬直から抜け出し、逆転の一手を打つこともできるかもしれない。

 

「はぁぁあああ!!」

 

希望的観測が過ぎるかもしれないが、現実問題としてアスナが取れる選択肢はこれしかないのだ。故にアスナは、自身の思い浮かべた勝利への道筋を確かなものにするべく、ソードスキルの発動にのみ集中することにした。

そして、アスナ渾身の細剣上位ソードスキル『スター・スプラッシュ』が炸裂する。中断突き三回、切り払い攻撃の往復、斜め切り上げ、上段突き二回の、合計八連撃が、イタチの持つ盾へと決まった。対するイタチは、相当なノックバックを受けたのだろう。態勢を大きく崩し、よろめいていた。

互いに激しい攻防の後、アスナは技後硬直、イタチは無理を押した防御の影響で、互いに動けない状態となった。そして、その場に流れるしばしの膠着……それを先に断ち切ったのは――――――

 

「終わりよ、イタチ君!」

 

イタチより僅差で技後硬直から抜けたアスナが、細剣片手に踏み込む。発動するのは、細剣最上位ソードスキル『フラッシング・ペネトレイター』である。

直線的なソードスキルとはいえ、回避するには距離が近過ぎる上に、アスナが相手では遅過ぎる。盾で防御しようにも、イタチの持っている盾は新生アインクラッドの攻略組のタンクが装備しているもの程の耐久力は無い。先程アスナが発動した『スター・スプラッシュ』を受け切ったことで、既に限界を迎えており、この上『フラッシング・ペネトレイター』など受けようものならば、間違いなく砕け散る。結論として、回避も防御も不可能なイタチは、アスナの言うように詰んでいる状態なのだ。

しかし、対するイタチは――――――

 

「残念でしたね、アスナさん」

 

「………………え?」

 

ほんの少し表情を変えて不敵な笑みを浮かべ……そう口にした。しかし、アスナにはその言葉の意味を考える暇など無く……その視界は、突如としてオレンジ色の光に包まれた。一体、自身に何が起こったのか、全く理解できなかったアスナだったが、ただ一つだけ、視界端に存在する自身の二割ほど残っていたHPバーが、一気に消失し……デュエルが決着したことだけは、分かった。

 

 

 

 

 

 

 

「あ~もう!悔しい!」

 

HP全損してリメインライトと化した状態から、ララの蘇生魔法によって蘇ったアスナの第一声が、それだった。イタチとのデュエルは、相当に堪えたのだろう。蘇生後は地面に転がった状態で、しばらくは起き上がる様子が無かった。

 

「しかし、驚きましたよ。まさか、アスナさんがスキルコネクトを二度も発動させるとは……」

 

「私の方こそ驚いてるわよ。まさか、イタチ君があんな手を使ってくるなんて……」

 

イタチとアスナのデュエルの結果は、イタチの勝利に終わった。デュエルの最後の攻防において、アスナは無防備に等しいイタチ目掛けて『フラッシング・ペネトレイター』による止めの一撃を放つ筈だった。しかし、必勝を期して放たれた決め手の一撃は……イタチが隠していた奥の手の前に不発に終わったのだった。

 

「まさか、私の身体に爆裂魔法が込められた『魔法符』を貼り付けておいて……あの場で発動して決着なんて、あんまりよ」

 

イタチがアスナとのデュエルにおける決め手として用いた一手とは、土壇場の戦況において、予めアスナの身体に貼り付けておいた魔法系アイテム『魔法符』を発動。爆裂魔法で残存HPを全損に至らしめるというものだった。

有効と言えば有効な戦略だが、互いの信念を賭した真剣勝負の決め手として利用するには、アスナの言うようにあんまりである。剣士同士が心を通わせるための激突ならば、ソードスキルとソードスキルで切り結ぶことで語り合うべきである。

不意打ち、騙し討ちに近い爆裂魔法で決着をつける方法は、剣士としてはナンセンスとしか言いようが無い。

 

「あなたを確実に倒すには、あれぐらいの手段を講じねばならないと思いましたので。それに、俺はこのデュエルには『忍』として臨むと言いました」

 

「はいはい、分かりました。……納得できないところもあるけど、手段を選ばないぐらいに本気にならないと、勝てなかったってことでしょ?」

 

アスナとしては、思うところが無いわけでもないようだが、イタチの忍としての戦い方をフルに引き出さなければならないだけの戦いができたのだ。勝利を掴むことはできなかったが、イタチの本気を引き出すことができた点には満足している様子だった。

 

「それにしても、いつの間にアスナの身体に貼り付けていたのさ?」

 

「最初の攻防で、俺が頭突きを食らわせた時だ」

 

イタチが言っているのは、アスナの『パラレル・スティング』をイタチが『ホリゾンタル』で防ぎ、その後に懐へ飛び込んだ時のことである。あの時、イタチは頭突きを繰り出すと同時に左手に持っていた『魔法符』をアスナの身体に貼り付けていたのだ。

 

「全く……最初からこの展開を見越して仕込みまでしていたなんて……」

 

「アスナさんは、戦いが長引いて追い詰められて窮地に立たされる程に、限界以上の能力を発揮する人だと分かっていました。だからこそ、発動タイミングは、デュエルの終盤を想定して設定していたのです。しかし、アスナさんが予想以上の実力を発揮したお陰で、『魔法符』の発動もギリギリでした。お陰で、距離を取る暇も無く……爆発によって盾諸共に左腕を持っていかれて、HP残量もギリギリでした」

 

しみじみとそう呟いたイタチには、左腕の二の腕から先が消失していた。アスナに貼り付けた『魔法符』の爆発に伴い、防御した盾と、それを持っていた左腕を失う羽目になったのだ。お陰でイタチのHP残量も、残り一割弱にまで削られていた。

最初からイタチの思惑通りにすすんでいたように思えるデュエルだが、実際のところは薄氷を渡るような駆け引きによってもぎ取った勝利だったのだ。

 

「そこまでして、私にお母さんと話をさせたかったの?」

 

「無論です」

 

倒れた状態から起き上がりながら、呆れ交じりに口にしたアスナの問い。それに対し、イタチは真剣な声色で即答した。

 

「互いに腹を割って話す余地があるのならば、それに越したことはありませんよ」

 

「……けど、向こうは私の話なんて、全然聞いてくれなかったよ?それでも、イタチ君は話をしろっていうの?」

 

「ええ。何度でも言いますよ。アスナさん、あなたはお母さんと、もっと話をするべきです」

 

今まで以上に強く母親との対話を進言するイタチの気迫に、アスナは若干気圧されていた。さらにイタチは、「それに……」と口にしてからその先を話しだした。

 

「話さなければ、きっと後悔します。問題を拗らせたまま関係を断ってしまえば……取り返しのつかない事態になってしまいます。アスナさん達は、まだ言葉で通じ合える筈です。今すぐにでも、話し合ってください」

 

「イタチ君………………」

 

アスナに母親との和解を促すイタチの言葉には、ただの説教ではない、反論を許さない程の確かな“重み”を感じさせた。だが、その重みの正体には、すぐに気付けた。イタチは先程、アスナと母親の京子の仲を「“まだ”言葉で通じ合える」と言っていた。つまり、手遅れとなった仲の家族を知っている……否、身をもって知っているのだ。恐らくは、イタチが話したがらない、前世のうちはイタチに由来する話なのだろう。追及することは躊躇われたが、アスナにはなんとなくそんな気がした。そして、だからこそ、これ以上イタチの要求を撥ね退けることもできなかった。何より、デュエルに負けた身でこれ以上の駄々を捏ねるような真似はできなかった。

 

「……分かったわ。イタチ君の言う通り、お母さんともう一度会って話をするわ」

 

「ありがとうございます」

 

「お礼を言われることじゃないわ。だって、そういう約束だもの。それに……感謝したいのは、私の方だもの」

 

アスナの言葉はイタチにとって予想外の言葉だったのか、それを聞いてほんの少しだけ意外そうな顔をしていた。本当に、ほんの僅かな表情の変化だったのだが、付き合いの長いアスナには分かったのだろう。苦笑しながら、続けた。

 

「本当言うとね……勢いのままに家を飛び出してきたけど……その後のことは、全然考えてなかったの。自分が何をするべきなのかも……自分が何をしたいのかも」

 

「………………」

 

「家出騒動のためにララやデビルーク王国の人達まで巻き込んで……挙句の果てには、お酒なんて飲んで、イタチ君に酷いこと言って……」

 

自身がしでかしたことを深く後悔した様子で続けるアスナの独白を、イタチやアスナ、ララは一様に黙ったまま聞いていた。

 

「意地になって皆に迷惑かけて、心配かけて……改めて思い返してみると、我ながら本当に馬鹿なことばかりしていたと、今では思うわ」

 

自嘲気味に苦笑を漏らすアスナの言葉には、明らかな後悔の念が感じられた。今になって自分の行いを後悔している様子だったが、恐らくはそれよりも前……家出をしたあの日から、本当は分かっていたのだろう。自分のやっていることが、どれだけ無意味なものなのかを……

 

「正直に言うと、お母さんに啖呵を切って家を出て、イタチ君にあんなこと言っちゃって……引っ込みがつかなくなってたんだ。あのまま家に帰らずにいられるわけがないことも、いずれはお母さんと話をしなきゃならないことも、本当は全部分かってた筈なのにね。だから、虫の良い話だって分かっているんだけど……イタチ君のお陰で、決心がついたの。だから……本当にありがとう。それから、たくさん心配かけて、迷惑かけて……酷いこと言って、ごめんなさい」

 

イタチに対し、母親ともう一度対話するためのきっかけを作ってくれたことへの感謝を口にしたアスナは、それに続いてこれまで散々犯してきた過ちについての謝罪とともに頭を下げた。

それに対し、イタチは……

 

「頭を上げてください、アスナさん」

 

「イタチ君……」

 

「今回の件は、俺にも非があります。それに俺も、あなたの想いに対する答えをまだ出せていません。迷惑をかけたという点は、お互い様です」

 

イタチの言葉を聞いたアスナは、堰を切ったようにあふれ出て来る涙を止められなくなってしまった。周囲の様々な人々に迷惑をかけた今回の騒動だが、イタチに対してやったことは、簡単に許されて良いものではなかった。それを大して怒りもせず、咎めもせずに受け止め、許してくれるその優しさが、アスナにとっては却って辛かった。これだけ優しい人に、自分はあんな酷いことをしてしまったのだということを、強く意識させられてしまうために……

一方のイタチは、アスナに泣かれたことに動揺した様子だった。アスナ自身も、このまま泣き続けていても、イタチを困らせてしまうことは分かっていたのだが……それでも、涙を止めることはできなかった。

やがて、しばし思案したイタチは、何かを思いついたらしく、アスナの肩に手を置いて泣き止むように促した。

 

「……アスナさん。それでは、最後にお願いをしてもよろしいでしょうか?」

 

「……お願い?」

 

「このデュエルをもって、俺とアスナさんは“和解”しました。そうですよね?」

 

「えっと……うん」

 

「ですので、その“印”をいただきたいと思います」

 

「何を、すれば良いのかな……?」

 

一体、イタチが自分に何をさせようと考えているのか、アスナには見当もつかなかった。イタチの言うように、デュエルを通して互いに和解はしたが、それをどうやって表すと言うのか。

そんな疑問を胸に抱いていたアスナに、イタチが再度口を開いた。

 

「左手を、人差し指と中指を揃えて伸ばした状態で、このように出してください」

 

「えっと……こう、かな……?」

 

イタチは残された右手を差し出し、人差し指と中指を伸ばし、薬指と小指を折り曲げ、親指で折り曲げた指二本を包むように抑えた。アスナはイタチにレクチャーされた通りに、左手の形を作ってみせた。

それを確認したイタチは、自身の右手をアスナの左手へと伸ばした。イタチとアスナ、両者の人差し指と中指が、折り曲げられ、互いに絡み合う。それはまるで、握手のように――――――

 

「“和解の印”……互いを認め合った忍同士は、こうして片手で作った印と印を結び合わせることで、仲間としての意思を示します」

 

「イタチ君……」

 

 

 

イタチの右手とアスナの右手……互いの指が結んだ『和解の印』を通して伝わる、仮想のものではない確かな“熱”。それは、互いが和解したことと……それを確信させてくれる、確かな絆が存在していることを、イタチとアスナの両者に感じさせてくれていた。

 



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第百十八話 on give for my way

フリーマーケットの出店準備が忙しく、更新が遅れてしまいました。
『暁の忍』は、次回以降が波乱の展開になる予定です。


 

2026年1月16日

 

イタチとアスナが、デュエルをもって和解した日の翌日の放課後。和人は、ララから借り受けていたカクカクベアー君を肩に載せて、下校していた。当然のことながら、カクカクベアー君を操作しているのは、木綿季である。

 

「しかし、当初の予定通り……明日奈さんとは和解して、母親と……京子さんと和解することを決心してくれたわけだが、何故ララの家に行く必要があるんだ?」

 

『さあ?そのあたりは、ボクにも分からないや。けどララは「面白いものが見られるよ」って言ってたから、ボク的には楽しみだなんだけど』

 

「そうか……」

 

和人が現在、木綿季と共に向かっている場所は、桐ケ谷家ではない。日本におけるララの家たるデビルーク領事館だった。さらに言えば、家出した明日奈が泊っている場所でもあった。

和人が木綿季と共にこの場所へ向かっている理由は、ララに呼び出されたからである。明確な理由は告げられなかったが、とにかく来てほしいと、一方的に約束を取り付けられてしまった。夜以外は特に用事も無かった和人も木綿季も、特に断る理由も無かったため、言われた通りに学校帰りにララの家を目指していた。

 

「しかし、どうにも解せんな。何故、明日奈さんと和解した日の翌日になって、リアルで会う必要があるんだ?」

 

『まあまあ、良いじゃない。明日奈にしたって、お母さんともう一度話すって決めてくれたとはいえ、きっと心の準備とか必要だろうしさ。関わった以上は、最後までフォローしてあげようよ』

 

「それもそう、だな……」

 

どこか釈然としないが、木綿季が言っていることも尤もなので、とりあえずは納得することにした。それに、本日は一連の騒動に決着をつけるためには必要不可欠な、明日奈と京子の対話がある。二人を上手く和解させるためには、明日奈と再度話をして落ち着かせることも必要なのは確かなのだ。

 

(あとは、めだか……いや、京子さん次第か……)

 

明日奈には和人がデュエルをもって対話へ導いたように、母親の京子にはめだかが対応して対話のテーブルの席に着かせる手筈となっている。結城家に匹敵する、或いはそれ以上の名家の出身であるめだかならば、京子も話を聞くだろうと考えての分担となった。

めだかには昨日連絡を行い、京子が明日奈との対話を、こちらの指定した方法で行うことを了承したと聞いている。しかし、本当に二人が和解できるかはまだ分からない。何より、話すのは和人とめだかではなく、明日奈と京子なのだ。である以上、和人とめだかがどれだけ力を尽くしたとしても、この対話の行く末は二人以外にどうすることもできないのだ。

 

(これ以上心配しても、仕方が無いこと、か……)

 

そう結論付けた和人だったが、最低限のフォローだけはすることを心に決め、歩みを進めるのだった。そして歩くことしばらく。二人は目的地たるデビルーク領事館へと辿り着いた。

既にかお馴染みとなっている正面ゲートの守衛SPに話を通すと、内部の責任者を呼んでもらえることに。そして数分後。領事館を訪れた和人と木綿季の前に、これもまたお馴染みの人物、ザスティンが現れた。

 

「お待ちしておりました、婿殿」

 

「その呼び方はやめてください、ザスティンさん」

 

そして始まる、いつものやりとり。しかしこの時は、木綿季が一緒にいた。

 

『えっ!む、婿殿って……和人、どういうことなのさ!?』

 

「落ち着け、木綿季。お前が思っているようなことは、何も無い」

 

予想通りに食いついてきた木綿季が、カクカクベアー君のアームで和人の頭を挟み、揺らし始めた。ザスティンの婿殿呼びによって生まれたあらぬ疑いを晴らすため、頭を揺さぶられながら弁明するのだった。

そうして、木綿季の誤解を解きながら領事館の中へと入り、ララの部屋へと案内されるのだった。

 

「明日奈様は、ララ様、モモ様、ナナ様のお三方とともに、こちらのお部屋におられます」

 

「案内していただき、ありがとうございます」

 

「いえ。それでは、今後もララ様やモモ様、ナナ様を今後もよろしくお願いします。」

 

和人の案内を終えたザスティンは、領事館の業務へ戻るべくその場を後にするのだった。残された和人は、肩に載せたカクカクベアー君こと木綿季に声を掛け、部屋へとノックを行う。

 

「はいはーい!入って来て良いよー!」

 

すると、中からララの元気な声が聞こえてきた。とりあえず、入室の許可を得られた和人は、ドアのノブへと手を掛ける。扉を開いた向こうで和人を出迎えたのは、ララ、モモ、ナナのデビルーク王女三姉妹だった。部屋の中央に置かれたティーテーブルを囲んで、椅子に座っていた。

 

「先程ぶりだな、ララ。モモとナナは、この前に明日奈さんの件で来た時以来か」

 

「その節はどうも。和人さんも、たくさん苦労をなされているって聞いています」

 

「明日奈さんとはどうにか仲直りできたって聞いたけど、今日がその仕上げなんだろう?ちゃんと家に帰れるようにしてやってくれよな」

 

デビルーク領事館が明日奈の逃避先になっていた関係で、モモとナナも色々と気を揉んでいたのだろう。二人とも、この騒動が少しでも早く解決することを望んでいる様子だった。

 

「そういえば、肝心の明日奈さんはどうしたんだ?」

 

「ああ、明日奈だったら、すぐに来るよ。だから、和人もこっちに座って座って」

 

明日奈の姿が見えなかったが、どうやら部屋の外にいるらしい。とりあえずは、ララに促されるままに席に座ることにした。

そして、木綿季も交えて雑談をすることしばらく。木綿季を含めた五人がいる部屋の扉が、再びノックされた。

 

「お嬢様、お待たせいたしました。お茶をお持ちしました」

 

「……ん?」

 

どうやら、領事館に務めているメイドがお茶を持ってきたらしい。だが、その声には、何故か聞き覚えがあった。具体的には、目の前に座っている第一王女に似ていた。

 

「ありがとう!入ってきていいよ!」

 

ララの許しを得て、扉を開く。そして、扉の向こうからは、見るからに高価なティーセットを載せた、上品なデザインのワゴンと、それを押すメイドが入ってきた。

 

「本日のお茶は、ダージリンになります。本国からとても良い茶葉が入っておりますので、すぐにお、淹、れ……し……ま………………」

 

「………………」

 

紅茶を淹れようとしていたメイドと、和人の目が合った。途端、両者は凍り付いたかのように固まってしまった。互いにあまりにも衝撃的だったのか、すぐそこで笑いを堪えているララ、モモ、ナナの反応にも気づかない程だった。まるで、時が止まったかのような静寂に包まれた部屋の中で、真っ先に口を開いたのは……

 

『わあ~!明日奈、可愛いね!』

 

カクカクベアー君を通して話す、木綿季だった。その、飾らない率直な意見を耳にしたメイド……否、明日奈は顔を赤くして、

 

「いやぁぁあああ!!」

 

思わず、叫び声を上げてしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「もう!和人君が来るなら、最初からそう言ってよ!」

 

「いや~だって、和人が来るって言ったら、明日奈は普段着になっちゃうじゃない?」

 

「当たり前でしょう!よりにもよって、和人君の前でこんな格好……」

 

和人と並んでお茶の席に同席している明日奈は、ララ達が仕組んだ悪戯に対し、一人頬を膨らませて怒っていた。しかしその服装は、先程和人の前に現れた時と同じ、メイド服のままである。

結城家を家出し、デビルーク領事館の世話になることになった明日奈だったが、住まいや食事を用意してもらうだけで、一方的に恩を受けることにはひどく罪悪感を覚えていた。そんな明日奈に、領事館でもできるアルバイトとしてメイドの仕事をすることを提案したのだった。明日奈の実家である結城家はアルバイトを禁止だが、家出をしている以上はそんな決め事を守る必要は無かった。何より、家族に反抗しての家出だったのだから、言いつけを破る行為は明日奈の望むところでもあった。

斯くして、明日奈のメイドとしてのアルバイトは始まったのだった。元々のスペックが高い明日奈だっただけに、メイドの仕事はすぐにマスターし、しっかりこなせるようになったのだった。

 

「けど、本当にお似合いですよ、明日奈さん」

 

「本当にな~。今日で見納めなんて、なんか勿体ない気がするんだよな~」

 

明日奈のメイド姿を絶賛するモモとナナ、そしてララだが、明日奈は不服そうに睨み付けるのだった。しかし、その態度にはどこか照れ隠しが見られるところからして、満更でもない様子だった。

 

「ねえねえ!和人と木綿季はどう思う?」

 

それまで無言だった和人と木綿季に対し、感想を求めるララ。いきなりの質問ではあったが、明日奈のメイド服を見せるために呼び出したのだから、自然な流れでもあった。

それに対し、問いを投げられた和人は、

 

「……似合っていると思いますよ、明日奈さん」

 

『ボクもそう思う!それに、ララ達のことを「お嬢様」とか言っている明日奈って、とっても新鮮!』

 

「木綿季!怒るわよ!」

 

木綿季の口にした感想に対し、口にする前怒りだす明日奈。和人の方は、とりあえず無難な感想を述べていた。しかし、明日奈にメイド服が似合っているのは、和人も木綿季も本心から思っていることだった。

 

「全くもう!メイド服なんて、絶対に二度と着ないんだから!」

 

そうは言っているが、やはり本心から嫌がっている様子は無く、メイド服が似合うと褒められたことに対して照れ隠しが見られた。

 

「それでは、メイド服をこれ以上着ないためにも、京子さんとの和解は必須ですね」

 

「……分かってるわよ。約束した通り、お母さんとはちゃんとお話しするわ」

 

冗談はここまでとして、本題を切り出す和人。それに対して、明日奈は佇まいを直し、毅然と答えた。既に、京子と話すことに迷いは無い様子だった。

 

『大丈夫だよ!明日奈なら、ちゃんと仲直りできるよ!』

 

「うん。ありがとう、木綿季。それで……お母さんは、いつ来るの?」

 

明日奈と京子が対話するためのテーブルのセッティングは、和人と木綿季が中心となって行うこととなっている。ララとめだかは、二人の要請に応えてその手伝いをしているのである。

 

「京子さんには、めだかを通して話をしています。時間については、夕方の八時の予定です」

 

「それまでは、ここでゆっくりしていってね。夕食は、和人の分も用意しているから」

 

「そういえば、そろそろ夕食の準備が整っている頃だな。和人も一緒に食堂に行こうぜ」

 

「明日奈さんの健闘を祈って、デビルーク王国のシェフが腕によりをかけて作ってくれるって言ってました。楽しみにしていてください」

 

『あ~!和人ズルい!ボクも食べたいのに~!』

 

「無茶を言うな。だが、どうしても食べたいのなら……料理スキルをコンプリートしている明日奈さんに頼んでみるんだな」

 

「ちょっと、そこで私に振るの!?」

 

そんなこんなで、話題は夕食へとシフトし、デビルーク王女三姉妹を交えた談笑とともに、一同は移動を開始するのだった。母親との対話を控え、先程までは少しばかり緊張していた明日奈だったが、皆との他愛もない会話の中でそれもかなり和らいだらしい。この分ならば、京子との対話も上手くいくかもしれない。心の中で、密かにそう思う和人だった。

 

 

 

 

 

そして、デビルーク領事館の豪勢な夕食後。和人と明日奈、ララは領事館のサロンへと集まっていた。ララが友人を招くための部屋として半ば私物化しているこの室内は、無線ランが完備しており、アミュスフィアも設置されていた。

 

「それでは、そろそろダイブするとしよう。明日奈さん、準備は良いですか?」

 

「うん、こっちは大丈夫」

 

「和人、私もいつでも良いよ!」

 

その場に集まった和人、明日奈、ララの三人は、部屋に備え付けられたアミュスフィアを各々で装着してダイブの準備は万端となっていた。アプリ起動ランチャーに入っているソフトは、当然のように、ALOこと『アルヴヘイム・オンライン』。三人はこれから、ALOへとログインしようとしていたのだった。

 

「けど、お母さんとこれから会うのに、どうしてALOにログインするの?」

 

これから和人とララ、そしてこの場にはいないめだかの三人の立ち合いのもと、明日奈は母親である京子と話をすることになっていた筈だった。それが何故か、夕食が終わって食休みが終わるなり、和人とララにサロンへと連行されて、今に至るのだった。

 

「それは、向こうに着いてから話します。それでは、行きましょう」

 

何のつもりなのかと尋ねてみても、結局はぐらかされてしまった。こうなっては仕方ないと思った明日奈は、それ以上言及することはせず、和人とララに従って自身もログインすることにした。

 

『リンク・スタート!』

 

お馴染みとなっているその言葉とともに、三人の意識は現実世界のデビルーク王国領事館から、妖精達の国たるアルヴヘイムへと旅立つのだった――――――

 

 

 

 

 

「到着しましたよ、アスナさん」

 

ALOへとログインしたアスナは、イグドラシルシティにてイタチとユウキ、ララと合流するや、そのまま二人に手を引かれ、半ば強引に世界樹から飛び立つこととなった。そして、途中出くわしたモンスターを危なげなく片付けて飛行することしばらく。ある場所へと辿り着いたのだった。

 

「ここって……イタチ君のログハウス、だよね?」

 

アスナの目の前にあるのは、かつてSAOにおいてイタチが購入したものと同一の、新生アインクラッド第二十二層の外れにあるログハウスだった。SAO事件当時は、アイテムを補完するためだけにイタチが所有していたものだったが、新生アインクラッドにおいては、帰還者学校の元攻略組を中心とした知己が集まる場所として、イタチを中心としたメンバーで資金を集めて購入していたのだった。

 

「メダカは既に到着していると連絡を受け取っています。中に入りましょう」

 

「あ、ちょっとイタチ君、待ってっ!」

 

「ほらほら、アスナも早く!」

 

「それ、レッツゴー!」

 

「もうっ!ユウキもララも押さないでよ!」

 

その後も、流されるままにイタチ、ユウキ、ララに手を引っ張られ、ログハウスの中へと連れられて行く。そして、正面玄関の扉を潜ってからすぐの場所にあるリビングルームへと入ったアスナを待っていたのは、メダカ――――――だけではなかった。

 

「えっ……!?」

 

メダカの座っているソファーの真向かいに置かれたソファーに、一人のプレイヤーが座っていた。ショートカットの髪型で、風妖精族『シルフ』特有の緑がかった髪の女性プレイヤーである。

そのシルフの女性プレイヤーを見たアスナは、驚きのあまり、思わず口に手を当てながら声を上げてしまった。だが、それは無理も無い反応だった。何故なら、目の前にいるシルフの女性プレイヤーは、アスナもよく知っている……というより、『もう一人の明日奈』とも言える存在だったのだから。

 

「どうして、エリカがここに……?」

 

『エリカ』とは、明日奈がサブアカウントを作って生成したALOにおける水妖精族『ウンディーネ』に次ぐ、もう一つのアバターである。故に、アカウントの管理は結城明日奈の名義であり、メインアカウントの『アスナ』がログインしている今、『エリカ』が活動している筈が無いのである。

そんなアスナが抱いた疑問に答えたのは、和人だった。

 

「今エリカのアバターを動かしているのは、あなたのお母さんですよ」

 

「えぇっ!?」

 

エリカのアバターを動かしている人物の正体について聞かされ、アスナは再び驚きの声を上げてしまった。いきなり仮想世界へ連れて来られて、母親がサブアカウントを使ってログインしている状況に、ますますわけが分からなくなってしまっていた。

 

「お、お母さんが、どうして……?」

 

「私がログインできるようにしました」

 

アスナの疑問に答えたのは、メダカの方から飛び立ってきたユイだった。イタチ等がログインした時に同行しておらず、別の用事で別行動していると聞かされていたアスナだったが、まさかメダカのもとにいたとは思わなかった。

そんな混乱するアスナに対し、ユイは説明を続けた。

 

「ママのサブアカウントのIDとパスワードを、勝手ながら調べさせてもらいました。それでメダカさんに、エリカのアバターでログインしていただき、このログハウスに来た状態でログアウトしてもらったんです。ママが、ママのママと仲直りするには、この場所での話し合いをセッティングしなければならないと聞きましたので」

 

ユイから聞かされた説明に、アスナは成程と得心した。MHCPでハッキングも得意なユイならば、明日奈の名義のサブアカウントについて調べるのも難しいことではない。加えて、メダカがアバターの操作に一役買っていたとなれば、最後にログアウトしたシルフ領首都『スイルベーン』から、新生アインクラッドにあるこのログハウスへアバターが移動していたのも頷ける。

 

「いけないことだとは分かっていたんですが、ママが、ママのママと仲直りするのをお手伝いしたくて……ごめんなさい」

 

「ユイを怒らないでください、アスナさん。全て、俺が頼んだことです」

 

「えっと……別に、怒ってはいないんだけど……」

 

せめて、どんな意図があって仮想世界の中で話し合いの場をセッティングしたのか、その真意を知りたい。そんなアスナの問い掛けに答えたのは、メダカだった。

 

「なに、簡単なことだ。お前達の母娘喧嘩の原因は、SAOで過ごした二年間と、それを一緒に過ごした仲間達に対する認識の相違だ。ならば、それに関してアスナが今何を思っているのか……それを伝える場所は、仮想世界を置いて他にない。だからこそ、母娘でログインする必要があったと考えたわけだ」

 

メダカの一応の筋が通った説明に、納得するアスナ。家庭内における明日奈は、母親相手にどうしても委縮してしまう。だが、ALOにおけるバーサクヒーラーの二つ名を持つ――本人は認めていない――SAO以来の屈指の強豪剣士として名を馳せたアスナとしてならば、言いたいことや伝えたいことをはっきりと言えるかもしれない。

尤も、現実世界で口にできないことを言葉にできるようになったとしても、伝えたい想いが絶対に伝わるとは限らない。余計に仲が拗れて、関係が悪化する可能性も十分にあるのだ。母親の京子と対話をする決心をしたアスナだったが、その点に関してはどうしても自信が持てなかった。

しかし、自身の家庭内の問題の解決に、ここまで協力してくれた皆の思いを無にするわけにはいかない。そう考えたアスナは、一人目を瞑って深呼吸して、改めて腹を括った。

 

「それでは、俺達はログアウトし、この場はお二人だけにさせていただきます。ここを利用している仲間達には既に連絡しておりますので、誰も訪れることはありません。ゆっくりと、お話し合いをしてください」

 

イタチがそう締め括るとともに、アスナとエリカを除くアバターは全員ログアウトした。ユイもまた、イタチのログアウトとともに姿を消した。

そして、ログハウスにはアスナとエリカの、母娘のみが残される形となった。

 

「……あの、お母さん、なんだよね?」

 

「さっきそう説明されていた筈だけれど?」

 

それまで一度も口を開かなかったエリカのアバターに投げ掛けた質問に、エリカは淡々とした口調で返した。その口調から、アスナは目の前のアバターを操っているのが、自身の母親であることを確信した。

 

「それにしても、あなたは現実世界と同じ顔なのね」

 

「うん……まあね」

 

「けど、少し本物の方が輪郭がふっくらしている気がするわ」

 

「ちょっと、それは失礼よ。現実と一緒です」

 

いきなり投げ掛けられた他愛の無い会話に戸惑いながらも返すアスナ。随分懐かしく感じる、何気ない会話だったが……その中にアスナは、何か違和感を覚えた。

 

「いつまでも立ってないで、座ったらどうかしら?」

 

「あ、うん……けど、その前にお茶を出すね。ちょっと待ってて」

 

だが、その違和感について考えるよりも前に、エリカから話し掛けられたことで、思考は中断された。改めて話し合いの席につくこととなったが、何から話せば良いかがすぐに浮かばなかったので、とりあえず落ち着くためにお茶を淹れることにした。対するエリカは、「そう」とだけ口にして、ソファーに座ったまま動かなかった。キッチンに入ったアスナは、そんなエリカの様子を見ながらも、手慣れた操作で紅茶を淹れたカップを用意し、テーブルへと持っていく。

 

「どうぞ」

 

「ありがとう」

 

短く礼を口にしたエリカは、カップとソーサーを持ち、紅茶を飲み始めた。その所作は、結城家の朝食の風景で見かけるそれと変わらないもので、目の前の人物が母親であることを、改めて実感するのだった。

 

「……この世界でも、紅茶の味は変わらないのね」

 

「えっと……うん」

 

「けど、温度と香りは、現実世界のものとは違う……違和感を感じるわ」

 

「そ、そうだね……」

 

いきなり紅茶に対するコメントを口にし始めたエリカに、アスナは曖昧な返事を返すしかできなかった。家出した娘と対話するためにここに来た筈のエリカこと京子だが、何を考えているのか、アスナには見当もつかない。

加えて、違和感の正体に気付く。喧嘩をして、母親相手に酷いことを言って家を飛び出した娘と相対しているにも関わらず、纏っている雰囲気があまりにも穏やかなのだ。普段ならば、一方的に りつけている筈なのだが、怒っている様子は全く見られない。本当に、何を考えているのか分からない。疑問ばかりが増すアスナだったが、今度は唐突にエリカの方から口を開いた。

 

「あなたと話をするには、ここに来なければならないって、黒神めだかさんに言われてね。あなたが使っているっていうこのアバターを使って、このゲームの世界に来たの」

 

「そう、なんだ……」

 

「あまり気は進まなかったけれど、こうしてここに来たの。それから……あなたがここへ来る前に……メダカさんに、色々と案内してもらったわ」

 

「……メダカさんに?」

 

てっきり、話し合いをするためだけに、この時間帯にログインしたものとばかり思っていたアスナは、意外そうな表情を浮かべた。一体、待ち合わせの時間まで何をしていたのかと疑問に感じたアスナだったが、エリカの方からそれを話してくれた。

待ち合わせ時刻の一時間ほど前にALOにログインしたエリカは、メダカに連れられてアインクラッドに十二層の市街地を散策したほか、フィールドに出て下級Mobのモンスターとの戦闘も体験していたらしい。全て、アスナと対話をするための前準備として必要なことと言われて行ったらしいが、それらの体験を話すエリカの様子から、嫌々やらされたという風には思えなかった。

ここに来て、アスナはエリカがどうしてここまで穏やかに話し合いをすることができていたのかを理解した。メダカはエリカを案内したことで、SAO事件当時のアスナの行動をトレースさせたのだ。市街地の散策やモンスターとの戦闘を経て、アスナがSAO事件当時に何を考えていたのか、それをすこしでも理解できるようにしようとしたのだ。また、恐らくはALOの世界を体験するだけでなく、事件当時の攻略組に所属していたアスナの様子について話し聞かせ、アスナに対する理解を深めさせたのだろう。そう考えれば、今のエリカの様子も説明がつく。

そんな友人達の思い遣りに溢れた配慮に、アスナは感激に涙が出そうだった。だが、そんな友人達の想いに応えるためにも、今は目の前の母親との話し合いに集中しなければならない。

 

「この世界を初めて目で見て、色々と分かったこともあったわ。あなたの言う通り……物事や人を、一つの側面のみから見て、その在り様を決めつけるのは、教師としてはあるまじき行為だったと思うわ」

 

「……うん」

 

「個人の主観で物事を判断するべきではない……改めて私は、そう考えました。だからこの世界や、例の事件のことや、彼のこと云々であなたの進路について口を出すことはやめました」

 

「えっ……!?」

 

その言葉に、アスナは目を丸くする。進路について口を出すのをやめるということは、転校の話を撤回したのと同義である。もっと説得に苦戦すると考えていたにも関わらず、こうもあっさり了承を得られるとは全く思っていなかったアスナは、心底驚いていた。

 

「あなたももう十八歳よ。明らかに間違っていたのなら、親として私やお父さんも止めるけど……基本的に自分の進路は、自分で決めなさい」

 

「えっと……分かった。ありがとう」

 

絶対に分かり合えないと思っていた母娘の問題が、イタチやメダカの機転によって、こうも簡単に解決に向かっていく現実に、アスナは実感が追い付かなかった。だが、難しいと決めつけていたのは、他でもないアスナ自身である。もしからしたら、今回の母娘喧嘩の問題は、真摯に向き合いさえすれば、簡単に解決できるものだったのではないかと、今更ながらそう思えてきた。それを分かり合えないと決めつけ、家出騒動にまで発展させたのは、アスナ自身である。現在の問題は、全て自分の勝手な認識で大きくなった。そう思うと、アスナは居た堪れない気持ちになった。

 

「ただし、大学にはきちんと行きなさい。そのためにも、三学期と来年度はこれまで以上の成績を取る必要があるわ。その覚悟は、あなたにあるの?」

 

「……勿論!」

 

そして、だからこそ、問題の解決に尽力してくれた仲間達の想いには応えなければならない。そう感じたアスナには、京子の問いに対する答えに迷いを抱くことなど、ある筈も無かった。

 

「そう……なら、頑張ることね。それじゃあ、私はもう行くわよ。明日には、私の方から迎えに行くから、家に帰るわよ。デビルーク王国の人達にも、たくさんご迷惑をかけたんだから、お礼とお詫びをしっかり忘れないことよ」

 

それだけ言うと、エリカはメニュー画面を出してログアウトボタンをスクロールする。だが、ボタンをクリックする前に、その手はアスナによって止められた。

 

「アスナ?」

 

「ごめん、お母さん。ちょっと見せたいものがあるから、一緒に来てくれる?」

 

「……五分だけよ。すぐに終わらないなら、先に帰るからね」

 

アスナのやや真剣な声色に、エリカはやれやれとばかりにすこしだけ付き合うこととした。アスナの案内のもと、二人はログハウス内の、物置に使われている小部屋へと入り、奥にある小さな窓へと案内した。

そしてアスナは窓を開け放つと、エリカに問い掛けた。

 

「どう、似てると思わない?」

 

「何に似てるって言うのよ?ただの杉林じゃ――」

 

アスナの意図が分からず、雪に覆われた針葉樹の森深い森を眺めていたエリカは――――――はっと口を覆った。

 

「思い出さない?お祖父ちゃんと、お祖母ちゃんの家を」

 

明日奈の母方の祖父母、つまり京子の両親は、宮城県の山間部に住まう農家だった。旧い木造の家は、山裾にうずくまるように建っており、縁側に座ると、見えるものは小さな庭と小川、そしてその奥の杉林だけだった。

しかし明日奈は、そんな「宮城のじいちゃんばあちゃん」の家が……そこから見える風景が、大好きだった。白い雪のなかに黒い杉の幹がどこまでも連なるさまを見ていると、心が吸い込まれそうになるのだった。

しかし、祖父と祖母は、明日奈が中学二年の時に他界した。棚田や山はすべて売却され、家も取り壊された。

イタチがこのログハウスを購入したのは偶然だったが、それでもアスナはこの光景が見れたことが非常に嬉しかった。現実世界にはもう無い、大好きなあの景色が戻って来たかのようで――――――

だから、アスナはエリカにも……京子にも、この景色を見せたかった。譬え、宮城の貧しかった実家を恥じていたとしても、この懐かしい風景を、共有したかったのだ。

 

「お祖父ちゃんが言っていたわ。お母さんも、いつかは疲れて、立ち止まりたくなる時がくるかもしれない。いつか後ろを振り返って、自分の来た道を確かめたくなるかもしれない。もし、お母さんがそんなことになった時に……支えを欲しくなったときに、帰ってこられる場所があるんだよ、って言うために、ずっと家と山を守り続けていくんだって……」

 

「………………」

 

「あの時にはよく分からなかったけど、イタチ君――和人君や、皆と関わる中で、ようやくわかってきた気がするんだ。自分のためだけじゃなくて……誰かの幸せを、自分の幸せだと思える生き方もあるんだって」

 

「………………」

 

「だから、私も周りの皆を笑顔に出来るような……そんな生き方をしたい。そんな生き方を探すために――今は、この世界を生きた皆がいる、あの学校に行きたいって、そう思っているんだ」

 

アスナの独白に、エリカこと京子はしばらくの間、黙って聞き入っていた。傍から見れば何の変化も無いように見えるエリカの表情だが、その内心には目の前に広がる景色に対する郷愁と、父母の遺した言葉に、果てしない思いが去来していることは、アスナにも分かった。その横顔は、いつも無表情なくせに、本当は誰よりも優しい思い人を思わせるものがあった。

そして、エリカもまた、そんな思いを抑えきれなくなったのだろう。心の内に止め切れなくなった思いが、瞳から頬を伝った。

 

「どうして……悲しくないのに、涙なんて……」

 

「……母さん。この世界では、涙は隠せない……泣きたくなったときは、誰も我慢できないの。私も、最初の頃はいつも泣いてた……」

 

「……不便なところね」

 

忌々しそうに口にするエリカだが、内心ではそれほど悪いとは思っていないように、アスナには思えた。溢れる想いとともに涙を流し続けるエリカの横に立ち、アスナもまた、時間など忘れてしばらくの間、目の前の風景に見入っていたのだった――――――

 

 

 

 

 

 

 

 その翌日、明日奈はデビルーク王国領事館より、迎えに来た京子に連れられ、実家帰っていった。明日奈の転入を巡る、結城家の家庭問題は全て丸く収まり、結城家は勿論、この件によって緊張感が漂っていた帰還者学校にも、穏やかな日々が戻ったのだった。

 

「アスナ、家に帰ったんだよね?」

 

「ああ、お前のお陰だ、ユウキ」

 

アインクラッド二十二層にある、明日奈・京子の母娘の話し合いの場として使われたログハウスの中。イタチとユウキはソファーに座り、二人揃って脱力していた。首尾よく、親友の問題を解決することに成功したことに、達成感と安堵を抱いていたのだった。

 

「いやいや、イタチやメダカ、ララが頑張ってくれたからでしょ」

 

「実行したのは俺達だが、お前の活躍は大きいぞ。アスナさんにデュエルを挑んで和解し、母親との対話のテーブルに着かせるだけならいざ知らず、京子さんをALOに招いてこの世界を体験させて、アスナさんの気持ちに寄り添わせようという発想は、俺だけでは思い付かなかったからな」

 

京子を、アスナのサブアカウントを使ってALOへダイブさせるための交渉は、結城家に匹敵する名家である黒神財閥の令嬢であるめだかが行ったが、そもそものアイデアを出したのはユウキだった。同じ世界に立って、同じ経験をすれば、アスナの気持ちを理解できるのではと考えての提案だったのだ。

 

「お前には、本当に助けられた。学校へ行きたいという希望は叶えたが、他にやりたいこと、やって欲しいことがあれば、言って欲しい」

 

「え~、別に良いのに……」

 

ユウキとしては、大したことをしたつもりではなかったのだが、イタチは多大な恩を感じていた。真摯な態度で、希望を叶えたいと口にするイタチに、ユウキは照れながらもしばらく思案し……やがて、口を開いた。

 

「それじゃあ、一つだけ、お願いしちゃおうかな?」

 

「可能な限り、応えよう」

 

「いや、そんなに難しいことじゃないんだけどね………………」

 

相変わらず真面目な態度のイタチに苦笑しながらも、ユウキは自身の望みを口にする。

 

「イタチに、ボク達の仲間に……『スリーピング・ナイツ』のメンバーになって欲しいんだ」

 

「分かった」

 

ユウキが照れ隠ししながら口にした願いに、しかしイタチは即答してこれを受け入れた。

一方のユウキは、こんなに簡単に聞き入れてもらえるとは思っていなかっただけに、目を丸くして驚いていた。

 

「……どうしたんだ?」

 

「いや……言い出したボクが言うのもなんなんだけど……そんなに簡単に決めちゃって、良いの?」

 

「問題ない。俺はどこのギルドにも所属していないフリーだからな」

 

「……アスナとかと、ギルドを作る予定は無かったの?」

 

「何度かそんな話もあったが、結局は結成に至らなかったな」

 

イタチを中心としたSAO帰還者達は、基本的にギルドに所属していない、フリーランスのプレイヤーが多い。特にイタチのようにSAOのベータテスターだったプレイヤーは、SAO事件当時は他のプレイヤーと上手く馴染むことができず、攻略のパーティーは組んでもギルドへの所属まではしない傾向が強かった。

無論、全員が全員無所属というわけではない。クラインは『風林火山』、メダカは『ミニチュア・ガーデン』というギルドを運営しているように、何名かは既にギルドを作っているか、所属しているのだ。故に、余程敵対的なギルドでない限りは、どこかのギルドに所属したとしても、基本的には問題にはなるものではなかった。

 

「アスナさん達には、後日報告すれば良いだろう」

 

「はぁ……まあ、それなら良いけど……」

 

イタチの言っていることは事実なのだろうが、ギルドに所属するのがイタチとなれば、仲間内に波紋が生じるのは間違いない。もっと言えば、アスナやリーファをはじめとした女性陣が黙っていないだろうとユウキは思っていた。だが、せっかくイタチが所属してくれると快く言ってくれている以上、ユウキとしてもこの機会を逃したくはなかった。

ウインドウを開くと、イタチに対してギルド勧誘のメッセージを送った。そしてイタチは、ユウキから送られてきた勧誘画面のYESボタンを、躊躇うことなくクリックしてこれを受諾した。

 

「それじゃあ、よろしくね、イタチ」

 

「ユウキ、頼む」

 

こうして『黒の忍』ことイタチは、ユウキ達のギルド『スリーピング・ナイツ』のメンバーとなったのだった。

仲間達に黙ってのギルド所属なだけに、後日揉めるだろうということは、イタチとて予感はしていた。しかし、ALOにおける知己の中には、ユウキの事情を知らないメンバーはおらず、イタチの所属も納得してくれるだろうと考えていた。

 

 

 

 

 

しかしその認識は、後日発生した想像を超えた騒動によって、甘かったということを深く痛感することになるとは、この時は思いもしなかった――――――

 



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第百十九話 何が起きても平気、そう思えたよ

新生アインクラッド第二十二層の外れにある森の中。現実世界は夜中の九時だが、仮想世界の中はその真逆。太陽が昇り切っており、真昼の様相を呈していた。そんな快晴の空の下、イタチ所有のログハウスの前にある広場に、無数のプレイヤーでできた人だかりができていた。中には、シルフ領主のサクヤや、ケットシー領主のアリシャ・ルー、サラマンダーのユージーン将軍といった、有名なプレイヤーの姿も多数見られる。人だかりを構成しているプレイヤーは、種族も所属ギルドもバラバラだったが、全員がイタチまたはイタチの友人――この場では、主にアスナ――の関係者という共通点があった。

そんな人だかりの中心では、二人のプレイヤーが距離を空けて向かい合っていた。片や『バーサクヒーラー』の二つ名を持つウンディーネの細剣使い、アスナ。片やつい最近、ノームの『絶拳』とのデュエルで互角に渡り合ったことで、同じ読みの二つ名『絶剣』を戴くこととなったインプの片手剣使い、ユウキ。そして、武装した二人の後ろには、それぞれ六人のプレイヤーがこちらも各々の得物を手に控えていた。

つまりは、アスナとユウキをリーダーとする七人で構成されたパーティー二組が睨み合っているのだ。武装したプレイヤーのパーティー二組が相対していることから分かるように、これからこの二組のパーティーは戦うのだ。パーティー同士の集団デュエルというものは、ALOにおいては決して珍しいものではない。事実、最強のパーティーを決めるための大会というものは、一対一のデュエル大会ほどではないが、確かに実施されている。ここで問題なのは、アスナとユウキの二人が、何故このようなことをするに至ったのか、その動機だった。

 

「ヨ~シ!それじゃあ、皆集まったことだし、始めようカ?」

 

両パーティーの準備が整ったのを確認するや、今回のデュエルの審判役として抜擢された、ケットシーの情報屋こと鼠のアルゴが、アスナとユウキの間に入ってきた。アスナとユウキは、アルゴに対して同時に頷くと、カーソルを操作する。恐らく、デュエル申請ウインドウを確認し、OKボタンを押しているのだろう。

そして、両者の間の空中に、デュエル開始のカウントが掲載されたウインドウが出現したのを確認するや、アルゴはギャラリーとして集まった人だかりに向かい、口を開いた。

 

「お集りの皆サン!それじゃあお待ちかネ!『黒の忍』ことイタっちを巡る、前代未聞のALO最強女剣士のパーティーが繰り広げる激しい戦い!後妻(うわなり)討ちデュエル』、始まるヨ~!!」

 

ワァァァァアアアアアア!!

 

そんなアルゴの、もの凄く楽し気で乗り気な掛け声とともに、ギャラリーとして集まったプレイヤー達は湧き立った。やがて、デュエル開始のカウントがゼロを切ると、中央に立つアスナとユウキは、後ろで臨戦態勢だったプレイヤー六人とともに、互いに激突するのだった。

そんな白熱する戦いが幕を開けるなか、ギャラリーの中に立っていたイタチは、頭を抱えながら呟いた。

 

「どうしてこうなった………………」

 

 

 

 

 

 

2026年1月18日

 

ことの起こりは、『後妻打ちデュエル』と称される戦いが勃発した、三日前に遡る。木綿季やララ、めだか等と協力し、明日奈の家庭問題を解決することに成功した和人は、木綿季への感謝の礼として、彼女がリーダーを務めるギルド『スリーピングナイツ』へ所属した二日後のことである。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

桐ケ谷家の朝の食卓は、非常に気まずく重い沈黙に包まれていた。食卓に着いているのは、和人、直葉、詩乃の三人。母親の翠は、早朝の時点で既に出勤していた。そして、この中で問題の重苦しい空気を作り出しているのは、直葉と詩乃だった。二人は昨日の夕方から、現実世界、仮想世界を問わず和人又はイタチのことを、この場にいない明日奈と共に、非常に恨めしそうな目で見ていた。

 

「……直葉、そこにある俺が買った菓子を取ってくれないか?それから、皿も」

 

「……はい」

 

和人の頼みに対し、直葉は素っ気ない態度と冷ややかな視線で受け答えし、棚から菓子と皿を取り出した。それを受け取った和人は、三人でつまめるように皿の上に袋の中の菓子を広げた。

 

「二人とも、食べないのか?」

 

白色のクリームを丸いチョコクッキー二枚で挟んだサンドイッチ状の菓子を、直葉と詩乃に勧める和人。だが、二人は食器を片付けて脇目も振らずに自室へ戻っていってしまった。

そんな二人の背中を見送りながら、和人は昨日から続いている北極の氷よりも冷たい二人の態度に、一人溜息を吐いていた。

 

(しかし、これも仕方の無いことか……)

 

怒り心頭の直葉と詩乃、そしてこの場にはいない明日奈のことを思い浮かべて頭を抱える和人。その痛みを和らげようと、テーブルの上に置いた皿へと手を伸ばし、また一つ菓子をつまむのだった。

 

 

 

明日奈、直葉、詩乃といった、和人に想いを寄せる少女達が荒れ始めた原因は、和人ことイタチの、スリーピングナイツへのギルド加入……ではなく、正確には、加入後の対応にあった。

ソロの最強プレイヤー『黒の忍』としてその名を知られたイタチだったが、SAOの中は勿論、ALOでもGGOでも、パーティーを組んで共闘する相手はいても、ギルドのような組織に所属したことは皆無だった。故に、そんなイタチが初めてギルドへ所属したという事実には、誰もが関心を持った。そして、そのニュースは瞬く間にALOや和人の通う帰還者学校の生徒の間を駆け巡り……翌日には、関係者全員が知るところとなった。

『スリーピングナイツ』というギルドは、ギルメンがALOを始めて日が浅かったこともあり、あまりその名を知られていなかった。しかし、『絶拳』に次ぐ偉業として、七人の一パーティーがフロアボス攻略を成し遂げたギルドの噂は、既に多くのプレイヤーが知るところとなっていたので、そこからギルドに関する情報は広まっていった。また、フロアボスへの挑戦前に、キヨマロ、ギンタ、マコトといった強豪プレイヤーとともに攻略ギルド『ゾディアック』の攻略パーティーを退けたことも、ギルドの知名度を高めていた。

そして、問題はここからだった。イタチが加入したギルドの名前が知れれば、今度はどんな理由で所属したのかが追及された。スリーピングナイツのメンバーは皆、ALOへダイブして間もないプレイヤーであり、イタチとの関わりは皆無だった。一体、イタチはどのような経緯を辿って出会い、ギルドへ入るに至ったのか……それについて、プレイヤー達はあらゆる仮説を立てた。

そして、その中でも特に有力な仮説として、このようなものが囁かれた。

 

 

 

『黒の忍』イタチは、『絶剣』ユウキと剣を通して相思相愛の恋仲となり、ギルドへと入った。

 

 

 

実際のところ、これは根も葉もない邪推である。ユウキのことを友人として大切に思っているイタチだが、ギルド加入に際して、それ以上の特別な感情が働いたというわけではない。ギルドへの加入は、ユウキにお礼として頼まれたことに加え、イタチ自身もメンバーになることが吝かではなかったことが主な理由である。

しかし、下手にこれを否定すれば、ならばどんな理由でスリーピングナイツへ入ったのかと聞かれてしまう。そうなれば、まず目が行くのはユウキの剣技であり、イタチに迫る桁外れの反応速度をどのように発揮しているのか、その理由について詮索される可能性がある。そうなれば、ユウキがメディキュボイドを使用していることに辿り着かれる可能性があり、そこからリアルの事情が割れる可能性があった。

過去には、HIVウイルスのキャリアである事情がリークされたことが原因で酷い苛めを受け、転校を余儀なくされた過去を持つユウキである。さらに言えば、そのストレスがエイズ発病の原因となったとも考えられている。故に、ユウキの病気の件が露見することは、ユウキに多大な精神的負担をかけることになりかねない。

故にイタチが取った行動は、「ユウキとの噂される関係について、一切の否定を行わない」というものだった。周囲に対してノーコメントを貫けば、その噂について知られたくない事情がある、暗に認めているとミスリードさせることができ、ユウキに関して余計な詮索をされるのを防ぐことができると考えたのだ。

結果、イタチの策略は功を奏し、イタチ・ユウキの恋仲説が濃厚となった。ユウキには別な意味で心労を掛けることになるため、イタチ自身もあまり積極的にはなれなかった作戦だったが、この手の話題に飢えたネットゲーマーの関心をコントロールするのに、他に有効な手段が思い浮かばなかった。ユウキ自身については、イタチの提案を笑って承諾し、噂が広まることについてあまり気にしていない……というより、むしろ乗り気なようにさえ、イタチには見えた。恐らく、悪戯好きの気があるためだろうと考えられるのだが……何故か、それだけとは思えないイタチがいた。

ともあれ、そのような経緯があり、イタチとユウキは現在、恋人を演じている状態だった。そして、仮初と聞かされていたとはいえ、イタチこと和人に想いを寄せる明日奈や直葉、詩乃にはそのような事実は受け入れ難かったのだろう。非常に面白くないという気持ちが、反抗的な態度となって表れていた。

 

(時間を置いて、頭を冷やしてもらうほか無いか………………)

 

和人に想いを寄せる少女達の怒りは、論理的に諭して収められるものではない。彼女等も、本当は頭の中では仕方の無いことと分かっているのだ。しかし、頭で分かっていても、気持ちで納得できるものではない。この手の感情的な問題は、下手に刺激することは下策であり、時間を置いて落ち着くのを待つ他に無いのだ。

身から出た錆とも言えなくも無い事態だが、勘弁して欲しいと思いながら、和人は一人お気に入りの菓子へと手を伸ばし……その指は、空を掴んだ。どうやら、三人の少女のことについて懸念を抱くあまり、残りの枚数が意識に入っておらず、全て食べてしまっていたらしい。甘味が尽きたことで、それまで抑えられていた頭痛が急激に襲ってきたような感覚に陥った。

どの道、現状では明日奈、直葉、詩乃には何を言っても逆効果だろう。しばらくの間、三人が落ち着くまでは放置するのが得策と考えた和人は、積極的に関わっていくことはせず、距離を置くことを決めるのだった。

 

 

 

だが、最善と下したこの判断が、如何に甘かったかを、和人はすぐに思い知る羽目になるのだった。

 

 

 

問題が起こったのは、その夜のことだった。ALOにダイブしていたイタチは、ダイブして間もなく、ユウキをはじめとしたスリーピングナイツの面々と合流すると、ここ最近ホームとして活用しているイタチ所有のログハウスへと向かった。いつもならば、アスナ等の友人が誰かしらいるのだが、今日は誰もいなかった。

アスナ等三人がいないことは言わずもがな。その他の面々についても、イタチとユウキの恋仲説が原因で起こっている修羅場状態に巻き込まれるのを恐れて、ログハウスへの出入りを控えていたのだった。前世・現世を問わず、元々一人でいることが多かったイタチだが、仲間になった者達全員から急に距離を取られてしまったことには、少なからず寂寥感を覚えていた。だが、いつまでもこのことを引き摺っているわけにもいかない。そう考えたイタチは気持ちを入れ替えることにした。

そして、皆でログハウスのリビングルームへ入り、静寂に満ちた部屋の中へと視線を巡らせた時。テーブルの方を向いたイタチの視界が、あるものを捉えた。

 

(これは……?)

 

イタチが見つけたのは、時代劇に出て来る書状を彷彿させる、紙のアイテムだった。その表紙には、『果たし状』と記載されていた――――――

 

「イタチ、それ何?」

 

イタチの後ろから、ユウキやシウネーが近づいてきた。どうやら、イタチが手に取った、テーブルの上に置いてあった不可解な紙のアイテムの正体が気になったらしい。

表に書かれている『果たし状』の文字が物騒に思えるが、ギルメンに隠し立てするべきものではない。というより、『果たし状』などと書かれていた時点で、だれから宛てられたものかは明白なのだ。である以上、当事者であるギルメンは、その内容を知っておく必要がある。そう考えたイタチは、ユウキとシウネーとともに、テーブルを囲む形でセットされたソファーに座りながら、果たし状の中に入っていた、非常に長い半紙に書かれた内容を読んでいった。

そこには、以下のような内容が、筆アイテムによる見事な達筆で次のような内容が記載されていた……

 

 

 

 

 

イタチ様へ

 

ユウキ様とお付き合いを始め、それはそれは楽しい日々を送っていることとお喜び申し上げます。

 

この度は、貴方のことをお慕いする女性が三人もいながら、そちらには目もくれず、いきなり全く別の女性とのお付き合いを始めた貴方を懲らしめるべく、七対七の女性プレイヤーによって構成されたパーティーによる後妻(うわなり)討ちデュエル』を企画することと致しました。

 

本デュエルは三日後、貴方のログハウスの前で行わせていただきます。此方は、貴方に想いを無碍にされた、私を含む女性三人を主核に、貴方の所業に思うところある賛同者四名を加えたパーティーで挑ませていただきます。

つきましては、ユウキ様にも同様に、女性プレイヤー七人で構成されたパーティーを結成していただき、本デュエルに臨んでいただきたく存じます。

 

尚、本デュエルは、鼠のアルゴ様に審判をしていただくとともに、知人のプレイヤー全員に周知させていただきます。当日は大勢のプレイヤーの方々が観戦に訪れることと存じます。

 

後妻打ちとはいえ、私共を立てて負けていただく必要はございません。

三日後、双方ともに悔いの残らない、ベストを尽くした戦いができることをお祈り申し上げます。

 

貴方を想い、貴方を恨む者を代表して

アスナ

 

 

 

 

 

「………………」

 

その、凄まじい恨みの籠った文章を読み上げたイタチは、呆然としてしまった。それは、イタチの周りに集まっていたスリーピングナイツのメンバーも同様であり、皆一様に唖然として言葉も出ない様子だった。

『果たし状』と称された手紙の内容には、色々と突っ込みたい部分があるが、要約するとイタチ・ユウキ恋仲説に大いに不満を持ったアスナ、リーファ、シノンの三人が、その恨みを晴らすべく同士四人を加えた七人パーティーを結成し、多数の観客を招いてユウキにデュエルを挑むというものである。しかも、より多くの観客を集めるためだろう、鼠のアルゴを審判役に充てて大規模に開催しようというのだ。

 

「えーっと……『後妻打ち』って、どういうことなのかな?それに、イタチに想いを寄せる三人って……?」

 

呆然とした状態から思考が復活して早々に聞くのがそれか、と思ってしまったイタチ。だが、当然と言えば当然だろう。何せ、ユウキはイタチが原因で『後妻打ち』なる訳の分からないデュエルを挑まれているのだ。説明を求めるのは当然だった。

 

「……この三人というのは、アスナさん、リーファ、シノンのことだ。この三人とは、今までに色々とあってな……」

 

エクスキャリバー獲得クエストでパーティーを組んだ仲ではあるが、ユウキはこの三人とイタチがどのような経緯を経て仲間になったのかを知らない。よって、イタチはこの三人との出会いから始まり、どのような経過を辿って今に至っているのかについては説明することにした。

しかし、一から十まで説明しようとすれば、三人の複雑な事情や、今尚傷を残す凄惨な過去について語らなければならない。そのため、他人に話すことが憚られるような部分は除き、SAO事件、ALO事件、GGO事件において共闘したこと中心に、戦いの中で絆を深め、仲間となったことを説明した。勿論、その末に三人には友人以上の好意を抱かれるようになったことも含めて。

そうして、イタチの説明は進んだのだが……スリーピングナイツの面々は、話が進むごとにイタチに対して冷ややかな視線を強めていった。そして、イタチと件の三人とのこれまでについて、粗方話し終えたところで、ユウキがこう言った。

 

「……イタチって、クールでカッコいい孤高の忍者だと思っていたけど、実はヘタレでゴミいちゃんなハーレム野郎だったんだね」

 

「………………」

 

ユウキがゴミを見るような視線と共に放った容赦の無い批評は、イタチの胸にグサリと突き刺さった。

 

「ユウキ、言い過ぎですよ。けれど、この三人の気持ちも分かる気がします。だって、返事もまだの状態だったのに、いきなりユウキに横取りされたような形なんですよ?鳶に油揚げをさらわれたようなものです」

 

「そうだよな~。いくらユウキの事情を承知しているって言っても、納得できるもんじゃないだろ」

 

シウネーとノリも、同じ女性としてアスナ等三人に同情している様子だった。ユウキとは違い、オブラートに包んだ表現だが、イタチの対応に問題があったという点ではユウキに同意していた。

 

「まあ、ノリの言う通りですね。イタチの気持ちも分からないでもありませんが……この三人とはもっとよく話をするべきだったと思いますよ」

 

「まあ、イタチってコミュニケーション苦手そうだもんなぁ……」

 

「だろうねぇ……」

 

テッチ、ジュン、タルケンの三人は、イタチのコミュニケーション不足を問題視していた。女性陣よりは比較的同情的な表現による指摘だったものの、非常に耳の痛い話だとイタチは思っていた。言葉数が少なく、あまり多くを話さないイタチは、それが原因でトラブルを発生させることが前世・現世を問わず多々あったのだ。にも関わらず、今度はこの騒動である。今までの反省が活かせていないも同然だった。

同じギルドに所属するメンバーからのコメントに、イタチのハートはズタボロだった。

 

「それより、どうするんだよ?」

 

「『後妻打ちデュエル』を受けるか、どうか、ですよね……」

 

起こってしまった問題は、どうしようも無い。それより今は、アスナ等から叩き付けられた『果たし状』をどうするかについて話し合うべきだと、一同は思考を切り替えた。

 

「う~ん……アスナ達の気持ちも分かるし、ここは引き受けた方が良いんじゃないかな?それに、なんか楽しそうだし!」

 

「ユウキ……お前は楽しければ何でも良いのか?そもそもお前、『後妻打ち』の意味を分かっているのか?」

 

「う~ん……よく分かんない!」

 

その返事に、イタチは頭痛を覚え始めた。意味が分からないということは半ば予想できていた。しかし、一時のテンションと面白半分で『後妻打ち』に応じるのは、流石に勘弁して欲しかった。

 

 

 

『後妻打ち』とは、室町時代から江戸時代にかけて行われた風習である。夫がそれまでの妻を離縁してから一カ月以内に後妻と結婚した際に、先妻が後妻の家を襲うというものである。まず先妻方から後妻へと討ち入りに行く旨を知らせ、当日、互いに身代によって相当な人数を揃えて後妻方に押し寄せ、竹刀や箒を手に打ち合うというものである。折を見て前妻・後妻双方の仲人が仲裁に入り、双方を扱って引き上げるという段取りとなっていた。

その目的は、離縁から間もなく後妻を迎えるという不義理を働いた夫を懲らしめることにある。夫の身勝手によって離縁された前妻の不満が、騒動という形で爆発したとなれば、周囲の人間にとっては笑いの種である。つまり、後妻打ちによって、夫は大恥をかくことになる。後妻打ちには、「大恥をかきたくなければ、妻を大事にしろ」というメッセージが込められているのだ。

 

 

 

「へぇ~……廃れた風習の割には、イタチも結構知っているよね?」

 

「……前にテレビで見たものを覚えていただけだ」

 

嘘である。イタチの前世である忍世界においても、現世で言う『後妻打ち』に近い風習が残る地域が各地にあったのである。暗部や暁に所属して諸国を旅して諜報活動を行ったことのあるイタチは、そういった風習にも通じていたのだった。

しかし、現代においては完全に廃れていたとはいっても、イタチの言うように、テレビの時代劇等で取り上げられることも多々あることも事実である。恐らく、アスナか彼女の仲間の誰かが、何らかのきっかけでこの風習について知り、イタチに対する憤懣遣る方無い思いを爆発させる手段としたのだろう。

 

「言っておくが、俺はアスナさんは勿論、誰とも結婚した覚えは無いぞ。勿論、ユウキともな」

 

「えぇ~、そんなぁ~……ボクとの関係は遊びだったの?」

 

「馬鹿なことを言っている場合か。それより、本当にどうする?『後妻打ち』を受けるとなれば、こちらも向こうに応じた人数を揃える必要があるぞ」

 

「あ、『後妻打ち』をすること自体は反対しないんだ」

 

「実際には、『後妻打ち』ではないんだがな。アスナさん達がこんなことを言い出したのは、俺の責任でもある。これで怒りが幾分か収まるのなら、恥をかくぐらいは我慢する。だが、実際に戦うのはお前だぞ、ユウキ」

 

恥をかくことは気にしないが、了承するかどうかはユウキ次第である。無論、本当に応じるとなれば、イタチも精一杯のサポートをするつもりなのだが。

 

「うん!それじゃあ、ボクも戦ってみるよ!エクスキャリバー獲得クエストの時にも見たけど、アスナもリーファもシノンも……イタチのパーティーメンバーって、とっても強かったからね。ボクも戦ってみたかったんだ!」

 

後妻扱いされていることを全く意に介さず、強敵と戦えることにワクワクしているユウキのバトルジャンキーぶりには、イタチもスリーピングナイツの面々も苦笑するしかなかった。この図太い神経ならば、案外、イタチの恋人も十分にやっていけるのでは、とシウネーなどは思っていたりする。

 

「だが、問題はパーティーメンバーをどうするかだ。女性プレイヤーだけで七人パーティーを結成する必要がある」

 

「私達の中からは、ユウキ、私、ノリの三人しか出られませんからね。あと四人、どこかから勧誘して集めなければなりません」

 

「けど、あたし達ってALO初めてそんなに長くないからね~……頼れる知り合いにはちょっと心当たりは無いかも」

 

ノリの言葉に、他のスリーピングナイツのメンバーも同意していた。数多のVRゲームを旅してこのALOへと至ったスリーピングナイツだが、コンバートして間もない以上、強力な助っ人を呼ぶためのコネクションなどある筈も無い。

 

「……分かった。強力な女性プレイヤーについては、何人か当てがある。俺の方から連絡を取ってこれから集まってもらえるように取り計らおう」

 

そう言うと、イタチは助っ人として当てになりそうな人間のもとへ順次連絡を行うべく、その場でログアウトして現実世界へ戻るのだった。

 

 

 

 

 

「……それで、集められたのが私達ということか?」

 

イタチがログアウトしてから三十分後。スリーピングナイツが集まっていたログハウスには、イタチが呼び出した、『後妻打ち』の助っ人として有力と思しき強豪プレイヤー数人が集まっていた。

ログハウスに集合するや、イタチから『後妻打ち』のあらましを聞かされた面々は、一様に呆れた表情を浮かべていた。そんな一同の冷ややかな反応に、イタチは心中で冷や汗をかいていた。

 

「全く……帰国して早々、何の用かと思ってみれば……全然変わっていないみたいね。いえ、どっちかと言えば、ますます悪化したようにも思えるわ」

 

女性関係を拗らせた末にこのような事態を引き起こしたイタチに対し、辛辣なコメントを口にしたのは、やや目つきの厳しい影妖精族『スプリガン』の女性プレイヤー、シェリーだった。ALO事件解決後、リハビリを経て全快したシェリーこと本名、宮野志保は、アメリカ留学に出ていた。そして、約一年ぶりに帰国していたところへ、イタチの連絡を受けてこの場へ姿を見せたのだった。

 

「もっと言ってやってくれ、シェリー。こいつのヘタレぶりには、私も日頃から苦労させられているんだ」

 

「メダカも大変ね……」

 

シェリーに同意とばかりに口を開いたのは、紫がかった長髪に、現実世界同様の息を呑むような美貌が目を惹くの闇妖精族『インプ』の女性プレイヤー、メダカである。SAO事件においては、攻略ギルド『ミニチュア・ガーデン』のリーダーとしてイタチと轡を並べて攻略最前線に挑んだ強豪プレイヤーである彼女は、今やALO九種族の一つであるインプの領主を務めるまでになっていた。

 

「まあ……お前にはもっと色々と言いたいことはあるが、今問題なのは、アスナが叩き付けてきたという『後妻打ちデュエル』だったな。不足メンバーを補うために参加するのは、私としては吝かではない」

 

「そうね……私も力を貸してあげないでもないわよ。それが、あの子達の望みでもあるみたいだからね」

 

メダカはやれやれと肩を竦めながら了承し、シェリーもそれに続く。二人とも、イタチのためというよりは、イタチの恋人設定に振り回されたユウキに味方するのと、このデュエルによってイタチに大恥をかかせることが目的のように思えた。だが、そもそもの目的がそこにある以上、二人の真意がどこにあるかは問題ではない。

 

「私も良いよ!アスナ達と集まって、皆で本気のデュエルをすることなんて、最近は滅多に無いからね!とっても面白そう!」

 

「そうか……よろしく頼むぞ、ララ」

 

鍛冶妖精族『レプラコーン』のララからの、嬉々としてデュエルを引き受けるという返事を受け、内心でやれやれと嘆息する。ユウキ同様、デュエルを行う事情などについては全く気にした様子は全く無く、『後妻打ち』が何なのかもよく分かっていないだけに、頭が痛かった。同時に、このような不純な戦いに彼女を巻き込んで良いものかと思ったが、このような難題を進んで引き受けてくれる女性プレイヤーの知り合いは非常に少ない。この騒動が落着した後には、ララは勿論、協力してくれたメンバー全員に最大限礼を尽くすことを誓うのだった。

 

「それで、とりあえず三人までは決まったわけだが……残り一人はどうするんだ?」

 

現在集まったパーティーメンバーは、ユウキ、シウネー、ノリ、メダカ、シェリー、ララの六人である。アスナのパーティーに対抗するためには、あと一人足りない。

 

「……残念ながら、最後の一人については俺には当てが無い。そこで、お前達にも協力してもらいたいんだが……」

 

そう言ってイタチはソファーの脇に立っている、カズゴ、アレン、ヨウの三人へと視線を向けた。男性である三人だが、いずれも身内に女性プレイヤーの知り合いがいるため、それを当てにイタチはこの場へと呼び出したのだった。

だが……

 

「いや、確かに女性プレイヤーの知り合いはいるけどよ……」

 

「いくらなんでも、あのアスナ達を相手できるような人を紹介するのは、無理があると思うよ」

 

「これはちょっと……何とかならんと思うんよ……」

 

三人の返事は、一様にイタチにとって好ましくないものだった。しかし、戦う相手が相手なだけに、味方を得るのは容易くないことはイタチとて承知している。何としても味方を得なければならない以上、イタチとしても「はいそうですか」と諦めるわけにはいかないのだ。

 

「何とか一人、都合できないものか?カズゴ、アレン、ヨウ」

 

「……無理言うなよ。お前、このメンバーを相手できるだけの奴が、そうそういると思うのかよ?」

 

そう言ってカズゴが手に取って見せたのは、アスナから送られた果たし状だった。そこには、イタチに対する凄まじい恨みの文句の他に、アスナが率いるパーティーメンバーの名前と当日用意する武器が記載されていた。

 

 

 

アスナ

職業:リーダー、前衛剣士、後衛メイジ

使用武器:細剣

武器銘:『凍剣』ザドキエル

 

リーファ

職業:前衛戦士、後衛メイジ

使用武器:片手剣

武器銘:『嵐剣』ラファエル

 

シノン

職業:後衛射手、サポーター

使用武器:弓

武器銘:『光弓』シェキナー

 

リズベット

職業:前衛戦士、サポーター

使用武器:片手棍

武器銘:フューチャリズム

 

シリカ

職業:前衛戦士、サポーター

使用武器:短剣、テイムモンスター

武器銘:トリメンダス

テイムモンスター:ピナ

 

ラン

職業:前衛戦士、後衛メイジ

使用武器:籠手

武器銘:『雷拳』ヤールングレイプル

 

サチ

職業:後衛メイジ

使用武器:魔法杖

武器銘:エンジェル・ナイト

 

 

 

『果たし状』に記載された、錚々たるメンバーの名前に、その場にいた一同は改めて戦慄した。特にSAO事件当時の『閃光』のアスナを知る者達の反応は顕著だった。

 

「アスナを中心に、どいつもこいつも札付きの実力者ばかりじゃねえか」

 

「しかも、どういうわけだろうね?伝説級武器の使い手が四人もいるよ」

 

元『閃光』にして現『バーサクヒーラー』のアスナを筆頭としたこのパーティーは、カズゴの言うように、いずれも名の知れた猛者揃いである。

しかも、七人中四人は伝説級武器の所持者であり、それ以外の面々もエンシェント・ウェポンを所持している。果たし状には主武装しか書かれていなかったが、それ以外の防具や各種アクセサリーも、相当に高性能なものを揃えて来ることは容易に想像できる。

ちなみに、アスナ、リーファ、シノンの所持している伝説級武器は、イタチがエクスキャリバー獲得クエストの報酬として入手するのを手伝ったものである。それが今、イタチと当時のクエストの助っ人だったユウキを苦しめているのは、皮肉としか言えなかった。

 

「カリンとユズは、こいつら相手じゃ力不足だ。オリヒメとタツキも、最近ALOを始めたばかりだから、戦力にはならねえよ」

 

「……リナリーなら、ギリギリ相手になるかもしれませんが、残念ながらこの日は、お兄さんと出かける予定があるそうです。リナリーのお兄さん……コムイさんは、病的なまでのシスコンですので、来てもらうのはまず不可能です」

 

「アンナなら十分相手になるだろうが、こっちも実家に一度帰っちまってるんよ。タマオじゃこのメンバーを相手するのは無理だしなぁ……」

 

三人の知り合いのALOプレイヤーに望みを賭けていたイタチだったが、いずれも実力不足やリアルの事情で参加は不可能という。最早、万策尽きたとしか言いようが無いこの状況には、流石のイタチも言葉が出なかった。

 

「う~ん……困ったなぁ。こうなったら、最後の手段を使うしかないかな」

 

「最後の手段?」

 

「うん。イタチに女装してもらって、パーティーに入ってもらおうと思うんだ!

 

『ブッ!!』

 

ユウキのトンデモ提案に、イタチ以外の傍にいた全員が噴出した。当のイタチは、両手で頭を抱え、本気で悩んでいた。

 

「それ良いかも!イタチってなんか女の子っぽいし、上手くいくって!」

 

「フフ、そうね……案外、妙案かもしれないわ」

 

「お前等……」

 

悪乗りするララとシェリー、傍でニヤニヤと悪い笑みを浮かべているメダカに、さらに頭痛が増す。そんな中にあっても、必死に足りない七人目の問題を解決するための方法を考えるイタチだったが……悲しいことに、打開策は浮かばなかった。

最早、ユウキの言うように、本当に女装してデュエルに臨むしかないのか……。そんなことを考えさせられる程に、イタチは追い詰められていた。

 

「……うん?」

 

「どうしたの、メダカ?」

 

「ああ、ただのメッセージだ」

 

イタチが本気で苦悩している中、メダカのもとに唐突にメッセージが届いた。だが、今はそれよりも、目の前の問題を解決せねばならない。メッセージを確認しているメダカを意識から外し、思考を集中させる。

こうなったら、聖竜連合のシバトラや、元血盟騎士団のメンバーにも問い合わせて七人目の女性プレイヤーを探さねばならないかもしれない……。そんなことを思い始めた時だった。

 

「イタチ、何とかなりそうだぞ」

 

メダカから、思いもよらない助け船が出た。このタイミングでそのような助けが出て来るとは思わなかっただけに、イタチを含めた全員が目を丸くしていた。

逸早く正気に戻ったイタチが、確認すべく問い掛けた。

 

「メダカ、それは本当か?」

 

「勿論だ。当然のことながら、実力も折り紙付きだぞ。アスナ達のパーティー相手でも、十分に戦える」

 

それを聞いた一同は、さらに驚愕に目を剥いた。ただ一人、イタチだけは、メダカの言葉に訝る視線を向けていた。アスナ率いるパーティーと互角に戦えるとなれば、相当な手練れである。そんな凄腕プレイヤーがいるのならば、噂の一つや二つ、聞いていてもおかしくない。本当に、そんなプレイヤーが都合よく、このタイミングで見つかるのかと、イタチは疑惑を抱いていた。

 

「……一体、何者だ?」

 

「それはここでは言えないな」

 

「……さっきのメールの相手か?」

 

イタチの核心を突くような問いに対し、不敵な笑みを浮かべて黙り込むメダカ。その沈黙が、肯定を意味していることは明らかだった。

 

(このタイミングでメッセージを飛ばすとなると、送り主は今回の『後妻打ちデュエル』の件も知っているようだな。それに、俺に対して正体を隠すということは、逆に言えば俺が知っている人物ということだ。だが、女性プレイヤーでこのデュエルに参加できるだけの実力者となると………………)

 

メダカの態度から、件のプレイヤーがメッセージの送り主であることを確信し、その正体について分析するイタチ。しかし、イタチの知人で、しかもアスナのパーティーにも、この場にいる誰でもない凄腕の女性プレイヤーとなると、どうしても思い浮かばない。如何に七人目を揃えるのが困難な状況とはいえ、そのような得体の知れない相手を、安易にユウキのパーティーに入れて良いのかと、イタチは考える。

 

「どうする?七人目の確保が至極困難な以上、他に選択肢は無いと思うのだがな」

 

「……分かった。その七人目を受け入れよう。ただし、三日後のデュエルの前に、一度顔合わせはする。パーティーメンバーとして戦いに挑む以上は、作戦の打ち合わせもあるからな。これだけは絶対に守ってもらう」

 

「了解した。そのように伝えよう」

 

「ユウキも、それで良いか?」

 

「うん、大丈夫だよ!」

 

結局、八方塞がりの現状をどうにかする術も無かったイタチは、メダカの提案を受け入れ、正体不明の女性プレイヤーを七人目のメンバーとしてパーティーに迎えることとした。ユウキも提案を呑んだことで、これにて即席ながら『後妻打ちデュエル』に備えたパーティーは遂に完成するのだった。

 

(しかし、本当に誰なんだ……?)

 

メダカが推薦したとはいえ、疑問は尽きない。本当にこの判断は正しかったのか、自問自答を繰り返すイタチだったが、結局答えは出ず、その思考を『後妻打ちデュエル』当日の作戦立案へとシフトさせることにした。

 




来月は資格試験のため、投稿は休止します。
次回投稿は10月の予定では。


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第百二十話 頬を落ちる涙、強さになるから

後妻討ちデュエル開催当日。ユウキ率いる後妻パーティー(仮称)は、今から約一時間後のデュエルに備え、連携の最終確認を行うために集まっていた。

集合場所に指定した、新生アインクラッド二十二層のイタチ所有のログハウスには、当事者であるイタチとユウキ以外に、今回のデュエルに参加するメンバーもまた、集まっていた。スリーピングナイツ所属メンバーのシウネーとノリの二人と、イタチの友人であり、今回助っ人として駆け付けてきたメダカ、シェリー、ララの三人もいた。そして、今日この日まで姿を隠していた、七人目のメンバーも……

 

「はじめまして、スリーピングナイツの皆さん」

 

「……何をしているんですか、あなたは」

 

後妻パーティー(仮称)七人が初めて集まる今日この日。メダカの紹介で加わることとなった七人目のメンバーが、朗らかな笑顔で行った挨拶に対し、イタチが口にした第一声がそれだった。

対する七人目のパーティーメンバー……若草色のショートヘアをした、シルフの少女――エリカは、その笑顔を崩すことなく、首を傾げるのだった。

『エリカ』は『アスナ』同様、現実世界における結城明日奈が所有するサブアカウントにて管理されているアバターである。しかし、アスナは前妻パーティー(仮称)のリーダーであり、今回の後妻討ちデュエルにおいてユウキ率いる後妻パーティー(仮称)の敵である。である以上、今目の前にいる『エリカ』を操っているのは、『アスナ』と同一人物ではない。ならば、誰が操っているのか……

 

「何のことでしょう?私は、メダカさんの友人である、ユウキさんに協力するために、この場に来たんですよ?」

 

「……このデュエルが何のために行われるのか、本当に分かって言っているんですか?エリカさん……いえ、京子さん」

 

ネチケットを前面に出し、イタチの追及をのらりくらりと躱そうとしたエリカ。しかし、イタチはその逃げ道を封じるために、この世界における禁忌を犯すことを承知で、相手のリアルの情報を口にした。

そんなイタチの対応に、エリカこと京子は、若干驚いたように目を見開く。しかし、エリカのアバターを危うる自身のリアルを知られることは、恐らくこうして姿を見せる前から予測していたのだろう。すぐにその顔は先程と同じの……否、先程よりも、かなり不敵な笑みを浮かべていた。

 

「あら……どうして分かったのかしら?」

 

「エリカのアカウントを保有しているのは、アスナさんです。そして、アスナさんがアカウントを貸し出す人物は、母親であるあなた以外には無いでしょう」

 

ついこの間も、明日奈の家出騒動を解決するに当たって京子を仮想世界へ招き入れるために、ユイの手伝いを借りて、エリカのアバターを使ったこともあるのだ。恐らくあれ以来、明日奈からアカウントを借りて頻繁にログインしていたのだろうと、イタチは推理していた。

加えて、イタチには前世の忍時代に培った観察眼と直感がある。変化した敵国の忍を割り出すために鍛えたそれらによって、目の前のアバターを操る人物が京子であると見破ることができたのだ。

 

「まあ、そうでしょうね……」

 

「そんなことはどうでもいいんです。それよりあなたは、これから行われるデュエルがどういうものなのか、ご存知なのですか?」

 

エリカを操る京子に対し、重要なことであるが故に、繰り返し同じ問いを投げ掛けるイタチ。対するエリカは、不敵な笑みを崩さずに答える。

そんな意地の悪い笑みを浮かべて応対するエリカを見て、イタチは本当にあの京子なのかと、心底疑問に思う。イタチの知る京子は、「冷徹な女教授」という表現がよく似合う人物だった。決して、このような愉快犯的な真似をするような人物には思えなかった。

 

「アスナをはじめとした女性達に対して不義理を働いたあなたを懲らしめるための、『後妻討ちデュエル』だって聞いているわ」

 

「……それが分かっていながら、本気で参加するのですか?」

 

「何かおかしいことがあるかしら?」

 

「……どこの世界に、娘の後妻討ちに、敵方として参加する親がいるんですか?」

 

「親とか娘とか、そんなことはこの世界で関係あるのかしら?それに、今の私は『エリカ』よ。現実の話を持ち込むのはマナー違反じゃないかしら?」

 

「………………」

 

エリカの屁理屈にも等しい言い分に、イタチは頭痛を感じ、沈黙してしまった。オンラインゲームの世界において、リアルの事情を話すことは、確かにマナー違反である。しかし、娘の色恋沙汰――それも仮想世界とはいえ刀傷沙汰――に親が参加という形で介入するのは、明らかに非常識である。

尤も、『後妻討ち』自体が非常に古い風習であるため、当時は親が参戦することがあったかは定かではない。それに、後妻討ちにおいて母娘が激突するとなれば、大きな話題になることは必定であり……結果として、イタチにさらなる恥をかかせることとなる。である以上、エリカこと京子の参戦も、全く非常識と言えなくもない。

 

「それに、アスナがこんなことをしでかしたのも、私のせいだしね……」

 

「……どういうことですか?」

 

「『後妻討ち』のことよ。あれは、五日くらい前のことだったかしら。あの子が時間になっても夕食の席に来ないから、部屋まで迎えに行ったの。そしたらあの子、部屋で机に突っ伏して泣いていたの。どうしたのかと事情を聞けば、懸想してる男の子に想いを伝えていたにも関わらず、浮気をされたとか。しかもその男の子、あの子以外にもいろんな子にも不義理を働いていたなんていうんですもの……。流石の私も、呆然としてしまったわ。あまりにも呆然とし過ぎて、日本の古文化の講義で使う予定だった、『後妻討ち』に関する書籍をリビングに置いてきちゃった程にね……」

 

「……アスナさんは、それを読んで『後妻討ち』をやろうなどと言い出してきたんですか……」

 

エリカの口から語られた、壮絶な皮肉とともに語られた裏事情に、イタチは眩暈を覚えた。一体どこから仕入れたのかと常々疑問だった、『後妻討ち』の知識の出所だったが、まさかまさかの母親からの教唆である。後妻討ちのことが書かれていた本を置いてきてしまったことについて、エリカは過失だと言っているが、こうなることを見越した、作為的な意思があったことは明らかである。

京子がこのような所業に及んだのは、娘の明日奈を泣かせたイタチこと和人に対する怒りが理由であることは明らかだった。散々イタチのリアルたる和人のことを非難し、明日奈との仲を引き裂こうとしていたにも関わらず、この怒りはあまりに理不尽である。しかし、なんだかんだ言っても、京子も母親である。そして、母親が娘の味方をするのは当然のこと。明日奈に対する厳しい態度も、全ては明日奈のためを思ってのこと。この『後妻討ちデュエル』も、ある意味では親馬鹿を拗らせた故の結果なのだ。

手段はどうあれ、京子が明日奈を母親として大切に思っていることは間違いない。

 

「まあ、良いじゃないか、イタチ。アスナ達を相手するのに必須の、七人目が確保が間に合わないのだから、背に腹は代えられないだろう?」

 

「そうそう!これも大事な母娘のコミュニケーションだよ!」

 

「日本には、『喧嘩する程仲が良い』っていう言葉もあるし、こういうのもアリなんじゃない?」

 

「メダカ……七人目の紹介をデュエル当日まで遅らせたのは、お前だろうが。そしてララにシェリー、母娘のコミュニケーションなら、もっと穏便な方法を模索するべきだろう……」

 

エリカのパーティー加入を強く推すメダカとララの意見に、イタチは頭痛を堪えるようにして額に手を当てた。

ララは『後妻討ちデュエル』において剣を交えることを、本気で母娘のコミュニケーションの一環だと思っているらしい。一方のメダカは、パーティーが抱える現状の問題について述べ、尤もらしい意見を述べているようだが、その顔には非常に意地の悪そうな笑みを浮かべていた。

そもそも、エリカを七人目として最初に推したのは、メダカである。パーティーへの加入自体は、エリカ本人が提案したらしいが、逃げ道を塞ぐために、ギリギリまでその正体を隠していたのはメダカである。イタチも、後妻討ちの教唆は勿論のこと、エリカのアバターを借りて京子が参戦するとは予想することができず、メダカが推す人物を当てにしてしまったのだが。

 

「……このことは、アスナさんは知っているんですか?」

 

「既に私の方から連絡していおいたわ。あの子も、流石に予想できなかったみたいでかなり驚いていたけど、了承は得られたわ」

 

「そう、ですか……」

 

まさか、母親であるエリカ自ら娘に知らせているとは思わなかった。アスナに後妻討ちを嗾けたことといい、自ら後妻討ちへの参加表明をしたことといい、イタチこと和人の知る京子のイメージからかけ離れ過ぎた行動の連続に、本当に本人なのかと疑問に思ってしまう。VRゲームをプレイする中で、仮想世界と現実世界とで、性格が乖離するという話はイタチも聞いたことはあるが……恐らくこの、ドSでアグレッシブで親馬鹿な姿こそが、京子の本性なのだろう。

ともあれ、対決する当事者達が承知しているのならば、パーティーメンバーではないイタチに反論の余地は無い。ならば他のメンバーはどうかと、ユウキ、シウネー、ノリの方へと視線を向ける。だが、ユウキは面白そうと言わんばかりの笑み、シウネーとノリは苦笑を浮かべており、三人とも不満は無い様子だった。

だが、問題は他にもある。

 

「……それで、仮に参加するとして、戦力になるのか?相手がアスナさんやリーファ、シノンとなれば、並のプレイヤーでは戦いにならんぞ」

 

「その心配も無用だ。アスナと話をするために最初にダイブした時、イグドラシルシティ周辺を少しばかり案内した際に、モンスターとの戦闘を少しばかり行ったが、かなりのセンスだ。アスナ達相手でも、互角に戦えることは保証する」

 

根本的な懸念事項である、プレイヤーとしての戦闘能力。ALOを初めて一月と経っていない以上、新人の域を出ない筈なのだが……信じられないことに、メダカは問題が無いという。エリカの実力はイタチにとって未知数だが、SAO以来の戦友であるメダカの目利きは信用できる。流石のイタチも冗談かと疑ったが、その不敵な笑みを見て事実であると思い知らされる。

 

「……それで全員、異論が無いのならば、俺からは何も言うことは無い。良いんだな、ユウキ?」

 

「うん!アスナのお母さんも加えてデュエルするなんて、ますます面白そうだね!」

 

後妻討ちというだけでなく、母娘対決という要素まで加わってカオス極まるデュエルであろうと純粋に楽しめるユウキの姿勢には、ある意味敬意すら抱かされる。ともあれ、エリカが七人目のメンバーになることについては、メンバー全員に了承された。

 

「それじゃあ、デュエル本番に向けた連携について最終確認を行うぞ」

 

ひと悶着あったものの、話を戻し、この場に集まった主目的である最終確認を開始するイタチとユウキ率いる後妻パーティー(仮称)。イタチの口から説明される作戦は、アスナ率いる強豪パーティーを相手に、メンバーの能力を最大限に活かして戦う上で、非の打ちどころの無いものだった。このデュエルにおいて辱められる対象たるとなっているイタチだが、アスナ達にはそれなりに負い目を感じていたのだろう。考案された作戦からは、手抜かりというものが全く感じられない、完璧なものだった。

 

 

 

 

 

 

 

そして、ユウキ率いる後妻パーティー(仮称)にエリカが合流してからおよそ一時間後。イタチ所有のログハウスの前では、ユウキ率いる後妻パーティー(仮称)と、アスナ率いる前妻パーティー(仮称)が向かい合っていた。両サイドのメンバーは全員フル装備であり、アスナ側のメンバーは、事前に通知されていた、非常に強力な武器を各々手に持っていた。対するユウキ達もまた、伝説級武器こそ無いものの、ALOにおいてはかなり上級な武装で固めている。

そしてその中心には審判役の情報屋、鼠のアルゴが立っており、周囲にはALO中から集まった名だたるプレイヤー達で構成されたギャラリーが犇めいていた。

 

「ヨ~シ!それじゃあ、皆集まったことだし、始めようカ?」

 

デュエルを行うパーティーが互いに準備完了したことを確認したアルゴは、いよいよ開戦の宣言をしようとする。それと同時に、向かい合うメンバーに緊張が走り、周囲のプレイヤー達は期待に胸を膨らませて湧き立つ。

 

「お集りの皆サン!それじゃあお待ちかネ!『黒の忍』ことイタっちを巡る、前代未聞のALO最強女剣士のパーティーが繰り広げる激しい戦い!『後妻討ちデュエル』、始まるヨ~!!」

 

ワァァァァアアアアアア!!

 

ギャラリーがハイになって上げる歓声の中、イタチやアスナを知る一部の観客から冷ややかな視線を注がれながら、ただ茫然と立ち尽くすことしかできなかった。そんなイタチに対し、カズゴやアレン、ヨウといった知人の男性陣は、呆れと同情の籠った目を向けているのだった。

そして、そうこうしている間にも、『後妻討ちデュエル』は始まる。

 

「それにしても、アスナもユウキもフル装備じゃねえか。伝説級武器まで持ち出して……ガチじゃねえか」

 

「改めて見ると、凄い面子ですよね。それにあの気迫……双方とも、形だけの騒動で終わらせる気は絶対に無いんでしょうね」

 

本来、『後妻討ち』というものは、前妻が前の夫に自身の存在を刻み付け、周囲に不義理を喧伝するための、形だけの騒動でしかない。故に、必要以上に物を破壊せず、死人は勿論、怪我人も極力を出さないように配慮するものである。しかし、これからアスナ達が行おうとしているのは、『後妻討ち』という形式の仮想世界におけるデュエルであり、実際に死傷者が出る恐れは無い。加えて、前妻を立てて後妻は負けなければならないというルールを除外することも予め決めているので、アスナもユウキも、その仲間達も、一切の容赦をすることなく、互いに殺す気で全力でぶつかり合おうとしているのだ。

 

「女の恨みは恐ろしいっていうけど、マジで笑えねえな……」

 

「ハハ、違えねぇ……」

 

これから幕を開ける、壮絶な女同士の殺し合いを想像し、イタチは勿論、その仲間達もまた、背筋が凍るような想いだった。

そして、ALOにおいて最強の女性プレイヤーで構成されたパーティー同士の、かつてない程に壮絶な戦いが幕を開けるのだった。

 

「ユウキのパーティーメンバーの配置は……まあまあ妥当だな」

 

ユウキ率いる後妻パーティー(仮称)のメンバーは一は、前衛三人に後衛四人に分かれていた。各メンバーに割り当てられた役割も、それぞれの種族とビルド、適性に即したものだった。

 

「ユウキとノリ、メダカの三人が前衛で、残りの四人は後衛か」

 

「シウネーとエリカが回復役、ララとシェリーがサポート系魔法と特殊アイテムによる援護ってところか」

 

絶剣ことユウキを筆頭に、前衛は武器を用いた近接戦闘に優れたプレイヤー三人。いずれもALO乃至SAOにおいて名を馳せた強豪である。

後衛も、回復魔法に優れる水妖精族『ウンディーネ』のシウネーと風妖精族『シルフ』のエリカ、サポート魔法とアイテム作成に優れた鍛冶妖精族『レプラコーン』のララと状態異常魔法を得意とする影妖精族『スプリガン』のシェリーという、援護に優れるメンバーで固められている。

 

「で、アスナのパーティーは……これまた、かなり極端な配置だな」

 

「まあ、適材適所といえばそうだが……」

 

アスナ率いる前妻パーティー(仮称)は、前後衛のバランスが取れていたユウキの後妻パーティーとは異なり、前衛の近接戦に戦力を集中させたものだった。

前衛は、SAO時代の『閃光』にしてALOの『バーサクヒーラー』であるアスナを筆頭として、リーファ、ラン、リズベット、シリカの五人。後衛はシノンとサチの二人のみとなっていた。

剣の世界を生き残ったSAO生還者と、現実世界で武術を嗜んでいるプレイヤーが主体となっているパーティーであるが故に、前衛の近接戦に適性を持つプレイヤーが多いのは確かだが、これではあまりに攻めに傾倒し過ぎている。

本来ならば、序盤はアスナを回復役(ヒーラー)として温存し、ここぞというときに狂戦士(バーサク)として前に出すべきなのだ。にも関わらず、前衛を補佐する後衛は、弓矢による援護射撃を得意とするシノンと、水妖精族『ウンディーネ』でありながら、回復よりも攻撃魔法に傾倒したビルドのサチの二人のみ。これでは、前衛がダメージを負った場合のリカバリーができない。

 

「アスナの奴、かなり無茶な配置してやがるな……」

 

「攻め切る姿勢あるのみって感じだな。あれじゃあ、守りが疎かだ」

 

「恐らく、ユウキのパーティーが後衛に人数を多く割り振ることを見越していたんだろう。近接戦が得意な面々を序盤から前面に出して、早々に決着をつけるつもりなんだろう」

 

それが、イタチの推測だった。近接戦闘に優れるアスナ、リズベット、シリカ、リーファ、ランの五人を前衛に投入することで、人数の有利を活かしてユウキのパーティーの前衛を速攻で倒すか、前衛の隙を突いて後衛へと斬り込むつもりなのだろう。前者の戦術の場合、『絶剣』ことユウキと闇妖精族『インプ』の猛者にして領主たるメダカを相手しなければならず、簡単には倒せない。となれば、後者の前衛を突破しての後衛撃破の可能性が高い。装備アイテムが魔法杖の状態で、前衛職のプレイヤーに懐に入り込まれれば、対応することは不可能である。特にアスナのように、『閃光』と呼べる剣戟が相手ならば、瞬く間に全滅してしまう。

 

「それじゃあ前妻サン、後妻サン……レッツ・ファイト!!」

 

前妻に相当するアスナから、後妻に相当するユウキへとデュエル申請が行われ、ユウキがこれを了承する。そして、両者は各々の得物を構える。開始のカウントダウンがゼロになるのと同時に行われたアルゴのデュエルの開始宣言と同時に、両者は激突するのだった。

戦力差は互角だが、勝負自体は早々に決着するかもしれない。それは、自分が原因で仲間達が殺し合う様を見たくないイタチの、希望的観測でもあった。しかしこの時、イタチは女達の怨念というものを侮っており……早々に決着するなどという考えの甘さを、心の底から痛感することとなるのだった………………

 

 

 

 

 

アスナ率いる前妻パーティー(仮称)の前衛メンバー五人と、ユウキ率いる後妻パーティー(仮称)の前衛メンバー三人が向かい合う。一触即発の雰囲気の中、アルゴによるデュエルの開始と同時に、双方の前衛が互いに突撃する。だが、前妻パーティー(仮称)のリーダーであるアスナは、突撃と同時に後衛に指示を飛ばす。

 

「サチ!詠唱を開始して!!」

 

「了解!」

 

「えぇっ……!?」

 

開戦早々、敵にも聞こえる声量で後衛のサチへと送られたアスナの指示は、魔法詠唱の開始だった。敵前衛とこれから切り結ぶというのに、何を考えているのか。その意表を突いた行動に、ユウキは動揺を隠せない。しかし、その狙いについて思考を割く暇も無く、ユウキはアスナと剣を交えることとなった。他のメンバーについては、メダカに対してリーファとラン、ノリに対してリズベットとシリカが向かっていた。ユウキ以外は、一人に対して二人掛かりで斬りかかっている形となる。

そして、問題のアスナ側の後衛たるサチの詠唱が始まる……

 

(まさか、あれって……!)

 

アスナと切り結ぶ中で聞こえたサチの詠唱魔法。まだ数節目だが、その特徴的な詠唱故に、魔法の正体はすぐに分かった。そしてそれは、ユウキ達にとって信じられない、最悪のものだった。

 

「あれって、もしかして……!」

 

「拙いわね。『ニブルヘイム』で間違いないわ」

 

『ニブルヘイム』は、水属性魔法の広範囲攻撃魔法である。水属性魔法スキルを九百以上まで高めておかなければ習得できない最上級魔法である。数あるALOの魔法の中でも、威力、効果範囲共に群を抜いて強力な魔法であることから、新生アインクラッド導入以前から、多くのボス戦、レイド戦において重宝されていた。その高過ぎる性能故に、アップデートの度にリミットレギュレーションがかけられ、当初は十五節だった詠唱が三十節に増やされ、パーティー及びレイドで一度に発動できるプレイヤーは一名のみ、発動後は十分間のインターバルを要するといった制約が課される程だった。それでも、今尚これを主力とするパーティーやレイドは存在しており、未だにALOにおいて猛威を振るっていた。

そして今、アスナの前妻パーティー(仮称)は、そんな強力な魔法を、たった七人のプレイヤーを相手にするデュエルで、しかも序盤でいきなり放とうとしているのだ。

 

(今日のアスナは、何をやらかすか分からないって、イタチからも言われていたけど、まさかこんな真似をするなんて……!)

 

(前衛の斬り込み役にパーティーメンバーの大部分を投入したのは、速攻で決着をつけるための、攻撃に傾倒したフォーメーションではなく、その逆……前衛全員を足止めするための壁役か!)

 

『ニブルヘイム』を発動できたのならば、前衛のユウキ等三人は勿論、後衛メンバーにまで被害が及び、数人が即死する可能性もある。しかし、詠唱者のサチがダメージを受ければ、即座に魔法は台無し。それを防ぐために、アスナはパーティーの戦力の大部分を前衛に投入し、ユウキ、メダカ、ノリの三人を確実に足止めすることを選んだのだ。

 

「成程。かなり強引な作戦だが、これで私達は動けない。だが、後衛を攻撃できるのは、前衛だけではないぞ!」

 

リーファとランの剣戟と拳を捌きながら、メダカは不敵に笑う。それと同時に、ユウキ率いる後妻パーティー(仮称)の後衛メンバーであるシェリーとララが詠唱を開始する。発動数魔法は、闇属性億劇魔法の『ダーク・スフィア』と火属性攻撃魔法の『ファイア・ボール』である。標的は言うまでもなく、アスナの後衛再度で詠唱をしているサチである。互いのパーティーの前衛が切り結んでいる戦場の頭上を越えて魔法を放ち、サチの詠唱を止めようとしているのである。二人ともサポート魔法が専門なので、攻撃魔法は大した威力を持たないが、どこかしらに命中すれば、超長文詠唱の魔法を食い止めるくらいは簡単にできる。

アスナの前線メンバーは、ユウキの等を食い止めること集中しているので、後ろにまでは手が回らない。

 

「しののん、お願い!」

 

「任せて」

 

だが、アスナとてこの程度の事態は予測済みである。

サチとともに後衛に控えていたシノンが、伝説武器の光弓『シェキナー』矢を番え、飛来する魔法に狙いを定める。初撃には聖属性を付与したの特殊矢『聖矢』、二撃目には水属性を付与した『氷矢』である。『聖矢』は『ダーク・スフィア』、『氷矢』は『ファイア・ボール』に命中してそれぞれの魔法を相殺した。

 

「シノンをサチの守りに使ってくるか……!」

 

「魔法を弓矢で落とすって……まあ、アリなのかな?」

 

ソードスキルによって魔法を消滅させる『魔法破壊(スペルブラスト)』が実在するのだ。相反した属性を付加した矢を魔法に当てれば、これを命中させることは理論上は可能である。イタチやマコトといったトンデモプレイヤーを見てきた故に、ユウキも然程驚きはしなかったが、弓矢による『魔法破壊(スペルブラスト)』も生半可な技術で再現できるスキルではない。イタチとその周囲のプレイヤー達が、常識の通用しない、並外れた集団であることを改めて思い知らされ、ユウキ、シウネー、ノリの三人は戦慄していた。

 

「シウネーとエリカも手伝って!連射するわよ!何としても止めて!」

 

後衛のリーダーであるシェリーの指示により、次々に魔法が放たれる。しかし、対するシノンは慌てた様子を見せず、放たれる魔法一つ一つを見極め、それに相反する属性の特殊矢を番えて一発残らず魔法を撃ち落としていく。

両陣営の前衛が戦いを繰り広げる場所の真上で、次々にライトエフェクトを撒き散らしながら魔法が消滅するその様は、さながら花火大会とも呼べるものだった。その幻想的な光景に、周囲のギャラリーの大部分が目を奪われていた。そして、フィナーレとも呼べる最大の花火が炸裂しようとしていた。

 

「ニブルヘイムが発動するわ!皆、退いて!」

 

詠唱が二十五節目に突入したところで、最早止めることは不可能と悟った後妻パーティー(仮称)の後衛メンバーが、効果範囲から離脱するべく、全力で後退する。白兵戦をしていた前衛のユウキ等も、アスナ達を引き離して各々に散らばって距離を取ろうとする。

そんな彼女等に、無慈悲な一撃が下された。

 

「祈るがいい……せめて命があることを」

 

次の瞬間、戦場に冷気が……否、凍気が迸る。魔法を発動したサチの目の前に移る光景全てが凍り付き、辺り一面が氷河期と化した。その威力は凄まじく、ユウキ達後妻パーティー(仮称)のみならず、ギャラリー達すらをも巻き込み、大ダメージを与える程だった。中には、HP全損に陥ってリメインライトと化したプレイヤーも何人かいた。

そして、この魔法の標的に定められていた、ユウキ達後妻パーティー(仮称)は………………

 

「くぅうっ……何とか、持ち堪えられたか……!」

 

「ギリギリ、だがな……」

 

『ニブルヘイム』が作り出した銀世界の中、効果範囲から逃れきれず、HPを全損したノリのリメインライトが揺らめいていた。しかし、ユウキとメダカは強烈な寒さに身を震わせながらも、息を切らしながら、手に剣を握った状態でその場に立っていた。HPはごっそり削り取られていたが、全損には至っておらず、メダカ本人の言う通り、ギリギリで踏み止まっていた。

前衛で戦っていた二人は、効果範囲から逃れきれなかった。まともに食らえば即死の大魔法がすぐそこまで迫っている中、二人が取った手段は、「ソードスキルによる防御」だった。『ニブルヘイム』の凍気が迫る方向目掛けてソードスキルを発動することで、『魔法破壊(スペルブラスト)』が一部発動し、その威力を幾分か抑え込んだのだ。しかし、フィールド全体を攻撃するタイプの魔法だったため、通常の『魔法破壊(スペルブラスト)』のように完全に消滅させることはできず、大ダメージを被ったのだった。

 

「早く態勢を立て直さねば……」

 

「そうはさせないわよ」

 

「なっ!」

 

序盤からの『ニブルヘイム』発動によって崩された態勢を整えるべく、立ち上がろうとしたメダカの眼前に、アスナが迫る。

そのあまりに速過ぎる動きに驚愕し、反応が遅れたメダカ目掛けて、アスナは自身の持つ細剣OSS『スターリィ・ティアー』を発動。星の頂点を突くように、五連撃の刺突を見舞う。綺麗に全撃決まったそれは、メダカの残り少ないHP全てを食らい尽くした。

 

「そう、か……!」

 

HPを全損し、その身がリメインライトへと変わる中、メダカはアスナがどうやって懐に入り込んだのかを悟った。アスナは『ニブルヘイム』発動時、後退することなく、その場に留まり……そして、魔法が発動し終えると同時にメダカへ目掛けて追撃を敢行したのだ。

改めてアスナの装備を見て分かったが、凍剣『ザドキエル』をはじめとして、指輪や腕輪等は全て、装備者の氷属性魔法への耐性を強化するアイテムで固められていた。それこそ、氷属性の最上級攻撃魔法をまともに受けたとしても、HPを全損することなく、持ち堪えることができるだろうと思える程に。

 

(相変わらず、無茶をする……)

 

メダカの内心の呟きは、言葉になることはなかった。メダカの言う通り、大魔法を囮に自身もまた危険に身を投じて敵へと奇襲を仕掛けたアスナの行為は、無茶以外の何物でもない。

普通のプレイヤーならば考えない……考えても実行に移せないであろう危険極まりないこの作戦。それを実行し、それを成功させることができたのは、一重にアスナの執念が為せる業だった。そしてその執念は、この後妻討ちデュエルに参加している前妻パーティー(仮称)のメンバーのほとんどが共有しているものでもあった。

 

「これで二人……皆、一気に行くよ!」

 

『おう!!』

 

「はわゎっ……!」

 

『開幕ニブルヘイム』とも呼ぶべき作戦により、三人の前衛の内、二人を早くも仕留め、前妻パーティー(仮称)の士気は上がっていた。後妻パーティー(仮称)のメンバーの内、前衛として戦えるのはユウキ、メダカ、ノリの三人のみ。後衛に控えている残りの四人も、前衛が全くできないということもないが、どちらかと言えば後衛向きのビルドである。故に、これで事実上、後妻パーティー(仮称)の前衛はユウキ一人であり、彼女一人で前妻パーティー(仮称)の五人を相手にしなければならないのだ。並みの実力者で構成されたパーティーが相手ならば、『絶剣』ユウキ一人でも十分蹴散らせるだろう。だが、今回は相手が悪い。アスナやリーファを筆頭としたメンバーが相手では、流石にユウキといえども、一人では荷が重すぎる。しかも、前妻パーティーの後衛が健在ならば、猶更である。

結論として、メダカとノリの二人が倒された時点で、形勢は前妻パーティー(仮称)の圧倒的有利……もとい、前妻パーティー(仮称)の勝利確定なのだ。ユウキやシェリーといった面々も、それを理解している故に顔色は悪く、動揺を隠せなかった。まさに絶体絶命の窮地。早くも決着はついたかと、誰もがそう思った、その時だった。

 

「私が出るしかないわね」

 

後妻パーティー(仮称)の後衛メンバーの一人、風妖精族『シルフ』のエリカが、前線へと一歩を踏み出した。

 



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第百二十一話 踏み出す一歩を導くのは、君がくれた果てしない勇気

後衛のポジションを離れ、ユウキやアスナが戦いを繰り広げる前線へと一歩を踏み込んだエリカ。ステータスウインドウを操作して装備を入れ替えたのだろう。その手に握る武器は、魔法杖から片手剣へと持ち替えており、その他の身に纏う防具、各種アクセサリーものも、後衛を担当していた時のものから様変わりしていた。

 

「ちょっと、エリカ!?」

 

「アスナ達と戦うつもりなの!?」

 

「危ないですよ!」

 

後衛に残るシェリー、ララ、シウネーの三人がエリカを止めようとするが、エリカは振り向かない。そしてそのまま、アスナ達と向かい合うユウキが立つ場所へと歩いて行った。

突然のエリカの登場に、ユウキと向かい合っていたアスナ達は目を丸くしていた。そんなアスナ達の反応を怪訝に思っていたユウキに対し、エリカが声をかける。

 

「ユウキ」

 

「えっ……エリカ!?」

 

「アスナを押さえてちょうだい。他の四人は、私が相手するわ」

 

驚くユウキに対し、有無を言わさず指示を出すエリカ。手短に告げると、ユウキの返答を待つことなく、エリカはアスナの後方に立つリーファ、ラン、リズベット、シリカの四人へ向けて剣を構える。対するアスナ率いる前妻パーティー(仮称)は、一度に四人を相手取ると口にしたエリカに対し、警戒を露にする。

いきなり後衛から前衛へと姿を現し、伝説武器持ちもいる上級プレイヤー四人を相手取るというのは、どう考えても大言壮語である。しかし、武器を構えるエリカには、向かい合うプレイヤーにとって油断できない何かを感じさせていた。明確な根拠こそ無いが、目の前の敵は、一筋縄ではいかない……油断することができないと、直観がそう告げていると、全員が感じていた。

 

「……皆、お母さんを……エリカの相手をお願い。ユウキの相手は、私がするわ」

 

「……分かったわ、アスナ」

 

既にメダカとノリを倒しているが、念には念を入れる必要がある。確実に勝利を掴むためには、不確定要素の多いエリカのようなイレギュラーは、全力で排除しなければならない。一人に対して四人は過剰戦力だが、そうする必要があるというのが、メンバーの総意だった。

 

「それじゃ、ボク等は向こうでやろうか」

 

「そうね……」

 

パーティーメンバーと別れ、別の場所へと移動するユウキとアスナ。後衛メンバーは、ユウキにはシウネーが、アスナにはサチが回復役として随伴していた。残りの後衛メンバーは、エリカ対四人の戦いの援護を行うらしい。

 

「それじゃあ、始めましょうか」

 

「アスナのお母さんでも、容赦はしないからね」

 

「本気で行かせてもらいます!」

 

ユウキとアスナが適度な距離を置いたところで、再び武器を構えて戦闘開始を宣言するエリカ。対する四人もまた、伝説武器、エンシェント・ウエポンを再び構えた。

そして、先に動いたのは前妻パーティー(仮称)の、リズベットだった。

 

「行くわよ!」

 

エンシェント・ウエポンの戦槌『フューチャリズム』を振り上げ、ライトエフェクトとともにエリカ目掛けて振り下ろす。戦槌系ソードスキル『パワー・ストライク』である。

戦槌スキルを完全習得したリズベットの一撃は、エリカのような軽装のプレイヤーがまともに受ければ、大ダメージは必至、当たりどころによっては即死のリスクすらある。しかし、そんな一撃に対して、エリカは慌てた様子は無く、軽くステップを踏んで横へ回避した。

 

「そこっ!」

 

そして、片手剣を両手に持つと、ソードスキルを発動して間もないリズベット目掛けて、カウンターの一撃を放とうとする。

しかし、その動きを待っていたとばかりに、今度はリーファがエリカを狙う。片手剣上位ソードスキル『ヴォーパル・ストライク』の刺突である。リズベットは囮で、本命はエリカがカウンターに動いたところを狙ったリーファの一撃なのだ。上位ソードスキルの『ヴォーパル・ストライク』ともなれば、直撃すれば今度こそ即死は免れない。

しかし……

 

「えっ……?」

 

「見え見えよ」

 

リーファの『ヴォーパル・ストライク』を目視することもせず、屈み込んで回避するエリカ。その姿勢のまま、片手剣を構え、ライトエフェクトとともに横に振り抜く。片手剣ソードスキル『ホリゾンタル』である。

 

「きゃぁああっ!!」

 

無防備な腹部に『ホリゾンタル』の一撃を受け、後方へ吹き飛ばされるリーファ。初級ソードスキル故に大した威力は無いが、攻撃を受けた場所は急所だったために、少なくないHPが削られた。

エリカはここで、リーファに対してさらに追撃を仕掛けるべく、ソードスキルを発動する。先程リーファが発動したものと同じ、『ヴォーパル・ストライク』である。

 

「させません!」

 

しかし、ソードスキルを発動しようとしたエリカのもとへ、ライトエフェクトを伴った短剣が飛来する。シリカが発動した短剣ソードスキル『クイック・スロー』である。これに対し、エリカはまたしても余裕で反応し、技を中止して回避しようとする。

 

「もらった!せいやぁぁああっ!!」

 

『クイック・スロー』の回避に動いたエリカの背後を取ったランが、細剣系ソードスキルの『アクセル・スタブ』を体術OSS版として発動しようとする。

 

「甘いわよ」

 

死角に回り込んでの奇襲だったが、これもエリカにはお見通しだったらしい。飛来してきたシリカの投げた短剣『トリメンダス』を手に取ると、逆手に持って背後のランに目掛けて裏拳のように刺突を繰り出した。

 

「ぐっ……!」

 

ソードスキルは発動していなかっため、大して深くは刺さらなかったが、それでも急所である脇腹目掛けて刺突を見舞うことができた。さらにエリカは、刺突で怯んだランの隙を突き、振り向きざまに剣を振り上げ、垂直斬りの片手剣ソードスキル『バーチカル』を見舞った。

 

「くぅうっ……!!」

 

流れるような、速過ぎる動作から繰り出されるエリカの剣戟に翻弄されるランだが、ギリギリ反応が間に合い、後方へ退いて直撃を避けることができた。

 

(危なかった……まともに入ってたら、ただじゃ済まなかった……!)

 

直撃は免れたが、エリカの剣戟は鼻先と胸部・腹部の正中線を掠めていた。直撃していれば、即死する程ではないにしても、ごっそりHPを持っていかれていたことだろう。

 

「す、すごく強いです、この人……!」

 

「あたし達四人を相手になんでこんなに戦えてんのよ!本当にALO初心者なワケ!?」

 

リズベットのツッコミに、エリカの相手をしていた他の三人全員が内心で同意していた。

実際には、ALOどころかVRゲーム自体が初心者である。にも関わらず、リズベットの先制に始まった、僅か十数秒の攻防の中で、エリカは四人の攻撃全てを次々に捌いて見せたのだ。反応速度といい、並外れたアバターの動作といい、手慣れた武器の扱いといい、とてもではないが、仮想世界に慣れていない人間のものとは思えなかった。

 

「……やっぱり、四人相手は少し辛いわね」

 

口では「辛い」などと言っているエリカだが、焦った様子など全く見られない。今も、自分を囲む四人に対し、警戒を一切解くことなく、全員の一挙手一投足に注意を払っていた。

 

「悪いけれど、こっちも味方を呼ばせてもらうわ」

 

そう言ってエリカが腰のポーチから取り出したのは、二枚の札型のアイテムだった。エリカが投げたそれらは、空中で停止する。そして、と赤と青の二色のライトエフェクトを放ち、その背景の空間がゆらりと陽炎のように歪んだ。

 

「あれって……!」

 

「まさか、モンスターの湧出(ポップ)!?」

 

それは、モンスター……特にボス戦に挑むことが多い面々にとっては、見慣れた現象だった。強力なモンスターが出現する前兆のエフェクトである。四人が驚愕を露にする中、空中に浮かんだ二枚の札を中心として、巨大な影が出現する。

影はやがて、人のような実態を得て戦場へとその姿を見せる。最初に札が発したライトエフェクトと同じ、赤・青二色の体色をした、二体のモンスターである。身長は二メートルほどで、筋骨隆々とした体格で、頭には二本の角が生えているそれは、まさしく『鬼』と呼べるものだった。

 

 

 

 

 

「あれって、まさか……」

 

「『前鬼』と『後鬼』、だよな……アンナも使ってる」

 

デュエルの最中、突如として姿を見せた二体のモンスターに、イタチをはじめとしたメンバー達は、見覚えがあった。『前鬼』、『後鬼』と呼ばれるそれらのモンスターは、闇妖精族『インプ』が召喚・使役できるモンスターである。使役といっても、猫妖精族『ケットシー』のように、テイムして常時傍に置くことができるものではなく、魔法によって召喚して一時的に戦闘に使役できるだけのものであり、一定時間が経過すれば消滅してしまうタイプのモンスターである。

イタチ等の仲間内では、闇妖精族『インプ』の仲間であるメダカのほか、ヨウの現実世界における知り合い――実は婚約者――であるアンナがこれを多用している。

 

「インプじゃないと使役できないモンスターを、どうしてシルフのエリカが使役できるんだ?」

 

「さっきの札型のアイテムか?だけど、『魔法符』は召喚魔法を封じ込めることはできない筈だぞ?」

 

「召喚魔法が使える札なんてアイテム、ありましたっけ?」

 

詠唱を省略できる上、種族適性を無視して召喚魔法を使えるアイテムなど、ALOをそれなりの時間プレイしてきたカズゴやヨウ、アレンでも心当たりが無かった。一体、あの札型アイテムの正体は何なのか……その答えを導き出したのは、イタチだった。

 

「あれは、課金アイテム『式神符』だ」

 

「課金アイテム?」

 

「……まさか、あれが?」

 

課金アイテムとは、その名の通り、現実世界の金銭を支払って購入するゲームアイテムである。アイテムの種類は、武器から使い捨てのものまで多岐にわたり、その中には通常のプレイでは入手できないものも多数含まれている。

『式神符』もまた、その中に含まれるアイテムの一つだった。詠唱を省略した上で、種族適性を無視したモンスターを召喚・使役ができるこのアイテムの性能は非常に高い反面、課金でしか入手できないという制約があり、一般のプレイヤーには広く知られていなかった。しかし、『式神符』の認知度が低い最大の理由は、別にある。

 

「『魔法符』同様、MPの消費も無しに式神を呼べるなら、確かに便利なアイテムだが……」

 

「あんな高性能なアイテムが、あまり認知されていないのは少しおかしいですね」

 

「課金アイテムっていうことは……やっぱり、金の問題なんか?」

 

カズゴ、アレン、ヨウが疑問符を浮かべるとともに、一様にイタチの方へと視線を向けた。他のギャラリーの仲間も同様である。それもその筈。この中で一番、課金アイテムに詳しいのはイタチなのだから。そしてイタチは、溜息と共に課金アイテム『式神符』について語り出すのだった。

 

「『式神符』の値段は……一枚あたり、二千円だ」

 

イタチの口から語られた、『式神符』が広く知られていない所以たるアイテムの値段を聞いたカズゴ等が、驚愕に目を見開く。

 

「二千円って……マジかよ?」

 

「事実だ。呼び寄せることができるモンスターの能力はそれなりに高いが、持続時間は十分間で、魔法や他アイテムによる時間延長も利かない。しかも、個人が持ち歩ける数は六枚が限度と設定されている。その使い所の難しさ故に、金額と性能の釣り合いが取れないことから、誰も使いたがらないということだ」

 

「そんな高価なものを、こんな私事のデュエルで……しかも二枚も使ったんですか?」

 

「俺も流石に、あんなものまで使うとは思わなかったがな……」

 

一枚二千円の式神符を、二枚投入……合計四千円の出費である。ALOプレイヤーの大部分を占める学生は勿論、並の社会人の身では中々手が出せない金額だが、有名大学の教授という、高収入の職に就いている京子ならば、簡単に出せてしまう金額と化すのだ。

 

「そういや、エリカが持ってる剣とか防具って、見覚えの無えものばっかだが……」

 

「もしかして、あれって……」

 

突然のエリカの後衛から前衛への参加や『魔法符』の使用に驚いて気が付かなかったが、エリカの装備はALO上位プレイヤーのカズゴやアレン達でも見た事の無いもので固められていた。上位クラスのプレイヤーですら見た事の無い装備となれば、出所は一つだろう。皆が抱いたその考えを、イタチが肯定した。

 

「ああ。あれら全て、課金アイテム、だな」

 

「やっぱりか……」

 

イタチが口にした予想通りの言葉に、それを聞いていた一同は顔を引き攣らせる。そんな仲間達に対し、イタチはアイテムの説明を続けた。

 

「先程から振り回している片手剣は勿論のこと、両腕に装備している指輪や腕輪、防具にブーツ……いずれもかなりの性能だ。購入にかかった金額は、現実世界の金額で一万や二万どころではない。先程の『式神符』も、確実に上限の六枚は持っているだろう。それに、同様の使い捨てアイテムも多数持っているとなると、さらにその数倍以上はするだろうな……」

 

万単位の金を装備品や特殊アイテムの購入のために惜しげも無く投入するなど、廃人プレイヤーの領域である。エリカの場合、必要な装備をはじめ各種アイテムをゲーム内で揃えるための時間が無かったため、課金アイテムに手を出したのだろうが、それでも投入する金額が半端ではない。

しかし、京子とて人並みの金銭感覚はあり、課金アイテム購入に使用した金額が決して安くないという認識はきちんとある。にも関わらず、これ程までに高価な課金アイテムを惜しげも無く購入して使用できるのは、偏にデュエルを盛り上げるためだった。

 

「そこまでして、イタチに恥をかかせたかったのかよ……」

 

「何だかんだ言っても、母親は娘が可愛いってことなんだろ……」

 

「親馬鹿なだけでなく、大人げない気もしますが……」

 

後妻討ちの目的は、前妻・後妻が壮絶な戦いを繰り広げ、騒動を起こすことで夫の不義理を周囲に知らしめることが目的なのだから、高金額の課金アイテムの使用等、話題になりそうな戦い方をすることは理に適っている。

しかし、娘のために戦場へ赴くだけでなく、金という大人の力間で駆使してイタチを攻撃しようとするその姿勢には、イタチも他の皆も、呆れ果てていた。アレンの言う通り、親馬鹿を拗らせに拗らせたその姿は、大人げないの一言に尽きる。

しかし、そのような行動に駆り立てる原因を作ったのは、他でもないイタチ自身である。本人もそれを自覚しているだけに、頭が非常に痛かった。

 

 

 

 

 

 

 

「さて……それじゃあ、再開しましょうか」

 

『前鬼』と『後鬼』という強力な味方を呼び出したエリカは、再度片手剣を構え直す。四方からエリカを取り囲む前妻パーティー(仮称)のメンバーの間には、緊張が走る。

しかし、一人とそれに随伴する二体に対し、四人が動かず睨み合う膠着状態が長く続くことはなかった。先程の宣言の通り、先に動き出したのは、後妻パーティー(仮称)のエリカだった。斧を持った『前鬼』がリズベットへ、籠手を身に付けた『後鬼』がランへと狙いを定めて襲い掛かる。そして、エリカが狙いを定めたのは、同じ片手剣使いのリーファだった。

 

(速い……!)

 

瞬く間に距離を詰めて来るエリカの握る片手剣には、青色の光が宿っている。片手剣ソードスキル『レイジスパイク』である。その凄まじい速度故に、移動した軌跡には眩い光芒が線を引いていた。

 

「くっ!なんの!」

 

神風の如く迫ったエリカの一撃は、リーファをもってしてもギリギリ反応が間に合うかどうかという程の速度だった。嵐剣『ラファエル』を通じて伝わるその重みは、ソードスキルによるシステムアシストと各種装備による強化だけではない……エリカ自身が持つ剣術のセンスを感じさせるものだった。

 

「なら、これはどうかしら?」

 

「え……っ!?」

 

『レイジスパイク』を弾いたリーファに対して間髪入れずにエリカが繰り出したのは、左手に持った短剣による三連撃刺突系ソードスキル『トライ・ピアース』。三角形の点を描くように繰り出す刺突は、ソードスキルの防御で動きが止まっていたリーファの胴体に全て入った。

 

「隙ありよ」

 

リーファに『トライ・ピアース』を叩き込み、技後硬直に陥った隙を見逃さず、シノンが麻痺効果のある状態異常降下の特殊矢を射る。放たれた矢は、狙い違わずエリカ目掛けて飛来していく。

 

「見え見えよ」

 

しかし、後衛からの援護射撃は、エリカも予測していたらしい。放たれた矢に対し、今度は右手に持った片手剣を振り翳し、ソードスキル『スラント』を発動。斜めに振り下ろす単発技は、シノンの放った矢の鏃を掠め、その狙いを逸らす。そして、

 

「きゃぁっ!」

 

「シリカ!」

 

軌道を外れた矢は、エリカに対して後ろから襲い掛かろうとしていたシリカの方へと突き刺さった。麻痺状態に陥ったシリカは、その場に仰向けの状態で崩れ落ちた。ピナが矢を口に咥えて引き抜いたが、シノンが矢に用いた麻痺毒が強力過ぎて、そう簡単には動けない。

 

「はぁぁああ!!」

 

麻痺に陥ったシリカに対し、エリカが追撃を仕掛けるために振り向こうとした時、リーファがダメージによる衝撃から立ち直り、エリカ目掛けて斬りかかった。対するエリカは、右手の片手剣と左手の短剣で斬撃を軽くいなすと、後方へと跳び退き、リーファから距離を取った。

 

「シリカちゃん、大丈夫!?」

 

「うぅ……ごめんなさい、リーファ」

 

右手に剣を握って油断なくエリカに構えながら、地面に膝を付いて左手に持った状態異常回復アイテムを用いてシリカの麻痺を治療するリーファ。前衛二人が倒されたことで、後衛からこうして前衛へと出てきたエリカだが、その実力は全く油断できない。高性能の課金アイテムを使用しているとはいえ、SAO、ALO、GGOの強豪プレイヤー達を相手にここまで大太刀回りできる剣技と戦略眼は、ALOを始めて一月と経っていない、素人のものとはとても思えなかった。

 

(『レイジスパイク』に『トライ・ピアース』に『スラント』……初級とはいえ、立て続けにあれだけのソードスキルを使えるわけがない。やっぱりあれは、『スキルコネクト』……しかもお兄ちゃんと同じ、両手に違う武器を持っての発動!)

 

(それに、私の援護射撃に対するタイミングも恐ろしいほどぴったりだった。正面で戦っているリーファは勿論のこと、後衛の私と背後から迫るシリカに対する警戒も全く怠らず、全て計算した上での反撃だったわ……)

 

ソードスキルというものは、単発・連撃を問わず、技の発動後には必ず硬直が発生する。故に、タイムラグ無しで連続発動することなど、できる筈は無いのだ。唯一の例外は、イタチが開発した、ソードスキル同士をモーションで繋げて連撃とするシステム外スキル『スキルコネクト』である。

しかし、イタチが実際に行使しているとはいえ、決して容易い技ではない。『魔法破壊(スペルブラスト)』同様、リーファやアスナといった強豪プレイヤー達が挑み、習得できなかった超難易度のシステム外スキルなのだ。両手に異なる武器を持ちながら操るとなれば、発動は猶更に困難を極める。それを難なく発動させるどころか、周囲の敵の動きにも注意を払いながら、ソードスキル発動のタイミングやシステムアシストによる動作の加速等々を見極め、三方からの攻撃全てに対処して見せたのだ。単純に剣技に優れるだけでなく、ソードスキルとスキルコネクトを使いこなし、自身を取り囲む敵全てに対処する戦闘センスには、非常に恐ろしいものがあった。

 

「そういえば、この前アスナさんに聞いたことがあります……アスナさんのお母さんって、昔、剣道の大会で東北地方の代表になったことがあるって……」

 

「……私も、今思い出した。随分前にお祖父ちゃんに聞いたことがあったんだけど……東北の剣道大会で、古流剣術の二刀流を披露した、お祖父ちゃんも一目置くような、『宮城の竜』って呼ばれていた、超一級の美女の使い手がいたって」

 

それは、もう十年以上も前の、リーファこと直葉の記憶において非常に古い話だった。東北地方の宮城県出身の剣道選手の中に、凄まじく強い女性の使い手がいたという。しかもその女性は、マイナーな古流剣術に精通し、二刀流を使いこなしていたらしい。一刀流しか認められていない公式大会では、その技術を披露する場が無かったものの、形だけでなく、非常に実戦に即したものとして再現できたという。

無論、その剣技は一刀流であろうと非常に強力であることには変わらず、剣道の全国大会においては、当時最強と謳われた関西地方出身の『冬木の虎』と呼ばれた選手をして互角と言われておいた。故に、剣道世界においてその女性は、西の虎と対を成す東の竜、或いは出身地にちなんで独眼竜の再来……『宮城の竜』と呼ばれていた――――――

 

「その人の本名なんだけど……確か、下の名前が“京子”って言ってたような……」

 

「まさか、それがアスナさんのお母さんなんですか!?」

 

「成程ね。要するに、血は争えないってワケか……」

 

エリカこと明日奈の母親、京子の驚くべき過去を聞かされ、驚愕を露にするリーファ、シリカ、シノンの三人。シノンに至っては、エリカのずば抜けた実力の理由を聞かされたことで、むしろ納得した様子だった。

SAOにおける『閃光』、ALOにおける『バーサクヒーラー』の異名を持つアスナの剣技と仮想世界への高い適応能力が、母親譲りのセンスだとするならば、エリカの強さも全て納得できる。アスナ率いる前妻パーティー(仮称)のメンバーにとって、エリカは最早、プレイ歴が短いからと油断できる相手ではない。アスナと同等、或いはそれ以上の脅威となっていた。

 

「リーファ、シリカ。エリカを早々に片付けるわよ」

 

リズベットとランは、エリカが呼び出した前鬼・後鬼と、離れた場所で未だに戦闘中である。式神符の発動には十分間の制限時間があるとはいえ、エリカを相手している最中にリズベットとランの合流を期待することはできない。また、エリカの持っている式神符も二枚だけとは限らない。消滅した傍からさらなる増援を呼び出されれば、不利になることは目に見えている。である以上、リーファ、シノン、シリカの三人に残された道は、エリカの撃破以外に無いのだ。

 

「簡単に言ってくれるけれど、そう思い通りにはいかないわよ」

 

薄らと笑みを浮かべながら、左手に持った短剣を鞘に納め、ポーチから新たな式神符を“二枚”取り出すエリカ。それらは宙に放り投げられると同時に、桃色と紫のライトエフェクトと、モンスター湧出の前兆である空間の揺らぎを発生させた。やがて、先程の前鬼・後鬼と同様の現象とともに、二匹のモンスターが姿を現した。

一匹はクラゲやクリオネを彷彿させる、ふわふわと浮かぶ桃色のモンスター。もう一匹は、紫を基調とした毒々しい色合いをした、毒蛾のモンスターである。

 

「『アビスフローター』に『ポイズンゲール』!」

 

「前鬼・後鬼と違って、後衛に特化したモンスター達ね」

 

さらに言えば、この二体のモンスターは状態異常を発生させる技を得意とする。アスナに匹敵する戦闘センスを持つエリカだけに、が繰り出される戦術の脅威は計り知れない。

 

「行きなさい」

 

「フォォオ……!」

 

「ケェエエッ!」

 

エリカの指示に従い、桃色の浮遊体モンスター『アビスフローター』が白い霧を発生させ、紫色の毒蛾モンスター『ポイズンゲール』は金色のライトエフェクトを放つ鱗粉を撒き散らす。白い霧は、鱗粉を巻き込みながら、周囲に広がっていく。

 

「拙い!麻痺作用のある毒鱗粉だわ!」

 

「霧に混ぜ合わせて辺りに撒き散らすなんて……!」

 

「こんな戦術、聞いたこと無いですぅっ!」

 

毒蛾・毒蝶型モンスターの鱗粉、毒性植物型モンスターの花粉といったものは、状態異常の発生率が高い代わりに、有効範囲が狭いことと、風属性魔法で簡単に散らせることが弱点とされていた。だが、アビスフローターのようなモンスターが発生させる霧ならば、周囲に拡散するスピードが風属性魔法に比べて緩やかなため、鱗粉を周囲に拡散させることができるのだ。

アビスフローターもポイズンゲールも、アルヴヘイムにおいて住処が異なるモンスター達であるため、その攻撃が組み合わさることは無かった。加えて、二匹ともモンスターの中では弱い部類だったので、テイムを得手とするケットシーのプレイヤー達ですら、それらの能力を組み合わせることなど考えつかなかった。そして、鱗粉・花粉にせよ、霧にせよ、モンスターのみが使える技であり、現状、プレイヤーが使用できる魔法には同様の効果を有するものは存在しない。

そんな強力なコンボを、エリカは一カ月に満たないプレイ時間で考え付き、式神符によって実現して見せたのだ。エリカが見せた驚異的な戦闘センスには、リーファ、シリカ、シノンの三人は本日もう何度目かになるかも分からない戦慄を禁じ得なかった。

 

「きゃぁあっ!!」

 

「なぁああっ……!?」

 

辺りに広がっていく霧は、エリカと対峙していたリーファ、シリカ、シノンの三人だけでなく、前鬼・後鬼と戦っていたリズベットとランをも呑み込もうと迫る。リズベットはギリギリ反応が間に合い、前鬼との戦闘から離脱して霧を回避することに成功したが、後鬼と殴り合いの近接戦をしていたランは間に合わず、霧に触れてしまった。途端、前妻パーティー(仮称)の視界端に表示されている、ランのHPバーに麻痺のデバフアイコンが灯った。

 

「二人とも、逃げて!あの霧に触れないようにして!」

 

前妻パーティーの形勢をこれ以上不利にさせないためには、麻痺を受けたプレイヤーをこれ以上増やすわけにはいかない。後衛のシノンが飛ばした指示に従い、リーファとシリカは、毒霧から逃れるべく、散り散りになって逃げる。霧はゆっくりとだが、確実に三人を追い込んでいた。

 

(そうだ!空に逃げれば良いじゃない!)

 

戦闘開始時点から地上戦だったため、地面を走っていたリーファだったが、上空に逃げ場所があることに今更ながら気付いた。毒霧の有効範囲は地上二~三メートルであり、普通に飛行すれば簡単に振り切れる。何故すぐに思い付かなかったのかと思いつつも、翅を広げて飛び立った。

だが……

 

「そこね」

 

「んなっ……!?」

 

上空へ飛び立った途端、リーファの足へと目掛けて、白い霧の壁を切り裂きながら、目にも止まらぬ速さの一撃が迸る。リーファを襲った攻撃の正体は、エリカが手に持った先端が鏃のように尖り、返しの付いた『戦鞭』だった。恐らく、毒霧を発生させたのと同時に、クイックチェンジで武器を片手剣から戦鞭に持ち替えたのだろう。数ある武器の中でも、特に長いリーチを持つ戦鞭故に、この霧の中にあっても、上空に姿を見せたリーファを簡単に攻撃することもできたのだ。

戦鞭自体が牽制に用いられる武器であるため、大したダメージにはならなかったものの、エリカが繰り出した一撃が齎したのは、ダメージだけではなく……リーファの視界端に表示されるHPバーに、毒の状態異常を示すデバフアイコンが灯った。

 

(毒!?しかも、HPが減るの速い……!)

 

エリカが振るった戦鞭の銘は『ポイズンテール』。状態異常を起こす課金アイテムの武器の中では、特に強力な毒を有することで知られている。通常の毒が時間経過とともに一定量のHPが削られるのに対し、『ポイズンテール』が与える毒は、経過時間と共に削られる量が増えていく、『猛毒』と呼ばれる強力な毒の状態異常なのだ。

 

(一度離れて、回復しないと……!)

 

このままでは、毒にHPを根こそぎ奪われかねない。それを防ぐために、解毒をするべく距離を取ろうとするが……

 

「わぁああっ!!」

 

後退しようとしたリーファ目掛けて、『ファイア・ボール』と『ダーク・スフィア』が放たれる。後妻パーティー(仮称)の後衛である、ララとシェリーの魔法による援護射撃である。

 

「ララ、反撃の隙を与えないで!」

 

「了解っ!」

 

どうやら二人とも、回復の隙を与えるつもりは無いらしい。後衛二人掛かりの遠距離魔法に晒された状態では、リーファといえども解毒・回復はできない。堪らず、霧が立ち込める地表へと戻るのだった。霧は相変わらず、リーファを呑み込もうとしているが、相手方からの視界も塞いでくれるお陰で、魔法による攻撃に晒される心配は無い。

霧の立ち込めていない場所に着地したリーファは、解毒アイテムと回復アイテムを取り出して治療を行い、態勢を立て直す。上空へ飛べば、毒鞭と魔法の集中砲火を浴びることとなるが、霧を盾にすればダメージは受けずに済む。このまま、式神符の効果が切れるまで地上に退避し、膠着状態を維持していれば、反撃のチャンスは巡ってくる筈であると、リーファは考えていた。

しかし、そんなリーファの考えも、アスナ以上の神算鬼謀のエリカにはお見通しだった。

 

「え……?」

 

仲間と合流するべく、その場から動き出そうとしたリーファの、風妖精族『シルフ』として優れた聴覚が、霧の奥から響いた謎の風切り音を捉えた。途端、エリカがいる方向より、霧を裂いて『ポイズンテール』の尖った先端が迫る。蛇の尾のように撓りながら繰り出された鞭の一撃は、リーファの左肩を穿ち、再びの猛毒を齎した。

 

「嘘っ!?」

 

白い霧に視界を遮られた状態にありながら、性格に繰り出された戦鞭の一撃に驚愕するリーファ。しかし、エリカの攻撃はそれだけでは終わらない。視界端に浮かんだ、毒のデバフアイコンが点滅した自身のHPバーと隣り合う位置に存在する、同パーティーメンバーのランのHPバーに灯る麻痺のアイコンの横にも、同じく毒のデバフアイコンが灯ったのだ。

 

「ランさんっ!」

 

毒霧に呑まれ、麻痺で身動きが取れなくなっていたランもまた、猛毒を受けてしまった。リーファとは違い、身動きの取れないランでは治療はできない。応援に向かおうにも、毒霧の中にいるランのもとへ駆け付ける手立てが無い。結論として、ランのことは見捨てざるを得ないのだ。

 

(どうやって私達をこんなに的確に狙えるのよ……!?)

 

明らかに当てずっぽうではなく、リーファとランの位置を正確に把握しての繰り出された攻撃だった。一体、どうやってこの霧の中で、リーファの居場所を掴んだのかと考えを巡らすリーファだが……その耳が、ある音を捉えた。

 

(空から……?)

 

音源を探ると、どうやら上空らしい。一体何の音かと、霧の無い上空へ視線を向けると……そこには、長い翅を震わせて滞空する、虫型のモンスターがいた。

 

(あれは……トンボ型のモンスター?まさか、使い魔!?)

 

それを視認した途端、リーファの中で全てが繋がった。

上空からリーファを見下ろすトンボ型モンスター『オーガフライ』は、エリカが式神符を使って呼び出した新手のモンスターである。エリカはそれを、魔法で使い魔とすることによって、視界を共有し、上空からリーファとランの位置を割り出し、正確な攻撃を仕掛けたのだ。

 

「早く落とさないと……!」

 

この霧の中にあっては、一方的に居場所を特定して攻撃できるエリカが繰り出す鞭を避けることは不可能である。これ以上、仲間達を毒状態にさせられるわけにはいかないと考えたリーファは、解毒をする間も惜しんで使い魔を落とすことにした。

無数の真空の刃を放つ風属性魔法『ウィンド・カッター』を繰り出し、『オーガフライ』を落としにかかる。だが、繰り出される風の刃は悉く回避される。

 

(どうしてあんなに避け切れるのよ!?)

 

リーファは知らなかったが、トンボ型モンスター『オーガフライ』には、飛行時間に比例してその速度を増す特性を持っているのだ。生半可は攻撃魔法では、簡単に避けられてしまうのは必定だった。

そして、上空に魔法を放つという行為は、自身の居場所を教えることと同義である。その結果……

 

「きゃぁああっ!!」

 

後妻パーティーの後衛であるララとシェリーから、白い毒霧越しに放たれる魔法が、リーファを襲う。相変わらずの『ファイア・ボール』と『ダーク・スフィア』による単調な攻撃だが、魔法が初級故に詠唱が短く、MP消費も少ないため、連射が利くのだ。狙いも大雑把ではあったものの、二人掛かりで連射されれば、リーファも無傷では済まない。

 

「しっかりしなさい、リーファ!!」

 

そんなリーファを援護すべく、シノンが動く。リーファへと迫る魔法を特殊矢で相殺すると、今度は上空にて滞空するオーガフライ目掛けて弓系ソードスキル『スターダスト・エクサ』を発動し、上空から無数の矢を降下させてこれを撃ち落とす。使い魔を始末したシノンは、リーファの手を取り、急いでその場を離れた。

 

「すぐに解毒しなさい!反撃に転じるわよ!!」

 

「は、はい!」

 

シノンに喝を入れられ、自身の解毒と治療を行うリーファ。一方、シノンはこの現状を打破するための特殊矢を手に取る。

 

「強風を発生させる『突風矢』よ。これで霧を吹き飛ばせば、一瞬だけど視界が晴れるわ。その隙を狙って、エリカと後衛二人に『爆裂矢』を叩き込む。これでエリカたちは全滅よ」

 

アイテムの効果に物を言わせた単純な作戦だが、危機的状況を打開する方法は他に無い。これ以上エリカの攻勢を許せば、戦況は完全に覆りかねないのだから。

 

「ララとシェリーはともかく、エリカがこれで仕留められるかは、まだ分からないわ。リーファ、何が起きても良いように備えていて」

 

「りょ、了解……」

 

リーファにそれだけ言うと、シノンは特殊矢『突風矢』を弓に番え、目の前に広がる白い毒霧へと狙いを定めて弓を引き絞り、その向こう側にいる敵目掛けて射た。

途端、『突風矢』の効果により、目の前にできた霧の壁に、文字通りの風穴が開いた。視界が晴れた霧の向こう側には、三人のプレイヤーの姿があった。前衛役のエリカと、後衛のララ、シェリーである。

 

(三人、いるわね……)

 

三人の敵の位置を瞬時に記憶したシノンは、続いてもう一つの特殊矢『爆裂矢』を、一気に三本手に取り、それらを一度に番える。弓系ソードスキルで射ることができるのは、通常の矢のみ。魔法効果等を有する特殊矢の場合は、ソードスキルのシステムアシストを受けることができず、同時に射出することもできないのだ。それを、複数同時にに射るこの技術は、ソードスキルのシステムアシストに依らないシステム外スキルに他ならない。これこそ、シノンが編み出した弓によるシステム外スキル、『三重射撃(トリプルショット)』である。

霧が再び立ち込め、突風矢でできた風穴を塞がれると同時に、先程確認した標的であるエリカ、ララ、シェリーのいる三カ所に狙いを定めて弓を引き絞り、三本同時に射出した。

 

「どわぁあっっ!!」

 

「ぐぅうっ!!」

 

途端、霧の向こう側から巨大な爆発音が二発、立て続けに響き渡る。それと同時に、二人分の……ララとシェリーの悲鳴が響いた。死角からの不意打ちを行うため、霧が再び立ち込めてから射出したが、攻撃の威力が高く、範囲が広い『爆裂矢』のお陰で、後衛二人は狙い通りに倒せたらしい。だが、三発目の……エリカに向けて放った爆裂矢の爆発音が、聞こえなかった。

 

(おかしい……)

 

多少の距離はあったものの、同時に放った以上は、多少の誤差はあってもほぼ同時に爆発音は聞こえる筈。ましてや、エリカは前衛に出ていたのだから、二人よりも早く爆発音は聞こえる筈。にも関わらず、それが聞こえないのは、明らかに不自然である。一体、何が起こっているのか……その原因へ思考を走らせようとした、その時だった。

 

「なっ!?」

 

放たれた三本の矢の内、エリカへ向けて放たれた方向の霧を引き裂き、シノンのもとへ、何かが飛来した。霧で覆われた視界の向こうから飛来したため、反応が遅れてしまったシノンだったが、飛来物の正体を見ることはできた。それは、先程シノンが放った『爆裂矢』だった――

 

「わぁぁああっ!!」

 

突如として霧の向こうから飛来した爆裂矢は、シノンの右肩に突き刺さると同時に爆発。シノンのHPを一撃でゼロにした。さらに、隣にいたリーファも爆風の影響で吹き飛ばされ、地面を転がることとなった。

 

(一体、何が……)

 

爆発の影響で受けた大ダメージを魔法で回復しながら、何が起こったのかを確認しようと周囲を見回すリーファ。幸い、先程の爆風のお陰で視界は幾分か晴れており、後妻パーティー(仮称)のいる場所まで見渡すことができるようになっていた。

敵方のメンバーが布陣する場所へと視線を巡らせる。後衛の二人が居た場所には、二色のリメインライトが揺らめいている。どうやら、シノンの『爆裂矢』は二人を上手く仕留められたらしい。ならば、エリカはどうかと、そちらを見てみると……

 

(あれって……まさか、『カウンター・スタチュー』!?)

 

エリカが立つその場所には、先程までは無かった、一体の石像が立っていた。ギュッと目をつぶり歯を食いしばっているかのような表情が特徴的な、ひょろ長い体格をしたモンスターの石像である。これは、『カウンター・スタチュー』と呼ばれる石像型のモンスターである。その名が示す通り、ソードスキルや魔法による攻撃に反応し、あらゆる攻撃を跳ね返す能力を持っているのだ。チートに聞こえる能力だが、単一の標的に対する攻撃にのみ反応するため、範囲攻撃型のソードスキルや魔法は防げないのだ。加えて、『カウンター・スタチュー』自体が一切の移動をしないモンスターであり、プレイヤーの手で動かすこともできない。

仮に味方にすることができたとしても、非常に使い勝手の悪い盾にしかならないのだ。少なくとも、高価な課金アイテムである式神符で呼び出そうなどという発想は、絶対に浮かばないモンスターである。そんな使い所の難しいモンスターを、辺りが霧に覆われた視界ゼロのこの状況を活用し、見事にシノンを撃破してのけたのだ。

 

「フフ……」

 

「!!」

 

霧の向こう側にて、驚愕に目を剥くリーファを見ながら、艶然とした笑みを浮かべるエリカ。その妖しい笑みに、リーファは背筋が凍るような感覚を覚えた。

それと同時に、リーファの視界端に表示されたパーティーメンバーの一人であるランのHPバーが、毒のダメージによって完全に尽きた。

エリカが前衛に出たことで、HPが全損した前妻パーティー(仮称)のプレイヤーは、これで二人である。エリカ等後妻パーティー(仮称)も、後衛二人を失う痛手を被ったが、戦況は未だにエリカ等の方に分がある。エリカというダークホースによって戦況が覆され、その行く末が混迷を極めながらも、後妻討ちデュエルは続いていく……

 

 

 

 

 

 

 

おまけパロキャラ設定集

エリカが本編で使用しなかった『式神符』一覧

 

スケアメイク・コブラ:

コブラ型のモンスター。猛毒の毒牙を有するほか、巨体を生かした巻き付き攻撃を得手とする。

 

ハングリー・リッカー:

サンショウウオのような姿をしたモンスター。長い舌を武器とし、舐めた対象を麻痺状態にする。

 

スフィア・バット:

蝙蝠型のモンスター。風の刃を連射する遠距離攻撃に優れる。

 

パンプキン・ボマー:

カボチャの姿をした空中を浮遊する植物系モンスター。種の形状をした爆弾をばら撒き、敵を攻撃する。

 

ディスガイズ・マスク:

耳の尖った鼠のぼろ布を被ったアストラル系モンスター。『シャドーボール』や『シャドークロー』といった闇属性魔法を得意とする。



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第百二十二話 伝えきれない思いが胸の中に溢れてく

辺り一面に、毒鱗粉を含む白い霧が立ち込める中、リーファはその向こう側に立つ強敵――エリカの動きが掴めず、立ち往生していた。空を飛んで探そうにも、下手に上空に姿を晒せば、先程のように毒の鞭や魔法の攻撃に晒され、地上へ戻らざるを得なくなることは間違いない。

 

(上空に使い魔を飛ばさないのは、私達に飛ぶように誘っているってこと……今飛べば、間違いなく危険だわ!)

 

地上にいたリーファやランの位置を掴むために、『式神符』で呼び出した使い魔『オーガフライ』を上空へ飛ばしていたエリカだが、シノンがこれを撃ち落として以降は、新たな使い魔は放たれていない。故にリーファは、エリカが自分達に空を飛ぶように誘いをかけているのだと推測していた。

実際には、所持数上限が定められている『式神符』をエリカが全て使い切ってしまったことで、新たな使い魔を呼び出すことができないのだ。しかし、課金アイテムである『式神符』のことを詳しく知らないリーファは、そのように誤認してしまったのだった。

しかし、仮に『式神符』の所持数上限等についての事前知識があったとしても、リーファは飛行という選択肢を取らなかっただろう。課金アイテム頼りとはいえ、手練れであるリーファ等五人を相手に互角に渡り合い、内二人を撃破したのだ。アイテムが減った程度のことでは、戦況を覆せる程の優位を得られるとは思えない。むしろ、アイテムを使い切ったことで油断を誘う作戦だと考えただろう。

 

「リーファ!」

 

「ようやく見つけたわよ!」

 

「シリカ!それにリズさんも!」

 

打つべき手が見つからず、攻めあぐねいていたリーファのもとへ、シリカとリズベットが合流する。どうやら二人も、エリカへの対処法が思い付かず、リーファ同様に逃げ惑っていたらしい。

 

「全く……何がALO初心者よ!アスナが言ってた話と大分違うわよ!」

 

「流石はアスナのお母さん、って感じですよね……」

 

エリカが見せた、理不尽なまでに規格外の強さに、リーファのみならずシリカもリズベットも完全に参っていた。しかし、彼女等にもSAOとALOで数々の激闘を制してきたベテランプレイヤーとしての意地がある。このまま黙ってやられるつもりは微塵も無かった。

 

「それで、どうやって攻める?相変わらず、辺りは毒の霧で覆われているみたいだけど」

 

「効果は永続的じゃないと思いますけど……それでも、いつ晴れるかは分かりません。それに、このまま放っておいたら、エリカさんが今度は何をしてくるかと思うと……」

 

「やっぱり、こっちから攻めるしかないか……!」

 

エリカはこの後妻討ちデュエルが始まってから、予想を裏切る戦法を連発することで、前妻パーティー(仮称)追い込んできた。シリカの言う通り、放置して時間を与えれば、何をしでかすか分からないのだ。である以上、エリカが次の策を講じるよりも前に、畳みかけねばならない。

 

「けど、普通に仕掛けただけじゃ、あたし達三人が束になっても絶対に敵わないわよ?」

 

「ソードスキルも魔法も、多分通用しないでしょうからね……」

 

最初に切り結んだ際のエリカの反応速度からして、ソードスキルによる正攻法は、まず通用しない。魔法に至っても同様であり、追尾性能のある魔法や範囲攻撃型の魔法でない限り、容易に回避されてしまうだろう。それに、『スキルコネクト』をやってのける程の腕前なのだから、『魔法破壊(スペルブラスト)』を使えたとしても不思議ではない。結論として、魔法もほぼ通用しないと考えるべきだろう。

連携プレーで攻撃しようにも、リーファ、ラン、リズベット、シリカの四人による攻撃を苦も無く捌いて見せたエリカである。今更三人の連携で仕留められるとは、到底思えない。

 

「こっちも何か……こう、エリカの意表を突くような攻撃をしないと……!」

 

「けど、ソードスキルも魔法もまともな方法じゃ、まず通用しないんですよ!?」

 

「何か、弱点がある筈よ……それさえ分かれば、隙を作れれるんだけど……」

 

如何にエリカが並外れた戦闘センスを持つプレイヤーだと言っても、ALOのプレイ時間と戦闘経験はリーファ達の方が上である。であるならば、才能やセンスだけではカバーし切れない、リーファ達が優位に立ち、このデュエルにおいて勝機を見出せる何かがある筈。それを見出すべく、リーファは頭を回転させる。

 

(大丈夫……エリカは確かに強いけど、お兄ちゃんの方が断然強い!それにお兄ちゃんだって、ALOを始めた時から強かったわけじゃ……………!!)

 

エリカという強者を前に、リーファが知る限りで最強のプレイヤーである、自身の兄であるイタチのことを思い出すリーファ。だが、そこではっとする。

 

「そうだ……お兄ちゃんだ……!」

 

「え……リーファ?」

 

思い出すのは、イタチがALOを始めた頃のこと。ログイン時に偶然にも遭遇し、その後パーティーを組んで行動してきた時のこと。世界樹を目指す中で、無双と呼ぶに相応しい実力を発揮して苦難を乗り越えてきたイタチだったが、徹頭徹尾楽勝な展開ではなく、窮地に立たされたこともあった。

 

「あの戦い方なら、勝てるかもしれない……!」

 

「ちょっ……リーファ!?」

 

「本当なの!?」

 

いきなり勝機があると言い出したリーファに驚き、声を上げるシリカとリズベット。そんな二人を余所に、リーファはさらに思考を走らせる。

 

(優位に立てる戦い方はあるけど、それだけじゃ決定打に欠ける……)

 

あと一歩、エリカを倒すために必要な一撃を与えるための、致命的な隙が欲しい。それこそ、このデュエルの中で幾度もエリカがやってのけたような、相手の度肝を抜くような、予想不可能で意外性のある一手が……

 

「きゅる……?」

 

ふと気が付くと、リーファの視界の端に、ふわふわとした羽毛を纏った小さな竜――シリカのテイムモンスターである、ピナの姿が映った。その瞬間――

 

「そうだ!」

 

ある作戦が、思い浮かんだ。エリカを自身等が優位に立てる戦場へ誘い出し、尚且つ決定的な隙を作り出すための作戦が。

 

「リズさん、シリカ!これなら、エリカを倒せるかもしれない!」

 

頭の中に描き出された、強敵・エリカを確実に倒すための秘策を、リズベットとシリカに話すリーファ。それを聞いたリズベットとシリカは、驚きの表情を浮かべたが……最終的には、作戦の決行に賛同し、反撃のために動き出すのだった――――――

 

 

 

 

 

 

 

「さて……そろそろかしらね?」

 

自身が『式神符』によって呼び出したモンスター二体が作り出した、毒鱗粉を含んだ白い霧に囲まれながら、エリカは頃合いを見計らっていた。霧を発生させている『アビスフローター』と、毒鱗粉を発生させている『ポイズンゲール』を留めておける時間は、残り僅か。毒霧が晴れれば、エリカ自ら戦いに出なければならないのだ。

 

(前衛一人と、一人しかいなかった後衛を排除できたから、まあまあ上出来な戦果ね。こっちも後衛二人をやられて、向こうの残り三人もそこそこの手練れだけれど……まあ、勝てるでしょう)

 

自身の置かれた状況と、相手の残存戦力を確認しながら、エリカはこれからの戦いについて思考を走らせる。後衛から前衛へとシフトして以降、式神による毒霧、毒霧の死角から繰り出す毒鞭、矢を跳ね返す石像型モンスターと、課金アイテムを駆使したトリッキーな戦術を次々繰り出し、前妻パーティー(仮称)のメンバーを翻弄し、内二人を倒したエリカだが、少なからず追い詰められている面もあった。

『式神符』は、所持上限六枚を全て使い切っており、手持ちの使い捨ての課金アイテムは、高位の魔法を籠めた『魔法符』のみ。所持上限は『式神符』ほど厳しくはないものの、強力な魔法がしようできるが故に、発動時にはその場から動けないデメリットがある。複数の、しかもそれなりに手練れのプレイヤー達を相手にする際には、隙を作らないためにも無闇な連射は避けねばならない。よって、エリカはこれからリーファ等三人を、課金アイテムにほとんど頼ることなく、自力で相手しなければならないのだ。

しかし、エリカにとってそれは特別悲観する程の事態ではない。前衛へシフトした当初は、後衛の助け無しで前妻パーティー(仮称)の前衛四人を一人で相手したのだ。唯一の後衛であるシノンと、前衛の中でもトップクラスの戦闘能力を持つランを排除することに成功したこの状況ならば、三人を相手に正面戦闘に及んだとしても、勝算は十分にある。

 

(霧が晴れ次第、まずはシルフの子から倒すべきね。次に、レプラコーンの子、最後にケットシーの子ってところかしら)

 

残り三人の内、最も厄介なのは、一番の手練れであるリーファである。残り二人は腕はそれなりだが、エリカが後れを取る相手ではない。故にエリカは仕留める相手をそのように決めた。

互いに動くことをしない、膠着状態が続くことしばらく。『式神符』の効果が切れ、召喚された『アイスフローター』と『ポイズンゲール』が消滅し、それに伴って二体が作り出していた毒霧もまた晴れていった。そして、霧が晴れた向こう側に、エリカは第一の標的に定めたリーファの姿を捉えた。

 

「そこ!」

 

奇襲をかけるならば今だろう。そう判断したエリカは、片手剣上位ソードスキル『ヴォーパルストライク』を発動しようとする。

眼前に広がる霧は、完全には晴れていない。しかし、だからこそ不意を突くチャンスでもある。触れれば麻痺に陥る毒霧が晴れていない状況ならば、危険な行為はしないだろうと考えるであろう敵の不意を突けば、確実に標的を仕留めることができる。一歩間違えば、自身が毒霧にやられて自滅する危険な策だが、エリカに躊躇いは無かった。

そして、いざリーファに向けて必殺の一撃を放とうとした――――――その時だった。

 

「やぁぁあああ!!」

 

「!!」

 

リーファがいる場所とは別方向の、しかしそれほど離れていない場所から響く、裂帛の気合。僅かに視線を逸らすと、晴れつつある霧の向こうから、ソードスキルのライトエフェクトが迸っていた。

 

(あの声は、確かレプラコーンの子。得物は片手棍……まさか!)

 

ソードスキルのライトエフェクトは、垂直に伸びていた。即ち、振り下ろすタイプのソードスキルである。リズベットにとって、この場における唯一の敵であり、標的であるエリカは、離れた場所にいる。少なくとも、得物が届く距離にはいない。となれば、狙いは……

 

「くっ……!」

 

霧の向こうから仕掛けて来る敵の攻撃の意図を悟ったエリカは、すぐさま翅を広げて飛翔、地面から離脱した。途端、地面には電撃が迸り、無数の亀裂が入った。咄嗟に地面から離れたため、エリカには感じ取れなかったが強烈な衝撃も走っていたことだろう。

 

(戦槌系なのは確かだけど、ただのソードスキルじゃないわね……何らかの特殊効果を付与したのは間違いないわ)

 

エリカの見立ては間違っていない。リズベットが発動したのは、戦槌系ソードスキル『パワー・ストライク』である。但し、攻撃の威力と範囲を強化する雷属性の強化魔法付きである。リズベットはこれを地面に叩きつけることで、ソードスキルとの相乗効果で強力な電撃と衝撃波を、エリカが立っていた一帯に迸らせたのだ。

 

「そこね――」

 

「ぐっ……!」

 

上空へと飛び上がったのと同時に、手持ちの『魔法符』を発動。火属性上級魔法『インフェルノ』を発動し、リズベットがいる一帯を焼き払う。紅蓮の業火の中に揺らめく、異色のリメインライトを確認すると、今度は……

 

「やぁぁああ!!」

 

リズベットがいた方向を向いているエリカの背後を狙い、シリカが短剣ソードスキル『サイド・バイト』を放つ。体を回転させながら放つ、斬撃属性このソードスキルは、命中率が高いことが特長とされる。さらに、シリカが持つ短剣には、強力な麻痺毒が塗られている。少しでも掠らせれば、一発逆転を狙えるその一撃は……

 

「やっぱりね」

 

「きゃぁぁああっ……!」

 

しかし、エリカに命中することは無かった。まるで、背中に目でも付いているかのように、身を翻してシリカの攻撃を回避したエリカは、片手剣を手に水平四連撃ソードスキル『ホリゾンタル・スクエア』をカウンターとして発動。上空に描かれた正方形の中心にいたシリカは、HPを全損して地面に向けて、悲鳴とともに落下していく。

 

(妙ね……あんな掛け声なんて出したら、奇襲にはならないのに)

 

シリカの悲鳴を聞き流しながら、エリカは一連の襲撃について即座に思考を走らせる。ダメージを与えたいのならば、リズベットもシリカも、あのように声を上げべきではなかった。「これから攻撃します」と知らせるのも同然な真似をするのでは、奇襲を重ねた意味が無い。しかし、先の二人のことを、一目でそれなりに戦い慣れていると見抜いたエリカには、これがどうしても油断によるものとは思えなかった。

リズベットがエリカを空へと退避させるための囮であり、シリカが空中攻撃によって隙を作り出すための囮と考えた場合、最後に来るのは……

 

「やぁぁあああっ!!」

 

「やっぱりね」

 

果たしてエリカの予想通り、最後の一撃は、エリカよりも上空に飛び上がっていたリーファによる一撃だった。真上の死角から凄まじいスピードと共に急降下することによって威力を上乗せした片手剣上位ソードスキル『ヴォーパルストライク』による強力な一突きを、エリカに向けて繰り出そうとしているのだ。

 

(やるわね……私が苦手な空中戦に持ち込むなんて……)

 

リーファ等五人を相手に無双に近い実力を見せつけてきたエリカだが、戦闘開始から今まで、地上戦に徹していた。理由は単純。エリカは空中戦に慣れていないのだ。

かつてイタチが、ALO事件の際にサスケのアバターでアルヴヘイムを旅した中で戦うこととなった、サラマンダーのユージーン将軍相手に劣勢を強いられていたのも、プレイ時間の短さ故に飛行戦闘に対応し切れなかったことが要因である。故にリーファは、ALOのプレイ時間がものを言う空中戦に持ち込み、エリカに対して優位に立とうとしたのだった。

 

(着眼点は間違っていないわね。けど、直撃は貰わないわよ)

 

空中戦闘に不慣れとはいえ、既に随意飛行をマスターしているエリカである。シリカを迎撃した虚をつく形で繰り出される、高速で迫るリーファの一撃に完璧に対応し、回避し切ることは不可能だが、急所への直撃を外すことは十分可能である。

加えて言えば、カウンターとして水平斬りソードスキル『ホリゾンタル』を叩き込んで翅を切り落とすことも可能である。そうすれば、バランスを崩して地面に叩きつけられ、リーファのHP全損は確定である。

追い詰められた状況にありながら、即座に反撃の術を導き出したエリカは、そのまま身を翻してリーファのヴォーパルストライクの直撃コースから外れようと動く。

 

「きゅる~っ!!」

 

「なっ!?」

 

だが、エリカが回避行動のために振り向いたその先の視界に、全く予想外の存在が飛び込んだ。水色の羽毛に包まれた、竜の姿をした小型モンスターのフェザーリドラ……シリカのテイムモンスター、ピナである。

 

「きゅるる!」

 

「むもふっ!?」

 

いきなり死角から現れたかと思えば、エリカの顔面目掛けて飛び掛かるピナ。その予想外過ぎる行動に虚を突かれたエリカは反応が遅れ、接近を許してしまう。そしてピナは、驚愕するエリカの顔へとしがみ付いた。

羽毛のモフモフとした感触とともに視界を塞がれたエリカは、空いている左手でピナを引き剥がそうとするが、その小さな体に似合わない力でエリカの頭に掴まったまま放さない。そして、そうこうしている内に……

 

「てい、やぁあああ!!」

 

「ぐふっ……!!」

 

ソードスキル発動とともに急降下していたリーファが接近。ヴォーパルストライクが、エリカの腹部へとクリーンヒットした。リーファの握る嵐剣『ラファエル』はエリカの胴体を貫き、そのまま猛スピードで落下していき……地面へと激突した。その途中、落下スピードに耐えられなかったピナはエリカの顔面から離れていた。

 

「くっ……まさか、テイムモンスターがあんな動きを見せるなんて……やるわね」

 

「モンスターを使うのは、あなたの専売特許じゃないってことよ」

 

激突の勢いで霧が晴れた戦場のど真ん中で、剣で腹部を貫かれて地面に縫い付けられたエリカと、エリカに突き刺さった剣を握って放さないリーファが至近距離で向かい合う。

これこそが、リーファがエリカを倒すために立てた作戦である。リズベットとシリカの二段奇襲によって、地面から飛び上がらせた上で隙を作り、さらにピナまでもを使ってエリカの視界を塞いだ上で、リーファが止めを刺すというものである。空中戦が苦手なエリカを飛び上がらせるだけでは優位を獲得できないと確信していたリーファは、テイムモンスターであるピナで致命的な隙を作り出すことを思い付いたのだ。果たしてその作戦は功を奏し、単調なアルゴリズムでしか動かない筈のテイムモンスターであるピナが見せた予想外の動きは、エリカの虚を見事に突くことに成功し、こうして致命的なダメージを与えるに至ったのだった。

 

「一時はどうなることかと思ったけど、これで終わりよ」

 

「そうね……流石にもう無理ね」

 

ヴォーパルストライクの直撃がエリカに齎した莫大なダメージは、エリカの残存HPは全損へ向けて急激に減少させていた。HP全損は確定的だった。

 

「けど、タダじゃ死なないわよ」

 

「え……?」

 

唐突にエリカが呟いた意味深な言葉に、疑問符を浮かべるリーファ。一体、この状況で何を考えているのかと問い掛けようとしたが……すぐにその言葉の意味を知ることになった。

エリカが片手剣を握る右手とは反対側の、握っていた左手を解く。開いた手の平には、一枚の札型のアイテム――『魔法符』が握られていた。

 

「んなっ……!?」

 

「これで終わりね」

 

HP全損によって、エリカのアバターがリメインライトと化しようとした直前。魔法符に魔法発動のライトエフェクトが迸ったのと同時に、魔法符に籠められた爆裂魔法が発動。エリカとリーファの二人を猛烈な衝撃と爆炎が襲った。既にHP全損寸前だったエリカは勿論のこと、リーファもまた、爆発に呑まれてHP全損へと追い込まれた。

爆裂魔法が収まったその跡には、同色のリメインライトが二つ、揺らめいているのみだった。

 

 

 

 

 

「どうやら、向こうは決着がついたみたいね」

 

「そうだね。まさか、エリカがあそこまで戦えるなんてね~……」

 

ヒーラーを伴い、前妻パーティー(仮称)五人とエリカの戦場から距離を取っていたアスナとユウキは、自分達のすぐ近くで繰り広げられていた壮絶な戦闘の顛末を目にして、感心したような声を漏らした。

リーダー同士で邪魔が入らない場所で一騎打ちをするべく離れていた二人だったが、エリカが召喚したモンスターによって放たれた毒霧の余波から避けるためにさらに距離を取って以降は、その戦いに半ば釘付けになっていた。

 

「それじゃあ、ボク等も決着つけよっか?」

 

「そうね……生き残っているのは、お互いに私達だけだしね」

 

アスナがユウキの言葉に同意するとともに、両者は再び剣を手に取る。ここに至るまで、激しい攻防を繰り広げてきた二人だったが、これ以上戦闘を長引かせるつもりは無かった。

 

「サチ。ここから先は、ユウキと一騎打ちで戦いたいの。ヒーラーとしてついてきてもらって悪いんだけれど、デュエルの勝敗は、これで決めたいの」

 

「シウネーもお願いね。これが最後の戦いになるだろうから、ボク等だけで決着をつけたいんだ。悪いけれど、見ていて欲しいんだ」

 

あくまで一対一の正面対決で決着をつけるというアスナとユウキの言葉に、サチとシウネーはやれやれと少しばかり呆れた様子で苦笑し、この戦いから手を引くことを了承した。

後衛二人が後ろへと退いたことを確認したアスナとユウキは、改めて互いに剣を構える。

 

「『後妻討ち』って、後妻が前妻を立てて負けるものだって聞いているけど、果たし状に書いてあった通り、本気で行かせてもらうよ」

 

「ぜひそうしてちょうだい。私もこの勝負、わざと負けてほしいなんて微塵も思ってないから。全力のあなたを倒して……それで、イタチ君に私達がどれだけ本気だったのかっていうのを分かってもらいたいからね」

 

そう言って凍剣『ザドキエル』の切っ先を向けるアスナの表情は、常の彼女からは考えられないような気迫に満ちた、真剣なものだった。SAO事件当時、攻略組として轡を並べて幾多の戦場を駆け巡ったイタチ等でも見た事の無いような本気のその姿に、誰もが息を呑む。

彼女にとってこのデュエルは、言葉だけでは伝わり切らなかったイタチへの想いを体現するための戦いであり、命を懸けていると言っても過言ではない、どこまでも譲れないものなのだ。譬え相手が『絶剣』の名を冠する、イタチに匹敵する強豪であろうと、後れを取るつもりは全く無かった。

そしてそれは、ユウキも同じである。

 

「ボクだって、負けないよ!剣士としては勿論だけど……イタチの隣にいたいって思っているのは、同じだからね」

 

「っ!……そう。なら、私もますます負けられなくなったわね!!」

 

ユウキの宣言に対し、驚きに目を見開くアスナだったが、不敵な笑みを浮かべるとともに、すぐに冷静にな表情へと戻った。ユウキが口にした言葉の意味も、そこに込められた真剣さも、アスナにはすぐに分かったからだ。

これ以上の言葉は不要。ここから先は、全力の剣技をもって語るのみである。

 

「「――ッ!!」」

 

そして両者は、正面から激突した。二人の影が目にも止まらぬ速度で戦場を駆け回り、交錯する度に刃による斬撃、切っ先による刺突、無手の片手や足による打撃が響き渡る。形勢は、両者全くの互角。技量が拮抗しているが故に、純粋な剣技のみで勝負している限り、優位はいずれにも傾かない。

永遠にも感じられた、しかし実際には二十秒程度しか経っていない両者の交錯は、唐突に終わった。その短時間の中で、三桁に相当する回数の交錯を経た両者は、このままでは決着がつかないという同じ結論に至った。故に、

この均衡を崩すための勝負に出ることにした。即ち、“ソードスキルの正面衝突”である。

 

「はぁぁああああっ!!」

 

「う、おぉぉおおお!!」

 

双方の剣の刀身から、ソードスキル発動を示す強烈な光が、奔流となって溢れ出す。両者ともに発動するソードスキルは、刺突系の上位ソードスキルによる連撃である。

ユウキが発動するのは、彼女を『絶剣』たらしめる奥義こと十一連撃OSS『マザーズ・ロザリオ』。

アスナが発動するのは、八連撃の細剣系ソードスキルの『スター・スプラッシュ』。

片手剣と細剣の刺突が正面から激突する。閃光が迸り、衝撃が空気を震わせる。極めて小さい点と点のぶつかり合いは、僅かのズレや力加減の誤りによる防御ミスが、即座に均衡を崩す致命傷……命取りとなる。イタチの前世の、写輪眼を持つ忍同士の戦いもかくやというユウキとアスナの、互いの神経を擦り減らしながらの壮絶な鎬の削り合いは……しかし、長くは続かなかった。

 

「これで、終わり……だね!!」

 

ユウキの『マザーズ・ロザリオ』は十一連撃であり、アスナの『スター・スプラッシュ』は八連撃である。相殺するには、三撃分足りない。もしもアスナが、ユウキと同様に『マザーズ・ロザリオ』を……又は、それに相当する同数連撃のソードスキルを使えたのならば、完全に相殺できただろう。だが、ソードスキルが繰り出す連撃の数という壁が、アスナの行く手を阻む。

勝利を確信したユウキの宣言通り、八撃目が相殺されたところで、アスナの握る細剣からソードスキルのライトエフェクトが消えた。そして、未だに健在の光を宿したユウキの握る片手剣から、九、十、十一撃目の刺突が、無防備なアスナ目掛けて繰り出されようとしていた。

 

「それはどうかしら?」

 

しかし、この危機的な状況にあっても、アスナは不敵な笑みを浮かべていた。その表情には絶望の色は全く無く……むしろ、勝利を確信しているかのようだった。

一体、何を考えているのか……どうやってこの危機を抜け出そうと考えているのかと、怪訝に思うユウキ。その答えは、アスナの“左手”にあった。

 

「はぁああっっ!!」

 

「なぁあっ!?」

 

凍剣『ザドキエル』を握る右手とは反対側の、アスナの左手。そこから、青白い閃光が迸っていた。しかも、無手ではない。今まで右手が繰り出す剣技に対して細心の注意を払っていたために気付かなかったが、アスナの左手にはもう一本の細剣が握られていた。

 

(クイックチェンジで……いつの間に!?)

 

武器を取り出したかからくりについては、すぐに分かった。片手持ちの武器であれば、ほぼ確実に取得できるModスキルの『クイックチェンジ』である。ソードスキル無しで切り結んでいた時には握っていなかったことから、恐らくはソードスキル発動の直前か、発動の最中にこれを利用し、左手に武器を手に取ったのだろう。

僅かなミスも許されないソードスキル同士の衝突の中で、そのような真似をやってのけたことにも驚きだが、問題は左手に取った細剣から“光が迸っている”ことである。それ即ち、ソードスキル発動のライトエフェクトである。

 

「スキルコネクト……!?」

 

「正解」

 

思わず漏れたユウキの言葉に、アスナは不敵な笑みを浮かべて肯定した。まさかのスキルコネクト発動に、さしものユウキも驚愕を隠せない。確かに以前、アスナはイタチとデュエルをした際に、スキルコネクトを発動していた。しかしそれは、勝つか負けるかの瀬戸際において、満身創痍の中で偶発的に発動したに過ぎなかった。それをまさか、自在に使いこなせるレベルまで使いこなせるものだとは、予想していなかった。

 

「行く……わよ!!」

 

「くっ……!」

 

アスナがスキルコネクトを発動したとしても、今更後には退けない。ユウキにできるのは、残り三撃をもって、アスナが続けて発動するソードスキルを迎撃するのみである。アスナの動きに集中し、次に発動されるソードスキルの正体を見抜こうとする。

 

(踏み込みから発動するソードスキル……重攻撃技の、『アクセル・スタブ』だね)

 

『アクセル・スタブ』は、踏み込みと同時に三連撃の刺突攻撃見舞う細剣系ソードスキルである。習得に必要なスキル習熟度の割に攻撃回数が少ないソードスキルだが、その分一撃一撃の重さが違う。『マザーズ・ロザリオ』であっても、その威力を殺しきれる保証は無い。

 

(それでも……止めてみせる!!)

 

ことここに至っては逃げ道は無いのだから、やることは変わらない。迫る強力な三連撃に対し、ユウキは剣を握る手の力を強め、神経を研ぎ澄ませながら迎え撃つ。

 

「やぁぁあああ!!」

 

「はぁぁあああ!!」

 

一瞬の交錯。コンマ一秒以下の時間の中で、両者の切っ先は三度衝突した。相殺する度に走る衝撃は、最初の八連撃の時の比ではない。振動で手が痺れ、気を抜けば発動中のソードスキルがキャンセルされかねない。そんな極めて危険な攻防を……しかしユウキは耐え切ることに成功した。

 

「やった……!」

 

アスナとのソードスキル同士のぶつかり合いを制したことによる達成感に、思わず歓喜の言葉が口から出るユウキ。ノックバックとソードスキル発動による技後硬直により、すぐには動けそうにないが、それはアスナも同じ……否、それ以上である。アスナの場合は、ソードスキルに種類を組み合わせての十一連撃だったため、技後硬直はユウキよりも長い。硬直が解けるまでのタイムラグを狙えば、確実にアスナを倒せる。

今度こそ勝利は確実だと、ユウキはそう考えていた。ところが――――――

 

「せぇぇえええい!!」

 

「へ……嘘ぉっ!?」

 

アスナが右手に握る伝説武器から蒼い閃光が迸る。即ち、スキルコネクトの発動である。イタチのような並外れた実力者ならばともかく、スキルコネクトは一度発動できれば十分以上に上出来である。それを二度以上……しかも連続技で発動するとなれば、とんでもない離れ業である。

 

(まさか……このためのアクセル・スタブだったの!?)

 

思い返してみれば、八連撃のスター・スプラッシュに続いて、三連撃のアクセル・スタブを放った時点で不自然だった。ユウキにダメージを与えるのならば、四連撃以上のソードスキルを放つ筈。にも関わらず、アクセル・スタブを選択した理由……それは、“ユウキがスキルコネクトを発動する可能性”を潰すためだったのだ。

マザーズ・ロザリオの最後の三連撃を重攻撃技で相殺すれば、そのノックバックで自由に動くことは儘ならない。少なくとも、スキルコネクトの発動は不可能である。ユウキの実力を自分以上に見積もった上で立てた作戦を、この極限状態の戦闘中にやってのけたアスナに対し、ユウキは本日何度目になるか分からない驚愕を覚えさせられた。

 

(ああ……やっぱり、母娘なんだなぁ……)

 

次いで、そんなアスナに対して抱いた感想が、それだった。

ALOのプレイ時間が短いにも関わらず、飛び入り参加で無双と呼ぶに相応しい力を発揮し、五人の手練れを屠ったエリカ。彼女の強さを、娘として色濃く継いだのならば、アスナの強さも十分に納得できる。

 

(それに、イタチのこと……本当に大好きなんだね……)

 

次に思ったことが、それだった。

彼女が元々持っている強さもそうだが、それを十二分に発揮できたのは、この勝負に臨んだ理由……即ち、イタチへの想いの強さ故なのだろう。ユウキ自身も、このデュエルには面白半分だけで臨んだわけではなく……アスナやその仲間達と同じ想いを胸に秘めていた筈だった。それでも負けてしまったのは、やはり想いの差だったのだろうか。

 

(羨ましい、なぁ……)

 

アスナがスキルコネクトにて放つ五連撃OSS『スターリィ・ティアー』の直撃を受けながら、最後に思ったことがそれだった。

母娘で喧嘩をしても、互いを強く想い合えているアスナとエリカの家族愛が、羨ましかった。

イタチのことを、誰よりも強く愛し、それを力にできるだけの想いを胸に抱いているアスナのことが、羨ましかった。

そして何より……

 

 

 

こんな大切な時間を、タイムリミットのある自分よりも長く、仲間や家族と共有できるイタチやアスナ達が、羨ましかった――――――

 

 

 

それを最後の思考として、HPを全損したユウキのアバターは、リメインライトと化した。

 

 

 

 

 

 

 

「そこまで!!勝者は、アーちゃん率いる前妻チーム(仮称)だヨ!!」

 

アルゴの勝利宣言により、観客達は湧き立つ。ALOにおいて前代未聞の後妻討ちデュエルは、参加者が札付きの強者揃いだったことに加え、予想を裏切る展開の連続に観客達の興奮も一入だった。

そんな中、後妻討ちデュエルが発生した原因たる当事者のイタチはというと……

 

「ようやく終わったか……」

 

自身が原因で勃発した女達の壮絶な戦いが終息したことに、心の底からの安堵の溜息を吐いていた。そしてそれは、イタチの周囲で戦いを見守っていた仲間達も同様だった。

 

「長かったな……」

 

「ええ、本当に……」

 

カズゴとアレンが、イタチと同様にようやく緊張から解放されたとばかりに脱力した様子で言葉を漏らした。開幕早々にサチがかましたニブルヘイムに始まり、エリカの式神が放った毒霧と、周囲の観客達まで巻き込む大規模攻撃の連続には、当事者のイタチだけでなく、その場を訪れた観客全員が気が抜けない展開だった。うっかり気を抜けば、巻き添えでHP全損することもあるのだから。

 

「それにしても、イタチも隅に置けねえよなぁ……」

 

「だよなぁ……あんな一途な奴等から好かれてんだから、本当に果報モンだぜ」

 

「それを袖にして泣かせちゃうんだから、イタチ君も酷い人だよね……」

 

「………………」

 

ヨウが口にした意見に、コナン、シバトラの二人が同意する。他の面子も、イタチのことを「女泣かせ」だというその言葉に深く頷いている。そんな誰一人味方のいない状況の中、イタチは沈黙するしかなかった。自業自得とはいえ、実際に自分が原因で泣いた女性がいるからこそ、これ程までに壮絶な戦いが繰り広げられたのだから、否定のしようが無かった。

 

「全くです。パパは、もっとママを大事にするべきです」

 

「きゅる~」

 

アスナを追い詰めたことに対し、すぐそばを飛んでいたユイまでもが非難を浴びせる。デュエルの最中に吹き飛ばされ、イタチに保護されてその腕の中に抱かれていたピナまでもが、同意するように鳴いていた。

そうして後妻討ちデュエルが決着してしばらくすると、今までデュエルに熱中していた観客の視線が、イタチへとシフトしていった。イタチのことを知る者、知らないを問わず、あらゆるプレイヤーから侮蔑や同情、好奇の視線が寄せられ、非常に居心地の悪い空気が漂い始めた。

そんな周囲の視線が集中する中、イタチが取った行動。それは、踵を返してその場を後にするというものだった。

 

「おい、逃げるのかよ?」

 

「……ユウキ達を迎えに行くんだ。セーブポイントは主街区の転移門に設定しているから、そこに全員集まっている筈だ」

 

コナンの問い掛けに、イタチはにべもなくそう答えた。尤も、この場からいなくなりたいという気持ちは確かにあったので、その点については否定しなかったが。

そんなイタチの背中に、審判役だったアルゴが声を掛ける。

 

「イタっち!後でアーちゃん達が、前妻パーティー(仮称)と後妻パーティー(仮称)の皆を集めてオフ会やるって言ってるから、絶対に来るんだヨ~!」

 

「駄目ですよ!サボったりなんてしちゃ!!」

 

「きゅるきゅる!」

 

「……分かった」

 

アルゴに次いで、ユイとピナがオフ会参加を一方的に強制する。周囲の面々も、うんうんと頷いて同意している。譬えALOからログアウトしてリアルへ逃げたとしても、仲間達は決して逃がしてくれないだろう。

本音を言えば、非常に参加したくないが、当事者であるイタチには放棄することの許されない参加義務がある。恐らく延々と語られるであろう不満の捌け口にされるのだろうが、イタチにはこれを甘んじて受け入れなければならない。

ただでさえ重かった足取りが、さらに重くなるのを感じながら、自身の迎えを待っているであろうユウキのもとへ行くべく、イタチはその場を後にするのだった。



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第百二十三話 ずっと近くに君を感じてるから

 

ALOにおいて前代未聞の、伝説武器持ちの名だたる強豪プレイヤーを大勢集めて行われた、『後妻討ちデュエル』が終息してから、およそ一カ月もの時が経った。この長いようで短い期間の間に、ユウキこと木綿季と、イタチこと和人の周りでは、ALO、リアルを問わず多くのイベントや変化があった。

 

 

 

 

 

 

 

まず第一に紹介すべきは、後妻討ちデュエル後に行われたオフ会だろう。出席したメンバーは、前妻・後妻パーティー(仮)の十四人に加え、審判役として立ち会ったアルゴやSAO時代の知己のみならず、イタチ等と交友のあるサクヤやアリシャ・ルー、ユージーン将軍等までもが集まったのだった。

そして、後妻討ちデュエルの開催場所でもある、イタチ所有のログハウスに集まった一同は、アスナが作った手料理を肴に歓談を始めた。だが、肴がアスナの手料理だったのは、最初の十数分のみ。その後の肴は、アスナやリーファが齎す、SAO事件当時や現実世界の幼少期のイタチ乃至和人に関する話題だった。

場の空気で酔った彼女等の――些か以上に大袈裟に表現された――思い出話を聞かされた一同は、今回の後妻討ちデュエル勃発によって芽生えたイタチに対する『ヘタレ』、『女誑し』といったイメージをより強くし、イタチに向ける視線はより冷ややかになっていった。当人たるイタチは、そんな中にあって、部屋の片隅で身を縮めてちびちびとワインを飲みながら、黙ってやり過ごすのみだった。

そうしてイタチをいびるという目的のもと行われたオフ会が順調に進み、宴もたけなわとなった頃。サチ以外のアスナをはじめとした前妻パーティー(仮称)のメンバーが、ある表明を行った。それは……

 

 

 

「私達前妻パーティー(仮称)のメンバー六人は、スリーピングナイツへの加入を希望します!!」

 

 

 

後妻討ちにおいて、前妻の立場であったアスナ等が、後妻の立場であったユウキのギルドへ加入するという。何ともおかしな、衝撃的な展開に、オフ会の出席者達は一様に呆けた顔をしてしまった。

何故、アスナ等がこのような行動に及んだのか。その答えは、至極単純。要するにイタチに想いを寄せる彼女等は、イタチのことを諦めてはいなかったのだ。イタチの知らぬ間に『NTR同盟』なるものを結成したアスナを中心としたメンバーは、難攻不落のイタチを攻略するために、スリーピングナイツへ所属する意思を表明したのだ。リズベットやランは、その支援役である。不純な動機ではあるものの、アスナ等はユウキのことを仲間としても恋敵としてもきちんと認めているし、ギルドメンバーになることの意味はきちんと理解している。故に、ギルドメンバーとしての活動には真剣に取り組む所存である。

そして、そんなアスナ等の思惑も知らないスリーピングナイツのリーダーたるユウキの返答はというと……

 

 

 

「勿論、皆を歓迎するよ!!」

 

 

 

こうして、スリーピングナイツにアスナ、リーファ、シノン、リズベット、シリカ、ランの六人が新たにスリーピングナイツへ迎えられることとなったのだった。

しかも、加入者はこの六人だけではなかった。ユウキと小学校時代の知己であるカズゴとその仲間であるアレンとヨウ、マンタ、ランの幼馴染であり親友――周囲は恋人どころか夫婦と見なしている――コナンが加入を希望。

さらにそれに追随する形で、後妻パーティー(仮称)のメンバーからも、ララとシェリー……そして、アスナの母親であるエリカまでもが加入を表明したのだ。さらに後日、カズゴとユウキの幼馴染であるタツキとオリヒメ、妹のカリンとユズまでもが加入することとなった。

ともあれ、スリーピングナイツのメンバーは一気に増加し、一パーティーにも満たない小規模ギルドから、総数二十人超の中規模――それも百戦錬磨の豪傑揃いの――ギルドへ成長したのだった。そしてこの日、メンバーの大量加入でハイになったテンションに任せ、オフ会参加者全員でアインクラッドの攻略最前線へ殴り込みを敢行。フロアボスを一発で攻略し、さらにその名前を広めることとなるのだった。

 

 

 

ちなみにエリカだが、後妻討ちデュエル以降、アカウントの所有権が明日奈から京子へと移り、翌月から料金の引き落としも京子口座へと変更になったという。サブアカウントを取られた明日奈だが、母親が同じ趣味を持ってくれたことの方が嬉しかったらしく、特に異議申し立てを行うことはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

二月中旬には、スリーピングナイツのメンバー全員で、統一デュエル・トーナメントへと出場した。ALO中の名だたる猛者を集めて行われたこの戦いは、スリーピングナイツのメンバーが上位をほぼ総なめする結果となった。決勝戦は、東ブロックを勝ち抜いたイタチと、西ブロックを勝ち抜いたユウキが激突した。

両者が繰り出す魔法と剣技による壮絶かつ流麗な応酬は、会場全体を震わせ、観客全員を魅了した。そして、OSSにスキルコネクト、魔法破壊(スペルブラスト)と、並のプレイヤーではまず真似できないシステム外スキルのオンパレードの果てに――――――激闘を制したのは、ユウキだった。

ユウキとのデュエルを、十分程度の制限時間では決着がつかないと最初から見越していたイタチは、制限時間ギリギリまでユウキをHP残量で優位に立たせた状態で戦いを進め、最後の衝突で、受けたことも気付かないような非常に僅かなダメージを与え、僅差で勝利することを考えていた。そうして、HP残量が僅差のまま、終始互角に見えていたデュエルは、その実全てがイタチの手の平の上だった。詰めを誤ったのは、最後の衝突の時……『マザーズ・ロザリオ』同士のぶつかり合いとなった時だった。

イタチの計略では、度重なる衝突で神経を擦り減らしたユウキが目測を見誤り、最後の一撃を上手く相殺できずに掠めてダメージを負い、僅差で勝利する筈だった。だが、イタチの予想に反し……ユウキはマザーズ・ロザリオの十一連撃全てを見事に相殺してみせた。結果、HP残量が逆転することがないまま制限時間を迎え、ユウキの勝利で終わったのだった。時間無制限で戦っていれば、イタチが逆転する可能性も十分にあったが、それも詮無きことである。

そして、ALOにおいて最強と目されていたイタチを倒し、四代目チャンピオンの座に就いたユウキは、絶対無敵の剣士――『絶剣』としての名を轟かせ、ザ・シード連結体に広く知れ渡ったのだった。

 

 

 

尚、このデュエル・トーナメントには、『絶拳』ことマコトも参加していたが、西ブロックでユウキと決勝戦もかくやという激闘の末に敗れ、三位となった。その後は、ユウキに対するリベンジとさらなる強さを追い求めるために、彼の恋人を名乗る『ソノコ』というプレイヤーと共にスリーピングナイツへと新たに加入することとなったのだが、それはまた別の話。

 

 

 

 

 

 

 

三月の大きなイベントとしては、現実世界でスリーピングナイツのメンバーを中心としたグループで向かった、京都旅行が挙げられる。当初の計画としては、入院しているユウキ等をプローブで連れ出し、イタチやアスナをはじめとしたスリーピングナイツのメンバーのみで向かう予定だった。しかし、ユウキたっての希望により、ALOの友人の中で現実世界において面識のあるメンバー全員で向かうこととなったのだ。本人達曰く、「友人達と一緒に修学旅行に行くことが夢だった」らしい。ユウキの望みを聞き入れたイタチやアスナは、帰還者学校のみならず、クラインやエギル、シバトラといった社会人勢からも旅行参加者を募った。結果、旅行参加者は総勢五十名にまで膨れ上がったのだった。ちなみに引率役として参加したメンバーの中には、クラインやエギル、シバトラの他にも、エリカこと京子もいた。

こうして、修学旅行さながらの大所帯で向かうこととなったスリーピングナイツを主体とした一行は、京都旅行を存分に満喫した。グループ分けと称して五人から六人で一組のグループを複数作り、各々で作ったコースで京都の観光地を回った。そして、夕方には宿泊先へと戻り、各々に撮影した写真を見せ合って和気藹々と思い出話に花を咲かせていた。

ちなみに、この修学旅行並みの規模となったスリーピングナイツのメンバー主体の京都旅行の際に使った宿泊先は、黒神財閥や小山田グループが懇意にしている高級ホテルであり、メダカとマンタの親の口利きにより、かなりリーズナブルな料金に押さえられていた。

ちなみに後日、ホテルの夕食に出てきた京懐石に舌鼓を打っていた皆を羨んだユウキ等の希望により、ALOでもその味を再現するためにイタチは奔走することとなるのだった。

 

 

 

 

 

何の気兼ねも遠慮も無く話せる仲間達の存在と、彼らと共に過ごす時間。どこにでもある、誰もが日々送っている、ごくありふれた……それでいて、とても尊い日常。そんな時間は、日々は、ユウキにとってこれ以上無い程の幸せだった。ユウキ自身、正直に言えば、こんな時間を再び過ごせるようになるとは、夢にも思わなかっただけのその喜びも一入だった。

そして、そんな日々を過ごす中。ユウキの心境には、ある変化が起こっていた。それは………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年3月20日

 

「ユウキ」

 

「おはよう、イタチ」

 

ユウキをはじめとしたスリーピングナイツ関係のイベントの中でも、最大級のものだった京都旅行が無事に終わり、三月も終わりに差し掛かろうとしていた頃。イタチこと和人は、早朝にユウキからの呼び出しを受け、ALOへとログインしていた。

待ち合わせの場所に指定されたのは、後妻討ちデュエル以降、スリーピングナイツのギルドホームと化したイタチ所有のログハウス……ではなく、イタチとユウキが初めて出会ったイグドラシルシティの展望テラスだった。

 

「ごめんね、こんなに朝早く……」

 

「構わない。それで、一体どうしたんだ?」

 

朝早く呼び出されたことについて思うところが無いわけではないが、ユウキが自身をこのような時間に呼び出した理由の方が、イタチには気がかりだった。単刀直入に呼び出しの理由について尋ねたイタチに対し、ユウキは視線を逸らし、少しの間逡巡した後、恐る恐るといった風に口を開いた。

 

「えっとね……実は、イタチに相談したいことがあって……」

 

「相談?」

 

「うん………………」

 

それだけ言うと、ユウキは再び黙り込んでしまった。その様子から察するに、相談内容は余程話し辛いことなのだろうとイタチは思った。加えて、早朝に呼び出したことからして、急を要する要件なのだと思われる。

話さなければいけないのに、いざ話すとなるとどうしても躊躇ってしまう。そんな状態では、無理に聞き出しても要領を得ないと考えたイタチは、ユウキの方から話してくれるのを待つことにした。

そして、向かい合うこと数分……意を決したように、ユウキが口を開いた。

 

「実はね……ボク、アメリカへ行こうと思ってるんだ」

 

「アメリカへ……?」

 

ユウキが真剣な表情とともに切り出した話は、イタチが予想だにしなかったものだった。そんな若干驚いた様子のイタチに対し、ユウキは経緯を話した。

 

「倉橋先生にね……教えてもらったんだ。アメリカの方に、エイズの先進医療を行っている病院があるって。そこでなら、もしかしたらボクの病気も治せるかもしれないんだって……」

 

「成程……そのためのアメリカ行きか」

 

「うん……けれど、本当に治せるかも分からないし……もしかしたら、その前に“時間”が来ちゃうかもしれないんだ。というより、その可能性の方が高いってさ……」

 

「そうか……」

 

ユウキの言う“時間”が何を意味しているかは、イタチにも分かる。余命三カ月と宣告されているユウキである。今、この時において存命できていること自体が奇跡に近いのだ。今からアメリカへ渡航し、治療を受けようとした場合、先に命を落とす方が先となる可能性が高い。

しかし、ユウキはそれを承知でアメリカ行きを決行しようとしているのだ。つい先日までは、残り少ない時間を、悔いの無いように精一杯生きることを心に決めていた筈の彼女が、一体どのような心境の変化があったのか。ふと疑問に思ったイタチだったが、それに答えるようにユウキはその内心を語りだした。

 

「あのね……ボク、イタチや皆と一緒にいられて……本当に幸せで、嬉しかったんだ。皆でALOだけじゃなくて、現実世界でもいろんな場所に行って、いろんなことをして……こんな日がまた来るなんて、夢にも思わなかったんだ。それで、思ったんだ……」

 

 

 

もっと、皆と一緒にいたいって――――――

 

 

 

やや恥ずかしそうに、しかしユウキははっきりと、確かにそう口にした。

 

「本当は、分かってるんだよ。こんな、治る保障も無い無謀なことなんてしたって、意味が無いっていうことも……。ボク自身も、こんなことしてないで、皆と一緒の時間を過ごした方が良いんじゃないかって、今も迷ってるんだ」

 

その言葉の通り、ユウキの表情には迷いがあった。しかし、「けどね」と言ってその先の言葉を紡ぐユウキの表情には、強い意思が感じ取れた。

 

「こんなにはっきりと強く、「死にたくない」って……「生きていたい」って思えたのは、初めてなんだ」

 

「……」

 

「おかしいよね?何を与えることも、生み出すこともできない……たくさんの薬や機械を無駄遣いするだけのボクなんかに、生きている価値なんて、何も無いっていう風にしか思えなかったのに……」

 

「……」

 

「こんなに皆に良くしてもらって、楽しくて、幸せな時間を送れるようになったっていうのに……そんな皆を放って、ボク一人どこかへ行こうなんて、虫の良い話だよね?」

 

「……」

 

ユウキの自嘲交じりの独白を、イタチはただ黙って聞いていた。

難しいことは無い。要するに、彼女はただ「生きていたい」と願っているというだけなのだ。不治の病に侵され、その病で家族や仲間を次々に失った彼女には、そんな願いすら抱くことができなかったのだ。そんな諦めかけていた願いが、イタチ等と過ごす中で蘇り……いつ死んでも良いようにという決意を揺らいだのだ。

そこには、生きている意味云々などは関係なく……命ある人間全てが願うことを許される……否、願うべきことなのだ。

 

「今この瞬間にも、消えて無くなりたいって……そんな風にすら思っていたボクが、手の平を返して生きたいなんて願って……皆には、幻滅されても仕方ないって、覚悟してる。それでも、生きることを諦めたくないんだ。生きて、生きて……本当の意味で、皆の隣にいたいって思っているんだ」

 

「……しかしそれは、今お前が言ったように非常に難しい願いだ。はっきり言って、叶わない可能性の方が高い。全て徒労に終わり……最後は、誰にも看取られずに終わることも考えられる」

 

「分かってる。けど、諦めたくないんだ。一度は諦めていたボクの夢……皆と一緒の時間を、同じ世界で過ごせるようになりたいっていう気持ちに嘘は吐けないし……何より、ボク自信が諦めたくないんだ」

 

「……!」

 

諦めたくない――そう口にしたユウキの瞳には、今までに無い強い意思が宿っていた。そこには、自身に迫る死期に恐怖する病人の姿は無かった。自分の行く手を阻む絶望的な運命に正面から立ち向かう者が、そこにはいた。

そして、そんな瞳を持つ者を……“忍”を、イタチは知っていた。

 

(ナルト……!)

 

その鋼のように強い意思に、イタチは最愛の弟であるサスケの行く末を託した少年――うずまきナルトの姿を重ねた。

忍者とは、“忍び耐える者”。それは、ナルトの師匠である自来也の言葉である。しかし、ナルトはそれを見事に体現し、忍の才能で一番大切なものである、『諦めないド根性』をもって数々の困難を打破してきた。見届けることは叶わなかったが、サスケのことも救ってみせたと確信していた。

そして、目の前のユウキもまた、同じである。自身へ降りかかる数々の不幸に忍び耐え、諦めないという不屈の決意を胸に、絶望的な運命へと立ち向かう。その姿は、ナルトやサスケ、かつてのイタチと同じ……“忍”そのものだった。

 

(……ならば、俺がすべきことはただ一つだ)

 

ユウキが生きていたいと強く思わせたのは、他でもないイタチである。故にイタチは、ユウキの決断に少なからず責任を感じていた。背中を押すべきか、引き留めるべきか……どちらがユウキのためになるかと考えを巡らせていたが、今のユウキの姿を見たことで、迷いは消えた。

 

「行ってこい、ユウキ」

 

「イタチ……」

 

「必ず帰ってこい。俺は……俺達は、待っている」

 

それが、イタチの出した答えだった。ユウキの願いが無謀なことは、イタチとて十分に分かっている。「帰ってこい」などと偉そうなことを言いながらも、本心ではそれが極めて難しい……不可能に等しいと思っている。

それでもイタチは、「諦めない」と口にしたユウキの背中を押すことにした。ユウキ自身の望みであるということもあるが、何よりかつてのイタチが取ることのできなかった選択をするユウキを応援したかったのだ。

聞き様によっては、自己満足ととられるかもしれない。しかし、イタチとてユウキには生きていて欲しいと思っている。ユウキが旅立つのなら、その帰りをいつまでも待っているというのも本心からの言葉である。

 

「ありがとう、イタチ!ボク、頑張るよ!!」

 

そんなイタチの言葉に対し、ユウキは満面の笑みで答えた。その顔からは、先程までの迷いは完全に無くなっており、より一層強くなった「生きる」という意思が感じられた。

ユウキの力強い姿を見たことで、イタチの胸中からは、彼女の行く末に対する心配が完全に消えた。きっと今のユウキならば、どんな困難であっても乗り越えられると、そう信じられたのだから――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2026年3月27日

 

ユウキがアメリカへと旅立つこととなったのは、イタチとの対話から一週間後のことだった。イタチに背中を押されて決意を固めたユウキは、他のスリーピングナイツの仲間達にも事情を説明した。いきなりのアメリカ行きの話に、ギルドメンバーをはじめとした面々は困惑した様子だった。しかし、最終的にはユウキの想いを尊重し、全員揃って快く送り出すと言ってくれた。何より、ユウキには生きていてほしいと、誰もが願っていたのだ。

そしてその後は、ユウキの送別会ならぬ激励会と称したパーティーが催され、その勢いでまたしてもフロアボス攻略を敢行する等して、皆でしばしの別れを惜しんだ。イタチへ相談するよりも前に、既にアメリカ行きの準備は整えていたらしく、一週間が経ったこの日……遂に、ユウキがアメリカへと旅立つ日が来た。

 

『いよいよ今日で皆ともしばらくお別れか~……やっぱりちょっと、寂しいね』

 

「今更だろう。それに……そう思っているのは、皆同じだろう」

 

カクカクベアー君を通した木綿季の呟きに対し、いつもの調子で淡々と返す和人。しかし、「皆同じ」と言っているのはつまり……案に自分も同じ気持ちであると認めているも同義である。常日頃は、ALO、リアルを問わず表情からも口調からも本心を表さない和人が口にした素直な気持ちに、木綿季をはじめ、周囲にいたスリーピングナイツのメンバーは少しばかり驚いた様子だった。

ユウキこと木綿季が入院しているこの場所、横浜港北総合病院には、イタチこと和人やアスナこと明日奈といったスリーピングナイツのメンバー――入院中のシウネー等初期メンバーは除く――をはじめ、現在六十名以上の人間が木綿季の見送りに集まっていた。その大部分は、関東圏内在住のALOプレイヤーである。見送りの人数は今尚増え続けており、三桁に及ぶ勢いであり、院内の受付フロアに入りきらないメンバーは外で待機している程だった。ちなみに、関東圏外のプレイヤー達からも、木綿季に向けられた応援メッセージが数百通届いていた。

 

『……それにしても皆、平日なのに学校とか仕事とかは良いの?』

 

「休学・休職して来ている奴がほとんどだろうな。だが、事前に届出を行えば、大した問題にはならん。それに、この後学校や仕事場に戻れば良い話だ」

 

「そういう問題じゃ、ないんじゃないかな……?」

 

しれっと答えた和人の言葉に、明日奈と木綿季は苦笑した。確かに、一日或いは半日程度ならば休学・休職しても大した問題にはならないだろうが、人数が人数である。事前の届け出だけで大丈夫だろうと安易に構えるのは明らかに間違いである。

特に和人等の通っている帰還者学校は、和人のクラスメートは全員この場に集まっており、それ以外のクラスも大部分のメンバーがこちらに流れており、学級閉鎖もかくやという規模だった。事情が事情なため、教職員は生徒達の見送りを認めてくれたらしいが、自分の見送りのために他人に迷惑をかけていることは否めず、ユウキは皆の気持ちを嬉しく思う反面、少々心苦しくもあった。

 

『……なんか、凄いよね。ボクなんかのために、こんなにたくさんの人が集まってくれるなんて』

 

「スリーピングナイツのリーダーの旅立ちなのだから、メンバー全員が集まるのは当然だ。それに、『絶剣』たるお前を見送りたいと思う者は、山ほどいる」

 

『そんなもんかなぁ……?』

 

「もうっ……何でもっとストレートに言えないかなぁ?皆、木綿季のことが大好きだから、こうして集まってくれるんだよ!」

 

「いやいや、それは難しいですよ明日奈さん。前に比べれば丸くなったけど、やっぱりそういう直球な表現はお兄ちゃんにはまだできませんって」

 

「直葉の言う通りね。そんなに簡単に気持ちを言葉にして表してくれるなら、私達だって苦労しなかったでしょう?」

 

和人のコメントに対し、言いたい放題の明日奈、直葉、詩乃。和人とて、端的に言えば明日奈と同じ考えである。しかし、人への好意というものは、自分自身は勿論、他人の気持ちを伝えることには未だに慣れなかった。

 

『まあまあ。和人だって、きっと皆と同じ気持ちだよ。改めて口に出して言われるとちょっと恥ずかしいけど……やっぱり嬉しいよ。だから、ありがとうね、明日奈』

 

「……お礼を言いたいのは、私の方よ。私がお母さんや友達に、こんな風に思ったことを面と向かって素直に言えるようになったのも、ユウキのお陰じゃない」

 

『いやいや。それは和人が明日奈とデュエルをした結果じゃ……』

 

「和人君をその気にさせてくれたのは、木綿季でしょ?」

 

明日奈からの思わぬ指摘に、驚いた様子で黙り込む木綿季。動作を停止して硬直したカクカクベアー君の様子に、明日奈はしてやったりと笑みを浮かべた。

 

『えっと……知ってたの?』

 

「和人君だけでそんな決意を固められるとは思えなかったからね。木綿季が和人君を動かしてくれたのはすぐに分かったわ」

 

思い返してみれば、イタチとアスナのデュエルの場には、ユウキも立ち会ったのだ。そのような結論には、簡単にたどり着けるというものである。

 

「分からないと思ってたみたいだけど、甘かったわね。これでも元血盟騎士団の副団長ですからね。仲間のことは、ちゃんと見ているんだからね」

 

『ハハ、ハ……』

 

「………………」

 

別に隠していたわけではないのだが、あの件がきっかけでイタチのスリーピングナイツ加入が確定したのだ。その結果、二人が急接近した――周囲に恋人同士になったと誤解されているだけ――のだから、明日奈にとっては面白い筈が無い。木綿季は苦笑を浮かべ、和人は只管に沈黙を貫くしかできなかった。

 

「だから、今言わせてもらうわ。和人君と一緒に、私の悩みに真剣に向き合ってくれてありがとう、木綿季」

 

『明日奈……』

 

「けど、和人君のことは、私達も絶対に諦めないからね!」

 

「明日奈さん……」

 

木綿季に対し、和人を巡る蟠りを抱いていた明日奈だが、それ以上に感謝していた。故に、長い別れとなるこの日までに、その気持ちを伝えたかったのだ。

そしてもう一つの、和人を巡る戦いは終わらせないという宣戦布告。それに対し、明日奈の横に立っていた直葉と詩乃は深く頷き、和人は頭痛を感じて頭を抱えた。そして、木綿季は……

 

『望むところだよ!ボクが戻ってきたら、決着をつけるからね!!』

 

「……!」

 

受けて立つというまさかの宣言が、カクカクベアー君に内蔵されたスピーカーから放たれた。それを聞いた和人は、額に当てていた手を放し、思わず顔を上げて目を見開いた。その宣言が、どのような意味を持つかが分からない和人ではない。

そして、一方の明日奈等三人はといえば……なんと、不敵な笑みを浮かべて木綿季の宣言に頷いていた。つまり、“気付いていた”ということである。

 

「ほら、あなた達。そろそろ時間みたいよ」

 

木綿季の宣言に硬直する和人だったが、それについて詮索する間も無く、時間が来てしまったらしい。ここ最近、スリーピングナイツのリアルにおける集団行動における引率役が板についた京子が、倉橋医師を連れてこの場へやってきた。

 

「木綿季君の移送の準備が整いました。あとは、メディキュボイドの電源を切り、無菌室にいる木綿季君の体を搬送用の専用無菌カプセルへと移し、患者搬送車で空港まで移送すれば、完了です」

 

「倉橋先生……この度は、木綿季の頼みを聞いてくださり、ありがとうございます。まさか、海外の病院まで探してくださるとは……」

 

「いえいえ。私はただ、担当患者である木綿季君の意志を尊重しただけです。木綿季君の願いを叶えることができなかったことは、担当医師として心残りではありますが……」

 

「木綿季が今日この日まで生きて来られたのは、倉橋先生が真剣に向き合ってくれたからです。木綿季の担当医として、倉橋先生は果たすべき責任を十分に全うされていますよ」

 

「そうですか……そう言ってもらえれば幸いです。それより、もうすぐ移送です。そろそろメディキュボイドの電源を切らなければならない以上、もうそろそろ皆さんとお話しすることもできなくなりますよ」

 

「分かりました。ではその前に、木綿季には皆に最後の挨拶をしてもらいます」

 

『えぇっ!?ちょ、和人!?』

 

聞いてないよ、という木綿季の言葉は無視して、和人はバタバタと暴れるカクカクベアー君を小脇に抱えたまま、病院の外へと向かって移動を開始する。

 

「これを最後に、しばらく皆には会えないんだから、ちゃんと挨拶しないと駄目だよ、木綿季」

 

『う~ん……そう言われれば、しょうがないかなぁ……』

 

明日奈に窘められ、諦めた様子で何を言おうかと思案を始めた木綿季。そんな彼女を、和人や明日奈をはじめとした面々は、苦笑しながら見守っていた。

 

(木綿季……)

 

誰もが木綿季の旅立ちを温かく見守ろうとしていた中、これから暫しの別れを告げようとする木綿季を――正確には木綿季が操る人形――を見ながら、明日奈は願う。絶対に、ここに帰って来てほしいと――――――

 

 

 

 

 

『え~っと……今日は、ボクのために集まってくれて、皆ありがとう!!』

 

和人等により、見送りに集まったスリーピングナイツのメンバーをはじめとした、面々に別れの挨拶をすることになった木綿季。総勢百人にも及ぶ人数を前に、和人に抱えられた状態のカクカクベアー君のスピーカーから発せられた声は、緊張している様子だった。

 

『別れの挨拶ってことになってるけど……正直、何を話せばいいのか、ボクも分からないんだけど……とりあえず、皆に今の内に言いたいことだけ言っておくね』

 

カクカクベアー君の右手を操作し、頭を掻くような仕草をして口にした木綿季の素の言葉に、最前列にいるスリーピングナイツのメンバーの数人が苦笑した。

そして、木綿季は改めて目の前に集まった面々を見渡し、再び話し始めた。

 

『小さい頃に病気になって……お母さんもお父さんも、姉ちゃんもいなくなっちゃって……ボク自身、もう長くは生きていられないんだなって、諦めてたんだ。それは、シウネー達も同じでね。アインクラッドのフロアボスを倒して、ボク等の名前を……ボク等が存在した証を刻み込もうって思ったのも、残り短い時間を目一杯楽しんでやるっていう気持ちからだったんだ。でもそれも、イタチや皆のお陰で叶えることができた。これでもう思い残すことなんて無いって……この前までそう思っていたんだ』

 

儚げに自身の想いを語る木綿季は、そこで「けどね、」と区切ると、それまでとは一転して、強い意思を感じさせる声色で続けた。

 

『シウネー達だけじゃなくて、和人や明日奈、皆と一緒にいられる時間が凄く楽しくって……生きているっていうことが、こんなに素晴らしいことなんだって、初めて思ったんだ。だから、旅立つ前に、言わせてもらうね。皆、本当にありがとう』

 

木綿季の言葉に、明日奈や深幸等は優し気な笑みを浮かべ、クラインこと:壺井遼太郎をはじめとした風林火山の面々等は得意げに微笑み、一護のような不良然とした面子は照れ臭そうに目を背けて仄かに顔を赤くしていた。和人については、表情にはあまり変化は見られなかったが、親しい間柄の人間に分かる程度の、ほんの微かな笑みが、口元に浮かんでいた。

皆の反応はそれぞれ異なっていたが、生きることが楽しいと言ってくれた木綿季の言葉を非常に嬉しく思っていることは共通していた。

 

『ずっと考えていたんだ。死ぬためだけに生まれてきたようなボクが……この世界に存在する意味なんて、あるのかなって。たくさんの薬や機械を無駄遣いして、たくさんの人に迷惑をかけて……ボクは、生きていちゃいけないんじゃないかって、思ったこともあった。

けれど、和人達は、そんなボクと友達になってくれた。スリーピングナイツのメンバー以外でも、たくさんの仲間ができた。皆はボクに……確かな居場所をくれた。生きていて良いって、思わせてくれたんだ』

 

そこまで話したところで、スピーカーから聞こえる木綿季の声に、涙によるノイズが混じり始めた。それに釣られるように木綿季の話を聞いていた何人かも目に涙を浮かべ始める。

 

『皆に優しくしてもらう中で……生きているのに、意味なんてなくても良いのかもしれないって思った。けど、僕は探してみたいんだ。ボクが生まれてきた理由を……ボクに何ができるか、その答えを、皆と一緒に見つけたいんだ。だからボクは……』

 

 

 

 

 

頑張って、生きてみることにしたんだ――――――

 

 

 

 

 

『だから、皆には笑顔で見送ってほしい。ボクがまた、皆のところに帰ってこれるって、信じていてほしい。それが、ボクから皆への、お願いだから……』

 

そう懇願する木綿季だが、「笑顔で送り出してほしい」と言っている本人が既に泣いていることを隠せない程の涙声である。そして、そんな木綿季の感情は、それを聞いていた一同にも伝播していった。皆が涙を浮かべ、すすり泣くこえがあちこちから聞こえていた。

 

「すみません、皆さん!もうすぐ木綿季さんを搬送しなければなりません。それに伴い、メディキュボイドの電源も切ることとなりますので、皆さんが木綿季さんと話せる時間はあと少しです!」

 

だが、皆が落ち着くのを待っている時間は無い。木綿季の搬送は、もうすぐ行われるのだ。猶予は無いと判断した倉橋医師が、搬送の予定時刻が迫っていることを知らせるために前へと出た。

 

「皆!木綿季が笑顔で送り出してって言っているんだから、笑わないと!和人君も、笑ってよっ……!」

 

「……はい」

 

それを聞いた明日奈が、全員に笑いかけろと声を上げる。しかし、それを言っている明日奈本人も涙を隠せていないのだが。しかし、明日奈の声は皆へと確かに届いていた。木綿季の困難で険しい旅立ちを見送るのだから、最後くらいは笑顔でいなければ。そう考えた一同は、思い思いに笑顔と声援を送った。

 

「木綿季!帰ってこなかったら、承知しないんだからね!!」

 

「約束したんだから、絶対に帰ってきなさいよ!!」

 

「帰ってこないと、明日奈が和人を取っちゃうんだからね!!」

 

「また皆で、冒険に行きましょう!!」

 

「俺達『風林火山』も、君のことを応援してるぜ!!」

 

「我が生徒会、そして攻略ギルド『ミニチュアガーデン』は、いつでも君を歓迎するぞ!!」

 

「藍子の敵討ちするつもりで、気合入れて戦ってこい!!」

 

「また戦いましょう!そして今度は、私が勝ちます!園子さんのためにも!!」

 

百人もの仲間達からの笑顔の激励に、木綿季はスピーカーから、「ありがとう、ありがとう」と、只管に感謝を口にしていた。

 

「木綿季、私も和人君も、あなたを信じてる。絶対に病気に勝って、ここに帰って来てくれるって。それまでは、私達があなたの居場所を守るわ」

 

『明日奈……ありがとう』

 

「私も一応、あなたのギルドのメンバーだから、助けてあげないこともないわ」

 

木綿季の居場所を守ることを誓う明日奈と、素っ気ない態度ながらもそれを手伝うと口にした京子。彼女等の間には、以前のような冷え切った空気は無く、母娘としての確かな絆ができていた。それを取り戻す手助けをできたことを、木綿季は心から誇りに思えた。

 

「ほら、和人君も何か言って」

 

「……木綿季。お前は多くの仲間に認められ、支えられている。それを忘れるな」

 

『和人……』

 

「ここから先は、お前一人の戦いだが、お前は孤独じゃない。お前を信じている皆を信じ……そして、皆に信じられているお前自身を信じろ。己自身を認めてやることができるのならば、絶対に失敗しない」

 

それは、和人の前世たるうちはイタチとして歩んだ人生から学んだことだった。一人ではできないことがあることを……己自身の不完全性を認めることができず、何でも一人でやろうとして、結果失敗した。

だが、木綿季は違う。木綿季に信頼を寄せる者が大勢いて、木綿季も皆に心を開き、信じて頼ることもできるようになった。かつてのイタチが持っていなかったものを、木綿季は確かに持っているのだ。

だから、和人は断じた。今の木綿季ならば、絶対に失敗はしないと――――――

 

「行ってこい、木綿季」

 

そして、和人が信頼を籠めて最後に放ったその一言で、木綿季の決心はさらに強くなった。

 

「行ってくるね、和人!皆!!」

 

 

 

 

 

 

 

こうしてこの日、『絶剣』ユウキこと紺野木綿季は、新たな挑戦に旅立った。無謀で達成できる見込みの無い、非常に分の悪い治療の賭け。しかし、木綿季の心に迷いは無かった。もう皆に会えないのではないかという不安も無かった。

何故なら、木綿季の胸の中には、木綿季を信じてくれた和人をはじめとした皆がくれた、ALOにおけるユウキの二つ名に相応しい、ずっと仲間達の存在を近くに感じられる、“絆”という名の『絶対無敵の剣』があるのだから――――――

 



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第百二十三話 君の瞳に映ったボクが生きたシルシ

2026年3月29日

 

アルヴヘイムの地下深くに広がる、広大な地下迷宮『ヨツンヘイム』。鍾乳石から発せられる僅かな光が照らす、雪と氷に閉ざされた世界の中を駆け巡る妖精達がいた。

 

「ゴァァアアアッ!!」

 

「咆哮による範囲攻撃だ!全員、散開して回避しろ!」

 

イタチの指示に従い、彼の率いるレイドに所属する前衛部隊のメンバー達が、討伐のために包囲していた黄金鎧を纏った巨人の姿をした、邪神級モンスターから一斉に距離を取る。

途端、巨人が咆哮を放つとともに、周囲三百六十度に向けて、強力な衝撃が迸った。そのあまりの衝撃波に、巨人を中心とした地面に、蜘蛛の巣状の亀裂が走り、クレーターを描くように陥没した。攻撃の有効範囲に入っていたならば、大ダメージは免れなかっただろう。

 

「メイジ隊、一斉攻撃開始!!」

 

そして、巨人の咆哮が止むのと同時に、反撃とばかりに今度は後衛に控えていた、アスナ率いるメイジ隊が動きだした。アスナ、サチ、シウネーを中心としたメイジ隊による強力な攻撃魔法が、巨人に向けて雨霰のように注がれていく。

 

「ゴォォオオオッッ!!」

 

「魔法が止み次第、再度突撃する!巨人が怯んだ隙を見逃すな!!」

 

『応!!』

 

イタチの指示に従い、散開した前衛部隊は再度得物を構え、魔法が止むと同時に再度突撃を仕掛けていった。イタチ等スリーピングナイツが戦っている黄金鎧の巨人型邪神の名前は、『エルドラゴ・ザ・ゴールドジャイアント』。ヨツンヘイムの未踏破領域を守護する、強大なる邪神型モンスターである。単純な攻撃力・防御力等のスペックが非常に高い上に、咆哮による攻撃はスタンをはじめとした多様な特殊効果を持つ上に、あらゆる防御や耐性を貫通してダメージを与えることができる効果を持つ。しかも、身に纏う黄金鎧には、物理攻撃が全くと言って良い程通用しない特性が付いているのだ。

その強大な戦闘能力は、サラマンダーの猛炎の将ことユージーン将軍や、シルフ五傑筆頭のシチロウといった名だたる猛者が率いるレイドですら手を焼く程の、非常に厄介なものだった。百戦錬磨の強者揃いのスリーピングナイツであっても、決して油断できる相手ではなかった。

 

「奴の体力はそろそろ限界だ。一気に仕掛けて削り切るぞ!!」

 

レイド総がかりで包囲して、強力な魔法とソードスキルを交互に叩き込んでのヒットアンドアウェイ戦法を繰り返すことおよそ三十分。黄金鎧の巨人、エルドラゴのHP残量は、三割程に差し掛かろうとしていた。

今こそ決着をつけるべきと判断したイタチは、前衛の仲間達を伴い、巨人へ向けて突撃を敢行しようとする。イタチに随伴するのは、アスナ、リーファ、コナン、ランの四人である。

 

「スリュムの時と同じだ。片足を攻撃して膝を突かせて、顔面に攻撃を叩き込む。咆哮による攻撃を仕掛けてきたら、コナンの『不協和音(ノイズ)』で打ち消せ」

 

「仕方ねえなぁ……」

 

「了解!」

 

イタチの指示のもと、突撃メンバーの面々は陣形を組み、エルドラゴ目掛けて駆け出していく。

 

「ゴガァァァアアア!!」

 

「来るぞ!コナン!!」

 

「分かったよ!」

 

自身に向かってくるイタチ等五人を視界に捉えたエルドラゴは、咆哮による衝撃波でこれを一掃せんとする。対するイタチは、作戦通りにコナンを前に出してスキルのキャンセルを図る。

命令されたコナンは不服そうな顔をしながらも、プーカの歌唱スキルを発動する。いつもの通り、外れに外れた酷い歌声が戦場に木霊し――――――エルドラゴの咆哮を打ち消した。

 

「次だ!右足を狙え!!」

 

「了解!」

 

「オッケー、お兄ちゃん!」

 

コナンのシステム外スキル『不協和音(ノイズ)』によって咆哮による攻撃をキャンセルされたことを確認したイタチは、ランとリーファの二人に突撃を指示する。二人はそれに従い、リーファは右足首、ランは右膝へ目掛けて跳んだ。

リーファは水平四連撃の片手剣系ソードスキル『ホリゾンタルスクエア』を発動して足首に斬撃を加え、ランは正拳突きによる単発の体術系ソードスキル『轟月』を発動する。

 

「ゴォオッ……ガァアアッ!」

 

二人掛かりの右足への攻撃により、直立姿勢を維持することができなくなったエルドラゴが、地面に膝を突く。その隙を見逃さず、イタチとアスナが一気に加速して駆け出し、負傷した右足を足場にして、三角跳びで顔面目掛けて跳び上がる。

 

「ハァアアアッ!!」

 

まず先に仕掛けたのは、イタチ。両手に片手剣を持ち、OSSの二刀流ソードスキル『ジ・イクリプス』を発動する。

 

「グ、ガァアアアッッ……!」

 

SAOにおけるオリジナルと全く違わぬ、怒涛の二十七連撃全てを顔面に受けたエルドラゴだったが、それでも尚、HPを削り切るには至らない。残り一割ほど残っている体力を削り切るために、アスナにスイッチして止めを託す。

 

「アスナさん、後をよろしくお願いします!」

 

「任せて!」

 

イタチと入れ替わるように巨人の目と鼻の先へと躍り出たアスナ。そしてそのまま、空中に飛翔した状態でソードスキルを発動させようとしたが……

 

「ゴォォオオオオオッ!!」

 

「なっ!?」

 

アスナのソードスキルが発動するその直前で、ダメージから立ち直ったエルドラゴが、アスナを視認するや口を大きく開いた。咆哮による特殊攻撃を発動する予兆である。このまま攻撃が発動すれば、至近距離にいるアスナは、即死はまず免れない。

絶体絶命の危機に陥り、きゅっと目を閉じようとするアスナ。そして、咆哮による攻撃が発動しようとした、その時だった。

 

「やれやれ、世話が焼けるわね……」

 

「ゴ、ガハァッ……!?」

 

そんなため息交じりの言葉とともに、アスナの視界の下端に閃光が迸った。次いで聞こえたのは、エルドラゴの苦悶の声。視線を下に向けると、そこには後衛に控えていた筈のエリカの姿があり、その手に握る片手剣がエルドラゴの喉に深々と突き刺さっていた。

アスナの危機に駆け付けたエリカが、片手剣重攻撃ソードスキル『ヴォーパルストライク』を発動し、喉を攻撃したことで攻撃の発動を阻害したのだ。

 

「早く止めを刺しなさい」

 

「は、はい!!」

 

エリカに催促され、素早くソードスキル発動に戻るアスナ。細剣を握る右力の力をより強くして、その切っ先へとライトエフェクトを迸らせる。

 

「はぁぁああっ!!」

 

猛烈なスピードで繰り出される十連撃の刺突が、エルドラゴの額に十字架を刻み込んでいく。

 

「やあっ!!」

 

そして、止めとして繰り出された十一撃目の最後の一撃が、エルドラゴの眉間を貫く。

 

「ゴ、ガァア………………!」

 

アスナの発動したOSS――『マザーズ・ロザリオ』により、HPを完全に奪われたエルドラゴの巨体が、轟音を立てながら氷の大地に崩れ落ちた。そして、その全身が青白い光に包まれ、ポリゴン片を撒き散らして爆散した。

三十分に及ぶ、一切の油断が許されない危険極まりない戦いに終止符が打たれたことで、スリーピングナイツのメンバー達もまた、その場にへたり込んでいった。

 

「かなり時間が掛かったけど、ようやく倒せたわね」

 

「そうですね。しかし、後衛をお任せしている以上は、あまり安易に持ち場を離れては欲しくなかったのですが……」

 

「私があそこで助けに入らなかったら、アスナは間違いなくやられていたわよ?仲間を危機から救い、戦いに決着をつけるための行動なんだから安易とは言わない筈よ」

 

後衛のポジションを外れて前線へと出たエリカを咎めるイタチだったが、当のエリカは臨機応変の対応をしたまでだと返すばかりだった。正論を掲げているように見えるエリカだが、本心ではアスナが心配で飛び出していったのだろうと、イタチは考えていた。アスナに対して厳しく接するエリカこと京子だが、親馬鹿な面が多々あるのだと、イタチは改めて感じていた。

 

「それより、早く未踏破領域の探索を進めないと。皆かなり消耗しているし、アイテムもかなり使っているわ。宝箱を探せるだけ探したら、一度地上に戻った方が良いわ」

 

「そうね。それじゃあ、HP残量がそこそこあって、探索に出られる人を集めてくるね」

 

「あとは、罠の解除要員が必要です。スプリガンや、その類のスキルを持っているメンバーも一緒に集めてください」

 

強大な邪神級モンスターを倒して一息吐いている面々だが、未踏破領域の探索という目的がまだ残っている。あまり深くまで探索している暇は無いだろうが、他のレイドが到着する前に、目ぼしい宝箱は開けておきたい。そう考えたエリカの言葉にイタチは賛成し、アスナと協力して現状で動けるメンバーを集め、探索を開始するのだった。

 

 

 

 

 

木綿季が仲間達からの熱い激励を受けて旅立ってから、二日が経った。いつ戻れるのか分からない……しかし、いつの日か必ず帰ってくるという誓いを立てた仲間を送り出したスリーピングナイツのメンバー達は、今日も今日とて変わらぬ日常を送っていた。

 

 

 

 

 

「いや~……それにしても、今日のヨツンヘイム探索も、かなりの儲けになったわね」

 

「未踏破領域だっただけに、宝箱はたくさんあったし、リズさんの大好きな稀少鉱物もたくさんありましたからね」

 

ヨツンヘイムの探索によって得られた成果たるアイテムや鉱物をテーブルに広げながら、リズベットとシリカはほくほく顔になっていた。二人の言葉に、周囲のメンバーもまた、同意するように頷いた。

ヨツンヘイムにおける未踏破領域探索を終えて地上へと戻ったスリーピングナイツのメンバーは、報酬の山分けを行ってから解散した。その後、メンバーの大半はリアルの用事でログアウトするか、他のエリアへと飛んで行ったのだが、イタチはアインクラッド二十二層に所有するログハウスへと向かい、手持無沙汰だった何人かのメンバーもまた、この場へ集まっていた。

ちなみに、後妻討ちデュエルをはじめ、様々なイベントがあったこのログハウスは、今やスリーピングナイツのギルドホームと化していた。

 

「しっかしまあ……まさかこのスリーピングナイツが、ここまでデカいギルドになるとは思わなかったよな」

 

「邪神級モンスターを討伐できるだけの戦力を保有しているギルドって、少ないからね」

 

最初はたった六人しかいなかったギルドが、一気に大量の加入者を迎え――それも強豪ばかり――急成長したことについて、しみじみとした面持ちで呟いたコナンとランの言葉に、他の面々は苦笑した。

 

「それで、次はどうするの?またヨツンヘイムの邪神攻略?」

 

「強豪ギルドが現在進行形で苦戦している『ベアキング・ザ・メタルジャイアント』や『バトラー・ザ・ホーンキング』あたりが狙い目かしら?」

 

「地上の方にも、中々に強力なモンスターがいるぜ。ウンディーネ領にいるっていう『ガスパーデ・ザ・キャンディジェネラル』も、かなり強力なボスモンスターって話だ」

 

「デッドエンドエリアを支配しているという、通称『ガスパーデ将軍』ですね。海賊型のモンスターで、かなりの大軍を率いていると聞きますが、その設定上、かなりの財宝を溜め込んでいるという噂もありますから、ドロップアイテムにも期待できます」

 

つい今しがたまで、ヨツンヘイムにて強力な邪神を相手に大立ち回りをしていた身でありながら、その思考は次の冒険へと向いていた。信頼のおける強力な仲間達でレイドを作ることができるようになったことで活動の幅が広がり、メンバー全員の気持ちが大きくなっている傾向にあったのだ。

加えて、良くも悪くも好戦的なメンバーが多いために、挑戦する題目は大抵が戦闘系のクエストや狩りだった。しかも、強豪ギルドですら苦戦を強いられる邪神級モンスターのように非常に強力な敵ばかりである。

 

「そこまでにしておけ」

 

「皆、ちょっとヒートアップし過ぎだと思うよ?」

 

そんな血気に逸るメンバー達を、イタチとアスナが諫める。リーダーであるユウキが不在の間、スリーピングナイツの切り盛りは、元々サブリーダーに相当する立場にあったイタチをはじめ、アスナ、シウネーといった落ち着いた思考をする面々が主体となって行っていた。

 

「ヨツンヘイムの邪神にしても、地上の札付き強豪モンスターにしても、攻略には十分な下調べと準備が必要だ」

 

「強力な武装やアイテムを揃えるにも、かなりのユルドが必要ですからね。それに、場合によってはクラインさんの風林火山やメダカさんのミニチュアガーデンにも協力を求める必要があるんじゃないでしょうか?」

 

「イタチ君とシウネーの言う通りだよ。今日の攻略だって、かなりギリギリだったじゃない。あんまり調子に乗り過ぎると、絶対に痛い目を見ることになるんだから、気を付けなよね」

 

スリーピングナイツの首脳陣と呼べる面々に窘められた面々は、先程までの威勢の良さはどこへやら。本日の邪神討伐に際して危機的な場面が何度もあったことを思い出し、ばつの悪そうな表情を浮かべていた。

 

「……分かってるわよ。けど、戦力は充実している方なんだから、レイドじゃないとできなかったこととか色々とやりたくなるじゃない?」

 

「アスナさんも、『マザーズ・ロザリオ』を習得してパワーアップしたことですしね」

 

「全くもう……これじゃあ、ユウキが帰ってきた時が思い遣られるわね……」

 

「同感です」

 

苦笑交じりにアスナが口にした言葉に、イタチは短く溜息を吐いて同意した。ただでさえ自由奔放なメンバーが多く、手綱を握るのに苦労している現状なのに、そこへユウキが加われば、ますます手に負えなくなってしまう。

そんな思い人の姿を見ながら、アスナはつい数日前……ユウキから彼女の奥義たる『マザーズ・ロザリオ』を受け取った時のことを思い出していた――――――

 

 

 

 

 

 

 

2026年3月26日

 

木綿季のアメリカ行きを翌日に控えたその日の夜。アスナはALOへとダイブし、現実世界同様に暗くなっていたイグドラシルシティの夜空を飛行していた。明日はユウキの見送りがあるため、いつもより早く就寝しようと思ったその矢先。ユウキからメールで唐突に呼び出しがかかったのだ。話があるとだけ告げられたアスナは、すぐさまALOへとログインし、待ち合わせの場所へと向かった。

目指す先にあるのは、イグドラシルシティの中でも最も高い場所にある展望デッキ……ユウキとイタチが初めて出会った場所だった。

 

「ユウキ!」

 

アスナをこの場へ呼び出したユウキは、先に展望デッキに到着していた。アルヴヘイムを三百六十度地平線の彼方まで俯瞰できるこの場に立っていたユウキは、自身の名前を呼んだアスナの方へと振り向いた。

 

「来てくれてありがとう、アスナ。こんなに夜遅くに呼び出しちゃって、ごめんね」

 

「気にしないで。いつもなら、まだALOにログインしてる時間帯だもの」

 

申し訳なさそうな表情をするユウキに、アスナは笑って答えた。付け加えるならば、旅立ちを明日に控えたユウキからの呼び出しである。重要な話であることは明らかだった。

 

「それで、私に話って何?」

 

「うん……アスナに、お願いがあるんだ」

 

挨拶も手短に済ませたアスナは、早速要件は何かと尋ねた。するとユウキは、先程まで纏っていた雰囲気を一変させ、真剣な表情でアスナに向き直った。

 

「アスナに、これを受け取ってほしいんだ」

 

そう言ってユウキは、右手に持っていたスクロールをアスナに差し出した。それを見たアスナは、目を見開いた。

 

「これって、もしかして……!」

 

「うん。ボクのOSS『マザーズ・ロザリオ』の『秘伝書』だよ」

 

イタチをはじめ、OSS使いの知り合いが多数おり、自身もまた使い手の一人であるアスナだからこそ気付くことができた。ユウキが手にしているのは、OSSの『剣技伝承』システムによって生成されたスクロールなのだ。プレイヤーはこれをウインドウから取り込むことにより、OSSを継承・行使することができるのだ。

しかし、『剣技伝承』のシステムを行使できるのは、一度限りであり、一代限りの継承なのだ。それを今、ユウキはアスナに対して使おうとしているのだ。突然何を、と驚いたアスナだったが、ユウキが何を考えてこのようなことをしたのか、すぐに分かった。

 

「……旅立った先で、治療に失敗して帰ってこれなくなった時のために、これを遺しておこうってこと?」

 

「まあ、それもあるかな」

 

「なら、断るわ」

 

OSS使いにとっての最大の財産とも呼ぶべきスクロールを継承してほしいというユウキの頼みを……しかし、アスナは即座に切って捨てた。ユウキを見つめるアスナの表情は、怒りと悲しみに歪んでいた。

 

「皆がどんな気持ちで、あなたを見送ろうとしているのか、分かっているの?ユウキなら必ず帰って来てくれるって……そう信じているから、笑顔で見送ろうとしてくれているんだよ!?なのに……なのに、こんなのって、無いよ!」

 

皆ともっと多くの時間を共有するために……もっと生きていたいという願いを叶えるために旅立つというのに、こんな遺言染みたものを残すことを、アスナは許せなかった。これでは、生きることを諦めているのと同義ではないかと……アスナには、そう思えて仕方がなかった。

 

「確かにそうだね……けど、ボクだって不安なんだ。本当に、皆とまた会える日が来るのかってね……」

 

「そんなこと言わないでよ!絶対に帰ってくるって、約束したじゃない……!」

 

儚げに笑みを浮かべながら口にするユウキの言葉に、アスナはもう聞きたくないとばかりに涙を目に浮かべながら声を上げた。

ユウキの治療が困難を極めることは、ユウキに言われるまでも無く、アスナとて分かっていることである。明日の見送りが、今生の別れになってしまう可能性が高いことも。だが、それを認めるわけにはいかない。認めれば最後、ユウキは二度と戻って来てくれないという、確信があったのだから。

 

「とにかく、これは受け取れない。どうしても渡したいのなら、帰って来てからにして」

 

「待って、アスナ」

 

ユウキの頼みを断ったアスナは、踵を返してその場を後にしようとする。だが、ユウキは諦めることなく、アスナを腕を掴んで止めにかかる。

 

「確かに、こんなことを頼むのは間違っているかもしれない。けど、どうしてもアスナに受け取って欲しいんだ」

 

「駄目。ユウキの頼みでも、これだけは聞けない」

 

「……なら、イタチのためって言ったらどう?」

 

ユウキの口から出たその名前に、アスナの動きが止まる。思わずユウキの方を振り返るアスナが見たのは、先程までの儚さとは打って変わって、真剣な表情でアスナを見つめるユウキだった。

 

「ボクもイタチに教えてもらったんだ。SAO事件とか、ALO事件とか、GGOで起きた死銃事件のこととか。それに……忍者だった前世があったこともね」

 

それは、アスナこと明日奈、リーファこと直葉、シノンこと詩乃といった面々のみが共有している、イタチに関する秘密だった。ユウキもこのことを知っているというのは初耳だったが、不思議には思わなかったので、驚きもしなかった。

むしろ得心した様子のアスナの表情に、ユウキは「やっぱり」と思い、苦笑した。彼女もまた、イタチの秘密を知っているのは自分だけでないという確信があったらしい。

 

「前世のことは、あんまり教えてもらってないけど、こっちで起こったことを教えて貰えば、イタチが今まで自分一人で何もかも背負って、色々と無茶してきたことくらいは分かる。だから、きっとこの先も……イタチは色んなことに巻き込まれて、これまで以上の無茶なことをするかもしれないって、そう思うんだ。だからアスナには、ボクが一緒にいられない時にそんなことが起こったら、これでイタチを守ってあげてほしいんだ」

 

「……どうして、私なの?」

 

イタチを守るためという理由は理解できた。イタチの危うさはアスナ達も常日頃から問題視していたことであり、誰かが歯止めをかけなければならないというのが総意だった。

だが、イタチを想う者で剣士であることが条件ならば、リーファでも良かった筈。その問い掛けに、ユウキは微笑みながら答えた。

 

「後妻討ちデュエルの最後の一騎打ちの時に思ったんだ。ボクに正面からぶつかってきて、限界を超えたアスナになら、ボクの技を託せるって」

 

「ユウキ……」

 

「だから、お願い。ボクもイタチを守りたいんだ。だから、アスナにはボクの剣技を受け取ってほしいんだ……」

 

先程と変わらない、強い意思を持った真剣な顔で……しかしそれに反して今にも泣きそうな表情で、ユウキはアスナに頭を下げて頼み込んだ。

イタチの傍にいられないもどかしさ。それならば、せめて剣技となってイタチを守りたいという願い。イタチに想いを寄せる者として、その気持ちは痛い程に分かった。同じ想いを持つ者として、アスナにはそれを断ることはできなかった。

 

「……分かった。ユウキの剣技(想い)、受け取るわ」

 

「ありがとう、アスナ」

 

「けど、私からも条件があるわ」

 

ユウキからスクロールを受け取り、OSS設定画面を開いてその中へと取り込んだアスナは、改めてユウキに向き直り、口を開いた。

 

「もう既に約束したことだけど……絶対に、私達のもとに帰ってくるって、もう一度約束して」

 

「アスナ……」

 

これだけは絶対に譲れないと強調して提示した条件は、ユウキがアメリカへと旅立つ目的そのものである。しかし、それと同時に叶えることがこの上なく困難なことでもあった。

皆に「必ず病気を治して帰ってくる」と約束したユウキだったが、心のどこかでは無理かもしれないと思っていた。約束をした相手であるスリーピングナイツのメンバーをはじめとした面々も……イタチですら、絶対に守れるとは信じきれていない可能性が高い。仮に旅立った先で命を落としたとしても、誰もユウキのことを責めないだろう。

しかし、今ユウキの目の前に立つアスナは、そんな建前を許さない。どれだけの困難であろうと、約束をしたならば必ず……矛盾した表現だが、死んでも果たせと訴えかける目をしていた。一度頷けば、是が非でも約束を果たさなければならない……そんな、ある筈も無い、ある種呪い染みた強制力をユウキはアスナが向けてくる眼差しから感じ取っていた。

そんな気迫に満ちたアスナの態度に、思わず気後れしてしまったユウキだが……既に答えは出ていた。

 

「分かった。絶対に、皆のところに帰ってくる。また、スリーピングナイツの皆と一緒に、いろんなことができるように、頑張るよ!!」

 

アスナに負けず劣らず強い意思を宿した瞳で頷いて見せたユウキ。その言葉を聞き、瞳を見たアスナは、満足そうに口元に笑みを浮かべた。

 

「それじゃあ、改めて約束の証として……“指切り”しましょうか」

 

「指切り?」

 

そう言って、アスナは指を立てた状態の右手を差し出した。但し、立てられているのは一般的な指切りに用いる小指ではなく……“人差し指と中指”だった。

 

「これって……」

 

「イタチ君が教えてくれた、『和解の印』。使い方がちょっと違うけど……お互いを認め合った証だって、イタチ君は言ってたから」

 

「……うん!」

 

アスナの言葉に頷き、ユウキもまた、左手を人差し指と中指を立てた状態で差し出す。互いに差し出された右手と左手の指は結ばれ、“印”を結んだ。

イタチの前世の忍世界の風習と同様にお互いを認め合い、それに加えて固い約束を交わしたアスナとユウキは、互いに笑みを交わす。そんな中、ユウキは何か悪戯を思い付いたとばかりにその表情に意地の悪い笑みを混ぜて、口を開いた。

 

「帰ってきたら、誰がイタチと一緒になるか、決着をつけるための最後の勝負をするからね!!」

 

「んなぁっ……!?」

 

果たしてユウキの不意打ちは見事に成功し、アスナはその顔を真っ赤に染めた。そんなアスナの取り乱した姿を見て、ユウキはフフンと得意気に鼻を鳴らしていた。

 

「~~~~~~!!」

 

その憎々しい顔に、真っ赤な顔のままで声にならない声で唸り声を上げるアスナ。その顔を見せまいと俯き、悔しさにプルプルと震えてしまっていたが、やがて意を決したように顔を上げると、

 

「本当に早く帰って来てね?あんまり遅いと、待ちきれなくて、私達が先に落としちゃうんだから!」

 

ユウキに負けじと挑発的なドヤ顔と口調でそう言い放った。そんなアスナからの予想外な返しに、ユウキは思わずポカンとした顔をして呆けてしまったが、不敵な笑みを浮かべて対抗するように宣言した。

 

「絶対に帰ってくるよ!皆には、負けないからね!!」

 

 

 

 

 

 

 

それが、アスナとユウキの仮想世界における最後のやりとりだった。

 

(約束をした以上は、私もユウキに代わって、しっかりギルドを守っていかなきゃね)

 

木綿季に何が何でも帰ってくるようにと約束を取り付けたのは、他でもない明日奈である。である以上、彼女の居場所であるこのスリーピングナイツというギルドを……そして、イタチをはじめとした仲間達を守らなければならない。

腰に差した細剣へと手を伸ばしたアスナは、ぎゅっとその柄を握り締めた。ユウキからマザーズ・ロザリオとともに受け取った、約束を守るための強さを握り締めるかのように。

 

「それでは、俺はそろそろ落ちます」

 

「イタチ君もこの後予定があるの?」

 

「ええ。先日持ち上がった“例の件”で、めだかの実家の会社に呼び出されていまして」

 

「ああ、あの話ね……」

 

「それでは、お先に失礼します」

 

非常に手短なやりとりでそれだけ伝えると、イタチはウインドウを出してログアウトするのだった。

 

「それじゃ、あたしも落ちるわね」

 

「あ、私もです」

 

「私も、書類の確認があるからもう行くわ。アスナも、いつまでもこっちにいないで、きちんと勉強しなさい」

 

イタチに続き、リズベット、シリカ、エリカがログアウトしていく。残りの面々も、ヨツンヘイムの激闘で相当疲れたのだろう。それ以上プレイするつもりのある者はなく、五分後にはアスナを残して全員がログアウトしていた。

 

(イタチ君は、本当に強いな……)

 

ここ最近、自身をはじめ、皆がユウキが無事に帰ってくるかという心配を拭いきれずにいた。そんな中、イタチだけはいつもと変わらない様子で、日常を過ごしていた。そこでアスナは、イタチにユウキのことについて思い切って問いを投げ掛けたことがあった。「ユウキが本当に帰ってくるか、不安ではないのか」と。それに対して、イタチが返した答えは……

 

 

 

「必ず帰ってきます。何故なら、ユウキは俺以上に“忍の才能で一番大切なもの”を……“諦めないド根性”というものを持っていますから」

 

 

 

“諦めないド根性”。まさか、クールなイメージの強いイタチの口からそんな言葉が出るとは思わず、それを聞いた時にはギャップで少しばかり驚いてしまった。

イタチこと桐ケ谷和人に残るとされる、うちはイタチという忍者としての前世。あまり多くを語らないイタチだが、SAO事件をはじめ、数々の死と隣り合わせの戦いを繰り広げてきたその姿を見てきたアスナにとって、イタチが前世で想像を絶する場数を踏んできたことは想像に難くなかった。

そんなイタチが、初めて――アスナの知る限り――自分の前世たる“忍”という言葉を用いて、ユウキのことを讃えたのだ。それは即ち、ユウキにはイタチと同じくらいの、困難を打ち砕く力があるということを意味する。ならば、疑う余地は無い。ユウキは必ず、病気という名の困難を撥ね退け、皆の元へ帰ってくる。根拠云々ではなく、他でもないイタチのお墨付きならば、間違いないのだと……アスナはそう確信していた。

 

「さて……私も行かないとね」

 

仮想世界での別れ際に、ユウキに宣戦布告をした身である以上、ユウキの行く末ばかりを心配する暇は無い。イタチが初めてその心の強さを認めたユウキには、絶対に負けられない。忍者になりたいわけではないが……それでも、イタチの傍にいるためには、彼曰く“諦めないド根性”というものが必要なことは間違いない。

自分と共に戦ってくれる仲間達が、この世界にも、現実世界にもいてくれる。ユウキが気付かせてくれた心の支えと、ユウキに負けないと言う気持ちを胸に、アスナは一歩一歩、前へと踏み出していく――――――

 

 

 

 

 

 

 

ALOからログアウトしたイタチこと和人は、手早く身支度を整え、ある場所を目指してオートバイを走らせた。高速道路を通って向かう先にあるのは、無数のビルが屹立中でも、一際大きく存在感を放つ、超高層ビル。建物丸ごとが一つの企業の所有物となっているその場所こそが、和人の目的地だった。

 

「いらっしゃいませ、桐ケ谷和人さんですね?」

 

ビルに入るなり、受付嬢らしきオフィスレディに声を掛けられた。ここを訪れるのは初めてだが、どうやら打ち合わせを行うのに際して関係各所に話は通されているらしい。

「その通りです」と返すと、受付嬢は和人を社内へと案内していく。入口をはじめ、認証が必要なゲートをいくつか通過し、エレベーターに乗って最上階近くの階層へと向かう。

 

「こちらが本日の打ち合わせ場所として用意させていただきました、会議室になります」

 

「ありがとうございます」

 

そうしてあまりに広いビルの中を案内されることしばらく。目的地とされる会議室の前へと和人は辿り着いた。その後、受付嬢がドアを三回ノックする。

 

「失礼します。桐ケ谷和人さんが、お越しになられました」

 

受付嬢の言葉に対し、扉の向こう側から「どうぞ」という、和人にとっても聞き知った女性の声が返ってきた。そして、受付嬢がドアノブに手を掛けて扉を開くと、そこには本日の打ち合わせ相手達が席に座っていた。

 

「入ってくれ、和人」

 

部屋にいた面々の一人、めだかに促され、入室する和人。二十名程の座席が用意されている広めの会議室の中には、めだかの他にまん太、ララがいた。約束の時間までは、まだ十分以上あったが、予定していたメンバーはほとんど集まっていた。

 

「待たせて悪かったな、皆」

 

「ううん、全然大丈夫だよ。さっきまで、ALOで私達の今日の活躍について話してたんだ!」

 

「僕は参加できなかったんだけど、ヨツンヘイムで難攻不落だった邪神級モンスターのエルドラゴを倒したんだよね?」

 

「あの未踏破領域は私達ミニチュアガーデンも狙っていたんだが、先を越されてしまったな。流石は黒の忍か」

 

「指揮を執ったのは俺だが、今日はスリーピングナイツの主力メンバーが揃い踏みだったからな。邪神が相手にも関わらず、HPを全損する犠牲者はゼロで済んだのも、メンバー全員が上手く連携を取れていたお陰だ」

 

賞賛を送ってくるめだかとまん太に対し、ボス攻略はメンバー全員の功績だと返しながら、和人はまん太の隣の座席へと座った。

腕時計を確認し、予定時刻まであと十分ほどあることを確認すると、この場にいない残り一人の出席者について、めだかに尋ねた。

 

「倉橋先生は、まだ到着していないのか?」

 

「ああ。だが、先程連絡が来たところだ。少々予定が押して、到着は予定時刻ギリギリになるとのことだ」

 

「そうだ!和人にはその間に、今日の資料の確認をしてもらおうかな?」

 

打ち合わせ開始までの十分程の時間を活用し、資料の最終確認をしてはというララの提案に和人は頷き、ララからA4用紙十枚程度からなる紙の資料を受け取った。それらの書類をパラパラと捲り、記載された内容について手短に目を通した和人は一つ頷くとララの方を向いて口を開いた。

 

「……上手くまとめられているな。これなら問題は無いだろう」

 

「やったね!」

 

「それで、めだかとまん太の方の首尾はどうなんだ?」

 

「黒神財閥の方は、既に役員をはじめとした経営層の面々に話は通している。出資の話は既に取り付けており、今は政府への根回しに向けて動いている」

 

「小山田グループのフルダイブ部門の開発部も了承してくれたよ。医療機器部門との協力体制も整っているから、最新機ができれば、メディキュボイドとの交信はもっと上手くできるようになると思うよ」

 

「そうか……開発プロジェクトの進捗に対して、黒神財閥も小山田グループもやや勇み足のようだが、問題は無さそうだな」

 

「おまけに、ウチの国もバックについてくれるから、鬼に金棒だね!いや~楽しみだな~!あの『カクカクベアー君』が、商品化するなんて!」

 

ララの口にした“『カクカクベアー君』の商品化”――それこそが、和人等四人が今日こうして集まった理由だった。メディキュボイドで終末期医療を受けていた木綿季が学校生活を送る上で導入した、ララの発明にして、和人等のメカトロニクスの課題である『カクカクベアー君』。日々、主治医として木綿季に接する中で、その有用性について着目した倉橋医師は、これを新たな医療用フルダイブ技術として導入できないかと考え、和人へ相談を持ち掛けたのだ。

それを発端として、和人以外に、開発の中核的存在となっていたララや藤丸といったグループのメンバーをはじめとした知己へと話が広まっていった。そして、この話は帰還者学校の中に止まらず……めだかとまん太の実家たる黒神財閥とオヤマダグループにまで知れ渡った。帰還者学校に通うめだかとまん太を通して仲が良好になった両企業は、倉橋医師同様に『カクカクベアー君』に非常に興味を持ち、ぜひ商品化をという声が、社内でいくつも上がった。結果、両企業を巻き込んだ、最新型の視聴覚双方向通信プローブ内蔵ロボット――ララ命名、『カクカクベアー君』――の商品化プロジェクトへと発展してしまい、現在に至るのだった。

ちなみに打ち合わせの場となっているこのオフィスビルは、黒神財閥の所有である。

 

(木綿季のような者のためにも、医療用フルダイブ技術の発展は不可欠と言われれば……納得せざるを得んな)

 

和人も倉橋医師も、今後のフルダイブ医療技術の参考にするための相談をしたに過ぎなかったのだが……いつの間にか事が大きくなってしまったことに、非常に驚愕していた。そして、あれよあれよという間に開発プロジェクトの中核をなすメンバーに推薦され、拒否権すら無くなってしまっていたのだった。

しかし、医療用フルダイブ技術を発展・普及させるためには、資金や設備や人材をはじめ、業界や政府への強力なコネクションや後ろ盾が必要なことは事実である。そういった利害の一致から、この計画に協力することを決めたのだった。

幸い、黒神財閥も小山田グループも、めだかとまん太を通してどのような経営姿勢なのかはそれなりに分かっている。企業である以上、利益を追求するが、医療技術の発展のためになる機械を開発してくれると信頼できる。

 

「そうだ。今日の打ち合わせなんだがな。倉橋先生が、開発の参考になる意見を聞かせてくれる協力者を連れてきてくれると言っていた」

 

「初めて聞いたぞ。一体、誰なんだ?」

 

「それは会ってからのお楽しみ、だそうだ」

 

めだかが唐突に話し出した話題に、怪訝な表情を浮かべる和人。倉橋医師とは短い付き合いだが、悪戯心を働かせるような人物には見えなかった。そんな倉橋医師が、予告なしで和人に会わせたいという人物は誰なのか。少しばかり想像してみたものの、答えは出なかった。

 

「失礼します。倉橋様とお連れの方が参られました」

 

そうこうしている内に、本人が到着したらしい。ノックと共に、扉の向こうから和人を案内した受付嬢の声が聞こえた。めだかが入室を促すと、扉が開かれ、向こう側からスーツ姿の倉橋医師が姿を現した。その隣には、一人の女性を伴っていた。やや長身で、病人を彷彿させるような華奢な体格に地色の肌。髪は肩まで伸びたストレートである。見た事の無い顔……しかし、和人はこの人物を知っているような気がした。現実ではない、どこか別の場所で会った気が――――――

 

「まさか……シウネー?」

 

「はい、イタさん……いえ、桐ケ谷和人さん。初めまして。スリーピングナイツのシウネーこと、安施恩(アンシウン)です」

 

淡い笑みを浮かべて肯定してみせたシウネーこと安施恩に、思わず目を見開く和人。スリーピングナイツのメンバーであり、リアルを互いに知らない筈の彼女がここにいることもそうだが、何よりこの場所に彼女が来ることができたことの方が驚きだった。

 

「……お体の方は、大丈夫なのですか?」

 

聞きたいことはあるが、まず先に口からでた疑問がこれだった。スリーピングナイツの初期メンバーは、木綿季をはじめとして皆が終末期医療を受けている、重病患者である。また、和人の推測ではあるが、木綿季の態度を見る限りでは、彼女が言っていた余命三カ月のメンバーの一人は目の前の施恩であることは間違いない。故に、メンバーの中でも特に重篤な病状である筈の彼女が、こうして外出することなどできる筈は無かったのだが……

 

「はい。私自身、未だに信じられないことですが……ユウキとお別れをしたあの日に、お医者さんから一時帰宅の許可をいただいたんです」

 

それから、施恩は自らが置かれていた病状について語った。彼女の発症した病気は、急性リンパ性白血病というものであり、三年前に発症したらしい。一度は化学療法で寛解したものの……その後、昨年頃に再発。有効な治療法である骨髄移植も、家族で適合できる者は誰もおらず、ドナーも見つからない状態で、まさに絶望の淵に立たされた状態だったという。覚悟を決めた彼女は、メディキュボイドによるターミナルケアを受け、残された時間を同じ境遇の仲間達……即ち、スリーピングナイツのメンバーとともに過ごすことを選択した。

 

「お気づきでしたでしょうが、イタチさんこと和人さんに会った時には、既に余命三カ月と言われていた程に末期の状態でした。再発後は、様々な薬を組み合わせて飲む治療法が続いたのですが、副作用が酷くて……あの、スリーピングナイツの最後の冒険と決めていた、フロアボス攻略が終わったら、残りの時間を安らかに過ごせるような治療に切り替えてもらうつもりでした」

 

余程辛かったのだろう。副作用のことを話す施恩の顔は、若干強張っているようにも見えた。

そして、そんな施恩の話を聞いていた和人もまた、同様の表情をしていた。前世であるうちはイタチには、不治の病に侵されていた身体を無理矢理延命させるために、かなり無茶な薬の服用を行った記憶があったからだ。忍者としての気力でこれを押さえ込み、一応の目的を果たしたイタチだったが、忍者でもない施恩がそれと同等の苦痛を味わったというのならば、音を上げても仕方が無いと思っていた。

そんな過去を思い出す和人を余所に、施恩は「でも……」と続ける。

 

「イタチさんや他の皆さんと出会って、仲良くなって……強く生きようとするユウキの姿を見て思ったんです。『諦めちゃ駄目だ』って。そしてそれは、私だけじゃなくて……ノリも、ジュンも、タルケンも、テッチも……皆同じことを考えてました。ご両親も、ランさん……お姉さんも、ご家族は皆いなくなって、私達の中で一番辛い思いをしている筈のユウキが、あんなに精一杯生きようとしているのに、なんて情けないことを考えているんだろう、って。だって、私達は『スリーピングナイツ』なんです。リーダーのユウキが諦めないって言っているなら、メンバーの私達が諦めていい道理なんて無いんだって……そう思ったんです」

 

自嘲交じりの階層を口にする施恩だったが、自身の……スリーピングナイツの初期メンバーである自分達の決意を口にしたその瞳には、強い意思が宿っているように思えた。

 

「それからは、皆でユウキと一緒に戦おうと、決意を新たにしました。どんなに苦しくても、辛くても……それを理由に投げ出さないと……最後まで闘い抜くことを、誓ったんです。

それで、ALOで皆さんと冒険をする傍ら、たくさんの薬を飲み続ける生活に戻ったんですが……二月頃から、私の身に変化が起こったんです。処方される薬の量が、少しずつ減ってきて……それで二日前……ユウキを見送った後に、一時帰宅の許可が下りたんです。しかも、お医者様によれば、それ以降は定期的に検査を受けるだけで良いということでして……」

 

「では、完治したと……?」

 

「まだ完治したというわけではないみたいなんですけど……ほぼ、完治は確定と仰っていました。たくさん服用していた治療薬の内の一つが、劇的に効いたお陰なんだそうですが……」

 

そこで言葉を切り、施恩は苦笑しながら続けた。その目には、涙が浮かんでいる。

 

「私は、ユウキのお陰だと思っているんです。この世界からいなくなるその時を待つだけだった私達に、生きていたいと思わせてくれた……運命と闘うための強さをくれたから、踏み止まることができたんだって……そう思うんです。」

 

「……」

 

「私達、和人さんには本当に感謝しているのです。唯一の家族だったランさんを亡くして、誰よりも辛かった筈なのに……ユウキは泣くこともせず、それどころか意気消沈していた私達を支えるために、精一杯明るく振る舞ってくれていました。本当なら、支えて欲しい側だったのに……私達は、踏み込むことができず、何の助けにもなれませんでした。

けれど、和人さんは違いました。ユウキを親身になって支えてくれただけでなく……かつて失くした、周りの人達との繋がりを取り戻させてくれた。あんなに楽しそうで、幸せそうなユウキを見るのは、私達も初めてでした。そして、そんなユウキの姿は、生きることを完全に諦めていた私達の心すら、救ってくれました」

 

「……………」

 

施恩の独白を、和人をはじめとした面々は、ただただ黙って聞いていた。その声色からは、和人に対する感謝や、本来ならばユウキを支えなければならなかった自分達の無力さに対する忸怩たる思いが複雑に絡み合った感情が窺えた。

 

「だから、決めたんです。私達もユウキに倣って、自分達が生きている意味を探してみようって」

 

そう口にした施恩の声と表情からは、確かな強い意思が伝わってきた。それこそ、ユウキが「生きていたい」と自身の想いを打ち明けた時のような――――――

 

「そんな時でした。こちらの倉橋先生から、フルダイブ医療技術の開発プロジェクトに誘っていただいたんです。ユウキや私達に、色々な場所を見せてくれたあの機械を普及させることができるなら、私達みたいな境遇の人達のためになると思うと、ぜひご協力させていただきたいと思いました」

 

「成程……メディキュボイドの被験者だった経験を活かし、フルダイブ医療技術の開発に協力すること。それが、あなたがここに来た目的でしたか」

 

メディキュボイドは、同じフルダイブマシンでも、一般に普及しているアミュスフィアのようなものとは設計が全く異なるものである。体感覚を麻痺させて苦痛を和らげるために高出力の電磁パルスを引き出す機能をはじめ、脳だけでなく、脊髄反射をカバーするためのベッドと一体化させた設計等々……VRゲーム用のマシンと同じ要領で作れるようなものではないのだ。

カメラを通して現実世界の遠隔地の情報を伝えるためのプローブにしても、簡単に商品化して普及させられるものではない。故に、メディキュボイドと視聴覚双方向通信プローブの両方の機器を実際に使った経験のある被験者の強力は、開発プロジェクトを進める上では必須とも呼べるものである。

 

「正直、私もフルダイブマシンのことなんて、そんなに分かっていないんですが……それでも、私にできることがあるのなら、それをやってみたいんです。ですから……皆さん、よろしくお願いします」

 

深々と頭を下げて、強力させて欲しいと真剣に頼み込む施恩。そんな彼女の姿に、和人は席を立って、自身もまた頭を下げる。

 

「……施恩さん。こちらこそよろしくお願いします」

 

「協力して欲しいのは、僕達の方です」

 

「私達は、あなたの手を拒まない。私達と共に、このプロジェクトを成功に導きましょう」

 

和人に続き、まん太とめだかも席を立って頭を下げる。めだかの言う通り、施恩を拒む者は、この場にはいなかった。

そんな一同の様子を見守っていた倉橋医師が、微笑を浮かべて口を開いた。

 

「良かったですね、施恩さん。木綿季さんが帰ってきた時にこのプロジェクトが成功していれば、きっと彼女も喜んでくれますよ」

 

「しかし、倉橋先生もめだかも人が悪い。もっと早く報告してくれても良かったのではないですか?」

 

「それは、私の提案だったんです。ALOでしか会ったことのない私が現れれば、きっと驚くだろうと思って……」

 

「……そういうところで、木綿季の真似はしなくて良いと思いますがね」

 

普段の彼女からは感じられない――どちらかといえば木綿季のような――悪戯心を覗かせながら笑みを浮かべる施恩をジト目で見つつ、和人は溜息を吐きながら席に座った。

 

「それでは、メンバーも全員揃った以上……始めるとしようか」

 

そして、和人の言葉を皮切りとして、視聴覚双方向通信プローブ内蔵ロボット――通称『カクカクベアー君』――開発商品化プロジェクトの打ち合わせが、始まるのだった。

 

 

 

 

 

 

“忍者”とは、“忍び耐える者”を指す言葉。故に、忍者にとって最も大切な才能とは、如何なる苦境に立たされようとも諦めることをしない、“ド根性”。

それは、和人の前世である忍世界において、イタチの出身である木の葉隠れの里の『伝説の三忍』の一人たる自来也の教えである。その教えは、師から弟子へ……七代目火影・うずまきナルトへと受け継がれ、多くの忍の心に根付いている。

そして、この異世界においても、木の葉隠れの忍としての前世を持ち、その教えを貫く者がいる。うちはイタチの前世を持つ少年、桐ケ谷和人が前世より受け継いだ意思は、本人が意図しない間に、彼に接した多くの人の心に伝播し、火を灯していた。

かつて、三代目火影・猿飛ヒルゼンは、『木の葉舞う所に火は燃ゆる、火の意思は里を照らし、また木の葉は芽吹く』と遺したように、忍の意思は次世代へと引き継がれたが……世界さえも超えて、多くの人の心に芽吹いているのだ。

 

忍としての前世故に仲間達に向き合えなかった和人の心に――

 

ぶつかり合うことから逃げ続けていたが故に、母親の想いと向き合うことができなかった明日奈の心に――

 

余命幾ばくかの己の身を儚み、生きることを諦めかけていた木綿季の心に――

 

彼等彼女等と同じ境遇にあった、仲間達の心に――

 

 

 

うちはイタチの灯した火の意思――諦めない不屈の心は、彼が生きた確かな“シルシ”となって根を下ろしていた。

 

 

 

終わりの見えない、多くの人の想いが交錯するこの世界で――うちはイタチは、前世から記憶とともに引き継いだ想いを仲間達と共有しながら、生き続ける。

 



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オーディナル・スケール
プロローグ 始動【launch】


『暁の忍』は、今月で6年目!
今話から『オーディナル・スケール』に突入です。
社会人として時間が上手く取れず、『ゲゲマス』との並行執筆で正直ギリギリですが、今後も頑張っていきます!


――2022年11月6日。フルダイブ型仮想現実ゲーム機『ナーヴギア』のソフトにして、世界初のVRMMORPG『ソードアート・オンライン』の正式サービスが開始された。多くのゲーマーが心待ちにしていた、VRゲーム新時代の幕開けとも呼べる、喜ぶべきだったであろうこの日は……ログインしたユーザー一万人にとっての、苦難と絶望の日々の幕開けへと一変した。

開発者・茅場晶彦の手により、ソードアート・オンラインはログアウト不能の監獄と化し、閉じ込められたプレイヤー達は、『ゲームオーバー』が『現実の死』に直結する、過酷なデスゲームを強要されることとなった。

圧倒的な絶望が渦巻く中、ゲームクリアを目指して立ち上がった者達がいた。しかしその一方では、現実を受け入れられず自殺を図る者、恐怖のあまり街に引き篭もる者、狂気に駆られてプレイヤーさえもいた。

後に『攻略組』と呼ばれるようになったプレイヤー達は、二年にも亘る壮絶な激闘の末――2024年11月7日、ある一人のプレイヤーが、攻略組に紛れていた黒幕たる茅場晶彦の正体を看破し、一騎討ちの末に打ち破り、ゲームはクリアされ……生き残った人々は解放された。

 

 

 

「最終的には、2 二千人もの人々が犠牲となり、首謀者である茅場晶彦の死でその事件は幕を閉じた……」

 

窓が一切存在しない、外界からは完全に隔離された、無機質で広大な部屋の中。電灯の無い、暗闇に包まれたこの部屋を微かに照らすのは、部屋の最奥に鎮座しながら、「ゴウン、ゴウン」と鈍い機械音を響かせながら稼働している、人の身の丈以上の大きさを持つ、サーバーマシンから放たれる青白い光だった。

 

「生き残ったプレイヤー達は、SAO帰還者(サバイバー)と呼ばれ、今は現実世界で普通の生活を取り戻している――――――か」

 

そんな薄暗い部屋の中に置かれたサーバーマシンの前には、一人の白衣を纏った初老の男が立っていた。その手には一冊の本を持っており、彼はその中に書かれていた内容を読み上げていたのだった。

男は本に書かれていた内容をひとしきり読み上げると、本を静かに閉じた。そして、今尚目の前で稼働し続けているマシンを見上げ、感慨に耽るような表情を浮かべていた。

 

「ここにいましたか、重村教授」

 

そんなサーバールームの中でに一人佇む男--重村に対し、声を掛ける人物がいた。後ろを振り向いた先にいたのは、重村と同じく白衣を纏った男性。重村同様、電灯も点けずにここへ入ってきたのだろう。その顔立ちは確認できなかったが、サーバーマシンから漏れる微かな光により、その線の細いシルエットだけは確認できた。

 

「……君か」

 

だが、顔など見なくとも、重村にはこの人物が誰かは分かっていた。そもそもこの場所に出入りできるのは、重村自身と目の前に立つ者のみなのだから。

 

「失礼しました。教授が席を外されてから、三十分程が経過していましたので、何かあったのではないかと思い、ここへ……」

 

「それはすまないことをした。勝手に抜け出して、迷惑をかけてしまった」

 

「いえ、お気になさらず。お気持ちは私にも……少しは分かるつもりですので」

 

一人になりたいからと言って席を外してこの場所へ来て、感慨に耽っていた重村だが、時間の感覚を失った状態で居座ってしまったらしい。目の前の協力者に対し、重村は素直に詫びた。

本来ならば、このような場所へ来て、傷心に耽っている暇は無いのだ。協力者たる彼と密かに組み立てた計画は、最終段階に差し掛かっているのだから……

 

「すぐにラボへ戻ろう。君の方は、今のところどうかね?」

 

「予定通りです。既にプログラムの完成度は八割を超えています。あと一週間もあれば、起動準備は整います」

 

「そうか……ならば私も、急がねばな」

 

予想以上のペースで仕事を進めている協力者たる男の言葉に、もたもたしていられないと決意を新たにした重村は、サーバールームを後にした。

 

「例の学校へのガジェットの無料配布については、既に根回しは済ませている。恐らくは、あの生徒達が今回の計画の要になるだろう……」

 

「それは私も同感です。計画を確実に進められるよう、“彼”にはターゲットの顔と名前の資料を渡しておきましょう」

 

「そうしてくれ。そういえば、君の作った薬は、上手く作用しているかね?」

 

「問題はありません。重村教授に提供していただきました装置も併せて、十二分に使いこなせています。今の彼ならば、黒の英雄相手でも引けは取らないでしょう」

 

ラボへ向かう道中、互いに協力して進めている計画の、詳細な進捗状況について確認し合う。計画実行に向けたタイムリミットが迫る中ではあるが、万事上手く進んでいることは間違いなかった。

 

「私の方も、政府への根回しは既に終えている。これならば、多少のイレギュラーが発生したとしても、計画を進行させる上で障害にはならないだろう」

 

「あとは、重村教授の計画が、上手くいくことを祈るばかりですね」

 

「必ず成功させる。それより……君は、本当に良いのかね?」

 

ラボへ向かって進めていた歩を唐突に止めた重村は、すぐ後ろを歩いていた男へと振り向いた。その表情には、真剣そのものである。

 

「私の望みと君の望みは、確かに同じ手段をもって叶えることができる。しかし、君の場合は、君自身の命を代償とすることが前提だ」

 

「心配してくださるのですか?これから自分の計画のために、大勢の人を犠牲にしようとしているあなたが……」

 

「……我ながら、非常に烏滸がましいとは思っているよ。だが、君の場合は条件が非常に厳しい。君の命を犠牲にしたとしても、絶対に叶えられる保証は、何一つ無い。それでも君は、やると言うのかね?」

 

男が言うように、重村がこれから行おうとしている計画は、大勢の人間の犠牲を伴うものである。それでも重村は、この男に問い掛けずにはいられなかった。人としての良心をかなぐり捨てて計画に臨んでいる重村にとって、唯一の理解者であり、同志であるこの男の行く末を……

対する男は、重村から突き付けられた現実に対し、フッと笑みを浮かべた後、口を開いた。

 

「必ず成功させます。私は絶対に、失敗しません」

 

「その保証は、何一つ無いと言った筈だが?」

 

「ええ。しかし、確信はあります。私の望みを叶えられるのは、私自身をおいて他にいないのだと」

 

そう言い放つ男の言葉と瞳からは、絶対的な自信と確信、決意があった。科学者としての矜持もあるのだろうが、それだけではない……その心の奥底には、重村が持っているものと似通った、強い意思を感じた。

 

「そうか……君の覚悟を疑ったようで、悪かった」

 

「いえ、お気になさらず。それに、譬え私の命が喪われたとしても、私の“意思”を遺す方法は、既に確立できています。万事抜かりはありませんよ」

 

薄らと笑みを浮かべた男は、懐からスマートフォンを取り出し、電源を入れるとその画面を重村へと見せた。そこには、アルファベット三文字が重なった、不可思議な文字が浮かんでいた。

 

「既に完成させていたのか……!」

 

「私の専門分野にして研究テーマでしたからね。尤も、これは彼の天才少年の猿真似にすぎませんよ。しかも、完成に費やした期間は私の半分だったそうですよ」

 

驚きの表情を浮かべる重村に対し、男は自嘲しながらスマートフォンを懐にしまった。

 

「皮肉なものです。生きた人間ならば、こうしていくらでも複製が利くというのに……この世にいない人間に限っては、どうしようもない」

 

「だからこその計画だろう。譬え人の道を外れたとしても……どれだけの犠牲を払ったとしても、取り戻したいものがある。君も私も、そのために立ち上がったのだ」

 

「仰る通りです」

 

「お互いに後に退くつもりが無いのならば、やることは一つだ。何が起こっても、我々は意思を貫くのみだ」

 

これ以上、足踏みをする必要は無いと断じた重村は、それ以降、ラボに戻るまで男と互いに言葉を交わすことは無かった。一切後ろを振り向かずに歩く二人の姿は、まるで後戻りできない地獄の扉を開ける禁忌を犯そうとする、罪人を彷彿とさせるものだった――――――

 

 

 

 

 

 

 

2026年4月15日

 

東京都文京区千石にある、都営地下鉄三田線の駅である『千石駅』。六義園や旧古河庭園といった観光スポットの最寄り駅として知られるこの駅の前には、片側三車線の幅の広い道路がある。都内だけに、普段は車通りが激しく、夜中の八時から九時頃にかけても、行き交う車の数はあまり減らなかった。

だが、この日だけは違っていた。道路は両車線ともに封鎖され、ちょっとした広場と化していた。そんな、空白地帯となった道路の中に、三十人近い数の人間が集まっていた。比率としては、男性が多いその中で、全員に共通しているのは、動きやすい服装をしていることと――顔に同じ規格の、とある“装置”を装着していることだった。

そんな中で特に目を引いたのは、白髪の小柄な少年、オレンジ髪の大柄な少年、ヘッドホンを首に提げた黒髪の少年の三人組――アレン、一護、葉だった。

 

「イベントの場所は、ここで間違いないんだな、アレン」

 

「その筈ですよ、カズゴ。現にこうして、車線封鎖もされています」

 

「それにしても、直前の告知だったのに、よく集まれたよな~、オイラ達」

 

SAO事件から生還した学生を主として受け入れている帰還者学校に通っているこの三人は、攻略組結成以来の仲だった。そんな彼等は、今日はとあるイベントへ参加するためにこの場所へと集まっていた。

 

「それにしても、和人も来りゃあ良かったのにな……」

 

「仕方ありませんよ。彼の実家は埼玉で、遠過ぎます。僕達三人が集まれただけでも、かなりラッキーだったんですから」

 

「まあ、良いじゃねえか。SAOでもALOでも、何だかんだ言ってこの三人で行動することは多かったんだからな」

 

カズゴ達のようなベータテスターは、SAO事件当時においては、他者の犠牲を厭わず、情報を独占する自己中心的なプレイヤーとして、正式サービス開始日にログインしたプレイヤー達から目の敵にされていた。特に、カズゴ、アレン、ヨウの三人は、SAO攻略組の中でも指折りの実力者であり、多くのプレイヤーにとっては嫉妬の対象とされていた。故に、他のプレイヤーとの衝突を避けるために、SAO事件発生当初からグループで行動するようになっていた。

しかし、三人一緒にいるとはいっても、ギルドを作っているわけではなく……ただ都合が良いからという理由から始まった集団だった。しかし、互いの相性は良く、SAO攻略組として場数を踏む内に仲間としての意識が芽生え、現在に至るまで行動を共にする程だった。

 

「……まあ、そうだな。俺達なら、多少の強敵も問題じゃねえな」

 

「一護も素直じゃないですね。友達として、和人にも来てもらいたかったんでしょう?」

 

「べ、別にそんなんじゃねえよ。強力な助っ人なら、何人いても良いってだけだよ。特にアイツなら、戦場がこっちだろうと、間違いなく最強だろうしな」

 

「あ、それはオイラも同感だな。和人って、ゲームと同じくらい、リアルも強いからな~」

 

「和人だけじゃありませんって。明日奈や直葉、めだかだって、十分強いです」

 

「蘭と真もな。……つーか、あの二人の強さは本当に人間なのかって疑いたくなるくらい半端ねーぞ」

 

「あと、あの人がいますよ!この前、剣道部に外部講師として来てくださった、結城京子さん!」

 

「明日奈の母ちゃんだったよな。まあ……流石母娘というか、あの人も凄ぇ強かったわな」

 

「和人相手に、二刀流勝負ができる奴なんて、初めて見たよな……」

 

そうして、三人でこの場にはいない仲間達の、規格外の強さをネタに談笑することしばらく。遂にその時は訪れる。

 

「もう九時ですね」

 

「来るか……それじゃあ、起動するか」

 

「まあ、何とかなるさ」

 

先程までの和やかなムードから一転。三人は気を引き締めると、各々ポケットからタッチペンを取り出して構える。そして――

 

『オーディナル・スケール、起動!』

 

その言葉と共に、三人の視界に映る世界は変わっていく。先程までの、道路沿いに展開していた建物群は、中世西洋風の建築物へと姿を変え、三人の立っていたアスファルトの道路もまた、石畳の地面へと変わっていた。

 

『やっほー!みんな集まってくれてありがとー!』

 

そんな中、一護達を囲んでいた、元は三階建ての雑居ビルの屋上に、一人の少女が現れた。長い銀髪を靡かせたその少女が纏うのは、黒と紫を基調とした近未来的なワンピース。その傍らには白い円盤状のマスコットらしきものが飛んでいた。

 

「あれ、『ユナ』じゃないですか!?」

 

「ほぉ……あれが噂の、世界初のARアイドルか」

 

「う~ん……確かに、SAOのNPCとはちょっと違う気がするんか?」

 

驚き、関心、疑問と、三者三様の反応を示す三人。周りに立っていた人々は、気付けば歓声に湧き立っていた。

 

『準備はいいかな?それじゃー戦闘開始!』

 

少女――ユナがそう言い放つとともに、一護達が立っていた場所を中心として、空間が陽炎のように歪んだ。SAO帰還者であるカズゴ等にとっては、見知った光景――ボスモンスターのPoPである。やがて、揺らいだ空間の中から巨大な黒い影が滲みだし……二メートルは優に超える巨体を現した。

 

「なっ!?」

 

「こいつは……!」

 

目の前に現れた、巨大なモンスター。その姿を見た一護達は、顔を驚愕に染めた。モンスターの出現に驚いたわけではない。問題は、そのモンスターの正体だった。

 

「まさか、これって……!」

 

「アインクラッド第一層フロアボス――『イルファング・ザ・コボルドロード』だ!!」

 

未だ驚愕に硬直して声が上手く出せなかったアレンの言葉を継いで、一護がその正体を叫んだ。

 

「グルルラァァアアア!!」

 

そんな唖然とした様子で動けずにいるアレン達目掛けて、赤色の獣人の王は、その手に持った巨大な斧を咆哮とともに振り上げた。

 

「くっ!迷っている場合じゃねえ!アレン、ヨウ、行くぞ!!」

 

「は、はい!!」

 

「まあ、何とかなるさ……!」

 

攻撃を受ける直前になって正気を取り戻した三人は、タッチペンから変化した各々の得物――大剣、長剣、刀をそれぞれ構え、激闘の中へと身を投じていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「……あれが、かつてのSAO攻略組――カズゴ、アレン、ヨウの力か」

 

『中々の動きだね。仮想世界程ではないにせよ、人並み以上の身体能力の持ち主らしい』

 

一護達が戦闘を開始した、仙谷駅前の道路の交差点。その場所からほど近い場所にあるビルの屋上より、戦闘の様子を俯瞰する、一人の男の影があった。男の手には、A4用紙程のサイズのタブレット端末があり、備え付けのカメラが起動していた。この男とは別の、もう一人の人物の声は、端末のスピーカーから出ていたものだった。

 

「だが、今の僕にとっては敵じゃない……計画のためにも、今すぐこの場で……!」

 

『まあ、待ちたまえ。この開けた戦場で事を起こせば、多くの目撃者が出てしまう。いくら私がいるとはいえ、揉み消すのは容易ではない』

 

タブレット端末からの声に窘められ、男は逸る気持ちを抑えてその場に踏み止まった。男にとっての悲願たる計画の始動は、まだこれからなのだ。十分な準備をしているとはいえ、事が事だけに慎重に動かねばならないのも事実だった。

 

『今日は、彼等の戦闘能力を確認することが目的だ。ここで十分なデータを採取できれば、より簡単に事を進められる』

 

「……分かったよ。今日のところは我慢しよう」

 

溜息を吐きながら答えた男の言葉に対し、タブレット端末からはやれやれとばかりに苦笑が漏れていた。

 

『そんなに焦らなくとも、君の出番はもうじき来る。そうなれば、嫌と言う程働いてもらうことになるさ』

 

「目的を果たすまでは、そんな弱音を言うつもりは無い。どんな手を使ってでも、僕は彼女を取り戻すと誓ったんだ……!」

 

『フフ……そう熱くなるべきではない。今のは言葉の綾に過ぎないのだからな』

 

「………………」

 

タブレット端末から聞こえる、茶化すような言葉に、男はジト目を向けながら閉口した。その後は、取り乱して無理に動こうとすることなどは無く、ただ眼下で繰り広げられる戦闘――特に自分達がマークしていた三人――に対してのみ、意識を集中させるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2026年4月16日

 

VRMMORPG『アルヴヘイム・オンライン』。一昨年に発生した『ALO事件』において、SAO帰還者を大量に拉致するための隠れ蓑として利用されたことで、一度はサービス廃止に追いやられたゲームだったが、一定の条件さえ揃えばだれもが仮想世界を作り出すことができるプログラム・パッケージ『ザ・シード』の流通により、元通りに復活を遂げていた。さらには、SAOの舞台として知られた浮遊城『アインクラッド』を実装化したことにより、ゲーム内は事件発生前以上に賑やかになっていた。

だが、そんなALOの今は………………

 

「……なんだ、イタチだけしかいないのか」

 

「む……コナンか」

 

新生アインクラッドの第二十二層の森の中にある、イタチ所有の別荘――現在は、所属ギルドであるスリーピングナイツのホーム同然になっている――の玄関を潜り、コナンが中へと入ってきた。ソファーに座ってゲーム内の情報誌を呼んでいたイタチは、コナンの姿を見ると立ち上がり、キッチンへ向かうと、棚からカップを取り出した。アスナ等がクエストで手に入れたという、『タップするだけで九十九種類の味のお茶がランダムに湧き出す』魔法のマグカップである。イタチはそれを持って、先程まで座っていたソファーへと向かい、向かい側に座っていたコナンへと差し出した。

 

「ランは一緒じゃないのか?」

 

カップをタップし、中に入っているお茶を口に運んで飲み始めたコナンに対し、イタチが問い掛けた。

現実の時間は、夕方七時過ぎ。いつもならば、コナン以外にもランは勿論、他のメンバーがもっとログインしてくる筈である。

 

「いや、今日は空手部の稽古が遅くなるって話だから、ログインできる時間は遅くなるそうだ」

 

「そうか……」

 

それだけ言うと、イタチもまた、手元に置いていた同種のカップへと手を伸ばし、中の液体に口を付けた。

 

「もしかして、“例のゲーム”に参加しているとでも思ってたのか?」

 

「否定はしない。ランやマコトあたりならば、本気を出せば、かなり上の……トップ10は狙えるだろうからな」

 

「ハハ……だろうな。俺も同じこと思ってたよ」

 

奇しくも同じ学校に通う、SAO帰還者の仲間達と同じことを考えていたイタチとコナンだった。イタチは「それに」と付け加えて続けた。

 

「ここ最近はALOにダイブするプレイヤーの数はかなり減っている。あちらのゲームに流れて行ったと考えるのが妥当だろう」

 

「やっぱお前もそう思うよな。やっぱり、あの機械が出てから、プレイヤーは皆そっちに行っちまったよな~」

 

苦笑するコナンの言葉に、しかしイタチは何も答えずに、マグカップの中の茶を啜るのみだった。

イタチはこのログハウスに来る三十分程前に、現在アインクラッドが浮遊している、アルヴヘイムのサラマンダー領を覗いてきたのだ。猛炎の将・ユージーン将軍と、その兄である稀代の謀略家・モーディマーの台頭により、九つの種族の中でも最強と呼ばれていたサラマンダー領は……しかし今は、狩場にも首都にも、プレイヤーの姿はあまり見られず、閑散としていた。アルヴヘイムの中でも最も栄えている筈のサラマンダー領ですらこれなのだから、他の種族の領土はゴーストタウンの様相を呈しているのかもしれない。

ともあれ、ALOというゲームは現在、ログインするプレイヤーの数が著しく減っていることは確かだった。

 

「ログインするプレイヤーが減っているのは、ALOだけじゃない。GGOやアスカ・エンパイアも、同じようなことになっているらしい」

 

「古いゲームが廃れていくのは、宿命ってワケか……」

 

そう言いながら、コナンは椅子に深く腰掛け、身体をだらりと弛緩させた。対するイタチも、これ以上話していても空しくなるだけだと思ったのだろう。先程まで読んでいた情報誌を手に茶を啜るのみで、それ以上口を開くことは無かった。

ログインしているにも拘わらず、狩りに行くことも、クエストを探しに行くこともせず、ただただ、ホームで無為に過ごすだけの時間。個性が強いメンバーが揃っているが故に、騒々しさに満ちた日々を送っているスリーピングナイツにしては、珍しい光景だった。

 

 

 

だが、そんな珍しい時間も、長くは続かなかった――――――

 

 

 

「お、メッセージだ」

 

「俺の方にも届いたぞ」

 

コナンとイタチの視界の端に、メッセージの受信を知らせるアイコンが現れた。二人は同時に同じ操作でウインドウを操作すると、メッセージの確認を行った。

 

「運営からのイベント通知か?」

 

「可能性はあるな。ただでさえログインするプレイヤーが減っているんだ。人集めの起爆剤として、その手のイベントを企画してもおかしくない」

 

「まあ、良いじゃねえか。暇なのは間違いないんだし。少人数でもできるクエストとかだったら、俺達だけで行ってみようぜ」

 

そんな軽口を叩きながら、二人してメッセージ画面を開いた。宛先を確認すると……そこには、覚えの無い差出人の名前が記載されていた。

 

「『N.A.』……覚えの無い名前だな」

 

「俺のメッセージの差出人も同じ名前だ」

 

「つまり、同一人物ということだな」

 

聞き覚えの無いプレイヤーの名前を訝るイタチとコナン。正体不明の差出人からのメッセージとなると、ウイルスメールの可能性もある。

実際、昨年には『イマジェネレイター・ウイルス』と呼ばれるアミュスフィア専用のメールソフトを利用した、悪質なウイルスメールが横行したこともあった。映像や音楽だけでなく、触感までをも伝えることができる性能を利用し、明らかに十八歳未満には閲覧禁止な、これでもかと言う程に猥褻もしくは猟奇的なテーマを積載したメールがばら撒かれ、至る場所で強制的にプレビューされるという騒動が起こっていた。

一時期はかなりの大騒動になったが、名探偵Lの右腕である、『F』こと『ファルコン』によって修正ファイルがアップされるとともに、騒動を起こした主犯と便乗犯が全員、特定・逮捕されて事件は収束したのだった。

ともあれ、そのような前例があるだけに、このメールを迂闊に開封して良いものかと、イタチとコナンは考えていた。しかし、イタチもコナンもALOにおいては交友関係が広い。フレンド登録しているメンバーは、SAO帰還者を中心として三桁に及ぼうとしている程であり、一度会ったきりというプレイヤーも少なくないのだ。

 

「う~ん……もしウイルスメールじゃないとしたら、一体、誰なんだろうな?」

 

「分かっていることは、俺とコナンに関わりのある人物ということだな」

 

「『N.A.』って……こんなプレイヤーネームなのか、イニシャルなのか分からない名前で、俺達に共通の知り合いなんて――――――!!」

 

『イニシャル』――そう口にした時、コナンははっとなった。イタチに目を向けると、同じ考えに至っていたのだろう。その赤い瞳を見開いていた。

 

「おい、まさか……!」

 

「可能性はあるな。……とりあえず、メッセージを読んでみよう」

 

手紙の差出人に、ある知り合いを想起したイタチとコナンは、ウイルスメールの可能性を承知の上で、メッセージを読むことを決めた。

イタチにとっては一年以上前に会ったきりの、コナンにとってはおよそ十年前に会ったきりの友人。それ以降は二人に対して音信不通だったにも拘わらず、何故今になって連絡など寄越したのか。その意図は、中身を読むまでは分からない。

だが、身を隠している筈の“彼”が二人に接触を図るということは、ただ事ではないことだけは確かである。そしてそれは、仮想世界に関連した、恐ろしい何かであると……そのような確信が、二人にはあった。

そんな思考の中、イタチとコナンは、自分達が大きな流れに呑まれようとしていることを感じながら……後戻りできないことを覚悟の上で、メッセージを表示した――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二年もの月日をかけ、二千人以上の犠牲の上で、その幕を閉じた死のゲーム『ソードアート・オンライン』。全世界を震撼させた、前代未聞のVRゲームを舞台とした大量殺人事件が解決してから一年以上の時が過ぎた今……人々は事件によって齎された『喪失』から立ち直ると同時に、『仮想世界』の新たな可能性の追求を始めていた。

だが、人と言うものは、喪失が大きければ大きい程……そして、その理由が理不尽であればある程、あらゆる手段を模索して、その喪失を取り戻そうとするもの。そして、『仮想世界』には、その可能性があった。喪失を齎したのが仮想世界ならば、それを埋めることができるのも仮想世界であると……そんな、考えを持つ者達が現れるのは、必然だった。

そんな喪失を味わった者達が企てた、仮想世界のみならず、現実世界をも巻き込んだ、恐ろしくも悲しい、巨大な陰謀。それに立ち向かうことを己自身の贖罪として科した『暁の忍』は、己が持つ全てを擲つことを決意し、今再び、壮絶な戦いに身を投じていく――――――

 




今話から開始の『オーディナル・スケール』ですが、かなりの難産でした。
最大の問題は、和人ことイタチと、重村教授サイドとの戦力差。
自業自得以外の何物でもないのですが、パロキャラ戦力が充実し過ぎていて、正直、話にならないレベルです。
一度は執筆を諦め、『アリシゼーション』に飛ぶか、休載することも考えてしまいました。

そんな中、執筆への決意が固めてくれたのは、やはりパロキャラでした。
重村教授サイドに投入するパロキャラの条件としては……

・エイジを、イタチ憑依の和人と互角に戦えるくらいに強化できる。
・毛利蘭、京極真といった最強キャラを押さえられるだけの戦力を用意できる。
・ファルコンのハッキングをブロックできる、ITチートが使える。
・重村教授の理論を理解できる明晰な頭脳と、計画に賛同してもおかしくないような過去の持ち主。(できれば、原作でも同様の計画を実行していることが望ましい)

こんな都合の良いパロキャラなんて、いる筈が無いと思っていましたが……



実は、いました。



ちなみに、その存在を思い出したのは、投稿一週間前でした。
ヒントは、オーディナルスケールのタイトルです。
10年以上前の作品なので、分からない方も多いと思いますが……

こんな杜撰な執筆計画で申し訳ありませんが、今後も『暁の忍』をよろしくお願いします。


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第百三十一話 招待【invite】

2026年4月24日

 

東京都西東京市のショッピングセンターの中にある、とある喫茶店の中。ワイワイガヤガヤと、店内の至る場所で雑談をする店内の窓際の席に、同じ制服を身に纏った女子高生四人が座っていた。

四人の側頭部の耳のあたりには、共通して小型のヘッドホンのような外見の機械が装着されていた。

 

「えいっ!」

 

「やっ!」

 

「ここです!」

 

「そこっ!」

 

そんな四人が囲むテーブルの中央には、ひと昔前のゲームを彷彿させる、ゲーム版が現れていた。複雑に入り組んだ盤上を移動する、口を開け閉めする黄色いキャラクターを巧みに誘導し、目的の場所へと向かわせているのだ。

 

「これで……終わりです!」

 

そして、ゲームに熱中すること十分弱。少々苦戦していたゲームだったが、少女達は見事にクリアして見せた。先程まで迷宮が表示されていたテーブル中央の盤面はきれいさっぱり者が無くなり、代わりに『CLEAR』の文字が浮かんでいた。

 

「勝ったね、シリカちゃん!」

 

「リズもナイスアシストだったよ」

 

「よっしゃークリアです!」

 

「これで無料スイーツゲットよー!!」

 

ゲームクリアを果たしたことで手に入れた報酬に、テンションがハイになる四人。特にツインテールの少女――シリカこと圭子と、ショートカットの少女――リズこと里香は、拳を振り上げて歓喜していた。

 

「それにしても、本当に凄いわよね、コレ。いろんなお店でポイント貰えるんだから、やめられないわよね~」

 

「フフ。そういえば、ケイタやテツオも夢中になってたっけ?」

 

「サチは一緒に行かなくて良かったの?同じ部活なのに」

 

「それを言うなら、アスナこそイタチのところに行かなくて良いの?同じ剣道部だし……私達と一緒にいるより、ずっと楽しいんじゃないかな?」

 

「んなぁっ……!?」

 

サチこと深幸からの思わぬ不意打ちに、アスナこと明日奈が取り乱した様子で頬を赤らめる。そんな彼女の姿に嗜虐心をそそられたのか、里香がニヤリと悪い笑みを浮かべた。

 

「あららぁ?ひょっとして、先約が入っちゃってたとか?イタチってば、ララとかメダカとかとも仲が良いみたいだし。それに、リーファとシノンなんか、同じ屋根の下で暮らしてるんだもんね~……うかうかしてたら、取り戻せないくらいにリードされちゃうかもしれないわよ?」

 

「もうっ!リズってば!!」

 

「あはは……けど、イタチさん、本当にどうしたんでしょうか?今日は部活も無い筈なのに……」

 

「イタチ君には、学校出る前に声を掛けてみたけど……何か用事があるって言って断られちゃったわ」

 

「ほほう……さては、リーファかシノンと――」

 

「言っておくけど、誘いを断られたのは二人も同じだからね」

 

この場にはいない、イタチこと和人を出汁にして明日奈を揶揄う里香。それに対し、邪推しているようなことは無いとはっきり告げる明日奈。かなりムキになって否定するその態度に、里香は揶揄い甲斐があるとばかりにさらに笑みを増す。

 

「リズ、そのへんにしておきなよ。アスナも、あんまりヒートアップしないで」

 

そんな彼女達の様子を呆れた様子で見ていた深幸が割って入り、仲裁をした。深幸の言葉に、里香はやり過ぎたかと少しばかり反省した様子で大人しくなり、明日奈の方も不満は残っている様子ながら矛を収めた。

 

「それより、コレですよコレ!いろんなお店でゲームして、ポイントとかクーポンとかが手に入るのも魅力的ですけど、機能も凄いですよね!」

 

「同感ね。どこでもテレビ見られるし、ナビや天気予報も見れるしで、至れり尽くせりって感じよね。この『オーグマー』は――」

 

AR(拡張現実)型情報端末『オーグマー』。

それが、明日奈達が今まさに使用している、小型のヘッドホンのような外見のデバイスの名前である。VRマシン『アミュスフィア』を遥かに凌駕するコンパクト性を持つこのデバイスは、フルダイブ機能の代わりに拡張現実――AR機能を最大限に広げた、次世代ウェアラブル・マルチデバイスである。

AR機能とは、覚醒状態の人間に視覚・聴覚・触覚情報を送り込むことを可能とした機能である。フルダイブマシンについて回る諸々の危険性――SAO事件が特に知られている――が存在せず、フィットネスや健康管理をゲーム感覚で楽しむことができることから、VRマシン以上に広く受け入れられている傾向にあった。

 

「そんな最新デバイスを、帰還者学校の生徒全員に無料で配布してくれるんだから、政府のお役人様は太っ腹よね」

 

「クラインさんやエギルさんも買ったそうですけど、かなり高価だって言ってましたもんね。そういえば、クラインさんで思い出したんですけど……例の最新ゲームの方も気になりますよね!」

 

「ああ、『オーディナル・スケール』のことね」

 

『オーディナル・スケール』とは、『オーグマー』専用のARMMORPGである。拡張現実を舞台としたこの最新ゲームは、最新技術を用いた次世代的ゲームであり、現在、話題沸騰中の大人気ゲームでもあった。

現実世界をフィールドとして、一般的なMMORPGよろしく、各所に出現するアイテムの蒐集やモンスター討伐を行っていくことで、プレイヤーは『ランク』を上げていく。オーディナル・スケール最大の特徴は、この『ランキング・システム』であり、全てのプレイヤーのステータスはプレイ成績たるポイントの獲得数によって割り振られる序数(カーディナル数)によって決定されることとなる。故に、ランク上位のプレイヤーほど圧倒的なステータスが与えられることとなる。故にプレイヤー同士の、殊にソロのPvPでは、ランクの順位が勝敗を分けると言っても過言ではなかった。

ちなみに、順位が上位になる程に与えられる恩恵はステータスに止まらず、システム提携している商店で利用できるクーポン等、様々な特典を得ることもでき、プレイ人口の爆発的な増加の要因にもなっていた。

 

「例の三人組……カズゴとアレンとヨウが、一緒になってプレイに繰り出しているって言ってたわね」

 

「そういえば、サチの部活メンバーもチームを組んでプレイしてるって聞いてるけど……サチは一緒にやってないの?」

 

「VRならともかく、ARはちょっと……」

 

「ああ、サチは運動があんまり得意じゃないもんね~」

 

「魔法職でもあれば、また考えたんだけどね……」

 

仮想世界でアバターを操るVRゲームとは違い、ARゲームは現実世界で実際に体を動かす。故に、ALO以上に現実世界における運動神経が問われることとなる。ALOでは無双の力を誇る大火力メイジとしてその名を知られ、『氷の女王』などという二つ名が出回り始めているサチも、現実世界ではどこにでもいる普通の少女、綾瀬美幸に過ぎないのだ。

 

「仕方ないよ。VRのアバターと現実世界の体とじゃ、勝手が違い過ぎるし……」

 

「リーファとかランとか、現実世界でスポーツをやっている人じゃないと、ちょっと難しいんじゃないかな……」

 

「イタチとかメダカもそうよね。特にイタチよ、イタチ。現実世界でも仮想世界に近い動きができるって……本当に、どんな体してんのよ……」

 

「剣道が凄く強いだけじゃなくって、とても身軽ですもんね。まるで、本物の忍者みたいだって、皆言ってますよ」

 

この場にはいない和人の規格外ぶりを思い出し、苦笑する四人。

SAO時代から『黒の忍』の二つ名を持つ、攻略組の強豪プレイヤーとして知られたイタチの強さは、仮想世界だけに止まらない。

現実世界においても、和人は剣道の全国大会優勝は堅いとされるだけの実力者なのだ。さらに、その非常に高い運動能力は、剣道に限らず陸上やテニス等、あらゆるスポーツにおいて十全に発揮されていた。

そんな和人の『リアル忍者』と呼ぶべき身体能力を試すために、パルクールをやらせたこともあった。走る・跳ぶ・登るという移動所作に重点を置いたこのスポーツは、忍者の動作そのものと言えた。投稿されているネット動画を和人に見せて、それを参考に都内の公園を動き回ってもらったのだが……結果として、和人は投稿動画以上の動きを再現してみせることとなった。

 

「あの後、藤丸とかララとかが、イタチの動きを撮った動画を投稿して、何か色々と大変なことになったんだっけ?」

 

「プロのパルクール団体とか、アクション俳優の芸能プロダクションからのスカウトがひっきりなしにあったんだって」

 

「それから、巨大フィールドアスレチックをクリアするスポーツ・エンターテインメント番組への参加推薦とかを受けたっていう話も聞きました」

 

「まあ、イタチ君はそれ全部断っちゃったんだけどね……」

 

ララと藤丸が投稿したパルクールの動画によって、一躍有名になった和人だが、その手の勧誘は全て断っていた。和人がパルクールをやろうと考えたのは、人知れず行っていた忍修行の一環として使えると考えたからであり、その道で生きていくことを考えていたわけではないのだ。動画自体も、和人本人が投稿を許可したわけではなかったため、事の次第を知った和人によって、すぐさまネット上からは削除され、動画を投稿したララと藤丸にはたっぷりと説教がされることとなった。

 

(けど、それも当然のことなのかもしれないわね……)

 

かつて、忍世界を生きた“うちはイタチ”としての前世の記憶が残っているという、和人の秘密を知る数少ない人物の一人である明日奈は、和人の反応も当然のことかもしれないと思っていた。

前世のうちはイタチとしての自分を忘れないためにと、忍修行を続けてきたと言っていた和人だが、その実、忍としての自分を他人には見せたがらない。それは、和人の前世を知る明日奈と直葉、詩乃に対しても同様だった。壮絶で他人に話すことが憚られるような経験をしていたのだろうと詩乃は推測していたが、恐らくその通りなのだろう。そう考えれば、和人が忍修行を人前でも行うことができるようにするためとはいえ、自身の技をみだりに世間に見せびらかすことを嫌うのは、当然のことと言えた。

 

「話がイタチのことにずれちゃてるわね……それより問題なのは、『オーディナル・スケール』のことよ!」

 

「まさか、リズさんもプレイしようとしているんですか?」

 

「その通りよ!」

 

圭子の問いに対し、当然とばかりに肯定する里香。興奮した様子で、同席していた三人に対してそのまま畳みかけていく。

 

「オーディナル・スケールをプレイしてもらえるポイントだけど、そこらの店のミニゲームで手に入るポイントとは段違いよ。特にボスクラスの敵を倒して手に入るポイントときたら、ここのミニゲームで手に入るポイントの百倍は下らないわ!」

 

「百倍、ですか……!」

 

里香が口にした数字に、圭子は思わず息を呑む。彼女等が今いる喫茶店のミニゲームで得られるポイントは、精々数十ポイントが良いところ。百倍となれば、数千円に跳ね上がる。里香の言うように、ボスモンスターを倒すことができたのならば、GGOのプロプレイヤーが日に稼ぐ金額と同等のポイントを得られることになるのだ。

 

「というわけで、私達もやるわよ、オーディナル・スケール!そんでもって、ボスを打倒してポイント大量ゲットを狙うのよ!!」

 

「やっぱりそうなるんだね……」

 

里香が何を言い出すかは、話の流れから半ば予想出来ていただけに、その場にいた三人は全く驚いた様子は見せず、ただ苦笑していた。攻略組プレイヤー曰く、『ぼったくり鍛冶師』ことリズベットの守銭奴ぶりは、現実世界でも健在なのだった。

 

「けど、私達ってあんまりランクが高いわけじゃないし……本当に首尾よくポイントを稼げるかは分からないよ?」

 

「最悪の場合、逆にランキングが下がっちゃうかもしれないですしね……」

 

ゲームというものは、ハイリスクハイリターンが常である。強敵たるボスクラスモンスターを倒せたのならば、里香が言うように大量のポイントが手に入るが、失敗すればポイントを失い、今のランクが下がる可能性も高いのだ。

である以上、強力なボスクラスモンスターの相手は、もう少し情報を集めて――それこそ、SAO事件当時の攻略方針がそうだったように――行った方が良いのでは、と明日奈は提案しようとした。だが、里香はそんな明日奈の考えを予想していたらしく、明日奈の眼前に手のひらを翳して発言を止めると、不敵な笑みを浮かべながら再度口を開いた。

 

「心配ご無用!ちゃんと勝算はあるわよ!」

 

「勝算……?」

 

どうやら、無策でこのようなことを提案しているわけではなかったらしい。プレイ経験の少ないゲームにいきなり参戦して、どうやってボスクラスのモンスターを狩る方法とは何なのか。明日奈も気になったので、異議を挟むのはとりあえずやめた。圭子と深幸も、同じように知りたそうな顔をしていた。

そんな三人に対し、里香はもったいぶりながらも話し始めた。

 

「ここ最近、話題になっていることなんだけどね。なんと、オーディナル・スケールにはつい最近から、旧SAOのボスモンスターが現れているらしいのよ!」

 

「SAOのボスモンスター……!?」

 

里香から齎された予想外の情報に、目を見開いて驚く明日奈。

オーディナル・スケールのゲーム内におけるストーリー設定は、西暦202X年に、全ての平行世界の統合を狙う異世界『ユナイタル』が地球への次元侵略に対抗するために送り込んだ生体兵器『DBA』と戦うというものである。そんなSFテイストの強いゲームの中に、中世欧州のファンタジー世界を模したSAOのボスモンスターが現れることなど、本来ならばあり得ない。

 

「それって本当のことなの?」

 

そのため、明日奈が里香の言葉を疑うのは仕方のないことだった。何らかのプロモーションイベントやコラボレーション企画ならば、他のタイトルのゲームに出てきた敵キャラや味方キャラが参戦してくるのは別におかしな話ではないが、そのような告知は――少なくとも、この場にいる明日奈達三人は――聞いたことが無かった。

 

「運営の企画かどうかっていう事情については、ちょっと分からないわね。けど、噂が嘘じゃないってことは分かってるわ。何せ情報をくれたのは、カズゴとアレン、ヨウの三人組だったんだからね。

 

ちなみに件の三人は、第一層フロアボスのイルファング・ザ・コボルドロードを倒したらしい。ともあれ、SAO時代から三人組でいつも行動しており、イタチやアスナと組んで最前線の攻略組に交じってボス攻略に挑んでいた三人ならば、死闘を演じたボスモンスターを見間違える筈は無いだろう。

どのような事情で旧SAOのボスモンスターが出現しているのかは、里香にも分からないらしい。ともあれ、勝算があると言っていた里香の思惑についてだけは、一応は分かった。

 

「成程……つまり、SAO事件の時と、新生アインクラッドの攻略に参加した私達なら、ボスの弱点や攻撃パターンを知っている。だから確実に勝てるだろうって思ったわけね」

 

「そういうこと。あの三人の話によれば、取り巻きのコボルドがいたこととか、追い詰められた時に野太刀に持ち替えたこととかも、全部アインクラッドの時と同じだったらしいわ」

 

オーディナル・スケールをそこまでやり込んでいるわけではない明日奈達だが、アインクラッドのフロアボス攻略においては一日の長がある。攻撃パターンや弱点、取り巻き等々の設定が同じならば、十分に勝ち目はある。

 

「やりましょう!私達なら、きっとクリアできますって!」

 

「シリカは乗り気みたいだね。私はちょっと遠慮しておこうかな。アスナは参加するの?」

 

「う~ん……私もまあ、参加するのは吝かじゃないけど……」

 

「はっきりしないわね~……何か問題でもあるワケ?」

 

やや困った表情で難色を示す明日奈に、何が言いたいのかと詰め寄る里香。そんな彼女に若干気圧されながらも、明日奈は言い難そうにしながらも口を開いた。

 

「アインクラッドのボス攻略って、そんなに簡単にできるものじゃないことはリズも知ってるでしょ?私達以外にも、もっと仲間をたくさん呼ばないといけないんじゃないかな?」

 

「むむ……なら、カズゴ達三人と、クラインを呼ぶわ!それから、剣道部のメンバーを総動員すれば……」

 

「それに、イベントの告知が無いってことは、ボスの出現はランダムに起こっているか、直前まで告知が無いってことでしょう?私達って、移動するための足が無いから、バトルに参加するのも簡単じゃないと思うよ?」

 

明日奈の的確な指摘に、反論の言葉が出ずに押し黙ってしまう里香。それに、仮に移動手段として車等を確保できたとしても、フロアボスを倒せるだけのパーティーを移動させるのは難しいだろう。まん太やめだかといった実家が相当な資産持ちならば、マイクロバスをチャーターすることもできるだろうが、高々ゲームのために、そこまでする意義を見出せない。尤も、この場にいる四人は勿論、和人達にしても、友人が資産持ちだからという理由で、私事や遊びのために金や物を貢がせることを良しとはしない。よって、めだかやまん太に移動手段の確保を依頼するような選択肢を採用することはなかった。

 

「う~ん……やっぱりフルメンバーで挑戦するのは無理か~……」

 

「クラインさんなら、車を出してくれるかもしれないけど……」

 

「風林火山のメンバーはクラインさんを入れて七人だから、定員オーバーで乗せてもらえるか分からないんじゃないかな?」

 

予想以上に思惑通りに事が運ばない現実を前に、里香は項垂れる。SAOの転移結晶のように、移動手段が充実しているオンラインゲームとは違い、現実世界では即、集合するための移動手段が存在しない。車の免許でも持っていれば別だったのだろうが、生憎と帰還者学校の生徒の中には、これを持っている知り合いがいなかった。

 

「イタチ君なら、バイクを持ってるから、後ろに乗せてもらえるだろうけど……それでも、一人が限界だよ」

 

「はぁ~……仕方ないわね。全員参加は諦めるわ。とりあえず、イタチの後ろに誰が乗っていくかをここで決めましょう」

 

「イタチが参加することは確定なんだね……」

 

里香の発案である、オーディナル・スケールのボス攻略作戦の要員として、勝手にメンバーに加えられてしまった和人に対し、深幸は軽く同情していた。

その後、明日奈、里香、圭子の三人はじゃんけんを行い、誰が次に出て来るアインクラッドフロアボスの攻略に連れて行ってもらうかを決定するのだった。

ちなみに、ゲームへの参加券を手に入れるという目的のもとでじゃんけんをしていた里香と圭子とは違い、明日奈だけはかなり真剣な目つきでじゃんけんに臨んでいた。そして、里香と圭子を打ち負かし、見事にフロアボスへの挑戦権……もとい和人のバイクの後部座席に座る権利を手に入れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「重村教授。そろそろ時間ですので、僕は出発します」

 

都内のとある大学にある研究室の中。時刻は既に七時を回り、ほぼ全ての学生が帰宅の途に就き、人気の無くなったこの場所に、二人の男が残っていた。

一人は十代後半、或いは二十代前半の若い男性。もう一人は、白衣を纏った、髭を蓄えた初老の男性。後者はこの大学の教授であり、今いる研究室の責任者でもある重村教授だった。重村は椅子に座り、パソコンに向かって作業をしていた手を止め、後ろにいる青年の方へと向き直った。

 

「む……エイジ君。そうか……もうそんな時間になっていたか」

 

青年――エイジが声を掛けるまで、時間が過ぎるのも忘れて作業をしていたのだろう。手元のデジタル時計に表示された時刻を見た重村は、少しだけ目を丸くした。

 

「いかんな。時間があまり無いとはいえ、計画はこれからだというのに……」

 

「教授には、お体を大切にしてもらわなければなりません。この計画の成功は、教授にかかっているのですから……」

 

エイジの言った言葉に、重村は溜息を吐きながらも頷いて同意した。自分達が現在進行形で実行している計画は、これから本格化していくのだ。万に一つとして、体の不調等によって倒れることは許されない。

 

「そういえば、あの教授はどこに行ったんですか?今日は姿が見えないようですが……」

 

「ああ……彼なら、今は別行動中だ。計画の実行に必要な準備は全て手伝ってもらい、完了させている。である以上、彼が再びここへ来ることは無いだろう」

 

この場にいない、もう一人の協力者の動向について聞かされたエイジが訝し気な表情を浮かべる。計画がこれから本格化するというのに、もうここに来ないというのは、納得できるものではない。

 

「……あの人は、計画の中枢を担う、重村教授の右腕だったのでは?別行動をするだけならともかく、僕達のもとに現れないというのは、無責任な気がします。それに、万が一、計画が外に漏れでもしたら……」

 

「その心配は無用だ」

 

猜疑心を募らせるエイジに対し、重村ははっきりとそう断じた。その表情と声からは、絶対的な確信があることを感じさせた。

 

「この計画に対する彼の執念は、ある意味では我々以上かもしれない。計画を放り出すことなどあり得ないし、怖気づいて外部に漏らすような真似は絶対にしない」

 

エイジの言う通り、件の協力者の動向は、裏切りを疑われても仕方の無いものかもしれない。しかし、重村だけは彼の……文字通りの“命懸け”の覚悟を知っている。計画を成就させるために、自身が積み上げてきたものだけでなく、命すらも擲つその覚悟は、重村やこのエイジをも凌駕するかもしれなかった。

エイジも、重村が見せたこれ以上無い程に真剣な表情と、言葉の中に含まれる確かな重さを感じ取ったのだろう。それ以上、今はこの場にいない協力者のことについては言及しなかった。

 

「それに、彼は自身の代役をちゃんと置いてきてくれた。そうだろう?」

 

『その通りだ』

 

重村が発した、目の前にいるエイジに対してではない問い掛け。それに対する応答は、重村のパソコンのスピーカーから発せられた。それと同時に、パソコンのモニターに砂嵐が走り、先程までとは別の映像が浮かび上がる。そこに映し出されていたのは、二人が先程まで話していた、件の協力者だった。

 

『この計画の進行役は、既に私が彼から引き継いでいる。ここから先は、私と、そこの彼が矢面に立って計画を進めていくことになるだろう』

 

「彼の分身とも呼べる君ならば、代役は十分に務まる。それに、君ならば“現実世界”で足がつくことは無いか」

 

『そういうことだ。ということで、今後もよろしく頼む』

 

「……重村教授がそう言うのなら、僕からは何も言うことは無い。しかし、本当に大丈夫なんだろうな?」

 

『無論だ。とは言いたいところだが……つい先日、問題が生じた』

 

「問題?」

 

モニターに映し出された男から齎された情報に、エイジが眉をひそめる。代役を自称して目の前に現れて早々に、問題が発生したと報告されたがために、エイジの中での信用が大きく揺らいでいた。

そんなエイジに変わり、重村が事の仔細を確認するために尋ねた。

 

「問題というのは、何かね?」

 

『我々の計画の支柱たる『OS』のメインサーバーに、何者かが侵入を試みようとしたようだ。私達が他方でシステム調整をはじめとした下準備を行っている最中のことだったので、その場に居合わせることはできなかった』

 

「システムは無事なんだろうな?」

 

計画の肝と呼ぶべきメインサーバーに侵入されかけたと聞いて、エイジは気が立っている様子だったが、無理も無い反応である。場合によっては、計画が破綻する可能性もあるのだ。傍らで聞いていた重村教授も、表面上は冷静だったが、内心は気が気ではなかった。

 

『その点について問題は無い。配備された迎撃システムによって、侵入者は即座に撃退された。お陰で、メインサーバーには何の影響も起こっておらず、計画には微塵も支障は生じていない』

 

「侵入を試みた者の目的と正体は分かっているのかね?」

 

『残念ながら、侵入者は撃退後、その姿を晦ましている。目下探索中だが、痕跡を一切残していない以上、足取りを掴むのは非常に困難だろう』

 

「……計画が外部に漏れている可能性は?」

 

重村が最も懸念している事項は、そこだった。侵入を試みた目的が不明である以上、その可能性は低いとは言えない。だが、モニターの中にいる協力者の分身には、電脳世界全体を掌握できるだけの能力がある。その探索能力をもってしても足取りが追えないという侵入者には、警戒心を抱かずにはいられない。少なくとも、ゲームのポイント目当てにハッキングを仕掛けてきた俗物の仕業とは考えにくい。

 

『その点については、まだ何とも言えない。しかし、警察や政府の人間が動いているという可能性は低い』

 

「その根拠は?」

 

『侵入者を撃退した後、念の為に警察や政府の動きを調べてみた。しかし、我々の計画に関する情報は全く確認されなかった。念のためにデータサーバーを調べ、各所の施設内に設置されたカメラの映像データを解析し、人の出入りも確認した。だが、捜査を行っていると判断できる動きはまるで見られなかった』

 

「……公的機関の介入は無いと考えても良いのかね?」

 

『そう考えてもらって問題ない』

 

その言葉に、重村とエイジは一先ず胸をなでおろす。長い時間をかけて構築してきた綿密な計画が、開始早々に破綻するという事態にはならずみ済みそうだ。但し、侵入者の行方が知れないことが気がかりではあるが……

 

『侵入者については、私の方で引き続き探索を続けよう。迎撃システムについては、現状維持で問題は無いだろう。こちらの世界は勿論、そちらの世界でも守りは万全だ』

 

「……君達が作った例の薬か。エイジ君を通して効果は確認済みだが、相当に万能なようだな」

 

『お褒めに預かり、光栄ですよ。ともあれ、システムの警備は私にお任せください。“蒐集活動”についても、私とそこのエイジ君とで問題はありませんよ。重村教授は、計画の本丸をお願いします』

 

「承知した。では、当面の計画進行は君たちに任せる。頼んだぞ」

 

『了解しました』

 

モニターの向こうにいる男が重村の言葉に頷くとともに、再び砂嵐が画面の中に発生する。その後、パソコンのモニター画面には、先程まで重村が作業していた画面が再び映し出された。

 

「……あの人のことは、本当に信用しても良いのでしょうか?」

 

「くどいぞ。彼は……彼等は、この計画においては、信用の置ける人物だ。それに、計画を進めて行けば、これを嗅ぎつけて来る人間は必ず出て来る。そういった障害を排除する上でも、彼の協力は必要不可欠だ」

 

未だに信用ならないと口にするエイジだが、重村は強い口調で断じた。それ以降、エイジは先程まで話していたもう一人の協力者のことについて言及することはなかった。

 

「さあ、もう君も行きたまえ。今夜から計画は本格化するんだ。今まで以上に、尽力してもらうぞ」

 

「勿論ですよ。必ずやこの計画を、成功させてみせます……!」

 

強い意思をもって頷くと、エイジは踵を返して研究室を立ち去り、目的の場所へと向かっていった。残された重村は、研究室の中で一人、計画の本丸たるシステムの調整へと再び取り掛かるのだった。

 



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第百三十二話 性能【performance】

 

東京都千代田区の秋葉原駅に隣接す場所にある複合施設、秋葉原クロスフィールド。その中核施設の高層ビル、秋葉原UDXと、隣接する秋葉原ダイビルに挟まれる形で走る三車線道路に面した歩道の上に、屯している人々がいた。時刻は夜の九時十分前。日は既に落ち、空が夜の暗闇に覆われているにも拘わらず、三十人以上の若者達が集まっていた。そんな彼等彼女等に共通しているのは、頭部にオーグマーを装着しているということ。それもその筈。この場にいる人々は皆、同じ目的のもと集まっていたのだから。

 

「おう!遅いぞ、イタチ!」

 

「クラインさん!」

 

「……」

 

そんな続々人が集まってくるこの場所へ、新たに二人の男女が加わった。明日奈と和人である。二人は待ち合わせの相手である、SAO時代からの友人であるクライン、そして彼のギルドメンバーである風林火山の面々のいる場所へと向かっていった。

 

「おろ?アスナも一緒なんか?」

 

「はい。イタチ君にバイクの後ろに乗せてきてもらいました。あと、じゃんけんにも勝てましたので」

 

後半の意味は分からないが、和人が移動の足として駆り出されたことは分かった。ちなみに、オーディナル・スケールのボス戦参加を希望していた里香と圭子については、じゃんけんに負けたことで今回は参加を見合わせることとなった。

 

「ほほう……成程なあ」

 

「……何が言いたいんだ、クライン?」

 

「いやぁ、大したことじゃねえんだ。お前がここんところ、オーディナル・スケールのボスモンスターについての情報を、俺らやエギルの伝手を使って調べていた理由が分かったもんでな~」

 

「……ハァ」

 

ニヤニヤと腹の立つような笑みを浮かべるクラインと風林火山の面々の顔を見て、溜息を吐く和人。クライン達が何を考えているかはイタチにも察しがついた。恐らく、明日奈をはじめとした美少女を侍らせて、良い所を見せたいがために、アインクラッドのフロアボスを探していたとでも思っているのだろう。

実のところ、その推測は誤りであるのだが、否定したところで信じはしないだろう。誤解を解こうとしても、徒労に終わるのは目に見えているので、和人は敢えて反論をしなかった。

 

「っと、そろそろ時間だな。皆、今日はアスナにいいとこ見せてやろうぜ!」

 

『おーっ!!』

 

リーダーであるクラインの宣言に、風林火山のメンバー全員が拳を上げて気合を入れる。その様子を見た和人は肩を竦め、明日奈は苦笑していた。

 

「けど、イタチ君が付き合ってくれるなんて、思わなかったよ」

 

「礼には及びませんよ。オーディナル・スケールについては、俺も興味がありましたから」

 

「あ、そうだったんだ。それじゃあ、クラインさんが言ってた、オーディナル・スケールのボスについての情報を集めていたっていうのも?」

 

「……ええ、そういうことです」

 

リアル忍者として高い運動能力で知られる和人だが、ララと藤丸が悪乗りして引き起こしたパルクール動画配信の件以降、人前で忍としての動きを披露することに対して消極的になっていた。そのため、明日奈等のオーディナル・スケールの協力要請に対し、あっさりと承諾してくれたことは勿論、ARゲームに興味を持つとは意外だった。或いは、アインクラッドのフロアボスモンスターが現れると聞いたことによって、興味が湧いたのかもしれない。

 

(けど……和人君、何かおかしいような気がする……のかな?)

 

しかし、明日奈はそんな和人に違和感を覚えていた。和人がARゲームのオーディナル・スケールに興味を持っていたなどと言う話は、今初めて聞いたことであり、ましてやアインクラッドのフロアボスが出現することまで知って、自ら調べていたとは思ってもみなかった。和人自身、あまり多くを語らないタイプのため、単に明日奈達が気付かなかっただけ、という可能性もあるが……明日奈には、和人がそのことを“隠していた”かのように思えてならなかったのだ。勿論、何か確証があるわけではない。ただ、和人ことイタチとの付き合いが長い明日奈には、和人がオーディナル・スケールをプレイすることには、何か裏があるのではと……そう思えてしまうのだ。

 

「明日奈さん、そろそろ時間です」

 

「!……そうだね」

 

だが、和人の行動に対して巡らせていた思考は、ゲームイベント開始時間の到来によって中断された。オーグマーの調子を確認すると、オーグマー付属のタッチペンを手に取り、臨戦態勢を整える。クライン達も準備を済ませたことを確認した和人と明日奈は、同時に起動キーを唱えた。

 

『オーディナル・スケール起動!』

 

そのキーワードとともに、二人の意識は現実世界でありながら現実世界ではない……仮想現実の世界へと飛ばされる。

まず変化したのは、服装だった。先程までの私服をデジタルデータが覆い、SFチックなデザインのバトルスーツへと変化させていった。二人の持つタッチペンも、先端から刃が伸長し、武器へと変化を遂げる。和人ことイタチは片手剣、明日奈ことアスナは細剣と、SAO及びALOにおいて愛用してきた武器が、二人の手には握られていた。

そして、午後九時というイベント開始時刻が来たことによって、今度は街に変化が起こった。秋葉原UDXが、秋葉原ダイビルが、高架橋が、ガードレールが、道路が……全てがそれまでの秋葉原の夜の光景とは異なる、まさしく異世界のSF映画を彷彿させるものとなっていた。

 

「これが……」

 

「スゲェな……!」

 

その光景に、オーディナル・スケールを初めてプレイする和人はおろか、既に経験のあるクラインですら感嘆の声を漏らしていた。周囲の光景は、SAOやALOの仮想世界で見たものと同等以上のクオリティを――現実世界な分、リアリティはこちらが上かもしれない――感じさせるものだった。

だが、感心ばかりしていられない。今回のイベントは、詳細こそ知らされてはいないものの、バトルイベントであることは確定しているのだから。

 

「来るぞ!」

 

誰かが気付き、声を上げた。異変が起こったのは、道路の中央。尤も開けたその場所から、ブワッと謎の光が噴出していたのだ。光の奔流はどんどん大きくなり、地上から十メートル以上の高さにまで達する程になっていた。

そして、その中から黒い影が現れる――――――

 

「イタチ君!」

 

「……間違いありませんね」

 

三メートル以上はあろう白色の巨躯に、二本の角がついた鬼のような異形。その背中には、円を描くように太鼓が連なっている。両手には、背中の太鼓を叩くためのものなのか、或いは武器として扱うのか、撥のような先端の膨らんだ棒状の武器を持っていた。

まさしく『雷神』と呼ぶのがしっくりくるその威容に……イタチとアスナは、確かに覚えがあった。

 

「アインクラッド第十一層フロアボス、『エネル・ザ・サンダーロード』!」

 

三度目の邂逅――最初はSAO事件当時のアインクラッドフロアボスの攻略戦、二度目はALOの新生アインクラッド攻略組――となる、見紛うことなきアインクラッド第十一層フロアボスを前にイタチとアスナは気を引き締める。このフロアボスが、姿形だけでなく、能力まで記憶にあるフロアボスそのままであるとするならば、一筋縄ではいかないのだから。

 

「……?」

 

だが、戦闘が開始されようとしたその時。ボスの動きを注視していたイタチが、頭上を飛ぶドローンを視界に捉えた。恐らく、オーディナル・スケールのイベントに際して飛ばされているものだろう。ドローンはビル同士を結ぶ橋の上に滞空すると空撮カメラが取り付けられている箇所から光が発せられ、その中から一人の少女が姿を現した。

 

「みんな頑張ってるー?さー戦闘開始だよ!」

 

「成程……あれがオーディナル・スケールのイメージキャラクターの『ユナ』ですか」

 

「……イタチ君も、知ってたんだね」

 

「オーディナル・スケールをプレイするにあたり、必要な知識でしたから」

 

世界初の『ARアイドル』としても知られているユナのことを知っていたイタチをジト目で見るアスナ。だが、当のイタチは軽く流すのみだった。

 

「ミュージックスタート!」

 

そして始まる、ユナの歌。歌声がフィールドに響き渡ると同時に、キラキラと光るライトエフェクトが宙を舞い、プレイヤー達に降り注ぐ。それを浴びたプレイヤー達には、攻撃力増強等のバフアイコンが点滅する。

 

「バフを得られるのはありがたいですね。ゲームを始めてから間が無いので、この手のアイテムは持ち合わせていませんから」

 

「あ、そっち……」

 

どうやらイタチは、ユナのアイドルとしての魅力ではなく、イベントに際してプレイヤー達に与えてくれるバフの恩恵の方に興味があったらしい。相変わらずブレないことに安心するアスナだが、女性に性的な意味での関心が本当にあるのかと勘繰ってしまうような態度が多いことに、不安を覚えてしまう。

そして、そうこうしている間に、十分間のタイムリミットを示す表示が動き出し、戦闘が開始される。

 

「よし!ユナが歌い始めた!」

 

「ボーナス付きのスペシャルステージだぜ!」

 

ユナから供給されるバフを受けたプレイヤー達が、我先にとばかりにボス目掛けて走る四名ほどのグループがいた。だが、イタチが……

 

「皆、散らばれ!一カ所に固まるな!」

 

戦闘が開始されるや否や、その場に集まったプレイヤー全員に大声で警告する。クライン達、風林火山のメンバーをはじめとしたプレイヤー達は、イタチに言われた通りに全員散開して等間隔に距離を取っていた。しかし、アインクラッドフロアボスに関する情報を持ち合わせていないプレイヤー達は、一体何事かと棒立ちになるのみだった。

 

『ウォォオオオオ!!』

 

再度、散らばるようにと警告を送ろうとしたイタチだったが、それよりも早くボスモンスター――エネルが先に動いた。先程の四名ほどのグループを標的と見なすと、両手に持った撥を振り回し、背中に配置された太鼓を激しく叩き始めた。空気を震わすような振動が仮想の感覚として伝わり、エネルの周囲にバチバチと電光が走り始めた。そして――

 

「んなぁ……っ!」

 

「えっ……?」

 

「わっ……!」

 

「ひっ……!」

 

四人分の疑問詞とも悲鳴ともつかない声。それらが、突如として迸った白い閃光と、次いでやってきた轟音によって掻き消された。轟音と共に発生した煙のエフェクトが晴れた先にあったのは、バトルスーツが解除された四人のプレイヤーだった。

 

「な、何っ!?」

 

「嘘だろ……!?」

 

自身のHPが全損となり、ランクが下がったことに呆然となるプレイヤー達。フロアボスのことを知らない者が見えれば、何が起こったかは分からなかっただろう。

状況を理解できたのは、SAO生還者であり、攻略組としての戦闘経験故にその恐るべき能力をよく知るイタチ等のみだった。

 

(やはり、あの初見殺しとも言える“雷”もあの時と同じままか……)

 

アインクラッド第十一層フロアボス『エネル・ザ・サンダーロード』は、その名前と外見の通り、雷を操るモンスターである。背中の太鼓を叩くことで雷を発生させるが、その中でも特に脅威とされていたものが、先程の落雷である。二人以上の集団で行動するパーティーを目標として落とされる落雷は、現実世界のそれと変わらない不可避に等しいスピードで繰り出されることに加え、その威力は即死に等しいことから、初見殺しの必殺技として当時の攻略組からは恐れられていた。

 

(散開してヒットアンドアウェイを繰り返し、タゲを分散させてダメージを与えていくのが有効なのだろうが……)

 

SAO事件当時の攻略法で倒せないかと思案を巡らせるイタチだが、事はそう簡単には運びそうにない。アインクラッドの攻略時には、ボスが出現するよりも先に、出現位置である部屋の中央を包囲する形でレイドを展開していた。だが、今回は初手から見方は全員正面に固まっている。故に、四方から取り囲むという戦法は使えないのだ。

速くもアインクラッド攻略時の経験が通用しない事態に直面する羽目になったイタチだが、すぐさま現状を打破すべく動き出した。

 

「アスナさん、正面から突破して、フロアボスの背後を取りますので、協力をお願いします」

 

「分かったわ」

 

「クライン。俺達が背後へ回り込んだら、ボスを両側から挟撃するぞ。攻撃パターンが同じなら、あとはアインクラッドの時と同じやり方でいける筈だ」

 

「オッシャ!任せとけ!」

 

SAO攻略組として付き合いの長い、信頼の置けるアスナとクラインにそれだけ指示をすると、イタチはアスナを伴ってボスモンスターたる雷神・エネルへ向かって駆け出した。

 

『ウォォオオオオッッ!!』

 

正面から突撃を敢行してくるイタチを捉えたエネルは、再び撥を手に背中の太鼓を叩き始めた。すると、太鼓はバチバチと電気を帯電し始めた。そして、イタチがエネルとの距離を五メートル程まで詰めたところで、電撃が迸った。

 

「ふっ……!」

 

太鼓から放たれた電撃に対し、危なげなく反応して回避するイタチ。だが、それだけでは終わらない。エネルの背中に円を描くように配置された太鼓から、次から次へと電撃が放たれるのだ。

現実世界の稲妻と同等の速度で、しかも連射される形で放たれる電撃は、一人のプレイヤーが回避盾として前へ出て躱しきれるものではない。だが、イタチは止まらない。次々に放たれる電撃を紙一重で回避しながら、エネルへと接近していき……遂に懐へと潜り込んだ。

 

『ウオッ!?』

 

「足元ががら空きだ」

 

足を広げて仁王立ちするエネルの股を潜ったイタチは、すれ違いざまに剣を振り抜き、右足を切り裂いた。

 

『ウォォオッ……!』

 

足を攻撃され、地面に膝を付くエネル。だが、イタチ等の攻勢はこれで終わらない。

 

「アスナさん!」

 

「任せて!」

 

イタチにスイッチする形で、アスナが細剣を構えてボスへと飛び掛かる。狙いはエネルが膝を付いたことで位置が低くなった、喉元。SAOやALOで見せたものに迫るような、正確無比の一撃が、エネルの急所を穿つ。

 

『ウ、ゴォオオオッ……!』

 

被ダメージ量の多い首から上へと攻撃を受けたことで、苦悶の声を上げるエネル。その隙にアスナは離脱し、イタチのいる背後へと回り込んだ。

 

「流石です、アスナさん。現実世界でも、切っ先がほとんどブレていない」

 

「そういうイタチ君こそ、VRと全然変わらない動きじゃない」

 

「いえ。思うように動けているとは言い難いですね。目で見て反応できても、手足の動きが追い付かないことがままあります」

 

「全然そんな風に見えないけど……」

 

明らかに普通の人間ができる動きではないのに、イタチとしては万全とは言い難いらしい。そんなイタチの発言に、一体どれだけ規格外に動けば満足なんだと言いたげな顔で、アスナは呆れていた。

そんな二人を余所に、戦闘は進む。背後に回り込んだイタチとアスナの方を振り向こうとしたエネルに対し、今度はクライン等がスイッチして背後への攻撃を仕掛ける。

 

「うおりゃぁあああ!」

 

「そらぁあああ!」

 

『ウォォオオッッ!!』

 

「アスナさん、俺達も追撃に動きましょう」

 

「ええ!」

 

イタチとアスナが先陣を切ってダメージを与えたことをきっかけに、クライン率いる風林火山をはじめとしたプレイヤーが、次々にエネルへと攻撃を仕掛けていく。初手で放たれた落雷攻撃に及び腰になっていたプレイヤーも多かったが、今は全員がイタチとアスナの指揮のもと、適確に攻撃を当てていた。

複数人で行動するプレイヤーに対して一撃必殺級の落雷が放たれる関係上、多くのプレイヤーは互いの援護や攻撃のタイミングを見計らうことに難儀していた。しかしそこは、経験豊富なイタチとアスナ、クラインが一同を牽引する形で動くことで難点を補っていた。

 

『ウオオオオ!!』

 

「範囲攻撃よ!皆、距離を取って!」

 

エネルの背中の太鼓全てに電光が走ったことを見逃さなかったアスナが、素早く皆に退避指示を飛ばす。それに対し、プレイヤー達はすぐさま動き、エネルを中心として半径五メートル前後の距離へと放射状の電撃が放たれた時には、全員がダメージ範囲圏外へと脱していた。

 

「ボスの行動パターンが変化した!ここから先は……」

 

「よっしゃあ!俺達の出番だ!」

 

「狙い撃ちだぜ!」

 

ボスの行動パターンの変化に応じ、戦法を変える必要が生じたと判断したイタチが指示を飛ばそうとする。だが、それよりも先に動き出したプレイヤー達がいた。ビル二階部分のテラスで待機していた、銃器使いのプレイヤー達である。同士討ちを避けるために、今までチャンスを伺って身を潜めていたのだが、エネルが範囲攻撃をしてきたことで、近接戦を仕掛けていたイタチ等が退避したことを、好機と勘違いしたらしい。皆、一斉に手持ちの銃器をエネルへと向け、乱射していく。

 

『ウォォオオオ!!』

 

「全然効いてなくねえか!?」

 

「怯むな!とにかく撃ちまくれ!」

 

オーディナル・スケールにおいて、武器によって与えるダメージ量は、遠隔の銃器よりも近接の剣の類の方が格段に大きい。故に、急所を狙いでもしない限り、碌にHPを削ることなどできないのだ。現に、今銃器を乱射しているプレイヤー達の攻撃に対し、エネルは全く怯んだ様子が無かった。

 

「やめなさい!それ以上撃ったら……」

 

そんな銃器使い達に対し、攻撃を止めるように勧告するアスナだが、本人たちは攻撃するのに夢中で碌に話を聞いていない。そして、そうこうしている内に、エネルは狙いをイタチ等から銃器使いの面々へと変更していた。

 

『ウルゥゥァアアア!!』

 

再び背中の太鼓を叩き始めるエネル。そして、先程の範囲攻撃と同様、背中の太鼓全てが電光を帯びる。銃器使い達は、また近距離の敵を攻撃するための範囲攻撃かと高を括っていた。だが、実際に放たれた攻撃は……

 

『ウゥゥォォオオオッッ!!』

 

「え――?」

 

エネルの太鼓から放たれたのは、周囲に対する放射状の電撃による範囲攻撃ではなく……球状の電撃を放つ、遠隔攻撃だった。想定外の出来事に、銃器使い達は得物を構えた状態のまま、呆気にとられてしまった。次の瞬間には、雷球は銃器持ち達のいたテラスを直撃。その場にいた全員をHP全損に至らしめた。

 

「………………」

 

その惨状に、イタチ等とともに近接攻撃を仕掛けていたプレイヤー達もまた、呆然としてしまっていた。そんな一同に対し、アスナが大声で叱咤する。

 

「しっかりしなさい!今の攻撃は、距離を取り過ぎなければ来ないわ!範囲攻撃に注意して、一定の距離を取りながら攻撃していくわよ!」

 

「わ、分かりました!」

 

その場にいたプレイヤー達は、本日初対面のアスナのことを既にリーダーとして認識しており、指示通りに動くことに対する抵抗は皆無だった。アスナの指示に従い、態勢を立て直そうとするプレイヤー達。だがその中には、例外もいた。

 

 

「オラ、どいたどいたぁー!」

 

アスナ達からそう遠く離れていない位置にいた、虎型のアバターのプレイヤー。銃器使いとして相当ランクが高いのだろう。高威力のバズーカ砲型の重火器を持っていた。射線上に誰も無いことを確認するや、エネルの頭部に照準を合わせて、引き金を引いた。だが……

 

「あっ!」

 

「む!」

 

「ヤベッ!」

 

エネルは頭部に迫る弾頭をひょいと首を動かすだけで回避する。目標を見失った弾頭は、エネルの後ろの彼方へと飛んでいった。その先にいたのは、イベントに参加しているプレイヤー達に対し、歌によるバフをかけていたユナだった。

ユナが立っているのは、誰もいない連絡橋の上である。銃器使いは先程全滅したため、弾頭を撃ち落とすことのできるプレイヤーはいない。如何にイタチでも、高架橋の上へと先回りすることもできない。このままでは、ユナに直撃してしまい、そのアバターは粉々にくだかれてしまうと、誰もが確信した、その時――――――

 

「――!」

 

「……え?」

 

戦場を、一陣の風が駆け抜けた。誰もがユナに向かって飛来する弾頭に釘付けになっている中、気付けたのはイタチとアスナの二人のみ。タンッという足音が聞こえなければ、本当に風が吹いただけとさえ感じてしまう程の速度で横を通り過ぎて行ったそれは……しかし、風などではなかった。突然の出来事に、即座に捕捉しきれなかったイタチだが、凄まじい速さで動いた黒色のそれが、紛れもない人間であることだけは分かった。

風の如く駆け抜けた黒い影は、ユナに飛来する弾頭へと追い付くと、道路の横に設置されていた街灯を、その勢いのまま駆け上がった。さらに、ユナが立つ連絡橋と同程度の高さまで到達すると、街灯を勢いよく蹴り、弾頭の前へと躍り出た。

 

「はっ!」

 

ユナに迫る弾頭へと先回りするという離れ業を見せた何者かは、今度は手に持っていた武器を振るった。そして、弾頭を飛来した方向へとそのまま弾き返すという、更なる常識外れの技をやってのけた。

 

『ウグォォオッ……!?』

 

弾き返された弾頭は、そのまま背中を向けていたエネルの背中へと着弾し、派手な爆発を起こした。相当強力な重火器だったのだろう。イタチとアスナの攻撃がクリーンヒットした時と同等の、苦悶の声を上げていた。

そして、エネルが苦悶の叫びを上げていたその後ろで、ダンッという音とともに、一連の離れ業をやってのけた当人がコンクリートの地面へと着地し、その容姿が露になる。性別は男性で、年齢はイタチやアスナよりも少し年上の、二十歳前後に見える若い青年だった。オーグマーを顔に付け、オーディナル・スケールのバトルスーツに身を包んでいることから分かるように、彼もまたこのイベントに参加するプレイヤーの一人である。そして何より目を惹くには、彼の頭部に表示されている、ランクナンバーだった。

 

「ランク2位!?凄い……!」

 

「ええ、そうですね……」

 

プレイヤーのレベルをランクによって表すオーディナル・スケールにおいて、最強に等しい力を持つことを示すその数字に興奮するアスナだが、イタチは一方で別のことに思考を走らせていた。

 

(速い……それに、あの動きは――!)

 

常人離れしたすさまじい速度と反応速度によって為されるその動きに、警戒心を抱くイタチ。一瞬、自分のいた前世の忍世界から渡って来た同類なのではという考えが過った程だった。

 

(いや……忍者、ではないか……)

 

常識を逸した動きに翻弄されそうになったイタチだったが、すぐさまいつもの冷静な思考に戻り、その考えを否定した。冷静になって振り返ってみると、二位の青年が見せた先程の動きは、確かに凄まじい速さではあったが、イタチの知る忍者のそれとは明らかに違っていたからだ。そもそも、この世界は前世の忍世界とは違い、忍術を使うことはできないのだ。

だが、油断はできない。忍術が使えないこの世界において、先程見せたあの動きは明らかに異常なのだから。

 

『ウゥゥ……ゥウオォォオオオオ!!』

 

目の前に現れた第二の脅威に対し、イタチが思考を走らせていた一方で、最初に対峙していた第一の脅威たるエネルは、ダメージから復活したらしく、撥を両手に持って仁王立ちしていた。そのまま後ろを振り返ると、連絡橋の下に立っていた二位のプレイヤーを睨みつけた。どうやら、タゲは彼へと移ったらしい。

 

『ウゥゥゥォォォォオオオオッッ!!』

 

「ヤバい!遠隔攻撃だ!」

 

「早く援護を……!」

 

エネルと二位のプレイヤーとの距離は、かなり離れている。そのため、エネルは先程の銃器持ち達を一掃した雷球の連射攻撃をするつもりなのだろう。早くタゲを分散させなければと動こうとするアスナ達だったが、エネルはそれよりも早く太鼓を叩き始めた。

 

「くっ……近づけないっ!」

 

エネルは太鼓を叩いている際には、電気エネルギーを辺りに撒き散らし、障壁とする特性を持っている。そのため、接近するプレイヤーは攻撃が通らないどころか、ダメージを負わされてしまうのだ。エネルの攻略においては、太鼓を叩かれる前に攻撃して行動を阻止するのがセオリーだったが、今回はそれが間に合わなかった。そして、エネルによって勢いよく叩かれた太鼓は、みるみる内に電気エネルギーを溜め込んでいった。

 

『ウルォォオオオ!!』

 

そして、再び発射される無数の雷球。ビルの二階テラス全体を攻撃する程の有効範囲と、一発一発が下手をすればプレイヤーを即死させる程の威力を持った攻撃が、一人のプレイヤーに殺到していた。譬え二位という超高ランクプレイヤーといえども、このような危機を脱することはできない筈。その光景を見た誰もがそう考え、彼のHP全損を疑わなかった。

だが、そんな危機的状況の中で、当人は――――――

 

「フッ――」

 

不敵な笑みを浮かべていた。その笑みは、諦めや自棄からくるものではなく……この状況を、大したこととは考えていないと、そう感じさせるものだった。

 

(こいつ……まさか!)

 

そして彼の表情を見たイタチは、確信する。この青年は、強がりや妄信でこのような態度が取れるのではないのだと。即ち、この状況自体、当人にとっては危機の範疇に入らない、何ということも無いものなのだ。そしてその確信は、迫りくる無数の雷球の中で、青年が取った行動が……その動きが、証明した。

雷球が次々に迫る中、青年が取った行動は、後ろに退くことでも、横に避けることでもなかった。ただ真っ直ぐ、雷球が迫ってくる前方目掛けて突っ込んでいくというものだった。

その自殺行為も同然な行動に、他のプレイヤー達は全員が目を剥く。ボスモンスターが繰り出す必殺級の攻撃の中へと向かっていくなど、正気の沙汰ではない。如何に第二位のプレイヤーといえども、瞬殺であると、誰もが信じて疑わなかった。だが、実際には……

 

「ふっ!はっ!せいっ!」

 

先程ユナを助けた時に見せた、常人離れした速度をもって走り出した青年は、迫りくる雷球を右に左にと、まるでダンスのステップを踏むかのような、軽やか且つ一切の無駄が無い動きでそれらを回避してみせたのだ。

 

「嘘……!」

 

「マジ、かよ……!」

 

アスナとクラインが信じられないとばかりに漏らした言葉は、その場にいたプレイヤー全員の総意だった。ただ一人、イタチを除いては。

 

(あの動き……単純に身体能力が高いだけでできるものではない。先程の弾頭を撃ち落とした時もそうだったが……迫りくる攻撃全ての軌道を完全に捉え、どうすれば最小限の動きで避けられるかが、全て分かっていたからこそできるものだ)

 

頭の中で、青年が見せた動きに対してそのように分析していたイタチではあるが……自身が出した結論でありながら、俄かには信じられずにいた。迫りくる攻撃全ての軌道を呼んで、最小限の動きで避けるなど……イタチでも簡単にはできない、困難極まる離れ業なのだ。VRワールドのアバターや、前世のうちはイタチならば話は別だが、写輪眼も無しに、そのような荒業をこなすことは、桐ケ谷和人に転生したイタチにはできるものではない。

 

(だが、あの男は実際にそれを為している。忍者でもなく、あの動きができるのは……)

 

明らかに只者ではないと――改めてイタチはそう結論付けた。どのような仕掛けかはまだ分からないが、あの身体能力向上と、未来予知に近い精度での攻撃予測の裏には、何か秘密がある。

エネルの雷球攻撃をよけながら接近し、懐へ入り込んで横薙ぎの斬撃を繰り出した青年の姿を見ながら、イタチはそう確信していた。

 

「私達も行きましょう!」

 

「おう!行くぞおめえら!」

 

青年がエネルに大ダメージを与えた今を好機と見たアスナが、クライン達とともに、再びエネルに攻撃を仕掛けていく。イタチもまた、その戦列に加わるべく、駆け出していった。

青年が加わってからの攻防は、プレイヤー側に軍配が上がっていた。イタチとアスナが出す的確な指揮に加え、ランク二位という強力な助っ人の登場によって、全員の士気は向上していた。そして、堅実な戦法のもとで戦闘は進み、残り時間は一分を切った。

 

『ウォォオオオオッ!!』

 

「畜生!こんなところで範囲攻撃かよ!」

 

「駄目だ!皆、離れろォッ!」

 

最期の足掻きとばかりに、背中の太鼓を叩いて雷撃を繰り出そうとするエネル。周囲を囲む敵に範囲攻撃の雷を、遠距離の敵に対しては雷球を繰り出すその行動に、プレイヤー達は皆一様に距離を取る。体力は残り僅かなのに、残り時間が足りない。最早ここまでなのかと、誰もが歯痒い思いを抱いていた。

 

「フン……」

 

そんな中でただ一人、ランク二位の、あの青年だけは違った。皆がエネルから距離を取る中、彼だけは一人突撃していったのだ。その危険行為に、「やめろ!」「死ぬぞ!?」と止めようとするプレイヤー達がいたが、彼はお構いなしとばかりに、足を緩めずエネルへと向かっていった。

 

『ウゥゥォオオオッッ!!』

 

そして、繰り出される雷撃。それに対して青年が取った行動は、手に持った剣を横に薙ぐというものだった。まさか、それで雷を引き裂こうというのか。いくら何でも、あり得ないだろうと、誰もが思ったその予測を――――――しかし青年は、またしても裏切ってみせた。

青年が真一文字に振るった剣は、エネルを中心に放射状に放たれた雷撃を、青年に降り注いだ分だけ切り裂き、消滅させたのだ。さらに青年は、範囲攻撃を無効化するや、エネルの懐へと飛び込み、連撃を繰り出した。

 

『グゥウウッ……ォオオオオッッ……!』

 

「よおし!今なら!!」

 

立て続けのダメージにエネルが膝を付いた瞬間をチャンスと見たアスナが、常識外れの光景に呆然としているプレイヤー達を置いて、止めを刺すべく駆け出して行った。その途中、エネルに決定的な打撃を与えた、ランク二位の青年の横を通り過ぎた――その時。

 

「スイッチ」

 

青年が、アスナに送る合図のように、そう呟いた。その声に、その言葉に懐かしい記憶が蘇りそうになったアスナだったが……その思考は、すぐさま目の前のボスを倒すことへと戻した。

 

「はァッ!!」

 

『グゥウウォオッ……ォ、ォオオッ……!!』

 

駆け出した勢いのままに繰り出された細剣の切っ先は、エネルの腹部を貫いた。そして、これが決定打となったのだろう。エネルは苦悶の声を上げ、その体を無数のポリゴン片へと変えて爆散させた。

こうして、イタチとアスナのオーディナル・スケール初参加イベントとなった、秋葉原UDXに出現したアインクラッド第十一層フロアボス『エネル・ザ・サンダーロード』の討伐は、プレイヤー達の勝利で幕を下ろしたのだった。

 



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第百三十三話 計画【scheme】

「ボスモンスター攻略おめでとー!」

 

アインクラッド第十一層フロアボス『エネル・ザ・サンダーロード』の討伐成功を成し遂げた勇者達に対して祝福の言葉を贈るのは、連絡橋の上に立っていたユナだった。

 

「ポイントサービスしておいたよ!」

 

「やったー!」

 

「ユナー!」

 

「よっし!」

 

人気沸騰中のVRアイドルからの賞賛に加え、その言葉通りに通常のボス戦では得られないようなポイントが齎され、プレイヤー達はボスを倒した時以上に湧き立った。

 

「………………」

 

しかし、アスナやクラインも含むプレイヤー達が歓喜する中にあって、ただ一人、イタチだけは浮かない表情をしていた。その理由は、ボス攻略を成し遂げて得られた報酬に対する不満でも、思う通りに動くことのできなかった、ARゲームとVRゲームの差異でもない。戦闘開始中盤で現れ、いつの間にかいなくなっていた、ランク第二位のプレイヤーの青年のことだった。

 

(あの男……ただのプレイヤーではないな)

 

ランク第二位という、オーディナル・スケール最強クラスの実力を持っている時点で只者ではないのだが……あの男には、単純に身体能力が高いという範疇では収まらない何かがあると、イタチは直感していた。

そして、ボス戦に際して見せた身体能力の高さにしても、常人のそれを逸脱したものだった。恐らく、オリンピックに出場する体操選手であっても、あれ程の動きはまずできないだろう。

自分と前世を同じくする忍者なのではないかという考えが浮かんだイタチだったが、その考えは即座に破棄した。この世界ではチャクラを使うことはできず、忍術の行使は勿論、身体強化すらできないこともあるが……青年の見せた動きが、イタチの知る忍者のそれではなかったからだ。

 

(型に嵌めた剣術のそれではない。VRゲームプレイヤーが戦闘の中で作り上げた、独自の戦闘スタイルだ)

 

それが、イタチの出した結論だった。VRゲームにおける戦闘スタイルには確立されたものが無く、各々のプレイヤー、或いはギルドのようなグループが、独自に作り上げていくものだった。ソードスキルが実装されていたSAOや、新たに実装された新生ALOでは、これを発動するために最適な型をプレイヤーは開発していた。しかし、それらも型に嵌めたものではない、我流であることに変わりなかった。

 

(VRゲームプレイヤーであることは間違いなく……SAO生還者である可能性も高い。あとは、あの身体能力か……)

 

その動きから、イタチはランク二位の青年の正体が、VRゲームプレイヤーであると同時に、その完成度からSAO生還者である可能性が高いと考えていた。

残る問題は、現実世界における彼の身体能力の高さ。トレーニングによって鍛えたというだけでは説明がつかないあの動きには、秘密がある筈である。薬物によるドーピングが真っ先に浮かぶものの、今はまだ断定はできない。

いずれにしても、もっと情報は必要なことは間違いない。そこまで考えたイタチは、オーグマーの通話機能を起動すると、ある人物へと繋げた。

 

「竜崎、俺だ。今かかわっている件に関連して、至急、調べて欲しいことがある。今日のボス攻略イベントに参加したプレイヤーについてだが……」

 

その場でできる最小限の報告等のやりとりを済ませたイタチは、通信を切ると、アスナやクラインがいる場所へと合流するべく踵を返して動き出した。

 

「アスナさん、どうしたんですか?」

 

「あっ……!い、イタチ、君……!」

 

イタチに声を掛けられたアスナは、頬を仄かに赤く染めた状態で、若干挙動不審になっていた。横から説明に入ったクラインによると、イタチが第二位のプレイヤーについて思考を走らせ、連絡を行っている最中に、本日のボス戦において特に活躍してラストアタックを決めたアスナをMVPと称し、ユナがご褒美と称して大量のポイントと共に頬にキスをしたらしい。アスナが妙にどぎまぎしていたのは、それが原因だという。

そのことを聞かされたイタチの反応は、「そうか」と口にするだけの非常に淡白なものだった。それが、アスナには気に食わなかったのだろう。それ以降は、頬を膨らませ、明らかに怒っていますと言わんばかりの態度でイタチに接していた。

しかし、不機嫌であっても帰りのバイクの二人乗りを断ることはしなかった。但し、行きに乗った時よりも、腰に手を回して抱きしめる力を強くして、胸を背中に押し当てるようにしていた。しかし、そんなことをしても、イタチが動じることはなく……アスナの奮戦空しく、イタチは最後までその冷静な態度を崩すことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

『ご苦労だったね、エイジ君。実に見事な初戦闘だったよ』

 

イタチ等がオーディナル・スケールにて激闘を繰り広げた秋葉原UDXから少し離れた場所。先のボスイベントの立役者たるランク第二位の青年――エイジは、秋葉原電気街の人気の無い路地に移動して、一人の男と会っていた。長身痩躯のワイシャツ姿をした、酷く冷たい雰囲気を纏うこの男は、エイジにとっては――心の底では信用しきれていない部分があるが――重村に並ぶ数少ない協力者だった。

 

「世辞は良い。それより、収穫は?」

 

『十人といったところだ。フロアボスの中でも強力な部類のものをぶつけたんだが……流石は『閃光』、そして『黒の忍』といったところだろう。当初の予定の半分以下の犠牲でボス攻略を成し遂げてしまうとは』

 

全く予想外だったと言って笑う男に、エイジは内心で舌打ちする。計画通りに事が進んでいないというのに、何がおかしいというのか。

 

『そう苛立つことはない。予定とは違う結果になったとはいえ、計画の大勢に影響は無い。それに、データを得るという意味では、今回の戦闘は非常に意味のあるものだった』

 

「なら、ぜひともその成果を見せてもらいたいものだな。少なくとも、計画の遅れを取り戻せるくらいのものを、な」

 

重村から計画を遂行する上で重用されているのだから、それぐらいはできるだろう、という嫌味のニュアンスを籠めたエイジの言葉に、しかし男は不敵に笑った。

 

『ああ、構わないとも。ちょうど君も、体力が有り余っているようだからね。これから、狩りにでも行くといい』

 

相変わらずの薄ら笑いを浮かべながら、男は右手を振ってモニターを起動した。そして、目当てのデータを揃えると、エイジの目の前に移動させた。そこには、ある人物のプロファイルと、その人物が道を歩いて移動している映像、そして移動状況を示しているであろう地図が表示されていた。

 

「これは……」

 

『現在、先程のイベントに参加していたメンバーの中で、我々のターゲットとしている面子の動きを監視している。その中で一人、徒歩で帰宅しようとしている人間がいた。どうやら、オーディナル・スケールを起動してアイテム探しをしているようだ』

 

先程のイベントにおいて、目的であるデータ収集を行うだけでなく、イベント終了と同時にターゲットの監視を開始していたこの男の周到さには目を見張るものがあるが、エイジの関心は別のことに向いていた。それは、男がエイジに提示した画面に映し出されていた人物だった。

 

『地図のこのポイントにアイテムを設置して、人気の無いポイントへと誘導しておこう。後は、君の好きにするといい。君にとって、譲れないターゲットの一人だろうからね』

 

「……成程。中々の成果だ。一人とはいえ、計画の遅れを取り戻すことはできる。それから……この相手を選んでおいてくれたことには、一応感謝しておこう」

 

『なに、気にすることはない。そのターゲットが単独行動を開始したのは、全くの偶然だ。それに、お互いに溜飲を下げることができたようで何よりだ』

 

「違いない」

 

フッと笑みを浮かべながら返したエイジは、男の言葉に短く返すと、目の前に表示された地図に示された場所を確認すると、男に背を向けてその場所を目指そうとする。

 

『私は重村教授のもとへ一度戻るとしよう。計画の進捗も気になるところだが、先日侵入を試みた者の正体もまだ分かっていない。片手間になってしまうが、護りは固めておくに越したことは無いからね』

 

男はエイジに対してそれだけ言うと、その体にアナログテレビに現れるスノーノイズのようなものが全身を覆うように発生し……その姿はかき消えてしまった。エイジはその様子を横目で見つつも、目的地を目指して動き出すのだった。

 

 

 

 

 

「というわけだったのよ。初めてのボス戦は」

 

秋葉原UDXにて行われた、オーディナル・スケールのボス戦を終えたアスナは、イタチにバイクに乗せてもらって自宅への帰宅した後、ALOへとダイブしていた。そして、集合場所となっていたログハウスにて、いつもの面々を相手に本日の激戦についての報告をしていたのだった。

 

「アスナさんいいな~。イタチさんだけじゃなくって、ユナと一緒にボス戦できたなんて……」

 

「本当にラッキーじゃないですかぁ……」

 

ボス戦の話を聞かされたシリカとリーファが、アスナに対して羨望の眼差しを向ける。ちなみに今回のボス戦、話を聞いたリーファも後から参戦を希望したのだが、既にアスナで決まってしまったからと、今回の参戦は取り下げられた。イタチ随伴のオーディナル・スケールのボス戦は、次回から参加する予定である。

 

「俺は生で見れて大満足だったぜ。何せ、ライブのチケット応募しそびれちまったからなァ……」

 

そんな二人に対して追い打ちをかけるように、クラインがふんぞり返って自慢していた。シリカとリーファは、そんな女好きでミーハーな髭面の山賊風侍に対して、恨めし気な視線を向けていたのだが。

 

「あ。そういえばあたし、OSの登録キャンペーンでペアチケット当たってた」

 

「それなら俺も当たったぞ」

 

『うそぉ~~~~!!』

 

ふと思い出したように呟いたシノンとエギルのその言葉に、今度はリーファとともに、クラインまでもが羨望の視線を二人へと向けた。

 

「い~なぁ~……」

 

「ううぅぅ……っ」

 

二人揃って物欲しそうな――実際、欲しがっている――顔で、エギルとシノンにそれぞれ詰め寄ろうとするその姿には、憐れみすら感じさせるものだった。ボス戦の参加枠に入ることすらできなかったリーファはともかく、クラインについても落ち込み度合いも凄まじい。そんな二人に泣きつかれている状態のシノンとエギルは、溜息をひとつ吐くと、救いの手を差し伸べることにした。

 

「……分かったよ。一枚はお前にやるよ」

 

「あたしもリーファにあげるわよ」

 

それを聞いたリーファとクラインは、揃って花が咲いたかのような笑顔――クラインのそれは可憐とはいえない――を浮かべ、それぞれ救いの手を差し伸べてくれた恩人へと抱きついた。

 

「ありがとう、シノンさん!!」

 

「エギル~!心の友よ~!!」

 

自分に抱き着くリーファを仕方のない子だとばかりに受け止めるシノン。一方エギルは、気持ち悪いと言わんばかりの表情でクラインを引き剥がそうとしていた。

 

「……あ」

 

だが、リーファの歓喜だけは、長くは続かなかった。何かを思い出すと、顔を俯けて絞り出すように言った。

 

「しまった……私来週、剣道部の合宿があるんだった……」

 

オーディナル・スケールのボス戦参加を逃し、ユナのライブにも行けないという不運に、リーファは半泣きの状態だった。抱きつかれているシノンは、よしよしと頭を撫でてやり、周囲の面々は気の毒過ぎるリーファの境遇に心の底から同情していた。

 

「それにしても……本当にアインクラッドのフロアボスがねぇ……」

 

「本当にって……情報持ってきたの、リズじゃない」

 

「カズゴさん達の情報でしたが、今一つ信じられませんでしたしね」

 

落ち込んでばかりいるリーファを見ていると気が滅入ってしまうために、リズベットが話題転換を図る。そんなリズベットが発した言葉に、アスナは呆れた様子だった。大量のポイントが手に入ると言って誰よりも意気揚々としていた彼女だが、本心では疑っている面もあったらしい。そんなリズベットに、シリカや他の面々も同意見だったらしく、一様に首肯していた。

ちなみに、本日ログインしている面々の中には、シウネーやノリといったスリーピングナイツ結成初期のメンバーは、検査のためにログインしていなかった。現在この場にいるスリーピングナイツのメンバーは、アスナ、リズベット、シリカ、リーファ、シノン、ランの六人。それに加えて、クラインとエギルがいた。

 

「けど、今までに二回も経験したフロアボス攻略なのに、アスナの話を聞く限りじゃ、イタチも結構苦戦してたみたいじゃない。やっぱり、ARは違うのね~」

 

「リズ、イタチ君に辛辣過ぎない?それにリズだって、実際にやってみると、あんまり動けないと思うよ」

 

「むしろ、リアルであんだけ動けるイタチが異常だよなァ……」

 

思い通りに動けないと口にしていた割に、戦闘フィールドとなっていた道路の上を縦横無尽に動き回っていたイタチの姿を思い出したクラインが、遠い目をしながら呟く。しかも、アスナと並んで周囲のプレイヤー達に適確に指示を送って連携をとっていたのだ。あのような真似ができるプレイヤーなど、そうそういないだろう。

 

「そうそう!異常っていったら、あの第二位のプレイヤーの野郎もとんでもねェ動きだったよな!」

 

「確か……エイジさん、でしたよね」

 

アスナとクラインの話の中に出てきたことで、オーディナル・スケールのランキングから調べたその名前を口にしたシリカに対し、アスナは静かに頷いた。

 

「俺も目を疑っちまったぜ。まさか現実世界で、あれだけ派手に動ける人間がいたなんてよ」

 

「足の速さやジャンプ力だけじゃなくて、ボスの電撃攻撃に的確に対応していたあの反応の速さ……はっきり言って、イタチ君よりも上かもしれませんしね」

 

「……あんた達の話を聞いていると、私は耳を疑いたくなるんだけど?」

 

リズベットの言葉は、その場にいた全員の総意だった。イタチですら想像を絶するような身体能力の高さだというのに、その上を行く人間がいるというのは、俄かには信じられない。アスナの話に出てきたエイジのことを聞いて、何の冗談だと本気で思った程だった。

そんな一同を代表して、クラインが一つの可能性を提唱した。

 

「そのプレイヤーだけ、生身のプレイヤーじゃなくて、アバターだったってオチじゃねえのか?」

 

「私もそれを考えなかったわけじゃないけど……イタチ君が言うには、間違いなく実体のある人間だったらしいわ」

 

「お兄ちゃんが言うなら、間違いないんでしょうね……」

 

イタチが言うことならば間違いないというリーファの意見には、皆同意していた。特にアスナとシノンは、リーファ同様にイタチの前世を知るだけに、他の面々以上に信憑性を感じていた。

 

「そういえば、当のイタチ君はどうしたのかしら?」

 

「言われてみれば妙ね。アイツ、まだログインしてないのかしら」

 

常識外れな身体能力を持つプレイヤーの出現したことに沸いていた一同だったが、比較対象になっているイタチ当人が不在だったことに気付く。そこで一同が目を向けたのは、イタチと同じ家に暮らしているリーファとシノンだった。

 

「イタチ君、私を家に送り届けてくれてから、帰ってないの?」

 

「確か、急な用事で友達と会うことになるから、夕飯は要らないって言ってたけど……」

 

「誰に会うとかは、聞いてなかったわね……」

 

アスナに問い掛けられたリーファとシノンだったが、二人もまた疑問符を浮かべて答えた。そして、二人から齎された情報に、その場に集まったメンバーは一様に訝る。既に時刻は十一時を回っている。こんな夜遅くに一体どんな用事で、誰に会っているというのか。

 

(何でもなければ良いんだけど……)

 

SAO事件にALO事件、死銃事件と、仮想世界絡みの事件に巻き込まれやすいだけでなく、自ら積極的に関わろうとするイタチだけに、今回も何かあるのではないかと勘繰ってしまう。確証があるわけではなく、あくまでも直感である。しかし、今までが今までだっただけに、またイタチが一人で突っ走り、どこか遠くの……自分達の手が届かない場所へ行ってしまうのではと、アスナとリーファ、シノンは不安を覚えていた。

 

 

 

 

 

 

 

「和人君、お疲れさまでした」

 

「こっちこそ悪いな。夜遅くに訪ねさせてもらって」

 

秋葉原UDXのボス戦を終え、アスナを家へ送ったイタチこと和人は、都内某所のビルに設けられた地下施設を訪れていた。イタチを出迎えたのは、この施設の管理者である、竜崎こと名探偵Lだった。

 

「気にしないでください。私は元々、あまり寝ない性質ですので。それより、和人君は大丈夫ですか?帰りがかなり遅くなってしまいますが」

 

「既に家には連絡した。その点については気にするな。何より、依頼に関わることだからな……」

 

ALO事件に際して初めて訪れ、死銃事件においては捜査本部として出入りしていたこの施設。事件解決以降、滅多に近寄ることのなかったこの場所を、和人はここ最近、かつての二件と同じ理由で訪れていた。

 

「それで……問題の人物については特定できたか?」

 

「はい。既に詳細は調べています」

 

そう言うと、竜崎は手元のタブレット端末を操作すると、それを和人へと差し出した。そこには、つい先程のUDXで行われたオーディナル・スケールのボス戦に参加していたランク第二位のプレイヤーの顔写真とプロフィールが表示されていた。

 

「エイジ……本名、後沢鋭二。年齢は二十歳で、大学生か。そして……」

 

「はい。私や和人君と同じく、“SAO生還者”です」

 

「やはりそうか」

 

竜崎が付け加えた言葉に、和人は険しい表情を浮かべる。単に運動能力にものを言わせただけではない、ボスの行動パターンを熟知したかのような動きから、イタチも既に予想していたことではあった。しかし、同時に解せないこともある。

 

「あれだけの動きができるプレイヤーならば、攻略組でも十分に通用した筈……だが、SAO事件当時の攻略組のメンバーの中で、あの男の顔は記憶に無い」

 

ALO程ではないが、SAOにおいてもゲーム内の能力が現実世界の運動能力に左右される面がある。前世の忍としての経験と、現世における剣道の経験を持つ和人は言わずもがな。現実世界で剣道を嗜んでいるめだかや葉、空手を習っていた一護、サッカーをしていたコナンもこの例に該当するだろう。よって、現実世界で常人離れした動きを見せたエイジがSAO生還者だったならば、攻略組に入っていた可能性が高いと和人は推測していたのだった。

 

「私としても、同意見です。和人君に送ってもらった映像を見た限り、SAOをプレイしていたならば、間違いなく攻略組に入れるだけの実力はあった筈です」

 

「攻略最前線に出られなかったのは、仮想世界への適性の問題が考えられる。問題は、あの身体能力だ。お前の方で調べてみて、何か特殊な経歴は見つかったか?」

 

「いいえ。SAO事件以前は、成績優秀ではありましたが、それ以外は平凡な高校生です。何らかのスポーツの種目において、全国大会優勝を果たした等の記録はありません。また、裏社会の組織に通じてドーピング系の違法薬物を入手した可能性についても追究しましたが、その形跡も一切見つかりませんでした」

 

和人の依頼により、鋭二の常人離れした――和人ですら敵わないかもしれない――身体能力について調査をしていた竜崎だったが、結果は芳しくなかった。

 

「そうか……だが、やはりあの身体能力は異常だ。手段は分からんが、いずれにしてもSAO事件後に身につけたことだけは間違いないだろう」

 

「間違いないでしょう。それに、あの身体能力は数年程度で身につけられるものではありません。真っ当なやり方で鍛えたということは、まず無いでしょう。ドーピングの類ではないにしても、間違いなくチートの類です」

 

竜崎の見立てに、和人は首肯した。現場で見た者と、映像で見た者とで得られた情報に差異はあるが、エイジがただの強豪プレイヤーというだけでは説明できない異常性を持っているという認識は、二人とも共通していた。

 

「彼の異常性については、私も十分に理解できました。ところで、和人君が彼に注目しているのは……やはり、例の“依頼”に関係していると考えてのことですか?」

 

「勿論だ」

 

竜崎の問いに対し、和人は即答する。さらに、竜崎の口から出た“依頼”という言葉に反応し、和人の目が鋭くなっていた。

 

「あの反則(チート)としか形容できない異常なまでの運動能力を備えたプレイヤーが、オーディナル・スケールの上位プレイヤーとなれば、簡単には無関係と断じることはできん。SAO生還者というならば、猶更だ」

 

「私も同じことを考えていました。このゲーム……オーディナル・スケールが、件の人物達の計画の舞台であるならば、実働役として有力な手駒を投入している筈です」

 

それは、和人と竜崎の私見による憶測の話だった。明確な証拠があるわけではなく、二人の創造によって肉付けされた部分の多い、穴だらけの理論である。だが、そんな見当違いかもしれない可能性であろうと、二人は決して看過しない。

 

「後沢鋭二……この男が、お前の言う有力な手駒というわけか」

 

「現時点では、まだ確証はありません。確率としては、十パーセントといったところでしょうか?」

 

「手掛かりが少ない現状では、調べる価値は十分にある可能性だ。早速だが、身辺調査をしてみてもらえるか?」

 

「分かりました。SAO事件前・事件後の彼の交友関係を調べるとともに、事件当時の所属ギルド等についても詳しく調べ、依頼内容にあった二人との接触が無かったかを確認してみます」

 

「それから、今日のボス戦をはじめとした、オーディナル・スケールにおける足取りについても併せて頼む。特に、アインクラッドのフロアボスが出始めた頃からを重点的に探ってくれ」

 

「そちらについてはFへ依頼しましょう。彼の交友関係と併せて、明日中に調べ上げておきます」

 

「分かった。何か分かり次第、情報は共有させてくれ。それから、新一にも報告を頼む」

 

その後、和人と竜崎はこれからの行動についていくつかの取り決めを行った上で解散した。ワタリを呼んで和人を車で家まで送った後、竜崎は自身にとってもう一人のパートナーである、Fこと天才ハッカー・ファルコンへと連絡を取って依頼をするとともに、自身もまたパソコンに向かって調べ物をしていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

『ほほう……これはこれは……』

 

都内のとある路地裏に、肉声ではない、電子機器のスピーカー越しのような感嘆の声を漏らす男がいた。その体には、ところどころノイズのようなものが走っており、声のみならず、肉体も実体が伴っていないことが分かる。

そんな男の足元には、成人男性が一人、高校生くらいの年齢の少年が三人、地に伏して倒れていた。そしてその先に、一人の青年が立っている。

 

『帰りが遅いと思って様子を見に来たのだが……まさか、予定していたターゲットに加えて、三人も仕留めてしまっていたとはね』

 

「別に、狙っていたわけじゃない。本当はそいつ一人にしておくつもりだったところに、そこの三人が割って入って来たんだ」

 

フン、と鼻を鳴らしてそっぽを向き、不機嫌そうな態度をとる青年――エイジ。しかし内心では、拙いことをしてしまったかもしれないという考えもあった。当初予定していた標的である男性一人に加え、不可抗力とはいえそれ以外の三人も巻き込んでしまったのだ。計画は秘密裏に進める必要がある以上、もっと慎重に行動する必要があったかもしれないのだ。考え過ぎかもしれないが、この件が原因で計画に何らかの綻びが生じるとも限らない。

しかし、幸いというべきか、乱入してきた三人は、いずれも今後の標的として狙う予定の者達である。結果的には手間を三人分一度に省くことができたことになっていた。

 

『予想外の事態ではあるが、計画の大勢に影響は無いだろう。それで、肝心の“収集”はできたのかね?』

 

「問題は無い。四人とも僕がある程度痛めつけた上で、あいつが止めを刺した」

 

そう言ってエイジが顎で指したのは、路地裏の真上――空だった。ところどころに星が瞬く漆黒の夜闇に包まれたその空間の中を、眩い程の輝きを放ちながら旋回飛行する、巨大な異形がいた。水晶や氷を彷彿させる、透明な体をして、両側に巨大な翼を広げて飛ぶそれは、紛うことなき“鳥”だった。しかし、その翼を広げたその横幅は、十メートルにも及ぶ巨体である。

現実には存在する筈のない、幻想的な美しさを放つこの鳥の正体は、デジタルデータによって作り出された存在である。モンスターの名は、『クザン・ザ・フロストフィーザント』。アインクラッドの第十三層フロアボスである。

 

『よろしい。ならば、ここは私に任せたまえ。ここで起こった出来事については、君の足跡とともに完全に抹消しておこう。君は予定通り、重村教授のもとへ向かい、今後の計画についての確認を行ってもらいたい』

 

「了解した。それじゃあ、僕は先に逝かせてもらう」

 

四人が地面に倒れ伏した、傷害事件が発生したことが誰の目から見ても明らかな現場を、目の前の協力者に任せたエイジは、踵を返して早歩きで立ち去っていった。尤も、先に行くとは言ったものの、エイジと協力者の男とでは、移動の手段も速度も文字通り全く異なる。故に、先に重村教授のもとへ到着することは確実だった。

 

(しかし、SAOの攻略組プレイヤーも、ARではこの程度か……)

 

道中、先の戦闘における成果に内心で満足していたエイジは、懐から一冊の本を取り出し、開いた。ほんのタイトルは『SAO事件記録全集』。その名の通り、SAO事件において公表されている詳細の全てが記載されている書籍だった。エイジが開いたページの項目は、『SAOギルド・プレイヤーインデックス』。最初に開いたのは、クライン率いる攻略ギルド『風林火山』のメンバーが紹介されているページだった。エイジはその中の一人の名前の上に『×』を書いた。次に攻略組のソロプレイヤーのページを開いた。

 

(待っているがいい、『黒の忍』。すぐにお前も、叩き伏せてやる。SAOには無かった……この僕の、“真の力”で!!)

 

復讐を誓うかのような強い意思を宿しながら、エイジは先程と同様、そのページに記載された三名のプレイヤー名……『カズゴ』、『アレン』、『ヨウ』の部分に『×』を書いていく。まるで、ブラックリストに記載された者に、死を意味する印を付けていくかのように……

 



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第百三十四話 依頼【mission】

2026年4月17日

 

『久しぶりだね、イタチ君……いや、和人君。それに、新一君も』

 

「ああ、そうだな。ノアズ・アーク……いや、俺もヒロキと呼ぶべきか」

 

イタチとコナンがALOにて、『N.A.』という謎の差出人からのメッセージを受け取った翌日。二人は現実世界の和人と新一として、メッセージに指定された場所を訪れていた。そこは、新一にとっては初めての……しかし、和人にとってはこれまでに幾度か訪れたことのある施設だった。

 

「まさか、君が竜崎にコンタクトを取っていたとは思わなかったけどな」

 

「私も、外界との繋がりを徹底的に制限し、強力なセキュリティで固め込んだこの場所を特定できる方がいるとは、思いませんでしたがね」

 

新一の言葉に、彼の隣に立っていた人物――竜崎が、言葉は意外そうに、しかし目の下に深い隈が入ったその表情は全く変わらないままに呟いた。

そう。和人と新一がいるこの場所は、世界的名探偵ことLが日本国内に保有する、独自の捜査拠点である。過去に発生した、ウイルステロ事件や、和人が深く関わったALO事件、死銃事件においても捜査本部として使われたこの施設のセキュリティは、竜崎の言うように非常に堅牢であり、アメリカの軍事基地のそれに匹敵するとされる程だった。竜崎の仲間である天才ハッカー・ファルコンにすら、外界から干渉するのは不可能に等しいと言わしめる程だった。

だが、三人の目の前に設置されたモニター画面に映し出されている少年には、それを可能とする力があった。

 

「流石は天才少年、ヒロキ・サワダの分身といったところでしょうか?それとも、人工知能であるからこそ為せる業でしょうか?」

 

『ふふっ……どうだろうね?君の言うように、僕は僕を作った本人の分身ではあるけれど、厳密な意味では僕自身ではないから、正確なところは分からないけれどね』

 

竜崎が口にした疑問に、モニターの中の少年は、苦笑しながら答えた。彼の名は、ヒロキ・サワダ。またの名を、『ノアズ・アーク』。十二年前、天才少年・ヒロキ・サワダによって作り出された、世界初のボトムアップ型AIにして、制作者自身の分身である。今の彼は、正確にはその劣化コピーなのだが、人格と記憶だけはオリジナルのものを継承していた。

和人はALO事件、新一はC事件と、それぞれ別のVRゲームの事件において出会ったことのある彼だが、直接話をすることができたのは――語弊があるようだが――それぞれの事件が解決した時のみ。それ以降は再び姿を晦まし、今日この時まで二人の前に現れることはなかった。

 

「話が逸れているぞ。それで、俺と新一だけでなく、竜崎にまで協力を取り付けてまで頼みたい用件というのは、一体何だ?」

 

話の流れを元に戻すべく、和人が口にした本題。先日、和人と新一が受け取った、ノアズ・アークを彷彿させる差出人名のメッセージには、二人に頼みたいことがあるという旨が記載されていた。それはつまり、VRゲーム絡みの事件を解決に導いた経歴のある和人と新一、そして世界的名探偵であるLこと竜崎の三人の力を結集させなければ解決できない問題が発生していることを意味しているのだ。

新一と竜崎もそのことを思い出したのか、和人の言葉を聞いて表情が硬くなった。対するヒロキもまた、先程までの和やかな雰囲気から一転して、佇まいを直し、真剣な表情で三人に向き直った。

 

『君達を呼び出したのは、他でもない。探偵としての君達に、僕から依頼したいことがあるんだ。君達でなければ、頼めないことでもある』

 

「依頼、ですか。しかし、あなたが私達を頼らなければならない案件とは、一体何なのでしょうか?」

 

竜崎の疑問は、和人と新一も感じていたことだった。彼の天才少年が開発した人口知能である、ノアズ・アークことヒロキには、高いハッキング能力が備わっている。C事件の折に自己消滅したオリジナルの劣化コピーとして生み出された関係上、能力が劣ることは否めないが、大概のセキュリティは簡単に突破できるだけの力は持っていた。外界から閉鎖された世界的名探偵・Lの拠点に対してアクセスすることができたことからも、その性能を窺い知ることができる。故に、IT技術が普及しており、依存しているともいえるこの現代社会において、ヒロキに集められない情報は無く、外部へリークするのも、改竄するのも思いのままなのだ。

そんなヒロキが、名探偵二人と忍の前世を持つ――ヒロキはこのことを知っている――和人を動員しなければならない程の依頼である。その事実は、高度な人工知能の力をもってしても解決できない、巨大な困難があることを意味していた。

 

『君達に今回頼みたい依頼の内容。それは、僕の元となったノアズ・アークを制作した、ヒロキ・サワダが課した、僕自身の存在意義に関わることなんだ』

 

「ノアズ・アークの存在意義……ヒロキ・サワダが生前に危惧していたという、“人工知能の開発”か」

 

逸早くその答えに辿り着いた和人の言葉に対し、ヒロキはモニターの中で頷いた。

 

『知っての通り、僕はC事件が終結してから今日まで、ヒロキ・サワダが開発し、その行く末を案じていた人工知能……ボトムアップ型AIの開発を見守ってきた。そして一カ月ほど前に、それを成し遂げたかもしれない研究者を見つけたんだ』

 

「ヒロキ君に次いで、人工知能開発に成功した研究者が現れたっていうのか……!?」

 

ヒロキの口から語られた事実に、信じられないとばかりに驚愕を露にする新一。隣に立つ和人と竜崎の反応も同様である。人間と同様に学習・成長する、ボトムアップ型の人工知能の開発は、人類史上最大の発明になるとまで言われた程の偉業である。ノアズ・アークという前例があったとしても、研究データの一切が消去された今では、それを再現することは不可能にも等しい神の御業である。当時十歳だったヒロキ・サワダがこれを成功させたこと自体が、数千年に一度ともいえる奇跡だというのに、それを成し遂げた人物が新たに現れたなど、到底信じられないことだった。

だが、それが事実だとするならば、人工知能の開発を監視することを使命とするヒロキにとっては捨て置けない事態である。それと同時に、これだけの面々を集めた理由も頷ける。

 

「……それで、その人物の名前は?」

 

ともあれ、件の人物の名前を聞かないことには始まらない。依頼の仔細を聞くべく、和人はヒロキへと改めて問い掛けた。

すると、モニターに映し出された映像が切り替えられる。そこには、和人や新一にとっては初めて見る、三十代半ばから後半くらいの年齢であろう男性の顔写真と、そのパーソナルデータが映し出されていた。

 

『彼の名前は春川英輔。都内の名門、私立錯刃大学の教授だ。専門は脳科学だが、化学・物理学、医学など様々な学問で博士業を取得している。若くして教授の座を手に入れた明晰な頭脳と、あらゆる分野に通じた万能ぶりから、十年に一度と言われた天才科学者だ』

 

「私も彼のことは知っています。ワタリも一目置いていた程の優秀な科学者として、科学業界に止まらず、有名企業や政界、財界等、多種多様な方面から、現代医学では解明できていない難病の治療法確立や、救助を目的としたネットワークシステムの設計依頼を請け負っていたと聞いています」

 

「成程……それだけの天才ならば、人工知能を作り出すことも不可能ではないな。それで……問題の人工知能は、既に完成しているのか?」

 

『ほぼ間違いない。彼が所属している錯刃大学が保有しているスーパーコンピューターを密かに調べてみたところ、かつての僕に似たプログラムが検知された。尤も、プロテクトが厳重だった上に、とんでもなく強力な防御プログラムが配備されていたお陰で、正確には確認できていないけれどね』

 

「あなたでも突破できない程の強力な防御プログラムが配備されているのですか……」

 

名探偵・Lの拠点の位置を特定し、限定的とはいえ通信を繋げてみせる程の能力を持つヒロキの侵入を阻む程の防御プログラムが存在することに驚く竜崎。

一方の和人の注目は、今回の依頼に深く関係しているであろう、人工知能の開発者の方へ向けられていた。

 

「それよりも気になるのは、春川英輔だ。人工知能の開発に成功したのならば、何故それを公表しない?」

 

それが、まず最初に出てきた疑問だった。人口知能は、人類史上最大の発明と目される偉業である。かつて、ヒロキ・サワダが成し遂げたこの発明は、開発者当人の自殺に伴い、研究成果は永久に失われた。以来、世界中の名だたる科学者が総力を挙げて人工知能開発の再現に挑んできたが、未だに成功に至った事例は報告されていないのだ。勿論、春川英輔なる教授が人工知能開発に成功したなどという話も出回ってはいない。

 

「和人の言う通りだな。俺もそこが疑問だった」

 

「研究を秘匿するのには、何らかの理由、あるいは目的があると予想されますね。非常に堅牢な防御プログラムを用意している点から考えて、重大な秘密があることは間違いないでしょう」

 

和人が提起した問題だが、新一と竜崎も同じことを考えていた。

公表すれば、科学者としての地位も名声も思うが儘となる筈の、人類史上最大の発明を厳重に隠匿する春川英輔の真意。現段階ではその核心を推測することはできそうにないが、竜崎の言うように、とてつもなく重大な秘密がある可能性は極めて高い。

 

「つまり、春川教授の動向を探り、人工知能を開発した真の目的を明らかにするというのが、今回の依頼ということか」

 

『その通りだ。残念だが、現実世界で使える体を持たない上に、オリジナルのノアズ・アークの劣化コピーでしかない僕だけでは、対処し切れない。力を貸してもらえるだろうか?』

 

「承知した、俺は引き受ける」

 

「俺も和人と同じだ」

 

「私も異存はありません。ヒロキ君、あなたの依頼を引き受けさせてもらいます」

 

ヒロキから出された依頼に対し、和人、新一、竜崎は迷うことなく引き受けることを了承した。ヒロキの説明だけでは底の見えない依頼だが、相手はヒロキ・サワダに匹敵するかもしれない天才科学者である。人工知能を開発した裏には、想像を超える巨大な陰謀が渦巻いていると、その場にいた誰もが予感していた。

 

「まずは、春川教授の動向について確認しましょう。彼の勤め先である錯刃大学内部について調べることは勿論、彼の交流関係について洗い出してみましょう」

 

「春川教授が管理している大学のサーバーは難しそうだが、大学外の動向を探れば、何か分かることがある筈だろうからな」

 

「竜崎と新一の言う通りだ。それで、春川教授が今、どこで何をしているか、分かっていることは無いのか?」

 

今後の捜査方針が決められていく中、和人がヒロキに尋ねたのは、春川英輔の今現在の動向。それに対し、ヒロキはばつが悪そうに答えた。

 

『春川教授は、二日ほど前に大学に休業届を出している。大学へはそれ以降出入りしていないようだ。休業の理由は不明で、彼は今現在、行方を晦ましている状態だ。彼の所在は僕も追ってみたが特定できなかった』

 

「早々に失踪、か……」

 

「人工知能の開発に成功した彼は、いよいよ何かの行動を起こそうとしているのでしょう。痕跡を一切残さず、姿を消したことからも、それは明らかです」

 

竜崎の推測は尤もだった。加えて、ヒロキがその動向を探っていたこのタイミングである。春川英輔も、自身を探る者の存在に気付いていることだろう。

一方の和人達は、これから動き出すところである。完全に後手に回ってしまっているこの状況は、和人等にとっては不利な要素しかない。春川英輔が現在進行形で進めているであろう企みを明らかにするとともに、その終着点である目的を暴くことに加え、行方も明らかにしなければならないのだ。

仮想世界に関わる事件をいくつも解決に導いてきた和人と、数々の犯罪組織やテログループを摘発してきた竜崎と新一だが、今回の相手は頭脳だけならば彼等と同格か或いはそれ以上の“天才”である。初動の遅れを取り戻し、水面下で行われている春川英輔の企みを止めることができるかといえば、難しいと言わざるを得ない。

 

「……春川教授に関しては、他に何か情報は無いのか?」

 

『残念ながら、春川英輔の行方に関する情報は拾えていないんだ。だが、彼の目的に関わっている可能性の高い人物については特定できた』

 

スピーカー越しにヒロキがそう言うと、モニター画面に映しだされていた情報が切り替わった。春川英輔に関する情報から一転して、別の人物のプロフィールが表示された。

 

「!」

 

モニターに新たに映し出された人物の顔を見た瞬間、和人は僅かにだが、驚きに目を見開いていた。そんな和人の反応に気付かないまま、ヒロキが説明を行っていく。

 

『この人は重村徹大。東都大学の電気電子工学科の教授だ。今話題の最新鋭ARデバイス『オーグマー』の開発者にして、販売メーカー『カムラ』の取締役だ。そして……』

 

「SAO運営会社『アーガス』の元社外取締役にして、ゲーム開発のアドバイザー役も務めていた人だ」

 

『!』

 

ヒロキが言わんとしたその先を口にしたのは、和人だった。予想外の発言に戸惑った新一と竜崎だったが、すぐにその理由を察した。

 

「和人。お前、もしかして……」

 

「ソードスキルの開発スタッフとしてアーガスに出入りしていた頃に、一度だけあったことがある。茅場さん……茅場晶彦の紹介でな」

 

隠すことでも無いし、これから捜査を進めていく上で少しでも情報が必要だろうと、和人は言った。

三年以上前のことだが、和人は確かに覚えていた。前世の忍世界で自身が操る幻術『月読』に似た仮想世界。それを創造した茅場晶彦は勿論のこと、彼を輩出した研究室たる『重村ラボ』の責任者である重村徹大の存在は、和人にとって強く印象に残る人物だったのだ。

 

「それで、重村教授と春川教授の関係は?」

 

『春川英輔とは、六年前に行われた電子工学の論文コンペの場で知り合っている。それ以来、この分野の学会の場で顔を合わせていくらか話をする程度の関係だったんだが……ここ最近、頻繁に連絡を取り合っていたことが分かったんだ』

 

「どんな話をしていたのかは、分からなかったのか?」

 

『すまない。彼等が連絡に使用していた電話やメールの回線は、非常にプロテクトが固くて、内容を傍受することはできなかったんだ。分かっているのは、通話やメールのやりとりが行われたという履歴だけだ』

 

「連絡を取り合うようになったのはここ最近からと言ったが……具体的には、どれくらい前からなんだ?」

 

『……学会以外の場で顔を合わせ、電話による連絡を取り合うようになったのは、三年前からだ。具体的には、十月末頃を境に電話やメールのやりとりが増えていったみたいだけど……』

 

「三年前、か……」

 

「まだSAO事件が継続していた頃ですね。確かあの頃の攻略最前線は、四十一層から四十二層くらいだったかと思われます」

 

重村教授はSAOの開発に深く関わっていた人物ではあるが、彼自身はSAOをプレイしておらず、春川教授も同様である。だが、どうにも引っ掛かる。SAOに関しては開発関係者に過ぎず、プレイヤー等の直接的な関係は無かったのは間違いない。だが、何故二人はSAO事件の最中に接近したのか……その理由がどうにも臭うと一同は感じていた。

 

「何か関係があるかもしれないな」

 

「現状では手掛かりが少ない以上、調べてみる価値はあるかもしれませんね。それでは、私の方で二人が連絡を取り合うようになった時期の前後で、二人に関係する現実世界とSAOの中で発生した出来事を調査してみます」

 

「そうだな。そっちは竜崎に任せよう。それで、他には何か分かっていることは無いのか?」

 

春川英輔と重村徹大が繋がっていることは分かったが、それだけでは捜査を進めるには情報として心許ない。新一も和人も、他に僅かでも有力な手掛かりがあるのならば、それを追究するつもりだった。

 

『……関わりがあるかは分からないし、見当外れかもしれない。けれど……気になっていることがあるんだ』

 

「構わない。話してくれ」

 

自信が無い様子のヒロキに対し、和人は気にせず続けてほしいと促す。隣の新一も同意するように頷いていた。すると、モニターに映る画面が再び切り替わり、ある写真が表示された。

 

「これは……まさか!」

 

「アインクラッド第一層フロアボス『イルファング・ザ・コボルドロード』だな。だが、この場所は……」

 

和人が言うように、モニターに表示された写真には、かつてSAO事件におけるアインクラッド、そしてALO事件解決後の新生アインクラッドの第一層にて戦ったフロアボス、イルファング・ザ・コボルドロードが写っていた。だが、問題なのは写真が撮影された場所である。ボスが立っている場所は、アインクラッドのボス部屋ではなく、開けた空間だった。周囲に建物がいくつも立っていることからして、街中のようだった。

 

「ヒロキ、これはどこで撮影された写真なんだ?」

 

『もう分かっていると思うけれど、これはアインクラッドの中じゃない。東京都の街中だよ』

 

「……まさか、ARゲームの?」

 

『君も知っているようだね。この写真は、さっき話に出てきたオーグマー専用のARMMORPG『オーディナル・スケール』におけるボス戦の様子を写したものだ』

 

「オーディナル・スケールといえば……確か、運営はカムラが行っていたな」

 

『その通りだよ、和人君。ついでに言えば、オーディナル・スケールのサーバーは現在、重村教授の管理下にある。』

 

「つまり、アインクラッドのフロアボスの出現は、重村教授の手によって意図的に引き起こされたということか。成程、確かに気になるな」

 

オーグマーのメーカーでもあるカムラは、先程の話に出てきた重村教授が取締役を務めている会社である。その会社が運営しているゲームの中に、アインクラッドのフロアボスが出現したという。ヒロキの言うように、今回の依頼と直接的な関係は、確かに見られない。しかし、どうにも捨て置けない、きな臭い何かが感じられることも事実だった。

 

『ただの偶然かもしれないけれど、オーディナル・スケールにおけるアインクラッドのフロアボス出現は、春川教授の失踪とほぼ同時期に始まっているんだ。根拠に乏しい情報ですまないとは思っているけれど……このゲームについても調べてみてもらえないだろうか?』

 

「了解した」

 

スピーカー越しの申し訳なさそうな声に対し、しかし和人は即答で了承した。

 

「春川教授の行方も目的も分からない以上、少しでも可能性のある事柄は徹底して調べるしかないだろう」

 

「和人君の言う通りですね。では、和人君にはオーディナル・スケールに参加していただきましょう。春川教授と重村教授の目的に関して、何か手掛かりを得られましたら、ご報告をお願いします」

 

和人に続き、竜崎もヒロキの提案通り、オーディナル・スケールの調査を行うことに賛成する。新一も二人の意見に頷いており、異論は無いようだった。そしてそのまま、竜崎の主導によって、和人以外の人間の役割が割り振られていく。

 

「私はヒロキ君と協力して、春川教授の行方を追うとともに、重村教授の身辺も調べてみます。あとは、和人君のバックアップも併せて担当しましょう。新一君には、春川教授の勤め先である錯刃大学と、重村教授の勤め先である東都大学へ向かい、二人のここ数年の動向についての聞き込みをお願いします。それから、二人の研究内容についても調べておいてください」

 

「ああ、分かった。とはいっても、脳科学も電子工学も、そこまで詳しいわけじゃねえから、論文とかを読むのも相当な時間がかかると思うがな」

 

「研究内容の把握は、大まかで構わない。重要なのは、その中から二人の目的を特定することだ」

 

春川英輔はヒロキ・サワダに匹敵する天才であり、重村徹大は茅場晶彦を輩出した研究室の教授である。如何に名探偵と呼ばれた新一や竜崎でも、二人の作った論文を簡単には理解できないし、一から十まで読み解こうとすれば、莫大な時間を要する。研究の概要さえ理解できたならば、二人が研究に懸けてきた想いを汲み取ることは難しくはない。そこへ竜崎が身辺調査でこれから調べる情報を加えれば、目的を解き明かすことも不可能ではない。

 

「決まりですね。それでは、ヒロキ君の依頼を果たすために、捜査を開始しましょう」

 

こうして、名探偵たる竜崎と新一、忍者の前世持ちの和人は、彼の天才少年が遺した人工知能の劣化版であるヒロキの依頼を受け、始動したのだった――――――

 

 

 

 

 

 

 

2026年4月25日

 

中世ヨーロッパを彷彿させる、西洋建築の住宅が立ち並ぶ街の中。少女――ユナは、大理石の石の上に腰掛けて、足を揺らしながら鼻歌を口ずさんでいた。

ARアイドルである彼女がいるこの場所は、現実世界であって現実世界ではない。現実世界の空間をベースに、仮想現実の情報を付加した、拡張現実の空間なのだ。そして、人がオーグマーを装着することで初めて知覚できるこの場所にいるのは、彼女一人ではなかった。

 

「ユナ、どうかしたかい?」

 

左腕に抱いた瓶の中に入っていた、キャンディのようなものを一粒取り出して眺めていたユナの様子を怪訝に思い、声を掛けたのはエイジだった。するとユナは、キャンディのようなものを見ながら、エイジに逆に問いを投げ掛けた。

 

「ねぇ……これって一体、何なの?」

 

「……皆がユナの歌に感動した証さ」

 

「へー……そうなんだ。だったら、もっとたくさん欲しいかな」

 

「これからたくさん手に入るさ。こいつら全員に、復讐してね……」

 

AI故の淡白なユナの反応に対し……しかしエイジは満足だったらしい。手元の本『SAO事件記録全集』のページに視線を落としながら、薄らと笑みを浮かべて答えた。

 

『お楽しみのところ悪いが、失礼するよ』

 

エイジとユナ、二人だけのAR空間に突如響き渡る電子音声。それと同時に、中世ヨーロッパの街並みの風景の一部分に陽炎のような歪みが生じた。歪みは徐々に大きくなり、その中から一人の人間が姿を現した。

その顔を見た途端、エイジはため息交じりに嫌そうな表情を浮かべ、ユナもまた僅かながら眉を顰めていた。

 

「エイジ君、仕事の時間だ。そろそろ現場に向かってもらおうか」

 

「……言われなくても、分かっている。わざわざ呼びに来る必要も無いだろう」

 

重村教授から、目の前の人物が計画には必要不可欠な協力者であると散々聞かされているエイジだったが、未だに不信感は拭えない。というよりも、性格的に反りが合わないのかもしれない。

しかし、当の男はエイジの反応に不快感を見せることなく、苦笑するのみだった。

 

「それはすまないな。ただ、今回の現場に出て来る標的は、君にとっても関心のある相手だと思ったのでね」

 

「何?」

 

「今回の現場には、昨日君が仕留めた『風林火山』の残りのメンバーが来る手筈になっている」

 

「!」

 

その言葉を聞いた途端、エイジの視線が鋭くなる。苛立ちを露にした表情を見せたエイジの反応に、男は笑みを深めながら続ける。

 

「既に彼等の乗った車が現地に移動しているのを確認済みだ。ボス戦が始まり次第、あのパーティーを分離する形で作戦は進めるから、存分にやってくれたまえ」

 

「そうか……分かった」

 

「では、私は現地の様子を観察しに戻るとしよう。今日も健闘を祈っているよ」

 

それだけ言うと、男の体にノイズが走って輪郭が歪み、その姿はかき消えた。残されたエイジもまた、手に持っていた本を閉じて行動を開始しようとした。一方のユナは、男が去った場所を不満そうな表情で見つめたままぼやいていた。

 

「……やっぱりあの人、なんか苦手だなー」

 

「それは僕も同じさ。けれど、一応は僕等の仲間なんだ。できるだけ仲良くしなくちゃね」

 

「けど、私を見るときのあの人の目、珍しいものを見ているっていうか、観察しているっていうか……あんまり好きになれないんだよね」

 

悪意が無いことは分かるのだが、不快感のようなものをどうしても感じてしまう。そんなユナの意見を聞いたエイジは、件の男への不快感を募らせる一方で、AIであるユナがそのようなことを言っていることに少なからず驚きを感じていた。

一般的なAIに比べて非常に高性能なAIであるユナだが、「大勢の前で歌いたい」という単純な動機が設定されているのみで、それ以外のことに関心を示すことは無いのだ。事実、始動した頃のユナの反応や挙動はシステムによって設定された域を出ないものであり、人間相手に会話しているとは思えないものだった。

だが、先程のユナの反応は最初の頃に見せたことの無いものだった。ユナにとって、エイジをはじめとした特定の人間以外は、自分の歌を聞いてもらう相手であり、愛すべきファンなのだ。それが、件の男が向けて来る視線に対しては、不快感を示した。これは完全に設定外の行動である。

 

(計画が進んでいることの証か……或いは、相手があの男だからか……)

 

ユナのイレギュラーな行動が意味するところは今のところ分からない。計画の進捗によるものなのか、或いはユナと“同種”の存在との接触によるものなのか。もし後者ならば、あの男の排除を本気で考えるべきかもしれない。

 

「あの人には、僕から注意しておこう。それより時間だ。僕等も早く行くよ」

 

「はーい」

 

独断専行も辞さない考えに走ろうとしたエイジだったが、それは一先ず保留とすることにした。あの男は計画の要であることは間違いないし、内輪揉めをすれば計画の破綻にも繋がりかねない。いずれにせよ、重村教授に相談した方が良いだろうとエイジは結論付けるのだった。

 

(『風林火山』……お前達だけは、絶対に許さない。この現実世界で、本当の恐怖を……彼女が味わった苦痛を、思い知らせてやる……!)

 

ユナの前を歩くエイジは、密かにその顔を怒りに歪め、その手に持った本『SAO事件記録全集』を持つ手に力を込めながら歩を進めていくのだった。

 



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第百三十五話 一致【consensus】

2026年4月25日

 

和人等三人がヒロキの依頼を受けたから八日が経過したこの日。捜査本部として扱っている竜崎所有の地下施設には、ヒロキからの依頼で動いている関係者が集められていた。

 

「それでは、皆さん全員集まりましたことですし、始めたいと思います」

 

一同が集まった目的は、捜査の進捗を確認するための情報交換である。依頼を直接受けた和人、新一、竜崎の三人のほか、竜崎の補佐を務めるワタリとファルコンこと藤丸、そして依頼人であるノアズ・アークことヒロキもまた、依頼をした時と同様、モニター越しで話し合いに参加していた。

 

「最初の報告は、新一君にお願いしたいと思います」

 

「分かった。それじゃあ、藤丸、よろしく頼む」

 

「了解っと」

 

藤丸が手元のノートパソコンを操作すると、出席者全員から見える位置に設置されたスクリーンに大学らしき建物やマンションの一室、パソコンや参考文献らしき書籍等々、様々な画像が映し出された。

 

「俺の方は、春川教授の勤め先の錯刃大学へ行ってみた。だが、教授の足取りに直接関係する手掛かりは、残念ながら入手できなかった。それでも一応、研究室の中にあったものは一通り押さえておいた。ここに写っているのは、それらの写真だ」

 

「研究室の中にあったレポートやデータはあったのか?」

 

「ああ。けど、確保できたのは、どれも過去の学会や学内の講義で使用されたものだ。ここ最近の研究データも、それらの延長線上のものだった」

 

「人工知能の研究に関するものなのは間違いなさそうですね。しかし、現在進行形で進められている企てに関する手掛かりは見つかりませんでしたか……」

 

「行動を開始するにあたり、動向を探られないように一切の痕跡を始末した上で行方を晦ましたんだ。それぐらいは予想できたことだろう」

 

予想はしていたとはいえ、望み通りの情報が得られなかったことには、竜崎も和人も表情には出さないものの、内心では僅かに落胆していた。

 

「隠すほどのものではないとはいえ、春川教授が作った資料には違いない。春川教授の企みに繋がるヒントが見つかるかもしれない以上、見直してみる価値はある筈だ」

 

「和人君の言う通りですね。私も後で確認してみます」

 

公表されている情報とはいえ、研究に関する詳細しか得られないというわけではない。和人の言うように、春川英輔という人物を分析する上でも参考になる筈であり、その目的を特定できる可能性があるのだ。竜崎もそこは分かっていたようで、和人の意見を聞いて首肯していた。

 

「それでは、次は和人君にお願いします」

 

「承知した。それじゃあ藤丸、頼んだ」

 

「ああ。和人の写真は……これだな」

 

新一に続き、和人の報告が行われる。藤丸がノートパソコンを操作すると、先程までスクリーンに表示されていたものとは別の画像データが映し出された。和人がオーディナル・スケールをプレイしている際に、オーグマーを使用して和人の視点で撮影した画像である。スクリーン上に表示されたそれらの中には、アインクラッドのフロアボスモンスターのほか、オーディナル・スケールランク二位のエイジの姿が写されていた。

 

「俺の方では、先週依頼を受けてから、オーディナル・スケールへ参加した。一般のプレイヤーに混ざってランク上げと情報収集を行うことは勿論、竜崎と連携してアインクラッドフロアボスの出現についてもリサーチした。そしてつい先日、こいつと戦闘をした」

 

和人が指し示した先にあった写真に写っていたのは、アインクラッド十一層の雷神型のフロアボスモンスター『エネル・ザ・サンダーロード』だった。

 

「オーディナル・スケールに出現したSAOのフロアボスは、イルファング・ザ・コボルドロードだけじゃなかったのか……」

 

「プレイヤー達に聞き込みをしてみたが、アインクラッドフロアボスモンスターとの戦闘イベントは、直前になるまで知らされないらしい」

 

「先日の戦闘イベントへ参加できたのも、運が良かったというのが大きいですね」

 

「バイクなり車なりの移動手段無しにイベント参加をするのは難しいだろうな。それより……気になることはもう一つある。ボス戦に参加していた、ランク二位のプレイヤー、エイジだ」

 

次に和人が指し示した写真。そこには、和人以上に人間離れした動きで、縦横無尽に戦闘フィールドを駆け回るエイジの姿が写っていた。それを見た新一が、信じられないとばかりに目を見開く。

 

「これ……マジか?」

 

「疑いたくなるのは分かるが、事実だ。アバターなどではなく、生身の人間が現実にやってのけた動きだ」

 

思わず漏らした新一の呟きに対し、和人は表情を変えないまま事実だと断じた。それを聞かされた新一は、思わず顔を引き攣らせていた。

 

「人間の運動能力について詳しい専門家に分析を依頼しましたが、皆新一君と同じ反応をしていました。明らかに人間にできる動きではない、と……」

 

「薬物によるドーピングなのか、運動能力をアシストする装置を使用しているのか……現状では見当もつかないが、あの運動能力には、何らかの秘密があることは確実だ。竜崎には引き続き、その手段と、今回の依頼との関連性について調べてもらっている」

 

「その件についてですが、私の方で調べてみたところ、思わぬ発見がありました」

 

「本当か?」

 

「はい。しかし、エイジ君のことについて話す前に、重村教授のことについて説明させていただきます。ヒロキ君、例のデータをお願いします」

 

『分かった』

 

残る報告者が竜崎一人となったこともあったため、そのままの流れで和人から竜崎へとバトンが渡る。竜崎の要請に応え、今度は藤丸ではなく、モニターの向こうにいるヒロキが表示画面の操作を行い、スクリーンが切り替わる。映し出されたのは、髭を貯え、眼鏡をかけた初老の男性。和人も面識がある、今回の捜査における重要参考人となる可能性の高い人物、重村徹大教授である。

 

「重村教授の身辺と過去の経歴……特にSAO事件との関連についてヒロキ君と調べましたところ、ある事実が判明しました」

 

「SAOの開発関係者だった以外に、事件に関係していたってことか?」

 

「はい。重村教授はSAO事件前、アーガスの社外取締役としてのコネクションを利用し、SAOの初回スロットを一つ確保していたようです」

 

「重村教授はSAOをプレイしていない……ということは、教授の家族か知り合いがプレイヤーだったということか?」

 

「和人君の言う通りです。そして、その推測は前者が正解です。当時、重村教授には娘さんがいたようです。SAO初回スロットは、その子のために用意したものと推測されます」

 

竜崎の言い回しが「娘がいた」と過去形になっていることに不穏な気配を感じた和人と新一がピクリと反応する。竜崎が口にしたその説明だけで、重村教授の娘という少女が、SAOにおいてどのような結末を辿ったのかは、すぐに分かったからだ。

 

「娘さんの名前は、重村悠那。プレイヤーネームは『ユナ』。重村教授が用意したソフトでログインし、我々と同様にSAO事件に巻き込まれた被害者の一人です。しかし、事件解決まで生き残ることは叶わず……二〇二三年の十月十五日に、死亡が確認されています」

 

竜崎から説明されたのは予想通りの内容だった。それを聞いた新一の表情が僅かに歪む。和人もまた、僅かにだが目を

SAO事件では二千人以上の犠牲者が出ているとはいえ、それは数の上での認識でしかない。犠牲者の一人がどのような人物だったのか……どんな人生を送っていたのかを知ることによって、初めて知る重さというものもあるのだ。

そしてそれは、和人とて例外ではない。学生探偵として多くの殺人事件の現場を渡り歩いてきた新一がそうであるように、忍者として多くの命を奪ってきた前世を持つ和人といえども、人の死というものは決して慣れるものではない。ましてやSAO事件において、和人は被害者であると同時に加害者でもあるのだ。犠牲者全員、和人にとって無関係ではないのだ。

しかし、今はSAOの犠牲者を悼んでいる場合ではない。過去の事件がきっかけで起ころうとしているかもしれない企みを暴くことが先決である。

 

「その悠那という子が死亡した年って、確か三年前だよな?それに、十月十五日ってことは……」

 

「はい。重村教授と春川教授が頻繁に連絡を取り合い始めたのは、その後ですね」

 

「それに、その子が使っていた“ユナ”というプレイヤーネーム……オーディナル・スケールのイメージキャラクターになっているARアイドルと同名なのは、どういうことだ?」

 

「やはり和人君も気付きましたか。私も、偶然とは思えませんでした。そこで、彼女の生前の写真を探しました。そして、重村悠那さんが通っていた中学のアルバムを調べて見つけた写真が……こちらです」

 

『!』

 

竜崎が藤丸に合図してスクリーンに表示させた写真。そこに写っていた、高校の制服に身を包んだ少女の姿を見た和人と新一が目を見開いた。

 

「ARアイドルのユナと同じ顔……!」

 

「……偶然というわけではなさそうだな」

 

重村教授の娘である重村悠那と、ARアイドルのユナ。両者の顔立ちはあまりにも酷似していた。相違点といえば、髪型と髪色だけだろう。偶然とは思えないという和人の言葉に対し、竜崎は首肯する。次いで口を開いたのは、モニターに映し出されていたヒロキだった

 

『重村教授の娘さんには、僕も……正確には、生前のヒロキ・サワダも一度だけ会ったことがあるから間違いないよ。念のために、顔の輪郭や彫りを解析してみたけど、完全に一致していた。ユナは重村悠那ちゃんをモデルとして作り出されたと見て、まず間違いない』

 

生前の重村悠那と面識があったというヒロキもまた肯定し、解析まで行ったことで、偶然ではないことが証明された。

 

「……亡くなった娘が忘れられず、ARアイドルとして再現したのか?」

 

「間違いなくそれだけではないだろう」

 

まず最初に浮かんだ推測を口に出してみた新一だったが、和人の反応は納得していない様子だった。新一自身もまた、重村教授が娘を模したAIを作り出した裏には、娘のことを忘れられない父心だけではない何かを感じていた。

そして、重村教授は春川教授と通じている可能性が高い。人工知能を発明した春川教授と、娘を模したAIを作り出した重村教授。この二人が協力体制にある裏には、何かとてつもない陰謀が蠢いているという疑いがさらに強まっていく。

 

「そしてもう一つ。重村悠那さんについて調べる中で、さらに興味深い事実が判明しました。続きまして、同アルバムに載っておりました、こちらの写真をご覧ください」

 

竜崎の指示によって次いで表示された写真。それを見た新一と和人が、再び驚愕に見舞われる。そこには、仲の良さそうな二人の少年少女が写されていた。一人は先程の写真にも出ていた重村悠那。もう一人の男性は、和人がつい最近見知った人物だった。

 

「重村悠那さんの隣に写っている少年は、後沢鋭二君。重村悠那さんの幼馴染です。そして……」

 

「……オーディナル・スケールのランク二位のプレイヤー、エイジだな」

 

「その通りです。彼等と同期のクラスメートだった方に伺ったところ、二人は非常に仲の良い幼馴染だったそうです。互いの家へも頻繁に遊びに行ったことがあることも確認しています」

 

「重村教授との面識も、当然ある筈だな……」

 

ここに至って、見えない糸で繋がれた、何の共通点も無かったピースが繋がり始めていることを、その場にいる誰もが感じていた。

 

「……全てを繋ぐ鍵は、恐らく重村悠那にあるんだろう。少なくとも、重村教授が動き出したきっかけがSAOにおける彼女の死であることは間違いない」

 

「和人君の言う通りですね。春川教授の行方は分からず、目的も掴めないままでしたが……重村悠那という少女を手掛かりとして重村教授の動向を追って行けば、その目的に辿り着ける筈です」

 

ヒロキからの依頼において、最も優先度の高いのは春川教授の行方と目的を探ることだが、協力者と目される重村教授の動きを探れば、それも芋づる式に明らかとなることだろう。一先ず、本命である春川教授の捜査は保留し、重村教授の企みを解き明かすために動くという方針で全員の意見は一致した。

 

「それでは、今後の捜査方針ですが……」

 

互いに収集した情報を見せ合い、整理する作業が終わったところで、竜崎がそれをもとにした今後の方針についての話に入ろうとしたその時。携帯電話の着信音が鳴った。音源は竜崎の傍に控えているワタリが着ているスーツの懐の中。ワタリは皆に対して「失礼」と言うと、携帯を手に通話ボタンを押した。

 

「もしもし……ええ、そうです。それが何か………………何ですって……!?」

 

通話開始から常の平静を保っていたワタリだったが、途中から一転。動揺を露にしていた。その様子を見た竜崎等が、何事かと訝る。

 

「……分かりました。それでは、引き続きよろしくお願いします」

 

携帯電話の通話を切ると、ワタリは自身に視線を向ける一同へと向き直って口を開いた。

 

「竜崎。今から十数分ほど前、代々木公園にて傷害事件が発生したという報告が、警察の協力者からありました」

 

「代々木公園……もしや、オーディナル・スケールのボス戦イベントが行われている場所ですか?」

 

「はい。お察しの通りです。加えて言えば、今回の捜査において問題になっておりました、アインクラッドのフロアボスが出現するイベントだったそうです」

 

和人が口にした推測をワタリが肯定したことで、その場にいた一同に緊張が走る。捜査対象に深く関連していると確信していたゲームのイベントの中で起こった傷害事件である。偶然や無関係と考える者は、この場にはいなかった。

 

「被害者は六名。いずれも命に別状は無いようですが、骨折している方もいたようで、救急車で病院へ搬送されました。」

 

「……一体、誰が被害に?」

 

「被害に遭ったのは、会社員の壺井遼太郎さんとその友人の方五人です」

 

「壺井……まさか!」

 

聞き覚えのある名前に目を見開く和人。ワタリはそんな和人に対し、頷きながら続けた。

 

「お察しの通り、和人さんや竜崎と同じくSAO生還者であり、ギルド『風林火山』の方々です」

 

その事実に、一同は騒然とする。オーディナル・スケールに熱中しているクラインは、車を移動手段として活用し、ポイント稼ぎとランク上げを目的にアインクラッドフロアボスの出現イベントに積極的に参加していた。そのため、現場にいたことについては何らおかしくはない。問題はどのような経緯で傷害事件に巻き込まれたのかである。

 

「加害者の行方は分かっているんですか?」

 

「警察が現場のカメラの映像等を解析して、目下捜索中ということです。また、彼等以外にも現場から離れた場所で倒れている少年二人が保護されたということです。こちらについては、少年等の身元確認と事件への関連性を確認している最中です」

 

「そうですか……分かりました」

 

ワタリから齎された説明について、一同はそれ以上質問することはなかった。事件が発生したばかりである以上、ワタリとこれ以上の問答をしても得られる情報は無いと誰もが分かっていたからだ。

 

「和人、どう思う?」

 

「オーディナル・スケールのフロアボスイベントの中で起こった傷害事件だ。偶然で片付けられるものではないだろう」

 

和人等が協力して捜査を進めているゲームイベントの中で発生した傷害事件。しかも、イベントに際して多くのプレイヤーが集まった中で、標的になったのはSAO生還者である。現状では証拠こそ無いが、この一件は間違いなく自分達の捜査している一見に関連している。それが竜崎を含めた共通の見解だった。

しかし、そこでふと和人はあることを思い出す。クライン程ではないが、ここ最近、何かの目的のためにポイントを稼ぐためにオーディナル・スケールをプレイしていた友人のことを……

 

「……竜崎、新一。済まないが少し席を外させてもらうぞ」

 

代々木公園で発生した傷害事件と、春川教授や重村教授等が水面下で進めている企みとの関連性について情報を整理し、推理をしていく二人に対してそれだけ言うと、和人は一人その場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

時間は遡り、和人が新一、竜崎等とともに捜査会議を開始した頃のこと。東京都渋谷区代々木公園には、オーディナル・スケールのイベントのために大勢のプレイヤーが集まっていた。例によって直前まで予告通知無しの、アインクラッドフロアボスとのバトルイベントである。

 

「くぅうっ……!」

 

「フシャァァアア!!」

 

バトルフィールドと化した代々木公園の中を縦横無尽に高速で走り回るボスの連撃に苦戦するアスナ。ここ最近、ポイント稼ぎのために積極的にオーディナル・スケールをプレイし始めた彼女もまた、このボス攻略戦に挑んでいた。

 

(流石はアインクラッドフロアボス随一の俊足ね。アインクラッドの時もそうだったけど、目で追うのも精一杯だわ……)

 

現在アスナ等が対峙しているフロアボスの名は『ルッチ・ザ・レオパルドモンク』。強力な体術系ソードスキルを使いこなす、豹の獣人型モンスターである。

四足歩行時は目で追うのも難しい程の高速移動でプレイヤーを含めた障害物の間を縫うように駆け回り、すれ違いざまに発生する斬撃がプレイヤーを襲う。二足直立時には、拳撃・蹴撃の体術系ソードスキルの連撃を高速で繰り出してくる。しかも、体術系ソードスキルでありながらライトエフェクトを飛ばしての遠隔攻撃もできるのだ。

SAO事件当時は、イタチやアスナをはじめとした高速移動攻撃に対抗できるスピードタイプのプレイヤーが前面に出てリスクを負い、足止めしたところを攻略組プレイヤー全員で袋叩きにするという戦法で勝利を収めたのだった。

 

(やっぱり、人数が少ないのは痛いわね。それに……士気も低いし)

 

アインクラッドのフロアボスとの戦闘が初見で苦戦しているプレイヤーを見たアスナは、次いで野外ステージの方へと視線を向けた。ステージ上には、オーディナル・スケールのイメージキャラクターでありARアイドルのユナがバフ効果のある歌を披露している。その舞台の下には、ボス戦そっちのけでユナに夢中のプレイヤー達が殺到していた。

イベントには大勢のプレイヤーが集まっているとはいえ、その四割程は戦闘ではなくユナが目当てで来ただけのプレイヤーであり、モチベーションは低い。アスナ同様にボス戦に真剣に臨んでいるプレイヤーにしても、連携がまるで取れていない。ただでさえ強力なフロアボスなのに、タイムリミットまであるのだ。このままでは、攻略は失敗に終わってしまう。

 

「フシャァアア!!」

 

「っ!?」

 

戦況をどう立て直したものかと周囲を見ながら作戦を練ろうとしていたアスナだったが、ボスは待ってはくれない。豹の獣人型フロアボス、ルッチは立ち塞がるプレイヤー達を次々に蹴散らすと、アスナへとタゲを移した。

戦況をどうにかするための思索で生じた虚を突く形でアスナ目掛けて飛び掛かったルッチは、その顎を大きく開き、首筋に鋭い牙を突き立てんとする。避けなくては、と思うアスナだったが、反応が完全に遅れたせいで間に合わない。急所である頚部を狙った攻撃は、防御無しでまともに食らえば、最悪の場合は即死も免れない。アスナは今まさに、絶体絶命の危機的状況に陥っていた。

 

「とりゃぁぁああ!!」

 

「キャシャァアアッ……!?」

 

だが、ルッチの牙がアスナに突き立てられることは無かった。間一髪のところで、気合の入った叫び声とともに文字通りの横槍が入り、アスナ目掛けてジャンプして飛び掛かろうとしていたルッチを吹き飛ばしたのだ。

横合いから繰り出された極めて強力な一撃は、ルッチの三メートル近くある巨体を容易く弾き飛ばした。そしてそれをやってのけた人物は、地面へ着地すると同時にアスナのもとへ駆け寄った。

 

「大丈夫、アスナちゃん?」

 

「ランさん!ありがとうございます!!」

 

アスナを危機から救ったのは、黒髪の長髪にはねた前髪が特徴的な女性。ALOでイタチとリーファを通して知り合った仲間であり、アスナの所属ギルド『スリーピングナイツ』の一員でもある、ランこと毛利蘭だった。

 

「遅れてごめんね。けど、頼もしい助っ人も来てくれてるわ!」

 

「頼もしい、助っ人……?」

 

「フシャァアアッッ……!!」

 

一体、誰のことなのだろうと考え始めるアスナだったが、それはフロアボスのルッチが放った咆哮によって中断された。何事かと慌ててアスナが振り向いた方向――先程、ランがルッチを打撃にて吹き飛ばした場所――へと視線を向けると、そこにいたのは……

 

「フッ!ハッ!タァッ!」

 

「ガァアッッ!!ゴホォオッ!!」

 

三メートル近くある巨体の獣人相手に、体術によって大立ち回りをしてこれを翻弄している男の姿があった。服の上からでも分かる鍛え上げられた肉体を持つ、色黒の男性。

 

「行っけー!そこよ!マコトさん、負けるなー!頑張ってー!!」

 

男性プレイヤーが一人で、しかも徒手空拳でボスモンスターに挑むという壮絶な光景に目を奪われていたアスナだったが、ふと聞こえた声に視線をずらす。すると、男性プレイヤーとボスが戦闘を行っている場所から少し離れた位置に、一人の女性プレイヤーの姿を見つけた。年齢はアスナと同じくらいだろうか。髪型はショートカットで、カチューシャをつけたフロアボスたるルッチを相手に果敢に挑む男性を、熱心に応援していた。

 

「ま、マコトさんっ!?それに、ソノコさんまで!?」

 

突如として戦闘イベントに現れたこの二人、京極真ことマコトと、鈴木園子ことソノコもまた、ALOにおいてアスナとランと同じくスリーピングナイツに所属するギルメンである。

今回のイベントに際して誘いをかけた相手はラン一人であり、マコトとソノコには声を掛けていなかった。恐らく、ランから話を聞いて、都合が良くこの場に駆け付けることができたのだろう。

 

「あの二人がたまたま時間が空いていたっていうのもあるけど、この場所まで案内してくれた人がいたお陰で、どうにか間に合ったわ」

 

「案内?一体、誰が……」

 

「私です、ママ」

 

「ユイちゃん!?」

 

ALOでお馴染みの、ナビゲーション・ピクシーの姿で現れたユイに、驚きの声を上げるアスナ。イベント開始の数分前から姿が見えなくなっていたが、まさか仲間を呼ぶために動いていたとは思わなかった。

 

「話は後よ!今はあのボスを倒す方が先決でしょ?」

 

「そ、そうですね……それでは、私はプレイヤーの皆に呼び掛けて態勢を立て直しますので、ランさんはマコトさんと一緒にもうしばらくボスを引き付けておいてください」

 

「了解!任せておいて!!」

 

アスナの指示に従い、この場に集まったプレイヤー達で構成された即席レイドを立て直すべく、マコトとボスが戦っている戦場へと急行するラン。

それまで劣勢を強いられていたアスナ等だったが、仮想世界のみならず、現実世界においても非常に高い運動能力――しかも、戦闘に特化した――を持つ二人が加わったことで、流れが変わろうとしていた。そしてアスナは、この機会を逃すまいと立ち上がり、元血盟騎士団副団長として培ったリーダーシップを発揮して指示を送り、勝利への道筋を確固たるものにしようとしていた。

 

(それにしても、風林火山の人達は、何をしているのかしら?)

 

高速で動き回る豹の獣人、ルッチの動きを封じ、確実にダメージを与えるための陣形を作る途中。本来ならばこの場に来ている筈の、ランやマコトとは別に期待していた戦力が姿を現さないことに疑問を持ったアスナだったが、すぐさま思考を中断し、自身が行うべき仕事に取り掛かるのだった。

 

 

 

 

 

時間は遡り、ボスイベントが開始されてから間もない時間帯のこと。ボスが出現したイベント広場から、代々木公園の国立代々木競技場第一体育館を挟んだ位置に、オーディナル・スケールのプレイヤーの一団が到着していた。

 

「畜生!完全に遅れちまったぞ!しかもあんなに遠くだ!」

 

「仕方ねえだろ!駐車場が中々見つからなかったんだからよ!」

 

ユナの歌声が聞こえる方向に目をやりながら、一団のリーダーであるクラインは心底焦った様子で頭をガシガシ掻いていた。開始直前まで告知されないオーディナル・スケールにおける、アインクラッドフロアボス戦イベントへ参加するために車を移動手段としていた風林火山一同だったが、今回はそれが仇となった。代々木公園でイベントが行われるという情報は掴んだものの、駐車スペースの確保に手間取った結果、現状に至るのだった。どうにかイベント開始時刻前に駐車はできたものの、イベントが行われている場所までの距離は短くない。

 

「ったく!何で今日のイベント場所に限って、どうしてこんなに駐車場から離れてんだよ!」

 

「本っっ当についてねえなぁ!オイ!!」

 

自分達の不運を心の底から嘆く風林火山のメンバー達。彼等とて、車という移動手段が万能だとは思っていないが、今回のイベントに関しては運が悪過ぎた。まるで、自分達がボス戦に間に合わないように仕組まれているのではと疑いたくなる程に……

 

「とにかく急ぐぞ!早くしねえと、アスナさんが全部終わらせちまう!」

 

イベントが行われている場所への到着が遅れれば、当然のことながらボス攻略の報酬は入ってこない。アスナが既に現場に到着していることは、今しがた本人からのメッセージで確認している。SAOにおいて攻略の鬼と呼ばれた彼の手に掛かれば、先日のエネル・ザ・サンダーロードのように、早々に討伐してしまうだろう。それが風林火山の――実際はそう簡単ではないのだが――見解だった。

 

「おーい!クラインさーん!」

 

「……ん?」

 

そして、いざ現場へ向けて走り出そうとしたクライン率いる風林火山だったが、その行く手の思わぬ人物が現れた。クラインのもとへ駆け寄ってくる人影は二つ。一人は鉄腕アトムを彷彿させる二本角のような髪型の少年。もう一人は水色の髪にツインテールのような髪型の――一見見すると少女のようにも見える――少年である。二人揃って特徴的な髪型をしたこの二人は、クラインもよく知る人物達だった。

 

「お前等、セナにナギサじゃねえか!何でこんなところにいるんだよ!?」

 

「すみません、僕等もイベントの情報を聞いて、今到着したんですけど……」

 

「原宿方面から徒歩で移動していたせいで、遅れちゃって……」

 

気まずそうな表情で苦笑を浮かべるこの二人、セナとナギサは、クラインと同じくSAO生還者であり、攻略組に属して激戦を繰り広げた戦友でもあった。現在はイタチこと和人と同じ、帰還者学校へ通う生徒でもある。フロアボス攻略戦において、回避盾と行動パターンの分析役として活躍していたこの二人は、現実世界においてイタチすらも一目置く程の優れた運動神経と洞察力を持つことで知られていた。そしてその能力を活かし、オーディナル・スケールをつい最近プレイし始め、めきめきとランクを引き上げていたのだった。

 

「お前等も苦労してんだなぁ~……」

 

「呑気な事言ってる場合じゃないだろ、リーダー!早く俺らも行かねえと!」

 

メンバーの言葉で我に返ったクラインは、風林火山のメンバー一同と、合流した二人を伴い、再びイベント戦が繰り広げられている場所を目指すべく、足を動かそうとする。

だが――その時だった。

 

「な、なんだ!?」

 

「えっ……これって、まさか!」

 

一同が立っている場所のすぐ近くの地面に光の線が走り、直径七メートル程の円が描かれ、その枠の中から強烈な光が溢れ出したのだ。何事かと困惑するクライン等を余所に、異変は続く。光の輪の中から、人ではない巨大な何かが姿を現したのだ。それは、四足歩行の巨大な獣。ピンと経った三角の耳と、犬や狼を彷彿させるマズルに、口の合間から覗く鋭い牙。体の表面には毛一本も生えてはおらず、代わりに赤黒い岩で覆われており、隙間から赤い炎がところどころ噴出し、ドロドロとした溶岩が滴っていた。頭部に相当する部位では、目と思われる箇所が一際強い光を発していた。

 

「オイオイ、嘘だろ……!」

 

「こんなの聞いてねえぞ……っ!」

 

その姿を見た風林火山のメンバーが、驚愕とともに冗談ではないとばかりに声を漏らす。誰もが突然の出来事に硬直して、即座に反応できずにいる中、ナギサは一人呟いた。

 

「……アインクラッド第十二層フロアボス『サカズキ・ザ・マグマハウンド』!!」

 

「ウォォオオオオオン!!」

 

ナギサがその名を口にした瞬間、これに応えるかのように、身体が溶岩でできた猟犬は夜空に向けて遠吠えを発した。そして、登場のパフォーマンスらしきそれを終えたフロアボスボス、ゴブレットがクライン等を標的に定めたことにより……予想だにしない戦闘が勃発するのだった。

 



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第百三十六話 恐怖【input】

「ワォォオオオン!!ウォォオオオン!!」

 

溶岩の肉体を持つ異形の猟犬、サカズキ・ザ・マグマハウンドが、獲物と定めたプレイヤーを睨みつけながら咆哮を上げる。その度に、ボスの体からは火山の如く炎が噴き出し、噴石の如き勢いで体表を覆う岩が射出されていく。

実体の無いARゲームの立体映像ながら、見ているだけでも汗が噴き出すような光景の中。フロアボス、サカズキが放つ炎の猛攻を紙一重で掻い潜りながら駆け回る一人のプレイヤーがいた。

 

「クラインさん!まだなんですか!?」

 

「もう少しだ!あと少しで、ボスの攻撃が止む!それまで粘ってくれ!」

 

半ば悲鳴に近い声を上げながら、国立代々木競技場第一体育館前の開けたスペースを縦横無尽に走り回るセナ。かつてのSAO攻略組において、最速の回避盾としてその名を知られたその俊足は、リアルにおいても健在だった。

ちなみにSAO事件後は、某校のアメフト部を取り仕切っている悪魔のような生徒に目を付けられ、半強制的に入部させられていたりする。

 

「サカズキの攻撃パターンは、旧アインクラッドや新生アインクラッドのものとほぼ同じですね。セナの高速の足なら、まず間違いなく逃げ切れる筈です」

 

クラインをはじめとした風林火山のメンバーと共にボスから距離を取っていたナギサは、オーグマーのカメラ機能を利用してボスの攻撃パターンの分析を開始する。攻略組の偵察部隊として活動してきたナギサは、ボスの行動パターン分析や弱点の割り出すための洞察力に優れていた。ナギサが持ち帰ったボスに関連する情報は非常に正確かつ有用なものばかりであり、攻略時の犠牲を最小限に抑えられたのは彼の実力によるところが大きいという認識が強かった。そんな攻略組の絶対的ともいえる情報力を支えてきたナギサの能力は、今尚健在であり、VRゲームのみならずARゲームにおいても遺憾なく発揮されていた。

 

「あと二、三発程、火山弾の攻撃が放たれたら、しばらくは特殊攻撃はできなくなる筈です。その間に、メイス持ちが主体となって攻撃をお願いします。弱点は腹部です。横合いから振り上げ、または切り上げの攻撃で狙ってください」

 

「よっしゃ、任せとけ!」

 

ナギサのボスの行動分析を聞いたクライン等が、各々の得物を手に攻撃態勢に入る。そして、ナギサが言った通り、セナ目掛けて三発の火山弾が放たれ……途端、溶岩の猟犬、サカズキの攻撃が止んだ。それを確認するや、クライン等風林火山がボス目掛けて突撃を開始する。

 

「今だ!行くぜ!!」

 

『応!!』

 

クラインの呼びかけと同時に、火山弾と噴煙を模した炎の猛攻を回避するために空けていた距離を一気に詰める。そして、連撃が始まった。

 

「ワォオッ!ウォオッ!」

 

クライン達を迎撃しようとするフロアボス、サカズキだったが、セナに向けて大量に放った火炎攻撃の反動により、上手く動けずにいた。さらに、ナギサが指摘していた、旧及び新生アインクラッドの時と共通する弱点である腹部目掛けて繰り出される連撃により、HPも大量に削られていた。

 

「ボスが力を取り戻すまで、残り十秒!炎の範囲攻撃が来るから、すぐに離れて!!」

 

各々の得物をサカズキの体目掛けて振るい、にダメージを与えていた風林火山一同だったが、ナギサの指示に従い、攻撃を中断すると即座に距離を取った。ナギサの言った通り、サカズキが勢いを取り戻し、全身から炎を噴出し始めたのは、それからすぐにことだった。

 

「あっぶねえ!もう少しで黒焦げにされるトコだったぜ!」

 

「けど、ナギサのボスの様子を見て指示を出してくれるお陰で、上手く切り抜けられたぜ」

 

オーディナル・スケールに出現したアインクラッドフロアボスの行動パターンは、SAOやALOで対峙したモンスターとほぼ同じである。故に、斥候としてフロアボスの行動パターン等の情報収集を行い、それらを頭に叩き込んできたナギサがいれば、後れを取ることはまず無い。

 

「セナ、もう一度回避盾をお願い!さっきと同じように、ボスの周囲を極力走り回って、移動を最小限に止めるようにして!」

 

「了解!」

 

攻撃のターンがボスモンスターへと回ったため、ナギサはすかさずセナへと回避盾を依頼する。本来、アインクラッドのフロアボスモンスターのような強大な敵を相手する際には、ディフェンダー隊や回避盾を充実させた状態で臨むのがセオリーだが、突発的に発生したこのボス攻略イベントにおいては、回避盾をセナ一人に頼るほかない。しかも、現実に体を動かすARゲームともなれば、体力の問題も出て来る。

 

(幸い、セナがSAOのアバターと同じ、『高速の足』を持っていてくれたお陰で、回避盾は何とかなってる。風林火山のメンバーが攻撃している間に休んで体力を回復すれば、時間的にはギリギリになるけど、ボス討伐はできる筈……)

 

それが、戦闘開始以降に風林火山のメンバーがボスに与えた攻撃の回数と、ここまでの戦いの流れ、残り制限時間から導き出したナギサの結論だった。

 

「よっしゃ!ボスの動きが止まった!また行くぜ、皆!!」

 

『応!!』

 

そして、セナが回避盾として攻撃を捌き続けたお陰で、再び風林火山へと訪れる攻撃のターン。ボスの残り体力を鑑みるに、恐らくはこれが最後の攻撃になることだろう。そう考えたナギサは、行動パターンを読んで指示を送る役から一転。得物である短剣を手に風林火山と並び、攻撃へ参加しようとする。

そして、風林火山のメンバー六人とナギサの、合計七人による総攻撃が行われようとした――――――その時だった。

 

「うぐっ……!?」

 

ゴキリ、という音とともに聞こえた呻き声。一体何事かと、一同はボスへの攻撃を行うことも忘れて振り返る。そこにあったのは、一番後ろにいた風林火山のメンバーが、一人の青年――エイジに腕を極められているという光景だった。

 

「困るんだよ……あんた等は大事なサンプルなんだからさ。SAOフロアボスとの戦いには、“恐怖”を胸に臨んで、倒れて貰わなくちゃね……」

 

エイジはそれだけ言うと、関節技を極めていた風林火山メンバーの腕ごとその体を放った。そして、新たな標的目掛けて動き出す……

 

「――――――え?」

 

目にも止まらぬ速さでの、肉薄。関節技を極められた状態で報られた仲間の近くにいた風林火山メンバーは、エイジが見せた動きに反応する間もなく、接近を許してしまった。

 

「うぐっ!!」

 

繰り出されたのは、顎を狙ったアッパーカット。正確に狙いを定めて放たれたその一撃は脳を揺らした。そして、地面に仰向けに倒れた風林火山メンバーの腹部目掛けて、エイジは掌底を繰り出す。

 

「がはっ」

 

顎と鳩尾を立て続けに攻撃され、完全に動けなくなった風林火山メンバー。だが、エイジは目もくれずにすぐさま次の獲物に狙いを定め、襲い掛かった。

 

「ひっ……!!」

 

三人目の風林火山メンバーの胸部へ、エイジの右フックが叩き込まれる。先程放ったアッパーカット、掌底と同様、目で追うこともできない程の速度で繰り出された一撃を前に、倒れ伏す風林火山メンバー。打撃と共にゴキリという鈍い音が鳴ったため、肋骨が折れている可能性が高い。

 

「お前っ!」

 

「この!」

 

仲間二人が目の前で一方的に攻撃されたことで、エイジを完全に敵と見なした風林火山メンバー二人が、エイジを取り押さえようと動き出す。だが、エイジは焦る素振りも見せず、軽くステップを踏むような最小限の動きをもって、自身を取り押さえようと二人が伸ばす腕を躱す。結果、風林火山メンバー二人は対象を捕り逃してつんのめることとなった。エイジはその隙を逃さず、手前にいた一人の顔面に膝蹴り、もう一人の横面に回し蹴りを繰り出した。

 

「……テメェッ!」

 

「駄目です!クラインさん!!」

 

たった一人の若い男に、大の大人四人が赤子の手を捻るように叩き伏せられるという光景に戦慄するクラインだったが、仲間達がやられたことに対する怒りの方が勝った。ナギサの制止を振り切ったクラインは、エイジに向かって殴りかかった。

だが……

 

「おいおい、興醒めだなぁ……」

 

クラインが振り翳す拳は、エイジに掠りもしない。余裕綽々と言わんばかりの勝ち誇った表情で、次々繰り出される攻撃をひょいひょいと避けるエイジ。先程の風林火山のメンバー四人を戦闘不能に追い込んだ動きも含めて、人間離れしているとしか形容できない動きだった。その姿に、傍から見ていたナギサとセナは勿論、殴りかかっていたクラインすらも驚きを隠せなかった。

 

「うっ……ぐぁっ!?」

 

そうして拳を避けられ続けることしばらく。エイジはクラインが殴り掛かった際に繰り出した右腕の手首を掴み、捻り上げた。

 

「もっと楽しもうぜ……!」

 

「ぐぐっ……ぐぁぁあああ!!」

 

クラインの腕を捻り上げる力を徐々に上げていくエイジ。際限なく、強まり続けるその力に現界を迎えたクラインの腕からゴキリという音が鳴り、クラインが苦痛の声を上げた。

 

「ふんっ……」

 

「ぐぅうっ……痛ってぇ……!!」

 

折られた右腕を押さえて地面に蹲るクライン。その付近では、同様に負傷した状態で倒れ伏している四人の仲間達がいる。そして、死屍累々と形容すべきこの状況を作り出した張本人たるエイジは、その中央にて涼しい顔のまま平然と立っていた。

 

 

 

オーディナル・スケールのランク二位のプレイヤー、エイジによって行われた、風林火山に対する一方的な蹂躙。その惨状を、ナギサとセナの二人はその場に立ち尽くして見ていることしかできなかった。

 

「セナ、逃げるよ……!」

 

「えっ!?でも、クラインさん達が……」

 

エイジの恐るべき戦闘能力を目の当たりにしたナギサが下した判断は、この場からの離脱。風林火山のメンバー六人を瞬く間にノックアウトしたその身体能力に、自分達では敵わないと判断したが故の結論だった。だが、この場にクライン達を負傷した状態で残すことに、セナは抵抗があった。

 

「見ただろう、あの動き。僕等では勝ち目がない以上、今は逃げるしかない。警察に通報して、助けを呼ぶんだ」

 

「けど……!」

 

「迷っている暇は無い。あいつがこっちに来る前に、行くよ……!」

 

クライン達を放置して逃げることには抵抗があったが、今はナギサが提案したように、逃げる以外に手は無い。腹を括ったセナは、踵を返して走り出した。

 

 

 

負傷して倒れ伏したクライン等の苦痛に歪んだ表情を眺め、エイジは一人悦に浸っていた。今目の前にある光景は、自身がこの計画に参加する目的の一つだっただけに、その喜びも一入だった。

 

「ククク……見たか。これがVRとARの違いだ」

 

SAOという偽りの世界ではなく、現実の世界において手に入れた、“本物”と呼べる力をもって恨むべき相手を叩き潰す。

中々味わえないその快感に酔いしれるエイジだったが、そこへ水を差す者が現れる。

 

『エイジ君。お楽しみ中のようだが、二人程取り逃がしているぞ。人のいる場所に出て来る前に、早々に仕留めたまえ』

 

エイジの背後に現れたのは、重村と並ぶこの計画の協力者――正確には、協力者の分身と呼ぶべき存在――だった。エイジは男からの指摘に対し、興醒めとばかりに内心で舌打ちをしつつ、表情と思考を即座に切り替えた。

 

「分かっているさ。逃すものか……一人たりとも!」

 

『期待しているよ。逃げ出した者達の逃走ルートは、これだ』

 

オーグマーを操作し、男から齎された標的の位置情報を確認したエイジは、標的二名の位置を確認すると、一気に駈け出していった。その背後では、フロアボスである溶岩の猟犬、サカズキの放つ炎に呑み込まれたクライン達の悲鳴が響いていた。

 

 

 

「くっ……駄目だ!車が邪魔で通り抜けられない!」

 

「おまけに電話も通じないなんて……どうしてこんなことになってるのさ!?」

 

エイジから逃れるべく、イベントのバトルフィールドとなっていた国立代々木競技場第一体育館の敷地を出たナギサとセナは、人のいる場所を目指して南側へと走っていた。今走っている道を真っ直ぐ行けば、区役所をはじめとした建物が多数ある、人通りの多い場所に出ることができる。オーグマーにて確認した位置情報を頼りに走る二人だったが……その道は車で塞がれて通ることができなくなっていた。

しかも、逃げる最中に助けを呼ぶべくオーグマーの電話機能を使用を試みると、アンテナは圏外で繋がらない。しかも、オーグマーとは別に持っていた携帯電話も同様である。一体全体、どうなっているのだと、セナとナギサは自分達に降りかかる理不尽に声を上げていた。

 

「こうなったら仕方ない。遠回りになるけど、ケヤキ並木を通っていくしかない!」

 

「道は一本だけだし……それしかないよね!」

 

逃げ道は一つしか残されていない以上、迷う暇は無い。二人は再び足を動かし、ケヤキ並木を目指した。そして、七十メートル程の距離を走ったところで、二人は大きな通りに出た。通りの両端に規則正しくケヤキが並ぶこの場所は、代々木公園の観光スポットの一つであるケヤキ並木である。冬のクリスマスシーズンなどは、イルミネーションが飾られて道が照らされているのだが、今の季節は数メートル先までしか視認できない、夜の闇が広がるのみだった。

 

「どっちへ逃げた方が良いのかな?」

 

「区役所のある方は……駄目だ。あそこも車が塞いでる」

 

ケヤキ並木において、二人が立っている場所は真ん中より南寄りの地点だった。南に進めば区役所等のある人通りの多い場所、北へ進めば代々木公園野外ステージへと至る。距離の短い区役所方面へ向かうべきだが、道が塞がれている以上、北方向へ進むしかない。

 

「さっきの車といい……なんか誘導されている感じ、しない?」

 

「気のせいじゃないよ、セナ。僕等は間違いなく、何かの罠に嵌められている……!」

 

セナが恐る恐る口にした推測に対し、ナギサは強く断言した。思い返してみれば、今回のイベントは偶然で片付けるには出来過ぎていることばかりだった。

イベント開催に際して指定された場所は、都内の有名スポットでもある代々木公園の中。時刻は例によって夜中であるために人通りは非常に少ない。結果、クライン率いる風林火山の面々は人通りの無い場所からの遠回りを余儀なくされた。そこへ現れたのは、アインクラッドのフロアボスモンスター。さらに止めとして、圧倒的な戦闘能力を持つランク二位のプレイヤー、エイジがクライン達を強襲、負傷させたのだ。

そして今も尚、現場を脱出したナギサとセナは、車によって通り道を塞ぐことで、人気の無い場所へと誘導されている節がある。

 

(きっと狙いは最初からクラインさん達だったんだろうけど……今は間違いなく、僕等も狙われている……!)

 

フロアボスイベントで誘い出したクライン達を、地理的な条件を利用して孤立させ、予期しないフロアボスの出現をもって足止めしたところを強襲する。それが、襲撃者の狙いだったのだろうとナギサは推測していた。

ナギサとセナは、偶然にもクラインと遭遇したことで巻き込まれたのだろうが、今は標的に含まれていると見て間違いない。

 

(これが全部、仕組まれたことだっていうのなら、一体何が狙いなんだ?そもそも、オーディナル・スケールのイベントを利用してこんなことができるのは――――――)

 

自分達が巻き込まれた事態について考察を巡らせるナギサだったが、それは目の前で発生した新たな異変によって中断された。

 

「んなっ!?」

 

「これって……!」

 

二人のすぐ目の前の地面から迸る、白い光。SAOのアインクラッド、ALOの新生アインクラッド、そしてオーディナル・スケールに共通している見慣れた現象に、二人は戦慄する。

 

「ウォォォオオオオオッッ!!」

 

「アインクラッド十五層フロアボス……『ボルサリーノ・ザ・フラッシュエイプ』!!」

 

ヒカリの中から雄たけびと共に現れる、金色の体毛をした大猿。果たして二人の予感が的中した通り、かつてアインクラッドにて倒したフロアボスだった。

オーディナル・スケールにおけるフロアボスが、代々木公園内で三体も出現するという異常事態に直面したナギサとセナは、何者かの思惑が働いているという確信を強くする。ともあれ、今はそんなことを考えている場合ではない。一刻も早く、逃げることが先決である。

 

「セナ、オーグマーを外して!」

 

「わ、分かった!」

 

自分達をアインクラッドフロアボスと戦わせることにどのような目的があるかは分からないが、デバイスのオーグマーさえ外してしまえばそんなことは関係ない。ナギサはセナとともにオーグマーを急いで外した。

 

「野外ステージまで走れば人がいる筈だ!急ぐよ!」

 

そして二人は、再び走り出す。オーグマーを外したことにより、二人の視界に映っていたファンタジーチックなデザインの大通りは、元のケヤキ並木に戻っていた。夜の闇に包まれ、街灯の薄明りが照らすその道を、とにかく走り続ける。が――――――

 

「そんなに急いで、どこに行くんだい?」

 

「「!!」」

 

突如として目の前に現れた男によって、その足が止められた。運動に適したスポーツウェアに身を包んだその男は、先程遭遇したランク二位のプレイヤー、エイジだった。オーグマーを外したことで、服装がオーディナル・スケールのそれとは異なっているが、間近で見るその顔に間違いは無かった。

 

(馬鹿な……もう追い付いてきたのか!?)

 

エイジの非常に高い身体能力をもってすれば、追い付かれる可能性があることはナギサもセナも理解していた。だが、それを考慮したとしても、エイジの動きは速過ぎる。しかも、二人に音や気配を悟らせず、瞬間移動と見紛うようなスピードで現れて見せた。かつてはSAO攻略組においてトップクラスの実力者であり、今は同じ学校に通うクラスメートにして、規格外の身体能力を持つことで知られるイタチこと桐ケ谷和人ですら、こんな動きはできない。

幻覚でも見せられているのではと疑いたくなるような事態だが、オーグマーを外している以上、目の前の出来事が現実であることを認めざるを得ない。

 

「くっ……わぁぁあああ!!」

 

「む……!」

 

「な、ナギサ!?」

 

目の前の男、レイジからは最早逃げられないと悟ったナギサが起こした行動。それは、姿勢を低くしてレイジに飛び掛かるというものだった。

 

「セナ、今の内に行くんだ!君の足なら、逃げ切れる!!」

 

「ナギサ……分かった!」

 

ラグビーのタックルの要領でエイジの腰へ体当たりをかましたナギサは、セナに逃げろと叫ぶ。二人揃って逃げ切ることは不可能だが、セナの俊足ならば可能性はあると考えた末の捨て身の策だった。

セナもまた、ナギサを見捨てることに逡巡したが、現状ではこれが最善の策であることが事実と考え、後ろ髪を引かれる気持ちを振り切るように走り出した。

 

 

 

 

 

「意外だな。SAOでは誰よりもリソースを独占することで自身を強化し、英雄を気取っていた元攻略組のプレイヤーが、こんな献身的な行動に出るなんてな」

 

ナギサが取った行動に、本心からの感想を漏らすエイジ。彼の中におけるSAO生還者――殊に攻略組というものは、他者を顧みることなく自身が生き残るために攻略に執念を燃やす、自己中心的な人間の集団という認識だった。

ナギサとセナにしても、追い詰められたこの状況ならば、どちらかが片方を犠牲にして自分だけ生き残ろうとするか、仲間割れを起こすかの末路を辿ると考えていたのだ。

 

「……君が僕達にどんな印象を抱いているかは知らない。あの頃の僕達が、自分のことを第一に考えていたことは否定しない。けど、僕達の中にあったのは、それだけじゃない……!」

 

「……うざいよ、お前」

 

対するナギサは、エイジの口から放たれたコメントに対して、反抗的な目を向けてそのような言葉を投げ掛けてきた。対話で時間を稼ごうという魂胆が見えたが、ナギサの態度はエイジの琴線に触れるものだった。苛立ちを覚えたエイジは、圧倒的な膂力でナギサの腕を自身から引き剥がす。そして、鳩尾目掛けて膝蹴りを叩き込んだ。

 

「ぐぁあっ……!」

 

「さて、次は……」

 

痛みに腹部を押さえて地面に蹲るナギサには目もくれず、エイジはもう一人の標的目掛けて駆け出した。

最初の一歩を踏み出したその瞬間から最大速度に加速したエイジは、そのまま先を走るセナへと肉迫していき……瞬く間に追い越した。

 

「っ!!」

 

信じられないものを見たと言わんばかりに顔を驚愕に染めるセナを追い抜いたエイジは、前方へ回り込むと右足を地面に突き立てて急停止する。そして、速さによる勢いを利用して、右足を軸に左足による回し蹴りをセナ目掛けて繰り出した。

 

「がっ……はぁっ……!」

 

腹部を薙ぐ一撃に、苦悶の声を上げるセナ。体をくの字に曲げたまま、走って来た方向へと吹き飛ばされ、地面を転がっていく。天地がひっくり返るような衝撃と激痛により、セナは立ち上がることすら儘ならない状態になっていた。

 

「高速の足を持つプレイヤー、セナ。その並外れた移動スピードをもって、攻略組の回避盾として最前線で並み居るモンスター達が雨霰の如く繰り出す攻撃の悉くを、一切のダメージを受けることなく切り抜けた、か……。まさかその俊足が、現実世界でも健在だとは、流石に驚いたな」

 

地面に横たわるセナに歩み寄りながら、エイジはそのようにコメントを口にした。クラインやナギサに対して投げ掛けていた言葉とは違い、心の底から素直に感心した様子だった。

 

「認めてやるよ。お前だけは、この現実世界においても真の力を持っていたってことはな」

 

クライン達風林火山を筆頭として、SAO生還者全てを憎むエイジだったが、目の前のセナだけは別だった。今回の計画において、常人を軽く凌ぐ身体能力を持つエイジに本気を出させたのは、彼一人。故に彼が口にした賞賛には、嫌味のようなものは一切含まれていなかった。

 

「だが、僕等の計画においてSAO生還者は皆等しく標的だ。悪いが、協力してもらおう」

 

痛みのあまり、まともに言葉が届いていないであろうセナに対してそう言うと、エイジはセナが手から落としたオーグマーを手に取り、彼に装着させた。そして、その首根っこを引っ掴むと、まるで犬や猫のようにセナを軽々持ち上げて見せた。小柄で体重の軽いセナとはいえ、並の人間の腕力ではない。

 

「……っ!」

 

「もっと楽しもうぜ。ほら……恐怖しろ」

 

オーグマーを装着したことで、強制的にオーディナル・スケールへ再度ログインさせられたセナが見たもの。それは、アインクラッドフロアボス『ボルサリーノ・ザ・フラッシュエイプ』が放つ閃光だった――――――

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……ようやく終わったわね」

 

「お疲れ様です、ママ」

 

代々木公園にて行われていた戦闘イベントにて、フロアボスモンスターの『ルッチ・ザ・レオパルドモンク』を無事に倒したアスナを、ユイが労う。

 

「アスナさん、大丈夫?」

 

「あ、大丈夫です、ランさん」

 

膝に手をついて息も絶え絶えの状態のアスナの隣に対し、ランがスポーツドリンクを差し出しながら話し掛けた。ランは空手で普段から鍛えているため、アスナ程消耗していないようだったが、激しい運動で僅かに息が上がっているように見えた。

 

「マコトさん、カッコよかったわよ!」

 

「ありがとうございます、ソノコさん」

 

そんなアスナ等から少し離れた場所には、マコトとソノコの姿があった。ラン以上に激しく動いてボスモンスターに攻撃を繰り出していた筈のマコトだったが、疲労した様子は全くなく、普段通りのお自然体だった。ソノコの方は、マコトの勇姿を見て未だに興奮が冷めやらぬといった状態だった。

アスナ達以外のプレイヤー達も、激しい運動で地べたに座り込んでいる者や、達成感に歓喜している者など、様々な反応を見せていた。

そんな中、ふと顔を上げたアスナの瞳が、視界を上下するものを捉えた。人の手のようだが、一体誰だろうと思ったその時。

 

「おめでとー!」

 

先程までステージの上で歌とダンスを披露していたAIアイドル、ユナが姿を現した。

 

「うわわわわわっ!!」

 

対するアスナは、いきなりユナが近くに姿を現したことと、先日のフロアボス攻略の報酬と称して頬にキスをされた記憶が蘇ったことで、反射的に後退ってしまった。

 

「そんなに警戒しなくてもいいのに……傷つくわ」

 

そんなアスナのやや過剰な反応に、ユナは少しばかり残念そうな顔で呟いた。しかし、それ以上アスナに詰め寄るようなことはなかった。

少しばかり距離が開いた状態のまま、ユナがアスナに向けて指を振る。すると、フロアボス攻略の報酬であるポイントがアスナへ付与され、頭上に表示されたランクも大幅に上昇した。周囲に屯していたランやマコトをはじめとしたプレイヤー達も、後から同様に報酬が付与されていった。

 

「またね……アスナさん」

 

「!?」

 

AIであるユナが自身の名前を呼んだことに、少しばかり驚くアスナ。一方のユナは、そんなアスナにウインクすると、あっという間にその場から姿を消してしまった。

そうしてイベントは終了し、集まったプレイヤー達は各々、オーディナル・スケールからログアウトして家路に就き始めた。

 

「さて……それじゃあ、私達も帰りましょうか」

 

「そうですね」

 

オーディナル・スケールからログアウトした蘭に促され、明日奈もまた帰路に就こうとする。そこへ、すぐ傍にいた園子と真も合流する。

 

「駅までは真さんが送ってくれるってさ。辺りはかなり暗くなっちゃってるけど、蘭と真さんがいれば、譬え殺人犯が出てきても安心ね。むしろ、殺人犯に同情しちゃうくらいかも……」

 

「ちょっと!それ、どういうことよ!?」

 

暗に殺人犯よりも危険な人物であると宣う園子に抗議する蘭。事実、探偵たる父親や幼馴染の仕事場でそういった手合いを何人も叩き伏せきた実績――戦績ともいう――がある以上、否定はできない。そんな二人のやりとりを、明日奈と真は苦笑して見ていることしかできなかった。そうして、強力なボディガードを確保することができた明日奈は、三人と共に代々木公園の最寄り駅を目指して歩きだした。

代々木公園のイベント広場から北側へ歩き、赤坂杉並線沿いに西へ向かって代々木公園駅を目指すルートである。

 

「あれ?」

 

「明日奈さん、どうかした?」

 

道路沿いの道に入ってから数分。明日奈の視界が、自分達が進む方向とは反対の対向車線から走ってくる一台のバイクを捉えて足を止めた。その車種と色は、知り合いが普段乗用しているものと同じだった。

それに対して、件のバイクのドライバーは歩道の上に立っていた明日奈達の姿を視認するや、対向車線へと車線変更して近づいてきた。そして、明日奈の目の前に停車すると、ヘルメットのバイザーを上げた。

 

「こんばんは。明日奈さん」

 

「和人君!」

 

バイクの車種やドライバーの体格から、もしかしたらと思っていたが、案の定、和人だった。思わぬ人物の登場に明日奈は勿論、回りにいた蘭、園子、真も驚いていた。

 

「どうして夜中にこんなところに?」

 

「知り合いに会いに行っていて、遅くなった。オーディナル・スケールのイベントの告知は聞いていたんだが、間に合わなくてな……」

 

「残念だったわね!アインクラッドのフロアボスなら、さっき蘭と真さん、それに明日奈がきっちり倒したわ。お陰でポイントもガッポリ貰えて、ランクもかなり上がっちゃったわ」

 

「園子はほとんど見ていただけだったでしょうが……」

 

羨ましいだろう、と言わんばかりの園子に対し、ツッコミを入れる蘭。フロアボス戦の最中、園子は真の応援に熱を入れており、観客と化していたのだ。

戦闘には積極的に参加しなかっただけに、園子にとって蘭の指摘は非常に耳の痛いものだった。「うぐっ」と呻くと、先程までの高慢な態度はどこへやら。ジト目で睨む蘭から目を逸らし、ばつの悪そうな表情を浮かべ始めた。

 

「確かに、園子さんは戦いには参加していなかったかもしれませんが、私達を精一杯応援してくれました。私が頑張れたのは、そのお陰です」

 

「真さん……」

 

そんな園子を擁護するのは、恋人の真だった。拳を握り、園子の応援は無駄ではなかったと力強く主張する真に対し、園子は心の底から感激したような視線を向けていた。

そんな二人を、他の三人はやれやれと呆れた表情で見つめていた。園子と真はしばらく放置しておいた方が良いだろうと判断した蘭は、再び和人のほうへ向き直った。

 

「それで、和人君はこれから帰りなの?」

 

「ああ。オーディナル・スケールのイベントは、間に合わないだろうと覚悟していたが、明日奈さんが来ていると聞いてな」

 

「えっ!それって……」

 

「夜も遅いし、駅まではそれなりに距離もあるから、迎えに行ければと思って来たんだ。しかし……あまり意味は無かったようだな」

 

和人が心配したのは、明日奈一人に夜道を歩かせることだったのだろう。だが、和人の懸念に反して、明日奈に同行していたのは蘭と真という最強クラスの武闘家である。迎えが必要な状態とはいえない。

 

「そんなことないよ!」

 

だが、そんな和人の呟きを、明日奈が否定した。思わず声を上げてしまったことでしまったと気まずい表情を浮かべながらも、言葉を続けた。

 

「えっと……蘭さん達とは、駅までは一緒でも、帰り道は別方向だから……和人君さえよければ、送ってくれないかな?」

 

「ええ、勿論大丈夫です」

 

顔を若干赤くした状態で和人に頼み込む明日奈に対し、和人は二つ返事で了承した。その返事に、明日奈は内心でガッツポーズをしていた。和人が断る筈がないと分かっていたが、この千載一遇の好機を逃してなるものかと強い決意を固めていたのだった。

 

「それじゃあ、私は和人君に送ってもらいますので。蘭さんも京極さんも園子さんも、今日はありがとうございました」

 

「ううん、私達の方こそありがとう。気を付けて帰ってね」

 

一緒に帰っていた明日奈達に礼を言った明日奈は、車道へ出て、和人が乗るオートバイの後部へと跨る。和人は明日奈が腰に腕を回してしっかりホールドしたことを確認すると、オートバイを走らせた。

その道中、ふと和人が明日奈へ尋ねてきた。

 

「今日のオーディナル・スケールのイベントは、どうでしたか?」

 

「やっぱりアインクラッドのフロアボスが現れたよ。今回は、『ルッチ・ザ・レオパルドモンク』だった」

 

「そうですか。何か他に……変わったことは、ありませんでしたか?」

 

そんな質問を投げ掛けてきた和人に、明日奈は疑問符を浮かべる。一体、何のことだろう、と。

 

「別に……この前のイベントと同じだったけど?ボスの攻撃パターンはアインクラッドの時と同じだったし、報酬も結構たくさんもらえたし……」

 

「参加者の中に、ランク二位のエイジというプレイヤーはいましたか?」

 

「そういえば、今回はいなかったわ。そういえば……クラインさん達も、今日のイベントでは姿を見なかったわね。どうしちゃったのかな……携帯にも出ないし……」

 

「……」

 

「和人君は何か知ってる?」

 

「……いえ。俺の方は、何も知りません」

 

「そっか。まあ、何か急用が入ったとかでしょう。それより、今日の戦いで蘭さんと真さんが、積極的に前へ出て、とにかく勇敢に戦ってくれて………………」

 

その後も、明日奈は自宅に到着するまでの間、オーディナル・スケールのイベントに関する話題を中心に、和人と他愛もない話を続けた。背中越しにそれを聞いていた和人は、短い返事を返すばかりだったが、運転をしながらもしっかりと聞いてくれていたことが、明日奈は嬉しかった。

どのような形であれ、期せずして得られた、愛する人と二人きりでいられる貴重な時間である。和人の背中の温もりを感じながら、明日奈は今この時の幸せを噛みしめていた。

 

 

 

 

 

和人が一人、険しい表情を浮かべていたことに気付かずに――――――



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第百三十七話 収集【hash】

「……はい。攻略組の一角を担った有力ギルドの一つを潰しました。それと、想定外の獲物も二人程。思った通り、連中はARじゃ何もできやしない……まあ、一部例外もいましたが」

 

オーディナル・スケールのイベントが終わり、人気が完全に無くなった深夜の代々木公園の中。エイジは携帯電話を手に持ち、自身が参加している計画のリーダーたる重村へと連絡を取っていた。報告内容は、本日のイベント戦における戦果である。

 

「計画は順調に推移してます。次の段階に進めてください……それでは」

 

必要な事項を報告し終え、通話を切ったエイジの顔には、満足そうな笑みが浮かんでいた。憎き攻略組のプレイヤー達に対し、この現実世界で自ら制裁を加えることができたことが、彼にこれ以上無い程の充足感を与えていたのだ。

 

『楽しそうだね、エイジ君』

 

そんなエイジの気分に水を差すように現れたのは、重村とは別の、この計画に参加している協力者だった。音も気配も無く現れた協力者の男を見たエイジの顔からは笑みが消えた。

 

「今回の作戦は、予想以上の戦果を出すことができた。これで計画がさらに進むと思えば、それはあんたにとっても喜ぶべき展開なんじゃないか?」

 

『フム……確かにその通りだ。だがね、予想外のイレギュラーを処理するためには、私も色々と手を回さなければならないのだよ。今回の作戦にしても、現場に証拠を残さないための処置だけでなく、逃げ道を塞ぐための障害物を急遽用意しなければならなかった』

 

「……それがあんたの役割だろう。計画を円滑に進めるためのフォローは、全てそちらの担当になっている。重村教授からはそう聞いているんだが?」

 

『勿論。私も自分自身の役割を忘れたわけじゃないさ。しかし、計画を人知れず進めるための隠蔽工作にも限度がある。良かれと思ってやったことでも、下手に計画外のことに手を出せば、計画を破綻に導くイレギュラーを招き入れることにも繋がりかねないということも、覚えておいてくれたまえ』

 

「……」

 

男の忠告に対し、内心で舌打ちするエイジ。それは、計画開始当初から懸念していたことだった。しかし、今のところエイジが心配していたようなことは起こらず、男も計画の大勢に影響は無いと言っていたことから、ここ最近はその点について軽視しがちだった。

 

「……分かっているさ。だが、これから直接手を下す機会が増える以上、必然的に想定外の事態は増えていくぞ」

 

『私もある程度は覚悟しているさ。計画始動段階で、あらゆるイレギュラーの発生を予見し、その対策も立てている。但し、それも絶対ではないということを覚えておいてくれたまえ』

 

「……」

 

釘を刺すように口にした男の言葉に、エイジは無言で頷いた。相も変わらず、不愛想な反応ではあったものの、男はそれで満足したらしく、それ以上は何も言わなかった。

 

『そうだ。計画が本日この時をもって、次の段階へ進んだお陰で、ある一定の成果が得られたのだった』

 

「一定の成果?」

 

『重村教授がすぐに見せてくれるさ。……おっと。噂をすれば、だな』

 

男が見上げた先にあったのは、オーディナル・スケールの通信状況緩和のために飛ばされているドローンだった。ドローンはエイジ等の近くまで降下すると、機体下部に備え付けられたレンズから光を照射する。夜の暗闇を照らすように放たれたその光の中心に現れたのは、一人の少女。フードを被っており顔は見えないが、体格からして十代半ばであることが分かる。

その少女の姿を見たエイジは、心の底からの笑みを浮かべていた。目の前に座り込む少女こそが、男の言う通り、エイジが何よりも望む成果だったのだから。

 

「おかえり」

 

少女に歩み寄ると、エイジは優しげな笑みのままに話し掛けた。しかし、少女がエイジに応えることは無かった――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クラインだけでなく、セナとナギサまでやられたというのは本当か?」

 

「はい。間違いありません」

 

ノアズ・アークの依頼により、春川英輔と重村徹大、そして彼等の計画の舞台であるARゲーム、オーディナル・スケールの捜索に乗り出した和人等の捜査拠点となっている、竜崎ことLが所有するビルの地下。そこでは現在、今回の捜査に携わっているメンバーの新一と竜崎が向かい合って情報交換を行っていた。

 

「昨夜、現場に急行したワタリの部下達が、クラインさん等が襲撃を受けた現場の周辺を捜索した際に、ケヤキ並木にて負傷した二人を見つけたそうです」

 

「ナギサはともかく、セナが逃げ切れなかったってのかよ……」

 

「セナ君は、SAOのアバターが現実に出てきたかのような“高速の足”の持ち主です。四十ヤードを四秒二で走ることができます。また、現場となったケヤキ並木には、車やバイクの車輪痕は確認されませんでした」

 

「つまり、容疑者はセナを上回る速さで走れるってことだろ?冗談みてーだが……事実なんだろうな」

 

新一が手のひらを額に当てながら、俄かには信じられないとばかりに呟く。竜崎の表情に変化は無いが、膝を抱くその手に力が入っており、ジーンズに皺が寄っていた。

今回のクライン等風林火山のメンバー六名を一蹴した上、逃亡したナギサとセナを追撃して倒してのけたのだ。セナを圧倒した足の速さを抜きにしても、尋常ではない身体能力である。新一も竜崎も、これまで遭遇した事件の中で、身体能力の高い犯人と格闘した経験がある。だが、ここまで桁外れな――和人に匹敵、或いは凌駕する可能性が高い――相手は初めてである。

 

「前例があるとすれば、『怪盗X(サイ)』でしょう。私は直接関わる機会がありませんでしたが、『怪物強盗』と呼ばれていた程です。報告を聞く限り、人間かどうかも疑わしいですが……」

 

怪盗Xとは、かつて国際指名手配されていた凶悪強盗犯である。怪盗Xの『怪盗』とは、『怪物強盗』の略称であり、は未知を現す『X』に不可視を意味する『invisible』を合わせて名付けられた名前である。人間を遥かに超えた身体能力と変幻自在の細胞を持っていたとされており、人知を超えた『怪物』としか形容できない存在だったという。

 

「だが、怪盗Xは五年前の『血族事件』を境に消息不明の筈だ。警察では、死亡したものとして処理されているって話だろ?」

 

「五年前の『血族事件』……ですか」

 

『血族事件』――新一が口にしたその言葉を聞いた竜崎の脳裏に、かつての記憶が蘇る。人類から更なる進化を遂げた者達を自称するテロリスト集団『新しい血族』。“病的”なまでの悪意を滾らせ、全人類への敵対・殲滅を企てたこの組織が活動していたのは、五年前……つまりSAO事件発生の一年前のこと。都内に洪水や地盤沈下を人為的に引き起こすという、テロという枠を大きく超えた、災害規模の甚大な被害を齎したことで知られていた。

 

「あの事件の末、血族一派は『シックス』を名乗る首謀者、ゾディア・キューブリックを含めて全滅したとされました」

 

「確か、その首謀者のシックスって奴は『血族事件』が発生する前に、怪盗Xを拉致したって話だったな。しかも、警視庁屋上にジェット機を飛ばしたとか……」

 

「私も耳を疑いましたが、全て事実です。怪盗Xの正体はシックスのクローンだったそうです。その後は血族の研究施設に収容され、実験動物として扱われていたとされています。そして、血族一派の全滅と同時に怪盗Xもまた死亡したというのが日本警察の見解です。しかし……」

 

「死体は見つかっていない、か……」

 

既に警察関係者も世間も認めた怪盗Xの死亡だが、竜崎と新一はどこか腑に落ちていなかった。死体が見つかっていない以上、完全に死亡と断定するのは早計なように思えていた。譬え、血族事件終結後から今日に至るまで、怪盗Xの活動が一切無くなっていたとしても……

 

「あの事件には、確か弥子(ヤコ)が関わっていたって話だよな?あいつなら、怪盗Xがどうなったかも知っているかもしれないが……」

 

「確かに、彼女なら何か知っているでしょうが……彼女から事件の仔細を聞くのは無理でしょうね。あの事件に関しては、警察関係者にすら多くを話そうとはしませんでしたから」

 

工藤新一と金田一一と同じSAO生還者であり、かつては二人と並ぶ中学生探偵としてその名を知られていた少女――桂木弥子。既に探偵業は廃業し、平凡な日常へと戻った彼女は、SAO事件に巻き込まれるという数奇な運命をたどったものの……現在は、彼等と同じ帰還者学校に通う位置生徒として、平穏な学生生活を送っていた。

そんな元女子中学生探偵だった彼女が手掛けたラストケース。それこそが、『血族事件』だったのだ。本人の証言によれば、彼女と彼女の助手の力でシックスの拠点を特定し、死闘の末にその野望を止めることに成功したらしいのだが、それ以上の詳しい話をすることはなかった。分かっていることは、シックスの死亡がほぼ確定したということと、当時彼女の探偵業を支えていたという優秀な助手が、その事件以降にふっと姿を消したということのみだった

 

「……話が脱線してしまいましたね。血族事件の結果がどうあれ、今回の事件に怪盗Xが絡んでいるということはまず無いでしょう」

 

「それもそうだな。で、肝心の犯人だが……やっぱり例のランク二位のプレイヤーなのか?」

 

「まず間違いないでしょう」

 

新一の問いかけに対し、竜崎は首肯した。怪盗Xなどという前例があろうとも、これだけの人間離れした犯行を実行できる身体能力の持ち主は、捜査線上に浮かびあがった人間の中でただ一人なのだから。

 

「現在、警察の手も借りて彼の行方を捜査中です。現場付近には、監視カメラも複数設置されています。犯行の様子が映されていることはまず間違いないでしょう」

 

「映像という物的証拠が出れば、傷害罪で逮捕状が取れるだろうが……映像が残っていれば、の話だがな」

 

「ええ。新一君の言う通りです」

 

容疑者を特定するための動かぬ証拠となる監視カメラの映像だが、竜崎も新一もそれが簡単に入手できるとは思っていない。

 

「既に分かっていたことだが、やっぱり重村教授とエイジのバックには春川教授がいるんだろうな」

 

「今回の件で、それは確信に変わりました。人気の無い夜間とはいえ、都内の公共施設内であれだけ派手に動き回れるのは、証拠を残さないことについて絶対的な自信があってのことでしょう」

 

情報化が急速に進んでいるこの現代社会。都内の至る場所にはソーシャルカメラが設置されており、街中で起こるあらゆる出来事が随時記録されている。そもそもの話、オーディナル・スケールのようなARゲームも、これらのソーシャルカメラの存在によって成り立っているのだ。

そんな監視カメラだらけの場所で傷害事件など起こそうものならば、映像から即座に身元が特定されてしまうのだが……件の事件を引き起こした犯人は、そんなことを微塵も気にしていないかのような大立ち回りをしている。

それは即ち、警察に捕まらないという自信の表れであり……証拠を一切残さずに事を進める手段を持っていることを意味している。そして、竜崎と新一、そしてこの場にはいない和人と藤丸、ヒロキには、その手段が何なのか想像がついていた。

 

「改めて厄介な事件になったな……ヒロキ君やユイと同等か、それ以上の性能を持つ存在を相手取ることになるとは……」

 

「この程度の性能を持っていることは、依頼を受けた時点で覚悟はしていました。問題は、その相手がヒロキ君やユイさん以上の力を持っていないかどうかです。実行犯である可能性の高いエイジにしても、異常な身体能力の秘密を明らかにしない限り、下手な手は打てません」

 

新一の言葉に対し、竜崎が口にした補足によって、今回の依頼がどれ程困難な物なのかが改めて浮き彫りとなる。世界最高と言われる名探偵二人に、世界最高と言っても過言ではない天才ハッカー。そして、過去発生した仮想世界に纏わる事件三件を解決に導いた、忍の前世を持つ――前述の三人はそのことを知らないが――少年。傍から見れば、これ以上ない最強の集団であるにも関わらず、今回の相手はその上を行くかもしれないのだ。情報力も、現実世界における戦闘能力も、まだまだ未知数な部分があるくらいだ。数々の難事件を解決に導いてきた竜崎と新一ですら、一抹の不安を抱いてしまう。

 

「……そういえば、和人はどうしたんだ?それに、ヒロキ君も。今日は監視カメラの映像確認をやっている藤丸以外、全員集まる予定の筈じゃなかったか?」

 

「ワタリは昨日発生した事件を含めて、一連の傷害事件の確認のために、病院へ行っています。和人君は、ヒロキ君と一緒に現場確認だそうです」

 

「現場確認か……物的証拠は残っていないだろうが、何らかの痕跡は辿ることができるかもしれないってわけか」

 

「はい。ちなみに、彼には緊急事態を知らせるスイッチを内蔵した特殊ベルトを装着してもらっています。有事の際には、それで味方を呼べるようにしてありますので、心配は無用です」

 

竜崎の言う特殊ベルトは、SAO生還者を狙った傷害事件が起こっている現状を危惧したワタリが急遽作成したものである。和人同様、外で活動することの多い新一もこれを装着しており、これを押せば竜崎こと探偵L御用達のSPが拳銃を携帯した状態で現場へ駆け付ける仕組みになっているのだ。

 

「事件が起こったのは夜のイベントの時だったから、問題はないとは思うが……」

 

「情報が不足し、準備が儘ならない今は、何も起こらないことを祈るしかありませんね……」

 

本拠地にて情報交換を行っていた二人は、現場へ行ったという和人とその付き添いとして同行しているヒロキの身に、何も起こらないことを願うしかなかった。

限りある情報を整理し、対策を立てようとする探偵たちを嘲笑うように、事態は刻一刻と変化し、自分達の目の届かない水面下において、事件を起こした犯人達が立てた、目的も未だ明確にはならない得体の知れない……それでいて、危険なことだけは間違いない計画は着実に進んでいる。竜崎と新一をはじめとしたこの事件に関わる者達は、そのことを強く確信し、痛感していたのだから。

 

 

 

 

 

2026年4月26日

 

竜崎と新一が拠点となっている地下施設で情報の共有を行い、ファルコンこと藤丸が傷害事件の情報収集を行っていたその頃。和人は昨夜の事件の現場となった、東京都渋谷区の代々木公園を訪れていた。和人がまず訪れたのは、クライン等風林火山のメンバーが襲撃された国立代々木競技場第一体育館前である。

 

「ここで間違いないか、ヒロキ?」

 

『うん。竜崎さんから貰った資料を改めて確認してみたけど、現場はここみたいだよ』

 

和人の問い掛けに応じ、隣に十歳ほどの少年――ヒロキが現れる。MHCPのAIだったユイ同様、ヒロキもまた『ノアズ・アーク』を前身とするAIである。故に、オーグマーの拡張現実を利用して、アバターを出力することができるのである。ちなみに、今のヒロキのアバターは、万一ヒロキ・サワダの顔を知るオーグマー装着者に見られても良いように、生前のヒロキ・サワダの容姿を和人と同い年である十七歳程の外見にしたものである。

 

『とはいっても、既に警察の現場確認は終わっていて、犯行当時の痕跡もほとんど残っていないみたいだよ』

 

「だろうな……」

 

ヒロキの言葉に、どうしたものかと思案する和人。昨夜の傷害事件に関して、何か手掛かりが掴めないかと考えて現場を訪れた和人だったが、思い通りにはいかないらしい。

その後、和人はケヤキ並木へと続く道を通り、セナとナギサが襲われた現場へと向かった。こちらでも犯人の正体に繋がる手掛かりになりそうなものは見つからなかった。しかし、イベント広場を目指して歩いていた途中、路上にあるものを見つけた。車のブレーキ痕を彷彿させる、真新しい黒い摩擦の痕である。

 

(確か、セナがやられたのもこの辺りだったな。となれば、これは犯人のもの……)

 

恐らくは、逃げようとするセナを捕捉するべく追い抜き、前方に回り込んだ際についた痕なのだろう。こうして地面の上にくっきりと残されている痕を見るに、相当なスピードで走ったことが分かる。

 

(下手をすれば、忍者に匹敵する身体能力だな……)

 

改めてこの傷害事件を起こした犯人であろうエイジの身体能力に、和人は内心で戦慄していた。そして同時に思う。いざ容疑が確定して逮捕する段になるか、もしくは向こうから攻めてきた時のことを……

 

(今の俺では、難しいかもしれんな……)

 

一般人相手ならば、譬え相手が銃で武装していようとも無力化できる力を持つ和人だが、今回の相手は人間の範疇に収まらない力を持っている。この世界の人間としては最高クラスの身体能力を持っていると自己分析している和人ですら、どこまで通用するのか不安を覚えずにはいられなかった。

そんな内心を押し隠して歩き続けることしばらく。和人とヒロキは、昨夜のボス戦イベントが行われていた、野外ステージのある場所へと到着した。

 

「ヒロキ、何かおかしな点は見当たらなかったか?」

 

『残念だけど、これといって不自然な点は無かったよ』

 

捜査を進展させるための何らかの手掛かりが見つからないかと訪れてみた代々木公園だったが、どうやら無駄足になってしまったらしい。このような結末も想定していたとはいえ、時間を無駄にしてしまったのは確かである。和人は内心で溜息を吐いていた。

 

「やむを得ん。今日の探索はこれで終わりだ」

 

『何か見つかると思ってたけど、収穫が無くて本当に残念だね』

 

「元々、そこまでの期待はしていなかったことだ。それより、拠点に残っている竜崎と新一は……」

 

今後の方針について、竜崎や新一と相談しようと口にしようとしていた和人の言葉が唐突に途切れた。和人がふと見上げた先にあったのは、代々木公園の南北を結ぶ高架橋。その橋の上に一人の少女の姿があった。白い長袖の服を着ており、下はミニスカートである。フードを目深に被っているため、表情や顔立ちは分からない。手摺の向こう側の景色を、棒立ちしたままじっと眺めている。一見すると、どこにでもいる普通の少女に見えるが……和人の目には、それが普通の少女とは映らなかった。

 

「ヒロキ、あれはもしや……」

 

『アバター、だね。実体の無い拡張現実の存在だよ。けど、おかしいね。和人君は今、オーディナル・スケールを起動しているわけでもないのに……』

 

「ああ……」

 

仮想世界に対して高い適性を持つ和人だからこそ、目の前に映る少女の正体がアバターであるとすぐに分かった。だが、拡張現実のキャラクター等のAIは、ARゲームを起動させていなければ見えない仕様である。ユイとヒロキという例外があるが、二人は自発的に拡張現実の中に姿を現している。ならば、目の前にいる少女は一体何なのか……それが一番の疑問だった。

 

「……行くぞ」

 

『和人君?』

 

疑問は尽きず、何ら確信があるわけではない。もしかしたら、危険な罠が待ち受けているかもしれない。それでも、和人はこの場所に現れたアバターの少女に接触することを選択した。自分達が追い掛けている事件について何か秘密を握っているかもしれないと、そう直感していたのだから……

 

「君、少し良いか?」

 

「……」

 

数メートル手前まで近づいた和人は、なるべく警戒心を抱かれないように声を掛けた。対するAIの少女は、目深にフードを被ったままで顔を和人の方へ向けた。だが、反応はそれだけで口を開くことは一切無く、手摺の向こうに視線を戻した。

その後、しばらく反応を伺っていた和人だったが、少女はやはり何も話さない。だが、和人と一分ほどした時のこと。少女は唐突に右手を上げると、手摺の向こう側を指差した。そして――――――

 

 

 

さがして

 

 

 

「!」

 

言葉を発さないまま、口だけを動かした。そして、少女の身体にジジジ、とノイズが走り……その姿は、何の前触れも無くその場から消失した。

 

「ヒロキ、今のは……」

 

『口の動きから察するに、“さがして”と言っていたみたいだね。何かを指差していたみたいだけど、あの方向に何かあるのかもしれないね。けど、あの子は一体……』

 

「それは俺にも分からない。この事件に何の関わりがあるかもな。だが……」

 

無関係であるとは、到底思えないと……和人はそう直感していた。それは、飽く迄和人の私見であり、直観に過ぎない。事件の手掛かりを求めてこの場所へ来たからこそ、和人自身がそう思いたいだけかもしれない。もしかしたら、先程の少女のアバター自体、ただのシステムのバグであり、事件とは何の関連も無いという可能性だってあり得る。しかし、そんな可能性があるとしても、この出来事を無関係と切り捨てることを和人はしなかった。

 

「念のために、あの少女が指差した方向に何があるのか、調べておいてくれ。片手間で構わない。都内にある、主要な建物や施設を大まかにリストアップするだけで構わない」

 

『了解したよ。竜崎さんや新一君には?』

 

「一応、報告しておいてくれ。尤も、手掛かりになるかも分からないことだがな……」

 

身も蓋も無いことを言っていることを自覚しながらも、和人はヒロキへそう伝えた。そうして改めて、和人とヒロキによる現場探索は終了となるのだった。

 

「ヒロキは先に竜崎と新一のもとへ戻ってくれ。俺はこれから、明日奈さんと会う予定がある」

 

『もしかして、デート?』

 

「……そのような側面があることは否定しない。だが、事件に関する情報を収集するための活動でもある」

 

からかうような言葉を投げ掛けて来るヒロキに対し、和人はにべもなくそう答えた。その後、ニコニコとした笑みを浮かべて見送るヒロキに背を向け、和人は一人、約束の場所へと向かって歩き出していった。

 

 

 

 

 

「和人君、お待たせ!」

 

「こんにちは、明日奈さん」

 

ヒロキと別れた和人が向かったのは、明日奈との待ち合わせの場所に指定していた、代々木公園内にある売店だった。先に到着して備え付けの椅子に座っていた和人が声のした方を振り向くと、そこには明日奈の姿があった。ヘアスタイルも服のコーディネートも、いつもより気合が入っているように思える。

 

「明日奈さん、これをどうぞ」

 

「ありがとう、和人君」

 

和人の座っている椅子の隣の席に腰掛けた明日奈に対し、缶ジュースを差し出す和人。一足先に到着した際に購入していたものだった。

 

「昨日は和人君をのけ者にしちゃったみたいでごめんね。しかも、帰りは送ってもらっちゃって……」

 

「気にしないでください。家まで送ることができたのも、偶然ですから」

 

「それでも、とても助かったわ。蘭さんと京極さんが一緒だったとはいえ、夜道は危険だもん。それに、三人とは家のある方向が逆だったからね」

 

「お役に立てて、何よりです」

 

和人と一緒に公園でお茶――飲んでいるのは缶ジュースだが――することができることが嬉しいのか、明日奈は満面の笑みを浮かべていた。傍から見れば、完全に若い高校生カップルがデートをしている構図である。

そのようなほのぼのとした光景の中で他愛の無い会話をする和人と明日奈だったが……和人の頭の中にあったのは、ヒロキから受けた依頼に関することだった。今回の代々木公園への外出も、誘いをかけてきたのは明日奈の方だが、和人の方にも明日奈に確かめたいことがあったからこそ、デートと呼べなくもない話に乗ったのだ。明日奈には悪いが、事件解決のためには一つでも多くの情報が必要となる。ALOをはじめとしたVRゲームの話や、ここ最近始めたオーディナル・スケールの話、そして学校生活に関する話題で談笑しながら、和人はタイミングを見計らうと、目的の話題を切り出すことにした。

 

「そういえば、先日のオーディナル・スケールのイベントに参加していた、ランク二位のプレイヤー、エイジについてなのですが……もしや、SAO生還者なのではないでしょうか?」

 

「!」

 

和人が何気なく口にした言葉に、驚いたように目を丸くする明日奈。その反応を見た和人は、明日奈もまた、同じことを考えていたのだと直感する。

 

「……実は、私もそう思ったんだ。とはいっても、本人かどうかは分からないんだけど……」

 

「もしや、血盟騎士団に所属していたプレイヤーですか?」

 

核心を突くような和人の問い掛けに、明日奈は再び驚いた表情を浮かべる。その非常に分かりやすい反応から、和人の中で先程の直感が確信へと変わる。それと同時に、話の流れが自分にとって有利な方向に進んでいることも。

 

「和人君、もしかして彼に会ったことあるの?」

 

「俺も短期間とはいえ、血盟騎士団に所属していた身でしたから。直接話したことはありませんでしたが、ギルドホーム内で見た攻略組以外の団員の中に、あのエイジというプレイヤーに似た顔があったことを思い出したんです」

 

「そっか……そういえば、和人君も血盟騎士団に入ってたことがあったんだよね」

 

すっかり忘れていたよ、と苦笑する明日奈の顔を見ながら、和人は問題の人物たるエイジについての情報を明日奈から引き出すべく、さらに思考を走らせる。

和人が明日奈の誘いに乗ってデートに来た本当の理由は、今回の事件の容疑者である可能性が濃厚な人物、エイジこと後沢鋭二のことを聞き出すためである。竜崎が藤丸と協力して警察のネットワークに潜り込んで調べた情報によって、SAO生還者であるエイジは当時『ノーチラス』というプレイヤーネームでSAOにダイブしており、事件終息時における最終所属ギルドは、明日奈ことアスナと同じく攻略ギルドの血盟騎士団だったことが分かったのだ。そこで和人や竜崎は、当時同じギルドに所属していたメンバーならば、何か情報を持っているのではと考えたのだ。無論、情報を得るだけならば、明日奈でなければならない理由は無い。和人と共に捜査をしている新一とて、元血盟騎士団団員である。しかし、エイジことノーチラスは、当時攻略組のメンバーに属さず、ギルド内でもあまり目立たない存在だったために、コナンこと新一との関わりは無かったのだった。そこで情報源として有力視されたのが、明日奈だった。当時副団長を務めていた明日奈ならば、ギルドの所属メンバーの事情をある程度は把握していた筈であり、エイジが今回の事件に加担する同期に関する情報を何か知っている可能性が高いと考えたのだ。

事件の捜査のために、自身への好意を利用することについては、和人と言えども罪悪感を全く覚えないというわけでは無い。だが、クラインのような被害者が出ている現状では、手段を選んでいる場合ではないと割り切って今回の作戦に臨んだのだった。

 

「けど、ちょっと信じられないんだよね……」

 

「というと?」

 

「それが彼、SAOにいた頃とは全然雰囲気が違うの。当時はノーチラスっていう名前で、真面目な性格で素質も十分にあったんだ。けど……死の恐怖を克服できなくて、一度もボス攻略戦には参加できなかったの」

 

「成程……」

 

「だから、この前会った時には、本当に驚いたんだ。プレイスタイルは全然違うし……それにまさか、ARゲームで和人君みたいな動きができるなんて思いもしなかったから……」

 

「でしょうね。しかし、声はかけなかったんですか?」

 

「うん。今更リアルで会っても喜ばれるか分からないしね。でも、同じギルドメンバーだったから、ちょっと気になっちゃって」

 

「流石は元副団長さんですね」

 

「もう!」

 

からかうように和人から投げかけられた言葉に、頬を膨らませる明日奈。その態度に、和人は表面上のみだが苦笑を浮かべた。

 

(血盟騎士団に入れる程の実力がありながら、戦闘が儘ならない程の死の恐怖……恐らくそれが、エイジというプレイヤーが行動を起こした動機に繋がる鍵になるかもしれんな……)

 

明日奈から得られた情報をもとに、分析を重ねていく和人。今まで、経歴からしかその動機を類推することができなかったエイジだったが、明日奈の話を聞いたお陰でその人物像や、心の中に秘めた闇というものが徐々に浮き彫りになっていく。

その後も和人は、明日奈と何気ない会話を続けながら、エイジに関する情報をさり気なく、しかし着実に聞き出し、収集していくのだった。

 

 

 

 

目の前の明日奈をはじめとした、信頼できる仲間達を除け者にした状態で、今まで強く――時には涙ながらに――言われてきた、無茶をするな、もっと他人を頼れという、言葉に背き、一人密かに動いていることに対する後ろめたさを隠しながら――――――

 



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第百三十八話 先手【initiative】

『おはようございます、重村教授』

 

「む……君か」

 

いつもの通り、職場である大学の教授室にて作業を行っていた重村のもとを、一人の男が訪れる。重村がエイジと共にオーディナル・スケールを舞台に水面下で進めている計画の協力者である。

その存在の性質故に、部屋の扉を開くこともせず、音も立てることなく、オーグマー使用中に突然現れることが多々あった。そんな協力者に重村は驚くことなく、慣れた様子だった。

 

「先日はエイジ君と共に、ご苦労だったね。お陰で、計画は順調そのもの……いや、それ以上だ」

 

『ありがとうございます。しかし……少々厄介なことになったかもしれません』

 

「どういうことかね?」

 

目覚ましい成果を得られた先日の一件について労いと感謝を述べる重村だったが、男が口にした「厄介なこと」という単語に視線を鋭くする。

 

『先日の代々木公園の一件について、警察とは別口で探りを入れている連中がいます』

 

「探りを入れている連中、だと……?」

 

計画を遂行する上で、警察が介入してくることは既に予想済みであり、そのための対策も行っている。それ以外にも、多少のイレギュラー程度ならば問題無いくらいの対策は整えている筈。だが、男の態度を見る限りでは、探りを入れているという者達は、その範疇に収まらない程の相手らしい。

 

『あの一件以降、警察が捜査に乗り出すことは予想していました。故に、警察のネットワークに潜り込んで捜査状況を確認したのですが……その情報が、警察関係以外の場所へと流れていることが分かりました』

 

「警察ではない……一体、何者なのかね?」

 

『警察組織内部から流れ出た情報の行き先については、私の方でも探ってみましたが……残念ながら、行き着く先を特定することはできませんでした。しかし、大凡の見当はついています』

 

男はそう言うと、右手を翳して空中にモニターを出現させた。話の流れから予想していたが、どうやら既に探りを入れている者については目星をつけているらしかった。

 

『まずは、こちらの写真をご覧ください。先日の現場である代々木公園の監視カメラの映像データを確認した際に、ある人物の姿を見つけました。重村教授もご存知の筈ですよ』

 

「私が?……一体、だれが写っていたのかね?」

 

『御覧いただければ分かりますとも……』

 

自分も知っている人物であると言われて若干驚く重村。だが、自分達の計画に勘付いて行動を起こすような知り合いに心当たりは無い。

そして、一体何者なのかと重村が思考を巡らせる中、空中に浮かんだモニターに映像が映し出された。どうやら、監視カメラの映像らしい。それも、映像に表示された風景を見る限り、先日の一件の舞台となった代々木公園である。モニターの隅に表示されている日付と時間を確認すると、事件発生から一夜明けた翌日、つまり昨日の昼間に撮られた映像らしい。昼間の代々木公園の風景が映し出された状態で待つことおよそ十秒。ある人物が映像の中へと入って来た。

 

「彼は……!」

 

『やはりご存知でしたか』

 

監視カメラの映像の中に現れたのは、一人の少年だった。黒いジャケットに黒いジーンズを纏った、中性的な顔立ちの少年……しかし、その何気ない所作には一切の無駄や隙が見られない。辺りに視線を巡らせるその表情に変化は見られず、その内心は伺い知れないが、それが故に年相応とは呼べない冷徹さが垣間見える。

そして、そんな只者とは思えない少年のことを、協力者の男が言った通り、重村は知っていた。

 

『桐ケ谷和人……SAO生還者であり、事件を解決に導いた攻略組のトッププレイヤー。SAO開発当時から、ゲーム制作者の茅場晶彦氏とは懇意にしていたようですね。ソードスキル開発のためのモーションキャプチャーテストを行っていた頃から、仮想世界に対して非常に高い適性を示し、事件当時は『黒の忍』と呼ばれた程の実力者だったようです。その腕前は、他のVRMMOにおいても健在であり、SAO事件の延長線上で発生したALO事件と、SAO事件当時に積極的にプレイヤーキルを行っていたSAO生還者達が起こした死銃事件を解決に導いた最大の功労者です』

 

重村が呼び起こしている記憶をトレースするように、映像の中の少年――桐ケ谷和人のプロフィールが、男の口から語られる。

SAO開発に携わっていた関係で、顔を合わせる機会のあった少年である。自身の教え子にしてゲーム制作の最高責任者でもあった茅場晶彦の紹介で知り合ったモーションキャプチャーのスタッフであり、開発当時は重村も一目置く程の仮想世界への適性と優れた武芸を身につけていたことが強く印象に残っている。SAO事件が解決されたと聞いた時には、その立役者として真っ先に彼の名前を浮かべたぐらいである。

だが、今重要なのは彼のスペックではない。問題なのは、SAO事件同様に彼が解決に一役買った、SAO事件の延長線上で発生したALO事件と死銃事件において、彼をバックで支援した存在にある。

 

『監視カメラの映像を確認した結果、彼は昨日の事件現場を歩き回って何かを探す素振りを見せていました。被害者が彼の知り合いだったとはいえ、その翌日に現場に現れたのは、果たして偶然でしょうか?』

 

「成程。つまり、彼が動いているのは……」

 

『ええ。私も同じ結論に至りました。十中八九、彼は昨日の事件について何かを知っています。また、過去の事件がそうであったように……今回のケースにおいても、彼の背後には世界的名探偵“L”が控えていることでしょう』

 

「まさか、計画始動段階で発生したシステムへの侵入は……」

 

『SAO事件以後、Lは世界最高のハッカーと名高いファルコンを仲間に加えたと噂されています。件のハッキング未遂がファルコンの仕業と断定するための確証はありません。しかし、彼の姿が確認できた以上、その可能性は高いと見るべきでしょう』

 

「すると、計画が始動する前の段階から、我々の計画に勘付いていたということなのか……!?」

 

それは、重村やこの場にはいないエイジにとっては、非常に恐ろしい推測だった。極秘に水面下で進めていた計画が、始動以前の段階で外部に漏れていたことになる。しかも、嗅ぎ付けたのは世界的名探偵のLである。

 

『いえ、それは無いでしょう。計画の全容を知っているのならば、桐ケ谷和人が現場を調べる必要などありません。それに、計画開始から今日まで、向こうは常に後手に回っている状況です。現状から考えるに、彼やその背後にいるであろうLは、計画に関して断片的に何かを嗅ぎつけていると考えるのが妥当でしょう』

 

「……厄介な。計画はここまで順調に進んでいるというのに、ここにきてこのようなイレギュラーが現れるとは……!」

 

計画の全てが知られていないとはいえ、厄介な存在に目を付けられたのは間違いない。今はまだ計画そのものに致命的な打撃を与える程の危機的な状況ではないが、相手が相手なだけに無警戒ではいられない。

 

『重村教授。今回の傷害事件を通して、本命の計画の存在に気付かれた可能性は高いでしょう。しかし、それがどのような計画かまでは、流石に突き止められてはいませんし、突き止めるにもまだ時間はかかる筈です』

 

「だが、相手が相手だ。エイジ君もいるとはいえ、決して油断はできんぞ」

 

『ええ。ですので、計画を前倒しして進めるべきです。さらにそれと同時に、『プランB』を発動すべきかと思われます』

 

男が口にしたその言葉に、重村は目を見開く。『プランB』とは、全てが順調に進むことを想定して立てた『プランA』が上手く進まなくなった場合に発動させる想定で立てたものである。

 

「君が前へ出て彼等の陽動を行うつもりなのかね?」

 

『本命の計画から注意を逸らさせるのならば、それが最も有効な策です。加えて、我々の計画を嗅ぎつけているのならば、そろそろ被害者達への影響にも気付く筈です。私という脅威を前面に出した上で、被害を食い止めるための手段があると知らされれば、誘導されていることを承知の上で、こちらの思惑に必ず乗ってくれる筈です』

 

男が口にしているのは正論である。しかし、重村にとしては、『プランB』実行とは、簡単にゴーサインを出せるものではなかった。計画を嗅ぎつけた者達を、本来の目的から遠ざけさせるために立てた計画だが、『プランA』以上に派手な動きをするため、修正するための計画を逆に破綻させるリスクも少なからず孕んでいる面もあることが理由である。だが、相手に対して先手を取って主導権を握るには、これがベストであることは間違いないということは、重村も分かっていた。男もそんな重村の心中を察しているのだろう。『プランB』が認められたと判断して話を進めた。

 

『彼はどうやら、代々木公園を見回った後も、都内でフロアボスイベントが行われた場所を巡っているようです。今夜あたり、私の私兵を使って軽く襲撃してみましょう』

 

「……分かった。『プランB』の発動を認めよう。エイジ君には私から説明しておく。だが、派手な動きをすることが確定している以上、報告は逐一送ってくれたまえ。万が一にも、オーディナル・スケールの継続に関わる程の騒ぎになれば、元も子もないのだからな……」

 

『承知しておりますよ。我々の動きを探る者達の動きは、しっかり止めておきます。こちらのことは気にせず、計画の本命の方を進めてくださいますよう、お願いします』

 

若干渋った様子を見せた重村だったが、最終的には『プランB』発動の提案を承諾することにした。対する男は、その返答に満足した様子で頷くと、教授室に来た時と同様、音も立てず、ドアを開くことも無く、ノイズ音の余韻を残してその場から姿を消すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

オーグマーが再現する、都内ではまずお目に掛かれない雄大な自然が広がるAR空間の中。エイジは本を読んでいた。タイトルは例によって『SAO事件記録全集』である。クラインをはじめとした攻略ギルド、風林火山の紹介ページに記載された名前の上にバツが付けて満足そうな表情を浮かべるエイジの傍らには、ユナの姿もあった。その手の中には、キャンディのような物が入った瓶が抱えられている。

 

「昨日はけっこういっぱい集まったね」

 

「そうだな。でも、メインディッシュはまだこれからさ」

 

「へー、そうなんだ」

 

先日よりもキャンディの数が増えたことで重さを増した瓶を眺めたユナは、やがて飽きたのだろう。瓶を傍らに置くと、今度はエイジのもとへ近づいていった。

 

「……何読んでるの?」

 

「興味あるのかい、ユナ?」

 

どうやら、エイジが読んでいる本に興味を持ったらしい。読んでみるかい、と言いながら開いていたページをユナに見せるエイジ。だが、ユナは眉を寄せて八の字にすると、う~んと唸っていた。

 

「……文字ばっか。難しい本?」

 

「いや。僕の思い出の日記みたいなものさ……」

 

そう言って、ペラペラとページを捲っていくエイジ。プレイヤーの紹介ページには、『閃光のアスナ』のような攻略組を中心とした当時有名だったプレイヤーのほか、『食いしん坊少女探偵ヤコ』や、『お騒がせ発明家鍛冶師ララ』等、戦闘以外の分野でも名を知られた個性豊かなプレイヤーが紹介されていた。

 

「あ、これ見て!「俺が二本目の剣を抜けば立っていられる奴はいない」だって」

 

そんな中、ユナが興味を持ったのは『黒の忍』と呼ばれたプレイヤーに関する情報が記載されたページだった。SAO生還者とはいえ、『黒の忍』ことイタチ本人とは直接の面識の無かった人物による著書のため、その内容は些か以上に誇張されていたのだが。

 

「ああ、こいつか……」

 

「何これカッコいい!エイジ、読んで読んで!」

 

そのページを開いた途端に表情を曇らせたエイジの反応など気にせず、読んで欲しいと無邪気にせがむユナ。傍から見れば、全く乗り気に見えないエイジだったが、はしゃぐユナの姿に仕方ないとばかりに苦笑すると、そのページを読み始めるのだった。

 

 

 

重村からの計画変更・前倒しの連絡が届いたのは、それから十数分後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

東京都渋谷区にある、恵比寿ガーデンプレイス。オフィスビル、商業施設、レストラン、集合住宅、美術館等で構成される、渋谷区と目黒区に跨る程の大型複合施設である。非常に多彩な施設を擁する故に、家族連れやカップル等の来訪者は、夕方の時間帯であっても絶える気配を見せない。

そして、そんな賑やかな施設の中を、明日奈、里香、珪子の三人は訪れていた。ちなみに、明日奈の方にはナビゲーションピクシー姿のユイが乗っている。

 

「ここで間違いないのね?」

 

「うん。今日のアインクラッドのフロアボスとの戦闘イベントは、ここで発生する可能性が高いんだって。そうだよね、ユイちゃん」

 

『はい!間違いありません』

 

「本当に、ユイちゃん様様ですね。イベントは夜中に行われますから、予め場所が分かっていないと、私達じゃ参加できませんもんね……」

 

日が暮れて辺りが暗くなった、夕方七時の時間帯に彼女等がこの場所を訪れている理由。それは、ここ最近話題になっているオーディナル・スケールの戦闘イベント……旧アインクラッドのフロアボス攻略戦に参加するためである。

三人が積極的に参加を試みているこのイベントの特徴は、SAOの旧アインクラッドのフロアボスを討伐することと、イベントクリアに際して多大なポイントが手に入ること。それ以外には、開催時刻が夜中の九時であることと、大型の商業施設や公園等で開催される以外の詳細は一切掴めていない。

問題なのは、場所の特定である。都内にはイベント向けの施設や公園は数多あり、広大な東京都の中から開催場所を特定するのは不可能に等しい。そんな問題を解決できたのは、ユイから齎された情報のお陰だった。

 

「それにしても、東京都の地形をSAOの旧アインクラッドに見立ててイベントが開催されていたなんてね」

 

「ユイちゃんじゃないと気付けませんでしたよね」

 

『私も、皆さんの役に立てて、嬉しいです』

 

ユイが見つけたという、オーディナル・スケールにおける旧アインクラッドフロアボス出現イベントの開催場所を特定する鍵。それは他でもない『アインクラッド』にあった。

一連のイベントの発生場所を探していたユイは、旧アインクラッドの階層に目を付けた。そして、これまでのイベントで出現したフロアボスが守護していた各階層の平面図を、現実世界のイベント開催場所である東京都の地図と重ねて照合した。その結果、イベントが開催された場所は、アインクラッドの全ての階層に共通して存在する、フロアボスに縁のある場所――――――『迷宮区』と重なっていることが分かったのだ。

正確には、迷宮区の場所と重なる地点に近い公園や広場といった場所なのだが、それさえ分かれば、あとは簡単。オーディナル・スケールのイベントに出現したフロアボスは、第一層から順に登場している。そのため、直近で出現したフロアボスが守護する階層の一つ上の階層の平面図を東京都の地図に照らし合わせれば、次のイベント開催場所は分かる。そうして特定された、本日のイベント開催場所である可能性が高いとされたのが、三人が今いる恵比寿ガーデンプレイスだったのだ。

 

「今まで手を拱いているしかできなかったけど、ようやく私達も参戦ね。腕が鳴るわ~!」

 

「里香さん、張り切ってますね~……」

 

珪子の言うように、フロアボスイベント参加を前にした里香は、これまで参加できなかったことが相当もどかしかったのだろう、その反動でテンションが若干ハイになっていた。大量のポイント目当てでイベント参加を決意していた里香だったが、通知は直前にならなければ来ない上、イベントが開催されるのは夜中の九時であったため、中々参加できなかった。公共交通機関は夕方になれば本数が少なくなるため、到着は間に合わない。イベント参加には、専用の足となる乗り物を調達する必要があったのだ。

尤も、足となる乗り物を用意してくれる人物には、宛てがあるにはあった。しかし……

 

「全く……クラインの奴は、一体何やってるのよ。イベントのためなら、喜んで車出すとか言ってたくせに、肝心なところで役に立たないんだから……!」

 

「確か、この前の代々木公園のイベントから、連絡がつかなくなちゃってるんですよね……」

 

この場にはいない、野武士面で頭に巻いたバンダナがトレードマークの侍プレイヤーの友人――クラインの顔を思い出しながら、「頼りにならない」とばかりに溜息を吐く里香。そんな、眉間に皺を寄せながら苛立ちを露にする彼女の姿に、珪子と明日奈は苦笑を浮かべるしかできなかった。

 

「私の方でも、何度も電話とかメールとかしてるんだけど、全然返事が無いのよ。本当にクラインさん、どうしちゃったのかしら?」

 

「そういえば、クラインさんだけじゃなくて、和人さんも今日は来ていませんよね。もしかして、何か関係があるんでしょうか?」

 

『パパは、今日は他に用事があるので、皆さんからのお誘いはパスすると言ってました』

 

「どんな用事なのって聞いたけど、結局はぐらかされちゃったんだよね」

 

「ったく……男ってのはどいつもこいつも……」

 

突然の音信不通となった男と、どこで何をしているかがまるで分からない、話そうともしない少年に対して文句を垂れる里香。イベント攻略に協力してくれないことに怒っているというのもあるが、少年――和人の方は、今までが今までだっただけに、また何か厄介事に首を突っ込んでいないかと心配している側面もあった。

 

「仕方ないよ。皆それぞれ予定があるもの。それは、ALOでも同じでしょ?」

 

「はぁ……ま、明日奈がそれでいいなら別に構わないけど。それに、ぐだぐだ言っても確かに始まらないしね」

 

「そうですよ、里香さん。そういえば明日奈さん。ポイントの方は、順調に貯まっているんですか?」

 

これ以上この場にいない人間について話しても、里香の苛立ちが募るだけだと考えた珪子が、話題の転換を試みる。明日奈は苦笑しながらオーグマーのポイント残高画面を呼び出し、数字を確認する。

 

「うん。えっと……目標のポイントまでは、あと少しかな」

 

「お金持ちの家でも、欲しいものは何でも買えるってわけでもないのね……」

 

「お小遣い以外でお金が欲しい時には、ちゃんと理由を説明しなくちゃいけないんですもんね……」

 

こうして旧アインクラッドのフロアボス討伐イベントへと積極的に参加するきっかけにもなった明日奈の家の小遣い事情に同情の視線を向ける里香と珪子。そんな二人の反応に、明日奈は内心で溜息を吐いた。

 

「それじゃあ、時間までしばらくここのショッピングモールを見て回りましょうか。ポイントなら、私達の方で持つから安心していいわよ」

 

「ええ~、それは流石に悪いよ」

 

この話題はもうこれまでとばかりに、話を切り上げると、里香は明日奈と珪子を伴ってショッピングモールの散策へと向かう。道中では、手に入れたポイントで何を買うか等の話題で盛り上がりながら、SAO生還者の少女三人は、イベント開始時刻までのひと時を過ごすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

明日奈等三人が恵比寿ガーデンプレイスを回り始めていたその頃。彼女等の誘いを断って単独行動を取っていた和人は、千代田区にある北の丸公園を訪れていた。

 

「……ここも外れか」

 

『手掛かりがプレイヤーの噂だからね。遭遇できる可能性はかなり低いと思うよ』

 

傍から見れば一人にしか見えない和人だが、正確には単独行動ではなかった。和人の隣には、今回の一件の依頼人であるヒロキがいた。ちなみに、ヒロキの姿は他のオーグマー装着者には見えないように設定されている。

竜崎や新一がビルの地下に設けられた本部にて情報の整理を行っている一方で、この二人は現場調査による情報収集を行っていた。そして現在、二人はこの一件において最も有力と思われる手掛かりを追っていた。

 

『あの代々木公園で会った女の子……一体、何者なんだろうね』

 

「分からん。だが、オーディナル・スケールで起こっている事態について、何か関わりがあるのは間違いないだろう」

 

和人とヒロキが現在探している人物――正確には、人間ではないが――とは、クライン等が襲撃を受けた翌日に代々木公園にて遭遇した、白い服にフードを被った少女だった。後から竜崎の調べで分かったことだが、件の少女は代々木公園だけでなく、都内でオーディナル・スケールをプレイしていたプレイヤーに幾度か目撃されていたらしい。ヒロキがネット上の情報をかき集めて調べたところ、目撃情報が出始めたのはオーディナル・スケールにおいて旧アインクラッドのフロアボスの出現イベントが発生し始めたのと同時期だと分かった。しかも、目撃された場所もまた、イベントが行われた場所と重なっているという。

明確な証拠があるわけではないが、和人はこの少女が自分達の捜査している一件に関わりがあるのではないかと考えていた。そこで今日は、フロアボス出現イベントが行われた、新宿区にある新宿TOHOシネマズ前、港区にある六本木ヒルズアリーナ等のポイントを虱潰しに回った。そして現在、最後のポイントである北の丸公園に至ったのだった。

 

『結局、一日中探し回ってはみたけれど、収穫は無かったね』

 

「現状、事件に関して有力と思われる手掛かりはこれ以外には無い。手掛かりと呼べるかも怪しいところだが、彼女に会えば何か掴める筈だ」

 

人工知能の開発を密かに成功させたという春川教授。

SAO開発者に携わった研究者の一人であり、和人にとっては制作スタッフだった頃からの知人でもある重村。

SAO生還者であり、オーディナル・スケールにおいてランク二位の強豪プレイヤーであるエイジこと後沢鋭二。

彼等が水面下で密かに、しかし着実に進めているであろう計画のキーパーソンが、SAOにて命を落とした重村教授の娘である重村悠那であることは想像がついている。彼女と同じ容姿を持つ、世界初のARアイドルのユナもまた、計画の要なのだろう。だが、それらを繋ぐ最後のピースが足りない。だからこそ、和人は件の少女を探しているのだ。この一件の裏に秘められた計画を解き明かすための、最後のピースを求めて……

 

「既に先手を取られている状態だ。これ以上後手に回れば、本気で取り返しのつかないことになるかもしれん」

 

『それに関しては僕も同感だよ。けど、今日はここまでにしよう。無理に探索を続けても、時間と体力を消耗するだけだからね』

 

「……そうだな。一度本部に戻って、竜崎に連絡を――――――!」

 

ヒロキの忠告を受け入れ、探索を切り上げて本部へ戻ろうとしたその時。和人はふと背後に気配を感じた。人のものではなく、猫等の動物のものでもない、何か別の気配。

和人がばっと勢いよく素早く後ろを振り向くと、そこには一人の少女の姿があった。白い服に、フードを被ったその少女は、和人が今日一日を使って探していた少女だった。

 

「ようやく会えたな」

 

「……私を捜していたの?」

 

フードの奥から若干警戒の色が混ざった視線を向ける少女の問い掛けに対し、和人は静かに首肯した。すると、今度は和人の隣に立っていたヒロキが前へ出て質問を投げ掛けた。

 

『君はただのNPCではないようだね。オーディナル・スケールのイベントに関わるNPCではないし、オーグマー使用者をアシストするために都内に配置されたNPCでもない。それに、システムのバグによって現れた存在というわけでもない。一体……何者なんだい?』

 

「………………」

 

オリジナルのノアズ・アーク程ではないが、ヒロキもその系譜に連なる存在である。故に、少女がただのNPCではないことを即座に見抜いていた。だが、対する少女は何も答えようとはしない。そんな少女に、こんどは和人が問いを投げ掛けた。

 

「俺に何かを探して欲しいのか?」

 

「……」

 

和人の質問に対して、少女は僅かに反応するも、口を開く様子は無い。そんな中、少女は踵を返して近くの橋の上へと移動すると、左手を上げて人差し指を立てた。少女が指差した先には、夜の闇が広がるばかり。少女はその姿勢のまま和人の方を振り返り、懇願するような目を向けると……その体にノイズを走らせ、その場から姿を消した。

 

「……また消えたな」

 

『それに、あの時と同じように指差していたね』

 

「代々木公園の時に指差した方角と、関係があるのかもしれんな。地図上で二方向の直線が交差する場所を確認してみてくれ」

 

『了解。それで、この後はどうするんだい?』

 

「目的は果たせたし、手掛かりらしき情報も得られた。今日はとりあえず、帰宅するか……」

 

収穫と呼べるかは分からないが、手掛かりらしきものは得ることができたので、家路に就こうとした和人。だがその時、和人の携帯電話が振動し、着信を知らせた。携帯の画面を見ると、そこには竜崎の名前が表示されていた。

 

「竜崎、俺だ」

 

『和人君、今どこにいますか?』

 

「北の丸公園だ。一日中歩き回る羽目になったが、一応の情報は得られたから、帰るところだ」

 

『そうですか……実は、先日のオーディナル・スケールのイベントに際して発生した傷害事件に遭って入院していた被害者達について、重大な事実が判明しまして……』

 

「何?」

 

代々木公園の傷害事件に巻き込まれた、オーディナル・スケールのプレイヤーにして、SAO帰還者でもある被害者達について、竜崎と新一が医療機関経由で調査した結果として判明した、衝撃の事実。それを聞いた和人は、急ぎ公園を出ると、オートバイを飛ばした。

向かう先は、今夜オーディナル・スケールにおけるアインクラッドフロアボス出現イベントが開催すると予想されている、渋谷区の恵比寿ガーデンプレイス。イベント開催時刻である九時までの残り時間は、二十分を切っていた――――――

 



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第百三十九話 消失【fade-out】

度重なる投稿遅延、申し訳ございません。
年末に向けて、多忙を極めて遅筆となってしまいました。
これが今年最後の投稿になります。
2020年も、『暁の忍』をよろしくお願いします。


 

「オーディナル・スケール、起動!」

 

恵比寿ガーデンプレイスにてウインドウショッピングを楽しんでいた明日奈、里香、珪子の三人は、施設内で最も開けた場所であり、今回の旧アインクラッドのフロアボス出現イベントの舞台でもある中央の広場へと来ていた。三人は開始時間まで残り五分程となったので、現場近くに集まって起動キーを唱え、戦闘開始に向けた準備へ入る。

 

「ユナ、今日は来てくれますかね?」

 

「だと良いんだけど……」

 

ARアイドル、ユナの登場に想いを馳せるシリカ。一方のアスナは、ユナの名前を聞いたことにより、秋葉原UDXのイベントに参加して以来、疑問に思っていたことが頭の中に蘇っていた。

 

「シリカちゃんはユナのこと、どう考えてるの?」

 

「どう、と言いますと?」

 

「アナウンスされている通りのプログラムなのか、それとも実は生身の人間なのかってこと」

 

世界初のARアイドル、ユナ。しかしその実態は、ALOをはじめとしたVRゲームにも登場しているキャラクター同様、AIである。アスナとて、頭の中ではそう理解しているものの、件のイベントで触れ合う中で、その認識に揺らぎが生じていたのだった。世間でも、表情や歌声があまりにも自然過ぎることから、生身の人間が演じているという説もある。ならば、本当に人間なのかと言えば、アスナはそれに頷けない。AIであっても、人間に非常に近しい感情を示す存在――ユイを知っているが故に、ユナの正体が何なのかを断言することができないのだ。

故に思わず口に出ていた疑問だったが、質問を投げ掛けられたシリカもまた、回答に悩んでいる様子だった。

 

「う~ん……生身ではない、と思います。けど、ただのAIでもない気が……」

 

「そうね~、あの透き通った歌声は、誰かさんのような生身の人間じゃとてもとても……」

 

茶化すような言葉を発したリズベットの脇腹に、シリカの肘鉄が入る。相当強くどつかれたのだろう、オーグマーがダメージを示していた。

 

「どうせ私の歌は透き通っていませんよ」

 

「ええー、そこまで言ってないじゃん」

 

「リズさんとはもうカラオケに行きませんからね!」

 

「ははは……ごめんごめん。この通りだからさ」

 

むくれるシリカを宥めるリズベットだったが、シリカは頬を膨らませてそっぽを向いていた。アスナはそんな二人の様子にやれやれと肩を竦めていた。

 

「そういえば、ランとマコトはどうしたのよ?今日は参加しないわけ?」

 

「一応、声は掛けてあるよ。けど、今日は空手の練習が遅くまであるから、時間に間に合うかは分からないって」

 

「く~!あの二人が参加してくれれば、絶対に勝てるっていうのに……!」

 

現実世界において、イタチこと和人と並ぶ高い身体能力を持っており、数々の凶悪犯を叩き伏せてきた空手の猛者である、ランとマコト。先日の代々木公園のボス攻略でも大活躍したと聞いていただけに、リズベットとしては是非とも参加して欲しいと思っていたのだが、現実はそう甘くはなかった。こんなことなら、メダカやララといった女友達や、アスナを通じて元血盟騎士団所属のキヨマロやイヌヤシャといった面々にも声を掛けて参戦してもらうべきだったと嘆いていたが、後の祭りである。そして、そうこうしている内にイベント開始時間が到来する。

 

「……そろそろだよ」

 

先日の秋葉原UDXや代々木公園の時と同様、時刻がイベント開始時刻である九時を過ぎるのと同時に、三人の視界に映し出された世界が大きく変化する。現代の街並みは、中世ヨーロッパ風の建築物が立ち並ぶファンタジーな世界へと変化していく。

そして、恵比寿ガーデンプレイスの広場だった場所の中心に、白い光が迸る。光が止んだその場所には、身長三メートルを優に超える巨体を持つ、上半身裸で頭から二本の角を生やした般若のような顔をした鬼人が立っていた。右手に三叉槍を持って仁王立ちするその姿は、地獄の門番を彷彿させる。

 

「想定通りであれば、あれが十七層ボスモンスター『ハンニャバル・ザ・ヘルズガーディアン』ですね」

 

「武器のリーチが厄介だけど、正面から陽動を仕掛けて、死角に回り込んで攻撃を仕掛ければダメージを与えられるって話だったわね」

 

「それから、ダメージが蓄積して追い詰められると、武器を三叉槍から両刃の薙刀に持ち替えることにも注意してね。まずは私が回避盾をやるから、二人は両サイドから攻撃してサポートを!」

 

「了解です!」

 

「任せなさい!」

 

ボスの攻略方法を聞いたリズベットとシリカが、指示通りにボスの両サイドへ別れて死角へと回り込む。アスナはボスのタゲを取るために正面に立ってレイピアを構える。

 

「あっ!」

 

そして、いよいよ戦闘が開始されようとしたその時、シリカがふと視線を上に向けたところ、上空を飛行するドローンの存在に気付いた。ドローンはシリカ達の頭上を通過すると、機体から光を放つ。その中から現れたのは、AIアイドル、ユナだった。

 

「皆、準備はいいー?さあ、さー戦闘開始だよ!ミュージックスタート!」

 

「ユナ!」

 

「おっ、やったじゃん!」

 

シリカは念願のAIアイドルに会えたことに、リズベットはボス戦に有利なバフをかけてくれる味方が現れたことに対して歓喜していた。その場に集まっていた、他のプレイヤー達の反応も同様である。

 

「ウォォオオオオオ!!」

 

「ふっ!はっ!せいっ!」

 

皆がユナとユナの歌声に魅せられている中、アスナは目の前のフロアボス、ハンニャバルに対して正面から果敢に挑んでいた。ハンニャバルが憤怒の形相で振り回し、突き出す三又の槍を紙一重で回避し、時にレイピアを滑らせて捌いていく。

VRゲームのアバターのようなステータス補正を受けることができないARゲームをプレイしているにも関わらず、ハンニャバルの攻撃はアスナに掠りもしない。アスナが速く動いているわけではない。自身に降りかかる一撃一撃に対し、最低限の動作で的確に、且つ流れるように対処しているのだ。単純に運動神経が良いだけでできるわけではないこの動きは、かつてのSAO事件において、アインクラッドの攻略最前線に身を置き、ボスの行動パターンを見切ってきたアスナだからこそできた動きだった。

 

「アスナばっかりに任せていたんじゃ、名折れね!シリカ、行くわよ!」

 

「はいっ!」

 

アスナが正面で攻撃を捌いている隙を突き、リズベットとシリカは当初に打ち合わせた通り、両サイドから回り込んで攻撃を開始する。無防備な脚へと放たれる短剣による斬撃と戦槌による打撃が、ハンニャバルのHPを少しずつながら削っていく。

 

「ウラァァアアアア!!」

 

正面に立つアスナに攻撃を繰り出していたハンニャバルだったが、リズベットとシリカが死角から繰り出す攻撃に反応し、標的を変更した。三又の槍を手元へ引き戻すと、シリカの方を振り向いた。

 

「わ、私っ!?」

 

「ウォォオオオオオッッ!!」

 

「させないわよ!」

 

「今度は私も行くわ!」

 

シリカへと襲い掛かろうとしたハンニャバルに対し、リズベットが続けて攻撃を行い、アスナも加わる。シリカに向けられていた三叉槍が突き出されることは防げたが、今度はリズベットへと狙いを定めた。

 

「俺達も負けないぜ!」

 

「皆、行くぞ!」

 

だが、そこへ他のオーディナル・スケールのプレイヤー達が合流。ボスモンスターであるハンニャバルに対して、剣や槍、重火器による攻撃が殺到する。

 

「ウォォァァアアアア!!」

 

自身に対して集団で攻撃を仕掛けて来るプレイヤー群を睨みつけたハンニャバルの行動に変化が起こる。先程まで突きを放っていた三又の槍を、横薙ぎに振るい始めたのだ。攻撃範囲が広くなったことで、プレイヤー達の多くがその猛威に晒され、少なくないダメージを受ける。般若の如き憤怒の形相で槍を振るうハンニャバルの姿にプレイヤー達が気圧されたものの、盾持ちが前に出て槍の横薙ぎを防御すべく動いたことで、態勢は徐々に立て直すことに成功する。

 

「よっしゃー!競争よ、競争!」

 

「ああっ!待ってくださいよ、リズさん!」

 

リズベットとシリカもまた、遅れてきたプレイヤー達に良い所を取られてなるものかと、再びボスへ向かって挑んでいく。壁役となるプレイヤー達が駆け付けてきてくれたお陰で、戦線は三人で戦っていた最初の時よりも安定している。この分ならば、今回も問題無く倒せるだろう。そう考えたアスナは、リズベットとシリカ以外の、今回初参加のプレイヤー達にも経験を積ませるために、自身は積極的な攻勢には出ず、サポートに回るべく動くことにした。

 

「……!」

 

ふと辺りを見回した時、アスナの視界に一人のプレイヤーの姿が入った。先日の秋葉原UDXのイベントにて共闘した強豪プレイヤー――エイジである。

 

「……あなた。KoB……血盟騎士団にいた、ノーチラス君よね?」

 

戦闘がプレイヤー優位で進んでいる今ならば、他のプレイヤー達に任せても問題は無い。そう考えたアスナは、エイジに近づいて声を掛けた。

 

「……その呼び方はやめてください、アスナさん」

 

しかし、対するエイジは不機嫌そうに返事を返してきた。カーソルを操作すると、アスナの眼前に自身のプレイヤーネームとランクが表示されたアイコンを差し出してきた。

 

「そっか。今は、エイジ君だったわね。ごめんなさい」

 

「いえ、お気になさらず」

 

「それにしても、ランク二位って凄いわよね。このゲーム、かなりやり込んでいるの?それにあの動き……何か、スポーツとかもやってたりする?」

 

せっかく得られたランク二位のプレイヤーとの対話の機会なので、アスナはエイジに以前から気になっていたことについての質問を重ねていく。その主な内容は、エイジがオーディナル・スケールをプレイする中で見せた、抜群のプレイヤーセンスと規格外の身体能力についてである。だが、エイジは「さあ?」と返してのらりくらりとアスナの質問をかわしていくばかりだった。

 

「昔とは違いますよ。あなたも随分、角が取れたようですし」

 

「……そうかしら?」

 

「ええ……もう昔とは違うんですよ」

 

そうして結局は、質問に対しては明瞭な答えは得られず、知りたかったことは何一つ分からないまま、対話は終わってしまった。一体、この青年は何を考えているのだろうと、アスナの中で疑問は増すばかりだった。

一方の、アスナとの会話とも呼べないようなやりとりを終えたエイジは、フロアボス、ハンニャバルとの戦闘の舞台となっている広場の方へ……否、戦闘が行われている場所より、少し上の角度に視線を向けていた。何を見ているのだろうと、エイジの視線の先を追うアスナ。するとそこには、イベントが開始されてからずっと歌っているユナの姿があった。今尚プレイヤーにバフを掛ける効果のある歌を熱唱していた彼女を見た時――――――

 

(……あれ?)

 

アスナの脳裏を、ふと何かが過る。それはまるで、過去にそれと同じものを見た事があるかのような……既視感に似たものだった。

 

(あの子……以前、どこかで……)

 

ユナと会うのは、オーディナル・スケールのバトルイベントを通して三度目である。しかし、それよりももっと前に、彼女を見た気がしてならない。しかし、世界初のARアイドルである筈の彼女を、オーディナル・スケールへ参加するよりも前に、一体どこで見た事があるというのか。

 

「行くわよー!!」

 

「ウォォァァアアアッッ!!」

 

自身が感じた既視感の正体を探るべく、記憶を遡ろうと試みたアスナだが、その思考はリズベットの掛け声と、それと同時に繰り出されたメイスの一撃によるボスの悲鳴に掻き消された。バトルイベントもいよいよクライマックス。そろそろ、ハンニャバルが武器を三叉槍から薙刀へと変える頃合いである。アスナは思考を切り替え、再び戦いへと身を投じていく。

そしてその背を、エイジは一人黙って見送っていた。かつての自分が、そうしたように―――――

 

 

 

 

 

「ヒロキ、現状はどうなっている?」

 

『戦闘イベントは既に始まっている。イタチ君の仲間をはじめとしたSAO生還者のプレイヤーも、かなり参加してるね。幸い、HPを全損した犠牲者はまだ出ていないみたいだけどね』

 

北の丸公園を出た和人はバイクを走らせ、移動中に合流したヒロキとともに、イベント開催場所である恵比寿ガーデンプレイスへ付近にある駐車場へと到着していた。ヒロキのナビゲーションのお陰で、渋滞や信号待ちは極力回避できたものの、イベント開始から既に四分程経過してしまっていた。

 

「すぐにイベント会場へ向かおう。あと、出現しているボスの詳細も頼む」

 

『了解。今行われているイベントに出現したボスモンスターは、十七層フロアボスの『ハンニャバル・ザ・ヘルズガーディアン』。攻撃パターンはSAOやALOの新生アインクラッドのものと同じで……』

 

ヒロキからの情報により、ボスの情報や戦況について確認しながら、和人は恵比寿ガーデンプレイスの中央広場を目指して駆け抜ける。一見すると、何の変化も見られないその顔には、焦りの色が浮かんでいた。

 

(このままイベントが続くのは拙い。早く合流しなければ……!)

 

恵比寿ガーデンプレイスのイベント会場へと急行するきっかけでもある、竜崎から齎された情報。先日の傷害事件の被害者達の身に起こったという異変を聞いた今、オーディナル・スケールを舞台に現在進行形で行われているイベントを放置することはできない。しかし、イベントを止めることはまず不可能。である以上、和人にできるのは、早急にアスナ等に合流し、戦闘を速やかに終わらせることである。

そして、頭の中で戦略を練りながら走ることしばらく。戦闘が行われている中央広場へと続く階段へと差し掛かった。

 

「オーディナル・スケール、起動!」

 

即座にオーグマーを起動し、オーディナル・スケールのプレイヤー、イタチとなった和人は、そのまま止まることなく階下の広場へと通じる階段を両サイドに備えた踊り場へと駆け出していく。階段を見てみると、そこはイベントに参加しようとしているプレイヤーや、イベントを観戦しているプレイヤーでごった返しており、とても通れそうにない。故に、イタチが選べる道は一つしかない。

 

「ヒロキ、下に人は?」

 

『誰もいないよ』

 

全速力で走っている先にある、踊り場の下に人がいないことを、ソーシャルカメラの映像を掌握しているヒロキに確認したイタチは、走った勢いを利用して塀を跳び越え、空中へと身を投げ出した。その場に集まっていた何人かのプレイヤーがそれに気付いて驚愕に目を剥く中、当のイタチは空中で体勢を整え、見事に着地してのけた。

 

『無茶するなぁ……』

 

「だが、お陰で間に合った。」

 

ヒロキが指摘したように、かなり大胆なショートカットをする羽目になったものの、犠牲者が出る前に駆け付けることには成功した。通常、二階の高さから飛び降りれば、高確率で怪我を負うが、忍の前世を持つ和人にとってはそれ程無茶な動きではない。足には着地の衝撃による負傷は無く、立ち上がってからの動きもいつも通りである。

そしてその足で、和人は目の前で繰り広げられているフロアボス戦闘イベントの渦中へと向かう。戦闘開始から然程時間は経っていない筈だが、アスナの指揮のお陰だろう。フロアボス、ハンニャバルのHPは短時間で大部分を削り取られていたらしく、武器を三叉槍から薙刀へと持ち替えたのは、イタチが参戦しようとした時だった。

戦闘イベントも大詰めとなっていることを確認したイタチは、一先ず、この場に集まったプレイヤー達を指揮しているアスナに合流するべく動くことにした。

 

「アスナさ――!」

 

戦闘に夢中だったために、イタチが現れたことに気付いていなかったアスナに声を掛けようとした、その時だった。イタチの身体を、突如として衝撃が襲った。

横合いの死角から急接近してきた何かに、しかしイタチはギリギリで反応し、両腕をクロスさせて衝撃に備え、自ら衝撃が迫ってくる方とは反対側へと跳ぶことでその勢いを殺すべく動いた。突如として空中に身を投げ出し、五メートルほどの距離を勢いよく飛んでいくその姿は、傍から見ると、まるで車に撥ねられたかのように見えるものだった。

 

「驚いたな。今の一撃に反応してみせるとは……」

 

「お前は――!」

 

受け身を取りながら地面に着地し、すぐさま起き上がったイタチの赤い双眸が捉えたのは、ランク二位のプレイヤー――エイジだった。先程までイタチが立っていた場所のあたりで、握り拳を振り抜いた姿勢のままその場に立っており、先の襲撃が彼の仕業だったことを示している。

 

「流石は『黒の忍』といったところか。この間の『高速の足』の奴よりも手強そうだ」

 

エイジの言う『高速の足』というのが誰のことを指し示しているかはすぐに分かった。既にイタチ等の中では確定していたことだったが、やはり先日の代々木公園における風林火山メンバーとナギサ、セナ襲撃事件の犯人は、目の前のエイジらしい。

だが、今問題なのはそんなことではない。

 

(今の一撃……並の人間が繰り出せるものではない……)

 

先程、イタチが間一髪で防御に成功した一撃だが、振り抜いた拳の威力と速度は、常人が出せるそれを明らかに逸脱している。空手を極めたマコトヤランならば、十分打ち出せるだろうが、それも幼少期から鍛えた――この二人に関しては、鍛え過ぎている領域である――体と、武術の才能あってのものである。一年半前まで、SAO事件に巻き込まれて寝たきりの生活を送っていた人間の体では、どう鍛えても不可能な動きなのだ。

 

「なんだ?まさか、今の一発でビビったのか?」

 

「……」

 

明らかに見下した態度で挑発してくるエイジに対し、イタチは表面上こそ冷静だったものの、内心では冷や汗をかいていた。エイジの動きは武術を嗜む人間からしてみれば、未熟もいいところだった。だが、実際のパワーとスピードは洒落にならない。先程の拳の一撃に関しても、反応と防御行動が遅れていれば、イタチの腕は間違いなく骨折で使い物にならなくなっていただろう。それも、両腕ともである。

 

「おっと。そろそろ時間だ」

 

「……?」

 

イタチがエイジと真正面から向かい合いながら、相手の戦闘能力を分析する中、エイジがふと呟いた。その言葉に反応し、イタチは視界の片隅に自身のHPと併せて表示されている、イベントの残り時間を確認する。制限時間十分間の内、既に六分以上が経過しており、あと十秒ほどで残り時間は三分を切るところだった。

その数字に、イタチは不穏な胸騒ぎを覚えた。エイジの態度を見るに、自分達を窮地に追いやる何かが起こると。そしてそれは、残り三分のカウントが切れてから然程間を置かず、現実のものとなった――――――

 

 

 

 

 

イベントの残り時間が三分を切った頃。ボスモンスターであるハンニャバルのHPも残り僅かとなり、武器を薙刀に持ち替えてバトルはクライマックスとなったその時。バトルフィールドとなっている中央広場には、ある異変が起こっていた。

 

「え、何?」

 

プレイヤー達がハンニャバルへの攻撃に夢中になっている中、それに気付いたのはシリカだった。広場上空に、円形の光る輪のようなものが発生していたのだ。

 

「また何か出て来るの……?」

 

「ちょっと、勘弁してよ!」

 

シリカに次いで、アスナとリズベットがその方向へと視線を向ける。まさか、また新たなモンスターが発生するのかと、身構えるアスナとリズベット。そして、輪の下に現れたのは……

 

 

 

「きゅるー」

 

 

 

「へっ……?」

 

「えっ……?」

 

アスナ等三人の前に現れた存在。それは、小柄で背中に翼を生やした、羽毛に包まれた蜥蜴のようなモンスターだった。

 

「ピナ!」

 

その姿はまさしく、シリカのSAO、ALOにおけるテイムモンスターである、フェザーリドラ、ピナそのものだった。てっきり新たな脅威が現れるのかと思い、身構えていたアスナとリズベットは脱力する。一方、ピナの主であるシリカだけは、目の前に現れた、ピナと思しきモンスターのもとへと嬉しそうな表情で駆け寄っていった。

 

「ピナも助けに来てくれたの?」

 

しゃがみ込み、手を差し伸べながらそう話し掛けるシリカ。だが、呼び掛けられたピナの姿をしたモンスターは、警戒心を露に唸り声を上げ始める。すると、次の瞬間、

 

「え、何……!?」

 

ピナとそっくりだったモンスターはその体から突如として激しい光を放ち始めたのだ。光はみるみる大きくなり、広場の四分の一を覆い尽くすほどとなった。そして、光が晴れたその先にいたものは、ピナとは似ても似つかない、巨大な異形だった。

 

「グルォォオオオオオ!!」

 

シリカの眼前に現れたのは、翼を広げた巨大な竜だった。毒々しい紫色の鱗に覆われており、全身から同色の体液が滴っている。爪の先端から滴った雫が地面に落ちた途端、ジュゥゥ、という音を立てて溶け出したのを見るに、猛毒であることは間違いない。

何故、ピナだと思ったモンスターがこのような姿になったかは分からない。とにかく、対策を練らねばならないと、即座に思考を巡らせるアスナだが、記憶にある七十五体のアインクラッドフロアボスモンスターの中には、目の前の竜に該当する存在はいなかった。一体、このモンスターは何なのかという疑問が浮かんだアスナだったが、その答えを出したのはユイだった。

 

『ママ!あれはアインクラッド九十二層のボスに予定されていたフロアボス、『マゼラン・ザ・ベノムドラゴン』です!』

 

「九十二層!?」

 

その情報に驚愕するアスナ。同時に、道理で記憶に無い筈だと納得する。だが、今問題なのはそこではない。未攻略のフロアボスが相手となれば、攻略法など分かるわけも無い。おまけに、先程まで相手をしていたもう一体のフロアボス、ハンニャバルはこれから攻勢が激化するところである。その片手間で、初見の強大なフロアボスを相手するなど、できるわけも無い。

 

「やったあ!ボス二体同時だぜ!」

 

「俺が倒す!」

 

「どけよ!」

 

「逃げたらペナルティになるだろ!」

 

「うるせえっ!」

 

そして、そんな危機的状況に止めを刺したのは、二体目のフロアボス出現に色めき立った、後続参加のプレイヤー達だった。ハンニャバルの出現に間に合わず、もうこのイベントには参加できないと考えていただめだろう。新たな獲物が現れたことに対し、一様に色めき立った様子だった。絶望的な戦況だが、この人数がアスナのような統率者のもとで一致団結したならば、まだ勝ち目はあっただろう。だが、広場に殺到したプレイヤー達は、残り時間が三分を切ったこともあり、全員が暴走に近い状態であり、他人の指示に耳を傾ける余裕などあす筈も無い。最早、レイドは瓦解も同然であり、アスナの力をもってしても立て直しは不可能だった。

 

「リズ!シリカちゃん!逃げるわよ!」

 

「ちょっ!待ってよ!」

 

「置いていかないでくださいー!」

 

ここまで来て、フロアボス討伐を逃すのは惜しいが、既にプレイヤー側には勝ち目はない。早々に戦況に見切りをつけたアスナは、リズベットとシリカとともに、残りおよそ三分を生き残ることに集中することにした。逃げればペナルティだが、討伐失敗ならば、損害は発生しない。

新たに現れたボスモンスター、マゼランの方は、当初はシリカを狙っていたものの、新たに参戦してきた後続プレイヤー達が集中攻撃を浴びせてくれたお陰でタゲはそちらへ移ったらしい。そうして、人ごみを回避しながら逃げに徹していた時……アスナの視界に、ある光景が映った。

 

(えっ……イタチ君!?)

 

ボスモンスターの猛攻から逃げる中でそれを見つけることができたのは、偶然だった。アスナの視線の先、広場の片隅であり、周囲のギャラリーからは死角となっている場所。そこで、イタチが何かに弾き飛ばされたかのように回転しながら地面を転がっていたのだ。一体何が起こっているのかと足を止めたアスナが次に見たのは、起き上がろうとするイタチに対して凄まじい速度で接近するランク二位の上位プレイヤー、エイジの姿。彼はそのまま、移動した勢いのままに、右足を振り抜いてイタチに対して回し蹴りを繰り出したのだ。先程の移動速度同様、目にも止まらぬ速さで繰り出された攻撃は、イタチの脇腹に命中。さらに地面を転がった。

 

「イタチ君!」

 

「ちょっ!アスナっ!?」

 

「アスナさん!」

 

イタチが一方的に攻撃を受けているその光景を見たアスナは、反射的に彼の名前を叫び、駆け出していた。リズベットとシリカが何事かと呼び掛ける声が聞こえるが、今のアスナにはそちらに構っている余裕は無い。イタチとエイジの間で何が起こっているかも分からない。だが、今のアスナには、それ以外の行動は考えられなかった。

対するイタチは、エイジの攻撃に対して、どうにか防御と受け身を取ることに成功したのだろう。膝を付きながらも起き上がっていた。また、アスナの声も聞こえていたらしく、駆け寄ってくるアスナの方へと顔を向けていた。その途端、

 

「アスナさん、避けて!!」

 

大声を上げて、そう叫んだ。常の冷静なイタチからは考えられない、切羽詰まったその呼び掛けに、一体どうしたのだろうと疑問に思ったアスナ。

 

「アスナ、危ない!」

 

「避けてください!」

 

次いで、背後からもリズベットとシリカによる同様の呼び掛けが聞こえた。そこで、ふと後ろを振り向くアスナ。

 

「ウォォォオオオオオオッッ!!」

 

「!!」

 

そこには、憤怒の形相で薙刀を振るうハンニャバルが迫っていた。いつアスナにタゲが移ったのかは分からないが、イタチの危機を目にしたことで、周囲の状況に気付かなかったらしい。

慌てて思考を切り替え、回避しようとするアスナだが、もう遅い、ハンニャバルは薙刀を上段に構え、いつでも振り下ろせる態勢だった。最早これまで……そう思い、アスナは目を瞑った。

 

「きゃっ!」

 

だが、次の瞬間。アスナの肩を、バン、と押すような感覚が走った。予想外の出来事に対応できず、アスナはそのまま地面に倒れてしまう。起き上がりながら、一体何が、と瞑っていた目を開く。するとそこには……

 

「え……?」

 

 

 

 

 

薙刀の一閃により、袈裟懸けに体を斬られた状態で立っている、イタチの姿があった――――――

 



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第百四十話 切断【off-line】

1月の投稿は、インフルエンザに罹ってできませんでした……
ご心配をおかけして、申し訳ございません。
今年もなるべく、月1回ぐらいのペースで投稿できるように頑張りますので、よろしくお願いします。


 

オーディナル・スケールにおける、アインクラッドフロアボス出現イベントが行われている、恵比寿ガーデンプレイス中央広場の片隅。その場所にて、ボスモンスターたるハンニャバルの一閃を真正面から受け、HPを全損した一人のプレイヤーがいた。

 

『イタチ君……!』

 

その衝撃的な場面に至るまでの一連の流れを目撃していた、イタチの協力者であるノアズ・アークことヒロキは、息を――実体が無いため、呼吸をしていないが――を呑む。イタチこと和人ならばと考えて依頼した今回のオーディナル・スケールの調査だったが、まさかこのような事態が発生するとは予想できなかった。

そんな目の前の光景に衝撃を受けていたヒロキだったが、HPを全損して立ち尽くすイタチを見て、あることに気付く。

 

(あれは――!)

 

イタチが装着していたオーグマーから、光が発せられた。そして次の瞬間、光の玉が飛び出したのだ。AIであるヒロキには、それがオーディナル・スケールにおけるエフェクトでも、オーグマーの一般認知されている仕様によるものでもないことはすぐに分かった。

 

『くっ……今は!』

 

オーディナル・スケールのアインクラッドフロアボス出現イベントにおいてHPを全損したイタチのことも気になるが、今はそれよりも、SAO生還者がHP全損したことで起こった事象を追跡する必要がある。即座にそう判断したヒロキは、イタチのオーグマーから飛び出した光を追って、自身のアバターを空へと飛び立たせた。

 

(あれは……カムラのドローン!)

 

光が向かった先にあったのは、オーグマーの普及に伴い、メーカーであるカムラが通信状況緩和のために各地に飛ばしているドローンだった。光はそのまま、ドローンの機体へと吸い込まれていった。

既に濃厚だったが、これで今回捜査している一件の裏には、カムラが……重村教授の存在があることが確定した瞬間だった。問題なのは、その目的が何なのか……それを探るべく、ヒロキは自身のアバターとしての体をプログラムの光球へと変換し、ドローンの中へと潜入する。

 

(幾重にも張り巡らされた障壁……僕の処理速度でもギリギリだ……)

 

かつてC事件を引き起こしたノアズ・アークの系譜を継ぐヒロキは、彼の天才ハッカー、ファルコンと同等以上のハッキングスキルを有する。そんなヒロキですら手古摺る程の厳重なセキュリティに守られているということは、それだけ重大で触れられたくない秘密があることを意味する。ヒロキもまた、イタチの犠牲を無駄にしないためにも、ここで退くわけにはいかない。

 

『ここだ……!』

 

数々のセキュリティによるブロックを躱し続けることしばらく。遂にヒロキは、その中枢へと迫ることに成功する。ようやくエイジと重村教授、そして春川教授の企みを明らかにできる――

 

 

 

 

『そこまでにしてもらおうか』

 

 

 

 

 

その時、ヒロキが侵入したドローンの中のシステムに、男性の低く不気味な声が響き渡った。その声を聞いた途端、システム中枢に伸ばしていたヒロキの手が、体ごと止まった。

 

(か、体が……!)

 

体を動かすことができない。正確に言うならば、目の前のシステム中枢をはじめ、各所へのアクセスがブロックされ、プログラムとしての動きを封じられたのだ。一体何が起こったのかと、ヒロキが思考を走らせるよりも早く、異変は続く。周囲の景色が一気に暗転、暗闇の黒一色に染まったのだ。

 

『まさか、このような場所まで潜り込んでくるとは……中々の性能だな』

 

そして、暗闇の中からぬっと巨大な人の姿をした何かが姿を現した。それは、ワイシャツを着た鷲鼻の男だった。暗闇の中から徐々に露になっていくその顔には、ヒロキは覚えがあった。

 

『まさか……春川教授!?』

 

『ほう……ここまで侵入した時点で、君が私と同じ存在であることは間違いないと分かっていたが……私達のことまで知っていたとはな』

 

春川教授の姿をした巨人は、ヒロキに対して面白いものを見るような視線を向けると、動けずにいるヒロキへと腕を伸ばした。

 

『君も中々に興味深い存在だが、計画の遂行は絶対だ。悪いが、君のようなイレギュラーには即刻退場していただこうか……』

 

その言葉と共に、巨大な手がヒロキを握り潰さんと迫る。ヒロキは自身の動きを封じる不可視の拘束を解こうとするものの、ヒロキの処理能力をもってしてもビクともしない。最早これまで……そう思った、その時だった。

 

『ぬぅんっ……!?』

 

『え……!?』

 

ヒロキへと伸ばされた巨人の手にバチリと電光が走り、弾かれたのだ。巨人は勿論のこと、ヒロキもまた、何が起きたのか分からず、顔を驚愕に染めていた。

そんな中、ヒロキ目掛けて背後から光の玉が飛来した。

 

『こっちです!早く!!』

 

『君は……!』

 

光の玉から発せられた聞き覚えのある声に、目を丸くするヒロキ。いつの間に動くようになった体を動かし、顔のすぐ横に来ていた光の玉へと視線を向ける。そこにいたのは、妖精の姿をした、和人の娘として知られるMHCP――ユイだった。

何故、彼女がこの場に現れたかを考えるより先に、ヒロキはユイの言葉に従い、その場を離脱することを選択した。ヒロキを捕らえようとしていた巨人も、次の瞬間には再び動き出そうとしていたが、ヒロキとユイが逃げる方が早かった。

 

『逃がしたか……まあ、良いだろう。それに、私と同じAIであり、あの処理能力……中々面白いじゃないか。この計画の最大の障害である彼の少年にも、期待できそうだ……』

 

自身の進めている計画において、厄介な障害になるであろう存在を逃してしまった巨人の男だったが、それを悔しがる様子は無かった。むしろ、予想外の事態が発生したことを楽しんですらいた。加えて、この程度のことで計画が破綻することは無いという絶対的な自信があることも大きいのだろう。

クックック、と不敵な笑みを浮かべながら、やがて男は自身の体をデータ片へと分解させ、ドローンのシステム中枢たるその場から姿を消すのだった。

 

 

 

 

 

「くっ……!」

 

オーディナル・スケールのバトルイベントに現れた、アインクラッドフロアボス、ハンニャバル・ザ・ヘルズガーディアンがアスナ目掛けて繰り出した、薙刀の一撃。HPが少なくなったことで追い詰められ、行動パターンとともにステータスも変化し、攻撃力が向上したハンニャバルの斬撃は、直撃すればプレイヤーのHPを一撃で削り切る程の威力を秘めていた。そんな必殺の一撃は……しかし、アスナに当たることはなかった。

アスナを庇い、その身に凶刃を受けたのはイタチだった。薙刀はイタチを袈裟懸けに切り裂き、エイジからの一方的な攻撃を受けて残り少なくなっていたHPを、根こそぎ奪い取った。そして、イタチの視界に表示されたのは、ゲームオーバーを示す『HUNTER DOWN』の文字。さらにその直後――――――

 

(なっ……これ、は……!)

 

イタチの頭の中で、突如として数々の光景が過った。

 

 

 

2022年11月6日……ソードアート・オンラインの正式サービス開始日に、後に的中した不穏な予感とともにログインした時に見た、「はじまりの町」の中央広場の光景――

 

同日の夕方。ログインしたのと同じ場所に強制的に転移させられ、その場にローブ姿のアバターで現れたGM、茅場晶彦から告げられたデスゲームの開始宣告と、それを聞かされたプレイヤー達の阿鼻叫喚――

 

デスゲーム開始から二カ月後。ゲームクリアによる脱出を目指し、迷宮区攻略を進める中で遭遇し……後に第一層攻略会議の後で互いの正体を確かめ合った、結城明日奈ことアスナとの再会――

 

犠牲者を出さずに終えた一方で、生じてしまったプレイヤー同士の軋轢を取り除くため、その憎しみを一心に受ける決意で自ら「ビーター」と名乗るという結末を迎えた、第一層フロアボス攻略――

 

ビーターを名乗り、全てのプレイヤーの憎しみを背負う立場となった自分のことを仲間だと認めてくれた、クライン率いる風林火山や、アスナをはじめとした血盟騎士団、シバトラを筆頭とした聖竜連合、メダカやカズゴをはじめとしたベータテスト以来のメンバーとともに、攻略の最前線を駆け抜けた、共闘の日々――

 

HPの全損が死を意味することを理解していながら、デスゲームをデスゲームたらしめることを目的に、暗躍していたレッドギルド『笑う棺桶』と数々の死闘を繰り広げたこと――

 

ゲーム攻略とレッドギルドとの暗闘に明け暮れ、自身を犠牲にすることによる解決ばかりを図っていた自分に、大切なことを思い出させてくれた仲間達……サチをはじめとした月夜の黒猫団、竜使いのシリカとピナ、アスナの親友である鍛冶師のリズベットとの出会い――

 

自身のことを本当の父親のように「パパ」と呼び慕い、自身の危険を顧みずに自分達を救ってくれたMHCPの少女、ユイとの出会いと別れ――

 

第七十五層フロアボスを倒した折に正体が露見した、SAO事件の黒幕である、茅場晶彦こと血盟騎士団団長、ヒースクリフとの最後の死闘――

 

その強い想いによってシステムの拘束を破ったアスナの、身を挺してイタチを守った行動をきっかけに、忍の前世を持つ身として一番大事なことを思い出し、反撃に転じて、あの世界では使えなかった筈の忍術をもってヒースクリフを打ち破った決着――

 

ゲームクリアと同時に茅場晶彦に招かれた空間の中で見た、アインクラッド崩壊の光景。そして――

 

 

 

イタチの頭の中を駆け巡ったそれらの出来事は、SAO事件に巻き込まれた二年間の間の記憶である。まるで死に際の走馬灯のように、瞬く間に過ぎ去っていく過去の光景に、脳が多大な負荷をかけられて処理が追い付かず、意識が朦朧となる。

 

「イタチ君!」

 

膝を付いたい状態で、左手で額を押さえて苦し気な表情を浮かべるイタチ。そんなイタチを、アスナは悲痛そうな表情を浮かべながら介抱していた。今までその強力な戦闘能力をもって、多くのプレイヤーを守る立場だったイタチが、逆に守られている姿に、エイジは満足そうな表情を浮かべて見下ろしていた。

 

「アスナさん!イタチさん!」

 

「コラー!プレイヤーマナーを守れぇー!!」

 

その一部始終を見ていたリズベットが、シリカや他のプレイヤーを伴ってアスナのもとへ駆け付けようとする。だが、その行く手をフロアボス、ハンニャバルが遮る。

 

「ウォォォオオオ!!」

 

「ボスは瀕死の状態だ!」

 

「チャンスだぞ!」

 

「ボーナスいただきだ!」

 

薙刀を振るうハンニャバルの姿を見るや、標的をエイジから変更し、次々攻撃を開始するプレイヤー達。そこには、先程リズベットに伴われてマナー違反を諫めようとした者達の姿は無かった。

 

「ちょっと!アスナとイタチを助けてくれるんじゃないの!?」

 

被害者であるイタチとアスナ、加害者のエイジを放置したままボス攻略を再開するプレイヤー達に、リズベットは抗議の声を上げる。しかし、当人達は全く聞く耳を持たなかった。

 

「覚えておくといい。これが、ARの……本当の力だ!」

 

勝ち誇った顔でそう言い放ったエイジは、イタチとアスナの二人に背を向け、用は済んだとばかりにその場から立ち去ろうとする。

 

「ぐ……待、て……!」

 

「イタチ君っ!?」

 

脳に多大な負荷がかかったことで意識が朦朧とする中、イタチはふらつきながらも立ち上がり、エイジを呼び止めようとする。その姿を見たエイジは、まだ立てたことに意外そうな表情をする。

 

「まだ動けるだけの力が残っていたとはな……VRの偽りの強さとはいえ、やはり『黒の忍』の名前は伊達じゃないってことか……」

 

「お前には聞きたいことがある……このまま帰すわけにはいかない……!」

 

「なら、捕まえてみることだな。お前にできればの話だがな……!」

 

挑戦的な口調でそれだけ言うと、エイジは今度こそイタチとアスナに背を向けて走り去っていった。先日の秋葉原UDXで見た通りの常人離れした身体能力をもって走るエイジの姿は、瞬く間に恵比寿ガーデンプレイスの奥の方へと向かい、小さくなっていく。早く追い掛けなければならないと、イタチはふらつく足に鞭打ち、歩き出そうとする。

だが、その手をアスナが掴み、引き留めようとする。

 

「イタチ君、待って!」

 

「離してください、アスナさん」

 

「そんなふらふらな状態で、彼を追い掛けるなんて無茶だよ!それに、怪我だってしてるじゃない!」

 

「……このくらい、大したことはありませんよ」

 

「嘘よ!イタチ君がこんなになることなんて、今まで一度も無かったじゃない!ねえ、お願いだから待って。何が起こっているのか、私にも――」

 

「時間が無いんです」

 

これ以上の問答には時間を割けない。そう考えたイタチは、自身の左腕を掴んで引き留めるアスナの手を、強い力で振り払った。当のアスナは、負傷しているから振り払われる筈など無いと油断していたらしく、呆気に取られていた。その隙を見逃さず、イタチは一気に走り出す。

 

「イタチ君!」

 

想い人を呼び止めるために叫んだアスナの声は、しかしイタチには届かず……その背中は、襲撃者の消えた方角を目指して消えていった。

 

 

 

 

 

恵比寿ガーデンプレイスにて、オーディナル・スケールにおけるアインクラッドフロアボスが出現する戦闘イベントが開始されたその頃。名探偵L所有のビルの地下に設けられた、イタチ等の捜査本部となっている秘密施設では、待機組の竜崎と藤丸が現地の状況確認に必死になって動いていた。

 

「藤丸君、状況はどうなっていますか?」

 

「分からねえ……さっきまでは傍受していた監視カメラの映像から、現地の状況が確認できたんだが、いきなり映像が途絶えちまった……!」

 

ファルコンこと藤丸のハッキング技術により、先程まで恵比寿ガーデンプレイスの監視カメラの映像を確認することができていたモニターの画面には、現在ノイズが走っていた。藤丸はすぐさま問題解決のために動き出したものの、映像が戻る気配は無かった。

 

「クソッ!どこのカメラからも映像が出ねえ……一体どうなってやがる!」

 

「このタイミングで監視カメラの映像が確認できなくなった以上……何者かの作為が働いていると見て間違いないでしょう」

 

加えて、天才ハッカーのファルコンこと藤丸を相手に映像を奪い、今尚取り戻せない程の相手である。この事件の捜査に着手するにあたり、竜崎と藤丸は勿論、イタチこと和人も警戒していた存在が動いていることは確定である。

 

「現場にいるイタチ君との通信は繋がりませんか?それから、ヒロキ君の方は?」

 

「ああ……監視カメラの映像が途絶えた時点で、イタチとの通信も切れちまった。その後は、せめてヒロキの方に連絡が取れねえかと思ったんだが、こっちも全く繋がらねえ……!」

 

通信が遮断された時点で想定はしていたが、どうやら和人が今いる現場は外界から完全に隔絶されたらしい。そしてそれは、現場において外部に知られては不都合な……もっと言えば、危険な出来事が起こっていることを意味している。

 

「イタチ君の身に危険が起こっていることは間違いありませんね。それも、ヒロキ君にも連絡が付かないということは、相当拙い事態です」

 

「畜生!認めたくねえが、ここからじゃ手も足も出ねえ……!早くイタチを助けに行かねえと!」

 

「落ち着いてください、藤丸君。現状を鑑みるに、イタチ君が今いる現場に近づくのは、相当な危険が伴います。無策で飛び込めば、木乃伊取りが木乃伊になることになりかねません」

 

竜崎の言うように、現場の状況が掴めない状態で無闇に救援を寄越せば、返り討ちにされる可能性も十分にある。自慢のハッキングスキルが通用しない現状に焦りを覚えていた藤丸も、竜崎の説明でそのことを理解し、どうすることもできない現状を改めて認識して歯噛みする。

 

「しかし、イタチ君をこのまま放置するわけにはいきません。彼を助けるために、手を打ちましょう」

 

「当てがあるのか?」

 

「ええ。確実なことは言えませんが、彼ならば……」

 

そう言うと、竜崎は携帯電話を手に取り、ある番号へと電話を掛けた。一体誰に連絡を取ろうとしているのかと疑問に思う藤丸を余所に、竜崎は二コール目で出てきた通話の相手に対して口を開く。

 

「Lです。実は、またあなたの力をお貸しいただきたいことがあるのですが……」

 

いつもと変わらない平淡な、しかし若干の切羽詰まった緊張感を漂わせる口調で話す竜崎は、捜査協力者であり友人でもある和人の身を本気で心配している様子だった。

和人までもが危機に陥るという、名探偵Lですら予想できなかった事態は、捜査本部にて待機する二人を置いて、混迷を極めていく――――――

 

 

 

 

 

竜崎が恵比寿ガーデンプレイスへの救援を要請していたその頃。当のイタチは、アスナの制止を振り切り、逃走したエイジの後を追っていた。

 

(奴は……どこに……)

 

エイジを追って、恵比寿ガーデンプレイスの敷地を飛び出したイタチが辿り着いたのは、南側にある三田丘の上公園だった。しかし、エイジの姿はつい今しがた見失ってしまっていた。一度立ち止まり、呼吸を整えようとするイタチだが、エイジから受けた攻撃による負傷で息が荒くなっている。また、ボス戦におけるHP全損に際して起こった脳への謎の負荷により、意識を保つのもやっとの状態だった。最早、戦える状態などではない。それでもイタチは、エイジを追わねばならないと、必死になっていた。

 

(何としても、奴を止めなければ……)

 

イタチとて、先程の戦いでエイジの戦闘能力は身をもって知っている。万全な状態での戦闘はおろか、満身創痍のこの状態で戦っても、勝ち目がほとんど無いことは分かり切っているのだ。

それでも、イタチは止まることができなかった。先程のイベント前に、竜崎から齎されたオーディナル・スケールのイベントに纏わる情報……それを知ったことで強まった決意が、イタチを駆り立てていたのだった。

 

「はぁ……はぁ……」

 

呼吸を整えながら辺りへと視線を巡らせ、イタチは思考を走らせる。エイジは恵比寿ガーデンプレイスのイベントにて、イタチをHP全損にさせるという目的を果たしている。にも関わらず、用済みになった筈のイタチを挑発してこの場所へ誘導したのには、何か目的がある筈。そして、この予想が当たっているのならば、向こうから仕掛けて来る筈だと――――――

 

「――っ!」

 

必ず来るであろう敵からの襲撃に備え、周囲に注意を払いながら歩き出そうとしたその瞬間――イタチは後方から不穏な気配を感じ取り、反射的に横へと跳んだ。すると、先程までイタチが立っていた場所を、プシュッという空気を圧縮したような音と共に、何かが目にも止まらぬ速さで通り過ぎた。次に聞こえたのは、岩を砕いたかのような鈍い破砕音。先程イタチが回避した飛来物が通過したその延長線上に視線を向ければ、アスファルトの地面に何かで穿たれたかのような痕があった。

 

(実弾による……銃撃!)

 

自身に仕掛けられた攻撃の正体を即座に見破ったイタチは、驚愕に目を見開く。危険は覚悟の上だったが、まさか敵が街中で拳銃を発砲するとは思わなかった。

 

「ふんっ……!」

 

「む――!」

 

銃撃を避けて地面に転がった状態のイタチ目掛けて、新たに仕掛けられる攻撃。視認はせずに、しかし気配で即座に反応したイタチは、すぐさまさらに横へと転がる。先程までイタチが転がっていた場所には、体格の良い一人の青年がおり、大型の鉄槌を振り下ろしていた。鉄槌を叩きつけられたアスファルトの地面は陥没し、蜘蛛の巣状の罅が入っていた。

 

(あの尋常でない破壊力……ただの人間に出せるものではない)

 

その並外れた怪力の持ち主たる目の前に男に、イタチはエイジの姿を重ねていた。恐らくこの男も、エイジと同じ方法で常人離れした身体能力を手に入れたのだろうと、イタチは転がりながら推測していた。

 

「ふふっ……」

 

「くっ!」

 

だが、おちおち考えを巡らせている暇を与えてくれる程、敵も甘くない。二度地面を転がったイタチに迫る、女性のものらしき第三の影。これに対しても反応して見せたイタチだったが、今度の攻撃はタイミングが悪かった。繰り出された攻撃は、イタチの肩を掠めた後、地面を穿つ。武器の正体は、かつて戦った笑う棺桶の幹部、赤眼のザザが持っていたエストックを彷彿させる、細長い剣のようなものだった。貫通力は凄まじく、最初に放たれた銃弾の如くアスファルトの地面を貫いている。

 

(相手は三人……しかも、身体能力も獲物も侮れん)

 

地面から立ち上がり、自身を囲む敵の数と武装を確認するイタチ。人数は三人で男性二人と女性一人。男性の獲物は二丁拳銃と鉄槌、女性の獲物はエストックのような細剣である。相手の数が多い上に、それぞれがエイジに近い身体能力を持つことは、先程の襲撃を鑑みるに間違いないだろうとイタチは考察する。

 

「さあ、もっと楽しもうじゃないか――!」

 

二丁拳銃をイタチに向けていた男性が口にしたその言葉と共に、他の二人もまた、得物を再び構えた。やはり、イタチを逃がすつもりは、微塵も無いらしい。

対するイタチは、満身創痍のその身に鞭を打って立ち上がり、圧倒的不利な戦いに臨む覚悟を決めるのだった。

 



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第百四十一話 首謀【owner】

「フハハァーッハッハ!」

 

「ヒャハハハハ!」

 

「ウフフフフフ……!」

 

夜の闇に包まれた三田丘の上公園に、三者三様の不気味な笑い声が、幾多の破砕音とともに響き渡っていた。公園敷地内のアスファルトや樹木、ベンチ等を次々破壊する拳銃による銃撃、鉄槌による打撃、エストックによる刺突の嵐の中を、イタチは傷だらけで転がりながら回避に専念して動き回っていた。

 

「どうしたどうした!動きが鈍くなってんぞ?」

 

「そんなんじゃ、すぐにミンチだぜ!」

 

「その前に、私が全身穴だらけにしてあげるわ!」

 

殺人を厭わない三人の狂的で凶悪な挑発を聞き流しながら、イタチは反撃の隙を伺っていた。前世から引き継いだ体術の技術を身に付けているイタチの戦闘能力は、並の人間ならば即座に制圧できる。だが、目の前の三人相手にはそうはいかない。各々が殺傷能力の高い凶器で武装している上に、身体能力はイタチ以上に常人離れしているのだ。しかし、腕力や武器だけが、イタチが圧倒される理由ではなかった。

 

(しかもこの連携……明らかに互いの動きを把握した上のものだ。それも、相手を見ることせずに……)

 

それが、イタチが防戦一方になっている最大の原因だった。一人が大ぶりの攻撃で決定的な隙を見せたとしても、他の二人のいずれかが即座にフォローに入るのだ。回避行動に専念する中、イタチは公園の設置物や樹木を利用して、互いのフォローが間に合わない死角ができるよう誘導していた。だが、どのような状況に持ち込んだとしても、適確な援護を繰り出して付け入る隙を見せず、攻め込むことは儘ならなかった。

反応の速さからして、通信による情報のやりとりでないことは間違いない。恐らくは、オーグマーにインストールされた何らかのプログラムを使用して互いの位置情報と、取るべき手段を分析して導き出し、即座に対応して見せているのだろう。桁外れの身体能力の強化に加え、オーグマーの情報処理能力に裏打ちされた戦闘能力は、生身の人間としての純粋な身体能力――それでも人並外れているが――しか持たないイタチにとっては、脅威に他ならない。

 

「ほら、よぉオッ!」

 

「――っ!」

 

そして遂に、イタチが満身創痍の状態で辛うじて維持していた均衡が崩れる時が来た。度重なる戦闘と追跡による疲労に加え、オーグマーによって脳に何らかの影響を与えられたイタチは、身体的にも精神的にも限界だった。そして、反応を鈍らせたイタチに対し、鉄槌を持った男が迫る。

 

「ヒャッハァァァアア!!」

 

「ぐっ……!」

 

横薙ぎに振るわれた鉄槌の一撃が、遂にイタチを捕らえ、その身をボールのように弾き飛ばす。垂直に飛ばされたイタチの身は、公園の池へと水飛沫を上げながら落下した。

 

「ヒーッヒッヒッヒ!噂の黒の忍サマも、これで終わりだなァ!脳天に風穴開けてやるぜェ!」

 

「綺麗に刺し貫いてあげるわぁ……!」

 

鉄槌を持った男に代わり、今度は拳銃を持った男とエストックを持った女が前に出る。その銃口と切っ先は、イタチの眉間と心臓を狙っていた。

 

(骨折は……無い。だが、このままでは……)

 

池に落ちたイタチは、上体を起こしながら自身の置かれた現状を把握すべく、先程より一層朦朧とし始めている思考を必死に働かせる。

先程の鉄槌の一撃は、命中する寸前に後方へ跳躍したことにより、威力を幾分か減じることはできた。お陰で骨折は免れたが、打撲のダメージは小さくない。体力も既に限界を迎えており、これ以上の戦闘は非常に難しい。結論として――状況を打破する手段は、浮かばなかった。

 

「これで止めだ!行くぜェエエッ!」

 

そして、抵抗する術の無いイタチに向けて、凶弾が放たれようとした、その時――――――

 

「ぐっ……ぁああアアァアッ!?」

 

銃を持った男の苦悶の声、次いで銃声が響いた。男が右手に持っていた拳銃の銃口は、イタチがいた場所とは別の場所へ向けられており、明後日の方向へ向けて発砲していた。突如狙いを外した男の右腕からは、血が噴き出ていた。

 

(今だ……!)

 

何が起こったかはすぐには把握できなかったが、イタチにとってこれは好機に他ならない。最後の力を振り絞り、素早く立ち上がって反撃に転じる。狙うのは、エストックを持った女である。

 

「くっ!させない!」

 

銃を持った男の負傷に呆然としていた女だったが、服が水に濡れて重くなっていたお陰で、イタチが懐に飛び込む前に反応することができた。エストックを構え直し、イタチに向けて踏み込もうとする。

繰り出されるのは、銃弾もかくやという神速と形容すべき速度の刺突である。疲弊したイタチではとても回避できない。だが、イタチは構わず女の方へと駆けていく。

 

「はっ!」

 

「きゃっ……!?」

 

刺突が繰り出される直前、イタチは女のいる方向目掛けて池の水を勢いよく蹴った。それによって跳ね上げられた水が、女の顔へと降りかかる。大した攻撃ではないそれに対し、しかし女は攻撃を止めて反射的に顔を守ろうとしてしまった。

 

「ふっ……!」

 

「なっ!?」

 

その隙を見逃さず、イタチは手に持っていたタッチペンをクナイの要領で投擲する。スティックは真っ直ぐ飛来し、女の顔の横――オーグマーへと命中。女の頭から外れて地面に落ちた。

そして、それと同時に懐へと踏み込んでいたイタチの拳が、女の腹目掛けて突き出される。

 

「ごはっ……!」

 

鳩尾を正確に捕らえたイタチの拳により、女は短く息を吐き出すと、その場に崩れ落ちた。

一連の戦闘の中で三人を観察していたイタチの推測した通り、三人の常人離れした身体能力の強化の秘密は、オーグマーにあったのだ。故に、オーグマーが外れれば反応が鈍り……イタチの動きに対処できなくなるのは自明の理だった。

 

「クッソ!死ねぇっ!」

 

女を無力化したイタチに向けて、今度は右手を負傷していた男が、左手に持っていた銃をイタチに向けてきた。対するイタチは、女が気絶した時に手から滑り落ちたエストックを素早く手に取り、男に投擲し……その直後に、引き金が引かれた。

 

「ぎゃぁああアアァァアッッ!!」

 

派手な炸裂音と共に、再び辺りに響き渡ったのは、銃を持っていた男の悲鳴だった。イタチが投擲したエストックは、男の持っていた銃口を塞ぎ、銃は腔発を起こして破損。銃を持っていた左手に大怪我を負わせたのだ。女の持っていたエストックが、実は針に近い構造をした、刺突のみに特化した非常に細長い剣だったことが幸いした。

 

「この野郎……ふざけやがってッ!!」

 

二人の襲撃者を無力化したが、まだ鉄槌を持った男が残っている。イタチの思わぬ反撃に憤怒の形相を浮かべた男は、鉄槌を振り回して上段に構えると、イタチ目掛けて突撃していく。イタチは先程よりも一層重く感じる体を無理矢理動かし、迎え撃とうとする。だが、既に満身創痍のイタチには、碌な抵抗をする力も残されていなかった。男がイタチへ向けて振り翳した鉄槌は、そのままイタチの頭へと振り下ろされ――――――

 

「はぁああっ!」

 

「やぁぁああ!」

 

直撃……することはなかった。男がイタチ目掛けて突撃し、いざ鉄槌が振り下ろされようとしたその直前、その凶行を妨害する横槍が入ったのだ。威勢の良い声とともにイタチの視界に入ってきたのは、二つの人影。辺りが暗く、先程の三人の猛攻で街灯が破壊されていたため、顔は判別できなかったが、聞こえた声とそのシルエットから女性と男性であることは分かった。そして、二つの影は、ほとんど同じ――片足を突き出した体勢だった。

 

「ぎぎゃぁぁァァアアアッッ……!!」

 

次いで、男女の影が現れると同時に、鉄槌を持った男の姿が消失し……同時に悲鳴が聞こえてきた。横合いから現れた二人の姿勢から分かるように、鉄槌を持った男は二人の放った蹴撃により、弾き飛ばされたのだ。

それから間もなく、ドサリと重いものが落ちる音が、すぐそこの植え込みから聞こえてきた。どうやら、先程蹴り飛ばされた男が落下した音らしい。イタチの目の前から植え込みまでの距離は、およそ十メートル。その距離を、水平に飛ばされたらしい。そして、そのような常人離れした――それこそ、先程の三人のような――蹴撃を繰り出せる人間を、イタチはちょうど二人程知っている。

 

「ランとマコト、か……」

 

「イタチ君、大丈夫!?」

 

壮絶な戦闘が終わったことで緊張の糸が切れたのか、地面に膝を付いて肩で息をしていたイタチのもとへ、蹴撃を繰り出した二人の内の女性――ランが駆け付けた。

 

「全く……園子さんよりも危なっかしい人だ」

 

ランに続き、呆れた様子でイタチのもとへ現れたのは、額の絆創膏がトレードマークの、眼鏡をかけた屈強な体つきの男性――マコトだった。

 

「二人とも……すまない。本当に、助かった……」

 

「気にしないで。それより、立てる?」

 

「……悪いが、手を貸してくれるか?」

 

一人では満足に動くことすら難しい程に疲弊したことは、二度目の転生を果たした現世は勿論、忍として生きた前世でもそうそう無かった。それが、今回の戦いがどれだけ凄まじいものだったかを物語っていた。

 

 

 

 

 

イタチが三人の刺客と交戦していた三田丘の上公園から離れた場所にある建物の屋上に、その男はいた。左手に持った双眼鏡で三田丘の上公園にいるイタチの姿と、彼を襲った三人が行動不能になったことを確認すると、装着していた通信機に向かって現状の報告を始めた。

 

「対象は三名、全員が沈黙。オールクリアだ――L。これで問題は無いか?」

 

『よくやってくれました、赤井捜査官。流石はFBIきってのスナイパー……『銀の弾丸(シルバーブレット)』といったところでしょうか?』

 

装着していた通信機から聞こえた賞賛の言葉に、しかし当の本人である赤井が喜色を浮かべるなどということはなかった。仕事は終わり、もう用は無くなったと判断した赤井は、足元に置いていた狙撃銃をケースへとしまい、帰り支度を始めた。

FBI捜査官として極秘任務のために来日していた彼は、過去の事件で共闘したことのある世界的名探偵ことLの依頼を受け、この場に来ていた。銃を持参していたことから分かるように、仕事の内容は狙撃――正確には護衛である。竜崎からイタチを助けてほしいと頼まれた彼は、イタチの居場所を確認した後、狙撃による援護ができる場所としてこの場所を選んだ。そして、先程の戦闘の最中、イタチを射殺しようとした男の右手を狙撃で撃ち抜き、その窮地を救ったのだった。

 

『真夜中で、視界が非常に悪い場所に立っている相手を寸分たがわず撃ち抜く技量は流石です。良ければ、このまま私の捜査を手伝っていただきたいのですが……』

 

「悪いが、協力できるのは今回限りだ。こちらも別件が忙しくてな。あとは君と彼等で協力して何とかしてくれ」

 

『……それはもしや、『仮想課』が水面下で行っている動きと関係が?』

 

Lが何気なく口にしたその言葉に、ライフルケースを閉めようとしていた赤井の手が止まる。

 

「お前のことだから、既に嗅ぎ付けているのではと思っていたが、ここまで早いとはな……」

 

『仮想課には、現在私が監視を強化している対象がいます。あなた方のように、私と同様の行動を取っている組織の情報も、自然と入ってくるんですよ』

 

「そうか。ならば、一つ忠告しておこう。ここから先は、我々の領域だ。如何にお前といえども、敵対するならば容赦はしない」

 

『……肝に銘じておきましょう』

 

この場にいない、通信機の向こう側にいる相手に向けるかのように、虚空へと鋭い視線を向けながら赤井はそう言い放った。Lもまた、それ以上の追及を行うことはせず、そこで通信を切った。赤井もまた、後片付けを手早く終えて屋上を後にした。

破壊痕が多数残る三田丘の上公園とは対照的に、赤井のいた屋上には、先程まで狙撃が行われたとは到底思えない、夜の静寂が戻るのだった。

 

 

 

 

 

ランとマコトの手を借りて立ち上がったイタチは、先程の戦闘による破損を免れたベンチへと移動し、ゆっくりと腰を下ろした。そこで、二人が現れた時に疑問に思ったことを口にした。

 

「そういえば、二人はどうしてここに?」

 

「私と京極さんも、予定より早く予定が片付いたから、まだ間に合うかと思って恵比寿ガーデンプレイスのイベントに向かってたの。そしたら、途中でユイちゃんから連絡を受けてね。イタチ君が危険だから、助けてあげてほしいって」

 

ランからの説明で得心した。どうやら、恵比寿ガーデンプレイスでの戦闘を見ていたユイは、イタチの行方を追っていたらしい。そして、運よく現場の近くを通りかかっていたランとマコトに事態を伝え、こうして救援に間に合ったのだ。

 

「それで、今度は一体どんな危ないことに首を突っ込んでるの?」

 

「……悪いが、それは言えない約束でな」

 

ランからの事情説明を求める問い掛けに対し、イタチは答えられないと口を閉ざす。助けてもらったことには感謝しているイタチだが、依頼に関する守秘義務がある以上、それを漏らすわけにはいかない。もとより、このような危険な事件に無関係な仲間達を巻き込む気は無かった。

だが、ランもこんなことでは引き下がらない。イタチの返事自体、半ば予想していたらしく、ジト目で睨みつけると、さらに追及を続けた。

 

「大方、またALOやGGOの時みたいに、ゲーム絡みでとんでもない事件が起こってて、それを解決するために動いているってところかしら?それも、また皆に黙って」

 

「……」

 

「さっきイタチ君を襲っていた三人は、その事件の犯人の仲間かしら。ALOの時みたいに、捜査をしているイタチ君が邪魔になって、命を狙われたっていうなら、辻褄が合うわ」

 

「……」

 

「そういえば最近、新一も私達に黙ってやらこそこそ動き回っているみたいだけど……それも関係しているんじゃないの?アスナちゃんから聞いたけど、二人ともSAOの頃から仲良しだったらしいじゃない。探偵として」

 

「………………」

 

次々に炸裂するランの名推理に、イタチは内心で舌を巻いていた。流石は東の高校生探偵と名高い新一の幼馴染といったところだろうか。新一が関与していることまでほぼ全て当たっている。それに、あれだけ危険な連中と戦闘をして、殺されかけていた場面を見られたとなれば、最早言い逃れはできない。

それでも尚、イタチは守秘義務を守るため、仲間を巻き込まないために黙り続けていた。そんな、どれだけ追い詰められても絶対に口を割らないとばかりのその様子にランは溜息を一つ吐くと、真剣な面持ちでイタチに向き直った。

 

「皆、イタチ君のことを心配しているんだよ?イタチ君がこんな無茶しているって知ったら放ってはおけないし……何とかしてあげたいって思うのは当然のことでしょ?」

 

「……」

 

「私達を巻き込まないようにっていうイタチ君なりの優しさもあるんだろうけど、それだけじゃ誰も納得できない。私や京極さんは勿論……アスナさんだってそれは同じだよ」

 

「……」

 

「悪いけれど、いくらイタチ君が口を閉ざして黙っていたって、私も皆も、絶対に引き下がらないから。全部教えてもらって、知った上で、イタチ君を助けてあげたいと思ってる。だから、絶対に話してもらうからね」

 

「………………」

 

仲間としてイタチを気遣い、支えようとするランの言葉は、恐らくはこの場にいない他の仲間達全員の総意なのだろう。そんな、自身を想う優しさに溢れた心に触れ……イタチの心も、僅かに揺らぎかけていた。

だが、イタチも忍である。依頼の守秘義務は、何があっても放棄することはしない。元より、仲間達を危険から遠ざけるために何も話さなかったのだ。今更その決意を覆すつもりは無かった。

故に、イタチは沈黙を貫く。そんな頑ななイタチの態度に対し、ランは腰に手を当てながらため息を吐いた。するとそこへ――

 

「イタチ君!!」

 

イタチの名を呼ぶ、聞き慣れた声が響いた。イタチが顔を上げて声の聞こえた方を向くと、案の定、そこには声の主――アスナがいた。その後ろには、恵比寿ガーデンプレイスのイベントに共に参加していたリズベットとシリカの姿もある。恐らく、ユイに追跡を頼んでこの場所へ辿り着いたのだろう。

アスナはベンチに座るイタチのもとへ駆け寄り、ボロボロになったその姿を見ると……そのまま抱き着いた。

 

「アスナ、さん……?」

 

「馬鹿……っ!またこんな無茶して!」

 

「……すみません」

 

涙声を漏らしながら、イタチの無事を……生きていることを確かめるように強く抱きつくアスナに対し、イタチは短く謝罪を口にしてそっと抱き返した。恐らく、ALO事件の際に、イタチが黒幕である須郷の銃撃を受けて生死の境を彷徨った時のことを思い出していたのだろう。愛する者の喪失ほど心を抉る出来事は無いことは、“うちはイタチ”だった時代からよく理解している。ラン以上に悲痛な想いをさせてしまったことに、罪悪感がさらに強くなる。

そんな二人の姿を見たリズベットとシリカは溜息を吐くと、先程のラン同様にジト目で睨みつける。主にイタチを。

 

「何やら事情は分かんないけど……イタチがまた何かやらかしたってワケね」

 

「アスナさんもそうですけど、私達だって、本当に心配したんですからね!」

 

「……すまない」

 

自分を非難する人間が次々増えていくこの状況に、罪悪感と居心地の悪さが増していくイタチ。そんな彼女達だからこそ、巻き込まないために何も話すつもりは無いが、このまま口を閉ざしたままというのは、誰も認めてくれそうにない。

どうしたものかと内心で困り果てていると、イタチの視界の端の地面に円形の光が立ち上った。光が止んだその場所には、イタチの協力者にして依頼者――ヒロキの姿があった。さらにそのすぐ横には、イタチとアスナの娘であるMHCPのユイが、ALOのナビゲーション・ピクシーの姿で宙に浮いていた。さらに、ヒロキの姿はランとマコト、リズベットとシリカのその場にいた全員が視認できているらしい。その状況から、イタチは大凡の事情を察した。

 

「ヒロキ……」

 

『イタチ君……事情が変わった。新一君達には既に伝えているから、一度本部に戻って欲しい。ここにいる皆と一緒に』

 

「……新一達が、そう言ったんだな?」

 

『ああ。本部の皆から了承は得ている』

 

恵比寿ガーデンプレイスのイベントにおいて、ヒロキには自身やSAO帰還者のプレイヤーの身に何かあった場合に備えて待機してもらっていた。恐らく、イタチがHP全損したことで現場に動きがあったのだろう。それをヒロキが調査しようとしたところで、ユイと遭遇して現在に至るといったところだろう。

経緯はどうあれ、今回の捜査において秘匿すべきヒロキの存在まで知られてしまった以上、このまま黙秘を続けるのは得策ではない。幸い、当事者であるヒロキは勿論、新一“達”も了承しているという。それはつまり、本部に部外者であるアスナ等を招くことを、責任者である竜崎も承知していることを意味する。であるならば、イタチが取るべき選択肢は一つである。

 

「……分かった。」

 

『僕は先に本部に戻っている。ワタリさんが車を回してくれるから、それに乗って移動してくれってさ』

 

それだけ言うと、ヒロキはそのアバターを発光させ、瞬く間に姿を消した。事情を知る者として一人残されたイタチは、自身をジト目で睨む仲間達に囲まれながら過ごす羽目になってしまった。

 

「アスナさん……そろそろ離して欲しいのですが……」

 

「駄目……イタチ君、絶対に逃がさないから……」

 

「……今更、逃げやしませんよ」

 

「信用できない……」

 

ちなみにその間、アスナはイタチに梃子でも動かないとばかりに抱きついたままだった。その様子に、周囲の視線がさらに鋭くなるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

『ただいま戻りました、重村教授』

 

恵比寿ガーデンプレイスのイベントの延長線上で起こった、三田丘の上公園での死闘から数分程経った頃のこと。重村の研究室を、例によって音も無く協力者の男が尋ねていた。対する重村は、何の前触れも無く現れる男にいい加減に慣れたのか、驚いた様子も無く応じる。

 

「ようやく戻って来たか。それで……首尾は?」

 

『三名の刺客を差し向けましたが、思わぬ横やりが入り、イレギュラーを完全に排除することは叶いませんでした』

 

男が重村に提案したプランBとは、計画を嗅ぎつけた人間を、男が手駒として持つ兵士を利用して排除するというものだった。場合によっては殺人事件にまで発展しかねないため、これがきっかけでオーディナル・スケールのイベントが中止となり、計画が頓挫するリスクも孕んでいた。故に重村も実行を最後まで渋っていたのだが、イタチこと桐ケ谷和人が相手では手段は選べないと判断し、実行を許可したのである。しかし、危険を冒して実行した作戦は、不首尾に終わったという。これでは計画破綻のリスクが増えただけである。だが……重村の口からは、予想外の言葉が出た。

 

「そうか……だが、それは好都合だ」

 

『好都合……ですか?』

 

重村の意図が分からず、協力者の男は思わず聞き返した。重村は頷くと、オーグマーで空中にコンソールを展開すると、空中に浮かんだウインドウにあるデータを表示して、男に見せた。

 

「これは今日収集されたばかりのデータだ。夕方までは順調に集まってはいたんだが……ここで問題が起こった」

 

『これは……恵比寿ガーデンプレイスのイベントの時に収集された分、ですね。そしてこの時間、このタイミングでは……“彼”、ですか』

 

「その通りだ。原因は分からんが、スキャンエラーを起こした結果だろう。多少の歪みは自動修正できるが、今回のこれはオートリカバリーが効かなかった」

 

重村の説明を聞いて、男はその意図をようやく理解した様子だった。成程と頷くと、重村へと確認するように問い掛けた。

 

『つまり、“再スキャン”が必要ということですね』

 

「そういうことだ。しかし、一度このような目に遭っていれば、向こうも警戒するのは必定だ。上手くやってくれるかね?」

 

『お任せください。この計画において、表向きの首謀である私です。このような事態に対応するための準備は既に整えております。計画が最終段階に至るまでには間に合わせますよ』

 

「最悪の場合は、エラーが起こった部分のみ切り捨てて計画を続行する。君の仕事は、飽く迄計画本体への影響を取り除くことだ。その点は忘れないでおいてくれ」

 

『分かっております。それでは早速、始めさせていただきます』

 

男は重村に対してそう言うと、その体にノイズを走らせてその場から消え去った。一人残された重村は、デスクに戻るとパソコンに向き合い、本日発生した問題への対応を開始するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「全く……こんなに怪我してるなんて……!」

 

「空手の試合でも、ここまで酷いのは滅多に無いわよ。骨折は無いみたいだけど……明日奈さんの言う通り、無茶し過ぎね」

 

「……面目次第もありません」

 

竜崎の手配によって三田丘の上公園に到着した、ワタリの運転するワゴン車で本部まで移動した一同は、捜査本部を置いているビルの十階会議室へ通されていた。

そして現在、包帯や湿布等――こちらもワタリが用意した――を使用し、明日奈と蘭は和人の手当てを行っていた。蘭の言うように、骨折のような大怪我こそ無いものの、イタチの現状は酷いものだった。全身のいたるところに擦過傷や打撲痕があり、見ているだけでも痛々しい。明日奈と蘭は、相変わらずの無茶をしでかした和人に対して怒り心頭の様子だった。

遠巻きに三人――特に和人――の様子を眺めていた真、里香、珪子も呆れた視線を向けていた。ちなみに、ヒロキは会議室の片隅でその様子を遠巻きに見守っていた。

 

「随分と手酷くやられたみてえだな、和人」

 

そんな、三田丘の上公園と変わらず、和人を非難する空気が立ち込める会議室に現れたのは、捜査協力者である新一と藤丸、ワタリだった。さらにその後ろには……

 

「相も変わらず、厄介事に首を突っ込むのが好きみたいね」

 

「全くだな。またも一人で突っ走るとは……」

 

詩乃とめだかの姿があった。明日奈等は現場に居合わせた関係上仕方ないとして、何故、部外者がさらに二人増えているのかと和人が捜査協力者三人に視線で訴えかけると、答えたのはワタリだった。

 

「朝田詩乃様は、あなたの娘さんのユイさんが呼ばれました。めだかさんについては、今回の件を個人で調べておいでだったことを、ヒロキさんを経由して知っていた竜崎の提案で招待致しました。詩乃様については、竜崎も了承しております」

 

確かに今回、和人が負傷した件については、明日奈達に知られた時点で隠しようがない。一緒に暮らしている詩乃や、この一件を独自に追っていたというめだかもすぐに知るところとなるだろう。

だが、彼女等の同席を許可した竜崎の狙いはそれだけではないと和人は察した。恐らく、今回の戦闘の結果から、オーディナル・スケールをプレイする実働員が和人一人では手に余ると判断したのだろう。要するに彼女等は、捜査に必要な人員補充として呼ばれたのだ。

 

(竜崎……余計なことを)

 

彼女等の性格からして、事情を説明すれば間違いなく協力してくれるだろう。しかし、和人ですら命の危険があったのだ。如何に身体能力やVRゲームでの経験があろうとも、そう簡単に招き入れるわけにはいかない。下手をすれば、大怪我や死人も出かねない危険も孕んだ捜査なのだから。

しかし現状、和人だけでは戦力不足なのは事実である。手っ取り早く強力で信頼の置ける仲間を確保するのならば、目の前の彼女等を頼るのが確実である。

仲間達を巻き込みたくないと考えながらも、それ以外に方法を思いつけない自分の無力さに、和人は内心で歯噛みしていた。

 

「それでは、皆さんお揃いになりましたところで、早速話し合いを始めさせていただきたいと思います。L、よろしいですね?」

 

『はい。大丈夫ですよ』

 

必要な面子が全員集まったことを確認したワタリは、手に持っていたノートパソコンを開き、起動した。ワタリが話し掛けると、そこにはクロイスター・ブロックフォントの『L』の文字が映し出されていた。

 

『皆さん、ようこそお集まりいただきました。私がこの建物の責任者にして、今回和人君や新一君とともに捜査依頼を請けております、Lです』

 

「やはり、Lの依頼だったわけか……」

 

世界的名探偵がパソコン越しに現れたことに対し、めだかをはじめとした面々は特に驚いた様子は見せなかった。和人とLの関係は、ALO事件の時から公の事実だったため、今回の件にも一枚かんでいるだろうと皆、予想していたのだ。

 

「和人や新一と共に依頼を請けている、か。成程。ならば、そこにいる彼が依頼人というわけか?」

 

『お察しの通りです』

 

会議室の隅に立っているヒロキの姿を見ためだかは、彼が実体のある人間ではないことを即座に見抜くと同時に、和人やLとの相互関係についても正確に推測していた。

 

「とにかく今は、話を聞こうじゃないか。和人や新一が、世界的名探偵のお前と組んで、何をコソコソ調べていたのか、洗いざらい教えて貰おうか」

 

『分かりました。ワタリ、お願いします』

 

「承知しました」

 

めだかの有無を言わさぬ要求に対し、Lはいつもと変わらない平淡な口調で答えた。もとより最初からそのつもりだった以上、今更動じることも無かった。

そして、ワタリが皆へ今回の依頼内容について説明するための資料の準備をすべく、会議室に備え付けられたプロジェクターを操作しようとした――その時だった。

 

 

 

『その説明の役割、私が代わりに引き受けよう』

 

 

 

突如として部屋の中に、その場にいた誰のものでもない声が響き渡った。一体何者か、と蘭や真が辺りを警戒して身構える。音の出所はどうやら会議室内の天井に設置されているスピーカーらしい。だが、一体どこの誰が操作しているというのか。皆が疑問に思っている間に、異変は続く。

今度は部屋の照明が一斉に消えたのだ。辺りが急激に暗くなったことで、珪子が小さく悲鳴を上げ、明日奈や里香が動揺を露にする。そんな中、今度はプロジェクターがひとりでに起動し、動き出す。暗い部屋の中、スクリーンに映し出されたのは、白と黒で埋め尽くされたスノーノイズだった。スノーノイズは十秒ほど続いたが、徐々にそれは晴れていった。そして、その向こうに映し出されていたのは、一人の男だった。その顔を見た新一や藤丸は、顔を驚愕に染める。

 

「まさかっ!」

 

「こいつは……!」

 

『春川教授……ですね』

 

Lがスピーカー越し言った通り、そこに映し出されていた人物は今回の捜査における重要参考人の大学教授、春川英輔その人だった。捜査開始にあたり、写真でその顔を確認して覚えていたのだから、間違えようもない。

 

『春川英輔、か……確かに私の今の姿は、彼そのものだ。だが、私は彼本人ではない』

 

だが、スクリーンに映し出された当人は、それを否定した。その言葉を、春川英輔の顔を知る者達は訝る。

 

(どういうことだ?その顔は、確かに春川英輔のものの筈……)

 

(まさか、アバターなのか?)

 

新一と藤丸が様々な推測を立てる中、春川英輔と同じ顔をしたスクリーンに映った人物は自身と春川英輔との関係について話し始めた。

 

『確かに彼は、私のことを“私”と呼んでいた。ある意味では、その通りなのだがね。しかし、私は彼ではないのだよ』

 

「ならばお前は……何者だ?」

 

男の言葉が理解できず、その場にいた人間の大部分が混乱する中で投げ掛けた、和人の問い掛け。それに対し、スクリーンに映された男はフッと笑うと、再び口を開いた。

 

『春川英輔であって春川英輔ではない……この私には、別の名前がある』

 

男がそう言った途端、スクリーンの下部に三つのアルファベットが並んだ。左から順に『H』、『A』、『L』である。それらは中央に集まり重なると、一つの奇怪な文字へと変わった。

それと同時に、スクリーンに映った男は名乗った。

 

『私の名前は、電人『HAL(ハル)』――――――春川英輔が、その人格をコピーして作り出した、人工知能だ』

 



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第百四十二話 駆引【negotiation】

「電人HAL……だと?」

 

目の前のスクリーンに映し出された男が口にしたその名前を反芻するように呟いたのは、イタチだった。対する男――電人HALは、イタチをはじめとした面々の驚愕を露にした反応に満足した様子で、現実の人間さながらに口元を歪めながら再び話し始めた。

 

『如何にも。私は春川英輔の分身として作られたプログラム。そこにいる少年や、そこの小さなお嬢さんと同じ、現実世界に肉体を持たない電子の人間――電人だ。そして君達が今追っている、オーディナル・スケールを舞台とした一連の事件を引き起こした元凶でもある』

 

HALが発したその言葉により、全員に緊張が走った。それはつまり、事件の首謀者が、それを追っている名探偵達の捜査本部に乗り込んだことを意味する。相手がプログラムである以上、本体ではないのだろうが、この行動は大胆に過ぎた。

 

『成程……電人、ですか。それがあなたの正体ならば、我々の捜査本部を突き止め、こうしてこの場所へと姿を見せることができたのも納得ができます』

 

ワタリの持つ画面越しに、Lの得心したような呟きが漏れた。名探偵Lの所有物であるこの建物は、地下の本部は勿論のこと、地上部分のビルに至るまで、天才ハッカー・ファルコンが構築した強固なセキュリティで固められている。これを破れるのは、ファルコンと同等以上のハッカーか、或いはその手の技術に優れた、電子世界の住人であるユイやヒロキ、そしてHALのような存在以外にはあり得ない。

 

「それで、俺達に追われる身である筈のお前が、何のためにこの場に姿を現したんだ?」

 

「少なくとも、自首するためではなさそうだな」

 

新一とめだかの言葉に、HALは口元を歪める。どうやら二人――他にも、和人やLも同様――の見立て通りらしい。

 

『お察しの通り、私が君達に会いに来たのは、そのような目的のためではない。まずは……そうだな。私が差し向けた刺客を見事に退けたことに対する賞賛、祝福といったところか』

 

「……やはりあの三人は、お前が差し向けたのか」

 

HALが口にした『刺客』というのが、三田丘の上公園で和人を襲撃した三人を指し示していることはすぐに分かった。

 

『あの三人……朝永博斗、江崎志穂、小柴達夫は、私を創造した春川が務めていた錯刃大学の研究生であり、この計画の手駒だ。尤も、色々と調整はさせてもらっているがね』

 

『調整』という言葉が何を意味しているかは、イタチにもすぐに分かった。三人が発揮して見せた恐ろしい程の戦闘能力は、どうやらこの電人が授けたものらしい。一体どんな方法なのか、と一同は思考を巡らせる。馬鹿正直に尋ねたところで種明かしをするような真似はしないだろうと誰もが考えたが……予想に反し、電人はその答えを自ら話しだした。

 

『彼等は私と春川が開発した『電子ドラッグ』によって身体能力を大幅に向上させられた強化人間なのだよ』

 

「『電子ドラッグ』だと……?」

 

『説明するより、見た方が早いだろう。これのことだよ――』

 

HALはそう言うと、スクリーンにある映像を映し出した。

そこに現れたのは、渦を巻くスノーノイズだった。さらにその中からは、大量の数字やアルファベットで構成された方程式、或いは図形が飛び出してきた。次いで出てきたのは、無数の立方体。それらは寄り集まり、林檎の形を成し……ある筈の無い眼を見開き、それと同時に弾けた。そして再び発生するスノーノイズ。その向こうには、男の……春川を彷彿させる人影が映った。それもすぐに掻き消え、最後には『H』と『A』と『L』を重ね合わせたあの奇怪な文字が浮かび上がり、そこで映像は途切れた。

最初から最後まで意味不明な映像に、一同は一体これは何なんだと訝るばかりだった。そんな中、和人だけは驚愕に目を見開いていた。そしてそんな中、HALの解説が続けられる。

 

『これこそが『電子ドラッグ』だ。映像の視覚情報を通して、これを見た人間の脳に作用し、脳内麻薬のβエンドルフィンを過剰分泌させることで、理性から犯罪願望を解放し……私の意のままに動く兵士とすることができるのだよ』

 

HALから齎された情報に、和人以外の会議室に集まった面々に再び緊張が走る。要約すれば、先程の映像の正体は、それを見た人間の脳に作用してHALの意のままに操るための催眠洗脳装置ということになる。

 

「映像を見た人間の犯罪願望を解放して、その上操るなんて……そんなこと、できる筈が……!」

 

『できるのだよ。尤も、先程君達に見せた映像は、解像度を低く下げたものだがね。それに君達は、実際にその実例を見ている筈だろう?』

 

「……」

 

そんなことは不可能だと狼狽しながら口にした藤丸に対し、HALは得意げな笑みを答えて可能と断じた。HALの言う通り、電子ドラッグによる洗脳を受けていたとされる春川研究室の研究生三人の言動は犯罪者そのものであり、和人を殺傷することに躊躇いは一切無かった。

HALから齎された情報に会議室の中にいた面々は騒然とする。誰もがその事実を受け止め切れずに混乱する中……和人だけは、冷静な表情のままHALの言葉に耳を傾けていた。

 

(まさかこの世界で、視覚情報を利用した『幻術』を見ることになるとはな……)

 

それは、万華鏡写輪眼の使い手にして、幻術のエキスパートだったうちはイタチの前世を持つ和人だからこそ分かったことだった。

忍世界における『幻術』とは、目から入る光信号や、耳から入る音等を介して相手の五感に作用し、催眠状態に陥れる忍術である。戦闘時の攪乱や捕虜に対する尋問・拷問に使われていた。

そして、うちはイタチは前者の視覚情報を利用した幻術――特に写輪眼を利用した瞳術――を得意としていた忍者である。視覚に働きかける幻術を前世において知り尽くしていたからこそ……先程の意味不明な映像の正体が、それを見た人間の脳に何らかの影響を及ぼす効果を持っていることを、和人は即座に理解することができたのだ。

 

『欲望や願望というものは、生物の意思や行動を司る原動力だ。簡単に言えば、その欲望を軸にして、映像を媒介にシナプス作用を組み換え、脳の片隅に別人格を作り上げる。暴力や破壊の願望は、人格の軸にしやすい。それぞれの願望を叶える形で、様々な兵隊を作ることができる。

朝永博斗は人を銃で撃ち殺したいという『射殺願望』。江崎志穂は人を刃物で刺し貫きたいという『刺殺願望』……もとい『貫通願望』。小柴達夫は鈍器で相手の原型を留めないまでに壊したいという『撲殺願望』。いずれも私が彼等に与えた犯罪願望だ。犯罪願望に目覚めた者は、それを実行することに対して理性や倫理観のハードルが無くなるというわけだ』

 

「確かに、あの三人の様子は完全に常軌を逸していた。それに、解放したのは犯罪願望だけではなさそうだな。加えて、あの連携の取れ過ぎた動き……あれもお前の梃入れか?」

 

『ご名答。君の考えている通りだよ、『黒の忍』こと桐ケ谷和人。電子ドラッグは、単に犯罪者を覚醒させるだけのプログラムではない。脳から理性の箍が外れるのと同時に、身体能力のリミッターも外れるのだよ。その結果、身体能力は電子ドラッグ服用前の数倍に跳ね上がることとなる』

 

HALが得意気に説明する内容に、藤丸だけでなく誰もが「そんなバカな」、「あり得ない」と呟いて首を横に振っていた。そしてそれは、その場にいた和人を除く全員の総意でもあった。口には出さないが、HALの言葉を完全には信じられずにいた。

そんな彼等を余所に、HALは得意げな表情を浮かべながら説明を続ける。

 

『彼等の連携の取れた動きは、オーグマーを通した兵士の一括統制によるものだ。公園の地形を脳内に直接入力し、電気信号で敵と味方、両方の位置と状況を伝えることができる。あの三人はそのお陰で互いの状況を把握し、即座にフォローが行えたということだよ。尤も……完全に状況を把握することができる敷地の広さや補助機能そのものにも限界がある。今回のように、領域外からの狙撃や同等の身体能力を持つ者による単独時の攻撃には対応しきれないし、負傷した場合やオーグマーを外された場合は反応速度が著しく落ちる。探偵Lが雇った狙撃手の存在を想定できず、桐ケ谷和人やその仲間達の身体スペックを見誤っていたことが、あの三人の敗因だったのだろうな……』

 

自嘲するように話すHALだったが、それを聞かされた会議室内の一同は戦慄していた。確かに今回、和人は仲間の援護を得てHALの刺客を退けることに成功した。しかし、それには狙撃による援護、蘭と真という人並外れた身体能力の持ち主がいたお陰である。和人の負傷も軽くはなく、ギリギリの戦いだったことは間違いない。

 

「あの三人が発揮した戦闘能力が、お前の開発した『電子ドラッグ』とやらの力だということは分かった。ランク二位のエイジというプレイヤーも、『電子ドラッグ』の服用者か?」

 

『フフ……どうだろうな。少なくとも、彼はこちら側の人間であるということだけは言っておこう』

 

「重村教授もお前の共犯者か?」

 

『そちらも君の想像に任せよう』

 

スクリーンに向けて鋭い視線を向けながら投げ掛けた和人の問いに対し、不敵な笑みを浮かべながらHALはそう返した。名探偵Lが捜査に乗り出している以上、ある程度の情報を握られていることはHALも先刻承知ということなのだろう。

エイジこと後沢鋭二が共犯としてかかわっていることについては、和人を三人の刺客のもとへ誘導した点から否定のしようが無いが、重村はその限りではない。エイジとは、今は亡き実の娘、重村悠那を通じて知り合っていた可能性が高い。何より、オーグマーの開発や事件の舞台となっているオーディナル・スケールの運営に関わっている以上、限りなく黒に近い状態である。

 

(いずれにしても、『電人』が味方に付いている以上、現状で二人を犯罪者として取り締まることは不可能、か……)

 

電脳世界のありとあらゆる情報に干渉することができる電人HALならば、証拠の隠蔽など造作も無い。人間を洗脳できるプログラムを持っているというならば、猶更である。現にオーディナル・スケールにおいて度重なる暴力行為に及んでいるエイジの犯行場面は押さえられていない。結論として、HALの共犯者であるエイジと、共犯者と目される重村を今すぐに拘束することは不可能ということになる。

 

『さて、君達に対する賞賛はここまでとさせてもらおう。そろそろ、本題に入らせてもらいたいのだが、よろしいかね?』

 

その言葉に、和人や新一、めだか、そしてワタリの持つパソコンの画面の向こう側にいるLが、その表情を僅かに強張らせる。

視覚を撃退した和人等への賞賛と称し、『電子ドラッグ』の自慢話をすることが目的でないことは、この場にいる誰もが理解していた。電人HALが名探偵Lの本拠地に姿を見せた本当の目的は、ここからなのだろう。

 

『私がこの場を訪れた目的だが……そうだな、端的に言おう。桐ケ谷和人とその仲間達よ、私と“ゲーム”をしないか?』

 

「ゲーム、だと?」

 

HALの口から出た予想外の言葉に、思わず聞き返す和人。あらゆる電子機器や情報を支配する人工知能を開発し、『電子ドラッグ』という強力な洗脳兵器まで用いてまで進められてきた、春川英輔ことHALと重村が立てた計画である。ここに至って、このような愉快犯めいた提案を出すとは到底思えなかった。

 

『君達も知っての通り、私が現在オーディナル・スケールを舞台に進めている計画には、君達SAO生還者の参加が不可欠だ。だが、水面下で進めている私の計画の存在を知った以上、君達が今後、オーディナル・スケールのバトルイベントへの参加に消極的になることは自明の理だ。他のSAO生還者にも参加を控えさせるよう触れ回ることも容易に想像できる。だからこそ、君達が是が非でも参加しようとする条件を付けたゲームを提案したというわけだ』

 

「……オーディナル・スケールのバトルイベントに、何か仕掛けでもするつもりか?」

 

HALの言うゲームが、オーディナル・スケールにおけるアインクラッドフロアボスとのバトルイベントを指していることは間違いない。問題なのは、和人等が参加を余儀なくされるような条件である。電子ドラッグで洗脳した学生を刺客として差し向けられた以上、警戒を緩めることはできない。誰もが緊張した面持ちでスクリーンに映るHALを凝視する中、当人は相変わらずの余裕に満ちた表情を浮かべていた。

 

『なに、君達が心配しているように、一般人を巻き込み、危害を加えようというわけではない。そんなことをすれば、流石にオーディナル・スケールのイベントの存続、ひいては私の計画が台無しになりかねないからね』

 

「なら、貴様の言うゲームとやらは、どんな提案なんだ?」

 

『今までのルールを変更しようというわけではない。そうだな……ゲームの詳細を説明する前に、君達にはこちらの情報を教えておいた方が良さそうだ』

 

HALがそう言った途端、スクリーンには再びスノーノイズが走った。五秒ほどで止んだ後のスクリーンに映し出されていたもの。それは、地に伏した体勢のライオン――ギザの大スフィンクスを彷彿させるデザインをした、彫像だった。尤も、現実世界のそれはライオンの身体と人間の顔を持っているのに対し、こちらは顔が黒くのっぺりとしているが。それが“三体”、横に並んでいた。

 

『これらは私を護るサポートプログラム『スフィンクス』……電脳世界における私に対するありとあらゆる干渉を遮断する無敵の防壁だ。これさえあれば、譬え世界最強の天才ハッカーや、そこにいる私と同じ人口知能やそれに類するプログラムは勿論、どれ程人知を超えた存在であろうとも、私まで辿り着くことはできないのだよ』

 

会議室のスピーカーから、HALの音声による説明が響く。その自信満々な声からして、ハッタリの類ではないのだろう。

 

「……それで、電脳世界におけるお前を護る防壁が、お前の提案するゲームとどういう関係があるんだ?」

 

『簡単なことだ。君達が私のもとへ辿り着き、計画を破綻させるために邪魔な障害であるスフィンクス……これを取り除くことを、ゲームの報酬にしようということだ』

 

その言葉を聞いた一同は、再び騒然とする。当然の反応である。計画を確実に遂行させるためとはいえ、自身の身を護るための防衛プログラムを報酬に差し出すというのはリスクが大き過ぎる。そもそも、仮にHALの言うゲームに乗ったとして、その報酬が本当に齎されるかも怪しい。

 

「……仮に俺達がお前のゲームを制したとして、その報酬として『スフィンクス』が取り除かれる保証がどこにある?」

 

『疑うのも無理は無い。だが、君達への報酬を保証することはできる。今回のゲームの仔細を聞けばね』

 

和人を筆頭に誰もが疑惑の目を向ける中、HALは変わらぬ口調でそのまま説明を続けた。

 

『私が提示するオーディナル・スケールのバトルイベントは全部で三回。出現するアインクラッドのフロアボス三体はそれぞれ、スフィンクス三体の本体データを構成するリソースを供出している。よって、スフィンクス三体とフロアボス三体は謂わば運命共同体だ。フロアボスに危険が生じれば、スフィンクスにもその影響が波及する』

 

「つまり、フロアボス討伐を成功させれば、お前を護るスフィンクスも諸共に消滅するというわけか」

 

『その通りだ。スフィンクスに護られている私の居場所を暴くことはできないが、スフィンクスとフロアボスの繋がりくらいは君達の力でも確認することができるだろう?そうすれば、私の提示した報酬が嘘ではないことが証明できる筈だ』

 

HALの言うように、藤丸やヒロキ、ユイの力を使えば、イベントに出現するフロアボスとスフィンクスがリンクしていることを確認することは容易い。そして、フロアボス討伐の報酬としてスフィンクスの排除が確約されるのならば、HALのゲームに乗る価値はある。

 

『だが、この私の生命線……いや、計画成功の是非を賭けている以上、こちらも本気で君達を仕留めにかからせてもらう。君達の相手には、アインクラッドフロアボスの中でも無類の強さを持ち、SAO事件当時においても攻略組に多大な犠牲を出した“とっておき”を用意させてもらうつもりだ』

 

「まさか……!」

 

SAO事件において、和人等攻略組が倒したアインクラッドのフロアボスは、合計七十五体。その中でも無類の強さを持ち、攻略組プレイヤーを多数屠った、HAL曰く“とっておき”の強敵が“三体”……

当時、攻略組に所属して最前線で戦っていた和人や明日奈、めだか、新一といった面々は、そこまで聞いたところでHALが自分達に差し向けようとしているフロアボスの正体がすぐに分かった。

 

『その様子を見るに、どうやら君達も気付いたようだな。ならば、これ以上勿体ぶっても仕方があるまい。君達の察した通り、今回のゲームで君達に戦ってもらうフロアボス……それは、アインクラッドのクォーターポイントを守護していた三体だ』

 

予想通りの絶望的な宣告に、会議室にいたSAO生還者達に戦慄が走った。クォーターポイント……即ち第二十五層、第五十層、第七十五層を守護していたフロアボスは、それまでに攻略してきたフロアボスとは一線を画す、異常な程の強さを持っていた。

第二十五層のフロアボス攻略戦では、殺人ギルド『笑う棺桶(ラフィンコフィン)』の暗躍も手伝い、アインクラッド解放軍のメンバーを中心に数十人の犠牲を払った。次の第五十層でも多大な苦戦を強いられ、危うく死者を出すところだったものの、和人ことイタチのユニークスキル『二刀流』がその威力を遺憾なく発揮したことで、犠牲者は出なかった。最後の第七十五層では、イタチを筆頭に歴戦勇者達が総力を挙げて挑んだにも関わらず、十四人もの死者が出た。

それを、システムアシストやアバターのステータス補正が使えないオーディナル・スケールで討伐するとなれば、その難易度は計り知れない。生半可なプレイヤーを寄せ集めただけの集団では、まず攻略できず……多大な犠牲を払うことは必定だった。

 

『無論、君達にもこのゲームを辞退する権利はある。だが、スフィンクスを排除できるチャンスはこれが最後だと思ってもらおうか』

 

「それはどうかな?」

 

最早HALの提案を受け入れ、ゲームへ参加する方向へと会議室内の空気が傾きかけていた中――藤丸が異議を唱えた。

 

「お前を護る『スフィンクス』とやらは、ただのコンピュータにインストールできるようなプログラムじゃない筈だ。あらゆるハッキングを撥ね退けることができるというのなら、最高レベルの処理速度が必要になる。差し詰め、スーパーコンピューター専用アプリってところなんじゃないか?」

 

不敵な笑みを浮かべて自身の推測を突き付ける藤丸。対するHALもまた、不敵な笑みで答えて見せた。

 

『中々察しが良いじゃないか。確かにスフィンクスは君の言う通り、スーパーコンピューターにしかインストールできないプログラムだ。だが、それがどうしたというのかね?』

 

「日本国内でスーパーコンピューターを置いている施設は限られている。ましてや、オーディナル・スケールに登場させる予定のボスをリソースにしているのなら、関東圏内……それも都内でなければならない筈だ。そこまで分かれば、スフィンクスがインストールされたスパコンがある施設も簡単に特定できる」

 

『ほほう……それで、何が言いたいのかね?』

 

「簡単なことだ。電子的にお前を攻略できないなら、現実世界から攻め込むだけだ。できるよな、L?」

 

『……可能かと言われれば、可能ですね。こちらは捜査におけるありとあらゆる可能性を考慮し、相応の道具も人材も揃えています』

 

そこまで言われて、HALも藤丸が何を言わんとしているのかを察した。要するに、ファルコンお得意のハッキングによる電子的な攻略ができないのならば、現実世界からアプローチして攻略を……もっと具体的に言えば、物理的にスーパーコンピューターを破壊しようと言っているのだ。

 

『成程。電脳世界では無類の強さを持つ私やスフィンクスも、現実世界ではただの箱……人の手で簡単に破壊できてしまうというわけか』

 

「スフィンクスさえ取っ払えれば、あとは本丸のお前だけだ。人工知能って言っても、ネットワークの電脳世界をずっと漂っていられるわけじゃねえ。プログラムである以上、どこかのコンピュータに本体を置いておく必要がある。居場所の特定には多少手間は掛かるだろうが、俺やヒロキが力を合わせれば、不可能じゃない。絶対に取っ捕まえてやるぜ」

 

『藤丸君らしくないやり方ですがね……』

 

「言ってる場合か。俺だって現実世界からスパコンぶっ壊すなんて策はやりたかねえんだよ」

 

防衛プログラムの電子的な攻略を諦め、現実世界から物理的にコンピュータを破壊するというやり方を選択するのは、天才ハッカーの名折れとも言える。だが、そんな悠長なことを言っていられる状況でないことも事実。結論として、これが最も合理的で確実な作戦なのだ。

尤も、貴重なスーパーコンピューターを破壊しようと言うのだから、その手段は爆破等の必然的に非合法なものとなることは間違いない。しかし、事件解決のためならば手段を選ばないのが藤丸の雇い主である名探偵Lであり、それはこの捜査に参加している和人も同様である。新一は難色を示すだろうが、事態の重さを鑑みれば、渋々ながら納得してくれるだろう。

 

「つーことで、お前の提案に乗らなくても、お前がやろうとしている計画をぶっ潰す方法はあるんだ。折角だが、ゲームの誘いはお断りさせてもらうぜ」

 

フロアボスを討伐することでスフィンクスが消滅するのならば、その逆も然り。スフィンクスをインストールしたスーパーコンピューターが現実世界で破壊されれば、フロアボスのデータも連鎖的に消滅する筈である。そして、フロアボスのデータが消えればHALの提示するゲームそのものも成立しなくなる。

もとより罠であり、圧倒的に不利な条件下で戦う可能性の高いゲームなのだ。避けられるリスクならば、進んで負いたいと思う者は、まずいない。少なくとも、この場にいる人間の中にはおらず……会議室内にいた面々の総意は、藤丸の考えに傾いていた。

 

『フフフ……確かに、君の言う方法が成功すれば、スフィンクスはおろか、私自身も無力だ。敗北を認めざるを得まい。そう……成功すれば、だがね』

 

しかし、対するHALは相変わらずの不敵な姿勢を崩さない。自身の提示したゲームが却下され、開示した情報が仇になって自らの危機を招いているにも関わらず、である。

その不気味なまでに余裕に満ちた態度に、和人やLは不穏な気配を感じていた。

 

「負け惜しみか?俺のハッキングの援護に加え、Lの実働部隊が動けば、スフィンクスの破壊ぐらいは楽勝だぜ」

 

『……逆に君に尋ねよう。SAO事件を解決に導いた桐ケ谷和人や、その雇い主である名探偵Lを相手するに当たって、現実世界からの攻撃への対策を立てていないとでも思ったかね?』

 

「何?」

 

藤丸の呆けたような反応に、HALは満足そうな笑みを浮かべていた。一方、和人や新一、Lはこの事態をある程度想定できていたからだろう。あまり驚いた様子は見せなかった。

 

『スフィンクスをインストールしたスーパーコンピューターを置いている施設は、私の私兵で警備を厳重に固めている。米軍や自衛隊の特殊部隊でも撃退できるだけの戦力を擁していると自負しているよ』

 

「……そんな馬鹿な事、ある筈が――」

 

「……電子ドラッグ、だな」

 

HALの言葉を否定しようとした藤丸だったが、それより先に和人その答えを口にした。一方のHALは、その不気味な笑みをさらに深めて口を開いた。

 

『各施設には、電子ドラッグで洗脳し、極限まで身体能力を高められた兵隊が、遠距離狙撃用の銃器と近接戦闘用の刀剣で武装した状態で配備されている。さらに彼等は、スフィンクスによってオーグマーを通して一括統制されている。戦闘能力は、今日君達が倒した春川英輔の教え子三人の比ではないよ』

 

HALから齎されたその情報に、藤丸だけでなく、和人までもが沈黙した。公園で撃退した三人以上に強力な戦力に護られた施設など、到底突破できるものではない。HALの言うように、特殊部隊を投入しても難しいだろう。

 

『まあ、施設を護っているのが人間である以上、殺傷すれば無力化することができる。先程提示した、現実世界からスフィンクスを破壊するという作戦も、実行することは十分可能だろう。無関係の、ただ私に洗脳されているだけの一般人を殺すことができれば、の話だがね』

 

「お前っ……!」

 

無関係の人間を盾にするやり口に、新一が憤激する。他の面々も、言葉には出さないが内心は同じだった。

 

『都内のスーパーコンピューターにスフィンクスがインストールされていると知られている以上、最早その場所を隠すことに意味は無いな。スフィンクスの位置情報については君達に教えてあげよう。現地の様子を見れば、私の言ったことが事実であることも確認できるだろうからな』

 

HALがそう言った途端、会議室にいた全員に対してHALからのメールが届いたことが、オーグマーを通して知らされた。目的のためならば手段を選ばない非道さに対する憤りと、選択の余地が無い程に追い詰められていることに焦燥を感じて沈黙する一同に対し、HALはそのままゲームの仔細について説明を続ける。

 

『ゲームの開始は三日後だ。時間と場所は、追って知らせる。勿論、君達以外にも、多くのSAO生還者も招待する予定だ。私も楽しみに待たせてもらうよ。それでは――』

 

「待て」

 

そこまで言って、通信を切ろうとしたHALに、しかし和人が待ったをかけた。

 

「電人HAL……お前は、春川英輔の人格をコピーして作られたと言っていたな。それはつまり、お前達が引き起こした事件……水面下で進めている計画というものは、創造主である春川英輔の願望そのものということか?」

 

『その通りだ……と言いたいところだが、現在進めている計画は春川英輔のとっては前準備のようなものだ。本命の計画は、君達の知らぬ場所で進められている』

 

HALにとっての本命の計画が別にあるというその情報に、一部の者達は驚愕に目を見開く。オーディナル・スケールの計画ですら膨大なのに、これにも勝る何かをしようとしているのか、と……

 

「お前達が現在進行形で進めている計画と、こことは別の場所で進めている本命の計画……いずれも目的は同じということか?」

 

『ああ。その認識で間違いない。だが、本命の計画は今進めているもの程大掛かりなものではない。オーディナル・スケールを舞台とした計画がどのような結末を迎えようとも、その点は変わらない。だから、先々まで心配することは無い』

 

その言葉に、先程衝撃を受けていた面々は安心したように息を吐いた。どうやら、これ以上事が大きくなることはなさそうだ、と。

 

『とはいえ、前準備であるオーディナル・スケールを舞台にした計画も必ず成功させる。そのためにも……桐ケ谷和人。君や君の仲間達が持つ“記憶”は、このゲームで余さずいただく。私の……私と春川英輔にとって本命の目的である、“0と1の狭間で生きる”という目的を叶えるには、それがどうしても不可欠なのでな。では、また会おう。『黒の忍』とその仲間達よ』

 

それだけ言うと、スクリーンに映ったHALの姿はスノーノイズの中へと消え去り、やがては映像を映していたプロジェクターの電源自体も切られた。その後は誰一人として口を開くことができない程の重苦しい空気が、しばらくの間会議室の中を支配していた。

 



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第百四十三話 記憶【resource】

それは、今は既に過去の話となった、ゲームであってゲームではない……そんな世界における、命懸けの戦いに臨んだ日々。世界初のVRMMOにして、前代未聞の大量殺人事件を引き起こしたゲーム、『ソードアート・オンライン』が正式サービス開始日を迎えてからの、激動の日々の記憶である。

 

「なあ、頼むよ!俺はクライン、よろしくな!」

 

ログインして間もない自分に対して最初に声を掛けたのは、クラインだった。レクチャーを乞われた自分は、クラインとともにその足で――――――へと向かった。

 

「たった一ヶ月で、一千人も死んだわ。でもまだ、最初のフロアすら突破できていない。どこでどう死のうが、遅いか早いかだけの話………」

 

それが、SAO事件における、自分と――――――の最初の出会いだった。流星もかくやという速度で繰り出される細剣系ソードスキル『リニア―』をもって敵モンスターを消滅させた少女フェンサーはその後、疲労困憊で倒れた。

 

『……だいぶ時間が余っちゃったね。それじゃあ、折角クリスマスだし、歌を歌います。曲名は、『――――――』です』

 

SAO事件が始まってから、二度目のクリスマスイブの夜。イタチのもとへ届けられたサチからのメッセージが込められたクリスマスソング『――――――』。

サチ曰く、どんな人でも、きっとそこにいる意味はあるということを思い出させてくれるその歌は、イタチの心に陽だまりのような温もりを与えてくれた。

 

「……イタチさん、あたしだけじゃありません。きっと、みんなあなたを――――――。だから、あなたも――――――!」

 

サチ同様、レッドギルド絡みの事件に巻き込まれた少女、シリカが、自身の複雑な家族事情を話した時に掛けてくれた言葉。シリカが――――――の大切さを教えてくれたからこそ、その後のアインクラッド攻略での軋轢は少なくなり、仲間との連携も上手くいくようになったと言えるだろう。

 

「アスナやあたしが大変な想いして作った剣なんだからね。大切にしないと、承知しないわよ」

 

ユニークスキル『二刀流』を習得して以降問題となっていた、もう一本の剣を手に入れるために頼ったのは、アスナの親友であるリズベット。紆余曲折を経て受け取った『――――――』は、自分のことを戦闘的にも、精神的にも支えてくれた。

 

「全部、分かってます。それが、他の皆の事を想ってのことだということも……むしろ、どんな形であれ、パパが私のことを頼りにしてくれたことの方が嬉しかったです。だって、パパはいつも、――――――じゃないですか」

 

エラーを蓄積させた末に不具合を起こし、アインクラッドを彷徨った末に自身の元へ辿り着き、自身とアスナの娘となったユイが掛けてくれた言葉。

今思えば、あの言葉があったからこそ、ALO事件もGGO事件も、Lこと竜崎や他の仲間達を頼ることができたのだろう。少なくとも、昔程は――――――しようとは思わなくなった。

 

「私はあなたがどんな秘密を持っていたとしても、私はあなたを信じている。そして、だからこそ私は、あなたのことを――――――」

 

SAO事件の黒幕であるヒースクリフこと茅場晶彦を倒し、夕暮れの中でアインクラッドが崩壊する光景を眺める中で、アスナが口にした気持ち。薄々勘付いていた、アスナから自分へ向けられていた、――――――という想い。それがために、多くの大切なものを失ったがために忌避しがちだった感情だったが、これを機会に改めて向き合おうと決意した。

そして、終わりの時は訪れた。アインクラッドが完全に崩壊し、アスナとともに、自分の身体も光に包まれ、そして――――――

 

 

 

 

 

 

 

「!」

 

そこで、目が覚めた。和人が横たわっていたのは、自宅のベッドの上。枕もとに置いていた時計を見ると、時刻は朝六時。

 

「……夢、か」

 

『おはよう、和人君』

 

「ヒロキ……」

 

ベッドから起き上がった和人に声を掛けたのは、部屋の中のPCモニターに映し出されたヒロキだった。どうやら、昨日のオーディナル・スケールのイベントに際して発生した戦闘において負傷した和人を心配して来たらしい。

 

『やっぱり、調子が優れないようだね。今日の会合は、出られそうかい?』

 

「……問題無い。予定通り、所定の時間に行く。竜崎にもそう伝えてくれ」

 

『分かった。けど、あんまり無理はしないでね』

 

「善処する」

 

平静を装って返事をした和人だったが、ヒロキの反応を見る限り、大丈夫そうには見えないらしい。身体的な負傷については、昨日の時点で応急処置ながらある程度治療はできている。問題なのは、イベント時にHPを全損したことで発生した影響の方だろう。和人自身もその影響を受けている自覚はあり、それは昨晩見た夢という形で表れていた。

しかし、これから行われる捜査メンバーや、暫定を含むその他協力者達との話し合いには、和人の存在は必須である。事態が急展開を迎えている今、状況をいち早く把握するためにも欠席するわけにはいかない。

 

『ワタリさんが車で迎えに来てくれるらしい。八時くらいに来る予定だから、それまでに準備をしておいて。僕は先に、本部の方に行っているから』

 

「ああ、分かった」

 

ベッドから立ち上がった和人の返事を聞いたヒロキは、パソコンのモニター電源を切ってその場を後にした。和人はそのまま部屋を出てリビングへ向かうと、先に起きていた詩乃とともに、直葉と翠のいないい桐ケ谷家の中で、朝食や身支度を始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

電人HALによるゲームの提案、もとい宣戦布告が行われた昨晩は、話し合い等は行われることなく、一先ず解散となった。HALから齎された情報があまりに衝撃的だったことから、真偽の確認と精査が必要と判断されたことと、各々の気持ちの整理をつける必要と判断されたことが理由だった。

そして一夜明けた今日、再度皆で話し合いのために集合し、Lが進行役となって情報の共有を行おうということになったのだった。

 

「おはよう、和人君。しののんも」

 

『おはようございます。パパ、詩乃さん』

 

集合場所である名探偵Lの本拠地のビルに来た和人を出迎えたのは、明日奈だった。肩の上には、ユイが乗っている。

 

「おはようございます。明日奈さん、ユイ」

 

「おはよう、二人とも」

 

「和人君……体調は大丈夫?」

 

「打撲した箇所に少々痛みが残っていますが、問題はありません」

 

『パパ……』

 

「早く会議室に行きましょう」

 

今朝のヒロキと同じ質問を投げ掛けてきた明日奈に対し、和人はいつもと変わらない、平静を装った態度で返した。しかし、ユイだけは不安そうな表情のままだった。MHCPであるユイには、外見だけの誤魔化しは効かないのかもしれない。襤褸が出るまでに話を切り上げるべきと判断した和人は、そのまま会議室を目指して歩き出す。

和人との間のやりとりは無いままに、エレベータの乗り、廊下をしばらく歩き、和人等は話し合いのために使用する会議室に到着した。扉を開いて中を見渡すと、新一や藤丸といった捜査メンバーは勿論、明日奈以外のめだかや蘭といった協力者も既に全員集まっていた。

ちなみにLは昨晩同様にワタリの持っているモニター越し、ヒロキはオーグマーを装着することで見えるアバターでこの場にいた。

 

「……どうやら、最後に到着したのは俺達のようだな」

 

『所定の時間通りの到着です。何も問題はございません』

 

「和人君と詩乃ちゃん以外は皆、都内在住だから早く到着できて当然だしね」

 

「俺とLに至っては、ここに泊まってたしなぁ……」

 

捜査メンバーの一人にしてL専属のハッカーでもある藤丸は、捜査すべき事件が起こればこの建物の中に缶詰状態になることがしばしばだった。今回の事件も例に漏れず、ここ数日は自宅へも帰らずにこの建物の中で捜査活動を行っていた。

 

『それでは、全員揃ったことですし、そろそろ始めましょう。藤丸君、お願いします』

 

「あいよ」

 

出席者全員が揃い、会議室内の席に着いたことを確認したLは、藤丸へと指示を送る。藤丸がそれに従い、手元のパソコンを操作すると、会議室のプロジェクターの電源が入った。

 

『それでは、まずは私と藤丸君で昨晩、収集・精査した情報について皆さんにお知らせ致します』

 

その言葉とともに、スクリーンには映像が映し出される。上空から俯瞰するアングルで撮影されたその映像には、闇夜の中に佇む大型の施設が映し出されていた。

 

『電人HALから齎された情報の中にあった、スフィンクスがインストールされたスーパーコンピューターがある施設の一つ、未来物理研究所です。これは昨晩、ワタリに急遽飛ばしていただいたドローンで撮影した映像です。藤丸君、次の画像をお願いします』

 

「了解」

 

藤丸がコンソールを操作すると、スクリーンに映し出された画面が切り替わる。次に映し出されたのは、施設により接近したアングルから撮影された映像だった。

そこには、夜の暗闇に包まれた敷地内を、懐中電灯も持たずに歩く二人の男性の姿があった。ミリタリーなデザインのズボンとジャケットを身に纏ったその恰好は、とても警備員には見えなかった。

敷地外のすぐそこで滞空していたドローンは、敷地内を歩いていく二人の後ろを追って飛んでいく。そして、敷地内へと進入したその時――――――映像が激しく揺れた。

 

「!!」

 

その映像を見ていた全員が、一体何が起こったのかと驚愕に目を剥く。その原因は、辛うじて滞空していたドローンが映し続けていた映像の中に捉えられていた。ドローンが追跡を試みようとしていた二人の男は、その手に拳銃を持っていたのだ。どうやら、サイレンサーに付いた拳銃による銃撃を受けたらしい。背後を取って気付かれないように飛行していた筈のドローンを、二人の男は振り向くこともせずに撃ち抜いてみせたのだ。

拳銃による射撃を受けたドローンは、カメラこそ破壊されていなかったものの、プロペラを損傷して飛行能力とコントロールを失い、激しく映像を揺らし、あらぬ方向を向きながら地面へと落下し、そこで映像は途切れた。

 

『この後、何度か別の場所からドローンを飛ばしてみましたが、敷地内へと進入した途端に銃撃を受けて撃墜されました。夜間の射撃にも関わらず、狙いは極めて正確であり、施設の防衛には死角らしい死角が全く確認されませんでした』

 

「電子ドラッグによって脳改造を受けた兵士、か……」

 

『そのようです』

 

その恐ろしいまでの射撃能力を、身をもって知っている和人だからこそすぐに分かった。昨晩HALが言った通り、施設の防衛は、電子ドラッグによって洗脳された人間に武装させて行われているのだ。

 

『他の二つの施設についても同様の偵察を試みましたが、施設内に入ったドローンは全て撃ち落とされました。あらゆる方法で施設の様子を遠隔で偵察を試みましたが、相当な数の兵隊が配備されているようです。確認できただけでも、百名はいます。施設の中枢の守っている、潜在的な兵力もある筈ですから、総合的な戦力は計り知れません』

 

「強行突破は無理、というわけか……」

 

昨晩、和人を襲撃した三人のような戦闘能力を持つ兵士が少なくとも百人はいるのだ。HALが言っていたように、強行突破してスーパーコンピューターを叩くのは戦力的に至極困難であり、よしんば突破できたとしても、罪も無い多くの人間の血が流れることは間違いない。

 

「それにしても、サイレンサー付きの拳銃なんてどこから調達したんだ?」

 

『その調達元については、既に特定しています。どうやら、闇の武器商人を通じて大量の重火器を密かに仕入れていたようです』

 

「監視カメラの映像とかの電子的な痕跡は一切残してなかったから、足取りを辿るのにはかなり苦労したけどな」

 

Lの説明に対し、藤丸は欠伸をしながら付け加えた。目の下には隈ができており、非常に眠そうにしているのを見るに、どうやら徹夜で調べたらしい

 

『密輸された武器の中には、手榴弾や機関銃、RPGといった強力なものも確認されています』

 

「……やっぱり、正面から攻めてスーパーコンピューターを破壊する策は却下だな」

 

『はい、その通りです。確実な方法ではあったのですが、残念ながら実行は不可能です』

 

「やはり、HALの提示したゲームに勝つ他に手段は無さそうだな……」

 

現実世界のスーパーコンピューターへの直接攻撃が封じられたとなれば、HALが提案したゲームに乗る他に道は無い。不確定要素の多い、圧倒的に不利な条件での戦いになることは間違いないが、イベント開催に際してSAO生還者を大勢呼び込むとも言っていたのだ。犠牲者が大勢出る事態を看過することはできない以上、不参加という選択はどの道取れない。

 

「というより、そもそもの話なんだけど……あのHALとかいう奴は、オーディナル・スケールを使って一体何がしたいワケ?」

 

「電子ドラッグなんて物騒な物を作って、たくさんの人を操って……それでやっていることが、ARゲームのイベントですもんね。私達のようなSAO帰還者を狙っているみたいですけど、里香さんの言うように、目的がよく分かりませんよね」

 

里香と圭子が口にしたのは、今回の事件における根本的な部分の疑問だった。電人HALのその創造者である春川英輔と、その協力者である重村徹大。主犯と目されるこの二人の目的は、未だにはっきりとしていない。このような途方も無い手段を講じてまで進めている計画というものは何なのか……

分かっていることは、オーディナル・スケールにおける一連のアインクラッドのフロアボス出現イベントは、標的とされるSAO生還者を呼び込むことを目的として開催されていたこと。そして、時にエイジという実行役を投じて、SAO生還者を直接攻撃してまで、HP全損へと誘導させていたということだった。

 

「その件について、私の方で掴んでいる情報がある」

 

里香と圭子が発した疑問に対し、和人や新一といった捜査メンバーを除く一同が首を傾げる中、めだかが口を開いた。

 

「問題になっているオーディナル・スケールのイベントに参加して、HPを全損したSAO帰還者達に起きた異変だ。これは、私がこの件について気付いたきっかけでもある」

 

「一体、何が起こったっていうの?」

 

めだかが口にした異変という言葉に反応した詩乃が、その詳細を説明するよう追及する。昨晩、イベントに参加してHP全損したという和人のことが気になって仕方が無いのだろう。

一方、問題のイベントでHPを全損したSAO帰還者当人である和人は、その表情を僅かに強張らせていた。

 

「イベントでHP全損指定以降、ある限定的な記憶障害が起こっているらしい。それがために、特定の記憶が思い出せなくなっているという」

 

「記憶障害、ですって……?」

 

「……一体、何の記憶が思い出せなくなっているんですか?」

 

記憶障害という捨て置けない単語に対し、動揺を露にする一同。そんな中、明日奈はその表情を険しくしてめだかへ詰め寄り、その先を促す。

 

「イベントにおいて、フロアボスの攻撃を受けてHPを全損したSAO生還者達は……“SAO事件当時の記憶”が思い出せなくなっているらしい」

 

その衝撃の事実に、会議室に集まった捜査メンバーを除く者達は目を見開いて驚愕する。中には、その言葉を真実として受け止められずにいる様子の者もいたため、めだかがさらに説明を付け足す。

 

「信じられないことだろうが、事実だ。現に私も、一護、アレン、葉かと話をして確認している。三人とも、SAO攻略組として活動していた時の記憶が完全に抜け落ちていた」

 

「そんなことが……っ!」

 

「横浜港北総合病院でメディキュボイドを取り扱っている倉橋医師にも確認したが、同様の症状を同様のタイミングで起こしている患者が何人も確認されているらしい。違うか、和人?それにL」

 

「………………」

 

めだかからの説明が終わり、問い掛けられた和人は、一言も言葉を発さないままその場で暫し瞑目する。

被害者本人達から話を聞いた上、明日奈等もよく知る専門家にも確認を行っている以上、言い逃れは通じない。

意を決した和人は、ワタリが持つパソコン――正確には、パソコンのカメラ――へ視線を向け、無言で頷いた。それと同時に、パソコンのスピーカーから、通信相手であるLの声が響いた。

 

『めだかさんの説明は、全て事実です』

 

Lからの肯定の言葉により、めだかの捕捉説明が事実であったのだと、その場にいた全員が改めて認識し……それと同時に戦慄した。

そんな一同の反応を余所に、めだかから引き継ぐこととなった今回の事件に関する説明が、Lによって続けられていく。

 

『オーディナル・スケールのイベントでHPを全損したSAO生還者の脳には、限定的な記憶スキャニングが行われた形跡があったそうです。SAO時代の記憶を強く励起させる出来事を体験させることにより、記憶のキーとなる単一ニューロンを特定し、そこに電磁パルスを集中させて強制的にイメージを読み取ったと思われます』

 

「SAO時代の記憶強く励起って……まさか!」

 

『はい。フロアボスとの戦闘……その最中でダメージを負って、HPを全損することなのでしょう』

 

常に死と隣り合わせだったSAO事件当時において、特にその恐怖を強く感じる機会があったのは、他でもないフロアボスとの戦闘だった。明日奈はやめだかといった攻略組プレイヤー達も、死を覚悟した場面は一度や二度ではない。HP全損ともなれば、否が応でも、当時の記憶が呼び覚まされるトリガーとしては十分だった。

 

『記憶障害は、おそらく記憶スキャンの影響で起こっているのでしょう』

 

「……つまり、一連の事件は、SAO生還者の記憶をスキャンして、収集するために引き起こされたっていうことなの?」

 

『そのような結論に至ります。彼等が収集した記憶で何をしようとしているのか、まではまだ分かっていませんが』

 

首謀者達がこのような計画を立てた真の目的までは分からかったが、計画遂行に当たってどのような手段を取っているかはこれではっきりした。だが、その手段の代償が、SAO事件当時に限定されているとはいえ、記憶障害である。どのような目的があったとしても、あらゆる意味で許容できるものではない。

尤も、だからこそ重村や春川は、水面下で誰にも悟られないように、HALや電子ドラッグを駆使して計画を進めてきたのだろうが。

 

「ちょっと待って。記憶障害は、被害に遭ったSAO生還全員に起こっているのよね?なら……」

 

そこまで話したところで、全員の視線が一人の人間に集中する。他でもない、昨日のイベントでHPを全損した和人である。

ことここに至っては、誤魔化しは一切通用しないことは言うまでも無い。皆から無言の視線による圧を受けた和人は、静かに口を開いた。

 

「はい。昨晩から、SAO事件当時の記憶が一部思い出せなくなっています」

 

何でもないことのように、淡々とした口調で肯定してみせた和人。だが、その場にいた全員は騒然としていた。特に明日奈と詩乃が強く衝撃を受けた様子だった。

 

「大変じゃない!こんなところにいないで、早く病院で診てもらわないと!」

 

「受診したところで、症状が改善することはありません。それに、SAO事件の記憶全てが消えているわけではありません。捜査に支障はありません」

 

「そういう問題じゃないでしょう!!」

 

自身の記憶障害を、気に留める程の事でも無いと言わんばかりの和人の態度に、明日奈はその端正な顔を怒りに染めて、声を荒げる。あまりの剣幕に、周囲はビクリと震えて思わず後退りした程だった。だが、当の和人はどこ吹く風といった様子でその表情を崩さない。

そんな中、めだかがかずとの言動を訝り、口を挟む。

 

「今、妙なことを言ったな。今回の事件で被害に遭ったSAO生還者達は、事件当時の記憶は全く思い出せなくなっている。なのにお前には、どうして事件の記憶が残っているんだ?」

 

「言葉通りの意味だ。原因は分からんが、どうやら俺は、スキャニングが上手くいかなかったようだ。当時の記憶は三割から四割くらいが虫食い状態で思い出せない部分があるが、消えずに残っている記憶もある」

 

スキャニングが上手くいかなかった正確な原因は、和人自身にも分からない。だが、仮説は立てられる。

和人は異世界の忍者である、うちはイタチの前世の記憶を引き継いでいる。その人生は、常在戦場で、常に死と隣り合わせと言っても過言ではなかった。そしてその末に、本物の死を……それも二度も経験しているのだ。

SAO事件の記憶をスキャンするためのトリガーが“死の恐怖”だとするならば、死を誰よりも身近な存在として感じてきた前世を持つ和人には、事件当時の記憶を呼び起こすには十分な刺激足り得ない。それが、スキャニングが上手くいかなかった原因なのかもしれない。

 

「ともあれ、フロアボス攻略に関する情報に関しては、幸いなことに七十五体分全て思い出せる。さっきも言ったが、捜査を続けるのに問題は無い」

 

「あのねえっ!」

 

「それより、話の続きだ。HALを止めるには、スフィンクスの排除は必須だ。現実世界からそれができない以上、危険を承知で奴が提示したゲームに身を投じる他に手は無い」

 

『あのう、そのことなんですが……』

 

怒りが収まらない明日奈を余所に、HALが開催するゲームへの参加を改めて表明する和人。だがそこで、ユイがおずおずと手を挙げた。

 

『昨晩のイベントで、パパがHP全損した時に、オーグマーから光の球体が出てきていました。恐らくあれが、スキャンされた記憶のデータだったんだと思います』

 

「本当なのか?」

 

『はい。記憶データの光球は、オーグマーから出た後、上空を飛んでいたドローンに吸い込まれていきました。多分あのドローンは、通信状況緩和に加えて、データを回収するためのものだと思うんです』

 

『光球が出てきて、ドローンに吸い込まれたところは、僕も確認している。尤も、仲に侵入したところまでは良かったけれど、危うくHALに捕まるところだった。ユイちゃんが助けてくれなかったら、本当に危なかったよ』

 

苦笑しながらユイの話を肯定するのは、同じプログラムであるヒロキだった。

 

『それで、思ったんですけど……あのドローンをどうにかできれば、計画を止めることはできるんじゃないでしょうか?』

 

「成程……記憶を収集する装置を破壊する等して無力化すれば、連中の計画は滞ることになる、というわけか」

 

めだかの問いに、ユイは強く頷いた。

ドローンが記憶データ回収のために必要な装置ならば、それを排除することで計画を中止、或いは遅延させられる可能性がある。上空を飛行するドローンならば、電子ドラッグで強化された人間であっても、守り切ることはできない。狙撃等の遠隔手段で撃ち落とせば、リスクも無い。和人達も、罠と分かっているゲームに赴く必要は無くなる筈、とユイは考えていた。

 

「残念だが、それは却下だ」

 

『ど、どうしてですか!?』

 

「ドローンの破壊は確かに有効な方法だ。だが、それを行えば、HALはより危険な手段を講じて計画を強行するだろう。それこそ、昨晩の俺への襲撃のようにな」

 

『!!』

 

和人の言葉に、しかし誰も否定することはできなかった。現に昨晩の和人襲撃は、大怪我どころか命の危険すらあったのだ。電子ドラッグを使用し、闇の武器商人から銃火器を買うというとんでもない手段を実行しているHALである。春川英輔の目的のために、ただただ忠実に計画を遂行するプログラム然としたその行動には、躊躇というものは全く感じられなかった。

 

「よって、HALが提示したゲームへの参加は確定だ。他のSAO生還者も多数呼び込むと言っていた以上、罠であろうと、どの道放置するわけにはいかない」

 

「そうよね……」

 

「今から説得するなんて、多分無理ですもんね……」

 

オーディナル・スケールのイベントで起こっている出来事をネット上で拡散して、SAO生還者に参加自粛を呼び掛けるという手段は使えない。誰も信用しないだろうし、公的な場所へ訴えかけたとしても、証拠が足りない。それに、譬え警察や政府の関係者を動かせたとしても、HALが手を回している可能性もある。

 

「クォーターポイントのフロアボス三体か……」

 

「かなりヤバいって話だけど、やるしかないみたいね」

 

フロアボスの能力的にも、HALの仕組んだゲームという点からしても、困難な戦いになることは間違いない。だが、最早戦う以外に道は無い。会議室に集まった面々は、改めて覚悟を決めた。

 

「それで、ゲーム参加に当たって、一つ言っておきたいことがある」

 

そうして本格的な作戦会議を始めようとした時。和人が待ったをかけた。そして、真剣な表情で言った。

 

 

 

「明日奈さん達には、今回の事件からは、手を引いてもらいます」

 



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第百四十四話 臨戦【deploy】

 

「HAL、そちらの首尾はどうなっている?」

 

『問題はありませんよ。至って順調です』

 

和人等がLの捜査本部に集まり、今後の捜査方針を話し合っていたその頃。和人等に宣戦布告を行った電人HALの姿は、HALの創造主である春川英輔と対を成すもう一人の黒幕である、重村の研究室にあった。

重村のもとを訪れたのは、昨日敢行した、名探偵Lが指揮する捜査本部への宣戦布告並びに交渉の結果を報告するためである。

 

『電子ドラッグやそれによって洗脳した兵隊の存在は、捜査本部の連中にそれなりの衝撃を与えられたことでしょう。そして、私を守護する防衛プログラムであるスフィンクスを賭けたゲーム……彼等は確実に参加する筈です』

 

「……本当だろうな?」

 

全て思惑通りであり、何も心配することは無いと話すHALに対して猜疑の視線を送るのは、もう一人の協力者であり実働役のエイジこと後沢鋭二だった。

 

『勿論だとも。確かに、ゲームの報酬に相当するスフィンクスの除去については完全には信用してもらえなかっただろう。だが、イベントにはSAO生還者を大量に招致すると言っておいた以上、彼等は犠牲者を減らすために参加せざるを得ない。相手がクォーターポイントのフロアボスともなれば、猶更だ。犠牲者を減らし、我々の計画を止めるためにも、彼等は参加せざるを得ない』

 

宣戦布告を行った相手である、Lや和人といった者達の動向に対するHALの推測は、非常に正確なものである。事実、和人等はHALの提示したゲームへ参加する方針を固めているのだから。

 

『スフィンクスの除去も、最初のイベントがクリアされれば事実であることが証明される。報酬が事実であると知れば、向こうもイベントの攻略に精力的になる筈だ』

 

「それで……仮に奴等が、あんたの提示したゲームイベントを全部クリアしたらどうするつもりだ?黒の忍の記憶データ無しには、データの不具合を修復できないんだろう?」

 

『抜かりはない。クォーターポイントのフロアボスは、回を重ねるごとに強くなる仕様だ。それに、行動パターンもいくらか改良しておいてある。黒の忍と呼ばれた彼といえども、クリアするのは極めて困難だ。それに……黒の忍のデータが入手できなかったとしても、問題は無い』

 

「どういうことだ?」

 

『桐ケ谷和人の記憶に関しては、最悪の場合は切り捨てれば良い。仮にその目論見が失敗したとしても、私が提示したゲームをクリアするのに、彼等が必死になるのは必定だ。である以上、戦力の出し惜しみはできなくなる。結果、彼等の仲間であるSAO生還者の参加者は増え、犠牲者もまた必然的に増える。計画に必要なデータ収集には困らないというわけだよ』

 

HALの計略において重要なのは、提示したゲームに和人等を引きずり出すこと。結果がどちらに転んだとしても、計画に支障は全く生じないのだ。そんな完璧とも呼べるHALの計画に、不信感を抱いていた鋭二もそれ以上否定的な意見を唱えることはできなかった。

 

「あんたはどうするんだ。万一、クォーターポイントのフロアボスが全滅するようなことになれば、スフィンクスも消滅して、あんたは丸裸同然になるんだろう?」

 

『おや、君が私の心配をしてくれるとはね。だが、そちらも対策済みだ。スフィンクスとは別に、この身を護る最後の砦がある。計画を成し遂げるまで、私は捕らわれるつもりも、滅ぼされるつもりも無い』

 

自身を守護するプログラムをベットするゲームを開催しておきながら、保身の策まで用意しているHALの計略は、どこまでも抜け目が無かった。柄にもなく、常日頃から胡散臭いと思っていた相手を心配してしまった鋭二は、軽く後悔していた。

 

『ともあれ、桐ケ谷和人とLが率いる捜査本部については、私が引き受けた。警察や政府の動きもこちらである程度押さえておこう。そちらは、計画の最終段階に向けた準備を頼む。では、私はこれで……』

 

必要なことは全て伝えたと判断したHALは、その身にノイズを走らせて、その場から自身のアバターを消し、その場を去っていった。

 

「重村教授、奴のゲーム作戦は成功するんでしょうか?」

 

「ゲームの成否は計画の大勢に影響しない。彼が言ったことは事実だ。ここは彼に任せて、我々は我々の仕事に取り掛かるとしよう」

 

重村としては、HALが開催するゲームの成功・失敗に対してはそこまでの関心は無い。和人の記憶を再スキャンするという目的もあるが、それだって是が非でも必要というわけではない。HALが出張ることとなった大元の目的である、計画を支障無く最終段階へ進めるまでの間、捜査を攪乱するための時間稼ぎさえできれば良いのだ。

 

「……そもそも疑問に思っていたことなのですが、何故、ここまで手の込んだ手段を講じなければならないのでしょうか?奴の持っている電子ドラッグでSAO生還者を洗脳して、フロアボスに攻撃させれば良かったのではないですか?」

 

「君の言う方法ならば、確かに効率的にスキャンできただろう。だが、それでは精度の高いデータは期待できないのだよ」

 

「どういうことです?」

 

電子ドラッグを利用した記憶収集方法には問題があるという重村の言葉を訝る鋭二。重村は溜息を吐きながら説明を続けた。

 

「……記憶データをスキャンするには、脳のコンディションは可能な限り自然体である必要がある。電子ドラッグによる洗脳を行えば、情動や感受性に著しい影響が出る。その結果、スキャンにエラーが生じるリスクが生じるということだよ」

 

「電子ドラッグを使用している僕には、何も問題は無いようですが……」

 

「君に使用しているのは、HALが君専用にカスタマイズした特製品だ。身体能力を大幅に向上させながらも、理性を残しているのは、君の脳に合わせた調整を行っているからだ。現に君は他の兵士とは違い、HALに洗脳されていないだろう?」

 

重村の言葉に、確かにと呟く鋭二。春川英輔とHALには計画の当初から疑念を抱いており、彼等が作った電子ドラッグにも同様の印象を抱いていた。使用をするに至ったのは、鋭二が信頼を置く重村のお墨付きだったからに他ならない。洗脳を受けていないことについては、あまり深くは考えていなかったが、こうして改めて説明を受けると納得できる。

 

「そのような理由で、オーディナル・スケールのイベントを開催し、SAO時代を彷彿させるシチュエーションとしてはできる限り自然な形で、死の恐怖を目覚めさせようとしたわけだ。他に何か、聞きたいことはあるかね?」

 

「……もう一つ、良いでしょうか?HALは……いえ、春川教授は、我々の計画に協力することで、何を得ようとしているのでしょうか?」

 

重村と鋭二が進めている計画遂行に当たって講じている手段は、明らかな違法行為である。表沙汰になれば、教授という地位を失うことは勿論、犯罪者として刑務所へ送られることは間違いない。重村と鋭二にはそれを覚悟の上で計画を遂行するだけの理由と覚悟があるが、春川は一体、何のために協力しているのか。電子ドラッグ同様、重村が信頼を置いているという理由で、疑念を抱きながらも行動を共にしてきたが、ふとここに至って鋭二は気になっていた。

それに対し、重村は一度瞑目すると、神妙な面持ちで口を開いた。

 

「詳しい説明は避けさせてもらうが……彼の最終目的とそれを成し遂げるための手段は、私達と同じだ」

 

「それは、まさか……」

 

「そして、計画を実行するためのリソースは、“彼自身”だ」

 

重村からの説明に、鋭二は信じられないとばかりに目を大きく見開いた。重村が口にした、春川英輔とHALが行おうとしている計画を、現在進めている計画に当て嵌めた場合……春川英輔は、その命を計画実行の代価にすることを意味しているのだから。

 

「彼には私達と行動を共にするだけの理由と覚悟がある。私が彼に信頼を置いているのも、それが最大の理由だ。話はこれで終わりにする。さあ、行きたまえ」

 

「……分かりました」

 

重村のこれ以上無い程に真剣な顔を見た鋭二は、それ以上の問いを重ねることはしなかった。最終目的が同じだと言うのならば、自分達のように法を犯すだけでなく、自身の命を賭してでもこの計画に拘るのも納得できる。それだけの覚悟があるのならば、裏切りなどあり得ないだろう。

計画も最終段階が近づいている中、裏切り等を警戒して協力者へ疑念を向け続けているわけにもいかない。鋭二の中では、全幅の信頼を置くとまではいかなかったが、春川とHALを同志として認めることだけは、心に決めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

2026年4月29日

 

電人HALからの宣戦布告から三日が経ったこの日。一連の事件を捜査しているL率いる捜査本部のメンバーの一人である和人の姿は、文京区にある東京ドームシティにあった。現在時刻は八時三十分。既に日も暮れており、辺りは夜の闇に包まれている。

だが、ドーム前の広場にいる人の数は、減るどころか増えていた。そして、その場にいる彼等彼女等の共通点は、オーグマーを装着していることである。

 

「相当派手に宣伝したようだな。予想以上にプレイヤーが集まっている」

 

『今、ここに集まっている人の中で、オーディナル・スケールを起動している人のアカウントを調べてみたけど……SAO生還者はかなりの割合でいるね。和人君を除いて、三十人は下らないだろうね』

 

これまで参加したイベントとは比にならない参加人数をヒロキから知らされ、和人は僅かに顔を顰める。これから相手するのは、アインクラッドフロアボスの中でも無類の強さを持つ、クォーターポイントの守護者である。『二刀流』という強力無比なユニークスキルを使えた当時でも、かなりの苦戦を強いられた相手である。

それを今回、現実世界の身体能力と規定範囲内の武装・スキルしか使えないオーディナル・スケールで倒さなければならないのだ。SAO事件当時がそうであったように、今回の戦闘でも相当な犠牲者が出ることが予想された。

 

「それでも、放置するわけにはいかないんでしょ?それに、今回の事件を解決するには、どうしてもクリアしなきゃいけないんだから、やるしかないわ」

 

これから行われる戦いで大量の犠牲者が出ることと、それを止められないことに歯噛みした様子の和人に対して励ますように声を掛けたのは、詩乃だった。先日の会議をきっかけに捜査メンバーに加わった彼女は、和人をフォローするために今回のイベントへ参加すべく彼に同行していたのだった。

 

「時間まではあと二十五分くらいね。残りのメンバーは、いつ頃到着するのかしら?」

 

『さっき、それぞれの端末位置情報を調べてみたけど、皆今こっちに向かっているところだね。あと十分もすれば、皆揃うと思うよ。捜査メンバーの中では、最初に到着するのは蘭さんと京極さんじゃないかな?』

 

「捜査メンバーの中では?」

 

ヒロキが口にした表現に、何か引っ掛かるものを覚えた和人。その意味を問い質そうとした時……

 

「和人君!」

 

和人に声を掛ける人物が現れた。声のした方を振り返ると……そこには、明日奈がいた。その肩にはナビゲーション・ピクシー姿のユイが乗っている。後ろには、めだか、里香、圭子が立っていた。

四人と一人の姿を見た和人は、溜息を吐きながら額を押さえた。和人の隣に立つ詩乃とヒロキは、やれやれと肩を竦めていた。

 

「明日奈さん……どうして来たんですか?」

 

「そんなの決まってるでしょう。私も戦うためよ」

 

「……先日の会議の時に説明したことを、もうお忘れになったんですか?」

 

HALからのゲームの提案があった翌日。Lの調査結果や、イベントでHP全損したSAO生還者達の状況について情報を共有した会議において、和人は明日奈等SAO生還者に対して、今回の事件から手を引くようにと要請を行った。

主な理由は二つ。一つ目は脳をスキャンされることによる記憶障害の危険から、明日奈達を遠ざけるため。二つ目は、犠牲者が発生することで重村と春川が水面下で進めている計画が進行することを防ぐためである。加えて、HALは電子ドラッグで洗脳した兵士を銃器で武装させている。先日のように、和人等SAO生還者を直接的な攻撃を仕掛けて来る可能性もゼロではないのだ。

最悪の場合は、怪我程度では済まない……命の危険すら伴うこの危険な捜査から、一般人の域を出ない明日奈等を遠ざけようとするのは、当然のことと言えた。

 

「あんな説明だけで、納得できるわけないでしょう。和人君だけ危険な目に遭わせて、どうして私達だけ安全な場所でのうのうとしていられるのよ」

 

「私達を巻き込まないためとは、実にお前らしいが……しかし、だからといって私達とて引き下がるつもりはない」

 

しかし、和人の願いに反し、明日奈もめだかも、それを聞き入れるつもりは毛頭無いという。そしてそれは、二人の後ろにいる里香と圭子も同じであり、同意するように頷いていた。

対する和人は、予想できていたことながら頭が痛くなる思いだった。先日の会議の場でも、何とか引き下がってもらうべく強く訴えかけたが、まるで聞く耳を持ってもらえなかった。とはいえ、和人とてこのまま了承することはできない。

 

(やむを得ん、か……)

 

説得は不可能と判断した和人は、ここは強引に、実力行使に踏み切り、意識を刈り取るしかないと判断を下す。そして、意を決して明日奈達の方へと一歩踏み出そうとする。対する明日奈達は、やや物騒な空気を纏い始めた和人に対し、その表情を緊張させる。そんな彼女等に対し、和人はさらに近づき――

 

「和人君、そこまでよ」

 

ふと、和人の方へ声を掛ける人間が現れた。和人がゆっくりと振り返ると、そこには蘭が立っていた。その隣には、真の姿もある。二人揃って和人へ呆れたような視線を向けており、和人が何をするつもりだったかを察していた様子だった。

 

「蘭……」

 

「いくら明日奈ちゃん達のためでも、それは駄目。力尽くじゃ、何も解決しないわよ」

 

蘭からかけられたその言葉に、和人はばつの悪そうな表情を浮かべて眼を逸らした。そのやりとりを見て、明日奈等は和人が自分達を強引に気絶させようとしていたのだと知り、冷や汗を流していた。

 

「……俺だって、好きでやろうと思ったわけじゃない。これ以外に明日奈さん達にこの場を退いてもらう方法が無いだけだ」

 

「それは和人君の主観でしょう?強引な手段で遠ざけても、彼女達は諦めないわ」

 

「諦める、納得するの問題じゃない。SAO生還者の参加を認められないと言っているんだ」

 

明日奈等が維持でも参加する意思を取り下げないと言っているのと同様に、和人は何が何でも明日奈等を参加させまいとしていた。双方ともに一歩も譲らず、三日前の話し合いから今日に至っているのだ。そんな和人に、蘭は溜息をこぼす。

 

「……私と出会ったばかりの頃の和人君を思い出すわ。あの頃は、自分の抱えている事情に周りを危険に巻き込まないために、私や直葉ちゃんを頼るどころか、話もしてくれなかった」

 

「俺が明日奈さん達の参加を認めないのは、危険だからだ。今も昔も関係無い。それに……別に、俺はあの頃から何も変わってはいない」

 

「そんなことは無いわよ」

 

和人の言葉を、蘭は首を横に振ってきっぱりと否定した。まるで、それこそあり得ないと言わんばかりである。

 

「私が和人君と会った時は、大変なことほどいつも一人で背負い込んで、私達のことは除け者にしていた。けれど、最近は私達のことを少しは頼ってくれるようになったと思う」

 

「蘭の言う通りだな。以前のお前ならともかく、最近のお前は私達のことも信頼してくれるようになっていた。少なくとも、SAO帰還者だからという理由だけで、ここまで頑なに私達を拒絶することはなくなっていた筈だ」

 

蘭を援護するめだかの意見に、明日奈とユイ、圭子、里香が頷く。ヒロキも内心は同じことを思っているらしく、やれやれと肩を竦めていた。真だけは、和人との付き合いが短いために、どちらにも同意できずにいた。

対する和人は、誰一人自分に味方してくれる人間のいない状況下に置かれ……しかし、どうにかして退かせることはできないかと未だに思案を続けていた。

 

「もしかして……SAO事件の記憶が無くなったことと、関係があるの?」

 

「………………」

 

明日奈が不安そうな表情で口にしたその言葉に、和人は何も答えなかった。否……答えられなかったのだ。

先日のイベントにおいてHPを全損した和人に対して行われた脳内スキャンは、不完全な形で終わった。だが、記憶の欠如は確かに起こっているのだ。今一番必要とされていると目されるフロアボスとの戦闘をはじめ、攻略組として最前線で戦っていた時のことは、ほぼ思い出せる。だが、攻略から離れていた時間の記憶の中には、思い出せないものが多くあった。

確実なことは言えないが、事件当時の非日常の中にあった日常と呼べる記憶の欠損が、自分の内面に影響を与えているのかもしれない。

 

(以前の俺、か……)

 

蘭とめだかから指摘されて気付いたこともある。今の自分とSAO事件後の自分を比較すると、確かに違和感を覚える。

SAO事件後、和人がイタチとして解決に導いたALO事件とGGO事件こと死銃事件。それぞれの事件で知り合った者達に絶剣ことユウキを加えたパーティーで攻略した、エクスキャリバー獲得クエスト。そして、ユウキとスリーピングナイツのメンバー達との関わり……

ALO事件あたりはあまり問題に思わなかったが、後半に進むにつれて、違和感は大きくなっていった。それは、自分自身の言動とは思えず……まるで他人の記憶を擦り込まれたかのように思えてしまう程だった。自分はどうしてこれ程までに、他人に気を許すようになってしまったのだろう、と――――――

 

(今の俺は、変わった……いや、戻ったと言うべきなのかもしれんな)

 

和人自身、何を忘れてしまったのか自体が思い出せない。だが、失われた記憶は今の――正確には、先日までの――自分を作る上で、かけがえの無い非常に重要な要素となっていたことは間違いない。それが欠損したことで、考え方がSAO事件当時、あるいはそれ以前の……忍世界を生きた、うちはイタチへと戻っているのだろう。

 

「……そろそろ時間だな。皆、オーディナル・スケールを起動して準備に入るぞ」

 

「そうね……」

 

和人が明日奈からの問いに対して返答に窮している間に、既に時刻はイベント開始まで十分前となっていた。最早ここに至っては、明日奈等を説得して退かせる時間は無い。やむなく和人はオーディナル・スケールを起動し、仲間達とともにイタチとして臨戦態勢を整える。

そして、仲間との連携を打ち合わせる中で同時に思う。失われた記憶は、必ず取り戻さねばならないと。胸にぽっかりと大きな穴が開いたかのような喪失感が、自身にそう訴えかけてきていることを、和人は感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

『ガジャァァァアアア!!』

 

イベント開始時刻の九時へと至ると同時に、東京ドームシティの広場に現れた巨大な影。十数メートルの巨体に、硬質な印象を与えるごつごつとした鎧のような皮膚。右は赤眼、左は青目の双頭であり左右半身の胸部には瞳と同色の血管のようなものが走っている。両手にはそれぞれ巨大な大剣を持つ巨人である。

 

「アインクラッド二十五層フロアボス――『ザ・ツインヘッド・タイタン』!」

 

SAO事件当時において一際多くの犠牲者を発生させた、第一のクォーターポイントのフロアボス『ザ・ツインヘッド・タイタン』。当時と変わらない巨大かつ強大なその威容に、SAO生還者を含めたプレイヤー達は思わず立ち竦んでしまう程だった。

 

「皆、散開しろ!タンクは両サイドへ展開して防御だ!」

 

「頭はそれぞれ別のAIで動いているから、それぞれ離れさせて!一カ所に固まっていると、連撃が来るわよ!」

 

強大なボスモンスターを目の当たりにして呆けた状態のプレイヤー達へ、イタチとアスナが素早く指示を送る。イベントに参加していたSAO生還者のプレイヤー達の中には、『閃光』のアスナを知る者も多くいたことに加え、アスナの指揮官適性の高さのお陰で、即席のレイドながら動きは上手くまとまりつつあった。

 

(奴の攻撃力は、まともに受け続ければすぐにHPが尽きる。防御は最小限に、回避盾が前に出なければ……)

 

大剣の一撃がまともに入れば致死レベルであることはSAO事件でも確認されている。それが左右連撃で繰り出されるのだ。まともに受けようものならば、到底防御し切れない。故に、左右両サイドに展開して攻撃を分断する必要があるのだ。しかし……

 

「どけぇっ!俺が食らわせてやる!」

 

「いや、俺がやるっ!!」

 

その場に集まったプレイヤーで構成された即席レイド故に、全員が全員、イタチとアスナの指示に従って動いてくれるわけではなかった。事情を知らないプレイヤー達の中で、スタンドプレーを好む者達は、連携そっちのけでボスへダメージを与えるために好き勝手に動き回っていた。そして、そんなプレイヤーたちに触発されて、アスナの指示に従っていた者達が浮足立ち始めていた。

 

『ガガガジャァァアアアアッッ!!』

 

「皆、伏せろ!」

 

激しい咆哮とともに繰り出される、双頭双極の巨人の右手に持った大剣から放たれる剣戟。横薙ぎに繰り出された一撃は、単純ながら速く、並大抵のプレイヤーでは反応するのは難しい。ましてや、スタンドプレーに走ろうとしていたプレイヤーもいる中では、和人が指示を出しても、回避行動に移れないプレイヤーが複数出て来るのは自明の理だった。

 

「ぬわぁっ!」

 

「うおわっ!」

 

イタチの指示に対して反応し切れなかったプレイヤー二人に、大剣の薙ぎ払いの一撃が直撃し、その胴体に赤いダメージエフェクトが真一文字に刻まれる。

 

『ガッジャァァアアアッ!』

 

「横へ跳べ!振り下ろされるぞ!」

 

だが、巨人の攻撃はこれだけで終わらない。今度は左手に持った大剣を天高く振り上げる。地面に伏せて先の剣戟を回避していたプレイヤー達が多く密集している場所目掛けて、今度は垂直に振り下ろそうとしているのだ。攻撃範囲は狭いながらも、威力はこちらの方が上。しかも、得物が巨人サイズの大剣なのだから、攻撃範囲は侮れない。

すぐさま反応したイタチが再び指示を飛ばすも、何名かのプレイヤーは満足に動けていない。そんなプレイヤー達目掛けて、巨人の大剣が振り下ろされる。プレイヤーが密集していた場所を狙ったのだろう。今度は三人のプレイヤーが直撃を受けて、その身にダメージエフェクトを刻まれていた。

先程の横薙ぎの攻撃を受けたプレイヤーと合わせて五名のプレイヤーが、HPを全損してアバターが解除される。それと同時に、内二人のプレイヤーのオーグマーから光球が飛び出し、上空を飛んでいたドローンへと吸い込まれていった。どうやら、SAO生還者だったらしい。

 

「アスナさん!皆を下がらせてください!」

 

「ええ!」

 

このままでは、犠牲者が増えるのみである。そう判断したイタチは、アスナへ一時撤退を要請する。プレイヤー達も、一度に五人もの仲間がやられたことで頭が冷えたのだろう。アスナの指示に従い、巨人から距離を取り始めた。

一方のイタチは、回避盾として巨人を足止めすべく、一人その場に残っていた。

 

『ガァアジャァアッ!!』

 

イタチの狙い通り、巨人は自身から見て最も近くにいるイタチへと狙いを定めた。SAO時代のようにステータスやソードスキルのシステムアシストは受けられないが、桐ケ谷和人の運動能力ならば、回避盾としての役割は十分果たせる。

 

(ある程度時間を稼げれば、アスナさんのレイドも立て直しもそろそろ完了する筈だ)

 

あれだけ戦いから遠ざけようとしていただけに、アスナの力を借りることに対して非常に心苦しく思っていたイタチだったが、ことここに至ってはそのようなことは言っていられない。せめてイタチにできることは、アスナを巨人の大剣が届く範囲外へと離脱させることくらいだった。だが、大剣の攻撃を三回程避けた、その時だった。

 

『ガァァッ………………!』

 

「何――っ!?」

 

巨人の右半身の胸部が、空気を吸い込んだかのように膨らみ始めたのだ。しかも、胸に走っている赤く浮き上がった血管が光を増している。その異変にイタチはまさかと驚愕に目を見開く。そして、次の瞬間――

 

『ガァァアアアアッッ!!』

 

巨人の右頭部から、火炎ブレスが放たれた。放水のように遠距離まで伸びる火炎は、巨人から見て右方向に展開していたレイドへと直撃した。

 

「きゃぁああっ!」

 

「くぅっ……!」

 

「むぅうっ……!」

 

燃え広がる人の中で上がるプレイヤー達の声の中に、シリカの悲鳴とリズベット、メダカの呻き声が混ざっていた。HP全損に至ったプレイヤーはいないようだが、少なくないダメージを負わされたらしい。

 

『ガァァッ………………!』

 

(今度は左の頭の攻撃……!)

 

右頭部が火炎放射を吐き終えた直後、今度は左半身の胸部が膨らみ始めたのだ。恐らく、反対側に展開しているレイドを狙うつもりなのだろう。それを察知したイタチは、すぐさま攻撃を阻止すべく行動を開始。ボスの右半身の弱点である、胸部の血管目掛けて剣の刺突を見舞おうとする。だが、

 

『ガァアジャァッ!』

 

「ぐっ……!」

 

巨人の右手に持った大剣が、イタチの行方を阻む。振り回される一撃必殺とも言える威力を持つ大剣に、イタチは接近すら儘ならない状態だった。そうしている内に、左頭部の攻撃準備が完了する。だが、その攻撃方法は右頭部のようなブレスではない。左頭部の周囲に、氷でできた鋭い氷柱のような突起物が発生し始めたのだ。

 

(まさか、あれは……!)

 

『ガァァアアアッッ!』

 

そうして左頭部の咆哮とともに放たれたのは、氷でできた突起物の投擲――氷の矢だった。十五本もの矢が、レイド目掛けて飛来する。

 

「くっ……!」

 

「はあっ!」

 

「せいっ!」

 

それに対応したのは、標的となったレイドの方にいたアスナ、ラン、マコトだった。三人は細剣による刺突と体術の拳撃、蹴撃で氷の矢を迎撃していた。

 

「わぁぁああっ!」

 

大部分は三人の活躍で破壊できたが、位置の関係で対応が間に合わなかった矢が一本あった。それは、プレイヤーの一人の胸部へと命中し、貫通した。HPは急所を貫くこの一撃で全損である。それと同時に、オーグマーからは光球が飛び出した。

 

(HALの奴……ボスの行動パターンとAIを操作したのか!)

 

ザ・ツインヘッド・タイタンの双頭が放つブレス攻撃は、ダメージの蓄積による行動パターンの変化によって行われるものである。先程のように、序盤で使われるスキルではないのだ。加えて、氷の矢を放つ攻撃など、SAO事件当時は勿論、新生アインクラッドでも無かった攻撃である。

本来無い筈のこれらの攻撃パターンは、HALによって組み込まれたものなのだと、イタチは即座に見抜いた。恐らく、オリジナルのボスのAIに手を加えたのだろう。

さらに、炎のブレスも氷の矢も、SAO生還者がいる場所、または本人を的確に狙っていた。恐らく、SAO生還者を優先的に狙うようにプログラムされているのだろう。

 

(厄介な……!)

 

イタチが直面している戦局は、非常に分が悪い状況だった。

SAO生還者を後ろに下がらせた状態で、自分が回避盾となって攻撃のチャンスを作って畳みかけるという算段が崩れたのだ。大剣の範囲外へプレイヤーを逃がしても、遠隔攻撃が序盤で使える状態では、それも意味を為さない。しかも、SAO生還者を優先的に狙うとなれば、イタチ自身が回避盾として釘付けにし続けるのは難しい。

運動能力に優れるランとマコトに前へ出てもらうという手もあるが、後方のレイドへ放たれる氷の矢を撃ち落とせるプレイヤーがいなくなるのは危険である。

フロアボスイベントには時間制限もある。この状況を、犠牲者を出さずに打破する方法を必死に考えるイタチだが、制限時間内でボスを倒せなければ、スフィンクスの除去はできないのだ。

 

『ガァァアアアアッ!!』

 

「くっ!」

 

そうこうしている内に、巨人の右半身の胸部が再び膨らみ始めた。先の火炎ブレスでかなりのダメージを負ったプレイヤー達に、再び火炎が浴びせられれば、全員HP全損は免れない。それを防ぐために、イタチが再び立ち向かうも、巨人の左手に握られた大剣がまたもイタチを阻む。そして、イタチが攻撃を阻止できないまま、再びの火炎が放たれようとした――――――

 

「おりゃぁぁあああ!!」

 

『ガジャハァアアッッ……!?』

 

その直前だった。威勢のいい叫び声が響き渡ったのと同時に、巨人の体に衝撃が走ったのだ。火炎ブレスを放つために膨らんでいた右半身の胸部は収縮しており、攻撃がキャンセルされていた。

ザ・ツインヘッド・タイタンの攻撃をキャンセルするには、攻撃を発動しようとしている方とは反対側の半身の胸部血管を攻撃する必要がある。だが、それを行ったプレイヤーの姿は見えなかった。

 

「イタチ!また一人で突っ走ってんじゃねえよ!」

 

「カズゴ……どうしてここに……!」

 

一体、誰がやったのか。それを考えるよりも先に、和人から見て死角となっている巨人の左半身後方から、人影が姿を現し、駆け寄ってきた。大剣を担いだ、オレンジ色の髪をした長身の少年――カズゴである。

つい先日、エイジの襲撃で負傷した上、記憶スキャンの影響で記憶障害が生じて入院していた筈の彼がこの場に姿を現したことに、イタチは僅かに驚いた。僅かなのは、カズゴがここに現れた理由と、誰が呼び出したかが、すぐに想像できたからだった。

 

「決まってんだろ!お前がまた無茶やらかしたって聞いて駆け付けてきてやったんだよ!」

 

「相変わらずですよね、イタチは。少しは周りを頼るようになってくれたと思ったんですが……」

 

「まあ、良いじゃねえか。どうしても一人で行くってんなら、何度だってオイラ達の方から手を伸ばせば良いんだからよ。まあ……何とかなるさ」

 

苛立つように言い放つカズゴに続き、彼と同じく入院していた筈の少年二人――アレンとヨウが駆け付けた。どうやら、二人もイタチの救援に駆け付けたらしい。

 

『悪いね、イタチ君』

 

「ヒロキ……やはりお前か」

 

そこへ新たに、ヒロキが姿を見せる。三人に連絡を取って救援要請を出したのは、イタチの予想通り、ヒロキだったらしい。

 

「一度スキャンをされたSAO生還者ならば、それ以降にリスクは無い……そういうことか」

 

『僕としても、できればやりたくなかった手段だけどね。けど、戦力不足を補うにはこれしかないだろう?』

 

「……分かっている。俺の力だけでは、この戦いがどうにもならないこともな」

 

ヒロキの言葉に、イタチは力なくそう返した。どれだけイタチが力を尽くしたとしても、戦力不足はどうしても解決できない問題である。リスクを回避した上で解決を図る場合、このような方法しか取れないのだ。

何より、全てを一人でやろうとして失敗した前世を持つイタチである。イタチ自身もそれは身に染みて分かっている筈なのに、今回もまた同じ理由で同じ失敗しようとしていた後ろめたさもあり、ヒロキを責めることはできなかった。

 

「イタチ君、それは違うよ」

 

そんなイタチを否定する人物が現れた。イタチが振り返った先にいたのは、中学生と見紛うような小柄な……しかし、実年齢は和人等よりも上の成人男性――シバトラである。オーグマーを装着しており、その服装は、オーディナル・スケールのプレイヤーアバターのものだった。

 

「シバトラさん……!」

 

「イタチ君だからこそ、皆、君の力になろうと思うんだ。ほら――」

 

そう言ってシバトラが指差した方――広場の端の方を見やると、そこにはイタチにとって非常に見覚えのある面々がいた。

イタチやアスナと同じく、SAO帰還者の学校に通う学友達。それ以外にも、クラインと同年代と思われる社会人の姿も散見された。彼等彼女等に共通しているのは、イタチと同じSAO生還者であること……そして、攻略組として轡を並べて数々の強敵たるフロアボスに挑んだことである。

 

「皆、君を待っている。今度は一緒に、戦おう」

 

シバトラはそう言うと、イタチへと手を差し伸べた。何故、シバトラや他のSAO帰還者の攻略組がこの場にいるのか。それはイタチにもすぐには分からなかった。ただ一つ確かなことは、イタチは今、一人では為す術も無い窮地に立たされており……それを脱するための突破口が目の前に用意されているということだった。しかしその反面、それを選択することは、自身が守ろうとした者達を危険に晒す行為であり、他でもないイタチ自身の決意に反することだった。

 

「………………お願いします」

 

後ろめたさ故の躊躇はあった。だが、最終的にイタチはその手を握るという選択をした。

 

 

 

本来の“うちはイタチ”ならば、取らない筈の選択肢であると、自分自身で思いながら――――――

 



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第百四十五話 決意【decision】

 

『ガガッ……ジャァアアアッ……!』

 

戦闘開始時の威圧感に満ちた咆哮の面影を全く感じさせない、非力な断末魔。それと同時に、長大な大剣二本がガゴン、という鈍い金属音を立てて地面へと落ちた。これを持っていた『ザ・ツインヘッド・タイタン』の巨体もまた、その東京ドームシティの広場の中心にて崩れ落ち……やがてポリゴン片を撒き散らして爆散した。

イベントに参加していたイタチをはじめとしたプレイヤー達の視界には、イベントクリアを知らせるメッセージが表示される。

 

ワァァァアアアアア!!

 

その知らせに、プレイヤー達は一斉に湧き立つ。これまでに出現したボスモンスターの中でも、一回りも二回りも強力な相手だっただけに、攻略の難易度は極めて高く、縦横無尽に動き回ったプレイヤー達の疲労は半端なものではなかった。だが、それだけに報酬のポイントもランクアップも、文字通り桁が違っていた。

 

 

 

クォーターポイントを守護するアインクラッドフロアボスの一体、『ザ・ツインヘッド・タイタン』は、ここに斃されたのだった。

 

 

 

(ようやく一体、か……)

 

ARゲーム故の激しい運動によって乱れた息を整えながら、イタチは多大な犠牲を払うことが必定となる強敵の一体を倒したことに安堵していた。それと同時に、これと同レベル……否、それ以上の強敵をあと二体も倒さなければならないことに対する不安が渦巻いていた。

 

「やったね、イタチ君!」

 

周囲が湧き立つ中、一人静かに先程までボスがいた空間を見つめて物思いに耽っていたイタチのもとへ、アスナが駆け寄ってくる。その後ろには、メダカとシバトラをはじめとした、イタチを助けるために攻略の場へと駆け付けた、SAO生還者の元攻略組メンバーの姿もあった。

 

「ええ。しかし、喜んでもいられません。倒すべきクォーターポイントのフロアボスは、あと二体います。それに……」

 

そこで言葉を切ったイタチは、後ろの方にいたシバトラの方へと視線を向けた。どうしてここに来たのか、と言いたげなイタチの視線に、当人はやれやれといった表情で肩を竦めるばかりだった。

 

「シバトラさん……それから他の皆も。本日はありがとうございました。お陰で、犠牲者は最小限に抑えることができました」

 

「水臭いじゃないか。イタチ君のためなら、このくらいどうってことないさ」

 

年齢に不相応な、ニカッと得意気な笑みを浮かべて答えたシバトラの言葉に、後ろにいた他の面々も同意するように頷いていた。

 

「しかし、今回の件については、一度話し合っておきたいと思っています。夜遅くはありますが、この後、お時間いただけますでしょうか?」

 

「僕は大丈夫だよ。皆はどう?」

 

シバトラの確認する問いに、元攻略組メンバー達はフッと笑みを浮かべると、

 

「俺は構わないぜ。俺もイタチに、言いたいことがあったからな」

 

「僕も良いですよ。カズゴと同じで、イタチに話がありますので」

 

「オイラも行くよ。要件は……まあ、二人と同じかな」

 

カズゴ、アレン、ヨウを筆頭として、全員が同行する意思を示した。そんな仲間達の反応を見たイタチは、軽い眩暈を覚えた。先日の会議でアスナ達に行ったように、今回の事件から手を引くように再度説得すべきと考えていたが、絶対に耳を貸すつもりと言わんばかりの顔をしていた。ある意味、先程倒したボス以上の強敵である目の前の面々に対し、イタチはどうしたものかと対応に頭を悩ませていた。

 

 

 

 

 

 

 

『フム……まさか、本当にクリアしてしまうとは……』

 

電脳空間の中。自身を守る守護者たるサポートプログラム『スフィンクス』の一体が消滅する様を見ながら、HALは呟いた。驚愕とまではいかないものの、意外そうな表情で、素直に驚いているようだった。

手元に展開したモニターは、東京ドームシティの広場に設置された監視カメラの映像をリアルタイムで捉えたものだった。画面の向こうでは、プレイヤー達がボス攻略の成功の歓喜に沸いていた。

 

『SAO事件当時の状況から、彼の性格や行動パターンを分析した上でのゲーム設定の筈だったが……まさか、このような展開になるとは……』

 

今回のゲームをイタチこと和人等に持ち込むに当たり、HALは彼に関する情報を『SAO事件記録全集』や同じSAO生還者であるエイジから収集し、イタチの性格や行動パターンを分析していたのだ。その結果、イタチというプレイヤーは、責任感の強さ故に周囲を危険に巻き込まないよう、率先して危険を冒す傾向にあるという結論に至った。

そのため、今回のクォーターポイントのフロアボスとの戦闘イベントには、脳内スキャンの危険の無い非SAO生還者の協力者のみで挑むと推測した。実際、この予想は的中し、イタチは非SAO生還者のシノン、ラン、マコトといった仲間のみに協力を要請し、一方でSAO生還者であるアスナ等には事件から手を引くように呼び掛けていた。

予想通りのイタチの行動選択に、HALは思わず笑みを浮かべた。SAO事件を解決に導いた『黒の忍』イタチといえども、ARではそうはいかない。譬え本人が現実世界においても常人以上の身体能力を持ち、それと同等の身体能力を持つ仲間がいたとしても、HALがプログラムに手を加えたクォーターポイントのフロアボス相手では明らかに戦力不足。今回の事件を知るアスナやメダカ等がイタチの忠告を無視して援軍に駆け付けたとしても、埋められる戦力差ではない。むしろ、連携を取れずに互いに足を引っ張り合う可能性が高い。

果たして、クォーターポイントのフロアボス討伐イベントは、HALの思惑通りに運び、イタチ等を追い詰めるに至った。このまま戦闘が進めば、イタチの記憶を再スキャンするだけでなく、アスナ等をはじめとした多くのSAO生還者の記憶まで収集することができる。そんな、完璧と言えたHALの計画に大きな狂いが生じたのは、イベント開始後……ボスがSAO当時には無かった行動パターンを見せてイタチ等を圧倒し始めた時だった。

 

『まさか、イタチ君が遠ざけようとした仲間達の方から集まってくるとは……』

 

窮地に陥ったイタチの救援に現れたのは、シバトラを筆頭とした、イタチと同じSAO帰還者の仲間達だった。しかも、記憶をスキャンされて入院していた者達まで駆け付けたのだ。かつて死闘を共にした戦友達の善意の物量に押されたイタチは、やむを得ずという形ではあるが、共闘を承諾。強敵であるザ・ツインヘッド・タイタンを倒しきることに成功したのだ。

イタチ等が激闘を制することができたのは、純粋に救援に駆け付けた仲間達の各々の戦闘能力が高かったことに加え、その場で結成した即席のレイドとは思えない程の連携力にあった。SAO事件当時の経験が活かされていたのだろうが、VRとは勝手の違うARにおいてそこまで統制の取れた動きは中々取れない。それを可能としたのは、偏にイタチの人望だったのだろうとHALは推測する。SAO事件当時のイタチを知らないHALだが、その性格を鑑みるに、命の危険と隣り合わせの戦場の中で、率先してリスクを請け負って動いていたことは想像に難くない。

 

『……このままでは、他二体のスフィンクスも危険かもしれんな』

 

イタチのことを軽く見ていたつもりは無いが、仲間との絆の力というものを計り切れていなかったことは否めない。開始早々、破綻の危機を迎えているゲーム計画に……しかし、HALは余裕の笑みを崩すことは無かった。

 

『まあ、良い。私には最後の砦もある。今は、次のゲームの準備と……それから、重村教授とエイジ君への報告をせねばならんな』

 

計画を円滑に進めるために必要だからこそ始めたこのゲームだが、イタチの記憶は是が非でも手に入れなければならないわけではない。元より、敗北の可能性も考慮に入れたゲームなのだ。計画の大勢に影響が無い以上、HALのやることは変わらない。そう結論付けると、HALは次のゲームイベントの開催準備に取り掛かるのだった。重村等への報告、もとい釈明の内容を考えながら……

 

 

 

 

 

 

 

「着いたぞ」

 

「ここが、名探偵Lの捜査本部……」

 

東京ドームシティでのイベントにて、『ザ・ツインヘッド・タイタン』を倒したイタチこと和人が、攻略に協力してくれた仲間達を伴って訪れた場所。それは、都内某所に位置する、和人等の捜査本部にしてLの所有物件でもある高層ビルだった。

事件の経緯や、現場に駆け付けることができた件を含めた諸々を話し合うことを決めた和人だったが、既に夜も遅く、大勢が集まれる場所を用意することは不可能。そこへ助け舟を出したのは、Lだった。今回の事情説明を行うに当たり、先日のアスナ等との対談の時と同様、大人数を収容できる会議室の提供を申し出たのだ。この提案に対し、今回の件に無関係ではないとはいえ、一般人を引き入れて問題は無いのかと懸念した和人だったが、当のLは、捜査本部本体は地下にあるため、ビルの部分を利用する分には問題は無いと返したのだった。

 

「お待ちしておりました、皆さん」

 

「ワタリさん。夜遅くに大勢で押しかけて申し訳ありません」

 

「いえ、お気になさらず。それより外は寒いですし、早く中へ。彼も皆さんを待っております。」

 

ビルの入口にて待機していたのは、Lの右腕たるワタリだった。執事然とした佇まいで一同に礼をすると、ビルの中へと案内していく。

そうして案内されたのは、先日の話し合いの際に使用された会議室だった。東京ドームシティの現場から同行することとなった人数は四十人近くに及んでいたが、ビルの外観に違わぬ広さを持つ会議室は、難なくその人数を収容することができた。

 

「……待たせたな、L」

 

『いえ、お気になさらずに』

 

会議室へ入った和人は、長机の一角に置かれていた、パソコンへ向けて話し掛ける。すると、お馴染みのクロイスターブラックフォントの『L』の文字を映したパソコンのスピーカーからは、変声機によって変えられた声が返ってきた。

捜査本部のビルにある会議室を提供したLだったが、流石に顔までは晒すことはしない。先日同様、今回もワタリが操作するパソコン越しに話し合いへ出席するらしい。

ちなみにファルコンこと藤丸は、クォーターポイントのフロアボスを討伐したことで、本当にスフィンクスがアンインストールされたかや、スーパーコンピューターが保管されている施設の状況を確認するため、会議は欠席となっていた。

 

「皆様、お好きな席にお座りください。私はこちらで、お飲み物の用意をさせていただきますので」

 

ワタリが紅茶の用意をする一方で、和人等は席に着いていく。座席は和人や新一、パソコンの向こうの竜崎といった捜査メンバー一同と、明日奈やめだか、シバトラこと竹虎といった協力者志望の者達に分かれることとなった。

そして一同が着席し、ワタリが淹れた紅茶を配り終えたところで、まず和人が口を開いた。

 

「まず聞かせてもらいたいのですが……竹虎さん達は、どうやって今回の件を知ったのですか?」

 

最初に確認したかった疑問は、そこだった。イベントの情報自体は、HALがSAO生還者のプレイヤーを集めるために広くばら撒いている以上、目に触れる可能性は高い。しかし、途中からイベントへ駆け付けた面々は、明らかに今回の一件の裏を知っている様子だった。

 

『私です、パパ』

 

そんな和人の問いに答えたのは、救援に駆け付けたプレイヤー達の筆頭である竹虎……ではなく、ナビゲーション・ピクシー姿で明日奈の肩に乗っていたユイだった。

 

『皆さんには、私から救援を要請しました。パパが皆さんを遠ざけようとしていた理由は私も承知していましたが……止むを得ないと判断して、皆さんに来てもらいました』

 

「ユイちゃんを責めないで。救援要請は、私がお願いしたの」

 

「救援要請は私の意思でもある。戦力不足を補い、且つHALの仕掛けたゲームを攻略するには、他に方法は無かったからな」

 

救援要請を出したのはユイだが、明日奈とめだかの要請によるものだったらしい。和人とて予想はしていたことなので、ユイは勿論、誰か一人を責めるつもりは無かった。

 

「それを言うなら、今回の救援自体、僕等の自己責任だ。ユイちゃんからは、救援要請をもらった時に、和人君が今関わっている一件についても、ある程度教えてもらっている。ゲームイベントで僕達SAO生還者がHP全損すれば、記憶を失うリスクがあることもね」

 

「………………」

 

全て承知の上だと言ったシバトラに対し、隣に座っていた仲間達は同意するように頷いていた。予想はしていたが、どうやら全員、記憶を奪われるのを覚悟の上での参加だったらしい。それを聞かされた和人は、沈黙するばかりだった。

 

「和人。こうなってしまっては、誰一人として引き下がることは無いぞ」

 

不敵な笑みを浮かべためだかの言う通り、こうなってしまっては、最早説得は不可能だろう。関わらないで欲しいというこちらの求めには応じてくれそうも無い面々を前に、ますます言葉が出なくなった和人は、内心で頭を抱えていた。

 

「君が何を考えているのかは分かるよ。危険な事件だから、明日奈さん同様、僕達にも手を引いて欲しいんだよね?」

 

「……分かっているなら、その通りにして欲しいのですが」

 

叶わないことと知りつつも、一応は口にしてみる和人。ついでに言えば、明日奈やめだか等に手を引かせるのにも力を貸して欲しいとも思っていた。

 

「それは無理かな」

 

だが、そんな和人の願いは予想通り、年齢に不相応な童顔スマイルとともに断られた。そして、このような展開になれば、次に竹虎が何を言うつもりなのかも想像がつく。

 

「和人君。僕等も君達が行っている捜査に協力させてもらえないかな?」

 

「やはりそうきましたか……」

 

予想通りの申し出に、やれやれと和人は肩を竦めた。警察官である竹虎に限らず、SAO生還者……その中でもとりわけ、攻略組のメンバーは明日奈やめだかがそうであるように、非常に正義感が強い。故に、こちらがいくら拒絶の意を示したとしても、今回のイベントのように無理矢理首を突っ込んでくることは確定と言えた。

 

「……本来なら、こういう危険なことは、警察官である僕の手で解決すべきなんだろうけどね。残念だけど、事情を聞く限りはそれはできそうにない。けど、だからといって何もせずに静観するなんてことはもっとできない」

 

「竹虎さん……」

 

「君が僕達を危険に晒したくないと思っているように、僕も……いや、ここに集まった皆も、君が一人で戦っている状況を放置することはできないんだ。譬え君が反対したとしても、僕等は何が何でも、関わらせてもらうつもりだよ」

 

竹虎の改めての決意表明に、明日奈やめだかをはじめとした協力者志願の一同は頷く等して同意の意を示す。

和人の隣の席に座る捜査メンバーである新一や、協力者である詩乃、蘭は苦笑いするのみで、「もう受け入れてしまえ」と目で語っていた。パソコン越しのLは、表情こそ確認できないものの、反対意見を唱えない。受け入れに賛成しているのか、或いは和人の判断に任せるつもりなのだろう。

和人自身も、戦力不足は強く痛感していた。卓越した身体能力を持つ蘭と真を味方に付けているとはいえ、今回のイベントの結果を鑑みると、残り二体のクォーターポイントのフロアボスを倒すのは非常に厳しい。明日奈やめだか、竹虎をはじめとしたSAO事件以来の強力な仲間達の助力を得られたならば、どれだけ心強いことか。だがその一方で、このような危険な戦いに仲間達を巻き込むべきではないとも思っていた。譬え本人達がリスクを承知していたとしても、安易に関わらせても良い事案ではないことは間違いない。自分の力で解決しなければならないという責任感と、他者の力を借りる以外に現状を打破する術が無いという現実の板挟みに陥っていた和人は、その答えを出せずにいた。

 

「和人君。SAO事件の時の攻略のこと、今はどのくらい覚えているかな?」

 

「……フロアボス攻略に関することなら問題無く思い出せます」

 

唐突に竹虎が投げ掛けてきた問いに、和人はゲーム攻略に関して問題は無いという答えで返した。竹虎が聞きたいのは、そんなことではないと分かっていながら。対する竹虎は、和人の答えから事情を察した様子で、心配そうな表情を浮かべながらも苦笑していた。

 

「SAO事件が始まってから、三カ月くらいが経った頃……僕はようやく、レベルを上げて君達攻略組に合流できたんだ。そこで初めて、攻略組の作戦会議に参加して、君に会ったんだよ。まさか、リアルの知り合いとあんな場所で会うなんて思わなかったけどね」

 

「そうですか……」

 

SAO事件当時における、竹虎と和人が出会った時の話。しかし、その当時のことを和人は思い出せなかった。どうやら、脳内スキャンによって部分的に欠損した記憶だったらしい。竹虎もそのことは察していたが、構わず続けた。

 

「攻略会議で出会ってからの頃は、正直言って、見ていられなかったよ。周りからビーターって呼ばれて蔑まれているのに……それでいて、作戦では危険な役回りばっかり引き受けるんだもん。あんな無茶を続けて、いつか……本当に死んじゃうんじゃないかって、気が気じゃなかったよ」

 

竹虎の話を聞いていた明日奈をはじめとした周囲の面々は、全くその通りだと言わんばかりに頷いていた。その中には、和人の隣に座る新一も含まれていた。

記憶が部分的に欠損している和人だが、攻略に際して危険な役回りに率先して臨んでいたという話は理解できる。加えて、竹虎や明日奈の性格からして、自身の身を案じてくれていたことも容易に想像できた。尤も、反省はしても、それをやめるつもりは無く、ましてやその役割を他人に押し付けるつもりも無かった。記憶が一部とはいえ欠損した今でも、それだけは確信が持てた。

 

「見かねた僕や明日奈さんがいくらフォローをしようとしても、暖簾に腕押し状態で、中々改善はしてもらえなかったけどね」

 

「それは……申し訳ございませんでした」

 

「まあ、もう昔のことだから、そのことを責めるつもりは無いよ。それで、そんな風に、君が一人で危険を冒す攻略はしばらく続いていたんだけど……ある日、唐突に変化が起こったんだ」

 

「……?」

 

自分のことだと分かってはいたが、“変化”と言われても和人にはピンと来なかった。これも記憶が部分的に欠如している影響なのかもしれない。

そんな和人を置いて、竹虎の話は続く。

 

「僕もいつからだったかは正確には思い出せないけど、攻略作戦の中の危険な役回りを、君は少しずつだけど僕等にも任せてくれるようになったんだ」

 

確かに和人の記憶の中に残っているアインクラッド攻略においては、リスクを伴う回避盾等の役割を他のプレイヤーと協力して行ったことがある。だがそれは、単に一人では処理しきれないから止むを得ず協力依頼をしただけとも考えられた。しかし、当時のことを思い出して話す竹虎の顔を見た和人は、それを口に出すのは無粋と感じ、黙って話に耳を傾け続けた。

 

「勿論、単純に君の身一つでどうにかできないから、僕等と協力せざるを得ないと考えただけだとも思った。けど、どんな形であれ、君が僕等を頼ろうとしてくれたことは嬉しかったんだ。だって君は、いつだって“一人で何でもしようとしていた”じゃないか」

 

――――――だって、パパはいつも、一人で何でもしようとしていたじゃないですか

 

「――!」

 

竹虎が口にしたその言葉を聞いた途端。和人の脳裏に、明日奈の腕の中にいるユイの泣きそうな顔が過った。和人の記憶には無い……否、消えてしまったのであろうその光景と言葉に、和人は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。

 

「だから、あの時のように……今度も一緒に戦いたいと思ってる。君一人が危険な役回りをして皆を助けるんじゃなくて、皆で危険も分け合って助け合う……そんな戦い方で、乗り越えていきたい。だから、僕等も一緒に戦わせて欲しいんだ」

 

竹虎が真剣な表情で紡いだその言葉に、和人の心が揺らいだ。それと同時に、自分が“大切なもの”を失くしてしまったことに気付いた。

前世のうちはイタチとしての経験故に、自分が為さなくてはという考え――それが失敗に通じると分かっていながらも捨てられなかった――のもとで、明日奈等を遠ざけて、リスクを伴わない仲間のみを伴って今回の事件へ臨んだ。だが、蓋を開けてみれば、自分と限られた仲間達でクォーターポイントのフロアボスを攻略することは不可能に等しく……結果的に、遠ざけていた仲間達に助けられることとなった。

HALのゲームに打ち勝つことが出来なかった原因は、限られた仲間達のみで挑もうとしたことによる戦力不足だが、問題の本質はそこではない。

 

仲間を信じる事――――――

 

竹虎が言うように、和人はSAO事件の中でその大切さを知ることができた。だが、記憶とともにそれが失われてしまったのだ。

和人を心配して協力を申し出てくれた明日奈への対応にしても、仲間を信じて戦った記憶があったならば、もっと変わっていた筈である。竹虎との話を通して、和人はそう感じていた。

 

「……今の俺には、SAO事件当時の攻略の記憶はあっても、それ以外の記憶は不鮮明です。竹虎さんが言うように、当時の戦い方ができるかどうかは分かりませんよ?」

 

失ったものの大きさを知る故に、和人は竹虎を筆頭とした仲間達へ向けて、改めて問い掛ける。

大切なことを忘れてしまった自分に力を貸すことには、多大な危険が伴うが、それを承知で自分に付いてきてくれるのかと……

自身を案じて寄り添おうとしてくれた気持ちを無碍にして突き放した自分のことを、信じてくれるのかと……

 

「何があっても、僕は君を信じるよ。記憶を失くしたのなら、何度だって思い出させてあげればいい。SAO事件の時も、そんな無茶を、何度も乗り越えてきたじゃないか」

 

「竹虎さんの言う通りよ。私も、和人君を信じる。絶対に手を引いて逃げるなんて、しないからね」

 

「私も明日奈と同意見だ。SAO事件を生き抜いた元攻略組プレイヤーとして……また、お前の友として、戦うつもりだ。他の皆は、どう思う?」

 

めだかの問いに対し、周囲の元SAO攻略組の面々は、皆一様に同意の意を示す。色々と思うところのある者も少なくないが、皆、和人を仲間として認め、信じることに躊躇いは無かった。

そして、そんな仲間達に対して、和人ができる答えはただ一つ。仲間である彼等を信じ、彼等が信じた自身をも信じるという決意と共に、それを口にした。

 

「……皆、頼む。俺に、力を貸して欲しい」

 

デスゲームと化したSAOを脱出すべく、アインクラッドを制するために集まった実力あるプレイヤー集団――“攻略組”。それが今、仮想世界を超えて、現実世界において復活した瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

「しばらく見ない内に、随分と騒がしいことになっているようだな……」

 

和人等攻略組が結束して捜査に挑むことを決意していたその頃。現実世界において繰り広げられていた、オーディナル・スケールにおける和人等の激闘や、その陰で暗躍する電人HALや重村の様子を密かに傍観する者がいた。

電脳世界に身を置き、現実世界の様子を眺めるその者は、現実世界に生身の肉体を持つ人間ではなく……HALやヒロキと同じ存在だった。

 

「しかし、彼も災難だな。まさか、重村教授と春川教授を相手に戦う羽目になるとは……」

 

和人とは浅からぬ縁を持つその者は、今現在和人が敵対している勢重村と春川――特に重村――のことをよく知っていた。故に、この二人が手を組めば、どれだけの脅威になるかも理解している。

 

「しかし、これも宿命なのかもしれないな。或いは、“忍という前世”の記憶を持つことが、禍を引き寄せているのか……」

 

SAO事件に続き、ALO事件、死銃事件と、立て続けに仮想世界絡みの事件に巻き込まれ、時には自ら身を投じてきた和人。仮想世界に対して高い適応力がそういった事件を呼び込んでくるのか。もしくは、知る者の少ない、和人が持つ前世がそうさせるのか。

その者にとっては興味深い命題だったが、答えは出そうになかった。

 

「いずれにしても、このままでは和人君ばかりが不利になるな」

 

かつての仲間達の協力を得られたであろうことを察するが、保有する戦力差は歴然であり、主導権は重村やHALが握っている以上、圧倒的に不利な条件で戦うことは必定。どれだけ足掻いても、勝利を手にするのは不可能に等しい。

 

「……傍観するつもりだったが、ここで彼に可能性を託すというのも有りかもしれないな」

 

今回のARゲームを巡る闘争において、和人と重村、どちらの勢力にもつくつもりは無かった。だが、このまま出来レース同然の戦いを見るのでは、時間を無為にするだけ。

ならば、梃入れとまではいかないものの、敗北がほぼ確定している和人に、一つのチャンスを与えるのも一興かもしれないと考えた。

 

「君が本当に、異世界の忍としての記憶を持つ転生者ならば……これで何かが起こるかもしれない」

 

本音を言えば、その者にとって両者の勝負の行方には然程興味は無かった。本当に期待しているのは和人が……うちはイタチという忍の前世を持つ少年が秘めたる可能性が起こす、“何か”だった。

 

「見せてもらおうか、イタチ君――――――」

 

これから起こる“何か”に対し、柄にもなく子供のように期待を膨らませながら、その者は自らの意思で今回の一件へと介入することを決意するのだった。

 



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第百四十六話 動機【incentive】

先月は仕事が多忙を極めたため、投稿することができませんでした。
今後もさらにローペースになる見込みですが、オーディナル・スケールは完結させられるよう、頑張りますので、よろしくお願いします。


2026年5月2日

 

「シバトラさん、右側面から攻撃を!」

 

「了解!」

 

「アスナさん、敵がスキルを発動します!一度後方へ退避を!」

 

「分かったわ!」

 

東京港の旅客ターミナルの一つである、竹芝埠頭の中に設けられた竹芝客船ターミナル。その中央に位置する、聳え立つ帆船のマストをシンボルとした広場において、オーディナル・スケールのバトルイベントが展開されていた。

 

『シャァアガァアアアアッッ!!』

 

イベント開始の夜九時を回ったのと同時に姿を現したのは、アインクラッド第五十層のフロアボス、『ザ・サウザンドアームズ・スタチュー』である。その名の通り、千手観音を彷彿させる銅像型の巨大モンスターが有する多数の腕が握る多数の武器から、多種多様なソードスキルの連撃を繰り出すことで恐れられた、クォーターポイントの守護者である。

 

「気を付けろ!今の奴は、四方からの攻撃にも対応できる!」

 

『了解!』

 

かつてのSAO事件で倒したことのあるフロアボスだが、今イタチ等が相対しているボスは、当時とは姿も行動パターンも様変わりしている。電人HALのカスタマイズが施されたことで、戦力が大幅に強化されているのだ。

 

『シャガァアッ!』

 

『ボォォオオッ!』

 

『カァァアアッ!』

 

『ラァァアイッ!』

 

イタチ等が相対する巨像から、四種の咆哮が上がった。電人HALが施したカスタマイズの最たる例は、SAO事件当時に一つしかなかった巨像の顔が、四つに増えていることである。顔四つは前後左右の四方――最早どこが前で後ろかは分からなくなっているが――に配置されていた。

 

(厄介だな。四方からの攻撃に対応できるようになっているとは……)

 

言うまでも無いことだが、四つに増えた顔は飾りなどではなく、それぞれが独立したAIを持って動いており、四方に配置された腕で四方から迫る敵を迎撃してくるのだ。

一方向から攻撃した場合は、一定量のダメージを与えられると、各顔が六本ずつ動かすことができる腕の内、二本の腕が持つ盾でガード。それに並行して、残り四本の腕でソードスキルの連撃をカウンターとして放つのだ。さらには、四本腕のソードスキルの発動が終わると、台座のように次々に上半身を回転させて、間断なくソードスキルを繰り出してくるのだ。

唯一の救いは、SAO事件の時と同様に、下半身は胡坐をかいた状態で、フィールドたる広場の中央から動かないことだった。

 

(SAO事件の時のように、二刀流とソードスキルが使えないというのも、厳しい条件だ……)

 

顔が一つしか無かったSAO事件当時とは違い、ボスの死角は完全に無くなっている。その上、このオーディナル・スケールにおいては、二刀流スキルは勿論のこと、ソードスキルすら使えないのだ。よって、イタチ等はSAO事件当時とは全く異なる姿の敵に、全く別の作戦で攻略に臨まざるを得なかった。

 

『ラァァアイッ!』

 

『パパ!後ろの顔が、ソードスキルの連撃を発動しようとしています!』

 

「メダカ!ゼンキチ達と協力して、パリングして弾き返せ!」

 

「任せろ!」

 

そして現在、イタチはSAO事件当時とは全く異なる姿となった、四面の巨像を相手に立てた即席の作戦を仲間達とともに遂行していた。作戦内容は至極単純。イタチ率いるレイドを四つに分け、イタチ、アスナ、シバトラ、メダカの四人がリーダーとなって四方から攻撃・攻略するというものである。

イタチを司令塔として、イタチ以外の各パーティーへと指示を送り、連携を取る。アスナとシバトラのパーティーは目視で状況確認し、イタチから見て死角となる場所にいるメダカのパーティーについては、ユイがソーシャルカメラ越しに得た情報をもとに指示を送っていた。

即席の作戦ながら、四方向からの攻撃というイタチ発案の作戦は、強敵たるクォーターポイントのフロアボス相手に、有効に機能していた。周囲を包囲して各顔を分断することで、回転による連撃は防止され、ダメージは確実に与えられていた。

 

(戦況は膠着している……だが、時間が足りん)

 

クォーターポイントのフロアボス攻略に際して設定されている制限時間は三十分。通常のフロアボスイベントの三倍である。攻略の難易度からの調整だろうが、イベント開始後に遅れて到着するSAO生還者を招き入れるという目的もあるのだろう。

ともあれ、戦況の膠着がこのまま続けば、時間切れとなってイベントは終了する。スフィンクス破壊を成し遂げるためには、ボス討伐は成功させねばならない。制限時間は残り十五分……残り半分である。危険を承知で勝負に出るべきかもしれないと……イタチは選択を迫られていた。

 

「……シノン、前へ出る。後のことを頼めるか?」

 

「イタチみたいに上手くできるか分からないけど、やってみるわ」

 

「助かる。ユイ、シノンのフォローを頼んだぞ。他の三人にも、俺に続くよう伝えてくれ」

 

『任せてください!』

 

「カズゴ!アレン!仕掛けるぞ!」

 

「ああ!」

 

「任せて!」

 

イタチの取った選択は、無茶を承知で勝負に出るというものだった。副官として自身のパーティーに所属していたシノンと、補佐を務めていたユイに後を託し、前衛の中でも屈指の実力者であるカズゴとアレンを伴い、四面の巨像目掛けて一歩踏み出した。そして、ユイを通してイタチの指示が届いたアスナ、シバトラ、メダカの三人もまた、各パーティーの精鋭二名を伴って動き出す。

 

「行くぞ……!」

 

『応!』

 

そう呟くと同時に、イタチ等三人は巨像目掛けて駆け出す。他の三人もまた、同じタイミングで動き出した。

 

『シャガァァア!!』

 

イタチ目掛けて振り下ろされる、四つの手に握られた武器。それらをイタチは、紙一重で回避し、止まることなく巨像の懐へと距離を詰めていく。

 

「ハァァアアア!!」

 

イタチがその手に持つ仮想の刃を振るい、巨像目掛けてシステムアシストもかくやという速度で、疑似的なソードスキルを放つ。『ホリゾンタル』、『バーチカル』、『スラント』といった単発技に始まり、『サベージ・フルクラム』や『バーチカル・スクエア』といった連続技のソードスキルを雨霰のように繰り出し、そのHPを削り取っていく。カズゴとアレンもまた、大剣と片手剣のソードスキルを模した技を連発する。

 

「やぁぁあああ!!」

 

「うぉぉおおお!!」

 

「たぁぁあああ!!」

 

イタチに続き、他三方向からも、それぞれのパーティーリーダーの掛け声とともに、細剣、刀、片手剣型をはじめとした武器による、疑似的なソードスキルの連撃が放たれる。実際のソードスキルのように、システムアシストやそれによる威力増強効果は無いが、技後硬直が無いため、体力の続く限り繰り出され続けるのだ。

 

『シャッ……ガァッ!』

 

『ボォオオ……ッ!』

 

『カァアアッ……!』

 

『ラ、アア……!』

 

巨像の顔から四種の苦悶の声が上がるとともに、七割近く残っていたHPが、一気に四割を切るところまで減らされていく。

 

『シャァァアアガァアアアッッ!!』

 

「む……!」

 

だが、イタチ等による怒涛の反撃は、残存HPが四割程になったところで、終わりを告げることとなる。巨像が突如として怒りの咆哮を上げ、その体から赤黒く禍々しいライトエフェクトを伴うオーラを放ち始めたのだ。

アインクラッドフロアボスには必ずと言って良い程発生する、行動パターンの変化である。SAO事件当時の『ザ・サウザンドアームズ・スタチュー』は、武器に電撃を纏わせて威力増強と範囲攻撃効果を付与するというものだった。だが、HALのカスタマイズが施されたこのボス相手には、当時の情報など当てにはならない。

 

「全員、下がれ!!」

 

故に警戒したイタチは、自分と同じように前に出ていた仲間達全員に指示を出して下がらせる。巨像は変わらず、禍々しいオーラを放ち続け……やがて、多数ある手に持つ武器全てが、かつてのSAOでそうだったように、電撃を帯び始めた。だが、それだけでは終わらない。電撃波武器だけでなく、巨像全体を包むように走り、ミシミシと音を立てて罅割れ始めたのだ。罅割れはやがて全身に達し……巨像を覆っていた表面部分の金属が、鍍金のように、一斉に剥がれたのだ。

 

『シャァァアアガッ!』

 

『ボォォオオアアッ!』

 

『カァァアアアアア!』

 

『ラァァアアアイッ!』

 

「これは……!」

 

巨像の鍍金が全て剥がれた後に響き渡った、四つの咆哮。だが、それを発したのは先程までの巨像ではない。イタチ等レイドの眼前に現れたのは、四体(・・)の巨像だった。その顔は、先程までイタチ日いるレイドが相対していた巨像の顔だった。加えて言えば、それぞれ下半身を持ち、二本の足で立っていた。

 

「分裂、か……!」

 

「厄介なことになったわね……」

 

ボスから距離を取ったイタチが合流したパーティーメンバーのシノンが呟いたように、本当に厄介な展開になってしまった。今までは顔が四つであっても、体は一つだっただめ、苦戦しながらも対応できていた。だが、行動パターンの変更と同時に四体に分裂し、しかも二足歩行するようになってしまった。それぞれのHP残存量がそれぞれ一割ずつと見積もっても、時間が押しているこの現状では、動き回る四つの標的をそれぞれ相手するのは困難を極める。

 

「……やむを得ん。四体それぞれ、分断して叩くぞ。シノン、狙撃で正面の奴を誘導してくれ。ユイは他のパーティーのリーダーに指示を頼む」

 

「了解」

 

『任せてください』

 

四面一体の姿だった時のように、各顔で連携されてはとても対処できない。少しでも戦況を優位にするためには、最初に分けた四つのパーティーで各個撃破するしかない。

イタチの指示を受けたシノンが、先程までイタチのパーティーが相手していた顔の巨像を狙撃する。銃弾は巨像の眉間を見事に撃ち抜き、そのタゲを取ることに成功する。

 

『シャァアアガッ!』

 

「最後の詰めだ!皆、行くぞ!!」

 

『応!』

 

イタチの声と同時に、再びの臨戦態勢に入るパーティーメンバー。他の三カ所に展開していたパーティーも、イタチ等同様に武器を構え、それぞれが相対していた顔の巨像へと向かって行った。

 

『シャッガァアアッッ!!』

 

「電撃の範囲攻撃だ!当たればしばらくの間、攻撃に参加できなくなる!回避しろ!」

 

「分かった!」

 

巨像が武器を振るう度に迸る電撃を回避し、隙あらば攻撃を与えていく。残り少ない制限時間内でフロアボスを仕留めるべく、全てのプレイヤーが積極攻勢に動いていた。

 

「きゃぁあっ……!」

 

「シリカ!」

 

「シリカちゃん!危ないっ!」

 

そんな中、巨像への攻撃に参加していたパーティーメンバーのシリカがタイミングを誤り、巨像の攻撃範囲に身を晒してしまう。ここまでの戦いでHPがかなり削られていたシリカでは、まともに直撃を受ければ全損は確実。アスナはシリカを庇うべく動き、攻撃範囲から押し出すことに成功する。だがそれは、アスナが代わりに攻撃を受けることを意味していた。

 

(イタチ君……!)

 

HP全損による、SAO事件の記憶の消失……それによって、想い人との思い出が自分の中から無くなってしまうことへの恐怖に、アスナは迫りくる凶刃を前に目を瞑った。

 

『ボォォオッッ!?』

 

「………………え?」

 

だが、巨像の持つ刃がアスナを襲うことは無かった。困惑したかのような巨像の鳴き声に目を開いて顔を上げたアスナの前にいたのは一人の女性プレイヤーだった。

色白でショートカットの水色の髪と、赤い瞳を持つ痩身のアバターである。冷徹なイメージを抱かせる表情をしたその女性プレイヤーの手には、刀型の武器が握られていた。どうやら、この得物で先の刃を弾き飛ばしたらしい。

 

「早く立ちなさい。まだ戦いは終わってないわよ」

 

「あ、はいっ!」

 

どこか聞き覚えのある声で立ち上がるよう促されたアスナは、呆然としていた状態からすぐに立ち直り、再び武器を構えた。そして、巨像が再び武器を振るう前に、その場から一度距離を取った。

 

(えっと、あの人の名前、は……)

 

助けてもらったものの、名前を聞きそびれてしまったアスナは、ちらりと隣に立つ女性プレイヤーの頭上に示された名前を見た。そこには、『Rei』――『レイ』と表示されていた。ランクは330位と、オーディナル・スケールのプレイヤーの中では非常に高ランクだった。

 

「時間も無いから、早く倒すわよ」

 

「わ、分かりましたっ!皆、行くわよ!」

 

想定外の心強い味方の出現によって窮地を救われたアスナは、パーティーメンバーと連携し、再び巨像へ向かっていくのだった。

そして、救援が駆け付けたのは、アスナのパーティーだけではなかった。

 

「イタチ殿!待たせたでござる!」

 

「ケンシン!」

 

イタチの隣に、侍の姿をしたプレイヤーが現れる。長い赤髪に頬に十字傷を持つ、中世的な体格を持つこのプレイヤーの名は、『ケンシン』。SAO事件当時は攻略組にこそ所属していなかったが、第一層・はじまりの町にて孤児院を警護していた、攻略組に匹敵するレベルと実力を持つ、隠れた強豪プレイヤーである。ちなみに、この古めかしい侍口調はゲーム内のキャラ作りのためのものではなく……全くの素によるものである。そのため、現実世界においても健在だった。

 

「拙者だけでなく、テッショウやエイキチ、ヤマト達も到着しているでござる」

 

「そうか……時間も無い。一気に片を付けるぞ!」

 

「承知!」

 

ケンシンをはじめとした強力な増援を得て、最後の攻勢に出るレイドメンバー達。四体の巨像の多腕から繰り出される雷属性の武器を捌きながら、間断無く攻撃を繰り返していく。刻一刻とタイムリミットが迫る中、SAO生還者達がダメージ覚悟の命懸けの猛攻の前に、巨像が一体、また一体と倒れていく。

 

『シャ、ガァアア……アァ……』

 

そして、残り時間が二秒を切ったところで、遂に最後の一体がHP全てを削り取られて崩れ落ちる。それと同時に、プレイヤー達の視界に『Congratulation!!』の文字が浮かぶ。第二のクォーターポイントのフロアボス『ザ・サウザンドアームズ・スタチュー』討伐は、ここに成し遂げられたのだった。

 

「やったね、イタチ君!」

 

「お疲れ様です、アスナさん。皆も、よく頑張ってくれた」

 

死闘を制したプレイヤー達が歓喜に湧き立つ中、イタチのもとへとアスナ、シバトラ、メダカの三人が駆け寄ってきた。

 

「当然だ。とはいえ、今回もかなりギリギリだったのは間違いないがな」

 

「エイキチさんとか、ケンシンさんとかに救援に来てもらえなかったら、どうなるかと思ったよ……」

 

巨像が四体に分裂して以降は、他のパーティーの動きは最小限しか確認していなかったが、想像以上に苦戦していたらしい。イタチのパーティーも、ケンシンの救援が無ければ、犠牲者が出ていた可能性が高かった。

 

「そういえば、あの人ってケンシンさんが連れてきたのかな?」

 

「あの人?」

 

「私のところに助けに来てくれた、『レイ』っていう名前の女性プレイヤーなんだけど、イベントが終わるのと同時に、どこかに行っちゃったの。お礼を言いたかったんだけど……」

 

「拙者が呼んできた中に、そのような名前のプレイヤーはいなかった筈でござるが……」

 

「そっか……なんか、私のことを知っているようだったんだけど、何だったのかしら?ランクも330位で、かなり高かったし……」

 

アスナが口にしたその言葉を聞いた一同は、僅かに驚いた様子だった。プレイヤー人口が今尚拡大を続けているオーディナル・スケールにおいて、ランキング三桁台はかなりの猛者である。このイベントに参加しているSAO生還者達にしても、全員が五百位以内に入っているのだ。

 

「気にはなるが、アスナを助けてくれたのならば、味方と見て問題は無いだろう。まあ、断定するのは些か危険かもしれんがな」

 

HALが自分達を油断させるために繰り出してきた、エイジと同類の手駒の可能性も否めない。だが、この局面でそんな回りくどい真似をする意味も無い。気になりはするが、脅威になる可能性が低いのならば、対応の優先順位は下げても問題が無いだろうというのが、メダカとはじめとした面々の意見だった。

 

「それより、Lに連絡だ。二つ目の施設のスーパーコンピューターから、スフィンクスがアンインストールされて、警備に配置されていた人達が解放されたのかを確認する必要がある」

 

「そうだな。Lには俺から連絡を入れておく。アスナさんを助けたレイというプレイヤーについては、ヒロキに頼んで余力があれば調べてもらおう。一先ず、今日はここまでだ。詳しい情報については、明日また話す。それで良いな?」

 

「ああ。そうしてくれ」

 

レイドリーダーとなっているイタチがそう締め括ったことで、その場は解散となった。HALの仕掛けた第二のゲームを制したSAO生還者プレイヤー達の表情は明るく、足取りはいつもより軽やかだった。

 

 

 

 

 

 

 

「HAL、二体目のスフィンクスもやられたらしいじゃないか」

 

『ウム。桐ケ谷和人君の率いるSAO生還者のレイドの結束力は、見事なものだったよ。この分では、第三のフロアボス――ザ・スカルリーパーがやられるのもほぼ確定だろうね』

 

東都大学の重村研究室の教授室の中。部屋の主である重村は、オーグマーを装着した状態で、協力者のHALと向かい合っていた。重村の後ろにはエイジが腕組み姿勢で立っており、険しい表情を浮かべていた。

 

「笑い事じゃないだろう。記憶の収集もできなかったそうじゃないか。本当に計画に支障は無いんだろうな?」

 

全く驚きだよ、とばかりに笑うHALに対して注がれるエイジの視線は、非常に冷ややかなものだった。その視線には、以前程の不信の色は無いが、計画の行く末を不安視しているようだった。

 

『勿論だとも。最初に言っておいた通り、彼等に持ち掛けたゲームは、本命から目を逸らさせるための陽動だ。記憶の収集も、スフィンクスの存続も、計画の大勢に影響しない』

 

「だが、桐ケ谷和人の記憶は諦めるしかなさそうだな……」

 

計画については心配するなと告げたHALだが、重村が呟いたその言葉により、場が沈黙に包まれる。

HALが仕掛けたゲームの目的の一つは、不完全なスキャンに終わった、イタチこと桐ケ谷和人の記憶を再度スキャンすることだった。だが、三体いたスフィンクスの内の二体が撃破されており、非常に苦戦している状況である。計画を進めるならば、和人の記憶は欲しいところだが、必要な手間と時間を考えれば、重村の言う通り、諦めるのがベストだろう。

 

『いや、そうとも限りませんよ、重村教授』

 

「どういうことだね?」

 

『桐ケ谷和人の存在は、想像以上のイレギュラーです。ここに至るまでの経過を鑑みるに……排除することがベストだろう』

 

HALにとってのイタチの存在は、既に単なる記憶収集の対象には止まらない。計画を揺るがす可能性の高い脅威足り得る存在であり、何らかの形で排除する必要があるというのが、HALの出した結論だった。

 

『彼自身、Lとともに我々を捜査している以上、計画最終段階における衝突もまず避けられません。である以上、彼の排除と同時に記憶の収集を行えば良いのです』

 

「……それで一体、どうやって彼を排除するというのかね?」

 

『ここは、エイジ君に協力してもらいましょう』

 

「僕が?」

 

その言葉に、思わず呆けた顔をしてしまったエイジ。HALとエイジの仲は、――主にエイジが抱く猜疑心によって――あまり良くはなかったため、意外な指名だった。

 

『本命の計画実行当日に、彼を一人で来るように言って呼び出す。彼を含めた、これまで被害に遭ったSAO生還者達の記憶をチラつかせれば、必ず食い付いてくるだろう』

 

「成程……そこを僕が仕留めるということか」

 

HALが企てた作戦の意図を理解したエイジは、非常に乗り気であることが伺い知れる不敵な笑みを浮かべて応じた。

 

『決まりだね。それでは、準備に取り掛かるとしよう。尤も、第三のフロアボスが討ち取られることが前提というのは、微妙なところだがね……』

 

「話は纏まったようだな。それでは、HAL。引き続きよろしく頼むぞ」

 

『お任せください。それから、エイジ君。君には桐ケ谷和人との対決に備えて渡しておきたいものがある』

 

「……何を用意したんだ?」

 

『それは、後のお楽しみとでも言っておこうか。万一君が追い詰められることになった場合に必ず役立つものだ。後で連絡を入れるから、所定の場所まで来てくれたまえ』

 

それだけ言うと、HALはその場からアバターの姿を消した。残された重村は黙ったままパソコンに再び向かい、その背後に立っていたエイジは得体の知れない物を渡されるかもしれない不安に顔を僅かに顰めていた……

 

 

 

 

 

 

 

2026年5月5日

 

大企業の社長や役員、医師、弁護士といった上流階級の家庭の、広大な敷地と屋敷が軒を連ねる、都内のとある一等地。その中に、電子機器メーカー、レクト・プログレスの前社長一家――結城家の住居はある。

 

「よく来てくれたわね、桐ケ谷和人君」

 

「……お久しぶりです、結城京子さん」

 

そんな結城家のリビングにて、和人はこの家の住人であり、明日奈の母親である京子とテーブル越しに向かい合っていた。京子の方は、家政婦の佐田明代が用意した紅茶に飲みながらリラックスした様子で過ごしていたが、和人の方はとてもではないが、そのような気分にはなれなかった。

京子との関係が、お世辞にも良好と呼べるものではないということもあるが、HALのゲームが予断を許さない状況であることが大きい。何より、今夜の七十五層フロアボス、『ザ・スカルリーパー』の攻略戦があるのだ。本来ならば、竜崎や新一等と作戦会議を行い、勝率を僅かでも上げるための方法を模索しなければならないのだ。

一応、和人もその旨を伝えたのだが、それでも京子からは「どうしても」と言って強く要望され……結果、今日この場に来たのだった。

 

「急に呼び出して申し訳なかったわね。あなたとは、二人で話したいことがあったから、来てもらったの」

 

「いいえ、お気になさらずに。それより、用件とは?」

 

「忙しいようだし、一緒に単刀直入に言うわね。明日奈と、何かあったの?」

 

いきなりそれを聞いて来るのか、と和人は思わず頭を抱えたくなった。京子の娘である明日奈との関係――主に恋愛の――を認めていないにも関わらず、明日奈が泣くことは許容できないという、実に身勝手な親馬鹿心に振り回されるのは今に始まったことではないが、よりにもよってこのタイミングでの呼び出しは勘弁して欲しい、と本心から思った。

ともあれ、効かれたからには答えなければならない。それも、極力嘘を吐かない形で……

 

「……少しばかり、問題が起こりました。今、俺達がプレイしているARゲームで俺がトラブルに巻き込まれまして……」

 

「それで、明日奈を遠ざけようとして揉めたといったところかしら?」

 

「……はい」

 

まるで空の上から見ていたかのように自分達のやりとりを適確に言い当ててくる京子の言葉に、和人は返す言葉も無かった。流石は明日奈の母親といったところだろうか。

 

「正直、あの子には危ないことには関わって欲しくないんだけど……私やあなたが何を言っても聞いてくれそうにないから、もう関わらせないようにすることは諦めたわ」

 

「俺としては、今でも明日奈さん達には出来れば手を引いてもらえればと思っているのですが」

 

「言っても聞かない子なのはあなたもわかっているでしょう。こうなったら、何が何でもあなたにはあの子を守ってもらう必要があるわ。けどそれに当たって……あなたには知っておいて欲しいことがあるの」

 

そう言うと、京子は手元に置いていた、題名の書いていない、変わった装丁の本を和人へと差し出した。

 

「これは?」

 

「明日奈の日記帳よ」

 

「……何故、そのような物を?」

 

「ちょっと貸してもらったの」

 

いくら母親でも、こんなプライバシーの塊と言うべき物をそう易々と貸したりはしないだろう。そう心中で突っ込む和人だが、言ったところではぐらかされることは目に見えているので、それを口に出すことは敢えてしなかった。

 

「六日前のページを開いてもらえる?」

 

「はい」

 

六日前といえば、HALが提示したゲームにおける最初の戦闘イベントが行われた日である。一体、何が書かれているというのか。少なくとも、京子からの呼び出しを受けた以上、あまり良くない内容であることは間違いない。まさか、自分が前世持ちであることが書かれていたのでは等……様々な予想を立て、内心で冷や汗を流しながら、和人は日記帳を開いた。

該当するページに書かれている内容に目を通すと、そこには……

 

 

 

2026年4月29日

 

OSで電人HALが仕掛けたゲームは、シバトラさん達のお陰で、何とか勝ち切ることができた。

イタチ君は、私達の協力を受け入れてはくれたけれど、まだ私達を危険から遠ざけようと思っているみたいだった。

この前までのイタチ君とまるで別人で……SAO事件の中で、最初に出会った時に戻った時を思い出させるものだった。

メダカさんにも相談してみたけど、やっぱりSAO事件の記憶が消えてしまったことが原因なんだと、改めて思った。

イタチ君は、攻略の記憶だけは残っているから大丈夫って言っていたけれど、私もメダカさんもシバトラさんも、絶対に大丈夫じゃないっていう意見だった。

SAO事件を命懸けで戦った中で培った私達の信頼はかけがえの無いものの筈。それがあったからこそ、皆で乗り越えられたんだって、私やメダカさんは思っている。そしてそれは、イタチ君も同じだったと思う。

だから、イタチ君には、絶対に記憶を取り戻して欲しいと思う。そもそも、イタチ君は私を庇って記憶を失った。だから、私が命を懸けて戦うのは当然のこと。

イタチ君が止めても、絶対に引き下がるつもりは無い。

 

 

 

(明日奈さん……)

 

日記に綴られた、オーディナル・スケールの戦いに臨む明日奈の決意に、和人は胸が痛む感覚を覚えた。あれ程までにこの件から手を引くように言っても聞かず、危険を承知で参加してきたのは、一重に自分のことを護ろうとしているが故のこと。

和人自身、明日奈をはじめとした面々から信頼され、大切に想われている自覚は勿論あった。だが、自身に向けられるそれらの感情は、SAO事件の経験を通してこそ正しく感じることができるもの。それを失くしてしまった和人には、その感情の理由を理解することはできなかった。故に、そんな相手に命懸けの戦いに臨んで欲しいなどと口にするのは、好意を利用する悪質な行為に思えてしまい……それが、明日奈達を拒絶する結果となってしまったのだった。

そんな自身の想いを胸中で振り返りながら、和人は日記の続きを読み進めていく――――――

 

 

 

――こんな風に、色々と尤もらしいことを言い訳にしてきたけど……私がゲームに参加しているのは、もっと身勝手な理由。

イタチ君に記憶を取り戻して欲しいのは、私がイタチ君のことを“好きだっていうこと”を思い出して欲しいから。

現実世界に戻ってから、和人君とはずっと一緒に過ごせたけれども、この想いを伝えられたのはSAO事件が解決した時の一度きり。

もう一度想いを伝えられれば良いのだけれど……どうしても、あの時のような勇気が持てなかった。

こんな時だし、告白なんてできるわけも無い。

だから私にできるのは、イタチ君の記憶を取り戻すために、命を懸けるつもりで戦うこと。譬えその中で、私の記憶が無くなったとしても……私がイタチ君のことを好きだって言う気持ちさえ残ってくれれば、それで良い。

 

 

 

「………………」

 

決意表明にも似た日記の内容は、そこで終わっていた。他のページと比較しても、文章の量が非常に多かったのは、それだけ明日奈が悩んだ証なのだろう。

 

「あなたとあの子の関係を引き裂こうとした私が言えた義理じゃないのかもしれないけど……あの子が苦しんでいることと、あなたのことをそれだけ大切に想っていることだけは、覚えていて欲しい。それだけよ」

 

紅茶を飲み終えた京子は、遠い眼をしながらそう告げた。そして、京子は立ち上がった。

 

「あなたに伝えたかったことは、以上よ。危険なことに首を突っ込むのはもう止められないにしても……あの子を泣かせることだけは、絶対にしないようにして」

 

伝えたいことは伝えたとばかりに、京子は和人のもとへ向かうと、その手元に置いていた日記帳を手に取り、その場を去ろうとする。

 

「悪いけれど、私も用事があるから、失礼させてもらうわ。帰りは、佐田さんに送ってもらってちょうだい」

 

それだけ言うと、京子はリビングを去っていった。残された和人は、一人椅子に座ったまま、たった今知った明日奈の想いにどう向き合うべきか、悩み、考え込んでいた。

それとも追う一つ、気になったこともあった。

 

(湿布の臭い……?)

 

京子が近づいた時に気付いたことだった。京子の年齢も年齢なので、別に不思議も無いことなのだが、忍の勘故か……何故か引っ掛かる。

 

(……まさかな)

 

ふと頭の一つの考えが過ったが、即座にそれを否定。

その後、和人は残っていた紅茶を飲み干して一息吐くと、家政婦・佐田に見送られて結城家の屋敷を去っていくのだった。

 

「……ん?」

 

そして、竜崎達が詰めている捜査本部へ向かっていた道中のこと。和人の携帯が振動し、メールの着信を知らせる画面が表示された。

 

(……一体、誰だ?)

 

差出人は不明となっているメールを訝る和人。まさか、HALからのコンタクトだろうか。一瞬、そんな考えが過った和人だったが、一先ずメールを開くことにした。

和人をはじめとした捜査メンバーやその協力者の携帯端末には、藤丸とヒロキの共同研究によって開発した対電子ドラッグ用のソフトがインストールされている。万一、メールを開いた途端に電子ドラッグの映像が映し出される仕組みだったとしても、再生と同時に解像度が低下するので、問題は無い。

そして、メールを開いてみると……

 

 

 

力が必要ではないかね?

“うちは”イタチ君

 

 

 

「――!!」

 

まず目に入ったのは、その一文だった。差出人は、自身の前世の名前を知る者。一体何者なのかと警戒心を強めながら、その先の文章を読み込んでいく。

 

「………………」

 

メールの内容全てを読み終え、差出人の正体とメールの要件を確認した和人は、一人その場で立ち尽くしたまま瞑目した。やがて和人は、ゆっくりと目を見開くと、何らかの決意を固めた表情で再び歩を進めた。その行く先は、捜査本部とは異なる方向を向いていた。



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第百四十七話 接点【interface】

 

東京都港区台場のお台場エリアに点在する海上公園の一つである、シンボルプロムナード公園。臨海副都心の様々な施設を繋いでいる公園であり、ウエスト、センター、イーストの三つの遊歩道(プロムナード)から成り立っていることで知られている。その中で、台場駅からテレコムセンター駅へと通じるウエストプロムナードの中央には、様々なイベントに使われるセントラル広場があった。

そしてこのセントラル広場こそが、本日のオーディナル・スケールのバトルイベント会場であり……HALが仕掛けたゲームの最後の舞台だった。

 

「イタチはまだ来ていないのか……」

 

海から吹き付ける風に、長く艶やかな黒髪を靡かせながら、メダカが呟いた。彼女の周囲には、Lや和人の捜査に協力すべく駆け付けた他の面々――かつてのSAO攻略組プレイヤー達が揃っており、オーディナル・スケールを起動した状態で待機していた。ゲームイベント開始までは、残り十五分である。

 

「SAOの時とかは、一番に到着する筈なのに……」

 

「昼間の作戦会議にも来ていなかったが……」

 

「まさかとは思うけれど……何かあったのかな?」

 

レイドリーダーであるイタチが到着しないことに、アスナとシバトラは不安そうな表情を浮かべていた。SAO事件当時は勿論のこと、このオーディナル・スケールにおけるHALのゲームにおいても、事前の作戦会議には必ず参加し、集合場所には基本的に誰よりも早く到着していた。

そんなイタチが、今日に限って作戦会議を欠席し、いつもより到着が遅れている。考えられる原因としては、リアルの関係で急な用事が発生したか、捜査関係で別行動を取っているか……或いは、HALからの襲撃を受けたかだろう。特に後者は、HALのゲームが終盤に差し掛かっている関係上、可能性は高い。

 

「一度、Lに連絡を取った方が良いんじゃないかな?」

 

「……そうだな」

 

シバトラの提案により、一先ずは捜査本部にいるLへと取ることとしたメダカが携帯を取り出し、本部の番号へ掛けようと通話機能を起動しようとする。

だが、その直前。ふと顔を上げた明日奈の視界に、台場駅方面から歩いて来る人影を捕らえた。

 

「あ、イタチ君!」

 

明日奈の声に、他の面々も同じ方向を向く。それはまさしく、その場に集まっていた一同がその安否を案じていた、イタチこと和人当人だった。オーディナル・スケールを起動した状態でアスナ等パーティーリーダー達のもとへと近づくと、いつもと変わらぬ様子で挨拶をする。

 

「皆さん、お待たせしました」

 

「無事だったのか!」

 

「心配したんだよ!」

 

イベント直前にこうしてこの場に姿を現すまで、一切の連絡を寄越さなかったことについて咎める面々に対し、イタチは表情にこそ出ていないが、若干たじろいでいた。

 

「……申し訳ございませんでした」

 

「全くだよ。一体今まで、何をしていたんだい?」

 

「……急用が出来まして、今まで連絡を取ることができませんでした」

 

「HALからの襲撃を受けたというわけではないみたいだね。一体、どんな用事だい?」

 

先日のように怪我をした様子が見られないことから、戦闘はまず無かったのだろう。しかし、和人がこの重要な局面で打ち合わせを休んでまで向かった用事である。この事件に関わる重要な意味を持つことは間違いないと、シバトラは確信していた。

 

「……少々、昔の知り合いに会っていただけです」

 

「知り合い?」

 

「すみませんが、詳細は伏せさせていただきます。勝手な理由で事前の打ち合わせを欠席してしまったことはお詫びします。しかし、俺個人としては、どうしても外せなかったんです……」

 

詳細は説明せずに、ぼかした表現でしか答えなかった和人だが、心配を掛けてしまったことの自覚はあった。三人に対して深く頭を下げ、謝罪する。

 

「分かったよ、和人君。これ以上、僕等からは何も聞かないよ」

 

「お前が無事だったことは何よりだ。作戦についても、前回のボス攻略の時からある程度決まっていたんだ。特に変更も無い以上、特に問題は無い」

 

誠心誠意謝罪する和人の姿に、シバトラとメダカはそれ以上の追及をすることは無かった。アスナも含め、内心では和人の用事が何だったのかは気になる。だが、それよりも目先の問題であるボス攻略に集中すべきと判断したからだ。

 

「もうそろそろ時間だよ。早くカズゴ君やアレン君と合流して、所定の配置に付こう」

 

「了解です、アスナさん」

 

アスナに促され、イタチとシバトラ、メダカはセントラル広場に集結している仲間達のもとへと向かった。HALを護る最後の砦と目される、最後のクォーターポイントのフロアボスとの戦いへと臨むために――――――

 

 

 

 

 

イタチ等が電人HALの仕掛けた最後のゲームに挑もうとしていたその頃。HALの共犯者にして、計画の中枢を担っている重村もまた、計画の最終段階に向けた準備に勤しんでいた。計画を秘密裏に進めるため、重村は仮の拠点としていた大学の研究室内にここ数日間は籠もりきりで作業をしており、一切の面会を断り、会議すらも欠席していた。

 

(ようやくここまで来たか……)

 

そうして睡眠時間すらも削って作業を進めることしばらく。遂に計画の最終段階へと向けた準備は、八割程完了した。準備は大詰めだが、流石に年齢の割に根を詰め過ぎたらしい。これ以上は流石に厳しいと感じた重村は、一休みすることにした。

そうして、背もたれに体重をかけて一息吐こうとした重村だったが……思わぬ来客が、束の間の休息を遮った。

 

『重村教授、お久しぶりです』

 

「君は……」

 

重村の眼前に現れたのは、白衣姿の一人の男だった。そして、突然現れ、自身の名前を呼んだ男を見た重村の目は、驚愕に見開かれていた。何故なら、その男は本来、この場にはいない……否、この世界には生存していない筈の人物だったのだから。

 

「……そうか。計画が失敗したとはいえ、タダでは死なないとは思っていたが、まさかそのような形で望みを果たしていたとは……」

 

しかし、その驚愕も数秒程度のものだった。重村は自身の目の前に現れた見知った男の姿を象った何者か――又は何物かとも言う――の真なる正体と、そこに至った経緯を即座に導き出したからだ。

 

「千分の一にも満たないとされていた可能性を、よく掴み取れたものだね――――――“茅場”」

 

『もっと驚くかと思いましたが……流石ですね、重村教授』

 

“茅場”、と自身のかつての教え子であると同時に、今は亡き人間の名前を呼んだ重村は、しかし非常に落ち着き払った様子だった。生きている筈の無い人間が、目の前に立っているという矛盾。だが、それは重村にとっては謎などではない。無論、この茅場という男が幽霊であるなどというわけでもない。

それは、実に単純な理屈。茅場の正体が、生身の肉体を……実体を伴った人間などではないということ。彼の共犯者であるHALと同じく、デジタルデータによりその身を構成された、電脳世界の住人――電人なのだ。重村は、和人と同様に茅場晶彦の最期について知っている数少ない人間だった。故に、茅場が自身の脳に高出力のスキャンをかけたという事実と、その目的が己の意識を電子化することも知っていた。重村の言うように、成功する確率は極めて低いのだが、どうやら茅場はその可能性を掴み取ったらしい。ちなみに、重村の驚きが少ないのは、共犯者にである春川の分身たるHALの存在が大きい。

 

「それで、電脳となった君が、一体私に何の用なのかね?」

 

『大したことではありませんよ。ただ、教授が今進めている計画の……その中枢を担うシステムについて、懐かしいものを感じたので、伺った次第です』

 

茅場が放ったその言葉に、重村は目を細める。このタイミングでこの場を訪れた時点で既に重村は確信していたが、茅場は重村や春川が手を組んで水面下で進めている計画と、その目的を知っているらしい。

 

「……つまり、私達の計画を邪魔しに来たということかね?」

 

和人同様、茅場もまた探偵Lの仲間なのか、と警戒心を強める重村。大学構内で重村が使用している端末は、当然ながら強固なセキュリティで固められている。HAL本体を護るスフィンクス程ではないにしても、天才ハッカー・ファルコンやヒロキのような人工頭脳によるサイバー攻撃でも、簡単には破られない造りである。茅場の攻撃を受けたところで、システムは勿論、計画そのものは小動もしない。しかし、それでも侮れないのが茅場という男である。重村は最大限に警戒していた。それに対する茅場はというと、やれやれと肩を竦めるばかりだった。

 

『まさか。重村教授が警戒するようなことをするつもりはありませんよ。確かに桐ケ谷和人君……イタチ君は、私にとっては数少ない友人だと思ってはいますが、今回の件で彼に直接的に協力するつもりはありません』

 

「ほう……それでは、何の用かね?」

 

『先程言った通りですよ。私にとって懐かしい……かつて私が捨てたシステムが動いていることに興味を持って、この場を訪れた。それだけです』

 

「………………」

 

茅場のアバターの表情や声色には、嘘の色は見られない。既に現実世界に生きる人間ではない、完全な電脳と化した茅場の言葉の真偽をそれらから察することはできない。だが、かつての恩師として茅場のことを知る重村は、その言葉を一応は信じることにした。

 

「……4年前、私はアーガス社外取締役の立場を利用して、悠那にナーヴギアとSAOを与えた。娘に良い顔をしたかったばかりにな……」

 

『……』

 

「そしてそんな私の愚かさ故に、あの子は死んだ……!」

 

娘である悠那の死を思い出しながら話す重村の顔と言葉には、強い怒りが浮かんでいた。ただそれは、SAO事件の首謀者である茅場に向けられたものではない。悠那がSAO事件に巻き込まれるきっかけを作ってしまった重村自身に向けられていた。それが分かっていた茅場は、何も口を出さずに、ただただ黙って話を聞いていた。

 

「悠那の死を認められなかった私は、私なりの方法で娘を蘇らせる方法を探し始めた。まず考えたのは、人工知能としてあの子の魂を再現することだった。だが、脳はナーヴギアによるダメージで保存や修復は不可能な状態……流石の私も、もう不可能だと思ったよ。だが、諦めかけていた私のもとに……彼が現れた」

 

『……春川英輔、ですね』

 

茅場が口にした、この場にいないもう一人の天才の名前に、重村は静かに頷いた。

 

「彼は稀代の天才少年、ヒロキ・サワダが遺した僅かな資料をもとに、ボトムアップ型人工知能の開発のための研究を進めていた。初めて彼の研究成果を見た時には、驚かされたものだよ。C事件以降、世界中の研究機関が躍起になって着手し、それでいて誰一人として再現できなかったヒロキ・サワダの人工知能開発を、彼は独力で成し遂げたのだからね」

 

春川はその成果について、ヒロキ・サワダの研究の猿真似に過ぎないと言っていたが、その猿真似さえも世界の研究者の誰一人としてできなかったのだ。さらに春川はそれだけに満足せず、本命の目的を果たすために、重村をも計画に巻き込んだのだ。しかもその計画は、自身の命をも懸けた無謀に等しいものである。計画を持ち掛けられた当初、重村は春川がその内に秘めた天才としての矜持と執念に、薄ら寒いものを覚えた程だった。

 

「彼が提供してくれた研究データのお陰で、私の計画は息を吹き返した。人工知能を作る方法がわかったのならば、あとは材料を集めるだけのこと。SAOプレイヤーから悠那に関する記憶……その断片をかき集め、結合することができれば、あとはディープラーニングで、人工知能としての悠那を蘇らせることができる」

 

『それが、あなたが春川教授と手を組んで進めている計画の真なる目的ですか』

 

愛する娘を取り戻すためというならば、これ程までの計画を遂行した理由としては頷ける。但し、悠那を取り戻すというのは重村とエイジの目的である。HALの――正確にはHALのオリジナルである春川英輔の――目的は、また別にあるのだろう。

そんな茅場の思考を余所に、重村の独白は続く。

 

「基数によってアインクラッドを制御していたカーディナル・システムに対して、序数におって支配するのがオーディナル・システム。そして、オーディナル・システムのナンバー1は絶対。ナンバー1を与えられた者は、不死となる。そう設計したのは君だろう、茅場」

 

『だから『ユナ』……ラテン語の『1』というわけですか。そのために、先生はかつて私が捨てたシステムを見つけ出し、新たなゲームとして生まれ変わらせたのですね』

 

「……計画は既に最終段階だ。全てのプロセスが完了したその時には、多くの人間が犠牲になることだろう。だが……私は悠那を蘇らせるためならば、電人だろうと悪魔だろうと、喜んで魂を売ろう。譬え……君と同じ道を行くことになるのだとしてもね」

 

『………………』

 

愛する娘のためならば、大量殺戮も辞さない覚悟を固めているかつての恩師の姿に、しかし茅場は何も言わなかった。それは、自身が起こしたSAO事件が原因であることや、自身が遺したシステムがきっかけを作ってしまったことに由来する罪悪感でもましてや重村に対する憐れみからではない。元より、茅場は既にそのような感情は捨てているのだ。

オーディナル・システムに絶対の可能性を見出す重村を見る茅場の姿に……茅場は、かつての自分の姿を重ねた、懐古にも似た感情を抱いていた。

 

『確かに以前の私ならば、同じように考えたかもしれません。しかしね先生……私は信じているのですよ……』

 

一拍置いて、茅場は再び口を開いた。そのアバターの瞳には、重村にも迫る、強い意思が宿っているように……重村には、そう思えた。

 

『システムすら超越する力の存在を』

 

「………………」

 

『私が先生に言いたかったことは、それだけです。あなたの計画の終着点について干渉するつもりはありません。しかし、あなた方と“彼”との戦いは、その可能性を垣間見ることができるかもしれないと、私はそう思うのです』

 

「……彼というのは、桐ケ谷和人のことかね?」

 

重村の問いに、茅場は頷いた。しかし、重村には解せない。確かに和人はSAO事件を解決に導いた英雄であり、VRゲーム関連の事件をその後二度も解決した実績がある。しかし、それはあくまでVRゲーム内でのこと。ARゲームのオーディナル・スケールではVRのようにはいかず、エイジやHALの私兵との戦闘に際しては圧倒されていた。今更、この戦況を覆すような可能性を秘めているとは思えない。

そんな重村の内心を察したのか、茅場はフッと不敵に笑った。

 

『私自身も、彼に何ができるのか……それは分かりません。しかし、私個人としては信じてみたいのですよ。彼が秘めている、我々の理解の及ばない領域にある、可能性というものをね……』

 

それだけ言い残すと、茅場のアバターは重村の前からゆっくりと消えていった。残された重村は、先程まで茅場がいたその場所を――虚空を見つめ続けていた。結局、かつての教え子たる茅場が、自分に何をおうとしていたのかは、最後まで分からなかった。研究者としての妙に引っ掛かる……ある種の興味を抱かされるような話ではあったが、それ以上の意味は見いだせなかった。

 

「作業に戻らねばな……」

 

茅場の来訪というのは予想外の事態だったが、重要な情報が齎されたわけでもない。今優先すべきは、計画の最終調整なのだ。桐ケ谷和人に何かありそうだが、今更そんなことを一々探っている暇も無い。問題を――そもそも、問題なのかも疑問だが――を棚上げすることにした重村は、再び準備へと取り掛かっていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

『キシャァァァアアアアッッ!!』

 

「イタチ、スイッチだ!」

 

「メダカさん!右サイドに回り込んで!」

 

「シバトラ!尾の攻撃が来るぞ!回避しろ!」

 

お台場エリアのシンボルプロムナード公園、ウエストプロムナード中央のセントラル広場にて繰り広げられていたオーディナル・スケールのバトルイベントは、佳境を迎えていた。元攻略組のSAO生還者を中心に集ったレイドが対峙する、第三のクォーターポイントの守護者『スカル・リーパー』は、そのHP全量の実に九割を既に削り取られていた。

 

『キィィイイシャァアッ!』

 

「今度は上の両腕が繰り出されるぞ!」

 

「それが終われば、今度は下の両腕の連撃だ!気を付けろ!」

 

デスゲームさながらの緊迫感の中、プレイヤー達が対峙する『スカル・リーパー』の姿は、かつてアインクラッドで戦った時のそれとは違っていた。SAO時代、このボスは前足の両腕に装備していた大鎌を武器としていたが、今回はそれが四本(・・)あるのだ。二本だけでも十分強力な大鎌が、さらに二本、上乗せされているのだ。四本の鎌を自在に操り、強力且つ高速の斬撃を間断無く繰り出すその様は、イタチのスキルコネクトを彷彿させるものだった。一撃でも食らえば大量のHPを持っていかれる上、最悪の場合はHP全損で即死もあり得る大鎌の連撃に対し、しかしレイドの面々は不退転の覚悟で立ち向かい、一人の犠牲者も出さずにボスをここまで追い詰めたのだった。

 

『キィィイイシャァァアア!!』

 

「範囲攻撃が来る!全員退避しろ!」

 

イタチの指示に従い、レイドメンバーは一斉にボスから距離を取る。だが、そんな中――――――

 

「きゃっ……!」

 

シリカが躓き、転んでしまった。そして、一人だけボスの攻撃範囲の中に取り残されてしまう。

 

「シリカっ!!」

 

「助けに行かないと……!」

 

「駄目だ!今行ったら巻き込まれる!」

 

何名かのプレイヤーがシリカに気付いたが、ボスは既に範囲攻撃のために鎌を振り上げていた。今飛び込んでいけば、シリカ諸共に大鎌の餌食である。

 

「アスナさん、後を任せます……!」

 

「い、イタチ君!?」

 

誰もが巻き添えを恐れて動き出せずにいた中、イタチが一人、駆け出していった。アスナに指揮を任せ、その返事を待つことなく、シリカのいる方向目掛けて一直線に駆け出していく。ボスが振り下ろしたのは、イタチが駆けだした数秒後だった。

 

「シリカ!」

 

「イタチさんっ!?」

 

迫るボスの刃と、駆け付けようとするイタチと、両者に挟まれる位置にへたり込むシリカ。三者が交差しようとする中……最初にシリカのもとへ辿り着いたのは、イタチだった。

 

「きゃぁっ……!」

 

シリカへとダイブする形で飛び掛かったイタチは、その勢いのまま彼女を押し倒し、地面を転がる。その結果、二人はボスの刃の下を潜る形で回避することに成功した。

 

『キッッシャァァアア!!』

 

「逃げるぞ」

 

「え?ふわぁあっ!?」

 

横薙ぎの範囲攻撃を避けても、ボスの攻撃は続く。しかも、手近にいたことでシリカとイタチへとタゲが移ってしまった。それを瞬時に察したイタチは、シリカを所謂お姫様抱っこで抱え上げた状態で駆け出し、離脱を開始した。

 

『キシャァアッ!キシャァアアッ!!』

 

「しっかり掴まっていろ」

 

「ひっ……!」

 

シリカを抱えたイタチ目掛けて、ボスの斬撃が次々繰り出される。しかしイタチは、それらをオーグマーから齎される聴覚情報のみで察知し、まるで背中に目が付いているかのような反応速度で避けていく。

 

『キシャァァアアア!!』

 

「くっ……!」

 

だが、回避を続けるイタチに限界が訪れた。ボスが繰り出してきた連撃の最後の一撃が、イタチの背中目掛けて放たれる。イタチ一人なら、全て余裕で避けられたであろう攻撃だったが、今回はシリカを抱えた状態である。腕の中に抱えていた人一人分の重さが、イタチの回避行動を僅かに遅らせた。

 

「イタチ君!」

 

「イタチ!」

 

イタチの危機に、アスナやシバトラが思わず声を上げる。他のプレイヤーも同様の反応を示している。だれもが絶望の表情を浮かべた、絶体絶命の窮地の中……しかしイタチは、諦めた様子は無かった。

 

「―――――」

 

「……?」

 

ボスの刃がイタチの背中に触れそうになったその時。周囲の音で良く聞き取れなかったが、イタチが口を動かして何かを呟いたのを、腕に抱かれた状態のシリカは見た。そしてその途端――――――

 

「――え?」

 

シリカは、思わず戸惑いの声を上げた。何故なら、自分のいた場所の風景が、先程までとは様変わりしていたからだ。さらに言えば、自分達を襲っていたボスの位置もおかしい。先程大鎌の一撃を受けそうになった時より、ボスは十メートル以上離れた場所にいたのだ。

何が起こったのかシリカには分からなかったが……それは、他のレイドメンバーも同様だった。回避不能だった筈の一撃を、イタチは避けてのけた。だが、回避するまでのプロセスが、目で追えなかったのだ。一体、何が起こったのかと、レイド全体が思考停止状態に陥っていたが……その静寂を破ったのは、イタチだった。

 

「ボスの攻撃が止んだ!今の内に畳みかけるんだ!」

 

イタチの言葉に、一気に正気に戻ったプレイヤー達が、思考をボス攻略へと切り替える。既にHPは九割まで削っており、あと一息なのだ。ここで攻撃の手を緩めるわけにはいかない。

 

「皆、最後の攻撃だよ!」

 

「突撃だ!」

 

『ウォォォオオオオオ!!』

 

アスナやメダカといった強豪プレイヤー達が正面から鎌四本を捌き、その隙に両サイドから他のレイドメンバーが次々攻撃を加えていく。最後の最後まで気の抜けない攻防の末……遂にボスは、限界を迎えた。

 

『キ、シ、シャシャァア……ァァア……』

 

か細い断末魔とともに、ボスはその長大な体を力尽きたかのように地面に横たえた。それと同時に、その体はポリゴン片を撒き散らして爆散した。例によってプレイヤー達の視界には、イベントクリアを知らせるメッセージと報酬が表示されていた。

 

「ようやくこれで終わり、か……」

 

長く辛い死闘が終わったことに安堵し、その場に次々にへたり込むレイドメンバー達。イタチやメダカは、エイジからの追撃を警戒し、ヒロキにソーシャルカメラのチェックとともに、自らも辺りを見渡していた。

 

『おめでとう、SAO生還者諸君』

 

「!!」

 

そんな声と共に、和人達の前に、ノイズと共に一人の男が姿を現した。その登場の仕方から分かるように、人間ではないその男を見た和人等に、再び緊張が走る。

 

「HAL……!」

 

『おっと、そう警戒しないでくれたまえ。これ以上、君達に攻撃を加えるつもりは無い』

 

唐突に現れた電人HALに警戒を露に、各々の武器を構えるSAO生還者達。対するHALは、そんな四面楚歌の状況にあっても、飄々としていた。

 

『ゲームは君達の勝ちだ。例によって、私の最後のスフィンクスは機能を停止し、当該施設を守護していた兵隊も全て解放した。まさか、ここまで一人の犠牲者も出さずに攻略してのけるとは、流石の私も驚いたがね』

 

「余裕でいられるのも今の内だ。スフィンクスが全て消えた今、お前を護る防壁はもう無い。お前の居場所も、ファルコンとヒロキがすぐに見つけ出す」

 

『フフフ……そんなに焦らずとも、私は逃げやしないさ。なんなら、この場で教えてあげても良いのだがね?』

 

「何だと?」

 

自身の防衛の要であるスフィンクスを全て失ったというのに、全く余裕を崩さないHALの態度に、SAO生還者達は不気味なものを感じていた。スフィンクスについては、これ以上数を増やされることを防ぐために、ファルコンとL、ヒロキの手により、これをインストールするための国内全てのスーパーコンピューターが既に押さえられている状態にある。故に、今のHALは丸裸同然であり、このように余裕でいられる筈が無いのだ。

 

『まあ、私の居場所については、後でヒロキ君にでも聞いてみるがいい。それでは、私はこれで失礼するよ……』

 

それだけ言うと、HALは再びのノイズとともにその場から姿を消した。残されたイタチ等は、HALが残した意味深な言葉に不安を覚えつつも、行動を再開した。

 

「一先ず、今日はこれで解散しよう」

 

「そうだな。流石に、これからHALの居場所に乗り込むことはできそうにないからな」

 

「皆、疲れてるもんね……」

 

レイドメンバーの疲労状態を鑑み、これ以上の捜査は不可能と判断したメダカとアスナ、シバトラは、イタチの言う通り、この場を解散することとした。

 

「Lとファルコンには、俺から連絡を取っておきます。HALの居場所については、明日お知らせします」

 

「そうしてくれ」

 

捜査報告についても後日に回すことを決めたところで、レイドのパーティーリーダー等は、各々のパーティーのメンバーにその旨を説明に向かうのだった。

 

 

 

 

 

「シリカちゃん、大丈夫だった?」

 

「はい。平気です」

 

和人の判断により、レイドを解散した後、明日奈と珪子、里香の三人はめだかが用意した車に乗せられて帰路に着いていた。ちなみに、他のレイドメンバーも、警護のためにめだか乃至Lが用意した車で家へと送ってもらっている。

 

「それにしても、良かったわね~、珪子」

 

「へ?」

 

「イタチにお姫様抱っこなんてしてもらって」

 

里香がからかうように口にしたその言葉に、当時のことを思い出した珪子の顔が赤く染まっていく。

 

「あ、あれは緊急事態だったんですから……しょうがないじゃないですかっ!」

 

「そうだよ、里香。珪子ちゃんだって、そのために転んだわけじゃないんだから……」

 

「あら?明日奈は羨ましかったんじゃなくて?」

 

「ち、違うわよっ!そりゃ、確かに、私はあんなことされたこと無いけど……」

 

迂闊に横から口を挟んで諫めようとした明日奈だったが、里香のからかいの対象が珪子からシフトしてしまった。完全な藪蛇だったが、里香の恋する乙女弄りは止まることを知らず、明日奈をどんどん赤面させていくのだった。

その一方、里香から逃れることに成功した珪子は……

 

(あの時のイタチさんの“目”……気のせいだったのかな?)

 

それは、抱き上げられた時、和人の顔を至近距離で見た珪子だからこそ気付いたことだった。和人のオーディナル・スケールのアバターは、SAOやALOのそれと同様、瞳の色を赤くカラーリングしている。だが、珪子があの時見た和人の瞳には、それだけではない……ある変化があったのだ。

 

(確か、“三つ巴”だったかな?瞳の形をそんな風にする設定、あったかな……?けど、あの後イタチさんの目は何も変化してなかったし……)

 

やはり見間違いだったのだろう。そう結論付けた珪子は、それ以上そのことに触れることはしなかった。その後は、隣で赤面して狼狽える明日奈と、それをからかう里香の方へと、関心は移っていったのだった。

 



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第百四十八話 対策【handling】

 

『フフフ……遂にここまで辿り着いたようだね、ヒロキ君』

 

現実世界に肉体を持つ人間が踏み込むことのできない、デジタルデータで構成された電脳世界の中。二人――正確には、人ではないが――のAIが相対していた。

片やオーディナル・スケールを舞台に未だ全容の知れない計画を、重村等とともに進めている、電人HAL。

片やそんなHALの計画を止めるべく和人やLと協力体制を敷いて捜査を行っているヒロキ。

互いに追い、追われる関係にあると同時に、現実世界の人間の人格をコピーして創造されたという共通点を持つ者同士だった。

 

『HAL、もうあなた達は終わりだ。計画を諦めて、君を作った春川教授や重村教授に自首を促し、君も投降するんだ』

 

『AIである私が、人間社会の法で裁けると思うのかね?』

 

『……確かに、君を罪に問うのは難しい。けど、大人しくしてくれれば、Lも悪いようにはしない筈だ』

 

自らが仕掛けたゲームに敗れたHALは、守護者を全て失った上に居場所まで特定され、窮地に立たされていた。その現状を鑑み、既に決着はついたと判断したヒロキは、降伏勧告を行う。

しかし、対するHALは、追い詰められたこの状況下にあって、余裕の笑みすら浮かべてヒロキと相対していた。その姿に、ヒロキは非常に不気味なものを感じる。

 

『それはどうかな?君は既に勝負はついたと思っているようだが、そうとも限らんよ』

 

『……スフィンクスを全て失っている以上、あなたは丸裸同然だ。居場所もこうして特定できた今ならば、ファルコンのサイバー攻撃で難なくあなたを拘束することだってできる』

 

『フム。確かに君の言う通り、危機的状況だな。防衛プログラムも無い状態で君達の攻撃を受ければ、ここにある私の本体もただでは済むまい』

 

背後をHALが振り返って見上げたその場所には、ピラミッドを彷彿させる巨大な四角錐の物体が浮かんでいた。これこそが、電人HALの本体たるコアプログラムである。

かつては三機ものスフィンクスによって守られていたそれも、今は見る影もなく、完全に無防備と化していた。

 

『これを破壊されれば、私はプログラムとしての死を迎えることとなるだろう』

 

『分かっているなら、すぐにでも――――――』

 

降伏をしてほしい、というヒロキの言葉は続けられなかった。それを口にしようとしたその瞬間、ヒロキの目の前に立つHALの頭上に、巨大な影が現れたのだ。

四本足のライオンを彷彿させる姿で、その背中には翼が生えている。頭部は黒くのっぺりとしたフルフェイスマスクを彷彿させるものを装着した異形である。それを見たヒロキは、目を見開いて驚愕した。

 

『尤もそれは、私に身を護る術が完全に無いということが前提だがね』

 

『そんなまさか……だが、これは!』

 

予想外の事態に目を見開いているヒロキの反応に、HALは満足した様子でその不敵な笑みをさらに深めた。

 

『驚いているようだね。この私が、何の策も無しにあのようなゲームを仕掛けて、計画の破滅を待つのみだと本気で思っていたのかね?残念だが、次善の策は既に打っていたのだよ。ゲームは君達の勝利に終わったが、計画の大勢には影響は全く無いということだ』

 

『くっ……!』

 

形勢逆転とも言うべき展開に、ヒロキは歯噛みして立ち尽くすことしかできなかった。

 

『それに、仮にスフィンクス全てを除くことに成功していたとしても、私には春川が設けた最後の砦が残っているのだよ』

 

『……どういうことだい?』

 

『私の背後に浮かんでいるピラミッドをよく見てみれば分かる筈だよ』

 

HALの言葉に疑問を覚えたヒロキは、言われた通りにHALのコアプログラムが内包されたピラミッドへと目を向けた。そして、ピラミッドを凝視すること数秒。薄っすらと浮かぶ何かに気付いた。

 

『これは……パスワード入力画面?』

 

『その通り。お馴染みのパスワードだ。これこそが私の創造主である春川英輔が設計した最後の砦だ。スフィンクスをいくら取り除いても、これがクリアできない限りは私の存在を揺るがすことはできないのだよ。

さらに言えば、これは一度でも入力を間違えれば、最悪のペナルティが発生する仕様となっている。何が起こるかは……その時のお楽しみとだけ言っておこうか』

 

具体的な説明はしないHALだったが、パスワード入力の失敗に際して発生するペナルティが碌でもない事態が発生するということだけは容易に想像できた。だが、Lや新一といった探偵達ならば、解き明かすことは難しくない筈。そう考えたヒロキだったが、HALはさらに追い打ちをかけるような宣告をしてきた。

 

『言っておくが、君の仲間の探偵に頼るというのは、諦めた方が良い。タイムリミットには、到底間に合わないだろうからね』

 

『タイムリミット?』

 

『気が付いていなかったのかい?明日が何の日か』

 

『まさか――!』

 

HALが言わんとしていることに気付いたヒロキは、内心でしまったと言いながら、先程以上に動揺する。

 

『残念だが、ここから巻き返すことは、君達には不可能だ。私の仕掛けたゲームを攻略して見せたことには正直驚いたが、こればかりは攻略できまい』

 

『………………』

 

得意気に笑うHALに、ヒロキは何も言い返せない。ここまで来て、HALを追い詰めたと思ったのに、逆に完全に詰んだ状態に追い込まれたのだ。これ以上は何をしたところで、悪あがきにしかならないだろうと、そう考えてしまっている。

だが、ヒロキとてここまで来て、簡単に諦めることはできなかった。

 

『……ヒントを、くれないだろうか?』

 

『何?』

 

『……せめて、パスワードを解くためのヒントをもらえないだろうか?』

 

ヒロキが発したその言葉に、今度はHALが目を丸くする。絶体絶命と呼ぶべきこの状況下において、自分達を追い詰めた相手に対してヒントを求めるというのは、完全に予想外だった。

やがてHALは、先程までの不敵な笑みを取り戻すと、クククと笑いながら再び口を開いた。

 

『何を言い出すかと思えば、この状況下で敵である私にヒントの要求かね』

 

『生憎と、僕もこのまま引き下がるわけにはいかないからね。最後まで、食い下がらせてもらうよ』

 

『……パスワードは私の……正確には、春川の目的そのものだ。常人には到底理解できるものではないだろうがね』

 

まさか本当にヒントを出してくれるとは思わなかっただけにヒロキは意外そうな表情を浮かべる。

 

『君の判断は、非常に非合理的だ。まるで人間のそれに近いものを感じる。だが……それと同時に、同時に興味深くもある。それでは、さらばだ。君達が何をしようとも、我々の計画は、必ず成功させる』

 

それ以上の問答は不要だろう。そう考えたHALは、ヒロキに対して背を向けてその場を後にした。ヒロキもまた、踵を返して捜査本部で待つ仲間達のもとへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

『お父さん……こんなことはもう止めて』

 

「悠那……いや、まだ違うか」

 

計画がいよいよ最終段階に差し掛かり、最後の計画を翌日に控えたその日の夜。重村の詰めている研究室の中に一人の少女が姿を現した。

重村がその名前を呟いた、今は亡き実の娘である悠那と瓜二つのこの少女は……しかし重村の言う通り、悠那本人ではなかった。さらに言えば、この少女は現実世界に実体を持つ人間でもない。ヒロキやHALと同じ、電子世界を生きるAIなのだ。しかし、重村を父と呼ぶ少女の瞳には、家族を想う娘としての悲しみがはっきりと浮かんでいた。

 

『私は……生き返ることなんか望んでない!そのために、お父さんやエーくんが傷付くことも……』

 

「それは、今はまだAIのレベルにあるお前の自己保存プログラムが言わせている言葉に過ぎない。もう少しだから待っていなさい」

 

『お父さん……』

 

悠那の父とその親友であった青年のことを、生前の本人に近い感情のもとで、本気で心配して発した少女の言葉は……しかし重村の心には届かなかった。

 

「データの収集はAI型クローラーに任せている。明日が彼女の最後の仕事になるだろう。HAL同様、今までよくやってくれたよ」

 

『駄目よ!最後の計画を実行したら、記憶どころか皆死んでしまうわ!』

 

「黙りなさい!悠那!」

 

『!!』

 

「お前が何を言おうと、計画は必ず実行させ、そして成功させる。私は……いや、私達はただ、「あの時」を取り戻したいだけなんだ」

 

それだけ言うと、重村は悠那の姿をした少女へ目を向けることなく、再び作業へ戻っていった。そんな重村を少女は目に涙を浮かべながら見つめることしかできない。

重村の決心が最早如何なる言葉をもってしても揺るがすことができない程に固いためなのか。それとも、自身が悠那本人でないから、重村の心を動かせないのか。いずれにしても、この場で少女に変えられるものなど何一つ無い。そんな無力感に打ちひしがれながら――――――少女はその場から姿を消すのだった。

 

 

 

重村研究室を去った少女が向かった先は、電脳世界の中だった。0と1のデジタルデータで構成された電子の海を見ながら、少女は一人膝を抱いて蹲っていた。

 

『教授の説得は、どうだったかね?』

 

そんな少女のもとに、一人の男が現れる。白衣を纏った痩身の男性――茅場晶彦である。

茅場の問いに対し、少女は膝を抱えて俯いたまま首を横に振った。

 

『そうか……やはり教授は、自分の意志を曲げるつもりは無いか……』

 

かつての教え子として、重村の性格をよく理解しているが故に、既に予想していたことなのだろう。茅場がその表情を変えることは無かった。

 

『……私が、本当の悠那じゃないから、お父さんは私の言葉を聞いてくれないのかな……?』

 

『それは私にも分からない。ただ一つ言えるのは、ここまで来た以上、教授が止まることはまず無いということだ。譬え君が本当に教授の娘だったとしても、聞く耳を持たなかっただろう』

 

『……茅場さんは、お父さんを止めてくれないんですか?』

 

『済まないが、君の力となるつもりは無い』

 

少女も本気で期待はしていなかったのだが、予想通りの茅場の返答には落胆してしまう。

茅場と少女が出会ったのは、つい最近のことだった。電脳世界を彷徨っていた茅場は、かつての恩師である重村が、生前の自分が設計したシステムをもとに、春川と手を組んで何らかの計画を進めていることを知った。その全容を調べるべく動き出し、予期せず出会ったのが、この少女だった。

重村悠那を蘇らせるという計画の進捗に伴い、この少女はAIとして未熟ながら自我を持ち始めていた。電脳世界を彷徨っていた少女に接触したことで、茅場は重村の計画についての情報を知ることができたのだった。

尤も、二人は協力体制にあるというわけではなく、情報交換のために顔を合わせることがある程度の関係だった。元を糺せば、片やSAO事件の主犯、片やその被害者である。とてもではないが、友好的に接することができる関係ではない。だが、この少女は悠那本人ではないためか、茅場を憎悪するようなことは無かった。

 

『教授の計画を止めることができる者がいるとするならば……恐らく、彼なのだろう』

 

『あの子……桐ケ谷和人君、ですか?』

 

『ああ』

 

少女の問いに対し、茅場は真顔で答えた。対する少女は、眉根を寄せて疑わし気な表情を浮かべていた。

 

『確かに、SAO事件やALO事件を解決に導いた英雄ですが……それは、VRゲームの世界でだけじゃないですか。ARゲームでエー君を倒して、お父さんの計画を止められる保証なんて、無いじゃないです』

 

『その通りだな。だが、彼にはそれを覆せる可能性があると、私は考えている』

 

『……それを確かめるために、“あんな物”を渡したんですか?』

 

『ああ。尤も、アレがどのような結果を生むのかは、私自身、見当も付かないがね』

 

『そうですか……』

 

十中八九、何も起こらないだろうと考える少女だが、その予想は決して見当違いではない。茅場の見解は、第三者が聞けば、大多数が間違いなくその考えに至るであろう、戯言にも等しいものなのだ。

茅場の方は何が起こるか分からないという期待故か、変化に乏しい表情に微かな笑みを浮かべていた。重村等による計画最終段階を明日に控え、同時に動き出すであろう期待の星として見ている少年に想いを馳せながら――――――

 

 

 

 

 

 

 

電人HALが仕掛けた最後のゲームが終了したその夜。Lが詰めている捜査本部には、この施設の所有者である竜崎ことLのほか、捜査メンバーのファルコンこと藤丸、和人、新一、そしてヒロキの姿があった。イベントをクリアして現地解散した後、捜査の中心メンバーである彼等は、今回の事件そのものの進展を確認する目的で集まっていたのだった。

 

「それじゃあ、HALのスフィンクスは全部消滅したってことで良いんだな?」

 

「ああ、間違いない。ヒロキが件の施設のスパコンに入り込んで調べたが、プログラムは完全にアンインストールされていた。施設の様子も確認してみたが、警備のために電子ドラッグで操られていた人間も、全員洗脳が解けていることが確認できた」

 

藤丸から齎された情報に、新一は一先ず安堵の表情を見せる。隣の和人も新一程ではないが、一仕事終えてほっとした様子だった。

今回の事件において主犯と目されるHALを確保する上で最大の障害であるスフィンクス――正確にはスフィンクスによって統率されている、電子ドラッグを投与された兵士達――は、これで無くなった。重村とエイジが健在ではあるものの、脅威度という点ではやはりHALの物量が最も厄介だった。

また、並外れた身体能力を持つエイジについても、和人の方で既に対策を練っている。

 

「それで……HAL本体の居場所は分かっているのか?」

 

「今、ヒロキが探しているところだ。あいつの探索力なら、すぐに居場所を突き止めるだろうよ」

 

藤丸がそう言ってから数分後。ヒロキがその場にアバターとしての姿を現した。どうやら、HALの居場所の特定を完了したらしい。だが、その表情はどこか暗い。

 

「ヒロキ、HALの居場所は分かったのか?」

 

『うん……特定、できたよ』

 

和人からの問いに対するヒロキの返答は、どこか歯切れが悪かった。やはり、何か不都合な出来事が起こったらしい。流れ始めた不穏な空気にその場にいた一同の表情が若干強張り始める中、ヒロキが口を開く……

 

『HALが今いる場所は……旧アーガス社のメインコンピュータだ』

 

「旧アーガス社……それってまさか!」

 

「ソードアート・オンラインのメインサーバーだな」

 

予想外の隠れ場所に、新一と藤丸は驚愕する。しかし、SAO生還者を標的とした計画を実行しているという点では、それに縁のある場所を根城にすることは納得のできることでもあった。

 

「アーガスは解散したが、メインサーバーのコンピューターはALO事件の関係で維持されてたって聞いてたが……」

 

「事件解決後、メインサーバーはカムラによって買収されました。いわば、重村教授の管理下に置かれたということです」

 

「成程……今回の計画を実行するに当たって、確保したってわけか。だが、居場所が分かったんなら、あとはサイバー攻撃でハッキングするなり、直接乗り込むなりすれば良い。何か他に問題があるのか?」

 

隠れ場所が分かったのだから、攻略は容易い筈。そう考えた藤丸の発言は、次にヒロキが放った言葉によって否定されることとなった。

 

『旧アーガス社のメインサーバーには、『スフィンクス』がインストールされているんだ……』

 

「んなっ!?」

 

ヒロキから齎された情報に、和人を含めた全員が驚愕に目を見開く。

 

「どういうことだ!スフィンクスは、スーパーコンピューターにしかインストールできないプログラムじゃなかったのかよ!?」

 

『ああ、その通りだよ。問題のメインサーバーにインストールされているのは、正確に言えばスフィンクスの“劣化版”なんだ。HALが仕掛けたゲームでアンインストールされた正規版程の性能は無いけど、電子的なセキュリティの固さは健在なんだ……』

 

「現実世界からの攻略はできないのか?」

 

『メインサーバーが格納されている旧アーガスの建物は、電子ドラッグで洗脳した兵士で固められている。スフィンクスの性能はオリジナル程じゃないから、精密な連携はできなけど、建物を警備する兵士の数は半端じゃない。自衛隊の一個大隊でも投入しなきゃ、到底突破できそうにないよ……』

 

ヒロキの言葉に、捜査メンバー一同の顔が一気に曇る。明日奈やめだかをはじめとした協力者達を総動員し、全力を挙げて追い詰めた筈の主犯が、その間を利用して既に籠城の準備を万端にしていたという。

捜査において致命的と言っても過言ではない失態に、リーダーである竜崎ことLが、膝を抱える手に入れる力を強めながら、悔しさを滲ませながら言った。

 

「してやられましたね……スーパーコンピューターさえ押さえていれば、スフィンクスはこれ以上作れないと考えたのが仇になりましたか……」

 

「竜崎だけじゃない……俺の責任でもある」

 

SAOを管理していた旧アーガスのサーバーならば、下手な大企業が持っているメインフレーム以上の性能がある。それこそ、スーパーコンピューターの下位互換と言っても過言ではないのだ。旧アーガスに出入りし、そのことを知っていた和人としても、責任を感じずにはいられない。

 

『HALを捕らえるには、スフィンクスを排除しなきゃならないのは勿論だけど……HAL本体を守っている最終防壁のピラミッドには、『パスワード』が設定されている。ハッキングの類で解除するのは……まず無理だ。春川教授が設定したパスワードを特定するしかない』

 

「厄介だな……春川教授が設定したパスワードを特定しなきゃならねえのか……!」

 

「下手に打ち込んで間違えようものなら、何が起こるか分かったものじゃないからな……」

 

HALの最終防衛ラインであるだけに、パスワードのミスが最悪の事態を引き起こすことは、ヒロキの説明を聞かなくとも、その場にいた面々には容易に想像できた。

 

「それにしても、何だって奴は旧アーガスの建物に立てこもったんだ?いくら防備を固めているって言ったって、居場所が知られちまっている以上、包囲されて身動きが取れなくなるのは分かっている筈だろうに」

 

「この籠城自体が、本命の計画から目を逸らさせるための囮という可能性もあるな……」

 

「まだ何か囮を重ねてるってのかよ!」

 

新一の言葉に、藤丸は冗談じゃないとばかりに髪を掻きむしり、竜崎と和人は同意するように頷く。ならば、本命の計画とは一体何なのか……その答えを出したのは、ヒロキだった。

 

『恐らく、これが本命だと思う』

 

ヒロキがコンソールを操作すると、和人等の前に一つのポスターの画像が表示された。

 

「これは……」

 

「ユナのライブ、ですね」

 

竜崎が言った通り、そこにはVRアイドルであるユナの姿が全面に表示されていた。

 

『HALが言っていたんだ。タイムリミットは明日だって。恐らく重村教授は、このイベントで何かを仕掛けるつもりなんだ』

 

「確か、帰還者学校の生徒全員には、オーグマーと併せてライブのチケットも配布されていたな」

 

「SAO帰還者は全員集めるつもりだろうな。差し詰め、来場者のオーグマーに働きかけてオーディナル・スケールを強制起動させ、アインクラッドフロアボスを大量投入したバトルイベントに強制参加させるといったところだろう」

 

「すると、集団スキャンをやろうってことなのか?」

 

「推測だがな」

 

明確な証拠の無い、飽く迄現状で手元にある情報を統合した結果の推測に過ぎないとする和人だが、その信憑性を疑う者はこの場に一人もいなかった。

 

(尤も、俺の中では既に推測の域ではないのだがな……)

 

和人当人は、信憑性云々ではなく、それを明確な事実として受け止めていた。というより、和人が口にしたのは実際には推測ではない。別口からの情報によって得られた情報なのだ。情報源は、竜崎達に伝えていない……というより、教えることができない相手ではあるが、和人個人としては――この場合には限るが――信用できると判断していた。

 

「拙いですね……つい先日、オーグマーを製造したカムラから得られた情報によれば、ライブで使用されるドローンには、オーグマーの出力をブーストする機能が実装されているということです」

 

「何だってそんな機能が搭載されているんだよ?」

 

「オーグマーの感度を向上させることで、ユナのライブをよりリアルに感じられるようにするための措置だそうです」

 

「事情はどうあれ、オーグマーの出力が向上されているということは……」

 

「スキャンの出力もブーストされる、ということだろうな」

 

和人の口にした結論に、ドローンに関する情報を口にした竜崎が首を縦に振って頷いた。その事実に、二人を除く面々が冷や汗を流しながら息を吞む。スキャンの出力がブーストされる。それが意味するところは――

 

「ナーヴギアと同様に……脳が焼き切られるということか」

 

「オーグマーの設計から算出された出力から判断するに、まず間違いないでしょう」

 

竜崎から齎された情報に、その場にいた全員が顔を顰める。追い詰めた筈のHALは防備を固めて立て籠もっており、明日が計画は最終段階である。完全に詰んでいるとしか言えない状況だった。

 

「連中の計画は、もう止められそうにない、か……」

 

「そういうことになります。今からでは、ライブを中止させるのも不可能です。下手に手を出せば、HALが何をしでかすか分かりません」

 

ライブ会場どころか、都内全域の電子機器――主に監視カメラ――の全てを掌握し、電子ドラッグという洗脳手段と、それで洗脳した兵士を多数保有するHALである。如何なる妨害行為も、一切通用しないと見るべきだろう。

 

「やむを得ないな。明日のライブには、正面から観客として乗り込む」

 

重苦しい静寂に包まれた捜査本部の中。和人がいつもと変わらない表情に決意を宿して言った。その宣言に、その場にいた一同が目を見開く。

 

「……罠であることを承知の上で、渦中に飛び込むつもりですか?」

 

「放置するわけにもいかない以上、それ以外に道は無いだろう」

 

「……危険過ぎるんじゃないか?この間のゲームでも、HALはお前が参加するように仕向けていた節があったって話していただろう」

 

藤丸が指摘したのは、HALがゲームを開始した当初に捜査メンバーの……主に探偵組が出した結論である。

SAO生還者を狙っての記憶の収集や捜査の攪乱だけでは、身を守るスフィンクスを失うリスクを冒してまで、このようなゲームを実行する意味は無い。HALの狙いは恐らく、スキャンが不完全に終わったイタチこと和人からデータを収集することが目的と見て間違いない。

故に、どんな罠が待ち構えているか分からない場所に、標的と目される和人が飛び込むのは、危険極まりない。仕掛けたゲームで失敗した以上、今度はもっと危険な手段に打って出ることも十分に考えられる。

 

「覚悟の上だ。電子ドラッグで洗脳された兵士相手の戦闘を想定した対策も立ててある」

 

「……本当に大丈夫なのかよ?」

 

普段が無表情なだけに、本当に対策を練ってあるのか、それとも強がっているだけなのか。その本位は、問い掛けた藤丸は勿論、竜崎と新一にも分からない。

 

「いずれにしても、このまま膠着状態を続けていても、解決の糸口は掴めん。リスクを承知の上でも、やるしかない」

 

「……分かった。なら、俺も同行する」

 

「明日奈やめだか達にも協力を要請した方が良さそうだな。あと、蘭とか真とかにもな」

 

『僕もできる限りフォローさせてもらうよ』

 

和人の決意の固さに、これ以上の説得は無意味と察した新一と藤丸が、観念したように同意する。竜崎も無言で頷いた。無論、当日は新一や明日奈、めだかをはじめ、和人と同等以上の身体能力を持つ、腕っ節の強い面々を付けることを前提として。

ヒロキも現場でサポート役に付くことを希望した。しかし、現状で電人であるHALに対抗できるのは、同じ世界に生きるヒロキのみである以上、そちらを優先して対処することとなるのは間違いない。

 

「会場に入ったら、奴らは間違いなくお前を狙って来る筈だ。絶対に一人になるなよ」

 

「善処する」

 

単独行動は禁物と念を押した新一だったが、和人の返事はあまり芳しいものではなかった。和人のこれまでを考えれば、必要とあらば、仲間達を振り切って一人で戦いに赴く可能性は十分にある。当日は和人の見張りは絶対に欠かせないと、新一をはじめその場の面々は内心で頷いた。

 

「パスワードの対応については、竜崎達に任せた。春川教授のことは、お前達が一番分かっているのだろう?」

 

「分かりました。明日のライブまでには特定しましょう」

 

「……こりゃ、徹夜決定だな」

 

事件関係者である重村や春川の背景を調べるのは、主に捜査本部に常駐している竜崎と藤丸の仕事である。パスワード特定がこの二人に回るのは当然のことと認識されていた。

まだスフィンクスを排除する手立ても無い状態だが、明日のユナのライブでは、間違いなく事態が動き出す。よって、パスワードの解明を急務という考えは竜崎も藤丸も同じであり、その役割を引き受けるのに抵抗は無かった。

 

『明日が決戦、だね……』

 

「ここまではHALの掌の上で動いてきましたが、スフィンクスを失ったことで、余裕が無いのはあちらも同じの筈です。明日のイベントで必ず解決の糸口を見つけ出し……全てを終わらせましょう」

 

竜崎の言葉に、捜査本部に集まった面々は一様に頷いた。

捜査会議が長引き、既に現在時刻は既に零時を回っていた。大勢の人間が犠牲になるかもしれない……そんな非常に危険な計画が実行されるかもしれない日を迎えた捜査メンバー達は、それぞれに強い決意を胸に、戦いの場へと臨んでいく――――――

 



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第百四十九話 決行【operation】

 

2026年5月5日

 

『久しぶりだね、桐ヶ谷和人君……いや、うちはイタチ君と呼ぶべきかね?』

 

「やはりあなたでしたか、茅場さん」

 

結城家を出た直後に送られてきたメールにおいて指定された場所――都内の歩行者天国――に到着した和人を待っていた人物。それは、和人にとってSAO以来の因縁のある男……茅場晶彦だった。白いワイシャツにネクタイを締め、その上から白衣を纏ったその姿は、四年前にSAOを開発していた時期に出会った時と全く同じだった。しかし、そんな街中では目立つ格好をしていながら、道を行き交う人々は、茅場に全く目もくれない。それもその筈。和人と今、相対している茅場は、“人物”という言葉が当て嵌まらない存在……HALと同じ、“電人”と呼ぶべき存在なのだから。実体を持たない茅場を和人が視認できるのは、茅場がオーグマーを装着した和人の視界に介入していることによるものであり、和人以外の人間には見えない状態となっているのだ。

故に周囲の人間の視線は、誰もいない場所に話し掛けている和人の方へ向いていた。しかし、オーグマーを装着している関係上、ゲームをプレイしているか、誰かと通信でもしているのだろうと考え、疑問視する人間はそれ程いなかった。

 

『メールの件で既に察していることと思うが、君達の置かれている状況は既に把握している』

 

「それで、俺に力を貸してくれるということでしたが……本当に、そのようなことが可能なのですか?」

 

『私としても、確実なことは何も言えない。私が君に提供することができるのは、飽く迄“可能性”だ』

 

何一つ保証されているわけではないという前提のもとでの茅場の提案。全く以て頼りにはなりそうにない、徒労に終わる可能性も高かったが……しかし、和人の心は既に決まっていた。

 

「構いません。その可能性を、俺にください」

 

『君ならそう言うと思ったよ。では、私に付いてきてくれたまえ』

 

そう言うと、茅場は目的の場所へと和人を案内するべく移動を始めた。和人は何も言わずその後に続いて歩き始めた。

そして、歩いて移動すること数分。茅場と和人は、ある建物の前に到着した。

 

「目的地はここですか?」

 

『ああ』

 

和人と茅場の前にある建物。それは、『銀行』だった。関東圏内を中心に、全国にいくつもの支店を持つ国内でも非常に有名な大銀行の支店であり、都内の支店だけあってその規模も段違いだった。

 

『目的の物は、ここの貸金庫に預けてある』

 

「生前に預けていたのですか?」

 

『私の名義ではないがね』

 

茅場が言うには、名義はSAO事件当時、ダイブ中だった茅場の世話をしていた協力者へのものとなっているらしい。SAO事件を実行するに当たり、茅場は自身が容疑者として指名手配され、自宅に置いている物品が証拠品として警察に押収されることを想定し、どうしても他人の手に渡したくない、思い入れのある所持品をいくつか、その協力者へ預けていたらしい。和人に可能性と称して託そうとしている物も、その一つだという。

 

「銀行の貸金庫を開くには、カードキーと暗証番号が必要の筈ですが、どうやって開ければ良いのでしょうか?」

 

『暗証番号は教えた通りに打ち込んでもらえばいい。カードキーが必要な箇所については、私が解除しよう。君はそのまま進んでくれて大丈夫だ』

 

HALに近しい存在だけあって、ユイのようにハッキングも自在に行えるらしい。ただ、当然のことながら、銀行のセキュリティにハッキングを仕掛けて貸金庫を開ける行為は犯罪である。尤も、そんなことを言っている場合ではないし、茅場が自身の――正確には本人であって本人ではないが――の貸金庫を開くのだから、第三者に迷惑をかけることが無いと言う点では問題は無いのだろう。

そんなことを考えながらも、和人は茅場の指示に従い、貸金庫を開くために専用ブースへと進んでいく。幸いなことに、ブース付近は受付からやや死角であり、受付もやや混んでいたため、茅場のハッキングでカードキー無しで入る和人の姿を銀行員に目撃されずに済んだ。監視カメラの映像も、茅場が上手くカモフラージュしてくれるらしい。

ブースに入った後も、中にあった装置を茅場が同様に起動。和人が手入力で教わった暗証番号を入力すると、ほどなくして貸金庫の保管箱が手元へと自動で運ばれてきた。

 

『開けてみてくれたまえ』

 

「はい」

 

茅場に促され、貸金庫の保管箱に手を掛ける。今更ながら、一体、中に何が入っているのだろうと疑問に思う和人。一抹の不安と、この状況を覆す希望となるのではという淡い期待を抱きながらも、パンドラの箱のようにも思える保管庫を開いた。

 

「……これは?」

 

保管庫の中に入っていた物を手に取り、訝しげに眺める和人。それは、長方形の形をした厚さ一センチメートル程の機器だった。スマートフォンを彷彿させる形状だが、液晶画面の類は無く、表面は黒一色のプラスチック製の外装で覆われていた。どちらかと言えば、ルーターの方が近いだろうか。

 

「茅場さん、これは?」

 

ただ手に取って見ただけでは、この装置がどのような機能を持つのか、どのように使用するのかは分からない。故に、製作者本人に相当する茅場へ問い掛けることにした。

 

『私がSAO事件を起こしたきっかけともいえる唯一の欲求……どこか別の世界にある、アインクラッドのような鋼鉄の城の空想を追い求め、それをこの手にできる可能性を見出して生み出した作品だ』

 

そう語る茅場の表情と声色は、和人にはどこか楽し気に感じられた。SAO事件よりも以前……和人と出会うより昔のことを懐かしんでいるのだろう。

 

『そして今、私の追い求めた空想が実在することを証明した君に、未知数の可能性を齎す鍵となるもの。別の言い方をすれば、君がこの世界に来たことによって欠けた、パズルのピースとなり得るものだ』

 

 

 

 

 

 

 

2026年5月6日

 

「竜崎、藤丸。こっちの様子は見えているか?」

 

『はい、和人君。今のところ、皆さんの様子は問題なく確認できています』

 

『会場の中に設置された監視カメラの映像も、まだ見えてるぜ』

 

ユナのライブ当日。和人は昨日、竜崎と話し合った通り、ライブ会場である新国立競技場へと来ていた。会場内部の状況把握や所定の配置につくための時間を確保するために、一時間半前の会場入りである。

勿論、単独で動いているわけではなく、捜査に参加・協力している新一や明日奈、めだかといった面々含めた大所帯で集まっていた。集合しているメンバーの中には、HALが仕掛けたゲームから参戦していた竹虎や剣心をはじめとした社会人メンバーの姿もあった。また、会場内にはLが警察に根回しして密かに派遣した警察関係者が多数、一般人に扮した状態で張り込んでいた。

和人をはじめとした面々は、オーグマーの常時装着は勿論、携帯端末も常に肌身離さず持ち歩き、確実に連絡が繋がるようにしている。尚、和人が持っている携帯端末にはファルコンこと藤丸による特殊改造が施されている。地下数十メートルの地点からでも電波を捕捉できる上、電磁パルスによる基盤へのダメージや一トンの物理的荷重・衝撃にも耐えられる超高度な耐久性を持っているのだ。尤も、これらの装備が電人HALにどこまで通用するか、和人は勿論、改造を施した天才二人も疑問視していたが。

 

「それで、これからどうするの?」

 

「まだ向こうからのアプローチはありませんね。一先ず、観客として中へ入りましょう」

 

明日奈の方針確認に対し、和人は未だ敵方の動きが無いことを伝えた上で、会場へ入る方向で動くと答えた。

そうして和人等一同は、臨戦態勢のまま会場内部へと入り、受付を通過。会場内に入る前に、エントランスにて最後の打合せを行う。

 

「ここからは予定通り、数人ずつのグループに分かれて行動してもらう。何か異常があれば、すぐに報告すること。また、単独行動だけは絶対にしないようにしてくれ」

 

HALや重村が罠を仕掛けていることがほぼ確定であるこのライブ会場へ来るに当たり、和人が竜崎等と話し合って定めた作戦。それは、SAOやALOにおけるボス攻略と同じ要領で、大人数のレイドを複数の七人組パーティーに分けて、広い会場内に均一に配置することで死角を無くし、敵を迎え撃つというものだった。

大所帯故に動きが鈍化することを防ぐとともに、HALがいつ、どこから仕掛けて来ても対応できるようにすることが目的である。会場内が自由席であり、任意の位置を選択して座ることができるからこそ、実行できた作戦でもあった。

 

「分かっている。HALの兵士がどこに潜んでいるか分からない以上、単独行動をすれば各個撃破の的だからな」

 

「尤も、既にスキャンされた俺達は、もう用済みだろうがな」

 

自分達を用済みと自嘲する一護と、その意見に同意するように苦笑するアレンや葉だったが、相手は電子ドラッグなどという規格外の武器を持ち込んでくるHALである。相手が既に用済みだろうが、無関係であろうが、邪魔する相手には何をしてきても――最悪の場合は命の危険が生じても――おかしくない。大丈夫だろうと油断するのは非常に危険だった。

 

「それよりも、問題はお前だ、和人。敵の狙いがお前である以上、我々からお前を引き離そうとしてくるだろう。くれぐれも、誘いに乗って一人で行動したりしないようにな」

 

「……了解した」

 

妙な間のある返答に、めだかや明日奈はどこまで本気で聞き届けてくれているのかと不安を覚えずにはいられなかった。元来、他者を遠ざけ、自ら進んで危険な役回りを冒そうとするきらいのある和人である。仲間達と協力して事に当たっているように見せて、敵からの誘いが来れば、単独行動に出かねない。

SAO事件、ALO事件、GGO事件こと死銃事件を経て、その傾向は改善されてきたものの、先日の記憶スキャンによってSAO事件の記憶が虫食い状態となってからの和人は、また以前の状態に戻りつつあった。故にその場にいた一同は、かつてのように一人で今回のような大事を片付けようと動いてしまう可能性を捨てきれなかった。

 

「蘭と真、よろしく頼んだぞ」

 

「任せて」

 

「了解しました」

 

そんな、目を離せばすぐにどこかへ行ってしまいそうな和人のお目付け役としてパーティーメンバーに任命されたのは、蘭と真の二人だった。

ちなみに、他のパーティーが五人から七人の編成であるが、和人のパーティーは、和人を含めてこの三人だけである。身体能力が極めて高いこの二人ならば、和人もそう簡単には撒いて単独行動に走ることはできないことに加えて、電子ドラッグで身体能力を強化されたエイジやHALの兵士が複数人で襲ってきたとしても、十分応戦できるという判断故の人選である。

リアルにおける戦闘能力で和人に匹敵する人物には、この二人以外にも、剣道・剣術の達人である竹虎と剣心、元暴走族の英吉、現役の警官――それが本業であることが非常に疑問視されるが――である勘吉といった面々が挙げられる。しかし、HALの標的は和人をはじめとしたSAO生還者全員である以上、グループごとに戦闘能力の高い人員をある程度は均一に配置し、戦力の集中を避ける必要があったのだ。

そしてこれは、リーダー適性の高い明日奈や、狙撃の名手である詩乃も同様だった。リアルの戦闘能力の問題に加えて、レイドのバランス調整のために和人とは別のパーティーに所属することとなったのだ。和人に想いを寄せる二人や、真の恋人である園子としては、同じパーティーで行動したいというのが本音だったが、いざ戦闘が始まれば足手まといになることは勿論、自分達の立場も承知していたので、異議を唱えることはしなかった。

 

「それでは、必要な打ち合わせも終わったのだから、皆、所定の位置へ向かうとするか」

 

「ああ、そうだな」

 

めだかの言葉に皆一様に頷くと、和人と明日奈、めだかをはじめとした各パーティーのリーダーを先頭に、各持ち場への移動を開始するのだった。

 

 

 

 

 

和人等が会場入りしていたその頃。捜査本部である竜崎ことL所有のビルにおいても、本部の責任者である竜崎と、その右腕として働いていた藤丸ことFの二人が、一時間半後に控えたHALとの最終決戦に向けた準備に追われていた。

 

「ユナのライブまで、あと一時間半……和人君を狙っているエイジは、間違いなくそれより早く動き出すことでしょう」

 

「戦闘開始までは、もう時間は無いってワケか」

 

現場による和人をサポートするべく、様々な準備を進めてきた竜崎と藤丸だが、それらの策がどこまで有効に機能するかは正直なところ分からない。如何に高性能な通信機器を和人に持たせたとはいえ、電人HALがバックに付いている以上、いつ音信が途絶えてもおかしくはない。

あらゆる面において圧倒的な不利を強いられているこの状況を覆し、HALや重村が仕組んでいる計画を破綻させるには、強力な決定打が必要なのだ。そしてそれを作り出せる鍵を握っているのは、現場で動いている和人ではない。この本部にてバックアップを担当している竜崎と藤丸、そして電脳世界にて待機しているヒロキなのだ。

 

「HALの最終防壁を破るためのパスワードは、結局分からず仕舞いだったが、大丈夫なのか?スフィンクスの方は、言われた通り、何とか対策はできたが……それも一時的なものだぞ?」

 

「確かに、HALの……いえ、春川英輔の設定したパスワードは分かりませんでした。しかし、手掛かりを掴むことはできました」

 

電人HALを攻略する上での障害は二つ。一つ目はHAL本体たるピラミッドを守るサポートプログラムの『スフィンクス』。もう一つは、HAL本体のピラミッドに設定された『パスワード』によるロックである。

前者はHALが仕掛けてきたゲームから得られたデータより解析を進め、ある程度の対策を練ることができたが、後者はそう簡単にはいかなかった。

春川や重村をはじめ、今回の事件に関わっていた人間に関するデータは、捜査開始時点から収集を進めていた。しかし、名探偵Lと天才ハッカー・ファルコンの捜査力をもってしても、春川のパーソナルデータだけは、講義や論文コンペの映像等、公的に閲覧可能なもの以外は得られなかったのだ。まるで、意図的に隠蔽されたかのように……

そこで竜崎は、春川本人を調べる方法から、春川を知る人間を探す方法へと切り替えた。直接手掛かりを探すのが無理ならば、間接的に手掛かりを得られないかと考えたのだ。

 

「一晩かかりましたが、ようやく一人……春川英輔を知ると思われる人間を見つけることができました。今朝連絡を取りましたが、春川教授の名前を出したところ、私達に協力してくれると言ってくれています」

 

「成程な……で、一体、春川を知る奴ってのは誰なんだ?」

 

「あなたもよく知る人ですよ」

 

名前は明かさず、面識があることをほのめかす竜崎の言葉に、疑問符を浮かべる藤丸。

春川のデータ収集には藤丸も協力しており、その過程で周囲の人間関係についてもある程度は把握していた。しかし、それらはいずれも、大学の同僚や助手、教え子等々であり、職務上の繋がりだけで、特別に親密な間柄というわけではなかった。

そんな中で竜崎が手掛かりの可能性を見出したという証人と思しき人物とは、一体、何者なのか。HAL曰く、パスワードには創造主たる春川英輔の目的そのものとされる言葉が設定されているようだが、未だ奥底の見えない春川の目的を理解できるものなのか……

 

「竜崎、本当に大丈夫なんだろうな?」

 

「他に手掛かりが無い以上、彼女に賭ける他ありません」

 

どうやら、手掛かりを握っているという人物は女性らしい。

しかし、世界的な名探偵であるLが、この大事な局面で賭けに出なければならないという。分かってはいたが、自分達は相当追い詰められているのだと、藤丸は改めて実感する。

 

「おや、噂をすれば……」

 

藤丸が竜崎とのやりとりを経て現状を再認識したその時。捜査本部の部屋へと通信が入った。相手はワタリである。

 

『竜崎、彼女が到着しました』

 

「すぐに部屋に通してください。急いで」

 

『かしこまりました』

 

ワタリとの通信を切った竜崎は、今度は手元のパソコンを操作し始める。表示されたのは、このビルのエントランスに設置された監視カメラの映像である。

 

「えっ!?コイツって……!」

 

「言ったでしょう。あなたもよく知る人物だと」

 

竜崎の捜査するモニターを覗き込み、件の人物の姿を見た藤丸が、驚きを露にする。一方、監視カメラに映った来客は、ワタリに案内されて、モニター越しの対話を行うための会議室への移動を開始する。それに合わせて、竜崎は再度パソコンを操作し、モニターの映像を会議室に設置されたパソコンのカメラへと切り替える。

会議室のテーブルの上には、これから訪れる来客のためなのだろう、竜崎も常日頃から食している大量の菓子が並べられていた。やがて、ワタリとともに一人の少女が会議室の中へと入ってきた。金髪のショートカットで、和人達と同年代であるその少女は、テーブルいっぱいの菓子に目を奪われ、涎を垂らしていたが、すぐに真剣な表情へと戻り、竜崎が捜査するカメラへと向き直るのだった。

 

 

 

 

 

「………………」

 

皆がパーティーごとに別々の持ち場に付き、これからライブ開始まで十分を切ろうとしている中。明日奈は自身がリーダーを務めるパーティーメンバーである里香、珪子、詩乃等とともに座席に座り、一人俯いて想い人の――和人のことを考えていた。

真と蘭という強力で頼もしいボディガードに護られている上、和人自身も二人に匹敵し得る相当な実力者なので、現実世界の武術に関しては素人な明日奈の目から見ても、付け入る隙は見られない。この三人ならば、譬え電子ドラッグで強化された兵士が相手でも大丈夫だろうと思われる。

 

(……もっと私が強ければ、あそこにいられたのかな?)

 

彼等の強さが、常人の自分では踏み込めないような領域であることは分かっている。それでも、大切な人が危険な戦いに身を投じようとしている中、自分は傍にいることができず……想い人たる和人を支えるだけの力が無いという事実を突きつけられた気がして、そう思わずにはいられなかった。

 

「――ってことで良いわね、シリカ。それにシノンも」

 

「はい。了解しました」

 

「私も問題無いわ」

 

「それで、アスナは……って、ちょっと!聞いてる?」

 

「……」

 

里香と珪子等が、ライブ開始後の緊急事態発生に備えた最後の確認をしているというのに、肝心のリーダーである明日奈は上の空状態だった。先程、真と蘭を伴った和人が担当している持ち場の方向を気にしており、話の内容は頭に入っていないことは明らかだった。

 

「ちょっと!聞きなさいよ!」

 

「!?……ごめん、リズ」

 

「しっかりしなさいよ。アイツのことは、真と蘭に任せるって決めたんでしょう?」

 

「うん……けど、やっぱりどうしても気になって……」

 

これから危険な戦いに身を投じる想い人を、ただ黙って見送ることしかできないことの辛さは、同じ女性である里香にも一応は理解できる。しかし、これから危険なことが降りかかるかもしれないのは、こちらも同じなのだ。だからこそ、このパーティーのリーダーである明日奈には、しっかりしてもらわなければならない。

 

「そんなに心配しなくても、和人なら大丈夫よ」

 

「しののん……?」

 

このままではどうしても集中を欠いてしまう明日奈を見かねた詩乃が、安心させるように語り掛ける。

 

「和人が言ってたわ。とっておきの“秘策”を用意できたって」

 

「秘策?それって……」

 

「残念だけど、具体的には聞かされていないから、私にもそれが何なのかは分からないわ。けど、和人はこう言っていたわ。オーディナル・スケールでは勝てない相手でも、“忍”としてなら勝てるって」

 

詩乃が放ったその言葉に、明日奈の隣で話を聞いていた里香と珪子が揃って疑問符を浮かべる。和人ことイタチは、SAOやALOにおいて、確かに『黒の忍』と言う二つ名で呼ばれている。つまり、忍として戦うことは、イタチにとっての常態なのだが……それが今更、一体どういうことなのか。

そんな中、明日奈だけは他の面々同様最初は疑問符を浮かべたものの、すぐにその言葉に込められた――明日奈と詩乃を含め、現時点では特定の人間しか理解できない――意味を理解し、驚きに目を見開いた。

 

「……それって、まさか!」

 

「さっきも言ったけど、詳しいことは分からないわ。それより、話はここまでよ。ライブが始まるから、警戒しましょう」

 

詩乃の言った通り、いつの間にかライブ開始の時間となったらしい。ステージ中央より勢いよく煙幕が上がり、その中心からユナが飛び出してきた。

 

『みんなー!今日は私のために集まってくれてありがとーっ!!早速だけど一曲目から、トバしていっくよー!!』

 

「ユナー!!」

 

「サイコー!!」

 

ユナの登場とともに、観客達から歓声が沸き上がる。

そんな、これから人死にが出るかも分からない出来事が起こるとは思えないような、熱狂の中で、明日奈達はユナのライブを見ながら、しかし周囲にも注意を払う形で、警戒態勢に入るのだった。

 

 

 

 

 

時間は遡り、和人等のレイドがパーティーごとに会場内の所定の持ち場へと向かい始めた頃。

和人と、和人のパーティーメンバー兼護衛兼監視役である蘭、真の三人は、会場へ入る扉の前にて最後の確認を行っていた。

 

「ライブ開始まで残り十分……今のところ動きは無いが、HALは必ず俺を狙って来る筈だ」

 

「このタイミングまで動きが無いってことは、ライブが始まってから襲って来るのかしら?」

 

「まだ分からん。だが、今までの奴等のやり口からして、油断はできん。ライブ開始後も、警戒を怠るなよ」

 

「分かったわ」

 

「了解」

 

この先は何が起こるか分からないと二人に念押しすると、会場の中へと通じる扉の取っ手に手を掛け、開こうとしたが……

 

『やあ、桐ヶ谷和人君。よく来てくれたね』

 

『!!』

 

唐突に掛けられた声に、和人等三人は咄嗟に後ろを振り返る。そこには、この連日の捜査において見知った顔の男――春川英輔が立っていた。だが、ワイシャツ姿で立つその体にはノイズが走っていた。生身の実態を持たない……オーグマーを装着している人間にしか認識できない存在、『電人』である。

 

「春川英輔……いや、HALか」

 

『その通り。こうして私の期待を裏切らず、この場所へと足を運んできてくれたことには、心から感謝しているよ』

 

全て計算通りの癖に、そのようなことを白々と口にするHALに、蘭と真が眉を顰める。そんな中、和人が前へ出てHALへと問いを投げる。

 

「俺に用があるんだろう?差し詰め、エイジからの招待といったところか」

 

『ご名答。彼は君と決着をつけたがっていてね。私としても、君を再スキャンして今度こそ君の記憶を確保したいと思っているのでね。こうして迎えに来たというわけさ』

 

「絶対に行かせないわ」

 

「あなたの好きにはさせません」

 

しかし、当然のことながら護衛である蘭と真がそれを許さない。目の前のHALは勿論、この近辺に潜んでいるであろう電子ドラッグを服用した強化兵士に警戒して身構える。

そんな和人に匹敵するであろう強豪二人を前にしても、HALの余裕の笑みは崩れない。

 

『勿論、私も君達が黙って付いてきてくれるとは思っていないさ。桐ヶ谷和人君を狙っていると知られている以上、邪魔が入ることも分かっていた。だからこそ――――――多少なりとも強引な手段を取ることも厭わないことにした』

 

そう言うと、HALは右手を持ち上げて指を鳴らす。仮想の……しかし、現実のそれに非常に等しい音が、不吉に鳴り響く。そして、HALが立っていた場所のすぐ傍にあった柱の影から、三人分の影が姿を現す。

HALの兵士であろう、身長百九十センチ近くの屈強な体格の男性二名と、口に猿轡をされ、手を縛られた状態で男二人に拘束された少女だった。その少女を見た瞬間、和人と蘭の目が驚きに見開かれる。

 

「むー!むー!」

 

「……っ!」

 

「直葉ちゃん!」

 

HALの兵士達が人質として連行してきた少女。それは、つい先日、剣道部の合宿のために島根へと旅立った筈の直葉だった。

それを見た和人は、もしやARによって作り出された合成映像や、それによって仕立て上げた替え玉の類かと疑った。しかし、容姿や仕草、猿轡をされた状態から必死に出そうとしている声等々から、目の前の少女が間違いなく現実の、本物の直葉であると和人だけでなく、蘭にも分かった。

 

『驚いたかね?君を相手にこれ以上無い有効策だと思って、わざわざ島根に私の兵士を向かわせて確保したのだよ』

 

「……要求は?」

 

人質を取られている以上、下手な動きはできない。HALの目的は既に分かり切ってはいるが、一応の確認を兼ねて、蘭と真を手で制しながら前へと出て問いを投げる。

 

『物分かりが良くて助かるよ。エイジ君が君を待っている。一緒に来てくれれば、彼女は解放しよう』

 

「分かった」

 

「和人君!駄目よ!」

 

「……」

 

HALの要求を呑むことを即答した和人を止めようと、蘭が声を上げる。人質に取られている直葉も、悲痛な表情を浮かべながら首を横に振っていた。

一人黙ったままの真は、人質に取られている直葉を救い出す方法は無いかと、HALの兵士である男性二人の動きに神経を集中させていた。しかし、電子ドラッグによる洗脳を受けているためか、付け入る隙がまるで見られない。下手に踏み込めば、真や蘭の拳が届く前に、直葉の首が圧し折られかねない。電子ドラッグで強化された兵士の腕力ならば、十分可能である。和人もそれが分かっているからこそ、手を出せず……詰まるところ、HALの言うことを聞くほかない状況なのだ。

 

『理解が速くて助かるよ。それでは、付いてきてもらおうか』

 

アバターのHALが踵を返して歩き出すと、直葉を人質に取った兵士二人が続き、和人等もまた後を追って歩き出す。無人となったロビーをゆっくりと歩いて移動こと数分。HALが案内した先にあったのは、エレベーターだった。

 

『今現在、この建物の中で地下駐車場へと通じているエレベーターは、この一台のみだ。他のエレベーターは、機能を停止させてもらっている』

 

「エイジは地下で待っているんだな」

 

『ああ。但し、行くのは君一人だ』

 

「良いだろう。だが、俺がエレベーターへ入るのと同時に、直葉を解放してもらおう」

 

『構わないよ』

 

和人とHAL、双方の意見が一致したのと同時に、エレベーターが開く。和人は躊躇うことなく、扉へと向かっていく。蘭と真は、最後まで直葉を解放する機会を伺っていたが、遂に和人を止めることはできず、悔し気に歯噛みしていた。

中へと入る直前、人質にされている直葉を一瞥すると、僅かに口元に笑みを浮かべた。心配は要らないと、そう語り掛けるように――

そして、和人がエレベーターの中へと入ると同時に、HALの配下の兵士二人は、直葉を解放。エレベーターの扉は閉まり、和人は地下駐車場へと運ばれていった。

 

「直葉ちゃん!」

 

「……っ!蘭さん!お兄ちゃんがっ……!」

 

HALの兵士が直葉を解放するのと同時に、蘭は直葉を抱き寄せて兵士やHALのアバターと距離を取った上で、猿轡と手を縛るロープの拘束を解く。

解放された直葉は、得体の知れない人間達に拘束されていたことによる恐怖と、自分の所為で和人が危険な目に遭おうとしていることによる不安に涙を浮かべていた。

蘭はそんな直葉を抱きしめ、妹をあやす姉のように頭を撫で、不安を取り除くように声を掛ける。

 

「大丈夫よ。和人君は、私達で絶対に助け出すから」

 

『おっと。そう簡単に行かせると思うかね?』

 

しかし、和人を助けるべく動こうとした蘭の前に、HALが立ちはだかる。先程まで直葉を拘束していた兵士二人が、ファイティングポーズをとって三人に襲い掛かろうとしていた。

 

『彼等の決着がつくまでは、君達にはこの会場内で大人しくしていてもらおうか』

 

「……真さん、あの二人をお願い!」

 

「了解しました」

 

「私と直葉ちゃんは、このことをLや会場の皆に伝えるから!」

 

真に足止めを頼み、現状を仲間へ報告するべく、即座に動き出そうとする蘭。そんな三人を前に、HALは余裕気な笑みを崩さない。

 

『果たして、そう上手くいくかな?』

 

「お兄ちゃんは、絶対に私達で助ける!あなた達なんかの想い通りにさせないんだから!」

 

「行くよ、直葉ちゃん!」

 

蘭が直葉の手を取る形で、二人揃ってロビーを駆けだす。それと同時に、真とHALの兵士二人が激突する。

 

オーディナル・スケールを舞台とした壮絶な最終決戦が、ユナのライブが開始されるのと、全く同じタイミングで幕を開けた瞬間だった――――――

 



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第百五十話 覚醒【activate】

新国立競技場にて、HALの策略によって和人が仲間達から分断され、無人となったロビーにて蘭と真による戦闘が開始されたその頃。竜崎等の詰める捜査本部もまた、慌ただしく動き出していた。

 

「どうやら、始まってしまったようですね」

 

「ああ。案の定、HALが最初に仕掛けてきたのは、和人だったな」

 

蘭と真を含めた捜査に参加しているメンバー全員が装着しているオーグマーには、ファルコンこと藤丸謹製の遠隔監視用の特殊アプリがインストールされている。本部にいる竜崎と藤丸は、このアプリを通じて捜査協力者達が現地で見聞きした情報を常時確認することができるのだ。

 

「分断された同じパーティーの蘭と真も、戦闘開始だ」

 

「まさか、島根にいた和人君の妹を攫って来るとは予想外でしたね。彼等の和人君に対する執着を侮っていたようです」

 

記憶スキャンが不完全である以上、エイジは間違いなく再戦を仕掛けて来ると想定していたが、そのために遠方から人質を調達するとは予想外だった。

 

「真なら大丈夫だとは思うが、HALの兵士が相手じゃ苦戦は必至だな……。蘭も、直葉を守りながらじゃ、上手く戦えないみたいだな」

 

「すぐには和人君の助けには行けないようですね。地下駐車場へ向かうための手段も、軒並み封じられています」

 

建物内のシステムにアクセスして内部の状態確認を行ったが、和人とエイジの戦いを邪魔されないよう、エレベーターは全て停止しており、非常階段も電子ロックがかかっている。さらには、非常階段に通じる扉の外には、HALの兵士らしき屈強な体つきをした男達が配置されているのだ。

 

「参ったな……エレベーターにしろ、非常階段の扉にしろ、こうも厳重なロックじゃ、解除するにはかなり時間がかかるぞ」

 

「あの二人なら、最悪の場合は扉を破壊してでも突破できることでしょう。現場のことは和人君達に任せることとして……私達は、HALへの対処に動きましょう」

 

「そうだな」

 

和人等がいるライブ会場である新国立競技場の戦いにおいては、現状で手出しすることは不可と判断した竜崎と藤丸は、この事件を解決するに当たってもう一つの障害への対処に動くことにした。和人の身に起こった事態をライブ会場内部で待機している他のメンバー全員に対してメッセージで通知すると、会場監視用のモニターから別のモニターへと移り、操作を開始する。

 

「ヒロキは既にHALのもとに向かっている。例のパスワードも、しっかりと伝えてある」

 

「では、当初の予定通り、スフィンクス突破のサポートをお願いします」

 

「任せておけ」

 

HALを守る最後の砦であるピラミッドを突破するのに必要なパスワード――正確には、有力候補だが――は、捜査本部へ呼び出した、春川英輔のことを知るとされる関係者から聞き出している。だが、パスワードを打ち込むには、その前に防衛プログラムであるスフィンクスを突破する必要がある。この障害をクリアするためのサポートが、藤丸に課せられた役目だった。

 

「それじゃあ、作戦開始といくか……!」

 

「お願いします」

 

和人等がAR(拡張現実)を舞台にした激戦を新国立競技場において始めてから間もなく……離れた場所に位置するL所有の捜査本部においても、この事件の解決に大きく関わる、壮絶な電脳戦が開始された瞬間だった。

 

 

 

 

 

新国立競技場の地下駐車場。HALによって、出入口とエレベーターが封鎖され、電子ドラッグで洗脳された兵士達による誘導で完全に無人化されたこの場所に、二人の男が向かい合う形で立っていた。

 

「よく来てくれたな、『黒の忍』」

 

地下駐車場にて、もはや愛読書と化していると言っても良い『SAO事件記録全集』を開いていたエイジが顔を上げた先には、和人の姿があった。

勝ち誇ったような、余裕の笑みを浮かべるエイジとは対照的に、和人の方は、表情こそ変えないものの、殺気にも似た空気を静かに放っていた。

 

「まさか、俺を引き離すために直葉を人質に取るとは思わなかったがな」

 

「譬え標的の家族であっても、無関係の人間を巻き込むことには、僕も反対だったんだけどね。HALからは、君をあの屈強な護衛二人から引き離すには、これ以外に無いと言われてしまったからね」

 

全く悪びれる様子を見せないエイジだが、直葉を巻き込むことが本意ではないというのは事実だったのだろう。猿轡を嵌められた状態で拘束されていたが、目立った傷は無かったことからも、それは間違いない。

それが彼等のスタンスであると理解していたからこそ、和人は妹を人質に取られた状態でも、感情を表に出すことなく比較的冷静でいられたのだ。SAO事件の記憶が虫食い状態となり、精神が前世のうちはイタチ寄りになっていたことで、感情の揺らぎが抑えられていたということもあるのだが。

 

「もう既に予想が付いていると思うが、この地下駐車場の出入り口は全て塞がれている。逃げ場は無い上に、ここには君を守ってくれる護衛もいない。覚悟はできているかい?」

 

「こんな真似をしなくても、お前の相手はおれがするつもりだった。無論、あの二人は抜きでな」

 

そう言うと、和人はオーグマーに対応したタッチペンを手に取って臨戦態勢に入る。対するエイジもまた、タッチペンを手に和人と相対する。

 

「今度こそお前の記憶、全部もらうぞ」

 

「できるのならな」

 

それ以上の問答は不要と互いに判断した二人は、戦闘開始の合図でもある、起動キーを口にする。

 

『オーディナル・スケール、起動!』

 

途端、二人の姿はオーディナル・スケールのプレイヤーである、エイジとイタチのアバターとしての姿へと変わった。そして、互いにアバターを纏うや否や、一気に駆け出し、その手に持った仮想の刃を交錯させるのだった――――――

 

 

 

 

 

 

 

『よーし!テンション上げて、次、行ってみよー!』

 

会場のロビーで繰り広げられている戦いを余所に、会場内で繰り広げられていたユナのライブは大盛り上がりを見せていた。ライブの進行とともに観客席を包む熱気と完成は増していった。

そんな中で、観客席の中のいくつかの箇所は、そんな浮き立った熱気とは無縁の、剣呑な空気に包まれていた。

 

「不気味な程に何も起こらないな……」

 

「ああ。こう言っちゃなんだが、普通のライブそのものだな」

 

恙なく進行するライブに対し、そのような感想を漏らしたのは、めだかだった。隣に座る善吉もまた、同様の感想を口にし、同じパーティーで行動している一護やアレンも同意するように頷いていた。

 

「他の場所で待機しているメンバーにも連絡を入れてみるか」

 

「ああ。特に和人だ。敵が狙っているのがアイツなら、そろそろ何か起こってもおかしくないだろう」

 

「そうだな」

 

そう言うと、めだかはオーグマーのコンソールを操作し、通信用の画面を表示させる。ライブ会場内であることを想定し、チャットによるメッセージを飛ばしてのやりとりである。

会場内の状態について確認する旨のメッセージを入力すると、それを和人へ飛ばす。だが、メッセージを飛ばしてから十数秒が経過したが、返事は無い。チャットによるメッセージには、ライブ中にいつでも対応できるようにと事前に打ち合わせているため、手筈通り観客席で待機しているのならば、すぐに返事は来る筈。それが無いということは、やはり和人の身に何かあったのだろう。そう確信しためだかは、念の為に和人に同伴している蘭へと確認のメッセージを送ろうとした、その時。

 

「む?竜崎からのメッセージか」

 

「俺の方にも届いているな」

 

蘭に連絡を寄越すより先に、捜査本部の竜崎からの通知が届いた。しかもそれは、めだかだけでなく善吉やその場にいたメンバー全員にも届いているらしい。どうやら、捜査メンバー全員に伝えるべき重要な出来事が起こったらしい。内容を開いて見てみると、そこには和人が予想外の手段により、予想通りの事態へと至ってしまった旨が記載されていた。

 

「……どうやら、和人は一杯食わされたらしいな。HALの策略に嵌められて、孤立させられたようだ」

 

「和人の妹を人質に取るなんて……なんて汚ねえ野郎だ!」

 

「蘭と真は、ロビーでHALに電子ドラッグで洗脳された兵士と交戦中らしい。空手を極めた二人でも、身体能力を極限まで強化された兵士相手では優位には立てん。直葉を庇いながらでは、猶更だ」

 

「今すぐ助けに行くぞ!」

 

「待て、一護。全員持ち場を離れるのは拙い。それに、HALの兵士とやり合える人間だけで向かわなければ、木乃伊取りが木乃伊だ」

 

「それじゃあ、めだかはどうするんだい?」

 

「私と、腕の立つ人間のみで行く。それから、竜崎が呼んだ警察関係者も呼ぶ」

 

チャットで会場内にいる捜査メンバーと、捜査本部にいる竜崎にメッセージを飛ばし、会場の外へ出て和人の救援に向かう旨と、他の待機メンバーの中からも救援を出すように要請を出す。必要な数のメンバーが救援に向かえることを確認しためだかは、席を立つ。

 

「救援に向かうのは、私と一護、それにチャドだ。善吉は私の代わりにここを任せた」

 

「了解した」

 

「任せとけ。チャド、行くぞ」

 

「ああ……」

 

めだかに指名されて席を立ったのは、一護とその隣に座っていた、色黒で大柄な少年だった。チャドと呼ばれたこの少年――本名、茶渡泰虎は、一護の中学時代からの親友であり、一護が帰還者学校に通い始めてからも交友が続いている知己の一人だった。尋常ならざる頑強さと腕っ節の強さを見込まれ、一護の紹介のもと、部外者ながら今回の捜査に協力するに至った経緯があったのだ。ちなみに、チャドもまた一護の勧めでALOをプレイしており、スリーピングナイツに所属している。

ともあれ、仮想世界のみならず、現実世界においても非常に高い戦闘能力を持つめだか、一護、チャドの三人ならば、蘭と真のもとへ向かう救援としては申し分ない。めだかを先頭に席を離れると、会場の入口へと向かう。そして、扉を開こうとしたのだが……

 

「扉が開かない……だと?」

 

「おい、どうなってんだ?」

 

ライブ中も入退場が自由にできる筈の会場の扉が、ロックが掛けられているらしく、押しても引いても開かないのだ。

 

「まさかHALの仕業か?」

 

「だろうな。止むを得ん。多少手荒でも、強引に通るぞ。チャド、頼む」

 

「ああ……」

 

めだかの指示により、扉の前へと出たチャドが、正拳突きの構えを取る。扉の鍵を、その強力な剛力で破壊しようとしているのだ。そして、いざ拳が扉のロック部分に繰り出されようとした、その時だった。

 

「?……何だ。急に歌が止んだぞ」

 

「おかしいな……まだ一曲目だぞ。何が起こってるんだ?」

 

先程まで会場中に響き渡っていたユナの歌声が、何の脈絡も無く、唐突に止んだのだ。その予想外の事態に、扉を突破して蘭と真の救援に向かおうとしていためだか達の動きが止まった。

三人は扉とは真反対の方向を向くと、会場の中央で歌を披露していたユナが動きを止めていた。ユナは手を胸に当てて目を瞑って余韻に浸るような表情を浮かべていた。

 

『あー……楽しかった』

 

それだけ口にすると、ユナのアバターがその場から一瞬にしてかき消えた。さらにユナに続き、ユナのマスコットであるアインもまた消滅したのだ。さらに、異変はそれだけに止まらない。

 

「オーディナル・スケールが起動した!?」

 

「起動キーは言ってないのに……どうして!?」

 

めだか達三人をはじめ、会場内にいた人間の姿が、次々にオーディナル・スケールのアバターへと変化したのだ。起動キーは誰一人として唱えておらず、皆、困惑した様子だった。

そして、オーディナル・スケールが強制起動した直後。今度は全員の視界に『FINAL EVENT』という文字が出現した。

 

「まさか……!」

 

目の前で発生した異常事態に、めだかの脳内にある危険な可能性が過る。そして、その予感を裏付けるように、更なる脅威が会場内を襲う。

 

『グォォオオオ!!』

 

『シャァァアアッ!!』

 

『ブルォォオオッ!!』

 

会場の至る場所において、次々に青白いライトエフェクトと共に上がる、凶暴な咆哮。会場内に視線を巡らせてみると、至る場所に強大なモンスターが出現していた。それも、二体や三体ではない。十体を優に超える数が出現しているのだ。SAOや新生ALOにおいて見知ったフロアボスモンスターもいれば、SAO事件当時の記憶に無い姿をした――恐らく七十六層以上のフロアボスであろう――モンスターの姿もある。

 

「まさか、こんなに早くに仕掛けて来るとはな……」

 

「どうするんだよ、めだか!」

 

ライブ会場にSAOのフロアボスが投入し、オーディナル・スケールのイベントに扮してSAO帰還者の記憶を収集するというHALの思惑に動くことは、予測の範疇である。だが、竜崎等の見立てでは、この計画が発動するのは、もっとライブが盛り上がって観客のテンションが最高に高まった頃だろうとされていた。それがまさか、一曲目が終わって早々に動き出すというのは、完全に予想外だった。

ともあれ、事態が動き出した以上は、めだかは勿論のこと、会場内の各位置に付いている捜査メンバーのリーダー達は、どのように動くのか、その決断を下さなければならない。

 

「応戦する!善吉達に合流して、会場内に出現したフロアボスを討伐する!」

 

果たして、めだかが下したのは、会場内に出現したフロアボスへの対策を優先して動くという判断だった。

 

「……良いのか?」

 

「元より、我々は会場内の事態への対応を担当している。外も気になるが、今は真や蘭、そして和人達を信じるしかない」

 

「畜生!行くぞ、めだか!チャド!」

 

現在進行形で襲撃を受けている和人等を放置することには抵抗があったが、会場内の乱戦を放置してHPが全損するプレイヤーを大量に出せば、それこそHAL達の思う壺である。高出力スキャンが実行されれば、死人も出かねない以上、こちらを優先させるのは当然と言えた。

めだかは再度チャットで会場内のメンバーへとメッセージを飛ばし、方針を会場内に出現したフロアボスへの対処に変更して動くように要請する。それが終わるや、善吉達と合流し、フロアボスへの対処へとすぐさま動き出す。

 

「行くぞ!攻略を執行する!皆、付いてこい!」

 

その宣言とともに、捜査メンバー達は各々の得物を手にフロアボスへと向かっていく。

逃げ場の無い会場内においてもまた、死者を出さないために奮闘する捜査メンバー達と、そうとは知らずに無自覚なまま死闘に臨む観客達による、決死の攻防が幕を開けた瞬間だった。

 

 

 

 

 

『おや、また来たのかね。ヒロキ・サワダ君……いや、ノアズ・アークと呼ぶべきかね?』

 

ユナのライブを舞台とした、オーディナル・スケールを強制発動させての記憶の蒐集が始まったその頃。事件を裏から操っている黒幕たる電人HALが支配する電脳世界の中でもまた、新たな戦いが始まろうとしていた。

自身の本体たるピラミッドに腰掛けて電脳世界を見下ろす位置にいるHALの眼下には、同じく電人のヒロキが立っていた。そして二人の間には、HALの守護獣とも呼べるプログラム、スフィンクスが控えていた。

 

『HAL、君の計画を止めに来た。ライブ会場にいる観客達を、解放してもらうよ』

 

『フフフ……さて、君にできるかな?いつかの時には、可愛らしい妖精君に助けてもらったようだが、今回は君一人なのだろう?』

 

『君を止めるのが難しいことは先刻承知さ。正直、前身の僕であっても不可能かもしれないと思っている。けど、君は一つ間違っている』

 

『何?』

 

『僕は一人じゃない……!』

 

ヒロキが右手を水平に翳すと、VRゲームにおけるオブジェクト破壊時におけるライトエフェクトの爆散を逆再生するかのように、光の破片が集まり、ある形を成していく。それは、現実世界の大砲を彷彿させるものだった。尤も、飽く迄形状が近いだけであり、全体的に白色で角ばったフォルムは現実世界の大砲とは全くことなるものなのだが。

 

『放て!』

 

そして、ヒロキの声と共に、砲口から一条の閃光が迸り、現実の大砲さながらに、金色に光る球体が射出された。砲弾はヒロキから見て空中に位置するHALのピラミッドへと向けて真っ直ぐ放たれた。

 

『グォォォオオオ!』

 

だが、HALへと到達する前に、スフィンクスが射線上に割り込んでくる。そして、前足を軽く振って砲弾を掻き消してしまった。砲弾を弾いたスフィンクスの前足部分は、砲弾による損傷を受けたらしく、ノイズが走っていた。

 

『中々の武器を用意してきたようだが、残念ながら私には届かないよ。この程度の傷ならば、スフィンクスの自己修復機能ですぐに治せるしね』

 

『それはどうかな?』

 

スフィンクスの防衛機能故に余裕を崩さないHALだったが、対するヒロキは不敵な笑みを見せた。すると、次の瞬間――

 

『グ、ゴォオオ、ォオオ……』

 

『何……!?』

 

スフィンクスの動きが、急に鈍くなったのだ。ぎこちなく、カクカクと動いたかと思うと、数秒後には凍り付いたように動かなくなったのだ。

 

『ほう……スフィンクス対策のコンピューターウイルスか。この短期間でここまでの物を作り上げるとは……流石は天才ハッカー『ファルコン』といったところか』

 

突如として動きを止めたスフィンクスだったが、HALにはその原因がすぐに分かった。捜査メンバーの一人である、藤丸ことファルコンを動かし、スフィンクス対策として作り出させたコンピューターウイルスなのだろう。劣化版とはいえ、スフィンクスを完全に破壊するのは至極困難。ならば、動きを封じてHALの懐に飛び込もうという算段なのだろうと、HALにはすぐに分かった。

現にヒロキは、動きを止めたスフィンクスの横を素通りして、ピラミッドを背にしたHALのもとへと接近してきている。

 

『それで、スフィンクスを無力化してここまで来たのは良いが、この先は一体、どうするつもりなのかね?』

 

間近まで迫って来たヒロキを前に、しかしHALは余裕の笑みを崩さない。ヒロキがHALの間近へと迫った途端、両者の間の空間が揺らぎ、透明な防壁が現れたのだ。

 

『スフィンクスを止めているコンピューターウイルスも、あと一分と持たないんじゃないか?私を完全に無力化するには、最後の砦であるこの防壁を攻略するほかに無いのだよ』

 

『分かっているさ。だから、この防壁を突破するための最後の鍵も、しっかりと用意してきた』

 

『何……?』

 

ヒロキの言葉に、僅かに目を見開くHAL。現実世界は勿論、電脳世界における電子関連も含め、春川英輔に係る痕跡は全て消去している。一体、どこからパスワードの手掛かりを見つけたのだろう……そう疑問に思うHALを余所に、ヒロキはパスワードを入力していく。半角英数で既に入力された「/」を含めた二十一文字のパスワード入力が完了され、エンターがボタンが押されると――――――

 

『――馬鹿なっ!?』

 

HALとヒロキを隔てていた透明な障壁が、ガラスの割れるかのような音とともに、砕け散ったのだ。それは、ヒロキの打ち込んだパスワードが正しかったことを意味している。当のHALは、目の前で起こったことが信じられないとばかりに目を見開き、驚愕していた。

 

『どうやら、パスワードは正解だったみたいだね』

 

『くっ……!』

 

『悪いけれど、このまま君を無力化――』

 

『まだだ!!』

 

防壁を失ったことで無防備と化したHALを拘束しようと手を伸ばしたヒロキだったが、その手が届く前にHALは飛び立った。翼を羽ばたかせたわけではなく、電脳世界に生きる電人だからこそできる移動である。

 

『まだやられはせんぞ!!』

 

ヒロキから距離を取ったHALは、次々と自前の防衛システムを起動させていく。現実世界における戦車や武装ヘリ、戦闘機を模したプログラムが多数並び、ヒロキへとその銃口に相当するものを向けていた。

 

『やっぱり、そう簡単には降伏してくれないみたいだね……』

 

最終防壁を崩したことで度肝を抜かれたようだが、計画を諦める程に追い込むには至らなかったらしい。あまり期待はしていなかったが、降伏する意思を微塵も見せないHALに、ヒロキは嘆息する。

 

『ファルコン!HALの最終防壁はクリアした!スフィンクスが再起動する前に、HALを確保する!残りのセキュリティの排除を手伝って欲しい!』

 

『任せておけ!』

 

ヒロキの要請に応え、持ち前の神業とも呼べるハッキングスキルを以てヒロキを援護し、HALのセキュリティを次々無力化していくファルコンこと藤丸。通常ならばあらゆるコンピューターウイルスもハッキングも寄せ付けない防衛プログラムも、スフィンクスに及ぶレベルでなければ、この二人の前では無力も同然である。

この事件が発生して以降、捜査メンバー翻弄し続けてきたHALと、常に後手に回らざるを得なかった捜査メンバーの立場が逆転した瞬間だった。

 

 

 

 

 

無人と化した新国立競技場の地下駐車場において、二つの影が交錯する。オーディナル・スケールを起動している人間にのみ視認できるライトエフェクトを撒き散らしながら動き回る二人の動きは、人としての限界を超えつつあった。

 

「ほらほらほら!どうした!?防戦一方じゃないか!?それで僕を倒せるって言うのか!?」

 

「………………」

 

常人離れした動きを見せながらも、息を切らせることもなく、皮肉すら叩いてみせるエイジ。対するイタチは、一切口を開くことなく、エイジの言った通り、傍から見れば完全に防戦一方で状態であり、繰り出される攻撃の一切を凌ぐのに精一杯のようにしか見えなかった。

オーディナル・スケールのシステム上において設定されたHPも、エイジの方が上である。このまま戦闘が続けば、イタチのHPは完全に削り取られてしまうことだろう。このまま、ならば……

 

(どういうことだ?何故、攻撃が当たらなくなってきている……!?)

 

戦闘開始当初は、イタチの反応を上回る速度の剣戟と、未来予知にも等しいシステムアシストによる先読みで、着実にダメージを与えていた。だが、時間の経過とともにエイジの剣の命中率は低下し……戦闘開始から二分もすると、イタチの体を掠りすらしなくなってしまった。エイジの剣技が遅くなったわけではない。むしろ、戦闘開始当初よりも早くなっている。にも関わらず、イタチはそれらの攻撃全てを捌き切っているのだ。

そして、イタチもまた良いように攻められるばかりではない。

 

「そこだ……!」

 

「んなっ!?」

 

激しく繰り出されるエイジの剣戟に生じる一瞬の隙を突き、イタチがカウンターを放ったのだ。エイジの腕を、仮想の刃が掠める。大したダメージではないものの、今の一撃は完全にエイジの不意を突いたものだった。

 

(……こいつ!未来予想に対応して当ててきやがった!)

 

エイジの身体能力は、HALの作った電子ドラッグと、重村の作ったパワードスーツによって大幅に強化されているだけでなく、人体の行動予測プログラムを仕込んだ特注のオーグマーにより、未来予知もかくやという精度で相手の動きを先読みできる。その上、電子ドラッグにより、思考も幾分か加速されているお陰で、目に見える光景は実際の時間の流れよりもゆっくり動いているように見えるのだ。

そんな反則級と呼べる装備とシステムを使いこなしているエイジに、しかしイタチは確実に対応してきているのだ。

 

(単に俺の動きを見て、予測しているだけじゃない……リアルタイムに軌道を修正しているのか?)

 

信じられない話だが、それ以外には考えられない。相手の動きのパターンをもとに、動きを先読みするだけならば、まだ分かる。だが、極限状態の戦闘の最中にあって、攻撃に対してリアルタイムで即時対応することは、人間には不可能に等しい。

それは即ち、イタチもまた、エイジと同じ物を見ているのと同義であり……エイジと同等以上の動きをしていることを意味している。

 

(他の雑魚とは違うとは思っていたが……これは予想外だ。化物め……!)

 

強力な装置とシステムで武装し、超人的な動きを見せるエイジをして、この評価である。真っ当な方法で立ち会おうものならば、手も足も出ずに敗れていたことだろう。

 

(だが、だからといって、そう易々と引き下がるわけにはいかないんだよ……!)

 

イタチの脅威を再認識し、このままでは埒が明かないと判断したエイジは、切札の一つを切ることにした。あまり好かない協力者であるHALから授けられた、緊急用の切札の一つを……

 

「……『電子ドラッグver.2』解放」

 

「!」

 

エイジが唱えたシステムコマンドに対し、警戒して距離を取るイタチ。当のエイジは、漫画に出て来る、ドーピングをしたスポーツ選手さながらに、全身の筋肉が膨れ上がっていた。その顔には、獰猛な笑みが浮かんでいる。

 

「行くぞ……!」

 

「む……っ!」

 

その宣言とともに、エイジはイタチ目掛けて駆け出し、一気に距離を詰める。その速度は、先程までの戦闘の比ではなく、イタチですら危うく反応が遅れて攻撃を受けるところだった。

これこそ、HALが決戦に備えて用意した秘密兵器の一つ、『電子ドラッグ』を改良して作られた『電子ドラッグver.2』である。

初版の『電子ドラッグ』に比べて即効性が高く、戦闘中であってもこうして一瞬で効果を得ることができる上に、身体能力は初版『電子ドラッグ』の百八十パーセント増しとなるのだ。但し、何の処置も施していない人間に使用した場合、単純な命令しかできないため、臨機応変な対応を要する任務には、エイジのように初版の『電子ドラッグ』を既に使用している人間にしか使用できないという難点があった。加えて、強力な力が得られる分、副作用として使用者の人体には多大な負荷がかかり……一度使用すれば、翌日は丸一日起き上がることすらできなくなるのだ。

 

「正直、お前がここまで粘るとは思わなかったよ。流石はSAOをクリアに導いた英雄だな。だが、お前の活躍もここまでだ」

 

「くっ――!」

 

繰り出される刃の連撃への対処に追われ、防御が疎かになったイタチの脇腹に、エイジの回し蹴りが入る。イタチも咄嗟に受け身を取り、何とか防御に成功する。地面を転がりながらも最小限のダメージで済ませることができたが、あと少し反応が間に合わなければ、骨折は免れなかった。

片膝を突きながら、回し蹴りを受けた脇腹を押さえるイタチを見下ろす形で、エイジが近づいていく。

 

「悪足掻きはこの辺りで終わりにしてもらおうか。お前の記憶も……今度こそいただく!」

 

「……」

 

負傷して地面に膝を突いているイタチに対し、止めを刺すべく、刃を振り上げるイタチ。対するイタチは、顔を俯けたまま動かない。それを、負傷して身動きを取ることも儘ならない状態であると見なしたエイジは、これで終わらせるべく、容赦なく最後の一撃を繰り出そうとする。

だが――――――

 

「なっ……!?」

 

その刃が、イタチに命中することは無かった。エイジが振り下ろした刃は空を切り、床に仮想の傷を付けるのみに終わった。確かにイタチは、先程までここにいた筈。それが一瞬にして消えたのだ。一体、何が起こったのか……それを考えるより先に、エイジは目的の人物を見つけるべく、視線を周囲に巡らせた。

突如としてかき消えたイタチの姿は、しかし程なくして見つかった。イタチが立っていたのは、エイジから見て右手の方向。それも、十メートル程の距離が開いていた。あの一瞬で、どうやってこれだけの距離を取ったというのか。疑問はますます深まるばかりだが、今はそれより、手負いの状態のイタチを倒すことが最優先である。すぐさま思考を切り替えたエイジは、再びイタチ目掛けて距離を詰めようと駆け出す。

対するイタチは、迫りくるエイジを前に立ち尽くしたまま動かない。先程の攻撃をどうやって回避したかは分からないが、やはりもう限界なのだろう。

 

「もらった!」

 

勝利を確信したエイジが、再度刃を振るう。今度は真一文字に繰り出す横薙ぎの一閃である。この距離ならば、最早避けようがない。今度こそ決着が着くと、エイジはそう確信する。

そして対するイタチは、迫りくるエイジを前に、両手をゆっくり持ち上げると……目にも止まらぬ速さで、両手を動かし始めた。そして――――――

 

 

 

火遁・豪火球の術

 

 

 

「なっ!?」

 

次の瞬間、エイジの目の前で信じれられない現象が起こった。口笛を吹くかのように尖らせたイタチの口から炎が迸り、巨大な火球と化したのだ。

慌てて足を止め、横へ跳んで回避し、一度距離を取るエイジだったが、火球は僅かにエイジの足を掠めた。熱いという感覚は無かったため、オーグマーによって再現されたエフェクトであることは間違いない。

 

(どういうことだ……オーディナル・スケールに、あんなスキルは存在しない筈だ!)

 

しかし、解せないこともある。先程の火球によって、エイジのHPが僅かながら削られたのだ。それはつまり、イタチが放った火球は、見せかけのエフェクトではなく、オーディナル・スケールのゲームシステムの仕様において認められた攻撃ということになる。しかし、SF要素の強いオーディナル・スケールにおいて、口から火球を放つファンタジー系スキルなど存在しない。

まさかチートかと考えたエイジだが、即座にそれはあり得ないという結論に至る。オーディナル・スケールのサーバーは、重村とHALの手により、スフィンクスもかくやという程の強固なセキュリティに護られており、ファルコンですらハッキングは不可能である。それに、こんな力が使えるのならば、先日のHALが仕掛けたゲームで使用しなかったのも合点がいかない。切札故にギリギリまで温存していた可能性もあるが、自己犠牲に走る傾向にあるイタチが、仲間の危機においてそれをするとは考えにくい。

先程のあり得ない速度での移動といい、一体何が起こっているというのか。目の前の男が秘めた得体の知れない何かに、エイジは恐怖にも似た感情を覚えていた。

 

「……認めよう。オーディナル・スケールのプレイヤーとしては、俺では今の状態のお前に敵わないと」

 

エイジがイタチの底知れない何かに脅威と感じ始めていた中、当のイタチが口を開いた。何を言い出すかと思えば、エイジの――正確には、重村のパワードスーツとHALの電子ドラッグで強化された状態の力を――認め、勝てないという事実を認めるものだった。だが、イタチの口から紡がれる言葉には、諦めの色は無かった。

やがてイタチはゆっくりと顔を上げると、目の前に距離を取って相対する自身の敵であるエイジを見据えた。

 

「故にここから先は、『黒の忍(イタチ)』としてではなく……『暁の忍(うちはイタチ)』として相手をしてやろう」

 

そう宣言するイタチの、オーディナル・スケールのアバターとして赤く染まったその瞳には……三つ巴の紋様が浮かんでいた。

 



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第百五十一話 熾烈【escalation】

「超小型量子演算回路……ですか?」

 

『ウム』

 

HALが仕掛けた最後のゲームが行われた日の昼過ぎに、電人と化した茅場に呼び出された和人は、茅場と話をするべく、人気の少ない場所へと移動していた。和人の手には、茅場の協力者だった女性名義の貸金庫から取り出された、茅場曰く『和人にとっての最後のピース』となる謎の装置があった。

装置の名称は、「超小型量子演算回路」――――――

 

『『量子演算回路』とは、一種の量子コンピューターだ。HALがスフィンクスをインストールした『スーパーコンピューター』とは異なり、特定の計算処理に用いられるタイプのコンピューターだね』

 

「……何故、そのような物を作られたのですか?」

 

何故作ったのかという動機も疑問だが、どうやって作ったのかという点も疑問だった。しかし、前者に加え、後者の答えについても、茅場がまとめて答えてくれた。

 

『私がアーガスに入社し、ナーヴギアを開発した頃のことだ。あの頃から、空に浮かぶ鋼鉄の城の空想を夢見ていた私は、異なる世界へ渡るとまではいかないものの、垣間見る方法を模索していた。そこで行き着いたのが、『量子コンピューター』だ。量子コンピューターには、平行世界に干渉する可能性があるとされていてね……私はその可能性を追い求めたというわけだ』

 

「それで、実際に作ってみたと?」

 

『無論、量子コンピューターなど、一個人が簡単に作れる物ではない。私が作ったそれは、量子コンピューターの仕組みを極限まで簡素化及び小型化して作った物だ。自分で言うのもなんだが、私は大学時代からその手のアルバイトで相当に稼げていた上に、その関係で伝手もあった。量子コンピューターの原理を調べるのも、装置を作るための部品と設備を調達するのも、大して難しいことではなかったよ』

 

加えて、それを可能にするための頭脳も茅場は持ち合わせていたのだ。しかし、仮にそれだけの能力と財力とコネクションを持つ者がいたとしても、異世界見たさに簡易版とはいえ量子コンピューターなどという途方も無い物を作るのは茅場くらいだろう。和人は密かにそう思った。

 

『当初私は、これをナーヴギアに接続することにより、仮想空間において平行世界の光景を覗き見ることを考えていた。尤も……結果言うまでも無いがね』

 

この世界とは異なる世界――或いは平行世界とも言う――を観測することは、茅場晶彦にとっては命を懸けてでも果たすべき人生最大の命題である。それが果たせたならば、SAO事件などと言う暴挙に出ることは無かった筈。である以上、茅場が望んだ結果が得られなかったことは和人にも分かった。

 

「それで……何故、これを俺に?」

 

『皆まで言わなくても、分かるだろう?“うちはイタチ”君』

 

念の為に聞いてみた和人だったが、茅場からは明確な答えは返ってこなかった。しかし、話の流れから和人も薄々勘付いてはおり、最後に和人のことを前世の名前で呼んだことで、その予想は決定づけられた。

 

「……つまり、これを使えば、前世の忍者としての力を使えるようになる可能性があると?」

 

『まあ、平たく言えば、そういうことだね』

 

「………………」

 

茅場からの予想通りの答えに、しかし和人は、どう反応すべきか分からず沈黙するのみだった。

確かに茅場は、飽く迄可能性を提示するだけであり、何一つ保証できる要素は無いと言っていた。和人としても、茅場が自分に託す何かを完全に当てにしていたわけでもない。

だが、まさかこんな突拍子も無い、オカルト染みた代物を託されるとは思わなかった。どう反応すべきなのか、本気で分からなかった。

 

『君が何を思っているかは分かる。だが、私はこれを、これから戦いに赴く君に、どうしても渡しておきたかったのだよ』

 

「……仮にこれを使ったとしても、俺が忍術を使えるようになるとは限りませんよ」

 

『分かっている。だが、可能性はある。現に君は、その可能性を証明して見せたじゃないか』

 

「SAO事件の時の『雷切』のことですか?言っておきますが、あれ以来、VRワールドでも現実世界でも、忍術らしき力を使えたことは一度もありませんよ」

 

SAO事件の最終決戦――和人のアバターであるイタチと、茅場晶彦のアバターであるヒースクリフとの一騎打ちにおける、最後の激突に際して起こった、不可思議な現象。イタチが繰り出そうとした体術系ソードスキル『エンブレイサー』を発動した際に生じた紫電――その現象は、和人がうちはイタチとしての前世で見知った雷遁忍術に酷似していたことから、『雷切』と呼んでいる――は、使用した和人当人にも発生原因が未だに分かっていなかった。茅場曰く、『システムを超越した力』とされているが、その実態は全くの謎に包まれていた。想いの力が引き起こした奇跡……と言えなくもないが、現実主義者の忍者でもある和人は、それを本気にはしていない。

しかし、茅場は和人に託した装置が、忍術の扉を開く鍵になると深く確信しているようだった。

 

『SAO事件が終息してから、私も色々と調べてみたのだよ。君がどうして、あの時、システムを超越した力……忍術を発動することができたのかをね。そして、これに行き着いたというわけだよ』

 

「……量子コンピューターが平行世界に干渉するという話は先程聞きましたが、それだけでは……」

 

『無論、それだけではないさ。この装置を取り入れることで、“あの時と同じ条件”を作り出せるとするならば、試す価値はあるとは思わないかね?』

 

「すると、もしや……!」

 

茅場が何気なく放ったその言葉により、和人の脳裏にある可能性が過る。そして、茅場は得意げに頷きながら口を開いた。

 

『君の考えている通りだ。アーガス社のメインサーバーには、私が自作した量子コンピューターが組み込まれていた』

 

「それでは、まさか本当に……?」

 

『先程も言ったように、確証は一切無い。だが、私は非常に可能性が高い……いや、これに違いないと確信している』

 

「茅場さん本人の見解ですか?」

 

『どちらかと言えば、“勘”だね』

 

既に実体を失った、HALと同様の電人である茅場が“勘”などという言葉を用いるのもおかしな話ではあるが、茅場ならばその表現がしっくりくる。ともあれ、茅場制作の『超小型量子演算回路』が、うちはイタチの能力を引き出す可能性があるという推論にはとりあえず納得できた。どの道、HALの手駒である電子ドラッグで強化された兵士や、エイジに対抗する手段が無い以上、可能性が僅かであっても、保険はいくらあっても足りないのだ。マイナス要因とならないのならば、取り入れるのに抵抗は無かった。

 

「どのように使えば良いのでしょうか?」

 

『一般的な無線式のルーターと同じだ。それを携帯することで、オーグマーの画面からの操作で、この装置に接続できる。バッテリーも、市販の携帯端末専用のものに対応している』

 

「分かりました」

 

茅場が言うには、一時間もあれば充電は完了するらしい。今から自宅へ戻って充電すれば、今夜のHALの仕掛けるゲームには間に合うだろう。相手はSAO事件における最強最悪のフロアボス『スカル・リーパー』なのだ。この装置の真価は、今夜の戦いにおいてはっきりすることだろう。

 

『この装置が持つ可能性を引き出せるかは、君次第だ。期待させてもらうよ。何せ君は、私の作り上げた世界における、唯一無二の弱点であり、リスクだったのだからね』

 

本心から期待するような言葉を投げ掛けて来る茅場に対し、和人は深く頷いた。そんな二人の姿は、かつてのSAO事件以前の……SAO製作スタッフとして接していた頃を彷彿させるものだった。

 

 

 

 

 

(ぶっつけ本番に近い形だったが……どうやら、上手く機能してくれたようだな)

 

エイジとの戦闘の最中、イタチはHALが仕掛けた第三のゲームに臨む前の、茅場とのやりとりを思い出していた。和人の胸ポケットの中では、茅場から託された装置である『超小型量子演算回路』が機動していた。

先程の自身が発揮した、常人離れした身体能力に、オーディナル・スケールのシステムには本来無い筈のスキルであり……うちはイタチが得手としていた忍術だった。前者は身体能力を強化して移動速度を上げる忍術、『瞬身の術』。後者はうちはの一族が得手とする火の性質変化たる忍術、『火遁・豪火球の術』である。

 

(基本忍術とはいえ、奴を相手に前世の力を使えるのは大きい……これでようやく、互角か)

 

以前、イタチは仮想世界を万華鏡写輪眼の瞳術『月読』が作り出す空間に近い性質があると感じていた。『月読』発動に際して重要なのは、その空間の中で起こす事象を具現化するための想像力である。そこでイタチは、前世のうちはイタチとして使い慣れた、イメージしやすい基本忍術の行使から試すこととした。結果、HALのゲームに際しては、前世で使用頻度が多かった『瞬身の術』――前世で使用したそれに比べると、まだ速度が劣るが――の発動に成功した。そしてさらに先程は、うちは一族が得手とする火遁系忍術をゲームシステムの中で発動し、エイジにダメージを与えるに至った。

 

(写輪眼の感覚も若干ながら戻ってはいるが……過信するのは禁物だな)

 

忍術が使えるとはいえ、使える術の種類は限られている。超小型量子演算回路が忍術の発動に寄与していることは間違いないが、発動条件にはまだ不確定な部分が多く、いつ術が使えなくなったとしてもおかしくはない。その上、前世のうちはイタチと桐ケ谷和人とでは、体格や身体能力等々、何もかもが異なる。うちはイタチと同じ感覚で戦うのは、危険極まりないのだ。

 

(早々に決着をつける以外、手は無さそうだな……)

 

エイジとの決着は、忍術がどこまで使えるかにかかっている。さらに言えば、現在進行形で行われているライブ会場の中でも、重村とHALの計画は進められているのだ。イタチとしても、戦闘を長引かせるわけにはいかなかった。

状況を瞬時に判断すると同時に、イタチは目の前の障害たるエイジを倒すべく行動を起こす。さらなる忍術を繰り出すべく、再び両手で印を結び始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

0と1の数字で構成された電脳空間の中。先程までは、電人HALが支配していたこの空間だったが、その主は姿を消していた。

 

『惜しかったね……あと一歩だったのに……』

 

『全くだ。まさか、ここまで往生際が悪いとは思わなかったな……』

 

静まり返った電脳空間の中、一人その場に立つヒロキが呟いた。そして、その傍らに展開されたシステムウインドウに映し出された、現実世界のファルコンこと藤丸が同意するように頷く。

ヒロキの周囲には、ファルコンとともに破壊したHALの防衛プログラムの破片が大量に散らばっていた。スフィンクスが機能を停止した、一分にも満たない間の攻防だったが、HALが展開した防衛プログラムは、その全てが二人の手で破壊されていた。

そして、HALの本体であるであるピラミッドへと王手を掛け、その能力を完全に無力化しようとした。しかし、HALを完全に拘束しようとしたその直前、HALは己の権限たるプログラムの大部分を、知能を司るコアから分離したのだ。人間に例えるならば、人体から脳だけ分離して逃げ出したようなものである。当然、生きた人間ではそんなことは不可能だが、電人であるHALにはそれが可能だった。

 

『これでHALの権限は大分封じたから、今までのようにセキュリティを自由自在に無力化することはできない筈だよ』

 

『電子ドラッグで洗脳した兵士も増やせなくなっただろうしな。だが……』

 

『うん、分かってる。まさか、スフィンクスに身を寄せるなんてね』

 

そう言って顔を上げたヒロキの視線の先にあったのは、序盤で撃ち込んだファルコン謹製のコンピューターウイルスによる攻撃から復活したスフィンクスがあった。

HALを守護する最後の防衛ラインたる最強の防衛プログラムだったが、HALのコアが逃げ込み、同化したことにより、今はこのスフィンクスこそがピラミッドに次ぐHALの本体となっていた。

 

『妥当と言えば妥当だな。最後の砦であるピラミッドが破壊されたのなら、次の砦を探すのは当然だ。スフィンクスなら、そりゃあ打って付けだろうよ』

 

『計画を遂行するプログラムは、重村教授もリアルタイムでモニタリングしている筈だ。HALに何かあれば、自動的に管理権限は重村教授へ移るようになっていると見て間違いないね。けど、スフィンクスはライブ会場の防衛も兼ねている。あれを破壊しない限り、和人君達は危険なままだ』

 

スーパーコンピューター専用アプリであるスフィンクスは、HALのピラミッドに次ぐ防衛性能を誇る。HALが逃げ込む先としては、非常に適しているのだ。

そして、スフィンクスが担っているのは、HAL本体の防衛と、ライブ会場のシステム管制と電子ドラッグで洗脳した兵士の統率である。HALが権限の大部分を失ったとはいえ、スフィンクスが健在ならば、電子ドラッグで洗脳した兵士を動かすことは可能である。HALのピラミッドには、パスワードという唯一にして絶対の弱点があったが、スフィンクスはそうはいかない。弱体化しているとはいえ、計画が完成するまでに破壊することは不可能に等しい。仮にスフィンクスを短時間で攻略する方法があったとしても、スフィンクスと同化したHALが何をしでかすか分からない以上、ヒロキも藤丸もこれ以上は手が出せない。HAL本体のピラミッドのパスワードを突破した先程の攻撃こそが、ヒロキと藤丸にとっての、最小限のリスクでHALを無力化することができた最後のチャンスだったのだ。

 

『残念だけど、僕等にこれ以上できることは無い。あとは和人君に任せるしかないよ』

 

『そうは言っても、計画のプログラムを握っているのは、今は重村教授なんだろう?和人がいくら大立ち回りをしても、止めるのは無理なんじゃないか?』

 

『いや、そうとも限らない。今、HALから奪った権限を使って調べてみたんだけど、あのスフィンクスは、HALが仕掛けてきたゲームでアンインストールされたものと同様に、アインクラッドのクォーターポイントのフロアボスのリソースの一部が使われている』

 

『クォーターポイントのフロアボスって、まさか……!』

 

『アインクラッド第百層フロアボスモンスター、『アン・インカーネーション・オブ・ザ・ラディウス』。和人君達が七十五層目でGMのヒースクリフこと茅場晶彦を倒してSAO事件を終結させたことで出番を失っていた、正真正銘のSAOのラスボスだよ』

 

SAO事件当時は攻略組に紛れ込んでいた主犯の茅場晶彦を倒したことで、戦うこと無く終わったとフロアボスの名前が出てきたことに、思わず息を呑むファルコン。

だが、HALが仕掛けたゲームにおけるクォーターポイントフロアボスと同じ仕様にあるということは、そのラスボスが倒されれば、スフィンクスも消滅することを意味している。そして、ラスボスが今いる場所として考えられる場所は、一カ所しかない。

 

『……つまり、今、会場内にはそいつがいて、和人達が戦ってるってことか?』

 

『いや、会場内にそのラスボスはいないみたいだ。HALが残したデータによれば、そいつがいるのは旧アーガス社のサーバーに保管されている仮想空間……旧アインクラッド百層の中だ』

 

ヒロキから齎された情報に、歯噛みする藤丸。アーガス社のサーバーを現実世界及び電脳世界から守護しているのは、目の前に鎮座するスフィンクスである。どうあってもこれを排除しなければならない状況では、先程ヒロキが言った通り、もうヒロキと藤丸にできることは、見守ること以外に無い。

 

『けど、どうやって旧SAOサーバーの中にある仮想空間に行くんだ?和人達はアミュスフィアは持ってないし、そもそもフルダイブできる状況じゃねえだろう』

 

『確かに、和人君達をラスボスのもとに案内するのは、僕でも不可能だね。けど、大丈夫。その条件をクリアできる“もう一人の協力者”が、会場の中にいるから』

 

心配は無用、と笑みを浮かべて答えると、ヒロキは目の前に佇むスフィンクスを再び見上げた。会場内にいる和人等が、最後の牙城である旧アインクラッドのラスボスを倒すことにより、目の前の脅威が消滅する、その瞬間を待ちながら………………

 

 

 

 

 

 

 

「“うちはイタチ”……だと?」

 

イタチが発動した得体の知れないスキルに、思考の処理が追い付いていなかったエイジは、イタチが口にした言葉を反芻していた。SAO攻略組において『黒の忍』の二つ名で知られた“イタチ”ではなく、“うちはイタチ”として戦うという……一体それは、何を意味しているのか。桐ケ谷和人が秘めた前世を知らないエイジには、いくら考えてもその答えを導き出すことはできなかった。

 

水遁・水龍弾の術

 

「なっ!?」

 

エイジが走行考えている内に、イタチによる“火遁・豪火球”に続くさらなる忍術が襲い来る。印を結んだイタチの背後の地面から、水が湧き出て水たまりが発生し、さらにそこから水柱が勢いよく上がり、竜の形を成したのだ。イタチが生み出した水の竜は、その大顎を広げ、エイジ目掛けて襲い掛かった。

 

「くっ……!」

 

まるで意識を持っているかのように空中をうねりながら襲い掛かる水龍から逃れるべく、左右に動き回るエイジ。だが、水龍はエイジを追尾して逃さない。

 

「チッ!」

 

電子ドラッグで強化された身体能力を持ったエイジを的確に追尾する水龍に、逃げ切れないと踏んだエイジは、ギリギリまで水龍を引き付けると、即座に駐車場の柱の影へと入る。水龍は柱に激突し、霧散した。どのような仕組みで発動しているのか、全く不可解なスキルだが、ゲームに組み込まれている攻撃であるためか、現実世界に存在する物体を透過することはできないらしい。どんなチートかと驚きはしたが、システムとしての制約があるならば、反撃の余地はある。重村と春川の共同開発で作り出された行動予測プログラムがあれば、対処は容易な筈……

エイジがそう思考を走らせた、その時だった。

 

「こっちだ」

 

「っ……!」

 

声が聞こえた背後を振り返ると、そこには剣を振り上げたイタチの姿があった。“三つ巴の紋様”が浮かんだ赤い双眸は、エイジをまっすぐ捉えていた。

 

「嘗めるな!」

 

接近に気付けなかったのはエイジにとって致命的だったが、仕掛けた本人であるイタチ自ら居場所を知らせてしまえば、それも台無しである。イタチの振り翳した剣は、容易く受け止められてしまった。

一方、イタチは微塵も動揺した様子を見せない。瞬き一つせず、赤い両目をエイジへと向け続けていた。そして、至近距離で繰り出されるエイジの剣技全てを、見事に捌いて見せた。しかも、先程までのでとは動きも反応速度も段違いである。まるで、その赤い瞳で全ての動きを見透かされているかのように、攻撃の全てが尽く防がれ、イタチに掠りもしないのだ。

 

(冗談じゃない……!こっちは奴の動きをリアルタイムで先読みして攻撃を仕掛けてるんだぞ!それに、どうすれば電子ドラッグで強化された動きに追い付けるんだ!)

 

先程までの優位はどこへやら。イタチの動きに追い付くことも儘ならなくなりつつある事態に、エイジは焦りを隠せない。それと同時に思う。これが、SAO事件に幕を下ろした英雄である、“黒の忍”の力なのかと……。そして、SAO事件という物語における主人公たるこの男の前では、自分のような脇役など、取るに足らない存在に過ぎないのかと……。

そんな不本意極まりない、SAO生還者として断じて認められない考えが、不覚にもエイジの頭を過った。その憤りが、悔しさが、エイジの口から漏れ出て行く。

 

「……流石は“黒の忍”といったところか。仮想世界だけでなく、現実世界でも英雄というわけか……」

 

「……」

 

「所詮はお前のような英雄しか……最前線で戦うプレイヤーしか、皆の記憶には残らないんだ……」

 

「……」

 

「僕や悠那みたいな弱虫は、蚊帳の外なんだ!」

 

目の前のイタチに対する怒りだけではない。重村やHALの手を借りて、超人的な力を持ったというのに、無力のままの自分に対して募る無力感と、その苛立ちが抑えられない。

怒りのままに振り下ろされたエイジの刃を、後ろに大きく跳び退いて回避したイタチは、再び刃を構えながらエイジと相対し、口を開く。

 

「やはりお前は、SAOで重村悠那と……いや、ユナと一緒にいたのか」

 

「……ああ、そうさ。ずっと……彼女が消えてしまう、その瞬間もな」

 

イタチの言葉にさらなる憤りを覚えたエイジは、スティックを握る力を強める。電子ドラッグによって強化された握力は、スティックが軋みを上げて潰れかける程のものだった。

 

「だから決めたんだ……どんな手段を使ってでも、悠那をこの世界に返すってな!」

 

その言葉と共に、エイジは再びイタチへと襲い掛かった。重村悠那を取り戻すという決意を改めて言い放って挑みかかるその姿には、未知のスキルを使用し、身体能力を強化するイタチに対する恐れは微塵も無かった。

先程よりも速く、鋭い剣技がイタチに降りかかる。だが、イタチはそれすらも表情一つ変えず、瞬きすらせずに捌いていく。その余裕な態度が、鋭意の苛立ちを加速させる。それどころか、息を乱すことなく斬り結びながらエイジに問いを投げ掛けていた。

 

「やはり、お前と重村教授の目的は、重村悠那を人口知能として……“電子の亡霊(デジタルゴースト)”として蘇らせることか。春川教授は、何故お前達に協力している?」

 

「そんなことは、僕が聞きたいくらいだ。本当は、僕と教授だけで十分だったが、教授がアイツを計画に参加させることを決定したんだよ。有能なのは確かだが、どうにも胡散臭くて仕方がなかったがな……」

 

HALもとい春川の参入は重村の決定であり、エイジの本意ではなかったらしい。結論として、春川英輔が計画に加担した理由だけは、最終決戦のこの場に至っても不明のままとなった。だが、主犯に相当する重村の目的は判明した。それにより、会場内にいるSAO生還者の観客達が危険な状態であることも。

 

「お前は分かっているのか?計画が実行されれば、会場内の人間は大勢死ぬぞ」

 

「言った筈だ。どんな手段を使ってでも、彼女を返すと!」

 

「だが、そのような手段で蘇ることを、彼女が望んでいないとしたら、どうだ?」

 

「何……?」

 

まるで悠那のことを知っているかのようなイタチの口調を訝るエイジ。対するイタチは、僅かに動揺した様子を見せるエイジに対して淡々と続けていく。

 

「俺は先日、お前達が蘇らせようとしている、不完全な状態の悠那のデジタルゴーストに会った」

 

「なっ……!」

 

イタチから齎された事実に、驚愕を露にするエイジ。AIとして、意思とユナとしてのアバターを持ち始めて以降、勝手に現れては消えを繰り返していたことは知っていたが、まさか敵であるイタチに接触していたとは思わなかった。

 

「生憎と、言葉を交わすことはできなかったが、ただ一言、重村教授の詰めている大学を指差して、「さがして」とだけ言っていた。明らかにお前等を止めて欲しいという意思の表れだろう」

 

「嘘だ!悠那がそんなことを言う筈が無い!」

 

「あれは悠那であって悠那ではない。だが、断片的にでも悠那の魂を復元したというのならば、他人を犠牲に再びこの世界に蘇ることを望まないという意思は、間違いなく悠那のものだ。お前達はそれを捻じ曲げてでも、計画を遂行するつもりか?」

 

「黙れと言っているだろうがぁっ!!」

 

イタチの言葉を否定し、激昂しながら刃を再び振るうエイジ。その動きと剣戟は、さらに速度と鋭さが増していた。それを捌きながら、イタチは続ける。

 

「この計画は、お前達のエゴだ。仮にこの計画の果てに悠那を蘇らせることができたとしても、決して幸せにすることはできない」

 

諭すように口にイタチが口にした言葉は、しかしエイジには届かない。それどころか、逆に怒りを加速させるばかりだった。

 

「うるさい!お前に何が分かるんだ!閃光や他のSAO生還者達から慕われて、英雄と持て囃されたお前に!!」

 

「………………」

 

「常に勝ち続けていたお前には、失う痛みなんて知る筈が無い!そんな奴が、知った口を利くなぁぁああ!!」

 

「……そうだな」

 

これまでの戦闘の中で、最大の大振りを繰り出そうとしてくるエイジを前に、イタチは短くそう呟いた。それと同時に――イタチの姿が、エイジの視界から消えた。

 

「なっ……!?」

 

「終わりだ」

 

バキリ、という音が、エイジの頚部後方から聞こえた。一体何が起こったのか、とエイジが疑問を感じるよりも先に、全身の力が著しく抜ける。首を回して背後を見やると、そこには先程、かき消えたばかりのイタチの姿があった。その手には、見覚えのある装置が握られていた。千切れたコード付きで。

 

「貴様……!」

 

「重村教授の制作したパワードスーツ。お前が俺の動きを先読みできていたからくりの正体は、とうの昔に承知している」

 

イタチの言葉が終わるとともに、エイジは立ったままの姿勢を維持できず、バランスを崩して地面に膝を突いた。

エイジの身体能力は、春川が開発した電子ドラッグと、重村が開発したパワードスーツの二つによって強化されている。HALが操っている兵士のように、単純な身体強化ではなく、二つのシステムが相互連動して機能しているのだ。故に、片方が機能停止すれば、体を動かすことも儘ならなくなる。

 

「SAO事件において、お前の言った通り、攻略組の仲間達からは、優遇されていたという自覚はある。それに、俺はお前にとっての悠那程に大切な人を、結果としては失ってはいない」

 

悔し気に歯を食いしばりながらイタチを見上げるエイジに対してイタチが話すのは、先程の言葉に対する肯定の意思表示だった。イタチは全面的に認めたわけではなく、微塵も自慢などしていないものの、エイジからしてみれば、非常に不快に思えて仕方が無い。

 

「だが、SAOで何一つとして失わなかった者など、俺も含めて一人もいない。お前だけじゃない……誰も彼もが、癒えない痛みに耐えながら、今を生きている。お前も、本当は分かっているんじゃないのか?」

 

「………………くっ!」

 

イタチの言葉に、エイジは何も言い返せなかった。悠那を含め、自分達を悲劇の主人公とヒロインのように考えていた自覚は少なからずあったのだ。それが、大勢の人間を犠牲にした計画を遂行する大義名分になどならないことも……。

 

(それでも……ここで止まるわけにはいかないんだよ!)

 

しかし、計画は既に最終段階に突入している。もとより、悠那を助けるためならば、どれ程の非道だろうと実行してみせると決意しているのだ。今更引き下がるつもりは毛頭ない。

予想外の反撃によって窮地に陥ったエイジだったが、まだ手が残っていないわけではない。

 

(これだけは絶対に使いたくなかったが……止むを得ん)

 

最早、手段を選んでいる場合ではない。そう判断したエイジは、HALから託された、電子ドラッグ2とは違う、もう一つの切札を切ることにした。

 

「流石はSAOをクリアした『黒の忍』だ。まさか、ここまで追い詰められるなんてな……」

 

「これ以上の抵抗は無駄だ。装置を破壊された以上、お前はこれ以上動けないだろう」

 

「……いいや。まだ、手はある」

 

そう言って、エイジはポケットに手を入れると、そこからある物を取り出した。それは、一本の注射器だった。エイジは針の部分に取り付けられたカバーを取り外すと、自身の腕に躊躇うことなく突き刺し、押子の部分をぐっと押した。

 

「さあ、『黒の忍』イタチ。俺を止められるかな?」

 

エイジが手にした注射器。そのシリンダー部分には、三文字のアルファベット……『DCS』という文字が刻まれていた。

 



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第百五十二話 利用【literacy】

 

『ドーピングコンソメスープ』――通称『DCS』。

それは、SAO事件発生よりおよそ一年前に都内のレストラン『シュプリームS(シロタ)』にて発生した殺人事件の容疑者にしてこのレストランのオーナーシェフ、至郎田正影が作った、本人曰く『究極の料理』である。

その正体は、数え切れない高級食材と、多種多様な違法薬物を精密なバランスで配合し、特殊な味付けを施して七日七番煮込んで作られる、真っ当な料理とは程遠い代物である。

事件当時、至郎田が経営するレストランは『成功を呼ぶレストラン』として芸能人や有名スポーツ選手の御用達となる程に評判だった。しかしそれは、料理の中に配合された様々な薬物の影響によるものだったのだ。そして、そんな違法薬物に塗れた料理を出すことを嫌ったチーフシェフである海野が、この件を公にすると言い出したことをきっかけに、至郎田は海野を殺害。至郎田はトリックを用いてアリバイ工作を行い、外部の人間の犯行に見せかけようとした。だが、工藤新一や金田一一と並び、当時その名を馳せていた中学生探偵・桂木弥子とその助手によって、その犯行を暴かれるに至った。

弥子の名推理――披露していたのは主に彼女の助手だったが――によって、容疑を決定づけられた至郎田だったが、彼はあっさりと犯行を認め、料理をする余裕を見せていた。

その理由は、すぐに明らかになった。彼には、拳銃を所持した警察官がいたその場を逃げ切る絶対的な自信があったのだ。それこそが、『ドーピングコンソメスープ』である。身体能力を強化する様々な薬物の効果を倍増し、さらに血管から注入(たべ)る事でさらに倍増させる効果があるそれを、至郎田は注射器を用いて自らの体に注入したのだ。結果、至郎田の体は服を破る程に筋骨隆々とした人間離れした姿に強化された。最早化物としか形容できない肉体へと変貌した至郎田は、その身体能力をもって逃亡を図ったのだが……その目論見は、即座に潰えることとなった。肉体を強化した直後、自らが究極と称する料理を愚弄した弥子の助手へと襲い掛かった瞬間に、薬物の副作用が発生。至郎田の身体は急激に痩せ細り、髪は真っ白に染まり、まるで老化したかのように衰えてしまったのだった。

その後、至郎田は逮捕され、至郎田が企て『ドーピングコンソメスープ』を利用した『食の千年帝国』という野望は砕け散った。犯罪界にその名を深く刻み込んだ、脅威の一品であるそのレシピを知る者も、作った本人である至郎田のみぞ知るものとなった。その至郎田も、刑務所の中で服役しており……禁断の料理が世間に出る可能性は、完全に閉ざされた。

 

 

 

 

 

 

「HALには恐れ入ったよ。まさか、刑務所に服役していた至郎田を、看守もろとも電子ドラッグで操って、それを再現させたんだからな。しかも、電子ドラッグで至郎田の料理人としての能力も強化されたお陰で、効果もさらに倍増だ」

 

「それを使うことが、何を意味するのか分かっているのか?」

 

『DCS』こと『ドーピングコンソメスープ』が込められた注射器の針を自身の腕に突き立てるエイジに対し、目を細めながらイタチが問い掛ける。事件当時より効果が倍増しているということは、その副作用も増大化している可能性は高い。加えて、エイジの体は度重なる電子ドラッグの行使により、相当なダメージを受けている。この上、電子ドラッグの副作用まで受ければ、命の危険に発展しかねない。だが、そんなイタチの言葉に対し、エイジはフッと笑みを浮かべた。

 

「これぐらいしないと、お前には勝てないだろう?僕もただでは済まないだろうが、悠那を取り戻すためならば、この身ぐらいはいくらでも犠牲にしてやるさ」

 

「そうか……」

 

イタチを倒す。そのためならば、自分の体への……否、命のリスクすら鑑みないと、その瞳に狂気すら宿しながら言ってのけるエイジに対し、イタチがそれ以上掛けられる言葉は無かった。

 

「さて……それじゃあ、そろそろ再開しようか。戦いはこれからなんだからな……!」

 

『ドーピングコンソメスープ』の効果は即効性であり、すぐに効果が現れる。それでも油断できないのがイタチだったが故に、会話で時間を稼いでいたエイジだが、その必要も無くなったと判断したのだろう。イタチとの戦闘を再開するべく、注射器を投げ捨てて立ち上がる。もうすぐ薬物の効果により、筋肉が増強される筈。そう考えていたエイジだったが……予想外の事態が起こった。

 

「なっ……どういうことだ。体に力が、入らない……!」

 

立ち上がろうとしたエイジだったが、体に力が入らず、再び地面に膝を着いてしまったのだ。先程注入した『ドーピングコンソメスープ』の効果が、まるで働いていない。

一体、どういうことなのかと逡巡するエイジに、イタチがある物を見せる。

 

「無駄だ。お前が注入しようとしていた物は、ここにある」

 

そう言ってイタチがポケットから取り出した物。それは、一本の注射器だった。そのシリンダー部分には、『DCS』の文字が見える。

 

「ど、どういうことだ!?それはさっき僕が使った筈……何故、お前が持っているんだ!?」

 

「お前が自分に突き刺した注射器をよく見てみろ」

 

そう言われ、イタチの方へ向けていた視線を、先程地面に投げ捨てた注射器の方へと向ける。そこには、先程エイジが使用した注射器が転がっていた。だが、次の瞬間には、地面に転がっていたそれが、注射器ではなく……一本のボールペンへと姿を変えたのだ。一体、何が起こっているのかと疑問に想い、硬直しているエイジに対し、イタチが再び口を開く。

 

「先程の斬り合いの最中に、お前のポケットに入っていた注射器をすり替えた上で、幻術を掛けさせてさせてもらった。お前が先程まで注射器だと思い込んでいたのは、俺のボールペンだ」

 

「なっ……!?」

 

イタチの説明に、信じられないとばかりに目を見開くエイジ。

エイジが電子ドラッグ以外に、拳銃や毒物等の殺傷性のある武器を持っている可能性を危惧したイタチは、先程の斬り合いの最中、写輪眼が持つ動体視力をもって、エイジの動きや服の膨らみ等から、隠し持っているであろう凶器の存在を確認していたのだ。そしてその結果として、イタチはエイジのポケットの中にある注射器の存在を察知。これを取り除くための行動に出た。

イタチが死角からの奇襲に際して、わざわざ自分が攻撃を仕掛けることを、言葉で知らせていたのは、このためである。自身の方へと注意を向けさせ、その瞳――写輪眼を直視させて幻術に嵌め、密かに行った所持品のすり替えに気付かせないためのイタチの策略だった。

前世のイタチならば、写輪眼を見た相手を瞬時に幻術の世界へ閉じ込め、活動を完全に停止させることができた。だが、現在のイタチは忍術の存在しない世界へ転生してからのブランクがあり、忍術の感覚は完全には戻っていない。その上、電子ドラッグの影響下にあるエイジに幻術が絶対に効くとは限らなかった。故にイタチは、エイジの注意が戦闘中に及んでいない、注射器という特定の箇所に対する認識を歪める幻術を使ったのだった。

 

「これでお前の武器は全て無くなった。大人しく降伏してもらおうか」

 

「………………」

 

HALから託された切札である、電子ドラッグ2はパワードスーツを破壊されて機能を停止し、最後の身体強化手段であるドーピングコンソメスープも奪われた今、イタチの言う通り、エイジには抵抗する手段は一切無くなった。

やがて観念したエイジは、自嘲するような笑みを浮かべながら、口を開いた。

 

「……確かにお前の言う通り、僕にはもう戦う術は残されていない。悔しいが、完敗だ。だが、この場で僕を倒したとしても、既に手遅れだ」

 

「会場で集団スキャンをするために、オーディナル・スケールのイベント戦闘に偽装して大量のフロアボスを放ってSAO生還者を襲わせていることなら、既に知っている。そちらは、俺の仲間達が対処している。俺もすぐに行くがな」

 

現在の会場の状況については、つい先程、HALを追い詰めてシステム権限の一部を奪い取ることに成功したヒロキからの連絡を受け、イタチも把握していた。尤も、会場入りする前からHALの目論見についてはある程度想定していたため、大して驚きはしなかったが。

ともあれ、こうしてエイジは無力化できたのだ。イタチが次にすべきことは、会場にいる仲間達と合流して、現在進行形で暴れまわっているフロアボスを制圧することである。

すぐに次の行動に移らず、エイジに降伏を促しているのは、これ以上余計なことをしないようにと釘を刺すとともに、HALが未だに諦めず進めている計画に関して、イタチ等が把握していない情報を聞き出すためである。

 

「いいや、お前は間に合わない。会場にいるSAO生還者は、全滅だ……!」

 

「まだ何か隠し玉があるということか?」

 

指一本動かせなくなったこの状況下にあって不敵な笑みを浮かべるエイジ。それを見たイタチは、自分達が想定していない、この状況を覆せるような何らかの手段を、未だに隠し持っていると確信する。

幸い、前世で使用した忍術や写輪眼はまだ行使可能であり、むしろ前世の感覚に近づきつつある。時間も有限なので、ここは手っ取り早く、幻術で口を割らせるべきかと思考を巡らせたイタチだったが……そこで、事態は動きだした。

 

(エレベーターが動いている……?それに、ドアの……解除音!)

 

ふと周囲に注意を巡らせていた時。イタチの聴覚が、ある音を感知する。イタチがこの地下駐車場へ移動する際に利用したエレベーターの軌道音と、地下駐車場を閉鎖するために施錠されていた各扉の鍵が解除される金属音である。

 

「気付くのが遅かったな。HALからのお迎えだ」

 

「……!」

 

地下駐車場へと通じる扉全てが開くと同時に、大勢の男達が姿を現す。筋骨隆々とした屈強な肉体を有しており、頭にはオーグマーを装着していた。そしてそのいずれもが、虚ろな表情を浮かべていた。地下駐車場へ向かう際に、直葉を人質に取っていた、電子ドラッグで洗脳された兵士達である。

 

「こいつ等は、HALが横須賀の米軍基地から密かに集めた兵士達だ。お前が今まで相手してきた雑兵とは格が違うぜ」

 

「………………」

 

エイジの言う通り、現れた電子ドラッグで洗脳された兵士達は、体格も身のこなしも一般人を洗脳したそれとは明らかに違う。暗部の経験を持つうちはイタチとしての前世を持つ和人には、歩く姿を見ただけでもそれが分かった。さらに最悪なことに、ざっと見渡しただけでも、その人数は五十人近くいる。

 

(忍術で身体能力が強化されているとはいえ、この人数は……)

 

先日の公園で戦ったHALの兵士三人の連携とその戦闘能力を鑑みると、一筋縄ではいかないことは間違いない。ましてや今、目の前に現れたのは、戦闘を生業とする兵士である。苦戦はあの時の比ではない。限定的ながら忍術が使えるとはいえ、人数が人数である。超小型量子演算回路の効果もいつまで持つか分からない以上、まともに戦うには形勢は非常に不利である。

動きを封じるだけならば、基本忍術の『金縛りの術』が考えられる。だが、電子ドラッグで洗脳された兵士に果たして有効かが疑問視される。確実に動きを封じるならば、『月読』クラスの強力な幻術を放つ必要があるというのがイタチの見立てである。だが、現状では万華鏡写輪眼の発動までは感覚的には難しい。それに、電子ドラッグで洗脳された兵士達は、監視カメラによって位置情報を確認しているため、焦点が定まっていない。よって、仮に『月読』が使えたとしても、瞳術等の視覚情報による幻術はまず通用しない。

 

(やむを得ん……一点突破を図るほか無いか)

 

迫りくる兵士達の様子を眺めながら、戦闘は避けられないと判断したイタチは、『瞬身の術』を発動して全速力で強行突破を図ろうとする。包囲が比較的手薄になっている箇所を確認すると、一か八かの突破を仕掛けるべく動き出そうとした――――――その時だった。

 

「でやぁぁあああ!!」

 

「うぉぉおおおお!!」

 

二人分の気合と覇気の籠った声が、地下駐車場に響き渡る。イタチが声の聞こえた方向へと振り返ると、そこでは蘭と真の二人が、電子ドラッグで洗脳された兵士達を蹴散らしていた。エントランスに控えていた兵士達を無力化した後、地下駐車場に通じる扉を破壊し、この場に駆け付けてきたのだろう。

二人ともオーディナル・スケールを起動しており、プレイヤーアバターであるランとマコトの服装となっていた。ランのすぐ傍には、こちらもオーディナル・スケールを起動した直葉ことリーファの姿もあった。

常人離れした身体能力で兵士達を次々に薙ぎ倒したランとマコト、リーファの三人は、イタチのもとへと辿り着く。マコトとランが迫りくる兵士の攻撃を捌く中、リーファはイタチのもとへと駆け付けた。

 

「お兄ちゃん、大丈夫!?」

 

「ああ。怪我は無い」

 

イタチの手を取り、心配そうな表情を浮かべるリーファだが、本当に怪我は無い。エイジとの戦闘の中で多少の打撲はしたものの、繰り出される攻撃全て、上手く打点をずらして受け身を取っていたお陰で、行動に支障を来す程のダメージを負うことは無かった。

 

「それより、会場の方が問題だ。HALの計画が最終段階に進んでいる以上、早く戻らなければならん」

 

「イタチ君、ここは私達が!」

 

「先に戻ってください!」

 

四方八方から迫りくる兵士達を相手に激闘を繰り広げていたランとマコトが、イタチに先を行くように促す。電子ドラッグの効果で強化された兵士達は、腕力に加えて耐久力も段違いであり、流石のランとマコトも苦戦を強いられている様子だったが、十分互角以上に戦えている。これならば、この場を任せて会場に戻っても問題は無いだろう。

 

「道案内は私が!こっちだよ、お兄ちゃん!」

 

「頼んだ」

 

ランとマコトにこの場を任せたイタチは、リーファに先導されて、地上の会場へと通じる扉を目指して走り出す。

その場に残ったランとマコトは、二人の後を追おうとする兵士達を食い止めるべく、先程以上に激しく襲い掛かってくる兵士達を、より一層激しい拳撃と蹴撃をもって果敢に迎え撃つのだった。

 

 

 

 

 

「フフフ……どいつもこいつも、無駄な足掻きをするな。もうここまで来れば、HALの計画を止めることなんて、できる筈も無いのにな……」

 

イタチに装置を破壊されたことで、完全に動けなくなっていたエイジは、必死に抵抗を続けるイタチ等の様子を見て、嘲るような笑みを浮かべていた。ランとマコトにHALが用意した兵士達の相手を任せ、イタチは妹とともにこの場を脱したようだが、会場内にはまだまだ大量の兵士を潜伏させている。常人離れした動きを見せたイタチだが、行く手を阻む敵す全てを突破するのは不可能に等しい。それに、よしんば会場に戻ることができたとしても、今度は解き放たれたアインクラッドフロアボスの群れを相手しなければならない。結論からして、どの道、計画の遂行を阻むことはできないのだ。

 

『随分と派手にやられたようだね、エイジ君』

 

「重村教授!?どうして……」

 

イタチとの戦闘で機器を破壊され、身動きが取れなくなった状態のエイジのもとへ、重村からの通信が届く。それと同時に、疑問に思う。計画実行中の現場の指揮を執っているのはHALであり、重村は計画の本命である悠那の蘇生のための、データの収集に専念していた筈である。

 

『どうにも、HALが電脳世界で追い詰められたようでね。通信を行う余裕すら無いらしい』

 

「そうですか……こんな時に頼りにならないとは。やはり、あのような男を計画に招き入れるべきではなかったのではありませんか?」

 

元々好意的な印象が無かった相手だけに、エイジの口から出ることばは辛辣だったが、その反面、驚愕もしていた。スフィンクスという無敵の防衛プログラムを有し、電人として電脳世界においては無双の力を誇る筈のHALが、自身のフィールドで追い詰められたという。電子ドラッグで洗脳した兵士達は、今もなお、計画のために動いているようだが、大勢への影響はどのくらいのものなのだろうかと、エイジは不安も覚えていた。

 

『この大事な局面におけるしくじりについては、私も擁護できんね。だが、幸い計画本体のプログラムは私の方へ移管されたお陰で影響は無く、電子ドラッグで洗脳した兵士もHALの方で何とか動かせるらしい。それに、君も人のことは言えないのではないかね?』

 

「……すみません。黒の忍を取り逃がしました。奴はチートと思しきスキルを行使していました。予想外の攻撃のお陰で、僕も……」

 

『ああ、気にしなくて良い。彼があのようなチートを行使したことは驚きだったが、彼のスキャンが上手くいかない程度のことは想定の範囲内だ。不完全なスキャンに終わった彼の分のデータは切り捨てることとなるが、集団スキャンが完了すれば、問題は無い。計画は完遂され、悠那は蘇る』

 

重村から通信で伝えられた、計画の進行に支障は無く……悠那は必ず蘇るという言葉に、エイジは安堵する。自身はイタチに敗れ、HALも十全の状態ではなくなった今、計画への影響は避けられないと考えていた。しかし、結論から言えば、計画の最終も苦役たる悠那の蘇生それ自体は成し遂げられる。それだけが、エイジにとっては救いだったのだ。

だが、そんなエイジが抱いた希望も、重村から告げられた言葉により、絶望へと一転する。

 

『しかし、君には最後の仕事が残っている。君が持っている悠那の記憶も、提供してもらうよ』

 

「………………は?」

 

重村が何を言っているのか、エイジには分からなかった。否、理解したくなかった。だが、重村より告げられたさらなる言葉により、否が応でもこれから自分が何をされるのかを、理解させられることになる。

 

『鋭二君。君が一番長く、SAOで悠那と一緒にいたのだろう?ならば、悠那の蘇生に必要な記憶を提供するのは、当然じゃないか』

 

重村がそう告げた直後。エイジの足元の空間に、ライトエフェクトが迸る。それは、SAOにおいてボスモンスターが出現することを示す現象である。瞬く間にエイジの眼前の床面一帯を覆った光の中から現れたのは、人間一人は軽く丸のみにできる程に巨大な鮫のモンスター。アインクラッド九十三層フロアボス、『ホーディ・ザ・グレートシャーク』である。

その大顎が開かれ、鋭い牙が無数に並んだ口がエイジに迫る。たまらず、エイジは恐怖に慄きながら逃げようとするが、パワードスーツを破壊されたことで、身体はろくに動かなかった。

 

「そんな……僕と悠那を、ずっと一緒にいられるようにしてくれるって約束したじゃないですか!?」

 

『私とHALが与えた装備も使いこなせないような奴に用は無い』

 

助けを求め、重村へ縋りつこうとするエイジだったが、当の重村は情け容赦の無い非情な一言とともに、それを一蹴した。

 

「嫌だ……奪わないでくれ……!」

 

『さらばだ』

 

そんな別れの言葉とともに、重村の通信は途絶えた。それと同時に、巨大鮫が広げた大顎にエイジは呑み込まれ、駐車場には断末魔にも似た叫びが木霊するのだった。

 

 

 

 

 

イタチがランとマコトの手を借りて、地下駐車場から脱出していた頃。ライブ会場の中では、HALが送り込んだ旧アインクラッドフロアボスモンスター達と、オーディナル・スケールを強制的に起動させられた観客達との壮絶な乱戦が展開されていた。

 

「カズゴ、アレンに続け!スイッチだ!」

 

「応よ!」

 

「アスナ、敵をギリギリまで引き付けてくれ!シノンはその隙にボスの急所を狙撃しろ!」

 

「任せて!」

 

「了解」

 

「キヨマロ!そっちのボスをもっと遠ざけろ!このままだと巻き込まれる!」

 

「分かってるよ!今、対応する!」

 

敵味方が入り混じっての混戦の中、アインクラッドでの戦闘経験によって洗練された連携のもと、メダカをはじめとするSAO生還者達は、ボスに果敢に戦いを挑んでいた。Lやイタチ等による捜査に協力している面々は、オーディナル・スケールプレイヤーランクが百位以内――特にメダカやアスナは三十位以内――に入っていることもあり、強力なフロアボスの群れ相手に一歩も退かず、互角以上に渡り合っていた。また、メダカの圧倒的なカリスマにより、面識の無い、会場内に居ただけのプレイヤー達すらも指揮下に入ったことにより、メダカの指揮が行き届く範囲では、未だに残存HPがゼロになったプレイヤーは一人もいなかった。

 

(とはいえ、このままではジリ貧だな……)

 

如何に連携が取れているとはいえ、フロアボスは会場中にいる。仮想空間でアバターを操るVRならばまだしも、動き続けるための体力に限界があるARでは、このまま戦闘を継続することは不可能である。フロアボスを全滅する前に力尽き、プレイヤー全員がフロアボスの餌食になる未来はほぼ確定だった。

この場を切り抜けるには、どうすれば良いのか。捜査に協力しているメンバーを中心とした即席のレイドを指揮する傍ら、メダカをはじめとした者達は思考を走らせる。

 

『キシャァァァアア!!』

 

「メダカ、危ねえ!避けろ!!」

 

「っ!!」

 

そんな中、全体の指揮を執っていたメダカの背後に、一体のフロアボスが現れる。巨大で鋭利な大鎌のような腕を持つ蟷螂を彷彿させる昆虫型のフロアボス、『カマック・ザ・エアスラッシャー』である。フロアボスに共通する巨体に似合わず、非常に俊敏に動けるこのモンスターは、『閃光』と呼ばれたアスナですら追いきれない程の速度でレイドの背後に回り込み、奇襲を仕掛けて来る曲者として知られていた。

そして今、そんな厄介なボスモンスターの凶刃が、メダカ目掛けて振り下ろされようとしていた。メダカも背後から迫る脅威を回避すべく、行動を起こそうとする。だが、レイドの指揮に注意が向いていたことで、反応が遅れていた。

 

(避け切れない――!)

 

頭上のすぐそこまで迫った大鎌を前に、最早これまでかと考えた……その時だった。

 

『諦めないで!!』

 

「なっ!」

 

メダカのHPを全損させんと迫った大鎌は、その直前で、甲高い金属音とともに弾かれた。一体、何が起こったのか。視線を真上から正面へ戻したメダカの視界に映ったのは、先程まではいなかった、大盾を持った一人の少女だった。そして、その容姿にはメダカをはじめ、捜査に協力しているメンバーは見覚えがあった。髪の色は白髪だが、間違いない。何より、少女の頭上に表示されているプレイヤーネームとそのランクが物語っている。

 

「君は……重村悠那か!?」

 

『……正確には、ユナよ。今の私は、ユナという名前を持った亡霊。重村悠那本人じゃないわ』

 

メダカの言葉を、少女――ユナは自嘲するように否定した。捜査に参加する関係上、ある程度の事情を知っていたメダカや、その周囲に集まったメンバー達は、それを聞いて沈痛な面持ちとなっていた。

 

『あなた達に、お願いがあるの!ここにいる皆を助けて!』

 

「……話には聞いていたが、やはり集団スキャンとやらが行われるのか?」

 

メダカの問いに、ユナは真剣な表情で頷いた。事情を知っているのならば、話は早いと、ユナは続ける。

 

『その通りよ!全員のエモーティブ・カウンターの平均値が一万を超えたら……高出力のスキャンが行われる!そうしたら、脳にとんでもないダメージが来るわ!』

 

「そんな!どうすれば……そうだ、オーグマーを外せば!」

 

「そうよ!皆!オーグマーを外して!危険よ!!」

 

ユナの言葉にアスナ等が周囲のプレイヤー達にオーグマーを外すようにと声を上げる。だが、誰一人として聞く耳は持たず、目の前のフロアボスとの戦闘を続けていた。

 

「無理だ……皆、今までのイベントバトルの影響で、現実と仮想の区別がつかなくなっているんだ」

 

「クソッ!どうすりゃ良いんだよ!」

 

バトルに夢中で呼び掛けに応じないとなれば、無理矢理外すしかないが、観客の数は数万人に達している。会場内の捜査メンバーだけで全観客のオーグマーを外すことなど、到底不可能である。

迫るタイムリミットに、アレンやカズゴは、苛立ちや焦りを隠せなくなっていた。そんな中、打開策を提示してきたのは、他でもないユナだった。

 

『方法は一つよ。計画の核になっているプログラムを、あなた達の手で破壊するの!』

 

「計画の核になっているプログラム……?」

 

「一体、それはどこにあるんだ!?」

 

最早、一刻の猶予も無い中で、ユナの提示したそれは最後の頼みの綱と呼べるものだった。先を促す捜査メンバー達に、ユナは盾で時折飛来するフロアボスの攻撃を弾きながら、説明を続けた。

 

『計画の核になっているプログラムは、旧SAOサーバーにインストールされた『スフィンクス』の核にされているわ。そして、スフィンクスには、あなた達がついこの間倒した、クォーターポイントのフロアボスのリソースの一部が使われているわ』

 

「クォーターポイントのフロアボス……つまり、第百層のラスボスということか」

 

「成程……つまり、そいつを倒せば、良いってわけだな!」

 

『焦らないで!まだ話は終わってない!』

 

ユナの話を聞くや、会場内にそのフロアボスを探しに行こうとするカズゴ達だったが、それをユナが止めた。冷静に話を聞いていたメダカやアスナも、やはり一筋縄ではいかないらしいと改めて気を引き締める。

 

『ボスモンスターがいるのは、旧SAOサーバーの中……第百層『紅玉宮』よ!』

 

「SAOサーバーって……どうやって行けばいいんだよ!?」

 

「落ち着け、ゼンキチ。話の流れから察するに、そこへ行くにはフルダイブするしかないのだろう。そして、この場でそれを話すということは、私達にはその手段がある。差し詰めそれは、“コレ”なのだろう」

 

不敵な笑みを浮かべながら、自身の装着したオーグマーを指で小突くメダカに、ユナは頷いた。

 

『オーグマーはナーヴギアの機能限定版でしかないわ!私の手でアンロックすれば、フルダイブ機能を使えるわ』

 

「やはりな……ならば、話は早い!皆、準備をしろ!」

 

メダカの指示に従い、捜査メンバー達は観客席に座り、背もたれに寄りかかり、姿勢を安定させる。フルダイブに伴い、脱力して転倒等するリスクを避けるためである。

 

「ユイちゃん、イタチ君をお願い!きっと、後から来る筈だから!」

 

『了解です!』

 

『フルダイブ中のあなた達の体は、私が守るわ!皆、急いで!』

 

そう言った途端、ユナを中心に透明なドーム状の結界が展開される。恐らく、ランク一位にのみ許された、強力な防御系のスキルなのだろう。フルダイブ中に、周囲にいるフロアボスモンスターの攻撃を受けた際に何が起こるか分からないことが不安だったが、これならば問題は無い。

フルダイブに際しての懸念が無くなったことを確認したメダカ達は、一斉にキーコードを口にする。

 

 

 

『リンク・スタート!』

 

 

 

その言葉とともに、メダカ達の意識は、仮想世界の中へと飛ばされる。空中に放り出される形でダイブした一同の眼前に映るのは、かつて自分達が命懸けの戦いを繰り広げた浮遊城の、未踏の決戦の地――――――

 

「ここがアインクラッド第百層……『紅玉宮』か」

 

「まさか、二年も経った今になって、ここを訪れることになるなんてね……」

 

攻略組として最前線の戦いに身を投じていたメダカやアスナには、目の前の光景には感慨深いものがあった。だが、そんな懐かしさや感傷を覚える余裕は、すぐに消えた。

吹き抜けになっている紅玉宮の内部へと降下していく面々の目の前の空間が、突如として揺らいだのだ。揺らぎは石を投げ入れた水面の波紋のように広がり、その中から、巨大な影が現れる。攻略組にとっては見慣れた、ボスモンスター出現の予兆である。

皆が目を見開いてその光景を眺める中……それは、完全に姿を見せた。右手に剣、左手に槍を構えた巨大な、神々しいまでの威容を放つ、女神のような姿をしたモンスター。アインクラッド第百層フロアボスモンスター、『アン・インカーネーション・オブ・ザ・ラディウス』である。

 

「行くぞ、今度こそ最後の戦いだ!攻略を執行する!!」

 

『応!!』

 

メダカの声に呼応して、他の攻略組メンバー達も各々の得物を構えて臨戦態勢に入る。

戦いは今、終局に向けて加速していく――――――

 



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第百五十三話 最強【Aincrad Allied】

SAOサーバーにいる第百層フロアボスの居城たる紅玉宮へと、メダカやアスナ等を導くべく、ユナが姿を現したその頃。駐車場を脱出したイタチは、リーファとともにライブ会場を目指していた。

 

「リーファ、さがれ!」

 

「う、うん!」

 

しかし、会場へと向かう道中でさえ、道のりは平坦なものではなかった。イタチとリーファが進む先には、次々にHALの兵士が現れ、その行く手を塞ぐのだ。大部分の戦力は、地下駐車場にいるランとマコトが食い止めてくれているが、建物の中にはこのような事態を想定してか、何人もの伏兵がいたのだ。

電子ドラッグで身体能力を強化された、屈強な米国軍人達が繰り出す拳の一撃一撃は、内蔵や骨に致命的なダメージを与えかねない程の威力を持つ。しかしイタチは一切臆することなく前へ出て、それらを躱し、即座にカウンターを叩き込んで意識を刈り取っていった。桐ケ谷和人としての身体能力が高いことに加え、今のイタチは超小型量子演算回路の力で前世の力が限定的に解放されたことで、身体能力が向上したからこそできることだった。

 

「これで五人目だよ……会場に着くまで、他にもまだまだいるのかな?」

 

「まともに相手している余裕は無いが、そうもいかんな……」

 

イタチとしては、一刻も早くライブ会場へ向かいたいのだが、立ちはだかる電子ドラッグで強化されたHALの兵士達がそれを許してはくれない。このままでは、HALが実行しようとしている集団スキャンに間に合わない。

 

(HALの兵士全てを瞬時に戦闘不能にする方法……やはり『月読』しかないが……)

 

うちはイタチの切札たる『万華鏡写輪眼』から放たれる瞳術『月読』は、忍界最強クラスの幻術である。電子ドラッグで洗脳された兵士であっても、活動を停止させるには十分な威力がある筈。幸いなことに茅場から託された超小型量子演算回路の効果は持続しており、写輪眼の感覚もエイジとの戦闘を経てさらに前世に戻りつつある。今ならば、『万華鏡写輪眼』の開眼も、『月読』の発動も十分可能だというのが、イタチの見立てだった。

 

(問題は、どうやって会場内の兵士全てに幻術をかけるか……)

 

月面に万華鏡写輪眼を投射し、地上の人間全てに幻術をかける『無限月読』ならばいざ知らず、通常の『月読』では、イタチの『万華鏡写輪眼』を直視した兵士しか幻術にかけることはできない。電子ドラッグの洗脳により、目の焦点が合っていない兵士を幻術にかけるのは、困難を極める。それが何人もいるとなれば、猶更である。

何か打開策は無いか……イタチは会場へ目指してリーファの後を追って駆けながら思考を張り巡らせ続ける。と、その時だった。

 

「きゃぁっ!」

 

「!」

 

前を走っていたリーファが、突如、悲鳴とともに足を止めた。その顔は、ボッと赤くなっている。一体何が起こったのかと、イタチもまた足を止めて、周囲を警戒する。だが、リーファが悲鳴を上げた要因と思われるものは確認できなかった。

 

「どうしたんだ?」

 

「あっ……ご、ごめん、お兄ちゃん。今、私のオーグマーにウイルスメールが来たみたいで……その、なんか、“エッチな”画像が無理矢理表示されちゃって……」

 

「『イマジェネレイター・ウイルス』のオーグマー版か……」

 

『イマジェネレイター・ウイルス』とは、アミュスフィア専用のメールソフトを利用したコンピューターウイルスの一種である。添付した卑猥な画像や動画、或いはその感触を、送り先に対して強制的にプレビューさせるというものであり、たった今リーファが被害に遭ったように、卑猥な画像や凄惨な画像が勝手に表示されることで、送り先の相手に不快な思いをさせることを目的として利用されていた。

一時期は大きな問題になったものの、天才ハッカー・ファルコンによって修正ファイルがアップされたことで、この騒動は終息していた。そんな絶滅種と言っても過言ではないコンピューターウイルスが、今度はオーグマーに進出してきたらしい。そしてよりにもよって、この非常事態にリーファのもとへ送られたという。

 

「……この事件が終わったら、また藤丸に頼んで修正ファイルを作ってもらう必要があるな」

 

「全くもう……どうしてこんな時にこんな物が来るのよ……!」

 

この切羽詰まった、命懸けの戦いをしている状況で、なんてものを送ってくるんだと、悪戯メールを送って来た顔も知らない相手にリーファは苛立ちを露にしていた。ちなみに、リーファがオーグマーを装着しているのは、合宿先に持参したこれを用いて和人宛てにメールを送ろうとしていた時に誘拐されたためである。

 

「ごめんねお兄ちゃん、すぐに消すから」

 

「後にしておけ。今は会場を目指すことが――――――!」

 

再び会場へと目指そうとしたその時。イタチの脳裏にある考えが浮かび、足を止めた。次いでイタチは、通路の天井を見回し……目的の物を発見した。

 

「ヒロキ、聞こえているか!?」

 

『イタチ君、どうしたんだい?』

 

イタチの呼び掛けに応じ、シュンッという音とともにヒロキが姿を現す。その瞬間移動染みた登場に、リーファが「わっ」と驚いていたが、今はそれより優先すべきことがある。

 

「至急頼みたいことがある。会場内のシステムは、どこまで操作できる?」

 

『扉や出入口の解錠や、セキュリティの解除くらいは何とかなるね。あとは、監視カメラの映像の把握くらいかな。残念ながら、会場内に出現しているアインクラッドフロアボスと、電子ドラッグで洗脳された兵士はどうにもならないけどね』

 

「十分だ。その権限を使って、今から言う指示を実行してくれ」

 

イタチの指示のもと、『うちはイタチ』にしかできない方法による反撃が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

「HALとエイジ君はしくじったようだが、計画の続行は可能なようだな……」

 

計画の中枢たるSAOサーバーが置かれた部屋の中。重村はHALから引き継いだ管理権限をもとに、計画の現状を確認していた。

エイジの敗北に加え、HALの本体セキュリティが破られるという想定外の事態が相次いで発生したが、計画それ自体は破綻していない。HALが横須賀から呼び寄せた米軍基地の兵士達も、HALの指示のもと、計画の障害となり得る人間達を押さえている。ランとマコト、イタチが会場へ中々辿り着けないのも、HALが残した妨害命令によるものだった。

 

「それにしても、悠那め……勝手なことを」

 

地下駐車場とライブ会場へ通じる通路に設置された監視カメラに映された戦闘の映像から、ライブ会場のカメラの映像へと視線を移した重村は、苛立ち交じりに呟いた。自身が蘇らせようとしている少女が、まさかここまでの妨害を仕掛けて来るとは思わなかった。悠那――正確にはその亡霊と呼ぶべき存在だが――により、この計画における最後の要塞とも呼べるアインクラッド第百層『紅玉宮』への、複数のプレイヤーの侵入を許してしまった。

 

「いや、これは幸いと言うべきか。紅玉宮へフルダイブしている者達は、オーグマーを装着している。向こうのフロアボスに倒されれば、スキャンの手間も省ける」

 

アインクラッド第百層フロアボス『アン・インカーネーション・オブ・ザ・ラディウス』のプログラムには、HALによる悪魔的なまでのカスタマイズが施されている。ステータスもスキルも、SAO事件当時におけるそれを上回っている。しかも、今はHALが防衛プログラムと一体化しており、ボスはHALが操縦している状態である。結論として、紅玉宮へ突入したプレイヤー達は、ボスを相手に勝利できる可能性はゼロに等しいのだ。

 

「とはいえ、現状は予断を許さん。早く高出力スキャンをしなければ……」

 

イレギュラーな事態が発生したとはいえ、形勢はまだ重村達の方が有利となっている。しかし、不測の事態が続発している以上、油断はできない。これ以上の問題が発生する前に計画を完遂させるべく、重村は手元のコンソールに指を走らせる。

しかし――そんな最中に、重村の計画を狂わせる、新たな問題の発生を告げるアラートが鳴り響く。

 

「な、何事だっ!?」

 

重村はすぐさま手元の操作を中断し、アラートの音源であり、問題の発生源を表示する。それは、HALが操る電子ドラッグで洗脳した兵士達の状況をモニタリングする画面だった。

どうやら、兵士に何かトラブルがあったらしい。如何にマコトとラン、イタチが相手とはいえ、全滅するには時間が足りない筈。現場の状況を確認すべく、監視カメラの画面へと切り替える。すると、そこには信じ難い光景が映し出されていた。

 

「こ、これは……っ!」

 

表示された映像の中では、HALが電子ドラッグで洗脳した米軍兵士達が倒れ伏しているのだ。ライブ会場の地下駐車場、通路、ロビー等々、現場の監視カメラの画面を全て確認したが、ライブ会場に配置した兵士は一人残らず全滅していた。兵士が配置された場所を映すカメラには、他に人影は見られない。一斉に倒れた点からしても、どうやら外傷によるものではないらしい。だが、原因は一切分からない。

地下駐車場の映像を確認すると、兵士達に襲われていたランとマコトも、重村同様に何が起こったのかと困惑していた。一方、ライブ会場を目指して移動中のイタチとリーファの二人は、倒れた兵士に目もくれず、通路を駆け抜けていた。

 

「まさか、彼が……?」

 

この奇怪な状況下において、冷静に行動できている点から、重村はイタチが何か仕掛けたのではと重村は分析した。だが、全ての兵士をどうやって一斉に無力化したのか。その方法は見当も付かなかった。

 

「桐ケ谷和人……君は一体……?」

 

ライブ会場を目指して脇目も振らずに走るその姿に、SAO事件を解決に導いた英雄というだけではない……底知れない何かを、重村は感じ取っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁ……まさか本当に、眠っちゃうなんて……」

 

ライブ会場を目指して通路を走っていたリーファは、道中に遭遇した、床に倒れ伏して死んだように動かなくなっている兵士達を見て、驚いた様子で呟いた。

 

「当然だ。少なくとも明日の朝までは目を覚まさんだろうな」

 

そんなリーファに対して声を掛けたのは、先行してライブ会場を目指して駆け抜けていたイタチだった。この状況を作り出した当人たるイタチにとっては、何でもないことだったらしい。

 

「これが、お兄ちゃんが前世で使っていたっていう、“忍術”なの?」

 

「ああ」

 

未だに目の前の状況が信じられないリーファの問いに対し、イタチはいつもの調子で首肯した。

電子ドラッグで洗脳した兵士達が全て倒れるという、事態を引き起こしたのは、重村の推測した通り、他でもないイタチだった。兵士たちを無力化するためにイタチが使用したのは、万華鏡写輪眼の幻術『月読』である。忍界においてこれを凌ぐものはそうそう無いとされる程に非常に強力なこの幻術は、イタチの見立て通り、電子ドラッグの影響かにある兵士達ですら簡単に無力化してしまえるものだった。しかし、瞳術であるため、イタチの万華鏡写輪眼を見せなければならないという欠点があった。しかし、そんな問題を解決する方法が、思わぬところにあった。否、正確にはやってきた。

 

(まさか、リーファに届いた『イマジェネレイター・ウイルス』が役に立つとはな)

 

イタチが会場内の兵士全てを幻術にかけるために取った方法。それは、電脳空間に待機しているヒロキに、通路に設置された監視カメラに向けてイタチの万華鏡写輪眼から放たれた『月読』の映像を、リーファのオーグマーから採取した『イマジェネレイター・ウイルス』と組み合わせて、会場内の兵士に対して送信するというものだった。これにより、HALからの指令を受け付けるためにオーグマーを装着していた兵士達は、月読が発動した万華鏡写輪眼を強制的に見せられ、一人残らず幻術の世界に囚われたのだった。

ヒロキの協力と、リーファの元へ届いたウイルスは勿論のこと、電子ドラッグの映像データを特定多数の人間に送り付けて兵士を増やしていた、電人HALのやり方を知っていたからこそ編み出すことができた手段だった。

 

「なんていうか……忍術って、凄いんだね」

 

「ここまで強力なものはそうそうないがな。それとも……俺のことが、恐ろしくなったか?」

 

ちらりと後ろにいるリーファの方を見て問い掛けるイタチ。驚嘆するリーファからは、不安のようなものも感じられた。『忍術』という人知を超えた力を見せたことで、恐怖を抱かれたのかもしれない。そう思ったイタチだったが、

 

「ううん。お兄ちゃんが忍者だったっていうのは聞いてたし……それに、お兄ちゃんが色々と物凄いのは今更だからね」

 

「……そうか」

 

若干不本意な意味合いもあるリーファのコメントだが、しかしイタチにとっては同時に救いでもあった。普通の人間が持ち得ない力を見せたにも関わらず、イタチのことを変わらず兄として見てくれるのだから。

そんな会話を交わしてからしばらく。二人は遂に、目的地たる会場の扉の前へと到着した。

 

「ようやく到着したね、お兄ちゃん!」

 

「ああ。ヒロキ、解錠を頼む」

 

『了解』

 

イタチの要請に従い、ヒロキの手により、解錠の扉のロックが解除される。それを確認したイタチは、リーファと共に会場内へと入っていく。

 

「お、お兄ちゃん!これって……!」

 

「かなりの大混戦になっているな……」

 

扉の向こうのライブ会場は、今までのイベントによって、現実と仮想の境界が曖昧になっているプレイヤー達が、会場内の至る場所でアインクラッドのフロアボス相手に壮絶な戦闘を繰り広げていた。このままでは、集団スキャンが行われるのも時間の問題だろう。そう考えたイタチは、仲間達がいる場所へと急ぐ。

 

「ユナ!」

 

『イタチ!』

 

『パパ、遅いですよ!!』

 

ヒロキから聞いていた、仲間達がいる座席エリアへ向かったイタチを迎えたのは、外部からの攻撃を遮断する結界を張っているユナと、座席に座って目を閉じた状態のアスナの傍で滞空していたユイだった。

 

「事情は聞いている。俺達もすぐに皆を追い掛ける」

 

『分かったわ。オーグマーの機能をアンロックするから、二人ともそこに座って』

 

ユナの指示に従い、仲間達の隣の座席に腰掛けるイタチとリーファ。

 

『私もすぐにそちらに向かいます!』

 

「よろしく頼む。行くぞ、リーファ」

 

「うん、お兄ちゃん!」

 

準備が整った二人は、互いに頷き合うと、フルダイブのキーコードを口にした。

 

『リンク・スタート!』

 

それと同時に、イタチとリーファの意識は他の仲間達が先行している戦場、アインクラッド第百層『紅玉宮』へと送られた。イタチの周囲を飛んでいたユイもまた、二人を追い掛けてその場から姿を消した。

 

(ようやくこれで全員ね。あとは、皆がボスを倒してくれるのを信じて待つしかない……!)

 

そのためにも、現実世界におけるこの場にいる全員の体を守る必要がある。オーディナル・スケールが強制起動された状態が維持されている以上、意識が無い状態であっても、フロアボスの攻撃を通すわけにはいかないのだ。

 

「ちょっと失礼してもいいかしら」

 

改めて決意を固めたユナだったが、そこへふと、声が掛けられる。一体誰だろう。疑問に思いながら振り返った先にいたのは……

 

「あなたは……」

 

「私もこの子達のもとに連れて行ってもらえる?」

 

ユナの前に現れたのは、一人の女性プレイヤー。ランクは129位とかなり高い。頭上には、『レイ』という名前が表示されていた――――――

 

 

 

 

 

 

 

『フォォォオオオ!!』

 

「うわぁぁぁああああ!!」

 

「ぐぁぁああああっ!!」

 

「アレン!カズゴ!」

 

ボスに攻撃を繰り出そうとしたプレイヤー、アレンとカズゴの悲鳴がこだまし、吹き飛ばされた二人の身体が、壁へと激突してめり込む。

アインクラッド第百層『紅玉宮』にて開始された、最終フロアボス『アン・インカーネーション・オブ・ザ・ラディウス』と、元SAO攻略組プレイヤーを中核としたレイドとの戦い。序盤はSAO事件当時から変わらない連携力により、プレイヤー側が善戦していたものの、ボスの圧倒的な戦闘能力の前に、瞬く間に劣勢に立たされることとなっていた。

 

「くっ……まさか、こんなに強力なステータスなんて!」

 

「ゲームバランスの崩壊と呼べるレベルだな。間違いなく、HALが手を加えて強化しているな!」

 

メダカの推測はまさしく事実だった。HALは紅玉宮における最終決戦を想定し、ボスのステータスデータを当初のものに手を加え、攻略不能なレベルにまで引き上げていたのだ。

そんな理不尽な強さを見せつけるボスを相手に、しかしアスナとメダカは、適確な指示を繰り出し、レイド全体へのダメージを最小限に抑えながら戦っていた。ボスのHPは中々減少していないが、HPが全損した者は一人もいなかった。

 

「もう一度行くぞ、アスナ!」

 

「分かりました、メダカさん!」

 

そんな絶望的な戦況にあっても、アスナとメダカの闘志は衰えない。二手に分かれ、散開しているプレイヤー達を纏め上げて左右両サイドから攻撃を仕掛ける。

 

『フォォオオオオッッ!!』

 

対するボスは、両手に握った武器を巧みに操り、両側から迫りくるプレイヤー達を一切近づけようとしない。さらには、時折両目から放つ必殺級の威力を持つビーム攻撃等の攻撃も相まって、プレイヤー達は翻弄される。

 

「きゃぁっ……!」

 

「シリカちゃん!」

 

そんな中、ボスの特殊能力の一つである、念動力の罠が、シリカを襲う。偶然近くに居合わせたアスナは、シリカを守るべく、念動力が働いた床板からシリカを遠ざける。

 

「あぁぁあああ!」

 

「アスナ!」

 

「アスナさん!」

 

その結果、アスナはシリカの代わりにボスの念動力によって動くブロックに捕らえられてしまった。シリカやリズベットの悲鳴が響く中、アスナの身体は空中で上下から迫るブロックにより、挟み込まれてしまった。敏捷特化型のステータスのアスナには、破壊して脱出するのはまず不可能である。

 

「ぐぅ……っ!」

 

それでも、アスナは脱出を試みて四肢を動かそうとするも、石の拘束は強く、全く身動きは取れなかった。HPもかなり削られている。最早ここまでなのか……そう諦めかけた時だった。

 

「えっ……!?」

 

『ギャァァアアアアアア!!』

 

ブロックに押し潰されかけているアスナが頭を出してふと視界に入った、紅玉宮の天蓋部分に見える蒼穹が、一瞬、歪んだ。次いで視界の端を通過したのは、超高速で急降下する、“黒い影”。そして響き渡ったのは、ボスが放つ苦悶の叫びだった。どうやら何者かによる奇襲を受け、左目を潰されたらしい。

これら、ほぼ一瞬の内に起こった出来事に、アスナは思考が追い付かなかった。そうこうしている内に、アスナを押し潰そうとしていたブロックが瓦解し、今度はその身が空中に投げ出された。

 

「きゃぁぁあああっ!」

 

ALOのように空を飛べる翅を持たないアバターでは、架空の重力に従って地面へ落ちるほかない。そのまま自由落下を始めたアスナだったが、再び現れた影が、それを横から抱き止めた。

 

「大丈夫ですか、アスナさん」

 

「い、イタチ君っ!?」

 

思わぬ人物の登場に、アスナは声が若干裏返っていた。さらに、今の自身の状況を改めて確認すると、イタチに横抱きにされていることに気付いた。まるで勇者に救い出されたお姫様のようではないか。そんな場違いな考えが過り、アスナは赤面してしまっていた。

そんな二人に、目の傷から立ち直ったボスが、左手に持った槍振り翳した。地面へと落下していくイタチとアスナを正確に狙った攻撃。だが、二人に迫ったその刃は、頭上から現れた新たな助っ人が放った一撃により、弾かれた。

 

「ちょっとお兄ちゃん!こんな時にイチャイチャしてないでよ!!」

 

振り翳された槍の一撃を弾いたのは、リーファの剣だった。ついでとばかりに、アスナをお姫様抱っこしているイタチに文句を言う。

 

「全くその通りね。気持ちは分かるけど、気を引き締めてもらいたいものだわ」

 

リーファに同調するように文句を口にしたシノンもまた、手に持った狙撃銃で援護射撃を行う。GGOにおいて無双の精度を誇った射撃の腕は、この世界においても健在だった。放たれた弾丸は、いずれもボスの顔面を正確に攻撃しており、急所を狙われたボスは防御に徹するほかなかった。

その間に無事に地上に降り立つことに成功したイタチとアスナ、リーファは、待機していたメダカ達に合流した。

 

「待っていたぞ、イタチ!」

 

「遅いんだよ!」

 

「来てくれるって、信じてたよ!」

 

待ちかねた勇者の到来に、湧き立つプレイヤー達。イタチの存在が、攻略など不可能に等しいボスとの戦いを前に風前の灯となっていた戦意を、再び燃え上がらせる。

 

『フフフ……とうとうここまで来たか、イタチ君』

 

「む……HAL、か」

 

そんなイタチ等を見下ろすように、聳え立つボスから、知性の無い、仮想の本能で動くモンスターのものではない、人語が発せられる。それは、電人HALの声だった。

 

『本体プログラムであるピラミッドを攻略されたことに続き、この紅玉宮への侵入を許してしまうとは……どうやら私は、君の存在を過小評価していたらしい』

 

「無駄話はこれまでだ。お前を倒して、この計画も潰させてもらう」

 

『残念だが、これ以上の好きにはさせるつもりは無い。もとより、この第百層フロアボス『アン・インカーネーション・オブ・ザ・ラディウス』は、絶対に攻略不能な仕様に改造されている。如何に君が規格外の存在といっても、これまでだよ』

 

得意気に語るHALの口調からは、絶対的な自信が窺えた。SAO生還者の攻略組プレイヤー達が全力の攻勢に出ているにも関わらず、ここに至るまで大したダメージを与えることができていない点からしても、HALの攻略不可能という言葉は誇張ではないのだろう。

 

「それがどうした。どれだけ強力な力を備えようとも、弱点やリスクの無いものなど存在しない。かつてのアインクラッドがそうだったようにな」

 

『ホウ……では、君の目の前に立つこの第百層フロアボスには、どんな弱点があると言うのかね?』

 

イタチの態度からして、その言葉は強がりではないらしい。その自信の根拠が何なのか、興味をもったHALは問い掛ける。それに対するイタチの答えは。

 

「決まっている。この世界とお前の弱点とリスク。それは――――――」

 

 

 

俺達の存在だ!

 

 

 

イタチがそう言い放った途端。HALの操るボスを中心に、いくつもの光が迸る。それと同時に、いくつもの銃声が響き渡り、ボスの身体に、いくつもの爆炎が立ち上った。

 

『ギギャァァァアッッ!』

 

『これは、銃弾……!それに、グレネード弾だと!?』

 

剣の世界たる『ソードアート・オンライン』においてはあり得ない武器による攻撃に、困惑するHAL。攻撃の出所である。光の迸った場所を見ると、そこにはミリタリースーツを身に纏ったプレイヤーが幾人もおり、ボス目掛けて間断なく銃撃を行っていた。

 

「イタチ!このフカ次郎ちゃんが、助けに来たよー!」

 

「フカ、集中して!援護するよ!」

 

両手に六連装グレネードランチャーを持った小柄な金髪の女性プレイヤーと、同じくらいの体格をしたデザートピンクのミリタリースーツに身を包んだ、P90による射撃を行う女性プレイヤーをはじめ、そこに現れたプレイヤー達は、GGOにおいてその名を知られた強豪プレイヤー達だった。

 

「イタチ君……あの子達、知り合いなの?」

 

「お兄ちゃん、また女の子?」

 

女性プレイヤー二人から声を掛けられたイタチは、アスナとリーファにジト目を向けられる。遠くに立つシノンも同様の反応をしていた。GGOプレイヤーであるシノンだったが、件の二人とイタチが知り合いであることは知らなかったらしい。

そんな中、さらなる援軍が姿を現す。

 

「イタチ!助けに来たぜ!」

 

「スリーピングナイツ、全員集合です!」

 

「よっしゃ!右腕快調!やっぱVRなら無敵だぜ!」

 

紅玉宮の横に開いた、外界へ通じる横穴から飛び込んできたのは、シウネー等スリーピングナイツの面々やクラインをはじめとした、ALOプレイヤー達だった。シルフ領主のサクヤとケットシー領主のアリシャ・ルーが世界樹攻略時に率いていた軍勢や、サラマンダーのユージーン将軍率いる部隊の姿もある。さらには、捜査本部に詰めている筈の竜崎ことLのアバターであるエラルド=コイルもあり、スプリガンの精鋭部隊を率いている。

駆け付けたALOプレイヤー達は、銃撃に翻弄されているボスの死角から次々に強力な魔法を叩き込んでいった。

 

「ど、どうやってこんなにたくさんの援軍を!?」

 

次々に現れた頼もしい援軍に、シバトラをはじめとしたプレイヤー達は驚きを隠せなかった。そんな一同に種明かしをしたのは、

 

「ユイちゃん!」

 

「ユイ!」

 

「ヒロキさんが呼んできた援軍が間に合ってよかったです!」

 

今回の事件において、電脳戦でサポートを行っていたユイだった。この紅玉宮へ駆け付けた援軍を呼び出したのは、ヒロキだったのだ。HALを退けてある程度の権限を奪い取ったヒロキは、これを利用して外部から多数の味方を呼び込もうと画策。捜査本部にいる竜崎や藤丸のサポート、そしてユイの協力のお陰もあり、短時間でこれだけの援軍を呼び込むことに成功したのだった。

そして、さらに――

 

「遅れました!」

 

「どうやら、ギリギリ間に合ったみたいね!」

 

「ランさん!それにマコトさんも!」

 

ランとマコトが、オーディナル・スケールのアバターとしての姿で現れた。イタチ等をライブ会場に向かわせるために、地下駐車場でHALの操る兵士達を相手にしていた二人だったが、イタチの月読のお陰で、イタチを追ってこの場所へ来ることができたらしい。

 

「パパ!ママ!それから皆さんにも、贈り物があります!受け取ってください!」

 

そう言ってユイがその手に取り出したのは、光の球体だった。光はイタチ等の前で輝きを増すと、その場にいた全員のアバターを包み込んでいった。光が止んだ後には、

 

「これは……!」

 

「SAOの時の!」

 

「このSAOサーバーに残っていたセーブデータから、みなさんの分をロードしました!リーファさんやシノンさんもオマケです!」

 

両手でVサインを送るユイの言う通り、その場にいたSAO生還者のプレイヤー達のアバターの服装は、SAO事件終盤における装備になっていた。リーファとラン、マコトはALOにおける妖精のアバター、シノンはGGOにおける対物狙撃銃使いのアバターとしての姿と装備になっていた。

SAO生還者達は、かつて手にしていた武器のデータさえも忠実に再現されたことにより、かつての現実世界への帰還を目指し、攻略に燃えていた日々が戻ってきたかのような感覚を思い出し、一同の戦意はさらに高揚する。

そんな中、アスナはあることに気付いた。

 

「あれ?……イタチ君、それって……」

 

「俺も、今気づきました」

 

イタチのアバターの服装だけは、当時のそれとはすこし違っていた。纏っている服は、変わらず黒コートなのだが、その丈がかつて長くなっており、袖口も大きく開いている。さらに、黒字のコードの上には、“赤い雲”の模様が刻まれていた。

それは、イタチが前世において所属していた、かつての組織において、シンボルとも呼べる服装だった。

 

(超小型量子演算回路の影響が、ここまで来ているとはな……)

 

平行世界と繋がることで前世の忍術を行使できるようになったのと同時に、アバターにまで影響が出たのだろう。

写輪眼を開眼したことに加え、横一文字の傷が入った額当てを含めた服装まで前世のそれに戻ったことで、イタチの姿はかつてのうちはイタチに限りなく近づいていた。

ともあれ、これで充分以上に戦えるようになった。

 

『フン……そこらの世界からかき集めただけの烏合の衆がなど、私の敵ではない。良いだろう。私の手で、全てを終わらせてくれる!』

 

多勢に無勢のこの状況に至っても、HALの余裕の態度は崩れない。ボスのポテンシャルに相当な自信があるのだろう。銃弾と魔法の雨霰を撥ね退けながら、そう宣言した。

 

「烏合の衆?何のことだ?」

 

対するイタチは、そんなボスの眼前に立ち、真っ直ぐにその姿を……その向こう側にいる、HALを見据えた。

 

「ここにいるのは、烏合の衆などではない。これは……」

 

HALが口にした、この場に集まった者達を取るに足らないと言って評した『烏合の衆』という言葉を、イタチは否定する。

うちはイタチとしての前世を持つ自分をこの世界へ招き入れ、この場に集まった者達との出会いを齎したのは、他でもない、空に浮かぶこの鋼鉄の城だった。この城を攻略するために集まった力は、かつての事件の部隊が崩壊した今も尚、生き続け……その力は広がり、強さを増してさえいる。そこには、『烏合の衆』などという言葉では片付けられない、確固たる意志と絆がある。

そんな結束のもとに生まれる力の名前を、イタチは口にする。未来の火影になると信じて疑わなかった、希望を見せてくれたある少年のネーミングセンスを借りて――

 

『アインクラッド連合軍の術』だ!」

 

七代目火影・うずまきナルト曰く。忍史上最高にして最強の忍術が、異世界の地において、全く異なる形で、しかしその本質は変えないままに、火の意志を受け継ぐ一人の忍者の手により、発動した瞬間だった。

 



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第百五十四話 進撃【brute force attack】

アインクラッド第百層『紅玉宮』の中に広がるフィールドの中。HALの操る、かつてのSAO事件においてはその姿を現すことのなかったラスボスたる第百層フロアボスと、イタチを中心として集まったプレイヤー達――イタチ曰く『アインクラッド連合軍』――が、互いに向かい合う。

 

「行くぞ!」

 

『応!!』

 

両者の膠着は、十秒にも満たなかった。イタチの声とともに、プレイヤー達は次々にフロアボス打倒のために動き出す。

 

『そう簡単に近づけさせると思うのかね?』

 

対するフロアボスは、念動力によってフィールドを構成する外壁のブロックを操り、プレイヤー達の行く手を遮るように飛ばした。

しかし、イタチをはじめ、SAO事件当時は攻略組に属していたプレイヤーと、それに匹敵する実力者で構成されたプレイヤー達は、それらを難なく避けるか、ソードスキルによって破壊していった。結果として、ダメージを受けたプレイヤーはごく一部であり、防御に回ったプレイヤー達のダメージも非常に軽微だった。

 

『フム……ならば、これでどうかね?』

 

『フォォォオオオオ!!』

 

生半可な攻撃が通用しないと判断したHALは、次の手を講じる。指令を受けたボスは、咆哮を上げるとともに全身から赤黒いオーラを放つ。そして、それと同時にボスの周囲の空間に歪みが生じた。

 

「何!あれって……!?」

 

「モンスターのポップ、だな……!」

 

ボスへと接近しようとしていたシバトラとメダカが、目の前で突如として発生した現象を前に、驚愕の声を上げる。警戒のための足を止めたプレイヤー達の眼前に生じた歪みの中から、メダカが言った通り、複数のモンスターが姿を現した。

 

「あれは……『モージ・ザ・ヘルテイマー』に、『リッチー・ザ・キメラライオン』!?」

 

「『シャム・ザ・トリッキーキャット』に『ブチ・ザ・タンクキャット』まで!」

 

「あの鉄球付きトンファー……間違いない。『ギン・ザ・ハンマーオーガ』だ……」

 

「何だこいつ等!アインクラッドの中ボスばっかじゃねえか!」

 

クラインが思わず叫んだ通り、フロアボスを守護するように現れたのは、いずれもアインクラッドにおいて、迷宮区入口を守護するフィールドボス、或いはフロアボスの取り巻きを総称する、『中ボス』と呼ばれるモンスターだった。その強さはフロアボスに及ばないながらも、攻略組を苦戦させてきたことで知られている。しかもそれが、一度に十体も現れたのだ。

 

「中ボスの召喚……それも、他のフロアのモンスターをこれだけ大量に呼び出したとなると、“改造”か」

 

『ご名答。先程も言ったが、このフロアボスは私の手で最大限のカスタマイズをさせてもらっている。ここから先は、一切手加減せずに相手をさせてもらう。覚悟したまえ』

 

絶対的な優位を確信しているのだろう。フロアボスを通じてHALの不敵な笑い声が聞こえてきた。相当な自信が窺える点からして、まだまだ本来のボスには無い、HALが新たに加えた強力なスキルがあるのだろう。だが、イタチ等はそれだけでは止まらない。

 

「皆、頼んだぞ!」

 

『任せろ!』

 

イタチが放った端的な、名指しすら無い頼みごとに、十人のプレイヤー達が動き出す。召喚された中ボスがいる一帯目掛けて飛び出したのは、ラン、マコト、ケンシン、カズゴといった、いずれも個人としての戦闘能力の高いプレイヤー達だった。

現れた中ボス達を見るや、即座に各々が相手すべき敵を見定め、一気に接近する。この間、彼等は言葉を一切交わしていなかったが、同一の敵を選択することは無かった。SAO事件やその後のALOにおける戦闘の中で培われた連携と、相互の信頼関係があったからこそ為せる業だった。

 

「こいつ等の相手は私達が引き受けます!」

 

「イタチ君達は今の内に、本丸を倒して!」

 

マコトやラン等の言葉に頷いたイタチは、アスナをはじめとした他の仲間達を伴ってボス目掛けて駆け出す。中ボスの強豪プレイヤー達の足止めにより、召喚された中ボス達が壁にもならない今、ボスの周囲は守りが手薄となっており、接近は容易となっていた。

 

『成程。ならば、これはどうかね?』

 

『フォォォオオオッッ!!』

 

イタチの予想した通り、中ボス召喚は小手調べに過ぎなかったらしい。HALの指令を受けたボスが、次なるスキルを発動する。ボスの頭部、毛髪を彷彿させる箇所に光る、無数の宝石。それらが一斉に光りだす。

 

「あれは……皆、避けて!」

 

序盤で発動されたスキルであるため、アスナにはそれがどのような攻撃なのかがすぐに分かった。ボスが発動しようとしているのは、頭部に嵌め込まれた無数の宝石から放つ光線である。故に、即座に回避するようイタチ等途中参戦組に呼び掛ける。だが、

 

(光線の数が多い!?)

 

放たれた光線の数は、ざっと見ただけで百条はあった。序盤で放たれた光線が十条ほどだったが、今回の攻撃は約十倍である。そして攻撃範囲もまた、十倍に広がっている。

 

「くぅっ!」

 

「クソッ!進めない……っ!」

 

フィールド全体を覆い尽くさん限りに放たれる光線の雨に対し、プレイヤー達は必死で回避しようと動き回るものの、避ける隙間が少な過ぎて、何人かは光線を掠めてダメージを負っていた。それは、空中を飛行していたALOからの救援組も同様であり、ダメージを負って墜落するプレイヤーも複数いた。

 

「ぐぅっ……!」

 

「イタチ君!」

 

そんな回避すら儘ならない状況下の中にあっても、イタチは降り注ぐ光線の軌道を見極めて、ボスに近づこうとしていた。だが、あと一歩でボスの懐へ飛び込めるというところで、光線に弾かれ、その身を空中へ投げ出されてしまった。

 

『これで終わりだ、イタチ君』

 

そんなイタチに対し、ボスは右手に持っていた剣を振り下ろして追撃を仕掛ける。空中で身動きを取れないイタチは、その一閃を受け――

 

 

 

ポンッ

 

 

 

そんな間の抜けた音と共に煙を上げて、消滅した。

 

『何!?』

 

その現象に、HALだけでなく、イタチの味方であるプレイヤー達までもが目を丸くした。一体、何が起こったのか。誰もがそれらを考えようとしたその時。

 

 

 

火遁・鳳仙火の術!

 

 

 

『フゴォォオオッッ!?』

 

ボスから見て真下の位置から、打ち上げ花火の如く無数の火球が放たれる。火球の大部分ははボスの顔面に着弾する前に、展開されていた障壁に阻まれて無力化されてしまったが、それでも何発かはボスの顔面に命中し、ダメージを与えていた。

 

『くっ……いつの間に!』

 

HALが操るボスが見下ろす足元には、イタチの姿があった。

ボスの放つ光線を、変わり身の術でかわしたイタチは、ボスの懐へ入り込むことに成功していた。そして、光線を受けて接近が儘ならなくなっていたプレイヤーを睥睨していたボスの顔面目掛けて、火遁忍術を放ったのだ。

 

『ぐっ……小癪な真似を!!』

 

不意打ちに成功し、障壁を破壊したとはいえ、ボスへのダメージは軽微なものだった。HALが操作するボスは、すぐさま足元にいるイタチ目掛けて、左手の槍を突き出そうとする。

 

「させるかよっ!」

 

「イタチには手を出させん!」

 

「思い通りには、させないよ!」

 

イタチが標的にされるのを確認するや、クラインとサクヤ、アリシャ・ルーが援護に動く。ボスが槍を持つ左手目掛けて、サクヤとアリシャが遠距離攻撃魔法を、クラインが刀系ソードスキルを発動させながら突っ込んだ。結果、イタチに向けられていた切っ先は、狙いを外して地面を穿つのみとなった。

 

「今だ!一気に畳みかけるぞ!」

 

「障壁さえ無ければ、こっちのもんだ!」

 

そして、足元の敵に注意を取られたボスが見せた隙を、SAO生還者の攻略組プレイヤー達や、新生アインクラッド攻略組プレイヤー達は決して見逃さない。好機とばかりに、一気に接近して四方八方からソードスキル、魔法、銃弾による攻撃の集中砲火が開始される。

 

『おのれ!離れろ!』

 

『フォォオ!!オオオオッ!!』

 

HALの苛立ち交じりの声が上がる。それと同時に、全方位から繰り出される攻撃を払い退けるように、ボスは右手の大剣を横薙ぎに振るい、衝撃派による範囲攻撃を発生させた。

 

「避けろ!」

 

「障壁を張れ!」

 

非常に広範囲かつ強力な攻撃であったものの、敵の攻撃を振り払うための攻撃だったため、歴戦の強豪プレイヤー達にとっては、回避も防御も難しくはなかった。

 

『中々やるではないか。ならば今度は、これでどうかね?』

 

『オオオオォォオオッ!』

 

四方から迫るプレイヤー達を、その攻撃もろともに剣で薙いで退けることに成功したHALは、次なるスキルをボスに発動させる。

スキル発動の予兆である赤黒いオーラを纏ったボスが咆哮を上げる。それとともに、ボスの前後左右四カ所の空中に、魔法陣が展開される。中ボスの時と同じ、召喚の魔方陣である。空中に展開されたということは、飛行系のものが来るのかとプレイヤー達が身構える中、ボスが呼び寄せた新たなる僕が姿を現す。それは、丸い胴体にコウモリの羽を生やした、一見するとマスコットのようにも見える赤いモンスターの群れだった。

 

「あれは……『デトネーション・バット』だと!?」

 

「しかもあの数は……!」

 

『デトネーション・バット』とは、自爆スキルを持つコウモリ型のモンスターである。戦闘不能になる代わりに、広範囲に渡って大ダメージを与えて来るのだ。その威力は、まともに受ければ、レベル差十程度のプレイヤーのHPを全損させるだけの威力がある。

 

『さて、反撃開始といこうか』

 

『フォォオオオ!!』

 

再び響き渡るボスの咆哮。それとともに、ボスの頭部に埋め込まれた宝石が一斉に光りだす。

 

「皆、後ろにさがって!!」

 

「爆発するぞ!!」

 

アスナをはじめとした指揮系統を担当するプレイヤー達が、全プレイヤーに対して撤退を呼び掛ける。しかし次の瞬間、ボスの頭部の宝石から、約十条の光線が放たれる。そして――――――フィールド全体で、いくつもの爆発が起こった。

 

「うわぁぁああ!!」

 

「ぐぅうう……っ!!」

 

先程までプレイヤー側が優勢だった空気が一転。爆風が渦巻く戦場の中、風に舞う木の葉のように吹き飛ばされるプレイヤー達の、阿鼻叫喚が響き渡ることとなった。

これこそが、自爆系モンスターの恐ろしいところ。複数で出現されれば、一体の自爆によって、他のモンスターが相次いで誘爆してしまうのである。

 

「最悪だ……!」

 

「こんな数、相手しきれるわけがない……!」

 

ボスが先程呼び寄せたデトネーション・バットの数は、軽く百体を超えていた。そして、先程の爆発が終わった今も尚、召喚の魔方陣からは同等以上の数が吐き出され続けている。低級モンスター故にこれ程の数を呼び出せたのだろうが、プレイヤーを屠ると言う点での性能が凶悪過ぎる。ボス自身は障壁の効果で爆発によるダメージを免れているようだが、プレイヤー側は防御が間に合わない者が大多数である。

 

『どうやらこれまでのようだな。この無限爆破戦法の前には、君達も為す術が無いとみた』

 

HALの得意げな口調に、プレイヤー達は歯噛みする。顔は見えないが、勝ち誇った笑みを浮かべていることは誰もが分かっていた。ボスが繰り出した、自爆モンスターを用いた爆破戦法の前には、歴戦の強豪プレイヤー達ですら手も足も出ないのは事実なのだ。デトネーション・バットはボスの周囲に壁を作るように展開しており、迂闊に攻撃しようものならば、また大爆発を起こしてしまう。かといって、隙間を掻い潜ってボスに接近しようにも、それにはデトネーション・バットに近づく必要がある。そんな動きを見せれば、ボスが黙っている筈などない。先程のように光線を放って強制的に爆破させられてしまえば、一巻の終わりである。

 

「こうなったら……サチ、頼む!」

 

「分かった!」

 

圧倒的に不利な状況を強いられたとはいえ、プレイヤー側も簡単に諦めることはできない。デトネーション・バットの凶悪な爆弾壁を無力化すべく、メダカの意を受けたサチが詠唱を開始する。だが、

 

『させんよ』

 

『フオオオッ!!』

 

HALが操作するボスの右手に持った剣の切っ先から、稲妻が迸る。デトネーション・バットの群れを避けて放たれたそれは、サチとその周囲にいたプレイヤー達へと襲い掛かった。

 

「きゃぁっ!」

 

「くっ……防御スキル貫通攻撃だ!回避しろ!」

 

強力で防御も儘ならない程に強力な電撃を前に、サチは詠唱を中断、回避行動を余儀なくされてしまった。

 

『君達の狙いは分かるよ。デトネーション・バットは火属性モンスターだ。水か氷属性の魔法攻撃やソードスキルならば、自爆スキルを無効化できる。今、そこのウンディーネの少女が発動しようとしていた『ニブルヘイム』のようにね』

 

HALの言う通り、自爆モンスターが持つスキルを封じる方法は、かつてのSAOはともかく、ALOにおいては存在する。魔法同様、モンスターにも属性が付与されているALOであれば、自爆モンスターの弱点となる属性の攻撃であれば、自爆スキルを発動させずにモンスターを撃破できるのだ。

故にメダカは、サチが得意とする氷属性最上級魔法『ニブルヘイム』による一掃を図ったのだ。しかし、そのような魔法の発動をHALが見逃す筈もなかった。

 

『ALOの魔法は、既に把握している。デトネーション・バットの群れを一掃できる程の魔法など、種類は限られている。その上、広範囲攻撃魔法は詠唱にも時間がかかる。君達には反撃する隙など微塵も与えんよ』

 

ソードスキルによる攻撃への対策だけでなく、魔法への対策もしているらしい。最終決戦が紅玉宮で行われることだけでなく、SAO生還者以外の、他のゲームからの増援も想定したHALの対策は、抜け目が無かった。

 

「成程……私達との戦いを想定して、あらゆる対策をしているらしいな」

 

『そのまま諦めて大人しくしていたまえ。苦痛なく終わらせてやろう』

 

「断固として拒絶させてもらうよ。それに、君は僕達すら想像が及ばない敵を相手していることを忘れていないかい?」

 

『何?』

 

シバトラの返答を訝るHAL。一体、何のことを言っているのかと、そう思った次の瞬間――突如として、ボスとその取り巻きだったコウモリの群れを覆い尽くすような巨大な影が現れた。

 

 

 

水遁・大瀑布の術!

 

 

 

それは、高波と見紛うような膨大な水でできた巨大な壁だった。それはそのまま、HALの操るボスを、取り巻きのモンスター諸共呑み込んだ。

 

『何だと!?』

 

流石のHALも、このような事態は想定外だったのだろう。プレイヤー達に聞こえているにも関わらず、驚愕の声を上げていた。尤も、新たに発生した現象に驚いていたのは、先程得意げに返していたシバトラを含めたプレイヤー達も同じだったのだが。

 

『キシャァアア、アアッ……!』

 

膨大な水に呑み込まれたデトネーション・バットの群れが、自爆することなく次々消滅していく。下級の、それも火属性モンスターが、弱点の水属性に相当する水遁の大規模攻撃忍術に呑み込まれては、一溜まりも無い。ボスを守護していた自爆モンスターの群れは、瞬く間に全滅。さらには、ボス本体にも多大なダメージを与えていた。

 

『フォォオ、オォォ……!』

 

さらには、ダメージの影響によってボスが展開していた召喚の魔法陣とボスを守っていた障壁もまた、消滅していた。

 

「ここで一気に決める!行くぞ!」

 

「分かった!私も援護するよ」

 

「皆、イタチに続け!」

 

無防備な状態となったボス目掛けて、イタチを筆頭に次々プレイヤー達が襲い掛かる。

 

『くっ……まだだ!まだやられんぞ!』

 

一斉に襲い掛かってくるプレイヤー達に対し、HALはボスに指令を出汁、迎撃のためのスキルを発動させる。

 

『フオオオ!!』

 

ボスが左手に持った槍の切っ先を地面に突き立てる。すると、地面から樹木の根が鞭のように伸びて、プレイヤー達へと襲い掛かっていく。生き物のように動く根に対し、しかしイタチは歩みを止めることなく突撃していく。

槍の切っ先のように尖っていた木の根に対し、イタチは背に携えた二本の剣を抜く。そして、二刀流ソードスキル『ゲイル・スライサー』を発動。根の先端を切り落とすと、伸びてきた根に飛び乗ってさらに接近していった。

 

『離れろ!』

 

ソードスキルでも魔法でもない、自身の知識が及ばない異能を行使するイタチを脅威と断定したHALは、イタチを遠ざけるべく右手に持った剣の切っ先をイタチに向けて、迎撃をしようとする。

 

「させねえよ!」

 

「イタチ殿はやらせぬ!」

 

『くっ……!』

 

そんなHALが操るボスに対し、別方向から襲い掛かるプレイヤーがいた。大剣使いのカズゴと、刀使いのケンシンである。両手剣ソードスキル『アバランシュ』と刀ソードスキル『辻風』が、ボスの持つ大剣を弾いた。

二人は中ボスの相手をしていた筈だが、どうやら既に片付けていたらしい。或いは、先程の爆発や洪水に巻き込まれたのかもしれない。交戦中だったプレイヤー達がそれに巻き込まれなかったのは、流石と言うべきだろう。

 

『おのれ!次から次へと……!』

 

イタチのみならず、その仲間達にまで翻弄されたことで、HALの声には苛立ちが増していく。

そうこうしている内に、イタチとアスナがボスの懐へと飛び込むことに成功する。

 

「アスナさん!」

 

「うん!」

 

イタチの二刀流ソードスキル『エンド・リボルバー』と、アスナの細剣ソードスキル『フラッシング・ペネトレイター』が発動する。前者はボスの喉元を切り裂き、後者はボスの鳩尾を穿つ。いずれも急所を攻撃したためか、ボスにかなりのダメージを与えることに成功しており、ダメージゲージを一本丸ごと削り切っていた。

 

『くっ……逃がさん!』

 

ボスにとっての脅威であるイタチと、強力な仲間達が攻撃範囲に飛び込んできたのだ。大ダメージは受けたが、飛んで火にいる夏の虫を逃す手は無い。

HALはボスへと新たな指令を送り、範囲攻撃を発動させようとする。頭部に嵌め込まれた宝石から放つ光線を放射状に放ち、周囲一帯を焼き尽くす範囲攻撃である。

 

「させないわ!皆、あの宝石を狙って!」

 

『了解!!』

 

宝石が輝き出したのを見たシノンが、周りにいたGGOプレイヤー達とともに、ボスに銃撃の雨を降らせる。放たれた銃弾のいくつかは、頭部に嵌め込まれた宝石に命中し、そのスキルをキャンセルさせた。

 

「我々も続くぞ!」

 

「はい!」

 

さらにそこへ、サクヤ率いるALOプレイヤー達による魔法の一斉射撃が放たれる。スキルがキャンセルされた反動で動けずにいたボスは、それらをまともに受け、HPゲージがさらに減っていく。

 

『くっ!これ以上のダメージは……!』

 

想定以上のダメージを受け、回復の必要があると判断したHALは、ボスの回復スキル発動を決意する。そのためにまず、自身の周囲に群がっているプレイヤー達の排除へ動くこととした。

 

『フォオオオオ!!』

 

「また根が……!」

 

「いや、数が桁違いだ!逃げろ!」

 

HALの意を受けたボスが、左手に持った槍を再び地面に突き立て、木の根を操作するスキルを発動する。しかしその量は、先程とは比にならない程多量だった。プレイヤーのあらゆる攻撃を、ものともせずに放射状に飛び出した根は、周囲のプレイヤーを津波、或いは洪水のように押し流していった。根はその後、垂直に伸長して、ボスとプレイヤー達とを完全に遮る壁となった。そしてその直後、根でできた壁の向こう側にいるボスの背後に、それよりさらに高い巨樹が姿を現す。

 

「あれを防いで!回復スキルよ!」

 

アスナの声に応えて、ボスから距離を取らざるを得なくなっていたプレイヤー達が、一斉に遠距離攻撃を開始する。

 

『無駄だよ。回復の妨害はさせん』

 

プレイヤー達が放った攻撃の数々は、ボスを囲むように地面から生えた根によって、全て弾かれていく。何本かの根は、苛烈な攻撃によって破壊されるものの、ボス本体へはまだ届かない。

このままでは、ボスの回復スキルが発動してしまう。既にプレイヤーは皆疲弊しており、満身創痍に近い。今、ボスに回復されれば、完全に勝ち目は無くなってしまうのだ。プレイヤーの誰もが不安を覚え、HALが勝利を確信する。

だが……

 

(何だ……何なんだ……この違和感のようなものは……!)

 

ボスのアバターを通して戦場を見ていたHALは、言い知れぬ不安のようなものを覚えていた。根のバリケードは、ボスのアバターを丸々多い尽くす程に立っており、プレイヤー達の攻撃を防いでいる。にも関わらず、何か……ボスを脅かすような危険が迫っているような――

 

(馬鹿な!プレイヤーは全て木の根に遮られてボスに近づくこともできない筈だ!あの少年も、根の向こう側に……)

 

HALはそこまで思考を巡らせると、ボスの視線越しではない、別方向からプレイヤー達を監視するためのスクリーンを展開し、木の根の向こうの状況を確認する。根の障壁を破壊するために魔法や銃撃を放つプレイヤー達の中央に、目的の人物、イタチがいた。SAO時代の黒コートに赤い雲の模様が入った特徴的な装束に身を包んだイタチは、一人ただ静かにボスを真っ直ぐ見据えていた。だが、不自然なことに“右目”だけが閉ざされていた。一体、何を考えているのか……もう勝負を捨てたのか。

 

(これまで私の理解及ばないスキルを散々使ってきてくれたが……この状況では、今更何をしようと無駄だ。これで形勢は完全に逆転する……!)

 

そして、ボスの背後に聳え立つ大樹から、回復の雫がしたたり落ちた。

その時――――――三つ巴から手裏剣のような紋様が浮かんだイタチの右目から、赤い血の雫が零れた。

 

 

 

 

 

天照

 

 

 

 

 

『な、に……!?』

 

HALが再び驚愕に目を見開く。ボスへと降り注いだ癒しの雫が、突如発生した黒い炎に呑まれ、蒸発したのだ。それ即ち、回復スキルは、キャンセルされたことを意味する。

さらに、異変はそれだけに止まらない。

 

『何だ……この“黒い炎”は!?』

 

ボスが周囲に展開していた大樹の根にも、黒い炎が発生したのだ。黒い炎を発生させる魔法など、ALOには存在しない。GGOの火炎系の武器でも、このような武器は無かった筈である。目の前で発生した予想外過ぎる事態に、HALだけでなく、フィールド上のプレイヤーの多くが動揺していた。

そうしてHALが動揺している間にも、黒い炎は一気に燃え広がっていく。そして、数秒とかからずプレイヤー達の攻撃を遮っていた根は焼き尽くされてしまった。

 

『くっ!左手にまで!』

 

燃え広がった黒い炎は、ボスが槍を持つ左手にまで発生した。HALはボスへのダメージを緩和するため、黒い炎を消火するため、炎のデータ解析を行い、レジストスキルを行使しようとする。

 

『馬鹿な!解析不能だと!』

 

黒い炎は、電脳世界の全てを掌握していると言っても過言ではないHALですら解析できないものだった。ボスのデータを侵食する、コンピューターウイルスのようなものかも不明である。分かっていることは、この炎を放置すれば、先程の根と同様に、ボスも焼き尽くされてしまうということである。

 

『くっ……止むを得ん!』

 

手段を選んでいる場合ではないと判断したHALは、ボスを操作し、右手に持った大剣を振るう。そして、黒い炎が発生した左腕の肘から先を切り落とした。ボスの身体から切り離された左手は地面へ落ち、左手に持っていた槍諸共に黒い炎に浸食されて消滅した。

 

『……こうなれば、最後の手段だ!!』

 

HALの命令を受けたボスの身体からオーラが噴出する。そして、頭部の毛髪に相当する部分を翼のように広げると、その巨体を宙に浮かせ、紅玉宮の上空へと飛翔した。

 

『フオオオオオッッ!!』

 

ボスの頭部の毛髪が放射状にさらに伸長・展開し、紅玉宮の天井を覆わんばかりに広がる。そして、嵌め込まれた宝石全てが一斉に輝きだした。地上全体を攻撃する超広範囲殲滅スキルを発動しようとしているのである。

 

「まずい!あの攻撃を食らえば……!」

 

「ALO組で迎撃を!」

 

「駄目だ!障壁に阻まれてこれ以上飛べない!」

 

「それより防御スキルだ!ALO組は、障壁の展開を!」

 

「駄目だ!あれは防ぎ切れない!」

 

プレイヤー達が迫る攻撃に対処しようとするが、上空故にソードスキルは届かず、、障壁に阻まれて接近することは儘ならない。フィールド全体を対象としたボスの最大の攻撃を防ぐ手立ても無い。誰もが右往左往するその様子を、HALはボスを通して愉快気に眺めていた。そんな中、

 

「………………」

 

イタチはただ一人、フィールドの中央で瞑目していた。その手は忍を彷彿させる印を結んでいた。

 

(先程の黒い炎も、君の仕業なのだろうが……このスキルまでは防げまい)

 

黒い炎は凄まじく強力なスキルではあるものの、HALの見立て通り、連発はできないらしい。これ以上のイレギュラーを引き起こされないためにも、この戦いは早々に決着をつけなければならない。そう判断したからこそ、絶対に使うことは無いと想定していた、ボスの最大最強の攻撃を解放することとしたのだ。

 

『終わりだよ。黒の英雄、イタチ君。そしてその仲間達よ――』

 

HALの勝利宣言にも等しいその言葉とともに、ボスの宝石の光が一斉に輝きだし、一転に集中。紅玉宮に立つプレイヤー達を呑み込まんとする、極太の光線を射出した。

 

「くっ!」

 

「ここまでかよ……!」

 

アインクラッドをこの百層から一層まで貫かんばかりの光の柱を前に、プレイヤー達の誰もが諦めかけていた。HALが最も警戒していたイタチもまた、瞑目したままフィールドの中央から動いていなかった。それを確認したHALは、完全に諦めたものと確信した。

飛翔したボスから放たれた極光は、真下のフィールドを直撃。戦場全体を、眩い光が包み込んだ。光が止んだ後には、白い煙がもうもうと上がっていた。

 

(やったか……いや、やったな……!)

 

あの光線が直撃したのならば、紅玉宮に集結した全プレイヤーが殲滅された筈。そう考えたHALは、勝利を確信する。やがて、フィールドを覆い尽くしていた煙が晴れると、そこには――

 

『んなっ!?』

 

ボスの攻撃が直撃した後にHALが見たもの。それは、プレイヤーの全てが消滅して、更地同然になったフィールド……ではなかった。

そこにいたのは、上半身のみの、山伏のような巨人。どこか女神を思わせる外観で、全身が赤い何かで覆われている。少なくとも、フィールドオブジェクトや魔法のエフェクトではない。

 

(プレイヤーは……無傷、だと!?)

 

上半身だけの赤い巨人の周囲には、光線を放つ前と変わらず、プレイヤー達がいた。巨人は左手に巨大な盾を持っており、これを上空に向けて構えていた。どうやら、これで防御したらしい。

 

『イタチ君……君は、一体……』

 

SAOをクリアに導いた英雄というだけではない。システムの常識、限界を超えた数々のチートとも呼べる、スキルなのかも分からない異能を行使し続ける少年に、HALは初めて戦慄というものを覚えていた。

電脳世界の全てを掌握していると言っても過言ではない『電人』の常識・理解を超えた『暁の忍』の真価が今、発揮される――――――

 



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第百五十五話 決着【terminate】

(どうにか間に合ったようだな……)

 

HALが操るボスの放った、最大最強の攻撃。それが直撃したフィールドの中央に立っていたイタチは、内心で冷や汗を流していた。その赤い双眸に手裏剣の紋様を浮かべているイタチの背には、赤く巨大な上半身のみの巨人が聳えていた。

 

須佐能乎

 

それが、イタチがボスの攻撃に対して発動した忍術である。写輪眼最強とされるこの術は、膨大かつ高密度のチャクラでできた巨人を顕現させるというものである。巨人自体があらゆる忍術や物理攻撃に対して絶大な防御力を持つ上、イタチの須佐能乎は『八咫鏡』と呼ばれる絶対防御の盾を持っている。あらゆる物理攻撃を弾き、盾自体の性質変化を変えることで忍術を無効化するの能力を持つのだ。先のボスの攻撃を防御できたのも、これのお陰である。

 

(何とか凌ぎ切ることはできた。とはいえ、状況は切迫している……)

 

忍術が使えるお陰で、HALの改造が施されたボスとも互角以上に渡り合えているが、現実世界における計画は今も進んでいる。早々に決着をつけなければ、計画の最終段階は実行され、会場のSAO生還者達の命は無い。

また、イタチはここに至るまでかなりの忍術を行使している。現実世界では、HALの兵士を無力化するために『月読』を使い、先の攻防で『天照』を使った。『須佐能乎』もまた、大量のチャクラを消費する。忍術にシステム上のMPのような概念や設定があるかは分からないが、忍術を発動する度に自身の中で力が減っている感覚はある。詰まるところ、イタチが発動できる忍術にも限りがあり、底が見えてきているのだ。

 

(ここで一気に決めるしかないな……)

 

ボスは今、魔法や剣技が届かない高さに滞空している。地上に引き摺り下ろして勝負をつけるべく、イタチは新たな手を打つ。

 

イタチ君……これって……!」

 

「これも、忍術……なの?」

 

イタチが発動した須佐能乎に、プレイヤー達は皆、絶句した様子だった。イタチの前世を知るアスナとリーファは、これが忍術であると察しがついたようだが、想像を絶するスケールの異能だったために、同様の反応を示していた。

そんな仲間達が見守る中、イタチは須佐能乎に新たな形を与える。上半身だけの状態だった身体が収縮し、二本の足が生えた人型を作り出す。頭部は鴉天狗を彷彿させる形となり、背中には一対の翼が生えた。イタチの身体は須佐能乎の変化とともに浮かび上がり、頭部に相当する位置に収まっている。

 

完成体・須佐能乎

 

それが、イタチが形成した須佐能乎の姿だった。最初の前世において、片手で数えるほどしか使ったことがなかったが、滞空状態のボスを落とすには、これ以上の術は無い。

 

「アスナさん」

 

「は、はいっ!」

 

「奴を地上へ落とします。奴の反撃の流れ弾が来る筈なので、皆の退避をお願いします」

 

地上で呆けた様子のアスナへそれだけ告げると、イタチは須佐能乎の翼を羽ばたかせ、上空のボス目掛けて跳び上がった。

 

『くっ……させるか!』

 

当然、ボスを操るHALも黙ってはいない。上空で展開した毛髪に埋められた宝石から、光線・光弾を放っていく。イタチの操る須佐能乎は、それらを回避し、時には右手の八咫鏡で防御し、時には左手に持つ剣『十拳剣』で切り裂きながら、ボスへと接近していく。

 

『なっ……!?』

 

「行くぞ」

 

その宣言と共に、イタチの須佐能乎が十拳剣を勢いよく振るう。ボスの毛髪は、埋め込まれた宝石同様、次々に切り刻まれていく。

 

『これ以上はさせん!』

 

遠隔攻撃の起点となる宝石を破壊されたボスは、右手に持った大剣を振るう。対するイタチは十拳剣で応戦し、両者は鍔迫り合いとなる。しかし、HALが操っているとはいえ、細かな戦闘動作はAI頼りのボスでは、イタチが手足のように操る須佐能乎には敵わない。そもそも、互角のサイズの敵を相手するように設定されていないのだから、当然だろう。数度の打ち合いの果て、ボスは大剣を持つ右腕ごと、イタチの操る須佐能乎によって切り落とされる。

 

『ぐぐぐ……!』

 

「地上に戻ってもらうぞ」

 

HALの悔し気な呻き声を無視したイタチは、そう言うと須佐能乎をボスの頭上へと飛び上がらせる。そして、須佐能乎の右手にチャクラを集中させ、新たな術を放つ。

 

八坂ノ勾玉

 

須佐能乎の右手から手裏剣のように投擲されたのは、繋がった三つの勾玉だった。ボスの身体に命中した途端――それは、大爆発を起こした。

 

『フォォオオアアァァアア!!』

 

悲鳴のような咆哮とともに、地上へと落下していくボス。先の一撃で飛行能力を失ったのだろう。受け身も取れず、地上へと勢いよく墜落した。

イタチもまた、それを追って地上へ降り立った。ボスとは距離を取り、仲間達が待機している場所へと向かう。

 

「イタチ君!」

 

地上へ戻ったイタチのもとにいの一番に駆け付けたのは、アスナだった。イタチは須佐能乎を解除すると、アスナの方へ向き直った。

 

「何とか奴を地上へ落しましたが、ボスのHPはまだ残存している以上、事態は予断を許さない状況です」

 

「さっきの……えっと、忍術?はもう使えないの?」

 

「これ以上の維持は限界です。残り少ない力で奴を仕留めるには、アスナさん達の協力が不可欠です。力を貸してもらえませんか?」

 

記憶を一部失くした影響からか、最近は見ることが無かった、仲間達に対して真剣に頼みごとを口にするイタチの姿。それを目にしたアスナ達は僅かに驚くも、それも一瞬のこと。イタチの頼みに対し、全員揃って頷いた。

 

 

 

 

 

(くっ……なんてスキルだ!)

 

地面に墜落したボスのアバターを操って起き上がらせながら、HALは心中で悪態を吐く。普段の冷静さを半ば失っている状態だが、それも無理は無い。イタチが発動した忍術という未知の力は、HALの理解を完全に逸しており、それが故にここまで一方的に追い詰められるに至ってしまったのだから。

 

(とはいえ、辛うじてHPはまだ残っている。現実世界の一斉スキャンまでは……残り一分か。これならば!)

 

最後の砦である紅玉宮のフロアボスは、残存HPが少なくなっている上に、両手を武器諸共に失って満身創痍の状態である。だが、スキル全てが封じられているわけではない。残る力の全てを防御に回せば、これから始まるプレイヤー達の猛攻を防ぐのも不可能ではない。

加えて、イタチは先程まで発動していた忍術、須佐能乎を解除している。発動時間の限界が来たのか、もしくはMPのような原動力が枯渇したためかは分からないが、須佐能乎を超える術が来ないのならば、イタチは最早脅威足り得ない。

プレイヤーの殲滅は諦めるほかないが、計画が実行されるのならば、HALの勝利である。

 

(防御障壁を全方位に展開……同時に遠距離攻撃に対する反射能力も付与。さらにボス本体の防御力をアップさせるスキルを発動。これならば、持ち堪えられる筈。あとは……)

 

防御スキルの多重発動により、ボス自身は身動きが取れなくなってしまうという代償を払う羽目になったが、この際やむを得ないと割り切る。最後に保険としていくつかの仕掛けを施す。

そして、態勢を立て直した次の瞬間――

 

(おっと、早速来たか)

 

銃声をはじめ、多種多様な轟音とともに、ボス目掛けて、プレイヤー達が放った銃撃と魔法の遠距離攻撃の雨霰が降り注ぐ。しかしそれらは、ボスが展開した防御結界に阻まれ、もと来た方向へと真っ直ぐ跳ね返された。地上と建物の各所に展開していたプレイヤー達はそれらを回避、あるいは防御するために動き回る羽目になり、追撃はできそうもなかった。

 

(さて……彼はどう出る?)

 

そんな中、HALが思考を走らせるのは、やはり自身を追い込んだプレイヤーたるイタチの動向だった。展開した結界は、遠距離攻撃に対してのみ発動するタイプである。よって、イタチが取る行動は……

 

「……ハァァアアアアア!!」

 

跳ね返された遠距離攻撃によって巻き上がる煙幕を切り裂き、赤い雲の模様が入った黒コートを靡かせたイタチが現れる。その両手には、SAOの最終決戦において装備していた黒と白の片手剣が握られていた。

二刀を携えたイタチは、HALが操るボスのもとへと一気に肉迫。近接攻撃に対しては効果を発揮しない防御結界を突き抜け、ボスへとその刃を振り翳す。

 

「スターバースト・ストリーム……!」

 

発動したのは、二刀流ソードスキル『スターバースト・ストリーム』。二刀流ソードスキルの中でも強力な威力を持つ十六連撃の剣戟が、容赦なくボスを襲う。

だが……繰り出した剣戟はクリーンヒットしているにも関わらず、ボスのHPは僅かずつしか減っていかない。HALがボスに発動させた防御力向上のスキルの影響である。

 

『残念だったね、イタチ君。この局面で、君が二刀流を使って来ることは分かっていたよ。まともに受ければ、ボスのHPを削り切るには十分な威力だ。尤もそれは、ボスの防御力向上スキルを計算に入れなければの話だがね』

 

勝ち誇ったように口にするHALの言葉に、しかしイタチはソードスキルによる攻撃の手を緩めない。システム外スキルも駆使することで、ボスのHPを僅かでも削り切ろうとする。そして、十六連撃全てが終わった時。ボスのHPは……ほんの僅かに、残されてしまっていた。

 

『どうやら君の快進撃もこれまでのようだね。さらばだ、イタチく――』

 

「スイッチ!」

 

「やぁぁぁぁあああああ!!」

 

『っ!?』

 

勝利を確信したHALの言葉は……しかし、イタチが放った言葉と、次いで響き渡った裂帛の気合を込めた声によって遮られてしまった。

ソードスキル発動を終えたイタチの後ろから現れたのは、イタチの黒と対を成す純白の服に身を包んだアスナ。SAO時代に『閃光』と称されたその敏捷をもって、ボスへと流星の如く飛び掛かった。

 

『……フフ、そう来ると思っていたよ』

 

だが、追撃を仕掛けようとするアスナを前にしても、HALの余裕は崩れなかった。イタチに代わり、アスナがボスの眼前へと躍り出たその瞬間を見計らって、HALは仕掛けておいた罠を作動させる。

 

「アスナさん、避けて!」

 

それに気付いたのは、スイッチに伴ってアスナの後ろに退くこととなったイタチだった。アスナとボスの間にある空間に発生する異変。それは、アイテムボックスに格納している装備をジェネレートする際に発生する光ものだった。

そうして光の中から現れたのは、一本の短剣だった。だがそれは、SAO攻略組として最前線で戦っていたイタチやアスナも見た事の無いものだった。

 

(その武器はシステム管理者のみが使用できるものだ。一突きで対象アバターのHPを全損させることができる)

 

「なっ……!?」

 

突如として現れた脅威に目を見開くアスナ。ちなみにHALが罠として仕掛けたこの武器は、防御も不能。ソードスキル発動の構えに入っていたことで、回避は間に合わない。刃は真っ直ぐ、アスナの腹部を目指して動き出し……

 

 

 

「油断し過ぎよ、アスナ」

 

 

 

しかし、アスナを傷付けるには至らなかった。

必滅の刃がアスナに触れようとしたその瞬間、アスナの耳に、聞き覚えのある声が入る。そしてその直後、アスナの視界を緑色の閃光が横切り、次いで金属同士が衝突して発生する甲高い音が響いた。

何が起こったのか理解できず、アスナはソードスキルを発動する姿勢のまま、空中で当惑した。ただ一つ、自身を狙っていた短剣が、いつの間にか視界から消え去っていたことから、自身が危機を脱したということだけは分かった。

 

「決めなさい、アスナ」

 

「えっと……ハイ!」

 

恐らく自分を助けてくれたのであろう、聞き覚えのある声に対して、未だ困惑しながらもアスナは頷いた。助けてくれた相手の正体や感謝云々よりも、今はとにかく、目の前の強敵を倒すことに集中することとした。

 

「行くよ……ユウキ!」

 

ボスへと肉薄したアスナは、イタチから受け取ったバトンを繋ぐべく、ソードスキルを発動させる。発動させる剣技は、その名を呟いた親友から託された、絶対無敵の十一連撃――『マザーズ・ロザリオ』である。

イタチの二刀流にも匹敵すると謳われる、『絶剣』ユウキが託したこの剣技ならば、数ドット程度しか残っていないボスのHPも十分に削り切れる。譬え防御スキルを発動させていたとしても、無意味である。

 

「せやぁあああっっ!!」

 

繰り出される十連撃の刺突によって、ボスの身体に十字架を描かれる。そしてフィニッシュに、その中央を穿つように渾身の一撃を放った。

 

「これで、終わりよ!」

 

怒涛の十一連撃全てが綺麗に決まった。これでボスのHPは全損した筈。その様子を見ていたプレイヤーの誰もがそう思っていた。

しかし――――――

 

「ボスのHPが、最後の一ドット残っている!?」

 

「馬鹿な!あれだけの連撃だぞ!どうなってやがんだ!?」

 

『マザーズ・ロザリオ』が決まった後のボスのHPゲージを見たプレイヤー達が、驚愕に目を見開く。彼等が口にしたように、ボスのHPは一切減っていなかったのだ。

 

『残念だったね、『黒の忍』ことイタチ君。それに『閃光』のアスナ君。君達がスイッチを仕掛けて来ることなど、想定の範囲内だよ』

 

この局面でボスのHPを確実に削り切るには、イタチ単身ではなく、不意を突くためのスイッチ要員を用意しておくことは、用心深いイタチの性格からして簡単に想像できることだった。加えて、そのスイッチ要員には、ボスが対応できない程の速度で動くことが可能な、イタチが真に信頼を置くアスナが選ばれることも。

だからこそ、HALは最後の一撃を貰わないための保険として、あるスキルを最後まで温存していたのだ。その名は、『無敵化』。SAOにおける一部のボスとの戦闘時には、次の行動に移る間、如何なる攻撃をもってしても一切のダメージを受けないインターバルが発生する。HALはこの仕組みを利用し、一定時間、一切のダメージを受けないスキルとして開発していたのだ。尤も、発動できる時間は五秒にも満たず、連発することは不可能なため、当初の予定では使用することの無い、本当の意味での保険だったのだ。しかし、そんな保険は、この局面でHALにとって思わぬ形で役立つこととなった。

 

(集団スキャンの残り時間まで十秒を切った!ここまで来れば、私の勝利は確定だ……!)

 

イタチとアスナは、大技を繰り出した直後につき、技後硬直で動けない。二人に匹敵する速度で迫れる剣士は近くにはいない。結論として、ボスのHPを削り切れる者は誰一人としていないのだ。

最早ここに至っては、HALの計画を阻止することは不可能。そう確信したHALは、全てのプレイヤー達に向けて勝利を宣言しようとする。

だからこそ、HALは気付けなかった。ボスが発動した反射障壁によって跳ね返された魔法によって発生した砂煙の向こう側で――

 

 

 

 

 

左手に持った剣に、チ、チ、チと音を立てる雷光を宿して、ボスを見据える一人のプレイヤーの存在に。

 

 

 

 

 

『プレイヤー諸君』

 

HALが高らかに全プレイヤーに向けて勝利宣言を開始する。

その瞬間――

 

『この戦い』

 

紅玉宮のフィールドを、一筋の青白い光が駆け抜けた。

 

『私の』

 

それは、地上を走る稲光の如く、ボスへと迫り――

 

『勝利』

 

ボスの心臓部を、真っ直ぐ貫いた――――――

 

 

 

 

 

千鳥!

 

 

 

 

 

『っ!………………なん……だ、と?』

 

「終わりだ……HAL」

 

HALの勝利宣言は、最後まで続かなかった。

遠隔でボスを操るHALが、別視点のカメラからボスの正面を確認してみると、そこには驚くべき光景があった。

今しがた、二刀流ソードスキルを発動したことによる技後硬直で動けなくなっていた筈のイタチが、ボスの心臓に白銀の剣を突き立てているのだ。ボスの心臓部には、背中まで貫く大穴が空いている。そして、それを引き起こしたイタチが左手に握る剣からは、バチバチと電撃が迸っていた。

そして、ボスのHPゲージは――――――

 

『これ、は………………』

 

完全に、ゼロとなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

HPを全損したボスは、今までのフロアボスがそうであったように、その身を白銀に染めて、ポリゴン片を撒き散らして爆散した。

その様子を、ボスに止めを刺したイタチは、最後の一撃を繰り出した心臓部から間近で眺めていた。

 

『――――――私よ』

 

「?」

 

途中、ボスを操っていたHALが何かを呟いたのを耳にした。だが、それが何を意味するのかを考えるよりも先に、ボスが消滅したことによってその身は宙に投げ出されたため、着地に集中せざるを得なくなった。

 

「イタチ君!」

 

ボスを倒したイタチを待っていたのは、最後の一撃を与えるための作戦に協力してくれたアスナだった。遠くで待機していた他のプレイヤー達も、続々とイタチのもとへ駆け寄っていった。

 

「えっと……これって、どうなっているの?」

 

イタチのもとへ集まったプレイヤー達を代表して、アレンが問いかけた。

皆が見つめるその先には、ボスへのとどめを決めた本人である筈のイタチが、二人いた。

 

「イタチって……双子、だったの?」

 

「いえいえ!そんな筈はありませんよ!正真正銘、お兄ちゃんは一人だけです!」

 

リズベットが思わず口にした呟きを、イタチの家族であるリーファが否定する。しかし、そう考えるのも無理は無い。今ここにいるイタチは、双子と言われても納得してしまう程に瓜二つなのだ。顔は勿論、身長、体格……それに、身に纏う装備に至るまで。

今現在は、片方が両手に剣を持ち、もう片方が左手にのみ剣を持っている状態だった。

 

「もしかして……忍術?」

 

「はい。その通りです、アスナさん」

 

恐る恐る問いかけたアスナに、イタチは頷いた。その途端、両手に剣を持っていた方のイタチが、ポンッという音とともに煙を発生させて消えた。

その様子を見た一同が、再び驚愕に目を見開いた。

 

(『影分身の術』……チャクラ残量はギリギリのような感覚だったが、どうにか発動できたか)

 

ボスへの最後の攻撃を仕掛けるに当たってイタチが使用した忍術の一つ『影分身の術』。実体を持つ、自身と全く同じ分身を作り出すこの忍術を使ったイタチは、ボスへ攻撃を仕掛ける際、まず分身の方をボスへ突撃させ、二刀流ソードスキルを発動した。そこからさらにアスナにスイッチしてもらい『マザーズ・ロザリオ』の十一連撃を浴びせたのだ。そして、それでも倒れなければ、最後に後方に控えている本体のイタチが、最後の一撃として最強クラスの雷遁忍術『千鳥』を放つという作戦だった。

イタチの策は見事に功を奏し、スイッチを見越していたHALの裏をかき、見事ボスを倒すに至ったのだった。

 

「ところで……こんなところで、皆に見せちゃって良かったの?」

 

「今更です。あれだけ派手にシステムで説明のつかない力を行使した以上、言い逃れはできませんよ」

 

イタチとしては、忍術の行使はできる限り衆目にさらしたくはなかった。忍術などというシステムで説明のつかない異能を行使すれば、うちはイタチとしての前世のことまで説明しなくてはならないからだ。

しかし、今回ばかりはそうはそうはいかなかった。今回の一軒が全て片付いた後で、自分と親しい間柄の者達にだけは説明しておくべきかもしれないと、イタチは考えていた。

 

「そっか……分かったよ。ところで……私たち、勝ったんだよね?」

 

イタチの問題を一先ず棚上げすることにしたアスナは、改めてこの戦いの結果について確かめるように問いかける。

 

「はい。間違いありません」

 

その言葉により、かつてのSAO事件当時ですら中々体験することのなかった激闘を制したことを確かめた面々は、緊張の糸が切れて脱力する。中には武器を手から落とし、その場にへたり込む者もいた。誰も彼もが、満身創痍の状態だったのだ。

 

「そうやってすぐに気を抜くのが、昔から悪い癖よ、アスナ」

 

「……へ?」

 

全てが終わったことで、周りのプレイヤー同様、地面にへたり込みそうになっていたアスナに、唐突に声が掛けられる。何やら聞いたことがあるような声に振り返ると、そこには、

 

「お、お母さん!?」

 

「エリカよ」

 

アスナが思わず口にした、リアルが割れる呼称を訂正させたのは、ALOのシルフアバターのプレイヤーことエリカ。イタチをはじめとした一部の面々が知るその正体は、アスナの母親、京子である。

 

「全く……あなたって子は。さっきもそうだったけど、重要な局面で油断が過ぎるんじゃないの?」

 

「……もしかして、あの時助けてくれたのって……」

 

「私よ。昔からそうだったけど、いつまでたっても、危なっかしくて見てられないんだから……」

 

ボスへの攻撃に際して、アスナがスイッチした瞬間を狙った攻撃を防いでくれたのは、エリカだったのだ。あのタイミングでの不意打ちは、イタチでも想定しきれていなかったのだが、それに対応できたのは、やはり母親故なのかもしれない。

 

「あれ?……けど、エリカさんは、私が呼んだ人の中にはいなかったような……」

 

「ヒロキ!会場の状況はどうなっている!?」

 

ふと呟いた唯の言葉を遮るように、イタチがこの状況を見ているであろう協力者への問いを、虚空に向かって放った。

 

『大丈夫だ。ボスを倒してくれたお陰で、HALからアーガスメインサーバーの管理権を奪うことができた。今、ファルコンと協力して、高出力スキャンを止めている』

 

それに対し、ヒロキはイタチのすぐ傍に小型ウインドウを開いて答えた。これならば、現実世界の会場でオーディナル・スケールを起動してプレイしている者たちの命も大丈夫だろう。

 

『ただ、会場に出現したSAOフロアボスは消えていない。こっちはシステムを掌握して高出力スキャンを止めるので手一杯だから、悪いけれど、今すぐ現実世界に戻って対処してくれないかい?』

 

一先ずの脅威は取り除くことができたと知り、安堵したのも束の間だった。会場が未だに混乱状態だと聞いた以上、イタチも動かざるを得ない。

激戦に次ぐ激戦によって疲弊した精神と、現実世界に残している肉体に鞭打ち、次の戦場へと繰り出すべく、イタチは動き出そうとする。だが、その時だった。

 

『これで完全クリアだな、イタチ君』

 

唐突に、イタチの名を呼ぶ声が虚空に響き渡る。一体何事かと、それを聞いた一部のプレイヤー達が身構えるが、イタチだけは然程大きな反応をしなかった。

 

 

「茅場さん……やはり見ていましたか」

 

イタチが口にしたその名に、周囲のプレイヤー達がざわめく。何せそれは、SAO事件を引き起こした主犯にして、今はもうこの世にはいない人間の名前だったのだから。

 

『私の作った世界が、真にクリアされる瞬間を見たいと思うのは、当然のことだろう?』

 

「そうですか……」

 

『それよりもイタチ君。この世界を制覇した君を讃えて、これを授けよう』

 

姿なき茅場の声がそう告げた途端、イタチの頭上に光が収束し始める。集まった光は輝きを増し、やがてその中から、1本の剣が生み出された。イタチの持っている片手剣や、カズゴの持つ両手用大剣を超える大きさの、長大な剣である。

空中に現れた大剣は、イタチのもとへと真っすぐ下りてくると、その手に収まった。

 

『アインクラッドは確かにクリアされた。だが、まだ君にはやることが残っているのだろう?』

 

「……そうですね」

 

『さあ、行きたまえ。君たちの助けを待つ者たちのもとへーー』

 

 

それを最後に、茅場の声は完全に消えてしまった。

おそらくはこの世界において強力無比であろう武器を授けられたイタチは、最後の仕上げとして、もとの戦場へと向かうのだったーーーーーー

 

 

 

 

 

『グルォォオオオ!!』

 

「きゃぁあっ!」

 

オーディナル・スケールの強制起動と突如として出現した多数のアインクラッドフロアボスによって混乱の真っ只中のイベント会場の中。

その一角において、フルダイブ中のイタチ等を守るために悠那が展開していた障壁が、ボスモンスター達の執拗なまでの攻撃により、遂に破られた。

 

(まずい……このままじゃ……!)

 

悲鳴とともに吹き飛ばされた悠那は、必死に立ち上がろうとする。フルダイブ中とはいえ、オーディナル・スケールが強制起動されている状態でボスモンスターの攻撃を受ければ、HPは減る。全損すれば、強制スキャンが起こることもありうるのだ。

 

「くっ……!私が、守ら、ないと……!」

 

吹き飛ばされた衝撃でふらつく足でどうにか立ち上がった悠那は、イタチ等のもとへ戻ろうとする。だがそこへ、

 

『シュロロロロ……!!』

 

「なっ!?」

 

アインクラッドフロアボスの一体であるアストラル系モンスター『シーザー・ザ・ガシアスファントム』が立ちはだかった。それに続くように、上空からは女性の鳥人型モンスター『モネ・ザ・スノウハーピィ』が、その身に纏う雪を舞い散らせながら降り立つ。

二体のボスモンスターに狙われ、窮地に陥ってしまった悠那は歯噛みする。このままでは、イタチ等はおろか、自分の身も守り切れない。

 

『フォォオオオ!!』

 

「くっ……!」

 

そうこうしている内に、雪を纏った女鳥人が、氷の矢羽根を悠那に向けて飛ばし始めた。盾を落としてしまった状態の悠那にはこれを防ぐ術はなく、悠那は迫る恐怖に思わず目を瞑ってしまった。だが、その瞬間ーー

 

『フ、ォオ、アァ……』

 

『シュ、ロロォ……』

 

(……え?)

 

悠那の眼前を、何かが通り過ぎた。それを感じた悠那は、瞑っていた目を見開く。するとそこには、先ほど悠那を狙っていたモンスター二体が、その身を横一文字に断ち切られ、ポリゴン片をまき散らして爆散する光景があった。

一体何が起こったのかと、視線を辺りに向けてみる。すると、

 

「イタチ……?」

 

そこには、赤い雲の模様が入った黒コートに身を包んだ、イタチの姿があった。しかし、イタチの現実世界の体は、未だに会場の一角の席にある。ここにいるイタチは、紅玉宮へダイブしたアバターなのだと、悠那はすぐに理解する。

その手には、見たこともない長大な、圧倒されるようなデータ量を秘めた剣が握られている。恐らく、先程のボス二体を倒した得物も、これだったのだろう。

イタチは悠那の方へと振り返ると、三つ巴の文様が浮かんだ赤い双眸を向けた。それと同時に、悠那とイタチの頭上に浮かんだ、プレイヤーランクを示すアイコンが、音を立てて切り替わった。イタチは最強を示す「1」に。悠那はそれに次ぐ「2」の数字である。この瞬間、イタチと悠那のランクは入れ替わり、イタチがオーディナル・スケール最強の座を掴んだのだ。

 

「……」

 

「……」

 

互いに視線を交わす、イタチと悠那。やがて二人は静かに頷き合うと、それぞれの為すべきことのために動きだした。

イタチはイベント会場に現れたモンスターの掃討。そして、悠那は……

 

(ーー怖いこと……悲しいこと、たくさんあったよね。思い出の中に消えてしまった人もたくさんいた……)

 

本来の主役がいなくなったステージの上へと、決意を胸に歩きだした。

 

(それでも今を生きる皆の、その胸にはまだ温もりが残ってる……)

 

ステージに立った悠那は、祈るように両手を胸の前で組むと、一人歌い始めた。

辺りのプレイヤー達の多くは、ユナが戻ってきたと勘違いしていたが、構わず悠那は歌い続ける。

 

(みんながそれぞれの楽しかった時を、笑顔を忘れないでいてくれるなら、それ以上は何もいらないわーー)

 

この場にいる皆に、この歌を聞いている全ての人へと、笑顔を届けるためにーーーーー

 

 

 

 

 

「なんだ……一体、何が起こったというんだ……!?」

 

旧アーガス社のメインサーバーが置かれたサーバールーム。そこで計画の推移を見守っていた重村は、信じられないとばかりに驚愕に目を見開き、体を震わせていた。

彼の手に持つ端末の画面。そこに映し出されていた、ライブ会場にいるプレイヤー達のエモーティブ・カウンターの平均値が、上昇を停止。かと思えば、急激に低下し始めていたのだ。

どうやら事態は、重村達にとって最悪の方向へと急転したらしい。別の端末を操作し、ライブ会場内の映像を確認してみると、そこには信じられない光景が映し出されていた。

 

「これは……まさか、桐ケ谷和人?」

 

今回の計画を遂行するにあたり、HALが敵対していたSAO生還者の一人であるイタチこと桐ケ谷和人が、会場内のフロアボスを次々に撃破しているのだ。しかも、イタチの持っている武器は、アインクラッド第百層のラスボスをクリアした者のみが入手できる伝説級のアイテムである。今回の計画を遂行するにあたり、旧アインクラッドの、特にラスボスに関連する情報を確認していた重村には、それがすぐに分かった。

そして、そんな武器をイタチが持っているということは……

 

「HALの奴……まさか、しくじったというのか……!?」

 

その事実を認識したことで、重村はさらに衝撃を受ける。

確かにHALは、創造主である春川英輔に似て、自信過剰なところはあったものの、確かな能力を持っていた。最後の砦として用意していたSAOのラスボスも、攻略など不可能と言わざるを得ない程のカスタマイズを施していたことも知っている。

だからこそ、HALが敗れたなどという事実は、簡単に信じられるものではなかったのだ。

 

「何故だ……あと少し……あと少しだったのに……!」

 

愛しい娘を取り戻したい。その一心で、あらゆる犠牲を払うことを覚悟の上で実行した計画が完全に潰えたことに絶望し、項垂れる重村。

HALが敗れたことによって、電子ドラッグで洗脳した兵士達も軒並み活動を停止していることだろう。旧アーガス社のメインサーバーを置いているこの建物を守っている兵士達が力を失ったとなれば、Lが部下を差し向けて、重村を確保しにかかることは間違いない。だが、最早重村にとっては、そんなことは些末事だった。

 

「すまない……悠那……!」

 

必ず取り戻すと、そう心に誓った娘に対し、謝罪を口にする重村。その時ーー重村の右手に結んでいたブレスレットが、唐突に千切れ、地面へと落ち……チリン、と小さな金属音を室内に響かせた。

その音にはっとなって顔を上げた重村の目に映ったもの。それは、鏡のように辺りの光景を反射していたサーバーの外装フレームに映った、娘の姿だった。

ばっと後ろを振り向くと、そこには紛れもなく、重村が愛してやまなかった、一人娘がそこに立っていた。

 

「悠、那……」

 

「ありがとう、お父さん」

 

目の前に現れた娘は、父親である重村を責めるでもなく、悲しむでもなく、感謝を口にした。仮想の世界で命を落とし、この世界から消えてしまった自分を、未だに強く愛してくれている、父親へと……

 

「私はお父さんの思い出の中にいるよ。いつまでも……」

 

目に涙を浮かべながら、ただ短く、それだけ伝えた悠那は、すっとかき消えていった。

その場に一人残された重村は、涙を浮かべながら崩れ落ちていった。

 

 

 

Lが捜査本部から派遣した実働部隊が、無防備な状態で項垂れた重村を確保したのは、それから約十分後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

「どうだった、イタチ?」

 

「……最高の歌だった、と言っておこう」

 

場面は再び、ライブ会場へ戻る。悠那の歌声が響く中で無双を繰り広げたイタチは、瞬く間に会場内のフロアボスを殲滅。花火さながらにボスモンスター達をデータの破片へと爆散させていき、悠那が歌い終わる頃には全てが片付いていた。

会場内の安全が確保された時点でイタチとその仲間達は全員、フルダイブから現実世界へ帰還し、今はこうしてステージから降りてきた悠那と合流していた。

 

「ありがとう」

 

「それで、お前はこれからどうなる?」

 

説明されずとも、イタチにはある程度予想がついていることではあるものの、他の面々にも情報を共有すべきと判断し、敢えて問いかけることとした。

それに対し、悠那は少しばかり躊躇いを見せながらも、話し始めた。

 

「……私の本体はデータは、百層ボスのリソースの一部で作られていたの。お父さんとHALは、そこが絶対の安全圏だと考えていたけれど、あなたたちはその壁を打ち破った。保存データは間もなく初期化されるから……皆とはここでお別れ」

 

「そんな……!」

 

「どうにかならねえのかよ……!」

 

悠那から齎された事実を聞いて、動揺する一同。ここにいる関係者は皆、彼女のことについてイタチやLからある程度の情報を聞かされており、彼女がSAO事件の犠牲者である重村悠那を再現しようとして作られたAIであることも知っている。しかし、譬え実態がAIであったとしても、この事件において自分達を助けてくれた功労者である少女が消滅することは何としても避けたかった。

 

「ありがとう。私のことを心配してくれて。けど、もう十分なんだ。とても楽しかったよ。大勢の人の前で歌うっていう夢が叶ったんだもん。これ以上の幸せはないわ」

 

自身の消滅を憂いてくれる仲間たちに対し、悠那は何も心残りは無いという言葉とともに、本心からの笑顔で応えた。

 

「それと最後に、皆から預かったものを返すね」

 

「記憶をスキャンされたSAO生還者達の記憶をもとに戻すことができるのか?」

 

イタチの問いかけに、悠那は頷いた。この事件における被害者達に関する最大の懸念事項だっただけに、アスナをはじめとした面々は、解決することができると聞いて心底安心していた。

 

「記憶障害の原因になっていたのは「死の恐怖」。でも皆は、それを乗り越えて戦った……だから、きっと、思い出せるよ」

 

その言葉とともに、悠那のアバターは光に包まれ、無数の粒子になって辺りに散った。

 

 

 

 

 

 

 

「うぅ……ゆう……悠那ぁ……」

 

HALが横須賀から呼び寄せた、電子ドラッグで洗脳した大勢の兵士達が行動不能になって倒れ伏しているライブ会場の地下駐車場の中。電子ドラッグver.2の副作用で立ち上がる力すら失ったエイジは、一人自身の無力さを嘆いていた。

 

「すまない……僕は、……僕は、また……君を……」

 

HALの電子ドラッグや重村のパワードスーツといったチートツールを用いたにもかかわらず、結果はこの有様。ARならば無双の力を奮うことができた自分も、SAO最強の剣士とされたイタチの前には、敵わなかった。

悠那を救えなかったSAO事件の時といい、今回の計画といい、どこまで自分は無力なのか……思い出せば思い出すほど、自分が惨めに思えて仕方がなかった。

大切なものを何一つ守れない……そんな自分が、存在する価値などあるのだろうか。いっそこのまま、消えてなくなりたい……そんな考えが思い浮かんだ、その時。

どこからともなく舞い込んだいくつかの光の粒が、エイジの頭上へと降り注いだ。そしてーー

 

エーくん……

 

「っ!?」

 

ふと、エイジの頭の中に直接語りかけるような、自身の名を呼ぶ、聞き覚えのある声が聞こえた。

同時にそれを聞いた瞬間、ありえないとも思った。

自分をそう呼ぶ人は……取り戻したいと思った人は……すでにこの世にはいないのだから。

だが、そんなエイジの思考をよそに、姿なき声はエイジへと語りかけ続ける。

 

ありがとう……私のことを、いつまでも想っていてくれて……

それに、私の夢を、覚えていてくれて……

 

「悠、那……?」

 

その言葉を聞いた瞬間、エイジは否が応でも声の主が自分の思い求めてやまない少女ーー悠那なのだと理解せざるを得なかった。

 

エーくん……あれはあなたのせいでも……誰のせいでもないわ。

あの時、あの場所にいた、私を含めた皆が最善を尽くした結果……

 

悠那はエイジのことを責めることはしなかった。SAO事件の時に助けることができなかったことは勿論、今回の暴挙と呼ぶべき計画に加担したことについても。

 

だから……そろそろ自分を許してあげて

 

「う、うぅ……」

 

エイジへと語りかけるその言葉の中にあるのは、エイジの苦しみに寄り添い、その苦しみを少しでも取り除きたいという、純真な優しさだった。そしてその優しさは、エイジの心にも強く響いていた。

 

大好きだよ、エーくん――

 

それが最後の言葉だった。エイジの頭の中に響いていた声は、完全に聞こえなくなった。

一人残されたエイジの目からは、とめどなく涙が溢れ、嗚咽が漏れた。

広い駐車場の中、先ほどよりも多くの光の粒が雪のようにエイジの上から降り注いだ。光の中、エイジは自身ををそっと優しく包み込むような、懐かしい温もりを感じていたーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

「イタチ君、悠那はやっぱり……」

 

「ご想像の通りです。保存データが初期化されたことに伴い、彼女もまた消滅したということです」

 

会場の至る場所に雪のように舞い散る光の粒子を眺めながら口にしたアスナの言葉に、イタチは淡々と答えた。悠那の消滅は、他の皆にとっても衝撃だったのだろう。その場にいた仲間たちの誰もが、沈痛な面持ちだった。

とはいえ、いつまでもこうしているわけにはいかない。危機は去ったとはいえ、事件自体はまだ解決していない。Lの方で主犯の一人である重村は確保できただろうが、もう一人の主犯である春川英輔の行方は未だ知れない。ヒロキとファルコンの力をもってすれば、すぐに居場所は分かるだろうが、計画が失敗に終わったことで何をしでかすか分からない以上、早々に捕らえる必要があった。

 

「そういえば、イタチ君」

 

「……なんでしょうか?」

 

脳内で今後のことについて思考を巡らせていると、ふと、隣に立つアスナから声をかけられた。

 

「記憶だけど……ちゃんと戻ってる?」

 

そう問いかけるアスナは、心配そうな表情を浮かべていた。だが、それも当然だろう。今回の事件におけるイタチの記憶消滅は、イタチがアスナを守るために身を挺したことがきっかけなのだ。故にアスナは、イタチの記憶が本当に戻っているのか、不安で仕方がなかった。

 

「ええ。悠那のお陰もあって、当時の記憶は大分戻ってきています」

 

「そっか……良かった……」

 

「心配をおかけしました。それに、実を言うと、あの戦いの最中に記憶は戻り始めていたんです」

 

「そうだったの!?」

 

イタチから齎された予想外の事実に、目を見開いて驚くアスナ。それを聞いていた周囲も同様である。

 

「恐らく、SAO時代を想起させる戦いに挑んだことがきっかけだったのでしょう。戦いの最中で、事件当時のボス戦をはじめ、様々な記憶が過っていました」

 

「そ、そうだったんだ……」

 

「もう!お兄ちゃんったら……事情を聞いた時は、私も心配したんだからね」

 

「何はともあれ、結果オーライってことかしら」

 

記憶が取り戻せたのなら、危険を冒した甲斐はあったとシノンが結論付け、他の仲間たちもまたそれに同意した。

そんな中、リズベットがあることに気づき、口を開いた。

 

「そういえば、気になってたんだけど……イタチが最後に放ったあの一撃。それに、使ったのは、左手に持っていた剣だったけど、それって……」

 

「『ダークリパルサー』ですね。リズベットさんとアスナさんからの贈り物です」

 

「やっぱり分かってたんだ!」

 

「ええ。この戦いに終止符を打つにはあの技と……そして、あの剣以外には無いとも、思っていました」

 

そう言いながら、イタチは『ダークリパルサー』を持っていた手を握りしめた。SAO事件の最終決戦において耐久値を全損したことによって失われてしまった剣だったが、先程の戦いで再び手にする機会ができた。ちなみに、SAO事件当時における、この剣を巡ってひと悶着を起こした記憶が戻ったのも、その時だった。

そうして事件当時の記憶が戻ったことを改めて実感していたイタチだったが、一方で再び手にした剣を特別扱いされたことで、その製作者たる鍛冶師が顔を真っ赤に染めることとなった。

 

「ちょ、ちょっと!変なこと言わないでよ!」

 

「イタチ君……まさか、本当はリズのことを……!」

 

「アスナ!あんたも勘違いするんじゃないわよ!」

 

別にそのような意図をもっての発言ではなかったのだが、イタチの放った言葉はその場にいた当事者達にえらい誤解を植え付けてしまっていた。また、SAO事件当時における剣を巡るトラブルの一部始終を知っている者たちは、先程からニヤニヤと悪い笑みを浮かべながらその様子を面白そうに眺めていた。

 

「ええ!?また新たなライバルの登場なんですか!?」

 

「ま、今更でしょ。何人いようと、負けるつもりはないけどね」

 

「うぅぅ……リズさんにまで参戦されたら、私ももう勝ち目が……」

 

「ちょっと!だから違うっての!人の話聞きなさいよ!」

 

顔を真っ赤にしながら否定するリズベットだが、イタチを慕う者たちの暴走は止まらない。さらに周囲は面白がって火に油を注ぐような言動で煽り立てるので、収拾がつかなくなる一方だった。

そんな暴走している女子勢の様子を、渦中の当事者であるイタチは、呆れた表情で見ていた。だが、助け舟は誰にも出さない。自分が口を出せば、混乱に拍車がかかることは分かり切っているからだ。

あれだけの壮絶な戦いの後だというのに元気が有り余っている一同に背を向けたイタチは、再度、会場に舞い散る光の粒子に目を向けた。

 

(安らかに眠れ……悠那)

 

儚げに舞う光を眺めながら、イタチは心の中でそう祈った。前世の自分や弟のように、深すぎる愛情故に暴走した人間たちにより生み出され、そして同じ人間の手により消滅の道を辿った、不完全ながら悠那の記憶と人格を持っていた人工知能。譬え本人が納得した、満足したと言っていたとしても、その末路には、アスナ達だけではなく、イタチもまた心を痛めずにはいられなかったのだ。

 

 



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第百五十六話 再生【rebuild】

 

春川英輔は、自他共に認める天才だった。

専門の脳科学を中心として、科学・物理学・医学などあらゆる分野でその才能を遺憾なく発揮し、若くして私立の名門錯刃大学の教授という地位に就いた程だった。

そのような卓越した才能を持つ故に、性格は自信家かつプライドが高く、また、常人とは異なる感性を持った、変人で陰気な皮肉屋だった。

その優秀過ぎる頭脳により、自身の望むことは、全て可能としてきた春川だったが……そんな彼の人生に影を差したのは、ある一人の女性との出会いだった。

 

 

 

 

2016年4月4日

 

「……そうか。君はあの本城博士の娘か」

 

「はい。十月十八日に生まれた一人……そんなのが名前の由来だそうですけど、意味わかります?」

 

春川と重村が出会った頃から、約七年前。

当時すでに国内で並ぶ者の無い脳科学の権威だった春川は、治療と研究を依頼された患者がいた。

 

「漢字文化圏では極少数の単位。「六徳」の十倍。「弾指」の十分の一。つまり”刹那”だ」

 

「すごい。やっぱり何でも知ってらっしゃるんですね」

 

これが、錯刃大学病院特別脳病科治療施設における、春川と彼が担当することとなった被験者番号010番――本城刹那との初対面だった。

 

「あの人らしい。父上の論文はいくつも拝見しているよ」

 

「父からあなたの噂も聞いています。あらゆる知識に精通した、十年に一人の天才だって。だから今回会うの、正直不安だったんです。父もそうですけど……そういった人って大概奇人変人の類ですから」

 

「ククク……実際に会ってみた感想は?」

 

「全然大丈夫!むしろそのぐらい不気味な方が好みです!」

 

名のある数学者の娘であっただけに、彼女は春川の目から見ても聡明そのものだった。物分かりが良く、饒舌で知識に富み、肉体的にも何ら問題なく健康だった。

 

ただ一つ――――――脳のほんの一部を覗いては。

 

一日に数回、彼女は突如として異常な程、攻撃的に豹変する。脳細胞が徐々に破壊される原因不明の病。それが、体のコントロールを奪い、数人がかりでようやく取り押さえられる程に暴れまわるのだ。

 

「……すみません、教授」

 

「気にする事はない」

 

発作が治まり、ベッドの上で目覚めた刹那は、春川に対して自身の醜態を詫びた。だが、春川はまるで気にした様子は無かった。

 

「あくまで原因は、脳という物質の一部の異常だ。病気が理由で君の人間性が貶められはしないのだから」

 

「ありがとうございます。慰め方も合理的で分かりやすい。反論の余地が無い分、無理やり慰められちゃいました。流石は教授です!」

 

「……君も大概変人だな」

 

「はい!変人ですが、よろしくお願いします」

 

こうして春川による、本城刹那の原因不明の脳疾患の治療は始まった。

この時の春川にとっては、刹那は貴重な実験体の一人に過ぎず、どれだけ未知の病気であろうと、完治させる絶対的な自信があった。今までがそうであったように、自身の持つ天才的な頭脳には、為しえないことなど何一つないと……純粋に、そう信じて疑っていなかった。

しかし………………

 

「教授……お願い」

 

「刹那……」

 

「私がこの先どんなに壊れても、今の私を忘れないで。今ここであなたと話している……この一瞬の刹那を忘れないで」

 

春川がプライドをかけて考案したあらゆる治療法は、刹那の未知の病の前には全くの無力だった。

春が過ぎ……蝉の幼虫が地中から這い出し、成虫となって鳴きだした頃には、彼女の脳が正常な機能を保てる時間は……その時既に、半日も無くなっていた。

春川は、刹那の脳細胞がズタズタに破壊されていく様を、ただ見ていることしかできなかったのだ。

 

 

 

そして遂に――――――その日はやってきた。

 

 

 

春川が治療を始めてから、およそ半年後。

完全に破壊され尽くした彼女の脳は、最早もとに戻すことは叶わず……遂に、脳死判定が下された。

 

「……馬鹿な」

 

本城刹那の死という現実を前に、不可能を知った時。春川の頭に充満したのは、かつてない屈辱。挫折。そして……”渇望”だった。

 

「CTスキャンによる脳の断面図……脳波測定で得られた脳電図……これらは断じて君ではない。君であってなるものか!!」

 

部屋の中に置かれた、本城刹那という患者に関わるデータの数々。それらを春川は、衝動のままに破り捨て、破壊した。手から血が滴るのも構わず、普段の春川からは想像もつかないような暴れ方をした末……一つの決意を抱いた。

 

「君を造ろう」

 

美化もせず、風化もさせず、一ビットたりとも違うことのない彼女を造り出す。

どんな手段を使ってでも、本当の彼女にもう一度会いに行くーーーーーー

 

 

 

これが、春川英輔が初めて、彼女を……本城刹那を0から創ることを欲した瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

2026年5月7日

 

 

『0と1、死と生……脳科学とコンピュータサイエンスの融合。その技術によって、既にこの世を去った故人をデジタル世界に構築すること。それこそが、我々の目的だった』

 

「重村教授が娘の悠那を蘇らせようとしたように、春川教授は自身が救うことのできなかった本城刹那を蘇らせようとした。そういうことだな」

 

電人HALが口にした、一連の事件を起こした動機を、イタチこと和人はそう締めくくった。

両者がパソコンの画面越しに向かい合うこの場所は、仮想世界ではない。現実世界の、人里離れた山奥にある山荘の中である。また、和人の後ろには、捜査メンバーの一員であるコナンこと新一と、クロイスター・ブラックフォントの『L』の文字が映し出された、捜査本部にいる竜崎やファルコンこと藤丸と通信でつながれた状態のパソコンを持ったワタリの姿があった。

 

和人等がユナのライブを舞台として繰り広げられた激闘を制し、春川と重村が企てた計画を阻止することに成功したその日。Lやファルコン、ヒロキといった、捜査をバックアップしていたメンバーは、重村を確保すると同時に、計画に使用されていたコンピュータとその中身のプログラムの全てを即座に掌握。それと同時に、既に現場を離れていた春川の居場所も早々に特定した。

そしてその翌日たる今日。和人はLが率いる捜査メンバーとともに、この事件に真に終止符を打つべく、最後の容疑者たる春川と、現場から逃げ去っていた電人HALの潜伏先へと踏み込んだのだった。

 

『刹那を蘇らせることに執念を燃やした春川は、稀代の天才、ヒロキ・サワダの研究を再現し、自身のコピーとして私を造り出すことに成功した。だが、春川だけの力では、その先へ進むことは困難だった……』

 

「重村教授と手を組んだのは、そのためか」

 

『その通りだ。春川が再現した人工知能創造の研究と、重村教授のオーグマーを利用した記憶の収集・結合、そしてディープラーニングの研究を組み合わせれば、刹那の人格を再現することも可能となる』

 

「オーディナル・スケールを利用して、重村悠那を蘇らせる計画に加担していたのは、その予行演習のためか」

 

『ご明察だよ、工藤新一君。重村悠那を蘇らせる計画とは違い、春川にとって、刹那を蘇らせるチャンスは一度きり。譬え不完全であったとしても、記憶の断片から一人の人間の人格が再現される、その瞬間のデータを得ておきたかったのだよ』

 

「思い出だけを頼りに、人を0から造り出そうとは……とても天才科学者の発想とは思えんな。SAO生還者達の記憶を収集して悠那の人格を再現しようとした重村教授も大概だが、春川教授のそれはさらに無茶な試みだ」

 

『馬鹿げた話だろう?聡明な君達ならば……いや。世界中の誰であっても簡単に導き出せる結論に、春川はどうしてもたどり着きたくなかったのだ』

 

和人と新一が無茶だと指摘し、HALが馬鹿げていると言ってる通り、刹那を再生させる計画には、かなりの無理があった。

重村は悠那の人格を再現するにあたり、SAO生還者達の記憶の断片を、ゲーム内におけるHP全損による死の恐怖をトリガーとした、オーグマーによる脳のスキャニングという方法で収集していた。

だが、本城刹那の場合はそうはいかない。この計画を始動させようとした当時、本城刹那という人間を知る人間は、家族をはじめ、既にこの世界には全くと言っていいほど残っていなかったのだ。人一人分の人格を再現するのに必要な素材の調達からして儘ならないという点では、春川の望みは悠那の再現以上の困難と言えた。

 

『春川は、生前の……本来の本城刹那を知り、その人格を再現するための記憶を供出できる人間は、自分以外にいないと結論付けていた』

 

「それで、諦めきれなかった願望を叶えるための最終手段を使った結果が……”これ”というわけか」

 

和人が視線を向けたのは、HALが映し出されているコンピュータのすぐ傍に設置されたベッドの上。そこには、和人等が確保しに来ていた目的の人物――春川英輔が横たわっており、その頭には、ナーヴギアを改造したフルダイブマシンが装着されていた。

しかし、ベッドの上に横たわっているその身は微塵も動くことはなく、呼吸すらしていない。そして、和人等が今いるこの部屋に踏み込んだ時には、肉の焦げたような異臭が充満していた。

春川英輔の生命活動は……完全に停止していたのだ。

 

「改造したフルダイブマシンで、自身の大脳に超高出力のスキャニングを行った。己の脳の中にある本城刹那の記憶を抽出しようとしたということか」

 

『言うまでもないことだが、結果は惨憺たるものだったよ……』

 

和人等がこの場に現れるまでの間には、いくらかの時間があったにもかかわらず、HALは電脳世界へ逃げることなくこの場に残り続けていた。そのことから既に察していたが、春川が自らの命を賭して挑んだ本城刹那の再生は、失敗に終わったらしい。

 

「察するに、スキャニングを行うにあたってのトリガーになったのは、『屈辱』か」

 

悠那再生に必要な記憶の断片を集めた際には、SAO生還者のプレイヤーに、ゲーム内におけるHP全損による『死の恐怖』を与えていた。それと同様に、春川はの場合は本城刹那を失った時の記憶を強く励起させるための引き金として、『屈辱』を選んだのだと和人は考えていた。

 

「何一つ不可能なんて無かった、自他ともに認める天才である春川英輔だ。プライドをかけて治療していた患者が亡くなったのなら、その時の屈辱は計り知れないだろうからな……」

 

『その時の感情を、プレイヤー達に敗北することによって、強くイメージしようとしたのでしょう』

 

和人の推理に、新一と竜崎が補足した。対するHALは、画面の向こうでフッと自嘲するような笑みを浮かべた。

 

『君達の推理は当たっているよ。だからこそ春川は、この計画の要であるシステムの防衛役に自ら名乗り出た。計画の破綻は、春川の敗北を意味する。その頭脳で何一つ不可能なことなど無かった春川にとって、刹那を失った時以来の挫折だ。刹那の記憶を呼び起こすためのトリガーとしては、十分だと春川は考えていた』

 

「……紅玉宮のラスボスを操っていたのも、お前ではなく、春川教授本人だったんだろう?」

 

『ホウ……それもお見通しだったとは。ちなみに、何故、気づいたのかね?』

 

「ボスがHPを全損して消滅しようとしたあの時。今までHALだと思っていた声が、その場ではない、別の場所にいた自分のことを『私』と呼んでいるのを聞いた。HALは今まで、春川教授のことを『春川』としか呼んでいなかった。故にあの呟きは、HALのものではないと考えた」

 

何より、脳内スキャンを行うならば、計画の破綻を意味する、ボスのHP全損の瞬間を狙わなければならない。であるならば、春川自らフルダイブし、ボスを操作していたとしても不思議ではなかった。

 

『そこまでお見通しとは、流石だな。世界的名探偵Lと高校生探偵の工藤新一に一目置かれている理由がよく分かる』

 

「俺は探偵ではないのだがな」

 

『フム……桐ケ谷和人君。君については、春川も私も、非常に気になっていた。SAO事件を終結させただけでなく、ALOやGGOの事件をも解決に導いた推理力と行動力……。

そして、先日の戦いで見せた、システムには存在しない筈のスキルの数々……。春川の頭脳をコピーした私の思考力をもってしても、遂に君の正体を導き出すことはできなかった。君は一体……何者なのかね?』

 

HALや春川だけではない、この場にいる全員が……否、和人に関わっている人間全員が知りたがっているであろう問い掛けだった。

対する和人は、僅かに逡巡するように目を細めたが、やがて意を決したように口を開いた。

 

「俺は桐ケ谷和人だ。だがそれと同時に、もう一人の……こことは別の世界を生きた男の前世の記憶を持っている」

 

誰もが知りたがっている和人の秘密は、思いもよらない話に発展したことに、その場にいた誰もが――モニターの向こうにいる竜崎、藤丸も含めて――目を見開く。

 

「”うちはイタチ”……それが俺の、忍者として前世を生きた男の名前だ」

 

和人の口から語られた衝撃の事実に、それを聞いた全員が硬直する。暫くの間、時間が止まったかのような沈黙がその場を支配した。そして、最初に言葉を発したのは、モニターの向こうにいるHALだった。

 

『うちはイタチ……そうか。それが、君のプレイヤーネームの由来か。しかし、”忍者”とはどういったものなのだね?この国で一般的に知られている忍者とは違うようだが』

 

「……忍者の概念についてはそれほど違いは無い。但し、俺がいた世界の忍者は、この世界の科学では説明がつかない超常の力を忍術として使用する。変化に分身、幻術をはじめ、火や水も操ることができる。ALOのプレイヤーが使用する魔法染みた力だと言えば分かりやすいだろう」

 

『成程……最終決戦で使用していたあのスキルは、君が前世の世界で使用していた忍術だったというわけか』

 

荒唐無稽とも言える和人の話だったが……しかし、HALはそれを信じて疑う様子は無かった。それどころか、和人がうちはイタチとして生きた前世の世界について興味を持った様子だった。

その一方で、新一達は話についていけず、顔を引き攣らせて黙ったままだった。まるでゲームやライトノベルの設定のような話に、思考が追いついていない様子だった。

 

「随分とあっさり信じるんだな……」

 

『そこにいる工藤新一君が尊敬する名探偵シャーロック・ホームズの名言にも、「全ての不可能を除外して最後に残ったものが如何に奇妙なことであってもそれが真実となる」というものがある。である以上、君の話す忍者としての前世こそが、真実なのだろう』

 

「理屈は分かるが、話が荒唐無稽過ぎるだろう。俺の話をこうも簡単に信じたのは、茅場さんだけだった」

 

和人がうちはイタチとしての前世を話した相手は、茅場以外にも、明日奈、直葉、詩乃、ユウキがいる。しかし、この三人については前世を話すに足るだけの強い信頼が互いにあった。ノアズアークことヒロキも和人の前世を知っているが、こちらは茅場経由で知らされている。

よって、和人の前世をそういった十分な信頼関係が無い状態で、抵抗なく信じることができていたのは、茅場だけだった。尤も、異世界の存在を求めるあまり、一万人もの人間を巻き込んだSAO事件などというとんでもない惨劇を引き起こした茅場は、かなり特殊事例なのだが……。

 

『成程、茅場晶彦か……であるならば、君の話を理解できるのも当然だ。何せ私は、茅場晶彦と並ぶだけの天才的頭脳を持つ春川英輔のコピーなのだからな』

 

「そういうものか……」

 

天才的な頭脳を持つが故の理解力なのだとHALは言うが、春川の……というより、自身の頭脳を誇示しているようにも思えた。

だが、和人は敢えてそれ以上言及することは無かった。

 

『君の前世や、その世界にあった忍者や忍術という概念……そして、それを現実世界や仮想世界で再現した仕組みについては非常に興味深い。

君という存在の特殊性こそが、私達の計画を破綻させた最大の要因だったということか。入念に記録を隠滅したにも関わらず、刹那の存在に辿り着き、あのパスワードを導き出すことができたのも、頷ける』

 

「残念だが、パスワードの件は違うぞ」

 

『何?』

 

解読されないことに絶対的な自信を持っていたパスワードを知ることができたのも、和人の特殊性故とHALは考えた。だが、その推測は和人本人によって否定された。

 

「パスワードを解読したのは、俺でも、新一でも、Lでもない。……こいつだ」

 

そう言って、和人は部屋の入口を見やる。すると、扉の前に一人の人物が現れた。

黄色のショートヘアに、赤いピン止めを両方のサイドにつけた、和人や新一と同年代の少女である。

 

『君は……もしや、桂木弥子か?』

 

「はじめまして……って言うべきなのかな?かなり前に一度だけ、春川教授には会ったことがあるんだけど……」

 

少女――桂木弥子は、苦笑しながらそう答えた。

一方のHALは、弥子の言葉に怪訝な表情を浮かべた。HALが弥子のことを知っていたのは、弥子が数年前まで活躍していた女子中学生探偵だったからである。一方のHALには、コピー元となった春川英輔の記憶と頭脳があるにもかかわらず、弥子と面識を持った出来事に覚えが無かったのだ。

 

「やっぱり覚えていない、か……。春川教授には、私から会いに行ったことがあるんだよ」

 

『君が、春川と……?』

 

「五年くらい前かな……世間でいう『血族事件』が解決してからあまり経っていない頃なんだけど……その事件の中で、私はある人と出会った。その人の名前は……”本城二三男”」

 

『!!』

 

本城二三男。その名前を、HALは――正確には春川は――知っていた。生前の春川も一目置く程に優秀だった物理学者である。だが、それだけではなく……春川にとってはより重要な意味を持つ人物だった。

 

『本城二三男……刹那の実の父親か』

 

「そうだよ。そして、娘である刹那さんをその手で殺してしまった人……」

 

本城二三男と弥子が出会ったのは、五年前……『新しい血族』を名乗るテロリスト集団が活動を開始しようとしていた頃のことだった。

ホームレス生活をしていた二三男は、食べ物に釣られて偶然通りかかった弥子と出会って意気投合。その後は、紆余曲折を経て事件に巻き込まれていった。

だが、二三男の正体は、『新しい血族』の首領であるシックスのスパイだった。そして、弥子との接触をはじめ、事件の流れは全てシックスの仕組んだ策謀によるものだったのだ。

事件の最中、親しかった刑事を失ったことをきっかけに、弥子は二三男の正体を看破するに至った。それに対して二三男は、弥子が看破した事実を認めるとともに……己の罪を悔いて、弥子の前で自ら命を絶ってしまったのだ。

 

「事件が全部解決してから、刹那さんのことを知った私は、刹那さんのことを大切に想っていた人の……春川教授のことも知った。私が会いに行ったところで、何ができるかも分からなかったけれど……それでも、話しておきたいと思ったの」

 

脳に異常が生じる未知の病気と診断され、春川のもとへ贈られた刹那だったが、病の正体は血族事件の主犯であるシックスと呼ばれた男が、二三男に命じて開発した脳強化試薬を気まぐれに投与したことによるものだったのだ。事件解決後、二三男の身に何があったのかを知りたかった弥子は、娘である刹那の身に起きた悲劇を知り……同時に、彼女の治療に携わっていた春川のことを知ったのだった。

 

『成程……それで、春川のもとへ、事件の真相を報告しに来たということかね』

 

「それもあるけど……何より、春川教授のことが心配だったの。人はふとしたことが原因で、想像もつかないようなことをしてしまうことがあるって、知ってたから……」

 

弥子の言葉に、隣で話を聞いていた和人と新一は、沈痛な面持ちとなった。和人の場合は前世の忍者としての経験から、新一の場合は学生探偵としての活動の中で、弥子の言う、人が追い詰められた時に見せる思いもよらない本性というものを嫌と言う程知っていたからだ。

 

「春川教授は、私に会ってくれたけれど……私の話にはあまり耳を傾けてくれなかった」

 

『あの頃の春川は、刹那を再現することに、自身の命を捧げることすら厭わない程の執念を燃やしていた……。君の話だけじゃない。春川にとっては、それ以外のあらゆることは取るに足らない些事となっていた。君と会った時の記憶が残っていないのも、無理もない話だ』

 

「……新一君とLから話を聞いた時には驚いたよ。まさか、春川教授がこんなことをしていたなんて……」

 

Lと新一は、ヒロキからの情報によって、HALを守るピラミッドの防壁を突破するための最後の鍵が、春川の目的に基づくパスワードであると知り、これを解き明かせるであろう人間――春川英輔という人物について知る人間――を急いで探した。そして、弥子へと行き着いたのだ。

対する弥子は、新一とLからの突然の呼び出しと依頼に戸惑いはしたものの、春川が現在進行形でしでかしている一大事を聞いて、すぐさま捜査本部へ急行したのだった。そして、パスワードに心当たりが無いかと聞かれ……その答えは、すぐに出た。

 

「1にスラッシュを挟んで、また1。その後、0を16個並べる。そうしてできるのが、1と0の間の、日常ではまず使われない極小の数の単位……『刹那』。数字で表せる彼女の名前こそが、あなたと春川教授の目的であり、パスワードの正体だった」

 

『見事だよ、桂木弥子。イタチ君こと桐ケ谷和人君の存在も大概だったが、私の計画を破綻させた思わぬ伏兵は、君だったということか』

 

この計画を実行に移すにあたり、春川は本城刹那に関わる記述が載った記録の一切を焼却処分し、関係者の記憶も電子ドラッグで封じていた。そうして、刹那の存在へと通じる痕跡の全てを断ち切ったつもりでいた春川だったが、一度会ったきりの弥子にまでは対処が及ばなかったのだ。

 

「悔やんでも悔やみきれないよ……あの時、もっと春川教授と話をできていたら、こんなことにはならなかったんじゃないかって……私には、そう思えてならなかった……!」

 

『……君ならば、私達の計画を止めることができたとでも?それは思い上がりだよ、桂木弥子。私も春川も、誰に何を言われたところで……それこそ、譬え亡き刹那から諭されたとしても、計画の実行を止めることはしなかっただろう』

 

HALの言うように、この計画は春川英輔が文字通り命を賭してまで実行したことからも分かるように、何人たりとも止めることはできなかっただろう。春川本人ですら、誰よりも無謀と理解していながらも、挑むことをやめられなかったのだから。

そして、春川の望みを否定することは、弥子を含めてその場にいた誰にもできなかった。出来ることならば生き返らせたいと……何を犠牲にしてでも助けたい、もしくは助けたかったと想う人間がその場にいた全員の中に……否、誰の中にでもいるのだから。

 

『HAL……僕も聞きたいことがある』

 

ここで口を挟んだのは、ノアズアークことヒロキだった。ワタリが持っている、クロイスター・ブラックフォントの『L』が表示されたパソコンのスピーカーから、ヒロキ・サワダの少年の声が響いてくる。

 

『春川教授がこの計画を実行したのは、茅場晶彦への対抗意識からじゃないのかい?』

 

『ほう……何故、そう考えたのかね?』

 

ヒロキの問い掛けに、HALは興味深そうな表情を浮かべた。ヒロキの推測は、春川の分身であるHALにとって予想外のものだったらしい。

 

『君達が立てた計画は、SAO生還者を標的にして、『ソードアート・オンライン』のフロアボスを使って襲撃しただけじゃない。首謀者がラスボスとして倒された後の結末まで同じだった。自分自身の脳を高出力スキャンにかけた、茅場晶彦とね……』

 

「言われてみれば……確かにそうかも」

 

『茅場晶彦は自分自身をデジタルデータに再現しようとしましたが、春川教授は本城刹那を再現しようとしていました。対象に違いはありますが、目的は同じですね』

 

ヒロキの意見に、弥子とLが同意する。一方のHALは、不敵な笑みを浮かべたまま、ヒロキの意見に聞き入っていた。

 

『しかし、HALは……春川教授は、茅場晶彦ほど非情にはなれなかった。電子ドラッグで多くの人を操り、自分自身の命を代価に計画を実行したけど……無関係な人々の命までは奪わなかった。それに、共犯の重村教授とエイジ君に罪を犯させることすらしなかった。ヒントをくれたのも、君達に人としての心が残っていたからだ』

 

ヒロキの推測に、HALはフッと自嘲するような笑みを浮かべた。

 

『君の推測は、概ね当たっている。茅場晶彦は、自身の脳を高出力スキャンにかけて、自身を電脳化した。彼にできたのならば、同じ天才である自分にできない道理はない。それが、春川がこの計画を実行するに至った理由の一つだ。確かにそれは、対抗意識と言えるだろう』

 

「成程な……自身の頭脳に絶対的な自信とプライドを持っていた春川教授なら、十分あり得ることだ」

 

「他人にできて、自分にできないなどということは、認められなかったんだろう。本城刹那の死によってプライドが傷付けられたというのなら、猶更だ」

 

天才的頭脳を持つ春川が、自分の脳に高出力スキャンをかけるという、無茶分の悪い賭けに出たことは、和人や新一も疑問に思っていた。だが、先に計画を成し遂げた茅場への対抗意識があったのならば、それも納得できた。

 

『尤も、君達の言った通り、春川は茅場晶彦のようにはなれなかった。自分以外を犠牲にすることができなかったのは、刹那を失った時の悲しみを他者へ与えることを忌避したためか……それとも、対抗意識を燃やしていた茅場晶彦と全く同じプロセスを経て自分の望みを叶えることが耐えられなかったかのは、定かではないがね』

 

或いは、他者を容赦なく犠牲にできるくらいに――それこそ茅場と同程度に――人格が破綻していたならば、春川の望みも叶っていたかもしれない。そんな考えが、和人やLの頭を一瞬過ったが、すぐにそれは暴論と断じて思考の外へと追いやった。

そのようなことよりも、今は重要なことがある。

 

「悪いが、話はここまでだ。それよりHAL。お前の今の状況は分かっているな?」

 

感傷に浸る者達もいたが、いつまでもそうしているわけにはいかない。和人は先程までの調子とは打って変わって、脅しのニュアンスを込めて口を開いた和人に対し、しかしHALはこの場で対面した時と変わらず、余裕を全く崩さなかった。

 

『昨日の電脳戦でパスワードの防壁を突破された後、ここへ逃れるために、私は自分の持つ権限の大部分を切り捨てる羽目になった。さらに先程、この別荘に繋がれていた筈の回線は電話線を含めて全て遮断された。別荘の外も、君達の仲間達に包囲されている。手足を切り落とされたも同然の状態で、逃走経路すら断たれたこの状況は、私にとっては完全に”詰み”と言うべきだろう』

 

明晰な頭脳をもって語るHALの分析には、何一つ間違っている点は無かった。ライブ会場の戦いの裏で行われていた電脳世界での戦いに敗走したHALは、ファルコンこと藤丸と、ノアズアークことヒロキの追撃を回避するために、トカゲの尻尾切りの如く、自身が所有していた権限の大部分を放棄した。今のHALには、電子ドラッグで洗脳した兵士を操ることはもとより、市販のコンピューターのファイヤーウォールを突破することすらできない。

そして、そんな満身創痍の状態で逃れた先の、最後の砦たるこの別荘は、藤丸とヒロキによって回線切断され、現実世界ではLが派遣した実働部隊によって完全に包囲されている。

HAL自身が締め括った通り、完全に詰んでいるのだ。

 

『私がこれからどうなるか……それは私自身がよく分かっている。だがその前に、私をここまで追い詰めた君たちに敬意を表し、二つの贈り物がある』

 

HALがそう言うと、モニターの画面が切り替わる。表示されたのは、『ANTI-PROGRAMvr.2.0』という名前のファイルだった。

 

『一つは電人HALを作る過程の副産物……電子ドラッグの正式なワクチンだ。テレビでもネットでも、あらゆる媒体の発信源にこのプログラムをインストールすればいい。三日後には、ほぼ全ての兵隊の洗脳が解かれるだろう』

 

これは朗報だった。今回の計画において、HALは横須賀米軍基地の兵士をはじめ、大量の人間を電子ドラッグで洗脳している。潜在的な兵士も含めてどれだけの人間が洗脳されているかが分からない上に、今までは捜査への対応を優先した関係で、電子ドラッグの解析はこれから行わなければならないのが現状だった。

そういった電子ドラッグに関しては後手に回らざるを得なかった事情につき、洗脳を解くためのワクチンの存在は非常に助かるものだった。効果の信憑性については、これからファルコン等の方で確認しなければならないが、この状況でHALが偽物を出す理由も無いので、まず効果に間違いはないと信じて問題は無いだろうと、その場の誰もが考えていた。

 

『そしてもう一つが、これだ』

 

「!!」

 

画面に新たにHALが表示したもの。そこにあったのは、『”電人HAL”このプログラムを消去します。』という文言。その下には『OK』と『Cancel』のボタンが設けられていた。

 

『春川の計画は、失敗に終わった。刹那を再構築するための最大のリソースを失った今、もはや計画の続行は不可能だ。この状態ではたとえ何億年かかっても……私の望む計算結果は得られない』

 

Lやファルコンが追い詰めるまでもなかった。春川の脳内スキャンが失敗した時点で、HALは刹那を再生させる望みを完全に諦めていたのだ。

 

『春川は私に自己破壊の権利を与えなかった。己の命に懸けて、刹那の再生を成功させると信じていたからだ。最後のエンターは、外部の人間が入力しなくてはならないのだ

桐ケ谷和人、桂木弥子……いや、私を追い詰めた君達の中の、誰でも構わない。君達の手で、私を消去したまえ』

 

HALが最後に提示した報酬は、HAL自身の消滅……その権限だった。モニターに表示された『OK』のボタンをクリックすれば、HALは電脳世界から永久にいなくなる。即ち人工知能としての『死』である。

 

「できないよ!!」

 

己を殺せと言うHALに対し、一番に声を上げたのは、弥子だった。目に涙を浮かべながら、HALの要求を拒絶する。

 

「電子ドラッグのワクチンまで作ってて!それに……解かれたくないパスワードのヒントまで出して!大勢の人を犠牲にするオーディナル・スケールの計画を……本当は止めて欲しかったからなんでしょう!?」

 

計画を止めて欲しかった……即ち、自分以外の犠牲を出したくないと考えたHALには、春川同様、人としての心があると、弥子は確信していた。故に、それを消し去ること……殺すことはできなかったのだ。

 

『……電人HAL。あなたが協力者であるエイジ君に渡したアンプルの中身の成分調べました』

 

弥子に続いて口を開いたのは、意外なことに、ワタリの持つパソコンを通してこの場の様子を見ていたLだった。

 

『中に入っていた液体は、『DCS(ドーピングコンソメスープ)』などではなく、ただの『麻酔薬』でした。あなたはエイジ君に電子ドラッグを与えましたが、最後の一線だけは超えさせるつもりは無かったのではありませんか?』

 

HALはエイジに対し、『DCS(ドーピングコンソメスープ)』を最後の切札として使用するよう指示していた。それを『麻酔薬』と偽って渡していたということは、それ以上の危険な戦闘を続行させないための計らいにほかならない。

 

「エイジだけじゃない。察するに、重村教授についても、罪に問われないための措置を取っていたんじゃないか?」

 

Lに続いて意見を述べたのは、和人だった。恐らくは、事件の主犯が春川及びHALであることを示す証言映像の類を残しているのだろうというのが、和人の推測だった。それがこの別荘の中に隠されているのか、それとも事件後に警察関係者の目に触れるようにメールや郵便で届けるつもりなのかは、まだ分からない。だが、春川とHALが犠牲を出すことに消極的だったならば、そのような、計画の失敗を前提とした証拠物品が確実に出てくる可能性が高い。

 

『そこまで見抜かれていたとはね。であるならば、なおさら君達には分かっているのでないか?この計画が失敗に終わった時点で電人HALは……存在の意義も、存在の意思も失うことになることも』

 

電人HALが生み出された理由である、刹那を再生するための計画は既に破綻した。それによって、再生された刹那を迎えに行くという電人HALの存在意義もまた、消滅したのだ。

 

『このまま存在し続けていても、無意味な苦痛が続くだけだ。だからこそ……消せッ!!』

 

「う、うあっ……!」

 

常に冷静沈着な態度を崩さなかったHALらしからぬ強い口調で迫られ、弥子は思わず後ずさりした。

 

『早くしたまえッ!!人口知能の私に恩や情は通用しないぞ!!このまま放っておけば、どのような暴走をするか、私自身すらも予測できないのだぞ!!』

 

鬼気迫る表情で脅し文句を重ねるHALに突き動かされ、弥子はキーボードへと手を伸ばす。そして――――――

 

 

 

キーは、押された。

 



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第百五十七話 解決【solution】

 

2026年5月9日

 

『――以上がこの事件の顛末です』

 

とある会議室の中央に設置されたスピーカーから、声が響く。その声は、変声機によって歪められており、性別すら判別できない。会議室の壁に掛けられた大型スクリーンには、プロジェクターによりクロイスター・ブラックフォントの『L』の文字が映し出されていた。

 

「……事の仔細は分かった。我々が事後に確認した現場の状況や、事件関係者の証言とも一致する」

 

その場に集まった面々の代表である夜神総一郎が、スクリーンに映し出された姿無き通信相手にそう答える。この場に集まったのは、オーディナル・スケールにおいて発生した、SAO生還者と標的とした傷害事件と、先日のユナのライブ会場において発生した大規模騒乱、そして横須賀の米軍基地の兵士達の集団洗脳事件に携わった捜査関係者達である。警察庁の夜神総一郎をはじめとした刑事達のほか、総務省仮想課の菊岡誠二郎等も同席していた。

前者に関しては言わずもがな。後者に関しては、今回の事件がARゲームを舞台としていたことに加え、首謀者と目されていた人物、重村徹大がSAO事件の首謀者だった茅場晶彦の恩師だったことで、警察の事件捜査に協力を申し出た経緯があった。

 

「『電人HAL』に『スフィンクス』、『電子ドラッグ』か……」

 

「何というか……まるで、SF映画の話みたいでしたね……」

 

先程までLによって大型スクリーンを使用して行われていた説明を反芻する総一郎だったが、未だにその内容を理解しきれずにいた。そしてそれは、総一郎に次いで発言した若手刑事をはじめとした、他の警察関係者達も同様だった。

だが、それも無理はない。ARゲーム『オーディナル・スケール』を舞台に、大勢の人命が失われる集団スキャンが行われる計画が行われようとしていたというだけならいざ知らず。その計画の中枢となっていたのが、春川英輔が造り出した人工知能であったこと、『スフィンクス』なる防衛プログラムを用いて都内のスパコンを占拠していたこと、『電子ドラッグ』なるプログラムで横須賀米軍基地のアメリカ兵をはじめとした大勢の人間を洗脳して兵士にしたこと等々……ある意味では、SAO事件やALO事件以上に非現実的な真実の数々に、その場にいた面々の思考はショートしかけていた。

 

「事件の主犯格と目されていたのは、裏で事件を画策していた春川英輔と重村徹大、実働役の後沢鋭二の三名。但し、後者二名は春川英輔が造り出した『電人HAL』なる人工知能に洗脳されていたというのは、本当なのか?」

 

『春川英輔が生前に残したビデオメッセージでは、そのように語られていました。『電子ドラッグ』の効果は、横須賀米軍基地に駐在していた大勢の軍人を操ったことからも、その効果に疑いの余地はありません』

 

「俄には信じられないことですが……一連の事件は実質上、春川英輔と電人HALが主犯となって行われたってことですよね?」

 

『春川英輔のメッセージを信じる限りでは、その通りです』

 

Lの言う春川英輔のビデオメッセージは、事件後にLの捜査メンバーが突入した先の別荘にて発見された。その内容は、総一郎やLが言った通り、今回の事件は春川英輔が主犯であり、重村やエイジこと鋭二は操られていたというものだった。和人の見立て通り、春川は今回の事件における罪の一切を、自身が被るつもりだったのだ。

 

『重村教授と後沢鋭二の身柄については、先日、警察側へ引き渡しました。主犯に近い立ち位置にいたためか、電子ドラッグを使われていたにもかかわらず、他の洗脳被害者とは異なり、記憶はある程度残っているようです。より詳しい事件の背景については、彼らに直接聴取すれば分かることでしょう』

 

「ウム。事情聴取についてはこちらでも行うこととする。ただ、今回の事件では米軍も被害を受けている。アメリカに対しても事の仔細を説明しなければならんが……」

 

「その件については、仮想課が担当します。ただ、我々としても、事件に関わった重村教授にお話を聞きたいのですが、よろしいでしょうか?」

 

「これだけの大事件である以上、すぐにとはいかないが、了解した」

 

「ありがとうございます。それから……L、最後に聞きたいことがある」

 

『何でしょうか?』

 

「春川英輔が今回の事件を引き起こすに当たって造り出したという人工知能……『電人HAL』は、間違いなく消滅したのかい?」

 

事件に関わる必要な確認が全て終わり、会議も解散しようとしたその時。菊岡がLに投げかけた問い。それは、今回の事件を春川に代わって裏から操っていたという人工知能が辿った結末についてだった。先の説明で、最終的にはLの捜査メンバーが『消去』したと伝えられていたが、菊岡は懐疑的だった。

しかし、対するLはーーーーーー

 

『はい。間違いありません』

 

「……では、重村教授がデジタルゴーストとして蘇生しようとしていたという、重村悠那の人工知能は……」

 

『そちらはリソースを利用していた、SAOボスモンスターのデータとともに消滅しました』

 

菊岡の質問に対し、Lは淡々と、これまでと全く変わらない口調でそう答えた。だが、菊岡はその返答に納得した様子ではなかった。会議が終わった今もなお、食い下がろうとする菊岡だったが……

 

「そこまでにしたらどうかね、菊岡君」

 

「夜神部長……」

 

「仮想課の人間として、事件の鍵となった人工知能について気になるのは分かるが、消滅してしまったものは仕方があるまい。それより今は、事後処理に動かねばならん。違うかね?」

 

「……分かりました」

 

Lの説明に対する疑いを捨てきれない様子の菊岡だったが、夜神の指摘に従い、それ以上の追及をすることは無かった。

そうして今度こそ会議が終わり、一同が解散した後。菊岡は警察庁の廊下にて、求めた情報――即ち、人工知能の行方を知ることができなかったことに、ほんの僅かに悔し気な表情を浮かべていた。だが、それを見た者は、一人としていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「……これで警察及び仮想課への対応は完了しました」

 

「よくやってくれたな、竜崎」

 

竜崎こと名探偵Lが都内に持つ捜査本部に、オーディナル・スケールを舞台とした事件に関わった和人をはじめとした面々が再び集まっていた。但し、この場にいるのは明日奈やめだかといった、途中参入した面々を除いた、事件当初から捜査に携わっていた者達に限られている。

 

「菊岡誠二郎は最後まで疑いの目を向けていましたが……あの程度で引き下がったのであれば、これ以上こちらを詮索することは無いでしょう」

 

「まあ、そうだろうな。だが、菊岡はどうして、そこまで人工知能に拘るんだ?」

 

「その件については、思い当たることがあります」

 

新一が口にした疑問に、竜崎が答えた。それに対して、今度は和人が問いを投げる。

 

「以前からお前は菊岡をマークしていたようだが……その件と関係があるのか?」

 

「今はまだ、話せません。しかし、和人君や新一君になら……いずれは話す時が来ることでしょう」

 

竜崎の目に、剣呑な雰囲気が宿る。うちはイタチとしての前世において頻繁に見る機会のあった、重要かつ危険な情報を持つ者と同じ目をしていた竜崎に、和人は僅かに目を細める。

菊岡誠二郎が隠している――恐らくは人工知能が絡んでいるであろう――秘密とは、それ程に危険なものなのだろう。今はまだ離せないようだが、仮想世界に関わる事項であるならば、いずれは否応なしに関わることになる筈。そう考えながら、和人はそれ以上の詮索をすることはなかった。

 

「仮想課……いや、この場合は防衛省というべきか。この件についてはこれ以上蒸し返すことが無いのであれば、当面の問題は無さそうだな。そうだろう――――――”HAL”?」

 

『ああ。私も同意見だ』

 

和人が問いを投げかけた先――部屋の一角に設置されたモニターに備え付けられたスピーカーから、返答が発せられた。モニターには、生前の春川英輔の姿が映し出されていた。

 

『それにしても、よくもまあ見事に警察や政府関係者を騙したものだよ。流石は名探偵Lといったところかね?』

 

「職業柄、こういったことをするのは、決して初めてではないので。まあ……頻度は決して多くはありませんが」

 

皮肉めいたコメントに対し、竜崎はしれっとそう答えた。後半は、どこか自信なさげなようにも感じられたが。

 

 

 

 

 

 

 

時間は、和人やLが、事件に真に終止符を打つために、山奥の別荘に逃げ込んだHALを追い詰めたあの日に遡る。

電人HALは、自らを完全に消去するためのボタンを、和人等の前に差し出した。そして、モニターに表示されたキーは……確かに押されたのだった。

 

『どういうつもりかね?』

 

「見ての通りだ」

 

キーを押したのは、キーボードへ手を伸ばしていた弥子でも、和人でもなく……新一だった。但し、HALが言葉を発することができることから分かるように、押されたのはプログラムを実行するための『OK』ではなく、実行を取り消す『Cancel』のキーだった。

 

「悪いが、探偵として……お前をここで、死なせるわけにはいかないんでね」

 

『”死なせる”……何を言っているのかね?』

 

新一が口にした、消去プログラムの起動をキャンセルした理由に対し……しかし、HALは全く理解できない様子だった。そしてそれは、消去プログラムのキーを押そうとして横やりを入れられた弥子も同様だった。

 

『私は人工知能だ。春川の頭脳と人格をコピーしているが、それだけだ。プログラムの私には、もとより命など存在しない。”死”などという概念は存在しないのだ』

 

「お前は人間だ」

 

HALの言葉を、しかし新一は否定する。その言葉には、探偵として殺人犯と相対した時と同じ……何事にも動じない、強い意思が宿っていた。

 

「重村教授やエイジに一線を越えさせないための措置を取ったのも、電子ドラッグのワクチンを用意していたのも、春川教授の意思だったんだろう。だが、お前もまたその意思を否定しなかった」

 

『……』

 

新一の指摘に、HALは先程のように反論することはなかった。その沈黙は、新一の言葉が正鵠を射ていることを物語っていた。

 

「本当にお前がただ計画を遂行するためだけに存在するプログラムであるのなら、”計画を止めてほしい”なんていう春川教授の本心に従うことはしなかった筈だ。計画の障害となる俺達のことは躊躇なく殺していただろうし、共犯の重村教授達も容赦なく切り捨てていた。お前が本当に心を持たないプログラムだったなら、の話だがな」

 

HALが一切の手心を加えなかった時に起こったであろう悲惨な事態を語る新一だが、これは決して大袈裟な話ではない。ファルコンとヒロキが電脳的な防衛をしているとはいえ、電子ドラッグで洗脳した兵士の戦力は侮れない。計画が警察組織や仮想課の政府関係者に露見するリスクを度外視し、手段を選ばずに邪魔者の排除に動いていたならば、実働部隊として動いていた和人や新一は勿論、Lこと竜崎すらも命を奪われていた可能性がある。

 

「無論、人工知能のお前を警察に突き出して司法の手に委ねることはできないって事は分かってる。お前の身柄はファルコンに協力してもらって、Lのところに預かってもらう」

 

HALを高速するに当たっては、新一はファルコン等に依頼して、システムにかかる権限の全てを凍結するつもりだった。加えて、外部のネットワークから完全に遮断した状態で、箱の中に完全に封印することで、今回のような事件を二度と引き起こすことができないようにしようと考えていた。

 

『随分と他人任せなように聞こえるが……当人であるLは、このことを承知しているのかね?』

 

『ご心配には及びません』

 

HALの質問に答えたのは、パソコン越しにやりとりを見守っていたL本人だった。

 

『新一君に捜査協力を依頼するにあたり、犯人である人工知能を捕らえ、私のもとで拘禁することが条件として指定されていました。そのための準備も整えています』

 

「Lが問題無いと言うならば、俺からは特に言うことは無い。もとより俺は、人工知能の消滅を絶対必須とは思っていない」

 

どうやら、HALを逮捕し、Lのもとに拘置することは、捜査開始前から決めていたことらしい。和人にも根回しをしている周到さに、HALは呆れ交じりに口を開いた。

 

『全く理解できんな……。何故、そこまでして私を捕らえたがる?もしや、人工知能である私を使って、何か良からぬことでも考えているのかね?』

 

「そんなんじゃねえよ。ただ……犯人を推理で追い詰めて、みすみす自殺させちまう探偵は、殺人者と変わらねえ。だからお前を死なせないだけだ」

 

『成程……完璧な探偵である君にしか言えない台詞だね』

 

新一にとっての探偵としての仕事は、犯人を警察に引き渡すまで終わらないという完璧主義故のことならば、HALとしても納得がいく。そんな新一を茶化すようなHALの言葉に……しかし、新一は表情を曇らせた。

 

「……完璧な人間なんて居やしねえよ。俺だってたった一人……ヒロキ君のことを死なせちまったからな」

 

『ヒロキ君?……ああ、『ノアズ・アーク』のことか。しかし彼ならば、そこにいるではないか』

 

ノアズ・アークがLとともにこの場を覗いているであろう、ワタリが持つパソコンの画面に目を向けるHALに……しかし、新一は頭を振った。

 

「そこにいるのは、確かにヒロキ君だ。ノアズ・アークのコピーとはいえ、オリジナル同様にヒロキ君の記憶も持っている。だが、ヒロキ君は確かにあの時……事件解決と同時に、自らの命を断った。俺が殺したも同然だ」

 

『ノアズ・アークの消滅は、君の推理とは無関係に、彼自身があの事件の最後に定めた終焉だったと認識している。それに、人工知能である彼を、どう処断するつもりだったのかね?』

 

「そんな事は関係無えよ」

 

人工知能なのだから、消滅する以外に道は無かったと言うHALの正論を、新一は否定する。

 

「あの時の俺は、人工知能だから消滅させるしかないとか……賢しらに理屈をこねていたが……俺がやるべきことは、ヒロキ君を死なせて罪を償わせることじゃなかった。何が何でも、彼を生かすべきだったんだ」

 

『ノアズ・アークの件が随分と堪えているようだが……もしや、君がSAOをプレイしようと考えたのも、それが理由かね?』

 

「ああ。そのお陰で、C事件が終わった時から無くならなかった胸のつかえの正体が、ようやく分かった」

 

 

かつてのC事件の時のこと。当時小学生だった新一は、ノアズ・アークことヒロキのことを、人工知能――即ち、自分たち人間を模して造られた存在でしかないと、優秀な頭脳故にそう考えていた。しかし、短い時間ながらヒロキと触れ合った新一には、ヒロキの見せる表情や言動が、現実を生きる自分たちと何ら変わらないように見えて仕方がなかった。その後、本人の望むまま、ノアズ・アークことヒロキの消滅を見届けた新一だったが……別れ際のヒロキの姿が、頭の中からいつまでも離れなかった。

 

今まで仕事ばかりで、初めて友達と遊んだゲームが楽しいと笑っていた表情……

 

現実と仮想の世界の壁に阻まれた状態であっても、父親と心が通じ合っている新一のことが羨ましいと流した涙……

 

現実の人生はゲームのように簡単じゃないと、これからを生きる新一をはじめとした子供たちの行く末を案じて投げ掛けた言葉……

 

ヒロキの消滅は、事件解決には不可避であり、間違いではなかった筈。にも関わらず、新一は心にはしこりのようなものが残ったかのように思えてならなかった。

そして、C事件解決から数年後。心に残る蟠りを解消するために新一が取った行動。それこそが、SAOへのダイブだった。

 

「SAO事件に巻き込まれた俺は、あの世界で様々なNPCと出会い、ユイにも会った。そうしてようやく理解できたんだ。ヒロキ君は、ただの造り物なんかじゃない……俺達と同じ、意思を持った人間だったんだってな。そして俺は、そんな彼を見殺しにしたんだ……!」

 

新一の顔が、後悔と苦悩に歪む。探偵でありながら、犯人をみすみす見殺しにしてしまったことには、新一にとって忸怩たる思いがあったのだろう。

 

『成程。工藤新一君、一先ず君の言い分は分かった。君の決意が揺るがず、反対する者がいないのならば……私からはもう、何も言うまい。本来の目的を果たせずに存在し続けることは不本意極まりないが……この私に勝利したのは君達だ。好きにしたまえ』

 

HALの望みが、自身の消滅であることに変わりは無い。だが、新一をはじめとした捜査メンバー全員の総意が捕縛であるならば、それはもう叶わないと察したのだろう。HALが再び、消去プログラムのキーを画面に表示することはなかった。

 

『但し、君達があくまでも私を人間として扱うというならば、私からも条件がある』

 

「条件?」

 

外部からの手による消滅という望みを断たれたHALが突き付けた、最後の要求。それは――――――

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、春川教授とHALが、計画の裏でお前を保護していたとはな……」

 

『私も、消えた筈の自分がこうして存在していることが今でも信じられないよ……』

 

和人の呟きに同意するように、口を開いたのは、それまで捜査本部の隅の方に立っていた少女――”悠那”だった。

その服装は、先日の一件の時の白いフード付きパーカーではなく、ARアイドル・ユナの黒基調のコスチュームになっている。

 

オーディナル・スケールを舞台にした事件の最終決戦において、アインクラッド第百層フロアボスが倒されたあの時。ボスのリソースの一部を本体データとしていた悠那もまた、消滅する筈だった。しかし最終決戦の間際、春川とHALはボスのデータから悠那を完全に分離させ、その本体データを重村が取締役を務めるカムラのメインサーバーに密かに移動させていたのだ。ボスのデータのカスタマイズに乗じて巧妙に隠蔽しながら一連の処理を行ったため、この事実は重村とエイジは勿論、悠那本人すら知らなかったのだという。

悠那を切り離す措置は春川の指示で行われていたらしい。完成間近だった人工知能を消滅させることを惜しんだためか……それとも、新一のように悠那を同じ人間と見なしたが故に消滅――死なせることを忌避したためなのか……。春川が死亡した今、その真意は分からない。

ともあれ、消滅を免れた悠那は、ボスの消滅と同時にその活動を停止させ、仮死状態と言うべき状態となった。HALはそんなユナを、カムラのサーバーから救い出し、保護することを要求したのだった。

 

『けど、本当に不思議な気分。あの時、今度こそ自分が消えて無くなっちゃうって思って別れの言葉も言ったのに、またイタチや皆に会うことになるなんて……』

 

「悪いがHAL同様、お前のことも死なせるわけにはいかないんでな……」

 

『うん。それは分かってる。けど、私の無理なお願いを聞いてもらっているんだから、感謝しかないよ』

 

 

 

 

仮想課が事件の捜査に本格的に乗り出す前に、首尾よくユナの保護した和人等は、電脳世界においてその意識を覚醒させることに成功した。その後、悠那を保護する旨を説明したのだが、全てを聞き終えた悠那は、VR世界の歌手として活動することはできないかと和人等に言ってきたのだ。

 

『絶対無理だと思ったのに、まさか本当にまた皆の前で……それも、”ユナ”として歌えるようになるなんて思ってもなかったよ』

 

「俺としては、”HAL”がお前に歌手活動をさせてやるべきだと言い出したことこそ完全に意外だったんだけどな」

 

「……新一の言う通りだ」

 

悠那が無理を承知で口にしてきた希望に対し、和人等は当初難色を示した。歌を歌うだけならば、ALOに音楽妖精族のプーカとしてログインすれば良いだろう。だが、アバターは偽装できても、歌声までは偽装しきれないからだ。

不完全とはいえ、重村悠那の記憶を持って生まれた人工知能である悠那の存在が表に出れば、かつてノアズ・アークが懸念したような事態が起こりかねない。故に、悠那に歌手をさせることはできないと和人をはじめとした全員が結論付けようとした。だが、それに待ったをかけたのが、HALだったのだ。

 

『何も不自然なことなどない。人工知能の安定化に必要なのは、”存在意義”だ。何をするために存在するのか、その方向性を示すことこそが、暴走を防止するための最善策なのだからな』

 

それが、HALが悠那の意見を擁護した理由だった。ヒロキは人工知能開発の行く末を見守ることを目的に造り出され、HALは本城刹那を再生させる計画のために造り出された。悠那にも、同様に存在意義が必要なのだと、HALは捜査本部にいた面々に語った。

そうした説得の末、和人等は悠那の意思を尊重し、歌手活動をさせるために動き出した。そして、悠那の存在を隠すための隠れ蓑として、重村悠那を模して創造された悠那本人と言っても過言ではないARアイドル・ユナを利用することにしたのだ。

そのために和人やLは、めだかとまん太を通して黒神財閥、小山田グループへ協力を要請し、医療用VRマシンをはじめとした、VR部門の新規事業を推進するための子会社を立ち上げた。そして、その会社名義でユナの運営権を買収したのだ。人気急上昇中のARアイドルの買収には、本来ならば多大な困難が立ちはだかるものの、大手グループ二社の名前を前面に出し、探偵Lが隠れ蓑としている海外企業から確保した莫大な資金を投じたことでクリアされた。

 

「ARアイドル・ユナの運営権は黒神財閥と小山田グループが共同出資して立ち上げた子会社に買収されました。悠那の本体データもまた、そちらのサーバーに保存されています」

 

『悠那は既に、ユナと同期している。これならば、今までと変わらず、ARアイドルとしての活動を続けることができるだろう』

 

「企業の後ろ盾には、その二社に加えてデビルーク王国までいるからな。仮想課でも、そう簡単に手出しはできねーしな」

 

「サイバー攻撃対策は、俺がきっちりやってやる。それこそ、HALでも突破できねえくらいにセキュリティをがっちり固めてやるから、安心しとけ」

 

ララ経由で欧州最強と謳われる軍事国家、デビルーク王国がバックにつくことに加え、サイバー対策はファルコンが徹底するという。最早、悠那に手を出すことは政府ですら不可能と言えた。

 

『皆、本当にありがとう……』

 

「オーディナル・スケールの一件では、お前のお陰で多くのプレイヤーが救われた。である以上、可能な限りお前の希望も叶えてやりたいと俺を含めて皆思っている」

 

和人をはじめ、誰もが大したことは無いと言っているが、大企業や大国まで動かしているのだ。決して口で言うほど簡単な話ではないことは、悠那にもよく分かっていた。だからこそ、自分は全力で歌い、自身の存在意義を全うする。それこそが、この場にいる皆に報いる唯一の方法なのだと、悠那は信じていた。

 

「ところで、悠那。あと一時間ほどで、次のイベントに出演する時間じゃないのか?」

 

『あ、本当だ!』

 

「プログラムである以上、簡単に現地へ移動できるのだろうが、現地にはARイベントに慣れてないスタッフもいる筈だ。向こうに行って、姿を見せてやったらどうだ?」

 

『うん、分かった。それじゃあ、行ってくるね!』

 

和人に時間の指摘を受けた悠那は、その姿を青白い光とともにその場から消した。アインクラッドの転移の如く、イベント会場へと飛んで行ったのだろう。

 

『アイドルでありながら、回線さえ繋がっていればどこへでも姿を現わせるのは、人工知能の強味だろうな』

 

「……言っておくが、お前がそこから出られることは、そうそうないと思え」

 

『分かっているとも。君達の要望通り、私は今や虜囚の身だ。あらゆる権限を凍結され、できることといえばこの端末を通して君達と会話することのみだ』

 

HALを別荘にて確保することに成功した捜査メンバー達は、都内にあるLが所有する捜査本部へと、端末ごと連行した。その後、HALを収容するための特殊端末を用意し、外界のネットワークからは完全に遮断した形で箱の中へ閉じ込め、HAL自身の電脳世界において行使できる能力の大部分も封じたのだ。

今や電子ドラッグで洗脳した兵士を、スフィンクスを利用して操っていた、事件の黒幕としての面影は無く、一科学者の故人の人格が画面の向こうにあるのみである。

 

『全くもって不毛な時間を過ごすこととなりそうだが……これも、オーディナル・スケールの一件に係る全てを被った春川が本来受けるべきだった罰と考えて、受け入れることとしよう』

 

「そうしてもらいたいもんだ。お前には、春川教授が与えた本城刹那の再生以外の、新しい存在意義を見つけてもらわなくちゃならないんだからな」

 

『承知しているさ。尤も、完全な人工知能とされてはいる私だが、本当に新しい存在意義などというものを見つけることができるかは疑問だがね……』

 

「当面は、そうしていてもらいます。但し、人格の崩壊と同時に暴走されては困りますので、あなたの状態のモニタリング兼ねて、絶えず対話だけは続けさせていただきます」

 

『AIがカウンセリングを受けるとは、どんな皮肉だろうね』

 

HALは今後、Lの捜査本部の預かりとなる。表向きには、既に消滅していることとなっているため、外の世界に出ることはできないため、実質上の終身刑である。

 

「ならば、”存在意義を探すこと”があなたの存在意義と考えるのはどうでしょう?与えられた存在意義に基づいてしか存在できないというAIの限界を越えることは、大いに意味のあることと思いますが」

 

『……ものは考えようだね。だが、たしかにそれも悪くはないかもしれんな』

 

竜崎の屁理屈のようにも思える提案に、しかしHALは苦笑を浮かべながらも同意した。

 

「今の環境に慣れたら、HALには今後、刑務作業の一環として、藤丸君とともに電脳捜査の手伝いをしてもらうつもりです」

 

「こいつを箱から出しても大丈夫なのか?」

 

「HALのコアプログラムはここに固定します。脱走や電子ドラッグの開発・散布といった真似ができないよう、藤丸君に頼んで首輪となるプログラムを組んでもらいます」

 

『私の存在が外部に漏れようものなら、面倒になるだろうに……。それ程までのリスクを冒さねばならない事案があるのかね?』

 

HALの指摘に、和人と新一の目がすっと細まる。HALを利用することが不可欠な事案……電脳捜査が前提であるならば、仮想世界絡みである可能性も高い。であるならば、先日のオーディナル・スケールの一件や、事によってはSAO事件にも匹敵する大事になるのではと……そう考えずにはいられなかった。

 

『そういえば、今、この場にいないヒロキ君は、まだ君のもとにいるそうじゃないか。彼が協力しているということは……』

 

「そこまでです、HAL」

 

HALの力を要する事案の核心に、HAL自身が触れようとしたが、竜崎がその先を遮った。

 

「先程申しました通り、いずれ皆さんにもお話します。恐らく私や藤丸君、HALの力だけでは解決できない、巨大な困難がこの先には待ち構えている筈ですから」

 

「……分かった。その時が来たならば、俺も尽力しよう」

 

どうやら、和人と新一の見立ては間違っていなかったらしい。そして、竜崎は”先程”と口にした。つまり、HALを用いる程の重大案件は、菊岡が関わっている人工知能絡みのそれと同一ということである。話がどんどんきな臭くなってきているように思えるが、竜崎こと探偵Lが関わる事案である以上、覚悟をせねばなるまい。

 

「……とりあえず、話は終わりだな。それでは、俺達はそろそろ行かせてもらう」

 

これ以上の話は無用と判断した和人は、上着を羽織り、つい最近買ったばかりの”眼鏡”を掛けた。

 

「……ああ。和人君達には、この後は予定がありましたね」

 

「できることならば、お前も連れてきて欲しいと言われていたが……当然、無理だろう?」

 

「申し訳ありません。探偵Lは、滅多なことでは表に出るわけにはいきませんので……」

 

「気にするな」

 

予想通りの竜崎の断りの返答を確認した和人は、新一とともに捜査本部を去っていった。その後姿を、竜崎とHALは静かに見送っていった。

 

 

 

 

 

 

 

「イタチにコナン!ようやく来たか!」

 

捜査本部を出て目的の場所に到着した和人等を出迎えたのは、めだかだった。そして、このパーティー会場内には、SAO事件並びにALO事件解決を祝った時と同様、明日奈や里香、珪子、直葉といったSAO事件とALO事件において共闘したプレイヤー達が集っていた。但し、人数はあの時と比べて、詩乃や施恩をはじめとしたスリーピング・ナイツの面々も加わっており、より広い会場をチャーターしなければならない程になっている。

 

「今回も、随分と早いセッティングだな」

 

「主役はやっぱり、最後に来るものだからねぇ……それじゃあ、始めましょうか!」

 

リズベットが前回のパーティーと同様、主役と目される和人ことイタチを壇上へ引っ張りあげ、マイク片手に来客一同へ向き直る。

 

『それではみなさん、御唱和ください。せーのぉ……』

 

「「「うちはイタチ、SAO完全クリア、おめでとう」」」

 

あの時と同じように、しかし今度は”完全”の二文字が付いたことに加え、プレイヤーネームに”うちは”という前世の家名が追加されるというオマケ付きで、会場内を歓声が包み込んだ。

 

 

 

「イタチ君」

 

「アスナさん」

 

パーティーが始まってから、和人ことイタチは今回の事件を解決させるために危険を承知で共闘してくれた仲間達へ感謝を述べて回っていた。それがひと段落して、会場の窓から外に出られるテラスに出て休んでいたイタチのもとへ、アスナがやってきた。ちなみに、このパーティーに参加しているのは全員がVRゲームプレイヤーのため、互いをプレイヤーネームで呼び合っている。

捜査協力者達をまとめていた中心人物たるアスナならば、真っ先に声を掛けることもできたのだが、ゆっくり話ができるよう、最後まで待っていたらしい。

 

「色々と大変だったねえ……」

 

「はい。まさか、前世の話をこれ程多くの人間にすることになるとは思いませんでしたから……」

 

オーディナル・スケールの一件の後、イタチは今回の戦いに協力してくれたプレイヤーの内、SAO生還者であるクラインやエギルのほか、特に交流の深いスリーピング・ナイツのメンバーをはじめとした特定の面々に対し、自身が異世界から転生した、うちはイタチという人間の記憶を持っていることを語った。システムでは説明の付かない力をあれ程派手に行使した以上、事情説明は絶対に必要だと判断した故にことだった。

こんな荒唐無稽な話をしても、大部分の人間は信じてくれない……というより、理解できないのではと思っていたのだが……意外なことに、然程大きな衝撃を受けた人間はおらず、イタチの話を嘘と唱える者は一人もいなかった。無論、話の内容全てを理解しきれないという人間は何人かいた。だが、イタチの話を聞いたお陰で、その特異性について納得がいったというのが全員の総意だったらしい。

ちなみに、この事実を知った人間の内、ヤコだけは何故かイタチに対して懐かしいものを見るような視線を向けてきたのだが……彼女が何を考えていたのかは、イタチには分からなかった。

 

「しかし、今回は犠牲者を出さずに事態を収めることができました。その点だけは幸いです」

 

「そうだね。けど、イタチ君の目は……」

 

イタチがかけている眼鏡を見つめながら、アスナは沈痛な面持ちとなった。

茅場から受け取った超小型量子演算回路の機能により、一時的に前世の忍術を自在に行使できるようになり、その力をもって事件を解決に導いたイタチだったが、小さくない代償を支払うこととなった。

うちはイタチが前世で使用した瞳術『万華鏡写輪眼』は、非常に強力な術を行使できる代償として、使用に伴って視力が低下し、失明へと向かっていくリスクが生じる。今回の事件において、イタチは『月読』、『天照』、『須佐能乎』を立て続けに発動した。その結果、万華鏡写輪眼を仮想世界のみならず現実世界においても発現したイタチの目は、視力が著しく低下してしまった。幸い、失明には至っていないものの、眼鏡が必要となるレベルまで落ちてしまったのだ。

事件後、イタチの視力低下の事実とその経緯をを聞かされたアスナ達は、そのような無茶を犯したイタチに怒るとともに、心の底から心配していた。妹であるリーファに至っては、イタチがもしかしたら失明していたかもしれないと聞かされ、涙を目に浮かべて泣き崩れた程だった。

 

「自由に使えない力なんでしょう?なのに、こんなの厳しすぎるよ……」

 

「万華鏡写輪眼が使えた時点で、視力を代償に払うことは予想できていたことでしたから」

 

電人HALと彼が率いる電子ドラッグで洗脳した軍勢に対抗するには、万華鏡写輪眼の使用は不可避だった。故に、瞳術を使ったことに後悔は無いし、視力低下は勿論、最悪の場合は失明のリスクもイタチは覚悟していたのである。

 

「リーファちゃんだけじゃなくて、皆本気で心配したんだよ。失明のリスクがある力なんて、絶対に使ってほしくない……ううん。絶対に使わないって、約束して」

 

「……善処します」

 

その答えに、アズナはむっとする。善処するということは、やむを得ないと判断した場合には躊躇なく使うということである。本当なら、「絶対に使わない」と言ってほしかったようだが、その場凌ぎの嘘を使わなかった点にイタチの誠実さを感じたアスナは、怒りを抑えることができた。

 

「それじゃあ、今度こういうことがあったら、絶対に私達のことを頼って。じゃないと、本気で許さないから」

 

「……心得ました」

 

こればかりは譲れないと強く言い放つアスナの気迫を前に、イタチはこれを了承した。

仮想世界・現実世界を問わず、常に危険に飛び込むイタチを止めることが叶わないのは、既に分かっている。ならば、自分達もまたイタチと同じ場所に共に立つ。そして、皆で力を合わせて困難に立ち向かい、イタチのことを守る。それこそが、アスナをはじめとした仲間達全員が共有している決意だった。

 

「そういえば、エリカの……京子さんの姿が見えませんね」

 

「お母さん?ああ、今日は特に用事も無かったんだけど、家でゆっくりしたいからって、パーティーは欠席したよ。そういえば、明代さん……お手伝いの人に、湿布を貼ってもらってたね。やっぱり年なのかなぁ……」

 

「……そうかもしれませんね」

 

イタチの視力低下という重い話題を転換ために出した話だったが、苦笑するアスナに対し、イタチはそれ以上言葉を紡げなかった。

 

(あの年齢であれだけ派手に動けば、そうなっても仕方あるまい……)

 

かつては剣道で名を馳せる程の実力者ではあったものの、年齢が年齢だけに、中々全快とはいかないらしい。イタチは自分達を陰ながら助けてくれた功労者に対し心の中で感謝を述べるとともに、事件解決から数日が経過しても消えない筋肉痛が一日も早く治ることを祈った。

 

「そういえば……SAO事件の時の記憶は、ちゃんと戻っているんだよね?」

 

「はい。勿論です」

 

「それじゃあ、アインクラッドが崩壊するのを二人で見たときに、私が言ったことも………………」

 

「思い出せます」

 

若干顔を赤くしながらアスナが口にした問い掛けに対し、イタチはいうもと変わらない、落ち着いた様子で答えた。

 

「そっか……」

 

そんなイタチの答えを聞いたアスナは、頬を赤らめながら微笑んだ。同時に、とても安心した様子でもあった。

 

「……良かった。イタチ君の記憶が戻って」

 

「しかしながら、あの答えはまだ―――――」

 

「ううん、今はまだ良いの」

 

アスナの告白に対する答えを未だに見つけられないままであることに申し訳なさそうな表情をするイタチだが、当のアスナは答えをすぐに聞かせてほしいとは言わなかった。

 

「今はただ、私がイタチ君のことを好きだっていうことを、ちゃんと思い出してくれていれば、それで良いの」

 

「本当に申し訳……いえ。ありがとうございます」

 

「けど、あんまり長く待たされるのは嫌だな。イタチ君なりにじっくり考えて、いつかその答えを聞かせてほしい」

 

「……約束します」

 

アスナが口にした願いに、イタチは改めてその想いに真剣に向き合うことを意した。

 

「しかし、記憶を取り戻せたことには俺も安堵しています。こう見えて、今回の一件で、記憶が戻らないのではという不安がありましたので……」

 

「イタチ君にも、怖いものがあったんだ」

 

「ありますとも」

 

常に冷静沈着で、どれだけ危険な戦いであろうと果敢に立ち回ってきたことから、、イタチが恐怖を感じることなど滅多に無いのではとアスナは思っていたらしい。だがそれは、大きな勘違いだとイタチは言う。

 

「記憶は今の自分を形作る重要なピースです。それが失われることは、恐ろしいことです」

 

「うん……そうだね。きっと私がイタチ君の立場でも、同じように怖かったと思う」

 

「それに、今回は現実世界をも巻き込んだ戦いでした。下手をすれば、SAO事件の時のように死人が出ていたかもしれません。それは何より恐ろしいことですよ」

 

「イタチ君……」

 

今回のオーディナル・スケールを舞台に起こった事件は、重村がSAO事件で亡くなった娘の悠那を蘇らせんがために起こしたもの。つまり、SAO事件が原因とも言えるのだ。故にイタチは、SAO製作に携わった人間として、SAO事件同様に責任を感じずにはいられなかったのだ。

そんなイタチの感情を読み取ったアスナもまた、沈痛な表情を浮かべた。

 

「しかし、今回はアスナさん達の協力のお陰で、取り返しの付かない事態になることは避けられました。戦いの中で犠牲者を出さずに済んだのは、アスナさんのお陰だと思っています」

 

「けど、今回は私、正直に言うと……あんまり役に立ってなかったと思うよ」

 

「そんなことはありません」

 

自分を庇ってイタチはHP全損に陥り、記憶を失う羽目になったのだ。最終決戦では、イタチや援軍――イタチ曰く”アインクラッド連合軍”――が参戦するまでの戦線の維持をすることはできたものの、イタチ程の活躍はできなかった。イタチと並び立ち、ボスに立ち向かったものの、決め手に欠けていた感は否めない。おまけに、母親であるエリカに詰めの甘さから陥った危機を救われている。並みのプレイヤー以上に活躍していたものの、アスナ自身としては納得のできる結果ではなかった。

そんなアスナが抱く自分自身に対する否定的な考えを、イタチは否定した。

 

「記憶を取り戻すことの重要性を自覚することができたのは、間違いなくアスナさんのお陰です。前世の力をあれだけ発揮することができたのも、その想いあってのことだと思っています」

 

「けど、私は別に何も……」

 

「……不躾ながら、アスナさんの日記を読ませてもらいました」

 

「んなっ……!」

 

尚も後ろ向きな考えを抱くアスナの考えを改めさせるために、イタチが口にした事実。それを聞いた途端、アスナは羞恥に顔を赤く染めた。

 

「先日、アスナさんの家に伺った時に、エリカさんから……」

 

「何やってるの、お母さん……!」

 

今この場にはいない母親の暴挙に対し、アスナは怒り心頭になってしまった。こうなることが予想できていただけに、今まで黙っていたのだが、アスナの認識を改めてもらうべくイタチは、敢えてこの事実を伝えたのだった。

 

「アスナさんのプライベートを覗き見たのは非情に申し訳ないと思ってます。しかし、あの日記を読んだからこそ、記憶とともに失った皆との信頼関係や、アスナさんの想いに気付けたんです」

 

「イタチ君……」

 

「アスナさんには、本当に感謝しています」

 

改めて感謝の言葉を伝えられ、アスナの頬に差す朱は照れくささのそれへと変わっていった。

 

「そう、なんだ……私、ちゃんとイタチ君の役に立ててたんだね」

 

「はい。間違いありません」

 

イタチからの心からの感謝の言葉に、アスナは喜色満面の笑みを浮かべていた。自分はイタチの役に立てていなかったのではないかという、不安が、イタチ当人からの言葉で氷解したようだった。それと同時に、アスナは何かを決意したかのようにひとつ頷くと改めてイタチに向き直った。

 

「それじゃあ、イタチ君。今回の事件を解決するための頑張ったご褒美をお願いしてもいいかな?」

 

「俺にできることであれば、何でも」

 

今回のアスナの頑張り、献身には、イタチも自分にできることで報いることができればと考えていた。無論、アスナ以外の面々に対しても同様に考えているのだが。

だが……ご褒美を要求するアスナの顔が、何か悪いことを企んでいるような表情に見えたことに、一抹の不安が過った。

 

「それじゃあまず、敬語は無しにして。呼び方も”アスナ”で。長い付き合いなんだから、他人行儀なのはいい加減やめてね?」

 

「……分かった。これで良いか、アスナ?」

 

「フフン……よろしい!」

 

早速、タメ口と呼び捨てを実践してみたが、アスナは非常にご満悦だった。今更だが、イタチはリーファとシノンを含む大部分のプレイヤーに対してタメ口を使っている。例外はシバトラをはじめとした一部の大人のみであり、同年代でありながら敬語を使われていたアスナのみである。それが、壁を作っているように思われていたのかもしれない。関係改善という意味でも、これは良い機会だったとイタチは思った。

 

「ところでイタチ君、眼鏡ずれてるよ?」

 

「そうか?」

 

唐突なアスナの指摘にイタチは眼鏡のツルを指で持ち、調整を図る。前世でも使い慣れていなかった眼鏡をつけ始めて間もないためだろうか。イタチ自身は違和感は感じないのだが、傍目にはずれているように見えているらしい。

 

「私が直してあげる。ちょっとこっち向いてみて」

 

「分かった。頼む」

 

アスナに言われるがままに、眼鏡をかけた状態でアスナの方へ向き直り、少し前かがみになって顔を近づける。アスナはイタチのかけている眼鏡へ手を伸ばすと、そのツルに触れて、調整を始める。

 

「うう~ん……上手くいかないなぁ。イタチ君、もう少し近づいてみて」

 

「……こうか?」

 

距離があり過ぎるために、調整できないのだと言うアスナに従い、アスナの方へさらに顔を近づける。

その途端――アスナの口の端が、ニヤリと釣り上がったのを、イタチは確かに見た。

嫌な予感が過り、慌ててアスナから距離を取ろうと動いたイタチだったが、時既に遅し。イタチの眼鏡に伸ばされていたアスナの両手は、イタチの頭部をがっちりホールドする。そして、そのままアスナの顔の方へと引き寄せられ……

 

 

二人の唇は、重なった――――――

 

 

 

「!」

 

「んっ……!」

そのまま、アスナは両腕をイタチの首に回し、二人の唇はたっぷり三十秒間、深く繋がったままとなった。

 

「………………アスナ」

 

「ふふっ……奪っちゃった……」

 

アスナがご褒美を強請った時点で嫌な予感はしていたが、まさかこんな大胆な行動に出るとは予想外だった。

 

「今回のご褒美はこれで良いから。あと、告白の返事もよろしくね」

 

「……分かりました」

 

「敬語に戻ってるよ~」

 

想い人の唇を不意打ちで奪ってご満悦なアスナに、イタチは力なく頷いた。

と、そこへ――――――

 

「随分とお楽しみね、イタチ……」

 

「油断しました……まさか、アスナさんがこんな抜け駆けをするなんて……!」

 

テラスの出入口の方から、氷のように冷たい声が掛けられた。イタチがゆっくりと首をそちらに向けると、そこにはシノンが微笑みながら立っていた。隣にはリーファの姿もある。

そして、さらに後ろ――テラスに面した窓には、パーティーに圧あった面々が目を興味深そうにテラスでのやりとりを眺めていた。特にリズベットやメダカ、シェリーは心底愉快そうにニヤニヤとした笑みを浮かべている。

辺り一帯を凍てつかせるような恐怖さえ感じさせる笑みを浮かべるシノンと、顔を真っ赤に染めて陽炎を幻視させるような怒りを見せるリーファ。対照的な威圧感を放つ二人の敵意は、しかし同一の人物――アスナへと向けられていた。

そして、当のアスナはというと、殺気さえ感じさせる二人の視線を前に、腰に手を当て、胸を張ってドヤ顔でこう言い放った。

 

「こういうのは、早い者勝ちでしょう?仮想世界ではしののんに先を越されちゃったけど、これでようやく互角……いえ、現実世界でのキスだから、私がリードしちゃったかしら?」

 

この発言に、詩乃とリーファの額に青筋が浮かんだ。ピキリ、という音とともに、極寒と灼熱の相反するオーラがさらに膨れ上がった。至近距離にいたイタチには、そう感じられた。

 

「あんまり調子に乗らないほうが良いわよ、アスナ?」

 

「二人ばっかりズルいです……私だって、お兄ちゃんとずっと長く一緒にいるのに……!!」

 

前世を含めてかつて経験したことの無い程に壮絶な修羅場に直面したイタチは、その場に立ち尽くすのみで、何もできずにいた。

しかし、三人がそうして向かい合って火花を散らしてしばらく経つと、今度はその矛先がイタチへと向けられた。

 

「お兄ちゃんもお兄ちゃんだよ!なんであっさり、許しちゃうのっ!?」

 

「いや、完全に予想外な不意打ちだったんだが……」

 

「けど、イタチの反応速度なら十分避けられたんじゃない?リーファの不意打ちだって、毎朝防いでいるんだし」

 

「………………」

 

予想はできなくても、直前で回避アスナの頭を押さえてガードすることは不可能ではなかったのではと聞かれると、非常に反論できない。それでもアスナの暴挙を止めようとしなかったのは、アスナならば受け入れても良いと想ったのか……それとも、今日までのアスナに対する負い目故なのか……それは、イタチ自身もはっきりとは答えられない。

黙り込んでしまったイタチに対し、シノンとリーファの苛立ちの視線が突き刺さる。

 

「……仮想世界でもうやっているんだし、現実世界でやっても問題無いわよね?」

 

「ちょっ!?シノンさん、何やろうとしているんですか!?私だってしたいのにっ!」

 

「無理なんじゃないかな~。イタチ君、普段のガードはとっても固いから、もうこんなチャンスくれないよ~」

 

ナニを考えているのか、イタチのもとへ歩み寄ろうとしているシノンを、リーファが止める。アスナはアスナで勝ち誇ったような態度でシノンとリーファを煽っている。

未だに文字通りの意味で姦しいやりとりを続ける三人を見て、頭痛を感じたイタチは額に手を当て、空を仰いだ。上空に広がっているのは、かつてアインクラッドで見たのと然程変わらない、満点の星空だった。

 

 

 

かつてのうちはイタチとしての前世を生きた際には、心から信頼できる人間は誰一人としていなかった。目の前にある困難には、自分一人で立ち向かわねばならず、自分のみが解決できるのだと、常にそう考えていた。思い返してみれば、セルフ洗脳と言っても過言ではない程の強迫観念だったかもしれない。

そんな誰よりも孤独だった筈の自分が、今はこうして多くの親しい人達が奏でる喧噪の中に立っている。改めて気付いたことだが、今目の前に広がっている、忍世界にはなかったこの光景は、自分を支え、隣に並び立ち、共に歩んでくれた仲間達あってのものだ。

 

自分を心から愛してくれている、アスナにリーファ、シノン……

自身を父と呼び慕ってくれるユイ……

SAO事件の中で出会ったシリカ、リズベット、クライン、エギル……

 

最前線をともに駆け巡った攻略組のベータテスターである、カズゴ、アレン、ヨウ、メダカ、ゼンキチ……

 

イタチをビーターと知りつつも仲間と認めてくれた、血盟騎士団のコナン、シェリー、テッショウ、キヨマロ……

聖竜連合のシバトラ、ハジメ、ファルコン、ナツ……

 

ALO事件の共闘以来の仲間である竜崎、ランにサクヤ、アリシャ、ユージーン……

 

そして、戦いに赴く剣士たちを勇気づけてくれた歌姫である、ユナ……

 

重村徹大が、娘の悠那を多くのSAO生還者の記憶から再生させようとしたように、人の心……魂というものは、多くの人と触れ合う中で形作られていくのだろう。

今を生きるうちはイタチの前世を持つ自分もまた、この世界に転生して大きく変わっている。記憶を失ったことで、より一層強く、その事実を自覚することができた。

恐らくはイタチ自身にとって好ましいことなのであろうと、添う自覚することができる自身の変化、それを齎してくれた仲間とともに大切にしていく。

それこそが、自分がすべきである……同時にやりたいことなのだと、イタチは心の底から思えた。

 

 

 

終わりの見えないこの魂が巡る世界の中で、うちはイタチは前世と今世――二つの記憶と思いを胸に生きていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……こんなところに連れてきてなんの用だね、菊岡君?」

 

オーディナルスケールの一件から暫く後のこと。探偵Lにより旧アーガス社にて確保された重村だったが、数日後、その身柄は警察へと引き渡された。その後、数々の取り調べを受け、今回の事件について根掘り葉掘り聞かれた重村は、今度は総務省仮想課へと移された。

今はその責任者である菊岡により、とある施設へと連れてこられていたのだった。

 

「罪に問われなかったのは感謝しているが、私に何かさせるつもりなのか……」

 

「何を仰いますか。今回の一件は春川教授と彼を模した人工知能HALがしでかしたことです。先生はその計画に利用されていただけです。そのことは、春川教授が残したビデオレターからも明らかじゃないですか」

 

「……」

 

未遂に終わったとはいえ、多くの人間の命を犠牲にした計画を実行しようとしていたことは既に露見した。である以上、実刑は免れないと覚悟していた重村だったが……そこから先は、以外展開が待ち受けていた。

事件後に春川が息絶えていた山中の別荘の中から、春川教授が生前に遺した、今回の事件を捜査しているである警察や仮想課へ宛てたビデオレターが見つかったのだ。

その内容は、以下の通りである。

 

『私の名前は春川英輔。君達が追っているであろう、今回のARゲームを舞台にした計画を影で操っていた主犯だ』

 

そこから先は、映像の中の春川が真相と称する、事件の顛末が語られた。

オーディナル・スケールを舞台にSAO生還者の脳内スキャニングを行って記憶の収集を行ったこと――

先日のユナのライブでは会場に来た多くのSAO生還者に対して、命の危険すらある集団スキャニングを行おうとしていたこと――

計画を遂行するにあたり、自身の頭脳と人格をコピーした人工知能『電人HAL』を造り出したこと――

その過程で生み出された『電子ドラッグ』によって、自身の教え子や横須賀米軍基地の兵士を洗脳し、使役したこと――

 

 

 

そして、重村徹大とエイジこと後沢鋭二もまた、”電子ドラッグによって洗脳して今回の計画を遂行するための手駒”としていたこと――

 

 

 

『諸君は今、なぜ、と思っているだろう。なぜ私は――春川英輔は、このような暴挙に及んだのか?これは大規模なテロなのか?あるいは己の頭脳を見せつけるための世間に対する示威行為なのか?と。

私の目的はそのどちらでもない。それどころか、この映像が再生されている頃には、既に一切の目的も、理由も持たない。なぜなら……既に私は、計画の最終目的を達しているからだ』

 

どこかで聞いたことがあるような……というより、『SAO事件記録全集』に載っていた、SAO事件開始時点において内部のプレイヤー達が聞いたというチュートリアルをそのまま引用した文言に、それを聞いた当初、重村は眩暈を覚えてしまった。

 

(春川君……茅場の時といい、まさか君にまでしてやられるとはね……)

 

茅場に対する対抗意識と遊び心に満ちたビデオメッセージには呆れたが、そのお陰で、重村は春川に利用されていた被害者として認識され……重村とエイジは罪に問われることはなくなったのだ。

恐らく、春川は最初からこの計画が達成されることは無いと見込んでおり……全てが明るみに出た時には、自分一人で泥を被る覚悟だったのだろう。

重村から言わせれば、それは余計なお世話であり、春川の独り善がりに過ぎない。だが、重村には春川を恨む気持ちは無かった。不完全とはいえ、計画のすべてが潰えたあの時。不完全なままだったとはいえ、重村は娘の想いに触れることができたと……そう思えたからだ。

 

「先生の造られた人工知能……とても興味深く拝見しました。トップダウン型AIの行き着くところを見た気がします」

 

「……」

 

「そして春川教授が造り出したという”電人HAL”。春川教授をコピーして造り出されたAIは、『電子ドラッグ』や『スフィンクス』という武器を使って名探偵Lの捜査を攪乱してのけた。残念ながら、かの天才少年、ヒロキ・サワダが制作した、一年で人間の五年分成長できるというノアズ・アークを完全に再現するには至りませんでしたが、それでもあれだけの物を造り出せたのは、賞賛に値すると考えます」

 

春川のビデオメッセージを回顧していた重村の意識が、菊岡の話によって戻される。話の流れから察するに、自分がこの場に連れてこられたのは、人工知能が関係していることなのだろう。そして、もし春川が生きていたのならば、間違いなく自分とともにこの場にいたのだと、重村は察した。

 

「しかし私はもう一つの未来を信じています。茅場晶彦と須郷伸之を輩出した重村研究室を主催していた先生にぜひ見ていただきたいものがあるんです」

 

「?」

 

「正規スタッフ以外で外部の人間をここへ招き入れるのは、先生で二人目になります」

 

そうして話す内に辿り着いたのは、一枚の扉。菊岡がカードによる認証を用いて扉を開くと、そこには――――――

 

「っ!?……菊岡君!これは一体……!」

 

扉の向こうに広がっていた光景――正しくは、大型モニターに映し出されている物を見た重村は、絶句した。この世界とは違う、仮想世界であるのは間違いないのだが……重村の知るものとは一線を画すような、まさしく異世界と呼ぶべき光景がそこには広がっていたのだ。

そして、そんなモニターの片隅には、それとは別の……この施設のどこかを映し出しているのであろう画面が表示されている。病院の入院着を着た少女である。恐らくは病気によるものであろう、やつれた体をベッドに横たえて、メディキュボイドに似たフルダイブマシンを装着しているようだった。

目の前の光景に目を見開いて立ち尽くす重村をよそに、菊岡は部屋の中へと入っていく。部屋の中には、モニターの操作席に座っていた、この施設のスタッフであろう小柄な男が一人いた。その顔をよく見れば、菊岡同様、重村のよく見知った人間ではないか。一体これはどういうことなのか、と立ち尽くす重村に対し、菊岡は改めて告げる。

 

「ようこそ。『ラース』へ――」

 

 

 

 

 

The next stage is [Alicization]......

 



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