乱世を駆ける男 (黄粋)
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転生編
プロローグ 走馬燈。そして転生


黄粋と申します。

この作品には原作とは異なる展開が多々あります。
そしてオリジナルキャラも何人か出す予定ですのでその辺り、寛容な目で見ていただければと思います。

更新頻度はそれほど早くはありませんが今後ともよろしくお願いします。

尚、この作品はにじファンからの移転作品です。



「まったく長く生きたもんだ」

 

 もはや息をするにも補助が必要な身体で呟く。

 俺は真っ白な部屋の真っ白なベットに横になっていた。

 ベットの周りには人が集まっている。

 様々な年代の老若男女。

 いずれもが俺の縁者、友人たちだ。

 

 今年で九十歳になり、今まさに息絶えるところの俺を看取る為にこいつらは集まってくれた。

 浮かべている表情は様々ではあるが、皆が一様に俺が死ぬ事を悲しんでいる事がわかる。

 ありがたい事だ、と悲しんでるやつらには申し訳ないがそう思った。

 

 彼らに看取られて逝ける事を喜びながら、俺は自身の人生を振り返り始めた。

 

 

 ごくごく一般的な家庭に生まれた。

 恵まれた幼少期を過ごし、当たり前のようにその幸せを享受していた。

 

 二十歳になる頃、家に届いた召集令状。

 父は涙を噛み殺しながら敬礼して俺を送り出し、母は人目もはばからず泣きながら俺を抱きしめて生きて帰ってきてと懇願した。

 

 この時代の国民にとって戦争への召集は誇るべき事だったが、両親は『国への忠義』ではなく『息子の生還』を願っていた。

 友人たちが誇らしげに送り出されていく様子を俺は知っていた。

 だから彼らと違う態度を取る両親に戸惑ったけれど、戸惑うのと同じくらい生きて帰ってきて欲しいと思ってくれた事が嬉しかった。

 

 

 戦争は熾烈を極めた。

 飛び交う銃弾、爆発する地雷、降り注ぐ爆弾。

 お国のためにと共に訓練を受けた仲間が死んでいく様を見た、見続けた。

 銃弾に撃ち抜かれ、爆弾に身体を吹き飛ばされ、戦場で生き延びても手当てが間に合わずに死ぬ者もいた。

 戦いの気に酔わされて発狂してしまい仲間に殺される者もいた。

 

 俺も右腕を失った。

 犠牲者の数など数える気にもならない程。

 敵も味方も、老若男女の区別もなく毎日毎日死んでいった。

 

 だが運が良かったのか悪かったのか。

 俺はそんな戦争を生き抜いた。

 国が望み、自身が夢見た形ではなかったが平和が訪れ、その中を生きていく事になった。

 

 戦争が終わった時点で俺は軍を辞める事になった。

 利き腕を無くした事でお役御免にされたのだろう。

 辞めさせられた事に文句は無かった。

 虫の息とも言える軍の再編の足手まといになるだろう事がわかっていたからだ。

 

 父は戦争で俺が知らぬうちに死んでいた。

 硫黄島で戦いそして散ったのだと伝えにきたのは父の同僚で、彼も左足を無くしている。

 松葉杖をつきながら、それでも背筋を伸ばして父の最後を報告するその人の姿。

 俺にはその姿がとても雄々しく、力強く見えた。

 伝えられる言葉の一つ一つが父が最後まで戦ったのだと教えてくれていた。

 

 母は戦後に流行った病で死んだ。

 息を引き取るその瞬間まで俺を一人残す事を気にしていた。

 

 いつの間にか俺は独りになっていた。

 

 あまりにも凄惨な戦場での経験が災いして、戦後初めの五年ほどは普通の生活に馴染むことが出来なかった。

 物音がすれば既に手元に無いはずの武器を掴もうと手が腰に回り、ふと目の前を横切る人影がかつての敵兵に見えた。

 もう無いはずの右腕が痛みを発する事など日常茶飯事だった。

 

 眠れば浮かぶのはかつての戦場。

 そこで死んでいった仲間たちの幻影が俺を責め立てる悪夢を見た。

 

「なぜおまえは生きている」

「なぜ俺たちは死んだんだ」

 

 抑揚のない声が俺を縛り付け、追いつめていく。

 だがそれでも俺は生き続けた。

 

 死んだ仲間と殺した者の命を背負い、最期の最期まで生きる決意があったから。

 生き続ける事が俺を育ててくれた両親に報いる事になると信じていたから。

 

 そんな生活を二年ほど続けた頃。

 心身共にボロボロになった俺と共にいてくれたのは当時、看護師の真似事をしていた女性だった。

 

 俺よりも三つ年上の、失礼ながら母親のような暖かい雰囲気を持った女性。

 そんな人が狂う寸前だった俺を拾い、甲斐甲斐しく世話してくれた。

 生きる事に執着し続けてきたが同時に生きる事に疲れ果てていた当時の俺が、彼女を心の拠り所にするのに時間はかからなかった。

 

 俺は新しくなった社会に適合出来る程度に心身共に回復した頃、彼女に告白した。

 正直なところ、世話になりっぱなしでなにも返せていなかった俺に彼女の隣に立つ資格などないと思っていた。

 

 断られたら潔く諦め、二度と彼女の前に現れまいと覚悟していた。

 

 だが彼女はそんな俺を受け入れてくれた。

 嬉しかったが同時に不安にもなった。

 当時の俺は本当になにも出来ないヤツだったから。

 

 だから思わず聞いてしまった。

 

「なぜ俺と一緒になってくれるんだ?」

 

 彼女の答えは呆れるほどにシンプルだった。

 

「最初に出会ったその時、その瞬間に貴方が好きになったからよ」

 

 どうも彼女が俺を拾った理由は一目惚れしたからだったらしい。

 ボロボロでありながら、その目に宿った生き続ける意志にどうしようもない程に惹かれたのだと。

 恥ずかしくもあったがそれ以上に嬉しかった。

 

 そして俺は彼女と一緒になり、その生涯を共に生きる事を誓った。

 

 幸せな日々。

 かけがえのない人を守れるようにと肉体は勿論、精神を鍛える為に運動をするようになり、戦場に出るまで習っていた格闘技を再び始めた。

 相手を倒すのではなく『過去の自分に克つ』という標題の元、心身を鍛えるという目的を持って。

 戦争の爪跡がまだ色濃く残っていた頃だった為か、精力的に身体を動かす俺の姿は人の関心を惹きつけた。

 やがて人が集まり、いつの間にか青空道場のようになっていたのには驚いたものだ。

 

 法制度が正常に動き始め、何をするにしても手続きが必要になり始めた頃、一応の創設者に当たる自分が隻腕である事を理由に青空道場の解散を提案した。

 

 元々、我流でありその『心得』を除いて軍格闘技やうろ覚えの流派、果ては剣道などの技術とあらゆる部門のごちゃまぜであった格闘技を流派として正式に広める気は無かった為だ。

 

 しかし弟子(と呼んで良い物かはわからない)たちが続行を主張した為、正式な道場主として一番弟子の立場にいた教え子を置き、俺は今で言う名誉顧問のような立場になる事で道場を存続させる事になった。

 

 皆が『俺の教えを乞う為ならば』と奮起してくれた気持ちを無碍には出来なかった。

 今でも道場の標題は変わっていない。

 あくまでも『過去の己に克つ』為の精神を養う場のままだ。

 

 

 教え子の何人かが大成し、空手や柔道の大会に優勝するようになった。

 俺も、妻も、道場の仲間たちも、友人たちも、まるで自分の事のように喜び教え子たちを讃えた。

 

 子供が産まれ成長していき、同時に俺と妻が年を取っていくのを楽しんだ。

 

 時には喧嘩もしたけれど、それも思い出として笑い合えるようになる事を喜んだ。

 

 息子が大人になり愛する人を紹介された時、時の流れを嬉しく思った。

 

 孫の小さな手を握りながら、妻と息子たちと笑いあうその瞬間に幸せを噛みしめた。

 

 そして先に逝った妻が満足げに浮かべた笑みを俺は絶対に……たとえ死んでも忘れないと心に誓った。

 

 

「親父」

 

 走馬灯から戻った俺の耳に息子の声が聞こえた。

 今にもこぼれ落ちそうな涙を堪えたその顔は、俺を戦争に送り出した時の父親に似ていた。

 

 ああ、父さん。

 貴方の孫はしっかりその血を継いでるみたいだよ。

 

 声を出す事も出来なくなった身体を無理矢理動かし、頭を垂れていた息子を左手で撫でてやる。

 

「幸せに生きろ。俺たちのように」

 

 そう言ったつもりだったが伝わったかどうかはわからない。

 もう目元も霞んできた。

 どうやら時間切れのようだ。

 

「陽菜(ひな)」

 

 唯一無二の愛しい人の名を呟く。

 

 俺と一緒に生きてくれてありがとう。

 

 目を閉じる。

 二度と目を覚まさない眠りに身を委ねる為に。

 

 意識が遠のいていく。

 眠る時と変わらない、ゆっくりと落ちていく意識。

 あらゆる物を置き去りにしていく奇妙な感覚に身を任せようと力を抜いたその瞬間。

 俺の脳裏に愛しい人の笑顔が浮かんだ気がした。

 

 

 

 目を覚ました瞬間、俺が最初に認識したのは『無いはずの右腕』の感覚だった。

 

「ふぎゃぁ!?(なんだ!?)」

 

 驚きで思わず出た声が馬鹿みたいに甲高く、俺は二重に驚く。

 

「あらあら? どうしたの、駆狼(くろう)?」

「ふぎゃ……(か、母さん?)」

 

 さらに俺が知っている頃よりも幾分か若い母親の姿に俺は呆然とする羽目になった。

 

「ふふ、寂しかったの?」

 

 ひょいと抱き上げられる。

 よしよしと頭を優しく撫でられ、なんとも言えないむずがゆい感覚に身をよじろうとするが体格がまったく違う為、意味がなかった。

 

「こらこら、暴れないの。落としてしまったら危ないでしょう?」

 

 生前と変わらない笑み。

 立て続けに起こる訳の分からない出来事に混乱する俺を、優しく撫で続ける手。

 

 現実逃避を許さないその暖かさ。

 夢ではありえない。

 だが現実と認めるには、あまりにも突飛すぎる事態。

 

「(俺は……赤ん坊になったのか?)」

 

 自分に起きている事態に思考が辿り着いた瞬間、ぐらりと意識が揺らぐ。

 

「うぅ……(ね、眠い……)」

「ふふ、お休みなさい。駆狼」

 

 どこまでも暖かな声。

 その声が俺の名前を呼んだ事にひどく安心して、俺の体から力が一気に抜けていった。

 

 

 どうやら俺は本当に赤ん坊になってしまったらしい。

 

 次に目を覚ました時、俺の傍には若い母と俺を戦争に送り出した頃よりも若い父がいた。

 嬉しそうに声をかける二人のとろけそうな顔は息子や孫を抱いていた頃の俺とそっくりで、ものすごい気恥ずかしさに襲われた。

 

 他にも母乳を飲まされたり、下の世話をされたりと恥ずかしい出来事は続いていく。

 九十歳まで自分の事は自分でやっていた老人にとっては拷問に近かった。

 さすがに死ぬ間際は排尿、排便は自分で処理出来なかったので看護師がやってくれたが。

 体がすこぶる元気な状態で世話をされるのはかなり厳しい。

 羞恥心で死んでしまいそうだ。

 

 泥水を啜ってでも生きる事に執着したあの頃とは別の意味で辛い。

 とはいえ羞恥心で死んでやれるほど命を軽んじるつもりもない。

 俺はとにかく耐えて、今の自分に必要な情報を集める事に集中した。

 

 その甲斐あって色々とわかった事がある。

 

 まずここは俺が生きていた時代よりもずいぶんと昔だと言う事。

 俺が両親の腕に抱かれながら観察した範囲での話ではあるが、家はすべて木造か藁を束ねて作られていた。

 最初は弥生時代にでも迷い込んだかと思ったが。

 にしては両親や村人の服がその頃の日本よりも遙かに上等な代物のように見えた。

 

 そして言葉は通じるのだが、妙な違和感がある。

 その最たるモノが両親とその友人知人で俺を呼ぶ名が一貫していない事だ。

 

 俺は普段『凌操(りょうそう)』あるいは『刀厘(とうりん)』と呼ばれている。

 基本的に刀厘と呼ばれるのだが、両親だけがたまに俺の事を『凌操』かまたは『駆狼(くろう)』と呼ぶ。

 それも両親以外は誰もいない家の中でだけだ。

 

 どうも駆狼という名は真名という物らしく、親しい間柄でしか呼ばれない渾名のような物らしい。

 父は『公厘(こうりん)』、母は『清香(せいこう)』と普段は呼ばれており、傍目にも仲が良いと感じられる人間には『泰空(たいくう)』、『楼(ろう)』と呼ばれていた。

 

 親しい者以外に呼ばれない名を持つ風習。

 日本語が流通している場所にそんな風習はなかったはずだ。

 少なくとも俺の記憶にはない。

 

 俺の真名である駆狼と言うのは俺の生前(と言っていいのかどうかわからないが)の名『玖郎』とは字が違っていた。

 呼ぶ時の響きが一緒だったから、字が違う事に気づいたのはごく最近だ。

 

 そして重要な事がもう一つ。

 生活の中でほとんど文字を見かけていない事。

 それはつまり『今』が、生活する上で必ずしも文字を必要としない時代である事を示している。

 真名の字がわかったのは子煩悩な父がわざわざ墨でしたためて、俺の寝台に飾って見せたからだ。

 

 一体なにがどうなっているのか、一ヶ月は経っただろう今も俺は消化しきれていない。

 そして赤ん坊の頭ではあまり長く考え事をしていると眠くなってしまい、ここまで思考するのにも難儀している状態だ。

 

 不透明な状況、不可解な現象。

 

 しかし。

 そんな足下すらもおぼつかない不安定な状況にあってただ一つ理解できている事がある。

 

「ほら、息子よ。俺の名前を言ってごらん。姓は凌、名は沖(ちゅう)、字は公厘だ。公厘だぞ、こ・う・り・ん」

「あ〜だぁ〜〜〜(無茶を言うな、父さん。こちとらまだ発音すらおぼつかないんだぞ)」

「もう……貴方。まずはお父さん、お母さんからでしょう」

 

 自分の名を一字ずつ区切って強調する父。

 声に出来ないとわかっていながらも文句を言う俺。

 苦笑いしながら俺たちの様子を眺める母。

 

 ただ一つ理解できている事。

 それは赤ん坊の俺を愛おしげに見つめている生前の両親と、またこうして親子でいるのだという事。

 

 

 それと今、気づいたが……どうやらこの場所では姓と名は基本的に一文字で他に字という物まであるらしい。

 さらに何度となく親に呼ばれて覚えたが、俺のフルネームは『凌操(りょうそう)・刀厘(とうりん)』と言うらしい。

 薄々、思ってはいたがここは日本ではないのかもしれない。

 

 姓名の付け方が日本ではなく中国風。

 なぜ日本語で喋っているのかを問い詰めたいが、あいにくと今の俺は話すことが出来ない。

 もういっそこの異常な事態について考察するのをやめて流れに身を任せてしまうのも手かもしれない。

 

「ふぎゃ?(ん? 凌操?)」




楽しんでいただけたでしょうか?

作中に出たようにこの作品の主人公は孫策、孫権に仕えた勇将『凌操』になります。
彼が今後、どのような一生を送るのかを楽しみにしていただければと思います。

戦時及び戦後の描写は作者の想像です。
こんな事もありえたかもしれない程度に流していただければ幸いです。

両親の名前は作者の創作です。
後に凌操の字も出てくるのですが彼は史実では字は不明のままなのでこれも作者の創作になります事を前もって宣言させていただきます。

それではこれからよろしくお願いします。


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第一話 状況整理。未来を見据えて

前書き
凌操たち凌家の人間の『凌』の字ですが本当はさんずいの方の字になります。変換が上手く出来ないのでwikipediaに載っているこの『凌』を使わせてもらっています。

前もってご理解の程、よろしくお願いします。


 凌操(りょうそう)

 

 中国は後漢末期に孫呉(そんご)に仕えたとされる武将。

 江東の虎『孫堅(そんけん)』の長男『孫策(そんさく)』、次男『孫権(そんけん)』を二代に渡って支え続けたとされる。

 その武勇は誰もが認める物であり、常に先陣として戦場を駆け抜けたという。

 一説によれば孫呉の宿将の一人、韓当(かんとう)と同等の扱いを受けたと言われている。

 孫堅の頃から仕えている韓当と孫策の頃から仕えた凌操。

 仕えた年数が異なる両者が同等とされていた事からも孫呉の人間が凌操をどれだけ信頼していたかが窺える。

 しかし孫権と共に劉表配下の黄祖を攻めていた折、当時は黄祖の下にいた甘寧の矢を受けて戦死。

 この出来事で彼の息子『凌統(りょうとう)』は甘寧を憎み、有名な二人の確執と和解のエピソードにへ繋がる。

 もっともその死因については諸説あり、甘寧の放った矢ではなく甘寧軍が放った流れ矢にやられたという説もあると言う。

 

 いや今、問題なのは死因ではない。

 重要なのは俺がそんな歴史に名を残すような武将と同じ名前であるという事だ。

 

 これが意味する事は一体何なのかを考えなければならない。

 正直、嫌な予感しかしないが。

 

 一つ目の仮説、ここがかの三国志の時代である。

 二つ目の仮説、かの武将の名に肖(あやか)って名付けている。

 三つ目の仮説、まったくの偶然。

 

 個人的には二つ目か三つ目であってほしい所なのだが、確認できただけの時代背景と照らし合わせると笑い飛ばしたくなるような仮説一が最も有力に思えてしまう。

 

 これが当たりだとするならば、俺は孫に曰く『転生トリップ』という奴を体験中らしい。

 しかしここが後漢末期の中国大陸であるというのなら幾つもの疑問が浮かんでくる。

 

 前にも考えたが、まず言語。

 なぜ日本語が標準語になっているのかが謎だ。

 中国語を日本語として俺の頭が無意識に変換しているという可能性も考えた。

 だがその仮説に説得力を持たせるにはまず俺自身に中国語を日本語に変換できるだけの知識と経験が必要になる。

 しかし生きていた頃の中国語ならまぁそれなりにわかるが、それでもすらすらとと言う程ではない。

 こんな大昔の言葉を日本語のように俺の脳が変換してくれるわけがない。

 ついでに言うなら会話する時の口の動きも日本語そのままだったのでこの仮説は立てた数瞬後には崩れている。

 

 次に言葉は日本語なのに流通している文字は中国語だと言う事。

 父が異様に達筆あるいはど下手であると言う事でなければ、あの文字は中国語で間違いない。

 この時代に使われた物よりも字体が現代よりだった為、俺にも文字の意味は理解できた。

 読めたのは今のところ俺の真名と両親の名前くらいだが。

 文字に触れる機会が少ない為、断言できないのが辛いが確認した部分だけでも文字が中国語である事はほぼ間違いないと推測できる。

 

 日本語と中国語の違いは半端ではない。

 初めて中国の地を踏んだ時、現地の言葉を聞いてここは本当に地球なのかを疑ったくらいだ。

 もっともそれは碌に言語を予習でずに日本に初めて来た中国人も似たような感想を抱くのだろうが。

 それほど言語の壁という物は厚い。

 だと言うのに原住民である彼らは違和感など感じさせずにこの環境に順応している。

 それはつまり『昔からこういう環境であった事』を示している。

 中国語を勉強している日本人、あるいは日本語を勉強している中国人に喧嘩を売っているような環境だ。

 時代考証など以前に意味がわからない。

 

 さらに技術。

 この時代ではありえない服飾品、娯楽の存在だ。

 この頃、世界中のどこであっても紙と言う物は貴重だったと記憶している。

 だと言うのにこんなのどかな村に製本された紙の本があるのははっきり言って異常だ。

 しかもそれがファッション雑誌だと知った時は、頭を抱えたくなった。

 赤ん坊の状態なので手が頭に届かなかったが。

 ありえん、なんだ雑誌『阿蘇阿蘇』って。

 しかも若い女性の間で大人気の雑誌らしく、売りにくる行商人は売り上げがっぽがっぽな状態だそうだ。

 しかもその雑誌の中身も問題だ。

 どれも中華風ではあったが明らかに俺の知っているこの時代の技術力を逸脱している。

 なんだ、『流行は大将軍にあり』ってキャッチフレーズは。

 歴史家に喧嘩を売ってるのか?

 しかも服の材質こそこの時代の物っぽいがやたらきらびやかで、現代の服装と比べても遜色がないように見える。

 あんな女性向けの可愛らしい服を権力を持った人間が着ているわけがないだろうと盛大に突っ込んだ。

 勿論、言葉は出せなかったが。

 

 思い返してみれば父が俺の名前を書いたのも紙で、俺に見せる為に自分の名前を書いたのも紙だったな。

 

 今、挙げた物だけ見てもこの世界の異常性はよくわかる。

 これほどの違いがあると歴史的な出来事にもズレが生じるかもしれない。

 例えば漢王朝の腐敗、そしてかの有名な黄巾の乱や反董卓連合、その後に起こる群雄割拠の世。

 現段階では起きるかどうかわからない。

 もしかしたらこの世界は俺の知る古代中国よりもずっと平和な所なのかもしれない。

 しかしもしもそれらの出来事が早まる、あるいは出来事の規模が悪い方向で大きくなったらまずい事になるだろう。

 こんな辺鄙な村、時代の転換期とも言える出来事の波に晒されてしまえばひとたまりもない。

 

 特に黄巾の乱はまずい。

 黄巾賊は最初こそ王朝の腐敗を糾弾するという高い志をもって武装蜂起したが、それは乱の首謀者『張角(ちょうかく)』がいればこそのはず。

 彼を含めた張三兄弟が亡くなってからの黄巾党に統率などなく、半ば暴徒と化していた。

 この村がそんな連中の猛威に晒される事だけは防がなければならない。

 

 仮に歴史的な出来事が起こらないのだとしても、村全体の自衛手段の充実化は急務だろう。

 いつの時代も悪い事を考える人間はいるものだから。

 せめて迫り来る脅威に対して対抗できるようにならなければならない。

 

 俺が今のうちから出来る事はなにか?

 まず健康面に気をつける事になる。

 何事も身体が資本だ。

 衛生面があまり期待できないこの世界でどの程度の事が実行できるかわからないが、やらないよりは遥かにマシのはずだ。

 

 後は身体ができてきてからの体力作り。

 外で遊ぶという名目でランニングだな。

 子供なら外を走り回っていても問題はないだろうし。

 同年の子供たちを先導して身体を使う遊びをしてもいい。

 そういう身体作りに向いている遊びは多い。

 畑仕事など大人たちの手伝いをして成長の妨げにならない程度に筋力も付けるとしよう。

 

 一般的な成長が止まる十代後半からは生前やっていた格闘技の型をやる。

 いや型だけなら十代前半からでも構わないか。

 ウチの道場にも十歳になるかならないかぐらいの頃から通っている子供もいたのだし。

 今の身体で動き慣れておく意味で必要な事だから早いに越した事はない。

 いつどういう形で血生臭い事件が起こるかわからない時代だ。

 何事も早く始めておくに越した事はない。

 

 出来れば読み書きも習いたい所だが、年齢的に今の段階では厳しい。

 身体が丈夫だという程度なら訝しがられる程度で済むとは思うが、頭の出来が良すぎると不気味がられ最悪迫害される可能性がある。

 もう少し時期を見て両親から学ぶべきだな。

 幸いな事に両親はある程度の教養を持ち合わせているようなので、学ぶ宛があるだけでも儲け物だろう。

 

 今、出来るのはこんな所だろうか?

 しかし年を取る事を楽しいと感じた事はあったが、年を取っていない事にここまで焦燥感が湧くとは思わなかった。

 だがやるしかない。

 俺がすべてをやる必要はない。

 正直、凌操という人物の歴史をなぞって動くべきかどうかは不確定要素が多すぎて迷っている現状では判断できない。

 そんな今の俺に出来ることはなにがあっても対応出来るだけの力を得る事とこの世界の知識を得る事だ。

 さすがに死ぬとわかっている道筋に沿って進むのは御免だからな。

 

 せいぜい気張るとしよう。

 どんな世界で生きていく事になろうが俺の決意は変わらない。

 再び両親からもらった命を精一杯生きるだけだ。

 

 というか赤ん坊の段階でこんなに気苦労を背負い込んで将来、若禿とか胃痛持ちとかにならんだろうな?

 今から心配になってきたぞ。

 

 などと暢気な事を考えていたのが悪かったのか、俺の知る歴史をあざ笑う出来事が訪れる事をこの時の俺は知る由もなかった。

 

 

 

 黄蓋公覆(こうがいこうふく)。

 孫堅の代から孫策、孫権と三代に仕えた老将。

 宿将と言われる韓当、程普と共に孫呉に置ける軍の中核をなし晩年まで活躍したとされている。

 赤壁の戦いに置ける彼の『苦肉の計』は曹操軍に大打撃を与え、天下分け目の戦いにおいてのその活躍は三国志を知る者ならば誰もが知るところだ。

 俺自身、まったくブレる事なく孫家に忠義を尽くした彼には憧れにも似た感情を抱いていた。

 だったのだが。

 

「ほら、祭ちゃん。この子がうちの刀厘よ。仲良くしてね?」

「まかせよ、ろうどの! とうりん、わしの名はこうこうふくじゃ。これからよろしくたのむぞ!」

 

 舌っ足らずな言葉遣いで俺に笑顔で話しかけてくる『少女』。

 銀髪をショートカットにしているこの子がなんとあの黄蓋らしい。

 

「ああ、えっと……りょうとうりんです。よろしくおねがいします」

 

 ショックで挨拶をするのに間が出来てしまったがそれは許してほしい。

 まさか黄蓋の『性別』が違うとは思わなかったのだから。

 

「あらあら? どうしたの、刀厘。もしかして祭ちゃんに見惚れちゃったとか? 可愛いものね」

「な、なにを言うのじゃ。ろうどの! わしはかわいくなどありませんぞ!」

 

 あの黄蓋が女の子で母さんにからかわれて顔を赤くしている。

 訳がわからん、どういう事だ?

 

 現実逃避の為にこんな状況になった経緯を考えてみる。

 俺は赤ん坊の時の決意をそのままに問題なく成長を続け、今年で四歳になった。

 

 ちなみに俺が最初に口に出した言葉は『おかあさん』で子煩悩の父さんを盛大に凹ませた。

 いやいつも一緒にいるのは母さんだったから、順当だと思ったんだが。

 思いの外、父さんが凹んだのですぐに『おとうさん』と言ってやるとさっきまで凹んでいたのがなんだったのかという程の笑顔で俺を抱きしめてきた。

 

 まぁそれはさておき言葉を発する事が出来るようになった後も順調に成長を続けていき、一年と少し経つ頃に『はいはい』を卒業。

 自分の足で歩けるようになった。

 この一年と少しの間の時間はもどかしさと焦りとで、とてつもなく長く感じた。

 なので記念すべき第一歩を踏み出した時は思わず目尻に涙が浮かぶほどに感動したものだ。

 

 それからすぐに家の中を歩き回るようになり、すぐに村の中へと活動範囲を広げていった。

 そしてさらに二年と半年が経過し、四歳になってしばらく経った頃。

 村中を一人で走り回るようになった俺は母さんに隣村の友人のところまで行こうと誘われた。

 訓練も兼ねて二つ返事で了承した俺と母さんが半日歩き通しで着いたその村で、母さんに駆け寄ってくる女の子の姿。

 

 その子が黄蓋である事を知り、そして今は絶賛混乱中の状態だ。

 というか勘弁してくれ。

 ただでさえ諸々の違和感について疑問が尽きないと言うのにここに来て性別の相違とはな。

 もう俺の知る歴史は役に立たないのかもしれない。

 

「どうした、とうりん。あたまをおさえて? いたいのか?」

「ああ、うん。だいじょうぶ」

 

 どうやらこうなった経緯を思い出していたら、無意識に頭を抱えてしまっていたらしい。

 公覆嬢が俺を心配そうに見つめている。

 うわぁ、これが黄蓋かよ。

 

 いや歴史上の黄蓋も人間なのだから幼少期と言うのは当然、存在するはずなのだが。

 男だと思っていたのでこの展開はさすがに想定外過ぎる。

 またしても頭痛を感じて思わずこめかみを指で抑えてしまった。

 

「あ、ごめん。やっぱりちょっとあたまがいたいかも……」

 

 取り繕うのをやめてしまえば後は楽だった。

 

 公覆嬢が彼女の母親と談笑していた母さんに慌てて呼びかけ、駆けつけてくる大人二人に少し休みたいと伝える。

 罪悪感を感じないわけでもないが、頭痛というのは本当なのだし今回だけ大目に見てほしい。

 

「あら、さすがに半日も歩き通しで疲れちゃったのかしら?」

「ほう、この年で自分の村からずっと歩いてきたのか? てっきりお前が抱いてきたのかと思ったのだがの」

「……村の外に出たのはこれが初めてだったからね。少し無茶な事させていたのかもしれないわ。悪いのだけど少し寝かせてあげてもいいかしら?」

「ああ、うちの寝床を使えばいい」

 

 とんとん拍子に話が進む。

 さすが友人同士と言うべきか。

 

「すみません」

「礼儀正しい子じゃのう。うちの跳ねっ返りとは大違いじゃ」

「はは! わしのせいかくはははゆずりじゃぞ!」

「これ、具合の悪い人間の前で騒ぐな」

「うっ、わかりました」

 

 会話を聞いているとすごく和む。

 なんだ、この似たもの親子。

 

「ほら、刀厘。豊(ゆたか)の家に行くわよ」

「うん、母さん。こうふくちゃん、ごめんね」

「あ……う、うむ。きにするな」

「そうじゃぞ、刀厘君。ゆっくり休むといい」

「はい」

 

 心配そうな黄親子の視線を受けながら、俺は母さんに手を引かれて歩く。

 言われてみれば半日も歩き通しだったせいで疲れたかもしれない。

 少し足下がおぼつかない。

 

「ごめんね。貴方が平気そうな顔をしていたから気づいてあげられなかったわ」

 

 ふわりと俺の身体が持ち上がり、母の腕の中に収まる。

 

「ううん、だいじょうぶ。でも少しねむい」

「ええ、寝てもいいわよ。お休み、駆狼」

 

 自分の子供言葉に身もだえる程の恥ずかしさを感じながら、俺は眠りについた。

 この後、目を覚ました時に黄蓋同様にこの世界では女性になっている韓当の姿を見て俺の頭痛がひどくなる事になる。

 誰か俺に平穏と頭痛薬をくれ。

 

 という俺にとっての衝撃的な出会いから早数週間。

 そういう存在であると理解してしまえば慣れるのもまた早い物で。

 公覆嬢、義公嬢とは友人になり、さらに三人で遊んでいるところに程普徳謀(ていふ・とくぼう)、祖茂大栄(そもう・だいえい)も加わった。

 驚いた事に孫呉が誇る忠臣たちは全員、同じ村の出身らしい。

 突っ込み所満載ではあったが、正直なところ歴史上の彼らの出身などどうでもよかった。

 

 それよりも彼らが『男』であった事に、俺は言葉では言い表せないほどの安心感を抱いていて突っ込みどころではなかったのだ。

 

 彼らとはすぐに意気投合した。

 どうも公覆嬢、韓当嬢に頭が上がらず頼りになる男の友人を切望していたらしい。

 まぁ確かにあの二人、異様に押しが強い上に男勝りな性格なので、良くも悪くもまともな性格でさらに一つ年下の程普と祖茂では尻に敷かれるのも理解できた。

 

 まぁそんなこんなで。

 俺は将来の武将たちと友人として付き合いを持つ事になった。

 相変わらず俺の知る歴史に喧嘩を売っているとしか思えないが、もう知識を参考にするのは諦めるべきかもしれない。

 

 黄蓋に続いて韓当まで性別が違う上に全員が同じ村出身となると、伝えられてきた歴史が間違っているというよりもこの世界と俺の知る歴史は別物であると考えた方が賢明だろう。

 

 知識はあくまで知識として活用するとして。

 今はこの貴重な幼少時代を友人たちと過ごそう。

 

 もちろん予定通りに鍛錬を交えつつ、な。

 




後書き
いかがだったでしょうか?
やや年齢の重ね方が駆け足ですが幼少期ではあまり書くことがないので、これからも飛ばし飛ばしになると思います。

次のお話も楽しみにしていただければ幸いです。


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第二話 幼馴染みとの日々。別の場所で生きる者

 将来の名武将四人組との出会いから早四年。

 八歳になった俺は現在、友人たちと鬼ごっこの真っ最中だ。

 

「こんどはぎこうがおにじゃな!」

「よぉし、ぜんいんつかまえてやるからな~~!」

「にげきってやる!」

「ずっとまけっぱなしなんていやだもんね!」

 

 ちなみに上から公覆嬢、義公嬢、大栄、徳謀のセリフだ。

 俺はと言えば彼女らがわいわいと騒いでいる間に、手の届かないところに全力疾走中である。

 

「あ~~、とうりんずるい~~!」

「あ、あいつ早すぎるって」

 

 義公嬢と徳謀がぎゃいぎゃい何か言っているが聞こえんな。

 

 全力を出すと言うことはとても重要な事だ。

 自分の限界を知る事が出来る上に、過去の自分と比較する事で成長を確認する事が出来る。

 今は遊びの範疇だが。

 だからこそ何も気にすることなく、それこそ倒れるまで全力を出し続ける事が可能なのだ。

 この環境を利用しない手はない。

 

 という名目で俺は未だ遠くにいる四人をさらに引き離すべく速度を上げる。

 なんだか最近、公覆嬢たちと付き合っているせいか自分が精神的に幼くなってきている気がする。

 まぁ何の為に努力しているかを忘れなければ、根本的な部分まで影響される事はないだろう。

 

 たまには童心に返るのも良い。

 それも今の内だけだ。

 楽しめるうちは楽しませてもらおう。

 という訳で。

 

「くやしかったら追いついてみろー!!」

 

 大声で後ろの四人を挑発する。

 恐らく聞こえたのだろう、鬼である義公嬢含めて全員が俺を追いかけてくる。

 どうでもいいがこれはもう鬼ごっこじゃなくて俺対四人の変則かけっこだな。

 

 む、さすが公覆嬢。

 四人の中では抜きん出ている走りだ。

 その後は少し遅れて大栄、かなり離れて徳謀と義公嬢か。

 

「またんか、とうりんーーー!!!」

「まってよ、とうにぃ~~~!」

 

 挑発が思いの外、効いたらしい公覆嬢の怒鳴り声にかき消されそうな大栄の声。

 大栄は走り負けてるのが悔しいのか、前で怒鳴っている公覆嬢が怖いのか涙目になっている。

 その様子に罪悪感を覚える……というか大栄、お前はほんとに男か?

 公覆嬢と比べるとどっちが男か疑問を抱いてしまうような光景だ。

 大人たちは微笑ましそうに見ているが。

 

 さすがに俺も疲れてきた。

 俺の体内感覚による推測だが、かれこれ十五分は走りっぱなしだから当然と言えば当然だ。

 たぶん村の全周に換算して五周分は走ってるはず。

 

 切りの良いところで足を止めて息を整えていると二人が追いついてきた。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……よ、うやく、おい…ついた。はぁはぁ……」

「はぁ、ふぅ……とうにぃ、はやすぎだよ」

 

 バテバテな公覆嬢は膝に手をついて息をを整えているが、大栄はまだ余裕があるようで深呼吸一つで呼吸が整っていた。

 どうやら公覆嬢よりも祖茂の方が持久力は上らしい。

 

 しかし全力での単純な力勝負は五人の中で公覆嬢が一番で次に俺、義公嬢になる。

 

 子供時代で既に力の付き方に特徴がでるとは、三国時代の武将と言うのはかなりの規格外だ。

 真剣に突っ込むなら七歳そこらの子供でこんなに体力がある事自体、おかしいんだが。

 

 俺も自分の身体の成長性には驚いている。

 不思議な事にこの身体、通常では考えられない早さで運動した分の体力が付くのだ。

 公覆嬢や徳謀たちはまったく気にしていないようだが、これははっきり言って異常だ。

 前世の記憶を持っている自分だから、以前の身体との比較ではっきりとこの身体の異常性を認識できる。

 

 六歳の頃、鍛錬と称したランニングを始めたその日は村を一周する程度の体力しか無かった。

 だと言うのに三日も走り続けると同じペース配分で二周できるようになっているのだ。

 どう考えてもおかしい。

 

 俺に付き合って鬼ごっこなどの遊びや競争をやっていた武将四人組も個人差はあるが、同じように異常な勢いで成長をしている。

 

 しかし遊び(という名目の鍛錬)を始めた頃の地力は公覆嬢、義公嬢の方が俺や大栄、徳謀よりも上だった。

 この『武将の男性→女性化の三国志世界』は『潜在能力レベルで女尊男卑なんじゃないか?』という不吉且つ理不尽な推測が頭によぎるほどに差があった。

 なにせ俺たちは言うに及ばず、彼女らの父親ですら当時六歳の彼女たちに腕相撲で敗北する程なのだから。

 うちの父さんは負けなかったが、あの時の父さんの目は遊びに対してとは思えないほどに気合が入っていた。

 

 二十歳は年が離れている子供相手に本気を出す男親。

 しかもそのほとんどが敗北したという事実。

 子供の小さい手に合わせての勝負だった為に力が入れにくい体勢だった事を差し引いても酷い有様だ。

 これが世界規模での常識だとしたらと思うとぞっとする。

 

 閑話休題。

 ともかく伸び盛りの子供で済ませる事は絶対に出来ない成長の仕方を俺たちはしている。

 しかしどれだけ考えてもその事に納得の出来る説明が出来ないのだ。

 

 家に籠もって数日もの間、この事を考えていた事もある。

 いきなり引きこもってしまった俺は友人たちや彼らの両親、父さん母さんにまで心配をかけてしまった。

 それについては平謝りする他ない。

 しかし数日、それも心配をかけるほどに集中してこの不思議の解明に勤しんだが納得のできる答えを得る事は出来なかった。

 

 精神年齢換算で今年九十七歳になるのだが、まだまだ世の中という奴はわからない事だらけという事らしい。

 この世界が特殊すぎるのが悪いとも思うのだが。

 

 最終的に俺は強くなる為に努力すればそれだけの結果が返ってくるという『最高の環境』にいる事を喜ぶ事にした。

 開き直りであり、思考の放棄とも言う。

 とにかく己が生涯に課した『過去の自分に克つ』という標題を肉体的に実践できる環境を得られたと思えば、多少の理不尽も受け入れられると思うことにしたのだ。

 

 そう考えてしまえば女性陣にスタートラインで負けている事など気にもならなかった。

 たとえ生まれたその日に差があろうと、追い越す事は可能なのだから。

 以前の身体で出来た事が、より恵まれたこの身体で出来ないはずがない。

 

「うう、ちょっと前までわたしたちにおいつけなかったくせに~~」

「それがくやしかったからむらにもどってから走り込みしてたんだよ」

 

 ようやく追いついてきた義公嬢が俺を睨み付けてくるが正直、怖さなどまったく感じない。

 同年代ならともかくこちとら一回、人生を終えているのだ。

 曾孫並に年が離れている女の子に睨まれたところで痛くも痒くもない。

 

 ちなみに義公嬢と一緒に追いついてきた徳謀だが、しゃべる事も出来ないほどに疲れて地べたに倒れている。

 

「なんと! とうりんはかくれてとっくんをしていたのか!?」

「うん。まけてばかりいられないからまいにち、走ってたんだ」

「あ、ぼくもとうにぃのむらにいったときにいっしょに走ったよ」

 

 俺の事を慕う祖茂は、俺と一緒にという部分が嬉しいらしくニコニコ笑いながら言った。

 心なしか胸を反らして誇らしげにしている。

 微笑ましい限りだ。

 

「まけたくないならがんばらないと、ね」

 

 してやったりと笑いながら気持ち胸を張って言ってやる。

 公覆嬢、義公嬢にはこうやって挑発気味に言うとやる気が倍増する。

 負けん気が人一倍強い性格なのだ。

 

「むぅ~~、だったらわたしも今日から走る!」

「とうりんにまけてばかりではくやしい! わしも走るぞ!」

「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ。……お、おれも」

「ぼくも、とうにぃに追いつけるくらいがんばる!」

 

 精神的な成長において負けるという事は重要な事だ。

 勝利から得られる物よりも敗北から得られる物の方が多いのだから。

 敗北の悔しさを、自分よりも強い者がいるという現実を、そして何かを失う事への恐怖を知る。

 失った物が大きければ大きい程に、失意のどん底まで沈み込むだろう。

 立ち上がる事も容易ではない。

 逃げ出したくなる事もあるだろう、あるいは沈んだまま立ち上がる事さえ出来なくなるかもしれない。

 しかしそこから立ち上がることが出来たならば、負けた時の自分よりも遙かに強くなっているだろう。

 

 自慢にもならない事だが俺は前世で敗北と言う物を腐るほど経験し、沢山の物を失ってきた。

 今更、一つや二つの負けが増えたところで膝を折るような柔な性根はしていない。

 

 絶対に負けられないというここぞという所で負けないように、今は精一杯全力を出して負け、精一杯努力をしよう。

 

 そういう気持ちで走り込みを続ける事、一年後の現在。

 少なくとも走力では公覆嬢、義公嬢を圧倒できるほどに成長した。

 それもこの努力した分がすぐにでも返って来る身体のお蔭だ。

 

「それじゃこんどはかけっこね。ここから村を一周してこうふくちゃんのいえについたらかち」

「こんどは負けない!」

「なにおぅ、わしがかつぞ!」

「いや、おれがかつ!」

「ぼくもがんばる!」

 

 俺が決めたルールに素直に従う四人。

 その様子に苦笑いしながら、俺は声を張り上げる。

 

「よーい、どん!」

 

 俺を含めて一斉に走り出す。

 とりあえず様子見で俺は四人の後ろに着く事にする。

 

 彼らの背中を見つめながら思う。

 

 俺だけが強くなっても駄目だ。

 確かに個人の強さも重要ではある。

 自分の身を守れない人間に他者を守ることなど出来るはずがないのだ。

 だが一人が強くてもすべてを守る事は出来ない。

 戦争に駆り出されたあの頃に、俺はその事を嫌と言うほど思い知っている。

 人生一つ分で得た数々の教訓を無駄にする必要はないはずだ。

 

 時々村を訪れる行商人が言っていたが、懇意にしていた村が滅ぼされていたなどと言う話もざらにある事だという。

 賊の存在はどこにいても付き纏うというのは、俺が知るこの時代となんら変わらないらしい。

 

 この村が、あるいは公覆嬢たちが住む村が賊に襲われないという保証はない。

 

 現状、村の警備体制に意見できるような年齢ではない俺が何か言っても子供の言葉としか受け取ってもらえない。

 この辺りは治安がそこそこ良いようで村人の危機感もそれほど強くないのだ。

 子供であるという事も影響して、以前に雑談に紛れ込ませて『定期的な村近隣の巡回』を提案してみたのだが取り合ってもらえなかった。

 

 今の俺に発言力と言うものは無い。

 無い物ねだりしても仕方がない以上、当初の予定通りに自分に出来る事をしていくしかない。

 いざという時に動けるように。

 

 公覆嬢たちを先導して体力作りに付き合わせているのは最低限、逃げるだけの体力をつけてほしかったからだ。

 未来の武将だからとかそんな理屈を抜きにして彼らは俺の友人だ。

 この訳のわからん世界での初めての友人。

 死なせたくないと思って何がおかしい?

 

 俺は聖人君子ではない。

 すべての人間を幸せにするなんて言葉を自信を持って言えるほどの器などない。

 だがそんな俺にも大切なモノはある。

 それを守る為ならば多少の無理をしてでも手を尽くすべきだろう。

 それこそ必死になって。

 

「こらぁ、とうりん! まじめに走れぇ!」

 

 物思いに耽っている間にずいぶんと離されてしまったらしい。

 かなり遠いところから公覆嬢の声が聞こえてきた。

 どうやら手を抜かれていると思ったらしい。

 かなり怒っている。

 ほんと生まれてくる性別を間違えたとしか思えないな、公覆嬢は。

 

「さっさと来いよ、とうりん~~」

「早く来ないとおいてくぞ!!」

「とうにぃ、早く~~」

 

 口元が自然に弛んでいくのが自分でわかった。

 ほんと、気持ちの良いガキどもだ。

 

「よぉし、いっくぞぉ~~~~~!!」

 

 気合いを入れる為に腹の底から声を出す。

 俺が全力疾走で四人をごぼう抜きにするのにそう時間はかからなかった。

 

 

 

 

 私は懐かしい気配を感じて部屋の窓から外を見た。

 ゆっくりと動く白い雲とどこまでも続く青空が広がっているのが見える。

 

「どうしたのだ、幼台?」

 

 姉に尋ねられ、なんでもないと答える。

 本当はなんでもないというのは嘘なのだけど、心配をかけたくなかったので黙っている事にした。

 

「なんでもないってことはないだろ? ほら、姉に話してみせろ」

 

 すっごくわくわくしている顔で、私ににじり寄ってくる『この世界』で出来た姉。

 こうなった姉はたとえ両親でも止められない事を私は良く知っている。

 だから正直に話すことにした。

 

「すこし、なつかしいかんじがしたの」

「なつかしい? 前から思ってたがせいはときどきへんな言い方をするなぁ」

 

 そう。

 とても愛しくて、とても優しかった『あの人』の気配を感じた気がした。

 もちろん、それは気のせいだろうけれど。

 

 この世界に生を受けて八年。

 暖かい家族に囲まれて、私は第二の人生を過ごしている。

 

 生まれ変わって一ヶ月間はただひたすら混乱していた。

 愛する人と家族、友人たちに看取られて幸せなまま喪に伏したのに。

 

 まるで夜明けのような眩しさを瞼越しに感じて、思わず目を開けてみればそこは見たことのない部屋で。

 思わず頭上にかざした自分の手が小さくてとても驚いた。

 

 赤ん坊になっているという事実を、しっかりと認識するのにもひどく時間がかかったっけ。

 そして混乱の只中だった私の寝台の横には別の赤ん坊が寝かされていた。

 その赤ん坊が姉だと言うことは、状況に混乱した私の本能的な大泣きを聞いて駆けつけた母が教えてくれた。

 

 その姉があの有名な『孫堅文台(そんけんぶんだい)』だと知った時は、頭が真っ白になるほどに驚いた事を覚えている。

 

「ふふふ」

「なんだ? 何か面白いことでもあったのか?」

 

 好奇心旺盛な姉は何にでも興味を示す。

 特に私の事になるとどんな些細な事でも見逃さない。

 それが嬉しくて、でも対応に困ってしまう事がある。

 

 今がまさにそれだ。

 まさか自分が生まれた時の事を思い出していたなんて言えない。

 下手に誤魔化しても姉はすごく勘が鋭いからきっと気づかれてしまうだろう。

 

 うん。せっかくだから前から聞きたかった事を聞いてしまおうかな?

 

「ねぇ姉上。もしも……もしもわたしに好きな人ができたら姉上はわたしをしゅくふくしてくれる?」

 

 この質問は予想外だったらしい姉は目を丸くして驚いている。

 しかしすぐに十歳児とは思えない、でもこの上なく似合っているニヤリ笑いを浮かべるとこう言った。

 

「しゅくふくする前にそいつにはわたしとしょうぶしてもらうぞ。わたしにかてないようなやつに大事な妹はやれん!」

 

 前世での頑固親父のような事を言う姉。

 正直、そういう言葉が出てくるのは予想していた。

 だから私は予め用意していた言葉を言う。

 

「だいじょうぶだよ、姉上。わたしが好きになった人なら姉上だってたおしちゃうから」

「ははは! それはたのしみだなぁ」

 

 本当に楽しそうに笑う姉と一緒に私も笑う。

 

「(ねぇ、玖郎。あなたがもしもこの世界のどこかにいるのなら私を見つけだしてくれるって期待しても良いよね?)」

 

 彼がこの世界にいる保証なんてない。

 たださっきふと感じた懐かしい気配だけが私に儚い希望を抱かせていた。

 



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第三話 鍛錬の日々。初めての戦い

「いくぞ、駆狼!!」

「さっさとかかって来い。激(げき)」

 

 今、俺は村に届け物をしにきた程普改め激と向かい合っている。

 激と言うのは徳謀の真名だ。

 

 十歳になった頃、俺たちはそれぞれの親から自分で真名を許す許可が降りたのでさっそくいつもの五人で交換した。

 なんでも真名とは許された者以外が決して呼ぶ事があってはならない物であり、許可なく呼べば殺されても文句は言えない神聖な物なのだそうだ。

 親しい者にしか呼ばれない渾名程度にしか考えていなかった俺はしゃべれるようになった頃、両親に説明されて戦慄したのを覚えている。

 気軽に口にしなくて良かったと心の底から安堵したものだ。

 

 この地方独特の風習らしいのだが、子供が誰かに真名を許すには親の許可が必要になるらしい。

 この辺りの地域は真名の神聖性を特に重んじる傾向にある。

 そうであるが故に子供の頃、つまりしっかりとした判断基準を持たない段階で真名を許すという行為を許さない。

 それを許可するかどうかは親が責任を持って判断しなければならないのだ。

 例外として相手から真名を預けた場合は返礼として預ける事が出来る。

 公覆嬢改め祭(さい)嬢と母さんなどはその典型だし、俺も真名についてのレクチャーを受けたその日に両親と祭嬢たちの親に真名を預けてもらったので返礼している。

 

 

 そして俺たち五人はそれぞれ十歳の誕生日に自分で真名を預ける判断が出来るとされたというわけだ。

 俺にとって真名という風習自体が馴染みの薄い物なので実感は湧かなかったが、この年齢で許可されるのは珍しいらしい。

 

 正直、許可云々は俺にはどうでもよい話だったが祭嬢たちにとっては違ったらしい。

 親から許可をもらったその日の喜びようは半端ではなかった。

 親たちも許可を出した感動で盛り上がり、その日は酒宴が開かれた。

 正直、一人置いてけぼりを食らっていた俺は怒濤の流れにまったくついていけなかったのだが。

 

 真名が云々の話よりも、酒宴で十歳児に酒を勧める阿呆どもを毎日の走り込みのお陰で馬鹿みたいに強くなった蹴りで沈めたり、場の雰囲気に酔ってノリノリで飲もうとした激と祭に拳骨をお見舞いしたりと宴の火消しに忙しかった記憶の方が濃厚に残っているくらいだ。

 そんな神聖さなど微塵も感じさせない騒がしい空気の中で俺たちは真名を預け合い、さらに仲を深めたというわけだ。

 

 

「シッ!!」

「ふッ!!」

 

 そんな人生の節目を終えてさらに四年後の現在。

 俺たちは今年で十四歳になり、身体的発育に明暗が分かれる時期に差し掛かりつつあった。

 

 既に俺、激、大栄改め慎(しん)は個人差はあるが背が伸び始めているし体付きもがっしりとしてきた。

 祭嬢と義公嬢改め塁(るい)嬢は身体が女性らしいしなやかな丸みを帯びてきている。

 

 女性らしく成長しつつある彼女らだが強いのは相変わらずだ。

 むしろ常識を外れつつあるという意味では悪化していると言える。

 

 塁嬢などは最近、落石で塞がれてしまった道の大岩を持ち上げてどけるという恐ろしい事をしでかしている。

 その件の大岩を蹴り砕けるか試したら出来てしまったので、俺も人の事は言えない身なのだが。

 

 毎日、鍛錬を欠かさなかったとはいえ十四歳でこの成果はさすがに引いた。

 代償として蹴りに使った右足に罅がが入ってしばらく使い物にならなくなったのだが、それにしてもあんな見上げるような大きさの岩を生身で砕けるとは思いもしなかった。

 

 周りの人間がその事を特に気にしていなかった事が救いと言えば救いだ。

 前世と比べて色々と常識が規格外である事に初めて感謝したくなった。

 前世でこんな力を持っていたら怯えられて迫害されかねん。

 

「いだだだ!? おい、駆狼!! 考え事しながら間接きめんな!! 折れる折れるッ!?」

「ん? ああ、すまんすまん。真面目にやる」

「ぎゃぁあああああ! 違う違う、真面目に折る方向で考えてんじゃねぇ!! 俺の負けだから離せって言ってんだよぉおおおお!!」

「やかましい奴だ」

「この極悪冷血漢ッ!!」

「ああ、手が滑った」

 

 激の肩から鈍い音を発てた。

 

「ぎゃああああああああああ!!!!!!」

 

 折るのではなく、肩を外してから間接技を解く。

 そして白目を剥いて気絶した激の肩をはめなおしてやる。

 うめき声と共に目を覚ますが、はめなおした肩の痛みでまた気絶した。

 

 忙しい奴だ。

 

 ……即興でやってみたがこれはお仕置きに使えそうだな。

 

 とりあえず肩に負担がかからないよう仰向けに寝かせ、日光が直に当たらないよう木陰に運ぶ。

 ビクビクと身体を痙攣させている激を無視しながら俺は地面に胡座をかいた。

 

 考えるのは現在の俺たちの状況と今後の村の安全について。

 

 それぞれに強くなると言う事を明確に意識し始めた。

 祭嬢は親の指導の元で弓の訓練をしている。

 ついこの間、その腕が認められて『多幻双弓(たげんそうきゅう)』という弓をもらったとはしゃぎながら言っていた。

 慎は剣を、激は弓を習いつつ俺と素手での戦い方を試行錯誤しながら学んでいる。

 塁嬢は親から譲られた大鎚(名前を『観世流仁瑠(みょるにる)』というらしい。どこの神話だ)を用いて鍛錬に励んでいる。

 俺自身は毎日の走り込みに加えて格闘技の型を繰り返し体に馴染ませている。

 

 激が実験台もとい練習相手になってくれるので想定以上に順調に強くなっている。

 しかし俺の格闘技はいわゆる試合を行う為の物であり、基本的に一対一しか想定されていない。

 色々と応用が利く技術ではあるが、賊や正規の軍隊を相手に一対多数で戦う可能性を考えるとこれだけでは些か心許ない。

 よって今は鍛錬と農作業を行う傍ら、俺に合った武器がないかを思案している。

 

 

 この世界に正当な武術の型や流派という物は存在しない。

 最も基本的な突く、斬るなどの動作は別として。

 武を志す物が敵を倒す為に日々精進して生まれた型はあるのだろうが、それは一人一人が生み出した個人技に過ぎない。

 

 大衆向けの一般的な(と言うと語弊があるかもしれない)武術、万人に教えられ努力を怠らなければそれなりの使い手になれる汎用性の高い技術と言うものは無いのだ。

 

 俺という例外が生前に生み出した『精心流(しょうじんりゅう)』を除いて。

 前世の記憶を持つという反則的な環境にいる俺には、この時代の武将が歴史として語り継がれるほど先の世界の武術の記憶がある。

 

 その中には棒術などの武器を用いた物も含まれている為、村で有志を募ってこれの訓練してもらえば村全体の防衛機能をある程度、上げる事が出来るだろう。

 もちろん力を持った事で調子に乗る者がいないとは言えない。

 そういう連中が出た場合は見せしめも兼ねて容赦なしに叩き潰すつもりでいるが。

 

 しかしこの周辺の村は子供の年代にかなり差がある。

 俺たちと同年程度の子供はおらず、年上は既に二十歳に近い。

 下になるとまだ生まれたばかりの子やまだ一歳にも満たない程度の年齢ばかり。

 なんとも極端な話だ。

 

 村周辺の治安を守る為にまとまったグループ、いわゆる自警団を設立するに当たって解決すべき一番の問題は上の年代をどう説得するかになるだろう。

 

 十四歳でその力を周囲に認められつつある俺たちだが、未だ村の中で発言力を持つには至っていない。

 それは子供だからという事が一番の理由なのだろうが、人を率いるにあたり必要な威厳が足りない事もあると思っている。

 幾ら大岩を持ち上げて打ち砕ける力があっても、人を引っ張っていく為の威厳は別次元の話だ。

 それにこんな子供に意見されるというのも大人のプライドを刺激してしまうだろう。

 

 正論であるからと言って万人がそれを受け入れるとは限らない。

 理由は様々だろうが反発と言うものは必ずあるものだ。

 その反発にどう対応していくか。

 

 こんな時代だ。

 守りたい物を守るためには正論だけではやっていけなくなる。

 泥をかぶる事もそろそろ覚悟しておかなければならないだろう。

 

「う、うう……」

 

 思考に沈んでいた俺の意識を引き上げる激のうめき声。

 ずいぶん長い時間、考え事に没頭していたらしい。

 俺は太陽が真上に在る事にここでようやく気がついた。

 

「起きろ、激。早く村に戻らないとおばさんと塁にどやされるぞ」

「うう、はっ!?」

 

 目を開くと同時に跳ね起きる激。

 そして真上に昇った太陽を見て顔を真っ青にした。

 

「やっべぇ!! 早く戻らないと塁にボコボコにされる!!!」

「ほう、災難だな。頑張れ」

「お前、他人事過ぎるだろ! 半分以上、お前のせいだぞ!!!」

「言い訳する相手は俺じゃなくて塁にしろ。まぁ問答無用だろうがな」

「だぁ~~~! ちくしょう、覚えてろよ、駆狼!!!」

 

 木陰に置いてあった籠を背負って激は三流悪役のような台詞と共に去っていった。

 

「騒がしい奴だ。と言うか既に塁の尻に敷かれてるな」

 

 将来はカカァ天下確定か。

 などと考えながら既に米粒のような小ささになっている友人の背中を見送る。

 俺が泥を被ってでも守りたいと思うモノの一つを。

 

「……さてと」

 

 まずは飯。

 その後は畑仕事の手伝いだったな。

 

「今日も一日、安らかに過ごせますように」

 

 いないと思っている神仏に願うのではなく、己に言い聞かせるように呟いて俺は立ち上がった。

 

 そしてこの数日後。

 俺はこの世界で初めて人を殺す事になる。

 

 

 

 山賊による襲撃。

 襲われたのは俺の住んでいる村ではなく、祭嬢たちの住む村だった。

 

 村の中で一番、足が速かった慎がうちの村に救援を求めて来たのだ。

 

「お願いします! 一度は凌ぐ事が出来たけど、もう一度襲撃されたらひとたまりもないんです!!!」

 

 慎の話によれば賊は初めて襲撃してきた際に村側からの想定外の反撃を受けて一度、逃げ帰ったらしい。

 

 反撃をしたのは慎たち四人だ。

 既に弓の使い手として狩りなどに参加していた祭嬢と激が弓で牽制。

 何人かを射抜き、その攻撃で敵の動きが止まったところに塁と慎が突撃。

 子供と侮った連中を文字通り粉砕し、追い返す事に成功したのだそうだ。

 

「でも塁さんと祭さんが人を殺した事を気にしていて……今は戦えないんです」

 

 そう語る慎の顔も青い。

 この村まで全力で駆け続けた事以外に理由があるのは明白だ。

 

 そもそもなぜ四人だけで、村の人間に相談する事なく敵を迎え討ったのか。

 どうも賊が村に迫っている姿を見て四人はパニックを起こしたらしい。

 このままでは村が襲われるという事だけに意識が向かってしまい、村に危険を知らせるなどの冷静な対応が出来なくなった。

 実際に村の目の前まで賊は迫っていたらしいので、冷静な対応などとても出来ない状況だったんだろう。

 

 その結果、追い返した後に自分たちが『人を殺した事』を認識してしまい鬱ぎ込んでしまったのだ。

 

 しかし賊を追い返す事は出来たが、連中は「てめえら許さねぇ、覚えていろ!」と言うような言葉を残して退却していったと言う。

 また来る、それもすぐにでも襲撃してくる可能性が高い。

 それに加えて村にとっての主戦力だっただろう祭嬢と塁嬢が戦えないという状況。

 近隣の村に救援要請が来るのも当然の成り行きだろう。

 

「どうかお願いします!」

 

 地面に顔を擦り付けながら土下座する慎。

 しかし彼の必死な思いを聞いて尚、村長他俺の村の住人の反応は芳しくなかった。

 

「しかし救援と言っても我々も自分たちの村を守らねばならん……」

 

 慎の懇願を断る事への罪悪感か、子供に事実を突きつける事への羞恥心か。

 村長は顔を背けて言葉を濁した。

 

 だが彼の言葉は正論だった。

 さほど裕福とは言えないこの辺り周辺の村同士は助け合いが暗黙の了解だ。

 しかしそれは互いに余裕がある場合という前提の元に成り立っている。

 

 賊に他の村が襲われたという事は、次にどこに矛先を向けられるのかわからないと言う事だ。

 連中の言葉を鵜呑みにして戦える人間を余所に向かわせている間に、自分たちの村が襲われない保証は無い。

 ただでさえ各村に戦力と呼ばれる物は少ないというのに余所にまで手を回せる余裕などないのが現状だ。

 

「う、く……」

 

 それが理解できているのだろう慎は、泣き声を上げそうになるのを必死に堪えて頭を下げ続ける。

 しかしその仕草に動揺はしても心動かされはしない俺の村の住人たちは黙ってこいつから視線を外すだけ。

 

「村長、はっきり言ったらどうです? 救援を出せるほどの余裕などない、と」

「ッ! く、駆狼……」

 

 弾かれたように会議の場所とされた村長宅に集まった人間たちの視線が俺に集まる。

 地面に顔を擦り付けていた慎も俺の声に顔を上げていた。

 

「ここで慎を引き留め続ければそれだけ彼の村が危険に晒される可能性が高くなる。彼は老人の多いあの村で戦力に数えられている貴重な人間なのだから。一瞬だって惜しい彼に対して言葉を濁して出せもしない救援に対する期待を高めさせてどうするんです? まさか彼に自分の村を見殺しにしろとでも言うつもりですか?」

「な、なにを馬鹿な! 私にそんなつもりは無い!!」

「だが俺が口を挟まなければ結果的にそうなっていたかもしれない。慎はどういう結果であれ貴方のはっきりとした意志表示の言葉を待っているんですよ? 貴方が答えを出さない限り出ていかない」

 

 今まで平和だったこの村で、付き合いの深い隣村を見捨てるかどうかの決断を迫るのは酷な事だろう。

 だが必要な事でもある。

 平和を当然の物であると思っていたこの村全体に現実を思い知らせるという意味で。

 

「た、確かにそうだろうがならば隣村を見捨てろと言うのか!?」

「違います」

「「「「!?」」」」

 

 声を荒げる村長に対し、俺は無表情のまま即答する。

 あまりの即答ぶりに周りが驚いているがいちいち反応を窺っているほどの暇も無いから無視した。

 

「慎、悪いがこの村には父さんたちくらいしか武器を扱える人間はいない。村が賊に襲われた時、一人でも欠けていては対抗も難しいくらいだ」

「う、うん」

 

 ずっと土下座していた慎を立たせて、優しく語りかける。

 我慢できずにこぼれ落ちそうな涙を腕で拭いながら慎は俺の言葉を聞く。

 

「だから『戦力に数えられていない』俺がお前の村に行く」

「え? 刀にぃが?」

 

 そう俺が一人で彼らの村に行く。

 村の防衛者として勘定されていない俺が勝手に慎たちの所へ行く分には問題はない。

 腕前については村中に知られている俺だが、両親の方針で十五になるまで戦力になる事を禁じられていた。

 村長は俺が頭角を表し始めた十二歳頃に、すぐにでも村の守り役にしようとしていたようだが村の防衛責任者である父の言葉でその時まではと我慢していた。

 

 それが我が子に血生臭い事をさせたくないという父の親心なのだと俺は理解していた。

 

「駆狼、お前……」

「父さん。父さんの気持ちは嬉しい。でも俺は行くよ」

 

 親子にしか伝わらない短いやりとり。

 だがお互いの想いが伝わった事は数秒見つめ合っただけで確認出来た。

 

「行くぞ、慎。父さん、この村をお願いします」

「……ああ」

 

 震える声で俺の言葉に返事をする父さん。

 その声は前世で俺を戦場に送り出した時を思い出させる。

 

 村長宅の出入り口を通り抜ける。

 最後に振り返り、父さんと言葉もなく立ち尽くす他の面々、そして頭を下げて「すまん」と小さく呟く村長を視界に納める。

 

「行ってきます」

 

 背筋を伸ばし、両足を揃えて、視線を正面に、右手を真っ直ぐに伸ばして額に当てる。

 敬礼を終えた俺は慎と共に言葉もなく駆けだした。

 

 目指すは慎たちの村。

 俺の大切な者たちがいる場所。

 

 

 

 儂たち四人はいつも通り、村の外で鍛錬に励んでいた。

 駆狼が儂たちに黙って鍛錬している事を知って以来の習慣じゃ。

 この鍛錬のお陰で儂らは年々、着々と腕を上げて今では父や母に自分たちよりも強くなったとお墨付きをもらえるほどになった。

 

「と言っても未だあやつには届かぬがの」

 

 弓の弦を確認しながら呟く。

 思い浮かぶのは初めて出会った頃から何かと儂らの中心にいるあの男の事。

 

 出会った頃から妙に落ち着きのある空気を持っていたが年々、その雰囲気が強くなってきている気がする。

 たまに年齢を偽っているのではないかと思うほどじゃ。

 

 あのすべてを包み込む、思わず寄りかかってしまいたくなるような巨木のような気配。

 優しさと同時に力強さを感じさせる男。

 同じ男である激や慎は勿論、儂や塁も持っていない物を持つ者。

 

 しかし儂は奴に寄りかかるつもりはない。

 どうも最近、一緒にいる時も何かを考え込む事が多いあやつ。

 悩み事を相談しない事を水くさいと思う。

 同時に相談されない、駆狼に頼りにされていない己をふがいないとも思っていた。

 こうして四人で鍛錬に勤しんでいる間も悔しさを噛みしめているくらいに。

 

「刀にぃの事? 祭さん」

「うん? なんじゃ慎。聞いておったのか?」

 

 頷きながら儂の横に腰掛けて剣の手入れをする慎。

 昔から駆狼を兄と慕っているこやつにとっても今のあやつの態度は気に食わないのじゃろうな。

 

「最近、何か考え込んでる事が多いんだよね。この間、行商人さんから話を聞いてからは特に」

「……かなり近い所の村が襲われたと言う話か?」

 

 確かにそうかもしれん。

 もしかしたらあやつ、自分たちか儂らの村が襲われる事を心配しているのかもしれんな。

 

「でもそれは気にしてもどうにもならないんじゃないの?」

「そうだよなぁ。連中がどこを襲うかなんてわかるわけねぇし」

 

 先ほどまで打ち合いをしていた塁と激が話に入ってくる。

 

「……塁、ぬしはもっと加減できんのか? その鎚を振るった跡でそこら中、穴だらけなんじゃが」

「う、仕方ないじゃない。これ、手加減なんて器用な事出来ないし、激は受け止めないで避けちゃうし」

 

 ふくれっ面でそっぽを向いても誤魔化さんぞ。

 毎度毎度、鍛錬の場所を変えなければならん元凶なんじゃからな。

 

「あんなもん避けるに決まってるだろぉぉが! あんなの受け止めたら両手が粉々になるか、最悪死ぬわ!!」

「え~~、だって駆狼は受け止めて見せたわよ? 私の振り下ろしに合わせた蹴りで。むしろ私の方が吹き飛ばされたくらいだし」

 

 なんと駆狼はあんな人の胴体丸々納まってしまうような大槌を受け止めたのか!?

 

「あいつと俺を一緒にすんな!! ええい、ちくしょう! 駆狼め。絶対に追いついてやる!!」

「あ、激。駆狼に追いつくのはあたしが先よ」

「んだとぉ。俺が先に決まってんだろ!!」

「あはは、二人とも。話がズレてるんだけど」

 

 慎と顔を見合わせて苦笑いする。

 駆狼の話をすると最後にはこうしていつか追いついてやると言う話になってしまう。

 儂ら全員がずっと持ち続けている共通した思いじゃからなぁ。

 こればかりは仕方がない事じゃ。

 

「ん?」

「あれ?」

 

 じゃが『いつも通り』はここまでじゃった。

 

「どうしたんじゃ? 激、塁」

 

 二人が口喧嘩をやめてどこか遠くに視線を向けている事に儂は首をかしげる。

 

「なぁ、祭。お前、俺らの中じゃ一番目が良かったよな?」

「あれ……向こうに土煙が見えるんだけど」

「なに?」

 

 塁が指を指す方に顔を向ける。

 むぅ、確かに何か砂が舞っているようだ。

 しかもどんどんこちらに近づいて……っ!?

 

「慎! 激! 塁! あれは山賊じゃ!!!」

「「えっ!?」」

「なにッ!?」

 

 この日、儂らは初めて人を殺した。

 そしていつも儂らと共におった優しいあやつが、儂らよりも遥かに強いあやつが、死にもの狂いになる様を見せつけられる事になる。

 



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第四話 守るための戦い。誓いを新たに

 幸いな事に俺と慎が到着した時、村は無事だった。

 しかし村を取り巻く空気は、さながらかつて俺が体験した戦場跡を思わせるほど暗い。

 

 普段ならば畑を耕す人がいて、世間話に花を咲かせる人がいて、質素ながら笑顔の溢れる場所がこの有様だ。

 皆、賊に怯えて家に隠れて息を潜めている。

 そんな行為に意味がない事を理解していながら、恐怖で逃げる事もできないんだろう。

 荒事とは無縁でいた人間ならばこれが普通の反応だ。

 

 パニックになっていたとはいえ、迫り来る脅威に立ち向かう事が出来た慎たちの方が稀有なのだ。

 

「慎、激たちはどこだ?」

「激は村のみんなに家に隠れているように伝えて回ってる。祭さんと塁さんは……たぶん自分の家だと思う」

「おばさんたちは?」

「山賊が攻めてきた村の南方に防柵を作ってるはずだよ」

「そうか」

 

 この村には若い人手が不足している。

 こういう時に力仕事を任せられる人材が四十半ばの慎たちの両親を含めて十人少しだけで後は老人か子供しかいない。

 だからどうしても慎たちの両親に負担がかかってしまう。

 

「ねぇ、刀にぃ」

「なんだ?」

 

 沈んだ声はひどく苦しげで。

 俺にはなんとなく次に出てくる言葉に察しが付いた。

 

「聞かないんだね。祭さんたちの事」

「……ああ」

 

 たとえ聞いても今、会う気は俺にはない。

 正確には会って慰めてやるだけの余裕がない。

 いつ賊が攻めてくるかわからないのだから。

 

「なんで? 心配じゃないの?」

 

 すがりつくような声で質問を重ねながら慎は俺の腕を掴んだ。

 

「心配じゃないわけないだろう。何年一緒にいると思ってるんだ?」

「だったら……」

「今、俺が行って慰めてやって……それであいつらが立ち直れると思うか?」

 

 慎の言葉を遮って言い募る。

 俺を慕ってくれるのは嬉しいが、なんでも俺を頼りにするなと暗に伝える。

 

「自分で乗り越えなきゃどうにもならない。心配は心配だがこれはそういう問題だ。お前と激も他人事じゃないんだぞ?」

 

 雷に打たれたように身体を震わせる慎。

 そんな真っ青な顔で、俺を誤魔化せると思っているのか?

 

「他人の心配もいいが、それを言い訳に自分の事を後回しにするな。どんな経緯であれお前がやった事だ。向き合えるのはお前だけなんだぞ」

「あ…、う……」

 

 真っ青を通り越して白くなっていく慎の目を真っ直ぐに見据えて俺は言葉を続ける。

 

「自分の所業から目を逸らす為に他人を、それも友人を利用するな。それは今まで築いてきたお互いの信頼を汚す行為だ」

 

 こいつは四人の中で一番、頭が良い。

 そしてこの年代からすれば異常に思えるほどに視野が広い。

 だから無意識に周囲を観察し、人間の本能が臆病であるが故に自分がもっとも傷付かない方向に物事を考えてしまう。

 周りが見えすぎるくらいに見えているこいつは常に逃げ道を捜しているのだ。

 傷つけたくない一心で、傷つきたくない一心で。

 

 今までならそれで良かった。

 だがこいつは成り行きでではあるが、人生を血塗れにする事を決断したのだ。

 なにもかもを逃げ腰で済ませる事はもう許されない。

 

「いつまでも俺の後ろに隠れるな」

 

 今までした事がないほどに突き放した冷たい言い方をする。

 今ここで言わなければこいつはいつか公然と他者を陥れるような人間になってしまうかもしれない。

 慎が誰よりも優しい人間である事を知っているからこそ、そんな風になってほしくなかった。

 

 立ち止まってしまった慎を置いて俺は歩く。

 

「激を見かけたら村の南方に来るように伝えてくれ。手伝ってほしい事がある、とな」

 

 伝言だけ預けて遠ざかっていく俺を慎が追いかけてくる事はなかった。

 

 

 

「駆狼君!?」

 

 俺の姿を見て目を見開いて驚く祭嬢の母親である豊さん。

 防柵建築の作業を塁嬢の両親に任せて、こちらに走り寄ってくる。

 

「ご無沙汰しています」

「あ、ああ。しかし来てくれたのはありがたいが……君は」

「父さんは俺の意志を認めてくれました。それがすべてです」

 

 俺の言葉を受けて辛そうに眉を寄せる豊さん。

 しかし事が一刻を争う事も理解している彼女はすぐに頭を切り替えてくれた。

 

「娘と塁が使い物にならなくなった。お陰で人手が足りん」

「慎に聞いています。ただうちの村にも救援を出せるだけの余裕がありません」

「ああ、わかっとる。正直、君が来る事も期待していなかった。君の両親には悪いが嬉しい誤算じゃよ」

 

 苦笑する豊さん。

 俺も苦笑いを返す。

 

「俺一人いた所で何が変わるかわかりませんが最善を尽くします。後悔しない為に」

「その冷静な物言いを聞く度に思うんじゃが……本当に君は子供らしくないなぁ。実は私より年上なんじゃないか?」

「ははは、それはおもしろい冗談ですね」

 

 本人は冗談のつもりなんだろうが、実に心臓に悪い事を言う。

 まぁ仮に俺の事がばれてもこの人や皆なら気にしない気もするが。

 

「ふっ、そうか?」

 

 そういう意味深な笑い方をしないでほしい。

 気づかれているのではないかと勘繰ってしまうから。

 

「とりあえず話を戻します。うちの村からの救援はありません。俺は『一人で勝手に』ここに来ました」

「来た以上は『覚悟がある』という事でいいんじゃな?」

 

 問いかける豊さんの目は真剣だ。

 先ほどまでの飄々とした雰囲気は微塵もない。

 

「それは敵を殺す覚悟ですか? それとも敵に殺される覚悟ですか?」

 

 だから俺も真剣に問い返す。

 無言で頷く豊さん。

 

「両方ともあります。ですがそれよりも前から決めていた覚悟があります」

「ほう? 良ければ聞かせてもらえるか?」

 

 ふと視界の端にこちらに走ってくる激の姿が映る。

 俺を見つけて手を振ってくる姿に、手を挙げて応えながら俺は豊さんにこう返した。

 

「なにがあっても生きていく覚悟です。たとえどれだけの血に塗れても」

「っ!?」

 

 激の方に視線を向けていたから俺に豊さんの表情を知る事は出来ない。

 ただ彼女が驚いて息を呑んで驚いている事はわかった。

 

 

 

 豊さんと別れ、激と合流した俺は村近辺の偵察に出た。

 賊がいつ来るかわからない以上、入れ違いになる事だけは避けたい。

 よってそれほど村から離れた所に行くことは出来ないが、俺たちはそれなりに目が良い。

 村の近隣は基本的に平野になっているから何か異変があればすぐに察知する事が可能だ。

 

「激、お前は大丈夫なのか?」

「ああ? ……んなわけねぇだろ。ただ意地張ってやせ我慢してるだけだよ」

 

 周囲を油断なく見回しながらさらに村から離れる。

 現状、特に異常は見当たらない。

 

「塁や慎みたく近づいて直接殺したわけでもないのによ。震えが止まらねぇんだ。正直、何かやってないと動けなくなっちまいそうだぜ」

 

 その言葉に誇張は無いんだろう。

 実際にこうして足を止めて周囲を見回している間、激の体はずっと震えている。

 俺と話をしている間も、ずっとだ。

 

「それでも今はへこたれてる暇はねぇ。慎だって辛いのを我慢してるし、お前が俺らを助ける為に来てくれたってのにへこんでる暇なんてねぇよ」

 

 激は深呼吸と同時にぐっと拳を握り締め、力を込める。

 俺にはその姿が震えが止まるようにと自分に言い聞かせているように見えた。

 

「無理はするなよ?」

「それこそ無理だな。生まれ育った村の一大事だぜ? じっとしてなんかいられねぇよ。たぶん祭たちだってそう思ってるはずだ」

「……そうだな。すまん」

 

 そこからしばらくはお互いに沈黙し近隣を見回る。

 一時間は捜索しただろうが遠目に見える村に異変はなく、また周囲にもこれと言って目を引くものは見つからなかった。

 

「この辺りには賊はいないみたいだな。一旦、戻るぞ」

「なぁ駆狼」

「どうした? 何か見つけたのか」

 

 激は「いいや」と首を横に振る。

 そして俺の横に並んで歩きながら言った。

 

「祭たちは大丈夫だと思うか?」

「……俺はあの二人がどんな様子か知らないからな。たとえ気休めでも大丈夫だとは言ってやれない」

「そっか」

 

 俺の言葉に希望を見出したかったんだろう激は俯いて黙り込む。

 冷たい言い方になるが一分一秒を惜しまなけりゃならないこの状況で村の防衛以外の事に割く時間の余裕はない。

 

 だから俺は今まで祭嬢たちの様子を慎や激に聞かなかった。

 豊さんに詳しく聞かなかったのも知れば気になってしまうから意識して避けていた。

 

 だが経験測で言えば人殺しという業の衝撃は人によって度合いが違う。

 再起不能になっても仕方ないほどにショックを受ける人間も少なくないのだ。

 その事を身を持って知っている俺は根拠のない自信で大丈夫と言ってやれるほど無責任にはなれなかった。

 

「ただ……」

「ん?」

 

 暗い雰囲気の激が顔を上げた。

 

「あいつらなら乗り越えてくれると俺は信じている」

「駆狼……」

 

 目を見開いて驚く激に構わず俺は言葉を続ける。

 

「十年も一緒にいる俺たちがあいつらの意志を信じてやれないでどうする?」

 

 気休めにしかならないかもしれない。

 だがこれは俺の本音でもある。

 

 今でも瞼を閉じれば思い出せる『最初の殺し』。

 お国のためにと銃剣を振るい、相手の喉笛に突き立てたあの感触。

 相手の目に映る自分。

 何かを言おうとして、しかし喉が潰れて声も出せないまま崩れ落ちていった相手。

 最後に言い残そうとしたのは果たしてどんな言葉だったのか。

 

 次から次へと迫り来る敵を前に。

 俺は狂ったように銃の引き金を引き、狂ったように前へ進み、狂ったように吼え声を上げた。

 

 人の命がとても軽く感じられた頃の記憶を思い出しながら俺は続ける。

 

「乗り越えるのに必要なのは意志だけだ。ただ生きたいと強く思えばいい」

 

 あの凄惨な戦場で俺はただただ生きたいと願った。

 死神が笑いかけてきた事など数え切れない。

 だがそんな死を身近に感じた時に必ず『両親の顔』がよぎった。

 あの人たちにもう一度生きて会いたいと願った。

 その意志が在ったからこそ俺は最後まで戦い抜く事が出来たんだ。

 

「何を思って生きたいと思うかはたぶん人それぞれで違うんだろうがな。もちろんお前もだ、激」

「……」

 

 俺の言葉に黙って考え込む激。

 何度目かの沈黙の中、それでも俺は意識を周囲から逸らさずに警戒を続ける。

 

「あ~あ、ったくなんだってお前ってヤツはよぉ」

「なんだ、その含みのある言い方は」

 

 いきなり両腕を広げて降参のポーズを取る激。

 投げやりな物言いをしているが、先ほどまで空元気だったはずの声にはいつも通りの張りがあるように感じた。

 

「いっつも俺たちより先に行きやがる。追いかけるこっちの身にもなれってんだよ」

「なんだ、立ち止まって待っていてほしいのか?」

 

 言ってはなんだが、俺が激たちよりも精神的に先にいるのは当たり前の事だ。

 なにせ人生一回の蓄積分があるからな。

 むしろ簡単に追いつかれたら、立つ瀬がないくらいだ。

 

「余計な気ぃ使うなよ。追い越して吠え面かかしてやるつもりなんだからよ」

「そいつは頼もしい限りだ」

「言ってろ」

 

 激は拳を握り締めて俺の目の前に突き出す。

 意図を察した俺は同じように右拳を掲げて激の拳に軽く突き合わせた。

 

「山賊ども片づけたらまた手合わせな」

「ああ」

 

 俺たちは笑い合い、村への帰路に着いた。

 激の身体の震えはもう止まっていた。

 

 

 

 今日、俺は初めて人を殺した。

 いつも通りに四人で鍛錬していた時の事だ。

 隣村にいるあいつの話で盛り上がって、いつか絶対に追いついてやるって塁たちと気合いを入れ直す。

 

 そんな当たり前の生活を打ち砕くように、土煙と一緒にやつらがやってきた。

 ろくに手入れもされてないような剣やら槍やらを持った俺たちと比べりゃ全然年上のオッサンたち。

 

 祭がやつらを山賊だと言った瞬間、俺は全身に寒気を感じた。

 

 連中の目は飢えた獣みたいにぎらついていて。

 あんなのに村が襲われると考えたら怖くて怖くて仕方がなかった。

 たぶん俺たち全員が同じ気持ちだったんだと思う。

 

 だから誰かがなにか言う前に全員で武器を構えた。

 

 最初に攻撃したのは俺。

 練習した通りに狩りをする時と同じ要領で放った矢が、もう数歩で村に入るところまで来ていた賊の一人を貫いた。

 

 そこからは無我夢中でやっていたからあんまり覚えてない。

 ただふと気づいた時には、俺たちのすぐ傍に賊の死体があった。

 

 むせかえるような血の匂い。

 でもそれは狩りで獲物を殺した時とはまた違っていて。

 俺が人を殺したんだと思い知らされた。

 

「う、うげぇ~~!!??」

「あ、ああ……う、っぷ」

 

 俺よりも早く正気に戻っていたんだろう祭が腹の中の物をぶちまけた。

 便乗するように塁が地面に両手を付いて吐く。

 

 その様子を見たせいか、俺はひどく冷静に目の前の出来事を見ていた。

 二人がうずくまる様子がどこか他人事のように思えて、心が壊れちまったのかと不安になったが。

 けどそいつは気のせいだった。

 じわりじわりと身体が震えてくるのがわかったから。

 

 そこからは必死に動き回った。

 祭と塁を慎と手分けして抱えて家に放り込んで、朝から狩りに出ていた親父たちに山賊たちの事を話して村の人間に山賊たちの事を触れ回って。

 立ち止まったら動けなくなっちまいそうだったからとにかく思いつく限り、出来る限りの事をやった。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 息切れするのも構わず走り続けた。

 止まったらなんか得体の知れないもんに追いつかれて動けなくなりそうな気がした。

 

「激!」

 

 粗方、賊の事を伝え終わった頃に慎のやつが駆け寄ってきた。

 色々と自分の事で一杯一杯だったから、俺はこいつが何をやっていたかも知らない。

 

「慎、どうしたんだよ?」

「刀にぃが来てくれたよ!」

 

 さっきまで死にそうな顔をしていたのが、ずいぶんマシになってたのはそういう理由みたいだ。

 こいつはほんとの兄貴みたいにあいつに懐いてるからな。

 

「そっか……」

 

 普段の俺なら憎まれ口の一つでも叩く所なんだが、今日は出来そうになかった。

 

「でね。刀にぃが手伝ってほしい事があるから村の南に来てくれって」

「あ、ああ。わかったわかった。もう山賊の事は伝え終わったからすぐ行くわ」

「うん!」

 

 目に見えて元気になってる慎を羨ましいと思いながら俺は教えてもらった通りに村の南目指して駆けだした。

 

 

 

「色々と疲れてるところ悪いが一緒に来てくれ」

「はっ? いやちょっと待て駆狼。どこ行く気だ!?」

「周囲の索敵だ」

 

 相変わらず俺の言う事を聞き流す駆狼。

 いつも通りなその様子にすげぇホッとして、でも同じくらい『俺の気も知らないで』って思った。

 

 こいつがいつも通りなのは俺たちと違って人を殺していないからだ。

 だからこいつは変わらない。

 

 こいつが人を殺したら、俺たちみたいに取り乱すのか?

 

 不意にそんな事が気になった。

 いつも冷静でどっしりと構えているこいつが慌てふためく様子が見たいだなんて最低な事を考えた。

 俺たちがボロボロなのに平然としているこいつが憎らしかったのかもしれない。

 

 

 けど俺の考えは、見当違いだった。

 こいつは俺たちが今、受けている痛みや苦しみをとっくの昔に味わって、とっくの昔に乗り越えていたんだ。

 

「乗り越えるのに必要なのは意志だけだ」って駆狼は言った。

 

 その言葉には……なんて言えばいいのか、思わず頷いちまうくらいの重みってやつを感じた。

 こいつも俺たちと同じモノを経験しているんだって自然と理解出来るくらいに、だ。

 

 ずっと一緒にいたはずの幼なじみが、思っていたよりもずっと先にいる事を思い知らされた。

 今のへこたれてる俺じゃどうやったって追いつけねぇって事がわかっちまった。

 

 だったら乗り越えてやるしかねぇじゃねぇか。

 悔しいって下向いてるだけじゃ到底、届かない所に親友がいるんだぜ?

 

 この極悪冷血漢が暢気に俺の事を待ってくれるわけがねぇ。

 むしろ立ち止まって後ろなんて振り返りやがったら俺の方が情けなくなっちまう。

 

 なら振り向く余裕なんてやらねぇくらいに俺が気張らなきゃだめだろ。

 人を殺したのが怖いなんて言ってる暇なんてありゃしねぇじゃねぇか。

 

 ああ、認める。

 俺は人殺しだ。

 これからもたぶん人を殺す。

 村にいる大好きなやつらを守りてぇって思って知らない連中を殺す。

 もしかしたら知ってるやつも殺すかもしれねぇ。

 

 でもなぁ、そんな血を踏みしめて歩かなきゃならない道を親友はもう歩き出してるんだ。

 

 助けてやりたいんだ。

 俺たちに弱音なんて一度も吐いた事がないこの馬鹿野郎と肩を並べて歩きたいんだ。

 

「余計な気ぃ使うなよ。追い越して吠え面かかしてやるつもりなんだからよ」

 

 俺は強くなる。

 今日、人を殺したこの日に俺は今までにないくらいに強くそう思った。

 

「そいつは頼もしい限りだ」

「言ってろ」

 

 笑いながら俺は拳を突き出す。

 駆狼もなにがしたいのかわかってくれたみたいで、笑いながら拳を突き合わせてくれた。

 

 

 

 僕にとって凌刀厘という一つ上の男の子は特別な人だ。

 僕たちが小さい頃にその年の頃から今ぐらい元気だった祭さんと塁さんと対等にいる男の人。

 言ってはなんだけど僕や激は毎日毎日、あの二人に引っ張られて過ごしてきた。

 いわゆる尻に敷かれていたというかなんというか、とにかくそんな感じだった。

 

 そんな僕らの中に突然入ってきて、あっと言う間に溶け込んだのが刀にぃだ。

 

 嫌な事を嫌だとはっきり言う刀にぃに影響されて祭さんと塁さんに言われるがままになっていた僕は、しっかり自分の意見を言えるようになった。

 

 あの頃は僕と同じかそれ以上に誰かに意見するのが苦手だった激なんてすっごく変わった。

 今は自分から進んで塁さんと喧嘩するくらいだ。

 

 僕の中で刀にぃの存在が、頼りになる人に変わるのに時間はかからなかった。

 表には出さないようにしているけれど、祭さんたちも心の中で刀にぃを頼りにしてる。

 

 だからいつの間にか『頼りにする』が『甘える』にすり替わっている事に気づけなかった。

 

 

 人を殺した事実から僕は目を逸らしていた。

 

 だってあの時は無我夢中で、自分がなにをしていたかもよく覚えていなくて。

 祭さんたちも倒れちゃって意識してる暇なんてなくて。

 

 そんな言い訳を自分に言い聞かせて。

 

「他人の心配もいいだろうが、それを言い訳に自分の事を後回しにするな。どんな経緯であれお前がやった事だ。向き合えるのはお前だけなんだぞ」

 

 そんな弱い僕の心を見透かして、言い訳なんて意味がないんだって事を叩きつけられた。

 

「いつまでも俺の後ろに隠れるな」

 

 そう言って僕を突き放した刀にぃは今まで見たことがない冷たい瞳をしていた。

 その目は『甘えるな』と告げていた。

 

 ずっと頼ってきた刀にぃにあんな風に言われてしまうほどに僕は遠ざかっていくあの背中に甘えていたんだと嫌でも理解出来た。

 

 自分が情けなかった。

 自分の意志で人を殺した僕に、その事で言い訳する事なんて許されていないのに。

 

「ごめん。刀にぃ」

 

 いつも僕たちを見守っていてくれて。

 

「ありがとう」

 

 今、ここで僕の甘えを叱ってくれて。

 僕はもう大丈夫。

 人を殺したらまた震えるかもしれない。

 弱音を吐くかもしれない。

 でももう逃げたりはしないから。

 

「……行こう」

 

 猫の手も借りたい状態なんだ。

 僕も出来る限りの事をしないといけない。

 でないとまた刀にぃに負担がかかってしまう。

 今まで甘えてきたんだから今度は僕が頑張らないといけない。

 そしていつかきっと。

 

「刀にぃに頼られる男になるんだ」

 

 『なりたい』じゃなくて『なる』。

 これが僕の初めての決断。

 



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第五話 友と。仲間と。戦場を駆ける

 俺たちは村に戻ってすぐに豊さんたちの防柵建設を手伝い始め、それからはずっと作業に没頭した。

 幸いな事に偵察の時点では村に近づく気配は無かった。

 この事から多少は時間的余裕が残されていると推測できる。

 

 余裕が出来た事に安堵する俺の脳裏に祭嬢たちの様子を見に行こうかという考えがよぎったが。

 結局、あいつらの元へは行かなかった。

 

 慎に言ったようにこれはあいつら自身が乗り越えるべき問題だ。

 第三者に出来る事などたかが知れている。

 

 個人的には乗り越えてほしいと思っているが、同時に戦闘者として自力で立ち上がる事が出来ないと言うのならそれはそれで構わないとも思っていた。

 

 それがあいつらの限界ならば構わない。

 戦いなんて戦える人間だけでやればいいのだから。

 

 これから世が戦乱に満ちる可能性が極めて高い以上、戦力になる者を放置しておく方が問題なのかもしれない。

 だがそれでも無理強いはしない、してはいけない。

 たった一度きりの人生を棒に振ってまで戦えなどと言う権利は、たとえ親であっても有りはしないのだから。

 

 激や慎と共に木の板を運び、釘を打ちつけて即席の壁を作りながら俺は今もまだ苦しんでいるのだろう祭嬢と塁嬢を想った。

 

 

 

 山賊の襲撃は俺たちが偵察から戻ってから半刻(およそ一時間)後に起こった。

 

「慎たちの話では二十人程度と聞いていたんだがな」

「ざっと見て五十人はいますね」

 

 豊さんと横並びになり、迫ってくる山賊たちを見据える。

 

「祭たちが七、八人殺した事が効いているんだろうな。自分たちの半分程度の年の小童どもに完全に圧倒された事に腹を立て、大人げなく仲間を全員連れてきたと言うところか」

「あれで全員とは限りませんけど、たぶん相手の考えとしてはそんなところでしょうね」

 

 俺と豊さんは今、作り上げた防柵の前に立っている。

 いわゆる最前線である。

 危険だからやめろと散々言ったのだが豊さんはどうしても賊どもに言いたい事があり、柵に隠れた状態では言いたくないとの事だ。

 

 最初は全員で説得していたのだが一人また一人と拳で黙らされてしまい(比喩表現にあらず)最終的に暴力に屈しなかった俺が彼女を守る為に共に行く事になった。

 

 ちなみに豊さんの夫である松芭(まつば)さんは一番最初に豊さんの拳に屈している。

 いつも尻に敷かれているのだからこういう時くらい断固とした態度で妻を説得してほしかったんだが。

 

「良い様にしてやられたせいか、あっちは頭に血が上っているな」

「ですね。相手の様子を見る限り、問答無用のようです」

 

 どいつもこいつも怒りに顔を真っ赤にしている。

 同時に口元に喜悦に満ちた笑みが張り付いているのは、恐らく村を蹂躙した後の事を夢想しているからだろう。

 

 既に勝ったつもりでいるとは馬鹿にされたものだ。

 とはいえ勢いがあると言うのはそれだけで厄介な物でもある。

 

「豊さん、そろそろ下がらないとまずいと思うので言いたい事があるならさっさとお願いします」

「駆狼君、なんだか冷たくないか? さっきので怒っとるのか?」

「気のせいでしょう? 危ないところに率先して行こうとする誰かさんに腹を立てたりしてますけど」

「……やっぱり怒っとるじゃないか」

 

 がっくり肩を落とす豊さん。

 とはいえ同情はしない。

 徹頭徹尾、自業自得なのだから。

 

 豊さんは咳払いを一つして、なんとも形容しにくい空気を払拭する。

 真剣な表情を浮かべると彼女は目測百メートルと言ったところまで迫っている賊たちに対して口を開いた。

 

「うちの村に手を出そうとする阿呆な賊ども!!! お前たち、うちの子供たちにこっぴどくやられて尻尾を捲いて逃げたらしいなぁ!!!」

 

 嘲るように鼻で賊たちを笑う豊さん。

 かなりの大声で、連中にも一字一句間違うことなく伝わっているだろう。

 連中の顔がさらに真っ赤になっているのがこの上ない証拠だ。

 

「賊に成り下がるだけで恥だと言うのに、子供に負けて逃げ帰るとは恥の上塗りとは正にこの事!! だが安心しろ、これ以上の恥を掻かないようにここでお前たちの人生を終わらせてやる!! 感謝するんだな!!!」

 

 俺は素直に感心していた。

 真っ赤を通り越して赤黒くなっている賊たちを見据えて、よくもまぁこれだけの事を言えるものだと。

 

「ふふん、これだけ言えば撤退しようなどどは考えんだろ」

「ああ、なるほど」

 

 つまりこれは俺にはとうてい理解出来ない山賊どものプライドを刺激することで連中の意識から『撤退』と言う言葉を無くす事が狙いだったわけだ。

 おそらく連中の大多数はこう思っているはずだ。

 

『たかが村人にこんなに馬鹿にされて黙っていられるか!』と。

 

 怒りによって相手の視野を狭くする事でその思考を単調で読みやすい物にする。

 ここまで思考が一本化されると目に見えて劣勢になるまで敵の興奮は収まらないだろう。

 

 戦の常套手段ではあるが、ここまでたやすく術中にはまるとは。

 こちらを村人だと侮っている事も挑発の効果を高めている。

 多少、腕が立っても大人数で囲めばどうとでもなると踏んでいるんだろう。

 別に間違ってはいないが。

 

 豊さんは敵が冷静になる前に叩き潰すつもりだ。

 こいつらを全滅させ、取り逃がした連中にほかの村が襲われる心配もしなくて済むように。

 

 しかし挑発は上手くいったが、それは同時にこの戦いが絶対に負けられない物になったことも意味する。

 ここで俺たちが破られれば、連中は興奮した状態のまま村を蹂躙するだろう。

 下手をすればその勢いでほかの村にまで手を伸ばすかもしれない。

 そんな事を許すつもりは毛頭ないが。

 

「では一旦下がろうか。儂もさすがに石を当てられるのは勘弁じゃし」

「だったらさっさと下がりますよ」

 

 山賊たちに背を向けて駆け出す。

 後ろから「逃げるな」などの怒声が飛ぶが気にもかけない。

 後方に配置した防柵に身を隠すと同時に豊さんが叫んだ。

 

「放てぇッ!!!」

 

 合図と同時に防柵の裏から村人たちが石を投げる。

 柵の建設の傍ら、俺が激たちと手分けして集めていた誰でも持てるような拳大の石だ。

 

 矢には数の制限があるが石は集めようと思えばいくらでも集められる。

 さらに弓を射るには技術が必要だが、石を投げるのにそんなものはいらない。

 

 あとは石投げ要員として村から有志を募れば即席の遠距離攻撃部隊の完成だ。

 絶対に防柵の外へは出ないように厳命してあるので危険もほとんどない。

 

「ぎゃあ!?」

「うげっ!?」

 

 前に出てきていた賊の何人かが石に当たる。

 投石要員には激と慎もいる。

 普通の大人よりも遙かに力があるあの二人の投げた石は矢にも劣らない凶器だ。

 

「投げまくれ! 連中を粉々にするくらいの気概でな!!!」

 

 村の皆を鼓舞しながら豊さんも俺も柵の裏に用意していた石を投げつける。

 勇んで走っていた賊たちも石つぶての雨を前に足を止めざるを得なくなった。

 

連中の勢いを殺ぐ事には成功したようだ。

 

 「一旦止まれ。そんな遠くまで届きゃしねぇ!」

 

 賊たちの後方から野太い男の怒声。

 その声によって感情の荒ぶるまま犠牲を気にせず向かってこようとしていた賊の足がが完全に止まる。

 石つぶてで混乱していた連中がたった一声で落ち着きを取り戻してしまったようだ。

 

 この声の主がこの集団の頭か。

 

「やれやれ。それでは次に行こうかの」

 

 豊さんが後ろに手を振り、それを合図に石つぶてはぴたりと止まる。

 

「石がなくなったか!! てめえら、今だ!!!」

「「「「「おお~~~~~~!!!!!!」」」」」

 

 石の雨がぴたりと止まった事を好機とみた賊頭の指示で足を止めていた賊たちが吠え声と共に駆け出す。

 

「本当にいいんじゃな?」

「確認してるような悠長な状況じゃありません。志願したのは俺です」

 

 俺は防柵の後ろで拳を握り締めた。

 豊さんは柵の上から弓を構えたまま、俺を見つめる。

 

「死んでくれるなよ。君に死なれては楼たちは勿論、祭たちにも申し訳が立たんからな」

「最後まで足掻きますよ。事切れるその瞬間まで」

 

 そして俺は迫り来る敵に向かって駆け出した。

 

 

 

 ガキにやられたと言って逃げ帰ってきた連中を頭(かしら)がぶっ飛ばして、その落とし前を付ける為にその村に襲撃をかけた。

 腕の立つガキって言うのは気になったが何人いようと五十人全員でかかればどうとでもなる。

 

 そう俺たちは高を括っていた。

 

 いざ村に着くと急拵えの柵が見えた。

 へ、無駄な抵抗ってやつだぜ。

 俺たちははっきり言って油断してた。

 強いガキがいようが所詮はのんびり安穏と生活してる村人だろうって。

 

 だが村の代表かなんかなんだろう銀髪の女に馬鹿にされて血気勇んで飛び出してった何人かが石つぶてでやられちまった。

 

 そこそこ戦い慣れてやがる。

 

 仲間が何人かやられても俺の感想はそんなもんだった。

 こいつらだってたかが石でやられるような柔な体はしてねぇんだ、すぐに立ち上がるだろう。

 何人か当たり所が悪かったみたいでうずくまって呻いてるが、そっちは後で手当してやればいい。

 

 しかし生意気な連中だ。

 ぜってぇ叩き潰してやる。

 

 そう思った時だった。

 俺たちと比べて明らかに小柄な人影が柵の後ろから飛び出してきたのは。

 

「なんだ、てめっべげぇ!?」

「うわぁ!?」

「何だぁっ!?」

 

 近くにいた仲間がそいつに剣を突きつけようとした瞬間、吹き飛ばされた。

 冗談のように後ろに飛ばされた仲間の姿に思わず足を止める。

 吹き飛ばされた仲間の巻き添えを食って二、三人が倒れ込むのを俺は唖然とした顔で見送った。

 

 なにが起きたのかわからなかった。

 

 いきなり起こった出来事が理解できなくて一瞬、呆然としたのが悪かった。

 

 仲間を吹き飛ばした人影は、俺が瞬きした瞬間にすぐ傍まで迫ってきていたんだ。

 

「ひっ、げぇっ!?」

 

 悲鳴を上げる暇もない。

 馬にでも突進されたかって言うぐらいの強い衝撃を腹に受けて俺はさっき吹っ飛んだヤツと同じように吹き飛ばされた。

 

 そして仰向けに地面に叩きつけられて。

 腹の中から唾やら息やらと一緒に生暖かい物を吐き出したところで目の前が真っ暗になった。

 

 

 

 柵から飛び出し、出会い頭に賊の一人を後ろ蹴りで打ち抜く。

 

 大岩を打ち砕いた時は岩の硬さに足の骨が負けたが、人体が岩よりも硬いと言うことはありえない。

 よって砕けるのは相手の身体の方だ。

 

 足の裏には骨を砕き、内蔵に突き刺さった何ともいえない嫌な感触が残っている。

 だがそんな事を気にしていられない。

 

 吹き飛んだ山賊の姿を見て呆然としていた別の賊に、地面を踏み抜くほどに強く蹴りつけて駆け出し一歩で肉薄する。

 

「シィッ!」

 

 賊の横を駆け抜け様に膝蹴りをくれてやる。

 

 交通事故を思わせる轟音と共に賊は吹き飛び、仰向けに倒れた。

 そいつの生死を確認する暇もなく次の相手に飛びかかる。

 

 ここに来て思考の止まっていた賊たちが再起動し始めた。

 

「ひるむな! ちょろちょろ動かれる前に取り囲め!!」

 

 賊頭の指示を受け俺を取り囲もうと動き出す賊たち。

 だがその行動はこちらの思惑通りだ。

 

「ぎッ!?」

「ぎゃァ!?」

 

 俺に意識を集中させれば当然、その他への意識が外れる事になる。

 その隙をついて慎や激の石つぶて、そして一発必中の豊さんの弓術が敵の数を確実に減らしてくれる。

 

「くそ、村の連中だ! 先にあいつらをぐぎゃ!?」

 

 かと言って彼らに意識を向けてしまえば即座に俺が蹴り砕きに行く。

 

 既に山賊側は八割方、俺と村のどちらを優先すればよいかわからず混乱している。

 こちらの策に見事にはまっている状態だ。

 あとはどっちつかずの意識のまま右往左往していてくれれば遠からず片づけられるのだが。

 

「やるじゃねぇか、小僧。まさかそんな小さい成りで最前線に出て囮と遊撃をやってのけるとはよぉ」

 

 そう簡単にはいかないらしい。

 俺を囲い込もうとしていた連中の後ろから大柄の男が出てくる。

 身長は軽く二メートルを越えている。

 とてつもない重量がありそうな戟(げき)を片手で持っている事から、すさまじい腕力の持ち主である事が嫌でも理解できる。

 

「か、頭!!」

「おい、お前ら。このガキは俺が殺るから村を潰してこい」

 

 部下たちと違ってこちらの攻撃にまったく動じていない。

 どっしりと構えたその男の姿に浮き足立っていたはずの連中がまたしても落ち着きを取り戻してしまった。

 

「でも頭、そいつただのガキじゃありませんぜ」

「んな事はわかってる。だから俺が直々に殺すんだろうが。うだうだ言ってると先にてめぇを潰すぞ」

「ひぃっ!? わかりやした!!」

 

 ギロリと睨み付けられた賊は悲鳴を上げながら走り去っていく。

 そいつの動きに合わせるように山賊たちが村の方へ向かう。

 

「ちっ!」

「おっと、行かせんぜ」

 

 その大柄な身体で俺と賊たちの間に滑り込む頭。

 だがそれではまだ甘い。

 

「行かせてもらう必要はない!!」

 

 足下に落ちていた石を幾つか蹴る。

 靴を履いていると言っても前世の靴と比べると足を覆う部分が薄い為、蹴った瞬間に痛みが走った。

 だがこれくらいは許容範囲。

 

「うおぉ!?」

 

 特に構えていたわけではない大型の戟を振るうには間合いが近すぎる。

 よってこの男に出来るのは避けるか受け止めるかのニ択。

 そしてこの男は俺の狙い通りに避ける事を選択してくれた。

 

「ぎゃぁ!?」

「いでぇっ!?」

 

 賊頭が避けた石は村に向かっていた賊たちに命中する。

 目の前の男を警戒しながらなので成果の確認は出来ないが多少なりともダメージを与える事が出来たようだ。

 

「ちぃ、このガキ。小細工をしてくれやがる」

「こっちは村を守るのに必死なんでな。目的を果たす為なら小細工だって弄するさ」

「減らず口を……とはいえ二度も同じ手は食わんぜ?」

 

 戟を構えて俺を睨みつける賊頭。

 どうやら俺の小細工がこいつを本気にさせてしまったらしい。

 出来れば子供と思って油断したままでいてほしかったんだが。

 

 少し離れてしまった村の様子を伺う。

 俺と村との間に男が仁王立ちしている状態だから村の様子と男の挙動の両方に気を配る事が可能だ。

 

 遠目から確認できる限り、まだ村の外で戦闘しているらしい。

 幾つか防柵が破壊されているが慎や激たちが頑張ってくれているようだ。

 

「おいおい、お前の相手は俺だぞ。よそ見なんぞしてくれるな。悲しくなっちまうぜ」

 

 賊頭のセリフと共に振るわれる戟。

 見た目からして相当な重量がありそうな代物を右手一本で振るう、典型的なパワーファイターだがその力は俺の予想を遥かに超えていた。

 武器が振るわれる度に風切り音が周囲に響き渡るのだ。

 迂闊に近づけば子供の身体など容易く真っ二つにするだろう。

 

「くッ!?」

 

 さらにあんな重量級の得物を振るっていると言うのにその一撃一撃には隙がなかった。

 普通、あんな得物を振るった後は得物を構え直す動作が必要であり、大なり小なり隙が生じる物だ。

 だがこの男、右手一本で武器を振るう事で完全に空いている左手を常にこちらの攻撃に対する備えとしている。

 無骨な鉄甲を付けたあの左手を盾代わりにしている為、防御される事が理解できてしまうから懐に飛び込む事が出来ないのだ。

 

 そしてなにより戦い方が随分と洗練されている。

 ただの山賊とは思えないほどに。

 

「さっきまでの威勢はどうしたぁ!!!」

「ちぃっ!」

 

 戟と拳では間合いが違いすぎる。

 このままではジリ貧だし、拮抗状態の村の戦況がどうなるかわからん。

 

 猶予は無い。

 ならばこちらの間合いまで持ち込んで一気に畳み込むしかない!!

 

「おおおおおぉっ!!!」

 

 足下の石を蹴り上げる。

 これ自体は先ほどやっていた事と同じだ。

 

「同じ手は食わねぇって言っただろぉが!!」

 

 戟を振るう際に生じる風圧が強く蹴りあげて勢いを付けたはずの石を逸らしてしまう。

 

 なんて馬鹿力。

 だが間合いは詰めた!!

 

「でぇえい!!」

「甘ぇんだよぉ!!」

 

 左手の鉄甲が俺の右拳を受け止める。

 鋭い痛みが右手に走る。

 やはり、どれほど鍛え上げても素手で鉄を砕く事は出来ないようだ。

 だがまだ次の手が……。

 

「ここまでだぁ!!!」

 

 次の一撃の為に賊の左腕を掴もうとした瞬間、俺が予想した以上の速さで俺の頭に戟が振り下ろされる。

 

「ぐはあぁっ!?」

 

 防御する暇もなく叩き込まれた一撃は、反射的に右に避けた俺の左肩を直撃。

 

 嫌な音と共に肩の骨をやられ、その一撃の勢いに巻き込まれた俺はそのまま地面に叩きつけられた。

 左肩から生暖かい感触が広がっていくのがわかる。

 やられた箇所から血が噴き出しているらしい。

 

「くははは、まさか鉄甲の上からこんなに痛みが走るなんてな」

 

 地面に文字通り沈んだ俺を見下ろしながら賊頭が呟く。

 

 ま、ずい……。

 頭が……ぐらぐら、して……指一本、動かせん。

 ち、くしょうが……。

 

「運がなかったな、小僧。あと十年、いや五年遅く遭ってたらお前が勝ってただろうに」

 

 ニヤニヤ笑いを浮かべながら左手で俺の首を掴んで持ち上げる賊頭。

 さっきの一撃の衝撃で身体がまともに動かない俺はされるがままだ。

 

「ぐぅうう……」

「おお、こえぇこえぇ。だがそんな狼みてぇな唸り声上げたって俺を殺せるわけじゃねぇんだぜ」

 

 俺の身体に戟の先端を向けた。

 どうやら串刺しにするつもりらしい。

 優越感に満ちた表情は見ていてひどくイライラした。

 

 まだだ!

 諦めるな!

 俺はこの程度で生きる事を放棄するような可愛い性格じゃないだろうがッ!!

 

 溢れんばかりの気迫を込めて睨み付ける。

 

「っつ!? おいおい、なんつう目をしやがる」

 

 どうやら多少なりとも効果はあったらしい。

 とはいえささやかな抵抗だ。

 視線だけでは相手を萎縮される事はできても殺す事は出来ない。

 

 だがその一瞬、男の意識が俺に集中した瞬間。

 風を切る音と共に一本の矢が賊頭の右腕を貫いた。

 

「ぐあぁああ!? なにぃ!?」

 

 肘から手首にかけてのいわゆる前腕と呼ばれる部分の肉を貫通したその矢には見覚えがあった。

 あれは多幻双弓用に特別、鋭利に研がれた矢だ。

 

「駆狼を離せ!!!」

 

 矢の持ち主の声に思わず状況も忘れて口の端がつり上がった。

 

「十年後でも五年後でもなかったな」

 

 首を掴む賊頭の左手首に震える右手を添える。

 そして手首の内側、一般に脈を計る橈骨動脈(とうこつどうみゃく)がある箇所に思い切り爪を突き立てた。

 

「ぐがぁ!? てめぇッ!!!」

 

 血管が集中している手首に穴を空けた事で血が吹き出す。

 尋常ではない痛みが伴い、賊頭は思わず俺の首を握っていた手を離した。

 

 こいつは今、両腕が使えない!

 勝機はここしかない!!!

 

「おおおおおおおおおっ!!!!!!!」

 

 地面に着地した瞬間、歯を食いしばり身体の震えを捻じ伏せて跳躍。

 全体重を乗せた右の肘打ちをヤツの胸板に叩き込む。

 

「ぐほぁッ!?」

 

 同時に賊頭の粗末な服の襟首を掴み、俺の方へ引き寄せて頭突き。

 

「あがぁっ!?」

 

 攻撃の衝撃で賊頭が強制的に空を仰ぐ。

 そのがら空きの顎に掌底をくれてやる。

 

「ガギッ!?」

「くたばれぇえええええええええ!!!!!」

 

 空いていた口を強制的に閉じさせ地面に倒れ込んだ賊頭の水月に止めのかかと落とし。

 賊頭の体に突き刺さる足が轟音を響かせた。

 

 攻撃した際の衝撃と激しい動きで左肩に激痛が走るが、歯を食いしばって耐える。

 

 大岩を打ち砕く足で思い切り地面に叩きつけたのだ。

 畳の上ならいざ知らず固い地面でなら、この世界の常識外れに対してでも十分な効果が望めるはず。

 

 土煙が晴れ、立ち上がった俺の足元には痙攣しながら口から泡を吹く賊頭の姿。

 完全に首の骨が折れ、さらに腹部は俺の足が貫通。

 おびただしい量の血を出している。

 どうみても即死だった。

 

「はぁはぁはぁ……」

 

 ふらつく足に活を入れて物言わぬ躯に背を向ける。

 まだ戦いは続いているんだ。

 気を抜くわけにはいかない。

 

「駆狼!!」

 

 駆け寄ってくる祭嬢の姿に苦笑いを浮かべる。

 足下がおぼつかないまま彼女に近寄ると正面から抱きしめられた。

 

 違う。

 俺の足がもつれて倒れ込んだんだ。

 祭嬢は倒れこんだ俺を咄嗟に抱きしめて支えてくれているだけ。

 

 足に力が入らなくなっている事に心中で舌打ちしながら、俺は彼女に声をかけた。

 

「祭……もう、大丈夫なのか?」

「ああっ!!! 私たちはもう大丈夫だ!!」

 

 『私たち』と言う事は塁嬢も立ち直ったと言う事なんだろう。

 それが良い事か悪い事かは俺には判断できない。

 だがそれが祭嬢たちの決断ならば俺から言う事はない。

 これからも苦言の一つや二つは言うかもしれないがな。

 

 ふふ。

 一つの山場を乗り越えたんだ。

 いい加減、年下だからと心中で『嬢』呼びするのはやめた方がいいかもな。

 

「村の……方は?」

「塁や母たちが全員、片づけた! だから安心しろ」

「怪我人、は?」

 

 村が無事だと聞いた途端、意識が混濁し始めた。

 まずい。

 安心するな。

 まだ気を失うには早い。

 

「何人が手傷を負ったがかすり傷だ。もう手当も済んでいるぞ!!」

「そ、う……か」

 

 絞り出すように返事をしたのを最後に俺の全身の力が抜けていく。

 

「駆狼!! いやだ、死ぬなぁ!!! 目を開けろ、駆狼!!! くろぉおおおおおおお!!!!!」

 

 震えながら叫ぶ祭に応える暇もなく、俺の意識はそこで途切れてしまった。

 



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第六話 目覚め。現実を乗り越え進む

 俺が目を覚ましたのは倒れてから一週間後の事だった。

 

 どうやら俺はその間、生死の境を彷徨っていたらしい。

 肩の傷が熱を持ってしまった為に何度となく高熱を発してはうなされていたと言う話だ。

 

 わざわざ建業(けんぎょう)から医師を連れてきて診てもらったところ、どうにか回復にこぎ着ける事が出来たのだと言う。

 とはいえ高熱も治療も俺の意識が無い時の事なので実感がないんだが。

 

 かなりの量の血を流したせいで目を覚ましてからもしばらくは頭がくらくらして立つ事が出来ない状態だった。

 高熱と長時間ずっと横になっていた影響で体の節々は痛み、起き上がる事すらも億劫な有様。

 お蔭で一命を取り留めただけでも運が良かったのだろうと言う事がなんとなく理解できたが。

 

 皆が目を覚ました祝いだと猪やら熊やらを取ってきてくれたお陰で失った分の血と栄養を取り返すのは楽だった。

 

 体の状態としては全身の倦怠感は日々の生活をこなしていくうちに消えるとの事だ。

 ようはリハビリをしっかりする必要があると言う事になる。

 まぁ自身が感じるこの怠さから見るに、怪我をする前まで身体能力を取り戻すのは口で言うほど簡単ではない事が予想出来る。

 

 問題は左肩胛骨の怪我だろう。

 筋肉がグズグズになっていた上に骨が粉々になっているのだと言う話だ。

 指は僅かに動かせるが肩はまったく上げられず、傷の影響か腕を曲げる事も出来ない。

 実質、左腕を失ったような状態だ。

 

 医師からも回復は絶望的と言われている。

 

 一生物の怪我などとっくの昔に覚悟していたので俺はそれほどショックは受けなかったんだが、それを聞いた両親や祭たちはひどく落ち込んでしまった。

 

 なんとかならないかと医師に詰め寄る激と累に拳骨をくれてやったり、泣き出してしまった慎や祭をあやしたりと怪我人のはずの俺が事態の収拾に立ち回る羽目になった。

 

 そんな騒ぎが一段落した頃、怪我人の診察の為だけに遠路はるばる来てくれた医師が自分よりも腕の立つ者に俺の肩を見てくれないか頼んでみると言ってくれた。

 

 あまりに必死な激たちの様子に心打たれたのか、若くして体の一部が使い物にならなくなった俺を哀れんだのか。

 その辺りは想像の域を出ないが、とにかく彼が知る限り最高の医師を紹介してくれるのだそうだ。

 

 しかし性格に難があり、怪我の治療をするかどうかはその医師次第なのだとか。

 

 胡散臭いので断ろうと思ったのだが藁にもすがる思いで両親がその医師との繋ぎをお願いしてしまい断るタイミングを逸してしまった。

 その医師の話を俺がいろいろと疑問に思っている間に、何の躊躇いもなく話をまとめてしまったのだ。

 俺が気づいた時にはいつ頃連れてこれるかという所の話になっていた。

 

 慌てて治療費が馬鹿みたいにかかりそうだったから断ろうとしたのだが、両親は俺の話には耳を貸してくれず。

 

「治療費なんて一生かかってでも払う! 子供の為に全力を尽くせなくて何が親だ!!」

 

 父さんのこの言葉で俺が折れざるを得なかった。

 

 俺のためにここまでしてくれるのだ。

 嬉しくないわけがない。

 

 だが正直な所、治療の期待はしていない。

 はっきり言って俺の怪我は現在の医療技術では手の施しようのない程の物だ。

 前世の医療技術ですら完全に元の状態に戻す事は難しいだろう。

 そんな怪我を治せるような人物がこの世界に存在するかと言えば否だ。

 

 件の人物を紹介してくれると言う俺を診察してくれた医師は真摯な人間であるとは思うが、期待するには余りにもハードルが高い。 

 むしろ適当な治療だけして膨大な料金を請求するような詐欺師紛いのヤツが来た時にどう料理しようか考えているくらいだ。

 

「君くらいの大怪我を治した実績があるから、腕の方は心配しなくていいよ」

 

 俺の疑念を察したのか驚愕の事実を優しく語る壮年の医師。

 だがしかし、それでも俺にはその言葉を鵜呑みにする事は出来なかった。

 

 

 それから一ヶ月の間、動ける程度に回復した俺はなまっていた身体を叩き直す為に鍛錬を行っていた。

 左腕に負担のかかる事は出来ないため、やっているのは走り込みと右腕のみでの腕立て伏せ、スクワット。

 

 すべて俺の身長に見合った岩を紐で背中に背負って行っている。

 怪我が開くからと言う理由で長時間の鍛錬は禁止されてしまったので最初は軽くやっていたのだが、寝ていた分の体力が戻ってくると鍛錬にならなくなってしまった。

 客観的に見てもう大丈夫だと言っているのだが、例の医師に診察してもらうまでは必要以上の鍛錬は禁止だと聞いてくれない。

 

 この身体の基本性能の高さは俺自身がよく知っている。

 よく知っているからこそ、このまま抑えた鍛錬をしているのは勿体ないと感じてしまうのだ。

 

 ならばと思い出したのは孫と見ていた漫画、アニメにあった鍛錬法である。

 短時間で身体を酷使するには、身体にかかる負荷を増やせばいい。

 長い時間ではないのだからと言う屁理屈だが、このまま身体が鈍っていく方が俺にとっては大きな問題だった。

 そして累に協力してもらい、今の俺の身長でも背負えるくらいの岩を運んでもらって今に至る。

 

 原始的ではあるが岩を背負って決められてしまった時間一杯まで鍛錬すれば最低限、足腰は鍛える事が可能だ。

 それもこのやった分だけ返ってくる規格外の身体があればこその方法であるが。

 

 勿論、最初は反対されたがなんと言われようとも続ける俺を見て両親も祭や慎もようやく諦めてくれた。

 無理をしていれば何がなんでも止められたのだろうが、鍛錬する俺の様子を見て本当に大丈夫だと理解してくれたのだろう。

 激と累は自分用の大岩探しに熱中していて俺を止めようとはしていない。

 

 しかし怪我をして以来、過保護になってしまった両親からは常に誰かと共に鍛錬する事を条件に出されている。

 つまるところいつもの面々を連れて鍛錬しろと言う事だ。

 俺からすればなんの問題もない条件である。

 最終的にはいつもの五人全員で大岩を背負って走り込むようになった。

 周囲から見れば非常に奇妙な光景だっただろう。

 

 

 周りがドタバタしていたその一ヶ月で、村を取り巻く状況にも変化があった。

 

 あの山賊の襲撃を受けて近隣の村と協力して有事の際の対策を取り始めたのだ。

 どうやら平和と言うものが何か起これば一瞬で瓦解するほど儚い物である事をようやく認識したらしい。

 

 この辺りの治安が良いのは領主が上手く治めているお陰だが突然の襲撃に対処するような政策は行われていない。

 自分の身を守るのはあくまで自分であるという事を彼らも理解したんだろう。

 

 周辺の農村は全部で五つ。

 俺が寝ている間にうちの村主導でそれぞれの村の責任者を集めて会合を開いたらしい。

 そしてそれぞれの村の若者を何人か選抜。

 最も戦い慣れしている父さんと豊さんが彼らを鍛える事になった。

 さらにそれぞれの村と連絡を取る為に日本で言う所の飛脚を走らせて頻繁に近況情報を交換し合い、村の周囲にも定期的な哨戒を立てる事が取り決められたと言う。

 

 危機感を募らせて慌てて集まった割にはまともな事項が決まっているように思えるが、この取り決め事項自体は以前から俺と父さんでまとめていた物だ。

 

 焦燥感にかられている所に筋の通った提案を行うとどんな内容であっても良案だと思えてしまう物だ。

 とんとん拍子に話が進んでいく様子を俺に話しながら父さんは複雑な顔をしていた。

 俺の怪我の原因が村全体の危機感の足りなさ、引いては自分の責任だと感じているのかもしれない。

 

 まぁとにかく『五村同盟』などと仰々しい名前が付けられた新しい体制が発足し手探り状態ではあるが色々と動いている為、大人たちは色々と忙しない日々を過ごしている。

 

 

 そしてそんな日々からさらに一ヶ月が経過したある日。

 壮年の男性とまだ七、八歳くらいの赤髪の少年が村を訪ねてきた。

 

「お前が肩を潰されたって小僧か?」

 

 畑仕事を終えて家に帰る途中の俺の姿を見て最初に男の口から出た言葉がこれである。

 

「は? ええ、まぁ……」

 

 なんて不躾な男だと心中で呆れていると、この男は何の気配も感じさせずに俺の間合いに入り込んできた。

 

「なっ!?」

「ふむ。なるほどな、こりゃ普通の医者じゃ無理だわな」

 

 驚く俺を全く気にせずにいきなり左肩を掴んで、軽く触れながら品定めをするように見る男。

 

「ししょー! けが人にいきなり何してるんですか!」

 

 そんな唐突な男の行動を慌てて止めに入る少年。

 

「なにってお前……診察に決まってるじゃねぇか。見りゃわかるだろ、凱(がい)」

「いやそりゃわかりますけど、いきなりそんなことされたらかんじゃさんが困っちゃいます!」

 

 舌っ足らずではあるが随分とはっきりとした話し方をする凱(恐らく真名だろう)と呼ばれた少年。

 どうやらこの年にして色々と苦労しているらしい。

 

「それにこの小僧は怪我人じゃねぇ。こんなに体中に氣が溢れているヤツにそんな言葉は似合わねぇよ」

 

 俺が怪我人じゃない?

 それに氣、だと?

 

「あの、今のは一体どういう意味ですか?」

 

 聞き捨てならない単語について思わず問いただしてしまった。

 

 特に後者の『氣』。

 まさか前世で時折、耳に入ってきたあの胡散臭い空想じみた力の事なのだろうか?

 とある漫画では惑星すら破壊できるような光線を放つ原動力にもなっていたが、まさかそんな物が存在すると言うのか?

 

 既にこの世界の事を規格外だと認識していた俺だが、もしも氣とやらが俺の想像通りの物ならばその認識は甘かったと言わなければならないだろう。

 

「あ~~、面倒だから説明するのは拒否する。だがお前の左肩は動かせるようにしてやるよ。それだけ氣が満ちてればさして時間もかからんしな」

 

 ちっ!

 それは暗に説明させるなら治してやらないと言っているようなものだろうに。

 しかし今後、起こりうる事態を想定すればこの機会を逃して左腕が使えないままという事態は出来れば避けたい。

 

 この男の自信は虚飾ではない。

 目を見ればわかる。

 あれは嘘偽りも過信もなく、自分の力に自信を持っている目だ。

 

 そんな目をした男が治せると言っている。

 肩の事はほとんど諦めていただけにこの機会を逃すわけにはいかない。

 

「……わかりました。治療をお願いします」

「聞き分けのいい小僧だ。お前くらいの年ならもっとわがまま言ってもいいんだがな」

「子供らしくないとはよく言われます」

「その受け答えもらしくねぇな」

 

 からからと快活に笑う男。

 勝ち誇ったその顔が妙にガキ大将っぽい。

 

「ししょー、いじわるしてないでおしえればいいじゃないですか」

「かっかっか! まぁ資質は馬鹿みたいにあるがな。それをこいつが扱えるかどうかはわからんだろ」

 

 ちぃ、また『資質はある』なんて気になる事を。

 まさか俺の心中を理解した上で、わざと言っているのか?

 

「あの……治療を」

「おお、悪い悪い。いやぁ普段は弟子としか話さないからよ。ついしゃべり過ぎちまう。反省反省」

 

 まったく反省してない表情と口調で言われても説得力に欠けるんだが。

 

「とりあえず小僧。お前が落ち着ける場所に案内しな」

「俺が落ち着ける場所? 普通、治療と言えばなるべく清潔な場所でするのでは?」

 

 疑問を口にすると男はニヤリと笑いながら答える。

 

「俺の治療は治療する相手の体調だとか精神的な揺らぎに左右されやすくてな。出来るだけ本人が落ち着ける場所がいいんだよ。まぁお前くらい氣の容量が多けりゃ気にする必要もないんだが万全を期して事に臨むのは当然の事だ。そうだろう?」

「……よくわかりませんがわかりました。なら家に行きます。ついてきてください」

 

 どうにもこの男、自分がわかるようにしか物事を説明出来ないらしい。

 相手が理解しているかどうかは二の次でとにかくまくし立ててくるから疑問を挟む隙がない。

 話し終えた後に質問してもこの男としては既に終わっている事だから答える気がないのだ。

 なんという自己中心的な男だ。

 正直、苦手なタイプだ。

 

「ごめんなさい。ぼくもせつめい出来るので聞きたいことがあったらあとで聞いてください」

「そうか? すまないな。えっと……」

「あ、姓は華(か)、字は元化(げんか)といいます」

「……俺は姓が凌、字は刀厘だ。よろしくな。元化と呼んで良いか?」

「はい! じゃあぼくもとうりんさんって呼びますね」

 

 俺は内心の驚きを表に出さないように必死にこらえながら驚きの名前を名乗った少年と笑い合った。

 

 しかしその名前は不意打ち過ぎるだろう。

 予想外にも程がある。

 

 華陀元化(かだげんか)。

 関羽、曹操を始めとして歴史に名を残した人材を診察したと言われている医師の名だ。

 前世で言うところの麻酔に当たる麻沸散(まふつさん)を開発したと言われ、それを用いた腹部切開手術を成功させ民衆に神医と謳われた人物。

 一説に寄れば百歳を越える年齢でありながら外見は若々しいままだったと言う。

確か史実では曹操と仲違いをした結果、投獄され非業の死を遂げたはずだ。

 

 そんな人物が師匠と呼ぶ男と共に目の前にいる。

 黄蓋や祖茂、韓当に程普までが幼なじみであるという時点で今更ではあるが、俺は歴史家が見たら狂喜するか卒倒するかの奇跡的な状況にいる事を改めて認識した。

 というか華陀が男であるという事実に途方もない安堵を感じているんだが。

 

「おいおい、仲良くするのは構わねぇが案内を忘れんなよ」

「おっと、そうだでした! それじゃとうりんさん。案内をおねがいします」

「ああ、わかった」

 

 自己中男の茶々を受けながら俺たちは歩みを再開した。

 

 

「うっし。それじゃ治療だな。悪いが親御さんたちは外で待っててくれ」

「元方さん、息子をどうかよろしくお願いします」

「あいよ。まぁそんな時間かけねぇし完璧に治してやるから安心しな」

 

 頭を下げる両親に軽く手を振って適当に応える『華陀』。

 この場合の華陀は自己中男の事だ。

 

 元化少年に聞いた話だと華陀という姓名は彼らが日々、研鑽する医療技術『五斗米道(ごとべいどう)』を学ぶ者に与えられる物なのだと言う。

 読み方は五斗米道ではなく『ゴッドベイドー』らしいのだが正直、俺にはどうでもいい話だ。

 

 ついでに言えば五斗米道と言うのは漢中(かんちゅう)に独立国家を築き上げたと言われる張魯(ちょうろ)が教祖の宗教団体の名前だったはず。

 人物が女性になっている時点で今更なのかもしれないが、史実や物語を裏切る出来事が大好きな世界で困るな。

 反応が『困る』程度になってしまっている辺り、俺も相当この世界に染まっている気がするが。

 

 閑話休題。

 基本的に一子相伝の形を取っている五斗米道の技術を学べる者は当然のように一人である。

 つまり師弟で同時に同じ姓名を持っているのだ。

 ややこしいので師弟間では真名で呼び合い、患者などに対しては師の華陀が華陀を名乗っているのだと言う。

 ちなみに自己中な華陀の字は『元方(げんぽう)』と言うらしい。

 この字は確か華陀の字の諸説ある中の一つのはずなのだが、もう突っ込むのも疲れてきた。

 

「さて小僧。疲れ切った面してないで服脱いで左肩を見せな。さっき触診して大体把握したが最終確認をしたいんでよ」

「わかりました」

 

 上着を脱ぎ捨て、肩の包帯を取る。

 青く晴れ上がった肩は右と比べるとひどく不格好に見える。

 見る人が見れば不気味だと思うだろうから普段は包帯を巻いた上で上着を羽織り、見えないようにしていた。

 

 最初に医師の診察を受けた時は筋肉と砕かれた骨が混ざりあって非常にグロテスクな有様だったのだと聞いているが、懸命な治療の お陰で左腕が腐るような事態にはならず切断は免れたとの事。

 治す事こそ出来なかったが俺を診てくれたあの医師も十分に優秀だ。

 そもそもこの時代の技術でそこまでの事が出来た事自体おかしい。

 

「なるほどなぁ。肩の骨が粉々になってやがるのな。鈍器で一撃ってところか。やったのはどんなヤツだったんかねぇ」

「この辺りを荒らしていた山賊の頭です。片手でとてつもなく重い戟を扱っていました」

「そんなのの一撃を受けてよく肩がちぎれなかったな」

 

 確かに俺もそれは思ったが、あの時は無我夢中だったからそこまで気は回らなかった。

 最悪、ちぎれる事も覚悟はしていたが。

 

「よし、それじゃ力を抜いて椅子に座れ」

「はい……、治療はソレでやるんですか?」

 

 指示通り、椅子に座りながら彼の手の中にある代物を見る。

 そこには彼の手にすっぽり収まってしまうくらい細く、しかしなんともいえない力強さを感じさせる鍼(はり)があった。

 

「おう。五斗米道が誇る鍼治療だ。俺のはちと独特だがな」

「へぇ、どう違うのか是非とも聞きたいですね」

「面倒だから嫌だ」

 

 いい加減、ぶん殴りたくなってきたんだが。

 

「ああ、とうりんさん。心をしずめてください。氣を使ったちりょうは医師もそうですけど、かんじゃの気持ちもえいきょうするんですから」

「……わかった。すまないな、元化」

「いいえ、今のはししょーがわるいですから」

 

 ほんとにこの子は苦労性だな。

 今からこんなに苦労を背負い込んでいるとその内、変な風に爆発してしまうような気がする。

 この子の将来が心配だ。

 

「よし、落ち着いたな。それじゃ始めるぜ」

「ふぅ~~~~……。はい、宜しくお願いします」

 

 そして俺は氣という物がどういう物かを身を持って知る事になる。

 五斗米道と呼ばれる医術が他の一般的な技術と一線を画す物であり、それを扱う華陀と呼ばれる者たちは正しく神医と呼ばれるにふさわしい実力を持っていると言うことも。

 

 

 

 あたしと祭は激たちが村の為に走り回ってる間、ずっと家で座り込んで震えてるだけだった。

 自分の武器を見るだけであたしが殺した人間の事がよぎって、出すものなんて残ってないのに吐き気がして動けなくなる。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

 

 誰に謝っているのか自分でもわからなかったけど、でも言わずにはいられなかった。

 

「ごめんなさい……」

 

 散々泣いてかすれた声で何かの呪文みたいに呟く。

 

「謝るくらいなら立てよ、馬鹿」

「あ……」

 

 頭上から響いてきた声に思わず顔を上げる。

 全身汗だくの激が立っていた。

 見下ろす目があたしを責めているように見えて、思わず俯く。

 

「いっつも俺と張り合ってたお前がずいぶんおとなしくなっちまったな、おい」

 

 見下ろしながら言葉をかける激。

 あたしは応える事も出来ないで俯いたままだ。

 責められるのが怖かった。

 それもずっと一緒にいる幼なじみに「なにやってんだ」って冷たい目で見られるのが怖かった。

 

「怖いってんなら別にそれでいいぜ。戦うのが無理ならなにも言わねぇよ」

「えっ?」

 

 口調はいつも通りに荒かったけど、その声に暖かさを感じて思わず顔を上げた。

 

「……戦えないヤツを守りたいって思って、俺はずっと身体を鍛えてきたんだ。戦えないヤツに無理させちゃ意味ねぇじゃねぇか」

 

 ぎゅって自分の拳を握りしめて激はあたしに笑いかける。

 

「だから心配すんな。お前は俺が守ってやるから。だからまぁ、なんだ……安心して待ってろ」

 

 それだけ言うと激はあたしに背を向けて家を出ていった。

 

「戦えない人を守りたい……」

 

 激の言葉を反芻する。

 

 そうだ。

 あたしもそうだった。

 鍛錬を始めた最初の理由はただ駆狼に負けたのが悔しかったから。

 でもそれがいつの間にか村の人たちの手伝いをするようになって本格的に身体を鍛えるようになって。

 

 あたしはなんで人を殺したの?

 

『村に手を出すなぁ~~~~!!!!!』

 

 その時の言葉を思い出す。

 そうだ。

 あたしは村を守りたくて、だから必死に槌を振るって人を殺した。

 あたしが望んで、自分の意志で人を殺したんだ。

 

 今、激たちはなにをしてるの?

 村を守るために動き回ってる。

 

 あたしは村を守りたいんじゃないの?

 こんな所でこんな風にふさぎ込んでいて村を守れるの?

 

 そんなわけない。

 

 人を殺してでも守りたいんでしょ?

 だったら震えてる場合じゃない!

 

「村を守るんだ!! 激たちの事だって守りたいんだ!!!」

 

 立ち上がって武器を柄を取る。

 あたしが殺した人間の血が付いていた。

 

「そうだ! あたしは人を殺した!! でももうふさぎ込んだりしない!!!」

 

 浮かび上がった記憶を見据えて武器を持ち上げた。

 

「負けない! 自分のやった事に負けてなんていられない!!」

 

 自分を励ますように叫んでからあたしは家を飛び出した。

 

 

 あたしが到着した時にはもう村の近くまで賊が来ていた。

 途中で合流した祭と別れてあたしは激と慎の元に駆けつける。

 

「なんだ、来ちまったのかよ!?」

「あたしだって村を守りたいんだから!!」

「助かりました、塁さん!」

「遅くなってごめん!」

 

 激と慎と軽く言葉を交わし、すぐに山賊たちに向かって大槌を振るう。

 

「村から出てけ、こんのぉおおおおお!!!」

 

 あたしは戦いが終わるまでただただ必死に人を殺し続けた。

 

 

 どうにか山賊を全滅させて疲れきった時に、駆狼を抱えた祭が現れた。

 

 山賊の頭を倒した駆狼が倒れたと泣き叫びながら。

 その言葉を受けて激と慎、豊おばさんたちが祭とぐったりしている駆狼の元に駆け寄っていく。

 

 あたしは……死んだようにぐったりしている駆狼を近くで見るのが怖くてその場から動くことが出来なかった。

 

 駆狼はその後、うちの村の村長の家にかつぎ込まれた。

 豊さんが馬を引いて医者を呼びに行き、私たちは傷から流れ出る血を止めるよう清潔な布を代わる代わる傷口に当てる。

 

 あたしたち四人は交代でずっと駆狼に付いていた。

 帰って寝ろって散々母さんやおばさんたちに言われたんだけど離れようとはしなかった。

 少しでも目を離したら駆狼が死んでしまうような気がしたんだ。

 

「う、うう……」

 

 うめき声を上げながら全身から汗を出す駆狼。

 その汗を拭きながらあたしたちは祈るように声をかける。

 

「死なないで、駆狼」

「死ぬなよ、手合わせの約束があるんだからな」

「刀にぃ、死なないで……」

「死ぬな……駆狼」

 

 一週間後。

 駆狼が目を覚ました時、あたしたちは涙を流して喜んだ。

 

 そしてあたしはこの時に誓った。

 駆狼一人に無茶な真似をさせないようにもっともっと強くなろうって。

 ただ負けたのが悔しいからって言う理由じゃない。

 駆狼だってあたしにとって守りたい人なんだから。

 一緒に無茶出来るくらい強くならないと守れないんだから。

 

 あたしはもっと強くなるんだ。

 




作中に出てくる氣及び五斗米道、華陀の真名については独自解釈です。
その事を踏まえた上で楽しんでいただければ幸いです。


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第七話 五体復活。村軍発足。

 治療は想像以上に常識外れな物だった。

 

 黄金色の光を放つ鍼を患部である俺の左肩に刺した瞬間。

 俺の身体の中を暖かな何かが駆け抜けた。

 刺された鍼から噴出した何か、『エネルギーのような物』が血管を通じて、何巡も何巡も身体を駆け巡ったんだ。

 

 活力が満ちると言えばいいのか、初めての感覚に俺はただただ呆然としていた。

 気づいた時には左腕は、まるで怪我をする前に時を巻き戻したかのように何の違和感もなく動かせるようになっていた。

 

 現代医学に喧嘩を売っているとしか思えない現象である。

 

 思わず「魔法か!?」と突っ込んでしまった俺は悪くないはずだ。

 なにせ前世を含めた医療技術を全否定するような治療を見せつけられてしまったのだからな。

 

「妖術って言われた事はあったがまほうって言い方は初めてだな。どういう漢字でどういう意味なんだ?」

 

 ニヤニヤ笑いながら聞いてくる華陀中年を治ったばかりの左手で殴ってしまったのは置いておくとして。

 

 

 五斗米道の治療は基本的に鍼に氣を込め、対象者の肉体に注入する事で行うらしい。

 肉体を活性化させ自己治癒能力を促進させる事で傷あるいは病を治す物なのだと言う。

 しかし華陀少年の話では鍼に込める氣にも様々な質の物があり、さらに注入の方法も怪我や病気の具合や患部によって異なるという話だ。

 さらに五斗米道を扱う人間にのみ病気の根元を『病魔』という目に見える形の脅威として捉える事が出来る物らしく、患者の証言とは別に症状を確実に見極めて治療を行う事が可能なのだそうだ。

 

 そして今回。

 俺の治療をするに当たって華陀中年は彼自身が編み出した技を用いたと言っていた。

 なんでも自分の氣を注ぎ込むと同時に肉体だけでなく俺の持っている氣を活性化、利用する事で鍼の効果をさらに高めたのだと言う。

 

 生物には血液を作るのと同じように氣を作成し体内に溜め込む性質があり、生涯をかけて生み出す氣の量は違えど誰でも氣を持っているらしい。

 ただ目に見える形で氣を利用できる者が少ないため、大抵は自身に氣がある事にすら気づかず生涯を終える。

 

 華陀中年が今回、用いた技は気づかれずに放置されている本人が持つ力を利用して通常の治療よりも治癒力を増強する物だ。

 

 そういう理論であれば、彼の技は己のみの力で不可能な治療を生物が持つ潜在的な力を利用して可能にすると言う実に理に適った技と言えるかもしれない。

 と言っても治療法その物が常識を破壊した理不尽な物である事に変わりは無いが。

 

 華陀中年の話では、どう少なく見積もっても人間が一生かかって集めるくらいの容量の氣が既に俺の身体に内包されていたのだと言う。

 この技の性質上、確実な治療の為には相手に相応の氣の量が無ければいけない。

 俺はその条件を満たして余りある程の容量の氣を内包していたので、何の問題もなく術を実行できたという話だ。

 推測の域を出ないが俺が転生している事と氣の容量の異常な多さは無関係ではないのかもしれない。

 前例が無い為、所詮は推測に過ぎないが。

 

 俺の事は置いておくとしても五斗米道が常識外れな医術である事には変わりない。

 むしろこの一派を医術と表現するのは医術という言葉に喧嘩を売っているような気さえする。

 意味合いとしては間違っていないのだが、どうしてもしっくり来ないのだ。

 魔法、あるいはこちらで言う所の仙術と表記した方が正しいと思えてしまう。

 

 

 五斗米道の二人は俺に施した治療の概要と氣についての説明をすると(説明したのは全部、元化少年だったが)一日だけ村に泊まり、早々に建業に帰っていった。

 

 両親のお礼の言葉を受けて得意満面な顔をする中年と謙虚に頭を下げる少年。

 これが逆だったら絵になったのにと失礼な事を考えてしまった俺に異論があるヤツは多分いないはずだ。

 

 その日は腕の完治祝いと言う事で盛大な宴が催された。

 あまり大事にはしてほしくなかったんだが、純粋に喜んでくれる家族や仲間たちの気持ちを考えれば反対など出来るはずもない。

 

 どさくさに紛れてまた酒に手を出そうとしていた祭と激には拳骨をくれてやったが。

 

 後になって行商人から聞いた話では俺の治療を終わらせた後、しばらくして華陀師弟は旅に出たらしい。

 元々、建業にも長期滞在するつもりはなかったらしく顔見知りに挨拶をしたらさっさと出ていったのだと言う。

 立つ鳥後を濁さずとはよく言ったものである。

 

 

 あれから三年。

 俺たちは今年で十七歳になった。

 

 開けた平野で胡座をかいて思考にふける。

 

 最近、村に来る行商人から『神医』の噂を聞くようになった。

 どのような病も傷も鍼一本で治療する流離いの医師がいる、と。

 

 どうやら彼らは元気にしているらしい。

 涼州で起きた小競り合いの怪我人の治療に関わったかと思えば益州で太守の病気を治していたりと手広くやっているようだ。

 

 華陀たちについて以外にも行商人の話の中に気になる物があった。

 

 この世界では女性だった孫堅が建業大守の不正を暴いた恩賞として朝廷から大守に任命されたと言う物だ。

 どうやら以前の太守は領内の村人が気づかないように少しずつ年貢の類を水増し請求していたらしい。

 顔も知らない人間ではあったが横暴な事はせず悪い噂も聞かなかった為、それなりに民衆の支持を得ていたのだが。

 

 蓋を開けてみればなんて事はない。

 太守は民の事を考えていたのではなく、不満が爆発しない程度の頻度で少しずつ搾り取っていたのである。

 小賢しい真似をしてくれた物だが、こちらもまったく気付いていなかったのだからあまり強く文句も言えない。

 出来た余分な金で豪遊していたと言うのだから腹立たしいのは腹立たしいが。

 

 この村が属している土地も領地に入っているので必然的に俺たちの村も新大守である孫堅の管轄になっている。

 だからと言って現状、急激に何が変わると言う事もない。

 村が自衛手段を持っているという事に関して動きがある事も考えられるが。

 

 ともかく孫堅が頭角を現し始めたという事自体は問題ない。

 むしろ歴史に語られる人物の名が上がった事にほっとしているくらいだ。

 

 歴史上の出来事とこの世界の孫堅の出世のタイミングがだいぶ食い違っている事はもう今更だろう。

 気がかりなのは孫堅が『建業太守』になったとと言う事だ。

 確か孫堅が太守になったのは長沙だった気がするのだが。

 俺の知る歴史とは大幅にずれ込んでいる以上、この誤差も許容範囲と言えば許容範囲なのかもしれない。

 

 だが俺が最も気になったのは名を上げているのが孫堅だけではないという所にあった。

 

 

 孫静幼台(そんせいようだい)

 江東の虎である孫堅の弟であり、彼の挙兵に合わせて同郷や一族の者たちをまとめ上げた知恵者。

 孫堅の死後は孫策の求めに応じて彼の軍に合流、年若い彼らの支え役になった。

 功績に対する恩賞に対して欲を全く示さず、孫策や孫権が官職を与えようとしても誰かを推薦するだけで応じず、孫権に強く薦められてようやく任官を受けたと言われている。

 孫堅が生きていた頃から総じて縁の下の力持ちに甘んじていた人物だ。

 

 

 その孫静が孫堅と共に名を上げているのだと言う。

 賊の討伐や乱の鎮圧などを孫堅が行い、内政を孫静が担う事で今では『建業の双虎』として遠くは涼州にまで名を広めているらしい。

 ちなみにこの二人は『姉妹』だそうだ。

 

 内政では孫堅の無二の友と呼ばれている周異(しゅうい)もその知略を存分に振るっていると聞くが、彼女については俺の中の知識はほとんどない。

 せいぜいが、かの周瑜(しゅうゆ)の父親であると言う程度だ。

 まぁこの世界では例によって女性だったわけだが。

 

 それはともかくこの三人が揃っていたからこそ小勢力の身でありながら二年という短期間で領地の運営を安定させる事が出来たと言われている。

 誰かが欠けていては出来なかっただろうとも。

 

 しかも孫静は今までに前例のない政策を打ち出しているらしい。

 本拠である建業を中心に月日が経てば経つほど他の大守が治めている都市との差が広がっていると聞く。

 具体的には農作業の効率化による作物の増加、都市内の見回り体制の一新による安定した治安、それに伴う行商人の増加。

 孫堅たちが治める前に比べて建業はずいぶんと人口が増えていると聞いている。

 さらには姉妹そろって気さくな性格らしく民からの人気も上々との事だ。

 

「そこまで語られる程の人物。仕える仕えないは別として機会があれば会ってみたいもんだが……」

 

 機会を待っているだけというのは性に合わんな。

 足を止めて考え込んでいては見えてこない物もある。

 ならどうするか。

 

「自分から行くしかないだろう」

 

 思考をまとめて立ち上がる。

 

「うぅ……」

 

 足下でうめき声が聞こえてきた。

 ああ、忘れていたな。

 

「今から十数える間に立ち上がって整列。出来なければ村の外を二十週だ」

 

 ノロノロと立ち上がり六人の男女。

 彼らは俺の部下にあたる者たちだ。

 

 例の五村同盟の関係でそれぞれの村に一定の戦闘要員を配置する事が決定し、彼らは俺たちの村にに派遣されてきた人員である。

 ちなみに男女比は二対四で女性の数の方が多い。

 派遣された当初は男の方が多かったのだが、とある事情によりこれだけしか残っていないのが実状だ。

 

 この村で戦いに長けているのは父さんと俺。

 しかし父さんは五村同盟全体の責任者になっているので自分の村ばかりを見ているわけにはいかない。

 そういう理由からこの村の防衛は俺が担当する事になり、彼らは俺の配下という形になった。

 

 祭たちはそれぞれ自分たちの親の部隊の副官として働いている。

 いずれは豊さんたちの後を継いでそれぞれの部隊を任される事になるし、本人たちもやる気は充分だ。

 そう遠くない内に隊長の世代交代が訪れるだろう。

 

 まぁそれはともかく最初は年下の俺が自分たちの上に立つと言う事で反発された。

 当然だがそんな風になるだろう事は予想済みだ。

 なので全員が納得できるよう勝負をする事にした。

 

 内容は単純だ。

 俺が毎日行っている鍛錬に付き合ってもらい俺よりも一瞬でも長く続けていられたら、その者が守備隊隊長になる。

 

 軽いだろうと高を括っていた十数人の男たちは例外なく途中で諦めた。

 俺のやっている鍛錬の半分も持たなかったのだから年上のプライドなんぞズタズタだろう。

 

 その場には他隊の志願者や父さんたちもいたのでどういう結果であれ言い訳など出来ない。

 勿論、そういう状況を作った上で勝負を持ちかけたのだが。

 

 しかし条件を飲んだのは自分たちだと言うのに逆ギレして襲いかかってくるヤツもいた。

 

「年下のガキの命令なんて聞けるか!!」

「俺の方が山賊を上手く倒せるに決まってる!!」

 

 大ざっぱだがこれが連中の主張だ。

 これを聞いた俺は痛いほどに理解した。

 

 こいつらに村を守る意志なんて物はない。

 ただ人と違う事がしたい、目立ちたいというくだらん願望だけで志願してきただけだと言う事を。

 

 クソガキどもの言い分の余りのガキっぽさに腹が立ち、かかってきた連中は容赦無しに叩きのめした。

 

 正当な理由もなく、説得力もない言葉で自分の主張を通そうとするような馬鹿に手加減などしてやるほど俺は優しくない。

 ついでに過ちを犯すとどうなるかと言う事を志願者全員へ明確に伝える事も出来るから一石二鳥だ。

 

「村を守る気概もなしにくだらん自尊心で後先考えずに動く馬鹿なんぞ邪魔だ。二度とその面を見せるな」

 

 肩を外してはめ直すという激専用のお仕置きで恥も外聞もなく泣き喚いた連中にとどめの一言。

 

「次は粉々で、二度と動けないようにしてやる」

 

 以降、そいつらは自分たちの村から出てこなくなったらしい。

 あの程度の痛みで引きこもるようなヤツらなど知った事じゃないが。

 ああいう輩は仲間の足を引っ張る。

 おとなしく畑仕事でもやっていた方が村にとっても本人たちにとっても幸せだろう。

 

「隊長、整列終わりました」

 

 フラフラになりながらもなんとか横一列に並んだ部下たち。

 八つ数える間に並べているので罰則は無しだ。

 

「今日の訓錬はここまで。一刻後、見回り番二名は所定の場所へ向かえ。他の者は畑仕事だ。酷使した体はしっかり解し、明日に疲れを残さないように。以上!」

「「「「「「はっ!」」」」」」

 

 何度も地面に叩きつけられたせいで体中、砂だらけになった状態で敬礼する隊員たち。

 見ていて清々しい程にその動きは統一されている。

 

 俺が元軍人であった為、訓練は父さんたちが想定した以上にスパルタになってしまい隊の規律も他の隊と比べ厳しい物になってしまった。

 両親や村長、祭たちにも注意されたが俺はこの三年間ずっと自分のやり方を貫いている。

 勿論、耐えきれずに逃げ出す者や逃げずとも他隊へ異動した者もいたがそれについては不問にした。

 

 戦いになれば訓練など比較にならない程に辛い目に合うのだから、逃げ出せるのであればそれも選択肢としては有りだろう。

 

 一度きりの人生なのだ。

 俺は後悔するような生き方を強制するつもりはない。

 

 それでも残ると言った自分に厳しい者たちには容赦のない訓練を課した。

 勿論、俺も同伴している。

 

 俺は彼らの隊長ではあるが同時に戦で肩を並べる戦友でもある。

 そんな彼らと苦楽を共にして親交を深めるのは当然の事だ。

 当然だが俺自身は彼らの訓練メニューの倍をこなしている。

 彼らには申し訳ないが俺の場合、メニューを合わせていては体が鈍ってしまうからな。

 

 俺が自分たちの訓練をこなした後に個人訓練を行っていると知った彼らの驚いた顔はなかなか見物だった。

 

 ともかくそんな部隊の在り方をしている為、俺の隊は他隊に比べて人数が少ない。

 豊さんたちと俺、父さんの六つの部隊の中で隊員数が一桁なのは俺の所だけである。

 次に少ないのは豊さんの弓部隊。

 こちらは弓を扱える人材が少ない事が原因で、五つの村すべてからかき集めて十三人。

 他四つの部隊は平均二十人。

 総合計で百人を越す程度である。

 その中で俺の部隊は俺を含めても七人しかいないのだから、どれだけ少ないかは子供でも理解できるだろう。

 

 だがその分、一人一人に密度の濃い訓練を行った為に練度は高くなっている。

 うちの隊の人間なら他隊の人間を三、四人同時に相手に出来るだろう。

 少数精鋭とはよく言った物だ。

 

 とはいえ練度で数を補うのには限界がある。

 豊さんたちと相談して隊の増員、そうでなければ他隊の練度を引き上げられる体制を整える必要がある。

 いっその事、俺の部隊を解体して他の五つの部隊にバランス良く配置するのも手の一つか。

 

「……どうするにしても休む暇はないか」

 

 だがこの日々に充実感を感じているのも否定できない事実である。

 我ながら不謹慎ではあるが。

 

「孫家の見物は折を見て考えるしかないな」

 

 まずは目先の問題からだ。

 気分を切り替えるように体を伸ばし、畑仕事の手伝いをする為に歩き出した。

 

 

 

 

「ふむ。しかしここまでの二年間はあっという間だったな、陽菜」

 

 月を見ながら杯を傾ける姉さん。

 その隣で私も老酒を飲み干す。

 

「姉さんが色々と急ぎ過ぎなのよ。民を守るために仲間を率いて賊を討ったと思ったら一ヶ月と経たない間に気に入らない大守に喧嘩を売って……文字通りの意味で叩き潰して」

「ふん。ヤツが私たちや民を食い物にしていたのが悪いのさ。とはいえ叩き潰した結果、自分が大守になるとは思いもしなかったがな」 

「むしろ国への反逆罪で処断されても文句は言えなかったのだけど……朱(しゅ)将軍には感謝しないとね」

 

 どれほど悪行を重ねていようとも仮にも相手は漢という国から土地を任された人間だ。

 そんな人間に手を出した私たちは本来なら打ち首になっていただろう。

 そうならなかったのは当時、内政監査の名目で建業に来ていた朱将軍―朱儁という私が前世で聞きかじった三国志にも出ている武将の一人―が取りなしてくれたからだ。

 元々、大守が不正を行っている事に気づいていた彼女は、民の立場から彼に鉄槌を下した私たちを賞賛し自分の権限と風聞を最大限利用して私たちの首を繋げてくれた。

 まさか姉さんを大守に召し上げるとは思わなかったけど。

 

 勿論、あちらにも思惑はあったんだろうけど、それでも私たちは九死に一生を得たのだ。

 幾ら感謝しても足りないくらいだろう。

 

「まったく。前大守の配下だった人たちが協力してくれなかったら何も出来なかったのよ?」

「ああ、それは言えてるな」

 

 なにせ自分たちは武力や知力はあるけれど所詮は民側の人間だ。

 領地の治め方などまったくわからない。

 だから前大守の目に見えない悪政を諫めた為に酷い扱いをされていた武官、文官に頭を下げて協力を求めた。

 

 彼らも私たちの殊勝な態度に感服した様子で協力してくれた。

 前体制で冷遇されていたからか、こちらが驚くほどあっさりと頷いてくれたのは嬉しい誤算だったわ。

 私たちの飲み込みが早かったお陰もあって三ヶ月も経つ頃には建業の生活は安定している。

 

 姉さんは勉強を嫌って何度も脱走したけれどその都度、周異公共(しゅういこうきょう)こと美命(びめい)か私が捕まえて椅子に縛り付けたりしていた。

 

「ほんとあの頃が一番大変だったわ。姉さんの脱走癖の相手が特に」

「うぐ!? いや、あれはな」

「大守として民を守る立場になったって事を自覚するまで大変だったものね」

「……むぅ」

 

 分が悪いと言うことがわかっているんだろう。

 先ほどまで豪快に椅子に座っていたのに、今は体を縮こませて居心地悪そうにしている。

 

「ふふ、二児の母とは思えないわね。こんな姿、あの子たちにはとても見せられないわよ?」

「ええい! そんなネチネチネチネチと言わなくてもいいだろう!? せっかくの酒が不味くなってしまうじゃないか!!」

「はいはい。私が悪かったからそんなにいきり立たないで」

 

 争いで平和を勝ち取る事が日常になっている時代。

 そんな怖い世界で、私はどうにか今日も笑っていられる。

 

 どうしようもなく心細くなる事があるけれど、そんな事を姉や親友に言う訳にはいかない。

 

 私一人だけが弱音を吐く事なんて出来ない。

 私一人だけが立ち止まる事なんて出来ない。

 

 もう私たちは私たちだけの為に生きる事が出来ない立場になってしまったのだから。

 

 ねぇ玖郎。

 私は人を殺めてしまったわ。

 人を殺す事と引き替えに生きていくようになってしまったの。

 今なら出会った頃の貴方の気持ちが本当の意味で理解出来るわ。

 

 貴方が今の私を見たらどう思うのかな?

 聞くのが怖いとも思う。

 同時に聞きたいとも思う。

 

 でもそれ以上に、どういう言葉を投げかけてきても構わないから。

 

「貴方に逢いたいよ……玖郎」

 

 私の掠れ声は自棄酒を始めた姉には届く事はなく、夜空に飲み込まれて消えていった。

 



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第八話 運命を変える出会い。分岐点

 出会いと言う物はいつでも唐突に訪れる。

 

 二度目の人生を生きている俺にとってもその認識はまったく変わらない。

 むしろ前世以上に突発的且つ予測不可能な出会いが多くて混乱する事も多いくらいだ。

 女性化した黄蓋や韓当を見て取り乱さなかった自分は本当に良くやったと思う。

 

 

 

 この日、俺は狩りをしに山に入っていた。

 俺、祭、塁が二十歳になった祝いをする為だ。

 

 この頃、誕生日を祝うと言う風習はなかったようで今までは俺が個人的に祝うだけだった。

 俺が始めた事をきっかけにいつの間にか定着して今では身内限定で盛大に祝うのが当たり前になっているのだが。

 

 まぁそれはともかく今年は日本における成人の年と言う事なのでいつもより派手に祝ってやろうと思い、こうして一人で山に入って食材を探しているのである。

 

 熊や猪はこの時代の村人から見れば貴重なタンパク質だし、特に熊は高級食材でもある。

 祝いの席には丁度良い。

 

 今の季節なら冬眠を終えて獲物を探しているだろうから適当に山の中をぶらついていれば自然に見つかるだろう。

 

「ついでに靴の威力も試せるしな」

 

 重々しい鉄製のソレで地面を軽く突く。

 俺は肉体的な成長が止まった頃を見計らい、武器について父さんに相談した。

 

 相変わらず手持ちの武器については思いつかなかったので、まず得意分野を強化する装備をどうにかする事でまとまった。

 そこで蹴りの威力を強化する為に鉄製の靴と膝までを覆う手甲ならぬ足甲を考案。

 父さんたちの武器の手入れを一手に引き受けている鍛冶職人に頼み込み、俺が直接経過を確認しながら作成してもらった。

 

 鉄製と言ってもただ鉄で作った靴では足を痛めるだけだ。

 故に普通の靴を履いた上で装甲を取り付ける形にしている。

 つまり平常時に履いている靴を緩衝材代わりに使うわけだ。

 靴部分だけでは装備として心許ない為、膝頭から足首までを覆うように足甲を追加。

 しかし足首や膝などの関節、人間の可動域を妨げるような作りでは問題外だ。

 試行錯誤の末、装甲を前と後ろで分けて作り、有事の際には前後から足に合わせて装着する形を取っている。

 手間はかかるが動きの妨げになる方が戦場での危険度は高い。

 

 そうして試作を重ねて完成した物を今、俺は付けている。

 やはり付け始めた当初は装備の重みで違和感を感じたが、動きを妨げると言う事はなかった。

 装備の重さも慣れてしまった今となっては問題にはならない。

 

 威力を計る為に前に普通の靴で打ち砕いた物と同じくらいの岩を蹴ってみた所、以前は足の骨に罅が入ってしまったのだが今回は衝撃で足が痺れる程度で済んでいる。

 鍛冶職人の男性には無茶な注文をしてしまったが、予想以上の出来映えだ。

 

 彼からは「創作意欲が刺激された、良い注文をしてくれてありがとう」と逆に礼を言われてしまったが。

 

 ちなみに俺の足甲に使われた鉄は俺が殺した山賊頭の使っていた戟を流用している。

 材料費もタダではない。

 既に血に塗れた代物を使う事に嫌悪感が無いわけではないが、やはり使える物は使うべきだろう。

 

 手持ちの武器の模索は今も続いている。

 格闘術だけでも戦える事は既に立証されているとはいえ、どのような不測の事態になるとも限らない。

 出来るだけ自分に合った武器を持ちたいが剣や槍、弓に塁の大槌なども試して見てもどれもしっくりこなかった。

 試した中では槍がもっとも使い勝手が良かったので進展としては長物の方が向いている事がわかったくらいか。

 

「まぁ武器については追々なんとかするとして……お出ましだな」

 

 鬱蒼とした木々に囲まれた山の中腹。

 山頂に向かう方向からこちらに向かってくる獣の唸り声。

 

「ん?」

 

 獣の唸り声に混じって何か甲高い声が聞こえてくる。

 それに獣の様子も妙だ。

 普通、餌を探す獣と言うのは息を潜めて獲物に近づく。

 姿が見える前からこんなに殺気立っているような事はそうそう無いはずだ。

 

 まさか……。

 

「こっちにまっすぐ来るか」

 

 右足を前に出し半身の体勢で腰を落とす。

 右手を伸ばして前面を睨みその時を待つ。

 

「なんで追いかけてくるのよ〜〜!?」

「おまえがおこらせたんだろう!? とにかく走れ!!!」

 

 茂みを揺らして飛び出してきたのは二人の少女だった。

 二人の後ろには唸り声の元である熊。

 もの凄く怒ってるのがその形相から伝わってくる。

 

 一体、なにしたんだこの子たちは?

 まぁいい。

 

「わ!? おじさんあぶないよ!?」

「ごじん、にげてください!!」

 

 目の前に現れた俺の存在に気付いた少女たちの言葉。

 どうやらこの子たちは自分よりも赤の他人である俺の身を案じてくれるらしい。

 

「心配はいらない、君らは逃げろ!」

 

 逃げるのに必死だろう彼女らにも意味が伝わるように短くまとめて声を上げる。

 

「え、でも!?」

 

 反論を待たず俺は地を蹴り、垂直に跳ぶ。

 彼女らとすれ違いながら狙うのは興奮しきりでこちらを睨みつける熊の頭部、その顎。

 

「はぁっ!!!」

 

 左足を振り抜いての浴びせ蹴り。

 相手の突撃の勢いをも利用したその威力は破格。

 ぐしゃりと言う腹の底に響く音、同時に足に伝わる顎を突き抜け頭蓋を砕く感触。

 

 熊はそのひしゃげた頭を仰向けにして断末魔の声を上げる間もなく倒れ込んだ。

 

 およそ十秒ほど、俺は倒れ込んだ熊を睨み付ける。

 完全に息が止まっている事を確認すると構えを解き、小さく息を吐き出した。

 

「……申し分ないな」

 

 本当にこの足甲は大した物だ。

 今度は手甲を注文してみよう。

 

 

 

「おじさん、助けてくれてありがとー」

「こら雪蓮(しぇれん)! もっとちゃんとお礼を言わないか!! この度はごめいわくをおかけしてもうしわけありません。そしてわたしたちの命を助けていただき本当にありがとうございました」

 

 桃色の髪に褐色の肌をした少女が無邪気な笑みで礼を言う。

 その横では艶やかな黒髪の褐色肌の少女が彼女を窘めながら恐ろしく馬鹿丁寧な謝辞を微妙に舌っ足らずな口調で述べている。

 

「どういたしまして、桃髪のお嬢ちゃん。黒髪のお嬢ちゃんはそう畏まらなくていい」

 

 俺は今、熊を背中に抱えて下山している。

 先ほど遭遇した二人の少女も一緒だ。

 

「おじさん、すごいね。こんな大きなくまを一発でたおしちゃうんだもん!」

 

 身振り手振りでその時見た物を表現する桃髪のお嬢ちゃん。

 どうやら俺の一撃は彼女にとってとてつもなく衝撃的だったらしい。

 

「だから雪蓮。おまえはもっとおちつきをもってくれ」

 

 黒髪の子は彼女の行動を諫めながらその年に似合わないため息を付いている。

 この年で苦労性か。

 華陀少年を思い出させるな。

 

「君たちくらいの年になる前から身体を鍛えていたからな。俺だけが特別に凄いわけじゃない」

「ええ〜〜、そうかな〜〜」

 

 俺の返答が気に入らなかったらしい桃髪のお嬢ちゃんが頬を膨らませながらじと目をする。

 

「そう言えば君たち、なんであんな山の中にいたんだ?」

 

 そこまで険しい山でもないが、何の目的もなく子供二人で山の中腹まで来るとは思えない。

 

「「あ……」」

 

 俺の疑問の言葉を受けて二人は揃って間抜けな声を出した。

 

「母様おこってるかな? 冥琳」

「……とうぜんだろう。文台様のことだ、きついおしおきがまってるはず」

「う……おばさま助けてくれないかな?」

「わるいのはわたしたちだぞ? むしろ一緒になっておしおきをしてくるやも」

 

 会話を進めていく内にどんどん顔色が悪くなっていく二人。

 身体が小刻みに震えているのは寒さが原因ではないんだろう。

 しかしお嬢ちゃんたちには悪いがそれよりも優先して気になる事が出来てしまったのでそちらを聞く事にする。

 

「聞き違いでなければ今、文台様と言ったか? 黒髪のお嬢ちゃん」

「えっ? あ、いやその……」

 

 俺に聞かれた事をまずいと思っているんだろう。

 妙に大人びている子だが、動揺して必死に言い訳を探す姿は年相応だ。

 

「別に言いたくなければそれでいい。ただの興味本位だからな」

 

 肩からずり落ちてきた熊を背負い直しながら思わず苦笑いする。

 

 様付けされる文台と言う人物などそう多くはないだろう。

 黒髪のお嬢ちゃんの正体はわからないが、文台と呼称される人物の事を母と言った桃髪のお嬢ちゃんの正体は俺の中では八割方、確定していた。

 

「あ、そうだ。おじさん、わたしのなまえは孫策伯符(そんはくふ)、真名は雪蓮だよ! 助けてもらったお礼に真名もあずけるね!!」

「ええっ!? 雪蓮!?」

 

 

 孫策伯符

 父親である孫堅亡き後に衰退した勢力を立て直した男。

 袁術の配下に甘んじて四、五年の雌伏の時の後に独立。

 瞬く間に江東一体を支配化に置き、当時から飛び抜けた勢力だった曹操、袁紹に追いつかんとしていた。

 だがどこかの勢力から受けた矢が原因で重傷を負い、孫権に後を託して二十六歳の若さで死んでいる。

 確か死因については道士・干吉(うきつ)に呪い殺されたとも言われているはず。

 江東の虎と呼ばれていた父親に肖ってか『江東の小覇王』と呼ばれ敬われていたと言われている。

 容姿端麗で闊達な性格だったという話だ。

 

 

 どうやら将来の小覇王はこの年から型破りらしい。

 動揺しながらもなんとか誤魔化そうと努力していた黒髪の子が不憫で仕方ない。

 

「名乗られたなら名乗り返すのが礼儀だな。俺は凌操刀厘、真名は駆狼だ。山を降りて少し歩いた所にある村に住んでいる」

「よろしくね、駆狼!」

「ああ。よろしく、雪蓮嬢」

 

 無邪気な笑顔でよろしくされてしまってはこっちとしては断れない。

 昔から子供には弱かったからな、俺は。

 それでも締める所はしっかり締めていたとは思うが。

 

「ああ、もう……ほんと雪蓮はかんがえなしなんだから」

 

 俺と雪蓮嬢のやり取りを見ながら年期の入った深いため息をつく黒髪のお嬢ちゃん。

 しかし『孫策』を名乗る人物に対してのこの気安い態度でしかも同年代とくればこのお嬢の正体も予想が付いてしまうな。

 

「おほん! わたしは周瑜公瑾(しゅうゆこうきん)ともうします。おんじんに名も名乗らずにいた非礼をおわびします」

「気にするな、公瑾嬢。熊を一撃で倒すような人間を警戒するなと言う方が無理な話なんだからな」

 

 ひらひらと右手を振って気にしていない事を伝えると周瑜を名乗った少女はほっと息を付いた。

 

 

 周瑜公瑾

 孫策、孫権を支え続けた名軍師。

 孫堅が存命の頃から孫策と親友であったとされ、その友情は『断金』と称されるほど篤かったと言われている。

 孫策が袁術からの独立に動いた際も、いの一番に駆けつけ彼を支え続けたと言う。

 孫策の死後、彼にとっても弟分だった孫権を支え、かの有名な『赤壁の戦い』では劉備の軍勢と協力。

 数の差をひっくり返して見事、曹操たちを撃退。

 しかし孫策同様、若くして急逝し孫呉の者たちを嘆かせている。

 美周郎(びしゅうろう)と評される程に見目麗しく、音楽にも精通していたとされる。

 

 

 しかしこの年にして随分と周りに気を配っている子だ。

 あの周瑜だとはいえ、この年でそんな生き方をしていてはそのうち倒れてしまうんじゃないかと心配になってしまう。

 

 ……まさかと思うが史実の早死の原因はこの性格のせいではないよな?

 

「あれ〜、冥琳は真名をあずけないの? いのちのおんんじんだよ?」

「う、いやそれはそうだが……」

 

 雪蓮嬢の疑問に言葉を詰まらせてしまう。

 チラチラと俺を伺いながら言葉を選んでいる様子を見るにこの子は俺のことを信用はしていても真名を預けるほど信頼しているわけではないようだ。

 

 その慎重さはさすが周公謹と言うべきか。

 山の中を迷子になるわ、熊に追い回されるわで混乱しているはずの頭でも冷静な判断力を失っていない。

 将来が実に楽しみな子供だ。

 

「こらこら、雪蓮嬢。真名を預けるかどうかは彼女自身が決める事だ。君がどうこう言う事じゃない」

 

 とりあえず将来の智将に助け船を出す事にする。

 あのままだとなし崩しに真名を預けられてしまいそうだったからな。

 

「でも助けてもらったのに……」

「その分はお礼を言ってくれたから問題ない。君も助けられたと言うだけで真名を預けたりするな。信頼してもらえるのは素直に嬉しいが、俺が何か下心を持って君たちを助けていたらどうするんだ?」

「あ……」

 

 おそらく俺が言った通りの事を危惧していたのだろう嬢が俺から目を逸らす。

 

「気にするな。君の行動は当然の事だ」

「……すみません」

 

 しゅんとして俯く彼女の姿を見ているとなにもしていないのに罪悪感が沸いてくる。

 見た目年齢に似合わずやたら頭が回るようだがその論理を受け止める感情の方が年相応に未成熟な為、行動と態度のギャップが激し過ぎる。

 

 一体、どういう環境にいたらこんな風になるんだか。

 

「気にするなと言っているだろう? まぁそうだな。それほど気にかかるなら公謹嬢と呼ばせてもらう事で手打ちにしないか?」

 

 俯いてしまった彼女の肩を右手で宥めるように軽く叩く。

 

「あ……はい、わかりました」

 

 蚊の鳴くような声で返事をする公瑾嬢に俺の言葉が本当の意味で届いていたかは定かではない。

 まぁ九割九分九厘、届いてなさそうだが。

 

 結局、話の輪から外されていた雪蓮嬢が背負っていた熊によじ登った挙げ句、俺に肩車を強要してきたせいで公謹嬢の暗くなっていた雰囲気は消し飛んでしまったが。

 

 

 

「なに? 君らは俺たちの村の視察に来たのか?」

「はい。雪蓮のお母様である文台様がごしさつに出るのに雪蓮が付いていくと聞かず……ごえいからはなれないと言うやくそくで同行をゆるされたのですが」

「護衛を撒いて散歩した挙げ句に山に入り、迷子になって憂さ晴らしに蹴った石がたまたま熊に当たって追いかけ回された、と」

「はい。そのとおりです」

 

 もはや型破りと言う言葉では収まらないな。

 良い意味でも悪い意味でも自由奔放過ぎる。

 

「と言う事は今頃、村の方は大騒ぎになっているかもしれんな」

「村を抜け出すところを君理(くんり)の部隊の人に見られちゃったからたぶんね〜」

「……わたしたちの行動は君理殿から文台様に伝わっていると思いますのでおそらくは。さいあくのばあい、文台様のしきの元、山狩りになるかもしれません」

「それはまた厄介な……」

 

 話を聞けば聞くほど村に戻った後の事で気が重くなっていく。

 この山は五村同盟にとって大事な狩り場だ。

 人捜しの末に草一本残らないような有様にされては今後の生活に支障が出てしまう。

 そこまでの事はしないと思いたいが、この子の性格と公瑾嬢の言葉から推察するとあまり楽観も出来ない。

 

「悪いが少し急ぐぞ。公瑾嬢の話を聞くにのんびりしている時間は無さそうだからな」

「どうなさるんですか?」

 

 今は昼を少し回った頃。

 このままのペースで山を下っていては村に着くのは大体、夕方になるだろう。

 原因は公謹嬢のペースに合わせて歩いているせいだ。

 

 山歩きは初めてなのだろう、彼女の足取りはどこかおぼつかない物だし息も上がっている。

 あれだけ汗を掻いていれば隠そうとしてもバレバレだ。

 

 この状況でなるべく早く帰るにはどうすればよいか。

 

「二人とも、すまんが少し我慢していてくれ」

「へ?」

「な、なにを!?」

 

 肩車をしていた雪蓮嬢を左肩に乗せ換え、横並びになっていた公瑾嬢を持ち上げ右肩に乗せる。

 状況が状況なので熊は降ろしている。

 恐らく他の獣に食われてしまうだろうが、今回は仕方ないだろう。

 

「しっかり掴まっていろ。振り落とされないようにな」

 

 俺の真剣な声音を感じ取ってくれたらしい二人は黙って従ってくれた。

 公瑾嬢に抵抗される事も覚悟していたんだが。

 まぁ今は素直に従ってくれた事を喜ぶべきだろう。

 

「行くぞ」

 

 深呼吸の後、俺は二人を抱えたまま駆け出した。

 これ以上の厄介事が起こらないよう祈りながら。

 

 

 

「太守様! 伯符様と公瑾様が村を抜け出してしまいましたぁ!!」

 

 あのアホ娘がぁ!!!

 

 涙目で報告しにきた深冬(みふゆ)の言葉に私は心中で絶叫した。

 

「……太守様? なにやら問題が起こったようですが大丈夫ですか?」

「ああ、いい。気にするな、公厘」

 

 頭痛轟く頭を抱えている私の様子に戸惑いながらも気遣う凌公厘と言う男。

 

 大守の突然の訪問にも動じない冷静な対応は村の代表として以上の高い能力を感じさせる。

 しかし今はこの男の事よりも冥琳を引き連れてどこぞへ行った馬鹿娘の事を優先させなければならなくなってしまった。

 

 まったく。

 目的を果たす前に騒ぎを起こしおってからに。

 

 思わず毒づくが起こってしまった事はもうどうしようもない。

 

 

 そもそも今回、私が自分の足で領地内の村の視察に乗り出したのには理由がある。

 

 少し前から建業に広がっている噂の真偽を確かめる為だ。

 噂の内容はこうだ。

 

 村同士が連携をとって独自の戦力を有しており、その実力は官軍に勝るとも劣らない。

 

 噂と言うのは大抵、尾ひれが付いてしまう物だ。

 現状、本来なら捨ておいても問題はないのだが私はこの噂を放置してはいけないと感じた。

 いつもの直感だ。

 

 私たちは余所に比べて武官、文官両面で人手が不足している。

 前の大守から私に鞍替えした連中を含めても余裕などない程に。

 まぁ成り上がりの大守だから仕方ないだろう。

 

 この噂の根元である村の集まりの戦力が実際はどの程度なのかはわからないが、使えるヤツがいたら引き抜いてみるのもいいと私は考えたのだ。

 

「あの蘭雪(らんしぇ)がこんなに説得力のある考えを示すなんて……」

「あの姉さんがいつの間にかこんなにも成長したのね。今夜はお祝いね!」

 

 親友と妹に私の考えを伝えたらこんな失礼な事を言われたがまぁそれは置いておこう。

 

 と言うか陽菜は時々、妹なのに母親のような事を言うので困る。

 目頭押さえながら「頑張ったのね」とでも言うような、小さな子供を褒めるような視線を送るのはやめてくれ。

 お前、ただでさえ達観通り越して老成した雰囲気出してるんだから。

 

 まぁとりあえず二人の協力を経て他の臣下を説得。

 こうして深冬と部下三十人を引き連れて噂の『五村同盟』の中心とされている村に出向いたのだが。

 

 娘たちの暴走でいきなりこけた。

 

 まぁ冥琳はうちのじゃじゃ馬を止められずに巻き込まれただけだろうが。

 むしろあの子を引き連れていったのなら最悪の事態じゃないと思うことにしよう。

 

 まったく。

 今年で九歳になったと言うのにあの落ち着きの無さは誰に似たのやら。

 やはり赤ん坊の頃、戦場に連れていったのが悪かったのか?

 陽菜に怒髪天を突く勢いで怒られたから一回しかやってないんだが。

 

「……太守様、本当に大丈夫ですか?」

「はっ!? ああ、済まない。少しぼうっとしていたようだ」

 

 頭を振って沈んでいた思考を切り替える。

 

「太守様、落ち着いて談笑している場合じゃないですよ!?」

「お前はもう少し落ち着け、君理。そんな体たらくで民を守るつもりか?」

 

 キツイ言葉と一緒に睨みつけてやる。

 今、この場にいるのが私と深冬だけならこの態度も咎めはしなかったんだが、ここには公厘がいる。

 守るべき民に対して浮き足立った様子を見せるなど言語道断だ。

 

「うっ、……はい。取り乱して申し訳ありませんでした。公厘殿にもお恥ずかしい所をお見せしました。申し訳ありません」

「いいえ、お気になさらず」

 

 やれやれ。

 やっと落ち着いてくれたらしい。

 こいつは戦の時はあんなに頼りになるのに、なんでこう平時は落ち着きがなくなるんだろうなぁ。

 

「それよりも太守様、ご子息が村の外に出られてしまったとの事ですが」

「ああ、そのようだ。正確には娘と親友の子供だが、まぁどちらも大事だから大して変わらん」

「この時期は山の動物たちの動きが活発になります。平野部ならまだしも、もし山に入ってしまうと獰猛な熊や猪、虎などが出る可能性があります。僭越ながらすぐにでも捜索された方がよろしいと思いますが」

 

 ふむ。

 言う事はまったくもって正論だ。

 反論のしようもない。

 

 しかしな、深冬。

 いくら言っている事が正しいからってそこまで激しく首を縦に振って同意するな。

 

 一応、この男は村人に過ぎなくてこちらは漢王朝に認められた大守の軍隊なんだぞ。

 さっきも言ったが体面って物を考えろ。

 いや私が言っても説得力ないかもしれんが。

 

「君理、連れてきた連中を三人一組で分けて捜索に出せ。日が落ちるまでに発見できなかったら一旦戻るように厳命してな」

「はっ!」

 

 慌ただしく出ていく側近の背中を見送る。

 

「もう少し五村同盟の話を聞いていたかったんだがな」

「事が落ち着きましたら幾らでもお話させていただきます。ですので今は子供たちの事だけをお考えください。そちらが良ければ山に詳しい人間を何人か随行させます」

「何から何まですまん。そして感謝する」

 

 凌沖の妻が用意してくれた茶を一息に飲み干し、私は席を立った。

 私に続くように凌沖も席を立つ。

 

 

 この後、組分けを行っていざ捜索に行こうとした瞬間。

 娘たちを肩に乗せた男が私たちの前に現れた。

 

 村で育ったとは思えない知性を感じさせる目をした男。

 その姿を見た瞬間、私の頭の中からは一瞬だけだが娘たちの事は消えてしまった。

 

 あの達観した性格の妹が纏う空気と同じ物をこの男に感じたからだ。

 

 そして直感する。

 この男は私に……否、私たちにとって無くてはならない存在になるのだと言う事を。

 



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第九話 覚悟と決断

「あーー!! 雪蓮様!! 冥琳様!!」

 

 村に着いた途端、甲高い声が俺の鼓膜を揺さぶってくれた。

 俺の両手はお嬢ちゃんたちを落とさないように支えに使っている為、塞がっている。

 耳がキンキンして仕方ない。

 

 物々しい様子の兵士たちを背景に目の前にいる女性二人を見つめる。

 片方が甲高い声の発信源だ。

 やたら落ち着きがない様子で、真名を知らない人間が多い場所で真名を絶叫している事にも気づいていないようだ。

 

 もう一人は桃色の髪に褐色肌の女性だ。

 髪は腰に届くまで伸ばしていて、彼女が身じろぎする度に左右に揺れた。

 横の女性の甲高い声が聞こえる前にしっかり耳を塞いでいる辺りに慣れを感じさせる。

 

 と言うか彼女らの後ろの鎧を来た兵士たちも耳を塞いでいるな。

 この女性が叫ぶのは日常茶飯事なのだろうか?

 

「やほー、君理。ただいま〜〜」

「ただいまもどりました。君理殿」

 

 ちゃっかり耳を塞いでいた二人を肩から降ろす。

 雪蓮嬢が脳天気に笑っている横で公謹嬢は神妙な面持ちだ。

 良くも悪くも対照的だな、この二人。

 しかしこの落ち着きのない女性があの朱治君理とはな。

 

 

 朱治君理(しゅちくんり)

 孫堅、孫策、孫権の三代に渡って仕えた武将。

 元は役人で当時、勢力を拡大していた孫堅の配下となった。

 孫策の頃には彼と共に袁術の元に身を寄せ苦楽を共にし、ヤツの非道な振る舞いを見て孫策に独立を進言したとされる。

 孫権の頃になると文官としての立ち位置に付き、張昭(ちょうしょう)らと共に彼を支え続けた。

 史実では八十年生きたと言われている。

 この時代の人間としては異常な程、長生きした人物だ。

 

 

「ほう。お前たち、君理には挨拶して私に対して何も言うことはないのか?」

 

 びくりと震えるお嬢ちゃんたち。

 迫力のあるドスの効いた声に兵士たちは一糸乱れぬ動きで声の主から距離を取った。

 君理、俺、桃髪の女性の順番に何度も視線を彷徨わせた子供二人は、やがて諦めたように怒気の発生源である女性と目を合わせる。

 

「え、えっと母様、ただいま」

「雪蓮を止められずもうしわけありませんでした。文台様」

「ふん。まぁ公謹はいい。どうせ馬鹿娘に連れ出されたんだろうしな」

「あう!?」

 

 ため息混じりに近づき、予備動作無しに雪蓮嬢の頭をひっぱたく女性。

 その手慣れた様子からしてやはり雪蓮嬢の奔放ぶりはいつもの事なのだろう。

 

「そっちのお前、娘たちを連れてきてくれて助かった。礼を言う」

 

 ただの一村民にわざわざ頭を下げる太守様。

 民から成り上がった彼女ならではの親しみやすさを感じる。

 どうやら噂に聞いた彼女の人柄に脚色はないようだ。

 

「いいえ、彼女らを見つけたのは偶然ですから。大守様に畏まって礼を言われる程の事ではありません」

 

 しかしだからと言ってぽんぽん頭を下げるのは為政者としてはどうなのだろうとも思ったので、やんわりと頭を上げるように促す。

 

「なかなか謙虚だな。しかし礼くらいは受け取ってくれないか? こんな傍迷惑なじゃじゃ馬でも大事な娘だ。その上に親友の子も助けてくれた以上、礼の一つもせんとこっちも収まりがつかん」

 

 そこまで言い募られてしまうと礼を受け取らない俺の方が悪者になってしまうだろうに。

 あちらもなかなかに頑固者のようだ。

 

「……そう言う事ならば謹んでお礼の言葉、お受けいたします」

「ふふ、物分かりが良い上に頭も切れるみたいだな。気に入ったぞ、お前」

 

 俺が折れると彼女はすぐに頭を上げて、してやったりという風に笑った。

 しかしその瞳は差し詰め獲物を見定めた獣のようだ。

 どうやら虎とあだ名されているのは伊達ではないらしい。

 

「もう気づいているようだが改めて名乗ろう。私の名は孫文台、真名は蘭雪(らんしぇ)だ。お前は?」

 

 初対面でこんなに簡単に真名を許すとは。

 雪蓮嬢の積極的な性格は母親譲りらしい。

 

 周りを窺うと兵士たちや君理は全員で「またか」と言う表情をしている。

 雪蓮嬢は「さすが母様」とでも言うような楽しそうな表情で公瑾嬢は額に手を当てて眉間に皺を寄せている。

 どうやら彼女が真名をこんなに簡単に許すのも日常茶飯事らしい。

 公謹嬢の苦労が偲ばれるな。

 

 仮にも大守がこんな軽い感じでいいのか?

 とはいえ名乗られたならば名乗り返さねばなるまい。

 

「私の名は凌刀厘、真名は駆狼です」

 

 大守の面前と言う事で膝を付いて礼をしようとした所、いきなり腕を捕まれた。

 

「畏まった礼などいいさ。ここは城じゃないんだし、私も元々はお前と同じただの民だったんだからな」

「しかし……」

「お前が私の部下なら締める所は締めるんだが、そうじゃないから構わんさ。それよりも、だ」

 

 ニヤリと形容するのがしっくり来る笑みを浮かべて俺の前世で『江東の虎』と呼ばれていた女性は俺にこう言った。

 

「駆狼。お前、私と一緒に来る気はないか?」

「……はっ?」

 

 いきなりのヘッドハンティングに俺は間抜けな返事を返すことしか出来なかった。

 

 

 

 とりあえず立ち話もなんだと言う事で場所を移し、今は村長の家にいる。

 座っているのは入り口から見て上座に太守様、右側に君理、雪蓮嬢、公瑾嬢、彼女らの護衛として男性兵士が三人。

 左側には村長、父さん、俺、騒ぎを聞きつけて来た祭、塁、激、慎。

 現在の五村同盟の中核を担う者たちが揃った形になっている。

 

 ちなみに祭たちの事も気に入ったらしく初対面で真名を許している。

 孫文台、この世界の常識をぶち壊す事を躊躇わないその清々しいまでの豪快さは性別を間違えたとしか思えない。

 いや俺の知っている歴史では男性だったわけだが。

 

「ふふ、わざわざ五村同盟の現部隊長を集めてくれるとはなかなか気が利くな、駆狼」

「いえ祭たちがここに来たのは偶然です。私が手配したわけではありません」

 

 なぜか知らないが俺は太守様にやたらと気に入られている。

 つい先ほど自己紹介をしたとは思えない程にその態度が砕けている事からもその事は窺えるだろう。

 とはいえあちらは何度も言うように大守である。

 その気安い態度にこちらが合わせてしまうのは良くないので俺は敬語だ。

 

「その余所余所しい口調はやめろ。むずがゆくて仕方がないぞ」

「そう言われましても……」

 

 助けを求めるように君理他、彼女の部下たちに視線を向ける。

 彼女は俺と目を合わせると顔をひきつらせながら目を逸らしてしまって話にならない。

 雪蓮嬢はなにもわかってない顔で笑いかけてくるし、公瑾嬢は申し訳なさそうに頭を下げてきた。

 こちらと数を合わせる為にこの会合に呼ばれた護衛の兵士たちは俺と視線を合わせると首をゆっくり横に振った。

 その目が雄弁に『諦めろ』と語っている。

 

 一応、村長たちにも視線で助けを求めてみたが結果は全員から目を逸らされる始末。

 

 当の孫堅様は心なしかわくわくしながら俺を見ている。

 俺が折れる事を期待しているのが嫌でも理解できた。

 

「……臣下の方々はよろしいのですか? ただの村人が自分たちの主に不遜な言葉遣いをしても」

 

 最後の足掻きにと君理に水を向ける。

 もちろん、さっき見捨ててくれた嫌がらせも兼ねている。

 

「うぇ!? え、えっと……わ、私としては主がお認めになった方なら構わないかと」

「ふふ、配下筆頭の君理が良いと言ったんだ。これで問題はないな」

 

 ち、足掻きが止めになってしまったか。

 まぁぶっちゃけた話、そこまで彼女に期待していなかったが。

 

「わかった。俺の負けだ。しかし許可したのはそちらだ。これが原因で何か起こってもこちらに害があるような事はないようにしてくれ。蘭雪様」

「ふふふ、潔し。様付けも気にいらんがそこは妥協するとしよう。それと安心しろ、この場のやり取りで五村同盟に害を及ぼす事は絶対にない。『建業の双虎』、その片割れの名に賭けて誓おう」

「ならば安心だな」

 

 俺の態度に村長は戦々恐々としている。

 大守の許しがある状態とはいえ俺の口調はかなり不遜な物だからな。

 なんらかの報復があるかもしれないと怖がるのも仕方がない事だろう。

 

「お前たちも気楽な口調で構わんぞ?」

「「「「は、はい……」」」」

「そう緊張するな、と言っても無理な話か。ま、慣れていけば肩の力も抜けるだろうさ」

 

 恐縮しきりの祭たちを見つめながら太守、いや蘭雪様はからからと笑う。

 

「さて雑談はこの辺にしてそろそろ本題に入ろう」

「そうだな」

 

 浮かべていた笑みを収め、真剣な眼差しで俺を見つめる蘭雪様。

 

「さっき外でも言ったが駆狼。お前に私の元に来てほしい。建業を、引いては領地に生きる民を守る力になってほしい」

「な、駆狼を!?」

 

 祭が驚きで思わず立ち上がる。

 他の面々も事前に話を聞いていた父さんを除いて全員が驚きに目を剥いていた。

 にしても祭は驚きすぎだと思うが。

 

「駆狼に限った事ではない。祭、激、慎、塁、お前たちにも出来れば来てほしい」

 

 自分たちの名が出た事にまたしても驚く四人。

 俺はと言えば蘭雪様が四人に真名を許した時点でこの発言は想定範囲だったので特に驚きはなかった。

 

「私たちは成り上がりだ。大守になって既に四年経っているが周りから見ればまだまだ基盤が出来ていない。都市部の治安は妹の政策や兵たちの頑張りでなんとかなっているが『呉』と呼ばれている領地全体に目を向けられるほどの余裕はないのが実状。単純な人手は志願者を募ればなんとかなるが突出した物を持つ者、部隊の頭、すなわち『将』になれる者が足りない。文官もここにいる君理などの少しでも教養のある武官を持ち回りでなんとかしているような有様でな」

「……人材不足、ですか」

 

 前世で孫堅に仕えていた黄蓋、韓当、程普、祖茂、そして凌操が在野にいる状態なのだ。

 噂の妹君と公瑾嬢の父親(こちらでは母親らしいが)である周異、さっきから動揺しまくっていていまいち名将の空気が感じられない君理を含めても手が足りないと言うのはわかる話ではある。

 

「お前たちが有望な人間である事は公厘から聞いている。特に駆狼、お前はこの五村同盟の草案を出した上に十四、五の頃から部隊を指揮していたそうじゃないか。うちからすれば喉から手が出るほど欲しい人材だよ」

 

 絶賛してくれるのは嬉しいがその目は相変わらず獲物を見つけた獣のままである。

 どうやら俺に関してはこの場で取り逃がすつもりがないらしい。

 

 とはいえ。

 はいそうですかと簡単に引き抜きに応じる事は出来ない。

 何故なら俺にとって重要なのはこの五村、引いては俺にとっての大切な者たちの平和が保たれる事だ。

 

 太守に仕えた結果、領地の平和が保たれると言うのならばそれは喜ばしい事ではある。

 だがその代償として村が滅びるような事は断じて認められない。

 

「孫文台様、三つ聞かせていただきたい」

「ほう。なんだ?」

 

 俺の畏まった態度と真剣な表情を見て、蘭雪様の顔付きが真剣な物に変わる。

 

「俺が部隊を率い戦う事を辞さない姿勢でいるのは村を、自分にとっての大切な物を守る為です」

 

 誰も喋らない沈黙の支配する空間で俺の声は響き渡る。

 

「私たち五人がいなくなれば一時的にせよ五村同盟は外敵への備えが疎かになります」

 

 部隊長全員が一斉に抜けるなど本来であれば許される事ではない。

 

 だが相手は領地を治める大守である。

 命令ではないとはいえ、その意向に一村人が逆らう事もまずいのだ。

 

 だが俺が戦う理由、その大前提を譲る事だけは出来ない。

 最悪の場合、俺の首が飛ぶ事も覚悟する必要があるだろう。

 

「備えが疎かになれば村の危険は増える。それを承知で引き抜きをしているのでしょうか?」

 

 蘭雪様は肯く。

 この上なく真剣な瞳からは虚偽は読み取れない。

 

「貴女は私たちに自分たちの守りたい物を見捨てろと言っている。そのご自覚はありますか?」

「な!? 刀厘殿、言葉が過ぎます!」

「母様はそんな事言ってない!!」

 

 俺の問いかけに反応したのは控えていた君理と雪蓮嬢。

 視界の端には言葉もなく俺の言葉に不快感を表している公瑾嬢の姿も見える。

 だが俺はそちらに見向きもしない。

 今、向き合うべきはただ一人なのだから。

 

「黙れ、お前たち。刀厘と話しているのは私だ」

「しかし!」

「こいつの言っている事にどこか間違っている所でもあったか?」

 

 俺から目を離さずに言葉だけ投げかける蘭雪様。

 君理はその言葉の意味を理解してすぐに黙り込んだ。

 

「先ほども言いましたが私たちが抜ければ同盟の戦力は著しく低下し、賊のつけ込む隙になります。もしその結果、村が滅ぼされてしまったならば……それは村を見捨てたに等しい」

「大本は私の発言。もしもそんな事になってしまえばそれは私の責任でもあると言う訳だな」

 

 俺を睨み付けていた雪蓮嬢、公瑾嬢が何かに気づいたように目を見開く。

 

「当然、決断をするのは私たち個人の意志。その結果、村が滅びたとしても貴女お一人だけの責任ではありません」

「だが大守であり、引き抜きをした張本人である私に責任が無いなどと言う事はありえない」

「それを踏まえた上で最後の質問です」

 

 この場に集まる者たち全員の視線が俺に集まる。

 

「貴女にはご自分の行動の結果を背負う覚悟はおありか? 私たちは貴女からのお誘いの決断の結果、自分の大切な物を失う覚悟を決めなければならない。ならばこそ、その決意に見合うだけの意志を今ここで貴女に示して頂きたい」

 

 俺は今、あの山賊頭と向き合った時を思い起こさせる程に気合いを入れて目の前の人物を見つめている。

 大守との口約束があるとはいえ俺の言葉を無礼と切り捨て、文字通りに首を落とされても不思議ではないのだから気合も入ると言う物だろう。

 

 周りから見れば今すぐに殺し合いを起こしてもおかしくない程の気迫だ。

 だが対峙する蘭雪様も同様の気迫をもって相対している。

 

「私の覚悟、か」

 

 彼女はそう言うと座る際に脇に置いていた剣を鞘から引き抜く。

 屋内にいた全員に緊張が走る。

 しかし俺は思わず立ち上がろうとする祭たちを手で制止し、彼女の挙動を見守る。

 

「ならばこの場で宣言しよう。お前たちが私と共に来てくれるのならばその代償として『私を殺す権利』をやる」

 

 どこまでも澄んだ瞳で彼女はそう言うと右手に持った剣で自分の背中にかかっていた艶やかな桃色の髪を切り捨てた。

 

「私たちと共に来た結果、お前たちが大切な物を失ったならばその時はお前たちの誰でもいい。私の首をはねろ。無論、私を殺した者に罪を科す事もない。この髪は誓いの証。この場にいる臣下たちが証人だ」

「……たかが村人の引き抜きにそこまでの覚悟を見せられますか」

「それだけお前たちを買っているのさ」

 

 さらさらと地面に落ちる髪に一瞥もくれず、彼女はさらに剣で自分の親指を浅く切る。

 

「私の覚悟は示した。お前も答えをくれるか?」

「……これはあくまで私個人の意志表示です。祭たちの意志は彼女ら自身に確認してください」

 

 差し出された剣で彼女に倣って親指を切る。

 そして親指同士をそっと触れ合わせ俺の決意を表した。

 

「我が名は凌刀厘。今、この時より孫文台様にお仕えし、その身命を賭して尽くす事を誓います」

 

 合わせていた親指を離し、その場で片膝を付いて頭を垂れる。

 

「ふふ。改めてこれからよろしく頼むぞ。駆狼」

「はっ、蘭雪様」

 

 改めて呼び合った真名には覚悟を背負った重みが込められているように感じられた。

 

 

 

 二人が己の覚悟を見せつけ合っているその様子を見つめながら儂は自分がどうすべきかを考えている。

 

 駆狼は言った。

 

「……これはあくまで私個人の意志表示です。祭たちの意志は彼女ら自身に確認してください」

 

 と。

 

 自分は太守様に仕えると決めた。

 だがお前たちはお前たち自身が決めろ。

 

 駆狼はそう言っているのだ。

 

 ならば考えなければならない。

 儂はどうしたいのかと言う事を。

 

 忘れもしない最初の殺し以来、儂は村を守る為に腕を鍛えてきた。

 儂らが暮らすちっぽけかもしれないが暖かい場所を守る為に、それまで以上に努力をした。

 そしてついに部隊を預かるまでになった。

 

 だが。

 駆狼がより大きな物を守る決意をするのをすぐ傍で見て、儂は自分が守る為だけに戦っていた訳ではない事を思い出した。

 

 そう。

 儂は駆狼に追いつく為に、あやつの隣に並んで戦う為に強くなろうと思い、鍛錬に明け暮れたのだ。

 

 その意志は守る為の決意よりも深く、儂の心の根幹に根ざしている。

 塁たち以外に聞かせれば笑われるか呆れられるかと言うような想い。

 だがこの気持ちはもはや儂自身にも止められない程の物だ。

 

 勿論、大切な物を守る為にと言う気持ちに偽りは無い。

 だが同時にあやつと共に在りたいとも想う。

 ならばその為に武器を取ろう。

 

 それが儂の正直な気持ち。

 その心に偽りは……無い。

 

「太守様、儂の決意を聞いてくださりますかな?」

 

 少しだけ砕けた口調で話しかける。

 駆狼に集中していた視線が今度は儂に集中する。

 しかし気後れする事などなく、儂は不遜に見えるだろう『いつもの表情』で笑った。

 

「ああ、聞かせてくれるか。祭」

 

 そしてこの日。

 儂は、いや儂たち五人は孫文台に仕える武官となった。

 



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第十話 巣立ちの時。それぞれの決意

 俺は心の奥底で切望していた。

 前世の俺を知る存在を。

 

 新しい人生と割り切って過ごしてきた二十年。

 そこに嘘偽りはなく、無理をしてきたつもりもない。

 

 だがそれでも前世の記憶がある以上、考えてしまう事があった。

 

 俺が言う『前世』は本当にあった事なのだろうか?

 俺が生まれ、育ち、死んだ九十年間は俺が都合良く見た夢幻の類だったのではないか?

 

 俺以外の人間に聞いても答えなど得られないだろう疑問。

 ずっと考えないようにしてきた、しかしふとした瞬間に頭をよぎるソレ。

 

 俺よりも強かった山賊頭を前にした時でさえ抱かなかった恐れを内包したソレ。

 殺されかけた時も、左腕が治らないと告げられた時も抱かなかった絶望を内包したソレ。

 

 その疑問は少しずつではあるが確実に俺の精神を蝕んでいた。

 もしもこの疑問に対する俺なりの答えが得られなければ。

 

 そう遠くない日に俺の心が壊れるだろうと自身で確信出来る程に。

 

 

 

 俺たちが蘭雪様の元に行く事を誓ったあの日からの一ヶ月はあっと言う間だった。

 

 五村同盟という明確な組織の枠組みに含まれている人間が、突然いなくなる訳にはいかない。

 この一ヶ月間は俺たちがいなくなってもいいように引き継ぎに奔走していた。

 

 さすがに事が事だけにそれぞれの部隊にも動揺が広がったが最終的に沈静させる事が出来た。

 

 ちなみに俺たち五人の代わりの部隊長はすべて俺の隊の人間を置く事でまとまった。

 実力が部隊の中で抜きん出ていた事がその理由だ。

 

 最初は突然の就任に戸惑っていたが一ヶ月後の現在は、なんとか部隊をまとめられている。

 我ながら急ピッチな対応になったがどうにか形になって良かったと思う。

 

「駆狼、そろそろ行くぞ」

「ああ、先に外に出ていてくれ。すぐ行く」

「あんまり待たせんなよ?」

「すぐ行くと言っただろう?」

 

 出立の時を控え、妙にそわそわした様子の激を追い出した俺は自分の部屋を見つめる。

 前世の頃に比べてお世辞にも快適とは言えなかったが、そこは確かに俺の居場所の一つだった。

 

 最後になるかもしれないのだ。

 挨拶くらい一人で静かに済ませたい。

 

 一度だけぐるりと部屋を見渡す。

 二十年を共にした場所を目に焼き付ける為に。

 

「……行ってきます」

 

 誰もいない空間に俺の声が響く。

 返答などもちろん返ってこない。

 だがそれでも俺は満足していた。

 

 

「遅いぞ、駆狼」

「激、刀にぃにも色々あるんだから」

「まぁ塁も昨日は親父さんたちに抱きついて大泣きしてたしな。駆狼もその口か?」

「なに人の秘密ばらしてくれてんの、バカ激ーーー!!!」

「おいおい、いよいよ出発と言う時に痴話喧嘩なんぞするな、二人とも」

「「誰と誰が痴話喧嘩してるって!?」」

「いや激と塁以外いないと思うんだけど」

 

 いつも通りに騒がしい限りだ。

 今日が人生の岐路だとはとても思えん。

 

「ふふ、なんだかこのやり取りを見ているとこれから先も安心だって思えるわね、泰空」

「まったくだな、楼」

 

 もう四十歳になる両親。

 前世では見る事が出来なかった二人の年老いた姿は、俺がこの世界でやってきた事が無駄ではなかった事の証でもある。

 

「さすがに建業に行ってもこの有様だと問題ですよ。父さん、母さん」

「その辺りはお前が締めてくれればいい。皆もお前がいるからああしてはしゃいでいられるんだ」

「そうよ、駆狼」

 

 俺たちのこれからにまったく不安を抱いていない様子の両親に俺は肩を竦めた。

 両親からの揺るぎない信頼がくすぐったくて、口元が緩んでいるのを誤魔化す為だ。

 

「やれやれ。先が思いやられる」

 

 口から出た言葉は無愛想だったが、それはただの照れ隠しに過ぎない。

 二人もそれを理解しているから笑顔のままだ。

 

「皆の諫め役は大変だと思うが頼むぞ、駆狼君」

「まぁ出来る限りの事をやらせてもらいますよ、豊さん」

 

 人を食った笑みを浮かべる豊さんに苦笑する。

 この人も初めて会った頃から変わらない。

 言い方は悪いが不気味なくらい若々しいままだ。

 祭と並ぶと姉妹にしか見えない。

 何か一族特有の不老の秘密でもあるんだろうか?

 

「あと個人的に祭の事を頼むよ」

「何度も言っていますけど俺にその気はありません」

 

 何かにつけて祭を嫁に取らせようとするのも相変わらずだ。

 

「むぅ……祭は君にぞっこんなんだがなぁ」

「だからと言って俺の気持ちは変わりませんよ。これは祭にも伝えた事です」

「ううむ……」

 

 

 そう俺はこの一ヶ月の間に祭に告白されていた。

 

 しかし俺には生涯ただ一人と決めた人がいる。

 七十年近くを連れ添ってきた番(つがい)。

 

 この世界に彼女が存在するとは思っていない。

 俺がこういう境遇だからと言って彼女も存在すると考えるのは余りにも短絡的で楽観的過ぎる。

 とはいえ『いない』と完全に言い切れない辺り、俺は心のどこかで『もしかしたらの再会』を願っているんだろう。

 

 我ながら女々しいとは思う。

 しかし未だに彼女を想っていると言うのに別の女性を想うと言う事が俺には出来なかった。

 それは陽菜に対する裏切りだから。

 そして陽菜の事を未だに想っている俺が覚悟を決めて想いを告げてくれた祭に応えるのは彼女に対しての裏切りにもなる。

 

 そんな不義理な事は俺自身が認められない。

 だから俺は既に想い人がいる事を告げて祭の告白を断った。

 祭は寂しげに笑いながらこう言った。

 

「儂の想いに真剣に答えてくれてありがとう」

 

 足早に去っていく彼女を追いかける事など出来るはずもなく。

 俺は彼女の姿が見えなくなるまでその場から動けなかった。

 

 次の日、普段と変わらぬ様子の祭に少なからず驚いたが。

 それは彼女の中で折り合いを付けられたという事なのだろう。

 

 折り合いがついていないのはむしろ俺の方だ。

 情けない且つ傲慢な話ではあるのだが、どうやら俺は自分が思っている以上に祭を好いていたらしい。

 その好いていると言う想いを『愛』と言えるかどうかと聞かれれば、やはり首を横に振るが。

 

 

「しかし君にもうそんな人がいるとは思わなかったな」

 

 俺が祭を振ったという話は既に村中、というか五村同盟全体に広がっている。

 あの時は祭にだけ意識を集中させていたせいで気づかなかったが、どうも塁と激が覗いていたらしい。

 真剣な彼女の想いに答える為とはいえ、隠れている気配に気づけなかったのは不覚だった。

 

「誰にも話していませんでしたし、そんな素振りも見せませんでしたからね」

 

 そもそもその相手とは今世では一度も会っていないのだから素振りも何もないのだけどな。

 

「しかし気を付けろよ、駆狼君。祭は諦めてないからな」

「はっ?」

 

 猫のような笑みを浮かべて爆弾発言をすると豊さんは唖然とする俺を放置して娘の元に行ってしまう。

 

「大変だろうが強く生きろ、駆狼」

「不誠実な事だけはしないでね」

 

 両親の言葉がやけに重く俺の耳に響いた。

 

 

 

「そろそろ行くとするか」

 

 別れの挨拶も一通り済んだ頃、俺は荷物の入った麻袋を肩に担いでそう言った。

 俺とて名残惜しくない訳ではないがいつまでもここに留まっているわけにはいかない。

 

「ああ、そうするか」

「そうね」

「うん」

「そうじゃな。名残惜しいが行くとしよう」

 

 四人がそれぞれに荷物を持って頷く。

 最後に俺たちの見送りに集まってくれた親しい者たちを見つめる。

 

「皆、息災でな」

「村長もお体には気を付けて」

 

 目を細めて笑う村長に言葉を贈る。

 

「では凌刀厘以下五名、これより出立します」

 

 俺が敬礼するのに合わせて祭たちもそれぞれに礼をする。

 元俺の部隊員をしていた人間たちが俺の敬礼に返礼してくれたのが妙に嬉しく感じられた。

 

「行ってきま〜〜す!」

「たまには帰るからさ。皆、それまで元気でいろよ!」

「行ってきます!」

「ま、適当に頑張ってくるとしようかのぉ」

 

 まとまりのない連中だな。

 割といつもの事だが。

 

「お互い、健康でありますように」

「ああ、お互いにな」

 

 最後に父さんと笑い合い、俺たちは村に背を向けて歩き出した。

 

 

 

「そういえば俺と塁ってでかい街には行った事ないけど建業までどのくらいかかるんだ?」

「村を出たのが昼過ぎだから、歩きで三日と言った所になるな。馬だと一日なんだが」

 

 激の疑問に答えてやる。

 

「こういう時、馬がないのはやっぱり不便だね」

「確かに馬がいれば楽だがな。乗れるのが俺とお前だけじゃあな。それに俺は馬無しでも特に不便はない」

「塁はなんでか動物に嫌われてるからなぁ。祭は単純に乗る機会がなかっただけだけどさ。と言うか駆狼、お前はなんで馬と同じ速度で走れんだ!? 前に馬に乗った慎と並走してたの見たけどあれおかしいだろ!?」

「日頃の努力の賜物だ」

 

 野郎三人で雑談していると女二人で談笑していた塁が話に入ってくる。

 

「あたしだって好きで動物に嫌われてるわけじゃないよ!」

「触ろうとしただけで逃げられておったからの。あの時の馬の怯えようと言ったらなかったな」

 

 その時の馬の様子を思い出してか、目を吊り上げて激を怒る塁を見ながらからからと笑う祭。

 

「確かに、あれはなかったな」

 

 猫に追い回される鼠ですらあそこまで必死にはならないだろう。

 今、思い出してみると塁が近づくだけで馬がびくびくしていた気がする。

 

「う~~、それならあたしみたいに馬に嫌われてるわけでもないのに乗れない激はなんなのさ!?」

「ばっ、俺は乗れないわけじゃねぇ!! 俺と相性の良い馬がいねぇだけだ!!」

「ふぅ、激。言い訳は見苦しいよ」

「んだとぉ慎! 少しばかり馬に乗れるからって調子に乗んな!!」

 

 元気なのは良い事なんだが、混じるにはちと騒がしすぎる。

 歩きながらわいわい騒ぐ三人から距離を取った。

 

「なぁ駆狼」

 

 不意に祭の声が俺の耳に届く。

 

「なんだ、祭」

「お前、儂の告白を断った事を気にしとるじゃろ?」

 

 思わず横を歩く祭の顔を見た。

 さっきまではしゃいでいたはずの陽気な表情はもう消えていた。

 

「……ばれてたか。もしかしてわかりやすかったか?」

 

 虚偽は許さぬと無言で訴えるその視線を前に俺は早々に折れる。

 

「そうでもない。気づいていたのは儂と慎、泰空殿に楼殿、それにうちの母くらいじゃったと思うぞ」

 

 形になっていない苦笑いを浮かべる祭。

 なるほど、案外少なかったな。

 まぁ塁と激の単細胞コンビが気づくとは思っていなかったが。

 

「まぁ誰が気づいていたかはこの際どうでもいい。せっかく慎がお膳立てしてくれたんじゃ。時間は有効に使わんとな」

「お膳立て?」

 

 前方を見ると三人は随分と先に進んでいた。

 少なくとも俺と祭の声が聞こえるとは思えないほど遠くに。

 つまり今この場は俺と祭、二人だけの空間になっていると言う訳だ。

 

「なるほど、お膳立てか」

「そういう事じゃ。後で慎に礼を言っておけよ」

 

 まさか祭と二人きりになるように話を誘導していたとは。

 慎のヤツ、随分と人の扱いが巧くなったな。

 しかしここまでして二人きりにされてしまったのだからな。

 どんな結果になるにせよ覚悟を決める必要があるな。

 

「さて駆狼」

「ああ」

 

 小さく深呼吸をし、祭の言葉を待つ。

 

「お前は儂を振った」

「……ああ」

 

 祭の声はとても静かでそこに俺を責める意図はなかった。

 

「別に恨み言を言いたい訳じゃない。振られる事も予想しとったしな」

 

 雲一つない空を見上げながら祭の言葉は続く。

 

「お前は儂を、いや儂等を子供のように見ている節がある。同年代じゃと言うのに年の離れた、それこそ親子か祖父と孫であるかのように、時に儂ら自身がそう錯覚してしまう程にそれが染み着いている」

 

 それはそうだろう。

 肉体年齢はともかく精神年齢は今年で百十歳になるのだ。

 俺から見れば祭たちは親子通り越して曾孫を見ているような気さえする。

 

「少なくとも儂の事を女として見てはいなかったじゃろ?」

「お前からすれば甚だ失礼な話だがな。俺はお前に対して友人としての親愛以上の感情は持ち合わせていなかった」

 

 これは本当の事だ。

 女性として日に日に美人になっていく祭を見ていても俺には男としての欲求は生まれなかったのだから。

 

 部隊の男連中や激、慎までも成長した塁や祭の姿に大なり小なり反応していたのだが、俺はまったくそういう劣情を抱かなかった。

 自分で言っておいてなんだが雄としては終わっている気がする。

 どうも俺は彼女らの事を女性である以前に『年の離れた子供』であると認識してしまっているらしい。

 

 だからこれは正しく親愛であり、友愛。

 それ以上には発展しない感情だった。

 

「今までそんな素振りを見せなかったから想い人がいると言われた時は正直、疑ったよ。儂に諦めさせる為の嘘なんじゃないかとな」 

「……真剣な想いに応える為に嘘を付くような真似はしない」

「わかっとる。お前はこれ以上ないほどに真剣に儂に応えてくれていたよ。たとえ答えが儂の望む物でなかったとしてもな」

 

 その目はどこまでも澄んでいた。

 本当に後に引いている訳ではないのだろうか?

 

 俺の事を罵っても罰など当たらないと言うのに。

 今まで築き上げてきたこの気安い関係が壊れても仕方が無いとすら思っていたというのに。

 それくらいの事は覚悟して、俺はお前を振ったのだと言うのに。

 

「儂は大丈夫じゃ。じゃからお前も気にするな」

 

 九十歳も年下の人間に慰められるとはな。

 本当に人生というヤツは何が起こるかわからない物だ。

 

「……ああ、わかった」

「今のうじうじしているお前は嫌いじゃからな。いつも通りの不遜なお前にさっさと戻ってくれ。儂が惚れたお前に、の」

 

 にんまりと笑いながら祭は俺の額を人差し指で付く。

 突きつけられた指は痛くも痒くもないが、浮かべられた笑みはとても美しく感じられた。

 

「善処するさ」

 

 ため息を一つ付き、俺たちはいつの間にか向かい合って止めていた足を動かし始めた。

 

「それと勘違いのないように言っておくが……」

 

 するりと祭が俺の右腕を取った。

 不意打ち気味の胸の感触に一瞬、硬直すると今度は頬に暖かい感触。

 

「儂は諦めたわけではないからな」

 

 耳元で艶っぽく囁くと祭は俺から逃げるように走り出してしまった。

 

「あ~~~……」

 

 遠ざかる祭の背中を呆然と見送りながら頬に触れる。

 祭の唇の暖かさが感じられた気がした。

 

「やられた」

 

 自分でもよくわからない呟きを口から吐き出し、俺は赤くなっているだろう顔が早く戻る事を願った。

 

 

 

 

 儂は駆狼の事が好きだ。

 

 一体いつからそうだったのかはわからない。

 

 ただ自覚したのは儂等が初めて人を殺した日。

 山賊たちの親玉と一騎打ちをした駆狼が死にかけた時。

 

 ずっと一緒だったあやつが血塗れになっている様を見て血の気が引いた。

 頭が怒りで真っ白になり、気づいた時には狩りで身につけた動きで自然と弓を引いていた。

 

 儂の攻撃で出来た隙を付き、駆狼はどうにか勝利した。

 けれどその身体は見るからにボロボロで、駆け寄った儂は思わず息を呑んだ。

 

 そんな有り様なのに先に村の皆を気にかける駆狼に儂は言ってやりたかった。

 

 もっと自分を大切にしろ、と。

 

 まるで死んだように意識を失った駆狼を抱えて村に戻る時、浮かぶ涙を抑えられなかった。

 駆狼を失う事への恐怖から浮かび上がる想いを留める事が出来なかった。

 

「(お前が死んだら儂らは、儂は!!)」

 

 それが想いを自覚するきっかけだった。

 

 それからの六年間、儂はずっと駆狼を見てきた。

 自分なりに拙いながらも色々と積極的に動いていたように思う。

 

 二人で狩りに出た時は心の臓が口から飛び出るのではないかと言うくらいに緊張した。

 酒の席でその場の勢いに任せてしなだれかかったりした時は自分でもわかるくらいに顔が熱を持っていた。

 早くから儂の想いに気づいた母や慎がそれとなく気を遣ってくれたりもした。

 

 しかしそうしてあやつを見ているうちに儂は気づいてしまった。

 

 駆狼の目が儂等をどのように見ているかを。

 

 あやつは厳しく、そして優しい。

 しかしそれは誰に対してでもそうじゃ。

 友人である儂らにも、自分の部隊の人間にも、村の子供たちにも。

 年上である儂の母や大守である蘭雪様にも遜りはしても自分の意見はズバズバと言うからの。

 例外はあやつの両親くらいじゃろうな。

 

 それはすなわち誰もを同列に扱っているからに他ならず。

 つまりあやつの中で儂は特別な存在ではないと言う事でもあった。

 

 その事に思い至った時、傷つかなかったと言えば嘘になるじゃろう。

 しかしあやつが儂をどう思っていようと儂はあやつが好きじゃった。

 想われていないからと諦められるような軽い気持ちではなかった。

 

 じゃから儂はあやつに振られる事を理解しながら告白した。

 いつまでも抱え込んでおくにはこの想いは重過ぎた。

 

 ましてやこれから儂たちは大守に仕える身になる。

 今まで以上に忙しくなり、戦による危険も大きな物になるだろう。

 

 想いを告げるのは怖かった。

 断られる前提で言うのだ。

 普通のソレよりも恐怖は上じゃろう。

 じゃがそれ以上に年月と共にこの想いが風化していくのが恐ろしかった。

 儂のこの六年越しの想いが行動せずに消えていくのがこの上なく嫌じゃった。

 

 

 結果を言えば儂の告白はあっけなく断られた。

 真剣な儂の想いに、自分を偽ることなく真剣に答えてくれた駆狼には感謝している。

 さすがに心に決めた人がいるとは思わなかったが。

 

 しかし想い人に想いを伝えた事で儂の心は晴れていた。

 吹っ切れたとでも言うのかの。

 断られた事で新しい目標も出来た。

 

 『あやつを振り向かせる』と言う目標がな。

 

 告白をして感じた事じゃが、あやつは儂の事を嫌っているわけではない。

 ならば後は儂のやる気次第じゃろう。

 例え駆狼の想い人とやらがどのような女性であろうとも負けるつもりなどない。

 

 一度の告白を断られたからなんじゃと言うのか。

 儂は絶対に諦めん。

 覚悟しろ、駆狼。

 

 唇に残るあやつの頬の感触に笑みを浮かべながら儂は慎たちの元へ走っていった。

 




これにて第一章は完結です。
次回からは任官してからの話になります。

以前、投稿していた分がまだ尽きていないので今しばらくは一週間に2回の更新を基本に投稿していきます。

今後もよろしくお願いします


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キャラ紹介
転生編


この作品に出演する主要キャラクターの紹介です。
章ごとにキャラ紹介は追加していきます。

タイトルの通り、転生編に登場するキャラの紹介になります。



姓名 凌操(りょうそう)

字  刀厘(とうりん)

真名 駆狼(くろう)

 

男性

 

プロローグから登場

 

本作品の主人公。

戦争への参加経験を持つ日本人。

青空道場を設立し、戦後の先の見えない暗い空気を払拭すべく尽力した。

九十歳まで生き、家族や友人知人に囲まれて死去。

何故か三国志の時代に転生。

 

天寿を全うしている為、基本的に落ち着いた性格。

しかし現代日本の倫理観も持っている為、その差異に苦しみ悩む事も多い。

老成している為、実年齢を誤魔化しているとよく言われる。

自他ともに認める子供好きであり、非常に面倒見が良い。

 

武器:全身

道場を開いていたお蔭で、様々な格闘技の経験があり拳、蹴り、頭突きなどの他にも関節技などを使用する。

流派の名は『精心流(しょうじんりゅう)』、『昨日の己に克つ』という言葉を標題にしている立ち技、足技、関節技と様々な技をごちゃまぜにした実戦拳法。

 

姓名 凌沖(りょうちゅう)

字  公厘(こうりん)

真名 泰空(たいくう)

 

男性

 

プロローグから登場

 

凌操の父親。

やや無口で孫堅から『ただの村人とは思えない』と評されるほど冷静な性格。

しかし家族相手の場合、そのキャラが崩れてデレデレになり凌操は赤ん坊時代から見ている為、その事を知っている。

村では武力による防衛を担当している。

有事の際には矢面に立つので実質的な村の代表。

家族の事を誰よりも愛している。

 

武器:

 

 

姓名 清香(せいこう)

字  不明

真名 楼(ろう)

 

女性

 

プロローグから登場

 

凌操の母親。

外見は凌操の前世と同じ。

村人とは思えない程に聡明、だが天然でもある。

凌操は勿論、黄蓋たちも含めて子供を慈しみ、その成長を微笑ましく見守っている。

黄蓋が凌操の事を好きだと言う事にもっとも早く気づき、影ながら応援していた。

彼女が振られた後も彼女を応援している。

 

武器:

 

姓名 孫静(そんせい)

字  幼台(ようだい)

真名 陽菜(ひな)

 

女性

 

第二話から登場

 

前世での凌操の妻だった女性。

凌操よりも先にこの世を去ったのだが転生時期は同じだったらしく現世では同年代になっている。

前世では看護師をしており、彼とはその時の患者の一人として出会った。

彼女曰く一目惚れだったらしい。

誰もが羨むおしどり夫婦で、お互いがお互いを支えあっていた。

最後は凌操同様、家族や友人知人に囲まれて最愛の夫に手を握られながら死去。

 

三国志の時代では孫堅の妹として転生。

姉や友人に己の倫理観を少しずつ広め、現代日本寄りの常識を叩き込んでいる。

親兄弟や友人には度々、権力者としての自覚を持てと諭されているが一庶民としての前世での生活が災いして馬の耳に念仏状態である。

 

武器:無し

 

 

姓名 黄蓋(こうがい)

字  公覆(こうふく)

真名 祭 (さい)

 

女性

 

第一話から登場

 

凌操の前世の歴史では孫呉に仕えた忠臣として名を馳せた武人。

凌操の隣村に住んでおり親同士の交友から韓当、程普、祖茂を含めた幼馴染。

下手な男よりも男らしい豪快な性格。

母親への憧れから一人称が『儂』になっている。

 

異性として凌操の事を好いており、村が山賊に襲われた時にその事を自覚した。

孫堅に見初められ建業に士官する折に告白するも前世の妻である陽菜を今でも愛している凌操に振られている。

しかし諦めるつもりなどなく、それ以降もアプローチを続行中。

 

武器:弓

 

 

姓名 黄匠(こうしょう)

字  不明

真名 豊 (ゆたか)

 

女性

 

第一話から登場

 

黄蓋の母親。

誰かを率いる事に秀で、暮らしている村の代表を務めておりその弓の腕前は村一番。

娘に輪をかけて豪快な性格であり、夫である松芭(まつば)を尻に敷いている。

家族の事は勿論大切だが、だからこそ強くなってほしいと考え娘を鍛え上げた。

凌操を掛け値なしに良い男だと認めており、娘の婿にと虎視眈眈と狙っている。

 

武器:弓

 

 

姓名 祖茂(そもう)

字  大栄(だいえい)

真名 慎 (しん)

 

男性

 

第二話から登場

 

凌操の前世の歴史では孫呉に仕えた武将の一人。

凌操とは韓当、程普、黄蓋を含めた幼馴染であり凌操と共に他三人のお目付け役である。

心優しく知恵も回るが、それ故に優柔不断な性格。

凌操を兄として慕っており、彼と肩を並べる事が出来るよう様々な修練に明け暮れている。

 

武器:双剣

 

 

姓名 韓当(かんとう)

字  義公(ぎこう)

真名 塁 (るい)

 

女性

 

第一話から登場

 

凌操の前世の歴史では孫呉に仕えた武将の一人。

凌操とは祖茂、程普、黄蓋を含めた幼馴染。

トラブルメーカーその1であり、周囲を明るくするムードメーカーでもある。

幼少期から凌操に対して高い競争心を持っており、親友であると同時に好敵手だと認識している。

何故か動物に嫌われる為、馬に乗る事が出来ない。

程普とは村に住んでいた頃から無自覚に夫婦のような振る舞いをしていた。

 

武器:大槌

 

 

姓名 程普(ていふ)

字  徳謀(とくぼう)

真名 激 (げき)

 

男性

 

第二話から登場

 

凌操の前世の歴史では孫呉に仕えた武将の一人。

凌操とは祖茂、韓当、黄蓋を含めた幼馴染であり、トラブルメーカーその2である。

物言いは少々荒いが、人を思いやる事が出来る熱血漢。

同年代に比べてとても落ち着いた性格だった凌操を最初は頼りにしていたが、月日が流れると共に凌操に頼りにされるようになりたいと考えるようになった。

韓当とは村に住んでいた頃から無自覚に夫婦のような振る舞いをしていた。

 

武器:拳、弓

 

 

姓名 孫堅(そんけん)

字  文台(ぶんだい)

真名 蘭雪(らんしぇ)

 

女性

 

第二話から登場

 

新進気鋭の建業太守。

当時の建業太守が行っていた不正を見抜き、地方豪族をまとめ上げて反逆。

幸運も相まって太守の座を得た。

夫との間に孫策、孫権、孫向香の三人の子供を儲けているが死別している。

孫静の姉であり、自他ともに認める妹大事(シスコン)。

 

予知もかくやの類まれなる直感、その激しく猛々しい気性、人との間に垣根を作らない性格から領民にも慕われており、孫静と合わせて『建業の双虎』と言う異名で呼ばれている。

戦いの中で興奮すると理性の箍が外れて凶暴性が増し、敵と見なした者を問答無用で蹂躙する悪癖を持っている。

 

妹と親友の周異、昔から自分に付いてきてくれる宋謙たちと共に建業の発展と民の平和の為に尽力している。

しかし豪放磊落な性格な為に公私の区別がつけられない、仕事をさぼるなどの事で周異に説教される事も多い。

 

武器:直剣

 

 

姓名 華陀(かだ)

字  元方(げんぽう)

真名 ??

 

男性

 

第六話から登場

 

後の世にその名を轟かす神医(しんい)の名を持つ男。

旅で鍛えられているはずだが見た目は中肉中背のただのおっさんであり、一見すると医者には見えない。

しかし特殊な針治療によって人を救う流派『五斗米道(ゴッドベイドー)』では上位の腕前である。

マイペース且つ自己中心的な性格で、愛弟子である凱も患者も振り回しながら日々を生きている。

一つ所に留まる事をせず、常に大陸中を流れて生活している。

 

武器:無し(強いて言えば鍼)

 

 

姓名 華陀(かだ)

字  元化(げんか)

真名 凱(がい)

 

男性

 

第六話から登場

 

後の世にその名を轟かす神医(しんい)の名を持つ少年。

華陀元方の弟子であり幼くして既に華陀を名乗る事を許されている才気溢れる子供。

しかし性格は至って謙虚であり、苦労性。

元方の放浪癖に付き合わされての生活に慣れてしまった為に、本人の意図しないところで肉体が鍛えられている。

現在も師について回って大陸中を回っているが、第一章終了時点では近々独立する事になっている。

 

武器:無し(強いて言えば鍼)

 

 

姓名 朱治(しゅち)

字  君理(くんり)

真名 深冬(みふゆ)

 

女性

 

第八話から登場

 

凌操の前世の歴史では孫堅の配下。

太守になる前から孫堅に仕えており、孫静、周異とも親しい間柄。

 

基本的におとなしい性格で突発的な事態に直面すると慌ててしまい頼りない。

しかし戦場や公共の場では平時の態度が嘘のように沈着冷静になる。

公私を分けているというよりなんらかのスイッチによって切り替わる模様。

本人は自分の二重人格のような性質を自覚しておらず、指摘されても治す事が出来ないでいる。

 

武器:剣

 

 

姓名 孫策(そんさく)

字  伯符(はくふ)

真名 雪蓮(しぇれん)

 

女性

 

第八話から登場

 

孫堅の長女。

母親そっくりの自由奔放さを持った娘。

彼女の行動には時として孫堅すらも頭を抱える程。

家族や仲間を大切にし、周瑜とは無二の親友。

彼女の血を色濃く継いでおり、幼いながらも孫家特有の勘の鋭さを持っているが同時に悪癖の片鱗も見せている。

 

武器:剣

 

 

姓名 周瑜(しゅうゆ)

字  公瑾(こうきん)

真名 冥琳(めいりん)

 

女性

 

第八話から登場

 

周異の一人娘。

孫策同様、自身の母親そっくりの真面目な性格。

幼馴染であり無二の親友である孫策に毎日のように振り回されながらも母親の力になろうと勉強に励む健気な子供。

周異から既に国を支える為の教育を受けており彼女自身の持つ明晰な頭脳も相まって将来に期待されている。

しかし年相応に未成熟な子供としての内面と教育内容の差に苦しんでいる。

 

武器:鞭



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孫呉任官編
第十一話 建業到着。そして再会


 建業に到着したのは村を出て五日後の昼を回った頃になった。

 

 俺たちの目の前には外敵から身を守る為に高く積み上げられた石の壁が立ちはだかっている。

 四方に設けられた出入り口の内の北口だ。

 そこにある関所の前で激が深いため息を付いた。

 

「あ~、ったく。ずいぶん遅くなっちまったなぁ」

 

 激のぼやきが示す通り、俺たちは村を出た当初の予定である三日より二日も到着が遅れてしまっていた。

 

 理由は賊の襲撃。

 まあそこそこ良い治安状態とはいえ護衛もなしに五人ばかりの人間が歩いていれば、山賊たちからすれば正に『鴨がネギ背負ってやってきた』ように見えたと言う事だろう。

 

「どうするの?」

「蘭雪様なら事情を話せばわかってもらえると思うがの」

 

 しかし五村同盟が成って約六年。

 賊の撃退件数は二桁を越えている。

 その度に迎撃に出ている俺たちにとっては賊の襲撃自体はそこまで驚く事ではないし、慌てるような事でもなかった。

 

「この辺りの賊としては規模が大きかったけど返り討ちに出来たしね。むしろ手柄として認められるかも」

「こっちの人数が少ないからってやつら完全に俺たちを舐めてかかってたからなぁ」

 

 とはいえ今の俺たちには部隊がない。

 たった五人だけで百人もの賊を真っ向から相手にするのは厳しい。

 真っ向勝負でも俺たちならばどうにか出来るとは思うが、必要以上に危ない橋を渡る事もない。

 なので地形を最大限利用しての迎撃奇襲戦法を取る事にした。

 全力の逃走を行って敵集団に取り囲まれないように森へ飛び込み、木々に紛れて敵を分断、各個撃破という作戦である。

 しかし森へ入ってからは一昼夜かけての持久戦になった為、想定した以上に時間がかかってしまった。

 

「証人も連れてきているから事情は汲んでくれるだろう。他の人間への示しもあるだろうからなんらかの罰はあるかもしれんがな」

 

 あらかじめ蘭雪様には正式な任官に一ヶ月前後の期間を見てもらっている。

 多少の日数超過は事情を話せばわかってもらえるだろう。

 

「はぁ……処罰されるかもしれんと思うとほんと余計な手間をかけさせてくれたもんじゃな、こやつらは」

 

 全員で後ろを振り返る。

 そこには両腕、両足を縛り付けた状態で座らせている男がいた。

 全身に激の打撃痕、慎の剣による切り傷、さらにその背中には塁の大鎚の痕がくっきり残っている。

 

 この男は俺たちを襲った賊の頭だ。

 返り討ちにされる部下たちを見て怖じ気付いて逃げようとした所を捕まえた。

 

 その表情には俺たちへの、特に俺への恐怖が張り付いている。

 激たちが叩きのめした後、賊の情報を吐かせる為に指の骨を一本ずつへし折って尋問したのがよっぽど堪えているらしい。

 

 目を細めてそいつを睨んでやると、がくがく震えながら首を横に振った。

 口を布で縛り付けているのでしゃべる事は出来ないが、あの怯えた目を見れば俺たちに逆らう事はまずないだろう事が理解できる。

 

「お前、これでもかってくらいにボコボコにしたもんなぁ」

「ま、自業自得だから同情はしないけどね」

 

 その時の光景を思い出しているんだろう。

 激と塁が遠い目をしているが重要な事ではないので無視だ。

 

「無駄話もこの辺にしてとりあえず街に入るぞ」

「そうじゃな。蘭雪様も首を長くして待っておるじゃろうし」

 

 俺の頭に玉座の間で頬杖を付きながら欠伸をしている蘭雪様が浮かぶ。

 仮にも大守としてあるまじき態度だが、村での印象から考えると違和感はなかった。

 

「それじゃ僕が衛兵と話をしてくるよ」

「俺も行こう。どちらかの顔見知りなら話を通しやすくなるだろうからな。祭たちはそいつが逃げないように見張っていてくれ」

 

 慎と二人で門の関所に向かって歩き出す。

 

「おう、心得た」

「さっさと終わらせてこいよ~~」

「行ってらっしゃ~~い」

 

 三人の緊張感に欠ける声を背に受けながら。

 

 

 城内への入場手続きは思いの外、手早く済ませられた。

 先んじて蘭雪様が手配してくれていたらしく、俺たちの名前を出すだけで特に問題もなく済んでしまったのだ。

 

 山賊頭の引き渡しも滞りなく終わり、俺たちは街に入る。

 俺たちの村にあった穏やかで緩やかな雰囲気とは違う、騒々しく雑然とした活気に塁と激が目を白黒させている。

 祭は俺の横で物珍しそうに周囲の店に視線を走らせていた。

 

「番の人に確認してもらったが今日は蘭雪様たちの都合が悪くて会えないらしい。明日の朝に改めて謁見してもらえるという話だ」

「遅れたのは儂らの方じゃからな。都合がつかんのも仕方ないわな」

「元々、期限は曖昧にしてましたしね。部隊の引き継ぎがどれくらいで終わるかわからなかったから」

「じゃあ今日はどっかに宿を取るしかないな」

「こんなに人が沢山いると宿取るのも大変なんじゃない?」

 

 雑談しながら露店を見る。

 香ばしい匂いを漂わせた焼き魚、どこの部位かもわからない肉の串焼き、出来立ての肉まんなどが湯気を立てている。

 この辺りは食べ物関連の露店が集まっている場所だ。

 

 建業の敷地は孫静の政策によってある程度の区画分けがなされており食品関連の店、服飾関連の店、雑貨屋や住宅街などがある程度、一箇所にまとめられている。

 当然、宿泊施設も同様で比較的城に近い場所に密集していた。

 

「腹減ったな」

「もう昼過ぎだからな。宿は俺の方で取っておくからお前たちは先に食事にしてくれ」

「え? いいの?」

「ああ。前に来た時に何処になんの店があるかは把握してあるからな。俺が一番早く済ませられるだろう」

 

 目を輝かせる塁に答える。

 こういう重要な仕事を大雑把で適当な塁や激にやらせるのは不安だからと言うのも理由の一つだが、そんな事を伝えてわざわざ無駄に事を荒立てる事もないだろう。

 

「刀にぃ、いいの? 僕がやってもいいけど」

「慎と祭はあの馬鹿二人が何かやらかさないか見張っていてくれると助かるな」

 

 そっちの方が宿探しよりも面倒だと思うが。

 俺の意図を理解した慎は問題児二人を見て納得したように頷いた。

 

 祭はなにやら不満そうな顔をしている。

 恐らく俺が距離を置こうとしているのに気づいているんだろう。

 しかし祭が俺の事を諦めていない事がわかってしまった以上、期待させるような行動は慎むべきだ。

 恨んでくれても構わない。

 だが俺は祭が諦めるまで何度でもこいつを振るつもりだ。

 

 祭の不満を意図的に無視し、俺は言葉を続ける。

 

「すまんが二人であいつらの手綱を握っててくれ」

「そういう事ならわかったよ。でもこっちは僕一人で十分だから祭さんは刀にぃと一緒に行ってくれる?」

「なに?」

 

 慎の申し出に驚く俺を尻目に祭は間髪入れずに頷いてしまう。

 

「わかった。ちと苦労するかもしれんがそっちは任せたぞ、慎」

「もう慣れたから平気だよ。そっちはそっちで食事を済ませてきてね」

「あいわかった。それじゃ駆狼、さっさと行くぞ」

「お、おい慎!? いや祭、ちょっと待て……」

 

 あっと言う間に進んでいく話に呆けていると祭に腕を掴まれて引きずられていく。

 俺の反論は完全に無視されていた。

 

「じゃ夕方にまたこの辺りに集合と言う事で」

 

 笑みを浮かべてひらひらと手を振って俺たちに背を向けた慎が憎らしく思えてしまったのは仕方のない事だと思う。

 

 

 

 既に食べる料理の物色に没頭している塁と激を慎に任せて俺は前に来た時の記憶を頼りに不本意ながら祭を連れて宿探しに向かった。

 

「ほら、駆狼。さっさと宿を探すぞ」

「はぁ……わかった。わかったから腕を組むのは勘弁してくれ」

 

 祭にがっしり腕を組まされて歩く俺たち。

 その姿ははっきり言って目立っていた。

 

 道行く男どもは美人の祭に色目を使い、仲睦まじそうにしている(ように見える)俺に殺意の篭もった視線を送ってくるから鬱陶しくてうんざりする。

 

「ええじゃろうが、これくらい。初心な男でもないんじゃし」

 

 元凶の祭は針のむしろのようなこの状況など気にも止めていないらしい。

 嬉しそうな顔をしてはしゃいでいる。

 

 俺とこうしている事を喜んでいるんだろう。

 その様子を見れば村を出た時に言っていた『諦めていない』という言葉が本当である事が良くわかる。

 

「お前がどれだけ俺の事を本気で好きになっても、俺はその気持ちには答えられないぞ?」

「告白した時にも言っていたな? 想い人がいると」

 

 腕を組む手を離さずに俺を見つめる祭。

 肯定の意味合いで俺は頷いた。

 

「教えてくれんか? お前の想い人がどんな人物なのか。勿論、無理にとは言わんがの」

「……どうしてそんな事を知りたがる?」

 

 突然と言えば突然の質問に聞き返すと祭は俺から顔を逸らしながらこう答えた。

 

「朴念仁で唐変木のお前が惚れ込んでおる人の事じゃ。気になるじゃろ」

「……好き勝手に言ってくれるな」

「事実じゃからな」

 

 しれっと言い切ってくれる祭に眉間に皺が寄った。

 右手は祭のせいで自由に動かせないので左手で眉間をほぐす。

 

「それで? 教えてくれんのか?」

「まぁいいだろう。だが先に宿を見つけてからだ」

 

 雑談していて宿を取れなかったとなれば三人に何を言われるか。

 慎はねちねちと文句を言ってくるだろうし、激と塁にはぎゃーぎゃーと喚かれるのは目に見えている。

 塁などは大槌を振り回してくるかもしれん。

 それはまずい。

 俺個人としても街まで来ておきながら野宿など御免だ。

 野宿もそれほど嫌いではないがせっかく街にいるのだからしっかりした寝床で寝たい。

 

「おう、楽しみにしとるぞ!」

「そう楽しい話になるとも思えないんだが」

 

 祭がどういう意図で陽菜の事を知りたいと思ったのかがわからんな。

 

「ふふ、そうと決まればさっさと宿を決めてしまうぞ!」

「わかったから引っ張るな! と言うかお前はどこに宿があるかなんてわからんだろう!? どこに行く気だ!!」

 

 不思議な事に祭と話し込んでいる内に周りの視線は気にならなくなっていた。

 

 視線が消えた訳ではない。

 むしろきつくなっているように思う。

 だと言うのにこうして祭に引っ張られながら会話していると連中の事がどうでも良くなってしまう。

 

 野郎の嫉妬まみれの視線を気にするより見目麗しい幼馴染みと話している方が精神的に良いのはわかる。

 だが本当にそれだけなのかと自問してしまうのは、俺が祭に幼馴染み以上の感情を抱いているからなのだろうか?

 

 いかんな。

 どうも頬にキスをされてから自分で思っている以上にこいつの事を意識してしまっているらしい。

 

 告白を断った上にこれからも拒み続けると公言している癖になんて体たらくだ。

 自己嫌悪しながらも俺は宿探しを再開した。

 

 

 宿探しは問題なく済ませられた。

 男三人、女二人のそれなりの人数ではあったが運良く男女別で部屋を取れる宿を見つける事が出来たのだ。

 

 値段はそれなりにしたがどうせ一泊しかしない上に明日からは恐らく城の兵舎住まいだ。

 路銀はここで使ってしまっても問題はない。

 残しておくに越したことはないので豪勢な宿ではないが。

 

「いやぁなかなか良い宿が取れたな」

「お前が男女一緒の一部屋でいいと言い出した時は気が気じゃなかったがな」

 

 子供の時ならいざ知らず二次性徴も終えて久しい年代の俺たちが男女一緒の部屋なんて論外だ。

 塁と激は同じ部屋でも良いかもしれんが。

 

「別に構わんだろうに」

「慎みと言う物を持て。お前たちは美人なんだから無闇に男を引き付けるような真似をするな」

「いたぁっ!?」

 

 右手の甲で祭の額を叩く。

 宿の出入り口で頭を押さえて呻き声をあげる祭。

 

 少々力が入ってしまったようだがそれは仕方がない事だろう。

 どうも祭と塁は異性に対して無防備な所があるからな。

 実力を考えるとこれから将として表に出る事も多くなるだろう。

 些か手遅れかもしれんが矯正出来る部分は矯正するべきだ。

 

「ほう、お前から見ても儂らは美人なんじゃな」

「そこに喜ぶな、馬鹿者」

「あいたっ!?」

 

 立ち上がってニヤニヤ笑う祭にもう一撃くれてやる。

 まったく……少しは懲りてほしいもんだ。

 

「ほら、飯を済ませに行くぞ」

「うぅ、手甲で殴るのはやめてくれ」

「それほど強く叩いたつもりはない。ほら行くぞ」

 

 いつまでもしゃがみ込んでいる祭の右手を掴んで無理矢理立たせる。

 

「はぁ……俺が惚れた奴の話を聞きたいんじゃないのか?」

「む、確かにそれは聞き逃せない情報じゃな」

 

 まだ文句がありそうな顔をしている祭だが陽菜の話を持ち出すと自分の足で歩き出した。

 現金な奴だ。

 

「何をしているんだ、駆狼。早く行くぞ!」

「はいはい。やれやれだな、まったく」

 

 なんだか街に入ってから加速度的に疲れが増している気がする。

 

「しかし、陽菜の事か。話したくないわけじゃないが……気が重いな」

 

 ありのまま全てを話すことは出来ない。

 そんな事をしてしまえば俺が二度目の人生を過ごしている事などのややこしい事までばれてしまうからだ。

 色々と嘘を交えて調整する事になってしまうだろう。

 

 必要な事だとは思う。

 だが俺の事を好いている人間に虚実を混ぜた話をするのは躊躇われた。

 

 必要とあらば突き放す事もやむを得ないと考えて実際に実行してきたはずなんだがな。

 

「どうしたんだ、駆狼?」

 

 足を止めて考え込んでいた俺を下から覗き込むようにして見つめる祭。

 

「なんでもない。いい加減、腹が限界だ。さっさと飯を食うとしよう」

「むぅ……まぁそうじゃな!」

 

 どこか腑に落ちない表情を一瞬浮かべた祭だが特に追求はしてこなかった。

 その代わりとでも言うかのようにまた腕を組んできたが、もう引き剥がすだけの気力もない。

 

「どうかこれ以上、余計な事が起こりませんように」

 

 思わず呟いた言葉は横にいた祭にすら届かず消えていった。

 

 

 

 その日の夜。

 街が寝静まった頃、俺は宿を抜け出して外に出ていた。

 

 激たちは夕食を食べた後、部屋に戻ったらすぐに眠りについてしまった。

 どうやら自分たちが思っていた以上に旅の疲れが溜まっていたらしい。

 

 外出する時、祭と塁の部屋の前を通ったが物音一つしなかった事から恐らくあいつらも寝ているんだろう。

 

 よって今は俺一人だ。

 昼間、祭にせがまれる形でかつての妻についての話をしたがそれからどうも調子が上がらない。

 

 祭に語って聞かせながらあの世界の事を思い出してしまったからだろう。

 ホームシックと言うかなんというか。

 俺が死んでから家族や友人たちはどう過ごしているのだろうだなんて埒もない事を考えてしまっていた。

 

 答えなど誰も持っていないと言うのに。

 ずっと前にこの世界で生きる事を決意したと言うのに。

 

 なんだか無性に自分が情けなくなってしまった。

 

 

 当てもなくふらふらと歩いているといつの間にか街の外れにまで来ていた。

 

 この辺りは確か……祝い事や祭りの時に使われる広場だったか。

 

 実際に使われている所を見たことはないが、蘭雪様に子供が産まれた時などはここで盛大な宴が催されたらしい。

 城内ではなく、わざわざこんな場所を用意して行ったのは民と喜びを分かち合いたいと言う孫姉妹の想いがあったと言う話だ。

 

「……子供、か」

 

 前世の息子と最後に触れ合った自分の左手を見つめる。

 既に二十年もの時が経っているのにあの時の息子の泣きそうな顔を初め、同じように涙をこらえた顔をした孫夫婦とその胸に抱かれて俺を見つめていた曾孫の姿まで鮮明に思い出せた。

 

 まだ二歳足らずだった曾孫には俺がどういう状態かも理解できていなかっただろう。

 名付け親になった身としてはすくすくと育ってくれていればいいと思う。

 

「駄目だな。思い出せば出すほど、あの頃に戻りたいだなんて考えてしまう」

 

 しっかりしろ、凌刀厘。

 今の俺は蘭雪様に仕える武将なのだろう。

 これから訪れるだろう乱世をそんな事で乗り越えられると思っているのか?

 

 昔を思い出すのは良い。

 むしろ忘れる事などあってはならない。

 

 だが昔日の郷愁を引きずり、今を放棄する事などあってはならない。

 それは俺の人生に関わってきた者たちに対しての裏切りだ。

 

「見据えるのは常に前。過去は見つめ直す物であって囚われる物であってはならない」

 

 前世からの口癖を言葉にする。

 丸々とした月を捕まえようとするように腕を掲げ、拳を握った。

 空を睨み付け、揺らぎかけた心を律するように呟く。

 

「俺は前へ進む。お前たちも前へ進め」

 

 息子へ、孫たちへ、曾孫へ、友へ。

 俺と関わった者たち全てに届かない想いを告げて俺はきびすを返した。

 

 いい加減、寝るべきだろう。

 あいつらが何かの気まぐれで起きて俺の不在に気づかれても面倒だ。

 

 そんな事を考えながら来た道を戻ろうと歩きだした所で、俺は前に人影がある事に気づいた。

 

 月明かりに照らされてその顔はよく見える。

 桃色の髪に褐色の肌。

 一瞬、蘭雪様かと思ったがあの人は目が切れ長なのに対して目の前にいる女性は優しげな目元をしている。

 それに纏う空気が蘭雪様とは違いすぎる。

 人懐っこい虎が人の形を取ったような雰囲気の彼女に対してこの人物はまるで長い年月を経た大樹のような空気を纏っていた。

 

「夜のお散歩ですか?」

「ええ、少し眠れなくて」

 

 鈴の音のようなコロコロとした声音。

 かけられた声に俺は妙な親しみを感じながら答えた。

 

 近づいてくる女性。

 特に身構えもせず彼女が来るのを待つ。

 俺の前にまで来ると女性は浮かび上がる感情を堪えるように俯いてしまった。

 

 驚きと言うのは一定値を越えると逆に冷静になると言うが、俺の今の状態が正にそれだろう。

 

 俺は既に目の前の人物が『誰か』を気づいている。

 理屈などなく、俺の心が目の前の女性が『彼女』である事を告げていた。

 

「久しぶり、になるな」

「っ!? ええ!!」

 

 俺の言葉に堪えきれなくなった彼女が抱きついてくる。

 俺の背中に手を回して胸に顔を埋めるその仕草は見た目こそ変わったが『あの頃』と何も変わっていなかった。

 

 二度と会うことはないと諦めていた人。

 そんな人との意図せぬ再会の衝撃は俺の中で一生忘れる事の出来ない物になるだろう。

 

 だってそうだろう。

 今、生きている時代から遙か未来で生きてきた記憶を保持したまま生まれ変わるなんて希有な事態に見舞われている人間が他にいると誰が思う?

 

 しかもそれが自分の縁者であり。

 ましてや生前、最も愛した人であるだなんて。

 そんなご都合主義も甚だしい幻想を抱けるほど、俺は楽観的な考えは持っていない。

 

 心のどこかで『もしかしたら』と思った事があった事は認める。

 けれどそれが実現するなんて考えもしなかった。

 

「玖郎……」

 

 だが今俺の胸に中にいる彼女の暖かさは紛れもなく本物であり、この再会が夢や幻ではない事を俺に教えてくれている。

 

「陽菜……」

 

 涙を流しながら俺の背に回した手の力を強める陽菜。

 俺も倣うように彼女の背中に手を回す。

 

「逢いたかったよ。ずっと……ずっと!」

「すまん。……俺はこうしてまたお前と逢えるとは思っていなかった」

 

 それは紛れもない俺の本心。

 再会に水を差すような言葉ではあったが、最愛の人である陽菜に嘘を付きたくなかった。

 

「ふふ、変わらないね。その気の利かない所も、不器用な所も」

「お前は……美人になったな」

「それはお互い様」

 

 他愛のない言葉しか出て来ない事がもどかしい。

 だがそのもどかしさすらも愛おしいと感じてしまっている自分がいる事もわかっていた。

 

「お前が孫幼台だったんだな」

「貴方が凌刀厘だったのね。姉さんが興奮しながら話していたわよ」

 

 お互いに顔を見合わせて笑い合う。

 名残惜しいとは思ったが抱き合うのをやめて近くにあった屋台の土台に寄り添うように座った。

 

「こんな夜中に街に出て来ていいのか? お前も今や建業にとって重要人物なのだろう?」

「ここから見る星が好きだから。姉さんほどじゃないけど時々、城を抜け出すの」

「星が好きなのも変わらないな」

「貴方はこっちで三味線はやってるの?」

「……あれは俺が撥で弾く、お前が弦を押さえるって分担してやった一種の芸だろう。一人で弾けるよう練習しようにもこの時代じゃ三味線はない」

「わからないわよ? この世界は私たちの世界の歴史とは随分と違ってるみたいだし」

「まぁ……そうだな。肉まんなんかがもう存在するしな。そう考えるともしかしたらどこかにあるのかもしれんな」

「もし手に入ったらまたやりましょうよ」

「ああ。ただし練習して勘を取り戻してからだぞ? あとせっかく両腕があるんだ。もし手に入ったら一人でも弾いてみたい」

「弾けるようになったら沢山聞かせてね?」

「ああ、勿論だ」

 

 湧き水のように言葉が出てくる。

 とめどなく続く会話がとても心地よかった。

 

「明日からよろしくね、玖郎」

「ああ。だが俺の真名は駆ける狼と書いて駆狼だからな。響きは一緒だが間違えるなよ」

「少し変わったのね。わかったわ。私は変わらないからそのまま陽菜って呼んでね」

「そうだな。俺たちの間柄じゃ真名を許しあうなんてのも今更だが」

「ふふ、そうね。結婚して子供も作って、孫も見て、大往生したものね」

 

 俺たちの会話は途切れる事なく続き、星と月だけがその様子を柔らかく見つめていた。

 



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第十二話 仕官完了。前途多難な初日

 陽菜との再会を終えた翌日。

 

 俺は気持ちを新たに祭たちと共に建業城を訪れた。

 

 昨日の段階で話が通っていた為、本人を示す証明として一ヶ月前に君理からもらっていた身分証明書(竹簡だが)を渡すだけですんなりと入城出来た。

 今は待合室のような部屋に全員でいる状態だ。

 

 偶にこの部屋にまで誰かを呼ぶ声や駆け足の音が聞こえてきている。

 朝から多忙なのか、俺たちと顔を合わせる人間を集めるのに手間取っている様子だ。

 窓がガラス張りになっているわけでもないので外の喧噪は筒抜けである。

 

 その様子を耳で聞いているだけでも俺たちがかなりこき使われるだろう事が予想出来てしまう。

 

「なんぞ外が騒がしいな」

「どうも蘭雪様を探してるみたいだね。大声で呼んでる声がするし」

「他にも真名っぽいのが何人か呼ばれてるぜ。雪蓮様も呼ばれてるな」

「……また公瑾嬢を引っ張り回しているんじゃないだろうな、雪蓮嬢は」

「否定は出来ないわね。蘭雪様と雪蓮様って自由奔放だから」

「これから俺たちはそんな自由奔放な主君に仕えるんだ。他人事でいられるのも恐らく今の内だけだぞ」

「違いない。苦労しそうだな、俺ら」

 

 これからの生活に思いを馳せながら談笑していると戸をノックして君理が部屋に入ってきた。

 この時代にノックの習慣なんてなかったと思うが……もしや陽菜の影響か?

 

「お待たせしました、黄公覆殿、祖大栄殿、程徳謀殿、韓義公殿、凌刀厘殿。孫文台様以下、建業を支える臣下があなた方をお待ちになっております」

 

 一ヶ月前に出会った時とはまるで別人のような君理の雰囲気に俺たちは驚いた。

 

「えっと……君理、じゃよな?」

 

 不意打ちだった為につい確認してしまったのは祭だ。

 しかしその疑問は俺たち全員に共通した疑問でもある。

 正直、双子だと言われても信じてしまえるほどの変貌ぶりだ。

 公私を完全に切り分ける人間と言うのはどこにでもいる物だが、それにしてもここまで雰囲気が変わる物じゃない。

 

「? 黄蓋殿、確認されるまでもない事だと思いますが? 一ヶ月前にお会いしましたでしょう?」

 

 怪訝そうな顔で応える君理。

 どうやら彼女自身は自分の雰囲気の変化を認識していないようだ。

 

「いや雰囲気変わり過ぎでしょ……」

「双子とかじゃねぇよな?」

 

 彼女に聞こえないようヒソヒソと小声で話すのは塁と激。

 その気持ちはよくわかる。

 俺も同じ事を考えたからな。

 

「もしや気づかぬ内に礼を失するような事をしてしまいましたか?」

「いいえ、お気になさらず。今後の生活に想いを馳せて緊張していただけですので」

「大栄の言う通りです。君理殿にはなんら落ち度はありません」

「そう……ですか? であればよいのですが」

 

 とりあえず俺たちの言葉で納得してくれた君理は居住まいを正し、俺たちに部屋を出るよう促す。

 

「では改めましてご案内させていただいます。私についてきてください」

「手間をおかけしますが宜しくお願いします。お前たち、行くぞ」

「ふふ、楽しみじゃなぁ」

「はい」

「お、おう」

「緊張するな〜〜」

 

 誰でも緊張して萎縮してしまうだろうこんな時ですら、いつも通りにまとまりがない幼馴染たちの発言に俺はため息をつく。

 さらに先頭に立つ君理が苦笑いしたのを感じ取ってもう一つ大きなため息をついた。

 

「蘭雪様たちに何か粗相をしないか心配になってきたな」

「我が主はご存じの通りの豪気なお方ですので、心配するような事にはならないと思います。貴方方は真名も預けられておりますし、どうかお気を楽に」

 

 君理のフォローは非常にありがたいが一ヶ月前と比べて、彼女自身がこんなに豹変した状態で言われても説得力はない。

 ぶっちゃけ俺たちが緊張している原因の半分は無自覚に雰囲気を変えている彼女のせいなのだし。

 

「そう言ってもらえるとありがたい」

 

 そんな風に考えている事を悟られないように、俺はいつにもましてポーカーフェイスを維持しなが君理の先導に従って玉座の間を目指して歩いた。

 

 

 

 村育ちの人間から見れば信じられない大きさの一室。

 目測だが高さ三十メートル、奥行き四十メートルと言った所だろうか。

 

 玉座の間と君理が呼んだその場所には、今の建業を支える者たちが俺たちを待ちかまえていた。

 

 君理に目で促され、俺たちはずいぶんと高い場所にある玉座と向き合うように整列する。

 左右にはいかにも文官と言った風体の男やら顔以外を鎧に包んだ武官などバラエティに飛んだ格好をした者たちが並んでいる。

 彼女自身は俺たちを案内した後、左右に並ぶ者たちの列に混じっていた。

 

 しかし妙な事に。

 建業の政(まつりごと)に携わる主だった面々が集まっているだろうこの場に関係者であるはずの幼台……陽菜の姿はなかった。

 

「よぉ、久しぶりだな。お前たち」

 

 玉座から整列した俺たちに手を振って挨拶する蘭雪様。

 

 ……陽菜の事は気になるが、とりあえず今は目の前の事に集中するべきだな。

 

「文台様もお変わりないようで何よりです」

「相変わらず固いな、駆狼。ここにいる面々は全員、私の真名を知っているぞ? 敬語は仕方ないとしても真名で呼べ」

 

 相変わらず大守という責任ある立場にいるとは思えない気安い態度だ。

 これから仕えるとなると少し不安だが、今は馴染みやすい環境にいる事を素直に喜ぶべきだろう。

 

「文台、お前と言う奴は。……仮にもこれから配下になる人間に対して威厳をもって接しろと言っただろう! 示しが付かないだろうが!!」

 

 蘭雪様に対してこめかみを押さえながら意見するのは玉座の右側に立っていた女性だ。

 公瑾嬢を彷彿とさせる雰囲気と蘭雪様に対する気安い態度から推察するに恐らく彼女が周異なのだろう。

 

 彼女の言い分は尤もだ。

 だがその配下になる人間の前で太守たる蘭雪様を叱りつける事も十分示しが付いてないと思うのは気のせいだろうか?

 話がややこしくなるだろうからわざわざ指摘したりはしないが。

 

「あ〜、うるさいうるさい。身内に、それも内輪だけの席で固い態度になっても肩が凝るだけだろうが」

「お前なぁ。……もういい。この件については後で幼台と一緒に追求する事にしよう」

「はぁ〜〜、またか。もう何度も話し合ってるだろうに」

「定期的に抗議せんとお前の頭は都合の悪い事を記憶してくれんからな」

 

 げっそりとした顔で玉座にもたれかかる蘭雪様。

 そんな姿を晒してしまった時点で威厳も何もないだろう。

 

「ん、ごほん!」

 

 空気が緩んでいる事を察した女性は、わざとらしい咳払いを一つすると俺たちに真っ直ぐな視線を向けてきた。

 

「主が失礼な態度で申し訳ない。私は周公共。今は席を外しているが文台の妹である幼台と共に政務、軍事全般を取り仕切らせてもらっている者だ。文台が見つけてきたその腕、大いに期待させてもらうぞ」

「凌刀厘です。ご期待に沿えるよう働かせていただきます」

 

 目の前にいる周異以外に集まった者たちにも聞こえるよう玉座の間に響くよう俺は声を張り上げる。

 

「黄公覆じゃ。儂の腕、見事使いこなして見せてくだされ」

「祖大栄です。色々と至らない事も多いと思いますが宜しくお願いします」

「韓義公よ。自分で言うのもなんだけど頭を使う仕事って向いてないと思うからそこんところよろしく」

「程徳謀だ。なんでも出来るようにしていくつもりだから頼める事はなんでも振ってくれ」

 

 俺に続いて祭たちも名乗る。

 不遜な物言いに集まった人間が不快感を抱かないか不安になったが、俺が見ていた所ではそういう仕草は見られなかった。

 俺が見れたのはあくまで表向きだけなので、心中でどう思っているかまでは察せなかったが。

 

 とはいえ蘭雪様があんな気風で配下にも多大な影響を与えているだろう事を考えれば、態度や言葉の裏側を勘繰る必要はあまり無さそうだ。

 

「ああ、しっかりこき使ってやるからしっかり働いてくれ。ああ、それと真名の扱いは各々に一任する。預けたくなったらその時に預けろ。皆もそれでいいな」

「「「「「「はっ!!」」」」」」

 

 広い室内に俺たちと居並ぶ建業の武官、文官の声が唱和するのを小気味良いと感じ、これからさらに忙しくなる事を意識する。

 

 せいぜい気張って生きていこう。

 この混迷としていくだろう戦乱の時代を。

 

 適度に張り詰めたこの空気の中で、俺は改めて決意した。

 

 

 

「よし、それじゃ解散だ。今日もしっかり仕事しろよ、お前たち」

 

 並び立っていた者たちが主の言葉に従って退出していく。

 その様子を後目に蘭雪様は俺たちに最初の命令を飛ばした。

 

「さて……駆狼たちにはまず城の中の案内と仕事の説明をする。適任のヤツがいるんだが、ちょっと遅れていてな。少しここで待っていろ」

「すまんな。仕官して早々、ドタバタとしてしまって」

 

 カラカラと笑いながら言う蘭雪様とため息を付きながら謝罪する公共。

 

「お気になさらず。人手が足りないと言う話は既に聞いております。それも折り込み済みで俺たちはここに来たのですから」

「そう言ってもらえるとありがたい」

 

 苦労人気質の公共はとりあえず気が楽になったようで年期の入った苦笑いを微笑に変えていた。

 

「おいおい、早速仲が良くなっているじゃないか。駆狼、お前意外と女ったらしなのか? 駄目だぞ。公共には既に夫も子供もいるんだからな」

「そんなつもりは毛頭ありません。俺には心に決めた人がいますので」

「ほう、そいつは初耳だ」

 

 よっぽど俺の言葉が意外だったのか蘭雪様は目を丸くしている。

 横を見れば公共も同じような反応だ。

 なぜだろう、失礼な事を考えられた気がしてならない。

 

 

 そんな風に談笑を始めて大体、五分程度が経った頃。

 この部屋に近づいてくる足音が聞こえてきた。

 

「姉さん、入るわ」

「おお、来たか?」

 

 つい昨日、聞いた声が俺の耳を打つ。

 嬉しそうな顔で俺たちが背を向けている出入り口を見る蘭雪様。

 

「すまんな、幼台。彼らを出迎える為とはいえ仕事を押しつけてしまって」

「ふふ、気にしないで。公共」

 

 近づいてくるその声に鼓動が早くなる。

 柄にもなく緊張しているらしい。

 

 昨日、散々話したと言うのに。

 もしかしたら再会の時に感じた衝撃の余韻がまだ残っているのかもしれない。

 俺もまだまだ修行が足りないようだ。

 

「貴方たちが新しく入る人達ね? 私は孫幼台。文台の妹よ。よろしくね」

 

 振り返れば笑顔で俺たちに頭を下げる陽菜の姿。

 

「あ、ああ。こちらこそよろしくお願いします」

「よ、宜しくお願いします」

 

 最初から親しげな態度で接してきた蘭雪様とも異なる、まるで俺たちと自分が対等であるかのような態度を取る陽菜に激と慎が困惑している。

 

 祭と塁は目を丸くして頭を下げた陽菜を見つめている。

 

「ほら、陽菜。こいつらが混乱してるだろ。お前、私以上に普段は上に立つ人間の雰囲気ないんだからこういう時くらいしゃんとしろ」

「姉さんにだけは言われたくないなぁ」

「まったくだな」

 

 蘭雪様の物言いに苦笑いする陽菜と公共。

 穏やかになった空気に当てられて俺まで気が抜けてしまう気がする。

 

「ほぉ? 駆狼。お前、そんな風に笑うんだな。なかなか良い顔をするじゃないか」

 

 目敏い蘭雪様の言葉を聞いてその場にいた者たちすべての視線が俺に集まる。

 幼馴染たち四人は鳩が豆鉄砲を食らったような顔で俺を見ていた。

 

 思わず口元に手をやる。

 口の端が釣り上がっているのがわかった。

 どうやら無意識に顔を綻ばせていたらしい。

 

「こういう席でお前が笑うとは、珍しい事もあるもんじゃな」

「村にいた時も仕事の時は笑わなかったのに……」

「言っちゃなんだが不気味だな」

「なんか悪い物でも食べたの、駆狼?」

 

 祭と慎はともかく激と塁の失礼千万な台詞は許容出来んな。

 後でぶん殴るとしよう。

 

「はぁ……偶にはそういう事もある」

「はいはい、下手な誤魔化し方しないの。素直に気が緩んだって白状しなさい」

 

 いつの間にか横合いから近づいていた陽菜に右頬を掴まれ、ぐいぐいと引っ張られた。

 

「幼台様、お戯れが過ぎます」

 

 予想外の陽菜の行動に対して素にならずに苦言を呈す事が出来た自分を誉めてやりたい。

 

「他人行儀禁止よ、駆狼」

 

 しかしそれも儚い抵抗に過ぎなかったようだ。

 あまりにもわかりやすく不機嫌な顔をして俺を見つめる陽菜。

 公然とした頑固者である所の彼女は自分の意見を通すと決めた時は妙に言葉少なく、自分の要望を口にする癖がある。

 

「……今は」

 

 そして残念な事に。

 こうなった陽菜に俺が勝てた試しは数える程しかない。

 

「今は私の家族と貴方の家族しかいないでしょ?」

 

 思わずここが玉座の間である事を忘れて陽菜を見つめてしまった。

 なぜか蘭雪様たちはおろか祭たちまで水を打ったように静まり返っていて援護は期待できそうにない。

 

「……わかったよ、陽菜」

「よろしい、駆狼」

 

 してやったりと笑って手を離す陽菜。

 俺は眉間に浮かんだ皺をほぐしながら彼女を睨む。

 俺の睨みなんてどこ吹く風だろうが、それでも自分の意志は示さないと碌な事にならない。

 

「「……駆狼」」

 

 もう手遅れだったようだが。

 底冷えのする静かな声音と発散される雰囲気に怯えながら恐る恐る後ろを見る。

 

 そこにはこの場が戦場であるかのような気迫を放つ蘭雪様と祭の姿。

 いつの間にか玉座から降りてきていた蘭雪様に右肩を、祭に左肩を掴まれる。

 どこから出しているのかわからない万力の力で握り締められ俺の両肩は悲鳴を上げた。

 

「陽菜。お前、刀厘と親交があったのか?」

「ええ。今まで黙っていたのは姉さんが暴走するのがわかってたからなのだけど」

 

 おいそこ。

 俺の状況を無視して和やかに談笑してるんじゃない。

 そして塁たちも興味津々な顔で耳を傾けるな。

 

「陽菜、火に油を注がないでくれ」

「いいじゃない。今までずっと会えなかったのだから少しぐらい羽目を外したって」

「その被害が俺に来るからやめてくれと言ってるんだが?」

「大丈夫よ、貴方だから」

 

 その根拠はどこから来るのだろうか?

 

「ふむ。ちなみに二人はどう言った関係なのだ? ただ真名を預けあっただけの関係と言う訳ではあるまい?」

 

 完全に面白がっている公共は笑みを浮かべながら追求してくる。

 心なしか両肩にかかる力がさらに増した気がした。

 もちろん気のせいではないわけだが。

 

「私たちの関係はね……」

 

 そこでわざわざ溜めを作るな。

 にっこり笑って俺を見るな。

 

 ああ、まったく。

 この時ばかりは七十年の連れ添いである事を恨みたくなった。

 何を言いたいかが見つめあうだけで伝わってしまうから。

 

 どうやら観念するしかないらしい。

 正直、握り締められている両肩がどうなってしまうかが心配だが、だからと言ってこれから口に出す言葉を言わない訳にはいかない。

 

 何故なら俺たちは共に在る事を誓い合った『夫婦』なのだから。

 

「生涯を共に在ると誓い合った仲だ」

「生涯を共に在ると誓い合った仲だよ」

 

 俺と陽菜がまるで示し合わせたように紡いだ言葉は、この広い玉座の間に思っていた以上に大きく、鮮明に響き渡った。

 

 

 こうして俺の仕官初日は。

 仕えるべき君主とかれこれ十七年近い付き合いの幼馴染との命がけの鬼ごっこと言う壮絶な始まりで幕を開けた。

 

 余談だがこの鬼ごっこの話は城内はおろか街にも瞬く間に広まってしまい、俺の名は『虎をして仕留められなかった男』として不名誉な形で広まる事になる。

 



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第十三話 それぞれの仕官一ヶ月。遠征準備

 俺にとって悪夢に近い任官初日から早一ヶ月。

 俺たちは建業での新しい暮らしにそれぞれ馴染み始めていた。

 

 塁は武官として隊を一つ預かり、調練を行いながら建業一帯の警戒任務に当たっている。

 自警団をしていた頃は二十人程だった部下が一気に百人以上になった為、最初は勝手がわからずに悪戦苦闘していた。

 人数が増えると言うことはそれだけ上司として塁が見なければならない部分も増えると言う事だ。

 村にいた頃と同じ要領でやると言うわけにはいかない。

 だがそこは考え込む暇があれば行動する性格の塁だ。

 失敗を物ともせずに自分のやり方で突き進み、その姿に頼もしさを感じた部下たちとは少しずつではあるが打ち解け、一ヶ月後の現在は完全にとけ込んでいる。

 

 激は武官として塁と祭の手が届かない所の補助をする傍ら、文字の読み書きをここの文官に教わっている。

 熱心に頼み込むあいつに文官連中が戸惑った顔をしていたのが印象に強く残っていた。

 勉強のべの字も嫌いそうな雰囲気の激から頭を下げて教えてくれと頼まれたのがよっぽど意外だったんだろう。

 粗野っぽい言動で勘違いされがちだが、あいつは俺たちの中で一番勤勉で貪欲な性格だ。

 武力も知力もまだまだこれからの激は諦めさえしなければ確実に伸びていくだろう。

 

 慎は読み書きが出来る事とそのめっぽう広い視野を買われて君理改め深冬と共に文官寄りの武官として仕事をしている。

 国からすれば小さな集団である村から出て来てすぐに政治、軍事について考えろと言うのは無茶ぶりも良い所で、さすがの慎も手こずっているようだ。

 しかしあいつの至らない部分は深冬が上手く補助している。

 まだ一ヶ月しか経っていないが、性格的な相性も良いらしく二人が一緒にいる所をよく見かける。

 ただの文官同士と言うには仲が良いように見えるが、ようやく慎にも春が来たのだろうか?

 

 祭は塁と同じく隊を一つ預かっている。

 塁が外回りが多いのに対して城内や城下町などの建業の内回りの警備についている。

 こちらは塁と違って初日に隊員たちと酒飲み大会なんぞを行い、たった一日で部下の心を掌握した。

 この要領の良さはさすがは祭と言った所か。

 あとは俺と陽菜の関係を知ってからどうにも俺を避けている節がある。

 夢にまで出てきそうな鬼の形相で蘭雪様と一緒に追い回してきたのが嘘のように静かだ。

 俺の想い人が突然、現れた事がその態度の要因になっているのはまず間違いないだろう。

 それを寂しいと感じてしまっている事には我ながら呆れている。

 

 俺は陽菜の事を愛している。

 だが最近、自分が祭の事をどう思っているかがわからなくなってきていた。

 

 それはともかく。

 俺は任官してからずっと調練漬けの日々だ。

 

「隊長! 全員揃いました!!」

「よし。ではいつも通りにまずは走り込みだ。総員、駆け足!!」

「「「「「「「はっ!!!!」」」」」」

 

 先頭を切って走り出す俺に続くように配下の兵士たちが続く。

 

 俺は塁や祭と同様、武官として配下を持ちその調練に励んでいた。

 しかし俺が任命された役割は彼女たちの任務とは異なり遠征を主眼に置かれている。

 普段、目の届かない遠い場所で賊が出没した場合の討伐、定期的な領内の村の巡回、他の大守が不穏な動きを見せた時に牽制する事が主な仕事、になる『予定』だ。

 

 今、蘭雪様が持っている『呉』と呼ばれる土地は他の領地に比べてかなり広い。

 建業に腰を据えているだけでは見えてこない部分を見る為に以前から遠征専門の部隊の立ち上げは考えられていたのだが、将が足りないという致命的で切実な要因で今までは企画倒れになっていた。

 

 しかし俺たちが正式に任官した事で在る程度、人材に余裕が生まれた事を機に遠征部隊の立ち上げを改めて打診。

 テストケースとして部下二百人が俺に任される事になった。

 本来ならば信頼の厚い古参の武官、たとえば深冬などが遠征部隊を指揮する事になるのだろう。

 新参者もいいところの俺が何故、こんな重要な仕事についたかには非常に私事な理由がある。

 

 その理由とは蘭雪様である。

 俺が陽菜と想い合っているのは任官初日に伝わっているが、武将としての実績がない俺に妹を譲る気はないらしく「とっととでかい手柄を立ててこい!」と今回のお役目を押しつけてきたのだ。

 確かに手柄を立てるにはどう足掻いても最前線に出なければならない遠征部隊はうってつけなのかもしれないのだろうが。

 

 正直、公私混同も甚だしいと思う。

 公共が冷静に評価して俺ならばやってくれるだろうと後押したので一応、独断ではないらしいのだが。

 

 まぁそんな経緯で俺は任官二日目にして遠征部隊の指揮官をする事になってしまったわけだ。

 

 とはいえ遠征を行うにはまず部隊の準備が整わなければ話にならない。

 しつこいようだが新人である俺が何の下準備もなく、作られて日の浅い部隊で遠征しても成果など挙げられるわけがない。

 なにせ未知とまでは言わないまでも馴染みの薄い土地を場合によっては月単位、年単位で行軍しなければならないのだ。

 

 部隊としての練度を高め、俺を含めた隊員同士が信頼関係を築かなければ良い結果など望むべくもない。

 そして個人単位ではなく部隊で動く以上、食料や飲み水が十分に確保出来ていなければ論外だ。

 

 必要な物資の手配は公共たちがやってくれる事になっている。

 期間三ヶ月を目処に領地をぐるっと一周する想定だそうだ。

 行軍の間に立ち寄る事になる村から大守への要望、治安の現状の聞き込みが第一の任務になると言う。

 なんらかの騒動があった場合は部隊長である俺の裁量で出来うる限りの対応をする事になるのでその責任は非常に重い。

 下手な対応はそのまま蘭雪様の、引いては建業の評判を落とす事に繋がるのだから。

 

 とはいえ物資の手配が完了するまでには当然のように時間がかかる。

 なので俺はその間、可能な限り調練に励みながら軍事を共にする部下たちと友好を深める事に腐心していた。

 

 

 俺を含めた部隊員全員が城下町を含めた建業と言う都市を丸々すっぽりと取り囲んでいる外壁に沿ってひた走る。

 ただでさえ広い外周部は普通に走るだけで相当な体力を消費する。

 しかし今、俺たちは一人の例外もなく重い鎧兜を着込んでいる状態だ。

 体力の消費は普通に走るよりも遙かに激しい。

 

「走る時は膝を腰よりも上に上げるよう意識しろ。地面を蹴る時はつま先に力を込めろ!」

「「「「「「「はっ!!!」」」」」」

 

 しかしこれくらいの訓練に着いてこれないようでは戦場では役に立たないと俺は考える。

 戦場では何日も何日も剣林弾雨(この時代に弾丸と言う物はないと思うが)の中を突き進まなければならない事も有りえる。

 そんな終わりの見えない戦場で生き延びるにはまず体力が、そしてどんな状況でも諦めないだけの気力が必要不可欠だ。

 

 彼らは大守の軍、それも実力で成り上がった者たちと言うこともあり、村の自警団の連中と比べて格段に練度が高い。

 だが根本的な面で俺や祭、慎や深冬たちのような『名のある武将』に比べるとどうしても見劣りしてしまう。

 

 俺はその格差を埋める事ができないかという点に着目した。

 武将となるだけの力を持つ者とそうでない者。

 この差を少しでも縮める事ができれば、部隊の総合的な戦力は格段に伸びる事になる。

 

 真っ先に思いついたのが基本的な体力強化と、俺の流派にある肉体を効率よく動かす為の技術、そして前世の知識による肉体維持の医療技術の伝授。

 何百年と先の技術の中には足運びなどの体の動かし方も当然のようにある。

 それを彼らの体に教え込むだけでも個人の強さは格段に変わるだろうと考えたのだ。

 

「声を張り上げろ! 我らは建業を代表して領内全体の治安維持に務める事になるのだ。半端な気合いで事に当たる事などあってはならん!!!」

「「「「「「応っ!!!」」」」」」

 

 そして今現在はすぐに着手出来る体力強化を優先して調練を行っている。

 

 着任当初、主君のお墨付きがあるとはいえぽっと出である所の俺たちが隊を預かり、政に関わる事をよく思っていない人間は多いだろうと俺は考えていた。

 特別扱いされる人間が出れば、例えそれが理に適っていようとも感情面で納得できない者は必ず出てくるものだ、と。

 

 しかし蓋を開けてみればこの二週間の間に俺が懸念したような人間が出てくる事はなかった。

 

 ここの連中は皆、蘭雪様や陽菜の影響をもろに受けている。

 蘭雪様は実力主義だし、陽菜は前世でそういった考えとは無縁の生活だった為に差別などを嫌う。

 故に実力があり、性格が軍に馴染めさえすれば新参者でも特に気にしないのだ。

 武官文官だけでなく兵士たちにもその気風が浸透している為、恐ろしく庶民的で農村出の俺たちですら簡単にここに馴染む事が出来た。

 

 前世でガチガチの軍隊を体験している身としては、蘭雪様の軍の在り方には尋常ではない違和感があるのだが。

 とはいえここがそういう場所なのならば合わせるべきは俺の方だ。

 

 締める所はきっちり締めて、最低限の節度くらいは身につけさせたいと思っているがそういう部分については公共や慎、古参の文官たちと相談するべきだろう。

 いざ他の領主、大守、官軍などと関わる事になった時の為に最低限の節度と言うものは必要になるからな。

 

 

 日が真上に昇る頃までただひたすらに走り込みを続ける。

 この一ヶ月間延々と続けてきたお陰で最初は城壁の外回りを十周が限界だったが今では二十週は持つようになっていた。

 

 部下たち自身も自分たちの成長が実感出来ているようで、最初こそ単調な調練に不満を抱いていたが今は俺の調練方針に従ってくれている。

 

「朝の調練はこれで終了する! しっかり体を解した者から昼食を取れ! 一刻後に城内の調練場へ集合!!!」

「「「「「「はっ!!!」」」」」」

 

 唱和するはきはきとした返答を聞いてから俺は彼らがストレッチをする様子を見守る。

 柔軟運動のやり方は最初の鍛錬の時に俺が教えて実践して見せている。

 彼らにとっては馴染みの薄い行為ではあったが、その効能が確かな事がわかると率先して行うようになり、他部隊に勧める人間も出てきたので少しずつではあるが軍全体に浸透してきている。

 とはいえやり方を間違えると逆効果に成りかねない為、慣れるまでは俺が監督する必要があるんだが。

 

 勿論、俺も後でしっかり柔軟を行う予定だ。

 他者に気を配りすぎた結果、自己を疎かにするのは論外なのだから。

 

「こら、賀斉(がせい)。腕をそんなに曲げると逆に筋を痛める。それと柔軟はゆっくりと丁寧にやれ」

「は、はい」

「お前は力は強いが加減が出来ていない。加減が出来ないと言う事は行動の一つ一つに余計な力が入ってしまうと言う事だ。必要な時に必要なだけの力を出せるように心がけろ」

「む、難しいけど頑張ります!」

「よし」

 

 恐縮しきった様子で返事をする十四、五歳ほどの少女。

 

 彼女の名は賀斉公苗(がせいこうびょう)。

 史実では派手好きと言われているが、目の前の彼女にはそんな様子は見られない。

 逆に引っ込み思案なくらいだ。

 年不相応に背が高く、スレンダーな体つきに反して馬鹿みたいに力が強いがそれを持て余して畑仕事も満足に出来なかったらしい。

 そんな彼女の噂を聞いて公共が引き抜いて以降、兵役に付いていると言う話だ。

 有り余っている力をどうにか自分で制御出来るようになれば日常生活は元より武将としても大成出来るだろう。

 先が楽しみな子である。

 とはいえ俺の知る史実では孫策の代の頃から呉に仕えていたはずなのだが。

 

 

「宋謙殿。貴方は体力、筋力共に申し分ありませんがどうにも筋肉が固まりやすいように見受けられます。腿や腕の筋肉を揉むだけでもずいぶんと柔軟になり、疲労を身体に溜めにくくします。日に一度、定期的にやってみてください」

「ふむ、わかりもうした。しかし隊長殿はまこと博識ですなぁ」

「ただ人が知らない事を知る機会に恵まれただけです」

「いやいやそれは謙遜と言うものです」

 

 顔以外を分厚い鎧で包んだ強面の男性が物静かな笑みを浮かべながら、指示通りに筋肉を揉み解し始める。

 

 宋謙(そうけん)

 字は無し。

 賀斉同様、史実では孫策が挙兵した頃から仕えた武将。

 その活躍は韓当や黄蓋に負けない程と言われたが彼自身が表舞台に出る事は少なかったと言う。

 二メートルを越える長身に無骨な鎧を着込んだその姿は見る者すべてを威圧するかのようだ。

 話してみれば意外に気さくな人柄だったが。

 年は三十五歳で妻がいる。

 休日は仲睦まじく二人でひなたぼっこをしているらしい。

 訂正。

 年齢よりも遥かに老成しているように見受けられる。

 

「隊長、柔軟終わったら一緒に飯行きましょ、飯」

「お、そいつはいい。幼台様との馴れ初め、今度こそ聞かせてもらいますぜ」

「あ、それあたしも聞きたい!」

「飯はいいが馴れ初め話は却下だ。談笑するのはいいが柔軟をサボるなよ?」

「「「へ〜い」」」

 

 がやがやと騒ぎ立てる部隊の面々。

 さっきまで一糸乱れぬ動きで走り込みをしていた連中とこいつらが同一人物だとはにわかには信じられないだろう。

 

 俺も、こいつらも人間だ。

 常に気を張り、緊張した状態を維持する事など出来はしない。

 緩められる時に緩めてこそ、有事の際に全力を出すことが出来るのだ。

 

 だから今はこれでいい。

 今、この時は彼らと俺の立場に差などない。

 肩書きに沿った言動はあっても、こいつらはこいつらなりに俺と接し、そして俺は俺なりに彼らと接する。

 そうして生まれる信頼が時に勝敗すらも左右するほど強い力になるのだ。

 生き延びる為の『力』に。

 

 二百人の部下たちは『武将』である俺にとっては手駒だ。

 甚だ不本意だが隊を預かる者としてそのように割り切って考える事が必要になってくるだろう。

 だが同時に彼らは俺と苦楽を共にする『戦友』でもある。

 

 村での調練の時も考えていた事だが、俺はそんな彼らを可能な限り死なせないようにしたい。

 

 だからこそ調練そのものを過密で厳しい物にしている。

 村の自警団では余りの厳しさに逃げ出す者も多かったが、新しい部下たちには他隊へ異動を申し入れる人間はいなかった。

 どうやら彼らは俺の意図を正しく理解し、納得してくれているようだ。

 

 俺にとっては嬉しい誤算だ。

 誤算と言えば部隊に配属された二百人以外の兵士や武官、文官たちからも俺は最初から一目置かれていた。

 訳がわからなかったので聞いてみた所、例の任官初日の事件で蘭雪様から逃げ切った事が思った以上に評価されている事がわかった。

 

 蘭雪様に仕える面々の間ではあの方の妹絡みでの暴走は有名らしく、大抵の人間は被害に遭うか現場を目撃した事があるのだそうだ。

 戦場で率先して最前線に立つ豪傑である蘭雪様が、妹である陽菜の事で暴走するとそれはもう手が付けられなくなるのは周知の事実。

 そしてそうなった彼女から逃げられた者は今までおらず。

 俺は偉業を成し遂げた唯一の男として一目置かれる事になったのだそうだ。

 

 俺としては釈然としない物を感じないでもないが。

 そのお陰でこうして滞りのない部隊運営が出来ているのだからあの告白も無駄ではなかったのだろう。

 

「で、最近はどうなんですか? 幼台様とは?」

「……黙秘だ」

「二人だけの秘め事って訳ですか? 羨ましいですねぇ」

 

 しょっちゅうそれをネタにからかわれるのが厄介だが、これは身から出た錆か。

 俺は部下たちの執拗な追撃をいつも通りに捌きながら柔軟の監督を続けた。

 

 心の片隅で陽菜と、そして祭の事を考えながら。

 

 

 

 駆狼と陽菜様(真名は話してすぐに預けてくださった。姉妹揃って豪気な人物じゃな)が玉座の間で自分たちの関係を暴露した日。

 儂は駆狼自身の口から想い人の事を聞いた翌日にその本人が登場するという怒濤の展開に頭がついていかず、つい怒りと嫉妬心の赴くままに蘭雪様と一緒に駆狼を追い回してしまった。

 

 心の底から安らいだ顔で、あやつは陽菜様を見つめていた。

 陽菜様もまた心の底から楽しそうな顔で、駆狼を見つめていた。

 

 『お似合い』と言う言葉があの場にいた全員の頭によぎったはずじゃ。

 それくらいに二人が共にいる事を自然だと感じた。

 

 負けたと思った。

 ずるいと思った。

 なぜ儂じゃないのかと思った。

 自分でも理不尽だとわかる怒りが湧き出てくるのを止める事が出来なかった。

 

 結局、追いかけ回している内に頭が冷えて途中で追いかけるのはやめたのじゃが。

 儂の心は敗北感で一杯じゃった。

 その気持ちをずっと引きずってこの一ヶ月、ずっと駆狼の事を避けてしまっている。

 自分が情けなくて仕方がなかった。

 

 どうにかこうにか仕事にこの気持ちを持ち込む事はなかったんじゃが、正直それもいつまで持つかわからん。

 塁たちには心配をかけてしまっているが、こればかりはどうしたらよいかさっぱりじゃ。

 

「あら? 祭」

「あ……陽菜、様」

 

 夜、どうしても寝付けずに宛もなく城の中を歩いていた儂は偶然、陽菜様に出会った。

 出来れば今は会いたくない方だった。

 

 あやつの想い人であり、儂が仕えている方の妹君。

 初日に暴れてしまった事もあって、どう接していいかわからなかった。

 

「……丁度よかった。貴女とはゆっくり話がしたかったの。今、いいかしら?」

「わ、儂と話、ですか?」

「ええ。慎たちともいずれ機会を見て話を聞きたいとは思っていたのだけど、その中でも貴女とは一番最初に話をしておきたかったのよ」

「わかり、ました」

 

 儂と話。

 最初は五村同盟の事を聞きたいのかと考えた。

 じゃがそれなら駆狼に聞けばいい。

 あやつが同盟の立役者なのだから。

 

 特別、儂を指名して話がしたいと言われると心当たりは一つしかない。

 

 駆狼個人の事じゃろう。

 誰がどう見ても特別に親しい間柄の二人を見て儂が嫉妬に狂った様子をこの方はしっかり見ておるのだ。

 

 自分の特別な人に言い寄る女なんぞいたらそれは気になるじゃろう。

 もしかしたら儂に『駆狼に近づくな』と釘を刺すつもりなのかもしれんな。

 

 届かぬ想いを諦めきれずに横恋慕していたのは儂の方じゃ。

 なにを言われても仕方がない、か。

 

「ん、ここでいいかしらね」

 

 鬱々と考え事をしていた儂はいつの間にか中庭に来ている事にようやく気が付いた。

 

「ほら、座って」

「は、はぁ……」

 

 わざわざ儂の分の椅子を引いてから対面の椅子に座る。

 そんな気を遣うような立場ではないと言うのに。

 儂にはそんな心遣いを受ける資格なんぞないと言うのに。

 

「まどろっこしいのはあまり好きじゃないからいきなり本題に入るけれど」

 

 儂は心中で身構える。

 どんな罵声が来ようとも耐えられるように。

 しかし彼女から出た言葉は予想していた物とは違っていた。

 

「貴女、駆狼の事好きでしょ?」

 

 優しい声音、優しい顔、優しい笑みで彼女はそう問いかける。

 その言葉が疑問ではなく確認である事は察するまでもなく理解出来た。

 

「ふふ、私が駆狼を奪おうとしてるとか考えてたんじゃないかな?」

「あ、いや……そんな事は」

 

 そのものずばりの指摘を受けて口がうまく回らない。

 

「大丈夫。駆狼も貴女の事、好きみたいだから。片思いじゃないわよ」

「……えっ?」

 

 その言葉に今度こそ儂の思考は止まってしまう。

 駆狼が儂の事を好き?

 

「……駆狼と私はね。少し普通とは違う経験をしているの。その経験のお陰で家族よりも長い付き合いがあって、深くお互いを理解している。私たちがお互いに想い合っているのは家族すら知らない繋がりが私たちにあるから」

 

 それは儂に語りかけると言うよりも独白に近い物だった。

 しかし陽菜様は儂から目を逸らさず、優しい顔のまま話を続けていく。

 

「私たちはその経験を『前』と言っている。私たちの関係は『前』からの続きなの。普通の人は持っていないから持っている人に縋る。言ってしまえば依存に近い物。それでも私が駆狼の事を好きなのは変わらないけど」

 

 一度、言葉を切って困惑している儂を見つめる陽菜様。

 優しさの中に寂しさが紛れた不思議な笑みを浮かべていた。

 

「私はずっと駆狼を想って生きてきた。辛い時も悲しい時も心の拠り所にしてきた。でも駆狼は違う。任官する前の日に偶然、一足先に再会して話をした時に気付いたのだけど『前』ではなく『今』と向き合って生きていた。生まれてからずっと『前』に縋って生きてきた私とは大違い」

 

 羨ましそうな顔で陽菜様は私を見つめる。

 

「貴女は駆狼にとって『今』の象徴なの。『前』とか『今』とかの言葉の意味はわからないだろうから掻い摘んで言うけれど駆狼にとって貴女は特別、大切な人なのよ」

「儂が……駆狼の特別?」

 

 呆然と呟く儂に陽菜様は真剣な眼差しで頷く。

 その表情に嘘や冗談など見られない。

 

「駆狼は肝心な所で不器用で気が利かないから、『前』の私と『今』の貴女を比べてしまっている。人の想いなんて比べられる物じゃないのに。わざわざ自分が傷ついてまで出来もしないのに比較して、一人で答えなんて出せないのにむりやり答えを出して、それが正しいと思い込んで……貴女を遠ざけようとしてる」

 

 最近の駆狼の態度を思い出す。

 面と向かって儂に言った『拒絶』の言葉。

 諦めないと公言し、心で定めても面と向かって否定されて儂は何度となく傷ついた。

 涼しい顔で言葉を紡ぐ駆狼に恨み言を浴びせた事もあった。

 

 だが今の陽菜様の言葉を聞いてこう思った。

 

 もしかしたらあの時、駆狼は。

 儂が傷つく以上にずっと自分を傷つけていたのではないかと。

 

「人の想いを測ろうとするなんて無理よ。たとえそれが自分の気持ちでもね。でも駆狼はむりやりそれをやっている。私を想ってくれるのは嬉しい。でもね、だからって駆狼にやせ我慢なんて強いたくないの」

 

 一途に駆狼を思う陽菜様は月明かりの中、途方もなく美しく見えた。

 

「だから貴女にお願いしたい。駆狼を助けてあげて」

「で、すが儂は……」

「貴女でなければ『今』の駆狼に本当の意味で声が届かないの。『前』の私じゃ絶対に出来ない事なの。駆狼を想っている貴女じゃないと……身勝手なお願いをしているかもしれない。けどこのまま駆狼が我慢するのは見ていられないの」

 

 優しい顔をされていた陽菜様はもういない。

 目からはすでに涙がこぼれ落ち、頬は濡れている。

 自分と同年代のはずなのに、一回り幼くなってしまわれたようにすら思えた。

 しかし陽菜様の言葉、大半は理解できなかったが一つだけわかった事がある。

 

「貴女は本当に駆狼を愛しておるんじゃなぁ」

「勿論よ。生涯を共に誓い合った仲だもの」

 

 目を赤く腫らしながらきっぱりと言い切る。

 思わず儂は笑みを浮かべていた。

 

「貴女はなんとも思わないですか? 儂が駆狼を好いている事に」

「むしろ嬉しいくらいよ。貴女のような人が駆狼を好きになってくれて」

 

 ははは、まったく豪気なお方じゃな。

 自分の良い人を取られるかもしれんと言うのに。

 

「奪い合うよりも共有する方が私としては嬉しいしね」

「……さらっとすごい事をおっしゃいますな、陽菜様」

 

 気持ちよく笑っていたと言うのに頬がひきつってしまった。

 

「別に好き合ってるなら一夫多妻でも良いと思うのだけど。『前』もそう思ってたんだけど」

「あっはっはっは! まったく陽菜様は大胆な事をおっしゃる」

「そこまで大笑いするような事かなぁ? ああ、でも誰でも一緒でいいわけじゃなくて駆狼をしっかり見れて止められる人じゃないと駄目よ」

「ああ、なるほど。それは確かにそうですな。有象無象が自分と同じ立場に立つなど気分が悪くなりますぞ」

「そうよねぇ」

 

 ああ、まったく。

 なんてお人だ、陽菜様は。

 儂がさんざん悩んでおった事をぶち壊して、道まで示してくださるとは。

 これは是が非でも願いを叶えて差し上げねばなるまいよ。

 

 そして駆狼。

 覚悟しておけ。

 儂はもう躊躇わん。

 儂と陽菜様はお前と共にいなければ幸せにはなれんのだからな。

 



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第十四話 二人の妻との幸せを。遠征開始

 俺は街を適当に歩きながら目に留まった店を覗いていく。

 時々、街の住人に声をかけられ立ち止まっては軽い談笑。

 そんな平和な一時を噛みしめながら俺は城下町ぶらり行脚を続ける。

 

 今日は俺が任官してから初めての休暇だ。

 

 基本的に調練に明け暮れている俺たちだが、休日は当然のように存在する。

 部下たちにもローテーションで休暇は与えているが、俺の場合は管理職な事もあってさらに少ない。

 現在の勤務体制は彼らが週休二日なのに対して俺は週休一日程度だ。

 

 前世の日本ならば訴えれば確実に勝てる程の休日頻度である。

 尤もこの世界に労働基準法なんて気の利いた法律は存在しないので訴えられるような事はないだろうが、そこは俺個人の気持ちの問題だ。

 

 とはいえそうでもしなければ手が回らない程に遠征軍は急ピッチで準備を進めなければならないのが現状なので止むを得ないと諦めてもいる。

 物資の手配が終わるまでに部隊を最低限の形に整えておかなければならないのだから。

 

 周異たち文官勢が本来ならもっと時間がかかる三ヶ月分の物資を二ヶ月とかからずに調達してしまった事が俺たちの準備をさらに急がせる結果になっている。

 

 その手配の手際の良さにはさすがと感心した物だ。

 しかし調練をもう少し腰を据えてやりたかったと言う思いがあるのも事実である。

 

 とはいえ早急に領土全体の状況を把握したいという我らが主の言い分もよくわかる話。

 だからよほどの無茶でなければ文句など言うつもりはない。

 

 そしてなにより。

 今回のこれは無茶ぶりとしてはまだ軽い方だと俺の勘が告げている。

 この程度、乗り越えて見せろと言う蘭雪様の私念(誤字にあらず)も感じられるのでここは一つ期待通りに、いや期待以上の働きをしてみせようと俺は覚悟を決めていた。

 部下たちも君主の無茶ぶりには諦めているらしく、不満は出ていない。

 

「それでも強行軍には違いないがな」

 

 そんな事を考えて調練を進めてさらに二週間ほど。

 いよいよ遠征出発の時が迫ってきていた。

 

 今日は遠征を控えたガス抜きの一日でもあるのだ。

 故に俺の部隊は全員が今日は休暇になっている。

 各々が思い思いに休みを満喫しているだろう。

 

 俺も勿論、この休日を静かに過ごす予定だった。

 ……休みの前日までは、だが。

 

「おお、来たな駆狼」

「待たせたか?」

「いいや、それほどでもないぞ」

 

 晴れやかな笑みを浮かべる祭。

 

「確かにそんなに待っていないけれど女性よりも後に来るようじゃ駄目よ?」

「……すまんな」

 

 静かに微笑む陽菜。

 

 どこからか休暇の話を聞きつけたこの二人のせいで俺の予定は潰された。

 

 まぁ二人とも建業にとって重要な立場にある人間だ。

 俺が黙っていてもいずれ休暇の話は聞かれていただろう。

 

「ほれ、なにを黄昏れているんじゃ。しばらく会えぬのじゃから今日は騒ぐぞ!」

「そうよ! そんな辛気くさい顔してないで楽しみなさい!!」

 

 片腕ずつを彼女たちに抱え込まれ引っ張られる。

 仕方なしに自分で歩き始めるが二人は腕を離してはくれなかった。

 

 端から見れば美女二人を侍らせているろくでなしに見えるだろう。

 実際、公然と二股をかけているのでろくでなしには違いないが。

 

 

 そう。

 俺はつい先日、陽菜を愛する身でありながら祭を受け入れた。

 

 陽菜に祭を振る理由に自分を使うなと怒鳴られ。

 祭には俺がどれだけ否定しても、拒否をしても決して『自分の思いは折れない』という意志を見せつけられ。

 

 そして俺は陽菜だけでなく、祭の事も想っている自分の心に気付かされてしまった。

 

 ずっと目を逸らしてきたと言うのに。

 陽菜の存在が明らかになった事でようやく祭が諦める所までこぎ着けたと言うのに。

 

 結局、俺は最後までその意志を貫く事が出来なかった。

 正確には祭と陽菜に意志をへし折られたと言うべきか。

 

「別に妻が二人でもいいじゃない? どっちとも両想いなんだから」

 

 二人の女性を想うという決して許されない事をしている俺に向かってあっけらかんとした顔で告げる陽菜。

 

 その言葉を聞いた時は俺の苦悩はなんだったのかと怒りすらこみ上げてきた物だが。

 

「『前』の事を言い訳に持ち出すのは無しよ。貴方は私にとっては玖郎だけど、『今』は凌刀厘であり駆狼でもある。『玖郎』として私を愛してくれるのは嬉しい。でもそれなら『駆狼』として祭にも応えるべきよ」

 

 倫理感も常識もあったものじゃない。

 俺にとって陽菜のその言葉は悪魔の誘惑にもほどがあった。

 

 心中を完全に見破り、俺の想いを理解した上で諭そうとする陽菜。

 そして長く続いた俺との中途半端な関係を終わらせる為に不退転の覚悟を決めた祭。

 

 俺にとって万の軍勢にも勝る程の難敵だった。

 

 最終的に口では勝てず、俺は追いつめられて武力行使にすら及んだ。

 しかし揺れる心のままに振るった力で祭に打ち勝つ事も出来ず。

 必死に守ってきた心の壁は祭の拳で突き崩された。

 

 仰向けに打ち倒されて無様を晒した俺。

 こんな無様な人間に幻滅してくれれば良いと最後の足掻きにそう思った。

 

 しかし祭と陽菜は、俺から離れようとはしなかった。

 否、俺を離そうとはしなかった。

 

「お前が倒れても儂らが起こしてやる。膝と着きそうになったら肩を貸してやる。お前がずっと気を張っている必要はないんじゃ。儂はずっとお前と共におるから。儂はどんなお前だって受け入れるから……だから」

 

 倒れ込んだまま呆然とする俺を抱き起こしながら祭は語る。

 震える声で意を決し、村を出立する前と同じ意味の言葉を。

 

「お前も儂を受け入れてくれ」

 

 心の壁を打ち壊された俺に断る事など出来るはずがなかった。

 

 

 

「おい、どうしたんじゃ駆狼?」

「さっきからずっと黙り込んでるけれど」

 

 左右から顔を覗き込むようにして俺を見つめる二人。

 二人の声で我に返った俺は軽く頭を振って意識を『今』に戻す。

 

「……こんな風に収まった時の事を思い出していた」

 

 前世の頃よりもさらに勘が鋭くなった陽菜と長い付き合いの祭を誤魔化そうとする気にはならず、正直にぼうっとしていた理由を話す。

 

「ああ、儂の『長年』の想いがようやく実った日の事じゃな」

「わざわざ長年を強調するな。俺が悪いのは理解している」

「じゃあ当然、お前に冷たくあしらわれていた頃の埋め合わせはしてもらえるんじゃろうな?」

「……ああ」

 

 その時の事を引き合いに出されては俺に拒否権はない。

 肝心な事を誤魔化し続けて祭を傷つけてきたのは俺だ。

 これは俺の蒔いた種なのだからな。

 

「祭にばかり構うのは許さないわよ。私たち二人をしっかり面倒見てね」

「それもわかっている。決めたのは俺だからな」

「よろしい」

 

 不満げにしていたかと想えば一転、満足げに笑う陽菜。

 年老いてもその感情表現豊かな性格は変わらなかったが、生まれ変わってもそのままだ。

 

「さっさと行くぞ、今日は俺の奢りだ」

「ほう、言ったな駆狼。もう撤回させんぞ?」

「撤回するくらいなら最初から言わん」

「それじゃお言葉に甘えて贅沢させてもらおうかしらね」

 

 想い人と連れ添いあいながら歩く。

 諦めていたはずの光景がある事を嬉しく思う。

 多少、自分が思い描いた形とは違ってはいるが、それでも今この時の俺は幸せだった。

 

 俺は争いが耐えないこの世界でより一層気合いを入れて生きていく事を誓う。

 両腕に感じる異なった温もりを喪うことがないように。

 

 

 そして翌日。

 俺は鍛え上げた二百の兵と共に建業を出立する日になった。

 まずは北へ、そして長江に沿って東へ進路を取り、海沿いに領地内の村を見て回るという行程だ。

 他の領土との国境沿いはなるべく相手側を刺激しないように進んでいく事になる。

 俺たちは領地を上手くまとめられているが、それでも他の領土と事を構える程に余裕があるわけでもない。

 今は何よりも『地盤を固めるべき』というのが文官勢の共通した認識だ。

 

 その地盤固めの政策の第一歩が領内を巡回する軍の派遣。

 俺が想定した以上に今回の任務は重要度が高い。

 だからと言って俺がやる事が変わる訳でもないが。

 

 

 見送りはいらないと言ったのだが、君主も軍師もまるで聞き入れてくれず主だった武官、文官は出立場所である建業の北門に集まっていた。

 

「まったく、大袈裟な……」

「そう言うな、駆狼。ようやく取りかかれた新しい政策だ。幸先が良いように派手に見送りたいのさ」

「そういう事だ。これも兵たちの志気を少しでも上げる為の策さ」

「失敗する要素は可能な限り排除して事に当たりたいのですよ」

「まぁ話としては理解出来ますが、ね」

 

 後ろに居並ぶ部下たちには聞こえないように会話をするのは俺と蘭雪様、公共改め美命と深冬だ。

 

「お土産、よろしくね。駆狼〜〜」

「遊びに行くわけではないんだが。一応承知したと言っておく、雪蓮嬢」

「駆狼殿、道中お気をつけて」

「ありがとう、冥琳嬢。そちらはしっかり勉強に励めよ」

 

 調練の合間に談笑していたらいつの間にか心を開いてくれた公瑾嬢改め冥琳嬢とさらに懐いた雪蓮嬢の頭を撫でる。

 君主と筆頭軍師の子供に対してかなり慣れ慣れしい態度を取っているのだが、誰も咎めない。

 

「なんかあったらすぐに伝令寄越せよ。お前がどこにいたって出来る限り手助けするからよ」

「ああ。その時は頼りにさせてもらう、激」

「おう!」

 

「海沿いに行くんだから新鮮な魚とかお土産よろしくね」

「塁、魚はどうにか出来るかもしれんが新鮮なのは無理だぞ。海は行軍の前半部分だからな」

「ええ〜〜、なんとかしなさいよ〜〜〜」

「無茶を言うな」

 

「刀にぃ、気をつけて。成果、期待してますから」

「ああ、せいぜい期待に応えられるよう気張るよ、慎」

「言う必要はないと思うけれど、功を焦ったりしないでね」

「愚問だな。自分の身勝手で部下に余計な負担などかけんさ」

 

 幼馴染みたちからかけられる言葉に返答し、離れて見守っていた二人に俺から近づく。

 

「祭、陽菜。行ってくる」

「駆狼、しっかりお勤めを果たして来い」

「任せろ」

「体には気をつけてね。変な物、拾い食いしたら駄目よ?」

「俺は子供か? お前こそ護衛も付けずにぶらぶらと街をうろつくなよ?」

 

 いつもと変わらないやり取り。

 お互いがお互いを信頼しているから、態度を変える必要はない。

 俺は生きて帰ると二人に誓ったのだから。

 

 とはいえ最近、この二人にはやりこめられてばかりだからな。

 たまには攻勢にでも出てみるか。

 

「祭……」

「ん、なんじゃむぐッ!?」

 

 不意打ち気味に祭の唇を奪う。

 すぐに離して次の目標へ。

 

「え、んむっ!?」

 

 俺の行動に、珍しく目を見開いて驚いている陽菜の唇も奪う。

 

「うわぁ、駆狼ってば大胆」

「ば、馬鹿、雪蓮!! そんな食い入るように見る物じゃない!?」

 

「おお、派手にやったなぁ駆狼」

「まさか兵たちの前で接吻とは。沈着冷静だと思ったが案外、熱烈なのだな」

 

「うちの大将は秘めた熱血漢だからなぁ」

「そうだね。って言ってもさすがに吃驚したよ」

「それだけ二人の事が好きって事でしょ。いいなぁ、祭と陽菜様」

 

「ううむ、若いですなぁ。隊長殿も黄蓋殿も陽菜様も」

「あ、あわわわわ。す、すごいです隊長」

 

外野が何か言っているが、ここは聞き流す所だろう。

 

「それじゃ行ってくる」

「う、うむ……」

「い、行ってらっしゃい」

 

 顔を真っ赤にして視線を明後日の方向に向ける二人。

 その微笑ましい様子に自然と口元を緩ませながら俺は振り返り、配下二百人に命じた。

 

「これより凌操隊二百名は呉領内への遠征を開始する!!! 誰一人欠ける事なく再びこの建業の地を踏むぞ!!!!」

「「「「「「おおーーーーー!!!!!!」」」」」」

 

 男女合わせて総勢二百名の唱和を心地よく感じながら俺は隊の先頭を切って足を踏み出した。

 

 

 

「まったく駆狼のやつ」

 

 顔を赤くしたまま遠ざかる凌操隊を見送る祭と陽菜を見やる。

 出立前に好き勝手やっていきおって。

 もしかしたら今日は役に立たんかもしれんな、あの二人。

 

「どうした、蘭雪?」

「いや、本格的に妹を取られてしまったと思ってな」

 

 ずっと私を支えてくれた、手助けしてくれた妹。

 私が婚儀を上げた時も率先して式の手配をして祝福してくれた。

 子供が生まれた時も子育てなんぞした事がない私に付き添って雪蓮や蓮華(れんふぁ)、小蓮(しゃおれん)の世話をしてくれた。

 

 ずっとずっと私と一緒だなんて、なんとなくそう思っていた。

 

「ふふふ。いい加減、妹離れをしろと言う天命だろう」

「そんな軽い天命があってたまるか」

「ははは、まぁそうだな」

 

 笑い続ける美命を睨み付けるが、一向にこいつは笑みを消そうとはしない。

 

「しかし私は陽菜が見初めたのが駆狼で良かったと思っているよ。あいつならば陽菜を大切にしてくれる……そう思う」

「……二股かけてるヤツにそんな事ができるか?」

 

 これはただの八つ当たりだ。

 あやつは祭と陽菜、二人を幸せにして余りある事が出来る男だと私は認めている。

 ただそんな男であっても妹を取られたと思うと軽く嫉妬してしまう。

 我ながらなんと幼稚な事か。

 

「それは本心ではないでしょう? 妹を取られた嫉妬なんてみっともないわよ。三児の母だと言うのに」

「やかましい。わかってるよ。あんな妹の顔、見てしまっては認めないわけにはいかんだろうが」

 

 普段から雰囲気に流されず、空気を読み、時に頑なに自分を貫く頑固者である陽菜があんなにも無防備な姿をこれだけの人間の前に晒している。

 それだけ駆狼の接吻が効いたと言うことだろう。

 

「あいつは私の幸せを願ってくれた。なら私があいつの幸せを願わないわけにはいかないからな」

「だったら駆狼が戻ってきたら義姉と呼ばれる覚悟を決めておきなさい」

 

 それだけ言うと美命は私の傍を離れていった。

 もう既に皆、仕事に戻って行っている。

 

 ここに残っているのは長話をしていた私たちと未だぼうっとしている祭と陽菜、護衛の者たちだけだ。

 

「まったく好き勝手言ってくれる。……こら、祭! いい加減目を覚ませ!」

「うひゃうっ!? ら、蘭雪様?」

「ったく、こら陽菜!! さっさと政庁に戻るぞ!!!」

「わたっ!? ね、姉さん痛い……」

 

 ぐいぐいと二人の手を引いて北門を抜ける。

 一度だけ門の外に振り返り、絶対に聞こえていないだろう駆狼に告げる。

 

「さっさと成果をあげて帰ってこい。義弟(おとうと)よ」

 

 まだ事態が飲み込めていない二人を引きずりながら私は政庁に向かって歩きだした。

 



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第十五話 錦帆賊という者たち。

この話は主人公が最後にしか出てきません。
今更ですが史実改変、時期の変更など独自要素に溢れています。



 かの者は義に篤く己の意志を貫く。

 決して他者に誇れる立場にはないが、それでもかの者は弱き者を守る。

 例え賊徒と蔑まれようとも。

 

 

「国が人を守られねぇってんなら俺が人を守る。国の兵士が人を守らねぇで逆に虐げるってんなら俺は賊で構わねぇ」

 

 玉座でふんぞり返っている男を睨み付けて告げる。

 

「虐げる? 私は彼らを守っているだろう? 賊に襲われた村に救援を出し、日頃仕事に精を出す彼らを慰撫する為に街を出歩く。どこに虐げるなどと言う言葉が出てくるのだ?」

 

 獣でさえ怯む俺の眼力を受けても平然とする男。

 全然、悪びれもせずにてめぇの都合の良い解釈を言い募るこの領地の長に殺意が増す。

 

「あんたの認識じゃ村が滅ぶか滅ばないかの瀬戸際に部隊を送り込むのを救援って言うのか?」

「……」

「あんたの認識じゃ部隊を引き連れて嫌がる連中からむりやり税を徴収する事を慰撫って言うのか?」

「……」

「答えろや、刺史様よぉおおおお!!!」

 

 俺の怒声が玉座の間に響き渡る。

 しかし劉表(りゅうひょう)もその取り巻きどももだんまりを決め込んだまま。

 

「くくく、まさか私が、荊州刺史であるこの劉景升(りゅうけいしょう)が一兵卒風情にここまで噛み付かれるとはな」

 

 肩を震わせて笑う劉表。

 反省の気配なんて微塵も感じられねぇその態度が俺の神経を逆撫でする。

 

「黄祖(こうそ)、この男の名は?」

「甘寧(かんねい)と言います。腕っ節だけの無頼漢です」

「無頼漢ねぇ。人から搾り取る事にご執心の獣と同類にされるよりゃ遙かにマシじゃねぇか」

 

 一応の上官である黄祖の俺を見下した言葉を鼻で笑う。

 いざ戦に出た時はなにもかもを部下に丸投げするようなヤツだ。

 敬う部分なんてまったく見えやしねぇ。

 そんなヤツに使う敬語なんてねぇ。

 

「それで? 甘寧。私に対してそのような暴言を吐いたのだ。覚悟は出来ているのだろうな?」

「けっ! やっぱり俺らの言葉に耳を貸す気はねぇわけかよ」

「なにを言う。しっかりと聞いてやっているではないか。私に対する暴言をこの両の耳でな」

 

 わざわざ耳を指さして劉表は答える。

 

 その態度で俺は確信した。

 こいつは民から搾取するのをやめないんじゃない。

 こいつにとって民から搾取するのは当たり前の事なんだ。

 

 歩くのと同じくらいに。

 腹が減ったら飯を食うのと同じくらいに。

 

 こんなのが刺史として働いているって事実に、抑えきれない怒りを覚える。

 

「さてここに乗り込むまでに貴様は立ちふさがった兵を全て叩きのめしたな? これは私に対する明確な反逆だ」

 

 笑わせやがる。

 陳情なんて見もしねぇで握りつぶす癖に。

 どんだけ『俺たち』が荊州の有様をなんとかしようと足掻いていたかも知らねぇで。

 

「黄祖、韓嵩(かんすう)、蔡瑁(さいぼう)。この愚か者を殺し、その首を市中に並べよ。なぜそうなったかをありのままに書き記した張り紙も忘れるな。私に逆らった者の末路を民に知らしめてやれ」

「「「はっ……」」」

 

 返事をし、剣を抜く三人の将軍。

 俺も自分の愛刀『凜音』を抜き、威嚇するように息を吐き出す。

 

「劉景升、てめぇは俺が殺す!!」

「ここで死ぬ貴様には出来ぬよ」

 

 蔑みと嘲りを含んだ言葉に俺は盛大に口元を歪めた。

 

「ざけんな、てめえら如きに俺がやれるかぁ!!!!」

 

 

 

 体が揺らされ、俺は夢から解放された。

 

「父……」

 

 小さなその声が俺の耳に届き、俺はゆっくり目を開く。

 俺を見つめる丸々とした一対の目が不安げに揺れていた。

 

「思春、どうした?」

「……うなされていました」

「ああ。昔、国に仕えていた頃を夢に見た」

 

 今でも思い出すだけで腸が煮えくり返る。

 あのクソ野郎の劉表は黄祖どもが俺を殺せないとわかると伏せていた兵に俺を追い立てさせた。

 

 さすがに多勢に無勢過ぎてその場から逃げ出した俺は荊州中に賊として手配され居場所を失い、這々の体で揚州に落ち延びた。

 血気勇んだ結果、俺はなにもかもを失った。

 

 奴らに刃を向けた事に後悔はねぇ。

 えげつないやり方で民を生かさず殺さず搾取していたあいつらを斬り捨てる事は俺にとっては当然の結論だったからだ。

 

 後悔しているとすれば、奴らを殺す事が出来なかった事だろう。

 今は俺がいた頃よりも遙かに力を増した劉表たち。

 

 その影では平和に暮らせるはずの人間たちが泣かされているんだろう。

 俺が仕えていた頃に見せつけられた惨状が繰り返されているんだろう。

 

 だと言うのに俺は前のように奴らの所に乗り込む事が出来ない。

 国の不正で居場所を無くした連中をまとめあげて、義賊として力を蓄えていた十年の間にそれだけの力の差が出来ちまった。

 てめぇの力の無さに怒りが湧いてくる。

 

 だが十年と言う時間は俺自身の在り方を変えるには十分な時間だった。

 一度、離れて時間を置いた事で前とは違った物の見方が出来るようになった。

 

 調べてみたが俺が仕えていた頃に劉表が搾取していた幾つかの村は、本当にどうしようもないくらいに終わっていた。

 土地がどうしようもないくらいに干上がっていたんだ。

 作物は育たず、税はおろか日々の糧も得られず。

 辛さに耐えきれずに逃げ出す者が後を絶たず、そして残った人間だけではさらに仕事が出来なくなっていく。

 そんな悪循環の中に在った。

 

 劉表はそんな奴らからさらに税を引き出そうとした。

 だがあの狡猾な男が、ありもしない税を搾り取ろうと軍まで動かすだろうか?

 頭が良くなきゃあんな地位にはいないだろう。

 なら何か思惑があったはずなんだ。

 

 それがなんなのかまではわからねぇ。

 

 今はもう村は無い。

 ほとんどの人間が村を放棄するか、最後の一時までを村と共にして死んだ。

 そしてそれを待っていたかのように劉表は軍を動かし、残っていた建物は解体されて今はただの更地だ。

 村があったという痕跡も残っていない。

 たぶん流れ者が住み込まないように対処したんだろうが本当にそれだけか?

 

「父……」

「悪ぃな。怖がらせた」

 

 どうやら無意識に顔が険しくなっていたらしい。

 娘が不安そうに俺を呼び、服の袖を掴んできた。

 

 その母親譲りの紫色の髪を撫でてやる。

 この十年の間に新しく出来た大切な者の一つ。

 

 もしも想(おもえ)と出会わなかったら、思春が生まれてこなかったら、俺に付いてくる奴らがいなかったら。

 昔のように後の事なんて考えないで突っ走る事が出来たんだろうかねぇ?

 

「んっ……」

 

 気持ちよさそうに目を細める思春に俺も釣られて笑う。

 俺を心配しながらも甘えてくるその様子はただの子供だ。

 

 しかしこいつは俺よりも遙かに強くなれる素質がある。

 親特有の身内贔屓もあるだろうが、それを差し引いてもこいつは強くなるって確信している。

 既にその武の片鱗は見えてきている。

 まだ数えで六歳だって言うのにな。

 

「さて、ちっと早く起きすぎたな。もうすぐ日が昇る頃か」

 

 窓から外を見ながら今の時分を推測する。

 微妙に山向こうから光が漏れている事からほぼ間違いないだろう。

 

「父、いっしょに朝日を見ましょう」

「そうだな。夢見の悪さを偉大なるお天道様に癒してもらうとするか」

 

 思春の小さな手を握り、連れだって部屋を出た。

 嬉しそうに俺の手を握り返し笑いかけてくる思春。

 

 普通に親子をしている俺たちを見て江賊だと思う奴は果たしてどれくらいいるんだろうな。

 

 そんな意味のない事を考えながら俺たちは船の甲板に出た。

 日の出まではもう少しかかるか。

 

「お頭、お嬢。おはようございます!!!」

「おう、おはようさん!! なんか異常はあるか!?」

「いいえ、特には。いつも通りの朝ですぜ!」

 

 見張り台の上から降りてくる声に大声で返事をする。

 

「わかった。交代まで気ぃ抜くなよ!!」

「わかってまさぁ!」

 

 頼もしい返事を聞き届けてから俺たちは船首まで歩く。

 国から弾かれた連中の集まりである所の俺たちは、国から街を預かる大守たちからすれば滅ぼすべき『敵』だ。

 

 何度か討伐軍を送り込まれた事だってある。

 一番、多かったのは建業からだったか。

 とはいえ連中、数は多かったが水の上に慣れているヤツはいなかった。

 だから連中の二割程度しか戦える奴がいない俺たちでも迎撃が出来た。

 

 撃退する度に俺たちの悪評が増えていったが、長江の近くの農村は俺たちが義賊だと知っている。

 俺たち以外の江賊や海賊、山賊から村を守っている事を知ってるからだ。

 

 本当なら大守の軍がやらなきゃならねぇ仕事だ。

 動きが鈍い奴らから仕事を代行(勿論、許可なんぞ取ってないが)して、しかも見返りは最小限。

 連中よりも俺たちが慕われるのもまぁ当然の事だろうよ。

 

「父! 日がのぼります!!」

「おお、今日も綺麗だなぁ思春」

「はい! とてもきれいです!!」

 

 こんな殺伐とした場所で育ったってのに思春は真っ直ぐに成長してくれた。

 そいつはすげぇ嬉しい事だ。

 けどこのまま義賊としてやっていく事に迷いや不安がないわけじゃねぇ。

 

 俺は劉表を殺し、荊州の連中を助けてやりたい。

 しかしこのまま義が付くとはいえ賊徒としてやっていってその目的が果たせるのか?

 たぶん無理だ。

 

 建業の大守が入れ替わったお陰で討伐軍は来なくなったが賊って奴はどこにでも現れやがるし最近、規模もでかくなってきている。

 正直、俺たちだけじゃ手が回らなくなってきた。

 このまま行けば数の差でいずれ俺たちは負けるだろう。

 

 だが教養のねぇ俺の頭じゃ数の差を逆転出来るような策なんざ思い浮かばねぇ。

 

 どっかに仕えりゃまた話は違うのかもしれねぇが、俺たちは国に切り捨てられた連中の集まりだ。

 国への、引いては大守への不信は拭えない。

 だから踏ん切りがつかない。

 このままじゃやばいって言うのは俺たち全員が理解している。

 だがそれでも国が絡む連中に対して警戒し、身構えてしまう。

 

 それはたとえここ四、五年ばかりで評判が鰻登りになっているあの『建業の双虎』であっても変わらない。

 

 民の身で反逆し、大守の座に収まったという成り上がり者。

 民の立場からすればもっとも身近に感じられる大守。

 実際、何人か建業に偵察に向かわせたが治安は良好。

 税金も余所の所と比べれば、全然少ねぇらしい。

 聞いた事のない政策で、街はすげぇ勢いで豊かになっているってのも聞いた。

 

 そしてなにより仕えている連中も大守たちも民との交流って奴を大事にしている。

 

 そんな連中が本当にいるのかって俺たちはそう思った。

 けど実際に行ってきた連中が興奮した様子で語った言葉に嘘なんて見えやしない。

 

 あいつらは建業の双虎ならば信じられるかもしれないとまで俺に言った。

 国に失望した連中で作られた俺たちの仲間にそこまで言わせる建業の新しい大守。

 俺らみたいな奴らからすれば正に希望の星って奴だろう。

 

 だが結局、俺はいまだに動いていない。

 この根強い不信感を消す術を俺は知らなかった。

 

「父、かんがえごと?」

「……ああ、ちょっとな」

 

 このままだと俺たちは遠からず滅ぶ。

 なにか切っ掛けが欲しい。

 俺を含めた全員が抱く国への不信感を消しちまうようなでかい切っ掛けが。

 

 

 

「お頭!」

 

 さっき朝の挨拶をした見張り番の慌てた声に俺は我に返った。

 

「どうした!?」

 

 尋常ではないその声音に俺は見張り番のいる見張り台を見上げて声を荒げる。

 

「前方の河岸に軍隊がいる!!」

「なんだと!? 旗は見えるか!!」

 

 見張り番が指さす方にある河岸に目を凝らす。

 しかし日の光が邪魔をして何十人という人間がいる事はわかっても細かい所までは確認できない。

 

「旗は……『凌』だ!」

「『凌』? 聞いた事がねぇ……いや待てよ?」

 

 確か建業に新しく仕官したって五人組の中にその文字が入っている奴がいたって聞いた気がする。

 

「ち、うだうだ考えても仕方ねぇか」

「父……」

 

 不安そうに俺の服の裾を掴む思春。

 俺はこいつの不安を消そうといつも通りに笑いかけてやる。

 

「思春、悪いが寝てる連中を叩き起こしてきてくれ。場合によっちゃやり合うって事も伝えてな」

「はい!」

 

 慌てた様子で甲板を駆け降りていく思春を見送る。

 

「お頭! 連中、武器は抜いちゃいないようです。なんかこっちを見ながら旗を振ってますぜ!」

「やり合う気はねぇって事か。どんくらいいる!?」

「見える範囲じゃあだいたい二百、多くても二百五十くらいです!」

「少ねぇな。討伐軍なら千は寄越すはずなんだが……」

 

 どたどたと船の中があわただしくなる。

 思春に叩き起こされた連中が甲板から上がってきたんだろう。

 

「「「「「お頭ッ!!!」」」」」

「おう、てめえら。久しぶりに大守の軍が来たみたいだぜ」

 

 旗を振り続けこちらに何かを訴えている連中を指さしてやる。

 

「あいつら、何をしてるんでしょうか?」

 

 前までの大守軍とは違う行動を取っている奴らに部下たちも困惑してやがる。

 

「少なくともいきなり殺しあうって事にはなりそうにねぇな」

 

 船は河の流れに沿って今も進んでいる。

 当然、少しずつだが俺たちと連中の距離も縮まってきていた。

 

「てめえら! すぐに船を動かせるように準備しておけ!!!」

「「「「「おうっ!」」」」」

 

 後ろが慌ただしく動き始めるのを感じながら俺はじっと連中を見つめる。

 

 そしてお互いの顔がぎりぎり見えるくらいまで近づいたその時。

 連中の先頭に立っている男と目が合った。

 

 俺はそいつを睨みつけた。

 男の方は静かに見つめ返してきた。

 

 派手な口上の一つでもかましてやろうと考えていた俺が口を開くよりも早く、男が声を上げる。

 

「我が名は凌刀厘!! 建業大守孫文台様にお仕えする者!! 貴殿らはこの辺りを根城とする義侠の徒『錦帆賊』とお見受けする!! 相違ないか!?」

 

 日が昇りきった長江に大音声が響き渡る。

 後ろで部下たちが息を呑む声が聞こえた。

 無理もねぇ。

 こんなにも心に響く真っ直ぐな名乗りなんて聞いた事ねぇだろうからな。

 

 それにこいつは俺たちを錦帆賊と呼んだ。

 俺たちが他の賊とは違うんだと言う事を教える為に名乗った俺たちの誇りをこの男は呼んだんだ。

 

 そして今までただ賊として扱われてきた俺たちを義侠の徒と言った。

 それは少なくとも目の前の男が俺たちを認めていると言う事に他ならねぇ。

 

「ああ、俺たちが錦帆賊だ!! 俺が頭の甘興覇!! 『鈴の甘寧』だ!!!」

 

 凌刀厘と名乗った男に気圧されないように俺も叫ぶように名乗る。

 自然と口の端がつり上がっていくのがわかる。

 自分がひどく興奮していくのがわかる。

 俺が思った以上にでかい『切っ掛け』が向こうから来てくれた事を俺は心の底から喜んでいた。

 

 

 これが錦帆賊と長い付き合いになる男との出会いであり。

 俺たちが孫呉という大きな家族を得る切っ掛けとなる出来事だった。

 



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第十六話 錦帆賊と鈴の甘寧と。

 俺たち凌操隊が建業を発って早くも二日が経った。

 

 遠征と言う初めての本格的な任務に部下たちも緊張を隠せないでいる。

 賀斉などこの二日間、ずっと手と足が左右で一緒に動いていた。

 逆に宋謙殿などは気負った様子もなく平時と変わらないように見える。

 年期と経験の差と言う奴なのだろう。

 こればかりは早めに慣れてもらうしかない。

 一応、緊張している者たちに関してはフォローするようにしているがそれも完全ではないからな。

 

 

 俺自身はと言えば特に動きが鈍るほどの緊張は無い。

 前世で海外へ出兵した事もある身だ。

 たかが歩いていけるような土地への行軍では過度の緊張などない。

 

「地図によればそろそろ長江が見えてくる頃ですが……」

「そうですな。ほぼ全軍が歩兵で構成されておると言うのにこの行軍速度はなかなかの物です」

 

 呉の領内では馬は貴重だ。

 五村同盟で繋がっていた村ですら全体で二頭とその子供の計三頭だけしかいない。

 軍事に使用される馬などはさらに稀少だ。

 俺たち遠征軍には有事の際の早馬として五頭預かっているが、この数はそのまま建業軍全体の馬の半分にあたる。

 

 今の建業には馬を買うツテがないから馬の数が少ないのは仕方のない事だ。

 しかし今後、起こりうる群雄割拠の世を考えるならば軍馬の購入、飼育の本格化は急務でもある。

 美命や陽菜、蘭雪様も馬の重要性は充分に理解しているのでそちらは任せようと思っている。

 

 俺たちに出来るのは現状の戦力をいかに有効に扱うかであり、間違っても無い物ねだりをする事ではないのだから。

 

「鎧を着ての行軍訓練はこの一ヶ月でみっちり仕込みましたからね。とはいえ俺も含めてまだまだ未熟です。一ヶ月の練度でこれほどならばもっと伸ばす事が出来るでしょう」

「いやはや隊長殿の飽くなき向上心にはまっこと感服致しますぞ」

 

 雑談を交えながら、しかし歩く速度は落とさない。

 いわゆる早歩きによる行軍だが、これでなかなか体力を消費する。

 しかし二百名からなる凌操隊の面々は息切れ一つしていない。

 部隊の真ん中には食料と水を運ぶ荷車部隊がいるが先ほど確認した限り、荷車を引いている面々にも疲れはさほど見えない。

 体力強化と同時に筋力強化にも取り組んでいたお陰だ。

 

「あ、あの隊長!」

「どうした、公苗?」

 

 おどおどとした様子で俺の左隣に近寄ってくる賀斉。

 宋謙殿は彼女の事を娘のように思っているらしく、微笑ましげに彼女を見つめていた。

 

「澄んだ水の匂いがします。もうすぐ水場に着きますよ!」

「そうか、わかった。とりあえず今日中に最初の村に到着出来そうだな。公苗、皆にもうしばらくの辛抱だと伝えて回ってくれ」

「は、はい!」

 

 駆け足で去っていく彼女の背中を見送る。

 人見知りの激しい少女だったが調練漬けにした二ヶ月ばかりの間に部隊の連中とはどうにか話せるくらいにはなっていた。

 いろいろな意味で一歩前進と言った所だろうか。

 

「公苗も段々と隊の面々と打ち解けてきたようですな」

「そうですね。とはいえやはり緊張は解けていないようですが」

「なぁに、彼女を含めた我が隊はまだまだこれからの者たちの集まりですからな。地道な努力を怠らなければぐんぐんと伸びていきましょう」

「ええ、俺もそう思います」

 

 俺が任官する以前から隊の者たちと共にいた宋謙殿。

 蘭雪様や美命らとも長い付き合いである彼の俺たちを見る目はまるで父親のように優しかった。

 

「おお、見えてきましたな。大陸を流れる偉大なる大河『長江』が」

 

 俺たちが出たのは長江を見下ろす事が出来る高台だった。

 

「これが……長江」

 

 俺は初めて見る圧倒的な大河の姿に圧倒された。

 河幅がとてつもなく広く、向こう岸に渡るには小さな船では心許なく見える。

 かの赤壁の戦いでは数十万という曹操軍の兵とそれに相対する蜀、孫呉の連合軍がこの場所に船で並び合ったと言う。

 この雄大な大河は、戦の中にあっても勝敗の如何に関係なく死者を飲み込んだのだろう。

 まぁこちらの世界では赤壁の戦いは起こっていない訳だが。

 出来る事ならあの戦いを起こす事なく乱世を終わらせたい物だ。

 

「この雄大な景色を見ていると疲れなど吹き飛んでしまったように感じます」

「ふふ、まったくですな」

 

 部隊の誰もがしばし無言で長江の姿を見つめていた。

 

 

 予め美命たちが集めていた情報によれば、長江の近隣には村が幾つか点在している。

 村同士の交流が活発で長江で取れる魚などは取りまとめて近くの都市に売りに出しているらしい。

 水上交易も盛んだ。

 近隣の村同士のみならず上流から河の流れに乗って大陸の外の者たちが交易にくる事もあると言う。

 故に大陸にはない珍しい物が取り引きされる事も多いのだそうだ。

 そしてこの河は大陸に恵みをもたらす大切な水源でもある。

 なので長江の近隣には自然と豊富な水源を利用しようと人が集まり、必然的に村が多くなるのである。

 

 その村一つ一つを回るのも俺たちの任務だ。

 

 俺たちは今、長江近隣の比較的、大きな村に駐屯している。

 さすがに村の中に居座るわけにはいかないので、彼らの生活の邪魔にならない程度に離れた場所に即席の陣を敷いた。

 人数分の天幕と簡易的な柵しかない物だが夜を凌ぎ、次の場所に素早く移動する為には最適な代物だ。

 

 陣を敷いた後、俺と公苗、宋謙殿は村の村長宅にお邪魔している。

 他の隊員は周囲の警戒と村人からの情報収集に当たらせた。

 突然の来訪に最初は驚いていた彼らだが、俺たちが建業の孫堅配下の者だとわかると歓迎してくれた。

 この四年間の蘭雪様たちの治世が彼らに信用されていると言う証拠だろう。

 

「呉の領内にある村は全部で十。やはり上流から下流に下りながら見て回るのが最も効率的だな」

「そ、そうですね」

「村長、村の場所ですがこの地図の場所で合っていますか?」

「地図をお見せください。確認致しますので」

「お願いします。墨で点を打ってある場所が我々が把握している村の場所になります」

 

 白髪混じりの四十半ば程の男性に地図を手渡す。

 地図の見方に慣れていない彼に位置を説明しながら目を通してもらう事しばらく。

 村長は地図の内容に驚嘆のため息を漏らした。

 

「おおよそはこの通りで間違いありません。正直、これほど正確な情報をお持ちである事に驚きました」

「有能な軍師や文官がおりますので」

 

 返してもらった地図を改めて見つめる。

 この時代、地図と言うものは非常に貴重だ。

 飛行機や人工衛星があるわけでもないから上空から見た図などが取れるわけではない。

 人の足で行脚し、地理を把握し、それを地図にする。

 ノウハウなどまったくないその作業は口で説明するよりよっぽど難しい。

 

 基本的に地図は国が管理し、定められた厳重な規定を満たした者しか持つことが出来ない。

 国に対して邪な思惑を持つ人間の手に渡るのを防ぐ為だ。

 

 そしてその規定を満たした上で手に入れるには莫大な費用がかかる。

 だから貴重品に分類されている訳だ。

 

 勿論、俺が今持っている地図は国が管理している物ではない。

 美命を中心とした文官たちによる情報収集の成果であり自作の代物だ。

 国が管理すると定められてはいるが、それは国が『地図と認めた物』に限った話だ。

 こんな『落書き』を国は地図と認めはしないだろう。

 そもそも国の上役連中には落書きの一つ一つを調査して地図の精度を確かめる程の暇はない。

 こちらから国に報告を上げなければこれは落書き以上の物にはなり得ないのだ。

 

「ご協力感謝します。では次に……」

 

 その後、賊の被害や国に対する要望などを宋謙殿が一通り竹簡に書き記していく。

 しかし長江近隣は賊の被害が驚くほど少ない。

 美命が言っていた『義賊』の存在が治安の安定に一役買っていると見てまず間違いないだろう。

 

「では最後に『錦帆賊』について聞かせていただきたいのですが」

「き、錦帆賊についてですか?」

 

 その名前に村長の表情が強ばる。

 心なしか場の雰囲気も張り詰めたように感じられた。

 

「先に断っておきますが、我々は錦帆賊を捕まえようと考えているわけではありません」

 

 恐らく村長が考えているだろう推測を潰しておく。

 

「そう、なのですか?」

「はい。しかし先の言葉だけでは誤解させてしまうのも無理はありません。私の言葉が足りませんでした。申し訳ありません」

 

 あからさまにホッとした様子の彼に俺は言葉足らずを謝罪した。

 

 以前の建業大守を含めて長江に近い都市を任された者たちは一時期、錦帆賊討伐に躍起になっていた。

 彼らは義賊としてその名に恥じるような真似は決して行わなかったにも関わらず。

 

 俺たちとて建業と言う都市の一軍。

 錦帆賊討伐を再開したかと勘ぐられるのも仕方のない事だろう。

 

「私たちは錦帆賊と話がしたいだけです。彼らに対して害意はありません」

 

 蘭雪様以下、建業を預かる者たちとしては彼らを討伐する気などさらさらない。

 民の味方として行ってきた数々の功績から彼らを慕う者も多いのだ。

 そんな錦帆賊を討つとなれば民の反感を買うだろう事は容易に想像できる。

 

 色々と政治的な思惑が絡んでいるが実の所、それらは二の次だ。

 建業にとって何よりも重視される事実として、うちの君主様は彼らのような民の為に立ち上がる事が出来る者たちが『大好き』だという点だろう。

 討伐など彼女が建業大守である限りは絶対に行われる事はないと自信を持って言える。

 それでも蘭雪様の意思では、という注釈が必要になるが。

 

『錦帆賊と上手く会えたら同盟を結んでこい。長江の守りを私たちと協力して行う代わりに私たちは食料や武器を提供するって条件だ。勿論、あっちにはあっちの考えもあるだろうから断られたらそこまで。間違っても強引に事を進めようとするなよ?』

 

 あのシスコン暴走君主の素敵な笑顔と共に下された命令を思い返す。

 秘密裏にと言うのは世間的に賊である彼らと繋がりを持った事が他領地に発覚した場合、それを理由に攻め込んでくる可能性がある事に起因している。

 

『お前に限っては余計な心配だと思うが、接触はくれぐれも慎重に頼む。彼らの大半は不当な罪で国に追われた者。我々のような立場の人間は敵と言っても過言ではない。出来れば我々に降ってもらいたいがそういう事情からこちらの言う事にすぐ首を縦に振るとは思えん』

 

 次いで我が建業が誇る筆頭軍師の言葉を思い出す。

 

『重要なのはこちらの懐の大きさを見せつけ、今までの大守との違いを認識させる事であちらの信を得る事だ。初任務でなかなか難しい事をさせようとしているとは思うが、お前ならばやってくれると考えている。……期待を裏切ってくれるなよ?』

 

 最後の言葉は冗談めかしてはいたがその目は決して笑っていなかった。

 

 まったく、無茶な事を言ってくれる物だ。

 とはいえそこまで期待されているのならば、それに応える為に精一杯努力するべきだろう。

 

「……わかりました。私が知る限りの事をお話します」

 

 しばらく押し黙っていた村長だが、俺の目をじっと見つめた後、錦帆賊について語ってくれた。

 

 彼らが長江の村の暮らしを守るためにどれほど尽力してくれたのか。

 そして気さくで剛毅な人柄で通っている『鈴の甘寧』と彼を慕う気の良い配下たちの事。

 

 彼らの事を熱く語る村長の姿からこちらが所有している情報に間違いなどなく、彼らは正しく義賊なのだと言う事がよくわかった。

 

 そして最後に。

 村長は彼らが今の時期に長江を通じて下流へ移動する事も教えてくれた。

 どうやら定期的に長江を行き来する事で他の賊を牽制、威圧しているらしい。

 定期的にと表しているが、規定の日には必ず来ると言うだけで、実は他の日に抜き打ちで巡回に来る事もあるのだ。

 賊たちが巡回パターンを読んで行動した場合を考慮し、どうしても目立ってしまう船以外の移動手段で村に接触する事もあると言う。

 

 そして明日は定められた定期巡回の日であり、俺たちにとっては彼らと接触する絶好の機会だ。

 陣へ戻り、隊の者たち全員と相談。

 俺たちは長江の河川が見渡せる高台に陣を移し、錦帆賊が現れるのを待つ事にした。

 

 無論、何があってもおかしくない上に情報が浸透しにくいこの時代では口約束や習慣を根拠にした百パーセント信頼できる情報と言うものはほとんどない。

 故に不測の事態によって彼らが明日、現れない可能性も考えなければならなかった。

 集団で動いている以上、彼らをただずっと待ち続けるわけにはいかない。

 水は長江で補充可能、食料もある程度は現地で補填出来るだろうが村の狩り場を不必要に荒らすのは避けるべきだ。

 

 熟考した末、期限を三日と定めた。

 それだけ待って現れないようなら、副官でありその発言に説得力を持たせられる宋謙殿を含めて何人かを残して遠征を再開するつもりだ。

 

 結局、決めた期限も後の対応も翌日の明け方、村長の話通りに彼らが現れた事で意味がなくなったわけだが。

 

 

 

 俺と宋謙殿、部下数名は彼ら錦帆賊の甲板に上がっていた。

 義賊とはいえどう動くかわからない相手の領域に入るのは危険でないかと言う意見も出たが、こちらから出向く事で相手側の警戒を少しでも緩和する必要があると説き伏せている。

 

 俺たちと対峙するように集まっている錦帆賊たちは武器こそ構えてはいないがその目は警戒心に満ちている。

こちらが対応を間違えれば即座に切りかかってくる事は容易に想像出来た。

 

 唯一、俺たちに対して警戒心を露わにしていないのは錦帆賊の頭である『鈴の甘寧』を名乗る男だけだ。

 

 こちらが国の軍であると言うのにその態度には過度の緊張は見られない。

 良くも悪くも自然体のこの男はこの中でもっとも動向が読み辛く、手強い相手になるだろう。

 

「それで? 建業の双虎の遣いが俺たちに何の用だ」

 

 甘寧興覇(かんねいこうは)

 若い頃から気概に溢れ遊侠を好み、それが講じて仲間たちと錦帆賊を作ったとされる。

 もっとも錦帆賊と言う存在については演義の創作であったと言われているが。

 武将として歴史上に現れたのは劉表の部下である黄祖の元にいた頃だったか。

 もっともその頃は武よりも文を重んじる劉表に軽んじられ、大役につく事は無かったらしい。

 その後、紆余曲折あって孫権に降り、最終的に『孫呉に甘寧あり』と唄われる程の名将として歴史に名を刻む事になる。

 かなり激しい気性の持ち主ではあるが財貨を軽んじて士人を敬う人物であったと言う。

 

 

 俺が彼の歴史の中で最も重要視しなければならないのは『甘寧が凌操の死に関わっている』と言う史実だろう。

 色々と状況が違っているので、もはや俺の持つ三国志の知識は『未来予知』から『予備知識レベル』にまで価値を落としているのだが。

 とはいえさすがに自分の死に関わると言う知識に関しては軽視する事は出来ない。

 

「長江近隣の治安の現状についてふがいない大守達に変わって守ってきた貴殿らの意見をお聞きしたい」

 

 甘寧他、錦帆賊の目が驚きで点になる。

 たぶん事前に打ち合わせていた宋謙殿を除いて後ろに控えている者たちも似たような顔をしているだろう。

 

「おいおい、本気か?」

「冗談は時と場合を選ぶ主義です」

 

 俺が本気である事を察したのだろう甘寧は頭を掻きながらさらに言い募る。

 

「俺たちは義賊を名乗っちゃいるが国とは敵対してるんだぞ? 前の建業大守の軍とはやり合った事だってある。そんな俺たちに治安についてなんて普通聞くか?」

「賊から長江の村を守ったのは紛れもなく貴方達の功績です。むしろ前大守が貴方達を討伐しようとした事、今更ながらではあるが謝罪させていただきたい」

 

 俺はその場で膝を付き、頭を甲板の木板に押しつけて土下座した。

 

「真に申し訳なかった。そして本来、我々がしなければならなかった民の身を守ってくれた事、本当にありがとう」

 

 甘寧を含めた錦帆賊の面々が俺の行動に面食らっているのが見なくても理解できた。

 

「……あんた、変わった軍人だな」

「俺は民上がりの成り上がり軍人ですので」

 

 土下座をやめ、頭を上げて甘寧と目をあわせる。

 突き刺さる視線は相変わらず警戒心に満ちているが、戸惑いのような物が混じっているように感じられた。

 

「とりあえず立ちな。あんたが誠意って奴を示してくれたのは痛いほど伝わったからよ」

「わかりました」

「しっかし思ってた以上に面白いのな。建業の双虎が民側の事を考えた政治をしてるってのは聞いてたが、部下であるお前も負けず劣らず、だ」

 

 立ち上がる俺を見て笑いを堪えるように口元に手を当てて話す甘寧。

 

「聞きたいのはこの辺りの治安だったな。いいぜ、ちと長い話になるから腰を据えて話そう。ついてきな。後ろで警戒してる連中も一緒にな。結構、広い造りになってるからそっちから五人、こっちも五人で釣り合いが取れるだろ」

「お言葉に甘えさせてもらいます。宋謙殿、人選をお願いします」

「承りましたぞ、隊長殿」

 

 後ろで宋謙殿が指示を飛ばす声を聞きながら俺は甘寧と目を合わせる。

 

「なぁ、凌隊長って呼べばいいか?」

「刀厘で構いません。こちらも興覇殿と呼ばせてもらいますので。それで、なんでしょう?」

 

 甘寧は俺を真っ直ぐに見つめながら告げる。

 

「お前には守りたい物ってあるか?」

「あります」

 

 即答する俺に目を見開く興覇。

 やがて頬を掻きながら苦笑いした。

 

「俺は守りたい物を守り抜く為に生きていくと決めています」

「あははははっ! そうか、愚問だったな」

 

 笑い声を上げた後、彼は腰に差していた湾曲刀を俺に突きつけてきた。

 周りの空気が一気に緊迫した物に変わる。

 宋謙殿や部下達が武器を抜こうとするのを後ろ手で制止し、俺は彼から目を離さない。

 

「俺にも大事な物がある。もしもお前がそれに手を出したら……俺はお前を殺すぜ」

 

 本気で事を荒立てる意図がない事は彼の目を見ればわかる。

 これは錦帆賊と言う一団をまとめる者としての恫喝だ。

 組み易しと侮られ、こちらに都合の良いように利用されない為の甘寧の手管なのだろう。

 相手を選ぶ手段ではあるが俺相手ならばベストではないまでもベターな手段だ。

 ならば俺も建業遠征軍を預かる人間として、気圧される事などないように本気で応える必要がある。

 

「その言葉、そのまま返させていただきます。俺の大事な物に手を出したら地の果てまでも追いかけて……殺す」

 

 彼が突きつけている湾曲刀の切っ先に手甲を当て軽く弾く。

 キンっと言う甲高い金属音と共に俺たちは同時に緊張を解いた。

 

「腕も良いみたいだな?」

「鈴の甘寧に誉めていただけるとは光栄です」

 

 刀を腰に差し直した興覇に俺は右手を差し出す。

 意図を理解した彼は獰猛な獣のような笑みを浮かべると差し出した俺の手を握った。

 

「これからよろしく頼む」

「長い付き合いになる事を祈ります」

「俺もそう思う」

 

こうして俺こと凌刀厘は甘興覇と言う新しい友と出会った。

 

 



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第十七話 錦帆賊との交流。

 甘寧達、錦帆賊と協力関係を結んだ日。

 俺たちは早速、彼らから長江近隣の治安状況を教えてもらい、さらに村長から聞いた情報を合わせてまとめ上げた。

 その報告書(紙は貴重な為、竹簡だが)の数、前世で言うところのA4用紙にして実に二十枚以上である。

 

 彼らが持っている情報は有用ではあるが長江近隣全てという膨大な範囲についての物である為、情報量がとてつもなく多く定期報告用にと用意していた竹簡の三分の二を使い切る事になった。

 

 報告時に読みやすく且つ解りやすいように地域毎にまとめていた為、朝から翌日の明け方までずっと臨時会議室(甘寧が貸してくれた大きめの船室の事だ)に籠もりきりになる羽目になっている。

 当然、作業に使える人間をすべて使った人海戦術を駆使して、だ。

 そうまでしなければ終わらないほどに報告すべき事柄が多かった。

 

 彼らから話を聞いていた時など、まったく知らなかった情報、知っていなければならない情報の多さに俺や宋謙殿が目眩を覚えた程である。

 

 長江近隣でどれほどの民が生活をしているか、どれほどの江賊が活動し、被害が出ていたか。

 他の大守が長江近隣でどのような行動を起こしているかなど、挙げれば切りがない。

 

 一応、建業でも隣接する領地などには定期的に偵察を送り込んでいるらしいのだが、そういった人材が少ない俺たちの軍では情報量は限られた物になってしまうのが現状である。

 

 しかし今回、知る事が出来た情報は今までの情報不足を補って余りある物だ。

 さすがに情報の鮮度は落ちるだろうが、『この時にはこんな事になっていた』、『あの時はこんな事をしていた』と言う情報があると言うのは今後の動向を推察する判断材料としてとても有用であり貴重な物になる。

 この情報が聞けただけでも錦帆族と繋がりを持った事には大きな価値があったと言えるだろう。

 

 

 俺はまとめ上げた情報を建業に報告すべく預かった五頭の馬の内、特に足の速い馬三頭を使用して伝令を出した。

 ここからならば休憩を含めて一日走らせれば建業に着くだろう。

 

 勿論、錦帆賊と結んだ協力関係についても報告書に詳細に書いてある。

 この関係をどう整理し、これからの政治に活かしていくかを考えるのは俺ではなく蘭雪様や美命、陽菜たちの仕事だ。

 まぁ建業首脳陣の意見が彼らの討伐と言う話にだけはならないだろうが。

 彼らが正しく義賊である事も当然、報告する内容に入っているのだから。

 

 竹簡は三頭に対して均等に分配したが、それでもかなりの量がある。

 さらに報告する項目一つ一つについては大雑把ではあるが口頭で俺の所感と補足説明をするように伝えている。

 伝令として出した彼ら三人は平均以上の兵士であると同時に文官予備軍と評価出来る程の頭の回転を持っているから報告に不備があるという心配はしていない。

 だが説明などの時間を加味すると報告を終えて戻るまで早く見積もっても三、四日はかかるだろう。

 最悪を見積もるとおよそ一週間前後と言った所か。

 

 俺たちは彼らが戻るまでの間、基本方針としてはここに居続ける事になる。

 しかしその間、ただ時が過ぎるのを待つと言うのは論外だ。

 俺たちは自分たちに出来る事に全力で取り組まなければならない。

 あまりにも時間がかかるようなら数人をここに置いて遠征を再開する予定でいるが。

 

 そして今出来る事は、錦帆賊との友好関係をより親密な物にする事。

 その第一歩はお互いがお互いを理解する為に積極的に交流を持つ事だろう。

 たった四日足らずでどこまでの事が出来るかはわからないが、『わからないからやらない』と言う事にしてはならない。

 

 

 人生とは一寸先の闇を恐れながらも、探りながら進んでいく事で成り立つ物だ。

 それを放棄する事は生きる事をやめる事に等しい。

 時に立ち止まり、後ろを振り返る事はあっても最後には踏み出し、また歩き出す。

 何かに躓いて転んだならば立ち上がる努力をしよう。

 立ち上がれない程の窮地に立たされたならば周りを見渡し、共に歩む者たちを頼ればいい。

 苦労して歩み、苦労して進む。

 

 それが人生と言う物と考えている俺としては『わからないからやらない、出来ない』と言うのはただの言い訳に過ぎない。

 

 勇気と覚悟を持って未知に足を踏み入れる。

 その積み重ねを経験と呼び、経験を積み重ね自らの血肉とした者だけが成長し、大成するのだ。

 

 

 閑話休題。

 ほぼ完徹で睡眠を求める頭を長江の浅瀬で水を被ることで叩き起こしていた所に、後ろから声がかかった。

 

「おはようさん。昨日、……ああいや今日までやってたんだったか。まぁとにかく遅くまでご苦労さんだったな、刀厘」

「ああ。おはよう、興覇」

 

 挨拶もそこそこにもう一度、水を被る。

 村で貸してもらった水桶を脇に置き、用意しておいた布で水を拭き取っていく。

 最初は殿付けに加えて敬語を使っていたのだが、むずがゆいからやめろと拒否されたのでお互いに呼び捨てになっている。

 

「昨日まで赤の他人だった奴によくそこまで無防備でいられるな、お前」

「『昨日までは』だろう? 今の俺たちはきっちり話し合った上での協力関係にある。それも双方の全員が同意した上で、な」

「そりゃそうだが……仮にも大守の軍隊、しかも責任者がそんなんでいいのか?」

 

 呆れを隠す事なく興覇は質問を重ねてくる。

 軽い調子ではあるがその言葉には俺と言う人間を見定める意図が込められていた。

 

 当然の事だろう。

 粗野っぽい風貌と言動ではあるが彼は紛れもなく一つの集団の長だ。

 そう易々とこちらの事を信じる訳にはいかない。

 彼の決断一つで彼の部下たちの運命が決まるのだから。

 

「はぁ……読めねぇ男だ」

「褒め言葉として受け取っておこう」

「褒めてねぇ。ったく、や〜れやれ。朝からしみったれた話しちまった」

「話を振ってきたのはお前だろうに」

 

 俺は服を着込み、布を絞って拭き取った水を絞り出し、後ろにいた彼の方を振り返る。

 

「さてそろそろ朝飯だ。お前はどうする?」

「ああ? なんだ、お前の所で食わせてくれるのか?」

「軍の保存食と昨日森で取った猪の余りしかないが、それで良ければな」

「へぇ、猪か。朝から豪勢だな」

「余りだからな。お前が今考えているような豪華な物じゃないぞ」

 

 他愛のない雑談をしながら俺たちは遠征軍の野営地へ向かって歩き出した。

 

 

 

 食事は錦帆賊の面々も交えて賑やかな物になった。

 昨日、治安状況について昼夜ぶっつづけで会議を行っていたせいか、俺たちに対する警戒心はそれなりに解消されたらしい。

 うちの連中と競い合うように飯をがっつき、たまにおかずの取り合いをするくらいには打ち解けたようだ。

 

 俺は興覇と共に食事を取っている。

 談笑しながらの食事中に娘だと言う六、七歳くらいの少女を紹介された。

 

「俺の娘だ。姓は甘、名は卓。字はこいつが十歳になったら付ける事になってるからまだ無い。俺の生まれ故郷の風習でな」

 

 胡座を掻いて座っている興覇の幅広の背中に隠れながら、おっかなびっくり俺を見つめてくる少女。

 

「そうか。……甘嬢。姓は凌、字は刀厘と言う。よろしく頼む」

 

 彼女と目を合わせたまま頭を下げる。

 きっちり二秒数えて頭を上げると甘親子は目を瞬かせながら俺を見つめていた。

 

「一回り以上、年下の小娘にそこまで礼儀正しくするか? 普通」

「礼儀に年齢は関係ない。初対面なのだから尚更、丁寧に対応するべきだろう」

 

 例外がある事は認めるがな、雪蓮嬢とか。

 

「逆に恐縮するっつーの」

「そうか?」

 

 などと話していると甘嬢が興覇の背中から離れ、俺に近づいてきた。

 

「あ、あの甘卓、です。よろしくおねがいします」

 

 たどたどしく震えながらではあったが、しっかりと言葉を紡ぐ少女。

 なるほど、どうやら親に似ず真面目な良い子に育っているらしい。

 どことなく孫権嬢と似ている印象を受けた。

 

「今、すっげぇ失礼な事考えなかったか? 刀厘……」

「気のせいだろう。甘嬢、よろしくな」

 

 もう一度、短く頭を下げると彼女が自身の小さな手を恐る恐る差し出してきた。

 意図を確認する為に甘嬢を見つめると、俺の右手と顔を交互に見つめてくる。

 

 親である興覇に意見を求めるべく視線をやると、にやにや笑いながら俺たちを見ている。

 口だけを動かして「握手してやってくれ」と言われたので俺は、彼女の小さな手を軽く握った。

 

 彼女の手の震えが止まる。

 緊張に強ばっていた表情が年相応に綻んでいくのがわかる。

 

「……♪」

 

 この時の彼女の表情は、彼女が生まれてからこれまでで最も嬉しそうな笑顔だったとその日の晩、酒を呑みながら絡んできた興覇から聞かされた。

 その事が原因で俺は顔を合わせる度にこの親バカに絡まれる事になるのだが、それは余談だろう。

 

 

 朝食を終えた俺はこの時代の操船技術について錦帆賊に指導をお願いした。

 興覇たちが快く引き受けてくれたので、今は幾つかの班に分かれて説明を受けている。

 俺と公苗、そして部下数人の班にはこうは自ら説明役を買ってでてくれた。

 

 建業には現在、水軍は存在しない。

 正確には水軍としての形を保てるほどに水上戦に秀でた武将、兵士が存在しないのだ。

 

 前建業大守と蘭雪様との争いの際、水軍が軒並み前大守に付いた事が原因である。

 気分が高まると荒事大歓迎になり敵と見なした者に手加減する事が出来ない難儀な蘭雪様の性質が災いして、誰かが止める間もなく物の見事に皆殺しにしてしまったらしい。

 

 これは大守交代に置ける蘭雪様たちが犯した数少ない失敗の中で最も大きな物と言われている(言っているのは勿論、美命を初めとした文官たちだ)。

 

 しかしいつまでも水軍不在では対処出来ない事柄が出てこないとも限らない。

 

 興覇たちの話を聞いた今となっては尚更、後回しに出来る問題ではない事を俺たち全員が感じているはずだ。

 さらに俺は遠い未来に大規模な水上戦がある事を知っている。

 だからこそ、皆よりも強く水軍の復活が急務であると感じていた。

 

「船ってのは河って言う名前のでけぇ生き物の中を突き進むもんだ。船がどんだけ大層な代物でも河の気分を理解してない奴が操船したら上手く動かねぇ」

「生き物に気分、か」

 

 この時代の船は俺が生きていた時代の物のように動力を積んでいるわけではなく、全て人力だ。

 その速度は風や河川の流れによって左右され、流れに逆らって進むにはかなりの人員と力量を求められる。

 

「雨が降りゃ河の水は増える、日照りが続けば水は減る、風が吹けば河も荒れる」

「なるほど。そういう状況の変化をまとめて『河の気分』と言っているんだな」

「そうよ。俺たちは別に河を従えてるわけじゃねぇ。その時その時の河の気分に合わせて船を上手く動かしてるだけなのさ」

 

 感覚的な物言いで俺には理解しにくいが、錦帆賊の操船技術は確かな物だ。

 それはこの十年もの間、ずっと長江と共に在った経験で培われた物なのだろう。

 

 経験に裏打ちされたその自信に揺るぎはない。

 しかし彼らは自分たちの技術を過信する事もない。

 

「河の気分を読み切れねぇで今まで何人も命を落としてる。十年経った今でもな。だから俺たちは船を出す時はいつも真剣勝負だ。命かかった勝負事で油断する馬鹿はいねぇだろ」

 

 彼らとて最初からこれだけの技術を持っていた訳ではない。

 失敗を繰り返し、何度となく被害を出し、その結果としてここまで神懸かりじみた能力を持つに至ったのだ。

 

「無理矢理、流れに逆らうってんなら死にものぐるいで漕ぐしかねぇ。けどよ、その度に自然の力って奴の偉大さを嫌って程、味わってんだ。手懐けようなんて考える事も出来ねぇ程の力の差って奴をな」

 

 露橈(ろとう)と呼ばれる種類の船の中を案内しながら興覇は自然と向き合い続けてきた事を誇らしげに語る。

 

「俺らが持ってる船は三種類。今、乗ってる中型船の露橈と斥候(せっこう)、あと小型船の先登(せんとう)が二艘で全部だな。俺らはお尋ね者だ。常に周りを警戒出来るようにどの船にも高めの物見台を設けてあるから船の大きさ以外にはそこまで大きな違いはねぇよ」

「随分、立派な船だな? 言い方が悪くなって済まないが、国と敵対する賊が簡単に手に入れられる物とも思えないが」

「ああ、先登二艘については俺たちのお手製だよ。斥候と露橈は襲撃してきた連中から奪い取った」

 

 なんでもない風に言っているが奪い取るのも造り上げるのも口で言う程、簡単な事ではないだろう。

 

「船を造るのは大変だったぜ。俺も含めて全員が慣れない大工仕事に四苦八苦した。長江の上流から来た流れの技師が手を貸してくれなかったら船は完成しなかっただろうよ。奪う方のが幾らか楽だったな。お前等の前で言うのもなんだが前の建業大守の水軍は軍としちゃ名ばかりでな。水上戦云々の前に夜襲に対する警戒がなってなかった。どうもやり合う前から勝った気になってたみてぇでよ、お陰で簡単に奪えたって訳だ。まぁこんな立派な露橈を持ってりゃ油断するのもわからねぇでもねぇが」

 

 現建業軍である俺たちに気を遣って可能な限り、言葉に選ぶ甘寧だが俺としては同じ軍を名乗っている身としてどうにも情けない気持ちになる。

 同時にかつての軍がどれほど腑抜けていたのかを知り、怒りや苛立ちで顔が険しくなるのが自分でもわかった。

 

「それはまた、なんとも情けない。そんな体たらくでは名ばかりと言われても仕方がないな」

「……お前、自分の任官前の事とはいえ同じ軍に容赦ないな」

「同じ軍だからこそ容赦しないんだ。質の良い軍であろうとするなら過去の汚点から目を逸らす事などあってはならない。悪い点は指摘して直していかなければいずれ足下を掬われる事にもなりかねないんだからな」

 

 悪い事から目を背けたがるのは人の性質(さが)だ。

 誰にだってそんな部分はあり、それは俺とて例外ではない。

 

 だが自覚する事で向き合う事が出来る。

 そして人を守り、人の上に立つ者になる俺たち軍人はそんな悪い所に真っ先に向き合わなければならない。

 

 仮にもこの世に生きる者の中で二番目に年長者(精神年齢的に)なのだ。

 そんな俺が真っ先に汚点と向き合えなくてどうする?

 

「大した気構えだな。感心するぜ」

 

 本気で感心した風に感嘆する興覇。

 公苗たちは目を輝かせながら「さすが隊長……」などと言っている。

 

「言っておくが俺が今、言った言葉は隊の方針でもある。お前たちにも自分の至らない点には嫌と言うほど向き合ってもらうぞ」

 

 ちょっとした脅しも兼ねて意地の悪い笑みを部下たちに向けながら言ってやる。

 俺の部隊にいる以上、半端な真似は許さないと目で語ると賀斉以外は皆、顔を引きつらせた。

 

「が、頑張ります……!」

 

 公苗はおどおどしながらそれでも両手を胸の前で握り込み、むんとやる気をアピールした。

 女性である公苗の様子に奮い立った部下たちも次々と声を上げる。

 若干、顔が青いのはまぁ大目に見てやるべきだろうな。

 

「あっはっはっは! 好かれてるなぁ、刀厘。良い部下じゃねぇか。付いていくって気持ちがこれでもかってくらい伝わってくるぜ!!」

「気概があるのは認める。だがまだまだこれからだ。強い気持ちをもって努力を続ければ今よりも強くなる。俺も、こいつらも」

 

 高らかに笑う甘寧に、まだまだと告げる。

 すると彼は唐突に笑みを引っ込めて真剣な眼差しを向けてきた。

 

「お前等と敵対しなくて改めて良かったって思うぜ。俺の気持ちとしてもそうだが、『この辺を守る義賊』としてもお前等を敵に回すのは良くねぇって事が話していてよくわかった」

 

 やはりこの男、粗暴な外見とは裏腹に頭が回る。

 そうでなければ名ばかりとはいえ大守の軍勢を寡兵で撃退出来るわけがないだろうが。

 

「仮にやり合っても五体満足で済ませられるとは思えねぇ。俺たちが勝ててもボロボロになってるだろうよ。そして今、そうなるわけにはいかねぇ。お前等や建業の双虎も多分そう考えてんだろう? ……違うか?」

「……今まで賊から村を守ってきた錦帆賊あるいは巷で噂の建業軍が大打撃を受けて満身創痍。そんな事になれば今までおとなしくしていた賊がこぞって動き出す事になる。江賊や山賊、盗賊も問わずに」

「お前等と俺らが正面からやり合うならかなりの激戦になる。黙っていてもいずれどこなりと知られちまうだろう。そうなりゃ全部とは言わねぇがかなりの村が襲われて被害が出る」

 

 右手を握り込み、顔の前にかざしながら言葉を続ける。

 

「そいつは絶対に避けないとならねぇ。そんな事になっちまったら俺たちが今までやってきた事の意味がなくなる。俺らは身を守る術のねぇ弱い民を守りたくて義賊を名乗ってんだからな」

 

 長の力の入った演説に頷く錦帆賊の面々。

 そんな彼らを見つめながら俺は胸中で錦帆賊と協力関係を結べた事を改めて喜んだ。

 

 この男が率いる者たちならば民の害になる事はないと理解したから。

 『民を守る』と言う共通の目的を持っている限り、彼らが俺たちと敵対する事はないと理解したから。

 

 これだけの考察を披露する彼の意識の根幹にあるのは『民を守る』と言う意志だ。

 言葉の端々に見え隠れする意志はとても苛烈で猛々しく、その意志に殉じる覚悟がある事を雄弁に語っていた。

 

「先の言葉、こちらも同じ言葉で返させてもらう」

「なに?」

「錦帆賊と敵対しなくて良かった。理由も同じだ」

「……そうかい」

 

 満足げに笑う甘寧に釣られて俺も笑った。

 少しはお互いに対する警戒心を和らげる事が出来ただろうと言う小さな達成感を覚えながら。

 

 

 

 刀厘こと駆狼が遠征に出て三日が経った。

 特に問題がなければそろそろ長江に到着する頃のはずだが。

 果たしてあいつは上手くやれるだろうか?

 

 つい二ヶ月前、蘭雪に見初められて(意味が違う気がするが間違っているわけでもないだろう)仕官したあの男の能力が高い事は知っている。

 たった二ヶ月で預けた部隊を遠征に耐えられる程に鍛え上げたその手腕は恐るべきと表現しても良い物だ。

 

 こういう事は言うべきではないが一緒に仕官した四人とは比較にならない。

 一人だけ言葉通りの意味で格が違っている。

 はっきり言って元村民と言うのが信じられないくらいだ。

 

 私たちは親からある程度の教育を受け、自分でも学べる環境にあった。

 下地が出来た状態でさらに自分たちで努力し、多少の運に恵まれた結果、こうして領地を持つまでに至ったのだ。

 

 だがあいつは違う。

 元々が平凡な村の出自でその両親にも軍事や政(まつりごと)に関わっていたという情報はない。

 蘭雪が言うには父親は只者ではなかったそうだが、武ならば在野にいても鍛えられるからそれはいい。

 

 しかし智とはただの村人がたやすく身に付けられる物ではない。

 私たちのような恵まれた環境がなければ容易に限界が見えてくる物だ。

 基本となる知識がなければ知恵は生まれないのだから。

 

 しかし祭や塁、慎や激に聞いてみれば駆狼には幼少の頃から知識があったように思える。

 ではその知識はどこで身に付けたのか?

 まさかなにもない所から湧き出てくる物でもあるまい。

 

 だから私はあいつを『普通ではない』と、そう思わざるを得なかった。

 不気味と称しても差し支えないだろう。

 

 本来ならあいつの存在は今の私たちの手に余る物だ。

 それを遠征軍を任せる程に、『あいつならばやってくれるだろう』と考えられるまでに信頼するようになったのは蘭雪とその子である雪蓮、蓮華、私の子である冥琳、駆狼と深い仲である陽菜、そしてなによりあいつ自身の人柄のお陰だろう。

 

 

 蘭雪は自分の勘を信じて疑わない奴だ。

 故にその直感に基づいた判断で引き入れたあいつを疑う事はない。

 大守と言う立場を無視して気軽に接する姿を何度も見つけては頭痛を感じた物だ。

 実の所、あの蘭雪の警戒を解くのは難しい。

 傍目にはそうは見えないが手負いの状態で周りを警戒する獣並みに警戒心が強い。

 そんなあいつがそれほど長い付き合いでもないのに警戒を解くと言うのはとても珍しい事だ。

 恐らく一目惚れしたあいつの夫以来になるだろうな。

 

 

 雪蓮もまた自分の勘を信じる正に蘭雪の娘と言える子だ。

 そんな子が熊に襲われていた所を助けられた事もあり、駆狼にはもの凄く懐いている。

 それはもう流行り病にかかって亡くなった蘭雪の夫が見たらさぞ悔しがっていただろうと思える程の懐きっぷりだ。

 あの子にじゃれ付かれてどう扱っていいのか困っている駆狼はなかなかに見物だった。

 本能的、直感的に敵味方を判断するあの子が命を救われたとはいえ、あそこまで懐く辺りは奴自身の人柄によるところが大きいだろう。

 

 

 蓮華は母や姉があんな性格な為か、七歳だと言うのに警戒心が目に見えて非常に強い子だ。

 そして他人の意見に流されない芯の強さを持っている。

 慎重と言うか臆病と言うかそんな性格とその強い警戒心が災いして、最初は仕官してきた五人全員となかなか話す事も出来なかったのだが。

 なぜか真っ先に駆狼と打ち解けた。

 具体的に何があったかは聞いていないが、いつの間にか『おじさま』と呼んで慕うようになっていたのには驚いた物だ。

 後は駆狼を介して他の四人とも話す機会を得て、今ではすっかり警戒心など消えている。

 一度、懐に入れてしまえばどこまでも信頼する辺りはやはり蘭雪の子だと思う。

 特に激とは仲が良く、一緒に勉強している姿をよく見かける。

 前に激が蓮華に文字の汚さを指摘されて落ち込んでいたがなかなかに面白い絵面だったな。

 

 

 陽菜は元々、あいつとは深い仲らしく警戒心なんて物は微塵もなかった。

 むしろあの蘭雪の前で仲の良さを見せつけると言う駆狼にとって災難にしかならない行動を起こす始末。

 それも駆狼が蘭雪の餌食にならないと信頼しての行動なのだからその仲の良さは推して知るべしと言った所か。

 二十年近く一緒にいた幼なじみで男っ気など蘭雪や私以上になかったはずの陽菜にあれほど想い合う男がいたのには本当に驚いた。

 完全に相思相愛の様子で邪魔するのもはばかられる。

 あれほど好意を露わにする陽菜を見ていると警戒している自分が馬鹿らしくなってくる程だ。

 

 

 最後に冥琳。

 私が駆狼を信頼し始めたのはあの子のお陰と言えるだろう。

 冥琳は蓮華とは別の意味で駆狼を警戒していた。

 私の今までの教育がいけなかったのだが、あの子は軍師としての私の考え方を理解しながら子供の感性を持つという酷い歪みを持ってしまっている。

 そんな娘は私から学んだ軍師としての考え方に基づき、不気味な駆狼を警戒していた。

 しかし同時に雪蓮と一緒に熊から助けてもらった事を感謝する想いもあったのだ。

 感謝と警戒心との思考の板ばさみになり、どうしたらよいのかわからずに苦しんでいたのだ。

 そんな無理をしている娘に私は何もしてやれなかった。

 あいつの気持ちを聞いてやる事くらいは出来ただろうに。

 私はあの子にどうしたらよいかと聞かれた時に軍師として答えればよいのか、親として答えればよいのかわからなかった。

 だから冥琳が苦しんでいる事を知りながら、何もしなかった。

 情けない限りだ。

 敵対する者を陥れる策は思い付くと言うのに娘の揺れる気持ちを諭してやる事も出来ないのだから。

 

 そんなあの子から駆狼は全幅の信頼を受けるようになった。

 冥琳は私の前では滅多に見せなくなった子供としての表情と共に語ってくれた。

 

『公謹嬢が至らない所は公共殿や蘭雪様、陽菜たちが怒ってでも止めてくれる。お前はまだ幼いんだ。世話をかけながら、失敗を繰り返しながら成長していけばいい。失敗を恐れるな。お前の周りにはお前を案じてくれる人たちがいるのだから』

 

 冥琳が語った駆狼の言葉。

 それは私の言えなかった言葉、子供に伝えなければいけない言葉だった。

 

『大人が子供の手の届かない所を助けるのは当然の事だ。だから相談する事を迷惑だなどと考えなくていい。迷惑をかけた分は成長しながら少しずつ返していけばいいんだ』

 

 それをあいつは私の代わりに伝えてくれていた。

 警戒されている身であると言うのに、あいつは冥琳の心を一番に案じていたのだ。

 

「冥琳、お前はまだ刀厘を警戒するか?」

 

 嬉しそうにあいつの言葉を語った娘に穏やかな心持ちのまま聞く。

 冥琳は少し考えるような仕草をすると、はっきりとこう答えた。

 

「しんじたい、と思っています」

 

 迷いのない瞳に見つめられ、私は笑いながら娘の頭を撫でてやった。

 

 親として駆狼に負けたと思った瞬間だった。

 子供もいない上に祭と陽菜の間で揺れ動いている駆狼に負けたのは地味に屈辱的だったがそこには目を瞑る事にする。

 

 なにはともあれ私が駆狼を信頼するようになった最も大きなきっかけはこれだろう。

 

「……物思いに耽り過ぎたか」

 

 深い思考から現実に帰ってきた時にはすでに日が傾いていた。

 

「失敗したな。まだこんなに残っている……」

 

 今日中ではないが早めに終わらせるに越した事はないのだが。

 

「はぁ……仕方ない。今日はもういいか」

 

 冥琳と一緒に食事にでも行くとしよう。

 家族として出来る事は多くないが、『だからやらない』と言う事にしてはいけないだろう。

 まぁこれは駆狼の受け売りだが。

 

 冥琳が駆狼を信じると告げた翌日、私もまた奴と対談し最後には真名を預け合った。

 他愛のない世間話、互いの幼少の頃の暮らし、私たちが立ち上がった頃の話と色々な話をした。

 

 冥琳たちの教育方針については特に白熱した。

 母親である前にまず軍師としてあろうとする私とまず家族足らんとする駆狼では考え方がまったく異なった為だ。

 最終的には蘭雪と陽菜、祭や慎たちにに止められるまで議論は続いた。

 私たちは議論に夢中でまったく気づいていなかったが城中に響き渡るような大声で語り合っていたらしい。

 

 お互い示す方針が完全に平行線だった上に妥協するつもりも無かったので壮絶な言い争いになったわけだが、色々と考えさせられる事が多かったのも事実だ。

 

 時に柔軟に新しい考えを入れるのも軍師足る者の務め、だなどと言うのは言い訳にしかならないが。

 

 娘の世話をするのは母親として当然であり、そこに軍師である事を考慮する余地などない。

 言われてみれば実に当たり前の事だが、私は無意識に軍師である事を言い訳にして母としての責任から逃げていた。

 多忙なのは事実だ。

 だが時間を捻出出来ないわけではない。

 深冬や慎たちも頑張ってくれているから今は私一人が頑張るような状況でもない。

 ならば家族の事を第一に考えても構わないだろう。

 

「随分と毒されたな、私も」

 

 不気味と称した男は、こうして私たちから信頼されるようになった。

 やんわりと諫めるだけかと思えば、一歩も引かずに意見をぶつけてくる事もある。

 ただ流される訳ではない揺らがない芯を持つ男。

 

 また深みに沈もうとした私の思考を引き上げるようにコンコンと戸を二回叩く音が聞こえる。

 妙に低い所で戸を叩いている様子から私の脳裏によぎるのは三人ほどの人物。

 どれも警戒する必要のない者ばかりだ。

 だから気持ちをゆるめて入室を許可した。

 

「入れ」

「はい。母上」

 

 予想通り、現れたのは娘だった。

 少し挙動不審なのは私が仕事中だと考えているからだろう。

 

「あの、そろそろ食事の時間なので……」

「ふむ。そうだな」

 

 私は皆まで言わせずに席を立ち、入り口で私を期待と不安の入り交じった瞳で見つめる冥琳の手を優しく握る。

 

「今日の仕事は終わった。一緒に食事に行こう、冥琳」

「あ……はい!」

 

 最近になって増えた娘の笑顔に釣られて頬が緩むのを自覚しながら私たちは連れだって食堂までの道を歩いていった。

 

 翌日、信頼する男から期待以上の成果が報告されてくる事を知らずに。

 



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第十八話 錦帆賊との別れ。

 錦帆賊と接触して五日目。

 太陽が西に沈みかける頃に伝令三名が戻ってきた。

 彼らに寄れば報告を受けた建業の方は慌ただしく動き出したと言う話だ。

 我らが誇る建業の頭脳たちが報告した情報をどう捌くのかは気になる所ではあるが、今の俺たちが気にするべき事ではないので頭の隅に追いやっておく。

 

 伝令たちと馬を休ませる為にさらに一日を過ごし、俺たちは行軍を再開する事にした。

 

「長いようで短い六日間だったな」

「ああ、そうだな。世話になった、礼を言う」

「礼を言うのはこっちの方だ。お前等のお陰で今の煮えきれねぇ状況を変えられるかもしれねぇんだからな」

 

 長江を一望できる高台。

 俺と興覇はそこで肩を並べて巨大な大河を眺めていた。

 

「それはそれとして、だ。本当に乗せていかなくていいのか? 長江の下流までならお前等の予定してる行軍順路とそう変わらねぇだろうし、速度も船の方が早いと思うんだがよ」

 

 納得し切れていない顔で質問する興覇。

 その表情は俺たちを怪しむ物ではなく、自分たちの手助けを拒否する事への不満が浮かんでいた。

 

「ああ、俺たちは予定通り陸路を行く。河路を行けば楽にはなるんだろうが、それでは見えてこない物もある」

 

 そもそも興覇たちと出会う前は、彼らが俺たちの遠征にまで協力を申し出てくれるとは思いもしなかった。

 軍隊である俺たちに対してここまで好意的になってくれるとは考えていなかったのだ。

 

 彼らの『軍隊』や『領主』、特に荊州の劉表に向ける恨みはかなり深い物だと予想していたし、実際に話を聞いて回った限りでは予想通りだった。

 その憎しみや恨みが直接的に関わっていないとはいえ同じ立場である俺たちに向けられても不思議はないと俺は考えていた。

 

 当然の事だろう。

 自分たちを害した者と同じ立場であると言う事実は、虐げられ陥れられてきた者たちから見ればただそれだけで警戒に値するのだから。

 

 だが彼らは劉表たちと立場を同じくする蘭雪様とその配下である俺たちに対して警戒こそすれど恨みや憎しみをぶつけてくる事はなかった。

 友好関係を築いた今では警戒心も目に見えて薄まり、気安い態度で接してくる者も多くなっているくらいだ。

 

 

 俺が想定した最悪のケースを良い意味で裏切ってくれた彼らの心情に今まで蘭雪様たちが行ってきた善政が絡んでいるだろう事は簡単に想像できる。

 

 領地が金で手に入り、人の命すらも物を捨てるような軽々しさで失われるような時代だ。

 領主が領民から税を搾り取り、虐げる事すらも日常的に行われるこの世の中で民の暮らしを考えた政治を行う者は少ない。

 

 噂の域を出ないが士官してからの二ヶ月で聞いた話では涼州西平の太守である『馬騰(ばとう)』、同じく涼州にて馬騰と戦力を二分する存在であるらしい武威太守の『董君雅(とうくんが)』が挙げられる。

 黄巾の乱も起きていない段階でこの二者の名前が為政者として挙がっていると言うのには驚いた。

 知識では馬騰は領民に慕われていたが為政者としては可もなく不可もなくであったという認識であるし、董君雅に至っては彼の子である『董卓(とうたく)』による非道な行いの数々の方が印象に残っている為、その人柄や能力についての知識がまったく無いからだ。

 

 他には官位自体は金で買ったらしいがその治世は民を想う物であると言われている『曹嵩(そうすう)』、十常待と対等の立場というこの世界に置ける最高位の存在として政界に君臨する老翁『曹騰(そうとう)』の曹親子。

 前世の知識と照らし合わせても彼らの有能ぶりに違和感はないのでこの情報に関してはかなり真実に近い噂と見ていいだろう。

この上、彼らの下にはいずれ頭角を表してくるだろう曹操がいるのだからこの一族は本当に規格外だと思う。

 

 そして名門袁家に名を連ね、漢王朝の官制において最高位に位置する三つの官職『三公』に次ぐ『六卿』の司空(しくう)の地位を持つ『袁逢(えんほう)』、元南陽太主にして同じく六卿の司徒(しと)に付き姉を支える『袁隗(えんかい)』姉妹。

 袁逢は後に曹操と関わりを持ち一大勢力を築き上げる『袁紹』の母親、袁隗は史実を知る身としては良い印象を持つことが出来ない暗君『袁術』の母親である。

 この二人も自らが所有する領地で人心を考えた政治をしていると言う。

 やはりこの二人も性別が反転していたがもういい加減慣れた。

 

 余談だが司馬家の者や劉備、『呂布(りょふ)』などはまだ台頭していないようだ。

 孫堅が長沙ではなく建業の太守であったり、馬騰や董君雅の名が既に太守として売れていたりと史実を無視した事が数多くある世界だが、どうにもすべてに置いて俺の知識が役に立たないわけでもないらしい。

 とはいえ彼らがどのような時期に姿を現すかは知識を元には予測できないのでは、やはり俺の知識の有用性はそれほど高くはないと見るべきだ。

 その微妙さ加減には苛立ちを覚えるが、そこに文句を言うのは贅沢な話だろう。

 

 

 話が逸れたが今、挙げた面々が噂通りに善政を敷いていたとしてもその数は六人。

 そこに蘭雪様を加え、さらに噂に上がらない領主の中にそういう良識を持った人間がいたと仮定しても人を尊ぶ政治を行っているのは恐らく十人を越えた程度しかいないと俺は考える。

 

 

 沢山の石ころの中にあるたった一つの宝石は、沢山の宝石の中に紛れている宝石よりも輝いて見えると言う。

 恐らく興覇たちの心境はそれと共通する所があるのだろう。

 

 高官の不正が公然とした事実になり、官位が売り買いされ、民が搾取される事すらも容認されている世の中で、先ほど名を挙げた者たちが治めている郡は比喩なく輝いて見えるはずだ。

 虐げられている者たちから見ればその反応はより顕著だろう。

 

 その心理が錦帆賊の警戒心を緩和させるのに一役買っているのだ。

 彼らと協力関係を結ぶ事を目的の一つとしていた俺たちからすれば実に好都合な話である。

 己の意志で善政を敷いている蘭雪様たちからすればこんな考え方は唾棄すべき物だろうが。

 

 とはいえ誰かが人間の負の部分についても考えなければならない。

 建業でならそれは美命を筆頭にした軍師、文官たちの仕事だ。

 そして遠征軍でその位置に当たるのは隊長である俺と副官である宋謙殿になる。

 同じく副官である公苗はそういう部分に目をかけられるほど精神的に成熟していないので頭数には入れていない。

 今後の成長に期待だ。

 

 

「楽できる時は楽する方がいいと思うがねぇ」

「一理あるとは思うが、今回は遠慮する。この遠征は行軍訓練も兼ねているからな」

 

 船上訓練と言うのも有りだとは思うが、水軍のいろはを錦帆賊から学んだばかりの俺たちにはまだ早いだろう。

 あまり詰め込みすぎても訓練の成果が上がるとも思えない。

 

 『船乗りとしての動き』は俺たちが考えている以上に難度が高い物であると言うことを実感出来ただけでも十分な成果と考えるべきであり、ここで水軍に関連した事柄は一度中断して本来の役割へと切り替えるべきだ。

 

 そしてなにより。

 全体の一割にも満たない行程で楽に走る事などあってはならないのだ。

 だからこそここで興覇の好意に甘えるわけにはいかない。

 

「ま、無理強いはしねぇさ」

「せっかくの好意を不意にしてすまないな」

「気にするな」

 

 ひらひらと手を振りながら快活な笑みを浮かべる興覇。

 釣られて俺も控えめに笑った。

 

「父! とうりんさま!」

 

 少女の声に何事かと振り返る。

 息を切らせながら駆け寄ってきた甘嬢は走ってきた勢いそのままに体当たりするように甘寧の腰に抱きついた。

 

「っとどうしたんだ、甘卓?」

「とうりんさまたちが今日たびに出るってこうびょうさまに聞いて……」

「いても立ってもいられないで走ってきたってわけか」

「んっ……」

 

 父親の言葉に小さく頷く甘嬢。

 興覇の腰に抱きついたまま、その体で自身の顔を隠すようにしながらちらちらと俺を見つめてくる。

 

 

 初対面の挨拶以来、何かと一緒にいる事が多かった彼女は傍目にわかるほどに俺に心を開いてくれていた。

 基本的に興覇と共にいる彼女とは話す機会を多く持つ事が出来たのだ。

 興覇の子供と言う事もあり俺自身が意識して話しかけるようにしていた事も親しくなる事が出来た要因だろう。

 

 

 甘嬢は錦帆賊と俺たちが真剣な話をしている時には必ずどこかに行っている。

 最初は難しい話がわからず、つまらないからどこかで遊んでいるのかと思っていた。

 だがその行動が父親の邪魔をしないようにと言う気遣いだったと言うのは彼女と会話をしていくうちに理解出来た。

 

 この子は蓮華嬢と同じで年の頃に似合わない程に生真面目だ。

 この年の子供ならもっとわがままになってもいいだろうに、父親の邪魔になりたくないと考えこんなにも幼いと言うのに強く自分を律している。

 もはや手の掛からない子供だとかいう次元ではなかった。

 

 だから俺はおせっかいだとは思いながらも彼女の事が心配になり、意識して彼女と話すようにした。

 気が付けば戦い方の手ほどきをするようになり、最終的な結果はこの通り別れを悲しんでもらえる程に好かれるようになっていた。 

 

 前世から子供好きを自認している俺としては彼女と親しなった事自体に不満などないが馬鹿親(こうは)が絡んでくる事だけが面倒だった。

 子供を可愛がるのは理解できるが、こんな危険な時代である事を差し引いても興覇は過保護が過ぎる。

 

「お前、ほんっと卓に好かれてるな。親父としてはすげぇ複雑なんだが」

「そう言われてもな」

 

 口では言い表す事が出来ないくらい本当に複雑そうな顔をする興覇。

 この五日間の間ですっかり見慣れた表情だ。

 

「……甘嬢、別れの挨拶が遅くなってすまないな」

「うっ……いえ」

 

 そっと片膝を付いて彼女と視線を合わせて謝罪する。

 大きめの瞳を潤ませながら俺を見つめる甘嬢。

 泣かないように唇を軽く噛んでいる姿は、なんともいじらしく年相応の可愛らしさに満ちている。

 視界の端っこで馬鹿親(こうは)が拳を握りしめて俺を睨んでいるが無視だ。

 

「また近いうちに会う事になる。それまで教えた事を忘れないようにな。父親と仲良くするんだぞ?」

「はい。とうりんさまもどうかお元気で」

 

 こぼれそうになった涙を拭う彼女の頭をそっと撫でる。

 すると感極まってしまったのか俺の腹に顔を押しつけて抱きついてきた。

 

「うっ……ぐす」

 

 嗚咽混じりの吐息が服一枚を隔てて俺の腹部をくすぐる。

 俺は大昔に自分の息子や孫をあやした時の事を思い出しながら彼女が泣きやむまでそっと彼女の背中を撫で続けた。

 

 愛刀に手をかけて寒気のする笑顔を浮かべている興覇を意図的に無視しながら。

 

 

 

 

「行ったな」

「はい……」

 

 俺の手を握りながら去っていく凌操隊の背中を見送る思春。

 じっと見つめているその先にいるのはこの五日間で仲良くなった凌操だろうな。

 もしかしたらその副官でよく話をしていた……賀公苗だったか、かもしれねぇが。

 

 思春はこの五日で少し変わった。

 今までは錦帆賊の中でも生まれた頃から一緒にいた連中にしか懐かなかったのに。

 刀厘や公苗と関わってる内に連中の部下たちともびくびくしながらだが話すようになった。

 

 俺たち錦帆賊全体にとって刀厘たちの存在が現状打破の為のきっかけになったように、思春にとってもあいつらとの触れ合いが今の自分を変えるきっかけになったんだろう。

 

 親として娘の成長は素直に嬉しい。

 俺よりも年下の男がきっかけって言うのは親として負けたような気分になるが。

 

「欲を言えば俺の手で一から十まで育てたかったんだがなぁ」

 

 もう豆粒になった男たちの背中を飽きもせずに見つめ続ける思春に聞こえないように呟く。

 

 刀厘から軽く戦闘の手ほどきを受けた思春はちょっとした技術を身につけた。

 

 有効な足運びや武器の振り方。

 あいつが娘に教えたのはその程度の事だったって話だったが。

 

 たったそれだけで思春はより戦い難い相手になった。

 別に剣を振るう速度が上がったわけじゃない。

 力が上がったわけでもないから武器の威力が変わったわけでもない。

 

 だと言うのに軽い気持ちで模擬戦をしたら危うく負けそうになった。

 今までの思春の剣には振り下ろすか振り上げるか突くかくらいしか攻撃の型が無かった。

 それがどうだ。

 刀厘から手ほどきを受けたあいつは剣の柄尻や自分の足、拳すらも攻撃に利用してきた。

 

 今まで『剣』だけで戦ってきた思春は手ほどきされた四日(それも一日での時間はせいぜい一刻って所だ)で自分の持てる技術全てを利用して戦うようになっていた。

 

 戦いは生きるか死ぬか、殺すか殺されるか。

 意識を突き詰めていけばそれしか残らず、純然たる結果として勝ちか負けだけが鎮座するもんだ。

 

 戦いってのは綺麗事じゃない。

 

 思春が鍛錬をするようになってから口を酸っぱくして教えてきた事だったが実戦経験って奴がないあいつにとって俺の言葉はやはり伝わり難いもんで、どうしたもんか悩んでもいたんだが。

 どうやったか知らないが刀厘は思春に俺の言いたかった事を意識させる事に成功していた。

 

 昔の俺みてぇに実戦で痛い目を見ながら学ばせるしかねぇかと諦めていたってのに。

 手ほどきの内容までは聞いてなかったから模擬戦での動きは俺にとって完全な不意打ちで奇襲だった。

 

 実の娘に度肝抜かれる事になるとは思いもしなかったぜ、まったく。

 親としての意地でどうにか勝ちを拾ったが、あれは本気で肝を冷やした。

 

 その後、あいつを問いただしたら少し手ほどきしたとほざきやがったし。

 あれだけ動けるようになっているのに『少し』だと?

 じゃあ本格的に思春をあいつに預けたら一体、どうなっちまうんだ?

 

「父……」

「お、おう。どうした、思春」

 

 悶々と考え事に耽っていると思春が俺を見上げてなにか言いたげにしている事に気づいた。

 

「わたしはつよくなれますか? 父をまもれるくらいに」

 

 真剣だが不安げに揺れる瞳。

 たぶん刀厘に手ほどきされた上で俺に負けたのが悔しかったのかねぇ?

 親としてそう簡単に負けてやるつもりはねぇし、守られてやるつもりもないんだが。

 

「そうさな。このまま毎日鍛錬してりゃ強くはなれるだろうぜ」

 

 俺の言葉に無言だが、嬉しそうに顔を綻ばせる思春。

 ったくこういう時の顔はほんとに子供だ。

 俺と想の最愛の娘だ。

 

「だが俺を守ろうなんてのは十年早い。俺より強くなってから言え」

 

 思春と額を合わせてニヤリと笑ってやる。

 からかわれたと思った思春はむっと頬を膨らませるが、まぁ怖くはねぇな。

 むしろ可愛いだけか。

 

「さあて見送りも済んだし、俺たちも行くぞ!」

「あ、はい!」

 

 不満そうな顔が、ただの子供の表情が消え、錦帆賊頭の娘として引き締められる。

 その切り替えの早さを見て先が楽しみだと思うし、同時になんか寂しいとも思う。

 

 複雑な内心を隠して俺たちは船に乗り込んだ。

 

「俺たちは予定通り、長江を下る! いつも通り賊が村を襲えねぇようにしっかり睨みを効かしに行くぜ!!」

 

 長江中に響かせるつもりで声を張り上げる。

 誰一人の例外もなく仲間は俺に視線を集中させている中で俺はさらに檄を飛ばす。

 

「だがこれからはさらに気合いを入れろ!! 俺らは十年の苦しい時間を乗り越えて肩を並べられる新しい仲間を得たんだからな! あいつらが俺達と肩並べた事を誇れるように! 俺らがあいつらと胸を張って横並びでいられるように! 今まで以上に気張って見せろ! わかったか、てめえらぁあああ!!!」

「「「「「「おおおーーーーーー!!!!!」」」」」」

 

 そして俺達はいつも通り、船を駆って水上を突き進む。

 その胸に今までとは違う想いを乗せて。

 



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第十九話 行軍と訓練と。とある老人の静かな決意

前話から試験的に「SIDE 〇〇」と言う語句を入れずに投稿してみました。
誰の視点かがわかればこの語句は必要ないと思うので、とりあえずは数話続けて問題なければ投稿済みの話も修正していきます。

それでは以降もお楽しみください。


 鬱蒼とした森の中を走る。

 鎧を着込んだ状態で進路に立ちふさがる木々を避けながら、速度を落とさないように意識して。

 

 ただ考え無しに走るだけでは規則性のない生え方をした木々の間をくぐり抜ける事は不可能だ。

 前方を見据え、視界全てに意識を向け、どの位置をどのように進むかを常に考えながら走らなければならない。

 

 無論、口で言う程に簡単な事ではない。

 偉そうに講釈を述べている俺自身が十年以上もこうやって訓練を重ねながら今も尚、試行錯誤を続けているくらいなのだから。

 

 当然、俺よりも経験が乏しい部下たちでは俺に追いつく事は出来ないだろう。

 少なくとも普通に追いかけているだけでは。

 

 一度、立ち止まり背後を見やる。

 およそ十人ばかりの人間が俺の後を追いかけてきているのが見えた。

 しかし予想通り、いずれも俺に追いつく程の速度ではない。

 

 俺は追いかけてくる存在がいる事を確認すると前に向き直ってまた走り出した。

 

「昼飯抜きまであと半刻っ!!!」

 

 森全体に響かせるように、空に向かって叫ぶように告げるのを忘れずに。

 部下たちが今まで以上に必死になって追いかけてくる事を気配で感じ取りながら俺はさらに速度を上げて森の中を突き進んでいった。

 

 

 俺達が遠征に出て早十二日。

 隊全体がそれなりに遠征の空気に慣れてきたので遠出しなければ出来ないような特殊訓練を実施している最中である。

 

 内容は五十人一組の班に別れ、森の中に潜んでいる俺を捕まえると言う物だ。

 

 一つの班の所要時間は半刻(およそ一時間)。

 その限られた時間の間、俺はあらゆる手を尽くして森の中を逃げ続け、班員たちはあらゆる手を尽くして俺を捕まえる為に奔走する。

 

 余談だがこの時代の時刻の計り方が日本は江戸時代の頃から行われていた物だと知った時は驚いた。

 ある程度は知っている方法だったので利用する事に違和感はないが、やはり時代背景を考えると疑問が残る。

 

 それは置いておくとして。

 この鬼ごっこには時間内に俺を捕まえられなければその班は食事抜きと言う罰則がある。

 ただでさえ遠征で食事には一定の制限がかかっていると言うのにここにきて一食抜きと言うのは兵士たちからすれば非常に厳しい物だろう。

 

 人間と言うのは厄介な物で環境に慣れていくと心のどこかで油断や慢心が生まれてしまう。

 その例に漏れる事無く遠征を開始した当初は緊張で心を引き締めていた彼らだが、今は慣れてきた事で気を緩めてしまっていた。

 

 宋謙殿などの俺よりも古株の者たちはそうでもないが、公苗などのこの遠征が初の本格的な軍務になる者たちは目に見えてわかる程に舞い上がっているのがわかる。

 錦帆賊と良好な関係を築く事が出来た事も彼らが舞い上がるのに一役買っているんだろう。

 任務を一部とはいえ考えうる限り最良の形で完遂した形になるのだから興奮するのはわかるし、その喜びや達成感が尾を引くのも仕方のない事だ。

 

 とはいえ仕方が無いで済ませてしまえば、取り返しのつかない失敗を犯す事になるかもしれない。

 なので気を引き締める意味合いを込めて罰則付きの訓練を実施すると言う結論に至ったのである。

 

 宋謙殿も皆に気の緩みや興奮が伝染する事を懸念し、同意してくれた。

 自分も罰則の対象になる事も笑って受け入れてくれる辺り、やはりこの人は優れた軍人であると俺は再確認する。

 

 精神年齢は俺の方が上だが『この時代の現役軍人として』大先輩である彼の存在はこの部隊にとって欠かす事の出来ない物の一つだ。

 

 

 訓練の方は既に三組が実施し、全ての組が罰則の犠牲になり朝飯抜きになっている。

 今やっている面々は朝食後なので罰則は昼食抜きと言う訳だ。

 

 唸り声を上げながら食事をする他の面々を睨みつけて空腹を押さえつけている罰則者たちの様子を見て、『一食くらい大丈夫だ』と楽観視していた最後の組の者たちも考えを改めている。

 当然だが副官である宋謙殿も公苗も班の一員として参加している。

 公苗は意気揚々と一組目として参加し、朝食抜きという無惨な結果になった。

 副官相手でも罰則が変わらない事が他の面々へ緊張感を与えたのは言うまでもない。

 

 ちなみに俺が捕まった場合も罰則として食事抜きになる。

 

 一回捕まれば一回分の食事抜きだ。

 しかし俺の場合は二回捕まれば二食分の食事抜きである。

 森の中での移動に関しては俺の方が慣れている為に、ハンデとして自分に課した罰則だ。

 

 とはいえ二回、ないしそれ以上の回数の食事抜きなんぞ必要に迫られた時以外は絶対に御免である。

 なので俺自身、手を抜いて訓練に当たるような余裕はないのだ。

 

 肉体を全力で使用し、頭を全力で働かせながら俺は四組目になる部下たちを振り切って森を抜けた。

 

 森を抜けた先にあるのは野営と昼食の準備をしている隊の皆の姿がある。

 そして俺が森から抜け出した直後。

 苦笑いを浮かべながら(恐らく四組目の犠牲者たちに同情しているんだろう)部下の一人が時間切れを告げるべく用意していた小型の銅鑼を叩いた。

 

 

 

「うう……おいしいです」

 

 目尻に涙を浮かべながら配給された料理を食べる賀斉。

 じっくり噛みしめるように味わうその様子に宋謙殿は苦笑いし、俺は成果が上々である事を確認してほくそ笑む。

 

「一食抜いた後の食事じゃからな。空腹は最大の調味料と言うしそりゃ美味いじゃろうよ」

 

 ぽんぽんと彼女の肩を叩く宋謙殿。

 公苗は彼の言葉にうんうん肯きながらいつもと変わらない味の食事を実に美味しそうに食べている。

 

「良い機会だ。食事が出来ると言う事のありがたみを知っておくといい。本拠駐屯の部隊と違って遠征軍にとって食糧難などの物資不足は非常に身近な問題だ。毎日食事にありつけるなんて考えだといざと言う時に保たないぞ」

「ご飯が食べられない事がこんなに辛いなんて思いませんでした。骨身に沁みて理解しました」

 

 朝食抜きになった連中が公苗と一緒に頷いている。

 

「その気持ちを忘れるな」

 

 俺はさらに言葉を続ける。

 

「飢えは人の気持ちを不安定にさせ、人の欲というものを剥き出しにする。今、世間を騒がせている大体の賊がそうだ。錦帆賊のように自分たちの意思で賊と呼ばれるようになった者などほとんどいない。日々の食事もままならず飢えを凌ぐ為に他者を襲う。一度、そうなってしまえば二度目への躊躇や良心の呵責は少なくなり、さらに繰り返していけば行為に対する忌避感など麻痺していき、それが当然の事であるように思い込むようになる」

 

 好き好んでなりたかったわけではなく、ならざるをえなかった。

 そんな境遇の人間が、賊として処断されていく。

 彼らはただただ生きるために必死になっただけだと言うのに。

 

「彼ら賊が民を虐げる以上、俺たちにとっては敵だ。しかしそこに止むに止まれぬ事情があるならば、その行為を悪と言い切る事は出来ない。国に仕える俺たちは国の政の犠牲者である彼らを糾弾してはいけない」

 

 黙り込み真剣な表情で俺の言葉に耳を傾ける一同。

 

「ほんの少し境遇が違ったら俺たちも賊として他者を襲う存在になっていたかもしれない。一食抜いて飢餓の恐ろしさを、辛さを一片だけでも感じ取ったお前たちなら理解出来るはずだ。その辛さを年単位で味合わされてしまえば良心などよりも本能が勝ってしまうだろう事がな」

 

 俺の物言いに何人かが険しい表情を浮かべるが反論は出てこなかった。

 そうなっていたかもしれないという可能性を肌で感じ取り、理解したからだろう。

 

「彼らは『もしかしたらの俺たち』だ。だが情けをかけろなどとは言わない。いざと言う時の躊躇いは自分だけではなく部隊全体を危険に晒してしまうかもしれないからだ。だが忘れるな。お前たちは兵士だがその前に一人の人間だ。そして『相手』も人間だ。どんな理由があろうとも相手の立場がどうであろうとも敵対する者を殺せば俺たちは『人殺し』だ」

 

 前世でも今世でも俺は人殺しだ。

 その事に言い訳などしないし、これからも必要とあらば人を殺す。

 敵も味方もない屍の上を歩いて生きていく。

 陽菜や祭、そして俺と共に歩んでくれる者たちと共に。

 

 そしていつか。

 どんな形であれ俺もまたその屍の一部になり、誰かに踏み越えられていくだろう。

 

 そうなる事がこの奇妙な時代に二度目の生を受けた俺が自分に課した覚悟だ。

 

「実戦経験の浅いお前たちには難しい事を言っているかもしれない。だが今伝えた事を忘れないでくれ」

「「「「「「「はい!!!!」」」」」」」

「よし! 午後からは行軍を再開する。食事が終わった者から後片付けを始めろ!!!」

 

 俺の号令に全員が起立し、両足を揃えて右手を額に当てて敬礼する。

 俺もまた彼らと共に起立し、彼らの敬礼に対して返礼する。

 

 場の空気が一拍だけ硬直した後、俺たちは手早く食事を終わらせて移動の準備を始めた。

 

 

 行軍を再開し、長江の流れに沿って歩く途中、宋謙殿に声をかけられた。

 

「なかなか様になった演説でしたな。この年にして考えさせられるお言葉でした」

「現実を知らない若造の戯言です。良い機会だと思いその場の勢いを借りて語ってしまいましたが、下手をすれば兵の士気を下げる事にもなりかねない危険な物だったと今は猛省しています」

 

 首を振って彼の絶賛の言葉を否定する。

 雰囲気に流されてしまうとは俺もまだまだ甘いと自嘲する。

 

「いいえ、隊長殿。貴方の言葉には確かな経験に裏付けされる重みと説得力がありました。それこそ幾多の修羅場を潜ってきたかのような、この老骨をも飲み込んでしまう程の意思を感じましたぞ。確かに弁舌を振るうには時期尚早であったかもしれません。しかしご自身の言葉を戯言と言い切ってしまうのは些か卑下が過ぎましょう」

 

 俺の言葉を諫め窘めるその言葉には強い意志が籠められていた。

 その言葉にもう一度、首を横に振ってしまう事は先の言葉がただ上辺だけの美辞麗句を並べた飾り言と化してしまうと理解出来た。

 

「時期は間違いであったかもしれませぬ。しかし結果を見れば士気は下がるどころか天井知らずに上がっております。その上、彼らの中にあった浮き足だち、不安定だった心は程良い緊張を取り戻している。これ以上の成果を望むのは欲張りと言う物でしょう」

「しかしそれは結果論でしょう?」

「ですが純然たる結果です。よもやそうであったかもしれない可能性に怯えて足を止めるおつもりですか?」

 

 俺の心を射抜くような鋭い視線と言葉。

 しかし俺は間髪入れずに首を振った。

 

「そんなつもりはありません」

「で、あるならば時期を逸していたかもしれぬ事についてはしっかりと反省し、次に活かすようになされるように。間違いを起こさぬ人間などおりません。であるならば過ちを糧により高みを目指されるように。貴方はまだまだこれからの人なのだから」

 

 力強く感じられた言葉が不意に優しくなり、彼の放つ空気が緩められていくのがわかる。

 そして俺は彼の言葉に納得していた。

 

 完璧を求める事はいい。

 しかし万事に置いて完璧な人間などいない。

 誰もがなにかしらの欠点を持ち、失敗を経験し続ける物だ。

 己が得意とする分野ですら失敗の可能性は常に抱えている。

 失敗の可能性に怯えていては何も出来はしない。

 そして既に起こった失敗に対していつまでも『ああすればよかった、こうすればよかった』などと考え続けている事に意味などない。

 無論、反省はしなければいけない、失敗と向き合う努力を怠ってはいけない。

 しかし囚われてはいけないのだ。

 

 わかっていたはずだ。

 精神年齢およそ百十年の人生の中で理解してきた事柄だったはずだ。

 しかし宋謙殿に指摘された事で理解がより深まったと感じる事が出来た。

 

「……ありがとうございます」

 

 ありったけの感謝を込めて言葉にする。

 すると彼は四角く無骨な表情を小さく緩めて笑った。

 

「いえいえ。老骨の戯言でございますよ」

 

 皮肉混じりの言葉に俺も小さく苦笑いを返した。

 

 

 俺はやはりまだまだ未熟なのだろう。

 舞い上がっていたのは彼らだけではなく、俺自身もだったのだから。

 

 なんでも出来るとまではいかないまでも俺が考え抜いた行動ならば上手く行くはずだと何の根拠もない自信を持ってしまっていた。

 

 それは正しく自惚れだった。

 こんな年になってそんな事を考えてしまうとはまったくもって不覚である。

 

 取り返しのつく所でその事を俺に教えてくれた宋謙殿には幾ら感謝してもしたりない。

 

 彼からの言葉を胸に刻み、二度と同じ失敗をしない事を誓った俺はより強く地面を踏みしめながら眼前に広がる広大な大地の先に目を向けた。

 

 

 

 

 

 文台様の旗揚げ―――と言うよりもあれは反乱と言った方が正確じゃな―――に付き合い、家臣として彼女らに仕えるようになって四年と少し。

 

 彼女らよりも長く生きた経験を買われて部隊の育成を任されてきたが、ここ最近は我が隊長殿の補佐を行っている。

 

 非常に充実した日々だ。

 彼が優秀であると言う事も勿論、そうだが彼は見ていて飽きない。

 元農村の出身とは思えない学のある物言い、卓越した武を持ちながらもそれを鼻にかけない謙虚な態度。

 民は勿論、部下にも気を配るその姿勢。

 

 上司としては正に理想と言えるだろう。

 

 しかし彼は時折、その態度と年齢がちぐはぐになる事がある。

 彼の年で知る機会などあるはずのない事柄についての知識を持っていたり、まるで子や孫を見守る老人のような目を公苗や部下たち、果ては雪蓮様や蓮華様たちに向ける事があるのだ。

 

 そして何より。

 見た目はどう考えても二十前後の若造だと言うのに。

 その言葉には何十年もの年月を生きた者のみが出せる説得力があった。

 

 しかし彼の在り様は見方によってはひどく歪な物である。

 加えて何か小さなきっかけで壊れてしまうかもしれないと不安にさせるような脆さを感じさせてもいた。

 

 だから私は彼の副官に志願したのだ。

 もしも彼の心が折れるような事があった時に、彼を支える者である為に。

 

 

 彼の弁舌を反芻しながら思う。

 やはり私の目に狂いはなかった。

 

 我らが隊長、刀厘殿の存在は兵を強くしその結果、国を強くする。

 しかしそれだけの力を有しながらも彼は脆く不安定なのだ。

 確かな決意に裏打ちされた言葉を部下たちに語って聞かせながら、既に過去の事である失敗の可能性に怯えてしまうような小さな心の持ち主なのだ。

 

 

 老骨の身で何が出来るかとずっと考えていた私だが今、ここで改めて決意する。

 この若く輝かしいが未だ昇り立つには至らない未来の光を全身全霊を持って支え続けよう。

 

 例えこの命、朽ち果てようとも。

 



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第二十話 賊の襲来と少女の決意

 隊の全員が空腹の苦しみを理解したあの日からさらに一週間と二日。

 俺たちは予定通りに行軍を続けた。

 

 既に長江付近に存在する村については全て回った。

 彼らが抱える問題や要望を書き留めた竹簡は、伝令が建業に送っている。 

 作物が実るだろう水捌けの良い土地についても、大雑把にではあるがまとめてあるので今後の農耕に役立つはずだ。

 

 あれほど巨大な河が近くにあると言うのは農作業の活性化に置いて大きな利点になる。

 勿論、治水と開墾が上手く出来ていなければ活性化なんぞ夢のまた夢だろうが、そこは優秀な軍師たちがやってくれるだろう。

 

 前世での敗戦後、国では戦後処理に手間取った結果、水害による被害が多発した地域があった。

 俺と陽菜は水害による被害を受けた事がある。

 だからそれがどれほど恐ろしい物かをよく知っている。

 

 長江とは比較にならないほど小さな河ではあったが、それが氾濫しただけで一帯は水浸しになり、酷い所では家すらも流されて住む場所すらも失う事があった。

 

 人の命をも否応なく飲み込む『それ』は、人の身ではあらがう事の出来ない無慈悲で圧倒的な力である。

 その脅威を知る陽菜が水害対策を怠るはずがない。

 

「陽菜様の事、すごく信頼されているんですね」

 

 前世での経験についてをぼかしながら水害の脅威と治水の大切さを説明すると公苗はそんな当たり前の事を言ってきた。

 

「補足するならば祭の事も信頼している。夫婦なのだから互いを信じるのは当然の事だ」

「そ、そうですか。お二人が羨ましいですね……」

「お前にもいずれそういう人が出来るだろうさ。お前ほどの器量良しなら引く手数多だから相手については心配しなくていい」

「こ、光栄、です……」

「まぁ、お前が良い人を選べるかどうかまではわからないが、な」

「良い人……隊長や陽菜様、祭様のようなお互いに信頼できる夫婦。ッ〜〜〜〜!?!?」

「ふははは! 公苗には少々刺激が強い話だったようですな!」

 

 顔を真っ赤にする公苗を微笑ましげに見つめ、からからと笑う宋謙殿改め豪人(ごうと)殿。

 

 一定の緊張感を保った中で談笑しながらの行軍。

 隊の皆も周囲への警戒を怠らない範囲でそれぞれに仲間たちとなんでもない雑談をしている。

 そんな中、周囲の空気が変化してきた事に最初に気づいたのは公苗だった。

 

「あ、隊長。風に紛れて塩の匂いがしてきました」

「塩? と言うと……海が近いのか」

 

 談笑を止め、思い切り鼻から息を吸い込む。

 なるほど、僅かではあるが海水独特の塩辛い匂いがした。

 

 しかし集中しなければわからないようなこんな僅かな違和感に気づく事が出来ると言うのは稀有な事だろう。

 状況の変化に敏感とでも言えば言いのか。

 そういう意味では公苗は斥候や偵察として非常に優秀な人材だ。

 嗅覚が犬にも劣らないと言うのは正直、才能の一言で片づけてはいけない気がするが、そういう人間もいるんだと言う事で納得しておく。

 この時代の人間についてはある程度の所で割り切っていかないと突っ込みに際限がなくなるからな。

 

「公苗、何人か足の速い者を連れて先に行け。地図によればこの先に岬があるようだ。そこからなら辺りを一望出来る」

 

 俺は部下の能力を見極め、それに見合った仕事を指示するだけだ。

 

「はい!」

 

 先ほどまで顔を真っ赤にして慌てていたのが嘘のような真剣な表情で返事をする公苗。

 気持ちの切り替えが上手く出来るようになってきたようだ。

 まだ顔が赤い事は大目に見ておくとしよう。

 命令を実行するべく近くにいた部下たちに声をかけて先行する彼女の背中を見送る。

 

「ここまでの行程は順調ですな」

「そうですね。むしろ二、三日早いくらいです」

 

 早い分には何の問題もない。

 物資と想定した期限に余裕が生まれると言う事は気持ちの上でプラスに働くだろう。

 余裕を持ちすぎて気を緩める事のないようにしなければいけないが、その辺りは心得ているつもりだ。

 

「この調子で万事上手く行けば良いですな」

「そうですね」

 

 本当にそう思うが、そうそう上手く行かないのが世の中というものだろう。

 ならばどのような事態にも対処できるように心構えをしておくべきだ。

 

 そして体感時間にして数分後、慌てて戻ってきた部下の報告で俺は自分の思考の正しさを実感する事になる。

 

「ご報告!!! 海賊と思われる船数隻が海辺の村に向かっています! 錦帆賊とは船の編成が違う為、恐らくは賊だと思われます!!」

 

 隊全体に緊張が走る中、俺は即座に指示を飛ばした。

 

「荷車の管理に五十名を残し、残りは駆け足!! 偵察隊は移動しながら詳しい状況を報告しろ!! 荷車隊は近隣の森で目立たぬように待機。追って指示を出す!!!」

「「「「「「はっ!!!!!」」」」」」

 

 指示を受けて淀みなく動き出す面々を確認し、俺は一足先に駆け出す。

 追従する面々を引き離す事がないようにある程度、速度を加減しながらそれでも可能な限り急いで。

 

「公苗はどうした?」

「既に何人かと村に入り、村人に避難するよう呼びかけをしております。しかし報告も急務なので村に入った段階で賀副隊長に許可を頂き、自分だけ報告に戻りました!」

「妥当な判断だとは思うが公苗の指示じゃないのか?」

「賀副隊長は村人の避難を最優先されており、報告まで気が回っておりませんでした。ですので私の方で判断を」

 

 なるほど。

 早い話が海賊の接近を察知した焦りで俺たちへの報告などすっぱり頭から消えたと言う事か。

 

 偵察向けの能力を持っているが、事に対して冷静に対応するところまでは出来ないようだ。

 もっと場数を踏ませ、口を酸っぱくして言い聞かせないといけないだろう。

 

「わかった。賊の編成は?」

「艇(てい)が三隻と先登(せんとう)が二隻。賀副隊長によれば先登にはそれなりの人数が乗り込んでいるのが確認できたとの事です!」

「賊が村に到着するのと俺たちが村に到着するのとどちらが早い? おおよそで良いが希望的観測は可能な限り捨てて答えろ」

 

 備えるべきは最悪の可能性。

 その為には『こうなっていればいい』と言う甘い考えはすっぱりと切り捨てなければならない。

 建業での調練の間に俺の考え方は部下全員に周知し、徹底させている。

 

「この速さならば賊よりも早く到着出来ます! 馬ならばほんの少しではありますが余裕を持てるかと!」

「よし。ならば騎馬兵五名は先行して公苗たちと合流。村人の避難を手伝え!」

「「「「「はっ!」」」」」

 

 俺の言葉を並走しながらで聞いていた騎馬兵たちが馬を本気で走らせていく。

 あっと言う間に遠ざかるその背を追いながら後ろの面々を怒鳴りつけた。

 

「調練の成果を今こそ見せてみろ!!! 賊から民を守り抜いたと言う結果を出す事でだッ!!!!」

「「「「「「おおっ!!!!!」」」」」」

 

 俺の声に彼らは全力で返事を返した。

 

 

 

 

「す、すみません。村長様はどこにいらっしゃいますでしょうか!?」

「はっ!? あの、どちら様でしょうか?」

 

 突然、村に入って慌てて質問する私に困った様子で聞き返してくる村の女性。

 

「も、申し遅れました。私は賀公苗。建業に所属する軍の者です!」

「け、建業の軍の!? そんな方がどうしてこのような辺鄙な村へ?」

「わ、私たちは今、治安調査の為に領内の村を回っているんです! 行軍の途中、あちらの岬からこの辺りを偵察していた所、この村に海賊船が迫ってきているのがわかったので避難してもらおうと駆けつけました!」

 

 私の慌てながらの説明に女性は顔を青くする。

 良かった。

 私の拙い説明でもちゃんと海賊の事は伝わったみたいだ。

 

「わかりました! 村長は村の奥の自宅にいらっしゃると思いますので私がご案内します!」

「お願いします!」

 

 女性に頭を下げてから私は付いて来てくれた人たちを振り返る。

 

「すみません、皆さんは村の人たちに海賊の事を伝えて避難させてください! 私も村長様に事の次第を説明したらすぐに手伝いに行きますので!」

「「「「はっ!」」」」

 

 バラバラに動き出した部隊の仲間を見送る中、一人だけ私に声をかけてきた。

 

「賀副隊長、村人への対応も大切ですが凌隊長たちへこの事を伝える事も必要だと思います」

「あっ!?」

 

 村の人たちを危険から引き離そうと焦って本来の任務をすっかり忘れていた。

 

「す、すみません! 忘れていました!」

「いいえ、焦られるお気持ちもわかりますので」

 

 真剣な表情のその人のお陰で私は慌てていた心を落ち着かせる事が出来た。

 

「すぅ〜〜はぁ〜〜……それじゃあ隊長たちへの報告をお願いします。出来るだけ詳細に。隊長たちの足なら海賊たちよりも早くここに到着できるはずですから」

「はっ!」

 

 深呼吸を一つしてから出した指示に彼は隊長から教わった敬礼を返すと走り去っていった。

 そして私は焦りながらも私たちのやりとりを見守っていた女性に改めてお願いする。

 

「軍の本隊も追って到着します。その前に事の次第だけでも村長様に!」

「わかりました。こちらです」

 

 女性の先導に従って私は駆け出す。

 

 力が強いだけでそれを扱う術を知らなかった私。

 持て余していた力で両親や生まれ故郷の村のみんなに迷惑ばかり掛けていた私。

 

 そんな私を拾って下さった美命様。

 歓迎すると笑いかけて下さった蘭雪様。

 こんな私の為にお忙しいのにわざわざ時間を作って会いに来て下さった陽菜様。

 時々、調練場に遊びに来られた雪蓮様と連れて来られた冥琳様、蓮華様。

 

 自分に自信が持てなくて軍に入ってからもずっとびくびくしていた私に目をかけて下さった豪人様。

 要領の良くない私に力の扱い方を根気強く教えて下さった隊長。

 

 優しく暖かいあの方々のご恩に報いる為にも、私はもっと努力するんだ。

 私が今持ってる力で出来るだけの事をするんだ。

 それが部隊の皆さんの助けになるんだから。

 

「こちらです!」

「はい!」

 

 私は女性が案内してくれた木製の大きな家に飛び込み、いきなり現れた私に目を白黒させている村長らしい男性に突然の無礼を頭を下げて謝りながら事の次第を説明し始めた。

 

 村長様は私からの説明を聞き終わると、とすぐに村全体に避難するようにと道案内をしてくれた女性に指示を出した。

 こちらで先に避難の誘導を行っている事を伝えたらすごく感謝されたけれど、私としては勝手な事をしてしまって申し訳ない気持ちで一杯だった。

 

「それだけ事態が切迫していると言う事なのでしょう? 一番大切なのは村の皆の命です。私に遠慮などなさる必要はございません」

「そう言ってもらえるとありがたいです。それでは私も避難を手伝いに行きますので! あちらから部隊が到着しますので村長様たちも避難はそちらの方へお願いします!」

「わかりました、我々もすぐに。……どうかこの村をよろしくお願いします」

 

 深く頭を下げる村長様と一緒に頭を下げている女性。

 

 その姿を見て、私は思った。

 誰かに何かを頼まれると言う事はこんなにも重かったのかと。

 

 その事を怖いとすら思った。

 だって私たちが海賊たちを退けられなかったらこの人たちは住む場所と平和な生活を無くす事になる。

 

 失敗は許されない。

 訓練とは違う、重苦しい緊張を感じて嫌な汗が背筋を伝うのが鮮明にわかってしまった。

 けれど。

 

「はい! 私たちが皆さんをお守りします!」

 

 そんな私の情けない内心を村長様たちに見せるような事はしなかった。

 

『守る立場である俺たちが守るべき民の前で弱さを見せる事は有ってはならない。民を不安にさせるからだ。常に堂々と胸を張れ。たとえそれが虚勢であっても』

 

『まず守るべきは民の心だ。その為に行動できる強い意志を持て。実力はこれからつけていけばいい、いや無理矢理にでもつけてもらう』

 

 隊長が就任した当初に語った言葉が私の脳裏によぎったからだ。

 

「それでは!」

 

 村長様のお宅を出て行き、岬から確認できた海賊船が迫ってきている方向に向かって走り出す。

 

 隊長たちと合流するまでの間、頭には『私』の心を守って下さった人たちの顔が浮かんでは消えていった。

 

 

 

 俺たちが村に到着する頃には既に村人の避難はほとんど完了していた。

 

 俺たちが村に入るのと入れ違いになるように村を出ていく人々。

 彼らを先導していた部下に荷車部隊の場所を教え、そちらへの村人たちの誘導を任せる。

 荷車部隊の場所までは護衛として二十人程、同伴させて万全を期している。

 

「あなた方の身の安全の為とはいえしばらく不自由を強いる事、先に謝罪させていただきます。申し訳有りません」

「い、いえいえ! これほど手厚く保護していただいていると言うのに不満などあろうはずがありません! どうか顔を上げて下さい!」

 

 恐縮しきりの村長の言に従い、下げていた頭を上げる。

 

「建業遠征軍総勢二百名、海賊の討伐及び貴方方の護衛に全力を尽くします」

「宜しくお願いいたします」

 

 村長以下、村人一同に対して敬礼しすぐに背後に控えた部下たちに向かって指示を出す。

 

「作戦を伝える。まず俺と三十名は海辺から乗り込んでくる海賊を迎撃、しかしこの組の目的は時間稼ぎだから敵を倒す事に拘る必要はない。残り百名は二手に別れて村を大回りし、連中を囲い込むように動け。そちらの指揮は賀副隊長、宋副隊長に任せる。俺たち時間稼ぎ組が上手く敵を引きつけた所を一気に攻め込んでほしい」

「心得ました」

「や、やってみます! あ、いえ……やって見せます!」

 

 二人の同意を得た上で俺はさらに話を進める。

 

「奴らを逃がすとまたいつ村が襲われるかわからん。ここで確実に全滅させる為にも有力な逃亡手段である船は奪うか、最低でも航行不能にする必要がある。如何に早く船を無力化出来るかが鍵だ。その事をしっかり心に留めて動け」

「「「「「おおっ!」」」」」

 

 俺と豪人殿、公苗の前に自発的に部隊が分かれて集まっていく。

 俺の部隊は作戦の要であり最も危険だ。

 よって成功率を上げる為に部隊全体の中でも精鋭で構成されなければならない。

 その辺りは言うまでもなく心得ているようで指示を出すまでもなく流れるように組分けは完了した。

 

「では三十名は俺に続け。俺たちが作戦の肝である以上、失敗は許されない。敵を引きつけると言う性質上、もっとも困難な役割だ。一瞬の気の緩みが死に直結すると思えッ!!!」

「「「「「はっ!!!!!」」」」」

 

 俺たちは各々に課した役割を果たすべく動き出した。

 

 

 この村は海に面している。

 地形としてはここまで俺たちが行軍してきた平原と海賊たちが航行している海とで挟まれる形だ。

 村の規模はそこそこ大きい物で人数は七十名程度。

 海に面して南北方向に民家がぽつぽつと並んでいる。

 

 公苗が賊を確認した岬は村から見て北側に当たる。

 そこから彼女にはこの村と村に迫る船が見えたのだと言う。

 岬から村までは俺の体感時間で十分とかからない位置だ。

 今、村からその岬を見上げてみても充分に村の様子を確認できる距離だろう。

 

 しかし近づいてくる船が海賊船であると識別出来るかと言えば首を傾げる。

 公苗によれば興覇たち錦帆賊と比べて、明らかに人相が悪く船の使い方が荒いとの事だ。

 

 しかしそんな細かい部分まで確認出来ると言うのは余りにも人間離れし過ぎているんじゃないか?

 面と向かって言ってしまうと彼女を傷つけてしまうから言わないが。

 

 村長たちから聞いた話では甘寧たちは既にこの村を巡回し、さらに南へ移動してしまった後だとの事だ。

 巡回していない大陸南方の海辺に村が点在している事から考えても彼らが引き返してくる理由は無いと言う。

 

 賊と目されている連中と彼らとでは船の編成が異なるので違うだろうと当たりは付けていたが、近づいている海賊が錦帆賊ではないという事は村長らの情報でほぼ確信出来た。

 

「……ここまで近づいてくれば俺たちでもヤツらが見えるな」

 

 海賊船は既に船上で動いている人間を目視出来る距離まで近づいていた。

 奴らが浜辺に到着するまでもう五分とかからないだろう。

 

「……まずは敵の目をこちらに引きつける。奴らが浜辺に上陸してきたらその進軍速度に合わせて下がるぞ」

 

 方針を確認しながら一瞥。

 部下たちが無言で頷くのを確認し、視線を前方に固定する。

 

「遠慮はいらねぇぞ!!! 金目のもん、女、なんでも好きなだけ奪い取れぇっ!!!!!」

「「「「「うおおおおおおっ!!!!」」」」」

 

 聞こえてくる声。

 追随する叫び声。

 まるで獲物に飛びかかる獣のようだと俺は考え。

 彼らは自分と同じ『人間』であるのだと思い直し。

 

 そして。

 彼らを叩き潰す事を改めて誓い、拳を握り締めた。

 

 

 

 楽な襲撃になるはずだった。

 

 錦帆賊の連中がいなくなったのを見計らって村を攻める。

 この日の為に、連中の動きを徹底的に洗った。

 

 何日も何日も村に偵察に出て連中がいなくなる時期を確認してようやくだ。

 奴らさえ邪魔しなけれりゃ俺たちをどうにか出来るような奴はいない。

 

 国の軍なんてただ威張り散らして、税金を絞り出すような見かけ倒しだけ。

 いざって時に何もしない、出来ない。

 兵士なんてただ鎧が大層なだけで、何の役にも立たねぇ奴の集まりで。

 運悪く出くわしても荒事で馴らした俺たちの敵じゃねぇ。

 

 この間、別の村を襲った時も奴らはなにもしなかった。

 お陰でこっちは楽しませてもらった。

 『楽しんだ後』の女を売ったお陰で金も結構ある。

 金が無くなった時の為に買い手が付いているガキを一人残してるから二、三週間は全然持つはずだ。

 

 全部、俺たちの思い通りだ。

 この時まではそう思っていた。

 

 

 最初は順調だった。

 ようやくやってきた絶好の機会で俺たち全員が気合い充分だったから、国の軍らしい連中がいたのにも構わず突撃した。

 突撃したら連中、こっちが近づく前に下がっていきやがった。

 臆病者どもがって罵りながら俺たちは良い気分で奴らを追い立てる。

 村の中までなんの抵抗もないまま来れた。

 

 この村には若い女が多かったから楽しめるかって期待してたんだが人の気配はまったくしない。

 たぶん目の前で逃げてる軍の連中が逃がしたんだろう。

 余計な手間かけさせやがってと舌打ちした。

 

 イライラしながらいつまでも逃げ続ける連中を追いかける。

 

 一応の警戒として船に残っていた仲間たちもどんどん俺たちに続いて船から降りてきたからもうこいつらにはどうしようもできねぇ。

 そう思って気分良く笑った瞬間だ。

 

「もうそろそろいいか」

 

 逃げていく軍の最後尾にいた男が呟いた声が聞こえた。

 追い立てられてるってのに妙に落ち着いた呟き声が耳に残る。

 

 次の瞬間、連中は逃げ回っていたのが嘘のようにこちらに向かって突撃してきた。

 

「へっ?」

 

 間の抜けた誰かの声が俺の耳を打つ。

 思わず呆然とするくらい奴らはいきなり動きを変えていた。

 情けなく逃げまどっていたはずの、役立たずどもだと思っていた連中が、今は俺たちを目だけで殺そうとするような恐ろしい視線を向けてきている。

 

「一人残らず叩き潰せぇえええええ!!!!」

 

 男の吼え声のような大音声。

 俺たちがその声に気圧されて今までの快進撃が止まった瞬間。

 足幅で十歩は離れていたはずの俺と吼えた男の距離が無くなり。

 ゴキリと言う腹に響く音と一緒に目の前が真っ暗になった。

 

 

 

「まず一人」

 

 完全に油断しきった海賊たち。

 その先頭にいた一人の無防備な横面に体重を乗せた裏拳を叩き込み、顔の骨をへし折った。

 

 手甲越しに感じる骨を折った感触を無視し、自分が死んだ事も理解していないだろう首が九十度曲がったままの体勢で吹き飛んだ賊が砂浜に叩きつけられる。

 

 仲間が一瞬にして殺された事で棒立ちになった海賊たちを前に俺は右手を掲げる。

 

 それを合図に俺の後ろから数十本の槍が飛翔。

 意識の空白を突かれた海賊たちの最前線は悲鳴を上げる事も出来ずに槍の雨の餌食になった。

 

「一気に蹴散らせぇ!!!」

 

 叫ぶと同時に槍が突き刺さって倒れた海賊を踏み越えてさらに槍の被害を免れた海賊を殴り飛ばす。

 その頃になってようやく自分たちの置かれた状況を認識し、動き始めた賊たちだがその動きに俺たちの猛攻から逃れられる程の素早さは無い。

 

 そして部下たちは槍のような長物を扱う場合の足運びをしっかり調練している。

 砂浜と言う踏み込みに適していない足場であっても、それなりの威力を誇れるようにぬかるんだ沼地で武器を振るう訓練までしたのだ。

 その威力は隙だらけの賊を一蹴するに申し分ない。

 

「「「「「うおおおおおおおお!!!」」」」」

 

 賊たちを威嚇するような大声と共に腰だめに両手で握った槍を構え部下たち十人が走り込み最前線にいる俺よりも前に出る。

 ようやく正気に戻り、武器を構え出した賊たちは既に渾身の一撃を放つ体勢の彼らから見れば格好の的だ。

 

「放てッ!!!」

「「「「「はぁあああああ!!!!」」」」」

 

 合図と共に彼らは前方に槍を突き出す。

 

「「「「「ぎゃぁあああああっ!!!!????」」」」」

 

 自分たちの前方にいた賊を一刺しにした十人は俺の指示を待つまでもなく武器を構えた姿勢のまま後ろに下がる。

 無事だった賊たちは反射的に彼らを追いかけようと走り出し。

 

「放てッ!!!」

「「「「「やぁああああッ!!!!」」」」」

「「「「「うぎゃぁああああああっ!?!?!?」」」」」

 

 槍撃部隊の第二陣の餌食になった。

 そして残りの十人が敵の断末魔を合図に畳みかけるように矢を放つ。

 時間差で最初に見事な突きを見せた槍撃第一陣が武器を持ち替えて矢を放つ。

 

 針鼠ならぬ槍鼠と化した者、体に槍で風穴を空けられ倒れ伏した者、彼らと同じように矢に穿たれて命を散らす者。

 等しく訪れる死と言う結果を前に海賊たちの志気は無いに等しいくらいに低下する。

 四十、いや五十人は殺しただろうか。

 数の上ではまだあちらが圧倒的に上だが形勢は既に逆転していた。

 

「な、なんだ。こいつら、馬鹿みたいにつえぇぞ!?」

「こんなのかなうわけねぇ。逃げろッ!!!」

 

 不利と見るや否や彼らは脇目も振らずに逃げ始めた。

 

「一人も逃がすな!」

「「「「「「はっ!!」」」」」」

 

 しかしこれだけ海岸から引き離された状態で引き返す決断をするのは愚策だ。

 どうやら奴らには俺たちが何故、最初から攻勢に出なかったのかは気づかれていないらしい。

 それならそれで構わない。

 奴らが知るのは自分たちの敗北と言う結果だけで良いのだから。

 

 そして彼らは海岸に辿り着くまでの追撃でさらに仲間を失い。

 

「あ、ああ……!!」

「う、うそだろぉっ!?」

 

 そして既に宋謙分隊、賀斉分隊によって制圧あるいは沈められている自分たちの船を見て絶望する事になった。

 

 

 錦帆賊からもらった情報によれば船舶は大型であればあるほど鈍重で頑丈、小型になればなるほど速度を上げる為に脆弱な造りになると言う。

 先登と艇はこの時代の船としては小型な部類だ。

 彼らが所有していた露橈かそれ以上の大型の船ならば無理だが、それ以下の型の船ならば航行不能にするくらいに破壊する事は難しくない。

 

 水上戦になれば今の俺たちでは勝利するのは難しい。

 だが今、連中は船を停泊させている状態ですぐに動かすことが出来ない。

 奇襲で船底に穴の一つでも空ける事が出来ればそれで終わりである。

 ちなみに公苗の持つ大型の棍棒とそれを振るう腕力ならば同じ箇所を数撃叩けば穴を空けられるだろう。

 豪人殿の大剣でも同様の事が可能だ。

 

 

 俺たち凌操分隊が敵を引きつけたお陰で敵はそのほとんどの戦力(目視確認で大体、百五十人と言った所)を船から離してしまった事で奇襲に抵抗する事も出来なかったようだ。

 

 先登は一隻を航行不能、一隻をほぼ無傷で確保。

 艇は三隻全てを航行不能にまで破壊し、乗組員は無力化させた。

 制圧した船には隊を象徴する『凌』の牙門旗が突き立てられている。

 

「貴様等に残された道は二つ。武器を捨てて投降するか死を覚悟して抵抗するか、だ。あいにくと腰を据えて考えさせる時間はやれん。五つ数える間に武器を捨てなければ容赦はしない」

 

 淡々と告げる。

 既に退路が無い事を察した海賊たちは武器を捨てていく。

 全員が武器を手放した事を確認した所で俺はヤツらを拘束するよう指示を出した。

 何人かを縄など拘束に使えそうな物を捜しに行かせ、その間に俺たちは海賊たちを村から遠ざけ一カ所に集めて包囲する。

 

「くれぐれも妙な気を起こすな。例え一人の行動であってもそいつ一人を処断するだけで済ませるとは限らないからな」

 

 要約すれば誰かが逃げようとすれば何人かを殺すと言っている訳だが。

 

 意図は伝わったらしく妙な動きをしようとしていた奴もおとなしくなった。

 と言うよりも周りの奴らがそいつを押さえつけて無理矢理おとなしくさせていた。

 

 誰でも自分の命は惜しい。

 既に逃げる事を諦めた者と自分だけでも助かろうとする者。

 意識の違いによる仲違いで既にこいつらの仲間意識は疑心暗鬼でズタズタだ。

 例えこいつら全員をなんらかの理由で取り逃がしたとしても二度と一つの海賊団として機能する事は出来ないだろう。

 

 そして一刻後。

 完全に海賊たちを拘束、遠征軍初の戦闘は軽傷者十数名を出しながらの敵勢力完全無力化と言う限りなく理想に近い結果で終わりを迎えた。

 

 

 

「隊長。船の中に少女が一人捕らえられておりました。ずいぶん弱っている様子でしたので保護しようとしたのですが……」

 

 奴らの悪行を象徴する心の傷を抱えた少女との出会い。

 この子との出会いによって俺は知識として知っていたこの時代の無法の一端をまざまざと見せつけられる事になる。

 



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第二十一話 囚われの少女

幼い子供の喋り方に違和感があるかもしれません。
試行錯誤しましたが変換した漢字も含めて独断です。
子供っぽさが出ていればよいのですが。
それでは本編をどうぞ



 船の倉庫らしき場所にその少女はいた。

 

 倉庫の隅で身体を守るように身を丸め、ガチガチと歯を噛み合わせながら震えている。

 精一杯、こちらを睨みつける瞳には来訪者である俺への警戒心となにをされるかわからない事への恐怖が浮かんでいた。

 

 見た目は七、八歳と言った所だろうか。

 猫の耳があしらわれたフードを被って威嚇するように喉を鳴らす姿は正に猫その物のように見える。

 少女は口を開く事なくただ部屋に足を踏み入れた俺を睨んでいた。

 

 

 俺がこうして直接、海賊に囚われていた彼女の元に来たのには理由がある。

 

「我々は建業の軍隊の者だ。君を連れ去った海賊は、我々が捕らえてた。だからどうか安心してほしい」

 

 出来る限り丁寧に、そしてゆっくり言葉を紡ぎながら一歩ずつ彼女に近づく。

 俺と少女の距離が近づいていくにつれて彼女の身体の震えが増していくのがわかった。

 

「こないで!!!」

 

 幼い子供が出したとは思えない金切り声。

 俺はその言葉に従ってその場で足を止めた。

 

 目尻に涙を溜めながら喘ぐように荒い呼吸を繰り返す少女。

 苦しそうに、嗚咽を漏らすその様子を見て、俺は彼女に気づかれないように下唇を噛んだ。

 

 彼女はアレルギーもかくやと言う深刻な症状の人間不信に陥っていた。

 

 最初に見つけた部下の報告によれば連れ出そうと手に触れた瞬間、暴れ出したらしい。

 幼い少女相手に必要以上に強引な手段に出るわけにもいかず、俺に報告を上げてきたとの事だ。

 何人かが彼女をここから出そうと話しかけたが結果は同じ。

 そしてそれは俺が出向いても変わらなかった。

 

 仕方のない事だろう。

 彼女がどのような仕打ちを受けたのかは想像するしかない。

 しかしこんな年齢の少女が誰彼かまわずに反射的に怯えてしまうような、非人道的扱いをされていた事は察する事が出来るから。

 

「すまない」

 

 俺がこの場で出来るのはただ謝罪する事だけ。

 彼女が怯えないで済む出入り口付近まで下がり、俺はその場で土下座した。

 

「君を守る事が出来なかった。助ける事が出来なかった。本当に、すまない……」

 

 船の床に頭をこすり付けたまま謝罪する。

 こんな事しか出来ない自分の力の無さが腹立たしかった。

 

「食事はここに持ってくる。君はここから出たくなった時にここを出るといい。君の行動を阻む人間はもう誰もいないから」

 

 出来るだけ丁寧な言葉を使う。

 脳が沸騰する程に煮えたぎる怒りを彼女に感じ取らせないよう心の内に押し留める為だ。

 近づいてくる人間のあらゆる行動に敏感になってしまっている少女をこれ以上、刺激するわけにはいかない。

 

 立ち上がり、彼女と目を合わせる。

 少女は変わらず怯えながら俺を睨みつけていた。

 

「……」

 

 無言の少女にもう一度だけ頭を下げ、静かに部屋を後にした。

 部屋の戸の前で俺を待っていた部下たちに戸越しに彼女を刺激しないよう目でここから去るよう伝える。

 

 幼い子供の足で船の外に出るのは難しい。

 甘嬢や雪蓮嬢たちのように常日頃から動き回っているなら話は変わるだろうが、ずっとあの倉庫部屋に押し込められていた彼女では船内を動き回る事さえ辛いはずだ。

 どの道、甲板に出る為の出入り口は一カ所しかない。

 ならばそこに最低限の見張りを付けておけば彼女の動向は把握出来るだろう。

 

 精神的に不安定になっている今の状態で彼女を一人にするのも危険だが、先ほどの態度から判断すると今は他人が近くにいる事こそ危険だ。

 『自分の近く』に人がいる事こそ今の彼女にとって害なのだから。

 

 食事などの最低限の接触を除いて近づかない方が良いだろう。

 

「公苗と何人か女性の兵士に船の見張り、いや彼女の護衛に付くように伝えろ。彼女は人に怯えている。必要以上の接触は彼女にとって悪影響になると言う事を周知するのを忘れるな」

「はっ!」

 

 部下を引き連れて船を下りながら指示を出す。

 

「荷車部隊は今どうしている?」

「つい先ほど村人たちを護衛しながら村に到着したそうです」

「なら家屋の修繕作業に入るよう伝えろ。逃げられないようにする為とはいえ村の奥まで敵を引きつけたからな。どこなりと壊れているはずだ」

「了解です」

「とりあえず材料には破壊した船を使え。それと死体の回収は終わっているが血痕は残ったままだから、そちらの処理も忘れるな。家屋や道具に血が染み込んでしまっていたら最悪、その部分は剥ぎ取って修繕しろ。住民にはなるべく血を見せないよう配慮しろ」

 

 散会していく部下たちを見送り、俺は生け捕った海賊たちの元に向かう。

 あの少女をどこから連れ去って来たのかを聞き出さなければならない。

 

「本来なら奴らの扱いに関しては村の住人の意見を聞いた上で蘭雪様たちの指示を仰がなければならないんだが……」

 

 正直な所、あんな少女の有り様を見せられた今となっては理性的な対応が出来るかどうかわからなかった。

 俺はあんな小さな子供をまるで物のように扱った馬鹿者どもに情けをかけられるような聖人君子じゃないのだから。

 

 戦とあらば最前線に立つ人間である俺が、前世で戦争の悲劇、惨劇を生み出した事もある俺が、こんな事を考える資格などないのかもしれない。

 だが奴らを許せないと言う思いはどんどん俺の中から沸き上がっていく。

 何より今も尚、苦しんでいるんだろう彼女に何もしてやれない自分への怒りでどうにかなってしまいそうだ。

 

 拳に力が入る。

 握り込み過ぎて爪が皮膚を抉り、血が手を濡らしていくのがわかる。

 自傷行為で八つ当たりでもしていなければ、海賊たちの姿を視認した瞬間に殴りかかってしまうだろう。

 

 俺は海賊たちを隔離した広場に到着するまでの間、拳の痛みと共に自分の無力さを噛み締めていた。

 

 

 

 

 

 慈明おばさまにさそわれてちかくの村にあそびに行った。

 そこにはおなじくらいのとしの子がたくさんいて、わたしとも友だちになってくれた。

 

 おばさまもおかあさまもわたしが友だちとあそんでいるのを見てとてもよろこんでくれた。

 

 でも。

 夕方になるまで村の外であそんで、もうかえろうとしたらきゅうに知らない人にだきしめられて……。

 

 

 おきたら暗いへやの中にいた。

 あたまがいたくてそこをさすってみる。

 ずきずきしてたんこぶができてるのがわかった。

 

 へやの中にはわたしだけじゃなくて友だちも一人いた。

 あと知らないおねえさんが三人。

 

「こわいよぉ、ぶんじゃくちゃん」

 

 ぎしさいちゃんがわたしにだきついてふるえている。

 よくわからないけど、このへやにいる人はみんなふるえていた。

 おねえさんの中には泣いている人もいる。

 

 なんで?

 

 すぐにわかった。

 

「いやぁあっ!! 離して!!」

「うるせぇ! 売り物は黙って買われていきゃいいんだよ!!」

 

 こわいかおをしたおとこの人におねえさんがつれて行かれるのを見たから。

 

 ひっぱられてつれて行かれるおねえさんはとてもこわがっていた。

 わたしもぎしさいちゃんとだきあってふるえながら泣くしかなかった。

 夜はぎしさいちゃんとだきあってねむる。

 でもこわくてねれなくて泣いてしまうことも多かった。

 

 

 すごくすくないごはんを分けあって食べる。

 もうおねえさんたちはみんなつれて行かれてしまった。

 わたしとぎしさいちゃんはずっと引っ付きながらふるえていた。

 

 ごはんをもらうときいがいでこのへやに人がくるときはだれかがつれて行かれるとき。

 だから人のあしおとがきこえてくるだけでからだがふるえた。

 

 そして。

 とうとうぎしさいちゃんがつれて行かれることになった。

 

 ぎしさいちゃんがつれて行かれるとき、わたしはおとこの人の手にかみついた。

 すぐにぶたれて、らんぼうにひっぱられて、気が付いたらへやにはだれもいなくなっていた。

 

 わたしは友だちをたすけられなかった。

 ぶたれたほっぺのいたさとだれもいなくなったことでさびしくなってわたしは泣いた。

 

 一人だけのへや。

 だれもいない暗いばしょ。

 わたしたちをどこかにつれていくこわい人たち。

 

 こわい。

 いやだ。

 みるな。

 くるな。

 

 ぎしさいちゃんがいなくなってながい間、ずっと一人で。

 ごはんをたべたらすぐにねるようになった。

 

 一人でできることなんてなにもなかった。

 

 目をさますといつもとなにかがちがう気がした。

 

 ずっとゆれていたへやが止まっていた。

 それにいつもなら天井の上からどたどた物音がするのに今日はしずかだ。

 

 わたしもつれて行かれるのかな?

 

 からだがふるえてきた。

 足音がきこえる。

 いつもくる人とはちがう足音。

 

 でもきっとこわい人の足音。

 

 戸があけられる。

 わたしはへやのいちばんおくのかべにひっついてすわりこんだ。

 

「ここは……倉庫かなんかか?」

 

 きいたことのないおとこの人の声だった。

 思わずそちらをみる。

 

 前に家で見た国のぐんたいの人が着ているような服を着たおとこの人が立っていた。

 

「ん? おいおい、こんなとこに女の子だと?」

 

 わたしを見てびっくりしながらこっちにあるいてくる。

 

「大丈夫か? どっか痛くないか?」

 

 今までへやに入ってきたこわい人とちがうやさしい人だった。

 

 でも。

 その人がわたしの手にさわったら。

 おねえさんたちやぎしさいちゃんがつれて行かれたときのことがあたまにうかんできて。

 

「いやぁあああああああああああああっ!!!!!!」

 

 今まで出したことない大きな声が出た。

 

「お、おい!? お嬢ちゃん、どうした!?」

「いやぁっ!!! こわぃいいいいい!!!! さわらないでちかづかないでつれていかないでえええええええええええっ!!!!」

「ちょっと、まて暴れるな!?」

 

 おとこの人はわたしの手をはなした。

 わたしは座り込んでふるえる。

 

 こわい人につれて行かれるぎしさいちゃんやおねえさんたちののかおがあたまにうかんで、目の前の人のことがこわくなってしまった。

 

「だ、大丈夫か?」

 

 首をよこに振る。

 

「……そっか。外に出られるか?」

 

 もう一度、首をよこに振る。

 

「わかった。悪かった、無理に連れ出そうとして」

 

 やさしい声であやまるとその人はへやを出ていった。

 

「なん、で?」

 

 今の人はこわくなんてなかったはずなのに。

 手にさわられたら、急にこわくなってしまった。

 

 それから何人も人が来てわたしに声をかけてきたけど。

 だれにもついていけなかった。

 

 さわられるとなにもかんがえられなくなってあばれてしまう。

 それはおとこの人でもおんなの人でもおんなじで。

 

 どうしたらいいかわからなかった。

 でもちかづかれるとこわくなる。

 さわられるとあばれてしまう。

 

 こんなくるしいきもちになるなら。

 だれもわたしにちかづかないで。

 

 またこのへやの戸があいた。

 

 もうこないで。

 

 

 

 海賊たちは彼女の事をあっさり話した。

 豫州(よしゅう)の潁川(えいせん)群にある村で遊んでいた所を誘拐したらしい。

 涼州や幽州、益州ほどではないがそれでも現在の交通手段を考えるとかなり遠い場所だ。

 奴ら曰く誘拐する場所と売る場所は遠ざけるのが鉄則なのだと言う。

 『商品』の友人知人がいない場所なら逃げられる心配も半減するらしい。

 余談だがそんな人に誇れるような事ではない知識を得意げに語った奴については即刻ぶちのめしている。

 彼女以外にもその近隣から何人か誘拐し、既に売り払っている事も聞き出した。

 

 買っていった人間については奴らも詳しくは知らないらしい。

 連中に取引先の事を黙っているような義理堅さがあるとは思えない。

 二、三人締め上げても口を割らなかった事から本当に知らないと見ていいだろう。

 

 船に残っている少女については呉と隣り合っている会稽(かいけい)群で取引を行う事になっていたとの事だ。

 

 彼女だけでも売られる前に助ける事が出来た事を喜ぶべきなのだろうか?

 だがあんな状態になるまでに助ける事が出来なかった事実、そして既に売られてしまった少女たちの事を考えるととてもではないが喜ぶ事など出来ない。

 

 駄目だ。

 これからの彼女の生活を考えるとどうしても考えが後ろ向きになってしまう。

 

「凌隊長殿、この村を守っていただきありがとうございます」

「いいえ、民とその暮らしを守る事が私たちの仕事ですから」

 

 深く頭を下げて礼を言う村長に当たり障りのない言葉を返した。

 『彼女』の事がなければ素直に礼を受け取れたのだろうが。

 守るべき物が守れた事への喜びや達成感も今は薄れてしまっていた。

 

 俺だけではなく部下たちも同じ心境だ。

 公苗や女性の部下たちは彼女の事を聞いてすっ飛んでいったし、家屋の修繕や海賊たちの監視に従事している者たちからは戦勝に対する興奮は既に無くなっている。

 

「……話は宋副隊長殿から聞き及んでおります。今がどれほど酷い時代かと言う事を改めて思い知らされた気分です」

「そう、ですね。こんな愚かな真似が横行する……本当に酷い時代です」

 

 だが時代を嘆く事は出来ても、時代をどうにか出来る力は俺にはない。

 自分が知覚出来る範囲を自分が持っている力で守る事しか俺には出来ない。

 人間一人の知覚範囲なんてちっぽけなものだ。

 現に今回のように知覚した時には既に手遅れになっている事もある。

 

 それが限界であり、現実だ。

 前世の頃から体験してきたどれだけ味わっても慣れる事などない無力感。

 それを俺は生まれ変わったこの世界でも味わっている。

 やり切れない物だ。

 

 別に俺は恵まれた身体能力があるからと言って、全ての人間を守れると思っているわけではない。

 だが今回のような事を目の当たりにしてしまうと、もっと力が欲しいと願わずにはいられなかった。

 

 だが闇雲に、我武者羅に強さを求めても駄目だ。

 何も考えずに強さを求めるだけでは現実逃避と変わらない。

 

 大切なのは逃げない事。

 味わう無力感を心に刻み付けて、死ぬその時までを必死に生きていく事。

 何のために強くなるのかを常に考え、その上で強くならなければならない。

 

「しかし貴方方のお陰で私どもは一人の被害者も出さずに済みました。重ねてお礼を言わせてください。ありがとうございます」

「……お礼の言葉、確かにお受け取りします」

 

 言葉の中にある俺たちへの気遣いを受け取る。

 

 いつまでも今回の事を引きずるわけには行かない。

 今回の事を悔いているならば繰り返さないように努力するしかないのだから。

 

 努力し続けてもこぼれ落ちる物は決して無くならないだろう。

 だがそれでも限りなく少なくする事は出来るはずだ。

 

「それでは私は修繕作業に戻ります」

「はい。長々とお引き留めして申し訳ありませんでした」

 

 村長と頭を下げあい、俺はその場を後にした。

 

 

 日が暮れた頃、俺は再び少女の元に向かった。

 倉庫の入り口には彼女の護衛に付いた女性兵士がいる。

 あまり近くにいるとそれだけで彼女を刺激してしまうと予測したのだが、同性である事が幸いしたのか今のところ彼女が拒否反応を示すような事態にはなっていない。

 だから少女との距離感についてはこいつらの裁量に一任する事にした。

 

 兵と目礼を交わし、中にいるだろう少女が怯えないほどの強さで戸を二回ノックする。

 

「入らせてもらってもいいだろうか? 食事を持ってきたんだが……」

 

 返事は無い。

 しかし人の気配は感じるのでいなくなったと言う事ではない。

 警戒して返事をしないだけだろう。

 

「美味しくないかもしれないが……食べられるなら食べて欲しい」

 

 部屋の奥で座り込む少女に声をかけながら持ってきた汁のお椀と食べやすいように骨を取り除いた焼魚の木皿を置く。

 

 人間不信が食欲にまで影響していなければ食べられない物ではないはずだ。

 出来るなら固形物ではなく食べやすいお粥にしたかったが、米の持ち合わせが残っていなかった為に断念している。

 

「では失礼する。食器は後で取りに来るからそのまま置いておいてくれればいい」

 

 じっとこちらを、いや湯気の出る暖かい食事を見つめる少女。

 僅かばかりではあるがその瞳に生気が戻ってきたように見えて、俺は少しだけほっとした。

 

 食事をする意欲があると言う事は生きる気概を無くしたわけではないと言う事だから。

 

 それが確認出来ただけでも来た甲斐はあった。

 回復するのにどれだけの時間がかかるかはわからないが傍にいる間くらいは自分に出来る事で彼女を助けて行こう。

 

 そう考えながら俺は倉庫を後にする。

 見張り番の兵に頃合いを見て食器の回収を頼むことを忘れずに。

 

 

 村長の好意で貸してもらった家屋の机で今回の海賊襲撃について報告書をまとめながら考えを巡らせる。

 

 捕えられていた少女については特に詳細に伝える必要があるだろう。

 賊は豫州の村で捕まえたと言っていたが村の子供にしては着ている服が上等であったように思う。

 賊の言った言葉がどこまで信用できるかわからないが、もしかしたらどこかの貴族の子を誘拐している可能性もある。

 

 この時代の貴族については話に聞くだけで詳しくは知らないが、家柄が一つの才能のように重視される物である事はわかる。

 そして家柄によって引き起こされる騒動の被害が馬鹿にならない事を知識で知っている。

 その事を鑑みると彼女の存在が呉になんらかの不利益をもたらす事になるかもしれない。

 あの子自身は被害者でしかないと言うのに、だ。

 

「本当に、酷い時代だ」

 

 考えたくもない事を考えなければならず、さらにそれを実行しなければならないのだから。

 心の底から出た苛立ちの声は幸か不幸か誰にも聞かれる事はなかった。

 



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第二十二話 邑へのアフターケア。その頃の建業

 海賊たちによる人身売買の詳細。

 捕らえられていた少女、そしてあの少女以外に売られた者たちについて。

 

 賊を締めあげて手に入れたそれらの情報を伝令二名に報告に行かせて既に一週間。

 何事もなければそろそろ建業に到着する頃だろう。

 報告にどの程度かかるかがわからないが、そこから馬と伝令自身を休ませこちらに戻ってくるには到着後から換算して最速でもさらに一週間ほどかかるだろう。

 

 さすがに遠征を続けていると建業との距離が離れていくから、報告を送るのにも時間がかかってしまう。

 交通手段で最速なのが馬なのだから当然だろう。

 時速百キロ越えも可能だった前世が、本当に恵まれていたと言う事を実感出来る。

 無い物ねだりをしても仕方ないが。

 

 村の被害は思った程に酷くはなく、修繕についても材料は取り壊した船で事足りている。

 一週間経った今では作業自体はほぼ完了した。

 

 生き残った海賊七十人については蘭雪様たちの判断を聞くまでは生きていてもらわなければ困るので最小限の水と食事を与えている。

 

 しかし連中も馬鹿ではない。

 このままでは自分たちが生き延びる可能性がほとんど無い事を理解している。

 だから夜闇に紛れて逃げ出そうとする輩が後を絶たない。

 

 現在、七十人いたはずの賊は四十人にまで減っている。

 逃げ出す奴を容赦なく処断した為だ。

 それでもまだ残りの連中は逃げ延びる事を諦めていない。

 そのバイタリティには頭が下がるが、だからと言って逃がしてやるつもりはない。

 

 奴らを逃がしてしまえば、また悪事を働くからだ。

 何度か尋問と称して話をしたが奴らに更正の余地はない。

 全員が全員、賊である事を楽しんでしまっている事が言葉の端々から感じ取れた。

 口では「反省している」だの「二度としない」だのと言っているが、その目に言葉通りの感情は見られない。

 生きてこの場を乗り切る為の方便以上の意志が無いのだ。

 

 逃がせば同じ事を繰り返す。

 そしてそれはつまりあの子のような犠牲者が増えると言う事に他ならない。

 そんな事を許すわけにはいかない。

 絶対に。

 

 だから逃げ出した奴には容赦はしない。

 そして十中八九、蘭雪様たちにも奴らを生かす意図はないはずだ。

 

 

 捕らわれていた少女の様子だがそれなりの時間が経過し、さらにしっかりと食事を取らせているお陰で身体的には回復してきている。

 

 相当に切り詰められた食事を強制されていたらしく、見つけた当初は子供である事を差し引いても病的なまでに痩せていたから血色が良くなってきたのは良い事だ。

 

 しかし食事以外の接触では誰が相手であっても怯えるのは変わらず。

 精神的な回復はまだまだ遠い様子だ。

 公苗たち女性陣に対して男が相手をする時に比べて怯えが少ない事だけが救いか。

 気に懸けていて思った事だが、発見当時よりもその傾向が顕著になっているように思えた。

 そして他の人間よりも多く会いに行っている事が功を奏したのか、俺に対しても怯えが少ない、らしい。

 『らしい』と言うのは俺自身には彼女の態度に明確な差異を感じ取れないせいだ。

 

 食事を持っていっても未だに俺が出て行ってからでないと手をつけないので気のせいじゃないかとも思うのだが、公苗たちに言わせると態度は確実に軟化していると言う。

 正直、その辺りの感覚はよくわからない。

 ただあいつらがそう思っているのなら頭の片隅に置いておくくらいはしておくべきだろう。

 

 まぁどちらにせよこれからも時間の許す限り、会いに行くつもりではいるのだが。

 

 しかし警戒、嫌悪する相手が異性に固定される傾向が出てきたのは問題かもしれない。

 これから彼女がどのように生きていくのかはわからないがその過程で異性と関わる事がないと言う事はありえない。

 そんな時に今回のように近づかれる事、触れられる事にすら過剰に反応するようでは最悪、生活や仕事に支障をきたす事になるかもしれない。

 

 さすがに考え過ぎだろうか?

 

 とはいえ少しずつでもいいから異性にも怯えない程度には慣れさせていかなければならないだろう。

 彼女の境遇を考えれば男という存在全体に対して嫌悪感を持ってしまっても仕方がないと思うのだが。

 

 なにかしらきっかけでもあれば良いのだが、彼女が外に出ようとしない事もあって食事を持っていく以外の接点を作れていない。

 俺が焦ったところで上手く行かないのは目に見えている。

 もどかしく思うが、今はゆっくり彼女の警戒を解いていくべきだろう。

 

 

 問題はまだある。

 襲われた村人たちだ。

 彼らは海賊に村を襲われた事で日々の生活に不安を抱くようになってしまった。

 

 賊の襲撃と言う身近になかった出来事が自分たちに降りかかってきたのだ。

 不安が膨れ上がるのも当然の事だと言える。

 

 彼らの心の安定を図る為にもしばらくはこの村に駐留する事にした。

 あの少女の事もある。

 

 行軍予定は大幅に遅れ、遠征任務自体にも支障が出るだろうがそれは既に仕方のない事と割り切っている。

 俺たちの役割は民を守る事であり、手柄を挙げる事でも名声を得る事でもない。

 目的を履き違えてはいけないのだ。

 

 部下たちには一度、話をして納得してもらった。

 元々、あの少女については隊全体が気にかけていたし、村の様子にも気づいている者は多かった。

 反対意見を出した者たちについても別に少女や村の事をないがしろにしている訳ではなく、任務遂行も大切だと意見したに過ぎない。

 最終的にはしばらくここに駐留すると言う結論でまとまった。

 

 

 少女については可能な限り気長に行くしかない。

 となると今出来るのは村人たちの不安を取り除く事になる。

 

「近隣に三十名、哨戒に出す。賊徒があれだけとは限らん。気になる事はどんなに小さな事でも記憶に留め、報告しろ」

「「「「「はっ!」」」」」

 

 不安を取り除くにはどうしたらいいか?

 確固たる安全を目に見える形で証明しなければならない。

 

 こんな時代だ。

 絶対に安全な場所など究極的には存在しないと言ってもいいだろう。

 西方では異民賊によって城を落とされた場所もあると聞く。

 治安向上に取り組んでいるこの呉の地ですら、今回のように建業から離れれば賊が現れる事があるのだ。

 

 では安全を保証する事は出来ないのか?

 そんな事はない。

 

 重要なのは彼らの不安を取り除く努力をする事。

 しかしただ努力をするだけでは駄目だ。

 村の平和を守る為にどういう根拠を持ってどの様に対応するのかを具体的に示し、実行する。

 

 行動する者の姿は人を惹き付け、時に安心感を与える。

 過去の経験から俺はその事を知っている。

 

 あの時は最初、俺と陽菜だけしかいなかった。

 しかし今の俺たちは二百名からなる部隊なのだ。

 精力的に動く俺たちの行動は、彼らの不安を緩和する事に繋がるだろう。

 まずはそこからだ。

 

「二十名は俺と共に来い。見晴らしの良い場所に物見櫓(ものみやぐら)を建てる。幸いな事に材料には事欠かないからな」

「どの辺りに建てますか?」

「何ヶ所か目星は付けているが皆の意見も聞いて決めたい。数はしっかりした造りの物を最低でも二つだ。建業に出した伝令が戻るまでに一つは組み上げるつもりだ。そのつもりでかかれ」

「「「「「はっ!」」」」」

 

 一糸乱れぬ動きで敬礼を返す部下たちに返礼する。

 次の指示を出すべく副官である豪人殿に声をかけた。

 

「豪人殿。今、見張りに付いている者たちを含めた八十名を率いて海賊たちの監視をお願いします」

「ふむ。賊の数は捕縛した当初に比べてかなり減っております。八十名は些か多いと考えますが?」

「未だ連中は逃げる事を諦めていません。それに村人たちは奴らの存在を怖がっていますから。安心させる意味合いもあります」

「成る程。そういう事ならば確かに納得ですな。承りました。……志願する者は私に続け!」

 

 豪人殿の低いがよく通る声に従い、部下たちが彼の後ろに並ぶ。

 

「公苗は残り七十名と共に村の警邏だ。女性兵はあの少女の近辺を気にかけてやってくれ」

「わかりました!」

 

 元気の良いハキハキとした声で俺の命令を受ける公苗。

 あの少女の有様や海賊との戦いで何か感じる事があったのか最近は特に気合いが入っているように思える。

 

「それでは各自、自分の役割を果たせ。散開!!」

「「「「「応っ!!!!」」」」」

 

 突き抜けるほどに青い空の下、兵たちの返事が響き渡った。

 

 

 

 あれからさらに六日が経過した。

 やる事があると時はあっと言う間に過ぎていくと言うが、まったくもってその通りだと実感する。

 

 二ヶ所に建造した物見櫓はほぼ完成している。

 安全第一で頑強さを重視して造ったお陰で鎧を着たごつい男が五、六人登っても大丈夫だったので強度としては申し分ないだろう。

 欲を言えば物見台に小型の鐘を取り付けて有事の際に速やかに情報伝達が出来るようにしたかったのだが、さすがに鋳造技術などは持っていないので断念した。

 海賊たちは相変わらず逃げ出す者が後を絶たず、その度に処断されていった。

 生き残っている賊は十二人にまで減っている。

 

 日替わりで周囲の哨戒を行っているが、賊と呼ばれるような者たちは今のところ見つかっていない。

 その事からとりあえず近隣で人災に遭う事はないと考えていいと見ている。

 

 得られた情報については村長を通じて村人たちに周知してもらっているので、彼らの不安も少しずつではあるが払拭されてきているようだ。

 物見櫓が完成した事も彼らを安心させるのに一役買っている。

 

 

 そしてこの日、まるで全ての作業が一段落するのを見計らったかと思えるようなタイミングで伝令二名が建業からの指示と共に戻ってきた。

 

「凌隊長! ただいま戻りましたぁ!!!」

「まいど〜。吉報と朗報をお届けに上がりましたよ、隊長〜〜!」

「元代(げんだい)、公奕(こうえき)。長旅ご苦労だったな」

 

 かなり飛ばしてきたのだろう馬共々ヘトヘトであるはずだと言うのに、そんな様子を見せずに笑う二人の部下に俺も釣られて笑った。

 

 

 董襲元代(とうしゅう・げんだい)

 会稽群出身の武官志望の女性だ。

 部隊の中でも飛び抜けた身長の持ち主で、男女間での意識の違いが起こす摩擦に対して進んで解決に乗り出す物怖じしない姉御肌な気質を持っている。

 そんな性格のお陰で男女問わず仲が良い。

 姉御肌な性格とその身長が災いして二十歳を越えていると勘違いされる事が多いが、実は彼女はまだ十七歳である。

 武については公苗同様に発展途上であり、まだまだこれからだが磨けば光る物を持っていると豪人殿にも見込まれている。

 史実では孫策、孫権と二代に渡って仕えた忠臣であり特に孫権には重宝されていたと言う。

 確か最後は曹操軍との戦いの折、自身が乗っていた船が転覆。

 その際、脱出するだけの時間がありながら将軍としての責任を果たす為に残り溺死したとされている。

 

 

 蒋欽公奕(しょうきん・こうえき)

 間延びした口調と商人のような語り口が特徴の男性だ。

 口調の通りの飄々とした性格だが、見た目や雰囲気程に軽い男ではなく思慮深く物事を見る目を持っている。

 言動から教養のある人間だと思われがちだが、実家はただの農家なのだと言う。

 聡明である事は間違いないので今後しっかりと学を身につけていけばどんどん伸びていくだろう。

 どちらかと言えば前線よりも指揮官向けの人間だと思われるが武力についても並の人間相手ならば引けを取らない。

 一旗揚げる為に兄弟揃って建業に仕官しており、弟もこの部隊にいる。

 史実では周泰(しゅうたい)と共に孫策に仕え、袁術に身を寄せていた頃からの側近だと言われている。

 呂蒙(りょもう)と共に勉学に励む事で教養を身につけ、孫権に讃えられた事でも有名だ。

 荊州を巡った劉備(りゅうび)との抗争の折には水軍を率いて関羽を背後から襲撃し呂蒙と共に見事勝利したと言う。

 

 

「疲れている所、悪いが報告を頼めるか?」

「この程度、あたしは平気だよ。こいつはどうか知らないけどな」

「おやおや〜〜、そんな事をおっしゃられると僕も男として意地でも大丈夫と言わざるをえませんねぇ」

 

 この二人、性格的な相性の問題なのか妙に仲が悪い。

 仕事は仕事としてしっかりやってくれるのだが、何かにつけて言い争いが耐えないのだ。

 

「はぁ……喧嘩は報告の後でしてくれ」

「はい!」

「はい〜〜!」

 

 誰かが諫めればすぐにやめてくれるので、どちらも本気でお互いを嫌っているわけではないとわかるのだが。

 

「とりあえずお前たちは先に会議小屋へ行って待機だ。俺は宋副隊長たちを集めてから行く」

「隊長がやるような事じゃないだろ、それ。あたしが行くよ」

「そうっすねぇ〜〜。そういう雑用は下っ端にやらせて隊長にはどっしり構えていてもらうべきだと僕は思いますよ〜〜〜」

「……いや、お前たちほど疲れているわけではないからな。雑事だろうとなんだろうと体力が余っている人間がやる方が効率的だろう」

 

 普段、言い争いが耐えないのに俺を立てようとする所だけ意気投合するのだから俺も扱いに苦慮している。

 

「だぁかぁらぁあたしは平気だっての! ほら、行くよ!」

「はいはい〜〜、それじゃ隊長、先に会議小屋に行ってて下さいね〜〜〜」

「お、おい……」

 

 俺の制止の声なんぞ馬耳東風と言わんばかりに無視し、二人は馬に乗って走り出してしまった。

 

「はぁ、まったく。隊長思いの部下を持ったものだ」

 

 俺を気遣う前に俺の意見に耳を貸してくれてもいいと思うんだが。

 とはいえもう行ってしまった彼らを無視して俺が豪人殿たちを召集するのは二度手間になってしまう。

 今回は俺の方がおとなしく引き下がろう。

 

 気合いを入れる為に手で頬を叩く。

 小気味良い音で緩んでしまった気を引き締めると俺は会議小屋(村長の好意で貸してもらっている家屋の事)に向かった。

 

 

 

 刀にぃから錦帆賊と協力関係を成立させたと言う報告をもらってから建業での政務は忙しさを増していた。

 

 原因は報告の折にもらった長江近隣の情報。

 僕たちの方で知らなかった事柄について詳細にまとめられたそれらを整理するのに文官は一人の例外もなくてんてこ舞いになっていた。

 

 僕も深冬さんも激も例外じゃない。

 文官寄りの武官として政務にも携わっていた僕たちが、猫の手も借りたいこの状況で駆り出されるのは当然と言えた。

 

 あの蘭雪様でさえ文句を言わずに仕事をしている事からどれだけの仕事量で、その仕事がどれだけ大切な物か察する事が出来ると思う。

 だから仕事を振られる事に不満なんてない。

 ないんだけど。

 

「皆、仕事ご苦労だった!! 今日は呑むぞぉおおお!!!」

「「「「「おおおおおおっ〜〜〜〜〜」」」」」

 

 蘭雪様の音頭で大広間に集まった臣下たちがお酒の注がれた杯を片手に叫ぶ。

 臣下の中には祭さんや塁、激の姿も当然のようにあった。

 しかも祭さんの横にはお酒が樽で置いてある。

 

 

 三日に一度、仕事の鬱憤を晴らす為にこんな規模の大きな宴会を開くのはやめてほしい。

 別に仕事が一段落しても明日の仕事が無くなるわけでもないんだから。

 とは言っても溜まりに溜まった鬱憤を晴らす場が大切な事もわかっている為、止めるに止められないのが現状なんだけど。

 

「「「……はぁ」」」

 

 僕と美命様、深冬さんのため息が唱和する。

 

「すまんな。慎、深冬。また貧乏くじを引かせた」

「いえいえ、美命様が謝られるような事ではありません」

「そうですよ。僕たちは僕たちで楽しませてもらっていますから。それに昔から貧乏くじを引くのは慣れていますし」

 

 小さな杯で軽めのお酒をちびちびと飲みながら談笑する。

 

「昔からと言うのは仕官する前の事か?」

 

 僕の言葉に美命様は興味を持ったらしい。

 

「ええ、そうです。あの頃から祭さんたちが騒ぎを起こして僕と刀にぃが止める、そんな流れが出来てましたから」

「た、大変だったんですね。慎さん」

 

 深冬さんが当時の様子を想像して同情してくれる。

 確かにすっごく色々あったから疲れるけど、そこまで同情されるような事でもないと思う。

 なんだかんだで慣れていたし、それに。

 

「一番大変だったのは刀にぃですよ。昔から頼りがいがあったから僕たちも甘えている所がありましたし」

「ああ、成る程な。まぁあれほどの男が傍にいてはな。甘えてしまうと言うのはわかる話だ」

「ええ、本当に。いつまでも俺を頼るなって怒られるまでずっとそうでしたからね」

 

 あの時の事はきっといつまでも僕の心に残るだろう。

 むしろ決して忘れてはいけない事だ。

 あの時、突き放されたお陰で僕はこうして今も刀にぃを追いかけていられるんだから。

 あの背の隣に立とうと努力し続ける事が出来るんだから。

 

「ほう。流石は駆狼と言うべきか。身内にも手厳しい事を言うな」

「すごく駆狼さんらしいと思います」

 

 美命様と深冬さんの言葉に苦笑する。

 

「刀にぃが厳しいのは誰であれ変わりませんよ。美命様もよくご存じでしょう?」

「まあ、な」

 

 冥琳様たちの教育方針で真夜中だと言うのに城中に響き渡る声で口論していたのは記憶に新しい。

 その時の事を言われていると理解したんだろう、美命様は眉を寄せた。

 もしかしたらその時、言われたことを思い出したのかもしれない。

 

「軍師である事を言い訳に母親としての責務から逃げるな」

「「えっ?」」

 

 美命様の呟きの意味がわからず僕と深冬さんは聞き返す。

 

「あの日、駆狼に言われた中で最も堪えた言葉さ。今、思い出しても思うが本当にあいつは容赦がないな」

 

 ため息を付きながら、でもその事を不快に思っている訳ではないとわかる微笑みを浮かべた美命様。

 

 その笑顔があまりに綺麗で。

 僕は少しの間、呆けてしまった。

 

「……!!」

「いたぁッ!?」

 

 急に耳に激痛が走って僕は正気に戻った。

 見れば深冬さんが不機嫌そうな顔をして僕の右耳を引っ張っている。

 

「なにするんですか、深冬さん!」

「美命様に不埒な視線を向けた罰です!」

「ふ、不埒ってそんな事……」

 

 なんで不機嫌になっているのかわからず困惑しながら弁明する。

 けれど深冬さんはそもそも話を聞いてくれなくて掴んだ耳も離してくれなかった。

 

「痛い! 痛いですって!?」

「正当な罰です」

「ふふふ、お前たちも仲が良いな。……うん、良い事だ」

 

 なんだかよくわからないけれど満足そうに呟いた美命様の言葉。

 その言葉は確かに僕の耳に届いていたけれど、深冬さんを宥めるのに必死ですぐに意識から外れてしまった。

 

 

 この翌日。

 僕たちの元に刀にぃから新しい報告が届き。

 その対応の為に僕たちはさらに忙しく仕事をする事になる。

 



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第二十三話

 元代たちが持ち帰ってきた建業からの書簡。

 今後についての最低限の方針が書かれたそれは彼女たちが建業に届けた物とは比較にならない程に少なかった。

 まぁそれとは別に未使用の竹簡が持ち帰られているので報告書が足りなくなると言う事態にはならないはずだ。

 

 書かれていた指示をまとめるとこうなる。

 

 海賊たちについては可能な限り情報を引き出した後、処断せよ。

 俺、いや俺たちからすれば是非もない指示だ。

 ここ数日の脱走騒ぎで奴等に掛ける情けなどもはや一片たりとも残っていないのだから。

 

 この村には近隣を含めた治安維持の為に俺たちとは別の部隊を派遣。

 俺たちは派遣される部隊が到着するまでの間、この近辺に駐留する事になった。

 長期間の駐留に備え、生活環境を整えておけと言う事だ。

 砦かそれに類する駐屯に適した施設を造る必要がある。

 

 未だ名前も知らない少女については手厚く保護せよと言う話だ。

 具体的な方法については俺の判断に任せると言う事になっている。

 新しい部隊が来るまでの間、俺たちは身動きが取れない。

 これからも焦らずゆっくり彼女と関わっていくとしよう。

 建業の方でも彼女や既に売られてしまった者たちについては調査を行う方針が決まったと言う。

 向こうの調査で少しでも身元に繋がる情報が集まればいいんだが。

 

 

 翌日、豪人殿を含めた古参の者たちには村の警護をお願いした。

 残りの百五十名には海賊たちの処刑に立ち合うよう命じている。

 

 物々しい空気で武器を持って近づいてくる兵士たちの姿を見て奴等も俺たちがなにをしに来たのかを理解したのだろう。

 

 縄で縛り付けられ身動きが出来ない身体を必死で動かす者、唯一動く口で精一杯の怒声や罵声を上げる者、涙を流しながら平身低頭で命乞いをする者。

 

 様々な行動で生きようと足掻くその姿を俺は不様だとは思わない。

 こいつらも、いや彼らも俺たちとなんら変わらない人間なのだから。

 

 だがだからこそ殺す事を躊躇いはしない。

 

 人間として越えてはいけない境界を踏み越え続けたこいつらには償わなければならない罪がある。

 どうしようもなかったのかもしれない。

 他の方法など無かったのかもしれない。

 

 だがだからと言って他者を虐げた事実は揺るがない。

 たとえどのような理由があろうとも、だ。

 

「本日ただいまより貴様等を処刑する。例外はない。抵抗も命乞いも無駄だ」

 

 勿論、それは俺たちにも該当する事だ。

 民を守るため、国を守るため。

 どれだけ理由を取り繕うとも。

 俺が今までやってきた事、そしてこれからやる事は人殺し。

 人間として踏み越えてはいけない境界の一つ。

 恨まれ、憎まれ、怨まれ、呪われる所業だ。

 

 だから俺は彼らの言葉を一字一句逃さず聞くように耳を傾ける。

 それがどれほど聞くに耐えない罵詈雑言であってもだ。

 これから俺たちが彼らの命を奪うのだから。

 

「死ね……」

 

 俺が握り締めた拳を振るい目の前にいた男の顎を砕くのを合図に。

 槍が、剣が、海賊たちの身体に突き刺さっていく。

 

 痛みに仰け反り呻き声を上げる者の首を足裏で踏み砕く。

 生きている可能性など万に一つも残らないよう念入りに、確実に殺す。

 

 驚くほどあっさりと命が消えていく。

 一分とかからずに賊たちはその命を例外なく大地へと還していった。

 

「遺体は残さず火葬する。最後まで気を緩めるな」

「「「「「はっ!!」」」」」

 

 血塗れになった骸を掴み、持ち上げる。

 まだ生きていた頃の体温の残る死体。

 生理的嫌悪を催させる生暖かさが残ったソレを広場の中央に重ねるように置いていく。

 

 無言で俺に続く部下たち。

 力を失った身体は生きていた頃に比べて酷く重い。

 三人がかりで一人を運ぶ者もいるくらいだ。

 

「忘れるな。今、感じている生温い感触と重さを……」

 

 自分たちが殺した人間を運ぶと言う苦行に何人かは青ざめ、顔を歪めながら俺の言葉を聞いている。

 

「それが殺人と言う罪の重さ。そして彼らの断末魔は、俺たちに訪れるかもしれない一つの可能性だ」

 

 誰も何も言わない。

 

「俺たちは民を守るために人を殺した。そしてこれからも殺すだろう。相手がどれほどの悪人であろうと、あるいは善人であろうとも殺すかもしれない。決して忘れるな。俺たちが『人殺し』だと言う事を」

 

 何人かが胃の中の物を逆流させた。

 

 ここにいるのは新兵だけ。

 先の海賊迎撃戦で初めて実戦を経験した者も多い。

 迎撃戦の後もすぐに家屋の修繕や物見櫓の作成にかかっていて自分のした事に向き合う時間などなかったし、忙しさを理由に目を背けていた者もきっといただろう。

 

 俺はそんな彼らを賊を殺す場に集め、死体の処理をさせる事で人を殺した事実と無理矢理に向き合わせた。

 

 褒められた手段ではないかもしれない。

 伸び盛りの彼らの心を折る馬鹿な事をしているかもしれない。

 だが今、ここでこいつらが『勘違いする事』がないようにする責任が俺にはある。

 『人を殺す事を当たり前だ』などと考えるようにならないように。

 『悪人だから殺すのが当然だ』などと考える事がないように。

 

 『人を殺せば恨まれる』と言う当然の事を心に刻みつける為に。

 

 無言で死体を運ぶ。

 十二人の死体を何人かに分けて並べる。

 その上に薪と乾いた葉を被せ、松明で火を付けた。

 

 少しずつ燃え広がり、賊たちの身体を灰へと変えていく炎。

 風が吹き込みその勢いがさらに増していく中、肉が焼ける異臭が俺たちの鼻を突く。

 

 誰かが呻き声を上げ、風下から逃げるのが気配でわかる。

 だが俺はその場を動かなかった。

 それが軍人として自分の指示で殺めた者たちに対しての務めだと思っているから。

 

 

 俺の行為を自己満足に過ぎないと言う者もいるだろう。

 少しでも自分が人を殺したと言う事実を軽くする為の方便だと思う者がいるはずだ。

 

 だが。

 どう思われようと構わない。

 俺の行為を偽善と言いたければ言えばいい。

 自己満足だと声高らかに叫びたければ叫べばいい。

 

 それでも俺は変わらないだろう。

 齢百二十年も生きてしまえば性格の根っこなど変わりようがないのだから。

 

 恨みたければ恨めばいい。

 殺したければ向かってこい。

 俺は誰に殺されようとも受け入れる。

 人を殺した者として当然の覚悟を生涯抱き続ける。

 

 再び軍人として生きると蘭雪様に誓ったあの日から、俺は『どういう形であっても死ぬ事』を覚悟したのだから。

 

 尤も。

 向かってきたからと言って殺されてやるかどうかは別の話だがな。

 

「全ての骨が入る程度の穴を掘ってくれ。残りの者は燃え残った骨を集めるぞ」

 

 無言の作業が続く。

 部下たちが今、何を考えているかはわからない。

 この作業に嫌気が差しているかもしれない。

 あるいは何も感じず作業は作業と割り切っているかもしれない。

 全員が全員、顔を青くしているのでそれはないと思うが。

 

 

 死と向き合う事で軍にいる事を恐れるならばそれでいい。

 別に軍で戦う事が人生の全てではないのだから。

 

 ここで彼らが軍を辞めると言うのならそれはそれでいい。

 人を殺す事に耐えられないと言う事は恥でもなんでもないく、人として当たり前の感情なのだから。

 

 むしろ慣れてはいけないのだ、こんな所業には。

 

 埋葬が終わったのは日が暮れる頃だった。

 解散を告げると一人また一人と足早に去っていく。

 そんな中で俺は最後まで残っていた。

 

 何人かは俺の事を気にしていたが、俺が動かない事を察すると気を遣って村に戻っていった。

 

 俺は周囲に誰もいなくなったのを確認し目星を付けておいた大きめの石を骨を埋めた場所に置く。

 

 粗末ではあるが墓石の代わりだ。

 そして石の下に眠る者たちの冥福を祈る為に日本の儀礼に則り目を閉じて両手を合わせる。

 

「いずれは俺もそちらに行く。恨み辛みはその時に必ず受け止めてやる」

 

 俺は自分のした事から絶対に逃げない。

 とはいえ地獄や天国があるかどうなど俺にはわからない。

 俺自身はどちらかに行く事もなく転生してしまったからな。

 この行動も言ってしまえば自己満足なんだろう。

 

 

 しばらくして合掌を終えた所で近づいてくる気配を察知した。

 毎日、会いに行っていたお陰で覚える事が出来た子供の気配。

 彼女から離れた場所には今日、彼女の護衛を担当していた部下の気配もある。

 

「船から出られるようになったんだな。おめでとう」

「……」

 

 俺の言葉には答えず、背を向けたままの俺に近づいてくる少女。

 少し足取りが乱れているように感じるのは人間不信の影響なのだろう。

 俺に近づく事に怯えているのだ。

 

「無理はしない方がいいぞ。辛いんだろう?」

「……ごめんなさい」

 

 大体二メートルくらいの距離で立ち止まると彼女は俺に謝罪の言葉を言った。

 

「なぜ謝るんだ?」

 

 お前が謝る理由などないだろうに。

 

「ずっとちゃんとしたごはんを持ってきてくれたのに、お礼も言えなくて……言いたいのに、言えなくて……こわくない人だってわかってるのにずっと、ひっく、こ、こわく、て……う、うう」

 

 言葉の後半は嗚咽混じりで支離滅裂になっていたが彼女の気持ちは痛いほど伝わってきた。

 俺は振り返り、彼女の泣き腫らした瞳と目を合わせる。

 

「いい。もうわかったから。恐がりたくないのに身体が勝手に反応してしまってお前自身もその事がずっと辛かったんだな? 俺たちを避けた事をずっと気にしていたんだな?」

「うっぐ、えく、はい」

 

 泣きながら肯定の返事をする少女。

 

 俺は勘違いをしていた。

 誘拐した者たちと同じ『大人』、特に同じ男である俺たちは憎まれて当然。

 だから避けられていると思っていた。

 

 本当はその逆。

 この子は俺たちが世話を焼いている事を感謝していて、だが身体が勝手に俺たちを拒絶していた。

 その事をずっと気に病んでいてずっと苦しんでいたのだ。

 

「すまないな。お前が俺達に感謝している事、気づいてやれなかった」

「ご、めん、なさい……ずっとありがとうって伝えだがっだのに」

「謝らないでいい。もう伝わったから」

 

 泣きじゃくる彼女をなんとかしたくて刺激しないようにゆっくりと近づき、少し離れた位置から腕を伸ばしてその小さな頭を撫でてやる。

 髪に触れた瞬間、彼女の全身がびくりと震えたが手を払われる事はなかった。

 

 この子は助けた当初、俺達を警戒し拒絶していた。

 だが今はもうそうじゃない。

 具体的にいつからかはわからないがいつの間にか俺達に心を開いてくれていたんだ。

 

 今、俺がやっているようにほんの少し強気に踏み込めば受け入れてくれるくらいに。

 むしろ俺達が腫れ物を扱うように彼女に気を遣った事で逆に不安にさせてしまっていた。

 

 距離を縮めるきっかけは既にあったのだ。

 それを潰していたのは他ならぬ俺達の方。

 なんて間抜け。

 

 子供好きを自認する癖に子供の感情の機微に気づくことが出来ないとは情けない。

 

「俺からも礼を言わせてくれ。俺達に心を開いてくれてありがとう」

 

 膝を付き視線を合わせ俺は少女にお礼を言った。

 酷い目に遭ったと言うのに、それでも誰かに心を開くと言う勇気ある行動をした彼女に。

 

「わ、わだじも、ひっく、助げで……くれで、えっぐ、ありがどうございまじだ」

 

 伝わった想いを改めてしゃくりあげながら告げる少女の律儀さに、俺は口元を緩め彼女が泣き止むまでそっと頭を撫で続けた。

 

 

 

「すぅ〜〜、すぅ〜〜」

 

 そして俺は今、何故かこの少女と一緒に寝床にいる。

 いや一応、こうなった経緯はわかっているんだがどうも理不尽且つ非常に強引に話を持っていかれた気がしてならない。

 

 あの後、船にいる必要がなくなった少女の事を村長や豪人殿たちに相談した所、少女自身の意向により可能な限り俺の傍に置く事でまとまった。

 さすがに軍務にまで同行させるわけにはいかないのでそういう時は村にいてもらう事になっている。

 

 手を出すつもりなど微塵もないが、さすがに小さくとも少女。

 寝床くらいは同性と一緒の方が良いと思ったのだが。

 

 俺の服の裾を掴んで離れない少女の様子を見て、何を思ったのか公苗や元代などの女性陣がやたらと奮起した。

 あっと言う間に俺の天幕を広くし彼女の寝床を増設してしまったのだ。

 さらに今日は自分たちが俺の分の仕事をするので彼女と一緒にいてあげてくださいなどと言われる始末。

 

 妙な圧力に屈する形になった俺は彼女と共に天幕へ行く羽目になった。

 彼女は横になってから眠るまでが異様に早かったが、恐らく泣き疲れたのだろうと思う。

 問題は俺の服を掴んで離さない事だろう。

 派手に動いてしまえば起こしてしまうかもしれないので下手な事も出来ず。

 

 俺も結局、諦めて彼女を起こさないよう横になる事にして現在に至る。

 

「やれやれ」

 

 静かに寝息を立てる少女。

 今まで食事中に見せていた怯えた表情は今はもう無い。

 安心しきったその顔は正しくこの年の子供の持つ物だ。

 

 だが忘れてはいけない。

 この子が苦しんでいた事実を。

 苦しむ前に助ける事が出来なかった事実を。

 

「ありがとう」

 

 守ることが出来なかったふがいない俺達に心を許してくれて。

 

「荀文若(じゅんぶんじゃく)」

 

 幼い少女が教えてくれた名前を呟く。

 まさかこんな少女が『王佐の才』と謳われた文官だとは考えもしなかった。

 

 

 荀彧文若(じゅんいくぶんじゃく)

 名門荀家に生まれ、曹操を支えた名文官。

 若い頃から『王を助ける才を持つ』と称され各地を転戦する曹操の留守を守り続けたと言われる。

 袁紹との決戦である官渡の戦いでは戦に直接参加する事はなく洛陽にて行政を仕切っていたが、それでも遠方から弱気になった曹操を励まし政務を取り仕切る文官の身でありながら他の軍師と共に献策を行う事で彼を勝利に導いたとされている。

 しかし赤壁の戦いの後、なりふり構わず覇権の追求に走った曹操と対立。

 病死とも曹操との仲違いを苦に服毒自殺したとも言われている。

 

 

 そんな曹操軍にその人ありと言われた人間が今、自分の服を掴んであどけない表情を見せていると言う事実に俺は困惑していた。

 歴史に名を残すような人間の性別が変わっているのは正直、今更の事なのでそこまで気にしていない。

 

 だが俺の知識を信じるならばこの子はいずれその才能を開花させ、大陸を統一せんとする曹操に付き従う事になる。

 それはつまり孫呉に敵対すると言う事であり、俺は自分たちが助けた少女に刃を向ける事になるのだ。

 

 そして知識通りの力をこの少女が持っているならば非常に強大な敵になる。

 呉のこれからを考えるならばこの場で殺す方が良いとさえ思える程の才気を持っているはずなのだ。

 

 だが前世の知識通りに未来が進む保証はない。

 歴史に名を残す武将や軍師、文官、武官の性別が異なり、年代も士官する時期もバラバラだと言うのに。

 

 そんな曖昧な知識を指針にこんな幼い子供を手に掛けるなどして良いはずがない。

 

 目を閉じる。

 少女と距離を縮められた事への喜びはいつの間にか消えていた。

 

 

 

 一日に何回も会いに来てくれた人。

 ずっとこわくて、へやに入ってきたときはいつもはなれていたのに。

 それでもやさしく声をかけてくれた人。

 あたたかいごはんをくれる、やさしい声ではなしかけてくれる人。

 

 こわい人たちが来なくなってから来るようになった人たち。

 おとこの人もおねえさんも、わたしに会いに来た人はみんなあたたかかった。

 

 だけど人がちかよってくるとどうしてもこわくなって。

 わたしはお礼も言えなかった。

 かなしくてくるしくて。

 

 でも今日やっとお礼が言えた。

 くるしくなったけどがんばれた。

 

 

 あの暗いへやをでて、お船からおりて。

 

 ずっと付いてきてくれたおとこの人が、あのおとこの人がいるところまでつれていってくれた。

 わたしがこわがらないようにはなれながらずっと。

 

 おとこの人はわたしにせなかを見せていた。

 ぼうっとしているみたいでぜんぜん動かなくて。

 

 わたしはゆっくり男の人にちかよろうとおもった。

 

「船から出られるようになったんだな。おめでとう」

 

 こっちをぜんぜん見ないで声をかけられてびっくりした。

 

「無理はしない方がいいぞ。辛いんだろう?」

 

 わたしをしんぱいしてくれるやさしい声。

 でもちかよるとくるしくなってきて、やさしいはずのそのせなかがこわくなってくる。

 

 でもいやだった。

 こわがってなにも言えないのはもういやだった。

 

「……ごめんなさい」

「なぜ謝るんだ?」

 

 ずっと出せなかった声が出る。

 うれしかった。

 

「ずっとちゃんとしたごはんを持ってきてくれたのに、お礼も言えなくて……言いたいのに、言えなくて……こわくない人だってわかってるのにずっと、ひっく、こ、こわく、て……う、うう」

 

 でもいままで声を出せなかったことがもうしわけなくて。

 うれしいはずなのに、さびしくないのに泣いてしまった。

 これじゃおとこの人にお礼が言えなくなっちゃう。

 でもがんばってるのになみだは止まってくれなかった。

 

「いい。もうわかったから。恐がりたくないのに身体が勝手に反応してしまってお前自身もその事がずっと辛かったんだな? 俺たちを避けた事をずっと気にしていたんだな?」

「うっぐ、えく、はい」

 

 わたしのきもちを伝えたくて首をたてに振った。

 

「すまないな。お前が俺達に感謝している事、気づいてやれなかった」

「ご、めん、なさい……ずっとありがとうって伝えだがっだのに」

「謝らないでいい。もう伝わったから」

 

 おとこの人はわたしの頭をそっと撫でてくれた。

 あたたかいてのひらがとってもきもちよくて。

 なんでかわからないけれど、その時だけはさわられてもこわくならなかった。

 

「俺からも礼を言わせてくれ。俺達に心を開いてくれてありがとう」

 

 じっと目を見てお礼を言われて、わたしもお礼を言わないとっておもった。

 

「わ、わだじも、ひっく、助げで……くれで、えっぐ、ありがどうございまじだ」

 

 しゃっくりになった時みたいに声がうまく出せなかったけど、それでもお礼を言えた。

 ずっと撫でてくれたおとこの人の手が「よくやった」ってほめられているように感じて、とてもうれしかった。

 



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第二十四話

 建業からの指示を受けた俺達建業遠征軍は一昨日、命令の一つである賊の処断を完了させた。

 新兵たちは俺や豪人殿、古参の兵に弱音を吐きながらも自分たちの所業と向き合い概ね乗り越える事が出来たようだ。

 

 しかし全ての人間が乗り越えられたわけではない。

 新兵十名が軍を辞める意思を固めて俺に報告をしてきた。

 俺は豪人殿の立ち会いの元で彼らと話し合う場を設け、一人一人の意思を改めて確認した。

 

 辞める意思を伝えに来た時、彼らは何度も俺達に謝っていた。

 本当は辞めるなどと言う決断はしたくなかったのだろう。

 

 どうしても死に触れた時の恐怖が忘れられないと言っていた。

 自分が戦う事を想像しただけで足が竦んでしまうのだと。

 

 そしてそんな体たらくの自分たちがこのまま軍に所属していても足手まといにしかならない。

 自分たちのみならず仲間たちに迷惑をかけたくないと、彼らはそう言っていた。

 

 個人的には彼ら自身の意思を尊重したい。

 だが軍という組織の性質上、そう簡単に辞めさせる訳にもいかない。

 

 だから戦闘部隊から彼らを外してしばらく様子を見る事にした。

 次の定期報告を建業に出す際、辞職を申し出た十名について報告し指示を仰ぐ形になっている。

 

 次の伝令を送るのは一週間後。

 それまでに彼らの心境が良い方向に変化すれば良し。

 そうでなければ俺から十名の辞表嘆願を蘭雪様に出すつもりだ。

 

 

 そして俺達は軍の生活環境を整える為の農作業組と駐屯地の工事を行う工作業組とで別れて作業を行っている。

 

「一回一回腰を入れて鍬を振れ! 我々の兵糧を賄う為の重要な作業だ。気を抜いた作業などしていたら連帯責任で班ごと罰するぞ!!! 」

「「「「はいっ!!!」」」」

 

 作業中の部下たちを激励し、自分も鍬を振るい土地を耕す。

 ちなみに鍬は村人たちに借り、作物の種は村長に分けてもらった。

 

 

 この辺りの土地は海が近い代わりに河は遠い傾向にある。

 長江から枝分かれした小さな河が流れているが、その河は村との間にそれなりの距離があり水を汲むには不向きだ。

 

 定期的に農作業で撒く水に海水は利用できない。

 塩害などの影響で農作物が育たない傾向にあるからだ。

 

 しかし前世の記憶では海水に含まれるミネラルに着目し、それを肥料として使う事で味が良くなったと言う話を聞いた事がある。

 海水は可能であればそちらの品質改良面で利用する事にしよう。

 確か収穫する一ヶ月前に畑や田んぼに海水を撒いていたはずだ。

 化学肥料を作れる環境がない以上、色々と試して品質を良くしていくしかないだろう。

 

 

 基本的に飲み水などは大昔に掘った井戸に頼りきりになっている。

 村長が言うには生活用水の事情はこの村に限った話ではなく、この辺りに住む者たちに共通した物らしい。

 

 調べてみたがこの辺りの井戸は大体が浅井戸だ。

 長江と言う大きな水源に比較的近い場所であるこの近辺は掘れば水が出てくる程度に地下水が豊富らしい。

 

 しかし浅井戸ではいつか枯渇する可能性がある。

 そして井戸の数が少ないのも問題だ。

 村人が過ごす分には浅井戸が一ヶ所あれば十分に賄えるが、さすがに軍隊が駐屯生活をするとなると心許ない。

 

 井戸を新しく造るか、あるいは海水淡水化の方法を考えるか。

 今の所、思いつく対策としてはこの二つだ。

 

 井戸の製造には時間がかかる。

 それにどの程度、掘れば水が湧くかがわからないと言う問題がある。

 

 海水淡水化について前世の知識では蒸留して造る方法が一般的に知られている。

 だがこの方法だと一回一回に出来る淡水の量が少ない。

 さらに蒸留の為に毎日のように火を使う為、薪などの燃料の消費が激しくなってしまうのが難点だ。

 

 どういう手段を取るにせよ、なるべく早く解決しなければいずれ大きな問題になるだろう。

 俺は村から少し離れた場所で畑を耕しながら考えられる問題点を洗い出していった。

 

 

 

 太陽が真上に昇る頃。

 昼食を作っていた蒋欽たち持ち回りの炊事班が食事を運んできた。

 

「まいど〜〜、おいしいおいしい昼飯をお届けに上がりました〜〜〜」

「よし! 作業は中断! それぞれしっかり柔軟を行った後、食事を取るように!!」

「「「「「はっ!!!」」」」」

 

 一斉に持っていた農耕道具を地面に置き、思い思いの場所で柔軟運動を始める部下たち。

 勿論、俺もやっている。

 

 座った状態で開脚し、体を前に倒す。

 昔からやっていた成果で俺の体は胸を地面に付ける事が出来るほどに柔らかい。

 

「はぁ〜〜、相変わらず馬鹿みたいに柔らかいですねぇ。隊長の体」

 

 驚くと同時に呆れているような口調で話しかけてくる公奕に俺は苦笑いを返した。

 

「毎日の柔軟の成果だ。お前たちも続けていればこれくらいは出来るようになる」

「いやぁ〜〜そこまでべったり胸を地面に付けられる所にまで至る自分が想像出来ないんですがねぇ。弟と違って僕は体が硬いみたいですし」

 

 頬を掻く公奕。

 だが俺は知っている。

 

「それでも毎日の柔軟運動で確実にお前の体は確実に柔らかくなっているさ。自分でもわかっているんだろう? 成果の現れ方は人それぞれだから結果の出方を気にして隠れてやるような事でもないぞ」

「ありゃりゃ、ばればれですか。急に体が柔らなくなったって皆を驚かせたかったんですがねぇ」

「俺を驚かそうとするならもっと徹底的に隠す事だ」

「肝に銘じときますわ」

 

 雑談しながらも俺は柔軟を続ける。

 右腕を伸ばしたまま胸の前に持っていき、左腕で体にゆっくり、丁寧に、時間をかけて押しつけていく。

 柔軟としては基本的な物だが、力仕事が多い事を考えれば肩凝りの対処は必須だろう。

 

「身体の柔軟性が増せば増すほど動作の一つ一つを俊敏にしなやかにする事が可能だ。身体能力にはどうしても個人差が出る物だが、そこで諦める必要はない。その差を補えるように努力すればいいだけだからな」

「その努力の一つの形がこの柔軟運動ってわけなんですねぇ。いやぁ隊長の飽くなき向上心と発想力には驚かされてばっかりですよ」 

「考えれば誰だって思いつく。この場所で最初にやり始めたのが俺であったと言うだけの事だ」

「謙遜ですよ、そいつは」

 

 話し込んでいる内に柔軟が終わったようで炊事班の周りに群がるように集まる農作業班の面々。

 

 俺も立ち上がり、さっそく昼食を頂戴した。

 なぜか二人分の量だが。

 

「公奕、どう見ても一人分の量ではないぞ?」

「荀お嬢ちゃんの分も含めているんですよ〜。あの子、隊長が来るまで自分の食事に手を付けませんからねぇ。先に持っていっちゃうと冷めてしまいますし。ですんで隊長が一緒に持っていってあげてください」

「……そうか、やっぱりあの子は俺が行くまで食事を取っていなかったのか。困った物だな」

 

 彼女が俺の天幕で寝泊まりするようになってから既に二日。

 他人に対する極端な拒絶反応を起こす事がなくなった文若だが、代わりと言うか何というか別の問題点が浮上してきた。

 

 俺に依存してきているのだ。

 先に公奕と話した通り食事は可能な限り俺と一緒に取ろうと待ち続け、休憩時間などは俺から離れようとしない。

 

 今まで自分から人と距離を取らざるをえなかった事への反動なのだと思う。

 その対象が俺になったのはもっとも積極的に彼女と関わりを持っていたからだ。

 そういう理由があると理解しているからこそ、その行動を無碍に扱う事も出来ない。

 

「傍目から見ていると完全に親子ですからねぇ。お二人はおぶぅっ!?」

 

 にやにや笑う公奕の腹に裏拳を叩き込む。

 腹を抱えてプルプル震えて声もなくもだえている馬鹿者を放置し、俺は彼女が待っているだろう自分の天幕へと歩きだした。

 

 

 じっと俺の天幕の中で平面の板と板の上にある木駒を見つめて考え込んでいた文若に声をかける。

 

「すまないな、文若。少し遅くなった」

「とうりんさま! おかえりなさい!!」

「ああ、ただいま」

 

 二人分の食事を乗せた皿を地面に敷かれた布の上に置き、自分も腰を下ろす。

 食欲をそそる良い香りが鼻をくすぐったのか、ご機嫌な様子で文若が俺の対面に座った。

 

「ではいただきます」

「いただきます」

 

 胸の前で手を合わせる。

 告げる言葉には食事が取れる事への感謝を込めて。

 

「うむ。鹿の骨で出汁を取ったがなかなか美味いな」

「この湯(たん)はしかを使っているんですか?」

「ああ、ここから少し離れた山で狩ってきた。もっとも狩ったのは公苗だが」

 

 首がへし折れてぐったりした鹿を二頭も肩に担いで帰ってきたその姿に周りは怯えていた。

 どうも素手で狩ってきたらしい。

 山中での足の速さは時に馬をも越える鹿をどうやって捕まえたのかは気になる所だ。

 本人が一仕事終わらせたと言わんばかりの笑顔だったのも周囲を怯えさせた要因だろう。

 

 昼前辺りまでほとんどの人間が彼女から距離を取っていた事からもどれだけその光景が恐ろしかったかわかるだろう。

 俺とて公苗だから特に気にしなかったが、怯えていた連中の気持ちもよくわかった。

 可愛らしい見た目にそぐわなかったからな、担いでいた鹿の存在が。

 あの姿を見て普段と変わらない調子だったのは豪人殿と俺、元代くらいか。

 本人が仲間たちの態度に気付かなかった事が救いだ。

 

 鹿を狩る際は一撃で息の根を止め、食料としての品質をあげるならば血抜きを即座に行わなければならない。

 と言う事を以前、教えこんではいたが俺が調理する時に確認した限り鹿の処置は完璧だった。

 食事の大切さを体に叩き込んで以来、公苗は一食一食に対して妥協しないようになっている。

 これが良い事か悪い事かは判断しにくい所だが。

 

「肉を削ぎ取った後の骨をじっくり時間をかけて煮る事で出汁を取るんだが、時間がかかるのですぐに食べられる訳ではない。だが時間をかけた分だけ味は上等な物になる。お前の口には合ったか?」

「はい! とても食べやすくておいしいです」

「そうか」

 

 にこにこ笑いながら汁をすする文若。

 その姿に俺も思わず破顔しながら麦飯を口に入れる。

 

「これが終わったらしばらく休憩だ。お前が夢中になっているそれの相手をしよう」

 

 元代たちは建業からの指令の他に幾つかあちらの人間から個人的に預かった物を持ち帰ってきた。

 

 文若が夢中になっている木の板とそれに付属する小さめの木駒もその一つ。

 いつ作ったのかはわからないが祭と陽菜が作ってくれた一種の遊び道具だ。

 

「ほんとうですか! ありがとうございます!!」

 

 善は急げとばかりに汁をかき込むように口に入れる文若。

 しかし勢いよく口に含んだせいでむせてしまった。

 

「まったく。焦らなくとも俺も『将棋』も逃げはしないぞ」

「えほっ、けほっ……うう、ごめんなさい」

 

 背中をさすりつつ、水亀から水を取って渡してやる。

 

「食事は焦らずしっかり取る事。遊ぶのはその後だ。わかったな?」

「はい……」

 

 しゅんとしてしまった彼女の様子に罪悪感を覚える。

 だがそれでも駄目な事は駄目だと言って聞かせなければいけない。

 優しいと甘やかすと言うのは似ているようで違うのだ。

 

 それからは静かに食事が進み、体感時間でおよそ十分後に俺たちは箸を置いた。

 

「「ごちそうさまでした」」

 

 両手をあわせて食事が取れた事に感謝する。

 食器を片づけて天幕の端に置く俺を期待を滲ませた表情で見つめる文若。

 

「それでは始めようか」

「はい! よろしくおねがいします!!」

 

 可愛らしい笑顔で礼を言い、食事ではなく平面の板『将棋盤』を挟んで相対する文若。

 先ほどまでの子供そのものの柔らかい顔立ちは変わらない。

 だが真剣な表情で盤面を睨むその様子には『智を力にする者』の片鱗が見えるように思えた。

 それが彼女が『荀文若だから』感じる錯覚なのか、そうでないのかは俺には判断できない。

 

 

 彼女が将棋を知ったのはつい昨日の事。

 俺が元代から祭、陽菜から届け物だと渡されたソレを物色している時にこれが何かを聞いてきた。

 

 物珍しげに将棋盤と木で作られた駒を見つめる彼女が微笑ましくつい教えてしまったのが始まり。

 

 この時代にも駒を使った遊びは存在したはずだが。

 それらと趣が違ったからなのか、彼女はルールを一通り説明したらすぐにのめり込んでしまった。

 

 この辺りの覚えの良さは教養のある人間ならではだろう。

 彼女自身の飲み込みの早さも勿論あるだろうが。

 

 とはいえさすがにルールを覚えたばかり。

 これまで三回ほど指し、結果は俺の全勝。

 一応は飛車、角、金将、銀将の六枚落ちでやったのだがそれでもまだまだ余裕だった。

 

 子供相手に大人げないとも思ったが彼女が手加減しないようにと最初に釘を差してきたのでそれは出来なくなってしまった。

 とはいえそれではさすがに勝負にならない。

 なので手加減はしないが駒を幾つか落とす事にしたのだ。

 

 それにも不満そうではあったが、そこだけは俺も譲らず。

 最終的にはこの子も納得してくれた。

 最初の一回だけ手加減なしの全ての駒で勝負し、その結果が散々な物だった事で。

 歩以外の駒はほとんど奪わせずに勝つと言うまさに完勝と言う形だったので、文若にも実力の差が嫌と言うほど伝わったのだろう。

 

 さて先手は文若だ。

 今日は朝食を食べてからずっと盤と睨めっこをしていたが、果たしてどういう手を打ってくるか。

 幼い少女の打つ手がなんなのか、年甲斐もなく内心でわくわくしながら俺は勝負に意識を集中させた。

 

 一ヶ月と言う長いようで短い時間。

 俺たちはこうしてゆっくりとした時の流れに身を任せて過ごす。

 日々の行動の成果を感じ取りながら。

 

 

 そして一ヶ月後、俺たちは紆余曲折の果てに建業に帰還する事になった。

 

 理由はこの子。

 彼女の生家である荀家から彼女を引き取りたいと言う打診が建業大守の蘭雪様宛にあったのだと言う。

 なんでも荀爽(じゅんそう)と言う今の荀家の代表から直筆の書状が届いたと言う話だ。

 

 さすが名家と言うべきか。

 俺たち建業軍が縁者を保護しており、さらに売られた者たちの事を調べている事に気づいたらしい。

 

 一領土の代表である蘭雪様とはいえ貴族相手に迂闊な真似は出来ない。

 権力に連なる者の機嫌を損ねれば己だけでなく領地に関わる全ての人間に害を及ぼす可能性があるのだ。

 

 幸いにして荀家は権力を笠に着て理不尽な真似をすると言う話は聞かない。

 

 だがだからこそこちらも礼節を持って対応しなければならないのだ。

 彼らのような人格者として讃えられている人間へ、不義理な真似をしたとあれば周辺諸侯が黙っていない。

 これ幸いにといちゃもんを付けてくるだろう。

 最悪の場合、それを理由に領土を奪い取りにくるかもしれない。

 

 そんな横暴がまかり通るような世の中なのだ、今は。

 

 恐らく美命や古参の者たちは貴族との関わり方を心得ているはず。

 故に遠征を中止にしてでも彼らへの対応を優先したのだろう。

 

 

 一応ではあるが駐屯地は形になり、井戸も突貫工事ではあるが造る事が出来た。

 畑だけは収穫期にならなければ判断を下せないので、心苦しかったが近隣の村の人間に判断をしてもらえるよう頼み込んだ。

 

 作物を育てると言う点に置いては俺たち兵役についている人間よりも彼らに一日の長があるからだ。

 彼らも快く引き受けてくれた。

 

「我々はあなた方に生活を守っていただいております。この程度の事を恩返しと言うのもはばかられますが、我々が少しでもお役にたてる事があるならば是非もありません」

 

 実にありがたい話だ。

 

 

 派遣される駐屯軍への引継は豪人殿を含めた百人を残して対応する事になっている。

 引継を終わらせたら彼らも建業に引き上げる予定だ。

 

「豪人殿。皆も。負担をかける事になるがよろしく頼む」

「はっ、万事抜かりなく」

「「「「「「はっ!!!!!」」」」」」

 

 帰還する日。

 皆を集めて激励する俺の後ろで公苗たちと一緒にいた文若が前に出た。

 

 彼女の突然の行動に戸惑う部下たち。

 俺は事前にやる事を聞いていたから驚きはない。

 

「みなさん! わたしを助けてくれてありがとうございました!!!」

 

 そう自身に出来る限りの声で叫び、頭を下げた。

 呆気に取られた部下たちの様子を見つめながら俺はこちらに駆け寄ってくる文若と目を合わせる。

 やり遂げたと満足げに笑っている彼女につられて俺も笑った。

 

「皆、心に刻み込め!! 俺たちが守った物を!! 決して忘れるな、この子の感謝の言葉を!!」

 

 沈黙は一瞬。

 次いで爆発するような肯定を示す声が怒号のように辺りに響き渡った。

 

 そして俺たちは。

 遠征を中断すると言う良くない結果を抱えながらも意気揚々と建業への帰路に着いた。

 



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第二十五話

「凌刀厘他百名。只今、帰還いたしました」

 

 ここは建業の玉座の間。

 俺は部屋の奥にある玉座に座る蘭雪様に片膝を付き、頭を垂れた姿勢のまま報告をする。

 

 蘭雪様の両隣には陽菜と美命。

 俺を挟み込むように左右に並ぶのは深冬を筆頭とした臣下たち。

 勿論、祭や激、慎や塁たちもそこにいる。

 

 俺と共に帰ってきた公苗や公奕たちは鍛錬場で待機している。

 報告を終えた後に正式な辞令を持って今後の部隊の動向を決めなければならない。

 故に建業城に帰ってきた所で、すぐに解散と言う訳にはいかないのだ。

 

 俺たちは帰還命令が出てから、少しばかり急ぎ足で建業へ帰ってきている。

 言うまでもない事だが俺を含めた全員が相当に疲労していた。

 出来ればすぐにでも休ませてやりたいのが本音だ。

 

 しかし残念ながら軍隊としての規律を軽んじる理由として『すごく疲れました』と言うのは少々弱い。

 だから彼らには報告が終わるまでのもう少しの間だけ気を張っていてもらわなければならないのだ。

 流石に遠征を終えた部隊にすぐさま通常任務に就けとは言わないだろうが、それでも気を抜いて良い事にはならない。

 

 文若については建業に到着した後、すぐに貴族と関わった事がある古参の文官に身柄を預けている。

 迎えに来たのが女性、それも穏やかな風貌の老婆であった事が幸いしてか、例の拒絶反応は起こっていない。

 

 建業への行軍の最中、何度か旅商人の団体などに出くわしたが彼女は一度として姿を見せなかった。

 たまたま彼女を見かけた公苗によれば、荷車の中でじっと息を殺していたのだと言う。

 俺や部隊の人間とは打ち解けてくれた彼女だが、例の症状は緩和されただけであり未だ完治には及んでいないのだ。

 

 しかし老婆にはあの子も素直に付いていってくれた。

 不安そうではあったが、それでも文句を言わなかったのは幼くも聡い性格故だろう。

 

 老婆が自分に危害を加える人間ではないと察したのだ。

 同時にここで彼女を拒否する行動を取れば、この後に報告に向かわなければならない俺に余計な負担をかけると思ったのだろう。

 文若は俺に懐いてくれているが、ただ甘えてくるわけではない。

 甘えるのにも状況を考えて配慮して行動しているのだ。

 あれで十歳にも満たないと言う事実には驚嘆する。

 先が楽しみと言うか末恐ろしいと言うか。

 俺は気遣いをありがたいと思うと同時にあの年齢の子供に気を遣ってもらっている事を情けないとも思っていた。

 

 

「任務ご苦労。凌隊長、お前たちは当初の予定とは異なるが考えうる限り最前の結果を持って帰ってきた。胸を張り、誇れ! だが今回の結果に慢心する事なく日々の訓練に励めよ。部下たちにもそう伝えろ。重ね重ねになるが任務、ご苦労だった。しばらく、と言っても二、三日程度になるが休みをやる。各々好きに休み、羽を伸ばすといい」

「はっ! ありがとうございます!!」

 

 儀礼に則りつつも親しみの篭もった君主の言葉に心中で苦笑いする。

 ちらりと見やれば美命はあからさまにこめかみを押さえて頭痛を堪えていた。

 恐らく最初はもっと形式張った言葉になる予定だったんだろう。

 隣で陽菜が子供を見守るような笑みを浮かべている事からもその事は容易に想像が付いた。

 

 懐かしいなどと感じるほどここを離れていたわけでもないと言うのに。

 彼女らのいつもと変わらない様子を見て俺は帰ってきた事を実感していた。

 

「報告は定期的に受けていたが、お前の所感を改めて聞いておきたい。『鈴の甘寧』を筆頭とした錦帆賊の事、調査した領内の村の生活、そして例の人身売買とお前が保護した荀家のお嬢ちゃんについてな」

 

 最後の言葉で俺は帰ってきた実感で緩みかけていた気持ちを引き締めた。

 

「わかりました。ではまず……」

 

 俺は蘭雪様が言ったとおり自身が見た事、聞いた事、感じた事を正確に伝えられるよう慎重に言葉を選んで報告する。

 この言葉をどう感じ、どう捉えるかは報告を受ける側の問題ではあるが可能な限り詳しく、しかし簡潔に伝えられるように努力しなければならない。

 

 たまに居並ぶ面々が蘭雪様から発言の許可をもらって質問し、俺がそれに答えていく事があったが大きな問題が起こる事はなかった。

 

 報告が終わったのは開始から二刻ほどが経過し、日が暮れかかる頃。

 蘭雪様の目配せを受けた美命が玉座の間に響くように解散の言葉を言い放ち、俺を含めた臣下全員が揃って礼を返す事でこの報告会は終わりを告げた。

 

 去り際に俺に労いの言葉をかけてくる同僚たち。

 俺も一人一人に言葉を返し、同僚たちとの久しぶりの会話を楽しんだ。

 

 そして最後まで玉座の間に残ったのは蘭雪様と美命、陽菜。

 そして祭を初めとした幼馴染たち。

 

「ふぅ、やれやれ。やはりこういう形式ばったやり取りは慣れんなぁ。肩が凝ってしまう」

「はぁ……いきなり気を抜く奴があるか。馬鹿者」

 

 玉座にもたれ掛かり、わざとらしく肩を叩く蘭雪様。

 その様子を見て頭痛を堪えるように額に手の甲を当ててため息をもらす美命。

 

 これまた『いつも通り』の二人に俺は肩の荷が降りた気分になった。

 

「……相変わらずのようで安心しました」

「駆狼、それは皮肉か?」

「いいえ、今の素直な気持ちです。お二人のやり取りのお陰で適度に肩の力が抜けましたので」

「そういうのを皮肉と言うんだが?」

 

 肩を落としながら俺を睨みつける美命。

 だがそれも数瞬の事だ。

 

「ふっ……お前も元気そうで何よりだ。……色々と遭ったようだから気落ちしているかと思ったが、その調子なら大丈夫のようだな」

 

 公務から私事に気持ちを切り替え、柔和な笑みを持って彼女は労いの言葉を紡ぐ。

 美命の変化を合図に俺の後ろで控えていた幼馴染たちが待っていたとばかりに駆け寄ってきた。

 

「駆狼、ご苦労さん!」

「刀にぃ、お勤めお疲れさまです!」

「お疲れ様ね、駆狼!!」

 

 労いを込めて激、慎、塁に次々と体を叩かれる。

 

「ああ、ありがとう。しかし俺がいない間、そちらも大変だったんだろう? 苦労したのはお互い様だ」

 

 俺を囲い込むように集まる三人に俺は笑みを浮かべながら応えた。

 

 俺たちが遠征任務をこなしている間、定期的に建業に報告を送っていた。

 報せられてきた事柄は報告する側の俺が言うのもなんだが多岐に渡る。

 それらに対して激、慎、美命に深冬、陽菜を筆頭とした文官たちはどう対処するのかをずっと考えてきたのだ。

 それも俺たちが報告を送る度に考えなければならない事柄は加速度的に増えていく。

 その苦労は俺たちと同等、あるいはそれ以上かもしれない。

 

 そして文官勢が大わらわになっている間も祭や塁たち建業の守備を担当する部隊は常時取り組んでいる治安維持に従事し続けなければならない。

 恐らく激や慎、深冬たちが文官として動いている間、その穴を埋める為に奔走していたはずだ。

 それは口で言うほど楽な仕事では断じてなかっただろう。

 

「それはそうですけど……一番大変だったのはやっぱり刀にぃですから」

「……何度も言うが苦労したのはお互い様だ。ただその苦労の形が違うだけでな」

 

 俺を讃え労ってくれる慎の気遣いはありがたいと思う。

 だがそれを素直に受け取れるほど、俺は自分たちの報告で建業の皆が被った苦労を軽く見ていない。

 

 それぞれに抱える苦労が異なる為、単純に比較出来る物ではないのだ。

 そうであるが故に、時にお互いの問題が見え難くなる事があり、それが元で不平や不満、そして不和へと繋がる事もある。

 前世でも現場の判断と上層部の決定が噛み合わずに軍が軍として機能出来なくなった事があったのだから。

 

「ほんと、駆狼ってば真面目過ぎよね」

「ったくせっかく俺たちが労ってんだから、もう少し力抜いて気持ちを受け取りゃいいんじゃねぇか?」

「頭ではわかっているんだがな。恐らく無理だ」

「自分で恐らくとか言うか」

「でもすっごく駆狼らしい気はするね」

 

 塁と激が呆れるのも当然だと思うが、こればかりは性分だから仕方ないと思ってもらうしかない。

 

 こいつらも俺の性格はよくわかっているはずだ。

 その証拠に呆れてはいるが否定したりはしない。

 昔は自分が気に入らない事があるととにかく突っかかってきた物だが、この二人もしっかり成長していると言う事なのだろうな。

 

「なんか失礼な事考えてねぇ?」

「気のせいだろう」

「……ほんとに?」

「……」

「駆狼てめぇ、目を逸らすんじゃねぇよ!?」

 

 勘も良くなっているようだ。

 ふむ、頼もしい限りだ。

 

「っと、俺らからはこんなもんだろ」

「うん、言いたい事も言えたしね」

「そうだね」

「? 何の話だ?」

 

 三人の会話の意味がわからず聞き返す。

 

「俺たちはここで解散ってこった。他にもお前と話したい奴はいるし」

「『私的なお話』を立ち聞くのは良くないですしね」

「それが甘ったるい話になるってわかってるんだから尚更よね」

 

 意味深な目配せをすると三人は俺たちのやり取りを笑いながら見守っていた蘭雪様たちに頭を下げる。

 

「刀にぃ、また明日にでも」

「お疲れさん、駆狼」

「それじゃあね、駆狼」

 

 三者三様の言い方で俺に声をかけ、慎たちは玉座の間を後にした。

 なんなんだ、一体?

 

「さて、私たちも邪魔だろうから消えるとしようか」

「言っておくが仕事はまだ終わっていないからな。消えるのはいいが執務室に直行だぞ?」

「はいはい、わかっているさ。……ちっ」

「舌打ちするな。それじゃあ陽菜、祭。久方ぶりの殿方との逢瀬だ。今まで我慢してきた分、たっぷりと楽しむといい」

 

 不満げな表情の蘭雪様の引きずりながら美命も玉座の間を出ていく。

 

「ふふ、ありがとう美命、姉さん」

「あ、ありがとうございます。蘭雪様、美命殿」

 

 残されたのは俺と陽菜、祭の三人だけ。

 

 ああ……そう言う事か。

 まったく。

 気を遣ってくれているのはわかるしありがたいのだがこうもあからさまにされると、何とも言えない気分になるな。

 と言うかまさか陽菜たちを含めた全員が共犯とは。

 面白半分で加担しているのが何人かいるな。

 

「あの、じゃな。えっと……」

 

 なるほど、祭が慎たちと一緒に話しかけてこなかったのはこの為か。

 逢瀬のお膳立てをされてしまった状態で柄にもなく緊張してしまい、いつもの調子で俺に話しかける事が出来なかったわけだ。

 もしかしたら遠征に出る直前に置き土産(不意打ちの接吻)を残したのがまだ効いているかもしれない。

 

「はぁ、やれやれ。……まずは、ただいまになるな。祭、陽菜」

 

 しかしまぁ、わざわざ主君や同僚たちが用意してくれた機会だ。

 有効活用するべきだろう。

 

「う……あ、ああ。お、おかえり、駆狼」

 

 顔を赤くしてどもりながら応える祭。

 

「ふふ、お帰りなさい。駆狼」

 

 いつも通りに応える陽菜。

 対照的な二人。

 俺の想い人たち。

 

「そう緊張するな、祭」

「いや、あのその、な、なんだか皆にせっつかれてしまうと、変な感じになってしまってな……」

 

 身振り手振りで自分の精神状態を説明しようとする。

 だがまぁ自分の今の気持ちが整理し切れていないらしく説明らしい説明にはなっていない。

 

 俺は陽菜に視線を送った。

 苦笑いしながら彼女が頷くのを確認し、祭を落ち着かせるべく行動に移る。

 

「わひゃぁっ!?」

 

 そっと祭の体を抱きしめる。

 悲鳴が聞こえるが知った事ではない。

 

「く、くくく駆狼!?」

「黙っていろ」

 

 さらさらの銀髪を梳きながら囁く。

 

「う、あう……」

 

 先ほどよりも顔を赤くしながら祭は金魚のように口をぱくぱくとさせる。

 しかししばらくすると落ち着いたのか俺の背に手を回してきた。

 

「ふふふ、駆狼。次は私にもお願いね」

「お安い御用だ」

 

 自分を差し置いて目の前で仲睦まじくしていると言うのにまったく変わらない様子の陽菜。

 この場に嫉妬して咎めるような者などいないと言うのに。

 昔は俺が女性と話しているだけでむくれた物だが、さすがに九十年も前と比べるのは失礼か。

 

「駆狼……ああ、駆狼」

 

 うわ言のように俺の名を繰り返し、背中に回していた手に力を込め自分の身体を俺に押し付ける祭。

 感極まった様子で潤んだ瞳を俺に向ける。

 

「どれだけ離れていようとも、儂はお前の事を……」

「皆まで言うな。わかっているつもりだ」

 

 耳元で囁く祭に同じように囁きで答える。

 

「俺はお前と陽菜……」

 

 視線を陽菜に移し、言葉を続ける。

 

「お前たち二人を愛している」

 

 俺は幸せ者なのだろう。

 俺を一人の男として想ってくれる人が二人もいるのだから。

 紆余曲折はあったが、こうしてそんな二人と共に在るのだから。

 

「儂も愛しているぞ」

「勿論、私もよ。駆狼」

 

 我慢できなくなったのか陽菜は俺の背中に抱きついてきた。

 猫のように俺の背中に顔を擦り寄せる。

 鎧こそ脱いでいる物の筋肉質な男の背中などごつごつとして固いだけだろう。

 

「背中に顔を押し当てても痛いだけじゃないのか、陽菜?」

「そんな事ないわ。暖かくて気持ち良いわよ」

「……そうか」

 

 俺たちは久方ぶりの逢瀬を楽しんだ後、玉座の間を後にした。

 とはいえお互いに燃え上がった状態での逢瀬がこの程度で済ませられるわけがなく。

 

 部下たちへ今後の指示などの仕事を終わらせた俺は部屋で待つ二人と昂った心のままに肌を合わせる事になった。

 

 翌日、つやつやの肌をした二人と疲れ切っている俺の姿を見た蘭雪様たちが何かあったのかを察し、散々にからかわれる事になる。

 



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第二十六話

 昨日、祭と陽菜との熱い逢瀬を存分に楽しんだ俺は休みである事を利用し仕事で会う事が出来なかった子供たちに会いに行く事にした。

 

 まず向かったのはその幼さから未だ養育係が付きっきりになり、滅多に城外に出る事が出来ない小お嬢(ちいおじょう)の所だ。

 

 

 孫向香(そんしょうこう)

 孫堅の子供であり、孫策、孫権の妹だ。

 歴史書などでは孫夫人(そんふじん)と言う名で通っており、政略結婚で劉備に嫁いだとされている。

 その人柄には諸説あるが、夫婦仲は良くなかったとされている事が多い。

 流石に年齢差が三十近くもある相手との婚姻ではお互いにやり難かったと言う事なのだろう。

 実の所、彼女に関して記述されている事はほとんどなく、その最期も記されていない。

 劉備との仲が良かったと書かれている書物では、蜀と呉による国家間のいざこざの果てに母国に帰国。

 後に劉備が戦死したと言う報告を聞いて絶望し、長江へ身投げしたと言う。

 この世界で劉備との婚姻があるかどうかはわからない(なにせ劉備の性別が変わっている可能性があるのだ。しかも今までの傾向から言って歴史に名を残すような人物であればあるほど可能性は高い)が、知識を参考にするならろくな事にはならないだろう。

 

 

「あ、くろ〜〜!!」

 

 勉強に飽きていたのだろう彼女は、俺が来るとすぐに文字通りの意味で胸元に飛びつき遠征の土産話をせがんできた。

 養育係の老人も彼女の態度に苦笑いしながら、休憩と称して俺と彼女が話す時間を設けて席を外している。

 俺の首にぶらさがって離れようとしない小お嬢の状態では勉強に身が入らないと思ったのだろう。

 

「ねぇねぇ、くろ〜。すずのかんねいってつよいの?」

「ええ、とても強く勇ましい男です」

 

 男らしい頼りがいのある笑みを浮かべた興覇の姿を頭に浮かぶ。

 その威風堂々とした態度に虚飾はなく、隙も俺が見る限りまったくなかった。

 以前からあった討伐軍を返り討ちにしてきたという評判の通り、対峙すれば一筋縄では行かない事は容易に察する事が出来る。

 

「ふぅ〜ん。くろ〜とどっちがつよいの?」

 

 天真爛漫と言う言葉が人の形を取ったかのような陽気さを持つ彼女の言葉は年相応に単純で直接的だ。

 そういう性格であるから俺たちは出会ったその場で彼女自身から真名を許されている。

 しかし雪蓮嬢たちと比べてさらに幼い彼女に許されたからと軽々しく真名を口にするのは憚られた。

 美命たちにその事を相談したところ、古参の人間から許可が出るまで真名では呼ばないようにするという方針になっている。

 小お嬢はこの決定に不満のようだが、責任能力があるかもわからない年齢なのだから妥当な判断だと俺は思う。

 

「さて……そう安々と負けるつもりはありませんが軽々しく勝てると断言も出来ません」

「え〜? さいとげきをいっしょにたおしちゃったくろ〜でもかてないかもしれないの?」

 

 彼女が言っているのは以前に行った隊同士の合同訓練の事だろう。

 確かにあの時、俺は祭と通りかかった激を同時に相手にして勝利している。

 しかしあれはほとんど遊びのような物。

 お互いに全力の半分も出していない本気とは程遠い物だ。

 勝ちは勝ちだとは思うが胸を張るような物でもない。

 

 とはいえわざわざ訂正する必要もないだろう。

 そもそも見た物をそのまま信じているこの子にあの時はお互いに本気を出していなかったと伝えても信じるかどうか怪しいのだ。

 

「はい」

「すっごいなぁ〜〜、すずのかんねい」

 

 そんな俺の微妙な心境を理解する事なく、ただ無邪気に笑う少女に苦笑いを返す。

 しばらくの間そうして遠征で起こった話を語って聞かせ、俺は彼女の元を後にした。

 

 話と言っても子供が喜ぶような笑い話になる事だけで、人身売買や山賊たちの事には触れていない。

 建業大守孫堅の三女とはいえまだ数えで六つの少女が知るにはあまりにも残酷な所業だろう。

 

 手入れの行き届いた中庭を歩きながら考える。

 出来れば今後もこんな血生臭い事柄には関わってほしくない。

 しかし彼女の立場上、それはありえない。

 権力者の子として生まれた彼女には既に相応の義務が課せられてしまっているのだから。

 

「生まれた時から気づかず背負わされる義務、か。やり切れない話だ」

 

 自分よりも遙かに小さな子供を取り巻く子供らしくない環境、それを知りながらなにも出来ない自分に思わず自嘲する。

 

 駄目だな。

 こんな暗い顔では雪蓮嬢や冥琳嬢、蓮華嬢や荀彧たち察しの良い子供たちに心配をかけてしまう。

 気分を切り替えるように首を振り、俺はいつの間にか止まっていた歩みを再開した。

 

 

 

 冥琳嬢は建業城の資料室にいた。

 勤勉な彼女はよくここを利用し、自分の知識を増やすべく努力している。

 毎日、朝から夕まで読書に励んでいる事はよく知っていたので足を運んでみたのだがどうやら正解だったようだ。

 遠征前は雪蓮嬢に「さいきん冥琳が遊んでくれない」などと頬を膨らませて愚痴られていたが、どうやらその勤勉ぶりは良くも悪くも変わらなかったらしい。

 

「久しぶりだな、冥琳嬢。元気そうで何よりだ」

 

 読書の邪魔にならないよう、ゆっくり近づき声をかける。

 

「え? あ、駆狼殿! お帰りなさい!」

「ああ、ただいま。別にそんなに慌てる必要はないぞ?」

 

 慌てて本を閉じて座っていた椅子を倒す勢いで立ち上がる冥琳嬢。

 集中していた彼女は俺が声をかけてようやく俺の存在に気付いたようだ。

 

「あ、は、はい……すみません、気付かずに」

「気にするな。むしろ俺の方こそ読書に集中しているとわかっていたのだからもっと気を遣うべきだった。すまないな」

「い、いえ……」

 

 恐縮し切りで緊張している冥琳嬢。

 俺たちが任官してから既に三ヶ月が経過する。

 その間、彼女とはそれなりに親交を深めてきたのだが。

 ある時を境に俺への態度が硬化してしまっていた。

 

 何と言うか無意味に緊張していると言うか。

 まるで天敵と相対する時の獣のように気を張るようになってしまったのだ。

 警戒されるような事をした覚えはないのだが、正直どうすれば良いか検討が付かない。

 一度、美命や陽菜に相談してみたのだが。

 

「しばらくあの子の好きにさせてやってくれ。別にお前の事を嫌っているわけじゃないさ」

「少し戸惑っているだけよ。自分の気持ちに、ね」

 

 などと意味深な事を言うだけで対処法を教えてはくれなかった。

 なので俺はなるべく自然体で会話し、彼女の態度を気にしないようにしている。

 嫌われているわけではないと言うのは俺にもなんとなくわかるのだ。

 こちらがよそよそしくなってしまっては彼女を傷つけてしまう事になるだろう。

 

 机には彼女が読んでいた物以外にも何冊もの本が重ねて置かれていた。

 その一冊を手に取り、適当にめくってみる。

 

「……今は政治経済に関する本を読んでいるのか」

「はい」

「俺が遠征する前は軍略関係、確か孫子を読んでいたな? あちらはもう読み終わったのか?」

「もちろんです!」

 

 はきはきと嬉しそうに、そして誇らしげに返事をする彼女の笑顔は実に溌剌とした物だった。

 見ているだけでこちらまで元気になれる、自然にそう思わせてくれるほどに。

 

「凄いな。まだ十歳になったばかりだろうに。感心するぞ」

 

 素直にそう思う。

 十歳の子供が、大人でさえ興味がなければ読まないような本をこんなにも短い時間で読破し、その内容を自分の知識として吸収して いるのだから。

 確実に俺よりも頭が良い。

 将来が実に楽しみだ。

 

「私は早くちしきを身につけ、母上たちや駆狼殿の手助けをしたいのです!」

 

 その母親譲りの生真面目さは貴重だ。

 なにせ君主とその長女の破天荒ぶりが酷いからな。

 未来の側近候補は堅物なくらいの方がバランスの良い塩梅になるだろう。

 

「それは楽しみだ。だが根を詰め過ぎると役立つ前に倒れてしまう。適度に休む事も必要だ。最近は朝早くから篭もっていると聞いている。毎日、こんな生活をしていてはいずれ体調を崩すぞ?」

 

 彼女のやる気は素直に褒めるべき所だが、やり過ぎは身体を壊す事に繋がる。

 諫めるべき点は諫めなければならない。

 諫められ、叱られ、怒られなければ『してはいけない事』と言う物は伝わりにくいのだから。

 

 これは幼い頃から言い聞かせていかなければならない事であり、大人が子供に対して持つ数ある義務の一つだと思っている。

 

「は、はい。申し訳ありません」

 

 先ほどまで喜色満面だった表情が諫められた事で消沈、俯いてしまう冥琳嬢。

 むぅ、こんな風になるほど強く叱ったつもりはなかったのだが。

 

「偶にでいい。本に触れない一日を作ってみろ。お前はまだ幼い。ずっと机に座り込んでいる必要はないんだ」

「で、ですが、その……私が役に立つにはちしきを身につけて母上たちのほさが出来るようになるのが一番、早いように思えるのですが」

 

 なるほど。

 この子なりに自分に出来る事を模索した結果が今の読書漬けの生活と言うわけか。

 だが結論を出すにはまだ早い。

 

「焦るな、冥琳嬢。お前に出来る事が政治、軍略『だけ』だと決めつけるな。お前はまだまだこれから知らなければいけない事がそれこそ山ほどある。そしてそれらはただ本を読めば学べると言う物ではないんだ」

 

 確かにこの子は頭が回る。

 あの『周瑜』であると言う事を差し引いても十分に優秀だ。

 だがだからと言って、こんな幼い頃から必要不必要と言う判断基準で物事を考える必要はない。

 俺たちのように守る手段として武力を選ばなければならない状況ではないのだから。

 子供はもっと伸び伸びと生きるべきだろう。

 

「今だけしか出来ない事をやればいい。為になる、ならないではなくやりたいと思う事に熱中すればいい」

「……」

「その結果が読書だと言うなら俺は止めない。だが今、それを決められるほど色々な事に挑戦してきたわけじゃないだろう?」

「……はい」

 

 腰まで届く黒髪を撫でながら言い聞かせる。

 

「なら試せばいい。前に言ったな、失敗を恐れるなと」

「いたらない所は母上や蘭雪様たちが止めてくれる、ともおっしゃられていました」

「覚えているならば躊躇う必要はないはずだ。子供から世話をかけさせられて迷惑に思う大人はここにはいない」

 

 そこまで話して撫でていた手を離す。

 

「迷惑をかける事を怖がるのは仕方がない事だ。けれどそれを理由に立ち止まってくれるなよ」

「はい」

 

 さてこれ以上、ここに留まるのも悪いか。

 言いたい事も言えたし、最も重要な帰還の挨拶も出来た。

 少々、説教などしてしまったが気を悪くしてないだろうか。

 

「駆狼殿……ごしどうありがとうございました」

「指導なんて重たい物じゃないさ。だが心に留めておいてくれると嬉しい。ではまたな」

 

 席を立ち、冥琳嬢に背を向ける。

 俺が退出するまでずっと頭を下げっぱなしにしてるだろう冥琳嬢の姿を頭に浮かべながら俺は少々乱暴に自分の頭を掻いた。

 

 

 

 次に俺がやってきたのは孫権こと蓮華嬢の部屋だ。

 

 

 孫権仲謀(そんけんちゅうぼう)

 孫堅の息子であり、後に三国に名を連ねる孫呉の大帝。

 孫堅の死後、孫策が早死にした後に孫呉を継いだ若獅子。

 劉備と曹操に比べると保守的な人物と言われているが、それは親兄弟から継いだ孫呉を守るたいという想い故の行動だった。

 最終的に牙を剥いた曹操に対して劉備と同盟を組み、かの有名な赤壁の戦いにて彼の軍を退ける。

 三国の世を作り上げた人物の一人と言ってよいだろう。

 

 

 さてそんな蘭雪様の血を引いている蓮華様だが、彼女はやや内向的な性格をしている。

 何も言われなければ日がな一日を自室で過ごす事も多いくらいだ。

 逆に必要とあれば、どこにでも出歩くのだが。

 いざと言う時の行動力は、やはり孫家の血が入っていると実感させられた物だ。

 

「激、ここ字がまちがってます」

「うぇ!? ほ、ほんとだ……ち、ちくしょう。次だ次!」

「ここもです」

「……なんてこった」

「あ、まだありました」

「ぐはぁっ!? お、俺から頼んどいてなんだがほんと容赦ねぇよな。蓮華様」

「わるいところをしてきする時はきびしくするべきだとおじさまが言っていました」

「駆狼の影響かよ!? いや厳しい方が俺の為にはなるんだけどさ!?」

 

 ノックをしようと手の甲を彼女の部屋に向けた所、中からこんな声が聞こえてきた。

 勤勉な幼なじみと蓮華嬢の話し声の内容から察するにどうも恒例の報告書添削の真っ最中らしい。

 

 聞こえてきた会話だけで中の光景が想像できてしまった。

 二十を越えた青年が床に手を付いて膝をつき、それを椅子に座って呆れながら見下ろす少女の図。

 微妙に犯罪臭漂う光景である。

 

「まあ大丈夫だろう。ここでは日常茶飯事だ」

 

 とりあえずノックをする。

 蓮華嬢が「どうぞ」と入室を許可するのを待ち、俺はそっと戸を開けた。

 

「失礼する。蓮華嬢」

「あっ! おじさま!」

「お〜、駆狼。昨日ぶりだな」

 

 椅子から立ち上がりパタパタと近づいてくる蓮華嬢と机に広げた竹簡の内容を手元の竹簡に書き写しながらおざなりに声をかけてくる激。

 激の俺に対する対応がおざなりなのは蓮華嬢に添削を厳しくするように言い含めた事が原因かもしれないな。

 

「およそ三ヶ月ぶりになるが元気そうで安心したぞ」

「おじさまも隊のみんなもごぶじで何よりです!」

「ああ、ありがとう」

 

 明るい笑みに釣られて俺も笑いながら彼女の頭を撫でる。

 無言で、しかし嬉しそうにはにかむ蓮華嬢を見ていると元気が出てくるように感じるな。

 

「で、どうしたんだ、駆狼。お前、今日は休暇だろ?」

 

 嬉しそうにはにかむ彼女に和んでいると激が声をかけてきた。

 相変わらず視線は二つの竹簡を言ったりきたりしているが。

 

「昨日は軍務としての帰還報告しか出来なかったからな。休みを利用して蓮華嬢たちに会いに来たんだ」

「なるほどねぇ。相変わらずマメだな、お前」

「わざわざ会いにきてくださるなんて……ありがとうございます」

 

 恐縮した様子で蓮華嬢が頭を下げる。

 だが俺としてはそこまで感謝されるような事でもないと思っている。

 

 蓮華嬢は主君と仰いでいる人間の娘であるのだから帰還の挨拶にこちらから出向くのも当然の事だ。

 君主の命令で公の場以外での堅苦しい言葉遣いを禁じられてしまったのでいつも通りに話させてもらってはいるが、それでもその辺りの分別は付けるべきだろう。

 

 まぁそんな堅苦しい理由などなくとも子供の事を気にかけるのは俺や陽菜にとっては当然の事なんだが。

 

「さて取り込み中だったようだが出直した方がいいか?」

「ああ、それは大丈夫だ。もう一通り添削してもらったからよ」

「はい。後はげきがまちがえた字を直すだけです」

「それくらいなら自分の部屋で出来るからな。俺が部屋出るからお前は蓮華様に土産話を聞かせてやれよ」

 

 そう言うと激は机の上に広げていた竹簡を手早く畳むと手に持っていた物と併せて脇に抱えた。

 

「それじゃ俺はこれで。毎度毎度、すみませんね。蓮華様。俺の仕事手伝わせちまって」

「ううん。気にしないで。あとげきはどんどん字うまくなってきてるよ。まちがいだってへってるもの」

「うっす、ありがとうございます。そんじゃ駆狼、蓮華様は任せた」

「ああ。お前はしっかり仕事に励め」

「あいよ〜〜」

 

 空いた手をひらひらと振りながら激は部屋を出ていった。

 俺たちは顔を見合わせて笑いあうと円形の机を挟んで椅子に座る。

 

「さて……遠征の土産話を用意したんだが良ければ聞いてくれるか?」

「はい! お願いします!!」

 

 小お嬢に勝るとも劣らぬ輝く笑顔を見つめながら俺は遠征での出来事を語り始めた。

 と、このまま話が終われば良かったのだが。

 

「……」

「……」

 

 今、俺を挟んで蓮華嬢と文若が睨み合っている。

 二人とも俺の腕を握りしめ絶対に離さないと言わんばかりに相手を無言で睨み付けていた。

 

「なぁ、二人とも?」

「なんですか、おじさま?」

「とうりんさま、なんですか?」

 

 それまで睨み合っていたのが嘘のような笑顔を向けてくる。

 

「……」

「……」

 

 だが双方、声が被った事が気に入らないのかまた睨み合いに戻ってしまった。

 

「……恨むぞ、ご老体」

 

文若と蓮華嬢を引き合わせ、二人の間の雰囲気が怪しくなると同時に逃げていった老婆の顔を思い浮かべ両腕を拘束する二人の少女に聞こえないように毒づいた。

 



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第二十七話

「ほらほら、駆狼。こっちこっち!」

「ああ、わかったから引っ張らないでくれ」

 

 俺の腕を引っ張る雪蓮嬢に苦笑いしながら街を歩く。

 

 

 蓮華嬢と文若の俺を挟んだ睨み合いは、何の前触れもなく現れた乱入者の登場であっけなく終わった。

 乱入者と言うのは今、俺を引っ張り回している雪蓮嬢ではなくその親である蘭雪様と陽菜の孫姉妹だ。

 

 ノックしてから部屋に入るまでにまったく間を作らず。

 目の前に飛び込んできた俺が二人の少女に挟まれているというよくわからない状況をじっくり五秒ほど観察すると。

 姉妹間で意味深なアイコンタクトを一瞬で済ませて行動を開始した。

 

「よし、蓮華。今日は母さんと飯に行くぞ!」

「へっ!? 母様っ!?」

「文若ちゃんも一緒に行きましょう。建業のおいしいお店を教えてあげるわ」

「えっ? あ、あの……」

 

 驚きと困惑の入り交じった表情を浮かべる二人を軽々と自分の腕に抱き上げる孫姉妹。

 

 人に対して拒絶反応を起こすはずの文若だが、陽菜に抱かれても取り乱しはしなかった。

 人に触れられた事への怯えや恐れよりも事態の急転に戸惑う気持ちの方が大きいんだろう。

 陽菜が彼女の状態は把握しているのも大きい。

 可能な限り体の力を抜いて意識を穏やかに保った状態で文若に触れている。

 優しく包み込むように抱きしめているお陰で彼女が怯える事を避けているのだ。

 俺たちに慣れていた事も良い方向に作用しているだろう。

 

 少女たちを抱き上げてなにやらご満悦な二人であったが、この急展開にすっかり取り残されてしまった俺の事を無視するつもりはなかったらしく戸の前で俺に向き直った。

 

「駆狼。お前は雪蓮を連れて私たちを追いかけて来い。いつもの店と言えばあの子が知っている」

「あんまり遅いとお昼ご飯無しって伝言もお願いね?」

「は、はぁ……わかりました」

 

 生返事を返す俺に満足げに頷くと二人は子供たちを抱き上げたまま部屋を出ていく。

 

「あの子、また辺りを散策しているみたいだから捜すのは大変かもしれないけど」

「あれは散策だなんて綺麗なもんじゃない。ただの放浪癖だろう。まぁとにかく雪蓮の捜索、頼んだぞ」

 

 去り際に厄介事を押しつけて。

 

 

 いや蓮華嬢と文若の諍いを止めてくれたのだからこの厄介事はその代価だ。

 そう思えば文句を言うのは筋違いだろう。

 

 それから俺は気を取り直して二人に言われた通り、雪蓮嬢を捜しに出たのだが。

 彼女を見つけるのは大変だった。

 

 なにせ猫のように気まぐれで奔放なのだ。

 城壁に登っているのを見たと聞いて行けば、今度は城の中庭で昼寝をしていたと聞く。

 振り回されると言うのは正しくあの時の俺の事を言うんだろう。

 

 俺が捜している事を知っていて逃げ回っているのではと思えるほど彼女はあちらこちらとふらふら歩き回っていた。

 

 最終的に調練場で祭や塁と一緒にいる所を捕まえる事が出来た。

 頼まれた時間から既に一刻が経過した後だったが、まるで計ったかのように昼飯時の時間になっていた。

 

 ここまでの流れを狙ってやっているのだとしたら恐ろしい姉妹である。

 

「ほら! そこだよ、駆狼」

 

 雪蓮嬢に声をかけられ現実に意識を戻す。

 俺の手を掴んで歩く彼女は人気の少ない静かな路地の端の店を指さして楽しそうに笑った。

 

「ほう、この路地に食事処があったのか」

「このお店は建業に母様が来る前からずっとやってたんだって!」

「老舗と言う事か」

 

 なら味も期待できるな。

 まぁ蘭雪様たちの行きつけの店と言う話だし、外れと言う事もないだろう。

 値段と相談になるだろうが良さそうなら今度は宋謙殿や賀斉、蒋欽ら部下たちを連れてきてみるのもいいかもしれない。

 

「雪蓮嬢を捕まえるのに余計な時間がかかったからな。蘭雪様たちも待ちくたびれているだろうし、早く入ろう」

「ぶ~、いじわる言わないでよ~~」

「ならばまず勉強から逃げないでくれ。やるべき事をやってくれれば俺も文句なんて言わないで済むんだからな」

「え~~」

 

 不満顔で頬を膨らませる彼女の懲りていない様子にため息をつきながら俺は目前に迫った店の戸を開けた。

 

「邪魔をする」

「いらっしゃいませ……」

 

 戸がない住宅や店などが多いこの時代でさらに珍しい引き戸を開ける。

 同時にかかる、店内に良く通るが低い来店を歓迎する声。

 声の出所は店の奥、番台のようになっている場所に座っている老人のようだ。

 

「先客がいるはずなんだが……」

「お客様のお名前は?」

 

 奥まった場所にある小粋な料理屋の店番とは思えない堂々とした態度と鋭い視線に俺は思わず気を引き締めた。

 しかし敵意や殺気は感じられない。

 恐らく常日頃からこの人物はこういう態度なのだろう。

 隣の雪蓮嬢が老人の方を見てにこにこと笑っている事からも推察出来る。

 

「俺は凌刀厘と言う。こちらは……」

「孫伯符だよ。おじいちゃん、ひさしぶり!」

「お久しぶりですな、伯符様。文台様方は奥の間に上がられておりますのでどうぞ」

「うん、ありがと!」

 

 雪蓮嬢は繋いでいた手を離すとパタパタと駆け足で番台の横通り過ぎて店の奥に向かっていく。

 その様子を目で追いながら俺も後を追うべく店の中を歩き出した。

 しかし番台を通り過ぎると言う所で老人が声をかけてきたので足を止める。

 

「貴殿が近頃、噂になっている武官様ですな。お会いできて光栄です」

 

 老人は枯れ木のような細い体を流れるように動かし、俺に深く頭を下げた。

 

「俺は蘭雪様に見込まれて城に仕えさせていただいている成り上がり者です。さらに言えば俺の立場は兵卒よりも上である程度。伯符様はともかく俺に敬語は必要ありません」

 

 領主の娘である雪蓮嬢に対してならいざ知らず、仕事ではない時の俺にこんな丁寧な姿勢で応対する必要はないだろう。

 

「あまりご謙遜なさりませんよう。貴殿は呉の民の平和の為に尽くされております。既に貴方は建業では知らぬ者などいないほどに有能な将。君主を得てわずか三ヶ月の間にこれほどの成果を挙げられる方など建業ではとんとお聞きしません。過分に胸を張るのは良くありませんが、しかしご自分を必要以上に低く見せる事が良い事とも限りません」

 

 それは自身の体験を踏まえたような酷く実感の篭もった言葉だった。

 じっと見つめる鋭い視線には俺を咎め、諫め、諭す真摯な意志が篭められている。

 やはりこの老人、只者ではない。

 

「……ご忠告、ありがたく心に留めておきます」

「いいえ。こちらこそ、ただの飲食店の店主が過ぎたお言葉を言いました。ご無礼の罰はいかようにも」

 

 俺が頭を下げると合わせて老人は番台を降り、あろう事か地面に平伏した。

 まるでこれが俺が認識するべき将としての立場であり、民との違いなのだと伝えようとするように。

 

「貴方の言葉は俺を想っての忠告です。それを無礼と切って罰する事など出来ません。顔を上げてください」

「……心の広いお方ですな」

 

 ゆっくりと頭を上げ、番台へ座り直す老人。

 

「礼には礼を、と心がけているだけです」

「ふふふ、左様でございますか」

 

 老人は先ほどまでの刺すような雰囲気を解き、ほんの僅かに表情を緩めると雪蓮嬢が消えていった奥へ視線を向ける。

 

「奥へどうぞ。皆様がお待ちです」

「建業の大守が常連になるほどの味、楽しみにさせていただきます」

「もったいないお言葉です」

 

 俺は頭を下げ、彼の横を通り過ぎて奥へと向かった。

 

 

 

 ぐつぐつと出汁が沸騰する音。

 具材が沸騰した鍋。

 沸騰する出汁に揺らされる様子が食欲をそそる。

 

 そしてそれを黙ってじっと見つめている五対の瞳。

 俺よりも先に店に入っていた面々なのだが、俺が入ってきた事にも気づかず鍋に集中していた。

 

 しかし驚いた。

 まさか屋内で鍋料理とは。

 

 野営する時の大人数用に大鍋を囲って食事をする事はあるが、それは周りに火が燃え移る心配がなく野ざらしの屋外なら鍋をかけた火の熱や煙が篭もる事もないからだ。

 

 前世のように換気扇などの空調設備などがない以上、密閉状態の室内でやるには難がある。

 今の時代なら厨房以外で火を扱うのはせいぜい鍛冶屋くらいな物ではないだろうか。

 だと言うのにこの店はそれを行っている。

 

 しかもだ。

 部屋の温度は少々高く感じられるが十分に許容できる範囲。

 火をかけている鍋は部屋の中央に造られた釜戸の上にあるが、これは随分としっかりとした造りの物だ。

 店を出してから配置したと言うよりも最初からこの場所で造られていたような印象を受ける。

 さらに煙を外に出す為なのだろう釜戸の裏から鉄製の筒が部屋の天井にまで伸び、排煙機能も完備されていた。

 

「こんなに設備が整った店があるとは」

 

 やはりこの時代はどこかおかしい。

 まぁこの店の場合、店主と蘭雪様たちが古い仲のようなのでその付き合いの間に陽菜が入れ知恵した可能性もあるが。

 

「まぁ今はどうでもいいか。それよりも……」

 

 この今にも鍋に飛びかかりそうな連中をどうにかしなければいけないな。

 俺はため息をつきながらこの妙に緊張した空気を破壊する為に右手を振り上げた。

 

 

 

「っ~~。普通、主の頭に拳骨をするかぁ!?」

「なんで私まで!? 姉さんだけでも良かったでしょ、駆狼!」

 

 子供と同じ視線で鍋を見つめていた保護者二人が頭をさすりながら文句を言ってくる。

 

「子供を窘める立場の人間が一緒になってはしゃいでいるのが悪いと思いますが」

 

 文句を言う大人に苦言を言いながら、良い具合に煮えた具材を栄養バランスを考えて椀によそう。

 

「ほら、蓮華嬢。熱いから気をつけてな」

「はい!」

 

 小さな両手で包み込むように椀を受け取る。

 箸で掴んだ野菜を自分の息で冷ます様子を後目に次の椀に具材をよそっていく。

 

「文若、慌てずにな」

「ありがとうございます!」

「雪蓮嬢、しっかり食べろ」

「ありがと、駆狼!」

 

 子供たちに椀を渡し終えた所でまだぶつぶつ文句を言っている大人二人を見つめる。

 そして見せつけるように椀に肉多めでよそい、差し出すように二人の前に突き出す。

 

「いらないんですか?」

「食べるに決まってるだろう!」

 

 飢えた獣のような素早い動きで椀をかっさらっていく蘭雪様。

 今の姿を美命に見られていたら間違いなくお小言をもらっていただろう。

 『平時でも主としての威厳を持て』だとかそういう事を言われていたはずだからな。

 

「やれやれ……」

「駆狼、私の分もお願いね?」

「わかっているさ。野菜多めに、だろう?」

「ふふっ! よろしく」

 

 肉よりも野菜が好きだった前世の味覚は今世でも健在か。

 俺も味の好みは前と変わっていなかったから、たぶん大丈夫だとは思っていたが気を利かせて問題なかったようだ。

 自分の分をよそいながら昔と変わらない事がある事になんとなくほっとする。

 

「……お前等はこんな所でも見せつけてくれるのか。鍋よりもお前等の熱で熱くなって周りが困ってしまうだろう」

 

 わざとらしく手で自分の顔をパタパタと仰ぐ蘭雪様。

 

 やれやれ。

 また俺たちをからかうつもりか。

 

 俺と陽菜の仲を認めた途端、我らが主君は何かにつけて俺たちをからかうようになった。

 帰還した昨日もそうだったし、今朝も俺たちの様子を見るや否やなにがあったかを察して玩具を見つけた子供のようにはしゃぎながらせっついてきたが。

 どうやらまだまだ飽きていないようだ。

 

 俺と陽菜に関して言えばからかわれて照れるような初々しさは、とうの昔に卒業してしまっているのだから黙って流してくれれば良いものを。

 よりにもよって子供たちの前で露骨にからかってくるとは。

 この年頃の子と言うのは好奇心の塊ですぐに真似をするのだから、せめてこのような席ではやめてほしいものだ。

 

 この場に居合わせてしまった子供たちを様子を窺う。

 

 雪蓮嬢はワクワクした様子で俺たちを見ていた。

 蓮華嬢は食事に集中して俺たちの事を気にしていない風を装いながらチラチラとこちらに視線を送ってくる。

 文若は俺たちの会話の内容が飲み込めていないらしく首を傾げながら俺を見つめていた。

 

 ……どうやら既に二人に悪影響が出ているようだ。

 早急に場を納めなければならない。

 子供たちの健やかな成長のために、な。

 

「蘭雪様、お代わりはいりませんね?」

 

 空になった自分の椀を見つめて苦々しい表情を浮かべる蘭雪様。

 俺が何を言いたいのかを察したのだろう。

 

「……お前、からかいをさらっと流した上に胃袋押さえてくるなんて鬼か?」

「子供たちに悪影響を及ぼす言動をする主に容赦するつもりはありません。それで、どうされます? お代わりされますか?」

 

 椀を持つ手とは逆の手で自分の髪をがりがりと掻く彼女に畳みかけの言葉をかける。

 すると蘭雪様はしばし沈黙すると敗北を認めるようにため息をついた。

 

「わかった、わかったよ。今回は私の負けだ」

 

 がっくり頭を垂れながら、それでもしっかりとした手つきで椀を差し出す辺り懲りていない事がよくわかる。

 また次の機会に何か言われるだろう事がわかっているのでここでは少々、追い打ちをかけさせてもらうとしよう。

 

「おや、何か勝負などしていましたか? 俺には覚えがないのですが」

「ぬぅ……自分の君主を相手にならんと言い切るとは。駆狼、性格が悪くなってないか?」

「つい先日、義姉と呼ぶ事を許されましたのでね。家族に遠慮は不要でしょう?」

「ぶはっ!?」

 

 俺の切り返しが予想外だったのか蘭雪様は口に入れていた野菜を噴出した。

 食事をしながら話を聞いていた陽菜や雪蓮嬢たちも驚きで手を止め俺を見つめている。

 

「今後は主従としてと同時に義理の姉弟として改めてよろしくお願いしますよ。義姉上(あねうえ)」

「お前、こんな場所でそんな重要な宣誓をするのか? しかもそんな場ですら直前まで平気で義姉をこき下ろしているし。まったく……こんな非道な弟が出来るなんて今日は人生で五指に入る酷い日だな」

 

 ため息と共に大げさに肩を落としてうなだれた。

 だがその手にはしっかりと椀が握りしめられているので実の所そこまで落ち込んでいるわけでも、本気で今の言葉を言っているわけでもない。

 

「俺の性格については諦めてください。陽菜が見限らない限り、そして貴方が『最初の誓い』を破らない限り、俺がこの場所から離れる事はありませんから」

 

 最初の誓いと言う言葉が何を指すのかを察したのだろう蘭雪様は真面目な表情で俺を見つめた。

 

「それをここで出すと言う事は、今のは嘘偽りのない言葉と言う事だろうが……いくらなんでもひねくれ過ぎだろう、駆狼」

「そんなに褒めても何も出ませんが?」

「微塵も褒めていないんだがな?」

 

 してやったりと俺が笑うと釣られるように蘭雪様も笑みを浮かべた。

 

「安心して、駆狼。たとえ誰が貴方から離れても私は貴方から離れないわ。むしろ離さないわよ?」

 

 俺たちの会話を黙々と食事しながら聞いていた陽菜が口を挟む。

 

「ありがとう」

「どういたしまして」

 

 いつも通りの雰囲気で、生涯を共にすると言う重大な誓いをする。

 先ほどの俺と同じ事をする陽菜に笑みを深めながら礼を言った。

 

「お前等、結局お熱いんじゃないか」

 

 もはやからかう気も起こらないらしくただただ呆れる蘭雪様を見て俺と陽菜はもう一度、笑いあった。

 

 

 

 それから食事はおよそ三十分ほど続いた。

 文若と蓮華嬢が積極的に会話をしていたのが印象に残っている。

 あれほど仲が悪かったように見えた二人だったから余計にだろう。

 俺と蘭雪様のやり取りを見て何か感じ取ったのかもしれない。

 

 なにやら陽菜と蘭雪様が微笑ましそうに彼女たちの会話に口を挟んでいたのも気になる所だ。

 

 

 俺はと言えば彼女らの談笑には入らず雪蓮嬢と話をしていた。

 文若と蓮華嬢は俺が間に入ると何故かお互いを牽制し合うようになるので、下手に手を出して今の雰囲気を壊したくなかったのだ。

 

 雪蓮嬢との話は大半が俺が遠征していた頃の建業の話だ。

 

 遠征が始まってから三日ほど、俺の置き土産のせいで祭と陽菜が使い物にならなかっただとか。

 塁が観世流仁瑠を振り回して訓練場の地面や壁を穴だらけにして美命の怒りを買い、武器を一ヶ月間倉庫預かりにされた上に罰として禁酒を言い渡されただとか。

 武官と言うよりも文官になりつつある慎と深冬の仲が良くなって最近ではいつも一緒にいるようになっただとか。

 文官修行中の激は文官連中に毎日しごかれ、蓮華嬢には文字の間違いを突っ込まれ、涙目にならない日はなかったのだとか。

 

 こうして聞いていくと激の不憫さが際だっているな。

 まぁ自分を磨く為の必要経費だと思えば安い物だろう。

 何に置いてもそうだが強くなる事に楽な道やまして近道などないのだからな。

 

 しかし慎と深冬は性格的に相性が良いとは思っていたが、俺がいない間にそこまで進展していたんだな。

 弟分に春が来て俺としてもとても嬉しい。

 

 塁はもう自業自得としか言えないな。

 自警団をやっていた頃からあれほど訓練であの馬鹿でかい大鎚を考え無しに振るうなと怒鳴ったと言うのに。

 

 祭や陽菜については俺の責任だが、まさか三日も引きずるとは思わなかった。

 色々と振り回された事への軽い意趣返しのつもりだったんだが今後は自重しよう。

 

 

「あとさいきん冥琳があそんでくれないの。いっつも本読んでばっかりで」

 

 そして話の内容はいつの間にか冥琳嬢に対する愚痴に変化していた。

 冥琳嬢への不満をぶつけるように鍋をがっつく。

 

 その様子はなんとも微笑ましいのだが、内容がまるで仕事が忙しくて構ってもらえない夫に不満を持つ妻のようで年齢とのギャップがひどかった。

 

「聞いてる!? 駆狼! 冥琳ったら忙しい忙しいってそればっかりで……」

「ああ、聞いているから安心して話していい」

 

 まぁなんだ。

 こうして文句は言っているが冥琳嬢が何を考えているかなんてこの子もわかっているんだろう。

 だから書庫に篭もる彼女を無理矢理外に連れ出したりはしないのだ。

 

 だが理解しているから不満がないと言うことではない。

 物事が上手くいかない歯がゆさや悔しさは心の底に溜まっていく。

 それはいつか最悪の形で爆発するかもしれない危険な燃料にも成り得る。

 

 だからこういう場で発散させなければならない。

 この程度のガス抜きなら幾らでも付き合うし、こういうのも年長者の役目だろう。

 

「それでね、もぐもぐ……冥琳ってばね! おかわり!!」

「あんまり食べると太るぞ?」

「いいの! 育ちざかりだから!! もっとお肉入れて!!」

「はいはい」

 

 いつの間にか愚痴よりも食べる事に集中し始めた雪蓮嬢。

 どうやら適度に不満を発散させる事が出来たらしい。

 

 明日には、いやもしかしたらこの後すぐにでも冥琳嬢に声をかけに行くんだろう。

 冥琳嬢が俺が今朝言った事をしっかり理解していれば、かなり高い確率で雪蓮嬢の誘いを受けると思うがな。

 

 俺たちの昼食はこうして騒がしくも楽しい物になり、恐らくそれぞれにとって為になる物となって終わった。

 

 

 さて午後はまず豪人殿の奥さんに挨拶に行くとしよう。

 彼が駐屯する判断を下したのは俺なのだ。

 俺の口から説明をしなければなるまい。

 

 俺は陽菜たちよりも一足先に鍋料理亭『虹』を後にし今後の予定を思案しながら街を歩きだした。

 



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番外之一_祖茂

 刀にぃたち遠征部隊の半分が帰還してから既に一週間が過ぎていた。

 三日間の休みを終えた刀にぃは遠征で得た知識を武将に伝えて回り、その後は遠征前と同様の部隊の調練に励んでいる。

 

 遠征での経験が良い刺激になったみたいで、ただの調練であるにも関わらず部隊の人たちの士気はすごく高い。

 毎朝、太陽が真上に上がるまで行っている走り込みの時の声出しは部屋で書類を書いていても聞こえるほどだし、組手は実戦さながらの気迫で見ていて圧倒されるほどだ。

 

 そしてそんな人たちを一手に引き受けて時に叱咤し、時に激励する刀にぃの姿が僕にはとてつもなく大きく見えた。

 

 追いつくべき背中との距離が遠のいたように思えるほど。

 置いていかれそうなくらい遠くに感じてしまった。

 

「……いや、そんな事ない」

 

 くじけそうになる心を励ます為に声を出す。

 

 そうだ。

 刀にぃが凄い事なんて分かり切っていた事だ。

 昔からそうだったんだから。

 だから頼り切りになって、甘えて、そしてその事を一度こっぴどく怒られたんだ。

 

 その時、決めたはずだ。

 刀にぃに頼るんじゃない。

 頼られる男になるって。

 差が開いたくらいで諦めるくらいの気持ちなら、とっくの昔に諦めてる。

 その差を無くす為に毎日政務で忙しくても時間を作って、双剣での戦い方を磨く修練を欠かさなかったんだ。

 

「今日は……もう政務はなかったはず」

 

 何か緊急で対応しなきゃいけない事項が出てこなければ、今日はもう自由にしていいと美命様には言われていた。

 突然、仕事がなくなってしまったから何をしようかと考えていたけど。

 

 ふと今の自分がどこまでいけるのか試したいと思った。

 両腰に一本ずつ帯びた剣。

 昔から愛用しているそれらの柄を握り締める。

 馴染んだ感触に安心感を覚えながら、指示を出している刀にぃを見つめる。

 

「でも……さすがに調練中に割って入るのはまずいよねぇ」

 

 これからやろうとしている事は僕の個人的な都合から来る物だから、真剣に調練を行っている人たちの邪魔をするわけにはいかない。

 

 仕事が終わるまで待とうと思った所でふと調練の指示を出していた刀にぃと目が合った。

 

 僕が目を見開いて驚くと刀にぃはほんの僅かだけ口元を緩めて手招きをする。

 僕は一も二もなく刀にぃの元に走った。

 

 あの目はこう言っていた。

 試合おう、と。

 

 高揚感が全身を巡っていく。

 今の自分がどこまで近づいているのか。

 あの遠いと思った背中にどこまで追いすがれるのか。

 

 それがはっきりわかる絶好の機会。

 激や塁、祭さんには悪いと思ったけどこんな機会を逃すつもりはなかった。

 

 調練場に辿り着くと既に調練は終わり部隊の皆はばらばらに陣取って柔軟運動を始めていた。

 

 そんな中で刀にぃは俺の姿を見つめ、拳を握りしめたままだ。

 

「準備運動は……いらないか?」

「……はい!」

 

 それが合図だった。

 

 まるで虎が獲物目がけて駆け寄るように身体を前に伏せ、前傾姿勢のまま一足飛びで僕の間合いを侵略する刀にぃ。

 僕は左腰の剣の柄を右手で掴み、引き抜くと同時に水平に振るう。

 

 刀にぃは剣が届く一寸前の位置で立ち止まってすぐさま飛び退き、僕の間合いから逃れていった。

 

 逃がさないように追いすがろうと一歩前に踏み込む。

 同時に風を切る僅かな音がして、僕は駆けだそうと前のめりになった身体を無理やり後退させた。

 

 まるで蟷螂(かまきり)の腕のように鋭い何かが眼前を通り過ぎる。

 それが回し蹴りだと気付いたのは無防備な背中を晒しながら右足を軸にその場で回転している刀にぃの姿を見てからだ。

 

「相変わらず蹴りの出が速いね。当たったら首が飛んでたよ、刀にぃ!」

「避けておいて良く言う」

 

 僕が追撃するよりも遥かに早く正面に身体を戻し、僕を見据える。

 

 左足と直線上になるように右足を前に出し、右手の平をまるで剣のように地面に対して垂直にしっかり伸ばし、左手は腰に添える。

 攻撃と防御、どちらも素早くこなせる刀にぃの攻防一体の構えだ。

 

「まさか今ので終わりじゃないだろう?」

「勿論!」

 

 両手に剣を持ち、右を垂直に左を水平に十文字になるように重ねて構える。

 

「ふっ!」

 

 一歩踏み込み、左手に構えていた剣を横一文字に薙ぐ。

 摺り足と言う独特の歩法で無駄なく、ほんの少しだけ後ろに下がる事で僕の攻撃はかわされる。

 

「はぁっ!」

 

 右手の剣を縦に振り下ろすがこれも後ろに下がってかわされてしまう。

 だけど、まだだ!

 

「せっ!」

「むっ!?」

 

 振り下ろした剣を途中で止め、手首を返すようにして突きを放つ。

 さすがにこの距離での突きを避ける事は出来ないようで、刀にぃは構えていた右手の手甲を盾になるように突き出した。

 

 響き渡る金属同士が擦れ合い、弾き合う甲高い音。

 

 でも勢いよく突きを繰り出して当たったっはずなのに。

 

 手応えがほとんどない!?

 

「えっ!?」

 

 むしろ突きを繰り出すために踏み込んだ分、前につんのめって行く。

 まるで刀にぃに引き寄せられているみたいだっ!?

 

 

 この現象が切っ先と手甲がぶつかり合う瞬間にぶつかり合った右手を引き戻す事で突きの衝撃を受け流した結果なのだと言う事を教えてもらったのはこの試合が終わった後の事。

 

 

 あまりの抵抗の少なさで伸び切ってしまった僕の右腕とそれに引きずられるように前のめりになる身体。

 刀にぃにすれば、絶好の勝機。

 

「おおおおっ!」

 

 防御に使った右半身を刀にぃは思い切り後ろに捻る。

 強力な一撃を放つ準備。

 

 けど。

 

「その隙は逃さない!」

 

 左手の剣を横一文字に薙ぎ払う。

 

「甘い」

 

 けどその一撃は刀にぃの左拳とぶつかって止められてしまった。

 

 右上半を捻った勢いで反対に前に出る左上半身から繰り出される左拳。

 振りかぶるより威力は落ちるけれど、僕も咄嗟に左の薙ぎ払いを仕掛けたから威力は五分。

 

「うっわ!?」

 

 でもしっかりとした姿勢で拳を放った刀にぃと無理な体勢で咄嗟に斬りつけた僕とでは一撃の重みに差が出てしまった。

 左手の剣がぶつかりあった衝撃で手から離れる。

 

「しっ!」

 

 一瞬、手の痛みと吹き飛ばされた剣に意識が向いた瞬間。

 背筋に寒気が走った。

 

「がっ!?」

 

 僕の腰にとてつもない衝撃を伴った一撃が突き刺さった。

 

 宙に浮かぶ奇妙な感覚。

 回る視界。

 

 蹴り飛ばされたのだとどこか他人事のように冷静に認識し、僕は地面に叩きつけられた。

 

「ここまで、か?」

 

 身体に奔る衝撃で悲鳴も苦悶も上げられない僕を見下ろしながら刀にぃが告げる。

 

「ま、だ……まだ」

 

 本当に一瞬。

 刀にぃの蹴りが僕に当たる刹那の時。

 衝撃に逆らう為に踏ん張るんじゃなくて、衝撃に逆らわないように後ろに跳ぼうとしたお蔭で僕はまだ戦う事が出来た。

 

 戦闘なら上を取られて隙を晒した時点で僕の負けだ。

 

 だけどこれは試合。

 自分と相手の力量を確かめ合う場。

 

 僕が刀にぃとどれだけ実力の距離を詰められたかを計ろうとしているように。

 刀にぃもまた僕の実力の全てを計ろうとしているんだ。

 

 この程度の事で負けを認めて、『こんなものか』だなんて思われたくない。

 いつまでも届かない背中に手を伸ばし続けるわけにはいかない。

 

 さっき感じた遠のいていく背中がただの錯覚だったんだと証明する為に。

 

 僕にも、意地があるんだから!!!

 

 ふらつく足、揺れる視界を無視して立ち上がる。

 刀にぃは明らかに隙だらけの僕を攻撃しないでおよそ十歩分くらいの距離を取って立っていた。

 

「さっき大げさなくらい右半身を捻ったのはそっちに意識を向ける為の罠だったんだね?」

 

 一本だけになった剣を両手でしっかり握る。

 昔、刀にぃが教えてくれた正眼の構えを取る。

 

 いつも万全の状態で戦えるとは限らないから、その備えとして剣一本でも戦えるように修練してきた。

 万が一に備えて無手でも自分の身が守れるくらいには戦える。

 無手に関しては刀にぃは勿論、祭さんや激、塁の誰にも勝てないけれど。

 

「そうだ。強力な一撃の準備を行っているという素振りをすれば反射的に身体が警戒する。激しく動いていれば動いているほど一瞬の判断は直感頼りになるから尚更だ。そして反射的に警戒したその一瞬の間だけ、警戒した事柄以外の事は置き去りになる」

 

 淡々と語る刀にぃの目は普段、見せている面倒見の良い僕らの兄貴分としての物ではない。

 目の前の敵と言う名の獲物を確実に仕留めるべく機を窺う、真名の通りの狼のようだ。

 

「その瞬間に次の手を講じる。先のやり取りの場合は左半身を使った拳、そしてその拳を振りぬく勢いすらも利用した蹴り」

「全部が囮で全部が本命。……ちなみにだけど、もし僕が蹴りを止めるか避けるか出来ていたらどうしていたの?」

 

 興味本位で聞いてみる。

 あの攻防の先をどこまで考えていたのかを。

 

「止められていたなら逆の足で足払いし倒れた所に関節技、避けられていたなら蹴りの軌道をむりやり変えて爪先を鳩尾に叩きこんで吹き飛ばしていたな。あの一瞬で考えていたのはこの二手だけだ」

「……二手『だけ』? 二手『も』の間違いでしょ?」

 

 あの状況、ほんの少しの間に二手も考えておいてそれで満足していないなんて。

 思わず呆れてしまった。

 

 でも……そうか。

 そういう事を念頭に置いて戦わないといけないんだ。

 相手との実力が伯仲していればしているほど、一手一手に『意味』を持たせないといけない。

 刀にぃは僕にそれを教えてくれている。

 この試合で僕にそれを叩きこもうとしている。

 僕ならば出来ると信じてくれている。

 

「……理解したようだな?」

 

 僕の心を読んだみたいに刀にぃは満足そうに笑いながら言う。

 その顔を見て気付いた。

 

 刀にぃにとってこの試合は力を確認すると同時に僕への指南でもあったんだ。

 

「やっぱり凄いな。刀にぃは……」

「安心しろ。俺の意図をこの程度のやり取りで察する事が出来るお前も十分凄い」

「でもやっぱり悔しいな。まだまだ刀にぃの方が強いってわかっちゃったし」

「簡単に追いつかれるような努力はしていないからな。だが……」

 

 刀にぃは両足で地面を踏みしめ、腰を落とした。

 

「お前に教えられる事はこれで最後だ」

「えっ?」

 

 突然の言葉で僕は試合中である事も忘れて間抜けな声を上げた。

 

 刀にぃは僕が茫然としている間に攻撃の態勢に入っていった。

 右拳を握りしめて腰の位置まで下げ、左半身を前に出し左手を開いた状態で僕の前にかざして告げる。

 

「元々、剣については多少の心得と構え方しか俺に教えられる事はない。そして今、勝つ為に絶対に必要な『考えて戦う』という事も身体に叩き込んだ」

 

 まるで弓を引き絞るかのように全身を捻らせ、右拳を放つ姿勢を取りながら刀にぃはまた満足げに笑った。

 

「あとはお前が考えて『自分の戦い方』を作れ。そして俺と並び、いずれは追い越してみせろ」

「っ!?」

 

 僕は息を呑んだ。

 

 『越えられるその時を待っている』と。

 言外にそう言われたからだ。

 

 刀にぃが僕の事を『自分を越えられる可能性を持っている人間だ』とそこまで見込んでくれていた事に、僕はこの時になってようやく気付いた。

 

「長話はここまでだ。もうじき日も暮れる。次で終いにするぞ」

 

 構えたまま告げられる言葉。

 僕は高揚する気分と気を抜けば溢れそうになる涙を堪えながら大声で応えた。

 

「はい!」

 

 刀にぃにそこまで見込んでもらえていた事への喜びと、追い越すのにはまだまだ時間がかかりそうな自分への不甲斐無さとが頭の中を蹂躙する。

 今の僕に物事を深く考える事が出来ない。

 情けないと思う。

 

 でもだからこそ出来る事がある。

 

 両手でしっかりと剣を握り込み、上段に振りかぶる。

 この高揚感に従って、全力でただ一振り。

 

「小細工無しの真っ向勝負!!!」

 

 僕の言葉を合図に同時に駆け出す。

 十歩分あった距離は一瞬で詰められ、お互いの間合いへ。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」

「はぁあああああああああああああああああああああああああああッ!!!」

 

 一撃に全てを懸ける。

 今まで心に燻っていた煮え切れない気持ちも、嫉妬にも似た恥ずべき感情も、今この時に感じている喜びも。

 何もかもを込めて剣を振るう。

 

 剣の一撃が刀にぃの肩に食い込む。

 刀にぃの右拳が僕の腹を貫かんばかりに叩きこまれる。

 

 そして僕は。

 意識が吹き飛ぶほんの一瞬、遠かった背中と並んで笑っている自分の姿を見た気がした。

 

 

 

 

 これより後、祖茂は『敵の攻撃を防がない』独自の戦い方を編み出して戦場を駆ける事になる。

 敵の攻撃は避けるか、あるいは攻撃が当たるよりも早く己の一撃を叩きこむと言う一歩間違えれば捨て身のような戦法。

 攻撃を避けようとせずに敵を斬り伏せるその戦い方は確かに異質ではあったが、同時に孫呉の兵に不退転の意思を伝播させ士気を天井知らずに向上させたと言う。

 彼は生涯、この戦い方を変える事はなく。

 

 そして彼が戦場で死ぬ事はなかったと言われている。

 

 孫呉にて名を馳せた五人の忠臣の一人『祖茂大栄』。

 彼の本当の意味での飛躍の時は兄と慕った男と肩を並べたこの日から始まっていたのだ。

 



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第二十八話

荀彧の親である荀緄についてですがコンの漢字が携帯で見ると文字化けするようです。
本来は『糸』に『毘』なのですがこの作品では『昆』で統一させていただきます。



 出会いがあれば別れがある。

 

 望んだ出会いがあれば、望まない出会いがあるだろう。

 望んだ別れがあれば、望まない別れがあるだろう。

 

 生きていれば当たり前の事。

 一期一会を繰り返し、和を広げていくと言う事は生きているならばきっと切っても切り離せない事。

 

 かつての世で一度、自分の和を全て失った俺。

 陽菜との出会いをきっかけに広げられていった縁と言う名のかけがえのない物。

 今の俺にとってそれは忘れられない大切な物だ。

 

 

 そして今世で祭や慎たち、二人の華陀や建業の皆と作り上げていった和も。

 かつての和と比較する事の出来ないほどに大切な物だ。

 

 もちろん、その中には。

 お前との出会いや共に過ごしてきたこれまでの生活も含まれている。

 

 たとえ未来で敵対するとしても。

 殺し殺される関係になるのだとしても。

 

 俺はお前と出会った事を後悔する事はないだろう。

 

 だからそんな泣きそうな顔をするな、文若。

 いや……『桂花(けいふぁ)』。

 

 

 

「荀家の現当主から書簡が届いた」

 

 建業城の玉座の間。

 集まった武官文官たちの前で蘭雪様は手に持っている書簡を指し示しながら告げる。

 

 ついに来たかと俺は心中で呟く。

 

 以前、文若を引き取りたいと言う書簡が届いたのを切っ掛けに俺達は遠征を中断して帰還した。

 

 しかしその後、彼らから前言を撤回する書簡が届いた。

 内容は『彼女が落ち着くまではそちらに置いておいてやってほしい』と言う物。

 

 あちらでどのような方針変更があったかは想像するしかないが、しかしこれは文若にとっては都合の良い事だった。

 未だ彼女の『人間不信』は根強く残っているのだ。

 実の家族相手ならいざ知らず正直な所、あちらにいる大多数の人間には拒否反応を示すと簡単に予想がつく。

 少しずつ慣らしていく意味でも俺達の傍にいた方が都合が良かった。

 

 荀家の方針に逆らうのも蘭雪様の立場を考えれば良くない事。

 だからこの提案は彼女の事を慮れば正に渡りに船と言えた。

 

 しかし落ち着くまでの期限はあちらに一任していた。

 何を持って頃合いと判断したかは不明だが、俺たちに預けておく必要がなくなったと判断したのだろう。

 

「文若を迎えに彼女の母親が来るそうだ」

「母親……と言うと確か荀昆と言う名でしたかな?」

 

 こちらに来てから文若の世話役をしていた老婆が主に問う。

 

「ああ、その通りだ。この書簡とは別にそいつが書いたらしい感謝状が届いている。成り上がりの私たちに随分と丁寧な文言だったな」

 

 蘭雪様の目配せを受けて美命が持っていた書簡を老婆に差し出す。

 恐らくそれが文若の母親からの物なのだろう。

 一礼して受け取った老婆は素早く目を通すと「確かに」と呟き、隣の文官に書簡を回した。

 

 普通なら君主が話している場面で他の事を並行して実施するのは不敬に当たる行為だろう。

 しかしそこは礼儀など最低限で済ませてしまう蘭雪様だ。

 それが必要な事であれば、特に咎められる事はない。

 

「荀家からは迎えを送るのに関連して呉の領地に入る為の許可と護衛を派遣してほしいと要請があった」

 

 美命の言葉を聞いていると書簡が俺の手に回されてくる。

 俺は蘭雪様や美命たちの言葉に耳を傾けながら書簡に目を通し始めた。

 

 確かに娘を助けた事への感謝が丁寧な文面で記載されている。

 実際に助け出した俺とその部下への感謝が特に多いように見受けられた。

 直接、会ってお礼を言いたいとまで書かれているのには正直驚いたが果たしてこの文面を素直に受け取っていい物か。

 

 こちらは一領主に仕える武官、あちらは由緒ある歴史を持つ貴族。

 この時代の常識で考えればこの差は余りも大きい物のはずだ。

 見下すのが正しいとも思わない。

 しかしこれほどの感謝は過分だ。

 疑惑の目で書簡を読み直せば、その文面は些か大袈裟でわざとらしいとも取れる。

 杞憂であればいいとも思うのだが、そうも言っていられない。

 

「許可については当然、出すとして。護衛についてだが」

 

 読み終わった書簡を隣の祭に渡して蘭雪様に目を向ける。

 

 護衛か。

 順当に行くならば遠征経験のある俺になると思うが。

 相手が貴族である以上、慎重に事を運ぶ必要がある。

 それを含めての人選となると……貴族と接した事のある文官が必要だろう。

 

「……今回は美命と慎、激に行ってもらう。塁と祭、駆狼には二人が空いた穴埋めを任せる」

 

 なるほど。

 武官であると同時に文官としての心得も持っている慎と激なら確かに適任かもしれない。

 荀毘様との直接的なやり取りは美命に任せるのだろうが、生来の気性から人を立てるのが上手い慎と文官としての姿勢を身につけた激なら下手な事にはならないだろう。

 

「え、俺ぇ!?」

 

 本人は何故、自分が選ばれたかわかっていないようだが。

 意外と謙虚な激だから、貴族を相手にするのに自分で良いのかとかそんな事を考えているんだろうな。

 

「僕、ですか」

 

 慎の方は選ばれた事には驚いているが、落ち着いている。

 あの試合を経て、どことなく風格のような物を身に付けた慎はこの短期間で今まで以上に頼れる男に成長した。

 今までが頼りなかったわけでは断じてないが、それでも地に根を張った巨木のような落ち着きを感じさせる。

 

「ああ、お前たち二人なら護衛としての腕も申し分ないし、文官としてあちらさんを不快にさせる可能性も低いだろうからな。祭や塁だと実力は兎も角その辺りには不安が残る」

 

 美命のきっぱりとした物言いに塁と祭が面白くなさそうな表情をする。

 だが自分たちがそういう相手に対する礼儀に疎い事も理解しているのだろう。

 特に反論する事はなかった。

 

「駆狼はついこの間に遠征を行ったばかりだからな。あまり重要な仕事を一人に任せても他が育たないし、今回は外させてもらった」

 

 蘭雪様の言う通りだろう。

 俺ばかりが重要な仕事をしていては他が育たない。

 そして重要な仕事を一人が行っていてはいらん不満が募る可能性もある。

 

 なぜあいつばかりが重用されるのかと。

 

 そう言う不満が出ないようにと言う意味も含めて考えた結果が今回の仕事の割り振りなのだろう。

 

「納得しました。お役目、しっかりと果たして見せます」

「うへぇ~、今から緊張してきた。けど俺もやらせていただきますよ。任せてください」

 

 苦い顔で愚痴をこぼすのは一瞬。

 素早く意思を表明した慎に続き、真剣に応える激。

 

 なんだかんだで責任のある立場が板に付いてきているようだ。

 

「うむ。なら美命と慎、激は早速準備に入ってくれ。先方を待たせるわけにはいかんからな」

「御意」

「「御意です」」

 

 

 三人の応えが玉座の間に響く。

 そして三人はそのまま足早に広間を出ていった。

 

 それを見送りながら蘭雪様は話を続ける。

 

「さて三人が抜けた穴を埋める為の人員配置だが……」

 

 それから一刻ほど朝議が続き、俺たちはそれぞれの役割を果たすべく城中に散って行った。

 

 

 今回の荀毘来訪に際して俺達、建業側が気をつける事項は大きく分けて三つ。

 

 一つ目は彼らの機嫌を損ねぬように礼節を持った態度で応対する事。

 二つ目は荀毘他、文若を迎えに来る者たちの身の安全。

 三つ目は文若の身の安全。

 

 一つ目は正直、気をつける以上の対策が取れるわけではない。

 せいぜいそういう礼節に不勉強な連中を彼らから遠ざけるくらいの事しか出来ないだろう。

 これについては既に取りうる対策は取ったのでこれ以上、どうこうと言う話ではない。

 最も多く彼らと応対せねばならない蘭雪様、美命、陽菜の健闘を期待する他ないのだ。

 

 

 二つ目、三つ目の身の安全と言うのは山賊などの賊徒たちからと言う意味は勿論、建業の発展を妬んでいる、あるいは危険視している者たちから守ると言う意味合いも含まれている。

 

 建業は領主が交代してから目覚ましい発展を遂げてきた。

 それこそ周りの太守から見れば異常と取られかねない程に。

 

 出る杭は打たれると言う諺がある。

 今、まさに建業という場所は出る杭と言えるのだ。

 

 周辺諸侯は俺たちの成果の秘密を探ろうと密偵の類を派遣し、隙あらばと粗探しをさせている。

 城下までならともかく城内への侵入はさせていないが、それも俺達が認識している限りの範囲だ。

 恐ろしく腕の立つ者がいるのなら俺達に気付かせずに侵入する事も可能なのだろう。

 

 静かに、しかし確実に俺たちを陥れようとする策は見えない場所で蠢いているのだ。

 

 そして文若を保護してから策謀の影は加速度的に濃くなっている。

 貴族の娘を建業が保護したと言う話その物が彼らには面白くないのだろう。

 この事実を足がかりに荀家と友好関係を築き上げれば、今の地位よりもさらに上を目指す事も可能だからだ。

 

 こちらに地位向上を望むような野心が無いと伝えた所で意味がない。

 彼らは僅かでもある可能性を危険視しているのだから。

 

 そして厄介な事に。

 連中の中にはかなりの強硬派もいる。

 

 文若を殺す事で俺達の力量不足を触れまわり、弱体化あるいは建業自体の略奪を狙う者たち。

 そういう考えのやつらが差し向けてきたと思われる暗殺者の数は密偵の総数のおよそ三分の一と言った所か。

 

 その時々で標的は異なるが、もっとも多いのはやはり文若を狙ったものだ。

 他にも蘭雪様や陽菜と言う建業の旗印とも言うべき者を狙った物、美命などの力のある筆頭文官を狙った物もある。

 

 悉くを未遂で捕らえてきたが、全ての者は尋問をするよりも先に自ら舌を噛み千切って自害している。

 お蔭でどこからの差し金なのかが未だに確定出来ないでいる。

 

 候補として挙がるのは隣の領地である会稽(かいけい)、新都(しんと)、丹陽(たにゃん)、廣陵(こうりょう)、淮南(わいなん)の太守の一派だ。

 

 大陸でも異例の勢いで領地を発展させている事から他の州からも密偵の類が来ているらしいと言う事は美命から聞いている。

 だが強硬手段に出るほど危機感を持っているとすればそれは近くにいる者たちである可能性が高い。

 とはいえ、それも所詮は推測の域を出ない物だ。

 

 見せしめの意味も兼ねて徹底的な報復を行う事も議論されたが、どこからの刺客なのか確定出来ていない状況では報復した郡の民に余計な混乱を招くだけと言う結論で保留されている。

 

 

 まったくもって厄介な話だ。

 そして今回の荀家から文若を引き取りに来るという話。

 この話に置いて俺達は刺客から守る対象が増える事になる。

 今回の引き渡し(言い方が良くないが)を成功させれば、蘭雪様はより明確に荀家との接点を得る事になるだろう。

 蘭雪様自身はそれほど貴族との接点に固執している訳ではない(せいぜい無いよりもあった方が良いだろうという程度だ)がそれは他の諸侯にとって見逃せない事柄だ。

 

 同時に蘭雪様を陥れる絶好の機会でもある。

 

 もしも荀家からの迎え、あるいは文若を守れず死なせてしまったとする。

 貴族を守れなかったとして諸侯は周囲に吹聴し、俺達の落ち度を囃し立てるように広めるはずだ。

 荀家の覚えは当然悪くなり、そこから悪評が広がれば、最悪は建業太守の立場の剥奪に繋がる。

 

 先の強硬派ならばやりかねない。

 この時代では前世であったような科学捜査は無い。

 何もかもが人の言葉に左右されてしまうのだ。

 

 荀家への暗殺指令がどこから出されたのかがわからなければ、暗殺が諸侯の画策である事を証明出来なければ事の非は全て建業側が被る事になる。

 

 権力に通じる者ほど発言力は大きく、身内を守れなかったとすれば今の所は友好的な荀家も手の平を返すだろう。

 所持している権力を用いて俺達に報復をしてくる可能性もある。

 故に今回の護衛では失敗する事は許されない。

 

 

 個人としても文若の身内を守る事に否などない。

 あの子は苦しんできたのだから。

 

 俺が見える範囲、手の届く範囲にいつ間は守るつもりだ。

 それが彼女を助けた俺の責任なのだから。

 

 

 

「お母様が……」

「ああ、これから公共たちが迎えに行く事になっている」

 

 彼女は今、部屋で椅子に座りながら俺の言葉を聞いていた。

 

 以前は舌っ足らずの言葉で呼んでいた母の事を今でははっきりとした口調で呼ぶほどに文若は成長した。

 同年代の子供たち、蓮華や冥琳たちと勉強した事がお互いに良い刺激になったのだろう。

 彼女たちは真綿が水を吸い込むように、すさまじい勢いで言葉を、そして知識を身につけていた。

 

「心配、かけてしまいました」

「素直に謝ればいい。ごめんなさい、とな。そして会いたかったと抱きつけばいい」

「う、……はい」

 

 俺の言葉を実行している自分を想像したのか彼女は恥ずかしそうに俯いた。

 それでもようやく親と再会出来る事への喜びは隠し切れていないが。

 

「もうすぐお別れ、なんですね」

 

 全身から発散されていた喜びの気配がその言葉で消えてしまった。

 

「寂しいか?」

 

 愚問だろうと思う。

 貴族と言う民草と一線を画した出生の為に同年代の友人に恵まれずに過ごしてきたのだ。

 初めて出来た友達だと言う戯志才は文若と共に賊に攫われ、先に船を降ろされて以降、行方が知れない。

 そういう意味で彼女は同年代の友人に、気兼ねなく会話できる存在に餓えていたのだろうと思う。

 

 雪蓮嬢のように身体を動かす事が得意ではないこの子は同じ傾向にあるの冥琳嬢や蓮華嬢と一緒にいる事が多くなった。

 蓮華嬢とは出会った当初は険悪だったが、今はお互いがお互いを好敵手と見ている節がある。

 

 冥琳嬢とはいわゆる知恵比べをする仲で、俺が教えた将棋を睨みあいながら行っている姿をよく見かける。

 偶に雪蓮嬢に引っ張り出されて、外で走り回っている姿も見られるがその時も終始、笑顔が絶えなかったように思える。

 

 同年代の子供たちと同じようにはしゃぎ回る。

 貴族だ民草だという線引きが所詮、大人の都合でしかないと言う事を証明するかのような穏やかな光景だった。

 

「はい……」

 

 蓮華嬢たちと肩を並べて勉強をしている内に、彼女は自分の立場をより明確に理解するようになった。

 今、こうして立場も年齢も無視して友と呼べる者たちが出来る事自体が偶然に偶然を重ねた極めて確率の低い事だと言う事を。

 

 本当ならもっとここにいたいだろうに。

 せっかく出来た友達と離れ離れになどなりたくないだろうに。

 けれど同時に無理やり引き離された家族と共にいたいとも思っているはずだ。

 

「恐らくお母上殿がここに到着するのに最低でも二週間程度はかかる」

 

 頴川郡から呉までは片道で二週間の行程だ。

 その中で廣陵郡の端から呉領内での護衛を引き継ぎ、建業に到着するのに通常の行軍でおよそ三日になるだろう。

 

 刺客が現れるとすれば引き継ぎ後から建業に到着するまでが最も可能性が高い。

 今まで文若を、あるいは蘭雪様たちを暗殺しようと送られた刺客は全て捕らえている。

 

 その事から隙のない建業の敷地内で事が成るとは連中も考えていないだろう。

 となれば行軍中の最中、なんらかの混乱のどさくさに紛れる方が成功率は上がると考えるだろう。

 

 護衛を引き継ぎ、貴族相手に浮足立っている状況ならば確かに隙は生じるだろう。

 さらに率を引き上げるなら賊に情報を流し、連中が襲撃すると同時に仕掛ける事を考える。

 

 とはいえ既にその可能性は美命や深冬たちの手によって検討されており、万全を期すための布陣を敷いている。

 万全だからと油断すると言う事もない。

 

 慎も激も誰かを守る事に全力を尽くす事の出来る人間だ。

 熱くなって目的を履き違える事はない。

 

 心に定めた一本の芯がぶれる事はない。

 塁や祭も勿論そうだ。

 それだけの強さを持っていると信頼している。

 

 だから護衛はあいつらに任せておけばいい。

 こちらはこちらの出来る事に全力を尽くすだけだ。

 可能性の話で言えば建業に刺客が送られる事も十分にあり得るのだから。

 

 ようやく家族に会えると喜び、友人と別れる事を寂しがる目の前の子供に。

 これ以上の悲劇など味合わせてたまるものか。

 ずっと傍で守る事は出来ない。

 ならばせめて建業にいる間くらいは、守らなければならないだろう。

 その為に軍人になったのだから。

 

「それまでやり残す事がないように、悔いのないように過ごしなさい。桂花(けいふぁ)」

 

 はっと俯いていた文若改め桂花が顔を上げる。

 

「駆狼様……はい」

 

 建業での桂花の暮らしが落ち着いた頃、俺は彼女と真名を交換している。

 俺以外にも建業で知り合った同年代の子供たちや陽菜、祭や慎たちとも真名を交換したと聞いていた。

 

 真名交換はこの世界に置いて信頼を最も確かな形で示す手段と言ってもいいだろう。

 

 預けてもらえる程に慕ってくれている事が嬉しかった。

 そして誰かに真名を預けようと思えるほどに、自分自身で信頼を形に出来るほどに回復した事が自分の事のように嬉しかった。

 

「お母上殿御一行が到着するまでの間、桂花の護衛を蘭雪様から仰せつかった」

「えっ?」

 

 ニヤニヤと笑いながら命令を出した蘭雪様の顔が頭に浮かぶ。

 思わず苦笑いしながらぽかんとした顔をしている桂花を見つめた。

 隙だらけの頭を慈しみながら優しく撫でる。

 

「お前が胸を張って帰る事が出来るように俺も出来る限りの事をしよう」

「あ……はい。ありがとうございます」

 

 ふわりと子供らしくはにかむ桂花の笑顔を俺は眼を細めて見つめた。

 



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番外之二 周異と周瑜

 わたしは自分の部屋で机に向かって日課の読書をしている。

 でもわたしは本を読みながら、その内容とは別の事を考えていた。

 

 

 物心ついた時から母上は、蘭雪様のほさをしていて忙しくわたしが眠るまでに帰ってこない事が多かった。

 

 あそんでもらえない事をつまらないと思った事はあったけれど、畑仕事を早めに終わらせた父上がいつもいっしょにいてくれたからさびしくはなかった。

 それに時々、母上が早めに帰ってきてくれて家族三人でいっしょにいられることもあった。

 だからわたしは幸せだった。

 

 

 父上は母上のように頭が良いわけでも、蘭雪様や豪人殿のように武に長けているわけでもない。

 

「出来る事ならずっと美命の傍で守ってやりたいって何回考えたかわからないよ」

 

 わたしが言葉を話し始めて字を習うようになったくらいの時、父上はそんな事を話してくれた。

 

「僕には美命を傍で手助けする事が出来るだけの力が無いんだ。本当に悔しいし情けないと思うけれどね」

 

 畑仕事に精を出し、わたしの話し相手をしながら、家の仕事をすべて一人で引き受けて父上は笑う。

 

「けれど美命の、そして冥琳の為になる事は出来る。だから傍にいられない事を寂しがったり、力が無い事を悔しがっている時間があれば自分に出来る事を探そうと、自分に出来る事を増やそうと思ったんだ」

 

 その時はまだ言葉の意味をよく理解していなかったから、私はたぶん首を傾げながら父上の話を聞いていたんだと思う。

 

「自分に出来ない事がある事を嘆いて立ち止まっていたんじゃ駄目なんだ。自分に出来る事が無いか手探りでもいいから探さないと。僕と美命は夫婦なんだから、どちらかがどちらかに頼りきりになってはいけない。お互いに支え合うのが家族なんだから」

 

 それでも何故か、その言葉は私の耳に、心にしっかり届いていた。

 意味はわからなかったけれど、それでもその言葉が大切な事なのだと、そう思えた。

 

 

 わたしに字を教えながら父上が話した言葉。

 その時は何を言っているのかわからなかった。

 

 けれど父上がとても真剣な目をして話していたから、わたしはその言葉を意味もわからないまま書き留めていた。

 

 わたしの部屋には今も父上の言葉を書き記した竹簡が残っている。

 今ならば言葉の意味もわかるから時々、内容を見返して父上の気持ちをかくにんしている。

 

 家族を大切にしていた父上の言葉。

 民として日々を生き続けた父上の言葉。

 民を守る立場になった事で身近ではなくなってしまった父上の言葉。

 

 母上にもないしょにしている父上の残した言葉の数々。

 わたしにとってお金なんかよりも大切な物だ。

 

 私が六つになった頃に流行り病で父上が亡くなってからは、その気持ちがそれまでよりもずっと強くなったように思う。

 

 

 父上の事をひ弱だ、なんじゃくだと悪口を言う人もいたけれど。

 私にとっての父上はあたたかくてやさしくて時に母上よりも強い、そんな人だった。

 

 

 そんな父上が残した言葉とおぶさるととても暖かかったあの背中が、駆狼殿のおっしゃる言葉とあの大きな背中に重なる事がある。

 

 

 父上と駆狼殿。

 父上は線が細く、武器を持つ事など似合わない『やさおとこ』。

 駆狼殿は逆に大柄でたくましい『いじょうふ』。

 私が覚えている父上と駆狼殿を並べてみると頭一つ分は駆狼殿の方が体が大きい。

 ずっと民として家族の為に働いていた父上と武官になれるほどの力をお持ちの駆狼殿では比べられっこない。

 

 外見はまったく似ていないはずの二人。

 でも……どことは言えないけれどどこか似ている二人。

 

 初めて出会った時の、熊から助けていただいた時の真剣な顔が。

 あの方にどう接してよいかわからなかった時にやさしく励ましてくださり、でもきびしくまちがっていた事をしてきしてくださった時の声が。

 

 わたしが勉強をしていることをほめてくださったあの時。

 なでてくださったあの大きな手の暖かさが。

 

 わたしに二人が似ていると思わせる。

 

 駆狼殿や祭殿たちが正式に士官されてから三ヶ月。

 あの方と話をすればするほどに、そのお姿に父上が重なっていった。

 

 駆狼殿に声をかける時、つい『父上』と呼んでしまいそうになった事もあるくらいに。

 

 

 自分でもわかっている。

 わたしはたぶんあの方のことが好きなんだ。

 

 父上と同じくらいに。

 父上とお呼びしたいくらいに。

 

 まったくの他人を父と呼びたいと思うなんて。

 

 死んでしまった父上といくら似ていても、違う人だとわかっているのに。

 

 この気持ちはわたしをあいしてくださった父上に対してとても失礼なことだ。

 あんなにも大切にしてもらったのに。

 あんなにもやさしくしてもらったのに。

 

 でも。

 このままではいけないとわかっているのに、どうすればいいかがわからない。

 

 

 もうわたしは本を読んでいなかった。

 わたしの頭に浮かぶのは父上と駆狼殿のことだけだ。

 

「ごめんなさい、父上」

 

 返事が返ってこないことがわかっているのにわたしの口からは勝手に言葉が出ていた。

 

「ごめんなさい、駆狼殿」

 

 お二人にしてはいけないことをしている。

 そんな気がして、わたしはそれから何度も何度もお二人にあやまり続けた。

 

 なぜか流れてきた涙を手でぬぐいながら、眠りにつくまでの間ずっと。

 

 

 

 

 娘と昼餉でも、と思いあの子の自室に来たら戸越しにそんな言葉が聞こえた。

 

「ごめんなさい、父上。ごめんなさい、駆狼殿」

 

 その弱々しく嗚咽が混じった声を聞いて戸を叩こうとした手を止めてしまう。

 

「冥琳?」

 

 娘の名前を小さく呟き、耳に入ってきた言葉の意味を考える。

 

 

 あの子が父上と呼ぶのは勿論、私の夫の事だ。

 冥琳が生まれる前から家事を一手に引き受け、私が帰った時に暖かく迎えてくれた最愛の人。

 あの人と巡り合えた事は、私の生涯で五指に入る幸運だったと今でも自信を持って言える。

 

 私は仕事で家にいない事が多くて当時は冥琳にほとんど何もしてやれなかったが、夫はあの子の傍にずっといてくれた。

 ずっと夫があの子の世話をしてきた。

 子育てを夫に頼り切りにしていた私は親としては失格……なのだろうな。

 

 だが夫は冥琳が6歳の頃に病にかかって死んだ。

 蘭雪の夫や当時住んでいた村の人間は男女問わず十人前後が同じ病にかかって死んでいる。

 

 病にかかって生き延びる事が出来たのは豪人殿、冥琳、蓮華の三人だけだ。

 豪人殿が生き延びたのは奥方殿の身を削る献身と彼自身の武官としての強靭な肉体があればこその結果だ。

 冥琳と蓮華はかかったのが病が猛威を奮っていた最後の頃だったから医者にもこの病に対する対応策が出来ていた為だ。

 

 力を入れれば折れてしまいそうな小さな鍼を刺し「元気になれーー!!」と叫びながら氣を流し込む治療が果たして正しい対応策と言えるのかはわからないが。

 冥琳たちは結局、あの医師に巡り合えた事で救われたと言う事なのだろう。

 

 とにかく夫はその時に死んだ。

 その頃からは私は今まであの人がやってくれていた事を含めてすべてを自分で行ってきた。

 豪人殿の奥方殿や家族を養う先達の手を借りる事は多かったが、それでも出来る事は全て自分でやった。

 

 やらなければいけないんだと、そう思っていた。

 

 私が忙しいという事をその幼い頭脳で理解して、私に心配をかけまいと無理やり笑う娘の姿を見てしまったから。

 大好きな父親を亡くしたと言うのにあの子が涙を見せずに、だが心で泣いている姿を見てしまったから。

 

 何もかもを自分で頑張ろうとした結果、教える事が偏ってしまいあの子を苦しませる事になってしまったのだから情けない話だが。

 

「しかし……」

 

 顎に手を当てて冥琳の言葉を反芻する。

 

 今でも大好きなのだろう父の事を何の気なしに呟くはわかる。

 隠しているつもりだろうが部屋の棚の中に生前、夫に聞かされたのだろう言葉の数々が書き記されている竹簡が幾つも収められている事は良く知っているからな。

 

 だが何故、あの子は父に謝ったのだろう?

 しかもその後に駆狼の名前まで出てきている。

 

 言葉の繋がりを見るにどうも父と駆狼に謝った事は関係があるようだが。

 

 冥琳に気取られないように部屋から離れ、考えをまとめる為に宛てもなく歩きながら考える。

 

 冥琳が駆狼の事を好いているのは知っている。

 好いていると言っても敬愛や親愛の方だ。

 

 と言うより城にいる子供で駆狼の事を嫌っている者などいないと言って良いだろう。

 まぁ子供に限定しなくてもあいつを嫌っている人間などここにはいないだろうが。

 ああ、やつの堅苦しさが苦手な人間はいるかもしれないな。

 

 ともかくあれほど面倒見の良い男を私は知らない。

 しかも自分の仕事をしっかりこなした上で子供たちに目をかけているのだから頭が下がる。

 

 いまだに仕事逃走癖が直りきらない君主に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ。

 忙しさを理由に実の子供とまともに触れ合っていなかった私が言えた事ではないか。

 

 冥琳の場合、最近になって親愛の感情が強くなりすぎてしまい、あいつと接する時に過度に緊張してしまっているのは知っていたが。

 まさかその辺りが関係しているのだろうか?

 ゆっくり心が慣れていく物と思って傍観していたのだが、実は深刻な状態になっているのだろうか?

 

 いかん。

 考え出すと不安になってくる。

 

「今晩にでも聞いてみるか」

 

 流石に今すぐに聞きに行けるほど私も頭の整理が出来ていない。

 とはいえあの子が声を聞いただけでわかるほどに思い悩んでいるんだ。

 話を聞くのは親である私の仕事だろう。

 

「陽菜に少し話を聞いてみるか」

 

 駆狼同様、公務を終わらせた後やその合間に子供たちの面倒を見ている彼女なら私の知らない冥琳の悩みについて何か知っているかもしれない。

 

 駆狼は冥琳の悩みの元だから今回の事は相談できないだろう。

 と言うか冥琳の自分への態度に戸惑っているあいつでは恐らく相談相手にはなるまい。

 何より母親としてそう何度も親でもない、女でもないあいつに諭されては立つ瀬がないじゃないか。

 

「愛娘の事だ。気合いを入れて挑むとしようか」

 

 まるで軍略を練る時のような気持ちで私は陽菜を探すために廊下を歩き始めた。

 

 

 

 陽菜は中庭で祭と塁とお茶会をしていた。

 落ち着いているように見えてあれで中々、突拍子もない事を始める陽菜だから、見つけるのは骨かと思ったのだが今日は大丈夫だったようだ。

 

「陽菜、祭、塁。楽しんでいるようだな。……同席させてもらってもいいか?」

「美命様? ええ、どうぞ」

「美命様なら大歓迎ですよ。ささ、どうぞ!」

「塁の言う通りよ。遠慮なんてしないで。今、お茶のお代わり頼んでくるわね」

 

 少し離れた場所にいた侍女に陽菜は私の分のお茶を入れてくるよう命じる。

 いやあれは命じると言うより頼みこんでいると言う方が正しい。

 

 蘭雪には人の上に立つ人間としての自覚が足りない。

 しかしまだあれには直す見込みがあるのだが。

 

 陽菜は人の上に立つ気概に欠けている。

 命令すると言う事を拒否しているのだ。

 

 昔から朴訥として穏やかな気性をしていた子だったから。

 人の上に立つと言う事に最初は戸惑うだろう事は予想出来ていた。

 だが建業君主の妹として筆頭文官の席に私と共に就いた後も、彼女の気性は変わらず。

 今の立場になってそれなりの時間が経過した今も尚、まるで己の立場など無い物として民と話をし、まるで友人であるかのように侍女や兵たちと接している。

 

 どこから引っ張り出したのかわからない知識による独自の発想力と、どうすれば民が暮らしやすくなるかと言う点を主眼に置かれた献策。

 陽菜はこの建業の発展に最も貢献している人間だと言っても過言ではない。

 だと言うのに彼女は決してその数々の成果を誇ろうとはしなかった。

 

 誇示する事が正しいとは言わないが。

 それでも「最終的に実行するのは兵士や民自身なのよ? ただ提案だけしている私がふんぞり返るのはおかしいでしょ?」と言うのは些か謙虚過ぎるだろうに。

 

「お待たせ。はい、温めで良かったわよね?」

「ああ……ありがとう」

 

 いかんな、別の事に思考を向けてしまった。

 今はこの事は置いておこう。

 相談する前に説教などしてしまっては本題が切り出しにくくなってしまう。

 

「儂らは席を外した方が良ろしいですかな?」

「いや気にしなくていい。むしろお前たちの意見も聞きたいから用がなければいてくれると助かる」

「はぁ……まぁあと半刻くらいは大丈夫ですから、いていいならいますけど」

 

 遠慮して席を離れようとする祭に残ってもらうよう頼む。

 私の神妙な様子に困惑しながらも塁は椅子に座りなおして姿勢を正す。

 

「それで冥琳ちゃんがどうしたの?」

 

 用件を切り出そうと口を開く寸前、出鼻をくじく絶妙な所で陽菜は微笑みながらそう言った。

 

「へっ?」

「はっ?」

 

 塁と祭は陽菜の突拍子のない陽菜の発言に間抜けな声を上げて聞き返している。

 

「……どうして冥琳の事だとわかった?」

 

 私はため息を一つつき、眉間を解しながら質問した。

 

「気が付かなかったの? 今の貴方、母親の顔だったわよ」

 

 くすくすと淑やかに笑いながらしてやったりと陽菜は続ける。

 

「あと最近、冥琳ちゃん思い詰めてると言うか何と言うか少し様子が変だったから、ね。たぶんその事かなって」

 

 この子は……蘭雪も大概だが本当に勘が良いな。

 と言うよりこの子の場合は察しが良いと言うべきか。

 

「その通りだ。先ほど冥琳の部屋を通りかかった時に気になる事を言っていた事もあってな。本人に問いただす前に頭を整理したかった。第三者がいてくれれば私ではわからない事に気付いてくれるかもしれない」

「だから私たちに相談、と言う事ですか」

 

 祭の言葉に頷き、私は頭を下げた。

 

「うむ。身内の事に巻き込む事になるのは申し訳ないと思うのだが、出来れば手を貸してほしい」

「えっと、私みたいな武一辺倒な女が役に立つかわかりませんけど、それでよければ」

「儂も及ばずながら無い知恵を絞らせていただきますぞ」

「ありがとう」

 

 新参ではあるがこの建業のために尽くしてくれる武官二人の頼もしい言葉に礼を言う。

 そして唯一、手伝うと明言しなかった陽菜に私たちの視線が集まる。

 

「ん? 勿論、私も手伝うわ。当然でしょ」

 

 気負いもなく、それがさも当然であると言う答え方をする陽菜に私は口元を緩めながら先ほどの出来事について話し始めた。

 

 

 

 その夜。

 私は冥琳と食事をする為に城下に繰り出していた。

 手を繋いで歩く冥琳は楽しそうにかがり火の付けられた街の様子を見つめている。

 

 しかしあんな震えた涙声を聞いてしまった後だとこの楽しげな表情が偽りではないかと思えてしまう。

 

「何が食べたい? 冥琳」

「激殿に教わったおいしいらーめんの店がこの辺りにあると聞きました。母上がよければそこにしませんか?」

「拉麺か。そうだな、そこにしよう。案内を頼む」

「はい!」

 

 時折、私たちを見て頭を下げようとする者がいるが今はただの親子としている。

 聞き出したい事もあるし、蘭雪ではないが今は堅苦しい空気を作りたくはなかった。

 

 頭を下げようとする店主や客たちに自分たちの事は気にしないように首を振る。

 察してくれたようで皆、私たちから視線を外してくれた。

 

 彼らの臨機応変な対応を見ていると蘭雪や陽菜の気風が浸透している事がよくわかる。

 他の領地ではこうはいかない。

 

「あ、めん屋『灯高(ともたか)』、ここです!』

「ほう、ここか」

 

 そこはより多くの客を入れる為に席を外にも出している開放感のある店だった。

 夕餉時と言う事もあってほとんどの席が埋まっているようだが外から見ても二人分程度なら席が空いているのがわかる。

 

「ちょうどよく空いているようだな。別の店を探す必要はなさそうだ。……二人だが空いているか?」

 

 注文を取っていた店員と思しき男に声をかける。

 

「へい、いらっしゃい! お二人様ですね。いやいや運がいいっすね。ついさっきそこの二人掛けが空いた所っすよ」

「ほう、ならそこで頼めるか?」

「へい! お二人様、お入りです!!」

「「「いらっしゃいやせ~~」」」

 

 気さくだが野太い店員たちの歓迎の声が怖かったのか、冥琳がびくりと震えたのが繋いでいる手を通して伝わってきた。

 手を握り返して安心させてやりながら店員の示した奥の席に座る。

 

「採譜をどうぞ。ごゆっくり~~!」

「ああ」

 

 受け取った採譜にかかれた料理を娘と隣り合って見つめる。

 

「ふむ。なかなか種類が豊富だな。激から何かお勧めは聞いていないか?」

「とんこつらーめんがおいしいと言ってました」

 

 冥琳の言葉を聞いてとんこつの項目を指で探す。

 

「ほう、味付けと具によって値段が異なるのだな。あとは後付けで具を付け足す事も出来るのか」

 

 なかなか上手い売り方だな。

 具と麺の味付けを分けておけばある程度は個人の趣向に合わせた料理にする事が出来る。

 恐らく激がこの店を押したのはその自由度を楽しんでいるからだろう。

 

「私は激の薦めのとんこつを野菜盛りにするか」

「わたしもとんこつにします」

 

 注文が決まったので手を上げて店員を呼ぶ。

 手早く注文を済ませて姿勢を正し、愛娘を正面から見つめる。

 

 幸いにも店の中は騒がしい。

 この状況で私たちが多少内緒話をしていても聞かれはしまい。

 否、聞かれた所で頭には残らないだろう。

 ここでなら料理さえ来てしまえば誰かの耳に入る事もない。

 

「お待たせしました。とんこつ野菜盛りと普通のとんこつでっす」

 

 店に入る時に声をかけた妙に気安い雰囲気の青年が湯気の上り立つ器を二つ、慣れた手つきで席に置いた。

 

「ほう、速いな」

「うちは熱々を速く、美味く、安く出すのがモットーなんですよ。ちなみにモットーってのは信念とか方針とかそんな意味っす」

「聞いた事のない言葉だが、誰から教わったんだ?」

「凌隊長さんっすよ。あの人には建業に仕官される前から何度も足を運んでくださってもらってるっす」

 

 店員の口から出た駆狼の名に自分の前に出された拉麺を食い入るように見つめていた冥琳の瞳が揺れた。

 予想外の所で悩みの種になっている人間の名前が出た事で動揺したか。

 

「あ、あの……凌隊長殿はよくここに来られるのですか?」

「ん? ああ、常連さんっす。なんでも店の名前の読みが自分のお気に入りの店と一緒だったってんで食べに来たのが切っ掛けらしいっす。モットーって言葉も色々話してるうちに教わったんすよ」

「色々な所に影響を及ぼす男だな、あいつは」

 

 流石に呆れるぞ。

 

「はは、そうっすね。あの人が贔屓にしてくれるってんで興味持ったお客さんが結構来てくれますし、美味い飯の礼だってあの人とその部下の人たちが巡回とは別に暇な時にこの辺を見回ってくれてるんで前以上に治安が良くなりましたよ。今じゃ物盗りなんてなくなって、騒ぎなんて言っても酔っ払い同士の喧嘩くらいで平和なもんっす」

「……そういえば少し前に治安維持巡回の増員提案と街の要所への交番の設置案が出されていたな」

  

 あいつは今の巡回体制では万全ではない事を民から聞き、自分の目で見ていたのだな。

 そして案が通るまでの間、足りない部分を自分の取れる方法で補うつもりでいたわけだ。

 

 民と同じ視線で、民の暮らしを見て、民の事を感じる。

 

 私や蘭雪たちは一応は名のある豪族の出だ。

 その弊害か、少しばかり民と価値観に溝がある。

 陽菜は数少ない例外だ。

 蘭雪にしても陽菜と一緒にいるうちに今のように分け隔てなく接するようになったに過ぎない。

 

 我々は民は守るべき物であり、故に我々が民を束ねねばならぬと考えている。

 幼い頃から親や仲間たちが抱いてきた意識は我々に中にも根強く在るのだ。

 そしてその意識は領土を持った今、より顕著な物となっている。

 

 数字でしか知らない年貢、文面でしか知らない民の声がその証拠。

 

 あいつを含めた五村の出の五人は元が村民であるからか民を守るべき物であると認識すると共に、共に生きる者たちだと考え行動している。

 だから私たちが建業に入った当初よりも遥かに早く街に溶け込んでいた。

 

 私たちと違い民との間に溝がないのだ。

 それは良い事でもあるし、悪い事でもあるだろう。

 

「それじゃごゆっくり」

 

 駆狼の事を楽しげに冥琳に語っていた店員は他の卓から注文が入った事を切っ掛けに私たちから離れていった。

 

 ふむ、随分と気さくな若者だったな。

 初対面だと言うのにに気難しい所のある冥琳とあれほど話を弾ませるとは。

 まぁ今回の場合、冥琳が駆狼の事を聞き出そうとしていた事もあるだろうが。

 

「では頂こうか」

「はい!」

 

 話は食事を終わらせてからで構わないだろう。

 でないと麺が伸びてしまうしな。

 

 

 

 

 母上から夕餉を一緒に取ろうとさそっていただいた。

 駆狼殿たちが建業に士官されてからふえたけれど、やっぱり母上と食事ができるのはとてもうれしい。

 

 激殿に教えてもらったらーめんもとてもおいしかった。

 母上もおいしいと言って下さったし、また今度おいしいお店を聞いておこう。

 

「さて冥琳。少し真面目な話をしようか」

 

 ごはんでお腹一杯になったところで母上はそう言った。

 とても真剣な顔をされていたのでわたしは背中をぴんと張って椅子に座り直す。

 

「はい、なんでしょう?」

「ふむ……」

 

 少しの間、母上はわたしの顔をじっと見つめるとこう言った。

 

「お前は昼間の自室で、なぜ父上と駆狼に謝ったのだ? 今にも泣きそうな声で」

 

 その言葉に身体がびくりとふるえた。

 

 母上に聞かれていた?

 父上と駆狼殿を重ねてしまっている事を?

 

 血の気が引くと言うのはこういう事なのだとわたしは身を持って知った。

 

「昼餉に誘いにお前の部屋に行った時に、な。中から震える声で謝るお前の声が聞こえてしまった。立ち聞きしてしまったのはすまない」

 

 頭を下げる母上。

 ああ、あやまらないでください。

 わたしの方があやまらないといけないのだから。

 

「聞こえたのは謝っている所だけだった。だから何故、謝ったのかが私にはわからない。最近、お前が悩んでいるのは知っていたがそれに関係する事か?」

 

 寒くもないのにふるれる身体を自分で抱きしめながらわたしは小さく首を縦に振った。

 

「……そうか。本来なら相談されるまで黙っていようと思っていたのだが」

 

 静かにため息をつく母上。

 

「昼間の声を聞いてしまって私が想像した以上にずっと思い詰めているのだとわかった。お前が良ければだが……私に話してくれないか? 何を悩んでいるのかを」

 

 本当に静かに、でもその目はすごく真剣で。

 わたしを心配してくださっている事がわかった。

 だからわたしはすぐにでも話したいと思った。

 

 でも……洗いざらい言ってしまいたいと思っているのに。

 本当に言ってもいいのかが不安で言葉が出ない。

 

 父上と母上がどれだけお互いの事を想っていたかを知っているから。

 父上と駆狼殿を重ねてしまっている、なんて母上にだけは言いたくなかった。

 

「……」

 

 でも心配してくれる母上の気持ちは嬉しくて。

 口を開けば全部を白状してしまいそうだったから。

 わたしは口を閉じてだまっている事しか出来なかった。

 

「そう、か。私ではお前の力にはなれないんだな」

 

 そう言う意味でだまっているわけじゃないんです。

 母上がわたしの力になれないなんて事はない。

 

 さびしそうにする母上の顔を見て、そう言ってしまいたくなった。

 

 でもこの気持ちは……伝えてしまって良い物なのかどうかが私にはわからない。

 伝えて母上がどう思うか、それがこわくてしかたがない。

 

 駆狼殿は「失敗をおそれるな」、「迷惑をかけてもかまわない」とおっしゃったけれど。

 その言葉にしたがって、わからない事や出来ない事は母上や陽菜様たち大人の方に頼ってきたけれど。

 

 この事ばかりは……どうしても誰かに話す事が出来なかった。

 

「いい。何も言うな。そんな泣きそうな顔をさせたくて問い詰めたわけじゃないんだ」

 

 わたしの顔を手拭いでやさしくふいてくれる母上。

 冷たくぬれたその布を見てわたしは自分が泣いている事に気付いた。

 

「……母上、ごめんなさい」

「謝らせたいわけでもないんだが、な」

 

 悲しそうな母上の顔。

 そんな顔をしてほしくなくて、でもどうすればいいのかわからない。

 

 父上……教えてください。

 あなたのように母上を笑わせるにはどうすればよいのでしょうか?

 

 駆狼殿……教えてください。

 わたしが母上を笑わせるにはどうしたらよいのでしょうか?

 

 頭の中に尊敬するお二人のすがたが思い浮かぶ。

 

 お二人の事でなやんでいるのにお二人に助けをもとめている自分に腹が立った。

 

「ふぅ……すまないな。せっかくおいしい料理を食べたと言うのに。こんな話をしてしまって」

 

 さびしそうにあやまる母上。

 その悲しそうな顔を見て自分ののなさけなさにもっとはらが立った。

 

 こんな事でいいのか?

 とそう思った。

 

 母上はさびしそうにしている。

 まるで父上が亡くなった時のように。

 わたしが何も話さないせいで。

 

 自分で自分に問いかける。

 今までずっと前に出さなかった足を自分の心の中に進めていく。

 そうすると、まるでさいしょからわかっていた事のようにするすると。

 

 話していまえばいいんじゃないのか?

 

 なぜ母上がこんなにも心配してくださるのに話さない?

 怒鳴られても、怒られても、それでもわたしの事で母上がかなしむよりもずっと良いんじゃないのか?

 

 わたしはこわがっているだけじゃないのか?

 

 こうしていっしょに食事をするようになった母上とけんかをして、駆狼殿たちが来られる前にもどってしまうのがいやなんじゃないのか?

 

 あっという間に答えが出てしまった。

 わたしは……母上に怒られるのが、きらわれるのが怖かったんだと。

 

「母上……わたしは」

「んっ?」

 

 こんな事ではいけないと強く思った。

 今までに感じた事がないくらいに強くそう思った。

 

「駆狼殿と父上を重ねています」

 

 気付けばあれほど口に出せなかった言葉があっさりと出ていた。

 水を注がれていた器に手を伸ばしていた母上の手が止まる。

 たぶんわたしの言葉におどろいたのだと思う。

 

「あの人と駆狼を?」

「はい」

 

 ずっと言えなかった言葉を言ったせいか。

 その後はまるで器からこぼれていく水のように次々と言葉がうかんで、母上に言ってしまう。

 もう言うのをやめる事はできないと、そう思った。

 

「……そう、か」

 

 ふとした瞬間に父上と駆狼殿が似ているとかんじる事。

 駆狼殿の事を父上と呼んでしまいそうになる事。

 すべてを気持ちのままに母上に話した。

 

「……そうか、お前は餓えていたんだな。父に」

 

 どこかすっきりしたような顔をする母上。

 怒られる事をこわがっていたわたしの頭にそっと手を置く。

 

「よく、話してくれた。すまないな。私はまたお前の気持ちに気付いてやれなかった」

「……う、ぁ」

 

 髪をすきながらやさしくなでられてぐすりと鼻を鳴らしてしまう。

 ああ、だめだ。

 涙をがまんできない。

 

「私に遠慮するな。お前があの人の事を想っている事は知っている。駆狼を慕っている事もだ」

 

 がまんできなくなったわたしは椅子から立ち上がって母上に抱きつく。

 背中に手を回してぎゅっとすると母上もわたしの身体をぎゅっと抱きしめてくれた。

 

「わたしとあの人はな。お前に幸せになってほしいと思っているんだ」

 

 静かに呟く母上。

 

「お前が自由に過ごすのに自分の存在が枷になっていると知ったらあの人はどう思う?」

「で、でもわたし、駆狼殿を父上って……思って、しまって。わたし、には……父上がい、いる……のに」

 

 泣いているせいでうまく話せない。

 

「それのどこが悪い? お前は子供なんだぞ?」

 

 どこまでもやさしくて、まるですき通った水のような言葉。

 

「寂しいと思うのは当然の事だ。父親が欲しいだなんて思うのは当たり前の事だ」

 

 あれほど頼りになる男が傍にいれば尚更だろうな、と母上は続ける。

 

「だがな」

 

 そして。

 

「お前が駆狼の事を父と呼んでも、あの人はお前の父親だ。お前はその事を忘れないのだろう?」

 

 そんな当たり前の事を母上は告げた。

 

「あ……」

 

 その通りだった。

 わたしがあのやさしい父上の事をわすれるはずがない。

 思い浮かべるたびに心をあたたかくしてくれる父上の姿を、その声を、その言葉をわすれるはずがない。

 

「それでも寂しいと感じる事もあるだろう。あの人がもう傍にいない事は事実なのだからな」

 

 母上のおっしゃるとおりだ。

 わたしは……父上がいない事がさびしくて。

 だから似ていると感じた駆狼殿を。

 

「私は構わんぞ。あいつ本人が許すなら呼べばいいさ。それでお前が元気になるならな」

「で、ですが……母上」

 

 本当にいいのだろうか?

 

「寂しい子供の心を『あの二人』が、いや『皆』が理解しないはずがないだろう?」

「……そう、ですね。父上と同じくらいにおやさしいあの方たちなら、きっと」

 

 また涙が出そうになる。

 服の袖でらんぼうに目をこすった。

 

「ほ~~う、なるほど。冥琳がなにやら思い詰めていたのはそういう事だったわけか」

「「!?」」

 

 突然、頭の上からかけられた言葉にわたしも母上も声を上げてしまった。

 

 いつの間にか。

 本当にいつの間にかわたしたちが座っていた卓の横に蘭雪様が立っていた。

 

「ら、蘭雪!? いつからそこに!?」

「お前たちが食事を終えた辺りからだな。声をかけようと思ったんだが、なにやら深刻そうな話を始めたのですぐ傍の卓で聞き耳を立てていたんだよ」

 

 しれっと言い切ってニンマリと笑う蘭雪様。

 

「わ、わたしの悩みはすべて聞かれていたと言う事じゃありませんか!?」

「はっはっは! いやいやすまなかったな、冥琳」

 

 ぜんぜん反省してないじゃないですか!

 あやまり方にせいいが感じられません!!

 

「しかし、あの美命が私の気配に気づかないとはなぁ。それだけ娘に一点集中していたという訳か?」

「ぐ、くぅ……不覚だった。誰かが通りかかる可能性もあったと言うのに」

「奥に座っていたから普通は気付かんだろうさ。私は面白い事があると言う勘に従ってわざわざ店主に頼んで奥に来たからな」

 

 さすが孫家の血筋。

 まさかそんなおおざっぱな事に勘がはたらくなんて。

 

「ええい、まったく! 話はもう終わった!! 冥琳、店を出るぞ!!」

「え、あ、わわ!」

 

 がっしりと母上に手をにぎられる。

 少しいたいくらいの強さだったけれど、すぐに力は抜いてくださった。

 

「あ、おい! 逃げるな、美命!!」

「煩いわ! 少しは自重しろ!」

 

 顔を真っ赤にして歩き出す母上。

 いきなりさわぎだしたわたしたちに困った様子の店員に「釣りはいらん!」と強引にお金を渡して外に出る。

 

「まったく、あの馬鹿者め……」

 

 ぶつぶつとつぶやきながら城への帰り道を歩くわたしたち。

 先ほどまであふれそうだった涙はもう止まっている。

 母上もなんだか活き活きとしているように見えた。

 

 もしかして蘭雪様は、この為に声をかけてきたのだろうか?

 

「ふぅ……まったく。馬鹿者め」

 

 わたしと同じ事に思い至ったのか、母上は苦笑いを浮かべていた。

 

「帰ろう、冥琳。そして明日、駆狼に聞いてみればいい。父上と呼んでいいか、とな」

「……はい!」

 

 

 

 

 この翌日から駆狼は冥琳に父上と呼ばれるようになり、城ではちょっとした騒ぎになった。

 未亡人である美命の子供である彼女が駆狼を父などと呼びだしたのだからその真意を知らない人間から見れば駆狼と美命が夫婦になったと捉えるのが普通であるのだから、それも当然の事。

 

 

 駆狼は祭や塁たちに問い詰められ、蓮華、荀彧、果ては小蓮(しゃおれん)までもが駆狼を父と呼ぶ冥琳を羨ましがる始末。

 唯一、事情を知る部外者である蘭雪は雪蓮と共謀して事態を面白おかしく引っかき回す事に精を出し。

 駆狼の部下である蒋欽や賀斉たちを初めとした者たちが騒ぎ立てるのを切っ掛けに騒ぎは加速する。

 

 この話題は一か月もの間、建業中を小さな混乱に陥れる事になった。

 陽菜は当事者たちから早々に事情を聞き出すと事態を静観し続けていたと言う。

 

 

「あ、あの父上……この兵法の意味についてなのですが」

「ああ、これはだな」

 

 以降、本当の親子のように書庫で語り合う二人の姿が目撃されるようになる。

 



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第二十九話

 正直な話、仕官してから特に功績らしい功績を上げてない俺が、貴族の護衛なんて大層な仕事を任されるなんて思わなかった。

 

 理由を聞いてみれば確かになって納得させられたし、そもそもこんな大任を任されるくらいに認められてたって事がわかったのはすげぇ嬉しかったんだけどな。

 だから絶対に失敗なんてしねぇって気合いを入れて任務の準備を始めたんだ。

 

 準備の最中に蓮華様や雪蓮様たちが激励に来てくれたのはなんかむず痒かった。

 一緒に来た桂花ちゃんに「お母様をお願いします」って頭を下げられて、絶対に守り切らねぇとって覚悟を決めた。

 賊に攫われてその後もずっと苦しんできたこの子を、これ以上悲しませるわけにはいかねぇってそう思った。

 

 心のどっかが張り詰めて、自然に身体に力が入ってくのが自分でもわかった。

 

 

「遠征というほどではないが、兵糧にはある程度余裕が必要だろう」

「そっちは俺が確認しておきますよ。適量としちゃこれくらいの量だと思ってるんですけど、どうです?」

「ふむ。……不測の事態を考えれば妥当なところか。慎はどう思う?」

「僕も行軍に支障をないけど、食料としては充分だと思います」

 

 美命様や慎と護衛軍の編成やら、兵糧の手配について話し合う。

 村を守るとか、山賊のねぐらに攻め込むとかそういう戦いはやった事があるんだが要人警護ってヤツの経験は無い。

 

 下手を打つと俺達だけじゃなく蘭雪様たちにも迷惑をかけちまうし、何より桂花ちゃんの家族だ。

 どんな仕事だって気を抜くなんて真似はしねぇけど、今回は特に真剣に取り組んでいるって自覚があった。

 

 

 俺がやっていた文官の仕事は、俺に文官のなんたるかを叩き込んでくれた老先生(師事する時にこう呼べと言われた。実は真名はおろか本名も知らない)に引き継いである。

 今回の任務を割り当てられたって事で仕事の引き継ぎの後に礼儀作法についてはみっちり復習させられた。

 

 俺が失敗した時の蘭雪様の立場ってヤツを考えての事だと思う。

 

 貴族って立場がどんだけ偉いかは聞いた限りの事しか俺にはわからない。

 けど住む世界が違うなんて言葉をよく聞くし、機嫌を損ねる事がすげぇやばいっていう悪い話は耳にタコが出来るほど教え込まれた。

 桂花ちゃんを見てるとそうは思えないんだけどな。

 あの子がまだ子供だからそう感じるんだろうって言ったのは、確か美命様だったか。

 

 護衛する荀家の連中には桂花ちゃんと話す時みてぇに気安く接するのはやめろって厳命された。

 同時に桂花ちゃんに対しても今までのように接する事を禁じられた。

 

 人と人とが関わる所に民草だ貴族だなんて意識はいらねぇって俺は思う。

 けど俺の気持ちはどうあれ、そうしないといけない。

 

 その事になんか腹が立った。

 そして貴族が面倒だとかそういう事よりも、今まで普通に接してきた俺らに他人行儀にされなきゃいけない桂花ちゃんがかわいそうに思えた。

 雪蓮様たちと遊んでいるあの子の顔は俺達が子供の頃と何も変わらなかったから。

 だから余計にそう思う。

 

「なるほど。いきなり酒を持って俺の部屋に来たのはそういうやるせない気持ちを吐き出したかったからか」

「ああ、そうだよ。なんつーか塁とか慎にはこういう愚痴はし難いし、祭とだと飲む量ばっかり増えちまうからさ」

 

 卓を挟んで対面に座る駆狼の言葉に頬を掻きながら杯に注いだ酒を飲み干す。

 

「まぁそれでお前の気持ちに区切りが付くなら付き合うさ」

「悪い」

「気にするな」

 

 空いた杯に駆狼が注いでくれたので俺も駆狼の杯に継ぎ足す。

 

「桂花ちゃんは、ずっと貴族でいなきゃならねぇのかな? 対等に話す事も出来ないような、ここに来るまで友達もいねぇような寂しい場所にいなきゃならねぇのかな?」

 

 何度か一気に呷って軽くなった口から言葉が漏れる。

 

「……わからない。貴族と言ってもその地位は昔に比べて衰えているらしいからな。あるいは今後、そう遠くない内に貴族と言う特権階級は無くなるかもしれない」

「衰えている、ねぇ。ならその内、今までみたいになんの気兼ねもなく桂花ちゃんと話が出来るようになるのかねぇ?」

 

 本当はそんな簡単な話じゃなくて、すげぇ大変な事なんだろうけど。

 子供らしく生きられないあの子を見てるとそう思わずにはいられない。

 蓮華様や冥琳様もそうだけど、桂花ちゃんはそれ以上に寂しい生き方をしてるから。

 

「それもわからない、な。俺達がどうこう出来る話じゃないって言うのもそうだが……あの子の環境にとって貴族であると言うのは生活の一部、言ってみれば四肢のように身近な事だ。突然、それが無くなるとどうなるか、それが彼女にとって本当に良い事なのか、それは俺達では判断出来ない事だ」

「……四肢の一つを無くすような事態になっても平然としてたお前が言っても説得力ってもんがねぇよ」

「……」

 

 初めて山賊と戦ったあの日。

 駆狼は医者が匙を投げるほどの深手を負って左腕が動かなくなった。

 医者からその事を聞かされた時、俺達はみんな大騒ぎしていたってのにこいつはただ静かに事実を受け入れていた。

 元方って鍼で治療するおっさんがいなけりゃ左腕はずっと動かなかったはずだ。

 

 一生物の怪我を「そうか」の一言で受け入れる。

 俺には真似できないって当時は思ったもんだ。

 

「戦うと決めた時から五体満足でいられるとは思っていないからな。だが桂花はそうじゃない」

「そう、だな。俺達みたいな戦えるヤツと同じように考えちゃいけねぇな」

 

 ただの武官が話し合った所で意味がないんだろう愚痴を交わし合う。

 

「あの子だけに限った話じゃねぇけどさ。やっぱ子供たちには武器を持たせたくねぇよな」

 

 それは俺の本心だ。

 戦って、人を殺して、折れそうな心を奮い立たせてまた戦って、また人を殺して。

 そんな事、あの子たちにはしてほしくない。

 

「……俺も同じ気持ちだ」

「だろうな」

 

 いや。

 建業の誰よりも子供たちの面倒を見てるこいつは、たぶん俺以上にあの子たちを戦わせたくないって考えてるはずだ。

 

 けどこのまま領土争いだとか賊の横行が続くなら、いずれあの子たちは戦場に立つ事になる。

 守ってやるだなんて口で言うのは簡単だが、それを貫き通すだけの力は俺にはまだ無い。

 祭にも、慎にも、塁にも、駆狼にすらもまだ無い。

 

 一体、どれだけ努力すれば守りたい物を全部守れるくらいの力が付くのかなんて全然わからねぇ。

 だからって足踏みしてたらあっという間に時間が過ぎていくだけだ。

 

「なら我武者羅にでもやってくしかねぇよなぁ」

「強くなるのに近道なんて都合の良い物はないからな。安心しろ、誰もが手探りだ……俺もな」

 

 俺の独り言の意味を完全に見透かした言葉を吐きながら駆狼は杯を呷る。

 

「今は自分に出来る事に全力で取り組むしかない。先の事を考え過ぎて目の前の事を疎かにする訳にはいかないだろう?」

「だな。差し当たっては今回の護衛任務を成功させる事を考えないと」

「気負い過ぎるなよ?」

「わかってるさ」

 

 話はそこで途切れた。

 それからしばらくは無言で酒を飲み進めて、持ってきた酒が空になった所でお開きになった。

 

「色々話してすっきりしたぜ。ありがとな」

「気にするな。俺もお前と話して色々と考える事が出来た。俺の方こそありがとう、だ」

「そっか」

 

 駆狼の部屋を出て、自分の部屋に向かって歩き出す。

 酔いが回って火照った顔に当たる風が気持ち良くて思わず頬が緩む。

 

「『ありがとう』か。色々とまだまだな俺でもお前の力にはなれてるんだな、駆狼」

 

 俺達よりも一歩も二歩も先を行く駆狼。

 だが遠い背中にも声は届くんだって事が確信出来た。

 

 追いかけるのも楽じゃない。

 いつまでも追いつけなくて苛々した事も数えきれないくらいある。

 けど、思ったよりもあいつと俺の距離は遠くないって事がわかった。

 声が届く距離なら、走ればすぐそこ。

 なら後は俺の頑張り次第って事だ。

 

「やってやんぜ」

 

 拳を握る。

 

 あの子たちが戦わないで済むようにする方法なんて全然、見えてこない。

 世の中が平和になればいいんだとは思うんだが、どうやら良いのか話がでかすぎて検討も付かねぇ。

 

 なら見える所からやっていくだけだ。

 

「まずは……任務をやり切って桂花ちゃんと親御さんを会わせる」

 

 今、俺が考えるのはそれだけでいい。

 

 

 

 

 激の愚痴に付き合った二日後。

 美命、激、慎は荀家の護衛のために建業を発った。

 護衛を引き継ぐのは廣陵郡と呉の領境(りょうざかい)になる。

 

 向こうに付くのにおよそ三日。

 そこから建業に戻るのに通常の行軍でさらに三日。

 

 何事もなく済めばいいんだが、恐らく何かしらの動きが見られるはずだ。

 具体的には賊、あるいはそれに偽造した襲撃。

 

 こちらも警備を強化して侵入者を警戒しなければならない。

 祭の部隊が城内を、塁の部隊が街の外を警戒すると言う事になり、俺の部隊は城下の見回りをする事になった。

 

 俺は自分、公苗と公奕、豪人殿と元代の三つに部隊を分け、それぞれに見回る範囲を限定して警戒に当たる事にした。

 一人では不意打ちに対応出来ない可能性がある為、二人一組で行動する事を厳命。

 俺は公奕の弟である公盛(こうせい)と、そして君主命令で桂花と行動を共にしている。

 

「大将、この辺はいつもと変わりないみたいですね」

「そうだな。文若、朝から歩き詰めだが平気か?」

「はい! ぜんぜん大丈夫です!」

 

 俺の手を握って離さない桂花。

 言葉通り、疲れた様子もなく周囲に落ち着きなく視線を動かしている。

 城内では自由に行動を許されている(それでも最低一人はお付きがいるが)桂花だが、城下に出た事はなかった。

 

 初めて歩く建業の街。

 落ち着き無く周囲に視線を巡らせ、香る焼き魚の良い匂いに鼻をひくつかせ、客寄せの威勢の良い声に驚く彼女の様子は見ていてとても微笑ましい。

 

 危険が付きまとう警邏に連れていけと言う命令に俺は最初、猛反発した。

 当然だろう。

 護衛対象を狙われやすい外に連れていくなど愚策も良い所だ。

 だが桂花自身に城下を見てみたいと言われてしまい。

 必死な様子で懇願され、俺が折れざるをえなかった。

 

 桂花が胸を張って帰れるように出来る限りの事をすると約束した手前、彼女の要望には可能な限り応えたいと言う思いがあったからだ。

 

 俺と公盛で周囲を最大限に警戒し、離れた所でも何組かに俺達に近づく人を監視を頼んでいる。

 加えて桂花にも俺から離れないようにという条件を飲んでもらっていた。

 

 これが桂花の願いと安全とを両立させた妥協案だ。

 些か不安が残るが、そこは現場でなんとかするしかないだろう。

 

「そろそろ昼になるな」

「ですね。どっかで適当に休憩しましょうか」

「ならこの先の広場にしよう。旅芸人が催し物でもしているかもしれない」

 

 公盛の言葉に頷き、休めそうな場所を提案する。

 しかしこのやり取りは事前に取り決めていた事だ。

 この先の広場には常に何人かが見回りに付いているから何か起こった時に対処しやすい。

 だから自然な流れで向かうように会話しているだけだ。

 

「旅芸人、ですか?」

「歌や踊り、芸で周りを楽しませる人たちの事だ」

「そんな人が……駆狼様、私見てみたいです!」

「都合良く今日いるかはわからないが今日の主役であるお前の希望だ。見に行くとしよう」

 

 話を聞いて目を輝かせる桂花に引っ張られるように広場を目指す。

 

 見晴らしの良い場所の方が護衛がしやすいと言うのもある。

 勿論、そんな雰囲気を壊すような事を言うつもりはない。

 この子には城下の様子を純粋に楽しんでほしいからな。

 

 もっとも聡いこの子がなにかに気付いている可能性もあるんだが。

 

「今日は露天商の類が多いな」

「あちゃあ、広場が露天で埋め尽くされちまってちゃ催しは期待できませんね」

 

 当てが外れたと額に手を当てて落胆する公盛。

 

「まぁ仕方ない。適当な所で飯にしよう」

 

 前世での公園に倣いこの広場には幾つかベンチのような長椅子が配置されている。

 その一つに俺と桂花が並んで座った。

 

「公盛、すまないが……」

「了解です。適当に美味そうな物買ってきますよ。文若ちゃんはなんか要望あるかい?」

「え、えっと……お魚が食べたい、です」

「あいよ。任せときな」

 

 人懐っこい公盛の態度に戸惑いながら希望を言う桂花。

 要望を受けて男らしい笑みを浮かべると俺と目を合わせてから、露天にたむろす人混みの中に消えていった。

 

 桂花は公盛と他の人間に比べれば関わりはあるのだが、どうもその積極的過ぎる性格が災いしてまだ慣れていないらしい。

 

「ふぅ……」

 

 長椅子の背もたれに身体を預けるとため息が漏れた。

 今の所、周囲に妙な動きはない。

 護衛対象を引き連れて見回りに出るという愚行が、逆にあちらを警戒させているのかもしれない。

 俺が襲撃者の立場だったならこんな状況、まず罠を警戒する。

 そういう意味では心理を突いた策と言えない事もない。

 

「楽しいか? 桂花」

「はい!」

 

 打てば響くような弾んだ返事に俺も自然と口元が緩む。

 こうして過ごせるのもあと僅か。

 ならばその少ない時間をこの子にとって宝物と言えるくらいに楽しい物にしてやりたい。

 

 その為にも。

 『この視線の主』には早々に退場してほしい所だな。

 

「……」

 

 こちらをじっと窺っている気配が一つ在る事にはとっくに気付いていた。

 しかしどうやらこの視線の主が見ているのは桂花ではなく俺のようだ。

 邪魔者から排除しようと考えていると見るべきか。

 それにしては動く気配がないのが気になる。

 

 公盛が離れてからより明確にその気配が感じとれるようになったのは誘いのつもりなのかもしれない。

 だが視線の主の考えがいまいち読み切れない為、誘いに乗る事が出来ないでいた。

 

 だがそのまま見られているだけと言うのも相手を調子付かせるだけだろう。

 ならば……。

 

 数秒だけこそこそと俺達を見ている者の方向に視線を向ける。

 偶然で片付けられる事が無いように視線に殺気を混ぜて。

 

 するとどうだろう。

 今までただ遠目から監視するだけだった何者かは自分からこちらに近づいてきた。

 ゆっくりとこちらに近づいてくる気配。

 

 その姿は普通の農民のような風体をした男だった。

 この場で、そこにいる事に何の違和感もない服装。

 しかしこの男、殺気を向けられたと言うのにに動揺がまったく見られない。

 暖簾に腕押しと言う言葉の通りに受け流しているのか、その顔は涼しげなままだ。

 

 隣で無邪気にはしゃぐ桂花と談笑しながら、正面から近づいてくる男から意識を外さない。

 

「少し道をお尋ねしたいのですがよろしいですか?」

 

 一般人を装って話しかけてきたその男。

 ここで事を荒立てるつもりはないと言う意思表示のつもりか、それとも単に隙を窺う為の駆け引きか。

 俺は座っていたベンチから立ち上がり、さりげなく桂花を隠すように男の正面に立つ。

 

「っ!?」

 

 見知らぬ男に話しかけられた事で俺の腕を掴み、背中に隠れるように抱きつく桂花。

 ほんの少し震える身体が、彼女のトラウマがまだ癒え切っていない事を示していた。

 

「どこに用があるんだ?」

 

 何食わぬ顔で対応しながら桂花の震えを少しでも抑える為に彼女の頭を撫でる。

 勿論、男から目を離すような愚は犯さない。

 

「宿がどこにあるか知りたいのですが……」

「宿ならこことは真逆の区画にあるな。北の道を真っ直ぐ行って突き当りを右に行けばいい」

 

 指で方向を指し示し、簡単にではあるが道を教える。

 

「なるほど。逆方向でしたか。ありがとうございます」

 

 軽く頭を下げて礼を言う男。

 まるで波紋のない水面のように落ち着いた声。

 切れ長の目はどこか狐を彷彿とさせる。

 そしてその動作一つ一つには隙がまったく見られない。

 

 先ほどまでは市中に溶け込む為に隠していた『訓練を受けた者』としての姿を惜しげもなく晒してきたのだ。

 

 俺の警戒心が跳ね上がる。

 目の前の人物だけでなく周囲に対しての警戒も怠らない。

 

 こうまであからさまに実力を晒すような真似をする意味。

 『囮』の可能性を考慮しなければならないからだ。

 

「……お見事です」

 

 男は俺にだけ聞こえるように小さく呟くともう一度だけ頭を下げ、自身の懐から竹簡を一つ取りだした。

 

「正文(せいぶん)様より凌刀厘殿へお届けするようにと預かった書簡です。お納め願います」

 

 丁寧に、しかし素早く書簡を俺に差し出す。

 

「お母様から!?」

 

 思わぬ所から出た家族の名前に弾かれたように声を上げる桂花。

 しかしやはり目の前の男が怖いのか、俺の背中から出ようとはしない。

 未だこの男の正体が判然としない今、彼女が出てこなかったのは俺にとって都合が良いと言えた。

 

「はい……」

 

 桂花の言葉に男は慇懃に頷く。

 しかしそれ以上、言葉を発する事はなく俺が書簡を受け取るのを静かに待つだけ。

 必要以上に物を語らない姿勢はただただ淡々としている。

 

 しかし俺が受け取らなければこの男は梃子でも動かないのだろう。

 俺に書簡を渡す事がこの男にとって最も重要な事なのだから。

 

 俺は差し出された書簡にゆっくりと手を伸ばす。

 書簡に毒やら刃物やらを仕込む事が出来ない訳ではない以上、慎重になるに越した事はない。

 

 ゆっくり十秒程の時間を置いて俺は書簡を受け取った。

 

「それでは私はこれで」

 

 用が終わればそれまでと言外に含ませて男は背を向けて歩いていく。

 一見、無防備に見えるその背中だが、やはり隙は微塵も見られない。

 たとえば今ここで隠れて俺達の様子を監視していた建業見廻り隊の連中や公盛が仕掛けても無駄だろう。

 軽々と倒されるとは思わないが、恐らく逃げられてしまうはずだ。

 

 ならば監視を数名付けて、それ以上のちょっかいをかける必要は今はない。

 

 広場のあちこちに散ってこちらを窺っていた部下たちに目で合図を送る。

 何名かが男を追いかけていくのを見届け、俺はベンチに腰を下ろした。

 

「駆狼様……」

「ふぅ……安心しろ、桂花。特に何かされた訳でもない」

 

 あの男との間にあった緊張感を察してくれたのか心配そうに俺を見つめる桂花に苦笑いしながら応える。

 

「さすがにこんな所で内容を確認するわけにはいかないな。桂花、すまないが一度城に戻ってもいいか?」

「もちろんです」

 

 書簡の内容が気になるのは彼女も同じだ。

 

「なら行こう。これの内容次第だが時間があればまた外に来たい。まだ連れて行きたい所が沢山あるんでな」

「はい! 楽しみにしてます!」

 

 俺達は昼飯を買って戻ってきた公盛と合流し、歩き食いをしながら城へと戻っていった。

 

 

 

 

 凌刀厘殿から付けられた監視を巻き、早々に建業を出る。

 しばらく走った先にある森に飛び込み大きめの木を背もたれにした所で、私はようやく安堵の息を吐いた。

 

 噂では聞いていたが。

 なるほど、あれが新進気鋭筆頭と名高き人物か。

 

 意図的に出したとは言え俺の気配に気づき、場の雰囲気に溶け込む為の擬態を見抜く観察眼。

 言葉尻で相手の意図を察する頭の回転には俺も内心、舌を巻いていた。

 いつの間にか建業の兵士たちに遠巻きに囲まれていると気付いた時には肝を冷やしたものだ。

 

 今回の接触で彼の人物の全てを見抜けたとは思わない。

 恐らく実力の半分も見せていないはずだ。

 

 それでも見えた物もある。

 その隙の無い所作、何の動作もなく部下を動かす統率力。

 そしてあの底知れぬ瞳。

 

 あれほどの人間が建業の双虎の元にいる事実は、大陸の今後の勢力図を大きく変える事になるやもしれない。

 

「来たか、明命(みんめい)」

 

 物想いに耽っている間に、どうやら娘も到着したようだ。

 まだまだ未熟ではあるがなかなかの隠行で俺の背後から近づいてくる。

 

「はい、父上!」

 

 まだ幼い子供らしく無邪気な笑顔を向ける娘に、安堵で緩んでいた口元がさらに弧を描いた。

 

「見たな?」

「はい!」

 

 キッと真面目な表情を浮かべる娘に俺も緩んでいた雰囲気を引き締めながら頷く。

 

「あの男が凌刀厘、そして傍にいた娘が我々の護衛対象である荀文若様だ」

「わたしと同じくらいの女の子でした」

「そうだ。あのような娘が命を狙われる……貴族の世界も薄汚れているのは変わらん。だが……」

 

 思い出すのは鋭い瞳。

 慈しむように少女を撫でながら俺を睨む頼もしい男の姿。

 

「彼と共にいる間は、彼女の身の心配はいらないだろう」

「父上はあの方を気に入られたのですか?」

 

 俺の物言いを疑問に思ったのか小首を傾げながら質問する明命。

 

「気に入った、と言えばそうかもしれないな。あのような男はなかなかいない」

「そうですか! 父上に友達が出来てよかったです! にへへ~~」

「別に彼と友人になるつもりはないんだが……」

 

 無邪気に喜びながら理論を飛躍させた事を言う明命にため息をつく。

 どうやら俺の言葉は聞こえていないらしい。

 

 仕方のない子だ。

 猫と俺の事になると耳に何も入らなくなるのは悪癖だ。

 少しずつでもいいから修正していかねばな。

 

「明命、仕事はまだ終わっていないぞ」

「はっ!? そうでした、申し訳ありません!!」

 

 窘めると正気に戻ってくれた。

 まったくやれやれ。

 

「一応、確認する。俺達の仕事は荀文若様の護衛。彼女及び合流する彼女の縁者を無事に頴川まで連れていくのが仕事だ」

「でも基本的には手を出さず、遠目からのかんしのみに集中する」

「その通りだ。もしも護衛対象に生命の危機が迫った場合のみ我々は直接的な介入を行う。いいな?」

「はい!」

「お前は今回が初仕事だ。仕事の空気を感じ取り、身体を慣れさせるだけでいい。無理だけはするな、いいな?」

「わかりました、父上!」

「では建業へ戻るぞ」

 

 俺達は家に伝わる隠行術で建業へ侵入。

 己の仕事を果たすべく街の中への消えていった。

 



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第三十話

 荀家の人たちを護衛する為に建業を出て二日。

 三日の行軍予定を僕たちは想定以上の速度で進軍していた。

 

 合流する予定の他領軍が派遣した荀家護衛軍はまだ姿を現さない。

 僕たちはすぐに撤収できるよう簡易的な陣を敷き、四方に広がる広野に油断なく視線を巡らせる。

 

「今んところは特に何も起こらねぇな」

「そうだね。でも油断は禁物だよ?」

「そんな事ぁわかってるよ」

「うん。その調子でよろしく。僕は美命様の所に行ってくる」

「あいよ」

 

 周囲の警戒を激の部隊に任せて僕は天幕の一つに入る。

 中ではこの辺りの地図を卓に広げている美命様の姿があった。

 

「慎か。周囲の状況はどうだ?」

「今の所、動きはありません。激の部隊が交代で監視を続けています」

「そうか。……ふむ」

 

 広げられた地図には幾つか筆で丸印が付けられていた。

 持ってくる前に確認した時には付いていなかったから、ここで広げている間に付けた物なんだろうと思う。

 

 今回の任務に関係がある事なのだろうか?

 でも丸印の場所は何の変哲もない平野ばかりだ。

 襲撃に適した箇所の印かもと考えたけれど、幾つかの場所はここから随分と離れているから今回の任務とは関係ない事のようにも思える。

 

「……ここも、使えるか」

 

 呟きながら美命様はさらに別の箇所を円で囲う。

 

 丸印の共通点はどの場所も他領との国境沿いになるという事と建業よりこの簡易駐屯地からの方が位置的に近いという事だけ。

 これだけの情報ではどういう意図があるのか僕にはわからなかった。

 

「……どうした、そんなに食い入るように見て?」

「え? あ、ああ、すみません。地図の中に書き込まれた印の意味を考えていました」

 

 どうやら僕は意識せずに美命様を見つめながら考えを巡らせていたみたいだ。

 これでは見られていると誤解されても仕方がないし、美命様にとても失礼だろう。

 

「ふふ、そうか。てっきり私の後ろ姿に見惚れでもしたのかと思ったぞ」

「か、からかわないでください」

 

 女性の艶やかさを含んだ悪戯っぽい笑みに僕の顔に熱が集まった。

 美命様は美麗な方だからそういう表情をされるとたとえ冗談だとわかっていても緊張してしまう。

 

「はははっ、すまない。お前はからかい甲斐があるからつい、な」

「はぁ……しかし何故、僕にだけこういう事を? 激や駆狼にぃとか標的になりそうな人は他にもいると思うのですが」

 

 本当にそこが解せない。

 男だからと言う理由なら激や駆狼にぃでもいいし、そうでなくても男の武官や文官だって結構いる。

 なのに美命様はこういう事をする相手は決まって僕だけなんだ。

 

「激はすでに塁と熟年夫婦もかくやの関係だからな。私も一途な二人をからかうほど底意地の悪い女ではないよ。駆狼の場合はあやつがその手の悪戯に慣れているのか、からかい甲斐がまったくない。他の武官や文官たちに手当たり次第こんな事をしていたら私がただの恥知らずになってしまう。だから口が堅く、この手の事に初々しい反応が望めるお前が標的になっているというわけさ」

「懇切丁寧なご説明ありがとうございます。でもできればやめてください」

「善処するさ」

 

 善処するだけでなくきっぱりやめてほしい。

 美命様にからかわれると深冬さんの機嫌が何故か悪くなってしまうし。

 

「ふふふ。さて話を戻すが地図に書き足した円についてだったな? とりあえずお前がわかっている事を言ってみろ」

「え? ああ、はい。その円が廣陵や淮南などとの郡の境目にある事はわかるのですが、他には特筆するべき所はありません。今回の任務とは到底関係なさそうな遠い場所にまで円があるので今回の任務で重点的に警戒する場所という訳でもないようですし……」

 

 僕がわかっている事を列挙していく。

 それほど多くの事を言ったわけではないけれど、美命様は僕の回答に満足したように微笑んで頷いた。

 

「そこまでわかっていれば十分だ。地図が全て見える場所に来い。説明しよう」

「はい」

 

 言われて地図が広げられた卓に近づく。

 天幕の出入り口からでは見えなかったけれど、僕が確認した個所以外にもかなりの印が付けられていた。

 

「まず言っておくとこれは今回の任務とは関係無い。次以降の献策の下拵えと言った所だな」

「下拵え、ですか」

「他郡がこちらに攻め込む事がないようにする為の監視用の砦を作りたくてな。この印はその場所の候補地になる」

「なるほど。だから砦の建設に不都合のある山間部などを除外した特筆すべき点のない平野部に印がついてるんですね」

「そういう事だ。既に手が空いた何人かに印を付けた場所が本当に建設に適切な場所かを調査してもらっている。さすがにここから遠い場所の調査は無理だろうが近隣くらいなら可能だろう。その情報を踏まえて戻った後に詳細を詰める予定だ」

 

 本当にこの方は凄い。

 貴族の方たちの護衛だなんて細心の注意を払わなければいけない事柄を前にして、さらに先の事を考えて行動するなんて。

 僕たちも文官として物事を一歩離れた場所から見る事には慣れてきたつもりだったけれど、ここまで冷静に物事に当たるなんてまだ出来ない。

 

「そこまで考えていらっしゃるなんて……」

「なに。成り上がりである私たちだ。何事も先を見据えて考えねばどこから足元を掬われるかわからん。とはいえ目の前の事柄を疎かにするつもりもない。荀家の護衛にも勿論、全力を尽くすさ」

 

 先ほどと同じ微笑みのはずだと言うのに今の美命様にはどこか凄みと言うか底知れなさと言うかそう言う物を感じた。

 

 なんて事はない。

 僕はまだまだ未熟で。

 僕よりも先を行く人は駆狼にぃの他にも沢山いて。

 ここにも一人いたと言うだけの話だ。

 目指すべき目標はまだまだ遠いけれど。

 

「ん? 誰か来たな」

 

 周りに聞かせるようなドタドタとした足音。

 

「公共様、祖隊長。北方より砂塵を確認。こちらに近づいてきています!」

 

 天幕越しの報告を受けて談笑で緩んでいた空気が引き締まった。

 

「旗はあったか?」

「はい、官軍旗を掲げておりました!」

 

 その一言で椅子に座っていた美命様は立ち上がり、足早に天幕を出る。

 勿論、僕もそれに続く。

 

「どうやら荀家とその護衛軍が到着したようですね」

「そのようだ。報告、御苦労。引き続き周囲の警戒を続けてくれ」

「はっ!」

 

 報告に来た兵士が去っていくのを尻目に僕たちは報告にあった北方に足を進める。

 

「やはり通常よりも早く姿を見せたな。小賢しい真似をする」

「建業で言っていた他領からの嫌がらせ、ですか?」

「恐らくな。私達よりも早く合流地点に来れば貴族を待たせた不心得者として私達を糾弾出来ると考えたのだろう」

 

 建業には敵が多いと言う事は知っていたつもりだ。

 日々、暗殺者や諜報員が送り込まれているんだから嫌でも意識せざるをえない。

 しかしこうして他者を利用してでもこちらに害を為そうとする連中がいると言う事実にはため息をつきたくなる。

 

「しかし、子供の嫌がらせのような物だが効果が見込める以上、馬鹿に出来た物でもない。まぁ私が指揮を執っている以上、付け入られる隙など作らんがな。あらゆる事態を想定し、対策を取ってこその軍師だ」

 

 確固たる自信に満ちて歩くその姿はとても綺麗だが、同時に敵に回した時の恐ろしさがあった。

 そんな美命様の様子に僕は思わず身震いしてしまう。

 

「さぁここからが本番だ。気を引き締めてかかれ、大栄」

「了解です。公共様」

 

 先に報告を受けていたのだろう激の背中が見えてきた。

 

 さぁ、ここからが本番だ。

 頑張ろう。

 

 

 

 

「なんとも厄介な事になったな」

 

 城に戻った俺は公盛を蘭雪様たちへの報告に走らせ、自室で桂花とあの男から渡された書簡に目を通していた。

 

 内容は端的にまとめるならば警告と謝罪だった。

 

 桂花を中心とした今回の騒動の裏には荀家内での内輪揉めとでも言うべき物があると言う事。

 

 現当主である荀爽や荀昆を頂点に置いた者たちとそれに同調する者たちの派閥、そしてそれに敵対する者たちの派閥。

 なぜ家が真っ二つに割れるような事になったかと言えば民草への考え方の違いらしい。

 

 荀爽たちは民草を共に歩む者と考え、反対する一派は自分たちに尽くして当然の『物』と考えているとの事だ。

 

 この子をしばらくこちらに預けていたのはこの派閥争いに幼い子供を巻き込む事を荀爽が危惧した為らしい。

 証拠はないが桂花が人攫いに遭ったのも反対派が荀爽の一派を混乱させる為の陰謀だった可能性もあると言う。

 もしもこれが本当ならば子供一人の人生をくだらん権力争いの生贄にした事になる。

 口減らしとして子供を捨てる、あるいは殺す親もいる時代だ。

 言ってはなんだがこの程度の事は当然のようにあるのだろう。

 

 しかし俺からすればふざけた話だ。

 

 この数カ月の間に派閥争いが落ち着いてきたので桂花の返還を申し出たという話だったのだが。

 この子の返還に動き出した途端、おとなしくなっていたはずの反対派の動きが活性化したので慌ててこちらに事情を説明する書簡(今、俺たちが読んでいる物だ)を荀昆が独自に雇っている密偵(俺に書簡を渡した男の事だ)に頼んで送ったと言う。

 

 その反対派の連中が今回の騒ぎに乗じて密接な繋がりを持っている廣陵郡の軍を使って何か仕出かす可能性があると言う事を教えたのが警告、荀家の内輪揉めに巻き込む形になって申し訳ないと言うのが謝罪の内容だ。

 

「ふむ……」

 

 内容を吟味するようにもう一度、読み返す。

 桂花も俺の横で椅子に座り、じっと何かを考えているようだ。

 

 

 今の時代の風潮を考えればこの反対派と言う連中のような考え方とて間違っているとは言えない。

 しごく平凡な民側の感性を持っている人間としては当然、良い気分などしないが。

 とはいえ手紙に書かれたこの情報が真実であるのかどうかが、相変わらず俺には判断が出来ない。

 荀昆が自分たちに都合の良い事を書いている可能性も十分にあり得るのだから。

 

 本音を言えば桂花の家族を疑いたくはないが、しかし何も考えずに信じる事が出来るような立場でもないのだ。

 判断一つ間違えれば最低でも自分と部下たちの命を危険に晒す事になるのだから。

 ならばこそ慎重に考えなければならない

 

 荀家についてこちらが掴んでいる情報は現当主が民を慈しむ人物である事と、かなり広い範囲に人脈を持っている事。

 よって成り上がりである建業側は遣いの者や今回のような一団に細心の注意を払って応対しなければならず、彼らの不評を買うという事は蘭雪様にとって命取りになりかねない。

 

 お家騒動の類についてはまったく掴めていなかったが、果たしてこれが事実なのかどうか。

 

 まぁお家騒動の有無がどうあれ、警戒するに越した事はない。

 現に何度となく桂花は命を狙われているのだから。

 

「しかし廣陵郡か。美命の情報収集は流石だな……」

 

 今回、荀家が桂花を迎えに来るに当たって美命は前もって廣陵郡を中心に情報収集をさせていた。

 そして今回の騒動が始まってから、こちらに話を通していた荀家護衛の人数を遥かに超える量の物資を集めている事を掴んでいる。

 荀昆からもたらされたこの情報が正しいと仮定するならば護衛の他に人員を動かすつもりなのはほぼ確実だろう。

 

 いや逆だな。

 こちらが掴んだ情報が正しいとすればこの書簡の情報の信憑性が上がるわけだ。

 少なくとも廣陵郡の連中がなんらかの企てをしている事はほぼ確定した。

 それが荀家絡みの物なのかどうかは関係ない。

 

 そして荀昆からもたらされた情報が全て正しかったとしても嘘が混じっていたとしても当面、俺達がやる事に変わりはない。

 今回の護衛で荀家一行を守り、そして桂花を無事に家族の元に帰す。

 

 結局の所、俺達がやる事はそこに帰結する。

 

「駆狼様……」

「どうした、桂花?」

 

 泣きそうな顔で俯く桂花。

 ああ、きっとこの子は俺達を巻きこんだと思っている。

 優しいこの子は自分が原因であると思い、俺達に申し訳なさを感じているのだろう。

 

 こうなる事は予測できたし、だからこそこの書簡は見せたくはなかった。

 しかしあの密偵が桂花のいる前で俺に書簡を渡したせいで誤魔化す事は出来ず、そのまま共に見る羽目になってしまった。

 その結果が小さな身体で精一杯、責任を背負い込んで震える少女の姿だ。

 

 俺もあの男も迂闊だったとしか言えない。

 しかし聡いこの子は遠からず事の次第を知ってしまうだろう。

 そう考えると今知った事が良い事なのか悪い事なのか……。

 

「駆狼様、申し訳ありません」

「……」

 

 懺悔にも似た絞り出すような声での言葉を俺は沈黙したまま聞く。

 

「私達の家の事で、建業の方たちに迷惑をかけてしまいました。助けていただいたご恩も満足に返せていないのに、この上さらに……ご迷惑を重ねてしまう事、本当に……申し、訳、あり……ません」

 

 謝罪の言葉が涙で滲む。

 それでも言葉を続ける桂花。

 こんな子供がこんな言葉を言わなければならない貴族社会と言う物に俺は本気で嫌悪感を覚えた。

 

「謝るな。俺達は打算でお前を助けた訳じゃない」

 

 その小さな頭を優しく撫でながら俺は言葉を続ける。

 

「そんな悲しい顔をしてほしくて助けた訳じゃない。苦しんでいたお前を助けたかっただけなんだ。貴族だなんだと言うのは所詮、後付けでしかない」

「う、ふぇ……」

 

 こんな気休めしかしてやれない自分の事を情けないと思った。

 

「だからお前が責任を感じる必要はない。これ以上、背負い込むな」

 

 そっと抱きしめ髪を梳くようにして頭を撫でる。

 本当ならば親でもない俺がするような事ではないのだろうが、この子が感じている重荷を少しでも軽くしてやりたかった。

 気休めに過ぎないとわかっていても、やらずにはいられなかった。

 

「ぐす……うう……」

 

 小さな手が俺の背中に回される。

 俺の胸に顔をうずめながら桂花は静かに泣き続けた。

 

 

 

 建業城に幾つかある会議室の一つに公盛から報告を受けた蘭雪様が主だった面々を招集していた。

 とはいえ仕事中の皆を全員集めて指揮系統に不具合があっては意味がない為、集まったのは蘭雪様、深冬、塁、俺だけだ。

 

「なるほどな。仕掛けてくるのは廣陵郡の連中か」

「まだ可能性が高いと言う段階なので断言するのは早計でしょう。これに乗じて他が動かないとも限りませんので」

 

 陽菜は文官側の職務に、祭は俺の代わりに城下の巡回に出ている為、今回は出ていない。

 勿論、この会議で決まった事柄は会議後に手分けして広める事になっている。

 

「確かに。もし他領からも襲撃があった場合、数の差で押し切られる可能性がありますね」

 

 俺は深冬の言葉を肯定する意味で頷く。

 

「それならやっぱり援軍が必要なんじゃ? 美命様に前もって言われていたから一応、援軍を出す準備は出来てますけど」

 

 続いて塁が案を出す。

 確かに増援を送るのは、数の差で追い込まれるような状況になった場合の対応策としてもっとも単純で有効だろう。

 美命もその可能性を考慮して準備をしていたのだろうからな。

 

「確かに塁の提案が現状で最も有効だろう。だが建業の守りを手薄にしたと思われるのも良くないだろう」

 

 しかし迂闊に軍を動かす事も出来ない。

 増援を出せばそれだけ建業の守りが薄くなると言う事でもあるからだ。

 どれだけの人数を動かすかにもよるだろうが、今も城下に蠢いているだろう間諜の類がこれを機に動き出す可能性もある。

 警備は厳重にしているが対策が万全だと胸を張る事は出来ない。

 何事にも完璧と言う物はないのだから。

 

「う、……それはそうだけどさ」

「かと言ってこのまま何もせずにいると言うのも……」

「ふむ……」

 

 塁と深冬の発言に顎に手を当てて考え込む蘭雪様。

 部屋が一時的に静まり返ったその時。

 ドタバタとこの部屋に近づく足音が全員の耳に飛び込んできた。

 

「ん? 誰か、来たようだな。随分、急いでいるが……」

「あ、私が様子を見てきます」

 

 塁が部屋の戸を開けて廊下に出る。

 

「韓隊長!」

「あ、どうしたの?」

 

 廊下に出た所で声をかけられたのだろう兵士に塁が応じる。

 

「美命様より遣わされた早馬より報告です!」

「っ!? わかったわ。文台様たちが中にいるからそこで報告して!」

「はっ!」

 

 塁が部屋に戻り、後ろに兵が続く。

 俺達も塁の後ろの兵士に注目した。

 彼は俺達を見て頭を垂れると前置き無しで本題に入る。

 

「ご報告! 公共様方は無事に荀家の護衛を引き継ぎ、これより建業に帰還するとの事! 尚、盗賊を名乗る者たちから二度襲撃を受けるも被害は無し。問題なく撃退しております!」

「ほっ、良かった……」

「さすがは公共様たちですね」

 

 塁と深冬は胸を撫で下ろすのを尻目に俺と蘭雪様は険しくなった目を見合わせる。

 

「やはり襲撃されたか」

「盗賊を名乗る者たち、と報告したと言う事は少なくとも美命は襲撃者を盗賊とは思っていないと言う事ですね。やはり偽装された軍隊だったのでしょう」

 

 今、受け取った情報を元に俺達は淡々と現状を整理する。

 

「『二度』と回数を報告してきたと言う事は美命はまだ襲撃されると考えているな」

「恐らくは。わざわざ『問題なく』と報告させた辺り、また襲撃があっても人数はそう多くないと考えていると思われますが」

「そうだろうな。……よし、盗賊に二度も襲撃されどちらも相手にならなかったという情報をすぐに城下に広めさせよう」

「あとは警備の強化だな。侵入してくる連中は勿論、城下から出る連中にも目を光らせておいた方がいいだろう」

 

 塁と深冬を見ると先ほどまで安堵で緩んでいた表情は既に引き締められ、俺達の言葉を一字一句逃さぬように耳を傾けていた。

 

「ではそのように。俺は文若の周りをより一層注意しておきます」

「ああ、あの子の事はお前に任せる。聞いていたな、義公! お前は警備を強化しろ! 君理、お前は今もたらされた情報を触れ回れ。こちらにとって有利な脚色をしてな!」

「「御意!」」

 

 返事を唱和させて二人が部屋を出ていく。

 報告に来た兵士も塁たちと共に出て行った。

 

「俺も行きます。桂花に家族が無事だと言う事を伝えなければなりませんので」

「ああ。……油断はするなよ? 私の勘では次に狙われるのはあの子だからな」

 

 孫家の勘。

 それは蘭雪様の代から出現したある意味で超能力のような代物だ。

 超能力のようと俺が表現したのはその精度。

 彼女らが勘と表現して告げた言葉は今まで外れた事がないのだ。

 

 実際に俺も何度か雪蓮嬢や蘭雪様がその勘を当てている姿を見た事があるから、その信憑性はかなり高いのだろう。

 とはいえ何の根拠もないソレを全面的に信用する事は俺には出来ない。

 指針の一つとして頭の隅に留めておく程度だ。

 

「心に留めておきます」

「ああ、頼んだぞ」

「御意」

 

 一度、蘭雪様に最敬礼を行い部屋を出る。

 目指すは桂花のいる鍛錬所。

 見知った兵が多く一目に付きやすい場所は暗殺には不向きだ。

 だから俺は公盛に他の兵たちを何人か共にして桂花とそこに行くように指示を出しておいた。

 

「美命、激、慎。皆……無事で戻って来い」

 

 呟いた言葉は風に流れて誰の耳にも届く事なく消えていった。

 



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第三十一話

「シュゥッ!」

 

 迫ってくる山賊の風体をした敵の額に左拳を叩き込む。

 伸びきった腕をすぐに引き戻して悲鳴も上げられずに倒れ込んだ雑魚の横合いから迫ってくる別の敵の胸に右拳を叩きつける。

 

「おらぁっ!」

「げふっ!?」

 

 骨が折れる音と衝撃を拳越しに感じながら次の相手に肉薄、無防備な顎を左拳で突き上げる。

 

「次ぃっ!!」

「なんだ、こいつ!?」

 

 あいつらと訓練しながら色々と教わっている内にわかった事だが。

 俺は駆狼のように全身を武器にして戦う事が出来ない。

 祭ほど弓の腕が良いわけでもなく、塁みてぇに身の丈もある大槌を振り回すような怪力も無いし、慎のように剣を自分の身体のように自在に操る事も出来ない。

 

 だから俺は上半身を攻撃の手段に、そして下半身を移動だけに使うよう徹底する事にした。

 器用にもなれない、強引な力技も無理だってんなら自分の身体の使い方って奴を大雑把にでも決めてそのやり方を極めるべきだって考えたんだ。

 

 最初は常に意識して身体を動かした。

 普段、意識しない事をやると疲れるってのは話には聞いていたが自分でやってみると本当に辛かったのを今でも覚えている。

 だがその試みは結果的に功を奏した。

 

 攻撃に使うのはこの両拳と、祭には劣るがそこそこの腕前になった背中にかけている弓。

 

 駆狼の接近戦のようなあらゆる状況に対応するような柔軟性はない。

 だがそうやって訓練し、実戦を積み重ねていく内に俺は駆狼にも、慎にも、祭にも、塁にも負けない武器を手に入れた。

 

「速すぎて腕が見えねぇ! なんだよそれ、わけわかんねぇ!?」

「じゃあわけがわからねぇまま殴られろ!!」

 

 それは速さ。

 

 俺の拳は訓練をしている内に見つけた打ち方をする事によって仲間内でも簡単には見切れねぇほどの速度を身につけた。

 

 両拳を自分の肩よりも上で構える。

 相対する奴から見ればまるで頭部を庇うような情けない構えに見えるだろう。

 だがその構えから腕の力だけで拳を突き出せばその速さは振りかぶって放つ拳を超える事が出来る。

 さらに相手に当たるまでの時間をより刹那に近づける為、拳に力を入れるのは目標に拳が当たる瞬間だけ。

 

 勿論、上半身だけでなくこの時の下半身の動きも重要だ。

 そもそもこの構えからの最速の拳は相手の懐に入り込まなけりゃ使えない。

 幾ら拳の動きが速くても届かないんじゃ意味がねぇんだ。

 相手の攻撃を掻い潜るにはどれだけ無駄を無くした踏み込みが出来るかにかかっていると言ってもいい。

 

 左足を一歩前へ出し、脚幅を肩幅の広さに開く。

 こうする事で前後左右どこにでも素早く、一歩で標準的な槍の届く範囲くらいを動く事が出来る。

 そして常に前方に体重をかけ、目の前の敵の懐に飛び込めるようにする。

 

 拳の打ち方のコツを掴み、速く動く為の姿勢を決めるにはかなり時間がかかった。

 まだ俺達が村にいた頃から色々と試して、完成したのは仕官仕立ての頃だ。

 

 これらを無意識に出来るまで身体に染み込ませるのに万でも収まりきらねぇくらいの打ち込みをやり、どんな状況でも姿勢を崩さないよう沼地やら滝の中、偶に人混みに紛れてこの基本姿勢を取り続けて身体を慣らし続けた。

 慎や駆狼、部下たちと派手な組み手をやり、実戦でも自然に出来るように修練し続けてきた。

 

 その結果がこれだ。

 

 まだ駆狼相手に負け越してるが、この武器を昇華させ続ければ俺はあいつに出来ない事が出来るようになる。

 

 俺だけの強さで、あいつと並ぶ。

 子供の命を狙うようなくだらねぇ謀略に手こずる訳にはいかねぇ。

 

「っつう訳だからとっととやられろぉ!!!」

「なに言ってぶげらっ!?」

 

 最後の一人の顔面を右拳で打ち抜く。

 ぐらりと上体が揺らぐが、そいつは歯を食いしばって踏ん張った。

 剣も手放してねぇ。

 雑魚だと思ってたが少しは骨のある奴だったみてぇだな。

 

「ぐ、のやろぉっ!! くたばげぴゃっ!?」

「けどとろいんだよ!!」

 

 右手を引き戻すと同時に左拳を突き出す。

 頬を捉えた一撃でそいつは今度こそ倒れた。

 

 俺は注意深く周りを見渡す。

 最後の一人はまだ意識があるから勿論、そいつからは意識は外さない。

 

「程隊長! ご無事ですか!!」

 

 俺が最前線で戦っている間、露払いをしていた部下たちが駆けつけてきた。

 

「ああ、俺は平気だ。そっちはどうだ?」

「こちらも賊の迎撃は完了しました。怪我人が数名出ていますがいずれも軽傷です」

「そうか。手当はきっちりやれよ。小さな傷でも化膿するとやばい事になるからな」

「心得ています」

「よし。それとそこの賊はまだ意識がある。すぐに尋問にかけるから縛り上げて公共様たちの所へ連行してくれ」

「はっ!」

 

 仰向けに倒れてうめき声を上げている賊を二人がかりで手早く縛り上げる部下たち。

 そいつらの作業が完了するまで俺は周囲を警戒し続けたが、特に問題なんかは起こらなかった。

 

「よし。本隊と合流するぞ。総員駆け足!!」

「「「「「「はっ!!」」」」」」

 

 三度目の襲撃も無事に片付いたか。

 出来ればこれで終わりにしてほしいもんだが、どうなるかねぇ?

 

 俺は両肩を回して解しながら部下たちに合わせて走り出し。これ以上の襲撃が無い事を願った。

 

 

 

「やれやれ。まさか引き継ぎが終わって一刻と経たずに三度も襲撃してくるとはな。気の早い事だ」

「それでもしっかり対応出来ましたけどね」

「遮蔽物のない平野をただ愚直に攻めてくるのだからな。予め準備が整っていれば迎撃は容易い。物量差で押し切られる懸念も今回の襲撃に関しては取り越し苦労だったようだ」

「これが歩兵だけではなく騎馬兵だったら例え数が少なくとも危険だったでしょうね」

「そうだな。しっかりとした陣を敷いているわけでもないから馬の突進力を利用されればただでは済まなかっただろう」

 

 荀家の方々の馬車を兵で取り囲む陣形を取った我々は行きに比べておよそ半分ほどの進行速度で建業に向かっていた。

 途中の襲撃は激の部隊が対応しており、先ほど伝令が賊と思しき者たちを返り討ちにしたと報告されている。

 そう時間がかからずに激たちは合流するだろう。

 

 現状はほぼ予定通りと言って良い。

 唯一、想定外だったのは荀家から来た者たちの人数が思った以上に少なかった事だ。

 

 挨拶に出向いた際に桂花の母親である荀昆に教えてもらった所、一族の人間は荀昆のみで子飼の護衛が五十名しかいない。

 彼女から事情を聞いた所、荀家内部で思想の違いによる派閥争いが発生しており、彼女や現当主の荀爽は敵対派閥の親族から命を狙われているのだそうだ。

 よって身内を無条件に信用する事が出来ず、護衛は信頼できる者に絞り込んだと。

 私の想定では最低で百人は連れてくる物だと考えていたのだがな。

 しかし想定外の事とはいえ我々からすれば悪い事ではない。

 護衛する人数が少なければそれだけ負担は減るのだから。

 

 しかし五十人程度なら自分たちの手の届く範囲にいる内に制圧してしまう事も出来ただろう。

 少なくとも私が奴らの立場ならばそうしていた。

 廣陵郡の領地で荀家の人間たちを拘束ないし殺害し、それをさも建業の失態であるかのように見せかける。

 多少、危ない橋を渡る事になるだろうが不可能ではないはずだ。

 

 それを思いつかない程度の頭しか持ち合わせていないのか、そこまでの度胸がなかったのかは定かではないが廣陵郡の連中は機を見るのがよほど下手と言う事になる。

 こちらからすれば好都合以外のなんでもないが。

 

 

「あの……公共殿」

「どうかなさいましたか? 正文様」

 

 ああ、そう言えば想定外な出来事はもう一つあった。

 

 貴族と言うのは基本的に自分を民草よりも上と定めている者たちだ。

 漢王朝の設立に活躍した者たちがその功績を認められ、その一族に与えられた生涯の栄誉と言える。

 故に自らを特別視する者は多く、それ自体は別に間違っていない。

 彼ら無くして王朝は建たなかったと言えるのだから。

 

 しかし私は過去の功績をあたかも己が成したかのように語り、驕り、胡坐を掻く彼らを好ましいとは思っていない。

 なにせ私が知る限り、現在の貴族は真っ当に職務を行っていないのだから。

 ただ過去の偉業に踏ん反り返り、権利のみを奮う愚物。

 何度か実際に貴族と顔を合わせた事があるが故に、私は彼らを心底嫌っていた。

 便宜上とは言え敬称すら付けたくないと思ったのは、恐らく彼らが初めてだっただろう。

 当時は本気でそう考えたくらいだ。

 

 この上、貴族の中にはより皇帝に近い存在として皇族と呼ばれる者たちまでいる。

 貴族ですらここまで嫌悪感を持ったと言うのにその上までいると言う事実に、当時は本気で嫌気が差した物だ。

 それはともかく。

 

 桂花は純朴で頭の良い子供だ。

 だがそれは貴族の教育による選民思想にまだ染まっていないからだと言えるだろう。

 前もって情報を集めてはいたが彼女の親が本当はどのような奴かは直接会うその時までわからない。

 顔には決して出さなかったが内心で身構えてもいた。

 

「我々の家の騒動に巻き込む事になってしまい、本当に申し訳ありません」

 

 蓋を開けてみれば、当の貴族殿は今までに見たことがないほど腰が低かった。

 身構えていた自分にとってこの丁寧で真摯な対応は、些か居心地が悪いし正直なところ困惑している。

 初対面で字呼びを許されてしまった事も私の困惑に拍車をかけている。

 

「気にされる必要はございません。我らは我らの役割を果たす為にここにおります故」

「それでも、です。貴族だからと言って他者を見下して当然などと考えるなど、人として恥ずべき事です。功績とてもはや過去の物だと言うのにいつまでも縋りつく事しか出来ない。いつ無くなるともしれない物に頼っていては遠からず待つのは滅びのみです」

 

 勿論、表情には出さないようにしているが、本当に彼女が貴族なのかと疑ってもいる。

 民草が荀昆の名を騙っているか、従者辺りが代理として名乗っていると言われた方がまだ納得出来るぞ。

 

 しかも丁寧な口調で儚げな雰囲気を持っていると言うのに意外と言動は辛辣だ。

 その辺りは桂花との血の繋がりを感じさせる。

 あの子も蓮華や雪蓮、冥琳と騒いでいる時は容赦なく物を言うしな。

 

 しかしどこで誰が聞いているかわからないような状況で迂闊に肯定の言葉を返す事も出来ない。

 貴族批判に同意したなんて話が万が一にも広まってはまずいのだ。

 

「ご心労、お察しします」

 

 この程度の言葉を言う事しか今の私には出来ない。

 

「ふふ。お気遣いのお言葉、ありがとうございます」

 

 流石に聡明だ。

 明確な回答ではなかったとはいえ私の心情はしっかりと伝わっているらしい。

 文官の立場から言えば敵対する可能性がある相手は単純であった方がやり易いのだがな。

 

「恐らくこれ以上の襲撃はないと思われます。建業まではあと二日で到着する予定ですので、それまでご不便などあればお申し付けください」

「……ありがとうございます」

 

 彼女と話していると陽菜と話しているような錯覚をする事がある。

 まだ短い期間しか会話をしていないが、この女性はあいつと同じような常識のずれ方をしているような気がしてならない。

 

 今のやり取りでもそうだ。

 私が謙った物言いをした瞬間、一瞬だけ悲しそうな顔をした。

 己に傅かれる事を良しとしていない。

 いつまでも上に立つ者としての態度を取らない陽菜と同じ。

 

 あんな物の見方をする貴族なんて存在するのか?

 

 ……まだ結論を出すのは早い。

 だが彼女とその一派となら良い関係を築けるかもしれない。

 

 正文様の乗る馬車から降りる。

 周囲を見張っていた私の部下を無言で促し、馬車の傍を離れた。

 馬車を取り囲むように護衛している荀家の私兵たちは私達をずっと監視している。

 自分たちの主に粗相や危害を加える事がないかをずっと見ていたのだ。

 

 当然の事だが、しかしその視線には早く出ていけと言う意思が多分に含まれている。

 平民が我らが主に気安く話しかけるなとでも言いたいのだろう。

 

 私も本当なら私兵に伝言をお願いして速やかに任務に戻るつもりでいたのだが。

 しかし伝言をお願いした所、本人が面会したいと所望した為に彼らの不機嫌そうな視線に晒される事になったのだ。

 

 彼女自身と周りの人間でこうも意識の差があるのは良い事とは言えないだろう。

 しかしそこは荀家の問題で私が口出ししてよい物ではない。

 

 もしも本当に民と貴族に差など無いと考えているのなら、いずれ彼女らの一派がなんらかの対応をするはずだ。

 尤も簡単な話とは言えない上に長い時間がかかるだろうがな。

 

「公共様!」

「なんだ?」

 

 激の部隊からの早馬が私の前に現れた。

 馬を降り私に一礼すると報告に移る。

 

「賊の撃退を完了しました。それと程隊長により賊の一人を意識を残したまま捕縛。現在、こちらに移送中です」

「なるほど。まずは賊の迎撃御苦労。捕らえた一人についてはそのまま連れてこい。自害などされないように気をつけてくれ」

「はっ!」

 

 素早く馬に乗り直し、部隊の後方へと走り去る。

 そのなかなか様になった後ろ姿を見送りながら私は心中で呟いた。

 

 捕縛した奴が有益な情報を吐くかはわからんが、な。

 

 建業まであと二日。

 これ以上、厄介事が起こらない事を祈りつつ私は起こりうる厄介事の内容とその対処について考え始めた。

 

 

 

「桂花……貴方が無事で、本当に良かった!」

「お母様……立花お母様ぁ!!!」

 

 涙を流しながらお互いの身体を抱きしめる親子。

 その姿を優しい視線で見つめる主だった武官、文官。

 

 ここは玉座の間。

 荀昆の一行は無事に建業に到着。

 荀昆は領主である蘭雪様に挨拶に、私兵団については深冬と文官何人かで宿舎に連れて行った。

 私兵団の人間は荀昆の護衛として何人か同伴すると申し出たのだが、本人が拒否している。

 俺達を信頼しての行動なのか、それとも身内がいると出来ない話をするつもりなのかは定かではない。

 

 しかし今はただの母親として子供である桂花の無事を喜んでいた。

 俺としては余計なしがらみなどなしにこの光景を見ていたかったが、そうも言っていられない。

 そんな自分が少し嫌になるがそれも含めてこの道を選んだ以上、呑みこまねばならない弱音だろう。

 

 

 荀昆正文(じゅんこんせいぶん)は儚げな雰囲気を持つ女性だった。

 今まで俺が関わってきた異性ではいなかったタイプだろう。

 思慮深くはあっても活発な性格ばかりだからな、うちの連中は。

 

 服装もこの時代の貴族が着る物としては余計な装飾のない質素な物だ。

 その服の生地は初見でも見てとれる高級品だが、むやみやたらに着飾る趣味はないらしい。

 思えば初めて会った時に桂花が着ていた服もそうだった。

 背は成人女性としては低めだ。

 前世のメートル法で表現するならおよそ百五十センチと言った所だろう。

 桂花自身は今後、どうなるかわからないが母親がこうだと背は低くなりそうだ。

 しかしこの世界の女性で歴史に大なり小なり名を残す人間はなぜ美人ばかりなのだろう?

 荀昆もご多分に漏れず色白の肌と儚げな雰囲気とが相まってとても綺麗だ。

 髪の色は薄めの亜麻色で桂花にも受け継がれていると見える。

 

「皆様、私の娘を助けていただき今日まで守っていただいた事、荀家を代表して改めてお礼を言わせていただきます。本当にありがとうございました」

 

 抱きしめていた桂花を離し、この場に集まった全員に頭を下げる荀昆。

 直接貴族と関わった事のある古参の文官たちはあからさまに動揺し、武官たちとも自分たちが考える貴族の印象とまったく異なる対応をする彼女に困惑している。

 

「特に凌刀厘様。娘を助けていただいただけでなくお世話までしていただき本当にありがとうございます」

「私は私が最善だと思う行動を取ったに過ぎません」

「そのお蔭でこうして元気な姿の娘と再会する事が出来ました」

 

 儚げな雰囲気とは裏腹に案外、頑固な性格でもあるらしい。

 相手の立場を考えれば下手な謙遜などせず、素直に礼を受け取るが妥当か。

 

「感謝のお言葉、ありがたく頂戴いたします」

 

 頭を下げて言葉を受け取る。

 その事に彼女がその雰囲気に見合った微笑を浮かべたのがなんとなくわかった。

 

「ありがとう。そして孫文台様、建業を代表する方々。これから貴方がたを巻きこんでしまった荀家の内部抗争についてお話します」

 

 またしても動揺と困惑が場に広がる。

 

「誤解のないように先にお断りしておきますがこれは意図せぬ事とは言え貴方がたを巻きこんでしまった事への謝罪であり、それ以上の意図はありません。この情報をどのように扱うかは貴方がたに一任します」

「恐れながら申し上げます。荀家の内部事情を聞かせたくないと考えておられるのなら我々としても無理にお聞きするつもりはございません」

 

 口を挟んだのは美命だ。

 恐らく事情を聞いた事によって生じる不利益を考えての事だろう。

 既に巻き込まれている事とはいえ貴族の内部事情にこれ以上の深入りをするのは建業にとって手に余る可能性が高い。

 

「これは荀家にとって恥ずべき事柄。確かに家の者以外に話すのは本来、憚られる事ではあります。ですが所詮、恥ずべきと言う想いですらこちらの事情でしかありません。私どもの事柄に巻き込み、あまつさえ軍を動かして護衛までしてくださった貴方がたには知る権利があると考えております」

 

 やはり彼女は相当の頑固者らしい。

 そして誠実な人柄だ。

 しかし誠実であると言う事が俺達にとって良い事になるかは場合によりけりであり、今回はどちらかと言えば悪い事に当たる。

 

「そこまで私どもの事をお考えの上での決断なのですね?」

「はい」

「ならば私から言う事はもうございません。過ぎた事を申し上げた事、謝罪いたします」

 

 美命が引き下がる。

 内心では相当に苦悩している事だろう。

 彼女の話を聞いた結果、事態がどう転ぶかが読めないからだ。

 

 既に密書であらかたの内部事情を知っているとはいえ、公式の場で建業の主たる面々に説明すると言うのは訳が違う。

 

 他領がこの件をどう捉えるか。

 これが劇薬になり、今まで以上に苛烈に動く可能性が高い。

 貴族と建業の仲が深まったと考え、逆に鎮静剤にもなりえるがこの可能性は低いだろう。

 

 荀昆の誠実な人格とその行動が、建業の今後を左右するのだ。

 どうやらまだしばらくこの騒動は続くようである。

 

 

 

 そして荀家御一行が到着して三日。

 俺達は桂花との別れの時を迎えていた。

 

「またね、桂花」

「……ええ。雪蓮も、元気で」

 

 ここは俺の部屋だ。

 公的な場で真名を言いながら別れの挨拶をする訳にはいかない。

 形式ばった言葉で別れるのは子供たちにとって辛い事になるだろう。

 だから先に私的な場で周りの事など気にせずに別れられるよう俺と蘭雪様、美命に正文とで取り計らった。

 

「冥琳、貴方との知恵比べ。とても楽しかったわ」

「私もだ。またいつか勝負しよう」

 

 握手する冥琳嬢と桂花。

 部屋に集まった子供たちは例外なく目元が潤んでいる。

 何か切っ掛けがあれば決壊してしまうだろう事が予測出来るほどに。

 

「シャオ、貴方からもらった腕飾り、大切にするわ」

「うん。ぐす、桂花もげんきでね」

 

 小さな身体で涙をこらえる小蓮嬢の背中を撫でてやる。

 我慢できなくなった彼女は俺の足にひっつき自分の顔を押し付けて涙を押し殺した。

 

「蓮華……」

「桂花……」

 

 この中で最も桂花とぶつかり、そして仲が良かっただろう蓮華嬢。

 二人は向かい合うと見つめ合ったまま動かなかった。

 恐らく二人にしかわからないなんらかのやり取りが行われたいたんだろう。

 この二人は傍目から見て間違いなく親友と言ってよい仲になったのだから。

 

「貴方には負けないわ」

「私も同じ気持ちよ」

 

 お互いに目を離さない。

 剣呑なように思えて、しかし親しみのある口調。

 親友であり、好敵手。

 お互いを高め合える理想の関係。

 ほんの少し羨ましいと思う。

 

「元気で……」

「ええ、絶対にまた会いましょう」

 

 二人が手を握り合う姿の先に、俺は今よりも成長した彼女らの姿を幻視した。

 

 

 

「お別れ、なのですね」

「そうだな。長いようで短かった」

 

 子供たちは既に席を外している。

 荀家一行が建業を出るまでもう一刻もないだろう。

 

「お前が元気になって本当に良かったよ」

「皆の……駆狼様のお蔭です」

 

 俺の胸に飛び込むように抱きつく桂花。

 俺の首に小さな手を精一杯回して、最後になるかもしれない抱擁をする。

 

「わ、わだしは……ずっと貴方の事をわずればぜん」

 

 我慢していた涙を溢れさせる桂花の頭を優しく撫でる。

 

「ああ、俺もお前の事を決して忘れない。またいつか必ず会おう」

「ばい……ありがどうございばず」

 

 今まで共に過ごしてきた時間に比べれば遥かに短い時間。

 大切なこの時間を俺達は時間が許す限り噛み締め続けた。

 

 

 

「行ったな、桂花は」

「ああ……」

 

 荀家御一行が去って行った方角を城壁から眺めながら話す俺は祭と話す。

 

「やはり寂しいの。あの子は……こう言うのは恐れ多いが蓮華様や雪蓮様となんら変わらぬ子供じゃった」

「別に恐れ多いような事じゃない。子供は子供だ。取り巻く環境が違うだけだ」

 

 出来る事なら権謀術数の渦巻く貴族社会に桂花を戻したくはなかった。

 友と笑い、親と笑う世界で生きてほしかった。

 

「お前はまたそうして抱え込もうとするんじゃな」

「……やはりわかってしまうか」

 

 読まれる事は正直、予想していた。

 祭と陽菜は俺が心を通わせた二人なのだから。

 俺の頑なな心をこじ開け、弱さを曝け出させた二人なのだから。

 

 右腕を抱きしめられる。

 俺の内心の悲しみを取り除こうとするような温もりが感じられた。

 

「大丈夫じゃ、駆狼。あの子は儂達が考えるよりもずっと強い」

「それはわかってるつもりだ。それでもやり切れない思いがある」

 

 強い事が良い事かどうかはわからない。

 あの子は『荀彧』なのだ。

 歴史に名を刻んだ文官と同じ名を持つ子で、その名に恥じないだけの智の片鱗を既に見せ始めている。

 今後、俺の知識通りに歴史が進む保証はない。

 だがそれでもあれほどの力を持つ人間が埋もれると言う事はまず無いだろう。

 

「あの子がどのような形であれ戦いに出る日が来るかもしれないと思うと、自分の力の無さが恨めしくなる」

「……それは儂達全員が抱えている想いじゃよ」

「わかってはいるんだよ、俺も」

 

 こんなにも残酷な世界で、これからも人が死ぬ。

 そのうちの幾らかは俺達が殺すのだ。

 割り切らねばいつか潰れる。

 

 割り切ったつもりでいてもふと現実を見つめ直した時に、今まで割り切ってきた想いが重圧として蘇る。

 

 ああ、俺は弱い。

 身体と共に心も鍛えていると言うのに。

 まだまだ俺は未熟者だ。

 だから俺と共に在る温もりに逃げたくなる。

 

 祭の身体を抱き寄せる。

 決して離さないように、決して離れないように、強く。

 

「ありがとう、祭。傍にいてくれて」

「弱さも強さも、どんなお前だって受け入れる。前に言った通りの事を実行しておるだけじゃ。今更礼など不要じゃ」

 

 日が落ちるまで俺達、そのままお互いの温もりを感じ続けた。

 



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第三十二話

 桂花が建業を去ってから早い物でもう半年が経過した。

 

 当初は仲の良い友達がいなくなって沈んでいた子供たちだったが、蓮華嬢や雪蓮嬢を筆頭に気持ちを切り替え始めた。

 彼女らに引きずられるように冥琳嬢や小蓮嬢も立ち直り、大なり小なり落ち込んでいた俺の部隊の人間や慎、塁たちも彼女らに負けていられないと今まで以上に仕事に励み出し。

 一週間が経過する頃には仕事に関しては正常な機能を取り戻していた。

 

 個人的には蓮華嬢が最初に立ち直ったのが意外だった。

 精神的に大雑把な気質な孫家の中で、彼女はかなり繊細で悪く言えば神経質な性質だから。

 喧嘩するほど仲が良いを地で行っていた関係の桂花がいなくなった事でしばらくは引きずると思っていた。

 実際には三日と経たずに意識を切り替え、勉強に勤しむようになったが。

 

 桂花と蓮華嬢。

 お互いに負けないと誓った別れの言葉の重みを俺は甘く見ていたらしい。

 本当に、二人は良い意味での好敵手になった物だと思う。

 

 

 さて呉の状況だが、荀家が領地を離れた事によって侵入してくる工作員の数がかなり減った。

 一時期は一日に十数人ひっ捕らえる事もあったのだが今は多くても一、二人と言う所だ。

 

 しかしそれで気を緩めて良いと言う訳ではない。

 現在も警備体制については日々、話し合いが行われ強化されている。

 城内に入る間諜の類は確実に捕まえる必要があるのだから。

 

 城下の方は基本的に泳がせている。

 見られただけで害になるような情報は桂花たちが去った今となってはほとんどないのだから捕まえる意味はほとんどない。

 故に妙な動きを見せないかの監視に留めているのが現状だ。

 

 

 建業の守備については塁が張り切っている。

 あいつも桂花の境遇には思う所があったようで、今まで以上に真剣に警備に励んでいるようだ。

 激から聞いたが最近は酒を飲む量をかなり減らしているらしい。

 祭と一緒に水のように酒を飲んでいただけに悪い物でも食べたかとも思ったが、激曰く心配いらないと言う事らしい。

 

 まぁ塁と告白もしてないのに熟年夫婦のような雰囲気を発散する奴が言うのだから問題ないだろう。

 もしも手に負えなくなれば相談してくるはずだ。

 迷惑をかけるからなんて水臭い理由で相談するのを躊躇うような間柄でもない。

 

 

 子供たちは総じて自分のやりたい事に今まで以上に取り組むようになった。

 特に変化が大きかったのは冥琳嬢と蓮華嬢だろう。

 

 二人は今まで以上に勉強に取り組む傍らで雪蓮嬢と一緒に外で遊び(本人たち曰く鍛錬)を積極的に行うようになった。

 知識の収集だけでは駄目だと感じたと言う事だろう。

 無理をしないかだけが心配だが、そこは俺達大人が目をかけてやればいい。

 雪蓮嬢と小蓮嬢は相変わらず自由奔放な振舞いを続けている。

 とはいえ二人の心境にも変化はあったらしく、教師からは逃げる癖に独自に勉強はしているようだ。

 隠れてこそこそと蔵書室に入り、本を片手に唸っている姿を何度も見かけている。

 その真剣な表情を見た後だと、なぜ定められた教師との勉強を真面目にこなせないのか不思議に思う。

 

 

 荀家との交流は今も続いている。

 表向きには桂花を返した事によって疎遠になった事になっているが、正文らとは以前俺に書簡を届けに来た密偵を介して書簡でやり取りをしている。

 勿論、秘密裏のやり取りではあるが公的に蘭雪様に宛てられた物だ。

 しかしそれとは別に俺個人に宛てられた書簡が来る事もある。

 

 俺宛の書簡の内容は正文による桂花の近況報告だ。

 俺から教わった将棋を桂花が自分で作り荀昆に教えてたのだだとか、誘拐される前は室内にいる事が多かった桂花が外で運動をするようになっただとか、本当に個人的な内容の書簡。

 

 俺宛によこす意図がいまいち読めない。

 なにせ俺が目を通した後は蘭雪様らや子供たちにもこの私信を見せているのだから。

 全員に情報が行き渡るならばわざわざ俺に宛てずとも蘭雪様に渡せば済むだろう。

 

 彼女の行動には幾つか解せない部分がある。

 俺のような新参の武官と文通もどきをしてあちらが得る所があるとは思えないのだ。

 

 桂花の事を考えると気は進まないが今後も荀家の動向には注意が必要だろう。

 

 

 

 例の密偵についてだが俺達と荀家の橋渡し役になったので正式に名を聞いている。

 

 彼の名は周洪勇平(しゅうこうゆうへい)。

 一つ所に留まる事の無い流浪の民(五胡とは異なるらしい)出身。

 しかし妻が身籠った事を切っ掛けに一族と袂を別ち、以降は定住生活をしているのだそうだ。

 他の一族は海を渡り、大陸の外に旅立って以来、連絡も取っていないらしい。

 雇い主を変えながら日銭を稼ぐ生活をしており、今は荀爽に雇われている。

 金払いが良い事もあり荀爽、荀昆らとはかれこれ四年ほどの付き合いがあると言う。

 優れた隠行は一族に伝わる物で、周洪はいわゆる免許皆伝の腕前らしい。

 

 比較対象がいないので彼の流派については聞いた限りの事しかわからないが卓越した腕を持っている事は事実だ。

 

 ちなみにこのプロフィールについてはこの役割を荀爽に依頼され、彼が挨拶に現れた時に語られた。

 ご丁寧な事に主要の面子が集まる朝議の席に音もなく紛れ込むと言うパフォーマンス付きで、だ。

 

 俺は一度、接触して周洪が放つ独特の気配を覚えていたから何食わぬ顔で紛れ込んでいるこの男に気付く事が出来たが。

 そうでなければ誰も気付けなかったのではないかと思えるほどに、彼の隠行は優れていた。

 

 彼らの一族が敵でなくて良かったと心の底から思う。

 昼間ですら見失いかねない技を持って、夜闇に紛れられたらと思うとぞっとする。

 若干二名は勘で気付きそうだが、一般人にとってはとてつもない脅威だ。

 

 しかし逆に敵対していない状態でこの男のような存在を知る事が出来たのは僥倖でもある。

 

 人間とは基本的に知らない事柄に対処する事が出来ない生き物だ。

 どれほど現実的な事態を想定していても、実際にその状況に陥らなければ本当の意味で危機感を覚える事は出来ない。

 その場で対応するにしても取りこぼしなく完璧に対応できる人間など滅多にいないだろう。

 

 俺や陽菜とて過去の経験から色々と先回りをした発言が出来るが、前世で経験していない事を想定する事は難しい。

 現に俺は俺達が感知できない程、隠密に長けた存在を考慮していながら勇平の存在に驚き、その存在に焦りを覚えている。

 

 予め想定していたはずの俺ですらそれほど驚愕したのだ。

 他の皆、取り分け自分の武に自信を持っていた者たちにとっては凄まじい衝撃だったに違いない。

 良くも悪くも危機感を持ったはずだ。

 

 現に美命や慎たちはこの男の存在を危険視している。

 いつ寝首をかかれるかわからない上に寝首をかく事が可能な存在を認識したのだからそれも当然の事だろう。

 勇平が雇われ者である事も不信感を煽っている。

 俺達の立場から見ればいつどう転ぶかわからないこの男の存在は不安要素でしかないのだ。

 

 しかしそれでも彼に対して暗殺などの強硬的な対策は取れない。

 何らかの行動を起こせばそれはそのまま彼への雇い主である荀家に対する敵対行為と取られかねないからだ。

 故に今、俺達に出来る事は警戒と監視しかない。

 

 彼には城に入る前に街中で俺や祭などの部隊長に声をかけてもらい、入城時は兵士の誰かしらが同伴するように段取りを取り付けた。

 建前は荀家に仕えている者(雇われているだけだが、重宝されていると言う意味では変わりは無い)を丁重に迎え入れる為だが、実質的には勇平が妙な真似をしないかの監視だ。

 

 彼自身、己が信用されていない事は理解しているのだろう。

 感情を見せない無機質な表情からもそれは容易く読み取れる。

 だから彼は無駄な諍いを避けるように所用が終わればすぐに建業を去っていくのだ。

 

 朝議に紛れ込むなんて手の込んだ事をしなければこちらの警戒はここまで厳しくはならなかっただろう。

 自らの危険性をわざわざ教えるような真似をした理由が俺にはわからなかった。

 

 自分の能力の高さを他者に誇示して悦に浸るような単純な性格とは思えない。

 俺達を信用はしても信頼はしないと言う意思表示か、はたまたいつでも俺達を殺せると言う遠回しな恫喝か。

 あるいはその両方か、もっと別の意味も含