【完結】剛腕無双の討巫術師(ミストレス) (家葉 テイク)
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第一章 凍てつく闇と剛腕無双
1.そして彼は彼女になった
異性に囲まれて暮らしてみたい――なんて思ったことはあるだろうか?
献身的な少女達が自分のことを取り合って微笑ましい争いを見せ、あるいは頼もしい少年達がこぞって自分を魅了しようとする…………きっと、そうして誰もが何の問題もなく楽しいまま過ごすことが出来れば、それは幸せだと言えるだろう。
だが、実際にそうなってみたら…………なんて現実的なことを考えてみると、とてもそうは言えなくなってくる。
たとえば女子校に少年が一人入学したとする。そんなことは通常であれば有り得ないが、もし起こってしまったら山程の苦労がその少年を待ち受けているのは想像に難くない。
艶やかな髪を短く切り乱雑に跳ねさせたウルフカットの黒髪に、威嚇する野良犬のような目つきの悪さ。しかしそれらの『野性的』とも表現できる容姿は、その整った美貌のせいで『可愛い』という形容でひとくくりに纏められてしまう。
総じてボーイッシュではあるもののどう考えても美少女なその少女は、今まさに女子校の、女子しかいないクラスの先頭ド真ん中でひどく居心地の悪い思いをしていた。『彼女』は――――ほんの数日前までは『彼』だったのだから、ある意味ではそれも当然かもしれないが。
そんな自分の現状を改めて省みた彼女――
*
「……はぁ」
三月下旬。
新学期に向けて文房具を揃えようと、近所のデパートへ向かったら四度目の赤信号だ。赤信号そのものはそこまで煩わしいことではないが、それが四回も続けば流石に嫌になってくる。普段こんな風に信号で足止めを食うことなどないというのに、何故今日に限って赤信号に捕まるのだろうか。良雅は信号待ちの間、そんなことを苛立ち交じりに考えていた。
――――これから起こることを考えれば、『運命だった』とも言えるのかもしれないが。
世間は春休みというヤツだが、何故だか今日は人が少なかった。いや、少なかった――というより、殆ど皆無だった。同じように信号待ちをしている女性が一人いるきりだ。
(綺麗な人だな……)
苛立ち交じり――と言っても、しょせんは赤信号。女性に視線を移した途端にそんな苛立ちはどこかへ行ってしまっていた。
その女性は知的な雰囲気を感じさせる容貌だった。スレンダーな長身で、レディーススーツがよく似合う。特にタイトスカートから覗くブラウンのタイツが少年である良雅からすれば大人の魅力だった。背中の中ほどまである艶やかな黒髪は後ろで一本に結ばれていて、そこだけは妖艶な美しさとは無縁の素朴さだったが、これは垢抜けないというよりは余計な装飾を削ぎ落した怜悧な印象で、そこがまた良雅の琴線を刺激した。
というのも、彼は大人のお姉さん好きなのだった。しかし悲しいかな、生来の目つきの悪さにどう矯正しても治らない癖毛は彼の好みである『大人のお姉さん』枠からすれば『お馬鹿な不良』という印象を持たれやすい特徴であり、その上彼のモットーは『男らしく生きる』ことだった。つまるところ、漫画に出て来るような一本筋の通った男に憧れ、なんかそれっぽい雰囲気を出そうと頑張っているのだ。……それだけならイタイ考えで済むのだが、彼の相貌の凶悪さと組み合わさると『心にもないことを言っているヤバい不良』的な化学変化がなされてしまう。お蔭で大人のお姉さんに好かれるどころか彼は未だに彼女が出来た試しがないのだった。
赤信号の間女性のことを横目に見ていた良雅だったが、彼は突然その視線を前に戻した。女性が彼の方に視線を向けたのだ。……いや、視線を戻した理由はそこではなく、良雅のことを見た女性が『ふっ』と、何やら意味深な微笑みを向けてきたからなのだが。
(ヤベー、見てたの気付かれたか……?)
特に見たからといって悪いのではないが、彼のことなのでただ見ているだけでも『睨みつけている』なんて勘違いされる可能性もあった。過去に夜道で『可愛い人だなー』と思ってたらわりと本気で逃げられたのは、今でも彼の悲しい思い出トップ10にランキングされているほどだ。好みの容姿の女性に『睨みつけている』なんて勘違いされるのは、あまり嬉しくない。
幸運にもそこで信号が青になったので良雅は早足で歩いて行くが…………何の因果か、女性のものらしきハイヒールの足音は良雅の後ろを一定の速さで着いてくる。
というかこの道はデパートに続く道なので、デパートに行くのであれば同じ道を歩くに決まっているのだった。考えてみれば当然だった。良雅は内心で頭を抱えた。
(う、後ろから常に足音が聞こえて来る……、でも背後を振り返ることはできない……。……これってひょっとして新手の拷問じゃねーか!?)
別に足音自体はそこまで気になることではないのだが、振り返れないというのが良雅にとっては辛い。自分の後姿が見られていると思うとどうにも落ち着かないのだ。靴紐はこんな時に限ってしっかり結ばれているし、ほどけた振りなんて突然すぎて訝しがられるかもしれない。というかそんな器用なことを出来る自信がない。…………普通に考えればただ前を歩いているだけの少年にそこまで注目しているはずはないのだが、後ろが気になりすぎる良雅はそこに思い至ることができない。
こんな拷問がデパートに辿り着くまで続くのか――靴紐に意識を向けていたせいで足元に視線を移していた為、段々と近づいてくるマンホールを見ながら思っていた良雅だったが、幸いにもそんな悪夢の時間はそう長くは続かなかった。
いや、案外『不幸にも』――と言った方が良いかもしれない。
何故なら……………………それを上回る『悪夢の時間』が、それから始まったのだから。
最初の異常は背後から聞こえて来るハイヒールの足音だった。
メトロノームのように一定のリズムと大きさで鳴っていたその音が、突然ひときわ強烈になったのだ。
「……?」
殆ど女性の存在を耳で捉えていた良雅が怪訝に思った時、次の異常が現れた。
水が噴き出す音を立てて、半透明の液体が彼の目の前にあるマンホールを
「なっ……!?」
その事実に気を取られた次の瞬間、第三の異常が現れた。
天から降って来た何者かが、中途半端に持ち上がりかけたマンホールに蹴りを叩き込んだ。
蹴りが直撃したマンホールはくの字に折れ曲がり――――一瞬遅れて、思わず目を瞑ってしまいたくなるほどの轟音が響く。轟音に紛れて、マンホールを持ち上げていた半透明の液体が千々に飛び散る音が良雅の耳に届き、ぴちゃり、と彼の頬にはねた。
「……………………は?」
そんな人間離れした破壊を生み出していたのは――妙齢の女性だった。
真っ黒い布地に金色の刺繍が施されたボディスーツのような恰好をしていたが、顔を見た良雅はすぐにその女性が誰か分かった。
その女性は、レディーススーツに身を包んだ先程の女性その人だった。先程の貞淑な大人の魅力を今は妖艶な大人の魅力に変換しているが。
マンホールにダイナミックな蹴りを叩き込んだ女性は、落ち着き払ったまま良雅に言う。
「落ち着け、私は
明らかに異常な発言をする女性だったが、良雅は
「え……は? おい待てよ、
「それはおそらくヤツが妖魔遣いだから――ええい、説明の手間が惜しい! 早く逃げてくれ!」
そう言って、女性は良雅を追い払うように手を振る。ただそれだけなのに明らかに大の男が腕を振る以上の気流が少し離れていた良雅の髪をも靡かせる。
「…………ッ!」
良雅のモットーは『男らしく生きる』だ。その彼が、『目の前の誰かに危ない役を押し付ける』のは果たして良いことなのか。咄嗟に良雅はそう考えた……が、すぐに思い直す。
此処に留まったとして、自分に何が出来る?
『妖魔には
その瞬間、女性の身体を半透明の液体が呑み込んだ。
――――確かに
あとの行動は――思考などなかっただろう。
彼女は
だからどうした?
妖魔に一般人が立ち向かったところで勝てる訳がない。
だからどうした?
無謀だろう、愚策だろう、軽率だろう、幼稚だろう。
だが、『男らしく生きる』というのは、そんな
「悪いな、ねーちゃん」
良雅は、『男らしく生きる』という己の生き方に従って、決定的な一歩を踏みしめる。
その先にある希望がいくら小さかったとしても、そんなことは足踏みする理由にはならない。
「忠告は、聞けね、」
ゴリッ、と。
良雅が踏みしめた、その一歩目。
そこに、最後の異常があった。
軽質な音と共に、足先に何かに引っかかった感覚が生まれた。まだ体重移動をしていなかったのでこけるようなことはないが、怪訝に思って足元を見ると…………そこにあったのは、
透き通った、
真っ赤な、
宝石、
刹那、良雅は
そして。
*
――良雅という少年は良香という少女になり、此処――国内唯一の巫術師養成学校である『神楽巫術学院』にいる。
アレが災厄だったのか、あるいは誰かに危険を押し付けることを良しとしない『良雅』への幸運だったのか、それは彼女としても判断に悩む部分だったが…………しかし、それはそれとしても女の子に変化しなくたって良かったじゃないか、と思う。思っても仕方がないところではあるのだが。
およそ七〇年前から突如現れるようになった神出鬼没の生きる災害――『妖魔』と同時期に現れた、妖魔に対抗できる唯一の存在、巫術師。これがどういうわけか女性にしか適性がない――正確には、巫術師の才を得る為に必要な
そして、神楽巫術学院はそんな社会で活躍する女性――巫術師を育成する為の施設であり、当然ながら生徒は女の子しかいない。
彼――いや彼女以外の全ての生徒が女の子なのも、それが理由だ。
「――じゃあ、次ー」
(…………ん?)
現在に至るまでのいきさつを思い返しているうちに担任の挨拶は終わり、いつの間にか生徒達の自己紹介が始まっていたようだった。これはいけない、と良香は内心で頭を振った。少年漫画が好きな良香だが、女子同士の交友関係が少年漫画のように単純に済む訳ではないということくらいは分かっている。この自己紹介でミスをすれば、最悪の場合……今後の学院生活は皆から浮いたまま生活することになる。ただでさえ女子の中に中身男という針の筵状態を針地獄状態にするほど、良香は孤独を愛していない。
気を張り直すと、幸いにもまだ四人目の自己紹介だった。良香の順番は一七番。『予習』する時間はたっぷりある。
「
立ち上がったその少女は、およそ高校一年生になったばかりとは思えない冷静さでそう言った。
その少女は知的な雰囲気を感じさせる容貌をしている。学院指定の制服はスレンダーな長身を包むことで礼服のような高貴さを醸し出し、ミニスカートから覗く黒いタイツは大人な魅力を放っていた。艶やかな黒髪は肩の長さで切られていて、そこだけは少女らしいあどけなさを保っている。きっと、長く伸ばせばより綺麗に、大人びて見えるだろう。
総じて、大人のお姉さんが好きな良香のタイプにドンピシャリだったが…………良香は彼女を見ても何とも思わない。女になった影響で、女性に魅力を感じなくなった――なんて恐ろしい話ではなく、より大きな印象がそれらを塗り潰していたからだ。
つまり――――この少女こそ、良雅だった良香を助け、この学院に入学させた張本人――ボディスーツの
ともあれ、彼女の中身は立派な大人――――自己紹介の模様は多いに参考に出来る。
「趣味は映画鑑賞と研究…………特技は徹夜と利き栄養ドリンク。好きなものは栄養ドリンクだ。ちなみに一番好きな銘柄は『ブレイク眠気』。私は今年からの編入だがよろしく頼む。……自己紹介はこんなところで良いかな?」
……………………と思ったが、そんなに参考にはならなかった。
その後も――――、
「
「……………………
「
――などなど、名乗りだけでも各々個性的な自己紹介が繰り出されていく。この自己紹介でスタートダッシュをかけられるか否かでこれからの学生生活がどういったものになるか決まる…………とは限らなかったらしい。あるいは、彼女達の自己紹介が『正解』で良香のイメージしていた『無難な答え』が外れだったのかもしれないが。
ともあれ、そのお蔭で自分の番になるころには良香の余計な不安もすっかり吹っ飛んでいた。現実は意外とファンタジー寄りなのだ。巫術師や妖魔なんてモノがある時点でファンタジー寄りも何もないが。
「オレは、端境良香」
立ち上がった良香は、これから三年間何度となく名乗ることになるであろう名前を、ゆっくりと噛まないように言った。
この学院に入学するにあたって、男のままでは色々と問題があるからと言って用意された女の身分としての名前だった。
男の頃と名前が違いすぎては良香の精神状態に悪影響が出るかもしれないということでなるべく違いはなくしておこうという配慮らしかったが、良香としては近すぎて咄嗟の時に言い間違えそうだという不安しかなかった。まあ、仮に言い間違えても普通に聞き流されそうな程度にしか違わないが。
名前を言った良香は、これまでの生徒達に倣って『ありのまま』の自分を言っていく。
「趣味は漫画を読むこと。特に少年漫画が好きだな。特技は早着替えで、好きなものは天ぷら。モットーは――――」
そう言って、良香は一拍だけ間を空ける。
よく分からないままに女になってしまったし、色んな事情で名前や個人情報も変わってしまったが、それでも『端境良香』は『端境良雅』だ。
そんな思いを込めて、彼女はこう宣言した。
「『男らしく生きる』だ!!」
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2.クラスメイトと仲良くなった
「……モットーは『男らしく生きる』、ね」
自己紹介や委員決め――なお、クラス委員長には良香の隣に座る
彩乃は良香の席までやって来て、意味深な笑みを浮かべていた。
「何だよ、悪いか?」
良香は少し拗ねたように言うが、彩乃は意味深な笑みを浮かべたまま『いや、そんなことはないさ』と言うだけだった。
『君が女性になってしまったのは、本来女性にしか適合しない
あの日、巨大なアメーバを退治した後の彩乃――この時点ではまだ大人の姿だった――がそんなことを言ったのを良香は思い出す。
いや、そこはそんなに重要ではない。少なくとも、門外漢の良香にとって重要なのは原理ではない。重要なのはその後に何気なく彩乃が言った台詞だった。
『それはそうと……非常に心苦しいのだが、君は安全の為にも巫術師養成学校――神楽巫術学院に女子生徒として入学してもらう。……そうでもして君の身柄を保護しないと、どこからか君の情報を集めた組織に拉致されて解剖されかねないからね』
――――良雅の平穏な人生がバラバラに崩された瞬間だった。
そういうわけで、良香が元々男だったという事実を知っているのは教師陣を初めとした学院上層部と、サポート役として身分と姿を偽り編入したこのプロの巫術師である彩乃のみである。当然ながら、同性の友人などという都合のいい存在は此処にはいない。そんな非常に居心地の悪い状況に彼女はいるのだった。
とはいえ、良香はこのくらいのことでくよくよしたりしない。『男らしく生きる』というモットーは良雅だった頃からの彼女の座右の銘であり、彼女の中の『男らしい男』は女になったくらいで戸惑うような人間ではない。……いや、そこは少しくらい戸惑えよと普通の人は思うかもしれないが、彼女も彼女で普通からはちょっとズレているのだった。
ともあれ、落ち込んでいても仕方がないのだ。彩乃も『絶対に君を戻す方法を見つける』なんて言っていたし、こういうのは気の持ちよう。男らしく生きるのは、別に女になっていてもできるのだ。
「お前こそ何だあの自己紹介。特技が徹夜と利き栄養ドリンクって、お前はエリート社畜か? っつーかブラック企業勤めでもあんな酷い特技は身につかねーだろ」
「ま、昔取った杵柄というかね」
呆れたような良香のツッコミにも、彩乃は肩を竦めるだけだった。それは暗にブラック企業勤めの経験があると言っているようなものであるが、彼女はあくまで何も言わない。良香は今から巫術師の勤務環境に思いを馳せざるを得なかった。
「しっかし」
呟き、良香は辺りを見渡す。
クラスの中では、彩乃と同じように席を立ち、知り合いと話しているらしい少女が多く見られた。…………が、全員どことなく浮足立っている。端的に言って、良香のように辺りを目線だけでキョロキョロ見ている生徒が多い。
「…………グループ作りとか、まだないのか? 此処って小中高一貫なんだよな」
「ああそうだ。ただ、
痛ましい事実に彩乃は眉を顰め、
「もっとも、彼女達に関してはおそらく別の理由だろう」
「別の理由?」
「事前配布された資料は見ていないのか?」
「逆に聞くが、この一〇日間俺に資料を見るような時間的心理的余裕があったと思うか?」
「悪いことを聞いた。すまない」
良香が軽く皮肉ると、彩乃は茶化すわけでもなく真面目腐った表情で頭を下げる。あまりに素直な態度に逆に皮肉を言った良香の方が何だか申し訳なくなってくるレベルだった。
何て言おうか良香が悩んでいると、彩乃はけろっと無表情に戻って顔を上げていた。良香は思わず肩透かしを食ってしまうが、彩乃はまるで気にせず続ける。
「では改めて説明するが…………明日のサバイバル演習を有利に進めるために、今からチーム作りに躍起なんだよ」
「……………………はい?」
「サバイバル演習だよ、サバイバル演習。昼の一一時から夕方六時まで七時間、ロボットから逃げ回るサバイバル形式の試験だ。成績決定は個人が基準だが、チーム結成までは制限されていないから事前にチームを組むのが慣習になってる。高等部に上がった生徒達の基本的な能力を見る為に毎年行われている、神楽巫術学院の伝統行事さ」
「………………………………」
「……にしたって、仲良しグループみたいなのはあるだろ? それで行こうとはならねーのか?」
おそらくこの分だと良香は彩乃とチームになるだろう。なので特に切羽詰った状況ではないのだが、それはそれとしてクラス全体の一大行事だ。どうしても気になる部分はある。
「それはそれ、これはこれだ。試験には本気で向かうのが流儀なんだよ」
「それで友情にヒビが入ったりしないのか…………」
特にこの学院は実技の成績が将来に直結するような場所だ。そうしたやっかみの類は絶えなさそうだと、一般的な感性を持つ良香は思ってしまう――勿論彼女自身は『男らしくない』のでそうしたことはしない――のだが。と、
「しないのよ。此処の連中は揃いも揃って変人だから」
話し込んでいた二人に、別の少女の声がかけられる。
その少女は焦げ茶の長髪を後ろで束ねて三つ編みにしていた。ただし大人しめの少女というわけではなく、目つきはあまり良くない三白眼。顔つきもとりたてて美少女というわけではない。怜悧な印象の美少女である彩乃とは対照的な、非常に『庶民的』な容姿の少女だった。
「アンタは?」
「
「緊張してたもんで……」
どこか責めるような色のある才加の言葉に、良香は思わず肩を竦めた。
が、それが彼女の素だったらしく、才加は気にした様子もなく続けていく。
「妖魔の登場によって、人類の敵意は妖魔に向いた。巫術師の育成が国家事業になってもう大分経つし、
つまり、自分より優秀な誰かを腐すような人間は此処にはいない、ということだ。
圧倒されている良香をよそに、才加は顎をしゃくって前の方の席に座っている少女を示す。
「あっちにいるエインズワース社の令嬢さんなんかは、巫術師どころか一流の
自分の腰よりも下あたりを手で示した才加から視線を外し、言われた少女の方を見る。
そこにいたのは、金髪碧眼の美少女だった。長髪の一部を肩にかけ、肩にかけた部分をゆるくカールさせている。『テンプレなお嬢様』のデザインをマイルドにさせたらちょうどあんな感じになるだろうか、という感じの容姿だ。
ただ一つ『テンプレなお嬢様』と違うのは、彼女の放つプレッシャーだった。
見ただけでその気位の高さが分かる。まるで、女王――彼女の放つ威圧感は既にその域に到達していた。彼女の傍に立つヘッドドレスをつけた生徒が傍に侍るメイドのように見えてくるほどだ。
「ほう、あれは
と、その傍に侍るメイド生徒を見た釧灘がそう口を開いた。
「知ってる人か?」
「ああ。私の前の席の生徒だ。メイドを目指しているらしい」
「ちなみに、ご令嬢さんの前の席があたしね」
…………どうやらメイドのように見えたのは錯覚ではなかったらしい。
(っていうか、メイドを目指しているようなヤツがなんでこの学院に来てるんだ……? オレと同じように偶然適合したのかな?)
しかし、才加、エインズワース社のご令嬢、可憐埼という女生徒、彩乃と話題に上がる人達は席が近いなあ……と少し離れた場所にいる良香は思った。席順は教壇から見て左の廊下側からあいうえお順に並んでいるので仕方ないのだが。
「さっきからご令嬢ご令嬢言ってるけど、あの子の名前はなんて言うんだ?」
「エルレシアさんね」
「……知ってるならそう呼べば良いのに。せめて名字でも。流石によそよそしすぎないか?」
「とんでもない!」
首を傾げる良香に、才加は驚いたように声を上げた。
「ご令嬢さんといえば大企業の社長令嬢で神に愛された天才でストイックな努力家で、そんな人を普通に呼ぶ『普通の女子高生』なんていないでしょ! 畏れ多くてとてもじゃないけど呼べないわ」
(あ、まともかと思ってたけどコイツもコイツでちょっと変だ)
良香は本能で才加との接し方を何となく悟った。
一通りの解説を終えた才加は、ようやっと本題に入っていく。
「んで、話は逸れたけどあたしも周りと同じようにサバイバルで仲間になれそうな子を探してたのよね」
「へー…………で、何でオレ?」
「だって、そこで話聞いてたらあんた達けっこう『外』に近い価値観の持ち主っぽいしねー」
才加は何てことなさそうに話し出す。
「あたしね、中二の頃に適合したから、連中みたいな『筋金入り』とは違うの。だから自分のことは『一般人代表』みたいなものだと思ってるのね」
昔のことを想い出してるのであろう、才加の瞳の中には懐かしさのようなものが浮かんでいた。
「最近、マスコミじゃ『
この『普通ではない場所』で頑ななまでに『普通な価値観』を貫き通すのも、それはそれで『普通ではない信条』ではあるが――――。
中学二年生の頃に適合した――つまり多感な時期にそれまで歩んできてそれから歩むはずだった人生が大幅に捻じ曲がった彼女がその結論に至るまで、どういう心の動きがあったのか、『男らしく生きる』という生き方を変えずにいられた良香には分からない。ただ今は、そんなことを自慢げに話せる彼女を真っ直ぐ見るだけだった。
「だから、『外』の価値観に近いヤツのが馬が合うのよあたし。まあ、あんたもあんたで『男らしく生きる』とかちょっと変わってるとこあるけど。あと彩乃ちゃんはどうか身体を大事にね」
「うっせーほっとけ自称一般人」
「前向きに善処しよう」
既に、三人は打ち解けていた。こういう雰囲気も才加の持ち味なのかもしれない。
「でさ。あんた達チーム組むでしょ? あたしも入れてよ。あたしは他の連中と違って『チームはチーム、友達は友達』ってほど分けられないしさ~、ついでに友達にもなっちゃおうぜ~」
そう言って、才加は良香の机に手を突いて身を乗り出し言う。冗談交じりの提案だったが、二人の答えは分かり切っていた。
「勿論。……っつか、もうすっかり友達だけどな。彩乃も良いだろ?」
「ああ、勿論だ。……よろしく才加。私は釧灘彩乃」
「知ってるわよ。あたし、
「…………あの時は緊張してたんだよ」
皮肉っぽく言う才加に、良香はバツが悪そうに呟いた。
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3.テンプレお嬢様Lv.99
と、幸運にも早速心温まる交流と友達ができた良香だったが、今は対照的にむすっとしていた。
放課後――――自室。
神楽巫術学院は全寮制だ。通常の全寮制と違い、消灯時間がない――生活リズムの維持は自己責任なのだ――のが特徴的だが、一部の例外を除いた全校生徒の全てが寮で暮らしている。
勿論、良香も寮に居を移していた。この為の荷造りと、その他色々にかなりの時間を要したのだが…………。
(これで当分家に帰らなくて済むのは良いけどよ……)
良香は目の前をじいっと見つめながら、
「…………何でお前と同室なんだ?」
素知らぬ顔で今日出された課題をこなしている彩乃に言った。
良香の部屋は彩乃との二人部屋で、部屋に入るとキッチンに出て、右手に洗面所とトイレ、奥に入ると洋室――という間取りになっている。今、その洋室には二人分のベッドとタンス、学習机が置かれていて、ベッドに座った良香が彩乃の背中を見つめているという形だ。
彩乃の方はむしろ『何でそんな簡単なことを聞くんだ?』と言わんばかりの調子でこう返す。
「何でって、そうなるように上が手を回してるからだが?」
「そうじゃなくて、オレの中身が男だってのは分かってんだろ! 何で『相部屋』なんだよ! 一人部屋を用意してくれよ!!」
「うーん……」
ついでに好みのタイプの少女と一緒の部屋で過ごすのは健全な青少年的には刺激が強すぎる――という本音は隠して切実な思いを語る良香だったが、肝心の彩乃は良香のことを慮っているんだか課題の回答に悩んでいるんだか分からないほど適当に唸るだけだった。
「だが良香、君は女の身体のことをよく知らないだろう? 教えてくれる人が必要なんじゃないか?」
「だ、か、ら、余計に困るんだっつーんだよォおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!!」
良香は艶やかな黒髪を精一杯振り乱して
再三言うがけっこう好みのタイプの女の子に、女のいろはを教えられるのは健全な青少年として性的に倒錯しすぎていて心のダメージがデカすぎる。新たな
それはともかく案外保健医の先生とか良い感じなのではないだろうか? と良香は思う。女子校なので女性なのは間違いないだろうが、性に関する知識は豊富だろうし何より先生だからおばちゃんの確率が高い。
「なあ、保健医の先生とかはどうなんだよ? やっぱこういうのは本職のプロにさ……」
「……んあー……」
というわけで遠慮しつつも思い付きのままに打診してみる良香に、彩乃は微妙な表情を浮かべながらも懐から携帯を取り出し、指でつついと動かして何かしらの操作をし、良香に画面を見せる。
「…………ん?」
彩乃の携帯の画面には、胸元の開いた黒く煌びやかなミニスカドレスの上に白衣を羽織るという、何だか白衣を冒涜しているような格好の女性が笑顔を浮かべながら大人の姿の彩乃と肩を組んで写っていた。目元にある泣きぼくろが余計に扇情さを掻きたてる。
「……この人は……?」
「私の同期で、今はこの学院の高等部の保健医をしていたかな」
絶望が、良香を襲った。
「だからっ!! それじゃっ!! 意味ないって言ってんだろ!!!!」
良香はベッドにぼすん! と拳を突き立てる。
「でも、正直役得だろう?」
「えっうんそれはその………………」
……絶望と言いつつ、わりと
確かに精神的にキツイといえばキツイが、でも大人のお姉さんにイロイロとやさしく教えてもらえるというのはそれはそれで嬉しいことなのである。これは仕方がない男のサガなのである。
とはいえ美少女というのは得だ。何故なら男なら完璧ブサイクな顔をしていても何だかんだ『可愛い』という最終評価を得られるのだから。
まあ、それが良香にとって望ましい評価かどうかは別だが。
(ま、コイツがこうなっているのは『保健医ならエロくなきゃダメ』とかいうサブカル知識を真に受けているだけで、本性はただのむっつりスケベ委員長だから、良香の期待には添えなさそうだが…………)
ベッドに突っ伏して身悶えている健全な少年(傍から見たらパンツ丸見えの美少女)にそこはかとなく生暖かい視線を投げかけながらとんでもないことを考える彩乃だった。
………………その後の熱心な話し合いの末、結局良香の性教育はネットの知恵袋系Q&Aサイトに託されることとなった。
科学の発展は、今日もどこかで誰かを救う。
*
神楽巫術学院には消灯時間がない。
その為、生徒達は基本的に自由に行動しそれぞれ思い思いの場所で活動しているが、授業が終わり、一息ついた午後七時ごろになると、ほぼすべての生徒が一つの場所に集結する。その場所とは――――、
『学生食堂』だ。
「へえ、流石に広いな」
食堂に入った良香は、その広さに感心して呟いた。
神楽巫術学院高等部生食堂――――小中高一貫というマンモス校でもある神楽巫術学院には、小中高の生徒の為に三つの学生食堂が用意されている。が、それでも高等部の学生数は四八〇人。全寮制である以上利用者割合は普通の学生食堂の比ではないので、大きさもちょっとした体育館並なのだった。
「確か一〇〇〇人は入るようにしているらしいよ」
「…………確か高等部の全校生徒って四八〇人なんだろ? そんなに多く作る意味あったか?」
「これから増えるということだろう」
「あー、なるほど」
「『国防の要』なだけに、むやみやたらと増やすわけにもいかないんだけどねー」
と、話している二人に、才加の声がかけられる。
「あ、才加」
「おーっす。ってか二人とも一緒に来たの?」
「ああ。良香とは偶然にも部屋が同じでね」
「ええー! そんな偶然、マジであんのね~」
しれっと嘘を吐く彩乃に、才加は無邪気な反応を返す。上が勝手に決めたという秘めたる事実を知っている良香としては、何とも言えない気分であった。
「んで、さっきの話だけどさ」
券売機の前までやって来てカツ丼の食券を買いながら、良香はそんな風に話を切り出す。
「『むやみやたらと増やすわけにもいかない』って?」
「ああ、それね」
『とんこつラーメン』の食券を買いながら、才加が頷く。女の子的にラーメンってOKなんだ…………と内心で思う良香だったが、男の目の届かないところや食べてもOKな状況では女の子だって普通にラーメンを食べたりするものだ。……カツ丼を頼んだ自分の男らしさが霞むなぁ、と良香は内心残念に思った。
「巫術師というのは、特殊部隊を出さないと退治できない妖魔を一人で相手取ることができる個人戦力だからな」
二人に続……かず、途中のコンビニでブロックの栄養調整食品と栄養ドリンクを購入した彩乃はコンビニ袋を揺らしながら言う。
「……………………彩乃、お前ちゃんと食った方が良いと思うぞ」
「何を言う。夕食に必要な栄養素はしっかりと取っている。これでもこの『カルブロック』、その名の通りカロリーの
「そういうことじゃなくて…………まあ良いわ。良香、コイツの
「そうだな……」
決意も新たに食券を料理と交換しにカウンターへ向かう三人は、そのまま話を続ける。
「でね、巫術師は強力な武力で、国の重要な戦力なのよ。むやみやたらと増やしたりすれば、スパイにその国の重要な武力を与えかねないってわけ」
「………………スパイ?」
「まあこのご時世、どの国も自国で発生する妖魔の対処に追われていて諜報どころじゃないが……それでも、
「エインズワース社のご令嬢なんかも、外見とか名前は外国人だけどなんか特殊な方法で帰化してて今は日本国籍らしいしね。そこらへんかなり徹底してるらしいわよ」
三人は食券を渡しながら(約一名それに付き添いながら)、およそ普通の女子高生らしからぬ会話を繰り広げていく。
「そうなのか……」
とりあえず相槌を打つ良香だったが、いまいちピンと来ない話だった。この間までただの少年だった良香にはスパイだのといった話はあまりにも縁遠い。
そんな雰囲気を感じたのか、陰謀論大好きな主婦っぽい才加はこほんと咳払いをして、話を変える。
「そういえば」
早速出てきた料理が載ったお盆を受け取ると、才加は辺りを見渡しながら、
「やっぱり、どいつも夕食の面子がチームになってるわね」
「ふつうは違うのか?」
同じように料理を受け取ると、良香は問いかけながら空いているテーブルへと歩き出す。
「『実技は実技、プライベートはプライベート』が成立する連中だからね。でも今日は、チームワークを強化する為に突貫でも交流を深めてるんでしょ」
「……もう少し時間的余裕をとればいいのに」
「そうは言っても元々は個人戦だったものが、『たとえ突貫でもチームを組んだ方が有利に試験を進められる』ということで慣習的にチーム戦になっているだけだからな。日程の方を組み直すのもそれはそれでおかしいだろう」
言われてみればその通りだった。
良香は五人も座れそうな大きめのテーブルを見繕ってお盆を置きながら、
「ちなみに、才加はこの中でどのチームが脅威とかってのは分かるか?」
「ああそりゃもう簡単よ。エインズワース社のご令嬢。アレに当たるようなら速攻で逃げるべし。あの人はモノが違うわよ」
才加は即答だった。
「…………そんなにか?」
「そんなによ。
ぶるりと身震いしてみせる才加の瞳には、本気の畏怖が宿っている。
「中等部の頃の実戦訓練じゃ常にトップの成績だったし、小等部に入学したその日に高等部の三年生と互角に渡り合ったって噂もあるし、もうとにかくとんでもない人なのよね」
「……流石に後者の噂は誇張が過ぎるが、彼女の噂は『外』でも聞いたな」
付け加えるように、彩乃が言う。才加には『外でも名が通るほど優秀』という意味に聞こえたかもしれないが、実際には『現場でも期待されるほどの有望株』という意味だと良香には分かっていた。何にせよ、恐ろしい人材ということらしい。
「コネもあるし、きっとあの人は将来偉くなるわよ。エインズワース社の
これは周知の事実だが――――如何に
ただし、軍隊を出すということはつまりそのたびに『金がかかる』のだ。燃料費、弾薬費、人件費、妖魔の攻撃を受ければ人材や兵器は損耗し、その修繕費も当然かかる。その上、妖魔との戦いに『終わり』はない。まだ人類は妖魔が発生する『原因』を突き止めることはできていないのだ。
だが、
「肝心の現場では『もしもの時の最後の気休め』扱いされているがな。……ただでさえ学院は対妖魔関連で権力を一極集中させすぎて一部から反感を買っているから、こういうところで利益を与えておかないと無用に敵を作ってしまうのさ」
「下手に除け者にするからいけないのですわ」
と、そんな風に話していた三人の対面に、コトリと焼きたてのステーキとパンが載せられたお盆が置かれる。
お盆の持ち主は、肩にかけた金髪の一部を縦巻ロールっぽく緩くカールさせた、碧眼の美少女だった。
その傍らには、焼き鮭定食の載せられたお盆を持ったヘッドドレスの少女が控えるように佇んでいた。
「……アンタは」
「おや、こんばんは」
「あっどうも!」
「こんばんは、お三方」
「皆さん御機嫌よう。……端境さんは初めましてですわね。…………その言葉遣いは不問にいたしますわ。わたくしは寛大ですので」
「お、おう……?」
同級生のはずなのにナチュラルにタメ口を窘められた良香は、しかしエルレシアの大物オーラに流されてツッコミすら入れられなかった。仕方がないので横に座る少女に視線を向ける。
「……そっちのメイドさんは、可憐崎さん、だったか?」
「
志希と名乗ったヘッドドレスの少女はそう言って立ったまま頭を下げる。まるで分度器で測ったかのように正確に一五度をマークした完璧なお辞儀に、良香も思わず首だけで頭を下げた。
「除け者にするからいけない、か」
栄養ドリンクを飲んでいた彩乃は、飲み口から口を離して反芻するように言う。
「ええ。現状でも学院は人材派遣・人材管理・後進育成・技術開発・法則研究の五つの分野を独占していますから。顰蹙を買うのも頷けますわ」
「だが、分散させればその分連携は取りづらくなる。教育を軸にした一極集中管理システムがあるから、今の社会が成り立っているんだ」
「しかしそれは我々の――力ある者の我儘ですわ」
彩乃の言葉を、エルレシアはそう言って一刀両断した。
「いっそのこと門戸を広げれば良いのです。広げて広げて――そして国家全体を覆ってしまえばよろしい。国立学校などと小さい範囲に収まらず、巫術関連だけなどと小さいことを言わず、一つの政府となって国全体を巫術中心に再構成すれば問題など全て解決しますわ」
それはつまり国体の改変――というとんでもない話だったが、エルレシアの瞳にはしっかりと野望の光が宿っていた。彼女は、自分の手でそれを実行するつもりだ。
「……素晴らしい理念だ」
彩乃は目を細めてそんなことを言った。皮肉の色はない。そんなエルレシアの言葉を否定するでも肯定するでもなく、立場の差を越えて、彼女が秘める『信念』に敬意を表したのだ。
それに対し、あっさりと引いた彩乃に肩すかしを食ったのか、エルレシアはつまらなそうに鼻を鳴らしてこう返した。
「当然のことですわ。
「そういえば、エルレシアと志希はチームを組むのか?」
話がひと段落ついたタイミングで、良香はエルレシアに話を振る。ちなみに政治とかの良く分からない話になっていた頃、良香は才加と一緒に志希と親睦を深めていた。
「ええ。そのつもりですわ。本当は一人で挑みたかったくらいですが――――いかにわたくしとはいえ、流石にそれは慢心が過ぎますからね」
「…………へぇ」
エルレシアはさらりと言うが、あたりを見渡すと一人のテーブルに五人掛け――つまり五人のチームが普通に見られる。最低でも三人が精々だ。そう考えると、二人で挑むというのはかなり無謀だと言えるだろう。
あるいは、それが無謀にならないほどの力を持っていれば話は別だが。
「貴方がたは三人で戦うおつもりのようですが、これ以上メンバーを増やそうとは思わないので?」
「まぁな。他のチームも三人のところはそれなりにいるみたいだし…………」
良香としては人数が足りなければ、誰かを誘うつもりだったし、今いるエルレシアと志希を誘えばちょうど五人になる。人数も平均に達するし、何よりエルレシアは同級生の中でも頭ひとつふたつ抜けていると評判の凄腕だ。誘わない手はない。
だが、良香としてはエルレシア達を同じチームに誘うつもりは毛頭なかった。もちろん、エルレシア達以外の生徒もだ。
「横で二人で頑張ってるヤツらがいるってのに、人数集めに躍起になるのは『男らしい』ことじゃねーしな」
「は? 何カッコつけてんの良香。もしかしてホントにメンバー集めしないつもり??」
「…………………………」
キメ顔で言ったのだが、速攻で才加にツッコミを入れられてしょぼんとする良香。
「だって! 有象無象など徒党を組んでも二人で十分みたいなこと言ってるライバルがいるのに『でも俺達は一生懸命徒党を組みまーす』なんて格好悪いだろ!」
「ヨソはヨソ! ウチはウチ!」
「ちょっとお待ちなさい。有象無象は言いすぎですわ。わたくしに比べれば確かに劣りますが、この学院の生徒はそれでも優秀な人材が……」
「お嬢様、それはフォローになっていない気が…………」
ギャーギャーと、食卓はたちまち賑やかになっていく。
政治的なこととか、戦闘のこととか、色々と常識離れしてはいるが、基本的には彼女も女子高生である。
(…………あーあー、凄い悪目立ちしてるなぁ……。他のチームから目をつけられなければ良いんだが)
そんな四人を横目に、年長者である彩乃は何を言うでもなく栄養ドリンクを呷るのであった。
ちなみに、チームの人数は結局三人で行くことになった。
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4.『登頂』
さて、夕食が済めば残る一日のスケジュールは入浴と就寝である。
一応課題は出ているが、明日は一日中サバイバル演習で授業が潰れるし、その後も課題の締め切りとなる授業は来週の月曜日までないから別に今日はやる必要ないよねと思う『夏休みの課題は最終日になってからが本番派』こと良香にとってはないも同然だ。
だが――――この入浴が、彼女にとってはある意味最大の難関だった。
『学生浴場』。
神楽巫術学院の浴場は、簡単に説明すると巨大な歯車のような形状をしている。巨大な円状の大浴場を中心として、歯車の歯のように九つの脱衣所が設置されている。それぞれ小中高につき三つずつ用意されているわけだ。
浴場の中には通常の浴場のほか、ジャグジー風呂や冷水風呂、炭酸風呂、サウナ、足湯、露天風呂など一〇種類の湯を楽しむことができる。しかも源泉かけ流し。湯から上がった後もマッサージ椅子やら卓球台やら、まるで温泉旅館かと思うほどに設備の整った施設なのである。
そしてこれほど施設が揃っているということはつまり、それ以外に入浴用の設備はないということを意味している。
良香にとって最大の問題はそこだった。
「……………………目のやり場に困るよう」
心の中は立派な思春期の少年である良香にとって、全裸の少女が何も気にせず闊歩する浴場というのはまさしく地雷原である。ちょっとでも目のやりどころを間違えれば起爆してしまう。
少女と化してからの五日間、入浴の作法については決死の覚悟で学んだ良香だったが、だからといって女性の身体に対する照れがなくなるわけではない。
性教育とか、そういう間接的なアレならまだ役得にカウントできる良香だったが、流石に直接的なエロとなると閾値を超えてしまうのである。
しかしそんな良香の心情など毛ほども気にせず、横にいる彩乃は平気な顔で上着を脱いでいく。当たり前のように黒いブラジャーに包まれた少々控えめな胸がまろび出た。
「ちょ、おま……! 何で脱いでんだ!?」
「何でって、脱がなきゃ風呂に入れないだろう」
「そりゃそうだけど……っつか、お前恥ずかしくねーの?」
「別に裸を見られたところで何かが減るというわけではないしな」
どうやらこの少女に減るような羞恥心は残っていないようだった。おそらく異次元生命体である彩乃に理解を求めることを諦めた良香は、せめてそちらの方は見ないようにして自分も上着を脱ぐ。
すると、淡い緑のブラジャーに覆われた『自分の胸』が現れた。
『自分の胸』だ。
カップはCだったか。大きいのか小さいのか、男だった頃は判断できていたものが自分のモノになったらよく分からなくなってしまった。
(姉ちゃんに聞いたら『どっちかというと大きい』って言ってたけど…………)
もやもや考えながら背中に手を回してブラジャーのホックを外す。すると、生まれたままの姿の双丘が――――、
………………。
スッ……と良香は真顔で顔を上げていた。そのままスカートを落とし、パンツも脱ぐ。正真正銘全裸になった良香は、目にもとまらぬ速さで(特技:早着替え)ボディタオルで身体の前面を覆い完全防御を完成させる。
「おろ、良香ってば何隠してんのよ?」
そこに現れたのは才加だ。彼女は隠すどころかボディタオルを肩にかけ、仁王立ちしていた。せっかく三つ編みをほどいて髪をおろしていつもと違う色っぽい印象になっているというのに、そんな印象を吹っ飛ばしてしあうほどの清々しさだ。人間というのは不思議なもので、ここまで男らしい姿を見せられると恥ずかしがるとかそういう感情も吹っ飛んでしまうようだった。
端的に言うと、
「色気がない…………」
「あァ!? 女だらけのとこで
「ひぎぃ!! ギブ、ギブギブ…………!」
正直に思ったことを言ってしまった良香に才加のアイアンクローがキメられる。ギリギリギリと女子とは思えない握力によって繰り出される暴力に、良香はただ無心でタップするしかない。
色気がないは禁句。良香は覚えた。
「ってーか、だから何で隠してんのよ? 恥ずかしいの? それともでっかいキズがあるとか?」
「恥ずかしいんだよ……。むしろ才加はなんで恥ずかしくねーの?」
「そりゃ、隠すようなモンないからね。エインズワース社のご令嬢さんみたいな立派なモンがあるんなら隠すかもしれないけど」
「…………そんなに大きいのか?」
才加があまりにもイイ顔で言うので、良香は思わず首をかしげてしまう。対する才加はにんまりと頷き、
「……すんごかったわ。前にお風呂で何度か見たけど、やっぱ外国の血が入ってると違うわね。日本人とは比べものにならなかったわ~……。あたしも令嬢さんくらいあればねえ」
そう言って、胸を持ち上げるジェスチャーをする。当然空を切るという悲しすぎる動作だったが。
そんな動作に、良香は呆れたように笑って、
「――――わたくしがどうかしまして?」
直後、その笑みを凍りつかせた。
「はぅあ!?」
「ななななななっなんでもありませんマジで本当にのーぷろぶれむです!!」
馬鹿二人はガクガクと膝を大爆笑させながら、必死に取り繕う。気位の高そうな彼女にこの手の下世話な話を振ったらどうなるか分からない。
ちなみに、エルレシアのマウンテンはやっぱりとんでもなかったし、その傍らに無言で佇む志希のおっぱいヒルズもなかなかのものだった。
*
浴場の中は音が響くせいか、脱衣所に輪をかけて賑やかだった。
そんな中、五人はさっさと蛇口の方に向かっていく。サバイバルでは敵同士というスタンスを崩さない二チームだったが、それでも先程の食堂ではけっこう打ち解けていた。
エルレシアはやっぱり威厳の塊みたいな存在だったが、それでも取りつく島すらないというわけではないらしい。話してみると意外と冗談の分かる少女だった。
とはいえ、やっぱり地雷を踏んだら嫌なので滅多なことは言えないなぁと思う良香だったが。
(無心…………無心だ…………)
そんな良香は今、必死に心を無にしている真っ最中だった。
いかに湯気が働いてくれていると言っても限界がある。女の身体になったとはいえ、男の精神を持つ自分がそれにかまけて女体を思うさま見尽くすのは『男らしくない』……そう思った良香は、なるべく他の女生徒の身体を見ないようにして身体を洗っていた。
その様子を見ていた才加は、ふとこんなことを言い出した。
「…………良香ってば、もしかして女の子が好きなの?」
「んごふっ?!」
あまりにも突然な指摘に、思わず咽る良香。そんな様子を見て才加は疑念を確信に変えたらしく、
「やっぱり……。なんか妙に恥ずかしがってるし、かと思えば他の女の子のこと見てるし、ひょっとしたらって思ってたんだけど。あ、でも安心してね。あたし別にそういうこと気にするタイプじゃないし。むしろ応援するわよ! あたしは普通に男が好きなクチだけど!」
良香としては中身が男なのであながち間違いでもないというのが何とも言えないところだった。しかも明るい感じで冗談すら交えて良香が傷つかないように配慮しているのがまた辛さを倍増させている。
「いや、あの………………」
「才加、それは君の勘違いだよ」
あまりの勘違いっぷりに何も言えなくなっている良香に代わって、彩乃がフォローを入れてくる。彩乃が食いついて来たのでさらに興味を示した才加は、頭を洗いながら身を乗り出して、
「勘違い? どういうこと?」
「私も聞いてみたが、彼女はバイだそうだ。つまり女の子だけじゃなく男の子もイケるということだ」
「
とんでもない虚偽発言に、良香は思わず叫んだ。
「オレはレズでもなければバイでもない!! ただの異性愛者なの!!」
「でもオレとか言ってるし……てっきりボイタチに憧れるフェムネコなのかと……」
「これはポリシーなの! オレっ娘っていうだけでそれ以上の個性はないの!!!! っていうかイタチとかネコとかいきなり何言い出してんだ!?」
自分で自分のことをオレっ娘と呼ぶ苦行を乗り越えた良香は、はーはーと肩で息をする。殆ど半泣きなのは誰にも責められないだろう。
ちなみに、ボイタチというのはボーイッシュなタチ(男性的な嗜好が強い攻め好き)という意味であり、フェムネコというのはフェミニンなネコ(女性的な嗜好が強い受け好き)という意味である。才加の良香に対する認識が窺える一幕であった。
そんな三人のやりとりを見ていたエルレシアは、ぽつりとこんなことを言う。
「あら、残念ですわね。もしそういう趣味があるのでしたら、色々と教えて差し上げようと思っていましたのに」
……………………。
何だかんだで耳を澄ませていた女生徒のうち数人が人知れず狂喜していたことについては、あまり詳しく語らない方が良いだろう。
*
そんなこんなで身体を洗い終えた五人は、そのまま通常の浴槽に浸かっていた。身体を洗う時と違って距離も近く、その上
(表面上は取り繕ってるのか……? それとも女子校ではこういうノリが普通なのか……?)
あまりにも明け透けなノリに、女性の現実を知っているつもりになっていた良香も困惑を隠せなかった。特に浴槽に入るなり『っふう゛ゥゥううううううう』とオッサンくさい溜息を吐いた才加は、良香の中の『女子高生』という言葉の定義を根本から揺るがしたほどだ。
「そういえばさ、二人って付き合い長いの?」
目を瞑って暖かいお風呂を堪能している良香は、不意にそんなことを切り出した。メイドを目指す少女と、超絶お嬢様。学院で偶然知り合ったにしては運命的過ぎる組み合わせではないだろうか、と良香は思うのだ。あと志希のエルレシアに対する態度とか、一朝一夕でできるものとは思えない。
「いえ」
そんな風に思っていた良香に、志希はあっさりとした否定を入れ、
「付き合いも何も、今日知り合ったばかりですが」
「はぁ!? えぇ、マジで言ってんの!?」
思わず目を見開いた良香は、そこでバッチリ志希の裸を見てしまい、無言でお風呂のふちに頭をガンガンと打ちつける。
「事実ですわよ。朝のHRが終わったら話しかけてきて、わたくしの専属メイドにしてほしいと。別に断ることでもありませんでしたので受け入れたのですわ」
「なんかもう…………もう……」
初対面の相手にメイドになりたいと申し出る方も、それを『別に断ることでもない』と受け入れる方も、当たり前な方向から明らかに逸脱してしまっている。
「そういう貴女達はどうなんですの? 特に良香さんと彩乃さん――貴女がたは最初から知り合いであったように見受けられますが」
「え、ああ、それは……」
「彼女とは、『外』で知り合ったのさ」
一瞬言い淀んだ良香の言葉を引き継ぐようにして、彩乃が言う。
「……はぁ、『外』?」
「ああ。それで彼女が『適合』した場所に出くわした。彼女を学院に招待したのも私さ」
完膚なきまでに隠し事のない一〇〇%の真実だった。それ言っちゃって良いのか? と良香は思わず彩乃の横顔を見て、見なくて良いおっぱいまで見てしまって目を瞑った。なんかもう此処にいる限りシリアスになることは無理っぽい感じだった。
「学院に招待……貴女も編入組と言いつつなかなか訳ありのようですが」
「そうは言っても、この学院の生徒なんて大体が訳ありだろう?」
「……………………それもそうですわね」
人に歴史ありとはよく言ったもので、常人ではなれないはずの巫術師になっている時点で普通では考えられない『訳』を抱えている。少しばかりイレギュラーがあったところで、そんなのはイレギュラーまみれのこの学院では逆に埋没しかねない個性でしかなくなってしまう。
もちろん、その中でも『実は男だった』なんていうのはこれまでの巫術師の常識を塗り替える世紀の大発見だし、現役の巫術師が身分を偽って入学しているのも別の意味で大問題なのだが。
…………彼女があえて包み隠さず事情を話したのは、そう思わせる為だ。下手に嘘を吐けばそれだけ不信感を与える種は大きくなってしまう。『彩乃が実はプロの巫術師で』『良香の正体が良雅』ということさえ隠せていれば、何も問題はないのだ。
あと、包み隠さず話すことで良香が動揺する様を見せれば、彩乃の証言が嘘ではないと三人に信じさせることができるという狙いもあったりする。大人は色々と考えているのだ。
「では、明日もありますしわたくしはそろそろ上がりましょうか」
「じゃあ、オレ達も上がろうぜ」
聞きたいことも聞けたからか、そう言ってエルレシアが立ち上がったと同時に志希も立ち上がる。それに続いて、三人も立ち上がって浴槽から出た。
と。
急に立ち上がったからか、フラ……と突然のめまいが良香を襲う。よろめいた良香は咄嗟に手を出したが、幸いにも壁に手を突けたのか、ムニッという感触と共に体の傾きはそこで止まった。
「…………むに?」
そこで、気付く。
壁にしては、自分の掌に収まるものの感触が柔らかすぎるということに。
そしてそもそも、自分の手の届く範囲に壁と呼べるものはないということに。
信じられない、信じたくない気持ちを抑えながら、良香はゆっくりと目を開ける。そこには、一面の肌色が広がっていた。自らの両手が置いてある膨らみの下になだらかな曲線が見え、ぽちんと小さなヘソが見える。そこで良香は反射的に視線を上げた。
やっぱり彼女の手は、豊かな膨らみの上に置いてあった。
そして、彼女はやっと事実を認識する。
つまり、良香の手は。
マウントエルレシアの登頂に成功していた。
「あ、あば」
サッと手を引いた良香だったが、しかし彼女の狼狽は収まっていなかった。
今も、その両手にフッジサーンの柔らかな感触が残っている。良香はどうしようもなくてただ両手の指をピクピクさせることしかできない。
「あばば、あばばばばばばば…………!」
「……………良香さん……………」
エルレシアがそう呟いた途端に、湯気で温まっているはずのその場の空気が一気に一〇度も下がったような錯覚に襲われた。
偶然とはいえ、胸を揉んでしまった。あの自尊心の強さで言えば世界で一、二を争いそうなイメージの、
それはもう……駄目だろう。越えてはいけないラインを大幅に越えてしまっているだろう。
だが、既にもう手遅れだからと言って逃げる訳にはいかない。
これは良香の過失であり、そこから逃げるような生き方は『男らしくない』のだから!!
「す、すみませんでしたァァああああああああああああああああああッ!!」
流れるような動きで、良香は土下座した。全裸の少女が土下座している姿は見ようによっては背徳的に見えないこともないかもしれないが、前後の状況を知っている周囲としては色んな意味で『伝説』でしかなかった。
「わ、悪気は…………悪気はなかったんですこの子も! どうか、どうかお命ばかりはお助けを!」
そう言って、才加も一緒に乗っかって頭を下げる。それってむしろ状況を悪化させているだけなのではと彩乃は思ったが、面白そうだったので何も言わなかった。
「………………」
対するエルレシアは、何も答えなかった。ただ土下座する良香に背を向け、こう言い残した。
「――――『後日』、ゆっくりと『お話』しましょう」
そして、一つの物語がバッドエンドを迎えた。
*
「…………ねえ、志希」
「……はい、なんでしょうお嬢様」
「…………わたくし、そんなに冗談の通じないイメージかしら?」
「私にはお答えできかねます」
「…………………………………………即答しましたわね」
*
木々の葉同士が擦れ合う音が、波のように寄せては引いて行く。
そこは鬱蒼とした森林地帯だった。
面積は神楽巫術学院が誇る一〇の演習場の中でも最大。神楽巫術学院が収まっている周囲一〇キロの人工島の敷地面積の実に三分の一を占める、学生達の汗と涙が染み込んだ修練場。
その名は、『
良香達が七時間もの間生き残りをかけた死闘を繰り広げるのは、この場所になる。
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5.演習フラッシュバック
「調子はどうだ」
首の調子でも確認するようにして左手を当てながら、彩乃は良香に問いかけた。良香は若干落ち込み気味で、分かりきったことを聞く彩乃にどこか恨めしそうな視線を向けて言う。
「良いように見えるか?」
そう言う良香の姿は、いつも着ている神楽巫術学院の制服ではない。赤を基調とした、ボーイッシュなへそ出しの衣装に変化していた。ウルフカットの黒髪と併せて、まるで赤ずきんの皮を被った狼のようだ――と言えたら中身が男の良香としては良いのだが、狼というには少しばかり可愛げがありすぎる。どっちかというと『赤ずきんの皮に呑み込まれた狼』という感じだった。『男らしく』というモットー的にはあまりよろしくない感じである。
――――巫術師は
ちなみに、彼女に呼びかけた彩乃も既に変身は済ませている。格好はあの日良雅が見た黒地に金の刺繍の入ったボディスーツそのままだ。
「そう拗ねないの。あんたの気持ちも分かるけどさぁ」
窘めるように言った才加も、既に変身を完了させていた。
緑を基調とした体のラインが全く分からなくなるくらい巨大なフード付きウィンドブレーカーが特徴的な、運動着によって構成された格好。健康的に見えるが巨大なウィンドブレーカーに全てが覆い隠されているせいで、『部活の朝練でランニングしている魔術師』みたいにはぐな印象になってしまっている。
「そっちは大丈夫だ……。まだちょっと気にかかってるけど、やれる」
良香が気にしているのはそっち――つまりエルレシアの件ではないのだが、詳しく説明しても仕方のないことである。自分が慣れることにしようと考えを改め、頷く。
「でも、あとでちゃんと謝るのよ。あたしも一緒に謝ってあげるから」
何気に一緒に謝ってくれるというあたりに彼女の面倒見の良さが出ているが…………悲しいかな、彼女の気遣いが全体的に空回りしていることをあの局面を客観的に俯瞰していた彩乃は知っている。
(まあ、言わぬが花かな)
彩乃はそう考え、意識を切り替える。
その切り替わりを空気で察したのか、二人もぴくりと身体を震わせた。二人の心の準備ができたタイミングで、彩乃も確認を開始する。
「結局詳しい内容は確認しきれなかったから、サバイバルの概要をもう一度確認しておくぞ。才加は知っていると思うが、今回の演習は襲い掛かって来る
「聞く度思うけど……わりと余裕じゃないか?」
良香は訝しげにそう言った。油断や慢心という話ではなく、彼女は女になったその日に彩乃の戦いぶりを見ている。その様子を見ていれば、いかに彼女が本物のプロで自分達とは隔絶した実力を持っているにしても
しかし彩乃は首を横に振り、
「いや、それがそうでもない。何せこの演習の成績は『撃破数』で決定される仕組みになっているんだからな」
「…………『撃破数』?
「いや、
「………………は?」
此処に至って、良香は思わず思考を停止させざるを得なかった。
「演習の成績は生き残った時間と撃破した生徒の数で決定される。つまり、上を目指そうとすれば自然と生徒同士で潰し合いが誘発される構造ができているんだよ」
「良い子ちゃんほど熱心にお友達の首を狙ってくるって訳」
げんなりとしたやる気のない表情で、才加は肩を竦める。思えば、演習で生き残る為だけならあれほど急いでチームを作ろうという動きが『伝統化』するとは考えづらい。もっと直近の脅威――つまり生徒同士の潰し合いが誘発するからこその動きだったのだ。
笑えない話だった。特に前日にエルレシアに恨みを買われている(と思っている)良香的には全く以て笑えない話だった。
「タイムリミットは夜の六時。つまり今から七時間は、新たな友人と親睦を深める為の楽しい楽しいデスゲームだ」
「で、どうする? この演習場、高校から使えるところだからあたし達は此処の地理なんて殆ど把握していない訳だけど」
演習場への入場は外周に設置されている四〇〇の入場ゲートから行われる。その為チームを組んだ生徒と同じゲートに入ることはできるが、他の入場ゲートから誰が入ったのかは分からないし演習場の具体的な地形も分からない。演習場全体に森が広がっているらしいが、どこかに泉があるかもしれないし洞窟があっても不思議ではないのだ。
「そうだな……私は感知が使えるが……」
「感知?」
「ああ、良香は知らなかったな……まあそれはいずれ話そう。だが、感知では
「ってか、感知が使えるとか……昨日から思ってたけどあんたいったい何者よ? 編入のクセに」
「ま、色々と訳ありなんだよ」
怪訝な顔をする才加に彩乃は適当な返しをする。勿論こんな言い方では全然誤魔化せていないが、彩乃の方は誤魔化すつもりもないような雰囲気だった。何にせよ良香には何が何やらさっぱりだ。とにかく
「じゃ、あたしが空から辺りを調べてみるわ」
そう言って、才加は二人から少し距離を取る。だが、良香としては聞き捨てならない言葉が既に飛び出していた。
「…………才加、お前飛べるの?」
「何言ってんの。巫術師なら誰だって飛べるわ。風の
才加の周囲を風が渦巻き出す。そして、彼女は目を瞑りまるで教科書の一節を諳んじるように呪文を唱え出す。
「あー、『万象を構成する四の元素の一、風よ』――――『空翔ける為の我が翼となれ』」
ふわり、と才加の身体が浮かび上がる。……いや違う。彼女の身体を浮かばせるほどの風が、彼女自身から放たれているのだ。
「あんなこともできるんだな、アルター……」
そんな彼女を見送りながら、良香は思わず先日のことを思い出していた。
*
あの日。
「は、え? なん……?」
アメーバに呑み込まれたボディースーツの巫術師――彩乃を助けようと決心した良香は、一瞬で自分の視界が数センチ下がったのを体感した。
良香が認識出来たのはそこまでだったが、それでも彼女にとっては立派な異常だった。しかし、目の前にそれ以上の危険がある状況でいつまでも止まっていられない。
既に彩乃は右腕が辛うじてアメーバから出ているような有様であり、状況は一刻を争うように見えた。
「今、助け――」
その先の言葉は、暴力的なまでの風圧にかき消された。
良香がさらに一歩踏み出そうとした瞬間、台風かと思う程の暴風が周囲を席巻した。その暴風は突き出た彩乃の腕に集約され、そしてアメーバを一瞬にして吹き散らしていく。
その中から少しも慌てた様子のない彩乃が飛び出し、跳躍してアメーバから距離を取った。
良香の出る幕は、微塵もなかった。
「……なるほどな……。『そっち』の流れを汲んでるわけだ……。……少年、何をしている。さっき逃げろと、」
当の彩乃は、何かに納得していた。その表情にはアメーバに取り込まれかけた焦りなど微塵も存在していない。むしろ、相手の狙いを読む為にあえて一度やられかけたような気さえしてくる余裕だった。
そこで、意識を良香に向けた彩乃は、アメーバに取り込まれかけても崩さなかったポーカーフェイスにヒビを入る。
「お、女、に……? 適合……!? 男がか!? いや……、チィ! 考えている暇はない!」
まさか目の前の少年は少年の格好をしていただけで少女だったのか? という現実逃避の思考が彩乃の脳裏をよぎるが、だとしても背格好が明らかに変化している。それだけでも有り得ないことだ。
しかし目の前にはアメーバの妖魔がいる。混乱している彩乃だったが、それでも今一番すべきことを考え、ここは一旦目の前の少女に関する一切の思考を放棄する。
(…………仮にこれが罠だったとしても、
腕を振るった彩乃のその軌跡から炎が生まれ、そしてマンホールから這い出て来るアメーバに直撃した。直後、ジュゥオオオ! と水が蒸発するような音と共に、アメーバが盛大にのたうち回る。
「あの、えっと…………?」
彩乃の背後で、可愛らしい声が聞こえる。その声色は戸惑いを隠しきれていない。……当然だ。突然襲われたりもすればそうなる。おそらく、まだ彼女は自分の違和感にすら気付いていないことだろう。
スゥー……と焼かれたアメーバはたまらずマンホールの中に引っ込む。
「逃げた……?」
「違う下がれ!」
思わず彼女が呟いた瞬間、彩乃が跳ねるように飛び退き、彼女のことを抱きかかえてしまう。ぎゅう、とその拍子に胸が押し付けられ、少女とはいえ中身は男な良香は頬を赤く染めた。
彩乃の方は完璧にマンホールの方を……いや、音もなく地面を突き破って、今まで彼女達がいた場所を通過していくアメーバの方を見ていた。それに対し、彩乃は殆ど瞬間的に判断する。
「チィ……物質を取り込み同化する能力か」
「え? ぶっし……何だって?」
「良いからそこで
そう言うと同時、彼女達の足元の地面が隆起して二つの小さな台座のようなものが出来上がる。
突如台座のようなものに上げられた彼女は思わず身じろぎしたが、『見ているんだ』と言われたのを思い出して踏み止まる――――そこで、自分の姿に気付いた。
「……あ?」
そして、自分の声にも気付いた。
つまり、自分の身体が
彼の着ていたパーカーはぶかぶかになっており、太腿のあたりまでを隠すほどの丈になっている。彼女が逃げ出したりしなかったのは幸運だったと言って良いだろう。何故なら、彼女のズボンとパンツは急なサイズの変化に対応しきれず、完璧にずり落ちてしまっているのだから。
……………………ズボンとパンツが。
「うわっ…………!!」
色気も何もなくズボンとパンツを引き上げようと彼女が屈んだその瞬間、状況が動いた。
先程と同じように、アメーバのような妖魔が音もなく地面から現れ出る。少女となった良雅はガードが堅いと判断したのか、現れ出たのは彩乃の背後だった。
しかし、アメーバ型妖魔は彩乃の位置が台座分盛り上がっていることを知らない。つまり、台座の分アメーバ型妖魔の計算よりも彩乃には対応時間が残されていて、そこに計算違いが生まれる。
つまり、彩乃が後の先をとれる状況が生まれる。
それを狙っていたかのように、彩乃はアメーバが出てきた場所に手を翳した。その瞬間、ドパァ! と地面が隆起し、穴の中に埋まっていたアメーバの大部分が押し流される。すかさず跳躍した彩乃はそのまま穴から追い出されて逃げ場を失ったアメーバに肉薄した。
「触れた物質を取り込む能力を利用して、無音で地中からの接近を狙ったのだろうが……
そして、業火が炸裂した。
体の大半を炎上させ、のたうち回るアメーバに視線を向けながら、まるで生徒に講釈するような調子で彩乃は良香に言う。
「己のうちにある
*
「…………今にして思えば、あの時の台詞は今の状況を見越して言っていたんだなぁ」
過去に思いを馳せていた良香はふとそんなことを呟いた。高等部から編入となる良香は基礎学習をする為の時間がない。あの時点で編入となることを見越して説明をしながら戦っていたのだとしたら、大した準備の良さだと良香は思う。
「どうした? 心配か?」
しみじみと呟いた良香に、彩乃は真面目腐った表情をしながら言う。
「なに、心配は要らないさ。これでも一応プロの端くれだからな、大概の事態は私が処理できる。良香は何もしなくて良い」
「…………過保護すぎだよ。オレだってやるときはやる」
拗ねたように言う良香だったが、彩乃は曖昧に笑うだけだった。と、
「ハーイあんたらあたしに見回りさせといてイチャつくのはやめてよねー」
ふわり、と才加が穏やかな風を伴って降りてくる。
「なっ……!? イチャついてなんかねーって!」
「何照れてんのよ。あんたノーマルなんでしょ?」
きょとんとした調子で問い返されて、良香は顔を赤くした。が、才加の方は特に良香のことを怪訝に思う訳でもなくどんどん話していく。
「一二時の方角五〇〇メートルほど先に木々のない開けた丘を発見したわ。あそこならかなり戦いやすくなりそう。ただ、
「おう! 望むところだ!」
気を取り直して、良香はパン! と掌に拳をぶつけ気合を入れ直す。良香としては巫術師の才能に開花してから初めての戦闘だ。女になってからというものどうにもしまらないことが多い良香としては、このあたりで一つ格好いいところを見せて名誉挽回しておきたいところだった。才加はそんな良香を微笑ましいものでも見るように頷いて、
「それで、
「具体的にどんなタイプだったんだ?」
「狼型の口にサインが搭載されてるタイプと、ゴリラ型の拳にサインが搭載されているタイプ、最後に隼型の嘴にサインが搭載されているタイプの三機で
「なるほどな……おそらく機動性に優れた狼タイプで攪乱しつつ防御力に優れたゴリラタイプで正面から襲撃し、隠密性に優れた隼タイプで死角から襲うというスタイルなんだろう」
彩乃はあっさりと敵側の思惑を看破し、
「この森でコンビネーションを万全にされると厄介だな。火のアルターで森を焼き払うか?」
「いやいやいやいや! そんなの無理に決まってるでしょ!」
「そうだぞ彩乃、考え直せ! 森林火災は地球温暖化の原因の一つでもあるんだぞ!」
「……それもそうだな。生きている木は水を吸っているから燃えづらいともいうし…………時間がかかりすぎるか」
「いや、そうじゃねーんだけど……」
やはり、彩乃はどこかズレていると良香は思った。というか、『やろうと思えばこのあたり一帯に火を撒くことはできる』というのがヤバい。流石にプロは格が違った。
「じゃあこうしよう。才加はこの周囲に風のアルターで乱気流を起こす。そうすれば隼型はまともに飛行ができなくなるだろう。狼とゴリラのスペックは分からないが、この立地なら私一人でも始末できる」
当然のように、良香の名前は出てこなかった。
「…………オレは?」
「良香は周囲の警戒だ。私達は
「だったらなおさらオレも一緒になって戦って
「いや駄目だ。良香はまだアルターの使い方をマスターしてはいないだろう? 肉弾戦くらいしかできない以上、サインに接触する危険性が高すぎる」
「……………………、」
正論だった。
確かに、良香は経験値が足りない。足りなさすぎる。学生同士の戦いであればまだ救いはあるが、
しかし、今の二人は生徒という立場で互いに対等だ。そんな良香が一方的に『守られる』選択を押し付けられて、嬉しく思うはずはない。
「良香、彩乃の言う通りよ。まだ生徒とのぶつかり合いもあるんだし、此処は従っときなさい」
そんな良香の心中を見抜いたのかそうでないのか、絶妙なタイミングで才加が声をかける。仕方なく良香も渋々頷いて、周囲を警戒し始める――――揺れる木の葉同士が擦れる音に交じって何かが近づく音を一番最初に捉えたのは――良香だった。
「っ! 来るぞ、正面からだ!」
良香が言った瞬間、正面から狼型が飛び出して来た。ただし、狼型は地面を駆る訳ではない。そうではなく、乱立している木を足場に、ジグザグに移動しているのだ。
彩乃の考えた狼型の役割――錯乱というのはそのものずばり的中していた。こうも小刻みに動かれては生半可なアルターでは命中させられないし、比較的小規模でも範囲攻撃の側面を持つ風のアルターは威力が低すぎる。
発動には
そして、詠唱している間に狼型は彩乃に襲い掛かるだろう。一瞬にも満たない時間にそこまで思案した彩乃は、迷わずこう言った。
「
言葉を発している最中にも土のアルターによって彩乃の足元の地面が盛り上がり、石でできた小さなミニチュアの塔のようなものが出来上がる。
それに向けて素早く足を振りかぶった彩乃はサッカーボールでも蹴るようにミニチュアの石塔を蹴っ飛ばした。
直後。
下手な爆発よりも強烈な爆砕音が森中に響き渡った。
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6.現在に至る過去
散弾のように弾け飛ぶ石塔の破片を見ながら、良香はあの日の戦闘を思い出していた。
『はぁ、はぁ……!』
彩乃の策にはまり、全身の半分を炙られて転がったアメーバは今や完全に人間の形をとっていた。形どころか、今は輪郭や服装などの細かな装飾まで把握することができる。尤も、その体の半分からは炎による蒸気を立ち昇らせていたが。
アメーバの正体は、男だった。彫の深い、単発の男。服は何かの制服なのか、上はスウェットのような身体にぴったりと張り付くスーツの上にノースリーブのブレザーのような上着、下はスラックスだった。
ただし、色彩がない。
形状は完全に人間のもののはずなのに、それを構成する肉体の全てがアメーバになってしまっているのだ。――――まるで、戻れなくなってしまったかのように。
少女となった良雅の方は今まで化け物だと思っていたものが急に人間の形を取り出したので驚愕していたが、面と向かっていた彩乃は別に気にした様子もなく、
「ふむ、やはり『妖魔遣い』だったか」
と言って、再び地面に潜り込もうとしたアメーバの男を地面ごと蹴り飛ばす。ドパァン! とプールに飛び込んだ時の音を甲高くしたような音が響き、男の身体の右肩から先が粉々の水飛沫になって飛び散り、そして消滅した。
「あれは……」
それを見て、ふいに彼女は自分の頬にもあの水飛沫のようになったアメーバの破片が飛び散っていたことを思い出し、ズボンを穿き直すのもそこそこに頬に手を当ててみた。
「…………」
瑞々しい肌つやは分かったが、アメーバの破片は既に消滅している。おそらくあまり細かく飛び散ると、ああやって何もしなくても消滅してしまうのだろう。
「今のは
彩乃はそう言ってから地面に這いつくばるアメーバの男を見下ろし、
「そしてコイツは『妖魔遣い』――妖魔の力をその身に取り込んだ人間だ、……コイツの場合は、人間の
『……よく動く、口だ…………!』
「おや、喋る理性が残っていたか。既に完全に人間に戻ることすらできないだろうに」
嘲るような口調の彩乃に、アメーバの男はピクリと頬に当たる部分をひくつかせた。その一言は、彼にとっては絶対に触れられたくない一部分だったのだろうか。
『……学院の狗風情が、吠えやがってェェええええッ!!』
「吠えているのはどっちだろうな……」
溜息を吐く彩乃の横で、這いつくばっていたはずのアメーバの男が高速でスライドする。人間の形をしていてもアメーバはあくまでアメーバ。どんな体勢であろうと、人間としての身体の構造にとらわれることなく身体を動かすことができる。
そうたとえば……体表付近の組織を高速で循環させ、タイヤのような回転による移動も、可能になるわけだ。
しかし――――このトリッキーな機動にも、彩乃は全く動揺していなかった。それどころか彼女は、既に詠唱を完成させていて――、
彩乃の周囲を包み込むように炎が燃え上がった。結局、アメーバの男の動きは全て読まれていた。その上で、彩乃の侮るような態度は攻撃を誘い込む為の罠だったのである。
ドンピシャリのタイミングで炎を浴びたアメーバの男は、そのまま炎による爆風で吹っ飛ばされた。
しかし――――アメーバの男の表情に陰りはない。
確かにアメーバによる移動はトリッキーだし一見すると読みづらい。しかし、相手はプロの巫術師。たとえ格下でも油断なんて言葉はないし、常に相手の先の先の手を読むのが当然な相手だ。そんな相手に
だからこそ、『最初から返り討ちにされる』ことを前提に戦略を組んだのだ。
既に全身から蒸気を放っている重傷を負ったアメーバの男が、吹っ飛ばされる先そこは…………ひしゃげた蓋の転がるマンホール。
そして、その中に入ることさえできれば後は簡単だ。逃げながら周囲の物質を取り込めば、この負傷はチャラになる。
「なるほど、此処までは計算づくだったか。流石に理性が残っているだけはある。このまま逃げるつもりだな」
上を行かれたはずの彩乃だったが、それでも彼女の余裕に揺らぎは見られない。穴の中に潜り込んだアメーバの男の後を追うようにマンホールに駆け寄った彩乃は―――、
そのまま、逃げる敵の背中を後押しした。
ただし、地面を取り込んで回復しつつ逃げようとしていたアメーバの男を、マンホールの蓋ごと底まで殴り落とす形で。
そこから先は、地上にいた彼女には確認できなかった。
彼女が確認した戦闘の顛末は、半壊したマンホールから容赦も躊躇もなく飛び降りた彩乃の姿と、その後にマンホールから立ち上る炎の光、そして地の底から響くような男の断末魔だけだった。
*
蹴り砕かれた小石の散弾が狼型の全身へとめり込んで行く。
破砕した石の破片がめり込んだ狼型はもはや動くことすらままならない。どうやら機動性と引き換えに
「………………なんだあれ」
とはいえ一撃で
残るゴリラ型は既に目視できているし、機動性に特化した狼型でも捉えることができるほどの素早さを誇る彩乃であればゴリラ型くらいは大した問題ではないだろう。
隼型にしても先程から才加が発生させている乱気流のせいで近づくことすら――と、そこまで考えたところで良香は不意に違和感をおぼえた。
乱気流によって発生している木の葉同士の擦れる音に混じって、何か…………羽音のような『駆動音』が聞こえるのだ。
ゴリラ型のそれではない。もっと小さいが……それでも確かな音が。
(って、状況的に考えて隼型しかありえねーだろっ!!)
良香は自分の喉が干上がるのを感じた。
この乱気流の中では、風で木々が揺らめく音がなかなかうるさい。それなのに隼型の駆動音が聞こえるということは、隼型はかなり近くまで接近しているということになるのではないか。
一応、才加の乱気流によって隼型は良香達の近くまでは飛行できない――と想定しているが、別にそれは確約された事実なんかではない。
もしも何かの間違いで隼型が乱気流を突破していたならば、状況はかなり切羽詰っているということになる。
焦った良香は、咄嗟に足元に転がっていた小石に目をつけた。
(ブーストは、一度も使ったことねーけど……でも、やらないよりはマシだ!!)
彩乃ほどのポテンシャルを出すことは難しいだろうが、それでも
良香は、そのわずかな望みに縋って小石を振りかぶった。
――そして、音の下へと思い切り投擲する。
瞬間、風の防壁を一つの小石が突き破った。
「なっ…………!?」
乱気流とは別の要因で、木枝がしなり、木の葉が散り、空気が震える。
突然の現象にすわ他生徒の襲撃か――と身構えた才加は、静寂の間に響いた破砕音に目を丸くする。
「何この音……、……あ、まさか……!」
全て、良香の投擲によって生み出された現象だった。
目を凝らしてみると、一〇メートルほど先の木に小石と一緒に機械製の鳥が埋め込まれているのが見える。良香の投擲した石が、風の防壁を突き破って隼型までも破壊したのだ。
気付けば、あたりを覆っていた乱気流は消え去っていた。
「…………あんた、それ、何?」
「お、オレにも分かんねー」
尤も、肝心の良香自身もこんな結果は想定していなかったようだが。
「……これは驚いたな」
そこに、遅れてやってきた彩乃がやって来る。彼女の片手にはゴリラ型のものと思しき巨大な右腕のパーツが無造作に掴まれていた。どうやら案の定、無傷でゴリラ型をバラバラにしたらしい。
「暴風を吹き散らすほど超強力なブースト。その上、暴風の中で駆動音を正確に聞き分けられるレベルか……」
「……? 待てよ彩乃、強力なブーストってのは分かるけど、聞き分けるって、ブーストって筋力を強化するだけじゃねーのか?」
「基本的には、な。歩きながら説明しよう」
彩乃は講釈するように人差し指を立てて歩き出した。良香と才加もそれに続いて行く。
「確かにブーストは筋力強化が基本だが、慣れてくればもう少し応用も効く。筋力だけでなく感覚機能も強化できるわけだ。良香が先程やったのもそれだろう。無意識に聴覚を強化していた訳だ」
「なるほど……そういうことだったのか」
一方で、良香は疑問に思ってもいた。ブーストの基本運用が筋力強化だとして、あの小石の投擲にそれが大きくかかわっていることは分かる。だが、だからといってただの怪力で広範囲にわたって展開していた乱気流全てを一瞬で消し飛ばせるほどのものになるだろうか……?
思案に耽ろうとしたところで、才加が乗っかるように言う。
「結構コツ掴むの大変なんだけどね、アレ……。無意識にやるとかやっぱあんたも大概化け物だわ」
「そして――先程言っていた『感知』もこのブーストの応用だ。
「簡単に言ってくれるけど、それってプロでもできる人は少ない、努力でどうにかなる話じゃないくらいの超高等技術なんだからね」
「ハハハ、私はこういうものを磨かないといけなかったからな」
結局、その後の流れで良香の思考は一旦わきに追いやられてしまった。
……そんな風に北方向に歩いていた三人だったが、やがてその言葉は誰ともなく止まる。
理由は、新たな地形が出現したからだ。
ただし、それは森が途切れたとか、謎の洞窟が出てきたとか、そういう話ではない。
凍っていた。
木々も、下草も、中途半端に揺れた状態のまま、まるで時が止まったかのように凍りついていた。まるですりガラスのように奥が見通せない氷によって覆われているせいで、まるで森全体が氷によってつくられた彫刻のようですらあった。
凍っていたのはそれだけではない。
「なんだ…………こりゃ…………!?」
「うっ……寒」
「これは凄まじい……。機械の
冷気から伝わって来る強敵の予感に、三人はそれぞれ戦慄する。これだけの現象を起こすのは、アルターやブーストでは不可能だ。それに、そもそも四大属性に『冷気』なんていう現象は存在しない。
つまり……答えは一つしかない。
「……………………とんでもない規模のオリジンもあったモンね…………」
三人を代表して、才加はそんな呻き声をあげた。
*
マンホールから帰還した彩乃を見た良香は、驚きの余り呻きそうになった。
何せ、どういう訳かマンホールから帰還した彩乃はそれまでの無傷が嘘のように重傷を負っていたのだから。
もう見るだけで分かった。
正常な人間なら、どれほどになっても体の中心に芯のようなものが入って立っている。だが、今の彼女はそれが折れ曲がっていた。正常であればあって当然のものが、まるでへし折れたか抜き取られたかしたみたいになくなっているのだ。
扇情的だった漆黒のボディスーツは半分が焼け焼け、その下の肌が露出している。そればかりか、一部は溶けたボディスーツが肌と癒着すらしていた。足の部分に至っては痛々しいケロイド状の火傷が広がり、頬も多少ではあるが黒く焦げている。
おおよそ色気と呼ばれるものを感じ取ることはできず、むしろ生命の危険を感じさせる立ち姿だった。
「あ、アンタ……!」
思わず、彼女は安全が確保できていないとかそんな細かい理屈は無視して彩乃に駆け寄っていた。そんなことをこの局面で気にするようなヤツは、『男らしく』ない。むしろ彼女は痛切な悔恨の念を抱いていた。
「ごめん……! オレが助けに入ってればアンタがそこまで怪我を負う必要もなかったってのに……! 足が、竦んじまって……! オレのせいでアンタに余計な怪我を負わせちまった……!!」
それは結果論だろうし、素人の彼女が割って入ることで逆に状況を悪くするということだって大いにあり得るだろう。だが、それでも彼女は思うのだ。
もしも自分がきちんと動けていれば、彼女は最後、こんな風に自滅覚悟の攻撃で相手を倒さなくても良かったのではないか――と。
「あー、気にするな」
しかし。
そんなことを思う少女となった良雅に、彩乃はいっそ滑稽とすら思えるほどあっけらかんとした声で返した。
「いや、気にし……、」
「心配しなくてもほら、もう何ともない」
そんなことをのたまう彩乃の姿は、初めて見た時のレディーススーツ姿に戻っていた。もちろん、火傷の痕跡なんてものは跡形もなく失われている。
「……え?」
「
最後の講釈だと言わんばかりに、彩乃はにこりともせずに説明を始める。
「巫術師が持つ一人一つの特殊能力。自らの
掌に視線を落とした彩乃は、そんなことを言った。
「自分の現在の状態を
「……………………ふ、ふじみ、ふろう、ふし」
とんでもない、能力だった。
「ま、だからといって無敵というわけでもないのだが……それは良い。それよりもさっきのヤツだな……」
「さ、さっきのヤツって? 逃がしたのか……?」
「いや、ケリはつけた。だが、ヤツは私のことを『学院の狗』と呼び、執念深く逃走を試みていた。おそらくは思想性の強い組織に所属しているのだろう。確かに始末したからここでのやりとりは知られていないが、まだ味方が残っているはずだ」
彩乃は辺りを見渡しながら、
「妖魔遣いになる為の『儀式』というのは大分複雑かつ大がかりでな……ごく一部の例外を除いて、一人でやるとなれば命懸けになるんだ。だから大体の妖魔遣いは組織単位で儀式を行っている。そしてそういった組織は大体、節約の為に一つの妖魔を切り分けて構成員全員にその力を宿したりといった方法を使う。尤もそういうことをすると
「……そんなことはどうでも良い」
脇道に逸れだした話題を本筋に戻す為に、良香は懸命に言う。
「これ、一体どういうことなんだ!? 何故かオレは
「…………ん? ああ、そうか」
声を荒げる彼女をよそに彩乃は勝手に納得して、
「小さくなったのと声が高くなったのしか認識していないなら、現状を正しく把握できていなくとも仕方ない、か…………。では少し、自分の胸のあたりを触ってみるんだ」
「はぁ? 何言って……、」
そう言われて、彼女は仕方がなくといった感じで自分の胸に掌を当ててみる。
ふよん、と。
明らかに服の質感とは異質な柔らかさが、彼女の掌に収まった。
それだけではない。胸の方にも
「………………、――――――――――――――ッッッ!!!!!!」
悪寒が。
圧倒的な悪寒が彼女を襲い、すぐさま両手を股間に伸ばした。
内股気味になった彼女は、俯いていた顔をゆっくりと上げると、殆ど泣きだしそうな顔でこう言った。
「
「ああ、そうだな」
さらりと肯定されて、ついに彼女はブチギレた。
「な、ん、で……オレの身体が女になってんだよォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!!」
「何にせよ、適合してしまったものは仕方がない」
「しかたっ、ないじゃっ、すまねーだろ! どうなってんだオレの身体! どうすりゃ良いんだオレはこれから!」
「韻を踏んでるな」
「偶然だボケ!」
怒り狂った彼女はツッコミを入れるが、それはあっさりと回避されてしまう。
彩乃はそのまま腕を組みつつ言った。
「君が女性になってしまったのは、本来女性にしか適合しない
法則を守るためにイレギュラーの方が捻じ曲げられるというのは因果が逆転しているような気がしないでもなかったが、一般人である彼女からすれば巫術師や妖魔の住む世界は『何でもアリ』である。
怒り狂ってツッコミを入れたことで少しばかり冷静さを取り戻した彼女は、それでもしっかりと話を聞くくらいの分別を取り戻していた。
そんな彼女に追い打ちをかけるように、彩乃はこう付け加えた。
「それはそうと……非常に心苦しいのだが、君は安全の為にも国内唯一の巫術師養成学校――神楽巫術学院に女子生徒として入学してもらう。……そうでもして君の身柄を保護しないと、どこからか君の情報を集めた組織に拉致されて解剖されかねないからね」
…………そして、いくつかの喧騒を経て入学へと至る。
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7.数多凍てつく白き女帝:エルレシア(1)
「……此処から先、どうしよう?」
眼前を見据えた才加が、二人にそう問いかける。
目の前には凍てついた森林。此処を突っ切れば開けた丘へはかなりの近道になりそうだった。
「……巫素《マナ》を感知してみたが、この先の中には生物らしい生物はいない。無論、生徒の反応もだ」
「じゃあ突っ切ろうぜ」
良香はあくまで強気に言った。先程隼型を撃墜したことで自信がついたのだろう。
「これだけ徹底的な無差別攻撃をしたってことは、向こうだってこれで此処にいる敵を全部片付けるつもりでやったんだろ。ならわざわざ此処に罠を仕掛けることはねーはずだぜ。つまり、此処は逆に安全地帯になってるんじゃねーか?」
「………………、いや」
良香の提案に彩乃は少し考えたが、やがて首を横に振った。
「相手の能力はまだ不明だ……。オリジンは一人一能力だが、そのオリジンの能力が氷だけのものとは限らないし、それに敵だって一人じゃない。『氷結環境下で強力な能力を発揮する』というタイプとコンビを組んでいる可能性もある」
「あー、確かに」
彩乃の指摘に、才加が同意を示す。これには良香も頷くばかりだった。
「それに……少し気になっていることもある。この学院の生徒なら思いつきかねないことだし…」
「じゃあ、ここは素直に迂回かしら?」
思案に耽る彩乃に、才加が問いかける。直進が駄目なら、次に考えるべきは迂回だ。
「…………いや、そのくらいは相手も考えるだろう。というかむしろ、これは迂回させる為の罠だと見た方が良い。迂回したルートにトラップが無数に仕込んであるくらいの仕掛けはいくらでもありそうだ」
「じゃあどうすんのよ? 突き進むのも駄目、迂回も駄目じゃどうしようもないじゃない」
「あるじゃないか、第三の道が」
そう言って、彩乃は人差し指で上をさす。
つまり、上空。上空に罠を仕掛けることはできないし、上空なら距離があるから不意打ちをされても対応する余裕ができる。あの日、アメーバ型妖魔に対して地面を隆起させたのと同じ発想だ。
その上、他の生徒は残りのスタミナを気にして風のアルターで飛行するという選択を選ばない。つまり、上空という選択肢を思い浮かべることすらできないのだ。これは、敵に意識されるリスクが少ないということを意味する。
名案のように思える彩乃の提案だったが、才加の反応は芳しくなかった。
「…………あたしはともかく、あんたは
「私は
「…………まぁ、そうなんだけども……」
才加の表情が、曇る。
「自分の受けた風の力で
彩乃はけろりとした調子でさらに続け、
「まぁ……それに比べれば私の
「だから嫌なのよ……」
才加はげんなりとした表情になって呻き声をあげる。
「いくら
「疲れならブーストでいくらでも癒せるだろう?」
「癒せればいいってモンじゃないでしょ! 辛い思いをするのが嫌だって言ってんの!」
「結果的に元通りになるなら同じだと思うがなぁ」
「ぬぐぐ……これだからリセット女は……」
「ま、まあまあ」
渋る才加を、良香は苦笑しながらなだめる。
「俺、結構軽いからそんなに疲れないと思うよ」
「テメェ――は死ねッ!!!!」
直後、怒れる獅子の矛先がデリカシーのないお馬鹿な少女に向かう。
三人が空の旅へ向かうまで、結局あと五分を要したという。
***
――――その様子を、静かに覗いていた二対の眼差しがあった。
三人がいなくなってから数秒後…………すりガラスのような氷を纏っていた木々のうち、何の変哲もなく佇んでいた一本が急にボロボロと崩れ始める。
「――木を隠すなら森の中と言いますが、まさか此処まで見事に隠れられるものとは思っていませんでしたわ。ほんの茶目っ気のつもりでしたが」
狭い所に入っていた為に凝り固まった身体をほぐす動作すら優雅な、金髪碧眼の少女。
その姿は、まるで『未来世界の女王』だった。メカニックなデザインのティアラに、白を基調として青白い電子基板のような模様の入った装束。そんな衣装に身を包んだ彼女こそ、エルレシア=エインズワースその人だった。
彼女は水と風のアルターで生み出した気泡を多く含んだ水を凍らせて形作った木に覗き穴を作る――という手段で以てこの凍結領域に近づいて来た者を観察していたのだった。
「…………お嬢様、ジョークが分からない人間だと思われていたのがそれほど……」
「お黙りなさい」
そんなエルレシアの横に、一人のメイドが控える。
ヘッドドレスにエプロンドレス。そのところどころに鋭角で機械的な衣装を潜ませていることを除けば正真正銘、本物のメイド衣装を身に纏っている少女――言うまでもなく、可憐崎志希だ。
「どうやら、お三方は空路を選んだようですね」
「そのようですわね。
エルレシアはそれこそ無邪気な子供のように笑いながら、
「――巫素《マナ》は大気中に存在するモノ。つまり何かで覆ってしまえば、巫素《マナ》が外に漏れ出ることはない。知識としては知っていても、それだけでは戦略や戦力、地形時刻位置余力……常に様々なことを気にかけなくてはならない実戦では抜け落ちてしまうかもしれない部分ですわ」
本当に楽しそうに、楽しそうに言う。
「とはいえ、そこに気付いて、あるいは目の前の未知に怯えて『離れる』選択を選び取る程度ではまだまだ凡百。……そこからさらに、『自分が最もされて困る』選択を想像することができてようやく一人前というものです」
「その点で言うと、彼女達は合格ということになりますね」
「ええ。サバイバル前に知り合った方々が『そう』だったというのは因果なモノですが……あのような強敵は、早々に手を打たねば」
どこまでも上から目線で、それでいて自らの焦燥感を煽るような台詞とは裏腹に、エルレシアは生き生きとしている。まるで自分をさらに高めてくれる相手の登場を心から喜んでいるかのように。
その横で、志希は呆れたように言う。
「こちらの意図を見切れなければ『その程度の相手だから』とトドメを刺し、意図を見切れば『それほどの相手だから』と攻撃を仕掛ける。どちらにしても攻撃を仕掛けるのでは」
「当然でしてよ」
しかし、そんなツッコミにもエルレシアは全く堪えた様子もなく言う。
「わたくしはこのサバイバル――――わたくし達以外の『生存者』を出すつもりはありませんし」
「………………大きく出ましたね」
その台詞に、志希は思わず笑みをこぼしてしまう。
三桁にも及ぶ参加者の、しかもあれほど強かな敵を目の当たりにして、それでもなお断言してみせる傲岸不遜。そして、実際にそれを可能だと思わせる圧倒的力量と知略。
「だからこそ、それでこそのお嬢様ですが」
クスリと微笑み、歩き出したエルレシアに志希は付き従う。このサバイバルでも最強格のチームが、良香達に照準を合わせて動き出した。
*
凍てついた森を迂回した良香達は、十数分ほどで開けた丘のような土地に到着した。とはいえ、此処に辿り着いたからといって演習が終了する訳ではない。あくまで演習の目的は七時間の生き残り。此処にやって来たのは『見晴らしのいい場所に移動することで有利に立ち回れるようにする』為である。
「……ねえ、あたし逃げたいんだけど。っていうか逃げるべきだと思うんだけど!」
「無理だろ、背を向けた途端にやられるパターンだぜこれは」
「さあ、文句は終わりにして現実と向き合おうか」
三人は互いにそう言い合いつつ、目の前の少女達――――エルレシア=エインズワースと可憐崎志希を見据えた。
彼女達を視界の中心におさめた良香は昨日のことが頭に残っているのか、戦闘を始める前におずおずと話を切り出す。
「あの、昨日のことは…………」
「お話は『後』に致しましょう」
対するエルレシアの返答は、実にシンプルだった。
何かがひび割れるような微かな音を耳にして、良香は咄嗟に横に飛び退き転がる。すると、彼女がそれまでいた場所がほどなく凍りついた。
回避できたのには運の要素もあっただろう。エルレシアがオリジンを放った時に発生した、空気中の水分が凝固する微妙な音――警戒し、感覚を強化していたからこそ気付けたようなものだ。でなければ間違いなくあそこで足を凍らされ身動きが取れなくなっていたはずだ。
そこに至って、気付く。あの『凍てつく森』を生み出したのは、目の前にいる金髪碧眼の淑女、エルレシア=エインズワースだったのだと。
初撃を何とか躱した良香のところに二人も遅れて合流し、土のアルターを使って即席の防御壁を築く。
「フフ――――初撃への対応は上出来。凡人にしては十分に合格点ですわ」
エルレシアは傲岸不遜そのものと言った様子で、パチパチと悠長に三人へと拍手を送る。それだけでなく、彼女はさらにこう続けた。
「わたくしのオリジンは極凍領域《コキュートス》。神話の世界に語られる冷獄の名を冠した能力ですの。その本質は――あらゆるものを凍てつかせる地獄の冷気でしてよ。
壁に隠れたところで逃げ切ることができない――なんてことは、良香達も先刻承知済みだ。森そのものを凍りつかせるような化け物じみた能力を前にして、そんな風に楽観論を並べられる人間はいないだろう。
それに対し、彩乃はほぼ即答するように二人に告げた。
「私と才加がメインで行く。良香は先程と同じように周囲の警戒に当たってくれ」
「おい、待てよ」
これには、良香の方も黙っていなかった。
確かに良香は経験不足だ。この中では一番実戦では使い物にならないかもしれない。だが、だからといって彼女はただの足手まといではない。先の戦闘では小石を投げただけで護衛騎兵《ガードロイド》を破壊せしめたという功績もある。何より――これから戦う敵は、二対二で勝てるような相手ではない。三対二でも厳しい戦いになるはずだ。
「何でオレだけ下がるんだ? さっきの戦い見てたろ。オレだって戦える」
「まだ敵の能力が把握しきれていない。ブーストが強いからといって接近は禁物だ」
「さっきやったみたいに投石することだってできるだろ!」
「あの投石は威力が高すぎる。演習と言ったって別に殺し合いをする訳じゃないんだ。他の生徒だって攻撃力を弱めるのが基本だが、良香にはまだそんな手加減が出来るとは思えない。良いから前線は私に任せて、」
「そんなの試してみなくちゃ分からねーだろ! それにこれは後のない実戦じゃねー、いくらでも挽回が利く『演習』なんだ。こんなところで足踏みしてちゃ、いつまで経っても前になんか進めねーだろうが!」
「…………、」
良香の叫びに、彩乃は思わず押し黙った。そうして出来た言葉の空白に滑り込むように、才加が口を開く。
「はいはい、落ち着いて二人とも。それと悪いんだけどね」
彼女の頬には、たらーりと冷や汗が流れていた。
「どうやら、言い争っている場合じゃなさそうよ…………!」
彼女がそう言った次の瞬間。
ズズ……と、壁のすぐ横を、『漆黒の大剣』が突き抜けた。
「な……」
そして、その大剣は――――音もなく三人に殺到した。
「くっ!」
「うおォォおおおおおおッ!?」
「ひっ――『万象を構成する四の元素の一風よ空翔ける為の我が翼となれ』!!」
幸い、攻撃自体は見えていた。彩乃と才加は風のアルターを使って、良香はその類稀なブーストによる跳躍で『漆黒の大剣』を回避し、ようやく到達した丘を離れて森の中へと飛び込んだ。一瞬遅れて、土のアルターによる防御壁を音もなく斬り裂いた『漆黒の大剣』はやはり音もなく消え失せてしまう。後にはひゅう、という小さなそよ風が残るばかりだ。
『漆黒の大剣』を消した志希を窘めるように、横に立つエルレシアは言う。
「無粋ですわよ志希。強者はこういうとき、相手の足並みが揃うのを待つものです」
「はい、お嬢様」
あれほどの攻撃を繰り出させておきながら、ただのそれだけ。つまり、彼女達にとって今の攻撃は絶対に当てなくてはいけない渾身の一撃なんてものではない、ただのジャブのようなものだったということ。
それほど、彼女達の『平均』は果てしなく上に突き抜けてしまっている。
「……分かった」
そんな彼女達の様子を伺っていた彩乃は、不意にそう言った。
「此処で拘泥していても仕方がない。良香を組み込んだ作戦でやる」
「OK。……っつっても、森の中に隠れたところであの得体のしれない冷気をブチ込まれたらそれで詰みなんじゃない?」
「まあそうなのだが…………もしそれが出来るなら、エルレシア嬢のチームはこんな風に真っ向勝負をしたりせず、上空から冷気を浴びせて全チームを程よく氷漬けにしていたはずだ」
確かにその通りだと、良香と才加は思った。あれほどの威力をぽんぽん出せるのであれば、そういった運用をするに決まっている。
「だが、そうはしていない。それはなぜか……さっきも言ったろう。演習で相手を殺しかねない攻撃を使う場合、意図的に威力を弱めるのが基本だ。可憐崎さんのオリジンにしたっておそらく死なない程度に加減されている」
彩乃は才加に物陰から敵の様子を伺わせつつ、
「おそらく、エルレシア嬢のオリジンは大規模の冷気ともなるとそれだけ強力になる……つまり、威力と範囲が比例してしまって、個別に調節できないタイプの能力なんだ。だからおいそれと生徒に最大範囲の状態で発動できないんだろう」
「でも、本当はそれなりに消耗が大きい能力で、だから出し惜しみして体力を温存してるって可能性もあるんじゃねーか?」
「それもあるかもしれないが…………理由としては小さいんじゃないか。もしそうなら、話に聞くエルレシア嬢が護衛騎兵《ガードロイド》ごときを凍りつかせる為だけに広範囲に能力を使ったりしないだろう。確かにオリジンは一般的に燃費が悪い…………が、そんなものは私を初めとして例外はいくらでもある」
と言い切ったその直後。
良香と彩乃は全く同じタイミングで才加の両腕を抱え、そして全く同じタイミングで跳躍した。その高さを、『漆黒の大剣』が音もなく一閃した。
と、思うが早いか。
ドミノ倒しの音を数千倍まで巨大化したような轟音が辺りを支配した。――――そして轟音が収まった時、そこには無数の『切り株』と『丸太』が並んでいるだけだった。
つまり、今の一撃で森の一角が丸ごと伐採された、ということだった。
「…………どうやって今の気付いたのよ? 何か音とかした?」
「感知していたら、可憐崎さんの巫素《マナ》が急に揺らいだので何か仕掛けて来るなと思ったんだ」
「音は聞こえたぜ。ひゅうっていうそよ風の音がな。さっき志希が剣を振るった後も聞こえたから咄嗟に身体が動いた」
「……………………なにそれこわい」
冷や汗を流しながら言う才加だったが、どうにも二人は特別なことをしている自覚がないらしい。
「――――これで大分見通しが良くなりました。……足並みが揃うのを待つのは強者の務めというものですが、作戦を練らせることまではその限りではない――でしょう? お嬢様」
「――ええ、まったくですわ」
そこで、三人は初めて志希の振るう『漆黒の大剣』をまじまじと見た。彼女の持つ『漆黒の大剣』は――正確には、持ってもいないし剣でもなかった。
彼女の手の先数十センチほどから伸びているし、その形は一定ではない。よく見れば厚みや質感と呼べるものもなく、アレでは単に『闇』と表現しても良いくらいだった。
「――――私のオリジンは、快刀乱麻《キルブラック》」
主人に倣ったのか、志希は『漆黒の大剣』を引っ込めるとそう宣言した。
「能力までは、お嬢様と違いお教えできませんが」
「さて、従者が良い所を見せたのですから、わたくしもそろそろ動くとしましょうか」
その言葉が終わるか終わらないかのタイミングで、エルレシアが手を翳す。冷気攻撃が来ると察した三人は、とにかくその場に留まらないようにということだけを考えて回避を行っていく。
「うおォお……! クソったれ、いちいち言動が絵になるヤツらだぜ癪に障る……! 少年漫画の読み過ぎなんじゃねーか!?」
「生憎ですがわたくし、漫画は少女漫画しか読んだことはありませんの!!」
極凍領域《コキュートス》に紛れさせた風のアルターが寸でのところで良香の横に着弾し、余波で良香を吹っ飛ばす。
「…………エルレシア様……」
「分かっています。
何発目かの冷気を回避した後だっただろうか。
相手が手を休めたその少しの間に、彩乃は二人を集めた。
「何だ?」
「何か思いついた?」
「このままでは埒が明かない……。遠距離戦を強いられたままではじり貧だ。此処は私が行く」
「お前また……」
独断専行とも取れる台詞に良香は思わず反駁しかけたが、今度は彩乃がそれを目で制した。
「私ならどんな攻撃をもらったとしてもロードしてやり直すことができる。だが、ロードしている最中は何もできない。その代わり、二人は私が攻撃を受けている間に奇襲を仕掛けてくれ。そうすればどちらか一人は確実に攻撃を直撃させられるはずだ」
つまり、囮を前提とした強襲作戦だ。そこには当然、良香の白兵戦における戦力への期待も含まれている。
それを読み取った良香は、言いかけた反論を呑み込んで深く頷いた。
「よし……行くぞ!」
そう言って、彩乃は矢のような突貫を開始した。それに続くように二人も突撃する――が。
突貫を開始したまさにその後、地面を突き破るようにしてアルターによる土が伸び――
――――彩乃の姿を呑み込んだ。
まるで、あの日のアメーバのように。
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8.数多凍てつく白き女帝:エルレシア(2)
「な……っ!」
しかし、それはアメーバでも何でもない。
灰色の、硬質な質感の物体――土のアルターだ。地中から這い出た土のアルターによって拘束されているだけにすぎない。
「簡単な先読みですわ」
彩乃を拘束したエルレシアは、そう言って講釈を始める。
「手数で圧倒的に劣る相手に突撃して来る場合、十中八九その者は強力な回復タイプかそれに類するオリジンの持ち主……ですので、あらかじめ回復など関係ないように、土のアルターを地中に潜行させて拘束する用意していたんですの」
エルレシアの足元から草の緑色とは違う、アルターによる灰色の鉱物が盛り上がる。当然ながら、敵にバレないよう地中にアルターを潜行させるなんていう離れ業は高等技術なのだが、エルレシアは事もなげにそれをやってのけてみせる。
「いかなる回復能力の持ち主でも、こうしてしまえば動けません。尤も、貴女ほどの巫術師を拘束するにはアルターに巫素《マナ》を供給し続けておかないといけませんが」
アルターは発動した直後からその出力が弱まっていく。巫素《マナ》を変換して起こした現象だから、それが消費されれば自然と現象自体の出力も弱まってしまうのだ。ただし、完全に消滅する前に巫素《マナ》を後から継ぎ足せば話は変わる。たとえば土のアルターも、継続的に巫素《マナ》を供給し続ければ強度を持続させられる訳だ。
しかし、そんな強度が持続する土のアルターで拘束された彩乃はそれでも余裕を保っていた。
(やられたな……、まさか罠が拘束だったとは。だがエルレシア嬢の動きもこれで封じた。エルレシア嬢ならともかく可憐崎さんは二人を相手取るほどの白兵戦の技術はないだろう……。良香と才加が強襲すれば、一気にこちらの有利に傾く!!)
元より彩乃が動けなくなるのは作戦上でも織り込み済み。その間に二人が志希に襲い掛かる。
「志希!」
「畏まりました、お嬢様」
その直前。
二人に照準を定められていた志希が、突如地面――より正確には地面から姿を見せた土のアルターに手を当てる。
そして。
地面に手を当てた志希と入れ替わるようにして、エルレシアはアルターから離れ、自由に躍り出る。
つまりは、スイッチング。
「ば、馬鹿な……! 他者が発動したアルターの巫素《マナ》供給を引き継ぐだと!? そんなこと熟練のペアでもなければできないことだぞ……! 確か二人は昨日知り合ったばかりのはず……!?」
拘束されたままの彩乃が、今度こそ本当に感情を露わにして驚愕する。
とはいえ、彩乃も完全に拘束された訳ではない。アルターの出力でいえば彩乃の方が志希よりも上。ゆえに拘束はほどなく壊されてしまうだろう。だが、少なくともこの一瞬――彩乃は身動きが取れなくなる。
そして、志希はともかくとしてエルレシアの単純な戦闘能力は、才加にひよっこの良香を足したところで到底及ばない。ロードした彩乃も加われるならともかく、そうでない以上彼女達の運命は決まったも同然だ。
「策を誤りましたわね、彩乃さん。――貴女の能力
「――ッ!!」
エルレシアは雄叫びめいたセリフと同時に、思い切り右足で踏み込む。気品とは裏腹の豪快な踏み込みで加速したエルレシアは、そのまま才加と良香に肉薄した。
有利を確信していた良香の背筋に、冷たいものが走る。
「こいつ、格闘戦までッ!?」
「あら、わたくしが安全地帯からお上品に魔法を使うだけの木偶だといつ言いました? 白兵戦は、大の得意でしてよ!」
「チィ!! 弱点ナシかよこのラスボス野郎!!」
良香は咄嗟に才加の首根っこを掴むと、思い切り投げ飛ばしてエルレシアの攻撃範囲から遠ざける。
一瞬の間があった。
良香はすかさず自分自身も飛び退き、エルレシアの攻撃範囲から逃れる。エルレシアはその様を見て、僅かに目を細めていた。
「…………貴女………………」
「……へへ。どうしたガラスの靴の女王様、ヒールの調子でも悪いか?」
「――ほざきなさい、灰被り《シンデレラ》ッ!」
両脇から槍のように伸長し追従する土のアルターを二本発動させつつ、エルレシアは良香目掛け駆けていく。いよいよ腹を括って立ち向かおうとした良香は、急速に自分の身体が浮く感覚をおぼえた。
「っ?」
「馬鹿、令嬢さん煽ってどうすんのよ! 馬鹿!!」
「才加!?」
才加の風のアルターだった。一気に自分の拳とアルターの射程外まで飛びあがった良香と才加を、立ち止まったエルレシアは黙って見送らざるを得ない。
と、才加は不意に自分のアルターに違和感をおぼえる。
(うぬ……? なんか飛びづらいわね……。あたしも緊張してんのかな…………)
無理もない。エルレシア=エインズワースの力量は紛れもなくプロ級だった。おそらくアルターの出力だけでいえば彩乃すらも越えているだろう。その上、『巫素《マナ》供給の引き継ぎ』という離れ業をこの土壇場で成功させる度胸と実行力。間違いなく、一年――いや、全校を見ても最強格の一人だと言えた。
「で、どうする!? 彩乃は残機無限《リスポーン》があるから大丈夫として……いや、待って? そう言えばアルターって大気中の巫素を使うから、ひょっとして土のアルターで密閉されちゃったらアルターが使えなくなって、いくら死ななくても永久に閉じ込められることになっちゃうんじゃない!?」
「な、なんだそれ、初耳だぞ! アルターっていつでも使えるんじゃないのか!?」
「使えたらこんなに慌ててないわよ! 彩乃が閉じ込められたらあたしら勝ち目なんかなくなるわよ!」
空の上で必死にあーだこーだと喧々諤々の作戦会議を繰り広げる良香と彩乃だったが、一向に答えは出ない。
今は飛行による三次元機動の恩恵でアルターはもちろん極凍領域《コキュートス》は制圧攻撃仕様にしないと当たらないが………………いつ撃ってくるかは、良香達にも分からない。そうなる前に、そして彩乃が完璧に閉じ込められる前に、良香達の方から打って出なくてはならない。
「…………いや、待てよ?」
そこで、良香はふと疑問を抱いた。
ここまでの様子からして……エルレシアは最初こそ自分達の足並みが揃うのを待っていた節があったが、それからは作戦会議の時間すら与えないくらい合理的に動いていたはずだ。その彼女が今になって足踏みをしているのなら、そこには同じように合理的な理由があるはず。
「そうだ…………エルレシアは最大威力の極凍領域《コキュートス》を撃たないんじゃねー。
「なに、何の話!?」
「オリジンってのは基本的に燃費が悪い。燃費が良い能力だってあるけど、それは才加の自走風車《テイルウィンド》みたいに直接攻撃力に乏しいといった例外に限る。でも極凍領域《コキュートス》はそうじゃねー……。燃費が良い上にあれほどの威力が出るってことは、どこかで他のオリジンが安全装置に回している余力を削ってるってことになるんじゃねーか!?」
「つまり、どういうことよ!?」
「つまり、最大威力の極凍領域《コキュートス》は何かしらの防護壁を作っておかねーと自分もダメージを受けちまう諸刃の剣だったんだよ!」
そう叫ぶと、エルレシアの表情が歪んだのを良香は確かに見た。
「ちょっと待って! だったら何であたし達の相手をしてたのよ!? さっさと彩乃にトドメを刺しちゃえば良かったんじゃないの!?」
「そんなことしたら抑えがなくなったオレ達が雪崩れ込んで来るからできなかったんだ! だから、あくまで彩乃を拘束して、『自分が二人を攻めている』って盤面を演出するしかなかった! 自信満々な風を装ってたが、この状況はエルレシアにとっては劣勢だったんだよ!」
その答えを証明するかのように、エルレシアはくるりと踵を返し彩乃の方へ向かう。
「ああちょっと、どうしよう行っちゃうわよ! っつか、もしあんたの言う通りだったとして防護壁に何を使ってたのか分からないことにはどうしようもなくない!?」
「――快刀乱麻《キルブラック》だ! アレは何でも断つ伸縮自在の剣か何かに見えるけど、そうじゃない。アレ自体が『物質を切断する領域』みたいなモンなんだ!」
快刀乱麻《キルブラック》が発動した後に必ず風圧とは違うそよ風が生まれていたのは、おそらく『切断する領域』によって押し出されていた空気が元に戻った為だろう。そしてつまり、それは『真空』を作ることに他ならない。魔法瓶を思い浮かべれば分かりやすいが、真空中では熱は極端に伝播しづらくなる。それは冷気でも同じことが言えるのだ。
「つまり、今エルレシアは志希を拘束係に回しているせいで最大威力が使えねー。いや、使えるのかもしれねーけど最大威力に耐える為にブーストやら火のアルターやらを使って燃費が通常のオリジン以下に下がっちまうんだ」
先程『ペース配分』とエルレシアたち自身が漏らしていたことも、良香は覚えている。彼女はエルレシアたちの目的が全生徒の打倒とは知らないが、それを抜きにしたってサバイバル演習の最終目標が『七時間生き残ること』だということくらいは覚えている。
推理の仕上げをするように、良香は駄目押しで宣言する。
「つまり現状では、お前は必殺の威力を持ったオリジンは使えねー!! 恐れるものはねーってことだ!!」
そう言って、良香は身体を動かして才加の腕を振りほどき、そのまま飛び降りて彩乃を助けに向かってしまう。その背中に、才加は慌てて叫んだ。
「馬鹿待て待ちなさいアホ! そもそもオリジンが使えなくたって、令嬢さんはアルターだけでも最強なんだって!!」
「………………あっ」
…………いかに頭の冴えを見せていたとしても、だからといって本来以上の賢さを見せられるわけではない。むしろ、もらったと確信した直後こそ、油断して本来では有り得ないような
良香は、絶好の的となっていた。
「――――そういう愚かさはわたくし、嫌いではありませんが……少々迂闊すぎますわよ!」
一陣の風めいて、エルレシアが空中の良香に飛びかかる。良香は寸でのところでエルレシアの蹴りを腕でガードし、そのまま吹っ飛ばされた。
その後ろに回り込むように飛行し良香を受け止めた才加はぺしんとその頭頂部をひっぱたく。
「馬鹿! もう馬鹿ほんっっっと馬鹿! だから言ったでしょこの馬鹿!」
「うぐ……めんぼくない」
しかし良香は腕をぷらぷらさせつつ、怪訝な表情を保ったままいう。
「でも、エルレシアはなんで今、ブーストでわざわざ蹴りを入れたんだ……? 火のアルターとかなら、威力は削れるけどブーストよりはダメージを与えられるのに。それに落ちてる真っ最中だったから狙いやすかっただろ」
良香のその言葉に、才加の表情が変わる。
「…………そういえば、その前も妙だったわ。彩乃が捕まったとき、あんたを殴る前にあの令嬢さん、一回止まったもの。……まるで
それに、と才加は付け加え、
「さっきあんたを掴んで飛んだ時……普段よりも飛びづらかったわ。まるでアルターとして干渉した巫素《マナ》をあんたに吸われてるみたいに」
才加の台詞を聞いた良香の頭で様々な情報が、一つの形に組み上げられていく。
絶好のタイミングで使われなかったアルター。
飛行の際に感じた違和感。
巫素《マナ》が吸われているような感覚。
そして――
そこから導き出される答えは。
「………………!」
彩乃の言葉に反応した人間は、その場に二人いた。
一人は、『自らの本領』に初めて気付いた良香。
そしてもう一人は、気付かせまいとしていた事実に気付かれてしまったエルレシア。
「なるほどな……ありがとう才加。――――やっと分かったぜ、オレの唯一権能《オリジン》」
「チィ……!」
エルレシアの手から、パキパキという音が聞こえて来る。
(…………先程の蹴りが無効化されなかったところを見ると、おそらくブーストは無効化できないようですわね。とすると、おそらくは…………)
これは――ある意味彼女の『奥の手』だ。手の先に微弱な冷気を帯びることで、打撃点に直接冷気を当てる……言葉にしてしまえば、森一つを丸ごと包み込み、機械のバッテリーや油すら変質させるほどの極寒地獄を生み出すことよりは地味に聞こえる技だ。
だが、人体はほんの数度の温度低下でも致命的なダメージを受ける。低体温は免疫能力を低下させ、外からではなく内から肉体を蝕むのである。
打撃の一撃一撃にそれが宿るとなれば、こと対人戦においては凶悪の一言だろう。
ただ、先程良香が分析していたとおり極凍領域《コキュートス》は『冷却する空間』を展開、操作射出する能力。身近で扱えば、自らにも冷気が跳ね返る諸刃の剣。
あまり長い間使っていれば、彼女自身の手も冷気のダメージを受けかねないのだった。だからこその『奥の手』だ。
「どうやらアルターは無効化できるようですが……だからといって、貴女がわたくしを上回ったと思うのはあまりにも早計ですわよ?」
「――ああ、そういえばアンタは知らねーんだったな」
凄んでみせるエルレシアに、良香はもう恐れの感情を抱いていなかった。分かるのだ。今ある駒を一つ一つ確認して、今の自分には彼女を恐れる要素なんてないと。
「才加、
才加の方も、良香の考えは読めていたらしい。
その言葉と同時に、詠唱を終えた才加は良香に向かって最大出力のアルターを叩き込む。そして、その
「…………あの時は、足が竦んで動くことはできなかった」
思い返すのは、初めて彩乃と出会ったあの日。
あの日、良香は少しも彩乃の助けにはなれなかった。そのせいで彩乃に大怪我を負わせてしまった。
「でも、今は違う。足が動く、戦える。威勢だけで動く蛮勇なんかじゃねー。自信を持って言える」
あの日、アメーバに呑み込まれた彩乃に言いかけて、結局言えなかったあの言葉を。
良香はグッと身を低くし、
「――――今、助けるぞ! 彩乃!」
「――――――ッッ!!!!」
――――その時、エルレシアが吹っ飛んだりしなかったのは彼女の咄嗟の判断能力の賜物だろう。
彼女は自らが感じた悪寒に従い、思い切り横方向に飛び退きつつ自分の目の前に全力に近い極凍領域《コキュートス》を展開したのだ。
それを目視した良香は、下手に突っ込めば凍りつかされると悟って彩乃の下へ直行する。結果としてエルレシアの腕は冷気で半ば凍りつくことになったが、そうしていなければ彼女は思い切り拳を食らって完全に戦闘不能に陥っていただろう。
「大丈夫か彩乃、今出すぞ!」
そう言って良香が近づくと、待ち構えていたかのように志希が飛び退く。すると『外へ出ようと対抗していた』彩乃の土のアルターが、まるで外へと伸びるアイアンメイデンのように鋭い棘となって飛び出して来た。
「うお! おお、おぉ……?」
尤も、アルターである以上良香に触れた段階で風船の空気が抜けるような音と共に吸い込まれてしまうのだが。
「お嬢様!」
だが、それも込みでの志希の目晦ましだったらしい。その間に志希は右腕を半ば凍りつかせたエルレシアの下へと駆けつけていた。
「問題ありません。この程度の凍傷ならものの一〇秒で治せます……。…………それより、このまま戦うのは割に合いませんわ。我々の目的はあくまで『単独勝利』でしてよ。ここで消耗するのは賢い選択とは言えませんわ…………」
エルレシアは志希にそう言って、良香を力の限りにらみつけ、歯を食いしばるようにして言う。
「――一旦、退きますわよ」
………………その言葉に、どれほどの屈辱があったのか。
良香は何となく分かるような気がした。良香に敗北したから――というわけではない。たとえ相手がだれであろうと、彼女は自分が退けられるという事実を許せないのだろう。だからこそ、『単独勝利』などという途方もない目的を掲げているのだ。
「……………………お見事でした、と言って差し上げますわ。まさかわたくしを退けるとは。……貴女がたとはまた戦いたいです。またいずれお会いしましょう。……その時まで、どうか他の方々に負けるようなことはやめてくださいましね」
そう言って、彼女は志希と共に良香達に背を向け、悠々と去って行く。良香達は、何もせずにその背中を見送ることにした。彩乃が戻って来たにしても、エルレシアたちが強敵であることに代わりはない。
本気でやり合えば、メンバーの誰か、あるいは全員がリタイヤすることになっていただろう。去ってくれるならそれに越したことはない。
「………………すまなかったな」
二人の後姿が見えなくなった頃だろうか、彩乃はそう言って二人に――特に良香に頭を下げた。
「私の浅慮のせいで、二人に迷惑をかけた。司令官ヅラしておいてこれではお話にもならない」
表情を曇らせる彩乃だったが、良香と才加は互いに顔を見合わせて苦笑するだけだった。二人とも、あの彩乃の判断が浅慮だったとか、そんなことは一切思っていない。
「何言ってんのよ。あんな離れ業出来るなんて誰も思わないって。あんたは悪くないわ」
「そうだぜ。あの作戦、オレはお前がオレのこともちゃんと買ってくれてたって分かってるし。それに…………そこはすまんじゃなくて、オレに礼を言うとこだろ?」
そう言われて、彩乃は一瞬虚を突かれた表情をしたが――やがてふっと小さく微笑むと、
「……ああ、そうだな。ありがとう」
そんな優しい笑顔のままに、そう言った。
その笑顔に良香は思わず見惚れてしまうが、ふと我に返ると照れくさそうに鼻を鳴らし、
「ふ、ふん、オレだってやるもんだろう――いてっ」
言い終わらないうちに才加に脳天チョップを食らった。
「なーにを自慢げにしてんのよ馬鹿。あたしがアルター撃たなきゃ絶対ご令嬢さん抜けなかったでしょ」
「良いんだよ! オレの力で彩乃を助けられたんだから、細けーことは!」
ぎゃーぎゃーと騒ぎ出した二人をよそに、彩乃はしみじみと呟く。
「しかし、まったく大した能力だよ…………アルターを吸収して、あのエルレシア嬢ですら反応するのが精いっぱいな速度で行動できるんだからな」
「そうそう、アレはとんでもなかったわー……もっと早くに気付いてれば、倒せてたかもしれないってくらいにね」
「そうか……?」
二人に絶賛される良香だが、いまいちピンと来なかった。彼女の感覚としては、終始手玉にとられていたのをこのオリジンの能力でやっと一矢報えたという感じである。
「おそらく良香のオリジンの本質は強力な巫素《マナ》吸収能力と、それに応じて出力を上げるブーストだろう。常人も大気中の巫素《マナ》を吸収する能力は持っているが、君の場合それが異常なレベルまで引き上げられているんだ。だから吸収した
彩乃はいつかのような調子で講釈するように、
「ゆえに、大気中の巫素《マナ》を四大属性の事象に変換するアルターは無効化されてしまう。現実そのものを巫素《マナ》によって歪めるオリジンは不可能なようだがな。……そして最後の一幕を見るに、おそらくエルレシア嬢はそのことにも気付いていただろう。……もし最初から出し惜しみせず戦っていれば、対抗策を練られていたかもしれないな」
(どんだけ化け物なんだよ、エルレシア………………)
退けてもなお、驚かされる魔物であった。また戦いたいなんて言われたが、良香としては絶対にNOである。
そんな風に顔を青褪めさせる良香に彩乃は気持ちドヤ顔っぽい無表情で言う。
「差し詰め良香のオリジンは『剛腕無双』…………『常識外れの《EX》ブースト』と言ったところかな」
「将来は剛腕無双の討巫術師《ミストレス》――なーんて呼ばれるのかしらね? 良かったじゃない。なかなか『男らしい』通り名よ」
「ミストレスの時点で、男らしさゼロだよ!」
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第二章 這いよる姉と銀行強盗
1.一夜明けて
――そうして、演習は無事終了した。
結局あの後、
最終的なサバイバルの『生存者』は全体の三分の一程度だったらしい。というのもエルレシアチームは凄まじく、あの後二人で参加者のおよそ半数――即ち八〇人あまりを撃墜してしまったのだ。一体どうすればあの深手からそんな快進撃が起こせるのか不安になった良香だが、エルレシア曰く『むしろわたくしを退けた貴女が特別なのですわ。誇りなさい。わたくしが許します』とのこと。どこまでも傲岸不遜な少女だった。
そして、そんな激闘から一夜明けたある日。
良香はある意味サバイバル演習よりも切羽詰った危機に見舞われていた。
具体的に言うと、女子校である以上絶対に起こり得る『お着替え』に直面していた。
「男として…………断固、女の子の着替えを覗くことはできません!」
「だが、早くしないと授業に遅れるぞ?」
そういうわけで、良香は教室で着替え始めたクラスメイトから逃げるようにして廊下に出ているのだった。しかし生徒全員が女子である関係上、更衣室なんてものはどこにもない。流石に廊下で着替える訳にもいかず、こうして彩乃に手を引かれ、それをその場で踏ん張って拒絶するという形になっているのだった。
「っていうか、なんでお前はオレを引っ張り込もうとしてるんだよ! 普通逆だろ!」
「何を言ってるんだ、減るものじゃあるまいし」
「逆! 立場が逆!」
「――二人とも廊下で何してんのよ?」
と、やんややんやしていた二人だったが、横合いから才加に声をかけられたことで一旦やりとりを止めた。見てみると、才加はハンカチをポケットにしまっているところだった。多分トイレから戻って来たとかなのだろう。
(う、ううッ! 才加の前であんまり着替えを渋ると、またレズ疑惑が出てしまう……)
もうレズで良いんじゃない? と実は少しだけ思わないでもない良香だったが、あくまで彼女は男として女の子と恋愛したいのであって、女の子が好きな女の子として扱われるのはやっぱりちょっと違うのであった。
だが、そんな繊細な男心を解さない彩乃や才加は適当そのものだ。
「また良香の持病だよ」
「ああ、人の前で肌を見せたくないし他人のを見るのも恥ずかしいっていう?」
結局、良香の態度はそういう解釈で落ち着いていた。極度の恥ずかしがりやだからたとえ同性でも肌を見せたがらない――というなんともしまらない理由だが、お蔭でレズ疑惑はなくなったと思えば良香としては痛しかゆしである。
ただ、そんな理由になってしまったからか、彩乃も才加も遠慮がなくなってしまった。
「あんた、これから三年間ずっとなんだからいい加減慣れないとダメよ。もしもあんまり辛いならみんなに見ないようにお願いしてあげるから、あんたも少しずつ頑張りましょ。ね?」
こうまで言われてしまうと、良香としてはもうそれ以上抵抗できない。普段はガサツそのものな才加なのだが、ふとした拍子に(勘違いなのだが)真面目なやさしさを見せて来るのが良香としては一番やりづらい。
「……うん、がんばる」
憮然としつつも、良香は頷いて教室という名の魔境へと入る。
そして、入室一秒でマウントエルレシアとご対面して早速壁に突っ伏して撃沈しそうになっていた。
「ぐぐ…………」
「どうかしましたの?」
と、そこで背後からエルレシアに声を掛けられた。
「あ、エルレシア…………さん」
怪訝そうに首を傾げるエルレシアに、先日の一件のことで少し気後れ気味な良香は思わず振り返り(おっぱいを見ないように目だけを見つめて)、さん付けで応対してしまう。エルレシアは別に気にした風もなく、
「敬称とは殊勝な心がけですが、必要ありませんわ。貴女はわたくしを退けた実力者。そう卑屈になられても却って無礼というものでしてよ」
「あ、はい…………」
そう鷹揚に言うエルレシアだったが、肝心の良香の方は若干ビビり気味なのであった。その対応に少し怪訝な表情を浮かべるエルレシア。そこにすぐさま志希が割り込み、何事かを耳打ちする。
「……ああ! なるほどそういうことでしたのね」
何を言われたのか、エルレシアはやっと得心がいったというような表情で頷く。良香の方は何を言われるかと焦っていた。ここまでの和やかな雰囲気を見ればエルレシアが別段何も思っていないというのは分かりそうなものなのだが、そこはそれ、当事者というのは全体の流れを見ることが難しいものなのである。
「先日は本当に色々と申し訳……、」
「謝るというのなら、貴女方がわたくしを冗談の通じない女と勘違いしている点ですわね」
「は、大変申し訳……ん?」
「別におっぱいを触られたくらいで怒るほど器の小さいわたくしではありませんわ。だって相手は女の人ですもの。それに、わたくしだって別に女の子が好きというわけでもありませんわ。ただ
(じゃあ何故心得があるんだ……)
そこのところはやっぱり油断ならないエルレシアだったが、それはともかく『女の人だから』怒らないというのは良香としては複雑な回答である。何故なら良香の性自認として自分は男の人であるゆえ。
ただ、当のエルレシアが気にしていないと言っている以上、ここからも引きずるのは逆にエルレシアに対して失礼だった。
「…………分かった。気にしてないなら良かったんだ」
「あたしも、なんか変にかき回しちゃってごめんね~」
そう、才加が絶妙なタイミングで入って来た。ひとまずエルレシアがお怒りでないことが分かった良香はほっと一息つく。
すると、今まで緊張で気付かなかった事実を思い出す。――マウントエルレシアだ。
「うぐっ!」
「…………どうかしましたの?」
「いや、なんでもない……」
首をかしげるエルレシアに、良香は手を振って答えた。
ひと段落付けておいてあっさり心が折れそうになった良香だが、着替えを頑張ると才加に言った以上、前言を取り下げるのは男が廃る。良香は気合を入れて体操服の入った袋を才加の机の上に置き、早着替え(特技)を敢行した。
「は、速い……!」
才加の戦慄の通り、それは電瞬の速度で行われた。
ものの数秒で制服を脱ぎ、そしてシャツと短パンを身に纏う。目を瞑ってもこの速度。必要は発明の母と言うが、良香の早着替えは今なお成長を続けているらしかった。
と、目を瞑っていた良香の耳に、クラスメイト達の会話が聞こえて来る。どうもサバイバル演習を経てそれぞれの持つオリジンを知って、今はそれがもっぱらの話題になっているらしい。
ふと気になった良香は、こんなことを言った。
「オリジンって、意外と燃費よくねーか?」
それは、前から気になっていたことだった。自走風車《テイルウィンド》も残機無限《リスポーン》も剛腕無双《EXブースト》も、極凍領域《コキュートス》ですらデメリットこそあるが燃費は良いと呼ばれる。どこから燃費がよくてどこから燃費が悪いのかも曖昧な良香だが、少なくとも彩乃の言うほどオリジンがここぞというときにしか使えないモノという風には思えなかった。
が、彩乃はというとあっさりとした調子で良香のこの疑問に答えた。
「いや、悪いよ」
「でもさ、オレも彩乃も才加も、エルレシアだって燃費が良いんだろ? 大体、みんな残り巫素《マナ》の少なさに悩まされたりはしなかったじゃん」
「それは私達が特殊なんだよ。あと残機無限《リスポーン》に関しては燃費は悪いがセーブした時点の残り巫素《マナ》ごとロードされるから関係ないというだけで、実質は他のオリジン以上のイレギュラーだからカウントに入れるのは如何なものかと思う」
「同じことだと思うけど……」
「私の快刀乱麻《キルブラック》は燃費が悪いですよ」
いまいち納得できていない良香に、志希が付け加える。
「…………いきなり森一面刈り取ったりしたのにか? あれもけっこうとんでもなかったけど」
「あの時は強がってましたが、実際のところを言うと、けっこう消耗していました。快刀乱麻《キルブラック》は切断した物質の断面積に応じて巫素《マナ》の消耗量が変わりますので。証拠にあの後、一度も使わなかったでしょう」
「…………そういえば」
「わりと疲れました」
「疲れちゃったのかー…………」
げに恐るべきはそれを感じさせない志希のポーカーフェイスか。
巫術師の戦いは腹芸も覚えないといけないらしい。少年漫画愛好者の良香としては強いパワー同士のぶつかり合いで勝敗を決めてほしいなと思う。せめて、能力の証言について嘘を交えたりするのはホントややこしくなるのでやめてほしいところである。
「ほら、もう皆着替え終わったから目ぇ開けて良いわよ。さっさと行きましょ」
そんなことを考えていると、才加が良香の肩を叩くのが分かった。どうやら地獄の時間はもう終了したらしかった。
良香は、やっとか――と安心しつつ目を開ける。
「…………………………」
「……………………にひ」
そこにあったのは、才加によってたくし上げられた、ブルーシルバーのブラジャーに包まれた標高《バストサイズ》九〇センチはかたいマウントエルレシアだった。
肝心のエルレシアは話の筋がよく分かっていないままに服をたくし上げられているため、怪訝な表情を浮かべていたが。
一瞬の沈黙ののち。
「……こ、この破廉恥野郎ぉぉ――――っ!!」
一気に顔を真っ赤にした良香は、その背後にいた姑息な下手人才加に飛びかかる。
*
ここ神楽
そして、体育はその性質上『教える内容の自由度が高い』ので特にその傾向が強い。
「よーし、という訳で今日は走り込みしつつ格闘するぞー。もちろん変身禁止なー」
女性にあるまじきゴリゴリマッチョで無駄にサバイバルが得意そうな軍人っぽい先生はパンパンと手を叩きながらそんなことを言った。
こういう授業が入ってくるとかもはや自分達が目指しているのは巫術師というより格闘家なのでは? と良香は思ったが、他の生徒が弱音を吐いていない以上良香も粛々とこなすまでである。彼女はこういう方向への我慢強さはけっこうあるのだった。
「っていうか、皆、昨日あれだけ戦ってたのに、よく疲れてないなっ」
ただ、疑問に思うところはある。そんな良香の疑問に彩乃はのんびりとした調子で答える。
「大体の人はブーストで回復しているからな」
体力回復などに用いられるブーストだが、それは別に戦闘中に行わなくてはならないなんてルールはない。そうして授業の疲れを癒すからこそ、このスパルタ訓練は成り立つのだ。
尤もそうなると超回復はあまりないので筋力は伸びないのだが、ブーストが使える巫術師にとって人間レベルの筋力上昇などあってもなくても大して変わらない。
良香は思わず感心して言った。
「巫術師、すげーな」
「こういったメンテナンスの必要のなさも、討巫術師《ミストレス》が重宝される理由の一つだ。機械ではこうはいかないからな」
とことん人を人扱いしない彩乃の言動だったが、感心している良香にはあまり聞こえていなかったようだ。彩乃は自分の言動を省みて、少し自嘲気味に笑う。
「皆の者ー、相手だけでなく周囲の環境もよく観察しろよー」
無駄にサバイバルが得意そうな軍人っぽい女教師は、適当そうにパンパンと手を叩いてそんなことを言った。
「たとえば、街には下水道という地下空間が存在していてマンホールを外せば簡単に侵入できる。港から海面を覗いてゴミが放射状に広がっている場所があれば、そこに排水溝があって入ることが出来る」
軍人っぽい女教師はグラウンドを走りながら組手をしている生徒達にぴったりとつきながら、しかし欠片も息を切らさずに続ける。
「先のサバイバル演習は自然を利用する術を学ぶための場だったと言っても良い。……だが、本来討巫術師《ミストレス》に必要なのは街中でのサバイバル技術だ!! ……おいそこ、熱心なのは良いが組手中にメモはやめろ!」
軍人っぽい女教師に、女生徒の一人が『はい、すみませんなのです!』と元気よく返事する。どいつもこいつもモブキャラのくせにキャラが濃いこと限りないのであった。
「あの先輩、私の一つ上だったな」
良香の組手相手でもある彩乃は、組み手をしながらもそんなことを言って思い出に浸るくらい余裕を持っていた。
良香も最初こそ余裕があったが、だんだんと疲労で口数が少なくなってくる。
「知り合い、だったのかっ?」
「いや? だが名物生徒ではあったよ。アルターもブーストも使わない完全生身の状態で、ただの格闘技術だけで他の生徒と渡り歩くトンデモ格闘家ってね」
「なんっ、だそれっ」
「そこにさらにアルターとブーストとオリジンが加わる訳だからね。当時接近戦では手が付けられないと言われていたよ。ちょうど、エルレシア嬢の戦闘スタイルが似ているかな? そう考えると彼女もなかなか肉体派だな」
そう言われてチラリと横目に見てみると、エルレシアは志希ではなく才加相手に組手をしていた。才加の方はとんでもない相手と組まされて涙目状態だが……意外と渡り合っている。いや、エルレシアの方が優勢なのは間違いないのだが、それでもなすすべもなくボッコボコというわけではなかった。さすがのエルレシアも生身で無双するほど常識知らずではないらしい。
志希は――どうやら組手中にメモをとっていたあの少女と組んでいたらしい。彼女がメモをとれていたのも、志希が律儀に待っていたからというのが大きそうだ。
「ほら、余所見していると」
「あっ!?」
――そんな風に意識を散らしていたせいか、気付くと彩乃が良香の眼前まで迫って来ていた。視界いっぱいに彩乃の顔が近づいて面喰った良香は、続く足払いをモロに受け、そのまま喉目掛けて体重を乗せた肘鉄を繰り出されてしまう。必死の思いで右腕を振ってそれを逸らすが、今度はもう反対の腕で押さえつけられてしまった。
「…………うぐ、動かない」
「よっと。まあ、変身すらしてないしな。慣れれば部分変身なんかも出来るんだが」
倒れた良香の手を掴んで助け起こした彩乃は、何気なくそんなことを言った。
「部分変身?」
「そう。体の一部を変身状態にするわけだ。半端に衣装が変わって人によってはなかなか面白いぞ」
「面白いとかそういう話なのか…………」
「ちなみに利便性もある。主に巫素《マナ》の節約や奇襲だな」
「…………あんまり巫素《マナ》が足りなくなるような状況が来るとは思えないんだけど、使う機会なんてあるのか?」
「ああ、あるぞ。妖魔遣いに人質をとられたときとかな。連中人間の知恵を持っているから外道な手も余裕でやってくる。そういうとき、降参した振りをして死角で部分変身し、地下を通して土のアルターの準備をし、逆に奇襲をしかけてやるわけだ」
「…………、」
驚きの大逆転劇だった。それをすらすら言うあたり、おそらく彩乃も何度かそういった事態に直面し、そして今言ったような機転で乗り越えてきたのだろう。
そんな彩乃の言動を総合して、良香はこう呟いた。
「…………巫術師って、大変な職業なんだな…………」
彩乃の特技が利き栄養ドリンクだった時点で、そんなことは半ば分かっていたようなものだったが。
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2.そして這いよる――
「突然だが一時帰宅だ」
「本当に突然だな」
その日の放課後。
自室に戻っていた良香に彩乃はそんな話を切り出していた。一時帰宅――この場合どこに、と聞くほど良香は察しが悪くない。言うまでもなく、彼女の家だ。
「一時帰宅って……一体なんでだ? 今のところ別に問題はないけど」
「ああ、何でも細かな私物が残っていたらしくてな。ついでに上の方で『そろそろ自宅が恋しくなってくる頃だろうし、リフレッシュの機会でも作ろう』という話になったらしい」
「…………、」
「実は演習の頃に『先方』から打診はあったんだがな。さすがに演習に集中させた方が良いということになって、今のタイミングまで延びたんだよ」
彩乃はすらすらと説明し、
「明後日――つまり今週の金曜日は演習で壊れた森を修繕するとかで職員がかり出されるから、授業は全日休講になる。その日に帰るからそのつもりでな」
そう、軽い感じで告げる。対する良香はというと、何故かその目にありったけの意志を乗せてこう答えた。
「嫌だ」
……嫌とかそういう問題ではない感じなのだが、良香はそれでも嫌だと突っぱねた。それに対し、彩乃は律儀にいちいち問いかける。
「なんでだ?」
「なんでもだよ……」
軽い感じの彩乃の問いかけに、良香は目を背けてどことなく言いづらそうにしながら答える。取り付く島もない感じだった。
「大体、リフレッシュの機会なんていらねーよ! オレは十分新生活を満喫してるよ! ホームシックとかねーから! っつーか中途半端に帰らせたら余計ホームシックを助長させるだけじゃねーのか学院上層部!」
「まあまあ良香、落ち着いて」
「これが落ち着いていられるか! せっかく家から離れられたってのに、どうしてオレがわざわざ家に一時とはいえ帰宅しなくちゃならねーんだ……」
――ここまで来れば
「別に私は行かなくても良いが、その場合はお姉さんのほうから来ることになるぞ。――この学院に。それでもいいのか?」
「行かせていただきます……!」
良香はしょんぼりとしながら全てを受け入れた。
余人にはよく分からないやりとりだったが、彼女達からすれば真剣そのものだった。
*
「おー、遅かったわねー」
食堂にやって来ると、既に才加とエルレシアと志希がテーブルを確保していた。
「席とっといてくれてありがとなー」
「ちょっと話し込んでしまってな」
軽く礼を言いながら、良香と彩乃もまたテーブルにつく。サバイバル――というよりは、その前の初日の夕食の縁からか、一緒に行動することが多くなってきた五人である。
「…………で、あんたはまたブロックと栄養ドリンクなのね――って違う……だと……!?」
胡乱な眼差しで彩乃のコンビニ袋から夕食――と呼ぶことすら若干の抵抗を感じるもの――を取り出すさまを見ていた才加だったが、そこから取り出された品物を見て、くわっ! と目を見開いてしまう。その様子を見た彩乃は得意げに笑い、
「ふふん。今回はカルブロックの他に栄養バランスを考えて野菜ジュースとヨーグルトをチョイスしてみたぞ。これで良いんだろう?」
「………………」
「才加、これは一歩前進だ! 栄養ドリンクが野菜ジュースとヨーグルトになっただけでも進歩なんだ!」
「っつーかあんたは一緒に来てるならこの馬鹿を止めなさいよ! なんでむざむざこんなレーションみたいなモン買わせてんの!?」
「いや、コンビニに行くまでに振り切られちゃって…………」
痛いところを突かれた良香は、しゅんとして俯いてしまった。意外とメンタルが弱いのかもしれないな――と才加は内心で呆れつつ、溜息を吐く。
「まったく、いったいどういう青春を過ごせばこんな栄養食品フリークになるのかしらね…………」
「何故食生活ひとつで青春時代にまで言及されなくてはならないんだ……。まあ昔も大して変わらなかったが」
才加の溜息に、彩乃は憮然として言う。
――何気ない言葉だったが、良香にとっては意外な響きだった。今まで良香は彩乃の食生活は過酷な討巫術師《ミストレス》生活によるものだと思っていたが、それは彼女が討巫術師《ミストレス》として活動していたと知る良香だからこその視点だ。そうでない他の視点から見れば、彩乃の食生活は幼少のころからの生活環境が影響していると思っても不思議ではないし、実際その可能性が高かった。
(考えてみれば、オレって彩乃のこと何も知らないな)
知っているのは彼女の正体が良香より一回り近く上の大人であり、討巫術師《ミストレス》として活動していたということ、体育教師の後輩だったということくらいしかない。彼女の名前が本名なのか、正確な年齢がいくつなのか、どういった経歴を持っているのか、何もかも分からない。
何も知らないも何も、出会ってまだ二週間と経っていないのだからある意味当然だし他のクラスメイトにしても知らないことだらけなのだが、一方で彩乃は良香にとっては命の恩人であり大事なルームメイトだ。『何も知らない』ということを少しも後ろめたく思わない気持ちがないといえば嘘になる。
尤もそれは、彩乃のほうも同じかもしれないが。
「そういえば彩乃さんはお昼ごはんも似たような感じでしたわね」
「菓子パンを昼食にするよりはまだしも健康的だろう。栄養バランスもとれてる」
「栄養バランスがとれてれば良いってモンでもねーと思うんだけどな、食事って……」
現代社会が忘れがちな食卓の温かみの重要さを思い知る良香である。
「よろしければ、彩乃様の昼食も私がお作りしましょうか? お嬢様の昼食は私が作っていますので」
と、事態を静観していた志希がそこで口を挟んできた。
「え、志希ってエルレシアの弁当も作ってたのか……」
「ですわね。なかなかおいしいですわよ」
誇らしげに言うエルレシアだったが、彩乃のほうは逆に恐縮してしまった。
「いや、良いよ。さすがにそこまでは悪いし……それに、私は昼にそこまでお腹が空かないんだ」
「その割には夜も食べてないじゃない。もしかして間食? 駄目よ、太るから」
「単純に胃が小さいんだよ」
彩乃は肩をすくめ、
「というか私としては、夜にそんなに食べて胃がもたれないのかと言いたい。特にエルレシア嬢なんか、そんな量の肉を食べて大丈夫か? 太らないか?」
「わたくし、脂肪は胸に行く体質なんですの」
エルレシアは全く動じず、ナイフとフォークを器用に操ってステーキを切り分けていく。
「死ねぇおっぱい魔人!!」
藪蛇に突っ込んだエルレシアに嫉妬の鬼と化した才加がマウントエルレシア登頂を目論むが、悲しいかな圧倒的なまでの実力差はコメディで誤魔化そうとしても誤魔化しきれない。あっさりといなされ、才加はテーブルに突っ伏した。
「げ、元気出せよ才加……胸なんてそんなに気にするほどのものでもないって……」
とは言いつつ、良香も男としてはおっぱいもないよりあったほうが嬉しいものである。自然と言葉からも説得力は失われ、目も泳いでしまう。そんな良香の内心を敏感に感じ取った才加は、突っ伏したまま目だけで良香をにらみつける。
「あんたは『どっちかと言えばある』方でしょうが……」
それは、どうしようもない一言だった。持てる者からの慰めは蔑みでしかない。完璧に相互理解が断絶してしまった瞬間だ。
とはいえ女歴の短い良香は、『ある方』と言われてもいまいちピンとこない。
「……姉ちゃんも同じようなこと言ってたけどさ。いまいち胸の大きさとか言われてもわかんないんだよなー」
「あれ? あんた姉ちゃんいるの?」
一触即発っぽい雰囲気を醸し出していたが、それはあくまで世間話《コメディ》の範疇。才加の興味がころっと変わったのをきっかけに、話題も大きく変遷していく。
「いるよ。五つ上の姉ちゃんが一人」
「へ~、あんた一人っ子っぽいから全然分かんなかったわ」
「お姉様は一般人ですの?」
いまいち根拠のよくわからない推論を立てていた才加はさておき、エルレシアは目下一番気になるところを問いかけていた。巫術師の才能を持つ良香の姉だから巫術師かもしれない――というのは安直ではあるが、しかし巫術師の才能を得ることになる少女というのはえてして何かしらの特殊な事情を背負っているものだ。家族ぐるみで、ということでもなんら不思議ではない。
しかし良香は首を振って、
「いーや。普通の大学生だよ。ちょっと変わってるけど」
あっさりと良香の姉巫術師説を否定した。考えてみれば当たり前で、良香はちょっと前までは平凡な少年だったのだからその姉が巫術師であるはずもないのである。
その割には、姉のことを話す良香の横顔に影が差しているような気がする四人だったが。
「姉っていえば、お前らはどうなんだよ。兄弟姉妹とかいねーの?」
ともあれ、話をすり替えるように言った良香の言葉とともに話の流れはまた大きく変わっていく。結局この後、良香の姉についての話が話題に上ることはなかった。
*
という訳で、翌々日の金曜日。良香と彩乃の二人は学院指定の制服を身にまとい、フェリーと電車を乗り継いで良香の地元までやってきていた。
「ねむい……」
当日寝坊した良香は、自宅に繋がる商店街を歩きながら目をしょぼしょぼさせつつ寝癖を整えていた。たまたま通りすがった電気店に並べられていたテレビでは朝のニュースがやっており、討巫術師《ミストレス》の活躍がまるでアイドルのライブか何かのように喧伝されていた。
しかし一度巫術師の戦いを経験してしまった良香としては、そんな華やかな絵面の裏に潜む討巫術師《ミストレス》の計算高さや強かさが目についてしまう。
エルレシアや彩乃は、この高みに立っているというわけだ。彩乃は本当に現役のプロなのである意味当然だが――と考えたところで、良香はふと気づいた。
「あれ? そういえば彩乃ってプロの巫術師なんだよな?」
「そうだが、どうした藪から棒に」
「巫術師なら、けっこう顔も知られてるんじゃないか? なんで普通にやっていけてんの?」
当然といえば当然の疑問である。子どもになっているとはいえ、高校生相当の年齢だ。当然面影は強く残っているし、有名な討巫術師《ミストレス》しか知らない良香と違ってプロを目指す学院の生徒なら気づいてもおかしくはないだろう。にも拘わらず、ここまで彩乃は一度も正体を見破られたことはない。その言動で何人かから不審に思われているのに、だ。
「それはそうだろうな」
しかし、彩乃はそんな疑問にもあっさりと答える。それどころか、さらに大きな爆弾を落としてきた。
「第一、私は討巫術師《ミストレス》ではない」
「……は?」
一瞬、良香の思考が停止した。
それまでのすべての前提が打ち砕かれるような発言だった。そもそも彩乃が討巫術師《ミストレス》だからこそあの場で良香を助けたのであって、そうでないとすればその前提すら成り立たなくなってしまう。では、良香を助け、そして卓越した技能を見せるこの女性はいったい何者なのか――――。
「ああいや、言葉が足りなかったな」
良香の頭が混乱の極致に向かいかけたところで、彩乃はあわててそんなことを言った。
「私は、どちらかというと支巫術師《アテンダント》の方が近いんだよ」
「…………アテンダント?」
首を傾げた良香に、彩乃はまるで学者のように説明を始める。
「考えてもみろ。良香だって今まででも、討巫術師《ミストレス》と単なる巫術師で用語を使い分けたりしていただろう?」
「え、まあ……でもそれは、討巫術師《ミストレス》はプロで、専用の資格みたいなのが必要だからなんじゃねーの……?」
「まあそれもあるな。だが討巫術師《ミストレス》は巫術師の下位分類……ならプロの巫術師を指す言葉が一つとは限らない。そうだろう?」
「……つまり、どういうことなんだよ?」
「ミストレス――討巫術師《うちふじゅつし》の役目は主に妖魔をはじめとした超自然災害やそれを利用した犯罪への対処。つまり戦闘だ。派手な活躍が多いからマスコミからはミストレスなんて持ち上げられるようになったが……」
彩乃はそこで一旦言葉を切り、手に持ったペットボトルのお茶で口の中を湿らせてから、
「アテンダント――支巫術師《さしふじゅつし》は反対に、研究や技術開発などの裏方でのサポートをメインにしたタイプだ。現役を引退したり一時的に一線から退いたりした討巫術師《ミストレス》も此処に含まれていて、学院の教師なんかもこの支巫術師《アテンダント》扱いだ。裏方だから知名度もそこまで高くないし、数自体も圧倒的に少ない。全国的にもほぼ学院にしかいない。だから自嘲気味に使用人《アテンダント》なんて名乗っているわけだ」
自嘲気味に――と言いつつ、それを自称する彩乃は自嘲した風には見えない。彼女自身は別段気にしていないということなのだろう。ただでさえ風聞なんて気にしなさそうな性質なのだし。
「ちなみに私の前職は巫素《マナ》関係の法則研究だった。つまり、どちらかというと研究者というわけだ。だから一般的な知名度は皆無に等しいし、討巫術師《ミストレス》を目指す学院の生徒達にも知られていないというわけだ」
「なるほど…………」
思わず、良香はうなずいていた。そういうことなら、これまでのすべてに説明がつく。だがそこで一つ素朴な疑問が生まれた。
「でも、それなら最初に会った時に討巫術師《ミストレス》って名乗ったのはなんでだよ?」
問われた彩乃はあっさりとこう切り返す。
「そんなもの決まっているだろう。一般人相手にはそっちの方が圧倒的に通りがいいからさ」
言われてみれば当然の理屈だった。あそこで支巫術師《アテンダント》と名乗られても『誰それ?』となっていただろう。
「ま、そういうわけで私の正体は学院の研究施設のデータベースを漁らない限り見つからない。まずもって
なんだかんだで才加達のことを信頼しているのだろう。軽く言う彩乃だったが、何気ないところに聞き流せない言葉があるのを良香は聞き逃さなかった。少々の沈黙ののち、思い切って切り出す。
「…………『まともじゃない連中』にはバレるってことか?」
「まあそうだな」
対する彩乃は、隠しても無駄だと思っているのか、はたまた最初から隠すつもりがないのか、あっさりとそう頷いてしまった。
「これでも表舞台から一歩外れた日陰の研究者業界ではちょっとした有名人でね。こんなオリジンを持っているから当然といえば当然なんだが。もうブームも過ぎ去ったが、今でもイカれたマッドサイエンティストは私のことをほしがっているかもなぁ」
そんな地獄のような境遇を、彩乃はなんてことないことのように語っていた。彼女が良香を学院に勧誘する際に言っていた『拉致して解剖される』というのは、脅しでもなんでもなかったのだ。彼女自身がそうなりそうになった、ある種のIF。それを言っているだけだったのだ。
「……………………」
ある種の畏れすら感じていた良香は、突如それらの思考を全てシャットダウンしなければならなくなった。
「………………良香? どうした?」
隣を歩く彩乃が怪訝な表情を浮かべるが、良香は何も答えられない。答えるほどの余裕がない。
何故なら、ブーストを使っていない良香でもわかってしまうほどに極大の悪寒が、彼女を襲ったのだから。
前方。
街中を歩く人混みの向こう。
軽質な靴音が、ゆっくり、ゆっくりと迫ってくる。
その足音の人物は、良香の姿を認めるなり這いよるような甘ったるい声でこう言った。
「あら~、
彼女の名は、端境
他ならぬ良香の実の姉である。
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3.例のアネ
良香の両親は、彼女が物心つく前に亡くなっている。
そのため彼女は親を知らず、物心ついた時から五歳上の姉とずっと二人で暮らしてきた。
さすがにどこからか生活費は送られてきたようだが、清良は幼かった良雅が家事を覚え手伝うまでの間、ずっと一人で家を切り盛りしていたらしい。
当時の彼は気づかなかったが、今の良香なら清良の苦労が少しは分かる。彼女の青春の大半は、良雅の為に費やされたといっても過言ではないのだ。
だが、かといって清良が良雅のことを毛嫌いしていたのかというとそれは全く違った。むしろ、清良は良雅のことを溺愛していた。
先ほど彼女の青春の大半は良雅の為に費やされたと言ったが、どちらかというと彼女が進んでほいほい費やしまくっていたという方が正しいのである。
「良雅~~~~会いたかったわ~~もうハァハァちょっと見ない間にハァハァこんなにかわいくなっちゃってもうハァハァお姉ちゃんもう辛抱たまらないわハァハァ」
現在進行形で良香を抱きしめもみくちゃにしている女性――端境清良の容姿を簡潔に説明するとすれば、良香を大人の女性にまで成長させた上で、棘っぽい印象を全部引っこ抜いた感じ、といえば一番近いだろうか。
黒髪は腰ほどまであるロングで少し癖毛気味。目は常に細められていて、その表情は常に曖昧な笑みに覆われていた。よく笑うというよりは、笑みという表情で他の感情を塗り潰しているかのような印象だ。
おかげで、何故だか胡散臭い印象が拭えない。良香も自らの姉ながら他人からそんな印象を持たれやすいことは認識しており、『胡散臭い変態とか最悪だな』と密かに同情しているのは秘密だ。
胸の大きさはエルレシアほどではないが大きめだ。これが良香の成長性を表しているのかもしれない。
「…………出会った直後からずっとひっついてるんだが、姉ちゃんどこで辛抱してたんだ?」
「そりゃもうず~~~~っと辛抱してたわよ~~良雅がいなくなってからずっとずっとずっとずっとずっとずっと~~本当は週八くらいで会いたかったのに~~」
……姉の愛は、どうやら一週間は七日という世界の常識すらも上書きするらしい。当たり前が当たり前であることの有難みを痛感する良香である。
というわけで、現在地は良香の自宅。
良香の言葉のとおり、清良は合流してからずっと良香のことを抱きしめ、頭を撫で頬を撫で首筋を撫で胸元を撫で胸を撫で顔を殴られし続けているのであった。
良香の方は慣れっこといった感じであったが、おそらくそれは少女になってから寮に入るまでの五日間だけのことではないだろう。その前からこの姉のスキンシップの多さは続いていたのだ。
そう考えると良香が自宅に戻りたがらなかった理由もうなずけるところがある。
つまるところ、この猫可愛がりが嫌だったのだ。
リアクションを見ただけでは、そこにあるものがシリアスかコミカルかなんて分からないものなのである。
「ったく……いい歳してやめろよ姉ちゃん。元々酷かったのが女になってから余計にひどくなりやがって……」
「だってだって~。良雅ってば元々可愛かったのが余計に可愛くなっちゃって……ほらここ、目を細めた感じなんか私にそっくりだし~……ああ~~~~…………」
何か絶頂に達している清良をやっとの思いで押しのけ、正常な状態に戻る良香。ぐいっと押しのけられた清良はそこでようやっと隣で所在なさげにしている彩乃に目を向けた。
「それで……」
「お久しぶりです」
彩乃は真面目腐った表情のままに頭を下げた。それに対し、清良は目を細めたまま眉間にしわを寄せ、
「良雅をとった、にっくきにっくきぃぃ~~」
そう、凄みだした。といっても、声色のせいもあって一切緊張感はないが。
「…………申し訳ありません」
彩乃は相変わらず真面目腐った表情で頭を下げたが、清良はひらひらと手を振って、
「
「…………………………ははは」
「……これだから嫌だったんだ…………」
本気なんだか冗談なんだかわからない口調で言う清良に、彩乃の口から乾いた笑いが漏れた。この手の手合いは、まともに相手をしていると神経が持たない。
良香も清良の言うことにいちいち付き合っていては身が持たないと知りつつも、ついつい付き合ってしまう。彼女のツッコミ体質はここで築き上げられたのかもしれなかった。
「ああ~~やばい~久々の良雅で愛が止まらない~~~~」
「そこは止めろ話が進まない!」
仕方なく、良雅はブーストを展開してゴッ! と清良の脳天に軽いチョップを叩き込む。
変身していない為出力は大したことないが、それでも常人が食らえば悶絶しかねない一撃だ。そんな過剰ツッコミを叩き込まれた清良だったが、彼女は両手で頭を抑えながら、
「おぐぅ、良雅ちょっと強くなった?」
二秒ほど痛がる素振りを見せてから、けろりと回復して言うだけだった。ギャグ補正の化身のような存在である。
まったく効いていない姉にもはや呆れの念を抱きつつ、良香は一応の忠告をする。
「あと、良雅って呼んで良いのは家の中とか他に誰もいない時だけだからな? さっき外で良雅って呼んでたけど、オレは外じゃ良香ってことになってるから……」
「分かってる分かってる~」
そう言うヤツはたいてい分かっていないのだが、良香にはさらなる念押しをする気力など残っていない。
それに、良香としても『男としての自分』を忘れずにいてくれる清良の存在は癒しでもあった。
なんだかんだ言って、誰もかれもが良香を女扱いしてしまえば良香は『良雅』を忘れる一方になってしまうからだ。事情を知っている彩乃でさえ、二人の時でも良香と呼ぶくらいだし。
「で、私物ってのは?」
ただ、良香はわざわざそのことで姉に礼を言ったりはしない。照れ隠しに無愛想を装って、そんなことを問いかける。
対する清良はやはり何を考えているんだかわからない笑みを浮かべたまま、
「良雅の部屋に置いてあるわよ~。ところで、今日は私物を取りに来たのよね~?」
と、そんなことを問いかけてきた。良香としても答えは決まっているが、なぜそんなわかりきったことを聞くのだろう? と内心で怪訝に思う。
「……そうだけど?」
「その為に、休日一日を使って此処に来たのよね~」
ん? と良香は内心で流れが変わったことに気付く。だが、もう既に勝利パターンに入っているらしい清良は畳み掛けるようにしてこういった。
「なら、どうせだし新しく『私物』を増やしちゃっても、良いんじゃないかしら~?」
そう言って、清良は立ち上がって良香の手を取る。
拒否権は、ないらしかった。
*
では何をするかと言うと、買い物だった。
良香と彩乃を連れた清良は、商店街の銀行の向かいにある大きな服屋までやって来ていた。
服だけでなく、アクセサリー店やメガネ量販店、ランジェリーショップも内包したかなり大きめの総合的な服飾店だ。
ちなみに、良香は今までこの服屋の前を通ったことこそあれど、中に入ったことなど一度もない。デパートの中にある安い服屋で買うのが普通だったからだ。ゆえに、
「こ、こんなブランドものっぽいところ場違いじゃないかな…………」
「あら~、ブランドって言っても良香ちゃんが想像しているような何十万もする『ブランドもの』じゃないから安心して良いわよ~。精々一着一万円とかだし~……」
「十分とんでもないわ! 頼む彩乃オレだけじゃツッコミの手が回らない手を貸してくれ!」
「な、なんだ此処は……? 異世界か……?」
「って研究者上がりには縁のない場所すぎて思考停止してやがる!? クソ、使い物にならねー!」
「あら~駄目よ~良香ちゃん。女の子がクソなんて言葉を使っちゃ~」
「うぐ……」
家の外では良香と呼ぶように言った手前、清良相手には『オレは男だから』と言いづらい良香である。
「そんな一着一万もするような服いらないよ……っていうかお金は大丈夫なのかよ?」
「大丈夫よ~。というかウチってお父さんとお母さんの遺産の振込で結構裕福だからね~。向こう三〇年は働かないでも暮らせそう~」
そんなこんな言っているうちに、清良はどこから取り出したのか薄いパステルカラーの下着をいくつか取り出してきた。
「ところで良香ちゃん、ちゃんと下着つけてる?」
「つ、つけてるよ! っつーか先月姉ちゃんが無理やり買わせたんだろうが! 絶対忘れないからなアレ!」
「でもでも~ちゃんとブラしないとおっぱい垂れちゃうわよ~クーパー靭帯~~」
曖昧な笑みを浮かべながら、良く分からないことを言う清良。ちなみにクーパー靭帯とはおっぱいの張りを司る靭帯で、ブラをしないとこの靭帯が伸びてしまい、おっぱいが垂れてしまうのだ。
ちなみに加齢でおっぱいが垂れるのはこのクーパー靭帯が重力に負けて伸びてしまうかららしい。
「靭帯の神秘ね~」
「それが言いたかっただけだろ絶対!」
「ちなみにクーパー靭帯の損傷はブーストで治せるぞ」
「お前も無理やりそっちに持っていこうとしなくていいから!」
男の子としては美女揃いの討巫術師《ミストレス》のおっぱい――特にエルレシアっぱい――が垂れる心配はないというのは朗報だったが、やっぱりこの状況で言われてもツッコまざるを得ないのだった。
「はぁ……大体なんで服屋なんだよ?」
ツッコミにひと段落つけた良香は、肩で息を整えながらそう問いかける。清良は相変わらず目を細めたまま、
「なんでって……だって良香ちゃん、よそ行きの服持ってないでしょう~?」
「確かに持ってねーけど……全寮制だからよそ行きの服なんていらねーよ。寮とか本校舎じゃ制服着用が基本だし……」
「じゃあ、三年間ずっと制服で過ごすつもり~? 遊びに行ったりもするでしょう? それとも学院で缶詰のまま高校生活を終える~?」
すぅっと真面目な表情(ただし薄笑いだ)になって問いかける清良に、良香は少し考えてから素直に答える。
「…………いや、たぶん遊びに行くな…………」
彩乃だけではない。才加とは絶対に遊ぶだろうし、エルレシアや志希、まだ軽く会話した程度だがクラスメイトともこれから遊ぶことになるだろう。
性別は違うが、神楽巫術学院の生徒達はみんな真っ直ぐだし、中身が男の良香とも仲良くしてくれるに違いない。
(…………そうなると、本当のことを隠してることに罪悪感をおぼえるんだけど……)
とはいえ、自分が本当は男であることなどバラしてしまえば大問題になるかもしれない。どこから情報が漏れるかなんて分からないのだ。もし外部の、彩乃の話にあった反体制派に秘密がバレてしまえば、良香は全世界から身柄を狙われることになる。
こうして清良と会うこともままならなくなるだろう。それに――、
(…………女の中に男が一人。こんなこと知ったら、絶対に嫌われるもんなぁ……)
性別の壁。
それは、改めて直面すると思っていたよりもずっと分厚いのだ。
そんな風に難しく考えていた良香の頭に、ふっと暖かい手が置かれる。にっこりと笑った清良は、落ち込んだ気分の良香を引き戻すように、
「じゃあ、たくさん服をあわせて、いっぱいお洋服買いましょうね~大丈夫大丈夫、ちゃんと良香ちゃん好みの服装をチョイスしてあげるから~」
「あ、ああ……分かった」
なんだか気を遣っているように見せかけて体よく丸め込まれている気がしないでもないのだが、考えてみても筋は通っているので良香は素直に頷く。
…………理路整然とした会話の中で何気に服をあわせることが前提条件に加えられていたり、いっぱいという文言が入っていたりと、実は思う存分着せ替えにする言質をとっているわけなのだが良香は全然気づかないのだった。
「と、いうわけで」
めでたく言質をとった清良は、ゴソソッと体の陰からある品物を取り出す。
それは、二本のひょろ長い装飾が伸びたカチューシャに網タイツ、レオタード――――、
――いわゆる、
「はい、バニースーツ~」
「なんでこんなのが売ってんだよ!?」
これを持ってきた清良のチョイスの前に、この店の品ぞろえの豊富さに驚愕する良香。
さすがにアクセサリーやらメガネやらランジェリーやら揃えているだけのことはある。全然すごいとは思えないが。
「じゃあ次~スク水とかベビードールもあるわよ~」
「着るかバカ! 私服買うんじゃなかったのかよ!?」
次々と体の陰から衣装を取り出していく清良を、良香はやっとの思いで押しとどめる。
というかそういう風に何もないところから衣服をポンポン出されてしまうと世界の法則が乱れかねないのでやめてほしいと切に願うのであった。
「っていうか、中身考えろよ、『中身』! オレにそんなの着させて楽しいかよ!?」
まさか公衆の面前でオレは男だというわけにもいかないので、良香はそう言って自分を指さす。男に着させているようなものと考えれば、楽しさも薄れてしまうだろう。
そう思ってのツッコミだったが、逆に清良はそれまで曖昧な笑みで覆っていた表情をすっと真面目なものに切り替え、
「――私は、たとえ元のままでもアリだと思う」
「圧倒的にナシだよ!」
スパン! と直後、良香のツッコミが清良の頭を直撃した。
しかし清良は微動だにせず、出した服を元に戻していく。どうやら意外と近くにコスプレグッズ売り場があったらしい。やれやれと良香が溜息を吐くや否や、清良は今度こそちゃんとした服を持ってくる。
「さあて~冗談はさておき、これなんかどう~?」
清良が提示したのは、黒を基調とした控えめにフリルのついたゴスロリ風のホットパンツとシャツの組み合わせだったりピンク系のやわらかい色彩を基調にしたロングスカートにボレロの組み合わせだったりなどなど、概ね可愛らしいコーディネートだった。
当然ながら、良香の趣味嗜好としてこういったものは全くもって好ましくない…………のだが。
「ん……まあこのくらいなら……」
如何せん、その前のネタ衣装のインパクトが強すぎる。アレがあるせいで、良香の意識に『あれに比べれば……』という妥協が芽生えてしまうのだ。あと『ここで納得してないと次どんなものが来るか分からない』とく警戒心もあった。
しかし、そんな様子を(面白そうだったので)黙って観察していた彩乃は、事の一部始終――清良の思惑の全てを見透かしていた。面白そうだったので言わなかったが。
(あの提示された衣装――提示された状態で既に上下が揃ってコーディネートされている……
ある種の畏怖を持って、彩乃は清良の横顔を見る。
その何を考えているのか分からない笑みは、彩乃の目には勝利を確信した策士の笑みに見えた。
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4.あともう少しだったのに~(姉)
するするという衣擦れの音が、妙に艶めかしく聞こえる。
薄い布のカーテンには少女の生まれたままの姿がシルエットとして映し出されていて、カーテン越しに視線を浴びていることを察しているのか、時折恥ずかしげに身じろぎしているのが余計にもどかしさを加速させていた。
そこは、端境清良にとっては天国に等しい空間だった。
愛しの愛弟(現:妹)と久々にイチャつけるだけでなく、着替えまで鑑賞できるのだ。しかもカーテン越しにというのが良い。見えないのが切なくもあり、逆に想像力を刺激したりもする。突き放された分、イチャつくときの快楽もひとしおというものだ。
「良香ちゃんってば昔から『男らしく』とかってあんまり甘えてくれなかったし~………………きっとこれは天からの贈り物なんだわ~」
天からの贈り物を骨までしゃぶり尽くすことに決めた清良は、表面上はあくまでのほほんと微笑みながら続く良香のファッションショーに意識を戻した。
次の衣装は清良イチオシ、ゴスロリ風の意匠とボーイッシュファッションを融合させた珠玉のコーデだ。このコーデで、清良は天の国に昇る――――。
と、訳の分からない世界観が展開されようとしていたが、現実はそれを許すほど非常識ではなかったらしい。まだ。
というのも、突如、機械化された法螺貝のような低く響く電子音が店内に鳴り響いたのだ。
『
地震警報。
これに一番狼狽したのは、現在絶賛着替え中の良香だった。何せ今の彼女は脱ぐにも半端、着るにも半端な半脱ぎ状態である。具体的には上の服の着替えが終わっておらず、淡い色のブラジャーがまだ見え隠れしている状態だった。
こんな状況で、避難なんてできるわけがない。お前特技の早着替えはどうしたというツッコミはなしだ。いきなりの警報でちょっとテンパっているのである。
「えっ、えっ!? まだ着替えてないんだけど、ちょ!?」
「大丈夫よ~、試着した服は全部買ったから~」
「いやそこは問題じゃってそこも問題だぞ!?」
しかしパニックの中でも、カーテンの向こうにいる清良の声はマイペースを極めていた。実は試着のために用意した服はもとより購入済みだったのでマイペースというわけではないのだが、そこはそれだ。
このままではこの半端な状態で公衆の面前に出なければならない。いや、急いで着替えれば良いのだが地震警報のせいで良香は軽くパニックになっていた。
「え、ええ――い! もう知らん!」
良香(特技:早着替え)はヤケクソ気味にそう叫ぶと、目を瞑り体内にある巫素《マナ》を意識して精神を励起させるようにしてこう言った。
「変、身ッ!」
アニメにあるような派手な光の奔流は、発生しなかった。代わりに火をつけた紙が徐々に燃えていくように、穏やかで迅速な、塗り替えるような変化が良香の装束に起こる。
ものの一秒とかからなかった。
たったそれだけの時間で、まるで今ある衣服を消しゴムで消したその下に元々『それ』があったかのように、良香の装束は赤を基調とした『赤ずきんの皮に
「ああッ!? もう変身終わっちゃった~!?」
良香の装束が完全に変わると同時に、清良がカーテンを開ける。
無音かつほぼ一瞬の出来事だったにも拘わらずシルエットの変化だけでこの反応速度だった。良香は我が姉ながら恐怖に慄きつつも、胸を張って頷いた。
「これで大丈夫だ」
「良香、毎回思うんだがその『変身』ってヤツ要るか?」
「男としてこれは言わなきゃダメなの!!」
男の浪漫を解さない分からず屋彩乃に道理を説きつつ、良香は二人を急かすように言う。
「格好が格好だからあんまり人目につくところには行きたくねーけど……早く避難しよう」
「ああ、それなんだが」
今にも歩き出そうとしていた良香に、彩乃の制止が入った。すぐにでも逃げた方が良い状況での制止に良香は思わず怪訝な表情を浮かべたが、
「この地震警報、
彩乃の言葉に、怪訝な表情をさらに歪めてみせる。
「……は? どういうことだよ」
「隠語だよ」
彩乃は良香を宥めるようにしてそう言った。
「ただの服屋に地震が発生してから到達三〇〇秒前……つまり五分前にその伝達を察知するほど上等な地震警報システムなんか搭載されている訳ないじゃないか」
「……? じゃあ、どういうことなんだよ?」
「『五分くらいの猶予は用意できる程度にほどよく切羽詰った危険がこの近くにある』って意味だよ、さっきの警報は。そういえば向かいに銀行があったな…………大方銀行強盗ってところじゃないか?」
そこまで、彩乃はすらすらとまるで筋書きを読んで知っているかのような滑らかさで述べ上げた。良香も一瞬『そうかぁ……』と納得して矛を収めかけたが、次の瞬間それどころではない危険が迫っていることに気付いた。
「はぁ!? 銀行強盗だと!?」
地震も危ないが、銀行強盗も危ない。
というか、パニックになった利用客が銀行の前まで来たら、銀行強盗が刺激されて……なんて悲劇の連鎖が生まれてしまう可能性すらあるのではないだろうか?
…………そうと分かっていながら、『この警報は隠語で実際に地震は起こらないから安心』、なんて言って安全地帯に留まれるほど、良香はお利口ではなかった。
「…………ンなもん余計にヤバいじゃねーか!」
「あっ、おい待て!」
そこまで聞いた良香は、彩乃が止めるのも聞かずに飛び出してしまう。
店内は警報が発令している為大混雑だが……流石に人混みの中に飛び込むほど良香も馬鹿ではないらしい。ブーストによって強化された身体能力を利用し、陳列棚を足場に人混みの頭上をぴょんぴょんと飛び越えていく。
「あら~……良雅ってば、すっかり立派になっちゃって~…………」
「チィ……! あの馬鹿、話も聞かずに……すみません清良さん。良雅君を追います。ここで待っていてください」
「いってらっしゃ~い」
ゾ……と虫が這うのを早回しにするように、彩乃の足のみが変身する。清良と会う前に言っていた部分変身だが、良香と違い黒地に金の装飾のボディスーツという『目立つ』風貌の彩乃にとっては、民衆の前でむやみに目立たないという点でも重宝するのだった。
タン! タン! とカモシカのように軽やかな動きで良香に追いつくと、当の良香は既に人混みから抜けて銀行の騒ぎを睨みつけているところだった。
「待て、良香。まだ動くな」
「まだ動くなって……どういうこったよ? 彩乃のアルターなら連中を奇襲できるし、オレのブーストがあれば連中が反応する前に全員叩くことが出来るだろ。人質に被害が加わるリスクだって皆無なんじゃねーか?」
「そうじゃない……。そもそも我々はただの民間人だ」
彩乃は良香を宥めるように肩に手を置き、そして続ける。
「我々の権限はあくまで対妖魔に特化しているんだ。警察ではない以上、一般の犯罪者相手に動かなくて良い。…………というか、『縄張り』を犯せばそれだけ『摩擦』が生じるから、動かないでくれ」
「…………『縄張り』? 『摩擦』?」
初めて聞いた文言に、良香は頭の周りにクエスチョンマークを飛ばすことしかできない。
それでも彩乃の忠告を無視しなかったのは、話に出て来る用語があまりにも物々しかったからだ。
そんな良香に、彩乃は早口で説明を始める。
「前にエルレシア嬢達と話したことがあったろう? 学院は巫術関連の権利や利益を独占しすぎているから一部から反感を買っているとな。それでも上手く回っているのは、学院の権限が巫術関連に限定されているからだ。もし仮に学院に所属している巫術師が独自に治安維持を始めれば……その分、周辺組織との軋轢も巨大化する」
つまり、大きな組織同士のパワーゲームの火種になりかねないということだった。難しいことは良香には分からないが……そう言われても無理に動こうとするほど、彼は物分かりが悪い訳ではない。
それに、自分が浸かりかけている巫術師業界が思ったよりも薄氷の上の平和に成り立っているということに対する驚愕もあった。
「あら~? 何か妙だけど~」
と、そんな風にしてようやっと矛を収めた良香の横で、置いてきたはずの清良がのほほんとした調子で疑問の声を上げた。
「っ!? 姉ちゃんいつの間に!?」
「いつって今だけど~……それよりあっちの方がちょ~っとおかしなことになってるかも~?」
そう言って、清良は銀行の方を指差した。そこにはやはり、野次馬がいっぱいいる異常な状態の銀行がある。確かに『おかしなこと』と言えばそうだが……そんなことは今更だろう。
「妙って……」
「人の流れ~」
清良は、相変わらず恍けているのかそうでないのか分からない調子で言い切る。しかしその言葉には、力があるように思われた。
「服屋方面からの野次馬なら、視線の方向や人の流れは銀行に集中するはずよね~。でも、あの野次馬は逆に銀行から離れるようにして流れてるわ~……。人混みのせいで見づらいけど、多分あれ、銀行の中から人が逃げてるんじゃない~?」
「銀行強盗で、人質を逃がす…………?」
清良の指摘に、彩乃はブーストで強化した視力で銀行周辺を観察する。……確かに、銀行の中から出ている人が数人いる。人質交換が行われている様子もないし、特別服装が乱れているわけでもない。出て来る人の種類も疎らで、特に法則性があるようには感じられない。
通常、銀行強盗では人質をとるのが常道だ。でなければ警察に囲まれた時に取引材料がなくなってしまう。そうしないということは、犯人が頭のイカれたマヌケの集団か、あるいは
「…………まさか……!」
彩乃は自らの直感に従い、目を瞑りブーストで巫素《マナ》感覚を強化する。自らの隣に見知った巫素《マナ》――良香。そしてその隣に清良、他に雑多な一般人の微弱な巫素《マナ》が点在し………………そして、見えた。
銀行内部。
ある一部分から地中に向けて穴を掘るように『細長く』延びていく
彩乃の決断は早かった。
全身に黒衣への変身を波及させるや否や、彼女は大きく声を張り上げた。
「皆さん! 討巫術師《ミストレス》です! 妖魔の反応がこの近辺にありました! 慌てず避難してください! 繰り返します。討巫術師《ミストレス》です! 妖魔の反応がこの近辺にありました! 慌てず避難してください! 此処は私達が死守します! 貴方がたの安全は完璧に確保されています!」
討巫術師《ミストレス》である証拠に手の先に火を灯した彩乃がそう言うと、民衆は我先にとその場から駆け出し、辺りはものの十数秒で人っ子一人いなくなってしまった。
「………………さて、これで人払いはできた」
「便利だよなぁ、討巫術師《ミストレス》って肩書」
「これも先人の努力の賜物さ。さて、ではそれに泥を塗らないように私達も頑張るとしようか」
言うが早いか、彩乃の足元から土のアルターが地下目掛け放たれる。これで地中を潜行中の反応を上から串刺しにする――という割と容赦のない戦法だったが、敵を逃がす訳にはいかない。
――――が。
直撃するタイミングだったはずの土のアルターは、何故だか手ごたえなく空振りするだけだった。肝心の敵はまるで土のアルターをすり抜けるようにして先に進んでしまう。いや――違う。
これは、すり抜けるというよりも……、
「
「彩乃、どうした!? 何か分かったか?」
「……ああ。連中、地中を掘っていると思ったが違うらしい……ひとまず銀行に行くぞ!」
「……っ、おう!」
「今度こそ、いってらっしゃ~~い」
二人の巫術師は清良の見送りを背に、銀行の中へと入って行く。まだ残党がいるかもしれないと、彩乃の先導のもと警戒しながら進んで行ったが…………、
「……もぬけの殻?」
「みたいだな……」
銀行の中は、人っ子一人いないただのがらんどうだった。争った形跡もなく、強いて言うなら従業員や利用客が逃げ出した際にいくつかのチラシが散らばっていたくらいか。
とてもではないが、銀行強盗が発生した後――という風には見えない。
「…………つか、そもそも銀行強盗だったのか? 銀行で騒ぎがあったから銀行強盗だって早合点してただけで、実際はもっと別の何かだったんじゃあ……?」
「……いや、違うみたいだ。ATMに傷痕がついている。中から金が抜き取られているらしい。……だが、この傷痕……それにこれは…………」
ATMの脇にしゃがみ込んだ彩乃は、そう言ってATMの側面を指差す。確かに、ATMの側面には丸っぽい穴が空いていて、何やらドロドロとした液体が漏れ出ていた。
「なんだ、このドロドロ…………?」
「…………見ろ、こっちにも穴がある! どうやら連中は此処から抜けて出て行ったようだな…………」
いつの間に移動したのか、銀行の隅にも同じ穴を発見した彩乃。やはりその穴からもドロドロとした液体が漏れ――いや溢れ出ている。
「これは…………」
「これは液体じゃないな。…………おそらく『アメーバ』だ」
「!」
良香の心臓が独りでに跳ねる。
人類には制御不能な
良香が今此処にいるのも、元はと言えばあのアメーバの男に襲われたからだ。あの日、良雅は何もできなかった。一方的に彩乃に守られ、何が起こっているのか分からないままに全ての決着がついた。
あの日彼の命を握っていたのは彼自身ではなく、彩乃とアメーバの男の二人だったのだ。
自分の命が自分以外の誰かに委ねられているという感覚は、いったいどういうものなのだろうか? その感覚は、時間と共に癒えるものなのだろうか? ……それは、本人にしか分からないことだ。
「…………恐ろしいのは分かる。力を得たとはいえ『最初』は良くも悪くも特別だからな」
そんな良香を横目に、彩乃は優しく語り掛ける。
彼女もたくさんの巫術師を見てきた。どれほど強くとも、自分がこうなった――つまり
だから、良香が此処で留まるというのなら彩乃はそれを責めない。むしろ、行かせるべきではないとすら思っていた。
「良香は此処に留まれ。残党程度、私なら片手間で片付けられる……ヤツの弱点も既に分かっている。不安要素は一つも、」
「そうじゃねーよ」
良香は、静かにそう言った。
彼女は別に、あの日の無力感を思い出して恐怖に震えていたわけではない。自分の不甲斐なさを思い出して憤怒に奮えていたわけでもない。
ただ、良香の目には挑戦的な光だけが灯っていた。
彼女は口元に不敵な笑みを浮かべて、彩乃の不安を払拭するように言う。
「――――戦友達との切磋琢磨を経て強くなり、あの日手も足も出なかった化け物を倒す。実に……『男らしい』名誉挽回のチャンスじゃねーか」
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5.成れの果てと成り損ない
ザッ! と良香は一歩前へと踏み出す。
彼女の言葉のどれほどが本心か。それもまた、本人にしか分からないことだろう。案外全部本心なのかもしれないし、本当は内心怯えているのに自分を鼓舞する為に無理やり言っているのかもしれない。
だが、彩乃はどちらでも良いと思った。
少なくとも、良香は此処で縮こまって彩乃の帰りを待つという選択肢を放棄した。
なら、『良香の友人』として、『良雅を巫術師の道に引き入れた大人』として、やるべきことは彼女の能力を信頼せず後方に回すことではない。――――彩乃もまた、これまでの日々で様々なことを学んだ。
「…………なら、ついて来てくれ。水のアルターでアメーバどもを押しのけながら追跡する。罠があれば私が盾になる。私のオリジンは本来そういう使い方だからな。……しくじったら、その時の後詰めは頼んだぞ」
そう言ったと同時、彩乃の足元から先端が平たく丸い形状となった水のアルターが噴き出す。ちょうど、歯科医療で使われる歯鏡のような形だ。
彩乃に付き従うそれがアメーバの残骸を押し退けると、彼女もまたそれによってできたスペースへと飛び込んでいく。
穴の大きさは、直径三メートルをゆうに超えていた。
アメーバであるはずの強盗団に広さは必要ないはずだが、おそらく現金を運び込む為に必要だったのだろう。アルターだけでは押しのけきれなかったアメーバがはりついた外壁を気持ち悪そうに見送りつつ、二人は穴の中を進んで行く。
「…………にしても、『男らしく』、ね」
先へ進みながら、彩乃はふとそんなことを呟いた。良香は彩乃の呟きを聞くと、眉をひそめて言い返す。
「なんだ? 今は女なんだから~とかって話かよ? オレが言いたいのはそういうことじゃなくてだなあ……」
「違うよ」
彩乃はそこだけは力強く否定して、
「実を言うとな、私は良香が『男らしく』なろうとしたのは
そう、告白するように、あるいは懺悔するように言った。
「『身体が女になったからせめて行動だけでも』ということなんだろう……とな。だがさっき君の姉さんが言っていただろう? 『昔から男らしくと言って甘えてくれなかった』と」
「あ? あー…………そんなこと言ってたのか?」
ちょうどその時、良香は着替えに忙しくてそれどころではなかったが。
「ああ。それで気になったんだ。私はこれまで何度も、どれほど強くたって自分のトラウマである『初めての妖魔』を思い出した途端に委縮してしまう巫術師を見てきた」
そんなことを言う彩乃の脳裏には、おそらく何人もの級友達の姿が浮かんでいるのだろう。人に歴史あり。巫術師という特殊な業界に入ることになったということは、何かしらの重い事情を抱えているということの証左でもあると言える。
そして彩乃は、いつになく真面目腐った顔で良香の目を見て、問いかける。
「無論プロにもなるとそういった者はいないが…………だが、良香だってそうなってもおかしくないと私は思っていた。だが実際には良香は迷わず前に進むことを決断した……。その君を突き動かす『男らしく生きる』こととはいったい何なんだ?」
「何でそんなこといきなり聞くんだよ? 道中何もなさそうで暇だからか? まあ……こうもアメーバの残骸が散らばってる地中じゃあ感知もなかなか厳しいだろうけどよ…………」
良香は怪訝な表情を浮かべて逆に問い返した。彩乃は少し考え込むようにして黙り込んだが、やがてゆっくりと口を開く。
「いや。そうじゃない。…………多分、……純粋な好奇心だ。それに、討巫術師《ミストレス》が怪我したのを見て迷わず『オレのせいで』なんて言えるヤツは初めてだったからな……そういう意味でも、良香の考えのルーツには前々から興味があったんだ」
「大袈裟なヤツだな…………」
良香は相変わらず真面目腐った表情で言う彩乃に呆れたように呟き、それから照れくさそうに笑いながら言う。
「……まあ、そんな大した理由じゃねェんだけどよ」
そう言って、良香は話し始めた。
「オレの家は親がいなかったからさ……気付いた頃には姉ちゃんが一人で家を切り盛りしてた。親戚とかはいねェし……ホントなら施設に頼るところだったのかも知れねェけど、姉ちゃん一人で家のことはできちまってたからな」
良香の物心がついた頃――大体四歳くらいとして、その時清良の年齢は九歳くらいになる。まだ一〇にもならない少女が学校に通いつつ家のことを一人で切り盛りするのは尋常ではない苦労だと思われるが、まだ子供だった頃の良香――良雅にはそんなことは分からなかった。
「それより、昔のオレは姉ちゃんが家のことばっかりであんまり遊んでくれねェのが不満でさ……姉ちゃんに構ってほしくてよく
「外で……か?」
「家の中だと、姉ちゃんが片付けなくちゃいけねェって思ってたんだよ。姉ちゃんに構ってほしかったけど、別に困らせたかったわけじゃねェ……って昔は思ってたんだ。………………今にして思えば笑っちまう話だけどな」
良香は当時の自分の浅はかさを恥じるように自嘲する。
「……姉ちゃんは騒ぎを聞きつけるといつもすぐに駆けつけてくれた。家事のことなんかほっぽりだしてな。それでオレのことをやんわりと叱って、一緒に迷惑をかけた人に謝ってくれて、それから先に家に帰っててねって言うんだ。オレは馬鹿だったから満足して家に帰ってた」
「…………」
彩乃はその情景を想像してみる。先に良雅を家に帰した後、清良はおそらく……、
「んで、ある時先にオレを家に帰した姉ちゃんがいつも何してんだろうって思って、隠れてみたんだ。…………まあ当然だけど、一人でイタズラで迷惑かけた人にもう一度謝って、オレのイタズラの後始末をしてた。イタズラで迷惑かけた人も、姉ちゃんには怒ったりしねェ……逆に同情するんだよ。『アンタが悪い訳じゃないんだからね』って……遠回しに、オレが悪いって言ってるんだ。当然だよな。でも、姉ちゃんはそれが何よりも辛そうにしてた…………」
良香はその時の記憶を思い返し、噛み締めるように言う。
「それってさ…………スゲェ格好悪りィー…………って思うんだ。だからもっと格好良くて男らしくて大切な人の笑顔を守れる……漫画のヒーローみたいに
「だから『男らしく』か?」
「ま、そうだな」
良香は言い終わってから恥ずかしさがぶり返したのか、少し頬を赤らめて頷いた。彩乃はそんな良香の顔を眩しそうに見て微笑み、
「………………尤も、今は『妹』になってしまったが……」
「うるせェェ――なッ! お前は一言余計なんだよいつも!」
ぷすすー、とその笑みをちょっと皮肉っぽく歪めた。すぐさま良香の怒声が穴の中に響き渡り、良香は自分が出した声に眉を顰めるハメになった。完全に自爆である。
なお、彩乃は怒鳴って来るのを先読みして耳を塞いでいたりした。
「…………しかし、妙だな」
良香の怒りが収まったタイミングで、不意に彩乃がそんなことを言う。
「何故向こうはアメーバを回収するでも置いてきたアメーバで奇襲するでもなくただ放置しているんだ?」
「? どういう意味だよ?」
「そのままの意味だ。……連中のアメーバ型妖魔の能力は、触れた無生物をアメーバ化し取り込む能力だ。詳しく検証はしていないが前回の戦闘中の挙動からして間違いないだろう」
「…………なるほどな」
自分でもあの局面を思い浮かべてみて、同じような結論に達したのだろう。彼女も既に、あのサバイバル演習のお蔭でそれくらいの判断はできるほどの経験は得ていたということだ。良香は頷いて先を促す。
「そして、取り込むことで失われた身体を修復したり、身体能力を強化することもできたようだ。見た感じでは、体積も増加させられるようだな。……もちろん限度はあるだろうが」
だが、と彩乃はさらに付け加え、
「このアメーバの量……いくらなんでも多すぎる。先程のATMと併せて、アメーバ化した無生物を一切吸収していないかのようだ」
「事前に全部吸って来てるんじゃねェの?」
「だとしたらアメーバ化も行えないはずだ。何せヤツらの能力は『アメーバ化して取り込む』ことだからな……以前の戦闘でもその兆候は見られたから間違いない」
「………………となると……」
『アメーバ化』と『取り込み』をそれぞれ取捨選択できるように能力が進化したか、あるいは『アメーバ化』は出来ても『取り込み』ができないように能力が劣化したか。どちらにせよ、敵の能力が変質しているということになる。
「でも、劣化とか進化とか有り得るのか? 妖魔の能力だと成長したりは…………」
「しないな。妖魔遣いの能力というのは基本的に特殊な儀式によって妖魔の死体から巫素《マナ》を吸収することで得られる。だから、吸収した巫素《マナ》の量によって能力のスペックが高くなったり低くなったりすることはあるが……しかしそれはスペックの『強化』や『弱化』であって能力の『進化』や『劣化』とは違う。考えられるとすれば――――」
と、そこで彩乃は足を止める。ゾバァ! と土のアルターが眼前のアメーバを勢いよく押しのけ、一気に開けた空間に出たからだ。
そこは――――ちょっとした教室くらいの広さのボロ屋の中だった。
少し離れたところに事務机のようなものが置いてあり、その上に札束が置かれていたが、彩乃のアルターによって押し流されたアメーバの残骸に流されたのか、机の隅の方に追いやられている。
どうやら二人は空き家を利用した強盗団たちのセーフハウスの中心に出てきたらしい。穴を中心に周りにはアメーバの残骸が床一面に広がり、それを取り囲むように一五人ほどの男が佇んでいる。
『UUUUUUUUUUUUUhhhhh…………………………』
しかし、その姿は異様だった。
確かに、色や形は普通の人間のものだ。だが、その輪郭はところどころ液状化し、足に至ってはどろどろと半透明のアメーバそのものになってしまっている。
彼ら自身の表情も焦燥感に埋め尽くされており、およそ知性というべきものが感じられない。良香と彩乃の二人に対しても今にも飛びかからんばかりに獰猛な表情を浮かべていた。
あの日出会った妖魔遣いも彩乃曰く『成れの果て』らしかったが、これは最早――、
「――――中途半端な儀式によって生まれた、哀れな『成り損ない』……といったところか」
『UGEEAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッッッ!!!!!!』
憐れむような彩乃の台詞が皮切りとなったのか。
一五人の妖魔遣いの強盗集団が良香と彩乃目掛けて襲い掛かる。人間大の大きさとはいえ、その物量は人間一五人分。重さにすればトラック一台分ほどの超重量だ。
しかし。
「彩乃!」
「OK、任せろ」
その殺人的な物量攻撃は、彩乃の火のアルターを一身に受けた良香の右拳の一振りで全て吹き飛ばされた。
剛腕無双《EXブースト》の名は伊達じゃない。アルターの一発分の
(いや――これは、『吸収』している?)
それを真横で見ていた彩乃が、異変に気付く。殴り飛ばされたはずの『成り損ない』が、飛沫のようにして飛び散っているのではなく、そのまま消え失せ、あるいは砂のような小さな塵になっているのだ。
おそらく、良香の拳の衝撃によって体組織が破壊され、それによってむき出しになった
(そうか…………妖魔の肉体は
尤も、良香の方はそんなことお構いなしに殴っているが。
しかし、となると良香の妖魔との相性は最高、ということになる。
だが、如何に『成り損ない』といえど、これだけで全滅するほど妖魔遣いも甘くない。
「………………なんだ?」
そこで、良香と彩乃は『成り損ない』達の様子がおかしいことに気付いた。
『脆、イ…………弱、イ………………モッ、トォ…………OOOOhhhhh…………』
見ると、『鳴り損ない』のうち比較的ダメージの少なかった個体が、逆に重傷を負った個体に食らいついて吸収していた。
「…………これは、『回収』か…………? 一人一人が持っている巫素《マナ》の量が少ないから、それを補おうと妖魔の『元に戻ろうとする意思』が強く表出してるというのか…………!」
妖魔遣いになる為の儀式には手間がかかる。その為、妖魔遣いは組織立って行動することが多く、また節約の為に一つの組織で一つの妖魔を分けて構成員に分配することがままある。しかし、この手法は
妖魔は死んでバラバラになっても、巫素《マナ》が完全に霧散し大気中に溶け込むまでは死亡した訳ではない。
人間の体の中に入って定着した時点で巫素《マナ》に主体を置くある種の情報生命体のようになり、その人間の中に『封印』されているような状態になっているだけなのだ。
それでも、人間に妖魔の負の想念の影響がかかる程度で即座に妖魔に取り込まれてしまう訳ではない。しかしそんな状態で、身近にバラバラのピースがあれば…………当然、各々の巫素《マナ》は磁石のS極とN極が引かれ合うように『完全体』に戻ろうと一つに集まる強烈な意思を持つ。
そうなれば段々と妖魔遣いは一つに戻ろうとする妖魔の意思に負け、やがて人間に戻ることすらできなくなり、良香が初めて会った個体のように『成れの果て』と呼べてしまうただの妖魔に身を堕とすことになる。まして儀式が不完全な『成り損ない』ともなれば、その度合いは桁違いだろう。その結果が、アレだ。
「チィ、何にしてもこのままやらせるのは良くないな。良香、早めに叩くぞ! 遠慮する必要はない、アイツらはもう
「……分かってるよ、悲しいことにな!!」
もう人間に戻ることが出来ないのであれば、良香にできるのはせめてその苦しみを終わらせてやることだけだった。剛腕無双《EXブースト》によって極大激成された拳が、『成り損ない』のうちの一体にめり込む。
直後、水風船が弾けるように『成り損ない』の身体が弾け飛び、その残骸が塵となる。トラック並の重量に打ち勝つほどの威力だ。人間程度の体積の水など、それこそ水風船のように弾き飛ばすことができる。
彩乃も火のアルターを突き刺し、素早く迅速に『成り損ない』達を狩って行った。
――戦闘は、正味五分とかからなかった。
全ての『成り損ない』を蹴散らす頃には、セーフハウスはところどころ焦げ、床一面に広がっていたはずのアメーバの残骸も消し飛んでいたが……その他は無事に事を収めることができた。
「…………腑に落ちないな」
言いながら、彩乃は押し流された事務机の方まで歩み寄る。
良香は周囲の警戒の為に聴覚を剛腕無双《EXブースト》で強化して備えながら、なんとなしに問い返した。
「何がだ?」
「コイツらの技術力だよ。良香を助けた時に戦ったヤツは『成れの果て』だったが此処までお粗末ではなかった。ただ、アレがリーダーだったかといえばアレはそんな器ではなかっただろう? 大体、一番最初に出張るリーダーなど三文映画の中にしかいない」
「…………ってことは、コイツらはこの前のヤツよりももっと浅い下っ端でしかない、と?」
「というより、下っ端どころか組織への参入も済んでいない外様だろうな。……この事務机に何かしらの手掛かりがあれば良いが…………、っと」
そう言いかけたところで、彩乃は顔を上げて良香を手招きする。
「どした?」
「ビンゴだ」
歩み寄って来た良香にも見えるように、彩乃は手に持ったものを広げる。それは何の変哲もないプリントの束だった。ただ、それはレポートやデータというよりも論文か何かのようなものに見える。
しげしげと読み進めようとした良香だったが、幸いにもその前に彩乃がレポートの音読を始めてくれるようだった。
「なになに…………」
彩乃はレポートを机の上に大きく広げ、目立つ部分をかいつまんで話していく。
「『今の世の中は、「神楽巫術学院」による一極集中で支配された歪な権力構造に支配されている』」
――――レポートの内容は、そんないつか聞いたようなことから始まっていた。
「『学院の権力が届く場所は今や巫術や妖魔の垣根を越え、マスコミにちやほやされ始めた討巫術師《ミストレス》を通してメディアにまで及び始めている。このままでは学院の権力は従来の範疇を越え、さらにその利権を抱えて醜く肥え太っていくだろう』」
「…………なんだ、それ……?」
「よくある反体制派の陰謀論だ。ワイドショーだのバラエティ番組だのが勝手に美女揃いの討巫術師《ミストレス》を持て囃したのを、学院からメディアへの干渉だと騒ぎ立てるのが主なやり口だな」
彩乃は辟易したように溜息を吐いて、
「『こうした歪な社会構造は、ただでさえ女性にしか適合しないという歪かつ少ない「供給」を学院が支配しているから起こる』」
「『供給』…………巫術師の育成ってことか……?」
「『だが、「供給」は必ずしも「巫石」によってのみ行われるわけではない。「妖魔」から力を得る我々「妖魔遣い」の方式でもそれは可能になるはずだ。そして、それは女性にしか適合しない巫石と違い、妖魔による力の「供給」は男女ともに平等な結果を齎す』」
「………………!」
つまり、巫石の代わりに妖魔を力とする時代の到来。…………だが、良香はその先にあるものを知っている。そんなことをしてしまえば、妖魔を植え付けられた者同士が勝手に惹かれあい、一つの妖魔として復活してしまう未来が訪れる。
だが、彼らの組織はそこをさらに踏み越えて行ってしまう。
「『我々の操る妖魔、生命流転《アモルファス》。能力として無生物の同化吸収による増殖能力を持つこの妖魔を用いることで、学院も制御できない「供給」を大量に生み出す。それだけで、元々一極集中により業界に歪みを生んでいた学院の独裁体制は崩壊することができるはずだ』」
――――つまり、現体制の転覆。
この敵の目的は、そんな途方もないものだったということだ。
「『ついてはその狼煙とする為、貴殿らに我々が用いる「新式」の儀式を授けて犯罪行為を行ってもらう。成功すれば晴れて貴殿らは我々「万象受け入れる生命流転《ワールドアシミレイター》」の構成員として認められるだろう』――――なるほどな」
そこまで読み上げて、彩乃は納得したような表情で頷いた。
結局は捨て駒にされていた彼らが受け取ったレポートの内容をどこまで信じれば良いのか不明だが、少なくとも『部外者に妖魔遣い化の技術を提供する』という方向性から考えて、『供給』を大量に生み出すことで現体制の転覆を狙っている……というところはそこまで遠い目的ではないだろう。
となると、仮にも学院所属の巫術師として彩乃も黙ってはいられなくなってくる。
「…………『万象受け入れる生命流転《ワールドアシミレイター》』、か」
これから潰し合うことになる組織の名前を呟き、彩乃は横に立つ良香のことを見る。おそらく、彼女を襲ったアメーバの男もこの組織の末端だったのだろう。そうなると、良香とも因縁のある組織ということになる。
(この子を妖魔遣いの組織との戦いに巻き込みたくはないが…………)
思い返すのは、サバイバル演習の時の啖呵。そして先程見せた気概。
(確かに危険ではある。しかし、此処で立ち止まらせていては………………)
「……あの強盗団はあくまで末端。ソイツらに『新式』なんて適当なことを言って、出来損ないの儀式を施した黒幕連中がいる…………そういうことなんだろ?」
と、彩乃が考えていると、良香は不意にそんなことを言う。顔を上げた良香の瞳には、既に戦意の光が灯っていた。
ただそれは、彩乃の心を察して自分の意思を示す為に向けた光――――ではない。
もっと、現実的な脅威によって引き出されたものだ。
「……なら、強盗団が戦っている間も一応『新式』がどう動くかの観察はしてて、オレ達っていう敵対戦力をいち早くブッ潰す為に向かってくるのが筋じゃねェか?」
つまり。
「――来るぞ彩乃! 読書の時間は終わりみたいだぜ!!」
直後、セーフハウスの外壁をボロボロと崩しながら、トラック程の大きさのアメーバの塊が五体、襲撃を仕掛けてきた。
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6.経験が活きました
良香と彩乃はまず、五体の巨大
残機無限《リスポーン》にしても剛腕無双《EXブースト》にしても、トラック五体分のアメーバに真っ向からぶつかり合える類の能力ではない。そのままぶつかり合おうものなら待っているのは完全なる『詰み』だ。
良香と彩乃はブーストで強化した脚力によって跳躍し、アメーバ達が破壊したことによって出来たセーフハウスの穴から離脱する。彼女達がその場を離脱するのと殆ど入れ違いで、五体の巨大生命流転《アモルファス》はセーフハウスの中に雪崩れ込み、家屋を粉々に押し潰してしまった。
「間一髪だったな……ん?」
セーフハウスから離れたところに降り立った良香は、そこで初めて外の景色を見た。
「此処は…………港か?」
「みたいだな。大分遠くまで来たようだが………………お蔭で民間人は近くにいない。思う存分暴れられるというものだ」
後から追いついてきた彩乃が、その言葉に補足を入れる。
良香の言う通り、周囲は港だった。
ただし、港と言っても漁港ではない。倉庫やコンテナが立ち並ぶ倉庫置き場のような立地だ。倉庫やコンテナとそれらを隔てる細い通路がまるで碁盤のように縦横無尽に張り巡らされ、その先に太平洋が広がっている。
今の時間は特に使う用事がないのか、あたりには人っ子一人いない状態だった。
「ヤベーな……」
あたりを見渡した良香は、そう小さく呟く。
障害物が多いのは、この場においてアメーバ――生命流転《アモルファス》の回復要素を増やすことに他ならない。
「それに、彩乃からアルターをもらわないと、俺のオリジンはそこまで強い出力が出せねーし……」
「いや、大丈夫だぞ? 妖魔は
「マジ……?」
「マジだ」
突然の朗報に良香は少し浮足立ちかけたが、実際のところ状況はあまり変わっていない。
向こうの弱点――火に弱く、良香に殴られると消滅する――は分かっているが、だからといってトラック五台分の質量は暴力的だ。長期戦に持ち込まれれば、残機無限《リスポーン》で実質スタミナ∞状態の彩乃はともかく良香はいずれバテてしまうだろう。
いや――――それどころか、やろうと思えば生命流転《アモルファス》は地面を取り込むことでいくらでも回復することができてしまう。
良香を一番初めに襲った個体は警報をおそれてギリギリまで妖魔化せずマンホールに籠っていた。閉所にいれば、
それゆえに人間大のサイズのまま戦闘に入り、そのお蔭でここまで大きくなる前に彩乃が始末できたが…………これほど大きくなってしまうと、倒すのにも骨が折れるだろう。
『貴様……………………その黒いボディスーツ……データよりも若いが…………釧灘彩乃か…………!?』
粘土で形作った人間のように不出来な人型の巨大生命流転《アモルファス》の一体が、彩乃の姿を認めて言う。
一瞬、何故彩乃の名前を知っているのかと怪訝に思った良香だったが、すぐに納得する。彼ら――――『
言いかえると『研究者肌だった』ということだ。そして、彩乃の名はイカれたマッドサイエンティスト達の間ではそれなりに有名になっている…………。知っていてもおかしくはないということになる。
「だったらどうした?」
名前を言い当てられた彩乃はしかし、毛ほども動じたりはしない。これもある意味では彼女らしい反応だった。学院の生徒が自分の正体を訝しんでいても気にしないのだから、悪党に対しても自分の素性を隠すつもりは毛ほどもないのだろう。
尤も――――そこに込められている真意は、才加達に向けられた信頼とは程遠く、
「――――どうせ、此処でまとめて駆除されるのに」
むしろ圧倒的な敵意に基づくものだったが。
その挑発に応じるように、巨大生命流転《アモルファス》の身体の一部が触腕となって鞭のように撓り、彩乃を脳天から叩き潰す。衝撃で地面を舗装したコンクリートがまるでミルククラウンのように豪快に飛び散るが――彩乃はその時既に横に飛び退いて攻撃を回避していた。
『…………ぐォおおおおおおッ!?』
さらに回避のみならず、彩乃の掌から炎の剣が伸びて、今しがた躱したばかりの触腕に突き刺さる。直撃した触腕が蒸発し、巨大生命流転《アモルファス》が悲痛な叫び声を上げた。
すぐさま返す刃で他の個体たちが彩乃や良香に攻撃を仕掛けるが……巨大とはいえしょせんは五体。思考も五つ分しかなく、手数自体は五対二でしかなくなってしまう。
それでも通常なら『
良香達が五体に手傷を負わせつつ包囲を離脱すると、間もなく五体の生命流転《アモルファス》は寄り集まって作戦会議を始めた。
『チィ……! このままでは埒が明かん!
『何……!? 待て、これほどの敵を相手に別れたりすれば
『だがこのままでは削られていく一方だぞ……!?』
『しかし…………!』
そんな風に話している『
「…………別れる……なるほど、『分裂』も可能な訳だな」
「分裂だって……?」
「ああ、多分な……。最初からやって頭数を増やしていなかったところをみると、おそらく分裂しても最大体積は共有されていて、一体一体の耐久力自体は脆くなってしまう……みたいな制約があるんだろうが」
彩乃はそこまで言うと、敵を嘲るように笑い、
「……愚かだな。ただでさえ妖魔の『結びつこうとする力』は強力なのに、分裂などした日には本格的に『成り損ない』になるぞ」
だが、手数が増えるとなると彩乃としては問題だ。ただでさえ生命流転《アモルファス》は彩乃と相性が悪い。内部に取り込まれてしまえばいくら残機無限《リスポーン》があっても逃げることが出来ないし、取り込まれたら大気中の巫素《マナ》を利用することができないからアルターで逃げ出すこともできない。
そんな状況で手数が増えてしまうと、彩乃は戦いづらくなる。良香は、体積が少ない方が却って一撃で相手を倒せる可能性が上がるが…………それでも多人数戦ではいつ不意打ちを食らうか分からない。
確かに良香に触れれば
「さて、どうするか…………」
「なあ、彩乃」
思考を始めた彩乃の横で、良香は背後――つまり海の方を気にしながらこんなことを言った。
「…………連中、もう『成れの果て』なんだよな?」
「ああ。おそらく、戻ろうとしても戻れないだろうな。既に人間ではないよ、アレは」
「…………、……なら、オレに良い考えがある。……だけど、その前に確かめなくちゃならないことがあるんだ。……だから、感知してもらってもいいか?」
そう言われた彩乃は、良香が作戦を提案したことに驚きを感じつつ――素直に頷き、感知を始めた。
そして彼女達が二、三言会話を交わしたタイミングで、『
ドロォ……と五体の巨大生命流転《アモルファス》の輪郭が溶けだしたかと思うと、人型大の塊になっていく。そうして、その場には一五×五……総勢七五体もの生命流転《アモルファス》が集まった。
「…………!」
その人数差を見て、彩乃が表情を強張らせる。彩乃が驚愕したのを察して気を良くした『
(人数が増えても、その思考パターンは共有している。同じことを考えるから優越感をおぼえるポイントも同じというわけか――)
彩乃は苦々しい表情を浮かべながらもそう分析すると、隣で戦闘態勢を固めている良香に言う。
「この数は流石に分が悪い! 作戦会議した後で悪いが一旦下がるぞ!」
「は!? 待てよ彩乃、できるって! 此処で逃げても状況は好転しねーだろ!?」
「良いから、早く!」
『ククク……』『仲間割れか?』『だが我々は待たないぞ!』
まるで一つの生命体のように生命流転《アモルファス》達が矢継早に口を開くが、彩乃は一切取り合わずに走り出す。
一方、良香はその場に留まった。
『……ほう?』『貴様は逃げないのか?』
一人留まった良香を嘲るように、生命流転《アモルファス》達は口々に言う。戦力差は七五対一――圧倒的不利な状況だ。しかし、その状況にあってもなお良香は不敵な笑みを浮かべていた。
「生憎、オレにはお前らに勝つ算段があるんでな……」
『……面白い』『やれるものなら試してみると良い』『見たところプロにもなっていない学生だが……』『その程度で勝てるほど、「妖魔遣い」が甘くないということを教えてやる!』
言葉と同時に、七五体の生命流転《アモルファス》達が一気に突撃を開始する。
――実はこの時、良香は一つの作戦を練っていた。それは
生命反応の位置を調べることができればどうなるか?
(…………この間の授業で、軍人っぽい先生が言ってた。港には排水口がある場合もあるって。もし排水口がこの港にあるんなら、その中には小さな生き物が住んでいる。それを感知すれば、排水口の位置や大きさも芋づる式に把握できる)
既に感知によって此処の地下に港で出た排水と雨水を流すための巨大な排水口があることは分かっている。
そして、逃げた風を装ってその場から離脱した彩乃は位置を把握した排水口の中に忍び込み、良香が戦いながらその真上まで『
しかも生命流転《アモルファス》と相性が悪い彩乃と違い、良香の剛腕無双《EXブースト》であれば生命流転《アモルファス》との相性は最高だ。相手が策を弄してこない限り、まず『詰み』になることはない。
そもそも現時点でアルターを覚えていない良香は地下からの奇襲ができなかった、というのもあるが。
――これが、良香の考えた作戦だ。
「っっっラァあ!」
良香の右拳に直撃した生命流転《アモルファス》の一体が、木端微塵に爆砕する。
その後ろから何体かの生命流転《アモルファス》がコンクリート片でコーティングした肉体を使い圧殺しようとするが、良香は慌てずに腕を
(彩乃の言う通り、
――――奮闘の甲斐あって、七五体いた生命流転《アモルファス》は半数程度まで減少していた。
だからといって、良香は自分が『
ただ、一方で良香の作戦も進行していた。殴り合いをしながらそれとなく目標のポイントまで誘導していたのだ。残る敵はおおよそ四〇。ここまでくれば良香の作戦は成就したも同然だった。
と、
『知っていたぞ』
不意に、『
彼らの言葉は、誰かが誰かの言葉を引き継ぐようにして一つの流れを作っていく。分裂体だから、さらには別個体だから――なんていうことも関係ない。まるでそれぞれが
『お前の狙いは最初から分かっていたぞ』『喧嘩別れしたふりをして一人で戦っていたな?』『そして我々を此処に誘導していたな?』『此処で我々に奇襲を仕掛けるつもりだったな?』『もう一度言う』『
…………知っていて、その通りに動いていたということは。
そのことを考え、良香の顔色が一気に青ざめる。それを認めた『
『我々は本質的には不定形だ』『今は人型だが、なろうと思えばどんな形にもなれる』『例えば――地面に薄く広がるように』
「!」
『クククク……』『理解しただろう?』『地面に潜って奇襲を狙っていたようだが、これで奇襲があった瞬間に我々なりのやり方で感知できる』『貴様の作戦は成立しなくなった』
そう言って、『
圧倒的な物量を取り戻した『
『本来の目標は釧灘彩乃だったが…………』『仲間らしいお前も人質として機能はするだろう』『大人しく、物量に押し潰されろ』
「…………押し潰されるのは、困るな」
この絶体絶命の状況で、良香は呟く。
――その表情には、不敵な笑みが浮かんでいた。
『な……、』『何を笑って、』
「だから、潰される前に、こっちがぶっ壊してやらなきゃ、なああ!!!!」
ゴッッッッッ!!!!!!!! と。
良香の全力の拳が、地面に叩き込まれる。
掛け値なしに、地震が起きた。
ズズン……! という地響きが生まれ、港に残っていた建造物やその残骸がぎいぎいと軋んだ音を立てる。
その直後。
地面が豪快な音を立てて
跳躍して悠々と崩落から逃れる良香とは対照的に、ニヤニヤと勝ち誇った笑みを浮かべながら良香を取り囲んでいた『
そこは排水口だった。深さ三メートル程度の排水口が、彼らの真下にちょうどあったのだ。
しかも、それだけでは終わらなかった。
彼らが落下する先には、めらめらと燃え盛る、大量の炎があった。
「…………なあ、お前ら」
罪人を地獄に引きずり込む手のような炎を見ながら、良香は静かに言った。
「これも
*
良香の作戦は確かにあの場に『
――結局、それが勝敗の分かれ目だったのだろう。
「討巫術師《ミストレス》を相手に『戦っている間も地形が変わらない』と思い込むのは少し油断がすぎるんじゃないか――とは、彼らには言わなかったが」
排水口に潜り込んで『仕込み』をしていた彩乃は、地上に戻ってそんなことを言っていた。
思い出すのは、『あの日』の彩乃だ。彼女も同じように、地の利を利用して(生み出して?)戦っていた。
良香も同じだ。排水口の上で戦うことであえて地面を回復に使わせ、地面全体の強度を下げたところで全力の拳を叩き込む。
そうすることで、より広範囲の地面を崩落させ、確実に『
良香の考えていた『不意打ち』というのは、単純に地面から飛び出て奇襲を行うというものではなく、目標のポイントの地面を崩落させ、その下に予め準備していた火炎地獄に『
「しかし、まさか本当に一網打尽にできてしまうとはな……」
あたりのコンテナや倉庫がぐしゃぐしゃになり、三割くらいが更地になってしまった港の一角、ちょうどセーフハウスがあった跡地に戻って来た彩乃は、そんなことを言う。
しばし慎重に辺りを感知していた彩乃だったが、完璧に妖魔の反応が消えているのを確認してようやく肩の力を抜いたのだった。
「どういうことだよ? オレの作戦じゃ連中を倒しきれるとは思ってなかったってのか?」
「それはまぁ、な。だって向こうが安全策を立てて総攻撃の際に再生用の保険を残していれば、いくら罠にかかったってまた同じことの繰り返しだった訳だし」
「うぐ…………じゃあなんでわざわざオレの提案に乗ったんだよ?」
「……駄目だと分かっていても、最初から跳ね除けては良香の成長にならないだろう、とね」
あの日良香に言われたことを思い返しつつ、彩乃は肩を竦める。あの時は結果的に彩乃が間違っていて良香が正しかったが、今回はまるで立場が逆だ。良香としてはひたすら肩身の狭い思いである。
(……ま、好きにやらせてみて失敗したらその尻拭いをするのも大人の務めというもの――という訳だ。それを、
尤も、彩乃の方も清良の話を聞いたからこそこの決断が出来たという事情があったりするのだが。それがなければ、効率だけを考えて理詰めで提案を拒否していただろう。
「一応失敗した時の為の保険は用意しておいたんだが……必要なくなってしまったな」
自らの掌に視線を落とし、彩乃は何でもなさそうに呟く。だが良香としては、自分の提案を受け入れた上にサブの作戦も平行して準備していたという彩乃の手腕に舌を巻かざるを得ない。やはりプロはプロなのだと思わされる。
それに言われてみれば、今回はたまたま――というか迂闊にも――敵が保険を残していなかったため再生せず根絶やしにできたが、相手が用心深かったら罠だと分かっている以上再生用の個体を残しておくのが当然なのだ。敵の不注意で拾えたラッキーだったかもしれない。
ちょっとオレって凄いかもとか思っていた良香は、現実を見せられて凹んでしまった。
「…………」
彩乃はそんな良香の様子を少し見ていたが、あまりの落ち込みように少し不憫になったのか、困ったようにこう言った。
「ま…………たとえラッキーだろうと、この結果は良香が拾った勝ちだ。……そこのところは誇って良い。なにせ七五対二の絶望的状況からすべてを覆したんだ。学生がこんなことをやってのけたんだから、はっきり言ってとんでもない業績だぞ」
「そ……そうかなあ?」
フォローするように彩乃が良香の事を褒めると、現金なもので良香はにこにこと笑みと自信を取り戻して行く。
色々と単純な子だなぁ……と彩乃は少し良香の未来が心配になった。良香はそのあたりの機微については少し疎い部分がある、というか、端的に言ってノせられやすい。まあそのあたりの教育については追々やって行くとして……なんてことを考えていると、
「でもさ」
フォローによって気分を持ちなおした良香は、不意に表情を真面目なモノに変えた。
「だとすると妙じゃないか? 相手だって馬鹿じゃないんだし……『再生用の保険を残さない』なんて凡ミスをするなんて、オレ達に都合が良すぎないか? それにアイツら、最後に目標はオレじゃなくて彩乃とか言ってたし……」
「……、ああ。それは私も考えていた……。生命流転《アモルファス》の能力的にも可能だったはずだし、考えられるとすれば――『そんなことをいちいち考えていられないほど余裕がなかった』……というくらいだが」
「どういうことだ?」
「…………、……さあな。私にもまだ分からん」
結局、敵を始末することはできたが謎は残ってしまった。だがとにかく、今彼女達にできることはない。良香はもちろん彩乃も今はただのいち学生なのだし、これ以上は彼女達ではなくプロの討巫術師《ミストレス》の出番だ。
と、
「二人とも~、元気~?」
良香達が通って来た穴から、聞き慣れた声が届いた。
「ね、姉ちゃん!?」
「清良さん……!? 何故此処に……」
「う~ん、二人のことが心配になっちゃって~」
てへ? と可愛らしく微笑んでみる清良に、良香はダッシュで近づいて頭をペシンとツッコむ。ツッコミというより殆ど癇癪じみたスピードだった。
「『てへっ?』じゃねーよ馬鹿! いくら姉ちゃんが常識知らずの化け物とはいえ入ってきていい領域とかあるだろ! 此処は駄目! 姉ちゃんは一般人枠なの! 分かるか!?」
「分かる分かる~。要するにお姉ちゃんは一般人だと思ってたら実はかなりの強キャラだったという設定の……」
「寝言が言いたいならオレがッ今ッ此処でッ寝かせてやるッッ!!」
強烈な打撃音が響き、清良の身体が宙を舞った。
「………………良香、アレは流石にやりすぎじゃあ……?」
「……大丈夫。ほらアレ見てみろよ、気絶したフリして両手を胸の前で組んでる」
見てみると、本当に白雪姫みたいに両手を胸の前で組んで、そして唇を少し尖らせている。完全に目覚めのキス待ちの状態であり、明らかにノーダメージだった。そのあまりに浅ましい姿に、彩乃も思わず目を逸らしてしまう。
そんな彩乃を横目に、良香はスタスタと清良の横まで行くとその脇腹に蹴りを叩き込んだ。
「オラ、姉ちゃん起きろ」
「ああんっイケズぅ~」
(実の姉にツッコミとはいえ暴行っていうのは『男らしさ』的にはどうなんだろうなぁ)
平和な光景を見ながら、彩乃はそんなどうでも良いことを考えていたが……まあ清良はかなり幸せそうな表情をしているので、アレはアレで需要と供給のサイクルが成り立っているのだろう。
愛の形は色々だ。部外者がとやかく言うまい……と彩乃は(ダメな)大人の寛大さで色々なアレに目を瞑った。
「……ったく」
良香は呆れた様子で、肩の力を抜いた。ともあれ、これで銀行強盗から始まる一連の事件に関しては決着がついたので、身体中を巡る巫素《マナ》を意識して変身を解こうとする。
――――ところで、良香は一つ
変身を解除すれば当然ながら巫素《マナ》によって塗り替えられていた装束は失われ元着ていた服が復元されるのだが……変身する前、良香は一体どんな格好をしていただろうか?
それは、半脱ぎ状態。
つまり、此処から導き出される一つの答えとは――――。
「ぶぼばはぁっ!?」
「ね、姉ちゃん!?」
「…………良香……服、服」
「……あ゛っ! ………………きゃっ、きゃあああああああ――――――っ!?」
鮮血に包まれた、少女の悲鳴。
ハッピーエンドを迎えたはずの物語は、そんな血みどろの結末で塗り替えられてしまったのだった…………。血みどろの根源はなんか幸せそうな顔をしていたが。
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第三章 散りゆく桜と生命流転
1.信頼じゃなくて不用心
翌日――土曜日。
休日だというのに、良香と彩乃は朝早くから理事長室へ呼び出されていた。
といっても、別に銀行強盗の一件での活躍が認められて褒められる――という訳ではなく、むしろ逆だった。
「幸いにも相手が妖魔遣いであり、事件発生時至近にいたことなどから即座に対処に当たることの必然性や正当性も認められたため今回は不問とできましたが――貴女がたの行いは本来の領分を越えた危険な決断だったということは覚えておいてください」
紺色のレディーススーツを纏い腰まである長い総白髪を後ろで纏めた老女は、静かな語り口で良香達を諭す。
「何も相手が妖魔関係の者であれば問答無用で対処して良いという訳ではないのですよ。その地区には担当となる討巫術師《ミストレス》がいますし、彼女達の行動は常にメディアに晒されています。貴方がたがイレギュラーな行動をすればそれだけ混乱はメディアを通して拡大されるものとお思いください」
「す、すみません……」
「気を付けます」
「……釧灘さんの方は、どうも分かっていてやっていたようですが」
全くの無表情で答える彩乃に、理事長は真面目な表情のまま困ったように言った。
「それと、被害が少し大きすぎます。セーフハウス破壊については致し方ないとしても、コンテナや倉庫、果ては排水口上部のコンクリートまで……苦情が入りましたよ。これでは軍隊を呼んだのと変わらないと。尤も、生命流転《アモルファス》の性質を考えればこれでも収めた方だとは思いますが」
「す、すみません……」
「気を付けます」
「……釧灘さん、さては反省していませんね?」
全くの無表情で答える彩乃に、今度こそ理事長は片眉を吊り上げ真面目な表情を崩した。
「まあ、
表情を崩した――というのは、つまりここからは私人としての『個人的感情』ということだ。
「私個人としては、今回の一件は上出来だったと考えています。釧灘さんのサポートもあったので心配はしていませんでしたが……
「それなのですが……敵に関する情報は?」
「……確か、『
微笑みすら湛えて言った理事長の言葉から連鎖して、彩乃が疑問を放つ。それに対し、理事長は表情をにわかに曇らせた。
「釧灘さんの存在を知っていたということは『本流』の流れを汲んでいるのでしょうが、生憎詳しい情報は……ただ、今も捜索には当たらせています。心配するようなことはありませんよ」
「そうですか……分かりました」
「話は以上です。お二人とも、もう下がって良いですよ。朝早くからご苦労様でした」
そう言われ、彩乃は頭を下げた。良香も釣られて頭を下げて、理事長室から退室する。理事長室から出た良香は、扉を閉めるなり興味津々といった様子で彩乃に問いかけて来る。
「彩乃、お前理事長の生徒だったの?」
「まあな」
歩きながら、彩乃は短く答えた。
「あの人も生まれた時から理事長をやっていた訳じゃない……理事長になったのは、大体四年前くらいだったか? 私が学生をやっていたのは今から九年前だから、その頃は現役バリバリの鬼教師だったよ」
「……お、鬼教師かぁ」
理事長室では『お説教』をされていた訳だが、そんな中でも理事長は一度として声を荒げなかった。それどころか、終始穏やかな語り口で、特に圧迫感をおぼえるような言動もなく、宥めるように懇々と諭していた。
もしも理不尽な話の流れになろうものなら噛みついてやろうと荒々しい方向に『男らしさ』を見せようとした良香がすっかり毒気を抜かれて素直になってしまったくらいだ(尤も、彼女の場合はけっこうチョロいのも原因かもしれないが)。
「ま、今は仏様みたいな人だけどな。それでも私としては怖くて逆らえない人の一人だ」
「……その割にはかなりフランクだった気がするけど」
一応立場は弁え、無礼な言動はしていなかったが、二人のやりとりはどこか親しみを感じさせるものだったような気がする。遠慮がないというか、堅苦しい形式が取り払われているというか。
「私はあの人の地雷を心得ているからな」
そんなことを言う彩乃の横顔は、まるで様々な戦場を潜り抜けてきた歴戦の兵士のような貫録を漂わせていた。こんなことが言えるようになるまで、多分色々な地雷を踏み続けてきたんだろうな……と思うと良香は彩乃の新たな一面が知れたような気がして新鮮な気分になった。
と、彩乃はふと懐から携帯を取り出すと、一転して渋い顔を作った。
「…………どうやら地雷を踏んでたかもしれん」
「どうした?」
「呼び出しだよ」
彩乃は自分の持っていた携帯を掲げてみせる。見てみると、そこには確かに理事長から彩乃
完全に、『秘密の特別個人授業』の様相を呈していた。
「…………それ、オレに見せちゃって良いのかよ?」
「良香は関係者だからな」
少し警戒気味に言う良香に対して彩乃はのんびりと答える。が、良香としては内容も良く分からないのに勝手に関係者認定されるのはちょっと怖い。
(前々から思ってたけど、コイツちょっと秘密情報に対する意識がちょっと低いんじゃないかな……?)
良香が気にしすぎなだけなのかもしれないが、何分彼女はついこの間まで一般人の素人だった身だ。熟練のドライバーが目を瞑っていてもしっかり運転できるみたいな離れ業を見せられても『凄い』なんて感想は浮かんでこない。ただただ『良いからしっかり運転してくれ』としか思えないのだ。
「じゃあ、私は戻る。良香は先に食堂に行っていてくれ。私も後で追いつくから」
そう言って、彩乃は手を振りながら来た道を戻って行く。良香も手を振り返して、一人になりながら朝食を取るべく食堂への道を急ぐ。
――実は良香達はこの後、才加達から呼び出されていた。彼女達は既に昨日の事件については良香から直接話をされているのでおおまかなあらすじは知っており、朝食ついでに詳しい話を聞かせることになっているのだった。
「憂鬱だなぁ……」
これからやって来る質問攻めに対し一人で対応しなくてはならないことを考えると、どうしても気乗りがしない良香である。しかし、足を進めている以上いずれは食堂に辿り着く。
食堂に入ると、休日だからか人気は少なかった。神楽巫術学院では休日は自由に学院から出ても良いことになっている――尤も学院は人工島の上に出来ているので出かけるならば朝早くに出るフェリーに乗って外に出るのが基本ということになる。この人の少なさは、そういったものが関係しているのだろう。
申請さえあれば外泊も許されているので、幾人かは三連休を使って小旅行にでも行っているのかもしれないが。
「おー、来た来た」
と、がらんどうな食堂のテーブル席に座っていた才加が良香に気付いて手を振ってくる。何だか久々に会うような気がしつつも、良香は手を振り返して食券(コーンフレーク)を選択し、カウンターでコーンフレークを受け取ってからテーブルにつく。
「彩乃は?」
「アイツは引き続きお説教だって。オレは先に解放された」
「それはご愁傷様ね……で、あんたは大丈夫だったの?」
「大丈夫って?」
意図を掴み切れず、良香は問い返す。才加は察しの悪い良香に呆れて、
「怒られなかったのかってことよ。あんたの話を聞いた限りでもかなりド派手なことになってたみたいだし……ニュースにもなってたのよ? 手柄は現地の討巫術師《ミストレス》にスライドしてたけど、インタビュー受けてた人が超不機嫌だったわ。ありゃ自分がやった訳じゃないって言ってるようなもんね」
「ひええ……恨み買っちゃった……」
「当然ですわ。わたくしが同じことをされたら今頃直接怒鳴り込みに行っています」
「ひええ…………」
きっぱりと言い切ったエルレシアに、良香はさらにがくがくと震える。
当時はごく当たり前のように突撃していたが、よくよく考えたらどこにだって担当となる討巫術師《ミストレス》がいるわけで、それに任せておけば良かったのだ。
…………いや、怒鳴り込みに行くのもアレだし、あの状況で
そんな風に慄いていた良香だったが、才加の方は特に気にした様子もなくもう一度問い直す。
「で、どうだったのよ?」
「あ、ああ……軽く怒られたけど、そんなには言われなかったよ。彩乃は何か話があるとか言ってたけど……何だったんだろ?」
「おそらく、釧灘様だけが見つけた情報があり、それについての詳細な報告がなされているのではないでしょうか?」
首を傾げる良香に、志希がふんわりとした見解を述べた。
「ああ、ありそうですわね。あの方はなかなかの実力者ですし、目ざとく何かしらの手掛かりを見つけていたとしても不思議ではありませんわ」
「ホント、彩乃って何者なのかしらね…………」
エルレシアの言葉を皮切りとして、話題はあの日の事件の後始末から彩乃の話へと移り変わっていく。この場に彩乃がいないというのも、そうした話題になる要因の一つだろう。その場にいない人のことというのは、何となく話しやすいのだ。
「これはあたしの予測なんだけどさ…………多分彩乃って、実戦経験あると思うのよね!」
ドヤ顔で言い放たれた才加の言葉に、事情を知る良香は内心の動揺を隠すので精いっぱいだった。完全なる図星である。まああれほどの実力と知略を持っていればそう思われても仕方がないところかもしれないが。
しかし、直後に良香はさらに肝をつぶすことになる。
「――何を言っているんですの? そんなものはちょっと見れば分かることでしょう」
エルレシアが『そんなの前提ですよ』発言をかまして来たからだ。ということは、『実戦経験がある』にプラスでさらにエルレシアは彩乃の正体について推測していることになる。
ちょっとヤバいのではないか? と良香は思うが、今この場でエルレシアの記憶を吹っ飛ばす方法なんて頭を思いっきりブン殴ることくらいしかない。色んな意味で無理だ。
渾身のドヤ顔が潰されたショックでヘコんでいる才加をよそに、無表情の志希は弁当――学食に喧嘩を売っているのだろうか?――を食べながら、
「実戦経験がある出自ということは、アマチュアで巫術師をやっていた――とかでしょうか」
「アマチュアで?」
「つまるところ違法な巫術師ですね」
「違法!?」
もちろん彩乃は正規の巫術師だが、それでもその言葉の響きには驚かざるを得ない。というか、良香は巫術師に違法も合法もないと思っていた。
「端境様は巫術師となってから日が浅いので知らなくても無理はありませんね。巫術師の資格は国で厳密に管理されていて、申請されていない巫術師が指定区域外で巫術を行使するのは違法とされているんですよ」
そう言われて、良香は今日呼び出されて怒られた理由を改めて実感した。
学生で非常時だから許されていたが、それでもただの学生が指定区域外で巫術を行使することがどれほどの綱渡りか…………多分彩乃はゴリ押しすれば何だかんだで許されると分かっていてやったのだろうが、それにしても肝が冷える試みである。
「尤も、当人は幼さを理由に情状酌量の余地ありとされたり、国家の為に働くことを条件に司法取引されたりすることもあるそうですが。彼女の強さもそれなら納得がいきます」
「な、なるほどね……」
圧倒されつつも頷く才加だったが、こちらの流れは真相とはズレているので良香としてはほっとする一幕だった。しかし、そんな良香に冷や水を浴びせるようにエルレシアが続ける。
「わたくしは彼女の
…………あ、なんかもうこれバレてそう。
良香はそう思ったが、肝心のエルレシアは『どうでも良い』と切り捨てているのでとやかく言うのはやめようと決断する。彩乃も『バレたって別に良い』みたいなことを言っていたし、良香が必要以上に気にするのはやめた方が(精神的にも)良い。
が、思わせぶりなエルレシアの言い方に才加が不満の声をあげる。
「えー、ご令嬢さん、教えてくださいよー」
なんかもう呼び方と敬語だけで畏れ多い感じとかは全くなくなっているなーと良香は思ったが、そこは言わぬが花である。それよりそこを広げないでくれと祈らざるを得なかった。
そんな祈りに反して、エルレシアは馴れ馴れしくすり寄って来る才加の前に両手を突き出すようにして遮ってこう言った。
「…………その前にご令嬢さん呼ばわりと敬語をやめてくださいまし」
(あ、やっぱりちょっと気にしてたんだ)
敬語と言えばエルレシアもそうなのだが、彼女の場合は全員に対して一律だしそれが素なのだろう。しかし才加は見れば分かるように他の人達にはタメ口である。それがエルレシアには距離を感じるのだろう。
初対面の時には敬語じゃないことを窘めたところを見るに、順調に打ち解けられているということなのかもしれない。……あるいは、才加の敬語に込められているのが敬意ではなく隔意だと思っているのかもしれないが。
対する才加は少々難色を示したが、概ね素直に受け入れた。
「えー……なんか畏れ多いんだけどな……。……んー、分かったわよ、お嬢」
「…………何で『お嬢』なんだよ?」
「いきなり名前呼びは畏れ多いと葛藤した結果です! お嬢には敬語とご令嬢さん呼ばわりをやめろとしか言われてないしこれで許して!」
才加は笑いながら顔の前で手を合わせてエルレシアを拝む。エルレシアは少し納得していないようだったが、とりあえずこの場ではそれ以上言うつもりはないようだった。
気を取り直した才加は、改めてエルレシアに問い直す。
「で、正体って?」
「やめてくださいましとは言いましたが、やめれば教えるとは言っていませんわ」
「そんなーお嬢ー!」
完璧にあてつけなのだった。
ただ、そんなことを言うエルレシアの表情には確かな笑みが浮かんでいるのでこれはこれで良いのかもしれない。
と、
「皆、知りたがりだな」
全員が話に熱中しているところで、それを揶揄するような声がかけられた。振り向くと、そこにはやはりというか彩乃がコンビニ袋片手に意味深な笑みを浮かべて佇んでいる。正体についての詮索をされまくっていた訳だが、彼女は全然気にしていないようだった。
彩乃はテーブルの空いている席につきながら、
「心配せずとも、私が『話しても大丈夫』だと皆を信頼したら自然と教えるよ」
なんてことを言った。すぐさま、才加が不満の声を上げる。
「えー、ってことはあんたあたしのこと信頼してないの? 一緒に戦った仲なのにーぶーぶー」
「……あのな、いくらなんでも出会って一週間も経ってない
呆れたように言った彩乃のツッコミは、何だかんだ言って全員に受け入れられた。
…………普通はそれでは割り切れないんじゃないかと思わなくもない良香なのだが、それが普通にまかり通る所がこの学院のこの学院たる所以なのかもしれない。
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2.体当たり学院島ツアー
時刻は朝八時半。
朝食を終えた一行は、高等部寮の中にある談話室に腰を落ち着けていた。
「さて、二人に話があります!」
全員の注目を集めた才加は談話室に置かれた長机に手を突き、まるで議長のように高らかに言う。
ちなみにその他のメンバーは、良香と彩乃が机を挟んだ才加の目の前、エルレシアと志希がそれぞれ才加の両脇という構えだ。
「話っていうのはぶっちゃけこの後の予定なんだけどね」
この後の予定――――その響きには、これからやることが既に決まっているような含みがあった。というか、十中八九そうだった。良香はそんなこと全く聞いていないし、横に座る彩乃もリアクションからして初耳なのだろうが、才加達の中では既に決定事項なのだろう。
まあ、良香も今日は暇だから別に良いのだが。
(……? あれ? 何か忘れてるような……)
ふと首を傾げたくなった良香だったが、そんな小さな引っ掛かりを押し流してしまうように才加が続ける。月曜日提出の課題の件は順調に忘れられていた。
「実はあんた達が金曜日に外に出てる間に計画してたんだけどね――」
才加はそこでフフフ……と意味深に笑う。どうやら相当肝入りらしいなぁ、なんて良香は呑気に思った。
「――お出かけ、しましょう!」
「……またぁ?」
良香は思わずそんなことを言ってしまった。
……いや、彼女がそう思うのも無理はない。七時間にも及ぶサバイバル演習をやって、二日空けたと思ったら七五対二の死闘である。
ブーストによる体力回復の恩恵もあって疲れは残っていないが、精神的なものは別。お出かけに行ったら『
だが、いきなり難色を示した良香の反応も想定通りというわけなのか、才加は全く挫けずにさらに続ける。
「フフフ、まあそう言うだろうと思ったわ。思ってたわよええ。あんた疲れてるもんね。そっちで何も言わない彩乃だって疲れてるだろうからわざわざ朝早くからフェリーに乗って遠出なんてしたくないって思ってるわよね。だがしかぁし!」
才加はズビシィ! と良香と彩乃に指をつきつけ、
「あんた達忘れてんじゃないの!? そもそもこの学院のある人工島はデカい! なんせ周囲一〇キロもあるんだからね!」
「――――つまり、わざわざ船に乗ったりせずとも此処だけで見どころスポットがけっこうあるのではないか、ということですわ」
演説に熱が入りすぎていまいち要領を得なくなってきた才加に代わって、エルレシアがクールで簡潔にまとめてくれた。良い所を奪われた才加はぶすっとしてしまう。
そんな才加を宥める志希を横目に、彩乃が問いかける。
「なるほど。それでその見どころスポットというのは?」
「未定よ」
「昨日計画してたんじゃなかったのかよ!?」
「何よ、うっさいわね! いくつか候補はあんのよ、候補は!」
そんな感じで、ギャーギャーと騒ぎが始まる。机越しにキャットファイトをおっぱじめた馬鹿二人を横目に、彩乃はまともに話が通じそうなエルレシアと志希を見た。するとエルレシアと志希はわざとらしい動きで目を逸らすことで応じる。
すべてを悟った彩乃は、今も才加と机を挟んで掴み合っている良香の肩に手を置き、
「落ち着け良香。良いじゃないかこういうのも。案外リフレッシュするかもしれないぞ。根を詰め過ぎても良いことなんて一つもないわけだし…………」
「んー……まあ行くか」
彩乃に言われて、良香もお出かけに同行することを決めた。才加は良香の出した答えに満足げな様子で頷き、
「じゃあそういうことで、みんな一旦部屋に戻って私服に着替えてね」
なんてことを言った。
「………………私服? なぜ? ほわい?」
私服……私服といえば、ついこの間清良に買ってもらったばかりだったが……当時は普通にノせられていた良香だったが、流石に寮に帰ってこれを自分が着るという明確なイメージを持てば恥ずかしさは蘇って来る。できれば着たくないというのが現在の心情だった。
しかし才加は世界常識を語るような顔で、
「あんた、お出かけに行きますよって言って制服で行くヤツがこの世にいると思う?」
「でも、昔の漫画では海外へ行くにも学ランで……」
「漫画は漫画でしょうが! あたし達は今を生きる現実の女の子なの!」
つまり拒否権はないらしかった。
仕方なく才加の決定を受け入れた良香は、心の中でだけ思う。
(…………まさか、買ってきて早々にあの服を着る機会が来るとはなぁ……。姉ちゃんの先見の明も侮れないな)
*
その後、寮の自室にて。
「…………なんだ…………これは…………」
良香は持ち帰った服を開けてみて――昨日は疲れたので荷物を纏めるのは後にしていた――絶句していた。
昨日は色々と清良の話術に流されていた良香だが、一晩たって冷静になってみてみると、この服の数々――あまりにも『可愛すぎる』とわかる。
女装癖を持たない良香にとってはあまりにもハードルの高すぎる服の数々だ。ボーイッシュゴスロリとか何なの? 拷問なの? これにGOサイン出すとかオレは何考えてたの? などと思う良香である。
その上――、
「なんッッで!! 結局バニースーツとかスク水とかメイド服とか体操服とか置いてあるんだよ!! 体操服はもう持ってるよ! 何でわざわざブルマなんだよ! しかもなんだこのばんそうこう(?)! もう服じゃねーじゃん!!」
そんな風になってしまっている為、これを全部しまうとなると良香のタンス(一人一つ用意されており、かなり大きい)の中身はかなりカオスになってしまうだろう。あとこんな風に却下した服もしっかりしまわれているあたり、多分可愛い系の服も却下したところで同じ運命だったことは想像に難くないのだがそこは割愛する。
そんな風に懊悩している良香に、彩乃はテキパキと身支度を整えながら冷たく言い放った。
「うるさいぞ良香、さっさと支度しろ」
「クッソ……オレに味方はいねーのか…………ッッッ」
多分、答えは分かり切っている。
*
そんなこんなで午前九時一〇分。
「志希、そのでかい包み何?」
「皆様のお昼の為のお弁当です。朝のうちに用意しておきました」
「おお……本格的だなぁ…………」
それぞれ支度を終えた五人(うち一人満身創痍)は高等部学生寮前に集まっていた。
一応時間通りではあるのだが、そもそも良香は寮に戻って一〇分であらゆる支度を終えてしまっているのでその間ずっと暇だった。彩乃も何だかんだで化粧をしていたりで時間を使っていた為、良香としてはすっかり待ちくたびれた感じだ。
「しっかしあんた、人に恥じらいとか言うわりにホント化粧っ気ないわよねぇ……」
「のちのち端境様にもお化粧をお教えしましょうか」
「いや、要らないから……」
良香は困ったように笑いながら志希の誘いを固辞し、不満そうに言う。
「っつか、化粧して意味あるのかよ? 此処って基本女しかいねーのに……」
「良香さん、確かに生徒や教員には女性しかいませんが……女性だけで運営できるほどこの学院は小さくありませんわよ? 街に出れば男性もいらっしゃいますし、それにそもそも化粧とは異性を惹きつける為だけのものではなくマナーの側面もあるのですわ」
「ま、マナー……」
「良香はスッピンでもそこそこだから普段は良いが、フォーマルな場ではそうもいかないぞ? 化粧は覚えておくに越したことはないな」
「このもち肌女めぇえ~~」
「ぐぎぎ、やめろよ才加……」
嫉妬に駆られた才加を両手で放し、良香は溜息を一つ吐いた。それ以前にエルレシアも彩乃も志希も皆美少女なので、良香としては持ち上げられてもあんまり嬉しくない。
というか、女としての価値基準で褒められても男の良香は大概こそばゆいだけである。
「はあ、もう良いよ。化粧はいずれ覚えるから……できれば覚えたくないけど……」
というわけで、全員私服に着替えてきた、のだが……意外とみんな『かわいらしさ』みたいなものは重要視していないらしい。
才加とエルレシアはスカートだが二人とも膝丈だし、可愛らしさよりも貞淑さを重視しているように見える(才加が貞淑とか片腹痛いと良香は思ったが、言ったらアイアンクローされるので思うだけにした)。しかも彩乃と志希に至ってはズボンだ。
クールな二人には似合っているが、オシャレの幅の広さに良香は感嘆せざるを得ない。
「……そのくせ、格好はこの中で一番可愛いのにね」
「っ!」
そう。
実は、良香が一番気にしているのはそこだった。一応清良に買われた服の中でも一番大人しめなものを選んだのだが……それでも薄い赤(ピンクとは絶対認めたくない)を基調としたコーディネートは良香としてはちょっと受け入れがたい。
しかもミニスカ。ミニスカである。制服のお蔭でスカートにはもう慣れた良香だったが、『制服』という『仕方なく着ている理由』のない自由な格好でスカートを穿くというのはまたちょっと違った心持だ。
「…………」
「あーごめんごめん恥ずかしがらないの」
自分の格好を思い出して無言で顔を赤らめスカートの裾を握りしめる良香の様子を目ざとく発見した才加は、そう言って良香を宥める。なんかもう手慣れた扱いみたいになっているのが逆に良香としては情けなかった。
「さて、ではそろそろ出発しますわよ」
なんだかんだとぐだぐだしていたが、エルレシアの一声で全員が彼女を注目する。ただ、良香はまだ肝心なことを聞いていなかった。
「で、結局どこに行くんだ?」
歩きながら、良香は三人に尋ねた。
神楽巫術学院のある島――通称『学院島』は、ちょうど関東地方の東側、太平洋に浮かぶ菱形の人工島だ。
島の海岸線を全て繋ぎ合わせた長さはおよそ一〇キロ。学院を運営する為の都市機能と巫術師訓練の為の自然の二面性を持つ。
彼女達が今いる寮や校舎、浴場や教務棟の集中している『中央施設』は文字通り島の中央に存在し、彼女達が鎬を削った
北側には本州へ向かう為のフェリー乗り場やヘリポートなどがあり、此処が学院の主な移動手段になっているほか、インフラが集中しているのでこうした場所の周辺には生徒以外の教員や事務員が生活する為の施設が集中している。
そうした関係上、学院島は『中央施設』を境に北西半分は栄えた都市のようになっていて、逆に南東半分は人の手の入っていない原生林のようになっているのだった。もっとも、もちろん人工島である以上実際には全て人間の手によってつくられているのだが。
一応『見どころスポットへ行く』ということなので別にどこに行くとかが決められているわけではないのだが、それでも『北西に行くか南東に行くか』でその探検の趣は大きく変わる。というか北西に行く場合は市街探索になるが、南東に行く場合は本当の意味での『探検』になってしまう。
それゆえの良香の疑問に、
「今回行くのは勿論北西側でーす! 虫とか嫌でーす!」
才加が明るく答えた。確かに南東部は原生林のような環境を意図的に作っている関係上虫が多い。あのサバイバル演習でも、エルレシア戦のあと三〇分おきくらいに才加の『ぎゃあああああ――っ!!』という色気もへったくれもない悲鳴が響いていたくらいだった。
「北西部か……こっからバスでどのくらいだっけ?」
「おおよそ一〇分と言ったところですね。北西部フェリー乗り場前で降りる予定です」
「バスで一〇分か……」
秘書のようにテキパキと今後の予定を話していく志希に、良香はぼんやりと呟いた。そのぼんやり加減を怪訝に思ったのか、エルレシアと才加の二人が反応する。
「何か問題でもありまして?」
「おトイレ行くなら待つわよ」
「そんなんじゃねーよ! ただ、バスで一〇分もかかるとかホントに学院っていうより一つの街なんだなって思っただけだよ!」
「あー」
慌てて付け加える良香。才加は得心がいったように頷き、
「こんだけ大規模な学院だからね。インフラも整備しないといけない、そのインフラを動かす為の人が暮らせる場所も用意しなくちゃいけない……ってやってたら、いつの間にか『城下町』が出来てたらしいわよ」
城下町、と言われて良香は改めて自分達のいる高等部寮、そしてその向こうにある学院の校舎群を見てみる。大きな校舎群の向こうにそびえる高層ビルの教務棟は、言われてみれば確かにヨーロッパの城のようでもある。城下町というのもまんざら間違っていないかもしれなかった。
「それで、向こうに着いたらその後はどうするんだ?」
「てきとーに散策よ」
「てきとーな予定だな」
肝心の予定がアバウトすぎるのだった。お出かけの時は出かける時に前もってやることを決めてから動く計画派の良香としては、特に決まってないけど適当にやりまーすというノリは非常に心配……なのだが、意外にもこの場にはそんな気持ちを共有する者は一人もいないらしい。
「ま、そんな厳密に予定を組んでも仕方がないだろう。ちょうどバスも来たことだし――」
と、宥める彩乃の言う通りに良香達の前にバスがやってくる。
「……詳しい予定は、バスの中で立てれば良いんじゃないか?」
「…………大丈夫かほんとに」
心配そうに言う良香だったが、一番初めにバスに乗り込んでいるあたり、彼女もまたそれなりにこの探索を楽しんでいるようだった。
尤も、本人にその自覚はなさそうだが。
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3.無計画という名の計画
バスに揺られることおよそ一〇分。
良香達は特に何か問題に見舞われることもなく、無事に北西部フェリー乗り場前まで到着した。
フェリー乗り場――と言っても沿岸に船の乗降場を作ったものではなく、オフィスビルが立ち並ぶ市街地の中に湾を作り、そこに乗降場を作っているという港湾――いわゆる『ポート』の形式をとっている。
良香がイメージしていたのは海岸線の中で一本細長い船着き場が伸びているだけの波止場や埠頭だったのだが、これはそれよりも幾分か近代的で工業的な雰囲気を感じさせる構造をしている。流石に都市化された北西部だな……と良香は良く分からない感心の仕方をしていた。
「……凄いな此処。川が流れてるぞ、人工島なのに」
バスから降りた良香は、次にそんなことに気付いた。
良香が指摘した通り、フェリー乗り場のある湾を視線だけで登って行くと川に繋がっていた。
いかに人工島でインフラが整備されているとはいえ、人間の生活は水に密接している。中心部に流れた雨水をどう処理するのかというのもそうだし、排水を流す為の設備も必要である。
そうした問題を解消する為に河川も整備されているという面もあった。尤も、問題を解消する必要があるからといって人工島に、しかも恒久的に水が流れている川を流すのは可能なのかといった疑問もあるにはあるのだが……実際に成り立ってしまっている以上、原理はともかく認めるしかない。
「此処の整備は五〇年前に当時の討巫術師《ミストレス》達がそのオリジンで行ったという話だからな。ところどころ常識破りだよ、この島の設備は」
そんな良香の圧倒されっぷりを見て、彩乃は適当そうに言い添えた。巫術が噛んでいます、と言われれば何故か納得してしまえる雰囲気が、この学院にはある。なんだか考えるのが馬鹿馬鹿しいなあと良香は投げやりに思った。
そんな良香の内心はさておき、この探索の仕切り役らしい才加はかるーく指揮を執る。
「この後はとりあえず、てきとーに川の流れに沿って歩いて行きましょうか。てきとーに」
「……てきとーに、ねぇ……」
相変わらずアバウトな探索計画にぶつくさ言いつつも、良香は口以外素直に身体を動かしていく。
「…………」
彩乃はそんな良香――ではなく才加の表情を横目で見ていたが、やがて二人が歩き出したのを見ると、その後ろについて歩き出した。
「ちなみに、この島を作る時に、その中継地点として整備してた小島が学院島の北西沖五〇〇メートルくらいにあるらしいんだけどね」
歩き始めると、才加はそんな話をしだした。怪訝な表情を浮かべる良香と対照的に、エルレシアと彩乃の表情がどこか呆れた色を滲ませる。
二人が呆れているので何となくどんな話かは想像がつく良香だったが、一応何の話かと残る志希の顔色を見る。しかし、志希の方は相変わらずのポーカーフェイスだった。
そもそも彼女が何かしらの感情をあらわにすることなんてあるのだろうか? それこそ良香には想像できない。
「実はそこ、
「…………出る? 何がだよ」
「決まってんでしょ、幽霊が、よ」
その時、良香はエルレシアと彩乃の表情が変化した理由を悟った。これは、真面目に聞くのも馬鹿らしくなる類の与太話だ。
「…………ほう」
ただし、良香の表情はそんな印象とは裏腹に、ニヤリと不敵な笑みに歪む。
そういう与太話こそ、男の浪漫というものである。
「……あーあ、良香が乗っかってしまった」
「まあ、良香さんは好きそうな話ですしね。わたくしはただの思い込みだと思いますが」
「ったく、二人ともノリ悪いわねー。これだから現実主義者っていう人種は嫌だわ。……志希はどうよ?」
五人の中でもきっての現実主義者であるエルレシアと彩乃にすっぱりと切り捨てられた才加は、この中で一人無言を貫き通していた志希に水を向ける。
というか現実主義者という点では志希もわりとどっこいどっこいな気もすると良香は思うが、何故かメイドにこだわりを持っているという点でまだ浪漫を解する可能性があると判断したのかもしれない。
相変わらずの無表情を貫き通していた志希はやっぱり感情の抑揚が感じられない声色で、
「私は、ホラーが苦手です」
と信じられないことを口から放った。
「スプラッター映画などのビックリするタイプは大丈夫なのですが、不気味な雰囲気がじわじわと迫って来るようなあのプレッシャーはあまり得意ではありません」
「え、あの…………」
思わず良香はしどろもどろになるが、志希の表情は変わらない。その無表情が却って自分を責めているような気さえしてくる良香である。
「なので、怪談系全般は信じないことにしています。この世に幽霊はいないと思わないと、精神的に落ち着きませんので」
「……す、すいません…………」
何故だか申し訳ない気持ちになって、良香と才加は二人して頭を下げた。
「いえ、お気になさらず」
「で、でもさでもさ。妖魔だって死んだ後もその身から出た巫素《マナ》大気中に完全に溶け込むまでは死んでないって言うじゃない。んで、どんな生物だって大なり小なり巫素《マナ》は持ってるでしょ? つまり幽霊っていうのは死んだ人間の巫素《マナ》が霧散せずに溜まった状態とかそういう理屈で…………あ、すいませんなんでもないです」
と、何とかフォローしてみようと試みた才加だったが、志希の無感動な眼差しが悲しみに揺れているような気がしてそれ以上言うのをやめた。おばけとか、怖い人は原理がどうであれ怖いのだ。理屈なんか関係ないのだ。
…………恐怖とは、浪漫に似ているのかもしれない。良香はそんなことを思った。
*
そんなこんなで三〇分。
「……そろそろ緑が増えてきたな」
彩乃は歩きながら辺りを見渡してそんなことを言う。
幽霊話で地雷を踏んだり乳話で地雷を踏まれたりしながらここまで歩いてきた五人だったが、ちょうどビルが立ち並び道路がコンクリートで舗装された『市街地』のエリアからは抜け、岩で組まれたような上り坂の道に差し掛かっていた。
流石に川の上流まで上って行くと山がちになってくるため、河口付近のようにビルを建てることはできない。というわけで、市街地の多い都市化された北西部の中にも一部ではこうした緑の多い地帯があるのだった。
いよいよ『北西部らしい』都市的な見どころスポットがありそうな感じではなくなってきた雰囲気を感じ、雲行きの怪しさを見て取った良香が問いかける。
「で、ここまで見どころスポット一つも行ってないんだけどさ。そもそも北西部ってどこが見どころなんだ?」
「んーとね、街の方に噴水のあるでっかい公園があって、時間でスプリンクラーみたいな水芸をやって日中はそこでできる虹が綺麗とか」
「そこもう通り過ぎただろ」
才加の人をなめくさった回答にこめかみをヒクヒクと震わせつつも、良香は仏のように広い心で穏やかなツッコミに徹する。しかし才加はさらに続けて、
「あとは、フェリー乗り場のところにある架け橋が、船が来ると持ち上がってそれが凄い豪快なんだって」
「だからそこもう通り過ぎただろって! 何でそこに行かなかったんだよ! オレは此処から先どうなってるのかって聞いてんだよ!!」
とうとう――というにはちょっと沸点が低いが――吼えた良香を、才加は犬でも宥めるような調子でどうどうと抑える。
「まーまー良いからちょっと山登ってみましょうよ。案外なんかあるかもしれないし。あたしこのへんの地理詳しくないけど」
「ダメじゃねーか!」
やっぱり憤慨する良香だったが、今更文句を言っても仕方がない為結局足だけはしっかりと前に進むのだった。
というか、先程からブーストを使用しているので疲れ自体はそんなにない。学院内はともすると大破壊を巻き起こしかねないアルターやオリジンは演習場以外では使用が原則禁止となっているが、ブーストに限っては節度を持ってという注意こそされているものの、実質的には自由に使用可能となっているのだ。
でなければブーストによる体力回復などが使えなくなってしまうので当然と言えば当然かもしれないが、それにしても色々と緩いなーと良香は思う。勿論、ブーストを使って悪さを起こすような生徒は此処にはいないのだろうし、余計にルールを制定しても身動きがとれなくなってしまうから設定していないというだけなのだろうが。
「大丈夫、わたくしはこの先の地理については少しだけ知っていますわ」
と、そこでエルレシアの救いの手が差し伸べられる。地理が分かるからといって事実が変わるわけではないのでもし見どころゼロだったら別に救いの手でも何でもないのだが、しかし何も分からないよりは幾分かマシだ。やはり天才エルレシアは凡骨才加とは一味違った。
「マジか、この先って何があるんだ?」
「学院ならではの物凄いものとか絶景はありませんわよ」
「絶望しかなかった!!」
しかし天才であろうと凡骨であろうと齎す結果は同じだった。
良香はあまりの事実に膝から崩れ落ちそうになった。というか、若干崩れ落ちていたが志希によっこいしょと支えられていた。
「端境様、此処で膝を突くとお召し物が汚れますよ」
「ありがとう…………」
もう頑張ってもなんもないと分かってしまった良香はげんなりとして、
「なーあー、もう下りようぜーなんもないなら登る必要もねーだろーなーあー」
「もう、こらえ性のないヤツねあんたは。別に絶景とかなくてもいーじゃん山に登ったっていう事実だけでも大切な思い出よ」
「そんな綺麗事は要らねーの! オレはもう目に見える結果が欲しくてしかたねーの!!」
なんだかんだみんなで行動しているので無計画によるぐだぐだ進行は我慢していた良香だったが、その先にあるものが何の成果も得られないただの苦行と分かれば話は別だ。ちゃんと足を動かしつつも、良香はもうあらゆるやる気が削ぎ落された顔をする。
そんな良香に才加は溜息を吐いて、
「目に見える結果って――――――たとえばこんな感じの?」
そう、悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
そして、草木が風になびく静かなざわめきが、良香の耳にゆっくりと入り込んできた。
「これ、は…………」
ただし、その光景を構成しているのは草木の緑ではない。溢れんばかりの桃色が、良香の視界いっぱいに広がっていた。
「桜の木よ。この山の上には学院島唯一の自然公園があってね、この季節は桜がいっぱいで綺麗なのよ。もっとも、満開は三月末だから花見のピークは過ぎちゃってるけどね」
「だからこそ、人のいない『穴場』となった場所でこの桜を貸切できるのですが」
掛け値なしの絶景をバックに、才加と志希が言う。しかし、良香は桜から目を離せずにいた。
「いや、これ……。…………エルレシア、さっき絶景なんてないって……」
「ええ。ですから
「………………。…………あ゛あ゛ァァああああああああああああああああああ!!!!」
思い切りハメられたことを悟った良香は、力の限り叫んで頭を抱えた。考えてみれば最初からおかしかったのだ。
才加はともかくエルレシアと志希は休日当てもなくぶらぶら歩くようなタイプには見えないし、『休日ぶらぶらします』なんてアバウトな予定を立てることを『計画』なんて言わない。最初から此処まで計画しての行動だったのだ。
志希のお弁当にしても、歩き通しになるのを見越して大量に作った――なんて心のどこかで納得していた良香だったが、花見に備えたと考えれば筋が通る。
というか、重箱の包みなんか完全にお花見仕様である。何故気付かなかった、と学院の不条理に慣れて当たり前な発想が出てこなかった自分の迂闊さを呪った。いや、それ以上に喜んでいるが。
彩乃が何も言わなかったのはこのせいだろう。彼女はこの学院の卒業生だから当然桜のことも知っている。だが、だからといって知っているそぶりを見せれば良香にまでそれが伝播して台無しになっているから知らないフリをするしかなかったのだ。
ぐおおおお…………と良香がいっぱい食わされた悔しさと、あとサプライズの喜びに打ち震えていると、才加が照れたように言う。
「明日から天気がちょっと怪しくなるっていう話だったし、今日しかないかなって思って。ちょっと急だったけど、そこんとこは許してよね」
「おおぅ、そんなの、もう…………」
「ああ。十分嬉しいサプライズだよ」
良香はフルフルと震えながら、彩乃は珍しくにこやかに微笑みながら、才加に言い返す。そんな二人を見て安心したのか、才加は二人の横を通り過ぎながら言う。
「まだ演習のお疲れ様会とかやってなかったしさ。それにあんた達、金曜日めっちゃ大変だったんでしょ?」
次にエルレシアが二人の横を通り過ぎ、
「ブーストでは精神的疲労は癒せませんので、フラワーセラピー……という訳ではありませんが、花見をしながら談笑すれば心の疲れもしっかり癒えるはずですわ」
そして最後に、志希が通り過ぎ、
「お弁当の準備はできていますので、今日は此処でお花見としましょう」
三人の少女たちは、そう言ってさっさと自然公園へと入って行く。
良香は力強く頷いて、彼女達の後を追って自然公園へと入って行くのだった。
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4.そこは煉獄
翌日――日曜日。
良香は日曜日らしく惰眠を貪るつもりでいたが、何故か目が覚めてしまったので起きることにした。
全寮制の神楽巫術学院での生活は概ね規則正しい。
一応、消灯時間が設定されていないなど
(腐ったミカンはなんとやらの反対バージョンかなぁ~……)
なんて思いつつ、良香はベッドからのそのそと起き出す。
そして、昨日のことを思い出して頬が緩んだ。口では『あー騙されたー』とか『気付かなかったー悔しいー』なんて言っていた良香だったが、そんなものは――あの場の全員が気付いていた通り――一〇〇%照れ隠しである。むしろ嬉しくて嬉しくて仕方がないので、あれから良香は折に触れて花見のことを思い出してはニヤニヤしているのだった。
(……おっと……)
で、そんな風にニヤニヤしているのを見た彩乃に昨晩からかわれまくったのが昨日のハイライトである。危なくその焼き直しになりそうだったことに気付いた良香は、慌てて表情を取り繕った。
そして、そこで気付いた。
(あれ? 彩乃まだ起きてないのかな?)
ここ数日、彩乃は良香が起きる頃には既に起きて、顔を洗ったり歯を磨いたりといった身嗜みをしていた。むしろ良香はその時に聞こえる洗面所からの水音で起きていたような節もあるくらいだ。だが、今日に限ってはそれがない。
(まあ日曜日くらい、彩乃もゆっくり寝るのかね。研究者だったらしいし生活リズムが多少変でも不思議じゃねー、か)
だが、一方で思うところもある。
(…………そういえばアイツ、こないだオレの寝顔を見て『寝顔を見ると安らかで可愛くてまさしく女の子といった感じだな』なんて言ってからかいやがったな)
多分彩乃としては一切の悪気はなく、ただただ事実を言っている――というか、多分眠りの安らかさに感心している――のだが、良香としては恥辱、恥辱である。寝顔を見られるのも恥ずかしいのに、しかも可愛いとか女の子とか、そういうのはもう受け止められる恥ずかしさをオーバーしてしまっている。
(よし、此処は一つオレもアイツの寝顔を見てからかってやる……)
とはいえ彩乃も『お前の寝顔可愛いね』とか言われたところで恥ずかしがるタイプとは思えないのだが、良香としてはそんなことはどうでもよく、とにかくやられたことをやり返したい気持ちしかなかったのだった。
(さあ~て、それじゃ彩乃さんの寝顔拝見しま――――)
ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべながら、良香は彩乃の布団を捲ろうと近づき、
(…………あれ?)
そこで気付いた。布団のふくらみがない。
というか、彩乃がいない。
「………………彩乃?」
きょとんとしながら、声に出して名前を呼ぶが――しかし返事は帰って来ない。あたりを見渡してみるも、当然ながら彩乃の影らしきものは見られない。
というか、そもそも彩乃と良香の起きる時間は大体同じだ。良香はいつも通りの時間に目覚めたし、それなら彩乃がいないというのは考えられないのだが…………。
「……食堂か?」
何故か胸に去来する違和感に嫌な予感をおぼえつつ、良香は身支度を始める。
「…………外は曇りか…………嫌な天気だな」
*
結論から言うと、彩乃は食堂にもいなかった。
先に食堂でテーブルについていたエルレシアと志希、そして後から合流してきた才加にも聞いてみたが、彩乃は見なかったとのことだった。こうなってくると、良香としてはいよいよ胸騒ぎが大きくなってくる。
「……そんなに心配しなくても、先生に呼ばれてるとかなんじゃないの?」
「オレが起きる前の早い時間にか? 緊急って扱いの昨日の呼び出しだってもうちょっと遅かったぞ」
「……………………確かに、少し妙ではありますわね」
あまり大事に思っていない才加とは対照的に、エルレシアは顎にその細い指を当てて考え込むようにして言った。
「彩乃さんの性格上、何かを隠すことはしても、
「エルレシア、それオレのこと馬鹿にしてるのか?」
「……釧灘様が何か深刻な事実を隠して動いている、と?」
「可能性の話ですわ」
エルレシアは良香のツッコミを完璧にスルーした上で、あくまで冷静に言って、
「彩乃さんの巫素《マナ》は覚えています。わたくしが感知してみましょう」
「…………? エルレシアも感知ができるのか?」
「……あのサバイバル演習を思い出してくださいまし。『感知』ができないのであればわたくしはどうやって貴女達と会敵できたのですか?」
「ぐ、偶然だと思ってた……」
良香の至極当然な発想に、エルレシアは思わず溜息を吐く。
「…………呆れましたわ。このエルレシア=エインズワースが偶然などという不確定なものに身を任せるはずがないでしょう? あらかじめ貴女達の巫素《マナ》を記憶して、出方を伺った上で向かったに決まっているじゃありませんか」
「ま、まあ、つまり彩乃のことは感知できるんだな?」
「勿論ですわ。見ていなさい」
そう言って、エルレシアは目を瞑る。エルレシアの感知半径はおおよそ五〇〇メートル。つまり直径一キロ内の巫素《マナ》反応は感知することができる。
学院島は流石に収まり切らないが、それでも学院の校舎近くにいるかどうかは把握することができるし、仮にいないのであればこんな朝早くから誰にも言わず学院から出ているということになり、明らかに不自然だ。
もしそうであれば、すぐにでも出かける用意をしなければ――と良香は考えていたが、
「…………はぁ」
そんな思考を断ち切るように、エルレシアが物憂げな溜息を吐いた。
「……どうした? 何か分かったか?」
「ええ。分かりましたわ。……彩乃さん、学院から出ていますわね」
「っ!」
「…………!」
「え、マジで!?」
エルレシアの報告に、三者が三様の驚きを示す。特に大きな反応を示したのは、良香だった。
「……良香さん、どこに行くつもりですの?」
「決まってるだろ、彩乃のとこだよ。……まだ終わってなかったんだ、多分。あの連中、『
良香は、一昨日の事件を思い返す。あの時、ヤツらは確かに『本来の目的は釧灘彩乃』と言っていたのだ。目的。銀行強盗で得られるチャチな現金なんてものはただの枝葉末節で、本当はその向かいにいる彩乃こそが彼らの求めていたモノなのだと。
今、その彩乃が学院から出てどこかに行ってしまっている。それも、良香に何も言わずに。
「良香さん」
焦れたように席を立った良香を諌めるように、否、叱るようにエルレシアは厳然として言う。
「……仮に貴女が出たとして、彩乃さんの居場所に見当はついているのですか? 当然ながら学院外での巫術行使はタブーでしてよ。今回の場合は彩乃さんと敵との交戦を独自に察知したということで不問に
「…………教師から妨害? 何でだよ、むしろ皆が気付いて彩乃を助けるのが普通だろ?」
「いえ。何故なら、おそらく今回の彩乃さんの単独行動は独断ではなく、学院からの依頼を受けてのものだからですわ。彩乃さんが一人で受けた依頼に学生が乗り込もうとすれば、教師としては止めざるを得ないでしょう」
「!!」
エルレシアの言葉に、三人は思わず息を呑んだ。
「お嬢、それってもしかして…………」
「……ええ。わたくしは、彩乃さんは本来学生の身分ではないだろうと――存在が伏せられた討巫術師《ミストレス》か、あるいは支巫術師《アテンダント》だと思っています。わたくしと志希の巫素《マナ》供給引き継ぎの読み違いを除けば、優れた戦略眼にアルター捌き……そして咄嗟に自分の身すら駒として扱える価値観。そのどれも学生とはかけ離れているどころか、『職業意識が強すぎる』とまで言えますし」
「………………、」
「おそらく、良香さんが巫術師の才能に適合した際たまたま居合わせたか、あるいは適合した良香さんの世話役に宛がわれたか…………そんなところでしょう。どうです良香さん? わたくしの推測は合っていますか?」
「…………、ち、違うぜ。全然違げー」
「そうですか、それは何より」
一応形式上は否定してみせた良香だったが、全てがエルレシアに圧倒されていた。他の二人も、エルレシアの言葉を信じているだろう。
――彩乃がプロならば、わざわざ自分達が危険を冒してまで助けに向かう必要はないだろう。
三人はそう考えているのかもしれない。普通に考えれば確かにそうだ。まして彩乃は彼女達からしてみれば『プロなのに学生の中に混じっている異物』だ。隔意の類も、あったっておかしくはない。
……だが、もしもまだ『
その上『何かに追われて目の前の敵に集中していない』状態でもない相手とやり合えば、いくら彩乃でもどうなるかは分からない。
しかし、それを実感として知っているのは良香だけである。この三人の印象の中の彩乃の力量は、あくまでサバイバル演習の時の強く賢く冷静な姿で構成されている。いくら訴えたところで通じるとは到底、
「――では、具体的にどう動くか、ですが」
「今日は幸いにも天気が悪く雨が降っていますし、学院側の感知も鈍っているのでは?」
「じゃースタミナ∞のあたしが皆を運んで、その先々でお嬢が感知してくってのはどう?」
と。
そんな良香の最悪の想像を、三人は軽々と蹴り飛ばして先へと思考を進めていく。
「悪くないですが、虱潰しではリスキーすぎますわね。発見した時には既に手遅れという可能性も否めませんし。何かしらの推理をして居場所の見当をつけたいところですが…………」
「そもそも彩乃狙いってことは、下手人は学院島に向かってるはずよね」
「……いかにこの雨で巫素《マナ》感知が鈍っているとはいえ学院周辺には様々な方式の監視機能が備わっていますし、下手人が学院島に上陸しているとは思えません。となると……この島を作った討巫術師《ミストレス》が中継用に使っていた小島が怪しいですね」
「…………お前達……いだっ!」
思わず呆然とした良香の額を突いて、才加は言う。
「アイツがどれだけ強かろうと、そんなことは関係ないわ。それを一番知ってるあんたが不安がってる。あたしらが動くにはそれで十分よ」
「それに、先程良香さんが言っていた言葉――目的は彩乃さんというのも気になります。同じくプロレベルのわたくしが行っておいて損はないですわ」
「仮に私達が行かずとも、端境様は一人ででも向かうのでしょう。それなら、私達もついて行った方が最終的な安全度は向上します」
三者三様、それぞれの理屈を用意してはいたが、彼女達の目は一様に同じことを語っていた。『心配なのは、私達も同じだ』と。
「…………すまん。ありがとう」
一人だけ秘密を共有していた良香は、いつしか彩乃との関係を『自分だけ』のものと思うようになっていたのかもしれない。だが、違った。昨日の桜の花見は
良香は改めて席を立ち、そして食堂の窓から外を見る。
外は相変わらずの曇天で、今にも雨が降りそうな最悪の天気だ――が。
「案外、悪くない天気に見えてきたぜ」
*
「結局、だ」
ヒールの甲高い靴音が
黒い衣装に身を包んだ彼女は、聞いたものが凍てつくような冷たい声色で、相対する彼らに言葉の刃を突きつけていく。それは、死刑宣告のような響きすら含んでいた。
「お前達の目的は――――最初から私だったんだろう?」
彼女の端正な顔が、笑みの形に歪む。だが、それは喜びから生まれる質のものではなかった。相手を蔑み、嘲る者特有の醜い笑み――嘲笑だ。
「何故知っているのかという顔をしているな。資料は読ませてもらったよ。八割はくだらない情報だったが……
彼らは――――黒いインナーの上にノースリーブのクリーム色のジャケットを着た男達の集団は、そんな彼女の姿を認めて苦々しい表情を浮かべ、呟く。
「……………………釧灘、彩乃………………!!」
その名を呼ばれた彼女は――釧灘彩乃は、肯定の意を表す代わりにさらに笑みを凄絶なものにした。
しかしその姿は、良香が見慣れた少女のものとは少し違う。良香よりも少し高い程度だった身長はさらに伸び――そして体のプロポーションも全体的に大人らしくなっている。学院に潜入する為の仮の姿ではない、彼女本来の姿だ。
「…………別に我々が漏らした訳ではない」
男達の集団――――いや、『
「あの日……貴様を捕えようとした我々の尖兵は『謎の失敗』を遂げ、行方をくらませた……。それに焦りを募らせた構成員の何人かが封印していた生命流転《アモルファス》の残骸を盗み取り、勝手に強盗団と手を結んだのだ。ヤツらは『成れの果て』になりつつあったから余計に焦りが強かったのだろう。我々が討伐の為の追手を放った時には、全てが終わっていた……」
あの強盗団と手を組んでいた『
そして、『本隊』はそんな裏事情を知らない。だから単純に強盗団が使っていたセーフハウスに自分達の情報を漏らした資料があったなどとは思わず、こうして襲撃計画を実行し――そして彩乃に先回りされたのだ。
「どちらにしても同じことだ。こうして襲撃計画を私に知られている。そもそも造反者という『別組織』の人間に情報が漏れている時点で計画を練り直そうとは思わなかったのか?」
「…………」
「フフフ…………どうやら迂闊さではどっこいどっこいらしいな」
嘲って言う彩乃に対し、リーダー格の男は何も言わない。それを見た彩乃は代わりにパチンと指を鳴らし、
「ただ、妖魔の使い方は少しマシになっているようだ」
空気を巻き上げるように、彼女の周囲に炎が燃え盛り、同時に地面から飛び出して来たアメーバ様の妖魔――生命流転《アモルファス》が跡形もなく焼き尽くされる。
威力の桁が、違っていた。
昨日の朝、理事長は彩乃にこう言っていた。
――それはつまり、大人の状態の彩乃は子供の状態よりも高い出力を誇っていることを意味する。
「あるいはこう考えたのか? 『この情報に釣られて自分達との交戦経験が多い釧灘彩乃が襲撃役に選ばれてくれればわざわざ学院に乗り込まずとも獲物を捕まえるチャンスに恵まれる』と」
「――分かっているじゃないか、実験動物《モルモット》」
今度は、リーダー格の男が彩乃を嘲った。彩乃は嘆息して、あの日
「『我々の操る妖魔、生命流転《アモルファス》。能力として無生物の同化吸収による増殖能力を持つこの妖魔を用いることで、学院も制御できない「供給」を大量に生み出す。それだけで、元々一極集中により業界に歪みを生んでいた学院の独裁体制は崩壊することができるはずだ』――――『だがしかし、それだけでは完全なる平等にはならない』」
現体制の崩壊――――
「『何故なら、外付で生命流転《アモルファス》を与えただけでは巫術師の持つ特殊能力は残ってしまうからだ。それでは結局、生命流転《アモルファス》を持つ一般人と生命流転《アモルファス》を持つ巫術師の構図にしかならない可能性がある』」
「………………だから、貴様の身柄を捕えて研究するんだよ。
その先を引き継いで、リーダー格の男が言った。
「貴様の残機無限《リスポーン》は生体実験の為に生み出されたような奇跡のオリジンだ。殺しても殺しても生き返り、そして延々と実験に使い回せる。巫術師を捕えることなど通常であれば相手が一人でも難しいが――オリジンが『蘇生』にしか向いていない貴様は、どうにかしてアルターが使えない状態にしてやればそれだけで生け捕りにすることができる。つまり、生命流転《アモルファス》状態になって取り込んでやればそれだけで決着がつくのだ」
つまりは、そういうこと。
あの日、良香が襲われたのも。
あの日、服屋の近くで銀行強盗が起こったのも。
すべては、彩乃を狙って行われた。
彩乃が、巻き込んだのだ。
良香に保護者ヅラをしていたが、結局は彼女が全ての元凶だった。
そのせいで、とある少年の人生を永久に歪めてしまった。
その未来を、実験動物《モルモット》という恐怖に怯えながら生きる真っ暗なものにしてしまった。
彼女は、そんな人生がどれほど最悪か身を以て知っていたはずなのに。
だからこれは、彼女が始末をつけなくてはいけない咎なのだ。
…………こんなことで罪が償えるとは、毛ほども思っていないけれど。
「我々を『成れの果て』だと思ったら大間違いだぞ、釧灘彩乃! 妖魔の誘惑など強い意志を持っていれば容易にねじ伏せられる! 貴様は自ら捕まりに来た、」
「ああもう、そういうのは良い」
コキリ、と。
何かのギアを切り替えるような音が聞こえた。
それは、彩乃が自らの肩に手をやって、骨を鳴らした音だった。あるいはそれが、彼女にとっては何かの儀式のようなものなのかもしれない。
意識を明確に変化させる為の、スイッチ。
仮にも人の形を
「悪いが、私は実は頭を使った戦闘というのがあまり得意ではなくてね」
その彼女の右手に、炎の球が生まれる。
しかし、現象はそれだけでは終わらない。炎の球はどんどんと暴力的に跳ね回り、まるで太陽の表面から放たれる紅炎《プロミネンス》のように余剰火力が迸る。
詠唱を行わない代わりに、彼女はゆっくりゆっくりと、時間をかけてそれを『育てて』いく。それが『本隊』の精神をより甚振れると知っているから。
「何故って、
「き、さま…………」
炎は既に彩乃の身体ほどもあったが、それでもまるで暴走かと見まがうような炎の奔流は止まらない。
じりじりと、熱気が『本隊』の面々の皮膚を焼く。
絶望的だった。
地面を同化させて穴を掘ることで逃亡する? 無理だ。最大容量まで体積を増加させた
相手にバレないように地中に分身を隠し、この場をやり切る? 無理だ。そもそもあの炎を浴びて
相手の炎が完成しないうちに襲い掛かる? 無理だ。彩乃はこちらを甚振る為にあえて成長を遅らせているにすぎない。こちらが痺れを切らした瞬間、嬉々として魔法を完成させてカウンターを叩き込むに違いない。
無理だ。無理だ。無理だ無理だ。無理だ無理だ無理だ無理だむりだむりだむりだむりだむりだむりだむりだむりだむりだ、
…………いや、ひょっとしたら、全員で寄り集まれば生き延びることができるかも、
「それに、仕留め損なっても、何度でも死ぬまで同じことをやれば良いのだし」
「う、おお、おおおォォォおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
――――その一言で、『本隊』の精神は限界を迎えた。
炎が三メートルにもなったところで、時が止まっていたかのように静止していた『本隊』の面々は全員が妖魔化する。妖魔の扱いがきちんと出来ていれば余剰分の体積は『圧縮』しておけるのか、彼らは何かを吸い取った訳でもないのに大型トラックくらいの体積を獲得する。
が。
「ただ問題が一つあってな。これをやると周囲の被害がデカすぎる、まあ、それもお前達が今は通信基地くらいにしか使われていない『中継の小島』に潜伏してくれていたお蔭で気にせずやれるのだが」
彼らが巨大化したのとほぼ同時に、彼女の手の中の炎も巨大化する。その大きさは――生命流転《アモルファス》の二倍。既に彩乃の右腕は半ばまでが炎に呑み込まれ、熱の中で黒く細い何かに変質していた。黒いボディスーツの衣装も端からちりちりと焼け焦げている。
「見せてやろう。これが私の全身全霊――――『煉獄』だ」
『ば、馬鹿な……貴様、それほどのアルターを使えば熱の奔流に巻き込まれて……』
「死ぬかもな。だがすぐに生き返る」
『だが、それでも苦痛が消える訳では…………!!』
「
彩乃は、侮蔑の笑みを浮かべて最後にこう言った。
「お前らのような人間のお蔭でな、そういうのは
そして。
周囲を灼熱の奔流が席巻した。
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5.ゲームチェンジャー
:物事の流れや優劣を根底から覆すような、新しい可能性や思想を持つ個人や製品、企業などのこと。
結局、良香達四人はバスでまた北西部フェリー乗り場前までやってきていた。
既に雨は降り始めており、大気中を伝播する関係上雨粒によって精度が鈍る学院の巫素《マナ》感知の脅威はなくなっているが――それでも、大事を取ったと言う形だ。一〇分で到着する距離であればわざわざ無理をすることもない。
「……つか、雨が降り始めたけどエルレシアの感知は大丈夫なのか?」
「ええ、心配要りませんわよ。咄嗟ならさておき、一つの対象をじっくりと感知でとらえる訳ですから。時間はかかりますが確実に感知できます」
心配そうに言う良香に、エルレシアは胸を張って答えた。
全員、最終的に変身するつもりなので傘は持ってきていない。雨に濡れて下着が透けた豊かな胸が突き上げられ、良香は黙って目を逸らした。そんな自分の服も濡れ透け状態なのだが、そこに気付かないのはご愛嬌だ。
「さて、では感知に入ります。まずは中継用の小島ですね――――」
集中する為か、エルレシアは俯いて目を瞑り、僅かに背中を丸める。これが彼女にとって一番集中しやすい姿勢というわけなのだろう。数十秒ほどそうしてじっとしていたエルレシアだったが――、
「!」
突然、ぱっと顔を上げた。
「発見しましたわ! やはり予想通り中継用の小島にいました! 冴えていますわね、志希!」
「出来れば、当たっていて欲しくはなかったのですが」
小島の幽霊の件をまだ根に持っているらしい志希はそう言ったが、そうと分かった以上行かないという選択肢はない。
居場所は分かった。
海を見据えた良香は気合を入れて呟く。
「――変身!」
彼女の掛け声と同時に、四人の装束が見る間に変化していく。
煙が立ち上るように、氷が張るように、暗がりが広がるように、火が燃え広がるように。
元あった学生服は消え失せ、代わりのピースを当てはめるように彼女達の戦闘服が現れ出ていく。――――そして、それらの変化が終わった後には四人の魔法少女が四者四様の衣装を身に纏って港湾に佇んでいた。
左右を見てそれを認めた良香は、堂々と見栄を切ってこう言った。
まるで、漫画の中のヒーローみたいに。
「行くぞ皆、彩乃を助けに!」
*
ヒールの音が
もはや、戦闘は終結したと言っても過言ではなかった。
四〇人いた『本隊』の面々は既に二〇人にまで数を減らし、生き残りも最早人の形すら保てないほどにダメージを負っていた。
「……フム、七回か。毎回直撃の直前に全身を『泡立たせる』ことで断熱効果を狙ってくるとはな。正直侮っていたがなかなかどうして、君達もやるじゃないか」
辺りは完全な焼け野原と化していた。この島の本来の設備らしい通信基地周辺は、戦闘場所から距離があるということもあって無事だが――戦闘が行われていた小島の東側、半径五〇メートルに彼女と『本隊』以外の生命反応は一切存在していない。
彼女はそんな赤熱した大地の中心に、焼けながらにして佇んでいた。それが姿に反映されていないのは、焼かれながら高速で元の自分をロードしているからだろう。
『本隊』の面々も何度か地面を吸収して回復を試みたようだが、回復の前に地面の熱で体表組織が焼け死んでしまう為に能力を使えないでいた。
「どうやら、体表組織が焼けて変質するほどの温度の物体は取り込むことができないようだな。良いことを知った――尤も、あと一回で全滅だが」
そう呟き、彩乃は手の中にまた火球を作り出す。
『ぐゥ、が……ア…………』
――――――ヒトツニナレ。
その時…………唐突に、リーダー格の男
――――――ヒトツニナレ……『完全体』ニナレ……。
その声は、リーダー格の男
学院の一極体制による利権の歪みに対する義憤も。
――そんなのは全部後付けの理由だ。本当に最初は…………、
『我々、は、わ、たし……は…………一つ……に…………なり…………たかっ…………』
そして。
『OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOhhhh!!!!』
融合が、始まった。
残る二〇体の生命流転《アモルファス》が一気に雄叫びを上げたかと思うと、それらが一つに寄り集まり、さらに大きな一つの個体となって生まれ変わる。
「チィ……! 融合だと!? コイツら、そんなことをすれば元に戻れないと…………分かっていてもやるか。やれやれ、これだから野蛮人は嫌なんだ…………!」
彩乃は右腕を包み込む『煉獄』の炎を振るい、完全体となった生命流転《アモルファス》へと思い切り叩き付ける。
灼熱が辺りを包み込んだ、が――――。
幾度かのロードを経て彩乃が確認した生命流転《アモルファス》は、身体が少し削れているものの、しかしこれまでと違い大ダメージを負っている様子ではなかった。
(コイツ……明らかに熱への耐性が上がっている。融合することで含有する巫素《マナ》の総量が上昇したからアルターに対する防御力も上昇しているのか!? まるで私達が使うブーストみたいに……!)
もちろん、それだけではなく大質量ゆえに先程から『煉獄』対策に行っていた気泡による断熱作戦がさらに大規模になったというのもあるのだろう。どちらにせよ、切り札だった『煉獄』が決定打たり得なくなったのは彩乃にとっては厳しい状況だ。
(とはいえ、依然周囲は灼熱地獄で回復は封じている。このまま消耗戦に持ち込めば問題なく勝てるし、仮に何らかの事情で硬直状態に陥っても、時間がかかれば不審に思った本島から援軍が来るだろう……。……問題は、これ以上ヤツのスペックが上がったりしないかだ)
『ウグ…………Ohhh……Ahhh…………これ……は……凄い…………ぞォ……!』
その声は、リーダー格の男だった個体の声だ。どうやら『本隊』の面々の意識は統合されたが、それを統括しているのはリーダー格の男だった個体のようだ。
『クク…………これ……で…………形成…………逆転…………だな…………』
これで万策尽きた訳では、勿論ない――だが、一切の予断を許さない状況まで戦況が盛り返されたのは、紛れもない事実だった。
ここからどう戦闘の流れを作っていくか――彩乃がそう思考を巡らせたちょうどその時。
空から、一人の少女が降って来た。
少女は迷うことなく融合した生命流転《アモルファス》の頭上に舞い降り、そして――、
「ぶっ飛べ、オラァア!!!!」
その頂点に、強烈な拳を突き立てる。
直後。
強烈な風圧と共に、歪な人型を保っていた融合
灼熱の大地に押し付けられた融合
「…………良香!? 何故ここに!?」
「へっ、良いタイミングだったろ?」
その少女――良香を見た彩乃は、大きく目を見開く。勿論彩乃も良香が自分を捜して動く可能性は考えていた。だからこそ、彼女をこの場に連れて来ないように此処に繋がる最重要ポイントは遮断してきたはずだった。
他の秘密に勘付かれようと、そこさえ押さえていれば一番守り通したい秘密は守ることが出来る。これが彩乃の機密管理法だ。今回も、情報も持たなければ感知も使えない良香は学院関係者に直接尋ねるしか方法がないはずだったが――――、
「…………そうか。エルレシア嬢、君か」
「ご名答。流石にわたくし達が言うまでもありませんでしたわね」
「お嬢様だけでなく、我々もいますが」
彩乃が頭上を見上げると、そこには風のアルターで浮かぶ才加と、その両肩に座るエルレシアと志希の姿があった。
それを見て、彩乃は静かに嘆息する。
「…………どうやら……私はよほど頭に血が上っていたらしいな……。考えてみれば当然のことなのに、ここに考えが至らないとは……」
「わたくし達の友情を見くびっていたのではなくて?」
「………………まぁ、それもあるかな」
「素直に認めたことに免じて、それについては許して差し上げましょう」
悪戯っぽく言うエルレシアに、彩乃は肩を竦めるしかなかった。
「…………っつか、カッコつけてるとこ悪いんだけどこの体勢いつまで続けんの……? あたしいい加減肩痛いんだけど。さっきまで両手で良香のこと掴んでたし……」
「もう少しの辛抱です。我慢なさい」
「へぇへぇ、ウチの女王様は家来の扱いがひでえや……」
軽口を叩く才加をよそに、良香は叩き潰した生命流転《アモルファス》の上を駆けて彩乃のもとへとたどり着く。
もはや、
「…………私の姿を見ても驚かないということは、私の正体については既に勘付いているみたいだな」
「ああ……そうだよ。皆、お前のことを想って駆けつけてくれたんだ」
良香の言葉に、彩乃は思わず笑みをこぼした。
良香は勿論、騙していた三人についてもその時点で見捨てられても良いと思っていた彩乃だったが――これは言わない方が良いだろう。そんなことを言えば、四人に本気で怒られてしまうに違いない。
「有難いところだ。それにタイミングも良かった。だが――これ以上は良い。……これは私が済ませなくちゃいけない禊なんだ」
「…………何言ってんだよ?」
「コイツの、いやコイツらの目的は最初から私一人だった、ということだ。コイツらの目的の為には私のオリジンの能力が最適で、だから私を狙っていたんだ。銀行強盗の時も、…………君が巫術師に目覚めた時も」
「………………!!」
「分かるか、良香。……いや、…………」
彩乃はそう言って、自分と良香の周囲に炎のアルターを展開する。
おそらくは、防音。ただのそれだけで、平べったく地面に叩き潰されていた
だが、良香は肩の力を抜くことはできなかった。
目の前の女性の目を見て、気付いたのだ。彩乃を救う為には、
「……
彼女はそう言うと、視線を地面に落とす。
その強敵の名は、『自己嫌悪』。
「…………卑怯な言い方をしている自覚はある。君は優しいから、こういう言い方をすれば多分強くは出られないだろう。でも……、……すまない。本当に、申し訳ないことをした。……私の不注意のせいで、君の人生を永久に歪めてしまった。君にも、実験動物《モルモット》の恐怖に怯える未来を押し付けてしまった……」
彩乃は真面目腐った表情を浮かべて、ただそう言った。
瞬間、良香の脳裏にこれと同じ表情を浮かべた彩乃の姿がフラッシュバックした。彼女が浮かべるこの表情は――罪悪感に駆られている時の表情なのだ。
清良と相対した時、いつも彼女はこんな表情を浮かべていた。
当人たちがふざけ倒しているような状況でも、彩乃だけはどこか居心地が悪そうにしていた。
それは多分、清良が、あるいは清良が良香に向ける愛が、彩乃にとっては『良香を巫術師の道に引きずり込んだ』自分の罪を強く自覚させるからだろう。
(………………なんだ、それ)
良香は、心の中に怒りが湧き上がるのを感じた。だって、つまりそれは。
(
目の前で苦しんでいた友達を、みすみす苦しませ続けていたということだから。
「――――彩乃」
彩乃の肩を、良香は掴む。
多分、ただ彼女を許すだけでは彼女は救われない。
彼女は良香の心根を理解し、事情を説明して謝れば許されると知っていて、許されたがっているのに
なら、良香が言うべきことは。
「オレは、今の自分が不幸とは思ってねー」
彼女に対し許しを与えるという――副次的に『罪』の存在を認めてしまうことではなく。
「そりゃ、確かに女になっちまったのはびっくりしたけどさ。才加にエルレシアに志希に、――彩乃に、色んなヤツらと友達になれた。キツイことはいっぱいあるけど、それも含めてオレにとっちゃ財産なんだよ。……だから、そんな財産まで『間違ったことだった』なんて切り捨てないでくれ」
彼女の行いを、それによって生まれた『良い結果』を、しっかりと認めさせること。色々と問題が起きているのは否定できないし、良香が不利益を被っているのは紛れもない事実だ。だが、事実はそれだけではない。そのことを、彩乃に認めさせる。
「………………、」
「もし、それでもお前が自分のことを許せないってんならさ」
そして良香は、『男らしい』不敵な笑みを浮かべてこう付け加えた。
「俺が、お前のことを引っ張っていくよ」
何となく、良香は分かっていた。
思えば、そこに辿り着くだけのヒントは既に用意されていたのかもしれない。
彼女が青春時代から既に栄養食品を好んでいた理由。
普通の業界では無名な彩乃が研究者界隈で有名だった理由。
今
君に
つまり――――彼女自身も、今の良香と同じ、いや、今の良香よりよっぽど酷い人生を送っていたのだ。そして、彼女自身そんな自分の人生を『不幸せ』だと思っている。
もちろん彼女の人生にだって『良いこと』はあっただろう。救われたりもしただろう。だからこそ、彼女は前向きに生きていられる。
――でも、それはあくまで『不幸中の幸い』でしかないのだ。不幸なことの中でせめてもの救いがあったからといって、胸を張って『幸せな人生だ』なんて言えるものではない。
まして、『その経験』は他人に押し付けたくないものだった。だからこそ、同じ人生の焼き直しをさせかねない良香に対し罪悪感を抱いているのだ。
そこに、良香の赦しは――究極的には関係ない。良香が許しても、彩乃は自分で自分を責め続ける。彼女はそんな自縄自縛の『煉獄』に、自らを置いているのだ。
だから、
「とりあえずそんなことは忘れて、ふと振り返った時
良香は『自分を許せ』とは言わなかった。代わりに、彩乃が良香に
「…………きっと、アイツらも一緒だしさ」
彼女達を包む業火は、いつしか消えていた。
ぽつり、と彩乃の目元に雨粒が落ちる。頬を伝う滴が単なる雨粒なのか、別の何かなのか、良香には分からないが――――答えとしては、それで充分だった。
「秘密の内緒話は終わりまして?」
「ああ。すっかり待たせたな」
「話している最中に妖魔の完全消滅を確認しておきました。どうかご安心を」
「重い……何でもいいからさっさと終わらして……」
相変わらずな三人の台詞に、良香と彩乃は二人して顔を見合わせた。
「…………私が私の人生を認められるくらいに、『良いこと』を積み重ねて行けば良い、か」
そして、彩乃は空を仰いだ。業火は消え、ぽつりぽつりという雨が焦土と化した地上を少しずつ冷やしていく。殆ど焼け石に水といった様子だが――――でも、いずれはこの熱も冷えるのだろう。
「……私に、できるかね。もう少女って若さでもないが」
「一人で不安なら、俺が協力するよ。才加もエルレシアも志希だっている。……それに、時間もたっぷり三年間だぜ」
「………………そう、だな」
そうして、彩乃はふわりと笑う。
初めて見る、彩乃の優しい笑みだった。
――――そして、次の瞬間には真横に吹っ飛ばされた。
「…………は?」
目の前で彩乃が吹っ飛んで行ったのを間近に見た良香は、驚愕の余りその場から動けなかった。
いや、良香が驚愕したのは、突如彩乃が吹っ飛ばされたから――だけではない。
彩乃を吹っ飛ばした、その張本人。その容姿に驚愕したのだ。
――――そこには、もう一人の釧灘彩乃がいたのだから。
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6.もう一人の釧灘彩乃
「…………は?」
良香は思わず、素っ頓狂な声を上げていた。
確かに――――目の前にいるのは彩乃の姿を……
その表情は、彩乃の理知的なものとは違い、野性的な感情に彩られている。
それは、笑み。暴れ、そして壊すのが何より楽しいと言わんばかりの暴力的な喜悦に彩られた表情は、彩乃とは似ても似つかない。
さらに、その服装。
彼女の服装は彩乃の纏う黒いボディスーツではなかった。
ただ、最も決定的に違っていたのは、表情や服装ではなかった。
よく見るとそれは、彼女自身の身体と半ば同化しているようでもあった。
つまり――――、
「生命流転《アモルファス》が、彩乃の姿になった…………?」
形を整えるだけなら、原理的には可能だろう。生命流転《アモルファス》は不定形だし、原則的に好きな形になることができる。
だが、それならば色彩はなく透明になっていないとおかしい。にも拘らず、
(…………ひょっとして、
だとすれば、一応理屈としては説明できる。複数の妖魔遣いを統合した
だが、意図が分からない。なりすましによる騙し討ちにしても色が違いすぎるからひっかかる要因にはなりえないし、同情を誘うにしてもその程度で揺さぶられるほど甘い人間は此処にはいない。
では目立つ行動をすることで何らかの陽動を狙っているのか――? とその場の誰もが思った、ちょうどその時。
『…………あは』
妖魔に乗っ取られかけて理性を失った声でも、リーダー格の男だった個体の声でもない、完全に独立した、釧灘彩乃にどこか似ていて、しかし決定的に違う少女の声を。
『あはっ、あははははははっ! あぁー! やっと戻れたっ! 馬鹿だねぇわざわざわたしを元に戻してくれちゃってさぁ!』
少女は喜ぶように、楽しむように、嘲るように、蔑むように笑った。『まあわたしが
『しかも
彼女は天真爛漫そのものの笑みを浮かべながら、その整った顔に自らの指を突き入れる。
『でもどうやら、わたしの中にある「馬鹿どもの残留思念」には、まだ釧灘彩乃への執着心が残っているみたいなんだよねぇ…………』
そして、笑みで吊り上がった口角を引き裂いて、その笑みを凄絶なものへと変えていく。自ら破壊した部位が、半透明のどろどろとしたアメーバと化していく。
人間の姿をしているとはいえ、本質はアメーバなのだから変わったことをしているわけではない。そう分かっていても、人間の姿をした者の人間離れした笑みに、良香の心を戦慄が駆け巡る。
『――だから、ちょっとわたしのモノになってくれないかなぁ!?』
風を斬る音が鳴る。
ちょっと物を掴む程度の勢いで伸ばした彼女の腕が、猛烈な勢いで伸長した音だった。
吹っ飛ばされた彩乃のことを捕えるように、触れれば最後、引きずり込まれるしかない『動く底なし沼』が彩乃に迫る。
「…………チッ、色々と水を差してくれたな」
対して、彩乃は既にロードを終えていた。
軽やかな足音と共に跳躍した彩乃は、逃げ場のない空中に躍り出たなと嘲笑わんばかりに追撃してくる
それどころか、すれ違いざまに火のアルターすら叩き込む余裕があった。が――、
『ん~っ効かないなあ!』
全く無視して、生命流転《アモルファス》の腕はさらに彩乃を狙って突き進む。見てみると、生命流転《アモルファス》の腕の中には小さな気泡がびっしりと詰まっていた。体表面に泡を貼りつけていた『本隊』とは制御の精度が段違いだということだ。
「チッ、不定形というのは厄介だな!」
地上を、空中を、まるでバウンドでもしているかのように縦横無尽に駆け巡る彩乃だったが、それでも包囲網からは逃れられない。
徐々に、追い詰められていく。
「…………彩乃!」
見かねた良香が、
ドバァ! と、
『……! キミのことも知ってるよ!』
二人が合流しそうになったと見るや、
「…………おかしいな」
そんな様子を見て、彩乃は顎に手を当てながら呟く。
「
そこまで言った瞬間、ガボッ、と地面の一部が崩落する。
それで、彩乃は全てを悟った。
「…………そうか…………!! 地面を『掘って』いたのか…………!」
確かに、周囲の地面は灼熱で覆われていた。
…………『成れの果て』になっており、物質的な硬さを持たない
だが、今目の前にいる
あとは、地面を掘り進んで最後の火のアルターをやり過ごせば、死んだように見せかけて生存することはできる。
(…………しくじった……。最後に油断せず、『煉獄』で処理しておけば地面に隠れようと熱で殺せた…………いや、それではエルレシア達まで巻き込みかねない…………クソ、向こうの作戦勝ちか)
自らの失敗を悔いる彩乃だが、プロたる彼女は自分のミスを悔いることはあっても、そこでいつまでも拘泥することはない。
「ッ、おい彩乃、これっていったいどういうことだ!?
「おそらく、焼き尽くす直前に妖魔に人格を乗っ取られ、それによって取得した生身の肉体で地中に逃れていた。私が焼き尽くしたのはフェイクだ」
しかも、あたりのものを吸収しているから彩乃が『煉獄』で消耗させた分は全て回復されてしまったとみるべきだろう。総体積トラック二〇台分……今は圧縮されているのか人間くらいのサイズをしているが、ちょっとしたビルくらいの体積を誇る妖魔だ。
「ヤツの言動から察するに……妖魔本来の人格とはいえ、妖魔らしい『知性のない行動』は期待できなさそうだ。おそらく元となった『
「つまり、どういうことだよ?」
「史上初、『知恵ある妖魔』の誕生ということだ。連中はまさしく歴史に名を残したな…………『とんでもない化け物を生み出した人類の汚点』として、だが」
『どうでもいいよ。だってどのみち、「人類」なんて全部わたしが一つにしちゃうし、ねぇ!』
腕を伸ばして辺りの障害物を吸収していた生命流転《アモルファス》は、そう言って腕を伸ばす。良香が彩乃を抱えて伸ばされた腕を飛び退いて回避すると、その腕が勢いよく膨らみ、腕の先で無邪気な少女の身体が形成されていく。
「なんだあれ……!?」
「どうやら、自分の身体を自在に形成できるからああやって『移動』するのを覚えたのだろう。……ただでさえの超耐久に加えて、知性のある格闘か……。しかも良香以外は触れられたらその時点で即・詰みだ。おそらくはエルレシア嬢達もそれを察して降りてこないんだろうが……」
彩乃は軽く舌打ちし、
「マズイな…………早く片付けないと通信基地の方に被害が及ぶかもしれん」
「……? 通信基地? この小島にそんなのがあったのか? …………電気とかどうやって通ってるんだ?」
「さあな。地下に電線でも埋設してるんじゃないか? このあたりは海底も比較的浅いし、学院から海底を通しているんだろう」
彩乃は適当そうに言い、
「学生時代、昨日の良香達と全く同じことを考えて探検したことがあってな。先生――理事長にしこたま怒られたが、お蔭で幽霊は出ないと分かった」
なんて悪戯っぽく笑いつつ、続く生命流転《アモルファス》の攻撃を回避する。
と、突如前触れもなく何かが落ちる音が聞こえた。それは、生命流転《アモルファス》の足元に小さな氷の粒が転がる音だった。
そして――――生命流転《アモルファス》自身の足も凍りついている。
「確かにわたくしの技量を以てしても『アレ』を相手に接近戦を挑むのは少々分が悪い。ですが、だからといって何もできないわけではありませんでしてよ。――――とはいえ」
『…………なにこれ? もう、面倒臭いなぁ!』
鈍い音を立てて生命流転《アモルファス》の凍りついた足がアメーバ様の組織に包まれ、そして粉々に砕かれていく。一秒と経たずに生命流転《アモルファス》の足は元通りに戻った。
「…………やはり焼け石に水ですわね」
全く効いている様子のない生命流転《アモルファス》に、エルレシアは苦々しい表情で呟いた。確かに足は凍りついたが、人型の姿にビル一棟分の体積を『圧縮』している生命流転《アモルファス》はたとえ全身を凍りつかせようとしても後出しで組織を引き出してしまう。先にエルレシアが諸刃の剣に斬られて参ってしまうだろう。
「どうしたものかな。熱も駄目、冷気も駄目、おそらくは志希の切断も通用しないだろう。唯一効くのは強大な衝撃――剛腕無双《EXブースト》による体組織の飛散だが、それも接近戦の危険を伴う…………」
「――わたくしにまだ策がありますわ!」
手を出しあぐねていた良香と彩乃に、自信に満ち溢れた声が響く。それは、今しがた自分のオリジンが効かないと分かったエルレシアのものだった。
「…………正直なところ実用性に欠ける技なので封印しておりましたが、この局面では使えないこともないでしょう。……ただしこれを使えばわたくしはまず間違いなくスタミナが切れますが」
エルレシアはそう言って、良香に目線を向ける。
「…………これで仕留めきれなかったときは、良香さん、貴女に任せましたわよ」
「な、何を……」
「なあに。貴女なら心配は要りませんわ。何せ、貴女はたとえ仲間による助力があったとしても、わたくしを退けた唯一の人間なのですから」
*
良香にそう言い残して、エルレシアを乗せた才加は一気に上空まで飛びあがった。
「…………ああ、怖すぎる……。作戦聞いてやりますって言っておいてなんだけど怖すぎる……こんな高くまで来て、感電したらどうすんのよマジ…………」
「心配要りませんわ。それより、足場の安定をお願いしますわね」
そこそこ顔を青褪めさせている才加に言って、エルレシアは両手を天に掲げる。
右手から莫大な炎が、そして左手から膨大な水が解放され、それらは空中で混ざり合って極大の水蒸気と化す。
「……この天気。僥倖でしたが、真の強者とは偶然すらも利用する者のことを言うのですわ」
以前言っていたこととは全く逆の論理だったが、エルレシアは過去を振り返らない。
ただ今を、これから先を掴みとる為に、全力で戦う。
見ると、エルレシアの端正な顔は集中のあまり険しく歪んでおり、こめかみには血管が浮かび上がっている。火と水のアルターを高出力で放ち、しかもそれが減衰しないように巫素《マナ》を送り込み続けているのだ。それは想像を絶する集中力を必要とするだろう。
「生み出された大量の水蒸気は上空で冷やされ、既存の雲と合流し巨大な雨雲となる――」
「…………お嬢様、準備はできました」
「あたしも、いつでもすぐに逃げられるわよ」
「よろしい」
全長一〇メートルはあろうかという細長い土のアルターの『槍』を持った志希と逃げ腰全開の才加に、エルレシアは満足げに頷く。
エルレシアは運がいい。一人なら此処までの飛行も自分でやらなくてはいけなかったし、土の槍も自分で作らなくてはいけなかった。既存の雨雲を使うことでさらに余裕ができたし、何より『身を守る為の余裕』を作らなくてもよくなる。…………その分を、威力に回すことができた。
既に疲労困憊だが、それを推してエルレシアがやろうとしていたのは……、
「…………そして、巨大な雨雲に急速に冷気を浴びさせれば、内部の雨粒は氷となり、固体同士の接触によって大量の静電気が一気に発生。然る後――――」
エルレシアは獰猛な笑みを浮かべ、
「――――『雷雲』となるッ!!」
彼女達の周囲を黒い闇が取り囲んだ。志希の快刀乱麻《キルブラック》だ。
「……あれ? アルターの槍とか斬れちゃわない?」
「切断するものは自在に選択できるのでご安心を。電気だけを断つことも可能ですので。……というか、そうでないとサバイバル演習でも危なくて使えませんし」
「志希!! 投げなさい!!」
エルレシアの檄と同時に、志希は手に持ったアルターの槍を思い切り下に――正確には確認しておいた生命流転《アモルファス》の頭上に投げ落とす。
そして、エルレシアは天にその両手を翳したまま、
「お見せしましょう、これが
そして。
『神雷』が、地上に振り下ろされた。
*
上空から細長い土のアルターによる『槍』が落ちてきたと思ったら、一瞬の出来事だった。
まずあたりの景色全てが極大の雷光によって埋め尽くされ、その一瞬後に太鼓を叩いた音を数千倍まで増幅させたような爆音が響き渡る。
…………近くに彩乃がいたのは、幸いだっただろう。
彼女は空に『槍』が見えた時点で即座に自分達を土のアルターで囲んでいた。
そうしていなければ――――
『A…………GA………………』
今頃、目の前で消し炭になりかけている
感電させることによるダメージ。確かに、それならいくら気泡を混ぜ込んだとしても『感電』するのだから無意味だ。
巫素《マナ》の濃度が高まって強化されると言っても、それはあくまで多少の話である。全身くまなく、大量の電流を流されればいかに妖魔とはいえ一たまりもない。
確実に、仕留めた。
彩乃は味方ながら、エルレシアの発想力に感服していたが――――、
「彩乃、頼んだ!!」
良香は、電流が流れ終わるや否や彩乃の展開したアース用のドームを破壊し、一目散に駆けだしてしまう。
……………………あの一瞬を目撃したのは、良香だけだ。
槍が地面に突き刺さり、アース用のドームが視界を覆う、その一瞬前。
このまま行けば、逃げ切られる。そうすれば全ての消耗は回復されてしまう。それだけは、避けなくてはならない。
…………だが、良香が最大の力を発揮するには、誰かの力が必要だ。
もう
彩乃しか、頼れるのはいない。
説明している暇はない。そんなことをしているうちに、
ただ、それが果たして、彩乃に伝わるか。理詰めで考える『プロ』である彼女が、ド素人の良香の判断を…………信頼してくれるのか。
「――――任せろ、良香!!」
…………しかし、彩乃は何も聞かず、ただ腕に炎を灯した。
「火よ、この身を喰らい、思う存分――燃えろッ!!」
略式の、適当な詠唱ではあったが…………それでも、彩乃の腕に強烈な炎が宿る。そして、その炎は迷うことなく良香に浴びせられる。
直後。
ドッッッッ!!!!! と、周囲の雨粒の落下方向が一気に逆転した。
「…………やれやれ、一般人だったらこれだけで鼓膜が破れているところだったな」
巫術師である彩乃は、そんな
*
『ぐぅぅ~~、あぶな…………』
勢いよく上昇しながら、彩乃の姿をした無邪気な少女――――
エルレシアの『神雷』だ。
いかに巫術師とはいえ、天候すら味方につけるなど常軌を逸している。
雨、というロケーションも災いした。
視界が悪い上に、地面はびしょ濡れだ。あの状況で電撃攻撃など、回避できるはずもなかった。
だが、戦いのセンスではこちらが一枚上手だ。
一瞬前に『本体』を投擲することに成功したから、全滅はしていない。人間一人分くらいの体積しか残っていないが、それについてはいくらでも補填が利く。心配は要らない。
『まさか、ここまで追い詰められるとは…………』
唯一のプロである彩乃は
生徒であっても、プロの卵。彼女は、人間らしい知性で人間らしい感情を排して、素直に自分の非を認めていた。
だが、これで学んだ。
油断や慢心はない。次に釧灘彩乃を狙う時は、万全の準備を整えて挑める。
『フフ……待ってて、』
「いいや、待ちきれないな」
『!?』
………………だが、
地上から、超高速で肉薄した
『な…………まさか追撃!? いくら巫術師でも、この高さから自由落下して無事でいられるはずが…………!』
「心配要らねーよ、今頃友達思いのお節介焼きが口でぶつくさ言いながらもナイスキャッチの準備中だ」
狼狽する
『…………フ』
そんな良香に、
『でも、やっぱり甘いね! どうせわたしにトドメを刺そうって考えなんだろうけど……下手に殴ろうものなら、その時点で分離してわたしは自分を分ける! キミに決定打は――、』
「違うな」
しかし、良香はさらにその言葉を遮った。
それどころか、
体勢的には、彼女の上に覆いかぶさって、地上を見るような形だ。
「…………知っているか」
良香は、徐にそんなことを言い出す。
「この島には通信施設があって、その電力は学院島から供給されているんだと。まぁそんな事情があるから一般生徒は入れなくて、そのせいで幽霊の噂なんてのが出ているくらいなんだけど」
『何を…………、』
「じゃあ、
それは、会話と言うよりも、最後通告のようなものだった。策の開陳。トリックの種明かし。つまり――――終わった結果の報告。
『まさか……、』
「そうだよ、地中だ。もしかして気付かなかったか? お前、意外とギリギリの綱渡りをしていたんだぞ。お前が彩乃の炎から逃れた時に掘った穴、大分深かったからな」
そして、その穴は未だに残っている。
電力を供給する為のパイプラインが露出しかけている、穴が。
『まさか、そんな! やめろ! わたしにッ、そんなァァァああああああああッッ!!』
「もう、遅せーよ」
ガッ、と。良香は
『おおお、やめ、やめろおおおおおおォォォおおおおおおOOOOOOOOOOOHHHH!!!!!!』
「
最後に、良香はそう言って。
「それじゃ、全然タイプじゃねー」
直後。
信じられないほどの白光が、あたりに散った。
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7.実は私は、
「………………どっわァァァあああああああああああああああいッッ!?!?!?!?」
悲鳴なんだか雄叫びなんだか分からない絶叫と共に、良香の落下は止まった。
…………叫んでいたのは良香ではない。彼女を横抱きで受け止めた張本人…………才加だった。
「馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿あんた超馬鹿っっ!!!! なんでフライアウェイしてんのよあんた
「才加が受け止めてくれるって分かってたからだよ」
「~~~~~~~~~~~~ッ!!!! 馬鹿! 次やったら受け止めないかんね!!」
ツンデレのようなことを言いながら――この少女が言うとツンデレというよりオカンみたいだが――才加は良香の頭に拳骨を落とす。
ゴチン! と鈍い音がしたが、意外と
「…………この石頭ぁ……」
「怒って拳骨とか、センスが昭和だよなぁ…………」
良香がしみじみと他人事のように言っていると、風のアルターで飛行しながら、志希の肩を借りたエルレシアもやってきた。
「お疲れ様でした。貴女ならやってくれるだろうと思っていましたわ」
「……エルレシアはこの展開を予見してたのか?」
首を傾げると、エルレシアは首を横に振った。
「いえ。流石にそこまでは。…………まあ、万が一のときの保険ですわ。ああ言っておけば、良香さんなら警戒してくれると思って」
「お嬢様、仕留めきれなかったと知ったときはとても悔しそうにしておりましたものね」
「志希!」
ぼそりと付け加えられた志希の言葉に、エルレシアは顔を真っ赤にする。それが面白くて、良香は思わず苦笑してしまった。
そうこうしているうちに、四人は地上に降り立つ。
破壊され、高熱に蹂躙された地表からは未だに湯気が立ち上っているが……しかし、今は穏やかな雰囲気に包まれていた。
「お帰り。お疲れ様、良香」
「ただいま。助かったぜ、彩乃」
才加から降りた良香と彩乃は、そう言って拳を打ちつける。
「………………彩乃がそんなことするなんて、ちょっと意外かも」
「まぁ、私も色々とあってな」
その様子を見て驚く才加に、彩乃は笑いながら、少し照れくさそうにして、
「………………『感情豊かな私』は、意外と可愛かったしな」
「……は?」
「え?」
「…………」
「彩乃、それマジで言ってるのか……?」
…………その一言に、全員が凍りついた。
…………この女性は、つまり『無邪気だが野性的な狂気の笑みを浮かべて猛威を振るう少女』の姿を、『感情豊かだ』とだけ判断したのだというのか…………?
伏線は、確かにあった。
服屋にやってくるなり、場違いさに思考回路がショートを起こすような人間にまともなセンスが備わっているはずなんかなかった。
だが、これほどとは…………!!
「…………彩乃、頑張ろう」
「ん?」
「俺だけじゃない。才加も、エルレシアも、志希もいる。これから一緒に、頑張っていこう」
「お、おう…………どうした急に」
「食事に関してだけじゃなく、美的センスもアレだったのは予想外だったけど、みんなで頑張れば何とかなるから!!」
「え!? ちょっと待て、みんながドン引きしてたのってそれか!? もしかして私の感覚ってそんなにズレて……、」
慌てだす彩乃の次なる台詞は封殺して、良香達四人は勝手に互いの顔を見合わせて頷く。
おーい、おーい、お――――い、と呼ぶ彩乃の声をスルーして、悲しみを乗り越えた戦士達は悲壮感を背負いながら、学院へと帰還したのだった――――。
*
勿論、良香達は大目玉をくらった。
ただし、知恵ある妖魔の誕生を未然に防いだという功績、それから依頼の事実を知らなかったがゆえの善意といったことから、彼女達に与えられたペナルティは即日罰掃除だけで済んだ。
話が進むのも早かったので、ひょっとすると学院側はこの展開を予見していたのかもしれないな――と彩乃が呟いていた。
もしそうなら学院には予知能力のオリジンを持っている巫術師がいるんだろうなと良香は思う。ちっとも冗談になっていなくて笑えなかった。
「しっかし、まさか彩乃がプロの人間だったとはね~」
トイレの中から、才加の声が響いてくる。
即日罰掃除、その一……便所掃除中の才加だ。
便所掃除担当を割り振られた才加は案の定ギャーギャーと不平不満を漏らしていたが、根は真面目らしくしっかりちゃんと掃除をこなしていた。
「ですから、わたくしの言った通りだったでしょう。わたくしの観察眼ときたら我ながら何でもお見通しなのではと慄いてしまいますわ」
「まったくです、お嬢様」
「毎度のことだけどこの人の自己賛美は大体事実だからなあ…………」
ナルシストの気を見せるエルレシアだったが、実際のところ大体事実なので始末に負えない。その横で完全なるイエスマンに徹している志希は内心何を考えているのか分からないが、少なくとも良香としては認めざるを得なかった。
…………とまあそんな感じで、罰掃除をしながらだったが彼女達の関係は特に変わっていなかった。
「…………いや本当に、今回は迷惑をかけてすまなかったな」
モップで廊下を擦りながら、彩乃は頭を下げる。彼女も今は本来の大人の姿ではなく少女の姿に変わっており、学生服を身に纏い、しっかり罰掃除に精を出していた。
「まったくですわ」
エルレシアは呆れたように言い、
「貴女が変に意地を張らずわたくしに助けを求めていればもっとスマートに終わりましたのに」
溜息を吐くが、決してそれは彼女の言う『迷惑を掛けられたこと』に対するものではなかった。そもそも彼女達は、一連の事件を迷惑とは思っていない。そしてそれは、この場にいる全員が同じ気持ちだ。
「そういう訳で――順序が逆になってしまったが、君達に私の秘密を話そうと思う」
彩乃は掃除の手を一旦止め、全員にそう言った。トイレ掃除で離脱していた才加が顔を出すと、彩乃は話を続ける。
既にみんなが知っていることだったが、これを彼女の口から直接言うのはある種の礼儀のようなものだった。
「そこの良香は知っているが――私の身分は正確にはこの学院の生徒……ではない」
自らの身を案じて、危険を顧みずやって来てくれた少女達に対する、最低限の礼儀。
「私の正式な身分は、支巫術師《アテンダント》。より正確には巫術学院付属巫術研究所の第三主任だ。発生した巫石《クリスタル》を回収する為に反応があった場所へ向かったところで妖魔の襲撃に遭い――そして、偶然そこに居合わせた良香が巫術の才能に目覚めた。だから、彼女を導く為に唯一面識のある私が付き添い役となった」
それから、無言でいる全員を一人一人見つめるようにして、
「…………それが、『私』という人間の正体だ」
「出会って一週間も経っていない友人に『秘密』を教えるのは『不用心』なのではなくて?」
「だが、命を懸けて力になってくれた友人に何も教えないのは『不義理』だろう?」
「………………違いありませんわね」
そう言って、二人は互いに笑い合う。そこに隔意など、どこにもなかった。
「……エルレシアはともかく、才加とかは『大人が混じるとかズルい~』とか言いそうなモンだと思ってたんだけどな」
そんな二人を横目に、良香は何やら上機嫌そうな才加にそんなことを言った。対する才加は全く以て上機嫌そうに言い返す。
「そんな訳ないじゃない!」
口調こそ心外です、という感じだったが、表情が完璧に笑顔なので逆に不気味である。理由が分からない良香に代わって、流石メイドを目指す者という感じで自分の持ち場を鮮やかに掃除してきた志希が答える。
「磯湖様は将来のコネクションのことを考えていらっしゃるのでしょう」
情も何もない最悪の回答だったが。
「先ほど釧灘様は巫術学院付属巫術研究所の第三主任と仰っていました。なかなかのポストです。磯湖様は討巫術師《ミストレス》志望ですが、引退後のことも考えてそちらへの渡りもつけておきたいのでしょう」
「…………才加…………見直してたのに……」
「なっ、何よ悪い!? 今のご時世、討巫術師《ミストレス》 だっていつまで続けられるか分からないんだし再就職先の幅を広げておくのは当然のことでしょ!? あたしは何も間違ってないわ! それに、別にそれだけで彩乃のこと受け入れたって訳じゃないんだし…………上機嫌な理由はアレだけど…………」
「…………分かってるよ」
一応、自分の浅ましさは理解しているらしく段々と尻すぼみになっていく才加に、良香は笑いながら頷いた。
最初から、分かっていたのは分かっていたのだ。この学院に彩乃が場数を踏んだ大人だからといって排斥するような生徒がいるはずないということくらい。たとえ彼女達にとって不条理な異物だとしても、その不条理を受け入れ、逆に利用し自分を高みに持って行く人材の集団が、この学院の生徒なのだから。
良香も、分かってはいたのだ。
これは、彼女の踏ん切りの問題。
でも、もう良いんじゃないかと思う。彩乃すらも受け入れてみせた彼女達になら、それこそ万象受け入れる――ことだってできるのではないか。
「――――あのさ」
意を決して、良香は皆に呼びかけた。
四人の少女たちはみな一様にきょとんとして、声をかけた良香の方を見る。そんな彼女達の顔を見据えて、良香はゆっくりと口を――――、
きーんこーんかーんこーん、と。
開きかけたタイミングで、昼のチャイムが鳴る。学院の中なので、休日であっても時刻を伝える役目としてチャイムが鳴るのであった。
そして、昼のチャイムが鳴ったということは即ち罰掃除の終焉、そして昼食の時間である。
「………………」
「何よ? 良香」
「…………いや、皆にありがとうって言いたくて……」
絶好のタイミングで、タイミングを崩された。まあ一応これも本心ではあるのだが、本当に言いたかったことは言い出すことも出来ず。
『そんなこと気にすんじゃないわよ馬鹿!』とか『存分に感謝しなさい、良香さん』とか『お気になさらず』とか口々に笑いながら声をかける友人とか、何も言わずヘタレた事実をただニヤニヤ笑いながら察したルームメイトとかに引っ張られながら食堂へと向かっていく。
(…………まあ、これはまた今度で良いかな……)
……と。これって『男らしく』ないななんて自己ツッコミは封じて、良香は思うのだった。
彼女(あるいは彼)のそこそこ幸せな女子校生活は、まだまだ続く。
完
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