【完結】桜な日々 (冬月之雪猫)
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第零話「プロローグ」

 人生とはろくでも無い事の繰り返しだ。私がその事に気付いたのは中学生の時。

 最初の不幸は父が交通事故に巻き込まれた事。パパが死んでしまったから悲しい、などと感傷に浸る間も無く、収入が途絶えたという事実が私達の生活を歪めた。

 両親は共に天涯孤独という身の上で他に頼れる人も居なかった。私と妹はまだ義務教育すら終えていない状態。母は生活費や私達の学費を稼ぐために風俗で働き始めた。そして、二つ目の不幸が襲い掛かって来た。

 母が失踪したのだ。最初は事件にでも巻き込まれたのかと思って心配したけど、実は新しい男が出来て、私と妹を捨てたというだけの事だった。

 取り残された私はまだ小学生の妹と共に途方に暮れた。選択肢は無く、私達は施設に送られた。幸いというべきか、役所の人が親切だったおかげで妹と離される事も無く、キチンとした施設に入所する事が出来た。

 とは言え、私達の生活は一変してしまった。どこから漏れたのかは分からないけど、母が風俗で働いた挙句、男と逃げた。その事実が私と妹を虐めの標的にした。何度か危ない目にもあい、妹はすっかり不貞腐れてしまった。髪の毛を金髪に染め上げ、悪い方へ転がっていった。

 中学を卒業し、私は施設を出た。高校に通わせてもらう事も出来たけど、学校や施設での虐めや妹の変わり様に耐え切れなくなったのだ。安アパートを借り、日雇いのバイトをしながら惨めに歳を取った。時々、施設に残していった妹が気になり、はした金を手に施設に顔を出すが、妹はお金を受け取るだけで口をきいてくれない。

 いつしか風俗で働ける歳になり、自然とその道に沈み込んでいった。最初は真っ当な風俗で働いていた。お金もそこそこ稼げて、妹にもたくさんお金をあげられるようになった。でも、その頃になると妹は私に対してゴミを見るような目を向けるようになった。母と同じ道を辿っている私を彼女は責めた。それでも、お金を受け取ってくれただけマシだった。

 普通の風俗で働くには厳しい年齢となり、非合法風俗で働くようになると、妹は私に縁を切りたいと申し出てきた。妹は立派になっていた。高校に通い、大学に通い、人並みの生活を送れるようになっていた。友達もたくさん出来て、私は彼女にとっての唯一の汚点になっていたのだ。

 お金を送る相手も居なくなり、私は抜け殻のように時を過ごした。何度も流産し、子供を作れない体になっても、延々と男と肌を重ね合い、受け取って貰えないと知りながらお金を妹の通帳に振り込み続けた。減らない残高を見ながら泣きそうになるのを堪えて家に帰る毎日。

 昔はそれなりに愛嬌があった筈の顔も年月と共に劣化し、今や化け物のような醜悪さ。生きているのか死んでいるのかすら分からない。

 

「寂しいな……」

 

 妹の写真を見つめながら楽しかった頃を思い出す。それだけが唯一の癒やしの時間。

 恋人も無く、家族との繋がりも絶え、仕事を貰えなくなり、病気になった。稼ぎは全て妹の通帳に振り込んでいるから病院に行くお金も無い。

 刻一刻と死に向かっている。苦しくて、辛くて、寂しくて、悲しくて、布団の中で悶え苦しむ。早く連れて行ってくれと死神に乞う。

 そして……、

 

「……お姉ちゃん?」

 

 霞む意識の中、なんだかとても懐かしい声が聞こえた。

 今わの際に人は過去の記憶を追想すると聞く。まさか、本当だとは思っていなかった。お伽話だと思っていた。

 

「……なっちゃん」

 

 最後の最後に妹の声が聞こえた。それがこれ以上無く嬉しかった。

 たとえ、これが単なる私の妄想の産物だろうと構わない。可愛くて、愛おしくて……、置き捨ててしまった妹の声を再び聞けた。それだけで幸せだ。

 

「……ごめんね、なっちゃん」

「待ってよ……。なんで、こんな……」

 

 どうしたんだろう。折角なんだからなっちゃんの楽しそうな笑い声でも聞かせてくれればいいのに、私の妄想は私の希望を叶えてくれない。

 

「待ってよ、お姉ちゃん」

 

 笑い声が聞きたいのに、泣き声が聞こえる。嫌だ。最後くらい、なっちゃんの幸せそうな笑い声が聞きたい。

 

「……幸せになって、なっちゃん。いつも笑顔でいて……」

 

 絶縁を言い渡された時、なっちゃんには恋人が居た。優しくて、将来有望な青年だと聞いた。なっちゃん自身も早々に就職先を決めていて……。

 もう、幸せになれている筈だ。私のはした金も彼女の幸せの一端を担えている事を願いたい。

 

「……止めてよ」

「なっちゃん……?」

「わ、わたし……、謝ろうと思って来たのに……」

「なんで……?」

 

 わけがわからない。なっちゃんが謝る事なんて、何一つ無い筈だ。

 

「だって、私はお姉ちゃんのおかげで高校や大学に通えたのに……。なのに……、わたし……」

「それはなっちゃんが頑張ったから……」

「お姉ちゃんがお金を出してくれなきゃ、無理だったよ。奨学金を貰える程、頭良くなかったし……」

「でも……」

「お姉ちゃん……」

 

 困った妄想だ。どうやら、私はなっちゃんに感謝されたかったらしい。謝ってもらいたかったらしい。こんな醜悪な心の内を知りたくなんてなかった。

 顔も醜い。心も醜い。まったくもって、最低だ。

 

「一緒に暮らそう」

 

 ああ、本当に醜い。未だに諦めきれていなかったらしい。なっちゃんと一緒に暮らしたい。自分から逃げ出した癖にまだそんな自分勝手な願いを抱いているとは……。

 

「大丈夫だよ。庄吾さんも良いって言ってくれてるの。むしろ、そうするべきだって」

「庄吾……さん?」

「覚えてない?」

「……覚えてる。なっちゃんの……」

「そうよ。私は庄吾さんと結婚したの」

「結婚……。なっちゃんが……」

 

 ああ、どこまでも度し難い。なっちゃんが幸福になっている事を妄想し、頬を緩ませる。まったくもって、馬鹿みたいだ。だけど……、

 

「おめでとう、なっちゃん。ああ、これで……もう……おも……すこ……い」

「お、お姉ちゃん!?」

 

 全身を温かい幸福感が包み込んだ。ゆったりと暗闇に落ちていく。なっちゃんが幸せになった。私の人生の目的は達成された。嬉しくて仕方が無い。全て、私の妄想かもしれない。このぬくもりも偽物かもしれない。だけど、今だけは……。

 

第零話「プロローグ」

 

 最初に思った事は"やった! 青春を取り戻せる!”だった。正直言って、そんな自分にガッカリだ。

 こんな事が起こるとは驚きだが、私は死後、新たに生を得た。しかも、裕福な家庭の次女だ。新しい母と父は美男美女で、父は厳格なれど、母からは溢れんばかりの愛情を注がれている。

 明確に前世の記憶を取り戻したのはつい最近の事だけど、私の心を占めているのは歓喜だ。

 未だ、男を知らぬ無垢な体。無限に未来が広がっている五歳という年齢。美男美女な両親から受け継いだ端正な顔立ち。何不自由なく暮らして行けそうな私財の数々。

 

「……なっちゃん」

 

 なっちゃんは幸せになった。なら、私は罪を濯げたという事だ。なっちゃんを一人、施設に残して逃げ出した罪を私は濯げたのだ。だから、今度は自分の幸せを手にする為に生きようと思う。

 好きな物を食べて、好きな物を飲んで、好きな服を着て、好きな人と恋をして、素敵な人生を歩む。この環境ならそれが可能な筈だ。人間の人生なんて、生まれた瞬間からほぼ決っている。私の二度目の人生は勝ち組ルートだ。

 

「よーし、今日も遊びに行くよ!」

 

 嬉しい事はもう一つ。なんと、今の私には妹ではなく、姉がいる。愛らしくて、優しいお姉ちゃん。母に甘え、姉に甘える。こんな人生を送れるなんて、死んだ甲斐があったというものだ。

 理不尽な暴力を振るわれない毎日。性病に怯える必要の無い毎日。妹に謝る毎日。母を恨む毎日。全てが過去になった。

 お姉ちゃんの手を引っ張って、私は太陽の下を駆け回る。はしゃぎ回る。ブランコに乗り、シーソーに乗り、砂場で城を作り、泥まみれになってママに叱られ、お姉ちゃんに庇われ、パパに呆れられる。

 幸せだ。間違いなく断言出来る。だから、油断した。

 人生とはろくでも無い事の繰り返しだ。知っていた筈なのに、忘れた振りをしていた。前の人生でも子供の頃は幸せだった。だけど、不幸になった。今が幸せでも未来まで幸せとは限らない。

 数年後、私は養子に出された。その時になって、漸く自分の立場を理解した。

 昔、客の一人がアニメやゲームについてやたらと熱心に語ってくれたおかげで理解出来た。

 アニメや漫画にもなってる人気のゲームソフトに『私』は登場している。魔術とか、吸血鬼とかが登場する所謂伝奇ノベルというもので、深く読み込むと結構面白い。私はそのゲームのヒロインの一人であり、一番難儀な人生を送っている子だ。

 私にそのゲームを紹介してくれた彼は実に奇妙な人物だった。何度か自宅のアパートに呼ばれ、セックスもせずに延々とアニメ鑑賞するだけの奇妙な時間を過ごした。お金もキチンと支払ってくれたし、世間一般からの評価は芳しくない彼だったが私にとっては上客だった。何気に彼から教えられたオタク関連の知識が仕事上でも色々と役に立った。

 正直、彼との時間は結構楽しかった。私を楽しませようと必死に頑張っている姿が愛おしくさえ映った。とは言え、所詮は客と娼婦。いつの頃からか彼が私を指名する事も無くなった。

 何はともあれ、彼から教わった知識は生まれ変わった今になっても役に立っている。

 

「……まあ、逃げられなかったわけだけど」

 

 溜息が出た。現状をほぼ正確に把握する事が出来、私は全力で逃げ出した。そして、捕まった。私の新しい父はなんと魔術師なのだ。私がどう足掻いても父に屋敷へ連れ戻され、最終的に養子に出されてしまった。そして、新しい家に着くなり、その家の秘密の地下室に連れて行かれ、ペニスの形をした無数の蟲に集られ、二度目の処女を失った。しかも、前と後ろ両方を同時にだ。

 さすがに痛くて、初日はそれなりに泣き叫んだりもした。折角生まれ変わったのに、またこういう人生を送るのかと悲観もした。けど、一夜明けると冷静になれた。なにせ、前の人生でも中学で既に処女を捨てて、お金のために色々やってたから、今更初心を気取るつもりもない。

 蟲も最初はゾッとしたけど、あまりにもペニスにそっくり過ぎて、逆に平気だった。問題なのは蟲よりそれを操ってる方。彼らも父と同じく魔術師なのだけど、中々に気性が荒い。鍛錬と主張しながら激しいSMプレイを強要してくる。

 

「……はぁ」

 

 でも、生前も似たような――蟲は居なかったけど――生活を送っていた時期があったし、少なくとも食事はちゃんとした物が貰えた。ベッドもふかふか――ちょっとパリパリしてる所もあるけど――で快適だし、欲しい物があると言えば、大抵揃えて貰えた。

 体を売って、欲しい物を手に入れる。生前と全く同じライフスタイルだ。まあ、体はまだ小学生の身なのだけど……。

 

「お姉ちゃんは元気かな」

 

 新しく出来た姉。こう言うと果てしなく矛盾を感じるけど、とにかく彼女は可愛い。昔のなっちゃんを思い出す。まあ、なっちゃんはずっと可愛かったけど……。

 彼女を思うと溜息が出る。今度こそ、嫌われずに仲の良い姉妹として共に大人になりたかったのに、また大事な姉妹を置いて出て行き、娼婦みたいな事をしている。まあ、今回は私の意思と関係なく強制だったけど、やっぱり溜息が出る。

 

「……桜よ。時間だ」

 

 新しく出来たお爺ちゃんが呼びに来た。

 

「はいはーい! 今行きまーす!」

 

 とりあえず、今は大人しくしていよう。どっちにしても、今の私に出来る事なんて何も無い。

 でも、幸せになりたい気持ちは失ってない。計画は練ってある。彼から教えてもらった知識を総動員して、この生前と同じ道を突き進んでいる現状を打破する方法を考えている。

 とりあえず、令呪とやらが浮かぶよう、毎日必死にお祈りしておこう。望む者の下に令呪は現れるらしいから、願ってればきっと貰える筈だ。貰えなかったら……、十年後に出会う予定の正義の味方な男の子に期待するとしよう。

 

――――聖杯さん、聖杯さん、私に令呪を下さいな。




弟子零号の聖杯戦争の合間にちょこちょこ更新していきます。


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第一話「おじさん登場!」

 古昔より伝わる物には古人の思想や歴史が紛れている。公園で遊んでいる幼い子供達が嬉々として興じている遊びの中にも古人の陰が見え隠れしている。

 はないちもんめ。この七文字の言葉は子供達……、特に幼い少女達が好む遊びの名だ。この七文字を漢字に直すと『花一匁』となる。

 遊び方は至ってシンプル。子供達は二組に別れ、互いにメンバーの取り合いを行う。

 

『か~ってうれしいはないちもんめ』

『まけ~てくやしいはないちもんめ』

 

 交互に歌を歌い、ジャンケンを行い、勝った方が負けた方からメンバーを貰う。一聞するとジャンケンに勝って嬉しい、負けて悔しいと歌っているように聞こえるが、実は違う。実際にこの歌を歌っている多くの子供達はこの歌に篭められた真の意味を知らない。

 花とは子供や女。一匁とは値段。『かってうれしい』は『買って嬉しい』。『まけてくやしい』は『値切られて悔しい』。この歌は遥か昔から売春や人身売買が行われていた事を示しているのだ。

 こうした知識を得たのが幾つの時だったか、明確には覚えていない。中学を卒業した直後から風俗店で働き、日銭を稼ぐ中で客から教えられたムダ知識の一つだ。

 何が言いたいかと言うと、女の体は立派な商売道具であり、売春は立派なビジネスだと言う事。私達は日々懸命に働いていた。確かに、人から後ろ指を指される事がしょっちゅうだし、妹からも縁を切られた。客も事が終わると汚物を見るような視線を向けてくる。ついさっきまで不特定多数の男の陰茎が出入りしていた所に自分のものを挿れていた癖に笑ってしまう。

 それでも私達はキチンと努力をしている。サラリーマンが出世する為に勉強をするように、職人が技術を向上させる為に修練を積むように、娼婦は自分を磨き上げる。

 女の値段は日々刻々と変化する。まるで株価のように目まぐるしく。単純に技術があればいいとか、顔が良ければいいとか、そんな風に単純には出来ていない。もちろん、どちらも最低条件ではあるけど、それ以外にも武器が必要。

 一番オーソドックスなところだと、特殊プレイを許容し、自分に付加価値を付けたりする。例えば私の知り合いだと背の低さや顔立ちの幼さを活かしてロリータ系で売るとか、壮絶な痛みや穢れを許容してSM系で売るとかだ。他にもいろいろあるけど、客足が減り始めた女はそうした付加価値を身に着け、更に深みへと沈んでいく。運が良ければ引き上げてくれる色男に出会う事もあるけど、私の周りでそうした幸運に恵まれた女は居なかった。もちろん、私も同様。

 施設に置き去りにしてしまった妹に対する罪悪感から、私はなりふり構わずお金を集め、彼女に送り続けた。その為にあらゆる事に手を出した。最初はロリコン相手に体を売り、下着を売り、毛や唾液まで売った。時々、体より高く髪の毛一本が売れた事もあるから不思議な世界だ。

 それでも彼女が高校に行き、ちょっとの贅沢をしたら直ぐに消し飛んでしまう額しか稼げず、どんどん深みに沈んでいった。

 ロリータ系で売れなくなると、髪も目も日常では人目に晒さない部分に至るまで、私の全身は男を誘惑する為だけに鍛え上げられていた。絶頂期と言える程、引っ切り無しにお客が私を指名し、湯水の如く諭吉を落としていく日々。丁度、妹が大学に上がり、前以上にお金が必要になったから好都合だった。彼女がサークルに入った事をサークル費やユニフォーム代などの請求で知り、有頂天になった。彼女の青春は私が支えている。そう思うと、幸せですらあった。

 きっと、許してもらえると思った。これだけ奉仕すれば、きっと昔みたいに私に笑い掛けてくれると思い、口もお尻も酷使し続けた。そう、今みたいに……。

 

 第一話「おじさん登場!」

 

 私が間桐家に連れて来られてから早一年が過ぎた頃、この家に新たな住人が現れた。彼の名前は間桐雁夜。間桐の魔術を受け継ぐ運命に背を向け、海外でルポライターをしていた彼が帰って来たのだ。

 

「やっほー! 久しぶりー!」

 

 実の所、彼とは既に知り合いだった。彼は私の新しい母に熱を上げていて、時折、ふらりと現れては母との談笑を楽しんでいた。彼はいつも私と姉に玩具やアクセサリーをプレゼントしてくれたものだ。

 蟲に全身を這い回られながら、元気一杯な挨拶をする私に彼は愕然とした表情を浮かべ、膝を屈した。やっぱり、知り合いの女の子が蟲に犯されている光景は精神に来るものらしい。

 

「おじさん、大丈夫?」

 

 お尻や膣から陰茎を模した蟲をぶら下げて歩み寄る私におじさんは悲鳴を上げる。その様がちょっとおかしくて、ついつい悪戯心が湧いた。

 

「見て見て、私にもぞうさんが生えちゃった!」

 

 我ながらとんでもない下ネタを吐き出したものだ。おじさんもギョッとした表情を浮かべて凍り付いている。見ると、彼の横に立っていたおじいちゃんまで愕然とした表情を浮かべている。ちょっと、恥ずかしくなって来た。

 

「う、うん。今のは無かった事にしよう。ぞうさんは無かったよね、ぞうさんは……」

「さ、さくらちゃん……?」

「なーにー?」

 

 よっ、と掛け声を上げて段差の上に上がり、おじさんの所に行く。

 

「君は……」

 

 彼は怖々と私の肩に触れ、今にも泣きそうな表情を浮かべた。彼の今後の事を考えると、あまり悲壮感を出さずに海外にある拠点にバックホームして貰うべきかと思ったのだけど、失敗だったみたいだ。

 

「えっと……、おじさん――――」

「ごめん……」

 

 食い縛るように彼は謝罪の言葉を吐き出し、頭を地面に擦り付けた。

 

「……いやいや、おじさんが謝る必要無いですよ? ほら、私はこの通り元気いっぱいだし!」

「……桜ちゃん」

 

 不味い事になった。顔を上げたおじさんの顔には決意のようなものが浮かんでいる。これは非常に不味い。このままだと、おじさんが死んじゃう。正直、知り合いな上に下心はあれど非常に優しくしてくれたおじさんが死ぬのはちょっと嫌だ。

 

「俺は君を助ける為に戻って来たんだ」

「あの……、私は元気一杯だから、別に助けなくても……」

「無理しなくていい。少し時間は掛るけど、俺が絶対に君をここから連れ出す」

 

 どう言えばいいんだろう。正直言って、私はここの生活にあんまり拒否感が無い。生前とやってる事が殆ど変わり無いからだ。刻印虫が陰茎とそっくりなのが良かった。芋虫みたいな形だったら無理だった。むしろ、しっかり気持ち良いし、変に演技で嬌声を上げなくていいからちょっとだけ楽しんでいたりもした。感じてる振りって、結構面倒なんだよね。

 

「私の事は大丈夫だから、おじさんはルポライターの仕事頑張ってよ。嫌だよ? 私を助けるんだって張り切って、仕事失ったりしたら」

「……それこそ問題無い」

 

 おじさんはきっぱりと言い切った。

 

「俺の方は何にも心配要らないよ」

 

 結局、私はおじさんを説得出来なかった。おじさんの中では私はすっかり悲劇のヒロインになっていて、私の言葉は罠に掛った雛鳥の健気な囀りにしかなっていなかった。

 だから、私は方針を変えて、おじいちゃんを説得しに掛った。

 

「来年の聖杯戦争は私が戦います。なので、おじさんを屋敷から抓み出して下さい」

 

 色々と敏感な場所を蟲に弄られてるせいでキリッとした表情を維持出来ないのが悔しい。この子達、百戦錬磨を謳っていた自称・元AV男優より上手い。

 

「……それは無理というものだ」

「どうしてですか? 私、おじいちゃんに逆らったりしませんよ? しっかり、敵を皆殺しにして、おじいちゃんに聖杯をプレゼントしますから!」

 

 私が捲くし立てるように言うと、おじいちゃんはカカと嗤った。

 

「実の父親を殺せると?」

「殺して見せましょう。あんな髭面、一発ノックアウトですよ!」

 

 嘘だけどね。とりあえず、サーヴァントさえ居れば、逃亡も可能な筈。心臓に刻印虫が居るらしいけど、きっと何とかなるよ。確か、原作の主人公も心臓を壊されてから復活したらしいしね。

 

「元々、此度の聖杯戦争は静観するつもりであった。儂に彼奴を引き止めるつもりは無い。出て行きたければ好きにしろと伝えておけ。後は彼奴次第よ」

「……つまり、説得は私がやれと?」

 

 おじいちゃんは答えてくれなかった。仕方なく、私は何とかおじさんを説得しようと行動に出た。

 

「おじさん! くさい、きたない、気持ち悪い! 一緒に暮らしたくないから、出て行け!」

 

 昔取った客の男が娘に言われて傷ついた言葉ベスト3だ。効果は抜群……かと思ったけど、「すまない」と謝られて終わった。頑固な奴だ。次の手を考えよう。

 

「おじさん! 出て行ったら、ママのおっぱいのサイズを教えてあげる!」

「知ってるから別に……、あ、いや、今のは違っ――――」

 

 ジーザス。なんで知ってるんだよ、このストーカー。今度は直球勝負だ。

 

「おっさん! 出てけ!」

「……いや、この前のは違うんだよ。本当に違うんだ……。たまたまなんだよ……」

 

 肩を狭めて謝る哀愁漂う中年男に言葉を失った。この時既に二ヶ月。おじさんの肌は真っ青になっていた。髪の色素も抜け落ちている。

 もう、手遅れかもしれない。けど、諦めるわけにはいかない。

 

「おじさん! お願いだから出て行ってよ! 大丈夫だよ! 女なんて星の数程居るから! ママが世界一なわけじゃないから!」

「葵さんは世界一だよ」

 

 キリッとした表情で言われた。一途な男め、面倒臭いな。

 

「ママのどこに惚れたの?」

「優しいところかな……。昔――――」

 

 半年が経過すると、私はおじさんを追い出す事を諦めていた。だって、もう手遅れだから……。おじさんはどうして生きているのか不思議な状態だった。

 この頃はおじさんと何気ない会話をする毎日だ。最初に色々と情け容赦無い言葉を浴びせかけたせいか、かなり砕けた関係になっている。

 おじさんはママへの愛をせっせとママの娘である私に語った。

 

「でも、パパに取られちゃったんだね!」

 

 ケラケラ笑って言う私に泣きそうになるおじさん。ダメな男に嵌る女の気持ちが分かりかけてしまった。

 

「時臣の奴は桜ちゃんをこんな場所に――――」

「いやいや、パパにも色々考えがあるんだって――――」

 

 とりあえず、前情報で知っていたパパの思いを教えた。ヘタすると私がホルマリン漬けになったり解剖されたりするからなのだよ。

 

「でも、こんな所で蟲共に集られるなんて……」

「モノは考えようだよ、おじさん。ホルマリン漬けより蟲とズッコンバッコンする方がマシだと考えるんだ」

「……いや、もっと別の選択肢もあった筈だ」

 

 聖杯戦争まで残り数ヶ月。おじさんは悶々と悩む日々を送っている。体の至る所が死に、ゾンビ状態になりながら、色々と考えているみたい。

 

「おじさん」

「なんだい?」

「きっと、死んじゃうよ?」

「そうかもね……」

「怖くないの?」

「怖いよ」

「どうして、逃げなかったの? パパの考えとか、ママの気持ちとか、ちゃんと教えてあげたよ? おじさんが頑張っても、ママは絶対に振り向かないよ?」

「嫌というほど分かったよ」

「なら、どうして逃げなかったの?」

「なんでだろうね」

「なんで?」

「桜ちゃんを助けたいからかな」

「ママの娘だからでしょ? でも、ママは――――」

「いや……、桜ちゃんを助けたいからだよ」

 

 おじさんに令呪が宿った夜、私達はそんな事を語り合った。おじさんは地下に潜っていく。サーヴァントを召喚する為だ。

 結局、私は令呪を得られなかった。毎日お祈りしていたのに、聖杯は私を選ばなかった。

 

「……おじさん、死んじゃうのかな」

 

 原作通りに進んだら……、彼は死ぬ。いや、違う道を歩んだとしても彼は生きられない。敵が強すぎるし、おじさん自身が弱すぎる。それに時間も足りない。おじさんの命は保って一週間か二週間が限度。来月にはおじさんは――――、

 

「嫌だな……」

 

 この部屋でいっぱいおじさんと語り合った。肌を重ねる事もせず、こんな風にたくさん言葉を交わした相手は居なかった。いや、肌を重ねた相手ともこんなに多くを語り合ったりはしなかった。

 不意に涙が溢れた。おじさんと会えなくなるのが悲しい。あんなストーカー思考のゾンビに恋心なんて抱いてないけど、私はおじさんが大好きになっていた。もっと、一緒にお喋りしたい。もっと、一緒に居たい。

 

「おじさん……」

 

 涙が手の甲に落ちた。瞬間、鋭い痛みが走った。

 

「……うっそ」

 

 吃驚して目が飛び出しそうになった。同時に廊下に飛び出し、いつもの階段を降りておじさんが召喚を行う部屋に向かう。サーヴァントの召喚は魔力が最も充実する時間に行う筈だから、後もう少し猶予がある筈だ。

 

「どいてどいて!」

 

 刻印虫の群れを尻目に走り続ける。呪文はおじさんが暗唱するのを聞いていたから覚えてる。

 召喚の間に飛び込むと、おじさんが目を丸くした。

 

「おじさん! 私も戦うよ!」

「ま、待て、桜!」

 

 おじいちゃんが静止の声を上げる。直後、全身に痛みが走る。刻印虫が体内で暴れているのだ。だけど、舐めないで欲しい。こちとら、SMプレイで全身に蝋燭垂らされたり、鞭で打たれたり、エアガンで撃たれたりが日常茶飯事だったのだ。とんでもなく痛いけど、我慢出来ないくらい痛いけど、ちょっとだけなら耐えられる。

 

「満たせ満たせ満たせ満たせ満たせ!」

 

 まだ、詠唱に入ってもいない。そもそも、こうして魔術を行使するのは初めての事。だけど、感じる。魔力の烈風。

 

「繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する!」

「馬鹿者! 今直ぐに召喚を止めるのだ、桜!」

「告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ!」

 

 おじいちゃんの言葉をガン無視するのは初めてだ。全身が痛い。体内で火薬が連続して爆発しているような感覚。吐き気と目眩で立っていられなくなる。

 けど、首を締められたり、殴られたりしながらも演技で矯正を上げる私を甘く見ないで欲しい。

 

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者!」

「桜ちゃん!!」

 

 おじさんの悲鳴染みた叫び声が聞こえる。おじいちゃんの怒りの声が聞こえる。私の狂ったような笑い声が他人事のように聞こえる。

 

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」

 

 烈風が勢いを増した。この部屋は局地的な嵐に見舞われた。呼吸すらままならない。

 全身に針が突き刺さる。けど、それ以上の痛みが体内から湧き出てくる。炎に焼かれ、凍らされ、砕かれ、千切られ、振り回され、気がついた時には目の前に一人の女が居た。闇の中で尚輝いて見える美しさ。女である私から見ても惚れ惚れする。

 

「――――サーヴァント、キャスター。召喚に応じ、ここに参上した。お前が妾を召喚せし、マスターか?」



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第二話「英霊召喚」

「――――サーヴァント、キャスター。召喚に応じ、ここに参上した。お前が妾を召喚せし、マスターか?」

 

 現れたサーヴァントを前に私は歓喜に打ち震えた。何度も大きく頷く。

 

「うん! 私が貴女のマスターだよ!」

 

 令呪を見せびらかすように掲げる。キャスターは大海を思わせる澄んだ紺碧の瞳で私を見つめる。まるで私の全てを見透かしているかのような眼差し。

 しばらくして、彼女は腰まで届く長い金髪を指で弄りながら、口を開いた。

 

「名は?」

「間桐桜!」

 

 私の名前を口の中で反芻しながら、彼女は周囲に視線を滑らせる。途端、不機嫌そうな表情を浮かべた。

 

「汚い」

 

 キャスターは私をさっと抱き上げると歩き出した。

 

「こんな汚い所には居たくない。行くぞ、桜」

 

 出口に向かって歩き出す彼女に私は慌てた。

 

「待って、キャスター! おじさんの召喚がまだ終わってないよ!」

「おじさん?」

「うん! あそこのゾンビっぽい人!」

 

 私が指差した先を見て、キャスターは露骨に嫌そうな顔をした。おじさんはキャスターに対して警戒心を抱きながら、同時に私を心配している。風俗で働いていると常に相手の関心を自分に向けさせなければならないから、人間の心の機微に敏感になるのだ。一年間、誰よりも身近に居た彼の心など手に取るように分かる。

 

「気色悪い」

 

 キャスターは半死人状態のおじさんを見て一言そう言った。色素が完全に抜け落ち、真っ白になった髪。死んだ魚のような片目。蝋人形のように青褪めた肌。一秒後に心臓が停止してもおかしくない状態。親しい間柄である私から見ても気味が悪い。キャスターの感想は至極当然のものだ。私は同意の意を篭めて頷きながら言った。

 

「気色悪くてもおじさんの召喚が終わるのを待たなきゃダメだよ! 聖杯をゲットして、おじさんの体を元に戻さないといけないんだから!」

「さ、桜ちゃん……?」

 

 私に喜色悪いと断じられ、若干煤けた表情を浮かべていたおじさんが最後の一言に目を丸くした。

 

「あの男の体を癒やす為に聖杯を使う気か?」

 

 キャスターも驚いている。私は親指をグッと上げた。

 

「イエス! おじさんとはもっと一緒に居たいからね。聖杯は万能なんでしょ? だったら、おじさんの体を元に戻してもらう」

「……勿体無い。望めばどんな願いでも叶える万能の願望器だぞ? 他に無いのか?」

 

 そう言われても浮かんで来ない。私の望みは強いて言うなら青春を取り戻す事。その為に間桐から逃げ出し、魔術の世界から距離を置きたいと思ってる。その為にサーヴァントが必要だった。逃げ出す為にはそれなりの力が必要だったからだ。だから、キャスターを召喚出来た時点で望みが叶ってしまっている。

 まあ、間桐から逃げ出した後の事を考え、ある程度お金もあった方がいいかもしれないけど、いざとなったら生前みたいに売春すれば問題無い。私の膣や尻の穴は刻印中によってすっかり拡張されているし、テクニックにも自信がある上、この見た目。ロリコン相手にガッポリ稼ぐ自信がある。

 美味しい物をいっぱい食べたいし、高校や大学にも通ってみたい。その為の勉強もしたい。その為に必要なものはお金だけで、それを稼ぐ手段もあるとなれば、正直、願望器に願う事など無い。

 

「無いね! 強いて言うなら、おじさんと一緒に世界を渡り歩いてみたいかな」

 

 ワンランク上の人生設計。いろんな国を旅して、様々な経験をする。普通の子供が経験出来ないデラックスな青春を手に入れる。折角手にした二度目の人生なんだし、とびっきりのスパイスを効かせるのも悪く無い。後は風の吹くまま気の向くまま。

 その為にはやっぱりおじさんを助ける必要がある。

 

「うん。私の願いはおじさんを助ける事だけだよ」

「……嘘は無いようだな。だが、やはり勿体無いと思うぞ」

「しつこいなー。おじさんは確かにストーカーだし、ゾンビだけど、私は大好きなんだよ!」

「さ、桜ちゃん……」

 

 おじさんがちょっと感動している。やばい、反応が素直過ぎてグッと来る。可愛いなー、もう!

 

「いや、それは見ていてわかるが、あの程度なら妾がどうにか出来るぞ?」

「……え?」

 

 彼女はかなりハイエンドな魔術師らしい。なんと、ゾンビ状態のおじさんを元に戻す事も出来るとの事。ついでとばかりに私の胸を軽く突く。それだけで体内に感じていた異物感が掻き消えてしまった。何をしたのかと問うと、体内の蟲の支配権を今のでおじいちゃんから奪い取ったとの事。

 おじいちゃんは憤慨したけど、キャスターが軽く脅すと黙った。争いは同じレベルの者同士の間でしか発生しないと言う。まさにその通り。キャスターとおじいちゃんでは魔術師としての力量に天地程の差が開いているらしい。

 

「凄い……」

 

 稚拙と思いながらもそんな感想しか出て来なかった。とにかく、今の短いやり取りの間に私の最大の懸念材料が消滅してしまった。いつおじいちゃんがキレて私の心臓を蟲に食べさせるか分からず、それなりに不安もあったのだ。

 

「あ、ありがとう」

「別に気にする必要は無い。あのような汚物にマスターの命運を握られている状態は妾にとっても厄介だからな。それに、お前は妾に願いを叶える機会を与えてくれた。その時点で代価は受け取っておる」

 

 この人、見た目は絶世の美女だけど、中身は実に男らしい。不覚にも禁断の扉を開いてしまいそうになる。ソッチの趣味を持つ女の子とも何度か性交渉を行った事があるけど、別に両刀なわけじゃない。なのに、思わずグラついてしまった。

 よろめきながら瞼を閉じると奇妙な映像が映った。キャスターの姿があり、文章が彼女を中心に飛び交っている。その内の一節が光輝き、私に文章の意味を理解させた。

 

「カリスマ……?」

「ああ、それは妾の保有スキルだな」

 

 なるほど、これが彼女のステータスというわけだ。他にも色々とスキルがあるみたい。策謀、異界常識(偽)、高速神言(偽)、陣地作成、道具作成。(偽)って付いているのが多い気がする。真名は空欄だ。

 

「キャスターの名前は?」

「すまんが教えられん。真名を敵に知られると厄介だからな」

「別に教えたりしないってば」

 

 私の言葉にキャスターはフーっと溜息を零し、首を横に振る。

 

「お前に教える気が無くとも、魔術師には知る術が色々とある」

 

 なるほど、魔術の専門家がそう言うならそうなんだろう。詳しくは分からないけど、とりあえず頷く。

 

「とにかく、これから時間はたっぷりある。今は無くとも、聖杯を得るまでの間に何か願いを考えておけ」

「う、うん」

 

 頷く私を抱っこしたまま、キャスターはおじさんに向かって言った。

 

「それで、お前は桜の何だ? 何を願い、聖杯戦争に参加する気だ?」

 

 その言葉には敵意が篭っていた。当然だ。彼女はサーヴァント。願いがあるからここに居る。そんな彼女にとって、自分以外のサーヴァントは須らく敵なのだ。敵を召喚しようとしているおじさんに対して、キャスターが警戒心を抱くのは当たり前。

 おじさんも彼女の敵意の意味を理解したのだろう。ゴクリと唾を飲み込みながら、ゆっくりと自分の目的を語り始めた。私を救う為に聖杯戦争に参加しようとしていた事を……。

「なるほど……、つまり、妾と敵対するつもりは無いという事だな?」

「当然だ。君が桜ちゃんの味方である限り、俺も君の味方だ」

「妾が桜を裏切れば、その限りでは無いと……」

「ああ、それも当然だ。その時はお前を殺す。なんだ? いずれ、裏切る腹積もりだったのか?」

 

 敵意の篭った眼差しを向けるおじさんにキャスターは嗤った。

 

「裏切る理由が無い。小賢しい事を考える輩であれば傀儡として捨て駒にする事も厭わぬが、桜は実に素直な娘だ。安心しろ。私は桜を裏切らない」

「……いいさ。いざとなったら、俺が桜ちゃんを守るだけだ」

 

 キャスターの言葉を全く信用していないらしい。自身を睨み付けるおじさんに対して、キャスターは微笑む。

 

「ああ、それでいい。それがいい。見た目は最悪だが、中身は悪くない。私もお前が桜を裏切らぬ限り、味方で居てやろう」

 

 剣呑とした雰囲気を漂わせながら、二人は笑い合う。意外と相性が良さそう。

 

「お前の体は後で治療してやる。召喚するならさっさとしろ。手駒が増えるなら大歓迎だ」

「……ああ」

 

 戸惑いながら、陣の前に立つ。

 

「……よし!」

 

 気を取り直し、おじさんが深く息を吸う。その時になって漸く、私はおじいちゃんの姿が見えなくなっている事に気付いた。

 私の視線の意味に気付いたらしく、キャスターが囁いた。

 

「逃げたようだ。まあ、目の前であんな会話を聞かされたら、当然と言える」

 

 そう言えば、裏切る気満々の会話をおじいちゃんの目の前で繰り広げていたのだった。しかも、裏切る為の戦力が既に整っている。逃げるのも当たり前だ。

 まあ、おじいちゃんの事だから、これで終わりって事は無いだろう。

 

「まあ、仕掛けて来たら返り討ちにするだけだ」

 

 クスリと微笑むキャスター。実に頼りになる。思わず惚れそうだ。

 兎にも角にも、今はおじさんの召喚を見守ろう。私達が見守る中、おじさんはゆっくりと詠唱を開始した。

 

 第二話「英霊召喚」

 

 間桐雁夜がサーヴァントを召喚しようと詠唱を開始した頃、時を同じくして、三人の魔術師が偶然にも召喚を行おうとしていた。

 既にキャスターとアサシン、そして、ランサーの枠が埋まり、残るはセイバー、アーチャー、ライダー、バーサーカーの四枠。

 聖杯戦争の主催者の一角である遠坂家の屋敷の地下では弟子と盟友に見守られながら当主たる男が魔術回路を励起させている。

 

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。祖には我が大師シュバインオーグ。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

 深山町の端にある雑木林の奥深くでは一人の少年が鶏の生き血を使って描いた魔法陣を前に呪文を唱えている。

 

「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 

 日本を遠く離れた地では礼拝堂の床に描いた魔法陣を前に一人の男が妻を背に詠唱している。

 

「――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

 四者の祝詞が陣を通して聖杯へ導かれ、英霊の座へと送られていく。

 

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 

 それぞれが胸に秘めた野望の成就の為、渾身の魔力を練り上げ、陣へと注いでいく。

 立っている事さえ難しいほどの烈風に耐え、死に行く肉体に渇を入れ、最後の一説を唱え切る。

 

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――――!」

 

 光が工房を、雑木林を、礼拝堂を、地下室を照らす。

 

 四つの陣の内、最初に人影が現れたのは雑木林の陣だった。その場所で召喚を行った少年は目の前の存在に圧倒され、小便を漏らした。無理も無い事だ。彼が呼び出したのは英霊と呼ばれる存在。人の身でありながら、人の域を超えた者達。歴史にその名を刻む伝説の英雄達なのだ。

 

「問おう。汝が余を招きしマスターか?」

 

 燃えるような赤髪の大男が召喚者である少年の胴回り程もある筋骨隆々な腕を彼に差し伸ばす。少年は慌ててその手を取りながら自らの名を名乗る。

 

「そ、そう! ぼ、ぼぼ、僕が……じゃない、私がお前のマスターで、名前はウェイバーだ! ウェイバー・ベルベット!」

 

 緊張と恐怖によって少年は呂律が回っていなかった。けれど、精一杯の虚勢を張り、目の前の大男にマスターとしての威厳を見せつけようと無駄な努力をしている。

 そんな彼の思いを余所にライダーとして召喚されたサーヴァントは意気揚々と歩き出した。慌てて追いかけるウェイバーにライダーは問う。

 

「書庫はどこだ? 案内せい!」

「しょ、書庫?」

「契約は成った! ならば、次は戦の準備だ!」

 

 前途多難なスタートを切ったウェイバーに遅れる事数刻、地下室の陣から一人の青年が躍り出た。凡庸な顔立ちの青年だが、その腰には身の丈に合わぬ剣を携えている。

 

「サーヴァント・セイバー、召喚に応じ参上した。問おう。貴殿が私のマスターか」

 

 雁夜はゴクリと唾を飲み込みながら、現れた青年に向って頷く。

 

「そうだ。俺は間桐雁夜。お前のマスターだ」

 

 セイバーは雁夜の顔を見た途端、ギクリとした表情を浮かべた。

 

「ああ、この顔の事は気にするな。治して貰えるらしいからな」

 

 セイバーの浮かべた表情の意味を察して、雁夜は振り向きながら言う。すると、彼は僅かに瞠目した。

 セイバーは不思議そうに彼の視線を追った。すると、そこには仮面を被り、外套を纏ったサーヴァントが立っていた。咄嗟にマスターたる半死人の前に飛び出し、腰に提げた聖剣を抜き放つ。

 

「待った! そいつは敵じゃない!」

 

 今にも襲い掛かりそうなセイバーに雁夜は慌てた様子で静止の声を上げる。

 

「し、しかし――――」

「とにかく、ちょっと待ってくれ! 桜ちゃん、これは一体……」

 

 雁夜が話し掛けたのはまだ年端も行かぬ少女だった。桜と呼ばれた少女は怪訝そうな眼差しを仮面のサーヴァントに向けている。

 

「ど、どうしたの、キャスター?」

「どうしたもこうしたも無い。いずれ、残り二組となれば雌雄を決する相手だ。わざわざ正体を教えてやる事もあるまい」

「……だってさ、おじさん」

「そ、そっか……」

 

 苦笑いを浮かべ合う二人。セイバーはマスターである雁夜から彼女とキャスターについて簡単に説明を受けた。キャスターの正体については二人共知らないらしく、凄い魔術師らしいという簡素な説明だった。

 状況を把握出来たところでセイバーは居住まいを正した。

 

「私の名はアコロン。円卓の騎士が一人です」

 

 ライダーとセイバーの召喚により、残る枠は二つとなった。そして、礼拝堂の陣からは真紅の衣を纏った英霊が召喚者たる男の前に姿を現していた。

 

「サーヴァント・アーチャー。召喚に応じ、参上した」

 

 そして、最後に残った陣からも――――、

 

「馬鹿な……」

 

 召喚者、遠坂時臣は陣から現れたサーヴァントを一目見て悟った。失敗したのだ。

 現れたのは絶大な存在感を放つ最強の英霊では無く、素朴とさえ感じる一人の女だった。時代遅れな衣服を身に纏う田舎娘。それが彼女に対して時臣が抱いた第一印象だった。

「お前が……私のサーヴァントか?」

 

 目的の英霊を呼び出せなかった事に落胆しながら、時臣は問う。すると、彼女は小さく頷いた。

 

「ええ、私が貴方のサーヴァントよ。クラスはファニーヴァンプ。よろしくね、坊や」



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第三話「正義の味方」

「サーヴァント・アーチャー。召喚に応じ、参上した」

 

 召喚陣から姿を表した男に衛宮切嗣は戸惑いを覚えた。彼が召喚の際に使用した聖遺物は彼の後援者であるアインツベルンがイギリスで発掘した"とある騎士の剣の鞘”だった。当然、現れるのはその鞘の持ち主だと信じて疑わなかった。

 目の前の男は自身をアーチャーと名乗った。もし、彼が切嗣の狙い通りの英霊であったなら、そのクラスで召喚される事はあり得ない。それに、目の前の男からは血生臭さこそ感じるものの、王の威光とやらが全く感じられない。

 何より、肌色や瞳色、髪色から誤認しそうになるが、その顔立ちは東洋人のもの。

 

「……お前の名はアーサーで間違いないか?」

 

 一応、確認の為に問い掛ける。すると、アーチャーはクスリと笑った。

 

「かの騎士王と間違われるとは、実に光栄だな。だが、残念ながら私はアーサーじゃない」

 

 予想通りの返答。切嗣は召喚陣の傍らに置かれている祭壇の上に寝かせている聖遺物に視線を向ける。それは嘗て、ブリテンの地を治めた伝説の騎士王、アーサー・ペンドラゴンが保有していた聖剣の鞘だ。

 この鞘で召喚される可能性が最も高いのは当然、持ち主であったアーサーだ。次点でアーサーに鞘を与えた魔術師・マーリンやアーサーから鞘を奪い取った妖姫・モルガン、そして一時的に担い手となった騎士・アコロンなどが該当する。だが、アーチャーのクラスに割り当てられる者は居ない。

 そもそも、アーサー王の伝説に東洋人など登場しない。

 

「なら、お前は何者だ?」

「……さて、どう答えようかな」

 

 面白がっているような口振り。アーチャーは視線を滑らせ、切嗣の背後で成り行きを見守っている銀髪の女性を見た。すると、一瞬だけ笑顔が崩れた。怪訝な表情を浮かべる切嗣にアーチャーは咳払いをしながら言った。

 

「敢えて名乗るなら、正義の味方と言ったところかな」

「……正義の味方だと?」

 

 呆気に取られる切嗣を尻目にアーチャーは辺りを見回している。

 

「しかし、面白いな。こういう事もあるのか……」

「何の話だ……?」

 

 突然、訳の分からない事を口走り始めたアーチャーに切嗣は眉を顰める。

 

「気にするな。運命というものの皮肉さについて考えていただけだ」

 

 要領を得ないアーチャーの言葉に切嗣は苛立ちを覚え、眉間に皺を寄せた。

 

「……お前の真名を教えろ」

「教えただろう?」

「戯言に付き合う気は無い」

 

 声を荒らげる切嗣に対し、アーチャーは実に楽しそうな笑みを浮かべる。

 

「戯言では無いさ。私はそういう存在なんだ。大衆が望む"正義の味方”という概念がヒトの形を得た存在、と言えば分かり易いかな」

「まさか……、そんな……」

 

 切嗣は無意識の内に後退った。目の前の男の言葉が真実だとすれば、それ即ち、目の前の男こそが己の理想の体現者という事になる。

 

 第三話「正義の味方」

 

 幼い頃からの夢。切嗣は常々、正義の味方になりたいと願っていた。まだ、南海の孤島にある小さな村に住んでいた頃は理想を信じる事が出来た。全ての人を幸福に導く救済者に、飢餓も闘争も無い世界を作り上げる革命家に成れると本気で信じていた。

 けれど、いつまでも無垢な子供のままではいられない。

 村で一つの事件が起きた。原因を作ったのは切嗣の父親で、引き金を引いたのは幼馴染の少女だった。村は阿鼻叫喚の惨劇を繰り広げ、事態の鎮圧と切嗣の父の捕縛の為にやって来た者達によって焼き尽くされた。切嗣はその時何も出来なかった。

 その後、事件を通じて知り合ったフリーランスの魔術師、ナタリア・カミンスキーと行動を共にする中で切嗣は人殺しの技術を身に付けた。"正義の味方”として、人を殺す為の技術を磨く、その矛盾に本人も気付いていたし、彼に技術を与えたナタリアも幾度と無く忠告した。

 少年の心はその時既に完成されてしまっていたのだ。幼馴染の少女を救えなかったあの日、実の父親を射殺したあの日、既に少年の心は冷え固まってしまっていたのだ。

 終には自らを育ててくれたナタリアを航空機ごと爆破し、殺害した。多数の人間を救う為に少数を殺す。それが正義なのだと自らに言い聞かせながら、機械のように人を殺し続けた。

 気づけば、幼い頃に憧れていた正義の味方とはかけ離れた存在に成り果てていた。正義の味方どころか、他者からは邪悪の化身と恐れられる始末。心が摩耗し、膝を屈しそうになっていた彼を拾い上げたのがアインツベルンだった。アインツベルンは彼に希望を与えた。聖杯と呼ばれる万能機。それを使えば、今度こそ理想を実現出来ると思った。

 聖杯を使い、この世から争いを無くす。飢餓や貧困で困る事の無い、誰もが幸福な世界を作る。それこそ、切嗣が最後に手にした希望だった。

 

「正義の味方……だと?」

 

 なのに、これは何の皮肉だろう。今になって、本物の正義の味方が姿を現すなんて……。

 

「嘘だ……」

 

 信じられない。そんなものは存在しないのだ。だから、聖杯に縋ったのだ。

 人の手で人類を救済する事は出来ない。正義の味方なんて、存在しないのだ。

 

「そう言われても、事実だ」

「なら、今直ぐに人類を救済してみせろ!」

 

 声を荒げる切嗣にアーチャーは哀れみの眼差しを向ける。

 

「お前が正義の味方だと言うなら、出来る筈だろ! この世から全ての争いを無くせ! 今直ぐに!」

 

 まるで、癇癪を起こした子供だった。彼の背後では彼の妻、アイリスフィールが悲しそうに顔を伏せている。あまりにも痛々しい夫の姿に見ていられなくなったのだ。

 彼がどれほどの思いで聖杯戦争への参加を決意したのかを誰よりも知るが故に……。

 

「飢餓を無くせ! 今直ぐに! 貧困を無くせ! 今直ぐに! 正義の味方なら、今直ぐ、誰もが幸福に生きられる世界を作ってみせろ! 今直ぐに!」

 

 肩で息をしながら切嗣はアーチャーを睨みつける。アーチャーは言った。

 

「それは無理だ」

「……ッハ! やはり、嘘だったか……。戯言ばかり弄して――――」

「俺は正義の味方だ。だが、英雄じゃない」

 

 その一言に切嗣は言葉を失った。聞きたくなかった言葉だった。

 

「お前の言う、人を救うという行為は英雄の領分だ。私はあくまで、"正義の味方”という理想に執着し、"より多くの人々を救う"という、偏った正義を体現し続けた……、言ってみれば、"正義の味方”という独善を執行し続けるだけの機械だ」

 

 やめろ……。

 切嗣は耳を塞ぎたかった。彼が語っているのは切嗣の在り方そのものだった。

 

「私みたいな者が代表者に選ばれるくらいだからな。案外、正義の味方というのは元々、こういう性質のものなのかもしれないな」

「……やめろ」

「お前なら分かっている筈だ。なあ、切嗣。正義の味方を志し、こんな所まで来てしまったお前なら、正義の味方が行き着く先がどんなものか――――」

「やめろと言っている!」

 

 足元がグラつく。今まで、コツコツと築いてきたものが一変に崩れ去ったかのような錯覚を覚える。

 

「戯言ばかり……、ウンザリだ! さっさと、貴様の正体を言え! これ以上、無駄口を叩くようなら令呪を使う!」

 

 それは信じていたものに裏切られた子供の顔だった。今にも泣きそうなのに、必死に涙を堪えている。そんな彼を気遣ったのか、アイリスフィールは彼の隣に寄り添った。

 

「ねえ、アーチャー」

「なんだね?」

 

 アイリスフィールは真っ直ぐにアーチャーの瞳を見据えて問う。

 

「どうして、貴方はそんなに切嗣の事に詳しいの?」

 

 切嗣はハッとした表情を浮かべる。確かに妙な話だ。召喚したばかりで、まだ名乗ってすらいなかった筈だ。なのに、目の前の男は切嗣の名を呼び、まるで彼の事をよく知るかのように語った。

 

「お前は一体……」

 

 探るような視線を送る切嗣にアーチャーは微笑んだ。

 嫌な予感がした。とても、嫌な予感だ。何か、とんでもない事を言い出す。そんな気がした。

 

「そうだな……。英霊となった時点で私の存在は人々の記憶や歴史から抹消されている。故に、"無銘”と名乗るのが正しいのだろうが、ここは敢えて、生前の名を名乗るとしよう」

 

 アーチャーは言った。

 

「私の名は衛宮士郎。君の息子だよ、衛宮切嗣」

 

 切嗣は肩に置かれていた妻の手に力が篭もるのを感じた。

 

「……アーチャー。戯言はもう――――」

「ちなみに、私には姉が居る。名前は――――」

 

 額から冷たい汗が流れた。

 

「イリヤスフィールと言うんだ」

「……どういう事かしら?」

 

 顔を引き攣らせながら、アイリスフィールがアーチャーに……、ではなく、切嗣に問う。

 

「いや、僕は知らないぞ。……というか、真に受けないでくれ、こんな男の戯言を――――」

「戯言ではなく、真実だ。俺は確かにお前の息子だ。そして、イリヤの弟だ。ただ、母は……」

 

 そこでアイリスフィールを見て黙るアーチャー。アイリスフィールは頬を膨らませて切嗣を睨んでいる。

 

「どういう事なの!? ま、まさか、貴方……」

「待て! 違うぞ! 僕は浮気なんかしてない!」

「じゃあ、これはどういう事なのよ!?」

 

 切嗣は今直ぐ撤回するようアーチャーに告げる為に彼を見た。すると、アーチャーは実に楽しそうに微笑んでいた。軽く拳を握りしめている。ガッツポーズのつもりだろうか……。

 

「き、切嗣にも色々と事情があるのは分かるわ……。でも、隠すのだけは止めて! お願いよ……」

 

 徐々に瞳が潤んできている。切嗣は困り果てていた。そんな風に言われても、本当に見に覚えが無い。だが、今はどんな否定の言葉も意味を為さないだろう。まったく、厄介な事をしてくれた。切嗣は忌々しげにアーチャーを睨んだ。

 すると、アーチャーがおもむろに口を開いた。

 

「まあ、養子だったのだがね」

「……へ?」

 

 アイリスフィールがキョトンとした表情を浮かべる。同時に切嗣は顔を引き攣らせた。当のアーチャーはと言うと、悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべている。

 

「私は第四次聖杯戦争後に切嗣に拾われた養子なんだ」

「……僕が拾った?」

 

 怒りを抑えこみ、気になった事を尋ねた。すると、アーチャーは何気ない口調で言った。

 

「証拠を出せというなら、その聖遺物で召喚された事自体が証拠だ」

 

 アーチャーは祭壇の鞘を見ながら言った。

 

「お前が私に埋め込んだんだ。今も私の中には彼女……、アーサー王の鞘が眠っている。返しそびれてしまったのでね……」

「……馬鹿な。何故、僕が見ず知らずの子供に聖剣の鞘を埋め込み、養子になど――――」

「第四次聖杯戦争は君が勝者となった。だが、肝心の聖杯が暴走し、私が住んでいた街を火の海にしたんだ。その時、お前は必死に生存者を探し求めていて、私を発見し、養子にしたんだよ」

「……待て」

 

 聞き捨てならない内容だった。

 

「聖杯が暴走だと?」

「ああ、暴走した。元々、冬木の聖杯は第三次聖杯戦争の折にアインツベルンが犯した反則行為によって汚染されてしまっているから、どうあっても暴走は避けられなかったのさ。だから、君の罪じゃない。むしろ、聖杯を破壊し、被害を最小限に留めた君の功績は正に正義の味方に相応しいものだった」

 

 その内容は要するに、聖杯を暴走させたのは切嗣で、その聖杯を……、己の最も大切な者を破壊したのも切嗣だと言う事。

 

「う、嘘を吐くな! さっきから、お前の目的は何なんだ!? 何故、そんな――――」

「嘘じゃない。何なら、君達の後援者に前回の聖杯戦争で何を召喚したのか聞いてみるといい。それか、ラインを通じて私の記憶を見るといいだろう。可能なのだろう? それで信じてもらえる筈だ。私の言葉が本当なのだと」

 

 出鱈目だ。そうに決っている。だが、彼の言葉が真実だとすれば、切嗣の事を知っていた事にも辻褄が合う。

 切嗣の瞳に恐怖の感情が浮かんだ。最後の希望と思って縋り付いた聖杯が使い物にならない可能性を考え、絶望しそうになる。その寸前、傍らに寄り添うアイリスフィールの体温を感じ、踏みとどまった。

 

「……念の為、アハト翁には後で確認を取る」

「ああ、そうしろ。きっと、答えてくれる筈だ。アンリ・マユと呼ばれるゾロアスター教の邪神を呼び出そうとして失敗し、そうあれと望まれた一人の少年を召喚してしまったのだと答えてくれる筈だ」

「……アンリ・マユだと?」

「ああ、本物では無かったが、聖杯は彼の願いを叶え、彼を本物にしてしまった。今も彼は災厄の邪神として聖杯の本体の内部に留まっている。今の聖杯に願うという事はアンリ・マユに願うという事だ。その結果がどうなるか、言わなくても分かるだろ?」

 

 二人が唖然とした表情を浮かべるのを見て、アーチャーは深く息を吐いた。

 

「仮に恒久的な平和を願ったとする。すると、聖杯はこの世の生物を皆殺しにするだろう。生物が居なければ、争いは発生しないからな」

「……そんな」

 

 アイリスフィールが口元を手で覆いながら悲鳴を上げた。

 

「君達の祈りは叶わない。ここから逃げ出す手伝いはしてやる。だから、イリヤを連れて姿を眩ませろ。聖杯が無ければ、聖杯戦争も成立しないから、私の生前のような惨劇は避けられる筈だ」

「……それでお前はどうするんだ? お前も願いがあって、召喚に応じたのだろ?」

「別に……、聖杯に願う程の祈りなど持ち合わせていないさ。私はただ、呼ばれたから応じただけだ。まあ、過去の改変などに興味は無いが、目の前で起こると分かっている惨劇を見過ごすわけにもいかん。君達を上手く逃がす事が出来れば後はどうとでもなるだろうから、適当な所で自害するさ」

 

 当然のようにそんな事を口にするアーチャーにアイリスフィールは声を震わせながら言った。

 

「貴方……、本当に切嗣の子なのね」

「信じてくれる気になったかね?」

「……なんとなく、初めて目にした時から分かってた気がする」

 

 暗い表情を浮かべ、アイリスフィールは呟く。

 

「貴方の目は切嗣にとても似ている。色とか形じゃなくて、もっと別の……。きっと、切嗣と同じようなものを見て来たのね」

 

 観察力に優れていると言うべきか、それとも、単に勘が鋭いだけなのか……。

 

「まあ、アハト翁とやらに前回の聖杯戦争の事を聞けば全てが明らかになる筈だ」

「……無理だ」

 

 アーチャーの言葉を遮り、切嗣が呟いた。

 

「仮にお前の言葉が真実だとすれば、アハト翁はその事を隠すだろう。結局、確証は得られない」

「つまり……?」

「僕はまだ、お前の言葉を信じていない。実際にこの目で真実を識るまでは……」

「妻と娘を連れて平和に過ごす。それじゃあ、駄目なのか?」

「……僕には聖杯が必要だ。お前の言葉が単なる嘘である可能性もある。僅かでも望みがあるなら、それに賭ける」

 

 切嗣とアーチャーは互いに無言で睨み合った。どちらも揺るがない。

 

「……まあ、私がこの時間軸に召喚された時点で色々と変化している筈だ」

 

 先に折れたのはアーチャーだった。

 

「もしかしたら、聖杯が正常なままの可能性もある。それでも、恒久的な平和なんぞ、私は祈る気になれんが……。マスターがそう決めたなら判断に従うとしよう」

「……意外だな。もっと、反対すると思ったが」

「令呪を消費した挙句、従わされる事になるくらいなら、令呪を温存して、此方が折れた方が被害が少なくて済むからな。だが、一つだけ言っておく」

 

 アーチャーは剣呑な眼差しを向けて言う。

 

「聖杯が汚染されていた場合、お前の願いは最悪な形で実現する事になる。そうなる事を知りながら、妄執に取り憑かれ、聖杯を使おうとした場合、私がお前を殺す。それを忘れるな」

「……ああ、分かった」

 

 切嗣の返答に満足したのか、アーチャーは表情を和らげた。

 

「では、改めて名乗るとしよう。クラスはアーチャー。真名は無銘。生前の名は衛宮士郎。これより我が弓は貴殿と共にあり、貴殿の命運は私と共にある。これで、契約は完了した。短い付き合いになるが、よろしく頼む、マスター」



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第四話「戦いの始まり」

 後悔した時、既に遠坂時臣は囚われてしまっていた。

 

「見てご覧なさい、坊や……。また、人が死んだそうよ」

 

 酷く悲しげな表情を浮かべ、女は言った。彼女が見つめる先にはテレビが置かれている。科学技術を心底から軽蔑している時臣の自室にソレを持ち込んだのは彼の弟子だった。とは言え、それも彼女に命じられたからこその行為であり、時臣も彼を責めない。

 虚ろな瞳をテレビに向け、時臣とその弟子、言峰綺礼は頷く。

 

「はい、母さん」

 

 まるで示し合わせたかのように二人の声が重なり合う。テレビの画面には連続猟奇殺人鬼・雨龍龍之介による殺人のニュースが流れている。

 

「これも全て私の罪……。私の子が自らの兄弟を殺す。ああ、とても悲しいわ」

 

 一滴の涙を零す彼女に時臣がそっとハンカチを取り出す。

 

「終わりにしなければ……。母として、子供達を理想郷へと導かなければ……」

 

 女は時臣と綺礼を優しく抱きしめる。愛する息子や娘を抱きしめる慈母のように、彼らを包み込む。その抱擁に彼らは身を任せる事しか出来ない。彼女の言葉に反抗する事など出来ない。何故なら、彼女は母なのだから――――。

 

「力を貸して……。この戦いを人類最後の流血とする為に……」

「はい、母さん」

 

 第四話「戦いの始まり」

 

 ウェイバー・ベルベットは悩んでいた。折角召喚したサーヴァントが己の言う事を全く聞き入れてくれないのだ。むしろ、どっちが主人で、どっちが従僕だか分からない扱いを受けている。

 召喚から既に数日。他の参加者達が動きを見せない事をいい事にライダーは好き勝手に動き回っている。最初は下半身丸出しの状態で出歩こうとして、拠点にしている民家の住人が大騒ぎをするという事件もあった。今は何とか説得してパンツとズボンを穿かせる事に成功したが前途多難過ぎる。

 とは言え、既に聖杯戦争は始まっている。日中は自由奔放に動き回るライダーの監視の為に他の事が何も出来ないが、夜になれば多少落ち着いてくれる。寝る間を惜しみ、ウェイバーは昼間の内に町中に配置しておいた使い魔と視界を同期させた。

 どんな些細な変化も見逃さない。気合を入れて順番に使い魔の視界を確認していく。公園では酔っぱらいが歌を歌い、橋ではカップルが愛を囁き合っている。至って平和だ。

 

「今日も空振りか……」

 

 落胆の色を隠せないでいるウェイバーにテレビを見ていたライダーが事も無げに言う。

 

「そう気を落とすな。この国では果報は寝て待てと言うらしいぞ」

「けど、もう三日目だぜ? そろそろ動きがあってもいい筈だ」

「まだ三日目とも言える。それぞれ、サーヴァントを召喚し、地盤を固め、戦の準備に勤しんでおるのだろう。むしろ、早々に動き出す者が居れば、それは余程の愚か者か、あるいは何らかの策を練っての行動である可能性が高い」

「じゃあ、今の段階で街に異変が起きていない事はむしろ自然って事か?」

「そうとも言い切れぬが、異変が起きない事が不自然と判断するにはまだ早い」

「……分かった」

 

 再びテレビ鑑賞に戻ったライダーの背中をボーっと見つめながら、ウェイバーは彼の言葉を頭の中で反芻した。ライダーの言うとおり、今はまだ他の参加者達も地盤固めや情報収集に奔走している最中なのだろう。

 

「あれ……?」

 

 だとすると、この三日間の自分達の行動は非常に不味いものだったのでは……、。

 

「お、おい、ライダー! 俺達、真っ昼間から出歩いてるけど、敵のマスターに存在を気づかれてるんじゃないか!?」

「その可能性は大いにあるな」

「ば、馬鹿! なんで、そんなのほほんとしてるんだよ! ヤバイじゃないか! この場所だって、敵に知られてるかもしれないし――――」

「落ち着け」

 

 ウェイバーはおでこにデコピンを受け、ひっくり返った。そんな彼をゆっくりと立ち上がったライダーが見下ろす。

 

「それが狙いだ」

「……え?」

「お前さんの持ち味はフットワークの軽さだ。敵が網に掛かれば、後は余が叩き潰す。下手を打っても、イザとなれば何時でもこの拠点を放棄して逃走する事も出来る」

「……お前」

 

 不覚にも感心してしまった。彼は先のことをキチンと考えて行動していたのだ。それを愚かな行為だと叱責し、目くじらを立てていた自分が恥ずかしい。

 俯くウェイバーの背中をライダーはバンと叩いた。体重の軽いウェイバーは吹き飛ばされそうになりながらギリギリで耐え、恨みがましい視線をライダーに向ける。

 

「ドシッと構えておけ、男ならな」

「……お、おう」

 

 だははと笑うライダーにウェイバーは溜息を零した。

 

 翌日、ウェイバーは率先してライダーを連れ、街の散策に出た。今まではライダーに連れ回されるばかりだったが、今回はキチンと目的をもって行動している。

 地形の把握に努めながら、敵に自分の存在をアピールしているのだ。彼の宝具なら、どんな敵に対しても遅れを取らないと確信しているし、万が一の場合があっても確実に逃走出来る。

 

「……とは言え、さすがに昼間から仕掛けては来ないか」

「まあ、どいつもこいつも人目を避けるだけの分別はあるらしいな」

 

 そう言うと、ライダーは近場にあるゲームショップに向かって駆けて行った。本当は単に遊びたいだけで、昨夜の言葉はただの言い訳なんじゃなかろうかと疑念が募る。

 空が茜色に染まった頃、ウェイバーは軽くなった財布の中身を見て溜息を零した。結局、今日も空振りだった。ライダーの買い物に付き合わされ、散財しただけ……。

 

「さすがに四日目に入っても動きが無いなんて、ちょっと変じゃないか?」

「焦るなと言っただろう。まだ、夜も更けておらん。動き出すとしたら――――」

 

 途中で言葉を切ったライダーに首を傾げるウェイバー。ライダーは海の方を見据えて言う。

 

「どうやら、動き出したらしい」

 

 その言葉に心臓が跳び跳ねた。望んでいた事とは言え、実際にその時が来ると萎縮してしまう。そんな自分を腹立たしく思いながらも、体の震えが止まらない。

 

「シャキッとせんか!」

 

 ライダーは腰に携えた短剣を掲げつつ、ウェイバーを一喝した。ライダーの声に驚き、顔を上げると、雷鳴と共に神牛が牽くチャリオットが現れた。

 それこそがライダーの宝具。神威の車輪――――、ゴルディアス・ホイール。

 ライダーはウェイバーの首根っこを捕まえると、乱暴に御者台に乗せ、自身もチャリオットに乗り込んだ。ライダーが手綱を引くと、神牛は雷霆を迸らせ、驚くべき速度で疾走を開始する。

 僅か数秒で地上が彼方へ消え去り、チャリオットは雲を抜け、月下に踊り出た。

 

「まずは様子見だ」

「え? 戦いに行かないのか?」

 

 目を丸くするウェイバーにライダーは頷く。

 

「奴は我等と同じく、敵を誘い出そうとしておるのだ。しかも、臨戦態勢を整え、殺気を撒き散らせながら……。あの誘いに乗る者の有無によって、この聖杯戦争における参加者達の毛色を見極める事が出来る」

 

 徐々にチャリオットを降下させ、雲の下に出る。ウェイバーは荷物から双眼鏡を取り出した。

 

「あれは……、ランサーか?」

 

 双眼鏡のレンズの先には呪符によって覆われた双槍を構える美丈夫の姿。

 何かを叫んでいる様子だが、さすがに声は届かない。恐らくは挑発の類を口にしているのだろう。

 

「あっ……!」

 

 三十分くらい経って、漸く、ランサーの誘いに乗る者が現れた。黄金色の髪に銀の鎧。手にしている獲物は西洋の長剣。間違いない、セイバーだ。

 

「どうやら、腰抜けばかりでは無かったようだな」

 

 ライダーが実に楽しそうな声で言った。

 

「良かったな……」

 

 適当に相槌を打ちながら、眼下で繰り広げられている戦いにウェイバーは見入った。

 セイバーとランサーの戦いは拮抗している。互いに化け物染みた挙動で海岸に隣接している倉庫街を蹂躙している。

 

「あれが……、サーヴァント同士の戦い……」

 

 人を超えた者達の戦いはウェイバーの理解を遥かに超えていた。

 一体、如何なる経験を積めば、あんな凄まじい戦いを繰り広げられるようになるのだろう。チラリと横目で自らの相棒を見る。彼もまた、眼下の英雄達のように剣を手に立ち回るのだろうか……。

 

「……技量はランサーが上だな」

「え?」

 

 双眼鏡も使わずにライダーは両者の力量を見極め、眉間に皺を寄せる。

 

「でも、拮抗してるように見えるけど?」

「ああ、それが妙なところだ」

 

 ライダーは頬を掻きながら唸った。

 

「セイバーの技量も相当なものだが、ランサーに比べると明らかに見劣りする。なのに、拮抗している。これは一体……」

「えっと……」

 

 ステータスを透視しようにも距離が離れ過ぎている。ライダー曰く、技量に開きのあるランサーに対して、セイバーが拮抗状態に持ち込めている理由は恐らくスキルか宝具に秘密がある筈。宝具だとしたら看破出来ないだろうけど、それでも"そういう宝具を持っている英霊”という情報を得られる。

 どうにかして、透視可能な距離まで近づけないだろうか……。

 ウェイバーが思案していると、ライダーが舌を打った。

 

「ランサーが宝具を開放した。必殺を確信したか、あるいは痺れを切らしたか……、どちらにしても、このままでは勝敗が決してしまうな」

「なんで、不満気なんだよ? どっちかが脱落してくれるなら良い事じゃないか」

 

 ウェイバーが双眼鏡から目を話して言うと、ライダーがおでこにデコピンを食らわせた。

 

「バカモン! それではつまらんだろう。折角、異なる時代の英傑共と矛を交える機会を得られたのだぞ。それが六人もおるのだ! 一人たりとも逃す手は無い!」

 

 そう豪語するライダーにウェイバーは目を丸くしている。彼が口にしている言葉の意味が全く分からないのだ。どう考えても、潰し合って、敵の数が減る事こそ歓迎するべき事であって、わざわざ全員と戦うなど効率が悪いにも程がある。

 だが、そんな彼を尻目にライダーは熱く語る。

 

「元にセイバーとランサー! あの二人にしてからが共に胸が熱くなるような益荒男共だ。死なすには惜しい!」

「死なさないでどうすんのさ!」

 

 さすがに頭に来て、ウェイバーはライダーに掴み掛かった。聖杯戦争は殺し合いなのだ。マスターはともかく、サーヴァントは一人残らず皆殺しにしなければならない。でないと、決着がつかず、聖杯も得られない。

 至極当然の事を口にした筈なのに、ライダーはまたしてもウェイバーのおでこにデコピンを食らわせた。あまりの痛さに涙目になるウェイバーにライダーは呆れたような表情で言う。

 

「勝負して尚、滅ぼさぬ。制覇して尚、辱めぬ。それこそが真の征服なのだ。では、往くぞ!」

「……お前、もう言ってる事無茶苦茶じゃないか」

 

 頭を抱えるウェイバーにニッと笑いかけ、ライダーは神牛の手綱を引いた。

 

「AAAALaLaLaLaLaie!!」

 

 音速を超えた急降下に悲鳴すら上げられず涙目になるウェイバーとは対照的に心底楽しそうな笑みを浮かべ、ライダーは吼える。

 地上では、今まさに決着をつけんと必殺の構えを取っていた二騎の英霊が頭上を見上げ瞠目した。ランクAを越える破壊の結晶が真っ直ぐに落ちて来るのだ。目の前の敵と雌雄を決する所では無い。

 

「ラ、ライダーか!?」

 

 驚愕しながらも二騎は同時に大地を蹴った。如何に破壊力が高く、速度が速くとも真っ直ぐに向って来るだけならば避けられる。並の人間ならば絶対に不可能な挙動。それを可能とするのが英霊と呼ばれる存在。

 大地に巨大な穴が空くと共に舞い上がった土煙が三者の姿を隠す。それを海からの一陣の風が吹き飛ばした。

 

「そこまでだ。両者、共に矛を納めよ。王の御前であるぞ」

 

 甲高い金属音が鳴り響く。ライダーはセイバーの剣を自らの剣で受け止めていた。

 あわあわとうろたえるウェイバーに構わず、ライダーは嗤う。

 

「血気盛ん。大いに結構! だが、余は矛を納めよと申した筈だぞ、セイバー」

 

 迸る圧力。ライダーの持つカリスマというスキルが故なのか、ウェイバーは目の前の男が自分の知る豪放ながらも気のいい男と同一人物であるとは思えなかった。

 

「生憎、私の王は天上天下に唯一人。貴方では無い」

 

 恐れ戦くウェイバーとは裏腹にセイバーは殺気を強め、ライダーに対して苛烈な攻撃を仕掛けた。ライダーは舌を打ち、チャリオットを走らせる。雷霆がセイバーの身を焦がし、追撃を許さなかった。

 だが、その雷霆を突き抜けてくる影が反対方向から現れた。

 

「騎士の戦いの邪魔をするとは、とんだ礼儀知らずだな、ライダー!」

 

 吐き気を催すような濃密な殺気を受け、ウェイバーは一瞬で意識を刈り取られた。そんな彼を傍に引き寄せ、ライダーはランサーの槍を受け止める。

 

「……なるほど、聞く耳持たぬというわけか、困った者達だな」

 

 どの口がそれを言うのか、ランサーは怒気を強め、黄色の槍をライダーの腹部目掛けて振るう。その槍を銀の刃が阻んだ。

 

「……相変わらずですね」

 

 クスリと微笑み、見目麗しい青年がライダーを庇うように剣を構えている。

 一体、どこから現れたのだ。ランサーは驚愕に目を剥いた。決して、周囲への警戒を怠っていたわけでは無い。一瞬前まで、そこには誰も居なかった。なのに、今は見知らぬサーヴァントがそこに居る。

 

「何者だ……、貴様!」

 

 ランサーが吠える。すると、青年は見惚れるほど美しい笑みを浮かべて呟く。

 

「すまない、異国の英雄よ。名乗れば彼に迷惑が掛かる。故、名乗れぬ。許されよ」

「いや、秘する必要は無いぞ。自らの名を隠すなど、余も我慢ならん! 聞くが良い! そして、刻むが良い! 余はイスカンダル。此度はライダーのクラスを得て現界した!」

 

 彼のマスターが起きていたら、それこそ涙目で喚き立てた事だろう。聖杯戦争のセオリーから言えばあり得ない行為をライダーは行ったのだ。

 自らの名を明かす。それは自らの弱点や切り札を明かす事に繋がる愚かな行為。されど、彼の顔に後悔の色は無く、むしろ、誇らしげですらある。

 

「セイバー! そして、ランサー! 実に見事な攻防であった! 余はうぬ等の武勇を称え、ここに提案する!」

 

 あまりにも常識外な行動に出たライダーに対して、呆気にとられているセイバーとランサー。そんな彼らにライダーは言う。

 

「我が軍門に下れ! さすれば、余はそなた等を朋友として遇し、勝利の栄光と征服の悦びを共に分かち合う所存である!」

 

 その言葉にセイバーとランサーは表情を歪めた。あまりにも高慢な物言いであり、その内容はあまりにも彼らの誇りを軽視したものだった。

 主への忠誠。それは彼らにとって何より重い誓い。それを歪め、自らの配下となれと言われたのだ。その屈辱たるや、並ではない。

 

「なるほど、言いたいことは分かった」

 

 ランサーはセイバーに視線を向ける。

 

「セイバー。お前との決着は後だ。まずはこの不心得者を始末するとしよう」

「ああ、その意見に賛成だ。私には唯一無二の王が居ると先刻告げた筈。にも関わらず、その忠誠を曲げろなどと、騎士として、許し難い侮辱だ」

 

 それは先程までの彼らの戦いとは赴きを異としていた。自らの武勇を競い合うという血湧き肉踊る戦いでは無く、自らを侮辱した者への誅伐だった。

 怒りと共に振るわれる剣と槍。それを銀の月光が弾き返す。セイバーとランサーの同時攻撃を事も無げに阻んだ後、青年は歌うように呟いた。

 

「私の名はヘファイスティオン。彼に手を出す事は私が許しません」

 

 英雄神・ヘファイスティオン。その名を聞き、セイバーとランサーは共に意識を切り替えた。既に両者はその存在が聖杯戦争においてイレギュラーな存在であるとマスターから注意を促されている。彼にはクラスが存在しないのだ。それでも、同時に掛かれば倒すのは容易と侮った。

 クラスの存在しないイレギュラーなサーヴァントという時点で得体が知れない上にその正体が英雄神となれば、そのような不遜な考えは捨てねばならない。

 

「どんな反則技を使ったか知らんが……」

 

 ランサーは大地を蹴った。

 

「その首級、貰い受けるぞ、英雄神!」

「……王よ」

「うむ」

 

 ランサーの槍がヘファイスティオンの胸元に突き刺さる寸前、神牛が嘶き、雷霆が迸った。ランサーの放った槍撃は雷霆を貫いたが、ヘファイスティオンの胸を突き刺すこと叶わず、彼の片腕を引き裂くに終わった。

 神牛は宙空を蹴り、上昇していく。

 

「逃げる気か、ライダー!」

「ハッハッハ! 今宵は巡り合わせが悪かったようだ。また、別の機会に会おう。それまでさらばだ! セイバー! そして、ラ――――」

 

 ライダーの言葉が途切れた。その理由は遥か遠方から差し迫る魔力の塊を感じたが故だった。視線を向けた時には既に寸前まで迫って来ていた。

 

「疾走せよ!」

 

 ライダーは瞬時に魔力を神牛へと注ぎ、チャリオットの宝具の真の力を発動させた。

 同時にヘファイスティオンは迫り来る脅威に対して自らの刃を放った。

 それは螺旋の刃を持つ一振りの剣だった。ヘファイスティオンの刃を弾き返し、剣は空間を捩じ切りながら目前まで迫り、そして――――、破裂した。




申し訳ない。ファニーヴァンプは彼女ではないのです。
月の姫君を期待していた方には本当に申し訳ないですOTL


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第五話「高みの見物」

 今の私はとっても幸せだ。生前は妹への仕送りで自分が使う分のお金を殆ど持っていなかったから、贅沢というものが全く出来なかった。生まれ変わってからも新しい家族はジャンクフードや大衆向けのお菓子を軽蔑していたから食べられなかった。

 今、私は夢にまで見た生活を送っている。おじさんは私が欲しい物を何でも用意してくれるのだ。ポテチにポッキー、アイスクリーム。好きな時に好きな物を好きなだけ食べられる幸せを私は噛み締めている。

 聖杯戦争が終わったら、遊園地に連れて行ってくれる約束もしてある。遠坂家に帰っても、また養子に出されるだけだから、一緒に海外を回る約束もした。その為の下準備もキャスターが協力してくれたおかげで既に終わってる。つまり、魔術師としてではなく、一般人として過ごすための準備だ。

 これは敵に隠れて潜伏する為にも必要な処置で、偽装を施すアクセサリー型の魔術具を身に着けるだけで良いというお手軽さ。彼女はこうした道具を作る事が得意みたい。他にも身を守るためのものや日常生活を送る上でも有用な道具を幾つか作ってくれた。

 未来は明るい。順風満帆な生活を送れる。青春を取り戻す事が出来る。

 

「幸せになりたいな……」

 

 生活に余裕が出来たら、こっそりお姉ちゃんに会いに行きたい。なっちゃんとは無理だったけど、彼女とは仲の良い姉妹として付き合って行きたい。

 彼氏も欲しい。不特定多数の男じゃなくて、私を一人の女としてキチンと愛してくれる素敵な人に出会いたい。その為にも今は私に出来る事を頑張ろう。何が出来るかは分からないけどね。

 

「それにしても、ポテチ美味しいな」

 

 でも、一人だと味気ないな。おじさん達はジッと水晶玉と睨めっこしてる。

 ポテチの袋を片手に彼らの下に向かう。アニメはオタクなお客さんと一緒に――エッチもせずにお金だけもらって――解説してもらいながら見たけど、正直、あんまり詳しい設定や魔術とか戦いとかにも詳しいわけじゃないから、口出ししたりは出来ない。けど、一人除け者状態で居るより、向こうで一緒に分かった振りをしながら一緒に居た方がポテチも美味しい筈。

 

「わーお!」

 

 キャスターが用意した水晶玉に映る映像は実にカッコ良かった。我らがセイバーとランサーが戦ってる。下手な映画より迫力満点。頑張れ、セイバー! 負けるな、セイバー!

 

 第五話「高みの見物」

 

 キャスターが水晶玉を通して見せてくれた光景に言葉が出なかった。海辺の倉庫街が更地になってしまったのだ。被害総額は一体幾らになったのだろう。そんな風にどうでもいい事を考えて現実逃避しそうになるくらい、アーチャーのサーヴァントが起こした破壊の爪痕は凄まじいものだった。

 放たれた爆弾は三つ。いずれも刀剣を細く伸ばし、ムリヤリ矢に仕立てたような形状。それらは全て、宝具だった。宝具には膨大な魔力が篭っている。それを一気に解き放つ事で破壊を生み出す『壊れた幻想』という名の奥の手がこの惨状を作り上げた。

 普通なら、そんな真似をするサーヴァントは居ない。宝具とは一人につき一つか二つ、多くても五つか六つが限度なのだ。自らの切り札であり、英雄としての自身の半身を使い捨てるような行為。後にも戦いが続く事を考えれば愚行以外の何者でもない。

 だけど、だからこそ、その破壊力は凄まじいの一言。広大な面積を誇る倉庫街を鉄屑一つ残さず更地にするなど、戦略兵器の域だ。

 

「――――ライダーの逃走によって、全員の意識が一点に集中した隙を衝いての攻撃。見事としか言いようがありませんね」

 

 さっきまで、水晶の向こうに居たセイバーが現場で感じた事を報告してくれている。

 

「だが、誰一人脱落しておらん」

 

 相変わらず仮面を被ったまま、キャスターが言う。

 そう、アーチャーの攻撃はサーヴァントを一人も脱落させられずに終わったのだ。セイバーを含め、全員があの場からの離脱に成功していた。

 

「でも、意味はあったと思うよ? 皆揃って、令呪を使わされちゃったんだから」

 

 ポテトチップスのコンソメ味をポリポリ食べながら桜ちゃんが言う。

 地獄のような日々から解放され、キャスターによる処置も終わり、健常な肉体を取り戻す事は出来たが、幼い彼女にとって、あの日々が刻みつけた心の傷を癒やすには時間が必要な筈。

 出来れば、たっぷりと贅沢させてあげたい。こんな戦いから遠ざけて、子供らしく遊園地なんかに連れて行ってあげたい。幸か不幸か臓硯の財産を丸々奪う事が出来たから、金なら幾らでもある。だけど、彼女は戦うと言った。助けてくれたキャスターに恩を返したいと言う。俺も同じ気持ちだけど、だからと言って、彼女を危険に晒す事が実に心苦しい。

 キャスターは悪い奴では無いと思うけど、放任主義らしく、マスターを辞めるも続けるも桜ちゃんの意思に委ねると言った。キャスターならば桜ちゃんをマスターから降ろす事も代わりのマスターを手に入れる事も容易いとの事。だけど、決して彼女に何かを強要する気は無いらしい。それは主を守り切り、勝利出来ると確信しているから……。

 

「此方も含めて……、だがな」

 

 仮面の奥で舌を打ち、キャスターは水晶に手をかざす。すると、そこには紅の装束を纏ったサーヴァントの姿が映る。

 

「まあ、目的を達成出来た上にアーチャーを捕捉出来たのだ。良しとしておこう」

 

 キャスターは水晶に映る映像を次々に切り替えていく。そこにはランサーの姿やライダーの姿、そして、アーチャーの姿がある。

 

「これで、残るはアサシンとバーサーカーのみ……」

「キャスター」

 

 思案に耽るキャスターにセイバーが声をかけた。

 

「あのライダーを庇ったサーヴァントは一体……」

 

 彼の言葉に自らをヘファイスティオンと名乗った謎のサーヴァントの顔を思い出す。

 確か、ランサーは彼を英雄神と呼んだ。

 

「英雄神・ヘファイスティオン。確か、征服王・イスカンダルの腹心だったか……。奴にはクラスが存在しなかった。クラスは英霊をこの世に留める為の憑り代。それを必要としないとなると、考えられる可能性は三つ」

 

 キャスターは指を三本上げて言う。。

 

「一つは受肉を果たしている可能性。だが、それなら見て分かる。これは違うな」

 

 指を一本折り曲げて、キャスターが続ける。

 

「もう一つは聖杯戦争のシステムとは別の方法による召喚を行った可能性。無くは無いだろうが、可能性は低いだろう。となると、やはり最後の可能性」

「それは?」

 

 セイバーが問う。

 

「ライダーの能力に関係している。それが一番妥当だな。つまり、『英霊を召喚する』というスキルか宝具を奴が保有している可能性だ」

「そんな事があり得るのか!?」

 

 驚きに目を見張るセイバー。キャスターは肩を竦める。

 

「知らん。だが、可能性は零じゃない。そもそも、サーヴァントの宝具とは生前に実際使っていた武器や能力ばかりじゃない。その英霊に纏わる伝承や逸話……。つまり、人々が持つその英霊に対する想念が結晶化した宝具も存在する。そもそも、お前の宝具など、一時的に保有していただけの物だろう? それを持ち込めた理由もそこにある」

「なるほど……。つまり、元を正せば全ての宝具は人々の想念によって編まれたものだと?」

 

 セイバーは腰に提げている聖剣を撫でながら問う。キャスターはコクリと頷いた。

 

「そういう事だ。実際に使っていたから宝具となったわけではない。人々の記憶にその英霊の武器がソレなのだと明確に刻まれているからこそ、ソレはその英霊の宝具となったに過ぎない」

「では、ライダーの宝具は……」

 

 セイバーの言葉にキャスターが頷く。

 

「奴は征服王。様々な地を征服しては自らの支配下に置いた。領地も人も……。そうした、奴の生前の在り方が結晶化した宝具だとしたら、あのサーヴァントの存在にも納得がいく」

「嘗て、支配下に置いたモノを宝具として扱えると……?」

 

 戦慄の表情を浮かべるセイバーにキャスターは曖昧に頷く。

 

「さすがに何から何まで宝具かしているわけでは無かろう。ヘファイスティオンと言えば、奴と恋仲であったと噂される程、奴と親しかった男だ。そうした身近な存在を呼び出せる程度だろう。まさか、自らが支配した領地や財宝、果ては人まで宝具として使えるとなったら、それはもはやサーヴァントの域を超えている」

「……だが、最悪の状況を考慮しておいた方が良いだろう。キャスター。君はどこまでならあり得ると思う?」

 

 セイバーの問いに対してキャスターは答えた。

 

「どれか一つ。財宝か、領地か、人。そのどれか一つなら、あり得ないとも言い切れぬ。特にあのアーチャーを見た後ではな……」

 

 キャスターの言葉にセイバーの表情が陰る。

 

「あのアーチャーはそのいずれかを保有していると?」

「可能性の話だ。水晶越しだった上、一瞬の事だった故、仔細には分からなかったが、あのように宝具を使い捨てる真似が出来るとなると、宝具を複数所持している可能性が高い。武器を単体として使い捨てられる程の量を保有しているとは考え難いが、宝具に匹敵する武具を収めた蔵を持っているとしたら話は別だ」

「……まさか、そんな事が」

「無いとは言い切れないという話だ。王侯貴族ならば、それぞれの象徴となるようなコレクションがあったとしても不思議では無いし、それを収めた蔵が宝具となってもおかしくない。まあ、数里先から矢を射るなどという離れ業を可能とする者はその中でも少数だろうから、そこから奴の正体を割り出す事は可能かもしれん。そうすれば、自ずと奴の弱点も分かる筈だ」

 

 キャスターは仮面の向こうでほくそ笑む。

 

「如何に反則的な宝具を保有していようと丸裸にして滅ぼしてくれる」

 

 そう言って嗤うキャスターはまさに傾国の魔女という感じで少し怖かった。未だに彼女の真名は教えてもらえずにいるけど、多分、そうした悪女の類なのだろう事は分かる。少なくとも聖女の類では無いだろう。

 

「何はともあれ……、ライダーとランサーの真名を掴めたのは大きい」

 

 フィオナ騎士団随一の騎士・ディルムッド。そして、マケドニアの征服王・イスカンダル。共に難敵だが、キャスターには勝利の算段がある程度出来ているらしい。表情は分からないが、その声には自信が漲っている。

 

「これからどう動くんだ?」

 

 一応、確認の為に聞いておく。俺に出来る事なんて何も無いだろうけど、彼女が何をするつもりなのか、全く知らないというのも格好がつかない。

 

「まずは情報収集に専念する。バーサーカーはともかく、アサシンを捕捉する事は至難だろうから、そちらを重点的に調べていくつもりだ。セイバーには何度か出向いてもらうつもりだが、しばらくは息を潜めるとしよう。敵は六体も居るのだ。潰し合って、数が減った頃を見計らって動けばいい。それまでに情報収集を終え、一気に弱点を攻めて滅ぼし、勝利する。簡単だろう?」

 

 キャスターは敵を六体と言った。つまり、セイバーも彼女にとってはあくまで敵の一人という認識のままなのだ。セイバーもそれを察してか表情を引き締めている。

 俺は聖杯に願う事など無い。故に手に入れる必要も無いけど、セイバーは違う筈。勝利したとしても最後は残酷な運命が待ち受けている。聖杯戦争が殺し合いである以上、仲間である二人が殺し合うという結末を避ける事は出来ない。

 ああ、なんて残酷な戦いなんだろう……。



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第六話「桜とおじさん・Ⅰ」

 部屋の中が暗い。夜だけど灯りはちゃんと点いている。でも、雰囲気がとても暗い。その原因であるおじさんは一人項垂れている。

 

「おじさん。謝るから機嫌を直してよ」

 

 ついさっきまで勇ましくそそり立っていたモノも今はスッカリ萎んでしまっている。溜息を零しながら、部屋の隅に佇むキャスターを見る。相変わらず、仮面とローブで素肌を完全に覆い隠している。正直言って、ちょっと不気味。

 キャスターは私の視線に気付き、小さく頷いた。

 

「ラインは問題無く繋がった、これでセイバーの宝具が発動可能になったわけだが……。お前はどうしてそんな風に平然としていられるのだ?」

「なにが?」

「なにがって……、お前」

 

 ティッシュで行為の後始末をしながら欠伸をする。

 

「セックスの一回や二回がどうしたって言うの……? まあ、殆ど強姦に近かったから、多少の罪悪感はあるけど、必要だと言ったのはキャスターじゃない」

 

 いい歳して童貞――風俗も未経験――だったらしいピュアボーイでチェリーボーイなおじさんはともかく、キャスターにまでとやかく言われる筋合いは無いと思う。そもそも、この話を最初に持ち出したのは彼女だ。

 彼女曰く、元々、おじさんがセイバーを召喚出来たのは体内の刻印虫が魔術回路の代わりを担ってくれていたからであり、それを取り除き、治療してしまった以上、おじさんに魔力を生成する力は無いとの事。

 その為、セイバーは魔力の不足という問題を抱えていた。宝具を一度使ったら消滅してしまうと言うのだから致命的だ。その問題を解決する為に彼女が提案したのが潤沢な魔力を持つ私とおじさんの間にラインを繋ぐというもの。方法は幾つかあったけど、一番リスクが少なく、加えて簡単だった事から私はセックスによるラインの接続を選んだ。

 おじさんは断固として反対を唱えたけど、他の方法はそれなりのリスクや面倒な手順があるからキャスターにお願いして体を拘束してもらい、その間に行為を済ませた。なにしろ、二人が同時にエクスタシーに達しなければならないらしく、童貞のおじさんに勝手に動かれたら逆に面倒だったから、その意味でも拘束したのは大正解だった。

 唯一の問題点はおじさんが不貞腐れてしまった事。テクニックには自信があったし、精一杯楽しませてあげたのに、実に頑固な人だ。合計三回射精したから賢者タイムとやらかもしれない。ちょっと、時間をあげよう。

 

「……しかし、その歳で――――」

「私はずっと蟲とセックス三昧だったんだよ?」

「だが、男とのセックスなど未体験の筈だろう」

 

 キャスターは私に十分な配慮をしてくれている。その一つが記憶を勝手に盗み見ない事。別に私は構わないんだけど、幼い心をこれ以上傷つけるわけにはいかないと言われ、無理に見せたいわけでも無かったから彼女の好きにしてもらっている。

 だから、彼女にとって私はあくまで悪い大人の邪悪な野望の為に蟲に犯される日々を送っていた可哀想な女の子なのだ。

 

「おじさんの事は嫌いじゃないもの。むしろ、行為の最中のおじさんはとってもキュートだったわ。只管貪ってくるばっかりな蟲の相手よりずっと充実感もあったし……。それと、人間の相手が初めてだったわけじゃない。おじいちゃんのパートナーをしてた鶴野さんって人。蟲の出入りした穴を使うのは嫌だったみたいだけど、口はセーフだったみたい。匙加減が良く分からなかったけど、毎日、彼の精液を飲まされてたし――――」

「……アイツ、見つけ出してぶっ殺そう」

 

 おじさんが漸く口を開いたと思ったら、物凄く物騒な言葉が飛び出して来た。

 鶴野さんはおじさんのお兄さん。いつの間にか屋敷から姿を眩ませていた。おじいちゃんと一緒に何かを企んでいる可能性もあるけど、結構小心者っぽかったし、一人でどこかに逃げたのかもしれない。

 

「落ち着いてよ、おじさん。精液も慣れると平気になるものだよ? たまに尿の匂いがキツイ時があったけど、刻印虫が吸収してくれたから病気になる心配も無かったし――――」

「……桜ちゃん」

 

 どうしたんだろう。おじさんは泣きそうな顔をしている。

 生前も間桐の屋敷に連れて来られてからも、基本的に私の周囲はサディストだらけだったからこういう反応をされると返し辛い。

 今までの経験上、こういう話をすると、大抵汚物を見るような目を向けられた。もしくは、惨めな女として嘲笑われるか、蔑まされるか、興奮されるかのいずれかだ。ああいう業界の男は女の不幸が飯の種であり、毎夜のオカズなのだ。同情してしまうような輩は元からこういう世界に足を踏み入れたりしない。迷い込む人もたまには居るみたいだけど、私は未遭遇。

 

「桜ちゃんはもう……、あんな事をしなくてもいいんだ。普通の女の子として生きていいんだ。そもそも、あんな生活を送らされた事が間違いだったんだ」

「おじさん……」

 

 ここでネガティブな事を言うと、おじさんがマジ泣きしちゃいそう。それは非常に困る。私はおじさんの泣き顔をあまり見たいと思わない。私はサディストじゃなくて、マソヒストなのだ。SMクラブの三大メッカの一つ、池袋でそれなりに慣らした時期があったけど、攻める側より攻められる側に身を置き続けたくらいだ。まあ、過激過ぎるのはNGだけどね。痣や蚯蚓腫れ、軽い火傷が耐えない生活というのも過激と言えば過激だけど……。

 とりあえず、おじさんに認識を改めてもらう必要がある。私は不幸な少女じゃない。

 

「大丈夫だよ!」

「桜ちゃん……?」

「私ってば、結構セックスが好きみたいなの。テクニックも中々だったでしょ? この道で稼げるかもしれないよ! あの生活もその糧になったと思えば――――」

「止めてくれ!!」

 

 肩を掴まれてマジ泣きされてしまった。ジーザス。どうして、上手くいかないんだろう。やさしい男の相手は酷い男の相手の何倍も難しい。ちょっとの事で同情してくるし、使命感を燃やされてしまう。

 結局、私に出来た事はおじさんの肩をポンポンと優しく叩いてあげる事だけだった。いつしか二人揃って眠ってしまい、気がついた時にはベッドの上だった。

 

第六話「桜とおじさん・Ⅰ」

 

 ちなみに、現在の私達の拠点は間桐邸じゃない。山を一つ越えた先にある街の民家だ。住人には一ヶ月の海外旅行をプレゼントしてある。キャスターの暗示が解けて、彼等がここに帰って来る時には全てが終わっている筈。他人の家をラブホテル代わりに使うというのも中々乙なものだね。

 

「……おじさん」

 

 現実逃避は止めておこう。朝になってもおじさんの機嫌は直らなかった。これで怒鳴り散らすなりしてくれればまだマシなんだけど、彼の怒りの矛先は自身に向いている。強姦紛いを行ったのは私なわけで、私を責めるのが道理な筈なのに、私相手に勃起した事や射精した事に酷く自己嫌悪している。私のテクニックがハイレベル過ぎたせいなのに仕方の無い人だ。

 

「大丈夫だよ、おじさん。おじさんはロリコンじゃないよ」

「……そういう問題じゃない」

 

 折角の慰めの言葉を一蹴されてしまった。

 

「キャスター! こういう時、どうすればいいのかな?」

 

 困った時のサーヴァント頼み。私はなにやら作業中のキャスターの下に向った。すると、彼女は重苦しいため息を零した。

 

「……セイバーに聞け」

「え?」

 

 同じ部屋で地図と睨めっこしていたセイバーがギョッとした表情を浮かべた。

 

「セイバー!」

「す、すまない、桜様。私はちょっと用事が――――」

「無いだろ」

 

 逃げ出そうとするセイバーにキャスターが無慈悲な一言を叩きつける。私もこれが如何に応え難い質問かは理解している。でも、私には分からないのだ。どうしたら、おじさんが元気になってくれるか教えて欲しいのだ。

 

「セイバー。おじさんにどうしたら元気を出してもらえるかな?」

「……桜様」

 

 セイバーが困ったような表情を浮かべながら、考え込むように腕を組んだ。

 やがて、深く息を吐くと、私に傍に座るように言い、自分も胡坐をかいた。

 

「先に申し上げておきますが、私はあまり、人に誇れるような人生を送っておりません」

 そう言って、彼は話し始めた。

 

「失敗ばかりの人生でした。愛した人の心は得られず、忠誠を誓った王には刃を向けてしまった。だけど、そんな私だからこそ、言える事もあります」

 

 セイバーは言った。

 

「まず、自らの過ちを認めましょう。どうして、マスターが消沈なされているのか……、その理由に向き合う事から始めて見てください」

「……別に目を逸らしてなんかないよ? おじさんに無理矢理迫ったからいけないんでしょ?」

「違います」

 

 セイバーは私の言葉を両断した。

 

「マスターが消沈しておられる理由はもっと根本的なものです」

「……分かんないよ。おじさんの意思を無視したり、無理矢理セックスした事が問題なんじゃないの? 他に理由があるなんて言われても、分かんないよ……」

 

 やばい、泣きそうだ。本当に分からないのだ。一般的な視点から見たら、これが正解の筈なのに……。

 セイバーは私を辛そうな表情で見つめている。

 

「……桜様が悪いわけじゃない。でも、桜様にとって、あまりにも残酷で酷い事を言います」

 

 そう、暗い表情で前置きをして、セイバーは言った。

 

「桜様が性行為を日常的なものとしてしまっている事。それが問題なのです」

「……えっと、どういう事?」

 

 サッパリ、話が見えない。

 

「今の桜様の思考は娼婦のソレだ。幼い少女がそんな思考を抱いている。その事がマスターを苦しめている元凶なのです」

「……あ」

 

 馬鹿だ。救いようの無い馬鹿だ。ちょっと考えれば分かった事。

 行為に及んだ事も問題だけど、なにより、その行為に及ぶに至る思考そのものが問題だったのだ。私は性行為を当たり前のものとして受け入れ過ぎていた。だって、それが生きる糧であり、日常だったから……。

 でも、普通の人からしたら、そんな思考はおかしいのだ。私が平然としている事それ自体がおじさんを傷つけていたのだ。

 おじさんからすれば、自分が家出した為に私が養子になり、こんな思考を抱くに至ったのだと思っている筈。その罪悪感に対して私は配慮出来ていなかった。

 娼婦だったのは過去の話だ。今の私は悲劇のヒロインであり、そういう風に思考するべき立場に居るのだ。そうしないと、おじさんがヒーローになれない。惨めさや罪悪感に押し潰されてしまう。私の強姦行為がそれを増長させてしまった。今までは単なる加害者の縁者でしかなかったのに、自らが加害者になってしまった。そのせいで、もう自分を許す事が出来なくなってしまっているのだ。

 

「……駄目」

 

 恐怖に身が竦んだ。

 

「桜様……?」

 

 頭が割れそう。私の軽はずみな行いのせいでおじさんが心に取り返しのつかない傷を負わせてしまった。

 おじさんを不幸にしたいなんて気持ちは一欠けらだって持ってない。ママは上げられないけど、人並みの幸せくらい、満喫して欲しいと願ってる。だって、彼は世界で唯一、私を助ける為に動いてくれた人なのだから……。

 実際は『桜ちゃん』を助ける為だけど、それでも、『私』を助ける為に動いてくれた人なんて、おじさんが初めてだった。

 

「……おじさんが不幸になるのは駄目なの」

 

 涙が止まらない。こんなに哀しい気持ちはなっちゃんに縁を切られた日以来だ。

 私は泣きべそをかき、セイバーを困らせた。キャスターもうろたえている。申し訳なく思うのに、泣くのを止める事が出来ない。この未熟な体は大き過ぎる感情の波を留め切る事が出来ない。

 

「ちゃんと心を入れ替えるから! だから……、ごめんなさい」

 

 泣きじゃくりながら、私は必死になって訴えかけた。誰に対しての訴えなのか、私自身分かってない。けど、必死に訴えた。

 

「……桜ちゃん」

 

 ギュッと、誰かに抱き締められた。匂いで誰かが分かってしまう。けど、分かっちゃいけない。それはおじさんを傷つける行為だから……。

 

「ごめん……」

 

 おじさんは何度も何度も謝った。謝って欲しい事なんて一つも無いけど、私は黙って聞き続けた。おじさんの気が済むまで、何度も何度も謝られた。

 正直、簡単に心を入れ替える事は出来そうにない。でも、今の自分はもう娼婦では無いのだと確りと自覚を持つ事にした。

 だって、私はおじさんが大好きなのだ。もちろん、恋愛的な意味じゃないけど、おじさんが望む女の子になってあげたい。

 

「おじさん。ごめんね」

 

 もう一度だけ謝って、私達は仲直りをした。



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第七話「殺人鬼」

「飽きた……」

 

 殺人鬼・雨生龍之介は魔法陣の上で血塗れになっている男女をつまらなそうに見下ろして呟いた。マンネリから脱却すべく、実家で見つけた古い書物を読み解き、閃いた儀式殺人という殺害方法。最初こそ画期的なアイディアだと思ったのに、慣れてくるとそれも数あるレパトリーの一つに過ぎなくなった。

 視線をゆっくりと部屋の隅に移す。そこには魔法陣の上で両腕両足をもがれ絶命した男女の一人娘が縄で縛られている。鋏をクルクルと回しながら近づいていくと、娘は泣き叫んだ。猿轡を噛まされているせいで、声は殆ど吸収されてしまっているけど、小便を漏らし、全身を震わせ、床を這いずる娘の姿は中々に見物だった。

 

「たまには初心に帰る事も大切だよね」

 

 龍之介は爽やかに微笑むと娘の手を取り、その指を鋏で一本ずつ切り落としていく。まるでドラえもんの手のようになってしまった自分の手を見て、娘は気が触れたように暴れ回る。

 仕方なく、龍之介は彼女に新しい指を与える事にした。絶命している彼女の父の手を取り、慎重に鋏で肉を引き裂く。骨だけで繋がっている状態にすると、フンと気合を入れて骨を折った。残る四指も同様に切り取ると、娘の下に戻った。木工用ボンドを肉と骨が丸見えな彼女の手に塗りつけていく。再びクグモッた絶叫が響く。龍之介は構わずに作業を進めた。

 

「ほら、ちゃんと元通りにしてあげたよ」

 

 優しく囁きかける龍之介。対して、娘の方は新たに取り付けられた指を床に叩きつけた。痛みに絶叫しながら、くっつけられたばかりの指を取り外す。そんな彼女に龍之介は唇を尖らせる。

 折角くっつけてあげたのに酷い仕打ちだ。恩を仇で返すなんて、彼女はとても悪い子だ。だから、ちょっとお仕置きが必要だ。

 龍之介は彼女の服を全て剥ぎ取るとキッチンを物色し、醤油の入ったペットボトルを持って来た。ついでにトンカチとフォーク。

 

「とりあえず、一本目をいっくよー!」

 

 フォークを腕に突き刺し、トンカチで叩く。娘の絶叫をBGMに龍之介は作業を続ける。フォークは中々貫通しなかった。額から汗が零れ落ちる。

 一本目が貫通した。それから二本目を反対側の腕に突き刺し、三本目を左足、四本目を右足に突き刺した。ショック死したりしないように慎重に事を運ぶ。これまでの何十何百という経験が彼に生と死のギリギリを見極める匙加減を教えてくれた。

 四肢にフォークを刺し終えると、乱暴に食卓に乗せる。ロープでフォークとテーブルの足を固定していく。身動ぎする度に激しい痛みに襲われ、娘は指一本動かせなくなる。片方はその指自体が無いのだけれど……。

 龍之介がおもむろに取り出したのはガムテープだった。醤油のキャップを開け、ガムテープで娘の口に固定する。娘は必死に舌を使って栓をしようと頑張っている。既に口に入ってしまった分は飲み込むしかなく、顔は苦悶に満ちている。

 

「さてさて……」

 

 龍之介はサインペンを取り出した。娘の体に線を引いていく。今度は何をするつもりなのか、娘は恐怖に震える。

 次に取り出したのは鋸だった。

 

「豚肉の解体スタート」

 

 微笑みながら、龍之介は娘の足首を鋸で切り落とした。あまりの痛みに娘は醤油を塞き止めていられず、口中が醤油で満たされる。吐き出すことも出来ず、喉の奥へと醤油が並々と注がれていく。同時に龍之介は反対の足を切り落とす。内と外。両方から尋常ならざる苦しみを与えられ、娘は息を引き取る寸前まで声なき絶叫を上げ続けていた。

 

「シンプル・イズ・ベストってね。久しぶりに普通の拷問をすると結構新鮮さがあるな。でも、これも直ぐに飽きるだろうし……。どうしたもんかねー」

 

 とりあえず、娘の解体を続け、リアル人体模型を完成させた。脳みそも丸見えだ。

 

「人間って、どうして直ぐ死んじゃうんだろうね」

 

 龍之介はとても悲しそうに娘の亡骸に問い掛けた。

 もっと、君の事を知りたかったよ。

 

 第六話「殺人鬼」

 

 雨生龍之介がマンネリに対して悩んでいる丁度その時、もう一人の殺人鬼が新都のホテルを見上げていた。男はトランシーバーを使い、相棒に連絡を取っている。

 

「此方は準備完了。外すなよ?」

『誰に言ってるんだ?』

 

 男は乾いた笑みを浮かべ、小さなリモコンを操作した。すると、次の瞬間、大地が大きく揺れ動いた。辺り一面が真赤に染まり、爆音と悲鳴が連鎖する。周囲はテロの予告によって逃げ出したホテルの客や野次馬による阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっている。

 内側から爆破された冬木ハイアットホテルが崩れていく。キチンと計算された爆破方法だった為に瓦礫は外に広がらず、被害も少ない。我ながら甘くなったものだと自嘲しながら、彼は空を見上げる。すると、魔力で強化した瞳が崩れゆくホテルの影に紛れ、ゆっくりと落下していく銀色の球体を発見した。

 このホテルにはマスターの一人が滞在していた。名前はケイネス・エルメロイ・アーチボルト。魔術協会の総本山である時計塔で講師をしている優秀な魔術師だ。彼が聖杯戦争に参加すると聞いた瞬間からジックリと調査を進め、彼の秘蔵の武器に関する情報を得る事に成功した。月齢髄液と呼ばれる魔力が染み込んだ水銀を彼は自在に操ると言う。案の定、彼は月齢髄液で安全に着地しようとしている。

 初めから、ホテルの崩落如きで彼が死ぬなどと楽観してはいない。これは布石に過ぎないのだ。ケイネスはあくまで研究者であり、戦闘者では無い。それ故に、ホテルの爆破という大規模な攻撃を自らの力のみで防ぎ切ったとなれば油断が生まれる筈。その一瞬の隙――――、地上数百メートルを降下する僅かな時間を必殺の勝機に変える手段が此方にはある。

 数キロ離れた先で弓に螺旋の刃を持つ矢を宛てがい、アーチャーは弦を引き絞る。

 

「新都一帯は全て、私の射程の内だ」

 

 放たれた矢は空間を螺子切りながら落ちゆく水銀へ向かっていく。最初にその脅威を察知したのはランサーだった。水銀の膜の向こうに迫り来る螺旋剣を見据え、ケイネスと伴侶であるソラウ・ヌァザレ・ソフィアリを抱え回避行動に出る。

 ランサーの咄嗟の判断に対し、ケイネスは月齢髄液を球体状から円盤型の足場に変形させる事で応えた。彼とランサーの関係はある理由の為に決して良好と言えるものではないが、咄嗟の行動に対して、咎めるより先にそうした行動に出られるくらいにはランサーの戦闘者としての力量を信用している。

 真横に跳ぶ事で螺旋剣の軌道上から逃れるランサー。直後に来ると予想した爆発は無かった。それがランサーに"次”の存在を予見させる。爆破が無かった理由、それは視界を爆煙によって遮られる事を嫌った為――――ッ。

 

「マスター! 第二射が来ます!」

 

 見ずとも分かる。遥か遠方、数千メートル先にて新たな矢を番える弓兵の姿。近場のビルの屋上に着地すると同時にランサーはケイネスとソラウを降ろし、迎撃すべく槍を振り上げる。

 第二射は先程の螺旋剣と赴きを異とするものだった。真紅の極光を纏い、飛来する矢をランサーは渾身の力で迎え撃つ。

 

「グゥゥゥウウウアアアアアアア!」

 

 音速を超えて飛来した魔弾。本来なら避けるべき一撃。けれど、彼の後方には守るべき主が居る。防ぎ切らねばならない。

 ケイネスの判断は早かった。このままではランサーの身動きが取れぬまま詰みの一手を打たれる。ならば――――、

 

「ランサー。令呪で援護する。私達が離れたら奴の首を貫きに天を舞え!」

「承った! 我が主よ!」

 

 ケイネスは肉体を強化し、ソラウを抱き上げる。

 

「ちょ、ちょっと、ケイネス!?」

 

 突然の事態に目を白黒とさせているソラウにケイネスは安心させる為に微笑みかける。そのまま、射手が居るであろう方角とは反対方向に駆け出し、月齢髄液を円盤状にして浮かばせる。

 躊躇無く、ビルの屋上から飛び降り、直後、ケイネスは令呪に魔力を奔らせた。

 

「我が従僕に命じる。天を翔け、射手を打ち倒せ、ランサー!」

 

 一気に急降下し、着地寸前に月齢髄液で落下速度を緩和する。頭上では土煙が舞っていて、ビル全体に亀裂が走っている。

 令呪とは、本来、行動を律するために用意されたものだが、その膨大な魔力はサーヴァントの一時的な強化をも可能とする。膨大な魔力が彼の活力へと強引に変換されていく。フィオナ騎士団随一の騎士と名高き、輝く貌のディルムッドは今正に生前の力を取り戻し、空へと翔ける。数千メートルの距離をゼロにする一歩。

 対して、弦に第三射目の矢を番えた弓兵は的の狙いを悟り、微笑む。

 

「タイミングを見誤ったな、ランサー」

 

 矢というものは当然だが、一度放てば軌道を修正する事など不可能。だが、放つ前ならば幾らでも修正が効く。どうせ跳ぶなら、アーチャーが第三射目を放った後に跳ぶべきだった。

 敵の愚かさを嘲笑し、アーチャーは必殺の矢を放つ。

 

「――――な、に?」

 

 だが、忘れるなかれ――――、敵は百戦錬磨の槍兵。伝説に最強の二つ名を残す英雄である。必殺の攻撃など、生前に幾度と無く受けている。迫り来る死を幾度と無く潜り抜けてきたからこそ、彼は伝説の英雄となったのだ。

 一度放たれた矢の軌道は変えられない。それはランサーにも当てはまる定理。故に直撃を避ける事は不可能。回避不可能な死を前に彼は笑う。

 侮るな。交差する筈の無い視線が交差し、弓兵は槍兵が自らの所まで辿り着く未来を幻視した。そして、それは現実となる。

 一体、いかなる技量があれば、そんな出鱈目な真似が可能となるのか――――、

 

「ハァァァァアアアアアア!」

 

 ランサーは音速を超えて飛来する矢に音速を超えて向かいながら槍を振るった。刹那にも満たない一瞬、ランサーの槍の穂先がアーチャーの矢に触れる。

 槍兵の狙いは矢と己の軌道を逸らす事だけだった。故に驚愕は彼のもの。矢は軌道を変えるどころか、触れた瞬間に掻き消えてしまったのだ。何かのトラップかとも思ったが異常は起きていない。既に目の前にアーチャーを視認している。思考を切り替え、黄の槍を構える。そして、着地と同時に彼は更なる驚愕によって表情を歪めた。

 

「マ、マスター……」

 

 マスターとの繋がりが途絶えたのだ。狼狽えるランサー。対して、弓兵は自らのマスターを賞賛した。ここまでの展開全てが彼のマスターの筋書き通りだったのだ。もっとも、ランサーが矢を放つ前に飛び出し、自身の矢を乗り越えて来る事は予想外だったが……。

 マスターの死への驚愕によって動きが一瞬止まったランサーの隙を逃さず、アーチャーは白い短剣でランサーの首を狙う。それを紙一重で防ぎ、戦闘態勢を整える。けれど、既にこの戦いは詰んでいる。

 ここまでの展開を予期していたという事は――――、ここにランサーが辿り着く事も予期していたという事。

 ランサーの死角から黒い短剣が襲い掛かる。それすら防ぐランサーだったが、空中に突如現れた大剣を防ぐ手立ては残っていなかった。それでも、背中を反らし、直撃を避ける。だが、後方からも剣が出現し、今度こそ腹部を貫かれた。血を吐くランサーにアーチャーは容赦なく、無数の剣を出現させ、殺到させる。全身を貫かれ、ランサーは恨み事の一つも残せずに消滅した。

 アーチャーはトランシーバーのスイッチを入れる。

 

「状況終了。そっちの被害は?」

『皆無だ。撤退するぞ』

「了解した」

 

 まずは一人目。予想通り、己の天敵となったであろう相手を最初に始末出来た事は行幸だった。これで残る敵は五体。内三体の居場所は分かっている。ライダーとキャスター。どちらも拠点を発見出来ていない上にライダーには厄介な機動力がある。

 昨日の内に倒しておきたかったのだが、不意打ちしたくらいでアッサリ倒れてくれるような楽な相手では無いらしい。正体不明のサーヴァントを従えている事からも、此度の聖杯戦争の最大の難敵は彼らだろう。

 撤退しながら、アーチャーは次なるターゲットを思い浮かべる。拠点を把握している三体の内、その正体もある程度看破出来た相手。セイバーのサーヴァントを落とす。

 奴のマスターは間桐雁夜。一度は魔術の道から逃げ出した落伍者。付け入る隙は幾らでもある。

 

「私はこのまま間桐邸を張る。君はどうする?」

『僕は舞弥と合流して次の一手の下準備を行う』

「了解した」

 

 己と彼が同時に単独行動を取る事で一つの懸念材料が生まれてしまうが、その懸念材料も安全の為に山一つ向こうの街に滞在してもらっている。慌てる必要は無いが後の早い内に布石を打って置きたい。

 

「とにかく、まずは間桐邸に向うとしよう」

 

 移動を開始しながら、アーチャーは一人の少女の顔を思い浮かべた。

 そういえば、彼女はもうあそこに居るのだろうか……。



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第八話「八人目」

 彼らが動いたのは深夜0時を回った瞬間だった。

 

「行くぞ!」

 

 一人の暗殺者の号令に他の暗殺者達が一斉に動き出す。彼らは元々一人のアサシンだった。生前、多重人格であった事を利用し、多種多様な暗殺を行った彼、あるいは彼女の来歴が昇華された宝具がこの奇妙な現象を生み出している。

 宝具の名は妄想幻像。人格の分裂に伴い、自身の霊的ポテンシャルを分裂させ、別個体として実体化させる能力であり、その容姿や相貌は多種多様。けれど、彼らの目的は唯一つ。マスターの救出である。

 彼らのマスター、言峰綺礼は師である魔術師・遠坂時臣が召喚したサーヴァント、ファニーヴァンプの傀儡と化している。あまりに得体の知れない相手故、慎重に様子を伺っていたが、今宵、ついに救出に動く運びとなった。幾人倒れるか分からぬ特攻だが、誰か一人でも主の下へと辿り着き、連れ去る事が出来れば成功だ。

 これ以上、我等が主を好きにはさせぬ。彼らは気配を遮断した状態のまま遠坂邸へと乗り込んだ。主の居場所は分かっている。邪魔が入る事も織り込み済み。一人二人が死ぬのも覚悟の上。

 

「マスター!」

 

 最初にその部屋に辿り着いたのは巨躯のアサシン。剛力自慢のアブドゥルアジズ。

 室内で行われていたのは性行為だった。二人の男が一人の女を傅かせている。

 危険を感じた。未来を先読みするような力は無いが、数多の暗殺を繰り返す中で得た直感が囁く。この行為の果てに底知れぬ"恐怖”が具現する、と。

 

「マスター!」

 

 飛び掛かる。ダークと呼ばれる短剣をファニーヴァンプではなく、その主である遠坂時臣の首に向けて投げ放ち、同時にマスターを抱え込む。

 時を同じくして、他のアサシン達も到着した。ここまでに罠の類は一切無かった。だが、彼らは警戒を緩めない。英霊としての直感が延々と警鐘を鳴らし続けている。

 危険だ。逃げろ。戦おうとするな。功を焦るな。今直ぐにここから離脱しろ。

 

「撤退!」

 

 アサシンの一人が叫ぶ。目的は達した。これ以上の深追いは禁物。ファニーヴァンプの打倒など、次の機会で良い。今は何よりマスターの安全が第一である。

 全てのアサシンが同一の意思の下、逃走を開始する。その瞬間、五人のアサシンの首が飛んだ。

 何が起きたのか理解出来ぬまま消滅していく五人。その光景を見ていた他のアサシン達は言葉を失っていた。

 ソレは――――、たった今、生まれたのだ。

 

「ば、馬鹿な……」

 

 仮に性行為が以前から行われていたとしても、ファニーヴァンプが召喚されたのはほんの数日前の事。赤子が生まれるには早過ぎる。

 いや、そもそもサーヴァントが人間の子供を孕むなど条理に反している。それに、生まれ落ちた瞬間に既に"成人”しているなどおかしい。

 そう、彼らは目撃したのだ。女の股から成人した男が這い出してくるという異様過ぎる光景を――――。

 

「――――母さん。俺の罪を見ないでくれ……」

「……いいえ、見るわ。これは私の罪。貴方の罪は私の罪なのよ、愛する息子」

 

 素肌を血で赤く染めた男。たった今生まれ落ちたばかりのファニーヴァンプの息子が手刀を振るう。それだけでまた一人死んだ。

 理解した。"アレ”は――――あの男はファニーヴァンプの宝具だ。

 

「マスターを守れ!」

 

 アブドゥルアジズが走る。他のアサシン達が彼の為に盾となる。

 男は片手をアサシン達に向けた。

 

「……"銃殺”」

 

 男の言葉と共に彼の手の中に一丁の黒光りする拳銃が現れる。

 

「ッハ! そんなもので――――」

 

 アサシンの一人が嘲笑と共に飛び出す。男はそのアサシンに狙いを定め、引き金を引く。すると、そのアサシンは死亡した。

 

「……は?」

 

 その声は誰のものか、アサシン達は目の前で起きた事象を理解する事が出来なかった。如何に霊的ポテンシャルを分割しているとはいえ、彼らはサーヴァント。拳銃などという神秘を殆ど持たない兵器に殺されるなどあり得ない。

 ならば、この事態は一体何事か? そんな疑問が脳裏を過った時、既に彼らは死んでいた。それは銃弾を受けた事による死では無い。これは――――、

 

「死の……、概念……。貴様は……、一体?」

 

 死の間際にアサシンの一人が呟いた言葉に男は応える。

 

「――――単なる"人殺し”さ」

 

第八話「八人目」

 

「どうするんだ?」

 

 屋敷に残っていたアサシンを皆殺しにした後、生まれ落ちたばかりの男は自らの母に問う。彼女は涙を流していた。自らの主であり、息子であり、伴侶であった男の亡骸を抱えて泣いている。

 遠坂時臣の首にはアブドゥルアジズのダークが突き刺さっている。ファニーヴァンプは凶刃から彼を守る事が出来なかった事を嘆き悲しんでいる。

 

「ああ、私の愛しい息子。守れなかった……。ごめんなさい……。貴方も理想郷へと導いてあげたかった……」

「導けばいい」

 

 男は言う。

 

「聖杯が真に万能ならば、彼の命を蘇らせる事も可能な筈。だから、悲しまないでくれ、母さん。聖杯は必ず俺が貴女に捧げるから」

「――――そうですね。私に立ち止まっている時間など無い」

 

 ファニーヴァンプは立ち上がる。

 

「まずは新たなマスターを見つけるとしよう。さすがに、母さんでも憑り代であるマスターが居なければ、直に現界を維持出来なくなる」

 

 男の言葉にファニーヴァンプは頷く。

 

「分かったわ。でも、どうすればいいのかしら……」

「俺が適当に見繕ってこよう」

「ごめんなさい……。生まれたばかりの貴方に苦労ばかり……」

「気にするな。俺も理想郷へと至らねばならない。赦しを得る為に……」

 

 男は母の新たな主を探すため、踵を返した。廊下に出て、外の世界へと駆けて行く。既に出産時に浴びた血は消え、代わりに鮮血の如く赤い衣を身に纏っている。

 ファニーヴァンプは嘗ての主を抱き抱えると、慎重に彼の寝室へと運んだ。とても苦労しながら、彼が目覚めた時、いつもの朝を迎えられるように――――。

 

 生まれたばかりの男は街に出て直ぐに魔力を持つ者を幾人か見繕った。

 

「――――さて、どれが母さんのマスターに相応しいかな」

 

 しばらくの間、候補の者達を観察していると、一人の青年が興味深い行動を行っている事に気がついた。

 

「アレはサーヴァントを召喚しようとしているのか?」

 

 その青年はサーヴァントの召喚陣を描き、呪文を詠唱している。既に七騎の英霊が揃っている以上、彼がサーヴァントを召喚する事は不可能だ。それを知らずにいるのか、知っていて尚諦めきれていないのか定かではないが、何れにせよ、彼がマスターになりたがっている事は間違い無い筈。

 他の候補達はそれぞれ組織立った動きを見せているか、あるいはその反対に仮初めの平穏を享受している。前者は恐らく魔術協会か聖堂教会の関係者だろう。後者はそもそも聖杯戦争の事自体を知らない可能性が高い。

 背後に大きな組織を持つ者は扱いが面倒だし、後者を巻き込めば監督役が動く可能性がある。余計な手間は省くに限る。

 

「彼にしよう」

 

 男は呟くと同時に飛んだ。青年が作業を行っている部屋の一室へと窓を突き破り侵入した。

 青年は驚きに目を見開き、男を見つめている。

 

「お前、サーヴァントが欲しいんだろう?」

「……えっと?」

 

 戸惑い、首を傾げる青年に男は言う。

 

「お前をマスターにしてやる。ついて来い」

「はい? いや、アンタ誰?」

 

 目を丸くする青年の言葉を無視して、男は彼が描いた召喚陣の上でもがく二人の幼子を見た。腹部を切開され、抜き出された腸同士を結ばれている。

 

「……お前がやったのか?」

 

 男の問いに青年は何故か誇らしげに頷く。

 

「勿論!」

「何故だ……?」

 

 男は問う。

 

「何故、このような事をする?」

 

 それは純粋な疑問だった。勘違いか何かで召喚の為の生贄を用意したのだとしても、取り出した腸同士を結ぶなど、意味が分からない。

 

「知りたいからさ」

 

 青年は微笑む。まるで悟りを開いた賢者の如く、穏やかな声で彼は言う。

 

「人の死って奴の本質を俺は知りたいんだ」

「……その為に殺したのか?」

「そうだよ」

 

 男は問う。

 

「罪深い行いだとは思わないのか?」

「どうして?」

 

 心底不思議そうに問い返す青年に男は言う。

 

「人を殺す事は罪だ」

 

 そんな彼の言葉に青年はつまらなそうな声で応える。

 

「でも、この子達はいつか死ぬんだよ? もしかしたら、何の意味も無く、何の価値も示せずに死ぬかもしれない。そんなの可哀想じゃないか」

「可哀想……? では、お前に殺される事に意味や価値があるとでも?」

「勿論さ」

 

 青年は自信満々に応える。

 

「俺は人を殺す時、その死を徹底的に堪能するようにしてるんだ。より多くの刺激と情報を得るために、一人を殺す為に丸一日かける事だってある。俺が殺してやる方が取るに足らない命を惰性のまま生かしておいて、無意味に死なせるより、よっぽど有意義だよ」

「……お前は人間が嫌いなのか? だから、人間の死を探求するのか?」

「まさか、違うよ。その逆さ」

 

 青年は未だに息のある二人の幼子の腸を軽く叩いた。苦しみに歪む幼子達を青年は愛おしそうに見つめる。

 

「俺は人間を愛しているんだ。だから、殺すんだよ。愛する人の事を知りたいっていう気持ち、アンタにだってあるだろ?」

「……だが、人を殺す事は罪だ」

「どうして?」

 

 青年の問いに男は直ぐに切り返すことが出来なかった。

 口篭る男を無視して、青年は言葉を続ける。

 

「その死によって、何かを掴む事が出来たなら、それは無意味な死を意味あるものにしたって事だ。それって、凄く生産的じゃないか」

「人を殺す事が生産的な行い……だと?」

 

 男は青年が幼子達へ向ける自愛の表情を見つめ、慄いた。それは彼にとって、まさに青天の霹靂と言うべき考え方だった。

 

「人を殺す事が罪だなんて間違ってるよ。だって、人は死の瞬間にこそ、輝くんだからね。その人の生命力、人生への未練、怒りや執着といった感情。それらが凝縮された刹那の輝きを見たら、それを罪深い行為だなんて思えないよ」

 

 男は改めて青年を見た。端から見たら至って普通の好青年に見える。だが、その本質は天性の殺人鬼。男は彼に強く興味を惹かれた。

 

「人を殺す事がお前にとっての人への愛なのだな」

 

 男は青年の手を取った。

 

「お前に興味が湧いた。母さんのマスターになってもらう予定だったが、お前を人形にするのは惜しい」

 

 男は上唇を舐め、青年に問う。

 

「もっと、お前を知りたい。お前の殺しを手伝わせてくれないか?」

「え?」

 

 男は青年の頬を撫でる。

 

「お前の探求の果てを見たいんだ。もしかしたら、俺は赦される必要など無いのかもしれない」

「つまり……、アンタも一緒に殺しがしたいって事?」

「そうじゃない。俺は人を殺すお前を知りたいんだ。だから、獲物の殺し方はお前に委ねる。俺はただ、お前が殺しやすい環境を整え、お前が殺したいだけの数の獲物を揃え、お前のしたい殺し方が出来るように手伝ってやるだけだ」

「……今更だけど、アンタって何者? ここ……、マンションの十階なんだけど、どうやって来たの?」

 

 青年の問いに男は微笑む。

 

「ここへは飛んで来たんだ。そして、何者かと問われれば、そうだな……、俺はさっきソレでお前が呼び出そうとしていたものだ」

 

 男が指差した先にある召喚陣を見て、龍之介は驚きに目を見開く。

 

「つまり……、アンタは悪魔って事?」

「悪魔……か、俺には相応しい呼び名だな。ああ、そうだ。俺は悪魔だ」

「マジで……?」

「とりあえず、場所を移すとしよう。さっき、窓を割った音でここの住人達が騒ぎ始めているようだ」

 

 男はそう言うと、青年を抱きかかえ、自らが破壊した窓から外へと飛び出した。青年は突然の事に目を丸くし、しばらくして、歓声を上げた。

 

「COOL! なんてこった! 俺達、空を飛んでる!」

「ッフ、楽しんでもらえて何よりだ。ところで、まだ了解を貰っていない」

「……それって、悪魔との契約ってやつ?」

「別に魂を奪うつもりなんて無い。ただ、示して欲しいんだ。お前の探求の果てにあるものを」

 

 男の真剣な口調に青年も表情を引き締めて応える。

 

「俺もアンタに興味が湧いてきたよ。オーケー、分かった! そんなに興味があるなら見せてやるよ! 俺の名前は雨生龍之介。俺の殺しっぷりに期待してな!」

「ああ、期待させてもらおう。俺の名は――――」



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第九話「出会い」

 知らない街並み。知らない人々。知らない空。私にとって、何もかもが初めてのものだった。もしかしたら、嘗て、この風景を見た事があるのかもしれないけれど、今の私には記憶というものが欠落している。

 最後の記憶は赤い男。男は私に向かって黒い銃を向け、引き金を引いた。そして、気が付くと私は街灯の傍に横たわっていた。あの男は一体何者なんだろう。それ以前、私は一体誰なのだろう……。

 

「――――……?」

 

 意識を切り替えようと、奮起の一声を上げようとして気がついた。

 声が出ない。パニックを起こしそうになる。喋ろうとしても、どうやって喋ればいいのかが分からない。これでは悲鳴を上げたり、助けを呼ぶ事も出来ない。

 恐怖が心を乱す。今、あの赤い男が現れても、私に抵抗の手段は無い。

 走る。目的地なんて無い。ただ、逃げる為に走る。

 助けて。誰か、助けて。

 いくら心で叫んでも、誰にも届かない。でも、叫ばずにはいられない。

 誰か私を助けて……。

 

 第九話「出会い」

 

「これは一体……」

 

 アーチャーは間桐邸の地下空間に降り立ち、その惨状に言葉を失っていた。どこもかしこも焼き払われている。余程念入りに焼いたらしく、隅々まで真っ黒だ。人骨はあれど、生者の姿はどこにもない。

 彼はここがどういう施設なのかを知っていた。ここに居るべき少女の存在も……。

 

「桜……」

 

 過去の改竄になど興味は無い。だが、目の前で起きると分かっている悲劇を黙って見過ごす事など出来ない。今も彼女がここで苦しんでいるなら、助けたいと思っていた。

 自分の事を先輩と呼び、慕ってくれた後輩。ずっと、一緒に暮らしていた家族。ずっと苦しんでいたのに、手遅れになるまで気付いてやる事すら出来ず……――――。

 

 ――――先輩。もしも、私が悪い子になっちゃったら……。

 

 そう言って、伸ばしてくれていた彼女の手を俺は振り払ってしまった。桜が悪い子になどなる筈無い。聖杯戦争が終わって、漸く取り戻した日常を壊したくなくて、笑い飛ばしてしまった。

 あの後、直ぐに彼女は行方が分からなくなり、大聖杯の解体の為に遠坂がロード・エルメロイⅡ世を引き連れて戻って来た時、彼女は臓硯の操り人形と成り果てていた。もう、殺す以外に救う手立てが無かった。

 笑ってしまう。大切な家族を殺しておいて、正義の味方の化身などと……。

 

「どこに居るんだ……」

 

 一通り見て回ったが、桜の姿はどこにも無かった。刻印虫の姿さえ無い。

 

「妙だ……」

 

 幾ら何でも徹底され過ぎている。この惨状を作り上げたのが敵の襲撃によるものならば、ここまで入念に焼く必要は無い筈だ。それに、この空間は焼かれているだけで、何かが暴れ回ったような痕跡が一切見当たらない。

 間桐も雁夜というマスターを用意してサーヴァントを召喚した筈だ。なら、ここに敵が強襲を仕掛ければ、確実に戦闘になった筈。にも関わらず、ここには戦闘の痕跡が一つも無い。これはつまり――――、

 

「ここを焼いたのは雁夜のサーヴァントか?」

 

 間桐雁夜は一度、この屋敷から逃げ出している。フリーのルポライターとして、海外を転々としていたと聞く。そんな彼が突然戻って来て、マスターとなり、この地下空間を焼いた。

 

「……まさか、雁夜の目的は」

 

 一般人の感性を持っているなら、こんな場所で蟲に犯されている少女が居ると知れば、何とかしようと動いても不思議ではない。

 そう考えると、一度は魔術の道に背を向けておきながら、こんなタイミングで戻って来た理由も分かる。

 

「……だとしたら、どうして」

 

 この世界はアーチャーが生前を過ごした世界と微妙に異なる流れを汲んでいる。アーチャーがこの時間軸に召喚された時点でそれは決定的だ。

 本来、この時間軸に切嗣によって召喚されるべきはセイバーのサーヴァント、アルトリアである筈なのだから……。

 

「仮に雁夜が桜を救う為だけにマスターとなったなら……」

 

 脳裏に切嗣の顔が浮かぶ。もし、この事が彼にバレたら、確実に桜が人質となる。そうなったら、彼女は確実に殺されるだろう。

 話し合いで解決など論外だ。迅速に雁夜のサーヴァントを始末しなければならない。

 

「何とか、痕跡を辿れるといいのだが……」

 

 アーチャーは無線を取り出した。

 

「マスター。どうやら、先を越されたらしい。間桐邸の地下に広い空間を見つけたんだが、サーヴァントによって焼き尽くされていた」

『……分かった』

「私は情報収集に回る」

『頼む』

 

 無線機を仕舞い、アーチャーは間桐邸を後にした。

 

「……さて」

 

 霊体化した状態で街を奔走しながら、アーチャーは状況を整理する。

 あの空間を焼いた炎は間違いなく魔術によるもの。それもかなり高位な魔術によるもの。炎の魔術を纏う宝具によるものという可能性もあるが、既に素性の割れているセイバーとランサー、そして、ライダーによるものではない。残るクラスは己を含めて四つだが、アサシンやバーサーカーによるものとも考え難い。

 

「ならば、残る候補はキャスターのみ……」

 

 アーチャーの視線の向こうには嘗ての級友が今も住んでいる筈の山――――、円蔵山。あの場所にはアーチャーの生前の第五次聖杯戦争でキャスターのサーヴァントが拠点を置いた前科がある。

 あの場所はこの地の竜脈が集う場所であり、周囲が天然の結界に覆われているというキャスターが拠点を置くには絶好の場所なのだ。

 

「……と思ったんだけどな」

 

 いざ到着してみると、サーヴァントの気配は全く無かった。アテが外れた事もあり、肩を落としながら街中の散策に戻る。

 円蔵山以外だと、遠坂邸と言峰教会、それに、新都の一角が候補となるが、最大の霊地である円蔵山が空振ったとすると、そちらも望み薄だろう。

 

「潜伏されたとなると、厄介だな……」

 

 キャスターは時間を置けば置くほど厄介になっていくクラスだ。本当に桜を人質にする以外手立ての無い状態になる前に倒してしまいたい。

 眉間に皺を寄せるアーチャー。念の為に確認しようと新都の方角に足を向けた瞬間、ソレは起きた。

 

「あれは……」

 

 突如、数多のサーヴァントの気配が現れた。

 

「遠坂邸の方角……」

 

 千里を見通すアーチャーの眼はその異様な光景を確りと脳裏に焼き付けた。

 逃げ惑う暗殺者達。そして、銃を握る赤い服の男。

 無数のアサシン達が次々に倒れていく。身を潜めながら、アーチャーは無線機を取り出した。

 

「聞こえるか?」

『状況は分かっている』

「どう動く?」

『まずはアサシン達に退場してもらおう』

「自作自演の可能性は?」

『無いだろう。あれは恐らく自己を複製、あるいは分裂させる能力。そんなものがあるなら、分身体の一体を殺させ、残りを隠蔽する筈だ。それより、あの赤いサーヴァントの情報を出来る限り拾い集めるんだ』

「ああ……。あの拳銃は宝具かな」

『恐らく。だとすると、君と同じ現代の英雄かもしれないな』

 

 この可能性を忘れていた。サーヴァントのクラスは基本的にセイバー、ランサー、アーチャー、ライダー、キャスター、アサシン、バーサーカーの七つだが、固定されているのは三騎士のクラスのみであり、残るクラスが非正規なものと入れ替えになる可能性も十分にありえるのだ。

 あの赤い男を仮にスナイパーのクラスと仮定すると、間桐邸の地下空間を焼いたサーヴァントもキャスターであると断定する事が出来なくなる。キャスターばかりを追って、取り返しのつかない事態になる事は避けたい。

 

「まったく、聖杯戦争は厄介事に事欠かないな」

 

 やがて、アサシンが完全に駆逐された後、赤い男は一度邸内に戻り、再び新都の方角へと飛んで行った。警戒しつつ、周囲の状況を探る為に背の高いマンションの屋上に昇る。すると、幾つかの人影が集っているのが見えた。彼等はカソックを身に着けた青年を車に積み込んでいる。

 

「あれは……、聖堂教会か?」

 

 あの装備には見覚えがある。どうやら、あの青年がアサシンのマスターだったらしい。神父姿といい、どこか見覚えのある顔つきといい、今の内に息の根を止めておいた方が世の為人の為とも思うが、下手に教会に刺激を与え、ペナルティーを加えられても困る。

 それからしばらくの間、マンションの屋上で情報収集に専念していると、アーチャーの目に一人の少女の姿が映り込んだ。

 

「……まったく」

 

 舌を打ち、空を舞う。一足跳びで少女の目の前までやって来ると、アーチャーは黒い短剣を取り出した。

 少女はギョッとした表情を浮かべ、怯えながら後ずさる。

 

「マスターは教会に確保されてしまったが、サーヴァントだけは始末しておこう」

 

 少女はサーヴァントだった。恐らく、あのアサシンの分身体の一つ。まったく、よりにもよって、こんな見た目の分身体を最後に残して行くとは……。

 アーチャーは嘆息しつつ、その首を落とす為に短剣を振り上げた。

 

「ALALALALALALALAie!!」

 

 瞬間、雷鳴が轟いた。遥か上空から稲妻が地上に落ち、ライダーのサーヴァントが姿を現した。神牛が引くチャリオットの上には彼のマスターの姿もある。

 

「お、お前、何してるんだよ!」

「……分からないのか?」

 

 冷たい眼差しを向け、容赦無く短剣を振り下ろすアーチャー。ライダーのマスターは咄嗟に叫んだ。

 

「あの子を助けろ、ライダー!」

「おう!」

「なに!?」

 

 そのあり得ない行動にアーチャーは瞠目し、回避行動を行った。神牛が通り過ぎていく。あの小柄なアサシンのサーヴァントと共に――――。

 

「……何のつもりだ、ロード・エルメロイⅡ世」

 

 アーチャーは彼の事を知っていた。生前に会った事がある。気難しい性格だったが、大聖杯の解体の際に手を貸してくれた。何故、彼がアサシンを助けたのか理解に苦しむ。彼ほどの男ならよもや、アサシンを一般人の少女と間違えて助けに入ったなどという事も無かろう。何かに利用するつもりなのだろうか……。

 

 そんな風にアーチャーが思考しているとはいざ知らず、ウェイバー・ベルベットは正に彼の“無かろう”と断じた勘違いの下で行動していた。彼はアサシンを一般人の少女と思い込み、ライダーに慌てて降下を命じたのだ。

 今まさに口封じされようとしていた目撃者の少女と勘違いし、ウェイバーは恐怖に慄く少女の髪を撫でた。

 

「ああ、もう! 僕は何をしてるんだ!」

 

 正しいのは口封じをしようとしたアーチャー。魔術師として、神秘は隠匿するべきだ。それを分かっていながら、つい咄嗟に助けてしまった。我ながら間抜けな話だ。

 溜息を零すウェイバーとは対称的にライダーは楽しそうに笑っている。

 

「いや、良い決断だったぞ! 幼子が殺されようとしておるのだ。黙って見ている事など出来ぬというお前さんの気持ち、よく分かるぞ。実に天晴れな采配だ」

「でも……、こいつ、どうしよう。おい、お前の名前は何ていうんだ? とりあえず、家に連れて行ってやるから教えてくれよ」

 

 溜息混じりにウェイバーが問う。けれど、少女は口をパクパクさせるだけで何も答えない。首を傾げるウェイバーに少女は悲しそうに俯く。

 

「……もしかして、喋れないの?」

 

 ウェイバーの問いに少女が頷く。ウェイバーは殊更大きな溜息を零した。

 

「じゃあ、家の方角は?」

 

 ウェイバーが問うと、少女は困ったような表情を浮かべて首を振る。

 

「分からないの? じゃあ、とりあえず空から――――」

 

 ウェイバーの言葉を遮り、少女は自分の頭を指差した。

 

「なんだ?」

 

 首を傾げるウェイバーに少女は自分の頭を何度も指差し、人差し指同士でバッテンを作った。

 

「頭がバッテン……?」

「……おい、小娘。もしや、お前さん……、記憶が無いと申すか?」

 

 ライダーの問いに少女は悲しそうに頷く。ウェイバーは同時に頭を抱えた。

 

「アイツのせいだな!」

 

 ウェイバーの脳裏に浮かぶのはアーチャーの姿。

 

「ってか、アイツだよな? アサシン達を皆殺しにしたのって……」

「恐らくな。実際にその光景を見たのは使い魔と視界を共有しておったお主だけ故、断定は出来ぬが……、奴の形を見る限り、恐らく弓兵だろう」

「なら、ほぼ間違いなしだな……」

 

 あの光景は今思い出しても寒気がする。あまりにも一方的過ぎる虐殺劇だった。正直、よくアイツの前に飛び出せたと思う。

 

「……でも、そう考えると、どうしてアイツ、僕達を撃って来なかったんだろう」

「準備に一手間掛る手合いなのかもしれん。いずれにしても、奴は間違いなく強敵だ。あの倉庫街での一戦の後、我等を狙撃しようとしおったのもアヤツに間違い無い」

「まじかよ……」

 

 ウェイバーは頭を抱えながら、傍らで蹲る少女を見下ろす。アイツに目をつけられた以上、下手に警察を頼ってさよならするわけにもいかない。目撃者として、再び消しに来る可能性があるからだ。

 大きな溜息と共にウェイバーは言った。

 

「悪いけど、暫くは僕らと一緒に行動してもらうよ」

 

 ウェイバーの言葉に少女は首を傾げる。

 

「変な事はしないから安心しなよ。とりあえず、今、この街ではお前が目撃したみたいな厄介な連中が動き回ってる。だから、お前の記憶が戻るか、厄介な連中が軒並み居なくなってから、一緒に家を探してやるよ。だから、ちょっと我慢してくれ」

 

 ウェイバーの言葉を今度こそ理解出来たらしく、少女は小さく頷いた。

 

「それじゃあ、一度帰ろう、ライダー」

「ああ、承知したぞ、坊主」

 

 クククと笑いながらライダーは神牛を走らせる。天に舞い上がると、少女はビクビクと震え、ウェイバーにしがみ付いた。その姿を横目に見ながら、ライダーは思考に耽る。

 彼は少女の正体を既に把握している。だが、同時に少女の目に虚飾の色が無い事も見抜いている。

 記憶喪失な上に言葉も話せないサーヴァント。恐らく、虐殺されたアサシン達の生き残りだろう。

 面白い状況だ。正直言って、暗殺者如き、アーチャーにくれてやっても良かった。だが、ウェイバーは少女を助けろと命じた。恐らく、サーヴァントと人間の区別がついていないのだろう。無理も無い話しだ。この娘の霊的ポテンシャルは殆ど霞も同然。同じサーヴァントだからこそ分かる程度の微かなものだ。

 この小娘がウェイバーに牙を剥くにしろ、お姫様のまま守られ続けるにしろ、ウェイバーにとって大いなる試練となるだろう。そして、その試練を乗り越えた果てに彼は大きく成長する事だろう。

 

「坊主」

「なんだ?」

「確りやれよ」

「……お、おう?」



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第十話「蠢動」

 ウェイバー・ベルベットは悩んでいた。右を見れば、肩肘を衝いて横になりながらゲームに興じる赤毛の巨漢。左を見れば、動物図鑑に興味津々な褐色肌の少女。二人共、勝手気ままに過ごしている。別にそれを責めているわけじゃない。ただ、もう少し、事態に真剣に取り組んで欲しいと願っているだけだ。

 聖杯戦争が始まって、既に数日が経過している。この短い間に倉庫街が壊滅し、新都のホテルが爆破され、昨夜はついにアサシンが脱落した。参加者達の動きも徐々に活発化し始め、戦いはいよいよ激化の一途を辿っている。手をこまねいている暇など無い。少しでも実りある行動に出るべきだ。

 ウェイバーは昨夜、使い魔越しに見た光景を脳裏に浮かべた。遠坂邸に集結した無数のアサシン達。そして、そのアサシン達を一方的に虐殺した赤い男。

 左を見る。幼い少女の背中を見ながら、彼女を殺そうとしていた男の姿を思い出す。

 

「……違う」

「ん?」

 

 ウェイバーの呟きにライダーが体を起こし、顔を向ける。

 

「どうした?」

「……昨夜、アサシンを皆殺しにした男とコイツを殺そうとしていた男。両方共、赤い服を着てたから、同一人物だと思い込んでたんだけど、よく考えてみると違う気がするんだ」

「して、その心は?」

 

 ウェイバーはムッツリ顔で腕を組む。

 

「倉庫街で狙撃された時の事。お前はあの時に使われた弾丸が刀剣を矢の形に加工したものだったと言ったよな?」

「ああ、言ったとも。それも、かなりの名剣と見た」

「だけど、アサシンを殺した男が使っていた獲物は銃だった」

「それで?」

「倉庫街に現れた狙撃手の獲物は刀剣をわざわざ矢の形に加工した以上、恐らく弓である筈だ。銃と弓を同時に使う英霊なんて聞いた事が無い。用途によって使い分けるにしても、銃を持ってる奴が弓を使うとは思えない。きっと、この二人は別人だ」

 

 ウェイバーは脳内に散らばっている情報の断片を必死に繋ぎ合わせていく。彼はチラリと少女を見た。

 

「コイツを襲った男の獲物は黒い中華風の短剣だった。でも、セイバーは他に居る。つまり、アイツはセイバー以外のクラスで現界していながら、剣を使うタイプの英霊なんだ。しかも、クラスはアーチャーだった」

「……では」

「ああ、そうだ。刀剣を矢として使う狙撃手と剣を握るアーチャー。きっと、こいつらこそが同一人物なんだ」

「なら、アサシンを殺した男は……」

「奴こそ別人だ。アーチャー以外のクラスで現界しておきながら、銃による狙撃でアサシンを皆殺しにした男……」

 

 ウェイバーは相棒がプレイしているゲームのパッケージを見た。男が使っていた獲物はここ数十年以内に生まれたフルオートの拳銃。恐らく、それが奴の宝具なのだろう。あり得ない話じゃない。現代では英霊となるような偉業を為す人間など滅多に居ないが皆無というわけでも無い。

 

「……ライダー。お前の本、ちょっと借りるぞ」

「おう、好きにしろ」

 

 ライダーは黙々と本のページに目を通すウェイバーを満足そうに見つめている。

 彼に渡した本は軍人名鑑。恐らく、そこに答えがあると思っているのだろう。

 

「フィンランドの英雄、シモ・ヘイヘか……。けど、奴は赤い装いだった。白い死神と称された彼なら白い装束を身に付けて現界する筈……。ソビエト連邦の英雄、ヴァシリ・ザイツェフは赤旗勲章ってのを貰ってるけど……。そもそも、狙撃手が赤い服って……。もしかしたら、実在しない狙撃手とか? なら、エルヴィン・ケーニッヒなんか……」

 

 ぶつぶつと呟きながら候補を上げていくウェイバー。付箋だらけとなった軍人名鑑を片手に立ち上がり、彼はライダーに言った。

 

「出掛けるぞ、ライダー」

「分かったのか?」

「全然……。候補は幾つか見つかったけど、決め手に欠ける。今ある情報だけだと真名の看破は不可能だ。それより、気になる事があるんだ」

「気になる事?」

「昨日、新都にある冬木ハイアットホテルって所で爆破事件が起きたらしい。どうも、テロの予告があったらしいんだけど……」

「十中八九、聖杯戦争絡みだな」

 

 ライダーの言葉にウェイバーはうんと頷く。

 

「テロ組織がこんな都市部から離れた辺鄙な街のホテルを爆破する理由なんて無いだろうし、こんな日をピンポイントで狙うなんて、偶然とも思えない。恐らく、いずれかのマスターによる襲撃だ。多分、狙われたのは……」

 

 ウェイバーの脳裏に嫌味な教師の顔が浮かぶ。必死になって書き上げた論文をこき下ろし、挙句、晒し者にした憎むべき相手。彼の性格を考えると、あのホテルに滞在していた可能性が高い。

 

「あの人がそう簡単に殺されるとは思えない。けど、一度現場に向かい、何らかの痕跡が無いか、確かめる必要があると思う」

「……うむ。余はマスターの指示に従おう」

 

 第十話「蠢動」

 

 私の生前の人生は割りと悲惨な部類に入ると思う。少なくとも、日本人に生まれた女としてはだけどね。それでも、最悪って程酷かったわけでもない。だって、私にはある程度の自由があったし、止めようと思えば止められた。止めなかったのはあくまで私の意思が理由であり、それもまた、私の自由の一つだった。

 本当に不幸な女の子を何人か知っている。例えば、池袋で働いていた時に知り合ったナツメちゃん。彼女は親の奴隷だった。それは単なる言葉遊びやプレイの一環としての呼称じゃなくて、本当の意味での奴隷。彼女の体は隅から隅まで親の為にあり、自由は一切無かった。

 彼女の出演しているビデオの数は私が出演した数の十倍。部屋での私生活は常にネットを介して世界中の人々に覗かれている。口にする事すら憚られるような汚物の味もよく知ってるらしい。当然のように病気になり、病気の人相手に商売したり、どんどん特殊な企画に参加したりして身を削り続けた挙句、いつの間にか消息が分からなくなった。全ては親の豊かな生活の為。

 人道に反している。彼女の境遇を聞いた人は口々にそう言う。けど、そんな彼女のビデオやネット配信、サービスを買っている人が大勢居る事も事実。死ぬまで大人のビデオやネットのそういう動画を一度も見ない人生を送る男の人って、一体何人居るんだろう。結局、商売というものには必ず客がいるのだ。だからこそ、成り立つのだ。どんなに人道に反していようが求める人が居る限り潰える事など無い。

 何が言いたいかと言うと、どんなに自分がどん底に居るように見えても、下には下が居るという事。その事実が強さをくれる。あの子よりはマシだ。そう思うだけで、心はずっと楽になる。醜い考え方だと罵倒する人が居たら、その人は自分の事を鏡で見た事が無いに違いない。少なくとも、私はナツメちゃんや他の悲惨な人生を送っている女の子達のおかげで生きていられた。

 

「もう……」

 

 だからこそ、そんな目で見ないで欲しい。私はあの子達よりもずっとマシな人生を歩んでいる。糞尿の味など知らずにすんでいるし、全身がピアスだらけになっているわけでもない。ただ、蟲に全身を舐め尽くされただけだ。痛い時もあったけど、殆ど許容範囲。大抵、あの子達は私に素晴らしい快楽を与えてくれた。

 

「おじさん……」

 

 おじさんを悲しませたくない。だから、娼婦であった事を忘れて、普通の女の子として振る舞おうと頑張った。けど、おじさんやセイバーの態度が私を普通の女の子にしてくれない。どんなに演技をしても、哀れな存在に戻されてしまう。

 料理を作ってあげても、私の料理に対する感想より先に私への気遣いの言葉が飛び出してくる。何かちょっとでも頑張っている姿を見せると、痛々しいものを見るような眼差しを向けられる。

 彼らに悪気なんて一切無い事は分かってる。むしろ、私の捉え方がひねくれ過ぎているのだという事も理解してる。でも、このままだと堪忍袋の緒が切れてしまう。頑張る事が面倒になってしまう。でも、そうなるとおじさんが悲しむ。何という負の連鎖だろう。

 正直言うと、私は娼婦としての自分で居る方が楽。今更清く正しい心を育むなんて、どうあっても不可能だから、結局、演技を磨いているだけだもの。

 

「いっそ、愛の告白でもしてみようかな?」

 

 悪くない考えだと思う。別に恋愛感情なんて持ってないけど、彼をヒーローにする一番手っ取り早い方法だと思う。加えて、告白するくらい今の生活を幸せに感じているアピールも出来る。

 まあ、おじさんの事だから、必死に説得して来るだろうけど、適当に相槌を打って済ませてしまえばいい。それで今の状況が改善されるなら悪くない。万が一にもおじさんがロリコンへと覚醒し、私の告白を受けても、それはそれで構わない。ストーカー思考があるとは言え、悪辣な性格をしているわけでもないし、容姿もキャスターの治療によってゾンビから優男へ戻っている。恋人ごっこをする相手としては悪くない。

 

「ヨシ! これで行こう!」

 

 後はなんて告白するかだけど、変にロマンチックな言葉を使うと寒いだけだ。ここは単刀直入に……。

 

「おじさん! 愛してるよ!」

 

 私は自室を飛び出し、おじさん達が詰めている居間に飛び込み言った。

 

「……桜ちゃん」

 

 ジーザス。何がいけなかったんだろう。おじさんが顔を両手で覆って泣き始めた。わけがわからない。救いを求めてセイバーに顔を向ける。

 

「……桜様。気をしっかりとお持ち下さい」

 

 凄く真剣な表情で言われた。どうやら、いきなりトチ狂った事を言い出して、ついに頭がおかしくなったんじゃないかと思われているらしい。

 

「……大丈夫だよ。私は正気だから、そんな目で見ないで下さい」

 

 せめて呆れて欲しい。本気で哀れまれると、自分が本当に正気なのか自信が無くなってしまう。

 くっそー。愛の告白なんてしたこと無いし、ドラマとかアニメの告白シーンで使うようなセリフは寒すぎて勘弁だし、シンプルにいこうと思った結果がこれだよ。

 

「……あれ? キャスターは?」

 

 気を取り直して部屋の中を見渡すと、いつもソファーで寛いでいるキャスターの姿が無い。仮面にローブという怪しすぎる格好でソファーに寛ぐ彼女の存在が無くなると、この部屋にも普通という形容詞が戻ってくる。

 

「キャスターは予てから調査していた小規模な霊地の神殿化に取り組むそうです。しばらく、ここを留守にするとの事です」

「……私、マスターなのに何も聞いてないんだけど」

「お土産にケーキを買ってくると言ってましたよ」

 

 前から思ってたけど、キャスターは私をマスターとして扱ってくれてない気がする。まるで親戚の子供扱いだ。扱いに困ってる感が何とも……。

 

「……もういいや、面倒くさい。セイバー、オセロやろ」

「いいですよ」

 

 逆にセイバーは私の扱いが上手い。実のところ、おじさんと居るよりも気が楽になる。時々、こっちを哀れんだりしなければ完璧なんだけど、さすがに望み薄かな。この人も中々のお人好しだからね。

 結局、夕方まで延々とセイバーに遊んでもらった。オセロやポーカー、チェスに将棋。私と遊ぶためにわざわざルールを覚えてくれた辺り、本当に人が良い。

 おじさんはと言うと、使い魔を通して街の監視をしている。刻印虫は取り除かれたけど、私が逆レイプして繋げたラインのおかげである程度魔術を使えるみたい。

 

「これは……」

 

 突然、おじさんが口を開いた。

 

「どうしました?」

「教会に煙が上がってる。これは……、狼煙か?」

 

 おじさんは教会の近くに飛ばしてある使い魔にチャンネルを変えた。しばらくすると、おじさんは困惑の表情を浮かべた。

 

「どうしたの?」

 

 私が聞くと、おじさんは肩を竦めた。

 

「聖杯戦争が一時中断だってさ」

「……へ?」

 

 意味が分からない。聖杯戦争に一時中断なんてあるんだ……。

 

「何でも、重大な問題が発生したみたいで、全マスターとサーヴァントに出頭命令が出た。行かないと手痛いペナルティーを課されるらしい」

「え? じゃあ、私も行かないと……」

「いや、キャスターから連絡があった。桜ちゃんは来なくても大丈夫だってさ」

「ほんとに大丈夫なの?」

「多分だけど、キャスターなら下手を打ったりしないさ」

「うん……」

「とりあえず、俺とセイバーは出頭しないといけないみたいだ。何かあるとまずいから、絶対に外には出ないようにしてくれ。ここならキャスターの術のおかげで安全だからね」

「うん」

 

 おじさんとセイバーは地下に作った通路から出て行った。出口は別の民家になっていて、そこに移動用の乗用車がある。通路はランダムで幾つかある出口の一つと繋がり、一度使った出口とは一切繋がらないらしい。ハリー・ポッターに出てくるホグワーツの仕掛けみたいでワクワクする。

 

「中断か……」

 

 いきなり過ぎてよく分からない。今、冬木では何が起きているんだろう。おじさんもキャスターも全然教えてくれないから私には状況がサッパリだ。

 みんなは夜になっても帰って来なかった。一人寂しくカップラーメンを食べ、窓から外を眺めていると、奇妙な二人組が歩いているのが見えた。

 アンビリーバボー。そこで何をしているんですか、お姉さま。



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第十一話「凛の奇妙な冒険・Ⅰ」

 友達が行方不明になった。一人や二人じゃない。今日、いつものように登校して来た2組の生徒は私を含めて十人ちょっと。他のクラスも似た感じ。先生達が登校して来ない生徒の親に電話したけど、全て留守番電話。

 授業どころじゃなかった。先生達は慌てふためき、生徒達を体育館に集めた。何の説明も無く、私達は只管体育座りを続けた。時計の針の動きを目で追いながら、周りの囁き声を聞く。皆、不安がっていた。

 数時間後、体育館に大勢の人が流れ込んできた。生徒達の保護者が迎えに来たのだ。お母様の姿もあった。酷く狼狽えている。

 

「大丈夫ですか?」

 

 私が問うと、お母様は気丈な笑みを浮かべた。魔道に生きながら、魔術師では無い彼女は些細な異変に対しても過敏に反応する。なのに、娘の不安を払拭しようと必死に勇気を振り絞っている姿はとても健気で愛おしい。

 実のところ、生まれた時から魔術師であった私から見ると、母のそういう姿はどこか奇妙で、間に見えない壁があるように感じる事がしばしばだった。でも、最近、少しずつだけど、普通の人の感覚というものが理解出来るようになり、その壁も少しずつ薄くなっていると実感している。

 彼女の反応こそが当たり前であり、私は彼女のような普通の人が恐れる世界の住人なのだ。だからこそ、此方側の人間として責任を持たなければいけない。

 

『余裕をもって優雅たれ』

 

 それが私の家の家訓だ。恐れられる者であり、外れた者である事を自覚し、それでも尚、余裕を持ち優雅に振る舞えという意味。とても難しい事だけど、いずれ遠坂家の当主となるなら、この家訓を実践し続けなければならない。

 私はお母様の手を握った。

 

「帰りましょう、お母様」

 

 元気いっぱいの笑顔を作る。彼女を安心させる事。それが今の私に出来る責任の取り方だ。そして……、

 

第十一話「凛の奇妙な冒険・Ⅰ」

 

 夜の9時半過ぎ。私は寝た振りをして、コッソリと禅城の屋敷を抜け出した。人目につかないように慎重に目的地に向かって足を運ぶ。脳裏に浮かべるのは親友の笑顔。男子にしょっちゅう虐められ、その度に私は彼女を助けている。私は彼女のボディーガードとなり、彼女が授業で分からない事があると言うと、喜んで知識を分け与えた。その見返りとして、彼女は私に普通の人の在り方を教えてくれた。

 

「コトネ……」

 

 禅城の屋敷の人に聞いた事だけど、街では行方不明者が続出しているらしい。コトネの一家も行方不明者の中に名を刻んでいる。警察は正に血眼といった様子で街中を事件の手掛かりを探しているみたい。今もパトカーが走り回っている。幸い、赤いランプとけたたましいサイレンの音で位置が分かるから避けるのは容易だった。

 きっと、彼等にこの事件を解決する事は出来ない。この時期にこれほど大規模な異変を起こす者など聖杯戦争のマスターか、その関係者に決まっている。このまま放置したら、コトネと永遠に会えなくなってしまう。かと言って、戦いの真っ最中で忙しい筈のお父様を頼るわけにもいかない。

 今、コトネを助けられるのは私しかいない。上手く敵の情報を探る事が出来れば、お父様にも褒めてもらえるかもしれないし、ここは頑張りどころだ。

 

「絶対に助ける」

 

 決意を言葉にして、私は走り続けた。目指す先は山一つ向こうにある冬木の街、聖杯戦争の舞台だ。

 

 走り始めて三十分。正直言って、少し冬木までの道のりを舐めていた。私は山に入る前から息切れ状態だ。せめて、もう少し早く出て、バスを使えば良かったと後悔している。まあ、今は街中厳戒態勢だから、子供一人でバスに乗ろうとしたら呼び止められてしまいそうだけど……。

 

「……へ、へこたれないんだから!」

 

 何とか奮起して再び歩き出す。しばらくすると、妙な感覚が奔った。ポケットに仕舞ったお父様からの贈り物が荒々しく動き回っている。これは魔力を探知する魔道具。これが反応しているという事は近くに魔術の痕跡があるという事。

 

「反応が大きくなってる……?」

 

 ゴクリと唾を呑み込む。立ち止まっているにも関わらず、魔道具の反応が徐々に大きくなっているのだ。それはつまり、魔力の発生源が私の下に近づきつつあるという事。

 身が竦む。腹立たしい程に私は恐怖を感じている。恐れられる側に立っている癖に恐れるなんて情け無いにも程がある。震える足を力の限り叩き、無理矢理動かす。今はとにかく隠れよう。近くの民家の敷地に入り込み、息を潜める。

 魔道具の震えがどんどん大きくなり、やがて、一人の少女が現れた。月明かりに濡れた銀髪に思わず見惚れる。少女は酷く怯えた様子だった。まるで、何かから逃げているみたい。後ろを何度も確認しながらこそこそと動き回っている。

 ここに来て、魔道具の動きが大きくなった。ガサガサと音が立ち、少女が慄いた表情を浮かべ、私の潜んでいる暗がりを見つめる。私は静かに魔術回路に火を入れて暗がりから出た。

 

「……この家の子?」

 

 少女は凜の姿にどこかホッとした様子を見せる。けど、直ぐに表情を引き締めた。

 

「逃げて!」

 

 血相を変えて叫ぶ少女。その直後、曲がり角から一人の青年が姿を現した。

 

「逃げないでよ」

 

 困ったように微笑みながら、青年が近づいて来る。少女は青年をキッと睨みつけ、私を庇うように立ちはだかる。

 

「逃げて」

 

 少女が私にだけ聞こえるように呟く。私は本能に従う事にした。さっきから脳裏で警鐘が鳴り響いているのだ。あの男は危険だと、私の直感が告げている。

 

「来て!」

 

 少女の手を取り、私は走り始めた。お父様から習った基礎魔術の一つ、強化を自らの身体に施し、風のように走る。少女は慌てたように叫ぶ。

 

「ちょ、ちょっと!?」

「いいから、走って!」

 

 こんな夜更けに幼い少女を追いかける男。それだけ聞くと、ただの犯罪者っぽいけど、今、この街で起きている事件の事を考えると、あの男が事件の犯人であり、聖杯戦争のマスターの一人である可能性が浮上してくる。多分、魔道具が反応した相手もこの少女ではなく、あの男なのだろう。

 チラリと横目で彼女を見る。外国人が珍しくない冬木であっても、ここまで見事な銀髪をお目に掛る機会は滅多に無い。

 

「ねえ、あなた、名前は?」

「え? えっと、イリヤだけど、あなたこそ、誰?」

「私は凛。ねえ、あの男は何者なの?」

「分からない。いきなり、赤い服を着た別の男と入って来て、お母様を連れ去ったの」

 

 走りながらイリヤは途切れ途切れ語った。

 

「わたしは、お母様が逃がしてくれたの。早く、切嗣に知らせなきゃと、思って、冬木に向ってたんだけど、あの男に、見つかっちゃって」

「切嗣って?」

「お父様よ。早く、知らせないと、いけないの!」

 

 大体の事を彼女から聞き終えた頃、私達は手近な民家の敷地内に入った。壁をよじ登り、別の民家の敷地に移動する。あの男を撒く為に同じ行動を何度も繰り返した。

 しばらくして、再び舗装された道路を走り始める。魔力で強化しているとはいえ、そろそろ限界だ。振り向くと、イリヤもへとへとみたい。どうにか休める場所を探さないとまずい。

 辺りを見渡していると、ポケットの中で再び魔道具が動きを活発化させた。あの男が近づいている。焦燥に駆られながら、イリヤの手を取る。その小さな手が、手放してしまった妹の手と重なって見えて、涙が出そうになった。

 

「また、走るわよ。あの男が来る」

「う、うん」

 

 必死に足を動かす。肺がズキズキと痛み、足が震える。必死に走ろうとしているのに、進むスピードは歩くのとほぼ変わらない。このままじゃ、あの男に捕まってしまう。

 

「……イリヤ。私が何とか足止めするから、なんとか逃げて」

「な、何を言ってるの!?」

「いいから、早く行って!」

 

 魔道具の動きが更に大きくなった。もう、直ぐ近くに居る。私は手前の曲がり角に向かって駆け出した。拳を握り締め、振り被る。

 逃げ回るばかりだなんて性に合わない。魔術師として、遠坂の次期当主として、一矢報いてみせる。

 私は力の限り拳を――――、

 

「じゃーん! 桜ちゃん参上! 久しぶりだね、おねぇギャンッ!?」

 

 顔を出した見覚えのあり過ぎる少女の顔に叩き込んでしまった。

 

「……え?」

 

 呆気に取られる私を尻目に私が殴り飛ばしてしまった少女は地面に横たわり悶絶している。

 

「……嘘」

 

 血の気が引いた。あり得ない。どうして、ここにいるのよ。

 

「さ、桜……?」

「イ、イエスだよ、お姉ちゃん。っていうか、痛い……。いや、登場の仕方が悪かったのかもしれないけど、ここまで強烈なツッコミはちょっと……。やばい、鼻血出て来た……」

「え、ええ、えええええええええええ!?」

 

 私は絶叫した。だって、こんな所に妹の桜が居るなんて思ってなかったんだもの。しかも、久しぶりの再会だというのに、出会い頭に鉄拳をお見舞いしてしまった。

 あまりの事に放心状態になる私をイリヤが突く。

 

「し、知り合い?」

「……妹」

「うわぁ……」

 

 その反応止めて欲しい。私はあなたを守るために命を賭けたわけだし。結果は可愛い妹の顔面に拳をぶちこんでしまったけど……。

 

「だ、大丈夫?」

 

 イリヤが悶絶したままの桜に声を掛ける。

 

「だ、大丈夫だよ。うん、鼻血止まんない……。誰か、ティッシュ下さい……」

 

 話し掛けづらい……。ただでさえ、この子が養子に出された時、何も出来なかった罪悪感があったのに、この上、顔面を殴打してしまうなんて最悪だ。

 とりあえず、ポケットに仕舞っておいたティッシュを取り出して、小さく丸める。

 

「桜、これ使って」

 

 口調が硬くなってしまう。

 

「ありがと、お姉ちゃん」

 

 桜は私が手渡したティッシュを鼻に詰めると、漸く落ち着いた表情となり、私とイリヤを交互に見比べて口を開いた。

 

「それにしても、どうしてここに?」

「そ、それはこっちのセリフよ! あなたこそ、どうしてこんな所にいるの!」

 

 思わず強い口調で詰問してしまった。幸い、桜は気にした様子も見せずに一件の民家を指差した。

 

「今はあそこに住んでるの。お姉ちゃんが居たから出て来ちゃった。後で怒られるかな?」

「あそこって……。あなた、間桐の屋敷に居る筈じゃ……」

「いやー、色々と事情があってね。雁夜おじさんの事、覚えてる?」

 

 もちろん、覚えている。いつもお土産を持って来てくれる優しいおじさんだ。前はアクセサリーをプレゼントしてくれた。

 

「今はあの人と暮らしてるんだよ。今は留守にしてるけどね。あがってく? なんだか、凄く疲れてるみたいだし……。シャワーもあるよ?」

「……ううん。私達はもう行くわ」

 

 つい、誘いに乗ってしまいそうになった自分に腹が立つ。別に親同士が決めた不可侵条約を気にしたわけじゃない。ただ、私達が今、危険人物との鬼ごっこの真っ最中である事を思い出しただけだ。

 もっと、色々と話がしたい。会えなかった時間、彼女が何を思い、何をしていたのかを知りたい。でも、今は駄目だ。彼女を危険に晒すなんて絶対に駄目だ。

 

「ごめんね。落ち着いたらまた、こっそり会いに来るわ」

「そっか……」

 

 あんまり寂しそうな顔をしないで欲しい。つい、離れたくなくなってしまう。一緒に遊んだり、お風呂に入ったり、お喋りしたり、また姉妹としての時間を過ごしたくなってしまう。

 

「……ごめんね、桜。また、今度ね」

「うん……――――っと、何か用ですか?」

 

 いきなり、桜の表情が強張った。さっきから延々と震え続けている魔道具がポケットから飛び出した。地面の上でカチャカチャと音を立てる。

 私はゆっくりと魔道具から視線を外し、桜の見ている方向へ向けた。そこには赤い男が立っていた。

 

「……誰よ、あなた」

 

 肌が粟立っている。目の前の男はさっきイリヤを追い回していた男と違う。あの男よりも更に危険な感じがする。

 

「ついて来てもらおう」

 

 男が近づいて来る。私は叫んだ。

 

「二人共逃げて!」

 

 走り出す。大事な妹を守るんだ。拳を固く握り締め、顎を引く。

 そして、私は目を見開いた。

 

「ちょっと!?」

 

 私が駆け出すのと同じタイミングで左右から二つの影が飛び出していた。

 横並びになる私と桜とイリヤ。二人も私と同じ表情を浮かべている。どうやら、全く同じ事を考えていたらしい。二人共、他の二人を逃がす為に飛び出したのだ。

 驚きのあまり思考が停止し、突然吹き付けられたガスを私は思いっきり吸い込んでしまった。平衡感覚が失われ、酷い眩暈に襲われる。

 シュッという音と共に再びガスが噴出され、私はそれを吸い込み意識を手放してしまった。そして、次に目が覚めた時、私は地獄に居た――――。



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第十二話「雨龍龍之介」

 子供とは見た目の愛らしさとは裏腹に残酷な生き物だ。時に嬉々として蟻の頭と胴体を切り離したり、時に笑顔でダンゴ虫を踏み潰したり、時に大人以上に残忍なやり口で他人を傷つける。純粋故に狂気的で、無垢故に猟奇的、彼らは時にどこまでも残酷になれる。だけど、目の前で繰り広げられている光景は幾ら何でも異常だ。

 子供が子供を殺している。子供が子供を食べている。子供が子供を犯している。

 

「……なに、これ」

 

 吐き気を堪えていると、隣で声が響いた。

 顔を向けた先に二人の少女が居た。意識を失う寸前に再会を果たしたお姉ちゃんと見覚えの無い白い髪の少女。二人は呆然と目の前の惨劇を見つめている。

 

「み、見ちゃ駄目!」

 

 手遅れと思いつつも咄嗟に彼女達の視界を塞ごうと手を伸ばしかけ、腕が全く動かない状態にある事を知った。よく見ると私の手足には手錠が取り付けられている。どうやら、意識を失っている間に取り付けられたらしい。

 ちょっと懐かしい感触だ。以前、池袋でサディストなお客さんに手錠を使われた事がある。初めてのSMは行為に至る前準備の段階で想像を絶する恐怖を感じ、泣き叫んだ覚えがある。幸い、そのお客さんは私の涙や声に愉悦を感じる生粋の変態だったから、むしろ喜んでもらえたけど、手錠を始めとした身体の拘束というものは傍から見る以上に恐ろしい。

 懐かしさと共に湧き出す恐怖を私は必死に鎮める。何度も深呼吸を繰り返し、パニックを抑える。やがて、襲い掛かるパニックの波をやり過ごす事に成功した私の耳にコツコツという足音が入り込んで来た。

 

「あ! 目が覚めたんだね」

 

 心臓を鷲掴みにされた気分。こんな異常な場所に居ながら、その声はとても優しく、とても穏やかだった。視線を向けると、そこには一人の青年が居た。溌剌とした笑顔がこの状況とあまりにも噛み合っていない。

 

「……貴方は誰?」

「雨龍龍之介。この素敵なカーニバルの主催者だよ」

「素敵な……、カーニバル?」

 

 私は再び惨劇の舞台へ視線を戻した。そこには多種多様な地獄が広がっている。広々とした部屋の中央では、まるでレストランのようにテーブルクロスを敷いた円形テーブルの上に幼い少女が指一本動かせないように拘束されていて、その少女の腕を別の少女がバーナーで炙り、別の少女が包丁で薄くスライスし、席に座っている少年がフォークで口に運んでいる。そんな悪魔の晩餐会のような光景から目を逸らしても、壁を見れば、杭で全身を打ち抜かれ、絵画のように壁に磔にされている少年少女の姿がある。天井には幾つもの生首が吊り下げられていて、繰り抜かれた眼孔や口から人工的な光を発している。床にはカーペットのように敷かれた人間の肌が一面に広がっている。

 

「これが……、お祭り?」

「おー、偉いね。英語、分かるんだ」

 

 頭を撫でられて、私は恐怖に顔を引き攣らせた。彼の名前を私は知っている。Fate/ZEROに登場するマスターの一人にして、猟奇殺人鬼。彼は物語の中で子供を材料に使ったアートを作っていた。部屋の彼方此方に散らばっている弄り尽くされた死体の数々がソレなのだろう。

 文章として読む限り、気色悪いとは思っても、恐怖は感じなかった。けど、目の前に広がる現実は私に恐怖以外の感情を持たせない。死体を気持ち悪いと思う感情も、拷問されている子供達に対する同情心も湧いて来ない。ただ只管怖い。

 

「なんで……」

 

 お姉ちゃんが震えた声を零す。

 

「なんで……、こんな事……」

 

 それが限界だった。お姉ちゃんは堪え切れなくなり、床に胃の中身を吐き出した。吐瀉物に塗れたお姉ちゃんを雨龍は微笑ましげに見つめる。

 

「――――スランプだったんだ」

「スランプ……?」

 

 私が首を傾げると、雨龍は爽やかに微笑んだ。

 

「一通り、試し終えちゃったんだよねー」

「試し終えたって……」

「殺人方法」

 

 雨龍が吐き出す言葉に私は鳥肌が立った。

 

「全身をトンカチで叩き潰したり、野犬に喰わせたり、地面に埋めてみたり、色々と試してきたんだけど、アイディアが浮かばなくなっちゃったんだよ」

 

 まるで世間話をするかのように殺人行為を語る雨龍。

 

「本やテレビ、漫画、ゲームからも色々とアイディアを貰ったりしたんだけど、割りとパターンが決まってて、直ぐに底をついちゃった。残酷描写を謳い文句にしているなら、もっと過激でオリジナリティーに溢れるアイディアを教えて欲しいもんだよ」

 

 そう言って、彼は視線を壁の隅に向ける。そこには一台のテレビと積み重なった本の山。テレビには首を切り落とされた女性の映像が映っている。

 

「肉体の損壊って、見た目のインパクトが凄いから皆こぞって使うんだ。残酷な描写がありますって映画の大半は肉体の損壊ばっかりさ。まあ、中にはぶっ飛んだものもあるけど……」

 

 雨龍は嬉々としながらテレビのリモコンを操作した。次に映った映像はまるでムカデだった。人間の上半身が背骨の一部だけ残して切り離されている。そして、残った背骨を肛門に差し込み、下半身同士を連結させている。

 

「これは作業途中の映像だね。まあ、所詮は映画だから、これはトリックを使った偽物だよ。だから、実際に作ってみたんだ。ほら、アレ」

 

 見るな。そう、本能が叫んでいるのに、私は釣られて彼が指差す先を見てしまった。そこにはテレビに映っているムカデの実物が置いてあった。映像と違う点は先頭に生きたままの男性が連結されている事。

 

「ちなみに材料は彼の家族だよ。順番に息子の下半身、娘の下半身、父親の下半身、母親の下半身、姉の下半身、甥の下半身、弟の下半身、姪の下半身、従兄弟の下半身、叔父の下半身って感じに繋げてある。いやー、彼の誕生日だったみたいだよ。家族総出で祝うなんて、実に仲の良い家族だよね。だから、繋げてあげたんだ」

 

 耳を塞ぎたい。聞かせないで欲しい。あまりにも異常過ぎて彼の言葉一つ一つが濃硫酸のように私の心を焼いていく。

 

「人間を虫に見立てる。中々良い趣向だと思ったんだけどねー。ほら、アレとか」

 

 私は目を塞いだ。見てはいけない。コレ以上は絶対に……。

 

「……ぁ、いや……」

 

 お姉ちゃんの鳴き声。彼女は見てしまったらしい。

 

「頭に腕をくっつけて、クワガタ虫にしてみたり、腸を尻の上の方から抜き取ってネズミにしてみたり、色々やったんだけど、これもワンパターンっぽくなっちゃってね」

 

 頭がおかしい。理解出来ない。理解したくもない。

 

「お姉ちゃん、目を閉じて! コレ以上、見ちゃ駄目!」

 

 私は必死に叫んだ。こんな異常な光景を見続けていたら、本当に心が壊れてしまう。

 

「子供って凄いよね」

 

 雨龍は敬意の篭った声で言った。

 

「なにを……」

 

 お姉ちゃんが震えた声で聞く。

 

「アイディアに行き詰まっていた時に閃いたんだよ。以前、家族同士で殺し合いをさせた事があって――――」

 

 サラッと恐ろしい言葉を吐きながら、雨龍は言った。

 

「思い切って、子供達に相談を持ち掛けたんだ。どうやって殺したらいいかってね」

「な……っ」

 

 言葉が出ない。あまりにも異常な思考回路に私は目眩を覚えた。

 

「子供って純粋だよね。法律や常識、倫理っていう余計な知識が少ない分、自由な発想が出来る。あの壁のアートは子供達が考えたんだよ。人間の杭を打ち込んで壁に飾るなんて残酷な発想が自然と湧いてくるなんて、本当に凄いよね」

 

 雨龍は子供達を愛おしそうに見つめる。

 

「だから、彼らに実際に殺しを手伝ってもらう事にした。まあ、最初は嫌がったけど、見せしめに五人くらい拷問して殺したら素直になったよ。ついでに自分達の両親や兄弟姉妹を最初の材料にさせたら後はご覧の通りさ」

 

 自慢気に微笑む雨龍。

 

「一日の終わりに品評会を行うんだ。そこで最優秀賞に選ばれた子だけが解放される。そして、一番の駄作を作った子は俺の手で拷問に掛ける。すると、みんな必死に良い作品を作ろうと頑張ってくれるんだ」

 

 私は恐怖のあまり泣いていた。鼻水も止まらない。隣を見ると、お姉ちゃんや一緒に連れ去られた白髪の少女も泣いている。彼女達も分かっているんだ、彼らの姿が私達の未来なのだと……。

 

「特にあそこの三人は優秀なんだ」

 

 龍之介は誇らしげに言った。まるで、自分の息子や娘を自慢するように三人の少年少女を指さす。彼らはまるで指導者のように子供達の作業を見守っている。

 

「例えば、あそこに居る由美子ちゃん。彼女は冷凍庫で人を凍らせて、かき氷器で削って、材料だった人間の家族に食べさせるっていうクールな殺人を見せてくれたんだ」

 

 そんなゾッとするような殺人を行った由美子ちゃんは髪を金髪に染めた可愛い女の子だった。

 

「あっちの遼太郎くんは犬の糞だけを食べさせ続けて殺すっていう、子供らしい殺人を見せてくれた」

 

 そう、雨龍は活発そうな少年を指差した。

 

「賢一くんは特に逸材だよ。最初に彼が殺した母親はリアルな人体模型になった。次に殺した父親はマリオネットになった。アレだよ」

 

 雨龍が指差した先。メガネを掛けた利発的な少年の後ろには学校にある人体模型そっくりな死体とマリオネットが置いてある。

 

「凄いよね、アレ。首と胴体を切り離した時は何をするつもりなのかと思ったよ。指も関節ごとに切り落として、それぞれに糸を通していく姿は正に職人のそれだったよ。俺も一度遊ばせてもらったけど、操り糸でどんな動きも自由自在だった」

 

 私はもう意識を失う一歩手前だった。子供が自分の親を玩具にしている。どんな恨みがあればそんな事が出来るのか想像も出来ない。だって、親に捨てられた過去を持つ私でさえ、母親を殺したいなんて思った事は一度も無い。ただ、一発殴って謝らせようと思ったくらいだ。

 殺した上で死体を弄ぶなんて、理解が出来ない。

 

「最初は君達みたいに泣いたり震えたりしてたんだ。だけど、今ではほら、由美子ちゃんは人の肉をより美味しく食べる方法の探求に専念してるし、遼太郎くんは実に楽しそうに人を殺してる。賢一くんもより残酷な死の研究に余念が無い。それを見て思ったんだ」

「……なに、を」

「人間って、こういう生き物なんだなーってさ」

 

 実に嬉しそうに雨龍は言った。

 

「人を殺しちゃ駄目ってルールを考えた奴らこそが異常なんだって、ここで彼らを見てると良く分かるよ」

 

 気狂いだ。こんな環境下で精神がおかしくなった子供達を見て、それが人間の本質なのだと謳う男に私は戦慄を覚えた。この男は根本から狂っている。同じ物を見ても、私と彼は違う感情を抱く。見た目は同じでも、私と彼は別の生き物なのだ。

 どんな言葉を弄そうと、虫や動物に生き方を変えさせる事など出来ない。止めてと懇願しても、この男は自分の思うがままに私達を殺し、弄ぶ。

 

「……私達はどっち?」

 

 殺す方なのか、殺される方なのか、どちらに選ばれても絶望しかない問いを投げ掛ける。

 

「君達は食材だよ。旦那の為に思う存分、嘆き、悲しみ、恐怖し、苦しんでくれ」

「旦那……?」

「君達をここに連れて来た人だよ」

 

 脳裏に赤い男の姿が浮かぶ。

 

「君達も魔術師の子供なら魔力って単語を知ってるだろ? 魔力ってのは、人の魂や記憶、感情によって生み出されるものらしい。だから、君達――――」

 

 雨龍は私達に優しく微笑みかけながら言った。

 

「いっぱい泣き叫んで、旦那の美味しい御飯になってよ」

 

 思わず笑ってしまいそうになった。こんなに理不尽な事も早々無いだろう。

 父が死に、母に捨てられ、娼婦として人生を無駄遣いし、妹に縁を切られ、性病に掛かって孤独死した前の人生だって、ここまで理不尽では無かった。

 こんな風に誰かの悪意でいきなり命を奪われるなんて、これこそが不幸というものだ。そして、この不幸は世界の至る所に発生している。

 

「……はは」

 

 ああ、やっぱり私は不幸なんかじゃなかった。本当の不幸を知らない無知な馬鹿娘だった。

 

「どうしたの?」

 

 この状況で笑う私が余程予想外だったと見える。雨龍は驚いた表情を浮かべて私を見る。私は彼に構わず、隣でショックのあまり意識を失っている二人の女の子を見た。

 そして、深く深呼吸をする。冷静になって考えてみると、別にこの状況は絶体絶命のピンチってわけじゃない。

 

「ああ、サーヴァントを召喚して助けてもらうつもり?」

 

 顔が引き攣る。今まさに実行しようとしていた事を言い当てられ、私は大きく息を呑んだ。

 

「別にいいよ? 呼んでごらん」

「……え?」

 

 分からない。辺りを見回しても、あるのは子供の子供による地獄だけだ。あの赤い男の姿は無い。霊体化しているだけかもしれないけど、それでもわざわざサーヴァントを呼ばせる理由なんて……。

 

「むしろ――――」

 

 雨龍は私の頬を撫でて言った。

 

「呼んで欲しいな」

 

 手に汗が滲む。この状況をひっくり返すにはキャスターを呼ぶしかない。でも、呼んだら取り返しのつかない事が起こる。そんな予感がする。

 

「……あ」

 

 その時になって、私は漸くこの状況のおかしさに気付いた。子供が子供を殺している状況もおかしいが、そもそも、私がここに連れて来られている事自体がおかしい。

 キャスターなら私が拠点を出た時点で私の身に起きた異変を感じ取った筈なのだ。気を失っている間にどれほどの時間が経過したのかは分からないけど、今に至るまで、彼女が私を助けていないという事はつまり、私を助けられない状況にあるという事。

 

「どうしたの? 呼ばないの?」

 

 私は歯を食いしばりながら、キャスターに助けを求めそうになる口を必死に閉ざした。声に出さなければ、令呪は発動しないと聞いたからだ。

 

「まあいいや。じゃあ、最初は誰にしようかな」

「……私にして」

「え?」

 

 怖い。今直ぐ、自分の口を縫い止めてしまいたい。自分から生贄に立候補するなどあまりにも馬鹿げている。でも、私が立候補してでも生贄にならないと、その対象がお姉ちゃんになってしまう可能性もある。それだけは嫌だ。

 大丈夫だ。今は無理でも、いつか必ず、キャスターが助けに来てくれる。キャスターだけじゃない。おじさんとセイバーもきっと……、だから……、

 

「私が食材になるわ。私はちょっとだけど耐性があるの。普通の子供みたいに直ぐに壊れたりしないから、彼女たちよりずっと食材に適している筈よ」

「……ふーん」

 

 怖くて怖くて仕方が無い。涙が溢れ、体の震えが止まらない。だけど、私は言った。

 

「だから、私を食材にして」

「いいよ。そんなに言うなら、君から調理してあげるよ」

 

 ニッコリとほほ笑み、雨龍は私を摘み上げた。硬いテーブルの上に押さえつけられ、雨龍はいきなり私の掌に釘打ち機で釘を打った。

 あまりの痛みに頭が真っ白になる。何度も何度も釘を打たれた。指一本につき二本、その他の部分にもたくさん打たれ、私はテーブルに磔にされた。

 こんなに痛くて怖いのに、彼は恐ろしい言葉を口にする。

 

「さあ、始めようか」

 

 まだ、始まってすらいないのだ。助けて欲しい。私は必死に心の中で叫び続けた。

 キャスター。おじさん。セイバー。私を助けて……。



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第十三話「略奪」

 言峰教会。新都の高台はほぼ全てがこの教会の敷地だ。建物自体も実に豪勢で、観光名所になっていてもおかしくない規模だ。それでも、ここに好んでやって来る者は稀だ。建物が醸し出す威圧的な空気が人を遠ざけているのかもしれない。

「……行くぞ、セイバー」

「はい」

 間桐雁夜は扉を開いた。荘厳な礼拝堂には先客がいた。以前の戦いでランサーとセイバーの戦いを妨害したライダーのサーヴァントが椅子に腰掛けている。隣に座っている男が彼のマスターだろう。少し遅れて、紅い外套のサーヴァントが白い髪の女性をエスコートしながら入って来た。その見た目から察するにアインツベルンのホムンクルスだろう。キャスターは最後だった。隣に見知らぬ人物を引き連れている。揃いの仮面と外套を被り、体格はおろか性別すら分からない。事前の取り決め通り、雁夜はキャスターを仲間ではなく、敵の一人として距離を置いた。

 それから一時間。何の音沙汰もないまま時が流れた。

「……どうやら、監督役の権威に敬意を払うつもりがある者は君達だけのようだな」

 いい加減、各々が痺れを切らし始めたところで奥から老神父が姿を見せた。

「それも致し方のない事か……」

 言峰教会の司祭にして、聖杯戦争の監督役を勤めている言峰璃正は深く息を吸い込んだ。

「まずは君達に知らせておかねばならぬ事がある。現在、一騎のサーヴァントがマスターの制御を外れ暴走している。被害は一晩の内に百人を超えた。その殆どが十歳未満の幼児ばかり。神秘の漏洩を防ぐ素振りも見せず、このままでは我々の隠蔽工作にも限界がくる。そこで、諸君にこのサーヴァントの討伐を依頼する」

 璃正神父はそれぞれのマスターに分厚い資料を手渡した。

「今渡した物は件のサーヴァントに纏わる情報を可能な限り記したものだ。それを参考にして頂きたい。また、此度の討伐依頼に貢献して下さった方には報奨として令呪を一画進呈する」

 その言葉に参加者達の眼の色が変わった。令呪は聖杯戦争の鍵を握る重要なファクターだ。サーヴァントを律する為にも使えるが、なによりもサーヴァントの一時的な強化を可能とする点が大きい。

 資料を捲る音が響き渡る。読み終えた者は眉間に皺を寄せた。

 

 ファニーヴァンプというイレギュラーなクラスで召喚された女の英霊。

 召喚の際に使用された触媒は《この世で初めて脱皮した蛇の抜け殻の化石》。

 成人の男を産み落とすという奇怪な能力。あまねく人を指して《子》と呼ぶ異様な言動。

 産み落とされた男の持つ、《死の概念》を相手に与える能力。

 

 それらの情報はファニーヴァンプと唯一戦ったアサシンのサーヴァントが今際の際に遺したものらしい。判断材料は十分に揃っている筈だ。

 各々が思考を巡らせていると、ウェイバー・ベルベットが声をあげた。

「どうした?」

 ライダーは素っ頓狂な声を上げるマスターに声を掛ける。

 すると、ウェイバーは真っ青な顔で言った。

「……多分、こいつの正体が分かった」

 ガタガタと震えている。

「なに? それはまことか! それで、何者なんだ? こやつの正体は!」

 全員が耳を傾ける中、ウェイバーは戦慄の表情を浮かべて呟いた。

「原初の女……」

 その言葉で全員の脳裏に漂っていた靄が晴れた。

 女であり、原始の蛇と関係のある英霊であり、あまねく人類の母であり、産み落とされた子が《死》に纏わる逸話を持つ者。

 一人、該当者がいた。

「……イヴ」

 天地創造の折に神が創り出した始まりの女。

 蛇に唆され、禁断の果実を口にした罪人。

 アダムに罪を犯させた毒婦。

「では、あの赤い男の正体はカインか」

 アダムとイヴの長男にして、神に愛された(アベル)を殺害した人類最古の殺人者。その罪から神に呪いを受け、同時に神の加護を受けた人物。

 実に厄介な存在だ。伝承通りの人物なら、彼を殺してはいけない。神の加護が彼を殺す者に七倍の《死》を撥ね返すからだ。

「サーヴァントに《死の概念》を与える者。殺されても、確実に相手を仕留める加護の持ち主。これを相手に戦うのは骨が折れるぞ」

 ライダーの言葉に各々が沈黙する。倒せない事は無いだろう。だが、誰も進んで貧乏くじなど引きたくない。

 カインを殺せば、強制的に相打ちとなる以上、後は誰が生贄になるのかだ。

「それでも尚、挑もうという気骨ある勇者はおるか?」

 誰も名乗り上げない。

「情けない。それでも貴様等は英雄か?」

 溜息を零すライダー。それでも尚、誰も反応を返さない。

 ウェイバーは嫌な予感がした。

「ならば、仕方あるまい」

 ニンマリと笑みを浮かべ、ライダーは言った。

「ヤツは余が討伐する」

 あっさりと言った。

「いやいやいやいや」

 ウェイバーは慌てふためいた。カインを討伐するという事はライダーが消滅するという事。

「お前はバカか!? アイツに挑んだら、勝っても負けても死ぬんだぞ!? お前には願いがあるんだろ!?」

 喚き立てる彼のおでこにライダーはデコピンをした。吹っ飛ぶウェイバーにライダーは優しく語りかける。

「己の願望を優先し、ヤツ等にこれ以上の蛮行を許す事は出来ぬ」

 ライダーは立ち上がり、ウェイバーは抱き起こした。

「勝利して、尚滅ぼさぬ。制覇して、尚辱めぬ。それこそが真の《征服》だ。無垢な民草を刈り取る者が居るのなら、余は征服王として捨て置けぬ。蹂躙せねば、気が済まぬ!」

「……バカだよ、お前」

 呆れたように、羨むように、ウェイバーは呟いた。

「バカで結構! 己が正しいと思える事に全力を尽くす。その果てにこそ、オケアノスはあるのだ!」

 主を降ろすと、颯爽と教会から出て行くライダー。その後をウェイバーも慌てて追いかける。

「……ッハ、まさしく英雄様だな」

 キャスターは忌々しげに呟いた。

 

ーーーーその時だった。

 彼等は呑み込まれた。取り囲む紅蓮の壁、荒廃した大地、鮮血の川、暗黒の空、聳え立つ巨木。その中心に一人の女が立っている。

 田舎娘のような素朴な顔立ち。どこにでもいるような、普通の女が彼等を見つめている。

「御機嫌よう」

 突然の事態にも焦る事なく、キャスターのサーヴァントは現状を分析する。この空間はあの女の固有結界であり、己を除くほぼ全員が精神を支配されてしまった。

 全人類の母である彼女に《純粋な人類種》は決して抗う事を許されない。《混ざりモノ》だけが自由意志を維持している。

「……おい、どうするんだ?」

 キャスターのマスターとして教会を訪れた仮面の者が問う。

「決まっている。あの女を始末するぞ」

 それ以外の選択肢など存在しない。この結界を取り巻く紅蓮の壁は空間に対する干渉を阻んでいる。

「うふふ、ダメよ? かわいい我が子。おイタをしてはいけません」

 優しい声だ。悪意など微塵も感じさせない。愛する我が子に向ける母親の愛情がそこにある。

 ああ、なんとも忌々しい。

「人類最古の毒婦よ。貴様のような者が私は大嫌いだ」

 それは同族嫌悪だ。キャスターもまた、毒婦と呼ばれるに相応しい女。

 彼女のマスターを名乗っていた仮面の者はあまりにも滑稽な光景に笑った。仮面を取り払い、外套を脱ぎ捨て、現れた美貌は実に晴れやかな笑み。

「ッハ、心底笑わせてもらったぜ。その礼だ。痛みを感じさせずに殺してやる」

 露出の多い真紅の礼装を身に纏う少女。その手には見る者を惹き付けて止まない輝きを秘めた剣が握られている。

 闇の中で尚冴え冴えと輝く金沙の髪をかきあげ、挑発的な翡翠の眼差しを女に向ける。

「抵抗すんなよ?」

 瞬く間に距離を詰める。その宝剣が女の首を刎ねる直前、彼女の剣に優るとも劣らぬ聖剣が割り込んだ。

「……アコロン。テメェ、邪魔すんなよ」

 虚ろな表情を浮かべるセイバーを蹴り飛ばす。すると、無数の刀剣が飛来した。その悉くを打ち落とし、彼女は吠えた。

「テメェ等も英雄の端くれなら、こんな女にいいように操られてんじゃねーよ!!」

 荒々しく剣を振り、二騎のサーヴァントを相手取る少女。その勇ましい姿を見つめながら、この失楽園の主は言った。

「ダメよ、ダメダメ。ここは楽園。みんな、楽しく過ごしましょう」

 その瞬間、戦いは停止した。戦闘を繰り広げていた三人の体が空間ごと凍結されている。その尋常ならざる光景にキャスターは言葉を失った。

 この固有結界の能力を理解したのだ。精霊が持つ《空想具現化(マーブル・ファンタズム)》に匹敵する強大な力を。

 本来、固有結界は術者の内面の一部を具現化するものであり、術者本人であっても自由に手を加える事は出来ない。だが、この世界はファニーヴァンプの意思によって自在に姿を変える。

 狂おしい程の望郷。嘗て追放された楽園への思慕。この禍々しき園は彼女のそうした(しゅうねん)を具現化したものだ。

「あなたも大人しくしていてね」

 キャスターはその一言で縛られた。嘗て、国一つを傾けた魔女があまりにも呆気なく無力化された。

 その彼女にもはや目もくれず、ファニーヴァンプはアーチャーのマスターとして教会に出頭したホムンクルスの下へ歩み寄る。

「今日はあなたに用があったの」

 微笑み、その手を彼女の胸に押し当てる。すると、異様な光景が広がった。人間の形をしていたものが見る間に無機物である杯へ変化していく。

 聖杯を掲げ、女は言った。

「これで私の悲願が叶う。嬉しいわ……。ようやく、帰れるのね」

 涙を零し、喜色を浮かべる。

 

 ◇◆◇

 

 けたたましい程の笑い声が聞こえる。うるさいな。静かにしてほしい。折角、なっちゃんが遊びに来てくれたんだ。

『お姉ちゃん。どうしたの?』

「な、なんでもないよ」

 隣の部屋の人かな。このアパートは壁が薄過ぎる。なっちゃんは気にしていないみたいだけど、後で文句を言ってやろう。それにしても、なっちゃんは凄く綺麗になった。子供の頃から可愛らしかったけれど、今は美しいという言葉がよく似合う。内も外も汚れきった私とは雲泥の差。まるで太陽のように眩しく感じる。

 艶やかな髪、張りのある白い肌、知性に満ちた瞳。とても素敵な女性になった。

『それより聞いてよ! 庄吾さんってば酷いんだよ!』

 なっちゃんは唇を可愛く尖らせて、旦那さんの話を聞かせてくれる。怒っている口振りだけど、その表情はとても幸せそう。

 彼女が幸せなら、これほど嬉しい事はない。

「嘘を吐くな、桜」

 幸福な光景が一変してしまった。暗闇が広がる空間に見知らぬ男が立っている。青い髪を逆立てた男前が私を見つめている。

 その瞳を見つめていると、頭がクラクラしてくる。

 妙な映像がチラつく。

『我らの宿願を叶える為、そなたの力を借りるぞ』

 寒気を感じる程の美貌を湛えた銀髪の女性が手を伸ばしてくる。

『この地に神の座を築く』

 時代錯誤な服を来た男の人が大きな紙を広げている。

 知らない筈の光景。分かる筈のない知識。

 それは記憶。私ではない、誰かの記憶だ。

「……お爺ちゃん?」

 他に思い当たらない。試しに声を掛けてみると、男の人は薄っすらと微笑んだ。どうやら、正解だったようだ。

 時の流れはなんて残酷なんだろう。こんな色男があんな妖怪になってしまうとは……。

「でも、どうしてお爺ちゃんがここに? 凄く若返ってるし……」

「私はマキリ・ゾォルケン。もっとも、その残滓に過ぎんがな」

「残滓って……?」

「お前の中に潜ませてあった刻印蟲の中に本体のバックアップとしてメモリーを内包したものも居たのだ。それが起動し、結果として私がお前の精神世界に投影された」

「……ごめん。ちょっと、よく分からない」

 鈍い反応を示す私にマキリは溜息を零した。精神世界の筈なのに器用な男だ。その仕草も実に決まっていてカッコイイ。

「順番に説明してやろう。まず、貴様は現在進行形で命の危機に瀕している」

「命の危機……?」

「私が現れた理由がそれだ。お前は苛烈を極める拷問から生き延びる術を本能的に探り、結果として刻印蟲(バックアップメモリー)にアクセスした。幸か不幸か、キャスターの身に異変が起こり、奴との繋がりが切れた事で支配権がお前に移ったからこその芸当だ」

「……えっと、とりあえずお爺ちゃんは私の味方って事でオーケー?」

「私はあくまでお前が支配した刻印蟲のバックアップメモリーだ。こうして会話をしているように見えても、実際にはお前が刻印蟲から情報を引き出しているだけだ。この私も引き出した情報を元に構成したイメージに過ぎない」

 とりあえず、目の前のお爺ちゃんは本物のお爺ちゃんではなく、私の妄想の産物らしい。

「お爺ちゃん。外の私って、今どうなってるの?」

「手足の骨を一本ずつ折られた後に切断され、眼球と歯を全て抉られている。胸部にはナイフで妙な落書きをされ、今は腹部から取り出した臓器を愛撫されているな」

 ジーザス。どうして生きているんだ、私……。

「っていうか、もうそこまで壊されているなら死んだ方がいい気が……」

 ああ、折角手に入れた二度目の人生が儚く散っていく。

「心にも無い事を言うな。お前は死にたくない。だから、私を求めた。聞こえるだろう? この喧しい程の笑い声。これはお前のものだ」

「え……?」

 闇に響き渡る悍ましい笑い声。とても私の発している声とは思えない。

「偽る必要など無いぞ、■■■■よ。ここにはお前とお前の創り出したイメージしか存在しない」

 偽る……? 意味がわからない。

「お前は死にたくなどない。不幸になどなりたくない。ならば、奪え」

 マキリは言った。

「《略奪》こそが我が血族に許された魔術の真髄だ。幸福になりたいのだろう? ならば、奪うが良い。元より、この世界はそういうシステムだ。幸福の席は一定であり、座る資格を持つ者は初めから決まっている。それに異議を唱えたければ、席を奪う他ない」

 それは悪魔の囁きだ。その手を掴めば、私は彼と同じものになる。

 奪われるばかりの人生。それで満足していた筈だ。なっちゃんの為に全てを捧げ、その果てに彼女の幸福があるのなら、十分に報われている。

 私の死は遠坂凛(おねえちゃん)の未来に繋がる筈。だったら……、

「偽る必要など無いと言ったぞ?」

 マキリは言った。

「お前は妹を愛してなどいなかった」

「何を言って……」

「羨んでいた。憎んでいた。《何故、私はこんなにも惨めな人生を歩んでいるのに、お前は幸福を甘受しているのか》と考えていた」

「違う……、そんなわけない」

「嘘など吐くな。それがお前の本心だ。幸福になりたい? それは不幸だと自覚している者の言葉だ」

「違う……。違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!!!!!」

 なっちゃんの事を愛している。彼女の為なら何だって出来た。彼女の幸せこそが私の幸せだ。

 彼女が高校に進学して、大学に入学して、サークルに入って、彼氏を作って、結婚して、幸せになって、それが何より嬉しかった。

「その人生をお前は羨んでいた。お前は憎みながら、自分と彼女を重ね合わせ、幸福な人生を生きている気分に浸った」

 うるさい。聞きたくない。どこかに行け。私の視界に映るな。

「お前には力が無かった。高校にも行かず、知識や知能も無かった。だから、諦めるしかなかった。ただ、それだけだ」

 うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。

「だが、今のお前には力がある。求めれば、幸福になる資格を得られる」

 私は幸福になりたいだけだ。他人の不幸など望んでいない。

「そうやって、己の弱さに目を背けた結果が生前の末路だ。再び、あの惨めな終わりを再現したいのか?」

 そんなの嫌に決まっている。だけど、他にどうしたらいいの? 

「受け入れればいい。ありのままの自分を」

 受け入れる……。私は幸福になりたい。

「誰かを蹴落としてでも……」

 マキリの姿が光に変わる。その光を私は胸の内に引き寄せた。

 それはマキリ・ゾォルケンという魔術師が持つ膨大な魔術知識。引き裂かれた体内に残されている魔術回路と刻印蟲が最適化されていく。

 

 痛覚を完全に遮断し、意識を浮上させる。男が私の体内から取り出した臓器を舐めているようだが、眼球が無い為に見ることも、睨むことも出来ない。

 喉を潰され、歯も全て抜き取られ、舌もハサミで乱雑に切られた。そのせいで呪文を唱える事さえ厳しい状況。

 それでも、頭の中はとても静かで冴え渡っている。冷静に状況を分析し、必要な知識を寄せ集め、一つの魔術に集約していく。

「ああ、なんて綺麗なんだ。見てみなよ、君の肝臓は言葉に出来ないくらい美しいよ。あ、目はさっきくり抜いちゃったんだっけ」

 陽気に笑う男に私は笑い掛けた。



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第十四話「失楽園」

 人は決して平等じゃない。幸福になれる者は初めから決まっている。不幸な者はその境遇を甘受するしかない。それが人に定められた運命であり、現実だ。

 それを否定したければ、奪うしかない。

「……なに、これ?」

 雨生龍之介は体内を駆け巡る激痛に困惑している。袖を捲ると、あちこちの肉が不自然にヘコんでいる。何かが蠢いている。

 気付けば立っている事が出来なくなった。足の感覚が消えていく。

 服の隙間から奇妙な蟲が這い出てくる。

「あっ……ぁぁ」

 内側から食べられている。きっと、これは魔術だ。それ以外に考えられない。

「ひひゃだ……」

 死にたくない。もっと、知りたい。臓物の美しさ、血液の鮮やかさ、それが意味するもの。まだ、探求は終わっていない。

 殺したい。死にたくない。殺さないで。死んでくれ。

「たひゅけて……」

 奥の部屋にいる筈の男に助けを求める。だけど、返事はない。

 意識が遠のく。命が終わる。

 

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ死にたくない嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ終わりたくない嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だもっと知りたい嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ殺さないで嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ助けて下さい嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……。

 

 血を一滴も垂らす事なく、雨生龍之介という殺人鬼は骨や皮すら残さずこの世から消滅した。彼の肉より生まれた蟲は壊れた人形の下へ集まっていく。

 足りない。少女は思った。欠損した箇所を埋める為にはもっと血肉が必要だ。

 その意思に呼応するように、数匹の蟲が向きを変える。そこから先は阿鼻叫喚の地獄絵図だ。

 蟲に触れられた者は体内から蟲が溢れ出し、死に至る。

 逃げ惑う子供達。だけど、逃げ場など存在しない。ここは拷問部屋にして、処刑場。入れば二度と出られぬ終わりの部屋。

 一人、また一人と蟲を産み消えていく。

「……ぁ、ぁぁ」

 いつしか、生き残っている子供は二人だけになっていた。

 地面を覆う蟲が間桐桜の肉体を覆っていく。その光景を目にしながら、遠坂凛は動く事が出来なかった。

 子供が子供を殺す異常な状況。拷問される妹の姿。人体から蟲が這い出てくる光景。それらの恐怖が彼女の心を完全に折ってしまった。

 蟲の姿が徐々に減っていく。

「さく、ら……?」

 あれほどの質量がどこに行ったのか、蟲は一匹残らず消えてなくなった。

 代わりに五体満足になった間桐桜がゆっくりと立ち上がり、凛を見つめた。

 拷問の影響か、髪はイリヤのように白くなっている。眼孔には黒い球体が嵌めこまれ、その手足もまた黒い。

 掌を掲げる。そこに昏い光が集まり、一匹の蟲が現れた。禍々しいフォルムの羽を持った蟲が真っ直ぐに飛んでくる。

 咄嗟に彼女は目を瞑った。殺されると思った。

 だが、死はいつまで経っても訪れず、代わりに背後でグシャリという奇妙な音がした。振り向くと、蟲がナイフを腹に突き立てられていた。

「……お、ねえちゃん。こっちに……」

 苦しそうな妹の声。殺されそうになったわけじゃない。あの蟲で桜はナイフから守ってくれたのだ。

「さくら……」

「ごめん……。うまく体を動かせないの……。はやく、こっちに……」

 桜の視線の先には赤い服の男が立っていた。男は子供を三人残して空っぽになった部屋を不思議そうに見回している。

「驚いたな。お前がやったのか?」

「あなたは……、誰?」

 顔を苦痛で歪めながら、桜が問う。

「カイン。さっきまでここに居た筈の男の協力者だよ。まったく、なんて事をしてくれたんだ。彼ならば、俺に答えを示してくれるかもと期待していたのに」

「答え……?」

「そうだ。人殺しが悪なのかどうか、その答えを彼は示そうとしていた」

「人殺しは悪に決まってます」

「そう思うか? ならば、貴様も悪になるぞ。ここに居た者達を皆殺しにしたお前は悪逆無道の大罪人という事になる」

「そうですよ? 私は大悪党です」

 桜は言った。

「《幸福の席は一定であり、座る資格を持つ者は初めから決まっている。それに異議を唱えたければ、席を奪う他ない》。幸福を願う者は幸福な者からその幸福を《略奪》するしかない。それが金銭であれ、命であれ、人からモノを奪う者は盗人で、悪党ですよ。あの男の人を殺して、他の子供達も皆殺しにした私は悪党以外の何者でもない」

 その言葉にカインは苛立つ。

「ならば、聞こう。多くの人を苦しめる者が居たとして、それを殺した英雄は悪か? 病魔に苦しめられ、完治する望みの無い者を安楽死させる医師は悪か? 国を守る為、戦争によって多くの流血を許容する王や政治家は悪か?」

「悪党に決まってるでしょ? 結局、自分の幸福の為に他者の幸福を簒奪する悪党。人殺しはいかなる理由があっても悪の所業ですよ。どんな崇高な目的の為でも、どんな清らかな願いの為でも、どんな悲しい理由があっても」

「ならば、何故殺した? 悪と分かっているのなら、どうして……」

「だって、私は幸せになりたいもの」

 歪んだ笑顔。昏い光を灯す瞳がカインを見つめる。

「例え、他人を蹴落としてでも、幸せになりたいの」

「なんと、自分本位な思考だ」

「私は死にたくないの。傷つけられたくないの。優しくされたいの。愛されたいの。許されたいの。だから、奪うの」

「……それは獣の論理だ。自らの生存の為に他者を殺し、喰らうなど、知恵の実を口にした《人》がしていい考え方ではない」

 カインは銃口を桜に向ける。

「貴様は獣だ。獣に俺の求める答えなど出せる筈がない。失せろ」

 引き金に指が掛かる。

 そしてーーーー、

「失せるのはお前の方だ」

 その体を一本の剣が刺し貫いた。いつの間にか、彼の眼前に現れた黄金の輝きを纏う騎士がその宝剣の真名を口にする。

「待て、俺を殺せば貴様もーーーー」

「死ぬのはテメェ一人だ!! 我が麗しき父への叛逆(クラレント・ブラッドアーサー)!!」

 

 ◇◆◇

 

ーーーー数分前の事。

「後は聖杯を起動させるだけ……」

 ファニーヴァンプはその指先をキャスターに向けた。

「安心して、かわいい子。あなたの事も必ず楽園に導いてあげる」

 優しく、慈愛に満ちた微笑みだ。今から相手を殺そうとしている人間の浮かべる顔ではない。

 そこには怒りも憎しみも無く、ただただ相手を思う気持ちだけがある。

「……駄目だな、お前。あまりにも不快過ぎる」

 動けない筈のキャスターが、当たり前の顔をして口を動かした。

 ファニーヴァンプは大きく目を見開く。

「何故……」

「お前に他の者達を掃除させるつもりだったが、お前がこれ以上生きている事が我慢ならなくなった」

 答えになっていない。この世界はファニーヴァンプの意思こそがルールであり、彼女の許しなく行動する事は出来ない。

 その筈なのに、黄金の輝きを纏い、キャスターは自在に手足を動かしている。

「ダメよ……。イケないわ。ここは楽園なのよ。勝手な事をしないで!!」

 その叫びにキャスターは笑みを浮かべる。

「ああ、やっと人間味を見せたな。その顔だけは悪くない。自分の思い通りにならない外世界を拒絶し、思い通りになる匣庭を楽園と謳う引き篭もりには似合いの顔だ」

 ファニーヴァンプの顔が歪んでいく。

「……私の愛しき息子達。あの女を殺しなさい。アレはイケないものだわ」

 その命令によって、セイバーとアーチャーが動き出す。無数の刀剣が天を覆い、セイバーが聖剣を振りかぶる。

全投影連続層写(ソード バレル フルオープン)!!」

約束された勝利の剣(エクスカリバー)!!」

 如何なる英霊であろうと死を免れないセイバーとアーチャーの全霊の一撃。

 それをキャスターは涼しい表情を浮かべながら乗り越えた。

 その身に傷一つ負わず、ファニーヴァンプに歩み寄る。

「来ないで……」

 ファニーヴァンプは怯えた。キャスターの行動は彼女の理解を超えている。逆らえない筈の命令に逆らい、死ぬ筈の状況で生還し、殺意を向けてくる魔女に彼女は心底恐怖した。

「助けて……、誰か、助けて!!」

 その姿はまるで子供だった。うずくまり、泣きじゃくり、必死に助けを求める。

 その声にセイバーとアーチャーが応じるが、彼等の剣はキャスターを止めるどころか、傷つける事さえ出来ない。

 まるで、霞を斬るかのように、剣は彼女を素通りする。

「母さん!!」

 後数歩という所で赤い服を身に纏う男が姿を現した。

 キャスターは嗤う。

「貴様がカインか?」

「……母さん。ここは退くぞ」

「わ、分かったわ。あなた達、私を守って!!」

 固有結界が解ける。だが、彼女に魅了されたセイバーとアーチャーはキャスターと彼女のマスターに扮していた赤い礼装の騎士の追跡を阻む。

「邪魔をするな、アコロン!!」

 聖剣を握る間抜けに赤き騎士が吠える。

「……無駄だ、《我が謀略の子(モードレッド)》。あの女の魅了に絆され切っておるからな。言葉など幾ら重ねても届かぬよ」

「なら、どうすんだ?」

「こうするのだ」

 そう言って、キャスターは拳を握る。

 効かぬと知りながら双剣を振り続けるアーチャーの頬を殴り飛ばした。

「さて、アコロン」

 キャスターは仮面を取り払う。そこに現れた美貌にセイバーの動きが一瞬止まった。

「感心だ。これで無反応だったらさすがに怒る所だったぞ」

「いいから、さっさと殴れよ!! 母上!!」

 キャスターは止まった隙にモードレッドが拘束したアコロンを殴りつけた。

 すると、セイバーの瞳に理性の光が戻った。

「……貴女は」

 その瞳が大きく見開かれる。

「モル、ガン……」

「後にしろ」

 口をわなわなと震わせるセイバーの顔面に再び拳を叩き込み、モルガンは新都の方角を見つめた。

 既にファニーヴァンプとカインの姿はない。だが、その行き先には見当がついた。

「……おのれ」

 キャスターの表情が憎悪と憤怒に歪んでいく。

 ラインを通じて、己が主の身に起きた危機を悟った。

「モードレッド!! 道を拓く、奴を殺せ!!」

 キャスターはモードレッドの目の前に光の扉を作り出し、どこからか取り出した剣の鞘をモードレッドに投げ渡した。

「それを使え」

 黄金に輝く鞘。その正体は《全て遠き理想郷(アヴァロン)》。かの騎士王が手にしていた聖剣の鞘。

 あらゆる災いから担い手を守る究極の結界宝具。ファニーヴァンプの固有結界《いつか還るべき楽園(エデン)》の中でも彼女が自由に動けた理由がそれだ。

「急げ!! 桜の身に危機が迫っている!!」

「承知した!!」

 鞘を手に、モードレッドが光に飛び込んでいく。その光景を見送っているキャスター。

 その背後でアーチャーのサーヴァントは愕然とした表情を浮かべた。

「さくら……、だと?」

 

 ◇◆◇

 

 赤雷が迸る。

「バカな……。俺は……、まだ……」

 雷光に呑み込まれ、カインの肉体が消滅する。その直後、赤雷に暗黒の光が絡みつき、その矛先を歪めた。

 襲い来る増幅された《死の結晶(クラレント・ブラッドアーサー)》を前にモードレッドは笑う。

 如何なる呪詛も所詮は三次元上のもの。七次元上に存在する妖精郷には決して届かない。取り囲む死はアヴァロンの輝きによって減衰され、やがて霧散した。

「さてさてさーて、初めましてだな」

 白い髪、膨大な魔力を架空元素に変換し作り出した黒い眼球と黒い手足。

 前とは全くの別人と化してしまった少女をモードレッドは抱き上げた。

「帰るぞ。母上に治してもらわないとな」

「あなたは……?」

「オレはモードレッド。母上(キャスター)の宝具って言えば、分り易いか?」

「モードレッド……。じゃあ、キャスターは……」

「そういう事だ」

「……そっかー。あ、お姉ちゃん達も連れて行っていい?」

「お姉ちゃん?」

 モードレッドの視線が蹲り意識を失っている少女達に向けられる。

 彼女の宝具の余波で気を失ってしまったようだ。

「はいよ」

 モードレッドは子供二人を抱え込み、未だ存在している光の扉に飛び込んだ。



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第十五話「交差路」

 女は暗闇に身を寄せて泣いている。

「どうして……?」

 彼女の頭は疑問で埋め尽くされている。

 ただ、あまねく人々の幸福を願っただけだ。誰一人零れ落とす事無く、楽園に導く為に頑張った。なのに、どうして邪魔をする者が現れるのか、彼女には理解が出来なかった。

 人は誰しも幸福になる事を望んでいる。進んで不幸になりたいと思う者など居る筈がない。

「私の祈りは皆を幸福に導く……。なのに、どうして……」

 愛する子を失った。神の寵愛を受けたい一心で罪を犯してしまった哀しい子。苦悩に満ちた人生を送り、死後も悩み続けていた。

 全て、あの魔女のせいだ。あれは良くないものだ。人を不幸に導く悪魔だ。

 考えてみれば、初めからおかしかった。(わたし)に反抗する子など、あってはならない。

「あの魔女は人間じゃない……。あれは化け物だわ」

 野放しにしてはいけない。母として、子供達を守らなければいけない。

「……母さん」

 決意を固める彼女に声を掛ける者がいた。

 カソックに身を包む青年だ。

「ああ、愛しい子。私を迎えに来てくれたのね」

「はい、母さん」

 言峰綺礼は彼女を抱き締める。彼は彼女の苦悩を感じ取り、哀しい気持ちになった。

 破綻者である筈の己がそのような感傷を覚える事に驚きを覚えながら、その感情を与えてくれた彼女に感謝し、彼女の苦悩を取り払いたいと心の底から思った。

 イヴ・カドモン。始まりの女と呼ばれる、全ての人類の母。如何なる者も彼女を愛さずにはいられない。それは根源に刻まれた全人類共通の愛情を喚起するからだ。

 産まれ落ちた瞬間。人はその後の人生でどのように歪もうと、その瞬間だけは生を得た事に感謝する。己を産み落とした母胎を愛する。彼女の身に宿る《全ての人の母(スキル)》はその瞬間の愛情を喚び起こす。

 彼等は自らの意思を失いなどしない。記憶と人格はそのまま継続している。それでも尚、彼女を優先してしまう。他に愛する女がいても、感情が希薄な者でも、破綻者でも、その圧倒的な愛情に抗う事など出来ない。

 綺礼にとって、彼女はまさに救世主だ。万人が《美しい》と感じるものを美しいと思えず、善よりも悪を愛し、他者の苦痛に愉悦を覚える己の悪しき性に彼は苦しめられてきた。晴れる事無き懊悩から解き放たれる為に多くのあらゆる努力を重ねて来た。だが、どれも実を結ばず、終わりなき茨道を歩き続けた。

 その苦しみを彼女は解き放ってくれた。例え、キャスターによって彼女の《魅了》から解き放たれたとしても、彼は彼女の為に生きる道を選ぶだろう。それほどまでの感謝と愛情を感じている。

「告げる」

 綺礼は言霊を口にした。このままでは依り代を失った彼女が消滅してしまう。それはいけない。

「汝の身は我の下に、我が命運は汝の為に。聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのなら我と共に。ならばこの命運、汝に捧げよう」

「嬉しいわ。愛しい子。可愛い子」

 新たなる刻印が綺礼の身に刻まれていく。二騎のサーヴァントを従える事は生粋の魔術師ではない綺礼にとって負担の大きい事。それでも、彼は未だにアサシンとの契約を結び続けている。

 何の因果か、生き残ったアサシンの分霊がライダーの下に身を寄せているからだ。これを利用しない手はない。

「ところで、母さん。その女は?」

 綺礼はイヴの傍で寝息を立てている銀髪の女性を指差した。

 アインツベルン謹製のホムンクルスである事は分かる。

彼女(これ)が聖杯みたい」

「……どういう事ですか? 私の記憶が正しければ、教会であなたはアーチャーのマスターを名乗るホムンクルスを聖杯に変えていた筈ですが」

あの子(カイン)に言われたの」

 彼女は教会に現れたホムンクルスを聖杯に変えるよう、カインに進言された。聖杯の在り処は分からなくても、聖杯を創り出す事は可能だと。

「これも聖杯よ。あの人形(ホムンクルス)を通じて、《いつか還るべき楽園(エデン)》が創造した本物の聖杯。私の知らないモノはエデンの力でも創造する事は出来ないけれど、設計図があれば可能になるの」

 だが、教会から逃げた先で置き去りにされた後、彼の痕跡を追って辿り着いた場所に本物の聖杯(この女)がいたらしい。

 イヴはカインに何か考えがあったのだろうと言うが、綺礼は直ぐにカインの抱いた叛意を悟った。

「なるほど……。では、この聖杯も本物として機能するわけですね」

 カインは既にいない。いなくなった者の叛意をわざわざ教えて、彼女に心労を与える必要はない。

「そうよ。だから、これはもう要らないのだけど、カインには何か考えがあったのかもしれないと思うと……」

「……ええ、これは使える」

 綺礼は微笑んだ。カインの思惑がどうあれ、これは切り札(ジョーカー)になり得る存在だ。

 

 ◇◆◇

 

 空気が冷え切っている。私の変わり果てた姿におじさん達はおろか、アーチャーや他の人達まで絶句している。

 ここはいっちょ、空気を和ませてあげよう。

「じゃじゃーん!! 桜ちゃん、ふっかーつ!!」

「…………」

 視線が痛い。どうやら、和ませ作戦は失敗に終わったらしい。

「さくら……、ちゃん」

 よろよろとおじさんがゾンビみたいに近づいてくる。

「えーっと。やっほー、おじさん!」

 元気に振る舞うと、おじさんは顔をくしゃくしゃに歪めた。

「なんで、髪が白いんだ? その目はどうしたんだ? その手足は?」

「えっと……、これはちょっとした事故的なあれで……」

 この上更に罪悪感とか、余計な感情を抱かれたくない。

 慌てて話を変えた。

「それより! キャスターにお願いがあるの!」

「……なんだ?」

 何故か仮面を外しているキャスターは今にも泣きそうな顔だった。声も震えている。

「この子達から記憶を消してあげて」

 虚数空間を展開する。お爺ちゃんの持っていた莫大な魔術知識は私の本来の属性である《虚数》を操る術もカバーしてくれた。

 そこから十人以上の子供を浮上させる。あの場で雨生龍之介を殺した直後に生きていた者達だ。他の子供達は彼が死亡したと同時に延命魔術が解かれ、死亡した。私が生きる為に、あの男を殺したから彼等は死んだ。その肉体を蟲に変え、魔力に換え、取り込んだ。

 目眩がしてくる。そろそろ、限界が近いみたい。虚数空間に大勢の子供を格納していた上、モードレッドの宝剣にも魔力を持って行かれたから、そろそろ意識を保つ事さえ難しくなってきた。

「あと、そろそろ意識を失うから、私の事もお願い。私、まだ死にたくないの。生きて、幸せになりたいの。だから……、助け……て」

 捲し立てるように早口でそれだけを告げると、視界が暗転した。同時に全身を激痛が駆け巡り私の意識は闇の中に溶けていった。

 

 ◇

 

「なんだよ……、これ」

 雁夜は地面に転がる桜の体を見て、立っていられなくなった。

 手足が無い。眼球が無い。歯が無い。髪は真っ白。全身に火傷と切り傷と他にも色々。

「……桜は拷問を受けた。どうやら、そこで眠る姉を守る為に身を捧げたようだな」

 キャスターはモードレッドから聖剣の鞘を受け取り、それを桜の肉体に沈めた。その後も様々な魔術を重ねていく。

「手足を釘で台座に打ち付けられ、骨を折られ、切断され、眼球を抉られ、歯を抜かれ、腹部を切開され、その内臓を弄ばれ……、その上で罪悪感を抱いておる」

「ざい、あく……、え?」

「どうやら、拷問を行った男を殺した事で、他の子供達が死んだようだ。男に拷問を受け、死なぬように延命させられていた哀れな子供達だ」

 キャスターの手で桜の体が徐々に元の姿を取り戻していく。

 全て遠き理想郷(アヴァロン)は損傷した所有者の肉体を復元する力を持っている。その恩恵を最大限活かす為にキャスターは懸命に手を動かし続けている。

「なんでだよ……。なんで、桜ちゃんばっかり……」

 雁夜は地面を叩いた。

「なんで……。なんでなんだ……? 幸せになりたい? なるべきだ。今までがおかしかったんだぞ!! どうして、この上拷問なんてされる!? その上、子供を助けたのに罪悪感!?」

 頭を掻き毟る。怒りで頭がどうにかなりそうだ。

 彼女はもう散々悲惨な目にあってきた。もう、十分過ぎる筈だ。後の人生は他人の何万倍も幸福であるべきだ。

「なんで……。なんでなんだ? なんで……」

 雁夜の声だけが夜の教会に響き続けた。

 

 ◇

 

「なんで……、か」

 衛宮切嗣はその光景を何度も見て来た。苦しまなくてもいい筈の人間が苦しむ姿。答えを求めて、必死に走り続けた挙句、出した答えは……、

「世界はそういう風に出来ているんだよ、間桐雁夜」

 正義など、この世のどこにも存在しなかった。悪意を持つ者が力無き者を平然と踏み躙る。それを当然の事のように受け入れる人間社会。

 誰もが笑顔で過ごせる理想郷など、夢物語だ。

「だから、聖杯が必要なんだ」

 この戦いを人類最後の流血にしてみせる。彼女のような何の罪も無い人間が不幸になる事など無い世界を作ってみせる。

「アーチャー。イリヤを保護して、地点B-4に来てくれ」

 あのキャスターは危険だ。本来なら、隙だらけの状態である今この瞬間を狙うのがベスト。だが、傍にイリヤがいる。

 キャスターがモードレッドを送り込んだ先はファニーヴァンプのアジトである筈。そこにあの子が居た理由を考えると、最悪の事態が脳裏を過る。

 余計な感傷に流されたわけじゃない。今はあの子から話を聞く事を優先するべきだ。

「……クソッ」

 そう、頭の中で言い訳をして、理性的になろうとして失敗した。

 間桐桜があれほどの拷問を受けた以上、イリヤにもなにかをされた可能性が高い。そう思うと、腸が煮えくり返る。

 認めるほかない。今、切嗣は娘を心配し、勝利よりも彼女を優先してしまっている。一緒に居た筈の妻の安否を気にしている。

 弱くなっている。あのホテルの爆破の際、わざわざ客や従業員を追い出した時にも感じた。昔のような冷徹さを欠いている……。

「このままじゃ、駄目だ……」

 眠る度に見る光景が心を蝕んでいる。

 英霊・エミヤという存在が辿った凄惨な歴史。その中で視た、禍々しい光を帯びた大聖杯。娘の最期。己が呪いを課した少年の末路。

 見たくない。そう思っても、眠る度にラインを切れない。その罪から目を逸らす事が出来ない。この戦いが全くの無意味である可能性を捨てきれない。

 赤々と燃え上がる冬木の街。そこで被害者の少年を引き取り、自己満足に耽る己の姿に吐き気がする。

「馬鹿野郎……。馬鹿野郎……ッ!!」

 何をしているんだ、貴様は!! そう罵倒し、殺してやりたくなる。

 今まで、何の為に多くの犠牲を払って来たのか分からなくなる程、愚かな終生を送る自分の姿に耐えられなくなる。

 (奇跡)は無く、(希望)も無く、(理想)さえ闇に溶け、それでも()が残っているなら、やれる事があった筈だ。

 

 嘗て、育った島に住む少女が彼に問いかけた。

『ケリィはさ、どんな大人になりたいの?』

 決まっている。今も昔も変わらない。

「……僕は必ず」

「ええい、酒樽泥棒はどこだー!? って、どわっ!?」

 決意を新たにしようとしていた切嗣の前に突然少女が飛び込んできた。

 どうやら、物思いに耽っていて注意が散漫になっていたようだ。

 なんという事だろう。ここまで耄碌していたのか……。

「すまない。少し考え事をしていたんだ」

 ぶつかってしまい、倒れこんだ少女に手を伸ばす。

 そこで、切嗣は言葉を失った。

「シャー……、レイ?」

「ほえ?」

 直ぐに違うと気づいた。だけど、少女の面影は嘗て愛した故郷の島の少女とよく似ていて、目を離す事が出来なかった。

「えっと……、大丈夫ッスか?」

 手を目の前で振られて、漸く正気に戻る。

「す、すまない。少し、知り合いに似ていたもので……」

「そうなの? ふふ、さては相当な美少女ッスね?」

 目をキラリと輝かせ、ふてぶてしい笑顔を浮かべる少女。

「……ああ、君みたいにとても可愛らしい女の子なんだ。ところで、こんな夜更けにどうしたんだい? 危ないから、早く家に帰った方がいい」

「か、可愛いッスか……。え、えっと、ちょっとばかり酒樽泥棒を探しておりまして……」

 可愛いと面と向かって言われた少女はしどろもどろになりながら事情を説明する。

 どうやら、知り合いの酒屋から酒樽が盗み出されたようだ。

「それなら、警察に伝えて、君は帰りなさい。君みたいな可憐な女の子がこんな夜更けに出歩くなんて……」

「か、可憐!? あ、え、うへへ。そ、そこまで言うなら……、デヘヘ。か、帰るッスね」

「ああ、それがいい」

「あ、あの!」

「なんだい?」

「お名前をお聞きしても?」

「……名乗る程の者じゃないよ」

 少女の頭に手を乗せ、切嗣は背中を向けた。その背中を少女は陶然となりながら見つめた。

「……あの!!」

「ん? なんだい?」

「なんていうか、その……」

 少女にとって、切嗣は初対面の相手だ。だから、今考えている事が正しい保証などない。

 それでも、その辛そうな背中を見て、言わずにはいられなかった。

「げ、元気出して下さい!!」

「え……?」

 戸惑う切嗣に少女は顔を真っ赤にしながら言った。

「そ、その、嫌な事とかあっても、大抵何とかなるもんッスよ! ネバーギブアップ!!」

 自分でも何を言っているのか分からないのだろう。

 恥ずかしそうに頭を抱える少女を見て、切嗣は口元を綻ばせた。

「ありがとう。うん。ネバーギブアップだね」

 切嗣は再び歩き出した。不思議とさっきまでよりも足取りが軽くなっている。

「夜は出歩かないようにね。君みたいな可愛い女の子は悪い男に狙われやすいから」

 そう言い残すと、闇に消えていった。その後ろ姿を少女はいつまでも見つめていた。



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幕間(Ⅰ)

「お前は一体何をしているんだ!?」

 上空三千フィートを航行するライダーの騎乗宝具(ゴルディアス・ホイール)。その上でウェイバーは己のサーヴァントに掴み掛かった。

 チャリオットの上には空間を圧迫する巨大な樽が乗っている。つい先程、街の酒屋から盗み出してきたものだ。

「何を怒っておるんだ?」

「あの意気込みはどうしたんだよ!? なんで、カインを倒しに行く筈が、酒屋に忍び込んで酒樽を盗んでいるんだ!!」

「そんなもの、決まっておるだろ。これより、生き残っている参加者達と酒を酌み交わす為だ!」

「意味が分からないよ!!」

 喚き立てるウェイバーのおでこにライダーは強烈なデコピンをくらわせて黙らせる。

「カインと戦えば、余は消滅する事になる」

「それは……」

 ウェイバーはおでこを押さえながら表情を曇らせた。喚き立ててしまったのも、直ぐにカインと戦闘に入らず、彼の消滅が先延ばしになった事を内心で喜んでいたからだ。

 ライダーの考えは変わっていない。やはり、少し先延ばしになっただけで、いずれ決着をつける腹積もりだ。

「その前にこの戦いで巡り合う事が出来た益荒男達と語り合っておきたいのだ」

「…………勝手にしろ、バカ」

 

 ◆

 

 まるで映画のワンシーンだ。時代は中世辺り。場所は外国のどこかにある立派なお城。

 女の子が泣いている。父親を殺され、母親や姉妹と離され、見知らぬ男と婚姻を結ばされたのだ。

 彼女の全てを奪った男は一国の王だった。覇王と呼ばれた益荒男は絶世の美女と謳われた彼女の母親に惚れ込み、欲望を満たす為に奸計を巡らせた。

 

 その王は確かに偉大な男だった。

 若き日にドラゴンを打ち倒し、《巨人の腕輪》なる秘宝を手に入れ、兄や相棒の魔術師と共に数多の冒険を乗り越えて来た生粋の勇者であり、同時に内紛耐えぬ貧国であったブリテンをその手腕で纏め上げた類まれな指導者でもあった。

 大陸からはサクソン人やアングロ人が絶えず流れ込み、北の蛮族(ピクト人)西方の海賊(アイルランド人)に付け狙われながら、ブリテンが後のアーサーの代まで存続出来たのも彼の力あってこそだ。

 もし、彼が自らの欲望を律する事が出来ていればブリテンの未来は大きく変わっていた筈だ。それだけの力を持っていた。

 

 女の子は王を恨んだ。

『この報い、必ずや貴様に……』

 蝶よ花よと育てられて来た彼女の人生は坂道を転げ落ちるように悲惨なものへ変わっていく。

 悲痛な嘆きの声はやがて怨嗟の呪言に変わり、憎悪は際限なく膨れ上がり、やがて彼女は妖妃(ル・フェイ)と呼ばれるようになる。

 やがて、王は失墜し命を落とす。それでも彼女は恨み、憎み、怒り、その矛先を王の息子に向けた。 

 

 それは夢。既に終わった物語。

 分かっていて尚、私は手を伸ばし続けた。

 助ける事なんて出来ない。慰めの言葉も思いつかない。それでも、手を伸ばし続けた。

『一人にならないで……』

 彼女が抱いたもの。それを私は知っている。比べる事すらおこがましいかもしれないけれど、私も彼女と同じ思いを抱いていた。

 寂しい。彼女の心の深層にあるものはそれだけだ。

 孤独ほど恐ろしいものは無い。《死》も《拷問》も《孤独》が齎す苦痛に比べたら些細なものだ。

 

 幸福とは《孤独ではない事》だ。家族でも、友人でも、恋人でも、誰かと一緒にいる事が出来れば、人は幸福になれる。

 だから、私は――――……。

 

 ◇

 

 彼の心は荒れていた。嘗て、切り捨てた命があり、その罪が目の前に現れた。

『幸せになりたいの』

 彼女は確かにそう言った。

 誰もが当然のように思う事。なのに、彼女がその言葉を紡いだ時、彼は計り知れない衝撃を覚えた。

「……桜」

 正義の味方として、彼は嘗て、彼女を殺した。

 殺さなければ、世界を滅ぼす可能性があった。だから、切り捨てた。

 頭の中で言い訳を並べ立て、これが正しい事なのだと自分に言い聞かせ、自らのエゴを押し通した。

「ふざけるな……」

 愚か者。彼は自らをそう蔑んだ。

 一度切り捨てた者を見て、後悔した事に底知れない怒りを感じた。

「後悔など、許される筈が無いだろう」

 涙を流し、己が振り下ろした剣を受け入れた彼女も幸福を望んでいた筈だ。

 その未来を摘み取っておいて、今更……。

「誰だって……」

 悪魔と言われた。

 人殺しと言われた。

 罪人と言われた。

 それが理想を追い求めた果てに辿り着いた場所。

「幸福を望んでいるんだ」

 そんな人々から未来を刈り取った。

 とっくの昔に分かっていた事。いやというほど自問自答を繰り返した。

「……まったく、懐かしい顔触れを見て気が緩んだか」

 これでは青臭い理想論を信じていた若い頃と何も変わらない。

 アーチャーは溜息を零すと、切嗣との合流地点へ急いだ。

 

 ◇

 

 セイバーのサーヴァントは治療に励むキャスターの姿を見つめ、荒れ狂いそうになる感情の波を必死に抑えている。

 嘗て、彼は彼女と出会っている。それどころか、彼は彼女に恋をしていた。

 

 彼は純真で、献身的で、相手が誰であろうと、その心に善を見出そうと努力する人物だった。

 キャメロットにおいて、彼は取り立てて優れた騎士ではなかった。だが、王への忠誠と、騎士としての気高さは皆の認めるところであった。

 その彼がゴアの国の王であるユリエンスの妻、モルガンの密かな愛人であるという噂を聞いた者は皆一様に首を傾げた。

 彼は初めからモルガンを愛していたわけではない。彼は彼女の境遇に同情し、哀れんでいたのだ。

『誰も愛さないのなら、私の愛を捧げよう』

 それは誰からも忌み嫌われている魔女に対する騎士としての献身。

 それはどこまでも清く正しく、そして、決定的に間違っていた。

 モルガンは強い女だった。彼女にとって、彼の同情(おもい)は侮辱以外の何者でもなかった。

 もっとも、彼女もアコロンの気持ちを完全に憎く思っていたわけではない。孤独の闇に彼の愛は一筋の光を与えた。だからこそ、彼の死に際に彼女は涙を流したのだ。

 

 彼女の愛は決して己のものにならない。死の間際、彼はようやく己の誤りに気がついた。全てが手遅れになった状況で、本当の愛を知った。

 彼は彼女を愛している。偽りの感情ではない。その笑顔の為なら、例え血塗られた道を歩く事になっても構わない。そう思う程の愛が彼をこの聖杯戦争(たたかい)に誘った。

「モルガン……」

 愛しい女性が目の前にいる。聖杯に託す筈だった望みが叶ってしまった。

 その色白な肌に吸い込まれそうになる。

 この聖杯戦争の最中、彼女は生前誰にも見せる事の無かった穏やかで優しい表情を見せてくれた。

 それが彼の中の彼女に対する愛情を更に燃え上がらせた。

 その腰に提げた剣を彼は抜いた。

「おい、何のつもりだ?」

 キャスターの宝具として現れた騎士が彼の前に立ちはだかる。

「どいてくれ、モードレッド」

 その表情は狂気に満ちていた。

 何の躊躇いも無く、アコロンは刃を振り下ろす。その刃を当然のように弾きながら、モードレッドは不機嫌な表情を浮かべた。

「もう一度だけ聞くぞ。何のつもりだ?」

 アコロンは言った。

「彼女を私のものにする」

「よ、よせ、セイバー!!」

 慌てて止めようとする雁夜を彼は蹴り飛ばした。

 その凶行に目を見開き、モードレッドは宝剣を構える。

「……本気みたいだな」

 キャスターは桜の治療に専念している為に動く事が出来ない。

 それほど、彼女の負傷は甚大なのだ。

「テメェの事は……、結構認めていたんだけどな」

「モルガン……。私の愛しい人。私はその視線を独り占めにしたいのだ!!」

「……見苦しい男だな」

 襲いかかるセイバーにモードレッドは軽蔑の眼差しを向けた。

「がっかりだ」



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第十六話「跳梁跋扈」

 金属同士がぶつかる音で私は目を覚ました。気分がすこぶる悪い。まるで初めての二日酔いを彷彿とさせる。

 瞼を開くとキャスターと目が合った。

「……おはよう、キャスター」

「もう少し寝ておけ、マスター。肉体の修復は完了したが、まだ万全ではなかろう」

 彼女の言葉通り、失われた筈の眼球や歯が元に戻っている。いや、むしろ前よりも視界がクリアになった気さえする。

 手足も確かに存在している。

「ありがとう、キャスター。でも、もう大丈夫。それより、この音はなに?」

「……セイバーの馬鹿が暴れておる。今、モードレッドに鎮圧を命じてあるが、長引いているな」

「セイバーが……?」

 彼が暴れている姿なんて想像も出来ない。体をゆっくりと起こす。

 金属音の鳴り響く方角に視線を向けると、そこではセイバーとモードレッドが戦っていた。

「セイバーはどうして暴れているの?」

「分からん……」

 キャスターは不可解そうに表情を歪めながら、私が眠っている間に起きた事を手短に教えてくれた。

 刃を構えて、愛している……。ヤンデレかな?

 私の周りにも似たような事をした子がいる。奥さんの居る人に本気になってしまった彼女は無理心中を図って失敗し、警察に逮捕された。

 キャスターは不思議そうにしているけど、私はやっと納得出来た。どうして、あんなストーカー気質のおじさんの下にアコロンみたいな純朴な好青年が現れたのか、ずっと不思議だったもの。

 やはりマスターとサーヴァントは似たもの同士という事だ。

「キャスター」

「なんだ?」

「アコロンの事、実は大好きでしょ」

「は?」

 凍りついた表情を浮かべるキャスター。だけど、間違いない。

 私とおじさんは同じ触媒を使ってサーヴァントの召喚を行った。円卓の欠片だ。

 円卓に纏わる英霊は数多く存在する。その中から彼女達が選ばれた理由は明白だ。

「私とキャスターって、結構似てると思うの。おじさんとセイバーも」

 孤独に生きてきた。愛情に飢えていた。だけど、手を伸ばす方法を知らなかった。

 一人は街の娼婦。もう一人は傾国の魔女。規模の大きさは比べ物にならないけれど、共通点が驚く程に多い。

 どちらも妹を憎んでいた(あいしていた)。どちらも世界を憎んでいた(あいしていた)

「私はおじさんの事が大好きなの」

 彼女もアコロンに手を差し伸べられた時、嬉しかった筈だ。

 それが騎士としての献身という歪んだものだったとしても、初めて救いの手を伸ばしてくれた相手を憎める筈がない。

 愛情は抱かなかったかもしれない。だけど、好意は抱いた筈だ。だから、彼の死体が城に届けられた時、彼女は幾日も泣き続けた。

「あなたも彼の事が大好き。違う?」

 キャスターは困ったように溜息を零した。

「……マスター。妾は少しお前の事が怖くなったよ」

 キャスターは私を抱き上げた。

「良かったね」

「なにが?」

「彼が召喚された時、仮面を被った本当の理由。それって、彼に敵意を向けられると思ったからでしょ?」

「……なんの事やら」

「乙女だね、キャスター!」

「うるさいわ!」

 そっとおじさんの下に向かい、キャスターは治癒魔術を掛けた。

 呻き声を上げて体を起こすおじさん。

「おはよう、おじさん!」

「さ、桜ちゃん!?」

 とりあえず抱きついてみる。このぬくもりは癖になる。

「……もう、痛くない?」

 残念な事に可愛い反応を見せてはくれなかった。ひたすら心配された。

「うん。もう、大丈夫だよ」

 笑顔を見せると、おじさんは私を抱き締めた。若干痛いけど、無粋な事は言わない。

 私は彼の背中に手を回して、ポンポンとやさしく叩いて上げた。

「……軽いな、桜ちゃんは」

 悲しそうに言われた。

「軽いことは良いことなんだよ?」

「軽過ぎるよ……。もっと、美味しい物をたくさん食べにいかなきゃ……」

 おじさんは立ち上がった。

「セイバー!! 止まれ!!」

 おじさんが令呪を発動する。すると、セイバーの動きは不自然に鈍り、やがて動けなくなった。

「マス、ター……」

 狂気を孕んだ瞳。なんだか、嬉しくなる。そこまで彼女を愛してくれていた事に感謝したくなる。

「おい、アコロン」

 キャスターは袖を捲り、動けなくなったアコロンの前に立つ。

 モードレッドは若干表情を引き攣らせながら一歩下がった。

 そして、キャスターの拳がアコロンに襲いかかる。

「この甲斐性無しが」

 一発、二発、三発、四発、五発……。

 モルガンはやれやれと困ったような表情を浮かべ、何度も彼の顔面を殴りつけた。

「貴様は極端過ぎる」

 もう、何度殴ったか分からない。魔力を纏わせていないせいか、キャスターの拳の方が赤く染まって痛そうだ。

「モ、モルガン。君の手が……」

「黙れ! いいから殴られろ」

 魔力を纏わせていない拳など、アコロンには痛くも痒くもない筈だ。

 だけど、彼は殴られる度に痛そうに顔を歪める。

「このバカ者が……。バカ者が……」

 キャスターは何度も何度も殴った。

 泣きながら、殴り続けた。

「……モルガン、もうやめて下さい!!」

 アコロンは彼女の手を掴み、その赤くなった手に涙を浮かべた。

「ええい、この程度で取り乱すな! 妾を殺す腹積もりだったのだろう!?」

「ち、違います! 私はただ……」

 独り占めにしたかった。抵抗されても、無理矢理自分のものにしたかった。愛を手に入れる事が出来ないのなら、せめてその身体を……。

 実に野蛮な欲望。だけど、キャスターは嬉しそうだ。嫌そうな顔を作っているけど、私には分かる。絶対に喜んでいる。

「仕方のないヤツめ……」

 そこから先はおじさんに背中を向けさせられたせいで見る事が出来なかった。

 近づいてきたモードレッドは不貞腐れた顔をしている。

「なんか、すげームカつく」

 後ろでついにイチャイチャし始めた母親と愛人を睨みつけている。

「納得いかねぇ……」

 私は笑うしかなかった。

「キャスターも若いね―」

最年少(おまえ)にそう言われたら母上も形無しだぜ」

 モードレッドは溜息を零した。

 

 ◇

 

 アイリスフィールが連れ去られた。目を覚ましたイリヤからその事を聞き出す事が出来たのは丸一日が経過した後の事だった。

 手遅れかもしれない。それでも切嗣は彼女の捜索に全力を傾けた。

 アーチャーも街中を奔走している。

 誘拐犯の正体は間違いなくカインだ。だが、彼は既にキャスターによって討ち取られている。

「アイリ……」

 完全に己の失態だ。彼女達が狙われる可能性は十分にあった。だが、共に行動した場合のリスクと天秤に掛け、遠くに置いてしまった。

「しかし、アイリを確保していたのなら、何故ファニーヴァンプはあの場に現れたんだ……?」

 疑問は山積している。

「分からないが……、やはり」

 アイリスフィールはファニーヴァンプの手の内にある。そう考えて間違いない筈だ。

 どうにかして、ヤツを見つけ出し、アイリスフィールを奪い返さなければならない。

『切嗣』

 アーチャーから念話が届いた。

「どうした?」

『アイリスフィールらしき存在を確認した』

「なんだって!?」

『どうする……?』

 どうやら、街中を彼女が歩いていたらしい。

 普通に考えれば罠の可能性が高い。

「周りに不審な者は?」

『見当たらない。だが……』

 索敵を得意とするアーチャーが見つけられないとすると、罠の可能性は低いか……?

 切嗣は思考する。

 そもそも、ファニーヴァンプは策略を練るタイプには見えなかった。

 教会で神父は《マスターが彼女を制御出来ず、暴走を許している》と言っていた事から、マスターが策を巡らせた可能性も低い。

 単純にアイリスフィールが敵の本拠地から逃げ出してきた可能性が高いのかもしれない。

「……アーチャー。アイリスフィールと接触してみてくれ。くれぐれも慎重に」

『了解した』

 結果として、罠は無かった。アーチャーは無事にアイリスフィールを確保して、拠点に戻って来た。

 どうやら、アーチャーを見た途端に安心して意識を失ってしまったようで、今はベッドに横になっている。

「これで憂いが一つ減ったな」

 アーチャーの言葉に頷きながら、切嗣は次の行動について考えを巡らせた。

 やはり、一番の難敵はキャスターだ。セイバーやライダー、ファニーヴァンプに対してはある程度策を練る事が出来たが、アヴァロンを持つ彼女を攻略する方法が中々思いつかない。

 奸計に優れ、絶対的な防衛宝具を持ち、絶大な魔力と卓越した魔術を行使する傾国の魔女。おまけに白兵戦に長けたセイバーとモードレッドがいる。

 今回の一件で唯一にして最大の弱点であったマスターの保護を更に厳重にする事だろう。

 やはり、あの時に始末してしまえば良かった。

「少し休んだほうがいい」

 アーチャーが言った。

「根を詰めすぎた。戦いは未だ序盤だぞ。体を壊しては元も子もない」

「……ああ」

 眠ったとしても、あの夢を見る事になる。

「アイリ……。イリヤ……」

 愛すべき家族が眠るベッドに背を預け、切嗣は瞼を閉じた。

 その直後、彼は《あの世界》に招かれた。

 いつも見る炎に包まれた荒野ではない。荒れ果てた理想郷に取り込まれた。

 考えるよりもはやく、共に呑み込まれたアイリスフィールの服に手を掛ける。そこには赤く点滅する機械が忍ばせられていた。

「発信機……」

 耄碌していた。敵を見誤り、油断した。

「私の可愛い子。あなたの力を私に貸してちょうだい」

「……はい、母さん」

 隣でアーチャーも彼女に傅いている。固有結界が解けた後、彼の目の前にはファニーヴァンプと言峰綺礼が立っていた。

 綺礼の手には発信機の位置を特定する端末が握られている。

「衛宮切嗣。よもや、貴様の十八番を逆手に取られるとは考えていなかったようだな」

「これでいいのね?」

「ああ、これで完璧ですよ、母さん」

 これで残る厄介者はキャスターのみ。だが、彼女を攻略する為には後一手必要になる。

「次はライダーを手中に収める」

 瞳を閉じると、そこには一人生き残った少女型のアサシンが優しい老夫婦に構われている。

「さあ、最後の仕事だ、アサシン」

 綺礼は一同を引き連れ、マッケンジー邸へ向かった。



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第十七話「傾国の魔女」

「いやー、それにしても久しぶりだね、お姉ちゃん!」

「……うん」

 非常に気まずい。教会から引き上げた時、お姉ちゃんも拠点に連れて来た。

 十中八九、私達のお父さんは危機的状況にいる筈だからだ。

 セイバー(アコロン)のマスターは間桐雁夜(おじさん)

 アーチャー(エミヤ)のマスターは衛宮切嗣。

 ランサー(ディルムッド)のマスターはケイネス・エルメロイ・アーチボルト。

 ライダー(イスカンダル)のマスターはウェイバー・ベルベット。

 アサシン(ハサン)のマスターは言峰綺礼。

 そして、キャスター(モルガン)のマスターは間桐桜(わたし)

 残っているマスターは遠坂時臣(おとうさん)だけ。つまり、ファニーヴァンプのマスターは彼という事になる。簡単な推理だ。

 教会で聞いた話やファニーヴァンプの能力を合わせて考えると、少なくとも洗脳状態に陥っている事は確実。お父さんに預けられない以上、お姉ちゃんの身柄を手放す事は出来ない。聖杯戦争も佳境に入り、どの陣営も本腰を入れ始めている筈。特に衛宮切嗣が危険だ。彼は人質を取ったり、建造物を爆破したりとやりたい放題。イリヤちゃん経由で私とお姉ちゃんの関係を知られている可能性がある以上、お姉ちゃんの人質としての価値はべらぼうに高い。

 だから、キャスターやおじさんに懇願して、一緒に居させてもらう事にしたわけだけど……。

「えっと、そうだ! オセロやらない? チェスでもいいよ?」

「……うん」

 お姉ちゃんのテンションが果てしなく低い。罪悪感とか後悔とか、そういう負の感情が駄々漏れになっている。

 ジーザス。こんなネガティブシンキングはおじさんだけで十分だ。

「お姉ちゃん、元気出してよ! ほらほら、可愛い桜ちゃんがダンスでも踊ってあげようか!?」

 自分でも意味不明になって来ているけど、とにかくお姉ちゃんの機嫌を取る為に必死だ。

 歌ったり踊ったり、色々試した。

 結局、お姉ちゃんはピクリとも笑わない。

「……お姉ちゃん」

「ごめん……。ごめんね、さくら……」

 会話にならない。逆レイプした直後のおじさんとどっこいどっこいだ。

 いい加減、一人の力に限界を感じておじさん達に視線を向ける。ところが、おじさんはキッチンに篭って何かを作るのに夢中みたい。

 キャスターとセイバーは帰って来てからずっとイチャイチャし続けている。当の本人にはそんなつもりなど無いのだろうが、愛を囁き続けるアコロンにつれない態度を取りながら頬を緩ませる姿は見事なツンデレだ。まったく頼りにならないけど、思いの外可愛いキャスターの姿にちょっと癒やされた。

 最後の頼みの綱であるモードレッドは思いっきり顔を逸らした。

 ジッと見つめていると徐々に冷や汗を流し始める。

「ねえ、モードレッド」

「……ヒュー! ヒュー!」

 下手くそな口笛を吹き始めた。

「……モッさん!」

「誰がモッさんだ!?」

 出会って数時間しか経っていないけど、なんとなく彼女がチョロい子だと分かった。

 反応してしまった事に後悔しているモードレッドの傍へ駆け寄った。

「ねえ、お姉ちゃんを元気にするにはどうしたらいいのかな?」

「……そう言われてもな」

 困り顔になるモードレッド。頬を掻きながら、大きくため息を零し、そっと立ち上がった。

「あー、おっほん。おい、お前」

 モードレッドはお姉ちゃんに声を掛けた。

「あんまり妹に心配掛けんなよ」

 頼った相手を間違えた気がする。この上、更にネガティブ要素を上乗せしてどうするんだ。

 頭を抱えそうになっていると、意外にもお姉ちゃんの瞳に少しだけ光が戻った。

「……桜」

「な、なにかな?」

 お姉ちゃんは意を決したように言った。

「どうして、怒らないの?」

「はえ?」

 お姉ちゃんは泣いていた。

 

 ◇

 

「恨んでいる筈でしょ?」

 こんな事、言うつもりじゃなかった。だけど、一度動き出した口は意思に反して止まらない。

「養子に出された時、私は何もしなかった……。出来なかったじゃない……、何もしなかった」

 情けなくて、自分が嫌になる。

「あの男に自分の身を差し出す事も出来なかった……」

 守らなきゃいけなかったのに、守られた。

 眼球を抉られ、骨を砕かれ、絶叫を上げる桜を見て、私は只管怯えていた。

 助けようなんて気にもなれず、ただただ、自分の番が回ってくる事を恐れていた。

「……なのに、どうして?」

 ヤメロ。今すぐ、その口を閉じろ。

 私は自分に言い聞かせた。だけど、止まってくれない。

「どうして、そんな風に笑っていられるの? どうして、私を責めてくれないの!?」

 今すぐ、この女(わたし)を絞め殺してやりたい。

 この期に及んで、桜の事を責め立てるなんて、どうかしている。

「……あっちゃー。ごめん、お姉ちゃん」

 私の口は漸く動きを止めた。二の句を継げなくなったからだ。

 頭の中は真っ白。だって、謝られる理由がない。

 謝罪するべきは私の方だ。一方的に謝罪と感謝の言葉を告げて、彼女に責め立てられるべき立場だ。

「何を言って……」

「いやー……、ちょっと空気が読めてなかったって言うか……。というわけで――――」

 桜は拳を握りこみ、腰を落とした。

「桜……?」

「お姉ちゃん、覚悟!」

「え?」

 さすがに予想外だった。私の体は空中に浮き、地面を転がった。

 殴られたのだ。それも相当キレのある拳で。

 痛くて、視界が真っ白。鼻筋にぬめりとした感触がある。どうやら、鼻血を出しているみたい。

「さあ、お姉ちゃん!」

 私は体を震わせた。もっと、何度でも殴られるべきなのに、それが恐くて仕方がない。

 最低だ。涙が止まらない。

「今度はお姉ちゃんの番だよ!」

「え?」

 桜が私の手を掴んで立ち上がらせる。

「カモン!」

「え? え?」

 困惑する私を尻目に桜は両手を広げている。

 何をするべきなのか分からない。困った私は近くの大人に助けを求めた。

 確か、桜は彼女をモードレッドと呼んでいた。

「一発殴れ。それで、全部終わりにしろって事だ。……なんか間違ってる気がするけど、確かに手っ取り早いな」

「な、殴れって、そんな事出来るわけ……」

「お姉ちゃん!!」

「ひゃい!?」

 桜が私の肩を掴んだ。怖い表情を浮かべている。

「私の不満はさっきの一撃に全て詰め込んだよ。次はお姉ちゃんの番」

「わ、私に不満なんて……」

「あるでしょ! だから、さっき色々言ってくれたじゃないの! だから、それを全部篭めて、かかってこいや!」

 わけがわからない。私に桜を殴る理由も資格もない。そんな事をするくらいならいっそ……。

「お姉ちゃん!!」

 桜は言った。

「姉妹は喧嘩をするものなんだよ! それとも、お姉ちゃんは私の事が嫌い? お前なんか妹じゃない! とか、そんな感じ!?」

「そんなわけないでしょ!! 桜は私の……大切な……」

 手放した癖に何を言っているんだろう……。

「お姉ちゃん!!」

「ひゃい!?」

 桜に両手を掴まれた。昔から、結構アクティブな性格なのよね……。

「私は今も昔もお姉ちゃんが大好きだよ!」

 顔が真っ赤になった。真正面からそんな事を言われたら言葉が出て来ない。

「お姉ちゃんも私の事が嫌いじゃないなら、全部解消する為に殴り合おう!」

「……やっぱ、どっか間違ってる気がするんだよなー」

「モードレッドは黙ってて!」

「……お前から巻き込んできた癖に」

 ぶつぶつ言いながら引っ込むモードレッド。対して、桜はなにやら構えのようなものを取っている。

「私は……」

「ええい、お姉ちゃんの根性無しめ!! 永遠のぺちゃぱい!! 元祖ツンデレ!! 英霊トーサカ!!」

 何故だろう。わけの分からない罵倒がやけに神経に触る。特に英霊トーサカ辺りに物凄い苛立ちを感じた。

「お前のカーチャン、でーべそ!」

 別にその言葉で怒ったわけじゃない。ただ、それが彼女の望みなんだとわかった。

 迷ってる私に必死に手を伸ばしてくれている。なら、いつまでもウジウジしてはいられない。

 私は彼女のお姉ちゃんなんだから……。

「それを言ったら、アンタの母ちゃんもでべそでしょうが!!」

「もぎゃ!?」

 思いっきり殴った。思いの外スカッとした。

「やったな、お姉ちゃん!!」

 ケリが飛んで来た。滅茶苦茶痛い。完全に本気の蹴りだ。

「やったわね、桜!!」

 私も遠慮無く全力の拳を叩き込んだ。

 周りの大人達がオロオロしているけど、私達は互いの事しか目に入っていなかった。

「大好きだよ、お姉ちゃん!!」

「私も大好きよ、桜!!」

 クロスカウンターが互いの顔にクリーンヒット。

 私達は倒れ伏した。

「……っふ、さすが私のお姉ちゃん。マジで痛い……」

「あはは……。吐きそう……」

 雁夜おじさんがキッチンから出てきて私達の惨状に大慌て。

 キャスターは呆れた顔で私達を治療してくれた。

 

 ◇

 

 いきなり喧嘩を始めた時はどうなるかと思ったが、思いの外良い方向に進んだようだ。

 我がマスターは時折妾の想定を超えてくる。嫌な意味で……。

 雁夜が腕によりを掛けて作った料理をバクバクと食べている姿は幸の薄さを全く感じさせない。無理をしている様子はないし、あれは姉や雁夜の為に演じているのではなく、単に素なのだろう。

 桜は良い子だ。そして、強い子だ。あの子が泣く時は大抵雁夜の為だ。雁夜が苦しむ姿に胸を痛めて泣き、自分の事では一切苦悩の表情を見せない。

 齢十にも満たない幼子がそこまで強くある必要など無かろうに……。

「桜……」

「なーに?」

 もう、十分不幸な目にあった。これ以上、この子に辛い思いをさせたくない。

「聖杯に託す望みは決まったか?」

 戦いが長引けば、また要らぬ苦痛を味わう事になるかもしれない。

「えっと……、うん」

「そうか……。それは良かった」

 聖杯戦争を終わらせよう。

「アコロン。後で話がある」

「……はい」

 準備は整えてある。敵の居場所も把握している。

 中国のことわざに《人事を尽くして天命を待つ》というものがある。

 長い事監視を続け、各マスターの能力や性格を完璧に理解した上で立案した策。兼ねてから準備して来たソレがもう直完遂する。カインを討伐した事で多少の修正が必要になったが、ほぼ完璧な状態だ。

 ファニーヴァンプを敢えて取り逃がした事、ウェイバー・ベルベットに《あのアサシン》をサーヴァントだと判別出来ないようにした事、全てこの為だ。

 言峰綺礼はしっかりとファニーヴァンプを補佐し、衛宮切嗣とアーチャーを支配下に置いた。後は何も知らずにライダーを手に入れようと動くだろう。アサシンが切り札になると確信しているが故に……。

 今宵、決着をつける。残る全てのサーヴァントを殺し尽くし、聖杯を手に入れる。



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第十八話「生まれ落ちたモノ」

 時計の針が深夜零時を指し示す。酒樽を担ぎ、拠点に戻って来たウェイバーとライダーを待ち受けていたものは真っ青な表情を浮かべるマッケンジー夫妻と包丁を彼等に突きつけている少女だった。

 ここが分水嶺だ。ライダーは敢えて口を挟まず、事の成り行きを見守っている。

 ウェイバー・ベルベットという少年の未来はこの選択に委ねられている。

「……そういう事だったのか」

 意外にも、ウェイバーは冷静だった。少女の顔は苦渋に歪んでいる。その身には赤い光が迸り、彼女の乱心には明らかに魔術的な因子が絡んでいる事が分かる。

 ヒントは至る所にあった。あの夜、あの場所にいた事。弓兵(アーチャー)がわざわざ手を下そうとしていた事。着ていた服の材質。記憶を失いながら、尚こちらの言語を理解出来た事。

 サーヴァントの能力を看破する透視能力の対象外になっている事も《そういう能力》だと考えれば筋が通る。正体を隠蔽するスキルや宝具を持つ英霊など星の数程いる事だろう。

 それでも、ライダーが何も言わずに居たからウェイバーは彼女を信じる事が出来た。

 それもここまでだ。あの光は令呪によるもの。彼女の正体は恐らくカインによって討伐された群体(アサシン)の一人。

「なあ、その二人を離してくれないか?」

 ウェイバーはそっとライダーの横顔を見つめ、腹を決めた。

 征服王イスカンダルは偉大な王だ。勇敢な男だ。一時的とはいえ、そんな彼の主になった己が無様を晒す事など許されない。

 倒せば、自らの命も失う事になると知りながら、カインを打ち倒すと何の躊躇いも見せずに豪語してみせた彼。その勇気を見習う。

「狙いは僕だろ? なら、好きにしろ。二人は関係ない」

 その選択にライダーは喜んだ。

「――――それでこそ、我が主だ」

 ライダーは物陰に潜ませていた配下に合図を送る。

 現れた男の名は英雄神ヘファイスティオン。彼はアサシンが夫婦に包丁を突き立てる前に彼女の身柄を取り押さえた。その突然の事態にウェイバーは目を白黒させる。

 そんな彼にライダーは意気揚々とネタばらしをしようとして――――、

 

「――――《いつか還るべき楽園(エデン)》にようこそ」

 朽ちた楽園に引き摺り込まれた。目の前に佇む女にウェイバーの心が囚われる。

 アサシンの行動はライダーに隙を作らせるためのもの。その事にライダーが気づいた時、既にウェイバーは令呪を発動していた。

「母さんに逆らうな、ライダー」

 同時に二つの令呪が消える。二重掛けされた令呪の強制力はライダーの意思を縛り付ける。

「思った通りだな」

 ファニーヴァンプの隣に立つ男、言峰綺礼は言った。

「混ざりモノ……。妖精の側面を持つ英霊モルガン・ル・フェイ同様に半神半人の側面を持つ征服王イスカンダルにも耐性があったようだ」

 綺礼はファニーヴァンプを促す。

「これでいいのね?」

「ああ、これで彼も母さんの愛を受ける事が出来る筈だ」

 ファニーヴァンプは令呪の縛りによって身動きを封じられているライダーの下に歩み寄る。

 そして、その顔に触れた。

「楽園よ、この者を在るべき姿に」

 エデンの力は絶大だ。アインツベルンのホムンクルスを通して聖杯を作り出したように、今度は英霊イスカンダルの霊基に干渉を行う。

 この世界ではイヴ・カドモンの意思こそが絶対であり、その思考が全ての現象を覆す。

 エデンによる干渉はイスカンダルから神性を剥奪していく。ゼウスの加護を失い、人としての側面が色濃く現れた彼はさっきまでの巨漢と同一人物とは思えない華奢な少年の姿に変わっていた。

 神性スキルが最低(E)ランクまで下がり、ジワジワとファニーヴァンプの魅了が精神を蝕み始めている事に気付いたライダーは致命的な逆境であるにも関わらず、イタズラっぽい笑みを浮かべた。

「……失敗だったね、ファニーヴァンプ」

「え?」

 人としての彼には半神半人としての彼には無かった保有スキルがある。ファニーヴァンプは意図せずライダーにそのスキルを復活させてしまった。

「令呪による命令は《君に逆らうな》というもの。だったら……」

 ファニーヴァンプは目を見開いた。美少年の姿になったライダーはウェイバーの唇に自らの唇を重ねたのだ。

 あまりの事に思考が停止するファニーヴァンプ。

 だが、綺礼は英霊の能力を看破する透視能力によって彼の思惑を悟り、ライダーとウェイバーに襲い掛かった。

「目は覚めたかい?」

 拳一つで綺礼を黙らせ、ライダーは目を丸くしているマスターに問う。

「……へ?」

 間抜け面を浮かべるマスターに微笑みかけると、ライダーはそのおでこにデコピンをくらわせた。

 以前喰らった時とは違い、少し痛い程度のソレにウェイバーは戸惑いを感じる。

「えっと……、ライダーか?」

「そうだよ。まさか、神性を奪うとは驚きだね。だけど、おかげでマスターを取り戻す事が出来た」

 ライダーは妖艶に微笑む。彼に復活したスキル。それは《紅顔の美少年》。

 神性を高めるにつれて失われたソレは男女を問わず、あらゆる者を魅了する。

 ファニーヴァンプの《全ての人の母》には劣るが、唇を重ね、ラインと粘膜を通じてダイレクトに魂を魅了する事で彼女に対する思慕を塗り替えた。

「さて……」

 ウェイバーに命令を撤回させたライダーは不敵な笑みを浮かべ、ファニーヴァンプを睨みつける。

「蹂躙を始めようじゃないか」

 剣を構えるライダーの姿に綺礼は不利を悟った。

「撤退する」

 ファニーヴァンプを抱きかかえ、綺礼は彼女に固有結界の解除を求めた。

 空間が元に戻る。すると、同時に彼方から音速を超えた矢が飛来する。

「おっと、危ない」

 ライダーは矢を打ち落とし、ウェイバーを抱え上げた。

「ブケファラス!!」

 雷鳴と共に漆黒の馬が現れる。

「待てよ、二人が!」

 身を寄せて震えているマッケンジー夫妻に手を伸ばすウェイバー。

 そこに一本の矢が迫る。さっきの矢とは明らかに違う。今度の一撃こそが本命に違いない。

「マスター!!」

 ライダーはウェイバーとマッケンジー夫妻を乱暴にブケファラスの背に乗せた。

「行け、ブケファラス!!」

 自身が乗る暇などなかった。

 主を置いて疾走する黒馬。ウェイバーは遅れて状況を理解した。

「ライダー!?」

「マスター。君の覚悟、確かに見届けた。安心してくれ。君は間違いなく大成するよ。この僕が保証する」

 ライダーは微笑む。ウェイバーは絶叫する。そして、風景が白い光によって塗りつぶされた。

 ブケファラスは走り続ける。主の消滅と共に体が透け始めるが、それでも尚走り続ける。

 背中に乗せている者は主が託した者。その身を安全な場所へ送り届ける事が自らに課せられた使命だと、ブケファラスは仮初めの魂、その一滴までを絞り尽くした。

 川を超え、山を超え、街を二つ跨いだ所で限界を感じ三人を降ろす。

「ライダー……。嘘だ、こんなの……」

 嘆き悲しむ少年を見つめるブケファラス。彼女はその鼻先で少年の顎を押し上げた。

「ブケ……、ファラス?」

 黒馬は嘶く。言葉は通じずとも、意思は通じる。

 

――――少年よ、前を向け。それを王は望んでいる。

 

 もし、僕がマッケンジー夫妻(ふたり)に気を取られなければ彼も揃って離脱する事も出来た筈だ。

 そう思うと後悔の波に襲われる。それでも、少年は前はうつむきそうになる顔を必死に持ち上げ続けた。

 前を見ろ。彼は言った。お前は大成する。彼の言葉を嘘にするな。

「……必ず、僕は」

 少年の戦いはあまりにも呆気無く幕を閉じた。それでも彼の心には焼き付いたものがある。

 これから少年は王の言葉を噛み締めて生きていく事になる。後悔やプレッシャーに押しつぶされそうになる事もあるだろう。

 それでも、王の言葉を曲げる事だけはしたくないと意地を張り、突き進んでいく。

 それはまた、別の話。

 

 ◇

 

 魔女は嗤う。些か予定と違い、マスターが逃げ延びたが、これで一番の厄介者が消えた。征服王イスカンダル。彼だけがキャスターにとって敵なり得る存在だった。

 残る獲物(サーヴァント)はアーチャーとファニーヴァンプのみ。

「行くぞ、二人共」

 キャスターが動き出す。二騎の英霊を引き連れ、まずはライダーを倒した事で弛緩している弓兵を潰す。

 

 ◆

 

 蟲は嗤う。

 よもや、ここまで来るとは思っていなかった。

 もはや、桜は聖杯に王手を掛けている。初めは憤りを感じていたが、こうまで見事な結果を出されては認めぬわけにもいくまい。

 蟲は嗤う。

 目の前で倒れ伏している少女を踏みつけ、その肌に蟲を這わせていく。

 少女の悲痛な叫びが夜闇に響く。

 

 ナニかが生まれ落ちた。

 

「サーヴァント・アサシン――――。影より貴殿の呼び声を聞き届けた」

 記憶を失い、声を失い、恩ある人を裏切らされた少女の慟哭は新たなアサシンの産声によってかき消された。



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第十九話「死神」

 人は思考する生き物だ。そして、その思考は生きている限り変化し続ける。

 どんなに完璧に思考を読み込んでも、必ず想定外の行動を起こす。計略を練る肝はその想定外を最小限に抑える事。

 準備の段階で全ての行動を終了し、本番では一切手を出す事なく目的を達成する。それが計略というものだ。

 理想はアーチャーとライダーの相打ちだった。0.01秒のズレが全てを分けた。もし、アーチャーの矢が0.01秒速く飛来していれば、ライダーはウェイバーがマッケンジー夫妻に手を伸ばす前に無理矢理攻撃範囲からの離脱を図った筈。その結果、夫妻が死亡。彼等の死はウェイバー・ベルベットにアーチャー討伐を決意させた事だろう。

 だが、ライダーの消滅という最優先目標が達成された以上、何も問題ない。

 今、アーチャーは新都のビルの上で標的の消滅を確認している。そこへキャスターは自らの手駒を転移させる。セイバーとモードレッド。二騎の英霊が弛緩した隙をつき、弓兵に襲いかかる。

 アーチャーの首に凶刃が迫る。その刹那、彼のマスターは令呪を発動した。

「――――ッハ、貴様の居所も掴んでおる」

 今、キャスターはかねてより準備していた神殿に身を置いている。街中に張り巡らせた蜘蛛の糸が人間達から魔力(いのち)を掠め取り、キャスターの大規模な魔術行使を可能にしている。

「道を拓く。進め!」

 セイバーとモードレッドの前に光の門が現れる。魔力を剣に注ぎ込み、その中に躊躇い無く突入する二騎のサーヴァント。

 門を潜り抜けた先は城の内部だった。郊外の森にあるアインツベルン城。そこが今の彼等の拠点になっている。

「放て!!」

 目の前に現れるファニーヴァンプ。彼女が固有結界を展開する間にセイバーとモードレッドがそれぞれの剣を振り下ろす。

約束された勝利の剣(エクスカリバー)!!」

我が麗しき父への叛逆(クラレント・ブラッドアーサー)!!」

 星光と赤雷が驚き目を見開くファニーヴァンプを呑み込む。

「離脱しろ、母さん!!」

 その直前、傍に控える言峰綺礼が令呪を発動する。

「後は手筈通りに!!」

 咄嗟の判断だった。まさか、宝具を発動寸前の状態で乗り込んでくるとは思わなかった。

 暴虐の嵐に呑み込まれる直前、綺礼は己の判断ミスに顔を顰めながらつぶやく。

「……だが、こんな終わりも悪くない」

 少なくとも、この終わりはとても人間らしい。

 愛する人の為に命を投げ打つ。それは綺礼が望んで止まなかった事。

 嘗て、妻に迎えた女の為には出来なかった。愛してやる事の出来なかった女。

 だが、今この瞬間ならば……、仮初とはいえ、人の心を得られた今なら……、

「クラウディア……、お前の死を悼んでやれる……」

 ファニーヴァンプの死を厭う気持ちをそのまま彼女のものに移し替える。

 なんとも無様で滑稽だが、それが彼の求めたもの。愛してやれなかった妻への愛情。

 言峰綺礼は満足気な笑みを浮かべ、肉塊一つ残らず消滅した。

 

 その光景にファニーヴァンプの表情が歪む。

「何故……?」

 震える声。昏い光を瞳に宿し、ファニーヴァンプは問う。

「どうして、邪魔をするの?」

 固有結界は完成した。必殺の一撃を躱されたセイバーとモードレッドは空間ごと縫い止められ、身動きが取れない。

 ファニーヴァンプはセイバーの頬を叩いた。

「私は愛する子等を理想郷に導きたいだけなのよ? みんな、幸せになれるのよ? どうして、邪魔をするの?」

 何度も何度も彼女はセイバーを叩いた。人形には目もくれず、《人間》であるセイバーの頬を何度も叩く。

 その姿はまるで癇癪を起こした幼子のようだ。

「誰も傷つけられない。誰もが笑顔でいられる幸福な世界。そこに何の不満があるというの!?」

「お前の事が気に入らないからだ」

 身も蓋もない言い方にファニーヴァンプは絶句する。彼女の前にはあの魔女がいた。

「私はお前みたいに綺麗事ばかり並べ立てる輩が一番嫌いだ」

「何を言って……」

「飾り立てるな。貴様は人類全ての幸福を祈っているわけじゃない。ただ、自分が追放された楽園に帰りたいだけだろ」

「違うわ! 私は――――」

「お前と良く似た男を知っているよ。騎士道だとか、王道だとか、綺麗事を並べ立て、無垢な娘を修羅道に追いやった悪魔……。貴様等はただの悪党よりも数段質が悪い」

 友の為、国の為、そうして悪魔は善人の皮を被り勇者を謀殺し、その妻を騙し孕ませた。生まれ落ちた子には国の命運を背負わせ、少女として得られた筈の幸福まで奪い去った。

 悪党ならば悪党らしくしていろ。善人の皮など被るな。

「死ね。貴様の存在は虫酸が走る」

 聖剣や魔剣が殺到する。アーチャーのサーヴァントだ。

 キャスターはそれらに目もくれない。今のキャスターに傷を負わせたければ、対界宝具を持ってくるほかない。

 彼女は一振りの短剣を握り締め、ファニーヴァンプの首を切り裂いた。

「嘘よ……。こんなの……、うそ」

 禍々しい魔女の瞳が彼女を見つめている。

 終わってしまう。こんな女の為に私の夢が散っていく。

 許さない。お前だけは絶対に許さない。

「――――《原罪を知れ(エツ・ハ=ダアト・トーブ・ヴラ)》」

 彼女の手の中に黄金の輝きを持つ物体が現れる。

 それは禁断の果実。嘗て、蛇に唆された彼女が口にした《原罪》。

 彼女自身、この宝具を畏怖している。本当なら、絶対に使いたくなかった。それでも、この女の事だけは許せなかった。

 その実は人の心の奥底に眠る原罪を喚び起こす。混ざりモノであろうと、抗う事は出来ない。

 人間である以上、決して捨て去る事の出来ないモノ。

 その名は――――、《好奇心(ちえ)》。

 キャスターはその果実に魅入られてしまった。

 全て遠き理想郷(アヴァロン)の加護は持ち主を七次元上に存在する妖精郷に退避させる事で現存する五つの魔法や並行世界からのトランスライナーをも寄せ付けず、六次元までの交信も遮断する絶対防御。それすら、果実の魅了を遮断する事は出来なかった。

 何故なら、それは神が育てた果実。如何なる次元に身を置こうとも、《視て》しまえば手遅れだ。

 理性や思考が働く余地などない。それを口に入れる事が最優先になってしまう。

 未だ、モードレッドとセイバーはファニーヴァンプの固有結界によって身動きを封じられ、その光景を止める事が出来なかった。

 キャスターはアヴァロンを解除し、その果実に手を伸ばす。口の中に入れた瞬間、キャスターの体は崩壊を始める。

 禁断の果実を口にする事は神への反逆に他ならない。一度は楽園からの追放によって赦された。だが、二度目はない。

 それは抑止の力によく似ていた。世界そのものが彼女の存在を否定する。

「母上!?」

「モルガン!!」

 キャスターのサーヴァントは願いを持って、この戦いに参加した。

 どうしても叶えなければならない望みがあった。

 悪魔によって修羅の道を歩かされた哀れな少女。愛する末妹が末期に抱いた願い。運命によって導かれ、出会った男との再会。その為に憎き悪魔(マーリン)の手を借りた。時の狭間で待つ少女の為に平行世界との間に門を開き、愛する男と再会させる。その為に聖杯を求めた。

 だが、消え行く彼女が思ったのは自らのマスターの未来。彼女の為に出来る事はした。例え、ここで消えても彼女が人並みに生きる為の手筈は整えた。それでも、彼女の願いを叶えてあげたかった。

「さくら……。幸福に……」

 ファニーヴァンプとキャスターが消滅する。それと共にモードレッドも消滅した。

 セイバーは誰もいなくなった空間に一人取り残され、膝を折った。

「……モル、ガン」

 漸く再会出来た人。愛する女性が目の前で死んだ。

 失意に暮れる彼に追い打ちをかけるが如く、そこに死神が忍び寄る。

 アーチャーのサーヴァントが黒の短刀を振り下ろした。

 鮮血が舞う。

「アー、チャー……」

 セイバーはすんでのところで片腕を犠牲にし、回避した。

 魔力を聖剣に注ぎ込む。

 今の状況で剣技の競い合いなどしては結果が見えている。

 ならば――――、

「守りきれるか?」

 ここには奴のマスターが残っている。

 例え、この身に致命傷を受けても、この一撃は必ず発動させる。

 その気勢を受けて尚、アーチャーはマスターの下に向かおうとしない。

約束された(エクス)――――!!」

 振り上げられる究極の聖剣。

「その剣は……」

 アーチャーは干将莫邪と呼ばれる陰と陽の夫婦剣を振りかぶる。

「――――勝利の剣(カリバー)!!」

「片手で振れる程、軽くない!!」

 聖剣の一撃が繰り出される直前、アーチャーはセイバーの懐に飛び込み、その腕を切り裂いた。腕と共に宙を舞うエクスカリバー。

 両腕を失い、完全に無防備となったセイバーの腹部に干将を突き立てる。

「終わりだ」

 トドメの一撃。セイバーの首を刎ねる為にアーチャーは莫耶を振りかぶる。

 その瞬間、彼は寒気を覚えた。

 落ちてくる聖剣。その鏡面の如き刀身にソレは映り込んでいた。

 いる筈の無い存在。八番目の敵。それは白い骸骨の面を被り、歪な程大きな腕を掲げていた。

 アーチャーは咄嗟に干将莫邪を放棄し、セイバーから離れる。

「――――キ、カンのスるどいヤツだ」

 その光景はあまりにも異様だった。虚ろな表情を浮かべるセイバー。その胸から、偽りの心臓が掴みだされる。

 アーチャーは確信する。見た目こそ、敗退した筈のアサシンに似ているが、全く別の個体だと。

 あのアサシンを彼は知っている。

 最も純粋にして、最も単純化された呪詛。中東に伝わる魔術、《呪いの手》。それを宝具の域にまで昇華させた山の翁(ハサン・サッバーハ)

「……妄想心音(サバーニーヤ)。間桐臓硯が動き出したか……」

 ハサンの名を持つ者は十八人。アサシンのサーヴァントはその中からランダムに選び抜かれる。

 触媒となるものは召喚者自身。彼を喚び出した者は十中八九、嘗ての戦いと同じくあの老獪だろう。

 そもそも、このタイミングで新たなるアサシンを持ち出してくる存在など他に考えられない。

「……ほう、私を知っているかのような口振りだな。それに、主殿の事まで……」

 さっきまでとは一転して流暢になった口調。アーチャーは油断無く、新たに創り出した双剣を構える。

「……ふむ。ここは引くとしよう」

「待て!!」

 撤退するハサン。咄嗟に追い掛けるが、一度視界から外れた彼を捉える事は鷹の目を持つアーチャーにも至難だった。

 なにしろ、彼の持つ気配遮断のスキルは最高ランク(A+)。アーチャーは舌打ちをした。

「切嗣の下に戻るか……」

 彼はファニーヴァンプが倒れ、洗脳が解かれた直後、妻と娘を連れて城を出た。今頃は離れた場所にある廃屋に身を隠している筈だ。

 嫌な予感がする。アーチャーは急いだ。

 だが、その予感は道半ばで的中する。突然、切嗣とのラインが切れた。それが意味するものは……、

「切嗣!!」

 廃屋に辿り着いた時、そこにあったものは死体だった。心臓を引きぬかれ、絶命している切嗣の死体。

 アーチャーは一緒に居た筈のアイリスフィールとイリヤスフィールの姿を探す。だが、二人の姿はどこにも見えない。

「イリヤ……」

 双剣を地面に落とすアーチャー。その耳に幼子の泣き叫ぶ声が届いた。

 窓から飛び出し、その声の方角に向かうと、そこには血に塗れたイリヤの姿があった。

 一瞬、その血が彼女のものかと錯覚したが、それが違う事にすぐに気がついた。

 彼女の前には倒れこみ、心臓の部位から血を流すアイリスフィールの姿があった。

 そして、そのすぐ傍にヤツがいる。

 一瞬で投影した弓から矢を放つ。アイリスフィールの心臓を握り、イリヤスフィールに手を下そうとするハサンを退ける。

 再び姿を晦ます彼を警戒しながら、アーチャーはイリヤに近づいた。

「……アーチャー」

 泣き叫ぶイリヤ。アーチャーは彼女を抱き上げた。

「すまない。ここはまだ危険だ。移動するぞ」

「でも……、お母様とキリツグが……」

 泣きじゃくるイリヤのおでこに手を当てる。

「すまない」

 魔術で眠らせ、アーチャーはそのまま森から移動した。

 

 その後ろ姿をハサンと共に見つめる影があった。

「……アーチャー(ヤツ)を取り逃がした事は失態だぞ、アサシンよ」

「面目次第もございません」

「諸共に始末するつもりであったが、厄介な者を残してしまったな……」

「その事ですが、少々面白い事を考えました」

 ハサンは切嗣の心臓を喰らい、得た情報を主に告げる。

「なんと……、なんと数奇な……」

 その情報は数百年を生きた妖怪を驚かせるに十分なものだった。

「これで漸くだ。漸く、我が悲願を達成する事が出来る」



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第二十話「聖杯戦争」

 令呪が消えた。それが意味する事を理解した時、私は泣き喚いた。さっきまでお笑い番組を見て笑っていた私の豹変ぶりにお姉ちゃんが困惑しているけど、気遣う余裕などない。

 キャスターが消滅した。

「イヤだ!! イヤだイヤだイヤだイヤだ!!」

 いつも優しくしてくれた。私の為におじさんの体を治してくれた。

 彼女といつまでも一緒に居たいと思った。それが私の祈りだ。

 おじさんやキャスターやセイバーやモードレッドといつまでも一緒にいたい。こんな私に優しくしてくれて、幸福になって良いと言ってくれた人達とずっと……。

「ど、どうしたの? 桜?」

 お姉ちゃんが心配そうに声を掛けてくる。

「うるさい!!」

 私はその手をはね除けた。ショックを受けた表情を浮かべる彼女に目もくれず、外に飛び出そうとして、おじさんに止められた。

「どこに行くつもり?」

「キャスターの所よ!!」

 分かり切った事をどうして聞くの?

「……キャスターはもう」

 聞きたくない。

「離して!!」

 会いに行くんだ。私を置いていくなんて事、絶対に許さない。

「キャスターはずっと私と一緒にいるの!! セイバーもモードレッドもみんな一緒にいるの!! もう、一人ぼっちは嫌なの!!」

 魔力で身体能力を強化し、おじさんの手を振りほどく。今の私は一流の魔術師にも引けをとらない技術の魔力量を有している。

 魔術師としては欠陥品もいいところなおじさんなど相手にならない。

 私は拠点を飛び出した。キャスターの居た所を目指して必死に走る。

「キャスター!! キャスター!!」

 孤独(ひとり)にしないで。

 傍に居て。

 キャスター(おかあさん)……。

 

 新都に続く冬木大橋まで辿り着いたところで息が上がった。魔力は潤沢でも体力には限りがある。魔術で誤魔化すには素の身体能力(スペック)が低過ぎる。

「キャスター……」

 それでも歩みは止めない。彼女に会いに行く。彼女の顔を見る。彼女に言う。私と一緒にいて下さいとお願いする。

 母親には二度捨てられた。もう、イヤだ。私だって、優しくしてくれるお母さんと一緒にいたい。他の何よりも私を優先してくれる人。いつも見守ってくれる人。

 彼女を失うくらいなら、私は……ッ!

「――――そこで止まれ」

 首筋に冷たい感触が走る。それが刃物の感触だと少し前に身を持って教えられた。

 近くのミラーに皓々と輝く月輪に照らされた暗殺者の姿が浮かぶ。

 白い髑髏が嗤っている。

「……誰?」

「お初にお目にかかる。私はアサシンのサーヴァント、ハサン・サッバーハ。此度は主殿の名代として、御身の身柄を預かりに参りました」

「主殿って?」

「直ぐに分かります。もっとも、その頃には既に貴女の存在は――――」

 ハサンの言葉が不自然に途切れる。招かれざる客が現れたようだ。

「桜ちゃんを離せ!!」

 最悪だ。これ以上、最悪な事などない。

 セイバー亡き今、彼を守る者は誰もいない。

「逃げて、おじさん!! 私の事はいいから!!」

「そんなわけにいくか!! 桜ちゃんを離せよ、テメェ!!」

 相手はサーヴァントだ。アサシンは最弱のクラスだが、それでも人間の手には余る超常の存在。

「やめて!! お願いだから、逃げて!!」

 私の言葉で止まる人じゃない。そんな事、とうの昔に分かっている。

 それでも叫ばずにはいられない。

「お願いだから逃げて!! 私に構わないで!!」

 泣き叫ぶ私におじさんは語りかけてくる。

「無理だよ、桜ちゃん」

 彼は言った。

「桜ちゃんをここで見捨てられるくらいなら、端からこんな戦いに参加していない」

 知っている。分かっている。それでも逃げて欲しい。

 なのに、彼は走ってくる。戦う手段なんて持っていない癖に勇ましく声なんて上げちゃって……、拳を振り上げている。

「――――貴様は要らない」

 アサシンはおじさんに向けて短刀を投げ放った。 

 サーヴァントなら当然のように避けられる一撃。だけど、人間の目では決して捉え切れないスピード。短刀はおじさんの胸を貫いた。深々と突き刺さり、そこから夥しい量の血が出ている。

「あっ……、あっ……」

 頭がどうにかなってしまいそうだ。繋げたラインを通じて、彼の命の火が徐々に弱くなっていく事が分かる。分かってしまう……。

「イヤだ!! イヤだよ!! こんなのイヤだ!!」

 喚く私の首にアサシンが手を当てる。すると、意識が遠のいた。

 駄目だ。ここで意識を失ったら、おじさんと二度と会えなくなる。

「桜!!」

 闇に落ちる寸前、お姉ちゃんの声が聞こえた。

 ヤメテ……。もう、ヤメテ……。

「連れて行って……。どこにでも、何でもいいから……」

 それだけを必死に呟いた。もう、誰も奪わないで……。

 

 ◇

 

 気付けば、見慣れた空間に横たわっていた。

 両腕両足を鎖に繋がれている。

「……ああ、そういう事ね」

 気にも止めていなかった。最初の日以来、ずっと姿を見せなかったから、いつの間にか忘れていた。

「思ったより早い目覚めだな、桜」

 蟲が集まり人型を創り出す。

 間桐臓硯。この呪われた屋敷の主が私を見下ろしている。

「ここまでよく頑張ったな」

 好々爺然とした微笑みを浮かべるおじいちゃん。

「お姉ちゃんは……?」

「それを知る事に何の意味がある?」

 初めて、この老獪の事が忌々しく感じた。今までも酷い事を何度もされてきたけど、ここまでの感情を抱いた事はない。

 それは彼が曲がりなりにも私を求め、私と一緒に居てくれたからだ。だけど、この人の目は私を人間として見ていない。

 キャスターやおじさん達とは違う。

「……私をどうするつもり?」

「ほう……。そのような顔も浮かべるのだな。これは愉快。アーチャーの不意を突くために貴様の肉体を貰い受けるつもりであったが……、思わぬものが見れた」

「アーチャーの……?」

「然様。ヤツの真名は衛宮士郎。数奇な運命だ。幾つかの未来でお前は衛宮士郎と出会い、関係を結ぶ事になる。それが家族止まりで終わるか、恋仲になるかは分からぬが、ヤツにとって無視出来ぬ存在となるのだ。最後に残ったサーヴァントがアーチャーである事に一度は焦りを覚えたものだが、お前がヤツの弱点になり得る事が分かった」

 そういう事か……。

 そんな事の為におじさんを傷つけたのか……。

「おじいちゃん」

 目の前の老獪は本体だ。彼自身の知識が教えてくれる。

「なんだ?」

「バカじゃないの?」

 迂闊にも程がある。アサシンが気配を殺して傍に居るのかもしれないけど、近づき過ぎだ。

 魔術回路を励起させる。

 

――――アナタの知識が教えてくれた使い方だ。存分に味わえ。

 

 虚数空間を部屋一面に広げる。私自身もその内側に潜り込む。

「私の肉体を奪う? 違うわ、おじいちゃん。アナタの全てを私が奪うの」

 声を上げる暇も与えない。令呪を使われては厄介だし、もったいない。

「いただきます」

 その存在を喰らい尽くす。肉片を一欠片も残さない。その魂まで全て吸収する。

 知識はもはや不要。その全てを魔力に転換し、令呪だけを奪い取る。

「令呪をもって命じる。アサシンよ、主替えに賛同し、私の命令に従え」

 二画の令呪を使った後、虚数空間から出ると、アサシンが闇から現れ跪いた。

「私に従ってくれるわね?」

「……御意のままに」

 ラインを通じて、おじさんの死を悟った。

「……まだよ。まだ、終わっていない」

 まだ、聖杯がある。聖杯に望めば、どんな願いも叶う筈。

 なら、勝てばいい。残るサーヴァントはアーチャー(エミヤ)のみ。

 おじいちゃんが言っていた。今の私の存在は彼の弱点に成り得る。

「さあ、聖杯戦争を始めましょう」



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第二十一話「聖杯」

 アサシンに教えてもらった情報によれば、アーチャーはマスター不在の状態でイリヤちゃんを連れ逃走しているらしい。

 幼子を連れて潜伏出来る場所となると限られてくる筈だ。まず、住宅街や新都のホテルは論外。

 人の気配が少なく、それでいて休息を取れる場所……。

「――――ビンゴ」

 街中に放った使い魔(むし)の包囲網に獲物が掛かった。場所は郊外にある洋館。

『嘗て、エーデルフェルトの魔術師が使っていた所だな』

 おじいちゃんの知識が教えてくれた情報を下に作戦を練る。

 こちらの手駒はアサシンのみ。彼ではアーチャーと一騎打ちをしても勝てない。彼が居なければ、聖杯を手にする事が出来なくなる。

 勝利条件はアサシンを生存させたまま、アーチャーを討伐する事。そして、もう一つ。

 私は虚数空間から黄金に輝く杯を取り出した。これはおじいちゃんがアイリスフィール・フォン・アインツベルンを殺害した時に手に入れた本物の聖杯。だけど、この街には今、もう一つの聖杯がある。

『ファニーヴァンプの創り出した偽りの聖杯。それもまた、本物と同じ力を持っている。現在、双方の杯に半数ずつサーヴァントの魂が保管されている状況だ。故に残り二体となった今も聖杯は起動していない。聖杯完成の為にはアーチャーが保有している方の聖杯を破壊しなければならない』

「……まあ、そっちはアサシンにアーチャーの心臓を食べさせれば解決するわ」

「して、どうなさるおつもりで?」

 おじいちゃんとアサシンを警戒して、アーチャーは身動きが取れない筈。なら、追い出すまでよ。

「まさか……、アレを使うのですか?」

「教えてくれたのはアナタじゃない」

 アサシンが衛宮切嗣の心臓を取り込んだ事で得た知識の中にはアーチャーが衛宮士郎である事の他にも使えるものが山ほどあった。

 中には遠隔操作が可能な爆薬満載のタンクローリーなんてものもある。

「隣町のガレージに隠してあるのよね?」

「そのようで」

「取りに行くわよ。夜が明ける前に済ませなきゃ」

 アサシンの背中に飛び乗る。

「はいよー、ハサン!」

「……ヒ、ヒヒーン?」

 意外にもノッてくれたハサンが走り出す。敏捷Aの彼の背中で風を感じていると、瞬く間に山を超え、隣町に到達する事が出来た。

 アサシンが衛宮切嗣の記憶を便りに目的のガレージを発見すると、私は少し驚いた。そこは民家だったのだ。人が住んでいる気配は無いものの、住宅街にこんな危険物を放置しておくとは……。

「使い方はわかる?」

「無論」

 ハサンがタンクローリーの遠隔操作を行う為の準備を進めている間、私はガレージ内に積まれている銃火器をポイポイと虚数空間の中に沈めていく。必要になるか分からないけど、折角だから頂いておく。

「使い方分かる?」

『銃火器については専門外だが……、簡単な作りのモノならアドバイスくらいは出来るかな』

「ありがとう。蟲に使わせる事は出来るかな?」

『……難しいな。既存の蟲では不可能だ。銃火器の操作をインプット出来ても、狙いが定まらん。その為に一から蟲を作った方が現実的だが、そんな時間も無かろう?』

「残念」

『そもそも、サーヴァントの相手はサーヴァントにしか務まらん。お前に出来る事はアサシンがアーチャーを打倒出来る状況を作り出す事だけだ』

「……分かってるよ」

 脳内でおじいちゃんとの会話を済ませると、丁度アサシンが作業を終えて戻って来た。

「これで準備は万端かと」

「それじゃあ、操作方法を教えてもらえる?」

「承知。……しかし、どうなさるおつもりで? 確かに破壊力はあるでしょうが、サーヴァントには通じませぬぞ」

「通じなくていいの。これは単に隙を作るための囮だもの。相手は武勇に優れた英霊よ。二重三重の罠を仕掛けて、確実にあなたの宝具を当てなきゃ勝てないわ」

 ハサンはそれ以上何も言わず、私にリモコンを渡した。まるでラジコンみたい。

 真ん中のボタンを押すとエンジンが掛かり、十字キーで操作が出来る。赤いボタンがブレーキで、青いボタンがアクセル。

「……ちょっとワクワクするね」

「あの、目的地までは私が操作致しますよ?」

「何を言ってるの? このくらいお茶の子さいさいよ!」

「……あの、火薬を積んでいる事をお忘れなきよう。あと、ここは住宅街ですので……」

 凄く常識的に諭された。なんというか、頭の中にいるおじいちゃん……もとい、若き日のマキリ・ゾォルケンと似ている気がする。

「……アサシンの癖に」

「勘違いをなさるな。暗殺者とは確かに人の道から外れし者。特に私は非道極まる暗殺集団の棟梁。しかし、別に無意味な殺戮を楽しむ快楽殺人鬼ではないのです。無垢なる民に無用な犠牲を強いるような真似は英霊の端くれとして看過出来ませぬ」

「……ご、ごめんなさい」

「いえ、差し出がましい事を申しました」

 私はタンクローリーの助手席に座り、運転席に座るハサンを見つめた。

 死神みたいな格好。暗殺者の肩書。悪魔のような所業。どう見ても悪人なのに、その内側に一度光を見てしまうとおじさんを殺した相手なのに憎みきれなくなる。

「ねえ、ハサン」

「なんですか?」

「あなたは聖杯に何を祈るの?」

「私ですか? ……私は名を残したいのです。ハサン・サッバーハとは暗殺集団の棟梁を示す記号。私自身の名ではない。私は私の存在を歴史に証明したいのです」

「ふーん」

 思っていたよりもずっと無欲な願いだと思った。

 要は彼が彼として生きた証が欲しいという事。 

「なら、頑張って聖杯を手に入れないといけないわね」

「……そうですね」

 見えて来た。郊外の洋館に続く道だ。

「それじゃあ、ここからは手筈通りにね」

「承知致し――――、危ない!!」

 突然、ハサンが私を抱きかかえ、タンクローリーから飛び出した。

 一瞬遅れて、空から降り注いだ光がタンクローリーに直撃する。

 巻き起こる爆発に目が眩む。

「なにが……」

「――――この街一体全て、私の射程範囲内だ。おまけにこれほど派手な動きを見せれば気付かぬ筈がない」

 アーチャーのサーヴァントが現れる。白と黒の双剣を握り、私達に殺気を向ける。

「マキリ・ゾォルケン。貴様のやり口は識っている。間桐桜の肉体を乗っ取ったな?」

 思いっきり勘違いされている。おじいちゃんの嘘吐き。全然弱点になってないよ。私の姿を見て、逆にヒートアップしている。

「マスター。ここでお待ち下さい」

 ハサンは静かに私を降ろす。

「ハサン……?」

「この身は暗殺者のサーヴァント。他のクラスの者とは違い、汚れ仕事こそ本領の身なれど……」

 短剣を取り出す。

「ここに至り逃げる臆病者ではございません」

 暗殺教団とは十字軍と戦う為、自己犠牲を良しとした戦士の集団。

 確かに他の英霊達と比べれば貧弱に見られるかもしれない。その在り方に疑問を持たれるかもしれない。

「舐めるなよ、英雄。闇に潜むは我等が得手なり。貴様等鈍間に見切れるか?」

 ハサンの姿が闇に溶けていく。最高ランクの気配遮断は弓兵の持つ鷹の目を持ってしても見切る事など不可能。

暗殺教団棟梁(アサシン)の技、侮らない事だ」

 闇の中から繰り出される必殺の一撃。その悉くを打ち倒しながら、弓兵は舌を打つ。

「侮るものか……。貴様の実力は重々承知しているさ」

 その光景は驚きに満ちていた。

 真っ向勝負では勝てる筈がないと思っていたハサンがアーチャーと拮抗している。

「……勝って、ハサン」

 この状況になってしまった時点で私に出来る事など何もない。

 後は任せる事しか出来ない。

「負けないで、ハサン!! 私は全部取り戻すの!! また、みんなと一緒に暮らしたいの!!」

 最後の令呪が光を失う。私の祈りを聞き届けたハサンが更なる猛攻をアーチャーに加える。

「……まさか、本物か?」

 アーチャーの表情が歪む。

「だが、私は負けられない。何があろうとも!!」

 詠唱が響き渡る。

 

――――I am the bone of my sword.

 

 それは駄目だ。夜の闇こそハサンの真価が発揮される。

 この状況を崩されるわけにはいかない。

「ハサン!! 詠唱を止めて!!」

 ハサンの投擲した短剣がアーチャーの首を目掛けて飛来する。

 それを軽々と防ぎ、アーチャーは口を動かす。

 

――――Unknown to Death.Nor known to Life.

 

 虚数空間からありったけの銃火器を取り出す。

『……間に合わん』

 そのどれかを使おうと脳内おじいちゃんを頼ったが、帰って来た答えは私を絶望にたたき落とした。

 

――――unlimited blade works.

 

 炎が走る。荒野が広がり、そこに無限の剣が突き刺さる。

 無限の剣製。それがこの世界の名前だ。

 英霊エミヤが持つ宝具(とっておき)

 浮かび上がる無限の剣群。アレに貫かれたら、ハサンが死んでしまう。

「ダメよ!! そんな事、させない!!」

 虚数空間を広げる。

「私は幸せになるの!! おじさんとキャスターとセイバーとモードレッドとお姉ちゃんと……ハサンと一緒に生きるの!!」

 アーチャーに向かって駆け出す。その前に黒い影が現れた。

「さがれ、小娘!!」

 突き飛ばされた。手を伸ばしたその先でハサンの体が無数の剣に貫かれる。

「ヤダ!! あなたには願いがあるんでしょ!? 消えないで!!」

「名前を残す事は確かに宿願。されど、今優先すべきは汝の命と悟った」

 ハサンはアーチャーに向けて吠える。

「アーチャーのサーヴァントよ!! この娘は正真正銘の間桐桜だ!! この者の命だけは奪ってくれるな!!」

 その言葉を最後にハサンは消滅した。

 そして、私は今度こそ本当に孤独(ひとり)になった。

 もう、聖杯を手に入れる事も出来なくなった。

 絶望で目の前が暗くなっていく。

「いかん、聖杯(ソレ)に呑み込まれては――――ッ!」

 そして……、

 

『おかえりなさい、お姉ちゃん』

 

 闇に呑み込まれた私の目の前に懐かしい女の子が立っていた。



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最終話「集結、そして終結」

 そこは私の家だった。キャスターが用意した拠点でも、間桐の屋敷でも、遠坂の屋敷でも、安アパートでも、孤児院でもない。幼い頃、私がなっちゃんや両親と過ごした家。

 私は幼いなっちゃんの笑顔に出迎えられた。

「おかえり、春香」

 リビングには事故で死んだ筈のお父さんがいる。

「おかえりなさい、ハルちゃん」

 優しかった頃のお母さんがいる。

「遅いぞ、桜」

 キャスターが普通の服を着て寛いでいる。

「桜ちゃん。今日は美味しい御飯を作ったんだ!」

 おじさんがキッチンからエプロン姿で出てくる。

「桜様」

 セイバーも普通の服を着ている。

「桜」

 若い頃のおじいちゃんがお茶を啜っている。

「マスター」

 ハサンも普通の服を着ている。体が大きいから、まるで外人ボクサーみたい……。

「桜!」

 お姉ちゃんもいる。

 みんなが私に笑顔を向けている。ああ、これが私の望んだもの。望んだ世界。

「みんな……。みんな、大好きだよ」

 何も考えたくない。この幸せな時間が永遠に続いて欲しい。

 他に望むものなどない。

 

 ◇

 

 その光景はあの日の再現だった。

 天に浮かぶ黒い月。サーヴァントが最後の一騎になった事で聖杯が起動した。二つに分けられていたサーヴァントの魂が間桐桜の持つ聖杯に集められ、彼女を呑み込んだ。

 アーチャーのサーヴァントは苦悶の表情を浮かべる。

「またなのか……?」

 あの日、救えなかった少女。切り捨てた家族をまた失う。また、この手で殺さなければならない。

 さもなければ、この地に地獄が再現される。

 第三次聖杯戦争で召喚されたアヴェンジャーのサーヴァント。この世全ての悪と呼ばれる存在が聖杯にくべられた時、純白の杯は黒一色に染まった。あらゆる祈りを呪いに変換する闇の聖杯。一度起動したソレはこの地に災厄を齎す。

 彼は過去に一度体験している。全てを燃やし尽くす炎に囲まれた街。そこで彼は死にゆく人々を見た。ただ一人、衛宮切嗣によって救われた彼は正義の味方として、地獄を歩み続けた。

 

 これは彼が幾度と無く体験したもの。

 悪夢のような選択肢。

 一人を殺し、全てを救うか。

 一人を生かし、全てを見捨てるか。

 人間だった頃も、守護者として生きる永遠も、今この時も、彼は地獄を歩んでいる。

 答えなど決まりきっている。命の価値は平等だ。ならば、数で選ぶほかない。

 正義の味方は善人の味方ではない。より多くの人命を存続させる為のシステムでしかない。機械に感情など不要。ただ、正しき選択に従うのみ。

「……さくら」

 可愛い女の子だ。初めて会った日の事を今も覚えている。暗い表情を浮かべ、初めの内は笑顔を見る事が出来なかった。

 それが少しずつ心を開いてくれて、一緒に料理を作って、一緒に食べて、一緒に過ごした。

 家族だった。他に変えようのない存在だった。

 彼女を切り捨てた時、彼は完全な機械になった。

 体は剣に、心は鉄に、命乞いをする者を殺し、生きたいと望む者の未来を壊し、罪なき幼子に死を与えた。

 死神。悪魔。鬼畜。ヒトデナシ。外道。殺人鬼。

 それが彼の通り名となった。

「すまない」

 彼は正義の味方。

 ヒトを救うものではない。

 ただ、人類を存続させる機械。

投影開始(トレース・オン)

 創り上げるモノは彼の識る限り最高の一振り。

 嘗て憧れた輝き。

 人々の想念を星が紡いだ神造兵器。

 固有結界が崩れていく。コレを創るという事はそういう事だ。

 人の手に余る奇跡の代償はその命。既に彼の肉体は消滅を初めている。

「また……、君を救えなかった」

 アーチャーは剣を振りかぶる。

永久に遙か(エクス)――――」

「ヤメロぉぉぉぉ!!!」

 彼の動きを止めたのは一人の男の叫び声だった。

 男はアーチャーの横を擦り抜け、聖杯に手を伸ばす。

「……まとう、かり……や」

 桜の口振りから、既に死んだものとばかり思っていた。

「おじさん!!」

 後ろから必死に彼を追い掛ける少女がいた。

 その顔をよく識っている。

「遠坂……」

「桜を助けて!!」

 泣き叫ぶ遠坂凛。その声に応えるように、間桐雁夜は跳躍する。

 死んだ筈の男。一度は確かに止まった心臓の鼓動。それを再び動かしたものは彼の心と魔女の加護。

 桜の未来を案じた魔女は彼の肉体を再生する時に幾つかの魔術刻印を刻んだ。それは彼が桜を守る意思を持つ限り彼を生かすもの。雁夜は桜を守りたいと願い、魔女の加護はそれに応えた。

 稀代の魔女に刻まれた刻印は彼を暗黒の月に誘う。呑み込まれていく雁夜の姿にアーチャーは動けなかった。

「……諦めていないのか?」

 それは嘗て選びたかった選択肢。選べなかった選択肢。

 愛する家族の為ならば、選ばなければいけなかった選択肢を雁夜は選んだ。

 アーチャーの目の前で幼き少女が手を広げる。体を震わせながら、妹が呑み込まれた暗黒の月を守っている。

「アレはこの地を地獄に変えるぞ」

 アーチャーは言った。

「あの子は帰ってくる」

 震える声で少女は言った。

「君も死ぬ。みんなも死ぬ。それでもいいのか?」

「桜は帰ってくるの!!」

 愛する妹。彼女の為に今まで何もしてあげる事が出来なかった。

 だからこそ、絶対に退くわけにはいかない。

「桜には指一本触れさせないから!!」

 アーチャーは剣をゆっくりと降ろす。

「三分だ」

「え?」

「それ以上は待たない」

 いつ暴走するか分からない状況。三分後に宝具を発動出来るかも分からない状態。それでも、彼は待つと言った。

「……頼むぞ、間桐雁夜」

 泣きそうな声で彼は言った。

「桜を助けてくれ」

 選びたかった選択肢を選んだ男に彼は託す。

「アーチャー……?」

 

 ◇

 

 小心者で、ストーカー気質で、陰湿な男は闇の中を無我夢中で走っている。

 初めは一人の女に対する思慕だった。禅城葵。彼が幼い頃から恋い慕っていた人だ。桜を救おうと思った理由の大部分は彼女の為だった。

 だが、桜の容赦の無い言葉によって、彼は葵に対する未練を捨て去った。己の醜さに向き合った。彼女(さくら)(かりや)を追い出す為に口にした数々の言葉が彼に決意を固めさせた。

 小さな体で過酷な運命を背負わされた女の子。彼女を守る為だけに戦う決意を固めた。

「桜ちゃん……。絶対に助ける」

 魔女の加護が彼を進ませる。

 魔女は知っていたのだ。大聖杯の真上にある寺に神殿を築いた彼女が気付かぬ筈がない。この地の聖杯に取り憑く魔の存在に。

 だからこそ、万が一に備えて魔を退ける仕掛けも施した。

 

 そして、辿り着く。

 そこは奇妙な空間だった。闇にあって、光に満ちた世界。そこには彼女が失った全てが揃っている。

 家族のぬくもり。幸せな時間。

 識らない者がいる。知っている者がいる。

 桜はその中心で幸せそうに笑っている。

 雁夜は気づいた。

 これは彼女の願いだ。

「すまない、桜ちゃん……」

 きっと、これは彼女にとって酷いことだ。漸く手に入れた幸福な世界を破壊する己は彼女にとって最悪の敵になる。

 それでも、この世界は偽物だ。こんな世界で彼女は幸せになんてなれない。

 雁夜は光の世界に足を踏み入れる。

「桜ちゃん」

 声をかけると、桜は酷く驚いた表情を浮かべた。

「だれ……?」

 窓ガラスに映る己の姿に雁夜はため息を零した。まるで獣だ。真っ黒な獣。赤い瞳が実に禍々しい。

「誰だ、貴様!!」

 キャスターが怖い顔を浮かべる。

「桜に近寄らないで!!」

 凛が箒を振りかぶる。

「春香には手を出させんぞ!!」

 識らない男が知らない名前を口にする。

 どうでもいい。お前達はみんな偽物だ。偽物に構っている時間などない。

「桜ちゃん」

 偽物達を無視して、桜に手を伸ばす。

「……おじさん?」

 どうして分かったのか、雁夜は不思議だった。

 首を傾げると、桜は微笑んだ。

「分かるの。だって、おじさんはいつもそうやって手を伸ばしてくれるもの」

 手を取った瞬間、世界は一変した。闇に覆われた空間。周りにいた偽物達は影の怪物に変わった。

 きっと、彼女も分かっていたのだろう。寂しい顔で彼等を見つめている。

「おじさんはどうして?」

「キャスターが色々とね」

「そっか……。落ち着いていれば分かった事なのにね。まさか、自力で生き返ってくれるとはこの桜ちゃんの目を持ってしても見抜けなかったよ」

 いつもみたいに軽口を叩く桜。だけど、その顔はどこまでも哀しそうだ。

 

 ◆

 

「走るよ、桜ちゃん」

 おじさんと共に私は懸命に走った。闇の中、まるでコルタールの中を泳いでいるかのような気分。

 後ろからゾロゾロと影の怪物達が追い掛けて来る。

「――――邪魔をするな」

 誰かに背中を押された。首だけ振り向くと、そこにはハサンがいた。

「達者で生きよ。共に生きたいと願う者の中に私の名を含めてくれた事、感謝している」

 怪物の群れに向かっていくハサン。立ち止まりそうになる私の手をおじさんが引っ張る。

「走るんだ」

 また、右や左から怪物が押し寄せてきた。

「まったく……。死後に漸く英雄らしい仕事が回ってきたな」

「ぼやくな。お姫様を守るんだ。騎士として、実にやり甲斐を感じるだろ」

 セイバーとランサーが怪物を打ち払う。セイバーは私達に微笑み掛けると、もう振り返らなかった。

「Aaaaalalalalalalalalalaie!」

 更に私達を取り囲もうとする怪物達はライダーのチャリオットが蹴散らした。

「もう少しだ」

 遠くに光が見えた。そこに二人の女性が立っている。

「キャスター!!」

 手を伸ばす私に微笑みかけると、キャスターはその手を振り払い、代わりに背中を押した。

 

 ◇

 

「協力に感謝するぞ、淫売」

「……私は愛する子をこの暗黒の世界から解き放ちたかっただけです。決して、あなたの為じゃありません! この魔女!」

 聖杯に呑み込まれ、尚も彼女達は暴れまわる。

 この世の全てを救うと誓った女。

 この世の全てを敵に回すと誓った女。

 彼女達の意思は闇に塗り潰される事を拒んだ。

 彼女達の口にした《原罪を知れ(エツ・ハ=ダアト・トーブ・ヴラ)》は神の怒りに振れる禁忌の果実。

 だが、その実の真価は食べた者に神の力の一端を与えるもの。

 聖杯に巣食う魔が《悪神(かみ)》を名乗るなら、彼女達もまた《神》を名乗る。

「この世全ての悪よ。お前にあの子は渡さんよ!」

「あの子もまた、私の愛する子。魔王になど渡しません!」

 彼女達の力が闇の中で暴れ回る英雄達に力を与える。

 セイバーが聖剣を振り翳す。

約束された勝利の剣(エクスカリバー)!!」

 ランサーが朱と黄の槍を振り回す。

「穿て、破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)!! 必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)!!」

 ライダーが雷鳴を纏い影の獣を蹂躙する。

「ハッハッハ、愉快愉快!! よもや、死後にこうして手を取り合う事になろうとは!! 遥かなる蹂躙制覇(ヴィア・エクスプグナティオ)!!」

 アサシンがその呪われし腕を開放する。

「胸躍る。まるで、私も一個の英雄のようではないか! 苦悶を溢せ、妄想心音(ザバーニーヤ)!!」

 英雄達のど派手な宝具の開放合戦を尻目に桜達を追う者が一人。

「桜! へばってないか?」

 追跡者が桜を抱き上げる。

「モードレッド!?」

「あと少しだ!!」

 光に三人は飛び込んでいく。

 外に飛び出した桜はモードレッドの顔を見上げた。

「ど、どうして!?」

「元からたちの悪かった女共が更にとんでもない力を得た結果だ。互いに互いが外に出る事を許さない辺りがアレだが、折衷案って事でオレにお鉢が回ってきやがった。っつーわけで」

 モードレッドは赤雷を纏う刃を掲げてアーチャーを睨む。

「まだいけるか?」

「……無論」

 アーチャーは凛に視線を向ける。その視線に対して頷き、彼女は右手を掲げる。

 そこには真紅の紋章が刻まれていた。

「令呪をもって命じる!! アーチャー!! 聖杯をぶっ壊しなさい!!」

 アーチャーの握る聖剣に光が宿る。

「完膚なきまでにぶっ壊してやるよ。先に逝ってな、母上!!」

 二振りの剣が爆発的な魔力を迸らせ、今――――、

永久に遥か黄金の剣(エクスカリバー・イマージュ)!!」

我が麗しき父への叛逆(クラレント・ブラッドアーサー)!!」

 星光と赤雷。暗黒の月を蹂躙し、二つの輝きは天を裂く。

 聖杯戦争の終わりを告げる花火はどこまでも高く伸びていった。




次回、エピローグ
ここまでの御愛読、ありがとうございました。


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エピローグ「幸福な未来へ」

 聖杯戦争は終わりを迎えた。アーチャーとモードレッドは聖杯の崩壊と共に消滅した。私はおじさんに抱きしめられながら泣き続けた。

 それが、十年前の話だ。

「……うーん、この問題は私の手に負えませんな!」

「諦めんな!! さっき教えた公式を使えば解けるだろ!!」

 私の周りには人が少しだけ増えた。海外に留学していたお兄ちゃんが帰って来たのだ。

 おじさんとお兄ちゃんと私の三人家族で日々を過ごしている。鶴野おじさんは今も海外を飛び回っている。おじいちゃんがいなくなった事で得た初めての自由を謳歌しているみたい。

 おじさんは顔を合わせる度に彼を殴っていて、その時に見せる怖い顔にお兄ちゃんはちょっと怯えている。私も折角だから怯えた振りをして、健気に私を励まそうとするお兄ちゃんの愛情を堪能した。

 私としては鶴野おじさんの事も嫌いじゃない。罪悪感を感じているからか何なのか知らないけど、合う度に豪華なお土産を山のようにくれるからだ。おじいちゃんの遺産が山盛りな上、最近お兄ちゃんが株取引なるものに手を染めて大儲けし始め、私にお小遣いを大量にくれるおかげで財政面で何の不満も無いけど、もらえるものは貰っておく主義だ。

「お兄ちゃん! 私も株取引してみたい!」

「絶対に駄目だ」

 真顔で断られた。甘えると大抵の事を許してくれるチョロいお兄ちゃんなのに……。

「ほらほら、慎二くんを困らせちゃ駄目だよ? 桜ちゃん」

「困らせてないよ。甘えてあげてるんだよ。嬉しいよね?」

「……時々、そのふてぶてしさに感心するよ。一発殴っていいか?」

 あ、やり過ぎた。

「顔が怖いよ、お兄ちゃん。ほら、スマイルスマイル。可愛い桜ちゃんを見て和んでー」

「おじさん。桜の将来が凄く不安になるんだけど……」

「……いや、その……、まあ日々楽しく過ごせているならそれで……」

 お兄ちゃんは時々、昔読んだ漫画の主人公みたいな表情を浮かべる。

 きっと、今は『駄目だこいつ……、早くなんとかしないと……』とか考えているのだろう。

「このままじゃ駄目だ。……遠坂に相談するか」

「え?」

 怖いことを言い出した。

「いや、お姉ちゃんは別に関係無いし……」

「……相変わらず苦手意識持ってるみたいだな。これは効果がありそうだ」

 ニヤリと悪魔のような笑顔を浮かべるお兄ちゃん。

 

 翌日、学校の屋上に呼び出された私は正座をさせられながらお姉ちゃんの長いお説教を聞く事になった。

 おかしい。昔はとことん甘やかしてくれたのに、最近は会う度にお説教を受けている。

「大体、桜は甘え過ぎなの!! そんな事で将来どうするの!?」

「べ、別にー、お金には困ってないしー、おじさんもいるしー、お兄ちゃんもいるしー」

「もう! どうしてこんなに甘ったれになっちゃったのかしら!」

 頭を抱えて悩みだした。

「や、やだなー。そんな深刻にならなくても……」

「深刻にもなるわよ! 慎二なんて最近は子育ての本や教育に関する本を読み漁ってるのよ!?」

「え……?」

 割りとシャレにならないレベルで悩まれてる……?

「雁夜さんや慎二が怒れないタイプだから、その分まで私が怒る事にしたの! それが姉としての責務! というわけで、まだまだたっぷりお説教するからね!」

「ひぇぇぇぇ」

 本当にたっぷりとお説教された。気付けば日が暮れていて、私は真っ白になっていた。

 お姉ちゃんが立ち去った後、三十分かけて漸く立ち上がると白い髪がチラッと見えた。

「あれ、イリヤちゃん?」

「だ~いぶ、絞られてたねー」

 同情の眼差しを向けてくる親友が投げてきた缶コーヒーを飲む。

 聖杯戦争が終わった後、両親を失った彼女をお姉ちゃんが引き取った。彼女の境遇に義心を燃やしたみたい。

 アチコチ奔走して、イリヤちゃんを長生きさせる方法を探している。結果として、人並みに成長して立派な女子高生になっているけど、余命はあまり延びていないらしい。

 だから、私達はもう直ぐ始まる儀式に賭けている。

「……別にいいんだよ? 私、十分幸せに暮らせてるし」

「私達がイヤなんだよ。イリヤちゃんには長生きしてもらいたいもの」

 私やお姉ちゃん、それにイリヤちゃんの手の甲にも真紅の刻印が浮かんでいる。

 第四次聖杯戦争終結から十年。今再び、戦いの火蓋が切って落とされようとしている。

 彼女を喚び出せば、聖杯を手懐けてくれる筈だ。それに私達が参加しなくても、聖杯戦争は始まってしまう。

 大聖杯を解体する為には力が足りなかった。

 逃げてしまえば不幸な目になど合わない。だけど、甘ったれな私にも譲れないものがある。

 

 そして、再び運命の夜が訪れる。

 私の前には嘗て共に歩んだ魔女(キャスター)が現れた。

 お姉ちゃんの前には赤い外套を纏う弓兵(アーチャー)

 イリヤちゃんの前にはギラギラとした瞳の魔剣士(セイバー)

 

 その日を境に再び冬木の地は戦場となる。

 青き槍兵(ランサー)、華やかな騎乗兵(ライダー)、黒き死神(アサシン)、荒れ狂う狂戦士(バーサーカー)

 時に手を取り合い、時に激突し、彼等の戦いは人知れず行われる。

 

 戦いの中で育まれたものがある。戦いの中で失われたものがある。

 数々の苦難を乗り越え、すっかり我侭な甘ったれに育った彼女は再び我侭の為に戦う。

 ただ只管、幸福な未来を望んで……。

「お前はいつも嫌な方向で私の予想を上回るな」

 喚び出された魔女は大きなため息を零すのであった――――。

 

 ~ END ~



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