シアン・パイルの遺言状 (ツルギ剣)
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シアン・パイルの遺言状


 はじめまして。初投稿の処女作です。
 
 まず、原作の第一巻を見た方かアニメを視聴した方以外には、まったく意味不明な文章です。それらを前提か背景に踏まえて見てくれることを、オススメします。お願い申し上げます。
 いろいろ説明不足で拙い文章な上に、原作は第一巻しか見ていないという不届きものです。いろいろとご指摘いただければ、ありがたいことこの上ないです。
 本作は、電撃文庫『アクセル・ワールド01』の271ページに描かれている場面。そこから派生したIF展開物語です。原作とは少々違ったものにしております。それが気に食わんと思われるかもしれませんが、そこだけはお手柔らかにお願いします。

 それでは、お楽しみください。


 親愛なる倉嶋千百合様へ。

 この物語は、ボクの短い生涯の中で最も愛した貴女に捧げる―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貫けぇぇぇーーーっ!」

 

 ボクの口から意図せずして叫び声が放たれていた。

 激突の瞬間にモゲてしまった利き手の右腕ではなく、左腕に装着し直した《パイル・ドライバー》を、はるか頭上から見下ろしているあの銀色のアバターに突き出した。ボクの叫びと同じ速度、腕ごと爆散しかねないほどの圧搾空気によって放たれた真っ白な鉄杭が、それと並行して重力と逆行している。

 

(届くのか……)

 

 そんな不安を打ち消すように、鉄杭とともに打ち出すかのように、雄叫びを上げ続けた。

 

 

 

 2アクション。

 それが、その時ボクに許されていた行動回数だ。それも、迷っている時間もなく即座に決定するという条件を込めてのもの。状況を見て判断するなどの迷いや、相手に狙いを定めるなどの不安を感じている暇もない。あらかじめ決めていたことをそのまま打ち込むかの如く、半場無意識で打ち込まなくてはならない。

 先程まで死闘を繰り返していた「病院」が、小指の先サイズに収められるほどの高度に、ボクは吊り上げられている。

 そこから地面に落下するまでの数秒。飛翔し続ける敵にボクの攻撃が有効判定を得ることができるギリギリの間隔までは、2秒もないだろう。そこから先の行動は、一撃で屠るだけの攻撃力もなければ、空を自在に動き回る相手に当てることすらできない無意味なあがきだ。

 2アクション。

 それで決めることができなければ、ボクは、旧東京タワー並の高所からの落下ダメージでオーバーキルされることになる。それは、空と大地がひっくり返ることがない限り変わることはない。つまり、決定事項だ。

 しかし、たったそれだけで敵を倒すことはできない。どうしても、あと1アクションだけ必要だった。全てに無意味の烙印が押させれてしまう高度で、それだけは意味のある行動に仕立て上げなければならない。

 2つの行動で、相手の喉元に刃の鋒を突き立てることはできる。あとは、それを押し込むだけでいい。

 それでボクは、勝利して生き残り栄光を掴むことができるかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 勝利を絶対のものとするためには、あらゆる手をこうじなければならない。どんなに汚い手であろうが、想像の限り考えつく限り断行しなければならない。ルールに縛られていては絶対勝利などありえない。

 

 だからこそ、不正バックドアプログラムを使って黒の王、ブラック・ロータスに無理やりデュエルを仕掛けても、悪くはない。

 だからこそ、荒谷を焚きつけて意図的に交通事故を起こしても、悪くはない。

 だからこそ、それで意識不明の重体に陥った黒雪姫にデュエルを仕掛けることも、悪くはない。

 

 全ては勝つためで、勝つことが全てだった。負けたものは何も得ることもできず守れない。大切なものがあるのならば、非情に撤しなければならない。そうやってボクは、この加速世界に数ある中の最優レギオン『レオニーズ』の中で、幹部の一人にまで上り詰めた……はずだった。

 

 

 

 僕は弱い。

 全力を尽くしても凡庸なプレイヤー止まりであることは、デュエルを重ねるたびに痛感していた。それは、このデュエルアバター『シアン・パイル』の基本性能によるものではない。むしろ、《近接の青》でありながら遠距離攻撃を可能とする強化外装を持っているこのアバターは、特質すべきようなものはないが、どんなスタイルの敵にも適応できるバランス感覚を秘めている。弱点が見当たらない隙のなさが、このアバターの最大の長所といってもいい。格闘ゲーム初心者が使うような、クセのない使い勝手のいいアバターだ。そして、それを作り上げてしまったことが、それに頼りきってしまったことが、巡り巡ってこのような敗色濃い展開を導いてしまったのではないかと思う。彼への依存心が、僕の弱さだ。

 フルダイブ型の対戦格闘ゲームであるこの『ブレイン・バースト』は、デュエルアバターという仮想の体を使って戦う。仮想といっても、通常の物理世界の身体を動かすように自在に動かすことができる。コントローラかキーボードを駆使する前世代のゲームとは比べ物にならないほど、多彩な動きとそれに伴う確かな手応えがある。そのため、このようなゲームをあまり嗜んでこなかった僕でも、それなりに動かせて戦うことができた。しかし、そこには大きな陥穽があった。

 仮想の体と実物の体は違う。よく似せてはいるのだが、どうしても齟齬を生じてしまう。その違和感が、このシアン・パイルと僕との一体感を妨げた。

 はじめはそれを、初心者ゆえの不慣れさからくるものだと思っていた。じきに慣れると楽観していた。しかし、違和感は消えてくれなかった。ギリギリ標準動作を操作できるだけのシンクロを保つことはできているのだが、それ以上のことができない。アバターの性能をフルに扱うことができない。現実の体とその感覚が確固としてそこにあって、それを基盤にしてアバターを動かしているからだ。シアン・パイルになっているのではなくて、デュエルアバターを着込んでいるというのが、僕のここでの実感だった。

 

 いわく、

 こんな高く跳べる脚力は、おかしい。

 岩石ともいえる壁をいともたやすく打ち壊す腕力は、ありえない。

 明らかに金属といえる硬質な破片をまともに受けても痒みすら受けない皮膚は、自分の知らないものだ。

 この合金の体は、自分のものではない―――。

 

 不一致感は消えるどころか、日増しに大きくなってったい。これを始めてから(現実時間では)半年ほど経っているが、見えない澱のように固まって僕とシアン・パイルの間に座り続けている。そして、不協和音を奏で続けていた。

 それでも僕がこのゲームを続けられたのは、たぶんシステムからのリンク確立の補助があるからだろう。動作に支障がきたさないように、僕が意識することができないシアン・パイルのコントロールを自動で行ってくれているからかもしれない。もはや決裂寸前の僕らの仲を、どうにかなだめて枠に収めてくれているといったところだ。実際にそれを確認したわけでも実感しているわけでもないのだが、そうとでも考えないと説明がつかない。それほどまでに僕は僕でしかなく、そこから一歩も抜け出せずかと言って変わることを拒否できず、僕の理想像たるシアン・パイルにはなりきれていない半端物だったからだ。

 

 

 

 ボクは弱い。

 操作環境設定の一つである《痛覚》を、基本状態から引き上げれる限界まで上げてやっと並のバーストリンカーの動きが可能になる。体との不一致感を突き抜けるように、増幅された痛覚にのせたコマンドを鈍い頭に無理やり叩き込む。動くたびに関節が軋んで体は声なき悲鳴を上げている。それなのに体の反応速度は、いらつくほど鈍い。まるで、水の中にいるような重さと息苦しさで、ボクの戦意はすでに6割がた消失してしまっている。

 そして今のボクの体は、敵の強攻撃、硬い《煉獄ステージ》の地面をえぐるほどの速度と摩擦によって、右腕がもげて厚い装甲が剥ぎ取られている。体の中身である駆動系も晒されていた。半場ノイズに包まれた白濁した視界の左上に生じされているHPバーを見ると、残り1割ほどにまで削られていた。

 

 〝もういいのではないか。お前はよくやったよ……”

 

 そんな慰めの声がささくれだった幻の傷跡に、甘く塗り込められていく。

 踏みしめる地面がないことに、足が怯えてじたばたしていた。いや、怯えているのはボク自身なのだろう。足に、ここでは無意味とも言える歩くというコマンドを入力してしまったのかもしれない。それをただ忠実に実行した結果、空を踏んでいる。

 

 〝お前は、この加速世界じゃもう絶対にオレには勝てない。それを認めるかタク!!”

 

 たしかにそうかもしれない。いや、事実そうなのだろう。

 加速世界始まって以来の飛行アビリティ。そんな恩恵を受けた奴が特別でなくて、何を特別と言うんだ。この対戦のためにかき集めたギャラリーのざわめきが、それを物語っている。皆の前で無様を晒した上で敗北させるつもりだったが、道化はボクの方だったらしい。

 代わってボクは、それと初めて対峙するといっても、慌てふためいてみっともなくわけのわからない行動をとってしまった愚か者だ。ここ一番における脆さが露呈したと言わざるを得ない。体力ゲージはこちらが6割がた残っていたのだから、無理してKOを取るのではなくて、タイムアップを待てばよかったのである。それまで、自分に有利な建物の中で身を潜めていればよかった。それをせずに、飛んでいる奴に命中しそうもない大技の《ライトニング・シアン・スパイク》を打ち込んで、取り返しもつかない硬直時間を与えてしまったのは、愚策と言わざるを得ない。もし逆の立場なら、冷静に有利な戦場に向かうことを選択したことだろう。

 きっと、彼ならそうしたことだろう……。

 

「―――オレとお前は対等だ」

 

 その時、彼の言葉が、シルバー・クロウの言葉が、ボクの根幹を揺らした。

 そのとてつもない震えにボクは、恐怖していた。ボクは、封殺していたはずの僕が現れてくるのを、それと同時にボクが消えてしまう怯えを止められなかった。

 

(怖い、怖い、死にたくない。ここから、いなくなりたくない。《加速》を失いたくない―――)

 

 恐怖は僕をより色濃くして、ボクを透明に薄めていく。

 意識を1000倍にまで加速することができるこの力を失うなんて、僕には到底許容できないことだった。僕はこの《加速》の恩恵にどっぷりと浸かっていたからだ。それがない人生なんて、もはや考えられなかった。考えたくもなかった。

 だから、ここから先の僕の選択は決まっている。クロウへの降伏だ。

 僕は、全身でそれを求めていた。これを失わないためには、殺すことまで考えてしまうほど憎しみを向けていた相手に、頭を下げて命乞いをすることまでできた。その時には、紙切れ程度にまで薄れていったボクが、ここから消えてしまう恐怖で僕に選択権を委ねるまでになっていたからだ。

 

 それでもボクは、それを最後まで手放すことができなかった。選択することこそが、ボクそのものだった。この加速世界におけるすべての出来事に選択権があるのは、僕ではなくボクであるべきだったからだ。ボクは僕と違うことを、証明しなくてはならなかった。

 だからボクは、僕と違う決断をした。喉元まで膨れ上がっていた敗北宣言を、飲み砕いてみせた。頑としてそれを、手放さなかった。

 

 そうさ、これは愚かな決断だった。ボクは、僕とともに今まで散々固執してきた勝利と生存を、二の次にした。意地を通すことにしたんだ。

 

「……ふざけんな」

 

 ボクの口から掠れた声が漏れた。先程までの傲慢さや覇気もない、これほど巨大な図体から出たとは思えないほど、弱々しく震えた声だった。自分の声だとは思えなかった。

 しかし、それで弾みがついた。目の前のクロウの顔が(フェイスマスクで見えないのだが)冷たく硬くなっていくのが感じられたからだ。それで、こちらの引きつった頬も緩んでいく。クロウの顔の後ろで、彼が苦悶しているのが確かに見えたから。

 

 それを見て、ひとつの光明が全身を貫いた。まやかしかもしれない閃きに、気づいたらしがみついていた。

 その時には、震えは完全に止まっていた。

 

「―――ボクとお前が対等、だと?」

 

 だからこそ、勝たなくてはならない。そうしなければ、これは本当に愚かなことになってしまう。ボクにとっては勝利よりも大事なものだが、勝利しなければそいつはただのゴミになる。そんなことは、冗談ではない。これを愚かだと言うのは、僕以外には認められない。

 怒りが、恐怖のために消えかけていた闘志を奮い立たせていた。

 

「―――そんなこと、あるわけないだろう」

 

 ゆえに、あの銀色に輝くデュエルアバター、シルバ・クローには、負けることは許されない。これは、ボクにとって生存のための闘争だったから。

 シルバー・クロウの先にいる有田春雪には、ボクは絶対に負けられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕の幼馴染の有田春雪は、時に僕には予想もつかないような閃きとそれを支える推理力があって、ゲームがこの上なく大好きで僕は一度も勝ったことがなかった。中学になってから別々になって、そちらで人間のクズみたいな連中(荒谷とか言ったかな……詳しくは覚えてない。どうでもいいやつらだ)にいいようにあしらわれていると聞いたとき耳を疑った。けど、久しぶりに会った彼を見てそれも腑に落ちた。

 自嘲的な笑い、いつも何かに怯えているようで視点を定めようとしない。そわそわとして落ち着きがなく不安げな態度。僕との間には頭一つ分ぐらいの背丈の差はあるが、うつむきながら見上げてくる表情は、卑屈という言葉を形にしたようなものだった。彼の全身が醸し出している雰囲気は、じめじめとした暗い片隅を好む虫といっても差し支えなかった。

 僕は、彼をいじめている奴らに共感した。……できてしまった。

 彼の前で昔のままの親友を演じるのは、この上なく困難な作業だった。彼が少しでも自分に触れようものならば、怒り狂ってその場に突き飛ばしたかもしれない。話があと少しでも長ければ、一瞬で瓦解してしまうほどその場しのぎの仮面はもろかった。彼と同じ空気を吸っていることが、全身に吐き気と怖気をもようさせた。事実、彼と久しぶりに再会したあとそのあまりの不愉快さゆえに、家に帰って直ぐにトイレに駆け込んだほどだった。不幸か幸いか、酸っぱい胃液と唾液しか出てこなかったが。

 

 この怒りの原因をボクは知っている。もうひとりの幼馴染、倉嶋千百合の存在だ。

 彼女は、強くて優しい。おせっかいと揶揄されることもあるが、大人顔負けの毅然とした態度でどんな相手だろうと立ち向かっていくその姿は、彼女が男だったらと思わずにはいられない。弱い者たちやいじめを見過ごすことなどしない。小学校に上がって間もないとき、我が物顔で近所に唯一あった公園を占拠した中学生の男子と、いつも取り巻き数人の子分たちをはべらせている奴でその当時の僕の頭一つ分は大きかった、一人で真っ向から対決した姿は、今でも目に焼きついている。

 中学校に上がって僕とは別れたが、ハルと同じ学校に入学した彼女は、その優しさと正義心ゆえにか、いじめられているハルを庇いつづけた。周りの目も気にする様子もなく献身的にハルを庇護し続けていた。昼食代をカツアゲされて何も食べるものがないハルのために、手製のサンドイッチをいつも持参していた。昼休み、男子トイレでひとり泣きべそをかいているハルを見て、彼の教室に乗り込んでいっては荒谷とか言う奴(先も言ったけど、奴らのことはおぼろげにしか覚えていない)の頬に盛大なモミジを作ってやった。……その時の奴の顔。あれは傑作だったよ。

 そんな彼女の後ろに隠れているだけのハル。彼女の優しさに付け入るように依存している寄生虫。ボクは、見ていて歯がゆかった。何度も引き剥がすことを考えた。だけど、それは彼女にとって侮辱にほかならない。ボクが引き剥がそうとすればするほど、彼を助ける意思を強くするだろうことは目に見えていた。

 

 この焦燥感には、ハルへの嫉妬も多分にある。

 僕は、君の傍に立てるだけのヒーローになりたいと想っていた。それと同時に、強くて優しい君のそばにいたいと思っていた。それは弱さだと決め付けて、守れるだけの強さを手に入れるために走り続けてきた。そうして、ボクが生まれた。

 

 ボクは手足も持たずに生まれてきた僕の言葉の塊だ。

 ボクの持っているものは僕からの借り物でしかない。誰も気にもできない刹那の瞬間でしか、ボクは自由に動き回れない。君とボクは違う時間の流れにいる。

 でもボクにとって、それを見せ続けられるのは、苦しくて苛立たしくて切ないものだった。

 ボクの彼と君へのこの感情は、やはり僕からの借り物でしかないのだろう。でもそれが、ボクそのものだった。

 

 だからボクは、君の思い描いたモノになりたかった。

 君がいるからこそボクは、ハルをいじめているようなクズを、卑怯者呼ばわりして嫌っていられる。彼らと自分が違うものであると、胸を張って言い切れる。ボクが生まれてきてから一番尊いものを、誇りを、君がボクにくれたからだ。

 

 

 

 それを守りぬくこと。ボクがボクであるために必要な、ボクたらしめているそれを守り通すためには、ここは絶対に引いてはならない。

 例え、この世界から消えることになっても、それだけは譲れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気がつけばボクは、奴の手を払い除けていた。

 命綱とも言えるシルバー・クロウの救済を拒絶して、落下することを選んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、最初の場面。

 

 

 

「貫けえぇぇーーーっ!」

 

 かつて出したことがないような雄叫びを上げながら、たった一つの行動とっていた。

 ボクは、パイル・ドライバーを頭上の敵、相手の自殺行動に戸惑うシルバー・クロウに突き出していた。

 

 シルバー・クロウは、先程の攻撃で完全防御体制を取ったがために、取らされてしまったがために一時的な硬直状態になっていた。自在に飛び回れる翼を持っている敵であろうとも、システムが引いたルールからは逃れられないようで、空中の一点で静止している。いい的だ。

 掴んでいたいたクロウの手を無理やりに払い除けたあと、その至近距離から《スプラッシュ・スティンガー》を、胸元に格納されている小型パイルを輻射状に射出する必殺技を放った。

 お互いにあと一割未満のHPしか残っていない状態。打撃はメタルカラーの弱点。加えて、横にスライドして避けることも後ろに引いてやり過ごすこともできない、至近距離からの迫り来る面の攻撃。彼の取れる行動は、正面からすべて防御して耐える以外にありえない。あとは、こちらが地面に激突するのを見届ければいいだけなのだ。それで、彼の勝利は揺るぎないものになるからだ。

 

 しかし、それこそがボクの狙いだ。たった一つだけ残されている可能性だった。

 防御によってわずかに生じる硬直時間。自在に空を飛び回れる相手が、唯一的になる刹那に近い瞬間。そこに、重力がボクを殺す前に、渾身のパイルをブチ込むことができれば、ボクは生き残れるかもしれなかった。

 

 ただ、そいつは難しい。とてつもなく難しい。

 高速で引き離されていく彼我の距離は、ボクにとっては無限にも等しい。射出されて伸び上がるパイルの速度と落下するスピードが=のように思えてならない。いつまで経っても届きそうにない。そもそもその鋒の向かう先が、もはや空中の一点と化していた彼の心臓を抉り取れるのかすらわらない。まともに狙いなど定めてはいなかった。ただ、彼がいるであろう一点に拳を突き出しただけだった。かつてないほど不安で、致命的な一撃。

 だけどボクは、覚悟していた。この後悔をすべて背負う覚悟をしていた。

 

 ボクのパイルは奴の心臓を穿って、ボクに勝利をもたらしてくれるだろう。

 それだけを、ボクの生存を賭けて、信じることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この選択の結末は、ボクにはわからない。もちろん、僕には知る由もない。

 あの瞬間、ボクが落下して地面に激突するまでのあいだに、打ち出したパイルが彼に致命的な一撃を与えたかどうかは、わからない。届いたのかどうかすら、わからない。それを知る時にはもう、ボクはこの加速世界から消滅していた。戦いの行方が視界に表示される直前で、ボクは途切れていた。この体に致命的な損傷を受けたことでHPゲージがゼロになり、システムが強制的にボクを消しにかかったからだ。

 だけど、どちらでも構わなかった。

 ボクはあの時、決断した。僕とは違うボクを証明することができた。あの瞬間だけは、生きていると実感することができたから―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これまで見てくれたから薄々わかっているのではないかと思うけど……ボクは、黛拓務じゃない。彼の無意識に潜む劣等感を基盤にして作り出された、彼の人格と記憶を土台にして発生した、デュエル・アバター「シアン・パイル」そのものの意識だ。わかりやすく、AIといってもいい。

 そしてこれは、君のニューロリンカーに仕掛けた《バックドア》を介して送った、ボクの最初で最期の言葉だ。

 

 勝手にウイルスを仕掛けてしまったことを面と向かって謝れなくて、ゴメン。だけど、タクム以外には誰にも触らせてはいないし、ボクがいなくなれば誰も触ることもできないものだ。すぐに削除してしまえば、実害は何もない。

 それに、ボクはもうすぐ消える。跡形もなくはじめからいなかったものとして、消えてしまうことだろう。ポイントを全損した敗北者の常として、この加速世界から綺麗に消去されてしまうことだろう。無意味な数字の羅列になるまで、1ピクセルも残さず粉々にされてしまうだろう。……だから、安心して欲しい。

 

 もし許してくれるのなら、これを見終わったあと、現実にいるタクムを力の限りひっぱたいてやってくれ。グーで殴ったっていい。なんだったら、蹴りつけたって構わない。あいつは、アホ面を浮かべながら君のことを見るかもしれない。なぜ、殴られるのかわかっていないのかもしれない。それでも構わない。……いや、それだからこそ、やってもらいたい。

 ボクがあいつと共にいた証を、あいつの上に刻みつけて欲しいんだ。あいつには、どんな形でもいいから覚えていて欲しいんだ。きっとあいつは、ボクのことを忘れてしまっているから。

 君には、また迷惑をかけることになる。だけど、君にしか頼めない。……ゴメン。

 

 ここまで長々と付き合わせてしまって、ゴメン。……ボクは君に謝ってばかりだな。だけど、これが本当に最後だ。

 

 

 

 サヨナラ。君とは、こちらの世界で会いたかったよ。

 タクムをよろしく頼む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、君ともっと話がしたい。君の声が聞きたい。君と一緒にいたい。

 今、君をそばで感じていたい。

 

 ボクは君と■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□[][][][][][][][][][][][][][][][][][][][][][][][][][][][][][][][][][][][][][][][]

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 ぼくはこれを、無味乾燥で淡白な0と1の間で眺めていた。色鮮やかで猥雑な情報の洪水の仮想世界を、限りなく透明な紙面上から仰ぎ見ていた。

 いつもの無感動なその場所では、シアン・パイルの、乗用車に正面衝突されたような落下ダメージの激痛や、胸を焦がすほどの有田春雪と倉嶋千百合への激情も、加速世界から消されてしまう死の恐怖でさえも、わからない。それらは、ぼくの所有物ではなくシアン・パイルの宝物だった。

 ぼくは、どこにもいないし誰でもない。これから後にも先にも、生きてきたことも生まれることもない。ぼくに物語はない。

 ぼくは、ボクの遺志を語るためだけに、ボクによって作り出された虚ろだ。

 

 だからぼくは、ボクの記憶をここに記述した。そして、僕の中に残らないボクが欠片でも残るようにと、【これ】を君に届けるためにここにいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【BB2039.exe を実行しますか? YES/NO】

 

 

 

 この《加速》の力をどうするかは、君の自由だ。

 

 

 





 長々とありがとうございました。


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