ハゲのワンパンアカデミア (磯野 若二)
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ハゲのワンパンアカデミア

駅から離れた住宅街、入り組んだ道を歩いた先に、一つの小さな公園がある。

 

小高い木々と花壇が少しある程度。遊具は無く、纏まった空き地があることだけが魅力のそこには、昨日には無かった奇妙なオブジェが作られつつあった。

 

「いや、やだ! やだあああ!」

 

「ぬぷぷぷぷぷ。 では嫌がっても、身体は正直だねえ」

 

 

恐怖に縮こまった声で泣き叫ぶ赤髪の幼い少女。その全身を包み込むように、ヘドロのような粘体が、二メートルの高さで積み上がっていた。

無数のヒルや蛆虫が蠢いているようにヘドロの表面は波打ち、中で何かをされているのだろう、少女は気持ち悪げに身体を震わせボロボロと涙を零した。

 

汚染された川底の泥を練り上げたようなそれには、下卑た笑みを浮かべる、醜く太った男の顔があった。ぐねぐねと動きながら少女に声を吐き掛ける様は、到底善人には見えない。

少女に取り付いていたのは、紛れもなく人間であった。

 

 

 

中国で"発光する赤子"の件が報告されたのを境に、世界各地で超常的な能力を発揮する人間たちの例が人々の目の前に現れ始めた。

 

空を飛んだり、身体を炎に変えたり、瞬間移動を行うなど。

超常能力ーー"個性"をもつ人間たちが誕生したことで、現代は、過去からの歴史を大きく変えざるを得なかった。

そんな時代において"個性"をもった人間たちの中には、当然ながら、その力を私利私欲に使い、他人を害する悪人ーーヴィランと呼ばれる犯罪者が生まれる。

 

この瞬間、いたいけな少女を貪るように侵している、この男のような者が。

 

 

「だれか、たすけて!」

 

 

震える身体に鞭をうち、少女は大きく声をあげた。

人間の八割は何らかの"個性"がある現代には、強力な個性をもつ一般人も少なくなく、また、それを活かし人々を助ける職業者ーー"ヒーロー"なる存在が生まれてもいた。

 

 

しかし、少女の叫びに駆けつける者は、誰も居なかった。

 

不幸なことに、この街の駅前で、別のヴィランが大きく暴れ、現場に到着したヒーローとの戦いが繰り広げられていたのだ。

野次馬が溢れ、マスコミが面白おかしく報道する中で、偶然にも、一種の空白地帯がこの公園に生まれていた。

 

 

「ぬぷぷ。そんな大袈裟な声を出しても、だあれも邪魔することは無いから安心してね?」

 

 

ぬらぬらと脂ぎった声を発した男は、少女の意思を無視し、己の欲望のままに少女の身体を貪り続けている。

弱き者だけを狙って嬲る下郎だった。己の身体を流体に変化させる個性ーー"リキッド"を過信し、頭の中で妄想していた下衆な夢を、現実の幼な子にぶつけて楽しんでいた。

 

 

男の心根を溶かし込んだような濁色の液体が、少女の身体を弄るだけに飽き足らず、とうとう少女の洋服を毟りとろうと、形を歪に変化させる。

エスカレートしていく凶行を感じ取り、少女は目を瞑って身体を強張らせていた。

 

この少女も"個性"を持ち合わせているだろうが、その力を発揮することも出来ずにいた。何も出来ずに身体を侵蝕する恐怖が、彼女を支配していた。

 

 

「・・・お前、何やってんの?」

 

 

ドン引きしたような少年の声が、少女の背中からかけられるまでは。

 

 

「誰だ、楽しく遊んでた僕たちを邪魔するのは!」

 

 

突然現れたその声に強く反応し、急に振り向いたヴィランに連動して、少女の身体もぐるりと後ろを向く。

 

 

声の先にいたのは、奇妙な特徴を持つ男子学生だった。

 

 

白のスニーカーを履き、黒い襟詰めの学生服を身につけ、リュックを背負っていた。それだけ見れば登校途中の生徒だろう。だが、その頭に毛は一本も生えておらず、太陽を照り返してキラリと光っていた。

 

不気味なものを見たように歪んだ顔の作りは中学生ほどの男子のものだが、その平凡な特徴たちが却って、少年のきれいな禿頭を特異に際立たせている。

 

 

「どう見ても嫌がってるだろ? 気持ち悪いヴィランだな」

 

心底嫌がっている顔の少年は、しかし、ゆっくりとヴィランに近づいていた。

 

「この俺様に向かって馴れ馴れしいタメ口を叩きやがって! 年上に対する敬意も知らんのかハゲめ!」

 

「年上のくせに子供に悪戯するヴィランに言われたくねえよ」

 

 

ピクリと眉を顰めた少年にカチンときたのか、短気なヘドロ型の怪人は少年を叩き潰そうと、少女を取り込んだまま飛びかかった。

 

愚鈍そうな見かけにも関わらず、加速した車のような速さを持って、ヴィランは襲いかかる。

澱みを含んだ風を作りながら、悪者は少年を打ち据えようと急激に近づいていった。

 

 

公園で一人遊んでいた自分を、道の陰から飛び出し、一瞬の間に捕まえたその動作を覚えていただろう。

少年の登場に呆然としていた少女は、ヴィランの動きで思い出したのだろう、咄嗟に叫んだ。

 

涙と鼻水で汚れた顔のまま、今までで一番大きな声で。

 

 

逃げて、と。

 

 

その声と同時に、ヴィランの身体が垂直方向に大きく吹き飛ぶ。

 

 

その勢いは凄まじいとしか言いようがなかった。

 

少年の拳の軌道下の砂が全部舞い上がり、粘ついた空気は払拭され、ヴィランの身体は一瞬で天高く昇っていった。勢いに置いてけぼりにされ地面に着地した少女からはもう、空に浮かんだ小さな黒子のようにしか見えなかった。

 

 

粘体がヴィランの身体の一部だったせいか、酷いことをされたのに服装に汚れ一つもないのが不幸中の幸いだ。ぺたりと座り込む少女の前に、ヴィランを吹き飛ばしたと思しき少年が中腰に屈んで座り込んだ。

 

 

反射的に思わずビクリとした少女を気にしているのか、していないのか。

学ランのポケットから取り出したハンカチで顔を優しく拭き、鼻を噛ませた少年は、元来の穏やかな顔で語りかける。

 

 

「もう大丈夫だからな。俺があいつをぶっ飛ばすけど、お前もあいつをぶん殴ってみるか?」

 

 

どこかぼけっとした顔で提案した少年の言葉は、少女の心を慮るような意味をもっていた。少女は言葉の意味を?み砕くと、震えの残る身体を構え、コクリと頷いた。

 

 

気持ちの悪いヴィランに触るのは嫌だった。

 

いやらしい手つきで触られるのは更に嫌だった。

 

苦しい気持ちを抱えたままで居るのは、もっともっと嫌だった。

 

 

その答えを了承したのか、立ち上がり顔を引き締めた少年。その視線の先に、ヴィランが落下してきた。

 

どれほどの高さにいたのか。彼らが話している間も天にいたヴィランは、大きなクレーターと地震を作り、もくもくと立ち昇る砂埃の中で大きく伸びていた。

 

 

「・・・あ、あひ、あひっは、は」

 

 

言葉も定まらず、うつ伏せでビクビクと痙攣するヴィランだが、個性に助けられたのか、一応は生きていた。

 

呼吸するのも苦しそうな様子で下を向いていた。

ぼんやりとしたその視界の中に、二人分の足が映る。

 

 

黒いズボンと白いスニーカー。

 

その前に立つ、ピンクのサンダルと水色の七分丈のズボン。

 

 

思わず顔を持ち上げたその先には、腕を組み仁王立ちで控える少年と、口を結び、及び腰で拳を構え、その拳先に小さなような炎を備えた少女の姿があった。

 

 

これから何が起きるのかわかったのだろう。

呂律の回らない口で助けを求めるヴィランに向けて、少女の拳が、ぶうんと振り回された。

 

 

「ばかやろー!!!!!!」

 

 

少女の精一杯の罵声とは裏腹に、拳から放たれた火炎の一線は、少女の恨みや恐怖を晴らす太陽のような力強さを以って、ヴィランの身体を燃やした。

 

 

「あぎゃああああああああああああああ??????」

 

 

汚い悲鳴が辺りに響き渡るのと、少年の連れらしき男子が到着するのは、ほぼ同時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さすがはサイタマ先生。いたいけな少女のための心遣い、俺も見習わなくてはなりません。」

 

「いや、そんな大したもんじゃねえって。てか、同い年なんだからタメ口でいいよ。前から言ってるけどさ」

 

 

近づいてくるサイレンの音や、二度の大きな地震で気づいた住民たちの集まる様子を背景に、親しげに話す少年たちを、少女はじっと見ていた。

 

 

新たに現れたブレザーの制服の少年は、控えめに言っても美少年としかいいようが無かった。

 

 

身長は、学ラン姿の少年よりも少しだけ高い、百七十センチほど。

金髪を短く整え、キリっとした眉、切れ長の目、通った鼻筋、薄い唇、細い顎。

整いすぎて冷酷にも見える顔に、敬愛を示した表情を浮かべた少年は、学生鞄を持っていない片方の手に携帯端末を持ち、高速で何かを書き込んでいた。

 

 

「先生の」

 

「先生はやめろって」

 

「・・・サイタマさんのお役に立てず、申し訳ありません。駅前のヴィランが変に粘るせいで、到着が遅れてしまいました。本当にすみません」

 

「・・・いや、警察も呼んでくれたし、こっちこそ助かった。ありがとなジェノス」

 

何かを諦めたように労う少年の言葉に、明るく声を返すもう一人の少年。そんな彼らのもとへ、とうとうパトカーがやってくる。

「げぇっ! もうこんな時間じゃねえか! 早くしないと入試に遅れるぞ」

 

 

本当は、きちんと状況を説明するつもりだったのだろう。

 

だが、携帯の時計を見て慌てる少年と、うっかりしたと顔に書かれたもう一人は、車から出てきた警官に大声で状況を簡単に伝えると、鞄を抱え直したりなどをして、ここから駈け出す準備を始めた。

 

そんな彼らを呼び止めた少女は、去りゆく二人に感謝を述べた。

 

ありがとう、ヒーローのお兄ちゃん、と。

 

 

「ああ、じゃあな!」

 

 

手を振って別れを告げた少年は、一瞬でその場から居なくなった。

少年たちのもとへと急いで駆けつけた警察官の二人ーー中年のがっしりした男と、新人らしい若い男は、個性がとけて地面に伸びる男と、ぽつんと立つ少女、プレスされたようにその場に残る二人分の足跡を見て、はあっとため息をつく。

 

 

それには、冷たい印象の少年から説明で聞いたヴィランと思しき男を止められなかった悔しさとか、状況説明を五歳ぐらいの少女から聞くという難しさとか、色々な思いが複雑に込められていた。

 

 

「・・・またですね、例の"無個性"の少年。やっぱり強化系の"個性"にしか見えないですよ、俺」

 

「確かにな。市民を助けてくれるのはありがたいが、報告書を書く俺たちに親身になって話してくれてもいいんじゃないかね」

 

新たな野次馬の中から少女の母親が駆け出してくる。

苦笑を浮かべ小さく雑談の後。

少女の目の前に屈んで声を掛けた若い警官と、無線で通信する中年の警官の心には、今日も上司に叱られるなという諦観の思いが共通して残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とある一人の少年の話である。

彼は、幼い頃に"無個性"ーー大勢の人と異なり、何も"個性"を宿していない無力な人間と診断されていた。

 

だが彼は、それでも一つの思いを胸に抱いていた。

 

 

ヒーローになりたい、と。

 

 

無個性ゆえの世間の冷たさに晒され、心の奥底にしまいこまれた思い。

 

それを、偶然ヴィランと戦闘し奇跡的に勝利を収めたことをキッカケに、少年は再び取り出すことにした。

 

無個性だろうと関係ない。俺は絶対にヒーローになる。

ヴィランとの戦闘で負った重傷を完治させた中学校生活一年目の夏休み、決意を新たに、彼は特訓を始めた。

 

 

筋トレ、ランニング、遭遇したヴィランとの戦闘。

一日も休まずトレーニングを行い、困っている人たちを助け続け、暴れるヴィランに立ち向かい続けた少年は、中学三年の春に髪の毛を全部失ってしまった。

 

 

ーーーそのかわり、少年はありえないほどの強さを得た。

 

 

拳銃の弾を余裕で掴みとり、百キロ以上の道のりを一時間以内に駆け抜け、十メートルを超える大型なヴィランだろうと一撃で仕留め、殴り飛ばす。

 

 

プロヒーローも驚く功績を残しながらも、しかし讃えられることはなかった。

 

 

そんな少年は、偶然に助けた少年を相棒に、ヒーローになるべく、とある高校の入学試験を受けようとしていた。

 

 

「ジェノス! このままじゃ()()の入試に間に合わねーぞ! 急ぐか??」

 

「時間短縮の為に、建物の上を通って行きましょう! 直線距離ならすぐそこです!」

 

「そうか! わかった!」

 

 

最高レベルの偏差値を誇り、多くのヒーローを排出した伝統校ーー雄英高校。

 

疾走する禿頭の少年。その名を、埼玉(サイタマ) 一磨(カズマ)といった。

 

これは、彼がヒーローになるまでの物語である。

 

 



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