感情代行 (レオリオ)
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-23歳女性の場合(発端)-

「感情代行?」

「えぇ、そうです。あなたの心のストレスを軽減できます」


仕事の帰り道、変なビラ配りの男に声をかけられた。

男は推定30後半くらいだろうか、春先で暖かいというのに
黒くて大きめのコートを着ていて少し怪しい感じだった。

「私達は特殊な訓練を受けております。他人の感情を自分の感情とリンクさせることができます」


話を聞けば聞くほど怪しい。


「つまり、あなたが抱く嫌な感情やストレスを私達が代わりに請け負うことができ、あなたのストレス等を軽減させることができるのです」

「へぇ、それは少しいいかもね」

「よろしければ詳しい話を、あちらに事務所がございますので」


最近、仕事のストレスが溜まっていた私は騙されたと思い、ついていく事にした。




「こちらへどうぞ」

男に案内され、ついていくとそこは雑居ビルの一室、窓が一つで薄暗く
机が一つに椅子が二つ対面するように並べてあり、その端に古そうなパソコンが一台置いてあるだけだった。


「お手数ですが、まずこちらへご記入ください」


男はそう言うと一枚の紙を渡してきた。

そこには自分の年齢、年収等、こと細かな自分のプロフィールを書く欄が並んでいた。

「裏面に個人情報に対する規約を設けております、ご確認ください」


紙をひっくり返してみると、これまた細かな文字でよく見るような細かな規約が書かれていた。


「あのぅ、具体的にどのような感じになるんでしょうか…?」

「具体的に、と申しますと?」

男は肩透かしを食らったかのような
とぼけた表情で聞き返してきた。


「えーっと…私がどうしたらどうなる、とか?」

「あぁ、それでしたらご安心ください。一定期間のプランを立てて頂くことになりますが、その間はこちらであなたの感情を管理、自動でコントロールするような形になります」

「自動で…?」

「例えば期間中、あなたが会社でストレスを抱えるような事態になったとします。そのようなストレスがこちらへデータとして送られ、そのストレスを代行、つまり、あなたの代わりに受ける。という事です」

「…私が受けたストレスを代行してもらえる?ということは、私はそのストレスを受けなくて済む。という事ですよね?」

「はい、その通りです。えー、失礼ですが23歳女性のあなたの場合、一ヶ月30000円のコースとさせていただきますのが通常です」

「え、30000円…?」

「いえ、ですが今回は特別に一ヶ月無料でお試し期間をご用意させていただきますので、その一ヶ月で不要だと判断なされた場合は料金は頂きませんので」





ここで、ほっとしてしまった私は思い切って
その代行をお願いすることにした。

悪徳商売ではなさそうだ、と思った私は
ひどく後悔することになる。



ピピピピッ!ピピピピッ!

 

「んぅ…もう朝か…」

 

重たい瞼を持ち上げ、目を覚ました。

1人暮らしをしている私は朝が弱く、目覚ましなしには起きられない。

 

パジャマのまま台所へ向かい、朝食を準備する。

朝は簡単にトーストとサラダのみ、手の込んだ朝食を作る気にもならない。

 

なにより、これから仕事に向かうと思うと

なにもかもやる気をなくすのだ。

 

 

 

 

トーストをかじりながら昨日の事を思い出した。

 

「そういえば今日から感情代行してもらうんだっけ…」

 

口に出して言ってみても返事は返ってこず、なんだか虚しくなった。

 

 

 

朝食を食べ終えるとスーツに着替え、会社へ向かった。

 

会社へは徒歩で行く…ことにしている。

電車もバスも人が多くて嫌になるからだ。

 

40分も歩くと会社のビルが見えてきた。

そこまで大きくもない中小企業である勤め先は

わりと街中にあり、朝から車も人も多かった。

 

 

「おはようございます」

 

自分の部署の一室に入ると、返事があるかわからない挨拶をする。

 

「おはよー」

 

「おはようございます」

 

 

期待していない返事が返ってくる。

 

そのまま自分のデスクへと座り、今日の仕事内容を確認。

 

「はぁ…」

 

思わずため息が出る。

どう考えても今日の定時には終わらない。

残業確定であった。

 

「さっそくストレスだ……あ、忘れてた」

 

昨日の感情代行にもらった腕時計をつけるのを忘れていた。

 

 

「この腕時計型の通信機をつけておいてください。そうすればあなたのストレス等の感情を察知し、我々が代行する事ができます」

 

 

そういえばそんなことを言われたんだった。

とりあえずつけておこう。

 

そして今日も仕事が始まった。

 

 

 

 

 

 

12時のチャイムが鳴る。お昼だ。

お弁当を作らない私は社員食堂へ向かうことにした。

 

「あれ?今日も食堂?ご一緒してもいいかな?」

 

「え、えぇ、どうぞ」

 

 

嫌いな上司だ。めんどくさい。

できれば喋りたくない。

 

と、思った。

 

 

 

 

でも、何故か

 

嫌ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

プルルッ、プルルッ、ガチャ!

「はい、こちら感情代行…」

 

「あ、昨日の私です!」

 

本当に感情代行が成功したのか気になり、お昼もそこそこに

感情代行に電話をかけていた。

 

 

「あ、どうも、さっそくストレスを察知しましてね、こちらで代行しておきました。ストレスはいかがですか?」

 

「いえ!全くストレスはありません!本当だったんですね!」

 

「はっはっは!やっと信じて頂けましたか。その腕時計をつけている限り、あなたの感情を代行いたしますので…」

 

「はい!ありがとうございます!」

 

 

そういうと私は仕事に戻るためにすぐに電話を切った。

 

本当に感情代行の効果があった!すごい!

 

 

しかし、それだけだった。

 

 

 

 

 

17:30、定時の時間だ。

朝から残業確定だと思っていた仕事も順調に片付き

なんとか定時に帰ることができそうだ。

 

 

「お疲れ様です、今日は定時で帰れそうですね。ご飯でも行きませんか?」

 

「あ、えっ、いいよ!もちろん!」

 

 

密かに好意を寄せている、イケメンの先輩にご飯に誘われた!

嬉しい!すごく嬉しい!

 

はずなのに

 

 

 

食事の最中、何を話したのかよく覚えていない。

記憶に残らないということは大したことは話していないということか、楽しくなかったか…

 

虚無感が私を襲った。

 

 

 

 

 

 

そして、あっという間に一ヶ月は過ぎて行った。

 

毎日、ストレスを感じず、楽しくもなんともなく

普通の日が毎日続いた。

 

 

プルルッ、プルルッ、ガチャ!

「こちら感情代行でございます。その後はいかがでしょうか?」

 

今日でちょうど一ヶ月、感情代行から電話がかかってきた。

 

「あぁ、どうも」

 

「ストレスの方は大丈夫でしょうか?」

 

「ええ、毎日ストレスはありません」

 

「そうですか、それは良かったです!ところで本日でお試し期間の一ヶ月が終わるのですが、ここで終了にするなら明日までに腕時計を返しにきて頂き、そのまま返して頂けなければ自動的に30000円のコースへ、となりますがよろしいでしょうか?」

 

「あ、はい、わかりました」

 

「ではまた、ご利用ありがとうございます」

 

 

電話はぷつりと切れた。

 

今の私は、状況を理解するには感情が足りなかった。

腕時計はつけたままだった。

 

 

 

次の日、私は普通に仕事をして

普通に帰宅し、普通に1日を終えた。

 

感情代行は二ヶ月目に突入した。

 




それから、私は淡々と毎日を過ごした。
辛くもなくストレスを感じない、快適な生活。

しかし、楽しさも感じない。

私は薄々気付いていた。


感情代行は全ての感情を代行するのだ、と。


でも腕時計は外せなかった。

これを外すと、またストレスと戦う毎日が始まる。


そう思うと怖くて外せなかった。


快適で楽しくない生活

ストレスを楽しさもある生活


私が望んだのは………


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