偽りのない心 ―ネメシア― (とある団長殿)
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1話

 「我々が暮らす花の世界(スプリングガーデン)はかつて、全ての生命の源泉であり大地として生きる巨大な花――≪世界花≫の恩恵を受け、繁栄していた世界でした。

 大地を伝う清らかな川……草木が淑やかに生い茂り、人々は歌い、学び、働き、日々の暮らしを営んでいたのです」

 

 教卓にてどこか遠い過去の思い出を振り返るかのように生徒たちに語り掛ける眼鏡の女性の名はヤグルマギク。≪教育≫の花言葉を持つ彼女は花の世界(スプリングガーデン)の中心部に位置する都市国家≪リリィウッド≫に存在する騎士学校にて教鞭を振るう教師であった。

 どこか懐かしむように、騎士見習いである生徒たちに語りかけていたヤグルマギクであったが、次の瞬間、その瞳が伏せられ、声のトーンが暗いものへと変わる。

 

 「しかし悠久の理想郷と信じられたこの世界は千年前の悲劇によって修羅の戦地と化しました。この世界の外側にあるとされる≪死にゆく世界≫より現れた悪の支配者が平和に暮らす虫たちを害虫たる好戦的な存在に変えてしまったからです。

 好戦的な害虫は人々を襲い、その豊かな営みを侵食していきました……」

 

 しかし、人々は諦めなかったのです、と顔を上げたヤグルマギクは力強く言葉を続ける。

 

 「千年前のこの脅威に立ち向かったのが、この花の世界(スプリングガーデン)を愛し、平和を守り続けてきた騎士――花騎士(フラワーナイト)たちであり、彼女たちは当時の騎士団長であり後に勇者と謳われる一人の男に導かれ、害虫たちの進軍を押し返しました」

 

 もっともその勇者が存在していた頃の文献は現在にはほとんど残されておらず、故にその勇者といわれた男の名前も、どのような人物であったかも定かではないのですが――とそこまで言葉を続けたところでヤグルマギクはある一人の生徒の存在に気付いた。

 皆が真剣に授業に臨む中、一人窓際最前列の席にて机に突っ伏し、幸せそうな寝息を立てる彼女の姿を。午後のあたたかな日差しの下、その透き通るような白みがかった紫色の髪が柔らかに光る。

 またですか――いつも通りのその光景にヤグルマギクは内心やれやれと溜息を吐きつつも、現在進行形で机に水たまりを生み出している彼女の席の元へ向かうと。

 

 「あなたはいつもいつも……ネメシアさんッ!!」

 

 バンッ!! と思い切り机を引っ叩いた。

 ネメシアと呼ばれた彼女は尚もすやすやと眠り続けたが……ヤグルマギクが出席簿をその頭上に掲げた途端、ビクッ! とその華奢な背中を痙攣させ、もっそりと起き上った。

 

 「あ~、先生おはよ~」

 

 じゅるりと涎をすすり、目じりを擦りながらマイペースに告げたネメシアの言葉にヤグルマギクのこめかみにピシっ、と筋が浮かぶ。と同時に頭の冷静な部分ではこのように思っていた。

 

 (まただわ……この子、自分に対して迫る危機にいち早く反応してくる)

 

 危機察知能力が高いというべきなのだろうか、このネメシアという名の少女は机を引っ叩く程度のモノでは起きてくれないが、今、主席簿を頭上に掲げ叩こうとした瞬間のように、ネメシア自身に被害が及ぶ場合はいち早く反応してくるのだ。

 

 (これは才能があるというべきなのでしょうか……)

 

 強者に必要なモノとは純粋な戦闘能力はもちろん、一種の臆病さともとれる危機管理能力が重要である。特に部隊を率いるリーダーとしては危機管理能力というものは戦闘能力以上に必要なところがあり――。

 そんな思考を凝らすヤグルマギクをよそに先生が何も言ってこないことをいいことにネメシアは再び机に突っ伏した。

 

 「じゃあ、またお休みなさい~」

 「……」

 

 ピクピクと目じりをわななかせたヤグルマギクは、一瞬でも才能があるのかもと思った自分が馬鹿だったと思いながらも出席簿を振りかぶり――。

 

 「コラっ、ネメシアさんっ!!!」

 

 バシーン! と心地のよい衝撃音が教室に響き渡るに時間は掛からなかった。

 

 +++

 

 ≪偽りのない心≫、≪正直≫。

 そのような花言葉を持つ騎士見習い――ネメシアはそんな花言葉どおりの――いい意味でも悪い意味でも表裏のない生徒であった。

 たとえば騎士学校においても自分に興味のある授業――主に戦闘術に関する授業には積極的に参加する傾向があるが、自分に興味のない授業――特にこの花の世界(スプリングガーデン)の歴史についての授業では机に突っ伏す光景が常であった。

 本人曰く「害虫と戦うのに歴史なんか学んで何か役に立つの?」とのこと。

 花騎士(フラワーナイト)は己が名前に込められた花言葉に誇りを持ち、騎士団の伝統と典範を重んじそれに則る存在である。害虫を倒す力はもちろんのこと、騎士団の伝統を学ぶ上で花の世界(スプリングガーデン)の歴史を学ぶことは当然のものとされてきた。

 そんな中、そんな歴史の授業を無駄と切り捨てるネメシアは言ってしまうならば異端であり、周囲から浮いた存在であった。しかもその言葉が嫌味や悪気があるというわけではなく本心から思っている言葉なのだからなおさらたちが悪い。

 授業中に教師の目の前で二度寝という見事なまでな舐めプレイを披露したネメシアは当然のことながら教師であるヤグルマギクより罰を言い渡された。

 

 「ちぇ~。ちょっと授業中に寝ちゃっただけなのに厳しすぎるんだよ、先生は。だからいつまで経っても結婚できないんだよ」

 

 ぶつくさ文句を言いながらもネメシアは与えられた罰である騎士団学校に植えられた花壇の雑草取りを黙々と行っていた。≪独身生活≫の花言葉を持つヤグルマギクからしてみれば今のネメシアの言葉は決して笑えない冗談であるが、当のネメシアはそんなヤグルマギクの花言葉の意味など微塵たりとも考えず、ただそう思ったからありのままに言っただけだった。

 

 「それにしても雑草多いねぇ」

 

 こんもりと盛り上がった雑草の小山を眺めてふう、とため息を一つ。

 この騎士団学校は色とりどりの花が植えられた花壇が至る所に存在している。一応、毎日手入れはされているものの、それでも太くたくましい生命力を持つ雑草の勢いは留まることをしらない。

 ネメシアはそんな学校の全て花壇の手入れを罰として言い渡されたというわけだが、これだけの花壇の量だ、このままのペースでは今日中には終わらないであろう。

 

 (あーどうしよう。もうこのまま逃げちゃおうかなぁ……)

 

 そして逃げ出した場合のヤグルマギクの剣幕を想像して、面倒だけどここで逃げたらもっと面倒なことになるという判断を下し、渋々再び作業に取り掛かる。

 

 (せめてもう一人、誰か手伝ってくれる人がいれば――お?)

 

 そこに来て、作業を行っているネメシアの傍を一人の生徒が通りかかった。彼女が自分と同じクラスの人物であるということに気付いたネメシアは作業を中断すると教科書に顔をうづめながらひっそりと歩く彼女に声をかける。

 

 「あ、クロユリちゃん! ちょうどいいところに来た!」

 「っ!?」

 

 ネメシアに声を掛けられ、クロユリは教科書に顔をうずめたままビクッ! と身体を痙攣させる。

 黒い瞳に艶やかな黒髪を後ろで二つのおさげにした少女――クロユリはネメシアとは様々な意味で対極な人物だった。

 まずその性格。いい意味でも悪い意味でも目立つネメシアとクラスの中でも隅でひっそりと目立たないクロユリ。容姿も白紫と漆黒と全くの逆である。ちなみに成績に関してみても……全ての科目に対して優秀なクロユリに対して教科によってムラがあるネメシア……真逆である。

 

 「えっと……なに?」

 

 おそるおそると、怯えたようにこちらを見つめてくるクロユリに対し、ネメシアはそんなクロユリの様子に気づいた様子もなく、あっけらかんに口を開く。

 

 「いやー、クロユリちゃん、今暇かなーって。暇だったらもしよかったら手伝ってよ。先生に言いつけられた草むしりの罰、このままだと終わらないんだよー」

 「え……その……」

 

 教科書を持ったまま、どうすればいいかわからないかのようにクロユリはしどろもどろに呟く。授業中に寝ていたのだからこの罰は自業自得であるというのは自明の理なのだが、それを言葉に出せないクロユリであった。

 そんなクロユリをいいことにネメシアはズイズイと近づいて手を合わせて懇願する。

 

 「ねっ、お願い!」

 「う……うん、わかった」

 

 ネメシアの勢いに押されたのか、クロユリはつい頷いていしまう。

 

 「ありがとー! お礼に帰りに『ミツバチ屋』の蜂蜜ケーキ奢るからさ!」

 

 にっこりと笑ってそう言ったネメシアに、クロユリは戸惑ったかのような眼差しをぎこちなく返したのだった。

 



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2話

 ――私は呪われているの……?

 ≪世界花≫よりクロユリという花の名を冠された少女は、己が持つ花言葉の意味を知り、そんな疑問を抱いた。

 クロユリにとって幸いだったのは、彼女の両親はそんな≪呪い≫の花言葉を持つクロユリを自分たちの子供としてちゃんと受け入れ、目一杯の愛情を注いでくれたことだった。

 しかしクロユリの故郷は害虫が原因による紛争に巻き込まれ壊滅。紛争を避けるために避難するその道中には自分に愛情を注いでくれた両親も害虫に殺されてしまった。唯一生き延びたのはクロユリだけだった。

 頼りにできる宛もいなかったクロユリはリリィウッドの騎士学校に引き取られた。世界花より花の名を冠された少女は皆、各国家に存在する全寮制の騎士学校に通わせるのが習わしだったため、たとえクロユリの故郷が無事だったとしてもどの道彼女は騎士学校に通う運命だったのだが。

 騎士学校に入学したクロユリは周囲から孤立していた。悲しいことだがこの甘い花の香りに包まれた花の世界(フラワーガーデン)にも差別というものが存在しており、≪呪い≫の花言葉を持つクロユリは、そんな不吉な花言葉から周囲の生徒からも遠ざけられていたのだ。一つの村が壊滅した中、一人生き延びていたということもそのことを助長したのかもしれない。

 そしてそんな周囲の対応を見ていれば嫌でも理解できてしまう。自分はやはり≪クロユリ≫なのだと。呪われている存在なのだと。

 だからクロユリは騎士学校に入学してからこれまで、自分から誰かに近づいていくということをしなかった。

 自分は呪われているから。

 自分の存在が他人を不幸にしてしまうから。

 自分の中にある寂しさを押し込めて。

 ずっとずっと一人で。

 剣を振るってきた。

 ネメシアは騎士学校に入学してきた当初から目立ってきた少女だった。

 いい意味でも悪い意味でも表裏のないその性格。誰に対してでも物怖じしないその性格。

 自分の理念を曲げることが大嫌いで、花の世界(フラワーガーデン)の歴史を無駄といって、実技授業での披露回復のために授業中に爆睡している生徒など彼女くらいのものだろう。

 

 「……」

 

 そんな自分と対極の存在であるネメシアと自分が今、ベンチに並んで腰掛けている。その光景がクロユリにはどうにも現実離れした光景に見えて、思わず言葉を失ってしまう。

 ネメシアに声をかけられ、なし崩し的にヤグルマギクから与えられた彼女の罰を手伝うことになってしまったクロユリ。あれからおよそ二時間あまりが経過し、夕日が地平線の向こうに沈みかかったその頃、草むしりを終えたクロユリはネメシアに連れられ、騎士学校を出た。道中にあるリリィウッドの人気洋菓子店である≪ミツバチ屋≫にて名物である蜂蜜ケーキを二つ買い、今に至るという訳だ。

 そんなクロユリをよそに紙袋から≪ミツバチ屋≫の蜂蜜ケーキを取り出したネメシアは、とろーりと蜂蜜クリームがたっぷりかかったケーキをクロユリに差し出す。

 

 「はい、これ」

 「え……?」

 「約束したじゃん、草むしり手伝ってくれたらケーキ奢るって」

 「で……でも……」

 

 こんな風に誰かと話すこと自体、久々だったクロユリは差し出されたケーキとネメシアをしどろもどろに交互に見つめる。

 そんなクロユリを見たネメシアはムッ、と目を細めると次の瞬間強引にクロユリの口にケーキを突っ込む。

 

 「むぐっ!?」

 

 途端、口の中に広がる蜂蜜と生クリームの甘ったるい風味。突然のネメシアの行動に目を見開きながらもクロユリは反射的にモグモグと咀嚼してしまう。

 何をする! そんな視線を向けるとそこにはにっこりと無邪気な笑顔を浮かべたネメシアの顔があった。

 

 「美味しい?」

 「う……うん」

 「そう、よかった」

 

 もう一度微笑んだネメシアは、自分もまた買っていた蜂蜜ケーキを大口開けて、かぶりつく。

 

 「うーん、美味しい! やっぱミツバチ屋の蜂蜜ケーキは定期的に食べないとダメだよねーっていうか、食べないと人生の半分は損してるよ」

 「……」

 

 幸せそうにケーキを頬張る彼女を見て、お腹を刺激されたクロユリは、手の中に残ったケーキをもう一口かじってみる。そんなクロユリを見て、ネメシアは嬉しそうに微笑む。

 

 「そうそう、それでいいんだよ。クロユリのお陰で随分助かっちゃったんだから。お礼を受け取ってくれないとね。……じゃないとこっちの立場がなくなっちゃうっていうかなんというか……」

 「……」

 

 なんの偽りもない、なんの悪意もない笑顔を向けられたのはいったい何時ぶりのことだろう。

 向こうはただ草むしりのお礼をしているだけかもしれない。それでもクロユリはこんなにも純粋な笑顔を向けられたことがなかった。

 そう、害虫に両親を殺されたあの時からは――。

 

 「……ねぇ、アレ」

 「……クロユリさんとネメシアさん? どうしてあの二人が一緒に?」

 「……ネメシアさんも物好きよねー。あの子(クロユリ)と一緒にいたらこっちまで呪われちゃうかもしれないのに」

 

 風に乗ってどこからともなく聞こえてきたその言葉にクロユリは目を見開く。はっ、と声のした方を見るとそこには見覚えのある騎士学校の制服に身を包んだ三人組の生徒たちの姿があった。

 

 「……あっ、ヤバ! 目があった!」

 「……は、はやく行こ!」

 

 クロユリと目が合った途端、何事もなかったかのように――けれどもどこか慌ただしくその場を逃げるように立ち去っていく彼女たちを尻目にクロユリは項垂れる。

 同時に自分と同じ場所にいることでこの隣に座る少女にも迷惑をかけてしまうのではないか? ――そんな思考が脳裏を過ぎったその瞬間、クロユリは半ば反射的にベンチから立ち上がっていた。

 

 「ん? ほうふぃふぁほ?」

 

 ケーキを頬張ったままきょとんとこちらを見てくるネメシアに申し訳なくて、クロユリは思わず視線を外してしまう。

 

 「……ケーキありがとう。だけど、もう私には近寄らないほうがいいよ」

 

 どうにかそれだけを言って、クロユリはネメシアの反応を見ることなく駆け出す。

 そう……自分の名は≪クロユリ≫。≪呪い≫の花言葉を持つ花騎士見習い。

 どこまで行っても自分は……周りを不幸にすることしかできないのだ。

 その事実が悲しくて――寂しくて。

 

 「ウグッ……」

 

 嗚咽が漏れそうになるのを堪えながら、茜色に染まるリリィウッドの街並を、逃げるようにクロユリはいつまでも駆け続けるのだった。

 



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