東方日々眺め (夜月蓮)
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第一話 伝統ブン屋と阿礼の子
とある夏の昼下がり。稗田邸の前に一人(一匹?)の妖怪の姿があった。
「あやややや。この暑いのに随分と待たせてくれますね」
その妖怪こと鴉天狗の射命丸文は、先刻から門前で応対している稗田家の使用人にしっかりと聞こえるようため息をつく。
「大変お待たせして申し訳ないのですが、貴女様は人里でよく知られているとはいえ妖怪ですから」
「まあ、たしかに阿求さんとは道端で話すことや、茶店などで取材することはあっても家をお訪ねするのは初めてですし、私は色々な記事を書いてますから警戒されるのも分かりますがね・・・」
文の言葉に使用人は明らかな敵意を向けていた。その瞳には明確に「分かっているなら帰れ」という意思がこめられている。
「おお怖い怖い。ですが、こちらとしても阿求さんに是非ともやってもらいたい仕事がありますから」
その時、文の言葉が終わるのを狙ったかのようなタイミングで門が開き、別の使用人が姿を現した。
「主人の許可が下りました。どうぞお入りくださいませ」
「あやや。これはどうも。では、失礼しますね」
未だに文を睨みつける使用人に一礼し、二人は門の中に入っていく。
「申し訳ありませんね射命丸様。彼女も悪い者ではないのですが、なにしろ根っからの妖怪嫌いでして」
「いえいえ、こちらとしては気にしてませんから」
稗田邸では人間や妖怪などの種族関係なしに、正当な理由が存在すれば稗田家が代々編纂したり、集めてきた蔵書(代々の御阿礼の子が編纂している幻想郷縁起や、幻想郷や外の世界などの資料)を一般公開している。それらの資料を閲覧する際には、身元のチェックをした上で通される。訪ねて来たのが人間の場合はすぐに通されるのが普通なのだが、妖怪の場合は少々待たされることが多い。比較的に危険度が低い妖怪(森近霖之助など)はすぐに通されることも多いが、風見幽香などの危険度が高い妖怪が訪ねてきた場合は、万が一に備えて霊夢などの妖怪退治の専門家を呼んだ上で迎え入れることになる。
今回の文の訪問は、蔵書の閲覧ではなく、阿求への面会を求めるものである。そのため常よりも待ち時間が長くなったのであった。
数分後、使用人に連れられて歩いていた文は一つの部屋の前に居た。
「こちらに阿求様がいらっしゃいます。では、ごゆっくり」
そう言うと使用人は廊下の奥へと消えていった。
「さて、阿求さん。入ってもよろしいでしょうか?」
使用人の姿が見えなくなった後、文は襖の向こう側に居るであろう人物に声をかける。
「ええ。どうぞお入りください」
部屋の中から返答があった数秒後。襖は左右に開かれる。
「このたびは、突然の訪問――真、不躾ながら、時間を割いていただき――ありがとうございます」
「あら、普段人里でよく言葉を交わし、お茶も楽しむ仲ですのに、今日は随分と」
普段からは想像もできない文の態度に阿求は少々困惑気味だ。
「いえ、普段の道端での取材ならともかく、今回は正式に仕事の依頼に来たのですから」
そんな文の態度と言葉に、阿求の頬は引き攣り、口角が上がり、遂には堪えきれなくなったのか笑い出した。
「ふ、ふふふ。あははははは! く、苦しい! あ、文さんがそんな。あはははは!」
「失礼な! いくら私でも礼儀を知らないわけじゃありませんよ?」
阿求の笑いように流石の文も恥ずかしくなったらしく、言葉をいつもの調子に戻し反論を試みるが、阿求は目に涙さえ浮かべながら笑っている。
「あ、あの。阿求さん? 大丈夫ですか?」
流石に心配になった文が声をかけるが、完全にツボに入ったらしく、その後数分間阿求の笑いは止まらなかった。
「さて、今日は家の者が文さんに失礼をしたそうで、まずそれについてお詫びを」
「いや、あの急に復活されて真面目にお詫びされても困るのですが」
阿求は、笑いが止まるとすぐに襟を正して真面目モードに入っていた。
「それに、記者という仕事は嫌われるのも仕事のうちですから。なにより私は妖怪ですし~」
「とんでもないです! 文さんは比較的に人里の人間からは好かれています。そもそもは、私が門前での応対役に彼女を選んだのが問題ですから!」
文は、それこそまったく気にしていないようであるが、阿求の方は普段の毒舌が完全に鳴りを潜め、むしろそのまま延々謝り続けそうである。
というか、完全に冷静さを失っている。
――あやや~。このままでは埒が明きませんね。
「阿求さん。こちらとしてはまったく気にしていませんよ。それよりも、私としてはあまり時間を使いたくはないのですよ。ですので今回の訪問の目的について話したいのですが」
「え、あ、ああ。そうですよね。失礼しました」
文の言葉に阿求は少し冷静さを取り戻したらしい。だが、先刻の自分の状態を思い出しているのか赤面しながら言葉を返した。
――あ~! 私としたことが、よりにもよって文さんの前でお腹を抱えて大笑いしてしまったり、冷静さを失うなんて・・・。
「てっあれ? なんで私こんな文さんのこととなると?」
「あ、あの~。阿求さん? 聞こえてます? 仕事の話をですね・・・」
一旦は冷静さを取り戻した阿求だったが、今度は思考の海に沈んでしまったらしく文の言葉は届いていない。
この後、阿求が普通に会話可能な状態に戻るまで、文は使用人が持ってきたお茶とお菓子を楽しみつつ待つことになるのだった。
阿求は十分程ずっと思考の海に沈んだ後、ようやく本当に落ち着き文との会談に移っていた。
「単刀直入に申し上げますが、今回は阿求さんに文々。新聞に協力してもらいたいのです」
「代筆ならお断りしますが」
「いえ、流石にそこまでは切羽詰ってはいませんよ。私はまだまだ書くことを辞めるつもりはありませんから。ですが、新聞に新たな風を吹かせることも必要だと思いましてね~」
「なるほど、新聞に新たな風をですか」
力説する文を見て阿求は微かに考え込む。
「まあ、一先ずは話を聞きましょう。私にやってもらいたい仕事とは?」
「今度新聞の一角に、私以外の人物に書いてもらうコーナーを作ろうと考えてまして」
「ほう、つまりはそこを私に書いてほしいと?」
文と阿求の間に一瞬緊張が生まれる。
「残念ですがお受けできませんね」
阿求は文の熱のこもった言葉をばっさりと切り捨てる。
「そんなぁ。私と貴女の仲じゃないですかぁ」
「仲といっても、時折お茶を楽しむ程度でしょうに」
――本当はもう少し進んだ仲に・・・。
「って! 私は一体何を考えて」
「? 阿求さん?」
「い、いえなんでもありません。続きをどうぞ」
阿求の態度に首を傾げながらも、文は話を再開する。
「阿求さんは人間の有力者であると同時に、代々御阿礼の子として幻想郷縁起を編纂する者として妖怪からもよく知られています。その阿求さんが寄稿してくれるとなれば、当然購読者数の増加が期待されます。ですが、なにも一面書けとはいってませんよ。それだとまるで阿求さんに新聞が乗っ取られそうですし」
悪戯っぽい笑みを浮かべる文を阿求は慎重に眺めている。
――まあ確かに、そこまで忙しいわけではないし。そしに、彼女が私を選んだのは散々悩んだ末の結果でしょうし。
「貴女が私を選んだ理由、それは仕方がない結果だったのでしょう。同じく書物を書いている上白沢先生は少し頭が固いところがありますし、魔女達は自分のために書いているにすぎないし、金をチラつかせたら飛びついてくるであろう巫女さんは文章力に期待できない、そしてライバルの鴉天狗に頼むのは論外です」
そこまでで阿求は言葉を切り文の様子を観察する。
「ええ、そうですよ。私も色々な選択肢を視野に入れましたが、普通の小説家の先生ではインパクトがない。かといって他の方々には期待できない。手詰まりの状況で頭に浮かんだのが貴女だった」
全てを見透かされていることに気が付いた文からは諦めの気配が漂っている。
「今日は、わざわざお時間を取っていただきありがとうございます。今日はこれで失礼させていただきます」
「待ってください。誰も仕事を受けないと言ってませんよ?」
阿求が、今まさに帰らんとしている文に背中に声をかけると、文が慌てて振り返る。
「え? ほ、本当ですか!?」
文は阿求の言葉が信じられないようで、その顔は驚愕に染まっている。
「私が今まで貴女からの取材や、貴女とのお喋りで嘘をついたことがありますか?」
「あ、ありがとうございます!」
文の顔がぱぁっと輝き阿求に抱きつく。
「〇×△□!?」
――あわわわわわ! あ、文さんの顔がこんなに近くに///
「あ! こ、これは失礼しました! す、すぐに離れますから!」
阿求の赤面した顔が至近距離にあることに気が付いた文は、すぐに飛びのいた。
「も、もう少し続けてもよかったのに・・・なんて」
「? 阿求さん? 何か言いました?」
「い、いえ何でもありません。それで、私はどのくらいの文章を、どのくらいの頻度で書けばいいのです?」
文は、そうでしたそうでしたうっかりしてました、と可愛らしさを装って頭を小突く。
「文々。新聞は、大体週に一回のペースで発行しています(これは通常の新聞のみで、号外などは文が特ダネを仕入れ次第に発行される)なので阿求さんにも同じく週に一本書いていただきたい」
――週に一本。それなら私自身の仕事の邪魔にならずに書けそうね。
「分かりました。それで、分量と内容は?」
「内容は阿求さんに一任します。小説でも批評でも、なんなら阿求さんの私生活でも構いませんよ。要はマスが埋まっていればいいのです。分量ですが二〇×二〇文字、つまり四〇〇字でお願いします」
文の言葉を聞き終わった阿求は、少し考え込んでいたがすぐに顔を上げた。
「最後ですが、〆切は何曜日の何時頃になりますか?」
「あやや~。そうですね。私が記事を印刷所に送るのが水曜の夜の七時頃ですから、こちらには水曜日の午後五時頃に伺います」
「分かりました。そのお話を正式に承諾しましょう。それでは、私の文章に批判が集まるか、私の寿命が訪れるその日まで、長いお付き合いができますよう」
「ええ、こちらこそよろしくお願いしますね。稗田阿求先生」
夕日が差し込む部屋の中、二人は笑顔でがっちりと握手をするのだった。
「ところで文さん」
「あや? 何でしょうか」
「稗田先生っていうのはやめてください。恥ずかしいですから」
「あやや。では、なんとお呼びしましょうか?」
「そうですね、気軽に阿求と呼んで下さい。私の方も文と呼びますから」
――キャー! どうしよう、私凄いこと言っちゃったー!!
「ええ、では阿求。これからもよろしく」
「こちらこそよ。文」
――やった! 文と呼び捨てできる関係になれた! これで一歩文に近づけたよね///
言葉の上では平静を装っている阿求だが、その表情は緩みまくっている。
「阿求? どうかしましたか。顔が赤いですし、言葉遣いも少し変わって」
「ああ、気にしないで。言葉遣いはこれが私の素だから。それに、文とはもっと仲良くなりたいから」
「あやや。つまり、私も阿求の親しい友人になれたということですか。これは嬉しいですね~」
その後も話は弾み、結局契約書が交わされたのは夜も更けた頃であった。そして、遠慮する文を阿求が半ば無理やり泊まらせたのである。文は翌日山に戻ると千里眼で見ていた椛と、その報告を聞いて待っていたはたてに散々からかわれるのだった。
前作を放置して新作スタートですw 今作は一切のオリキャラなしで東方キャラ達の日常を描いていきます。
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第二話 天狗と河童
文々。新聞の新聞の印刷所は、文の自宅兼編集室の隣に位置している。そこでは週に一回(ただし、号外が発行される際はこの限りではない)文が印刷担当の山伏天狗達を叱咤激励しながら印刷作業を行っている。
かつての文々。新聞は、天狗仲間や一部の妖怪にしか読まれなかった弱小新聞だったが、人間向けの記事を書き始めたり、号外のばら撒き作戦が功を奏したのか購読者は確実に増えていた。そこにきての先日ばら撒かれた号外の大見出しが、『九代目のサヴァンこと稗田阿求が文々。新聞で連載決定!』だったこともあり、購読者は右肩上がりである。
「さー! 山伏天狗の皆さん。今日はいよいよ阿求の連載が始まる日ですからね! 印刷ミスなんかは絶対にしないでくださいよ?」
「「了解です!!」」
文の熱のこもった言葉を受けた山伏天狗達は気合を入れなおし作業に邁進する。
午後五時稗田邸前。
阿求が書き上がった原稿を抱え門の前に出てきてから数分、空から一人の鴉天狗が時間通りに舞い降りてきた。
「時間ぴったりに現れるとは律儀ね」
「あやや~。本当はもう少し早めに着くはずだったのですが、色々と立て込みましてね」
文はよほど急いできたようで、汗でびっしょりと濡れた髪の毛をかきあげながら申し訳なさそうな顔だ。
「別に時間に遅れたわけではないだから。あ、これが原稿よ」
そう言いながら阿求は文に原稿が入った封筒を手渡す。
「ありがとうございます。どれどれ、中身はどんなもんでしょうか?」
文は最初こそ楽しげに目を通していたが、徐々にその顔は険しいものに変わっていく。
「阿求? これはどういうつもりですか?」
「どういうつもりというと? 私は貴女に言われた通りに文字数を守ってマスを埋めたわ」
幻想郷の妖怪の中でも上位の力を持つ文に睨まれているにも関わらず阿求は涼しい顔だ。
「いや、確かに内容は何でもいいとはいいましたけど・・・」
「けど?」
「だからって何で『知られざる射命丸文の私生活』なんですか!?」
文は興奮して我を忘れているのか、往来の目も気にせず絶叫している。
「あら、でも読者の皆さんは気になると思うわよ。貴女の普段の姿」
「私の私生活なら、たまに余白が出来た時にかいてますよ」
にが虫を噛み潰したような顔をして、文は阿求に反論を試みる。
「ええ、私も読者だからよく知ってるわ。『清く正しい射命丸の日々』でしょう?」
「そこで私のことは散々書いてますよ」
「そうね。でも私が書きたいのは貴女の清く正しくない側面よ」
稗田阿求の死後に文はこう述懐している。「あれは獲物を見つけた悪魔の顔でした」と。
「私の新聞に、私に関する悪い記事掲載しようとは、中々いい度胸ですね」
「あら、別に私は貴女を誹謗中傷するような文章を書いたつもりはないし、今後も書く予定はない」
「では、一体何を書くつもりなのですか」
文の問いに阿求はしばし考えた後、満面の笑みをもって答える。
「そもそもとして、文は人里に最も近い天狗ではあるけれど、その本当の姿を知る者はほとんど居ない。そして、知らないからこそ貴女にマスゴミなんて評価がされたりする」
「それは、記者なんてものをやってる以上は仕方がないことでしょう」
「貴女はいいかもしれないけれど、私はよくないの。私は幻想郷に人々に貴女の良いところをもっと知ってほしい。貴女にマスゴミなんて評価をする人間が減って欲しいと思うからこそ書くのよ」
阿求は泣き笑いのような必死の表情で文に詰め寄る。
「はあ、これだから人間というものは」
大きく息を吐いて、諦め顔で文は笑う。
「わかりました。この原稿はしかと受け取りました」
文は、嬉しさと怒りが混ざり合ったかのような複雑な笑みを浮かべると、原稿を受け取り踵を返した。
「ありがとう」
阿求が返事を返す前に、文は空の彼方に飛び去っていた。
「流石は幻想郷最速ね」
阿求は小さく笑うと、門を開きその中へと消えていくのだった。
文が阿求から原稿を受け取ってから約二時間後。文々。新聞編集室では、文が記事の推敲を行っていた。すでに七時を過ぎているため、印刷担当の山伏天狗達が急かしてくるのだが、阿求の初連載ということもあり確認作業が普段よりも数段厳しく行われていた。結局新聞が印刷へと回されたのは八時を過ぎた頃だった。そこから活字をセットし、試し刷りをして紙面の確認をして、印刷は八時半から始まった
「皆さん申し訳ありません。ですが、今回はどうしても誤字脱字を出すわけにはいかなかったんです」
「あ、文さん。頭を上げてください。我々としても、今回の新聞の重要性は理解していますから。それに、このくらいの遅れなら我ら山伏天狗が取り戻してみせますよ! そうだろう!」
「「おおーー!!」」
普段は頭を下げることなど滅多にない文が頭を下げたことによって、山伏天狗達の間にメラメラと闘志が湧き上がり気合十分で印刷作業が始まった。
印刷開始から三十分後。印刷所に微かにノックの音が響く。
「お邪魔するぞー。射命丸ー」
訪ねて来たのは河童の河城にとりであった。にとりを含めた河童達は、天狗の新聞に印刷機の整備や活字を卸すことで協力している。
「おおぉーい! 射命丸ぅー!」
にとりは大声で呼びかけるが、印刷機の音が大きい上に、天狗達も大声で会話をしているため気が付く者が居ない。
「おお。河城さんじゃないですか。どうぞ中へ入ってください」
数分が経った頃、入り口に立っているにとりに一人の天狗が気が付き招き入れる。
「文から頼まれてた活字と印刷機の予備の部品を持ってきたんだけど」
「そうでしたか。文さんなら奥の休憩室に居ますからご自由にどうぞ」
「ありがとさん」
にとりは応対した天狗に礼を言うと、休憩室に向かって歩き出す。作業中の天狗達もにとりとは顔馴染みなので気にも留めない。
「休憩室は何処だったかな~。と、ここか」
にとりが扉を開けようとノブに手をかけると同時に、扉は内側に開かれる。
「おや? にとりさんじゃありませんか」
「やあ。流石にお疲れのようだね」
「ええ、新連載の売り込みやなんかで今週は何時になく動き回りましたからね。あ、入ってください。お茶くらいは出しますから」
にとりの言葉に苦笑しながら文は部屋に招き入れる。
「お湯は今しがた沸かしたのがあって、後は確かここにコーヒーが」
「コーヒーとは随分と珍しい物を飲んでるじゃないか」
「ええ、最近紅魔館のレミリアさんから譲ってもらってます。はい、どうぞ」
にとりは「ふーん」と気のない返事を返すとカップに口をつける。
「それで、にとりさんはここに何を?」
「それはないだろう射命丸。君から頼まれてた物を届けに来たのに」
文は顎に手を当てしばし考え込んでいたが、ようやく気が付いたらしく手を打った。
「ああ! そうでしたそうでした。活字と部品を頼んだんでした」
「普段はしっかりしてる射命丸らしくないね」
「あんまり言わないでくださいよ。それだけ忙しかったということです」
文は恥ずかしそうに頬を掻く。
「それで? 何が必要なんだい?」
にとりは、鞄の中を調べながら文に問う。
「えーと。確か『こ』(活字)が無くなりかけてましたね」
「んーと。ほい、『こ』ね」
「ありがとうござい・・・ます?」
受け取った『こ』を眺めていた文は訝しげな声を出す。
「そういえば、最近活字が変わってるようですけど」
文の問いに、にとりはニヤッと笑う。
「流石に気が付いてたか」
「そりゃあそうですよ~」
「とある鍛冶屋から、仕事をやらせてほしいとの打診があってね。試しに作らせてみたら中々にいい仕事をするもんだから、正式に契約したよ」
――妖怪に仕事をやりたいと頼む鍛冶屋? 少なくともそんな酔狂な人物は人里に居なかったと思いますが・・・。
文が訝しみながら活字を眺めると、側面にマークを見つけた。
「なるほど。この唐傘のマークは彼女ですか」
「そうなんだよ。ふらっと博麗神社に行ったらたまたまそいつも居てね」
文はその活字を眺めながら微かに微笑む。
「どうだい射命丸。なんなら全部の活字を唐傘印にしてもいいんだけど?」
「むしろこちらからお願いしますよ。そのうちにお礼に行かないといけませんね」
「定期購読の勧誘の間違いじゃないのかい?」
「ついでに鍛冶屋の広告も出してもらいますか。その分収益も上がりますし」
「そりゃあいいね。稼げるならそれに越したことはない」
そんな話をしながら、二人は呵呵大笑するのだった。
補足説明:にとりと文が話していた『活字』について。
現在では活字といえば本や新聞などの文字を指すことが多いが、これは便宜的に活字と呼んでいるだけであって本来の活字とは違う。
現在の印刷はほとんどが写植やDTPで行われているが、かつては金属で作った活字(金属や木に文字を彫りこみ、それにインクをつけて何度も印刷できるようにしたもの)を使って印刷を行っていた。
作中にでてくる活字は金属製である。これは、一文字一文字作られた判子のようなものであり、それらを組み合わせて一つの文章を形成する。
しかし、科学技術の発展により一々活字を組まずとも印刷が行えるようになったため、現在では活版印刷はほぼ絶滅状態にある。
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