その二つ名で呼ばないで! (フクブチョー)
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外伝 リヴェリア・ストーリー
千のキス1


お気に入り件数1900件突破!
本当にありがとうございます!!
当初、この番外編本当は1500人突破記念として書いていたんですが、作者の執筆が遅く、尚且つ予想以上にお気に入り登録をしてくれる方が多く、キリもいいからと1900件突破記念とさせて頂きます。
以前アンケートを取った番外編、第一弾はリヴェリア。主人公の出生と過去に関わる話です。オリキャラもいます。本編にもいずれ登場予定です。それでは、どうぞ。


リヴェリア・ストーリー

千のキス1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

森の中で風が吹く木々の間をすり抜けて通るその音は少し擦れて高く鳴る。空は青く澄み切っており、森からは鳥の声も聞こえる。自然の美しさが燦然と輝いている。

 

♫〜

 

風に乗ってべつの音が聞こえてくる。これは小川のせせらぎや鳥の鳴き声といった自然の音ではない。規則正しい旋律。明らかに何らかの意思を持って奏でられている音楽であった。

 

風に乗って森中に響き渡るその音色の先には一人の少年がいた。少し開けた、花が咲き誇る野原の真ん中で、少年は音を奏でていた。口元に小さな木造りの笛が添えられている。

 

柔らかに流れるそよ風が少年の艶やかな黒髪を揺らす。非常に美しい少年だ。整った中性的な顔立ちに細身の体躯は一見すると少女のようにさえ見える。もともと美しいモノに性差は出にくい。ハーフエルフたる彼なら尚更だ。

笛を演奏する姿は人というよりまるで妖精や天使のよう。彼の名はリヴィエールという。生まれてからずっとこの森で生きている。

 

演奏が終わる。リヴィエールは一つ息を吐いた。鳥や森は彼の演奏を喜んでくれたが、自身はあまり納得のいくものではなかったらしい。

 

ーーーーまだまだだな……母様のと比べたら…

 

「そんな事ないわよ。確かにちょっと拙かったけど、下手に綺麗にまとまった演奏よりよっぽど魅力的だったわ」

 

心を読んだかのような声が背後から。

驚いて振り返った時には身体を抱きかかえられていた。体が持ち上がる。

 

ーーーー女の、人?

 

背後で彼を抱き上げていたのは紫がかった黒髪を腰まで伸ばした美女。歳の頃はおそらく二十代半ばといったところ。少し青みがかかった夜空のような色合いのマントを羽織り、肌は新雪のように白い。細い首には宝石のような極彩色の石が飾られている。

マントの下は服と呼ぶにはあまりに薄い布が纏われていた。今まで少年が見てきた女性とは比べ物にならないほど露出度が高い。張りのある豊満な肢体がそれを押し上げている。

こういう女性に………いや、まだ性というものへの理解が乏しい少年は、女性の格好を見ても変に照れたり、紅くなったりはしなかった。思った事は綺麗な人だという事と、不思議な人だという事。彼女の赤い瞳から目をそらす事が出来なかった。

 

「なるほどねぇ」

 

少年を抱き上げ、頬や髪を撫でていた美女は楽しげに目を細めた。

 

「素敵な髪……透き通った緑の瞳はまるでエメラルド……あなたは異なる二つが交わった一つの作品のよう。エメラルドは黒髪によく映える」

 

ガラス細工を愛でるように、少年の頬を、髪を、肌を愛撫する。その手つきは滑らか、かつ流麗。体中を撫で回されているというのに少年には不快感はなかった。抱きしめられ、首筋に鼻を当てられる。スゥと空気のかすれる音が聞こえた。

 

「…………とてもいい匂い。貴方が当代の神巫なのね。男の子な時点で珍しいけど、貴方ほど若くして才能を発揮してる子を見たのは初めてかも。どうしようかしら?貴方可愛いし、今すぐ私のお人形さんにしたいくらい」

 

興味深そうに少年を撫で回す。裕福な令嬢が、買ってもらったばかりのオモチャをどうしようか、と考えるのに似ていた。

 

「でもただ閉じ込めるのも勿体無いわねぇ。せっかくの宝石だもの。磨かれた姿を見てみたいわ」

「僕は宝石じゃないよ?」

 

自分の事を称されているとわかった少年は不思議そうに思った事を口にする。すると少年を抱いたまま、黒髪の美女はたおやかに笑った。

 

「面白い子ね。ええ、もちろん知ってるわ。ただの喩えよ。貴方も芸術家なら覚えておきなさい。豊かな比喩が世界を美しく彩るのよ」

 

リヴィエールが笛を吹いていた事はもちろん知ってる。彼の演奏に導かれて、この美女は現れたのだから。

 

「そうね、おまじないにしましょうか」

 

面白い事を思いついたというように笑う。母以外の女性を美しいと思ったのは少年にとって始めてだったかもしれない。

 

「貴方をより美しく磨くための素敵な 呪術おまじない。もし貴方が人間の言うところの冒険者とやらになって、魔法を使うようになったら……」

 

美女の言葉がそこで途切れた。抱き上げた少年を地面に降ろす。そして目線を合わせるように膝を折った。それでも目線は彼女の方が少年より高い。

 

「さあ、おまじないの時間よ、私の小さな恋人。力を抜いて。硬くならないで。魔法の使い方を教えてあげるわ」

 

甘美な歌声が少年の耳朶を打つ。身を任せたくなるような誘惑の旋律。リヴィエールを優しく抱きしめていた手が頬に添えられる。耳を軽く噛まれた。

 

「魔法?」

「そう。とっても甘い、素敵な魔法。きっと貴方をもっと素敵にしてくれるわ」

 

二人の距離がほぼゼロになる。少し顔を動かせば唇が当たるその距離で少年は抱きすくめられた。妖艶な美女は口ずさむ。

 

生きましょう私の小さな恋人 そして愛を交わしましょう

人は私達を妬むけれど そんなものは聞こえない

私達は儚い命 陽の光は死するとも 朝日とともに生まれ変わる

けれど二人は死すれば短い光が消えるだけ

小さな光が消えたとしても 永遠に夜は続いていく 二人は果てしない夜を眠るだけ

だから私に千のキスをして それから百 それから……

 

「カトウルスの詩……」

「あら、知ってたの。博学ね」

「母様にしてもらった事がある」

「覚えておきなさい、私の可愛いアナタ。こういう時に他の女の名前を出してはいけないのよ」

「なんで?」

「いつかわかるわ。黙って…」

 

少年の口が塞がる。美女の赤い唇が重なったのだ。もう喋りたくても喋れない。

 

私に千のキスをして それから百それからもう千のキス

それから2度目の百のキス それからさらにもう千 そしてまた百

それからも何千のキスをして 愛し合いを繰り返しましょう?小さな恋人

キスの数もわからなくなるほど 数の数え方ももわからなくなるほど

私に千のキスをして

 

詩を唄いながら女は唇を合わせ続ける。少年の小さな唇を舌で舐め、優しく啄む。彼を慈しむような慈愛のキス。その重なりは段々と深くなっていき……

 

キスはそこで途切れた。女が急に真面目な顔になったかと思うと、少年から離れる。二人の背後には細身の剣に手を掛けた男が立っていた。黒髪をうなじあたりで束ね、いかにも戦士然とした精悍な男性。歳は三十を超えているかどうかというところだろう。

 

「父さま?」

 

男の顔を見た少年が不思議そうに呟く。父がここにいる事に驚きはない。この森の中なら彼はどこにいてもおかしくない。疑問を持った理由は彼の表情だ。

柳眉を立てて剣に手を掛ける男は怒っているかのようにさえ見える。あまり感情を表に出す人ではなし、怒る事も滅多にしない人だ。それが今はまるで不倶戴天の敵と出会ったかのように武器を構えていた。

 

「無粋ねぇ。心配しなくても何もしないわよ、今はね」

 

男を見ながら美女は笑う。男を脅威とは思っていない様子だ。

 

「人間にしてはまあまあ強そうね。ちょっとゴツゴツしいのが好みじゃないけど」

 

女の方に戦意はない。にも関わらず、壮年の男は油断なく剣を構え、黙りこくっていた。

 

「お喋りをしてくれないのも低評価だわぁ。黙して語らず、なんての流行んないわよ。まあいいわ。この子に巻き添えで死なれたりしちゃったらイヤだもの。ねえ、私の可愛いアナタ」

 

少年の頭を撫でる。彼の目線に合わせるようにしゃがみ込むと、頬に唇を付けた。

 

「またね、私の小さな恋人。その時はきっと私に千のキスをしてちょうだい」

 

手を振ると同時に霞のようにその姿を消した。まるで精霊か、妖精のように。

 

「…………逃げられたか」

 

男が手を柄から外す。無言のまま少年に近づく。

 

「怪我はないか?体に異常は?」

「ないよ、父さま」

 

少年の答えに男は眉をひそめる。本当に?といった顔だ。頷く。

 

「綺麗なひとだったね。まるで妖精みたいだった」

「お前はそういう事をさらりと言うな……」

 

口下手な事を自覚している彼は妻や息子のこういう所に若干焦る。二人とも芸術家だからか、表現に躊躇いがない。

髪色だけは自分の色を受け継いだが、中身も外見も本当に母親に似ている。優しく、美しく、強い。

 

「お前、将来とんだタラシになりそうだな」

「タラシ?なにそれ」

「…………知らなくて良い。が、あまり気軽に女とああいう事をしてはいけないぞ」

「なんで?」

「それは……その……お前にはまだ早い」

「でも僕、もう母様としたよ?」

「母様は良いんだ。だがな……」

「…………よくわからない」

 

唇をそっと撫でる。感触はまだ残っていた。

 

「…………はあ、まあ今はわからなくて良い。帰ろう。母様がパイを焼いて待ってる」

「うん」

 

少年、リヴィエールの手を男が握る。まだ彼が戦いなどとは無縁だった頃の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝靄がかかる湖畔、誰も住んでいないような場所に、二人の人影が見える。

一人は女性だ。腰まで届く緑髪と緑柱石の瞳、エルフ特有の耳に魔導士らしい白いローブを纏っている。その美しさは凄まじく、人というよりも妖精や女神の類にすら見える。彼女の名はリヴェリア。オラリオでも有数の魔導士であり、王族たるハイエルフの末裔だ。

大荷物を背負ったもう一人は少年のようだ。肩近くまで伸びた艶やかな黒髪に同伴者とよく似た緑色の瞳をしている。顔立ちは同伴者の緑髪の美女に少し似ており、まだまだあどけない色を強く残している。中性的なせいか、一見すると女性に見えかねないほど容貌の整った少年である。

二人とも旅装に身を包んでいる。前に立つ一人は杖を持ち、そしてもう一人は自分の背丈並の大きさのディパックを背負い、腰には細身の剣が差されている。

 

「見えてきたぞ」

 

杖のみを持つローブを羽織った人物が、息を切らせながら後ろを歩く少年に呼びかける。どうやら目的地へと到着したようだ。ドサリと重みのある音が鳴る。

 

「此処は?」

 

目の前に広がる薄暗い森をを見つつ、問いかける。以前は彼も緑の中で生活していたため、森自体は嫌いじゃない。が、自身に流れるエルフの感性が言っている。此処は普通ではない、と。そしてその感性は正しかった。

 

「ネヴェドの森だ」

 

二人がなぜこんな所に来ているか、その理由を知るには若干時を遡らなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少年は対峙していた。片手に剣を持ち、片手を虚空に翳している。彼の目の前に立つのは異形の怪物の大群。一見すればもう命を諦めるレベルの窮地。しかし、彼は何も慌てることなく、何かを唱えていた。

 

「リオン!アイズ!退がれ!リヴィの詠唱が終わる!」

 

緑髪を腰近くまで伸ばした妙齢の淑女が命令を飛ばす。名前を呼ばれた二つの風は一瞬でその場を離れた。

 

「咲き誇れ、漆黒の大輪。グローリアのっ……名の下に!!」

 

【燃ゆる大地!】

 

黒炎が大地を覆う。彼を取り囲んでいたモンスターが一気に焼き払われた。

 

ーーーーッつぅ…

 

ビキリと体に鋭い痛みが奔り、目の白い部分に黒い靄が掛かる。男がひと撫ですると、靄は消えた。

 

その隙に炎から免れた数匹の魔物が膝をつく黒髪の男に襲いかかる。近づいていた事には気づいていた。剣を握りしめ、最寄りの魔物を屠る。

次、と少年が思った時には戦いは既に決着していた。金と緑の風が残り数匹のモンスターを斬り裂き、炎の範囲外にいた魔物達は緑髪の魔導士が滅した。

 

「チョロいぜ」

「ていうよりは楽じゃなかったですね」

「じゃ甘いぜ」

「てよりは楽だったかも…」

「じゃあどうだったのさ」

「「…………チョロ甘かな?」」

 

戦闘の感想を述べ、全員得物を収める。リヴィエールも抜いた剣を鞘に収める。周囲に敵の気配はない。7つ目の感覚も当面の危険はないと告げていた。戦闘はとりあえず終了だ。

 

「リヴィ、お疲れ様」

「マインドはまだ大丈夫ですか?」

 

側で戦っていた二人がリヴィエールの元に近づいてくる。アイズ・ヴァレンシュタインとリュー・リオン。剣聖に寄り添う似て非なる二つの風である。

 

「大丈夫、問題ない」

 

肩を回す。もう体に痛みはない。意識を黒く染める炎も消えた。今言ったことは彼の本音だった。

しかし、合流してくる緑髪のエルフ、リヴェリアは彼に対して眉をひそめた目で見ていた。何やら怒っているらしい。一度頭を振り、ため息をついていた。

 

今回、彼らはロキ・アストレア・ルグファミリア合同で行われたダンジョン探索に参加していた。メンバーはそれぞれのファミリアから選抜された手練れで構成されている。

他ファミリア合同で行う遠征は基本的に少数精鋭な事が多い。大人数になってしまうと命令系統が狂うからだ。あらかじめ代表を決めていたとしても、緊急事態となれば状況は一変する。状況を的確に分析し、迅速かつ的確に判断、行動出来るものだけが選抜される。

口にしてみれば簡単だが、実際にそれができる人間はごく僅か。正しい道理が無理に蹴飛ばされる回数の多さは歴史が証明している。

たとえ正しい指示をリヴィエールが出しても、すぐに彼らが指示通りに動いてくれるかは怪しい。リヴェリアが違う指示を出していれば、間違いなく動かないだろう。

 

リヴィエールはそれが不思議でならないのと同時に面倒だった。その事をルグは知っていた。彼女がファミリアの人間を増やさない一因はコレである。

基本的に持つ側の人間である彼は大抵のことは一人でできる。本人もそう思っているし、事実それを証明してきた。

しかし効率は良くないというのもまた事実。一人で深層にたどり着く事は可能だが、一人で持てる資材には限界があるため、長期の遠征に出る事は難しい。

 

そういう時は他のファミリアの人間と手を組む事が多い。実力が近く、気の合う冒険者とあらかじめ分配を決めておき、ダンジョンに潜る。ファミリアが違うと結婚や男女の付き合いといった関係を築くのは難しいが、共にダンジョンに潜る事に関してはよほど人物に問題がない限り、容易に行われている。

そんな時は混乱を避けるため、最小単位でのパーティが望ましい。

 

今回の遠征の選抜メンバーは四人。前衛は剣士タイプの【剣姫】アイズと【疾風】リュー。中衛に、視野が広く、前も後ろもサポート出来る万能タイプの魔法剣士【剣聖】リヴィエール。後衛に上位魔導士【九魔姫】リヴェリア。エレメントとしてはオラリオでも屈指のメンバーと言えるだろう。

 

「今回はここまでだな。帰還する。魔石を回収しよう」

 

指揮官を任せておいたリヴェリアが遠征の終了を支持する。体力的には全員まだ行けたが、これ以上収穫物を増やすと帰還が困難だ。指示に異論は誰もなかった。

 

「全員無事だな……しかし、流石に手練れの前衛がこれだけいると戦闘は安定するな」

 

魔石を拾うのはアイズとリューに任せ、水を飲むリヴィの隣にリヴェリアが立つ。イヤミか?と問おうとしてやめた。問うまでも無くイヤミだ。

ルグに対して少し恨みを抱く。今回の件、言い出しっぺはあいつだったと聞いている。常にソロで探索している自分のことを思っての提案だったことはわかるし、こうして気の知れた人間達とダンジョン探索するのも悪くないが、たまのことにしてほしい。少なくともリヴェリアは外してほしい。どうしても彼女は苦手だ。人は誰しも恐ろしきもの、美しいもの、身内のものが相手では手が竦む。リヴィエールにとってリヴェリアはその全てを兼ね備えている。もし敵対した場合、相性は最悪だ。

 

「リヴェリア、回収終わったよ」

 

それぞれが持ってきているディパックをポンと一度叩く。アイズの手からその大きなバックを受け取った。サポーター役は当然リヴィエールである。

 

「リヴィ、大丈夫?重くない?」

「余裕だ」

「では帰りの中衛役は私が勤めましょう。リヴィの腕には及ぶべくもありませんが、私も貴方と同じ魔法剣士ですので」

 

貴方と同じ、の所をやたら強調してリューが中衛を買って出る。適任なのは間違いないのだが、その一言はダンジョン内の空気に緊張をもたらした。

 

「…………じゃあリヴィ、私と一緒に前に行こう。大丈夫。貴方は私が守る」

 

右腕をとって前へと引っ張ろうとする。荷物を抱えて前衛は少し難しいが、リヴィエールは両利きだ。片手でも充分に戦える。

しかしそんな行動をリューが引き止める。

 

「手が塞がっているのに前衛をやるというのはいかがなものでしょう。此処は魔法剣士二人で中衛役をこなした方がリヴィにとっても、パーティにとっても良いと思いますが」

「…………リヴィは攻撃を得意とする魔法剣士。枷がある状態なら得意な局面で戦った方が良い」

 

空気が不穏になってきた。オロオロとする黒髪の少年を見て姉貴分たるハイエルフは溜息をつくが、文句は言わない。せっかくダンジョンに一緒に潜ったのだ。肩を並べて戦いたいというのはわかる。

 

「リヴィはどっちが良い?」

「そうですね。貴方の意見も是非」

 

二人とも無表情の中に期待を込めた眼差しをリヴィエールに向ける。別に彼はどっちでも良いのだが、どちらを選んでも角が立ちそうだ。視線をリヴェリアに向ける。なんとかしてくれと目で懇願した。

 

「はぁ……中衛はリヴィ一人にやってもらう。二人は引き続き前衛。決定事項だ。異論は許さん」

 

一番丸く収まる指示が出る。二人とも小さく唸った。期待した答えではなかったが、彼女の指示である以上、納得するしかないという反応だ。今回の合同探索の前提の一つに指揮官に絶対に従うというルールがあった事が幸いした。

 

色々と渦巻く思いはあったが、今願うことはただ一つ。

 

「早く風呂に入りたい」

 

ロキ・アストレア・ルグファミリア合同探索、三十七層にて終了。この時を持って帰還行動に移る

 

 

 

 

 

 

 

 

「リヴィエール」

 

ダンジョンから帰還を果たし、ギルドに報告を済ませた後、リヴェリアに呼び止められた。眉には深くシワが刻まれている。表情は不機嫌そうだ。

 

「なに?」

「聞きたいことがある。お前の魔法について、だ」

 

背中に冷や汗が伝う。まさかばれたか?

 

「お前、どうやって魔法を使っている?」

 

質問内容を聞いて少し安堵する。どうやら心配していたこととは別件の内容らしい。

 

「どうって……詠唱しながらいい感じに魔力を高めて……それを止めて押し出す感じで」

 

魔法を使うときのイメージをそのまま伝える。師についたことのないリヴィエールは感覚でやっているため、かなりアバウトだ。

 

眉間の皺が深くなる。どうやら怒っているのはこの辺りのアバウトさらしい。

 

「私もたいがい大らかな方だが、お前のは大らかを通り越して白痴だな。そんな適当なやり方でよく今までマインド・ダウンを起こさなかったものだ」

「…………ああ、そういう」

 

怒っていた理由がわかる。基本的にソロで探索を行っているリヴィエールがダンジョンでマインド・ダウンなど起こしてはほぼ確実に死ぬだろう。今までそうなっていないのは本人に剣士としての腕が充分にある事と幸運でしかない。

 

「今回の遠征でお前の魔法をずっと見ていた。組み立ても魔力の練り方も雑だ。それでは正しい威力が出ない」

「?」

 

言ってる意味がわからない。いや、言語の意味は理解できるが、なぜそんなことを言われるかがわからない。リヴィエールは実力を客観的に見ることに長けている。確かにリヴェリアよりは劣るかもしれないが、自分の魔法の威力は低いとは思えなかった。

考えている事がわかったのか、リヴェリアは否定するように一度首を振る。

 

「無駄に才能(まりょくりょう)があるせいでそこそこまともな威力で放たれているが、無駄が多すぎる。自己流が悪いとは言わんが、しなくていい消耗をしているのも確かだ。正しいやり方でやればマインドの負担も威力も格段に上がる」

「…………だから?」

「リヴィエール、しばらく私に師事しろ。正しい魔法の使い方を教えてやる」

「…………」

 

断る、と言いそうになった。しかし、なぜか抗いがたい彼女の眼と最近魔法を使うと自身の体に起こる異常が、それを拒んだ。

 

 

 

 

 

 

 

そして至る現在。リヴェリアは長期休暇の許可をロキから取り、ルグからもしばらく俺を鍛える事の了承をとった。ルグの賛成があってはリヴィも無下にはできない。最後までごねはしたが、自分がいない間、ルグのガードをロキ・ファミリアが務めるという条件で、リヴィも了解した。

森の中の開けた場所で魔法を発動させる。黒髪の剣士は珍しく汗だくになっており、肩で息をしていた。

 

「まだ力に頼っている。土台がしっかりしていない証拠だ。もっと魔力の流れをイメージしろ」

「やってるよ。でもなんかいつもよりすっげえ負担かかるんだよ。魔力多めにこめなきゃ発動すらしねえって。この森絶対変だぞ」

 

魔法の発動にここまで抵抗感を感じたのは初めてだった。まるで粘液の中で剣を振るっているような、そんな錯覚に陥る。

 

「環境のせいにするな、お前がヘタだからだ」

 

杖を取り出し、詠唱を始める。凄まじい威力の氷の魔法はリヴィエールの黒炎を凍りつかせた。

 

「威力を出そうと思えば詠唱で魔力を起動させ、正しい術式を構成しなければならない。全力と力任せは違うぞ」

「…………」

 

通常と変わらぬ威力で放たれたリヴェリアの魔法にぐうの音も出ない。悔しいが魔導士としての力量は相手の方が明らかに上だ。

 

「私は門外漢だから詳しくは知らんが、剣もそうなのだろう?お前が力任せに剣を振るうところを私は見たことがない」

「刀の扱いは筋力じゃない。呼吸と筋だ」

「魔法も同じだ。魔力があるに越した事はないが、それだけでは正しい力は発揮されない。この森で普段オラリオで使用する威力の【燃ゆる大地】が発動できて初めて合格だと思え」

「わかったよ」

「よし、素直だな。いつもこうなら可愛いのだが。では再び現火の修行に移る。アマテラスを発動させろ」

「えー、またあの地味なのやんの?」

「何をやるにも基礎の反復は欠かせん。お前ならよく知ってるだろう」

「まあね」

 

人差し指を一本立て、アマテラスと呟く。ろうそく程度の小さな炎が指に灯った。

 

炎によって生じる浮力で紙を浮かせる。一枚ができたらもう一枚、二枚できたらもう一枚という順に。それが現火。火の魔法を使うエルフの基礎修行。

紙の量を増やそうと思えば火力を上げなければいけないが、上げすぎると紙が燃える。力加減が意外と難しい。この森でなら尚更だ。

 

「10段載せれたら30分は維持させろ。基本に魔法の極意があると思え」

「はいはい」

 

過去の修行で既に7段を載せている。10段にたどり着くのも時間の問題だろう。

 

ーーーーしかし凄まじいな…

 

修行の様子を見ながら心中で感嘆する。彼が察した通り、この森は魔法の発動が難しい聖域だ。体術で言えば、身体中に重しをつけているようなもの。並の魔導士なら発動すら出来ない。

しかし、この男は何でもないように炎を起こし、そして半分もの威力で行使に成功している。術式はまだ拙いにもかかわらず、だ。しかも驚異の速さで成長してきている。

 

ーーーー流石は姉さんの息子……という訳か

 

10段目に到達した。現火は炎を使うエルフの基本修行。10段目に達するのに並の使い手なら一年かかる。それをたった半日で……

 

ーーーーこの分なら一週間あれば土台は完成する。そうなったら私を……下手をすれば姉さんさえも超える魔導士になるかもしれんな。

 

疲労の汗を流しながら10段を維持するリヴィエール。黒い炎が彼のエメラルドの瞳を照らした。

 

ーーーー美しい……

 

懸命に己を練磨する彼を見て、今更ながらに思う。あの人の生きた証が此処にある。

本来であればいくら友人とはいえ、他のファミリアの子供である彼にココまで世話は焼かない。身内には厳しくて優しい彼女だが、外にはかなり手厳しい。

そんな彼女にとって、リヴィエールだけが唯一の例外だった。

彼には自身の友と、愛した 女ひと、両方の面影がある。

 

ーーーーエメラルドは黒髪によく映える

 

寄り添い合う彼の母と父が同時に映る。本来交わらない二つの種族が交わって起きた奇跡の象徴を彼に見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。完全に襲われてるショタエール。まだ彼は食う側ではなく食われる側のようです。あと3話くらいで終わらせる予定です。ちなみにカトウルスの詩は実在する詩で、古代ローマ時代、シーザーと同時期の詩人、カトウルスが愛した女性、レスビアに送った詩です。ちなみに既婚者の女性。流石古代ローマですね。ちなみにオリキャラのイメージはFate/GOのスカサハです。感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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千のキス 2

 

 

 

 

 

 

 

時は少し遡る。まだロキ・ファミリアが発足して間もない、しかし急速に成長している今注目の若手ファミリアであった頃のとある昼下がり。

 

「おーい!」

 

よく通る綺麗なボーイソプラノが館に響く。ファミリアにいた全員にその声は届いた。

 

「ここのファミリアの人ーー。いるかーー」

 

──誰だ?来客の予定はなかったはずだが…

 

入り口の一番近くにいた緑髪のハイエルフ、リヴェリア・リヨス・アールヴが階段を降りる。部下に任せても良かったのだが、聞き覚えのあるようなないような声色が気になったからだ。角を曲がる。朧げに小さな影が二つ重なって見えた。

 

「お、来たな。あんた、ここのファミリアの人?こいつの事引き取ってくれない?ファミリアの場所だけ教えて気絶しちゃって。ああ、怪我は大してしてないけど、泥だらけだから手当だけはちゃんとしてやって……」

 

子供の言葉はリヴェリアに全く届いていなかった。彼の背中で眠る金髪の少女への心配もあったが、それ以上に違うことが、彼女の頭の中を支配していた。

 

───その声、その顔、その瞳…

 

髪色だけは記憶と違ったが、それ以外は…

 

「オリヴィエ姉様……」

「?この子、オリヴィエっていうのか?」

 

 

 

 

 

 

ドサリ

 

オラリオのとある一角で稚拙な擬音が鳴る。一つの影が宙を待って地面に落ちた音だ。

倒れた少年を一瞥すると、緑髪のハイエルフはローブを翻し、背を向ける。もう戦いは終わった。

 

「ま、待て………この野郎」

 

この場から去ろうとする女に声をかける。倒れた少年が必死になって立ち上がり、絞り出していた。

 

「…………驚いたな、まだ立てるのか」

 

しかし手に持った錫杖を構えることはしない。魔法で彼の体は拘束している。立つ事はできても、もう戦う事は絶対に不可能だ。

 

「なんでテメエはいつも俺にトドメささないんだ」

 

ダンジョンで助けた少女をきっかけにこの女と知り合った。俺を見て母の名を呼んだ。俺に関わる何かを知っている人物な事は明らかだ。しかし直接聞いても何も教えてくれない。ならばあまり好きではないが、力尽くと仕掛けるも、レベル差のある今の彼女と俺では力の差は明らかだった。こんな風にやられたのはもう何度目か。

 

それなのにこの女は絶対に自分にトドメは刺さない。それどころか怪我をさせることすらしない。まるで稽古をつけてもらっているかのようだった。

 

「私はお前が知りたい事など何も知らない。だからお前もこれ以上私の周りをチョロチョロするな。お前に構う時間が惜しい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハァッ、ハァッ」

 

ダンジョン18階層。迷宮に唯一存在する安全区域。数多の冒険者が地に伏す傍らで折れた剣を突き立て、黒髪の少年は膝をついていた。

 

「…………」

 

この場で唯一、自分の足で立っていた魔導士が彼に癒しの光をあてる。満身創痍の未発達な肉体の傷がみるみるうちに塞がっていった。

 

「まったく、呆れるな、貴様には」

 

そう、この日、少年は冒険者の襲撃を受けていた。理由は嫉妬。たった半年でレベル2にたどりつき、八面六臂の活躍を見せる冒険者、リヴィエール・グローリア。レベル1、2で燻り続ける数多の冒険者達の恨みを買うのは当然だった。

 

リンチが始まり、暫くが立って頃、この女が加勢に入ってきていたのだ。

 

「偶然私がこの場にいたから良かったようなものの……お前はもうこの都市で最も注目を集め、妬みを受ける存在の一人なのだ。これに懲りたら単独行動は控える事だな」

 

傷口が塞がったことを確認し、癒しの光を止める。治療を終えると、リヴェリアはこの場から去ろうとした。

 

「っ、待て!リヴェリア!」

 

傷は塞がっても、倦怠感までは消えない。立つ事も、追う事も出来ないコンディションだった。だからせめて、叫んだ。

 

「なんなんだよアンタ!」

 

偶然などと宣ったが、そんな筈がない。タイミングが良すぎる。尾けていたのか、それとも俺の襲撃情報を掴んでいたのか、どちらにせよ、こいつは俺を守るためにここに来た。

だが、おかしい。腑に落ちない。

 

「俺の事遠ざけたと思ったら、今度は助けたり!一体あんた俺に何がしたいんだ!」

 

わからない。聡明な女であるはずの彼女を理解することが出来ない事が何故か嫌だった。

 

「私は………お前に何も求めてなんかいない」

 

伏せた瞳をこちらに向ける。その目には彼の姿が反射されていたが、見ている者は全く別の存在だった。

 

「その顔を……その目を……その声を……もう私に見せないでくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし。今日はここまで。食事にしよう」

 

修行の終了の声。同時に大の字で寝そべる。もう限界だった。身体もさる事ながら、精神的にキツい。マインドダウン寸前だ。

発動された魔法は通常彼が使用している半分程度の威力しか持っていなかった。膝をつく。腕が痛い。

 

「ほら、汗を拭け。食事にしよう。もう用意してある」

「ああ、ありがとう」

 

左手でタオルを受け取り、汗を拭う。しばらくすると薬のような匂いの料理が所狭しと並べられた。緑髪の美女は珍しく随分と上機嫌の様子だった。鼻歌を歌いながら料理を並べている。

 

「…………食えるのか?コレ」

 

思わずそんな感想を漏らしていた。見た目がグロテスクとか、ポイズンのようだという意味ではない。見た目は美しいし、クオリティが高いのは見て取れる。

それでもリヴィエールにこの感想を言わしめたのは、二人分をはるかに上回る量とオラリオでは体験したことのない匂いだった。リヴェリアが自分に何か危害を及ぼすとは全く思っていないが、この薬くさい香りには身の危険を感じざるを得ない。

 

「失礼なヤツだな。コレはハイエルフに代々伝わる薬膳料理だ。魔導士ならヨダレを垂らしてレシピを欲しがる逸品で、滅多に食べられるものじゃないんだぞ?光栄に思え」

 

リヴェリアの手料理というのもその希少性に拍車をかけるだろう。然るべきところに持っていってオークションにでもかければ高値で売れそうだ。

料理が盛られた茶碗を渡される。

 

「ほら、召し上がれ」

 

そう言って茶碗を渡すリヴェリアは少しだけ照れるような笑いを見せた。

 

「…………いただきます」

 

左手で受け取り、右手にスプーンを取る。

 

ーーーーッツゥ…

 

カランと音が鳴る。ビキリと右腕に激痛が奔り、持ったスプーンを思わず取り落とした。

 

ーーーーまただ。

 

魔法が発現した時はそんな事はなかったのに、最近全力で魔法を使うと利き腕が痛み、意識が黒く染まる。

 

ーーーーくそッ……

 

魔力量で無理やり魔法を発動させているせいかと思っていたのだが、どうやら違うらしい。魔法の発動は改善されてきている手ごたえはあるというのに、この痛みは酷くなる一方だ。

 

「子供みたいなヤツだな……いや、まだ子供か」

「子供じゃない。もう14だ」

「まだまだ子供さ。私から見ればな」

 

少年の肩を抱き寄せ、黒髪を撫でた。彼女とは長い付き合いだが、出会った頃からこのような態度で接してくる。ひきはがす。

 

「…………私が食べさせてやろうか?」

「結構!寄るな、近づくな」

「なんだ。連れないな。遠慮するな。お姉ちゃんとお前の仲だろう。あーん」

 

眼前にスプーンを突き出される。口を開けるまで決して引かないぞと、緑色の瞳が語っていた。仕方なく口を開ける。咀嚼すると中々滋味豊かな味わいが口に広がった。

 

「…………美味しい?」

「美味い」

 

少し不安そうな顔をしていたリヴェリアはホッと胸をなで下ろす。すると不安などなかったかのように得意げに胸を張った。

 

「…………そうだろう。ほら、もう一口、あーん」

「んあ……ムグ」

 

勧められるがままに料理を食べていく。利き手の痛みが無くなったころからは自分でスプーンを動かして、食べ進めていった。そんなこちらをリヴェリアは嬉しそうに眺めていて………約1時間後、全ての料理を完食していた。

 

「フゥ……」

 

口元をナプキンで拭きながら、リヴィエールは久々の満腹感を味わっていた。剣士としていつも食事は腹八分目を心がけている。こんなに満腹になるまで食べたのは本当に久しぶりだった。

 

「悪かったな、俺ばっかり食べちゃって」

「何を謝る。美味しそうに食べてもらえるところを眺められるというのは作った者の特権だ。言っておくが私はお前以上に満腹だよ」

 

使った食器を片付けながら、上機嫌に言われたのはそんな事だった。普段ルグに料理を作っているリヴィとしては共感できる所は少なからずある言葉だった。

 

「くぁ……」

 

食事をしたことで旅の疲れと修行の疲れが来たのか、睡魔がやってくる。あくびはすぐに噛み殺したが、リヴェリアにはバッチリ見られていた。

 

「眠いか?」

「まあ、それなりに」

「…………そういえば、なぜこの森に来たのか、教えてなかったな」

 

ーーーーなんで今更?

 

確かに都市外に出ると聞いた時、疑問に思った事ではあったが、今のタイミングで言われるとは思っていなかった。何か意味があるのだろうか、と言葉の続きを待ってみる。

 

「聞きたいか?」

「まあ、聞きたくないといえば嘘になるけど」

「そうか、なら」

 

揃えていた足を崩し、スリットを捲って太腿を晒す。きめ細やかな白い肌が目に眩しい。すぐに目を逸らした。

 

「子守唄代わりに教えてやる。ほら、おいでリヴィ。膝の上、久しぶりに」

 

ポンポンと腿を叩く。ここに来いということらしい。

 

「教えてやらないぞ?」

「………………」

 

別にいい、と喉元まで出掛けたが、心が従わない。お前はこの話を聞かなくてはならないと、心が訴えかけてくる。

こういう事はたまにある。主にリヴェリアかアイズといる時にこの声が聞こえてくる。そしてこの声には逆らう事が難しい。

 

「…………頭でいい?」

「認める」

 

抱きかかえられることには耐えられなかった。未だに時折ルグにはやられるけど。

コロリと横向きに寝そべり、頭を膝に乗せる。柔らかさが側頭部に伝わった。

 

───何やってんだ俺……

 

羞恥で若干赤くなる。こんな事が出来る女性はルグを除けば、リヴェリアが唯一と言っていい。髪を撫でられ、ピクリと耳が震えた。

 

「よしよし…」

「ヤメロ」

「断る」

「…………シネ」

「ふふ……」

 

本当にどうしてこうなった。昔はあんなに俺を遠ざけ、避けていたくせに。愛情の裏返しだったと今はもう知っているが、それでもビフォーアフターの差が酷すぎる。ああああ、そんな慈愛溢れる目で俺を見るな。お前はルグじゃねえし、俺はアイズじゃねえんだぞ…

 

「それにしてもこうして二人きりで話をするのも久しぶりだな」

「…………そうか?」

「そうだ。まったくいつの間にこんなに重たくなったんだ?最近じゃメキメキ音が鳴るほど成長して……成長に反比例するように私とは疎遠になって……寂しいだろう。もっと頻繁に顔を見せに来い」

「結構見せてるだろうがダンジョンで……」

「アレはロキ・ファミリア副団長の【九魔姫】であって、お前のリーアではない」

 

つまり今の自分とダンジョンでの……というかアイズ達の前での自分とは別人であると、そう言いたいらしい。

 

髪を梳く手は止めず、愉快そうに笑う。

 

「ふふ、これは良い。最近じゃこんな高さからお前を見下ろすことなんて滅多にないからな。懐かしくも、新鮮だ」

「…………もう歳だからな、あんたも」

「まったく可愛くない事を言う。お仕置きだ」

 

クニッと耳を摘まれる。その辺りは結構敏感なリヴィエールは「んっ」と艶めいた声が漏れた。

 

「…………そういえばまだ聞いていなかったな。私の料理、どうだった?」

「?」

 

前を向いたまま問われた質問の内容にクエスチョンマークが浮かぶ。味については既に述べた。おそらくそれ以外の事について尋ねているのだろうが、その意図が掴めない。

 

「難しく考えるな。思った事を答えてくれればいい」

「…………じゃあ失礼かもしれないけど」

 

思った事を答える事にする。

 

「あんたの料理、見た目も味も美味かったけど」

「…………お前の口には合わなかったか?」

 

少し降ってくる声のトーンが落ちる。

 

「早まるな。その逆だ。あんたの料理、初めて食べたハズなのに、何故か俺に馴染むような……妙に懐かしい感覚がしたんだ。俺、物心ついた頃には一人だったから、クズみたいな食べ物や本で知ったレシピで俺やルグが作った物しか食べてこなかったはずなのに…」

「……………………」

「リーア?」

 

照れくさくて地面の一点を見ていたが、急に無言になったリヴェリアに少し不安になる。怒らせてしまったかと目線を彼女に向ける。

 

───え……

 

息を呑んだ。彼女はリヴィエールにとって凛々しさ、強さ、美しさ、全てを兼ね備えたルグの次に尊敬する女だった。そんな彼女が今まで見たことのない顔をしていた。翡翠色の瞳を潤ませ、感極まったようにこちらを見下ろしている。いつもの弟分を慈しむ姉の目じゃない。もっと愛しい、何かを見つめる……

 

「私の料理は……」

 

視線を受けたからか、ゆっくりと話し始める。彼女にとって大事な事だと直感したリヴィエールは黙って聞くべきだと判断した。

 

「昔一緒に暮らしていた親戚の……私にとっては歳の離れた姉みたいな人に教わったんだ」

「親戚って事は王族(ハイエルフ)か」

「ああ、私はその人の全てが好きだった。凛として、強くて、美して、でも奔放で、掴み所がなくて自由人……そんな所も憎めなかった。あの人が私はずっと羨ましかった」

 

言葉の中に過去形が用いられていることから、その人が故人である事に気付く。

 

───これ以上は聞けないな…

 

彼女の深いところに関わる事だ。気にはなったが、踏み込む事はできなかった。

 

「リヴィ、起きて」

 

撫でる手を止める。いつになく頼りなさげな彼女の声に逆らう事は出来ず、膝から離れた。

 

「寝て」

「は?」

「寝てくれ、リヴィ。そこに」

 

用意した簡易的な寝所を指差す。寝袋も持ってきていたのだが、この森は湿気が強い。睡眠は屋外で取る事になっていた。

 

───寝る前に少し身体を動かしたかったんだが…

 

黙って言う通りにする。今日ここにくるまでに充分体は動かした。剣はまた明日振ればいい。

 

「っ…おい」

 

こちらに倒れこむように寝転がられ、肩に頭を預けられた。流石にコレには抵抗があったのか、黒髪の少年も声を上げる。しかし彼女は離れる様子は見せず、甘えるように胸元に顔を寄せた。

 

「少しの間でいい。こうさせてくれ」

「…………はぁ」

 

───俺も甘くなったな…

 

「あっ……」

 

リヴェリアは少し驚いたように声をあげた。もたれかかる彼女の肩を強引に抱き寄せたからだ。

 

「………嫌か?」

「まさか……これがいい」

 

感触を楽しむように、腕の中で身じろぎし、頬を寄せた。唇が軽く触れ合う。

 

「あぁ、この森の秘密だったな」

「いいよもう。だいたい察しはついてるし、それに今日は疲れた。俺は寝る。あんたも気が済んだら離れろよ」

 

そんなことを言いながらも抱き寄せた手は離さない。ゆっくりと息を吸う。

 

「〜〜〜〜♫」

 

旋律を紡ぐ。アイズに肩を貸す時、決まってせがまれる子守唄。誰に教わったのか、俺自身もう覚えていなかったが、耳に、身体に、魂に刻み込まれた旋律だ。

 

唄を聞いた姉の涙で肩が濡れている事に気づいたのは暫くが立ってからだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝靄に包まれた森の中、水が跳ねる音が鳴る。森の中には泉があった。清い水が地からあふれ、絶えず満たされている。底まで見えるほど透き通ったその美しい泉のそばには畳まれた和服とローブ、そして鞘に収められた細身の剣がある。

 

再び水飛沫が跳ねる。泉の中から濡れたように美しい黒髪を本当に濡らした青年、リヴィエール・グローリアが現れた。朝稽古を終えた彼は此処に沐浴に来ていた。

 

再び水の中に体を沈める。派手な音とともに空気の泡が耳を撫でる。

 

───いいな、此処の水は…

 

身に染みる冷たさが心地いい。暖かい温泉も悪くないが、川や泉の冷たい水に身を浸す事がリヴィエールは何より好きだ。

 

───ん……?

 

淡い光が視界の端に映る。陽の光が登り始めたのかと思ったが、違う。ゆらゆらと揺蕩う光は森の奥に繋がっていた。

 

───なんだろ…

 

朝稽古の汗はもう充分に流せたし、水浴びはもう充分に楽しんだ。それより光の正体が何故か気になった。

 

泉から上がり、濡れた身体を拭く。最低限の衣服を着ると、刀を片手に光を追った。

「コレは……?」

 

光の先にあったのは色鮮やかな花が咲き誇る空き地。そこには木々はなく、岩ともつかない巨大な石を並べて環を形作ったものがあった。

 

巨石塚(ドルメン)?何でこんなものがここに」

 

リヴィエールはこれを何度か見かけた事がある。これがある場所はたいてい何かを祀っていたり、不思議な力があったり、神秘めいた所縁のある事が多い。こんな人が一人も住んでないような場所にコレがあることに少し違和感を感じた。

 

気になったからか、リヴィエールは巨石塚の中へと足を踏み入れる。環の中には何やら文字が刻まれた石碑が建てられていた。

 

───神聖文字……掘り跡が随分古い。これが作られたの、一年や二年のことじゃないな。

 

ルグやリヴェリアから教育を受けているリヴィエールは神聖文字が読める。石碑の文字が古すぎて一部掠れているが、一つの単語が刻まれている事は読めた。

 

「───ディゴール・ダジゴール…っ!?」

 

どういう意味だと考え、口にしたその刹那、巨石の隙間から白い霧が湧き出た。石の環の内側は霧で埋め尽くされ、あっという間に視界が遮られる。

 

刀を振り、霧を払う。環の中から出ようと飛び下がろうとしたが、その瞬間、猛烈に嫌な予感がした為、その場から動かず、地に膝をつけた。次の瞬間、光が弾け、霧が消えていく。

 

そうして視界に広がった光景にリヴィエールは目を見開いて絶句した。視界は群青色で染まり、全身を浮遊感が包む。水の中にいるのだと気づくのに、そう時間はかからなかった。

 

───なんだこれは!?テレポーテーション!?ドルメンにそんな仕掛けがあるなんて聞いた事……っ

 

疑問は瞬時に山ほど浮かんだが、全て後に回した。まずは空気を確保する必要がある。すぐに上を見上げたが、海上に出るのは不可能だと判断した。深すぎて陽の光も見えない。海面まではとても息が持たない。ならばドルメンがないかと周囲を見渡す。あれを使ってここまで来たのだ。ならばあれを使えば帰れるはず。

 

───っ!?

 

泳ごうと身体を動かし始めた瞬間、凄い勢いで水が身体を圧し包み、水が口から喉を通過していく。思いっきり咳き込み、空気が肺から出されてしまった。

 

───やばい!息が……

 

持たない、と思った瞬間、再び視界が変わる。と言っても今度は立ち位置ごと変わったというわけではない。相変わらず水の中にはいる。けれど暗かった水の底が急速に明るくなっていったのだ。混じり気のない水晶を溶かしたかのような、青色の世界が透明度を増していく。群れをなして泳ぐ魚、ゆらゆらと漂う海蛇、気がつけば無数の生物がそこかしこを泳いでいた。

 

───まるで空気が一変したかのような……

 

「あの、神巫様?」

 

話しかけられる。水の中で声が聞こえたことにも驚いたが、その声主に何より驚いた。16、7歳くらいの美しい娘。水に溶けるような青い髪は腰まで届き、澄んだ緑色の瞳は自分と少し似ている。腰から上は胸を隠す貝殻二枚のみを身につけている。腰から下は何もつけていない。これだけでも充分に異常事態だが、事実はもっと異常だった。蒼銀色に包まれた下半身は魚のそれだった。

 

───人魚!?実在したのか!?い、いや、それより……

 

息がもう限界だった。このままでは間違いなく溺死してしまう。

 

「ここは海の国、妖精の世界、アルモリカ。神巫様も普通に呼吸できるはずよ。ゆっくりと息を吸ってみて」

 

正気か?と本気で思ったが、このままでは死んでしまう。一か八かとリヴィエールは息を吸った。苦しさはなくなり、肺を空気が満たした。

 

「息ができる……なんで」

「神巫様は妖精の世界は初めて?ここはいわゆる一つの異世界。精霊にまつわる方ならどんな者も生きられる環境になっているの。人類は珍しいけど、それでも今までいなかったというわけじゃないから」

「…………なんでそんなペタペタ触ってくる?」

 

身体の感覚を確かめながら、こちらの身体に触れてくる人魚に問いかける。腕を動かすとまとわりつくみずの感覚が確かにあるが、温度は冷たくも熱くもない。呼吸にしても空気を感じる事はできないのに、こうして普通に活動ができた。

そしてそんな彼の肩や腕、腰や太腿を人魚は撫で回していた。

 

「ごめんなさい。此処じゃお客様って珍しくて。それも貴方みたいな可愛い、しかも男の神巫様なんて。私初めて見たから」

「さっきから神巫という単語がよく出るな?俺の事か?」

 

コテンと人魚が首をかしげる。何をいっているのだと言わんばかりの顔だった。

 

「ええ、もちろん。貴方、ウルス・アールヴの一族でしょう?」

「…………俺の姓はハルミツのはずだが」

 

グローリアは父の姓である栄光(ハルミツ)をこちらの言葉に変えた苗字らしい。冒険者となり、ステイタスを刻む際、この名が紙に刻まれていた。以来、直すのも面倒な為、この名を使い続けている。アールヴと言えば真っ先にあの緑髪のハイエルフが思い浮かぶ。しかし俺と彼女には何の繋がりもないはずだ。

 

「この子、違うの?でもドルメンに触れてこちらにこられたのだから………確かに混ざってはいるみたいだけど、どう見ても……」

 

何か思い悩む素振りを見せる。しかしそれもすぐに解けた。身体をくねらせ、リヴィエールの手を自然に取ると、着いて来て、とだけいって泳ぎ始めた。

 

「お、おい!アンタ一体何者なんだ?」

「メイヴって呼んで。私は海の妖精。貴方ととても近しい存在よ、神巫様」

 

 

 

 

 




後書きです。リヴェリア外伝第2話、いかがだったでしょうか?完全オリジナルって難しい。けどこの辺りは本編にも絡んでくるリヴィエールのルーツにまつわる話なので頑張ります。それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。


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本編
プロローグ 暁の剣聖と呼ばないで!


後半に主人公の設定を少し書き加えました。少しは短篇っぽくなったと思いますので読んでみてください。よろしくお願いします


広大な地下迷宮。通称『ダンジョン』。

世界に唯一のモンスターがわき出る『未知なる穴』。

数多の階層に分かれ、その広く深過ぎる『穴』の全容を掴んだものは誰一人いない。

 

それは、未知なる資源と未知なる体験と未知なる危険。あらゆる可能性が眠る場所。

 

そして、その『未知』に挑む者達を人は『冒険者』と呼んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ロキ・ファミリア】

 

精鋭が集う第一級ファミリア。

仲間達とダンジョン遠征に出ていた彼らは見たこともない新種のモンスターと交戦していた。

まるで芋虫のようなモンスターは、体内から腐食液を吹き出し、体内の体液に関しては鉄の武器すらも溶かした。

一匹ならまだしも、群れでやってきたそれに、リヴェリア・リヨス・アールヴは苦戦を強いられていた。

ファミリアの主力たる面々はクエストに出ており、今この場にいる一線級の使い手はリヴェリアのみ。そしてこの芋虫達は何百匹という恐ろしい数だった。いかなハイエルフといえど所詮は後衛。この状況を打開するには少なくとも一人、手練れの前衛が必要だった。

 

それでも彼女は的確に指示を出す。密集陣形を味方に取らせ、希望の言葉で鼓舞し、動けるもの達に指示を出した。

 

しかし結果はジリ貧。少しずつ、だが確実に虫達は彼らを飲み込んでいく。

 

ーーーー全滅……

 

最悪の二文字が過ぎったその時だった。

 

 

『やれやれ、本来なら関わり合いたくないところだが……』

 

何処かから声がかかる。その声音をリヴェリアは知っていた。

 

ーーーーなんだ私は……ついに耳までヤツにやられたのか

 

1年前、行方不明となったあの時から、リヴェリアは彼の幻を何度も見た。艶やかな黒髪をした後ろ姿の別人を見てその名を呼んだ事はもう両手の指では数え切れない。

その彼の声がこの窮地で聞こえてしまった。幻聴と思っても仕方ない事だろう。

 

しかし、その思い込みは巻き起こった漆黒の炎の爆発が否定した。

 

「アンタの窮地とあっては無視も出来んか」

 

爆炎の中にいたのはリヴェリアが思い描いた少年。記憶の中の彼より少し凛々しい。それもそのはず。一年の時が経っているのだ。一年とはヒューマンにとって外見が少し変わる程度に成長するには充分過ぎる時間だ。

あの黒のローブ。漆黒の長剣。そしてあの炎。本質はまるで変わっていない。間違えるはずがない。

ただ一つ彼女の記憶と明らかに違うのは彼を包む色に逆らうかのように白い髪色のみだった。

 

「リヴィ!!」

「やあリヴェリア、息災かい?」

 

ニヤリと挑戦的に笑うリヴィエール。後ろの魔法部隊からもざわめきが起こる。

 

「彼があの………【暁の剣聖(バーニング・ファイティング・ソードマス)】…「その二つ名で呼ぶなぁ!!剣聖と呼べ剣聖と!!」ごはぁっ!?」

 

嫌いな名前を呼ぼうとした人間を一人蹴り飛ばす。しばらく二つ名について激昂していたが、すぐにモンスターの大群へと向きなおった。

 

「積もる話もあるだろうが取り敢えず後だな。フィン達は?」

「クエスト中だ。直に戻ってくると思うが」

「アイズも一緒か?」

「ああ」

「OK。それまでに片付ける。手伝ってもらうぞ師匠。詠唱の用意をしておけ」

 

それだけ言い残すと再び虫の群れへと飛び込む。同時に捲き起こる大爆発。虫の大群が目に見えてその数を減らしていった。

 

『天を照らすは不滅の光』

 

黒剣を振るいながらリヴィエールも詠唱を始める。戦闘を行いながら魔術を発動させる高等技術。先天的な魔法と剣の才能の二つを併せ持つ者のみが可能とする並行詠唱。この力を持つ者を魔法剣士と呼ぶ。

 

『集え、我に導かれし漆黒の華。尽きぬ炎は愚者を嗤う。黄泉への黒き灯火、邪なる火燐は剣に宿る。咲き誇れ、漆黒の大輪。グローリアの名の下に!!」

 

【燃ゆる大地!!】

 

漆黒の炎が剣の振り下ろしと共に放出される。その威力はまさに燃える大地。今の一撃で約半数は撃退した。

 

討ち漏らした残りをリヴィエールの剣が屠っていく。見る見るうちに虫達は追い詰められる立場へと変わっていった。

 

チラリとリヴィエールが後方を確認すると本隊はすでに態勢を整えており、魔導士部隊の反撃の用意が整っている。流石だ。

 

ーーーーさて、残り半分はリヴェリア達に任せて俺はトンズラさせてもらうーーーーっ!?

 

風が舞い上がる。それと同時に陰る金色。この風をリヴィエールは知っていた。

 

ーーーーくそ、こんなに早く来るんだったら無視してりゃ良かった。

 

しかしもう遅い。此処まで接近されていたならもう自分の炎は見られただろう。ならリヴィエールがいる事に気づくのも時間の問題……

 

と白髪の騎士が思考を巡らせた時には上空から飛翔してきた想像通りの人間が降ってきた。

 

金髪金眼の女神様と見紛う美貌を持つ少女、【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。

 

「リヴィエールっ!!」

 

空から【剣姫】が風をまとって飛んできた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クエスト中に起こった新種のモンスターとの戦闘。それには勝利を収めることが出来た。しかしフィンから告げられたのは本体の危機。仲間を守る為に、金髪金眼の美少女、アイズ・ヴァレンシュタインは疾風となってダンジョンを駆けていた。

 

間にあえ。その一心で、走っていた彼女の心中は支配されていた。

しかし心の中を別の思いが一気に侵略する。

 

遠目から見えた黒い炎。一度燃えれば相手を焼き尽くすまで消えない火。こんな物を扱える人間をアイズは一人しか知らない。

 

ーーーーまさか……まさか…!!

 

これ以上速く走れないという限界の速さで駆けていたにも関わらず、更に速度が少し上がる。今の彼女の心は1年前に消えた彼の存在で埋め尽くされていた。

 

魔法エアリアルを発動させ、炎の発生源に飛翔する。ただ真っ直ぐに、彼のもとに。それだけを願って翔んだ。あと数メドルが信じられないほど長い。

 

それでも距離は詰められていく。ついに心を支配していた予想通りの人物がその姿を見せた。

 

「リヴィエールっ!!」

 

アイズが呼んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

感極まった声を上げるアイズに気まずそうな表情を返す。しかしそれも一瞬。背中合わせに立った二人はすぐに目の前の敵へと思考を巡らせた。

 

「後ろ、任せるぞ。アイズ」

「任せて、リヴィ」

 

遅れて続々とロキ・ファミリアの精鋭達が駆けつけてくる。ヴェアウルフ、ベート。アマゾネスヒュリテ姉妹。ロキ・ファミリア団長、フィン・ディムナ。

タイマンなら負けはしないだろうが、リヴィエールでさえ出来れば戦いたくない猛者達だ。

 

「リヴィ!」

「わかってる!!」

 

背中合わせでお互いを守りながら戦うリヴィエールとアイズ。

 

「蹴り殺してやるぜクソどもがぁあああああ!!」

「やーい、こっちだーー!!」

 

その光景を見てしまったベートがイライラを虫達にぶつけていた。ティオナは楽しそうに戦っている。

 

そしてティオネは……

 

ーーーーリヴィエールがいたのは驚いたけどさすがの強さ。本陣を守ってくれた事には感謝しなくちゃ。それにひきかえコイツら苛つくわね。しぶといし、武器は溶けるし意外としぶとい………糞狼は黙れ千切り殺すぞ。あーもうとにかくマジで………

 

 

めんどくせえ

 

 

「なぁっ!?」

 

近くに偶然いたリヴィの目には素手でこの芋虫に手を突っ込む彼女が見えてしまった。腐食液を出す彼ら相手に自殺行為にしか見えない攻撃。リヴィエールの反応は至極真っ当だ。

 

「じたばた………してんじゃねえ!!」

 

体から魔石を抉り出す。凄まじいと同時に恐ろしい。腐食液は彼女に少なからず掛かっている。怒りが痛みを忘れさせているのだとしても自分には出来ない戦い方だ。

 

「次はどいつ……「じゃねえ!!相変わらずだなお前も死にてえのか!!」

 

戦いながら頭からエリクサーをぶっ掛ける。完治には至らないだろうがコレで死にはしまい。

 

「リヴィエール!てめえ何しやがる!」

「いーからフィンのとこに行け!ちゃんとした治療してあいつに怒られてこいこのアマゾネス!!」

 

頭に登った血がフィンの名前で一気に落ち着く。こんな戦い方は彼が最も望まないものの一つだ。リヴィエールも、勿論ティオネも知っている。

真っ青な表情で後方へと下がっていった。

 

「まったく、いつか死ぬぞお前ら。こんな戦い方してたらよ」

「死なないよ。誰も死なせない。そのために私がいる」

「ああそうかい!!」

 

また一匹斬り伏せる。数も減ってきた。そろそろ頃合いだろう。

 

「アイズ、ムラクモをやる。合わせろ」

「わかった」

 

アイズの剣、デスペラートに風がまとわれる。そしてリヴィエールの黒刀、『カグツチ』からも漆黒の炎が湧き出た。

 

「エアリアル!」

「アマテラス!」

 

風が炎を纏い、竜巻となる。二本の剣は一箇所に集まっていた虫の群れへと向けられる。

 

『ムラクモ!!』

 

漆黒の炎の竜巻が虫の大群を飲み込む。風が止んだ時、残ったのは焼け野原のみだった。

 

歓声がダンジョンの中を響く。それほどまでに追い詰められた厳しい勝利だった。

 

「なんとか片付いたか」

 

リヴェリアから安堵の呟きが漏れる。ひとまず片はついたが勝利と呼ぶには負傷者も多い。実際リヴィエールが助けてくれなければどうなっていたことか。

素直に喜べはしなかった。

 

「リヴェリア!!」

 

中腹から凄まじい速度で駆けつけたのは脳裏に浮かんでいた青年、再会の喜びが先行し、彼の切羽詰まった表情は見逃してしまった。

 

「ありがとうリヴィ、助か……「礼なんぞ言ってる場合か!!あれ見ろ!!」

 

リヴィエールが指さした先には芋虫達が足されたような六Mほどの大きさの、上半身が人の上体を模しているような人型の巨大なモンスターが現れたのだ。挙句には、爆発する光る粉――爆粉を撒き散らす。

腐食液だけでも厄介だったものが、巨大化し、爆粉をも使うようになったのだ。

 

「なんだ、アレは」

「あんたが知らんもんを俺が知るわけなかろうが」

 

自分より遥かに長い時を生きるハイエルフ。彼女が知らないことなど神を除けばまず誰も知らないと言っていい。

 

これからの行動を思い、息を吐く

 

「とっとと撤退の指示を出せ。乗り掛かった船だ。時間は稼いでやる」

「な!?何を言ってるリヴィ。私達も」

「馬鹿、冷静になれ。今のあんたの部隊でロクに戦えるやつなんざあんた以外いねえだろうが」

 

その言葉にリヴェリアは何も返せない。元々本陣は中堅以下が過半数を占める後方支援部隊。リヴェリアを除けばこの50階層でまともに戦える戦力はいない。しかも負傷者までいる。戦力どころか足手まといだ。

 

「だが……っ!!」

 

爆粉が撒き散らされる。反応の遅れたリヴェリアは食らう覚悟で目を閉じたが、想像した衝撃は全く来ない。目を開けると白髪の剣聖が黒い炎を展開し、リヴェリアを守っていた。

 

「ぼさっとするな【九魔姫(ナイン・ヘル)】!!指示を出せ!副団長!!」

「ーーーーっ!?」

 

滅多に彼から呼ばれない二つ名と地位の名前が叫ばれる。

 

ーーーーこんな時だけ……くそっ、卑怯者め。

 

感情論など言えなくなってしまったではないか。

 

「撤退だ!殿は|暁の剣聖《バーニング・ファイティング・ソードマスター》に任せる!速やかに引け!!」

「その名で呼ぶなっ!!剣聖と呼べ剣聖と!!」

 

うるさい、これくらいの仕返しはさせろ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「総員撤退だ」

 

ほぼ同時刻、ロキ・ファミリアの団長も撤退命令を出した。不平の言葉も上がるが団長として聞き入れるわけにはいかない。

 

「月並みな言葉で悪いけど、あのモンスターを始末して最小限の損害に抑える方法は一つしかない」

 

小柄な少年の視線が中腹から戻ってきた金髪の少女に向けられる。

 

「アイズ、あのモンスターを討て。リヴィエールと二人でだ。彼も来ているんだろう?」

「ーーーーっ!?」

「そんなっ!?」

「団長!ご再考を!!」

「二度も言わせるな、リヴィエールはきっともう戦っているぞ。急げ」

 

小柄な少年とは思えない……いや、実際違うのだが、威圧のある言葉に全員が押し黙る。その頃にはアイズは既にモンスターへと走っていた。

 

「大丈夫だから」

 

この一言だけを残して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だぁああ!くそっ!?とんだとばっちりだ!ココまでしてやるつもりなかったのに!!」

 

リヴェリア達の部隊を爆粉から守るために囮役を買って出る事になってしまった。黒炎は彼らに使ってしまっている。今は常に高速移動をする事でなんとか対応していた。

 

ーーーーチッ!この粉で広範囲攻撃やられたら俺の炎じゃ守りきれん。なら!

 

一気に懐にまで潜り込む。リスク上等、燃える男のインファイト。リヴィエールが選んだ戦術はコレだった。

 

「焼き切れろ!!」

 

一閃。敵の腕部に一撃を入れる。しかし薄皮一枚を焼くのみで斬れはしなかった。感心したように口笛を吹く。

 

「硬いな。面白い!」

 

驚くと同時に安堵する。これほどの硬さを誇るならうっかり殺しちゃう危険はゼロに近い。舞い散る爆粉が己を焼く前にリヴィエールは漆黒の炎で粉を燃やし切る。常に自分の周囲に炎を展開させることで爆粉への完璧な対策を行っていた。

 

そして爆発に紛れて金色の風が舞い踊る。

 

ーーーー来たか……流石だ。

 

舌をまく。アイズにではない。フィン・ディムナにだ。彼の立場なら自分でもこのカードを切る。実際に戦っていないにも関わらず、彼はこのモンスターの天敵を見抜いたのだ。

 

「リヴィ!」

「撤退状況は!」

「信号弾が上がる!」

「オーライ!時間稼ぐぞ。エアリアルを展開しろ!」

「うん!!」

 

風が舞い踊る。リヴィエールの炎以外にこの粉に対処できるものがあるとしたらそれは間違いなく彼女の風だ。吹きすさぶエアリアルは粉も、腐食液も、溶解液も全てを吹き飛ばす。

 

嵐のような乱撃を二人でお互いをカバーしながら防ぎきる。全ての脅威がエアリアルとアマテラスで防げると証明された今、此方から倒そうとしない限りこの攻防は幾らでも続けられる。二人にはその確信があった。

 

乱撃の中で上がった撤退完了の信号弾。目標撃破の許可。

 

「アイズ!貫くぞ!」

 

リヴィエールは黒炎の煙幕を展開した。

その意味を正しく理解したアイズは煙を利用して接近。リヴィエールも跳躍する。

 

完璧なフォローの中、アイズは想う。

 

ーーーー強くなりたい

 

大事な人達を守れるように。

二度と失くさないために。

そして……悲願のために。

『彼』のように……。

私はどこまでだって強くなる――

 

 

『アイズ、一つ秘伝を教えてやろう』

 

幼い彼が昔、得意げに語ってくれたこと。それは今もアイズの中で大切な教えとして秘められている。

 

『必殺技ってのはな、叫ぶと威力が上がるのだ!』

 

 

「エアリアル………」

 

最大出力!!

 

豪風の中、アイズの背中に手が添えられる。

 

「今度は俺が合わせる。飛べ」

「………うん!」

 

背中から掛かる誰よりも頼もしい声。既に炎を展開しており、発射台の準備は完璧に出来ている。

 

「リル・ラファーガ」

「インドラの矢」

 

弓状に展開された黒炎の蔓がアイズを乗せて引きしぼり、放たれる。同時に加速する金色の風。

 

刹那、100メートル以上離れた相手にモンスターは全力の防御態勢を取る。この反応速度はモンスターならではといえる。

しかし……

 

爆炎により加速した閃光は止められない。

 

爆風と同時にモンスターに風穴が開く。倒された証と言わんばかりに、体液が飛び散った。

 

一筋の閃光となって貫いたアイズは上空から落下してくる。想像以上の加速にバランスを失っていたアイズは態勢を整えられないまま重力に逆らえず落下していった。

 

ーーーーっ!?

 

来る衝撃に備え、ぐっと身構え、目を閉じる。

だが、感じたのは衝撃ではなく、温かな抱擁。

ダンジョンの地面はこんなにも心地いいものなのかと、考えてしまう。

 

「……お前も相変わらずだな、詰めが甘い」

 

耳元から聞こえた声にハッと目を開いた。

目に飛び込んで来たのは白。次に見えたのは風に翻る黒。

そして黒い瞳が自分を見つめた。

 

「……大丈夫か?」

「……」

 

その言葉にアイズは返事をする事が出来なかった。ただただ、目の前の白い彼を見つめていた。昔、父が言っていたことが脳裏に蘇る。

 

ーーーーいつかお前だけの英雄に会えるといいな。

 

「!」

 

 トンと地面に着地した振動で、我に帰る。

そこで気付いた。白い彼に抱き抱えられていたという事に。

先ほどまでそれどころではなかった為、彼の存在を確かめる事が出来なかった。夢か現か確認するすべがなかった。しかし今、戦いが終わり、目の前に憧れた英雄が立っている。

 

「リヴィ」

「見事だった、アイズ。強くなったな」

「っ………」

 

その言葉を聞いて何度も何度も首を横に振る。彼を守れなかった自分にはその言葉は相応しくない。

 

「ーーーーあっ」

 

地面に下ろす。その声には寂しさが混ざっていた。

 

「…………帰ろうぜ」

「うん。リヴィも一緒に行こう、ね?」

「チッ」

 

本隊が撤退していった方向へ二人は歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アイズ!!」

「アイズさん!!」

 

後方から聞こえた爆発音に誰もが不安の声を上げる。

その中で唇を真一文字に結び、信じるエルフがいた。

 

ーーーー大丈夫……アイズさんとリヴィエールさんなら……きっと

 

出来ることならあの場に残って一緒に戦いたかった。けれど今の自分の弱さではそれは出来なかった。

 

ーーーーだからせめて信じて待つって決めたんだ!

 

あの人達はどこまでも強い二人だから………追いつきたくても追いつけない。

 

風が彼女に吹き付けられる。同時に感じる熱。この力強く、優しい風と炎をエルフの少女は知っていた。

 

ーーーー私の誰より憧れる…

 

 

アイズ・ヴァレンシュタインとリヴィエール・グローリアなんだから!!

 

 

森の中から軽い傷をあちこちに負った二人が現れる。男はやれやれと言わんばかりに乱れた白髪を掻き、少女は決して逃さないように男のローブを指でちょこんと掴んでいた。

 

二人の姿を見た途端、安心したように駆け寄ってくる仲間達。

 

真っ先にティオナがアイズに抱きつき、レフィーヤが続く。皆が仲間の帰還を喜んだ。

 

その光景を見てリヴィエールは笑みが零れると同時に、懐かしさと後悔が胸に去来する。

 

自分が以前所属していた太陽神ルグ・ファミリア。自分と主神のみの最小限の構成だったにもかかわらず、その成長速度はまさに日の出のごとき勢い。オラリオでは暁のファミリアと呼ばれ、その名は知れ渡っていた。

最前線に潜っていたリヴィエールはロキのところと幾度となくぶつかった事がある。また今回のように組んだ事も。

 

だからこの光景は何度も見てきた。彼らはあの頃と何ら変わっていない。しかし自分は何もかも失ってしまった。

 

 

リヴィ、私を殺して

 

 

1年前、前主神と交わした最後の言葉。激昂のまま、彼女を斬ったところで彼の記憶は途切れている。

 

ーーーールグを斬った俺なんかがここに居る資格はない

 

自嘲するように笑うとそのままこの場を去ろうとする。

 

しかし、そんな彼をアイズは見逃さなかった。ローブを再び掴む。

 

「あー!リヴィエール!どこ行くつもりなのよー!久しぶりに会えたんだから少しはゆっくり話そうよー!」

「お、おい、ティオナ…」

 

褐色の肌の身軽なアマゾネスが動きを止めたリヴィエールに飛びかかる。すると見知った顔がぞろぞろとこちらに集まってくる。

 

「良く生きていてくれた、リヴィエール。嬉しいよ、友として再会を祝福させてくれ」

 

金髪の少年が握手を求める。

 

ーーーーフィン……

 

「………ケッ。まあてめえがそんな簡単にくたばるとは思ってなかったけどよ」

 

顔を背けつつも、声音と態度に喜びを交えるヴェアウルフ。

 

ーーーーベート……

 

「その、さっきはありがと……リヴィエール」

 

ただでさえ薄着のアマゾネスが腐食液のせいでほぼ裸のような格好の豊満な肢体を持つもう一人のアマゾネス。

 

ーーーーティオネ……

 

「ご、ご無事で何よりでした!リヴィエールさん!」

 

少し自分に自信のない、勤勉かつ誠実なエルフ。

 

ーーーーレフィーヤ。

 

「リヴィ…」

 

手を差し出してくる金髪金眼の美少女。

 

ーーーー…………アイズ

 

「おかえり、リヴィ」

 

その言葉を発したアイズの姿に前主神の姿がダブる。声も髪色も、何もかも違うのに、その言葉を発した時の二人の表情が驚くほど似ていた。

 

『ほら、待っていますよ』

 

そんな声と共にトン、と背中を誰かに押される。一歩前に出ながら振り返るが後ろには誰もいない。

 

ーーーールグ……

 

声の主の名前を心中で呼ぶ。もちろん返事はない。しかし、心の中の彼女は笑ってくれた気がした。

 

「…………ああ、ただいま、皆」

 

まだ何も吹っ切れてはいないけど……それでも許されるなら、俺ももう逃げるのはやめよう。そう決意し、今度は自分の意思で一歩を踏み出す。アマゾネス姉妹を筆頭とした手荒い歓迎が彼を迎えた。

 

リヴィ、笑って

 

ルグの声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

地下50層にてロキ・ファミリア及びリヴィエール・グローリア、ダンジョン遠征を終了。この時点より帰還行動に移った。

 

 

 




後書きです。なんか思いついたので息抜きで書いてみました。連載するかは反響次第です。よろしくお願いします。



ちなみに主人公、プロフィールです

リヴィエール・ウルス・グローリア
Lv.6。二つ名【暁の剣聖(バーニングファイティングソードマスター)】もしくは【剣聖】
力:S 914 耐久:A 820 器用:S 958 敏捷:S 999 魔力:S 912
発展アビリティ:狩人:B 調合:F 剣士:S 精癒:I 魔導: A
《魔法》
【アマテラス】
 ・黒炎を生み出す事が出来る。一度燃えたら焼き尽くすまで決して消えない
【ノワール・レア・ラーヴァテイン】
【ウィン・フィンブルヴェトル】
【ヴェール・ブレス】
【モユルダイチ】

 《スキル》
7つ目の感覚(セブン・センス)
 ・第六感を含めたすべての感覚が研ぎ澄まされ、未来予知に近い超感覚を発揮する
 ・状況を問わず効果持続。
【王の理不尽】
効果と詠唱を把握する事でエルフの魔法全てを発現できる


ハイエルフと人間のハーフ。面倒を避けるため、ミドルネームは隠している。見た目は完全に人間のため、パッと見ではわからないが、魔力はエルフ、外見は人間という二種族の長所のみが出ているハーフエルフ。リヴェリアとリヴィエールの母親は従姉妹の関係に当たる。魔法の訓練に当たって、リヴェリアに弟子入りした時に発覚。この事はリヴェリアのみが知る秘密






とまあこんな感じですね。名前をリヴェリアに少し似せていたのはこういう理由があったのでした。それでは次があるかどうかわかりませんが、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。



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Myth1 ミドルネームで呼ばないで!

書き直しました。もう一度よろしくお願いします


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ティオネ達に、頭を叩かれ、髪をグシャグシャにされ、背中に抱きつかれながら、リヴィエールには複雑な心情が湧き上がる。

彼らは大切な友人だが出来れば会いたくなかった。彼らを見たら昔を思い出さずにいられない事がわかってたから。

 

ファミリアの殆どの連中が駆け寄り、再会を喜ぶ中、後ろからゆっくりと歩んできたのは一人のエルフ。リヴィエールが知る限りで二番目に美しい異性。

 

名はリヴェリア・リヨス・アールヴ。友人であり、師であり、姉のような人でさえあった人だ。その美貌には喜びと悲しみと怒りが綯い交ぜになった表情が浮かんでいる。彼女の手が上がった。

 

あ、殴られる。

 

彼女が振り上げた右手を見て数瞬先の未来を察する。卓越した彼の反射神経ならば魔法使いの彼女の一撃を避ける事は容易だったが、それはしない。本気で向かってくるなら本気で対応する。それがリヴィエールの流儀だった。

 

予想以上の衝撃が左頬に炸裂する。目は逸らさず受け止めるつもりだったのに、堪らず首が捻れる。魔導士とはいえ流石はLv.6。張り手といえど凄まじい威力の一撃だった。

 

「バカ者」

 

精緻な双眸がゆがんでいる。殴った彼女の方が辛そうな顔をしていた。ゆっくりと視線をハイエルフに戻す。

 

「今までどこで何をしていた」

「……………………」

「生きているなら、なぜ私に連絡の一つも寄越さなかった。この馬鹿弟子が…!」

「…………ごめん」

「なぜ私を頼らなかった!なぜお前はいつでも何でも一人で片付けようとする!?なまじ何でも一人で出来てしまうからか?誰かに頼る事は恥でも何でもないと私は教えたな?この愚か者が!私はお前にとってそんなに頼りないか!苦悩を打ち明けるには足りん存在か?私を頼ってくれたお前をこの私が笑うとでも思ったのか?答えろ!リヴィエール・ウルス・グローリア!」

 

「…………見たくなかったからだよ」

 

激昂するリヴェリアの頬に白髪の少年が手を添える。かつて自分の方が低かった背丈が今や完全に見下ろせる身長差になっている。そうなってようやく気付いた。

 

ーーーーリヴェリアってこんなに小さかったんだ

 

「俺にとってあんたはずっと綺麗だった。美しかった。強かった。憧れだった。あんたの弟子であったことは今でも俺にとって誇りの一つだ」

 

誰よりも強く、賢く、凛々しい彼女が自分の事で激昂し、一筋涙を流している。初めて見る彼女の弱さ。予想以上の、彼女の思いっ切りの力で殴られた頬などよりよほど痛む。

 

「あんたのこんな顔、見たくなかった。俺のこんな姿、見せたくなかった」

 

頬の涙を拭う。もうリヴェリアは何も言わない。ただこちらを見上げているだけだ。

 

「でも………だからこそ、俺はあんたにだけは会いに行かなきゃいけなかったんだよな」

 

そうしたらこれ程辛い思いはしなかった筈だ。俺だけじゃない。尊敬するこの人にもこの痛みを背負わせてしまった。

それがどれほど辛いか、俺は知っていた筈なのに……

 

張られて赤くなった頬をリヴェリアが撫でる。この一撃に一年の想いが全て凝縮されていた。極上の料理の一口に様々な味が飛び込んでくるように、この痛みが彼女の怒りを、不安を、悲しみを、全て教えてくれた。今頬に触っているこちらを労わる繊細な指の優しさが自分への想いを語ってくれた。

 

「ごめん、リーア。心配をかけた。許してくれ」

「…………………わかればいいんだ、馬鹿リヴィ」

 

コツンと青年のたくましい胸板を叩く。二人の姿はまるで戦地に出て、長い旅から帰ってきた弟を姉が迎えたかのような光景だった。

 

「あと、これは俺が悪いから言いにくいんだけど……」

「…………?」

 

周りに聞こえないように囁く程度の大きさで耳打ちする。

 

「その名で呼ばない約束だったよなぁ、リヨス・アールヴ」

「え、私ミドルネーム呼んでたか」

「呼んでた」

「ご、ごめん」

「まあ気にしてる奴いなさそうだから今回はいいけど」

 

トッ、と軽い足音が聞こえる。同時に感じる金色の気配。懐かしい、変わらないあの子の色。

 

「リ、ヴィ…?」

 

バッとリヴィエールから離れるリヴェリア。なるほど、確かに(アイズ)に見られるには恥ずかしい姿だろう。

 

「久しぶりだな、アイズ」

 

自分なりに優しく笑ったつもりだったが上手く出来てたかはわからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の言葉に返ってきた彼の返事が胸を詰まらせる。この声を、この瞬間を、いったいどれほど待ち望んだことか。

 

「お前にも心配をかけたな。すまなかった。許してくれ」

「っ!?…………っ、っ、」

 

無言で何度も何度も顔を横にふる。謝ってほしくなかった。謝りたいのは自分なのだから。

 

「リヴィエール、キミ…その髪……」

 

フィンが彼の最も変化した場所を見て唖然とする。同時にこの一年で彼にとって相当な苦悩があった事を察した。痛ましげに顔を伏せる。

 

「イイだろ、これ。気に入ってんだ」

 

髪を払ってリヴェリア達に向け、笑いかける。流れる白髪は遠目から見てもサラサラとしており、まるで絹の糸のようだ。なるほど、確かに美しい。

言外の気にするなという意味を察し、リヴェリアも悲しそうに笑う。

 

「じゃ、俺はそろそろこの辺で」

「待て【暁の剣聖】」

「その名で呼ぶな……!」

 

全く状況説明も近況報告もする事なく、逃げようとしたリヴィエールを緑髪のエルフが摑まえる。

 

「このまま帰れると思っているのか、貴様は」

「いや、ちょっとじーちゃんが危篤になったらしくて…」

「おおそれは大変だな。心配だから私も一緒についていってやろう。本当なら魔法で治癒もしてやる。どうだ嬉しいだろう」

「親しい人間にっ……借りを作るなってっ……ママが……」

「貴様のママがっ…!どれだけ私にっ……!借りを作っていったかっ…!教えてやろうかっ?」

「借金はっ……踏み倒すものだってっ……パパがっ…」

 

何とか逃げようとするリヴィエールの肩をギリギリと音が鳴るほど握りしめるお姉ちゃん(リヴェリア)。それでも彼我の膂力の差のおかげか、ジリジリと弟が脱出に成功しつつあったその時だった。

 

クイ、と裾を引っ張られる。

 

引力の先にいたのは金髪金眼の妖精と見まごう美しさと可愛らしさを持った剣士。どこにも行かないでと大書された顔でこちらを上目遣いで見上げてくる。

リヴィエールがリヴェリアにとって弟なら、アイズは自分にとって妹のような存在だった。そして妹に逆らえる兄などこの世に存在しない。

力を抜いて諦めたように一つ嘆息する。するとリヴェリアも掴んでいた手を離した。

 

「…………どうしろってんだよ」

「話せ。一年前に何があったか。この一年間、何をしていたか、全て話せ。話はそれからだ」

 

不機嫌なリヴェリアから告げられたのはある意味最も残酷な言葉。それを誰もが望みながら、言えなかった。もし言ってしまえば、場合によってはリヴィエールの怒りを買い、今度は死や行方不明とは違う意味でもう二度と会えなくなるかもしれないと思っていたから。

この事を言葉に出して聞けるのはこの中では彼の師であり、それ以上の存在でもあったリヴェリアだけだろう。

 

実際、白髪の剣士は一瞬眉に怒りを滲ませた。しかし頭を一度振って落ち着かせる。もし聞いたのがリヴェリアでなかったら睨みつけた後、戦闘にすらなっていたかもしれない。

 

ーーーーまったく、ハラハラさせてくれる……

 

金髪の小人族、フィンは心中で安堵の息を吐く。リヴィエールが感情的な人間だとも、暴力的な男だとも全く思わない。あの若さで良くも悪くも、自分を律する力を充分すぎるほど備えている。

しかし、自分のパーソナルスペースや誇りを穢された時、彼がどうなるか、フィンは良く知っていた。何の覚悟もなく其処に踏み込んでくる人間にどういう眼をするか、何度も見てきた。主にソレを向けられたのはベートだ。口汚く、遠慮しない彼をリヴィエール自身嫌ってはいなかったが、それでも彼が入ってはいけない領域に踏み込む事はままあった。性格として、口汚く罵ることなどしなかったが、その猛々しい眼のままにベートは正々堂々『表に出ろ』と言われ、ボコボコにされてきた。彼の少し未熟な、けれど瑞々しい自尊心だった。フィンはそれが嫌いではなかった。

 

しかし今の彼は落ち着いていた。遠慮なく踏み込んできたリヴェリアに激しい眼をする事はなかった。苛立ちは無論あっただろうが、呑み下し、頭を振った。

 

ーーーーこの一年であんな顔もするようになったのか…

 

その事に最も近い立場で気づいたのはリヴェリアだろう。穏やかな、しなやかな彼の成長を誰よりも近くで感じた筈だ。

 

ーーーー成長?いや、それだけじゃないな、少し違うか…

 

かつての魔導の師の言葉も、遠慮ない態度も、ともすれば挑戦的に取られる言動も全て自分を軽んじるものではないと、わかっているのだろうか?

 

諦めたように座り込むリヴィエールをもう一度見る。

ああ、やはり気は進まないらしい。ジロリとロキ・ファミリア全体を睨んだ後、口を開いた。

 

「楽しい話じゃねえぞ」

「わかっている。だからこそ聞きたい」

 

また一つ大きく嘆息する。

 

「…………わかった。話す」

「すまないな。だが私達はどうしても聞かなければならん。そうしなければ私達は始められない」

「いいんだ、元をただせば俺が悪いんだから」

 

そう言い聞かせなければやってられないというのもある。

 

「ただし、条件がある。人払いだ。誰にでも聞かせたい話じゃない。本当に聞きたい奴、そして誰にも口外しない奴。そいつらだけに話す。選抜はあんたに任せるよ。それでいいか?」

「勿論だ。約束しよう」

「一応言っておくが俺はあんただから任せるんだ。そのことを忘れないでくれ」

「わかってる。嬉しいよ、リヴィ」

 

ケッと吐き捨てる。そしてロキ・ファミリアの中で少しの時間がもたれる。話を聞く人物をフィンが選抜し、それ以外に対してリヴェリアが魔法で音を遮断する結界を張った。そこまでせんでも、と言い出したリヴィエール本人さえ思ったがそれは口に出さなかった。それだけ彼に本気で向き合ってくれている証だ。

 

そんな時間の中で1秒たりとも迷わずリヴィエールの目の前に膝を抱えて座り込む金髪金眼の少女がいた。

 

アイズ・ヴァレンシュタインだ。

 

「…………少なくとも話をするまではもうどこにもいかねえって」

 

穴が開くほどこちらを凝視してくる少女に言う。彼女が話を聞きたがる事に疑問は何ら持たない。まずありえないが、もしリヴェリアが話を聞かせるものの選抜に彼女が入れていなかったら自分でアイズだけは良いと言うつもりだった。

予想通り彼女は残った。しかしこれ程信用がないとは……

 

先ほどリヴィエールが述べたことは何の裏もない、彼の本音だ。今まで見つからなかったのは行方不明、もしくは死んでいると思われていたが故に組織だっての本格的な捜索がされていなかったからだ。生きている事がばれた以上、ロキ程の有力ファミリアの力を持ってすればオラリオを出ない限り、何処に隠れてもまず見つかる。この場で逃げる気は無意味かつ徒労だ。

しかしアイズはそんな彼の言葉を全く信頼していなかった。こと戦いにおいては仲間以上に信頼できる男だが、彼にはたった一つ欠点がある。

親しい相手程、究極に水臭いということだ。

面倒ごとや厄介ごとに自分や親しい者を巻き込まないために一体何度言いくるめられてきたか。

それでもそれらの行動は全て自分たちを思うが故の事だった。だからこそ我慢もしてきた。しかし今は違う。我慢の限界などもうとっくの昔に超えてしまっている。

 

「もうリヴィの言う事は信じない」

 

仏頂面で答える。彼女の仏頂面はいつもの事だが普段ならそこに邪気は無い。しかし今はその鉄面皮の奥に疑心がふんだんに見えた。

 

「俺、お前に嘘ついた事あった?」

「あった。一年前、また明日って言ったのに会うまでに一年遅刻した」

「それはお前……」

 

いや、言うまい。偽った事には違いない。

 

「俺、束縛されるの嫌いなんだけど」

「知ってる。だから話を聞く。もう逃がさない」

 

信用し直すのはそれからだって事か。なるほど、彼女なりに筋は通っている。信頼とは崩れるのは一瞬だが築くのは実に時間がかかるものだ。よく知っている。これ以上何を言っても逆効果にしかならない。

 

「ーーーー好きにしろ」

「うん」

 

彼女にしては珍しく、横を向いたリヴィエールの顔を、少し笑顔を見せながらじっと見ている。

 

「………………楽しい?」

「うん」

 

邪気のない無表情に戻る。そんな顔をされてはもう何も言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待たせたね」

 

選抜が終わり、フィンが先頭になって連れてくる。メンツはロキ・ファミリアの幹部に他主力メンバー数人。大体予想通りの人物たちがいた。

 

「え、お前らもいんの?」

 

大体の内に入らなかった連中を見る。リヴィエールの視線の先にいたのは三人の少女。

 

【千の妖精】レフィーヤ・ウィリディス

【大切断】ティオナ・ヒュリテ

【怒蛇】ティオネ・ヒュリテ

 

ロキ・ファミリアでいつも一緒にいる同年代の三人組だ。

 

「な、なんですか!私が聞いちゃいけないんですか!?」

「そうは言ってないけど……お前、俺の事嫌いだろ」

 

リヴィエールが極め、彼女が追い求めるバトルスタイル、魔法剣士。自身が前線で戦い、同時に魔法の絶大な火力を持つ速度重視の魔導士。

中でもリヴィエールはそのスタイルにおいてオラリオ最高クラスの実力を持つ万能型中衛職。魔法の訓練はレフィーヤより後から始めたにもかかわらず、戦闘力はもちろん、魔法においても彼女をあっという間に追い抜いてしまった。

しかも第三者の目から見ても、この子あっちなんじゃ、と思われるほどアイズを慕っている。そのアイズの想い人もこの男。

強さ、魔力、そして美貌に魅力、およそ彼女が求める全てを持つ魔法剣士。それが彼女にとってのリヴィエール・グローリアだ。

 

もちろん表立ってどうこうされた事はない。リヴィが悪いというわけでもないし、周りを引き込み、夢中にさせるのは彼の才能の一つだ。

それでも心とは割り切れるものではない。理不尽とわかっていても嫉妬とは止められないのだ。ダンジョンで共に戦った事も何度かあった。その時からずっとこの子から負の感情を持った視線を白髪の剣聖は感じている。

 

「私に任せると言ったのはお前だろう」

「わかってるよ、ちょっと気になっただけだ。アンタの人選に文句をつける気はねえって。気分を害したなら謝ろう」

「わ、私、嫌ってなんかないです!!」

 

レフィーヤを庇うように前に出たリヴェリアに対して謝罪する白髪の剣士に向けて小さなエルフが叫ぶ。それは剣聖が初めて聞く彼女の本音。

 

「確かにリヴィエールさんの事、妬ましかったし、羨ましかった。魔導士になったのだって私より後だったのに、貴方は私なんてあっという間に飛び越えていって、アイズさんにも、皆さんにも一目を置かれてて……私に無いもの全部持ってる貴方に何度も嫉妬してきました」

「……………………」

「でも同時に、貴方は憧れでした。剣を振るい、魔法を自在に操る貴方のスタイルに。ヒューマンである貴方に出来るのなら私にだって。そう思えたから私は努力出来ました」

「レフィーヤ……」

 

頬を指で掻く。純粋なヒューマンってわけじゃないからそれはちょっと違うんだけど、と心の中で零す。リヴェリアも少し複雑そうな顔をしていた。

 

「不思議ですよね。今の1秒でどれだけ妬んでも羨んでも、次の1秒で貴方に憧れるんです」

 

それは種族上の理由なんじゃないかと思うが、面倒なので言わない。本来エルフ達が様付けする存在の血が彼には流れている。

 

「だから私、リヴィエールさんを嫌った事なんて一度もないんです。心から聞きたいんです。そんな貴方に一年前に何があったのか。そして出来ることなら私も力になりたい。私だって何度も貴方に助けられてきましたし、貴方は私の 理想ユメ ですから」

 

そこまで言い切ってエルフの少女はようやく興奮が覚めた。顔を真っ赤にしてすごすごと下がる。リヴィエールもどう返していいのかわからず、ただ白い頭を掻いた。

 

「…………まあそういうわけだ。此処にいる奴でお前を嫌う者はいないし、口外するような奴も勿論いない。私を信じてくれるというなら此処にいる者たちも信じてくれ」

 

変な空気になった状況を本物のハイエルフが整えてくれる。

 

「そうだよリヴィエール!友達じゃない、私達」

「団長が場合によっては力を貸すなんて言うんだから私が聞かないわけにはいかないでしょ」

 

アマゾネス姉妹も高らかに笑って心情を述べる。一人は彼のためというよりフィンのためといった動機だったが、彼女の自分の気持ちにストレートな所がリヴィエールには好ましかった。

 

「ちなみにベートは?」

 

いない予想はしていた。それでも主力メンバーの中で唯一いなければ気にはなる。

 

「あのバカは知らん。興味ないそうだ」

「…………そっか」

 

奴なりの意地と優しさだとリヴィは察した。リヴィエールの弱みを聞いてしまったのなら、彼の性格上、貶さずにはいられない筈。しかしそんな事はしたくない、というよりそんな姿をアイズに見せたくない、という方が正しいだろう。なら聞かない方がいいと思ったに違いない。

 

「さて…………少し長くなるぞ、覚悟しておけ」

 

トーンが少し下がり、目が暗くなる。思い返すのは辛いことだったが、彼女らから逃げずに前に進むと決めた以上、話さなければならない。

それにコレは後で話すが、今回出くわした新種のモンスターの件もおそらくはこの話と無関係ではない。深層に潜る彼らには知っておいて貰わねばならなかった。

 

「バロールって神、知ってるか?」

「…………49層の階層主のことでないなら、たしか天界で悪逆を振るったっていう魔神の名前だったはずだが」

「そいつが下界に降りてきたことが始まりだった……らしい」

 

白髪となった剣聖が語り始める。神話や英雄譚でありふれて存在する、とある神と眷属の悲劇を……

 

 

 

 

 




後書きです。連載決定しました〜。応援よろしくお願いします!また何かございましたらご指摘ください。励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。


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Myth2 ツンデレと呼ばないで!

 

 

 

 

何本もの黒い蛇矛が、燃え盛る炎の中でうずくまる女性に突き刺さっている。その女性は太陽の輝きのごときプラチナブロンドの髪を腰まで伸ばし、均整のとれた肢体はまるで奇跡のようなプロポーションを誇っている。豊かな胸元を大きく露出する純白のドレス姿はまさに女神の美しさだ。

それ故にただただ凄惨の一言に尽きるその姿もゾッとする程魅力がある。白い肌に流れる血の赤さが獣性を煽り、睨みつける強い瞳が嗜虐心を刺激した。

その隣には艶やかな黒髪に黒のローブ、そして漆黒の刀を持った騎士が膝をついていた。彼もまた鍛え抜かれた完璧な戦士の身体を持ち、顔はまるで作り物ではないかとさえ思える美貌をした男だった。それもそのはず。彼は容貌の美しさでは神を除けば種族一と呼ばれるエルフの……それも王族たるハイエルフの血が流れているのだから。歳は青年と呼べるかどうかというくらいだろう。

 

「バ……ロール………貴方という(ヒト)は」

 

かつて天界で非道の限りを尽くし、捨て置けなくなった自分が戦い、下した神の名を憎々しげに叫ぶ。あの時、もう二度と身動きできないようにしておくべきだったと太陽神は心から後悔していた。

 

「いやあ、申し訳ない。私としてもここまでやるつもりはなかったのだがなぁ。いやいや、流石は暁のファミリア!太陽神ルグに【剣聖】リヴィエールだ!君たちには幾ら感謝してもしきれないよ!誇っていい。このオラリオを救った英雄は間違いなく君たちだ!」

 

倒れる二人の周囲には多くのモンスターの死骸がある。そのどれもが今までダンジョンで確認された事のない新種。ガラスのような透明な容器が破壊され、破片があちこちに散らばっている。その中心に立つのがルグにバロールと呼ばれた壮年の男。かつて天界でルグに敗北した悪神。顔立ちは比較的整っているが、額に不気味な一文字の切り傷のような線が走っている。

 

「お礼と言ってはなんだが、君の枷を一つといてあげようルグ!君のその素晴らしい太陽の力、私が解き放とう!」

「くっ……うぁああああ!?」

 

悩ましく、艶かしい嬌声がルグから上がる。ゾクゾクとした快感がまるで蛇のように身体に進入し、自分の体が自分のものでなくなったかのような感覚に支配された。

 

「さあ、私の目を見ろ!」

 

精神が乱れた瞬間に額についた単眼が見開かれ、その視線がルグに注がれた。その瞬間、女神から眩い光が解き放たれる。

 

「アルカ……ナム」

 

自分の主神が放ったオーラに吹き飛ばされ、地に這いつくばる黒髪の剣士がその力の正体を呟く。超越存在の彼女達ならば誰もが持つ、下界では使ってはいけない神威。彼女の場合は太陽の力。周囲の空間を揺らめかせ、激しく大気を鳴動させる。その光と熱はまさに太陽の名に相応しい威光を放っている。

 

「はははは!素晴らしい!そう、それこそが君の力だ!私がかつて敗北し、そして求めた絶対の光!さあ、今こそそれを寄越せ!」

 

光に向けて手を三つの目を持つ男が手を伸ばす。彼が天界で敗れたこの力を手に入れるためには彼女を暴走させる必要があった。意識のない状態でのアルカナムはひどく不安定に発動する。奪うにはその不安定による隙を突くしかない。そのために作り出したあの黒い矛はすでに彼女の体内に埋まっている。あとはそれを取り出せば彼の計画は完成する………

 

「ーーーーーっつあ!?」

 

バロールの手が弾かれる。傷つけられ、精神を支配されかけても彼女の心はまだ死んではいなかった。暴走する自分の力を必死に制御し、強い瞳でバロールを睨んでいる。

 

「ーーーーははは……流石だ、ルグ。下界に降りて、愛した人間が出来たせいで君はすっかり腑抜けてしまったかと思っていたのに。そう、その目だ。その目だけはあの頃と変わらない」

 

弾かれた腕を押さえながら3眼の男が笑う。微笑う、嗤う、嘲う。

 

「私を倒した女神の目だ!!」

「っ、ぁああアァアアア!!!」

 

バロールが指を鳴らす。黒い雷が彼女の体内を暴れまわり、焼き尽くす。

 

「ル………グ……」

 

立て、剣を握れ、あの男を斬れ。何度も何度も自分の身体に命じる。しかし持ち主の意思に反し、身体はピクリとも動かない。

 

「うーむ、君はどうやら痛みじゃ折れないみたいだなぁ……困った。何を壊せば一番君に効くのだろう」

 

ーーーー何の為に強くなった!それだけを考えて生きてきたじゃないか!ルグは今あんなにも強く戦っているじゃないか!

 

『リヴィ!一緒に始めましょう!』

 

頭に響く彼女の声。

 

「まも……る………今度………こそ」

 

必死に剣の在り処を手で探り、掴む。軋む身体に鞭を打って肘を立てた。

 

「なるほど、コレか」

 

いつの間にかバロールが手に持っていた黒い矛がリヴィエールを貫く。腹と口から血が噴き出た。

 

「えっ…………?」

「ーーーーゴブッ」

「そんな……リヴィ……ぁ……イやぁああああああ!!!?」

 

止められていた波動が再び爆発する。壁は吹き飛び、地は焼かれ、血は蒸発する。

 

「ハハハハハ!!やはりコレか!?こんな小人が君の心の支えだったのか!?だとしたら君の目も随分曇ったモノだ!」

 

何度も、何度も矛を刺す。見せつけるように、踏み潰すように。

 

「どうした剣聖!かの太陽神が眷属というのならば立って見せろ!いつまで無様に転がっている!」

「や……ヤめて……バロール。ヤメ……ぁあああ」

 

突き刺されながら、リヴィエールはなんとか手を動かす。地面を這う。バロールに近づくために。

 

「そうだ!足掻け!うごいてみせろ!もしかしたら、まさか、そんな哀れな希望を彼女に見せてやってくれ!」

「もう……やめ………リヴィ………リヴィ……」

 

リヴィエールが動けば動くほど、抵抗すればするほど、バロールは愉悦の笑みを浮かべ、矛を振り下ろす。決して一撃では死なないよう、急所を外して。

その姿をルグに見せつけた。

 

「ああ、いいよ!リヴィエール!君は綺麗だ!その無様!弱さ!君の母を思い出す!君のように、無力で、愚かで、美しい女だった!」

 

狂気に満ちたバロールの声は良く聞こえない。痛みさえも感じることができない。身体に入る異物感のみ、なんとなくわかった。

 

「君はコレで全てを失う!あの女のように!」

 

ーーーー俺が……弱い………俺が……失う……

 

 

 

『オレハムリョクダ』

 

 

 

知ってるよ、そんな事

 

【集え、大地の息吹ーー我が名はアールヴ】

 

緑色の光がリヴィエールを覆う。物理、魔力属性から対象者を守る補助防御魔法。僅かだが身体の傷も癒す。

緑光の加護(ヴェールブレス)】リヴェリアから盗んだ、唯一の補助魔法。

 

黒剣を握る。今度は力強く、身体に力を込めて。

 

「もう何も……失くさない…」

「そんな………バカな……ゾンビか、貴様は!!」

「今の俺が弱いなら………俺はここで………」

 

限界()を超える!!

 

力任せに剣を振る。それは剣聖が振るうにはあまりにお粗末な太刀筋。しかしそれでもバロールを弾く程度の威力はあった。

 

崩れ落ち、剣を支えに膝立ちになる。最後の力を振り絞った一撃だった。

 

「こ、この死に損ないが!アルカナムを使えないと思って良い気になりやがって……!もういい、ジワジワと殺してやろうと思ったが、コレで!!」

 

顔面目掛けて振り上げたバロールの腕。しかし振り下ろされる事はなかった。

 

「…………?」

 

不思議に思い、右手を見ると肘から先が消し飛んでいる。

 

「あ、ああ……ぁあああああ!!」

 

激痛と灼熱がようやくバロールを襲う。まるで腕の中に溶岩を流し込まれたような痛みと熱にバロールはのたうち回った。

 

「ーーーーよくも……」

 

波打つ波動の中、荒れ狂う激情の中でルグはそれだけを言った。

さらに言うならルグは今、己の力を暴走させてなどいなかった。湧き上がる太陽の力の奔流をコントロールしていた。

 

リヴィエールが立ち上がった姿。神の理不尽という名の敵を斬り捨てた光景がルグに冷静な思考と静かな憤怒を与えてくれた。

その上で彼女はアルカナムを使う事に何の躊躇もなかった。

本来であれば今回、ルグは被害者だ。無理矢理に使用させられたアルカナム。異形の新種を屠った眷属。褒められこそすれ、責められる事はまずありえない。事の顛末が明らかになればルグは追放、もしくは強制送還などされないだろう。

しかし今は違う。明らかに自分の意思で神の力を使ってしまった。これは明らかな違反。その事をルグは充分すぎるほど理解していた。

 

ーーーーでも、もういい。

 

今この敵を屠れるなら、彼の敵を消しされるのなら、それだけでいい。

 

そんな事は目の前の敵を許す理由にはならない。

 

「リヴィを傷つけただけでも許せないというのに……私を利用した上で、リヴィを殺そうとしてくれたな。一体どうしてくれるんだ?なぁ、バロール」

 

太陽の光を右手に集中させる。その光は槍の形状となった。いつもの人を包み込むような柔らかな太陽はもうどこにもいない。ただ相手を焼き尽くし、消し飛ばす煉獄の炎のみがバロールの前にあった。

しかしそんな事を気にする余裕は今のバロールにはない。

 

「い、痛い……痛い激痛(いた)苦痛(いた)辛苦(いた)いイタぃいいいい!!」

 

失った右手を抱えて、もがく。その姿は醜悪の一言に尽きた。

 

「………痛い?痛いだと……………私の息子(リヴィエール)の痛みは……こんなものじゃなかったぞ!」

 

光の槍が放たれる。額の目に槍は突き刺さり、炸裂する光は絶叫と共にバロールを飲み込み、その姿をチリ一つ残さず消しとばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一撃の下、バロールを屠った後、波打つ波動をそのままに、ルグはリヴィエールと相対した。

 

「ル………グ……」

「ありがとうございます、リヴィ。全て貴方のおかげです」

 

金色のオーラをそのままにルグは笑顔を見せる。それはいつもの優しい彼女の笑みだ。オーラがリヴィエールを包み込み、僅かだが傷を癒す。

太陽の光は全てを焼き尽くす煉獄の炎のみではない。恵みを与える光もまた太陽だ。今の彼女のアルカナムなら彼の傷を癒す程度の事は容易だ。

 

「リヴィ。時間がありません。聞いてください」

 

青年の頬に手を添えながら、優しく囁く。

 

「暴走させられた神の力(アルカナム)は二度と元には戻りません。いずれ私は太陽そのものになってしまいます」

 

告げられたのは残酷な未来。このままでは自分たちどころか、この世界全てを滅ぼしてしまうと彼女は言ったのだ。

 

「そんな………だって今、現に」

 

コントロール出来ているじゃないか。そう言おうとしたのがわかったのか、彼女はゆっくりと顔を横に振り、苦笑する。

 

「一時的に小康状態にさせているだけです。いずれ堰き止めている堤は破壊され、力は際限なく溢れ出します」

「そんな………」

 

神の力の威力にリヴィエールはただ絶望する。満身創痍である事などもう忘れてしまった。立ち尽くし、ルグの手を握る。

 

「なんとかならないのか!何か手はないのか!?」

「大丈夫です、一つだけあります」

「なんだ?何でも言ってくれ!あんたを救うためなら俺は」「完全に暴走する前に、私を天界に送還する事です」

 

まるで何でもない事のように告げられた方法に絶句する。人の手でそれを行う方法など、たった一つしかない。

その方法は聡明なリヴィエールはとっくに思いついていた。その事にルグも気づいていた。だからこそ太陽の眷属はそれ以外の方法が語られる事を期待していた。しかしそれは裏切られた。掴んでいた手が力なく落ちる。

 

「………ウソだと………言ってくれ」

「リヴィ、私を「わかったもういい!ならせめて何も言わないでくれ!!あんたとなら一緒に死んでもいいよ!だから頼むルグ!お願いだから!!」

 

激昂する眷属の首に手を回し、愛しい青年をギュっと抱きしめ、言った。

 

 

「リヴィ、私を殺して」

 

 

眷属の願いを無視して語られたのは予想通りの方法。考えうる限り、最悪の手段。

 

「なんで………こうなっちまうんだよ」

 

絞り出されるように出てきた涙交じりの言葉。一度全てを失い、一人で生きて、彼女と出会い、人間にしてもらい、家族となった。

 

もう二度と失わない。たとえ俺がどうなろうと、あんただけは。

 

そう思ってひたすら強くなったというのに……

 

ーーーー俺はまた………全てを失う

 

「全てなんかじゃ、ないじゃないですか、リヴィ」

 

両頬に手を添え、正面を見させる。涙に溢れる緑柱石の瞳がルグの蒼い瞳を捉えた。

 

「貴方には沢山友だちが出来たじゃないですか。ライバルも、師匠も、居場所も、全部貴方が貴方の力で作ったんです。貴方が守ってきたんです。何も失ってなんかいないじゃないですか」

「…………全部あんたがくれたんじゃないか」

 

居場所も、ライバルも、家族も、人の心も……全部。

 

名前もないような場所で野良犬のように生きていた。あそこで彼女と会わなければ、自分は今も野良犬だった自信がある。

 

「私はなにもしていませんよ。知ってるでしょう?私がなんと呼ばれてるか」

 

『ツキの女神』

 

なにも知らない連中は彼女をこう呼ぶ。月と運のツキの両方の意味を込めてこの名がついたそうだ。一見良い意味に取られそうだが、その真意は太陽(リヴィエール)に照らされるだけのたまたま眷属が強かったラッキーな女神という意味。

 

優柔不断で自己主張の少ない、流されがちな彼女につけられた皮肉な名前だ。

 

「他の奴がなんて呼ぶかなんて……どうでもいいよ。そんな事言う奴俺が全部ぶったぎってやる」

「こら、そんな怖い事言う子を眷属にした覚えはありませんよ」

 

駄々をいう子供を諌めるかのような優しいいつも通りの彼女の声音。それが尚更リヴィエールの悲しみを煽った。

 

ーーーーならせめてもっと俺を罵ってくれ。もっと俺を責めてくれ。俺が弱いからこんな事になったんだと殴ってくれよ。優しくなんか……しないでくれ

 

「できませんよそんな事。私はウソをつくのが嫌いなんです。知ってますよね?」

 

自分の心を彼女が読める事に疑問など何もない。それだけの信頼と絆、つながりを長い時をかけて神と眷属は育んできた。

 

「リヴィエール……」

 

それは眷属にとっても同じ事が言える。

 

ーーーーいい子だから、これ以上私を困らせないで?

 

自分を撫でる手と表情でルグの心は何の狂いもなく伝わった。震える手で拳を握る。

 

「俺………あんたから大切なものいっぱい貰ったのに………何一つ返せてないじゃないか」

「何を言ってるんですか!怒りますよ!与えられていたのはいつだって私でした!」

 

涙を溢れさせる眷属の前に、本当に怒ったような、プンプンと頭に擬音がつくような顔で子を見上げる。

 

「今でも忘れませんよ。この腕に収まるくらいしかなかった貴方の鼓動を初めて感じたあの時を。自分の体でもないのに心から震えたあの瞬間を」

 

怠惰で退屈な神の世界にうんざりしていた。それは下界に降りてもさほど変わらなかった。何もかもがセピア色に写っていたあの頃、小さな少年を腕の中に抱き、一緒に暮らし始めたあの瞬間から、ルグの世界には色が付いた。

 

「貴方の存在が、言葉をかければ返ってくる返事が、光の速さで遂げていく成長が、全てが嬉しかった。貴方こそが私の生きた証で、誇りでした。太陽神で、貴方に会えて、本当に良かった!!」

「ルグ……ぅああ……ぁああああ!!」

 

胸の中に顔を埋め、臆面もなく涙を流す。今や主神より遥かに大きくなった身体を丸めて。主神も眷属を優しく抱きしめた。

 

「…………リヴィ、すみません。もう少しこうしてあげたいのですが…そろそろ限界です」

 

回していた手を解く。それはもういくら言葉をかけても答えないという意思表示。10年以上付き合ってきた彼女に初めて取られる拒絶の行動。

 

「あんたのいない世界で……明日からも生きろって言うのかよ」

「私の最初で最後のワガママです」

「何が最初で、だ。偉そうに。メシも金も何もかも俺にさせてきたくせに」

「ふふん、神ですから!」

 

豊かな胸を張る。違いないとようやくリヴィエールも笑みをこぼし、地に落ちていた黒刀を拾った。

 

鞘に収め、腰だめに構える。

 

【居合斬り】

 

極めれば斬れないモノはこの世にないとさえ言われる斬撃の技術。この刀を打った鍛治師に教わった技術。

 

納刀する数瞬の間に思い出が脳裏に蘇る。

 

 

 

 

 

 

【助けてくれてありがとうございます。初めまして、私はルグ。太陽神ルグです。貴方の名は? 】

 

別に助けた覚えはない。邪魔だったからどかしただけだ。それよりサッサと帰んな。おのぼりさんが来るような所じゃねえんだよ

 

【…………凍ったような目をしていますね。太陽神として興味深いです。その氷、私が溶かしてあげましょう】

 

いらねえからとっとと失せろ

 

 

 

 

ーーーールグ……俺の……神

 

 

 

 

【どこ、ここ】

 

私の家ですよ。そして今日から貴方の家です!まあ友神に借りただけで10年近くほったらかしだったそうですが

 

【帰る】

 

あ〜!待って待って待って下さい!一緒に掃除しますから〜〜!

 

 

 

 

 

ーーーーリヴィ……私の子

 

 

 

 

 

【リヴィ!聞いてください!】

 

うるせえな、なんだよ

 

【私、ファミリアを始める事にしたんです!】

 

ふーん、やれば?んじゃ俺働いてくるから

 

【一緒にやりましょう、リヴィ!私は貴方と始めたいです!】

 

…………わかったから首抱きしめないで

 

 

 

 

 

ーーーー貴方がいてくれたから今の俺がある

 

 

 

 

 

凄い凄い!凄いですよリヴィ!もうランクアップです。レベル2ですよ!わずか半年。最速記録です!

 

【別に興味ないよ……で、ランクアップしたらなんか貰えんの?】

 

ええ!二つ名が付きます。大丈夫、任せてください。張り切ってカッコいいの貰ってきますからね!

 

【…………期待しないで待ってるよ】

 

 

 

 

ーーーー私は太陽神ですけれど貴方こそが私にとって太陽でした……

 

 

 

 

 

…………何それ

 

【だから二つ名ですよ。太陽神の眷属の剣士という事で、暁の剣聖(バーニングファイティングソードマスター)

 

なにその二つ名!?バーニングとソードマスターはともかく、ファイティングどっから来た!?

 

【あ、アレ?地上の子はこういうのを好むと聞いていたのですが……】

 

明らかにバカにされてつけられた名前だろ!!

 

【あ、剣聖ともつけられてましたよ?コッチはロキが勧めてくれたのですが】

 

ロキ?だれそれ

 

【悪友ですよ】

 

 

 

 

 

ーーーー思えばあいつらとの付き合いも二つ名(コレ)がきっかけだったなぁ

 

 

 

 

 

【魔法?】

 

ええ、発展アビリティで魔導が目覚めて……それにこの魔力量……前から気にはなっていたんですが……リヴィ、お母さんの名前オリヴィエですか?

 

【え?なんで知ってんの?俺も名前以外知らないのに】

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーあの時はびっくりしましたね……

 

 

 

 

 

 

 

 

【これやるよ、ルグ】

 

ネックレスとアイリスの花?一体なんで……

 

【…………今日は、その……アレだろ】

 

私達が初めて出会った日。

 

リヴィ……嬉しいです。絶対大切にします。えっと、この花の花言葉は確か………

 

 

貴方を大切にします

 

 

えっとリヴィ?コレ、意味わかって……

 

【…………うるせえな、コレでも感謝してるんだよ、あんたには】

 

……っ、デレた!ついにリヴィが……クララがデレた!

 

【だぁれがクララだ!デレてない!やっぱ返せそれ!】

 

断ってあげます〜!えへへ、リヴィ、大好きです!!

 

【ウザい】

 

もう、可愛くない!けど可愛い!

 

 

 

 

 

 

 

ーーーー人間って都合いいなぁ。腹立ったことも。付き合いきれねえと思った事も数え切れないくらいあったのに…

 

ーーーー生意気だとか、可愛くないとか、素直じゃないとか、不満もたくさんあったはずなのに……

 

 

『楽しい思い出しか見つからない』

 

 

この10年間で色んなことがあった。苦難も、厄介ごとも、試練もたくさんあった。

けどそれ以上に楽しかった。二人でいっぱい怒って、いっぱい苦しんで、いっぱい泣いて、そして……いっぱい笑った。

 

 

【リヴィ】

 

【ルグ】

 

 

二人の顔から笑顔と同時に涙が溢れる。二人とも愛しさと悲しさが溢れて止まらない。リヴィエールは負傷により、流れる緋色と涙が混ざり、まるで血の涙のようになっている。

 

「すみません。辛い役目をさせてしまいますね」

「…………いいんだ。俺がやるべき事だから」

 

俺がこの世で最もやりたくない事だけど、それ以上に俺以外の誰にもやらせたくないから……

 

「リヴィ、自由に生きてください。私の事を忘れて、と言えるほど私は出来た神ではないので……時々は太陽でも見て思い出してくれると嬉しいです」

「なら毎日見えないものの神になれよ。太陽なんざ絶対毎日見るだろうが」

「そんな事私に言わないでください。私だってべ、別になりたくて太陽神なんかになったんじゃないんですからね!」

「なんだよその唐突なツンデレ……」

「ツンデレはリヴィだけの専売特許じゃありませんよ?」

「ツンデレ呼ぶな!!」

 

最期だというのに二人のやりとりは驚くほど相変わらずで。出会った頃と変わらなくて……

 

「ふふっ」

「ははっ」

 

笑ってしまった。ようやく笑えた。

最後に脳裏に過ぎったのは二人とも同じ思い出だった。

 

 

 

【じゃーーん!見てくださいリヴィ!これが私達のファミリアのホームとエンブレムですよ!】

 

それは彼と彼女の二人だけのファミリアが発足した日。ファミリアを作るとルグが言ってから数日後、掘っ建て小屋にはルグ・ファミリアと共通語で書かれた簡素な看板と剣の鍔に太陽が刻まれたエンブレムが掲げられている。

 

【知ってるよ、俺が書いたんだし】

【デザインは私ですよ】

【実にわかりにくいパースだった】

 

顔に絵の具をいっぱい付けた少年が今までの苦労を思い出し、嘆息する。

しかし確かに達成感は少なからずある。誰かと共に何かを成した事など少年にとって初めてだったから。

 

【さあ、気合い入れていきましょう!】

【入れるのは主に俺だけどな】

【大丈夫ですよ、リヴィならきっと出来ます。凄いファミリアになりますよ!だって貴方は私の自慢の眷属ですから!】

 

年齢に不相応な、大人びた笑みを黒髪の少年が浮かべる。可愛げのない眷属をルグが抱き上げた。

 

【とにかく、ここからがスタートです!私達の伝説はこれからですよ!】

【伝説かどうかは知らんが、まあ今はとにかく走るさ】

 

 

いつか必ず来る、終わりの瞬間まで。

 

 

そうだ、知っていたはずだろう。必ず来るとわかってた時が来た。それだけだ。

 

ーーーーほら、最期なんだから……顔を上げろ、俺

 

ーーーー胸を張って、彼の目を見つめて……

 

この誇れる女神(眷属)に相応しい顔で!!

 

「さよなら、母さん。元気で」

「さようなら、リヴィエール。愛しています。私の自慢の、可愛い息子」

 

次の刹那、声にならない叫び声とともに漆黒の剣尖が鞘から放たれた。手応えだけが手に残る。

 

リヴィエールの意識は闇に消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。いかがだったでしょうか?それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです


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Myth3 ダ女神と呼ばないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

騒然とした空気の中、リヴィエールは深くため息をついた。一年という月日が経っても、未だ心に大きく残る傷跡を再び鮮明に語る事は彼にとって難しくはない。何一つ忘れていない、彼にとっては昨日の事のように話せる内容だ。しかし心の痛みだけはごまかしようがなかった。それを紛らわせるために嘆息した。

 

ふと視線を上げると誰もが鎮痛な面持ちで佇んでいる。リヴェリアはその整った顔を悲哀と愛しさに滲ませ、フィンやガレスは歯を食いしばり、目を閉じている。

そしてアイズとレフィーヤの瞳からは雫が溢れて伝う。静かに、二人は泣いていた。

 

「…………一息…いれるか」

 

過去を語るリヴィエールの口から呟かれる。重大な話を一気に語りすぎた。少し心を整理する時間が必要だろう。

 

「っ!?だ、大丈夫。話して、リヴィ」

 

自分達が話を切ってしまったと動揺したアイズは慌てて涙を腕で拭き、姿勢を正す。しかし、目の奥から溢れる雫はすぐにまた彼女の瞳を埋める。

その様子を見て、リヴィエールは微笑し、彼女の元へと近づくと、そっとその雫をぬぐった。

 

「お前らのせいじゃない。俺の都合だ。少し………疲れた」

 

未だ深く、鮮明に残る古傷。その一つを語るたびに抉られるような痛みが胸に突き刺さる。剣で斬られるより、魔物に殴打されるより、リヴィエールにとってはキツかった。

 

「…………そうだね、一息入れよう。今から少し自由時間だ。タイミングはリヴィエールが決めていい」

「すまない、フィン」

「この間に周囲を警戒しよう。この辺りは比較的安全なエリアだけど、注意はしておいたほうがいい。結界の中にいる仲間にも今だけは外に出ていいと伝えてくれ」

「はい!」

 

その言葉を聞いたリヴィエールは再び座り、顔を俯かせる。その後のフィン達の動きは大きく分けて二通りだった。リヴィエールをそっとしておこうと離れたのがフィンやガレス、ティオネといった数名、少しでもそばに居ようとその場を動かなかったのが、アイズとレフィーヤ、ティオナそしてリヴェリアだった。

 

「…………どうするんですか?団長」

 

初めて見るリヴィエールの弱々しい姿にティオネも少なからず動揺する。今聞けたのは1年前に何があったかまで。まだ聞きたい内容はあるが、これ以上彼を責めるような真似をするのは気が進まなかった。

 

「その辺りを含めてリヴィエールに任せるよ。休憩後にもう話したくないというなら無理には聞かない。リヴェリアやアイズにもそれで納得してもらう」

「…………そう、ですね」

 

それ以外ティオネには何も言えなかった。

 

ーーーーしかし気になるのはバロールが解放したというモンスター…

 

宝珠のようなものに封じられていたとリヴィエールは言っていた。しかしそんな事をバロールが出来るとは聞いた事がない。しかもその宝珠から出てきたのは数多のモンスターをほぼ一人で屠ってきたあのリヴィエールさえ見た事がないといった異形。まず間違いなく新種と思っていい。

 

ーーーー今回の事件とリヴィエールに起こった悲劇………無関係ではないかもしれない。

 

その事に彼は恐らく気づいていた。だからこそ、自分の古傷をえぐってでも、この話を自分たちにする気になったのだろう。

 

いずれ彼はその黒幕と戦うつもりだ。そしてその時、自分達の協力を得るために………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数分後、リヴィエールの下に皆が集まってくる。白髪の剣士は未だ顔を伏せていた。組んだ手は震えている。

 

「リヴィ………」

 

隣に座るアイズがその手に触れる。少しでも震えが止まるように、優しく包み込む。

 

「続きを話してくれ、リヴィ。頼む」

 

整った眉を歪ませながら緑髪のハイエルフが口を開く。それは彼にとって剣で刺されるより辛いこととわかっていながら、リヴェリアはその言葉を紡いだ。ここまで聞いてしまった以上、彼を愛している者の一人として、聞かねばならない。

 

「…………わかった」

 

 

続きを話そう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

意識が少しずつ闇の中から浮かび上がる。同時に五体の無事を確認する。考えるより先に体が勝手に動いていた。染み付いた戦士の本能。

 

ーーーー………腕も足も動く…か。

 

そこまで確認してようやく今自分が置かれている状況の確認へと意識が向いた。どこかの部屋に寝かされているらしい。部屋に見覚えはある。何度かこの部屋でここの住人と会ったことがある。

 

「リヴィエール!よかった、目を覚ましたのですね!」

 

視界に現れたのはウェーブのかかった金髪のエルフ。目にはうっすらと涙さえ浮かんでいる。どうやらかなり心配させたらしい。

 

「リュー………俺は」

「無理をしないでくださいリヴィエール。まだ動ける体ではないのです。休んで」

 

体を起こそうとするリヴィと呼ばれた男を元腕利きの冒険者、リュー・リオンは慌てた様子で寝かしつける。

体の損傷は青年の想像以上に酷いらしい。確認すると体中に包帯が巻かれている。どうやら治療もされてるらしい。

 

「お前が?」

 

着物をはだけさせながら問いかける。

 

「…………シルでは貴方の体を支えられませんので」

 

本人の協力なしにこういった全身治療をするのは意外と重労働だ。リヴィエールは体格にしては華奢な方だ。確かに身長は今や180C以上あるし、鍛えられた剣士の肉体を持っている。が、無駄に搭載された筋肉はなく、動かすための絞った細身の肉体だ。体の線も細い。普段からゆったりした服を好むのもあって、首から上だけを見れば凄まじく容貌の整った優男だ。この細腕にどうやってあの剛力が宿るのか不思議なくらいである。

しかしそれでも一般女性の手に負える代物ではない。ましてシルはヒューマンだ。出来なくてあたりまえだ。

 

ーーーーっ……

 

思い出したのだろう。一瞬、顔を紅くし、その後整った双眸が歪む。傷も思い出してしまったのだ。穴の空いた腹。止まらない血液。生々しく浮き上がる赤黒い痕跡。元同業者として、怪我の類は多く見てきたが、その中でも間違いなく最も凄惨な傷跡だった。

 

「しばらくぶりだな、お前に肌を見せたのは」

 

そんな顔が見たくなくて、リヴィエールは彼女が苦手とする話に方向を変える。感情を塗りつぶすなら怒りが最も手っ取り早い。まして相手は性に関してあまりに高潔なエルフ。手に触れるのでさえかなり人を選ぶ。

肉体関係を結んだ後でもそれは変わっていない。いつまでも処女(おとめ)のような反応を返してくる。それが可愛らしく、愛おしい。

事実、顔からは哀しみがなくなり、真っ赤になってこちらを睨んだ。しかし聡明な彼女は彼の意図も分かったのだろう。怒るに怒れず、肩を落とした。

 

「…………一体何があったんですか?貴方ほどの使い手を誰がここまで……」

 

その質問でようやく全てを思い出した。自分がこうなった理由、先ほどまでの死闘、そして………

 

恩神を斬った事、その全てを……

 

助けられた恩義もある。事のあらましをざっとリューには話した。

 

しばらくリューは無言で立ち尽くす。その後、意を決したように立ち上がり、ベッドに腰掛けると傷を労わるようにリヴィエールの胸に手を添え、そっと寄り添った。

 

「…………自分を責めないでください。貴方は何も悪くない。貴方は走り過ぎたんです。だから今は休んでください、リヴィ」

「…………」

 

話を聞いた上で本心から出てきた彼女の本気の言葉。優しい温もり。上辺の言葉よりよほど好きなその言葉なのに今はただ空虚に響く。

彼に残ったのは人知を超えた強さと白くなりはじめた髪のみだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ありがとう、リュー。もう大丈夫だ、落ち着いた」

 

満身創痍の体になんとか鞭を打ち、起き上がる。

 

「リヴィエール…」

「大丈夫だ、心配するな………ここ豊穣の女主人だよな。なんで俺はここにいる……?」

「シルが偶然倒れている貴方を見つけたんです。慌てて私に知らせに来て、それで……」

「…………そうか、あいつが」

 

鈍色髪のヒューマンの少女、シル・フローヴァ。非常に可愛らしい少女なのだが、決してそれだけではない女性。彼女の腹の黒さはリヴィエールなりに知っているつもりだが、彼女の強かさがリヴィエールは嫌いではない。

 

知らせを聞いてリューが疾風の速度で駆けつけた時、そこにはもう何もなかった。焼け落ちたホーム。異形のモンスター達の焼死体。そして……服も体もボロボロの姿で倒れ伏す黒髪の剣士。

 

「安心してください。貴方の刀も地下の金庫も無事でした。ミア母さんが預かってくれています。全快したらすぐに返しますよ」

「…………ルグはどうなった?」

 

そんなくだらない事より、自分の主神の状況を尋ねる。言いにくいことだろうから自分から話してくれと頼んだ。

斬った事だけはわかっていたけど、そこから先はどうなったのかは知らなかった。世界が滅んでいないところを見るとだいたい予想はつくが、聞かねばならない事だ。

 

「…………わかりません。行方不明とだけお聞きしましたが…」

「…………そうか」

「…………コレからどうするんです?」

「わからん。とりあえず俺が生きていた事は公にはしないつもりだ。それから今回の件を調べる」

「な、なんで!?生きていた事をギルドに報告すれば、下手人の割り出しだって」

「ルグ本人だけを狙っていた犯行だったなら俺もそうしただろうけどな……たぶん今回の件はそうじゃない」

 

バロールは恐らく三下だ。誰かに使われたに過ぎん。ルグの居場所を奴に伝えた黒幕の神がどこかにいるはずだ。そいつを探し出して……この手で。

 

「世話になった。不必要に隠す必要はないけど、俺が生きていた事は出来るだけ誰にも言うな」

 

ベッドから降りて部屋から出て行こうとする。しかしリューはガッシリとリヴィエールの首根っこを掴んでベッドに寝かしつけた。

 

「…………何をする」

「私ごときに組み伏される貴方に文句を言う資格はありません。全快するまでここにいなさい。良いですね」

「断る。これ以上お前らに借りは「借りだと思うなら私の言う事を聞きなさい。こ………友人として言います。貴方に必要なのは身体よりも心の休息です」

「…………………クソ」

 

枕に頭を沈める。この疾風を相手に力で逆らうのは今の自分では少し難しい。

 

「とばっちり食っても知らんからな」

「大丈夫ですよ、ミア母さんは強いですし、いざとなったら貴方が守ってくれるんでしょう?」

 

舌打ちする。これほど巨大な借りを作ってしまってはそうせざるをえない。

 

「腹が減った。血が足りない。メシにしてくれ」

「すぐに用意します」

 

部屋を出るためにリューが立ち上がる。治療とは結局のところ、本人の体力がモノを言う。食欲があるというのなら食べて貰わねばならない。

最後にもう一目だけでもと振り返る。頭頂部が白くなっていることにリューが気づいたのはその時だった。

 

 

 

 

 

 

 

「リヴィエールさん!目を覚ましたんですね!」

「ああ。世話になったようだな、すまない」

「謝らないでください。あぁ、そんなにボロボロになって……」

 

意識が戻った事を知ったお団子頭に酒場の制服を纏った少女、シル・フローヴァはすぐに部屋に駆けつけてきた。リヴィエールに縋り付き、無事で良かったと呟くと、食事を用意してくれた。

その後包帯を巻き換え、治療を終える。

 

「ミア母さんはこの部屋になら幾らいても良いとの事です。安心して休んでくださいね」

「ありがとう……ミアにも礼を言わないとな」

「礼を言うならお店で金を落としてけって言うと思いますよ」

「…………かもな」

 

ドサリと体をベッドに横たえる。

 

「疲れた。少し寝る」

「はい、よろしければ私も添い寝を……「いらん。一人にしてくれ………頼む」

「ーーーーはい」

 

それ以上は何も言わずシルも部屋から出て行く。気配が感じられなくなった事を確認すると、リヴィエールは目を閉じる。それでも眠れはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数ヶ月後……

 

「リヴィ、リヴィエール!まだ寝ていますか?」

 

シルの献身的な看護もあって、身体も順調に快方へと向かいだしていたある日。いつものように早朝に起きて誰にも目のつかないところでリハビリする彼の姿を見つけられなかったリューは彼が寝ている部屋を訪ねていた。

しかし何度ノックしても返事はなく、気配さえ感じられない。

 

ーーーーまさか……

 

部屋の扉を開ける。案の定そこはもぬけの殻。残っていたのは一枚の置き手紙。

 

『世話になった。俺の財布と刀だけは返してもらったがファミリアの金は置いていく。足りない分はまた返す』

 

「あの馬鹿……」

 

その日から、しばらくリヴィエール・グローリアは姿を消した。その頃にはオラリオでもリヴィエールの捜索もほぼ終了していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだ陽が昇らない薄暗い闇の中でリヴィエールはとある建物の前にいた。武具の店がひしめくオラリオの中でも一際大きな武具店。真っ赤な塗装の建物の看板には【Hφαιστοs】と刻まれている。

そう、ここは【ヘファイストス・ファミリア】。オラリオはもちろん、世界でも名高い鍛冶師の【ファミリア】。リヴィエールの剣はここの最高の鍛治師に打ってもらっている。

 

「あぁ、ごめんなさい。今日はまだ………って!?リヴィエール!!あ、あなた……生きてっ」

 

店の中に唐突に入ってきた客を一度は追い出そうとするが、その人物を見て驚愕する。彼女の名はヘファイストス。燃えるような紅い髪と右眼を覆い隠す黒い眼帯が特徴的な女神。

彼女こそがこのヘファイストス・ファミリアの主神であり、ルグの神友、少なからずリヴィとも付き合いがある女神だ。

 

「やあヘファイ、椿はいるか?刀の整備を頼みに来た。今、金はねえんだが必ず作るから。あいつに頼んでくれると…」

「そんな事より!貴方今までどこにいたの!?ずっと探してたのよ?生きててくれてホントに良かったけど……て、ちょっと、あなたまだ怪我してるじゃない!一体何やってるのよ!すぐに医者を呼ぶから「うるさいなぁ〜ヘファイストス。こんな朝っぱらから何の騒ぎだい?ボクはまだ眠いよ」

 

唐突に訪れた友人の惨状に慌てるヘファイストスを尻目に見慣れない少女が枕を持って現れる。外見は整っているのだが美しいというよりは可愛いという形容が似合う。小柄な体に不釣り合いなほど発育した胸。そして見える神威。

 

「女神?何でこんな所に」

「ん?誰だいこの包帯君は?キミの知り合いかい?…」

「ヘスティア、悪いけど今私あんたなんかに構ってる暇ないの。ああもう、こんな朝からやってる医者なんて無いわよね。とにかくリヴィエール、早くこっちへ。さすがにエリクサーは無いけどポーションなら幾らでもあるから」

「あ、ああ。悪い……」

 

ヘファイストスに導かれるまま、部屋へと入ろうとしたその時だった。

小柄な女神が手にブレスレットとして付けているアクセサリーが目に入る。そのデザインには見覚えがあった。

 

「お、おいあんた!」

 

ヘファイストスの手を振り切り、物凄い勢いでヘスティアの肩を掴みかかる。

 

「な、なんだい!?ボク、君に何かして……っていたた!」

 

装飾された両手首を掴み、アクセサリーを彼女の目の前に掲げる。神に対してあまりに無礼な態度だったがそんな事を気にはしていられない。

 

「おい!このネックレスどこで手に入れた!?」

「え、ええ?それがどうしたって」

 

望んだ答えが聞けなかった事に頭が一気に沸騰する。腰の黒刀に手を掛け、彼女の頭上の壁を真一文字に斬り裂いた。

 

「答えろ……次は」

「バカ!落ち着きなさいリヴィエール!」

 

両肩を掴んで自分に向けさせる。鍛治の女神である彼女の握力は神の中でも上位に入る。リヴィエールの興奮を止めるには充分だった。

 

「離せヘファイ!」

「そんな態度じゃ答えられるものも答えられないでしょう!そんな事がわからない貴方じゃないわよね」

「…っ………悪い、ヘファイ」

 

自分の顔を手で掴み、壁にもたれかかる。そのまま大きく息を吸って吐いた。

 

「………ヘスティア。悪いけど答えてくれない?そのアクセサリー、どこで手に入れたの?」

 

リヴィが自分を落ち着かせている間にヘファイストスが代わりに聞いてくれる。あまりの黒髪の剣士の勢いに怯えるどころか唖然とする事しか出来なかったヘスティアが我に帰った。

 

「少し前に拾ったんだ。ネックレスみたいだったけど、ボクにはサイズが合わなかったからブレスレットに加工したのさ。場所は忘れちゃったけど、確かどこかの建物跡だったと思う」

「だって」

 

視線を向ける。すると聞いてはいたらしく、目が合った。

 

「そのアクセサリーが一体どうしたって……て、よく見ると」

 

見覚えがある。手につけたブレスレットをヘファイストスも凝視した。すると彼女の脳裏に過去が蘇る。

 

【ねえねえヘファイストス。見てくださいよコレ!】

【へえ、素敵なネックレスじゃない。どうしたの?】

【リヴィが買ってくれたんです。いいでしょ〜】

 

ネックレスでないからわからなかったが、友神としてルグと一緒に飲んだ酒の席で何度も何度もうんざりするほど自慢してきたアクセサリー。見覚えがあるはずだ。

 

「…………そっか。なるほどね」

 

全ての事情を察したヘファイストス。あのリヴィエールが感情的になるのも理解できた。

 

「ごめんなさい、ヘスティア。そのネックレス、ルグのモノだったのよ」

「て事はこの子がリヴィエールくんなのかい」

「…………そういえば俺も聞き覚えがあるな。ヘスティア神」

 

滅多に人を貶さないあのルグが言っていた。

天界にいる友神が最近下界に降りてきた。降りてきたはいいが、他の神の所に世話になりっぱなしという………ダ女神

 

【お前じゃん】

【ううううるさいですよ!最初は皆そういうものなのです!】

 

跡地にあった金品はリュー達が回収したと言っていた。つまり現在ルグに繋がる唯一の物理的な手がかりだった。必死にならないはずがない。

しかし告げられた答えはほぼ絶望的と言って良い内容だった。

あれだけ喜んでくれたネックレスをルグが捨てるわけがない。つまりルグはネックレスを捨てざるをえない状況だったという事。

 

もうこの世界にはいないという事……

 

ーーーー覚悟はしていた。確かに俺が斬った。だけど……

 

まるで夢現つのようだった。あの日の前日までいつも通りの平和な日常を送っていたのに、それが何の前触れもなく崩壊したのだ。現実感が感じられなくても無理はない。

しかし物的証拠が目の前に出てきてようやく実感が来た。

もうこの世界にルグはいないのだ。

 

リヴィはブレスレットに加工されたアクセサリーを持って立ち上がる。黒刀を一本、腰から外し、壁に置くと踵を返した。

 

「リヴィ……」

「ヘファイ、刀の整備を椿に頼んでおいてくれ。金は後日絶対払うから」

「…………ええ、頼んでおくわ」

 

引き止めようかと思ったが、ヘファイストスは黙って要望を聞き入れた。しばらくそっとしておいた方が良いと判断したのだ。それはリヴィエールにとって有難かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リヴィエールはヘファイストスの店から出た後、ソーマ・ファミリアから買った酒を一つ持ってオラリオ全体が見渡せる丘の上へと来ていた。

いつ来ても此処は絶景だが今は通常と少し違った。太陽が今まさに昇ろうとする日の出の時。赤と青が絶妙に混ざった美しくもどこか物悲しい太陽がオラリオを包んでいる。

 

杯の酒を一つ飲む。もう一つの器には酒がギリギリまで注がれたままだ。

 

ーーーーあいつと飲んだ事ってあんまりなかったな……

 

弱いというわけではなかったが特別好みもしなかった。ルグはアルコールは薬味だと言っていた。適量なら素晴らしく人生を彩る一つとなりうるが、過ぎると食えたものではなくなる、と。

 

ーーーーまずいな……

 

普段酒場でロキの連中やルグと飲んだ酒などより遥かに高級な酒を飲んでいるにも関わらず、何の味もしなかった。血の味しかしない。

 

ーーーーお前と飲んでいるというのに……マズイよ、太陽(ルグ)

 

ほとんど残し、地面に捨てる。もう一杯注いだ酒は空へと放った。

 

ーーーールグ……

 

世界を紅く染める光に向かう。太陽神がいなくなったというのに、あの光は変わらず世界を照らし、空に君臨している。

 

【リヴィ】

 

初めて彼女と朝日を見たとき、彼はまだ何も信じていなかった。周り全てが敵で、信じていたのは自分だけだった。

 

【貴方が世界を嫌うのもわかります。人間というのは基本的につまらない生き物ですからね】

 

神が語るにはあまりにあまりな言葉。しかし今も昔も、リヴィエールにその言葉を否定する事はできなかった。

 

【でもたまに凄く面白いんです。神が思いもつかない行動をしたり、神などより偉大な人間が現れる事もあるんです】

 

ーーーーそうかもしれない。でも俺にはあんたこそが最も偉大な神だった。

 

【所詮この世は暇つぶし。それは神も人も変わりません。みんな勝手に生きています】

 

ーーーーああ、あんたも結構勝手だったな

 

【リヴィエール、貴方の人生にはきっと不幸や憎しみの方が多かったのでしょう】

 

ーーーーそんな事はない。俺は自分を不幸とも世界が憎いとも、思った事は一度もなかった。どうでもよかっただけなんだ。世界も、俺自身も…

 

【しかし、そんな事は絶対にないんです。幸福も不幸も同じ。どちらかが過多な世界では決してないんです】

 

ーーーーそれでも……あんたのおかげで俺は人間になれた

 

【世界は貴方に厳しすぎたのかもしれません。しかしそんな世界を変えたければまず貴方が優しくなってください。貴方と同じ思いを誰かにさせないでください】

 

ーーーー……俺は…結局あんたのように優しくはなれなかった

 

【そうすれば貴方に優しくされた人はきっと、他の誰かにも優しくなれます。貴方が今まで拒絶してきた優しさに触れられるようにきっとなります】

 

ーーーールグ………

 

彼は泣いた。あの夜から一度も零していなかった涙が堰を切ったように流れ出した。それはようやく完全に一人になって、心の枷が外れて見せた彼の素顔だったのかもしれない。

 

いなくなって初めて気づいたなどと言う気はない。とっくに知っていることだった。けど、それでも思わずにはいられない。

 

ーーーー俺はこんなにも………お前が好きだったんだなぁ

 

「……あ……ぅあ……ぁああああああ!!」

 

【見てくださいよ、リヴィエール。それでも世界はこんなにも美しいじゃないですか】

 

ーーーーああ、ルグ。あんたが守ったこの世界は………とても綺麗だよ。

 

 

でもあんたが……俺の隣(ここ)にいない…

 

 

ネックレスを握りしめ、空を仰ぐ。あの夜からずっと流れていなかった涙が初めて流れた。

 

「リヴィエールくん」

 

ヘファイストスのホームで会った小柄な少女が背後にいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘスティアは驚いていた。ヘファイストスから彼のいるであろう心当たりを聞き、探したところ、二つ目で見つける事はできた。しかし一瞬、本当に先ほどの彼だとわからなかった。

 

【剣聖】リヴィエール・グローリア。かつてオラリオでその名を轟かせたレコードホルダー。その強さは尋常ではなく、世俗にそこまで詳しくないヘスティアの耳にさえ、否が応でもその名は飛び込んでくるほどの人間だった。

確かにヘファイストスのファミリアで会った時の彼はその噂に相応しい力を有していた。圧力を放っていた。人間が一振りで壁を両断するなど聞いた事もない。

しかし今の彼にはそんなオーラは全くない。大切なものを失い、空を仰ぎ、それに涙する一人の子供に過ぎなかった。

 

ーーーーこれがあの……剣聖

 

「…………あんたは」

 

慌てて自分の目をローブで拭いている。こんなにも弱っている所など、誰にも………もうこの世では誰にも見せたくなかった。

 

ーーーー俺も焼きが回ったな。

 

こんな素人にここまで近づかれるまで気づかなかった。まったくスキルは何をしているのだか。

 

「先ほどは失礼した。みっともないところを見せた」

「何を謝ることがあるんだい?涙を流せる事は人の素晴らしい事の一つさ。誇って良い事だよ」

 

小さな女神は朗らかに笑う。そして真剣な表情を浮かべ、こちらを見つめた。

 

彼の前で微笑む女神が小さな手をそっと差し出す。

 

「もし、キミさえよければボクの所に来ないかい?ボクは今、ファミリアの構成員を探しているんだ」

「初めて聞いたけどそんな事」

「ほ、本当さ!今日から頑張るつもりだったんだ!」

 

言い訳がましい事を言っているがそんなことはどうでも良かった。

 

「…………一つだけ聞かせてくれ」

「一つと言わず何でも聞いておくれよ!」

「…………ルグは、良い女神だったか?」

 

太陽の光のように透き通ったプラチナブロンドの美しい女神を久々に脳裏に浮かべる。すると悔しそうな顔をした後、小さな女神は答えた。

 

「まさに太陽、同じ女神としてヤキモチ焼けるほど良い神だったよ。彼女以上に優しく、でっかい神をボクは知らないね」

「そっか………」

 

俺もだ。

 

ただのお人好しでなく、そう感じ取ってくれたこの神様なら……その小さな手を支えてあげたいと思った。

 

トン

 

見えない何かに背中を押された。確かに何かに押されたのだ。驚き、振り返る。視界に入った光景は今まさに太陽が昇らんと世界を燦然と照らしだしている瞬間だった。太陽(ルグ)に向けて笑いかける。

 

ーーーーああ、わかってるよ

 

まず貴方が優しくなってください

 

結局俺はあんたのようにはなれなかった。なりたいとも思わなかった。あんたはもういるんだから……けど、この世界にもうあんたがいないというなら……俺はこれからあんたになろうと思う。

 

代わりを務めようなんて思わない。そんなことが出来るなんて、思えない。けど、俺があんたから貰った恩を誰かに渡す事は出来ると思うから……

 

ーーーー心配すんな。忘れねえよ、ルグ。俺はこれから、俺があんたから貰った恩をあんたの友神に……あんたが愛したこの世界に返していく。それが今の俺にできる唯一のあんたへの恩返しだと思うから…

 

差し出された手を取った。

 

「ようこそ、ヘスティア・ファミリアへ!ルグから聞いて知ってるけど、君の名前を聞かせておくれよ!」

「リヴィエール・グローリアだ。よろしく、ヘスティア」

「僕はヘスティアさ!大歓迎するよ、リヴィエールくん!」

 

手を取ったまま丘の道を歩き始める。

 

コレが俺とヘスティアの最初の出会い。

オラリオに名を轟かせた一つの伝説のファミリアが終わり、後にオラリオをひっくり返す新たな伝説のファミリアが始まる。

 

太陽という陽は沈んだ。しかしそれは同時に新たな火を剣聖によって起こさせる。

太陽のように偉大な炎ではない。それでも人を優しく温める炉の火が燃え始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




最後までお読みいただき、ありがとうございます。過去編終了しました。いかがだったでしょうか?次回からは完全に現在の時間に戻ります。それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです


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Myth4 ママと呼ばないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静寂が辺りを支配する。リヴィが語り終えた時、発言できる者は誰一人いなかった。彼の口から語られたのはそれほどの悲劇だった。

 

「…………コレが今までの俺の全てだ」

 

黙り込んでいる訳にもいかない。向こうから何か言うのは困難だろうと察したリヴィエールはこちらから口を開いてやった。

 

「他に何か聞きたい事はあるか?ここまで来たら何でも話してやるぞ」

「…………新しいファミリアに入ったのか」

 

やはりというべきか、最初に口を開いたのはフィンだった。流石は【勇者(ブレイバー)】。勇敢な小人の予想通りの態度に笑みがこぼれた。自分の知る彼と変わっていない事が少し嬉しい。

 

「名前を貸しているだけみたいなものだけどな。俺自身滅多にファミリアに帰らない」

「君ほどの使い手が………君なら他にもっと選択肢があったろう。失礼を承知で言うがなぜそんな零細ファミリアに…」

「決まっている。メリットがあるからだ。それが無ければ俺は動かねえよ」

 

無所属のはぐれ冒険者の存在はそれ自体がイレギュラーだ。どうしても目立つ。かといって自分の実力に見合った大きなファミリアにリヴィエールが入ってしまっては確実にビッグニュースになる。

黒幕に自分の生存はまだ知られたくないリヴィエールにとって、それは避けたい事だった。冒険者が世間的に名前を出さない最も有効な方法は名前の売れていない小さなファミリアで身の丈にあったダンジョンで探索する事だ。

そういう意味でヘスティア・ファミリアは非常に勝手が良かった。構成員は今の所自分しかいない上に、主神もまだ下界に降りてきて日が浅い。このファミリアに誰か冒険者が入ったところでなんのニュースにもならない。あとは此方が派手な動きをしなければいいだけの事。しかもリヴィエールにとって身の丈にあった階層は50層近辺の深層。誰かと遭遇する率は更に低くなる。

 

「俺にとって、今のファミリアは隠れ蓑。ステイタスの更新をしてもらう代わりに此方も相手に利益を献上する。ギブアンドテイクの関係に過ぎない」

「…………その事、主神は?」

「知ってるさ。頼りねえ奴だが一応神だぞ。あいつは最初から俺の目的なんか気づいている。その上で手を組んだ」

 

半分真実で半分嘘だ。あの小さな手を支えたい。朝焼けの中で思った事は彼の本音だ。もしヘスティアになんらかの窮地が迫ったのなら、何を置いても助けに行くだろう。しかしそれだけが彼女のファミリアに入った理由ではない。至上の目的は別にある。

 

いつかこの手で遂げなければならない復讐。

 

今はそのための準備の時間。だからこそ彼は今も深層に潜り続け、最前線で戦っていた。ルグが望まない事だというのはわかっている。それで彼女が帰ってくるわけでもない。それもよく知っている。しかしそれを遂げなければ自分は前に進めない。コレはリヴィエールがつけなければならないケジメだ。

 

「俺の神はルグだけだ」

 

悲しみと憎しみがないまぜになった目がフィンを捉える。勇気ある小人は目を逸らして息を吐いた。そうしないとたじろいでしまいそうだったから。

 

「主神が聞いたら泣くよ?」

「フィンに言われたくないな。あんただって信じる神はロキじゃないだろう?」

 

金髪の少年は痛い所を突かれ、黙り込む。彼らの種族で信仰されていた神、フィアナの存在を本物の神の降臨により否定された小人族は衰退の一途を辿っている。

存在が否定された今でもフィンはこの架空の女神を信じており、一族の復興を目指して日々奮闘していた。彼のこの不屈の精神をリヴィエールは友人として尊敬している。

 

「ちょっとリヴィエール…」

 

苛立った様子でティオネが一歩前に出る。アマゾネスの典型とも言える彼女が想い人を攻撃するような言葉を無視する事などありえない。それをよく知っているリヴィエールは慌てて手を振った。

 

「誤解するなよ?別に皮肉ったわけじゃない。アンタのその夢と精神を俺は尊敬している。コレはマジだ」

「知っているとも。君は僕の夢を聞いたときに笑わないでいてくれた数少ない人間の一人だからね」

 

小人族の再興。コレを聞いたらたいていの人間が笑うだろう。非力な小人族の扱いは基本的に弱者だ。一族の人間の自虐的な風潮も手伝って、見下されることも多い。小人族全体で一纏めにしなかった者は本当に数えるほどの者しかいなかった。

 

「フィンにとって一族の再興が目的のように、俺には俺の目的がある。冒険者をやる理由なんてそれで充分だろう」

「………………そうかもしれないね」

 

いらない事を聞いてしまったとフィンは悔やんだ。ここまで話してくれただけでも感謝すべきなのに、彼の今のファミリアを零細などと呼んでしまった上に誇りを傷つけるような事まで言ってしまった。それは彼が最も嫌っていたことのはずなのに。羞恥で顔が熱くなる。

 

「しかしなんでこんな深層まで一人で遠征を?リヴィの力を疑うわけではないがソロでは危険だろう?」

 

空気を変えるためか、急にリヴェリアが話を変えた。

しかしこの質問はなんらおかしくはない。オラリオ有数の実力を持つロキ・ファミリアでさえパーティを組んで来る場所だ。しかも一時的とはいえ全滅しかかったほどの危険区域。リヴェリアのこの心配は一見正しい。しかしリヴィエールはそんな彼女の言葉を笑って否定した。

 

「後ろの連中に聞こえてないだろうから言うが、こんな集団パーティ組んでる方が俺にとってはよほどリスキーだ。ベートじゃないけど、足手まといと、この深層で戦いたいとは俺も思わないね」

 

たとえこの深層で先ほどリヴェリア達が陥っていた多数対少数の状況に自分がなろうと、リヴィエールは全員斃せる自信があるし、生き残れると心から言える。ダンジョンは広い。袋小路に追い込まれる事などまず無いし、たとえ倒せない数だろうと敵だろうと、自分の能力なら最低、逃げる事は出来る。

 

「…………誰もがお前のように強くない」

「知ってるよ。だからそちらのやり方を否定する気はない。今回は状況が少々特殊だったしな。お互いにとって」

 

お前の窮地でなかったら俺は関わろうとは思わなかったぜ、と言外に言う。目立ちたくないというのは今まで散々言ってきた。こんな大人数の前に姿を見せるなど普通なら絶対にやらない。

それも今は後悔しているが。現在進行形で。

 

「ーーーー余計な事を言ったな。俺がここに来た理由だったか。強竜と戦いに来たんだよ」

 

なんでもない事のようにリヴィエールが言ったセリフに皆驚愕する。

51階層に存在する『カドモスの泉』。その泉の番人とも言える強竜は絶対数が少なく、『稀少種』と称されている。

その力は51階層最強。他層で出現する階層主と呼ばれるモンスターを抜きにすれば、現在発見されているモンスターの中でも間違いなく最上位に君臨する。

 

そんな怪物とリヴィエールはソロで戦いに来たと言ったのだ。

 

「な、なんて無茶なマネを……」

「そこまで驚くような事でもないだろう。やり方次第でお前らなら出来るさ。まあ今回はあの新種に既にやられてて徒労に終わったがな」

 

唯一の収穫はこいつがタダで手に入った事か、と懐から素材を取り出す。

 

『カドモスの皮膜』。頑強な防具の素材になり、また回復系のアイテムの原料としても重宝されている。しかるべきところに持っていけば800万ヴァリスはくだらないドロップアイテムだ。

 

「リヴィエールも手に入れてたんだ」

「まあ放置する意味もないしな。棚からぼた餅が落ちてきたんなら食うさ」

「強竜と戦いに来た目的は……ランクアップか?」

 

ランクアップ。神が認める偉業を成した者に与えられるさらなる高次への器の昇華。それは経験値を積むだけでは達成できない。それこそ強竜をソロで打ち倒すくらいの事をしなければリヴィエールクラスのランクアップは成されない。

しかし白髪の剣士は師のセリフを笑って否定した。その笑顔には自嘲が混ざっている。

 

「まさか。今の俺のランクアップに強竜程度が足りるわけがない。ホントに小遣い稼ぎだよ」

「リヴィ……お前、今レベルは?」

「…………それを聞くのはマナー違反だぜ?」

 

自嘲気味に笑った後、リヴェリアに向けて人差し指を口の前に立てる。その態度はもう答えたような物だった。それはつまり現在、リヴィエールはリヴェリアが以前に知っていた彼のレベルではないという事。

 

ーーーーレベル7か!?

 

現在のオラリオでは最強の一角と見なされているフレイア・ファミリアで唯一存在する最高レベル。リヴィエールはそれに辿り着いていると暗に示したのだ。

 

ーーーー喋りすぎたな。

 

懐にアイテムを戻しながら、余計な事まで言ってしまった事を少し後悔する。別にどのファミリアに入ろうが個人の自由なのだ。理由まで説明してやる必要はなかった。

 

嘆息し、立ち上がる。もう話す事は無いし、その気もない。それに深層とはいえ集団で固まっていれば目立つ。それは出来れば避けたい。

 

生きている事をいつまでも隠すつもりではない。いずれは自分の存在をさらけ出す事で真の敵を釣りだし、斬る。そのために重要なのはタイミングだ。もちろん最悪バレても手はある。とゆーか今回こいつらと会った事で少なからず噂は広まるだろうが、それ以上になる訳にはいかない。

 

「リヴィ……!」

 

緑髪のエルフの言葉を無視して帰ろうとする。今回の遠征で手に入れた大量の魔石や素材を隠していた場所に向けて、跳躍しようとしたその瞬間だった。

 

首の襟元を掴まれたリヴィエールは跳躍の勢いを食い止められ事により、慣性の法則が働き、首を支点に、足が振り子のように上がった。そのまま地面に落下する。

 

「〜〜〜〜〜」

 

打ちつけた後頭部と急激に締め付けられた首元を抑えてしばらく悶える。

 

「アイズ……首はやめろ首は」

 

赤くなった首筋をさすりながら至近距離で犯人(アイズ)を睨む。比喩抜きで死ぬかと思った。

 

急に顔を近づけられたからか、アイズは頬を紅く染め、目を逸らした。けれど指はローブをしっかりと掴んでいる。

 

なんとかしろ、とフィンやリヴェリアに目を向ける。振り払っても良かったのだがこの子にそんな事はしたくない。

 

「リヴィエール。よく話してくれた。君が無事で生きていてくれた事と今回仲間を助けてくれた事に改めて感謝するよ」

 

視線に反応したのか、団長であるフィンが今回の一件について謝辞を述べてくる。その行動にリヴィエールの眉が若干釣り上がる。今更そんな事を言って何になる。借りを作った事を改めて述べたところでファミリアには不利益しか無いはずだ。小さな巨人の意図が読めない。

 

「今回の遠征は僕らもここまでにして帰還しようと思う。君も随分な荷物だ。もうこれ以上の探索は無理だろう?」

「…………まあ、そうだな」

 

目敏い男だ。森林の裏手に隠したバックパックの存在には気づいていたらしい。フィンの背丈並みの大きさのソレは魔石やドロップアイテムでパンパンに膨れ上がっており、背負って帰るにはすこし困難なほどの大きさになっていた。

 

「なら協調しないか?お互いにメリットはあると思う」

 

ーーーーそう来たか……!

 

顔が引きつったのがわかる。恩を仇で返してきやがった。

フィンの意図を探るために話を聞き続けた事を後悔する。要するに依頼の名目でアイズやリヴェリア達と行動を共にさせようという腹だ。少年が笑顔を向けてくる。その可愛らしさと凛々しさの同居する顔立ちは見た目の幼さもあって天使のようだ。しかしリヴィエールには悪魔の笑みに映った。

 

「それを一人で持って帰るのは大変だろう?もし同行してくれるならウチのサポーター達に運ばせよう」

「ありがたい話だが遠慮させてもらう。普通に一人で持って帰れる」

「いくら君といえどこの深層でそのバックパックを背負いながら戦うのは無理があるだろう?」

 

痛いところを突かれ、押し黙る。多数のモンスターに囲まれたため、持てる限りのアイテムを持ってバックパックは捨てていく。そういう事態に陥った事は何度かあった。

フィンの意図を理解したリヴェリアがムカつくほどの笑顔でコッチに寄ってくる。

 

「もちろんタダでとは言わない。今回の謝礼も含めて報酬は充分に払う。アイテム売買の交渉も此方で請け負おう」

「どうせギルドに世話になっているんだろう。お前は昔から金に頓着しない」

 

図星だった。アイテムの売却方法は大まかに言って二種類ある。ひとつはギルドで売却する方法。詐欺の危険がないかわりに買い取り値は最低価格。その値付けは実際の市場価値よりも低目に付けられている。

もう一つがファミリア同士の取引だ。こちらは商談次第ではかなりの高値で売れることも多い。が、買い手を見つけるのに結構な苦労をするし、やれ払いすぎただの気が変っただのといったトラブルもかなりある。そこまで金に執着のないリヴィエールは面倒を金で買っていると思ってギルドの最低価格の売却で済ませている。

ロキ・ファミリアには馴染みの買取屋がある上に、そのビッグネームも手伝っていつも多くの利益を魔石やドロップアイテムから上げている。故買をこいつらに任せたらいつもより遥かに高い利益を得られるだろう。

 

「…………そこまでしてもらうのは流石にまずいだろう。今回の件は気にするな。俺とお前の仲じゃないか」

 

全滅の危機を救ったのだ。本来であれば多額の謝礼を貰っていい活躍ではある。けれどリヴィエールはそんなものよりこの場から去る事だけを求めていた。

 

ーーーーヴァリスでは動かないか……

 

その事を悟ったフィンは攻め方を変えた。

 

「先ほどはティオネにエリクサーを使ってくれたそうだね。礼を言うよ。ありがとう」

「…………?」

 

また意図が読めなくなった。警戒心をあらわに小さな勇者を見下ろす。

 

「じつは今回、僕らはディアンケヒト・ファミリアのクエストでこの深層に来たんだ。カドモスの泉水を頼まれた」

「…………それで?」

「そのクエストの報酬はエリクサーでね。しかもディアンケヒト・ファミリア謹製の万能薬を二十、もらえる事になっている」

「へえ、そりゃ豪勢だ」

 

ディアンケヒト・ファミリアと言えばオラリオを代表する薬品ファミリア。ポーションの質の高さは有名だ。そこのエリクサーともなれば単価で50万はくだらない。

 

「協調してくれたらそのエリクサーを一つ……いや、三つ君に譲ろう。仲間の命を救ってもらったお礼としてはささやかすぎるけどね」

 

ぐらりと天秤が揺れる。今回ティオネに使ったエリクサーはリヴィエールが作ったものだ。品質は並程度でディアンケヒトのモノとは比べるべくもない。エリクサーは高価な上に金を出せば買えるというものでもない。手に入れられる機会があるなら確実に得ておくべきなアイテムだ。

 

ーーーーいやいや、これ以上こいつらに付き合わされるのはゴメンだ!

 

リヴィエールは頭を振った。確かにエリクサーは欲しいが、今どうしても必要なものでもない。こいつらと付き合うデメリットを考えればまだこちらに天秤が傾く。

 

ーーーーダメか…

 

零細ファミリアに属している以上、金はいくらあっても邪魔にならないはずだが、話を聞くところ、リヴィエールは今のファミリアにそこまで執着していない。報酬という利点だけでは動いてくれないとフィンは判断した。

チラリと緑髪のエルフを見る。自分達の中で彼の事を最もよくわかっているのは彼女だ。リヴェリアなら報酬とは違う、リヴィエールが動くに足る動機を提示してくれるかもしれないと思い、視線を向けた。

麗しきハイエルフはコクリと一度頷き、弟の前に出る。

 

「実は先ほどの新種との戦いで多くの武器が失われてしまってな。今まともな武器を持っているのはアイズくらいだ。このままでは深層から帰還する間、アイズ一人に戦闘を任せる事になりかねない」

 

リヴェリアの援護射撃はリヴィエールの最も弱い所にクリティカルヒットする。深層での前衛ソロの辛さは誰よりも自分が良く知っている。そんな大変な事をアイズにさせたくない。なんだかんだで彼女に甘いリヴィエールにとってこれ以上ない有効な攻撃だった。

 

ーーーーっ!

 

今度はリヴェリアがアイズにアイコンタクトを送る。ローブの裾を掴む金髪の彼女に、今だ!と目で訴えた。

その視線にアイズは戸惑う。もともとアイコンタクトが通じるほど心の機微に聡い子ではない。自分の感情もわからないことがままある少女だ。

 

どうしようとオロオロするアイズ。助けを求めて無意識にリヴィエールを見てしまった。

 

切れ長の目に緑色を宿したリヴィエールの瞳とぶつかる。髪の色は変わったけれど、エメラルドのように美しいその瞳は記憶の中の彼と変わっていない。

 

『長いだろう。リヴィでいいよ。よろしく、アイズ』

 

今よりもずっと幼い、艶やかな黒髪に緑柱石の瞳を宿した少年が大人びた笑顔で自分に言ってくれたこの言葉。お互いあの頃とは大きく変わったけれど、その不器用な優しさと瞳の色は変わっていない。

 

「リヴィ……」

 

視線の意味がわかったわけではない。けれど何かを言わなければ、という一心でローブの裾を引っ張り、彼の愛称を呼んだ。

 

「もう少し、一緒にいさせて」

 

ーーーークッソ……

 

上目遣い、おねだり、困り顔。このコンボに勝てる兄などこの世に存在するだろうか?

 

天秤が傾く。その心中が手に取るようにわかったリヴェリアは嬉しいような、寂しいような、複雑かつ皮肉な笑みを浮かべ、弟の肩をたたく。

 

「フィン、リヴェリア、お前らロクな死に方しないぞ」

「ああ悲しいねリヴィエール。僕は君にただお礼がしたいだけだというのに」

「お前にとっても悪い話じゃないだろう」

「やかましい。不本意だがお前の手のひらで踊ってやる。だが条件がある。一つは俺の存在を公表しないこと」

「わかった。約束しよう」

「もう一つ、深層ではアイズに戦わせるな。その代わり俺が戦ってやる。いいな」

「…………君がそう言うなら構わないが」

 

その言葉の意味がわからない。デスペレートを持つアイズは貴重な戦力だ。それをわざわざ外させるとは。

 

「リヴィ、私は…」

 

貴方と戦いたい、そう言おうとしたが止められる。リヴィエールがアイズの体を数箇所指でつついた。全力のリル・ラファーガの後遺症。ズキズキと痛んでいた箇所を的確につつかれ、我慢していた鈍痛が彼女の体に響いた。

 

ーーーー気づかれてた……

 

仲間の誰も気づいていなかったのに。アイズは心中で驚くが当たり前のことだった。全力のリル・ラファーガに加え自分のインドラまで付加したコンボだったのだ。痛んでいない方がおかしい。後は歩き方を見れば痛む箇所は大体わかる。

 

「冒険者なら身体を気遣うのも能力のうちだ。お前が虚勢を張るのは一向に構わんが…」

 

ポン、と艶やかな蜂蜜色の頭を叩く。

 

「俺にだけは甘えろ」

 

耳まで真っ赤になって俯く。彼の時折見せる唐突な優しさにはいつまで経ってもなれない。まして一年も経てば、その免疫はほぼ皆無となっている。彼の好意が嬉しく、恥ずかしかった。

 

「優しいな、お兄ちゃん」

「うるせえ、親バカママ」

「誰がママだ!」

 

無視してバックパックを背負い直す。ああ、リヴィ。お前はこいつらをあの時無視するべきだったのよ、という声が心の底から聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




最後までお読みいただきありがとうございました。次回ようやくベルきゅん登場。ちなみにまだリヴィはベルと面識がありません。それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。低評価ももちろん受け付けていますができればその理由もお聞かせください。よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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Myth5 白兎と呼ばないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダンジョン17階層、クエストを終え、期間の途につくロキ・ファミリア。51階層という深層に集団で辿り着いておきながら、ここまで早い帰還を決めたのは二つ理由がある。

 

一つは51階層及び50階層で交戦した新種。この戦闘で物資、特に武器の多くを失った事により探索は断念せざるをえなくなった。

現在は深層と比べ、道幅の狭い中層で、隊を二つにわけて帰還している。先行部隊は武器なしでも充分な実力をもつ精鋭部隊で結成されていた。

もう一つの理由がこの精鋭部隊に組み込まれたイレギュラーの存在。本来であれば此処にいないはずの人間。シルクのようなサラサラとした白髪にリヴェリアと良く似た緑柱石の瞳を宿し、腰に黒い細身の刀を差した一級冒険者、リヴィエール・グローリアの存在だった。

 

深層の探索に一人で来ていた彼は必然的に大荷物を持つ事が難しい。自然と探索時間は短くなる。彼の帰還にロキ・ファミリアが合わせたという理由が一端にあった。

さらに大荷物を抱えての深層からの帰還は危険を伴う。武器を失ったロキ・ファミリアのガードを務める代わりに後方部隊にバックパックを預け、帰還を共にしている。

本来であれば他人に収穫したアイテムを預けるなどどれほど仲が良好な相手でも難しい。相手がフィンでなければ彼もそんな事はしなかっただろう。

中層に至るまでの戦闘は魔導士の支援を除いてほぼ一人で戦闘を終結させていた。

 

今も黒刀がモンスターを屠る。しかしこの護衛任務もほぼ終了だ。この辺りまで戻ってきたなら、たとえ武器がなくとも、もうロキ・ファミリアの精鋭部隊なら問題なく戦える。

漆黒の刃を腰に納めた。

 

「…………ねえ、ティオネ」

 

息一つ切らさず先頭で佇む白髪の青年、リヴィエール・グローリアを見ながら、アマゾネスの少女、ティオナ・ヒリュテは姉のティオネに語りかける。

 

「リヴィエール……強すぎじゃない?」

 

同様の思いはロキ・ファミリアほぼ全員にあった。最大ファミリアの一角に数えられる彼らは手練の魔法剣士は何人か見てきた。しかしこれ程の使い手を見た事など恐らくない。【剣聖】の強さを間近で何度も見てきたロキ・ファミリア幹部でさえ記憶の中にある彼との差に驚いている。

 

ーーーーコレが……今のリヴィエールか

 

憂いに満ちた表情で息を吐く彼を見ながらリヴェリアは心の痛みに顔を歪めた。恐らくはよほど無茶なペースで深層に潜り続けていたのだ。でなければレベル7とはいえ、あれ程の鋭さを持った強さを得ることは出来ないだろう。

元々大人びた少年だったが、壮絶な過去を経てさらに年齢不相応の精神力を持ってしまった。戦いながらどこか楽しそうに剣を振るっていた記憶の中の可愛い弟の姿はもうどこにも無い。

代わりに戦いが終わるたびに、疲れたような息を吐くようになっていた。

その姿は1年前と比べ、随分と艶っぽく、大人の色気がある。

 

ーーーーたしかに美しい。だが……なぜだ?なぜこんなに不安になる程、危うく、儚く映る?

 

拳を握り込む音が聞こえる。隣を見ると唇をかみしめ、辛そうな顔で金髪金眼の少女が彼を見つめていた。

アイズ・ヴァレンシュタイン。誰より強さを求め、時に危うく映るほどまっすぐ走る【剣姫】。彼を目指して強くなったにも関わらず、彼我の差は縮まるどころか、開いていた。

 

ーーーーアイズ……

 

大切な仲間に何を言っていいかわからなかった。けどあの姿を追わせるのはさせたくなかった。

 

「アイズ」

 

口を開きかけた時、声が届いた。気がつけば白髪の青年が目の前に来ていた。

 

「先ほどお前と共闘した時に戦力はざっと確認した。レベルは5。器用と敏捷、魔力はAクラスってとこか。一級冒険者の中でも間違いなくトップクラスの実力だ」

 

リヴィエールの分析は完全に当たっていた。見ただけでここまで正確にわかるのかと心中で驚嘆した。

 

「お前は充分強いじゃないか。なんでそんな顔をしてる?」

「…………でも、もうレベル5になってから3年が経つ。リヴィが私くらいの頃はもうレベル6だった。もう最近じゃアビリティも殆ど上がってない」

 

ーーーーなるほど、レベル5においてアイズはもう頭打ちという事か。

 

焦る理由の一端に俺がある事にすこし罪悪感が湧く。

俺と比べる事など何一つないというのに……

 

「俺はもうこういう戦い方しか出来ない。馬鹿は一度死んでも治らなかった。バカを治しかけていた太陽を自分の手で斬ったことで俺は光を失って一人になった。もう俺は闇から戻れない」

 

この男は自分の危うさには気づいていた。その上でこの白い悍馬は止まらない。少なくとも自分の復讐を遂げるまでは、この一本の刀は貫くか折れるかしない限りは止まれない。

 

良くも悪くもこの子はリヴィエールに似ている。鍛えれば鍛えるほど彼女が憧れたこの剣士のスタイルに酷似していくことにリヴェリアは気づいていた。

そして、リヴィエールも。

 

「お前には家族がたくさんいるじゃないか。お前が何もかも護ろうとする必要なんてねえんだよ。俺の真似して走っていたらつんのめっていつかコケる。コケた本人が言うんだ。間違いない」

 

そんな自分のような思いはさせたくない。自分のことを棚に上げて何を言っていると我ながら思うが、それはリヴィエールの心からの本音だ。頭の上に手を置く。

 

「お前は俺なんかよりよっぽど強えよ。だからアイズ、俺のようにはなるな」

 

すべて本音だ。強さを求めて、すべてを守ろうとして、結局自分は大切なものを何一つ守れずに全て失った。

だがこの子は何年もダンジョンに潜り続けて何一つ失っていない。仲間と繋がる強さをすでに持っているアイズを、リヴィエールは本気でそう思っている。

 

「…………?」

 

アイズは何を言っているかわからないという顔をする。自分より遥かに強い彼が弱いという意味が理解できなかった。

それでも彼が自分に嘘をつくなどとは思えない。きっと彼にとって今言ったことは真実なのだろう。

それでも……

 

「ーーーーそれでも、私は…(げんかい)を超えたい」

 

強くなりたい。せめて貴方の隣に並べるくらいは強く。

きつく結ばれた唇と眉に苦悶が浮かんだ。

 

ーーーーダメか…

 

いくら言葉を重ねてもこの子は聞かないだろう。

 

「少し休む。とりあえずはモンスターも出てこねえだろう。先行は任せた」

「………リヴィは?」

「心配しなくてもどこにも行かねえよ。ほら、ティオネ達が待ってるぞ、行ってこい」

「でも……」

 

まったく信用がない。自業自得は承知しているがここまでとは。ため息をつき、小指を出す。

 

「ずっと見てるから……」

「リヴィ…」

「今度は俺が待ってるから」

「!…………うん!!」

 

小指を絡め、結ぶ。一度縦に振ると、アイズは前へと走って行った。笑みがこぼれる。少し主神を思い出す。

 

ーーーーまったく、馬鹿は俺だけではないな

 

言うべきことは言った。ならあとは頼れる彼女の仲間たちに任せるとしよう。

リヴェリアに目を向ける。同時に驚く。自分と同じ目を彼女はリヴィエールに向けていた。

 

「どういうつもりだ」

 

意図が測れなかった。まさか俺に任せるとでも言うつもりか?

 

「これからもアイズを強くしてやってくれ、リヴィ」

 

眉をひそめる。一緒に戦った事はあったが何かを教えた事など一度もない。これからも、とはどういう事だ。

 

「だがアイズは強くなった。その事にお前は無関係ではないだろう?」

 

ない、と言いたかったが、出来なかった。どんどん戦い方が自分に似ていく事にリヴィも気づいている。

 

「あの子を強く出来る力を誰よりも持っているのはお前だ。私達では出来ないことだ」

「…………あのな」

「特別な事は頼まないさ。お前は好きに生きればいい。生きてたまに顔を見せに来てくれ。あの子を導く背中であってくれればそれでいい。その道は私達が作るから」

「………ゲロ甘だな、てめえら」

 

諦めの息を吐く。本当に面倒だ。全てを失って、その痛みを知って……

もう誰とも繋がらない。もう何も背負わないと決めていたのに…

 

「リーア、俺アンタの事好きだし、尊敬してるけど、そういうとこ嫌い」

 

二人きりになった時にだけ使う呼び方で彼女を呼ぶ。今だけは1年前と同じ、ただの家族に戻って。

 

「奇遇だな。私もお前が大好きだが、大嫌いだ」

 

二人とも笑う。やはり馬鹿は俺だけではない。そんなつもりなどないが、いつの間にか自分もこの愛しい師に背負われていたらしい。

 

「行ってくるよ、リーア」

「いってらっしゃい、リヴィ」

 

先頭へと向かう、僅かに血の繋がりがある弟分に姉が告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだまだ行けたのに〜。暴れたんないよ〜」

 

先頭に合流したリヴィエールと共に歩きながらティオナが漏らす。確かに体力的に言えば、上級冒険者である彼女にはまだ余裕がある。アマゾネスであるこの子なら尚更だ。

 

「しつこいわよアンタ。いい加減になさい」

「だってせっかく50層まで来たのに〜」

「転移門とか層ごとにあれば楽なんだがな。なんか本で読んだ他の塔ではあるらしいよ?たしかアインクラウドとか言うとこ」

 

ティオナの気持ちもよくわかる。50層まで来ることは相当面倒だ。ソロで潜っているリヴィエールはなおさら。それをほぼトンボ帰りは惜しいと思うことは仕方ないことだろう。

 

「そんな便利なものがあればいくら高くても喜んで使うんだけど……ねえリヴィエール、そんな魔法ないの?」

「ない」

「うぅ〜〜、何だったのよあのモンスター!!」

「リヴィエールすら知らないんでしょ?未確認のモンスターって言うほかないわよ。確かにおかしな点はあったけど」

 

豊かな胸の谷間から石のような物をティオネが取り出す。その時の見事な揺れは薄い板の妹の心を抉った。

 

「お前それ……あの新種の魔石か?」

「まあね」

 

取り出されたのは何やら歪な色が混ざった見覚えのない魔石。連中を斬っても爆発するか腐食液で消えてしまったため、魔石の採取はリヴィエールさえ出来なかった。

 

「ああ、そういや直接手ぇ突っ込んでたなお前」

「その時むしり取ってやったわ」

「…………ちょっと見せてくれるか?」

 

なんの疑いもなくティオネはリヴィエールに魔石を手渡す。普通ダンジョンの重要な収穫である魔石を他人に渡す事などまずあり得ないというのに、躊躇など微塵もなかった。

 

ーーーーチッ、コレじゃあ奪えねえじゃねえか。

 

1年前の事件に繋がる可能性のある手がかりだ。出来れば奪ってしまいたかったが、こう無邪気な対応をされてはその気も失せた。魔石の形や特徴を忘れないように凝視した。持ち上げて光に透かす。

 

「わ、何それ。変な色」

「…………ああ、やはりすこし妙だな」

 

普通はどのモンスターも魔石は紫紺色なのだが何やら黒い靄のようなものが入った石に見覚えはなかった。特徴を覚えたリヴィエールは魔石を返す。

 

ーーーー天然物じゃねえって事か?まあダンジョンの仕組みなんて謎だらけで未知のことの方が多いけど……

 

リヴィエールの7つ目の感覚(セブンセンス)はこのモンスターがダンジョンから生まれたものではなく、誰かに造られたものだと告げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

休息を取る一行。リヴィエールもその辺りの出っ張った岩に座った。その隣にアイズも腰掛ける。大きくため息をついた所を見られてしまった。

 

「リヴィ、疲れた?」

「大丈夫だ、問題ない」

 

大丈夫でなくても絶対このセリフを言う男ではあるけど、今は心からの本音だった。確かに交戦回数はソロの時より遥かに多いが、休息も支援も比べ物にならないほど多い。疲れるというほどではない。

 

「ふぅ」

 

たまたま近くにサポーターの一人が腰かけた。大きなバックパックを背負った少女。サポーターだ。

 

「リーネ、手伝おうか?」

 

視界に入ってしまったため、疲労の色を濃く浮かべた少女にアイズが近づく。彼女らしい、強者が持つには貴重な優しさにリヴィは笑ってしまった。1年前と何も変わっていない。

当然サポーターはその誘いを断る。上級冒険者であるアイズに荷物持ちなどさせられるはずがない。

 

「でも……」

「アイズ、よしてやれ。お前にとって戦う事が仕事であるように彼女達はコレが仕事なんだ。奪ってやるな」

 

肩を叩いてアイズを止める。手伝う事が優しさなら、見守る事もまた優しさだ。その事を知って欲しかった。

 

「そうだぜアイズ。雑魚共に構うな」

 

ウェアウルフ、ベートがリヴィに同調する。しかしその理由は白髪の青年とはかなり違っていた。

 

「弱えやつに拘うだけ時間の無駄だ間違っても手なんて貸すんじゃねー。俺たちは見くだしてりゃいいんだよ。強いお前は強いままでいい」

 

ベート・ローガは少し行き過ぎな程の実力主義者だ。アイズとその他の扱いが驚くほど違う。誤解されがちな発言のおかげでファミリア内では嫌っている者も多く、常に孤立している。

 

「コラー!バカ狼!アイズを困らせるなー!!」

「うるせえ!手ぶら組はサポーターでもやってろ!」

 

ーーーーまあ、理由は実力だけじゃねえんだろうが。

 

アイズに懸想しているツンデレ狼のあの態度も、わかっていれば可愛いものだ。リヴィエールは彼の事を周りほど嫌っていない。面識もないのにヘコヘコしてくるサポーターより余程歯ごたえがある。

 

「リヴィ……私って怖がられてる?」

 

自分よりも遥かに強いのに人を惹きつける彼に聞いてみる。わからない事は彼かリヴェリアに聞く事が最も良いと信じていた。

 

「いや、尊敬されてんのさ。お前だって俺に近づくにはずいぶん時間かかったじゃねえか」

 

あの時、ダンジョンで彼女を助けてから、ずっとアイズはリヴィエールを追いかけていたが、声をかけられるようになったのはかなり後になってからだった。一緒に剣の稽古をするようになるまで三ヶ月はかかった。

 

「だってリヴィは……凄すぎたから」

「彼女達にとってはお前も凄すぎるんだよ。何かをしてやるために近づくんじゃない。もっと軽い理由で接してやりな。そうすればお前の事を手の届かない高嶺の花なんて思わねえさ」

 

金色の髪をグシャグシャ撫でてやる。懐かしい感覚にアイズは自然と笑顔が漏れた。

 

「あーあー、あっついあっつい。今日ダンジョン暑くなーい?局所的に」

「良いなぁ…私も団長と……」

「このクソ白髪!テメエサボってんじゃねええ!!」

「いやだってもう中層じゃん。俺手ェ出したらダメだろ」

 

ロキ・ファミリアにはとある規則がある。その事を知っていたリヴィはもう自分の出番などほぼ無いだろうと考えている。ベートも正論で返された為か、黙った。

 

するとモンスターの雄叫びが前方から響いた。

 

「ヴヴォオオオオオオオオオオオッ!!」

「進行方向!ミノタウロス…大群です!!」

 

現れたのは、群れをなしてこちらに向かってくる牛頭のモンスター、ミノタウロス。リヴィエール達の敵では無いが、初級冒険者ではまず勝てないモンスターだ。

 

「リヴェリア、これだけいるし、私達もやっちゃっていい?」

「ああ、構わん。リヴィ、お前はアイズと組んでくれ。ラウル、指揮を」

 

ロキ・ファミリアの中層における規則。それは下の団員に経験を積ませるため、上級冒険者は中層で出張ってはいけない。

しかし数が数だ。万が一を考え、リヴィエール達にも許可を出す。

 

「り、リヴィエールさん達!空気読んでくださいね!」

「わかってるよラウルちゃん。海より深く手加減してやらい」

「大丈夫大丈夫!」

「わかってるわよ」

「ステゴロだぞクソ白髪。それくらいのハンデはやれ」

「ったく、しょうがねえな」

 

アマゾネス姉妹の妹は腕をぐるぐる回し、姉は手をわきわきさせている。リヴィはボキボキと手の骨を鳴らした。

 

どっちがモンスターかわからないほど恐ろしい笑みを四人とも浮かべている。

初級冒険者なら武器ありでも到底かなわない相手と素手でやれと言われてしょうがねえなでら済ますあの四人の強さは中堅のラウルには信じられなかった。

 

ミノタウロスの雄叫びというよりも、悲鳴に近い声がダンジョンに響き渡る。

 

「ええ!?逃げたぁ!?」

「あーあ、アマゾネスがあんな殺る気満々に殺気漏らすから」

「のんきな事を言ってる場合か!?早く追え!あんなパニック状態では何をするかわからんぞ!」

「急ぐぞ。下は他の連中に任せる。アイズ、手伝え。ついて来い」

「うん!」

 

暴走したミノタウロスは普通の冒険者ではひとたまりも無い。これ以上被害が拡大する前に、この場で最も速いリヴィエールが先行する事を決め、唯一自分の速度について来れるアイズに声をかけた。リヴィに頼られた事が嬉しかったらしく、これ以上無い良い笑顔で返事をした。

 

二人で一気に跳躍する。その姿は一瞬で遥か遠くへと消えた。

 

「各階層に一人は残れ!先頭はリヴィとアイズに任せろ!殺し尽くせ!」

 

後ろからかかる師匠の怖い指示にちょっとビビるリヴィエールだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーダンジョン5階層!

 

走りながら二人とも次々にミノタウロスを屠る。想像以上に数が多く、二人をもってしてもこれほどの上層に逃がしてしまった。しかしそれもここまで。残すところは……

 

「残りは?」

「一匹」

 

返り血をぬぐいながら全体の俯瞰を頼んでいたアイズがリヴィの質問に答える。7つ目の感覚で強化された五感がどこにあと一匹がいるかを告げた。

 

「うわぁああああ!!」

 

感じた先から悲鳴が聞こえる。ミノタウロスに襲われていたのは装備も未熟などう見ても新米の冒険者。姿はよく見えないが声から言って恐らく少年だろう。

 

「アマテラス」

「エアリアル」

 

黒刀とレイピアが重なる。

 

『ムラクモ!』

 

黒い炎の旋風がミノタウロスを上空に吹き飛ばした。

 

「ちょっと手加減しすぎたか」

「でも冒険者を巻き込めない」

 

ミノタウロスが吹っ飛んだ先に跳躍する。牛型のモンスターは一瞬で八つ裂きになった。

 

「リヴィ」

「終わりか?」

「うん、今ので最後」

 

一つ嘆息し、空を仰ぐ。コレでとりあえずはひと段落だ。

 

腰を抜かして座り込む少年に目を向ける。自分と同じ白髪にルベライトの瞳。体躯は小さく、まるで白兎のようだ。

 

「あの、大丈夫です……か?」

 

返り血塗れの少年にアイズが声をかける。恐怖のあまり、引いていた感情が戻ってきた。白い肌が赤くなっていく。

 

その時、二人同時にとある幻影が映る。壁にもたれかかり、ダンジョンで腰を抜かす少年に、リヴィエールはかつて助けた金髪の少女を、アイズは幼い自分を幻視した。

 

「リヴィ……」

 

困ったように白髪の青年の肩に手を添える。それでようやくフラッシュバックから帰ってきたリヴィエールは頷きを返し、手を伸ばした。

 

「おい白兎、立てるか?」

「えぅ、ダァああああああ!!!?」

 

叫んだかと思うと。新米にしては驚くほどの速さで一気に走って逃げ去った。取り残されたアイズとリヴィはポカンと差し出した行き場の無い手を動かした。

 

「はっ……ははは…助けた……相手に……逃げられてんじゃねえか……流石だなぁ、剣聖」

 

息を切らして追いついてきたベートがゼエゼエ言いながら笑った。そんな頑張って追いついてこなくても、とこちらも笑みが漏れた。

 

「お茶会の時間でも迫っていたのかね、あの白兎は。ま、アレだけ元気そうなら大丈夫だろ」

「お茶会?どういう意味?」

「アリス in ワンダーランドだ。本くらい読んでおけ」

 

二人とも腰に剣を納めた。踵を返す。

 

「戻るぞ。リヴェリア達に合流する」

「うん、わかった」

 

その背中についていく。その時に気づいた。砂色の彼のローブに赤い跡が残っている。血の跡だ。

 

「ご、ごめんリヴィ。ローブ、汚しちゃった」

「ん?ああ、返り血か。良いよ別に。よくある事だ」

「…………ゴメン」

 

気にするなと手を振り、歩き出す。彼のローブを汚してしまった罪悪感もあったが、それよりこんな血まみれの汚れた手で彼に触ってしまった事を悔いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。遂にベル君登場。剣聖と剣姫が再会を果たす事で止まっていたリヴィエールの物語が動き始めます。ちなみに現在の主人公プロフィールです



リヴィエール・ウルス・グローリア
Lv.7。
力:B 714 耐久:C 638 器用:A 858 敏捷:S 921 魔力:S 912
発展アビリティ:狩人:B 調合:F 剣士:S 精癒:I 魔導: A 耐異常: G
《魔法》
【アマテラス】
 ・黒炎を生み出す事が出来る。一度燃えたら焼き尽くすまで決して消えない
【ノワール・レア・ラーヴァテイン】
【ウィン・フィンブルヴェトル】
【ヴェール・ブレス】
【モユルダイチ】

 《スキル》
7つ目の感覚(セブン・センス)
第六感を含めたすべての感覚が研ぎ澄まされ、未来予知に近い超感覚を発揮する
状況を問わず効果持続。
【王の理不尽】
効果と詠唱を把握する事でエルフの魔法を全て操れる。
太陽の子(ライジング・SON)
スキルの発現時に誓った目的を遂げるまで成長速度が高まる。






コレが現在の主人公プロフィールです。矛盾点があればご指摘よろしくお願いします。それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。低評価ももちろん受け付けていますができればその理由もお聞かせください。よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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Myth6 ロッキーと呼ばないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕日の光が全身を貫く。ダンジョンから出てきた時に真っ先に感じる変化。あって当たり前になりがちな、日の光の暖かさと素晴らしさを改めて確認できるこの瞬間がリヴィエールは好きだった。

 

ーーーーただいま…

 

赤い光に心中で語りかける。二週間以上にわたるリヴィエールの遠征は今日、この瞬間に終わった。

 

「んーーーー!!二週間ぶりの外の空気〜!」

「被害者が出なくて本当良かったっす」

 

暗い地下では味わえない開放感を各々が感じる中、リヴィエールはローブのフードを被り、口元をネックウォーマーで隠す。こうすればそう簡単には自分だとは気づかれない。

 

「リヴェリア、悪いがここまでだ。バックパックを返してもらった後、俺はしばらく姿を消す」

「…………なぜだ?」

 

明らかに不愉快そうに緑髪のハイエルフが眉をひそめる。実はこの後、食事くらいには誘われるかと期待していたし、もし無かったら此方から誘うつもりだったのだ。

 

「お前たちと地上で行動していたら他人の目にどうしても止まる。それでなくても俺は目立つ。今回の件で俺の噂も少なからず立つだろう。まあそれはいい。今までだって噂が立つ事は何度かあった。だがそれ以上になる訳にはいかない」

「…………私は言いふらすような事は」

「人の口に戸が建てられるとは俺も思っていない」

 

大勢の前に姿を現し、しかもダンジョン内とはいえ、アレだけにアイズと派手に動き回ってミノタウロスを何体も斬った。もう完全に秘匿する事は不可能だ。もちろんリヴェリアやフィンの事は信頼している。だがロキ・ファミリアの末端の口まで信用できるかと言われればそれは否だった。

 

「…………ドロップアイテムの交渉はどうする」

 

姿を消されたら利益を渡す事もできない。それ以前にこの男の所在は知っておかねば、次に会えるのはいつになるかわからない。

 

「その件はもういい。元々アンタを助けるのに見返りを貰おうとは思っていない。後日エリクサーだけは貰うが後はもういいよ」

 

だからバックパックを返せ、と告げる。ロキ・ファミリアの構成員に関して、リヴィエールは主力の人物しか知らない。末端の誰に預けたのかまではわからないため、リヴェリアに指示を出してもらう必要がある。

 

しかしリヴェリアはそれをしなかった。無視して歩き始め、アイズを呼ぶ。

 

「おい、リヴェリア。俺はこの後ギルドに報告にも行かなきゃなんねーのに……」

 

ちらりと後ろの建物を見やる。背後の摩天楼の中には様々な施設が存在する。

50階建ての巨大な建造物の中は迷宮の監視と管理を行うギルド保有の施設であり、20階までは公共施設や換金所。各ファミリアの商業施設が軒を構えている。さらにその上からはオラリオでも有数のファミリアの神々が住み着いている「神様達の領域」となっている。ちなみに、30階は神会を行う会場となっており、最上階にはフレイヤという神が住んでいる……らしい。

フレイヤについてはリヴィエールも名前しか知らない。ルグ曰く、美しく、怖く、執念深い女神。綺麗な花には毒があるの典型。

そんな神々の居住区も兼ねたバベルの塔が迷宮からあふれ出るモンスター達を抑える「蓋」として機能している。

この白亜の巨塔を中心に、モンスターからの防衛は冒険へと変化し、オラリオは冒険者の集う大都市へと成長した。

 

話を戻そう。ロキ・ファミリアのような集団の遠征ならば無事は仲間が確認できるため、冒険者及びダンジョンを管理するギルドにいちいち一人ずつ帰還の報告をする必要など無いが、リヴィエールのようなソロの冒険者には出立と帰還、そしてスケジュールを報告する担当官が付く。この報告を済ませなければ遠征は終わらない。

 

「我々は今日、このまま帰還する。魔石及びドロップアイテムの換金は明日行う予定だ。それまでお前のバックパックはこちらで預かっておく」

「はぁ!?」

 

とんでもない事を平気で言ってのけたリヴェリアに思わず変な声が出る。収穫したアイテムを他のファミリアに預けるなど常識ではありえないことだ。そんな事をして、秘密裏に売買されてしまえばもうこちらはいくら訴えても泣き寝入りするしかない。

後方の支援部隊に預ける事すら本来であれば常識外の事なのに、このまま持って帰られるなどありえない。

 

「本気で言ってるのか、リヴェリア」

「ディアンケヒト・ファミリアへのクエスト報告も明日以降だ。お前のアイテム売買の交渉もこちらでやると言ったろう?ならその方が手間がかからないじゃないか」

「それはそうだが……」

 

チラリと後方部隊の連中を見る。時折不快な視線は感じていた。

ロキ・ファミリアの幹部、それも彼らにとって天上人に近い、アイズやリヴェリアと親しくかつ、対等に接している彼を疎ましく思う事は仕方ない事だろう。

 

「心配するな。お前の収穫は私が責任を持って保証する。信じろ」

「…………で?俺はいつソレを受け取ればいいんですか?」

「アイズ」

 

呼ばれていたアイズはもう近くに来ていた。というかいきなり後ろに下がったリヴィエールを探してウロウロしていた。フードを被った彼の姿を見て、まるで兄を見つけた迷子の妹のような安堵の表情を浮かべる。

 

「どうしたの?」

「リヴィは今日はもう帰るそうだ」

 

その一言でアイズは一瞬で青ざめる。何度も何度も夢見て、ようやく果たした再会。ファミリアが違うのだからいずれ別れる時が来る事はわかっていたが、それでも、いざその時が来ると動揺は避けられなかった。

 

仕方ない事だと頭を納得させる。しかし心はそう簡単に言う事を聞かない。悲しげに眉を歪めたまま、顔を伏せた。

 

「……………」

 

可愛い妹分にかける言葉が見つからず、頭を掻く。出来ればもうロキ・ファミリアとはこれ以上関わりを持ちたく無かった。今まで通りのソロ冒険者へと戻る事が最善の道だ。頭ではわかっている。しかし彼女と同じく、心が従わない。

 

ーーーークソ…

 

無言のまま踵を返す。これこの二人のそばにいては取り返しがつかなくなる。決心が揺らぐ。何も持たず、ただ修羅の道を歩むと誓った、あの日からずっと燻る憎しみの黒い炎が消えてしまう。

 

「あっ……」

 

背中を見せた途端、アイズからこれ以上なく不安げな声が出る。か細く、弱々しい声にもかかわらず、その音はリヴィエールの耳に届いてしまった。

しかし彼女を責める事はリヴィエールにはできない。会えない辛さは誰よりも彼が知っている。

ありえない事だが、もしリヴィエールがルグともう一度出会えたなら。

そう考えるとアイズの気持ちは手に取るようにわかる。

 

このまま彼を行かせてしまえば、また会えなくなってしまうのではないか。

あの辛く、悲しく、不安だった日々をまた味あわなければならないのではないか。

完全に諦められたならともかく、こうして一度出会ってしまった。希望を持ってしまっては叩きのめされた時の絶望はさらに酷く、キツくなる。

何も答えないリヴィエールの態度が彼女の不安を更に煽った。

 

「……………チッ」

 

白髪の剣士は舌打ちする。こうなってしまってはこのまま逃げるなどは出来ない。もしそんな事をしたらこの親バカどもは総力を挙げて自分を探すだろう。そうなってしまったは流石のリヴィエールといえども隠れきれる自信は無い。

 

「リヴェリア」

「なんだ?」

 

俯いていた視界が揺れる。アイズの華奢な肩をがっしりとした剣士の手が掴んでおり、強い力でリヴィエールが引き寄せたのだ。

 

「少し借りる。日暮れまでには返す」

「…………ああ、わかった」

「それと………お前にだけは俺の潜伏先を伝えておく。俺にしか出来ないような用が有ったら、そこに言伝を頼んでくれ」

 

こそりと耳元でねぐらにする予定の場所の名前を告げる。その時やたら色気のある声を彼女から出された事に少し動揺した。

 

「アイズ、行くぞ」

「…………うん!」

 

アイズがいない事にベートが気づいた時には、二人は人ごみにまぎれ、その姿を消していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歩く速度は決して早くなかった。速さにおいては一級冒険者の中でも三本の指に入るとまで言われる二人にとってこの速度は遅すぎるくらいの歩幅だった。

 

それなのにアイズの鼓動はダンジョン内での戦闘よりも遥かに早く鳴っていた。頬の上気は我慢できず、彼の顔をまともに見れない。歩いているだけで目立つ彼女の顔を隠すために途中でリヴィに買ってもらった白のストローハットを目深に被り、うるさい鼓動の原因である自分の手を見るので精一杯だった。

 

白髪の青年がアイズの手を握って前を歩く。1年前より遥かに精悍になった彼と手を繋いで歩くという事はアイズにとってどんな強敵と戦う時より異常な状況だった。

 

ふと周囲を見渡すとそこにはもう人気はなかった。被った帽子を少し上げる。どうやら小高い丘の様な場所に来ていたらしい。

 

「着いたぞ」

 

手を離す。名残惜しさはかなりあったが、ほんの少しだけ安堵もあった。こんな血まみれの汚い手で彼の美しい手を汚したくなかったから。

 

ようやくリヴィエールに視線を向ける。すると片手には鮮やかな黄色のバラが握られていた。おそらく帽子を買った時に一緒に購入していたのだろう。

 

視線が花を捉えていた事に気付いたのだろう。リヴィエールは笑って一度花を振った。

 

「サマーサンシャイン。ルグが好きだった花でな。ここに来る時はいつもコレを持ってきてる」

 

リヴィエールが歩き始める。丘の頂上には一本の酒のボトルと枯れた花が添えられていた。酒の名前は太陽酒(サマー・ウィスキー)。アルコール度数83パーセントの強烈な酒だ。コレは別に彼女は好きではなかった。『太陽と名のつくものなら呑まずにはいられません!』といってチャレンジする度に潰れていたのはいい思い出だ。

 

「コレは……お墓?」

「違うよ。墓ってのはそこにその人がいて初めてその名を持つ。コレは俺が勝手に置いてるだけさ。此処が一番太陽が良く見える場所だから」

 

古い花を片づけ、新しく持ってきた花を供える。懐ろからウィスキーの入ったスキットルを取り出し、地面に掛けた。

 

「………お久しぶりです、ルグ様」

 

夕日に向かってアイズが一言呟く。

 

ーーーールグ、久しぶりだろう。アイズだ。あんたに教わったこの場所を教えちまったけど……こいつなら良いよな?

 

「…………綺麗」

 

オラリオ全てを染める紅の景色にアイズから出た言葉はコレだけだった。彼女に詩才があればもっと洒落たことが言えただろうが、彼女にはコレが精一杯だった。

 

「だろ?俺の秘密の場所だ。他人に教えたのはお前が初だ」

 

初めてという言葉に心が浮つく。なにか彼の特別になれた様な気がした。

 

もう一度景色を見る。夕日が世界を染め、見慣れた町並みはまるで異世界の様だ。

毎日見ているオラリオがいつもと違って見える。

 

ーーーーオラリオってこんなに綺麗だったんだ……

 

景色が今朝とまるで違う。それはきっと見る者の心が違うから。

 

今度は隣を見る。心が違う要因は風に揺れる白い髪が光を反射し、輝いている。光に照らされ、リヴィエールがスキットルからウィスキーを飲む姿は例えようもないほど妖しく、美しい。夕日とは違う色の赤で頬を染める。

 

しかしそれも瞬く間に落ち込んでしまう。どこか辛そうな、悔やむような顔をリヴィエールがしていた事に気付いたからだ。

 

「リヴィ……」

「?」

「…………私ともう会いたくなかった?」

「会わないほうがいいとは思ってた」

 

俯く。拳を握る。彼の過去は聞いた。その上で彼は自分達を助けてくれた。嬉しかった。けど、この状況は彼が望んでいた事ではない事にもアイズは気づいていた。

ごめんなさい、と言いたい。私が弱いせいであなたの手を煩わせてしまったと謝りたい。けど唇が震えて言葉にならなかった。彼と会えた事を否定したくなかった。

 

「似てたな、あの子」

「?」

 

急に話が変わる。何のことか、すぐにはわからなかった。

 

「あの白兎君だよ。昔のお前に良く似ててビックリした」

 

意味が理解できた。そして驚く。まさか彼があの時の自分の事を憶えていてくれていたとは思わなかった。先ほどとは違う意味で心が浮ついた。

 

「………ダメだな、俺は」

「…………え?」

「あの時、何もかも失ってた俺に余裕なんてなかった。前しか見てなかった。俺を炙る黒い炎から逃れる術はただ強くなる事だけだった」

「それは……」

 

私も同じだ。私の中にもずっと黒い炎があった。

 

「でも、あの時お前と出会えたから………ガキの頃の俺と同じ目をしていたお前がいてくれたから、俺の炎は穏やかになった。俺の過去が夢でなくなった」

 

それも自分と同じ。その炎を仲間達に、リヴェリアに鎮めてもらった。そしてなにより……

 

ーーーー貴方に掬い取ってもらった……

 

あの時、忌むべき黒の炎をあれほど美しく、自在に操る貴方に出会えて、私の炎は消えたのだ。

 

「俺はずっと剣を握りしめて生きてきた。20年近くずっとそうやって生きてると、俺の骨が、心が、俺の全てが砕け散る事が何度もあった」

 

1年前の決定的な悲劇が起こる前にも、自分の限界という壁にぶつかり、邪悪な人の悪意に押しつぶされ、何度も何度も膝を折った。

 

「その時、俺をまた作ってくれたのは……お前達だった」

 

ルグが、リヴェリアが、リューが、アイズが、何度も俺を作ってくれた。彼女達がいてくれたからこそ、今の俺がある。

 

「お前達と再会した事を良く思わない俺もある。だがそれ以上に、お前の顔をまた見られてホッとした。今日、お前と出会えてよかった。お前と二人であの子に会えて良かった。俺はもうあの頃に戻れない。そう思っていたけど、そんな事は無いのかとしれないと教えてもらえた」

「リヴィ……」

「気持ちなんだよな。自分を強くしてくれるのも、この景色が美しいと思える事も」

 

ーーーー俺の中の炎がまた小さくなった事も。

 

全てを成し遂げるまで、俺はまだこの炎を消せないけど、全てが終わった時、俺はまたあの頃に戻れるのかもしれない。

 

「感謝しているよ。ありがとうアイズ。また会えて本当に良かった」

 

優しく頭を撫でてやる。1年前と変わらない、心地よい仕草だ。

金髪金眼の少女は真っ赤になって俯く。帽子を目深に被ってもなお、頭から立ち昇る湯気にリヴィエールは笑いを漏らした。

 

「明日の朝、此処でお前を待ってる」

「!」

 

顔を上げる。何よりも知りたかった事が聞けた。此処にくれば、また明日も彼に会えると約束してくれたのだ。

 

フードを外し、頭を下げる。ローブと和装のせいで気づかなかったがリヴィエールは首にネックレスを付けていた。ソレを首から外したのだ。

 

「やる。受け取れ」

「コレは……」

「ルグの形見だ。俺には何よりも価値がある」

 

手の中のシルバーと真珠で彩られたネックレスは、かつてリヴィエールが主神に贈ったプレゼント。事情を知ったヘスティアから返してもらい、以来自分が着けていたアクセサリー。

その正体を聞いたアイズは何度も首を横に振った。口下手な彼女らしい、受け取れないという意思表示。

 

「慌て者、誰がくれてやると言った。貸してやるだけだ。明日会う時必ず返せ。もしそれを持って逃げられたら俺は会わなくなるどころか、お前を草の根分けてでも探し出して、追いかける」

 

それは直接表現ではないが、もう彼女から逃げないという意思表示。不器用な彼らしい、恩着せがましくない、彼の精一杯の誠意。

 

「約束の担保としては充分か?」

 

何度も何度も首を縦にふる。自分の命よりも大切だという物を自分に預けてくれた。その事が嬉しかった。

 

「じゃあ帰るか。リヴェリア達も心配してるだろう。道、わかるか?」

 

尋ねられた問いに一度頷こうとして、止まる。此処までほとんど顔を伏せてきたせいで道筋などよく憶えていない。オラリオの街は目の前に見えるのだから帰れなくはないと思うが、それはしたくなかった。自分の中の小さなアイズもイヤイヤと首を横に振っている。

ネックレスを持つ手とは逆の手でローブを掴んだ。

 

「…………もうちょっと」

「……はぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーー結局送り届けることになっちまった……

 

もう帰れるだろうというところまで送ってもアイズはもうちょっとを止めなかった。そして結局辿り着いたロキ・ファミリア本拠地、【黄昏の館】。城のようなその建物は大手ファミリアの本拠地に相応しい威容を誇っている。なんやかんやで此処とは長い付き合いリヴィは想い出の中の建物と変わっていないことに少し安堵した。

 

「ーーーん?」

 

入り口の人影から土埃が舞い上がる。どうやらアイズの帰りを待っていたらしい連中の中から飛び出す人かげ…

 

「おっっっかえりぃいいいい!!」

 

…………もとい、神かげ。

 

「アイズたぁあああん!!!」

 

いつもの事であるアイズはヒラリとその神を避ける。そして避けた先にいたリヴィエールは顔面に見事なアイアンクローを決めた。

 

「相変わらずだな、ウォール・ロッキー」

「あ゛?!誰の胸が岩壁やとこのバーニ……ていだだだだいだいいだいいだい!?はなせリヴィエール!でる!?なんかミソ的なモンが出るてぇええええええ!!?」

 

ギリギリと顔面を締めつける。万力の如き一撃に主神、ロキはすぐにギブアップを宣言した。放してやる。

天界から降りてきた神の一柱にして正真正銘の超越存在なのだが、どうも尊敬に値しない神だ。

特徴、赤毛、中身オッさん、女好き、岩壁胸。

 

「いったたぁ……おう、なんや聞いてたより元気そうやないかリヴィエール。生きとったんやな」

「残念な事にな」

「おいリヴィ、そういう事は冗談でも言うんじゃない」

 

いつの間にか近くに来ていたリヴェリアが怒ったように眉をひそめて睨む。その視線に肩をすくめる事でリヴィエールは応えた。

 

「…………リヴィ、少し変わったか?」

 

この短時間で人が変わるなどありえないと思いつつも、リヴェリアは彼の気配の変化を敏感に感じ取ったのだ。リヴィエールは流石だと心中で感嘆した。

 

「変わってねえさ。だが一つの答えにはたどり着けたかもしれない。そう思うよ」

「リヴィ……」

 

あの夜の事は忘れられない。一年という月日が経とうとも、あの感触、自分の無力さ、血の匂い。全てこびりついている。忘れられるはずがない。

それでも、復讐をゴールではなく、新たな道への通過点に変えられるかもしれない。アイズと再会し、白兎君と出会ったことでそう思えるようになった。

 

「子供達が世話になったようやな。一応礼言うとくわ」

「まったくだ。その恩もしっかり仇で返してもらったよ」

「イヒヒ、まあ主神が天界きってのトリックスター、恩なんかわろて忘れるんがウチや。子供達が似てまうのもしゃーないことや。このアイアンクローで堪忍してえな」

「別にどうこう言う気はない」

 

腰に手を当て、溜息をつく。なんだかんだで得たものも多かった。

 

「へぇ、ちょっとは大人になったやん……コレの影響か?」

 

小指を立てて下品に笑う。こいつも一応女神のはずなのだが、どう見てもオッさんだ。ルグはよくこんなのと悪友をやってたものだ。

 

「帰る」

「あー、待ちぃな。礼にシャワーくらい浴びていきぃ。聞いたところ随分零細ファミリアにおるらしいやないか。ちゃんとした風呂なんか入ってへんのやろ?」

 

ピクリと耳が震える。エルフは身を清めることを最も大切にしている。その中でもリヴィエールは無類の風呂好き。ロキの言う通り、ちゃんとした入浴など殆どしていない。水とタオルで体を拭くか、どうしても我慢できなければ、18階層の泉で身を清めている。

 

同時にリヴェリアを睨む。早くも喋ってんじゃねえぞコラと視線が語った。

 

「わ、私が喋ったんじゃない。フィンだ」

「君の目的を叶えるためにはロキの力が必要な事もあるだろう?」

「…………俺、お前らは信用してるけど、コレは微塵も信用してねーぞ」

「仮にも神をコレ扱いかい。大人になっても根本は変わっとらんなぁ」

「当たり前だ。俺は俺だからな。つーかアンタが俺に協力してくれるとは思えんのだが」

「なんでや。ウチは一応、アンタとは友達のつもりなんやけどなぁ。ファミリアにも何度さそた事か」

 

数年前から移籍してこい的な事は何度も言われていた。無論ルグがいた為、その度に断ってきた。

 

「心配しいな。誰にも言わん」

「当てにしてねえよ。人に喋った時点で完全に秘密にするなんてこと、不可能だからな」

「ええ分析や。惜しいなぁ、お前が女の子やったら相当好みなんやけど」

「顔か?」

「何もかも」

 

眉をひそめる。自分でも美男の自覚はある。面食い美人好きのこいつなら、もし俺が女だったら相当好みの顔だったのだろう。しかしそれ以外で自分を好く要素があるとは思えなかった。

 

「ウチはな、アイズたんみたいな素直で可愛い子も好きやけど、あんたみたいなキャラも好きやで?才能があって、プライドが高くて、危うくて、お美しくていらっしゃる。生意気で唯我独尊、自分に絶対の自信を持ってて、しかし過信ではない。確かな実力を持ってる。他人の事なんかチラとも考えへん。傲慢で、頭の回転が速くて、有能で、妥協しなくても生きていける。最高やん。最高に嫌なヤツやで」

「…………お前な」

 

どう聞いても貶されているようにしか聞こえない。8割がたは当たっている為、はっきり否定も出来ない。

 

「ウチは嘘くさいええやつより素直な嫌な奴の方が好きなんや。それに美人いうんは悲劇の方が映える。見てみぃ、あの時も充分綺麗やったけど、たった一年でえらい色気がついたやないか。素敵な白い髪にもなりよって。一段とお強くなられたとも聞いてるで」

 

ケッと吐き捨てる。確かに美人の泣き顔というのはなかなかグッとくる。安易に肯定も否定もできなかったため、唾を吐き捨てる事くらいが精一杯だった。

 

「話を戻そか。どないする?シャワー浴びてくか?ウチはええで?すぐ用意させるわ」

 

ごくっと生唾を飲む。ロキ・ファミリアのシャワーと浴場が使える機会などあと何度あるか……

しかしこの悪神がなんの企みもなくシャワーを貸すとは思えない。

葛藤の末に踵を返す。そろそろ日が沈む。その前に彼のギルドの担当官に帰還を報告しなくては。

 

「なんや、帰るんか」

 

背中を向けたリヴィエールに視線が刺さる。一度振り返ると、ネックレスを握りしめたアイズが不安そうに此方を見ていた。

 

ーーーーまだそんな顔をしてるのか……

 

約束もその担保もやったというのに、強欲な事だ。悪い事だとは思わない。欲は成長に不可欠な要素だ。

 

一歩だけ近づき、アイズの髪を指で分け、額をトンと突いた。

 

「また、明日な」

「…………うん!」

 

今度こそ背中を向け、フードをかぶりなおすと街の雑踏の中に姿を消した。

 

「ーーーーやれやれ、行ってしもたか。風呂入ってる隙に刀隠して雲隠れできひんようにしたろ思てたのに」

 

やはり悪巧みがあったか、とリヴェリアは嘆息する。今度、リヴィエールにバベルのスパのチケットでも奢ってやろうと決めた。

 

「あまりリヴィにちょっかいを出すな。あいつはロキが思っているよりずっと余裕がない」

「そうかぁ?そうでもないやろ。余裕ないんやったら風呂なんか迷う余地なく、絶対断っとったハズや。多分今日、お前らに会うて少し余裕が出来たんやで。お前らが会うた時にはなかったんかもしれんけどな」

 

見送りももういいと判断したのか、ロキはホームへと体を向けた。視線の先にはリヴィエールがいなくなった方向をじっと見てる白い帽子を被ったアイズがいた。

 

ーーーーほんま、アイズはリヴィエール大好きっ子やなぁ。まあ遠征から帰ってきたのに珍しく体に損傷がない。きっとずっと護って貰えたんやろ。最近のあの子にはなかった事や。コロリとヤられてしもてもしゃあないか。

 

「ホラ、皆戻るで。リヴィエールにはまた明日も会えるんや。今日は皆1日ゆっくり休みぃ。ムッ!?レフィーヤたん、おっぱい大きゅうなったんちゃう!?ちょっと触らせてぇええ!!」

 

シリアスな空気が一瞬で壊れる。リヴィエールがいた頃、良くあった流れ。その騒がしくも懐かしい空気はアイズにリヴィエールが帰ってきた事を実感させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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Myth7 混ざり物と呼ばないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ギルド』

 

オラリオの都市運営、冒険者および迷宮の管理、魔石の売買を一手に司る機関。

神・ウラノスを主神としており、事実上の運営は団員たちが行っている【ウラノス・ファミリア】とでもいうべき存在。しかし他のファミリアと決定的に違う事は現在、構成員たちは恩恵を授かっていないということだ。コレはウラノス・ファミリアに冒険者がいた場合に真っ先に疑われる、身内びいきをさせない為と言われており、あくまで中立であるというアピールである。

迷宮が生み出す富を管理するための組織。冒険者やファミリア間のトラブルには、よほどのことがない限り介入しない。

 

ーーーーどこまで本当かわかりゃしねーけどな。

 

冒険者が一人もいないという点においてのみ、リヴィエールはギルドに疑いを持っている。中立を宣言しているゆえに表向きは確かに公平だ。出来る限りの平等に手を尽くしている組織なのは認める。しかし完全な平等などありえないし、そうでなくとも理不尽な理由で逆恨みされる事もある。自分がウラノスなら自衛の為に幾つか盾を用意するだろう。

 

ーーーー…………どうでも良いか。

 

少なくともリヴィエールはそれが悪い事だとは全く思っていない。自衛の手段を講じるのは当たり前だ。

組織運営自体は真っ当だし、冒険者登録や、迷宮から回収される利益を都市発展に反映させるため、ダンジョンの知識や情報を冒険者達に進んで公開している。しかも探索のためのサポートまで行っている。迷宮を攻略するにはギルドの協力が不可欠と言ってもいい。組織としては健全そのものだ。

リヴィエールもこの組織があるからこそ、ソロで冒険者がやれていると言って過言ではない。

 

「あ、リヴィくーん」

 

ギルドの入り口で声をかけられる。ずっと待っていたらしく、ギルドに入った途端に見つかった。

 

「エイナ。あまり大きな声で呼ばないでくれ。とゆーかよくわかったな」

 

エイナ・チュール。リヴィエールとよく似た澄んだ緑柱石の瞳を持つアドバイザー。艶やかなセミロングヘアのブラウン。そしてエルフよりは短いが、それでも一般のヒューマンとは異なる耳。少し特殊なリヴィエールとは違う、通常のハーフエルフの証である。

自分の担当官を務める彼女には愛称を許している。友人であるからという理由もあるが、それだけではない。担当官である以上、呼称は使わずに仕事は出来ない。しかしリヴィエールは出来るだけ身元を隠している。本名で呼ばれるのは避けたい。その点、リヴィという愛称は呼称として珍しくない。

 

「担当官だもの。わかるわよ」

「…………そんなもんかね」

 

人の良さそうな柔らかな笑みに対し、肩をすくめる。まあ確かにローブはいつも変えていないし、こんなに顔を隠した冒険者も珍しいとまでは言わないが、少数派なのは違いない。

 

「なんてね。ホントはさっきまで貴方の話をしてたから」

「俺の?」

「正確には、ヴァレンシュタイン氏と貴方の話ね」

「俺とアイズの…」

 

真っ先に感じた事は妙だな、だった。

アイズの噂なんてものは珍しくはない。あいつはオラリオで噂されない日の方が少ないくらいだろう。

しかし現在、オラリオで行方不明となっているリヴィエール。親しい者ならどういう人物だったかくらいは覚えているだろうし、オラリオの住人なら少なくとも名前は確実に耳にした事があるだろう。かつてはアイズ以上に噂の的だった。

それでも今のリヴィエールの立場は1年前から行方不明となり、一切の消息がつかめなくなった冒険者。その名前はすでに過去のモノだ。そんな自分の話が今頃、噂される事など相当稀だ。

そんな心中を察してか、悪戯な笑みを浮かべてこちらを見た。

 

「今日ダンジョンでミノタウロスが暴走した事件があったでしょ?」

「…………ああ、アレか」

 

ほぼ記憶から消えていた出来事が蘇る。それでなくても今回の遠征は色々あり過ぎた。雑魚を斬った事などどうでもよかった。

 

「その時助けられた男の子の担当官が私なのよ。その時すっごく貴方たち二人に感動したらしくてね。色々と聞かれたわ」

「…………その子って」

「えっとね。ベル君って言って。リヴィ君と良く似た白髪で、目は赤くって……」

「………白兎みたいなボウヤか?」

「そうそう!ってアレ?リヴィ君知ってたの?」

「ああ…」

 

奇妙な偶然もあったものだ。今日の騒ぎで唯一印象に残っていた少年との意外な共通点に少し驚いた。

 

「で、特徴を聞いたところ、すぐ貴方たちの事だってわかってね。少し教えてあげたのよ。ああ、安心して。リヴィ君の事はほとんど話してないから」

「それを聞いて少し安心した」

 

安堵の息をつく。ずっと以前から自分の担当官をしていた彼女は再会した時、涙を浮かべて喜んだ。事情をザッと説明し、あまり吹聴しないでくれと頼んだところ、人の良い彼女はすぐに納得してくれた。

 

「ほとんど彼を怒ってただけだったしね〜。何度も言ってるのよ?冒険者は冒険しちゃいけないって」

「おお、お前のそれ久しぶりに聞いたな」

 

彼女の口癖。自分も数え切れないほど言われてきた。安全第一、命大事に。彼女のモットーだ。

種族を問わず、誰でもなれる冒険者。その職業柄、犠牲者は絶えない。ギルド職員として働いているエイナは、帰ってこなかったという冒険者を数え切れない程見てきた。

だからこそ彼女はベルやリヴィエールに注意を促している。ソロで、しかも深層で活動しているリヴィエールはこの言葉に真っ向から逆らっていると言っていい。

その驚異的な進化速度と強さのおかげで今はもう完全に諦められているが…

 

「まだ冒険者になって半月の駆け出しなのに5階層まで行ったのよ?信じられないわ」

「なんだよ5階層くらい。俺なんか半月で18階層まで」

「君と一緒にしないであげてくれる?」

 

ジト目で睨まれる。ソロの弊害か、相場を知らない彼は何かと自分を基準にしてものを言うことが多々ある。彼が冒険者の普通ならこの世に普通の冒険者など存在しないというのに。

その自覚は自分でもある。降参するように肩を竦めた。

 

「で?一体どんな個人情報開示したんだよ」

 

ボックスへと案内されたリヴィエールは彼女の対面に腰掛ける。なんだかんだ二週間以上ぶりの再会だ。それに今日はもう少し誰かと話したい気分だった。

 

「本当に特別な事は何も言ってないわ。ヴァレンシュタイン氏の事も一般に公開されてる情報以上の事は喋ってないし、主に聞かれたのは貴方たち二人の関係についてだったから」

「俺とアイズの?」

「ええ、二人とも信じられないくらい強くて綺麗でお似合いの二人だったって」

「…………その手の話か」

 

嘆息する。ルグ・ファミリアに所属していた頃から何かと行動を共にしていたアイズとリヴィエール。お互い凄まじい美貌の容姿を持つ事もあり、アイドル視する人間も多かった。そんな二人のスキャンダルについて聞かれた事は昔はままあった。

 

「もっぱらの噂だったわよね。剣聖と剣姫。剣の舞姫を護る聖なる黒き剣士!って」

「良く覚えているな、そんなくだらない噂」

「オラリオに住んでる人ならみんな知ってると思うけど」

 

かつて二人とも噂されない日はないくらいに名を轟かせていた。お互い言い寄られた回数は数知れない。

そんな二人の並びたつ姿はまるでダンジョン・オラトリアの中の登場人物のようであった。

 

「疾風のリオンが剣姫とよく比べられた一因でもあったわよね」

 

否定はできず、おし黙る。

 

『疾風のリオン』

 

ルグ・ファミリアが消滅するよりずっと以前、オラリオに名を轟かせた素性不明の冒険者。かつて多大な悪がオラリオに蔓延っていた暗黒期、正義と断罪の神アストレア・ファミリアが存在していたあの頃に、悪を裁いてきた最強の執行者の名だ。今はとある酒場で日銭を稼いでいる。高い実力の無駄遣いと彼女を知る人間なら思うだろうが、本人は今の暮らしに満足しているらしい。

 

アイズ・ヴァレンシュタインとリュー・リオン。

 

共に風を冠する剣士であり、尋常ならざる美貌を持つ名うての冒険者。

二人が持つ多くの共通項のせいか、事あるごと彼女達は比べられた。しかしコレはあくまで比較の対象となった一因。主因は別にある。決定打となったのは二人のそばに立つ一人の冒険者の存在。

彼女たちに言い寄る男の影は幾百もの数に登っていたが、その全てを、二人は諸々の事情はあれど、この主因によって斬り捨てていた。

 

その主因がリヴィエール・グローリア……とされている。

 

彼はアイズと行動する事も多かったが、同じくらいリューとも行動を共にしていた。

かつての暗黒期、オラリオに住まう人々の闇を放置しておけなかったアストレアは神友であるルグに協力を要請し、彼女はこれを快諾。アストレア・ファミリア主導の下、剣聖は助っ人としてこの粛清に秘密裏に参加していた。

 

『疾風』とはその以前からの付き合いになる。

二人ともどちらかというとツルむ事を好まない一匹狼型の剣客。この二人の剣士は誇り高い生き物であり、その誇りに相応しい実力をお互い有していた。無愛想だが根は優しい、よく似た二人が深い仲になる迄にそう時間はかからなかった。

 

「で?実際どうなの?」

「あ?」

「ヴァレンシュタイン氏との関係。どこまで進んでるの?」

「どこまでもクソもない。冒険者仲間、師匠と弟子、兄と妹。そんなトコだ」

 

事実だ。リューとはあの抗争と暴走を止めた後、色々あったが、アイズとは本当に何もない。もし何かしていればその既成事実を盾に、フィン達に地の果てまで追い回され、ロキに半殺しにされたのち、責任を取らされたことだろう。恐ろしい事である。今が美しい盛りのリヴィエール・グローリア。まだまだ身を固める気などないのである。

 

「でもヴァレンシュタイン氏は貴方にゾッコンでしょ?」

「それも怪しいところだ。あいつが愛だの恋だのそういうメンドくさい感情の理解が出来ているのかどうか……」

 

好意は寄せられているだろう。尊敬もされている。しかし俺に恋愛感情を持ってるかどうかと聞かれたら微妙だ。自分がそうだったからよくわかる。

 

「大体1年も会えなかった相手に想いを持続するのは相当大変だぞ」

「あら、女は会えない時間ででも想いを育てるのよ」

「ははっ、お前が言うと説得力が違うな」

 

待つ事を仕事の一つとしている彼女の言葉だ。リアリティはかなりある。

 

「…………喋りすぎたな。オラ、ギルド職員。仕事しろ」

「あっ、はーい。換金の手続きしてきまーす」

 

パタパタとカウンターへ走っていく。一体白兎くんに何を話していたのか聞いただけのつもりだったのに。まったく女ってのはヒューマンでもエルフでもハーフエルフでもこの手の話が好きだ。

そのくせ、半分流れるエルフの血のせいか、性的話題になるとすぐに怒る。あるいは真っ赤になる。

 

ーーーー同じハーフエルフでもえらい違いだ。

 

リヴィエールは一夜の関係を持つことについて抵抗は全くない。もちろん相手は選ぶし、合意がなければやらないが、エルフ達のように生涯でただ一人だけ、などといった清く正しい慣習を守る気はさらさらない。冒険者などという乱暴な仕事をやっていれば獣性を抑えられない夜もある。強者は己を律する力も強いが相応に欲も強い。

もちろん娼婦を務めるエルフも歓楽街には存在するし、美しさに誇りを持たず、醜く肥え太るエルフもいる。エルフ全員が一概に潔癖とは言わないが、エイナのような傾向を持つ者はかなり多い。

 

あの惨劇の後、再会を果たした夜、二人は一夜を共にしたのだが、それはそれは面倒くさかった。

もし、今日リヴェリアに教えた場所とは別の、自分がねぐらにしている本当に秘密の場所を彼女に教えたら、それはもう軽蔑の眼差しで見られることだろう。

 

手続きを済ませてきた事を職員に告げられる。バックパックのドロップアイテムとは別の、懐に詰めていた袋を出す。

 

「あれ?そういえば二週間以上潜ってたのに随分少ないわね。………またバックパック捨ててきたの?」

 

責める目でこちらを睨んでくる。彼がバックパックを捨ててきたということは今までにも何度かあった。そしてその場合、大抵、相当窮地………常人なら死んでいて当たり前の状況に陥った可能性が高い。

 

説明に躊躇する。別に言ってもいいのだが、バックパックの事を説明するならロキ・ファミリアの事も喋らなければならない。となるとまた面倒な話になりかねない。

 

さて、どう説明するかと黙り込んでいると、沈黙を肯定と取ったのか、亜麻色の髪のハーフエルフはどんどん柳眉を立てていく。

 

「…………今回はどこまで潜ったの?」

「51階層……あ」

 

考え事をしていたため、普通に真実を答えてしまった。ヤバ、と思った時にはもう遅い。

目の前の少女は大きく息を吸い込んでいた。準備しよう、心の耳栓。

 

「リヴィ君のバカ!わからずや!なんで君はいつもいつも一人でなんでも背負いこんで突っ走るの!私はこんなに貴方の事を思っていろいろ言ってるのに、まるっきり無視して無茶ばっかり!しかもそんなローブだけの軽装で!私がいくら言っても防具の一つもつけないで、私の事一体なんだと思ってるのよ!貴方のスタイルで強行軍なんてはたから見れば自殺願望以外の何物でもないのよ!?それをそんな布数枚の装備、剣一本で51階層?本来なら10日で帰る予定だったくせに二週間以上もずっと帰ってこないし私がどれだけ心配したと思ってるのよ!貴方がここに来る瞬間をどれだけ待ってたと思ってるのよ!いつもいつも無茶ばっかりして!待たされる側のこと考えた事あるの!?なんで誰よりも強いくせにこんなにハラハラさせられなくちゃならないのよ!」

 

ーーーー…………知るか

 

溜めた息を出し尽くして放たれた彼女の苦言にその一言を返しそうになるが、グッとこらえる。耳栓の効果だ。もし準備をしていなければぽろっと出ていたかもしれない。そしたら今度はこの倍の説教が潤んだ瞳とともにぶつけられた事だろう。

こういう時に下手に反論するのは愚の骨頂であるという事は身にしみて理解している。女の説教に言葉を返すなら出し尽くさせてからでなければならない。

今回の事情を話そうと口を開きかける。

 

ーーーーっ!?

 

何かイヤな感覚が唐突に背中に奔る。誰かに見られているとわかる。全身を舐めるような、無遠慮な銀の視線にぞくりと背中が泡立った。背後を振り向いたが、それらしい人物は見つけられない。

 

ーーーー誰だ……

 

俺はこの視線を知ってるはずだ。なのにわからない。どこで感じたのか、思い出せない。

 

訝しげに辺りを睨むと同時に思い出す。今の自分が置かれている状況、自分が掲げている至上目的。その全てを。

 

ーーーー何を浮かれてるんだ、俺は……

 

あの誓いを果たすまで、もう何も背負わないと決めたのに。あいつらと出会って、あの白兎を見て、俺の中の炎が静まりかけたせいか、緩んでいた。しかしそれも今どこかで感じた不快な何かにより再び燃え上がった。強さを求め、仇を焼き尽くすために猛り狂う黒い炎。いくら小さくなってもその火種は俺の中から消えない。消せない。

 

「うるさい」

「っ!?リヴィ君……」

 

先程までの明るい様子だった彼が豹変する。少し前の、ルグを失ったばかりのあの彼に……

 

急速な冷たい気配にエイナが圧倒されている間に、カウンターに渡していた魔石が換金される。占めて20万3000ヴァリス。一人で稼ぐには上級冒険者でも凄まじい数字。

 

「…………お前に関係ない」

 

ーーーーああ、違うんだエイナ。そんな事全然思ってないのに。

 

俺のような面倒な冒険者の担当をしてくれている事にいつも感謝しているのに…

 

それでも自分が自分である為に、言の葉は止まらなかった。ジャラリと金属音のなる麻袋を背負い、踵を返す。

 

「俺に深く関わるな……死にたくなければ」

 

それだけを言い残し、ゆっくりと歩き出す。呆然とするエイナを平然と通り過ぎた。

 

ーーーーごめん、ごめんな。エイナ。お前は何も悪くない。いつも感謝しているのに……

 

剣聖はそれを伝える術を知らない。言葉の薄っぺらさをリヴィエールは誰よりも知っていたから。かつて信じられたのは自分の力のみ。

 

1年前までは太陽の神を信じていた。裏切られたとしてもルグなら良いと思えた。感謝していた。愛していた。

 

しかしそれを言葉で伝えた事はあまりない。言葉は嘘をつく。感謝を伝える最善の道は行動のみだと今でも思っている。

 

愛するものを護ることでしかリヴィエールは愛情を表現出来ない。大切なものを護ることでしか、己の存在意義を見いだせない。

 

感謝も、情も、愛も、リヴィエールは守る事でしか表現出来ない。剣でしか伝える事はできない。

それも既に失敗した。誰よりも失いたくなかった存在は守れなかった。もう自分に心配される資格などない。

 

「リヴィ君」

 

背中に声が掛かる。歩みを止めた。

 

「私は…………貴方が想像しているより、ずっと!」

「エイナ………」

 

振り返る。表情こそ笑みを浮かべていたが、これ以上なく悲しく、淋しそうな顔をしていた。額を軽く突く。

 

「大丈夫だから」

 

俺はこうする事しかできない。コレしか言えない。けど安心してくれ。今度こそ俺はもう何も失わない。お前の事は必ず俺が守るから…

 

誰よりも強く、タフな男の背中は不安定に揺れていた。

 

ーーーーああ、リヴィくん……どうしてそんな顔をするの……

 

儚くも美しい彼の微笑みに胸を高鳴らせながらも、エイナの心は悲しみが支配していた。

 

ーーーー泣いて欲しかったのに……怒って欲しかったのに……殴ってくれたらもっと良かったのに!!

 

エイナは知っていた。あの笑みは嘘だということを。誰にも弱みを見せないため、彼が身につけた防衛本能。作り物の顔だという事をあの夜にエイナは知った。

 

ーーーーたとえ泣いていても……怒っていても……殴られても……

 

怒りでも、喜びでも、彼の感情を隠したあの顔でなければ……

 

ーーーーたとえどんな嘘だったとしても、大丈夫(そのことば)を信じられたのに!!

 

頬を一筋の光が伝う。彼に嘘をつかれた事の悲しみと嘘をつかせたことの怒りがその雫に詰まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーー流石ね……

 

鏡を覗き込みながら、世界の何よりも美しいと言われる白銀の美女が恍惚とした息を吐く。その鏡の中に映っていたのはフードを目深に被り、口元をネックウォーマーで隠し、黒い刀を腰に差した剣士。

 

ーーーーこの鏡からなら視線を気配も感じられるはずがないのだけど……

 

最上階に住まう美の神、フレイヤはリヴィエールを見ていた。彼女がリヴィエールの事を知ったのは本当に偶然だった。

神々による3か月に1回開催される定期的な集会。雑談や情報交換が主だが、真面目な議題や、ランクアップした冒険者の命名も行われる。かつての彼の主神が参加していた会合は前者。リヴィエールもルグの護衛として出席していた神の会合。

その時の邂逅は一方的なもので、会話する事は叶わなかったが、魂の色は見ることができた。

人とハイエルフ、愛と憎しみ、強さと弱さ、相反する全てが混ざった、長き時を生きる彼女が見たことがないと断言できる色。混ざっているのに透き通っている矛盾を抱えた魂。その美しさに一目で心を奪われた。

 

あの惨劇を経て、その美しさはさらに際立った。悲劇という闇が混ざる事でリヴィエールの黒に一層の深みを与え、彼の愛と憎しみはさらに増大した。

その結果、完成したのは磨き抜かれたエメラルドのような透き通った瞳に磨き抜かれた名剣の如き寒気がするほど美しい鋭い心。

 

ーーーーー混ざりも極めれば透明感を帯びる。あの子とは全く異なる形の黒い純粋さを持つ男。

 

その色が今日、少し鈍っていた。曇りのない黒曜石のような冷たい輝き。それが今日は熱が灯されていた。誰かが与えた優しさという穏やかな火が彼の冷たさを奪っていた。

 

ーーーーほんの少し、不快だと思っただけなのに…

 

敵意とは呼べないほどの微かな意思。それを目に宿した瞬間、鏡の中のリヴィエールは振り返り、こちらと目が合った。

 

 

ああ、気づいてくれた!!

 

 

鏡越しなのに、気配なんて感じられるはずがないのに…

こちらを感じた!

考えた!

見ていることに気づいてくれた!

 

その理解が女神に興奮を生んだ。雪のような白い肌を赤く染め上げ、どこか陶然と。艶やかに。両腕を大きく広げ、己を強く抱きしめる。情欲に頬は上気し、瞳は潤んだ。

 

ーーーー本当はまだ我慢するつもりだったのだけど……

 

「あの子の事も含めて……そろそろ動こうかしら」

 

お誂えに大きな祭りもある。動くには最適の時期だ。自分が動けばカンのいい彼もきっと動く。それにこれ以上自分の欲求を御しきる自信もない。

 

ーーーー混ざれば混ざるほど、怒りが、悲しみが、憎しみが、負の感情が増える程、純度を増す彼の黒。貴方はもっと美しくなる……その為なら何でもするわ。私の愛しい混ざり物。

 

ほっそりとした美麗な指が鏡の中のリヴィエールを撫でた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




お気に入り千件突破しました。読者の皆さま、ありがとうございます。これからも頑張りますのでよろしくお願いします。ベル君との対面は次回となります。ちなみにリヴィエールが複数の女性と関係を持っていることをフレイヤは知っていますが、ベル君と違い、種族もろもろ純粋でなく、透き通っていないリヴィエールは人と交わる事でより美しくなると思っており、最後に自分のモノにすればいいと考えているため、リヴィエールの女性関係は今のところ放置しています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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Myth8 向いていないと言わないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メインストリートから離れて数分。細い道を何度も曲がり、どんどん人気がなくなっていく。薄暗い道を抜けた先にようやく少し開けた場所に出る。そこにはいかにも廃墟然としたうらぶれた教会が建っている。

ほぼ壊れていると言って差し支えない廃墟にリヴィエールは何のためらいもなく入る。中身もまた酷いもので歩くたびに床が軋む。

しかし、今日はその耳障りな音は響かなかった。

リヴィエールは警戒するように刀の柄に手をかけ、音を鳴らさないように慎重に歩いたからだ。自分より以前に誰かが侵入した痕跡があった。足跡はヘスティアのものよりは大きいが自分よりはかなり小さい。恐らく小柄な少年といったところ。

子供の盗人か、とも思ったが、こんなところに盗みに入る酔狂な泥棒もいまい。警戒は解かないが、事件性はほぼ皆無と推察する。

しばらく進み、祭壇の裏の地下へと繋がる扉に手をかける。棚を開くと僅かな木漏れ日と賑やかな話し声が聞こえた。完全に警戒を解く。どうやら来客がいるらしい。

 

ーーーー珍しいな……

 

ドアを開け放つ。同時に驚愕した。視界に入ったのは主神、ヘスティア。コレは当然だ。驚いたのは来客と思われるもう一人、今日ダンジョンで会った白兎がそこにいた。

 

「あ、リヴィエールくん。おかえりー!随分と遅かったじゃないか。何かあったのかい?心配してたんだよ?」

 

来訪者を笑顔で迎える少女。黒髪をツインテールに束ね、白い服装に青い紐で体を引き締めている。

神ヘスティア。現在リヴィエールが所属しているファミリアの主神だ。

 

「ああ、ちょっとな……それと」

 

視線を白兎に向ける。彼は彼で驚愕しているらしい。口をパクパクと開け閉めし、顔は青ざめていた。

 

「ああ。リヴィエールくん、紹介するよ。彼が半月前に我がファミリアに入団したベル・クラネル君でーーー」

「わぁああああああ!!?」

 

紹介途中に絶叫が上がる。一瞬で狭い部屋の物陰に白兎は避難したが、隠れ切れるものではない。

 

「え、えーっと、リヴィエール君?ベル君に何かしたのかい?」

「してない」

 

まったく、確かに今までの所業を余すところなく知られていたら逃げられても仕方ない事だが、この少年がそれを知っているとは思えない。

なら自分の顔は必死に逃走されるほど凶悪かと思ってしまう。今まで容姿に関しては褒められた事しかなかった為、このような態度を取られるのは新鮮で面白いが、こう立て続けにやられると流石に不快だ。

 

「…………まあいい、ヘスティア。ステイタスの更新、頼めるか?」

「あ……ああ、もちろん。すぐに用意するね。そこで横になって待ってておくれよ」

「ああ……」

 

パタパタと奥の方へと小さな足を動かして走っていく。更新のために必要な針や紙を取りに行くのだろう。その間に上着を脱いでベッドに寝そべる。

服の下から現れた肉体はまるで鋼のよう。肌は白く、体格は絞られた身体で、ともすれば線の細い印象すら見える。このしなやかな腕からどうやってあれ程の力が出せるのか不思議なくらいである。

背中には黒い字がビッシリと刻まれている。これこそが神の恩恵、通称ファルナだ。

 

寝そべるリヴィエールの様子を物陰からジッと見ている視線が一つある。勿論視線の主はあの白兎だ。チラリとこちらが目を向けるとすぐに物陰に隠れてしまう。本当に小動物みたいな少年だ。

 

「あ、あの!」

 

少し上ずった声が聞こえる。ようやく話しかけてくる気になったらしい。

 

「き、今日、ミノタウロスから助けてくれた冒険者さんですよね?」

「違う」

「ええっ!?でも……」

「牛一頭斬っただけだ。テメエを助けたつもりはない」

 

素っ気なく紡がれたのは否定であって肯定でもある言葉。少なくともベルの事を覚えているという意思表示。

 

「で、でも助けてもらいました。本当にありがとうございます。すっごくお強いですね!」

「…………」

「それに……その、背も高くてカッコイイですし」

 

ーーーーだからなんだ……

 

要領を得ない言葉に苛立つ。つい先ほどまで、また会いたいとすら思っていた少年だったのに、今はただ鬱陶しい。

 

「あんな素敵な恋人もいて、カッコよくて強くて……人生楽勝なんだろうなぁ」

 

頭の中で何かがキレる。苛立っていたのもあるが、決定的な事を言われた。

 

ーーーーこのガキ、いま何を言った?楽勝だった?俺の人生(いままで)が?

 

確かに強くなった。化け物扱いされるのは慣れている。だが……

 

俺が強くなったのは、そうならなければ生き残る事が出来なかったからだ。

 

楽な戦いなんて一つもなかった。いつだって自分の前に立ちはだかる敵は自分より強かった。自ら挑んだ戦いではあるが、それでも状況は過酷で、残酷で、ギリギリで……

何度も何度も死にかけて、その度に必死に命を拾ってここまで来たのだ。

 

それをこんな何の苦労もした事もなさそうな甘えたガキに否定された。今のベルの発言は看過できなかった。

 

「ヒッ……」

 

冷たく、無機質な、それでいて猛々しい殺意のこもった眼と底知れぬ迫力が白兎に襲いかかる。未熟な冒険者を慄かせるには充分すぎた。

 

「…………チッ」

 

怯えた態度を取られ、逆に此方は頭が冷える。

 

ーーーー何をマジになってんだ。オレは……こんなガキに

 

嘆息する。疲れた。本当に今日は色々あり過ぎた。サッサと用を済ませて寝たい。ベッドに顔を埋めた。

 

「おっまたせー!それじゃあ更新しよっか!」

 

小走りで戻ってきたヘスティアはリヴィエールの背中に飛び乗ると、持ってきた針で血を出し、背中に充てる。

皮膚に落下した血は比喩抜きで波紋を広げ、背中へと染み込んでいく。

それは神々から下界の住人に与えられる恩寵。様々な事象から【経験値(エクセリア)】を得て能力を引き上げ、新たなる能力を発現させることを可能とする。要は、人間を極めて効率よく成長させる力である。リヴィエールの背中に神血(イコル)で刻まれるのは、【神聖文字(ヒエログリフ)】。ざっくばらんに言ってしまえば神が扱う文字。

この神聖文字を読めるのは、神とエルフなどの極一部の者だけだ。母から教育を受けたリヴィエールもその極一部の一人だ。

 

「…………ん?何かあったのかい?」

 

室内を支配する微妙な空気を察したヘスティアはリヴィエールに問いかける。ゆっくりとかぶりを横に振った。

 

「なんでもない、始めてくれ」

「…………うん」

 

子供の嘘は神には通用しない。そんな事は二人とも承知している。それでもリヴィエールは何でもないと言い、ヘスティアはそれを受け入れた。

 

たとえ真実を追求しても、この眷属は自分に本心を打ち明けてくれない事を知っていたから。

 

ーーーー…………君なら違うのかい?ルグ。もしそうなら僕は君がとても妬ましいよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ステイタスの更新が終わる。羊皮紙を貰い、書かれた字に目を落とした。

 

 

リヴィエール・ウルス・グローリア

Lv.7。

力:D 514→516 耐久:I 68→69 器用:F 358→361 敏捷:C 621→622 魔力:C 612→613

発展アビリティ:狩人:H 調合:F 剣士:E 精癒:I 魔導: F 耐異常: G

《魔法》

【アマテラス】

【ノワール・レア・ラーヴァテイン】

【モユルダイチ】

 

《スキル》

7つ目の感覚(セブン・センス)

・超感覚

・状況を問わず効果持続。

 

【王の理不尽】

・効果と詠唱を把握する事でエルフの魔法を全て操る。

 

太陽の子(ライジング・SON)

・成長速度が高まる。

・スキルの発現時に誓った目的を遂げるまで効果持続

 

【????】

??????????

 

ーーーーこんなもんか…

 

基本アビリティ――『力』『耐久』『器用』『敏捷』『魔力』といった五つの項目で、更にSからA、B、C、D、E、F、G、H、Iの十段階で能力の高低が示される。この段階が高ければ高いほど、眷属の能力は強化される。

文字の横に隣接する数字は熟練度を表す。

0~99がI、100~199がH、という風に基本アビリティの能力段階が分けられる。上限値は999。その分野の能力を酷使すればするほど熟練度は上昇するが、最大値の999――アビリティ評価Sに近づくにつれ伸びは悪くなっていく。

そして、もっとも重要なのがLv.だ。Lv.が一つ上がるだけで基本アビリティ補正以上の強化が執行される。

 

ーーーー特に変化はなし、か。

 

まあこんなものか、と羊皮紙を一度、指で弾く。やはりあの程度のモンスターを屠っただけでは伸びは少ない。雑魚も数だけは山ほど斬ったが今の俺に大した効果はなさそうだ。

羊皮紙を懐にしまう。そのまま外へと足を向けた。

この地下室にはベッド、ソファともに一つずつしかない。元々人二人が生活できるギリギリの広さだったが、リヴィエールはこの部屋の使用権はほとんどヘスティアに委ねている。180セルチ以上の彼が寝泊まりするにはぶっちゃけ手狭なのだ。ゆえにリヴィエールはこことは別の寝ぐらがいくつかある。普段から彼はそこで生活していた。

 

「ええ!?もう行っちゃうのかい?せっかく今日はジャガ丸君をどっさりもらって来たのに。今夜はレッツパーリーナイトのつもりだったのに!」

 

出て行こうとするリヴィエールを引きとめようと、奥に布を被せて隠していた大量の揚げ物を出す。ジャガ丸君とはジャガイモをマッシュにして衣で揚げた軽食に最適な揚げ物だ。リヴィエールもよく食べる。

貧乏ファミリアである為、神であるヘスティアも金を稼ぐためにヒューマンのお店で普通にアルバイトをしている。こういう神は下界では珍しくない。不自由を楽しむのが下界における神の醍醐味なのだ。

 

「悪いな、ヘスティア。埋め合わせはする。ホラ、今回の稼ぎだ。好きに使いな」

 

麻袋の中の金を置いて、籠の中のジャガ丸くんを一つ取る。せっかく用意してくれたものだ。受け取る事も誠意だろう。

 

「少し送ってくるよ。ベル君は此処で待っててくれ」

「あ、僕も……」

「いいって。ジャガ丸君でも食べて待っててくれ」

 

そう言うとリヴィエールの背中を押して二人揃って部屋から出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で?」

 

教会を出た辺りで止まる。わざわざ外にまで見送りに来る事など今まで一度もなかった。何か用があるのだろう。

察している事に気付いたらしく、胸の谷間から一枚の羊皮紙を取り出した。

 

「ステイタスか。彼の?」

「察しが良くて助かるよ」

 

察しが良いというほどの事でもない。自分のでなければ消去法で彼のになる。

 

「…………ふーん、駆け出しって感じだな。スキル以外」

 

紙に並ぶ数字に関して驚きは特にない。一言で言ってしまえば平凡。たった一つを除いて。

 

憧憬一途(リアリス・フレーゼ)

 

・早熟する

・敬慕が続く限り効果持続

・敬慕の丈により効果上昇

 

それがスキルスロットに書かれたモノだった。神聖文字が綴るこの効果はリヴィエールが見た事のない内容。わざわざベルに席を外させて相談してくるだけの事はある。

 

「レアスキルだな」

「…………やっぱりそうかい?」

「少なくとも俺が知る限りでこんなスキルは発現したやつはいないはずだ」

 

発現するスキルの多くは冒険者達の間で共有されている効果、効用が多い。スキルの入手自体がレアな事柄ではあるのだが、その中でも確認されたものを見ると、名称に差異はあっても能力が他のものと似通っているというケースが割と見られる。同じ種族間ならその可能性がぐっと増す。例えば、エルフなら魔法効果の補助、ドワーフならば力の強化といった具合だ。リヴィエールもその例に漏れない。【王の理不尽】はエルフの魔法にのみ適用されるスキルだ。

そんな重複した内容のスキル効果が複数ある中で、それ唯一、あるいはより数が希少なものを総じて『レアスキル』と神達が勝手に呼んでいる。

 

「効果は俺の太陽の子(ライジング・SON)と似てるな。発現した理由は全く違うんだろうが」

「スキル発現のきっかけは間違いなくキミとヴァレン何某だろうね」

 

憧憬一途。スキル名はその人物の内面や経験に基づく。今回の場合、その名の通りベルが誰かに憧れた事により発現したと見る方が自然だ。

 

「颯爽と助けられちゃってたからな。アイズに惚れたとしても不思議はない。ま、そんなヤツオラリオには腐るほどいるだろうな」

「というよりは冒険者としての君達の強さに憧れている、って感じだろうね。そしてベル君が理想としてダンジョンに求めてるロマンの体現者である君達に憧れちゃったんだろうね」

 

お互いを支え合う美女と美男子。ダンジョンで出会い、結ばれた美姫と英雄。彼の理想が形になった存在に今日、あの子は出会ってしまった。憧憬を抱いても仕方ない事だろう。

 

ヘスティアが機嫌の悪そうな顔でふてくされる。さっきのやり取りでもわかったが、この小さな女神はあの白兎に特別な感情を抱いているらしい。

 

「女神ってのはどいつもこいつも、手のかかる子供が好きなのか?」

 

前主神を思い出す。ルグが愛したリヴィエールも相当に生意気なクソガキだった。

 

「出来の悪い子ほど可愛いじゃないか」

「どうせ俺は可愛くねえよ」

 

でしゃばられると返って邪魔なため、白髪の一級冒険者はこの幼い女神にほとんど構ってない。この子には僕がいなくちゃ、と思わせてくれる子供を、神は愛する傾向にある。確かにルグもそうだった。その点、あの白兎はその要件をかなり満たしていると言える。

 

「言っとくけど僕は君だって大好きなんだぜ?もっと頻繁に顔を見せに来ておくれよ。寂しいじゃないか」

 

本当に淋しそうな、まるでなかなか実家に帰ってこない、独り立ちした息子に対する母親のような顔で擦り寄ってくる。これはこれで正しい神と眷属の関係だ。

 

「もっとホームがデカくなったらな。少なくとも、三人が住めるくらいには」

「むぅ……」

「それと、そのスキルに関してはできるだけ伏せろ。バレると色々と面倒だ」

「娯楽に飢えたハイエナめ……」

 

他の神々はレアスキルだとかオリジナルだとか、そういったアレな単語にアホのように反応してくる。思春期の子供のようにちょっかいをかけたがるのだ。酷いのには既に契約済みの子供を自分のファミリアに勧誘してくる神も少なくない。かくいうリヴィエールもその一人。ルグとアストレアのおかげで事なきを得たが相当に追い回された。

 

「……腹芸が出来なさそうな坊ちゃんだ。下手に情報を与えたらゲロッちゃう可能性はあるな」

「あの子は嘘が下手だからね…」

 

善人の証拠だがこの魑魅魍魎渦巻くオラリオでは食い物にされかねない。なるほど確かにヘスティアが好きそうな子だ。守ってあげたくなる系。

 

「リヴィエール君」

 

声のトーンが少し落ちる。どうやら真剣な話らしい。リヴィエールも佇まいを直した。

 

「君はベル君の事をどう思う?」

「…………どうって言われてもな」

 

まだ会って一刻も経っていない。人間性の評価をするにはあまりに情報が足りない。

 

「彼はダンジョンに夢を見ている。英雄に憧れてる一人の少年だ。彼はこれから冒険者としてやっていけると思うかい?」

 

会って間もない人間に聞くようなことでは無いことはヘスティアも重々承知している。しかし、こと戦闘や冒険者としてのセンスを見抜く事に関して、リヴィエールの右に出る者はそうそういない事をヘスティアは知っていた。彼ならベルの底を見切ることはそんなに難しくはないはずだ。

 

「…………経験を経て、変わる可能性もあるけど」

 

羊皮紙に目を落としながら、言葉を紡ぐ。視線が捉えていたのはレアスキルが刻まれたスキルスロット。スキルとは本人の本質が出る。つまり、此処に書かれているスキルの内容は本人の心根そのものという事。

 

憧憬一途(コレ)がヤツの底なら、冒険者には向いてないかもしれないな」

「っ!?」

 

一級冒険者から語られる厳しい言葉にヘスティアは息を呑む。彼の見立てならほぼ間違いないだろう。短い付き合いだが、リヴィエールが言った事で間違っていた事など一度もない。

 

「…………そんな顔するなよ、あくまでかもしれない、だ。まだ決定的じゃねえさ」

「けど……」

「向いてなくても強くなったヤツはいるさ。非力な小人族で頂点にまで昇りつめた男を俺は一人知っている。ヤツは向いてないという点ではあのぼうやを遥かに超えていた」

 

フィン・ディムナが脳裏をよぎる。先天的に授かった体格を才能と呼ぶのなら、彼ほど才能のない冒険者もいない。いくら恩恵を授かった勇敢な小人でも、体格の不利は覆せない。何度も何度も打ちのめされてきた事だろう。

しかし彼は40年近い年月をかけて、体格の不利を覆し、オラリオの頂点の一人となるまでに己を鍛え上げたのだ。

 

「あの子はまだこれからだろう。よしんば向いてなくてもアンタが見守ってやればいい。普通に生きていく事くらいは出来るはずさ」

「君は守ってあげないのかい?」

「甘ったれんな。強さも、自信も、自分の力で手に入れるからこそ意味があるんだ。ましてやファルナがあるんだぜ?これで死ぬならそこまでの器だったってだけの話だ」

 

ヘスティアは唇を噛んだ。彼の言う事は完璧に正論だ。手取り足取り、冒険を教えてもらってダンジョンに潜るものなどいない。力も、後悔も自分で経験し、得てこそ意味がある。

 

ーーーーわかってるさ、甘えだって。自分の足で立てなきゃ、一人前の冒険者なんて呼べない事も。だけど………

 

あの子に死んでほしくない。あの子に辛い思いをさせたくない。そう思ってしまう事はいけない事だろうか?

 

神が何を考えているか、リヴィエールは手に取るようにわかった。字面だけ見れば凄いことのように見えるが顔に全て出るヘスティアの心情を読む事など、7つ目の感覚(セブン・センス)を持つリヴィエールでなくとも容易だ。

 

「…………誰もが君みたいに強くない。君のように正しくないんだ。少しハードルを下げてくれないかい?」

「…………俺は何もしないってだけだ。アンタがぼうやに何かしてやるのは自由さ。アンタの出来ることをやってやればいい」

 

ルグの場合、彼女はリヴィエールの帰るべき場所になってくれた。居場所を作ってくれた。

生きて必ずそこに帰る。それこそがリヴィエールのダンジョンで戦う最大のモチベーションを維持する理由だった。

 

「俺とは違う、本当の意味での眷属第1号だ。可愛がるのはわかるし、世話を焼くのもいいが、あまり干渉し過ぎるなよ?あの子の為にならんぞ」

「君はこれからどうするんだい?」

「今まで通りだ。腕を上げて来るべき時が来るまで待つ。それが終わるまではあまり俺に関わるなよ」

「…………どうして君はそんなに一人になろうとするんだい?」

 

舌打ちしたくなる衝動をグッとこらえる。自分の事を心から思って聞いているんだ。力ある誇りを持つ人間として、そんな態度を取ってはならない。

 

 

「………俺がーーーーーからさ」

 

 

小さな呟きだったが、彼の主神の耳には届いた。

ヘスティアがその言葉の意味を考えている最中、リヴィエールから大あくびが出る。口元を隠すように手で覆った。

 

ーーーー眠い。

 

「悪いヘスティア。もう限界だ。行くわ」

 

背を向けて歩き出す。もう遠征の疲れと眠気のピークだった。

 

「リヴィエール君!」

 

背中に声がかかる。足を止めた。

 

「いつでも帰ってきておくれよ。此処は君の家なんだから」

 

空を仰ぐ。彼女なりに最大限気を使ってくれたんだろう。わかっている。それでも今のリヴィエールには虚ろにしか響かない。

 

背を向けたまま一度手を振るのが精一杯だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「神様……あの人は?」

 

ヘスティアが戻ってすぐ、ベルが口を開く。結局彼とはほとんど話もできなかった。名前さえ聞けず、お礼も言えなかったのだ。

 

「僕、あの人を怒らせちゃったみたいで」

「…………彼については多くは語れないんだ。あの子との約束でね。ゴメンよ」

 

リヴィエールの事は誰であろうと軽々に口にしないで。

 

神友であるヘファイストスが厳命した事だ。リヴィエールがヘスティアのファミリアに入る条件でもあった。他の団員を招く事はもちろん構わないが、リヴィエールの生存については勝手に話さない事。必要な事は全て自分で話すから、と。

その言葉をヘスティアは尊重した。

 

「でも、神様の眷属なんですよね?」

「彼との関係は本当にギブアンドテイクさ。彼は自分の目的のために僕と契約したんだよ」

 

下界の先住者たちが唐突に舞い降りた神々を受け入れ、重宝したのは、自分たちに大いにメリットがあるからだ。利用し、利用される関係。現代ではその傾向はさらに顕著であり、リヴィエールのようなスタイルがいまや主流と言える。

 

ーーーー彼は僕を利用すると最初に言った。その上で僕は良いよ、と答えた。涙にくれる彼に生きる目的を与えてあげたかったから。

 

そのために自分を使うというならば、喜んで利用されよう。心からそう思った。

 

「神様……リヴィエールさんってどんな人なんですか?」

「…………そうか、ベル君は剣聖の事、知らないのかい?」

 

知らなかった。田舎から出てきて間もない彼がかつてオラリオで伝説となったファミリアの事を聞けるはずがない。

 

「君はどんな人だと思ったんだい?」

 

誰かに聞いた噂ではなく、ベル自身が感じた事を聞きたかった。

 

「すごく強い人だと思いました。カッコいいし、まるで物語の中の英雄みたいで………けど」

「…………すこし怖かったかい?」

「…………はい」

 

ベルの何気ない言葉が彼を激昂させた。その時の彼の瞳は激しく、威圧感に溢れており、そして冷たい目だった。

 

ーーーー触れれば斬れちゃうような人だ。けど、あの人は神様の眷属だ。つまり僕の家族だ。だから………

 

「あの人の事をもっと知りたい」

 

何が彼をあんなに怒らせたのか、ベルにはわからなかったが、怒りは人の本質をさらけ出す。人を知るにはその人が何に対して怒りを感じるかを知らなければならないと、ベルは祖父に教わった。

 

ベルの答えにヘスティアは安堵すると同時に笑みがこぼれる。この子は本当に真っ白だ。あんなそっけない態度を取られてもなお、ほぼ初対面の彼を家族と思える。それは中々出来ない事をヘスティアは知っていた。事実、あのリヴィエールは出来ない事だ。生まれ育った環境の違いもあるのだろう。が、自分が初めて見つけた眷属がこの子で良かったと心から思った。

 

「ベル君、どうか彼を恐れないであげてくれ。あの子は誰かを怖がらせようなんて全く思ってないんだ。彼自身が怖がっているんだよ」

 

誰かと繋がることを、大切な何かが出来ることを、そしてそれを失う事を……

 

ただでさえ誰かに頼るという事をしない男だった。なまじなんでも一人で出来てしまう能力の高さがそれを加速させてしまっている。そして一年前の惨劇を経て、その傾向は決定的になってしまった。

 

「いつか彼がキミに手を伸ばす時がきたら、その手を恐れないでくれ。僕はもう手遅れだろうからさ」

「はい!」

 

力強く頷く。その無邪気な笑みがヘスティアには眩しく映った。

 

ーーーー心から思うよ。リヴィエール君がベル君を頼る日が来て欲しいって。そしてその日が来るまで、君はきっとベル君を護る。だって……

 

別れ際に呟いた彼の言葉を思い出す。

 

 

俺が甘いからさ

 

 

ーーーー甘いんじゃないよ、リヴィエール君。君のソレが優しさだってことくらい、僕だって知っているんだから。

 

だからこそ願う。この優しい白と黒が、お互いを支え合う力になる、そんな日が来る事を……

 

 

 

 

 

 

 




【????】のスキルに関しては後ほど明らかになる予定。予定(切実)。決して名前や効果が思いついていないとかではない。次回はリヴィエールの隠れ家の一つが明らかになります。一体何穣の女主人亭なんだ………
最後までお読みいただきありがとうございました。励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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Myth9 魔女と呼ばないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーっと……

 

抱えている紙袋の中から果物がこぼれ落ちそうになる。抱え直す事で何とか防いだが、紙袋の中身は未だ不安定だ。

 

ーーーー少し買いすぎましたか…

 

どうせすぐに必要になるものなのだから買いすぎという事はないのだが、華奢な彼女が持つには重さはともかく、大きさ的に無理があった。しかしそれも仕方ない。生鮮食品とは日が暮れてからの方が安い。安いうちに多く買いだめする事は飲食店では常識だ。

 

大荷物を抱えているのは金と薄緑が混ざったような髪に細身の肢体を持つ美しいエルフ。

彼女の名はリュー・リオン。『豊穣の女主人』で雇われ、住み込みで働いている従業員の一人。オラリオでも有数の繁盛を見せる酒場だ。昼は一般人を、夜は冒険者を対象に店を開いている。朝と夜でメニューも値段も異なる。実入りのいい冒険者からはたっぷりと絞ろうという、店主ミア・グランドの方針だ。このような差別的な経営をしているにも関わらず、店は毎日大繁盛している。理由は文句なく美味な料理に女将謹製の果実酒の旨さ、そして働くウェイトレス達の美しさだ。リピーターは増える一方である。

 

朝と夜で忙しさの質は全く異なる。冒険者を対象にしているせいか、酔客が暴れる率は夜の方が圧倒的に高いのだ。最近ではこの店の従業員達、特にミアの腕っぷしの強さは有名になったため、そんな客は滅多にいないが、それでも騒がしさや衛生面など、諸々の問題はほぼ夜の部で起こる。

今日も大きな騒動はなかったが、実に騒がしく、食い散らかされた料理の掃除や食器洗いには大いに体力を奪われた。飲食店がこれほど肉体労働だったとは、リューは働く立場になるまで全く知らなかった。

 

ーーーー体力には自信があったのですが………

 

使う体力の種類が違うのだろう。身体もだが、何より心が疲れる。無愛想な彼女でコレなのだから、作り笑顔を常に持続させている鈍色髪の同僚の心労は如何程なのか、リューには想像がつかなかった。

 

ーーーーさて、後もう少しです。頑張って……

 

「きゃ!?」

 

この通りにはこの時間、多くの人が通る。このように肩がぶつかる事もままある。普段であれば鍛えられた彼女の体幹はビクともしないが、今は少し状況が違う。バランスを崩し、紙袋が傾く。

 

ーーーーあっ!

 

手の中の重量が揺れる。大惨事の未来が頭を過ぎったその時だった。

 

がっしりとした力強い何かぎがリューの肩を支える。そしてもう片方の手がリューの手を包みこみ、紙袋を支えた。自分より遥かに大きな、武骨な手。こぼれ落ちそうになった紙袋は再びバランスを取り戻し、大惨事は回避された。

 

ーーーーこの手は……

 

リューの視界に入った物はすらっとした美しい指。感じ取ったのは剣だこ塗れの剣客特有の固い感触のみ。コレだけで自分を支えてくれたのが誰か、リューが推察するには充分だった。爪先が伸び上がる。踊り上がりたくなる衝動をそうする事でかろうじて抑えた。

 

「おかえりなさい、リヴィエール」

「ああ、ただいま。リュー」

 

リヴィエール・グローリアが帰ってきた。

 

 

 

 

リューから荷物を受け取ると、二人で並んで歩く。出会った当初は荷物を持ってもらうという事に抵抗していたが、それが無駄な事だという事は長い付き合いで身に染みている。良い男ってのは見栄を張れてナンボだとミアも言っていた。

 

「いつ戻ってたんですか?連絡してくれれば迎えに行きましたのに」

 

遠征に出ていた事は知っている。担当官のエイナにスケジュールを聞いて4日前、店に休みを出してギルド近くで待っていたのだ。結局現れず、1日無駄にしている。まあ予定通りに帰ってこない事などいつもの事なので特に憤りはなかった。それにスケジュールが合わなかったらこのような形で会いに来てくれる事も知っていた。彼を待つ事が嫌いではなくなった理由の一つだ。

 

「今日だよ。最初は店で待ってたんだがな、ミアが迎えに行ってやってくれって」

 

ーーーー………何一つ自主的でないというのが貴方らしい

 

せっかく良好だった気分が少し沈む。そういう事は事実でも口に出してほしくなかった。そうすれば幻想は真実となり、つまらない事実は明るみに出なかったのだから。

 

「ドッキリさせたかったんだがくだらないことしてる暇があるなら会いに行ってやれって怒られてよ。すれ違いにならなくて良かった」

 

その一言を聞いて沈んだ気持ちがまた上を向いた。単純さに我ながら呆れる。この男にしては珍しく、恥ずかしそうに頬をかく仕草がリューの母性を刺激した。

そうこうしているうちに店に着く。勝手知ったる他人の店。迷う事なく貯蔵庫に向かうと、荷物を店の棚に積み込んだ。コレだけの量の食材が1日2日で無くなるというのだから凄まじい。

 

「食事は?」

 

リヴィエールが尋ねる。この子が料理壊滅的な事はよく知っている。もしまだならこちらで何か作らねばならない。

 

「今日はパスタな気分です」

「あっそ。お前、これから仕事は?」

「私とシルは今日、夕方までです。買い出しが終わればフリーですよ」

「そりゃ良かった。とびきりのペスカトーレを作ってやる」

 

材料を幾つか棚から持ち出す。ミアにバレたらゲンコツでは済まないだろうが、言いつけはしない。二人とも一度、手を合わせる。材料を持ってリューの部屋に駆け込んだ。扉を閉じた瞬間、二人から笑いが溢れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

隣に座るリューが酌をする。先ほど、ミアに許可と金を払って用意してきた酒とリヴィエールが作った食事で二人は夕食を取っていた。

 

此処は二階に設えられている豊穣の女主人、従業員用の宿舎。酒場としては比較的広く、規模の大きい『豊穣の女主人』は店員が住み込みで働ける部屋がある。リヴィエールはその中の一室を隠れ家とするため、1年前、療養していた時に預けていたルグ・ファミリアの金を使って、ミアから買い取ったのだ。

ミアが元冒険者である事も、相当の腕利きだった事もリヴィエールは知っている。此処ほど他人が手を出しにくい場所はオラリオでも中々ない。隠れ家としては最適だ。

 

しかし空いているとはいえ、従業員用の一室を借りる事にミアも最初は渋った。リューやシルの説得もあり、法外な金をふんだくる事で、なんとか了承した。

 

本来のリヴィエールの部屋はリューの隣の一室なのだが、遠征から帰ってきた時はリューと食事、もしくは晩酌を共に取る事が決まりとなっている。コレはこの部屋をねぐらとする時に決まったリューとの約束だ。

本日もその例に漏れず、自分の部屋で眠る前にリューの部屋を訪ねたというわけだ。

 

「はぁ……」

 

果実酒を口に運びながらため息が漏れる。美味な筈の酒が後悔の味しかしない。

 

その態度に酌をしているリューはムッとなる。それも当然だ。折角の久しぶりの二人きりなのにつまらない感情の表れとして代表的な行動を取られては不快にもなることだろう。

 

「ああ、ごめん。そういう訳じゃないんだ」

 

誤解させた事を感じ取ったリヴィは慌てて手を横に振る。面白くないという思いは消えなかったが、意味のないウソをつく男ではない事も知っているため、一先ずは柳眉を収めた。

 

「何かあったのですか?先ほどから少し暗いですが」

「ちょっと自己嫌悪でな……」

 

ザックリと先ほどファミリアであった事を話す。駆け出しも駆け出しの新入り相手に怒気をぶつけてしまったこと。その事をリヴィエールは大いに悔やんでいた。セルフコントロールには自信があった為、尚更だ。

 

「そこまで落ち込む事でもないと思いますが……」

 

話を聞いた金髪のエルフは慰めるように言う。彼の努力の凄まじさはかつての相棒だったリューはよく知っている。確かに天に恵まれている部分も数多く持つ男ではあるが、決してそれだけではない。壮絶な経験を経て、彼は今の力を手に入れたのだ。

才能ある者ほど才を褒められる事に怒りを感じ、天才と一括りにされることを嫌う。まるで自分が何もしていないかのような物言いが許せないのだ。フィンが小人族を指して弱者と一括りにされる事を嫌うのと同じだ。

 

自分も才気に恵まれているから、リヴィエールの気持ちが少しはわかる。それにその少年に何かしたと言うならともかく、怒気を発しただけなのだ。そこまで自己嫌悪に陥る必要はないだろう。

 

「それでも、だ。力ある者が弱者にやっていい事じゃなかった」

 

相手は一応新たな仲間と呼べるファミリアの構成員なのだ。身体に流れる王族の血が、己の誇りを貶めるような行為をした事を許さなかった。

 

ーーーーもう、しょうがない人ですね……

 

やれやれと思いながらもリューからは優しい笑みがこぼれる。人に厳しく、自分にはもっと厳しい、彼の瑞々しい自尊心がリューは好きだった。他人を褒める事も滅多にしないが、貶すこともまずしない。初めて出会ったとき、エルフや女と言った色眼鏡で自分を見ず、正しく実力と努力を評価してくれた事、そして心からの賞賛を送ってくれた事をリューは今でも憶えている。

 

「真面目な事は貴方の美徳の一つですが、もう少し自分に優しくなってもいいと思いますよ?完璧な人間なんてこの世にいないのですから」

 

私も、貴方もね、とリューはリヴィエールにもたれかかる。こうして彼に甘える事は人によっては弱さと映るだろう。しかし自分がこうしたいのだからこうする。誰に弱いと言われても関係ない。

リューの華奢な肩を抱きかかえる。

 

「昔のお前からは考えられない言葉だな」

 

人に厳しく、自分には更に厳しい、完璧を追い求める剣士。それがリュー・リオンという冒険者だった。しかし、リヴィエールに出会い、共に行動し、そして豊穣の女主人で一癖も二癖もある仲間と働く事で彼女は変わった。ズルさに欠けるところが唯一のリューの欠点だった。

 

「人に頼る事を教えてもらいましたから」

 

ーーーーそれでも貴方は頼ってはくれないのでしょうね……

 

腕の中で苦笑する。それを嘆いた時期もあったが、今はもうそんな事はない。頼られるだけの女になれば良いだけの事。そう思い、日々努力を重ねている。

 

「なぁ、リュー」

「…………はい」

 

我ながら驚くほどしっとりとした声が出る。世の男なら大抵は今のでクラリと来るだろうが、目の前の男にはソレは通用しない。

 

「シャワー、借りていいか?」

 

飲食店なだけあり、従業員の衛生面にはとても気を使っている。簡易的ではあるが、お湯が出るシャワーがこの店には設えられているのだ。リヴィエールがこの店を根城に選んだ最大の理由の一つだ。遠征の期間中、ろくに身を清められなかったため、風呂好きのリヴィエールはもう限界だ。

 

「…………私が先です」

 

一気に不機嫌になったリュー。すぐに使わせてやる気にはなれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暁闇の空に風の鳴る音が響いている。たび重なる高い音は鳥の鳴き声に少し似ている。

 

音が聞こえたからか、それとも温もりがなくなった為か、目が醒める。まず感じた事は寒いだった。隣を見ると夜にはあった男の姿がない。毛布を引き寄せ、自分の裸体を隠す。音の正体が何なのか、リューは知っていた。鍛錬用の衣服を着て、木刀を掴むと外に出る。

 

月が消え、太陽もまだ出ていない街の一角。白髪の剣士が振るっているのは闇よりも黒い細身の剣。東方の武器で刀という名を持つ。極めれば斬れない物はないとまで鍛治師が豪語していた剣だ。

一流の剣客である彼女の目から見ても、その動きは素晴らしい。素早く、鋭い。

上段から下段。鋒は自在に翻り、縦横無尽に刃が振るわれる。その剣技の冴えはリューを持ってしても正面からはやり合いたくないと思わせるほどだ。

 

斬閃が翻るたびに白髪が揺らめく。白い肌は情事とは違う紅い色に染まり、薄っすらと汗が光る。その瑞々しさと艶っぽさにどきりと胸が鳴った。

 

「ふぅ………」

 

一際鋭い音を鳴らし、腰に剣を納める。

 

「早いな、リュー」

 

視線をこちらに一切向ける事なくリューの存在に気づく。流石のセブン・センス。彼に尾行などの隠密起動はまるで通じない。

 

「お店の朝も早いですから」

 

稽古をするだけの時間を取るにはそれより早く起きるしかない。その事はリヴィエールもよく知っている。もう冒険者ではないのだから稽古なんてしなくてもいいと思わないでもないが、身に染みついた習慣というのは中々止められない。それに何かと物騒な事が多いオラリオだ。強さはあって困る事はない。

 

「そら、時間もない。来な」

 

黒刀の峰を返し、手招きする。豊穣の女主人で泊まる時はリューの稽古の相手をする。ミアが出した条件の一つだ。腕利きの店員が揃っているこの店なら彼に頼らずとも稽古の相手はいそうなものだが、一度尋ねたところ、絶対嫌だと皆口を揃えて拒否した。どうやら手加減が下手な彼女に相当扱かれたらしい。

 

硬質な音がオラリオの朝に響く。朝稽古と呼ぶにはあまりに真剣な立ち合いが始まった。

 

 

 

 

「ここまでだな」

「ありがとうございました……」

 

吹き出る汗を拭いながら、腰に剣を納める。リューも疲れた表情で座り込んでいた。これから酒場の店員としての1日が始まるというのに大丈夫なのか。と心配になる。

 

ーーーーさて、身を清めて、丘に向かうか。細かい時間は決めてなかったけど、今から向かえばまず大丈夫だろう。

 

今日はロキ・ファミリアのアイテム売買に付き合う約束をしてしまっている。非常に行きたくないが、あのネックレスを預けている以上、ドタキャンするわけにも行かない。コレが終われば、当分彼女らと関わる事も無くなるだろう。あと1日だけ、頑張ろうと言い聞かせた。

 

すっかり明るくなった朝焼けを見ながら、簡易シャワールームへと足を向ける。

 

「あ、待ってください。私も行きます」

 

慌ててついてくる。制服を用意して、彼女もシャワーを浴びに行った。

 

 

 

 

和服とローブに身を包む。出かけてくるとリューに告げ、店を出た時、辺りを掃除するキャットピープルとヒューマンと鉢会う。アーニャとルノアだ。

 

「リヴィエール。久しぶりだにゃ」

「随分と顔見せなかったね。大丈夫なの?」

「ああ、二人とも元気そうだな。何よりだ」

 

二人ともかつてのオラリオ暗黒期に暗躍した凄腕の戦士。二つ名を『黒猫』、『黒拳』。五年前まで多くの人を震え上がらせた賞金稼ぎと暗殺者。表向きは暗黒期が収束に向かった事で姿を消したとされているが、真実は違う。目の前の剣聖にボコボコにされた後、ミアの元に放り込まれたのだ。

 

「リヴィエール。私たちは貴方に感謝している。今の私達があるのは貴方のお陰だし、私達が出来る事なら何でも貴方に協力しようと思ってる」

 

二人が何を言いたいのかがわからず、眉をひそめる。見送りに来たリューがリヴィの背中に追いついた。

 

「でもアンタらそういう事するんなら宿屋かどっかに行きなよ!リューの声、筒抜けなのよ!」

 

あー、と白髪の男は空を仰ぐ。リューは真っ赤になってリヴィエールのローブを掴み、顔を隠した。何事にもやり過ぎる彼女は喘ぎ声でも加減ができなかった。

 

「だからリューもっと声抑えろって言ったのに」

「リ、リヴィのせいでしょう!待ってって何度も言ったのに全然加減してくれなくて……」

 

背中に隠れるリューと口喧嘩になる。本人は本気で怒っているのだが、端から見ればイチャついてるようにしか見えない。

 

「そういうのももっと違うところでやるにゃあ!今度こういう迷惑かけたらシルに言いつけるにゃあ!」

「?何でシルが出て……「もう二度としませんから許してください!」おわっ!?」

 

後頭部をひっ掴まれて無理やり一緒に頭を下げさせられる。

 

シル・フローヴァ。女性従業員が多く働くこの店で、唯一此処に住み込みで働いていない少女。彼女はリヴィとリューの関係を知らない。そしてこのエルフはどうやらシルに知られたくないらしい。

 

「私がどうかしましたか?」

 

ルノアの後ろからひょっこり現れたのは鈍色髪のヒューマン。店の看板娘であり、整った顔立ちと穏やかな物腰で多くの男性客を魅了する美少女。純朴な町娘という印象を受けられる事が多い。しかし、リヴィはこの少女がただ可愛らしいだけのヒューマンではない事をよく知っている。その上で、彼はシルが嫌いではない。

 

「あっ、リヴィエールさん!いらしてたんですか!お久しぶりです!」

「ああ、久しぶり」

 

ごく自然な動きでスルリとリヴィエールの懐に入り込み、腕を絡めてくる。既に店の制服に着替えている。よく似合っており、エプロン姿がまた彼女の純真そうに見える外見を引き立てている。

 

「遠征から帰っていたんですね!今日はどちらかにお出かけですか?」

「ああ、遠征の収穫の事でちょっとな」

「まあ!では懐は暖かいのですね?今夜の食事は是非ウチで!歓迎しますよ」

「あ、シルずるいにゃ!ねえリヴィエール、今夜はウチの招待を受けて欲しいにゃ。ミアお母さんにそう言ってくれれば良いにゃ」

 

ミアの店の方針は基本的に歩合制だ。金を多く落とす客の呼び込みに成功すれば給金が上がる。ファミリア自体は貧乏だが、単体で見れば冒険者の中でも、かなり金持ちの部類に入るお得意様のリヴィエールを口説き落とせれば、給金はかなり期待できる。見目麗しい女性従業員達はリヴィに群がり、しばらく騒ついた。

 

しかし、そんな浮かれた空気も一瞬で凍りつく。

 

「いつまで騒いでんだい!あんたらは!!」

「うっきゅん!!」

 

リューを除いた従業員達全員及びリヴィに鉄拳が下される。あまりの衝撃に全員が頭を抱えて座り込んだ。

 

「もう開店時間だよ!サボってないでサッサと用意をしな!」

 

いつまでたっても雑談をやめない従業員達に痺れを切らした店主、恰幅の良いドワーフ、ミア・グランドが奥からやってきたのだ。手にはトレイを持っている。どうやらリヴィだけはトレイの角の部分で殴られたらしい。

 

「いってぇ………何で俺まで」

「アンタが来るとウチの女どもがざわつくんだよ。用があるならサッサと済ましてきな!おら、働けガキども!!」

 

ミアの怒鳴り声に従業員達は散り散りに持ち場に戻っていく。唯一リヴィにくっついて離れなかったのがシルだった。ジトリと上目遣いでミアを見つめている。そこらの男ならこの顔でたいていのお願いは聞いてもらえる事だろう。己の容姿が武器になる事を彼女はよく知っている。しかしこの女傑には通用しない。

 

「おらシル!アンタも持ち場に戻りな!此処じゃアタシが法だよ!」

 

また夜来るから良い加減離れろとリヴィもシルを引き剥がす。約束を取り付けたシルは満面の笑みを浮かべるとミアに視線を向ける。店主が頷いたのを確認すると奥へと引っ込んだ。

 

「弁当か……」

 

夜に来る事を約束すると、彼女は店の賄いを弁当にして持ってきてくれる。中身は歩きながら食べれる軽食が多い。もちろん味は文句なく美味。

 

「大したモノじゃありませんがどうぞ。お弁当です」

「言っとくが俺はこんなもん貰わなくても此処にはちゃんと来るぞ?」

 

この手の施しは今までにも何度か受けている。いまやこの弁当をもらう事が今夜、此処で食事する事の約束手形になってしまっている。今までの自分の行いを知られているのだから信用がないのもわかる。それでもあまり気分の良いものでは無かった。

 

「ええ、もちろん存じています。私が受け取って欲しいだけです………ダメ、ですか?」

 

はい、試合終了。別に色香に惑わされた訳ではないが、ダメかと言われてダメだと言い切れるだけの理由もない。黙って受け取り、一度手を振ると丘に向かって歩き出す。ミアとシル、そしてリューの3人に見送られながら、白髪の剣士は中身の軽食を食べた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大きな背中が朝もやの中に消えていくのを見ながら、リューの胸はうるさいくらいに鳴っていた。

 

ーーーー聞かれなかっただろうか……

 

リューが思っていた事はそれだけだった。リヴィエールとリューは別に恋人同士という訳ではない。勿論リュー自身はリヴィエールを愛している。彼も自分の事を好いてくれてはいるだろう。しかし、彼が自分に恋をしているか、と聞かれれば、答えはNOだ。彼が愛する女性は唯一無二、あの太陽の神だけだろう。

 

それでもあの夜、自分の暴走をリヴィエールが止めてくれたあの時に肉体関係を結んだ事は事実であり、その後も何度か身体を重ねた事もまた事実である。

シルがリヴィエールに思いを寄せている事は知っている。二人の間にはまだ何もない事も。恋人同士どころか、体の接触すらほぼない。ゆえに自分達の関係も知られた所で不義理を働いたという事にはならない。それでも彼女に隠れてこのような関係をリヴィと持っている事は実直な彼女には酷く罪な事と感じられた。

 

「リュー」

 

ビクリと震える。隣で彼を見送る少女はまさに人畜無害といった笑顔を見せていたが、奥にある黒さに気づいた。

 

「私はね、別に貴方達が仲良くする事は良い事だと思うわ。だって私は二人とも大好きなんだもの」

 

こちらの心を見透かすかのような言葉。まるで嘘の通じない、魂の色の揺らぎから、子供達の心を暴く神を相手にしているような気分になる。

 

「驚く事じゃないわ。瞳はいろんな事を教えてくれるから」

 

たおやかに笑う。驚きの感情は顔に出してはいなかったのに、またしても見透かされた。

 

「貴方の瞳はとても綺麗よ。貴方は善人じゃない。間違いも犯す。でもまっすぐで、純粋。とても真面目で、とても優しい。貴方の今の揺らぎは貴方が優しいから。だから私はその揺らぎの元について、聞く気はないわ。安心して」

 

瞳の奥の鈍色が輝く。その光には何が見えているのか、かつての凄腕の疾風は自分より遥かに弱い少女に威圧された。

 

「だからそんな怯えたり、隠そうとしたりしないで?貴方がリヴィエールさんとどうなろうと私は全く構わないから」

 

ーーーーやっぱり、シルは魔女ですね……

 

全てお見通しだというわけだ。同僚が時折零す、彼女の評価に、疾風は今日、心からの同意を示した。この心の底を見透かすような眼差しを前に隠し事など無意味だった。

 

ーーーー彼の瞳だけは何も教えてくれないけどね

 

声には出さず、口の中で魔女がつぶやく。ポーカーフェイスやブラフといったチャチな駆け引きではない。いや、それもないとは言わないが、彼の心が読めないのはもっと根本的な物だ。

様々な色が混ざって出来たあの黒は正に至高の雑種。純粋さすら感じる闇がリヴィエールを覆い隠し、心を晒す事を防いでいるのだ。

 

わからない。読めない。見えない。だからこそ知りたい。だからこそ欲しい。

不器用な優しさを持つあの人が私は好き。

 

ーーーー貴方が誰とどんな関係を結んでもいいの。だってその度に貴方の黒は磨かれ、美しくなるから。極限まで磨かれ、最も美しい輝きを放つ最後の瞬間に私の元に来てくれればこんな幸せな事はないわ

 

「…………シル?」

 

怪訝な目つきで金色の髪のエルフがこちらを覗き込んでくる。そこまで妙な顔つきをしていただろうか?口元を指でなぞる。するといつもの完璧な営業スマイルを取り戻された。

 

「行きましょう、リュー。ミア母さんが待ってます」

 

踊りだしそうな軽いステップで店の中へと入っていく。リューも後に続いた。

 

今日もまた豊穣の女主人の1日が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。感想での人気に反映したところ、ほぼ完全にリューさん回になってしまった。他にもご要望があればそのキャラのメイン回を書こうと思いますので、どんどん感想欄で希望を出してください。それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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Myth10 知っていると言わないで!

 

 

 

 

 

 

 

アイズ・ヴァレンシュタイン

Lv.5

力:D 549→D 555

耐久:D 540→D 547

器用:A 823→A 825

敏捷:A 821→A 822

魔力:A 899

発展アビリティ

狩人:G 

耐異常:G 

剣士:I

 

自分に与えられた一室で、一枚の用紙を見て、真っ先に思った事は低すぎる、だった。約二週間の遠征から帰還し、ロキにステイタスを更新してもらった。その紙は今彼女の手の中にある。

 

紙を握りつぶし、ベッドに倒れる。この結果について特に驚きはない。ダンジョンでリヴィエールに言ったように、もう自分はレベル5において頭打ちなのだ。今までだって似たような経験をしている。だから次に必要な事にも気づいていた。

 

ーーーーランクアップ……

 

必要なのはLv.の上昇。より高次な器への昇華。壁を乗り越え、限界を超える。

 

より強く。

もっと強く。

更なる力を得るために。

遥か先の高みへと至るために。

悲願をかなえるために。

そして彼の隣で今度こそ彼を守るために!

 

『前だけ見て走ってたらつんのめっていつかコケる。コケた本人が言うんだ。間違いない』

 

脳裏に彼の言葉が蘇る。強さを求め、焦る自分にかけられた心からの忠告。続いた。

 

『俺のようにはなるな』

 

今までリヴィエールの忠告で間違っていたものなどなかった。だからきっと今回も……

 

ーーーーそうなのかもしれない。でも……

 

恋い焦がれ、憧れ続けたあの背中は、また現れてくれた。以前より遥かに強い力を身につけて……

 

ーーーーそれでも……

 

「……それでも貴方の傍に居られるのなら私は……」

 

ベッドの上で拳を作る。金色の瞳は見慣れた天井を反射していたが、見ている者はまるで違う。幻視していたのは白い髪にエメラルドの瞳を持つ剣士。

 

部屋の中に風が舞い込む。カサリと何かが揺れた。

 

ーーーーあっ……

 

調度品の少ないアイズの殺風景な部屋の中に今日、ファミリアからもらったスタンドが新しく飾られた。そこにかかっているのは彼の髪と同じ色をした純白のサマーハット。自分の顔を隠すためという理由があったとはいえ、彼が初めて自分に買ってくれた装飾品。

 

白い肌が朱に染まる。あの時は紅くなった自分の顔を隠すためもあり、すんなりと身につけられたが、今やもう被れる気がしない。もしこれを身に付けて外に出て、破れたりしたら……考えただけで恐ろしい。彼との形ある再会の証。初めて彼が自分のために買ってくれたプレゼント。ポーションなど、アイテムを貰ったことは何度かあるが、このような女性向けのプレゼントなどされたことはなかった。コレが失われるなど考えられない。

眺めているだけで幸せだったが、自分の中である一つの欲が生まれた。帽子を手に取り、胸に抱く。背筋にゾクリと寒気が奔った。これを快感だと、純粋培養で育った金色髪の少女は知らない。それでも女の本能で、無意識に腰が動いた。

 

ーーーーリヴィの匂いがする……

 

帽子を買った時、彼も被っていた。そのせいか、幼い頃に何度も感じた香りが僅かに感じられた。帽子を抱いたまま、ベッドへと倒れ込む。

 

「リヴィ……」

 

彼の匂いが感じられるのに、彼自身がここにいない。それが言いようのない不安に駆られた。

 

目を閉じる。明日になればまた彼に会えるのだ。なら早く寝て早く明日になろう。

 

そう自分に言い聞かせる。しかし彼の匂いを感じられるからか、眠気は中々訪れない。

 

ーーーー誰よりも強さを求め、誰よりも強いリヴィエール。

 

彼はまだ強さを求めているのだろうか……つんのめっていつかコケる。彼自身がそう言っていたにも関わらず、それをやめないあの剣士は。

 

ーーーーそんな事はさせない。そして多分、私もそんな事にはならない。だって彼が言ってたから…

 

『ずっと見てるから。今度は俺が待ってるから』

 

自分がコケそうになったらきっと彼が、そうでなければ仲間たちが助けてくれる。甘えかもしれないが、その確信はあった。

 

ーーーーそっか……だからリヴィは…

 

『お前は俺なんかよりよっぽど強えよ』

 

私が、じゃない。私たちが、だったんだ。仲間がいる事。それもきっとその人の強さの一つだ。一人の強さで勝てなくても、二人の強さなら勝てるかもしれない。自分には自分を支えてくれる仲間がいる。

 

あの言葉の意味がようやくわかった。わかったからこそ、また言いようのない不安に駆られる。彼には仲間がいない。新しいファミリアの構成員も自分一人だと言っていた。誰より強いリヴィエールだが、支えてもらえる強さは持っていない。その事にも気づいてしまったから。

 

ーーーーっ!!

 

ベッドから降りる。じっとしていられなかった。彼がどこに居るかはわからないけど、明日、どこに現れるかはわかる。

 

今度は私から会いに行こう。1秒でも早く彼に会うために。朝という指定しかなかった為、今からだとかなり待つ事になるだろう。しかし時間は大して気にかからなかった。待つ事には慣れている。あの狂おしい一年間に比べれば、終わりある数時間などなんの障害にもならない。いや、障害どころかこれ以上幸せな時間もない。

 

預けられたネックレスを手に取り、黄昏の館から出る。もう迷いはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーー声が聞こえる………幸せな物語を読み聞かせる優しい声。

 

遠い昔に聞いた、懐かしいあの声…

 

薄闇の中にいたアイズの視界が少しずつ明るくなっていく。光の中にいたのは膝の中に小さな少女を抱く光に煌めく蜂蜜色のロングヘアの美女。

 

【この物語は好き?】

 

美女は少女に語りかける。少女は満面の笑みで頷きを返した。

 

ーーーーお母さん

 

【私もよ。あの人のおかげで幸せだから】

 

母親は娘を優しく抱きしめる。娘も母に寄りかかった。

 

【いつか貴方も素敵なヒトに出会えるといいね】

 

視界が再び暗転する、その時、最後に一瞬見えたのは、オラリオのとある一角で、膝を貸してくれながら、木でできた笛を奏でてくれる黒髪の彼の姿だった。

 

 

 

今度は暗い洞窟の中。迷い込んでしまった少女は途方に暮れて座り込んでいる。

 

ーーーーっ!?

 

重量のある足音と荒々しい息遣いが聞こえてくる。まだ戦士でない少女でも分かるほどのハッキリとした危険の気配。

現れたのは明らかな異形の怪物。少女の姿を認めた怪物は喰い殺さんと牙を剥き出しにして襲いかかる。

 

あまりの恐怖に少女が腰を抜かしたその時、モンスターは袈裟懸けに両断された。倒れ伏す怪物の背後にいたのは白髪の青年。少女の父だ。

 

泣きながら少女は父に飛びつく。青年も笑顔で娘を優しく迎えた。

 

【私はお前の英雄になることは出来ないよ。私にはもうお前のお母さんがいるから】

 

父が語るのは永遠の愛。二人ともお互いに出会えたことで幸福を得た。愛する片翼を大切にし、そして何より娘を愛している事が幼い少女にもわかった。

 

青年の姿が変わっていく。白髪は黒く染まっていき、服装はローブに和服というゆったりとした装い。黒い細身の剣を腰に差した、あの剣聖の姿に。

 

【いつかお前だけの英雄に巡り会えるといいな】

 

視線に気づいたからか、こちらの方を若者が振り向く。その顔はこちらの胸を高鳴らせるには充分すぎるほど魅力的な笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーん………

 

薄闇の視界が少しずつ光に染まっていく。この光を自分は知っている。朝日だ。どうやらもうすぐ日が昇るらしい。

 

まどろみの中、夢誘うような穏やかな旋律が金色の髪の美しい少女を包み込む。その音色はまるで誰かの腕の中で自分を優しく抱きしめるかのよう。

 

少しずつ意識が浮上してくる。自分が眠っていたことに気づく。そして直前までの行動を思い出して慌てて目を開けた。

約束の場所に着いた安心感からか、彼を待っている間にどうやら眠ってしまっていたらしい。飛び上がる勢いで跳ね起きる。

 

ーーーーあっ……

 

まず視界に入ったのは朝日だった。オラリオ全体を光で染め上げるその白い光は例えようもなく美しい。比喩抜きでその眩さに目が潰れそうだと思った。視界が白く染まる。

 

光に慣れるまで目がその機能を失っているうちに、今度は耳に旋律が届く。とても美しい穏やかな音色。かつて何度も聞いた事がある。

 

アイズがロキ・ファミリアに入団して間もない頃、今思えば10割こちらが悪い一方的な喧嘩でファミリアを飛び出した事が何度かあった。

そんな時、泣きながら駆け込んだのが、プラチナブロンドのロングヘアの女神、ルグとその美しさゆえに性差の乏しい黒髪の美少年が根城としているホームだった。その少年の胸の中にいつも飛び込んだ。

 

その時、少女は決まって彼にある事をせがんだ。少年は仕方ないなという表情で笛へと手を伸ばす。泣いている少女のために少年はいつもこの音を奏でてくれた。彼は優れた剣士であると同時に、楽士でもある。いつも演奏が終わる前に眠ってしまったのだが……

彼の胸の中で体を預けて眠り、目が覚めた時、優しい笑顔と声音で『おはよう、アイズ』と彼が言ってくれるあの瞬間がたまらなく好きだった。

 

目が視力を取り戻す。光の中にいたのは夢に何度も見た青年。細い棒のような物を横に傾け、息を吹きかける事で鮮やかな音色を奏でている。楽器の名前を聞いた所、龍笛と言っていた。

 

『いつか貴方も素敵なヒトに出会えるといいね』

 

母の言葉が蘇る。母は出会えた。そして私も出会った。

 

『いつかお前だけの英雄に巡り会えるといいな』

 

父は母だけの英雄となった。そして自分も自分だけの英雄を見つけた。

 

視線に気づいたからか、笛の音を止め、こちらを振り返る。夢の中の彼と何一つ変わらないその優しい笑顔。何一つ忘れていない彼の所作。変わった事はたった一つ。艶やかな黒髪が父とよく似た白い髪になった事だけだ。

 

「おはよう、アイズ」

 

さすがにあの頃とは違う。お互い成長し、大きくなり、風貌も声も変わった。しかしそのセリフは昔、彼の演奏を聴きながら眠ってしまった時、彼が向けてくれた笑顔と言葉とまったく同じで…

 

ーーーーああ、その言葉がまた聴ける事がこんなに幸せだなんて……

 

「ありがとう、リヴィ」

 

お礼を言わずにはいられなかった。何でも知ってる彼にしては珍しい、頭にクエスチョンマークを浮かべて首をかしげる。お礼を言われる意味がわからなかったのだろう。普段凛々しい彼のあどけない仕草に愛しさが募る。

わからなくてもいい。ただ言いたかった。

 

ーーーーお父さんとお母さんの夢を見せてくれてありがとう。私と出会ってくれてありがとう。そして……

 

「私の英雄になってくれて、ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

丘に着いた時、アイズは膝を抱えて眠っていた。その姿があった事に心底驚く。まだ日が昇り始めて間もない、明け方と言って差し支えない時間帯。明日の朝とアバウトな時間指定しかしなかった為、アイズより遅れる事がないようにとかなり早く来たつもりだったのに、先を越されていた事に驚いた。

 

ーーーー寝顔はまだまだあどけないな……

 

この一年でグッと大人びたアイズだが、こうして無防備に寝ている姿は昔となんら変わらない。

 

心地よさそうな彼女の寝顔に昔を思い出す。何度かくだらない子供らしい理由の喧嘩でファミリアを飛び出して、ウチのホームに来た事があった。泣き疲れた彼女は決まって自分の笛をせがんだ。彼女を落ち着かせる為に一度、この子の前で吹いたのがいけなかった。

吹かないといつまでも泣くので仕方なく吹いていたのだが、アイズはいつも途中で寝てしまった。その度に満足感と同時に一抹の虚しさがあったものだ。

 

『きっと泣き疲れたんですよ。私の耳にかけて保証します。素晴らしい演奏でした、リヴィ。心に響く旋律でしたよ』

 

この言葉をルグから貰えて初めて安堵したものだ。

 

ーーーー起こすのもアレか

 

これ程早く来ていたのだ。おそらくロクに眠ってはいまい。寝かせておいてやろう。

 

懐に手を入れ、木に寄りかかる。自然に起きるのを待つつもりだったが、何もしない時間というのは思ったより退屈だ。

 

ーーーーそういえば……

 

懐の中の笛の存在を思い出す。幼い頃からずっとそばにあったものの為、いつも懐に入れて持ち歩いていた。過酷なダンジョンの冒険でも、あの惨劇の夜を経ても、この笛は壊れなかった。リヴィエールにとってはお守りのようなものだった。

ハイエルフの中には音楽を趣味にしている者がいる。リヴィエールの母もその一人。横笛の名手だった。今、懐にある龍笛とその腕は母から残された数少ないモノの一つだ。

 

ーーーーあの夜からしばらく吹いていなかったが……

 

眠るアイズを見て思い出したからか、久しぶりに興が乗った。もともと音楽とは世界を知るための学問の一つ。理論的に調和を探求する学問、それが音楽。そして学問とは元は暇つぶし。誰かにせがまれ、聞かせる事がほとんどだったが、たまには自分の為に吹いても悪くない。

 

懐から取り出し、音を鳴らす。奏でる曲は旅人の歌。森の中で生きていた一人の少年が、外に夢見て、世界に飛び出す英雄歌。母から教わった、リヴィエールが最も得意な曲。

 

ーーーーん?

 

しばらく吹いていると視線を感じる。どうやらアイズが起きたらしい。それとも音がおこしたか、どちらかはわからない。あと三章節、リヴィエールは演奏を終えた。

 

ーーーーもう見る影もないな……

 

当たり前の事だが腕は格段に落ちている。記憶の中の母の音色とは比べるべくもない。ハイエルフの誇りを持つ楽士は懐に笛を直した。

 

「おはよう、アイズ」

 

ーーーーうわ、このセリフも久しぶり。なんかすっげーこそばゆい。

 

「ありがとう、リヴィ」

 

柄にもなくキョトンとしてしまう。ここ最近相手の思考が読めない事が多すぎる。今もこの子に礼を言われる理由がわからなかった。

 

「私の英雄になってくれて、ありがとう」

 

ーーーーっ……

 

その言葉は胸に刺さる。英雄になろうと思った事など一度もなかったが、自分に憧れる者がいるのは知っている。英雄だのなんだのと言われてきた事は何度もある。しかし今は何度も向けられてきたそんな言葉が自分を責める。その資格がない事を自分が誰より知っていたから。

 

「…………行くぞ」

「あっ、待って。リヴィ、ネックレス」

「いーよ、どうせしばらくはお前と同行させられんだろ。別れ際までは持ってりゃいい。なあ!そこの馬鹿ども!!」

 

リヴィエールの背中をアイズが追いかける。見慣れた光景に彼女を尾けていた3人は安堵していたのだが、この声にガサリと動いた。

 

「に、にゃ〜〜ご」

「俺が笑ってるうちに出てこいよ」

 

アマテラスと呟き、未だ悪あがきを続けるリヴェリア、フィン、ガレスに手を向けた。その右手には黒炎が宿っている。もし姿を現さなければ、本気で殺る気だと、彼と馴染み深い3人は察知し、慌てて茂みから飛び出してきた。こんな光景もまた、懐かしい。

 

「お、怒るなよリヴィ。夜明け前に一人で行動しだしたアイズの事が気になっただけでだな」

「別に怒ってねーよ。心情はわからんでもない。それはどーでもいいから、この場所誰にも教えんなよ?次にここに来た時、ロキ・ファミリアに荒らされてたらマジぶっころだからな」

 

リヴィは不機嫌そうにしつつも、しょうがないと嘆息する。コレも1年前には日常だった。

 

「しかしリヴィエールが笛をやるとは知らなかったよ。それもとても上手だ」

「まったくお主は何でもできるな、一体だれに教わったんじゃ?」

「あの程度、剣士の嗜みだ」

 

笛を手の中でクルリと回す。東方のサムライという剣士は武芸だけでなく、芸術にも長じていたと椿に聞いた事がある。剣とリズムには通ずる点も多い。

母の事を語る気にはなれなかった。語れる程知らないという理由もあるが、リヴィエールは自身の過去を語ることを嫌う。先日のダンジョンの一件はかなりレアな事だと言っていい。

そんな彼の性格と誰に教わったかを唯一知るリヴェリアだけは目を細めて、彼を見ていた。

 

ーーーーリヴィ、お前は自分が変わったって言うけどな……人間そんな簡単には変われない。お前の根っこの甘さも筋金入りだよ。お前は本当に母親とよく似ている。

 

先ほど笛を吹く彼の姿は目を疑うほどオリヴィエとダブった。音色まで瓜ふたつだった。

 

ーーーーケジメを果たせても、果たせなくてもいい。全てをお前の中で終わらせ、誰にも頼る事ができなくなった時、きっと帰ってきてくれ。私達はいつでもお前の居場所であり続けるから。

 

黄昏の館へと全員が足を向ける。またこのように、ロキ・ファミリアのホームへと肩を並べて歩ける日が来るとは思っていなかった。諦めていた。しかし、それは再び叶った。

 

ーーーーだからこの願いもきっと叶う。いつか、またあの時みたいに

 

追いついてきたリヴェリアの表情を白髪の剣士が見る。それだけで愛しい師が何を考えているかがリヴィにはわかった。彼は知る由もない事だが、母もそうだった。血のなせる業かもしれない。

 

ーーーーもう戻れないんだよ、リーア。あの時には。誰より俺が、俺の力を信じられないから…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黄昏の館に着いた時、太陽は完全に登っていた。時間は9時そこそこといったところだろう。ヒュリテ姉妹にレフィーヤ、いつもの三人娘が出迎えに出ている。

 

「あー!アイズやっと帰ってきた〜!もー、早く朝食済ませないとって……なんだ、リヴィエール迎えに行ってたの?」

「ううん、待ち合わせをしていたの」

「てゆーかアイズ、朝メシ済ませてなかったのかよ」

「…………だって」

「ああ、もういーからとっととメシ食ってこい。待っててやるから」

「リヴィ、ごはんは?」

「俺はもうとっくに済ませたよ。食事は冒険者の資本だ。しっかり取れ」

「うん」

 

黄昏の館の食堂へと向かう。アイズがティオネ達の元へと合流し、いつもの四人が揃った。

 

「アレ?アイズ……」

 

追いついてきた彼女の様子を見て、ティオナはいつもと違う変化に気づく。誰よりも早起きしているにも関わらず、今日のアイズはいつもよりずっとハツラツとしていた。

 

「しっかり休めたみたいだね!」

「っ!」

 

事実を言い当てられ、その原因にも気づかれたと思ったからか、アイズの頬が紅く染まる。原因は後ろで壁に背を預け、フィンと話をしている。

 

「羨ましいわね。わかるよ、アイズ。自分よりもずっと自分を強くしてくれる理由の大切さ」

 

私も団長が見てくれるってだけで実力5割増しだからね〜、と力こぶを作る。三人娘の中で、本気の恋をしているのは彼女だけだ。だからこそわかる。

 

「今度は絶対離しちゃダメよ、アイズ。そんな大切な理由、簡単に出会えるものじゃないんだから」

「…………うん」

 

背中越しに彼を見る。フィンと何やら難しそうな話をしていたその姿は、記憶の中の彼より大人びて見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「夜は打ち上げやからなーー!遅れんようにーーー!!」

 

準備を終えたロキ・ファミリア全体に聞こえるように、赤髪の女神が大声を張り上げる。ダンジョン遠征後の大手ファミリアの次の日は慌ただしい。ダンジョンから持ち帰った数多の戦利品の換金、武器の整備、アイテム補充etc.

ロキ・ファミリアは総出で後処理に追われるため、壮観な行列となる。

だが今回はたった一つだけ異なる点がある。今回の遠征、とある冒険者の協力がなければどうなっていたかわからない。その謝礼としてその冒険者がこの行列に帯同している事だ。

 

「リヴィエールにも失礼のないようになーー!大事なファミリアの恩人やでーー!!」

「デカイ声で呼ぶなこのアホ女神!」

 

鉄拳がロキの頭に振り下ろされる。存在を秘密にしている事は知っているはずだ。馬鹿だがあっさり忘れるほどアホではない。リヴィエールが認める程度にはキレ者だ。完全にワザと大声で呼びやがった事がわかったから殴ったのだ。

 

「いったぁ!何しよんねんこのバーニング・ファイティング・ソードマスター!」

「あ、その名で呼びやがったなこのウォール・ロッキー!その喧嘩買ったぁ!表出ろ!」

「やめろリヴィ。同レベルで争うな」

 

裾を捲り上げたリヴィの頭を杖で殴る。金属製のソレは殴られたらあのリヴィエールを持ってしてもかなり痛い。頭を押さえてうずくまった。

 

「ほら、行くぞ。お前のバックパックの場所に案内する」

「ああ、ちょっとだけ待て。ロキ」

 

裾を直しつつ、真剣な目でロキを見つめる。茶化していい雰囲気ではないと悟ると赤髪の女神も態度を変えた。

 

「まずないと思うが神に会ったら全員に聞いてる事だから一応聞いておく。答えろ」

「何や、ウチを信用してええんか?嘘つくかもしれんで?」

「俺にそれが通じると思ってんなら好きにすればいいさ。嘘を見抜くのがお前らの専売特許だとは思わねえ事だな」

 

白髪のハーフエルフの目の色が変わる。瞳の動き、心音、発汗、声の震え、全てが明確、かつ詳細に感じられる。

 

7つ目の感覚(セブン・センス)

 

あらゆる感覚を研ぎ澄ます事で未来予知、あるいは読心術すらも可能にするスキル。完全に集中した彼の前では、たとえ神であろうと偽証は不可能となる。

 

「ルグの居場所をバロールに教えたのは誰だ?」

「……………………」

「恐らくは俺の冒険スケジュールも把握できる神のはずだ。知っていたらどんな些細な事でもいい。答えろ」

 

眼光に鋭い光が宿る。嘘を見抜く時の目だ。7つ目の感覚は第六感を含めたすべての感覚を活性化させる、常時発動型のスキルだが、その威力や精度は集中力で変わる。今は全神経を視力と聴力に傾けていた。

情報を得たいという思いはある。だが心情的にはこの神から情報を得たくはない。もし何か知っていて、ウソをつくようならロキといえど容赦は出来なくなる。

 

ーーーーだから知っているっていうな。知っていてもウソはつくな。俺はアンタの敵になりたくない

 

聞きたい、けど聞きたくない。歪んだ眉にはそんな矛盾した心情が滲み出ていた。それを読み取れたのは神ロキと家族同然のリヴェリア。そこまで読み取れはしなかったが、辛そうだと気づいたのはアイズ。この3人だけだった。

 

「いや、残念ながら知らん。もちろんウチやないで」

 

心音と声に乱れはない。瞳の動きも正常。発汗もなし。

 

ーーーー…………ウソはついてなさそう、か。

 

空振り。もう何度目かは数えていない。安堵と諦観両方の意味でため息をつく。まあ期待はしていなかった。

しかし神連中にこの質問をするのもだいぶ飽きてきた。

 

「そうか、悪かったな。何か情報が入ったら教えてくれよ」

「ウラノスに聞いてみたらどないや?あいつならオラリオの事は大抵知っとるやろ」

「ルグだけが狙いだったのならそうしただろうがな。この件でそれはしたくない」

 

確かにバロールはルグの力を目当てに強襲してきた。が、奴の後ろで糸を引いている誰かは明らかにリヴィエールの事も殲滅対象に含めていた。そうでなければ彼がダンジョンに潜っていていないタイミングで攻め入れば何の苦難もなく、ルグを捉えられたはずだ。確かにルグは偉大な神だが下界で神はアルカナムを使えない。下界では彼女はただの女だ。

だがバロールはわざわざ俺がホームにいる時間、つまり俺がガードしている時間に攻撃を仕掛けてきた。コレはつまりあの惨劇の黒幕は俺、もしくは俺の命も欲したという事。

 

となると俺のダンジョン探索予定を把握している神が候補に上がる。まあ知ろうと思えばよほど不審者でない限り得られる情報だが、神が他の眷属のダンジョン遠征の予定をいちいち把握しているとは思えない。

 

となると最も有力な容疑者はウラノスなのだが、それはないとリヴィエールは踏んでいる。ヤツにとって俺を殺す事にメリットはない……ハズ。それにヤツには地位と名誉がある。こんな事で足元をすくわれるヘマをやるほど馬鹿でもない。

 

ヤツにはギルド長としての立場がある。ウラノスに俺の生きている姿を見せれば、ヤツはその情報を開示しなくてはならない。最悪バレても手はあるとはいえ、まだ自分の存在は隠しておきたい。ウラノスを尋ねるのは本当に最後の手段となった時だ。

 

「リヴィエール」

 

ロキに背を向け、顔をフードで隠している最中、声がかかる。視線だけ返した。

 

「打ち上げ、お前も来いや。奢ったるから」

「気が向いたらな」

「リヴィ」

 

そっけない答えを返した白髪のハーフエルフの愛称を口にする。ロキがこの名で彼を呼ぶのは珍しい。なんだかんだ長い付き合いなのに数える程の回数くらいしかないだろう。

 

「絶対やぞ、待ってるからな」

 

その言葉の真意がわからないほど、リヴィエールは鈍くなかった。

 

ーーーーどいつもこいつも……お人好しばっかりだな

 

嘆息する。どの打ち上げの事かは明確に言わなかった。それはつまり、これから先、何度も行われるであろう、ロキ・ファミリアの集会に生きて参加しろ、という事。1年前の時のように。

 

命を顧みないような無茶はするな、という事だ。

 

「努力はするさ」

 

一度手を振る。リヴェリアに名前を呼ばれた。急いで合流する。

 

「絶対やぞ………待ってるからな」

 

雑踏に紛れたその背中にもう一度、ロキは言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




最後までお読みいただきありがとうございました。励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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Myth11 これで手打ちにしておいて!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見ろよ、ロキ・ファミリアだぜ」

「遠征から帰ってきたのか」

「アレが『勇者』フィン・ディムナ」

「剣姫にヒュリテ姉妹……一級冒険者がズラリだ」

「あんまり騒ぐな。目をつけられたら潰されるぞ」

 

街がざわつく。人の話し声、羨望、嫉妬、様々な視線が団体に注がれている。いつもの光景だ。これも弱者の武器と理解してはいるが、リヴィエールはこの手の集団が好きではなかった。

 

ーーーーまあ目立つ連中のおかげで俺の存在が見逃されがちなのだけは救いだな……

 

アイズの隣を歩いているにも関わらず、顔を隠した冒険者の存在が目立たない。最悪噂される程度のリスクは覚悟していたため、ココは嬉しい誤算だ。

 

「なんかやだなー、こういうの。ベートは喜びそうだけど」

 

明け透けなアマゾネス、ティオナもこの手の視線はあまり好きではないらしい。性格上、憤りを感じるレベルではないが、不快そうだ。

 

「ヤツもそこまで下品ではないぞ。ヤツなりに第一級の誇りと自覚がある」

 

ティオナの言葉をドワーフの実力者、ガレスが否定する。リヴィエールもその点に関しては同意見だ。野卑な男な事は確かだが、不必要に驕る事もしていない……ハズ。

 

「有名税だ。物事全てに一長一短があり、そして強さには権威がつきまとう。ロキ・ファミリアクラスともなれば尚更な。周りに気を使う必要はないが、それだけの影響力をお前らは持っている事は自覚した方がいい」

「さっすが。たった一人で大手ファミリアにまで登りつめた男の言う事は説得力が違うね」

「おい……」

 

ティオナを止めようとリヴェリアが一歩前に出たが、リヴィエールの手がそれを制する。他の誰かが言ったのなら揶揄されたとも取った発言だがティオナに限ってそれはない。表現が拙いだけで心からの賞賛な事はわかっている。なら波風を立てる必要もない。気にしていないと、手を振った。

 

そうこうしているうちに広場に着く。ここで各々手分けして戦利品の売買を行うチーム分けがなされるのだ。

 

「僕とリヴェリアとガレスは魔石の換金に行く。みんなは予定通りの目的地に向かってくれ。今回世話になったリヴィエールへの報酬もある。換金したお金はどうかちょろまかさないでおくれよ?ねえ、ラウル?」

 

ーーーーうわ、すげえな

 

よくこいつら相手にそんな事をやる気になったと感心した。この手の管理は自分はかなり杜撰な自負がある。多少ちょろまかされてもおそらくリヴィエールなら気づかない。しかし相手が悪すぎる。何にでも細かく、超がつく几帳面、リヴェリア。彼女相手にウソが通じた事は殆どない。よくやる気になったものだと少しラウルの評価が上がった。悪い意味で。

魔が差しただけだと必死に言い訳している。それもきっと真実だ。大金は人を惑わせる。リヴィエールのバックパックの中身は最低価格で予想しても恐らく一千万は超える。換金を個人的にリヴェリアが担当しなければ無理やりにでも返してもらっていただろう。事実、リヴェリアが売買を担当しないドロップアイテムに関しては先ほど返してもらった。

 

「リヴィエールさん、チョロまかしたりしませんよ!信じてください!」

「信用ってのは積み重ねるのは手間だが壊すのは一瞬なのだよ、ラウル君?」

 

ドロップアイテムが入った巨大な皮袋を背負い直す。手伝うとアイズが言ってきたがやんわり断る。女に自分の荷物持たせるくらいならラウルにちょろまかされる方がマシだ。

 

「じゃあ一旦解散だ。リヴィエールはアイズ達と一緒にディアンケヒト・ファミリアに行ってくれ。エリクサーはそこで貰える」

「やっぱりか……」

 

予想どおりと言えば予想どおりだが……いや、やめよう。今日1日は付き合う覚悟をしてきたハズだ。今更ごちゃごちゃ言える立場ではない。ならサッサと行ってサッサと済まそう。

 

「なにボーッとしてるのよリヴィエール。さあ、私たちも行くわよ。ドロップアイテム、盗まれないでよね」

「誰に向かってほざいている」

「というかロキ・ファミリアに喧嘩を売る人は流石にいないんじゃあ……」

 

オラリオに住まう人間でロキ・ファミリアの力を知らないものはまずいない。レフィーヤの考えは概ね正しいと言えるだろう。

 

「用心よ、用心。頼りにしてるからね、リヴィエール……って、もう」

 

同行者の名を呼んだ所、近くにいない事に気づく。振り返ると自分達について来ておらず、腰に手を当てて俯き、息を吐いていた。気落ちしている彼を慰めるようにアイズが頭を撫でている。

 

「アイズー!リヴィエール!行くよー!」

「ほら、リヴィエールさん。頑張って」

「うん、行こう、リヴィ」

「……はぁ」

 

アイズとティオナに手を引っ張られ、レフィーヤに背中を押されてようやく歩き出す。その姿はまるで買い物に付き合わされた兄が妹達に引っ張られるようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドロップアイテム

 

ダンジョンでモンスターを討伐した時に得られるアイテムの事を指す。通常、モンスターは討伐されれば灰化する。しかし一部は残る物も存在し、それらは武器や防具の素材に利用されている。

デュランダルの特性を持つカグツチを愛刀にし、纏うローブも少し特殊なものである為、リヴィエールはそれらの目的でドロップアイテムを用いる事がまずない。故に全てギルドの最低価格で売っぱらっている。しかし有力なファミリアはファミリア同士の取引により相場以上の価格で交渉し、莫大な利益を上げている。

 

「ラウル達、しっかり交渉してお金とってくるからすごいよね。あたしは騙される自信があるなー」

「勉強込みでそれなりに痛い目にも遭ってきてるのよ、団長の指示でね。あんたは何も学ぼうとしてないだけ」

 

それプラス、ロキ・ファミリアというビッグネームもかなり手伝っているだろうとリヴィエールは推察する。権威というのは商談で大きな武器となりうる。ルグ・ファミリアに所属していた時がそうだったからわかる。有力ファミリアは深層の貴重な資源を持ち帰れる数少ない源だ。まっとうな商人達は詐欺まがいの行為で彼らの怒りを買い、取引相手から外されることを恐れる。

 

「まずはこっちの用事を済ませちゃっていいかしら?」

「俺はオマケだ。好きにしろ」

 

ありがとう、と礼を返してくるティオネを見て、本当に変わったなと思う。昔はアマゾネスの典型と言える性格と態度だったのに。今でも時折顔を見せる事はあるが、すっかり女性らしくなった。少し見ない間に女は化けると再認識。

 

しばらく歩くと見覚えのある建物の前に到着する。清潔な白一色の石材で作られた建造物。

【ディアンケヒト・ファミリア】

光玉と薬草のエンブレムを持つ薬品のファミリア最大手。

 

「いらっしゃいませ、ロキ・ファミリアの皆様」

 

出迎えたのは身長は150Cに届くかどうかという小柄な体をした美しい少女。お人形さんのように可愛いとは彼女の為にある言葉のようにさえ思える。それほど整った容姿と可愛らしさを持つヒューマンだ。名はアミッド・テアサナーレ。ディアンケヒト・ファミリアに所属する団員。アイズ達だけでなくリヴィエールともそれなりの付き合いがあった。

 

「アミッド、久しぶりー」

「……と、そちらの方は………」

 

少女が見慣れぬフードの男にに視線を向けた。一瞬訝しむような表情を見せた後、フードの奥のエメラルドの光が彼女に届いた。

 

「えっとね…」

「…………まさか…」

 

できるだけ存在は隠してほしいと言われているティオネはこのローブの男をどう説明しようか、数秒逡巡した。その間にアミッドはフードの人物の正体に心当たりがついたのか、驚愕の表情で彼を見る。瞳には動揺と歓喜、そして疑心が渦巻いていた。

 

「リヴィエール………様?」

 

ティオネ達がギクリとした表情を見せる。成長しても嘘をつけないところは変わっていないか。

 

ーーーーやれやれ、隠しても無駄……かな

 

「……久しいな、アミッド」

 

観念してフードを外し、マスクを取る。この姿でよく気づいたものだ。完全に素顔をさらしたことで、人物の正体に確信を持ったアミッドは目を見開き、口元に手をやる。整った美貌が歓喜と驚愕に揺らいだ。

 

「リヴィエール様!」

 

一直線に走ってくる。ペタペタとリヴィエールの身体を触った後、両手で再会を果たした白髪の来訪者の片手を握りしめた。

 

「腕を失うような大怪我はしてないみたいですね」

 

ホッと息をつく彼女を見て納得する。ペタペタと触ってくるから何のつもりかと思っていたらそういう意図だったか。

 

「いっそ、していたらもう少し楽だったんだがな……」

「そんな事、冗談でも言わないでください」

 

無表情が常の彼女にしては珍しく、怒ったような顔で彼を睨む。その目はリヴェリアが自分に向けてきたモノとよく似ている。眉を寄せたまま、額を彼の胸にコツンとつけた。

 

「ーーーー良かった……本当に……本当に良かったです」

 

きらりと光るものが目じりに浮かんだのを見て驚く。それなりに付き合いはあった相手だが、ここまで喜ばれるとは思っていなかった。

 

『あなたの事を心配している人は貴方が思っているよりずっと多いんですよ!』

 

自分の服を握りしめ、俯く少女の姿を見て、かつてルグが自分に言ったことを思い出す。あのときは確かソロでウダイオスと戦い、それなりに大怪我をして帰った時だった。アイズには泣かれ、リューとリヴェリアには相当怒られた。

 

ーーーーああ、くそ。また揺らいだ……

 

胸が熱くなり、黒炎が揺らいだのを感じ取った。目を閉じ、いかんな、と首を振る。彼女達と関わりだして以降、決心が鈍りっぱなしだ。ルグは俺に自由に生きろと言ったが、俺は今何をしたいのか、最近じゃ俺自身よくわからない。

 

「アミッド」

 

底冷えのするような声が響く。決して大きな声でもなく、恫喝するような声でもないのに、二人の体に恐怖の寒気が奔った。

 

「そろそろ離れるべき」

 

彼との再会がどれほどの喜びであったか、彼女の心がよくわかったアイズはしばらくアミッドを放置していた。しかしもう乙女の情けも時間切れになったらしい。リヴィエールの左腕をつかんで後ろへと引き込んだ。体がよろけ、アミッドから引き剥がされる。小柄な少女も真っ赤になってリヴィエールから離れ、何度か咳払いした。

 

「お久しぶりです。事件のことは耳にしています。本当にご無事で何よりです。心配していました」

 

白銀の髪の少女がこちらを見上げる。表面的にはいつもの無表情に戻っていたが、頬に差した朱色はまだ引いていない。感極まったような感情がありありと現れている。同時に目と眉は心配そうにこちらを見つめていた。

 

「……悪かったな。顔くらいは一度見せておくべきだったと反省してるよ。心配かけてすまない」

「いえ、生きているというお噂は耳にしていましたので………心中、御察しします」

「心配するな。大丈夫だ、問題ない」

 

大丈夫でなくても絶対このセリフを言う男であることはここにいる者なら全員が知っていた。白銀の髪の少女の眉が下がる。視線は白くなった艶やかな彼の髪へと向けられていた。

 

ーーーー大丈夫なわけ、ないじゃないですか……

 

頬へと手を伸ばし、リヴィエールの髪に触れる。何よりも黒く、美しかったあの髪がすっかり色を失っている。コレほどの辛苦がかつて…いや、今もきっと苦しんでいるハズなのに、彼はそれをおくびにも見せない。あの嘘の笑顔で隠してしまう。隠される事がアミッドは悔しかった。

 

「アミッド……」

 

触れてきた手を握り、見つめる。彼女の態度に少なからず驚かされた。それほど深い繋がりはなかったつもりだったのに、こんなにも想われていたとは。アミッドはつま先を伸ばし、リヴィは背中をまげて屈む。少しずつ二人の距離は縮まっていき……

 

ダンッと何かを踏みつけたような音が二つ鳴る。同時にビクっとリヴィエールの肩が震えた。

 

左右にはヒュリテ姉妹。後ろにはアイズが彼を取り囲んでいた。

両足を思いっきり姉妹に踏みつけられ、背中はアイズが抓っている。幾ら最強という名にふさわしい力を得ても皮膚と足の指先は鍛えられない。思わず身体が飛び上がるほどの痛みだった。

 

「さっきから随分いー雰囲気じゃない?リヴィエールくん?アイズという者がありながら」

「そういえば意外とナンパだったわよねぇ、色男のリヴィエールさん?」

「…………ガキくせえことしてねえでとっとと用を済ませろ」

 

ヒュリテ姉妹の首根っこを掴んでカウンターの前へと放り投げる。背中をつねっていたアイズもその右手を取った。眉を寄せてこちらを見上げている。機嫌をとる為に頭を撫でた。

 

一年ぶりのその光景に、アミッドの顔に微かに笑みが浮かぶ。リヴィエールの視線を受けて、一度頷くと、助け舟を出すように仕事の話を切り出した。

 

「本日のご用件は、引き受けて頂けた冒険者依頼の件で間違いないでしょうか?」

「ええ。今は大丈夫?」

「申し訳ありませんが、今は商談室が空いていませんので、カウンターでよろしいでしょうか?」

「構わないわ」

 

アミッドに案内されて建物内を進む。まだ不機嫌なアイズはリヴィエールに引っ張られてようやく歩き始めた。

 

「これが注文された泉水。要求量も満たしている筈よ。確認してちょうだい」

 

ティオネが泉水の詰まった瓶をカウンターに置く。アミッドも鑑定を始めた。まさかロキ・ファミリアが嘘をつくとは思ってないだろうが念のためだ。

 

「確かに……依頼の遂行、ありがとうございました。ファミリアを代表してお礼申し上げます。つきましては、こちらが報酬になります。お受け取りください」

 

カウンターに出されたのは二十もの万能薬。七色に輝くその液体は万能の名に恥じない効果がある。今目の前に並んでいるそれは間違いなくディアンケヒト・ファミリアが販売するものの中でも最高品質だ。その見事さに自身も薬を調合するリヴィエールは口笛を鳴らした。

 

「流石単価五十万。壮観だな」

「うっはぁ〜…コレだけあったら豪邸建っちゃうね」

「綺麗……」

 

十本ずつクリスタルケースに厳重密封されたそれを、ティオナとレフィーヤが持つ。レフィーヤの手が震えているのは無理ないことだろう。

 

「アミッド、実は深層で珍しいドロップアイテムが取れたの。ついでに鑑定してもらってもいいかしら?いい値を出してくれるなら、ここで換金するわ」

「わかりました。善処しましょう」

「ありがとう。リヴィエール、貴方も出して。アレ、持ってるんでしょ?」

「あれ?…………ああ」

 

ティオネは、長筒の容器から巻物のように収納していたドロップアイテムをアミッドに差し出す。長筒を見てアレとは何か思い出したリヴィエールも皮袋から取り出した。

 

「……これは」

「『カドモスの皮膜』よ。冒険者依頼のついでに、運良く手に入ったわ」

 

滅多に出回らないドロップアイテムを前にして、彼女は手袋をはめ丁重に目を通し始めた。

『カドモスの皮膜』。頑強な防具の素材になり、また回復系のアイテムの原料としても重宝されている。しかるべきところに持っていけば600万ヴァリスはくだらないドロップアイテム。商業系のファミリアからすれば、その稀少性もあって、喉から手が出るほど欲しい逸品の一つだ。

 

「……本物のようです。品質もどちらも申し分ありません」

「そう。それで、買値は?」

「お一つ700万ヴァリスでお引き取りしましょう」

 

まあ、そんなところか、と言おうとした瞬間、口を塞がれる。大体適正価格だった為、リヴィエールとしては異論なかったところだったのだが、次の瞬間ティオネから放たれたのはあのリヴィエールをもってして驚愕せしめる額だった。

 

「1500」

 

緑柱石の瞳を見開く。ふっかけもあるのだろうが倍以上の額を提示してきた。その胆力に度肝を抜かれる。アミッドも耳を疑うように「は?」と言った。この少女にしては珍しいキョトンとした表情だ。

 

「ひとつ1500万ヴァリス」

「「「っ!?」」」」

 

提示した額は聞き間違いではなかった。もう一度言ったその言葉に、三人も目を剥いた。

レフィーヤの手から万能薬が入ったクリスタルケースが滑り落ちる。反応出来たのは一級冒険者の中でも随一の反射神経を持ったアイズとリヴィエールのみ。位置の問題でリヴィエールは間に合わなかったが、アイズがギリギリでキャッチ。大惨事は何とか未然に防いだ。

挑戦的な笑みを浮かべるティオネに、流石のアミッドも、肩を揺らした。動揺しているらしい。

 

「お戯れを……800までなら出しましょう」

 

一瞬漏れ出たアミッドの動揺はもう見られない。交渉のキモは強気だ。少しでも弱みを見せれば即敗北に繋がる。

 

「アミッド、あなたの言った通りこの二つの皮膜の品質は申し分ないと私も思うわ。今まで出回ったものより遥かに上等だと自負できるほど……1400」

 

数多の戦いをくぐり抜けてきたリヴィエールすら経験したことのない水面下の静かな熱い戦い。まるで初めて剣を握ってモンスターと対峙した時のような緊張感だ。

権力を笠に着ているワケではないのだろうが、あまりに圧力的な態度に、双子の妹が小さな声で姉を静止する。

 

「ちょっ、ちょっとティオネっ?」

「私達は団長から『金を奪ってこい』と一任されているのよ?リヴィエールの交渉も君に任せるって。これは団長が私に与えてくれた信頼の証よ。半端な額で取引するつもりは毛頭ないわ」

「流石にそこまでは言われていません!?」

「俺は最初の額でも特に異論ない「あ゛?」…………ナンデモアリマセン」

 

ティオネの背後に炎が見える。

リヴィエール、アイズ、ティオナ、レフィーヤの目にはアマゾネスの炎が見えた。

 

ーーーーもっ、燃えている!想い人(フィン)に褒められたい……アマゾネスの本能がティオネの中で燃えたぎっている!!

 

リヴィエールにはこの二人以外でアマゾネスの友人が一人いるが、こんな姿は見た事がない。コレがアマゾネスの本質だというなら、女の二面性の恐ろしさを見くびっていたと認めざるをえない。

 

挑発的にカウンターに肘を置いて身を乗り出してくるティオネ。アミッドも彼女から視線を逸らさない。強気と強気のぶつかり合いだ。自分なら耐えられない。戦闘の胆力とは種類の違うものが求められる。我ながら相当面の皮は厚いつもりだったが、女と比べては彼の面の皮などペラペラだと思い知らされた。

 

「850。これ以上は出せません」

「今回殺り合った強竜は活きがよくてね、危うく死にかけたわ。私達の削った寿命も加味してくれるとありがたいんだけど?1350」

 

ーーーーいけしゃあしゃあと…

 

実にムカつく顔で息を吐くように嘘をつく。今回の『カドモスの皮膜』は本当に幸運で手に入れたもの。新種が倒してくれていた為、労せず手に入れられた拾い物に過ぎない。それをよくもまぁ。

 

「も、もういいってティオネ。あのなアミッド。実はコレひろ「あ゛ン?」……ごめんなさい」

 

心の弱い者なら殺せる程恐ろしい殺気のこもった目で睨まれる。

 

『余計なことすんなら下がってろ』

 

常人には聞こえない程度で呟かれたその言葉はセブン・センスを持つリヴィエールなら充分に聴き取れる音量だった。そのあまりに暗く、冷たい言葉に圧倒されたリヴィエールはたじろぐように二、三歩下がり、カウンター席に座る。久しぶりに恐怖で震えた。泣きそう。

 

「…………」

 

視線を感じる。怯えた心が伝わったのか、アイズが心配そうにこちらを見ていた。

 

「…………(フワッ)」

 

両腕を広げ、白い頭を胸の中に抱きしめてくる。

 

「…………なにしてんの?」

「どう?」

「どうと言われますと?」

「落ち着いた?」

「…………」

「男の人が怖がってたら心音を聞かせてあげるといいって言ってたから」

「…………予想はつくが聞いとくか。だれが?」

「ルグ様」

「やっぱり」

 

幼い頃、森が焼かれる夢を見た時、この方法で何度も荒れた心をルグに落ち着かせてもらった。

 

どっ、どっ、どっ……

 

人を落ち着かせるには随分早い鼓動音が聞こえる。人の心音なんて聞いたのはいつ以来だろう。なるほど、確かに落ち着く。波立っていた心が凪に戻っていくのが感じられた。

 

「よしよし……」

「…………よしよしはよせ」

「でも、リヴィは昔、私によくよしよししてくれた」

「それはお前……ああ、もういいや」

 

今はこの心地よさに身を委ねていよう。ティオナはニヤニヤしながら、レフィーヤは羨ましいような、妬ましいような、複雑な表情で二人を見ていた。

 

「元気、出た?」

「…………まあ概ね」

 

そんな空間を置き去りにして商談は続いていく。アミッドは考えこむ仕草の後、迷いつつも口を開いた。

 

「……私の一存では決めかねます。少々お待ちを。ディアンケヒト様とご相談して参ります」

 

アミッドが中に入っていこうとする。しかし交渉において相手に時間を与えるというのは下策中の下策。それを許す今のティオネではない。

 

「あら、じゃあここでの換金は止めときましょうか。時間もないし、もったいないけど、他のファミリアに引き取ってもらうことにするわ」

 

動きを止めるアミッド。笑うティオネ。

外野がすっかり置いてきぼりにされる中、人形然とした美しさを持つ少女は諦めたように小さく息をついた。ゲームオーバー。ティオネの勝ちだ。それぐらいはリヴィエールでもわかった。

 

「1200……それで買い取らせてもらいます」

「ありがとう、アミッド。持つべき者は友人ね」

 

今の台詞は本心からなのだろうが、今のリヴィはティオネの言葉が色んな意味で信じられなかった。それはきっとアミッドも一緒だろう。また一つ嘆息していた。

カウンターの奥から他の団員を呼び、買い取り額分の金が用意される。合計2400万ヴァリス。重量感溢れる袋が4つ分、カウンターに置かれた。

 

「なんか悪かったなアミッド。俺の分まで……今度、お前んとこのクエスト受けてやるから」

「本当ですか!?約束ですよ?また必ずお店に来てくださいね?言質はいただきましたから」

「ああ、また必ず。近いうちに」

 

小指を出す。誰かと約束をする時の彼の所作。指切りという東方の誓いの作法だ。昔、アミッドもリヴィエールに教えてもらった。そして当然、アイズも。

 

お互い小指を絡めあう。ドギマギするアミッドの傍ら、リヴィエールは柔らかな魅力的な笑みを浮かべる。無表情の人形めいた美貌に朱が差した。

 

「ゆーびきーりげーんまっ!?」

 

歌っている最中に後ろへと引力が働く。引力の元はもちろんアイズ。ムーっと音がなる程、頬を膨らませていた。眉にシワがより、不機嫌そうな顔つきで二人を睨んでいる。

 

「アミッド、私からも謝る。ゴメン」

 

いつもの声音だが、尖らせた口と頬は直っていない。謝罪は心からのものだった。しかしそれとこれとは別という事だろう。

 

「…………いえ、足元を見てクエストを発注したのはこちらが先ですので……それに、素敵な思い出と約束もいただきましたから」

 

小指を立て、唇を軽くつける。頬に朱が差した艶やかな顔で、リヴィエールは気づかなかったが、挑戦的な色合いもこもった笑みをアミッドはアイズに向けた。

 

指切り(コレ)で手打ちにしてあげますよ」

 

その笑顔は同性のアイズの目から見ても、魅力的だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




最後までお読みいただきありがとうございました。励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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Myth12 恥ずかしいと言わないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーあ、今後アミッドと顔合わせづらいなー……」

「やり過ぎだぞ、ティオネ」

 

ロキ・ファミリアの要件が終わり、報酬の万能薬と凄まじい金品を抱えながらディアンケヒト・ファミリアから出てきたリヴィエール達は、メインストリートを歩いていた。帰路へと向かう中、アマゾネスの妹は先ほどの恐喝まがいの交渉を思い出して息を吐き、白髪の美剣士は整った眉を顰めていた。

 

「これくらいもらっておかないと割に合わないわよ。アミッドだってわかってるわ」

「アミッドさんの知らないところで、また厄介な冒険者依頼がくるかもしれませんね……」

「無いとは言えない推測だな」

「う゛っ……」

 

どうやら今後の事まで考えが及んでいなかったらしい。確かに今レフィーヤが話したifは大いにあり得る可能性だ。流石に良くなかったという自負が生まれたのか、褐色の肌に後悔の汗がにじむ。

 

「…………まあお前ら相手に無理難題ふっかけたら痛い目見る事は連中も分かったはずだ。そこまで無茶な事はしねーだろうさ」

 

多少は反省した事がわかったからか、リヴィエールは今度はティオネのフォローに移る。その一理ある言い分に、ティオネはホッとした表情を見せた。

 

「と、とにかくさっさとホームに報酬置いて、今度はリヴィエールの換金に行くわよ。いつまでも持ち歩いているのは流石に怖いし」

 

今彼女たちが持っている金品の合計は価値にして3000万ヴァリスを越える。ならず者が集団で襲いかかってきても何ら不思議で無い数字。ロキ・ファミリアの中でも手練れの四人、そしてオラリオ最強と呼んで差し支えないリヴィエールがいるとはいえ、外をうろつくには確かに危険だ。

 

「……ティオネ、ごめん、武器の整備に行ってもいい?」

「あ、【ゴブニュ・ファミリア】のところ?あたしも行くー!大双刃(ウルガ)壊れちゃったし!」

 

遠慮がちにアイズが訊ねる。今回の遠征で武器を失ったティオナもその提案に同意した。

 

「しょうがないわね。私とレフィーヤはホームに荷物を置いてくるわ。余計な面倒も起こしたくないし。リヴィエールはどうする?」

「そうだな、俺はーーー」

「アイズと一緒ね。わかったわ」

 

問答無用でアイズとの同行を確定させられる。

 

『じゃあ聞くなよ!』

 

男が女の買い物に付き合わされた時に思う事ベストスリーに入る言葉が喉元まで出かけたがなんとか飲み込む。今日1日、今日1日の我慢となんとか言い聞かせた。

 

「じゃあ、ゴブニュ・ファミリアでの用件を済ませた後、ドロップアイテムの交渉ね。行くわよ、レフィーヤ」

「あ、はい。アイズさん、ティオナさん、また後で」

「あ、おい!ちょっと待て!万能薬三つ置いて行け!俺の報酬だろーが!」

「チッ、覚えてたか」

「ったりめーだ!!」

 

万能薬を携えるティオネから三つ分エリクサーを受け取る。全く油断も隙もない。

 

「ごめん、リヴィ……付き合わせちゃって」

「ああ、いーよ別に。今日1日は付き合うって言ったの俺だしな」

 

ーーーーそれに、一応ゴブニュに聞いておきたい事もあるからな…

 

気にするなという意味を込めてポンポンと頭を叩く。真っ赤になって俯くアイズを見て、少し驚く。1年前と同じ妹扱いで頭を撫でてしまったが、思春期の少女に気軽にしていい所作ではなかった……かもしれない。

 

ーーーーてゆーかこいつ、随分色気づいたな

 

以前は頭を撫でるくらいでこんな表情をする事はなかったのだが。

 

ーーーーたった1年で……いや、若者(オレたち)が変わるには充分すぎる時間か…

 

撫でる手を止める。今後は少し扱い方を変えようかと少し思った。少しだけ。出来ればもう関わらないのがベストなのだから。

 

「ほーら二人とも〜。イチャつくのは用事終わってからにして行くよ〜」

「ティ、ティオナ!」

 

ーーーーそこでそういう返しをする辺りはまだまだ幼いな。

 

先に行くティオナに追いつくために少し駆け足で歩く。アイズもそれに続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石造りの平屋。場所はメインストリートに挟まれた路地裏。立地は控えめに言っても良くない。こんな所で店を構えようと思えるヤツはそうそういないだろう。

しかし立地の悪さを補って余りある質の良い品を生産するファミリアがこの区画には存在する。本当に腕の良い料理屋は看板にこだわらないという例の典型。

路地奥に飾られているエンブレムには三つの槌が刻まれている。

 

【ゴブニュ・ファミリア】

 

武器や防具、装備品の整備や作製を行う鍛冶のファミリア。ファミリアの活動は多岐にわたる。リヴィエールやアイズが所属しているのは迷宮探索で利益を上げる探索系ファミリア。現在オラリオに存在するファミリアの多くがこの形態である。次に多いのがディアンケヒト・ファミリアのような商業系。他にも様々存在するが、そのどれを生業としてファミリアを形成するかは主神の趣味次第である。

ゴブニュ・ファミリアもその例に漏れない。装備品の整備、作製を行う鍛治のファミリア。

知名度や規模は【ヘファイストス・ファミリア】をぐっと下回るものの、作り出す武具の性能そのものは勝るとも劣らない、最高品質。まさに質実剛健のファミリア。依頼を受けてから武器製作に取り掛かる事が多く、コアなファンやオーダーメイドが多いのも特徴の一つである。まさに上級冒険者向けのファミリアと言えるだろう。

 

「どんな強力な剣も持ち主に合わなきゃ鉄くずだ!」

「剣はもう一つの腕と化せ!」

「ハンマーに生命を込めろ!」

 

一流の職人たちの怒号と熱気が入り口からでも伝わる。この熱さはリヴィエールは嫌いではない。

 

「ごめんくださーい!」

「ください……」

 

怒号に負けない大声でティオナが叫ぶ。続いてアイズが、最後にリヴィエールが中へと入った。

 

「いらっしゃい……って、げえぇっ!?【大切断(アマゾン)】!?」

「ティオナ・ヒリュテ!?」

「あのさぁ、二つ名で悲鳴を上げるの止めてほしいんだけど……」

 

まるでモンスターにでも遭遇したかのような反応が返ってくる。仮にもうら若き乙女であるティオナはリヴィエール程ではないが、自分の二つ名を嫌っている。それに加えてこのリアクション。不快に思っても無理ない事だろう。

 

「親方ぁあああああ!壊し屋(クラッシャー)が現れましたぁあーー!!」

「くそっ、今日は何の用だ!?」

「また武器を作ってもらいにきたんだけど」

「ウ、ウルガはどうした!? 馬鹿みたいな量の超硬金属(アダマンタイト)を不眠不休で鍛え上げた専用武器(オーダーメイド)だぞ!?」

「溶けちゃった」

「ノオォォォォォォォーーーーー!?」

 

ーーーーもはや漫才だな、このやりとり

 

1年前と変わらない………いや、1年前より確実に酷くなっている。鍛治の苦労を少し知っているリヴィエールは気の毒にと心から思う。

 

「行くぞ」

「うん」

 

横目で阿鼻叫喚の様子を見やりつつ、二人は奥へと向かう。老人の風貌をした一柱の男神がそこにいる事を二人とも知っていた。

 

「何の用だ」

 

あまり機嫌の良くなさそうな声が訪問者へと向けられる。体格は細身、しかし引き締まっている。

短剣を丹念に磨いていた神――ゴブニュはちらりと視線を送ってきた。

 

「…………ん?」

 

視線がフードの男を捉える。この男神にしては珍しい、驚いたような表情。

 

「………リヴィエール」

 

この男神との付き合いは結構長い。黒刀、カグツチを手に入れてからは滅多に世話になっていないが、それ以前には何度もここの武器を使っていた。ついでに剣以外も扱えるようにと武器の事については飛び道具からカイザーナックルまで全てこことヘファイのところで教わった。

 

「よぉ、ゴブニュ」

 

フードを取り、マスクを外す。神に嘘は通じない。隠す意味もないだろう。

 

「生きていたか」

「ざんね………」

 

言いかけた言葉が止まる。咎めるような視線を隣から感じ取ったからだ。見なくても、アイズの表情がわかった。咎めるような、悲しいような、この短期間で何度も見てきた……させてしまったあの表情。

再会を果たした友人達は皆俺が生きていた事に喜んでくれた。励ましの言葉をくれた。そんな言葉に耐えられなくて……ごまかすために生きていたかと聞かれれば、残念ながらといつも答えていた。

 

『冗談でもそんな事、言わないでください!』

 

エイナの、リューの、リヴェリアの、アミッドの言葉が脳裏をよぎる。今でも生き残った事の後悔はある。あの時、ルグを斬るくらいなら死んでおけばよかったと。バロールに殺されておけばよかったと、何度思ったかわからない。

 

だが、今日だけは……

 

「まぁな」

 

肩をすくめる。今日だけは後悔を口にするのはやめよう。喜んでくれた友に失礼だ。

 

その言葉にゴブニュは珍しく笑った。隣に立つアイズは彼の固い手を握る。

それ以上は追求してくれるなと視線で訴えた。何があったかは語りたくない。ここの所、趣味ではない自分語りが多すぎる。

 

「…………用件は?」

「いくつか聞きたい事があって来た」

 

懐に手を入れ、一枚の金属の欠片を取り出す。色は紫がかった黒で、その硬さはアダマンタイトに勝るとも劣らない。

この金属は1年前のあの夜、バロールが使っていた槍の欠片だ。見た事もない金属が使われており、どう見ても市販されている金属ではない。ヘファイに聞いてみたところ、知らないと言っていた為、期待してはいないが、ゼロではない可能性に賭けて問いかけた。

 

「この金属、何かわかるか?」

「…………アダマンタイトではない。だがそれ並みの硬度を持っている………間違いなく神が作った武具だ。どの神かまではわからんが…」

 

ヘファイと同じ意見だ。やはりそう簡単に尻尾は掴めないか。

 

「調べられるか?」

「やってみよう」

 

ゴブニュがテーブルに欠片をしまう。コレで今ある手がかりで打てる手は全て打った。

 

「もう一つ、ルグの居場所をバロールに教えた神を知っているか?」

「知らんな」

「…………そうか」

 

嘘はなさそうだ。まあ後者に関しては期待していなかった。

 

「俺の用件は終わりだ。アイズ」

「うん」

 

後ろで待っていた少女を呼ぶ。腰のレイピアを抜き取り、渡してくる。

 

「剣の整備を頼みに来ました」

「…………また派手に使ったな」

 

手渡された《デスペレート》をじっくり眺めたのち、ため息をつく。

 

アイズの愛剣《デスペレート》。

 

新種のモンスターの腐食液や体液にも耐えたこのレイピアは『不壊属性』の特性を持つ。リヴィエールが腰に下げているカグツチもその一つ。『決して壊れない』剣。

オラリオに一握りしかいない

上級鍛冶師(ハイ・スミス)によって鍛え上げられた特殊武装。

斬れ味や威力そのものは他の一級品装備に劣るが、戦闘中での欠損は有り得ない。

限りなく、一秒でも長く戦い続けるため、アイズとリヴィエールはこの武器を愛剣として選んだ。

だが、切れ味、威力の低下は発生する。

 

「刃がやけに劣化しているが、何を斬った?」

「何でも溶かす液と、その液を吐くモンスターを、何度も……」

「デュランダルは壊れずとも斬れ味は鈍る。リヴィエール、お前の剣も見せてみろ」

「ああ、ダメダメ。こいつの整備他人に任すと怒る女がいるから」

 

その者の名を椿・コルブランド。黒刀カグツチはリヴィエールの黒炎、アマテラスで金属を熱し、椿が鍛えたいわば二人の合作。デュランダルの特性を持ちながら一級武器に勝るとも劣らない威力を保持させる事に成功した彼女の最高傑作だ。椿はコレを我が子のように大事にしている。以前、此処で整備を頼んだ時はそれはもう烈火のごとく怒られた。あの剛力で首を閉められた時は死ぬかと思った。

以来、この刀の整備は決して椿以外にさせないことにしている。

 

「見るだけだ。何もせん」

 

職人にとっては一流の品を見る事も仕事に含まれる。リヴィエールも剣技はまず見て真似る事から始めた。

 

鞘ごと腰から抜き取り、渡す。熱した炎と同じ、漆黒の鞘に柄、そして刀身が妖しく輝く。反りは浅く、鋒は諸刃の片刃の剣。オラリオで現在最も多く使われているのは刃が分厚い、叩き斬る為の剣。アイズのレイピアは貫く剣。どちらも攻撃としては単純で別段特別な技術は必要としない。剣術の中で素人が使用して高確率で相手を殺せる技が突きだ。自分を省みず、全てを投げうって突きかかれば大抵の相手は屠れる。

しかしリヴィエールの刀は違う。どんな物であろうと斬り裂く細身の剣。極めれば鉄をも両断する事ができる武器だ。モンスターの爪をも斬り裂くこの剣は攻撃速度という点において圧倒的なアドバンテージがある。だがその分扱いが難しく、技術を必要とする。鞘から剣を抜くのではなく、剣から鞘を抜き、腰で斬る。それが出来なくてはこの剣はただの鉄の塊と化す。

 

「…………流石、だな。剣聖の名に翳りはないようだ」

 

刀身を見たゴブニュが息を吐く。刀の見事さもそうだが、リヴィエールの腕を称賛してのため息だった。

アイズより遥かに多くのモンスターを斬り、無茶な使い方をしているにも関わらず、摩耗の度合いはアイズより遥かに軽い。刀におけるもう一つの特徴。それは三つの要素が高い次元でかけ合わされば、斬れ味は失われない事にある。

一つはもちろん剣の出来。二つ目は剣士の技量、三つ目が精神。その全てを兼ね備えているからこそ、彼は剣聖と呼ばれている。

 

「お前の事だ。心配はないとは思うが、手入れは怠るなよ」

「わかってる」

 

鞘を受け取り、腰に戻す。鍛治の神は再びアイズへと向き合う。

 

「切れ味を取り戻すまで時間がかかる。代剣を出してやるから、しばらくそれを使っていろ」

「武器の調達は自分で……」

 

言葉を遮り、ゴブニュはレイピアを取り出す。まだ遠慮していたアイズの代わりに受け取ったのはリヴィエールだった。鞘から抜き、刀身を見る。

 

「………いい剣だ」

 

単純な威力ならデスペレートを上回るだろう。値段にして四千万といったところか。鞘に戻し、アイズへと渡す。

 

「半端な武器じゃお前の腕に耐えられない。甘えとけ」

 

唯一アイズが甘えていい存在から甘えろと言われた。こうなっては彼女に抗う術などない。紅くなりつつも受け取った。

 

「振ってみろ」

 

指示通り、軽く振る。流麗な太刀筋だ。並みの冒険者ではこうはいかない。基本的に冒険者の戦い方は恩恵任せのごり押しが殆どだからだ。しかし今のは違う。リヴィエールと同じく、技術が体に染み込んだ太刀筋。

 

「…………今日はいいな」

 

太刀筋を見たゴブニュが呟く。二人とも頭にクエスチョンが浮かんだ。今のアイズの剣はリヴィエールの目で見ても見事なものだったが、あの程度なら1年前から出来ていた。改めて良いなと言うほどのモノでもない。アイズも良いと言われる心当たりすら思いつかなかったらしい。

 

「無駄な力みが今日に限って入っていない」

 

理由は想像がつくがな、と零し、ゴブニュがちらりとリヴィエールを見た瞬間、アイズの頬に赤みが差す。

 

ーーーーそんな目で見るなよ……ただでさえ俺はお前に弱いんだから

 

我ながらアイズに甘いという自負はある。幼い頃からずっと後ろをついてきた可愛い妹分だからというのも勿論あるのだが、リヴィエールにはどうも本能的にこの子に厳しくできない何かが存在するような気がしてならない。

 

「団員達には整備を急がせる。五日経ったら来い」

「わかりました……ありがとうございます」

 

アイズが頭を下げる。ゴブニュはふんっと鼻を鳴らして、作業に戻った。

 

「リヴィエール」

 

背中を向けた瞬間、呼び止められる。足を止める。アイズに先に行けと指示を出しておく。ティオナを連れて出て行った事を確認すると、リヴィエールはゴブニュに向き合った。

 

「剣姫の事をどう思う?」

「強くなったと思うよ、マジで。サシでやりあうなら十回に二回は俺が負けるんじゃねえかな(エアリアルありでならだけど)。良くも悪くもあいつは特別だ」

 

ーーーー俺と同じくな

 

「そうか、だがワシは違うな。ヤツを初めて見た時、ああ、これは死ぬ、と思ったものだ」

「………アイズが、か」

「ヤツはまるで抜き身の剣のような女だった。長生きは出来まいと本気で思っておったよ」

 

その考えは概ね正しい。もし、周りにリヴェリアやロキがいなければ、アイズはとっくに潰れていただろう。

 

「だがある日、あやつは変わった。ただ鋭いだけだったのが、しなやかにたわむ事が出来るようになっておった。だからこそヤツは今日まで折れておらんのだろう」

「…………」

「一年前、ヤツは昔に戻りおった。触れれば斬れるような鋭さと危うさを持つ一振りの剣に。それが今日はまた元に戻った」

「ゴブニュ、回りくどい。何が言いたい」

 

眉に苛立ちを滲ませる。まるでアイズが折れたら俺のせいだと言わんばかりではないか。

あいつはもうただの子供ではない。オラリオでもトップに入る冒険者なのだ。自分の行動を自分で決めることは出来るし、もし、それが間違っていたとしても俺のせいになど絶対にしない。過保護はアイズへの侮辱だ。

 

「今のお前はその折れるアイズに似ている。それだけが言いたかった」

「…………かもな」

 

そんな事は知っている。だからこそアイズに俺のようにはなるなと忠告したのだ。つんのめりながら走っている自覚はとっくにある。

 

「忠告する。生きろよ、リヴィエール。決して死に急ぐな。生きて、生き抜いて、死ぬまで生きろ。お前は、剣姫の希望だ」

 

フードを被る。もう話す事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーー、ようやく終わったぁ〜」

 

正午を過ぎ、ティオネ達と合流した後、ドロップアイテムの換金を済ませたリヴィエール一行。交渉はほぼティオネが担当。反省したのか、さすがにディアンケヒトでのやりとりほど強引な交渉はなかったが、それでも通常の換金より遥かに巨額を引っ張り出す事に成功していた。

 

「悪かったなティオネ。任せきりにしてしまって」

「何言ってんのよ。コレは私が団長に言われた任務なのよ。任せてくれないことの方がよっぽど悪いことだわ」

 

頭を下げるリヴィエールに笑って返すティオネ。行動理由がフィンすぎて少しアレだが、ココまで極められれば尊敬できるレベルだ。

 

「で?貴方この後予定はあんの?」

「報酬受け取ったら夜までは特に…」

 

魔石の換金の計算は今しばらくかかるらしく、報酬を合わせて纏めて渡すと言われ、少し迷った物の、彼の人柄を信じ、ドロップアイテムの金はロキ・ファミリアに置いてきた。管理はリヴェリアが行うとのこと。

 

「なら暇なのね。アイズ、しばらくリヴィエールと出歩いてきなさいよ。ちょうど今怪物祭の前で、結構露店もやってるし」

「え、ソレって……」

 

レフィーヤが頬を赤らめる。親しい男女が祭りを回るという行動の名称が彼女の頭には浮かんでいる。しかしリヴィエールとアイズにはその名称は浮かんできていなかった。

 

「デートしてきなさいってこと」

『ーーーーっ!?』

 

アイズから湯気が上がり、リヴィエールも眉をピクリと動かす。昔から二人で遊ぶことは何度かあったが、デートという呼称を使った事はなかった。意識してしまったからか、アイズは真っ赤になり、リヴィエールも気恥ずかしそうな顔をしている。

 

「…………って言われてもな」

 

頬をかきつつ、息を吐く。アイズと出歩くとなると確実に目立つ。今まではティオネ達もいた為、顔を隠していてもロキ・ファミリアの構成員だろうとそこまで注目はされなかったが、二人きりとなると話は別だ。絶対に剣姫と親しげに歩くフードの男の正体は誰だという話になる。それは出来れば避けたい。

 

「なによ、リヴィエールはアイズとデートしたくないの?恥ずかしい?」

「まあそれもゼロとは………って、違うぞアイズ。そういう事じゃなくてだな」

 

ティオネの言葉を信じたのか、目に見えて落ち込む金髪の少女。ズーンと音が鳴るほど俯いており、頭には黒い靄がかかっている。

 

「恥ずかしいんだ……」

「だから違うって、あぁもう!」

 

躊躇した理由を説明する。多少落ち込みは改善されたが、拗ねたような仕草は治らなかった。

 

「なら二人だって簡単には気づかれないようにすれば良いんじゃん。丁度そこに仕立屋もある事だしさ。行こうよ二人とも」

「えっ、おいマジで……ああ、もう」

 

二人の手を引くアマゾネス姉妹。振りほどく事もできたが、それをするとまたアイズを傷つける事になりかねない。観念したリヴィエールは引かれるがままに仕立屋へと向かった。

 

 

 

 




最後までお読みいただきありがとうございました。ちなみに女の買い物に付き合わさたときに思う事ベストスリー
1.どっちでもいい
2.どうでもいい
3.じゃあ聞くなよ
です。ちなみに個人の感想ですので異論は受け付けます。
励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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Myth13 お嬢様と呼んでほしい!

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なんだよこの格好」

 

白髪の美男子が疲れたような表情で仕立屋から出てくる。黒を基調とした高貴な燕尾服に白の手袋、紺色のネクタイをつけ、果てはメガネまでかけている。加えて今は白髪。この格好を見てリヴィエールと気づく事はそうそうないだろう。

 

「うわぁ……素敵…」

「…………ヤバ、グッときた」

 

リヴィエールの姿を見て、惚けたような声をレフィーヤがあげる。前々から知っていた事だが、彼はこの手のピシッとした格好が異常に似合う。

 

「変装らしいけど……いったい何をテーマとしたファッションなんだか」

「執事です!!」

 

呟くような小さな声だったにも関わらず、聞きつけたレフィーヤが瞬時に反応する。その派手なリアクションにリヴィエールは若干驚く。

 

「あ……えっと……ティオネさん達からそう聞いてます…」

「…へー、ソーナンダ(棒)」

「いやー、我ながらいい仕事だわ〜。でも、メインはこれからよ。ねえ、アイズ?」

 

仕立屋のドアに隠れた令嬢がティオネに引っ張り出されてようやく姿を見せる。ヒュウと一つ、リヴィが口笛を吹いた。

 

純白の清楚なドレスにつばの広い帽子を被り、日傘を手に持っている。飾り気は控えめだがそれゆえに身に纏う少女の優美さが引き立っている。薄地のドレスのおかげで均整のとれた身体のラインが浮き出ている。日傘はアイズの顔を隠す小道具でもある。

 

「うわ〜、見たくなかった〜〜。綺麗すぎてへこむー……」

「こういう格好させると予想以上よね、二人とも…」

「ほ、ホントにお姫様みたいです……」

 

二人の変装はオラリオに遊びに来た貴族令嬢とその執事、というコンセプトだ。ふたりとも普段の印象とはまるで異なる姿だが、その凄まじく整った容姿のおかげで異常なほど似合っていた。

黄色い声がアイズを包む。どうしていいかわからないアイズはリヴィの背中に隠れ、彼を見上げている。

 

「…………あの……リヴィは……」

 

どう思う?そう聞こうとして、躊躇する。感想を最も聞きたい相手だが、聞くのが怖くもある。そんな不安が表情に出ていた。

 

ーーーーったく……

 

「よくお似合いですよ、お嬢様」

「…………っ!?」

 

耳元で囁いた声により、アイズの顔が一瞬で茹で上がる。クラリと立ちくらみを起こし、倒れた。

 

「っと……お、おい。大丈夫かよ」

 

抱きかかえる。似たような反応はルグにもされた事があるため、迅速な対応ができたが、まさか倒れるとは思わなかった。

 

「…………その格好でお嬢様は反則よ」

 

若干頬を染めたティオネがリヴィエールの頭を小突く。近くにいた彼女には聞こえていたらしい。レフィーヤなど耳まで真っ赤だ。

 

「じゃあ二人とも、デート楽しんできてね〜!リヴェリアには私から言っとくから」

「あ、アイズさんを泣かせたら許しませんからね!!」

「後はよろしくね、リヴィエール」

 

雑踏の中に消えていく三人を見ながら、溜息をつく。はっきり言って付き合いたくないが、今回の件ではロキ・ファミリアに借りができた。エリクサーの報酬に加えて、面倒な交渉を肩代わりしてもらった。おつり分くらいは、このデートごっこに付き合わなければならない。それにまだリヴェリア達の魔石の換金が終わるまでしばらく暇だ。

 

ーーーーまあ、あいつらといなくていい分、少しはマシか。

 

「行くぞ」

「うん……ねぇ、リヴィ」

「ん?」

「…………もう一回、お嬢様って呼んで」

「…………さあ、お手をどうぞ。お嬢様」

 

輝く金色の頭から再び湯気が上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日の大通りは活気で溢れていた。オラリオでは近く大きな祭りがある。皆その準備、もしくは一足先に露店などを開いているのだ。それでなくともオラリオのメインストリートは普段から焼き菓子や軽食の露店が多く並んでいる。この賑わいも世界最大都市オラリオの日常的な名物の一つだ。

 

その中でたった一つ、日常的と言えない人物たちが存在した。多くの一般市民が出歩く中、歩くだけで注目を集め、どよめきをもたらしている。

縁のないメガネにシックな燕尾服に身を包んだ美男子とその手を取り、隣を歩く純白の令嬢。顔は日傘とつばの広い帽子で見にくいが、纏う雰囲気だけでその美しさがわかる。

 

かつてアイズとリヴィエールは街を二人で歩くだけで注目を集めた。そしてそれは一年という月日が経とうと変わらない事だったらしい。

白髪の執事は嘆息した。コレでは変装の意味がない、とまでは言わないが、望まない状況なのは間違いない。

 

「…………昼食にいたしましょうか、お嬢様」

「う、うん…」

 

じゃが丸君の店が視界に入る。アイズの好物がじゃが丸君だった事を思い出す。そういえば昼も過ぎたというのに昼食を取っていない。何か腹に入れておくべきだろう。

 

「じゃが丸君小豆クリーム味。クリーム多め、小豆マシマシで」

「出たな変わりダネ…」

 

味の好みも1年前と変わっていない。一応店のメニューとして採用されているトッピングだが、この味付けを選ぶ人間をリヴィエールはアイズ以外に知らなかった。

 

「じゃが丸君は塩味が基本だろう。なんで甘くするんだよ」

「美味しいから?」

 

コテンと首を傾げながら答える。オヤジから商品を受け取り、かぶりつく。無表情が崩れ、ふわりとした顔つきになった。

 

ーーーーまあ本人が美味いならいいか…

 

自分はスタンダードなじゃが丸君を食べる。この味も1年前と変わらない。この世には変わっていいものと変わらなくていいものがある。アイズとじゃが丸君は後者だ。

 

不器用なかつての相棒を微笑ましく感じながら、二人はデートを続けた。

軽く食事を済ませ、目立つ事を避けるために歩きながら徒歩での談笑、催し物の見物を中心に行い、慣れてくると野外での競り市や音楽、踊りにも参加した。

ロクなステップを踏めないアイズを執事がリードする。この手の事はリヴェリアにみっちり習った為、体に染みついている。

 

ーーーールグと踊った時を思い出すな…

 

ヘタクソをリードする楽しみに興じつつ、祭り特有の熱気を楽しんだ。

 

日が傾き始め、世界が紅く染まりつつある時間となる。辺りも暗くなってきた。もう執事の演技をしなくとも大丈夫だろう。ネクタイを緩め、メガネを外す。念のため人気の少ない通りを選んで帰路へつく。

 

「リヴィ……疲れた?眠い?」

「ちょっとな」

 

自業自得ではあるが、昨日の睡眠時間も短かった。何度か欠伸を噛み殺していた事にアイズは気づいている。

 

「少し、休んでから帰ろう。あっち」

 

アイズが指をさした先には大きな教会があった。ヘスティアが根城にしているボロ教会ではない。しっかりとした大聖堂だ。フィリア祭が終わるまでは一般に開放されている。

 

「此処は……精霊を祀っているのか」

 

祀っているのが神ではない教会は昨今珍しくない。むしろ神を祀った教会は廃れているとさえ言える。ヘスティア・ファミリアのホームもその一つだ。今現在、本物の神が下界に降臨しているのだから、それも当然と言えるだろう。代わりに日常生活では、見る事がまずない精霊や既に死んだ英雄などを祀る教会がグッと増えた。この教会もそんな内の一つらしい。

 

ステンドグラスの前に大きな精霊像が奉られている。裏には英霊たちの名前が刻まれていた。どうやらこの教会は一柱の精霊だけでなく、多くの精霊を祀った聖堂のようだ。

 

ーーーーん?

 

アルン、サラマンドル、ドリアード、様々な精霊の名前が神聖文字で刻まれている中、一つだけ目を引かれた名前があった。

 

ーーーー…………アリア?

 

指で文字をなぞりつつ、その精霊の名前を呼ぶ。聞き憶えなどないはずなのに、何故かその名に目が吸い寄せられた。心臓が一つ鳴る。

 

ーーーー俺は……この名前を知ってる?

 

わからない。アリアともう一度呟く。すると今度は隣に立つ金髪の少女が脳裏をよぎった。

 

ーーーーなんでアイズが……

 

精霊となど何の関係もないはずなのに……

だが心が、魂が叫ぶ。この子を守れと。この子に祈りを捧げろと。それこそがお前の使命なのだと。目の前のアイズがステンドグラスの光により、神々しく照らされる。思わず見惚れた。

 

「リヴィ、座って」

 

木で作られた長椅子にアイズが腰掛ける。隣を叩いて座る事を促した。半ば夢心地の頭のまま、導かれるようにアイズの隣に腰掛けた。

 

「眠っていいよ?」

「は?」

 

無垢な金色の瞳が白髪の青年を覗き込む。きっちりと揃えた両膝の腿辺りをポンポンと叩く。

 

「ーーーーおい、まさか…」

「ここに寝て。座るところ、硬いから」

 

予想は的中した。膝枕で寝ろという事らしい。ぼぅっとした頭が少し覚める。

 

「誰にそんなの習った……ルグか?」

「ううん、コレはリヴェリア」

「何教えてんだあのハイエルフは……」

 

やんごとなき(笑)め、と憎々しげに心中でつぶやく。リヴィエールにとって、ルグ以外で最も美しく、尊敬している人物が彼女なのだが、同時に最も苦手な相手も彼女だった。遠縁とはいえ、血縁関係にある事も苦手度上昇に一役買っている。幹部三人の中で最も親バカ。そしてこちらの弱点を知り尽くしている。タチの悪さでいえばフィンやロキなど比べ物にならない。

 

「それは流石に……ハズいだろ」

「…………やっぱり恥ずかしいんだ」

 

デートに至る前のリヴィの言葉を思い出したのか、どんよりと沈んだ表情で呟く。言われてみればあの時のフォローをまだしていなかった。

 

「だから違うって。お前が恥ずかしいんじゃなくて、俺がハズいんだよ。その、ホラ、倫理的な意味で!」

「私、気にしないよ?」

「俺がするんだよ」

「…………いや、なの?」

「っと………その」

 

はっきり答えない事を肯定と取ったのか、再び沈み込む。このモードに入ったアイズは果てしなく厄介だ。普段主張しない分、こうなったら絶対に引かない。

 

「わかったよ………少し、借りる」

「ん…」

 

小さく頷く。リヴィエールはそっとその太腿に白い頭を乗せ、長椅子に寝る。

 

ーーーーうわ…

 

初めて感じるのだがどこか懐かしい感触が後頭部に当たる。膝枕など一体いつ以来だろう。最後にされたのがルグだった事くらいは覚えているが、それ以外は思い出せないほど昔の話だった。

 

「眠っていいよ。日が暮れたら起こすから」

「…………ああ」

 

不思議な安らぎと温もりに包まれながらそっと目を閉じる。遠征の疲れが今頃出てきたのか、意識はすぐに闇の中へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「昔は私が寄りかかってばっかりだったね………ううん、今もか」

 

小さな寝息をつくリヴィエールの頭をそっと撫でながらそんな事を呟く。

その顔つきはいつもの無表情だが、膝で眠る少年と同じく、安らぎの色が浮かんでいる事にリヴェリアなら気づくだろう。彼のこんな無防備な姿を見るのはいつ以来だろう。いつも隙の無い彼が自分にだけ時折見せてくれる無防備がアイズは嬉しかった。

 

「戦うときも、遊ぶ時も、いつも私を守ってくれた」

 

一緒に稽古をしたことも、遊んだ事も何度もあるが、先に疲れて眠ってしまうのはいつもアイズだった。彼の肩で眠った事はもう数え切れない。

 

「リヴィ、私ね……ホントはウソだったんだよ」

 

淡々と言いながら優しく白髪をすく。

 

「強いは怖いだって、私だって知ってる。でも強くなるためには仕方ないってずっと思ってて……私は平気なフリをして、大丈夫って言ってた」

 

でも違った。サポーターの人達に怖がられるのは悲しかった。戦姫なんて人に呼ばれる事も嫌だった。

 

「でもリヴィはホントの私に気づいてくれた。ホントは強くなんてない、弱い私を支えてくれた…」

 

弱かった自分に力をくれた。何度壁にぶつかった時もずっとそばで笑っていてくれた。

 

『何をしていてもリヴィの事が頭から離れない?もっと彼の事を知りたい?それはね、アイズ。とても素敵なことなんですよ?』

 

かつてルグが教えてくれたこの感情の名前。それが本当に自分の心にあるのか、あの時のアイズにはわからなかった。しかし今ははっきりと言える。わかる。この気持ちの正体を。言葉に出して言える。

 

「かあ……さん。ルグ」

「ーっ!」

 

一筋の滴が彼の頬を伝う。撫でていた手を退けるとアイズが見たこともない悲痛な……いや、最近一度、そして過去に一度だけ見た表情をしていた。

その涙をアイズはそっと拭う。

「リヴィも……いないんだよね」

 

母親は死んだと言っていた。そしてルグは1年前に失った。今の彼に家族と呼べる存在はもういない。

誰より強く、誰より努力を重ねてきた彼なのに、二度も大切な存在を失ったのだ。

 

「似てる、よね……私たち」

 

人と壁を作るクセも、言葉が足りないところも、戦う事でしか自分を表現できないところも。

 

ーーーー貴方は、一人じゃないよ。だからもう、そんなに頑張らないで……

 

ずっと近くで彼の努力を見てきたアイズはもう彼に頑張ってほしくなかった。仲間を持つ強さを彼は持っていないと言ったけど、そんな事はない。フィンも、リヴェリアも、なんだかんだ言ってロキも、そして自分も間違いなく彼の仲間なのだから。その事を知って欲しかった。頼って欲しかった。

 

「ゴメン……ゴメン」

 

白髪の剣士が謝罪を呟く。ああ、なんで彼が謝らなければいけないのか。この人は何も間違えてなどいないのに。誰より誇り高く、まっすぐな人だというのに。

 

「大丈夫……大丈夫……だよ」

 

白髪を再び優しく撫でる。いつもの無表情を僅かに崩して、微笑む。その甲斐あってか、安らかな寝顔に少し戻った。

 

「今度は私が貴方を守るから」

 

そして眠る青年の唇にそっと優しく唇を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た事があるようなないような、森の中を小さな黒髪の少年が走る。

 

かあさん!

 

突如少年の周囲を炎が覆う。少年の視線の先には二人の人影が炎の中にあった。

 

かあさん!ルグ!

 

影の名前を呼ぶ。走り出そうとしたが、黒い何かが自分を掴んで離さない。

 

待って!行かないで!もう一人は嫌だよ!かあさん!ルグ!

 

炎の中へと消えていく二人に手を伸ばす。しかし二人は歩みを止めない。

 

あの二人を殺したのは貴方よ、リヴィエール

 

耳元で何かが囁く。その瞬間、炎の色が黒く染まる。自分が扱う炎の色だ。幼い少年はみるみるうちに青年へと姿を変える。身体は逞しく、そして髪色は白く染まった。

 

貴方の力が足りないから、あの人達は死んだの

 

違う……

 

そう、違うわ。死んだのは、あの二人自身が弱かったから

 

黙れ…

 

それでいいのよ、愛しい混ざり物。弱者を斬り捨て、強さを嘆き、たった一人、孤高の道を歩きなさい

 

嫌だ…

 

悲愛と憎悪を力にして。嘆きの唄を歌いなさい。貴方はもっと美しくなる

 

知らない…

 

そんな貴方を私は……

 

「愛しているわ」

 

銀の光が彼を抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーーっ!?」

 

十数分後。

リヴィエールは目を覚ますと同時に飛び起きる。感触の余韻を楽しむ余裕はない。まるで誰かに奇襲を受けたかのように飛び上がった。

 

ーーーー夢、か……

 

「リヴィ、どうしたの?」

 

頬を赤く染めながらも、臨戦態勢に近い姿の彼に戸惑う。自分が感じる限り、敵の気配などは感じられなかったから。

 

ーーーー間違いない。あの視線だ。

 

夢の中に現れた銀の光。そして感じる全身を舐めるような、無遠慮な銀の視線。ぞくりと背中が泡立つ感触。

 

ーーーー外か!?

 

大聖堂から飛び出る。腰の剣の鯉口を切った。しかし周囲を見渡してもそれらしい影は見えない。

 

ーーーー…………?

 

視線が吸い寄せられる。見えるのは天高く聳え立つバベル。そこが気になって仕方がない。

 

ーーーーん?

 

裏通りで何かをしている連中がいる。何故か気になったリヴィエールは気配のする方向へと向かう。

そこにいたのはおそらく冒険者。大きな檻を大人数で運んでいる。檻には見知ったエンブレムが刻まれている。これは恐らく……

 

「ガネーシャ・ファミリア?あいつらこんな所で何を…」

「準備だと思う。ほら、怪物祭の……」

 

ーーーーああ、そういえば近いうちにあるとか言ってたな……

 

ついてきていたアイズがリヴィの独り言に答えを返し、納得する。あの視線の主はこの辺りにはいなさそうだ。速やかにこの場を去る事にする。

 

「帰るか。送ってくよ」

「うん、お願い」

 

人通りの少ない道を選びつつ、黄昏の館へと向かう。帰り道、二人の間に会話はなかった。アイズの沈黙は先ほど自分が行った行為の恥ずかしさによるものだった。そしてリヴィエールは、考え事をしていたため、何かを話すという余裕がなかったからだ。

先ほど感じた視線と怪物祭について、このふたつが何かの事件に繋がるのではないか、そんな事を考えていた。根拠はない。勘だ。人に話せば一笑に付される程度の根拠。それでも無関係とはどうしても思えなかった。そして彼のこの手の勘は外れた事がない。

 

ーーーー今の今まで、ガネーシャ・ファミリアの祭りなんて微塵も興味なかったんだが……

 

少し調べてみるか。

 

幸いな事に当てはある。ガネーシャには一人だけ友人がいる。彼女は信頼できる。生存報告も兼ねて、一度会いに行くべきだろう。

 

最近どん詰まりになっていた自分の歩み。派手に動けないため、宙ぶらりんになりかけていた復讐。それが今日、少し前進した事を7つ目の感覚は感じ取っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何事もなく、無事に黄昏の館へと戻った後、すっかり日が暮れ、空が黒く染まる中、リヴィエールは大きな布袋を肩に担ぎ、木造りの酒場へと歩いていた。

 

ーーーーやっと帰ってこれた

 

嘆息する。本当に長い1日だった。換金し終えたフィンから魔石の金と冒険者依頼の報酬をもらった後、リヴィエールはロキ・ファミリアのホームを後にした。

アイズやリヴェリアにこの後行われる打ち上げに誘われたが、今日はシルの先約があるため、また今度と断った。

 

「今度は、いつ会える?」

 

ネックレスを返しに来たアイズが不安そうな顔で尋ねた。出来ればもう当分会いたくはなかったが、この子相手にそんな事が言えるはずもない。もう一度、ネックレスを預け、また近いうちにと約束した。

 

豊穣の女主人裏口から店に入る。ここの一室を買い取ったリヴィエールはこの従業員専用入り口を使って自室に戻る事ができる。

 

「ただいま」

 

リヴィの自室に物はあまり置かれていない。それも当然だ。ゴチャゴチャと何かを買うタイプではないし、地上にいる期間も決して長くない。一年の半分以上はダンジョンに潜っていると言っていい。彼の部屋にあるのは簡素なベッドと机、そして金庫くらいのものだった。

1年前の事件の折、ここにルグ・ファミリアの金庫を預けた事がある。中の金を治療費と宿泊費として全てくれてやるつもりで置いていったのだが、そんな盗人みたいな真似が出来るかとミアにはっ倒された。

返してもらった自分の金庫だったが、くれてやったつもりの物をもう一度もらう気にもなれなかったリヴィは設えた自分の部屋に金庫を置く事で手打ちとした。

あのボロ教会に置いているよりはセキュリティとしても安全だし、地上での寝泊まりはほぼここでやっているリヴィにとってはここに置いている方が何かと都合がいい。

ヘスティアの借金返済分の金は既にファミリアに置いてきた。ロキ・ファミリアの交渉力のおかげで当分は借金を気にしなくていいぐらいの額になっている。コレでヘスティア・ファミリアにおけるビジネスはとりあえず終わりだ。

 

「…………さてと」

 

燕尾服から普段の和装に着替える。客としてこの店に入るのならあの格好ではいられない。滅多な事ではばれないとは思うが、それでも眼鏡をかけただけの姿が変装になるとは到底思えない。狭い空間で大人数の前に姿を表すなら、顔を隠したいつものスタイルでなければ。

 

フードをかぶり、裏口から出る。少し遠回りをして、豊穣の女主人に客として来店した。

 

「いらっしゃいませ……あら、リヴィ、じゃなくてウルスさん!お待ちしてました!」

 

来客の姿を見て、真っ先にシルが反応する。奥の方にいたにもかかわらず、あっという間に喧騒の合間を縫って目の前に現れた。

 

「シル。気をつけろよ」

 

コツンと頭を拳で小突く。いくら顔を隠していても、こんな大勢の前で名前で呼ばれてはたまらない。だからこの場では彼をウルスと呼ぶ事を店員たちには徹底させている。しかし付き合いが長い弊害か、時々今のように間違われそうになる事がある。

 

「テヘ、ごめんなさい。いつものお席でよろしいですか?」

「ああ」

「かしこまりました。一名様入りまーす!」

 

自然な動作で腕を絡めてくる。彼女のこの手の行動にはもう慣れてしまった為、咎める気にもなれない。腕を引っ張られながら、彼の指定席であるカウンターへと案内される。

 

「よう、来たね。何にする?」

「いつものとツマミを適当に」

「あいよ!」

 

ミアに注文を頼む。果実酒はすぐに出てきた。グッと煽り、今日1日の疲労とストレスを流し込む。

 

「ははっ!相変わらずいい飲みっぷりだねぇ!メシの方もすぐに用意してやるからたっぷり頼みなよ!」

 

すぐに次の酒を用意するようにウェイトレスに指示を飛ばす。次第に豊穣の女主人に活気があふれてくる。

ドワーフが豪快に酒を流し込み、獣人がメシをかっ食らい、ファミリアの子供達が種族を超えて飲み比べをしている。そして、冒険者ばかりの店内に華を添えるウエイトレス。見慣れた豊穣の女主人の夜の姿だ。

 

「オラよ、いつもの!それと今日のオススメだ。じゃんじゃん料理出すから、じゃんじゃん金を使ってってくれよ」

「頼んでないものは出すんじゃねえぞ」

 

このドワーフは放っておくと食い切れない量の料理を頼んでもいないのに勝手に出してくる。この店で食事をするときは、ミアに釘を刺しておく必要があった。

 

「今日はロキ・ファミリアの所で世話になると思っていたのですが…本当に来たんですね」

「リューか」

 

新しい酒を持ってきたリューが隣に腰掛ける。逆隣にはいつの間にかシルが座っている。

 

「仕事は?」

「キッチンは今戦場ですが、給仕は今の所問題ありません」

 

チラリとミアに視線を送る。するとやれやれと言わんばかりに一度頷いた。

 

「それでは、貴方の遠征の成功に」

「お店の料理とお酒に」

「これからの未来に」

 

『乾杯!』

 

 

 

 

 

 

 

 




お気に入り登録千五百件突破しました。読者の皆さま、ありがとうございます。千五百件突破を記念しまして番外編を書こうかと思っています。詳しい内容は活動報告で書きますが、まだ誰をメインヒロインにするかを決めていません。キャラごとにストーリーが違いますのでもしリクエストがあればよろしくお願いします。それでは必ず返信いたしますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです


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Myth14 違う貴方を消さないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜の闇の中、誰も通らないような暗い路地裏。怒りに染まった疾風が文字どおり風の速さで駆け抜けている。

この時、オラリオでは一つの事件が起こっていた。

 

正義と秩序を司る女神、アストレア。彼女のファミリアは、迷宮探索以外にも、都市の平和を乱す者を取り締まる自警団としての活動も行っていた。

その活動内容は清廉潔白の一言。弱きを助け、悪しきを挫く。まさに正義と断罪のファミリアであり、暗黒期を迎えている現在のオラリオにとって弱者の希望であった。

しかし、光があれば闇がある。多くの感謝を集めると同時に、アストレア・ファミリアは多くの恨みをも集めていた。

そして起こるべくして悲劇が起こる。

 

アストレア・ファミリアの崩壊である。

 

敵対ファミリアにダンジョンで罠に嵌められ、一人の団員を除き、全滅。生き残った団員は、自らの主神を都市の外へと逃がし、復讐へと身を投じた。

その団員こそがリュー・リオン。疾風の異名を持ち、事あるごとに剣姫と比較の対象とされた、オラリオでも指折りの実力者である。

彼女は仲間を失った私怨から仇であるファミリアを一人で壊滅させた。

闇討ち、奇襲、罠、怒りの疾風の手段を厭わない襲撃に晒され、敵対ファミリアは壊滅した。

しかしそれでも復讐の風が止むことはなかった。

与する者、関係を持った疑いのある者、疑わしき全てを罰しようとしたのだ。

聡明な彼女はそれを行った後に我が身に降りかかる惨状を理解していた。正しい復讐の道を違えることで、さらなる怨嗟を買い、今度は自分が復讐される側に回ってしまうかもしれない事も。しかし、嘆きに堕ちた彼女に自身を止める事はできなかった。

 

ーーーーっ!?

 

急激なブレーキがかかる。今宵初めて、緑がかった金色の風が止まった。

 

「今夜は風が騒がしいな」

「…………リヴィエール」

 

闇の中にあっても尚、存在感を示す艶やかな黒髪。光る緑柱石の瞳に砂色のローブを纏い、黒刀を腰に差した剣士が路地裏から姿を見せた。

 

「流石ですね」

 

苛立ち混じりに感嘆の声が上がる。邪魔をされる怒りもあったが、同時に賞賛する。奇襲を仕掛けるためにかなり遠回りをして目的地へと向かっていたにも関わらず、こちらの動きを完璧に読んで見せた彼への賞賛が苛立ちを少しだけ上回った。

 

「あなたを巻き込むつもりはありません。退いてください」

「…………どうやら今宵の風は泣いているようだ」

 

緑柱石の瞳に悲しげな色が混ざる。憤怒のリューとは対照的だ。

 

「そんな怖い顔をするなよ、リオン。俺はお前の風は好きだが、そんな悲しい音色は聞きたくない」

「退いてください」

 

一切の言葉を無視して、たった一つの願望を述べる。黒髪の剣士はゆっくりと首を振った。

 

「どうしても行く気か」

「はい」

「此処にいられなくなるぞ。ギルドのブラックリストに載るぞ。それでもか」

「はい」

 

空を仰ぐ。こんな事、言わなくてもわかっていた。理性的な狂気ほど厄介なものはない。すべてのリスクを承知した上で、それでも止まらないのだから。

 

「お前が誰かの夫を斬れば、その妻はお前を恨む。お前が誰かの友を殺せば、その友はお前を憎む。そしてお前がその恨みに殺されれば、俺はそいつを恨むぞ、憎むぞ!こんな簡単な連鎖がなんでわからない!」

「…………っ!?」

 

初めて、リューの中で迷いが生じる。理性で止まれないのなら、感性で止めるしかない。情に訴える方法を取ったリヴィエールは正しい。

 

「だからって、このまま黙っていろというのですか!私が耐えればその連鎖は止まる?確かにそうかもしれません。しかし私はそこまで出来た人間ではありません!」

「そんな事は言ってねえ!斬り合うだけが復讐じゃない。他のやり方があるはずだ。血を流さなくても、連鎖を止める方法が。アストレアもきっとそれを望んで…「うるさいっ!!」

 

ーーーーわかってますよ、そんな事は……

 

全てわかっている。だけど……

 

復讐(コレ)以外でどうやって仲間達の無念を……この黒い塊を晴らせっていうんですか」

 

胸を握りしめながら、歪む整った双眸。気持ちは痛い程わかる。けれど、それでも止めないわけにはいかない。

 

「お前と出会ってから、俺は楽しかったよ。一緒にダンジョンに潜って、戦って、稽古して、アイズと三人で冒険して、バカや無茶やって……楽しかった。お前はそうじゃないのか?」

「……………………」

 

ーーーー楽しかったに、決まってるじゃないですか…

 

違うと言えれば簡単だった。しかし、否定するにはその真実は眩しすぎた。

真面目すぎると仲間からも言われ、なんでもやり過ぎてしまう自分について来れる者など今までいなかった。友人はいても、隣に並んで立つライバルはいなかった。

しかし、オラリオに来て初めて、隣に立つどころか、自分より遥か先を走る剣聖に……そして、ともに彼の背中を追いかける剣姫(ライバル)と出会い、全てが変わった。

対等の仲間との冒険の日々。

辛い思い出もあった。なにかと大雑把なリヴィエールとは何度も喧嘩になったし、彼に甘やかされるアイズとぶつかった事もあった。

しかしそれだけではなかった。冒険の中で、高く分厚い壁に遮られ、、膝をついた事もあった。それでもどんな壁であろうと三人で突破してきた。やり遂げた時の達成感、苦労を共にした仲間と交わすハイタッチの快感、自分達なら出来ない事はないとさえ思えるあの心の昂り。煩わしさを超えた幸せがあった。否定できるわけがない。

 

「お前と冒険できなくなる。お前と喧嘩出来なくなる……俺はイヤだぞ。そんなの」

 

ーーーー私だって……

 

そう言えたらどれほど楽だろう。しかし生まれ持った彼女のプライドが、他人に厳しさを求めるが故に、己にはさらに厳しくある誇り高い精神が、それを言語にする事を拒んだ。

 

「…………どうでもいいですよ、そんな事」

 

口をついて出てしまったのは想いとはまるで逆の言葉。振動が耳に届いた瞬間、リヴィエールの悲しみの色はさらに深まった。

 

ーーーーああ、違うんです、リヴィエール。そんな事少しも思ってないんです。

 

「貴方はただの冒険者。その実力の高さからお互い手を組んだに過ぎません。そうでしょう?」

 

言いたくない言葉が出てしまう。エルフの誇りが、彼女に甘えを許さない。彼の目から悲しみが消えた。同時に諦めと失望が灯る。

 

腰の剣に手を伸ばす。もう止まれない。もう嫌われたのだ。なら、もう……

 

「最後です。退きなさい、暁の剣聖(バーニングファイティングソードマスター)。さもなくば貴方といえど……」

 

あえて彼が嫌う呼び方で彼を呼ぶ。もう嫌われたのだ。こうなったらとことん嫌われてでも構わない。彼を自分の薄汚い復讐に巻き込みたくない。

 

ーーーーお願い、退いて、リヴィ。嫌われても良い。だからせめて貴方と戦わせないで…

 

震える手に想いが篭る。届かなかったのか、それとも届いた上でか、黒髪の剣士も腰の剣に手を掛けた。

 

「お前を止めるよ、疾風のリオン。お前のために。そして俺のために」

「リヴィエェエエエエル!!」

 

その絶叫は咆哮にも、嘆きにも聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外套を着たエルフが路地の狭い道の上で地に伏している。黒髪の剣士は鞘に刀を納めつつ、荒く息を吐いた。

 

「気は済んだか」

 

にじむ汗と額に流れる血を拭う。流石の剣聖も捨て身の疾風相手に無傷とはいかなかったらしい。

 

「強い……ですね。本当に」

 

ーーーー心も、身体も。なにもかも

 

全力で撃ち合い、そして打ちのめされたリューの心には、復讐を止められた怒りは不思議とない。それどころか爽快感さえある。彼と戦うときはいつもそうだった。加減を知らない自分が、全力を尽くしても、それでもなお届かない存在。加減をしなくて良いという事がこれほどの歓びであったということを教えてくれる唯一の人。

 

ーーーーもしかしたら、私は……

 

不思議な爽快感の中でリューは思う。冒険者でいられなくなるリスクも、ブラックリストに載る危険も全て承知の上で止まらなかったのは…

 

ーーーー誰かに……いや、彼に止めてもらいたかったのかもしれませんね。

 

彼ならば自分を止めてくれると、無意識のうちに期待していたのかもしれない。そしてその期待に彼は十全に応えてくれた。胸の中の真っ黒な憎悪の塊を晴らしてくれた。愚かな自分の凶行を止める言い訳を作ってくれた。

 

「ーーーーっ!?」

 

穏やかな気持ちで伏していたリューの体から重力がなくなる。いや、正確には働いているが、それ以上の力が彼女を持ち上げたのだ。

 

思考が再起動したリューは己の状況を把握する。いつの間にか仰向けにされた自分は肩と膝の裏を掴まれ、持ち上げられている。

 

要するにお姫様抱っこだ。

 

「リリリリリヴィエールっ」

 

慌てて離れようとする。が、全身を襲っている全力戦闘による疲労感のせいで体にうまく力が入らない。そんな力で彼をひきはがせるはずもない。下手に暴れたせいで、彼の胸元に顔を突っ込んでしまう。同時に、暴れるなと言わんばかりにリューを強く抱きしめる。

全身で彼の温もりを感じ、溢れる戦う男の匂いがリューの鼻腔を満たした。もう身動き一つ取れない。

 

「ここまでやらなきゃ止まらねえのかよ。賢いバカってのはホントめんどくせえな」

「…………随分と私には厳しいですね。剣姫の時と違って」

「そりゃお前がバカだからだ。アイズがお前と同じ事したら、俺はアイズも叩きのめしたよ。俺たちはそういう関係だろう」

 

アイズ、リュー、そしてリヴィエール。三人とも才能溢れる剣士だ。彼らを剣で止められるものなどオラリオでは彼ら自身しかいない。

 

「道を間違えそうになったら剣で殴りつけて正しい道に戻す。だから俺たちは曲がらねえ。フラフラしながらでも、ちゃんとまっすぐ歩いていける。お前は好きに生きれば良い。やりたいようにやればいいさ。その道が間違っていたら俺は何度でもお前の前に立ってやる。何度でもお前の全力を受け止めてやるよ」

「リヴィエール……」

 

緑柱石の瞳がこちらを見下ろす。優しさと凛々しさを併せ持つ目が交差した。

 

「そんな奴、この広い世界でもそう簡単に見つけられねえんだよ。俺たちみたいな特別な奴は特にな。俺たちは幸せ者だぜ、リュー。そんな最高のライバルを人生で二人も得られたんだ」

 

彼の笑顔に胸が締め付けられる。声が喘いだ。呼吸が辛い。

 

「ここからは俺に任せろ。心配するな。俺もこのまま終わらせる気はねえさ。連中にはキッチリと落とし前をつけてやる」

 

目に戦意の炎が宿る。何かに挑む時の、彼の真摯な目。彼の熱がリューは好きだった。

 

「あとテメエ、さっき俺の事二つ名で呼びやがったな?その事についてもしっかり落とし前つけるからな」

「…………覚えてたんですか」

 

ピンポイントな記憶力に感心しつつも呆れた。心に余裕ができたからか、ズンッと急に頭が重くなる。考えてみればここ数日ろくに眠っていない。加えてこの死闘。限界などとっくに超えていた。疲労を自覚した頭が意識を奪っていく。

 

「俺が間違えそうになったときは、今度はお前が俺を殴ってくれよな」

 

薄れゆく意識の中で彼の声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

豊穣の女主人、夜の酒場で、リヴィエールが料理に舌鼓を打っていると途中でシルが席を立つ。朝の内に勧誘した客が来たそうだ。豊穣の女主人の給料は基本給に加えて、歩合制がある。金を多く落とす客を個人的に招待すると給金が上がる。今日のシルの哀れな生贄一号がリヴィエール。そして先ほど二号が来た、という事らしい。

 

「こんな奥にいたのによく来客がわかるな、あいつ」

 

エールを少しずつ口に運びながら、感嘆の息を吐く。既に店はかなりの喧騒に包まれており、入り口の辺りなどこの位置からでは人のカーテンでほとんど見えない。団体客ならともかく、個人の来店などリヴィエールをもってしても難しい。

にも関わらず、鈍色髪の少女は来客をいち早く察し、接客へと向かったのだ。

 

「シルは超人ですから」

 

ふふんと言わんばかりに形の良い胸を張る。シルやリヴィエールの事を語るリューはいつも少し自慢げだ。

 

「あ、美味い」

 

先ほど頼んでもいないのに持ってこられたパスタを口にして、驚く。自身の得意料理であったため、期待していなかった分、嬉しい誤算だ。

 

「本当……ですか」

「ああ、ちょっと麺を茹ですぎだが、よく俺の好みの味に似てて……これ、誰が作った?」

 

フォークにパスタを絡めながら問いかける。茹で具合からミアでないのはわかる。しかししばらく待っていても返事が返ってこない。視線を向けてみると頬を染めて俯いている。

 

「………おい、リュー。コレ誰が……」

「その子だよ」

 

答えないリューの代わりにカウンター越しから返事が来る。は?と思わず間の抜けた声が出た。

 

「だからその子が作ったんだよ。そのパスタは。アンタのレシピを隣で見ていたリューが、ね」

 

人が言葉を問い直す場合は大きく分けて2パターン。聞こえなかった時か、聞こえた事実が信じられない物だった時の二択に分けられる。そして今回は後者に当たる。

 

振り返る。視界に入ったのは真っ赤になって俯いているリュー・リオン。もじもじとさせている指には幾つものバンテージが巻かれている。

 

ーーーー昨日の夜からなんかケガでもしたのかと気にはなってたが……

 

きっと練習したのだ。俺がダンジョンに潜っていた二週間で、あの料理に関しては壊滅的に不器用な彼女が、あの細い指を何度も傷つけて…

 

「リュー」

「…………なんですか」

 

何を言うべきか、少し迷った。褒めるべきか、揶揄するべきか、この空気を入れ替えるためにはどうするのが正しいのか。考えた上で、一度頭を振った。パスタを口に運ぶ。

 

「美味いよ、ありがとう」

 

考えた末に出た言葉はコレだけだった。元々気の利いた事をペラペラと喋れる人間でも無い。その必要も二人には無い。下手な言葉を重ねるより、ただ、思った事と感謝を言えば、それでいい。それだけでリューなら全て伝わるはずだ。

 

「…………貴方の気持ちが少しわかりました」

「…………?」

「嬉しい……」

 

緑がかった金色の髪のエルフが頬を朱に染めつつ、照れ臭そうに口元を隠す。隙間から緩んだ頬と弧を描く口角が見えた。要するににやけているのだ。

 

初めてルグと二人で、自分が作った料理を食べた時の事を。あの時、自分もきっと彼女と似たような顔をしていた事だろう。

二人ともしばらく無言で食事を続ける。喧騒は変わらず辺りを包んでいるけれど、まるで世界に二人きりになったかのような錯覚に陥った。

 

こうして二人でいると改めて思う。この子の復讐を止められて良かったと。

かつて復讐の炎に焼かれた彼女を止めたのは自分だった。リューと本気でやり合ったのは初めて出会った時と、あの時の2回きり。あの夜、彼女の復讐を止められて本当に良かった。リューは人に厳しく、自分にはさらに厳しい。敵より自分を責めるタイプだ。たとえ復讐を成し遂げても、彼女はきっと己を責め続け、血に塗れた自分の手を後悔し続けただろう。そうなっていては、きっともうこのように二人で食事することなど出来なかったはずだ。

 

ーーーーそして、俺も……

 

数年の後、同じ傷を負ったリヴィエール。本来であれば、修羅に落ちようと、外道に身をやつそうと、果たさなければならない復讐。それでも思いとどまっているのはリューが隣にいてくれたからだ。同じ傷を負った彼女が耐えさせたのに、一体俺に何が出来るだろうか。

 

『いけません、リヴィエール。そんな事をルグ様はきっと望んでおられません』

『なら私を倒して行きなさい。言っておきますが今の私は強いですよ。この強さは貴方が教えてくれたものですから』

 

目覚めてから、そんな言葉をずっと掛けてくれた。リューを相手に勝てないと思ったのは後にも先にもあのとき限りだ。

 

ーーーー修羅として生きるなら今の俺は間違っている。だがルグの眷属としてはリューが正しい

 

同じ彼女が俺を止めてくれた。強い言葉で、真摯な姿勢で。そして愛で。残った傷を癒すことはできなかったが、それでも傷を舐め、痛みを薄めてくれた。

だからこそリヴィエールは安易な凶行に走らない。冒険者を続けながら、ダンジョンに手掛かりを求めて戦い、しかるべき場でしかるべき罰を降す為に、強くなっている。

 

ーーーーでも、少しヤバイな

 

最近の自分を省みて、そう思う。危機感はアイズ達と再会してからずっとあった。ロキ・ファミリアの連中と距離を取っていた理由の一つに、怒りが風化してしまう事を恐れていたという事がある。

なんだかんだと言いながら、リヴィエールは連中が嫌いではない。共にいると楽しい。彼らは大切な友人だ。

しかしその居心地の良さが、あの眩い時間が、俺の黒い炎を消してしまいかねない。実際その通りになっている。本来であればいくら交渉で世話になったからとはいえ、お忍びデートなんてこと、少し前のリヴィエールならありえない事だ。

 

「リヴィ……」

 

不安げな声が隣から聞こえ、手が温もりに包まれる。眉を寄せたリューがこちらを見上げていた。どうやら難しい顔をしていたらしい。眉間を指で二、三度擦る。

 

「何を考えているのかはわかりませんが、そんなに思い詰めないで。貴方はやりたいように生きれば良い。ルグ様もきっとそれを望んでおられます」

「やりたいように……か」

 

かつて自分がリューにかけた言葉だ。相手を想った真摯な本音。しかし今のリヴィエールに、その言葉は少し虚ろに響く。

 

「俺は……今何がやりたいんだろうな」

「リヴィ?」

 

ルグがいなくなって一年。やってきた事は治療と鍛錬と探索。かの事件について、進展は全くと言っていいほどない。見ようによっては無駄な一年を過ごしたかのようにさえ思える。

 

ーーーー強さを求めて……戦って……もう失わない為に強くなったのに、結局俺はまた全て失った

 

今は雌伏の時と言い聞かせつつも、出口の見えない旅に疲れ始めていた。そんな折に加えてのあいつらと再会。俺の炎はまた小さくなった。今の俺はルグの眷属としても、復讐者としても、実に中途半端な立場になってしまった。

 

「諦めるか……」

 

言ってみてゾッとした。何を馬鹿な事を言ってるんだ俺は。まだ見ぬ仇が、この先のうのうと生きていくのを許すっていうのか。それを俺は居心地の良い場所で見知らぬふりをするのか?

冗談じゃない。八つ裂きにしても足りない怨敵がどこかにいるのは確実なのだ。たとえ修羅にはならずとも、相応のケジメをつけさせなければ。黒幕の企みを全て明らかにし、万人の前にひれ伏させる。ルグの眷属を名乗るなら最低でもそこまではしなくてはならない。

 

「リヴィ、また怖い顔をしていますよ」

「…………なあ、俺って一体何なんだと思う?」

 

質問の意図がわからなかったのか、不思議そうに首をかしげる。続けた。

 

「楽士、冒険者、魔法剣士、ルグの眷属、復讐者、どれも俺だ。でも俺の中には決して相容れないような俺もいる。一体どれが本当の俺だと思う?」

 

あの時、リヴィエール・グローリアという人間が粉々に砕け散ってから一年が経った。少しずつ破片を取り戻して行き、様々な感情を取り戻していった。しかし今までと違って組み立てがうまくいっていない事が自分でわかる。それも当然だ。壁にぶつかり、心や身体がバラバラになっても、ルグの眷属の誇りが彼の真芯にあった。その軸を頼りに何度も立ち上がってきたのだ。しかし今はそれがない。彼の芯と言えるものが崩壊している。

再び築き上げる作業はしている。しかし芯のない今の自分は築くたびに崩れる砂上の楼閣。昔の自分のカケラさえ取り戻せてはいない。今、彼が信じているのは卓越した剣腕と膨大な魔力量くらいのものだった。

 

「…………それを決められるのは、きっと貴方だけだと思います」

 

数十秒、逡巡した上で返ってきたのはそんな言葉だった。判断から逃げたとも取れる発言だが、決してそうではない事がリヴィエールには分かった。

 

「初めてですね。きっと」

 

リューの口元には笑みが浮かんでいた。こちらを慈しむような慈愛に溢れた笑み。添えられた手に力がこもった。

 

「貴方がそんな風に心根を述べてくれたのは」

「…………俺、お前に嘘ついたこと無いつもりだったんだけど」

「けど貴方の心の柔らかい所に触れたことは多分なかったと思います」

 

人を評するときも、関わるときも、彼が偽りを纏ったことは無い。それはよく知っている。けど、弱い所も決して見せない。いつも強さを纏い、凛々しく、誇り高い。悩みなど絶対に見せない男だった。

 

「そしてそんな風に悩んでいるのも、貴方にとって初めての事ではありませんか?貴方はいつも即断即決の人でしたから」

「…………そんな事はねえよ」

 

迷ったこともくじけたことも何度もあった。人に見せないように振る舞うのが上手かっただけだ。

 

「リヴィ、確かに貴方は戦士で、冒険者で、ルグ様の眷属で……復讐者なのかもしれません。けどその前に、貴方はリヴィエールでしょう?」

「リュー……」

「貴方がリヴィエールでいてくれたから、貴方が守ってくれたからこそ、私は今、ここに居られるのですから」

 

白髪のハーフエルフにそっと寄り添う。今なお大きく残る傷跡を少しでも癒そうと。

 

「悩んでいいんですよ、リヴィ。好きなだけ悩んで、迷って、貴方の手でその答えを得てください。相反する自分を無理に否定する必要なんてないんです。負の感情もまた紛れもなく貴方の一部なのですから。たとえどんな道を選んでも、私が貴方を剣で殴りつける事となっても、私は貴方の味方ですから」

 

ーーーー味方…か。

 

耳慣れない言葉だ。彼に仲間と言える存在は少ない。誰かを頼るという事もあまりしてこなかった。長い間、信じられたのは、裏切らないのは、自分の力だけだったから。

 

「私達はそういう関係でしょう?」

「…………そうだったな」

 

かつて彼女に言った言葉を思い出す。復讐に身を焼かれ、道を踏み外しそうになったリューを自分は蹴飛ばして正しい道へと無理やり戻した。そして今度はリューが自分に寄り添う事で迷いながらも、間違った道に進む事はしないでいられている。

 

性格も、過去も、誇りもよく似ている彼女の言葉だからこそ、心に響き、共感する事ができた。

 

「ありがとう、リュー。お前に会えて、良かった」

 

肩を抱き寄せる。人前で身体を寄せ合う事を嫌うリューにしては珍しく、なんの抵抗もなく腕の中で彼に身体を預けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからしばらく、二人の間に会話はなかった。元々饒舌な方ではない二人にとって、言葉の無い時間というのは決して珍しく無い。しかし辺りに漂う桃色の空気と美しいエルフを独り占めにしているリヴィに対する酔客の視線が濃くなるにつれ、流石に居心地が悪くなってきた。

 

「わ、私、そろそろ給仕に戻りますね」

 

さて、どうするかと悩み、エールを流しこんでいると、先に耐えられなくなったリューが席を立った。いってらっしゃいと手を振る。笑顔で頷き、厨房へと入っていく。

 

「あ、あの…お隣、よろしいですか?」

 

隣から遠慮がちな声がかかる。どうやらシルが迎えに行っていた客が案内されてきたらしい。ああ、と頷こうとし、来客を見ると同時に緑柱石の瞳が見開かれた。隣に座ろうとする少年は、リヴィにとって記憶に新しい人物だった。

 

「あ!貴方は……」

「白兎君……たしか名前は……」

「べ、ベル・クラネルです!昨日はホント、すみませんでした!」

 

気をつけをして立ち上がったと思うと、腰を90度に曲げて頭を下げる。唐突な謝罪で呆気にとられていると、頭を下げたまま、続いた。

 

「剣聖の事、エイナさんから色々聞きました。僕なんかじゃ想像も出来ないような体験をいっぱいされてるのに、人生楽勝なんてバカな事言って……」

「い、いや……別に」

「それに、助けてもらったお礼もロクに言わないで……逃げたような態度ばっかり取って……本当にすみませんでした!」

「も、もういいって。わかったから、あんまデカイ声で剣聖とか言わないでくれ。俺の事はココではウルスと呼べ。ほら、頭も上げろ」

 

さっきから周りの注目が集まりつつある。これ以上はマズイ。

 

「でも……」

 

申し訳なさそうにこちらを見上げてくる。その姿は本当に白兎のようだ。

愚直で不器用で臆病。少しアイズに似てる。

笑みがこぼれる。今日、一日中あいつに付き合わされたからか、この子に冷たくする気にはなれなかった。

 

「俺も昨日は突然あんな態度取って悪かった。ほら、コレでもう手打ちにしようぜ」

 

ミアに頼んでおいたエールをベルの前に出す。一杯付き合ってチャラにしようという事だ。その意図はしっかり伝わったらしく、遠慮がちにしつつも、ジョッキを手に取った。

 

「なんだい、シルのお客さんはアンタの知り合いかい?」

「先日ファミリアに入団した子だ」

「べ、ベル・クラネルです!」

「ははっ、ウルスの知り合いにしては可愛い顔したボウヤだねえ!」

「ほっとけ」

 

荒っぽい連中と関わり合いになる事が多いリヴィエールは確かに可愛い感じの知り合いというのは少ない。異性なら何人かいるが、事同性となると、フィンくらいのものだろう。ふてくされたようにジョッキを煽る。

不快な感情はベルにもあった。彼には自分の容姿に若干コンプレックスがある。充分に整っていると言える顔立ちだが、背も低く、童顔のベルは実年齢より下に見られる事や子ども扱いをされる事が頻繁にあった。自分でも自覚しており、その事を気にしている。

そんなベルの理想の容姿と言えるのが隣に座る彼のモノだった。背も高く、足も長いが、決して大きすぎるというわけではない。むしろ線は細い印象さえ受ける。凛々しく、端正な顔つき。涼しげな目元。まるで神様が作ったかのような造形。人というより、精緻な芸術品や彫刻といった表現が似合う美青年。

 

「アタシ達に悲鳴を上げさせるほど大食漢なんだそうじゃないか!じゃんじゃん料理を出すから、じゃんじゃん金を使ってくれよぉ!」

「!?」

 

リヴィエールの横顔に見惚れて、ボーッとなっていた頭が一瞬で覚めた。

 

「ぼ、僕いつからそんな大食漢になったんですか!?僕自身初耳ですよ!?」

「……えへへ」

「お前か……」

 

給仕をしつつ、二人のそばをウロついていた少女が舌を出す。見慣れたあざとい仕草だ。これをする時は大抵悪巧みをしている時だ。

 

「その、ミア母さんに知り合った方をお呼びするから、たっくさん振る舞ってあげて、と伝えたら……尾鰭がついてあんな話になってしまって」

「完全に故意じゃないですか!?」

「私、応援してますから!」

 

懐にそこまで余裕のないベルは必死になって撤回を求める。また騒がれてはかなわないと思ったリヴィはベルに落ち着け、と言い、座らせた。

 

「金の事なら気にするな。今日は俺が持つ。ミア、適当に頼む。こいつの分もな」

「あいよ!」

 

絶対言われる前から出すつもりで作ってただろという早さで料理がカウンターに並ぶ。そのあまりの量にリヴィですら苦笑が漏れた。

 

「今日のおススメ……850ヴァリスッ!?」

 

メニューに書かれた値段を見てひっくり返った声を上げる。ここの値段はかなり割高な事を知らなかったらしい。

 

「気にするな。遠慮しないで食え」

「で、でも……」

「ぎゃーぎゃー騒がれたら俺が困るんだよ。団長命令だ。黙って奢られろ」

 

ジョッキを差し出し、掲げる。遠慮がちにジョッキを手に取り、それを軽くぶつける。

 

「自己紹介がまだだったな。俺はリヴィエール・グローリア。これからよろしく。クラネル」

「はい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。多くの方にご指摘されている通り、未だブレブレな剣聖ですが、怪物祭を終えたくらいからしっかりさせるつもりなのでもう少し緩い目で見てやってください。それとお気に入り登録1500件突破記念の番外編ですが、活動報告でアンケートを取ったのですが、あまり求められていなさそうでしたので掲載はとりあえず保留とさせていただきます。引き続きアンケートは募集いたしますので宜しくお願いします。感想欄で書いていただいても結構です。ヒロインごとのストーリーのあらすじを記載しますので、どの物語が読みたいか、ご意見ご要望をお聞かせください。
以下が番外編のあらすじとなります。

ルグストーリー
イチャイチャ温泉旅行回
ウォーゲームで勝利したルグ・ファミリア。格上ファミリアを打ち倒し、屋敷と纏った金を手に入れたルグはリヴィエールと旅行に行きたいと言い出した。特に異論もなかったリヴィエールはその頼みを快諾。旅行先は都市外の温泉地だった…

2.リューストーリー
悪徳企業をぶっ潰せ!
圧政に苦しむ人達を救ってほしい。
とある都市から一人の女性が逃げ込んできたある日、アストレア・ファミリアの噂を聞き、彼らに助けを求めた。求めに応じたいアストレアであったが、その都市で起こっている悪事は規模が大きく、解決にはそれなりの勢力を必要とする案件だった。オラリオも現在、治安の悪い状態である。自分の勢力をあまり割くことが出来ない状況にある。そこで、アストレアは自分のファミリアの中で随一の使い手を派遣し、リヴィエールに同行を依頼する事にした。依頼された当初は断ったリヴィエールであったが、黒幕と思われる人物の名前を聞き、依頼を受諾した。果たして、彼の態度を一変させるような黒幕とは一体……

3.リヴェリアストーリー
家族になろうよ
魔導士として、リヴェリアに弟子入りしたリヴィエール。修行のため、都市外の僻地へと出る事となった。修行の日々を送りつつ、二人の関係を深める中で、リヴィエールはその僻地で自身の歴史に触れる事となる。己の内にある真実が優しい嘘で覆い隠されていた事を知った時、彼が選ぶのは目を瞑る勇気か、踏み込む強さか……

4.アイズストーリー
いつか君のためだけに
まだロキ・ファミリアが中堅程度の規模であった頃、ロキは格上のファミリアにウォーゲームを仕掛けた。誰もがロキの勝利を期待していなかった中で、助っ人としてロキに参戦を依頼されたリヴィエールはこれを受諾。その結果、後にロキ・ファミリアの代名詞となるジャイアントキリングを見事に達成した。戦勝の喜びに浸る中、ロキ・ファミリアの陰謀により、騙されたリヴィエールはアイズと二人きりのデートを強いられる事となる。そんな中で、リヴィエールの過去が彼に牙を剥く。




と、このような感じです。番号、もしくはヒロインの名前でお答えください。出来れば順位をつけてくださるとありがたいです。一位票を10集めたヒロインの順で書こうと思います。求めてねえよ!という意見でも構いません。お待ちしています。
それではこれからも『その二つ名で呼ばないで!』をよろしくお願いします!他作品も連載していますのでそちらもよろしくお願いします!



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Myth15 昔の事は言わないで!

 

 

 

 

 

乾杯を交わした後、リヴィエールとベルの会話は比較的弾んだ。ベルはまだ冒険者になって半月である事やヘスティアとの出会いはファミリアの入団を散々跳ねられまくった後に拾ってもらった事など、ほぼベルが語り続け、リヴィエールは聞き役に徹していた。時々、冒険者としての自身の経験に照らし合わせた話やアドバイス、そして…

 

「リヴィエールさんは…」

「ウルスだ」

 

時々このような訂正を入れる程度。すみませんと謝ると、続けた。

 

「ウルスさんは、恋人とかいるんですか?」

 

目をキラキラさせながらそんな事を聞いてくる。白髪の剣聖が語る話はどれもまるでお伽話を聞いているような、ワクワクする話ばかりだった。そしてそのどれもが間違いなく彼が上級冒険者である事を示している。剣聖の事は一般に公開されている範囲でエイナにも聞いていた。今でも冒険者にその名を知らない者はいない。寧ろルグ・ファミリアが消滅する以前にオラリオに住んでいるなら彼の事を知らないものなどいないのではないだろうか。

そんな憧れた最高クラスの冒険者が目の前にいるのだ。ベルにとって最も彼に聞いてみたい質問だった。

 

「…………いねえよ」

 

迷ったが、そう答える事にする。新米にヘタにダンジョンに夢をもたせてはいけない。ちょっとした迂闊な一歩で死んだ奴を何人も見てきた。

 

「えー!ヴァレンシュタインさんとは違うんですか?あんなにお似合いだったのに!」

「ちが「違いますよ?」

 

否定しようとしたリヴィエールの言葉が女性の声で掻き消される。決して大声ではないにも関わらず、重く二人の耳に響いた。

 

「ウルスさんは今、誰ともお付き合いなされてませんから。ねぇ?」

 

いつの間にか隣に座っていた鈍色髪の少女がニッコリと笑顔を向けてくる。ああ、と返すのが精一杯だった。振り返る事は怖くてできない。

 

「で、でも、絶対にただならぬ関係ってエイナさんが……」

「違いますよ。本人がそう言ってるんですから」

「…………ハイ」

 

それ以外ベルには言えなかった。そしてリヴィエールも否定はしない。その事に関しては事実だ。

 

「でもウルスさんもそろそろ特定の人と関係を作ってもいいんじゃありませんか?例えば酒場で健気に働く裏表のない可愛い町娘とか」

「そんな知り合い俺にはいねえ」

「またまたぁ、手の届くところにいますよ?ほら」

 

擦り寄ってくるシルをあしらう白髪の美男子を深紅の瞳の少年が尊敬の眼差しで見つめる。自分の夢の体現者の姿を彼に見た。

 

苦笑するリヴィエールの顔つきが急に変わる。次の瞬間、どっと十数人規模の団体が酒場に入店してきた。

その団体――ファミリアの主神を筆頭に小人族、アマゾネス、狼人、エルフ、ドワーフ、ヒューマン、エトセトラ。

様々な他種族が同時に来店し、案内された席へと歩いていく。

考えるよりも先に身体が勝手に動いていた。リヴィエールはカウンター席の裏に隠れる。完全に気配も絶った。目の前にいる彼の姿がベルは薄くなったようにさえ感じた。

 

「…………何やってるんですか?」

「話しかけるな。今の俺は世界の一部で世界はお前の一部だ」

「…………よくわかりませんけどわかりました」

 

小声で声をかけてきたシルに対し、人差し指を立てながら小声で返す。

 

気配を絶ったまま、刀を取り出し、その刀身に映る反射で団体客を見る。先頭に立つ赤髪の女神、それに続くドワーフや小人族。そして……天使と見まごう美しさを持つ金髪の少女。

 

もうわかるだろう。ロキ・ファミリアだ。

 

ーーーー何であいつらが此処に!?

 

1年前なら、リヴィエールはこの店で彼女らが宴会することに疑問は持たなかった。

豊穣の女主人はかつてロキ・ファミリアが祝宴の場としてよく使っていたお気に入りの店。しかしこの一年、ロキ達はこの店を一切使っていなかった。

理由はもちろんかつて黒髪だった剣聖。何かと行動を共にすることが多かった彼は昔、よくルグに引っ張られてロキ達の打ち上げにこの店で参加させられていたのだ。

しかし、黒髪の剣士が行方不明となってからは此処は使わなくなった。ココで宴会などをすると、ルグやリヴィの事を思い出さずにはいられないからだ。それはロキにとっても辛いことだったが、それ以上にアイズやリヴェリアにとって辛いことだった。

どれほどの祝いの場であろうと、彼のことがよぎる度に二人は沈み込む。そんな姿を見たくないロキは1年前からずっと祝宴の場は此処以外で行っていた。そして理由までは知らなかったが、ロキ・ファミリアが此処に来なくなった事は、店の二階をねぐらにしている白髪となった剣士は知っていた。

 

ーーーーそれがなんでいきなり此処で……くそっ、打ち上げの場所くらい聞いておくんだった。

 

刀ごしに彼らを見ていると一人の女性が視界に入る。その人物は緑色の髪を束ねたハイエルフ。誰かを探すようにキョロキョロと辺りを見渡している。その姿を見て、彼らがこの店に来た理由の全貌を察した。

 

ーーーーあいつ……バラしやがったな

 

コレは事実とは少し異なる。確かに彼女には自分の潜伏先を教えていた。しかしリヴェリアはその事を誰にも話していない。

リヴェリアはただ、打ち上げの場所を豊穣の女主人にしようと提案しただけなのだ。

 

急な提案にロキも若干戸惑ったが、リヴィエールが生きていた今、あの店で祝杯を挙げる事に抵抗を感じる子供達はいない。もともと行きつけの酒場だったのだ。この提案を却下する理由はロキにはなかった。

 

周囲の客も彼らがロキ・ファミリアだということに気付いたらしい。これまでとは異なった色のざわめきが広がる。

 

「よっしゃあ、ダンジョン遠征みんなごくろうさん!今日は宴や!飲めぇ!!」

 

主神ロキの音頭の後に、一斉にジョッキをぶつける音が聞こえる。匍匐前進でなんとか店の裏の廊下へと回りこむ事に成功した。ここなら一般客はまず入ってこれない。ひとまずは安心だ。持ってきたピザを口にしながら、さてはてどうするかと考える。

逃げるにしても位置が悪い。正面の出入り口を通ればまず気づかれる。裏口からなら恐らく逃げられるが、それはできない。まだ支払いを済ませていないのに完全に店から出る事となってしまう。とゆーか逃げるという行為自体気に入らない。あいつらにはこの二週間でもう一生分気を使った。これ以上煩わされたくない。

こうなったら堂々と無視するか、とも考えたが、却下する。一度、誘いを断った手前、もし居ることがバレればあの女神に何をされるか…考えただけでメンドくさい。

 

「団長、つぎます。どうぞ」

「ああ、ありがとう、ティオネ。さっきから、僕は尋常じゃないペースでお酒を飲まされているんだけど、酔い潰した後、僕をどうするつもりだい?」

「ふふ、他意なんてありません。さっ、もう一杯」

「本当にぶれねえな、この女……」

「ガレスー!うちと飲み比べで勝負やー!」

「ふんっ、いいじゃろう。返り討ちにしてやるわい」

「ちなみに勝った方はリヴェリアのおっぱいを自由に出来る権利付きやァッ!」

「じっ、自分もやるっす!?」

「俺もおおお!」

「俺もだ!!」

「私もっ!」

「ヒック。あ、じゃあ、僕も」

「団長ーっ!?」

「リ、リヴェリア様……」

「言わせておけ……少し外す」

 

盛り上がっていく彼らの声を聞きながら笑みが漏れる。変わらない、奴らの喧騒。昔はあの輪の中に自分もいたのだ。

 

ーーーーやいバーニング・ファイティング・ソードマスター!飲め!ウチの酒が飲めへんやつにアイズたんはやらへんでぇ!

ーーーーアイズうんぬんはどうでもいいがその名で呼びやがったなこのウォール・ロッキー!返り討ちにしてやるから掛かってきやがれ!

ーーーーそうれすよ!リヴィはわらしがまもります!岸壁ロッキー、リヴィに手を出したくばわらしを超えてかられす!

 

ルグとロキが飲み比べで戦い、どちらが勝っても負けてもベロンベロンになって眷属に甘え始める。

 

ーーーーリヴィ〜、のんれますか〜

ーーーーそれなりにな……ってうわ、抱きつくなよこんな所で。

ーーーーリリィ〜♡チューしましょ〜、チュー

ーーーーやだよ……ほらベタベタするな。

ーーーーちっちゃい頃してくれたじゃないれすか〜。ホラ、ン〜〜♡

ーーーーちょ、やめろってマジで。うわ、酒くさ……

ーーーーエヘヘ、リリ可愛い〜〜。食べちゃいたい。がぶ

ーーーーげっ、マジで噛んできやがった。ちょ、ほっぺた吸うなって………こらアイズ!お前もマネすんな!てお前まさか飲んで……り、リヴェリアこいつら何とかシロォ!…

ーーーーお姉ちゃんと呼ぶなら助けてやろう

ーーーーあぁ!?何たわけたこと言ってんだテメエ、歳考えてモノを…

ーーーーもう辛抱たまりません!むっちゅぅ〜〜♡

ーーーーリヴィ、首のところ、柔らかい………美味しそう。あむ

ーーーーお前ら、ちょ、なにする、やめ、リ、リヴェリア助けろぉ!

ーーーー…………(無視)

ーーーーた、たしゅけてお姉ちゃん!犯され……アッーーー!?

 

懐かしい声が脳裏に蘇る。

毎回馬鹿みたいに酔い潰れて、酒臭い顔を近付けて抱き着いてきた主神。

やめろだのなんだの言いつつも、柔らかく、暖かな感触が嬉しくて、引き剥がす事なんて出来なくて……

楽しかった。幸せだった。

 

ーーーー未練だ……なぁ

 

割り切ったはずの過去。事実、半月前までは割り切れていた思い出達。それなのにあの時、ダンジョンで再会を果たした時以来、自分はずっと迷っていた。関わらない方がいい。わかっているのに、あいつらと行動を共にし、あんなデートごっこまでしてしまった。事ここまで来たら、もう認めざるを得ない。

 

ーーーーやっぱり俺は、あいつらが大事なんだ…

 

失いたくない。守りたい。無条件でそう思える程度には、確実に。過去の存在と割り切れない程度には、絶対に。

 

ーーーーなんで、また出会っちまったんだろうな……俺たちは。

 

あいつらに会わなければ……リヴェリアが再会を喜んでくれなければ……

 

アイズにさえ会わなければ…

 

ーーーー俺もまだもう少し、割り切れたかもしれないのに

 

割り切るには、夢だと捨てるには、あの思い出は美しすぎた。少しずつ、軽い足音が近づいてくる。気配を断つ事はもうしていない。足音から来客の予想はついた。

 

「やあ、リヴィ。ごきげんいかがかな?」

「…………最悪だよ、リヴェリア」

 

緑髪のハイエルフが裏口へとつながる廊下で膝を抱えて座る。先ほどミアとなにやら話していたのには気づいていた。近づいてきている事も。

ロキやアイズ、その他団体がきていたら恐らく逃げていたが、リヴェリアなら良いかと思えた。どうせここにいることは話している。彼女には見つかるのも遅かれ早かれだったろう。

 

「今は二人きりだろう。リーアと呼んでくれ」

「どこが二人きりなんだよ……二、三歩歩けば人だらけじゃねえか」

「そう怒るな。悪かったとは思っている」

 

むくれてる顔も可愛いがな、と心中で呟く。リヴィの頬を人差し指でつついた。苛立ちが一気に膨れ上がる。もし相手がリヴェリアでなければ指を3分割に切り刻んでいたところだ。指を払う。

 

「そっけないな。私をお姉ちゃんと呼んで、一緒に眠った可愛いお前はどこに行った」

「……チッ」

「懐かしいな、憶えているか?ネヴェドの森の事を。昔の夢を見たお前が汗だくになって目覚めた時に、私の胸の中でお前が…」

「………死ね」

 

真っ赤になって顔を膝の中に埋める。何年も前の本人さえ忘れかけていた超マイナー情報をよく憶えているものだ。やっぱりこいつ、好きだけど大嫌いだ。

リヴェリアはご満悦の様子で弟分の肩に頭を乗せている。今まで疎遠となっていた反動なのか、ベタベタしっ放しだ。

 

「…………リヴェリア、いい加減離れろ」

「なんだ、良いだろう少しくらい」

「良くねぇよ」

 

お前達といるのは、怖い。守る強さも、失う覚悟も今の俺にはないから。

 

そんな思いに気づいているのか、いないのか、緑髪のハイエルフは笑いながら口を開いた。

 

「いいんだよ、こうするのも久しぶりなんだから」

「………………」

「こうしたかったよ、リヴィ。一年間、ずっと。もうこんな事が出来る相手、私にはお前しかいないから」

 

言っている意味は痛いほどわかる。強くなって、名を上げて、仲間を引っ張る立場となった彼女は他人に甘えるという事ができなくなってしまった。それはかつての剣聖も同じだった。

 

「リヴィ。お前の覚悟も、葛藤もわかる。強くあろうとする誇りも。だが私にだけは強がるな。私ももうお前にだけは偽りなんて纏わない。だからせめてその目で、ありのままを感じ取ってくれ」

 

お前は私のかけがえのない家族で、愛していた人の忘れ形見で、そして自分が愛している大切な人なのだ。

添えられた手からそんな言葉が伝わってくる。

 

彼の肩に頭を預け、グラスを満たす桃色の液体を口に運ぶ。修行の日々を森で共に過ごしたあの頃は二人の上背は同じくらいであったが、今は完全にリヴィエールが上回っている。彼の逞しさが寄りかかった肩から伝わった。

 

「…………バラしたのか?」

 

話題をそらすために、まずないだろうとは思いつつも尋ねる。もしそうならロキやアイズ辺りも自分を探したはずだ。それなのにこうして会いに来たのはリヴェリアただ一人。騒ぐことも、アイズやロキにチクる事もなく、ただ隣に座るのみ。自分以外、リヴィエールの居場所を知らない何よりの証拠だ。

 

「まさか、打ち上げは此処でやろうと提案はしたが、お前の事は一言も出していない」

「なら良い」

 

口にエールを運ぶ。いつもより苦く感じるのは何故だろうか。

 

「こないのか?」

「行ったら確実にメンドくせーだろ。絶対ゴメンだ」

 

それはリヴェリアも否定しない。酔っ払ったロキやベートほど面倒くさい相手もいない。

 

「…………何怒ってんだよ」

 

今度はリヴェリアが不機嫌そうに眉を顰めた。苛立ちが伝わる。

 

「なんでもない」

「あっそ」

 

言いたくないなら無理に聞く気はない。素っ気なく答えたリヴィはエールを口に運ぶ。いや、正確には運びかけた。頭に衝撃が来る。平手で叩かれた感覚だ。

 

「女のなんでもないをそのまま受け取るやつがあるか」

「…………」

 

ーーーーめんどくせえぇえ!!偽り纏わねえんじゃなかったのかよ!

 

喉元まで出かけたが、何とか飲み込む。偽りと女心の複雑さは別らしい。口に出すと更に面倒くさくなる事を彼は身を以て知っている。

 

「どうしたんだよ…」

「…………さっきの会話聞いてたんだろう」

 

聞いてもわからなかった。首をかしげる。眉の不機嫌のシワが更に深く刻まれる。諦めたように息を吐いた。

 

「先ほど、ロキが言っていた飲み比べの事だ」

「…………あぁ」

 

ようやく思い当たる。確か賞品がリヴェリアの胸とか言っていた。

 

「俺が参加しても同じことだろう」

「しかしこのままでは私の胸が誰かに蹂躙されてしまいかねん」

「別にどうでもいい」

 

涼しい顔で出た言葉が本心である事にリヴェリアは気づいた。癪にさわる。彼とその母親以外に……異性で言えば彼以外に触らせた事のない、触らせたくもないというのに、この愛しい弟分はどうでもいいと言わんばかりの態度ではないか。

 

「どうせいつもの茶番だろーが。出来ねえ事は連中もわかってるだろ。悲しいねえ、男という生き物は」

 

わかっていても、ゼロではない可能性に飛び込まずにはいられないのだ。ましてその褒賞はこの世界で二番目に美しいハイエルフ。挑む価値は充分にある。

 

言い分に一応の納得を見せたからか、不機嫌そうにしながらも文句は言わない。持ってきていたジョッキをぶつけてきた。

その中身に酒が入っているのを見て驚く。基本的に彼女は酒を飲まない。精神に影響を与える飲み物をハイエルフは好まないのだ。その傾向はリヴィエールにもある。全く飲まないというわけではないし、アルコールに弱いというわけでもないが、好んで飲みたいとは彼も思っていない。

 

「お前と飲める時を1年待ったんだ。アレに参加しろとは言わんが、少し付き合え。私のリヴィ」

 

口の中に酒を含む。頬に手を添え、僅かに身を乗り出し、目を閉じた。意図を察したリヴィエールは苦笑を漏らす。この手の事に究極に奥手な彼女がこんな事を思いつくとは思えない。一体誰にこんなのを教わったのか。教わった所を想像すると愉快だった。

 

「…………仰せのままに、俺のリーア」

 

自分も口に酒を含み、顔を近づけ、体を傾けた。

 

「ん……こくっ」

「ちゅ……レロ」

 

一年以上の時を経て、交わされる二人の口づけ。口の中の酒をお互い飲ませ合う。舌を絡め、唾液を交換する、この世で最も官能的な乾杯。リヴェリアは両手を首の後ろに回し、彼を抱きしめ、リヴィエールも華奢な腰を抱きかかえた。

 

「…っはぁ………リヴィ、もう一度」

「ん……」

 

口に酒を含み、先ほどと同じように酌み交わす。二人の口元から酒精の混ざった唾液が垂れた。

 

「もう一回…」

 

この官能的な乾杯はジョッキの中の酒がなくなるまで行われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ……あの、アイズさん!」

 

意を決したような、男の声が酒場に響く。酌み交わす酒がなくなったからか、その声は奥に隠れる二人のハイエルフの耳にも届いた。

 

「オ……僕達と一献!していただけませんか!?」

 

その一言に二人とも青ざめる。そしてリヴィエールは若干羞恥で赤くなった。思い出したのだ。

 

「え……えと……私は」

「どうか一杯だけ!」

 

下っ端の団員達が宴会の浮かれた空気に乗っかり、ここぞとばかりにアイズに酒を勧めている。あわよくばお近づきになろうという腹なのだろう

 

「(おいリーア!あいつら止めて来い!アイズに酒はダメ!絶対!)」

 

少し不満そうな顔をしつつも、緑髪の保護者は立ち上がる。彼との二人きりをもう少し堪能したかったが、アイズが飲む事の大変さも自分は知っている。連中を止めた後、また来ればいいと思い直した。宴会に戻り、彼らをリヴェリアが止めたのを確認したところで、ようやく安堵の息をついた。

 

「……あれ、アイズさん、お酒は飲めないんでしたっけ?」

「アイズにお酒を飲ませると面倒なんだよ。ねー?」

「……」

「えっ、どういうことですか?」

「下戸っていうか、悪酔いなんて目じゃないっていうか……ロキが殺されかけたっていうか、リヴィエールが犯されかけたっていうか」

「ティオナ、その話は……」

「あははっ!アイズ真っ赤ー!かっわいいー!」

 

金と白の剣士は異なる場所で同じように顔を赤くする。事実であるがゆえに本人も強く否定することが出来ない。

 

ーーーーアレは本当に食い千切られるかと思った……

 

無意識に首をさする。もう今ではすっかり消えてしまってはいるが、その時付けられた歯型は一週間ほど消えなかった。リヴィエールが髪を肩近くまで伸ばすようになった一因でもある。

 

ーーーーあ……

 

ようやく一人に戻ったからか、ふと、我に帰る。これほど物事に動揺したり、一喜一憂したのはいつ以来だろう。ただ、一人で冒険者をしていた頃にはありえなかったことだ。

 

ーーーー過去に……触れたからか。

 

決別したはずの記憶。もう2度と元には戻らないあの輝かしい思い出。失われて久しい、夢のような時間。

確かにもう同じ時は2度と来ない。あの時共にいたルグはいないのだから……

 

ーーーーけど、それでも……

 

失われていないものもあった。1年前と変わらないアイズ。まだ自分を愛してくれているリヴェリア。悪友であり続けてくれたロキ。全てリヴィエールにとって大切な人達ばかりだ。

 

ーーーーもう一度、あの記憶(ゆめ)を取り戻したいとは……まだ思えないけど……それでも。

 

それでも、今だけは、心地よいあの夢の中に……

 

目を閉じる。依然として、黒い炎は自分の中にある。それは感じ取れたけど、今だけはその炎は見えなかった。

 

 

 

 

 

 

似たような思いは金髪の少女にもあった。酒の席で仲間達の騒ぎを見ながら、今日1日のことを思い返す。

昔のようにまたリヴィエールと街を歩き、デートごっこをして、今は仲間達とこうして楽しい時を過ごしている。楽しかったと、いい日だったと心から思っている。こんな時を毎日過ごせたらと本気で望んでいる。

 

ーーーー不思議……

 

1年前から全く考えていなかったことが自然と浮かび上がることが不思議だった。必要なことは強くなること、強くなれる環境。それだけだった。そしてそれは今も変わっていない。彼の隣に立つ為に。今度こそ彼を守る為に。求めている事は強くなることだけだ。

それなのに、今はこんな日々が続いてくれれば、と思っている。此処に彼がいてくれれば、と求めている。

 

ーーーーダンジョンにいない時間が……

 

続いて欲しいと金髪の少女は願う。

 

ーーーー黒い炎を思わなくていい時間が……

 

あってもいいと白髪の少年は想う。

 

ーーーーリヴィと……

ーーーーあいつらと……

 

一緒にいたい。

 

よく似た二人が、同じ事を想い、二人の頑なな氷が溶けかけ始めた、その時だった。

 

「そうだ、アイズ!お前のあの話を聞かせてやれよ!」

 

酔いを声音にたっぷりと含ませた、人を馬鹿にする下品な音が、再び二人を闇に閉じ込めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。中々話が進まない。ちなみに私はかつて女性のなんでもないを間に受けてそれはもう変な空気になったことがあります。ちなみに女性がめんどくさいと思う時ベストスリー

1.女のなんでもないは大抵なんでもなくない時

2.喧嘩すると絶対関係ない話を持ってくる時

3.答えの分かってる質問をしてくる時

です。三番目は私太った?とか聞いてくる時です。言えるわけねーだろと思います。
番外編ですが、おそらくリヴェリア、リュー・ストーリーは書くと思います。順序はまだ迷っていますし、アンケートもまだ継続中ですのでよろしくお願いします。励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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Myth16 トマト野郎と呼ばないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

下品な声が辺りに響く。それ自体はなんら珍しくはない。冒険者の宴会など騒がしいのが当たり前。暴力的な人間も多い。喧嘩やイザコザも茶飯事。それでもリヴィエールの気が引かれた理由は上がった話題に覚えがあったからだ。

 

「あれだって、帰る途中で何匹か逃がしたミノタウロス!最後の一匹、お前と白髪が5階層で始末しただろ!?そんで、ほれ、あん時いたトマト野郎の!」

 

ピクリと耳が震える。驚いた時や動揺した時、白髪のハーフエルフはよくこの動作をする。エルフは耳を任意に動かせる者が多い。

 

「ミノタウロスって、17階層で襲いかかってきて返り討ちにしたら、すぐ集団で逃げ出していった?」

「それそれ!奇跡みてぇにどんどん上層に上がっていきやがってよっ、俺達が泡食って追いかけていったやつ!こっちは帰りの途中で疲れてたってのによ~」

 

話に覚えがあった一人、ティオネが酒杯を口に運びながら話題の確認をする。補足があったからか、同席しているロキ・ファミリアの人間数名が『ああ、アレか』と思い当たる所作を示した。

 

「それでよ、いたんだよ、いかにも駆け出しっていうようなひょろくせえ冒険者(ガキ)が!」

 

ベートが何を言いたいか、だいたい察しがついたリヴィエールは眉をひそめる。彼はこの狼人の事が嫌いではないのだが、高貴な生まれゆえか、彼のこういう品性が欠けている所がどうしても好ましく思えない。

 

「抱腹もんだったぜ、兎みたいに壁際へ追い込まれちまってよぉ! 可哀想なくらい震え上がっちまって、頬を引き攣らせてやんの!」

「ふむ、それで?その冒険者どうしたん?助かったん?」

「アイズが間一髪のところでミノを細切れにしてやったんだよ、なっ?」

「…………」

 

アイズに問いかけるが、何も答えない。答えたくないという方が正しいだろう。表情は見えないが、彼女が今、何を思うか、手に取るようにわかる。

 

「それでそいつ、あのくっせー牛の血を全身に浴びて……真っ赤なトマトになっちまったんだよ!くくくっ、ひーっ、腹痛ぇ……!」

「うわぁ……」

「アイズ、あれ狙ったんだよな? そうだよな? 頼むからそう言ってくれ……!」

「……そんなこと、ないです」

 

嘲笑が酒場を支配する。同時に起こる失笑。他の客も釣られてか、大声のおかげで話の内容が聞こえたからか、笑みを必死に噛み殺している。そして一人、恥辱に体を震わせていた。その全ての様子が優れた感覚を持つ白髪の剣聖に届いている。

 

「それにだぜ?そのトマト野郎、叫びながらどっか行っちまってっ……ぶくくっ!うちのお姫様とあのクソ白髪、助けた相手に逃げられてやんのおっ!」

「……くっ」

「アハハハハハッ! そりゃ傑作やぁー!冒険者怖がらせてまうアイズたんマジ萌えー!!」

「ふ、ふふっ……ご、ごめんなさい、アイズっ、流石に我慢できない……!」

 

どっと周囲が笑い声に包まれる。誰もが堪えきれずに笑声を上げた。明らかにバカにした笑い。人は何かを笑う時とは、誰かをバカにする場合が多い。道化師が笑われるのはあの奇怪な姿で派手に道化を演じるだ。今回もその例の一つだ。

 

「……」

「ほら、そんな怖い目しないの!可愛い顔が台無しだぞー?大丈夫!アイズが怖いなんてここにいる誰も思ってないから!」

 

俯くアイズの肩をティオナが叩く。怖い顔をする理由が、今の話がともすればアイズをも否定するような話だったから、と思ったらしい。

しかし、アイズが、そしてリヴィエールがこの話を不快に思う理由は違った。

 

ーーーーやめて……

 

あの小さな冒険者を……彼が私に似ていると言ってくれたあの子を。

俺のことを知っても恐れないでくれたあの少年を……

 

『汚さないで』

 

そんな想いを無視するようにベートはがなる。

 

「しかしまぁ、久々にあんな情けねえヤツを目にしちまって、胸糞悪くなったな。野郎のくせに、泣くわ泣くわ。ああ、情けねえと言えばあのクソ白髪もか」

 

クソ白髪とは誰のことを指すか、一部の人間は知っている。直接名前を出さなかったのは彼への配慮なのか、それとも彼のことが気に入らないだけか。おそらく両方だろう。

 

「え?なんかあったっけ?」

「あいつ今日変な格好でウチに来やがってよぉ。仮装行列にでもでてたのかって!バッカじゃねえの!」

 

嘲笑の矛先が変わる。しかし今度はベート以外は笑っていない。あまり大声で話題に出していい人間でない事はロキ・ファミリアの人間ならもう全員が知っている。変わった衣装など様々な種族が集うこの都市では珍しくない。変装した彼の姿を実際に見ていた者たちもいたが、笑うほど道化な格好ではなかった。

 

「えー?そんな事無いでしょ?メチャメチャ似合ってたじゃん」

 

格好をさせた張本人であるアマゾネスがベートの言葉を否定する。賛同者がいなかったからか、ベートは苛立ちを含んだ表情を見せた。

 

「似合う似合わねえじゃねえんだよ。実力あるくせにあんな軟弱な格好する事が気に入らねえっつってんだ。俺たちの品位まで下がっちまうぜ」

 

お前の品位などとっくに下の下だと思いつつ、ジョッキを傾ける。まあ彼に何を言われようがこちらは柳に風だ。話の方向が変わった事に安堵さえしている。

しかし、この方向が許せない者がロキ・ファミリアには二人ほどいた。

 

「いい加減そのうるさい口を閉じろ、ベート」

 

エメラルドの瞳が、絶対零度の冷ややかさを持ってベートに向けられる。その浮世離れした突き抜けた美貌もあってか、彼女の怒りの恐ろしさは尋常では無い。まさに神をも恐れると言っていい。リヴィエールをも怒らせたくない数少ない人間の一人だ。続いた。

 

「ミノタウロスを逃がしたのは我々の不手際だ。巻き込んでしまったその少年に謝罪することはあれ、酒の肴にする権利などない。アイツの事も同様だ。恥を知れ」

 

その一言で誰もが黙り込む。笑った人間全てが自身の行動を恥じていた。

 

ーーーー流石だな…

 

変わらない彼女の威厳に笑みが漏れる。決して大声で叱りつけたというわけでは無い。諭すような口調であったにもかかわらず、広い酒場を言葉のみで支配し、周りの酔客ごと沈黙させた。俺ではまだまだこうはいかない。冒険者とは所詮、力ではないなと再認識する。

 

「おーおー、流石エルフ様、誇り高いこって。でもよ、そんな救えねえヤツ擁護して何になるってんだ?」

 

空気読めないとはこういう事を言うのだ。誰もが反省し、口を閉じていたというのに、ベートだけは止まらなかった。

 

「ゴミをゴミと言って何が悪い」

 

ーーーーコレだ……

 

せっかくリヴェリアが引きどころを作ってくれたというのに。誇りある者なら止まっただろう。しかし自身へのコンプレックスが根底にある彼はそれができない。

 

「これ、やめえ。酒が不味くなるわ」

 

バカだが品格はあるロキもベートをたしなめる。だがそれも今は逆効果だ。周りに反発する。そうする事が力がある事の証であるかのように、彼は止まらない。

 

「アイズはどう思うよ?自分の目の前で震え上がるだけの情けねえ野郎を」

「……あの状況じゃあ、しょうがなかったと思います」

 

アイズの言っている事は正しい。一部の例外を除けば、ミノタウロスに立ち向かえる新人冒険者など存在しない。ましてあの白兎はベートが言ったように、駆け出しも駆け出し。敵わない敵など山ほどいて当たり前なのだ。屈する事も、逃げる事も仕方ない事だろう。冒険者であれば誰もが通ってきた道なのだ。

 

「……じゃあ、質問を変えるぜ?俺とあのガキ、ツガイにするならどっちがいい?」

「……ベート、君、酔ってるの?」

 

どうしてそうなったと言わんばかりにフィンが問う。酔っぱらいの絡みは時として微笑ましいが、これはどう見ても悪質だ。

 

「ほら、アイズ、選べよ。雌のお前はどっちの雄に尻尾を振って、どっちの雄に滅茶苦茶にされてえんだ?」

「………少なくともそんなことを言うベートさんとだけは、ごめんです」

 

敵意すらこもった冷ややかな金色の瞳がベートを貫く。

 

「無様だな」

「黙れババアッ……じゃあ何か、お前はあのガキに好きだの愛してるだの目の前で抜かされたら、受け入れるってのか?」

「…………それはできません」

 

言葉に詰まりながらも、答える。

予想通りといえば予想通り。アイズに誰かを省みる余裕などない事をリヴィエールは知っていた。

その答えに満足したのか、ベートは口角を歪めた。しかしその表情はすぐに怒りに染まる事となる。

 

「私には……好きな人がいますから」

 

頬を紅く染めつつ、はにかむように照れの混じった笑顔を浮かべる。呆気にとられて口を開くベートを見て何人かが軽く吹き出した。誰の事を言っているのか、ロキ・ファミリアの人間なら全員がわかった。

 

「ケっ!あのクソ白髪か?」

 

頬の朱色が強くなる。沈黙は肯定の証でもある。その可愛らしさと初々しさに周囲さえも紅くなった。

 

「…………あいつだってそうさ!あいつは負けたんだ。テメエの神を見殺しにして、逃げ出したのさ!ただの臆病な雑魚野郎だよ!あいつも!」

 

苛立ちの頂点に達したベートは今度はリヴィエールをこき下ろす。事の顛末を知らない彼はオラリオで出た噂を口にしていた。

ルグ・ファミリアの消滅。そしてリヴィエールの行方不明。しかし時折流れる彼の生存説から、剣聖の事を妬む連中は主神を見捨てて、自分だけ逃げたという勝手な幻想を垂れ流した。そして人間とは高みにいる人間ほど非難したがる。高い所にいた人間ほど地に堕ちて欲しいのだ。彼の人となりを知っている人物達はこの噂を妄言とまるで信じていなかったが、信じている者も少なからずいた。

ベートも本音ではこの噂が虚構だとわかってはいるだろう。しかし、そんな事は今彼にとって関係ない。

 

「だいたいあんなツキの女神じゃそうなっても不思議ねえさ。何にもしねえ、何言われてもヘラヘラしてる。自分は高えところから綺麗事ばっか抜かしてたあの女。恨み買って潰されても仕方ねえよ。アストレアと一緒さ。あんな愚かな女にいつまでも囚われて、ズルズルズルズル引きずられて。はっ、女々しいったらありゃしねえ!」

 

プツリと、頭の中で何かが切れた。俺のことは良い。ベートに何を言われたところで何も気にならない。興味ない。だが看過するには見過ごせない言葉が出た。これを自分の保身で見逃してしまっては、彼女の眷属でいられなくなる。

ミアにジョッキで一杯用意してくれと頼む。並々と満たされた酒を持って酒場へと向かった。

 

「雑魚じゃあ、アイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わーー」

 

バシャッ。

 

稚拙な表現ではあるが、こうとしか表せない音がなる。ジョッキに入った酒をベートの頭にぶちまけた。氷と冷え切った酒が頭からズボンへと落ちる。

 

「酒に酔う男は酔い方しだいで絵にもなるが……酒と女と自分に酔ってる男は観れたもんじゃねえなぁ、駄犬」

「リヴィ……」

 

驚きに金色の瞳が見開かれる。まさかこの場にいるとは思っていなかったのだろう。片目を瞑って答えた後、こちらを見上げてくるベートを見下ろした。

 

「ああ、冷てぇ。冷てぇなぁ」

 

立ち上がり、こちらを睨みつけてくる。身長はほぼ変わらないか、リヴィエールの方が少し上程度。目線はほぼ同じだった。

 

「人前に出たくなかったんじゃねえのかよ、暁の剣聖」

 

周りがざわめきを見せる。先ほどから凶狼に喧嘩を売ったこの白髪の男の正体を誰もが気にしていた。

 

「じゃあアイツ、1年前に姿を消した剣聖なのかよ」

「生きてたのか?」

「でも髪がちげえぞ。別人じゃねえのか?」

 

好奇の目や疑いの目が集まる。髪色のおかげで確証を持つところまでは、いってないらしいが、もう生存を隠す事は不可能だろう。

 

「それともまだ力無き者の代弁者なんて事やってんのか?無様に死にぞこなったテメエがよ!」

 

ガタリと椅子を蹴飛ばした音がなる。音源をリヴィが見たとき、もう白兎はこの場にいなかった。

 

「ベルさん!?」

 

白い少年が店から飛び出していく。その姿を見て一つ溜息をつく。目的地はだいたい予想がついた。

 

「リヴィエールさん、あのっ……」

「……ほっとけ、あいつの冒険だ」

「リヴィ、あの……」

 

何かを言おうとしているアイズ。しかしその先は中々言葉にならない。10数える間ほど、無言で待ったが結局何も言わなかった。目を逸らし、彼女の横を通り過ぎる。その動作がアイズの顔を俯かせた。

若干心にチクリと痛みが走った。冷たい態度だというのはわかっている。だが、今相手にするのは彼女ではない。

 

「丁度いい。久しぶりに会ったんだ。決着をつけようぜ、クソ白髪」

「店を片付ける時間がいる。こっちだ。ついて来い」

 

店から出るために背を向ける。その瞬間、ベートは背後からリヴィエールに襲いかかった。ゴングを鳴らしたのは彼なのだ。場所など関係ない。隙を見せたほうが悪い。

しかし、彼の足が白髪の剣士に触れる事はなかった。ほんのわずか、体を反らし、ベートの飛び蹴りをかわす。そのまま後頭部を鷲掴みにされたベートは地面に頭を叩きつけられた。店の床が割れ、木片が飛び散る。

 

「お前のために言ってやってんだバカ犬。俺にやられたってんならともかく、酒場の女にやられたとなりゃあ、お前終わりだぜ?」

 

そのまま後頭部を持ち上げ、店の外へと投げ出す。チラリとミアに視線を向けると、憤然とした表現で、一度頷いてみせた。悪いな、と手を振る。

 

「立て、クソ犬。久々に躾けてやる」

 

声に呼応するかのように、投げ出されたベートは打ち付けられた顔を押さえながらフラフラと立ち上がる。もうすでに大ダメージのようだ。

 

「ベート、俺も鬼じゃねえ。今すぐアイズとアストレア、そしてルグに手ェついて謝るなら先の一撃で許してやるぞ」

「殺す!」

 

瞬時にリヴィエールの背後に回り込み、繰り出される上段蹴り。その動きを捉えられたものは少ない。並の使い手なら間違いなく首を刈られる程の威力と速度。

だが目の前に立つ白髪の剣士は並の秤を軽く超えている。

 

「…………これが返答か」

 

手刀がベートの足に突き刺さっている。鮮血が舞い散った。

 

「ハンデだ。蹴り、グラップ、投げ、その他諸々は無しにしてやるよ。拳だけで相手してやる」

「ーーーーこのっ!!」

 

連続して繰り出されるベートの打撃。その全てをリヴィエールは片手で撃ち落とす。乱撃が止んだ時、ベートの手足からは血が滴り落ちていた。

 

「…………鉄かなんかで出来てんのかよ、あいつの手は」

 

野次馬の一人がベートの惨状を見て呟く。攻撃した方が負傷しているなど聞いた事もない。

 

ーーーー鉄、か。的を得ている。

 

猫手の形で構えるリヴィエールを見つつ、リヴェリアは見物人の感想に同意した。刀のようだと言っていたら満点を与えていただろう。

 

五体を一本の刀とするリヴィエールの体術。カラティ。まだカグツチを手に入れていなかった頃、素手でも戦える力を手に入れるため、身につけたもう一つの武術だ。根幹となる技術は父から。そして発展させた技は椿から習った。

レベル7となった彼の手刀はまさに手刀(てがたな)。人体程度なら容易に斬り裂く。

 

「実力は1年前とほぼ変わっていないか。犬っころ相手に本気を出すのも大人気ないな……これ1本で充分」

 

右手を自身の顔前に翳す。右腕一本のみで相手をしようという所作だ。

 

「舐めんなクソが!!」

 

再びベートが蹴りを繰り出す。今度はもう避けなかった。まともに喰らう。しかし剣聖の肉体が揺らぐ事はなかった。直立不動でベートの蹴りを受け止めている。

 

ーーーー硬え!マジで鉄で出来てんじゃねえのか!?こいつの身体は!

 

「軽いんだよ、お前の蹴りは」

 

手刀の連撃がベートに振り下ろされる。避けられる態勢ではない。すべてまともに喰らう。今度は切り裂かれてはいなかった。アザにはなっているが、ただの打撃としての攻撃。手加減されているのは誰の目にも明らかである。

それでもベートを行動不能にするには充分すぎた。

 

「ガ……ぁぁ」

 

喉元を手刀で突かれたベートは呼吸困難に陥っていた。いかなレベル5といえど人体の急所は変わらない。死にはしないだろうが相当苦しむだろう。そういう風になるように撃った。

 

「おいベート。答えられねえだろうから、そのまま聞け」

 

痛みと苦しみにのたうちまわる彼のそばにしゃがみ込む。

 

「強さってのはこんだけのもんだ。あって損はしねえがな。残るのは虚しさだけさ。これを使って喧嘩したところで勝っても負けても何の得にもならねえ。こんなものがいくらあっても何の自慢にもならねえよ」

 

ーーーー喧嘩しかけてきといて何言ってやがる

 

と言い返したいが、応酬しようにも呼吸が苦しくて声が出ない。

 

「人間の価値を決めるのは魂だ。冒険者って生き物の……いや、冒険者に限らねえな。人間の格を決める基準は強さじゃない。精神の境地さ」

 

他の事に構う余裕などなく、ただ強さだけを求めていたあの頃、それを教えてくれたのはかつての主神だった。

 

「負け犬で終わりたくねえなら、もっと魂の格を上げることだな。そうしねえとテメエの蹴りに重さは込もらねえぜ?」

 

立ち上がる。言いたい事は大体言った。ルグへの落とし前はこの苦痛で勘弁しておいてやろう。

 

「後でアイズには謝っておけよ。女にするには最低の行為だった」

 

ミアの元へと足を向けた。立ちふさがっていた野次馬たちがまるで海が割れたかのように彼の通り道を作る。

 

「すまなかったなミア。今日は帰るわ。勘定。修理費込みで」

 

床をベートの頭で叩き壊した事は忘れていなかった。しかしミアは料理の分のみを受け取り、修理費の方は受け取らなかった。

 

「そっちはそこで伸びてるガキから貰うよ。仕掛けたのはヤツだったんだ。当然だろう」

「ま、それぐらいのお灸はあっても良いか」

 

苦笑しつつ店の出口へと足を向ける。

主神を中心にロキ・ファミリアの幹部連中が彼の前に立ち塞がっていた。

 

「よおリヴィエール。さっきぶりやな」

「…………悪かったな、ロキ」

 

打ち上げの誘いを断った事とベートを傷つけた事、両方の意味で謝罪する。眷属を傷つけられるというのは神にとっては我が子を傷つけられた事と何ら変わらない。行った行為に後悔はないが、謝罪はするべきものだ。

 

「ベートの事ならええわ。かんっぜんにあいつが悪いしな。お前の目の前でルグの悪口と二つ名言うて五体満足なだけめっけもんやで」

 

人聞きの悪い事を、と思いながらも反論はしない。腕の一本はとってやろうかと本気で思っていた。

 

「許す代わりと言ったらなんやけど、イッコだけ教えてくれるか?」

「一つだけな」

「……あの子、お前の何や?」

 

答えに少し詰まる。何と言われても何と言えば良いのだろうか。

 

「ウチの団員だ」

 

迷った末にそう答える。友や仲間と呼ぶにはさすがに日が浅すぎる。

 

「…………そうか」

 

薄く閉じられた目が開かれる。その目には少しだけ、白髪の悪友を慈しむ光が見えた。

 

「ロキはどう思った?」

「どうって」

「あの白兎。どう思ったよ?」

 

どうって言われてもなー、と手を頭の後ろに組んで空を仰ぐ。ロクに顔も見ていないのにどうと聞かれても困るだろう。最近同じ質問をされ、同じリアクションを取ったからか、その姿に苦笑する。

 

「第一印象でいい。教えてくれ」

「…………ウチも下界に降りてきて長いからな。結構な冒険者を見てきた。いろんな奴がおったけどな……多分あの子はあかんで」

 

ロキから出たのはやはり否定の言葉。続いた。

 

「今や雨降った後のタケノコみたいによーさんおる冒険者やけど……やっぱりときっどきおるよな。ホンマもんが。そういう奴は基本的に人が自分の事を何と言おうが、思われようが気にせえへん。人の目を気にしてたらやっていかれへんからな。誰かに憧れるんではあかん」

 

そう、それこそがリヴィエールもベルを難しいと評した理由。

他者を尊敬するのは良い。たとえ自分より実力が下の者だろうと、凄いと思える人物は若きハーフエルフにも何人かいた。。

しかしその人になりたいと思ってはいけない。人に憧れる冒険者ではダメなのだ。それではいつか理想と現実のギャップに耐えきれなくなり、潰れる。

 

「自分が誰より優れてると思えて、自分の冒険に憧れられる奴。そういう奴が本物になれる。そうでない奴はいくらステータスやレベルが上がっても本物やない。まあそんな奴、ホンマ数えるほどしかおらんけどな」

 

ゆっくり人差し指をこちらに向ける。口角が怪しく上がった。

 

「お前もその一人や」

「…………人を指差すな」

 

パシリと手を叩きつつ、その洞察力に舌をまく。ほぼ同意見だ。自分が戦場で長い時をかけて得た力をこの女神はただ生きているだけで身につけていた。

 

「まあ駆け出しやし、どうなるかなんて、まだ何とも言えんけどなぁ。アイズたんかて昔はお前に憧れとってヤバかったし。まあお前が守ったれや。仲間なんやろ?」

「俺に仲間はいねえよ」

 

嘘を言ったつもりはない。自分は真の意味でヘスティア・ファミリアの眷属とは言い難い。彼の神はやはりあの太陽だ。

ヘスティアの事が大事じゃない訳ではない。ベルの事も別にどうでもいいとまでは思わない。けど、それでも……

 

「…………不器用なやっちゃな。安心したわ。やっぱりお前や」

「そのニヤニヤ笑いやめろムカつくから」

 

ポンっと葛藤する白髪の悪友の肩を叩く。心を見透かされた様な気がした。

 

「仕切り直しやー!!あ、ベートは反省の為に縛っといてなー!」

 

団員たちに呼びかける声を背中に聞きながら背を向ける。

 

「リヴィ」

 

肩を掴まれた。追いかけてきたのは緑髪のハイエルフ。彼の事をオラリオで最もよく知る、今となっては彼の唯一の家族。

 

「これからどうするんだ?」

 

拠点としている場所から出ていこうとしたからだろう。これからの身の振り方を尋ねてくる。

彼がここから去ろうとする事は無理ない事だとは思う。あそこまで派手に姿を見せてしまったのだ。もう豊穣の女主人を寝ぐらにする事はしばらく出来ないだろう。もう生きていた事を隠すのは不可能だ。

 

まあ本人は二週間前に半分諦めてはいたが。

 

だからそれほど心理的に追い詰められてはいない。あまり良くない方向ではあるが、一応想定内だ。

 

「変わらねえよ。元々しばらくは姿を消すつもりだった。寝ぐらの場所が変わるだけさ」

「アテはあるのか?」

「いくらでも」

 

半分嘘だ。ただ部屋を借りるというだけなら、アテは確かにそこそこある。ヘファイストスや椿を頼れば寝床の確保くらいは出来る。しかし、そのあたりを頼ろうとは思わないし、できない。それも当然だ。普通に部屋を借りるのではなく、隠れ家として使うのだから。家主には無理を言う事になるし、迷惑をかけかねない。何かと世話になった彼女たちに迷惑はかけたくない。

しかし虚勢を張る。ここで弱いところを見せてしまえばそれはもううっとおしい干渉を受ける事だろう。愛ゆえだというのもわかってはいるが、はっきり言ってありがた迷惑。

一つだけだがアテはあるのも、また事実だ。

 

「で?場所は?」

「教えるわけねえだろ」

 

コツンと拳で額を小突く。今回の騒動をリヴェリアのせいにするつもりなど毛頭ないが、それでも彼女に教えなければここまで悪目立ちするはなかった事も事実だ。

 

「………………」

 

背後の金眼の少女と合わせ、四つのジト目が彼を突き刺す。二、三度頭を掻いた後、諦めたかのように一つ息を吐いた。

 

「ほとぼりが冷めたらまた此処も使う。何か俺にしか出来ない用件があったらミアに言え。多少時間差はあるが確実に俺に伝わる。お前の頼みなら聞いてやる」

「嘘をつくな」

「オーライ、大抵のことならを追加」

 

しばらく睨まれたが、あちらも諦めたのだろう。肩を落とし、フウと息を吐いた。

 

「気をつけろよ」

「誰に向かって言っている」

 

コツンと拳を合わせる。リヴェリアの用件は終わった。背後に隠れていた少女を前に出すかのようにスッと身を引く。

 

「……」

「……」

 

視界に入ったのは金髪の少女。アイズ・ヴァレンシュタインが待ち構えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リヴィ……」

 

名前を呼ぶが、それ以上の言葉が出ない。彼に会いたくて、話がしたくて、いずれ出てくるであろう彼を待っていた。けれど、言葉が出ない。何を言うべきか、答えは出なかった。何を言っても間違っているような気がして……

 

「…………ハッ」

 

待っていても何も言わない自分に呆れたのか、苦笑いしながら彼女の頭に手が添えられる。優しい撫で方は1年前と変わらない。

 

「ありがとう、アイズ。俺は大丈夫だよ、慣れてるから」

 

その一言で身体が羞恥で縮こまる。自分が恥ずかしくて、この場にいるのが申し訳なくなる。何に慣れているかは言わなかったけど、それが何かは大体わかる。

 

嘲笑、妬み、敵意、罵倒。たった一人で頂点にまで駆け上がった彼は多くの称賛も集めたが、それ以上に妬まれ、疎まれ、蔑まれてきた事を彼女は知っている。

彼が嘲笑されていたというのに、自分は何もできなかった。その事が恥ずかしかった。

 

「俺の事は気にするな…………お前は仲間の元へ帰ってやれ」

 

横を通り過ぎる。ハッとなったアイズは通り過ぎるその背中に手を伸ばす。その背中は1年前より逞しくなっているはずなのに、その背中はとても細かった。

 

彼には支えてくれる強さはないから。

その背中は、とても寂しそうで、せつなくて、辛そうで、悲しくて……

 

どうしようもなく愛しかった。

 

彼の背中に手を伸ばす。彼に寄り添いたかった。その背中を支えたかった。貴方は独りじゃないと伝えたかった。

 

ーーーーそれは何のため?

 

アイズの中で声が響く。自身を嘲るような、そんな嘲笑の声。

 

ーーーー彼よりずっと弱い貴方が彼に一体何ができるっていうの?

 

そうだ、私が何を言っても、きっと彼には届かない。

 

ーーーー私に英雄は現れてくれたけど…

 

彼に英雄は現れなかったのだから。

 

闇の中へと消えていく彼を止める事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。大勢の前に姿を見せてしまったリヴィエール。もう生存を隠すのは不可能な彼の最後の隠れ家とは一体?次回はリヴィエールの最後の隠れ家が明らかになります。最後までお読みいただきありがとうございました。励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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Myth17 娼館に行かないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーフゥ……

 

帰路へと着きながら、心中で溜息をこぼす。淀みのようなモノが体の中に溜まっていた。

 

ーーーー今日は疲れたね…

 

この区画の治安は控えめに言っても悪い。古今東西を問わず、花街というのは犯罪の温床なのだ。それも当然。此処は一夜の夢を見るための場所。オラリオ唯一の治外法権。

客は基本的に名も素性も明かさない。明かしたがらない。ゆえに娼館とはある意味でゴロツキ、犯罪者、要注意人物その他諸々の駆け込み寺。そんな所の治安がいいわけがない。

 

帰路につくアマゾネス、アイシャ・ベルカはこの街の警備の長を務めているアマゾネス。豊かな胸に高くくびれた腰、そしてすらりと長い美脚を持つ褐色の美女。要望も美しく、娼婦としても優秀だが、冒険者としても中々の実力を持っている。レベルは3。もうレベル4間近と言われており、ファミリアでも姉貴分の位置にいる。二つ名は【麗傑】。

元は戦闘娼婦だったのだが、今はもっぱら自警団と冒険者としての活動を主に行っていた。花街とは古今東西を問わず、アンダーグラウンド。治安は最悪である。自警団の存在は不可欠だ。

 

ーーーーあ……

 

白が目の端に入った為、反応してしまった。よく確認すると壮年の白髪の男が女を連れて屋敷へと入っていく。

 

ーーーーあいつ、今日は帰ってくるかな…

 

そんな事を思いながら、豪奢な娼館から少し離れた所にある長屋の階段を上る。もちろん此処は娼館などではなく、人が……というか、娼婦が生活するための場所だ。ファミリアに所属していれば本拠地で生活できるが、娼婦全員がそうというわけではない。この区域から出た場所にねぐらを作る者もいたが、娼婦の多くは、自分の勤め先の近くにある長屋を借りている。

ファミリアに所属しているアイシャにはもちろん本拠地があり、そこで生活できるのだが、彼女はそれはしていない。彼女に娼婦としての仕事をしたくなくさせた男が、この長屋の一室を借りているからだ。

 

ーーーーケッ……

 

金で買った関係だとわかっていても苛立ちが募る。端的に言えば『リア充爆発しろ』、だ。こちとら最後の逢瀬からもう一ヶ月は経っている。欲求不満はかなり溜まっていた。

 

ーーーーあいつ、今どこで何やってんだよ。あんま放置すると他の男と遊んじゃうぞ………いや、遊ばないけどさ。

 

一度あの強さと美しさと、快感を味わされてしまえば、もう他の男など目に入らない。アマゾネスには大きく分けて二つのタイプがいる。一つは強い奴相手なら不特定多数とも関係を持つ者。そしてもう一つは見初めた強者一人だけに徹底的に愛を捧げる者。アイシャとティオネは後者である。

あの目と覚悟と雄の顔を見てしまえば、もう後戻りは出来なかった。

 

ーーーーもう他の男なんて目に入らないけどさ……でもたまには帰ってきてくんなきゃ、お前の情婦(イロ)やめちゃうぞ

 

「早く帰ってこいよな、あの若白髪!」

「いきなりご挨拶だな。お前の事待ってたんだぜ、アイシャ」

 

自室の扉を開けたときに放ったグチに返事が返ってくる。一瞬幻覚かと本気で思った。先ほどまでずっと頭にあった男が目の前にいる事が、早く帰ってこいと思っていた男がこの部屋に帰ってきている事が信じられなかった。

 

「おかえり、アイシャ。ほら、これ土産だぁおっ!」

 

手に提げた袋の事など気にならない。レベル3の脚力の全てを持って彼の胸へと飛び込む。もう逃がさないとばかりに抱きついた。

一歩あとずさったものの、受け止める。さすがは剣聖。見事な足腰だ。

 

「おかえり、リヴィエール。会いたかった」

「ウルスだバカ」

 

彼女の白い太陽がそこにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オラリオ南のメインストリート。此処には都市最大の繁華街が存在する。周囲の喧騒は賑やかなオラリオでも屈指。シアターやカジノ、高級酒場などなど。巨大かつ派手な建物がひしめいている。この時間帯、繁華街はいつも身なりの良い商人や冒険者、神々でごった返していた。

そんな都市盛況の心臓部を他所に、フードを被った男は大通りから逸れ、薄暗い小径の先へと進んでいった。

 

ーーーーやれやれ……

 

酔いつぶれて倒れている冒険者を跨ぐ。この道には大抵この手の酔っ払いか、身ぐるみ剥がされた冒険者が倒れている。仮にも客を通す道なのだから、掃除しろとまではいかなくとも、整備くらいはしろといつも思う。

 

道が開け、一つの街が姿を表す。そしてその瞬間、フードの男は眉をしかめた。マスクはしているんだが、優れた感覚器官を持つ彼にとって、ここの匂いは刺激が強い。

 

ーーーーこればっかりは何度来ても慣れねえな……

 

マスクは取らないが、フードは外す。素性を隠すこの区画で下手に顔まで隠すと不審者扱いされてしまう。

 

淫靡な雰囲気の中を目的地へと向けて歩みを進める。艶かしい唇や瑞々しい果実を象った看板だらけの建物を通り過ぎていく。

 

「そこの白い御髪が素敵なだんなぁ」

 

背中を丸出しにしたドレスを纏ったヒューマンがローブを摑んでくる。豊満な胸をチラつかせながら男に寄りかかってきた。

 

「あなた冒険者ねぇ、私の好みだわ。ねえ私と一晩どう?サービスするわよ」

「はぁ……」

 

ーーーーまぁ、ここはそういう場所だから仕方ねえんだけど…

 

女の香水に鼻が曲がりそうになる。この人工的な甘い匂いは何度経験しても慣れない。

 

「悪いが今夜の女はもう決まってるんだ。また今度な」

 

指で額を小突く。

 

「釣りはいらねえよ」

 

銅貨を一枚、指で弾く。ポーッとして額を抑えていた娼婦の女性は銅貨を受け取り損なっていた。

 

笑いが漏れる。こういう仕事をしてるくせに意外と防御力がないことが少し可笑しかった。

今のを見ていたからか、次から次へと衣服の薄い女達が彼に誘惑の言葉をかけてくる。この手の服装の女を白髪のエルフが初めて見たのはまだ物心がついたばかりの頃、彼がまだ、両親と共に生きていた頃だ。まだ娼婦という存在を知らず、女性への関心もあまりなかった少年期。森の中で彼女とキスを交わした。

以来彼女は剣聖の宿敵となるのだが、それはまた別の話である。

 

そう、ここは『夜の街』。他の区画とは景観も匂いも何もかもが異なるまさに異国。オラリオ唯一のアンダーグラウンド。治外法権の場である。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーー相変わらずごった煮だな、この街は…

 

建築物を見ながらそのカオスさに感心すらする。カイオス砂漠の文化圏に海洋国仕様の建築物。世界のほぼすべての文化が集結しているのではないだろうか、と思える程の多種多様な仕様の建造物。建物だけでも充分に観光地として成り立ちそうではある。

 

しかしこの文化の不揃いの理由は観光地化などではなく、単純に娼婦達の出身によるものだ。迷宮都市オラリオは今や世界の中心。娼婦達も冒険者をターゲットとして世界中から集まってくる。

 

この別世界のような区画をリヴィエールは純粋に見事だと思っている。様々な文化に触れられるこの環境は素晴らしい。

…………目的が男を楽しませるための複雑化でなければ、だが。

 

「旦那だんなぁ、ちょっと遊んでってくれよぉ」

「白い御髪が素敵なお兄さん、ちょっと寄っていかない?」

 

次から次へと声が掛けられる。それも無理はない。鼻から下をマスクで隠しているとはいえ、目元は丸出しの状態だ。出ている部分だけでも一目で美形とわかる顔立ちの冒険者。この街で美とは誘蛾灯だ。女なら男を引き寄せ、男なら娼婦を引き寄せる。

 

「あ、ウルス様!」

 

周囲の風景が様変わりし始めた区域へと辿り着くと、名前……偽名だが、呼ばれる。おそらく客寄せに出ていた一人だろう。この辺りになってくると、この一年ですっかり常連になってしまったリヴィエールは顔と名前をもう覚えられていた。

 

「なに?ウルス様、遊びに来たの?」

 

腕に抱きつかれた。名前を聞きつけたのか、あっという間にワラワラとアマゾネス達が寄ってくる。彼女たちには以前、自分に無礼を働いた人間のようなヒキガエル相手をぶちのめした時、少し実力を見られた事があった。彼女達は異性に強者を求める本能がある。強い男と交わり、子をなすことこそが彼女らにとって至上の命題なのだ。

 

「ねえ、ウルス様。アタシの事指名してくれない?サービスするよ?」

「ウルス様ぁ、そんなちんちくりんより私にしようよぉ、なんならタダでもいいからぁ」

 

あっという間に両手にどころか全身に華が纏われる。ローブのポケットに手を突っ込んだまま、リヴィエールは歩き始めた。

 

「あ、ホームに行くのね。やたっ、一名様ご案内〜」

 

纏わり付いたアマゾネス達と大移動を始めていく。しばらく歩くと周辺一帯でひときわ巨大な、もはや宮殿のような娼館が見えてくる。金に輝く外装はとにかく派手の一言。ヴェールを被った女性が刻まれたエンブレム。ファミリアの証。

 

そう、此処はイシュタル・ファミリア。この歓楽街を仕切る巨大ファミリアの本拠地。女主の神娼殿である。

 

開け放たれた扉から中へと入る。流石に女が纏わり付いた状態では入れないため、アマゾネス達もリヴィエールから離れた。今くっついているのは彼の両腕をそれぞれ抱きしめている2名のアマゾネスのみだ。

玄関を抜け、白大理石に赤い絨毯が敷かれたホールを抜ける。豪奢な大階段を抜け、樫の扉の中へと入った。

 

此処は待合室。客を持てなすこのファミリアの貴賓室である。

通常、ファミリアの人間の許可がなければ入れない場所なのだが、リヴィエールは特別扱いを受けている。ビロード張りのソファに腰掛けた。

 

「なに〜?誰か待ってるの?」

「それとも此処でおっぱじめるつもりですか?やん、お盛んなんですから〜」

 

周囲に再びアマゾネス達が寄ってくる。ソファに腰掛けたのは両手を組んでいた2名だけだが、背後や前から細い指が彼の首を撫でた。

 

「あいにく、俺は外でやる趣味はねえし、金で恋愛買わなきゃいけないほど飢えてもいないんでな」

 

差し出された酒杯を口にしながら足を組む。そうしていないと足にまですり寄られるからだ。此処で腕の自由を奪われるのはもう仕方ない事だが、全身の自由まで奪われるわけにはいかない。コレは戦士としての気構えだ。

 

「じゃあ何しに来たのよ」

 

不満そうに口を尖らせる。ちょいちょいと指でこちらに来るよう促す。このホームに来たのは屋内に入るためだ。路上ではあまり話したくない事だった。

 

「何?内緒話?」

「ナイショの頼み事だ」

「そういう事なら高いですよ?」

 

指で丸を作り茶目っ気たっぷりに笑う。自分の容姿が武器になる事をわかっているものの所作だ。

 

ーーーーまったく、此処では何をするにしても金に変わる。

 

だがわかりやすくていい。一般のエルフなら蔑むところなのだろうがこの男は違う。金の亡者と言う者は思慮が足りない。生まれがどうあれ、身分がどうあれ、外見がどうあれ、性格がどうあれ、金さえ出せばそれこそ殿様気分を存分に味合わせてもらえる。それが花街の、実に単純明快な価値観である。直裁な者がこのハーフエルフは嫌いではない。

 

「いくらだ?」

「キス一回」

「アホ、それで金稼いでる女がなにねだってんだ」

「あ、そーとる?愛してるのサインなのに〜」

「寝言言ってねえで答えろ…………」

 

後半は小声で話す。あの獣人の事はイシュタル・ファミリア秘中の秘だ。ゆえに彼女の居場所は時々変わる。イシュタルのシマにいるのは間違いないのでしらみ潰しに探してもいいのだが、それは面倒だ。

偶然と縁により、彼女の現状を知ったリヴィエールはとある事件の現場に居合わせた。彼のバカな友人を主神から守る為に、あらゆる手を尽くし、出来る限りの事をして二人の娼婦を守ったのだ。

 

「あの子の……」

 

隣のアマゾネスの顔に恐れが浮かぶ。あの時、彼が受けた徹底的な蹂躙と拷問の記憶は娼婦達の間で鮮明に残っていた。

 

「…………ねえ、なんで貴方はあの子の為にそこまでするの?貴方が彼女を守って得なんて…」

「損得で剣を取った事はない」

 

黙り込む。普通の男が言ったのならバカにする所だが、彼のあの時の覚悟を見た身として、この白髪の剣士を笑う事など、出来るはずがなかった。

 

「一度守ったからには最後まで面倒を見る義務が俺にはある。頼むよ」

「…………もう、しょうがないわね。わかったわ」

 

耳貸して、と指で引き寄せ、こそっと話す。どうやら以前いた場所と変わっていないようだ。ありがとう、と一度頭を撫でる。

立とうとすると、袖を掴まれた。ソファに再び引き込まれ、目を閉じ、体を傾けてくる。どうやらしなければ離してくれないらしい。一つ息を吐き、唇を重ねた。

 

「毎度あり〜。美味しかったわ」

 

ソファから立ち上がり、部屋から出て行く。もう此処に用はない。

 

「ーーーーっと」

 

ぶつかりそうになった所を反射的にかわす。扉の向こうにいたのは情欲をそそる衣装に身を包んだ絶世の美女。薄い衣に豊かな乳房や濃艶な腰を覆い、褐色の肌を大胆に惜しみなく晒している。

キセルを片手にこちらを見ていた。

 

「…………これはこれは」

 

俺の顔を見た途端、ニヤリと口角を上げ、近づいてくる。

 

「随分とご無沙汰だったじゃないか、リヴィ……いや、ウルスだったか」

「やあ、イシュタル」

 

此処ら一帯を仕切る美の女神、イシュタル。二人はある意味で知り合い以上の仲である。この歓楽街で唯一自分の正体を知っている神だ。

 

「ウチに入る気になったのかい?」

「まさか。以前の借りはあの時ボコにされたあと、フレイヤの拠点を一つ潰して返したはずだ」

「借りを盾にする気はない。単純に勧誘だ。どうだ?」

「断る。俺にばっか構ってねえで後ろの色男に構ってやりな。さっきからすげえ目で睨まれてて超怖い」

 

背後に控えている美青年はもう目からビームを出そうとしているのではないかと思えるほどこちらを睨んでいる。もはやメンチ切るどころの話ではない。

 

「ゆっくりしていくがいい。気が変わったらいつでも言え。お前なら歓迎してやる」

「変わらねえから」

 

女神の横を通り過ぎる。未だ怒りの視線を背中に感じながら、リヴィエールは女神の神娼殿を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーやれやれ、フられたか。

 

店から出て行く白髪の背中を見ながら息を吐く。万人を魅了するその美しさは少し翳っていた。

 

ーーーーあいつがいれば、きっとあの女を引き摺り下ろすいい戦力になるのに……

 

「…………クソッタレめ」

 

白亜の巨塔にすむ銀髪の女神を思い出してしまった。気にくわない、いけ好かない、この世のすべての何よりも美しいと言われる……この自分よりも美しいと言われるあの女を。

 

「今に見ていろ……」

 

いけ好かない女神二号は勝手に消え失せた。本来ならあの男を寝取ってやる事で蹴落とすつもりだったが、もうその必要はなくなった。となればあの子供に何かする意味もない。イシュタル個人としては彼の事は嫌いではない。あの事件を引き起こした時はそれはもう怒り狂ったものだが、もうその落とし前は済んでいる。それに、その怒りを上回る魅力が彼にはあった。

だから残るのはあの巨塔の最上階に住む女のみ。

 

もうすぐだ。もうすぐそこから引き摺り下ろす。

 

「さあお前たち!客をもてなせ!今夜もまた愛を好きなだけ貪るがいい!」

 

アマゾネス達から叫声が上がる。女神の号令の下、女達は動き出す。夜の街の1日、これからが本番。

 

 

 

 

 

 

夜空には銀色……というより白に近い月が浮かんでいる。自分に割り与えられた部屋の中で格子越しに着物と呼ばれる民族衣装を纏った少女は月を見つめていた。

 

ーーーーハァ……

 

静けさという騒音が彼女を襲う中、少女は金の髪を揺らしながら通りを眺める。誰かを探すように。

 

ーーーーいないかな、いないかな?

 

あの月と良く似た髪の色をした青年の姿を探す。視線に合わせて少女の太い狐の尾が揺れた。

 

ーーーー会いたいな、会いたいな。

 

あの白い剣士に。ここに来て、まるでおとぎ話のような素敵な話を聞かせてくれる、あの青年に。

まるで故郷の友人が、屋敷から自分を連れ出してくれたあの時のように、青年はいつも自分に暖かな気持ちと優しい一時を与えてくれる。

 

以前、とある客に熱を上げていた先輩遊女の事を思い出す。

 

ーーーー貴方も恋をすればわかるかもね

 

同じ獣人であった彼女は自分にそう言った。その時はその言葉の意味がわからなかった。

自分達は遊女だ。一夜の愛を交わすことはあっても、恋をしてはいけない人種。その事は遊女の中でも五流に位置すると自負している自分でも知っている。自分などより遥かに上に位置する彼女がその禁を破った事が信じられなかった。

 

しかし、今ならわかる。

 

虚しい日々の中で、突然外の世界から現れた凛々しい騎士。あの美しい澄んだエメラルドの瞳と出会った時、彼女の世界が変わった。

感覚で感じる世界は何一つ変わっていないのに。

それはきっと彼女の心で感じる世界が変わったからだ。

 

自分達は恋をしてはいけない。頭ではわかっている。しかし、心で思う事は止められない。いけないとわかっていても求めてしまう。姐さんの心が今ならわかる。

 

トンっ。

 

聞こえるか、聞こえないか程度の小さな音が聞こえる。それは格子の窓を開けた音。自分が彼にだけ教えた、この屋敷に人知れず忍び込む為の隠し通路。

 

少女の耳がピッと立つ。この裏口を使うのは……使えるのは彼ただ一人だ。

佇まいをただす。彼を迎えるのにみっともない姿を見せるわけにはいかない。三つ指をついて、こうべを垂れる。襖の扉が開いた。

 

「やあ春姫、息災そうだな」

「お会いしたかったです、ウルス様」

 

狐人の少女が待ち望んだ月が、現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

極東様式の屋敷。あの後リヴィエールはこの屋敷を訪れていた。いうまでもなく娼館である。本来であれば金銭を支払わなければ入れない建物だが、リヴィエールはこの屋敷には忍び込んで侵入していた。ここにいる女の事を彼は知らないということになっているからだ。

 

ーーーーっと……

 

よかった。開いていた。開けておく、とは聞いてはいたが、いつでも開いてるかどうかの確証はない。自分が此処を訪れる頻度はランダムも良いところだ。開いていなくとも不思議はない。

 

入り口に入ってすぐ右、襖で閉じられた大きな部屋がある。彼の尋ね人は此処にいるはずだ。

 

ゆっくりと襖を開く。期待した通りの少女が部屋の奥にいる。金色の頭を下げ、三つ指をついて待っていた。

 

「やあ春姫」

「お待ちしておりました、ウルス様」

 

顔を上げろと言う。この出迎えはやめろと何度か言ったのだが、この子は恐れ多いと言ってやめない。

 

「息災そうだな、安心したよ」

「全て貴方様のおかげです」

「よせ、皮肉にしか聞こえない」

 

キョトンと首をかしげる春姫。嘘を言ったつもりはない。紛れもなく事実だ。本当に彼女の事を思うなら、あの時、石を破壊するだけでなく(まあ、破壊したのはアイシャなのだが)この子をこんな世界から救い出さなければならない。そして彼ならそれは出来ただろう。

しかしそれをしていない。当面の危機から救い、このような場所で匿う程度の事が今出来る彼のギリギリだ。これ以上やれば諸々を敵に回す事になる。

リヴィエールには優先しなくてはならない敵がいる。袖すりあっただけの縁である春姫と大恩人であり、家族だったルグ。優先すべき対象は決まっている。

そして誰より、春姫自身がそれを望まなかった。娼婦である自分を恥じており、リヴィエールの手を取ることを拒んでいる。

 

「さて、今日は何の話をしてやろうか」

 

だからこうして、たまに様子を見に来る事が精一杯。彼女の前に座り込む。此処に自分が来る時は彼女に物語を聞かせてやるのがいつもの習わしだ。

 

「あのお話がいいです。鬼に襲われる娘を、小さき武士が助けたお話」

「またアレか。好きだなぁ」

 

生まれ故なのか、この子は姫が英雄に救い出される話を好む。英雄譚でこの手のテーマは事欠かない為、助かってはいるのだが……語り部としては少し物足りない。

 

「ウルス様のお声でその話をしてくださる事が好きなのです」

 

そう言われると悪い気はしない。語りは母に習った。幼い頃、森と湖しかなかったあの世界、リヴィエールを支えてくれたのは楽器と音楽、そして読み聞かせてもらった多くの物語だった。

そしてその全てを彼は母から習った。歌を、演奏を、語りを全て見て、聞いて、感じて、真似て、学んで、少しずつ自分のモノにしていった。

一つとして手をとって教わったものはない。けれど、彼にとっては……そしてリヴェリアにとってはオリヴィエがこの世に残した数少ない大切なモノだった。

 

「では語るか。どこから聞きたい?」

「最初から、お願いいたします!」

「では、御拝聴を。昔々、ある所に老夫婦がおりました。子供のおらぬその夫婦は子を恵んでくださるよう、スミヨシの神に祈ったそうな。神は願いを聞き届け、老婆に子を授けてくださったが、夫婦は驚いた。身長はなんと一寸(3セルチ)しかない赤子だったのです」

 

立て板に水が流るるよう、滔々と語り始める。万人を魅了する声を持つ彼にしては役不足の場だ。目の前の少女以外に聴客はいない。けれど白髪の語り部は全霊をもって語った。

 

 

逢瀬が終わり、屋敷から出る。あまり長居をしても良くない。彼女の様子は見れた。今はまだ現状維持で大丈夫だろう。

 

「ウルス様……今度はいつお会いできますか?」

「近いうちに、また来るよ」

 

額に軽く口づける。額へのキスの意味は祝福。リヴィエールが彼女に唯一送る事ができるメッセージ。

 

「またな、春姫。君の未来に幸運と加護があらん事を」

 

次に彼が此処を訪れるのはとある石がオラリオに訪れる時となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、場は冒頭の歓楽街、長屋に移る。土地柄として、衛生設備だけはしっかりしているが、その他はボロボロの長屋だ。その内の一室を二人の男女が借りている。

 

「もう、帰ってるなら一言くらい言っておくれよな」

 

散らかった部屋を片付けながら文句を言う。口元は緩んでいる為、咎められている気はまるでしない。

 

「にしても今回は本当に唐突だったね。なんかあったの?」

「ちょっとな……しばらく此処、使わせてもらうぜ」

 

人々の欲望が集うこの街。品性を重んじる彼にとってある意味で最も似合わないこの場所を彼が隠れ家にしているのは理由がある。先も述べたように、花街は犯罪の温床。一般客ですら基本的に匿名を望む。店の中……というか、この歓楽街の中で何が起こっても基本的に口外は禁止。ここで何をしたか、何がされたか、外界には漏らさないのが鉄則だ。治安の悪さなど色々難儀はあるが、ある程度腕があるなら隠れるにはこれ以上の場所はない。

 

「どうせミアの所でなんかしたんだろ」

「エスパーかお前」

 

出されたグラスを手の中で弄びながら苦笑する。まあ此処に来る時といえば大抵彼が表で何かをした時だ。予想されても不思議はない。

 

「ほら、グラスで遊ばないで」

 

取り上げられる。琥珀色の液体が中身を満たした。

 

「ご飯はもう食べた?」

「ああ、酒をもう結構過ごした。この一杯だけは付き合うが、今日はもう飲まんぞ」

「えー……」

 

せっかく久しぶりの二人きりだというのに。先ほど肌を重ねる事を願ったらそれも今日は気分ではない、と断られた。ならもう酒盛りくらいしかないというのに、それすらもダメだと言ったのだ。不満は出ても仕方ない。

 

「頼むよリヴィエール。お姉さんの酒盛りに付き合ってくれよぉ」

「何がお姉さんだ。俺と殆ど変わらねえだろうが」

 

正確な歳はエチケットとして聞いてはいない……とゆーかこの手の女に歳を聞いて真実が返ってくることなどまずないが、大きくは変わらないはずだ。

 

「アンタにゃわかんないかなあー、この溢れ出る大人の色気ってやつが」

 

そういって首と腰に手を回し、艶やかな黒髪をかきあげるアイシャ。確かに彼女はスタイルがいい。俺と出会う前は相当売れっ子の娼婦だったとは聞いている。麗傑の名に恥じない強さと美しさを持つ女だ。

しかし美人にも傑物にも耐性のある彼にとって、その手の武器は通じない。むしろ、庇護欲をそそられるタイプの方が彼の弱点と言える。その筆頭が両方を備えたリヴェリア。次点がアイズかリューが彼の泣き所と言ったところだろう。

 

「ベー」

 

フリではなく、本当になんとも思っていない顔をされたアイシャは憤慨した様子で舌を出す。自身のグラスに琥珀色の液体を注いだ。持ち上げる。

 

「乾杯」

 

ガラスの軽い硬質な音が夜の街の小さな部屋で鳴る。互いに近況報告を交えながら、酒とツマミを過ごしていく。

会話は思ったよりも弾んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。最後の秘密の隠れ家は歓楽街の中でした。お姉ちゃんにバレれば【れあ・らーゔぁていん】不可避ですね。因みにリヴィエールはアイシャが例の石を破壊した時に偶然居合わせ、事情を知り、解決に奔走しました。とある理由で魅了が効かないリヴィエールは拷問を受け、フレイヤ・ファミリアの拠点を一つ潰す事で手打ちとなりました。最後までお読みいただき、ありがとうございました。励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。番外編も掲載しておりますので引き続きよろしくお願いします。


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Myth18 面倒くさいと言わないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………なんでそんな元気ないのさ」

 

いっぱいのグラスをチビチビと口に運びながら、暗い表情を浮かべる彼の事を心配と呆れの両方の色を込める。

 

「…………ちょっと自己嫌悪でな」

 

この短期間で2度目の自己嫌悪。後悔しない道を歩いているつもりだったが、最近は後悔ばかりしている。酒場であった一件はアイシャも彼から聞いた。聞いたところ、下衆を叩きのめした武勇伝にしか聞こえなかった。コレは身内の贔屓目ではなく、客観的な意見だと断言できる。しかし彼にとってはそうでもないらしい。

 

リヴィエールの脳裏を占めているのは、アイズに対して取ったそっけない態度。あの子はあの時、自分に何かを言おうとしていたのに、彼はそれを待たなかった。あの場から離れる事を第一に行動した。

それともう一つ。

あの時、ベートにした説教の言葉。

 

『酒に酔う男は酔い方しだいで絵にもなるが……酒と女と自分に酔ってる男は観れたもんじゃねえなぁ』

 

どの口でそんな事を言うのか。今の俺とベートにどれほどの違いがあるというのだろう。

こうして色街に身を隠し、酒に酔い、自身の不幸を盾に、身勝手な行動ばかり取っている、俺と。

自分の事を棚に上げて、ベートにそんな事を言い、挙げ句の果てにボコボコにした。全く呆れる。そして自己嫌悪に陥る事自体気に入らなかった。自己を嫌悪するという事は、自分の価値を高く持っているという事だ。

それは実力ある戦士として持つべき自負ではある。それでも……

 

「私はいいと思うけどなぁ」

 

隣でそんな言葉が聞こえてくる。慰めるような口調ではない。単純に自身が思う感想だった。

 

「人が歩いていればアリを踏み潰す事だってあるだろ?強い無理ならたとえ間違っていようと、道理は吹き飛ばされる。強さってのはそういうものさ」

 

実にアマゾネスらしい意見だ。強さこそが絶対の正義であり、その他の全てが無価値。たとえ理不尽が襲いかかろうと、それを跳ね除けられない弱さが悪い。そういう感覚。乱暴ではある。しかし明快で真実だ。

 

「ウルスには価値がある。自身の意思を貫き通す強さと覚悟がある。有象無象を無視し、踏みにじっても、それでも余りある価値がさ」

「確かに、オラリオは強さがあれば大概の無理は通るが…」

 

そんな生き方はしたくない。俺だって最初から強かったわけじゃない。理不尽に押しつぶされた事だって何度もあった。弱者の気持ちは少なからずわかっているつもりだ。それはルグが最も嫌った生き方だったはずだ。

 

「ルグ様に縛られ過ぎなんじゃないかい?アンタは」

 

ドキリと一つ心臓が鳴る。その自覚はあった。彼の行動原理は良くも悪くもルグだ。

 

「アンタってルグ様の事に関してはホント面倒くさいよね。他は水臭いけど、面倒くさくはないのにさ」

 

痛いところを的確に突かれる。その自覚は自分でもあった。

 

「もっと自由に生きなよ。アンタはまず自分の幸せを求めるべきだと思う」

「…………俺の幸せ、か」

 

そんなものに価値を感じなくなったのはいつだったか。何もかもを憎むようになった幼年期。そしてルグに救われた少年期。そして今。求めているのは自分の存在価値だった。

 

「ワガママの何が悪いのさ。そのワガママこそが世界を進化させてきたんだから」

 

乱暴な言い分ではあるが、それも一つの真実だ。自分勝手とは即ち人の欲。欲は多過ぎれば身を滅ぼすが、その欲がなければ、人の進化はありえない。

 

「ワガママの何が悪い、か。お前らしい。実にな」

「なんか文句あるかい?」

「ないよ。好きだぜ、お前のそういうトコロ」

「でしょ?」

 

肩に重みを感じる。目を閉じ、男の体温を全身で感じるように、アイシャは身体を預けてきた。

 

ーーーーありがとう、アイシャ

 

自己嫌悪が消えたわけではないけれど、それでも少し、軽くなった。引きずり過ぎて、すり減ったのかもしれない。

 

「…………ワガママで思い出したが、イシュタルの方は最近どうなんだ。もう充分に成功を収めているじゃないか。フレイヤへの敵愾心が薄れてもいい頃だと思うが」

「神の欲に際限はないさ。知ってるだろ?」

「女神の嫉妬のメンドくささもな……しばらく様子見の必要はあるか」

 

今度子飼いの情報屋にあの石の動向について少し調べさせるか。

 

グラスの中の液体を空にすると、持っていた荷物を置いて立ち上がった。

 

「さて、少し出る。お前は寝てろ」

「ええ!?ヤンないどころか泊まっていきもしないのかい?!イロのところに来て酒まで飲んだらやる事はもうひとつしかないじゃない!」

 

一か月ぶりの逢瀬でこちとら完全にヤル気スイッチが入ってしまっている。確かにシャワーとか少し浴びたかったが、そんな事は二の次だ。もういつでもウェルカムの状態でいたというのに。

 

「悪いな、表で少し気掛かりな事があって。埋め合わせは必ずするから」

 

酒場から逃げ出した白兎の事が引っかかっていた。あの後、彼は恐らくダンジョンに向かったのだろう。ことのあらましをアイシャに告げる。

 

「…………そいつも駆け出しとはいえ冒険者なんだろう?なら生きるも死ぬもそいつ次第じゃないか。お前が出張る必要ないだろう」

「俺もあまり手出しをする気はないんだが、一応無事の確認くらいはしておこうと思ってな。あれで死なれたらさすがに寝覚めが悪い」

 

此処に備蓄している薬品を数種類取り出し、腰に剣を差す。今、此処に立ち寄ったのはこの薬品を取りに来たからだった。

こうなってはもう彼を止める事はできない。腕ずくというのも考えたが、白兵戦でこの男にかなうものなどオラリオにはいないだろう。ハンガーに掛けていたローブを外し、彼に着せる。

 

「確認したら帰って来てよ」

「当分は此処で寝泊まりするつもりだ。心配するな」

 

頬に軽く口付ける。男のバカになんだかんだで理解をしてくれるアイシャはいい女だと言えた。

 

「行ってくる」

「あんたの事だから大丈夫だとは思うけど、気をつけなよ。あと、埋め合わせ、期待してるから」

 

最後にもう一度口付ける。人工的な甘い匂いではない、彼女自身の香りが鼻腔を満たした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やれやれ……」

 

ダンジョンから地上へと出る。オラリオにはもう眩い朝日が差し込んでいる所だった。背負った重みを背負い直す。彼の背中にはボロボロの白兎が担がれていた。

 

ダンジョンの上層を中心に探していたら、6層近辺で倒れている姿を発見した。見つけた時は流石に驚き、そばに駆け寄ったが、気絶しているだけであり、とりあえず胸を撫で下ろした。

そこから周囲を見てみると、多くのモンスターの死骸が彼の周辺に横たわっていた。リヴィなら朝飯前に倒せる程度の数だったが、レベル1の駆け出し冒険者にしては中々の成果と言える。

 

ーーー強くなりたい、か。

 

薄れゆく意識の中で俺の姿が見えたのか、彼が紡いだか細い一言。冒険者として当然の願いと言える。強さを求めない冒険者などほとんど存在しないだろう。それを求める事が悪いとは言わない。

 

ーーーただ、少し、この子の想いは純粋(しろ)過ぎる。

 

限界を越えて戦い続けたであろう彼の姿を見て、思った。冒険者になったばかりのアイズを思い出す。真っ直ぐすぎて、いつか折れるとゴブニュが評した彼女の姿とこの白兎が重なった。

 

ーーー【憧憬一途】……限界を越えてまで叶えたい一途な憧れ、か。

 

一途というのは一つの才能だ。この都市で、この年までそのままでいられたことは素晴らしい。けど駆け上がる内に彼に襲いかかる悪意はより強く、そして濃くなるだろう。その時、純粋(しろ)いままでは……危うい。

 

そうこうしている内に、ホームであるうらぶれた教会に辿り着いた。リヴィは、そのまま地下部屋へと向かう。ドアを開けると、部屋の中でオロオロと歩き回っている女神がいた。

 

「リヴィエール君!!ベル君!!」

 

恐らく寝ていないのだろう。憔悴した様子のヘスティアが、部屋に入ってきた人物達を見て、表情を明るくする。

だが、すぐに満身創痍のベルを見て青ざめた。

 

「ベ、ベル君!? ど、どうしたんだい、その怪我は!?まさか誰かに襲われたんじゃあ!?」

「まあ、間違っちゃいないな。自分から襲われに行ったというのが普通と違う所だ」

「リヴィエール君、どういうことだい?」

「詳しい話は後だ。治療する。ヘスティアは湯を沸かして、清潔なタオルを用意してくれ」

「わかった!」

 

懐から持ってきた薬品を傷に塗り込んでいく。職業柄、怪我には慣れているからか、その手際は流石に流麗で淀みがない。

ヘスティアが持ってきたタオルを湯につけ、体に着いた泥や血を拭う。ある程度綺麗になった所で、包帯を巻いて、手当てを施した。

 

「いっ……」

 

薬が傷に沁みたのか、呻き声を上げ、目を覚ます。深紅の瞳が頼りなく揺れ、リヴィエールを捉えた。

 

「リヴィエール……さん」

「よう、起きたか」

「…………此処は?」

「ホームだ。安心しろ」

 

ダンジョンにいたはずの自分がホームに帰って来ている。それが何を意味するか、ベルはすぐに察した。眉を下げる。

 

「すみません……」

「何だ?謝らなきゃいけないようなことしたのか?」

「僕、ダンジョンで気を失って……酒場では僕のせいでリヴィエールさんまでバカにされて……迷惑かけて……本当にすみません」

 

ーーーそうか、この子は自分よりも誰かの為に強くなれるタイプか。

 

かつての主神を思い出す。そんな強さがある事をあの人に教えてもらったから。

 

「昨日からおまえは謝ってばっかだな」

「ーーーっ!?」

「謝罪ってのは口にすればするほど価値が軽くなる。本当に済まないと思ってるならあまり簡単に口にするな」

「す、すみませ……」

「脳みそ入ってんのか、この真っ白な頭には」

 

包帯を巻き終え、パンと一度平手でたたく。取り敢えずの治療は終わった。

 

「神様も……ごめんなさい。心配かけてしまったみたいで」

「本当だよ、君のそんな姿を見せられた時は心臓が潰れるかと思ったよ?君に死なれちゃったら僕は悲しいぜ?気をつけてくれよ」

「は、はい」

 

薬のビンを数本、テーブルに置くとリヴィエールはローブを羽織り、立ち上がる。気掛かりだった事は片付いた。もう此処にいる意味もない。

 

「リヴィエールさん!」

 

名前を呼ばれた。その声音があまりに一途な色がこもっていた為、足が止まる。

 

「僕……強くなりたいです」

 

夢現に紡がれた言葉とは違う。彼の憧憬の一人であるリヴィエールに対して放たれた挑戦状。フッと口元が綻ぶ。

 

『まず貴方が優しくなってください』

 

下手に夢を見せないため、なにも言わずに出て行こうとした時、彼の中でこの言葉が響いた。

 

ーーー……そうだったな、ルグ。

 

1年前の朝日に約束した事を思い出す。あの太陽の神から貰った恩を、また他の誰かに返す。そしてまたその誰かがその恩を誰かに渡していく。そうする事で、ルグが望んだ優しい世界の一助となれると思うから。

 

「なれよ、強く」

 

扉を閉めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

目が覚めた。誰かが部屋に入ってくる気配と衣擦れの音で。眠りが浅かったのかもしれない。

 

ふと外を見ると、まだ日が昇ったばかりという時間帯だった。明け方、野暮用があるとこの部屋から出ていった男が帰ってきている。

 

「おかえり……」

「おっと、起こしたか。悪いな」

 

上着を脱ぎ、ラフな格好へと着替えている。薄っすらと汗をかいているようだ。恐らく外で鍛錬を終えたばかりなのだろう。シャワーを浴びる用意をしていた。

娼婦にとって身を清める事は仕事の一つだ。歓楽街なだけあって、防音と入浴設備はどの長屋もしっかりとしている。リヴィエールがこの区域を隠れ家に選んだ理由の一つである。

 

「なんか作ろうか?」

「いーよ、お前普段寝てる時間だろ?無理しないで寝てろって」

 

歓楽街の人間は夜が活動時間だ。日の入りと共に仕事を始め、日の出と共に眠る。通常の生活とは完全に逆転のサイクルを送っている。自警団たる彼女もその例に漏れない。リヴィエールがいなければ、この時間帯、彼女は間違いなく眠っている。

 

「アンタも寝てないんだろ?少し眠ったら?」

「1日2日の徹夜でどうにかなる鍛え方はしていない」

 

水音が室内に響く。熱い湯が彼の身体を洗い流していく。

 

「おい…」

 

鏡ごしに背後を睨む。狭いシャワールームの中に一糸まとわずアイシャが入ってきた。腕が回る。柔らかい感触が背中に押し付けられた。

 

「もう散々お預けくらったんだ。イイじゃないのさ」

「良くない。悪いがそんな気分じゃないんだよ」

「リヴィは何もしなくてイイよ。私に全部まかせてくれよ」

「おい、マジでやめろって。シャワー浴びた意味なくなるだろうが」

「また浴びればイイだろ……それとも私じゃ満足出来ないってのかい」

「そういう問題じゃなくて……あ、おい」

 

女性らしいほっそりとした褐色の指が下腹部へと這っていく。撫で方は完全に愛撫のそれで。

 

「顔見りゃわかるさ。疲れてるんだろ?眠らせてあげるよ、極上の心地で」

「…………」

 

いつの間にか正面に回り込まれていた。首の後ろに両腕を回し、背伸びする。目を閉じたアイシャの顔が目の前に迫る。艶やかな唇が、かすかな呼吸さえも感じ取れる距離にある。

数瞬後、動かない男に痺れを切らしたのか、女が唇を貪った。

 

「んんっ……はぁ、リヴィ……リヴィ」

 

熱に浮かされたように、彼の名前を呼びながら唇を啄む。少しずつキスは深度を増していく。

 

リヴィエールもそれに応えるようにアイシャの華奢な腰に手を回す。鍛えられたリヴィエールの太ももにアイシャが跨り、足を絡める。抱き合い、唇を重ねる。これ以上なく2人の体は密着している。ヘスティアに勝るとも劣らない豊かな胸は彼の胸板の上でいやらしく潰れている。まさに完全に身体を一つに重ねていた。

 

「リヴィ…リヴィエール」

 

慣れた滑らかな舌使いで、彼の首を、頬を、口内を蹂躙する。こちらを悦ばせる巧みなテクニックを誇るかのように、貴方のために磨き上げた技を褒めて欲しいと言わんばかりに、口内に舌をねじ込み、強烈なキスをする。

お互いの舌全体が重なり、絡み合い、粘膜が擦れ合う。ドロリと大量の唾液がアイシャから流れ込んできた。

 

「はぁむ…………ちゅる……んくっ」

 

飲んでくれと言わんばかりの彼女からの官能的な貢物。私はお前のものだというアイシャの主張さえ聞こえてくる。

 

「はぁっ………リヴィエール、お願い、もう」

 

さっきから跨がれた大腿部が尋常でないほど熱くなっている。シャワーの湯とは違う液体で濡らされている事も気づいていた。壁により、アイシャの左足を上げて抱きかかえる。

 

「行くぞ」

 

体ごと持ち上げ、沈める。何かが持ち上がった感覚と共に嬌声が浴室に響き渡る。アイシャの肢体が弓なりになった。

 

 

 

 

 

「ったく……」

 

結局シャワー浴び直すハメになった。ベタついた汗や唾を洗い流し、服を着る。もう外は完全に日が上がっていた。アイシャは生まれたままの姿で、幸せそうに眠っている。

 

ーーーー落書きしてやろうか

 

本気で考えたが、やめる。イヤガラセにしても子供っぽすぎる。そんな事をする意味もあまりない。

いつもの様に顔を隠し、部屋を出た。皆が寝ているこの時間帯なら、完全に顔を隠しても問題ない。

陽射しが目にしみる。眠った時間は一刻といったところのようだ。外は明るいというのに豪奢な街はまるでゴーストタウンのような静けさに包まれている。色街の眠る時間は日が昇ってからだという事は知っているが、これ程の建造物や文明が栄えている街が人間の活動する時間で静かなことが少しおかしかった。

 

ーーーまるで世界で一人だけになったみたいだなぁ

 

小さく零した。そんな小説を読んだ事がある。ある日唐突に世界でパンデミックが起こり、一人きりになってしまった人間。究極の孤独の中、愛犬と二人で生き、自身の命を犠牲にしながらも病に打ち勝ち、世界を救った男の物語。

 

凄いな

 

物語を読みながら、心底そう思った事を憶えている。ルグと出会うまで、リヴィエールもずっと孤独と戦っていた。それがどれほど強敵か、誰より知っているつもりだ。

 

ーーーーアンタなら出来るのかな……ルグ。

 

自分などより遥かに強く、偉大だった神を思う。彼女ならきっと出来る……いや、事実出来ていた。自身を俺に斬らせる事で、あの神は世界を救ったのだ。

 

ーーーー俺には無理だな

 

孤独に耐える事も、世界の為なんかに自身を犠牲にする事も、もう出来ない。彼が戦う事ができるのは、彼の剣が届く範囲のみだ。

 

『貴方が優しくなってください』

 

眩しい太陽を見上げた時、彼の中で輝く黄金の教えが木霊する。

 

『確信があります。私は貴方と出会う為に下界に降りてきました。今の私は貴方の為に存在します。そして私がそうであるように、貴方もまた、誰かの為に存在しています。そしてその誰かもきっとまた違う誰かの為に……そうやって世界は長い時をかけて紡がれてきたのです』

 

まだ出会って間もない頃、ルグが言っていた事だ。憶えている。あの時は綺麗事と鼻で笑った。

それは今でも思っている。けれどもうバカにするような事は思わない。

 

『だって、何事であっても、綺麗な方がいいに決まっているじゃないですか。貴方はとても綺麗ですよ、リヴィ。貴方にはいつまでもそのままでいて欲しい』

 

ーーーーわかってる、わかってるさ、ルグ

 

復讐を諦めた訳ではない。いつか必ず落とし前はつける。だがそれは修羅になる事なく、ルグの眷属としての誇りを持った、あの人が綺麗だと思ってくれる俺のままで成し遂げなければならない。

その時まではアンタから貰った恩をアンタが愛したこの世界に返していく。それが今の俺にできる唯一の恩返し。復讐よりも果たさなければならない、あの朝日と交わした約束をあの真っ新な白兎に思い出させてもらった。

 

止まっていた足を動かす。まだ吹っ切るには足りないけれど、自分のなすべき事は見えてきた。俺の復讐はとりあえず後回しだ。もう生きてる事はバレたんだ。俺を狙っているならきっと奴らから何か仕掛けてくる。俺の復讐に関してはそれからでいい。できるだけ周りを巻き込まないよう配慮はするが、もう不必要に人と距離はとらない。

まずはヘスティアとベルの為に動いてやろう。あまり過保護にはならないように、だが必要最低限の窓口くらいは作ってやろう。

その次は怪物祭について調べよう。あの時感じたイヤな予感はきっと大切な何かに繋がっているはずだから。

アイズ達のことは……とりあえず保留で。

 

無関係ではいられない相手だが、苦手なのもまた事実だ。アイズとリヴェリアは彼の唯一の弱点と言える。リヴィエールは意外とイヤな事は後でタイプなのである。

 

静かな街並みの中、一人分の足跡だけが通りに残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。今回はR15のギリギリに挑戦してみました。いかがだったでしょうか?ブレてるブレてると言われてきたリヴィエール君、ようやく落ち着いてきました。あまり嫌ってあげないで。女も面倒くさいですが、男も大概面倒くさい生き物なのです。それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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Myth19 貴方を心配させて欲しい!

研究室のゼミのプレゼンがひと段落ついたので久しぶりに小説情報を見てみればお気に入り登録件数2000件突破ぁ!?他の3つの拙作の小説も1000件近く登録されており驚きしかありません。ありがとうございます。頑張りますのでこれからもよろしくお願いします。


 

 

 

 

 

 

 

武具の店がひしめくオラリオの中でも一際大きな武具店。真っ赤な塗装の建物の看板。この炎を思わせる派手な赤は1年前からずっと変わらない。

燃えるような紅い髪と左眼、そして右眼を覆い隠す黒い眼帯が特徴的な美女、主神ヘファイストスは戸惑っていた。目の前の白髪の青年がアポもなしに自分を訪ねてきた事にではない。彼の唐突な来訪などいつもの事だし、ファミリアの眷属ではない子供で、親友と呼べる唯一の存在。商売相手としても魅力的な相手だ。来訪事態は構わない。アポなどなくとも会えるのが友人という者だろう。

困惑の原因は机に並べられたドロップアイテムの数々だ。どれも深層でしか手に入れられない、鍛治職人ならヨダレを垂らして欲しがる逸品。

それを来て早々、何の挨拶もなしにドカリと並べられた。戸惑うのも当然。

 

「イヤ」

 

そして面倒ごとだと察知するのも当然だろう。見慣れた彼女の渋い顔を見て思わず笑ってしまう。

 

「やだなファイちゃん。まだ何も言ってないじゃない」

「貴方の頼みなら大抵の事は引き受けるけど、そうじゃないんでしょ?」

 

確信がある口調で告げる。事実その通りだ。もしリヴィ自身の頼み事であったならストレートに頼んで来る筈だ。報酬云々はそのあとの交渉となってくる。

今回のような事は前にもあった。あの時は確かアイズにデュランダルの剣を鍛えてくれと頼んできた。

今回も概ねそんなところだろう。十中八九、人の為に何かの面倒な依頼をしてくるに違いない。

 

「流石だな、大変よくわかってらっしゃる」

「何年の付き合いだと思ってる」

 

二人とも笑みを漏らす。お互い行動から相手の心理を理解出来る程度の絆はある。

 

「いくら貴方から何かを用意されても、それが貴方以外の誰かの為なら、私は引き受けないわ。貴方にも、その誰かの為にもならないわ」

 

意思のこもった隻眼の瞳がこちらを見つめてくる。睨んでいる訳ではないのに、強い威圧感を感じた。

 

ーーーー相変わらずいい目だ……厳しさの中に優しさがある。

 

この目をした人物は好きだ。強く、凛々しく、美しい。その事を知ってか知らずか、彼の周りには似たような目を持つ者が集まる。強く、厳しく、そして優しい。こういう人間は手強く、厄介だ。味方であればこれ程心強い者はおらず、敵に回せば最高に鬱陶しい。

 

ーーーさて、それはそれだ。頼み事ってのは断られてからが本番だぜ

 

友人が変わらずにいてくれた事は嬉しいが、今からこの厄介な相手を敵に回して交渉をしなければならないのだ。褌を締め直す。揺れぬ強い心が必要になる。

 

「そう言わずに頼む。話を聞いてやるだけでいいから」

「…………なるほど、ヘスティア絡みね」

 

一言で大体の事を察する。彼の知人で自分に頼み事をしてくる人物などヘスティア以外では思い当たらなかった。付け足すならば、自分で目的を叶える力や財力がない知り合いで、だ。彼の知人友人にはそれなりに力を持った者が多い。

確かにもうヘスティアには返しきれないほどの貸しを作った。現在返済してもらっている真っ最中だが、完済にはまだまだ足りない。今のあの子から何か頼まれても問答無用で断るだろう。

 

「入場料、てわけね。にしては高額すぎるけど」

「価値を決めるのはアンタだ。不足があってはいけないから多めに持ってきたのは認める」

 

一つため息を吐く。なんだかんだでヘファイストスは友人に甘かった。

 

「貴方に免じて聞く耳くらいは持ってあげるわ………言っとくけど聞くだけね。内容次第じゃ縁切るわよ」

「充分だ。私欲じゃない事だけは保証する。安心してくれ」

 

ドロップアイテムを突き返してくる。受け取ってしまえば心情的に断りにくくなる。コレを貰って、ヘスティアの頼みを断ったとしても彼は何も言わないだろう。しかし一方的に利益があるという交渉を彼とするのはイヤだった。

 

「…………返されても困るんだが」

「話聞くぐらいでこんなの貰えないわよ。それぐらい手土産なしに頼みに来なさい。私ちょっと怒ってるわよ」

「俺にはこの辺のアイテムの使い道はないんだ。あんたらが持ってる方がこいつらも生きるだろう」

「なら預かっておいてあげるわ。何か防具とか武器とか欲しくなったら言いなさい。手数料だけで引き受けてあげる」

「苦労をかけるな」

「水くさいのはルグ譲りね。貴方はもう少しヘスティアの図々しさを見習っても良いと思うわ」

 

握手する。商談成立だ。

 

「さて、ココからは個人的な依頼の続きだ。例の鉱物について、何かわかった事は?」

 

以前ヘファイに渡した例の断片について尋ねる。この件に関しては定期的に聴きに来ている。

 

「今の所空振りね。現存する鉱物でない事は確かだわ」

 

まあ、そんなところかと息を吐く。正直これに関しては進展があるとは思ってないし、一級ファミリアとして多忙を極める彼女だ。ゆるりと調べる暇などないだろう。

 

「悪いわね。あまりこっちに手が回らなくて」

「お前達は忙しいからな。俺にばかり拘ってもいられないだろう。こう見えて俺は気が長い。ゆるりと待つさ。焦ることでもない」

「───へぇ…」

 

少し目を見開く。彼の事を気が短いと思った事は一度もない。長い付き合いだ。ロキやルグと諍いを起こす程度の事は何度か見てきた。けれど、本気でキレた所は見たことが無かった。

しかし事ルグの件に関して、こんなに余裕のある彼を見たのは久しぶりだった。初対面のヘスティアに取った態度を見てしまったから尚更かもしれないが、それでも少し驚かされる。

 

ーーーー少しずつ、戻ってるのかもしれないわね。昔のあの子に…

 

「引き続き調査はするわ。わかったことがあれば些細な事でも伝えるから」

「悪いな、世話になりっぱなしで」

「いえいえ、多少手のかかる方が弟分は可愛いから」

 

先程までと態度が一変し、一気に不機嫌なソレに変わる。

それも仕方ない事だった。自分の周りにいる年上の女は友人であろうと、それ以上の関係であろうと、どいつもこいつもこんな態度を取ってくる。そんなのはリヴェリアだけで充分だというのに。鬱陶しい事この上ない。そしてこちらの不機嫌とは反比例してニヤニヤするこの女神が不機嫌を加速させた。

 

「そういえば最近調子はどうなの?ご飯とかちゃんと食べてる?あまり無理な強行軍とかしてない?ちゃんと楽しい?」

「お母さんか」

「失礼ね、お姉さんよ」

 

その年齢でよくお姉さんとかよく言えるな、なんて事は言わない。正確な歳は自分も知らないし、少なくとも見た目は確かにお姉さんで通るのだから。

昔からこの女神には年の離れた親戚のように扱われている。小さい頃から知っているこの小生意気な子供の事がヘファイストスも可愛いのだ。

 

「で?どうなの?」

「え?この問答続けんのかよ」

「当たり前じゃない。私はね、貴方が思ってるよりずっと貴方の事を気にかけてるのよ?」

 

それが真実な事は知っている。あの事件の後、負傷して彼女のファミリアを訪れた時、何もいわず、何があったかも聞かずに治療をしてくれた事をリヴィエールはしっかりと覚えていた。

ヘファイストスもリヴィエールの事は子供の頃から知っている。下界に降りてきて間もない頃、ルグはこの赤髪の女神を頼っていた。ヘスティアのように何から何まで頼りきっていた訳ではないが、10年間放置しっぱなしだったあのあばら家を紹介してくれたのは彼女だ。その付き合いからか、この青年がまだ艶やかな黒髪だった頃、ルグに連れられてここにきた事は何度もあった。

だからヘファイストスは本当のリヴィエールの事を知っている。

どれだけ聡明であったか、どれほどの才気を持った少年だったか、危なっかしい所はあるし、冷淡な部分もあるけれど、心優しい少年だった事もよく知っている。

だからこそ、今の彼を本気で心配してるし、気にかけている。どれだけ鬱陶しいと思われようが構うものか。下界で信頼できる友人など希少だ。もうこれ以上その数少ない友を失いたくはない。

 

「………ムカつく事ばっかだよ」

「バカね。どうムカついてるのかを聞いてるのよ」

「チッ、ダンジョンじゃ岸壁ロッキーの子供達に姿を晒す羽目になった。ファミリアじゃ白兎のお守りやらされて、酒場じゃ酔っ払い犬の躾やらされた。そして今お前にこういう事を言わされてる。これで満足か?」

 

舌打ちしながらここ最近の出来事をザッと話すと、ヘファイストスはニンマリと口角を上げた。

 

「……何がおかしい」

「いえ、思ったより楽しそうにしてるなーって」

「なんでそうなる今のは本音だぞ」

「だっていい顔してたもの、今のリヴィ」

 

二人で酒の席を共にした時、ルグの事をグチった事がある。その時も彼はこんな顔をしていた。不機嫌なのだけれど、どこか楽しそうな、そんな顔。

 

「貴方のそういうの、久しぶりに見たからね」

「…………その笑いやめろ」

 

目を細めて彼を見る。その慈愛に溢れた視線を感じ取ったのか、白髪の青年は少し頬を染めてそっぽを向いた。

 

────ふふ……

 

友人のそんな態度にまた笑みがこぼれる。弟がいればこんな感じなのだろうか、と胸が暖かくなった。

 

───つくづく女心をくすぐるのが上手い子ね。

 

思わず感心する。頼りになるからか、年下からはよく兄貴分として慕われている。かといって年上に受けが悪いかと言えば全くそんなことはない。時折可愛い部分や危なっかしい所を見せるからか、ほっとけない弟分と見られる事も多々ある。前者の代表がアイズで、後者の代表がリヴェリアだ。アイズは彼に全幅の信頼を置いているし、リヴェリアはこの青年が可愛くて仕方ない。リューはハイブリッドだろう。頼ってもいるが自分が守らなくてはとも思っている。

そして自分も、この子には甘いという自覚がある。恋愛感情のソレは全くないけど、愛しい存在ではある。

 

「貴方も大変ね」

 

貴方は一人でいたいと思っているのだろうけど、きっと周りが放っておいてくれないだろうから。

 

当の本人は頭にクエスチョンマークを浮かべ、首をかしげている。緑柱石の瞳は訝しげな色を示していた。

 

「覚えておきなさい、天邪鬼って貴方程度ならとても可愛いものなのよ」

「誰がだ」

 

眉に怒りがにじむ。怒気をはらんだ声を向けたが、隻眼の女神は微笑した。

 

「もう少しツンデレは抑える事ね。ああ、でも正直になったらなったでソレも可愛いか」

「…………どうすりゃいいんだよ。てか、ツンデレちゃうわ」

 

言い捨て、踵を返す。もう用は済んだ。さっさと帰ろう。

 

「椿のところには寄ってかないの?デュランダルって言っても磨耗はするのよ」

「まだ整備の必要はないよ。もう少しすり減ってきたらまた来るさ」

「そうはいかん。それを判断するのは手前の仕事だ。お前は一流の剣客ではあっても鍛治師ではあるまい」

 

首根っこをひっ掴まれる。背中に感じる尋常ならざる力。レベルでは上回っている筈のリヴィエールすら脅威と思わざるをえない膂力。こんな力と喋り方をする人物はオラリオでたった一人。

 

「随分と久しぶりではないかリヴィエール。専属スミスである手前の事など忘れてしまったのかと思ったぞ?お前は用事が無ければこんから困る」

「……………」

 

俺が来てる事を教えたのかと、ヘファイを見るが、首を振った。

 

恐る恐る振り返る。そしていたのはやはり予想通りの女。褐色の肌は天然モノか、それとも炉の炎によって焼けたものか。どちらかはわからないが、どちらだとしても美しい。

 

椿・コルブランド。黒刀カグツチを打った人物。冒険者としても一流であり、レベルは5。極東出身のヒューマンとドワーフの間に生まれたハーフドワーフ。

容姿にはヒューマンの特徴が色濃く出ており、黒髪赤眼、左目には眼帯を着けている。ハーフドワーフにしては珍しい高身長に、出るところは出て、締まるところは締まる魅惑的な身体つきをしている。しかし膂力はドワーフ譲りの剛力だ。見た目はヒューマンに近く、中身はドワーフに近い。ある意味リヴィエールと似たスペックである。

容貌は整っているし、魅力的な女性なのだが、この眼帯と本人の剛毅な正確もあって、女海賊のようにも見える。二つ名は【単眼の巨師(キュクロプス)】。ティオナと同じく、これで呼ぶと不機嫌になる。二つ名が気に入らない子供はリヴィエール以外にも意外といるのだ。まあ思いっきりモンスターっぽい名前だから仕方ない。

『不壊』シリーズの創設者であり、魔剣を打つ事も可能とする名実ともに世界最高のスミス。

 

「どうして俺が来てるとわかった?」

「カンよ。手前らの子の気配がしたものでな。しかしお前相変わらず細いな。この腕にどうしてあのような力があるのか不思議でならん。肌も白い。コレで手入れなどまるでしていないというのだから殺意すら覚えるな。罰として抱きしめて良いか?」

「やめろバカ」

 

抱きつこうとする椿の手からなんとか逃げた。がっぷり四つに摑み合い、踏ん張る二人の足元に軽くヒビが入る。

二人とも相変わらず凄まじい膂力だ。ドワーフの血を持つ彼女は言わずもがなだが、リヴィエールも負けていない。どちらかと言うと速度よりの戦士ではあるが、無駄にレベルが高いお陰か、じゃれ合いの延長とはいえ、ハーフドワーフたる彼女の腕力とも張り合えている。

 

───ふふ……まるで昔に戻ったみたいね

 

二人の姿を見てヘファイストスは笑ってしまう。この二人がとっつかみあいの諍いを起こしているところなどいつ以来だろう。

椿が彼を好くのもわかる。このファミリアは鍛冶師という職業上、ゴツく、火事場の炎で肌の焼けている者が多い。肌が白く線の細い人間の男性というのは、このファミリアにおいては………というか冒険者という職種において希少な人種なのだ。周囲にいかつい連中の多い環境で育った椿は、どちらかと言えば線の細い綺麗な男性の方が好みなのである。かといって軟弱な男は好みではない。自分並みの強さは流石に求めないが、軽薄な男はゴメンだ。

線が細く、強い男。そんな相反するモノが同居している人物がこの世に存在するかどうか怪しいものだが、もしいれば椿のどストライクと言えるだろう。

そして目の前の白髪の剣客は見事にその要素を兼ね備えている。問題はこの男が椿のような豪放磊落な女傑よりも、リヴェリアやルグ、アイズのような手のかかる面倒くさい女をタイプとしている事(本人は否定するだろうが)なのだが、まあそれはそれである。

 

「相変わらず大した力だ」

 

手を離す。これ以上本気になってはファミリアを壊しかねないし、恐らくお互い無事では済むまい。挨拶代わりの諍いでそこまでするつもりはなかった。

力を緩めたからか、リヴィエールも手を離した。手首をプラプラと振る。

 

「相変わらずで思い出したが、お前はいつも似たような服を着ておるな。リヴィのような伊達男はもっと着飾るものだが。ああ、ハカマは手前が贈ったのだったな。愛用してくれているようで嬉しいぞ」

「まあ戦いやすいからな。足捌きをこれ程隠せて、動きやすい服はこれ以外見た事……てゆーかお前に見た目云々言われたくない。そのほとんど裸みたいな格好いい加減なんとかしろ。せめて前は隠せ。お前に淑女みたいな振る舞いは求めてないしそもそも出来るとも思ってないが一人の女性として最低限の慎みは持て」

「そういうとこ、そなたは意外と堅いな。エルフのようだ」

「…………一緒にするな、あんなのと」

 

堅物の親族が脳裏によぎる。心外だが、時々あのやんごとなき(笑)と似ているとは言われてきた。時々ね、時々。

 

「まあそんなことより手前の仕事部屋に来い。カグツチを見てやる」

「お前普通そういうカッコで男を部屋に連れ込む?こういう事言うのもアレだが俺が襲いかかったらどうするんだ?」

「ほほう、手前は犯されるのか?」

「絶対無いと言いたいけどこの世に絶対は無いからな。お前いい女だし。言わせんな恥ずかしい」

「んー、まあそうなったらなったで手前は構わんぞ。手前の貞操にさしたる価値も感じぬしな。気心の知れたお前なら特に文句も言わん。経験は豊富らしいから酷い目に合うこともないだろう」

「……………」

「まあそんな事は万が一にもなかろう。手前はお前を信じておるよ。さ、行くぞ」

「うわ、凄え力……いや、ホントイイって!ちゃんと専門家に診てもらって大丈夫って言われたから!」

「ほう、手前以外の鍛冶にソレを見せたのか。ますます返せなくなったな。その事も含めてゆっくりと話をしよう」

 

聞きようによってはお前になら抱かれてもいい宣言なのに赤髪の女神は欠片も色気を感じない。感じた事はたった一つ。

 

「貴方たち仲良いわねぇ」

「へ、ヘファイのんきな事言ってないで助けろぉ!」

「私基本的に貴方の味方だけど、それでもやっぱり眷属の味方なのよ。頑張ってね〜」

 

ヒラヒラと手を振る。白髪の剣士は引きずられたまま、部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

「ふむ、問題はないな」

「だから言ったろうが」

 

無理矢理刀を取り上げられて、刃を検分する椿に不服げな顔でぼやく。全く酷い目にあった。

 

「刀を見れば剣士の技量は大体わかる。流石はバー「その名で呼んだら俺も呼ぶぞ、キュクロ…「手前が悪かったからその名で呼ばんでくれ………オホン、剣聖。見事なものだ」

 

黒刀を見ながら、こちらを見る。

 

「我ながら惚れ惚れする出来だ。アマテラスの魔力に耐え、媒介として放つという能力を付与させた魔剣。合作だからこそ生まれた存在。やはりそなたたちは美しい」

「そうだな、俺もその刀は美しいと……って、俺を含めるなよ」

 

あまり美しいと言われてもイイ気はしない。散々されてきた形容ではあるが、男性に使うにはふさわしいとは言えないだろう。

 

「だが使い込まれているのも確かだ。磨いておいてやろう。やはりこの子はいつも綺麗でいてもらいたいからな」

 

砥石を持ち出す。デュランダルたるこの刀を研げるのは神を除けばこの女だけだろう。砥石の素材はリヴィエールが以前ランクアップの祝いでプレゼントしたものだ。使われているようで少し嬉しい。

 

「聞いたぞ、酒場で派手にやったらしいな」

 

作業をする手は止めず、話しかけてくる。どうやら昨夜の件は知っているらしい。まああのロキ・ファミリアの団員が公然であそこまで完膚なきまでに負けたのだ。噂にならないはずもない

 

「耳が早いな」

「狼をボコボコにしたのが剣聖だとはまだ思われておらん。安心していい」

 

1年前とは大きく変わった容貌のおかげで、人物の特定はされていないらしい。彼女はリヴィエールが白髪になった事を知っていたからこそわかったのだろう。一先ずは安心した。

 

「男なのだからヤンチャするのは仕方ないとは思うが、あまり無理はするなよ」

「なんだよ、お前まで俺の心配か?」

「まさか、心配はしておらんよ。この刀と同じく、お前は強く、美しい」

 

刀を翳しながら、そんな事を言う。刀身が妖しく輝く。

 

「しかしまこと不思議な刀よな。普通使い込まれた刀というのは輝きがくすむ物だが、こいつは磨けば磨くほど黒が透き通る。ないとわかってはいるがいつか刀の耐久力とは別に霞んで消えてしまうのではないかと思う」

「そんなのありえないだろ、デュランダルだぞ」

「だから手前も無いと言った。鍛冶師としての素朴な感想だ」

 

聞き慣れた刃を研ぐ音がなる。一定のリズムで刻まれるその音は何故か心地よく耳に響く。何もせずに眺めていると眠気がリヴィエールを襲った。大きく口を開く。

 

───やべ、眠い……

 

落ちそうになる瞼と必死に戦う。このファミリアに泊まり込んだ事は何度かある。しかしそれはヘファイの許可をもらい、安全を確保した状況下での話だ。他ファミリアで無防備に、しかもこんな作業部屋で眠るわけにはいかない。

必死で意識を留める。しかし一度自覚してしまった眠気は中々覚めてはくれない。腹も減った。そういえば昨日の夜から何も食べていなかった。空腹を忘れるために身体が眠気をさらに促進させた。目の前が少しずつ暗くなっていく。

 

この日、リヴィエールは数年ぶりに、疲労と空腹で眠ってしまう経験をしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………リヴィエール?」

 

一刻ほどの時間が経ち、磨きにひと段落がついた頃、椿は異常をようやく察した。研ぎに集中していて気づかなかったが、先ほどから規則的な息遣いの声が聞こえていた。

 

「眠ってる……」

 

座ったまま俯いて規則的に体を上下させている姿を見て少し驚く。敵対行動を起こしているファミリアでもないし、こちらも何かをする気もない。危害を加えられない程度の信頼はお互いある。しかしこの一年、ずっと張り詰めていた彼はこのような無防備な姿をさらす事などありえなかった。無論こちらが何か悪意あるアクションを起こせば飛び起きるだろう。それでも、この行動を取ったことは彼女にとって意外だった。

 

ーーーー張り詰めていた心がようやく解け始めたのか……それとも誰かに溶かして貰ったのか

 

少し癪だ。自分はリヴィエールの生存を確認していた数少ない人間の一人だ。この1年間、密にというほどではないが、専属スミスと剣客として、定期的に付き合いはあった。けれど自分に彼の心を溶かす事は出来なかった。出来たことは彼の剣を誠意を込めて磨く事ぐらい。コレは自分にしかできない事だし、その事に関して誇りも持っている。けれどやはり、少し悔しい。

彼の元に近づく。この一年でグッと大人びたが、安らかな寝顔はまだあどけない。さらりと絹のような白髪が揺れた。

 

───綺麗……

 

新雪のような白い肌に、緑柱石の瞳を縁取る銀がかった白の長い睫毛。整った顔立ちは普段と変わらないが、研ぎ澄まされた凛々しさは少し失われている。

少し長めの白髪に鋭く光る鋭利な目元のおかげで、起きている時は強面な印象すらある。しかしこうして目を閉じていると、彼の線の細さが目立ち、少女的な印象すら抱く。

 

「んぅ…」

 

視線を感じ取ったからか、小さな声が漏れた。身をよじらせたかと思うと、バランスを崩し椿の膝に倒れこんでくる。暖かい熱が直に肌に触れたその瞬間、きゅっと胸が締め付けられるような感覚が椿の心を支配する。

彼の強さは良く知っている。色々な意味で、この男は誰より頼れる冒険者だ。

しかし、時折見せてくれる彼の無防備な姿を見るたびに、この不思議な感覚が湧き上がる。守らなくては、手前が支えてあげなくては、という想いが抑えられない。

 

頬に手を添える。柔らかく、暖かい。流石に起きるかと思ったが、少し身をよじらせただけで、まぶたが開かれる事はなかった。倒れこんできた時にも思ったが、コレでも起きないとは重症だ。ここ数日、よほど疲れる事があったのだろう。

 

「美しいな、お前の髪は」

 

さらさらと流れる白髪を梳く。その感触は相変わらず滑らかでまるで絹のような手触りだ。それでいて短い為、ちくちくと手を刺激する。その変わった感触に顔を綻ばせる。心なしか、彼の寝顔も安らかになった気がした。

 

「すまぬな、手前の膝は固かろう」

 

せめてと彼の髪を撫で続ける。ひどく使い込まれ、磨耗した剣を、砥石で研ぐのではなく、布で丁寧に磨くように。

 

ーーーーこのような扱いは、この男が最も気に入らんのだろうがな

 

それでも手は止めない。少しでも傷を癒して欲しかった。規則的な息遣いだけが部屋を支配する。

 

「すまぬな、リヴィエール」

 

眠る男に、男さえ見た事のないような表情を浮かべ、声を掛ける。

 

「手前は心配はしておらん。お前が名刀な事は分かっている。気高く、鋭く、強い」

 

彼を支える人物だっているのだ。この男は決して一人ではない。一人でいたいと思っているのだろうが、自分達がそれをさせない。寄りかかりたいと思える女になればいいだけの事。皆がそう思い、それぞれに研鑽を続けている。

 

「だがお前はデュランダルではないのだ。壊れる事も、折れる事もある。心配はしておらんが……やはり身を案じるくらいはしてしまうのだ」

 

眠る鉄の男の頬を撫でる。風呂好きなだけあり、きめ細やかな手触りだ。肌質だけで見れば、どちらが女かわからない。自嘲を孕んだ笑みが浮かぶ。

 

「お前はそれを……許してくれるか?誇り高き、剣聖よ」

 

そして、ゆっくりと。

 

眠る男に、長い髪の娘の影が……そっと重なった。




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Myth20 誰かの物にはならないで!

 

 

 

 

 

 

 

テーブルに座るアイシャは激怒していた。整った美貌は苛立ちで歪み、眉間には深いシワが刻まれている。

長屋の一室に設えられたテーブルには昨日の分の夕食が一人前、そして今日の分の夕食が二人前並んでいる。合計三人前の食事が所狭しと並ぶテーブルの椅子に座り、人差し指でイラただしげな音を鳴らしてテーブルを叩いていた。

 

ーーーー遅い遅い遅い遅い!

 

褐色の肌の美女が思っている事はそれだけである。帰りが遅い。この一点が彼女を怒らせる全てだった。これをリヴィエールが聞いたならんな無茶な、と思う事だろう。今まで何も言わずこの家を空けた事など数え切れないほどあった。それを今更文句言われても困る。しかも食事の約束をしていたならばともかく、そんな事実は一切ないのだ。アイシャの怒りを理不尽と思っても無理ないかもしれない。

しかしアイシャの中の真実は全く違っていた。確かに彼が出かけていく時、自分は眠っていた為、確かに帰る時間帯を正確に聞いたわけではない。食事の約束をしたわけでもない。それは認める。

しかしあの男は一昨日の夜、当分はここで寝泊まりすると言った。つまりここで自分と寝食を共にすると言ったも同然。少なくとも夕食くらいはここで摂るという意味だとアイシャが捉えたのは多少都合のいい空想かもしれないがそれほどこじつけとも言えないだろう。

女性とは空想と現実を一緒くたにする生き物である。無論それは悪い事ではない。空想を実現できるならそれに越した事はないし、女の空想を現実にしてやるのが男の甲斐性だ。そしてそれは男にも言える事であり、アイシャはその辺りの線引きも元娼婦ゆえに一般の女性よりよく理解している。

しかしことリヴィエールに限っては都合の良い事実を信じ込んでしまうことがままあるのだ。

 

自分が目を覚ましたのが昨日の昼間、そして警備の休憩時間に夕食を作りに帰ってきたのが夕刻、そして帰宅してから今まで、通算24時間、この部屋の家主の帰りを待っているというのに、せっかく今日明日の二日間はオフにしてもらい、内1日を犠牲にしているというのに、それでもあの男は帰ってこない。

 

ーーーーあと10分待って帰ってこなかったら先に食べてやる

 

そう思いはじめてすでにその9倍もの時間を無為に過ごしている。昨日は18倍の時間を無駄にして、ようやく夕食を口にした。

 

10分が経つ。さあ、食べようとスプーンを手に取り、作ったブラウンシチューを掬い取り口に運ぼうとした。

 

『美味いよ、アイシャ』

 

コトリ

 

屈辱に震えながら、スプーンを皿の上に置く。脳裏に余計な記憶が浮かび、昨日一人で食べた美味しくない夕食の味が蘇ってしまった。

 

今度こそ、今度こそと心の中で強く誓う。

 

ーーーーあと10分待って来なかったら

 

と。

 

「あーーー!もうっ!何やってんだあのバカはぁああああ!!」

 

そして更に10分の5倍の時間が経過した時、開いている鍵穴が回る音がする。料理に使用した鉄鍋を掴むのに、アイシャは何の躊躇もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とっぷりと日が暮れた夜の街を疲労でフラつきながら歩く。道中、客引きの女に何人か引っかかったが、その辺の相手をしてやる気力も湧かない。長年培ってきた身のこなしで華麗にかわし、最小限の労力で長屋へと向かう。

簡易的に設えられた鍵穴にキーを通し、ガチャリと回すが手応えが予想していたほどない。

一瞬疑問符が浮かんだが、すぐに納得する。ああ、アイシャ帰ってるのか、今日はいつもより早いんだなと思ったくらいのものだった。

 

「ただいまっ!?…」

 

だから扉を開いた瞬間、鉄鍋が飛来してくるなど、まるで予想していなかったのだ。

 

 

 

 

 

「あーあ、フライパン一個無駄になっちまったじゃねえか」

 

真っ二つになった鉄鍋の残骸を眺めながら溜息を吐く。唐突に飛来してくるものに対する冒険者として染み付いたクセで、ほとんど反射的に黒刀を抜いていた。磨き上げたカグツチの斬れ味は素晴らしく、見事な一刀両断を果たしている。

 

「さっきの、俺以外だったら大怪我してるぞ」

「あんたが悪い」

「まぁ、俺も悪かったけど…」

 

頬杖をつきながらブラウンシチューを口に運ぶ。適度な塩味と香辛料が舌を刺激する。温め直し、熱くなった肉片からは汁液が出る。美味いと一言、思わず口から零れていた。

目の前のアイシャを無視するのは悪いと思いつつ、食事に集中する。もし食べ終わった後で不機嫌が加速していたら素直に謝ろう。あまりグズグズ面倒なことを言う女でもない。今は空腹を満たすことを先にさせてもらう。

スプーンを何度も往復させ、シチューをパンにディップし、食べる。一皿綺麗に完食し、ようやく人心地がついた。

 

「…………美味かったよ、アイシャ、ありがと……あれ?」

 

顔を上げて彼女の顔を見てみれば、先ほどより明らかに機嫌が直っていた。予想が外れ、少し驚く。ここの所、未来を見るとさえ言われた自分の洞察力が外れる事柄が多すぎる。

 

「悪かったな、アイシャ。俺に取っても急な事だったんだ。すまない」

「……いいよ、もう。待った甲斐はあったし……ん、んまい」

 

機嫌よく自分が作った料理を口に運ぶ。自分が作った料理の出来は満足のいくものだったらしい。

 

「おかわり」

「ああ、すぐ用意する。待ってろ」

 

上機嫌におかわりを持ってキッチンへと向かう。俺がおかわりと言うと、アイシャはいつも行動に喜色が出る。おかわりという響きは全ての料理人にとって魅惑のフレーズだ。ルグの食事を用意していたリヴィエールには大いに覚えがある事だったので、何だか気恥ずかしい。それからしばらくは久々に二人きりの食事を楽しんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「で?」

「ん?」

 

食事が終わり、アルコールも入って、気分が高揚し始めた頃、単純な一言で質問を投げかけてくる。そして何を聞かれたのかわからなかったから、質問で返事してしまった。

 

「あんたが昨日帰ってこなかった理由。聞かせてよ」

 

一気にげんなりとした表情になる。昨日、そして今日の出来事が一気に蘇ったからだ。

 

「………言いたくない事なら無理には聞かないけど」

「ああ、違う違う。そうじゃないんだ。嫌な事を思い出してな」

「…………なんかあったの?」

「ちょっとキツイ友人に捕まってな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は昨日に遡る。日も傾き始めた黄昏時、リヴィエールは欠伸を噛み殺しながら帰路へと着いていた。

腰には磨きあげたばかりの刀が差してある。壁に身を預けて眠っていた筈だったのに、いつの間にか椿の膝を枕にしていた事に心底驚き、飛び起きた。当の椿もウトウトしていたらしく、俺が飛び起きた事で目を覚ました。磨き終わってるという刀を受け取り、金を払い、店を出た。ヘファイに食事を誘われたが、断る。膝枕をされるなどという醜態を晒したその日に彼女達と膝突き合わせて飯を食う気にはなれなかった。

少し早いが、帰るか、と思ったその時だった。

 

ーーーー……ん?

 

7つ目の感覚が警鐘を鳴らす。ふと視線を向けてみるとガラの悪い男達が数名、誰かに絡んでいる。多分女性だ。ヒラヒラとしたフリルが少し見えた。

 

ーーーーえ………何やってんだアイツ

 

女性の顔がチラッと見え、その人物が明らかになる。リヴィエールの知った顔だった。知り合いでなければ無視したのだが、こうなっては彼の性格上、素通りもしにくい。それに、ちょうど彼女とは話をしたかった所だ。

 

「悪いな、そいつとは俺が先約だ」

「あだだだだ!!」

 

男の腕をねじ上げる。

 

「な、なんだてめえは!」

「俺たちが先に声掛けたんだぞ!」

「お前らモグリか。言っとくが俺はお前らの為にこうしてやってるんだぜ。この女はあのガネーシャ・ファミリアの団長だ。お前らなんかやろうと思えば2秒で挽肉になるぜ。ズタボロにされて牢屋にぶち込まれる前にとっとと消えな」

 

恐らくこの街に来たばかりのゴロツキのようだが、さすがにこのファミリアの名前は知っていたらしい。顔を青くしてすごすごと退散していった。

 

「なんだ、根性ねえな。つまんねえの」

「…………リヴィエール」

 

凛とした声が聞こえてくる。藍色の髪の麗人は普段とは少し違う女性用のスーツを着ていた。

 

「久しぶりだな、シャクティ。よく俺だとわかったものだ」

 

彼女はオラリオの警備を担当する一大組織、ガネーシャ・ファミリア最強の冒険者。二つ名を【象神の杖】。

 

「わかるさ。髪の色には驚かされたが、それ以外はほとんど変わっていない」

「多忙の身だと聞いてたんだが、元気そうで安心したよ。しかしお前ほどの女があんなのに絡まれてるとはなあ。少し驚いた」

「仕方ないだろう。私は奴らのように迂闊に力を使う訳にはいかないんだ」

 

オラリオの治安を一手に担うガネーシャ・ファミリアには与えられている権力も大きいが、それを扱う為の枷も多い。その団長たるシャクティはそう簡単に力に訴える事は許されない。プロボクサーが一般人に喧嘩をすれば犯罪になるのと同じだ。何か罪を犯していたならともかく、今の連中はタチの悪目なナンパというだけだった。叩き伏せる訳にもいかなかったのだろう。

 

かつてのオラリオ暗黒期、治安維持に協力する事が多かったルグ・ファミリアとは少なからず付き合いがあり、何度かともに戦った事もある。オラリオきっての俠客のリヴィエールと警察であるシャクティ、立場は違えど、町の安寧に力を尽くしていた二人の間に、ライバルのような、友人の様な、不思議な絆が出来るのに、そう時間は掛からなかった。

 

「…………生きている事は知ってたが……こうして顔をあわせるのはいつ以来だ?」

 

知ってたんだ、と内心で苦笑する。まあそれも当然だ。オラリオ内部の情報網において、警察組織たるガネーシャ・ファミリアの右に出る者はいない。彼の生存情報くらい、シャクティなら容易に手に入れられただろう。

 

「……最後に会ったのはアストレア・ファミリア崩壊事件だったか」

「あの時もお前の妨害工作のせいで、いろいろな証拠は掴めずじまいで迷宮入りしたのだったな。まったく、最強ファミリアなどと呼ばれていても、私は苦労する事ばかりだ」

 

嘆息する彼女を見ながら少し笑ってしまう。苦労性なのは変わっていないらしい。まああの主神に、職業が職業だ。苦労がない方がありえないだろう。

 

「例の事件について、お前のブラックリスト入りは保留にしてやっている。安心しろ」

「…………そうか、ありがとう」

 

一般において、リヴィエールの扱いは、決して良くない。はぐれ冒険者にはガラの悪い者も多い。その存在だけで充分脅威に値する。そうなってしまっては良くて注意対象、最悪ブラックリスト入り。1年前、彼が起こした事件の規模から言って、現在リヴィエールがそうなっていても何らおかしくない。最悪の状況が回避されているのはひとえにシャクティのお陰だった。

 

「お前、時間は?」

「特に予定はないけど」

「なら少し付き合え。お前の奢りで」

「はぁ!?何で俺が」

「誰のおかげでブラックリスト入りしていないと思ってるんだ?」

「…………」

「わかったら早く来い。お前を捕まえたくはない」

 

ここで騒いだら注目を集める。ルグの事件からまだ1年しか経っていない。あの事件は一応俺も容疑者になっている。その以前からも、少々の規則違反を侵した事は何度かあった。要注意人物リスト入りはギリギリしていないが、ギリギリだ。そうなってはシャクティの立場上、俺の身柄を確保しないわけにはいかない。

シャクティに引かれるまま、リヴィエールは酒場の中へと入ってしまった。

 

 

 

 

 

 

さすがにいい店を知っている。料理も酒もうまい。値段は少々高いが、ミアの所ほどぼったくりではない。あまり騒がしくもなく、店の中にはジャジーな音楽が流れている。リピーターになろうと思えるだけの店だった。

それでも、現状には不満がある。

 

「警察が要注意人物にたかるか普通……お前はそれ取り締まるのが仕事だろうが。信じられねぇ」

 

出された料理に舌鼓を打ちながらも、この状況に不満を漏らす。そんな声も無視して、青髪の麗人は次から次へと高価な料理を注文している。金に困っている人物ではないはずだから不満も尚更だ。

 

「私が働きかけていなければお前は今頃……」

「あー!わかったわかった!意外に根に持つタイプだなお前!好きなだけ食え!」

 

嫌味を言う彼女の認識を少し改める。サバサバした女だと思っていたのだが……事実、その部類に入る女ではあるのだが、友人相手にはそうでもないようだ。

 

果実酒が二人分、ドンとジョッキで二人の前に置かれる。どうやら同じ酒を頼んでいたらしい。

 

「おいおい、いいのか?お前このあと仕事だろう」

「今日の夜からの仕事は部下に任せてきた。問題ない」

 

ガネーシャ・ファミリアの構成員は皆優秀だ。彼女がいなくとも問題なく運営するはできるだろう。

しかし、リヴィエールにとってこの発言は少し意外だった。

 

「良いだろう食事くらい。それに私だって人間だ。たまには悪い事をしてみたいんだよ」

 

目を丸くする。今度は心底驚いた。そんな事を言うのも、こんなイタズラが成功した少女の様な笑顔を見たのも、初めてだったから。

 

二人とも無言でジョッキを手に取り、コツンと合わせる。

 

「で?今さら会いに来た理由を聞こうか」

「………なんだトゲがあるな…ひょっとして怒ってる?」

「根に持つ女だからな」

 

めんどくせえ女でもあったかと心中でボヤく。言葉にするほど愚かではない。

 

「で?どうなんだ」

 

唇を軽く濡らし、サンドイッチを口にしながら尋ねる。彼の事だ。自分の生存がシャクティに知られていた事などわかっていただろう。それなのにわざわざ今日、このタイミングで会いに来た事には必ず理由がある。

 

「昨日の酒場の事か?なら気にする必要はないぞ。責は全て凶狼にあると、ロキ自身が認めたからな。損害賠償も全てヤツ持ちだ」

「そりゃ良かった。だがその件じゃねえよ」

「ならやはり1年前の事件の事か……バロールの後ろで糸を引いていた神物の足取りは未だ掴めていない」

 

そして例の事件の事も当たり前のように知っている。話が早くて非常に助かる。アイズやリヴェリア相手では身内ゆえの気遣いをしてしまうが、いい意味で冷淡な付き合いである彼女には変な気をお互い使わなくていいから気が楽だ。

 

「捜索は進めているが……時が経ち過ぎた。私個人で調べる事はできても、組織だった調査はもう出来ない」

「ガネーシャ・ファミリアってのは何でも知ってんだな。俺の初めてのチューがいつか知ってるか?」

「バカな事言ってないで早く本題に入れ。貴様の財布の中身がカラになるぞ」

 

茶化すのはやめておく。ここで下手な事を言えば本当にカラになるまで食われそうだ。

 

「…………1年前の事も無論気にはなってるが、それに関しては俺が手がかりを掴むまではガネーシャに頼ろうとは思ってない」

「すまないな」

「気にするな、組織が動くにはそれなりの理由がいるだろう。聞きたかったのはこの件だ」

 

懐から取り出したのは怪物祭の宣伝ポスター。毎年恒例のガネーシャ・ファミリア主催による一大ショー。調教されたホンモノのモンスターを使った迫力満点の祭だ。

 

「…………コレがどうかしたのか?」

「何か不審な点を感じた事はなかったか?憶測でいい」

「準備自体は順調に進んでいる。特に問題が起きたとは聞いていない」

「…………そうか」

 

口を酒で濡らす。彼女が何もないと断言したという事は少なくとも現時点でトラブルはなさそうだ。

 

「何か気にかかる事でもあるのか?」

「なーんか厄介なカンジがしてな。モンスターを使ってロクデモナイ事を考えてる奴がいそうだ、とは思ってる」

 

そんな連中はオラリオに山ほどいるだろう。その手の連中に対してガネーシャ・ファミリアは細心の注意を払っている。その事をこの剣聖は知ってるだろう。その上で嫌な予感がするとこいつは言った。

 

「………………カンか?」

「カンだ」

 

しばらく無言が二人を支配する。静寂を打ち破ったのはシャクティのため息だった。

 

「お前のカンは当たるからな…」

 

そしてこの天才が厄介と言う時、自分にとっては凄まじく厄介な時が殆どだ。

 

「警戒はしておこう。忠告感謝する」

「今日はお前の珍しい所をよく見る日だな。俺に礼言ったのなんていつ以来だ」

「お前は相変わらずだな、礼くらい素直に言わせろ」

 

軽く頬を小突かれる。

 

「フフッ」

「クハハ……」

 

どちらからともなく笑ってしまう。こんな事を二人でするのも久しぶりだ。古今に置いて、友と語らう事以上に楽しい事があるだろうか。

 

「ハハハ……ああ、珍しいで思い出した。今日は随分変わったカッコしてるじゃないか。パーティにでも出席してたのか?」

「部下の結婚式の帰りだったんだよ。武器を持って出るわけにもいかない。相手は一般人だった」

 

へえ、と一つ息を漏らし、酒で口を濡らす。

 

「しかし冒険者と結婚とは……モノ好きもいたもんだ」

 

複数の女性と関係を持っているリヴィエールだが、身を固める気には未だならない。

 

「とても覚悟が必要だったと思う」

 

リヴィエールの言わんとする事もシャクティにはよくわかった。彼女もまだ特定の誰かと一緒になろうとは思えない。

 

「いつ死ぬかもわからねえってのに……」

「いつ死ぬかもわからないからこそ式を挙げたんだろう。それもきっと強さ。人はそれぞれだ」

「ははっ、女が言うと説得力あるな。シャクティもか?」

「私は考えた事もないな」

「なんだ、ガネーシャの男どもも気概がない。だが広いオラリオに一人たりともいないのか?」

「たった一人いるんだが、私は男の趣味が悪くてな。そいつは他のファミリアに所属しているし、素行にも問題点が多い。お互いの立場上、そいつと私が結ばれることはありえないだろう」

「ほう、いるんじゃねえか。素行に問題点か……なに、犯罪者?」

「犯罪者じゃないが、女を幸せに出来る類の男ではない。どんな状況でも決して誰のものにもならない。そのくせ誰の心にもいつのまにか居座っている」

 

ジト、と非難するような瞳がリヴィエールに向けられる。怜悧な美貌を持つこの麗人にこの手の目で睨まれるのはちょっと怖い。

 

「そういう最低な男さ。私の心にいる男はな」

「…………なるほど、そいつは趣味が悪い」

「わかってるんだがな……でも私もバカなのさ。趣味が悪いと分かっていても止められないんだからな」

「なるほど、それはバカだ」

「貴様が言うな」

 

軽く頬を小突かれる。

 

「……しかし冒険者の嫁か」

「いや、冒険者が嫁だ」

 

一瞬、言葉の意味がわからずあっけに取られる。

 

「マジでか」

「『僕の全てで君を支えるから、心置きなく、君は夢を追いかけてくれ』…………そう言ってプロポーズしたそうだ」

「はぁ〜」

 

心の底から感嘆の声が漏れる。誰かに尽くす人生なんて自分にはとても無理だ。これはこれで強さなのかもしれない。

 

「天使だな」

「ああ、天使だ………」

 

プッ……

 

『はっはははは!!』

 

二人揃って吹き出して笑う。ひとしきり笑った後、リヴィエールは杯を掲げる。意図を察したシャクティもジョッキを手に取る。

 

「天使な旦那に」

「強い嫁に」

 

乾杯!

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、笑った笑った。この一年で一番笑った」

「私も久々に楽しい夜だったよ」

 

ガネーシャ・ファミリアにまで送っていくと言うと、当然だと言わんばかりに連行された。ホームの前で向き合う。

 

「怪物祭の事に関しては私も警戒しておく。お前はどうする」

「当日は俺も動くつもりだ。お前は怪物祭の内部を警戒してろ。外部は俺に任せろ」

「頼もしいが……大っぴらには動くなよ」

「わかってるよ」

「団長!!」

 

ホームの方角から声が聞こえる。顔も名前も知らない人物だ。恐らく部下だろう。一応フードを被り、顔を隠しておく。

 

「ようやく戻られましたか。中々お帰りにならないので心配していたんですよ?」

「すまない。知人と少し話し込んでしまってな……何かあったか?」

「緊急案件が発生しました……その」

 

後ろにいるこちらに目を向けてくる。一般人には話しにくい内容なのだろうか?帰ろうかとも思ったが、情報の中身が気になって後ろ髪を引かれた。

 

「彼は大丈夫だ。話してくれ」

「は、はぁ。まあ隠すような事でもないんですが……昨晩1年間姿をくらましていたあの【剣聖】が現れたと目撃情報が」

「ッ!?」

 

思わず吹き出しそうになった。白髪のおかげで即バレはしていなかったが、徐々に身元が割れてきているらしい。

 

「確かなのか?」

「外見の特徴が少し違ったそうなので、定かではありませんが…顔立ちは酷似していたそうです」

「それで、そいつが何かしたのか?」

「酒場を少し破壊したようです。絡んできた【凶狼】ベートに怪我もさせたとか」

「どの程度だ」

「全治3週間との事です。その後逃げるように繁華街へと姿を消したそうです」

「へぇ……」

 

ギロリと横目で睨まれる。多少暴れた事は知ってたが、そこまで大怪我をさせたとは知らなかったらしい。シャクティも何でも知ってるわけじゃなかったようだ。

 

「ロキ・ファミリアは非はこちらにあると明言しており、彼をどうかしたいというのはないようですが、人物が人物なので……いかがしましょうか」

「……怪我をさせられた方が何もしないというのなら、軽く灸を据える程度で許してやるさ」

「は。ではそのように。書類の処理をお願いします」

「わかった。おい雑務。お前も来い。手伝いをさせてやる」

「え゛?なんで」

「軽く灸を据えると言ったろう。1年間姿をくらましていた故に放置していた剣聖関連の書類も今一度整理しておきたい。お前の事だ。どうせ近いうちに騒ぎも起こすだろう。その時スムーズに処理できるようにしておきたい」

 

強く反論は出来ない。この一年は目立たないように意識的に大人しくしていたが、これからは自分が動く事もきっと増える。その時波風を立てずに活動できる自信はない。

 

「だけどなぁ……」

「事務仕事も苦手ではないだろう。なんならウチのエンブレムをやろう。一般の冒険者では入れない所もそれで入れるようになる。おまえの活動の助けにもなるだろう。どうだ」

 

チラリと見せてきた危険区域通行許可証。ぐらりと心が揺れる。この一年、あの事件に関して自分なりに調査をしていたが、やはり身元不明の冒険者では限界があった。ガネーシャ・ファミリアお墨付きのエンブレムがあれば、その限界は大きく広がるだろう。無用な争いも少なくなるに違いない。書類仕事をするだけで手に入るというならリヴィエールにとってもメリットはある。悪い話ではない。

流石は大手ファミリアの長。人の扱いが上手い。見事な飴と鞭だ。こうなってはもう承諾するしかない。一つ大きく諦めの息を吐いた。

 

「タダではくれないか」

「当たり前だ」

「鬼」

「貴方のため」

 

最後に無駄な抵抗をした後、リヴィエールはシャクティに従い、ホームへと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、書類仕事に一日掛かったのか」

「死ぬかと思った……」

 

シャクティに一室を与えられ、比喩抜きに書類の山を置かれたのだ。書類内容に関しては確かに自分に覚えのある事ばかりだったが、もう時効だろというのまであった。机の壁が見えた時は本当に泣きそうになった。

 

「なるほど、剣聖を殺すには剣やモンスターよりも机に縛り付けておいた方が効果的ってわけかい」

「勘弁してくれ。デスクワークは当分したくない」

 

頭の中はまだ文字で埋め尽くされている。短期間で文字を大量に見過ぎた。神聖文字も読める事も途中でバレた為、共通語と混ざった書類仕事までやらされて、未だにグチャグチャだ。

 

「じゃあシャワー浴びてスッキリして今夜はもう寝ようか。埋め合わせの件は明日にしてやるよ」

「うわ、覚えてたか」

「私、期待してるって言ったよ?大丈夫、シャクティみたいに無茶な依頼はしないから」

「そう願うよ」

 

そして熱い湯を一緒に浴び、身体を洗いあって二人でベッドへと入る。リヴィエールを気遣ってか、流石に今夜は大人しくしていたが、眠る前にリヴィエールの下腹部へと周り、リヴィのソレを豊かな胸と慣れた舌使いで淫らに奉仕した。特に我慢をする意味もない。そのまま解き放つと、意識は闇へと落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぷはぁ……あ、大人しくなってきた。ホントに疲れてるんだ」

 

奉仕を終えると、撫でまわしても反応しなくなった。普段ならあと三回は出来るはずなのに。意識がないのもあるのだろうが、疲れていると察するには充分すぎる。

 

───ま、楽しみは明日にとっておきますか

 

起こしたくなる衝動を抑える。せっかく取った二日間の休暇、そして埋め合わせの約束。独り占めできる時間は充分にある。焦る必要はない。

 

「結婚式、か」

 

今日の彼の話の中にあった事を思い出す。シャクティが出席したという乙女の一大行事。夜の街で生きる女にはあまり縁のないイベントだ。アイシャ自身、じかに見たことはあまり無い。

いや、幼い頃たった一度だけ、見た事がある。招待を受けた参列者などではなく、ただの野次馬のひとりだった。

 

───あの頃は自分に縁のない事だと思ってたけど……

 

アマゾネスである彼女にとって、結婚というものに意味を見出せなかった。強い男と結ばれ、強い子をなす。それこそがアマゾネスの本能であり、アイシャにとってもそれが全てだ。知人のアマゾネスにもこのような式を挙げた者はいない。

 

───まだ消えないな、この傷…

 

厚い胸板についた古い傷を指で撫で、舌を這わせる。ピクリと腰が僅かに動く。アイシャの胸の奥に甘い疼きが湧き上がる。

 

自分達の関係は情婦と主人だ。それで良いと思ってるし、現状に不満もない。子をなす事が出来れば言うことなしなのだが、その辺彼は気を使っているので今は無理だろう。

 

それでいい。特定の相手と面倒な関係を築いていくより、自分には性に合っている。強がりではなく、そう思っていた。

 

でも、今は…

 

やはりどこかで、そういうのにも憧れていた。それもまた揺るぎない事実だ。

 

───いつかあの純白の服を着て、貴方と歩きたい。そう夢見るくらいは……

 

青年の肩へと頭を寄せ、覆いかぶさる。

この人は誰か一人のモノになる男じゃない。して良い男じゃない。知ってる。

 

でもせめて、今だけは……この温もりを、私一人のモノに…

 

「お休みリヴィエール。明日はトコトン付き合ってもらうよ」

 

頬に軽く口付け、目を閉じる。暖かな温もりを感じながら、久々に穏やかな心地で眠りについた。

 

 

 

 

 




後書きです。励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。


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Myth21 鉢合わせを避けないで!

 

 

 

 

 

 

 

それは数年前、オラリオのとある日常の一角。

 

「リヴィエール!いるか!?」

 

メインストリートからは少し離れた、しかしなかなかに立派な屋敷を、一人のエルフが訪れていた。彼女が訪れた場所はあるファミリアの本拠地である。走ってきたからか、薄っすらと汗をかき、頬を上気させている。滑らかな緑髪を腰近くまで伸ばした世界で最も美しいとさえ言われるハイエルフ。彼女の名はリヴェリア・リヨス・アールヴ。此処に住む人間の魔導における師である。

 

「?リヴェリア?随分早い訪問ですね。リヴィに用ですか?」

 

出迎えたのは太陽の輝きの如きプラチナブロンドのストレートロングに澄み切った青空を思わせる碧空色の瞳が特徴的な女性。天覧の空が具現化したような、まさに女神の美貌を持つ神、ルグ。カゴの中に湿った服をいっぱいに詰めている。洗濯物の最中だったらしい。彼の遠征帰りの恒例行事だ。つまり尋ね人は此処にいるということだ。

 

「お久しぶりです、ルグ様。お元気そうで何よりです」

 

やんごとなき身分である彼女がこのような畏まった喋り方をするのは珍しい。しかしルグに対してはこのハイエルフも敬意を払って接する。自分にとって大切な人の忘れ形見を救ってくれた大恩神だからだ。その事を一度告げ、彼の出生について、自分が知っている事をすべて話し、礼と謝罪をしに行ったことがある。その時、この偉大な太陽神は…

 

『頭を上げてください、リヴェリア。そんな事しないで。リヴィのためじゃありません。私のためです』

 

頭を下げたリヴェリアの肩を優しく支え、微笑と共にこちらを真っ直ぐ見つめてきた。

 

『確かにリヴィにとっては不幸な事で、貴方があの子に対して負い目を感じることも無理ないのかもしれません。しかし、その一件があったからこそ、私はあの子に出会えたのです』

『ルグ……様…』

『あの子は幼少期の事をあまり覚えていません。記憶しているのは母親に唄と詩を教わった事と、父親に剣を習った事だけです。私と出会ってから……いえ、きっと出会う前からずっと、あの子は自分の事を気にかけていました。両親が自分を捨てたのは何か理由があったんじゃないのか。自分は産まれてきて良かったのか、生きていい存在なのか、ずっと……あの子が夜にうなされて目を覚まし、あの小さな胸を掻きむしっている姿を何度も…何度も見てきました』

 

その姿を一番近くで、ルグはずっと見てきた。そして見る度に……あの小さな体の内に秘めている、まだ二桁にもならない少年が背負う苦悩と葛藤を想像する度に、胸が張り裂けそうになった。

ずっとそんな事はないと言ってあげたかった。でも言えなかった。何の真実にも裏打ちされていないそんな字面だけの言葉に、聡明な彼が意味を見出す事はきっとしなかっただろうから。

でもこれで、やっとハッキリと言ってあげることか出来る。

 

『お礼を言いたいのは私の方です。お話を聞かせてくださって、ありがとうございました。おかげであの子が確かな愛の下に祝福されて産まれてきた事を知ることができました。本当に感謝しています。ありがとう』

 

その時から、リヴェリアにとって、ルグは尊敬を捧げ、愛しい彼を預けるに足る女神であると知った。愛と感謝で満たされたあの潤む碧空色の瞳をリヴェリアは一生忘れない。

 

「リヴィエールは上ですか?」

「ええ、まあそうなんですが……今はその…」

 

この偉大な女神にしては珍しく歯切れの悪い返事。その所作がリヴェリアの不安をさらに煽った。

 

「怪我でもしたのですか!?」

「い、いえ。そういう訳ではないのですが……」

「っ!!失礼します!」

 

一度頭を下げ、二階へと向かう。このファミリアのホームには何度も来ている。家の構造や間取りは知り尽くしている。迷いなく真っ直ぐに二階へと向かった。

 

「リヴィ!無事か!」

 

ノックもせず扉を開ける。無礼と分かっていたが、そんな事をする余裕はなかった。そして予期した通り、彼はその部屋にいた。誤算はたった一つ。

 

「なんだルグか?ノックくらいしろよ。遠征で溜まった洗濯物は全部渡した……ってリヴェリア?一体何の用「きゃあああっ!!」

 

艶やかな濡れ羽色を本当に湯で濡らし、鍛え抜かれた身体に水滴が纏わりついた、上半身真っ裸てあった事だった。風呂上がりだったらしく、体からは湯気が立ち昇っている。

 

「バッ、バカ!なんでそんな格好してるんだ!」

「俺の部屋だ。俺がどんな格好しようが勝手だろう。ノックもせずに入って来たアンタが悪い。で?今朝はどういう用向きで?俺遠征から帰ったとこで結構眠いんですけど」

「そんな事どうでもいいから早く服着ろぉおおおおおお!!!」

 

力任せに扉を閉める音と共にリヴェリアは部屋から出た。

 

 

 

 

 

 

数分後、紺のインナーにローブを1枚羽織ったラフもラフな格好でリヴェリアを迎えたのだが。

 

「…………」

「いつまでスネてんだよ、男の上半身裸程度で。初めて見た訳でもなし」

「うるさい。あの時と今では違う」

「何が違うんだか……」

 

ふてくされたようにそっぽを向く師の姿に溜息が出る。まったく、エルフと言う奴は本当にこの手の事にめんどくさい。

 

「で?アンタはこんな早い時間に何の用だ?」

「何の用って……お前が予定日になっても帰らないというから心配してだな…」

「予定日過ぎることくらい今までだってあったろう。そんな事でわざわざウチのホームにまで来るなんて………何かあったか?」

 

急に真面目な表情になってリヴェリアを見つめる。基本的にこの人がウチを訪ねる時は厄介ごとか、アイズ絡みで何かがあったかの場合が多い。

 

「えっ!?えっと……」

「アイズ絡みか?それとも魔導教育組からの催促……は流石に早いか。こないだ講義やったとこだし。なら敵対ファミリアの情報か?」

「あ、いや、その……だな」

「やっぱりその辺りか……最近ウチをつけ狙う連中が増えている事を知ってはいるが……有名税を差っ引いても厄介だな……」

「…………………」

「?リヴェリア?」

 

返事をしない、反応さえせず、俯く彼女に疑問符が浮かび上がる。リヴェリアがこういう態度を取るのは初めて見たかもしれない。

 

「おい、リヴェリア」「なんでもない」

 

腰掛けていた椅子から立ち上がる。は?とリヴィが呆けたような声を出した時にはもう扉へと向かっていた。

 

「何でもないんだ、すまない。じゃあ」

「お、おい!!」

 

止める間も無く部屋から出て行く。しばらく呆気にとられ、茫然となる。

 

「一体何しに来たんだ、アイツ」

 

濡れた髪を拭きながら窓へと足を向ける。屋敷から出て行った彼女の後ろ姿が見えた。

 

───ん?

 

部屋に設えられたテーブルが視界に入る。その上にはロウで封がされた便箋が何通か置いてあった。

 

───手紙?俺の留守中に届いたものか?

 

遠征に出ている間、自分宛に届いた物は勝手に開けず二階に置いておくことがルグ・ファミリアにおける決まりごとの一つである。以前、ルグが大切な手紙を勝手に読んで勝手にどこかへやってしまったことがあって以来、郵便物は全て自分が検閲してから処置を決めていた。

 

───しかし蜜蝋とは随分と大仰な……

 

ロウを破り、手紙を取り出す。流麗な筆致で描かれた共通語だ。どこかで見たような気もする字体だった。

 

「………え?」

「あ、リヴィ。もう着替えてますね。さっきリヴェリアが悲しそうな顔して出て行きましたけど、彼女一体何を……って、リヴィ!?どこに行くんですか!ダンジョンはダメですよ、あと3日は大人しくって、聞いてますかリヴィーーー!!」

 

 

 

 

 

 

 

小走りに歩きながら息が切れる。こんな少量の運動で息が弾むような鍛え方はしていないというのに。呼吸が辛い。

なら足を少し緩めればいいと思うのだが、そういう気にはならない。動かしていないとどうにかなりそうだという理由もあった。

 

拳を握る。彼が自分の訪問理由を何かの事件と結びつけたことを責めることはできない。今まで何度もそういう理由で彼を頼ってきたのど。今度もそうだと思うのはごく自然なことだろう。こんな事を思うのは筋違いだ。

それでも、理不尽と分かっていても、彼が悪くないと知っていても、怒りと悲しみは収まらない。

 

───ダメなのか、リヴィ……

 

胸を締め付ける。彼が想像した訪問理由の中に、それがなかったことが。

 

……リア…

 

───何か事件や、クエストや、アイズの事でもない限り、私はあいつに会いにきてはいけないのか?

 

……ヴェリア

 

「私は、ただ……」

「待てってリーア!」

 

声と共に肩が掴まれる。そこでようやく自分が追いかけられていたことに気づいた。しまった、と思った時にはもう遅い。無防備に晒していた肩はがっしりと捕まっていた。グイと腕を引かれ、人目のつかない路地へと引っ張られた。

 

「しっ……」

「!!リヴィ……」

 

引っ張った相手を見るために振り返ると自分とよく似た、緑柱石の瞳がこちらを見つめていた。走って追いかけてきたらしく、肩が弾んでいる。丁度背中から抱きかかえられるような格好で止まっていた。

 

「リヴェリア……」

 

こちらを見て、悲しそうな、申し訳なさそうな、そんな表情を浮かべる彼を見て、慌てて目尻を拭う。少し潤んでいるのは自覚していた。

 

「ゴメン、リヴェリア……」

 

背中から優しく、抱きしめられる。暖かく、力強い抱擁に驚きながらも、その心地よさに、背中の熱へと身体を預けた。

 

「どうした?お前にしては随分と強引…」

「手紙、みた」

 

その一言で、大体のことを察する。そして白磁のような白い肌がかぁっと紅くなった。

 

「あ、あれは……」

 

蜜蝋で閉じられた手紙の送り主は全てリヴェリアだった。

 

『最近、ダンジョンで何日も下層に潜る貴方の噂を聞いています。落ち着いたら連絡をください』

 

心配だ……君は強いけど、危なっかしいから

 

『もう予定日も過ぎたのにまだ戻っていないそうですね?ちゃんと食事はとってますか?無理な強行軍はしてませんか?」

 

会いたい……

 

『いつでも頼ってください。私は貴方の家族なんですから』

 

会いたいよ、リヴィ…

 

そんな思いが字間から滲み出ているような手紙が何通もあった。

 

「………お前はどうしていつも返事をよこさないんだ」

「苦手なんだよ、思いを文字にするのって」

 

知っている。元々心情を吐露したり、表現したりするのが苦手な子だから。

 

「だいたい、俺が会いたいとか書いたらキモいだろうが」

「ふふっ、確かに」

 

クスクスと笑ってしまう。そんな手紙が彼から届いたらきっと嬉しいだろうが、まず本物かどうかを疑うと思う。

 

「だがな、送った方の気持ちはどうなる?」

「だからこうして追いかけてきてるだろ?」

 

こちらを抱きしめる腕が強くなる。感謝と愛の両方が両腕に篭っている。

 

「何もない」

「ん?」

「アイズの事も、ファミリアの情報も、何もないんだ……」

「ん……知ってる」

 

でも……

 

整ったリヴェリアのおとがいに、そっと指を添え、こちらを向かせる。自分とよく似た、そして母親と瓜二つの緑柱石の瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめている。

 

「俺も……何もない」

「ああ……知ってる」

 

でも……

 

二人の視界が暗くなる。それでも、今から二人が行う動作を仕損じる事はありえない。そう確信できるほど、二人の唇は至近距離にあった。薄闇の中で二人の唇が重なる。

 

「…リヴェリア」

「リーアと呼んで」

「……リーア。これでいいか?」

「ああ、満足だよ。リヴィ」

 

もう一度、闇の中で二人の影が重なった。

 

また、何もなくても来ていいか?

ああ、もちろん。待ってるよ

 

だれもいなくなり、廃墟と化した元ルグ・ファミリアの屋敷の前に立つリヴェリアの脳裏には、二人が交わした約束が蘇っていた。

 

待ってるって………言ったのに……

 

「リヴィの……嘘つきぃいいいいっ!!」

 

その慟哭は嘆きのようにも、叫びのようにも聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか、やはりいないか…」

 

艶やかな緑髪を後ろに束ねた尋常ならざる美貌を持つハイエルフ、リヴェリアは酒場の入り口で一つ溜息をついていた。

 

「奴が帰ってくればここにあんたが訪ねてきたことは伝えるが、当分此処は使わないと言ってたからねぇ。いつ伝わるかはわからないよ」

「分かった。朝から済まなかったな。コレは先日の詫びだ。受け取ってくれ」

 

チャラリと金属音のなる巾着袋をミアに手渡す。ベートから回収した修理費及び迷惑料が入っている。

 

「毎度、今後ともご贔屓に!」

 

なんの遠慮もなく受け取る。この辺りがミアの良いところだ。落とし前を作ったことにより、後の禍根をなくす。コレで後に引きずるようなことはしなくなる。今後も問題なくこの酒場を使えるようになる事だろう。

 

一礼するとリヴェリアは店から離れ、黄昏の館へと向かう。現状、打てる手は全て打った。後は娘たちに任せるしかない。

 

───出来ればリヴィにも頼りたかったところだったんだが……

 

もしあの事件がなく、この店に彼が滞在していたとしても、自分の訪問は歓迎されなかっただろう。自分とリヴィの間に遠慮など存在しないが、こう矢継ぎ早に来られては、煩わしいくらいの事は自分でも思う。

それでも鬱陶しがられるのを覚悟で今日、彼を訪ねたのには理由がある。ここの所、元気がなく、ダンジョンにも全く行こうとしない少女のことで相談があったからだ。

その少女の名はアイズ・ヴァレンシュタイン。レベル5の一級冒険者にして絶世の美貌を持つヒューマンだ。

 

ここ数日、アイズはホームで何かを考え込む様子でずっと過ごしていた。普通に考えるならば、本来当たり前のことではある。遠征から帰った所なのだし、休息を取るのは当然だ。この時期にダンジョンに突っ込む方がおかしい。

しかし事アイズ・ヴァレンシュタインという少女に限ってはこの常識は通用しなかった。遠征から帰った所だろうと何の関係もなくダンジョンに突っ込む。誰が止めようとまるで聞く耳を持たず、強くなることを第一に考えて動いていた。

そして人間とは慣れる生き物である。普段騒がしい人間が急に大人しくなれば何か事情があるのかと心配するように、いつもの無茶な突貫をしないアイズの事をロキやリヴェリアは心配していた。

 

ーーーー珍しいを通り越して不可思議なくらいだからな、アイズが無為に時間を過ごすなど…

 

たまにはそういう時間を過ごしても良いとリヴェリア自身は思う。

 

酒場のあの一件がなければの話だが……

 

悩んでいる内容も同じ思いを持った自分には想像はつく。リヴェリアはある程度彼の事を信頼している為、あそこまで深刻には思っていないが、根が真面目すぎるアイズは闇に消えたリヴィエールのあの背中が不安でたまらないのだろう。

 

しかし想像はあくまで想像でしかない。ロキに煽られた所為もあって……まあ、そんなものなくとも話を聞きには行っただろうが、そんないつもと違う彼女を何とかする為に話を聞きに行った。

 

そして金髪の少女から語られたのは自責と後悔の言葉。

 

ベートを叩きのめし、夜の闇へと消えて行く彼に、アイズは何もできなかった。本来であれば、彼だってそんな事したくはなかったはずだ。目立ちたくないとあれ程言っていたのに、否応なく目立つ真似をさせてしまい、嘲笑された彼に対してアイズは何もできなかった。ただ俯いて拳を握っていた。

必死で何かを言おうとしたが、内にある思いは言葉にならず、闇へと消えて行くあの背中を黙って見ている事しかできなかった。

 

その事を思い出すと羞恥で身が消え入りそうになる。もう2度と一人にはしないと誓ったにも関わらず、自分はまた彼を一人にしてしまった。

ダンジョンへ向かおうとは何度もした。それでも気がついたら歩みは止まり、街から出られない。ダンジョンよりも彼の元へと行きたかった。

 

───喜ぶべきなのかどうかは複雑だがな…

 

鍛錬とダンジョン以外に興味のなかった少女に芽生えた確かな変化。その感情の意味するところを感情の機微に疎いあの子にしては珍しくわかっている。しかし、その感情を持つ事の弊害について、彼女はわかっていない。まあつい最近までリヴェリアも分かっていなかったのだが。

 

本気の恋は力を与えてくれることも、自身を弱くする事もあるという事をまだ未熟な少女は知らなかったのだ。

 

これからどうしたいかと尋ねればアイズはわからないと答えた。ならば好きなだけ悩めば良い。言ってくれれば相談に乗ろうと言い置き、リヴェリアはその場を後にした。

 

リヴェリアが彼女に出来ることはそこまでだった。原因は聞けても、立場が違う自分ではアイズを元気づけることは出来ない。

それを最も効果的に出来るであろう人物を頼るためにリヴェリアはその足で豊穣の女主人へと向かっていた。

しかし尋ね人は留守。まあしばらく姿を消すと言っていたし、予想通りといえば予想通りなのだが……

 

「まったく、お前はいてもいなくても周りに影響を与える奴だなぁ」

 

はた迷惑な奴だと思いつつも、少し誇らしい。そういう事が出来るのはすごい事だという事をリヴェリアは知っていた。

 

待ってるよ、リーア

 

不意に脳裏にこの言葉が蘇る。あの事件が起こる少し前、二人が生まれたままの姿になって、ベッドの中で交わした、あの約束を。

 

───何が待ってるよ、だ。あのバカ。今度会ったらどんな手を使っても潜伏場所を聞いてやる。

 

「リヴィの、嘘つき」

 

その声音は不満のようにも、喜びのようにも聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まったく、強引に連れ出して……」

 

リヴェリアが不満を漏らしている時に、ロキ・ファミリアの四人娘は街へと繰り出していた。豊満な肢体を持つアマゾネスは妹の強引な行動に若干の不平を漏らしている。

 

「いーじゃんたまには。服でも買ってパーっと気晴らししようよ!アタシとティオネがよく行く店があるんだ〜」

 

今回の外出を提案したもう一人のアマゾネス、ティオナ・ヒュリテ。女子のストレス発散方法としてはなかなか悪くない手段を用いて、アイズを街へと連れ出していた。

 

「ついたよ、此処!」

 

紫の色を基調とした看板店を仰ぎ、レフィーヤの動きが固まる。連れて来られたのは、大通りから離れた路地裏にある、とある一軒のブティック。

店の外からでも非常に際どい衣装が取り揃えられていると分かるそこは、アマゾネスの服飾店だった。

 

「久しぶりねー、私もちょっと羽目を外しちゃおうかしら」

「あ、ほら、新作出てるよ!見てみよアイズ」

「えっ!あのちょっと待ってくださ……アイズさーーん!」

「もう、レフィーヤ。あんまり騒がないでよ………ん?」

 

引っ張られるアイズを止めようとレフィーヤが追いかける。大声を出して此方を制止しようとするレフィーヤを窘めようとティオネが振り返った時、意識がとある一点へと向けられる。つられて他の三人もティオネの視線の先に意識を向けた。

そこにあったのは人だかりとざわついた騒がしい空気。比較的メインストリートからは離れているこの通りにしては珍しい喧騒にティオネは意識を持っていかれた。

 

「珍しいわね、誰か有名人でもいるのかしら」

「綺麗な人がいるっぽいね〜。ちょっと見てみよう!」

 

野次馬根性逞しいティオナが我先に喧騒の中へと突っ込んでいく。その行動に呆れつつも、放置するわけにはいかないため、三人もティオナに続いた。

 

ブティックの隣の店はどうやらカフェだったようだ。中々流行っている店らしいが、とある一角だけは人口密度がおかしかった。噂のマトとなっている人間を遠巻きに囲むような状態になっている。

輪の中心で腰掛けているのは艶やかな黒髪を腰まで伸ばした妖艶なアマゾネス。滑らかな褐色の肌に、豊かな胸を覆う扇情的な布。大きくスリットの入った大胆なパレオのお陰で優美な足の曲線が強調されている。

 

「うわぁ〜。すっごい綺麗な人。人だかりが出来るのもわかるなぁ」

「誰かと待ち合わせでもしてるのかしら?あの色気はちょっと真似出来ないわね」

 

若干の悔しさをにじませながら溜息をつく。スタイルの良さにはそれなりに自信のあるティオネなのだが、ああいった大人の女独特のフェロモンはまだ身につけていない事も分かっている。フィンに恋をするまで色気より食い気だったから仕方ない。ああいうのは一朝一夕で身につくものではないのだ。

 

「でもあの格好でアマゾネスって事は、多分娼婦ですよね?表に出てくるなんて珍しい…」

 

訝しげな表情と少し敬遠するような目で腰掛けるアマゾネスをレフィーヤは見る。美人や凛々しい女性に弱いレフィーヤだが、性に関して高潔なエルフの中でも、彼女は一際純情だ。こういう生業をしているものに対しては嫌悪感が沸き起こる。

まあアマゾネスなんて殆どが機能性全振りの露出おかしい服を普段から来ているため、彼女が絶対にそうとは言い切れないのだが、昼間っからああいう格好をしていれば娼婦だと思うのも然程こじつけとはいえない思考。娼婦という人種にレフィーヤは良いイメージをあまり持っていないし、苦手意識も多分にあった。

 

「別に珍しいって程でもないじゃん。外に友達いる人だっているだろうし、たまに出かけるくらいは………あ、ついに一人いった」

 

人だかりの中から一歩を踏み出し、女へと近づいていく。恐らく冒険者だ。歳は三十後半から四十と言った頃合い。見るからに品のなさそうなヒューマンだった。

 

「よう、幾らだ?ねえちゃん」

 

金属音の鳴る巾着袋をテーブルの上に落とす。下卑た笑みで近づいてくるその男に対し、褐色の肌の美女は憂いに満ちた溜息を吐いた。巾着袋を手に取る。

 

「へへ、まさかこんなところでアンタほどの上玉に会えるタァ、俺も「足りないよ、〇〇野郎」

 

先の肯定と取った冒険者の顔面めがけて女が巾着袋を投げつけた。眉間のあたりに見事にヒットし、地面に落ちる。袋からは銅貨が数枚こぼれた。

 

「私の時間は貴重なんだ。あんたの銅貨とモチモノなんかじゃ10分も買えない。ああ、それともアンタは10分あれば充分かい?早そうだもんね」

「…んだと」

 

男の眉間に筋が立つ。確かに銅貨ばかりが詰められた巾着袋だったが、それでも並みの娼婦なら間違いなく一晩程度は買える額だった。それを10分、しかも侮辱まで添えて罵倒された。怒りを感じるのも尤もだ。

 

「テメエ、お高く止まってんじゃねえぞ!」

 

肩に摑みかかる。しかしその手は彼女には当たらなかった。理由は二つ。一つは彼女が避けたから。そしてもう一つが、先ほど入店して来た男が振り上げた拳を止めたから。

 

「悪いな、その女の時間は今日は俺が買ってんだ」

「あ?なんだ優男が、後からいきなり出て来やがって。引っ込んでろ!」

 

鈍色が男の腰から閃く。腰に差していたメイスを振るったのだ。頭目掛けて振るわれたそれは直撃すれば命に関わる威力を持っている。

しかし、男にそれが命中する事はなかった。距離が近かったためか、フードを掠めはしたものの、上体を逸らし、回避にせいこうきていた。

野卑な男が続けて暴力を振るう事はなかった。気が付いた時には褐色の美脚が振り上がっており、そのつま先は見事に顔面にめり込んでいた。

 

「言い忘れてたけど、私はもうそういう商売してなくてね。私に触れていいのはアンタが殴ろうとしたその優男だけさ。そしてそいつを殴っていいのも私だけだよ」

「あーあ、穏便にすませるつもりだったのに」

 

フードの男がやれやれと肩をすくめる。同時にハラリとメイスが掠めた事でめくれ上がったフードが落ちた。

 

「待ったか?アイシャ」

「いや、今来たところさ」

 

壮年の冒険者が気絶してひっくり返る頃には、アイシャと呼ばれた褐色の美女は男の腕を取っていた。どうやら、彼女の待ち人は彼だったらしい。

 

「一緒に来ればこんな事にはならなかったってのに」

「分かってないね。待ち合わせはデートの醍醐味の一つなのさ」

 

彼女が飲んだ紅茶の代金をテーブルに置き、出口へと向かう。ちょうど影に隠れているせいで、男の顔は未だよく見えない。しかし、出口へと歩くにつれ、徐々に日の光の元に彼の姿が晒されていく。出口にたどり着き、ティオネ達の目の前に立った時には完全に、日光を反射する眩い白髪と緑柱石の瞳が露わになっていた。

 

『あ』

 

六人の世界が止まった。

 

 

 

 

 

 

 

 




うーむ、進まない。キャラが頭で勝手に動くからなぁ。次回は絶対原作進めます。励みになりますので感想、評価よろしくお願いします


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Myth22 色男と呼ばないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

怪物祭にデートに連れてって。

 

それが朝、アイシャが作った朝食を摂っている時に、先日の埋め合わせとして俺に頼んで来た事だった。

口に含んだパイを赤ワインで流し込む。パイの塩分と甘み、ワインの酸味が一体となり、喉を通った。

 

「意外だな、お前ってあの手の祭に興味あったっけ?」

「今まで縁がなかったから行ったことないけど、祭は嫌いじゃないさ。でもぼっちで行くには辛いイベントだろ?ねえ、連れてってよ」

「まあ、あれには俺も出向くつもりだったが…」

 

一人の方が身軽なんだけどなぁとボヤく。なんかあるのと聞かれ、嫌な予感がする程度の事は教えた。

 

「ならなおさら私を連れて行ったほうがいい。ぼっちで回るより女とデートって事にした方が不自然ないし、もし戦闘になっても私ならリヴィエールの足手纏いにはならないし」

 

考え込む。確かにアイシャの実力なら何かあったとしても問題なく対処できるだろう。そして一人で回るには確かに微妙なイベントだ。同伴者がいる方が何かと助かる。

実力者を同伴するのならリューでもいいかと一瞬考えたが、こういう事情があると言ってしまえば、あのど真面目の事だ。デート中ずっとピリピリして、逆に目立つ。そういう所、いい意味で気が抜けているアイシャは適任と言えた。

 

天秤が傾いた事に表情から気づいたのだろう。満面の笑みを浮かべるとリヴィエールの肩にしなだれかかる。

 

「ねぇ、イイだろ、リヴィエール。埋め合わせするって言ったじゃない。剣士が約束やぶっていいのかい?」

「…………別にダメなんて言ってないだろう。まあお前なら確かに荒事が起きても心配ないだろう。わかった、連れてってやるよ」

「やたっ!絶対約束だよ?ドタキャンしたら許さないよ?」

「はいはい……それよりお前、その格好で表に出るつもりか?」

 

いつもの露出度の異常に高い踊り子の衣装を指差す。アマゾネスなら布面積の少ない服など珍しくないが、アイシャが纏っているのはその中でもかなり際どい部類と言えた。

 

「そのつもりだけど?」

「あのなぁ、そんな裸族みたいな格好した女連れて街歩けるわけないだろ」

 

ただでさえ美人は目を引くというのに、こんな格好した女を連れて人だかりを歩けば目立ってしょうがない。男も女も、連れている人間とは一つのステイタスなのだ。美人を連れて歩いていればそれだけで箔がつく。ましてアイシャクラスの美貌とプロポーション、そして名声を持つ女をこの布面積の服で連れて歩けば、それはもう華やかな翼を満開にした孔雀を引き連れて歩いているようなものだ。

必要以上に身を隠そうとはもう思っていないが、それでも敢えて目立つ行動をしようとも思っていない。

 

「でも私、こんな服しか持ってないさね」

「だろうな。数ヶ月の付き合いだが、お前がその手の服以外のを着てるの見たことねえし……」

 

ニヤリとアイシャが口角を上げる。その言葉を待っていたと言わんばかりの笑顔。あ、しまったとリヴィエールが思った時にはもう遅かった。

 

「なら今日1日買い物に付き合ってくれよ。隣に連れて恥ずかしくない服を見繕ってくれ」

 

今までのやり取りはこのセリフを言わせるための、ひいては今日、買い物デートをさせる為の伏線だったのだ。気づいた時にはもう遅い。実際この服で出かけさせるわけにもいかない。

 

「で、金は俺持ちですか」

「トーゼンだろ?情婦(イロ)の衣食住の面倒見るのも主人の役目だよ」

 

はぁと一つ息を吐く。金に困っているわけではないし、貯蓄も充分あるのだが、ここ数日、人に奢ることが多過ぎる。タダでさえこいつの身請けには相当金を使ったというのに。

 

「女物の服飾店なんて俺は知らん。財布はくれてやるから好きなの買ってこい」

「バッカ、あんたも付き合うんだよ。当然だろ」

「…………俺、女の服の買い物には付き合わないって三年くらい前に心に誓ったんだけど」

「じゃあ、リヴィエールが恥ずかしいと思う服買ってきても文句言わないでね。私は別にコレでもイイんだから」

 

はい俺の負け。口実を作ったのが自分なのだから、当然だ。理屈がもっともである以上、従う以外の選択肢はなかった。

 

 

 

 

 

 

そんなやりとりがあってアイシャの服を買いに出かける事となった。時間差で。一緒に住んでるのだから一緒に行けばいいと言ったのだが、待ち合わせをしたいと言って聞かなかったアイシャは集合場所の地図を残して先に行ってしまった。リヴィエールはシャワーを浴びてから、地図を頼りに待ち合わせ場所へと向かう為に家を出た。

 

「あら、ウルス様」

 

何か髪でも飾ってやれる花でも買って行くかとうろついていると蜂蜜色の髪をした知人に声をかけられる。アイシャの友人で娼婦だ。種族はエルフ。陶器のような白磁の肌とスラリとした腰つき、均整のとれた肢体が美しい。春姫が所属している娼館のナンバーワンだ。

 

「クロウか……久しぶりだな」

 

名はクローディア。東洋の着物という服を纏っている為、露出が多いというわけではないのだが、着崩している為か、下手に裸になるより扇情的だ。どうやら仕事明けらしい。春姫の件でかなり世話になった人物だ。

彼女は娼婦であると同時にもう一つ別の顔を持っている。そっちの顧客はほぼリヴィエールだけなので副業も副業なのだが、彼女以上に腕のいいプロをリヴィは知らなかった。

 

「本当にお久しぶりでございます。最近ウチにはとんとご無沙汰ですね」

「お前も毎晩忙しそうだな。まあ売れねえよりはいい事だが」

「おかげさまで、皆様がお引き立てくださいまして」

 

笑顔を見せる。この街の人間にしては珍しく、彼女の瞳は曇っていない。リヴィエールが好むタイプの女と言えた。

 

「私の目、お好きですか?」

「嫌いではないな」

「欲しいなら差し上げましょうか?」

「アホ」

 

冗談とも本気ともつかない顔で言ってくる彼女の頭に手刀を落とす。ペロッと舌を出した。ここぞとばかりにあざとい。

 

「いつもなら閉めさせていただく時間ですが、ウルス様でしたらよろしゅうございますよ?遊んでいかれますか?」

 

ほつれた髪を自然な動作で直す。同時に骨の髄にまで響くようなしっとりとした濡れた声。リューも時々この手の声を出すことがあるが、彼女と比べては相手が悪すぎる。

 

「あいにく人と約束があってな。またゆっくりできる時に頼むさ」

「あら、では楽しみにお待ちしています」

「じゃ」

「あ、ウルス様、お待ちください」

 

立ち去りかけた時、クロウが俺を引き止めた。

 

「もしよろしければお持ちくださいな」

 

身につけていた花を俺の胸につけてくる。

 

「私が付けていたもので恐縮ですが、とても良い香りのする花ですの。きっと私の代わりにお疲れを癒してくださいますわ」

「ふむ」

 

髪を飾るその花近くで息を吸う。爽やかなサラッとした香りが鼻腔をくすぐった。

 

「いいな、クロウの香りがする」

「そう言って頂けて光栄です」

「ありがとう、お疲れ」

「はい、おやすみなさいませ」

 

娼館街の端まで歩き、ふと振り返るとまだ俺を見送っていて小さく手を振っていた。

 

「……いくか」

 

自分がプレゼントされた物を新たに女に送る気にもなれない。手ぶらで待ち合わせ場所に向かうことにした。

 

 

 

 

こうして、一悶着はあったが、無事アイシャと落ち合い、ブティックへと向かうはずだった………たった一つの誤算を除けば。

 

「さて、行くか「待たんかい」

 

見なかった事にしようと踵を返した瞬間、三つの手に首根っこを掴まれる。その力はあのリヴィエールをもってしても逆らえないと思うほどの剛力だった。

 

「随分綺麗な人を連れてるじゃん?私達にも紹介して欲しいんだけど?」

「流石ねぇ、色男のリヴィエールさん?会うたびに違う女引っ掛けて、花なんか差しちゃって。あのカメラに向かって女はバカだと言ってやったらどう?」

「どこにカメラがあんだよ…」

「リヴィエールさんがこんな人とこういう遊びをしてたなんて……幻滅です!」

 

色街で時々見る光景だねぇとアイシャは苦笑する。妻帯者の娼館通いがバレた時、このような事が起きるのを何度か見てきた。

眺めているのも面白いが、助け舟を出そうと決める。彼女達はロキ・ファミリアでも幹部に位置する実力者集団だ。顔と名前くらいはアイシャも知っている。このままでは自分の主人が消し炭にされかねない。

 

「こんな人とはご挨拶だねぇ」

 

苦笑しながらも割って入る。まあアマゾネスでこの手の格好をしていたらほぼ娼婦なため、間違った意見とも言えないが、初対面の人間にしていい表現ではない。流石に反省したのか、発言したレフィーヤは少し小さくなった。

 

「私はアイシャ・ベルカ。イシュタル・ファミリアに所属してる冒険者だよ」

「コレは申し遅れました。私はティオネ・ヒュリテ。コッチは妹のティオナ。こちらのエルフがレフィーヤ・ウィリディス、そしてアイズ・ヴァレンシュタインよ。ロキ・ファミリアに所属してるわ。お互い名前くらいは知ってるわね」

 

自己紹介を終え、握手する。ここまで敵意剥き出しな握手も珍しい。アイシャは心中で笑ってしまった。

 

「で?貴方はコイツとどういう関係なの?」

「リヴィエールとは少し前に知り合ってね。ファミリアを無くしていく当てが無いところを色々世話してやったのさ。今日はそのお礼として買い物に付き合って貰ってるんだよ。ね、旦那?」

 

見事な言い訳が息を吐くようにスラスラとアイシャから出てくる。俺ではこうはいかない。流石にこの手の経験も豊富なだけはある。あの空白の一年の事を出されては彼女達もあまり強く出れない事をアイシャは知っていた。

 

(流石だな)

(別に嘘はついてないし。それにお礼を言うのはまだ早いかもよ?)

 

止める間も無かった。スルリとごく自然な動作で腕を抱き寄せられた。収まりかけた場の空気がザワリと殺気立つ。そして向けられるジトリとした瞳。

 

「で?あんた達はこの旦那と何か約束でもしてたのかい?」

「それは……」

 

黙り込む。確かに何か約束をしていたというわけでも無いし、アイズとリヴィエールは付き合っているというわけでも無い。肌の接触はおろか、キスすらまだの関係である。別によその女と歩いていたからといって、公然と責められる立場では無い。その事をアイシャが告げると、4人とも何も言い返せなかった。

 

「じゃあ私がこうしてても別に問題はないわけだ。ホラ、行こうリヴィエール。買い物、付き合ってくれるんでしょ?」

「お、おい……」

 

腕を引っ張ってブティックへ入ろうとする。しかし流石に目の前の4人、特にアイズを放置しにくいリヴィエールはこのまま何のフォローもせずに行動するのは二の足を踏んでしまった。

 

(何迷ってんのさ。時には突き放すのも優しさだよ)

(この状況でこいつらを放置したら確実にリヴェリアの耳に入る。誇張ありで。そうなったら話が3倍はややこしくなる)

 

そんなコソコソ話を二人でしているうちに三人娘もアイズを交えて内緒話を始めていた。

 

(アイズアイズ!いいのアレ!リヴィエール取られちゃうよ!)

(…………よくない)

(じゃあ、ちょっと待ったコールしないと!今!なう!)

(…………でも私、リヴィと何か約束したわけじゃないし……先約はあっちみたいだし)

(じゃああのアマゾネスにリヴィエールの休日独占されてもいいの?)

(…………私が割って入ったら迷惑かもしれないし…)

 

あの時また何も出来なかった私に……そんな資格、ないと思うから

 

(それ全部アイズの心が入ってないじゃん!私達は、アイズがどうしたいかを聞いてるんだよ!)

(私が、どうしたいか……)

 

恐る恐る、リヴィエールへと視線を向ける。隣のアマゾネスと何か喋っている彼を見て、沸々とモヤモヤした感情が湧き上がる。

特定の恋人はいないとリヴェリアも言ってたから、きっと友達なのだろう。恩義もある相手らしい。自分達と同じように友人とたまの気晴らしに出掛けていた(希望的観測アリ)というのはわかる。頭では理解している。自分は異性の友人がいないからそういう事はないが、彼には異性の友人が多いことも知っている。その事を責められるわけもない。しかし心で想う事は止められない。

 

負の感情を宿した視線に気づいたのか、此方に意識を向けてくる。一年前と変わらない、緑柱石の瞳が此方を捉えた。

 

トクン

 

胸の中で小さな音が鳴る。面影を残しつつも、姿も形も心もお互い大きく変わった。

 

しかし、この瞳だけは…

 

初めて出会ったあの頃と、アイズが初めて恋に落ちたあの頃と変わらない。

モヤついた心が少し晴れる。なあに?と言わんばかりに彼が小さく首をかしげたその姿に、キュっと胸が締め付けられるような甘酸っぱい感情が湧き上がった。

 

「…………悪い、アイシャ」

「はいはい、こいつがアイズ・ヴァレンシュタインって聞いた時からそうなるだろうと思ってたよ。剣聖は剣姫に甘いってのはホントだったんだね」

 

目を伏せたアイズを見て、リヴィエールの態度が変わった。察したアイシャも絡めていた腕をほどき、一歩分距離を取る。アイシャがしてやろうと思ったのはここまでだ。これ以上は譲歩してやる気にはなれない。一歩を踏み出す覚悟がないなら、もう容赦はしない。

 

「アイズ」

 

隣に立つ男の声を聞いた途端、ワザとらしくため息をつく。もちろん当てつけだ。隣に立つ白髪の青年は未だ俯いて迷っている少女の名を呼び、近づいていく。腕を離したのはそういう事をさせるためではないというのに。噂は聞いていたが、噂以上だ。

 

「この前の酒場の事だがな」

 

ビクッとアイズの体が震える。やはり負い目に思っているのはココか。かの一件、この子は何も悪くない。気にする必要はないというのに。

 

「…………お前、あの時酒飲もうとしてたろ?」

「え?」

 

気にするなと言おうとしたが、やめる。こいつにそう言った程度で解決するくらいならこんなややこしい事にはなっていない。ならば切り口を変えてみる事にした。

語られた内容がアイズにとっても意外だったのか、驚きに表情を染めてこちらを見上げてくる。罪悪感を驚きの感情が上回ったのだろう。もうこっちを見る事に躊躇はしていなかった。まず第一段階突破。

 

「酒は飲むなって俺お前に昔きつく言ったろう。まったくあの時は焦ったぜ」

「…………リヴィ?」

 

不思議そうに首をかしげる。この人は一体何を言ってるのか、わからないという顔をしていた。

 

「………その事だけだよ、今回のことで俺が感じた不満は。後のことはもう忘れたさ」

「リヴィ……でも、あの時貴方は…」

「あの程度の戯言、いちいち気にしてねえよ。別にどうって事ねえさ。慣れてるんだ」

「バカ」

 

急にアイズの血相が変わり、胸を叩かれる。唐突に変わった彼女の態度に驚かされた。ポロリと雫が金色の瞳から落ちる。

 

「貴方はとても酷いことを言われた。貴方の大切な人を侮辱されてた。戯言なんかで片付けていい事じゃない。慣れてるなんて言わないで」

「アイズ……」

 

あまりの勢いにリヴィエールはしばらく呆気に取られる。一度頭を振ると肩を竦め、苦笑した。

 

「ったく、お前も剣士の端くれだろうが。そんな簡単に泣くなよ」

 

指で雫をそっと拭う。

 

「アイズ、お前のファミリアの人間を侮辱されたならともかく、俺みたいな他人のために泣いたり怒ったりするな。泣く事も、怒る事も自分のためだけにやるんだ」

「…………?言ってる意味が分からない」

「だろうな。お前とは時々話が通じなくなる。お前は俺にとって非常に不可解だ。すぐ近くにいても、遥か遠い」

「…………リヴィに言われたくない。貴方の事は一生付き合ってたとしてもきっと理解出来ないと思う。貴方と私はとても似ているのに、とても掴み所がない。捕まえたと思ったら、離れていく。まるで笛の音のように」

 

雫を拭った手を握る。今、確かに掴んでいるのに、彼を捕まえた気にはとてもならない。

 

「なんか聞きようによっては告白みたいね」

 

ティオネの余計な一言が二人を耳まで真っ赤に染め上げる。リヴィの後ろではティオナとレフィーヤがアイズを応援していて、ティオネが慈愛溢れる瞳で優しく見守っていた。

 

「ウォッホン!!………さて、俺はもうお前に言いたいことは全て言った。もう俺がお前に思うところはない」

 

少し嘘だ。しかし、リヴィにとって、それを上回るだけの愛しさはこの少女にはある。

 

「今度はお前の番だ、アイズ」

 

ギュッと袖を掴む手に力が入る。

 

「アイズ」

 

名前を呼ぶとピクリと肩を震わせた。何かを言おうとして顔を上げたが、言葉にならず、金の瞳を伏せ、俯いてしまう。さっきまでは怒りで感情が染まっていたため、考えるより先に大胆に行動できていたが、冷静になった今はもうそんな事はできない。心では言いたいことがあるのだろう。が、それを上手く表現出来ない。その気持ちはよくわかる。心情を言の葉に乗せることのなんと難しいことか。自分もかつてルグに心無い言葉を言ってしまったことが何度もある。それでもあの偉大な太陽の神は俺を慈しみ、包み込んでくれた。

 

「アイズ」

 

もう一度呼ぶ。良くも悪くも、自分と似ている、愚直で不器用で、可愛い妹分を。

 

もう気にするなとは言わない。俺だってルグの言うことを無視している。時々思い出すくらいに忘れてくれと頼まれたのに、いつまでも彼女の影を追っているのだ。アイズにそんな事を言う権利は今の俺にはない。ルグはあの時、俺のことを待ってくれた。今度は俺の番だ。

 

「お前、これからどうしたい?」

 

心情の機微に疎いアイズでも、この質問の真意はすぐにわかった。今リヴィエールが問うているのは、今現在の事だけでなく、今を含めた未来をどうしたいか尋ねているのだ。

 

「わた……しは」

 

どうしたいのだろう?あの夜からずっと考えているけれど、未だ明確な答えは出ていない。あの夜は掴む事も、追い掛ける事も、呼び止める事も出来なかった。ただ、遠くなる彼の背中を一人で見ている事しか出来なかった。

続いてダンジョンで見た、彼の辛そうな顔が脳裏に浮かぶ。あんな暗い顔をした彼をアイズは初めて見た。

 

全て、自分がさせてしまった事だ。語りたくない自分の過去を語らせたのも、闇に消えざるを得ない状況に彼を追いやったのも全て自分だ。自分と出会わなければ彼にこんな辛い思いをさせずに済んだのかとさえ思った。

 

そのことを口に出せば、リヴィエールは否定してくれるだろう。それでも、罪の意識は消えない。手が震えた。

 

「あ……」

 

温もりが、アイズを包み込む。裾を握った震える臆病な弱い手を、硬く、でも暖かい、武骨な剣士の手で優しく包み込んでくれていた。

 

もう一度、彼の目を見つめ直す。出会った頃と変わらない、まっすぐな光を宿した緑柱石の瞳。大きく変わったのは白髪のみ。それも不思議と彼に良く合っている。

 

出会わなければ良かったのかもしれない。この出会いがなければ、自分がこんなに弱くなる事も、きっとなかっただろう。

 

それでも……

 

(頑張れ!アイズ!)

(一歩を踏み出す勇気です!アイズさん!)

 

後ろからティオナとレフィーヤがアイズを応援していて、ティオネが自嘲するような笑みを浮かべて優しく見守っている。

 

そして彼が待っている。あの澄んだ瞳で、自分を見てくれている。

 

───それでも、私は……

 

この強い瞳を見るたびに何度だって思う。この人と会えて良かったと。自分の隣にいて欲しいと。彼は望んでいないかもしれない。辛い思いも、悲しい思いもさせることもきっとあるだろう。わかっている。

それでも……

 

ギュッと握られた手に力が入る。

意を決して顔を上げ、エメラルドの瞳を真っ直ぐにを見つめて口を開いた。

 

「リヴィと一緒にいたい…」

 

あの夜、闇の中に消えていく彼に、自分が何を言いたかったのか、どうしたかったのか、まだわからない。

それでも、アイズの気持ちは………ずっと変わらない、彼女の内にある思いは言えた。

観念したようにリヴィエールが溜息をつく。こうなってはもう彼の負けだ。一年前には何度もあった光景。

 

「私、今日は帰るよ」

 

苦笑しながらアイシャは踵を返す。流石にそこまでさせるつもりはなかったのか、ティオネ達もこの提案には動揺した。

 

「アイシャ……いいのか?」

「そんな顔しないで、リヴィエール。いいのさ、なんかもう今日は気分じゃないしね」

 

せっかくの二人きりのデートに水を差された。邪魔されたのは業腹だが、アイズを思う彼のあの目を見てしまってはもうそんな気にはなれなかった。このような事態は娼婦時代にとっくに慣れっこになっている。それにこれがラストチャンスというわけではないのだ。彼の居場所を知らないアイズはこの機械を逃せば次はいつになるかわからないが、自分にはいくらでも機会はある。今がダメならまた次でいいという切り替えが彼女は出来た。

 

「主人の異性関係には干渉しないのが私達の掟さ。いい情婦の見本だろ?」

 

───怒ってんなぁ、わかるけど。

 

表面的には笑顔を見せるアイシャから不機嫌が静かに伝わってくる。元の職業柄、表情を作るのは慣れた物だ。一見しただけならまず分からない。しかし、優れた五感を持ち、感情の機微に敏いリヴィエールからすれば手に取るようにわかる。

 

胸元に差さった花をアイシャの前に翳す。サラッとした爽やかな香りがアイシャの鼻腔をくすぐった。

 

───?

 

キョトンとした顔でこちらを見上げてくる。顔を向けたと同時にアイシャの黒髪に花を差した。

 

「貰った花でな、どこに飾ろうか迷ってたんだが……うん、やっぱりここに飾るのが一番綺麗だ」

 

微笑を向ける。アイシャの顔が一瞬で茹で上がった。男慣れしている彼女にしては珍しい。何か愛しくて、頭を撫でた。

 

「…………コレでごまかせたと思うなよ」

「バレたか」

 

当たり前だと人差し指で額を突かれる。

 

「悪いな」

「いいのさ。埋め合わせはまた今夜、ね。お土産期待してるよ」

 

後半を耳打ちすると満足げに笑い、軽やかな足取りで街の中へと消えていった。

 

「…………良かったの?彼女」

 

いつのまにか背後にいたティオネが呟く。アイズのためとはいえ、先約を交わしていた相手を追い出したような形になってしまった。同族ゆえの気遣いもあるのだろう。声色には少し後悔が混じっている。

 

「アイシャは一度納得したことを後でゴタゴタ言うような女じゃない。ヘタな男よりよほど男前だよ、あいつは」

「流石ね、相変わらずいい女が寄ってくる」

「その分、色々大変なんだけどな」

 

白髪のハーフエルフは出会いの縁には恵まれているだろう。だから人との繋がりを恐れるようになってしまったのだ。好ましく思う人物との悲劇的な別れが彼には多い。その幸運に比例するように、試練にも愛されているのだ。

 

「それじゃ、今からみんなでアイズの服買いに行こー!!」

「せっかくアイズさんの服を買いに来たのですから、リヴィエールさんの意見を聞かせてもらった方がいいかもしれないですしね」

 

服飾店の多い北のメインストリートに、服の事には無頓着なアイズがいた理由を、リヴィエールはようやく理解した。何の目的かは知らないが、こいつらがここにアイズを連れてきたのだ。

そしてそういう事の運びになった原因は恐らく自分なのだろう。自惚れかもしれないが、この子が悩むなんて自分の事以外では想像できなかった。

 

ティオナの号令がかかり、今度は五人で歩き出す。

前はティオナ達が、そして少し遅れてリヴィとアイズが歩く。

 

ーーーっ……?

 

左腕に引力を感じる。同時に嫉妬混じりの怒りの視線がこちらに突き刺さった。

 

蜂蜜色の髪の少女が袖を引っ張っていた。いつもの無表情の中に、少し拗ねた色がある事にリヴィエールだけが気づいた。

あのような現場をアイズが見た事は初めてではない。アイズもそうだが、彼も異性に言い寄られる回数は凄まじい数に上る。そして基本的には一刀両断している。これもアイズと同じである。しかし時々、彼のメガネに叶う女性が現れることがあるのだ。アイズの知る限りではリオンや椿がそれに当たる。そういった彼のハードルを超えられた人物に対しては、リヴィエールは公私ともに親密な関係を築いている。それが異性としてであっても、友人としてであっても。

そして一年、目を離した隙に、またも女性を増やしている。穏やかに思えないのは当然だった。

そもそもこちらはまた彼に辛い思いをさせてしまったと、ここ数日、ずっと彼を想って悩んでいたというのに当の本人は女連れで楽しそうに(やや主観あり)していた。彼に気を使っているのが段々とバカらしくなってきた。

 

『あの子相手に気など使っていては永遠に距離など近づきませんよ?ホントはとても臆病な子ですから。もっと遠慮なくズカズカと踏み込んで、重荷になってあげてください。それがあの子のためにもなります』

 

恋という感情を教えてくれた彼の前主神の言葉が脳裏をよぎる。恋とは戦争や!と自分の主神も言っていた。

 

不意に引力に引っ張られる。気づいた時にはリヴィエールが苦笑しながらこちらの手を取っていた。そのまま握られる。その感触は昔、彼の手にひかれてダンジョンへと向かった、あの時と変わらない、優しい温もりと硬さで……

 

心臓が強く締め付けられる。 手を握るという何気ない接触、幼い頃から数えれば本当に数え切れないほどされてきたことだと言うのに、何度されても慣れない。高鳴る鼓動を抑えながら、彼の手を握り返す。

 

スッと握った手を離された。言いようのない不安感がアイズを襲う。思わずえっ、と声を出してしまった。

しかし、彼の行動には続きがあった。アイズの半歩前で肘を出し、さりげなく少し曲げる。それの意味するところを理解したアイズは思わず彼の顔を見てしまった。微笑しつつ、片目を瞑る。

 

頬を染めながら、スペースに手を通しリヴィエールの手と肘の中間辺りに手を添える。男性が女性をエスコートする際の腕の組み方だ。作法は二人ともリヴェリアに習った。二人とも剣士なだけあって姿勢は良く、立ち姿も美しい。大人の女性として扱われているような気がして、アイズは更に頬を紅く染めた。

 

「ほらー!二人ともー!早くー!」

 

ティオナが叫ぶ。その声にリヴィエールは苦笑で返した。

 

「行こうか」

「うん」

 

彼に惹かれるまま、二人はブティックへと入った。

 

 

 

 

 

 

 




あとがきです。今回登場したオリキャラは後々ストーリーに絡ませる予定です。それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします


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Myth23 女たらしと呼ばないで!

 

 

 

 

 

 

リヴィエールは後悔していた。連れられるままに目の前の店に入った事を。アイシャが常連だという店なのだから、この予想は容易にできたはずなのに、突然のアイズ達との鉢合わせでそこまで頭が回らなかった。

 

そう、連れてこられた服飾店は完全にアマゾネス御用達店。ほぼ下着と見紛う露出度の服がズラリと陳列されていた。

 

「じゃあオレ外で待ってるからぁあっ!?」

「なに今更硬派なふりしてんのよ。とっとと来なさい、色男」

「リヴィエールの為の買い物みたいなものなんだからいなきゃ意味ないじゃん!」

 

力尽くで店の中へと引きずり込まれる。その姿をオロオロしながら見ていたアイズも連れられて入店した。

 

「ねえねえ!コレはどう?アイズ!」

「これ試着してみない?貴方線が細いから似合うわよ?」

 

そして至る現在。新作という踊り子の衣装を持ってティオナがアイズの体に重ねている。ティオネもやはり女子。こういう買い物は嫌いではないらしく、次から次へと新しい服を持ってきていた。

 

「えっ、えっと………」

 

実際に試着しているわけではないが、それを纏った自分を想像したのだろう。頬を真っ赤に染めて躊躇していた。

 

「…………」

 

ちらりと別方向を向く。視線の先にいるのはよそ見をしつつ腕組みをしている白髪の剣士。無表情な顔には帰りたいと大書されていた。

しかしそれも仕方ないだろう。店内を見渡せば、アマゾネス以外の種族にとっては露出狂と言われても文句の言えない衣装がズラリと並んでいる。人並みの恥じらいを持つ者ならばまず人前では着られない服ばかり。しかもここはアマゾネス専門の服飾店。置いてあるのはもちろん全てレディース。男がいていい場所ではない。女物の下着の店に入店しているようなものなのだ。メインの女性客の連れと分かっているから店員もなにも言わないが、居心地の悪さは尋常ではない。

 

「大丈夫、絶対似合うから。ほら、貴方も見なさいリヴィエール!」

「………………見れるか」

 

女の裸などで今更照れるほど純ではない。しかし相手がアイズとなると話が変わる。憎からず思う少女であり、かつ妹のように大切にしている女性なのだ。そんな彼女のあられもない姿など見れるわけがない。なにかイケないモノを見ているような罪悪感に駆られてしまう。

 

「アイズ、これ着てみない? あなた体の線が細いから、きっとよく似合うわよ」

「なっ、なんでアイズさんがここの服を着ることになってるんですか!?」

「別にいいじゃない、せっかくなんだし。レフィーヤもどう?」

「き、着ませんっ!」

 

助け舟を出したというわけではないのだろうが、尻込みしていたレフィーヤが二人の暴走を止めてくれる。標的が彼女に移り、プレッシャーからは少し解放された。一度息をついていると袖に引力を感じる。隣には頬を染めて少し俯いたアイズが立っていた。

 

「ゴメン、リヴィ……私のせいで」

「お前のせいじゃないだろう」

「で、でも……私がわがまま言ったから」

 

蜂蜜色の頭に手を乗せる。そのまま軽く撫でた。

 

「お前のワガママは許す」

 

その一言でまたカァッと紅くなる。

気を遣わせてしまった事や迷惑をかけてしまったことに対する負い目はある。だが、何よりも彼が自分の事を考えてくれていた事が嬉しくて………自分の顔が上気していく事を自覚した。そしてその暑さに比例するように胸も大きく高鳴っていく。

 

「……あり、がとう」

 

小さな声で絞り出された言葉はしっかりと彼の耳に届いていた。頭に乗せられた手はそのままに、彼の方へと引き寄せられる。アイズ自身もその力には逆らわず、彼の胸へと後頭部を預け、腰を寄せ──

 

「ほらほらアイズ!今度はコレ!この店の変わり種!」

 

─るよりも先に突然の介入者によりベリッといとも簡単に数M引き剥がされる。ティオナが持ってきた真っ赤な大陸風の衣装と共に再び衣装棚の方へと連れ去ったのだ。

 

「ああ!もう!良いところだったのに!」

 

少し離れた場所から見ていたらしいレフィーヤが地団駄を踏む。しかしリヴィエールは安堵していた。まあこんな露出度おかしい服の店の中で良い雰囲気になったとしても色々と台無しである。

 

「ちょっと、リヴィエールも何か意見言いなさいよ。貴方はどういう服が好みなの?」

「俺は本人が気に入っていて似合っていればなんでも良いと思うが…」

「そういうのが一番困るのよ。ならアイズに似合いそうだと貴方が思う服はどれなのよ」

「……………少なくとも此処の服は着せたくねえな」

 

コレは異性としての独占欲というより、兄心からの意見だったのだが、ティオネはそう取らなかった。ニヤニヤとムカつく笑顔をこちらに向けると、さらに際どい服を取り出し、こちらをチラ見してくる。実にイラつく。

 

キャイキャイという声が店の一角で聞こえてくる。女三人寄れば姦しいとはよく言ったもので少し離れた位置で保護者視点で見ているリヴィエールとティオネの耳にもしっかりと届いた。

 

「……………楽しそうだなぁ」

「ショッピングが嫌いな女子なんていないのよ」

「知ってる。しかしよくアイズが服の買い物なんかに付き合ったものだ」

 

自分を着飾ることに興味などない子だ。この意見は至極当然と言える。

 

「貴方のことで悩んでたからね。なんでも良いから気晴らしさせてあげたかったんでしょ、ティオナは。まあそれも貴方が解決しちゃったけど」

「なんだトゲがあるな。不服か?」

「別に責めてないわ。ただ、ムカつくだけよ。コッチが必死に苦労して成し遂げようとしている事を貴方は簡単に解決しちゃうから。仲間の面目丸つぶれ」

「………………」

「あーあ、アイズも酷い男に引っかかっちゃったものよね〜。艶やかな華に蝶が群がるのは宿命だけど………泣かせたらマジ殺すわよ?」

「さーて、俺も選んでやるとするか。この店で露出マシな服っつったらこの辺かぁ?」

 

大陸風の赤い衣装を手に取る。大胆にスリットは入っているが、この店の服にしては布地がある方だろう。商品名にはチャイナ服と書いてあった。その様子を見てハァとティオネはため息をつく。

 

「別にアイズを選べとは言わないわ。貴方にも権利はあるわけだしね。だけど私達はともかく、あの子の事だけは気にかけてあげて。戦友としてでも、兄貴分としてでもいいわ。悔しいけど、あの子に誰よりも近いのは貴方だから」

「………………そうかもな」

「せめて今日選んだ服でデートでもしてあげてよ。ちょうど直近に怪物祭あるし。そしたら今回のアマゾネスの件、リヴェリアには言わないでおいてあげる」

「………………」

 

痛いところを突かれる。今回の一件、リヴェリアには知られたくない。もしバレようものなら現在の隠れ家からは即日退去を命じられるに違いない。 そうなっては非常に面倒なことになる。

 

「怪物祭は先約があるから無理だが、近いうちに、必ず」

「ま、取り敢えずはそれで許してやりますか」

 

じゃあ服選びに参加しなさい、と袖を引っ張られる。キャイキャイと姦しい中心地へと連れていかれた。

 

「アイズ、これなんてどう? あたしとお揃い~」

 

ティオナが自身が纏っている衣装の色違いの服を勧めている。紅色のパレオと胸巻きの組み合わせだ。

 

「え、えっと……」

 

目の前に着ている人がいるからか、その衣装を纏った自分をリアルに想像してしまったアイズは顔を紅潮させる。

しかしそんなほぼ裸のような衣装をアイズに変な幻想を持ってるど真面目エルフが許すはずもない。ついにレフィーヤが爆発した。

 

「だっ、駄目ですっっ!!こんな、こんなみだらな服をアイズさんに着せるなんて、私が許しませんよ!?」

 

───服選ぶのにお前の許可がいるのか……あまり押し付けをしてはティオナ達と変わらないぞ

 

喉元まで出かかったが、飲み込む。固定観念に囚われまくっているレフィーヤがティオネ達と同類など、認めるわけないからだ。それに倫理観などの観点から鑑みればまだ常識的な衣装を選んでいるというだけでも現状の惨状からは脱出できる。なら今はそれでよしとすべきだろう。

 

「でも、こんな服を着たアイズも見てみたくない?」

 

その一言にぴたり、とレフィーヤの動きが止まった。ティオナの着ているパレオと胸巻きに、彼女の紺碧の瞳が止まる。

 

ポワポワとレフィーヤの頭から煙が上がり、目が中天を彷徨う。一歩間違えればやばいクスリでもやってるような表情だった。恐らく想像しているのだろう。頬は上気し、口元からはヨダレが垂れてた。あとうわ言で「アイズお姉ちゃん」とか言ってる。

 

───……この子、やっぱりそっちなんじゃ……

 

リヴィエールは自身が芸術家なこともあり、そういう人とも何人か知り合っている。別に否定する気は無いが、この手の人物にまともな奴はいた試しはない。仮にもハイエルフの末裔として、同族の少女が心配になった。

 

「レフィーヤ?」

「んひゃああああっ!!?」

「あ、帰ってきた」

 

現実に戻ってきたレフィーヤは羞恥で真っ赤になりつつ、衣装を棚に戻した。羞恥からか、あまりの勢いで叩きつけられたそれはガシャリと派手な音を鳴らした。

 

「ちょっと考えたでしょう?」

「あ、ありえません!?」

「ねー!リヴィエールはどう思う?アイズが私と色違いのお揃い着てるの見てみたくない?」

「んー、プライベートなら見たくない事もないが……一応外でも着ていける服をコンセプトに選んでるんだろう?ならあまりアイズのイメージとかけ離れたヤツはやめといた方が良いんじゃないか?」

「そ、その通りです!流石はリヴィエールさん、わかってますね!アイズさんはもっと、もっともっと清く美しく慎み深い格好をしなくては!そうっ、エルフの私達のような!!」

 

そういう意味で言ったんじゃないんだけどなぁ、と心中でぼやく。まあ主導権は彼女らなので何も言わない。

 

「アイズさん、エルフの店に行きましょう!エルフの店ならリヴィエールさんの意見にも合いますし!不肖ながらこの私がアイズさんの服を精一杯見繕いします!」

「レ、レフィーヤ?」

「あ、こら!ちゃんと俺も行くから利き手掴むな!」

 

戸惑うアイズと利き手を掴まれて憤るリヴィがレフィーヤに店の外へと引っ張り出されていく。残されたティオネとティオナは、互いに顔を見合わせ、そっくりな笑みを浮かべ、三人を追いかけた。

 

 

「ここです!!」

 

連れてこられたのは先ほどの服飾店とは対照的と言っていいブティック。格調ある衣装がズラリと陳列されており、高級感のある落ち着いた雰囲気の店だった。レディスにはフリルなど西洋人形の衣装のようなメルヘンある服が並んでいる。エルフ御用達服飾店。

 

───此処は昔来たことあるな…

 

頭の中に僅かにある苦い記憶と店内が重なる。以前リヴェリアに連れられてこの店でスーツやタキシードを買ってもらった事がある。あの時は確か神会に出る前に必要になっての事だったのだが……

 

───あの時はほんっとうに大変だった……

 

思い出したくない記憶のため、あまり覚えていないが、ルグと二人掛かりで相当にオモチャにされた事だけは覚えている。王族の末裔たるリヴィエール・ウルス・グローリア。人をオモチャにするのは好きだがされるのは大嫌いである。

 

「エルフ御用達!全身を覆うシックでエレガントなデザイン。生地は滑らかなシルクから柔らかな光沢あるリネンまで各種様々な天然素材を取り揃え、どれも品質は一級品。主張しすぎないレースやフリルがそこはかとない愛らしさを演出してくれるのです!」

 

流れるように服の説明がされる。ど真面目エルフのレフィーヤといえど、やはり女子。オシャレに関する興味は人並み以上にあるらしい。

 

「どうです?私の一推しは!」

「動きづらいわ」

「暑苦しいよね」

 

試着したアマゾネス姉妹が端的に感想を述べた。実際ティオネが試着したシャツはボタンが胸で張ちきれんばかりにパッツパツになっており、まとわりつくレースがティオナは気に入らないらしい。

 

「お二人には聞いてません!アイズさん、これなんてどうですか?」

「えっと……」

「あ、待って下さい。これよりもっと色の薄い方が。あぁ~、でもこっちも捨てがたいですね。あぁ!これなんて、アイズさんが着たらどこかの国のお姫様みたいですよ!」

 

キラキラとした笑顔を浮かべながら何着もの衣服をアイズに当てていく。彼女らしからぬ勢いに金髪の少女は戸惑いを見せていた。そしてリヴィエールは頬が引き攣っている。

 

───完全に着せ替え人形……可哀想に

 

女の買い物、特に服は異常なほど時間がかかることをリヴィエールは身を以て知っている。

現に以前この店で自分の服を買った時、そしてルグやシルの買い物に付き合わされた時は、丸一日潰された。体力には自信があったのだが、その日の終わりはダンジョン遠征よりよほど疲労困憊となった。使う体力には種類が存在するということをその時知った。

そして一言でも何か口を挟めば軽く1時間は長くなる。だからアイズが助けを求めるような目で見てきても自分は何も言わない……わけにもいかない。嘆息する。我ながら、ホンット甘い。

 

「はぁ……おい、レフィーヤ。ティオナ達じゃないが、流石にこの手のロングタイトスカートは着慣れていないアイズには動きにくいだろう。もうちょっと軽装なのがいいんじゃないか?」

「えっ!?」

「でも、ここの女性向け服、みんなロングスカートかフリル付きみたいだよ」

「だったらいっそ紳士服にしちゃうとか?」

「そんな、アイズさんに男装なんて……!!」

 

そこでレフィーヤの言葉が止まる。目は再び中天へと向けられ、今度はお姉様と呟いていた。

 

「レフィーヤ?」

「まきゃひあああ!!ちちちち違います別に妄想なんて!」

「アイズ達が見当たらないんだけど」

「………………え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レフィーヤが妄想している間にアイズとリヴィエールは店から脱出していた。あまりエルフの衣装に興味もなかったティオネもブラリと通りを歩いている。

 

「ああ、やっぱりダメだあの店は。トラウマのせいで拒否反応が出る」

 

卓越した精神力を持つリヴィエールだが、長居をしたい場所ではなかった。出ようと言ってくれたアイズには非常に感謝している。

 

「リヴィ、大丈夫?」

「大丈夫だ。傷は浅い」

 

顔を伏せるリヴィエールを励ますようにアイズが頭を撫でる。サラサラとした手触りは相変わらず気持ち良い。髪色は変わったが、手触りは変わっていない。一年前と同じだ。ずっと触っていたくなる。

 

「…………いつまで?」

「もうちょっと…」

 

やめなさいと手を取る。リヴェリアならともかく、アイズにあまりこういう扱いはされたくない。

 

「あら?二人とも、どうしたの?ティオナ達は?」

「ティオネ…」

 

周辺を歩いていたアマゾネスと合流した。この通りは多種多様な衣服が取り揃えられている。恋する乙女として、ティオネはオシャレに関してそれなりに気を使っているため、適当にぶらついていたのだった。

 

「リヴィが辛そうにしてたから……ちょっと抜け出してきて」

「む、ちょっとリヴィエール。女の買い物で嫌な顔みせたりするんじゃないわよ」

「ち、違うんだって。あの店だけ少し特別で……」

 

指された指から逃げるように一歩後退する。その時、何やら悩んでいるような、迷っているようなアイズの姿が目に入った。

 

「リヴィエール」

「お、おう、なんだ」

「ちょっとこの辺適当にぶらついて来て。十分くらい経ったら戻って来ていいから」

「は?なんだそりゃ」

「いいから」

 

チラッとアイズに視線を向ける。どうやら俺がいてはしにくい話をしたいようだ。心中で嘆息する。

 

「十分だな」

「ええ、バックれたら承知しないわよ」

「あ、なら私も…」

「アイズは私とウィンドウショッピングでもしましょう。ほら、あんたはとっとと行った行った。ガールズトークに男が入ってくるんじゃないわよ」

 

しっしっ、と手を振られる。二人の話の内容に興味がないわけではなかったが、立ち入りたいとも思えない。リヴィエールは黙ってしたがった。

 

「…………で?アイズは着てみたい服とかなかったの?」

 

彼の背中が遠くなっていったところでティオネが口を開いた。コレでアイズも正直なところを喋れるだろう。

 

「………………わからない」

 

予想通りといえば予想通りの返答。こと服飾に関して、アイズはリヴィエール以上に興味がない。

 

「私はリヴィの背中を追いかけるために強くなることしか考えてこなかったから…それ以外はよくわからない」

「…………そっか」

 

わかるような、それでも少し悲しいような、複雑な笑みをアマゾネスの少女は浮かべる。彼女らしいと言ってしまえばそれまでだが、それでも、やはりこのままで良いのかと考えてしまう。空を見上げた。

 

「………………これって、ウエディングドレス?」

 

ティオネの視線に吊られてか、店の前に大きく飾られたショーウィンドウに視線を向ける。飾られているのはレースとフリルがふんだんにあしらわれている純白のドレス。太陽光に照らされているおかげか、まるで発光しているかのように煌めいている。

 

───綺麗……

 

感受性の乏しいアイズでも、この衣装は美しいと思った。

 

「…………ティオネはこういうのを着たいって思う?」

「んーー……」

 

軽く頬が朱に染まる。想い人がいる故の、肯定の照れだ。

 

「昔はね、私も男なんて興味なかったんだ。アマゾネスの変わり者姉妹だったのよね、私達」

 

基本的にアマゾネスは男性に……とくに強い男を求める傾向が強い。アイシャなどその典型だ。その強い愛は、今はリヴィエール一人に向けられている。

 

「団長だって最初は小人族(パルゥム)なんかって思ったの」

「……フィンは強いよ?」

「うん、でも」

 

小人族で信仰されていた、騎士団の擬人化の女神、フィアナの存在を本物の神の降臨により否定された小人族は衰退の一途を辿っていた。事実小人族の武勇伝などまず聞かない。冒険者でもサポーターや後衛が多い。要は雑用だ。

 

「種族全体が腐りかけているのよ」

 

しかしフィンはそんな一族の現状を良しとせず、一族を再興するためにオラリオへと訪れた。今この世界で生きる小人族の為、そして、これから生まれて来る子供達のために、たった一人でその身をかけて小人族の心の拠り所に……女神フィアナに変わる存在になろうとしているのだ。

 

この話はリヴィエールも知っている。本人から聞いた。心底凄いと思った。小人族は弱者という風潮はもうほぼ世界共通だ。それを変えようとさるだけでも凄まじいが、自身が神にとって変わろうとするとはもう偉業という段階すら超えている。

数年後、自分も似たような立場になるのだが、それはまた別の話だ。

 

その強さを……背負っている物の大きさを知って、ティオネは生まれて初めて本気で男性を好きになった。あの人の特別になりたいと思った。

 

だから

 

天真爛漫な恋する乙女の笑顔でアイズを振り返る。腰に手を当て、パレオをドレスのピルエットのように靡かせた。

 

「今では団長の隣でこの服を着ることが私の目標よ!」

 

その笑顔はアイズの目から見てもとても魅力的だった。

 

「私は団長に出会って、強さ以外の目標が出来た。ティオナもレフィーヤも、そしてリヴィエールも芽生えてる。強くなりたいって以外にも、大切な気持ちが」

 

そして……きっと…

 

「アイズ。貴方にももうきっと出来てる。強くなりたい以外の気持ちが」

「………………そう、なのかな」

 

私はあの時、リヴィに何も出来なくて……

でもそれをすっごく後悔して……申し訳なさでいっぱいになって…それでもリヴィは、こんな弱い私のことを許してくれて……

だから、私は……強くなること以外、何もなくなって

 

思いつめた表情で俯く。整った眉にはシワがより、金色の瞳には辛さと悲しさの混ざった色が宿っていた。

 

「アイズ、私はね。ダンジョンに仲間で挑むのはその方が効率がいいからってだけじゃなくてね。皆が持ってる色んな想いをどんな時にも、どんな場所でも、その想いを捨てずに戦えるからだって思うのよ」

 

アイズの柔らかな頬に両手を添える。こんな悲しい顔を彼女にしてほしくなかった。

 

「アイズには私達が……それに何より、リヴィエールがいる。だから、そんな顔しないで、もっと自分の気持ちに素直になりなさい!」

「私の……気持ち……」

 

そんなの、決まってる。一年前から……いや、あの時、彼に出会った時からずっと…

 

視線をとある方向へと向ける。彼が歩いて行った通りへと。少し離れたところにあるヒューマンのブティックのウィンドウの前で何やら物色していた姿が見えた。

 

タッと走り出す。その歩みに迷いはなく、しっかりと目標に向かって駆け出していた。

 

「リヴィ……」

「ん?ああ、アイズか。話は終わったのか?」

「リヴィ!」

「お、おう、どうした」

 

先ほどとは別人のような態度に少しだけ動揺する。

 

───そう、今の私の隣には、貴方がいる。だから……

 

「私、リヴィにそこのお店で服を選んでもらいたい!」

 

先ほどとは違う、絞り出すような小さな声ではない。ハッキリとした声で自身の希望を述べてきた。妹分の態度が嬉しかった白髪のエルフは笑って頷いた。

 

「ああ、任せろアイズ。とびっきりのコーデを考えてやる」

 

そして数分後……

 

「「「おおおーー!!」」」

 

いつの間にやら合流してたレフィーヤとティオナを交えた、三つの歓声が湧き上がる。試着室のカーテンから現れたのは白を基調としたチュニックに薄青色のフレアスカート。チュニックには花の刺繍があしらわれている。レディスとしては飾りが控えめの部類に入るデザインだったが、それ故に着ている本人の美しさとスタイルの良さが際立つ。パンプスも非常にシンプルな物だった。やはりプラチナブロンドのロングヘアには白がよく映える。

 

「に、似合ってます、アイズさん!」

「うんうん、すごくいい! ロキがいたら飛びついてきそう!」

「肌は綺麗だし、引っ込んでるところは引っ込んでるし……羨ましいわね、本当」

 

三人の惜しみない賛辞が送られる。一番肝心な男は数秒数えるほどの間を置いて現れた。

 

「どうだ、参ったか」

「悔しいけど参った。流石だよ、リヴィエール」

「とても素敵でした!」

「興味ないくせにセンスはいいのよね、リヴィエールって。流石遊び慣れてるだけはあるわね」

「バーカ、そんなんじゃない。コツがあるんだよ。芸術もファッションも大事なのはストーリーだ。誰を、どういう風に見せたいかというビジョンがなければ何着てもダメなんだ」

「「「?」」」

 

アイズ、レフィーヤ、ティオナの三人の頭に疑問符が浮かんでいる。ティオネだけは納得したらしく、頷いている。

 

「まあ、簡単に言えば服のテーマがいるって事」

 

今回のテーマは素材の良さを引き出す清楚なファッション。アイズの艶やかなブロンドに合わせて淡い色合いで纏め、スカートに寒色系の色を用いる事で全体を引き締めている。

まさにアイズを美しく魅せる事だけを考えてリヴィエールが纏めたコーデだった。

 

「アイズ、これにしよう!」

「う、うん……」

「ちゃんと素直になれたね、アイズ」

「………うん」

「じゃあもう出るぞ。もう昼時だ」

 

外を見てみると確かにもう太陽が燦々と頭上を照らしている。昼食をとるには丁度いい時間だ。

 

「アイズ、今日はそれ着て帰れ。また着替えるのも面倒だろう」

「…………え?でも」

「ほら、行くぞ」

 

手を引かれ、そのまま店を出る。お金払ってないのにいいのかと四人とも動揺する。女性店員を見たが、笑顔でこちらを見送り、頭を下げていた。

 

「ご安心ください。お代は既にお客様から頂いております。プレゼントだとか……おめでとうございます」

「余計なこと言うな」

 

店員に慈愛溢れる笑みで微笑まれ、照れくさそうに頬を掻くリヴィを見てアイズはこれ以上赤くなる事が出来ない程真っ赤になった。流れ弾でレフィーヤも頬を紅潮させている。いたたまれなくなったリヴィエールはアイズの手を取って店の外へと出た。

 

「リヴィ、お金払ってたの?いつ?」

「お前が試着してる時だよ。覚えとけよアイズ。こういう時は黙って出るのがスマートな作法だ」

 

まあこれに関しては俺も結構最近教わった。オフィシャルな場でのエスコートの仕方はリヴェリアに習ったが、こういう作法はシルに教わり、アイシャに実践して覚えた。

 

「で、でもその時私がまだあの服買うかどうか決めてなんて……」

「お前の答えなんて関係ねーよ」

 

えっ、と一瞬動揺し、青ざめる。なんだかんだでずっと大事にされてきたアイズにとってリヴィエールの心無い言葉と言うものは免疫がなかった。買い物などに付き合わせた事で怒りを買ってしまったのかと不安に駆られた。

しかし、その動揺は次の瞬間、彼方へと吹き飛ぶ事となる。

 

「必ず似合うと言わせてみせるから」

 

頬に手を添え、軽く撫でる。青ざめた表情はみるみる内に真っ赤に染まっていく。

 

「言うのを忘れてたな。とても綺麗だよ、アイズ。やっぱりお前には白がよく似合う」

 

爆発した。湯気が頭から立ち上り、フラフラと足元が定まらなくなる。リヴィエールの袖を掴んでなんとか倒れこむのだけは阻止した。

 

「…………タラシ」

「女ったらし」

「遊び人」

「暁の剣聖」

「素直に人を褒められんのか、貴様らは。あと、その名で呼ぶな。関係ないだろうが」

 

後ろからボソボソと罵倒が呟かれる。三人娘は謎の敗北感で打ちひしがれていた。

 

「リヴィ、それにみんなも」

「ん?」

「…………ありがとう」

 

無表情が常の彼女にしては珍しい、朗らかな笑顔が四人に向けられる。その無垢な笑顔に対して、四人ともぐっと庇護欲が煽られた。

 

「アイズー!」

「ティ、ティオナさん!抱きつく必要ないんじゃ…」

「あ、なにレフィーヤ、羨ましいの?でもダメー。アイズの隣は私の特等席だから!」

「ティオナさんっ」

 

三人が再び姦しく騒ぐ。その様子を苦笑しつつも微笑ましく見守る二人の兄と姉。

 

「まったく、一年経っても変わってないな。こいつら」

「まあそう言わないでよ。たまにはいいでしょ?こういうのも」

 

ケッと笑い、背を向ける。その笑みと態度には肯定の意味が込められていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




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Myth24 朝帰りと言わないで!

 

 

 

 

 

 

どんっ

 

買い物を済ませ、昼食を摂った後、しばらく通りを歩いていると、後ろを歩いていたティオナに誰かがぶつかる。通りから急に出てきたため、流石の彼女も反応できなかった。

 

「わっ」

「おっと、ごめんよ、アマゾネス君!すまない、急いでいるんだ!」

 

ぶつかってきた幼い少女は謝罪もそこそこに、そそくさと先へ行こうとする。しかしその声と後ろ姿に覚えのあったリヴィエールはすぐさま振り返った。

 

「ヘスティア」

「ん?おお!リヴィエール君!!」

 

呼ばれた名前に反応し、足を止めたヘスティアは嬉しそうに頬を緩める。顔を合わせるのは約2日ぶりだった。

 

「なにやってるんだこんな所で。バイトは?」

「ちゃんと有給取ってきたさ。キミこそこんな所でなにやってるんだい?」

「ちょっと色々あってな…」

 

少しこの場から距離を取りつつ、話こむ。そんな様子を遠巻きにアイズ達が見ていた。

 

「あの可愛い女の子……まさか浮気相手ですか!?」

 

怒りもあったが、ほんの少しそうであってほしい願望が混ざった予想をレフィーヤが口走る。呆れたようにティオネが息を吐いた。

 

「なんでそうなるのよ、女神でしょあの子。多分、今のあいつの主神よ」

 

───ん?

 

会話に入ってこない妹を見やる。こういう時有る事無い事騒ぐあの子が静かにしているのは珍しい。見てみるとヘスティアを見つめつつ、固まっていた。

 

「どうしたの、ティオナ?」

「胸が、すごく大きかった……あの身長で」

 

聞いて損したと言わんばかりに辟易した目を向ける。彼女が自身の発育に不満を抱いているのは知っているが、女神と比べたって仕方ないだろうに。

神々は年を取らず、その容姿は例外なく整っているが、外見は幼い少年少女から老人まで多種多様だ。その為、身の丈に不釣合いな胸囲を持つ幼女の女神がいても、なんら不思議ではない。

 

「そういえば、女神様達の姿が多く見られるような……」

 

辺りを見回す。それに釣られるように、ティオネ達も左右を見ると確かに周囲には容姿端麗な女神の姿がちらほらと見受けられた。

 

「そういえばロキが言ってたわね。『神の宴』が近い内にあるって。自分は行かないようなことも言ってたけど」

「『神の宴』って……どっかの神様が適当に開く、パーティーだっけ?」

「ええ。結構格式ばっているらしいから、仕立てたドレスを受け取りにでも来てるんじゃない?なんだかんだ見栄っ張りな女神達は?」

 

着ていくドレスの質はその場における自身の品格を表す。フォーマルな場における衣服に気を使う事も神の大事な仕事の一つだ。

 

「むきーーー!!無視すんな!二大裏切り者ーズ!」

 

頭からプンスコと湯気を出しつつ、レフィーヤとティオネを指差す。少し前まで自分と変わらない胸囲の戦闘力だったくせに、今や姉は言わずもがなだが、レフィーヤすら最近は脱いだら結構ある程度には発育していた。

 

───また騒いでいる……よく飽きないな。

 

キャーキャーと姦しい空間を耳に挟みながら若干呆れる。

 

「リヴィエール君?」

「ああ、悪い。で?お前も出るのか?『神の宴』」

 

忙しなくしていた理由はティオネ達が予想した通りであった。零細ファミリアの主神があの手の会合に出席する事は基本的に難しい。神であれば誰でも出れるが、それでもファミリアの威信や格が見られる場でもある。その場に相応しい格好をしなければ笑われるからだ。

 

「ボクは気にしないのに……」

「気にしろ。仮にも神だろうが」

 

ヘスティアの小さな手に纏まった金を握らせる。さすがに今からオーダーメイドは無理だろうが、既製品ならば間に合うはずだ。

 

「いいか、この金は絶対ドレス代に使え。買い食いはもちろん、貯金も許さん。それ以外の目的で使われたら一生ジャガ丸くん食わせない」

「おおぅ……わかったよ」

「それと出された食事を食い漁る真似もするな。タッパーに持ち帰るのもダメだ。わかったな」

「そ、そんなぁ!せっかくの立食形式(タダメシ)なのに!」

「馬鹿野郎、みっともない事言ってんな。ファミリアの品格が疑われる」

「僕は別に何を言われたって」

「それはひいては俺やあの白ウサギもバカにされるって事なんだ」

 

黙り込む。そうしてくれることが少し嬉しい。この子は自身の侮辱には耐えられるが、大切な存在の侮辱に怒れる神だ。

 

「少しはシャンとした姿見せてこい。お前は仮にもこの俺の主神なんだから」

 

背中を叩く。『神の宴』への準備もあるだろう。話はそこで打ち切った。

 

「ほら、ヘファイに頼みがあるんだろう。もう行け」

「な、なんでそれを…」

「剣聖さんは何でも知ってるんだよ。ヘファイによろしく言っといてくれ」

「うん!キミももっとマメにホームに顔を見せるんだよ!いいね?」

「わかったわかった」

「あ!あと僕がいないからってヴァレン某と必要以上に仲良くしちゃダメだよ?それから」

「いーから行け」

 

少し強めに背中を押す。確か宴は日暮れからだ。ドレスを買いに行くことを考えれば、急がなければ間に合わない。

 

「あっとと、リヴィエール君!」

「ん?」

「行ってきます!」

 

満面の笑みでこちらに手を振る。軽く手を挙げ、それに応えた。満足したように走り出す。

 

───まったく、女神ってのは得だな。

 

笑顔一つで大抵のことは許されてしまう。ルグの時もそうだった。

 

「話、終わったかしら?」

 

話が終わった頃合いを見計らい、ティオネが肩を叩く。どうやら気を使われたらしい。頷いた。

 

「彼女が今の主神?」

「………ああ」

 

ルグと比べたら背も器も小さいし、イマイチ頼りにならない女神だが……

 

「バカで誠実で、優しい女だよ」

 

───なるほど、貴方が弱そうなタイプね。手のかかるめんどくさい女

 

訳知り顔で見て来るティオネに少し不快感を持つ。考えていることはなんとなくわかった。

 

「で?貴方これから予定は?」

「ん、そうだな。特に予定はないけど…ギルドに行くつもりだ。少し調べたい事があってな」

「調べたい事?…………ルグ様関連?」

 

後半は声を抑えて耳打ちしてくる。苦笑しつつ、首を横に振った。

 

「それも無関係とは思ってないが、一応それがメインじゃない。ちょっと気になる程度の調べ物だ」

「じゃあ今すぐ何か用があるとかではないのね?アイズ、ちょっと」

 

アイズの肩を抱き、リヴィエールから距離を取る。四人で顔を寄せ合いヒソヒソと話を始めた。セブン・センスを最大にすれば聞き取れそうだが、やめておく。女の内緒話にはロクなものがない。聞かない方が心が楽だ。しかし無駄に発達した感覚器官のおかげで断片的には聞こえてくる。耳を塞いでおくかと思った時、内緒話は終わった。

 

「リヴィエール。怪物祭は無理なのよね?」

「ああ、さすがにもうすっぽかす事は許してくれないだろう」

「ならさっき私とした約束、今果たしなさい」

 

どんっとアイズを突き飛ばす。慌てて支えてやるとその隙に三人娘はもう小さくなっていた。

 

「ちゃんと送り届けてねーー!!」

「アイズさんをよろしくお願いしますーー!」

「しっかりエスコートしないとリヴェリアにバラすからー!」

 

おせっかい三人娘が去って行く。なんか約束が変わったことに若干理不尽を感じたが、まあいいかと考え直す。連中の相手をするよりはまだ楽だ。

 

「…………予想はつくが一応聞いとくか。さっき、何の話してたんだ?」

「…………この後は二人で気晴らししておいでって」

 

連中にしては迂遠な表現で送り出したものだ。俺には皆無だが、恐らくアイズには気を使っている。直接表現では金色髪の少女は遠慮すると思ったのだろう。

 

「………」

 

何も返事をしないリヴィエールに不安を感じたのか、悲しみを湛えた瞳でこちらを見上げてくる。そんな顔を見てしまってはもうこちらに選択肢はなかった。

 

 

 

 

 

 

迷宮都市を覆う巨大城壁の上で二人の剣士が刃を重ねている。二方とも細い刀身の剣を握っていた。どちらも扱いに技術を必要とする武器だ。並の冒険者では十全に扱う事は難しい。しかし、二人は並の秤を遥かに超えた剣客である。一人は剣姫と呼ばれ、もう一人は剣聖と讃えられている。

剣姫の得物は薄いだけでなく非常に細い。脆い印象さえ受ける。そして剣聖の握る剣は黒く、細身だが、肉厚な武具だった。

 

チャンっと硬質な音が鳴る。剣士同士が戦う時の儀式の一つだ。

 

剣を構える。剣聖は片手剣に半身。剣姫は足を一歩引き、レイピアを胸元に立てた。

 

一陣の風が吹く。それと同時に二人は掻き消えた。

先手を取ったのは剣姫。裂帛の突きが繰り出される。紙一重で躱し、間合いを詰める。レイピア最大の弱点は攻撃した際、その武器の特性上、腕を伸ばしきってしまう点だ。

 

ーーーっ!

 

剣がしなる。紙一重で躱された場合、相手の肩口を突く技。僅かにロープを掠めた。

 

───ジュタージュ……ランジとほぼ変わらないフォームで撃てるようになったか

 

サイドステップで距離を取る。しかし逃さないと言わんばかりに追随してくる。

 

───速い!

 

ルドゥブルマン。即ち連突き。一撃の威力と速さは若干落ちるが、カウンターも取りにくい。

バックステップと同時に刀を鞘に収め、腰を屈めると同時に地面を蹴る。その突進速度はリヴィエールをもってしても目で追う事は困難なほどだ。

 

ルドゥブルマンの突きの一つを選び、抜刀する。疾る剣はレイピアを正確に捉え、腕を弾き飛ばした。隙ができる。勢いそのままに間合いを詰めた。

 

レイピアの特徴は技のほぼ9割が突き技という事。実戦向きではあるがゆえに一撃必殺。突きを繰り出すにはある程度距離がいる。

 

───と思ったのだが、そう簡単にはいかないか。

 

上からの突きをサイドステップで躱し、その隙に距離を取られる。仕切り直しだ。

 

───トウシュ・パール・ドウシュ……随分攻め手のバリエーションが増えている。

 

油断なく剣を構えるアイズを心から賞賛する。ジュタージュといい、ルドゥブルマンといい、技の質も随分と上がっている。恩恵(ファルナ)だけでなく、自身の練磨も絶やしていない証拠だ。そして常に立ち位置を考えながら動き、空間をうまく使えている。戦闘とは究極を言ってしまえば間合いを支配することにある。防御もちゃんと次の動きに繋げられるように行なっている。

 

───腕を上げたな。俺が教えた事も忠実に守っている。

 

唐突に二人きりにされたリヴィエールとアイズだったが、お互いどこかに行きたいなどという願望はなかった。そこで白髪の青年はかつてよく稽古をしていた二人の秘密の場所である市の外壁へと行く事にしたのだった。

リヴィエールの提案をアイズは快諾。どこかに出歩くよりよほどやりたいことだったし、先日ゴブニュから渡された武器に慣れてもおきたかった。久しぶりに剣聖と稽古できることも嬉しい。弾むような足取りで付いてきた。

 

そして至る現在。軽く身体を鳴らした後、剣を交えての実戦稽古を始めたのだった。二人とも魔法はなし、剣客としての条件で。

 

───冒険者としての向上は現状、頭打ちのようだが、剣客としてはまだまだ伸びそうだ。

 

レイピアは比較的接近戦を不得意とする。技の9割が突きだからだ。突くためには一定の距離を必要とする。そのレイピアの近接戦闘において、最も大事な事は相手より先に行動を起こす事、次に自分のガード(刀でいうと鍔)を相手のガードより上か、下か、大きく移行させる事、そして自分から身体をぶつけない事だ。かつて自分が教えたことをしっかりと守っている。

下地としての彼女自身の伎倆はかなり出来上がっている。コレはあと一つランクアップすれば化けるかもしれない。

 

実力に舌を巻いているのはアイズも同じだった。

 

───相変わらず凄まじい速度と手数。反応も尋常じゃない。

 

攻撃はスピード、パワー、テクニック、特にスピードに重きを置いて、全て高い次元でまとまっている。防御は反射神経と反応速度と読み頼り。

 

───つまりは触らせないという戦術。真正面から斬り合い、かつ動きを止める防御はしない超攻撃型の戦闘型。私が目指し、憧れたバトルスタイルの究極の体現者。

 

これだけ撃ち合って一撃たりとも当たらなかったのは久しぶりだ。常にこちらの思惑を上回る防御と回避を見せている。

しかし、自分もついていけている。彼の加減もあるのかもしれないが、少なくとも昔よりは打ち合えている。

 

───いける。私の剣はリヴィに通用している

 

今のところ勝負を有利に進めているのはアイズ。このままいけるなどとは思っていないがそれでも勝機はありそうだ。

 

ジュタージュを繰り出す。避けられても死角から攻撃できるこの技は相手が攻めに転じることが難しい。攻めの手番さえ相手に回さなければ、こちらは絶対に負けない。

 

しかし今度はリヴィエールは避けなかった。突きかかってきたレイピアの剣先を素手で受け止めていた。

 

───見切られた!?

 

予想を圧倒的にうわまわる防御方法。すぐに引こうとしたが動かない。まるで万力で固定されているかのように錯覚した。力では絶対にかなわない。

 

「腕は随分と上がっていたが、攻め切れなかったのは致命的だな」

 

手を離す。今度は突きではなく上段から切りかかってきた。カグツチで受け止める。

凄まじい速度で数合撃ちあったが、リヴィエールには余裕があった。レイピア最大速度の突きを見切れるのならばその他の技も当然見える。

レイピアを刀の柄頭で弾き、アイズのバランスを崩す。そのまま袈裟がけに斬りかかった。

アイズもなんとか受け止める。しかし不十分な体勢で受けた為、圧殺されるような形となった。

 

「悪いなアイズ。お前の今の速さにはもう慣れた」

 

蹴り上げる。レイピアの柄を正確に捉えた蹴りはアイズの手から得物を奪った。高速で旋回し、中空に飛んだレイピアをリヴィエールがやすやすと掴む。そのままカグツチと交差し、アイズの首を剣で挟んだ。

 

「はい、俺の勝ち」

 

剣を引く。カグツチは腰に収め、レイピアはアイズに返す。少し悔しそうな、でも嬉しいような、複雑な表情で受け取った。

 

「…………リヴィ、手加減してた」

「まあね。しかし想像以上に強くなったなぁ。驚いたよマジで」

「本当?」

「ああ、やはり実力の底は実際に剣を交えてみないとわからないものだ」

 

嬉しそうに手を取ってくる。ぴょこぴょこ揺れる犬耳とブンブン振られる尻尾が見えるようだ。相変わらず犬っぽい。

 

「良くなかったところは?」

「…………」

 

さて、どうするかと逡巡する。答えられないというわけではない。言えるところは十分にある。しかしストレートに言っては俺のことに関しては打たれ弱いこの子を傷つけることになりかねない。

 

「よしアイズ。段階をつけよう。辛口、中辛、甘口、どれがいい?」

「私は戦闘に関して妥協はしない。激辛で」

「まだまだだな。剣先に迷いがなさすぎる。モンスター相手の戦いに慣れすぎてるせいでフェイントとかまるでない。常に最善手を打つから2手先、3手先が手に取るようにわかる。予想以上はあったけど予想外がなかった。それと速度と手数にモノを言わせすぎ。お前と同等以下の使い手が相手ならそれで良いけど、それ以上の相手に限界速度を見せ続けたらあっという間に慣れて対処される。もっと緩急をつけてリズムを読み取らせるな。あと思い切りが良すぎ。リスクを恐れずに前に出るのも時と場合による。全部それでは俺に迷いが生まれない」

 

まるで魔法の詠唱のようにこちらの悪かった点がスラスラと語られる。ダンジョン攻略のやり方で怒られた事は度々あったが、戦闘技術において悪い事などここ最近言われていなかった為か、予想外にダメージが来た。膝と両手を地につけて崩れ落ちる。

 

「あー……でも今言ったのはあくまで対人戦闘の悪かった所だから。冒険者としての欠点はそれほど無かった、うん」

 

フォローするがもう遅い。しばらく立ち直れそうにない。稽古を始める前は張り切っていた小さなアイズも今は膝を抱えて落ち込んでいる。

 

「それよりどうだ?ゴブニュから貰った剣の調子は」

 

話をそらす。同系統の武具とはいえ、細部は数え切れないほど異なる。十全に戦うためにはまず手にした武器に慣れる必要がある。

 

「………威力はあるけど、細く、壊れやすい。リヴィが壊さないように気を使って戦ってくれたおかげで大丈夫だけど、使いにくい」

 

あらら、バレてたか。引き斬る太刀筋は極力使わず、当てて圧する剣さばきを心がけていた。

 

「まあしばらくそういう剣で自分を鍛えるのも良いんじゃないか?デュランダルに慣れてるとそういう技術は身につけにくいからな」

「うん」

 

絶対に壊れないデュランダルの強度に頼った力任せの戦い方では限界がある。硬軟織り交ぜた太刀筋が使えるようになると戦いの幅が一気に広がる。これからの事を考えれば、丁度いいかもしれない。

 

「じゃ、ちょっと休憩したら今度は軽くダンジョンにでも行くか。やはり対人とモンスター相手では戦い方の勝手も違う。丁度俺もいるんだ。安全に経験を積ませてやるから慣れておけ」

「うん!」

 

元気よく頷く。壁に背を預けるように座ると、アイズも隣に腰かけた。袖から瓢箪を取り出し、喉を潤す。中身は水だ。

 

「飲む?」

「…………(フルフル)」

 

差し出した瓢箪をしばらく凝視すると紅くなって首を横に振った。

 

「そうか………しかし懐かしいな」

「っ……うん、私も同じ事考えてた」

 

少年の永遠のロマン、秘密基地。かつてリヴィエールはこの場所にソレを構えていた。まだルグ・ファミリアが零細であり、広い場所を確保できなかった頃此処で鍛錬を積んでいた。

そしていつのまにか後ろからトコトコとついて来るようになった幼いアイズにこの場所がバレるのは必然だった。

それ以来此処は二人の秘密基地となっている。誰にも内緒だよ、と告げるとキラキラした目でうなずいたのを覚えている。

二人で此処で一緒に遊び、戯れ、稽古をし、重なって眠る。そんな日々を過ごしていた。今思えばあの時が人生で最も穏やかな時だったかもしれない。

それは成長しても変わらなかった。アイズが抱きついてきたり、リヴィエールが一緒に遊んだりすることは無くなったが、お互い研鑽を積み、高め合い、肩を並べて座り、心地よい風に身を任せていた。

 

そして現在、胡座をかいて座るリヴィの隣に膝を抱えてアイズが腰掛ける。肩が触れ合う距離で、穏やかな風に吹かれる。

 

───また、こんな風に一緒に過ごせる日が来るなんて……

 

少女の胸に熱が灯る。黒髪だった剣聖が失踪した一年前、彼を探して何度もこの場所は訪れた。その度に絶望に打ちのめされた。もうこんな日が来ることはないと諦めていた。

彼の肩に頭を預ける。大きくなってからは恥ずかしくて自発的に甘えるということはしなかったが、でも今はそうしたくなった。リヴィエールも何も言わず、受け入れる。

 

「…………いつまで?」

「もうちょっと」

 

二人は半刻ほど昔の兄と妹に戻り、身を寄せ合った。

 

 

 

 

 

 

翌日早朝、アイズはホームで正座させられていた。彼女の前でリヴェリアは仁王立ちしており、その傍らでリヴィエールも腕を組んで壁に背を預けていた。周りにはフィン以下、ベートを除いた幹部連中が囲んでいる。

 

「はぁ……まったく、調子を取り戻したと思ったらすぐコレだな、お前は」

 

単独でダンジョンに行った事を叱られているのだ。夜通し待っていたらしく、黄昏の館へと戻った時、扉を開けた瞬間、待ち構えられていた。見送りに来ていたリヴィエールも逃げられず、説教に同席させられている。二人とも一瞬逃走を本気で考えたが、やめた。後が怖すぎる。

 

「そ、そんな怖え顔で怒んなくてもでいいじゃないかリーア。アイズも反省してるみたいだし」

「人前で私をリーアと呼ぶな。お前は黙っていろ。アイズのコレが一体何度目か、お前が知らないわけないだろう。だいたいアイズの教育に関してお前にガタガタ言われる筋合いはない」

「ガタガタ言ってねえだろう。アイズが可哀想だって言ってんだよ」

「それがガタガタだって言ってるんだ。だいたいお前が付いていながらなんで止めなかった」

「バッカ俺がついてたからこいつも大丈夫だと思ったんだよ。遠征から何日も経たないうちに一人で潜るなんてことは流石のこいつでも(するとは思うが)しなかったって」

「甘い。断言してもいいが、お前がいなかった所でこの子は行ったさ」

 

怒られてる娘そっちのけで二人の言い争いがヒートアップする。その様子を見ていた幹部たちは皆同じ事を考えていた。

 

完全に怒ってる母親から娘をかばう父親の図だなぁ、と。

 

しばらく言い争った後、リヴィエールの方が黙った。これ以上はこちらに飛び火すると考えたからだった。それに、怒っている母親に逆らうものではない。

 

「いつもの調子を取り戻したのはいいが、まだ遠征から戻って大して日は立っていない。体を休めることも仕事だ。しばらくは大人しくしていろ」

「…………大人しくしてたらしてたで心配するくせに(ぼそっ)」

「お前もだリヴィエール・グローリア!今回の遠征に関してはお前の方がアイズより遥かに疲労が残っていただろうが!」

 

聞こえてたかトンガリ耳め……

 

「うぇ〜〜い、誰か〜〜。水くれぇ……ミズゥ…」

 

まだ説教がしばらく続くかと覚悟した時、地の底から聞こえるようなしわがれた声が地面から響いて来る。この手の声をリヴィエールは何度か聞いた事がある。酔いつぶれた翌朝のロキが発する音だった。

 

「うわァ……久々に見た」

 

青い顔をして地面を這うロキを見て辟易した目を向ける。二日酔いというものは何度見ても醜い。

 

「ンア?リヴィエールやないか。なんでこんなトコにおんねん。まさか遂にウチに改宗する気になったんか?」

「寝言は寝ている時だけにしろ酔っ払い。偶然コイツと会って、ちょっと出掛けて、ここまで送ってやっただけだ」

「ふーん、偶然アイズたんと会って、街歩いて、ほんで今朝帰って来たんか。つまり…」

 

珍妙な空気が辺りを支配する。朝に帰って来たと言ったあたりで全員の動きが止まった。

 

「………朝帰り」

 

ボソッと小さな声で誰かに呟かれたその一言はこの場にいる全員の耳に届いた。冷たい汗が白髪の剣士の背中を伝う。

 

「リッ、リリリリリリヴィエールっ!?あああああんたまさか!!」

「アイズがオセキハン!?」

「卒業証書!!?」

「ほほほほホントなんですかリヴィエールさん!あああアイズさんの純潔ががが!」

「やれやれ、いずれ来るとはわかってた日だけどいざ来てみると団長としては嬉しいような寂しいような、複雑だねぇ」

「リヴィエール、子の名前はワシが考えても良いか?画数というのは中々大事らしいぞ」

「なにトチ狂った事言ってんだてめえら!ぶった斬るぞクォラァ!」

 

襟首を摑みかかるティオネとレフィーヤを払い、腰の剣に左手を掛け、鯉口を切った。

 

「でも朝帰りしたじゃないですか!」

「したけどもやめろその言い方!一晩ダンジョンに潜ってただけだホラ!」

 

魔石などのドロップアイテムを見せつける。ポーチ一杯に敷き詰められたソレは一晩で集めたにはかなり多い。少なくともダンジョンに潜っていた証拠にはなる。

 

「リヴィエール・グローリア」

 

真剣な声が後ろから二つかかる。声の主はリヴェリアとロキ。それぞれの瞳には穏やかならぬ光が宿っている。

 

「アイズになにもしてへんな?」

「してない!」

「ルグ様に誓えるか?」

「誓う!!」

 

しばらく三者とも睨み合う。ロキとリヴェリアは溜息をついて視線を外した。

 

「どうやら嘘はついてへんわ。少なくともそういう事はしてない」

 

神に嘘は通用しない。この一言は何よりの潔白の証明となった。空気が一気に弛緩する。

 

「ま、こいつにそんな度胸あったらとっくにそうなってるやろうしな」

「この根無し草に根を張らせる良いきっかけになるかとも思ったのだがな」

「てゆーか一晩二人で一緒にいて何もしないってのも、どうなの?」

「ヘタレール」

「死にたいらしいな、てめえら」

 

再び鯉口を切り、本気の殺意を込めて連中を睨む。これ以上は洒落にならないと悟ったのか、全員口を噤んだ。

フンっと息を吐き、鍔を鳴らす。渦中の一人であった金髪の少女はキョトンとした顔でこちらを見上げている。純粋培養で育てられたアイズにこの手の知識はほぼ皆無だ。なんの話で騒いでいるのか、わからなかった。

 

「はぁ……帰る。じゃあな」

「ああ待て、リヴィエール」

 

背中を見せて歩き始めた時、ロキがその背中を止めた。振り返る事はせず、足だけ止める。

 

「昨日の晩、ドチビに会うた」

「…………ヘスティアに?」

 

という事は二人とも神の宴に出席していたという事。ヘスティアはともかく、ロキがアレに出席したとは少し意外だった。

 

「ちょっと色々キツイ事ゆーた。お前には一応謝っとく」

「別に謝る必要ないだろ。お前は嘘も平気で吐くし、隠し事もザラにあるだろうが、間違ったことは言わないからな」

 

キツイ事を言ったというなら、それはきっとヘスティアのためか、もしくは他の誰かのために、本気の忠告をしたという事だ。ならば怒る方が筋違い。

 

「その詫びと言ってはなんやけど、おもろい情報をやるわ。こん「今度の怪物祭に気をつけろ、だろ?」

 

背を向けたまま、現状、把握出来ている事を告げる。驚いたことが背を向けていてもわかった。

 

「知ってたんか?」

「そんな気がするだけだ」

 

つまりは勘。しかしリヴィエールは自身の感性を信じていた。この感覚に何度命を救われたか、わからない。

 

「言っとくけどウチの根拠もただのカンや。まったくアテにはならんで」

「アテにしてるさ。天界きってのトリックスターの勘なら充分根拠に値する」

「……………で?お前は怪物祭にでるんか?」

「多分な。気にかかる事もあるし。お前らも出るのは勝手だが、俺の邪魔はするなよ」

 

窓から飛び降りる。即死間違いなしの高さを誇る黄昏の館上階から。

 

「え、えぇえええええ!?」

「あのアホここ六階やぞ!」

 

慌てて窓の外へと皆が顔を出す。重力に従ってリヴィエールが落下している。このままではメンチカツ化待ったなしである。

 

しかし当然そうはならなかった。ボフンという小さな爆発が巻き起こる。同時に爆風が巻き起こり、落下速度を落とす。無事着地する。そのままあっという間に市街の奥へと消えていった。

 

「な、なんや今の。あいつ、何しよったんや」

「炎の魔法の応用だ。空気の熱流を発生させる事により、自身を押し上げ、落下速度を落とした」

「はぁ〜、相変わらず無茶するやっちゃなぁ。ヒヤッとさせよって。あんな事出来るんなら最初から言わんかい」

「まったく可愛げがないほど優秀な弟子だ」

 

今の魔法はリヴェリアから奪ったモノだ。王の理不尽により自分の魔法とし、そして今やあそこまで威力を調節することが出来るようになっている。もうリヴィエールはリヴェリア以上にあの魔法を使いこなしていると言えた。

 

「どこまで強なるんやろなぁ、あいつ」

「…………目に止まる全ての人を、どんな理不尽な力からでも守れるように」

 

独り言のように呟いたロキの言葉にアイズが答える。彼女の喋り方ではない、あの白髪の剣士の口調で。

 

「誰よりも理不尽な存在に、俺がなるまで………リヴィは昔、そう言った」

 

今彼が見せた力はまさにその集大成の一つ。スキルとは本人の経験や本質が反映される。『王の理不尽』はリヴィエールというハーフエルフを体現したスキルだった。

 

「…………凄いなぁ、あいつは」

 

今や雨後のタケノコの如く、大量に存在する冒険者。その殆どはLv.1や良くて2止まりの、一山当てる事しか頭にない紛い物ばかり。ロキのファミリアにさえ、そういうものも存在する。

しかし砂漠の砂つぶの中にも、時折本物が存在する。力も、心も、立ち姿さえ凛々しく美しい眩い太陽のような存在が。神々をも魅了するイレギュラー。それがリヴィエール・グローリアという英雄の器(おとこ)だった。

 

「潰したろうやないか、そんな英雄(アホ)な目標」

 

その一言に、幹部達誰もが頷く。彼ならばいつかそんな存在になれるかもしれない。それはこの場にいる誰もが認める。

 

しかし彼はひたむきすぎる。強さを求めるあまり、誰もついていかれない場所に、独りで行ってしまいかねない。

 

それは少し前のアイズと同じだ。この二人は本当に良く似ている。そんなアイズと違う点がたった一つ。彼女の遥か先を行く存在がすぐそばにいたということ。それがアイズにとっての重石となり、彼女を止めた。

だからこそその危うさもここにいる全員が認識している。しかもさらに悪い事に、彼はアイズと違い、基本的にソロで活動している。止まること重しなど存在しないし、止める仲間さえいない。

 

だから私達が止める。大切な自分の仲間を孤独にさせず、止めてくれた彼を、絶対に行かせない。

 

つんのめっていつかコケる。

 

アイズの脳裏にはその言葉が蘇っていた。彼の予言だ。外れるはずがない。恐らくそれはきっと起こる。

その時彼を地面に伏したままには絶対にしない。支え、肩を並べて戦ってみせる。その為に強くなった。

 

「リヴェリア。今度の怪物祭について調べ。あいつより先に真実に辿り着く。ついでや、一年前の事件についても調査したれや」

「…………」

 

指示を受けた緑髪のハイエルフは黙りこくって主神を見つめる。その目には疑問の色が強く浮かんでいる。

 

「なんや、嫌か?」

「まさか、私としては望むところだ。だがロキがあいつの為にそこまで動く理由がわからん」

 

メリットのない行動というものに対して、歴戦の冒険者であるリヴェリアは警戒心を持っている。無償の善意を施す者などこのオラリオにはまずいない。もちろんリヴェリアは彼に対して何でもしてやりたいと思っているが、自分は立ち位置が人とかなり異なる。他の人間がそれをやろうとすれば疑問に思うのは当然だ。

 

「…………なんか嫌な予感がするんや。あいつが関わってる事はオラリオを.……ヘタしたらこの世界そのものをひっくり返すような事やないのか……そんな気がしてならん」

「…………勘か?」

「天界きってのトリックスターの勘や」

 

怪しく口角が上がる。天界にいた彼女を知る神は最近は丸くなったと良く言う。しかしやはり根っこは変わっていない。賢く、狡猾だ。

 

「まぁ今日明日どうこうなる話ちゃうけどなー。あ、アイズたんは勝手にダンジョン行った罰でウチと怪物祭でデートやからなー!」

 

いつもの喧騒へとロキが身を戻す。言いようのない不安感に駆られつつ、リヴェリアは白髪の弟分が消えていった先をじっと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。神の宴を書くかどうかは考え中。それでは感想、評価よろしくお願いします


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Myth25 チートスキルと言わないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎日が盛況と言って過言ではない街、迷宮都市オラリオ。その都市が今日はいつも以上の喧騒に包まれていた。

それもそのはず、今日はオラリオ最大派閥の一つ、ガネーシャ・ファミリアが主催する祭り、怪物祭当日。普段は冒険者しかお目にかかれないモンスターを用いたショーが行われる年に一度のイベント。ダンジョンから連れ出し、テイムした本物の怪物の見世物。その迫力は凄まじく、一般人にはスリル満点の祭りだ。世界中から人も集まる。この騒ぎは当然と言える。

そんな人混みの中を一組の男女が歩いている。一人は着物と言う和装に身を包み、腰の剣帯に漆黒の刀を差した剣士。フードからは太陽の光に似た白髪が覗かれている。一見するとヒューマンに見える青年。もう一人は褐色の肌に黒髪を背中まで伸ばしたアマゾネス。黒を基調としたシックなドレスに身を包んでいる。この種族にしては布面積の広い服装と言えるが、大きく空いた豊満な胸元は人の視線を集めていた。

 

剣士の名はリヴィエール。親しい者にはリヴィと呼ばれているハーフエルフ。彼の腕を取って歩いているのはアイシャ・ベルカ。かつてはガーベラであり、今は白髪の青年の情婦を務めている美女である。

 

「…………意外とバレないもんだね」

 

日傘をクルクルと回しながら楽しげに話しかけてくる。二人とも名も顔も売れた冒険者であるため、これだけの雑踏の中に顔を出せば何らかの騒ぎになるかと思っていたのだが、特にそういう事にはならなかった。

 

「今日の主役は怪物祭だし、他人に興味のある人間なんてものも少ない。必要以上に挙動不審になりさえしなければこんなもんだろう」

 

変装用に掛けたメガネの位置を直す。アイシャも基本的に顔は日傘で隠れるようにしていた。今日の彼らはお忍びで怪物祭に訪れた貴族と護衛というテーマで活動している。

 

「今のところ、特に何か起こってる感じはなさそうだけど」

 

ジャガ丸君をほうばりながら褐色のアマゾネスが自身の意見を述べる。フィリア祭の様子を見ながらデートをして数時間が経つが、何かパニックとなったかのような喧騒はない。至極平和に祭りは進行している。

 

「…………表面上はな」

 

しかし隣を歩く男から緊張感が抜ける事はなかった。先のアイシャの意見も、少し彼に肩の力を抜いて欲しくて言った事だったのだが、あまり効果はなかったようだ。

 

「…………なんかあったの?」

「わからん。三つ以上の組織が動いている事だけは掴んだが……それ以上の事は分からなかった」

 

少し嘘だ。三つ以上のうち二つはフレイヤ・ファミリアとロキ・ファミリアである事は分かった。フレイヤの企みは掴めなかったが、予想はつく。どうせ引き抜きだ。ロキに関しては言わずもがな。連中は俺が調べてるから念のため調べてる、といったところだろう。

この二つは放置していても恐らく問題ない。気になるのは残りの足取りが掴めなかった組織。本業は魔法剣士だが、隠密起動に関してもそれなりの自信はある。その俺が本腰入れて調査したというのに、その尻尾は掴めなかった。つまり俺に足跡を掴ませない程度には痕跡を消しながら活動していたという事だ。それだけで充分警戒に値する。

 

「……そろそろ始まるな」

 

懐中時計を見る。以前リヴェリアからランクアップの祝いで貰ったものだ。高級感溢れる淡い白金が美しい。

闘技場の方も騒ぎが大きくなり始めた。何か事件が起こるとすればそれはやはり闘技場周辺だろう。

 

「跳ぶぞ、ついてこれるな?」

「誰に向かって言ってんだよ」

 

挑戦的に口角を上げる。リヴィエールも笑みを返すと、一足飛びに建物の屋上へと跳んだ。アイシャも彼に続く。流石の脚力だ。

 

「急ぐぞ」

「ああ」

 

 

 

 

 

 

彼らがまるでニンジャのように動き始める少し前、アイズとロキはとあるカフェに訪れていた。

 

店の空気がどこか妙な物に支配されている事にアイズは入店して初めて気づいた。まるで何かに導かれるようにその場にいる人間全員が一席に視線を集中させている。

 

───何だろう、この空気。

 

「よぉー、待たせたか?」

「いえ、少し前に来たばかり……あら、そちらは」

 

主神が話しかけた事により、待ち人がいた事を知る。その方向に視線を向けることでようやく、この場を支配しているものが何かに気づいた。

 

───きれい

 

アイズの思考をその一言のみが支配する。まるで強力な催眠にでも掛かったかのように、彼女から目が離せない。魅了という魔力。魂まで酔わされそうな圧倒的存在感。見目麗しい女神達の中でも殊更抜きん出た美しさを誇り、銀の双眸は見ただけで引き込まれそうになる。

それが世界の何よりも美しいと言われる女神、フレイヤの力だった。

 

───コレが美の化身……フレイヤ

 

アイズにとって世界で最も美しい存在はリヴィエールとリヴェリアの二大巨頭だったのだが今日、この時を持ってその格付けは変動した。

 

「アイズ、こんなやつでも神やから挨拶だけはしときぃ」

「…………初めまして」

「初めまして……ふうん、なるほどね……ロキが惚れ込むのもわかるわ。どうして剣姫を連れて来たか聞いてもいいかしら?」

「そりゃもちろんデートや!……と言いたいところやけど、こいつはほっとくとすぐダンジョンに潜ろうとしよるからなぁ。誰かが気ぃ抜いてやらんと一生休みもせん」

 

羞恥で頬を紅潮させつつ、俯く。しょうがない奴だなと言わんばかりのロキの目つきが少しリヴィエールに似ていた。

 

「ちゅーわけで時間もったいないから率直に聞くで。最近自分、ちょろちょろ動き回っとるみたいやないか」

「…………」

 

ロキの問いかけに対し、無言の笑みを浮かべる。表情から真意を読み取ることはロキの洞察力を持ってしても出来なかった。

 

「…………男か」

「…………?」

 

主神の答えに疑問符を浮かべるアイズをよそに、今度は肯定の意味を込めて口角を上げる。わざとこちらにわかる様に表情を変えて来た事に気付いたロキは深く息を吐いた。

 

「アホくさ。またどこぞのファミリアの子供を気に入ったっちゅうワケか。この色ボケが」

 

フレイヤが他派閥の団員を引き抜くために行動していた。実を言うとこれは珍しいことではない。彼女は気に入った子供をよく自分のファミリアに引き込んでいる。それ自体は神であれば真っ当なことなのだ。唯一問題があるとすれば、この女が見初めるのは大抵すでに他派閥に属している子供だと言うこと。

しかし現在に至るまで、彼女のこの問題行動がそれほど問題となっていないのは相手がフレイヤに魅入られたり、最大派閥と敵対し潰されるのを恐れた主神が差し出すからだ。

唯一の例外があの白髪のハーフエルフ。とある理由で魅了が聞かず、そして頑としてルグの元から離れなかった、あの剣聖だけが彼女の引き抜きに応じなかった。

 

「で?」

「………?」

「どんなヤツや、今度自分の目にとまった子供いうんは?」

「………」

「ほら、とっとと吐けや。うちらの間でややこしい事にしたないやろ?」

 

挑戦的にロキがフレイヤを睨みつける。その視線を真っ向からフレイヤは受け止めていた。その様子をアイズは固唾を飲んで見守っていた。この返答次第で下手をすれば二大派閥の激突すらあり得る空気だったからだ。緊張せずにはいられない。

笑みを崩さず、フレイヤが息を吐く。しばらくロキとこうしているのも面白かったが、意味のない争いをしたいとは思えなかった。語り始める。

 

「強くはないわ。今はまだまだ頼りない。少しのことで傷ついて、泣いてしまう、そんな子」

 

少しずつ、声と表情に色の熱が篭っていく。

 

「でも綺麗だった。透き通っていた。今までに見たことのない、初めて見る色をしていた。凛々しく、気高く、強い彼と真逆の存在。だから目を奪われてしまったの」

 

話を聞きながらロキは表情を歪める。フレイヤの言う彼と言うのが誰なのか、ロキは知っていた。

 

「見つけたのは本当に偶然。たまたま視界に入っただけ。……あの時も、こんな風に……」

 

外に視線を向けていたフレイヤの目が唐突に見開かれる。釣られてアイズも外を見る。

 

───あの子は……

 

外を走る小柄な少年の姿に、アイズは見覚えがあった。ダンジョンで出会い、酒場で傷つけてしまった白兎。しかし今は元気そうに走っていた。

 

───よかった、元気になったんだ…

 

「ごめんなさい、急用ができたわ。また今度、会いましょう」

「はぁっ!?」

 

唐突に席を立つ。もう構ってはいられないと気忙しそうにフレイヤは店を出ようとした。

 

「待てやフレイヤ」

「…………なに?」

 

この女神にしては珍しい、余裕のない表情を向ける。1秒が惜しいと言わんばかりの顔だ。けれど彼の悪友として、コレだけは確認しなくてはならない。

 

「お前、まだリヴィエールにちょっかい出す気か?」

「…………………」

 

笑みが戻る。挑発するような、そんな笑い方。だったらどうする?と、目で語っていた。笑顔だけでよくこれ程引き出しがあるものだと感心してしまう。

 

「あいつの事はほっといてやってくれんか?あいつ、ボロボロなんや」

「…………そうね、知ってるわ」

 

人とハイエルフ、愛と憎しみ、強さと弱さ、相反する全てが混ざった、奇跡的な存在。あの惨劇を経て、悲劇という闇が混ざる事で彼の黒には一層の深みが加わった。

 

「だからこそ彼は綺麗なのよ」

 

店を出る。もう構ってはいられなかった。いなくなったフレイヤの姿を見ながらロキはまた深く息を吐く。

 

───お前の言うこともわからんではないけどなぁ…

 

傷つきながらも立ち上がる者の姿は美しい。自分の子供のそういう姿はロキも何度も見てきた。出来ることなら彼を自分のファミリアに加えたいとすら思っている。しかし意外と分別のある神である……というよりは下界に降りて丸くなったロキはああいった強引な手段を取ろうとは思えなかった。それに彼は自分にとって気の置けない友人だ。そういう存在は下界では貴重なことをロキは知っている。

 

それに、一応釘を刺しただけで、彼に関してはそこまで心配していない。なぜなら……

 

「あいつは相当手強いで。なあ、リヴィエール」

 

世界を煌々と照らす太陽を見ながら、悪友に話しかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ックシュン!!」

 

片手で口と鼻を押さえ、控えめに吹き出す。そんな様子を訝しんだ褐色の美女は心配そうにこちらを覗き込んできた。

 

「ウルス、大丈夫?風邪?」

「いや、誰かが悪口でも言ってんだろ」

 

スンッと鼻を鳴らす。ウルス呼びにさせているのはこの場にかなりの数の人間が集まっているからだ。もう諦めてはいるものの、迂闊に本名を呼ばせるわけにはいかない。軽口を叩きつつも足は止めずにスタジアムへと向かう。すでに騒ぎは起こっていた。

 

「…………!エイナ!」

 

何やら焦っている団体のうちの1人に担当官であるハーフエルフの姿が見えた。名前を呼ぶとすぐにこちらに気づき、飛び上がった。

 

「リヴィ君!丁度いいところに………」

 

一瞬喜色を浮かべてこちらに走ってきたが、同伴者の姿を見咎め、目が一気に不機嫌なモノへと変貌した。

 

「…………そちらの方は?」

「こいつは俺の「パートナーをやってる。アイシャ・ベルカだ。よろしく」………」

 

遮られた事に若干イラついたが、自分たちの関係についてはやんわりとした言い方をしてくれた為、あまり強く文句も言えなかった。

 

「で、ウルス。こちらは?」

「彼女は俺の「担当官を務めています。言うなればダンジョン活動における彼のパートナーです」…………」

 

またも遮られた。というかお前ら、自分で言うなら俺が紹介する必要ないやん……

 

「へえ、担当官がパートナーねぇ。ウラノスの人間が特定の冒険者に私情を挟むのはどうかと思うけど」

「イシュタル・ファミリアに属しているあなたがヘスティア・ファミリアの彼に堂々とパートナー宣言している方が問題があるように思えますが」

 

バチリと何かが2人の間で弾ける。双方とも笑顔だが内面に潜む殺気の恐ろしさは尋常ではない。そして抓られる両脇が地味に痛い。

 

「エイナ、俺に頼みたい事があるんじゃなかったのか?」

 

妙な方向へと行きかけた空気を本題に戻す。するとアッと手を叩き、こちらの袖を取った。

 

「祭りのためのモンスターが脱走したみたいなの!是非共協力をお願いするわ!」

「脱走!?何やってんのガネーシャは!」

 

顔をしかめて声を上げる。アイシャの言い分は尤もだ。せっかくバベルにより蓋をしているダンジョンからわざわざ怪物を外に出す以上、脱走など最も注意していなければならないところ。それを、と思うのは仕方ない事だろう。ガネーシャほど力のあるファミリアなら尚更だ。

 

だからこそリヴィエールはこの話に違和感を抱いた。わざわざシャクティに会って釘を刺したにもかかわらず事件が起こった事がどうしても解せなかったのだ。

 

「エイナ、シャクティはいるか?」

「え、ええ。市民の避難の指揮に」

「少し話がしたい。連れてきてくれ。ついでに事件現場の様子も見ておく。アイシャ、ついて来い」

「わかった」

「了解、ボス」

 

雑踏の中にエイナが走っていく。行ったのを確認するとリヴィエールとアイシャは怪物祭用のモンスターが囚われている檻のへと向かった。

 

「…………こいつは」

 

もぬけの殻になった九つの檻と共に、腰砕けになっている門番たち。目は虚ろに虚空をさまよい、口元からは涎が垂れている。この症状は……

 

「アイシャ、俺は実際に見た事ないからよくわからないんだが、こいつは……」

「間違いない。こいつら全員魅了にやられてる」

 

美の女神を主神に持つアイシャが確信を持って彼の疑問に答える。こいつを連れて来るべきだと思った俺の感は正しかった。

 

「お前のとこは関わってるわけないよな?」

「当たり前だよ。こんなくだらない事して目をつけられるような真似はあの人はしない。あの人のターゲットはあの女神だけさ」

 

だよなぁと心中で頷く。イシュタルは直情的だがバカではない。見るものが見れば一発で下手人が割れるような手は打たない。たとえ疑わしくとも、自分たちの仕業とはバレない工夫を必ずする。

となると今回の一件、犯人はヤツしか考えられないが、それもイマイチ納得がいかない。誰かの引き抜きが目的なら恐らくモンスターを脱走させた理由はガネーシャ及び、他の有力ファミリアの足止めだろう。不必要に被害を出すことはいくら奴でもしないはずだ。

しかしその程度の事でここまで俺の7つ目の感覚が警鐘を鳴らすだろうか?ロキが気をつけろなどとわざわざ俺に忠告するだろうか?

 

───となると他に何か目的がある?この騒ぎは陽動で、本命は別にあるのか?

 

答えは、わからない。ここから先を推理するには情報が足りない。

 

「待たせた」

 

奥の雑踏からスーツ姿に藍色の短髪を靡かせた麗人がエイナに連れられて現れる。どうやら考え事をしているうちにそれなりに時間が経っていたらしい。

 

「よう、なんかめんどくさそうな事になってるな」

「お前の予言が見事に当たったというわけだ。内部の警戒はしていたのだがな」

「まあ済んだことは言ってもしょうがねえさ。それより被害状況は?」

「それが……」

 

沈痛な面持ちの彼女を見て死人が出たかと推測する。オラリオには戦闘力を持たない一般市民も数多くいる。1人2人死んでいてもなんらおかしくはない。白髪の剣士は蒼髪の友人にどう慰めの言葉をかけようかと逡巡しはじめていた。

しかし続く言葉はリヴィエールをもってしても予想外だった。

 

「死人はおろか、怪我人すら無しだ」

 

リヴィ、アイシャ、2人とも驚きに眉を上げた。ありえない、と思ったからだ。

 

「確かか?」

「少なくとも、市民に被害は出ていない」

 

いよいよもってきな臭くなってきた。被害が出ていないということ事態は喜ぶべきことだ。だが何事も過ぎたるは及ばざるが如し。ロクな知性を持たないモンスターが市民になんの被害も出さないなど通常の事件であれば、ありえない。

つまりこの一件、なんらかの作為が有るという事だ。そしてその作為ある者は特定のターゲットのみに被害をもたらそうとしているという事。

嫌な予感がする。

 

「ザコどもが逃げた方向は?」

「東部周域に散らばったと報告を受けている」

「わかった。外の対処は俺がやる。シャクティは引き続き市民の避難誘導を頼む。現場には出張るなよ。お前がいるというだけで市民達は安心する」

「無論だ」

「アイシャ、お前はここで待機。魅了にかかった連中の介抱とモンスター達の番を頼む」

「えー……私もウルスとイク」

 

不平そうに頬を膨らませながらリヴィの袖を掴む。此処に来るまででデートはかなり楽しんだが、それでも今日1日くらいはずっと一緒にいたかった。

 

「そう言うな。怪物祭を潰すのが目的ならまだこの辺りが襲撃される可能性はある。信頼出来る手練れが此処を守っておく必要があるんだ」

「…………」

 

信頼出来ると言う言葉が出た事により不機嫌そうに寄った眉が若干和らぐ。しかし嘘を言ったつもりはない。多少リップサービスがないとは言わないが、純然たる事実でもある。

 

「それに魅了に関して俺は門外漢だ。介抱なんてろくに出来ないし、仕掛けられたとしても対処はできない。腕っぷしではどうにもならん」

「それは私だって……」

「それでも何も経験のない俺よりはマシだ。お前の力がいる」

「…………」

「アイシャ」

 

肩に手を置き、翡翠色の瞳が彼女を捉える。彼の目が共に戦う戦友に向ける眼差しへと変わった。

 

「頼む」

「…………ちぇ。いい女ってのはいつも貧乏クジだ」

 

フイとそっぽを向く。表情は見えなかったが声には喜色が見え、少し赤く染まった褐色の肌がうなじから覗いた。

 

───あい変わらず女の扱いが上手い男だ…

 

心中で嘆息しながら白髪の悪友を睥睨する。女という生き物は、特に能力のある女は頼られるという事に弱い。まして、滅多に人に頼るということをしないこの男からなら尚更だ。特別扱いをされている何よりの証だから。

 

「エイナ、お前は引き続き、ガネーシャに協力しろ。怪我人1人出すな」

「わかったわ」

「よし」

 

今やれる全ての手は打った。此処にいる三人なら後は各々で役割を果たすだろう。

俺には俺の役割がある。

 

屈み込み、腿とふくらはぎに力を入れる。跳躍し、闘技場の壁を二、三度蹴り、一気に上空へと駆け上がった。

 

「うわ、すっげ」

 

感心のような、呆れのような、そんな口調でアイシャが見やる。彼の戦う姿は何度か見たが、何度見ても規格外だ。脚力には自信のあるアイシャでもあんな真似は出来ない。

 

「鈍ってはいないようだな。あちらは任せて問題ない。私たちは私たちの仕事を完遂するぞ」

「はい!」

「私はいつアンタの部下になったよ」

 

憎まれ口を叩きつつも、各員尽力する。彼に任された以上、失敗は乙女のプライドにかけて許されない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時計塔の支柱に立ち、町の東部地区を見下ろす。此処からならオラリオ全体が見渡せる。探し物には丁度いい。

 

───ザコ、ザコ、ザコ

 

炎で出来た黒弓に炎の矢をつがえながら町の様子を見る。今の所歯牙にも掛けない連中ばかり。インドラの矢に寄ってもう三匹黒焦げにしていた。本来なら直接斬った方が魔法による町の被害も出ないし安全なのだが、今回彼はその手段を取らなかった。なぜなら……

 

───こいつらは陽動。本命のモンスターがどこかにいるはず…

 

であれば街全体を見渡せるこの塔から降りるわけにはいかない。この推測は正しかった。

たった一つの誤算があるとすれば、その本命のモンスターに関する情報が足りなかったことだろう。

 

ヒヤリと背中に嫌な予感が奔った瞬間、足元が崩れ落ちる。唐突に時計塔が破壊されたのだ。先ほどまでリヴィエールが立っていた場所には緑色のムチが唸りを上げて立ち上っていた。

 

「な、なんだっ!?」

 

空中で姿勢を整えながら地震の正体を見極める。白髪の剣士は崩れるより一瞬早く跳躍していた。

 

───植物の……ツル?

 

跳んで距離が出来たおかげで襲撃者の姿の一部の視認に成功する。しかし息をつく暇はなかった。そのツルは真っ直ぐにこちらに振り下ろされていた。

 

「ぐっ!?」

 

───避けたら市民に……

 

「吹き荒べ精霊の息吹っ!」

 

カグツチを抜く。空中で受けた為、踏ん張ることはできず、慣性の法則に従って吹っ飛ばされる。

粉塵と共に白い塊が地面に激突した。一の時間を数えるか数えないかの時間で粉塵は払われる。爆発の中心にいた男は黒剣を薙ぎ払っていた。擦過傷はあるものの、あの勢いを考えればほぼ無傷といっていい状態で立っている。

 

風の魔法で自分自身から飛ばされ、風のクッションを作ることで、なんとか致命傷は防いでいた。

 

───なんだアレは!?新種か!?アレもガネーシャが用意したのか!?

 

いや、考えられない。受けた感じ、こいつはそこそこ強い。単体のモンスターとして考えるなら充分深層クラス。フィリア祭に出てくるモンスターはタッパはあるが、基本上層のザコだ。これほどの強さのモノを出してくるなんて、ありえない。

 

となると本命はコイツか。足元から来られるとはついてないな…

 

冷静に分析しつつ、ゾッとする。こんな一般人が住むような場所で深層クラスのモンスター。ヤツが見境なく暴れたとしたら被害規模は考えただけでも恐ろしい。そうなる前に早く仕留める必要がある。

 

吹っ飛ばされた方向へと跳躍しようと屈み込む。ついでに魔法でブーストして。あと1秒あれば風よりも早い飛翔がなされることだろう。

しかしその跳躍は突撃のためではなく、回避のために用いられる。植物のような怪物は真っ直ぐにこちらに向けてツタを振るってきたのだ。

 

「うわっとぉ!っぶな」

 

反応して避けたはいいが、石畳は木っ端微塵にされている。アレをまともに食らってはいくらリヴィエールといえどひとたまりも無い。

 

こちらに向かってくる植物の化け物を見ながら、安堵しつつも疑問が浮かぶ。

 

さっきも今のも間違いなくリヴィエールを目掛けて攻撃していた。盲滅法あのツタを振るわれるよりはよほどやりやすいが、同時におかしい。こちらから攻撃しての反撃ならばともかく、あの手の植物系モンスターが標的を定めて攻撃してくるということはあまり無い。それも当然だ。植物には五感がないのだから。故に光や温度といった通常、動物が感じにくいものを鋭敏に近くし、活動している。

百戦錬磨のリヴィエールはその事を実感して、知っている。

 

───闘気を放つ俺を敵として認識したって言うなら話は早いんだが……今まで殺気に反応する植物系ってのはお目にかかったことがない。五感以外の何かで俺の位置を知ったと考えるのが妥当。しかし一体何で……

 

思考は中断された。様子見をしつつ、周囲を走っていたリヴィエールから植物系モンスターから感じられた敵意のようなモノが失せた。建物の崩壊により腰が抜けている一般人にツタの位置が移る。

 

───ヤバイ!!

 

魔法を発動させる。足元から爆発が起こった。

 

───ん?

 

新種の敵意が再びこちらに一瞬向いた。その逡巡の間にリヴィエールは市民の前にたどり着いた。庇うように立つ彼の前にツタが振り下ろされる。

 

「ナメんな」

 

すでに鯉口は切っている。ならばあとは振り抜くだけ。足に力を込め、腰を駆動し、全身が回転する。腰間から抜き放たれた一刀は見事にツタを斬り裂いた。

 

腰に力が入れられれば、剣聖に斬れないモノはない。

 

「向こうでガネーシャが避難誘導している。走れ」

「あ、あの、貴方は…」

「早く!!」

 

恫喝する。慌てて大通りへと走っていった。その様子を後ろ目で見やりながら、新種に対峙する。

 

「おっと。お前の相手は俺だ」

 

逃げていく2人を追いかけようとしたのか、それとも違う理由か。動きはじめたヤツを牽制するように魔力を立ちのぼらせる。カグツチには黒炎が揺らめいている。

こいつの位置どりのカラクリも大体わかった。先の跳躍で8割がた察していたが、この対峙で確信する。

 

ツタが振り下ろされる。交わした方向に追尾してくるその突起を蹴飛ばす。

 

───っ、斬った時も思ったが、硬っ

 

市民が逃げ切るまでの時間稼ぎをするために打撃系の技を使ったが、これではラチが明かなそうだ。

 

───アマテラスなら燃やせるだろうが、この硬さなら全焼するまでに時間がかかる。モユルダイチは周囲への被害がまずい。オレがモンスター扱いされる。なら凍らせるか?アレなら多分可能だ。しかし魔力を高めながらこいつの相手をするのは流石の俺でも……

 

少なくとも一級冒険者クラスの前衛が2人はいないと難しい。そう思いはじめた頃、新種の暴走が加速し始める。当たり前だがツタは一本ではない。手数という面において、この新種はリヴィエールを遥かに上回る。

 

───くそっ、迷ってる場合じゃないか!

 

【アールヴの名の下に命ずる。我が愛しき同胞たち。研鑽の全てを我に見せてくれ】

 

冒険者は魔法スロットを最大で三つ持っている。つまりどんなに才能があっても、通常身につけられる魔法の数は最大で三つ。コレは魔法を使う物の常識だ。

リヴィエールももちろんその例にもれない。彼単体が使える魔法も三つである。

しかし、何事にも抜け道というものは存在する。

 

【ああ、わが兄弟たちよ、なぜ同胞で競い合う。其方らに優劣などない。我にとっては誰もが愛しく、美しい存在だというのに】

 

一つは詠唱連結。リヴェリアが操る特殊スキル。攻撃、防御、回復三種の魔法に三階位を掛け合わせることで9種の魔法を操ることが出来るという凄まじいスキル。かの上位魔導士の二つ名【九魔姫】の所以である。

そしてもう一つが、今リヴィエールが行なっている魔法である。

 

【ならばその争い、我が裁こう。愛している故許さない】

 

スキルとは基本的に詠唱を必要としない、意識で発動させるものが普通だが、その圧倒的性能のせいか、はたまた別の理由が、彼のこのスキルは唯一の例外である。発動の際にマインドと詠唱を必要とする。

しかしその代わり効果は凄まじい。エルフの魔法のみという制約はつくが、詠唱と効果を把握していればどんな魔法でも使用することができる。しかも自身の魔力を上乗せすることによりさらに強化した魔法として召喚することを可能にする。

 

【さあ、妖精たちよ……献上せよ】

 

王の理不尽、発動

 

 

 

 

 

 

 

 

 




あけまして今年もよろしくお願いします。フクブチョーです。新年一発目のその二つ名、いかがだったでしょうか?励みになりますので感想、評価もよろしくお願いします


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Myth26 甘くせえと言わないで!

 

 

 

 

 

 

 

【王の理不尽】

 

リヴィエールがレベル3にランクアップした時に発現した。王族の血を引く男、リヴィエールが臣民たるエルフ達から魔法を徴収するスキル。レフィーヤが操るような短文詠唱の魔法であれば、威力は若干落ちるが、魔法本来の詠唱のみで召喚は可能だ。

しかしことアールヴの魔法となると話が変わる。

王族たるリヴェリアの魔法を理不尽に徴収するにはいかに彼でも手続きを必要とする。

 

しかし、それさえ為されれば……

 

【───献上せよ】

 

その凄まじさは原典(リヴェリア)を超える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、オラリオの地面に違和感をアマゾネスの少女が感じ取った。

 

「ティオナ?どうしたのよ」

「地面……揺れてない?」

 

その言葉を肯定するように今度は大きく地面が揺れる。地震かとも思ったが、違う。揺れは断続的に続いていた。

 

「っ!!」

 

街に破砕音が轟くと同時に、時計塔が崩壊する。何かとんでもない事が起こったと、察するには充分すぎる。震源を見やると黄緑色の蛇のような怪物が暴れまわっていた。

 

「なにあれ!また新種!?」

「あんなモンスター、ガネーシャ・ファミリアはどこから…!」

「アイズは遠い!私達で叩くわよ!」

「わかった!」

「は、はい!」

 

屋根伝いに駆け抜ける。凄まじい身体能力を持つティオネ達はあっという間に震源地へとたどり着いた。遅れてはいるが、レフィーヤも確実に近づいている。

 

「あ、あれ!」

 

ティオネが指差した先には一般市民2人を逃しつつ、詠唱を行なっている白髪の魔法剣士の姿があった。

 

「早いわね、流石」

「でも詠唱中みた……危ない!」

 

魔力を高めている最中に新種が襲いかかる。詠唱を続けながらも対応してはいたが、流石に普段よりは動きが鈍い。

 

頭のない蛇がリヴィエール目掛けて走る。黒刀を振るい、対応しようとしたが、その前にティオネ達が間に合った。蛇の頭を思いっきりぶん殴る。石畳に叩きつけられた蛇は見事に地面にめり込んだ。

 

「お前ら…」

「はぁい、リヴィエール。余計だ……た……」

「友達でしょ?礼ならいら……ない……わ、」

 

得意げな笑みを向けていた2人が同時に拳を抑えて震える。時間差で拳に尋常ならざる痺れと痛みが奔った。それも当然だ。あのリヴィエールをもってしても硬いと言わしめる物体を素手で殴って、無事な方がおかしい。

 

「〜〜〜〜〜!!」

「かったぁーーー!!」

「ど阿呆!得体の知れない新種相手にいきなり素手で殴る奴があるか!何年冒険者やってんだお前ら!」

「言ってよ〜〜!」

「言う暇なかっただろう。仕留めるのは俺に任せていいからお前らは周囲への被害を抑えてろ。お前らなら足で充分対応できる」

「わかったわ、任せて」

「あーもう!武器持って来ればよかった!」

 

三人同時に散開する。遠目からは三人とも消えたように見えただろう。いや、事実、そう見えた。遅れてきたレフィーヤの目からは。

 

───強い……三人とも。私なんて、足下にも及ばない

 

鉄以上の高度と凄まじい速度で振るわれる顔のない蛇の突進をアマゾネス姉妹は足で捌き、リヴィエールは斬り込みつつ間合いを詰めていた。もしあの中に自分が放り込まれたら、あっという間に打ち据えられて終わりだろう。

あんな素早く動く事なんて出来ない。あんな強い攻撃を繰り出す事なんて、出来ない。

 

───でも、私だって!

 

【解き放つ一条の光 聖木の弓幹 汝弓の名手なり】

 

速度重視の短文詠唱。素早い相手への奇襲としてはかなり有効な魔法。レフィーヤの魔力で撃てば威力もそこそこある。

 

───気づいてない。いける!私だってアイズさんの力に……

 

「っ、馬鹿レフィーヤ!違う!」

 

まるで後ろに目でもついているかのように、魔法を発動させようとしているレフィーヤに向かって静止の言葉を白髪の魔導士が掛ける。しかしもうここまで詠唱した魔法は止められない。

 

【狙撃せよ妖精の射手 穿て必中の矢】

 

「クソっ!!」

 

彼の姿が搔き消える。どこへ、とレフィーヤが思った時には横からの衝撃に突き飛ばされていた。

 

「り、リヴィエールさん、何を……」

 

するんですかと続くはずだった言葉は轟音に搔き消える。石畳が割れ、地中から凄まじい速度で何かが立ち昇る。何かはリヴィエールの腹部にまともに突き刺さり、勢いのまま、空へと打ち上げられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───まさかこいつらが来るとは……いや、別に不自然とまでは言わないか

 

詠唱を続けながら走り回る。力不足だと言う気は無い。二人の実力は一級冒険者を名乗るにふさわしいものだ。

しかしそれは飽くまで【大切断】の所以たる大双刀などの武器を持っている彼女達だ。流石の二人も素手で深層クラスのモンスターとは戦えない。

いや、戦えないとまでは言わないが、相当不利な戦いになるのは間違いない。

そしてこの新種は打撃や斬撃ではラチが明かない。今の二人にこの怪物を打倒する力はない。

 

リヴィエールは戦闘スタイルを変化させる。自分が避ければいいという回避重視のスタンスから、この二人を庇いながら戦うガード重視のスタイルに。

 

ツタの一撃をなんとか逸らす。受けた両手に痺れが疾る。デュランダルたるカグツチでなければ砕け散っていた。受け流しにも限界がある。

 

───そもそも俺はタンク向きの戦闘スタイルじゃない。早いとこケリをつけないと、持たない

 

【終末の前触れよ、白き雪よ。黄昏を前に(うず)を巻け】

 

体に鈍く響く鈍痛に耐えながらリヴィエールは詠唱を続ける。召喚する魔法は【ウィン・フィンブルヴェトル】。現在存在する氷結魔法の中で最強の魔法。この術なら新種の細胞一つに至るまで凍りつくす事が出来る。周囲に無駄な破壊をもたらす可能性も低い。この状況にうってつけの魔法だった。

 

【閉ざされる光、凍てつく大地。吹雪け、三度の厳冬――我が名は……】

 

リヴィエールの詠唱はそこで止まる。あと少しで完成だと言うのに7つ目の感覚が近距離に魔力の高まりを知覚したのだ。

 

視線を向ける。その先にいたのは栗色の髪に青い瞳を宿した麗しく、年若いエルフ。手を翳し、魔法を発動させんとしている同胞の姿だった。

 

───あいつまで……

 

来てたのかと思う時間はない。

 

「っ、馬鹿レフィーヤ!違うっ!!」

 

魔力を高める彼女に叫ぶ。レフィーヤの魔力量はエルフの中でも屈指。そんな彼女が魔力を高めては……

 

───俺が今までやってた事が、水泡に……

 

「クソッ!」

 

だから群れるのは嫌いなんだ!

 

超高速の領域で駆け抜ける刹那の空間で、飛んでしまった事の後悔を思う。しかし、もう止められない。止まる気も、ない。

 

『…………どうして君はそんなに一人になろうとするんだい?』

 

……ほらな、こうやってつい手が出ちまう。

 

同族の少女の華奢な身体を突き飛ばしている最中、主神の言葉が脳裏に浮かぶ。その答えはコレだ。

 

俺はやっぱり、甘くせえ。

 

鉄の塊が腹をえぐった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空高く打ち上げられたリヴィエールが重力に従って地に堕ちる。ろくに態勢も整えず。あの剣聖が受け身すら取らずに地面に落ちた。

 

「リヴィエールさんっ!!」

「な、なにあれ!尻尾!?」

「リヴィエール!?」

 

私を、庇って……私のせいで……

 

足手まといとなってしまった。その事実に未熟なエルフは打ちのめされる。打ち上がった尻尾のような物体はビクリと一度脈打つと、その真の姿を見せた。

頭部に幾筋もの線が走り、咲いた。

ハエトリグサが人を食らうために進化した姿と言えばわかりやすいだろうか。

仕留めた捕食するためにモンスターが変貌していく。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼︎』

 

咆哮が轟き渡る。花弁が開かれ、中央には牙の並んだ巨大な口が存在し、口腔の奥には魔石が見えた。

 

「咲い……た?」

「蛇じゃなくて……花⁉︎」

 

モンスターの正体にティオナ達が驚愕する。蛇だと思い込んでいたのは食人花のモンスターだった。

 

「リヴィエール!起きなさい!レフィーヤ、逃げて!」

「ああもうっ!じゃまぁ!」

 

二人を助けようとするアマゾネス姉妹だが、食人花から湧き出た触手が彼女らの行く手を阻む。

 

ーーー嫌だ、嫌だ…

 

倒れるリヴィエールに肩を貸して背を向ける。しかしレベル3とはいえ所詮は魔導士。身体能力でこのモンスターに敵うわけがない。ましてや今はリヴィエールの長身痩躯を背負っているのだ。動きは尚鈍い。

 

何度でも、守るから。

 

彼女の脳裏に憧憬の彼女の言葉が響く。

 

…………チッ。

 

まだ艶やかな黒髪だった頃の剣聖の姿が蘇る。いつだったか、ダンジョンで助けられた、あの時の自分を失望と苛立ちの目で見た翡翠の瞳と舌打ちの音が。

 

───嫌だ、嫌だ…

 

だから、次はレフィーヤが私()を助けて?

 

その達の中には自分は入っていない。入れる資格は私にはない。アイズはそう言ってくれたけど、私なんかが彼女の役に立つ事なんてあるのだろうか?

 

リヴィエールに至ってはそんな言葉をかけてくれたことさえない。もう自分が足を引っ張るのは想定内と言わんばかりに、無言で自分を守ってくれた。

 

そんな無力な自分が悔しくて、両目から涙を溢れさせながら必死に動く。掴んだ彼の腕に力が篭った事に負の思考に囚われていたレフィーヤは気づかなかった。

 

───嫌だ、嫌だ……

 

もう嫌だ!!

 

レフィーヤの腕が振り払われ、背中が突き飛ばされる。肩からは重みが消え、刀が鳴る硬質な金属音が一つ鳴った。気づいた時にはもう食人花の首は宙を飛んでいる。

同時に金色の風が視界を横切る。猛スピードで駆け抜けた疾風は食人花の吹き飛んだ首を細切れにする。

 

───同じ……また、同じ……また、私は……

 

『アイズさんに手を差し出してもらっても……いつか隣で戦いたいから……憧れてるから……その手は掴めないんです』

 

そんな自分の言葉が滑稽に響く。何が憧れ……何がその手は掴めない……そんな事が言える程、私は偉いのか、強いのか?

 

『剣を振るい、魔法を自在に操る貴方のスタイルに。ヒューマンである貴方に出来るのなら私にだって。そう思えたから私は努力出来ました』

 

努力の結果がコレか?彼の足手まといになった上に、なす術なく喰われようとしていた私が、一体今まで何を努力してきたというのか。

 

───きっとまた、自分は……

 

 

あの憧憬の二人に守られる

 

 

並び立つ金と白の背中は悔し涙で歪んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───ツゥ……

 

腹部に響く鈍痛に僅かに眉をしかめる。先の一撃はかなりのダメージを彼に与えていた。

 

───チッ……トんでたか

 

リヴィエールは優れた剣士だ。パワーもスピードもテクニックも全て高次元に纏まっている、オールラウンダー。隙などないと言っていい。

しかしたった一つ、弱点を上げるとすれば、リヴェリアなら耐久力と答えるだろう。

 

基本的にリヴィエールのディフェンスは触らせない事を前提としている。どんな強力な一撃も当たらなければ意味はない。見切り、躱し、斬る。やられる前にヤる。先手必勝のスタイル。つまりは触らせないという戦闘型。故に攻撃を食らうという事が基本的に少ない。

ファルナは冒険者が得た経験をもとに進化する。ダメージを受けなければ耐久力も決して上がらない。

もちろんリヴィエールは怪我をした事がないわけではない。傷を負ったことはあるし、一年前の惨劇の夜には致命傷寸前の大怪我を負った。並の上級冒険者程度には耐久力もある。

 

しかし何年もソロで潜り続けている彼が並程度の耐久力しかもっていないという事は異常事態だ。危険に晒された回数に比べ、傷を負った回数は極端な程少ない。

加えて彼はハーフエルフ。種族としても打たれ強い種では決してない。

 

───戦闘中にマトモに攻撃食らったのっていつだっけ……

 

深層モンスタークラスの一撃をなんのガードもせずにモロに受けるという事はほぼ初体験だ。並程度の耐久力では歯が立たない。

 

───7つ目の感覚、応用編。痛覚遮断

 

第六感を含めた全ての感覚を研ぎ澄ますスキル、7つ目の感覚。常時発動型スキルではあるが、その精度は集中力次第。そして誤解されがちだがその能力は何も感覚を鋭敏にするだけではない。練度が高ければわざと感覚を鈍くすることもできる。戦闘時に痛覚を遮断するという事はあまりよくないのだが、そうも言っていられない。

 

「おぉおおおおおお!!!」

 

カグツチが食人花の首を両断する。頭部と思わしき花が宙へと飛ぶ。首だけになった食人花を燃やそうとアマテラスを召喚しはじめたその時、一陣の風がモンスターを細切れにする。この風は知っている。

 

───来たか、思ったより遅かったな。

 

あの三人がいる以上、近くにいると思ってたのだが、今日は別行動だったらしい。痛覚遮断を解除しつつ、毅然と振る舞う。アイズの前で弱った姿など見せられない。これは兄としてのプライド。

 

───それに本体が出てきてくれたおかげでケリはついたしな。

 

「リヴィ、大丈夫?」

「あ?ちょっと見ない間に偉くなったなぁアイズ。お前がこの俺の心配か?」

「痩せ我慢してるリヴィの顔は知ってるつもり」

 

見抜かれた。ポーカーフェイスには自信があったんだが…伊達に長い付き合いではない。

 

やるね、兄妹。だがそれは俺もだぜ?

 

「お前こそ、今のリル・ラファーガはだいぶ無理したろ?あまり力を入れてると」

 

リヴィエールの言葉は遮られる。再び地中からモンスターが湧き出たからだ。

 

───新手!?

 

腰のカグツチを抜き放とうとして、刹那、躊躇する。腰に力を入れた際、ダメージを食らった腹部の筋肉がひきつり、激痛が奔った。

その刹那の間でアイズは新手に突貫した。このレベルが四体程度なら帯剣している彼女であれば、問題ない。

 

持っている剣がデュランダルであったなら。

 

そう、相手はあのリヴィエールの受け流しを持ってしても、カグツチでなければ破壊されていたと思える硬さと強さを持った怪物なのだ。

 

アイズの細剣が砕け散る。剣の耐久力がモンスターの硬さとアイズの技に耐え切れなかったのだ。

 

「アイズっ!!」

 

リヴィエールの怒声が響き渡る。エアリアルを発動させ、打撃を加えながら飛翔する。

 

「よせアイズ!エアリアルは使うな!こいつらは魔力に反応する!俺の痛覚遮断が終わるまで……ああ、くそっ!!」

 

途中でいらない事を言ってしまったと気づく。そんなことが分かればアイズは自分にタゲを集めるためにエアリアルを使うに決まってる。事実魔法を発現させながら距離を取りはじめた。自分に引きつけて距離を稼ごうという腹なのだろう。

 

引き止める事は諦め、目を閉じる。代わりに痛覚遮断の完遂に全速力を使う。リヴィエールの集中力を持ってすれば2秒で終わる作業だが、この2秒、戦場では充分に命取りになり兼ねない時間。

 

目を開いた時、アイズは食人花に取り囲まれていた。逃げ場はない。

 

【盾となれ、ゲオルギウスの鎧】

 

アイズの周囲が光のベールに包まれる。円形の障壁は見事にモンスターの牙を防いでいた。

 

───この魔法……リヴィ!

 

視線を向けるとこちらに向けて手をかざしている彼の姿が見えた。腹部の怪我がなければ斬殺して終わりだったのだが、アイズの動きの速さが災いした。今の彼の状態で駆けつけるには時間がかかる距離まで離れられてしまった。そのため行使された短文詠唱魔法によるガード。とあるダークエルフから盗んだ魔法である。

この強力なモンスターの攻撃を完全に防御しているのは流石と言えたが、この行動は怪我をしているリヴィエールにとっては自殺行為だった。モンスターの標的がリヴィエールに変わる。

一直線に向かってきた連中を何とか剣で対応するが一手遅れる。痛みは我慢できても人体の構造上、異常がある部分の動きはどうしても鈍くなる。

 

───このままだと、ヤバイな

 

ジリ貧なのは、明白。頼みの綱はガネーシャの救援だがそれまで俺の体が持つかどうか……

 

「ムグッ」

 

喉奥から熱いものが込み上がり、真っ赤な唾液が吐き出される。どうやら内臓がいくつかイかれてるらしい。

 

───あ、ヤバ

 

【盾となれ、ゲオルギウスの鎧】

 

もう剣で対抗するのは諦める。先ほどの守護魔法を今度は自分の周囲に展開する。

 

───だがコレも長くは持たないっ!

 

降り注ぐムチの嵐はまるで鉄球の雨。ガード越しでもその威力と硬度は伝わる。元々防御の戦いを得意とする戦士ではない。いずれ張った結界は破壊され、致命傷を貰う。

 

「こっち!お願いだから……こっちに来て……!!」

 

エアリアルを発動させ、食人花に攻撃を加えるアイズだが焼け石に水。アイズもヒューマンとしては魔力量は多い方だがリヴィエールとは比べ物にならない。この怪物はより強い魔力に吸い寄せられる。惹きつけるにはリヴィエールと同等かそれ以上の魔力量が必要となる。しかしそんな存在、オラリオどころか魔法大国すら含めてもリヴェリア以外に存在するかも怪しい。

 

───かといって魔力を緩めるわけにもいかない。ガネーシャの連中もまだ来る様子はない…………どうする………どうする!

 

この状態でウィン・フィンブルヴェトルをやるか?いや、流石に無理だ。戦いながら詠唱は出来ても、魔法を行使しながら詠唱なんて出来ない。なら結界を解除して剣で斬るか?ダメだ、身体が何ともなければ可能だろうが今の状態ではリスクが高すぎる。

 

───っ!?

 

光のベールにヒビが入った。もう限界が近い。

 

───クソッ、無茶でもやるか!

 

【終末の……「リヴィ君っ!!」

 

詠唱を始めようとしたその時、悲壮感が込められた悲鳴が耳朶を打つ。その声に覚えのあったリヴィエールは思わず視線を向けた。視界に入ったのは両手で口を多い、絶望の涙を浮かべるエイナ。

 

そしてもう一人……

 

あのバカこっちに来たのか、と一瞬考えたが、その思考はすぐに傍へと追いやられる。たった一つ、この状況を打開する無茶ではない手段が彼女の姿を見て浮かんだからだ。

 

確かにこのオラリオでハッキリと自分と同等以上の魔力量をもつ魔導士はリヴェリアしかいない。だがたった一人、僅かにだが自分に匹敵する魔法を扱える可能性がある例外の存在を思い出した。

 

ウィーシェの森の由緒正しきエルフ。血筋で言えば混ざりである俺などよりはるかに魔法の素養のある存在。俺とリヴェリアと同じ、複数の魔法を扱える異端児。

 

「レフィーヤぁあああああ!!」

 

希望の名は千の妖精(サウザンド・エルフ)といった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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Myth27 ボディーブローを入れないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

「リヴィ君っ!!」

 

二人が戦っている姿を呆然と見ていることしかできなかったレフィーヤの意識が悲痛な叫び声と知人の愛称で戻る。振り返るとそこにはギルドの制服を着た美少女がいた。特徴的な耳と緑の瞳、しかしどことなく匂うヒューマンの特徴。ハーフエルフだとレフィーヤが看破するのに時間はかからなかった。

 

切り揃えた前髪を一度振ると、エイナ・チュールは意思のこもった瞳で戦場を見すえる。ここで彼を心配しても自分に出来ることはない。ならば彼が周囲に気を使わずに戦えるように場を作るのが今のエイナに出来る最大限の彼への手助け。

その事を即座に考え、行動に移す。コレはなかなかできない事だ。人間とは理屈より情を優先してしまう生き物だ。足手まといになるとわかっていても愛する人の窮地を見捨てることは難しい。

しかし彼女はそれをした。力はないが、聡明で強い。リヴィエールが信頼するだけのことはある女性だった。

 

「ウィリディス氏。私はギルドの職員です。ヴァレンシュタイン氏とグローリア氏が時間を稼いでいます。今のうちに此処を離れましょう」

「…………此処……を?」

 

惚けた目で言葉を返す。何を言われているのか、判断できないという様子だ。

 

───逃げる?私が?

 

嫌だ、そんな事はしたくない。フラリと立ち上がると幽鬼の如き足取りで歩き始める。今のレフィーヤにはエイナほどの心の強さはなかった。

 

───この状況を作ったのは……今あの二人を窮地に追いやったのは私だというのに?

 

リヴィエールにレフィーヤを責める気は全くない。このモンスターが何を知覚して人を襲っているのかは気づくのに自分すら二度魔法の使用を必要とした。足元の警戒を怠っていたことや視野の狭さは未熟としか言いようがないが、この状況をレフィーヤのせいだとは思っていない。

 

しかし事態を引き起こした本人はそうはいかない。元々自分に自信のない、卑屈になりがちな少女だ。自分を責める前にやらなければいけないことがあるはずなのに、すぐに行動に移す事が出来ない。

そんなレフィーヤをエイナが止める。

 

「待ってください!魔導士の貴方ではどうすることも出来ません!ガネーシャ・ファミリアの救援がもうすぐ来ます!彼らに任せましょう!」

 

事実だ。エイナがリヴィエールの元へと駆けつける事が出来たのはシャクティに先導を任されたからだった。

 

───ガネーシャ・ファミリア…

 

上級ファミリアの中でも屈指の実力を持つ集団。武装した彼らならば戦闘力で言えばレフィーヤなど遥かに上回る。

 

───私なんかより、ずっとあの二人の力になれる……助け出せる……私なんかがいなくても……私が……いなければ!!

 

後悔の涙が止めどなく溢れる。駆けつけても何も出来ず、魔法(うた)を歌えば剣聖の足を引っ張った。

 

───ごめんなさいアイズさん……リヴィエールさん……ごめんなさい

 

「あぁ……」

 

───私は、リヴェリア様やリヴィエールさんのようにはなれない

 

「うぁあ……」

 

───私は………

 

 

足手まといだ

 

 

「レフィーヤぁあああああ!!!」

 

 

力強いテノールがあたり一帯に響き渡る。声量が大きいというより、透きとおるような通る声だった。弱気に押しつぶされかけたエルフの少女の心にほんの少し、ゆとりが出来る。

 

「リヴィエール……さん」

 

声の主の名を呼ぶ。必死にモンスターの猛攻に耐えながら、光の壁を維持していた。

 

「撃てレフィーヤ!呪文はわかるな?もうお前しかいない!!」

 

告げられた魔法を聞き、再び心が弱気に苛まれる。尊敬する師が放つ最強の攻撃魔法。確かに理屈で言えば、彼女はその魔法を使える。しかしそれは飽くまで理屈。魔法とは技術や魔力は勿論のこと、何より精神状態が威力を大きく左右する。今のレフィーヤでは……

 

「出来ない……」

 

眉を悲しみに歪ませ、目を伏せる。

 

「出来る!お前の魔法の力は素質で言えば俺を上回る!お前なら必ずやれる!いや、お前にしか出来ない!」

 

正直少し世辞が混じった事は認めざるを得ないだろう。嘘を言ったつもりはないが、リップサービスはかなりあった。

そしてそういう事をこのエルフの少女は敏感に感じ取る。卑屈の虫が彼女の心を食い荒らした。

 

───私なんかじゃ……

 

「お前は俺を超えるんだろう!!」

 

かつてレフィーヤが彼に語った言葉が投げかけられる。まだ剣聖が艶やかな黒髪だった頃、魔法においてレフィーヤを抜いたと誰もが認め、先を歩き始めた時の事だった。

 

『いつか必ず、追いついて見せますから!』

 

ダンジョンでパーティを組んだ……というかアイズと二人で組んでいたところに無理やり割り込んできた時、彼へと放った宣戦布告だった。

 

あの時はその場にいた誰もが笑い、相手にもしなかったその言葉を……誰より彼が笑った言葉だったというのに、彼はその宣戦布告を憶えていた。

 

「なんで憶えて……貴方はあの時、笑っていたのに…」

「それはきっと、馬鹿にして笑ったんじゃないですよ」

 

聞こえた呟きにエイナが応える。口の端にはしょうがないなぁ、彼らしいなぁという笑みが亜麻髪のハーフエルフの口の端に登っていた。

 

「嬉しかったんですよ。彼に面と向かって来てくれる人というのはとても希少ですから」

 

圧倒的な才と力を持つ彼に対しては挑んでくる者より妬み、蔑む人間の方が大多数だった。それも人のサガだと理解しているが、リヴィエールが好むものでは無かった。

 

そんな中で自分に挑みかかって来た人間がアイズとリューだった。後にシャクティとアイシャ。怒ってくれたのはルグとリヴェリア、そしてエイナ。皆、普通と違う、心の強さを持った女性達だ。そういう人間と、彼は深い関係を築いている。

そして同性でもその傾向はある。例えばベート。その差別的な振る舞いや遠慮のない物言いのため、彼を嫌う人間は多い。リヴィエールすらこいつなんとかならんのか、と思う事は多々ある。それでも彼はあの狼人は嫌いではない。

そしてレフィーヤも自分に挑んで来てくれた。アイズとの関係を嫉妬した敵愾心からの言葉だったとしても、嬉しかった。彼は卑屈な者より自信家が好きだ。

 

「いつまでレベルや成長速度を言い訳にしている!俺はレベル1でゴライアスとやり合ったぞ!相手が自分よりどれだけ強かろうと100%勝つ気でやる!それが冒険者の戦いだ!」

 

流石にそれは色々とオカシイが、彼の言うことにも一理はある。冒険しない冒険者に栄光(グローリア)はありえない。自分より強い相手と戦い、勝つ気概を持ててようやく半人前。まだレフィーヤは気概においては半人前にすらたどり着けていない。

 

「今なんだ!レフィーヤ!」

 

お前があの時言っていた言葉を真実にできる可能性があるとしたら、今しかない。

 

「たたかえ、レフィーヤ。もう今なんだ。あの時約束したいつかは今なんだ!」

 

鉄臭い塊が喉奥から迫る。なんとか呑み込んだが、それでも口の端から一筋の赤い雫が伝った。

 

「魔法でくらいっ、この【剣聖】程度超えてみせろ!【千の妖精(サウザンド)】!お前はあのウィーシェの森のエルフにして、世界で最も偉大な魔導士【九魔姫】の弟子、そしてこの俺の姉弟子だろう!」

 

そう、リヴェリアに弟子入りしたのは彼女が先だった。のちにリヴィエールも師事したが、彼の本業は剣士。彼女の魔法を受け継いだかと言われると、いいとこ半分だろう。

 

「……好き勝手言ってくれますね」

 

天才の背中を追いかけることがどれだけ大変かも知らないくせに。

 

こちらがいくら懸命に走っても、貴方は私の遥か先を悠々と走る。少し足を止めただけでその差は残酷なほど遠く開く。冒険者となったのは同じくらい……だったのに、気がつけばレベルも三つ以上離されていた。

 

───それでも……

 

次はレフィーヤが私達を助けて

 

───仲間として……

 

俺程度超えてみせろ!

 

───友にここまで言われて…

 

「私はレフィーヤ・ウィリディス!ウィーシェの森のエルフ!神ロキと契りを交わしたこのオラリオで最も強く、誇り高い偉大な眷属の一員!」

 

───憧れの彼にここまで頼られて……

 

こんな所で逃げ出すわけには

 

「いかない!!」

 

魔力の高まりと同時に両腕が開かれる。指先には光の粒子が集い、彼女が歌うと同時に、虚空に文字を刻んでいく。

 

【ウィーシェの名の元に願う】

 

レフィーヤは歌う。願いの詩を。リヴィエールのような全てを屈服させるような、危険な魅力の唄ではない。

 

【森の先人よ、誇り高き同胞よ。我が声に応じ草原へと来れ】

 

魔法に愛された、妖精のみに許される、優しい祈りの歌。

 

【繋ぐ絆、楽宴の契り。円環を廻し舞い踊れ】

 

あのリヴィエールが目を見張るほど魔力が高まっていく。最後に彼女のアレを見たのはいつだったか。先ほどまで彼女に向けて放った言葉はハッタリ込みだったのだが、評価が変わる。

 

【至れ、妖精の輪】

 

彼女ならいつか本当に王族(オレとリヴェリア)を超えるかもしれない。

 

【どうかーーー力を貸し与えてほしい】

 

妖精の歌が、完成する。

 

【エルフ・リング】

 

リヴィエールに集中していた食人花が4匹ともレフィーヤへと向かう。膨大な魔力量とはいえ、所詮短文詠唱の魔法であるリヴィエールと現存する氷結魔法で最強の魔法を召喚しようとしているレフィーヤ。その消費マインドの差は明らかだ。

 

妖精に危機が迫る。しかし彼女に恐れはない。

 

───みんながいる

 

アイズ、ヒリュテ姉妹、リヴィエール、四人がすでに空をかけていた。

 

「無粋なやつだな、妖精の歌は最後まで聴くのがマナーだぜ」

「大人しくしてろ!」

「ッ!!」

「ハイハイっと!」」

 

それぞれが一つずつ頭を潰す。リヴィエールもあえて斬らず、峰打ちで対処した。この怪物たちは彼女の歌でケリをつけたかったから。

 

───守られてる……惨めなほどに……何度でも何度でも

 

【ーー終末の前触れよ、白き雪よ。黄昏の前に(うず)を巻け】

 

歌が続く。コレは本来彼女の歌ではない。通常であれば許されない言の葉。

しかし妖精の願いはすでに届いている。ならば歌は彼女を許す。

 

詠唱を続けているレフィーヤを守りながら、四人は食人花に応戦する。その戦いぶりは凄まじく、否が応でもレフィーヤに実力差を痛感させた。

 

───思い知らされる……私なんて、あの人達には相応しくないと。

 

でも……

 

───それでも!!

 

「【吹雪け、三度の厳冬───我が名はアールヴ】!!」

 

先にも述べたように、魔法の習得数は限度がある。ステイタスに登録される魔法のスロットは三つ。つまり才能のある者でも魔法は三つしか行使することはできない。

 

だが何事にも、例外が存在する。

 

一人はリヴェリア・リヨス・アールヴ。詠唱連結により9種の魔法を操ることを可能とする。かの二つ名、【九魔姫】の所以。

 

もう一人はリヴィエール・ウルス・グローリア。召喚魔法スキル【王の理不尽】。エルフの魔法のみという制約はつくが、詠唱と効果を把握していればどんな魔法でも使用することができる。しかも自身の魔力を上乗せすることによりさらに強化した魔法として召喚することを可能にする。

誰よりも理不尽な存在になる。彼の野望が体現したスキルである。

 

そして最後の一人がレフィーヤ・ウィリディス。先の二人はスキルによって常識を覆したが、ウィーシェの妖精の非凡たる所は魔法である。つまりその例外は魔法によってもたらされた。

 

彼女に発現した最後の魔法、召喚魔法。同胞の魔法、詠唱及び効果の完全把握、二つ分の詠唱時間と精神力の消費。これらを条件にあらゆる魔法を行使できる前代未聞の反則技。

 

この常識を破った妖精に神々が授けた二つ名こそが【千の妖精(サウザンド・エルフ)】。

 

召喚するはエルフの王女、リヴェリア・リヨス・アールヴの攻撃魔法。

それはオラリオ最強の魔導士と魔法剣士にのみ許された絶対零度の氷結魔法。

 

───諦めない。アイズさん、リヴィエール()。私は貴方達を……

 

追い続ける!!

 

【ウィン・フィンブルヴェトル】

 

大気をも凍てつかせる純白の光彩は

 

 

時間すらも凍りつかせる。

 

 

食人花は氷結の檻に封じ込められ、街全体も凍土へと変わった。

 

「ナイス、レフィーヤ!」

「散々手こずらせてくれたわねこの糞花っ!」

「ティオネ、素が出てるぞ」

 

ヒュリテ姉妹の蹴りとリヴィエールの拳が氷像と化した食人花を砕け散らす。

 

「最後の一体……あ」

 

ティオナがトドメを刺そうと振り返った時には既に終わっていた。白を着た蜂蜜色の髪の少女が漆黒の長剣を鞘に収めている。

 

「リヴィ、ありがとう」

 

鞘に収めた黒刀を本来の持ち主へと返す。得物を失ったアイズにリヴィエールが貸していた。微笑とともに受け取り、腰へと差す。

 

───うん

 

その姿を見たアイズは満足げに小さく頷く。やはりこの剣は彼の腰にあるのが一番絵になる。

 

「レフィーヤありがとー!ホント助かったー!」

「ティオナさんっ」

 

妹が妖精に抱きつき、姉は一つ息をつく。眼差しには感謝と賞賛がある。

 

「レフィーヤ。ありがとう。リヴェリアみたいだったよ、凄かった」

「アイズさん……」

 

感動に身を震わせる。戦闘で初めて彼女に感謝されたかもしれない。心が震えるのも止めることは出来なかった。

 

しかしそこでハッとなった。もう一人肝心なヤツから何も聞いていない。

 

「おうリヴィエール、どこに行くんや」

 

四つの視線が声の方向に向けられる。気配を消して去ろうとしていた砂色のローブが赤毛の主神に捕らえられていた。

 

「随分私たちの仲間に好き勝手言ってくれたわねぇ、暁の剣聖(バーニング・ソードマスター)

「何か一言くらい無いといけないんじゃない?色男」

 

ヒリュテ姉妹が白髪の青年の肩に腕を回す。完全にヤンキーにからまれてる可哀想な男の図だった。

 

「……まったく、派手に凍らせやがって」

 

周囲を見渡したリヴィエールはため息とともにそんな言葉をレフィーヤに向けた。

 

「まだまだだな。オレとリヴェリアなら周囲に被害は出さず範囲を絞ってモンスターだけを確実に凍りつかせたはずだ。お前はまだその膨大な魔力量を使いこなせていない」

 

確かにあたり一面銀世界だ。ここら一帯を住居にしていた人々は退去せざるを得ないだろう。

褒められて少し上を向いていた気分が若干下がり、顔を俯かせる。今のは姉弟子を調子に乗らせないための諫言。

 

「だがレベル3だった頃の俺は確実に超えている。素晴らしい歌だったよ。流石は俺の姉弟子だ。誇れ、レフィーヤ。お前は俺に勝った」

 

ボフッと音がなる。エルフに特徴的な耳まで真っ赤に染まり、今度は恥ずかしさに顔を俯かせた。ツンデレの高等テクニック、落として上げる。コレに勝てる女子などいない。

 

「はー、素直に褒められないのかしら。このナチュラルジゴロは」

「後半の言葉だけでええよなぁ?もうここまで来ると病気ちゃうか?ツンデレ病」

「お前らもいちいち嫌味言わなきゃいられねえのか」

 

ピクッと頬が引きつる。アドレナリンとスキルによって麻痺していた腹部の痛みが蘇ってきた。大きく深呼吸し、脂汗を気合いで押し込め、何でもないと自覚的に口端を吊り上げて奥歯を強く噛み締めた。刹那の間に消えたが、その表情の変化を赤髪の女神は見過ごさなかった。

 

「ほなそろそろ仕事に戻ろか。アイズはうちと残ってるモンスターのとこに行ってもらう。ティオネ達は地下へ。まだなんかいそうな気ぃするからな。リヴィエールは治療や。レフィーヤ、ホームにこいつ連れてったれ」

「オッケー」

「わかった」

「わかりました」

「いや待てわからん、ふざけんな。何で俺がお前のトコで治療受けなきゃならねえんだよ」

 

淀みのない指示のせいでナチュラルに連行されそうになったが、止まる。この後調べなきゃいけないことがあるんだ。こんな所でリタイヤするわけにはいかない。

 

「せやけどお前アバラ二、三本折れとるやろ。もう戦える体ちゃうで」

「ナメんな、お前らとは鍛え方が「ティオネ」

 

ドウッ

 

ロキが呼び終わるか終わらないか、一寸の間も置かず、ボディブローがリヴィエールの腹に突き刺さった。ドサリと倒れこむ。地面に激突する前にティオネが肩に担いだ。

 

「この程度の一撃も避けれず、オチちゃう奴がなにカッコつけてんのよ。いいから治療してもらいなさい。元はと言えばレフィーヤ庇ってつけられた傷なんだから」

「ティオネ、聞こえてない聞こえてない」

「わかってて言ってんのよ。ほら、レフィーヤ。お願い。見た目より重いわよ?気をつけて」

「は、はい」

 

受け取る。確かにずっしりと重い。服越しに弾力が伝わる。職業柄冒険者の身体は何度か見たが、触ったのは初めてかもしれない。酔いつぶれたロキやティオネを担いだ時とはまるで違う手触りに、純情なエルフであるレフィーヤは自然と異性を意識してしまう。

 

「レフィーヤ、私も…」

「アイズたんはウチと。ほら、得物。拾いモンや。遠慮せんと使い」

 

倒れた彼の面倒が見たくて未練タラタラのアイズをロキが引っ張っていく。彼女の気持ちもわかるが純粋に白兵戦の強い戦力がまだ必要だった。

 

「じゃ、行こか」

『ハイ!』

 

開いた手が音高くなる。各々の役割へと身を投じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祭りが終わり、数刻の時間が経った。夜の帳が下りた頃、オラリオの街のとある屋敷。そこはやけに物々しい雰囲気に包まれていた。

筋骨隆々とした戦士たちが数人で屋敷の警備を固めている。それだけで屋敷の中にいる人間の身分の高さが伺える。

いや、人間というのは正しくない。この世で最も高位の存在と呼べる者。

 

美の女神、フレイヤ。道化神、ロキ。この街でトップに君臨する二人がそこにいる。事の顛末をロキがフレイヤに話していた。

 

「ま、残りのモンスターも楽勝やったし、地下には何も居らんかってんけどな」

「もう、こんな時間に呼び出されて何事かと思ったら……貴方の今日の出来事なんて知らないわよ」

「よう言うわ犯人のくせに」

 

ワインを口に運びながら呆れたように告げられ、一瞬キョトンとした表情を見せる。しかしすぐにいつもの微笑を取り戻した。

 

「あら、証拠でもあるのかしら?」

「一般人に被害なし、放たれたモンスターは何かを探して市民には知らんぷり。檻の番をしてた連中も腰砕け。魅了魅了ぜーんぶ魅了や。どう考えても決まりやろ」

 

状況証拠は全て美の女神が犯人だと告げている。物的証拠は何一つなかったが、ロキが確信するには充分だった。

 

「何がやりたかったんかは知らんけどなぁ」

「ふふ……そうね。概ね貴方の言うとおりよ」

 

赤毛の女神が妖しく口角を上げる。へぇ、認めるんだぁ、いいのかな〜と顔に大書してあった。

 

「ギルドにチクったろうかなぁ〜。罰則はソートーキツいやろうなぁ」

 

弱味を握り、高圧的に脅しにかかる。この世で最も弱味を握らせたくない女にそれをさせてしまった。リヴィエールならばさて、どうするかと相当焦るだろう。しかし目の前の女神は泰然とした余裕ある態度を崩さなかった。

 

「鷹の羽衣」

 

その名が出た時、ロキの口の端がピクリと引き攣る。フレイヤは天界にいた頃、夜になると牝山羊に変身して牡山羊と遊んでいたことがあった。美の女神は動物に変身することが出来るのだ。先に言った鷹の羽衣もその一つ。身に纏えば鷹に変身できる羽衣。時折ロキに貸した事もあったこの衣装。それは貸したままうやむやになっており、未だ返されてはいなかった。

 

「あっ、アレは天界にいた頃に戴いた……ゲフンゲフン、借りたやつやぞ!今ソレ持ち出すか?!」

「私の知ったことではないわ」

 

どう考えても借りパクしている方が悪い。彼我の立ち位置は逆転した。

 

「もし今日のことを……いえ、今後の私の行動に目を瞑ってくれるというなら、貴方に差し上げるけど?」

 

弱りきった表情で後ずさる。あの羽衣はロキのお気に入りだ。手放すのはあまりに惜しい。天秤が大きく揺らぐ。

 

「どうかしら?」

 

たっぷり三十数える程の間、逡巡する。苦虫10匹分は噛み潰したような表情で歯ぎしりすると、頭を抱えて突っ伏した。さらりと今後の約束まで取り付けられたが、仕方ない。フレイヤが多少ダメージをもらったところでこちらへの利益還元がなされるのは将来的な話だ。なら今の利益を手放すわけにはいかない。

 

「ええいっ、この性悪女めっ」

 

ロキの敗北宣言だった。

 

「ゆすろうとする貴方も大概よ」

 

ワインを口に運ぶ。すでに手元にないアイテムひとつで今後のロキに中立の立場を取らせられた。取引としては悪くない。結局フレイヤの一人勝ちだった。

 

「ホンマ腹立つな〜。釘も差しとったちゅーのにうちの可愛い子達はけったいなモンスターの相手させられて友達は傷まで負ったんやで」

 

まああいつなら三日もあれば治すやろうけど、と小さく付け足す。怪我をしたのは自分の未熟と彼なら言うだろう。だからその分、自分が恨み言の一つも言ってやらなければ気が済まない。

 

謝罪の一つはあるかと思い、対面に座すフレイヤを見るが、その顔にはクエスチョンマークが浮かんでいた。何を言ってるかわからないと言う顔だ。

 

「なんやその顔。おったやろーが変な植物みたいなモンスター。10匹目の気色悪いやつ」

「……私が放ったのは9匹だけよ」

 

細めた目を開く。表情から真偽を見極めようとした。リヴィエールほどではないが、ロキも洞察力には長けている。

 

「……嘘こけ」

「本当よ、貴方とガネーシャの子を足止めするだけで良かったんだもの。いたずらに被害を広めるつもりはなかったわ」

 

赤毛の女神が身を乗り出す。見た限り嘘をついているようには見えなかった。

 

「じゃあアレはなんやったんや?」

「さあ?私には貴方の言うソレがなんなのかもわからないし」

 

沈黙が二人を支配する。しかしその静寂は早々に破られる事となる。

 

ガラスが砕ける硬質な破砕音が屋敷の中に響き渡る。何事が起こったのかと二人揃って窓の外を見る。唐突にロキに呼び出された事を警戒したフレイヤを護衛していた何人かの冒険者。彼らが武器を抜いていた。

 

そしてその先にいたのは……

 

「ああ………ああっ」

 

直接目で見たのはいつ以来だろう。鏡ごしに見た事は何度もあったが、それでもやはり生は違う。あの黒が今、目の前にある。その事実が情念の炎を燃え上がらせ、白銀の女神は恍惚に頬を染めた。

 

護衛していた団員に襲われたのだろう。斬られたフードがめくり上がり、落ちる。闇の中にあっても艶やかな白髪は美しく輝いている。

 

彼も気づいたのだ。自分の存在に。そして自分以外に動いていた存在にも。

 

「なんて、美しい……」

 

若者の名はリヴィエール・グローリアと言った。

 

 

 

 

 

 

 

 




あと書きです。次で怪物祭篇終了します。次回が終われば次は番外編リヴェリアストーリー更新予定。それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。


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Myth27 やせ我慢と呼ばないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オラリオのとある日常の一つ。淑女が午後を楽しむ優雅なカフェではとてつもない非日常が繰り広げられていた。といっても何か騒ぎがあるとか、祭があるとかではない。店自体も通常通りに営業している。違ったのは限定的な一角のみである。今日は二人の女神がその店に来店していたのだ。

白銀の女神が白金の女神と向かい合って座っている。それなりに親しい間柄なのか、随分と遠慮がない様子である。2人ともその美しさは凄まじい。1人は夜空に淡く煌めく銀月、もう1人は世界を眩く照らす太陽。対照的な2人の姿はまるで神話からそのまま現れたような神々しさを放っていた。来店している客はもちろん、道行く人もその神秘に目を奪われ、正気が揺蕩う。その場にいる全員が美貌と言う名の魔法にかかっていた。

 

「随分と活躍してるようね。気分がいいんじゃないかしら」

「はぁ?突然呼び出して久々に会いに来たと思ったらなんですか?喧嘩売りにきたっていうなら帰りますよ」

「あらごめんなさい。そうじゃないのよ。貴方がファミリアを作ったっていうから気になってね」

 

白銀の女神、フレイヤが優雅に紅茶を一つ、口に含む。

 

「やはり意外ですか?」

「ええ。貴方組織とか成功とかそういうのに興味ないでしょう?その貴方がファミリアを始めた。基本的に神は何もしない、ファミリアを。貴方を知る神なら気にならない方がおかしいわ」

 

同じことはヘファイストスにも言われた。未知のものがあるなら自分の手で暴く。誰かに任せるという事はしない。それがルグという神だったから。

 

「それは今も変わってませんよ。未知のものを追い求めています。それを知る為にファミリアを始める必要があっただけです」

「そう、今のあなたの未知はあの子なのね」

 

返事はしない。ルグは沈黙だけで肯定を表現した。

その気持ちはフレイヤにもよく分かる。先日偶然見かけた黒髪の少年。話をする事は叶わなかったが、魂の色は見れた。見たこともない、まるで全てを吸い込む闇色。種族、血、勝利、敗北、全てが入り混じり形作られた奇跡の黒。混ざっているのに濁っておらず、濁っていないのに何も見えない。まさに未知。ルグでなくとも興味を持っていかれる。

 

「教えてくれない?ルグ。あの子、一体どこで拾ったの?」

「拾ってませんよ」

「は?」

「私が拾ったのか拾われたのか……最近じゃよくわからなくて」

 

もしこの場に彼がいたなら拾ってやったのは俺だと断言するだろう。間違いではない。右も左も分からない下界でカモられそうになってた所を助けて貰ったのは事実だから。

 

「随分気に入ってるみたいね、どんな子なの?」

 

その問いを聞いたルグの瞳には少し警戒の色が宿った。フレイヤがこのような事を聞いてくる理由は予想がつく。いつかリヴィを奪うために情報を集めようというのだろう。

そこまでわかっていながらルグは笑った。ふむ、と一度頷き、整った顎に指を添える。

 

「そうですね……。初めて会った時は凍ったような目をした子でした。どこで何を落としてきたのか知りませんが、ずっと何かを探しているような…そんな子」

 

しかしルグに隠す気はない。この場で語った程度で理解できる小さな器の少年ではないからだ。

 

「何にでも頭を突っ込んで、無茶して、人の大切な何かを守っていて。まるで何かを償うかのように……でも何かを求めているように……そのくせ自分では何も持とうとしなくて。何も持たず、誰も寄せつけず………誰でも助けるくせに、誰にも近づかせようとしない。失う怖さを知ってしまったからか……それとも同じ思いを誰かにさせたくなかったのか……馬鹿な子ですよ」

 

馬鹿にしつつも、どこか自慢げにルグは語った。今自分が知っている全てを。

 

「でもそんな彼に惹かれて、色んな人が集まるようになりました。彼を慈しむ者、頼る者、頼られる者達が」

 

アイズ、リュー、エイナ、椿、リヴェリア。一人一人の顔がルグの脳裏に浮かぶ。どれもひとかどの人物達だ。そんな人達を巻き込める力こそが少年の最も非凡たる所だった。

 

「…彼女達が後ろばかり見てた彼に前を向かせてくれた。守って失って、守られて失って、それでもまた抱え込んで……それを繰り返していくうちにあの子どんどん強くなってしまいましてね。気づけばこんな所まで辿り着いてしまいました」

「…………そう」

「私は変わってませんよ、フレイヤ。私は今目の前にない何かを求めています。今はそれを手に入れる為の道中を楽しんでいる最中です」

 

ルグはずっと何かを求めていた。そして大切なものや称号は大抵、その過程で得られたものばかりだった。平和を求めてバロールと戦う事を決め、その為に必要だから工芸・武術・詩吟・古史・医術・魔術を修め、いつの間にか百芸に通じた(イルダーナハ)などと呼ばれるようになっていた。

戦う為に必要だから武器を求めてゴブニュに弟子入りし、ヌアザと共にブリューナクを造った。

そして今回、天界にはない何かを求めて降り立った世界では彼と出会った。

 

「大切なものはいつだって求めたものより先にきました」

 

工芸・武術・詩吟・古史・医術・魔術を共に楽しむ友人。ブリューナクを完成させた時に交わしたヌアザとのハイタッチ。そしてリヴィエール・グローリア。これらに比べたら最初に求めたものなど全てオマケだ。

 

「フレイヤ、あの子を手に入れたければ、生半可なことではいけませんよ。私も相当苦労しました。いえ、現在進行形で苦労しています。遠慮せず、どんな手でも使いなさいな。いつでも受けてたってあげますよ。私も、あの子もね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───ん……

 

暗く沈んでいた意識が浮上する。四肢を動かす。問題なく稼働はしたが、身体に違和感がある。慣れ親しんだ、ダメージが身体に残っているときの症状だった。

 

「起きたか。リヴィ」

「………リーア」

 

こちらを覗き込む緑髪の美女の名を呼ぶ。ルグがいなくなった今、彼にとって唯一、家族と呼べる存在。

 

「…………っ!〜〜〜〜!!」

「何をやってるんだ、お前は」

 

気絶する寸前の記憶が蘇り、リヴィエールがはね起きる。そしてまたベッドに沈み込んだ。腹部に激痛が奔ったからだ。包帯の巻かれた箇所を片手で抑えつつ、空いた手を地面に落とした。

 

「あばらが三本砕けている。ティオネの一撃がとどめだったな。応急処置は既にした。テーピングで固めてはいるがしばらく痛みは抜けんだろう。大人しくしていろ」

「…………俺、どれくらい寝てた?」

「一刻半といった所だ」

 

手にした書物を閉じる。見えた表情には呆れと感謝が入り混じっている。

 

「レフィーヤを助けてくれたそうだな。礼を言う」

「…………やめろ。今回の件に関して俺はほとんど何もしてない」

 

リヴェリアから視線を逸らし、不服そうに呟く。

 

「…そうか。なら礼は言わないでおこう」

「フン」

 

天井を見上げる。見覚えのある作りの屋敷だ。

 

「あんたの部屋か」

「ああ、お前の体のことに関して、あまり他人の手を煩わせたくなかったからな。服を脱がして、泥を落とし、体を拭いて、薬を塗ってと中々大仕事だったぞ」

「…………」

 

顔には出さないが、心中に羞恥が湧き上がる。この女に肌を見られることに関して、抵抗はない。何度も見て、そして見られてきたものだ。それでもいい歳して……リヴェリアより遥かに強く、大きくなった体をそんな幼子のように手当をされたと知っては恥ずかしかった。何より借りを作ってしまったことが気に入らなかった。

 

「…………増えたな」

 

顔を曇らせ、リヴェリアが呟く。何が?とは聞かない。わかっている。この一年で負った怪我は数え切れない。その全てをほぼ自己流で治療してきた。無様な傷跡は身体に多く残っている。

テーブルに置いてあった盆を彼の前に持ってくる。水が注がれた銀盃と黒い前粒のようなモノが乗っている。

 

「薬だ、飲め」

「錠剤とは張り込んだな。何の薬だ?」

「鎮痛剤と熱冷ましだ。後はしっかりと栄養をとって、よく休めだと」

「流石はロキ・ファミリア。いい薬師がいる」

 

丸薬を水で流し込む。想像以上の苦味が口を支配した。

 

そこでようやくリヴィエールは足元の重みに気がついた。うつ伏せになってアイズが眠っている。

 

「さっきまで起きていたんだがな。この子も疲れてたんだろう」

「…………俺はアイズに看病されたのか」

「屈辱か?」

「やかましい」

 

屈辱とまでは言わないが、やるせなさは胸の中にあった。アイズを看病した事は数え切れないほどあったが、まさか逆がある日が来るとは思わなかった。

 

「…………どうして助けた?」

「あ?」

 

話しかけてきたリヴェリアの言葉に疑問符を返す。何を聞かれたかわからなかった。

 

「随分派手に戦ったそうだな。街でお前はちょっとした英雄扱いだぞ。明日のトップニュースは剣聖の復活だろう」

「…………チッ」

 

不機嫌そうに白い眉が曲線を描く。そうなる可能性はもちろん考慮にあった。あのロキ・ファミリア幹部と街中で共闘したのだ。これ以上目立つ行動もない。わかっていた。その上で戦った。少なくとも途中からは。

 

「特別な理由なんてないよ。身体が勝手に動いただけだ」

「……フッ」

 

呆れたような、喜んでいるような、何とも言えない微笑が緑髪の美女に浮かぶ。バカだな、という呟きがかすかに聞こえた。

 

「っ、そうだ、あの後どうなった。アイシ……いや、コロシアムにいたアマゾネスは?」

「?さあ、ウチのファミリア以外の事はよく知らない」

「…………そりゃそうか」

 

まああいつなら問題ないだろう。強い以上に強かな女だ。面倒ごとに巻き込まれる前にトンズラしたハズだ。

 

「…………知り合いなのか?そのアマゾネス」

「…………恩人だ」

 

少し迷ったがこの女に嘘をつく事は出来ない。その答えを聞いて、リヴェリアは難しい顔で睨んだ。

 

「…………お前の交友関係に口を出す気はないが」

「なら黙ってろ。心配するな。人を見る目はあるつもりだ」

 

憤然として息を吐く。まあ彼のことは信じている。口出しする気はないのも事実。不満はあったが、呑み込んだ。

 

「…………ロキは?今回の一件で何か言っていたか?」

「いや、特別なことは何も。フレイヤに会ってくるとだけ言っていたが」

 

眉が引き攣る。同時に苦笑した。流石にあいつは今回の下手人にたどり着いていたらしい。

 

「どこに行ったか、知ってるか?」

「……」

 

───しまった……

 

妖しく上がった愛しい少年の口角を見て、言い過ぎてしまったと気づく。しかし、もう遅い。今の表情だけで彼ならば自分が居場所を知っている事を見抜いたはず。

 

「教えてくれ」

「嫌だと言ったら?」

「別にいいさ。自力で探す。省ける手間なら省きたいと思っただけだから」

 

アイズを起こさないようにそっとベッドから出る。まだ体は痛いはずだが、多少の痛みなら彼は意志の力で捩じ伏せる事が出来る。彼ほどやせ我慢強い戦士をリヴェリアは知らなかった。

 

「教えてくれないか?姉さん」

「…………チッ」

 

舌打する。こんな時だけ姉さん呼ばわりか。現金すぎて感心するくらいだ。そんな身体で動き始める馬鹿な男と、そしてこの愛する男に甘い自分に向けて呆れと諦めの溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───ここか…

 

リヴェリアに教えてもらった場所へと向かったリヴィエールは安堵していた。この辺りはあまり来た事がなかった為、見つけられるか一抹の不安があったのだが、その心配は杞憂に終わる。フレイヤ・ファミリアの冒険者達があれだけゾロゾロいれば一目でわかる。随分と物々しい事だったが、闇討ち、奇襲の類は冒険者にとっては日常茶飯事。警戒する事は彼らほどの地位があれば当然だ。

 

「なんだ貴様。近づくな。この屋敷は今……」

「わかってる。フレイヤに用があって来た。通してくれ」

 

集団がザワつく。この場にフレイヤがいるという事を知っている者は少ない。唐突に呼び出されたフレイヤは僅かにだが闇討ち等の罠の心配をしていた。その懸念が当たったと彼らが誤解しても無理はない。

 

大ぶりなサーベルが振るわれる。紙一重の間合いで躱し、鍔元を蹴り飛ばす。大剣が吹き飛び、屋敷のガラスを粉々に砕け散らせた。

 

───あ……

 

顔を隠すためのフードがめくれ上がる。見切りに優れたリヴィエールはより早く、有効に攻撃に転ずるため、敵の攻撃を紙一重で躱す癖が染み付いている。

 

「き、貴様は……『暁の「その名で呼ぶな。剣聖と呼べ剣聖と」ゴハァッ!?」

 

アッパーカットが二つ名を呼んだ者に見事な角度で入る。脳震盪を起こした彼は遠い世界へとイッてしまった。

 

「バー……じゃなくて『剣聖』リヴィエール・グローリア。なぜこいつがここに…」

 

フレイヤ・ファミリアの人間ならば誰もが彼のことを知っている。生きている事も、その髪色が白く変わった事も。

 

「どうやら俺の事は知ってるらしいな。なら貴様らでは絶対に勝てない事も知ってるだろう。そこをどけ。俺も無駄な争いはしたくない」

「ふざけるな。私達はかの崇高な女神に仕えし眷属!貴様ごときに…」

「まあ、命の使い方は個人の自由だ」

 

武器を構える彼らを見下したような目つきで睥睨したのち、腰間の一刀に手を掛ける。

 

「死ねぇえ!」

 

前にいた四人が一斉に襲いかかる。しかしその複数の武具が彼の体に触れる事はなかった。鍔鳴りの音が鳴った時、四人は宙を飛んでいた。

腕の段が違いすぎる。

 

「下がれ、てめえらで敵う相手じゃねえ」

女神の戦車(ヴァナ・フレイヤ)……か」

 

後ろから現れたキャットピープルを見て苦笑が漏れる。彼からは見知った友人の面影が見えたからだ。

 

アレン・フローメル。レベル6の1級冒険者。腕はロキ・ファミリア幹部に勝るとも劣らない。そして豊穣の女主人で働く少女、アーニャ・フローメルの実兄。ほぼ絶縁状態だと聞いている。そのくせ、時折あの店に立ち寄るのだから可愛い男だ。

 

「直に会うのは久しいな。妹は元気か?」

「チッ」

 

舌打ちと同時に跳躍する。そこそこあった間合いは一瞬で詰められ、槍の穂先が眼前に迫る。頬を掠めた。

 

二人の戦士が正面から斬りかかる。剣圧が砂塵を巻き起こし、お互いが各々の武器を振るう。数合刃を交えると、二人ともその腕を認めざるを得なかった。

 

───強い…

 

槍を相手に剣で制するには相手の三倍の力量が必要と言われる。戦闘とは究極を言ってしまえば間合いを制する事。槍の持つ長い間を攻略するのは中々に厄介だ。

 

しかしこの男は特殊な足さばきで簡単にその間合いを潰し、懐に飛び込んでくる。彼を上回る手をアレンは考えなければならなかった。

そしてリヴィエールも中々最後の一手が決められない。一つ懸念がある事もその原因の一つだったが、この男は近距離における槍の戦闘を心得ていた。

 

槍と刀が激突し、青い火花が散る。ここでリヴィエールは意外な行動を取った。距離を詰めなければならない刀使いが、後ろへと飛び退ったのだ。

 

───崩れたか?!

 

その考えは瞬時に否定される。闇から瞬時に現れた四人組とアレンの武器が一斉に弾かれる。

 

───誘いやがったのか!オレらの獲物が一撃で弾ける位置に!

 

1級冒険者である自分が、そして闇に乗じていたはずの彼ら四人が誘導された。あの一瞬で。

 

「ちっ、化け物め」

「いきなり失礼だな。兄妹揃って礼儀がなってない。妹と同じようにゴメンなさいの言い方から教えてやる」

 

好戦的な余裕ある笑みを浮かべながら、少し驚く。まさか炎金の四戦士(ヴァナ・ブリンガル)までいるとは思わなかった。剣を交えた感じ、5対1でもやれない事はなさそうだが、これ以上はファミリア同士の抗争になりかねない。まあそうなったら抗争というより蹂躙で終わりそうだが。個人の力量ならともかく、組織力に差があり過ぎる。

 

さて、どうするかと逡巡し始めた時……

 

「なんの騒ぎだ」

 

屋敷の奥からもう一人、月明かりの下に現れる。二階でフレイヤのガードをしていた男が戦闘音を聞きつけて降りてきたのだ。

巨躯を誇る猪人の武人。佇むだけで撒き散らされる重圧。フレイヤ・ファミリアの首領。名実ともに都市最強の冒険者。オラリオにおいて、たった一人公に認められているLv.7。

リヴィエールが唯一、敗北するかもしれないと思わされた冒険者。

 

「オッタルか。ようやく少しは話の通じる奴が来た」

 

二つ名は【猛者(おうじゃ)】。現在、紛れもなくオラリオの『頂天』にいる冒険者。

 

「何をしに来た、剣聖」

「フレイヤ神に用があって来た。戦闘の意思はない。話をさせてくれ」

「コレだけウチの眷属相手に派手に立ち回った奴の言うセリフか」

 

確かに説得力はないな、と呟く。だが今言ったことに偽りはない。その事にはオッタルも気づいていた。もしそうであったなら、彼は問答無用で彼を叩き潰していた。

 

「通してくれないか?」

「こちらの質問に答えてからだ。貴様はなぜここに来たのかしか話していない。何をしに来たのかと尋ねている」

 

やれやれ、誤魔化されてはくれないか。流石に腕力だけの男ではない。話の核をしっかりついてくる。

 

「何をしに来たかは……フレイヤの返答次第、になる」

 

ザワリと集団があわだつ。もともと歓迎されていない存在だったが、今の一言で確定的になった。

 

「剣聖。強さとはなんだと思う?」

「は?」

「私と貴様はどちらが上かと頻繁に言われて来た。どちらも最強と言われていた」

「……まあ、そうだな」

「今でもこのオラリオで最も強いのは貴様か私か、どちらかだと思っている」

「……まあ、そうかもな」

「貴様に聞きたい。貴様にとって強さとはなんだ」

 

少し驚いた。この男がこんなウェットな事を聞いてくるとは思わなかった。

 

───強さとは、か。アイズに何度も聞かれた事だが。

 

その度に俺はあいつに、その答えは自分で探せ、と言って来た。その答えに万人共通の正解はない。俺の答えがアイズの答えとは限らない。変な先入観であの子を縛りたくなかった。

 

「昔の俺ならどんな理不尽からも大切なものを護れる力、と答えただろうが……」

 

今は少し、違う。

 

「自分の意思を折らず、曲げず、貫き通すための力、だと俺は思う」

 

少し逡巡した上で、そう答えた。勝利を得るためには行動がいる。行動のためには意志がいる。そして意志あるところに魂がある。魂の美しさこそが人の強さを決める。腕力ではない。戦闘力が高いだけの人間を強いとはリヴィエールは思えなかった。人の器を決めるのは心の境地。それだけは昔から変わらない、リヴィエールの理念である。

 

「……そうか」

 

オッタルは笑みを浮かべた。彼がリヴィエールの答えをどのように受け止めたかはわからないが、少なくとも納得はいくものだったらしい。

 

「なら、この道もその強さで退けてみせろ」

 

大ぶりのブロードソードを背中から抜く。その得物を見てリヴィエールのまゆには怪訝なシワが浮かんだ。戦いとなってしまった事に対する変化ではない。こうなることも想定の範囲内ではあった。

 

「……それでいいのか?」

 

オッタルが持つ剣を見ながら尋ねる。どう見てもそこらで売ってる一山いくらの剣にしか見えない。武器を、特に剣を見る目に関して、リヴィエールは自信があった。この見立ては間違っていないだろう。

 

「貴様は戦う時、武具の不利を言い訳にするのか?」

「………なるほど、そりゃそうだ」

 

冒険者をやっていても飯も食えば酒を飲む。いつでもベストコンディションなど望むべくもない。自分も丸腰の時に襲われたことは数え切れない程ある。

 

剣を腰だめに構える。居合斬りのフォームだ。オッタルも大上段にブロードソードを振りかぶる。

 

「こい」

「挑んできたのは貴様だろう」

 

オラリオ最高峰の戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。

 

その様子を屋敷の二階から二人の女神が見ていた。一人は細い朱色の眼に呆れをにじませている。道化神、ロキ。白髪の剣聖の悪友。

 

───何やってんねん、あいつ。

 

いや、想像はつく。聡明な彼のことだ。今回の一件、フレイヤが関わっている事を見抜いたのだろう。そしてフレイヤ以外の第三勢力の存在も感づいた。恐らくはこの第三勢力に関して話を聞きに自分に会いに来たか、フレイヤに話を聞きに来たか。そのどちらかだ。

 

だがあの傷で、あの身体でフレイヤ・ファミリア一級冒険者達が固めるこの屋敷に乗り込み、あまつさえあのオッタルと戦おうとしているとは。彼らしいと思うと同時に呆れる。リヴェリア辺りに知られれば大変だろうに。

 

そして隣に立つ女神を細目で見やる。頬を蒸気させ、瞳を情欲に潤ませ、小指を噛んで二人の姿を見つめている。色ボケ全開である。

 

「ええんか?あの二人やらせて。どっちか死ぬかもしらんぞ」

 

ロキの見る限り、二人の実力は拮抗している。身体能力ならオッタルだろうが、リヴィエールにはリヴェリアに匹敵する魔力がある。勝負がどう転ぶかは、わからない。

 

「二人ともそこまで本気ではないわ。私に会うだけの資格が、彼にあるかどうか、オッタルは見極めようとしているのよ」

 

確かに行くところまで行ってしまえば、あの二人の戦いは死闘になる。生か、死か、あるいは相討ちか。いずれにせよ取り返しのつかないところまでいくはずだ。

しかし二人ともそこまで愚かではない。キリの良いところで決着する。それがフレイヤの見立てだった。

 

それに……

 

───あの二人が、私を求めて戦っている。一人は私を守るために、もう一人は私に会うために、剣を振るっている。

 

その事実を思うと、フレイヤの下腹部の奥底から甘い疼きが湧き上がる。寒気が背筋に走り、ゾクゾクと震える。心地よい寒気から身を守るように自身を抱きしめた。

 

───なんて、輝き……

 

フレイヤは、人の魂の本質を色として見ることができる。そして、気に入った人間を自らのファミリアに迎え入れる。そうやってフレイヤ・ファミリアはオラリオでロキ・ファミリアと並ぶほど力を持ったファミリアとなった。

 

お気に入りの眷属、そして長年見初めた人間。その魂のぶつかり合いが放つ輝きは途方もなく美しい。

 

闇より黒い、透明感さえ感じる漆黒。その輝きは何もかもを吸い込むような黒淵。神をも両断した、漆黒の刃。彼があの黒い刀を持っている事は偶然ではないだろう。

 

「さあ、見せてちょうだい。貴方の刃を」

 

両雄が走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

対峙する二人を緊張の視線で見つめる存在がもう一人いた。

リヴェリア・リヨス・アールヴ。彼に残された唯一の家族であり、この場所を教えた張本人。成り行きがどうなるか、見守る義務が自分にはあると思っている。そして何かあったら駆けつけるためにも彼女は別ルートでこの場所に来ていた。普通に彼をつけてはあっという間にバレる。

 

───まさかオッタルと戦う事になるとは……

 

ハラハラしながら年下の彼を見る。流石に今は7つ目の感覚は戦闘に回しているらしく、リヴェリアの存在には気づいていなかった。まして今のリヴェリアは気配を絶っている。索敵に力を回さなければいかにリヴィエールと雖も気付けないレベルだ。

無論彼の強さは信じている。事戦闘に関しては仲間以上の信頼を持っている。しかし相手が悪すぎる。オラリオ最強と言って差し支えないあのオッタルを相手にするとなっては、姉として心配せずにはいられない。

 

───純粋に剣技だけで競うなら6:4でリヴィが不利……か?

 

獣人である彼とハーフエルフのリヴィでは生まれ持ったスペックが違う。努力では得られない、先天的に持つ物を才能と呼ぶなら、体格ほどその名に相応しいものはない。剣技やセンスは幼少期の訓練がモノを言う。後天的に得られるものだ。しかし体格だけはどう努力しても変えられない。戦闘とはどうしても大きい者が有利となる。身長とはかなり重要なファクターだ。

剣技や足運びと言った技術ならおそらくリヴィが上。しかし小手先の技を吹き飛ばすパワーとスピードがオッタルにはある。6:4で不利というリヴェリアの見立ては正しい。

 

魔法を使えばリヴィエールにも勝機はある。しかしその気は白髪の剣士にはなかった。相手の土俵で打倒する。それくらいの事が出来なければこの猛者は道を退かない。

 

───恐らく、剛と剛のぶつかり合いになる。決着は一瞬。

 

傷の事を考えても長引かせるわけにはいかない。この一太刀で決めようとするはず。

先に仕掛けたのはオッタルだった。次いでリヴィエールの姿が掻き消える。

 

九魔姫の予想通り、決着は刹那についた。黒刀がブロードソードに激突する。剣速は互角。しかし斬れ味と技術に段違いの差があった。

 

漆黒の刃がブロードソードにめり込む。キィィという金属が擦れ合う音が終わった時、肉厚な刃は宙空に飛んでいた。

 

───斬ったのか、あの剣ごと……

 

今リヴェリアの前で起こった事をそのまま表すとそうとしか表現できなかった。まるで手品でも見ているかのようだ。

リヴィエールが斬鉄できる事は彼女も知っていた。そういうことが出来る使い手の知り合いもリヴェリアには何人かいる。

しかし実戦で、刹那の狂いが死に直結する世界で狙って武器破壊を成功させたものなど初めて見た。とゆーか剣を剣で斬るという発想自体がまず彼でなければあり得ない。

まして力量差がよほどある相手ならともかく、相手はあのオッタル。信じられないものを見せられた。

 

───これだから、こいつは……

 

そう、これだから。これだから剣聖、リヴィエール・グローリアなのだ。

 

「俺の勝ちだな」

 

鋒をオッタルの首元に突きつける。剛と剛のぶつかり合い。剣速は互角だったが、互角だからこそ手にした刃の差が顕著に出た。もちろん完璧な居合斬りを成功させたリヴィエールの技量あっての事だが、この結果は実力の差とは言えない。

 

「……そうだな。私の負けだ」

 

両断されたブロードソードを地に落とす。硬質な音が虚しく鳴った。

 

「ま、待て剣聖!まだ俺がいるぞ!俺と一騎討ちを…」

「もういいわ、アレン」

 

白銀の輝きが闇の中から現れる。一目見てその神が何者かわかった。リヴィエールも名前は何度も耳にしているが、直に見たのは初めてだった。

 

『凄まじく美神です。でも怖〜いですよ?まあ綺麗な女の人なんて殆どお腹黒いですけど』

『お前も結構強かだもんなぁ、ルグ』

『……んー、何でしょう。遠回しに美人と認められて嬉しいような、侮辱されたような……まあいいです。会う事があったら気をつけてくださいよ。綺麗な華には棘があるものですからね』

 

───彼女が……確かに凄いな

 

美人に知り合いの多いリヴィエールでも指折りの美しさを誇る女神だった。甘い香りに光の粒がきらめくような白銀。陶器よりも白い肌。豊かな胸元に壊れそうなほどに細い腰つき。臀部を描く優美な曲線。まさに神の造形と言える。

 

───なるほど、コレがフレイヤか

 

「生で見るのは初だな。フレイヤ神」

「貴様っ、我が女神になんて口を…」

「イイのよ、アレン。彼はこうでなくちゃ。初めまして、リヴィエール・グローリア。私はフレイヤ。以後、よろしくね」

「お初にお目にかかる。リヴィエール・グローリアだ」

 

手を差し出される。傷一つない清らかな手だ。自分が少し力を入れたら壊れてしまいそうで、少し躊躇しつつ、握手を交わした。

 

「話をしに来たのよね。二階へどうぞ」

「お、お待ちください!せめて武器をこちらに預けさせて…」

「無駄よ。彼は全身武器だもの。襲いかかられたら私なんかあっという間にメチャクチャにされちゃうわ。されてもみたいけど」

「くだらない事言うな。ほら、上行くぞ上」

「もう、強引ね。そこが貴方のイイところでもあるけれど」

 

背中を押され、階段を登らされる。エスコートとは違う、慣れない扱いが少し楽しい。フレイヤは新鮮な体験が好きだった。

 

「お、来たな」

「げ」

 

二階に上がると見知った女神が待ち構えていた。そういえばいるって言ってたっけ。と思い出した。

 

「久々にお前の太刀筋見たわ。いや、一段とお綺麗になられて」

「お前に俺の太刀筋見えたのかよ……まあいいや。オッタルとやった事、リヴェリア辺りには内緒で頼む」

「えー、どーしよっかな〜」

「今度ソーマの酒奢ってやるから」

「ウチが友達の頼みを聞かへんわけないやないか!まかせときぃ!」

 

バシバシ背中を叩かれる。こいつは大抵のことならコレで手を打ってくれる。わかりやすくていい。後に奢るだけ無駄になることを知るのだが、それは別の話だ。

 

「どう?貴方も一杯」

 

グラスに注がれた葡萄色の液体が差し出される。立ち昇る香りと色はこの位置からでも見事なものだったが、遠慮しておく。7つ目の感覚が猛烈に嫌な予感を告げた。何が入ってるかわかったもんじゃない。

 

「あら、残念。私に話があるのだったわね」

「ああ、まずは今回の怪物祭の一件だ。下手人はアンタだな?」

「ええ、一部は」

「………存外にあっさり認めたな。ガネーシャのモンスターに混ぜて妙な怪物を放っただろう。それに関して聞きたい」

「貴方も10匹目についても私だと思ってるの?それに関しては私はホントに関与してないわ」

「…………本当か?」

「貴方が怪我をさせられたほどのモンスターなんでしょう?そんなの放ったらあの子死んじゃうじゃない。いたずらに周囲に被害を出す気は無かったわ」

 

あの子という所だけよくわからなかったが、それ以外はほぼ納得のいく言葉だった。ロキに視線を向けると一度頷いてみせた。

 

「なら本当にあの食人花とアンタの間に関わりはないのか」

「ええ。フレイヤの名において、誓うわ」

 

神の誓いなど当てにはならないが、コールドリーディングから察する限り、嘘はついていなさそうだ。

 

「ならあの食人花を放った組織と今回の騒ぎは偶然に重なった事件だったってことか?だがあれ程の強さのモンスターをテイムした組織がいたという事……」

 

それはガネーシャ・ファミリア並の、いや、間違いなくそれ以上のテイム能力を持つ組織がいるという事。そんなことが出来る力を持つファミリアなどオラリオで思い当たるのはフレイヤかロキくらい。

いや、ファミリアに限定せず、組織として見れば真っ先に思い浮かぶ団体がある。

 

ギルドだ。

 

───いや、あり得ない。都市を長年守り続けて来た奴らがそんな事をしても連中になんの得もない。今回の一件、俺たちが迅速に対処していなければ被害は甚大だった。

 

理性は違うと告げている。しかし直感は否と叫んだ。

 

───直接手を降してなくても、関与は充分考えられる、か。

 

推理としてはこちらの方向で恐らく間違っていないだろう。俺が知らないファミリアがウラノス黙認の元、水面下で活動している可能性はある。気は進まないがやはり一度あの神に……

 

「用事はそれで終わりなの?」

 

思考に意識を沈めていると横から声がかかる。表情には不機嫌な色が見えた。自分が目の前にいるというのに、他の事に夢中になっている事が気に入らなかった。

 

「もう一つ。こっちが本題だ」

 

心臓が普段より早く鳴っている事を自覚する。ウラノスを除けばオラリオのことに関して最も情報を持っているであろう神の一人だ。期待はしてしまう。直接関わっていなくても、何か知っている可能性は高い。

 

「ルグの居場所をバロールに教えたのは誰だ?」

 

フレイヤの不機嫌の色がさらに濃くなった。自分に会いにきたと思ったら結局、ソレかと落胆したのだ。

 

「知らないわ」

「本当か?直接関わってなくてもいい。知ってる事なら何でもいいんだ。教えてくれ」

「本当に知らないわ。正直に言うと、ルグ・ファミリアに圧力をかけた事はあったわ。でも直接手を出した事はない。出させた事もないわ」

「…………………」

 

凝視する。嘘をついてる様子はない。大きく息を吐いた。

 

「帰る。邪魔したな」

「あ、待って」

 

背を向けた彼の背中に声がかかる。一抹の期待を残し、足を止めた。

 

「一年前の一件、こちらで調べてあげてもいいわよ」

「…………対価は?」

「私と一晩──残念」

 

言葉の途中で聞いただけ無駄だったと言わんばかりに扉を閉めた。

 

彼が閉じたドアを見つめながら、白金の友人が脳裏に浮かぶ。彼の心は相変わらず黒で見えなかったけど、目の奥には太陽の光が見えた。

 

───なるほど、確かに手強いわね。

 

軽く魅了もかけていたのだがまるで効いていなかった。

でも、だからこそ、彼が欲しい。ますます欲しくなった。何が何でも、どんな手を使っても、あの黒をいつか必ず手に入れる。

 

『いつでも受けて立ちますよ』

 

脳裏に浮かんだルグが、フレイヤの欲望に答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。ついにフレイヤと邂逅。一見空振りですが、収穫はかなりありました。詳しくは次回以降。それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。マジ恋で新連載も始めました。そちらもよろしくお願いします


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Myth28 ロミオと呼ばないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

───空振り、か……

 

天を仰ぐ。もう何度目の落胆だろう。歯軋りの音が自分の頭蓋骨を通して耳に届いた。

同時に驚く。こんな形で怒りを表すなんていつ以来だろう。

 

───今回は期待してたって事か……俺が思っていた以上に

 

7つ目の感覚が告げていた一年前との事件との繋がり。そして今回のイレギュラー。フレイヤが下手人とは思っていなかったが、何か手がかりくらいは得られると無意識下で期待していたらしい。

 

───いや、クサるな。収穫がなかったわけじゃない。

 

頭を振ると前を見据える。そうだ、わかった事もある。フレイヤが知らないという事を知れた。これは有効な情報だ。現在オラリオで最も大きな勢力を誇るロキ、ガネーシャ、フレイヤ、この壮観たるファミリアのいずれも一年前の事件に関しては何も知らなかった。つまり表に出ている有力ファミリアで今回の事件に関わっている可能性はほぼ無くなった。

 

なぜなら勢力の大きいファミリアであればあるほど動いた痕跡は残る。大蛇が擦り跡を残さず動くことなど出来ないように。限りなく消すことはできても完全には消すことは不可能だ。その痕跡を俺やシャクティが見逃すなどあり得ない。唯一俺の目を欺くレベルで消すことができる可能性のあるファミリアがフレイヤだったのだがその可能性も今日消えた。恐らく現在表に出ている有力ファミリアはシロと思って間違いない。

ルグ・ファミリアの成功を妬む中堅から小規模ファミリアが結託して、という可能性も低い。バロールにあれ程強力な武具と新種のモンスターを用意できるのは並大抵の力では無理だ。ロキ・ファミリアクラスの権力とガネーシャ・ファミリアクラスのモンスターテイム能力が必要になる。そんなもの、中堅以下のファミリアではいくら数が集まろうと不可能だ。

 

───となると、表立って活動はしておらず、かつトップファミリア以上の力を持つ神という矛盾した条件を兼ね備えた組織となる。

 

心当たりとして真っ先に思い浮かぶのがギルド。先のファミリア以外でなら最も力のある組織だ。オラリオの創設神たるウラノスを長とする連中が黒幕であればおおよそのカラクリに説明がつく。

 

しかし先にも考えた理由から、やはりこれもあり得ない。

 

次に考えられるのは闇派閥だが、考えにくい。暗黒期の奴らならともかく、討伐作戦には自分も参加した。この手で壊滅的打撃を連中にはしっかり与えた。万が一残党がいたとしても今の連中にそんなことが出来るとはとても思えない。

 

ならオラリオの外にいる神の誰かか?会ったことはないがこの街の外に降り立った神もいるとは聞いた。事件後、国外に逃亡されたとしたら……

 

───その逃亡にギルドが関与しているとしたら……この辺りが一番現実的な可能性だな。やれやれ、神には曲者が多い事だ。……ん?

 

視線を感じた。唐突にではない。気配には今気づいたが、コレはついさっきから見られ始めたというようなモノではない。

 

───つけられてた?この俺が?

 

油断があった事は否めないが、それ以上に相当の使い手だ。視線を意識し始めた今でも位置までは感じ取れない。左手を刀に掛けた。

 

「誰だ。出てこい」

 

連戦はキツイが言ってる場合ではない。この相手は逃がしてくれるような使い手でもないだろう。それに少し期待もあった。これほどの手練れは恐らくオラリオでも数える程。真実に近づき始めた俺の動きに釣られて相手から現れてきてくれたならこれ以上のチャンスは……

 

「…………って、なんだ」

 

安堵と落胆。両方の意味で息を吐いた。背後の影から現れたのは緑髪のハイエルフ、リヴェリア・リヨス・アールヴ。色々と得心もいった。彼女なら自分をつけていても不思議はないし、ここまで気づかせなかったことにも納得がいく。手を刀から外した。

 

「まさかアンタにつけられるとは……俺も鈍ったな」

「つけてはいない。別ルートであの屋敷に先回りしただけだ」

「そうか」

「まあ、別の事に気を取られていたのは確かなようだが」

 

バレていたか。さすがは我が師匠。彼女なら自分の表情から心を読む程度容易い。

 

「……また、か」

「ああ」

 

出てきた様子で姉は全てを察していた。

 

「診せろ。手当てする」

 

瓶に入ったポーションを差し出し、手に癒しの光を宿す。無視しようとして、やめた。怒ってる家族に逆らうものではない。黙って傷を診せる。

 

「っ………バカだバカだとは思っていたが、ここまでとは」

 

傷を見たリヴェリアの声に怒りと呆れが強くなる。赤黒く腫れ上がった腹部のグロテスクな色が癒しの光により照らされていた。剣技とは全身運動。特に腰から腹筋の動きが要であり、もっとも負担が掛かる。治りかけていた内出血の血管が再び破裂するのは当然だ。

 

…………この傷でよくもまあ、あのオッタルと。

 

恐らく歩くだけでも相当に辛いはず。やせ我慢強い男なことは知っていたがここまでくると自殺志願者だ。本当にアイズとよく似ている。

 

「なぁ、リヴェリア」

「…………………………なんだ」

 

薄緑色の液体を口に含みつつ、尋ねる。随分返事に時間をかけられたが、返事はしてくれた。怒ってはいても話を聞いてくれる気はあるらしい。

 

「お前は誰が黒幕だと思う?」

「…………ルグ様の件か?」

「今日の事件も含めて、だ」

 

きっと繋がっている。あの時感じたこのカンは間違っていないはずだ。

 

「ギルドの関与……が最も疑わしいと私は思う」

「やっぱそうだよなぁ」

 

理性ではあり得ないと思いつつも、この考えは頭から消えてくれなかった。7つ目の感覚はギルドの関与を告げている。

 

「…………行くのか?」

「近いうちにな」

 

できれば頼りたくはなかった所だが、この都市で手がかりがあるとしたらもう彼処しかない。

 

「一人で行く気か?ウラノスが自衛のために盾を用意している可能性はお前だって言っていただろう。いくらリヴィでも…」

「関係ない」

 

何人待ち構えていようが、どれだけのレベルの傭兵がいようが、構わない。向かってくるなら誰であろうと斬りふせる。

 

「リヴィ」

 

傷の治療の手を止め、こちらの頬に手を添える。

 

「私は頼れないか?」

「頼れないな。悪いが俺の中ではロキも完全なシロとは言い難い」

 

半分嘘だ。彼が今下界で最も疑いが少なく、シロだと思う神がロキである。しかし限りなく白に近いグレーである事もまた事実。自分が知る限り、心を隠すのが最もうまい神がロキだから。

 

「私からロキにウラノスに探りを入れるよう頼んでもいい」

「聞いてなかったのか。ロキもシロじゃないと言ってるんだ。そんな事に意味は……」

「私がその席に立ち会うと言ってもか?」

 

驚愕に目が見開かれる。神であるロキならばともかく、リヴェリアがギルドに入り込むとなると潜入になる。ウラノスが自衛の為に強力な盾を持っている可能性は高い。闇と繋がりがあると疑わしいのも事実。そんなところに潜入して、発見されたら命の保証が…

 

「それとも私も信じられないか?」

「そんなわけないだろう!この世界で今や唯一無条件で信じられるのが………っ」

 

そこまで言って、やめる。慈愛に満ちたリヴェリアの笑顔がムカついた。

 

───何を恥ずかしい事言ってるんだ俺は。

 

口元を手で隠す。赤くなってることは自覚していた。

 

「…………何やってんだ」

 

視線をリヴェリアに戻す。両手を大きく広げ、こちらににじり寄る緑髪のバカがいる。

 

「そんな可愛いことを言った罰だ。抱きしめさせろ」

「死ね」

 

両手を広げてゆっくりとした動作で近付くも、リヴィは大きく後ろに後退しつつ、刀に手をかける。それほど嫌なのか、それとも恥ずかしいだけなのか。恐らく前者であり後者である。それは正に、姉の母性愛から逃れる弟のごとくだ。

 

どちらかが折れない限り続くであろう一進一退の攻防。折れたのは意外なことにリヴィエール・グローリアだった。刀から手を外す。

 

「わかった。1人では突っ込まない。お前か、ロキか、誰かに帯同する形で話を聞きに行く。これでどうだ」

「…わかればいい」

 

若干不満そうな顔をしながら広げていた両手を下ろす。本当に残念そうだった。

しかし気を取り直すとごく自然な動作で隣に来るとスルリと腕を取られた。

 

「今日は色々あって疲れたろう。帰ろう、リヴィ」

 

腕に抱きつかれたまま、歩き始める。利き手を取っていれば反射的に振りほどいたが、幸い左。意志の力でなんとか出来る部位。わかっていて左手を取ったんだろう。その辺りのことはこの女は熟知している。

 

それでも身体の一部を封じられているという状況はあまり気にいるものではない。しかし振りほどいたところで先の繰り返しになるだけだ。

 

───このまま隠れ家に帰るつもりだったんだが……

 

「少なくとも、その傷が治るまでは絶対に逃がさんからそのつもりでいろ」

「…………心を読むな」

 

こうなった以上、絶対に逃がしてはくれない。あの場所がリヴェリアにバレることだけは避けたい。諦めたように一度嘆息するとリヴィは姉の引力に従って歩き始めた。

 

「リーア、もう逃げたりしないから、そろそろ離してくれないか」

「嫌」

 

拗ねた声の拒否が帰ってくる。右肩に頭を乗せ、腕を絡めたまま、美しすぎる姉は黄昏の館が見えてくるまで離してくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早朝、日が昇り始めた頃、硬質な何かがぶつかり合う音が聞こえてくる。

音源が気になったレフィーヤが走っていくとそこにあったのは二つの人影。

 

一人は細身の黒剣を振るい、朝露にその肌を濡らす白髪の少年。もう一人は少年の持つ得物と同じく…いや、彼が持つ剣よりもさらに細い剣を操る白金の少女。二人とも汗と朝露で濡れており、打ちあう姿は本気でなくとも真剣そのものだ。

 

二人の打ち合いにレフィーヤは思わず見とれる。魔導士である彼女は門外漢なので、剣の事は詳しく分からないが二人がどれほどの強さなのかはわかる。

 

そして見るものが見れば2人とも何かを確かめるように剣を交えていることに気づいただろう。レイピアを握るアイズは剣の重さ、重心、握り、刃の走りを。黒刀を振るリヴィエールは身体の伸び、回転、捻り、身体の具合を確認していた。

 

カァンと一際音高く剣戟の音がなり、飛び下がる。

 

「…………ここまでだな」

 

鞘にカグツチを収める。これ以上打ち合ってはお互い誤差修正では済まなくなる。

 

「リヴィ、身体の具合はどう?」

 

あの後、オッタルと戦った事で悪化した傷は完治に今日まで掛かっていた。包帯は昨日取ったが、1日絶対安静をリヴェリアに言い渡され、ほぼ監禁に近い形で黄昏の館に縛り付けられたリヴィは昨日1日、寝たきりだった。

そして一流の剣士とは1日体を動かなければ取り戻すのに3日かかる。身体に入った錆は出来るだけ早く落とさなければならない。

少し病み上がりの運動に付き合ってくれとリヴィエールに頼まれたアイズは一も二もなく頷いた。

 

「そうだな、まだ少し違和感はあるが………普通に戦う分には問題ない」

 

今朝まで包帯が巻いてあった腹部を軽く叩く。筋肉がダレるような感覚はまだ身体に残っていたが、今朝起床した時よりはかなりマシになった。

 

「レフィーヤ、用があるならサッサと済ませろ」

 

ビクリと震えたのは木の陰から見ていた茶髪の妖精。嫉妬混じりの視線で見られていたのは気づいていた。

 

「すっ…すごかったです、お二人とも!」

「レフィーヤ……」

「覗き見とはなかなか良い趣味だな」

 

この子はストーカーの気質が割と以前からあるが……

 

「ご、ごめんなさい。つい、見惚れて……ではなくて!声をかけるのを忘れてしまったというか!!」

「えっと……ありがとう?」

「普通にかけろ。黙って見られる方がよほど神経に障る」

 

ビクっともう一度震える。その姿を見て少し後悔する。太刀筋を盗み見されるというのはあまり気分のいいものではない。若干言葉が固くなってしまった。

 

「で?レッフィー、何か用なのかい?」

 

安心させる意味を込めて砕けた口調で話しかける。

 

「よ、用ってわけじゃないんですけど……本当にこんな朝早くから剣を振られてるんですね!だから2人ともあんなに強くって……私も見習わなきゃっ」

 

───そんな高い意識を持ってやってるんじゃないんだけどな…

 

恐らくアイズもそうだろう。稽古がもう生活の一部になっているに過ぎない。定期的に身体を動かしておかなければ、身体に妙な倦怠感がまとわりつく。端的に言って仕舞えば筋肉がダレるのだ。この淀みはリヴィにとって全身運動した後の疲労よりよほど気色が悪い。

 

「剣術を誰かに教わったりしたんですか?」

「…………根幹となる技術は父に。刀の扱いは軽く椿にも習ったが……俺は基本独学だ」

「独学……」

 

愕然とした表情でリヴィを見る。誰にも師事せずあそこまでの強さと技術を身につけている事に、感嘆と理不尽を感じていた。

しかし独学で何かを学ぶという事はエルフにとって珍しい事ではない。むしろ正しい成長の仕方なのだ。悠久の時を生きるエルフは自然のまま、自然の速度で成長することを良しとする。故に何かを身につける時、彼らは見様見真似から入り、自身で試行錯誤を重ねることで腕を磨くのだ。

 

「ず、ずるいです!」

「?何が」

「何がって……」

 

その理不尽な才能がですよ!とは言えない。才能ももちろんだが、それ以上に彼は努力と修羅場を重ねてきていることを知っている。それにいくら魔導士とはいえ、自分も冒険者の端くれ。見ればわかる。力量が才能の範疇か、そうでないかくらい。

 

それでも、剣才が全くと言っていいほどないレフィーヤにとっては理不尽でも天才め、と恨まずにいる事はできなかった。

 

「っというか、別にリヴィエールさんには聞いてないんですぅ!アイズさんは誰に剣術を教わったんですか?」

 

べーっ、と一度舌を出すとアイズに近づく。相変わらず、好かれてるのか、嫌われてるのか、わからない少女だった。

 

「…………私も、お父さんかな」

 

十数える程迷った末に答えたのはリヴィエールとほぼ同じ答えだった。

 

「そうなんですか!魔導士の私から見てもすごくキレがあるなってわかるんですが……お父様が…そういえばアイズさんのご両親って──」

「書庫から本を取ってくるのにどれだけ時間が掛かってるんだ」

 

呆れたような声とともに音もなく2人の師匠が現れる。どうやら魔法の教示の最中だったらしい。様子を見て全てを悟ったハイエルフは吐息した。リヴィエールもだいたい理解した。

この子のこういうところがリヴィエールはあまり好きではない。努力しなくちゃとか、憧れているとかいう割には、目先の何かに捕らわれ、自身の練磨を怠る。剣才はなくとも、他の才がある。その事を本人も知っているはずなのに。自分の修行を忘れてどうする。

 

───リーアや俺を超えるのは当分先の話だな

 

まあ憧れてるとか、いつか、とか言ってる時点で無理な話なのだが。レフィーヤもあまり心が強くない。時に先日のような爆発力を見せることもあるんだが、普段の彼女は冒険者に向いているとは言い難いメンタリティだ。

 

「リヴィ、もう身体を動かして大丈夫なのか?」

 

怪我の面倒を見ていたリヴェリアが心配そうに尋ねる。怪我が一番ひどかった時を見ているからか、案じる気持ちはこの場の誰よりある。

 

「傷自体はもう完治してる。動かさない方が大丈夫じゃなくなる」

「そうか、ならお前達も来るか?久々に。強くなるのに必要なのは肉体面だけではないだろう」

「あいにく、魔法理論に関する知識には興味ない」

 

リヴェリアに勧められた本は全て読んだが、理論だけを語られてもあまり意味を見出せなかった。あんなものを百読むより一の実戦の方がよほど為になる。魔法は習うより慣れろだと今でも思っている。無論理論から積み重ねる人間がいる事は知っている。無駄だとまでは思わないが、少なくとも典型的感覚派の自分に向いているやり方ではない。

 

アイズもかつてのリヴェリアの鬼教官ぶりとスパルタを思い出したのか、青い顔をして白髪の青年の後ろに隠れた。2人とも数年前まで似たような境遇だった。冒険者としての知識技能をリヴェリアに叩き込まれていた。故に2人は彼女のスパルタを知っている。しかしリヴィもアイズも感覚派の天才型だ。座学にそこまで価値はない。

 

「だそうだ。残念だったなレフィーヤ。朝食までは続けるぞ」

「ア、アイズさぁ〜ん!」

 

その事をリヴェリアもわかっているのだろう。強くは誘くことはしなかった。哀れ理論派のレフィーヤは問答無用で鬼教官に連行されていった。

 

「リヴィ」

「ああ、行くか」

 

2人もまた剣を持って中庭から塔へと戻った。

 

 

 

 

 

 

「あ、リヴィエール様、おはようございます」

「あ、あぁ、おはよう」

 

シャワーを借りて身を清めたリヴィエールはホームの廊下を移動し、大食堂へと向かう。その最中にロキ・ファミリアの団員たちが頭を下げて、戸惑いつつ返事をする。すれ違う団員殆どにこのような挨拶をされていた。自分は他ファミリアの人間で、一時的に部屋を間借りしているだけだというのに。

 

「みんなリヴィが好きなんだよ」

 

隣を歩くアイズがそんな事を言う。声色に少し気色が混じっていることにリヴィだけが気づいた。表情も僅かに緩んでいる。心の機微に疎い彼女にしては珍しく、難しい顔をしていた彼の心情を理解していたのだ。自分も覚えのある事だったから。

 

「好かれる事をした覚えないんだけどな」

「何度も私達のことを守ってくれた。その事をみんなは覚えてる」

 

食堂の一席に腰を下ろす。新聞を手に取った。

 

「…………へぇ、思ったよりは俺の存在はバレてないのか」

 

ザッと目を通すと真っ先に目に入ったのが先日の食人花のニュース。鎮圧に活躍したロキ・ファミリアの勇者達。そして……

 

───勇者達と共闘した謎の魔法剣士……か

 

流石に存在をなかった事には出来ていないが、かなりボカした表現にしてくれている。恐らくシャクティとクロウが気を利かせてくれたのだろう。

 

───コレならほとぼりが冷めるまでそう時間はかからなさそうだな。

 

半分リヴェリアに拉致監禁されていたとはいえ、大人しくその状態を受け入れた最大の理由はここにあった。あそこまで派手に戦った今、下手に街をウロついては、あの隠れ家にたどり着くまでに捕らわれる可能性が高い。そうなっては任意同行および事情聴取でギルドに連行されるか、ガネーシャに引き渡される。シャクティのとりなしがあったとしても、良くてガネーシャの独房で謹慎処分および経過観察。下手をすればブラックリスト入りまである。ギルドもブラックリストもどちらもゴメンだったリヴィエールはほとぼりが冷めるまで黄昏の館に匿われる事になったのだ。

 

「あ、リヴィエールおはよー!今からゴハン?一緒に食べよー!」

 

右隣にティオナが腰掛ける。朝から元気な事だ。寝起きの良さは昔と変わっていないらしい。

その様子を見たアイズも慌てて残った彼の左隣に座った。

 

「3人ともおはようございます。皆さんの分の朝食は私が取っておきましたから」

「ありがとう、レフィーヤ」

「ちなみにリヴィエールさんの分はありませんよ?」

「いらないから」

 

新聞に目を通しながら答える。ロキ・ファミリアで出される食事など簡単に食べれるわけがない。限りなくシロに近いとはいえ、グレーな存在ではあるのだ。そんなところで何の疑いもなしに食事を口にする事など、彼にはできなかった。懐から常備している水を取り出す。

 

「何をバカな事を言ってるんだお前は」

 

対面に座ると同時に2人分の膳がテーブルに置かれる。腰掛けたのは緑髪のハイエルフ。手には2名分の朝食を持っている。メニューは野菜をふんだんに使ったスープとサラダ。野菜と塩漬けした肉のサンドイッチ。そして野菜入りオムレツ。これでもかというほど野菜が猛威を振るっていた。

 

「食事が冒険者の資本だという事は以前お前が言っていただろうが。お前の懸念もわかるが、食事、特に朝食はちゃんと取れ。頭が働かなくなるぞ」

 

膳に乗った朝食をこちらに差し出してくる。

 

「安心しろ、私が作ったものだ。何も入っていない。それとも、アレを食べるか?」

 

親指で背後を指差す。視線を向けると2Mはあろうかという大魚が丸焼けになった大皿をエプロンをつけたアマゾネスが片手で持ち上げていた。怪魚の名はドドバス。ほぼモンスターと呼んで差し支えない怪魚である。

 

「身だしなみ良し!エプロン良し!手料理良し!あ、そこ!団長の皿を用意するんじゃないわよ!団長にはわ・た・しの朝ごはんがあるの!!」

 

あの数十人前はあろうかという大魚の丸焼きがフィン1人のために用意された食事だというらしい。どう見てもフィンの体格より体積のある魚を朝から食べさせようというのだから、凄まじい。知っていた事だが行き過ぎた愛とは迷惑以外の何者でもないと再認識した。

 

「…………フィンも大変だな」

 

アマゾネスの愛は重い。その事をリヴィは身を以て知っている。といっても前職が前職なため、アイシャは軽い方だが。ああいう初恋が最後の恋と決めているティオネの愛の重さと言ったら、そんじょそこらのヤンデレが裸足で逃げ出すレベル。

 

「リヴィ、食べないの?」

 

出された食事に手をつける事を躊躇するリヴィを心配そうに澄んだ金色の瞳が覗き込む。リヴィエールが食事に手をつけない理由がわからないのだろう。アイズには食事に何か盛るという発想自体がない。

どう説明するかと渋っていると、ハッとなったアイズは用意されたスプーンを取った。

 

「…………なんの真似だ」

 

スープをすくい取り、左手で受け皿を作りながらこちらに差し出してくる。意味するところはこの場にいる誰もがわかった。

 

「あーん」

「いや、あのな……」

「あーん」

「誰にこんなの教わった」

「ルグ様」

「ロクなこと教えねえなあの駄女神」

 

食べさせようとするアイズに、その手を掴んで阻止するリヴィ。お互い座りながらではあるが、かなり本気に力を入れていた。

 

「わかったわかった!食べればいいんだろ食べれば!」

 

アイズからスプーンをひったくる。そのままスープを一口飲んだ。

 

「美味しい?」

「…………美味い」

 

上機嫌に尋ねてくるリヴェリアに素直に感想を述べる。フォンに野菜の旨味が溶け出している。かなりいい野菜を使っている証拠だ。

 

「デメテルの所の野菜か。久々に食べた」

「作ったのは私だがな」

「わかってる」

 

彼女の料理は何度も食べた。シンプルな味付けに一手間をかける手法は変わっていない。

 

食事を始めた彼を若干不服そうに見つめた金髪の少女も朝食を取り始める。もうちょっとだったのにと顔に書いてあるようだった。

 

「あ、アイズさん!コレをどうぞ!」

 

先ほどの光景を目の当たりにしてしまったレフィーヤが厨房の奥から帰ってきた。手には紅茶のポットを抱えている。

 

「朝の鍛錬でお疲れのご様子でしたから私特製のハチミツたっぷりのレモンティーをご用意させていただきました」

「あ、ありがとう、レフィーヤ」

「いえいえ!さあ、わたしと同じ!メニューの朝食を食べましょう!」

 

同じの所を強調してアイズの隣に座る。ついでに珈琲を飲む白髪の青年を睨んで。どう見ても対抗意識を燃やしていた。

 

───この子、ホントちょっとアブナイなぁ…

 

アイズとティオナすら若干引いてる。ティオネをマイルドにした様子といえば分かりやすいだろうか。朱に交わって、赤くなりつつある同胞を心配しつつ、サンドイッチを食べた。

 

「アイズ、今日は何か予定あるの?」

「あっうん。代剣壊しちゃったから、ダンジョンでお金稼がないと……」

「うわ、四千万か。お前でも一週間は掛かるな」

 

実物を見たリヴィエールは剣の価値を正確に言い当てていた。その値段をゴブニュに聞かされた時、アイズもその数値に頭を打ったものだ。

 

「じゃああたしも行くよ!あたしだって大双刀のお金用意しないといけないし!」

「わ、私もお邪魔でなければ!」

「そうか頑張れ。俺は少しロキと話があるから」

「何他人事みたいに言ってるの?リヴィエールも行くに決まってるじゃん!」

「はあ?何で?」

 

代剣の破壊に関してリヴィは一切関わっていない。もし自分を庇って壊したとかだったら金稼ぎを協力したかもしれないが、そういう事情は全くない。

 

「ねえ、アイズ?」

「えっと……でも」

「…………まさかお前、タダで此処に滞在出来るとでも思ってるのか?」

 

何やら遠慮しているアイズの援護射撃にリヴェリアが乗り出す。珈琲を飲むリヴィエールの手が止まった。

 

「お前の治療に使った薬品、お前の存在に関する口止め料、治療費、食費、その他諸々etc。占めて五百万ヴァリスって所だな」

「…………」

「無論、ツケや借りは一切受け付けない」

 

───そう来たか…

 

思ったより正体がバレていないのはリヴェリアの手回しがあったからだったらしい。

 

その程度の金なら金庫があればいくらでも払えるが、迂闊に外出できない今のリヴィエールは豊穣の女主人まで行けない。かといって今手持ちにそんな大金はない。他の金はともかく、口止め料が痛い。

 

「だが、現物交換は許す。アイテムでも、労働力でも良い。この一週間、ダンジョン攻略に付き合えば、今回の五百万、チャラにしてやろう。どうだ?悪くないだろう」

 

───………チッ

 

心中で舌打ちする。さすがだ。みごとな飴と鞭。交渉術の巧さは俺など遥かに上回る。伊達に長くトップに君臨していない。

 

───っ!

 

リヴェリアがアイズにアイコンタクトを送る。遠慮がちに俯く金髪の彼女に、今だ!と目で訴えた。

 

「リヴィ……」

 

もっと自分の気持ちに素直になりなさい!

 

アイズの脳裏に褐色の友の言葉がよみがえった。

 

「お願い。一緒に行こう?」

 

───クッソ……

 

チェックメイト。もう断るという選択肢はあり得なかった。

 

───まあいいか。まとまった小金は必要だと思ってたところだし。

 

それにほとぼりが冷めるまでずっと此処に滞在するわけにもいかない。一週間もダンジョンに潜っていれば丁度いい。ウラノスの所に行くのはその後でも間に合う。

 

それに……

 

「じゃあリヴィエールも決まりだね!あとは誰さそおっか?」

「リヴェリア、お前も来い」

「…………いいだろう、私も行こう」

 

思う所があったのか、要職についているはずの彼女は意外にあっさりと唐突なダンジョン攻略に頷いた。

 

「ならティオネもさそおっか。仲間外れにしたら怒りそうだし。ティオネ〜」

 

大皿に乗った巨大魚に挑んでいるティオネの元へと3人が走る。テーブルに残されたのはリヴィとリヴェリアの2人のみ。

 

「…………で?」

「なんだ」

「私を誘った理由は?あるんだろう?聞かせろ」

 

声を落として尋ねてくる。やはり何かがある程度の事は読み取ったか。

 

「理由ってほどのものはない。今回の攻略にはあんたが必要だと思っただけさ。例によってカンだがな」

「そうか……わかった」

「アンタこそいいのか?予定とかあっただろう」

 

ロキ・ファミリア副団長が暇なわけはない。向こう一週間は予定が詰まっているはず。帯同をあっさり認めたことを意外と思った理由はここにあった。

 

「何、留守はガレスに任せればいい。それより私はお前のカンを重視すべきだと判断した」

「…………あんまりアテにされてもな」

 

外れた事はあまり無いとはいえ、論理的な根拠に基づいた行動ではないのだ。コレで何か危ない目に合わせてしまっては責任を感じてしまう。

 

ガタンと一つ大きな音がなる。吊られて音源を見てみると、皿にあった巨大魚がみるみるうちに消えていっている。

 

「凄えな、手品みたいだ」

 

ドドバスを完食したティオネは艶やかな黒髪を翻し、席を立つ。どうやら交渉は上手くいったらしい。

 

「リヴィエールー、フィンに一週間ダンジョン行く事、報告に行くよー」

「わかった。同行する」

 

残った珈琲を飲み干す。美味かった。流石にいい豆を使っている。

 

「そうなっても大丈夫さ。お前がいるんだからな。頼りにしてるぞ、初めての人(ロミオ)

「服毒しちまえ、面倒な女(ジュリエット)

 

 

 

 

 




後書きです。次回は番外編リヴェリア・ストーリーを進めていきます。それでは励みになりますので感想、評価、よろしくお願いします


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Myth29 殺人事件を喜ばないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

ディアンケヒト・ファミリア医療院。一週間以上という長期のダンジョン攻略に挑むため、アイズ達はアイテムの補充をすべく、此処を訪れていた。

 

「何怒ってるんだよ、アミッド」

「……怒ってないです」

 

壁にもたれかかるフードを被った男は困惑していた。ディアンケヒト・ファミリアの看板娘、アミッド・テアサナーレが先程から目を合わせてくれない。表情からは読み取れないが、態度に怒りを感じる。

 

「まあ、言いたくないなら無理には聞かないけど…高位回復薬三つ……いや、五つ頼む。マジックポーションも同数」

「私もリヴィと同じモノを。あとお使いメモがココに」

「かしこまりました」

 

慣れた手つきで薬を扱う。もうどこに何が入っているのかは完全に頭に入っているらしく、その動きに淀みはまるでない。

しかしそんな流れるような動きが停止する。一度天井を見たかと思うと奥から何やら引っ張り出して来た。

 

「…………手伝おうか?」

「お構いなく」

 

棚の上にある箱に懸命に手を伸ばす。この少女の唯一にして最大の弱点が身長だった。容姿は可愛らしく、仕事ぶりも見事なのだが、この小柄さは彼女にとってコンプレックスだった。

爪先立ちになって懸命に手を伸ばす姿も可愛らしいとは思うが。

 

「ハァ…」

 

リヴィエールが小声で何かを歌う。すると戸棚にあった箱は僅かに動き、アミッドの手の中に収まった。

 

「…………リヴィエール様」

「なに?怒ってる理由話す気になったか?」

 

責めるように一度アミッドが睨んだが、まるで意に介さない。遠目で見たティオナとアイズには分からなかったが、アミッドは気づいた。明らかに自分が手に触れる前に箱が動き出したことに。何の魔法を使ったのかまではわからないが、絶対にあの白髪の魔法使いが何かをやったのだ。

 

一度嘆息するとアミッドはカウンターに品物を並べた。これ以上問い詰めても何も言わないことを察するぐらいには彼のことを知っていたから。

 

「今度怪我をされた時は真っ先にココに来るようにしてください」

「っ……」

 

薬を受け取る際に耳元で囁かれる。やはり先日のモンスター・フィリアの一件絡みだった。新聞はぼかした表現をしてくれていたが、剣聖の生存はオラリオではまことしやかに囁かれている。

 

「善処する」

「…………その言葉が嘘でないことを願います」

 

笑顔を零す。得な男だ。大抵のことはこのずるい笑顔ひとつで許される。

 

「アミッド、何か取ってきて欲しいものあるか?ついでだ。タダで受けてやるぞ」

「ではホワイト・リーフを数枚お願いします」

「わかった」

「ちなみにこれをクエストとはカウントしませんからね」

「わかってるって、信用ないなぁ」

「あるとお思いですか?」

 

──思ってないですけど

 

「リヴィ」

「ああ、今行く」

 

荷物を背負い直すと、フードとマスクで顔を隠す。今更無駄な抵抗かもしれないが、それでも堂々と顔を晒して街を歩く気にはなれなかった。

 

「またのお越しを心よりお待ちしております」

「…………ああ、ありがとう、アミッド。今度は一人で来るよ」

 

耳元で囁かれた言葉のせいで頬が朱に染まる。全く察しが良いのか悪いのか、本当にわからない男だ。この時折見せる鋭さがこちらの女を刺激する。たまにこういうことを言ってくるから始末に負えない。

 

「リヴィエール様。どうかご無事で」

 

背を向け、一度手を振る。フードを被るその背中はなぜか頼りなく写った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダンジョン入口、バベル施設中央広場。噴水の縁に腰掛けるフードの男は苦しんでいた。先ほどのアミッドとのやり取りを聞かれていたらしく、さっきからずっとアイズにチョップをされていた。なかなか力の入った良い手刀でそこそこ痛い。

 

「アイズ……痛いんですけど」

「………リヴィ、アミッド好き?」

「まぁ嫌いじゃないけど……痛い痛いアイズちゃん痛い!」

 

手刀の手を止める。揉み合ううちに意図せず恋人握りの格好になった。座ったままの状態だが、二人とも真剣そのものだった。

 

「お前が心配してるような要素は皆無だから」

 

───まあ先日の一件で見方が変わったのは否定しないが……

 

そんな言外の言葉を読み取ったのか、ブスッと頬を膨らませつつ、ジト目で睨んでいる。

 

「今の所、お前以上に俺が大事にしてる女はいないよ。安心しろ」

 

ポンッと頭に手を置くと同時にボフッと湯気が上がる。いらないことを言ってしまったかと後悔したが、言ったことに嘘はない。リヴェリアやリュー、アイシャは大事にしているというよりは頼りにしている、だ。

 

「信じられますか団長。あいつらアレで付き合ってないんですよ?」

「もう観念しちゃえばいいのにね、誰も反対なんてしないのに」

「するだろう、ロキとベートが」

「ベートはともかく、ロキは口だけでリヴィエールの事は認めてると思うよ?」

「お前ら遅れといて好き勝手言ってんじゃねーぞ!!」

 

こそこそと二人を見ながら何か言ってる連中達がようやく中央広場に来る。集合時間が決まっていたわけではないが、誘った本人達が遅れといて、好き勝手言われるのは我慢できなかった。

 

「待たせてすまない。そろそろ行こうか」

「しかしリヴィエールはもちろんだが、この顔ぶれだけでダンジョンに潜るのも久々だな」

「俺は脅されたんだ」

「ん?リヴィエール今何か言ったか?全然聞こえなかった」

「はいすみません何も言ってませんお姉ちゃんには感謝してます」

 

誰に対しても基本的にへりくだることの無いリヴィエールだが、リヴェリアは唯一の例外である。

 

「あ、あの、アイズさん」

 

邪魔者(リヴィエール)がヤンキーに絡まれている間にレフィーヤがアイズのそばへと歩み寄る。アプローチをかけるなら今だという彼女の判断は間違っていないだろう。

 

「私……その、今回もアイズさんと一緒に冒険できて……嬉しいです!」

「…………私は」

 

数瞬の逡巡の後、蜂蜜色の髪の少女が重い口を開く。リヴィエールの首に腕を回し、絡んでいたヒリュテ姉妹も黙り込んだ。

 

「剣を壊したのは私の不注意…だからダンジョンに皆を付き合わせていいのかって……リヴィに迷惑かかるんじゃないかって思って…断るべきだったかなってちょっと思った」

 

大きく息を吐く。ここまで来といて何を言ってるんだこいつは。肩に回っていたティオネの腕を外した。

 

「お前な──」

「でも私は今みんなと此処にいる。リヴィにお願いして、此処に来てもらってる」

「アイズ……」

「私は、リヴィにだけは甘えていいんだよね」

 

隣に来ていた彼を見上げる。その言葉はかつて自分が彼女に言ったこと。虚勢をはるのは構わないが、俺にだけは甘えろと彼は確かに言った。良くも悪くも自分に似ているこの子はこうでも言わなければいつか壊れてしまいそうだったから。自分と同じ目に遭わせたくなかったから、

 

縋るように見つめられ、剣士は白髪を乱暴に掻き毟り、その小さな頭に手を置いた。

 

「行くぞ、相棒」

「……うんっ!」

 

バベルに向けて足を向ける。その背中をアイズが追いかけ、ティオナとレフィーヤが続く。ティオネにフィン、リヴェリアは彼らの後ろ姿を嬉しそうに見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おりゃりゃりゃりゃぁあああああ!!!」

 

巨大な双刀が柄でつながった大剣を大車輪のごとく振るう。その剣圧に巻き込まれ、怪物達は細切れになった。

 

「よしっ!二代目大双刀絶好調!!」

「危ないわねー、当たったら痛いじゃない」

「痛いで済むんですか……」

 

モンスターですら八つ裂きにされているというのに。彼女らの怪物っぷりは相変わらず凄まじい。

 

「はぁ…なんて目立つ戦闘……やっぱ来なきゃよかった」

「借金」

「だぁあああ!!わかりましたよコンチクショー!!」

 

獣型のモンスター、ライガーファングを一刀両断にする。八つ当たりの的には事欠かないことが唯一の救いだった。

 

「レフィーヤ!お前もリヴィエールばかりに任せてないで近接戦闘の実戦を積め!お前は遠距離からの支援に慣れすぎている。魔導士といえど近接戦は避けられないと思え」

「は、はいっ!」

 

魔導士で近接戦をこなす冒険者なんてかなり少数派なのだが、リヴェリアがうず高く積みあげた死体の山を見せられてしまえば何も言い返せなかった。

 

「もう17階層か……このメンバーだと流石に早いね」

「もっと下層にまで行かないとダメですからね。馬鹿な妹とアイズの目標額の為には上層では話になりませんから」

 

下層に行けば行くほどモンスターの強さが上がる代わりに魔石の純度及びドロップアイテムの質は高くなる。中層にとどまるより、下層で探索を行った方が効率は遥かに高い。

 

「とっとと下層まで行くぞ。かかってくるやつ以外は無視だ。ついてこい」

「ちょっとリヴィエール、仕切るんじゃないわよ!今日のパーティの頭は団長よ!」

「はいはい。では団長、指示を」

「よしっ、僕が先頭を走ろう。どんどん先に行くぞー!」

『おーー!』

 

先陣はフィンが、殿をリヴェリアが、中軸をリヴィエールが担い、走りはじめる。上下前後左右隙などまるでない布陣を見て、襲いかかってくる野生の欠落したモンスターはいなかった。

 

「ありゃ?階層主いないね」

「お前この人数でゴライアスとヤるつもりだったのかよ」

 

下層に降り立つ関門の一つ、大広間に聳え立つ門番、ゴライアスの姿が見えず、戦う気満々だったティオナは拍子抜けする。通常のモンスターとは次元の異なる強さを持つ『迷宮の孤王』を相手にするならいくらこのメンツといえど、少し気構えが必要だった。本来であれば上級冒険者でも大規模パーティで挑まなければならない最難関。たった7人で挑もうと考えている方がおかしい。リヴィエールの指摘は当然と言える。

 

「3人で挑んだバカもいるがな」

 

しかしお前が言うなというこのリヴェリアのツッコミも正しいものだ。3人のバカのうち、2人であるリヴィエールとアイズは小さくなる。あの時はお互い若かった。

 

「街の冒険者が総出で片付けたそうだよ。交通が滞るからね」

 

この最強の門番のせいでこの先にある施設を利用できなくては一部の人間が干上がってしまう。故に命の危険を覚悟しつつ、時折大規模集団がこの階層主を倒す事がある。今回はまさにそんな時らしく、下につながる入り口は素通りできる状態だった。

 

そしてこの下に待つものこそが、上級冒険者となったものにのみ許される世界。

 

ダンジョン唯一の安全階層、モンスターが現れない迷宮、18階層『迷宮の楽園』である。

 

「んー、ようやく休憩〜」

「何時来ても綺麗ですね、ここは」

 

薄暗いダンジョンの中で唯一光を全身で感じ取れるこの階層には空がある。天井を埋め尽くす青水晶と中心に集中する白水晶が時間とともに光量を変化させ、地上とは違うサイクルで朝、昼、夜を作り出す。因みに今は昼らしい。光がまぶしく、感覚器官に優れたリヴィエールは慣れるのに数秒時間がかかった。

 

「宿場町に行くのか?」

「ここまで強行軍だったからね。宿を取るかどうかはまだ決めてないけど、休息は取ろう」

 

この階層のもう一つの特徴、それが上級冒険者が経営する商店街、『リヴィラの街』である。因みに333回の改修があったと言われている。

 

「リヴィは泊まらないの?」

「持ち合わせがな……」

 

ここ最近金を使う事が多すぎた。豊穣の女主人に行けば金は幾らでもあるが、ポケットマネーはそろそろ心もとない。理不尽と思いつつ、彼らのダンジョン攻略に同行したのはこういう理由もあった。ましてこの街は迷宮内にある施設なだけあって値段はべらぼうに高い。ここで宿を取るくらいならテントで寝た方がマシだ。世界で最も美しいローグタウンの名は伊達ではない。

 

「私が出そうか?」

「お前に奢られるくらいなら一晩徹夜した方がマシだ」

「なら私と同室で寝るか?」

「リヴェリアと寝るなんかもっとゴメンだ」

「ならアイズと同室にしてあげようか?ああ、部屋代はもちろん僕の奢りだ。なんなら宿ごと借り切ってあげてもいい。その代わり責任は取ってもらうけど」

「フィン、俺お前のこと尊敬してたけど、今のでだいぶ株下がった」

 

そうこうしているうちに宿の近くに来ていたのだが、様子がおかしいことに全員が気づく。いつもより人が少ないし、その少ない連中も何やら殺気立っている。

 

「なんかあったか?」

 

安全階層とはいえ、ダンジョンの中。何が起きても不思議ではないが……

 

「殺しがあったってホントかよ!」

「ああ、ヴィリーの宿だ。人が集まってる」

 

町内で殺人……

 

目を見開く。異常事態とまでは言わないが、非常に珍しい事ではあった。普通殺人とは人にバレないように行うものだ。その点ではダンジョンほど完全犯罪が成立しやすい場はない。人目に隠れてやるにしても、死体を遺棄するにしてもやりようは幾らでもある。実際その手の殺しもあると聞くし、リヴィエール自身もモンスターでなく、冒険者によって命の危機にさらされたことはあった。

 

それをこんな目立つ、否応なく人の目にとまる場所でわざわざ行うとは……

 

「どうする?」

「街で休息は取る予定だった。無関係でもいられないだろう。行こう。リヴィエールはここで待ってても」

「ただの殺人事件ならそうさせてもらったがな……」

 

やった場所が気にくわない。よくある冒険者同士の殺しで片付けちゃならない気がする。

 

「顔は隠すのか?」

「多分隠してたら入れてくれないだろう」

 

フードを外し、マスクを取った。生きていることはバレた以上、寧ろ俺の存在を積極的に喧伝する事で敵を吊り出す。本音を言えばこの段階にはまだ早いのだが、そんなことを言っていられる現状ではなくなった。

 

「もうコソコソ隠れるのも飽きた。堂々と行く」

 

歩き始める。存在を隠さなくていいと知った事が嬉しいのか、アイズも弾む足取りで彼に続いた。

 

 

 

 

〜ヴィリーの宿〜

 

 

 

 

道に迷うことはなくすぐに着いた。人だかりが何よりの特徴となっていたからだ。すぐに宿が目に入るところまでは来れたが、その先に進めない。人口密度が高すぎて、割って入ることは不可能だった。

 

「これ以上は無理か…」

「宿の中には入れないみたい」

 

この場にいる全員、体の線は細い部類だが、この密度を塗って行けるほど華奢な者は1人を除いていなかった。

 

「ちょっと僕が見てくるよ。リヴィエール達はここにいてくれ」

 

その1人が人混みの隙間を縫って中へと進んで行く。想い人についていきたいティオネは慌てて人混みの中に突っ込んだが、肉の壁に弾き返される。

 

「道開けろって言ってんだろうが!!はっ倒すぞ!!」

 

震脚が地面を砕く。同時に撒き散らされる殺気に、冒険者達は恐れおののき、道を開いた。

 

───なんとまあ力尽くな……

 

開けた中心には身を小さくしたフィンがいた。踊るような足取りで彼の元へと駆ける。

 

「団長〜〜❤︎私もお伴します〜〜❤︎」

「ああ……程々にね」

「行くか」

「うん」

 

せっかく開いた道なので、リヴィエール達も利用させてもらった。そこでようやく訪れていたメンツの異常さに野次馬達が気づく。ロキ・ファミリア幹部に【剣聖】リヴィエール・グローリア。オラリオで頂点に立つ人間達である。道を譲ることに意を唱えるものは1人としていなかった。侵入を阻んでいた見張り達も一度頭を下げると道を開けた。

 

「ロキ・ファミリア……騒ぎを聞きつけてきたってのか?それにしても早すぎるだろ」

「それだけじゃねえ。アレは暁の剣聖だぜ。復活したって噂は聞いてたけど、マジだったみてえだな」

「でもその剣聖がなんでロキの幹部と……まさか改宗したのか?」

 

───よし、今二つ名で呼んだヤツ、顔は覚えた。後で斬る

 

好き勝手に囁かれる噂に関しては放置だ。根も葉もない話が飛びかえば飛び交うほど此方としても動きやすい。

 

「リヴィ?」

 

歩みが遅くなった事に疑問を感じたのか、アイズが不思議そうな顔で此方を見上げてくる。何でもないと一度頭を撫でると宿の中へと進んでいった。

 

───っ!!

 

入り口に入った瞬間、リヴィエールの顔が歪む。よく知る匂いが彼の嗅覚を刺激した。少し進むとこの場にいる全員がこの匂いに気づく。この場にいる誰もが何度も経験した匂いだったからだ。

 

「コレって…」

「ああ……」

「随分派手にやったらしいな」

 

人間だったものの匂い。そして混ざる鉄の匂いの強さから、このカーテンの中の惨状がリヴィエールには予測できた。

 

案の定というべきか、予想以上というべきか。カーテンを開いた先には頭部が無残に砕かれ、首から上の原型が留まっていない死体が横たわっている。首から下も何も着ていない。

 

───ルグやヘスティアにはとても見せられないな……

 

リヴィエール達は良くも悪くも死体に慣れているため、この惨状を見ても平静を保っていられるが、主神達は不可能だろう。特にルグはグロに耐性がなかった。

 

「おいてめえら!ここは立ち入り禁止だぞ!」

 

現場を荒らす人間達を咎めるように大声が横からかかる。音源は左目に眼帯をつけた大男。ボールス・エルダー。実質のこの街のトップである。

 

「やあボールス。僕達もしばらく街を利用するつもりでね。早期解決に協力させてもらいたいのだけどどうだろう?」

「モノは言い様だなフィン。てめえらといいそこの剣聖サマといい、強い奴らはそれだけで何でもできると威張り散らしやがる」

「なんだ、俺が生きていた事にリアクションはなしか。つまらないな」

「てめえの姿を見かけたなんてこの街じゃ何度も噂になってた事だし、てめえが死ぬなんて方が俺にはよっぽど信じられねえんだよ」

 

邪険な態度を見て少し安心する。俺が生きていたことを知った連中はどいつもこいつも人を病人みたいに扱うから、こういうリアクションは新鮮だ。

 

「ボールス、ガイシャの身元は?」

「これから聞く所だったんだよ。おいヴィリー。いつまでも頭抱えてねえで説明しやがれ」

 

獣人の店主がベッドに座り込んでいる。今の所手がかりは彼とこの死体だけだ。

話を聞くのはフィンに任せ、リヴィエールは死体の検分を始めた。

 

「死後硬直の具合から死んでから七時間以上……かすかに残る情欲の匂い……下手人は女か?」

「ああ、2人で来て宿を貸し切らせてくれって言ってきたんだ。野郎はフルプレートで顔は分からなかった。女はあんたみたいなローブを着てた」

「2人で宿を貸し切った……ああ、なるほど」

 

フィンとリヴィエールはすぐに納得を見せる。数瞬遅れてレフィーヤから湯気が上がった。相変わらずムッツリなようで何よりだ。

 

「リヴィ?どういう事?なんで2人しかいないのに宿を借り切ったの?」

「邪魔されず運動したかったんだろうよ」

 

この街でその手の事をやったことの無いリヴィエールは一瞬逡巡したが、すぐに理解する。こんな洞窟の中だ。そういう事をすれば声は筒抜けだろう。ゆっくり楽しむためには誰も使っていないようにするのが手っ取り早い。

 

「ローブの女の特徴は?」

「いい女だったぜ?ロープの上からでもわかるいい身体つきしててよ、顔は知らんが、間違いねえぜ」

「なるほど、そいつは重要だな」

 

美人というのはそれだけで厄介だ。容姿一つで人をまどわせ、声色一つで虜にできる。

 

「しかしこれだけ派手にやっててアンタは気がつかなかったのか?」

「誰が好き好んでそんな現場の声聞きたいと思うかよ。いい女目の前で連れ込まれてやってられるかってとっとと酒場に行っちまったよ」

「その後のローブの女の行方は?」

「子分に聞き込みをやらせちゃいるが全然だ」

 

まあここまでやらかした奴が未だに大人しくこの街にいるなどという方が異常だ。

 

「金のやり取りをした証文は?」

「……悪い、破格の魔石をドンっと渡されて、それで済ました」

「なるほど、コレは時間がかかりそうだ」

 

ご丁寧に頭を潰しているだけのことはある。足はつかない努力はしているというわけだ。

 

「えぇええ!?じゃあ手詰まりってことー?じゃあさじゃあさーー!!」

「ティオナうるさい。今考え事してるから静かにしてくれ」

 

天真爛漫に喚く褐色の少女の口を手で塞ぐ。勢い余って後ろから抱きしめたような形になってしまったが、2人とも特に気にしていなかった。

 

───しかしそうなるとますます解せないな荒らされた荷物から見て恐らく物盗り目当ての殺人。雑ではあるが足取りがつかめなくなる工夫。しかしそれらは迷宮の中で殺ってしまえば解決する事だ。

 

この殺し、無差別でないのなら、リヴィエールは誰かしらを脅す示威的行動であると予想しており、死体のそばには何らかのメッセージが残されていると思っていた。それか調べられても足がつかない自信があるか……

しかし蓋を開けてみれば手がかりらしい手掛かりはなし。

 

───だがわざわざ宿で殺したのには何かしらの理由が必ずあるはずだ。

 

油断を誘うため?いや、この男は首を握りつぶされて殺されてる。恐らくこの下手人は相当の手練れだ。それは考えにくい。なら……ん?

 

思考が中断される。袖口を引っ張る引力が思考の海から彼を引き上げた。

 

「リヴィ……その」

「ん?何アイズ?今考え事してるから」

「わ、わぁー。わぁあー」

「………………」

 

何かワーワー言いだした。意味するところは大体わかったが、何この可愛い生き物。

 

一度嘆息するとティオナを放す。アイズの口を優しく手で塞ぐとそのまま背中から抱きしめた。

 

「今考え事してるから静かにね」

「うんっ」

 

満足げに体重を預けてくる。隣から感じるニヤニヤした視線は無視して再び推理に没頭した。

 

───ダンジョンに来たからには何らかの目的があったはずだ。俺みたいな小遣い稼ぎか、それともクエストか…

 

恐らく後者だろう。クエストの内容が動機となったと考えるのが一番自然だ。

 

しかしそれを知るためにはまずこいつが誰なのかを知らなければ話にならない。

 

開錠薬(ステイタス・シーフ)はあるか?」

「今子分に持って来させてる」

 

開錠薬。神のロックを外し、恩恵を暴く薬品。神々のイコルを元に作られる非合法アイテム。ちなみに超高額。

 

「リヴィも扱ったことあるの?」

「いや、俺も名前しか知らない。神秘のアビリティがなければ使えないからな」(剣聖と剣姫、あすなろ抱き状態)

 

それに他人のステイタスにそこまで興味もない。強さなら一目見ればある程度見抜ける。

 

「ボールス、できた」

「おっとと。神聖文字読めねえや。オイお前ら!もの知ってそうなエルフを……」

「俺が読める。見せろ」

「私もだ」

「私も」

 

ボールスを退けて、アイズを離す。蜂蜜色の髪の少女は少しだけ残念そうな顔をしたが、すぐに仕方ないと割り切った。浮かび上がったステイタスを3人で覗き込む。

 

「名はハシャーナ・ドルリア……聞いたことないな。所属は…」

 

一瞬息を飲む。青髪の友人の顔が脳裏をよぎった。

 

───おいおい、マジか

 

「ガネーシャ・ファミリア」

 

ガネーシャに知人がいないアイズはリヴィエールよりショックは少なかった。淡々と浮かび上がった文字を声に出している。

 

「オラリオ上位派閥ガネーシャ・ファミリア!?間違い無いのかよ!」

「残念なことに純然たる事実だ。よりによってガネーシャかよ……くそっ、シャクティになんて言えばいいんだ」

 

───だが不幸中の幸いか。ガネーシャに所属していたなら身元もクエスト内容もシャクティに聞けばすぐ……

 

わかるだろうと思ったその瞬間、ボールスがハシャーナの名を喚き立てる。自分より強い者に対して、妬みと執着を持つ彼はこの男の事を詳しく知っていた。

 

「冗談じゃねえぞ!剛拳闘士、ハシャーナっつったら……Lv.4じゃねえか!!」

 

その一言を聞き、1人を除いた全員に戦慄が走る。いや、その1人も少なからず動揺していた。手練れである予想はしていたため、周りよりは少ないというだけだ。

 

「ボールス。現場は俺たち以外に触らせてないな?」

「あ、ああ。間違いなく」

 

現場の保存はできていたという事。確認する限り特に争った形跡はなし。状態から複数で犯行を行なったとも思えない。

 

つまりこの下手人はLv.4を相手に、抵抗すら一切させず、瞬殺したという事になる。

 

「女な事や事前だったという油断もあったんだろうが……」

「そうだとしても、殺人鬼は少なく見積もってLv.4」

「フィン、ここは高く見積もるべきだ。容疑者は恐らく第一級冒険者(オレたち)クラス」

 

つまりLv.5(アイズ)並か、それ以上の力の持ち主。

 

誰もが下手人の強さに絶望する中、たった1人、リヴィエール・グローリアは心の底で歓喜していた。

 

オラリオで名が売れてる一級冒険者がガネーシャの団員を手にかけるはずがない。つまり、表には名が出回っていない一級冒険者による犯行。この事件は以前俺が推理した、ウラノス黙認の巨大組織がダンジョンに存在することの証明。その闇ファミリアとこの下手人の間に繋がりのある可能性はかなり高い。

 

───ここに来て良かった。ようやくその薄汚ない尻尾が掴めそうだ。

 

リヴィエールの虹彩に一瞬黒が翳る。刹那の内に掻き消えたが、その変化と高ぶる感情の奔流にリヴェリアだけが気づいていた。

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。アニメ始まりましたね!ついいないリヴィエール君のことを幻視してしまう筆者です。それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします!


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Myth30 可愛いあなたと呼ばないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

事件から少し時間が遡る。地下18階層、リヴィラの街、ヴィリーの宿。

暗い部屋に一つだけある小さな蝋燭のみが室内を照らしている。その狭い部屋に1組の男女がいた。男は既に上着を脱ぎ捨てて、ベッドで女を待っている。

 

「おいっ、早くしてくれ。ここまで来て生殺しなんて勘弁してくれよ」

「待て、がっつくな」

 

衣摺れの音とともにローブが地に落ちる。絹のように白い肌に赤が落ちる。傷ひとつない陶器のように滑らかな肌。くびれた腰付き、張りのある双丘。男性であればその魅惑的な肢体に大概のものが心奪われるだろう。もう既に衣服全てを脱ぎ捨てた冒険者、ハシャーナも例外ではない。フードを取り払った女の美貌に彼はゴクリと喉を鳴らした。

 

「なんでこんなに綺麗なのに隠してるんだ?」

「お前みたいなのに一々絡まれないためさ」

 

半ば惚けた頭のまま、ハシャーナは女の腰を抱き寄せ、そのまま寝台に押し倒す。女も男の首に手を回した。

 

「さっきの話だが、何の依頼を受けたんだ?」

「ああ、変な依頼だった。30階層で訳のわからんモノを回収してこいなんて……おっと」

 

呆けた頭が少し正気に戻る。冒険者としてクライアントの情報を漏らすことは厳禁だ。これ以上を他人に言って仕舞えばガネーシャ・ファミリアの信用に関わる。

 

「コレは極秘だった。聞かなかったことにしてくれ」

「………そうか」

 

しかし、ここまでの話だけで、女にとっては充分な理由となってしまった。首に這わせた五指に力がこもる。全裸で無手。油断もかなりあったが、ハシャーナが抵抗できなかった事にはそれ以上の理由があった。自分の手であってもびくともしない女の剛力。1を数えるまもなく、ゴキリと嫌な音が鳴った。

 

力なく崩れ落ちる男の死体をぞんざいに放り捨てる。足下には一瞥もくれず、女は彼の荷物をあさった。

 

「……ない」

 

その事実は女を苛立たせるには充分すぎた。歯軋りの音が誰もいない洞窟に僅かに響く。

 

女の踵は容易に男の頭部を踏み潰した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……とまあ、雑だが筋は概ねこんなトコだろう」

 

現場を検証したリヴィエールは自身の推理を語っていた。矛盾点は一つもなく、理路整然とした推察は見事に真実を捉えていた。

 

───衰えていないな

 

彼を腕っ節だけの男だと思った事など一度としてないが、それでもリヴェリアは彼の洞察力に舌を巻いた。彼は冒険者をやめて、警察でも食べていける。母親と似通ったところが多い少年だが、この辺りは父親の遺伝が見られる。

 

「ほ、本当に力尽くで殺されたんでしょうか?その、毒とか…」

「考えにくいな。アビリティに耐異常がある。俺はこいつを知らんが、レベル4なら少なくとも雑魚じゃない。劇毒盛られたとしてもさほど効き目はないだろう」

 

腕に自信があるなら俺でも殺害方法に毒は使わない。斬り捨てるか、焼き払う。その方が確実かつ足がつきにくい。

 

「流石だね、リヴィエール。僕も大体同意見だ」

「犯人はローブの女?」

「十中八九」

 

血にまみれた荷物の中から一枚の紙片を抜き取る。荒らされた荷物の中で唯一手がかりとなりそうなものがあった。

 

「クエストの依頼書……血だらけでほぼ読めないが、30階層、単独、内密、採取と書いてあることだけはわかる。つまりそのローブの女は30階層にある何かを狙ってハシャーナを手に掛けた」

 

さてはて、下手人は誰なのやら。状況から考えて一番現実的な犯人はイシュタル・ファミリアの戦闘娼婦。彼女たちならば概ねの条件は満たしている。

 

───その場合、俺はがっかりもいいトコだが……

 

「アイシャ連れてこれば良かった」

「アイシャってこないだブティックに一緒にいたアマゾネス?」

「ああ、イシュタル・ファミリアの副団長を務めている」

「あ、そっか。戦闘娼婦がいっぱいいる彼処なら…」

 

色香と艶かしい肢体、そして強さを持つ彼女たちならば確かに可能かもしれない。しかしリヴィエールはその可能性はまずないと踏んでいた。そうだとしたらやり口が分かり易すぎる。娼婦を疑ってくださいと言わんばかりの犯行現場。自分ならこんな連想しやすいやり方は選ばない。その考えを告げるとフィンが同意した。

 

「確かにあからさま過ぎる」

「それに彼処は副団長のアイシャすらレベル3だ。この犯行に及ぶには少し力不足だろう」

 

たった一人例外がいるがあの人間に似たヒキガエルにこんな殺し方は絶対不可能。なにより目撃情報と特徴が合致しない。

 

「随分と詳しいな」

「金がないときに歓楽街で用心棒を勤めていたからな。だからその人を責めるような目をやめろ」

 

余計な事を喋りすぎたかと若干後悔する。お姉ちゃんはそういう所にめちゃくちゃ厳しい。

 

「そっ、それらしいこと言ってるけどよ!本当はお前らがやったんじゃないのか!!」

 

ジーッと睨んでくる姉を何とかなだめているとそんな事を取り巻きの一人が叫んだ。その声を聞いてリヴェリアとリヴィエールは同時に硬目を瞑り、肩をすくめる。

 

「わぁ、ソックリ」

 

二人の姿を見てフィンが思わずそんな事を言う。目の色といい、顔立ちといい、品格といい、白髪の剣聖と翡翠色の九魔姫はよく似ていた。

 

「おいリーア。まさかフィンに俺のこと話してないだろうな」

「自力で真実に辿りつかれた。オリヴィエ姉様と私の関係は話している」

 

ため息をつくと同時に得心する。他ファミリアの子供であるリヴィエールにここまでリヴェリアが世話を焼いているのだ。何らかの特別な繋がりがある程度のことはフィンならば見抜くだろう。他の奴に知られたならもう少し慌てただろうがフィンならいいかと納得しておく。ペラペラと人の秘密を話す男ではない。

 

「確かにハシャーナを実力でヤレるなんてこいつらくらいしか…」

「えー、超心外〜」

「ちょっとふざけないでよ」

「あっ、あのっ、えっと…」

「…………」

 

アタフタと慌てふためくレフィーヤと身動ぎするアイズの様子を見て苦笑が漏れる。無実だと言うのにそんな反応をすれば怪しまれるだろう。相変わらず戦闘以外で駆け引きができない妹達だ。

 

「こいつらがやったとすると…」

「ああ、フィンとリヴィエールはありえねぇ」

 

体格が違うし、なにより男だ。リヴィエールは少し変装すれば容姿の条件は合いそうだが、女性の象徴たる胸部は誤魔化しようがない。

 

ヴィリー達はアイズ達女性陣を見た。アイズ・レフィーヤと視線が移り、ティオナとリヴェリアで視線が止まる。

 

「こいつはないな」

「ああ、ない」

「ないない」

「3回もないって言ったなーー!!何がないんだ言ってミロォーー!!」

 

両腕を振り上げて暴れ出すティオナをアイズが羽交い締めにして抑える。リヴェリアはないというほどではない。むしろ華奢な体格が多いエルフの中ではある方だとすら言える。それでもロープの上からでもわかるというほどではない。エルフとは均整のとれた身体つきを美しいと思う人種であり、不必要な大きさは下品とすら思われる。

 

「…………あいにく私の体に触れていいのはこの男だけでな」

 

容疑の目を向ける男達に見せつけるようにリヴェリアが隣に立つ白髪の青年の腕を抱く。やめろと振りほどこうとしたが、そんな態度すらも楽しげにリヴェリアは彼にもたれかかった。

 

「…………こいつもないな」

「とゆーか剣聖って剣姫と付き合ってんじゃねーのかよ」

「爆ぜろチクショー」

 

一通り悪態を吐くと今度はティオネに視線を向ける。深い谷間を作る豊かな双丘に締まった腰。しなやかな太腿は程よく肉付いている。

 

「───あぁ!?」

 

視線の意味がわかったアマゾネスの全身から憤怒が溢れ出す。並みの冒険者では震え上がるであろうその怒気がボールス達を襲った。

 

「私の操は団長のモノだって言ってんだろ!!てめーらなんか知るか!!ふざけた事抜かしてるとその股ぐらにぶら下がってるもん引きちぎるぞ!!」

 

───なんと品のない……

 

アイシャも大概下品な方だが、それを補って余りある色香がある。ティオネも肢体の魅力だけならアイシャと負けず劣らずだし、いい女だとも思うのだが、決定的に色気というものが欠落している。

 

がなり立てながら飛びかかろうとするアマゾネスを今度は妹が止める。逆鱗に触れたボールス達は例外なく内股になって震えていた。

 

「こいつら、全員見てくれは悪くないが、そういう才能皆無だから」

「おおう……疑ってすまん」

 

疲れ切った様子で息を吐くフィンと絡みつくアイズとリヴェリアを振りほどくリヴィエールだったが、気を取り直し、改めて室内を見渡した。

 

「ボールス、街を封鎖しろ。リヴィラに残ってる冒険者を誰一人外に出すな」

「わかった。てめーら!北門と南門閉めろ!それから町の冒険者を一箇所に集めるんだ!言うこと聞かねえヤツは犯人だと決めつけて取り押さえてもいい!」

 

ボールスの指示を聞いた下っ端達が慌ただしく動き始める。だんだんと大ごとになり始めた空気をアイズ達も感じ取っていた。

 

「リヴィ。お前はまだ犯人がリヴィラにいると思ってるのか?」

「なんだ。リヴェリアは違う考えか?」

「犯行があったのは昨晩だろう?私ならとっくに逃げている」

「まあ普通はそうだな」

 

自分でも恐らくそうするだろう。だがこの事件は明らかに普通ではない。この八つ当たりの仕方から見るに、女はその何かにかなり執着している。

 

「手ぶらで帰るとはとても思えないな」

「…勘か?」

「勘だ」

 

翡翠色の瞳が血まみれのフルプレートアーマーに注がれる。彼が此処残ると決めた主因はコレだった。ガネーシャの紋様は入っていない。恐らく今回のためだけに設えたオーダーメイド。かなり極秘裏に動いていたと推察できる。地上に出てシャクティを訪ねてもヒントは得られまい。手がかりを掴むためには此処に残る必要があった。

それにどのみちシャクティには怪物祭の顛末について聞くため、会いに行くつもりだった。団員の弔い合戦を手土産にできれば色々とやりやすい。

 

リヴィエールが死体の上で手をかざす。ハシャーナの骸から黒い炎が巻き起こり、骨のみを残して焼き払い、弔う。死体は残しておくべきかとも思ったが、この醜悪な骸を放置しておく事は彼にはできなかった。

リヴィエールは追悼の念を込めて一度目を閉じる。リヴェリアとアイズも彼に続き、黙祷する。

 

「必ず捕まえる。行くぞ」

「ああ」

「うん」

 

逸る心を抑えながら、リヴィエールは行動を始める。その背中に二人が続く。激動の中にあるリヴィラの街。その渦中に向かって妖精達が動き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「仕事が早くなったな、ボールス」

 

目の前に広がる光景を見てリヴィエールは素直に褒めた。力自慢のドワーフ達により封鎖された門。冷たい牢獄と化した水晶の街。これら全てをリヴィエールが予想していた時間よりずっと早く完成させていた。良くも悪くも、この男の推測が外れると言うことは少ない。

 

「呼びかけに応じねえヤツはブラックリストに載せるとも脅したからな。この街を使う連中は嫌々でも従うってもんよ」

「この状況下では連中も一人ではいたくないだろうしな」

「…………わかんねえな」

 

リヴェリアの言葉にボールスは頷いたが、リヴィエールは懐疑的だった。こんな人でごった返した状態では殺気を読み取ることは難しい。もし背後にナイフを持った犯人がいたとしても取りおさえるのはリヴィエールをもってしても困難。自分ならば入口が一つしかない洞窟かどこかに陣取る。

 

「誰もがお前のように賢明な判断は出来ないさ。一人でないというのはそれだけで安心できる」

「…………納得できないとまでは言わないが、理解はできないな」

 

信用のおけない者といても俺はとても安心なんて出来ない。それができたのは……

 

チリっと何かが焼ける音がした。頭を振る。今はそんなくだらない事を考えている場合ではない。犯人探しに専念せねば。ルグの事は一旦忘れろ。

 

「リヴィ?」

 

頼りなさげな声で名が呼ばれる。音源を振り返ると心配そうにこちらに手を伸ばすアイズがいた。

 

「大丈夫?」

「大丈夫だ、問題ない」

 

一度だけ刀の柄頭を叩く。気持ちをリセットさせる彼のルーティーン。黒いもやは頭から消え去り、淀んだ瞳には翡翠の輝きが戻った。

 

「疑わしいのは?」

「此処からではわからんな。まあ変装の一つや二つはしているだろう」

俺の目(セブン・センス)で見ればチャチな変装程度なら見抜けるだろうが……」

 

この人数を一人一人視る気にはなれない。ざっと数えただけで五百はいる。時間と神経がいくらあっても足りない。一つ舌打ちした。

 

「…………何をイラついている、リヴィ」

 

先程から愛する弟分の様子がおかしい。捜査は極めて順調に進んでいるというのに、この事件が始まってからというモノ、ずっと眉を寄せていた。

 

「順調過ぎるのが気に入らないんだよ」

 

経験上、順調な行程というものにろくな事はない。順調とは凶兆の前兆。百戦錬磨の剣聖の勘が胸騒ぎを掻き立てていた。

 

「また勘か?」

「アンタは俺を閃きだけの人間と思い過ぎだな。今度はちゃんと根拠もある」

「…………どういうことだ?」

「少し落ち着けリヴェリア。アンタなら少し考えれば分かることだろう……ああ、俺がイラついてたから焦ってたのか。いいか?俺たちは連中を集めるのに三つに分かれて行動を始めた。此処は俺とアンタとアイズ。北門にティオネとフィン。南にティオナとレフィーヤ。特に俺らは目立つように。俺ら三人は名も容姿もオラリオにとどまらず知られている。まあ俺は最近微妙だが、此処まで来れる上級冒険者なら大概知ってると思っていいだろう。俺ら三人だけでもたとえアイズクラスの実力だったとしても捉えられる」

 

ましてこの七人はわざと目立つように行動していた。逃げるとすれば集められる前のドサクサを置いて好機はない。故にここまで順調に進んでいるというのは既に異常事態だ。

 

「臨戦態勢はずっと解いていなかった。だからピリピリしてるように見えたんだろうが……気に入らないな」

「正体がバレないとタカをくくってるか…対応が迅速過ぎて逃走の機を逃したのでは?」

「自分の常識に敵を当てはめようとするな。強敵ってのは常に非常識に行動するものだ」

 

ローブ越しに胸を掻き毟る。あの夜に負った傷の疼きが治らない。イライラする。

 

───なんだ?何を見落としている?

 

「フィン、俺の推理、どこか間違ってるか?」

「…………いや、どこも」

 

と言いつつも彼なりに違和感は感じているようだ。親指を抑えている。

 

「考えてても始まらない。取り敢えず動くぞ。警戒は絶対に解くなよ」

「ああ」

 

さて、鬼が出るか、蛇が出るか。左手で剣の鯉口を握りしめたまま、白髪の剣聖は歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、ここからどうするか」

 

オーソドックスに行くなら身体検査だろうが、ぱっと見五百はいる。全員を見る気にはなれない。

 

「容疑者絞れたら呼んで」

「逃げるな。お前も手伝え」

 

奥に引っ込もうとしたリヴィエールを引き留める。気持ちは分かるが、彼の洞察力は絶対に必要だ。この捜査に彼を欠かす事はできない。

 

「よぅしっ!女どもぉ!体の隅々まで調べてやるから服を脱げぇええ!!」

 

リヴェリアに連行され、渋々集団の先頭に座り込む間にボールスが下品な声が上がった。男性冒険者たちから歓声が巻き起こる。諸手を挙げてやる気を漲らす浅ましい男たちに女性冒険者達から顰蹙の嵐が巻き起こった。

 

「リヴィが、こういう人達と一緒じゃなくて良かった」

 

アイズの静かな呟きが胸に刺さる。何よりも品性を重んじるリヴィエールは確かにここまでオープンスケベではないが、女性関係に関してはあまり人に誇れる要素は持っていない。無垢ゆえの感想が心を抉った。

 

「バカなことをやってるな。お前達、私たちで検査するぞ。リヴィエールは男性冒険者を……」

 

そこまでで言葉が途切れる。つい先ほどまで隣にいた青年の姿がない。逃げたかと見渡すが、そうではなかった。彼の姿はすぐに見つけられた………数え切れないほどの女性冒険者の壁の向こうに。

 

『いくらでも調べてくれていいわよ!リヴィエール!』

『貴方になら何枚だって脱ぐわ!ちょっとくらいなら揉むのも許す!』

『貴方に憧れて冒険者を目指しました!剣聖様!』

『フィン!早く調べて!』

『お願い!体の隅々まで!』

 

数々の女性冒険者達が二手に分かれて殺到する。それは同時に女性には少年趣味(ショタコン)青年趣味(正統派)の二つの派閥がある事の証明でもあった。

 

【剣聖】リヴィエール・グローリア。オラリオにとどまらず名を轟かせた絶世の美剣士。

そして【勇者】フィン・ディムナ。守ってあげたくなる美少年。この二人はオラリオにおける女性冒険者人気のトップツーだ。

 

「あ・の・ア・バ・ズ・レ・ど・もッ」

 

フィンに殺到する女性陣にブチギレるティオネ。暴走する姉を妹が必死に食い止めた。

 

「離しなさいよ!あの雌豚ども強くて可憐な美少年にしか欲情できない変態なのよ!」

「リヴィエールー、鏡持ってきてー。できるだけ質の良いー、ピカピカのやつをー」

「んな余裕あるかぁ!お、お姉ちゃん助けてー!!」

「でも奴らは知らないのよ!団長の!実は中年の渋みのよさというものを!!ジュルリ」

「みんな逃げてー、ここにもっと変態がいるよー」

 

くだらないことをやっている間に事態は進行する。フィンは人の波に押し倒され、そのままどこかへと連れていかれた。

 

『うがぁあああああ!!!』

 

大混乱に陥る一方で、もう一つの集団には動揺が巻き起こる。先ほどまで目の前にいたはずのもう一人の可憐な白髪の美青年が姿を消していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ここなら大丈夫」

 

アイズに引っ張られ、リヴィエールは広場の高台に避難していた。整った双眸には疲労が強く刻まれ、艶やかな白髪は乱れきっていた。砂色のローブも今は羽織っておらず、戦闘用の和装がはだけている。

 

「た、助かった、アイズ。礼を言う」

「ううん、大丈夫」

 

リヴィエールの身の危険をいち早く察知したアイズはすぐに救出に動いてくれた。代償にローブを失ったものの、なんとか無傷での脱出に成功していた。

 

「でも、もうリヴィは身体検査に参加しちゃダメ」

「あのなアイズ。俺だってやりたくてやろうとしたわけじゃ…」

「ダメ」

「…………はい」

 

いつになく強い瞳と口調でにじり寄られたリヴィエールにYES以外の返事は許されなかった。はぁ、と一つ嘆息し、結晶の空を見上げ、座り込んだ。アイズも隣に腰掛け、彼の頭を撫でる。手から伝わる透き通るような髪の感触と力強い熱はアイズに正体不明の疼きをもたらした。

 

「いつまで?」

「………もうちょっと」

 

やめろと振り払いたいところだが、助けられた手前、文句は言いにくい。しばらく好きにさせる事にした。

 

───ん?

 

適当に視線をさ迷わせていた翡翠色の瞳が人混みの中からとある人物を捉える。中型のポーチを携えた犬人の少女。冒険者に獣人など珍しくもないが、その挙動は明らかに奇妙だった。小麦色の肌は病気を連想させるほど青白く染まっている。

 

彼の雰囲気が変わった事にアイズも気づいた。撫でる手を止め、立ち上がる。その時にはリヴィエールはもう走り出していた。

 

「アイズ。先行く。挟め」

「うん」

 

彼の姿が搔き消える。同時にアイズも加速した。逃げる犬人の前に白髪の剣聖が降り立ち、足を止めると同時にアイズの手が犬人を捕らえた。

 

「さて、お話を伺おうか。お嬢さん。抵抗はしないことを勧める」

 

腰間の一刀に左手を掛ける。逃げる素振りを少しでも見せれば抜き打ちで斬り捨てる。そんな意思を視線に込めた。殺気を感じ取ったのか、それとも観念したのか、少女はヘナヘナと座り込んだ。

 

「どうする?」

「事情聴取はフィンとリヴェリアに任せるさ。広場に戻るぞ」

「やめてっ!」

 

観念した容疑者の少女が凄い勢いでリヴィエールに縋り付いてくる。一瞬ムッとなったアイズだったが、その尋常でない様子が妬心を忘れさせた。

 

「お願い!あそこに連れていかないで!戻ったら今度は私が……」

 

あまりに必死な様子にアイズは困惑する。同時にリヴィエールは歓喜していた。アタリを引いたかもしれない。

 

「どうする?」

「どうするも何も……話を聞くしかないだろう。おい、場所を写すぞ。お前、名前は?ああ、俺はリヴィエール・グローリア」

「知ってるよ……ルルネ・ルルーイ」

「所属とレベル」

「ヘルメス・ファミリア……レベルは2」

「この場で嘘つくなら広場に連行するぞ」

「っ!わ、わかった言うよ、言うって!……ホントはレベル3だ」

 

アスフィのところのやつか。彼女とは何度か話をしたことがある。アイテム製作の依頼をした事も。彼のローブはペルセウスの特注品だ。

 

「なんで逃げた」

「…………殺されると思ったから」

「ハシャーナさんの荷物を持ってるから?」

 

その一言を聞いてリヴィエールは内心で感嘆する。推理したのか、勘なのかは分からなかったが、彼女に鎌を掛けるなんて心理戦ができるとは思っていなかった。

 

「盗んだの?」

「レベル2のこいつがハシャーナから盗めた、なんて事はないだろう。恐らくルルネは運び屋さ」

「…………その通りだよ。酒場でフルプレートの男から荷物を受け取れって依頼を受けて、それで」

 

───別派閥のファミリアに役割を分担させたってことか

 

ない事とまでは言わないが、随分な念の入れようだ。ハシャーナの足取りを浮かんだとしても、冒険者でごった返すリヴィラの街で荷物を回されては行方を追うのはほぼ不可能に近い。

 

───用意周到過ぎる。まるでこの荷物が追われることをわかっていたかのような……

 

「依頼人は?」

「わからない……」

「守秘義務があるのはわかるが、今はそんな事を言ってる状況じゃないだろう。どうしても言わないっていうなら広場でお前を尋問しなきゃならなくなる」

「ほっ、本当に知らないんだ!ちょっと前に夜道を歩いてたら真っ黒なローブのやつに頼まれて……怪しいやつだとは私も思ったけど、報酬が凄くて……その、前金もめっちゃよかったし」

 

なら尚更警戒しろと言いたくなったが、すんでの所で堪える。上手い話に乗ってしまうという事は誰にでもある事だ。

 

「荷物の中身は?」

「…………」

 

葛藤しているのだろう。クライアントの依頼を守るか、己の命を守るか。チッと一つ舌打ちするとリヴィエールは刀の鯉口を切った。

 

「とろくさいのは好かん。今見せるか、広場に連行されて殺されるか選べ」

「わ、わかった!わかったって!命あっての物種だ。詮索しないで誰にも見せるなって言われたけど……」

 

ポーチから取り出された球体を見た瞬間、リヴィエールの意識が真っ黒に染まる。右手でルルネの首を握り壁に叩きつけ、眼前に漆黒の刃を突きつけた。

 

「どこでコレを手に入れた!言え!」

「がっ、あぁ……っ」

 

問い詰めるも答えられない。頸椎を握りつぶさんばかりに込められた左手の指が彼女に発言を許さなかった。

 

「リ、リヴィ?どうしたの?これが何か、知ってるの?」

 

知ってはいない。だが見た事はあった。忘れもしない、あの惨劇の夜。バロールはいくつもの放ったモンスターを放つ事でリヴィエールを殺そうとした。

しかしこの話には矛盾点がある。複数とはいえ、かの剣聖をボロボロにするほどの強さを持ったモンスターを御し、嗾けるなどまず不可能。しかもそんなモンスターを伴って地上を歩くなんて事は尚更だ。事実、最初に現れた時、バロールはほぼ手ぶらだった。

状況が一変したのはヤツが懐から緑色の球体を取り出した時だった。その球体は今、彼女が取り出した宝珠と酷似していた。

 

「ちょ、ちょっと何やってるんですかリヴィエールさん!」

 

ようやく追いついてきたレフィーヤが今の状況を見て避難の声を上げる。その叫び声に若干冷静さを取り戻したリヴィエールはルルネから手を放した。その間に、地面に転がり落ちた球体をアイズが拾い上げる。

 

「なに……コレ」

「貸せっ」

 

アイズの手からひったくる。自分の片手で持てる程度の大きさの宝玉。埋め込まれているのは胎児のようなモンスター。宝玉からは鼓動が感じられる。不気味な瞳は閉じられ、沈黙を守っていた。

 

───なんだ、これは?

 

あの時は間近で見る事はできなかったが、こうして見ると本当によくわからない。ドロップアイテム?新種のモンスター?予想はいくつも上がったが、7つ目の感覚はそのどれもを否定した。

 

───っ……

 

ゲホゲホと咳き込むルルネを解放するレフィーヤの一方でリヴィエールとアイズは僅かに見開かれた不気味な瞳に釘付けになっていた。宝玉の鼓動と同調するように、二人の鼓動も速まる。体中の血がざわついた。

 

「グッ……」

 

耳鳴りの音が頭に鳴り響く。まるで頭の中でシンバルがなっているかのようだ。寒気が蛇のように体中を走り回る。猛烈な吐き気が喉奥からこみ上げた。

 

アイズが耐えられず、膝を折った。支えようとリヴィエールも手を差し出したが、彼女の軽い体重を支えることもできず、地面に手をつく。

お互いがお互いを支えあいながら、二人は荒々しく息をついた。

 

「アイズさん!リヴィエールさん!」

 

地面に落ちた宝玉をレフィーヤが拾い上げ、二人から距離を取る。大きく胸を上下させていた二人の体は徐々に静まり、回復していった。

 

「アイズっ……大丈夫か?」

 

座り込んだまま、倒れこむように壁面に背を預ける。膝を地面についたまま、アイズはリヴィエールの顔を見てしっかりと頷いた。

 

「リヴィこそ……大丈夫なの?」

「心配するな。だいぶ治まってきた」

 

深呼吸する。倦怠感は未だに消えなかったが、おかげで落ち着きは取り戻した。

 

「悪かったな、ルルネ。いきなり乱暴な真似して。謝罪する。済まなかった」

「あ、いや……そんなことよりあんたら大丈夫なのかよ」

「かどうかは俺もよくわからないな。レフィーヤ、平気か?」

 

先程からずっと宝玉を持ってる少女に問いかける。何ともありませんと一度頷いた。

 

───レフィーヤが大丈夫で俺とアイズがダメ……俺とレフィーヤがダメなら種族上の理由と考えられたんだが、そうではない

 

「やっぱコレヤバい代物なんじゃ…」

 

……なら一体何なんだ。バロールが持っていたものと酷似しているこの宝玉は…

 

『教えて欲しい?』

 

心を読んだかのような声が背後から聞こえてくる。驚いて振り返った時、リヴィエールは背後から抱きしめられていた。

 

───女の、人?

 

背後で彼を抱き上げていたのは紫がかった黒髪を腰まで伸ばした美女。その美しさにレフィーヤはもちろん、アイズさえも息を飲んだ。歳の頃はおそらく二十代半ばといったところ。少し青みがかかった夜空のような色合いのマントを羽織り、肌は新雪のように白い。細い首には宝石のような極彩色の石が飾られている。

マントの下は服と呼ぶにはあまりに薄い布が纏われていた。普通の女性冒険者とは比べ物にならないほど露出度が高い。張りのある豊満な肢体がそれを押し上げている。

 

リヴィエールを除いたこの場にいる全員が思った事は綺麗な人だという事と、不思議な人だという事だ。彼女の赤い瞳から目をそらす事が出来なかった。見惚れてしまったのだろうか、それとも別の理由か。その蠱惑的な美貌に全員の意識が吸い込まれた。

 

止まった時間を動かしたのはやはりリヴィエールだった。背中に抱きつく女を振り払い、振り向くと同時に黒刀を抜く。女は楽しげに空へと舞い上がった。

 

「久しぶりねぇ、私の可愛いあなた。元気だった?」

 

明らかにリヴィエールに向けて蠱惑的な美女が話しかける。彼の知り合いなのだろうか?また美人が親しげに話しかけてきたことで、一瞬気色ばんだが、彼の様子を見てその妬心は霧散する。まるで不倶戴天の敵を前にしたかのように、睨み付け、剣を構えていたからだ。

 

「…………リャナンシー」

「まあ、今度は覚えていてくれたのねぇ。感激だわ、坊や」

 

四年前の因縁が、地面に降り立った。

 

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。外伝のオリキャラ登場。イメージはFGOのスカサハです。それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします!


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Myth31 親の名前で呼ばないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───面倒なことになった

 

その人物は胸中で窮していた。小人族の少年を巡って諍いを起こしている現場を睥睨しながら嘆息した。

 

───殺したのは早計だったか…しかし見られたからには口を封じる必要はあった。

 

あの気まぐれな妖精もどきはともかく、エニュオの言いつけを破るわけにはいかない。

 

───『アリア』と『オリヴィエ』の件もある。チッ、面倒くさい

 

もういっそこの場にいる全員皆殺しにしてしまおうかと半分自棄になった思考がよぎった時、その光景が視界を掠めた。

 

人混みの中を走る獣人の冒険者に、それを追う白髪の剣士と金髪の少女。広場を離れていくその三人を見て、その人物は足の向きを変える。

水晶の光はゆっくりと薄れ、リヴィラの街には夜が訪れ始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その影は、上から降ってきた。枝を離れた木の葉が舞い落ちるかのようにゆっくりと人間の形をした何かが降ってくる。

 

『久しぶりねぇ、私の小さな恋人。元気だった?』

 

黒い影は女だった。腰まで伸びた紫がかった黒髪。傷ひとつない雪色の肌。豊満な肢体は薄布で覆われ、優美なラインがくっきりと浮かび上がる。羽織っている闇色のマントは翼を思わせた。

 

───なんだ。こいつ?

 

四年前、魔法の修行のため、ネヴェドの森を訪れていた少年、リヴィエール・グローリアは困惑していた。この森に人がいたということではない。実は彼はつい先ほど、海の中に招待されるという実に神秘的な体験を終えたばかりだった。そこで自分のルーツに関する、衝撃的な真実を知った直後で、まだ心の整理がついたとは言い難い状態である。

そんな時に現れたのが全身から色香と威厳、そして恐怖と圧迫感を放つ美女。動揺を表に出さない事は得意なはずの彼でも、困惑は隠せない。

 

『私?リャナンシーでいいわよ。ずっとそう呼ばれてるしね』

 

困惑を読み取ったかのようにリャナンシーは微笑とともに答え、ごく自然な動作で手を伸ばす。気づいた時には顎に指を添えられていた。

 

『いいわぁ、とてもいい匂い。たくさんの魔物の匂いがする。いっぱい斬って、倒してきたのね』

 

蕩けるような表情でうっとりと呟く。首筋あたりでスゥと大きく息を吸われた。

 

『強い魔法の匂いもする。半分になったとはいえ、流石はウルス・アールヴの子。坊やはいい子に育ったわ』

 

その名を聞いた時、リヴィエールの身体はようやく動いた。女を突き飛ばし、自分も飛び退く。跳んだと同時に腰間の剣を抜きはなった。

 

『大きくなったわねぇ、リヴィエール。あれからどれくらい強くなったのかしら?少し試させて貰うわねぇ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眩む頭を抱えながら立ち上がる。同時に腰の黒刀の鯉口を切った。

 

「…………リャナンシー」

「まあ、今度は覚えていてくれたのねぇ。感激だわ、坊や」

 

豊かな胸を強調するように腕を組み、リャナンシーと呼ばれた美女は白髪の剣士、リヴィエールに微笑みかける。リャナンシーは羽毛を思わせる軽やかさで地面に降り立った。

 

「リヴィ、誰、この人。知り合い?」

「首元見ろ。敵だ」

 

それしか言えなかった。平静を装ってはいるが、見た目ほど落ち着いてはいない。この女はいつもこちらが動揺している時を見計らったかのように現れる。

 

その言葉に従い、アイズは女の首元を見た。艶っぽい鎖骨と底の見えない谷間が露わになっているその部分には極彩色の石が埋め込まれていた。

 

「魔石………モンスター……なの?でも」

 

長くダンジョンに潜っているが、こんな人間の姿をした魔物は見たことがない。

 

「お前、どうして此処にいる?」

「それはもちろん、愛しい私の小さな恋人を見つけて飛んできたのよ」

「まともに答える気は無いか」

「失礼ねぇ、それも本当ではあるのよ。全部とまでは言わないのも確かだけどね。そこの小物が持ってるソレ、こっちに渡してくれないかしら?」

「やはりコレが目当てか。先の殺人、やったのはお前か?」

「いいえ、違うわ。私はただの案内人。実行するのは私の領分じゃないから」

 

嘘ではない、とリヴィエールが判断するのは難しかった。この女の心を読むのは7つ目の感覚をもってしても困難を極める。

 

「貴方の質問には答えたわ。それ、渡してもらえる?」

「断る。悪いがこいつは俺にとっても必要な探し物なんだ」

 

刀の柄に手をかける。それ以上近くなら斬る。その意思を視線に込めた。

 

「あら、戦うつもりなの?四年前、どうなったか忘れたわけじゃないわよね?私に手も足もでず、剣は砕かれ、腕は折られ、足を潰されたあの無様を」

 

その一言を聞いたアイズは心底驚愕する。

 

───リヴィが負けた?!まるで歯が立たなかった?!

 

あのリヴィエールが負けたという事が彼女には信じられなかった。レベルが低い時から彼とはずっと一緒にダンジョンに潜っている。傷つけられた姿は見た事があっても、負けた姿など一度も見たことはなかった。

嘘だと思い、彼を見る。しかしリヴィエールはリャナンシーの言葉を否定しなかった。

 

「試してみるかリャナンシー。あの時の俺と同じだと思うなよ」

「ウゥン、それもとっても魅力的だけどね。悪いけど今日の相手は私じゃないのよ」

「なに?」

 

どういう意味だと問い詰めようとしたその時、破砕音が広場の方から鳴り響く。

 

───何か起きたか?だが…

 

こいつから一寸でも目を離すことは……

 

「よそ見してもいいわよ。今すぐ貴方とヤる気はないから」

「…………アイズ」

「うん!」

 

見晴らしのいい場所まで走る。リヴィエールたちの視界に入ったのは……

 

「食人花……だと。くそっ!このタイミングで!」

 

空高く首を伸ばす牙を持つ花が無数に咲き誇っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

視界に映る二人の剣士。巨大なカーゴであの妖精もどきと話をしている。

 

───強いな、特に白い髪の方

 

獣人とエルフは問題にならない。だが、サーベルを腰に佩き、隙のない佇まいで男に寄り添う金髪金眼の少女、そして左手で刀の鯉口を切る翡翠色の瞳の青年。この二人はどう見ても手間がかかりそうだ。特に白髪の方はタイマンでもきつい相手かもしれない。

 

───引き剥がすには、コレしかないか

 

懐から草笛が取り出される。甲高い音とともに出ろ、と一言命令する。鳴らされた呼び笛の命令は街の上空を覆った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「モンスターの侵入を許したのか。クソッ、見張りは何をやっている!」

「な、何がどうなって…」

「街がモンスターに攻め込まれている」

 

苛立つリヴィエールの傍らでアイズも戦慄に身を震わせていた。感情が希薄な彼女にしては珍しく、誰の目にも動揺が見て取れる。瞳が険しい。

 

「広場に行くぞ!この騒ぎの間に逃げられたら厄介だ!」

「うん!」

 

リャナンシーの事は気になったが、構っている場合ではない。中心部にはフィンもリーアもいる。激戦地ではあるが、今はあそこが最も安全地帯だ。

 

『オォオオオオオオオオッ!!』

 

アイズとリヴィエールの足が止まる。叫び声と共に一体の食人花が彼らの眼前に飛び出した。立ち尽くしたレフィーヤとルルネを置いて、二つの疾風が跳躍する。銀と黒の閃光が奔った時には食人花は細切れになっていた。

 

「あっちからも……」

「嘘だろ…」

 

街の片隅、北西の外壁からも次々と食人花が溢れてくる。チッと一つ舌打ちするとリヴィエールは指示を飛ばした。

 

「レフィーヤ!広場へ行け!フィンと合流しろ!」

「で、でも!リヴィエールさんとアイズさんは!」

「私達は大丈夫。レフィーヤは早く逃げて」

 

並び立つ金と白。こちらを補足し、長駆を唸らせて向かってくる怪物たちの大群を相手に堂々と向き合った。

その二つの背中を見て、立ち止まってしまうレフィーヤ。躊躇の感情が足を止めている。

 

「足手まといなんだよ!とっとと失せろ!!」

 

まるで後ろに目でもついているかのようにレフィーヤに檄をとばす。もうこれ以上は構っていられなかった。アイズに目線で指示すると共に、大群に向かって跳躍する。

 

モンスターの軍勢をたった二人で食い止めるその背中を見て、ようやくレフィーヤは私情を振り切り、ルルネの手を取って走り始めた。

 

───ようやく行ったか。だがこいつらどう見ても天然じゃない。誰かの指示を受けて動いている。

 

次々に屠り去りながらリヴィエールはこの状況を分析する。18階層ではモンスターはポップしない。ならばこいつらはあらかじめ用意されていたということになる。

 

───恐らく、街を封鎖され、脱出が困難になったため、人為的に混乱を起こし、この隙に乗じて逃げようとしていると見るのが妥当。

 

これほどのモンスターが統率されているなど、信じがたいが、あらゆる事実が告げている。

 

「犯人は調教師……それもガネーシャ以上の腕を持った…」

 

こんな大変な状況だというのに口角が上がってしまう。笑いながら食人花を斬りふせる白髪の美剣士の姿は美しくも恐ろしい。

 

「リヴィ!」

 

気がついたら最後の一体を屠っていた。二人掛かりでやったとはいえ、我ながら驚く手際の早さだ。

 

「戻ろう。レフィーヤ達を守らなきゃ」

「ああ、このドサクサに紛れて宝玉を奪われたら厄介だ」

 

若干齟齬があったが、別段気にせず、二人は走り出す。その速度はオラリオでも屈指。速さに重きをおく二人の移動速度は飛んでいるに等しい。すぐにレフィーヤ達の背中を捉えた。

 

「───なんだ、あいつは」

 

走りながら視界に入ったのは黒鎧を纏った男性冒険者。浅黒い肌を少し露出し、レフィーヤに直進している。

 

「バカヤロウ!逃げろレフィーヤ!!」

 

一目で相手の実力がわかったリヴィエールが叫ぶ。しかしそれすら遅すぎた。レフィーヤには反応できない速度で間合いを詰められ、その細い首を片手で締め上げた。

 

 

 

 

 

 

 

街中がパニックになる中、泰然とした足取りでこちらに近づいてくる男の冒険者に怪しさを感じたレフィーヤはその場で止まるよう命令した。しかし、その見立ては甘すぎたと痛感する。あっという間に肉薄され、自分の命はこの男に握られる。

 

抵抗を続けていた両手がだらりと落ちる。アイズさん、と一言その名前を呟いた。

 

【狙撃せよ妖精の射手 穿て必中の矢】

 

力強い歌声が遠くなった耳朶を打つ。次の瞬間、閃光が男を吹き飛ばした。

 

───アルクス・レイ……私のより遥かに強力……

 

こんな事が出来るのは、あの男しかいない。

 

光が霧散すると同時に二人の剣士が降り立つ。陰るのは金と白。

 

───ああ、やっぱり私は…

 

この憧憬の二人に守られる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「げほっ、ゲホッ」

 

レフィーヤの咳き込む声を聞きながら、リヴィエールは黒刀の鋒を鎧の男に突きつける。

 

───彼我の力量差くらいは見抜けるようになれ、まったく……

 

冷たい汗が背筋を伝う。あと少し魔法が遅れていたら危なかった。

 

「アイズ、レフィーヤ見てやれ」

「うん、レフィーヤ、大丈夫?」

 

同胞の介抱はアイズに任せた。カグツチを構えたリヴィエールは黒鎧の男に対処する。

 

 

チリッ

 

 

頭の中で何かが焼けた音がする。まずい、今日の俺は興奮しすぎだ。限界はいつもよりずっと早いかもしれない。アマテラスはできるだけ温存する必要がありそうだ。

 

早くケリをつけるためにもまずは敵を分析する。目の前に立つ冒険者の防具レベルはそこそこ。よくて中堅といったところだ。攻撃用の武器は見る限り手に持つ長剣のみ。持っているものだけでいえばリヴィエールの敵ではない。

だが……

 

───強いな……アイズ並みか、それ以上かもしれない

 

佇まい、纏う雰囲気、何より伝わる圧力がその辺の雑魚とは比べ物にならない。リヴィエールは防具に惑わされず、相手の実力を正しく見極めていた。

 

「ハシャーナをヤったのはお前か?」

「だったらどうした」

 

その声を聞き、リヴィエールは眉を顰め、レフィーヤとアイズは大きく目を見張った。高く響いたその声音は女性を連想させるには充分すぎた。

 

「貴方は男性のハズじゃ…」

「……変装か」

 

風貌と中身が異なる理由に思い至ったリヴィエールは双眸に大きく不快感を滲ませる。

 

「変装?でもこんなに精巧な…」

「毒妖蛆の体液に浸せば人間の皮は死んでも腐食しない。恐らくこいつは死体から引き剥がした皮をかぶる事で姿を偽った」

「ほう、表にもモノを知った奴というのはいるものだな」

 

肯定の言葉とともに肉の仮面を引き剥がす。真っ赤な髪が踊り、白い女の肌が露わになる。

 

「じゃ、じゃあその顔は、ハシャーナさんの……」

「闇の世界に住んでいた知人から聞いた外法の技。俺も実物を見たのは初だが……醜悪だな」

「ああ、くそっ。きつくてかなわん」

 

戦慄するリヴィエールたちを無視し、女は鎧を脱装し始める。鎧は砕かれ、パーツも強引にはがし、白い首筋やしなやかな肢体がまろびでた。

 

「なるほど、確かに美人だ」

「いい加減、宝玉(タネ)を渡してもらう」

 

長剣を抜き放つと同時に斬りかかる。漆黒の刃が長剣に激突した。

 

「ああ、やはり強いな」

 

───速い、それ以上に重い!!

 

踏ん張った足が減り込む。コレはレフィーヤを庇いながら戦える相手ではない。場所を移すためにリヴィエールは力任せに剣を振るい、吹き飛ばした。

 

「アイズ!レフィーヤ連れて下がれ!」

 

吹き飛ばした方向へと跳躍する。超高速で繰り出されたリヴィエールの一刀を女は受け止めた。

 

「へぇ、俺の初太刀を受けるか。想像以上にやるな」

「この程度で褒めるとは驕りが過ぎるな、若造」

 

甲高い金属音が鳴り響く。そのまま両者ともに激しく撃ちあった。

 

「ーーーっ!?」

 

女の体勢が崩れる。目にも留まらぬ速さで振るわれた剣尖の一つを選び、リヴィエールが受けながしたのだ。そのまま足を引っ掛ける。女の身体が勢いよく宙を舞った。

 

落下点に向けてリヴィエールが走る。転がったらそのまま突き刺す。下手に堪えても一刀両断。フィニッシュまでの形はハッキリとイメージされていた。

 

しかし、剣聖の足は途中で止まる。女の動きはリヴィエールの予想を上回るものだった。

 

剣を地面に突き立てるとそれを軸に空中で一回転し、体勢を整える。勢いそのままに踵落としが繰り出された。急ブレーキと同時に飛び下がる。数瞬前までリヴィエールがいた場所の地面は粉々に砕け散った。

 

───なんつーアクロバットな…

 

再び撃ち合いが再開される。今度はリヴィエールが流された。突きにいった剣尖を反らしながら突進してくると同時に左のフックが繰り出された。血飛沫が上がる。

 

「グッ……」

 

ケリを繰り出すと同時に飛び下がる。リヴィエールから距離を取ると女は憎々しげに剣聖を睨んだ。

 

「随分荒っぽい戦い方だ。相当やり慣れてるな。戦い方は暗殺拳に近い。並の冒険者ならその不規則な動きに圧倒されるだろうが、相手が悪かったな」

 

血のついた指先を払う。女の拳はリヴィエールの手刀に突き刺さっていた。カラティの技の一つ、貫手。リヴィエールは女の拳に対し、ガードではなく、小刀を置いておく事でダメージを与えていた。

 

「貴様と俺とでは潜り抜けてきた修羅場の数と質が違うんだよ」

 

暗殺拳とはあの暗黒期に何度もやり合った。百戦錬磨のリヴィエールには、希少な暗殺拳もありふれた技の一つでしかない。

 

とは言いつつも内心でリヴィエールは大きく息をついていた。ずっとソロでダンジョンに潜っていた今の剣聖にとって、対人戦では久々の強敵。予想外の速さと重さに慣れるまでに少し時間がかかった。

 

───実力訂正。アイズ以上、フィン以下。レベルは6か、それ以下。アイズじゃちょっと荷が重そう。

 

自分に斬りかかってくれて良かったと思う。基本お上品な相手としか戦っていないアイズに、拳やケリを織り交ぜたこの洪水のような怒涛の攻撃は対処しきれないだろう。

 

口角が上がる。これほどの強さと武勇を持っていてオラリオで無名などあり得ない。こいつは俺が睨んだ、水面下に潜むファミリアの冒険者という事だ。

 

唐突に横薙ぎの一閃が振るわれる。少し考え事をしている様子に見えたリヴィエールが作った一瞬の隙をついての一撃だった。遠くで見ていたレフィーヤにはその動きを捉えることはできなかった。

 

「殺人鬼に求めても詮無い事だが、貴様も女の端くれなら少しは品性を持った方がいいぞ」

 

女の剣はリヴィエールに傷一つ作ってはいなかった。女の剣は剣聖の手で掴み止められている。

 

「化け物め」

「遅い」

 

カグツチを振るう。瞬時に飛び下がり、回避しようとしたが、避けきれるものではない。真っ赤な線が一筋、女の胸に刻まれた。白い肌に艶かしい鎖骨。豊かな胸元が大きく露出する。

 

「身体だけは美しいな。中々好みだ」

「ナメるな」

 

痛みなどまるでないかのように裂帛の一撃を繰り出してくる。その全てをリヴィエールは受け止め、流し、捌いた。

 

「悪いな、お前の速さと重さにはもう慣れた」

 

一撃を受け流す。崩れた身体に向けて剣を振りかぶったが、一度体感したからか、今度は女も受けが間に合っていた。

 

「フェイント」

 

剣ばかり意識し、剥き出しになった腹部にケリが減り込む。全身武器のリヴィエールにとっては足刀すらも刃。斬撃を食らったかのような鋭い裂傷が腹部に刻まれた。

 

「硬いな。今のはハラの中真っ二つになっておかしくない一撃なんだが、その程度で済むとは。まるでネメアーの獅子だ」

 

神話で出てくる獅子の名だ。皮は分厚く、皮膚の下は筋肉が変化してできた甲羅があるとされる。その頑強さはかの神話の英雄、ヘラクレスも傷一つつけられなかったとされている。

 

「このまま戦っても勝てそうだが……その場合、ちょっとなぁ」

 

今のを耐えれるとなると、体の自由を奪うほどのダメージを与えるためにはカグツチが必要になる。そしてこいつは手加減が効くほどヤワなタフネスではない。カグツチでは威力あり過ぎて勢い余って殺しちゃう可能性は大いにある。

 

───あんま余裕ないから使いたくないんだけど、アマテラスがいるか

 

「【……穿て 必中の矢】!」

 

詠唱が聞こえてくる。この魔法はさっきリヴィエールが使った…

 

「馬鹿レフィーヤ!余計なこと……クソッ!!」

 

飛び下がる。このままではレフィーヤのアルクス・レイに巻き込まれるからだ。リヴィエールが足止めしていたため、マインドをつぎ込む時間は充分にあった。放たれたのはもはや矢ではなく、閃光に近い。加えて自動追尾の特性を持つ魔法。命中は避けられない。アシストとしては素晴らしいとさえ言える。

 

だがそれはあくまで並の敵ならの話。

 

リヴィエールをもってしてもネメアーの獅子と言わしめたこの女のタフネス。この程度の閃光では倒せない。左手を突き出し、女は閃光を掴んだ。

 

「そんなっ…」

 

ガントレットは砕け散り、雷鳴のごとき拮抗音が鳴る。しかし、それでも赤髪の女戦士の細腕は小ゆるぎもせず、ついには押し返した。

 

「先ほど同じ魔法を受けたが……格が違うな」

 

掴んだ閃光を壁に叩きつける。衝撃波と共に足元が崩れ、リヴィエールの目も一瞬眩む。並外れた五感を持つ彼だからこそ視界が閃光に焼かれてしまった。

 

そんな隙をこの女冒険者が逃すはずがない。

 

間を全くおかず、攻めかかる殺人鬼。音と殺気を頼りになんとか躱すが、大きく態勢を崩してしまった。

 

「形勢逆転だな」

 

胴体に足が絡みつき、マウントを取ろうとする。

 

「リヴィエール!!」

 

圧殺されると誰もが思った。しかしそれは事実を持って否定される。崩れかけた態勢の中、リヴィエールは仰け反った状態で停止していた。

 

───私の体重ごと筋肉で支えることで耐えたのか?!なんという背筋…

 

「アマテラス」

 

カグツチに黒炎が纏われる。体にのる女冒険者に向けて黒刀を振るった。

 

「グッ!?」

 

撃ち合うと同時に爆発した。

アマテラスとカグツチの複合技【刺炎黒華(しえんこっか)

剣が撃ち合った相手をアマテラスの爆発によって圧殺する。リヴィエールのオリジナル。漆黒の爆発は女冒険者を吹き飛ばし、周囲の水晶ごと粉々にした。

 

「よう、いらっしゃい」

 

吹っ飛んだ先には既にリヴィエールが待ち構えていた。マウントを取り、炎を纏った刀を振りかぶっている。

 

「形勢逆転、だな。終わりだ外道」

 

あとは振り下ろすだけ。足手纏いによる一悶着はあったものの、これで決着と誰もが思ったその時。

 

「リヴィエール!!」

 

アイズの叫び声とほぼ同時に回避動作を取る。刀を持つ手とは逆の手を地面に着き、片手一本で倒立する。その瞬間、黒槍がリヴィエールの先ほどまでいた場所に突き立てられていた。

 

「グッ」

 

連続でバク転し、次々振るわれる槍を躱す。しかし態勢不十分の状態での回避。避け続けられるものではない。このままではいずれ致命傷をもらう。

 

「【目覚めよ(テンペスト)】!」

 

紡がれた呪文が気流を呼ぶ。アイズの叫びと同時に【エアリエル】が発動し、槍使いの全身を爆発的な暴風が叩きつけられた。

 

「へえ、人間にしてはやるじゃない。リヴィエールに付き纏うだけはあるわねぇ」

 

楽しげに笑いながら地面に降り立ったのは紫がかった黒髪の美女。赤黒い槍を水平に持ち、クルクルと回している。

 

「悪い、アイズ。助かった」

「リヴィの背中は私が守る」

 

息を切らせながら微笑みを返してくる。あの超高速に着いてきたのだ。消耗は当然。それでも彼女は嬉しそうだった。

 

「やる気ないんじゃなかったのか、リャナンシー」

「そのつもりだったんだけどねぇ。今この子を殺されちゃうとちょっと困るのよ。ねぇレヴィス」

 

赤髪の女戦士に話しかける。どうやら彼女の名はレヴィスと言うらしい。

 

「礼は言わんぞ、妖精もどき」

「構わないわ。あなたにお礼言われても嬉しくないしね。怪人もどき」

 

リャナンシーを凄い目で睨みつける。殺気すらこもった視線だったが、リャナンシーは笑って受け流した。

 

「しかし幸運だった。探し物が一度に3つも見つかるとは」

 

千切れかかっていた皮膚が焼け落ちる。兜を失い、流れでた赤の束は元々長髪だったのだろう。刃で雑に切り落とした跡が残っている。緑色の瞳と美貌が露わになる。リャナンシーのような蠱惑的な魅力ではない。野性味のある切り立った美しさだった。

 

「今の風と炎……お前が『アリア』とその神巫『オリヴィエ』か」

 

その呟かれた名前に、アイズとリヴィエールの双眸は大きく見開かれる。ドクンッと一つ大きく鼓動が鳴る。頭の中を「何故」が埋め尽くした。

 

───俺の事を神巫オリヴィエと呼んだ?何故こいつがそれを知ってる?それを知っているのは……

 

かつての主神と姉の顔が脳裏を過る。俺を含めてもこの世に三人しかいないはずだ。

 

三者三様の驚愕に包まれる中、最も早く平静を取り戻したのはやはりリヴィエールだった。動揺する精神をねじ伏せ、心をリセットするルーティーンを行う。暗くなりかけていた視界がクリアになった事を確認するため、周囲を見る。アイズの細い喉が震え、剣先が動揺で死んでいた。

 

「アイズ!しっかりしろ!」

 

リヴィエールの檄が飛び、ハッとなる。様々な疑問は残るが、今は全て脇にやらなければならない。

 

「色々聞きたいことはあるが、今は目の前に集中しろ。わかってると思うが、こいつら強いぞ」

「うん、ゴメン」

 

アイズも意識を取り戻した。一度深呼吸すると、眼前の敵にのみ集中する。自分たちが平静に戻るのを待っていた訳ではないのだろうが、レヴィスと呼ばれた女も戦闘に意識を向けた。

 

「オリヴィエは任せる。私はアリアとやる」

「ふふ、喜んで、リヴィエール。四年ぶりに遊んであげるわ」

 

対峙するのは白と金の剣士と紫と赤の魔物。純粋なblue bloodは存在せず、この場にいる四人全員、混ざり物の怪物。

 

リヴィラの街、攻防戦。人ならざる者達の死闘は加速していく。

 

 

 

 

 




後書きです。次回は番外編更新予定。リャナンシーの事とか、かつてボコボコにされたリヴィエール君の話とかを掘り下げていきます。それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします!


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Myth32 どっちが強いと言わないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『今まで戦ってきた中で一番強かった戦士は誰?』

 

オラリオのとある日。ある冒険者二人が、違う場所で同じ質問をされていた。

一人は全てを吸い込むような黒髪に翡翠色の瞳を宿した少年、【剣聖】リヴィエール・グローリア。もう一人は煌めくプラチナブロンドのロングヘアの美少女、【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。共に凄まじい勢いで頂点へと上り詰める、今最も注目を集めている冒険者である。

 

「なんだ突然」

 

ギルドで質問を受けたリヴィエールは少し眉をひそめ、質問をしてきた相手を見返す。亜麻色髪の美少女エイナ・チュールは屈託のない笑顔で問いかけていた。

 

「だって気になるじゃない。あ、ルグ様はダメよー?戦闘面で、一番強かった人を教えて」

 

同じ質問をされたアイズも不思議そうに仲間を見ていた。聞いてきたのはアマゾネスの少女、ティオナ。側にはレフィーヤとティオネもおり、二人とも興味津々という顔で答えを待っていた。

二人とも十を数えるほどの時間、逡巡した後、口を開いた。

 

「一番強かったのはやっぱりリヴィ。一太刀も届かなかった」

「…………認めるのは少々シャクだが……多分、アイズだ」

 

出てきたのはお互いの名。その答えは問いかけた者たちにとって少し意外な物だった。確かに今やこの二人はオラリオで知らぬ者はいないとまで言えるビッグネームだ。その強さは折り紙つきだろつ。しかし二人とも今だ発展途上。彼らの名前が高らかに轟いているのは期待値が込められているのも否定できない。単純に強さだけでいうならフィンやリヴェリアの方がまだ上のはずだ。

 

そんなことを考えているのが表情からわかったのか、リヴィエールは自嘲気味に笑い、アイズはまるで華が咲いたような笑みを浮かべた。

 

「単純に戦闘力だけの話じゃなくてな…」

「リヴィの強さはそういう強さじゃないんだ」

 

正直、戦闘力だけなら自分達より上はまだまだいるだろう。いずれ全て蹴落としてやるつもりではいるが、それは今ではない。

 

「普通の戦士は不利になったら退却を考える。成果を譲歩する。妥協する」

「でもリヴィはそれをしない。敵が自分より明らかに強くても絶対引かない。逃げない。諦めない」

 

何年も冒険者をやってきた2人は今まで何人もの戦士と出会ってきた。強いと思える者も何人かいた。アイズも、リヴィエールもその内の1人である。

 

しかし、強者たちの括りの中で、2人は明らかに異質だった。うまくは言えないが、強さの概念というか次元というか、根本が違うことを感じ取っていた。同類のみが感じ取れる匂いだったのかもしれない。

 

「強い奴ってのは大概、何かに取り憑かれているような信念がある。狂った部分が無い奴は基本的に冒険者に向いていないと言っていい」

 

理性を持っただけの普通の人間では本物にはなれない。フィンもリヴェリアもヒリュテ姉妹も。もちろんアイズとリヴィエールもそういった狂った何かを持っている。理性を持ちつつ、正しくイカれている者こそがこの人外魔境で上に登ることができるのだ。

 

「でもリヴィはそれだけじゃないんだ。狂った何かを持ってはいるけど、それ以上に暖かい何かを持ってる」

「そういった外から動かせない何かを持ってる奴は戦闘力にも影響をもたらすのかもしれない。俺はあいつと戦って思い知った」

 

お互い、出会うまではそんな事は思っていなかった。守りたい人がいる。譲れない何かがある。そんな事を言う人間達は何人も目の前で死んだ。

 

【強かった……今まで戦った誰よりも】

 

脳裏に蘇るのは2人が初めて戦った記憶。あれは確かゴライアスに1人で挑もうとしたリヴィエールをアイズが止めようとした時だった。

 

『俺は強くならなくちゃいけないんだ。だからどいてくれ、アイズ』

『イヤだ。リヴィが行くなら私も行く。それさえ認めてくれないなら私は力尽くでも貴方を止める』

『なら勝負だな。【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン』

『うん、やろう。【剣聖】リヴィエール・グローリア』

 

稽古を含めれば、何度か剣を合わせた事はあったが、本気で戦ったのはこの時が初めてだっただろう。相手を殺してしまうことさえ頭にあったかもしれない。お互い一歩も引く事なく、力尽くでお互いを退けようとした。死闘の末、表面的に勝利したのはリヴィエール。剣を弾き飛ばし、武器の無くなったアイズの喉元に鋒を突きつけた。

 

『諦めろ!アイズ!今のお前じゃ俺には勝てない!』

『イヤだ!諦める事を諦めて!リヴィ!』

『目の前が例えどんな地獄であろうともう誰も失わない!誰よりも理不尽な存在に俺がなるんだ!どうしてわかってくれない!』

『目の前で例えどんな地獄を見せられたとしても貴方を1人にはさせない!だから止める!ここは絶対譲れない!』

 

黒の咆哮が金の少女に襲いかかる。白刃の鋒を澄んだ金の瞳が迎えた。

 

黒の少年が鋒を降ろす。意思が折れた……いや、折られたのは剣聖だった。

 

力の上では黒が勝った。しかし心の上では金が勝った。

 

どちらも勝利したと言える戦いだったが、2人の胸に去来したのはたった一つの言葉だった。

 

【敗けた】

 

『完敗だった……凄い剣士だって思った』

 

今思えば、アイズのことが特別になり始めたのはこの時からだったかもしれない。コンビを組むようになり、リューが加わってトリオとなり、最後にリヴェリアが加入してチームとなった。

 

「今の俺にとって、誰よりも理不尽な存在はあいつだ」

「私がどんなに強くなったとしても、きっと私はリヴィには勝てない」

 

自分の中に揺るぎない頂点がいる。だから自分達は奢らない。まっすぐ、誰よりも高みに向けて昇りつめることができる。

 

誰が相手でも、恐れず戦うことができる。

 

「それ、ヴァレンシュタイン氏に言ってあげれば?きっと喜ぶわよ」

「冗談。口が裂けても言うもんか」

 

調子に乗ってあの勤勉さが無くなっては困る。何故かはわからないが、彼女には堕落して欲しくない。他人には基本的に興味のない自分にしてはおかしな感情だと自覚していたが、それでも何故か、この心の声に逆らう事はできない。

 

───不思議な関係ね、貴方たちは。

 

リヴィエール・グローリアとアイズ・ヴァレンシュタイン。まるで風のようだと誰もが感じていた。そばにいるのに届かない。目の前にいながら、どこか遠い何かと繋がっている。そんな事を思わせる2人だった。

そしてそれは本人達すら感じていた。

 

その質問をされてから、暫くの時が経ち、よく似た二人は離ればなれになった。しかしどれだけ時を過ごしても、2人の中からお互いが消える事はなかった。

 

俺たち2人は…

私たち2人は…

 

とても似ているのに、どこか遠い。

 

懐かしい風の匂いがする人。自分の母親の影を2人ともお互いに重ねていた。

 

風のような人だった。誰にでも笑顔を運ぶ優しい風。風と共に歌を、愛を、幸せを届けてくれる人だった。

 

──会いたい…

 

会いたいよ、リヴィ

 

───けど会いたくない…

 

今の俺が、お前に会うのは怖い。

 

かつてと真逆の色になってしまった髪を掻き毟る。今の俺を彼女に見られるのは怖い。

 

独りにしないで、リヴィ。私には貴方しか…

 

巻き込みたくない。俺の隣なんて危険な場所にいさせたくない。

 

矛盾する心を抱えながら、2人は一年という時を過ごした。

 

しかし、人の縁とは不思議なものである。結局行き着くところに行き着くようにできている。

精霊と神巫。どれだけ2人が運命を拒んでも、2人を繋ぐ何かは絶ち斬れない。遠い糸に繋がった2人は再び出会った。

 

───ちょっと、妬けるわねぇ

 

時は戻り、現在。並び立つ2人の間に繋がる何かは、元妖精であるリャナンシーにだけは見えていた。四年前……いや、あの森で初めて出会った頃から見えていた彼の糸は、この子と繋がっていた。

 

「アイズ、出し惜しむなよ。エアリエル全開で行け。こいつらを人間と思うな。人の形によく似た魔物だと思え」

「うん」

 

槍が振るわれる。彼の剣に防がれた一撃は2人の間の空間を突き抜ける。ダンジョンの石畳は破壊できても、か細い見えない糸は切る事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アマテラス

 

黒い光が空間に灯される。その光に導かれてか、天の光に照らされた宝玉の中の怪物は覚醒を促される。

 

目覚めよ(テンペスト)

 

精霊の命令が覚醒した怪物の耳に届く。命に従い、胎児が目覚める。

 

『───ァアアアアアアアアアアッッッ!!!』

 

背後からの叫声にアイズとリヴィエールは振り返った。胎児は宝玉の中でもがくようにのたうち、緑色の膜を突き破った。

 

「あら」

 

楽しそうにリャナンシーが笑うと同時に凄まじい速度で胎児は飛翔した。

 

「───っ!!」

 

声を上げる余裕もない。身体を大きく仰け反らせ、間一髪飛翔する飛礫を避ける。胎児の勢いは止まる事なく、壁に減り込んでいる食人花に噛み付いた。

 

「なっ!?」

『ォオオオオオオッ!!』

 

瀕死だった食人花が絶叫を上げる。胎児はまるでモンスターに同化するように寄生し、食人花もその姿を異形へと変貌させた。

 

「アレは……50階層の……」

 

───似ている……あの時の新種に

 

花の中から女体のようなものがメリメリと体皮を突き破り、現れる。10本以上もの足は次々と現れた食人花に繋がっており、まるで蛸のようだ。

 

───他のモンスターを取り込んだ。まるで強化種!

 

「ええい!全て台無しだ!」

「あら、そうかしら?こういうのも面白いと思うわよ。これだから外は楽しいわよねぇ」

 

その言葉が耳朶を打った時、ようやくリヴィエールは我に帰った。あの女型モンスターがこちらを見ていた事に気付いたからかもしれない。跳躍すると同時に足元が吹き飛んだ。

 

「アイズ!レフィーヤを!」

「うん!!」

 

飛ぶと同時にアイズはレフィーヤを肩に担ぐ。リヴィエールはルルネを横抱きに抱えた。そのまま広場に向けて一直線に駆け出す。

 

【──咲き誇れ漆黒の大輪。グローリアの名の下に】

 

レヴィスと戦いながらひっそりと詠唱していた魔法が完成する。暴れまわる触手を【燃ゆる大地】が吹き飛ばした。

 

「今だ、跳べ!」

 

断崖から2人の影が飛翔する。空中を飛ぶ際、動きはどうしても制限される。その隙を突かれては流石の2人といえどダメージは避けられない。リヴィエールが燃ゆる大地で足止めする事により、2人は安全に広場へとたどり着くことができた。

 

───ッつぅ!?

 

視界にモヤがかかり、頭の中で砂嵐のようなノイズが響く。思った以上に限界は早そうだ。燃ゆる大地は撃てて後二発。ノワールは一発が限度。

 

「リヴィエール!」

「リーア!レフィーヤ達を頼む!アイズ!」

「うん!」

 

荷物を下ろすと2人は再び駆け出す。その動きに連動するかのように新型も動き出した。やはり狙いは俺たち。発動している風とアマテラスに反応しているのか、はたまた違う理由か。ともかく態勢が整うまで引き付ける必要がある。

 

「どうする?斬り込む?」

「流石に数が多過ぎる。それにどう見てもさっきより強くなってる。一旦様子を見よう。戦うかどうかはそれから……クッ!?」

 

バク宙の要領で飛び上がる。リャナンシーの槍が空から降ってきた。

 

「泥棒猫と逃避行?私の目の前でそんな事するなんて野暮ねぇ、怒っちゃうわよ?」

「ホントに嫌なタイミングで来るなお前は!!」

 

黒槍と黒刀が重なる。アイズも赤髪の女と剣を合わせていた。

 

「お前は私だ。このままでは帰れん。付き合ってもらうぞ」

「───っ!!」

 

あっちでもタイマンの戦いが始まった。リヴィエールの見立てでは彼女はアイズより強い。ツーマンセルで戦うことでカバーしてやろうと思っていたのに、あの新種のせいで分断されてしまった。広場もパニックに近い。アレとまともに戦えるのはヒュリテ姉妹にリヴェリアとフィンくらいだろう。

 

───向こうのカバーに回ってやりたいが流石に手が離せない!

 

「クソッ、鈍ってんなマジで!」

「この私を食い止めておいてそんなこと言われたら、私の立つ瀬がないわねぇ」

 

漆黒の刀身が唸りを上げて大気を切り裂く。槍の穂先が刃を受け止めた。

 

赤黒い槍と漆黒の刀身がぶつかり合う。必殺の剣尖と鋭利な鋒が交錯した。幾度となく攻守が入れ替わり、正面から激突した。

 

「へぇ、強くなったわねぇ。私の可愛いあなた」

「どうかな?お前が弱くなったんじゃないか?」

 

金属音が鳴り響き、お互い距離を取る。今の交錯でお互いの力量は概ねわかった。

 

「でも私の(おまじな)いはまだ解けてないみたいねぇ。魔法、あと何発撃てるかしら?」

「何発だと思う?」

 

カグツチにアマテラスを纏わせ、斬りかかる。上段からの振り下ろしをリャナンシーは槍の柄で受け止めた。両足が大きく地面にめり込み、砕ける。何気なく受け止めたように見えた一撃だったが、凄まじい威力が込められていたことが周りの惨状からわかった。

 

「斬撃にアマテラスを乗せることで破壊力を上げたわけねぇ。あの頃より随分器用になったものだわ」

「その槍、一体何で出来てやがる」

 

普通の槍なら確実に砕けていたはずだ。それなのにヒビ一つ入っていない。デュランダルと遜色ない硬度を持っていることは間違いない。

 

再び槍と刀が激突する。無数の火花を散らしながら2人は耐えず動き回り、足場を変え、ステップを踏む。

 

「楽しいわねぇリヴィエール!やっぱりバトルはダンスだわ!」

「否定はしねえよ!」

 

一際甲高い金属音が鳴り響く。風の魔法を発動させたリャナンシーに吹っ飛ばされた。

 

───クソッ、やっぱ魔法はあっちが上か!

 

「っ!!」

 

地面が再び大きく揺れる。どうやら派手に食人花の変異体が派手に暴れているらしい。

 

───いや、そっちより……

 

先程から何度か肌を風が撫でていた。直接見てないからどっちが有利かまではわからないが、聞こえてくる音や殺気からかなり激しい戦いになっているのは間違いない。

 

「助けに行きたくて仕方ないって顔ねぇ」

 

またも心を読まれる。顔には出していないはずなのだが、一体どうなってるのか。人の心理を読む事は得意だが、読まれるのはあまり気分の良いものでは無い。

 

「今よそ見されたらあの雑魚達、殺しちゃうわよ」

 

その言葉が言い終わるか、終わらないかの瞬間、唸りを上げて黒刀が彼女の喉元を浅く斬る。リヴィが剣を振るのとリャナンシーが飛び下がるのはほぼ同時に見えたが、剣の方が僅かに早かった。

 

彼女は呆然として浅く血が出る喉元を撫でる。まるで珍しいものを見るかのように血の付いた掌を見つめていた。

 

「あまりナメるなよリャナンシー」

「まさか。貴方を侮った事なんか──」

「俺じゃない」

 

美しい魔物の言葉を遮る。

 

「俺の仲間に、雑魚なんていない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どこから現れた、と問いただしたいところだが……始末する方が先決だな」

 

リヴィとアイズが激戦を繰り広げている頃、フィン達は唐突に現れた食人花を片付けていた。しかし、その矢先に現れたのは女性型新種モンスター。

通常の食人花とは明らかに違う怪物を相手にしてもリヴェリアとフィンはこ揺るぎもせず、冷静にその巨軀を見上げていた。

 

「レフィーヤ、以前行った連携を覚えているな?あれをやるぞ」

「わ、わかりました!」

 

歴戦の戦士達の集う、今地上で最も強いファミリアの冒険者達が突然現れた怪物に対処すべく、それぞれに動き出す。前衛が食人花の惨劇を阻み、大火力の後衛がトドメを刺す。堅実だが、未知の怪物相手には最大限の効果を発揮する最強の布陣で勇者達は事に当たっていた。

 

「【誇り高き戦士よ、森の射手隊よ】」

 

リヴェリアが詠唱を始める。この彼女をリヴィエールが守り、アイズとリューが前衛で時間を稼ぐというのが、かつてゲイ・ボルグという異名で恐れられたチームの基本戦術。

 

「【押し寄せる略奪者を前に弓を取れ。同胞の声に応え、矢を番えよ】」

『‼︎』

 

魔力の反応を優先して襲う食人花と同じ習性を持つ女性型新種は、リヴェリアの膨大な魔力に反応し、フィン達を無視して猛進する。

 

「【帯びよ炎、森の灯火。撃ち放て、妖精の火矢】」

『ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッ‼︎』

 

リヴィエールという最強の護衛がいないリヴェリアに女性型が襲い掛かるとーーーリヴェリアは退避した。

 

『?』

 

女性型はその姿に違和感を感じる。派手な魔力放出、そして攻撃に対する全力逃走。これらは何の意味もない行動に見える。意味があるとすれば、

 

「ーーー【雨の如く降りそそぎ、蛮族どもを焼き払え】」

『⁉︎』

 

ーーー囮。

中断された筈の詠唱が別の方向で続いている。

リヴェリアの強大な魔力を隠れ蓑にして、レフィーヤが魔法の詠唱を完成させる。

強力な魔導士を二枚用いた囮攻撃。

 

「【ヒュゼレイド・ファラーリカ】‼︎」

『ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーアアァァァッ⁉︎』

 

炎矢の豪雨が女性型に降り注ぎ、全身を削り取る。

女性型ごと着弾地点を炎の海に変える爆炎。焼け焦げる怪物は絶叫を響かせた。

 

「畳み掛けさせてもらおうか」

「お供します、団長!」

「ーーーせぇーのッ‼︎」

 

前衛組が攻撃を仕掛けようとしたその時だった。

 

「「「⁉︎」」」

 

彼らの眼前に超高速の何かが飛来し、大きく土煙が上がる。舞い上がった土煙から間髪入れず、二つの影が飛び出した。

 

「リヴィエール!?」

 

空中で槍と撃ち合う。飛び出した1人は白髪の剣士。刀に黒い炎を纏わり付かせているからか、彼の体からも闇の陽炎とでも呼ぶべき揺らめきが立ち上っている。

 

甲高い金属音とともに2人とも弾け飛ぶ。しかしお互い空中で態勢を整え、まるで羽が舞い降りるかのように、柔らかく地面に降り立った。

 

『ァアアアアアーーーーーッ!!』

 

女性型の絶叫が辺りを包み込む。しかしそんな脅威を意にも介さず、リヴィエールは一つ小さく舌打ちした。

 

「邪魔ね」

「失せろ」

 

睨み合う戦士達が剣と槍を振るうと同時、斬撃を纏った炎が女性型の上半身を両断し、槍から放たれた赤黒い閃光がその上半身を消し炭に変えた。

 

フィンとリヴェリアは驚愕を隠せなかった。

 

───リヴィも強いが、あの女も桁違いに強い!こんな奴が無名で隠れていたなんて…

 

同様の想いはリヴィエールの胸にもあった。

 

───さすがに強い。渡り合うので精一杯だ。だが……

 

手応えも感じていた。あの時と違う。四年前はほとんど見えなかったリャナンシーの動きが今は見える。

 

───四年前は実力差ありすぎて相手の強さを図ることもできなかったが……

 

今はわかる。リヴィエールにとって、槍使いで最強はフィンだったのだが、格付けが変わった。この上でこいつには魔法がある。まるでフィンとリヴェリアを相手にして、いっぺんに戦っているかのようだ。全く反則もいいところ。

 

「そんなに派手に魔法を使っていいの?」

 

そんな彼女の言葉を無視し、息を整える事に集中する。確かにもう魔法については余力はない。だからその分、後先の事は考えなくてもいい。余力がないとはデメリットばかりではなかった。

 

「流石に強えな、リャナンシー。今まで何人もの強敵とヤって来たが、お前は間違いなく五指に入る」

 

もう一方、アイズとレヴィスの戦いも佳境に入っていた。エアリエルを使いながらも自分と互角に…いや、それ以上に戦う目の前の強敵の強さにアイズも内心で舌を巻いていた。リヴィエールのアドバイスに従っていなければ、とっくに負けていたかもしれない。

 

───強い、現時点で、恐らく私より…

 

けれどアイズの胸に焦燥はなかった。もちろんリヴィエールにもない。

 

『───だが』

 

異なる場所で、2人の言葉が重なる。槍の穂先と鈍色の剣尖が掴まれる。剣で受け止めたのではない。素手で掴んだのだ。そう、これはかの剣聖が得意とする防御術。先日、アイズ自身も目の前でやられたシラハドリである。

2人がこの技術を目の前の強敵に使えたのには理由がある。それは単純明快。

 

「アイズの方が強い!!」

「リヴィより弱い!!」

 

剣姫と剣聖の剣閃が真一文字に奔った。

 

 

 

 

 




後書きです。番外編更新するつもりだったのですが、アニメに煽られてこっちを更新してしまいました。原作と違い、アイズが勝っちゃいそうで作者自身困ってます。ダレカタスケテ……それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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Myth33 遊んでやると言わないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

斬られた胸元から鮮血を撒き散らし、リャナンシーが空を飛ぶ。追撃のために踏ん張ったリヴィエールだったが、飛翔はせず、飛び下がった。そうやすやすとトドメを刺させてくれる相手ではない。百戦錬磨の剣聖は距離を取ることを選択した。

 

リャナンシーの漆黒のマントがハラリと落ちる。豊かな胸が露出し、着地と同時に大きく揺れた。

ふふっと微笑し、リャナンシーは左手で胸を覆う。からかうような、挑発するような視線をリヴィエールに向けた。

 

「随分積極的ね。そういう子、好きよ」

 

リヴィエールは彼女の言葉を無視し、慎重に間合いを図る。お喋りをしてくれないと思ったからか、これ見よがしに溜息をつく。彼の父親の姿がダブった。

 

スッと胸元の傷に手を添え、撫で上げる。その瞬間、真一文字に引かれた赤い線が消え失せた。

 

「治癒の魔法か」

 

詠唱は俺にすらバレないように完了させたのか…元とはいえさすがは腐っても妖精。俺なんかよりよほど魔法の扱いはうまい。

 

「本当に強くなったわねぇ、リヴィエール。それとも、ウルズって呼んだ方が良いかしら?」

 

眉がひきつる。そういえばこの女は俺の洗礼名を知っていた。

動揺を読み取ったのか、リャナンシーはしてやったりと言わんばかりに笑った。

 

「ちょっと遊んであげる、くらいのつもりだったのだけど、貴方に免じてご褒美をあげるわねぇ……本気でやってあげる」

 

その言葉が終わるか、終わらないかの瞬間、周囲の空気が激変した。大気が震え、尋常でない重圧が白髪の剣士を襲う。

 

───なんだ?!魔法か!?だが無詠唱なんて聞いた事も

 

動揺冷めやらぬ中、リャナンシーは動いた。先ほどまでとは比べ物にならない速度で跳躍し、リヴィの側面に回り込む。

 

反射的にカグツチを振るう。硬い感触が手に伝わるのと自分が吹っ飛ばされるのはほぼ同時だった。

 

「ガハッ!?」

 

外壁に叩きつけられる。体の中の空気が出され、肺が潰れる。一瞬、身体が呼吸の仕方を忘れた。

 

「────っ!!?」

 

呻き声をあげる間もない。槍の追撃が来る。飛び上がり、極死の穂先を躱す。間髪入れず振るわれた槍の一撃を剣で受けた。

 

───重っ……

 

耳障りな金属音が響く。片膝をつきながら、剣聖は剛撃を受け流していた。

 

「びっくり。私の動きをちゃんと目で追って反応するなんて」

 

笑顔でこちらに話しかけて来る。しかし今の彼にその軽口に対応する余裕はなかった。

 

「やりやがったな、てめぇッッ‼︎」

「私の友達になにしやがるコノォーー‼︎」

「っ、よせ!ティオナ、ティオネ!」

 

お前達の敵う相手じゃ、そう言おうとした時にはもう遅かった。

 

「お邪魔虫は引っ込んでなさいな」

 

赤黒の槍が襲いかかる。攻撃のために跳躍した二人は完全に無防備。ガードももう間に合わない。このままでは避けられない死が待ち構えている。

 

「【───グローリアの名の下に!!】」

 

黒の爆炎が周囲を吹き飛ばす。リャナンシーを爆心地に、ヒリュテ姉妹を吹き飛ばした。

 

「アチチッ!?」

「リヴィエール!?」

 

指を一度タクトのように振る。二人にまとわりついていた漆黒の炎は霧散した。

 

───クソっ!使っちまった!

 

アマテラスを解除しながら苦心して完成させた並行詠唱の魔法をヒリュテ姉妹を守るために使用してしまう。虎の子だった【燃ゆる大地】を使ってしまったことで切り札は無くなった。

 

───アマテラスもほぼ弾切れ……

 

剣聖の中からリャナンシーを倒せるビジョンが消えていく。

 

───コレだから群れるのは……

 

「リヴィエール……貴方、腕…」

 

助けられたティオネが呆然とリヴィエールを指差す。ティオナもその惨状を見て息を呑んだ。

 

「気にするな、ただの脱臼だ」

「気にするでしょ!変な曲がり方してる!」

 

吹き飛ばされた時か、肩が外れていた。皮膚の上から骨の形が浮かび上がっており、痛々しさにティオナは眉を歪めた。

 

「戦うのには支障ない」

「いやあるでしょ!そんなんじゃ左腕使えな───今嫌な音したぁ!!痛い痛い応急処置のやり方が痛い!!」

 

外れていた肩と腕を無理やりはめる。ゴキリという振動音は思いの外、大きく辺りに響いた。

 

───7つ目の感覚、応用編。痛覚遮断

 

痛みの回路を無理矢理切る。コレで痛みに身体がこわばる事はなくなった。それでも人体の構造上、全力戦闘を続けていれば動かなくなる。タイムリミットは15分と剣聖は判断した。

 

7つ目の感覚が警鐘を鳴らす。上から何か来ると気付いた時、白金がこちらに飛んできた。

 

「───アイズ…」

「うっ……リヴィ」

 

飛来してきたのは【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。傷の具合からいってやはり押されているのは彼女らしい。追撃に飛んでいた赤髪の冒険者の拳をリヴィエールが止めていた。

 

「オリヴィエ、貴様はこいつの後だ。邪魔をするな」

「アイズの後が俺なら遅いか早いかの差だろう。邪魔しない理由にはならないな」

「でも流石の貴方も私たち二人を相手にするのは無理じゃなぁい?」

 

リャナンシーが渾身の力を込めた致命必至の一撃がリヴィエールに迫る。受ければ死。かといって下がってもレヴィスの追撃が待ち構えている。

刹那より短い一瞬の空白、今まで積み上げてきた百戦錬磨の戦績が、リヴィエールを後退ではなく、槍が襲いかかる方向へと転がらせた。

 

──っ !?

 

懐に潜り込まれたとリャナンシーが知覚した時には腹部に衝撃が来ていた。指先を固めたリヴィエールの手刀が彼女の腹部に突き刺さる。

 

「くっ……」

「ちっ、邪魔だ!」

 

レヴィスに向けてリャナンシーを振り払う。大した足止めにはならなかったが、それでも一呼吸程度は余裕ができた。

 

「ォオオオオオオっ!!!」

 

片膝をつき、態勢を崩しながらも腰間からカグツチを振るう。不完全な居合斬りではあったが、それでもレヴィスの猛攻を止めるには充分だった。

 

「無傷とは思わなかったな。リャナンシー、どうやって避けた?」

「炎と風の魔法を併用して、チョチョッとね」

 

勘違いされがちだが、【燃ゆる大地】最大の攻撃力は黒炎ではなく、爆風。それさえ防げれば致命傷は避けられる。炎の壁で熱を遮り、作り出した風に乗って爆風から逃れていた。

 

つまりあの至近距離の【燃ゆる大地】でも大したダメージは与えられなかったということ。アレでダメとなると、やはり魔法による致命傷は難しそうだ。

 

「魔法の同時使役……そんな事、出来るわけ」

「三つ以上使えることに驚いてるの?でもそんなの当然よ。私は貴方達より精霊に近しい存在なんだから。貴方だってその一人でしょう?」

 

いつの間にか近くにいたレフィーヤの呟きをリャナンシーが嘲笑する。確かに妖精に最も近いと言われる種族であるウィーシェの森のエルフ、そしてハイエルフたるリヴィエールとリヴェリアは三つ以上の魔法が使える異端児中の異端児。ならば妖精そのものであるリャナンシーであれば……

 

「魔法の同時使役程度は出来ても不思議はないか」

「その通り❤︎流石は私の小さな恋人。私のことをすぐに理解してくれて嬉しいわぁ」

「俺はリアリストなだけだ。目の前で起こった事実であれば、例えどんなに信じがたいことであろうと認めるさ」

 

アマテラスをカグツチに纏わせる。火車切とでも名付けるか。この炎刀を持たせられるのも恐らくあと僅か。二人の実力から考えて、ニ対一なら長引けば長引くほど俺が不利。なら後先考える必要はない。俺が圧勝するか、俺が呪いに喰い殺されるか。時間との勝負。

 

「来い」

 

リヴィエールの言葉が終わるか終わらないかの内に二人とも瞬時に動いた。リャナンシーの槍をカグツチが受け止め、空いた片手はレヴィスの拳を逸らした。

 

「レフィーヤ!アイズ連れて下がれ!」

 

構ってやれる余裕はない。命令を出した瞬間、跳ぶ。常に動き回らなくてはあっという間に挟まれて終わる。なんとか一対一を二回繰り返すように位置どりを続けなければ防戦一方で持たせることすら難しい。アマテラスを駆使し、目にも留まらぬ速度で高速移動をしながら、3人とも戦闘を続けた。

 

───流石だな!この速度領域に余裕でついて来やがる!

 

だが、時間は稼げた。詠唱を完成させるには充分。

 

通常の並行詠唱ですら火薬の大樽を片手で抱えながら、火の海を走るに等しいというのに、この速度領域で戦いながら並行詠唱を完成させるのは通常の並行詠唱の十倍の難易度と見積もっていい。しかし、それでもこの男はそのチキンランをやり遂げた。

 

「【───グローリアの名の下に!!】」

 

【燃ゆる大地!!】

 

足元に魔法陣が浮かび上がり、魔力が一気に高まる。自身を爆心地にして完成させた【燃ゆる大地】。リヴィエールごと吹き飛ぶ覚悟で放たれたこの魔法は流石のリャナンシーとレヴィスといえど、回避に全力を尽くさねばならなかった。

 

───故にできる、僅かな隙。

 

「ぜぁあああああ!!」

 

レヴィスを蹴り飛ばし、同時にリャナンシーに向けてカグツチを振りかぶる。魔法の詠唱が完成するかは彼にとっても賭けだったが、このギャンブルにリヴィエールは勝った。その褒賞は当然、勝利の……ハズだった。

 

───っ!!?

 

心臓が大きく脈打つ。頭の中に砂嵐が吹き荒れ、身体中を炎で焼かれる音が侵食した。

 

───くそっ!こんな時に!?

 

せめて一太刀、右手に力を込めたが、そんな願いも却下される。意識は暗く塗りつぶされ、視界は闇へと落ちた。

 

「グッ、がぁあああああああ!!!?!」

 

全身を剣山で串刺しにされたかのような痛みが奔る。そしてその傷口に業火がくべられる。切り傷にマグマが流し込まれたかのような激痛にリヴィエールは崩れ落ちた。

 

「リヴィ!?」

 

治療半ばだというのに、レフィーヤを振り切り、アイズが駆け寄る。少し遅れてリヴェリアとフィンが駆けつけた。

 

「どうしたリヴィエール!やられたのか!?」

「コレはまさか……四年前の」

 

訪ねてくる仲間たちの疑問には答えられない。しかし声が届いたおかげか、痛みによる絶叫はうめき声に変わり、仰向けに倒れこんだ体を起こし、座り込んだ。

 

「リヴィ!どうしたの?!リヴィ!」

 

死ぬほど痛みに強い彼が、激痛にのたうちまわる姿など、アイズは初めて見た。しかもただ倒れたというわけでは絶対ない。

 

───怪我?病気?でも、そんな様子、少しも……それにさっきまで

 

あれほどのレベルの戦闘を繰り広げていた彼がケガや病気を持っているとは思えなかった。でも、それ以外に急にリヴィが倒れた理由は分からなかった。苦しむ彼を抱きしめる。痛みで震える彼を少しでも守りたかった。

 

「限界……ね。いいところだったとに残念だわ。いえ、よく持った方と言うべきなのかしら」

「……そうか、貴様の仕業か」

 

憎々しげにレヴィスがリャナンシーを睨みつける。そんな殺気も彼女にとってはどこ吹く風。ごく自然な動作で白髪の剣士の元に近づき、頬に手を添えた。

 

「リヴィエールから離れろ!!」

 

大剣を構えた少女が影から飛び出す。その突進にリャナンシーは若干呆れる。実力の違いは先ほどの交錯で分からなかったのだろうか?

しかし、その考えは改められる事になる。突然、ティオナの走る速さが増したのだ。

 

───なるほど

 

一瞬でリャナンシーは理解した。彼の隣にいる金髪の剣士の仕業だと。

アイズがエアリエルをアマゾネスに付加させたのである。ティオナはリャナンシーとの距離を詰め、大双刀を振るう。同時にアイズもレイピアを突き出した。

 

「悪くないわね。でも、そういった奇策は破壊力を伴わなければ意味がないのよ」

 

リャナンシーは微笑を浮かべ、鋭い先端を持つレイピアと大振りな刃が手のひらで受け止められる。アイズとティオナの顔が驚愕に彩られた。二人の全力の一撃は、この魔物をこ揺るぎさせることもできなかった。

 

「貴方もね」

 

火球が頭上に打ち出される。上空から奇襲を仕掛けようとしていたティオネが吹き飛ばされた。

 

「───この程度なの?」

 

リャナンシーは嘲笑を浮かべた。笑みとは威嚇の意味を持つという事をこの場にいる全員が思い知る。背筋が凍りつきそうな表情だった。

 

「この子は死に損ないだけど、それでも貴方達よりずっと強かったわ」

 

レイピアと大双刀の穂先を掴み、ひねる。アイズとティオナの身体は武器ごと空中に放り投げられた。

 

地面に転がり、呻き声しか出ないほどの痛みに耐えながら、3人はどうにか身体を起こす。各々が武器を構えていたが、リャナンシーは3人などまるで相手にせず、倒れ臥すリヴィエールの側へと跪いた。

 

「いい匂い…………あれからまた随分と斬ったみたいね。呪いに身体を侵されながら、数多の魔物の黒塵を浴びて、それでも今日まで生き延びた。驚異的よ。でもその分、貴方は魔物に近づいている」

「魔物に近づいてる?どういう意味だ!」

 

弟の治療に当たっていた緑髪の姉が叫ぶ。戦闘中に急に倒れるというこの症状、かつてリヴェリアは一度だけ見たことがあった。しかし、これほど重篤な状態ではなかった。倒れるといっても、片膝をつく程度のことだったし、しばらく休んだらなんという事もなく立ち上がった。以来、彼に聞いても、なんでもないしか答えてくれなかった。

 

「あら、ご存知ない?彼は幼い頃、一度私に会ってるのよ。その時、ちょっと呪いをかけさせてもらってね」

「呪い?一体なんだ!!」

「魔物を殺せば、そいつは黒い塵となって霧散し、魔石が残る事は知ってるわね」

 

歴戦の猛者であるロキ・ファミリアに対して、その質問は愚問である。体液を撒き散らし、死ぬモンスターも多くいるが、急所を一撃で貫かれたモンスターは黒い塵を撒き散らし、爆散する事はこの場にいる誰もが知っていた。

 

「彼にはその黒塵を体内に吸収、蓄積する呪いがかかってるの。普通に生活してるだけならなーんにも影響はないけど、精霊に近しい存在である彼が魔法を行使すれば、その黒塵は体内で暴れ出す」

「体内で……暴れ出す?」

「簡単に言っちゃうと、魔物に近づいちゃうってこと」

 

元々はリャナンシーも妖精だった。妖精にはリャナンシーのように戦闘力を持った者もいなくはないが、少数派だ。ほとんどの妖精は力の弱い存在である。そんな同胞達を守るために、力を持った妖精であったリャナンシーはかつて仲間を守るために魔物たちと戦っていた。戦闘の回数で言えば、恐らくリヴィエールなど比べ物にならない。

そして戦い続けた成れの果てが今のリャナンシーの姿だった。

 

「私も貴方と同じ……精霊に近しい存在」

 

しかもリヴィエールよりずっと高みにいる存在だ。呪いなどなくとも、彼女は体内に黒塵を蓄積してしまう。そのことにリャナンシーが気付いた時には既に手遅れだった。

リャナンシーは必死に方策を探した。魔物にならないための方法を開発し続けた。結局、魔物とはいえ、命を奪い続けてきた彼女の咎が許される事はなかったが、その過程で彼女は呪術を手に入れた。彼に施したのも、その一つ。咎と引き換えに、力を与える呪い。

 

「こいつの身に、そんな事が…四年前のあの時から」

「バカね。もっと前からよ。彼は魔法を使うたびに身を引き裂かれる痛みに耐えてきたでしょうね。今まで狂わず生きてこられただけで驚異的よ」

 

言われてみれば、思い当たる節はいくつかあった。戦闘中に時折見せていた引きつる目元。戦い終わった後に疲れたように吐く嘆息。今までの彼にはなかった所作だ。つまり、兆候はすでに何度もあったのだ。

 

「貴方達、そんな事も知らずに彼に守られてたの?」

 

知らなかった。彼にそんな呪いがかかっていた事も。苦しんでいた事も。何もかも。

魔法を使う度に体が魔物に蝕まれていく。そんな呪い、魔法剣士はもちろん、冒険者にとってすら致命的になりかねない弱点だ。無論、弱点を人に悟らせないよう振る舞う事は戦士として正しい。リヴィエールは何一つ間違っていない。

 

───だけど……

 

そう思う事をリヴェリアとアイズは止められなかった。自分にだけは話して欲しかった。

 

「リヴィエール……哀れな子ね。足手まといだろうと雑魚であろうと、貴方は守る事でしか生きられなかった……それとも」

 

リャナンシーがリヴェリア達を睨みつける。その目にはリヴィエールへの憐れみと彼を思う怒りが込められていた。

 

「貴方達がこの子を苦しめていたのか…」

「なんだと」

「少なくとも、彼は仲間だと思っている貴方達を信用していなかった。自分を守ってくれる程の力を貴方達には期待してなかったってことね」

「勝手な事を言うな」

 

リヴェリア達の感情が沸騰する寸前、テノールが響き渡る。

荒々しく息を吐きながら、剣を支えに白髪の剣聖が立ち上がった。体からは黒塵が立ち上り、まるで陽炎のように揺らめいている。呪いに蝕まれているということが事実であるとその様相が告げていた。

 

「俺がこいつらに呪いの事を話さなかった理由だと?そんなもの、必要がないからに決まってる」

「必要なくはないんじゃない?貴方一人が倒れる事で、この雑魚どもは死んじゃうかもしれない」

 

ダンジョンの活動はパーティ一人の失策が全体の崩壊をもたらす事もある。まして超人的な能力を持ち、いかなるパーティであろうと主力を担うリヴィエールともなれば、その影響は計り知れないだろう。リャナンシーの言う事は正しい。

 

「何度も言わせるな、リャナンシー」

 

しかし、そんな正論を白髪の青年は鼻で笑った。

 

「俺の仲間に、雑魚なんていない」

 

上空で金属音が鳴り響く。頭上から襲いかかるべく、跳躍していたレヴィスが吹っ飛ばされていた。対峙しているのは【勇者】フィン・ディムナ。彼だけは周囲の警戒を解いてはいなかった。

 

「お前ら、手を出すな。こいつは俺の敵だ」

「でも、お前……」

 

そんな身体で戦えるのか、喉元まで出かけたその言葉は封じられる。憎しみと怒り、そして復讐心のこもった黒い感情が塵と共に翡翠色の瞳を染めていることに気づいた。

 

「その身体でまだ私と戦うの?魔法の使えない魔法剣士なんて、刃引きした刀も同然──」

「俺がこいつらに呪いの事を話さなかった理由は、もう一つある」

 

剣を握っていない片手に何かを着ける。鈍く光る黒銀の腕輪だった。ブレスレットのベルトにはヒエログリフが刻まれている。なんらかの呪術的処理が施されたアーティファクトである事にリャナンシーだけは気づいた。

 

「お前にこの呪いの事を聞いて、いったいどれだけの時が経ったと思っている」

 

小声で何かを唱え始める。異国の言葉か何かだろうか?魔法詠唱とは異なる呪文が彼の口から紡がれる。

 

「魔法を使えば魔物化が進行し、力と引き換えに自我が乗っ取られる。この俺が、そんな明々白々な弱点を、野放しにしているとでも思ったのか?」

 

呪文が完成する。彼の着けた腕輪から炎のような黒塵が溢れ出した。

 

───使うよ、ルグ。あの夜、お前を斬って手に入れた、最後のスキル。

 

黒い炎がリヴィエールを包み込み、まるで彼に付き従うかのように纏われていく。その光景を見て、アイズはかつて、炎に包まれて消えた母親の姿を思い起こし、リヴェリアは遠き日の彼の姿を幻視していた。

 

「───これは…」

 

黒煙が真っ先に染めたのは髪色だった。シルクのような白髪が黒く染められていき、その髪は背中まで伸びる。かつて、オラリオ暗黒期、悪党どもを震え上がらせた剣聖を彷彿とさせる姿へと変貌していく。

次に変化したのは彼の目だった。瞳を囲む白の虹彩は髪と同じ黒に染まり、翡翠色の瞳は琥珀色へと変わる。

そして最大にして、最後の変化が彼の額に刻まれる。黒塵が額に集中し、その色をだんだんと極彩色に変えていきながら、ある形を象る。楕円形の宝石が剣聖の額に埋め込まれた。

 

吹き荒れる黒煙がようやく収まる。炎の中で新たに生まれたのは黒髪を背中まで伸ばし、砂色のローブを纏う、額に魔石に酷似した何かを埋め込まれた琥珀色の瞳の剣士。

 

「───驚いたわねぇ。その若さでソコに辿り着いたなんて」

 

焦りを汗と共に浮かべ、震える声でリャナンシーが尋ねる。いつも人を食ったような態度の彼女にしては珍しく、明らかな動揺が見て取れた。

 

「───喜べ、リャナンシー。お前は俺が遊んでやる」

 

艶やかな闇色の髪が背中まで伸びた剣士が砂色のローブを翻し、一歩前に出る。黒く染まった青年が黒刀を握りしめる背中を見て、アイズの心は震えた。

 

なんて力強く、そして狂おしいほど胸に刺さる切ない姿なんだろう、と。

 

次の刹那、彼の姿が搔き消える。アイズの優れた動体視力ですら、リャナンシーが斬られた姿を確認することはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。今回登場、オリジナル設定。BLEACHの虚化からアイディアを貰いました。最後のスキルの名前はまた次回。それでは励みになりますので感想、評価、よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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Myth34 咎人と呼ばないで!

 

 

 

 

 

 

 

ドサリ

 

 

暗闇の中でそんな音がする。闇に目が慣れてくるとそこには膝から崩れ落ちた女性と淡く光る鏡がある事に気づくだろう。

倒れているのは暗い中でも凄まじい存在感を放つ銀の美女。この世の何よりも美しいと言われる美の化身。フレイヤが細かく身体を震えさせ、身悶えするように己を抱きしめていた。

 

「コレだから貴方は最高なのよ、リヴィエール」

 

頬を蒸気させ、瞳を情欲に潤ませ、小指を噛んで鏡を舐めるように見つめていた。

 

鏡の中にいるのは漆黒の髪を腰まで伸ばし、額に極彩色の宝石が埋め込まれた青年。瞳の色は琥珀色へと変貌し、黒塵は若者のすべてを黒く染め上げている。

 

「いつも貴方は私の想像を超えてくれる」

 

人とハイエルフ、愛と憎しみ、強さと弱さ、相反する全てが混ざった、長き時を生きる彼女が見たことがないと断言できる色。混ざっているのに透き通っている矛盾を抱えた魂。悲劇という闇が混ざる事で彼の黒に一層の深みを与え、そして今、魔物という新たな色が混ざる事で、内に秘められていた彼の黒が堪えきれず、とうとう吹き出した。闇より黒い、透明感さえ感じる漆黒。何もかもを吸い込むような黒淵はついに呪いと魔物まで呑み込んでしまったのだ。

 

「なんて、美しい……」

 

人によっては恐ろしくさえ映るだろう今のリヴィエールを、美の化身は美しいと評した。ただ一つの信念のためにあらゆる物を利用し、磨き上げた彼の姿は斬るという一念の下、鍛え抜かれた一本の刀に似ている。刀は武器であると同時に、美術品でもある。強く、怖く、美しい。美と畏れは表裏一体だ。

 

「さあ、見せてちょうだい。貴方のすべてを」

 

鏡の中で戦士がこちらに向けて、漆黒の剣を振るった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スキル【咎人】

・超常の力の行使

・背負った咎の重さにより効果上昇

 

神を殺すという考えうる限り最大のタブーを犯した事により発現したリヴィエール・グローリアの最後のスキル。

以前から進めていた自分にかけられた呪いに対する対策。戦えば戦うほど魔物化が進む原因として黒塵が関係するということには、三年ほど前に辿り着いていた。しかし、そこから先の対処が一向に進まなかった。共に研究を進めていたペルセウスもお手上げ状態で、出来るだけ魔法は使わずに戦うしか、対策は立てられなかった。

 

しかし、何も分からなかったわけではない。

 

三年をかけて自身にかけられた呪いを調べ上げたリヴィエールは、この呪いの最大の問題点を看破していた。

それは、黒塵が体内に蓄積するという点である。

冒険者をやっていれば大なり小なりみんなあの黒い塵を身体に受ける。しかし、そんな彼らに何の影響もないのはたとえ一瞬身体に受けてもすぐに体外に流出するからだ。

アスフィとの共同研究の結果、体内に蓄積した黒塵を体外に放出する事には成功した。しかし話はそこまで。たとえ少しの間、体外に出せても時間が経てば再び吸収してしまう。

呪いの解除は少なくとも、人間の手では不可能に思えた。

 

しかし、このスキルの発現によって、状況は大きく変化する。

 

【咎人】の効果は超常の力の行使。魔法やファルナもその一つに含まれるが、限定しているわけではない。そこで、解呪を当面、諦めたリヴィエールは呪いを利用できるのではないかと考えた。

 

アスフィの手によって作られたバングルとスキル、そして呪法の併用により、リヴィエールは呪いを利用し、力に変えることを、その天賦の才で成し遂げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鮮血と共に黒塵が舞う。黒を纏った人間が女を斬り伏せていた。人間は男。二十歳になるかどうかという歳の頃の青年。着物と呼ばれる和装に身を包み、漆黒の剣を構えている。反りは浅く、鋒は諸刃。刀と呼ばれる東洋の武器だ。黒髪が腰まで伸び、黒を着ている青年の名前はリヴィエール・グローリア。若くして歴戦の魔法剣士である。

対峙しているのは人間の女に酷似した魔物。艶やかな紫がかった黒髪に白皙の肌。目を合わせたらたちまち魅入られてしまいそうな妖艶な美貌。羽織ったマントはすでに引き裂かれ、申し訳程度に豊満な肢体を覆う薄布はボロボロになっている。彼女は人間ではない。古くは妖精、そして今は魔物となった怪物。今も昔も、彼女はリャナンシーと呼ばれている。

彼女の肢体が吹き飛ぶ。態勢が大きく崩れ、隙のできたその頬げたにリヴィエール渾身の拳がめり込んだ。リャナンシーは外壁に叩きつけられる。リヴィエールは距離をとった。

 

「リ……ヴィ…?」

 

自分を守るように眼前に立つ彼の背中に向けて金髪金眼の少女が愛称を呟く。名を呼ばれた青年は瞳だけを彼女に向けた。

 

───っ!?

 

ドクンっと心臓が大きく一つなる。見たことも無い琥珀色の瞳からは何も感じ取れなかった。ただ、冷たく、黒い目。自分が彼に抱いている感情とはまるで逆の想いが彼女を支配した。

 

「…………悪いな、怖いか?アイズ」

 

自嘲と共に彼の口から漏れたのはこちらを思いやる言葉。自我が保たれているということ以外、ほぼ魔物と呼べる彼の容貌を見て、恐怖しない方がおかしいだろう。アイズを責める気はリヴィエールには全くなかった。

 

「心配するなと言っても無理な話かもしれないが……それでも言わせてくれ」

 

優しい言葉をかけてくれる声音はいつもの彼と変わらない。

 

「心配するな」

 

その言葉はアイズだけでなく、リヴェリアにも向けた言葉だった。

 

「すぐに終わらせる。待ってろ」

 

リャナンシーが吹き飛んだ方向へと飛ぶ。あっという間に小さくなり、見えなくなった。

 

ブルリとアイズの体が震えた。押しつぶされるようなプレッシャーがなくなったからか、腰が抜けたように崩れ落ちる。震えた理由は恐怖だけではなかったが、それも大きな理由だった。

 

───リヴィを怖がった……私が?

 

怖れられた事はアイズにもある。強いは怖いだと彼女も知っている。それだけの業を重ねてきた自負もある。仲間に怖れられた事すらアイズにはあった。だからこそ、仲間に怖れられる辛さを自分は誰よりも知っているはずなのに。

 

───あんな目をしたリヴィ、初めて見た

 

瞳の色が違うとか、容貌が異なるとか、そう言ったうわべの事ではない。

百パーセント、殺すという明確な意思が込められた瞳。今まで戦士としての彼や優しい兄貴分としての彼しか知らなかったアイズは彼の優しくない戦いというものを見たことがなかった。

 

───あの眼を思い出すと、リヴィが誰か知らない人になってしまったような気がした…リヴィの目に私なんて映ってないと、感じてしまう。

 

「リヴィ」

 

少し離れた場所で、18階層全体を揺るがすような衝撃が起こった。

 

 

 

 

裂帛の気合いと共に青年が追撃を加える。リヴィエールの振り下ろしとほぼ同時にリャナンシーは風の魔法を発動させた。

 

大気がはじけ、突風が渦を巻く。次の瞬間には彼の間合いの遥か外に降り立っていた。その豊かな胸から腹部にかけて裂傷が刻まれている。胸を手で押さえつつ、恍惚とした表情で若者を見つめた。青年の頬からも一筋赤い雫が伝う。ジュクジュクという音と共に、傷は塞がった。外れた肩の怪我も治っている。再生力も変身の効果の一つにあるらしい。ますます自分に近づいている。

 

「躱してるはずなんだけどねぇ」

 

彼のスキルにより、身体能力は確かに向上している。しかし目に見えて驚くほどではない。数値に変えれば、2割程度といったところだろう。体感は倍に感じるが、魔法によって劇的に能力を底上げしている自分にとっては見切れない程ではない。それなのに、変身して以降、彼の斬撃は一太刀も避けきれていない。

 

「黒塵を剣に纏わせることで間合いを伸ばしてるわけね。凄いわぁ。私の呪いをこんな形で使役するなんて」

「言っただろう。四年前と同じだと思うな、と」

 

この四年で大きく成長したリヴィエール・グローリア。一分の隙も見せず、慎重に間合いを詰める。一瞬の油断が、この女には命取りだ。

 

魔物の手から放たれた火球を斬りふせる。煙幕に紛れ、リャナンシーは風刃を繰り出していた。

 

カグツチを上下に振るう。斬撃と共に、斬れ味を纏った炎の刃が飛翔する。風刃と炎刃がぶつかり合い、凄まじい熱風を巻き起こした。

 

「炎の形態変化だけでなく斬撃のエンチャントまで……努力の好きな天才って、これだから始末に困るわよねぇ」

「お褒めに預かり恐悦至極……と言いたいところだが、小手先の手妻上手と言われたようで、少し不愉快だな」

 

チャキリ、と刀を鳴らす。半身に構え、腰を落とした。

 

「さにあらず、という証拠を見せるが、構わないな?言っておくが俺の剣は荒いぞ」

「お母さんより?」

「てめえの身体に聞いてみろ!!」

 

槍と剣が撃ち合う。避けるのはほぼ不可能と判断したリャナンシーは武器による防御を選択していた。

 

風の魔法により、リャナンシーの速度は飛躍的に上昇している。並みの使い手では目視することすら不可能だろう。しかしリヴィも負けてはいない。先ほどまでは反応するのが精一杯だったが、今は完全についていってる。

 

───このままじゃ死んじゃいそうねぇ

 

どちらかはわからない。しかし、このままでは取り返しがつかない結果になることを妖精は感じ取っていた。このままでは自分が消滅させられるかもしれない。妖精リャナンシーとしてはそれも悪くはないが、

 

───どっちに転んでも困るわねぇ

 

今日までこんな姿になろうと生き残ってきたのはある目的を果たすためだ。そのために100年という時をリャナンシーは魔物として過ごした。その目的を諦めたくはない。そして、リヴィエールはリャナンシーにとっても重要な存在になりつつある。この若さで自分がわざと残した呪いの抜け道にたどり着き、見事に運用してみせたのだ。こんな所でこの天才を失うのはあまりに惜しい。

 

「ちょっと、不本意だけど…」

 

もう一つの優位性を使う事をリャナンシーは決断した。赤黒い槍が鈍く光る。

 

「輝きなさい、光の槍(ブリューナク)

 

閃光が彼の刀を撃った。

 

 

 

 

───もうひと押し!

 

刀と槍が火花を散らして激突した。刀と槍と炎が虚空を薙ぎ払う死闘は未だ続いている。しかし、終わりは近いと黒髪の剣士は確信していた。リャナンシーと撃ち合いながら、リヴィエールは確かな手応えを感じていたからだ。

 

───武の腕では俺の方が上だ。魔法はリャナンシーが上だが、それも黒塵の力で拮抗させている。

 

この分析は正しい。リヴィエールはアマテラスとカグツチを駆使し、リャナンシーを確実に追い込んでいっていた。現に今も肩からわき腹までを黒刀が切り裂く。

 

「お前には聞きたいこともあるが、悪いな。お前相手に手加減してやるには心と時間の余裕がない」

 

トドメと言わんばかりにカグツチにアマテラスと黒塵を纏わせる。槍で防いでも炎がリャナンシーを焼く。チェックメイトと判断したリヴィエールは正しい。

 

リャナンシーは槍でカグツチを受けた。当然想定内。このゼロ距離の間合いからアマテラスを最大出力で展開すれば流石のリャナンシーも逃げ場はない。

 

「輝きなさい、光の槍(ブリューナク)

「……っ!?」

 

終わりだと言おうとした瞬間、彼女の持つ槍が鈍く光る。ゾクッと背中に嫌な感覚が走った。ヤバイと7つ目の感覚が警鐘を鳴らすと同時に飛び下がった。

間合いから離脱するリヴィエールの追撃に、リャナンシーが槍を投擲する。凄まじい速度で迫る死の槍の穂先をリヴィエールは剣で迎え撃とうとした。

 

───え……

 

衝撃は一瞬。

 

リヴィは剣を振り下ろした姿勢でその場に固まっていた。青年が握りしめていた黒刀は刀身半ばで途絶えていた。鋒は宙を舞い、硬質な音と共に地面に衝突する。

 

───カグツチが……折れた

 

ありえないと思うのと回避動作を取ったのはほぼ同時だった。飛び退いてリャナンシーの間合いから逃れる。刀身が半分になった剣を構え、美しい魔物に対する。来るなら来いと闘気が語っていた。それを虚勢と笑う気はリャナンシーには起こらなかった。確かに彼ならば折れた剣でも充分に戦えるだろう。

 

「牙が折れても剣は放さない、か。素敵よ、あなた」

 

感心したようにリャナンシーは目を細め、槍を降ろす。彼女にもう戦う気は無い。これ以上はお互いにとって無益なだけだ。

 

「リヴィ!」

 

遠くから、アイズの声が聞こえる。チラリと視線を向けるとリヴェリアと二人で猛然とこちらに向かって走っていた。

 

「バカ来るな!おま──」

「他の女なんて見てる余裕あるのかしら」

 

耳元でリャナンシーの声が囁く。折れた剣を後ろに向かって薙ぎ払うが虚空を斬る。背後から抱きすくめられた。

 

「つかまえた♡」

 

甘い声と匂いが全身をくすぐる。次いで耳を優しく噛まれた。リヴィエールは指一本動かせない。こいつが少し力を入れれば彼の体は八つ裂きになるだろう。アイズとリヴェリアにもそれはわかった。二人の動きが止まる。

美しい魔物は満足げに頷くと、右手で彼の頬を触り、左手で腹から下腹部辺りを丁寧に撫でまわす。

 

「ふふ、懐かしいわねぇ、あなた。千のキスの続きでもしましょうか」

 

リヴィエールを抱きしめるリャナンシーの腕に力がこもる。彼女の吹きかける息が頬を撫でた。

 

「構うなリーア!俺ごと……」

「覚えてるぅ?四年前、私が言った事を」

 

足手まといになるのはゴメンだったリヴィエールは自分ごとこの魔物を滅ぼせと己の師匠に言おうとした時、意図を計りかねる発言がされる。どういう意味だと思案していると続きが語られた。

 

「私を愛して、受け入れて。他の全てを捨て去って。もちろん私も愛するわ。私のすべてであなたに尽くす。呪いを解いて、力を与える。惜しみない愛を力に変えて。私の知る全ても貴方に教えてあげるわ」

「……愛した男に才能を与える代わりに命を奪う妖精、リャナンシー、か」

 

リヴィエールは剣士であると同時に、楽士でもある。専門分野ではないが、詩を謳ったことは彼にもある。詩に詠まれるリャナンシーの事はそれなりに知っている。魔物となっても妖精としての特性は強く備えているらしい。

 

「どう?私を愛してくれる気になったかしら」

 

緊張で硬直していた左腕を動かし、彼女の手首を握る。

 

「アマテラス」

「あらぁ、残念」

 

左手から黒炎が巻き起こるより一瞬早く、背中を蹴り飛ばされる。態勢を整えながら剣を構えると、リャナンシーは遥か上空に浮かんでいた。

 

「貴方の成長に免じて、今日はこの辺りにしておいてあげるわ。元々戦う気は無かったわけだしね。それに…」

 

これ以上戦ったら、貴方が死んじゃうから。

 

「また会いましょう。私の愛しいリヴィエール。その時まで、どうか死なないで」

 

リヴィエールが反応する前に、リャナンシーは18階層の泉へと飛翔していく。

 

「っ、まっ」

 

彼女を追うべく走り始めたリヴィエールだったが、中断を余儀なくされる。黒塵が身体から剥がれ落ちた。全身を染め上げていた黒は霞のように消え失せ、瞳の色も琥珀から翡翠色へと戻る。髪は腰近くまで伸びたままだが、黒ではなく、最近見慣れ始めた白髪へと戻った。

 

───時間切れ…

 

彼が考えることができたのはそこまでだった。ドクンと大きく心臓が鳴る。スキルの副作用が来る。

 

───まずい、すぐにこの場を離れないと

 

あと少し、せめて人目のないところへと走ろうとしたその時

 

「リヴィ!!」

「っ、アイズ」

 

背中から抱きつかれる。振りほどきたかったが、今のリヴィエールにそんな力は残っていない。

 

「良かった……いつものリヴィだ」

 

───アイズ、今は……

 

背中に頭を押し付けて来る彼女に対して、今は焦りの感情しか起こらない。

 

───今ここで、こいつの、アイズとリヴェリアが見てる前で倒れるわけには……

 

そんな想いもむなしく、副作用がやって来る。

 

「あ、がァアアアアアっ!!」

 

強引にアイズを振り払う。それと同時に地面に倒れ飛んだ。体を内側から焼く激痛に、リヴィエールは地べたに血反吐をぶちまけ、のたうち回る。

 

「リヴィ!?」

「リヴィエール!どうした!?」

 

二人の声に応える事は出来ない。それをするためには心の余裕がなさすぎた。

 

「し、ししししァアアアアア!!」

 

うち回る姿はまさに発狂と呼ぶにふさわしい。手を内腑に直接突っ込まれ、抉り、引き裂かれる感覚が間断なく襲ってくる。

 

「ぐぅ……ぎぃっ、あ、あ、ぁあああああ!!?」

 

たまらず手首に噛みつく。肉を犬歯で突き破り、痛みの意識を移すことができればと無意識に体は己を痛めつける事を選択していた。

 

───痛い苦痛い激痛いイタイ抉れ抉れ抉れエグれるえぐれれれられれられれれれれ

 

頭の中でシンバルが鳴り喚く、ら皮膚の下でシャリシャリシャリシャリ無数の虫が這い回る。悍ましい感覚に気が狂いそうになる。

 

いっそ狂って仕舞えば楽になれるのだろうか?この痛みに耐えるのではなく、委ねてしまえば俺は終われるのだろうか?

 

しかしそんな安易な終わりを、この罪と咎に塗れた身体が許してくれるはずもなく───

 

「──ゴブッ」

 

粥になった内臓がトロトロと口端から漏れた。血管がぶちぶち切れていくのがわかる。

 

「───あっ、ああ、ァアアアアアっ!!」

 

とうとうカグツチを抜き放ち、半分になった刀身を己へと向ける。定めたのは自身の左目。正気を取り戻すため、剣で眼球を抉り取るという狂気に身を委ねようとしたその時だった。

 

「何やってんだよ、アンタは」

 

折れた剣を握る左手が強い力で止められる。強く掴まれる感覚に、少し正気が戻る。同時に衝撃が手に走り、俺の手から得物を奪った。

 

「───アイ、…シャ」

 

狂気から浮上した先に両の目が映したのは彼の秘密を知る数少ない人間の一人。

 

「お前……どうし、て」

「アンタの側に私がいるのに理由がいるかい?」

「…………はは、お前って、ホント」

 

いい女、と言えたかどうかはわからない。視界が暗く沈んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「無茶をしたね、リヴィ」

 

あの夜と同じだ。乱れた白髪。血みどろに沈む長身痩躯。そんな中で穏やかに眠る端正な顔つき。あの夜の街で出会った、あの時と。

 

「お前は……」

 

アイシャの背中に声がかかる。背後にいたのはリヴィエールが心から信頼できる数少ない2人であった。

 

「貴方には初めましてだね。イシュタル・ファミリア所属。アイシャ・ベルカよ」

「ロキ・ファミリア副団長。リヴェリア・リヨス・アールヴだ」

 

直に会ったのは初めてだが、アイシャは初対面の気がしない。顔立ち、瞳の色、佇まい、そして何より纏う高貴な覇気。腕の中で眠る彼とよく似ている。

 

「リヴィエールから聞いている。貴方があいつが心配していたアマゾネスか」

「へぇ、そりゃ驚きだ。リヴィエールが私を心配するなんて、ね」

「そのお前が、なんで此処に、そしてこのタイミングでいる?」

「私もこいつと同じ。こいつを心配して、探していたんさ」

 

あの怪物祭以来、一度たりとも連絡をよこさなかったこの男に一言文句を言うため、心当たりを調べ回っていた。どれもが空振りした後、彼女はダンジョンへと向かった。冒険者である以上、此処には必ず訪れる。意外と知られていないが、行方不明の冒険者を探すには、下手に動き回るより、リヴィラの街で張っている方が効率的なのだ。

 

半分に折れた剣をアイシャが鞘へと納める。吹き飛んだ鋒も拾った。

 

「これ直るのかなぁ。私武器の扱いは専門外だからなぁ」

 

まあ、いいか、と思い直す。彼ならば半分になった刀身でもかなり戦えるだろうし、しばらく戦えなくなったとしてもそれはそれでいい。少し彼は休息を取るべきだ。

 

「後の事は任せといて。こいつの事なら大丈夫、ただの仕様だから」

 

彼を抱き上げ、ダンジョンから出ていこうとするアイシャを止める事はアイズにもリヴェリアにも出来なかった。彼の今の惨状に関して、二人はあまりに無知だ。

 

「リヴェリア、何があった?リヴィエールは?」

 

レヴィスを退け、フィンが応援に駆けつけたのは、二人が闇の中へと変えてから暫くが経ってからの事だった。

 

 

 

 

 




アイシャがイケメン過ぎる…そしてリヴィエールがヒロイン過ぎる。励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。


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Myth35 私を置いて行かないで!

 

 

 

 

 

 

 

「ニャ?」

 

早朝、開店の準備をしていたキャットピープル、アーニャの手が止まる。まだ店開きもしていない時間帯に、思いがけない人物が訪ねてきたからだ。

 

「あの、すみません」

 

遠慮がちに口を開いた訪問者は朝靄の中にあっても眩く金色に輝くロングヘアに金色の瞳が特徴的な、人間離れした美貌を持つ剣姫、アイズ・ヴァレンシュタインだった。

 

「まだ開店時間じゃニャい。朝食ならもうちょっと後に」

「ご、ごめんなさい。違うの。ここにはリヴェリアに言われてきて」

「リヴェリア?ああ、店の予約かにゃ?」

 

冒険者がひっきりなしに訪れる豊穣の女主人は基本的に飛び入りだが、集団で宴会をするファミリアは時折予約をしてくる。キャンセルになることも多いが、集団での来客は事前に言ってもらえると非常に助かる。

 

「あの、リヴィ、居ますか?彼、ここを根城にしてるって聞いて…」

 

その名前が出てきたことにアーニャはゴクッと唾を飲む。なんでこの子が知ってる、と思ったが、すぐに理由はわかった。そういえばアイツ、リヴェリアには教えたと言っていた。彼女から伝わったとしても、なんら不思議はない。

 

「大丈夫、誰にも話してません。これからも誰にも話しません。お店に迷惑かける事はしないです」

 

絶対に他言無用と言われている彼の存在を知っている事はそれだけで危険が伴う。匿っていることが知られては良くも悪くも騒ぎになるだろう。そのせいで店の評判が落ちればミアは容赦なくリヴィエールを追い出すはずだ。そうなる事は友人として、アーニャも避けたかった。

そしてそこまで考えたかはわからない、とゆーか恐らく店というより、リヴィエールを気遣ってアイズは無理矢理乱入したり、騒ぎ立てたりする事はなかった。ただ、確認に来ただけだった。

 

「あの、今は会えない、ですか」

 

無言の肯定を返す。理由はいろいろあったが、少なくとも、今は会えない。

 

「あの、ならこの手紙を、リヴィに」

 

耳元で囁いた声と、紙片とともに握りしめられた手は少し震えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

グシャリと嫌な音が夜の陰に紛れて鳴る。音源には顔面血塗れになった男が横たわっていた。傍に転がる袋を加害者だろうアマゾネスが拾い上げる。ジャラリという金属が擦れ合う音が響いた。

 

「全く後を絶たないよねーこういうバカ。逃げ切れると思ってんなら相当幸せな頭してるね」

 

一夜の享楽に紛れ、外と繋がり、娼館の金を奪う。冒険者になれず、かといって一山当てる事も出来なかった連中がこういう事に手を染める。潰しても潰してもキリがない。そのおかげで仕事があるわけだが、辟易はする。アマゾネスは強い男が好きだが、弱者を嬲る事は好きではない。いや個人差はあるだろうけど。

 

「ねー、隊長はー?」

 

オラリオ夜の街、娼館街の自警団を務める隊員の一人が、自分たちの長の不在を嘆く。しかし、同行している団員はぼやいた同僚に、知らないのか?という目線を向けた。

 

「アイシャさんなら自警団辞めたよ。こないだ正式に受理されてた」

「えー!なんでー!?」

「だってあの人イシュタル・ファミリア所属とはいえ、既に身請けされてるんだから、わざわざ娼館街守る理由はもうないし。金稼ごうと思えば、あの人ならこんな事しなくてもずっと簡単にたくさん稼げるわけだし。今まで続けてた方が不思議なくらいよ」

「確かにそうだけど、でも随分急じゃない?身請けされてから結構経つじゃん。なんで今更?」

「詳しい事はよく知らないけど、しばらく冒険者に専念したいんだって。ほっとけないヤツがいるんだって言ってた」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜もとっぷりと暮れ、誰もが眠っている時間。世界の中心たるオラリオもその例外ではない。

しかし、そんな夜更けの屋根の上、何かを持って一人佇む人影があった。夜の闇に逆らうような真白の白髪が夜風に揺れる。男性にしては随分と長髪で、屋根の上についていた髪が風で舞い上がった。

 

───どうしよ、コレ

 

半分になった黒刀の刀身をもって、白髪の剣聖は途方に暮れていた。この惨状は流石のリヴィエールといえども、どうしようもない。ここまで綺麗に壊れてしまっては活かすにはもう脇差にでもするほかない。

 

───椿に殺される…

 

ため息をつきつつ、暫くはこの刃っかけで戦う事を決意する。若干リーチは短くなったが、所詮剣は手の延長。半分もあれば十分に戦える。

 

しかしどうしてこうなってしまったのか。不壊属性を持つカグツチが真っ二つにされるなど、本来ならありえない事だ。しかし目の前の事実がその常識を否定している。

 

───いや、大方の予想はもうついてる。

 

折れた刀身の断面を見たとき、この刀の唯一の弱点を知っているリヴィエールはこうなった原因に察しがついていた。確信に至っていないというだけだ。

 

───………っ

 

ボヤッと視界が霞む。ノイズが耳の中で木霊した。眩んだ頭を包帯に巻かれた手で抑える。手だけではない。青年は体中に包帯が巻かれていた。僅かに隙間からは火傷の跡が見える。

 

───刀の損傷もひどいが、それ以上に俺がヤバイな

 

グッと一度目をこする。すると靄はなくなり、耳も夜の静かさを知覚した。

 

───魔物化(モンスター・フォーゼ)の侵食……前より酷くなってる

 

スキル【咎人】が発現し、呪いを手中に収めてから、リヴィエールは何度か魔物化を試していた。手に入れた技術をぶっつけ本番で使う程大胆ではない。

その時も副作用はそれなりにあった。使用後の全身の火傷。数時間に渡るブラックアウト。とてもソロで使える技術ではないことは知っていた。

 

しかし、活動限界まで行使したのは今回が初めてだった。アスフィが作り出したバングルは黒塵の利用を助けるだけでなく、安全弁の役割も果たす。彼の意思に関係なく、スキルが解除されたのは、バングルがスキルを強制終了させたからだった。

 

ドロリと生暖かい何かが頬を伝い、滴り落ちる。血だ。自分の目から溢れている。

目の端を拭う。自嘲するようにリヴィエールは笑った。

 

───さて、あと何回使えるか。というか、あとどれくらい時間が残されているのか…

 

長くはあるまいと推察する。今までこの身体には随分と無茶を強いてきた。悲鳴をあげてもなんら不思議はない。

 

───時間が欲しい……

 

そんな事を考えた自分に驚く。少し前まで全く思わなかった事だ。ただひたすらにダンジョンに潜り続けた一年間。己を焼く黒い炎から逃れる術は強くなることだけだった。 ルグのために、自分のために。

そんな時間に嫌気がさした時もあった。あれほど無茶な強行軍を繰り返し続けたのは、破滅願望もあったのかもしれない。誰でもいいから俺を殺してくれと思った事も、一度や二度ではない。

それなのに、今は心の底から思う。時間が欲しい、と。

 

ようやく見え始めた光明。掴みかけている尻尾。閉じていた無限回廊の出口が、やっと現れてくれた……やっと。

 

───もってくれよ、せめて真実にたどり着くまでは

 

「…………起きたの?」

 

意識が握りしめた拳から移る。背後から声が聞こえてきたからだ。振り返らなくても誰かはわかる。艶やかな黒髪に褐色の肌、蠱惑的な肢体を持つアマゾネス。褐色の肌は月の光を反射するかのように煌めいている。

 

───ったく、ツヤツヤしちゃってまぁ…

 

女の幸せを全身で表現している自身の情婦を見て、憤然とする。実はあの後、リヴィエール達はリヴィラの街に滞在していた。さすがのアイシャも気絶したリヴィエールを抱えて18階層を登る事はできない。上に上がったフリをしてしばらく姿を隠し、ロキ・ファミリアの面々が上層へと戻った頃合いを見計らってリヴィラの街で宿をとった。

二日後、目覚めてすぐ押し倒されたリヴィエールは結界の魔法を張り、昨晩たっぷり十時間は相手をさせられた。借りがあった手前、文句も言えず求められるがままに肌を重ね、体液という体液を交換し、お互いを貪りあった。

その後、色々な液体でベタついた肌を泉で洗い流し、身を清めた後、ダンジョンから出たのである。

 

そして今は豊穣の女主人に滞在していた。1日泥のように眠り、今は体力の回復に当てている。その甲斐あって、ある程度体も動くようになった。その間もアイシャはずっとそばに居て、献身的にリヴィエールの看病に努めていた。

 

夜中に目が覚めたリヴィエールは起こさないようにこっそり部屋を出たのだが、どうやら起きてしまったらしい。振り返ると同時にごく自然な動作で血のついた右手を拭き、屋根に落ちた血を拭う。

 

「起こしたか?済まなかったな」

「…………」

 

無言で隣りに座る。フスー、と鼻から大きく息を吐いた。いつもの凛とした美貌は鳴りを潜め、不服そうに頬を膨らませるアイシャの横顔に、リヴィエールは何も言うことができない。

 

「…………身体はどう?」

「ああ、もう大丈夫だ。ありがとうアイシャ。礼を言う」

「…………それだけ?」

「え?……えっと……お前、ずっと俺につきっきりだけど仕事は大丈夫なのか?歓楽街の自警団は多忙と記憶しているが……そんな怖い目で睨まんでもええやん。冗談、冗談だって」

 

的外れなことを言った事に対し、凄まじい形相で睨みつけられる。気の弱い者ならこの目だけで腰を抜かす事だろう。わざと外した意図は確かにあった。冗談だって、と謝罪するとアイシャはフンッと顔を背ける。

 

ほら、私怒ってるのよ?それぐらいわかるでしょう?どうして私がこんなに怒ってるか、もう一度胸に手を当てて考えて!いちいち言わせないで!

 

時折こちらに向けてくる視線と怒気が雄弁に彼女の心中を物語っている。三日三晩眠っていた男は心当たりが多すぎて何から言えばいいかわからなかった。

 

「えっと……その、ごめん」

「はぁ?何が?」

「なにがって、そりゃ…」

 

謝ったら許してもらえるとでも?と大書されたその背中に困窮する。

 

「そ、そうだ!腹減ったろう?今日は俺が何か作ろう。アイシャ、なに食べたい?」

「アンタのゴハン作るのは私の役目。取ったら抜かず10発を10日間毎日スるから」

「…………はい」

 

話を脱線させて、腹膨らませてごまかす作戦失敗。これ以上下手な事は言えない。この女はマジでヤる。それなりに性豪であると自負しているが、その方面に関してアイシャは俺を遥かに上回る。こいつ相手にそんな事になれば俺は確実に腹上死する。

 

───やはり此処は正面突破か…

 

二、三発殴られることを覚悟し、背筋を正す。みしりと身体が嫌な音を鳴らし、痛みを訴えたが、無表情を貫いた。

 

「アイシャ」

「なに?」

「心配かけて、ごめん」

 

頭を下げる。暫く静寂が長屋を支配した。何も言われない状況に恐怖しつつ、頭を下げ続ける。今度は口から、諦めたようにはぁーと大きな溜息をついた。

 

「もう二度と目を覚まさないかと思った」

「……………………」

 

あの戦いからすでに4日が経っている。その九十六時間のうち、リヴィエールは四十時間もの時を眠ったまま過ごしていた。

 

「二日間……いや、貴方がいなくなってから、私がどれだけ心配したと思ってる?」

「………ホントごめんなさい」

「リヴィラで貴方の手当てをした時に、焼け爛れた貴方の体を見た私の気持ちがわかる?」

「いや、わかんないですけど」

「でしょうね。簡単にわかってたまるか。あーマジひっぱたいてやりたい」

「謝るから勘弁してくれ」

 

この身体でアイシャの平手打ちなど食らっては本気で命が危うい。

 

「警備隊の仕事なら先日辞めたよ」

「え?」

 

急に話が変わった事に驚いたのもあったが、それ以上に語られた内容に驚いた。

 

「よくイシュタルが許したな」

「もともとあの辺で暴れるようなバカは冒険者崩れのザコか、なり損ないしか居ない。私ほどの腕がなくても充分務まる仕事なのさ」

「それでも随分急な…」

「急じゃないさ。半年くらい前から辞めたいって言ってたから」

 

半年、と一言呟く。彼がアイシャを身請けしたのもそれぐらいだった。

 

「…………自惚れ承知で聞くが、俺のためか?」

「他に何がある」

 

───わぁイケメン。惚れてまうやろ

 

今度はリヴィエールが大きく溜息をついた。アイシャは軽い方なので忘れていた。こいつもアマゾネスなのだ。しかも一筋タイプの。愛が重い。

 

「改宗したわけじゃないんだろうな」

「それは勿論。利益はイシュタル様に献上する事が冒険者稼業に専念する条件だったからね。あんたんとこのヘボファミリアを頼るつもりは今の所ないさ」

「ならいい」

 

両手を後ろについて、空を見上げる。弧を描く三日月が夜を照らしていた。左肩に重みを感じる。黒髪のアマゾネスが頭を預け、背中に手を回していた。リヴィエールも黙って腰を抱き寄せる。

 

「ねぇリヴィエール?」

「ん?」

「子供欲しい?」

 

屋根から落ちそうになる。いきなり何を言い出すのかこの子は。

と、リヴィエールは考えていたが、黒髪の美女にとってはいきなりでは決してなかった。アマゾネスは常に強い子孫を求めている。今までよく我慢していた方なのだ。

 

「なんだ突然」

「いやそう言う願望ないのかなって」

「…………今の所、その気は無いけど」

 

少なくとも、冒険者をやっている限り、ないだろう。いつ死ぬかもわからないのに、これ以上身内を増やすつもりはない。

 

「リヴィエール、死ぬ人の顔してる」

「?」

「未来より今のことしかない人の顔。この一刀が振り下ろせるなら、あとはどうなっても構わない。そんな事を考えてる人の顔」

「………………」

 

最近はそんな事もないんだよ、と言いたかったが、言えない。思い当たる節がないわけでは無いからだ。安易に肯定するつもりはなかったが、否定もできなかった。

 

「いつも考える。アンタがどっかに消えない方法」

「…………おいおい、さっきの、まさかそんな理由か?」

「そんな理由?」

 

ジッと睨まれる。さっきのように怒りが籠っていたわけでは無いが、怒り以上に熱い炎が目の奥で見えた。

 

「私にとってはこれ以上なく、大切な理由さ」

「…………悪かった」

 

理由の価値観は人それぞれだ。安易に軽く扱っていいものではない。リヴィエールは素直に謝罪した。

 

「…………んじゃ、私はそろそろ行くよ」

 

しばらく無言で睨みつつ、肌の温もりに身を委ねていたアイシャは意を決したように立ち上がった。これから歓楽街の方に戻らねばならないらしい。自警団を辞めたとはいえ、イシュタル・ファミリア副団長の立場まで辞めたわけではない。もう何日も無断で外泊してしまった。これ以上ホームを空けているわけにも行かない。

 

「俺もちょっと出るか。椿のところに行くのはもうちょい後にするとして……」

 

今回の事件の顛末をシャクティから聞かなければならない。あの赤髪の調教師についても、連中なら何かしら掴んでいるはずだ。

 

「やっぱ直んないの?ソレ」

「太刀としての復活は不可能だな。椿なら脇差に磨りあげる事くらいはできるだろうが……」

 

その為にはこの惨状を椿に報告しなければならない。うん、殺される。

 

「アンタって、時々子供っぽいよね。そこが可愛くもあるけど」

「うるさい、緊急時じゃないんだ。やな事は出来るだけ後に回して何が悪い」

「あ、リヴィエール。居ないと思ったらここに居たにゃ」

 

屋根から二人が飛び降りる寸前、背中から声が掛かる。この酒場で働くキャットピープル。アーニャだ。彼女から俺に会いに来るとは珍しい。

 

「何か用か?」

「剣姫から預かり物にゃ。目を覚ましたら渡して欲しいって」

 

紙片が風に乗って飛ばされる。リヴィエールが何かを軽く唄う。するとまるで誘導されるかのように紙は彼の手に収まった。

 

───アイズから?一体何を…

 

「まあお前、全身火傷でボロボロだし、多分無理にゃよって言っといてはやったから……って、にゃにゃ!!?」

 

降ろしていた鞘を腰に差し、リヴィエールは屋根から飛び降りた。あのバカ、と一言呟く。そのまま走り出そうとしたその時。

 

「──グッ」

 

手を強く掴まれる。火傷がジンと痛みを訴えた。傷が完治していないのもあるが、それ以上に凄い力だ。

 

「剣姫から?」

「───ああ」

 

手紙の送り主とそれを見て血相を変えたリヴィエールに苛立ちが募る。アイシャは彼がこれ以上ロキ・ファミリアに……というか、剣姫と関わることを良しと思えない。女としての嫉妬も無くはないが、それ以上に彼への心配の気持ちが強い。

 

「彼女に関わるとアンタはまたきっと傷つくよ」

 

アイシャの言っていることは正しい。自分がこんなに怪我をするようになったのはアイズ達と再会した途端だ。それまでは無傷とは言わないが、気絶するような事態になる事は断じてなかった。

それなのに、彼女達と関わり始めたこの短期間で二回も怪我をして帰ってきている。これ以上は情婦としても戦友としても看過できない。

 

「それにそんな武器で駆けつけてもあんたに出来ることなんて──」

 

一閃。

 

言葉を剣圧で遮られたアイシャの黒髪が数本、落ちる。甲高い金属音がした時、リヴィエールはすでに納刀を終えていた。

 

───抜刀どころか、納刀さえ見えなかった……

 

「悪いな、行かないわけにはいかないんだ」

 

何でかは自分にもよくわからない。でも、アイズを見捨てるということが、彼にはどうしても出来なかった。

 

「…………やっぱり、私なんかが行かないでって言っても、無駄か」

 

リヴィエールの足が止まる。踵を返し、顎を引き寄せ、唇を合わせた。

 

「すぐ戻る。心配するな」

「うるさい、死んじまえバカ」

 

背中越しに聞こえた声は少し震えていた。

 

───俺だって、本当は行きたくねえよ

 

『リヴィエール。目が覚めて、体が大丈夫だったらでいい。この間、デートで訪れたあの教会まで来て欲しい。私はウダイオスにソロで戦いを挑む。結果がどうなるかは私にもわからない。だから、貴方に見届けて欲しい。もちろん優先することがあれば私の事は後回しで構わない。私はいつまででも待ってる』

 

ウダイオスは階層主。まごう事なく最強クラス。タイマンでやるなら魔法なしでは自分すら危ういかもしれない。少なくとも誰か一人、側にいなければ勝っても負けても命に関わる。

 

俺が行くまで無茶はするな

 

自分で考えておいて白々しい。無茶しないアイズなら今俺はこんなに必死で走ってないだろう。半分になった刀の柄を握り、教会まで駆けた。

 

 

 

 

───今日も来ないかな、リヴィ

 

以前、二人で歩いた時に休憩に立ち寄った大聖堂。ステンドグラスの前で体育座りをしながら、金髪金眼の少女は教会の扉が外から開かれるのを待っていた。

 

膝に顔を埋めつつ、さきの戦いを思い出す。といっても、彼がいなくなってから、アイズの記憶はあまり無い。一旦ダンジョン攻略は中断となり、地上に出たまでは何となく覚えている。

 

その後、フィン達は報告のためにロキの元へと向かった。事件の顛末やギルドに報告。事後処理は山のようにある。

 

それらの後始末を全てリヴェリアやフィンに押しつけ、アイズは朝から晩まで、ずっとこの教会に通い詰めていた。

 

「アイズ、最近ずっと夜遅くまで出かけてるけど、何してるの?」

 

深夜に帰宅したアイズに一度、フィンが詰め寄った事があった。いや、フィンだけでは無い。三人娘やリヴェリアも何度かコンタクトを取ろうとした。しかし、アイズは何でもないの一点張りだった。

 

怪我をして帰ってきてるわけでもないことから、ダンジョンに一人で通っているわけでもない。しばらくそっとしておこうというのが、彼らの出した結論だった。

 

そんな事になってるとはつゆ知らず、アイズは今日も早朝からこの教会に来ていた。身体を動かし、稽古をしながら、かの人を待っている。

 

───やっぱり、あんな事頼んじゃ、ダメだったかな……

 

手紙を豊穣の女主人に置いてきたことを少し後悔する。あの時も実はあんまり覚えていない。一人で挑むつもりだったのに、気づいた時にはもう手紙を書き、アーニャに頼んでしまっていた。

 

───リヴィ、辛そうだった。痛みに苦しむ彼なんて、初めて見た

 

ずっと一緒にパーティを組んでいたアイズはリヴィエールがやられた姿を見た事は何度かある。彼はいつも自分より強い相手に挑んでいたから。

吹き飛ばされ、叩きつけられ、打ちのめされる。そんな事を繰り返して、自分たちは強くなったのだ。

しかし、どんな時であろうと、彼が痛いや苦しい時で弱音を吐いた事はなかった。吹き飛ばされても、叩きつけられても、打ちのめされても立ち上がり、最後には必ず勝利する。心の強さこそが剣聖の最大の武器だ。

痛みに耐えかねて声を上げる事すらアイズは見た事がなかった。アイズだけではない。彼の師匠ぇあるリヴェリアもだ。恐らくは強烈なプライドが無様を晒す事を許さなかったのだろう。彼ほどやせ我慢強い男を二人とも知らなかった。

 

そのリヴィが大勢の前で臆面もなくのたうち回った。絶叫し、胸を掻き毟り、血が出るほど手首を噛み、あまつさえ、目を抉ろうとすらしていた。

 

恐らくあのスキルの弊害だろう。黒塵を纏うことにより、身体能力、魔法力、全てを向上させるあの能力。あんなデタラメな力を使ってリスクがない方がおかしい。

 

───っ…

 

先日のことを思い出す。黒塵が炎のように彼の体から溢れ出し、包み込んで行く。その背中はかつて炎の中に消えていった母親の姿を思い出させた。

 

───リヴィ…

 

心の中で彼の愛称を呟く。親しい者にしか呼ばせることを許さない、その名前を。この名前を心で呟くたび、愛称で呼ぶことを許してくれたあの時が鮮明に蘇る。随分昔の事だというのに、その時をアイズは昨日のことのように覚えていた。脳裏に映る剣聖は今よりずっと幼い。初めて出会った時はお互い少年少女だった。

 

───初めて会った時から、特別な人だって思った。

 

モンスターに追い詰められ、途方に暮れていた自分を救ってくれた時は、父の背中が彼と重なった。そして笑顔を向けてくれた時は母の面影を彼から感じた。初めて会うのに、心はこの人に会う事をずっと待っていたと知っていた。

 

───あなたに、会いたい。

 

一年間、それだけを思って戦ってきた。どんな形でもいい。もう一度、あの手に触れたい、と。

 

再会を果たした時は怖かった。またいなくなってしまうのではないか、と。そればかりを考えていた。

 

先日、私は彼を畏れた。黒く染まった彼の背中に守られながら、その異形に震えた。

 

そして今は、ただ会いたい。私を一人にしないでくれていた彼はきっと今一人ぼっちだ。

 

『あの子、性根は怖がりなんです。初めて出会ったあの子は孤独を強いられ、警戒しか知らずに育った狼でした』

 

ルグが語った彼の本質は自分にも大いに覚えのある事だった。彼と私は本当によく似ている。

 

ただ一つ、違うのは、自分は彼に比べて、どうしようもなく弱いこと。

 

───リヴィはたった一人であの二人と互角以上に戦っていた。それなのに、私は……

 

再び内面に意識を落とす。あの赤髪の調教師の実力を。激しく襲いかかってくる苛烈な姿を。白髪の剣士が彼女を圧倒する光景が鮮やかに思い出された。

 

───何もできなかった。私はまた、護られた。私がもっと、強ければ…

 

リャナンシーと呼んでいた美しい魔物に、リヴィエールは負けてなかった。多分、一対一なら勝っていた。私があの調教師に負けたから、リヴィエールは倒れたのだ。

 

───あの人を、リヴィをあそこまで追い詰めたのは、私だ。

 

赤髪の調教師はアリアを知っているようだった。しかし、今はそのことに関してはあまり考えられなかった。どうでもいいとまでは言わないが、それ以上に思うことがあった。

 

───また私は、彼の背中を見送ることしかできなかった。

 

闇に消えていくあの細い背中をもう何度見ただろうか。その度に今度こそ逃げないと誓いながら、自分はまた繰り返す。

 

『お前は俺なんかよりよっぽど強いよ』

 

彼は嘘をついたつもりなどないだろう。だが、アイズにとってはその言葉はひどく虚しい。だって自分は、彼よりはるかに弱いから。

 

───私の悲願(ねがい)……

 

誰よりも強くなる。母のように。彼のように。私はあの二人のようになりたかった。それが私の悲願。

 

───それはきっと、届かない

 

レベル5において限界が来ていることは知っている。もう三年もここで燻っている。剣聖と剣姫。二人並び称された時期もあったが、今はもうその差は開くばかり。

止まったままの亀に対し、兎は走り続けている。

 

───待って……

 

行かないで

 

───私を置いて……行かないで!

 

私は、アイズ・ヴァレンシュタインはなんて弱い

 

「アイズ」

 

優しくも力強い声が耳朶を打つ。同時に温もりと少し固い感触が頭上に置かれる。

 

膝に埋めていた顔を上げる。光に目が慣れるのに少し時間がかかった。焦点が合う時間すらもどかしく、目を擦る。

 

真っ先に視界に入ったのは翡翠色の瞳。次に月光を眩く反射する滑らかな白の長髪。漆黒の刀を腰に下げ、服装はゆったりとしたローブのような異国風の衣装。

 

───ああ……

 

心が綻ぶ。固く閉ざされようとしていた胸が砂糖菓子のように淡く解けていくのが、わかる。

 

心から言える。私はこの人に出会うために、生きてきたのだと。

 

「おはよう、アイズ」

 

柔らかく笑う。初めて会った頃と変わらない、強く、優しい笑み。普段の凛々しい彼とはまるで違う。親しい者にしか見せないその表情にアイズの心は激しく揺れる。

言いたいことがいっぱいあった。謝りたいことがたくさんあった。しかし、そのどれもが出てこない。柔らかな笑みとは裏腹に、身体中に刻まれている重症の後が視界に入る。

 

「…………リヴィ、身体は……っ」

 

大丈夫なの、と聞こうとした言葉は止まる。圧倒的な感情の奔流に呑まれつつ、アイズは包帯が巻かれた彼の腕に手を添えた。あれこれ思い描いていた言葉は喉に詰まって出てこない。自分が何を気にしているのかがわかったのだろう。苦笑を浮かべ、金の髪を撫でた。

 

「ファッションだコレは」

 

あからさまな嘘に胸が潰されそうになる。不器用で、それでいてどうしようもなく優しい。そんな態度がアイズにとっては無言の刃となり、小さな胸を貫いた。

 

「ごめんなさい」

 

手を握られたまま、包帯が水滴に濡れる。感情の奔流が雫となって彼女の両目から落ちていた。

 

「心配をかけたな、アイズ。すまなかった。許してくれ」

「っ!?………………っ、っ、」

 

無言で何度も何度も顔を横にふる。謝ってほしくなかった。謝りたいのは自分なのだから。

 

「しっかし……俺も相当だが、お前も大概イカれてるな」

 

言葉に呆れを交えつつ、ガリガリと頭を掻く。彼女の姿に自身の過去でも思い返しているのだろう。似ている事が嬉しいような、悲しいような、複雑な気分だった。

 

「ご、ごめんなさい」

 

頭を下げる。無茶なお願いをしている自覚は彼女にもあった。

謝ってくる彼女を見て、呆れと感心、両方の感情が湧く。

 

「だが冒険者としては正しい。冒険をしない者に栄光(グローリア)はありえない。今回はお前の意思を尊重してやろう」

 

このバカ妹が、と額を指で小突く。一人で黙って行っていたらこの程度では済ませなかったが、わざわざ俺に帯同を頼んだ。自分と交わした約束は守っている。

 

「?何してる。行くんだろ」

 

───っ……

 

何も言わず、当たり前のように着いて行くと態度で示した。その無言の信頼がアイズにはとても嬉しい。

 

「ホラ、早く食料だの水だの用意してこい。まさか腰の剣一本で深層まで行く気か?」

「うん、すぐ二人ぶんの遠征の用意をしてくる。待ってて」

 

弾む足取りで教会から出て行く。リヴィが来るのがいつになるかわからなかった為、水や食料の用意だけは後に回していた。その用意へと向かったのだ。

 

教会から誰もいなくなったことを確認するとフッと息を吐き、木造りの長椅子に腰掛ける。やはり身体はまだギシギシ言ってる。身体強化の魔法をかけていなければキツい。

 

「出てこいよ、二人とも」

 

背後に向けて声をかける。見られていることには気づいていた。

 

「リヴィエール…」

 

責めるような視線を小さな勇者、フィン・ディムナから向けられる。なぜ止めなかった、と無言で問い詰められていた。

 

「俺に同行を頼みに来ただけ、まだマシだろう。コレを断ったらあいつはいずれ一人で爆発するぞ」

「お前のようにか?」

 

姉の不機嫌な声が弟を責める。何の事を言ってるのかはよくわかる。そしてそれは事実だ。魔物化は強さだけを求め、走り続けて来た結果によって得た新たな力と呪い。その代償は彼女たちの前で見せた通り。愚か者と罵られても何ら文句は言えない。

 

「そう怒るなリーア。実戦であの力を使ったのは初めてでな。あんな事になるとは思わなかったんだ」

 

嘘である。しかしそんなことは言わなければバレない事だ。

 

「リヴィエール、君は大丈夫なのかい?」

「四日休んだ。問題ない」

「呪いの進行は?」

「体内に蓄積された黒塵はかなり消費した。手加減なしに魔法使っても今日明日どうこうはならんさ」

 

あの事件以降、体内の淀みは随分と薄まった。魔物化の侵食は進んでるが、呪いに関してはかなり軽減されている。おいそれと【咎人】は使えないが、普通に戦うぶんには問題ない。あの赤髪の調教師が相手だとしてもタイマンなら確実に勝てる。

 

ビンの入ったカゴを目の前に置かれる。中身はマジック・ポーションにハイ・ポーション。エリクサーまである。

 

「僕の手持ちの回復薬だ。全て置いて行く。好きに使ってくれ」

「……なんか受け取りにくいな」

 

この愛すべき小さな友人に借りを作るのはとても怖い。何を頼まれるかわかったものではない。

 

「変な事は言わないさ。だがアイズの独断を許したのは君だ。彼女のぶんまで君が責任を背負わなければならない。それはわかるね」

「冒険者たる者、責任は全て己にあると思うが……ま、了解だ」

 

カゴを受け取る為、少し屈む。するとバサリと頭の上に何かが被せられた。

 

「忘れ物だ」

 

頭の上に放り投げられたのは彼の砂色のローブ。物心ついた時からずっと側にあり、母から受け継いだ数少ない物の一つ、【神巫の法衣】。下手な鎧よりはるかに防御力がある衣だ。さすがに諦めていたのだが。

 

「拾ってくれてたのか。すまないな」

「礼ならアイズに言え。お前のローブが落ちている事に気づいたのはあの子だ」

 

帰路に着くとき、彼女はずっとこのローブを抱きしめていた。リヴィエールにとって大切な物である事を知っていたから。

 

「姉さん」

 

緑髪のハイエルフを呼ぶ。オラリオでは…それどころか、世界で彼にしか許していない、その呼び方で。

 

「心配かけてごめん。いつもありがとう」

「…………うるさい、死んでしまえばよかったんだ。お前なんか」

 

思わず苦笑する。つい先ほど、情婦から似たようなセリフを言われたからだ。

 

───まったく、俺の身内には素直じゃないめんどくさい女が多いこと。

 

思えばルグもそうだった。昔はそのめんどくささを嫌ったものだが、今は少し愛しいと思う。

そんな事を言わせたことへの申し訳なさもあったが、愛憎詰まった震える声が少し嬉しかったから。

ごめんともう一度だけ言うとリヴェリアは黙って去り、フィンも『よろしくね』と言い置くと教会の裏口から出て行った。

程なくして、入り口から走ってくる軽快な足音が聞こえてくる。教会の扉が開いた。光の先にいるのは良くも悪くも自分と似ている、憎らしくも可愛い少女。

 

───行くか…

 

ローブを羽織り、歩き始める。かつての自分と同じ冒険をしようとしている愛しい妹分を守るために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




最後までお読みいただき、ありがとうございました。励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。


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Myth36 その台詞を言わないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『お前はお前だろう、俺にはなれないさ』

 

いつだったか、一緒に稽古をしている幼い彼は自分にそう言った。確かアレは貴方のようになりたいと言った時だった。

同じ事を違う人にも言ったことがある。彼はアイズにとって二人目の魔法使い。自分にだけでなく、周りの人を笑顔にできる、不思議な人。初めて出会った魔法使いは母親だった。

 

『あなたはあなただから、私にはなれないよ?』

 

自分とそっくりな声音で彼と同じ返答をする。そういうことじゃないよ、と頬を膨らませると母は無邪気にころころと笑い、少年は不器用に苦笑した。

 

二人の魔法使いは全真逆だった。一人は子供のように純粋で、幼かった自分より無邪気で、人の悪意というものを知らず、知らされず、白い雲と一緒にたゆたう、青空の風の流れ。それが母だった。

そしてもう一人は子供なのにまるで大人のように聡明で。その辺にいる大人よりずっと理知的で、様々な悪意に晒されながらも、自分という核を決して失わなかった。風雨にさらされながらも勢いを失わない、そして人々に恵みをもたらす、猛々しくも真っ直ぐな風を纏った男がリヴィエール・グローリアの形容に相応しい。

 

表面上は確かに真逆。けれど、根っこの暖かさは同じな事にアイズはすぐに気づいた。

 

誰よりも自由で、優しくて、暖かく、強い。そんな二人がアイズは好きだ。屈託のない笑顔を浮かべる母親が、困ったような苦笑をもらすリヴィエール・グローリアが、大好きだった。

 

頭を撫でる二人の手つきを覚えている。

頬に添えられる指の温もりを覚えている。

耳朶をくすぐる綺麗な声音を覚えている。

彼女が何度も語る、優しく幸福な物語を覚えている。

彼に何度もせがんだ美しい歌と笛の音色を覚えている。

 

彼女の胸の中、物語を聴き終えた自分が抱きしめられながら振り返ると無邪気な微笑みがあった。

彼の胸の中、音楽を聴きながらいつの間にか眠ってしまった自分が目覚めると、どこか悲しそうな、けれどとても優しい笑顔があった。

 

私はあなた達のようになりたかった。

 

『大丈夫か?』

 

背中越しに幼い彼が自分に尋ねて来る。初めて出会った時、彼に言ってきた事。今でもはっきり覚えている。あの背中に初めて守られた。そしてその後、数え切れないほどこの細く大きな、そして偉大な背中に守られてきた。

 

『よくやったな』

 

この言葉が助けられた後にくっつけられるようになったのはいつからだったか、それはもう忘れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深層37階層、通称『白宮殿』。白濁色に染まった壁面とあまりに巨大な迷宮構造からその名が呼ばれるようになった。休息に使用できる小部屋もあるが、ほとんどの道やルームが幅十メドルを遥かに超える。

 

そんな広大な迷宮、暗澹とした闇の中で一人の少年が倒れ伏していた。

 

『オオオオオオオオオオオッッッ!!』

 

雄叫びを上げるは【迷宮の孤王】。勝利した彼にとっても叫ばずにはいられないほどの激戦だった。半身は切り落とされ、漆黒の体色により分かりにくいが、体の至る所が黒炎で焦げている。一時間にも及ぶ死闘の跡がルーム中に刻まれている。

本来は30人以上のパーティを組んで分散させる猛攻を、リヴィエール・グローリアは一時間、耐えきった。

しかし、この死闘になんの準備もしていなかった彼にとってはここが限界だった。

 

───迂闊だった

 

薄れゆく意識の中、剣聖はそんな事を思う。今回の遭遇戦、リヴィエールにとっては全く予期せぬ物であった。いつものようにソロで遠征を行い、深層まで行った帰り道、ルームで休息を取っていた時、唐突に地中からこの怪物、ウダイオスが現れたのだ。遠征の帰りで回復用のポーションもろくに残っておらず、流石の剣聖も逃走を考えたのだが、出入り口はウダイオスに使えるモンスター、スパルトイに塞がれてしまい、脱出は困難になってしまう。

しかしそんな事は瑣末な問題だった。魔法で蹴散らせば活路を開く事はできただろう。しかし、それをしなかった最大の要因はウダイオスを前に逃走の隙が見出せなかったからだ。

 

ソロの弊害をダンジョンで感じた事など、数え切れないほどあるが、今日ほど後悔した事はなかった。誰か他の冒険者がこのルームに来るまで防衛に徹して時間を稼ぐことも残りのポーション数ではできない。ここはまだ深層。回復薬をここで使い切るわけにはいかない。

 

残された生き残る道はただ一つ。ウダイオスを討つ。乾坤一擲の勝負に剣聖は出た。

 

しかし結果はこの通り。レベル5である彼の前にレベル6という現実が襲いかかり、順当な末路を描いた。

 

───ヤバイ…

 

迷宮の王が残った片手で大剣を振り上げる。ウダイオスが剣を持つなどこの戦いで初めて知った。そして威力は今まで体験したどんな一撃よりも凄まじい。このままでは逃れられない死が待ち受けている。

 

───動け動け動け動け!!

 

必死に身体に命じるがまるで言うことを聞かない。土を握りしめるのがやっと。

 

───こんな、ところで……俺は

 

目を閉じる。走馬灯などはよぎらなかった。浮かび上がったのはたった一つ。太陽の光を思わせる眩いプラチナブロンドに、碧空色の瞳を宿した、天覧の空を具現化したような女神、ルグの顔のみだった。

 

【ヨワイネ、リヴィエール】

 

鼓膜を震わせない声が体の中に響く。ここ最近、よく聞こえていた、何かの声。しかしここまではっきり聞こえたのは初めてだった。

 

【チカラ画ホシインダロ?オレヲ卯ケイレ露ヨ】

 

黙れ、俺はお前に呑まれない。

 

普段なら精神力と集中力で制御できる。だが今はそのどちらも疲弊しきっている。肩に感じる黒い何かの手を振り払うことが精一杯だ。

 

立ち上がる。フラつきながら剣を握るその姿はまるで幽鬼のよう。彼の身体から溢れ出す陽炎のような黒塵がそのイメージに拍車をかけた。額に黒塵が集中し、極彩色の魔石が形作られる。右の瞳は翡翠色のまま、しかし左の瞳は琥珀色に変貌していた。

 

【ラッきーパんチでチョウ氏に伸るナよ?コッからだぜ、ウダイオス】

 

意識が混濁する。身体を動かしているのは自分だと言う自覚はあったが、それ以外の何かが自身に力を貸している事も明らかだった。カグツチをルーム全体を埋め尽くすほどのアマテラスがリヴィエールの身体からあふれ出した。

 

【ハハははハハはハハはハハァアアアアア───ッッッ!!!】

 

その日、剣聖は教えを破った。

 

 

 

 

 

 

37階層、ルームの外壁に背中を預け、部屋の中心で武器を構える少女を見つめる。左手は黒刀を握りしめ、鯉口は既に切っている。ギリギリまで何もしないつもりではいるが、無理だと判断した時、即座に割って入る準備を、白髪を背中まで伸ばした剣士はしていた。

 

足元から身に覚えのある震動が立ち上る。来たか、と一段、警戒のレベルを上げる。アイズも柳眉を鋭く構え、中心を見据えた。

 

『オオオオオオオオオオオッッッ!!!』

 

産声を上げるウダイオスを見て、剣聖の脳裏に自身も挑んだかつての偉業(バカ)が蘇る。あの時自分はどうやってコレを達成したのか、半分夢現の中で振った剣を憶えてはいなかった。

 

「リヴィ、手を出さないで」

「わかってる」

 

と言いつつも左手は剣から離さない。暫くは見届けることに徹するつもりだが、いざとなったら飛び込む。それに経験上、このルームにいる限り、スパルトイには必ず攻撃を受ける。自衛のためにも戦闘準備を解くことはできない。

 

───なんにせよ、左手は剣に掛かりっぱなしだな

 

戦意が彼の身体から立ち上る。それを知覚したのか、彼女は一度だけこちらを見ると、唇を開いた。

 

「大丈夫、すぐに終わらせるから」

 

ルーム全体が震える。二人とも黒の骸骨王の間合いに入っている。凶悪な戦意が解放された。並の冒険者ではこの場で立つことすらできないだろう。しかし二人ともこ揺るぎもしない。アイズはその覚悟から、リヴィは経験から揺らぐことはなかった。リヴィエールを見届け人に選んだアイズの判断は正しかった。

 

「出し惜しむなよアイズ。最初からエアリエル全開で行け。長引くほど負ける可能性が高くなると思え」

目覚めよ(テンペスト)

 

アドバイスに対する返答は詠唱。風がアイズを中心に渦巻く。爆風と同時にウダイオスへと突貫した。

 

さらなる飛躍を求め、打倒不可能な相手に勝つという冒険。それは神々が認める偉業となり得る。その事を剣聖は経験から知っている。そのための敵として今のアイズにウダイオスはうってつけだろう。自身のレベル6への昇華もこの怪物王の打倒を持って達成された。

 

金属音。最速を持って繰り出されたアイズの剣はウダイオスの肋骨によって防がれる。魔石を破壊しようと振るわれた全霊の一撃だったが、容易く受け止められた。

 

───今のでケリがつくとは思ってなかったが……肋骨にかすり傷一つつけられないか

 

状況はあの時の自分より厳しいと判断する。その見解は正しい。リヴィエールの剣はウダイオスに幾度となく防がれたが、傷をつけられなかったことは一度もなかった。

 

───想像以上に、厳しい偉業になりそうだな

 

ウダイオスのパイルと無限に生み出されるスパルトイを退けながら、リヴィエールは冷たい汗を背中に流した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───似た者兄妹め!!

 

ルームの入り口、二人の戦う様子を見ながら、リヴェリアは唇を噛み締めた。アイズがやろうとしていることの意味はわかる。最近の伸び悩みから見れば、さらなる強さを得るためにはランクアップは必須。必要となるのは偉業の達成。そのための冒険。行動の意味は全て理解できる。

 

だが緑髪の美女は怒りを禁じ得ない。本来強者を倒す偉業の達成は一人で成すものではないかりだ。パーティを組み、工夫を凝らし、初めて実現する。確かに人数をかけた分、偉業の質は下がる。しかしそれでもランクアップには事足りる可能性も充分にあるし、そうでなくとも繰り返し、時間をかければランクアップには届く。

 

それなのにこの二人はそれを良しとしない。がむしゃらに、ただ今の一瞬に賭ける。戦う様子を見ながら二つの面影をリヴェリアは見た。僅か半年、世界記録を大幅に更新する記録でレベル2に到達した、まだ黒髪だった、【剣鬼(けんき)】という名が彼一人のものであった頃のリヴィエール・グローリアと人形姫と呼ばれていたアイズ・ヴァレンシュタインを。

 

───焦っている理由はあの赤髪の調教師か?

 

自分で考えておきながら白々しい。そうであったならどれだけ良かったか。彼女は敵だ。倒せば焦りの源は断ち切れる。人間にとって本当に厄介な存在とは愛の中に存在する。

 

半分になった剣であっても華麗な太刀筋で無数のスパルトイを屠る憎く、愛しい弟分を睨んだ。

 

 

 

 

 

 

 

───足りない!この程度の風じゃ…

 

あの赤髪の調教師と戦っていたリヴィはもっと早かった。

 

───足りない!この程度の威力じゃ…

 

あのリャナンシーと呼んでいた魔物と戦っていたリヴィはもっと強かった。

 

───もっと強く!もっと早く!もっと速く!!

 

黒塵を纏ったリヴィが脳裏をよぎる。重く、速く、強かったあの姿を。自分さえも震えた、あの畏怖を。

 

───私が身につける!!

 

吹き荒れろ(テンペスト)】!!

 

関節に突き立てたデスペレートを中心に魔法を発動させる。狙い通り半身が砕け散る。奇しくも三年前、リヴィエールがウダイオスに与えた傷と全く同じ損傷が刻まれる。たった一本の剣で。

 

パイルを防ぎながらアイズが一旦、ウダイオスから距離を取る。追撃は出来なかったが、半身を無くしたということは攻撃力も半減したという事。戦いはこれからだ。

 

と、アイズが考えている事も、攻撃力の下がったウダイオスが取る行動も、リヴィエールは手に取るように分かっていた。

 

「下がれアイズ!全力で退避しろ!大剣が来る!!」

 

考えるより先に体が動いていた。リヴィエールが間違ったことを言うはずがない。彼の先見はもはや予言に近い。そして予言は現実となる。地中から巨大な黒剣が立ち上り、ウダイオスが振りかぶる。

 

───エアリエル、最大出力!!

 

全力退避!!

 

肩、肘、手首が発光する。その姿はかつての自分が行動不能に追い込まれたあの一撃とまるで同じ。

 

───来る!!

 

流石のリヴィエールも完全防御態勢をとる。あの一撃は今の剣聖でさえ受けきることは出来ない。視認することさえ不可能だ。割って入ってやりたいが、それすらもう遅い。

 

漆黒の影が走ったと同時に衝撃破と爆風が殺到する。剣山もスパルトイも一瞬で消失した。直撃を逃れたアイズでさえ、その衝撃波に殴り飛ばされ、地に叩きつけられる。立っていられたのは防御態勢を取っていたリヴィエールだけだった。

 

「アイズ!!」

 

自分ではない別の声がルームに響く。来ていることには気づいていたが、ついに堪え切れなくなったか。その声があいつに届いているかは微妙だが。

 

「アイズの風も、スパルトイも、パイルも、あの一撃で……」

 

続く言葉はわかる。消し去ったと言うのか、だ。俺も同じ事を思った。決して消せない焔であるはずのアマテラスでさえ、あの一撃に消し飛んだのだから。

 

「右腕を吹き飛ばした事が階層主の逆鱗に触れたんだ」

 

俺もそうだった。ということは言わない。今まで一度たりとも確認されていなかったウダイオスの隠し玉を知っている時点でそれはもうこの聡明な姉にはバレている。

 

「アイズ!一度下がれ!距離を離せば剣は届かない!」

 

適切な助言だ。だが無意味だろう。ここで退いてくれる奴なら俺はここまで来ていない。同じ俺にはわかる。

 

俺はあの時、下がらなかったから。

 

「馬鹿者っ」

 

肉薄するアイズ。しかし届かない。剣山の如きパイルがアイズの突進を阻み、黒剣が叩き伏せる。

 

「このっ!!」

 

魔法を発動しようとしたリヴェリアの手を止める。杖を掴んだのは白髪のハイエルフ。

 

「離せリヴィエールっ!」

「待ってくれリーア!もう少し!」

「お前は私に家族を見捨てろというのかっ!」

「もうダメだと思ったら俺が割って入る!絶対に死なせないと約束する!だから頼む!ここで膝を折ったらあいつはもう立ち向かえなくなる!」

「そんな事っ……!」

 

どうでもいいと言おうとしたリヴェリアの声が止まる。彼が杖を掴む手から血が滴り落ちていた。リヴェリアの杖には最高級の金属と魔法石を使っている。その威力はスパルトイも物理で容易に砕く。そんな物を強い力で握れば、指が落ちても不思議はない。

自身に食い込む金属にリヴィエールも気づいているはずだ。それなのに握る手の力は緩まない。万力で締めつけられたか如く、動かせない。

 

「堪えろリーア、もう少し……」

 

───こいつもギリギリなんだ

 

まるで自分が傷つけられているかのように美しい双眸は歪み、剣を持つ左手が震えている。本当を言えば今すぐにでも飛び出したい。それでも、リヴィエールは自身の妹を信じて耐えている。

 

───誰よりもアイズと繋がっているこいつが耐えているのに…

 

自分が先に出るわけにはいかない。

 

お前なら気づいているはずだ。あの薙ぎ払いにはタメがいる。最速、最短で左腕を奪え。お前に残された勝機はもうそこしかない。

 

「勝てっ……アイズ」

 

懇願するように、リヴィエールは声を絞り出した。

 

目覚めよ(テンペスト)

 

エアリエルが発動する。勝機に至る道筋にはアイズも気づいている。数多のスパルトイを薙ぎ払い、ウダイオスに突貫する。

 

───私は弱い!弱いからリヴィを一人にしたっ。彼を失った!!

 

そんな事、とっくに知っていたはずなのに。彼が消えてしまった一年前に思い知ったはずなのに!!

 

───どうして平気でいられた!こんな弱い私をどうして許していられた!!

 

私がどうしようもなく弱いから、リヴィにあんなデタラメな力を使わせて、守られた。

 

───一体何度あの背中に守られれば私は気がすむんだ!!

 

彼が帰って来て、安心して、ただ一つの悲願を思い出にするつもりだった!

 

関節が光る。あの薙ぎ払いが来る。だが、リヴィエールの目で見ても、アイズが一手早い。

 

勝てる!

 

そう思った瞬間、ゾッと嫌な予感がリヴィエールの背中に奔る。飛翔するアイズの姿がインドラに乗って突撃した自分とダブった。

 

───反動……

 

その一言が過った瞬間、アイズの体からガクンと力が失われる。それも当然。最大出力の風の連続行使。その殺人的な負荷はアマテラスに匹敵する。アイズの体が限界を迎えた。

 

 

 

冒険者の街、迷宮都市オラリオ

 

世界中の冒険者が集うこの地においてもその半数がレベル1で生涯を終える。

 

平凡の壁を越えるために必要なのは、命を賭して己の存在を高める【偉業】

 

ランクアップが冒険者に与える見返りは大きい。

 

だが当然、ハイリターンにはハイリスクが生じる。

 

不可能への挑戦に失敗した冒険者に待ち受けるのは当たり前の真実。

 

 

「アイズッッッ!?」

 

リヴェリアの悲鳴がルームに木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

視界が赤く染まる。風の鎧は容易に砕かれ、空中に飛んでいたアイズでは、直撃は免れない状態だった。

しかし、思ったほどの衝撃はない。直接的なダメージを食らった感覚は無く、あくまで余波に吹き飛ばされた、そんな感覚。直撃を食らった経験も、余波で吹き飛んだ経験も数え切れないほどあるアイズはこの感覚を間違えるとは思えなかった。

 

煙を上げながら地に伏す。形容し難い、されど慣れ親しんだ痛覚に全身を支配されながら、アイズは瞼を開ける。血のカーテンで閉ざされ、よく見えない。頭から流れる血を腕で拭う。

 

───え……

 

まだ血のカーテンは完全に消えてはいなかったが、アイズは全てを理解する。何度も何度も、数え切れないほど見た、見上げた背中。間違えるはずがない。

 

「大丈夫か」

 

───大丈夫か?

 

初めて出会った時と同じ言葉が、そして何度も告げられた言葉が投げかけられる。

 

ああ、やめて、愛しい人。その台詞を言わないで。

 

「頑張ったな、よくやった」

 

何も頑張ってない。何も成し遂げてない。やってない。それなのに彼は労いの言葉を私にかける。それは何よりも強く心を抉る。罵倒される方がよほど良い。先のウダイオスの一撃などより、ずっと痛い。

 

「今助ける。後は任せろ」

 

記憶の中にある彼の刀より半分の長さしかないソレを構え、立ち向かう。武具の不利など、彼にとって何の障害にもならないだろう。彼ならきっとウダイオスを倒せる。

 

リヴィに、任せれば……

 

心臓が一つ、大きく鳴る。その音色は怒りの音。灼熱の炎が灯る。

 

助ける?

助けられる?

また?

リヴィに?

一体何度目の?

誰が?

──私が

 

頭が、弾けた。

 

感情が怒りに吹き飛ぶ。感覚が炎で焼かれる。身体を起こした。全身を剣山で刺されたかのような痛みが奔ったが、気にならない。

 

さっきの言葉のナイフが抉った痛みに比べれば…

リヴィエールが臆面もなくのたうち回っていた、それを見ることしかできなかったあの痛みに比べれば…

彼が一人で背負ってきた、あの激痛に比べれば…

 

「〜〜〜〜〜〜ッッッ」

 

ここで立てなきゃ、私は絶対、この人の隣に立てない!!

 

「!?」

「…………ないっ」

 

彼の手を掴む。剣だこまみれの手。力強さからは考えられないほど細い手首をとって、背後に押しやる。

 

「リヴィエール・グローリアに、もう助けられるわけにはいかないっ!!」

 

デスペレートをウダイオスに突きつける。迷宮の孤王はリヴィエールに向けていた敵意を再びこちらに戻した。

 

「勝つっ…!」

 

白金の少女は再び、戦火に身を投じる。

 

 

 

 

 

 

リル・ラファーガの反動で動けなくなった時点で、リヴィエールは動いていた。アイズに迫る黒剣の前に飛翔し、カグツチで受ける。不充分な態勢で受けたリヴィエールは守ったアイズごと吹き飛ばされる。右も左も分からない突風の中、アイズを抱きしめ、自分がクッションになり、地に叩きつけられる。高くバウンドすると同時にアイズが腕の中から飛び出す。空中で姿勢を整え、リヴィエールは着地した。

 

大きく息を吐く。呼吸は問題なくできた。ウダイオスをけん制しつつ、後ろ目でアイズを見る。倒れ伏したまま、立ち上がる様子はない。度重なるエアリエルの酷使に、先のダメージ。立てないのも無理はない。

 

───ここまで、か。

 

これ以上は無理だと判断する。この結果を責めることはリヴィエールには出来ない。第一、こんな挑戦、出来なくて当たり前なのだ。不可能への挑戦を可能に出来る事など本当に一握り。不可能が不可能に終わることは水が高きから低きに流れるが如く、自然の成り行きだ。

それどころか後一歩というところにまで迫ったのだ。愛しい妹分は充分過ぎるほど……

 

「頑張ったな、よくやった」

 

冒険者として、アイズに送った心からの賞賛。生き残っただけでも殊勲だ。

 

「今助ける。後は任せろ」

 

この折れたカグツチで倒せるか、などということは考えない。やるしかないのだ。手の中の愛剣に力を込める。そして一歩を踏み出した。

その瞬間

 

───え?

 

地面を踏みしめる音がなる。それと同時に利き手が握られる。翡翠色の双眸が見開かれた。後ろを振り返った時、白金の少女は再起し、立ち上がっていた、

 

傷だらけになりながら、金眼を吊り上げ、ウダイオスを見据えている。

 

「…………ないっ」

 

───アイズ?

 

そう呼びかけようとして、失敗する。強い力で後ろへと引っ張られた。

 

「リヴィエール・グローリアに、もう助けられるわけにはいかないっ!!」

 

その背中に、リヴィエールは見た。遠い記憶の中に霞む、とある人の背中。眼の色も、髪の色も、何もかも違うというのに、凛としたその姿に母の姿を幻視した。

 

───そういえば、アイズに愛称以外の名を呼ばれたのって、いつ以来だっけ

 

「勝つっ……!!」

 

ウダイオスだけを見据え、再び少女は不可能へと挑む。

 

「よせっ…!」

 

その背中を止めようとした、その時…

 

クイ

 

袖口が引かれる。驚き、振り返った。しかし後ろには誰もいない。リヴェリアもはるか後方にいる。袖を引くなどあり得ない。

 

───一体何が……

 

『───ダメですよ、リヴィ』

 

鼓膜を振動させない声が耳元で囁く。両肩を優しく抑えられた。

 

ルグ?オリヴィエ?どちらの声かはわからない。どちらだとしても自身の核を成す人達だ。

 

───そうか……

 

リヴィエールは理解した。今アイズが何に挑んでいるのかを。なんのために戦っているのかを。

 

俺はずっと、アイズを頼っていなかった。肩を並べて戦ったことは何度もあったが、助けられたことは一度もなかった。ダンジョンの中でも、彼女は守るべき妹分だった。

 

だが今こいつは、俺に自分は妹分ではなく、戦友である事を証明するため、戦っているのだ。

 

「勝て、アイズ」

 

先ほどと同じセリフ。しかし今度は懇願ではなく、信頼を込めて言った。

 




後書きです。今回はほぼベルくんの焼きましだなぁ。次からはもっとオリジナル要素を入れられるよう頑張ります。それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。


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Myth37 貴方のためにあった!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界の中心都市たるオラリオには巨大な書庫がある。そこには神話の数々や名だたる騎士や世界で起こった多くの出来事を綴った伝説や詩文が書物や巻物として纏められている。

そんなオラリオ最大の図書館にフードを目深に被り、マスクで顔を隠した青年が訪れていた。今は多くの蔵書を抱えている。調べ物をしているらしく、なにやら呟きながらページをめくっていた。

 

───外れ、か。

 

何のアテもなしにオラリオで最も巨大な書庫に来たが、少々考えなしであった事を思い知る。ここに収められている蔵書数はまさに天文学的数字だ。たった一人で調べるのは無理があった。

フードの男、リヴィエールグローリアは分厚い本を閉じ、空を仰いで嘆息する。この日、彼はとある名前を調べるために、図書館に訪れていた。神聖文字で綴られている本も多くあったが、特殊な教育を受けている彼は問題なく読める。

しかし、こういった作業に慣れていないからか、進捗は思ったより遅い。

 

「アリアって、なんなんだ」

 

そう、今日彼が調べていたのはこの名前。先日、アイズとお忍びデートをした時、居眠りした教会で見た神聖文字で刻まれた精霊の一柱。聞き覚えがあるような、ないような、けれど目が吸い寄せられた、あの名前を調べに来ていた。

 

人間には気になったことやわからない事を、いずれわかるまでそのままで良しとするタイプとすぐに調べるタイプの二種類がいる。リヴィエールは完全に後者。彼が根拠なく気になった対象は剣聖にとって重要であった事が多い。

今回もその例にもれない。その名前を見たときに感じた鼓動。脳裏を過ぎったアイズの姿。気にならないはずがない。

今は精霊に関する書物を片っ端から調べていた。しかし今のところ、ヒットするような資料はない。

 

「次は……あー、こんな物まで持ってきてたか」

 

『迷宮神聖譚』【ダンジョン・オラトリア】

 

どちらかというと英雄譚に近い書物で、空想力などが豊かになる思春期の少年少女に人気のある本だ。色を塗った挿絵まで挿入されるほど凝った作りをしているが、いかにも物語のような書き方がリヴィエールの失望を加速させる。

 

「ま、偶には良いか」

 

空想話に近い本のため、目当ての情報が載っているとはとても思えなかったが、手に取ることにする。小難しい本ばかり読んでいて頭が疲れていたのも事実。少し娯楽対象の物語を読むのも悪くない。

それに、勘が言っている。悪くないカードを引き入れた、と。

 

大雑把にページをめくっていく。四分の一ほど進んだくらいで、手を止める。やっぱりな、と口角が上がった。

そのページに書かれていたのはアリアに関する記載だった。

 

───アリア……やはり精霊の名前か。内容は…

 

読み進めていくうちに再び失望が頭を支配する。これといった手がかりの記載はなかったからだ。

冒頭には精霊の特徴について書かれていた。神に最も愛された子供。神の分身。完全なる不死ではないが、数世紀に渡る寿命を持ち、エルフと同じ魔法種族。だがエルフよりも強力な魔法と奇跡の使い手。

ここまでは既に知っている。その先についてを知りたかったのだが、載っていない。記載されているのはありふれた英雄譚。地上に降臨した精霊アリアは人間の若者達と協力し、悪を討ち、最後、精霊は共に戦った騎士と恋に落ちるという物語だった。それ以上の事はアリアに関しては書かれていない。

 

───珍しく外れたか?

 

彼にとって自身のカンが外れるという事は滅多にない。または外れたと思っても、後にやっぱり、となる事が多い。その為、外れたかと思った時は頭に留め置く為、もう一度振り返ることにしている。

今回もその例に漏れず、リヴィエールはアリアが登場したページに戻り、読み返し始めた。

 

───ん?

 

一番最初の冒頭の冒頭。アリアを地上に招くために巫女が祈りを捧げる場面がある。その巫女はいずれ結ばれる騎士よりも先に精霊アリアと出会い、唯一無二の親友になったとされている。

まだ精霊アリアが登場していない場面であったため、読み流していた部分だったのだが……

 

───精霊には願いを届けるために担当の神巫が着いている……アリアも例外ではない。精霊アリアの神巫は泉の女神【ウルズ】に洗礼を受けた王族(ハイエルフ)……

 

その名前を見た時、リヴィエールはまさかな、と思い、気にも留めなかった。女性名として珍しい名前でもない。そういう偶然もあるだろう程度の認識だった。

 

その神巫の名が【オリヴィエ】であった事など…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『リヴィエール』

 

いつかなんて思い出せないほど遠い昔。彼の中に唯一息づく父の声。黒髪の少年は完全に母似で、彼女から受け継いだものは多くある。容姿、声音、芸術の才、瞳の色。彼を形作る殆どが母からの遺伝だ。その母の記憶すらあまりない。温かく、優しく、美しい人だった事。サラッとした、綺麗な声をしていた事。心の中に多くの物語を持っている人だった事程度。

 

『お前には才能がある。お前はきっと強くなる。私などより、遥かに』

 

ましてや父に関しては尚更だった。父から受け継いだモノはたった三つ。

剣の才。しっとりとした濡羽色の髪。そして、この言葉だけだ。

 

『剣の意味は持つものによって変化する』

 

初めて本物の剣を握った時に教えられた。その後も、何度も言われた事だ。父の事に関してあまり記憶にないが、この言葉だけはハーフエルフの心の奥底に刻み込まれている。

 

『リヴィエール、力に……剣に振られるな。お前が、剣を振るんだ』

 

この教えを初めて受けた時、リヴィエールは剣の重さに振り回されるなという意味だと思っていた。事実、初めはその意味もあったことだろう。幼い少年が持つにはその鉄の塊はあまりに重すぎた。フラフラと振り回された事は、ハッキリと覚えている。

 

少年は成長した。身体は大きくなり、腕を上げ、力を身につけ、強くなった。かつて振り回された鉄の塊を自在に操ることなど、彼にとって造作もない。

しかし、剣聖と呼ばれるようになってようやく、父の教えの意味がわかった。

 

有り余る天賦の才による早過ぎる成長は、時に不相応な力を身につけてしまう。身につけた力を制御できず、暴走してしまった戦士を何人か見てきた。これが力に振られるなという、父の教えの本当の意味だとアイズを見て知った。

 

そしてもう一つの意味。

 

復讐(コレ)以外にどうやって、仲間の無念を……この黒い塊を晴らせって言うんですか』

 

闇の中で苦しみに喘ぐ緑金の疾風。かつてアストレア・ファミリアに所属していた自身の相棒は復讐心と感情に突き動かされ、暗い剣を振ろうとしていた。彼女はあの時、自身の意思で剣を振っていなかった。

その姿を見て、リヴィエールはようやく知る。剣を握っているものが意思を持っているとは限らないということを。

掲げる剣に、誇りと名誉、己が矜持を。交える刃に畏怖と礼節、己が全霊を込めてこそ、その剣は剣士が振るっていると呼べる。

 

身に余る力に振り回されるな

激情に身を委ねて戦うな

 

その二つの禁を剣聖と呼ばれる剣士は破り続けている。わかってる。わかってはいるが……

 

「アイズ……」

 

焦りか、恥辱か、渇望か、何が彼女を突き動かしているかはわからない。だが、明らかに剣に振られて戦っているアイズを見て、リヴィエールは自身がかつて、剣鬼と呼ばれていたことを思い出していた。

 

───お前と俺は似ている。わかっていたことだが…

 

リヴィエールはかつて剣聖と呼ばれ、同時に剣鬼とも呼ばれていた。異常な成長速度と鬼気迫る戦いの姿から強さに取り憑かれた鬼の子。アイズがランクアップし、剣姫と二つ名が付いてからは紛らわしいので呼ばれなくなったが、彼を揶揄する者達、そして畏怖する者達ならば未だに知っている。

そしてアイズも、剣姫とは別に、かつては人形姫と。そして今は戦姫と呼ばれている。理由はリヴィエールとほぼ同じ。

白髪の青年は初めてリヴィエール・グローリアという剣士を自分の目で見たかもしれない。

 

───なるほど、これは…

 

ルグ、へファイ、リヴェリア、リュー、エイナ、アイシャ。自分のことを信じ難いほど案じる女達の顔が脳裏に浮かんだ。

 

───心配されるわけだ……

 

鋭利な風が肌を撫でる。巨大な壁である骸骨の王を破壊せんと渦巻く、強い、けれどどこか頼りない、そんな風がルームを埋め尽くした。

 

「リル・ラファーガ!!」

【集え、大地の息吹───我が名はアールヴ】

 

緑光の加護(ヴェール・ブレス)

 

気流ごと包み込む暖かな翡翠の光膜。その光は物理属性と魔法属性両方の抵抗力を上昇させ、僅かだが身体の傷も癒す、補助魔法。リヴェリアかと思い、視線を向ける。だが違った。魔法は確かに彼女の技だが、行使したのは彼。

 

「勝て、アイズ」

 

エアリエルの反動でボロボロだった身体に活力が戻る。なんて重い、なんて嬉しい、なんて暖かい言葉だろう。心の高揚のまま、ありったけの大風を激発させる。

 

『ォオオオオオオ───』

 

漆黒の巨体が仰け反り、崩れ落ちる。頑強だった骨鎧は砂のように瓦解した。

 

「手出ししないんじゃなかったのか」

「うっせーな。これくらいはいいだろ」

 

いつの間にか隣に来ていた姉の皮肉に頭を掻き毟る。実にムカつく目をこちらに向けているが、表情ほど余裕がない事には気づいている。

 

───痛いな、お互い

 

血が乾き、固まった悲壮な姿で魔石に剣を突き立てる姿を、リヴィエールはリヴェリアと同じ目で見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全てが終わった戦場で、アイズは剣を力なく下げた。言葉もなく、糸の切れた人形のように倒れ臥す。

 

「──っと」

 

その寸前に、白金の少女の華奢な抱き抱える。

 

「───リ、ヴィ…」

「アイズ」

 

優しく、けれど力強い腕が彼女を抱きしめる。アイズが好きな彼の翡翠色の瞳は褒めればいいか、怒ればいいか、複雑な色が宿っていた。

 

「あの…ごめんなさ──」

「後だ。じっとしてろ」

 

自分の膝にアイズの頭を乗せて寝かせ、回復魔法の詠唱を紡ぐ。緑光がアイズの全身を覆う。最も傷の深い額に武骨な指が触れた。

 

「何か拭くもの……」

 

あるかな、と懐を探ろうとした瞬間、ビリッという何かを引き裂く音がする。同時にローブが引っ張られるような感覚も。明らかに自分の纏う砂色の外套が破られた。

 

「借りるぞ」

「リヴェリア……それ俺の聖布(ふく)──」

「文句あるか」

「…………サー、ありません」

 

気の弱い者なら腰を抜かすほど昏い瞳をこちらに向けてくる。怒ってるお姉ちゃんに逆らう物ではない。一級品防具の切れ端程度で済むなら安いものだ。

 

「リヴェリア……」

「動くな」

 

リヴィエールの膝の上で仰向けになって寝るアイズの血の汚れを引きちぎった聖布で拭う。傍目から見ても少し強いのではないかという圧力で彼女を清めていく。アイズも片目を瞑り、若干痛そうにしながらも、後ろめたさからか、されるがままになっていた。

 

「こんなところか」

 

血塗れになった聖布を取る。まだ傷は多いが、先程よりは随分と綺麗になった。

 

「後はお前に任せる」

 

一度、リヴィエールの白髪を撫でるとリヴェリアは立ち上がった。その姿に二人とも目を見開く。確実に説教の一つは覚悟していたからだ。

 

「勘違いするな。後でたっぷりと話は聞く。覚悟しておけ」

 

彼女なりの気遣いと嫌がらせだという事にリヴィエールだけは気づく。アイズももう少し心に余裕ができれば、彼に膝枕で頭を撫でられたという現実に恥ずか死する事だろう。

 

───そして同時に、今回アイズに何があったのかを俺に聞き出させ、その説明に黄昏の館に来いって事。

 

まあ、責任を持つと一度言った以上、無事に送り届けるまでがクエストだ。それにレヴィスやリャナンシーの件に関して、単独で動くには流石に力不足。ロキ・ファミリアと協力態勢を取っておいた方が何かと都合が良い。

 

「アイズ……」

 

視線を上げてくる。何から話したものか、と数瞬考えた。

 

「素晴らしい戦いだった」

 

五秒ほど躊躇った末、まず見届けた戦いについて語り出す。

 

「だが同時に、危うい戦いだった。刹那の狂いがお前に死をもたらしただろう」

 

戦士から出たのは心からの賞賛と忠告。薄氷を踏むかのような戦いを手放しに褒めることはリヴィエールには出来なかった。

 

「アイズ、お前には才能がある。お前はきっと強くなる。俺なんかより、ずっと」

 

コレは本音だ。冒険者なんて生きている奴の勝ちだ。呪いの侵食に犯されているリヴィエールは、確実にアイズより短命だろう。

 

「剣の意味は持つものによって変化する。力に……剣に振られるな。お前が、剣を振るんだ。俺のようになるな」

「…………リヴィの言うことは詩的表現が多くてよくわからない」

 

剣士であると同時に詩人でもあるリヴィエールはもって回したような言い方が多い。素敵だと感じることも多々あるが、慣用表現が苦手なアイズには理解できないことも多い。

アイズの直裁な部分は彼女の長所だとリヴィエールは思う。素直で可愛い。ロキの気持ちもわかる。

 

「言葉でいくら言ってもな。お前にもこの意味がわかる時が来る。頭の片隅にでも置いておいてくれれば、それでいい」

 

髪を撫でる。気持ちよさそうに身じろぎした。

 

「…………何かあったのか?」

 

話を今に戻す。叱るでも、咎める訳でもなく、リヴィエールはただ訪ねた。こういう時は本人の口から話し始めるまで待つのが彼の流儀なのだが、リヴェリアと約束した以上、聞かなければならない。

 

「…………リヴィが話してくれたら、話す」

 

何についてかは言わなかったが、言われなくてもわかる。魔物化(モンスター・フォーゼ)の呪い。呪術を利用した呪いの転用による漆黒の変身。その副作用。もっと遡るなら、リャナンシーとの事。その全てを、だろう。

 

「誰にも言うなよ」

「言わない。約束する」

 

大きく一つ嘆息する。バングルを共同で作ったアスフィにすら詳しく話していない事を喋るのはかなり抵抗があった。しかし、気の進まない事を話させようとしているのだから、同等の対価は必要だろう。秘密とは共有することが一番安全だ。

 

「まだ俺が剣を握るよりも前の昔にな……」

 

要点をかいつまんで話し始める。子供の頃、住んでいた森でリャナンシーと出会ったこと。リヴェリアとの魔法の修行で遠征したネヴェドの森で再会し、敗北し、呪いについて聞かされた事。呪術の研究の折に打開策を見つけた事。魔物化を自身の意思で制御できるようになった対価が、あの無様だった事。

 

「……ごめんなさい」

 

膝の上でうっすら涙を浮かべながら、アイズは謝辞を述べる。彼にとって昔話は地雷である事は知っていた。それでも彼は自分のために気の進まない事をしてくれた。その事についての謝罪だった。

 

「謝る必要はない。話すと決めたのは俺だ」

「それでも……」

「それでも謝んな。自分の意思で聴くと決めたんだろう。なら謝るな。謝罪とは後悔の証だ。お前にそれをされると俺もしたくなる。だからするな。お前に、お前だから話せて良かったと思わせてくれ」

 

堪えきれずに雫が金の瞳から溢れ出る。なんて強いんだろう、この人は。私と歳も変わらないはずなのに、その偉大な背中は遥か遠い。

それでいて、この人はとても優しく、寂しい。遥かに弱い自分が心配せざるを得ないほど。自分とこの人は良く似ている。この人は母であり、私だ。父と出会えなかった母。そして仲間と出会えなかった私なのだ。両親、ルグ、愛した者全てが消えてしまった、あり得た私。

 

「リヴィ……私、私も、強くなりたい…………」

 

貴方みたいに、貴方に愛してもらえるくらい、強く……

 

「……強いさ、お前は」

 

俺が出会った敵の中で、間違いなくNo.1の理不尽だ。

愛しい者を心配する、ルグやリヴェリア、リューやアイシャと同じ目でこちらを見てくるアイズと目が合わせられない。何度突き放しても、こいつらは俺に纏わりついてくる。俺が彼女らならとっくに見放している馬鹿な男をだ。全く、最悪。最低じゃないか。

 

「……俺のことはもういいだろ。順番だ。アイズ、あの調教師と何があった」

 

耐えきれず、話題を変える。今度はアイズが渋る番だった。仲間に訊ねられても一切口を開かなかった。リヴィラの街の出来事。あの赤髪の調教師との全てを。躊躇いながらも、黄金を溶かしたような髪色の少女は口を開く。少しずつ話し始めた。

 

「あの人、私のことを【アリア】って呼んでた」

「アリア…」

 

その名前を聞いたリヴィエールは若干目を見開く。少し前、オラリオの大図書館で調べた事柄が脳裏に蘇った。

 

「リヴィ、知ってるの?」

「あ、ああ。名前だけは。本に出てくるから」

 

精霊『アリア』

 

様々な物語に出てくる神に最も愛された子供。神の分身。完全なる不死ではないが、数世紀に渡る寿命を持ち、エルフと同じ魔法種族。だがエルフよりも強力な魔法と奇跡の使い手。

 

「確か書の名前は、『迷宮神聖譚』【ダンジョン・オラトリア】」

「あ、それは私も知ってる。お母さんが私によく読んでくれた」

「お母さん?」

「うん、私のお母さんの名前も、アリアだった」

「アイズの母さんが……」

 

赤髪の調教師はアイズを母親と見間違えたという事か?可能性はなくもない。そのアリアという女のことをリヴィエールは知らないが、母親というくらいなのだから、顔の造形は似ていてもおかしくない。

 

「そういえば、リヴィもあの人に違う名前で呼ばれてたよね。確か……」

「オリヴィエ。俺の母の名……で……」

 

そう告げた瞬間、リヴィエールの頭に衝撃が奔る。

 

───海の国、【アルモリカ】で出会った妖精達は俺のことを神巫と呼んでいた…

 

リャナンシーは彼の事をウルス・アールヴの子だと言い、洗礼名がウルズである事を言い当てた。

 

───泉の女神に洗礼を受けたオリヴィエの洗礼名も……ウルズ

 

ダンジョン・オラトリアの一節が耳の中で木霊する。精霊【アリア】には、祈りを捧げる神巫であり、唯一無二の親友だった女性がいた。

 

───つまり、アイズの母親が精霊【アリア】で、俺の母がその神巫【オリヴィエ】

 

勿論、こんな事はただの想像だ。証拠はない。アリアなんて、女性の名前として珍しくはない。オリヴィエだってそうだ。大体精霊に子供は作れない。アイズの母親はアリアという名前のヒューマンだったと考えるのが、最も自然な、常識的な考えだ。

 

───でも、常識的ってなんだ…?

 

平均値?世間並み?そんな物になんの価値がある。そういった正しい何かに真っ向から逆らうのが、冒険者。事実逆らって生きてきた。平穏、安らぎ、求めた事がないといえば嘘になる。だがそんな物より欲したモノがあった。手に入れるために剣を握った。命の危険にさらされるような事なく、真っ当に働き、真っ当な対価を得て、家族のために生きる。それも人生だろう。否定はしない。しないが、その人生が正しいなどと、まともで常識的などと誰が言える?

 

───ないんだ……誰もが正しいと言えるモノなんて

 

常識なんて所詮は集団催眠。ある種のまやかし。俺を英雄だ天才だと持て囃す奴もいるが、見る奴によっては俺なんて性格破綻者。たった一人で深層に潜り続ける、バトルジャンキー。真性のクレイジー。ダメ人間だ。

 

それでいい。他者の評価などどうでもいい。生きる価値は何を成したか。成すための熱を持つ。行動の全てが生きるという事。熱を失った人間など半死人も同然。

 

己の人生を、呪った事がないかといえば嘘になる。

 

そりゃあ呪ったさ。迷って、ブレて、猛り、貪る。そうやって生きてきた。

 

その俺だからわかる。俺にしかわからない。

 

「リヴィ?」

 

名を呼ばれる。訳も分からない思念の海に潜っていた意識が、たった一言で現実に引き戻される。膝に感じる熱へと視線を戻した。

 

───アイズ……

 

ホワイト・パレスの灯りか。治癒の魔法による緑光か。それとも違う何かか。それはわからない。しかし淡く輝く何かにより、蜂蜜色の髪の少女は神々しく照らされる。錯覚かもしれないが、その美しさに思わず見惚れた。

 

『リヴィ、私は貴方と出会うために下界に来ました。私は貴方のために存在しています。そして、貴方もきっと違う誰かの為に…』

 

ルグ、あの言葉の意味が、今、わかった。

貴方が、俺のために存在していたように……

 

俺の強さは、剣士として生きてきた今までは

 

 

アイズのためにあった

 

 

 




これがきっと、俺の願い。俺の生きる意味。求めて、欲して、彷徨い続けた青い鳥は、俺にとって最も近く、最も遠い少女だった。


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Myth39 様付けで呼ばないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リヴィエールが荷物を担ぎ、歩く。中身は膨大な数の魔石とアイテムがある。自分が出した荷物なのだし、持つとアイズは言ったのだが、白髪の剣士は完全に無視して歩いていた。

 

絹のように白い長髪と黄金を溶かしたような色の長髪を揺らし、よく似た二人はしばらく黙って帰路についている。

 

「あの、リヴィ……」

「…………なに?」

 

思ったよりぶっきらぼうな声が出たことに少し驚く。少し気の無い様子に徹しすぎたか、これでは不機嫌な態度にとられてしまう。

 

「お、怒ってる?」

 

ほら、不安にさせた。怒ってなんていないのに。むしろ感謝してるくらいだ。どんな洞察力を持っていたとしても、自分の事を見ることは出来ない。だが、彼女のおかげでリヴィエールは初めて自分を自身の目で見ることが出来た。

 

「怒ってない」

「…っ………やっぱり、怒ってる」

「怒ってないって」

「声が怒ってる」

 

もうこんなやり取りを三日間繰り返している。最短ルートを通って上層付近まで来ていた。戦闘はほぼリヴィエールがこなしており、行軍は実に円滑だった。たった一つを除けば。

 

───あまり好みではないな、大剣は。

 

折れたカグツチの代わりに使用していたのはアイズを散々苦しめた長大なウダイオスの黒剣だった。激しい戦いの末、破損したその漆黒の剣は人間が使える程度の大きさになっている。折れたカグツチを用いてリヴィエールは刃を研いだ。鍛治の腕でいえば、リヴィエールは椿達の足下にも及ばない。しかし、超一流の剣客として、剣の手入れは気が遠くなる程の数をやってきた。研ぎ師としてなら白髪の剣聖は一流の腕を持っている。

 

「………迷惑だった?」

 

黒剣について聞かれた事だと判断するのは難しくなかった。彼の腰にいつもあったあの美しく、妖しい剣が折れている事はアイズも知っている。その現場にいたから。ずっと、気に掛かっていた。冒険者をやっていれば、武器を失うことなどザラだが、彼は武器を失ったままダンジョンに来ていた、自分のせいで。

アイズは自分が手に入れた超レアドロップを何の迷いもなく彼に譲った。カグツチがない今、彼には少しでも強い武器を持って欲しかったから。リヴィエールなら大剣だろうがなんだろうが完璧に扱える。

でも、彼は長大な武器を好まない事も知っていた。彼は重く、それでいて大きすぎない金属密度の高い片手剣を常にメインアームにしている。破壊力と速度、そして小回りの利く器用さを求めていた。

故に大剣など、彼にとってあまり好む武器ではないだろう。たとえ使いこなせても、自身の好みと合わないことはある。事実、アイズは大剣があまり扱えなかった。

自分がやった事は、使えない武器を押し付けてしまったに過ぎないのではないのか。その不安がもたげたのだ。

 

「いや、助かったよ。流石に今のカグツチで下層は不安だったからな」

 

ヘファイのところで打ち直しを依頼しなければならないだろう、と心の中でつぶやく。カグツチが折れた報告も兼ねて。嫌な事は後でタイプのリヴィエールだが、するべき時に逃げると言う事はしない。はっ倒される覚悟は固めてある。

 

「じゃあ、なんでずっと黙ってるの?」

「それは……」

 

この三日間、あまりアイズと会話はしなかった。それどころか、目を合わせる事すら数えるほど。本当にただ一緒にいただけだった。

 

───言えるわけ、ないだろう。お前にビビってるなんて

 

あの時以来、自分の剣が誰のために存在するかを知って以来、以前のように気安く振る舞えなくなった。可愛い妹分としてずっと接して来た視点がガラリと変わった。妹として見れなくなっていた。認めよう。俺は緊張しているのだ。初めてルグを抱いた時のように。初恋を自覚した思春期のガキのように緊張している。あのアイズに。

 

女未満と書いて、妹。いくら周りに囃し立てられようが、お似合いだと言われようが、無理やりデートさせられようが、リヴィエールはまるで気にしなかった。だって彼にとってアイズは女ではなかったから。

 

だがあの瞬間からアイズは変わった。女未満どころか、自身の剣を捧げるほど大きな存在になってしまったかもしれないから。

そんな相手は今までルグしかいなかった。アイズは今、剣聖の中で、太陽の女神に迫るほど大きな存在になろうとしている。

 

「………ビビってるだけだよ。この後リヴェリアの説教が待ち構えてるからな」

「あ……」

 

アイズの顔が青ざめる。リヴィエールのことで頭がいっぱいで、今の今まで忘れていた。怒れるお母さんが、お家で待ち構えていたのだった。

 

「り、リヴィ……一緒に帰ろう。私はあなたが、守る」

「をい、文法がおかしい」

 

いや、おかしくはない。アイズの本音のはずだ。本音だからこそ問題がある。散々俺を守ると言っていたコイツが、俺に助けてと懇願してきたのはいつ以来だろうか。

 

「やだね。俺がリヴェリアに怒られる理由なんてホントは全くない。それでもお前のために拳骨喰らおうとしてやってるんだ。それ以上のことをしてやる義理は…………ん?」

 

5階層に到達し、しばらく進んでいると、広間に転がってる冒険者を発見した。

 

「人が倒れてる」

「こいつは……」

 

近づくにつれ、白髪の剣士の眉間に皺が寄る。呑気に倒れている自殺志願者(みじゅくなバカ)は自身のファミリアのメンバーだった。

 

「この子……」

「ああ、ウチのガキだ。何やってんだこのバカ」

 

首根っこを引っ掴んで持ち上げる。目立った外傷はなし。治療および解毒の必要性皆無。典型的マインド・ダウン。魔法を覚えたばかりの未熟者が調子に乗って乱発した、数え切れないほど前例のある平凡な日常だ。ソロの場合、気絶したまま魔物の腹の中に収まってしまうまでがセットなのだが、コイツは幸運なのだろう。そこだけが普通と少し違う所だった。

 

「この子、アレからどうしてたの?」

「さあ?俺は滅多にホームに帰らないから。あの酒場の件以来会ってなかったし」

 

まあダンジョンに潜ってるんだから、ある程度立ち直ってはいるんだろう。マインド・ダウンを起こしている未熟さには目眩を覚えずにはいられないが。まあ能天気も長所といえば長所かもしれない。

 

「悪いアイズ。今日はここまでだ。俺はコイツの面倒を見てやらなきゃいけない」

「うん。私の事は気にしないで。その子をお願い」

 

魔石がたっぷり入った荷物を降ろし、代わりに乱暴に少年を肩に担ぐ。相変わらず凄まじい腕力……いや、あの小柄な少年が片手でかつげるほど軽いのだろうか?

 

「あ、魔石…」

「いいよ。俺は今回付き添いだし。お前にやる」

「でも、ほとんどリヴィが倒したのに」

「気にするな。遠征費用は全部お前持ちだったんだから」

 

それに、ウダイオスの黒剣はこちらが持っているのだ。持ち出しで言えば確実にアイズが多い。

 

「リヴェリアに伝えろ。近いうちに会いに行く。待ってろ。言伝があれば例の場所で、と」

「豊穣の女主人?」

「ああ、そういえば知ってたんだな。あいつ意外と口軽いなぁ」

 

身内にはだだ甘なのは昔と変わっていないらしい。まあ、そんなところも彼女の魅力だ。完璧過ぎる奴よりはよほど好感が持てる。

 

「またな」

「…………うんっ」

 

額を指で軽く押す。安心したように頷いたアイズに笑いかけると、リヴィエールは出口へと走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「り、リヴィエールくんっ」

「おはようヘスティア。ほら、土産」

 

ドカリと金品をテーブルに置く。先日あいつらに付き合って稼いだ金が皮袋の中に敷き詰められている。その重厚な音と金属が掠れる音色は相当の大金である事を告げている。

 

「お、おかえり。久しぶりだね……って、なんだい!その包帯だらけの姿は!?」

「…………ああ、これか」

 

手首を軽く掲げる。火傷の手当てに使用した布が腕を白く染め上げている。

 

「君は本当によく包帯君になるなぁ!髪もめっちゃ伸びてるし、この短い間に何があったんだい!?」

「説明すると長くなるから省くが……まあ、魔法の使い過ぎだと思ってくれ」

 

神に嘘は通じないため、事実のみで誤魔化す。本当のことはしゃべっていない程度の事はバレているだろうが、それぐらいならヘスティアは深く追求してこない。干渉しすぎないのが、二人の間で交わされた契約の一つだからだ。

 

「そんな事より、この鬱陶しいの、なんとかしてくれ」

「へ……ベル君!?」

 

普段いない男がいたおかげで意識の外にいた彼がリヴィエールの言葉で確認される。するとクッションに顔を埋めて悶える白兎の姿が視認された。

 

「な、何があったんだい?」

「それが聞いてもあんま教えてくれなくて……多分マインド・ダウンしてた事を恥じてるんだと思うが」

 

相変わらず、よくクヨクヨする少年だ。目を覚まして事情を説明してやって以来、ずっとこの調子。反省は冒険者に必要な事だが、切り替える能力も重要だ。過去を割り切れない冒険者は長生きできない。

 

───いや、俺が言えたことではないか

 

過去に引きずられているのは俺も一緒だ。だから自分も長生きできないだろう。自覚しているからこそ、自分はこの白兎よりタチが悪い。

 

「まいんど・だうん?なんだいそれは」

「魔法使用の精神摩耗によるブラックアウト……そういえばこのガキ、魔法なんて覚えたのか」

 

以前ヘスティアに見せてもらったステイタスには無かったはずだ。先程まで自分のことで手一杯だったため、気にもしていなかったが、この短期間で魔法の発現はかなり異常と言える。

 

「この子もホントに多感な子だなぁ……あ、ベル君。昨日の本、見せてね」

 

テーブルに置いてあった本をヘスティアが手に取る。リヴィエールも包帯の結び目を解き始めた。せっかくホームに来たのだ。ステイタスの更新をしてもらうつもりだった。

 

「ふぅん。見れば見るほど変わった…………え?」

 

ペラペラとページをめくっていたヘスティアの手が止まる。

 

「り、リヴィエール君っ。コレ……」

 

基本朗らかな彼女にしては珍しい青ざめた表情と引きつった声が耳朶を打つ。リヴィエールが振り返るより前にヘスティアは本を持って彼の隣に座った。

 

「…………魔導書(グリモア)

「そうだよね!やっぱりそうだよね!!」

 

書物を手に取り、目を通していたリヴィエールが、信じられないと言わんばかりに目を見開き、唖然と正体を呟く。彼の意見によって、ヘスティアもこの書がグリモアである事を確信した。

 

「ぐりもあ?」

「ああ、駆け出しは知らないか。極限までざっくり言うと、魔法の強制発現書。読むだけで魔法が使えるようになるとんでもないアーティファクト」

 

『魔導』『神秘』二つの希少スキルを極めなければ作れない超奇天烈物体。

 

「俺もディスプレイに飾られてるのは見たことあるが、本物を手に取ったのは初だ……だがレベル1で魔法が発現するなんてそれぐらいでしか説明できないか」

 

本来、魔法は才能があっても、たゆまぬ努力と練磨の末に得られるスキル。エルフでさえ一つの魔法を覚えるのに相当の修行を要する。

 

「クラネル。どこでコレを手に入れた?」

「知り合いの店で借りて……」

「どこだ?」

「豊穣の女主人っていう……」

 

───あそこで?

 

いくつか疑問符が浮かびあがる。あの店は元冒険者が多く働いている。よく見ればこの書がグリモアである事くらい気づく。唯一スルーする可能性があるとすれば町娘のシルだが……

 

───シルがクラネルに……

 

偶然とは思えない。なんらかの作為をリヴィエールは感じ取った。

 

「は、早く返しに行かないと」

「無駄だ。一度読めばこいつの効力は失われる。もうコレはただのガラクタだ」

 

本を閉じ、ヘスティアにグリモアを手渡す。魔法使いとして、使用済みのグリモアに興味はなくはなかったが、俺の持ち物ではない。ならばファミリアの財産として、クラネルか、ヘスティアに返すべきだ。

 

「べ、弁償しないと」

「アホ、身ぐるみ剥がされて一生奴隷で暮らしたいのか。ヘファイの一級品装備と同等……いや、それ以上か」

 

昔、レノアの店で見た値札を思い出す。景気良く並んだ0は多すぎて集計する気にもならなかった。

 

「君は何も見なかった。そういうことにしておきたまえ。後は僕らがやっておく」

 

ヘスティアが笑顔でサムズアップすると、リヴィエールに続いて外に出ようとする。

 

「なにふつうにごまかそうとしてるんですか神様!」

「ええい、止めてくれるな!ベル君、君は潔癖すぎる!世界は神より気まぐれなんだぞっ!」

「はは、至言だな」

「リヴィエールさんも感心しないでください!もうこうなったらドゲザに賭けるしかないんです!」

 

ひったくると教会を飛び出していく。恐らく豊穣の女主人に向かったんだろう。

 

「ベル君の正直者ぉ…」

「ガキ……まあ、大丈夫さ。ミアなら悪いようにはしねえよ」

「ミア?」

「その店の主人だ。あのバカと違って現実的な女傑だ。あいつなら置いていった方が悪いから忘れろぐらいの事は言うだろ」

「そうなら良いんだけど。あ、リヴィエール君」

 

焦ったような声が背中にかかる。何か相談したい事でもあるのだろうか?いつもと違う真剣な声に歩みが止まった。

 

「ちょっと、聞いて欲しい事があるんだ。彼が最近行動を共にしているサポーター君について」

「…………」

 

しばらくヘスティアから話を聞く。聞いた限り、あまり良い印象は受けない小人族だ。といっても別に驚きはしない。小人族なんてフィンを除けば基本卑屈で卑怯。リヴェリアやリューが最も嫌うタイプの連中ばかり。中でもその小人族はタチが良くなさそうだ。

 

「どう思う?」

「どうって言われても。オラリオじゃよくいる小悪党だ、くらいしか」

「そうじゃなくて!ベル君は大丈夫かなって事さ!」

「ほうっておけ」

「ほっておけ!?」

 

ひっくり返った声がヘスティアから上がる。

 

「騙されるのも冒険者の経験だ。騙し、騙されを繰り返して一人前になっていくんだよ」

 

俺も何回騙されたか、と呟く。まあガキの頃から相当スレてたリヴィエールは少ない方だが、それでも騙されたことは幾度となくある。痛い目にあうことも勉強だ。

 

「でも僕はあの子が心配なんだ!あの子には純粋いままでいて欲しいんだ!だから……」

「それでも、俺たちにできることはないよ。ヘスティア」

 

あの子が純粋いなままでいるなら、そのサポーターが幾ら悪党でも信じようとするだろう。その行動の結果、何がもたらされるかはわからない。だが、過ちも全て白兎の財産になる。ならばたとえ騙され、嵌められたとしても、後悔はすまい。安全のために疑いながら後悔するよりは信じて動いた末で後悔する方が冒険者としては正しい。

 

───しかし、ソーマ・ファミリアか

 

どこにでもいる小悪党なら気にしなかったが、所属しているファミリアが少し引っかかる。あそこの団員は金稼ぎに血道を上げてる連中が多い。手段を問わない、それこそ人の命にかかわる事でも平気でやっているのを見た事がある。

金には困っていないはずのファミリアだからこそ、その行動理由は少し不可解だった。

 

「………ああ、そういえば俺、ロキに酒を奢ってやるって約束してた」

「えぇ……ロキに?あいつなんかとそんな約束したのかい?」

「少しゴタゴタあってな。その口止め料で。しかしあの軽い口を止めておくには少し気を使った方がいいか。よし、ちょっと高い所で買ってくる。ヘスティア、良い店知らないか?」

「え?えっと……僕が知る限り、一番美味しいのは……」

「そうか、ソーマか。少し高いがまあ俺の保身のためにはしょうがねえか。よしソーマにしようそうしよう」

 

包帯を巻き直し、外套を羽織る。ヘスティアとは一切目を合わせずに。

 

「…………ツンデレ剣聖」

 

彼がいなくなった後、笑顔でヘスティアはかつてルグが称していた名前で呼んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、ぇえええええ!?」

 

店先で素っ頓狂な声が上がる。ディスプレイの前に立って、驚愕に包まれているのは亜麻色の髪の美しいハーフエルフ。彼女の名はエイナ・チュール。リヴィエールとベルの担当官。ギルドで美人と評判の職員だ。

 

「神酒は相場で60000ヴァリス。堅実に稼いでるギルド職員にはちょっと手が出にくい嗜好品だな」

「ええ、これ買っちゃうと今月の生活費が……って!」

 

背後から聞こえるよく見知った声。あのフィリア祭以来、一度も顔を見せず、ずっと心配していた……

 

「リヴィくん!」

「やぁエイナ。変な所で会うな」

 

襟首に摑みかかるエイナを軽く抱きしめる。そうでもしないと押し倒されそうな勢いだった。

 

「今までどこに行ってたの!大怪我して、ダンジョンで倒れたって聞いて!本当に、本当に心配してたんだから!!」

「ごめんごめん。ちょっと色々あってさ」

「というか今もまだ怪我してるじゃない!なにこの包帯?火傷?大丈夫なの?ちゃんと治療してるの!?」

「一応巻いてるだけでほぼ完治している。それよりなんでお前がこんな所に?」

「私?私はね、えっと……」

 

滔々と怒っていたエイナが初めて口籠る。ギルドの者が特定のファミリアに探りを入れては問題がある。懇意にしているリヴィエール相手でも、規則の縛りがこの真面目なハーフエルフに躊躇を生んでいた。

 

「エイナ?それにリヴィエールか?」

『?』

 

二人の名前が呼ばれる。音源を見ると二人とも目を剥いた。

 

「リヴェリア様!?」

「お前…なんでここに?」

「なんで?なんでか」

 

足に力がこもっているのが音でわかる。強い力で胸を押された。傷が少し痛み、顔が歪む。

 

「お前が待ってろとアイズに言った。だが、どこで待てばいいかを言わなかったからこうしてオラリオ中歩き回ってたんだろうが!人が苦労して歩き回っているというのに貴様はエイナとイチャイチャしおって。まったく貴様の浮気性には付き合い切れん!」

「わかった!俺が悪かったら指で胸板突くのやめろ!地味に痛いから!」

 

ドスドスと鈍い音を立てながら後退する。壁に押しやられたリヴィエールは怒れる姉の手を取った。

 

「リヴェリア様……」

「ああ、エイナ。すまない。挨拶が遅れたな。少し見ない間に随分綺麗になったな。見違えたぞ」

「い、いえ!過分なお言葉、身に染みる思いで…」

「なんだお前ら。知り合いか」

「彼女の母と私は親友でな。私はエルフの里を彼女の母とともに出たんだ」

「…………そうか」

 

なら彼女の母はきっとオリヴィエを知っているんだろう。その子が俺とこういう関係になっているとは、縁とは不思議だ。ここ数日で強くそう思うようになった。

 

「エイナ。ここは里ではない。その言葉使いはよせ」

「そんな。王族(ハイエルフ)の方に……」

「それを言えばそいつにもお前は丁重な態度を取らねばならなくなるぞ」

「へ?」

「おい、リーア」

 

人の素性を勝手に話そうとしたバカな姉を目で制する。迂闊だったことを認めたのか。慌てて口を閉じた。

 

「リーア?リヴェリア様のこと?それにさっきの。どういう…」

「そんな事よりエイナ。俺の質問に答えろ。お前なんでこんな所にいる?」

 

誤魔化すと同時に話を本題に戻す。少し考え込む様子を見せると躊躇いがちに口を開いた。

 

「友人にここのお酒を勧められまして……飲んでみようかと」

 

7つ目の感覚はエイナの嘘を見抜いていたが、追求はしない。人の嘘を一々気にしていてはこのスキルは不便すぎる。

 

「私のファミリアにも愛好家が多い。リヴィエール、お前もか?」

「少し前にロキに神酒を奢る約束をしてな。それを果たしに来たのさ」

「…………お前が?ロキとの約束を?」

 

少し違和感を覚える。約束など、平気で破り、破られを繰り返して来た二人だ。一年前まではその度に喧嘩をしていた。変わった形ではあるが、それも二人の友情だったはず。それなのに…

 

「…………俺が約束果たしに来てたら文句あるのか」

「い、いや、ないが……」

「リヴィ君はここの常連なの?」

「常連とまでは言わんが……まあ口にしたことはある」

「なら聞いたことある?このお酒を嗜んで、依存症とか少し普通じゃない症状が出ている人がいるとか」

「………いや、寡聞にして。リヴェリアは?」

「私もそこまで常軌を逸した者は……あのファミリアの団員には薄ら寒いモノがあるとは聞くが……」

 

二人のよく似た翡翠色の瞳が、これまたよく似たエイナの瞳を射抜く。その高貴な光は平民であるエイナの心を鷲掴みにした。

 

───しまった。この聡い二人相手に踏み込み過ぎた…

 

「…………どうする?」

「まあいいだろう。勘弁してやるさ。話したくないことぐらい誰にでもある。ああ、生憎だが私もあのファミリアについて詳しくは知らない。こいつは言わずもがなだ」

 

しばらく二人で小声で話した後にエイナに向き合う。何を話していたかはエイナの耳には届かなかった。

 

「リヴェリア。少し話したい」

「ああ、そういう話だったな。わかった。来い。エイナ、お前も来るか?」

「へ?」

「ソーマの事情に多少明るい者に心当たりがある」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おかえり……リヴィ!」

 

黄昏の館応接間。いくつかのテーブルとソファが並ぶ広いホールに、少しラフな格好をした美少女がいる。風呂上がりなのか。輝くプラチナブロンドは少し濡れていた。

 

「やあアイズ。思ったより早い再会だったな。ちゃんと帰れたか?」

「うん。あの子は?」

「問題なし。ちょっと灸を据えたくらいで勘弁してやったよ」

 

喜色満面だったアイズの表情が少し曇る。彼の隣を親しげに歩く少女の姿が目に入ったからだ。少し尖った耳の形から恐らくハーフエルフ。儚げで可憐な美少女と言った、自分とは対照的な彼女を見て、少し嫌な気持ちが芽生えた。

 

「…………その人は?」

「俺の担当」

「私の親戚みたいなものだ」

「ほう。エイナ、お前いつのまに王族になった?」

「リヴィ君、からかわないで!」

 

モヤとした感情が胸の中に込み上げる。彼が愛称を許している人物は多くない。自分を含めても両手の指で数えられるほどだ。その時点で、相当親密な関係だと推察できる。

 

「エイナ・チュールです。ご高名はかねがね」

「アイズ・ヴァレンシュタインです。リヴィがお世話になってます」

「なってない」

「そうね。確かになってないわね。なってくれたら私も少しは楽なんだけど」

「わかります」

 

アイズが身を乗り出し、一度強く頷く。同じ苦労をしているのだと今の一言でわかった。

 

「わかってくれますか。この人、ホントに糸の切れた凧で」

「人を頼らないのはリヴィの悪い癖です」

「自分以外全員敵みたいなこと本気で考えてるんです。一年前なんてホント野生の狼みたいで。なまじ何でも一人で出来てしまうから困っています。何とか大人しくさせる方法ヴァレンシュタイン氏は知りませんか?」

「私もずっと考えています。リヴィが一人でどこかに行かない方法」

「お前ら、ホントに初対面か」

 

人の悪口を滔々と語る姿はとても初めてまともに会話をしている相手とは思えない。渦中の男は居場所なさげに抱えたビンをテーブルに置いた。

 

「人を団結させるのは共通の敵だな。この二人とは旨い酒が飲めそうだ」

 

コルクが抜ける音がする。同時に鼻腔をくすぐる涼やかな香り。最後に神酒を口にしたのはいつだったか。相変わらず素晴らしい。色艶といい、まさに至高の嗜好品。

 

「あの、それでリヴェリア様。事情に明るい方とは?」

「匂いにつられて時期にやって来る。それより呑んでみろ」

「どうでもいいけど何でお前が仕切ってんだ。俺が買った酒だぞ」

 

勝手に開けて勝手にグラスに注ぐ姉は弟の言葉を一切無視し、エイナの前にグラスを差し出す。続いてリヴィエールの前にビンを置くとグラスを向けて来る。注げ、という事らしい。良いけどなんかムカつく。

 

「うっわ」

 

口にしたエイナから感嘆の声が上がる。初めて味わうならばそれも当然だろう。舌を痺れさせる強烈な甘みにしつこくなく口溶け滑らか、後味爽やか。芳醇な香りが鼻に抜けるあの感覚。味が分かるものなら驚かない方がおかしい。

 

「この匂いっ、ソーマやな!」

「出た」

「なんやリヴィエール。人を妖怪みたいに言いおって。あー、やっぱりやぁ。なに?リヴェリア買うてきてくれたん?この親孝行もんめっ」

「俺が買ってきたんだよ。ほら、前のフレイヤの件で約束したろ」

「…………あぁ、アレか。あったなぁ。いやさっすがウチの友達!お前はやればできる子やって信じてたで!」

「何目線だ貴様。いいからサッサと飲め」

 

自分用にリヴェリアが用意していたグラスを差し出し、中身を注ぐ。おっとと、と古典的な口上を述べるとグッと煽った。

 

「かぁ〜、うんまぁ!相変わらずやなぁ。で、ギルドの制服着た子がウチに何の用や」

 

ロキの細い目がエイナを捉える。他ファミリア所属とはいえ、一年前から頻繁に出入りしていたリヴィエールが黄昏の館にいる事は彼女もあまり問題にしていないが、ギルド職員がいれば警戒するのも無理ない事だろう。

 

「お初にお目にかかります。私、エイナ・チュールと──」

「ああ、えぇえぇ。堅苦しいのはなしや。ギルドは常に中立とかほざいて、何が狙いや?」

「やめろロキ。俺の客だ。丁重に扱わねえと怒るぞ」

「私の客人でもある。中傷は許さん」

 

舌鋒鋭くかかったロキを二人で止める。少し考え込む様子ではあったが、素直に謝辞を述べた。

 

「で?リヴィエールとエイナちゃん。うちのオキニを持ってきたっちゅう事はなんか聞きたい事あるんやろ?」

「俺はねえよ」

「……ソーマ・ファミリアについて、知っていることを教えて頂きたいのです」

「ソーマ、ね。リヴィエールもそれでええんか?」

「だから俺はねえって」

「ああさよか。うちもあのアホとは仲ええ訳ではないんやけどな。二人ともなに聴きたい?」

「お前が聞けよ。俺は──」

「あのファミリアを取り巻く異常性の原因について…ご存知ですか」

 

ツンデレを差し置いて会話はドンドン進んでいく。憤然とソファに身体を沈めると頭を撫でられる。いつのまにかアイズが背後にいた。

 

「大丈夫、私もそういう時良くある」

「知るか」

 

そんな二人を尻目に話は進んでいく。酒好きであるロキがソーマの酒を収集していくウチに知った真実。それは現在市場に出回っている神酒は全て失敗作であるということ。

 

「この完成度とクオリティでか」

「そうや。それを知って成功品を恵んでくれって直接頼みに言ったんやけど…」

 

断られた。そのかわり少し内情は知れた。主神ソーマにファミリアをやる気はなく、ただ趣味に熱中するためにファミリアを作ったことを。

 

「趣味神ってことか?でもそんな神…」

「そう、珍しない。ウチもルグもある意味そうやしな。ただちゃうんはアイツのファミリアは目的ではなく手段でしかない言うことや。酒作りは金がかかるからな。せやからあのアホは団員たちに儲けさせるため、起爆剤を用意した」

「つまり、その起爆剤とは……」

 

鼻先にぶら下げられた人参って事か

 

「その通り。その人参が完成品の神酒。あそこの子達が崇めてるんはソーマやない。神酒なんや。そこが普通の趣味神ファミリアとの最も大きな違い」

 

金に困っていないはずのファミリアの団員たちの金への渇き。その理由こそが完成品の神酒だった。

 

「一昔前を思い出すな。暗黒期、クスリに潰れた連中が似たようなことをやっていた」

「まああん時に扱われとったヤバいクスリとはちゃうけどな。いくら旨くとも所詮酒。酔いはどっかで必ず覚める。依存症はごく短期間。しかし、抗い難い魔力を持つのも確か。いろんな不確定要素がなんとかうま〜く組み合わさって態をなしとるのが今のイカれたソーマ・ファミリアや」

 

───また厄介なところと繋がったな、あの白兎

 

冒険者に重要な要素の一つに運がある。リヴィが幸運であったかどうかはよくわからないが、少なくとも人との出会いにおいては恵まれていた。

 

「だが所詮は金欲しさ。できる悪事はザコそのものだな」

「そうやな。お前が今遭うとるような、大事には多分ならん。けど、多少痛い目には合うかも知れん。エイナちゃん。あそことつるんどる友達がおるんなら、それとなく距離を取るように声をかけたりぃ」

「…………肝に銘じます」

 

 

 

 

 




最後までお読みいただきありがとうございます。励みになりますので感想・評価よろしくお願いします


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Myth40 同盟を断らないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

『リヴィ、決まり事を作りましょう』

 

ファミリアのエンブレムを掲げていた少年に話しかける。少年を抱きかかえているのは太陽の光のごとく輝くプラチナブロンドのロングヘアに天覧の空を思わせる青い瞳。陶器を思わせる滑らかさと、空を揺蕩う雲を思わせる柔らかさが同居した白磁の肌。人間離れした美貌を持つ女性だった。それも当然かもしれない。彼女は本当に人間ではなかったから。

天覧の空を具現化したかのような彼女の名はルグ。下界に降り立った太陽神である。

 

『なんだ、突然』

 

豊かな胸の中に体が埋まる少年が眉をひそめ、自分を抱く美女を見上げる。艶やかな黒髪にエメラルドを連想させる翡翠色の瞳を宿した美少年が地面に降ろされる。背丈的にエンブレムをかけられる位置に届かなかった彼は青い瞳の美女に抱き上げられて、その仕事を達成していた。

 

『私達は今日からファミリアを始めます。基本的に貴方を縛るつもりはありません。自由にやってもらって欲しいとさえ思っています。しかし、なんでもやっていいというわけではありませんよ。自由とは無法ではなく、自分が定めたルールに従って、誇りを持って生きることです』

 

膝を折り、少年と目線を合わせる。いつも柔らかな彼女にしては珍しく、その吸い込まれてしまいそうな宝石のような美しさの瞳には強い光が秘められていた。

 

『そんなに警戒しないでください。難しい事を言うつもりはありませんとも。言ったでしょう?私は貴方に基本的には自由にやって欲しい。失敗する事も経験です。ですが、いいですか?四つだけ、守ってください』

『内容次第だな。ま、聞くだけ聞こう』

『一つ、人と関わる事を恐れないでください。警戒するのは構いません。ですが、接する事を避けるのはダメです。わかりましたか?』

『わかった』

『次です。私に遠慮するのはダメです。私のことを考えてくれるのは嬉しいですが、その結果、貴方が傷つく、若しくは傷つけられることになってしまっては私が辛いですから』

『元からあんたの為に痛みを負おうとは思ってない。俺は常に俺を優先させてもらう』

『三つ目。貴方を守りなさい。コレは貴方を慮っての事ではありませんよ。現状、我がファミリアの構成員は貴方一人です。貴方に何かあれば私が困ります。良いですか?』

『当たり前だ。死ぬ気なんて微塵もない』

『最後です。貴方自身を守りなさい。コレは貴方を慮って言っています。ヘファイストスから色々話を聞いて、冒険者とはなんたるかを少しは知っているつもりです。ですがそれでも言わせてください。絶対に死なないでください。コレより貴方はダンジョンという未知に挑みます。決して簡単な道中ではないでしょう。ですが死なないで。リスクを負う事も時と場合によっては必要です。冒険者は冒険をしてこそ冒険者足りうる。ですが命が無くなってしまっては何にもならないんです。絶対に死なないで。他の誰が……この私さえ、貴方の前で倒れたとしても、貴方だけは生きる努力をやめない事。良いですね』

『…………言われるまでもない』

 

こうして、ルグ・ファミリアは始まった。太陽の女神と心が凍った少年。そして定められた四つのルールと共に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エイナの話が終わった後、リヴィエールはとある部屋に通されていた。ロキ・ファミリア本拠地、黄昏の館でも最深部。主神と最高幹部しか入れない会議室。その場でリヴィエールはフィン、ガレス、リヴェリア、そしてロキに囲まれていた。

 

───病み上がりの今の状態で、この三人に同時に来られたらヤバイな

 

そんなありえない事が脳裏によぎる。それほど他ファミリア本拠地に乗り込むというのは危険な事なのだ。黄昏の館で寝泊まりしたことは何度もあるが、逃げ場のない袋小路に追いやられたことは一度もなかった。しかし今は完全に封じ込まれている。あり得ないと半ば知りつつ、身体から緊張を解くことはできなかった。

 

ビンに残った最後の一滴を空になったグラスに注ぎ込む。そのまま飲むのかと思ったが、なみなみと満たされたその一杯を赤髪の邪神は悪友の前へと突き出した。

 

「さて、今度はリヴィエールやなぁ。ウチに何頼みにきた?サッサと言えや。ただ酒奢りにきたなんてウチは信じひんぞ」

「…………お前と話をしに来たつもりはない」

「そう警戒すんな。別にウチはお前になんもする気はないから。ほれ、一杯やりぃ」

 

グッと彼にグラスを押し付ける。アルコールが入らなければできない話もある。ロキなりに友人に気を使っているのだとリヴェリアは気づいた。

その意思を汲み取ったのか、グラスを受け取った白髪の青年は中の液体を一気に煽った。

 

「ヒュウ、流石ええ飲みっぷりや」

「本当はリヴェリアに秘密裏に頼むつもりだったんだが……」

 

冷やかす声は無視する。真剣そのものの口調にロキも薄い目を開いた。

 

「情報を交換したい。俺の知っていることは全て提供する。だからそちらが掴んでいることも全て教えてほしい」

「…………何について聞きたい?」

「まずは極彩色の魔石と新種について。次に地下水路。ギルドの動向」

 

的確な質問だった。ここ最近のゴタゴタの核心を突く事柄ばかり。彼を剣だけの男などと思ったことは一度としてないが、それでも赤髪の邪神は悪友の慧眼に舌を巻いた。

 

「お前は何をウチらに提供できる?」

「18階層の事件とリャナンシーについての情報。それと俺の現状」

「現状?」

「俺がリャナンシーにかけられた呪い。それを転用した魔物化について、全てを語ろう」

 

会議室の空気が変わる。歴戦の勇者である三人に緊張が走った。それも当然。この白髪の剣聖は自分の弱点と切り札について、他ファミリア幹部および主神に全て教えると言ったのだ。いくら親しい関係を築いていても、通常コレはあり得ない。冒険者の世界とはたとえ友人同士であろうといつもお互いに相手の弱みを握り、己の利益にしようとチャンスを伺っているものなのだ。協力することあっても気を許してはならない。まして今、彼はアウェイのど真ん中にいる。リヴィエールは彼らの前で胸元を無防備に曝け出したに等しい。

 

───なんて大胆かつ狡猾……

 

薄い目の奥で光が見える。ロキの中で剣聖への評価が良くも悪くも上がった。リヴィエールの現状など、ファミリアにとっては何の益にもならないが、この場にいるリヴェリア、そしてアイズにとっては何よりも変えがたい情報だろう。子供に甘いロキとしては聞き出してやりたい。

彼の異様な変身については、ロキも軽く聞いている。あの痛みに死ぬほど強いリヴィエールがのたうち回ったことも。リャナンシーは警戒させなければならないと考えていた。敵の情報が知れるなら少しでも聞いておきたい。

こちらの弱みとメリット。二つを匂わせた行動。交渉ごとは苦手としていたイメージだったのだが、払拭される。強かな奴が、ロキは嫌いではなかった。

 

「教えてやってもええけど、一つだけ聞かせてくれ」

「一つだけな」

「何でウチらに協力する気になった?ウチが知るお前やったら組織を利用する手はつこてもこんな弱点さらけ出してまで情報を取ることはせえへんかったはずや。正直に言え」

 

それは少し誤解と偏見が含まれている。共同歩調をとった事は今までもあった。ただし、個人的に。最たる例はガネーシャとアストレアである。しかし、主神同士が話し合い、決められた協力関係ではなかったことも事実。シャクティとリューに背中を預けたのは、この二人は信頼できると確信したからこそ。ロキの疑問は誤解もあるが、こじつけとも言えないモノだった。

 

「特別な理由はない。流石にこのヤマは一人で解決する事は出来ないと判断したからだ」

「意外やな。自分の復讐に他人を介入させる事をお前が良しとするとは」

「俺はルグを嵌めた奴を斬れればそれでいい。過程には拘らん。こだわってどうにか出来る相手じゃない。黒幕も、リャナンシーも」

 

コレは本音だ。そして共同歩調を取るというなら、まず提案した方が歩み寄るのは当然。協調するというなら多少のリスクは背負う必要がある。それに呪いについて、もうアイズには話してしまってるのだ。ならロキに喋っても、もう今更。バレている前提で動けばリスクも最小限。最小限のリスクでオラリオ最大派閥から情報を引っ張れるなら、策としても悪くない。

 

「ええやろ、話たる。その代わりお前も包み隠さず話せよ」

「勿論。太陽神の眷属の名にかけて、約束しよう」

 

そこからしばらくは情報交換に終始する。

50層の新種。フィリア祭の食人花。ギルドの動向。ここ数日でロキが知った全てを話し、18階層の事件の内容。モンスターを変異させた宝玉。赤髪の調教師にリャナンシー。魔物化の呪いとその副作用をリヴィエールが話した。

 

「ギルドは白と見ていいのか?」

「何か隠してはいそうやけどな。直接関わってはおらんと思うで」

 

なら黙認説の線が濃くなったか。それとも薄々勘付いている程度で関わりは全くないのか?何だかんだ治安維持に尽力してきたウラノスだ。可能性としては後者の方が高そうだが……

 

「変異したモンスターの件ならアイズとレフィーヤからも報告は受けている。俄かには信じられんがお前までそういうなら間違いないのだろう」

「俺個人の意見で言えば、レヴィスは俺かアイズを使って何かをしたそうに見えたが……」

「それや。ウチもそれが気になる。だいたいフィンとリヴェリア二人掛かりで辛勝てヤバすぎやろ。リヴィエール、お前はやったんか」

「少し。強かった」

「サシでやったら勝てるか?」

「当然」

「言い切ったな」

 

フィンをもってして、真正面からやり合いたくないと言わしめる相手だというのに。相変わらず自信家。しかし過信ではない事をこの部屋にいる全員がわかっている。

 

「…………コレも先日、俺がアイズから聞いたばかりの事なんだが」

 

あまり重要な情報とも思えなかったため、いうべきか言わざるべきか。少し迷ったが、それでも口を開く。全て教えると言ったのは俺だ。無意味かもしれない情報がのちに鍵になった経験はリヴィエールにもある。ならば教えておくべきだろう。

 

「レヴィスはアイズを『アリア』と呼んだらしい。俺のことも『オリヴィエ』と呼んでいた」

 

空気が変わる。明らかに警戒心が強くなった。この名前が重きをおく事柄であると感じたリヴィエールの直感は正しかったらしい。

 

「間違いないのかい?」

「その名前でアイズが呼ばれていたのを俺も確かに聞いた。あいつは母親の名前だと俺に教えてくれたが」

「それ以上の事は聞いとらんな?」

「聞いてないが、察しはつく。楽士は精霊と関わりが深い」

 

精霊アリアと関係があるだろう事に気づいている、と暗にほのめかす。彼らならこの一言で理解するはずだ。

 

「ちなみに神々でアイズの母親について素性を知ってる奴は?」

「それこそ気づいとんのはウラノスくらい…………待て待て、結論を急ぐなリヴィエール」

 

目の色が変わった事にロキとリヴェリアだけが気づく。放っておけば一人で乗り込みかねない殺気だった。

 

「連中の狙いは何やと思う?推測でエエ」

「俺かアイズ、もしくは両方を利用したオラリオの壊滅」

「…………それはちょっと極論すぎひんか?」

 

飛躍した事を話している自覚はある。しかし、現状を把握すると、その程度のことは起こりうると予測する。食人花を大量に飼い慣らし、あれほどの腕の調教師とリャナンシーを味方につけている。あのモンスターたちが地上に一斉に放たれればオラリオくらい壊滅するだろう。

 

「少なくともレヴィスはあの宝玉を俺かアイズに充てがうつもりだった」

「そうなのか?」

「確証はないがな、勘だ」

 

だが大きく外れてはいないだろう。食人花に宝玉が食いついたことをレヴィスは明らかに望んでいなかった。リャナンシーは面白がっていたが、アレは順調な過程を楽しんでいるのではなく予想外の事象を楽しんでいるという感じだ。

 

「リヴィエール」

「なんだ?」

「手を組まないか?私達と」

 

眉が少し釣り上がる。リヴェリアの意図が読めない。周囲を見渡してみても、リヴェリアに否を発する者はいない。つまりこの提案はファミリアの総意という事。

 

「それは俺個人とという事か?」

「当たり前やろ。寧ろドチビは関わらせんで欲しいくらいや」

「お前の言う手を組むとは同盟という事か?対等の、目的を達成するまで協力し合うっていう」

「勿論。上下はなしや。友達やろ?ウチら」

「…………」

 

───わからない。何を考えてる?コイツ……

 

戦闘力として俺の力を欲している?対レヴィス、もしくはリャナンシーへのカードとして?ないとは言わないが極薄い可能性だ。いくら俺が強くとも個の力は脆い。傘下に降れというならともかく、俺個人とロキ・ファミリア同盟の提案は俺にメリットがありすぎる。

 

得しかない提案は怖い。利益があればあるほど裏にどんな鋭い刃が潜んでいるか、わからないからだ。

 

相手の出方がわからない時、剣士としての対処法は……

 

「断る」

 

間合いをとる事。近づき過ぎては不意打ちも避けづらいが、一定の距離を取っていれば対処も出来る。

 

「なんでや?お前にも利益はあるやろ」

「ありすぎる程にな。だからこそ断る。前も言ったが、俺の中ではロキも完全なシロとは言い難い」

 

ベートを始め、彼のことを気にくわない連中はロキ・ファミリアの中に多くいる。下手に背中を見せたらそいつらが何をするかわからない。いや、闇討ちなど慣れっこのリヴィエールであれば、奇襲を受けたとしても斬り捨てる事は容易だろう。しかし、同盟を組んで仕舞えば簡単に斬ることもできなくなる。襲撃者の命にまで気を配る余裕があるかどうかと聞かれれば難しいと答えざるを得ない。

 

「でも、お前今まで他ファミリアの奴と組んでダンジョンに潜った事もあったやないか」

「それは俺が個人的にそいつらを信用しているからだ。俺はリヴェリアやアイズなら、命をかけて守れるし、裏切られて背中から刺されても良いと思っている。だがロキ・ファミリア全体に同じ想いを持つことはできない」

 

リヴィエールが他人とチームを組む条件は大きく二つ。一つは自分が人物と認める能力と人格を持っていること。もう一つがその相手を愛しているかということ。友愛、親愛、信愛、なんでもいいが、自分を犠牲にしても良いと思えるだけの相手であること。

コレはオラリオという伏魔殿で騙し、騙されを繰り返してきた剣聖にとって、能力よりもずっと重要な要素だった。

 

「話は終わりか?なら俺はもう行くぞ」

「…………」

「そんな顔するなよリーア。冒険者として、クエストを受けることは構わない。俺にしかできないことがあれば豊穣の女主人に言伝を残してくれれば良い。お前の頼み事なら優先的に引き受けよう」

 

引き止めるような、責めるような、なんとも言えない姉の視線に弟が根負けする。完全に背中を見せることは出来ないが、コレくらいなら良いだろう。実を言えば今後も情報交換はしたい。ロキ・ファミリアに恩を売る機会は作っておいて損はない。

 

「はぁ……わかった。今回は諦める」

 

ふぅ…と肩から力を抜くような息を吐き、いつもの細目に戻るロキ。ニカッと歯を見せて笑った。

 

「実はウチらな。近いうちに遠征に出るつもりでおる」

 

急に話が変わったことで部屋を出ようとした足が止まる。

 

「そうか」

「なんや、あんま驚いた感じちゃうなぁ。知っとったんか?」

「まあ、耳に挟む程度には」

 

情報源はヘファイストス。武器の製作をロキから大量に依頼されたとボヤいていた。ハイ・スミスの同行も。『まだ交渉段階だから話半分程度に。でも、頭の中には入れておいて』と赤髪の友神に言われた。魔剣や特製武器(スペリオルズ)も相当準備しているらしい。

 

「なら話は早い。今度のは今までにないほど深くイクつもりや。ファイたんのところから腕利きも借りる。でも手練れは幾らでも欲しい。どや?お前も来ぉへんか?51より下の階層、興味あるやろ?」

「まあ、足を踏み入れたことがある身としてはな」

 

あまりの過酷さにソッコーで引き返したが。51以下の層は本当に次元が違う。とてもソロで潜れるゾーンではない。

 

「頭には入れておく。詳細が決まったら教えてくれ」

 

それだけ言い残すと、今度こそリヴィエールは部屋から出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「相変わらずガードかったいなぁ。アイツ」

 

リヴィエールが部屋から出た後、グヘェと椅子の背にもたれかかる。緊張感が抜けたのだろう。彼相手に交渉をするのはロキといえど中々に神経を使う。

 

「同盟とまではいかないが、今後も協力関係を取る事は約束させた。この辺りが落とし所だろう」

「遠征のことをアイツの耳に入れられたことも大きかったな。あの赤髪の調教師やリャナンシーの事を考えれば、必ず勝てると断言できるアイツの力は不可欠だ」

「ええ子ぶらんでええで、リヴェリア。一人でアイツが戦わん状況にできて良かったな」

 

ロキの指摘に緑髪のハイエルフはむっつりと黙り込む。実を言うと今のは図星だった。調教師はともかく、リャナンシーが別格過ぎる。一対一で、魔物化を使用しても、彼女とはようやく互角だった。一人で突っ込んで、調教師とリャナンシーのニ対一になってしまった場合、白髪の弟は高確率で負ける。まして魔物化は時間制限付き。副作用もこの目で見た。絶対に一人では戦わせたくない。

 

「そうかな?彼なら僕らの遠征なんて待たずに深層に行ったとしてもおかしくは……」

「ちょっと前のアイツやったらそのセンもあったけどな。多分それはないやろ」

「その心は?」

「目が違た……いや、正確にはあん時と同じ目をしとったからや」

 

ルグ・ファミリアがまだ健在だった頃。剣聖が少しずつ、人の心を信じ始めていたあの時。彼は自分の命よりプライドを優先する男だった。それは今も変わっていないだろう。だが、それ以上にあの時、黒髪の少年には優先するものがあった。何を置いても、守るべき者とルールが。

 

「このヤマは自分一人では手に負えん言うとったやろ。事実その通りや。流石のアイツも一人でなんとかできる状況やない。ウチらを利用できるなら利用しようとするはずや。あいつは一年待った。あと少しくらい待つやろ。待てなアカン」

 

リスクを負うのも時と場合による。それがわからないバカならとっくに死んでいる。アイツは決して向こう見ずではない。冷静に、リスクとリターンを見極め、自分をチップに賭ける。強いだけで生き残れるほどこの世界は甘くない。

 

「さて、今後アイツに恩を売っとく為にも色々やっとくか。それでなくても、敵の輪郭くらい掴んでおきたいしな。フィン、地下水路の方を調べてもろてええか?ギルドにはバレんように」

「例の下水道かい?わかった。明日にでも行ってこよう」

「私たちも遠征の準備に取り掛かろう」

 

ガレスに視線を向けるとリヴェリアは部屋から出る。一応の約束は取り付けたとはいえ、アイツは状況が変われば一人で突っ込むだろう。ならば1日でも早く準備を整える必要がある。

 

会議室から子供達がいなくなり、ロキだけが残る。指示を終え、やる事がなくなった女神は空を仰いだ。

 

「まったく、おってもおらんでも心配させるヤツやなぁ、アイツは。ルグ、お前とウチのオキニはホンマによう似とるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リヴィ君」

 

黄昏の館から出るとほぼ同時に亜麻色髪のハーフエルフが飛び込んでくる。彼女の名はエイナ。ダンジョン探索におけるリヴィエールの担当官であり、そこそこに親密な関係の美少女だ。

 

「なんだ、お前待ってたのか」

「当たり前じゃない。遅かったから心配してたのよ?随分長く話してたのね。一体何があったのよ」

「何があったか、わからないから話し込んでたのさ」

 

戦場において、わからないという事ほど怖い事はない。人とは未知に恐怖する。敵の輪郭さえ見えない今の状況はリヴィ達にとってあまりに不利と言わざるを得なかった。

 

「何を話してたかは……教えてくれないよね」

「わかってる質問をするな」

 

ギルド職員であるエイナには間違っても聞かせられない内容だ。それでなかったとしても、ロキやリヴィの内情に関する話など出来るはずがない。

 

「危ない話だっていうなら私も聞きたいんだけどなぁ」

「お前に危険はないよ。少なくとも俺よりは長生きさせてやるから、安心しろ」

「そんなのわからないわよ?ギルド職員とはいえ、ダンジョンには関わってるんだし、ファミリアに付き添って地下に降りることもある。絶対に安全ってわけじゃないわ」

「いや、お前は安全だよ。お前は俺が守る」

「っ……」

 

唐突な言葉にエイナの息が詰まる。何でもないことのように紡いだ彼の言葉はエイナの動揺を誘うには充分過ぎた。

 

「俺は絶対って言葉が嫌いだ。この世に100と0はないからな。たしかにお前も安全とは言えないかもしれない。だがその俺が約束する。俺が生きてるうちはお前は絶対安全だ。お前が死ぬとすれば、俺の次だ」

「…………ははっ」

 

笑みが零れる。職業柄もあるのか決して暗い少女ではないが、営業スマイルではなく、屈託無く笑うという事はあまり無い少女だ。そこそこに長い付き合いの彼にとっても珍しい彼女の笑顔に少し憤慨する。

 

「何かおかしい事言ったか?」

「いいえ、私、なーんで貴方みたいな手のかかるめんどくさい冒険者を真面目に面倒みてるのかなぁって、ずっと考えてたのよ。それが今、やっとわかった」

「?」

「騙し騙されが当たり前のオラリオの中で、貴方だけは無条件に信じる事ができた」

「それはお前の買い被りだ。俺だって都合の悪い事は言わない時もある」

「でも、嘘をついた事はない。でしょ?」

 

鼻を鳴らす。ここで何も言えなくなるのが、剣聖の短所であり、長所でもあった。

 

リヴィエールの左腕に自身の両腕を絡め、肩に頭を預ける。リヴィエールも特に抵抗せず、エイナの行動を受け入れた。その後、彼女は夕食を一緒にとる事を勧めてきた。二人でいるのも久し振りだったし、まあ少しくらい良いか、と白髪の青年も付き合った。しばらく街を歩き、エイナの住まいへと招かれ、彼女が作った手料理を食べた。

 

「ねえ、リヴィ君。これから時間ある?」

 

ベルの異常な成長速度なども含め、彼女が最近ギルドであったとりとめもない事を話し、葡萄酒を過ごしながら聞いてしばらく。話が途切れた時、左隣に座るエイナが訪ねてきた。

 

「あぁ、ヘファイの所で武器の新調をするつもりだが」

「そう、じゃあリヴィ君にお願い」

 

腕を引き込まれ、態勢が崩れる。立て直そうとしたが、両肩を掴まれ、全体重を乗せてきたエイナを上半身のみで支える事は難しかった。崩れ落ちる。仰向けに倒れたリヴィに馬乗りになったエイナが耳元で囁いた。

 

「それは明日にしてください」

 

衣が地面に落ちると同時に、二人の唇が重なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。師走に突入し、大学も卒業間近です。卒論頑張りましょう!急に寒くなってきましたね。皆さまお身体にはくれぐれも気をつけてください。
エイナってこんなに積極的だったっけ?まあ可愛いからいっか!さて、次回からは舞台がダンジョンへと移ります。レベル6になった剣姫と呪いをその身に宿す剣聖を新たな脅威が待ち受ける。
それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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Myth41 クエスト依頼を断らないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

目が覚めた理由は視線を感じたからだった。冒険者を長くやっていると、見られているという事に関してとても敏感になる。まして視線の主は戦闘のせの字も知らない素人の物。たとえ眠っていようと剣聖の覚醒を促すには充分過ぎた。

 

「おはよう」

 

自分とよく似た翡翠色の瞳が視界に飛び込む。続いて左腕にくすぐったい柔らかな髪の感触が。体には滑らかな肌触りの温もりが感じられた。

 

「珍しいわね。私の方がリヴィ君より早く起きてるなんて」

「ダンジョン遠征が重なってあまり寝てなかったんだよ」

「ダメよ、どんなに忙しくてもちゃんと睡眠は取らないと」

 

軽く鼻が摘まれる。痛みは全くないが、息苦しさと急所を触られる不快感はあった。手を払うと、エイナは嬉しそうに笑った。

 

「何がおかしい?」

「貴方の鼻をつまむなんて事、出来る手練れがこのオラリオに何人いるのかなぁって」

 

顔面は人類の絶対急所。剣聖はもちろん、上級冒険者であればやすやすと触らせる事などあり得ない。たしかに顔を触らせた相手など数えるほどにしか記憶になかった。

 

エイナが両手でリヴィエールの頭を包み込む。程良く大きな胸の中に顔が埋まった。

 

「…………楽しい?」

「とっても」

 

どんな時でも、凛々しく精悍な顔つきを見せる隙のない戦士。彼はいつも人を寄せ付けないオーラのようなものを纏っており、警戒を解くことなどほとんどない。

しかし、この時、この瞬間だけは彼は何も纏っていない。本来の彼は優しく、真面目で素直な青年である事をエイナは知っている。隙のない戦士から、ただのリヴィエールでいてくれるこの時間が、エイナはたまらなく好きだった。

 

───可愛い…

 

この男は英雄の器だ。英雄とは太陽に似ている。誰もが認める輝きを放ち、それでいて誰のものにもならない。してはいけない。しかし、今、この瞬間だけは、自分だけのリヴィエールでいてくれると思える。無論、錯覚だ。このベッドから出れば、彼はいつもの凛としたリヴィエールに戻るだろう。

 

───でも、せめて今だけは……

 

温もりと微睡みの中に身を沈める。この心地良さに勝てる人間はごく少数だろう。幸せを全身で感じながら、彼の艶やかな髪に指を通した。

 

「───シャワー、入るか?」

「…………はい」

 

二人で身を寄せ合って数分後、リヴィが起床の提案をした時、亜麻色髪のハーフエルフからは少し不機嫌な声が出た。

 

 

 

 

「リヴィ君、朝ごはん何が良い?」

 

一緒にシャワーに入り、出てきた後、エイナはラフな部屋着を羽織り、エプロンを身につける。リヴィエールは裸にガウン一枚の格好で、濡れた白髪を拭っていた。

 

「リクエストしていいならパンとサラダ。スープは任せる」

「オッケー。スープはミネストローネにするね。トマトは大丈夫?」

「俺は何でも食べれるよ」

 

幼少時代はそれこそ、口に入れられるものなら何でも食べた。食の好みに多少偏りはあるが、食べられないほど、嫌いなモノはない。

 

「お待たせ」

 

テーブルにリクエスト通りの朝食が並べられる。質素かつ、とてもヘルシーな食事。エルフにとって模範的朝食と言えるラインナップであることをハーフエルフである二人は知らない。

 

「あ、もう。リヴィ君、まだ髪濡れてるよ。ホラ、後ろ向いて。拭いてあげるから」

 

タオルを持って乱暴にリヴィエールの頭を拭く。モンスター・フォーゼの副作用であるこの長髪は、美しいが乾くのに時間がかかる仕様になってしまっていた。

 

「ソーマ・ファミリアで会った時にも思ったけど、この短期間で随分髪伸びたねー。白髪になっちゃった時といい、君の髪は本当に不安定だね。妖精さんの仕業?」

「いいカンしてるね、エイナ。大正解だ」

「剣聖に言われても皮肉にしか聞こえないわよ」

 

パシンと頭を叩かれる。皮肉などではなく本心だったのだが。そうは受け取ってくれなかったらしい。

 

「古の昔より、髪には魔力が宿る物とされている。魔法の過剰な使用により、頭髪に変化が生じるのは、おかしいというほどのことじゃない」

「へぇ、そうなの」

「あ。信じてないだろ」

「ごめんごめん。私も半分混ざってるけど、魔法なんてよくわかんなくて。でもリヴィ君が嘘をついてないくらいのことは信じてるわよ」

 

慌てて手を振りながら、食器を並べる。誤魔化されている感は強くあったが、まあいいかと納得して置いた。

 

「じゃあ食べよっか。いただきます」

「いただきます」

 

両手を組んで、食に感謝を述べる。食器の使い方も、料理を食べる順も全く同じだったことに二人とも気づくことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「来たわね、リヴィエール」

 

真っ赤な塗装の建物を尋ねると、そのファミリアの団員にあっという間に中へと引き込まれた。案内された先の部屋で待ち受けていたのは燃えるような紅い髪と左眼、そして右眼を覆い隠す黒い眼帯が特徴的な美女。

 

彼女の名はヘファイストス。鍛冶の女神であり、武器や防具、装備品の整備や作製を行う、商業系ファミリアではトップクラスの知名度と実力を併せ持つ超一流ファミリア、【Hφαιστοs】の主神である。リヴィエールとは十年来の付き合いで、気の置けない友人だ。

 

「ちょっと見ない間に随分髪伸びたのね。似合ってるわよ」

「長すぎて少し鬱陶しいんだがな」

 

耳にかかる白髪を指で梳きながら、白髪の剣士は強く後悔していた。所用があって、この友人に会いに来たのは事実だが、出来れば会いたくなかった人物がこの部屋にいたからだ。

 

「やあリヴィエール。待っておったぞ。そなた手前に言わねばならんことがあるのではないか?」

「…………コレは結構最近に起きたことなんだけどなぁ。何で知ってんの?」

「ついこの間、剣姫がウチに来たのよ。リヴィに新しい武器を作ってあげてくださいってね」

 

なるほど、情報源はアイズか。ルグ・ファミリアの剣聖として活動をしていた頃、ヘファイに……というよりは椿に、アイズのためのデュランダル製作を依頼したことがあった。逆の事を蜂蜜色の髪の剣士が行なっていたとしても不思議はない。

 

「というわけで抵抗は無駄よ。とっとと見せなさい、頭髪不安定」

 

コレは渋れば渋るほど立場が悪くなると判断したリヴィエールは黙って真っ二つになったカグツチを抜き放ち、大人しく椿の鉄槌を受け入れた。

 

 

 

 

 

 

「にしてもまぁ見事に真っ二つになっちゃって……」

 

刃の検分をしているヘファイストスが呆れとも感心ともつかない溜息をつく。

 

「不壊属性はついているのよね?どうして折れちゃったのかしら?」

「そこだ。使い方に問題があったわけではない。刃の消耗度合いから言って、本当に無理やり壊されたというのが最も近い表現だろう」

「───だったらここまで怒んなくてもいいじゃねえか」

 

部屋の傍らで胡座を組む青年の頭には大きなコブが出来ている。素手の一撃とはいえ、椿のゲンコツは下手な鈍器より遥かに強力だった。

 

「だから一発で許してやったのだろう。もしぞんざいに扱った結果であったのならその程度で済ませてはおらんわ」

 

その言葉に嘘はない。コレでも温情判決であるということはリヴィエールも自覚していた。

 

「しかしデュランダルたるカグツチがこうも見事に折られるとはねぇ」

「刀の製作の依頼なら受けるが、今の手前ではカグツチ以上の刀は打てんぞ。せめて折られた理由くらいは突き止めんと対策も立てようがない」

「理由の察しはついてる。ていうか、ヘファイはともかく、椿ならもうわかってると思ったんだかな」

 

作刀にはリヴィエールも手伝った。黒刀カグツチは二人の合作だ。故にこの刀の強みも、弱点も椿は知り尽くしている。

 

「見てみろ」

 

折れた刀の断面を見せる。見事な切り口だが、一つだけ、違和感があった。

 

「…………端が溶けてる」

「ご明察。流石だな」

 

そう、気づかないほどほんの僅かだが、断面に妙な凹みがあるのだ。形状から言って鉄が超高温で融解した時に出来る跡と思って間違いないだろう。

 

「つまり熱で溶かされたって事?」

「俺の予想ではな。カグツチはデュランダルでありながら一級品武具に勝るとも劣らない破壊力を持っている。その最大の理由は炉の炎に俺のアマテラスを使ったからだ」

 

リヴィエールの黒炎を用いて熱した鉄を鍛えたカグツチは、刀身にアマテラスを纏わせる事を可能にし、刀本体にも魔素が詰まっていた。故に通常のデュランダルでは考えられないほどの高威力を発揮できていたのだ。

 

「だが、その分カグツチは完全なデュランダルとは言えない刀になってしまった。たしかに不壊属性はある。どんな衝撃にも重さにも耐える事が出来ただろう。でもたった一つ。熱に対して、絶対的な耐性がなくなってしまった」

 

そう、コレがカグツチ唯一にして最大の弱点。アマテラスを纏わせるほど超高威力を実現した代わりに、ある一定以上の熱量にだけは不壊属性を失ってしまったのだった。

 

「だ、だが、それは弱点と呼ぶにはあまりに……」

 

椿が原因を薄々察しながらも口に出せない理由はそこにあった。たしかに完全な不壊とは言えないデュランダル。しかし、ほぼ完全と言ってしまっても差し支えない刀であったことも事実。

何故なら、耐えられない熱量を実現するためには、アマテラスを超える威力でなければならないのだから。

 

「確かに、欠点とするには脆弱すぎるわ」

 

現状、冒険者たちが使う炎系の魔法の中で、リヴィエールのアマテラスを超える高威力はなかなか無い。それにリヴィエールはカグツチの熱耐性の度合いを確認するため、いくつか実験も行っていた。

 

「そなたの【燃ゆる大地】も【ノワール・レア・ラーヴァティン】にも耐えきったのだぞ。現状、それらを超える炎があるとは思えぬが……」

「ああ、俺も唯一思い当たりそうなのが、リヴェリアの本家【レア・ラーヴァティン】だったから、本人に頼んで一度撃ってもらった。カグツチはそれにも耐えた」

「だったら……」

 

そこまで言ってヘファイはハッとなった。通常有り得ない可能性だが、それでも一つの可能性に思い至ったのだろう。自分も持っている力だから。

 

「貴方、まさか……」

「そう、人類にはほぼ不可能に近い。なら人類ではない力を使えばいい」

「人類ではない力?一体何を…」

神の力(アルカナム)……」

 

ヘファイの一言でようやく椿も気付く。驚愕の表情を向けてくると、リヴィエールは無言の首肯を返した。神の力は万能だ。不可能を可能にする事も容易。カグツチの溶解くらいやってのけるだろう。

 

「ありえん!アルカナムの使用は下界では禁じられている!そもそも使われれば神々が気付く!だが、そんな話は聞いた事も……」

「使われた力はあくまで一端だったとしたら?その神はもう下界には存在しないと認識されていたらどうだ?しかも使われた場所はダンジョンだ。流されてもおかしくはない」

「そんな神、一体どこに……」

「貴方、ルグの力が使われたと思ってるの?」

 

あっ、と椿が口を開く。ヘファイの疑問に無言の肯定を返す。

 

「あの夜、バロールはルグのアルカナムを暴走させ、太陽神の力を手に入れようとしていた。その企みはルグによって挫かれたわけだが、それでも力の一端を暴走させたのも事実。もしあの場に俺たち以外の誰かがいて、暴走させたルグのアルカナムを手に入れていたとしたら……」

「だがアルカナムを他人が使うなど出来るのか?扱った事はないから分からんが、ルグ様程の力を使うのは容易な事ではあるまい。それこそ、ルグ様の力を使うためにアルカナムを使うことになりかねん。それでは本末転倒だろう」

神々の武具(ゴッズアイテム)を使ったんだと俺は思う」

 

ゴッズアイテム。神々が天界にいた時代に持っていたとされる武器や防具。かつてはフレイヤの持ち物で、今はロキが持っている鷹の羽衣もそれに含まれる。人智を超えた能力を持つ、まさに神のアイテム。

 

「リャナンシーは自分が持っていた槍を光の槍(ブリューナク)と呼んでいた。俺も詳しい事を聞いたわけではないが、その槍は……」

「神代にルグがヌアザと共に作った槍」

 

いわばカグツチの神バージョン。太陽の陽をルグが提供し、ヌアザが打った。カグツチがアマテラスを鍛えた剣というなら、ブリューナクはまさに陽の光を鍛えた槍。二人の合作と言っていい代物であり、バロールを滅ぼした宝具。

 

アレにはルグのアルカナムがふんだんに使われている。勿論人の手でそれを使うことなど出来ないが、アルカナムがあれば話は変わってくる。

 

あり得ないと思っていた話がだんだんと現実味を帯びてくる。冷たい汗が超一流の鍛冶師二人を濡らした。

 

「アマテラスを超える熱量。アルカナム。そしてゴッズアイテム。これらを一つの力で説明するには俺にはルグの力くらいしか思いつかない」

「ブリューナクはどうやって下界に持ち込まれたと思う?」

「アレはバロールに投擲した事で魔眼を壊したんだろう?神は死なないから死体から引き抜くことはできなかったはずだ。ならブリューナクはヤツが持っていたと考えるのが自然だ」

 

恐らくブリューナクが持ち込まれたのはバロールが下界に降り立った時。ルグ・ファミリアのホームを襲撃する前にバロールをけしかけた黒幕が万が一バロールが敗れた時の事を考えて、預かっていたとしたら、全ての辻褄は合う。

 

「リャナンシーはこの力を出来るだけ使いたくないと言っていた。恐らく使用回数に限界があるか、俺の魔物化のように副作用があるかの2パターンが考えられる。あの時ルグの力が暴走したのはほんの短時間だった。もし条件が前者だとしたら、大体のカラクリに説明がつく」

 

もうリヴィエールの言葉を有り得ないという事はない。彼の推理は論理的かつ現実的だった。

 

「だとしても、どうやって対処する?デュランダルを作ることは出来るが、アルカナムに耐え切れるモノが作れるかと言われれば、分からんと答えざるをえないぞ」

「私が作ってもいいんだけど、アルカナムが使えない今の私ではゴッズアイテムに対抗するのは難しいわ」

「流石にヘファイに頼もうとは思ってないよ。この手のことに友情を持ち出したくない」

 

ヘスティアのように個人的な頼み事をする事も友人の形の一つではあるが、リヴィエールはそれをしようとは思わない。白髪のハイエルフは友人とは対等の関係で居続けたかった。不遜なことかもしれないが、それは神ヘファイストスであろうと例外ではない。友情を盾に私的なわがままを述べる事は、己に流れるアールヴの血が許さなかった。

 

それが、ヘファイストスやリヴェリアには水臭く、嬉しくも悲しく思う。瑞々しく、気高いプライドを尊重すると同時に彼を放って置けなくなる理由の一端だった。

 

「取り敢えず、質には数で対抗しようと思う。椿、デュランダルを出来るだけ。少なくとも二振りは用意してほしい。俺が以前ヘファイに預けたドロップアイテム全部とコレを使ってくれていい。金にも糸目はつけない。一級品クラスの攻撃力は諦めるが、その代わり最高の剣を打ってくれ」

「そう言われてもな……実は今ロキ・ファミリアから魔剣やスペリオルズの依頼を大量に受けている。私個人としてないお前を優先してやりたいところなんだが、一振り打つだけならともかく、最高品質のデュランダルを複数打つとなると難しい」

「先約があるならそっちを優先してくれて構わない。俺は別に急いでないしな。しばらくはこれで充分活動できる」

 

折れて半分になったカグツチを腰に納め、ウダイオスの黒剣を背中に背負う。折れたカグツチでも脇差程度には使えるし、メインアームは黒剣でいい。リャナンシーなどの強敵と闘うには不安があるが、しばらくダンジョンに長く潜るつもりはない。

 

「貴方、それ本気で言ってるの?敵がこっちの都合に配慮してくれるわけないこと、貴方ならわかってるでしょ?」

 

痛い所をヘファイに突かれる。この世に100と0はないというのは、リヴィエールの持論でもあった。浅い階層だからといって、リャナンシーやレヴィスと遭遇する事は無いなど、誰が言える?その二人に会うことはなくても、彼女ら以外にも敵には手練れがいるかもしれない。俺の予測ではオラリオ崩壊すら企んでいる組織なのだ。戦闘員があの二人だけとはとても思えない。

 

「でもしょうがないだろう。出来ないんだから」

「だから私が作ってあげるって……」

「それは畏れ多いからダメ。ヘファイのハンドメイドなんて幾らかかるかわからないし」

 

正直な所を言えば、剣客として彼女が作るであろう至高の剣に興味はある。強く。だが、友人のよしみで格安で譲るなどということは彼女はしない。だからこそリヴィエールはヘファイが好きなのだ。以前渡したドロップアイテムとヘスティアの相談料があるから代金は手数料のみにしてくれるだろうが、それでも恐らく一億はくだらないはず。金に糸目はつけないと言ったが、流石に金庫の中身を空っぽにするつもりはなかった。

 

「そういえば、ヘスティアの頼みは聞いてやったのか?」

「最初は断ったんだけどね。一晩頭下げられて根負けしたわ」

「うわ、レベル1がヘファイストス・ファミリアの武具を使ってるのか。贅沢の極みだな」

「駆け出しにそんないい武器渡すはずないでしょ?成長の妨げになりかねないし。それにアレは完全に私のプライベート。心血を注ぐ子供達の手を煩わせるわけにはいかないわ」

「…………え?じゃあアンタが打ったのか?」

「もちろん値引きはしてないし、ヘスティアにもみっちり手伝わせたけどね」

 

どんなナイフを打ったのかを教えてもらう。神聖文字が刻まれた、使い手とともに成長するナイフ。現在、子供達の手では絶対に作れない正真正銘のスペリオルズ。

あのバカ、と頭を抱える。材料から手数料まで、一体幾らかかるかわかっているのだろうか?安く見積もっても二億はするだろう。

 

「でも、それなら尚更頼めないな。これ以上ヘファイに私的な負担を増やしたくない」

「会ったこともない子供に作るなら、貴方に打ってあげたいんだけど」

「それに、言いにくいが、ヘファイでもブリューナクに対抗するのはキツくないか?あっちはアルカナムを使っているが、アンタは使えないんだから」

 

ヌアザと比べ、ヘファイの腕が劣っているとは思わない。だが、腕が互角なら尚更アルカナムの差が出るだろう。技術のみで超えることは難しい。

今度はヘファイストスが痛い所をつかれたという顔をする。ハアと一つ嘆息するとソファから立ち上がり、鍵のかかった部屋の中へと入っていった。

 

「…………あの部屋開いたの、初めて見た。何が入ってるんだ?あそこ」

 

ヘファイストス・ファミリアに訪れた事は数え切れない。この幹部しか入れない執務室に通されたことも。しかし……

 

『貴方はウチのホームでどこに行っても良いけど、あの部屋にだけは入っちゃダメよ』

 

ヘファイに強く言われていた事だった。ファミリアには友人であろうと、他人に知られたくない秘密もある。リヴィエールは何の疑問もなく、その言いつけを守っていた。しかし、それなりに長い付き合いだというのに、あの部屋が使われている所を見たのは今日が初めてだった。

 

「手前も詳しくは知らん。主神ヘファイストスのプライベートルームとだけは聞いている」

 

椿すら詳細は知らないプライベートルーム。好奇心が多少擽られたのは認めざるを得なかった。入る事は絶対ないが。

 

しばらく待っていると部屋からヘファイが現れる。両手には一本の剣を携えていた。鞘には白と金があしらわれている。浅いが反りのある刀身の細い片手剣。柄は黒く柄頭には金で出来ている。

 

「剣?一体誰の……」

「持ってみて」

 

リヴィエールの質問には答えず、剣を差し出してきた。受け取る。同時に衝撃が奔った。

 

───重い!!

 

危うく取り落としそうになった。こんな細身の剣だというのに、驚くほどの重さ。カグツチも相当重い剣だったが、明らかにそれ以上。両手剣であるウダイオスの黒剣以上の重さだ。金属密度の高さが持っただけでわかる。これは相当使い手を選ぶ剣だろう。

 

「流石。片手で持てたわね。貴方なら使えると思ったわ。抜いてみて」

 

言われるまでもなく抜くつもりだった。クリアシルバーの刀身が鞘から放たれる。その煌めきはまるで透き通るかのような色合いを放っていた。

剣を立てる。片刃だ。反りは浅い。光に透かすと刀身が薄青く、輝く。まるで海の漣が纏われたかのようだ。あまりの妖しさと鋭さに寒気を覚えた。

 

「試してみて」

 

重さに慣れたのか。もう持ち方に変な力は入っていなかった。スッと半身に構える。その瞬間、空気が変わる。張りつめられたその気配は肌を切り裂いた。

 

───流石に剣聖が剣を持つと違うな

 

リヴィエールが剣を試す姿を見たのは椿も久しぶりだ。ヒリつくような剣気は恐ろしくも心地いい。

 

風切り音と共に軽く振るわれる。カラ打ちにも関わらず、室内はビリっと震えた。

 

───剣速が早い。軽く振っただけなのに空気を斬り裂かれた感覚がある。

 

「…………いい剣だ。数え切れないほど剣は見てきたけど、今までお目にかかった中でもコレはピカイチだな」

 

それに、不思議なほど手に馴染む。手のひらに柄が吸いつく感触があった。

 

「銘はフラガラッハ。アンサラー・ソードって言えば聞き覚えあるんじゃない?」

「いや、ないけど」

「天界にいた頃のルグの佩剣だったのよ。それ」

「ルグの!?」

「ええ。海神リルがルグに与えた宝剣。【回答者】【斬り抉る戦神の剣】とも呼ばれてるわ」

「何でヘファイがそんなの持ってる?」

「あいつが下界に降りて間もない頃、私に借金の担保として預けてきたのよ」

 

鞘に剣を納めると同時に目を見開く。率直に言って驚いた。ルグの借金についてではない。彼女がヘファイから色々と都合してもらっていた事は知っている。借金の返済は何を隠そうリヴィエールの稼ぎで行なっていたのだから。幾ら借りたのかも知ってるし、完済したのも確認した。

しかし、担保に剣を預けていたのは知らなかった。武芸にも魔術にも秀でた百芸に通ずる者(イルダーナハ)でありながら、その手の道具を一切持っていないことに違和感を感じた事はあったが、まさか借金のカタにしていたとは。

 

返す為、剣をテーブルに置く。赤髪の女神は受け取るのを断るように手を突き出してきた。

 

「それはもう貴方の剣よ」

「は?なんで?」

「本当は借金返済し終わった時点で返そうとしたのよ。でもね……」

 

『その剣はヘファイが持っててください。私が持ってるより貴方が持ってる方がそれも喜ぶでしょう。私にもう佩剣は必要ありませんから』

 

そう言って断られた。以降、ルグが必要になった時、いつでも完璧な状態で返せるようにちゃんと手入れをして保存していた。

 

「神代で使われていた宝具よ。それならブリューナクにも対抗できるでしょう。今の貴方なら使いこなせるはずよ」

「で、でもコレはルグがアンタに預けた剣で……」

「元々の持ち主はルグ。ルグの物はファミリアの物。そして主神がいなくなった今、ファミリアの物は団員である貴方の物。違う?」

「…………」

 

ヘファイの言っていることは正しい。だが、この剣を腰に差す事にはまだ抵抗があった。

 

───俺が守れなかったルグの遺品を、俺が身につける事が許されるのか

 

ルグには本当に色々なものをもらった。居場所も、ライバルも、家族も、人の心も……全部。それなのに俺は何も返せないまま、アイツと別れた。これ以上彼女から受け取る事が許されるのか?

 

白髪の友人の心中の葛藤をヘファイストスは一つの狂いもなく読み取っていた。義理堅く、水臭い。実に彼らしい。思わず笑みがこぼれる。見た目は随分変わってしまったが、友人が変わらずいてくれる事が、女神は嬉しかった。

 

「ウチの蔵で眠っているより貴方に使われた方が剣も喜ぶわ。ルグも貴方が合わない剣を持ち続けて傷を負うことは望まないでしょう。使いなさい」

 

テーブルに置いた剣を再び両手で持ち上げ、差し出す。まだ少し迷っている様子だったが、十数える程の後に、受け取った。

 

「ヘファイストス。太陽に仕えた騎士として、貴方の友愛に感謝します」

「やめてよ。貴方に敬語なんて使われたら怖いわ」

 

剣を掲げ、跪くリヴィエールに慌ててやめてと頼む。自分なりに最上級の感謝を述べたつもりだったのだが、どうやらお気に召さなかったらしい。

 

「じゃあメインアームはそれでいいとして、あと一振り欲しいんだっけ?」

「ああ。ブリューナク対策もあるが、それ以上に手数が欲しい。コレからの戦いは多対一になる可能性が高いからな」

 

雑魚はロキ・ファミリアに任せられるが、レヴィスクラスの手練れが相手になると俺が出張る必要がある。リャナンシーなど、互角に闘えるのは俺しかいない。乱戦になった場合、剣一本では心許ない。

 

「ギルド職員が何の用だ!この先は関係者以外立ち入り禁止だ!」

「離してください!私はリヴィエール・グローリアのこ……知人です!彼が此処にいるはずです!会わせてください!」

 

扉の向こうから騒ぎが聞こえてくる。優れた感覚器官を持つリヴィエールは会話の内容まで聞き取れたが、他の二人は何か騒がしい程度にしか聞こえなかった。

執務室のドアを開く。すると案の定の人物がいた。

 

「リヴィ君!!」

「エイナ?」

 

止めに入っていたファミリアの団員を振り払い、リヴィエールの胸に飛び込んでくる。白髪の剣士は手に持った剣を慌てて腰に差した。

 

「何やってるんだこんな所でって……ああ。今日査察にヘファイのところに行くって言ってたっけ」

 

今朝あいつの部屋から出る時にそんな事を聞いた。一緒に行こうと誘われたのだが、ギルドの七面倒な手続きを待つ気にはなれなかった。

 

「ベル君が……ベル君が危ないの!」

「クラネルが?」

「ちょっとリヴィエール。誰よその子。知り合い?」

「見逃せヘファイ。俺の担当官だ。エイナ、詳しく話せ」

「私の思い過ごしかもしれないけど、あの子ソーマ・ファミリアの厄介ごとに巻き込まれそうになってるみたいで!ソーマ・ファミリアの冒険者たちが、ベル君に最近付き纏い始めたアーデってサポーターを襲撃しようと計画してたの!」

「なるほど、小悪党に相応しいしっぺ返しを食らおうとしてるわけか。それで?」

「あの子もベル君に付き纏うのはもう限界だと思い始めてる。私やベル君が警戒し始めてるのに気づいたらしくて、今日大荷物を持ってダンジョンに入ったみたい」

 

つまり、ダンジョン内でそのサポーターに嵌められそうになっている上に小悪党の小競り合いが重なりかけている。厄介事とは重なるのが世の常だが……

 

「面倒な連中に巻き込まれたもんだな」

 

「助けにいってあげて」とエイナが言う前に、執務室の窓を全開にする。知らなかったら放置していたが、知った上で見放して、死なれでもしたら寝覚めが悪い。あと一秒後には窓から外へと飛び出していただろう。

 

「リヴィエール!!」

 

椿の声が背中を打つ。足を止めて、振り返った瞬間、紅い紐が視界に入る。反射的に受け取っていた。

 

「手前が作った組み紐だ。髪を縛るのに使え」

「椿……」

「新たにデュランダルを打つ余裕はない!折れたアマテラスを使って小太刀を作る。それでいいか!!」

「ああ!ブリューナクへの対策はフラガラッハがあれば何とかなる!それより今は手数が欲しい!任せていいか!」

「手前に任せよ!だからそなたはそなたのなすべきことをなせ!」

 

軽く拳を掲げる。白髪を赤の組み紐で束ねると同時に窓から飛び降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダンジョン10階層。濃霧が立ちこみ、硬い植物が茂る階層。出現する大型級モンスターらによって武器として使われることもままある。通称『迷宮の武器庫』

 

その階層で今日はちょっとした事件が起こっていた。本来はモンスターをおびき寄せ、その間に逃げるトラップアイテムが、間違った方法で使用されており、不自然にオーク達が集結していた。

 

「すみません!急いでるんです!」

 

謝罪する声が迷宮に響く。脱兎の如く霧の奥へと白い影が消えていった。取り残されたのはプラチナブロンドのロングヘアに白いアーマーを纏った美少女。

彼女の名はアイズ・ヴァレンシュタイン。ダンジョンへと向かう最中、偶然出会ったエイナにベルの救出を依頼され、この場に来ていた。弱者たちから帰ってこない冒険者の救出を依頼されると言うのは上級冒険者には珍しくない事だった。まあタダで受けてやるのはアイズとリヴィエールくらいのものだろうが。ベル・クラネルがリヴィの仲間だと言うことはアイズも知っている。白金の女剣士はエイナの依頼を快く引き受けた。

 

アイズが加わった事で戦闘は白ウサギに余裕をもたらす。生じた空白の時間を利用し、彼は脱出を成功させた。

 

「行っちゃった……」

 

オークの群れを全て斬り伏せ、漏れ出た呟きが響く。エイナの話によれば、サポーターが関連して他ファミリアの厄介ごとに巻き込まれているそうだ。それに下級冒険者には厳しい状況だった。脇目も振らず逃げても不思議はない。

けれど、少し彼に聞きたいことがあったアイズにとっては少しだけ残念だった。

 

「これからどうしよう」

 

そんな呟きに応えた訳ではないだろうが、誰かの気配が近づいてくる。意識してますほんの僅かしか聞こえない足音。迷いない気配。手練れだとアイズが察するのに時間はかからなかった。デスペレートに手を掛ける。霧の奥から人影が見えた。

 

「…………っ、リヴィ!」

「アイズ?」

 

霧に隠れた人物の正体がわかる。エメラルドを思わせる翡翠色の瞳に、砂色のローブ。背中まで伸びた白髪は紅い紐で結ばれている。アイズにとって、世界で最も美しい存在の一人だった。

 

「髪、縛ったんだ」

「ん?ああ、これか。少し鬱陶しかったんでな」

 

白い総髪を手で払う。絹のような白髪は淡く煌めいた。

 

「似合わないか?」

「ううん。とっても綺麗。リヴェリアみたい」

 

その一言にピクリとリヴィエールの眉が動く。アイズにとって、世界で最も美しいと思える存在といえるリヴェリアやリヴィエールみたいだという感想は最大級の賛辞なのだが、白髪のハーフエルフにとってだけは褒め言葉と受け取る事は難しかった。

 

「んんっ。そんな事より……アイズ、お前どうしてこんな上層に」

「リヴィこそ。そんなに急いで……あの子を助けに来たの?」

 

あの子と呼ぶ存在が誰のことか、聡明な彼はすぐにわかったのだろう。納得したように一度頷いた。

 

「エイナの奴、アイズにも頼んでたのかよ。俺に言う必要ないじゃねえか」

「確実を期すためにお願いしたんだよ。怒らないであげて」

 

リヴィエールの事で悩みを分かち合えたエイナとは友達になれそうだった。酷い目に合わせたくはない。

 

「別に怒ってないけど。で?アイツは?」

「もうどこかに行っちゃった。今から追いかけても会えるかどうか……」

「この霧だ。一度見失えば見つけるのは難しいだろう」

「…………ねぇ、リヴィ。あの子は一体……」

 

アイズが何かを訪ねようとして、止まる。二人の空気が変わった。押し殺した何かの気配を二人とも同時に感じ取った。

 

「……気づいたか?」

「リヴィがそういうって事は、やっぱり気のせいじゃないよね」

 

腰の剣に手を掛ける。二人とも、何もない空間を見据え、腰を落とした。

 

『気づかれてしまったか。御見逸れする』

 

声が響く。鼓膜を振動させたというよりは、頭に直接響いたという方が正確な表現だった。デスペレートを抜く。リヴィエールもフラガラッハの鯉口を切った。

 

「私達に何か用ですか?」

『その通りだが、二人とも剣を下ろして欲しい。私は君達に危害を加えるつもりはない』

「信用できないな。まず姿を見せろ」

 

油断なく剣を構える二人の前に黒い影が浮かび上がる。影は次第に大きくなり、人の形を象った。

 

『そう警戒するな、【剣聖】リヴィエール・グローリア。私はしがない魔術師(メイジ)。君達と比べれば、あまりに脆弱な存在だよ』

 

また一つ。ダンジョンに大きな波乱が起きようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。新章突入!黒衣からの招待状に剣聖と剣姫は動き始める。24階層で新たな脅威が新たな力を手にした二人を待ち受ける。それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。


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Myth42 私たちを心配しないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アイズが階層主を撃破した二日前、ダンジョンの大穴を蓋するギルドではちょっとした騒ぎが起こっていた。

 

「班長〜!怖かったですぅ〜」

 

ギルドで働く猫人の職員、ミィシャは涙ぐみながら上司に泣きつく。班長と呼ばれた犬人の男性は労わるように彼女の頭を撫でた。

 

「また24階層関連の依頼か?」

「はい、モンスターがいっぱい出てきてて、クエストなんて悠長なこと言ってないでミッションにしろって……班長は何かご存知で?」

「ここ何日か、似たような依頼がギルドに出されている。まだ日が経っていないから上層部の目には止まってないようだが」

 

先ほどの冒険者の必死さから見て、こちらが想像している以上に事態は逼迫しているらしい。命がかかっているのだから、懸命になるのは当然だが、それにしても余裕のない様子だった。

 

「重要案件として報告すべきか。報告書にまとめて上に提出しろ」

「了解っ……て、あれ?」

 

小走りにデスクへと向かったミィシャから不安げな声が上がる。つい先ほどまでここにあった書類が無くなっていたのだ。

 

「フロット……まさかお前、無くしたのか?」

「い、いえ!そんなはず……確かにさっきまでここに!?」

 

慌ててデスクの下などを探し始めるミィシャを見て、嘆息する。ついさっきまであったものが無くなる。人間生きていれば、そんな事態に陥ることはザラにあるが、この早業には流石に呆れた。

 

「こ、これはきっと幽霊の仕業です!私のせいじゃありません!」

「くだらん噂話で誤魔化そうとするな。紛失した依頼書は何としてでも見つけ出せ」

「ホントなんです!目撃者だっているんです!黒いローブの幽霊が夜な夜なギルドに現れるって!本当に私はなくしてないんですよー!班長〜!」

 

涙交じりに班長にすがりつく。実は彼女の言い分はまるっきり外れているというわけでもない。依頼書は幽霊、とは少し言いがたいが、限りなくそれに近い者が所持していたのだから。

 

「…………手を打たなければならない」

 

黒衣に身を包んだメイジ。ウラノスの腹心である人物は、闇の中に姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダンジョン10階層、『迷宮の武器庫』。駆け出し冒険者の中でも、少し腕を上げてきた連中が狩場とするその場所に、本来いてはならない人物が2名、剣を持って佇んでいる。

一人は男だった。東方の衣服に身を包み、ローブを纏っている。光すら反射する煌やかな白髪を赤い紐で纏め、翡翠色の瞳を宿す美剣士。

もう一人はプラチナブロンドのロングヘアに白いアーマーを纏った美少女。

リヴィエール・グローリアとアイズ・ヴァレンシュタイン。冒険都市オラリオの中で間違いなく五本の指に入る凄腕の剣士が、ギルドで幽霊と呼ばれている黒衣のメイジと対峙していた。

 

「…………リヴィ、どうする?」

「取り敢えず敵意はなさそうだ。話だけでも聞いてみよう。この間合いだ。俺とお前なら大丈夫だろう」

 

その言葉に納得したのかアイズは剣を下げる。リヴィエールも柄に掛けていた右手を外した。

 

「感謝する」

「───で?お前は一体何者だ?」

「そうだな。以前、ルルネ・ルルーイに接触した人物、と言えばわかってもらえるだろうか?」

 

その一言で二人に戦慄が走る。リヴィラの街で運び屋の依頼をしてきたクライアント。真っ黒なローブに性差の判別がつかない見た目。確かに彼女が言っていた特徴と一致する。

 

「お前があの時の依頼者か?ならあの宝玉を渡したのも……」

「いや、それは違う。あの宝玉はハシャーナが下の階層で採取してきたものだよ。アレを彼女に届けて貰いたかったのだが」

「アレについて、何か知っているのか?」

「残念ながら。私が知りたいくらいでね」

 

声色から嘘を付いている音は感じられない。おそらくコイツはレヴィスとは別軸で動いているのだろう。

 

「本題に入ろう。単刀直入に頼む。リヴィエール・グローリア。そしてアイズ・ヴァレンシュタイン。君たちにクエストを託したい」

「クエスト?」

「24階層でモンスター異常発生というイレギュラーが起こっている。これを調査、或いは鎮圧してきてほしい。君たちなら可能なはずだ」

「ダンジョンのイレギュラー鎮圧?」

 

依頼内容に疑問符が浮かぶ。モンスターの異常発生の鎮圧など、クエストレベルの仕事じゃない。ミッションとしてギルド上層部に報告し、正式に討伐隊を組んで当たらなければならない事態のはずだ。それを俺たち二人に?

 

「無論、報酬は用意する。ことの原因も大体目星がついている。恐らく階層最奥の食料庫(パントリー)

 

説明を受けながら、リヴィエールは思考を張り巡らせる。イレギュラーの鎮圧は恐らく口実。コイツは俺か、アイズか、はたまた両方と接触する機会を伺っていたのだろう。

 

「リヴィ、知ってた?」

「いや、初耳」

 

しかし何故その調査を俺とアイズに?他派閥のファミリア、それも複数に依頼する?メイジという言葉を信じるならコイツはどこかのファミリアに所属している眷属のはず。仲間を頼らないのは何故だ?頼れないと見るのが妥当か?こいつ単体で見れば雑魚には見えないが……

 

「実は以前、ハシャーナを向かわせた30階層でも、今回と酷似した現象が起こった。リヴィラの街を襲撃した人物。そして宝玉と関わりがある可能性が高い」

 

アイズの肩が震える。相変わらず心根が素直だ。動揺を隠しきれていない。

 

───無理もない、か。

 

外に出していないというだけで自分も相当キテいる。

 

「アイズ……」

「わかってる」

 

動揺しつつも警戒は解いていない。ならば今何がわかっていなければならないかは、間違えてないだろう。

そう、この話は餌だ。俺たちにとって重要で、関心を引く話をワザとチラつかせている。これに食いつくということは、この黒衣のメイジの思惑通りに動かされるということに他ならない。

 

「事態は深刻だ。【剣聖】そして【剣姫】よ。力を貸して欲しい」

 

二人ともしばらく無言で立ち尽くす。さまざまな思考が脳裏をよぎった。

 

「…………リヴィ、どうする?」

「───放置するわけにもいかないだろう。ほかに手掛かりは無いんだ。掛けてみよう」

 

罠だったとしても構わない。相手の手のひらの上で動くというのは多少業腹だが、罠を仕掛け、確かな優位に立っている人間とは得てして隙が出来やすい。順調に進んでいるときこそ、危ないのだ。手の平を食い破り、利用する。俺たちならば出来るはず。

 

「恩に着る。出来れば今すぐにでも向かって欲しい。いいだろうか?」

「俺は良いけど……」

 

横目でアイズを見やる。案の定、返事を躊躇っていた。いくらリヴィが一緒とはいえ、この怪しさ満点の人物のいいなりに突っ走っていいものか、悩んだのだ。

 

「あの、伝言をしてもらっても良いですか?私のファミリアに」

「ん?ああ、なるほど。わかった。それくらいは頼まれよう」

 

へぇ、とリヴィエールは心の中で驚いた。

 

───てっきり秘密裏に進めて欲しいモノかと思っていたんだが、外部にクエスト内容を漏らすことを許したか。

 

これは本当に悪意はないのかもな、と判断する。無論、コイツなりの思惑はあるのだろうが、少なくとも、俺やアイズを嵌めるのが目的ではなさそうだ。

 

「へえ、【羽ペン】か。良いの持ってるな」

 

少量の血をインク代わりに出来るマジックアイテム。中々高価だったと記憶している。

 

「ねえ、リヴィ。あの白兎くんは大丈夫かな?」

「ほっとけ。駆け出しとはいえ、仮にも冒険者だ。過度な干渉は為にならん。俺たちは俺たちの冒険に専念しよう」

「───うん、そうだね。リヴィは手紙、書かなくて良いの?」

「んー……まあ大丈夫だろ。俺の行方不明はいつもの事だし」

「…………そうだったね」

 

一度責める目つきでこちらを睨むと、羊皮紙をメイジに渡す。

 

「まず、リヴィラの街によってくれ。協力者がそこにいる。酒場で合言葉を」

「わかった……ああ、一つ、聞きたいんだが」

 

濃霧の中に消えようとしていたメイジの背中に声をかける。足を止めた。

 

「………お前、ウラノスの手の者か?」

 

返答はせず、霧に紛れ、姿を消す。図星か、と笑った。ようやく一矢報いたようだ。

 

「ウラノス?あの神様が関与しているの?」

「昨日エイナからギルドに届いているニュースや問題について、結構詳しく聞いた。だがパントリーのイレギュラーなんて一度も話題に上がらなかった。今奴から聞いた事態の規模から言えばミッションになって、大手派閥にクエストが持ち込まれてもおかしくない。それをギルド末端にまで情報規制出来る存在といえば、俺にはウラノスくらいしか思いつかない」

 

ギルドが情報規制をしている理由、恐らくそれは外部勢力を立ち入らせたくないから。何を隠しているかまではわからないが、内うちに済ませる為に私兵を送り込んでいる可能性は充分にある。

 

「そう思ってカマをかけてみたんだが。案外素直だな、あのメイジ」

「リヴィはあの赤髪の調教師が、ウラノス様と関わりがあると思ってるの?」

「直接の関与はなさそうだが……少なくとも、俺たちよりは事情に詳しいだろう」

 

となれば、ロキを巻き込んでみるのも、ありかもしれない。見返りはこの情報だけでも充分だろうが、クエスト次第でさらに引っ張れる可能性もある。

 

「リヴィ?聞いてる?」

「───ん?ああ、悪い。少し考え事をしていた。何?」

「身体、もう大丈夫なの?」

「ああ。傷自体はほぼ完治している。身体の方も、今日明日どうこうはならんさ」

 

心配するな、と一度頭を撫でる。いつもなら心地好さそうに目を細めるのだが、今回は少し不満そうにこちらを見上げていた。決して嘘はないが、誤魔化しが入った事がバレたか。

 

「さあ行こうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほぼ同時刻。ロキ・ファミリア本拠地、黄昏の館前で、とある神物が心底辟易した顔を浮かべて、立ち尽くしていた。赤髪に岸壁胸が特徴的なその女神の名はロキ。この黄昏の館の主にして冒険都市オラリオで頂点に君臨するファミリアの長だ。この女神にこんな顔をさせられる者は数少ない。

しかし、神とは一筋縄でいかない癖のある連中ばかり。たとえ力で劣っていようと、違う武器を携えている者たちなのだ。

 

「また来おった……」

 

ロキの前に立つこの男もその一柱。見目麗しいその神はデュオニソス。豊穣とワインの神。他の神には中々備わっていない気品と優雅さを自然に持ち合わせている。

 

「気になる情報を仕入れたんだ。どこかで腰を落ち着けてゆっくり話さないかい?」

 

図々しくも中に入れろとほざく男神にロキは「帰れ」と告げる。しかしエルフがチラと見せたワインの銘柄に心を揺り動かされた。流石は豊穣とワインの神。見事な一品だった。

 

「で?なんや?気になる情報言うんわ」

 

受け取った葡萄酒を早速開けて飲み始めるロキに、デュオニソスは24階層の現状を語った。

 

「やっぱりギルドは信用できんか?」

 

話を一通り聞いたロキは薄い目を開けてデュオニソスを見やる。肯定の意味を込めて見目麗しい男神は首を振った。

 

「………どうにもね。きな臭いところがあるのは確かだよ」

「まぁわかるけどなぁ。ウチの友達も不信感バリッバリやし」

 

情報交換した際に、リヴィエールが見せた剣呑な態度が脳裏に浮かぶ。聡明なあの男は、ギルドの不審にとっくに気づいている。早い所、こちらでなんとかしてやらなければ、暴発してしまいそうだ。

 

「で?結局自分、ウチに何させたいんや?」

「ははは、何かわかったら知らせると言ったろう?他意はないさ」

 

万人が見れば清々しい。しかし、ロキの目には胡散臭くしか見えない笑みを浮かべる。恐らくは面倒ごとを押し付けたいか、回避したいかが本音だろう。

 

───リヴィエールの奴に教えたったらソッコーで行くんやろけど……

 

危険かつめんどくさい事になるのは目に見えている。そんな所へ焚きつけるような真似をしたらお姉ちゃん(リヴェリア)妹分(アイズ)はきっと怒る。リヴィは何も言わないだろうが、彼も後で怒られる。

 

さて、どうしたもんかと逡巡していると、頭に何か軽い衝撃が来る。巻き物が空から落ちてきたのだ。上空にはフクロウが飛んでいる。

 

「手紙かい?伝書鳩……いや、使い魔か」

「みたいやな……あー」

 

書面に目を通し、嘆くように手を仰ぐ。内容は簡潔だったため、読み終わるのに時間はかからなかった。

 

「アイズが24階層に行きおった……」

 

デュオニソスが紅茶を吹き出す。まさか勝手に騒動の中心に突っ込んでくれるとは、流石の彼も思わなかったのだ。

 

「クエスト頼まれて24階層へ……このタイミングじゃまさにやろ。『リヴィも一緒だから心配しないでください』て……無茶を言うなや!心配するわ!ホンマ似とんな、あの二人は!」

 

『聞いてくださいよロキ!リヴィったら酷いんですよ!!』

 

かつてルグがロキに愚痴ってきたことを思い出す。『出かける。待ってろ』という置き手紙一枚で二週間帰ってこなかった事があったらしい。

 

「ベート。あとレフィーヤ呼んで。至急や」

「二人だけで大丈夫なのか?持ちかけておいてなんだが、この件は相当危うい匂いがするぞ」

「しゃーないやん。今おる子らでアイズの力になれそうなんはあの二人しかおらん。まあリヴィエールもおるし大丈夫やろ」

「リヴィエール?【剣聖】もいるのかい?復活したという噂は聞いていたが」

「あ」

 

しもた、と思った時にはもう遅い。あいつの事を考えていたため、ポロっと出てしまった。まあええかと思い直す。あいつももう不必要に身を隠すことはしていないのだ。ならダンジョンの謎に迫ろうとするこの神に生存を知られるのは悪くない。情報の供給先はいくつあってもいい。

 

「フィルヴィス。君も24階層にロキの子達と向かえ」

「!?デュオニソス様、何を!?貴方様の護衛はどうなさるのですか?!」

「フィルヴィス、聞け。私情でロキを巻き込んだのは私だ。ならば私も誠意を見せる必要がある」

「しかし!」

「何より、私は今、ロキと【剣聖】の信用が欲しい」

 

この場で初めて、包み隠すことのないデュオニソスの本音が述べられる。剣聖の事はデュオニソスも知っている。自分やロキがファミリアの子供達を使ってようやく辿りつつあるダンジョンの謎に、たった一人で行き着いた男。赤髪の調教師の件といい、手練れは一人でも多く欲しい。彼を味方につけたいというデュオニソスの考えは正しい。事実、ロキも同じことをしている。

 

「信用は行動で勝ち取らなければならない。わかるだろう?フィルヴィス」

「………わかりました」

 

こうしてロキ・デュオニソスファミリア合同の臨時パーティが組まれることとなる。しかし、自分とアイズ以外全員バカだと思っている自尊心の塊、ベートとエルフ以外全員信用できないと思っているフィルヴィスの相性の悪さは中々最悪だった。

 

「足引っ張るようなら蹴り飛ばすからな」

「抜かせ、狼人如きが」

 

板挟みのレフィーヤは小声で呟いた。

 

「アイズさん、助けてください」

「助けに行くんは自分らやで。頑張ってな〜」

 

黄昏の館の扉が開く。するとそこには門番と何やら揉めている姿があった。

 

「なんや自分ら。どないした?」

「神ロキ。ちょうどいいところに。リヴィエール・グローリアのことを知りませんか?剣姫を助けに行ったところまでは存じているのですが」

「ちょっと酒場エルフ女。私が先に訪ねてきたんだ。質問は私が先だろ?待ってな」

「聞く内容は同じなんです。どっちでもいいじゃないですか、アマゾネス」

 

エルフとアマゾネス。どう考えても合いそうにない二人が、ひとりの男によって組み合わさっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「相変わらず逞しいな。この街は」

 

18階層へと辿り着き、街の小径を歩きながら、リヴィエールは思わず呟いていた。リヴィラの街で食人花が暴れたのはもう十日以上前である。それでも破損した店々がほぼ全て修繕され、街としての役割を取り戻しているのは驚くべき事だろう。ダンジョンの壁や水晶もほぼ完璧に再生されている。未知の代名詞がダンジョンとはいえ、どうやって水晶などの無機物が再生されるのか。リヴィエールは興味が尽きない。

 

「集合場所は黄金の穴蔵亭。岩壁に穴が開いた洞窟の酒場。リヴィ、こんなところに酒場があるなんて知ってた?」

「いや、酒場の名もこんな黄色の水晶も初めて見たな。ダンジョンというのは俺の想像以上に広い」

 

手に取った黄の光を生み出す水晶のカケラを砕く。木造りの階段をリヴィエールが先に歩き、すぐ後ろにアイズが続く。簡易的に設えられた木の扉を開く。「ありがとう」と一度リヴィに頭を下げると、アイズは酒場の中へと入った。

 

「へぇ、思ったより繁盛してるな」

 

賭博に興じる冒険者が複数のテーブルを使って屯している。二人は空いているカウンターへと足を向けた。隅から2番目の椅子をリヴィエールが引く。

 

「………リヴィ、なんか今日優しい」

「この程度剣士の嗜みだ」

 

エスコートのやり方はルグに散々叩き込まれた。その教育の成果もあって、女と同席する場合はほぼ無意識でレディファーストが発動する様になっている。

 

「あれ?剣姫と剣聖じゃないか、奇遇だな」

「お前は……ルルネ、だったか」

 

忘れかけていた顔と名前がなんとか一致する。リヴィラの一件で少し関わりがあった犬人の少女、ルルネ・ルルーイ。黒髪に褐色の肌。しなやかな肢体に戦闘衣のみの衣装はシーフを連想させる、身軽な軽装だった。

 

「前は二人とも世話になったな。お陰で死なずにすんだよ。礼に一杯奢らせてくれ」

「ありがとう。でも今日は仕事で来ているので遠慮させてください」

「仕事じゃなくてもお前に酒は飲ませねぇけどな」

「なんだ、【剣姫】は下戸かい?でもこの店を知ってるなんて通じゃないか」

 

雄弁に語りかけてくる犬人相手に相槌を打ちつつ、ドワーフのマスターを見る。無愛想な表情のまま、「注文は?」と問われた。

 

「「ジャガ丸くん抹茶クリーム味」」

 

アイズとリヴィエールが合言葉を告げた瞬間、派手な音が左隣から響く。驚いて横を見ると、ルルネが椅子からひっくり返り、腰を抜かしていた。

 

「あ、あんたら二人が援軍?」

「…………驚いたな。アンタもこの件に噛んでるのか。アスフィ」

 

騒然とする一団の中、1人凜とした気配を放つ相手にリヴィエールが視線を向ける。集団の中から歩み寄って来たのはアクアブルーの滑らかな髪に一房だけ白が差した短髪。瞳は髪の色に近い碧眼で銀製のメガネは彼女の知的な雰囲気を底上げしている。まさに知的美女という呼称が形になったかの様な女性だった。

 

「半年ぶりくらいになりますか、お久しぶりですね。そしてそちらは初めまして。【剣姫】。アスフィ・アル・アンドロメダです」

「あ、アイズ・ヴァレンシュタインです。よろしくお願いします」

 

握手を交わす。その傍らでアイズはリヴィエールに小声で耳打ちした。

 

「リ、リヴィ。今回の協力者って……」

「ああ。どうやらそうらしいな」

 

協力者といっても案内人の1人か2人だと思っていた。2人の予想は大いに外れる結果となる。

 

「ヘルメス・ファミリア。その中でも恐らく精鋭15名が今回のパーティだ」

 

援軍の数が多い事が吉と出るか凶と出るか。ヘルメス・ファミリアというところもまた性格が悪い。あの黒ローブ、間違いなく俺がアスフィにバングルの製作を依頼したことを知っている。ペルセウスに借りがある以上、彼らの危険を放置できない俺の性格もバレている。最悪欲しい情報だけ抜き取ってトンズラする事も考えていたのだが、それも不可能となった。このパーティを守るためにも、イレギュラーの解決に全力を注ぐしかない。

 

「気をつけろよアイズ。胡散臭い神の中でもロキはまだ性格良い方だが、ヘルメスはかなり性格悪い。秘密の一つや二つは抱える覚悟をしておけ」

「………大丈夫かな、このパーティ」

 

全く同感の意を込めて、リヴィエールは大きく嘆息した。

 

 

 

 

 

 

 

 




励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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Myth43 マスターと呼ばないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間は現在より少し遡る。そう、まだルグ・ファミリアが存在していた時だ。たった一人の構成員のみにも関わらず、その成長速度は凄まじく、到達階層は大手ファミリアに引けを取らない。ロキやフレイヤに所属する歴戦の猛者達と【剣聖】はたった一人で渡り合っていた。

まさに日の出の勢い。暁のファミリアと称えられ、羨望と嫉妬の両方を集めていたルグ・ファミリア。しかし、光が強ければ、闇も濃くなる。ルグとリヴィエールは眩いスポットライトの下にいたが、オラリオ全体は暗闇に囲まれていた。

 

邪神を名乗る過激派ファミリア、通称『闇派閥』が台頭をはじめ、様々な犯罪活動を行い始める。その凶悪さは凄まじく、冒険者、一般人、モノ関係なしに多くの傷跡を残した。まさにオラリオにおける暗黒の時代である。

しかし、戦士達もただ闇の台頭を許すだけではなかった。

自身の力を示すため、哀れな弱者達を守る正義感、気に入らない連中をぶっ飛ばす。理由は様々だが、目的が一致した神々と冒険者達はモンスターだけでなく、闇派閥と戦う決意をする。その中心となったのが、力の誇示や権力の獲得を目的としたロキ及びフレイヤ・ファミリア。秩序と正義感のために立ち上がったのがアストレア。この二大ファミリアが中心となって手を取り合い、暗黒期の終結へと乗り出したのだ。

 

闇と光。二つの大派閥がせめぎ合い、日に日に緊張感が高まる日々の中のある日、艶やかな黒髪を背中まで伸ばした剣士が場末の酒場を訪れていた。口元はマスクで隠し、ローブのフードを目深に被っている。この辺りでは身元を隠した者など珍しくないが、今座っている少年はどう見てもまだ十代半ば。この様な治安最悪の場所に子供一人で座っているだけでも充分目立つが、彼が注目を集めている最大の要因はそれではなく、少年の足元に転がっている多くの冒険者達だった。

 

───ったく、絡むなら相手を見てからにしろよな

 

フードの奥で辟易とした表情を浮かべているのは幼き日のリヴィエール・グローリア。実は最近、彼は軽く変装をして闇派閥に潜入していた。これは内部の情報を集めて一網打尽にするというロキの作戦の一環である。

 

『何をするにしてもまずは情報やろ』

 

その言葉を否定するものは一人としていなかった。そして情報とは鮮度が高いほど良い。連中の奥深くに潜り込む者はどうしても必要だった。

しかし、問題となったのが誰を潜り込ませるか、である。敵組織の内部に入り込まなければならないのだ。雑魚では話にならない。かといって、フレイヤやロキの幹部では名前も顔も売れすぎている。潜入など不可能だ。

闇派閥においてでも頭角を現すことができる実力者で、かつあまり顔が売れていない冒険者。そんな矛盾する条件を満たしている人物が必要となる。

そこで白羽の矢が立ったのがリヴィエール・グローリアだった。ルグ・ファミリアは最小の構成員のみであるため、彼のことを詳しく知るのは友人、知人のみであるし、時折彼が成した偉業がニュースになっても、名前が書かれるだけだ。リヴィエールは名が売れ始めて比較的日が浅い。出版や印刷技術が乏しいオラリオにおいて、彼の顔と名前が一致するのはまだ少数だ。名前はともかく、顔がまだあまり売れていない。条件としては最高と言えた。

 

『なあ、頼むわリヴィエール。やってくれ。お前の力がいるんや』

 

ロキに潜入を頼まれた当初、リヴィエールは闇派閥との対立にそこまで興味はなかった。オラリオで悪行などあって当たり前。もちろん騙す方が悪いが、騙される方にも責任があると思っていたからだ。

 

『悪いが俺はアストレアが守りたい秩序にも、ロキが欲する権力にも興味はないんだ。興の乗らない喧嘩をする気はないよ』

 

だから以前、リューから共闘を頼まれた時はこう言って断っていた。以来リヴィエールはずっと中立の立場を守っていたのだが、ロキから頭を下げられた時、リヴィエールはその依頼を受けた。

 

『エエんか?闇派閥から余計な火の粉がルグに飛ばんようにするために中立を貫いとったんやろ?』

 

赤髪の邪神はこの黒髪の悪友が闇派閥に対して剣を取らなかった理由に気づいていた。

 

『勘違いするな。お前がダメなら次はリヴェリアあたりが来るだろう。一々断るのも面倒だから受けてやるだけだ』

『なら向こうについてもエエやろ。打診は相当あったはずや』

『そっちも考えなくはなかったんだがな。だがあっちには気に入らない連中が多すぎる』

 

過去の経歴、そして戦歴からリヴィエールは弱者の味方と見られる事が多い。しかし本人にその気は全くない。彼の神経に障る連中がたまたま悪人に多いというだけのことだ。それは根が善人の証拠なのだが、本人は認めないだろう。ツンデレ剣聖の名は伊達ではない。

 

こうして、リヴィエールはルグの護衛をロキ・ファミリアが担当するのを条件に、潜入任務を引き受けた。

 

さすがと言うべきか潜り込んで以降、リヴィエールは実に上手く立ち回った。派手には動かず、闇派閥でも問題のある用心棒や賞金稼ぎを倒し、コネクションを築いて、徐々に頭角を現していった。

 

【黒狼のウルス】

 

闇の世界でたった一人、のし上がっていく彼がそう呼ばれるようになるのに時間はかからなかった。

 

闇派閥でそれなりの地位を築き、数日。リヴィエールはとある人物と会うように命じられていた。闇派閥において、一匹狼の冒険者というのは珍しくない。先にリヴィエールが倒した【黒拳】や【黒猫】もそれに含まれる。しかし、そのような戦力分散は非常にもったいないと考えた闇派閥幹部は一匹狼達を一つ所に集め、新たな組織を作ろうとしていた。

その名も【セレクションズ】。闇派閥勢力の中でも腕利きのみを選抜して構成される新たな冒険者集団。まさに新撰組(セレクションズ)と呼ぶにふさわしい武装組織である。

そのメンバーにリヴィエール……いや、ウルスも幹部として選ばれている。今日はその話をする為、この店に呼び出されていたのだ。

 

───まあ、流石にこの場でそんな話をするとは思えないが……

 

恐らく使いが来たのち、そう簡単に余人が入れない場所へと案内されるはず、とリヴィエールは読んでいる。予定された時刻より少し早く黒髪の剣士は来ていたのだが、この短時間で3回も絡まれた。もっとギリギリに来るべきだったかと後悔し始めていると……

 

「すみません!遅れました!」

 

酒場の扉が勢いよく開け放たれる。現れたのは場末の酒場にそぐわない可憐な少女だった。淡い桜色の髪に、少しハイカラな和装が特徴的な美少女。腰に差した剣から察するに、恐らくは剣士。体格は小柄で、華奢な雰囲気さえ感じるが、リヴィエールの目は彼女が相当の手練れであることを見抜いていた。

 

───彼女、強いな。その辺のチンピラとは明らかに違う。

 

自分を見る目に気づいたのか。それとも違う理由か、リヴィエールの瞳が乳白色の瞳とかち合う。その瞬間、少女の表情がパッと明るくなった。小走りで駆け寄って来る。

 

「遅くなって申し訳ありません。コンドウさんに言われて推参しました。あなたが、私の先輩(マスター)ですか?」

 

コレが闇派閥で最強の名をほしいままにする最強のコンビ。剣に愛された二人の天才剣士、【剣聖】リヴィエール・グローリアと【天剣】ソウシ・サクラの出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダンジョン奥深く、中層域に位置する階層の最奥。その広い大空洞には異臭が立ち込めていた。肉が腐ったような、限りなく死臭に近い匂いが充満するその一角には、複数の人が動き回る足音と何かが蠢く音が断続的に響いている。

 

シャク

 

薄暗い、けれど血に似た赤の光がわずかに差すその場所に、赤髪の美女はいた。奇怪な色の果実を齧りつつ、緑色の瞳には苛立ちめいた不快な感情の色が宿っている。

アイズ達が調教師と呼び、戦った女が片膝を立ててその薄気味悪い場に座っていた。

 

「おいっ、冒険者の間でモンスターが溢れていると騒ぎになっているぞ!大丈夫なのか!?」

 

大型のローブで上半身を覆い隠した男ががなり立てる。口元まで覆った頭巾は目以外の全てを隠していた。

 

「うるさい、騒ぐな。食人花を貸してやる。有象無象はお前達でなんとかしろ」

 

静かな、それでいて深い怒りを感じさせる声音はローブの男を萎縮させるには充分すぎた。恐れを隠すためだろうか、それとも違う理由か。男は舌打ちすると闇の中へと踵を返す。先程まで男がいた場所に、赤髪の美女は食べかすを吐き捨てた。

 

「冒険者に感づかれるとは、運がないな」

 

男と入れ替わりに、白骨を利用して作られた兜を被った、白ずくめの男が現れる。先程のローブのヤツとは違い、不必要に調教師を恐れてはいなかった。恐らく、自身の技量に多少の憶えがあるのだろう。

 

「放っておいていいのか、レヴィス?」

「冒険者にいくら感づかれようが知ったことではない」

「そうですよ、雑魚の相手は雑魚に任せた方が効率的です」

 

陰気なこの場にそぐわない、明るい声が空洞に響く。軽い調子で光の下に踊るような足取りで姿を見せたのは少女だった。淡い桜色の髪に、煤けた和装が特徴的。彼女はまだ比較的人間のように見えたが、それでも見るものが見れば、只者ではないことはわかるだろう。一見、隙だらけに見える佇まいには、一本芯が通っている。

 

「貴様か。何しに来た」

「なかなか楽しそうな話を耳にしましてね。最近噂を聞きつけて、そこそこ手練れの冒険者があそこに集まって来てるそうじゃないですか。興味ありますよ」

 

腰の鞘がカチャリと鳴る。わずかにだが、瞳に殺気が宿った。

 

「下らんことに気をとられるな。我々の役目は『彼女』を守る事だ。勝手に動くことは許さん」

「その時は潰すだけだ」

 

手の中の果実がクラッシュする。彼女の握力ならこの程度は容易だろう。

 

「私は貴方の指図は受けませんよ。それにしてもレヴィスはいいですね。戦ったんでしょう?あの人と。私も早く会いたいですね。例の階層で待っていれば会えるでしょうか」

 

ああ、早く(ころ)し合いたいなぁ。あの夜のように……

 

懐から水晶を取り出す。そこには映像を記録する機能を持つ水膜が張られている。水晶の中には黒刀を振るう白髪の剣士が封じられていた。

 

「先輩❤︎」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『大樹の迷宮』

 

19から24階層の区域を冒険者たちはそう呼ぶ。巨大な木の中を進むかのような迷路。10Mを超える高低差。領域特有の植物群の数々。その異名に恥じぬ自然のラビリンスは冒険者を魅了すると同時に、死へと誘う罠に満ちている。

 

黄金の穴蔵亭に陣取った客の大半はその迷宮へと向かうべく、集った冒険者集団であった。

 

「ウルス、依頼内容は以上ですね?」

 

その中でも明らかに格が違う一人の女性冒険者が前に出る。

アスフィ・アル・アンドロメダ。

オラリオで五人もいない『神秘』のアビリティを持つ稀代のアイテムメーカー。彼女の発明は多くの冒険者に様々なギフトをもたらしている。リヴィエールの黒塵を体外に放出させるバングルも、アイズの羽根ペンも元を辿れば彼女の作品だ。

しばらく情報交換をした後、二人は依頼内容を確認する。24階層の食料庫の調査及び大量発生したモンスターの駆除。アスフィの口から語られたクエスト内容に特に齟齬はなかった。

 

「ああ。しかしお前がこんなにキナ臭そうな案件に首を突っ込むとはな」

 

苦笑を浮かべながら心情を述べる。記憶している限り、あまりリスクを踏む事は好まないタイプだったはずだ。ローリスクハイリターンが彼女のモットー。恐らくのっぴきならない事情でもあるのだろう。

 

「そこの金に目のない駄犬がレベルを偽っていることをバラすと脅され、私達にまでしわ寄せが集まったのです」

 

犬人のシーフを睨みつけると眉間に寄ったシワを隠すように目元を揉む姿を見て、リヴィエールは笑ってしまう。いつも怜悧で凛とした彼女の美貌が崩れたのが何故か可愛らしく、少し可笑しかった。

 

「なるほど、税金ちょろまかしてるのがバレたら確かに色々と面倒だわな」

 

ギルドはオラリオに属する全てのファミリアからその等級に合わせて税金を徴収する。大手になればなるほどその金額は跳ね上がる。かつてたった一人で大手ファミリアと渡り合っていたルグ・ファミリアは最小の構成員にもかかわらず、等級はロキ達と変わらなかった。唯一の構成員であったリヴィエールは納税の苦労を人並み以上に体感している。

 

「この馬鹿っ!愚か者っ!脅されようが最後まで白を切れば良かったのですっ!面倒はヘルメス様のワガママだけで充分だというのに!」

「うう……許してくれよぉ〜」

「───フッ……」

「何がおかしいんですか」

 

微笑が白髪の剣士から漏れ出たのを聞き、ジロッとアスフィがこちらを睨む。

 

「失敬。アスフィのそんな顔、初めて見たから」

 

いつも冷静で聡明な彼女が頭を抱えて仲間に怒っている。普段からは考えられない姿を目の当たりにし、こんな面もあったのかと知れたのが少し嬉しかった。

 

「…………すみません、見苦しいところをお見せしました」

「いや、可愛いよ」

 

アクアブルーの髪の美女の頬がカッと赤く染まる。不意打ちでぶつけられた好意は無防備な彼女の心を的確に撃ち抜いた。

 

───まったく、この男は。相変わらずですね。良くも悪くも、女を刺激するのが上手です

 

嘆息しながら上気した頬をクールダウンさせつつ、苦笑する悪友を見やる。彼は人の心に入り込むのが異常に上手い。基本誰かを貶すこともしないが、褒めることも滅多にしないこの男が時折不意に口にする『可愛い』は卑怯なまでの威力を有する。ツンデレの高等テクニック、『ギャップ』。これには多くの女が犠牲になっていた。

そういうところはヘルメス……というより、恐らくはルグに似ているのだろうと賢明なアイテムメーカーは判断する。アスフィはあまりルグを詳しくは知らないが、あのヘルメスが『不思議な魅力がある、何故か憎めない』と言っていた。その感想は自分がリヴィエールに抱いているものとまったく同じだ。根拠とするには十分過ぎる。

 

「アスフィ様ってさぁ。不意打ちに耐性ない?」

「ヘルメス様の『可愛い』にも弱いもんね。酷い目に遭わされてる方が遥かに多いはずなのに」

「やっぱ押してばっかじゃダメなんだよ。優しさは小出しにしなきゃ」

「そこっ、浮つくんじゃありません!………ウォッホン!こうなっては仕方がありません。各員、全力で依頼に当たりなさい。特にルルネ、貴方には死ぬほど働いてもらいますからね!」

「わかったよぉ」

 

指揮官からのゲキに団員達は気合の声を出す。ルルネだけは力なく耳を垂らし、背筋を曲げていたが。

 

「ちなみにあなたの事はどう呼べば?」

「ウルスでもリヴィでも【剣聖】でも、二つ名以外ならお好きに」

 

憤然とこちらを睨みつける彼女に対して肩をすくめて答えを返す。

この一年、リヴィが正体を隠して行動していたことをアスフィは知っている。万能者と本格的に交流を始めたのは一年前の事件が終わった後。あの頃は迂闊にリヴィエールと呼ばせるわけにはいかなかったため、隠し名のウルスを名乗っていた。以来バングルが完成する約半年、ずっとウルスで通していたため、アスフィにとっては隠し名の方が馴染みが深いのだ。

 

「───?」

 

今度は碧眼の美女が笑みをこぼした。笑われる理由がわからなかったリヴィエールは頭の上に疑問符を浮かべる。

 

「まだ嫌なんですね。そっちの二つ名」

「うるさいな、ほっといてくれ」

 

何かを隠すようにそっぽを向く。二人同時に噴き出し、しばらくクスクスと笑った。ローリスクでことに当たる事をモットーとするアスフィとハイリスクを踏みたがるリヴィエール。一見すると正反対だが、何故か二人は馬があった。

 

「ガッ!?」

 

白髪の青年が飛び上がる。慌てて振り返るとそこにいたのは置いてけぼりにされていた金髪金眼の少女。

 

「痛っ、痛い痛い太腿痛い!アイズっ、何でっ……抓るな!そこは神経が我慢ならんところでぁああああ!」

「…………リヴィのそういうところが嫌い」

「そういうところって何だよ」

 

背後のアイズがまるで息を吐くように女を口説くこの男の大腿部を抓りあげ、鉄槌を下す。アスフィも部下たちに変な目で見られていたことに気づいたのか、一度咳払いする。抓っていた手を取り、取っ組み合いをしている【剣姫】と【剣聖】に向き合った。

 

「では、今は【剣聖】と呼ばせていただきます 」

「なら俺は【万能者(ペルセウス)】か?」

「やめてください。貴方にそんなかしこまった呼び方をされては背筋が寒くなります。いつも通りアスフィで結構ですよ。【剣姫】もよろしいですか?」

「はい」

「ちなみにそっちの戦力は?」

 

今回限りとはいえ、こいつらに背中を任せることになるのだ。秘密主義のヘルメス・ファミリアから多くのことが聞けるとは思っていないが、最小限の内容は知っておきたい。

 

「私を合わせ、総勢15名。すべてヘルメス・ファミリアの人間です。能力は大半がLv.3」

 

───なら24階層くらいは大丈夫か

 

と頭では思うのだが、直感が否と叫ぶ。こちらが予想している以上に事態は逼迫しているのかもしれない。

 

「改めて自己紹介を。私が中衛から全体の指揮をとります。アスフィ・アル・アンドロメダです。得物は短剣とアイテムを少々」

「【ロキ・ファミリア】アイズ・ヴァレンシュタイン。武器は片手剣」

「リヴィエール・グローリア。同じく片手剣。…………所属ファミリアとレベルは秘密で」

 

不信感がヘルメス・ファミリア全体を包む。リヴィエールの名前なら彼らは知っている。相当の腕利きな事も。だからこそ彼らには不安があった。最前線から離れての約一年で、剣聖に関してあまり良い噂は聞かない。ましてレベルはともかく、所属まで不明にするのはキナ臭い。白髪の剣士を本当にあの【剣聖】と思っていいのか、不信はあった。今の一言でそれが更に強くなった。

 

「だ、大丈夫。リヴィは私の3倍強いから」

「3倍は言い過ぎ。精々1.5倍程度だ」

 

先程とは別の意味でざわつく。一級冒険者ともなれば、力量には自信を持っていて当たり前。まして相手はオラリオでも最強と名高いあの【剣姫】。その彼女があっさりと自分より強いと認め、彼も否定しなかった。驚くのも当然だろう。

 

「…………彼に関しては私が責任を持ちます。大丈夫。少なくとも悪人ではないですよ」

「アスフィさんがそう言うなら……」

 

最も不満そうな表情を見せていた小人族が渋々納得する。仲間の無礼をアスフィが詫び、手を差し伸べ、握手を交わした。

 

「貴方と【剣姫】がいてくれるなら心強い。短いパーティでしょうが、どうかよろしく」

「ああ」

「…………ちなみに、貴方ならわかっているとは思いますが」

「言われなくても口外はしないよ。ヘルメス・ファミリアの内情に興味はない」

「話が早くて助かります。【剣姫】も同様にお願いします」

「あ、はい」

 

実態をバラすなと釘を刺したのち、アスフィ達はリヴィラで最後の補給を済ませ、黄金の穴蔵亭を後にした。

 

そして一行はダンジョンの闇、生と死が隣り合わせの修羅場へと身を投じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祭壇に重々しい声が響く。そこは古代のしんでんを思わせる石造りの広間だった。ギルド本部地下に設けられたウラノスの祈祷の間。その存在を知っているのは極少数の正に秘密の部屋。そこに佇む老いた神は黒衣の人物を見下ろしていた。

 

「フェルズ、何故【剣聖】と【剣姫】に依頼を出した」

 

決してきつい口調ではなかったが、それでも威圧感をまとった声音で尋ねる。ロキやリヴィエールに無用な疑いをかけられている事に、ウラノスもフェルズも気づいていた。そしてそれは二人にとって望むところではない。不必要なリスクは今まで回避していたのに、今回に限って踏み込んだフェルズの意図を知りたかった。

 

「例の宝玉に対して、あの二人は過剰な反応を示したらしい。何か因縁があるのでは、と判断してのことだ。宝玉の正体を解明する糸口になるやもしれない」

 

その答えにウラノスは押し黙る。決して高いとは言えない可能性だ。唐突に体調が悪くなるということは誰にでもある。宝玉に反応して、ではなく、少し立ちくらみがしたと考える方がよほど現実的だ。

 

しかし、無視出来ない可能性でもある。考え込むようにウラノスは無言を続けた。

 

「それに30階層でのパントリーの一件はこちらだけで何とかなったが、同志たちにも大きな被害が出た。彼らにこれ以上負担をかけさせるわけにはいかない」

「…………」

「先の件で連中も神経質になっているはずだ。今度はおそらく番人が出てくる。下手をすればあの半妖精まで」

「例の調教師……そしてリャナンシーか」

 

主神の言葉にフェルズが頷く。

 

「あの半妖精は【剣聖】に呪いを施したと聞く。アレを受けてなお生き残っている魔法剣士。驚異的と言わざるを得ない」

「…………流石は【西の魔女(ウィッチ・オブ・ウィッチ)】の血を受け継ぐ者、というわけか」

 

そして彼もまた自分と同じ、母が仕えた精霊の血を継ぐと出会い、共に歩み始めている。縁とは不思議だ。いくら断ち切ろうと、やおら形を成し、新たな絆として繋がっていく。

 

「精霊【アリア】と神巫【オリヴィエ】。かつて焼き切られたはずの運命が、再び出会ったか」

「賭けてみよう、ウラノス。【剣姫】と【剣聖】というとびきりのイレギュラー。様々な奇跡が重なり、結晶して生まれた偶発性因子が引き起こす連鎖反応。神々を魅了した人類の可能性に」

 

 

 

 

 

 

 




最後までお読みいただき、ありがとうございます。オリキャラ登場させました。イメージはもちろんfgoの沖田総司です。大河では新撰組出るのかなぁ?それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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Myth44 才能がないと言わないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

人の成長とは、階段だと言われている。

 

緩やかな登り坂のように少しずつ上がっていくわけではない。どれほど才気溢れる人物であろうと、壁にぶつかり、停滞する時期は必ず来る。

その壁を越えるためには不断の努力が必要となる。体を鍛える。技を練る。意識を変える。要素は人によって様々だが、そういったパーツを少しずつ結晶させる事で人は壁を超えて行く。その積み重ねこそがまさに階段と言われる所以だ。

 

───世の中に才能の差というものがあるならば、それは恐らくこの階段の差。才気あふれるもの程、この段差は高く、分厚いのだろう。

 

緑髪を腰近くまで伸ばした、翡翠色の瞳を持つ美女、リヴェリア・リヨス・アールヴは目の前の少年を見て、そんな事を思った。魔法の修行のため、ネヴェドの森へと行って以来、始めて同行した彼の冒険。まだそんなに時間も経っていないというのに、まるで別人のように強くなっていた。

 

───恐らくは人生で初めて喫したであろう惨敗。積み重ねてきた魔法や剣の技術。そして出生の秘密を知ったことによる心境の変化。全てのパーツがうまく噛み合わさり、アイツは壁を超えた。

 

心技体。全てが揃ってこそ人は大きな力を出せる。体、そして技に関してはこの少年は十二分に積んできた。しかし、精神の成長だけは鍛錬ではどうしようもない。自分の力や才能だけでなく、別の何かが必要になってくる。

 

人によっては精神などそこまで重要には感じないかもしれない。しかし、メンタルがパフォーマンスに及ぼす影響は絶大だ。キッカケ一つ。意識の改善一つで別人のような成長を遂げることもザラ。冒険者は特に重要になってくる。ダンジョンにおいて技術や知恵は持っているに越した事はないが、それはあくまでアシスト。原動力ではない。

力がなくて何もしない奴が、力を手に入れても、何かが出来る筈がない。出来たとしてもそれは所詮メッキだ。一度窮地に追い込まれればすぐに剝げ落ちる。

 

大事なのは決める事。そしてやり通す。それが何かをなす唯一の方法。不可能に挑む心こそが壁を越える為の積み木になる。

 

リャナンシーという強敵と戦い、敗れはしたものの、獅子奮迅の働きを見せ、生き長らえた。それは冒険者にとっては勝利と呼んで差し支えない偉業だ。その証拠にこの偉業を神々は認め、リヴィエールはランクアップが許された。

 

不可能を可能にする、爆発的な成長。それを成す根源は具体的な強敵の存在。

才能ある貪欲な者の進化は、強敵によって爆発する。

 

───私自身、そう呼ばれる事は何度かあったが、私がそうであるかはわからない。だが、断言できる。あまり、使いたくない言葉だがな

 

この形容を使うのはリヴェリアにとって彼が二人目だ。

 

一人目はオリヴィエ・ウルズ・アールヴ。【西の魔女(ウィッチ・オブ・ウィッチ)】と呼ばれた魔法使い。

彼も、そして彼の母親も、凡人が不断の努力で積み重ね、何年もかけてようやくたどり着く領域に、きっかけ一つ。閃き一発で容易に追い越していく。

 

「───天才だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『大樹の迷宮』は上層と比べ、圧倒的に広い。通路一本とっても上とは比べ物にならない規模になる。伴って遭遇するモンスターの数も必然多くなるわけだが……

 

「アスフィ!」

 

獣人の戦士がパーティリーダーの名前を呼ぶ。声音には明らかな戦意が籠っていた。

 

「前衛は前方の敵を足止め!指示があるまで維持!中衛は左上空!後衛は炎詠唱開始!ツボの用意も!ルルネは撹乱!」

 

指示とほぼ同時にパーティメンバー達が動き始める。モンスターを視認する時には各員行動を始めていた。

 

───指示から行動までほぼラグがない。よく訓練されている。パーティ能力としてはせいぜい中堅クラスだが、アスフィの的確な指示とメンバーが持つ彼女への絶大な信頼がパーティの実力を数段向上させている。

 

リヴィエールは素直にパーティの実力、特にアスフィの能力を賞賛する。自分に同じことが出来るかと言われれば難しいと言わざるを得ない。これ程集団を流麗に運用する為には彼ら一人一人の能力を的確に把握し、何ができて何ができないかを常に考える必要があるからだ。基本的に他者への興味が薄い(例外はいるが)リヴィエールでは不可能だろう。

 

「リヴィ、私達はどうする?」

 

後ろで控えていたアイズが剣に手をかけつつ、問う。アスフィと話し合い、アイズへの指示はリヴィエールが行うことになっていた。この二人を御するのは手に余るという判断であり、それは正しい。

 

「見ておこう。もう少し連携を確認しておきたい」

「うん、そうだね」

 

剣は手にかけたまま、二人とも見に回る。この辺りまで潜ると個人の力量よりパーティの密度が大事になってくる。流石にアスフィほど深く理解するのは無理だが、実際の戦闘を見れば、ヘルメス・ファミリアの戦い方の傾向もわかる。この一団は何が得意で、何が苦手か。どこが強く、どこが脆いか。この辺りを知っていると知らないとでは行動方針が大きく変わる。観察は冒険者にとって必要な業務の一つだ。

 

「前衛は壁役。アスフィが直接率いる強力な中衛が主となって連携攻撃を行い、アイテムで一網打尽。堅実かつ機械的だな。無駄な行動を極力控え、最低限のリスクで最大の結果を出す。効率重視のスタイル。パーティとしては1番賢いタイプだな」

「強い、ね」

 

二人の視線が水色髪の麗人に集まる。やはり何よりの白眉はやはりアスフィ・アル・アンドロメダ。

 

「彼女は、多分……」

「ああ、Lv.4だろう。実際戦ってるとこは初めて見たけど、普通に強い。【万能者】の名は伊達じゃないな。まだまだたっぷり隠していると見える」

 

稀代のアイテムメーカーにして、本人も実力者。リヴィエールもよく万能と言われるが、彼女と比べてはお話にならない。

 

───その分、危うさもあるわけだが……

 

まあ24層程度なら問題ないだろう。危うい領域に彼女が踏み込むとも思えない。アスフィに何もない限り、このパーティは充分戦力と考えていい。

 

「ウルス」

 

声がかかる。アスフィだ。戦闘を終え、休息の指示を済ませた彼女が今後の方針を相談すべく、訪ねに来ていた。

 

「この依頼について、どう思いますか?」

「…………予想の範疇を出ないぞ」

「構いません。冒険者としてではなく、貴方個人としての率直な意見を聞きたいのです。お願いします」

 

離れたところを見計らって隠し名で呼んできた時点で内緒話があるのだろうと予想はしていた。そして俺が厳しいことを言えばパーティ全体の指揮に関わるだろう。俺が一人になるのを待っていたのかもしれない。

 

「リヴィラの事件、知っているか?」

「概ねの事は。ルルネからの報告もありましたし」

「少なくとも、今回の厄介ごとがアレ以下って事はないだろうと思っている」

 

アイズやリヴィエールといった一級冒険者が複数名その場にいながら、18階層をほぼ壊滅に至らしめたあの事件。それを上回る事はほぼ間違い無いと断言した。そしてこの男の予言は滅多に外れないことをアスフィはよく知っている。

 

「ビビったか?お前が嫌いなハイリスクだ。降りるなら今だぞ」

「いい機会です。貴方に一つ、真理を授けてあげましょう。『問題』とは逃げれば逃げるほど行く先々で待ち構えているものなのです。もし無理矢理避けようとすれば、その問題はより深刻なものとなって再び私達の前に現れるでしょう」

 

オラリオで最も賢く生きる水色髪の賢者は最も愚かにダンジョンを生きる白髪の剣士に向けて言葉の矢を放つ。魔物化の呪いについて言っている事だと気づくのに時間はかからなかった。解呪ではなく利用。それは事態を好転させたかのように見えるが、実際は問題の先送りでしかない、とあの時猛烈に反対した友人は遠回しに指摘した。

 

「もうこの問題は避けては通れません。団員の長所も短所も分かち合って初めてパーティは機能します。それは無論、誰かの成功も失敗も例外ではありません」

「ご立派。団長の鏡」

「一人で背負いこみすぎなのです。貴方は」

「お前に言われたくないな。なんでも出来るお前が、背負いこみすぎないはずはない」

 

憤然と鼻を鳴らす。その言葉に反論はなかった。この男は相変わらず口も達者だ。

 

「休憩終了!行動を開始します。隊列は先の通り。採取用アイテムは無視して進みます。欲をかかないように。特にルルネ!」

「うぅ……わかったよぅ」

 

その後もパーティは問題なく進んだ。時折出るモンスターを相手にしても、リヴィエール達が剣を握る機会はほぼなかった。こんなに戦わずに進むのは久しぶりだ。

 

しかし、それも24階層までの話だった。

 

「うげぇ」

 

ルルネの呻きは痛いほどわかる。眼下に広がるのはうじゃうじゃ群がる数え切れないほどのモンスター達。大群が移動するその様はまるでアリの行進。ゾッとするのは人のサガとして仕方ない事だろう。

 

「…………話には聞いてたが、想像とちょっと違うな。こんなの初めて見た」

 

怖気ついていない三人のうちの一人、リヴィエールはその姿を見て不服げに唸る。その言葉にアイズも首肯をもって同意を示した。

 

「で?どうするアスフィ。やるのか?」

「駆除も依頼に入っています。放っておくわけにもいかないでしょう」

 

戦闘準備、とアスフィが仲間達に呼びかける。しかし、その声をアイズの「待って」が搔き消した。

 

「リヴィ、私に行かせて」

「…………いいのか?」

 

カチャリと腰の剣を鳴らす。手伝おうか、という意味を込めた行動だった。

 

「お願い」

「わかった。立ち会った冒険の成果、見せてもらおう」

 

僅かに口角が上がる。笑ったと気づいたのはリヴィエールだけだった。デスペレートを振り鳴らし、一気に駆け出す。白髪の剣士が腕を組み、眼の色を変える。彼女の一挙手一投足を見逃さないため、卓越したその眼力を最大限に発揮させた。

 

「大丈夫なのですか?いくら【剣姫】といえど、あの数は──」

「数は特に問題じゃないさ」

 

そう、連中の相手をする事くらい、以前のアイズでも出来た。リヴィエールが見たいのは結果でなく、過程。これ程の数を相手にどうやって戦うかが見たかった。

 

───Lv.6のウダイオスをほぼソロで討伐した経験は間違いなくアイズのランクアップを成した筈だ。

 

間違いなくと断言できるのは自身もそうだったからに他ならない。経験とは何よりの説得力を持つ。そしてランクアップは大幅に能力を強化してくれるが、同時に今までの落差に戸惑う事も多い。激変した身体能力と感覚のズレを修正するには、実戦が特効薬となる。

 

戦端が開かれた。攻撃行動を取っているモンスターが前後左右に八匹。その全てをほぼ一挙動で惨殺する。その後も数体が周囲から襲い掛かり、蜂蜜色の髪の剣士を埋め尽くすが、問答無用で八つ裂きにされる。

 

「これ程とは……貴方が託すわけですね」

「あんな奴、俺は知らないよ」

「は?」

 

困惑するアスフィの傍で、獅子奮迅の戦い振りを見せるアイズを、リヴィエールは観察する。

 

───達人になれば、間合いの内はほぼ剣の結界と呼んでいい。侵入すれば斬殺は必至。だが、前後左右の八匹をほぼ同時に仕留めるのは、今までのアイズでは出来なかった。

 

リヴィエールが知るアイズなら、少なくとも一回は回避を入れた筈だ。だが今は剣技と身体能力のみで圧倒。それもまだまだ動きに余裕がある。

 

「人の成長は、階段だ」

「……は?」

「俺の師が言ってた言葉だよ」

 

緩やかな登り坂のように少しずつ上がっていくわけではなく、壁にぶつかり、停滞し、越えるべく励む事で向上していく。

 

アイズはまさに今、壁を越え、飛躍的に成長を遂げている最中だ。もはやリヴィエールが知る彼女とは別人と言っていいだろう。

 

───同じ事を、やれと言われれば俺も出来る。だが……

 

俺に出来ただろうか?Lv.6に成り立てで、しかも鳴らしの段階で彼女と同じことが。

 

きっかけ一つで化けるかも、とは思っていた。しかし……

 

「もっと場数(たたかい)が要る」

 

剣尖が閃き、モンスターが激減する。流石に彼我の力量差に気づいたのか。怯み始める一団に向かって、輝く金の瞳が向けられた。

 

 

行くよ(来てよ)

 

 

ゾクリと震える。この感覚は覚えがある。剣士の血が騒ぐ。

この日、【剣聖】は初めて【剣姫】と戦ってみたいと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「倒し切っちゃった」

「嘘でしょ」

「これ言っちゃお終いかもだけどよぉ」

 

俺たちいらなくね?

 

ヘルメス・ファミリア全員の心の声が一致する。一同が固まる中、白髪の青年が迷いのない足取りで歩み寄った。

 

「お疲れ。疲労は?」

「平気、ありがとう」

 

───平気っすか。タフネスも随分向上してるな

 

これはうかうかしていては耐久力は抜かされるかもしれない。

 

「で?アスフィ。ここからどうする?黒ローブを信じるなら候補は三つだが」

 

リヴィエールの脳内地図が食料庫の位置を告げる。ルルネが取り出したマップから進路は南西と南東、そして北。

 

───改めて見るとやっぱり広いな

 

下層に降りれば降りるほど広大になるダンジョン。24層まで行けばもうオラリオの総面積の半分には届く。この三つを一つ一つ回るとなると中々に骨だ。

 

「モンスターのいる所に向かいましょう。押し寄せてくる方面に原因があると考えるのが自然ですから」

「だな、となると北か」

 

薄暗い獣道からは異様な気配が立ち上っている。待ち人はこの先にいると7つ目の感覚は告げていた。

 

効率を重視したアスフィはアイズとリヴィエールに先陣を任せ、探索を再開させる。しばらく歩くと、天井や壁面が洞窟然としたものに変化し始めた。食料庫が近い証拠だ。給養の間には石英の柱が存在し、そこからは栄養価の高い液体が滲み出す。食料庫の近辺は迷宮の形状を適した形に変化させる。

 

ルルネたちは今まで以上に緊張を纏い、通路を進む。アイズも感覚を鋭敏にさせ、リヴィエールは7つ目の感覚(セブン・センス)の精度を上げた。静寂の音が彼らの耳朶を満たしていく。

 

「コレは……」

「……植物?」

 

とうとう現れたそれに全員が困惑する。通路を塞ぐ巨大な壁。不気味な光沢を纏い、膨れ上がる表面は明らかに弾力がある。どう見ても今まで周囲を覆っていた石面ではなかった。植物にも見えないことはないが、リヴィエールには……

 

───人間の体内、特に内臓や腫瘍に似ている。

 

職業柄、死体や怪我に見慣れており、多少治療の知識もある白髪の剣士はこの異様な壁をそう例えた。無論、似ているだけで非なるものだ。『深層』に幾度となく進行しているリヴィエールでさえお目にかかったことがない。未知との出会いが冒険の醍醐味とはいえ、コレは少し異様過ぎた。

 

「道が間違っていたのでしょうか?」

「十中八九間違ってないよ。ダンジョンでイレギュラーが起こってるんだ。その震源地が普通である方が俺に言わせればおかしい。今回の事件、原因の一端は間違いなくこいつだ」

 

アスフィの独り言に答えを返す。生理的嫌悪感を視覚に訴えてくる肉壁にリヴィエールが触れた。

 

───やはりなんらかの生物か?生きている感覚がある。

 

熱と鼓動にも似た微かな律動が手のひら越しに伝わってくる。体内器官のようだと感じたリヴィエールの勘は正しかった。

 

「だがコレでおおよそのカラクリはわかったな」

「?」

「わからないか?モンスターは食料を求めてここに来る。だがこの壁だ。そこまでたどり着くことは難しい。なら次に連中が取る行動は?」

「………別の食料庫に向かおうとする」

 

ルルネが「あっ」と声を上げる。話を聞いていた全員、リヴィエールが何を言いたいか理解した。

 

「そう、コレはモンスターの大発生じゃない。大移動だったんだ」

 

残り二つへと向かうべく移動していたモンスター達は広大な24階層の各地から集った三分の一。それが一斉に同じ方向、同じ道を辿れば、通路はあっという間に埋め尽くされる。それは無論、冒険者の通る正規ルートも例外ではない。

 

「じゃあこの奥には何があるんだ?」

「さぁ、それはわからないが…」

 

この障壁こそがイレギュラーなのは間違いない。まあ碌でもないものが眠ってるのは確実だろう。

 

「さて、どうやって進むか。一応口のような門のようなものはあるにはあるな」

 

しかし開くのをチンタラ待つ気にはならない。

 

「私が斬ろうか?」

「愚か者。腐蝕液が鉄砲水みたいに噴き出しても助けてやらんからな。俺が魔法で…」

「待ってください。貴方の魔法は出来るだけ温存したいです。こちらに上位魔導士がいます。彼女に任せましょう」

 

下がってください、と言われ、その言葉のまま5、6歩下がる。パルゥムの少女がロッドを構えた。

 

───ほう、小人族の上位魔導士か。珍しいな

 

フィンの活躍の成果が現れているのだろうか?彼が与える影響は良くも悪くも大きいが、もしあの小さな勇者に触発されて才能を磨いた存在ならば、彼女は良い影響と言える。

 

「珍しいって思ってんだろ?あいつは未来を嘱望されるパルゥムってわけさ。オレらとは違ってね」

 

感心の目で見ていたことに気づいたのか、小人族の少年……まあ、少年かおっさんかは見た目ではわからないが、卑屈な声を上げる。耳慣れた、よくいるタイプ。理想を持って冒険に乗り出したが、現実に打ち負かされ、挑戦を辞めてしまった冒険者の色だ。

 

「気づいてるんだろ?ふたりとも。前衛・中衛の中でオレらだけがLv.2だって」

「いや、今の今まで知らなかった」

「ハッ、白々しい」

 

気を遣ったとでも思ったのだろうか。嘲笑とともに吐き捨てる。だが、事実だ。知らなかった事は。眼中になかったからという理由はその事実より残酷かもしれないが。

 

「気を使うんならあいつにしてやれよ。アイツは変えの効かない才能あるパルゥムなんだから。【勇者】サマほどじゃなくてもな」

「フィンを知ってるの?」

「知らない小人族がいるのかよ」

 

いなくもないだろう、というセリフが喉元まで出かける。

 

「どんだけ才能に恵まれてんのか知らねーけど、勝手にオレらの英雄になりやがって。頼んでねーっつーの」

 

───あー、この手の手合いか…

 

典型的悪い方に影響を受けているタイプ。小人族が弱者であるという認識はほぼ世界共通だが、同時に免罪符でもあった。しかし不可能を可能にする英雄が現れてしまい、自分たちの行いが全否定されたと思ってしまっている。

 

「あんたらもそうなんだろ?いいよなぁ、天才様は」

「…………はぁ」

 

思わず溜息が出てしまう。力がなくて何もしない奴が、力を手に入れても、何かが出来るとでも思っているのだろうか?出来たとしてもそれは所詮メッキだ。一度窮地に追い込まれればすぐに剝げ落ちる。

 

「なんだよ、言いたい事があんなら……」

「才能ってやつが一体何で、どれほど重要なのか、俺にはよくわからないが」

 

立ち上がる。小人族の詠唱が終わった。

 

「自身の努力ではどうしようもない、先天的に授かった物を才能と呼ぶなら、少なくとも、俺はフィンほど才能のない冒険者を知らなかったよ」

「っ!?ふざけてんのかよ!」

「俺はいつでも本気だよ。本気で生きる事でしか俺は生きられなかった」

 

才気に恵まれていたと言われればそうかもしれない。人から見れば羨ましく見えるのかもしれない。だが、簡単な戦況などほとんどなかった。立ちはだかる敵はいつだって自分より強かった。それでも常に本気で抗い、戦い、生きる事でかろうじて命を繋いで来たんだ。

 

「どれだけ強くなろうと、変わらない事実が一つだけある。伝説とまで呼ばれる魔法使いも、吟遊詩人に歌われる英雄も、死ぬ時は絶対にたった一度だけだ。その瞬間は今日この日、あと1秒後に訪れるかもしれない。その恐怖に怯えているのは俺も、フィンだって変わらないよ」

 

炎の大火球が着弾する。焼け焦げて出来た穴にリヴィエールは迷いなく足を踏み入れた。

 

「アイズ、用心しろ」

 

隣を歩く剣姫の耳元で囁く。

 

「ここからは完全に未知の領域だ。24階層程度、俺たちならソロで探索できる場所だが、この場は何が起きるか本当にわからない。俺より遥かに強かったはずの冒険者が目の前で死んだなんて経験、お前も十や二十じゃないだろ?」

 

そう、未踏の領域とはそれほどに理不尽なものだ。故に冒険者は常に死と隣り合わせ。命懸けである事は不変の事実だ。

 

死ぬかもしれない。絶対に死なない。相反する二つの現実を胸に刻み、覚悟する事が必要になる。

 

「さあ、行こうか」

 

理不尽な死が常に待ち構える場所。虎口など生ぬるい牙の迷宮へと精霊と神巫は歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 




後書きです。今回も進展ほぼゼロ。もっとサクサク進めたいのですが削れない部分が多過ぎますね。次回はようやくマジバトル回。基本リヴィエール視点のみなのでレッフィー達の活躍に関しては単行本を見てね?それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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Myth45 天才と呼ばないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冒険者の生業とはなんだろうか?

 

オラリオが迷宮都市として繁栄を始めて以来、幾度となくされてきた質問の一つだ。それは一口に冒険者といっても、所属するファミリア次第で様々なタイプがいるからに他ならない。

単純にダンジョンを攻略し、魔石やドロップアイテムなどで利益を上げる探索系ファミリア。ロキやフレイヤなどといった大手ファミリアを筆頭とした、最も多いタイプである。

続いて代表的なのが支援が主となる商業系ファミリア。ポーションなどの薬品作成や武器防具を作り出す鍛冶によってコンスタントに収益を上げる。探索系に比べ、危険は少なく、安定している代わりに、顧客同士のトラブルが多い。ディアンケヒト・ファミリアやヘファイストス・ファミリアが有名どころだろう。

 

その他にも、マップデータ作成といった情報系や酒などの娯楽系など、一つ一つ挙げていけばキリがないほど冒険者業とは多岐に渡る。何をすれば冒険者足り得るかというものは、簡単に答えの出ないテーマだろう。

 

しかし、どんなファミリアにも共通していることが一つある。どのような冒険者であろうとダンジョンに潜り、モンスターと戦う必要があるという事だ。商業系であろうとなんだろうとそれは変わらない。ドロップアイテムはダンジョンに行かねば手に入らないのだから。

 

故に冒険者が戦う相手で最も多いのはモンスターとなる。職業柄、荒っぽい連中は多いし、ファミリアで抗争が勃発することもあるため、冒険者同士が戦うこともなくはないが、それでも対人戦は対モンスター戦に比較すると、圧倒的に少ない。よって、剣術や武術といった、テクニック的な要素は疎かにされがちだ。レベルの低い怪物相手なら恩恵任せのごり押しでなんとかなってしまう。

 

しかし、これらの力が大いに必要となる時期がオラリオには存在した。

 

オラリオ暗黒期。高い知能と力を持つ冒険者と冒険者が戦わなければならない時代。対人戦の頻度が急速に増え、 オラリオはただ力だけでは乗り越えられない場所となった。

 

そんな修羅の時代を最前線で生きている冒険者がいた。技術と実力、そして聡明な頭脳を持ち合わせた剣士。暗黒期においても燦然と輝く太陽のファミリアに属する【暁の剣聖】。基本的に一匹狼で、親しい友人は何人かいるが、仲間と呼べる人物は一人もいない。そんな彼が、剣を教えた人物がたった二人だけいる。

【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインと【天剣】ソウシ・サクラ。数多の冒険者の中で剣才を認めた冒険者。

 

『剣技に於いて必勝の一閃ってなんだと思う?』

 

まだ少年の髪がしっとりと濡れたように艶やかな黒髪だった頃、そんな質問を彼は二人の弟子にしたことがある。

 

『そんなのあるの?』

先輩(マスター)と出会うまでは私の三段突きだと思ってましたけど』

 

彼を信頼していないわけではなかったが、若き日の【剣姫】と【天剣】は師に疑いの目を彼に向けた。

 

『あるぞ。まあコレは対人戦に限る技でモンスターには通用しない場合もあるけど』

 

それでも必勝の剣技と言われれば興味を惹かれないはずがない。二人は是非教えて欲しいと嘆願した。

といっても、口で言っても説得力はないだろう。稽古中だったリヴィエールは訓練用の木剣を持ち、鋒を上げた。

 

『百聞は一見にしかず。東方の格言だ。その通りだと俺も思うからずっと実践している。お前も体感しているよな?』

 

アイズとソウシ。剣技を習った日は全く違うが、教え方はほぼ同じだった。既に身につけている技を実際に体験させ、見て真似て学んで自身のものにする。そうでなければいざという時、身につけた技術はその力を発揮してくれない。

 

『見せてやる。かかって来い。一度で覚えろよ』

 

弟子が木剣を取り、師に斬りかかる。その速度、威力、共に並ではない。常人であれば反応すら出来ず頭を割られただろう。しかし、その刹那の瞬間に二人は信じられないものを見てしまう。

 

間合いの中に無造作に侵入してきたリヴィエールは繰り出した一撃に対して同様に木剣を振る。その剣尖は明らかに防御の動きはしていなかった。明らかに攻撃のための一撃。にも関わらず木剣はぶつかり合う。ならば武器ごと破壊するための斬撃だったかと言われればそれも違う。明らかに剛の技ではなく柔の技。威力より正確性を重視したものだと【剣姫】と【天剣】は手応えから理解した。

 

えっ。と思った時にはもう遅い。攻撃の軌道が自分の意思とはかけ離れ、身体が流れる。同時に腹部に衝撃が奔った。

交錯が終わる時、弟子は地に膝をつき、殴打された腹部を押さえる。コレが真剣であったなら明らかに致命傷。しかも明らかに手加減された一撃だった。勝負あり。文句なしの敗北だ。

 

『な?理屈は簡単だろ?』

 

黒髪の少年が木剣を軽く掲げ、肩を竦める。その言葉の意味を敗北を喫した二人の剣士は正しく理解していた。先の一撃、師が行ったことは至極単純。特別な事はたった一つ。それをワンアクションでやってのけたという事だった。

 

『受けと攻めをほぼ同時に行うというのは、ある程度手練れであればやってのけるだろう。でもそれはあくまでほぼであり、完全じゃない。普通に守ると攻めるをやるんじゃどうしても2アクションが必要になるからな。だが、ほぼじゃ必勝の一閃には程遠い』

 

取り落とした木剣を拾い、自身が手にした剣と重ねる。

 

『敵の攻撃を受け止めるためでなく、逸らすために振る。剣先を静かに添わし、剣全体で敵の攻撃軌道をずらし、そのまま相手を斬る。攻め終わりはどんな達人にも隙ができるからな』

 

木剣を打ち合わせ、先ほど行ったことを今度はゆっくり見せる。こんなことをしなくてもこの二人であれば見えていただろうが、この方が説明しやすい。

 

『前に出て、敵を己の間合いに収め、向かってくる攻撃をかわし、最後に急所を斬る。コレをワンアクションで行えば、必ず勝つ』

 

思わず二人とも息を呑んだ。たしかに今、彼が言ったことを完璧に行えば、それは必勝と呼んでいいのかもしれない。少なくとも、自分は成すすべなくやられてしまったのだから。

 

しかし……

 

『その様子からするとわかったみたいだな。そう、この技には必勝に見合う凄まじい危険が伴う。敵の間合いの内でコレをしくじればまず死ぬと思っていい。そして完璧に決まったとしても必ず勝つと言える技でもない。この世に100と0はないからな。これはあくまで限りなく必勝に近づける剣技でしかない。俺すら実戦では試したことがない』

 

この技はコンマ数ミリのズレが命取りになる。おいそれと使うことはできない。まして実戦となれば木剣で行った時の数倍の精度を要する。

 

「完成形を思い描き、実行する技倆を持っていても、そのリスクの高さから、実戦での使用には至っていない絶技。俺もこの技は開発段階に過ぎない。使えるようになるまであと一年はかかるかな」

 

リヴィエールがこの絶技を実戦で使用したのは、レベル7になってからの事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レヴィス、侵入者だ」

 

赤光に照らされる不気味な大空洞。その片隅で顔を伏せていた赤髪の美女はその警告につられ、目を開く。

 

「モンスターか?」

「いや、冒険者だ」

 

立ち上がり、白骨の仮面の男の背後を歩く。目的地は肉壁に埋まった青白い水膜。月の表面を思わせるその水面には食人花と戦う冒険者の一団を写していた。

 

「中規模パーティ……全員なかなかの手練れのようだ」

「あ!!」

 

水膜の中に、長い白髪を赤い紐で総髪に纏めた美青年と金髪金眼の少女が現れる。その時、傍らから驚きの声が上がった。

 

先輩(マスター)っ」

「何?」

 

浅葱色の羽織を着た少女が喜色満面に飛び上がる。レヴィスも目の色が変わっていた。

 

「奴が言っていた先輩とは【剣聖】の事だったのか。知らなかったな」

「その【剣聖】が『オリヴィエ』だ。女は『アリア』」

「…………【剣姫】がアリア。信じられん」

「確かだ」

「あら、あの子、もうこんな所にまで来ちゃったの?予定より随分早いわね」

 

フワリと甘ったるい声が上空から降りてくる。羽が舞い降りるかのように現れたのは人の形をした魔物。紫がかった黒髪を腰まで伸ばし、蠱惑的な肢体は服と呼ぶにはあまりに薄い布で覆われている。細い首には小枝で編まれたトルクが飾られており、極彩色の魔石が鎖骨の中心に埋まっていた。

彼女の名はリャナンシー。古くは妖精だったが、今は魔物と呼ぶべき存在だ。

 

「何の用だ、半妖精」

「なんだはないでしょう?白ローブ達が騒ぎ出したから様子を見にきてあげたのに」

「リャナンシー、先輩(マスター)が来てくれました」

 

嬉しそうに女剣士がリャナンシーに擦り寄る。宥めるように半妖精は浅葱色を着た少女の髪を撫でた。

 

「ええ、会いに行きましょう。でも私が良いと言うまではダメよ」

「………わかりました」

「『アリア』とは私がやる。いいな」

「お好きに」

「お前は周りの連中を引き剥がせ」

 

返事を待たず、赤髪の女は大空洞から動き出す。この度の惨劇を演ずる役者達は粛々と集い始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

24階層食料庫付近。薄気味悪い肉壁に囲まれた通路の中で、中層レベルを超えた激しい戦闘が勃発していた。

 

「ルルネ!魔石はどこですか!?」

 

モンスターの体当たりを防ぎ、中衛が触手を弾き飛ばす。【ヘルメス・ファミリア】は食人花と一進一退の攻防を繰り広げていた。初見の相手に対し、攻めあぐねる中、アスフィが指示を出す。突如上から現れた食人花によって混乱した戦場でも、この水色髪の麗人は冷静だった。

 

「えっと、確か口の中!」

 

ルルネの答えに一度頷くと、ベルトのホルスターから小瓶を取り出し、投げる。的確に食人花の口腔に投擲されたそれは衝撃が発生すると同時に爆発した。

 

「バースト・オイル……また厄介なものを」

 

アスフィが投げた物の正体を知るリヴィエールは呆れと感心、両方の意味を込めて嘆息する。彼女が使ったのは都市外の資源を元に作られるという緋色の液体。その破壊力は中層クラスのモンスターをも屠る。携帯式の炸裂弾。

 

その高威力と扱いの難しさ。何より作れるのが彼女のみであることから、アスフィしか使えないアイテムだが……

 

───複数携帯出来る小瓶程度の大きさであの威力……ほぼ無詠唱魔法だな

 

呪文の発動すら必要としない速攻魔法。圧倒的な初速を持つ代わりに威力は大したことがないのが特徴。しかしアスフィのアイテムは速射性と威力を両立させていた。

 

食人花が標的とする魔導士達の防衛へと回りながら、リヴィエールはアスフィの観察を続けていた。やはり彼女は抜きん出ている。指揮能力のみで言えばフィンに匹敵するかもしれない。

 

───高度に熟達した技術は魔法と区別がつかない、と聞いたことがあるが……

 

アスフィの技術は魔法の領域にまで来ているのかもしれない。

 

「粗方片付きましたね」

「落ち着いて戦えばなんとかなるものだなぁ」

 

落ち着きを取り戻すヘルメス・ファミリアの傍らでリヴィエールは手に持つ剣の具合を確かめていた。刀身は仄かに蒼く輝き、海の漣を纏うかのように揺らめいている。

 

───あの堅い食人花を斬ってもほぼ手応えがなかった。それでいてあの斬れ味……

 

一流の剣客は対象を斬る時、相手に与えるダメージを常に想定している。この相手は真二つにする。この一撃は受ける。警告の意味を込めてかすり傷にする、など。まあ、アイズはこの手の匙加減が下手だが、人に剣を教えることもあったリヴィエールは自由自在だ。

 

しかし、そのリヴィエールがこの剣に関してはそれを手こずっていた。剣の斬れ味が良すぎて、想像以上のダメージを与えてしまっている。剣客が斬りたい時にのみ斬れるのが手にした剣を使いこなす条件なのだが。

 

───振れるには振れるが……まだ持て余しているな。

 

【剣聖】たるもの、一度試せば、だいたい学習する。二度と振ればほぼ盤石。カグツチすら使いこなすのに三度は必要なかった。しかし、このフラガラッハは食人花程の相手と硬度を持ってしても掌握したとは言い難い。それどころか、斬るほど斬れ味が増しているのではないかとすら感じた。

 

───流石はイルダーナハの神々の武具(ゴッズアイテム)という事にしておくか。

 

かつてルグの佩剣だったという神器。この探索中に必ず使いこなしてみせると決意すると同時に、一つの期待感が心中をもたげる。このフラガラッハなら……

 

「【剣聖】?聞いていますか?」

 

いつのまにか隣に来ていたアスフィが気遣うように声をかけてくる。

 

「聞いてるよ。新種に関しての情報だろ?」

「はい、貴方と【剣姫】はアレに関して詳しそうなので」

「詳しいって言っても二度…いや、今回含めりゃ三回か。戦った程度のモンだがな」

 

それでも把握できていることはある。打撃にはめっぽう強いが、斬撃には大したことない。魔力に過敏に反応する。

 

「……あと共食いの習性を持つ可能性あり、こんなところか」

 

最後のは言うべきか少し迷ったが、一応伝えておく。強化種である可能性は捨てきれなかった。

 

「『魔石』の味を覚えてしまった種であるかもしれない、と?」

「少なくとも突発的な戦闘によるパターンではない、と俺は考える」

 

たとえ見た目が違っても、モンスター同士で戦うということは基本的にない。しかし稀に、モンスターがモンスターを襲うケースにこの2パターンが存在する。

冒険者達がステイタスを更新して強くなるように、モンスターは魔石を喰らい、能力を飛躍的に上昇させる。その全能感に酔った怪物は魔石を喰らい続ける事がある。それが『強化種』、有名なので言えば『血塗れのトロール』。上級冒険者を50以上殺した化け物。

 

「まあ、アレは流石に特例だが、五つ以上喰えば確実に変化するというデータはある」

「そうであれば先ほどの連中の強さに差があったのも頷けますね」

「…………冗談じゃないぞ」

 

変な不安を与えるのも面倒なのでコレは言わないが、戦った感じ、怪物祭やリヴィラでやった連中の方が強かった。個体差程度の差ではない。もしあの連中が群れで来ていたら、ヘルメス・ファミリアに犠牲者が出ていただろう。

 

恐らくあの時の連中はテイムされたもので、レヴィスが魔石を喰わせ、準備を整えていた可能性が高い。今回は恐らくその前段階。極彩色の魔石連中は天然ではないという予想が正しければ、自分たちと異なる天然の魔石モンスターを襲うというのもわからなくはない。

 

───恐らく、この先にいる。

 

極彩色組を生み出している源泉。もしくは赤髪の調教師、レヴィス。そのどちらか。あるいは両方が。

 

「また分かれ道、ですか」

 

考え事をしながら歩いていると、上下に分かれた洞窟へと辿り着いていた。

 

「次から次へと……まるで迷路ですね」

「かといって後戻りもできないしなぁ」

 

自分たちが歩いてきた跡を見る。魔法で焼いてこじ開けた入口はひとりでに盛り上がり、完全に塞がってしまった。今はルルネが地図を作りながら少しずつ進んでいる。即興で書いているため、流石にギルドが作成したマップと比べれば簡素だが、頭の中で常に地図を書いていなければ不可能な精度だ。訓練してもリヴィエールでは出来ないかもしれない。自分はもちろん、かの【剣聖】が人物と認めた冒険者達にも、持ち合わせのない技術だったため、久々に素直に感心した。

 

「ちなみに【剣聖】。貴方は上か下かどちらへ進むべきだと思いますか?」

「……どっちか選べというなら下」

「根拠は?」

「ない。勘」

「わかりました。では上に行きましょう。なにせこっちは根拠があります。トラブルに溺愛されている貴方が上を選んだからです」

 

その意見に誰もが賛同し、上へと歩み始める。なんだろう、凄く納得いかない。俺だけ下に行ってやろうか。

 

「リヴィ、行かないの?」

「……行きますよ」

 

不思議そうに小首を傾げるアイズに苦笑で応え、先頭へと走った。

 

「…………げっ」

 

上へと進み始めたその時、夥しい数の食人花が現れる。慌てて下がり、下への道を見ると、花頭達が既に洞窟を埋め尽くしていた。

 

「両方かよ」

「惜しい、三方だ」

 

いつのまにか背後からも毒々しい牙達が現れていた。しかも背後からの方が明らかに数が多い。

 

───背後の警戒は解いていなかった。間違いない。コイツら、偶然でなく急に現れた。

 

「ウルス、背後は任せても?」

「オーライ。アイズは──」

「リヴィをフォローする」

 

そっちを手伝ってやれ、と言おうとしたが、遮られる。アスフィに視線を向けると、頷いてみせた。リスク回避が身上の彼女としては退路の確保は確実にしておきたい。この二人なら援護に駆けつけるのもそうかかるまいと判断したのだ。

 

「では!!」

 

号令が掛かると同時に全員が飛び出す。リヴィとアイズの剣はほぼ同時に食人花の首を刎ね飛ばした。

 

ゾクリ

 

背筋に嫌な感覚が奔る。進行方向に身を転がす。翡翠色の瞳は天井から巨大な柱が落下してくる瞬間を捉えた。

 

「───っ!?」

 

リヴィエールに数瞬遅れてアイズが緊急回避を取る。既に姿勢を整えていたリヴィエールは地面を蹴りつけ、次々に降り注ぐ巨大な緑の柱から危なげなく距離を取った。

 

「………やられた」

 

現場を確認したリヴィエールは一言、呟く。素早い後転で避け切ったアイズが白髪の剣士の隣に着地したのはその時だった。

 

「───引き離された」

 

避け切ったとはいえ、通常のダンジョンではありえないトラップの存在への驚愕は二人とも冷めていなかった。けれど剣士の本能が考えるより先に身体を動かす。残りの食人花を【剣姫】と【剣聖】は秒殺した。

 

「そちらから出向いてくれるとはな。願ったりだ」

 

分断した緑柱の壁を突破するべく、リヴィエールが腰に剣を収める。それとほぼ同時に背中から声がかかった。その声に対して、二人とも驚きはない。来たか、とさえ思ったくらいだ。

 

「やっぱり、いた」

「また会ったな。『アリア』、『オリヴィエ』」

 

突き刺すような女の視線。金眼はしっかりと受け止め、翡翠色は苦笑を浮かべる。長大な通路の中で、三人は対峙した。

 

「いるとは思ってたが……ずいぶん剣呑だな」

 

纏う気配は殺気しか感じられない。獰猛でいて、ある意味真っ直ぐ。

 

「ヤル気満々は結構だが、なんで貴様はいつもそんなにイラついてんだ」

「さあな」

「このダンジョンはなに?貴方が作ったもの?」

「知る必要はない」

 

全く取りつく島もない。全てバッサリと切り捨ててくる。

 

「お前に会いたがっている奴がいる。来てもらうぞ、『アリア』……そして『オリヴィエ』」

「俺はオマケか」

 

あまりされたことがない扱いだ。新鮮で少し笑ってしまう。白髪のハイエルフは遠慮のない相手が嫌いではなかった。

 

「私は『アリア』じゃない。『アリア』は私のお母さん」

「世迷言を抜かすな。『アリア』に子がいるはずがない。それにお前が本人であるかないかなど、どうでもいいことだ」

 

───本人であるかないかがどうでもいい?

 

レヴィスが現れて初めて、リヴィエールに不快な感情が湧き上がる。本人であるかどうかは通常、重要なファクターだ。たとえ同じ性格、同じ姿形をしていたとしても、本人と別人とでは天と地の差がある。

 

───俺を『オリヴィエ』と呼ぶのは、てっきり神巫が襲名制だからだと思っていたんだが……違うのか?

 

「『アリア』ってのはお前にとってなんなんだ?」

 

無駄とわかっていても質問を重ねる。そして予想が外れる。無駄ではなかった。

 

「名を知っているだけだ。何度もせっつかれ、うざったらしい声に従って探していればお前達に会った」

 

───誰かに頼まれたってことか?それなら先の『どうでもいい』の説明も出来なくはないか

 

誰かに従うタマには到底見えないが、その誰かが『アリア』を探しており、アイズをソレと認めたなら、一応の筋は通る…………違和感は消えないが。

 

要らないことを言った自覚があるのか。不快そうに眉を歪める。『話は終わりだ』と言わんばかりに女は肉壁に手を突き刺した。

 

前屈みになり、露わになった豊かな胸の谷間が揺れる。赤い液体とともに長い棒状の何かが引き抜かれた。

 

───長剣……天然武器(ネイチャー・ウエポン)か?怪物らしいといえばらしいが……

 

不気味な外見のそれは目のようなものがいくつも埋め込まれている。片刃の剣だが斬れ味の程は見ただけでは分からなかった。

 

「リヴィ、手を出さないで」

 

臨戦態勢となった強敵を前に、二人も意識を切り替える。一歩前に出ようとした白髪の剣士を、凛とした声が止めた。

 

「…………フン」

 

鞘から手を外す。剣の鯉口を閉じると腕を組み、壁に背を預けた。

 

「…………どういうつもりだ」

 

今度はレヴィスから質問が出される。アイズとリヴィエール両方に向けてのものだった。『オリヴィエ』の手を借りないつもりか、と問い詰めたのだ。その気持ちもわかる。つい先日、アイズはこの強敵相手に敗北している。リャナンシーと戦いながらも【アリア】を庇ったお優しい【オリヴィエ】様なら当然加勢に入ると思っていたのだろう。

 

質問にアイズもリヴィエールも答えなかった。白髪の剣士は強い瞳でアイズを見つめ、青年の弟子は己の愛剣に全神経を集中させていた。

 

「…………まあいい。行くぞ」

 

言い終わるか終わらないかのうちにレヴィスの姿が搔き消える。空気が悲鳴をあげるかのような音響のみが洞窟に響き渡った。

 

無数の剣尖が繰り出され、激しく打ち合う。前回と同じく、レヴィスは純粋な剣技と凄まじい威力の拳蹴を織り交ぜた戦術を取っていた。この烈火の如き攻めに以前のアイズなら押され気味になっていた。

 

しかし……

 

「…………?」

 

剣戟の中で赤髪の女が怪訝な表情を浮かべる。今の彼女はレヴィスの全てに対応して見せていた。

 

「なっ!?」

 

驚愕。明らかに速くなった。なんとかガードが間に合うが……

 

───不十分。今のアイズのパワーなら。

 

剣聖が予想した通り、レヴィスが弾き飛ばされる。渾身の袈裟懸けに耐えきれず、壁に叩きつけられた。

 

「ステイタスを昇華させたのか」

「並びたい人がいた。それだけ」

 

舌打ちする。レヴィスは即座に現実を受け入れていた。

 

「…………なぁ、リャナンシー。後で絶対戦ってやるから、少し後にしてくれないか?」

 

二人の戦いを何一つ見逃すことなく観察していたリヴィエールは視線を外さないまま、問いかける。その声に応えるように、闇の奥から黒髪の美女が姿を見せた。

 

リャナンシー。古くは妖精。今は魔物と呼ばれる美女。首元にはトルクが飾られ、豊かな胸の谷間の中心には魔石が輝いている。

 

「あの子を見たい?」

「ああ」

 

24階層の雑魚戦では相手が弱すぎてアイズの底を見切るには至らなかった。弟子の成長を知るためにも、今後のためにも、もう少し見たい。その相手として、以前のアイズが敗北を喫した強敵であるレヴィスは最適だった。

 

「あの怪人もどき。踏み台になっちゃったみたいねぇ」

「ああ見えて負けず嫌いなんだよ。アイツも」

 

リヴィエールに釣られてか、戦う気がないと感じ取ったからか。リャナンシーも観戦の態勢に入る。常人では目に写すことすら不可能な攻防を彼女も見切っていた。

 

───ステイタスの差は感じ取ったはず。なら次に移す行動は……

 

大上段に禍々しい長剣を構える。明らかな攻撃の構え。防御を全く考えていないことが姿勢から容易に読み取れた。

 

「まあそうだろうな。長引けば長引くほど実力差は顕著に出る。一気にカタをつけようとするレヴィスの戦術は正しい」

「貴方と同じねぇ」

 

忍び笑いが耳朶を打つ。否定することはできなかった。かつてリャナンシーと戦った時、全てにおいて劣っていると認識した幼き日のリヴィエールも防御を捨てる戦法を取った。

ましてレヴィスの強靭さは常軌を逸している。アイズの剣でも多少食らっても構わないと本気で考えているはずだ。ダメージを省みるタチとも思えない。アイズや自分と同じタイプだ。

 

「二、三撃はくれてやる」

 

突進。捨て身だ。ケツまくって逃げるなら対処法もあるが、『負けず嫌い(アイズ)』のリベンジにそれはありえない。回避、防御共に不可能。渾身の一撃。

 

対処法はある。一つはこちらから先に叩き込むこと。リヴィエールならこの戦術をとっただろう。たしかにレヴィスの渾身は凄まじい速さを誇るが、リヴィエールは『居合斬り』を身につけてから剣速において劣った経験はなかった。渾身だろうと捨て身だろうと当たらなければどうということはない。万が一、剣速が互角、もしくは負けていたとしても、剣ごと斬りふせる自信がリヴィエールにはあった。

リャナンシーであれば魔法を使ったはずだ。エアリアルを使えば回避も迎撃も不可能ではなくなる。

 

───先に叩き込む

───魔法で迎え撃つ

 

オラリオ屈指といっていい実力者二人が出した結論。外れることはまずないと言っていい。

しかし、世の中に0と100はない。アイズは二人が思いもしなかった行動に出た。

 

『動かない?』

 

迫り来る剣閃に対し、動く様子がない事をレヴィス含めた三人は佇まいから気づく。

 

───まさか……

 

蜂蜜色の髪の剣士の意図を察したのは彼女の師のみであった。

 

ソッと細剣を突き出す。禍々しい長剣に白銀に輝くデスペレートが添えられ、刀身が天然武器の側面を這った。剣全体で軌道をわずかにズラし、自身の身体から引き離していく。

 

───俺があの時教えた!

 

外れていくレヴィスの剣に対し、銀の剣尖は的確に絶対急所、左目へと向かっている。このままなら間違いなく目を破り、脳を突き抜くだろう。硬い敵に遭遇したことは幾度となくあるが、目が斬れなかった敵に出会ったことは一度としてない。一撃で命まで確実に持っていく。

 

地面が砕け散り、閃光が突き抜ける。交錯が終わり、決着かとリャナンシーは見たが、リヴィエールだけは惜しい、と呟いていた。煙が晴れた時、二人は剣を振り抜いた状態で停止していた。アイズは当然無傷。レヴィスも目元に赤い線が走ったのみ。

 

「外れた?」

「いや、完璧に決まっていたよ。が、狙いが少し良くなかった」

 

剣尖は目、というか頭を目指して走っていた。狙う側としては的が小さい上に訓練を積んだ戦士であれば反射的に最小限の動きで回避できてしまう。なにせ首を傾けるだけでいいのだから。

 

───目じゃなく喉……いや、せめて額を突いていたら

 

終わっていた可能性は限りなく高かった。

 

「人の成長は、階段だ」

 

レベル5として、限界を迎え、壁に激突していたアイズ・ヴァレンシュタイン。

伸び悩みながらも努力をあきらめず、戦い続けていた中で、【精霊】は【神巫】と再会した。彼女に取って目指すべき高みは彼女の記憶より遥かに強くなって舞い戻った。

蒼然とした闇夜の下、叩きつけられた敗北感がその高みへと駆り立て、心の奥に秘めていた負けず嫌いが爆発した。全てのパーツがうまく噛み合わさり、【剣姫】は壁を超えた。

 

───エアリアルを見てないから断言はできないが、総合的な戦闘力で言えば、恐らくまだ俺の方が上。

 

だが剣技、特に繊細さを必要とする技術に関して、【剣姫】は【剣聖】に並んだかもしれない。

予感はあった。きっかけ一つで化けるかもしれないと思っていた。しかしここまでとは……

 

「………貴方以外の人間に、感じたのは初めてかも」

 

リャナンシーが何を感じたのか、リヴィエールにはわかった。

凡人が不断の努力で積み重ね、人生をかけてすら、たどり着けないかもしれない領域に、きっかけ一つ。閃き一発で容易に追い越していく。

彼自身、そう呼ばれる事は何度かあったが、自分がそうであるかはわからない。

だが、断言できる。この形容を使うのはリヴィエールにとって二人目。

 

「リヴィエール」

 

腕組みを解く。そろそろリャナンシーの我慢も限界だろう。もう少しだけ、と言ったのは自分だ。そして彼女はそれを守った。それを裏切るのは王族の血が許さない。

剣に手を掛ける。すると予想外な事に、リャナンシーは槍を構えなかった。ヒラヒラと手を振り、戦意がないことを動作で伝える。

 

「勘違いしないで。私はただの案内人。実行するのはいつだって私の領分じゃないのよ」

 

身を引く。戦闘音で気づかなかった。もう一人が暗闇の奥から現れる。薄赤い光の下でその姿が露わになった。

 

「………」

 

戦士の本能として、感情を外に出すことはしない。しかし、心中はこれ以上なく強く動揺する。新手は知人だった。かつてのクエストで闇派閥に潜入していた時、パートナーだった冒険者。

淡い桜色の髪に、少しハイカラな和装は追い剥ぎにでもあったかのようにボロボロになっている。体格は小柄で、華奢な雰囲気さえ感じる、美しいというよりは可愛らしいという形容が似合う少女剣士。

 

「ソウ」

「ご無沙汰しておりました。先輩(マスター)

 

リヴィエールがかつて天才と感じた二人の弟子の一人が、過去から現れた。

 

 

 

 

 




後書きです。新生活が始まりましたね。皆さまおめでとうございます。色々大変だと思います。拙作を息抜きに使っていただければ幸いです。


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Myth46 被害者を増やさないで!

 

 

 

 

 

 

私は、才能というものが何なのかわからなかった。

コンドウさんは私に剣の才能があると言ってくれた。教えてくれた事は大概すぐにできるようになった。けれどそれは自分にとっては当たり前のことだった。あんなもの見て、真似れば形にはなる。出来ない方が不思議だった。こんなものが才能とは私には到底思えなかった。

 

コンドウさんにも一度聞いたことがある。才能とは何なのか。あの好々爺の答えは───

 

『好きに勝る才能はねえさ』

 

だった。たしかにそれも一理あるかもしれない。何に取り組むにしても、そこに愛が無ければ上達はないだろう。けれどそれを真理と思う事はどうしても出来なかった。だって、剣が好きでも全く上達しない人種も、確かに存在していたから。

 

才能に関して、答えは出ないまま、天才女剣士『ソウシ・サクラ』は歳を重ねる。片田舎からオラリオへと進出し、コンドウさんに付き従って冒険者となり、腕を磨いていく。天賦の才を持つ剣士として、【天剣】などと呼ばれるようにもなった。しかし、いくら天才と呼ばれても、二つ名がつけられようとも、才能の正体はわからなかった。大体、斬り合いなんて気合いが全てだ。気魂で負けてしまえばいくら技術が高かろうが、スペックが高かろうが意味はない、と本気で思っている。

 

「新しい組織?」

 

そんなある日、ならず者ばかりの闇派閥はぐれ冒険者を纏める為に新しい武闘派組織を結成する事をコンドウさんから聞く。そして幹部補佐を務めるように指示された。

 

「ああ、まだガキンチョらしいが、冒険者歴はお前より長い。ワシも少し話したが、頭もキレるし、剣才は下手をすればお前以上かもしれん。お前はもうワシなどより遥かに強い。ワシがお前に教える事はもう何一つないが、あの少年ならば……」

 

答えを持っているかもしれない。そう期待する。

 

そして少女は運命と出会う。

 

彼は本当にまだ子供だった。自分も世間一般からは子供と言われる年齢だが、彼はそんなレベルではない。歳は恐らく二桁を超えたかどうか。間違いなく10代前半。砂色のローブに暗色系の和装。艶やかな黒髪が背中まで伸びている。容貌は凄まじく整っており、その美しさゆえに性差が乏しい。少女だと言われればソウシは信じただろう。

 

───若いとは聞いてしましたが、ここまでとは……

 

初めて彼に出会った時、ソウシは驚いた。こんな可愛らしい少年が本当にコンドウさんが言うほど強いのか。噂に尾鰭がつくと言う事例はいくらでもある。

そしてソウシは更に驚いた。真実は噂を遥かに凌駕していたのだ。

 

『剣の究極は刀を己の体の一部とする事じゃ』

 

コンドウの教えだ。故にソウシはひたすら素振りを叩き込まれた。柄が手に吸いつくようになるまで。剣を己の一部と思えるようになるまで。剣とは素振りに極意があると今でも思っている。

 

しかし、今、更なる至高の境地をソウシは見た。少年が振るう剣。それは自身の一部どころか、身体全体を一振りの刀としたかのような。

今まで強いと思った剣士は何人かいたが、これほど研がれた刃を持ち、澄んだ剣気を放ち、真っ直ぐな瞳をした、剣身一体という言葉が似合う者はただ一人として存在しなかった。

 

才能とは一体何なのか。剣才を持って生まれたソウシには分からなかった。

しかし、白桃髪の少女はこの時、確かな答えを見た。コンドウは好きに勝る才能はないと言ったが、それだけでは足りない。好きなだけで一向に上達しないという人種をソウシは何人も見てきた。剣に愛されるだけでも足りない。それでは精々、【天剣(自分)】止まりだろう。あの領域にはとても辿り着けない。

華奢と呼ばれる自分よりも遥かに小さな少年に本気で憧れた。

剣を愛し、剣に愛される、本物の天才に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ソウ……!」

 

暗闇の中から現れた少女を見て、長い白髪を真紅の組紐で束ねた青年は彼女の名を呟く。いや、正式には愛称だ。呼ばれた少女は嬉しそうに微笑み、一度礼をする。

 

「ご無沙汰しておりました。先輩(マスター)。随分と成長されましたね。最期に会った時は私より華奢だったのに」

「……それなりに年月は経ったからな。ふつうに食って寝てればデカくもなる。お前は変わらないようだがな」

 

かつてのパートナーは記憶の中の姿とまるで同じだった。変わったことといえば、浅葱色の服が随分とボロボロになっていることくらい。

 

「流石ですね」

 

心からの賞賛がソウシから贈られる。何について褒められたのか、リヴィエールの明晰な頭脳を持ってしてもわからなかった疑問は続く言葉で解消される。

 

「私がこうしている事に全く動揺を見せていない」

「死んだはずの人間が生きていた、なんて事、あの時代でとっくに慣れている」

「はは、それは確かに」

 

───まあ、自らの手で斬った相手が生きていた、というのは初体験だが。

 

当たり前だが、リヴィエールも清廉潔白な冒険者というわけではない。自分の手を血で汚した経験は幾度となくある。意外と甘い 【剣聖】は、戦えなくなったものにトドメを刺さずに終わらせたという事もいくらかあった。しかし、誰を生かし、誰を死なせたかはしっかりと把握している。ソウシは後者に当たる。現状は彼を動揺させても何らおかしくない状況だ。

 

「俺を恨んでいるか?」

 

問いかけたかつての師の言葉に対し、弟子はゆっくりと首を横に振る。

 

「死合に至った経緯はともかく、勝負自体は尋常でした。立ち合いの結果に感情を持ち込むのは恥である、と考えています」

「…………」

「貴方とこの場で死合わない理由にはなりませんが」

 

ソウシが腰の刀を抜き放つ。薄暗い中で妖しく輝く刀の名は乞食清光。ソウシの昔からの愛刀だ。

 

───よく直せたな

 

あの惨殺事件の死闘で傷つき、リヴィエール自身が折った刀だ。刀の先端部分……日本刀で言うところの帽子を切り飛ばした。修復は難しい筈だった。恐らく時折潜ってくるハイ・スミスでも拉致ったのだろう。構えはあの頃と変わらず、平青眼。

 

「…………お前とはあまり戦いたくないんだがな」

「お気持ちはお察ししますが、そんな寂しいこと言わないでくださいよ。貴方以外にこの猛りを鎮められる剣士はいません」

 

気が進まないのか、一応剣に手を掛けはしたが、抜かないリヴィエール。その態度を見たソウシは明らかに殺気を立ち上らせた。

 

「先輩、私を満足させてください。さもなくば、私は周りにいる木偶から斬ってしまいそうです」

「…………それは困るな」

 

アイズか、それともヘルメス・ファミリアの連中か。どっちでも困る。戦いはどうやら避けられないらしいと察したリヴィエールは、反り浅く、細身の刀身の片手剣を抜く。まるで海の漣が纏われたかのように薄青く輝く剣の銘はフラガラッハ。かつてのルグの佩剣であり、彼女の神友であったヘファイストスから譲り受けた宝剣だ。

 

「行きますよ」

 

言い終わると同時にソウシの姿が搔き消えた。甲高い金属音が洞窟の中で高らかに響き渡る。二つの剣が撃ち合った傍らで、この戦いを先導した半妖精、リャナンシーは妖艶な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

───始まった……

 

赤髪の調教師を牽制しつつ、蜂蜜色の髪の剣士は傍らで口火を切られた戦いを思う。影の奥から新手が現れた事に【剣聖】の一番弟子、アイズ・ヴァレンシュタインは気づいていた。

 

───相手の女剣士、強い。なんとかリヴィのフォローに回りたいけど……

 

長剣を構え直す女を見やる。戦局はアイズが優勢に進めていたが、一瞬足りとも気は抜けない。この手練れ相手ではワンミスが致命傷になるだろう。放たれる威圧感は増すばかりだった。

 

静かに機先を伺う両者だったが、おもむろに赤髪の女が口を開いた。

 

「使わないのか?」

 

何を?とは問わない。わかっている。

 

「必要ない」

 

アイズははっきりと告げた。『(エアリアル)』は使わない。先の戦いでこの強敵から得た教訓。培った技術のみであれほどの強さを得られるならば自分も例外ではないはず。

長く共にあったお陰で、無意識のうちに魔法に頼り過ぎていたと自省したアイズは、今一度原点に立ち返る事で更なる高みを目指した。

全てはもっとずっと先の目的のため。遥か遠い最愛の剣士の背中にたどり着くために、必要不可欠な行程。

 

これはレヴィスを強者と認めているからこその決意。それは間違いなく真実だ。しかし、真実とはいつも一つではない。この決意にはもう一つの真実がある。

 

 

貴方など通過点

 

 

剣は対話なり。口下手なアイズや捻くれ者のリヴィエールはそれがさらに顕著だ。本人より余程雄弁に自身の心情を語ってくれる。今のアイズの剣は、レヴィスに対し、お前など眼中にないと高らかに宣言していた。

そしてこの赤髪の調教師はその程度が聞き取れぬほど、鈍な使い手ではない。

 

「舐めるな」

 

傲岸不遜でありながら、表情は常に冷徹だったレヴィスの荒々しい美貌が、かつてない屈辱に晒され、初めて憤怒で歪んだ。

 

地を蹴り砕いたレヴィスは弾丸となってアイズに迫る。蜂蜜色の髪の少女も剣を振り上げ、疾駆する。

風となって駆ける中、銀と紅の剣が交差する刹那の時で、アイズは思う。愛しい剣士を。

 

───今度は私の番だ

 

ウダイオスと戦った時、リヴィエールは見届けてくれた。力尽くで止められてもおかしくないあの状況で、自分を信じてくれた。ならば今度は私が彼を信じる番だ。

 

───リヴィはどんな相手にだって負けない。私の今の役目はリヴィを心配することじゃない

 

目の前の強敵を倒す事。それこそが彼を守る事に繋がると信じる。

 

「勝って、リヴィ」

 

その呟きは激突した金属音で掻き消された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

役者たちが揃い、演目を立ち回り始める中、これらの上演を比喩表現抜きで遥か高みから見物している者がいた。鏡の中には二人の剣士が映し出され、目にも留まらぬ速さで剣戟を交わしている。その動きを完全に見切る事は彼女には出来ないが、それでも魂を見る事は出来る。闇の中で淡く輝く美の女神はホゥと恍惚の息を吐いた。

 

「煌めく才能のぶつかり合い……ああ、なんて美しいのかしら」

 

鏡の中に映し出されているのは【剣聖】と【天剣】。かつて命をかけて戦った二人の天才。まさに6年前の再現と言いたいところだが、実際はまるで異なる。二人の剣はあの頃とは比べ物にならないほど進化している。冒険者であるリヴィエールはともかく、ソウシはどうやって実力を上げたのか、フレイヤには少し不思議だったがそんな事はこの美しさの前では瑣末な事だった。

しかし……

 

「こんなものじゃあないわよね」

 

彼の闇はこんなに浅くない。彼の黒はこんなに淡くない。それは先日のリャナンシーとの戦いで証明されている。恐らく、彼の底を引き出すのに、この白桃色の髪の少女は足りないのだろう。

 

「ほら、もっと頑張りなさい。【私の黒】の弟子を名乗るのならば」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───強くなったな……

 

手に伝わる痺れとともに思う。パワーが格段に上がっている事や異様なほどタフになった事ではない。ソウは典型的な速度特化の剣士だ。人を殺すに力などいらない。骨まで断つ必要はなく、急所さえ切ってしまえばいい。そのような信念のもと、磨かれた殺人剣が【天剣】ソウシ・サクラの剣だ。この二つの向上は恐らくロクでもない力によるものだろう。死んだと思っていた彼女が生きていた理由に関係あるのかもしれない。なんであれ、彼女の信念に背くパワーアップだ。そんなものがいくら上がろうと、リヴィエールはソウシの剣に恐れは感じない。

強くなったと感じる理由はたった一つ。一太刀のキレが凄まじく向上している事だった。

 

もともと速さとキレに関して、ソウシはリヴィエール史上最強クラスだった。それがまだ上があったかと感じるほど鋭くなっている。単純なスペックアップではこうはならない。

恐らく、気が遠くなるほどの時間を剣の素振りに費やしたのだ。

剣の極意は素振りにあるというソウシの言葉はリヴィエールも概ね同意している。剣の一つの究極は刀を身体の一部とすること。その境地にたどり着くための唯一の方法が素振りなのだから。

 

最期の戦いから、6年。たった一人で薄暗いダンジョンの中で型を反復し、技を磨いた。孤独の中、目に見えにくい向上の鍛錬がどれほど苦行か、リヴィエールは誰よりもよく知っている。

 

───このキレに加えて、スキルも健在。元々対人戦において真価を発揮するタイプだったが……

 

そのコンボの凶悪さに舌を巻く。

先程から瞬間移動をしているかのような爆発的な加速を何度も体験していた。ソウシのスキル『縮地』。歩行術の一つで相手の死角に入り込みつつ、瞬時に間合いを詰める体捌き。それだけでも充分に厄介だが、ソウシの縮地にはスキルの恩恵による爆発的な加速がある。体感では本当に間合いが縮まったかのような、瞬間移動の如き錯覚を引き起こす。並の使い手なら何が起きたのかも分からず殺されているだろう。

無論、並ならだが。

 

「遅いよ、ソウ」

 

間合いを詰めるソウシに突進し、彼女の打ち込みを柄で弾く。態勢を崩しつつも、縮地で間合いから逃れようとしたが、リヴィエールの踏み込みの方が早い。ほぼ同時に放たれたように見えた上段斬りと返し斬りがソウシの胸元を切り裂いた。

 

「…………硬いな」

 

半身になってフラガラッハを構え、間合いを図る。リヴィエールの刃はほんの僅かにしか食い込んでいなかった。この手応えは覚えがある。リヴィエールがネメアーの獅子と評したあの頑強なレヴィスの肌と同じだ。

 

「流石ですね。『縮地』の一歩目とはいえ、私よりも速いなんて、やっぱり先輩は素晴らしいです」

「俺もスピードにはそれなりに自信がある…ん………え、一歩目?」

「では今度は縮地の二歩目。行きます」

 

信じがたい事実はドンっと足音が鳴った瞬間、証明される。目にも映らぬ速度領域の中、二人は剣を合わせた。

 

「凄い!二歩目にも付いてきますか!」

「おいおい、さっきのでまだ『音超え』でこれで『無間』かよ。嘘だろ、まだ早くなるのか?」

「もっともっと楽しませてください!先輩!」

 

超高速領域の中でも二人の剣は全く衰えない。剣尖は常に流動的に奔り、太刀筋は非常に流麗。まるで水のような剣捌きだった。

そしてそんな流麗な動きをぶち壊すかのような、唐突に繰り出されるこの技を、リヴィエールは誰よりもよく知っている。

剣を合わせるソウシの威圧感が格段に増す。気配が明らかに変わった。

 

「一歩音超え……二歩無間……三歩絶刀」

 

───来る

 

本気になったソウシの技は決まっている。唯一にして絶対の必殺技。初見殺しの殺人剣。

 

「無明――三段突き!」

 

それはまるで一突きに見紛うほどの高速の連突き。それも二段ではなく三段突き。これを躱せるものなど、オラリオ広しといえど、数える程しかいないだろう。

目の前のこの男はその数える程の一人なのだが。

 

「なっ!?」

「アマテラス」

 

三つの突きどれもを完璧に捌いてみせたリヴィエールはカウンターを叩き込む。今度はソウシの身体が大きく抉れる。黒炎を纏った剣から繰り出された一閃は白桃髪の女剣士を穿った。

 

───手応えは、あった

 

大技の後で生まれた、千載一遇の好機。フラガラッハにアマテラス纏わせた今の一撃は殺すつもりで放った。そんじょそこらのモンスターなら骨も残るまい。しかし……

 

「───やはりか」

 

砂煙の中で立ち上がった姿を見たリヴィエールは嘆息する。たしかに手応えはあったが、命を絶った感覚はなかった。

 

「…………俺も大概だが、お前も相当、人間をやめているな」

 

深く斬り裂かれた首筋がゆっくりと再生していく。魔法でも使っていなければありえない治癒力。しかし、ソウシに魔法の才能は乏しかったはず。これは恐らく、スキルに近い能力だろうとリヴィエールは推察する。魔物化(モンスター・フォーゼ)を行った時、自分にも似たような現象が起こるゆえの推測だった。

 

「…………まさか今の私の三段突きをこうもあっさり捌かれるなんて……先輩、最高です」

「幸運なことに、突きの名手と手を合わせる機会は多かったんでな」

 

技の八割が突きであるレイピアを武器とするアイズや神速の槍使い、フィンとの対戦経験がリヴィエールには豊富にあった。三段突きとは行かなくても、近い領域の技は何度も体感している。

 

「ソレに仮にもお前の師を務めたんだ。お前の技は全て知っている。たしかにあの頃よりキレは増してるし、早くもなってる。だがもうお前の底は見切った。俺を殺したければ初太刀でソレを出すべきだったな」

 

もうソウシの速さにもキレにも慣れた。この6年、ソウシが自身を鍛え上げたのは認めるし、強くなったのも認める。だが6年の月日をリヴィエールはダンジョンの最前線で戦い続けてきた。どちらの6年の方が密度が高いかは火を見るよりも明らかだろう。

 

「やはり、このままでは貴方には勝てないようですね」

「…………このまま?」

 

ソウシの言葉に疑問を抱いたその時、リヴィエールは漸く気づく。急速に修復された傷跡から『黒い塵のようなもの』が立ち昇っていることに。

 

まさか、と思った時にはもう遅い。羽織で隠れていた彼女の右腕が露わになる。その腕にはびっしりと神聖文字が刻まれており、何らかの呪術的な処理が施されている事に、リヴィエールは気づいた。

 

「やめっ」

 

剣だこ塗れの華奢な手を可愛らしい顔に翳す。同時に右腕の刺青から黒塵が吹き出した。

黒い炎がソウシを包み込んでいく。その光景を、リヴィエールは愕然と見つめることしか出来なかった。

ソウシの風貌が変化していく。真っ先に変わったのは髪だった。色素の薄い白桃色の髪が砂に近い麻色へと変貌し、腰よりも長く伸びる。次の変化は目。瞳が灰色に近い真鍮色へと変わっていく。そして黒炎は彼女の肌を褐色に染め上げた。そして和装がはだけ、露わになった胸元に極彩色の魔石が妖しい輝きを放った。

 

吹き荒れる黒煙がようやく収まる。炎の中で新たに生まれたのは麻色の髪を腰よりも長くまで伸ばし、黒の和装に赤の帯を纏う、胸元に魔石に酷似した何かを埋め込まれた真鍮色の瞳の剣士。

この変身の正体を、彼は知っている。

 

「───魔物化(モンスター・フォーゼ)

 

キッと上空を睨む。先程から自分達の戦いを文字通り高みの見物決め込んでるリャナンシーに向けて放った怒気と殺気だった。

 

「ソウに施したのか、俺と同じ呪いを!リャナンシー!」

「私、気に入った子にお願いされたら弱いのよ」

「外道がっ……」

「余所見をするな、先輩」

 

ほぼ反射的に出した剣に衝撃が走る。あまりの威力に、受け切れず大きく後ずさった。

 

「…………ソウ」

「さあ、第二幕だ。私と遊んでくれ、先輩」

 

次の刹那、彼女の姿が搔き消える。リヴィエールの胸元に赤い線が奔った。

 

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。ようやく更新できました。呪いの被害者はリヴィエール以外にもいたんですね。筆者もほんの数日前まで知らなかったです。ちなみに魔物化ソウシのイメージは勿論沖田総司オルタです。それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。


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Myth47 助けに来ないと言わないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………コレが」

 

目の前で起こった現象を見て、水色髪の美女は愕然とする。彼のアイディアに加え、自身が手を貸し、ついに実用段階に至った実験だった。成功率はそれなりに高いとも思っていた。そして二人で完成させた研究は成功した。だというのに、今、アスフィは研究の成功を強く後悔していた。

闇より暗い黒髪を背中まで伸ばし、漆黒が琥珀色の瞳を囲っている。額に極彩色の魔石が輝く魔人が炎の中から現れた。正真正銘ヒューマンである彼の姿が目に見えて変貌する衝撃は、想像以上に凄まじい。

しかし、それだけならここまで驚くことはなかっただろう。変身後、どうなるかはザッと彼から聞いていた。たしかに見ると聞くとではまるで違うが、実験の成功に喜びこそすれ、後悔はしない。

悔やんだのは実験が終わった後。変身後の身体能力や魔法の使用を確認した後、魔物化を解除すると同時に、リヴィエールは尋常でなく苦しみ始めたのだ。

 

「がっアァ……ァアアアっ!?」

「ウルス!しっかりしてください!ウルス!やめて!」

 

のたうち回る彼の肩を掴む。我を失っているからか、凄まじい力だった。手練れの冒険者であるアスフィがまるで子供のように振り回される。それでも彼女は彼の肩を強く掴み、背中から抱きしめていた。自分の身体を傷つけようとする彼を必死に止めていた。

 

1分を越えたくらいだろうか。ようやくリヴィエールの呻きが止まる。喉が裂け、血が吹く程叫び続け、苦しみ続けた彼はしばらく地面に横たわったまま、身動きをとることさえ出来なかった。

 

───信じられない。実験中ですら、一つのうめき声さえ上げなかったのに

 

落ち着いたリヴィエールを見て、水色髪の賢者は安堵すると同時に戦慄する。リヴィエールの呪いを研究するにあたり、彼の身体を徹底的に調べた。どのような呪術に掛けられたのか。対抗魔法はあるのか。ヒューマンでも呪術は使えるのかなどなど、あらゆる実験を彼の身体に行った。

そしてどんな研究であろうと、成功への道はトライアンドエラーの繰り返し以外にない。呪いに効かない施術どころか、逆効果をもたらす結果になってしまった事も両手の指では数え切れない。そしてその度に彼は身を裂くような激痛に苛まれていたはずだ。

しかし彼は弱音を吐くどころか、こ揺るぎすらしなかった。痛覚が麻痺しているのではないかと本気で心配したが、瞳孔は激しく動いていたため、痛覚はあるようだと安心する。それと同時にそのやせ我慢強さにアスフィは心中で感心と呆れの溜息をついたものだ。それなのに。

───これほどの男が臆面もなく……

 

「ウルス、この方法は──」

「ありがとう、アスフィ」

 

こちらが何かを言う前に、白髪が背中まで伸びた青年がアスフィの言葉を遮る。口元の血を拭うと、リヴィエールはいつもの毅然とした姿を取り戻していた。

 

「身体の澱みが薄くなった自覚がある。死ぬ程痛かったが、死ななかった。これは有益な情報だ。感謝する」

「ウルス……」

「強い身体が要る。そして魔法の研鑽も……俺はもっと強くなる必要がある」

「貴方……それ以上その力を使うのは……」

「それを決めるのは俺だ」

「命より重い物だと言うのですか!!」

 

リヴィエール…いや、ウルスはアスフィにとって、新たにできた信頼できる友だ。義に厚く、筋を通す侠客。そういう存在はこのオラリオにとって非常に貴重だということをこの賢者は誰よりよく知っている。

だからこそ失いたくない。命の価値は何より重く、そして平等であるべきだ。

 

「アスフィ」

 

激昂するアスフィとは対照的に、白髪の男はとても穏やかだった。彼女が何を考えているか、何を言いたいのか、とても良くわかったから。

 

「モノの価値というのは、人によって違う。お前にとって、命とは何より大切なんだろう。でも、俺は違うんだ」

「怖くは……ないのですか?」

「怖いさ」

「じゃあなぜ!!」

「もっと怖いモノがあるからだよ。俺には俺より大切なものがある。その為に死ぬなら、仕方ない」

 

完成した腕環を懐に入れ、立ち上がる。

 

「アスフィ。お前は怖くなったら俺を呼べよ。グチくらい聞いてやる。ヤバくなっても俺を呼べ。命を賭して助けに行ってやる」

 

満身創痍の身体をぶら下げ、呪いに身を侵されながらも、澄んだ翡翠色の瞳は目標を見据え、強い光を宿している。その眼を見てしまったアスフィに、言えることはもう何もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

胸元から鮮血が流れる。切創に手を当てながら、背中まで伸ばした白髪を紅い組紐で束ねた青年は怒りと悲しみが綯い交ぜになった目で眼前の少女を見つめた。

 

「ああ、そんな顔をしないでくださいマスター。これは私が望んだこと。リャナンシーは悪くない」

「…………お前」

「ああそれと、感傷に浸る暇もありませんよ」

 

言葉が終わるか終わらないかのうちにソウシ・サクラだった者の剣が眼前に迫った。

鈍い金属音が連続で鳴る。目にも留まらぬ、音さえ追いつかないのではないかと思わせる速さで剣戟が交わされ、止まる。衝撃が周囲に響き渡った時、二人の剣士は距離を取っていた。

 

「流石ですマスター。この状態の私の動きについてきますか」

「ソウ、悪い事は言わない。今すぐ魔物化(モンスター・フォーゼ)を解除しろ」

「マスターが私に斬られてくれれば今すぐ解きますよ。それが嫌なら私を殺して止めることですね」

「…………気づいてたか」

「私はあなたの弟子ですよ」

 

剣は対話なり。一流の剣士は一太刀合わせれば相手の剣に何が乗っているかがわかる。

リヴィエールの剣に戦意は乗っかっていたが、ソウシへの殺意は希薄だった。もし彼が容赦なく殺しにきていれば、先の三段突きを躱した時点で決着はついていただろう。

「───っ!?」

 

突きがリヴィエールの頬を掠める。単純な身体能力なら魔物化した【天剣】は【剣聖】を超えている。

 

「マスター、魔物化を。そのままでは私は殺せませんよ」

 

【剣聖】の弟子は師に自分と同じ土俵に上がれと言う。そしてそれこそがリャナンシーの見たいものだった。その為に彼女はソウシに呪いを施したと言って良い。

 

白髪の青年がふーっと大きく息を吐く。それは恐らく何かを諦めた嘆息だった。

 

───さあ、使いなさい。私の小さな恋人。その甘美な力を

 

「断る」

 

───は?

 

中空から眺めている半妖精とさらに高みから鏡ごしに見ている銀の女神の言葉が重なる。二人が良く知るリヴィエールとは完全に異なる行動だった。

 

「…………ソウ、正直に言う。俺は出来ることならお前を斬りたくはなかった。6年前も、そして今も」

 

出会った形はどうあれ、彼女は勤勉な可愛い弟子だった。剣士としても人間としても悪い印象はまるでなかった。親しい友と斬り合うなど、長く冒険者をやっていればない事ではないが、それでも気は進むものではない。

だがあの時は彼女達を斬る事がロキから依頼されたリヴィエールのクエストだった。だから割り切った。でも今は少し違う。アスフィからのクエストはあくまで護衛。含まれない。彼女と戦う事はともかく、斬り殺す事までは含まれない。

 

「だが、俺はお前の覚悟を見誤っていた。俺との戦いにこれほどの覚悟と代償を持って挑んでくるとは思わなかった」

 

リャナンシーのサポートがあったとはいえ、実戦で……しかもこの俺を相手にして使えるレベルに魔物化を制御するには、想像を絶する過酷さに耐えなければならなかったはずだ。俺が誰よりも良く知っている。

 

───こんな半端な覚悟でお前に対するのは失礼だな、ソウ

 

剣士として、そして弟子として認めるからこそ、殺したくなかった。しかしそれはソウシ・サクラを己より下に見ていることに他ならない。

 

「ソウシ。ここから先は殺る気でやる。だがそれは魔物などという俺ならざる者としてではない!冒険者【剣聖】リヴィエール・グローリアとしてだ!!」

 

認めるからこそ、俺の手で決着をつける。たとえその為に死んだとしても、構わない。リヴィエールにとって、プライドは命より重い物だった。

 

「…………貴方らしくないですね。そんな詭弁を使うとは。少し失望───っ!?」

 

閃光が奔る。この戦いが始まって以来、最も大きな金属音が鳴り響いた。

 

「アマテラス」

 

黒い炎が清光に絡みつく。縮地──いや、縮地を超えた縮地で回避するが、それは完全にリヴィエールに誘導されての行動だ。回避した先には白刃が待ち構えていた。

 

「失望しないですみそうか?」

 

ソウシの首元から鮮血が吹き出す。頸動脈……までは感覚的にいってないが、その近くまでは斬った。通常なら決着だが、魔物化しているソウシの再生力は凄まじい。衣服にベットリと付着した血の跡以外、見た目は元通りになっていた。

 

「──剣は対話なり、ですね」

 

今のリヴィエールの剣には、ソウシへの殺意がふんだんに乗っていた。

僅かに笑う。それは決別の笑みだった。ここから先は剣でしか語れない。

 

「行きます【黒狼】──いえ、【剣聖】リヴィエール・グローリア」

「来い【天剣】ソウシ・サクラ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、ああ……アァアああああ!!?」

 

【天剣】と【剣聖】の戦いが激化し始める一方、ヘルメス・ファミリア精鋭部隊は窮地へと追い込まれていた。苦戦の末、なんとか目的地【食料庫】へとたどり着いたアスフィ達はその異様に戦慄した。

そこにいたのは食料庫の大主柱に絡みつく巨大なモンスター。食人花と酷似した怪物が三体、赤水晶の柱に寄生している。そしてモンスターの触手からは新たな食人花が生み出されていた。恐らくアレが新種の巣穴なのだろう。ダンジョンから溢れる無限の養分をアレが吸い尽くすことでこの異様な肉壁のダンジョンを生み出すに至っている。コレで今回の事件の八割がたは解明された。

 

残りの二割は食料庫で待ち構えていた悪趣味な仮面の男と白ローブの一団。彼らは侵入者の存在に気づいており、彼らを視認すると同時に白刃を抜く。しかし【万能者】指揮のもと、動き始めた精鋭達の敵ではない。勢いの乗った数で勝る相手を見事な連携で圧倒した。

しかし、それが災いだった。制圧された白ローブの一団は死兵と化し、命を火種に爆炎と化す。混乱が戦場を支配し始める中、追い討ちをかけるかのように、食人花達が暴れ始める。戦線は完全に崩壊し、立て直すためにアスフィは飛行能力のある靴、ペルセウス数多の発明の中でも天外の能力故に秘匿されていた傑作マジックアイテム、飛翔靴(タラリア)を用いて仮面の男を仕留めに行った。

彼女は何一つ間違っていなかった。賢明なペルセウスは最善の行動を取っていた。唯一誤算があったとすれば、眼前の敵を人間として扱ってしまったということ。人ならざる筋繊維と剛力を持つ仮面の男に、短剣の刃は皮膚以上に食い込まなかったのだ。

 

「ガッ!?」

 

投げ飛ばされる。肺が押しつぶされながらも、戦闘態勢を整えたのは流石と言えるが、一手の遅れがダンジョンでは命取り。

 

骨兜の男に背後を取られたアスフィの腹からは剣が生えていた。

 

「アスフィっ!!」

「喚くな、この程度はすぐ治るはずだろう。騒ぐならコレぐらいはせねばな」

 

刃が腹部で回転するのがわかる。同時にさらに深くに刃が侵入したのも。かつてない灼熱の感覚にさしもの賢者も声にならない絶叫を上げた。

 

「あ、ああ……アァアああああ!!?」

 

助けに動いたヘルメス・ファミリア達も頭の指揮がなければ烏合の集。死兵達の自爆特攻に。無数の食人花達の猛威に、仮面の男の暴力に蹂躙されていく。

 

───た……すけて……

 

『アスフィ、ヤバくなったら俺を呼べ』

 

仲間達が倒れる中、水色髪の美女は脳裏に浮かぶ一人の男に救いを求めた。自分にとって仲間以外にできた恐らく唯一と言っていい友。面倒な男だが、不思議な魅力があり、何故か憎めない、悪友。

 

「助けて、ください……ウルス」

 

私は今ヤバイんです、だから助けに来てください

 

「私は……いいです。仲間、達を……」

 

仲間を失うのが怖いんです。だから側に来てください。貴方を頼らせてください。

 

「た、すけ……て──」

「助けは来ない」

 

命乞いと判断したのか、絶望を与えるためか、骨兜の男はアスフィの言葉に答えた。

 

「【剣聖】も【剣姫】も此処には来られない。仲間も、増援も、神も、誰もお前を助けない。縋るものを無くし、神に組した己の愚かさを呪うがいい」

 

背中から短剣を引き抜く。背中と腹から鮮血が噴き出した。同時に命も抜け落ちていく。

 

「そして死ね」

 

男のブーツがアスフィの頭部に置かれる。あと1秒あれば彼女の素晴らしい頭脳は踏み抜かれていたことだろう。しかし、その行動は中断される。

二つの爆音が大空洞に響いたからだった。一つは狼人を先頭に、壁を破壊しながら食料庫を目指していたパーティ。その中にはフードで顔を隠した、僅かに金色の髪が覗く二刀の剣士と褐色の肌に艶やかな黒髪を靡かせるアマゾネスもいた。

 

そしてもう一つは……

 

「絶剱・無窮三段!!」

 

黒の閃光が大空洞を横切る。なんの奇跡か、それともかの【剣聖】が約束を果たしたのか。ブラスターは仮面の男めがけて奔っていた。

 

「ぐっ」

 

骨兜が回避する。同時に白い影が空を飛んでいた。

 

「……あの野郎、何が『自分は剣士です。ビームなんか撃ちません』だ。思いっきり撃ってるじゃないか」

 

音もなく地面へと着地する。紅い組紐で束ねられた白髪が風に流され、優美に揺れる。

 

「あ!」

「見つけた!」

「うわ」

 

乱入者を見たローブの女とアマゾネスが声を上げ、白髪の若者が反応する。剣士の名はリヴィエール・グローリアと言った。

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。ようやく更新できました。励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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Myth48 とても辛いと言わないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食料庫を目指していたレフィーヤ達一行はリヴィエール達と同じように緑壁の門を破壊し、侵入を果たしている。変容した異様なダンジョンの姿を見た彼女らは尋ね人達への心配を強くした。

 

「急ぐよ」

「私に命令しないでください」

 

足早に駆けながらアマゾネスとフードを被った女が軽くぶつかる。何が気に入らないのか、この二人は此処に来るまでにしょっちゅう小さな諍いを繰り広げていた。

二人とも凄まじい手練れだ。アマゾネスの方はレフィーヤも知っている。【麗傑】の二つ名を持つイシュタル・ファミリアのエース。そして先日ブティックでリヴィエールと二人でいるのを見たのは記憶に新しい。あのリヴィエールに認められた存在なのだ。実力は折り紙つきだろう。

もう一人は知らない。というか、顔を隠しているのでわからない。だが、実力者であることは間違いない。動きは凄まじく速い。アイズに迫る……アイズ贔屓のレフィーヤすら、下手をすれば匹敵するのではと思わせるほどだ。しかも彼女は複数の食人花に対し、高速戦闘を行いながら長文詠唱を行うという離れ業をやってのけた。

レフィーヤが知る限り、並行詠唱の達人は二人……いや、三人いる。一人は師であるリヴェリア。もう一人は弟弟子のリヴィエール。そしてこの冒険でもう一人増えていた。それがフィルヴィス・シャリア。デュオニソスファミリアが今回の冒険に寄越した魔法剣士。自身を醜いと思い込み、そして自分は美しいと心から叫んだ同胞。

いずれも途轍もない使い手だ。自分など足元にも及ばない、強く、美しい者達。リヴィエールをその中に入れるのは業腹だが、認めないわけにはいかない。

しかし、このフードの女はその三人に勝るとも劣らない。詠唱を行いながらも、戦闘の速度はまるで落ちない。フィルヴィス……いや、リヴェリア以上の並行詠唱の使い手。高速戦闘を行いながら、長文詠唱を行える冒険者など、レフィーヤはリヴィエール以外に存在したとは、想像さえ出来なかった。それもそのはず。あれほど滑らかな並行詠唱は、激戦の中、守られることなく『必殺』を扱う、死と隣り合わせで戦い続けて初めて身につく事を、レフィーヤは他ならぬリヴィエールに教えられてきたのだから。

 

───それでも、リヴィエールさんが魔法を扱う時は『魔法円』がある。

 

しかし彼女にはソレがない。だから魔法剣士ではない。しかし、美しく、激しく、どこまでも孤高であるその姿はリヴィエールとよく似ている。彼にも思ったことだが、この人は『エルフの戦士』という形容が最も相応しいだろう。二人とも美しく、強い。『面食い美人好きロキと同類』レフィーヤとしては、アマゾネスはともかく、フードの女性とは仲良くしたいのだが……

 

「大体なんであんたまで付いて来てんのさ。リヴィエールと関係ないだろう」

「私は、椿さんに“小太刀を届けてくれ”と頼まれてリヴィを探しにきたのです。言うなればクエストです。それに私は彼と10年来の付き合いがあるのです。何でもとは言いませんが、少なくとも貴方よりは彼の事を知っています。私に任せてください。貴方とは年季が違います」

「人との付き合いに時間なんて関係ないんだよ。あんた本当にリヴィエールの事知ってんの?あいつ噛み癖あんの知ってる?ああ、エルフってそういう事出来ないんだっけ?」

「アマゾネスのように下品ではないだけです。心に決めた相手であれば、私たちも手を重ね、心を重ね、肌を重ねます。リヴィエールと私も同様です」

 

エルフとアマゾネスという、結びつけようとしても結びつかない存在を無理やり繋げたのは、リヴィエールである事を知るのに時間はかからなかった。

 

───あの人はまったくもう……アイズさんという人がありながら

 

あの白髪の魔法剣士を心から尊敬しながらも、認めたくないのはこういう所があるからだ。英雄とは色を好んでしまう。わかってはいるが、自分は嫌だ。

 

とまあ、常に険悪なムードのパーティではあったが、モンスター達の死骸の跡が多くあったため、それをたどり、大空洞へ向かうのは難しくなかった。

 

「ったく。どういう状況だっての」

「あ!」

「見つけた!」

「うわ」

 

大空洞に出来た巨大な洞穴から一人の男が飛び出してくる。尋ね人の一人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦いは激化していた。魔物化によって爆発的に上昇したソウシの圧倒的な身体能力と縮地を超えた縮地に対し、リヴィエールは技倆とスキル【7つ目の感覚(セブン・センス)】による先読みで対抗する。身による不利を技で埋め、戦況は拮抗を見せていた。

体はソウシが、技はリヴィが勝る。総じて互角。均衡を打開するには他の何かが必要だった。

【天剣】はその何かに魔法を選んだ。

 

「【塵刹穿つは牙狼の顎門。誠の旗に集いし、壬生の狼。我は長を守る先陣の牙。牙狼を律する鉄の掟の下、三度の穿刺によって汝の天命を断つ。一歩音超え、二歩無間、三歩絶刀。『絶劔・無窮三段』】!!」

「なっ!?」

 

魔物化+身体強化によって放たれた三段突きは最早突きではなく、ブラスターの領域。剣圧と斬撃は黒い閃光と化し、リヴィエールに襲いかかった。ソウシが身体強化系スキル及び魔法の使い手だった事は覚えていた。しかし、リヴィエールの記憶の中で、ソウシの技に飛び道具はなかった。完全に虚を突かれた形になってしまう。

 

「【盾となれ、ゲオルギウスの鎧】」

 

回避は不可能と判断した【剣聖】は短文詠唱の防御魔法『ル・ブルー』を使う。発動と同時に飛び下がり、防御態勢を取った。

 

発動した青いベールは三段突きに数秒耐えたが、貫通する。防御態勢を取っていたリヴィエールを捉えた。

 

「──っォオオオオおぉ!」

 

ブラスターをフラガラッハで受ける。しかしブラスターの勢いは止まらない。地面に後ずさりの跡が一直線に引かれ、緑壁を突き抜けた。

 

「──っとぉ」

 

空中に投げ出されたリヴィエールはアマテラスにより生じさせた熱気流で態勢を整え、着地する。派手に飛ばされたが、ダメージはほぼゼロに抑えた。

 

「……あの野郎、何が『自分は剣士です。ビームなんか撃ちません』だ。思いっきり撃ってるじゃないか」

 

リヴィエールの脳裏に浮かんだのはかつて彼女の前で魔法を使った時の記憶。有象無象を吹き飛ばした時、たしかに彼女はそう言っていた。

 

───まあ本人にしてみればビームとは違うんだろうが……

 

この結果を見てしまえば、ほとんど変わらないと思ってしまうリヴィエールの思考も、理不尽とは言えないだろう。

 

「あ!」

「見つけた!」

「…………うわ」

 

戦闘中に場が変わる事などいくらでもある。一々周囲の確認などしないという戦士の本能が災いした。どうやら目的地だった『食料庫』にまで飛ばされたらしいと、見知った二人の声を聞いて初めて気づいた。アマゾネスとエルフ。随分と珍しい組み合わせが揃ってる。

 

「ウル……ス」

「───こっちもまた信じがたい光景だな。アスフィ・アル・アンドロメダともあろう女が」

 

傍らから聞こえるか細い声。抱き起こし、ハイ・ポーションを飲ませ、虎の子の万能薬を傷口に塗る。惜しいとは思わなかった。

 

「ぐぅっ」

「我慢しろ」

 

多少染みるだろうが、これで死にはしまい。聖衣の一部を千切り、患部を圧迫した。水浸しの美女の顔を拭ってやる。

 

「【癒しの光よ、御手を御触れに】」

「……ゴホッ、ゲホッ。すみません。エリクサーどころか、魔法まで」

「くだらない事が言えるならまだ大丈夫そうだな。で?お前の腕を以ってして、ここまで窮地に追いやったあの骨兜と白ローブどもは何者だ?」

「──骨兜の方は……わかりません。ただ、白ローブ達は死兵です。体中に火炎石を巻きつけています」

「…………なるほど、どうりで爆炎の跡が多いわけだ」

 

そこら中で緑壁が焦げ付いている。立ち込める匂いから、アスフィもバースト・オイルを使用したのだろうが、爆発の跡は空洞中に散乱していた。一人の意思ではこうはならない。アスフィが惜しげもなくアイテムを使った上で、このザマ。ほかのヘルメス・ファミリアの連中では話にならないだろう。はっきり言って足手まとい。

 

「おい!人のこと無視してんなウルス!」

「これは一体どういう状況なのですか、リヴィ!!」

「…………ったく、ただでさえ面倒な状況だってのに。で?なんでアイシャとリ──お前らが此処にいるんだよ。三十字以内で簡潔に述べろ」

「「お前(貴方)が【剣姫】を助けに行ったっきりなんの連絡もよこさず消えるからだろうが(でしょう)!!」」

「…………ああ、言われてみれば」

 

アイズがウダイオスに挑みにいって、もう一週間以上が経つ。その間リヴィエールの寝泊まりはダンジョンの中やエイナの家だった。何かしらの言伝を頼んだ覚えはたしかにない。

 

───それでロキ・ファミリアに俺の動向を聞きに行って鉢合わせたってわけか。

 

「しかしアイシャはともかく、お前とダンジョンを共にするのは随分と久しぶりだな。ここにアイズがいれば『エウロス』勢揃いだ」

「………また懐かしい名前を」

「そうだ、リヴィエールさん!アイズさんは!?一緒じゃないんですか?」

「おい!どういう状況だクソ白髪!お前こそ説明しやがれ!」

「レフィーヤ達まで───説明してやりたいところだが、生憎と俺も今忙しくてな」

 

破壊された壁穴を睨んだ。瞬きする程の間もなく、甲高い金属音が鳴り響く。音が止まった時、細身の剣がかち合い、鍔迫り合いを繰り広げていた。

 

「──て訳で悪いな。出来る限りフォローはするが、こいつの相手で割と手一杯だ。お前達、ヘルメスファミリアを助けてやってくれ」

 

剣尖が交錯する。金属音のみを残し、二人の姿が消えた。

 

「…………怪物だ」

 

二人が戦う様を見てか。それともこうして剣を合わせている彼女を見てか。どちらにしても二人のことを指しているには違いない。鍔迫り合いをしながらこちらを睨む琥珀色の瞳は最早俺を捉えているとは思えない。身体からは炎のような黒塵が立ち上り、その姿は魔人と呼ぶに相応しいモノだった。

 

───三段突きの少し前から口数が少なくなったとは思っていたが……

 

呑み込まれかけている。かつての俺と……アスフィと研究を重ねる前の俺と同じ、呪いを制御できず、魔物に呑まれかけた、俺と。

その自覚は恐らくソウにもある。当然だ、俺にもあったのだから。

 

───怪物か。正しい表現だ。狂っている。お前も、俺も

 

狂っている事がおかしいとは思わない。狂の部分がない者など、冒険者には向いていないと言っていい。しかし、その中でも俺もアイズも、そしてソウも異質と言えた。

故に俺が斬らねばならない。こいつを剣士と認めているのは俺しかいない。

 

「暴れろ、食人花(ヴィオラス)!!」

 

天井の人を喰らう花達が複数落ちてくる。醜悪な牙をギラつかせ、その巨体をうねらせた。ヘルメス・ファミリアから悲鳴が上がる。

 

───チッ、あの硬さとデカさで暴れられたらソウに集中出来ない

 

「ったく、予想に違わぬ足手まといっぷりだぜ!アイシャ!リュ、フードの!ちょっと派手な技を使う。俺の間合いに誰も入れるな!あと足手まといども!死にたくなかったら俺の視界から外れるな!」

 

逆袈裟に切り上げ、距離を取る。荒れ狂う食人花、火炎石を纏った死兵どもの狂気。止めるにはコレしかない。出来れば剣士として戦いたかったが、仕方ない。先までの戦いで、準備は済ませている。

 

「【──献上せよ】」

 

『王の理不尽』・発動。

 

「レフィーヤ、よく見ておけ」

 

妖精に愛された妹弟子に向け、言葉を飛ばす。いずれ越えるべき対象の技を見ておくのは確実にプラスになるはずだ。

 

「【終末の前触れよ、白き雪よ。黄昏を前に(うず)を巻け】」

 

ソウシの剣を受けながら、長文詠唱を開始する。剣戟の激しさは増すばかりだというのに、その唄は力強く、流麗に紡がれていく。

 

「【閉ざされる光、凍てつく大地。吹雪け、三度の厳冬――我が名はアールヴ】」

 

王の唄に、絶対零度の氷結魔法が屈した。

 

【ウィン・フィンブルヴェトル】

 

放たれる純白の光彩。ソウシに向けて飛ぶかと思われたソレはあさっての方向へと飛翔した。

 

「あ?」

「バカ!どこに撃って──」

「お前達、動くなよ。【固定(スタグネット)】」

 

アイシャの非難の声は途中で中断される。リヴィエールが空に向けて放たれた手を握りこむ。すると、空を翔けていた純白の光彩は中空で固定された。

 

「うぉおおおお!ザリウスぅうう!!」

「この愚かなる身に祝福をぉおお!!」

「【解放(リリース)。降り注げ】」

 

食人花の牙に捕まった者、道連れにすべく、死の導火線に手を掛けた者達が行動を起こす直前、白髪の魔法剣士がタクトのように指を振る。絶対零度の雲から白雷が落ちた。

 

「チッ、一匹外した」

「…………コレが【剣聖】か。なるほど、怪物だ」

 

氷の落雷を骨兜の男は避けている。しかし、他はほぼ全滅。空洞中が白く染まり、その煙が晴れた時、食人花の牙に捕らえられ、命を火種に爆散しようとする死兵達は、食人花ごと骨の髄まで氷結の檻へと閉ざされていた。パチリと指を鳴らすと、氷のオブジェと化した食人花達は砕け散り、まるでダイヤモンドダストのような輝きを見せた。

 

「…なん、という」

「こ、こんなの、リヴェリア様でも見た事ありませんよ」

 

これ程の乱戦の中、味方は避け、敵のみをロックオンし、凍らせる。確かにこうなってしまえば、火炎石も意味をなさない。リヴィエールは荒れ狂う爆炎の嵐ごと、氷の牢獄に封じ込めた。無事なのは食料庫の心臓である赤水晶の柱。そしてそこに絡みつく三体の宿り木のみ。

 

「でもまあ、雑魚の掃除程度は出来たか。ベート、骨兜はお前に任せる。アイシャ、アスフィを頼む」

「アンタはどうすんのさ」

「俺はこっちだ」

 

破砕音が鳴り響く。ソウシも氷の落雷を避けてはいたが、少し余波は食らっていたらしい。腕に纏わり付いていた氷を剣で払い、師に殺気を向けていた。

 

「───彼女、強いですね。手伝いましょうか?」

「いらない。手を出すなよリュー……さて。お待たせした。相手をしよう」

 

握った手に力がこもり、チャリと剣が鳴る。仄かに青く輝く刀身の煌めきが濃くなった。

 

二人の姿が消える。目で追えたのはリューだけだった。目まぐるしく攻守が入れ替わり、剣戟の音だけが響く。

 

「これが、第一級同士の戦い……」

「リヴィエールさんと、互角!?」

 

身体能力においても、剣の技倆においても、レフィーヤにとってリヴィエールは間違いなく最強の存在だ。単純な強さでいえば、悔しいがあのアイズすら上回る事は、本人さえ認めているので認めざるを得ない。

その彼を相手にあの褐色の肌の女は互角に立ち回っている。事もあろうにあの【剣聖】を相手に剣で。そんな事が出来る者の存在すら、レフィーヤには信じられなかった。

 

───いえ、正確には互角ではない

 

見る者が見れば、リヴィエールにはまだ余裕があることに気づいただろう。事実、リューは気づいた。彼の受ける剣には焦燥がない。逆に、女の剣には焦りがある。よくよく見ればリヴィエールの攻撃は何度かガードを抜けている。尋常ならざるタフネスと回復力で誤魔化しているだけだ。押しているのは明らかにリヴィエール。

 

「どうしたソウ。教えたはずだぞ。剣ってのは女と一緒だ。焦って闇雲に扱っても答えてはくれない。剣の呼吸を聴き、嫌がらないようにそっと筋をなぞってやるんだ」

「───っ!!」

 

バックステップで距離を取った。そのまま姿を消す。

 

───縮地の連続使用。速度で撹乱しにきたか

 

悪くない。縮地の速度で引っ掻き回されるだけでも厄介なのに、魔物化したソウシの縮地はほぼ瞬間移動に近い。まともにやり合ってはリヴィエールすら速度負けする。

 

死角からソウシの剣が襲いかかる。その全てにリヴィエールは反応してみせた。

 

「剣から意が消せていない。それでは幾ら早くても物の数じゃないよ」

 

迸る殺意が信号となり、どのタイミングでくるか、全て教えてくれる。速度は確かに神速。最強の域だが、【剣聖】にかかればテレフォンパンチだ。

 

「お前、魔物化使うの何回目だ?二回……下手したら初めてか?いずれにせよ多くはあるまい。実戦で、しかも俺相手に使うには五年早いよ」

「…………っ」

「お前に斬られるならそれもまた……と思ったんだがな」

「ダマれ!」

 

力任せに剣が振るわれる。衝撃を利用し、先よりかなり遠くまで距離を取った。

 

「【塵刹穿つは牙狼の顎門】」

「───なるほど、剣技で対抗するのは諦めたか」

 

腰を落とし、突きの構えを取るソウシ。詠唱を始めた彼女の剣には漆黒の光が収束する。

 

「対処法はいくつかあるが……師として逃げるわけにはいかないか」

 

スッと何かを掴むように僅かに開き、左手を突き出す。魔法円が浮かび上がると同時に、リヴィエールの手にも黒い光が集い始めた。

 

「【間もなく、焔は放たれる。逃れえぬ黒焔、繰り返される破滅】」

 

詠唱を始める。コレはエルフから盗んだ物ではない。リヴィエール・グローリア本人が生まれ持つ、現在確認されている王族(ハイエルフ)最強の攻撃魔法。

 

「【誠の旗に集いし、壬生の狼。我は長を守る先陣の牙。牙狼を律する鉄の掟の下、三度の穿刺によって汝の天命を断つ。一歩音超え、二歩無間、三歩絶刀】」

「【漆黒き灯は悉くを一掃し、新たな戦火の狼煙を上げる。回れ回れ戦いの歴史、王の業、その全てを糧として、振り上げた罪のつるぎは血を啜る。邪に染まりしスルトの剣、天照す世界を落陽に至らしめろ───我が名はウルズ】」

 

二人の詠唱が終わったのはほぼ同時。長文詠唱であるにもかかわらず、完成速度がソウシの魔法とほぼ同時だったのは、マスタリーと経験、そして才能の差。

 

「【『絶劔・無窮三段』】」

「【『ノワール・レア・ラーヴァティン』】」

 

二つの黒き閃光が二人の天才剣士から同時に放たれた。しかし、拮抗は一瞬。

 

「チッ、逸れたか。食料庫の赤水晶ごと吹き飛ばすつもりだったんだが」

 

ブラスターがダンジョンの緑壁に風穴を開ける。空いた風穴の底は見えない。無窮三段を突き抜けてなお、【ノワール・レア・ラーヴァティン】は全く衰えを見せないまま、巻き込む全てを吹き飛ばした。

 

「───ゴブっ、ガハッ!?」

 

ソウシも無論、ノーダメージではない。右肩から先が消し飛んでいた。傷口がアマテラスで燃えていた為、出血はしていなかったが、余波で内臓が傷ついたのだろう。ソウシは膝から崩れ落ち、喀血した。

 

「───っ、」

 

もう一方の戦いも佳境に入っていた。大空洞に雷鳴に似た何かが響く。レフィーヤが放った『大閃光(アルクス・レイ)』がベートの魔法吸収性能を持つブーツに直撃し、加速された蹴りが骨兜にめり込んでいた。

 

「傷口が……」

 

ベートの一撃を受けた腹部が。そしてリヴィエールが撃ち抜いた事によって吹き飛んだソウシの右肩が異音と共に治っていく。

 

「オリヴァス・アクト……」

 

増援に来た見知らぬエルフから漏れた名に、一同が驚愕する。唯一平静を保っていたのは白髪の剣士のみ……いや、彼も少なからず動揺はしていた。目の前に前例がいるから、耐性が出来ていたに過ぎない。他人に興味の薄い彼にしては珍しく、その人物の名前は知っていた。その事件に関して、かつて黒髪だった男は無関係ではなかったから。

 

「…………また死人、か」

 

アスフィの張り裂けるような喚声に、リヴィエールの呟きは掻き消された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──人間と怪物の混じり……コレは俺やソウシと同種、というよりはレヴィスに近いか

 

自身を人とモンスターの力を兼ね備えた至上の存在と豪語する骨兜を冷静に分析する。そして同時にもう一つの謎も解ける。何故人間であったはずのソウシが魔物化出来たのか。【剣聖】の明晰な頭脳は、概ね真実にたどり着いていた。

 

「──リヴィ、手伝います」

 

両腰に携えた刀に手をかける。手を出すなと言われていたエルフの戦士が問答無用で戦闘に介入することを宣言する。二人の戦いの一部始終を見ていた彼女は、リヴィエールの剣や魔法がソウシを捉えていたのも確認している。しかしそれでも立ち上がり、凄まじい再生力を持つこの怪物に、リューは最大限の警戒を見せていた。

 

「───心配いらないさ、リュー」

 

リヴィエールが怒ろうと構わないと思っていたリューだったが、予想に反し、彼は穏やかだった。

 

「もう決着はついている」

「…………ゴブッ」

 

くぐもった音が魔物化したソウシ

の喉から漏れる。膝から崩れ落ち、口の端から黒が色濃く混じった血が吐き出された。

 

「これが───」

「話に聞いた……魔物化の副作用…………でも、アンタのより随分様子が酷くないか?」

「───ソウシ。実はな、ダメージ覚悟で戦えば、仕留められるチャンスは何回かあったんだ」

 

リューとアイシャの疑念をよそに、聞こえている様子のないかつての弟子だった女に、優しく話しかける。いつも察しが良いくせに察しない、傲岸不遜のリヴィエールだが、親しい者には優しく、少し甘い。

 

「もう50合以上剣を重ねたが、俺はほぼ無傷だろ?魔物化したお前の剣は確かに凄まじく早く、重く、強かったが、反面とても見やすく、読みやすかった。身体の上ではとても強くなったが、技の上では酷く弱くなっていた」

 

ソウシの剣には焦りがあった。自分が自分でいられなくなる、魔物に呑まれている、魂を喰われているという自覚。肉体的な限界。それら全てを理解しているからこそ、剣に焦燥が生まれていた。

そして、人の動きとは焦りという要素一つ入るだけで酷く読みやすくなる。それでもこの【剣聖】がリスクを背負わなければ倒せないというのは凄まじい事なのだが。

 

「でも俺はリスクを負わなかった。冒険者は決着を急いではいけない、とは言わないが、避けられるリスクは避ける必要がある。無事にダンジョンを出るまでが冒険だからな」

 

故に白髪の冒険者は決着を急がなかった。ヘルメス・ファミリア達も……正確にはアイズとアスフィのことを考えないわけではなかったが、一度自分の意思でダンジョンに入った以上、死ぬも生きるも自己責任だ。

 

「そしていずれ限界が来ることもわかっていた。経験上、魔物化の制御は魔法の才能がないとほぼ不可能。ソウ、お前剣の天秤はたしかに天才的だが、魔法に関してはヒューマンの中でも並かそれ以下。長く持たないだろうことは容易に予想がつく」

 

恐らく半怪人になる事で身体を強化し、無理やり成立させていたんだろうが、所詮は付け焼き刃。ヒューマンどころか、エルフと比べてもズバ抜けた才能を持つリヴィエールすら、15分が安全圏なのだ。

 

「…………ぁあ───ァアアああアっ!?」

 

虚ろに揺蕩う真鍮色の瞳が見開かれた瞬間、魔人は膝から崩れ落ち、尋常ならざる苦しみを見せる。喉が裂け、血が吹く程叫び続け、のたうちまわり始めた。

 

「…………卑怯だ、などと罵ってくれても構わないがな。ダンジョンなんだ。なんでもアリは承知の上だろ」

 

剣を捨てて胸の魔石をかきむしるソウシの姿を悲しみと慈しみが入り混じった瞳で見つめる。

 

───ソウ。今のお前にどれだけお前が残っているかはわからないが……わかってもわからなくてもいい。感じ取ってくれ

 

「強くなったな。本当に。一太刀交えればわかる。身体能力は勿論、技も、経験も、6年前とは比べ物にならない…………でも、なんでかなぁ」

 

先輩(マスター)

 

あの頃の方が、強かった気がする。ひたむきで、眩しかった、ただひたすら剣が好きな少女だった、あの頃の方が。

 

追憶の中、天真爛漫に笑い、尊敬の目で見つめてくる彼女が最も強く脳裏に過ぎる。そして闇の中、剣を向けた俺を、多くの何故が浮かび、睨みつける目が、かつての師の心を埋め尽くした。

 

哀しみも、辛さもある。しかし涙は出ない。二人とも、戦士として選んだ道だ。後悔はない。それでも、感情は消せなかった。

 

───辛いよ、ソウ。愛弟子を二度も斬るというのは、とても辛い。でも、それでも。だからこそ。

 

ソウシの復讐が間違っているとはとても思わない。だが、こちらも斬られてやるわけにはいかない。ならばこの復讐に報いることが、師としての最後の責務。

 

「冥土の土産だ。俺の最高の剣技を見せてやる。コレが【剣聖】の技だ。目ん玉見開いてよぉく見てな。俺の技は刹那に終わるぞ」

 

細身の剣を鞘へと収める。白銀の刃が収まるその一瞬、蒼の漣が煌めいた。

腰を落とし、やや前傾になりつつ、少し右手を下げる。居合、それも抜刀術の構えだ。かつてオッタル相手に見せたものより更に速度特化の型。

 

───さよなら、ソウシ。愛していたよ

 

『瞬天殺』

 

銀色の閃光が鋭く光る。リューが剣光と認識した時、乞食清光の剣先は吹き飛び、ソウシの魔石が砕ける。【剣聖】が音高くフラガラッハを鞘へと落とし込んだ時、褐色の肌が白磁へと戻っていた。彼女の肢体が黒塵と化す。

 

消えていく

 

 

 

 

 

 

 

 




次回で黒衣のクエスト篇、終了予定です。年内にあと一話書けたらいいなぁと思う います。それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂けたら幸いです。


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Myth49 数秒が致命的と言わないで!

 

 

 

 

 

 

 

疲れたように息を吐く。人を斬るのも殺すのもとっくに慣れきってしまったが、それでもやはり知人を斬るというのは精神にクる。

まして、自分も行なっている魔物化の成れの果てとも言える姿を見てしまえば尚更だ。ソウシ・サクラだったものが黒い塵となり、大気に消えていく。

 

───俺も、いつかは

 

無意識の内に拳を握りこむ。ここまで感情が荒れる事など、いつ以来か。それほどソウシはリヴィエールにとって特別だった。色々な意味で彼に近すぎた。

 

肩に手が置かれる。労わるように優しく触れてくる女……いや、フードとマスクで性別も傍目からはよくわからないが、リヴィエールには一目でわかる。かつてコンビを組んだ相棒を、わからないはずがない。フードからはくすんだ金髪が漏れていた。

 

「まったく、一時はどうなるかと思いましたよ」

「そうか?私には危なげなく見えたけどね」

「たしかに実力で言えばリヴィが確実に優っていましたが、相手が異常過ぎました」

「あー、まあ長引けば面倒だったかもしれないね」

「…………」

 

リュー、アイシャ、どちらの言い分も間違ってはない。しかし剣を交えたものにしかわからないこともある。その異常さがアイツを弱くしていたと知るのは【剣聖】だけだった。魔物化したソウシの剣はする前の物と比べ、たしかに早く、力強くはなっていたが、とても軽かった。

 

───なあソウ、何故だ?何故お前の剣はあんなに軽かった?

 

「…………俺も、同じなのかな」

「?なにがですか?」

 

翡翠色の瞳が不思議そうにこちらを覗き込んでくる。何でもないよ、と一度首を振り、彼女の手に触れる。鞘に納めたフラガラッハの柄頭を撫でた。心をリセットする白髪の剣士のルーティン。目を開き、前を向いた時、翡翠色の瞳から感情は消えていた。

 

「そんな事より、あっちはどうなってる」

「【白髪鬼】が大演説をぶちかましていますよ。『彼女』とやらに二つ目の命を授かったとやらで」

「なんだそれは」

「アイツ、人とモンスターの力を兼ね備えた至上の存在なんだって。アンタの同類なんじゃない?」

「俺は自分を至上などと自称できるほど自信家じゃない」

 

どの口で、と我ながら思う。事実、リューもアイシャも『お前が自信家じゃなきゃ誰が自信家なんだ』みたいなツラでこっちを見てくる。だが、これは掛け値無しの本音だ。オラリオ広し、冒険者多しといえど、自分ほど醜悪な混ざり物はそうそうないだろう。

 

「人とモンスターのハイブリッド。恐らくはレヴィスと似たような存在だろう。『彼女』とやらが何者かは知らないがな」

「…………リャナンシーのことでは?」

「それはない」

 

アイツに死者を蘇らせるような芸当が出来るとはとても思えないし、そういうことをするヤツとも思えない。命とは生きているからこそ面白い。散り際にこそ最も輝くと思うタイプだ。何よりオリヴァスを蘇らせる理由がない。アイツは確かに興味が惹かれたら何でもするが、その気にならなければ何もしないだろう。

 

そんな事を考えているうちに聞きもしない事をペラペラと喋ってくれる。食人花はその『彼女』とやらから生み出された事。食料庫に寄生させた巨大花から食人花を量産し、地上へ運び出すつもりだった事。その最終目的が迷宮都市の壊滅である事。おそらくあのクズが知りうる全ての情報を高らかに語ってくれた。

 

「…………ヤバいな」

 

回復の時間稼ぎもあるのだろうが、こうも滔々と内部情報を語る奴が、この場にいる者たちを生かしておくとは思えない。

 

予想通り、オリヴァスは巨大花に命令を下す。この場にいる全員を……

 

「やれ」

 

花から強烈な腐臭が漏れ出す。その臭いに思わずリヴィエールが硬直した瞬間、巨大な長躯が空から降ってきた。

 

「散れぇっ!!」

 

ベートの檄が飛ぶ。空から落下した巨大花はミミズのごとく、その巨躯を畝らせ、縦横無尽に跳ねた。

牙をむき出しにした顎門がペルセウス目掛けて走る。通常のアスフィなら完璧に避けられないまでも、致命傷は回避できるはずだった。しかしオリヴァスによって与えられた腹部のダメージが大き過ぎる。今全力運動をしては傷が確実に開く。

 

どうすると明晰な頭脳を懸命に動かした彼女だったが、その努力は無駄に終わる。奔る巨大花の横っ腹に凄まじい衝撃が響き渡り、その進行方向が変わったのだ。極死の牙はアスフィ達を勝手に避けていった。

 

「おお、初めてにしては息があったな」

「かったぁ!何だアイツめちゃくちゃ硬い!」

「三人がかりで進行方向を変えるのがやっとですか」

 

アスフィを守るように降り立つ三人。アマゾネスの蹴りとフードの木刀と風。そして【剣聖】の突きが巨大花に確かな一撃を与えていた。

 

「ウルス!」

「やあアスフィ。息災か?」

「貴方の魔法でやれませんか!?」

「軽口に応じる余裕はないか……『ノワール』なら魔石ごと全身焼き払えるだろうが、詠唱がなぁ」

 

魔力に反応する無数の蔦。あれを回避しつつ、アスフィ達をカバーし、詠唱を行う。どう甘めに見積もっても相当難しい。アスフィを守るだけなら何とかなるが、パーティ全員となると厳しい。

 

「この巨躯が相手では壁役(ウォール)も意味をなさないでしょうね」

「なら魔石狙い?でも新種の魔石なんてどこにあるか……ましてあの巨体から探すのは───」

 

時間がかかる。それでもリヴィなら出来るはずだ。周りの被害を無視していいという条件が必要だが。

 

「おっと」

「きゃ!」

 

暴れる巨大花の巨躯から逃げる。アスフィだけは白髪の剣士に首根っこを掴まれ、無理やり避けさせられていた。

 

「もっとマシな助け方はできないのですか!」

「命を助けてもらっといて贅沢な……お姫様抱っこして欲しいってか?俺はいいけど──」

 

同じように回避行動をとる己の女達を見る。スピードに優れた彼女達は見事にリヴィエールの動きについて来ていた。

 

「色男は大変ですね」

「うるさ──っとぉ!この持ち方守りにくいな。おい、持ち方変えるけど他意はないからな。面倒なこと言うなよ。アスフィ、後ろに手、回して」

 

返事を待たず、横抱きに抱えた。首に手を回したと同時に加速する。1秒も数えないうちに先程までいた場所が巨大な鞭で破壊された。

 

「このままじゃ俺達はともかく、ヘルメス・ファミリアパーティは全滅するな」

 

───使うか……

 

魔物化を発動させれば、この状況はなんとでもなるだろう。『咎人』の効果は身体能力の向上もあるが、最大の特徴は別にある。

 

「いけません」

 

水色髪の美女が柳眉を立てて白髪の剣士の左手を強く掴む。何をしようとしているか、所作で分かったのだろう。それも当然。左手首に飾られた無骨なバングルは彼女が作ったのだから。

 

「…ダメか?」

「ダメです。貴方の女達の顔を見なさい」

「…………うわ」

 

周囲が喧騒と殺気だらけで気づかなかった。腰の剣に手を添えるフードの女と今にも蹴りが飛び出してきそうな態勢のアマゾネス。それ以上動いたら両手へし折る。二人ともそんな意思がこもった瞳をしていた。

 

「わかった。やらないからお前らもその物騒な気をやめろ」

「はっ、命拾いしたね。ご主人様」

「情婦の自覚あるなら主人に殺気飛ばすなよ……ならしょうがないか」

 

駆けていた足を止める。剣を突き立て、そこを中心に魔法陣が広がった。

 

「じゃあ詠唱やるからお前ら俺を守れ」

「そうしたいところですが、流石に血を流しすぎました。身体が重くてガードはできません」

「私は壁役は苦手なのですが」

「私も攻め専門だからなぁ」

「お前ら……文句言うなら代案出せよ───せめてアイズがいればな」

 

思わず漏れてしまった【剣聖】のつぶやきと同時に破砕音が空洞に鳴り響く。相棒の懇願が届いたのか、はたまた惹かれ合う縁の糸が導いたのか、爆発の中を赤い光が飛翔する。煙が未だ大穴を満たす中、蜂蜜色の髪の剣士が姿を見せた。

 

「ア、アイズさん!」

「リヴィ!」

 

眼下には大混乱に見舞われる空洞が広がるが、彼女の視界にはまるで入らない。その金色の瞳に映ったのは五体満足の姿で立つ愛しい剣士のみ。

空洞から飛び降り、一目散に彼の元へと駆ける。目を見開く相棒の手を取った。

 

「勝ったんだね」

「当然。お前はまた随分と手こずってるらしいな」

 

肩で息をし、全身に裂傷の跡が見られるその様子から相当の激戦だったと推測できる。

 

「いないと思ったら、相変わらず頓狂な現れ方をしますね。貴方は」

「…………リオン」

 

ごく自然な動作で繋がれていた手を引き剥がした人物の名を呼ぶ。顔は見えずとも、かつてトリオを組んでいたメンバーの一人で、色々な意味でライバルだったリューのことを、アイズがわからないはずがない。

 

「久しぶり、元気そうだね」

「そうですね。こんなに近くで顔を合わせるのはもう2年は前になるでしょう」

 

落ち着いた声音で話し合う二人の姿は知らない者が見れば旧交を温めているかのように見える。しかしリヴィには、そしてこの場にいないリヴェリアが見れば思った事だろう。また始まった、と。

 

「まあ別段会いたくはなかったけど」

「まあ貴方がもう少し頼りになれば、私も来ませんでしたが」

「…………(チャキ)」

「…………(スッ)」

「やめろお前ら。喧嘩してる場合じゃねえだろうが」

 

無言で己の得物に手を掛ける二人を慌てて止める。

 

「…………むー」

「あのクソ白髪殺す……後でぜってぇぶっ殺す」

 

自分に目もくれなかったアイズの姿を見て、エルフと狼人から妬心が湧き上がる。ようやく【剣姫】は今の状況を把握していた。

 

「…………あれが【アリア】と【オリヴィエ】か。あんな小娘と優男が相応しいなどとはとても認められる者ではないが……まあ持ち帰るのは死骸でも構うまい」

 

オリヴァスの敵愾心が二人に向けられる。悪意を敏感に感じ取った剣の達人二人は同じ構えを取った。

 

「死ね【剣聖】!そして【剣姫】!」

 

テイムされている巨大花が並び立つ白と金の剣士目掛けてうねり出す。その直前、翡翠と金の瞳が一交錯する。それだけでこの二人には十分過ぎるコンタクトだ。

 

「【ムラクモ】?」

「……いや、【クサナギ】だ」

「了解」

 

LV.6になってから【剣姫】がずっと己に課していた封印を解く。【目覚めよ(テンペスト)】と【天を照らせ(アマテラス)】が紡がれるのはほぼ同時だった。

 

呼び起こされる風の大渦。同時に湧き上がる黒炎の泉。風が炎を巻き込み、二人の剣士を中心に漆黒の竜巻が立ち上る。

 

「なんっ……という」

 

黒炎の暴風による凄まじい熱が空洞内を埋め尽くす。天変地異でも起こっているかのような光景だったが、その嵐も収束を見せる。いや、正確には収束させられる。アイズの愛剣には黒炎が。そしてフラガラッハには暴風が付加されていた。

 

衝撃は一閃。

 

「「【クサナギ】」」

 

精霊と神巫によって振るわれた大薙が巨大花を両断する。切断面から黒炎が燃え広がり、あっという間に内部から焼き尽くした。こうなってしまっては魔石もクソもない。ただ焼け死ぬのみである。

 

彼女を取り巻く気流が黄金を溶かしたかのようなブロンドを撫で上げる。白髪の剣士がパチリと指を鳴らし、炎が収まるとほぼ同時。二人は音高く愛剣を腰の鞘に落とし込んだ。

 

「なっ……なぁああ!?」

 

敵も味方も含め、二人の偉業に身を固める。しかし、レフィーヤは身の震えが、そしてリヴィエールは戦慄が止まらなかった。

 

───アイズさんのエアリエルは超短文詠唱の付与魔法……リヴィエールさんも似たようなモノのはず

 

───風に斬撃を纏わせる。それくらいなら以前のアイズでも出来た。だからこそ可能だった焼くと斬るを同時に行う合体技【クサナギ】だ。しかし……

 

今まで行ってきたクサナギは(アマテラス)が主で(エアリエル)が従。俺が主体となって行っていた技だった。

 

しかし、いまのは完全にもってかれていた。合わせるのに必要だろうと俺が感じた魔力どころか、全開状態のアマテラスを無理やり引き出された。今のクサナギは明らかにエアリエルが主でアマテラスが従だった。この俺が従属させられた。

 

───これがレベル6になった、今のアイズの『風』……目覚め始めた精霊【アリア】の力の一端

 

戦慄が走る。現時点ではまだ俺の方が上だ。しかしこの天才が俺を超える日は予想より遥かに早いのかもしれない。

 

───アイズさん、リヴィエール様……あなた達を最強の一角に押し上げていたのは明らかに魔法の力。そのアイズさんがレベル6になった。リヴィエール様もそれ以下という事は無いはず。純粋な白兵戦なら団長すらも越えて、もうこの二人を止められるものはこの二人しかいない!

 

「ぐっ、まだだ!まだ食人花を使えば……」

「そちらの処置は既に完了しています」

 

最後の一匹の頭を跳ねたフードの女が悪あがきする怪物もどきに絶望を突きつける。周囲を埋め尽くしていた食人花達はリューとアイシャの手によって壊滅していた。

 

「私達三人がこの場に揃った時点で、貴方の目論見は瓦解していたのです」

「チェックメイトだ、亡霊」

 

静かでいてよく響く声が空洞を埋め尽くす。無事だったヘルメス・ファミリアの面々も集結し始める。もはやこの場に残っている敵勢力はオリヴァスのみ。油断なく囲めば詰みだ。

 

「…………ほう」

 

オリヴァスを庇うように女が立つ。刃で無理やりちぎったような赤髪に緑色の瞳。戦闘の跡が全身に刻まれ、豊かな胸が布を引き裂かんばかりに押し上げられている。荒々しさと凛々しさを同居させた、野性味溢れる美女がリヴィエールの前に立った。

 

「誰かを庇うタイプには見えなかったが……まあやるというなら相手になるぞ」

「…………茶番だな」

「───え」

 

いつ仕掛けられてもいいように構えていた。何をされても対処できる自信があった。しかしそれでも、この場に集った手練れたちはレヴィスの行動に度肝を抜かれる。彼女は敵である自分たちではなく、味方のはずのオリヴァスの胸元を素手で抉っていた。

 

「なっ」

「…………まさか」

 

レヴィスの行動の意味について、リヴィエールの聡明な頭脳は概ね正解に辿り着いていた。そしてそれは現実となる。

 

オリヴァスから魔石をえぐり取る。黒塵となって彼がこの世から消え去るより早く、レヴィスの足は彼の死体を踏み潰した。

 

「…………強化種、か」

 

極彩色の魔石を口に含む。それとほぼ同時、【7つ目の感覚】が警鐘を鳴らす。明らかにレヴィスの威圧感が増した。

 

「「───っ!?」」

 

リヴィエールに一撃、そしてアイズには体当たり気味に斬りかかる。超人的反応で二人とも不正ではいたが、その烈火の勢いを止める事は出来なかった。デスペレートが中空を飛び、フラガラッハは衝撃に震えた。

 

───重いっ、肘まで痺れた。先に見たアイツとはまるで別人!

 

「加勢に行きますか?」

「いや、アレはアイズに任せよう。それよりも───」

 

視線を食料庫へと向ける。巨大花が両断され、大主柱に寄生する宝珠が肉眼で確認できるようになっていた。

 

「───っ!?」

「ハァイ、リヴィエール」

 

背筋に嫌な感覚が奔る。思わず飛び下がるとほぼ同時、赤黒の閃光が地面を抉った。

 

「後で絶対戦ってくれるって言ったわよね。約束、果たしてもらうわよ」

「お前は本当にいつもいつもっ」

 

槍と剣が交わり、剣戟の音が大空洞に鳴り響く。目にも留まらぬその交錯は周囲にいた人間を弾き飛ばした。時間にして数秒の出来事だったが、冒険者達の動きは完全に止まってしまう。

 

そしてその数秒がこの場では致命的。

 

紫のローブが空から降ってくる。彼はまっすぐに宝珠へと向かい、拾い上げた。

 

「完全ではないが充分に育った!エニュオのところへ持っていけ!」

『ワカッタ』

「くそっ、アイシャ!リュー!宝珠任せる!こいつは俺がやる!」

 

張り上げた声を聞き届けたアマゾネスとフードの女は主人の願いを叶えるべく駆ける。しかしそれも数秒遅い。赤髪の調教師は手を打っていた。

 

「ヴィスクム!産み続けろ!燃え尽きるまで力を絞り尽くせ!」

 

瞬間、大空洞が鳴動する。その震えに誰もが躊躇を見せたまた数秒が事態を悪化させる。

 

天井、壁面、空洞内のありとあらゆる場所にへばりついていた未成熟な食人花が地に落ち、そして一斉に開花した。

 

「───怪物の宴(モンスター・パーティ)

 

誰かが呆然と呟いたその一言が導火線に火をつける。声にならない絶叫を上げた食人花達が全方位から一斉に襲いかかった。

 

「無理無理無理無理だってぇ!」

「離れるな!潰され……グァアッ」

 

歴戦の第二級冒険者達の戦意が完全に折られる。押し寄せる無数の触手から彼らは逃げ惑った。

 

「っ、どけリャナンシー!」

「ダメよ、私以外を相手にしたければ、私を殺してからにしなさい」

「【アマテラス】!」

 

黒の業火が剣から湧き出る。槍ごと焼き尽くすつもりでアマテラスを展開させた。

 

「あらっ、と」

 

流石に身の危険を感じたのか、飛び下がる。行動としては正しい。俺がリャナンシーでも同じ事をしたかもしれない。だが、距離を取るという事は、お互い数秒の空白ができるという事。

 

そして、その数秒が致命的。

 

左手を顔の前にかざした。黒塵が全身から溢れ出す。後で女達にキレられるのを覚悟で、課していた封印を解き、【魔物化(モンスター・フォーゼ)】を発動させる。腰まで伸びた白髪が一瞬で黒く染まり、翡翠の瞳は琥珀へと変化した。

 

「【モユルダイチ】」

「───なっ」

 

たまたま二人の戦いが視界に入っていたレフィーヤが狼狽する。それもそのはず。長文詠唱である【モユルダイチ】を無詠唱で発動させたのだから。魔法の知識がある者なら驚かない方がおかしい。

 

「【固定(スタグネット)】。『アマノイワト』」

 

拳を握りこむ。巻き起こった黒炎の爆発がリャナンシーを中心に取り囲み、炎の牢獄を形作った。並の使い手なら骨すら残さず灰燼と化すだろうが……

 

「まあお前ならなんとかしちまうだろうな」

 

しかし動きは縛った。数秒、黒髪の魔法剣士が再び自由となる。そして今のリヴィエールならば、数秒あれば充分。

 

「【間もなく、焔は放たれる。逃れえぬ黒焔、繰り返される破滅。漆黒き灯は悉くを一掃し、新たな戦火の狼煙を上げる。回れ回れ戦いの歴史、王の業、その全てを糧として、振り上げた罪のつるぎは血を啜る。邪に染まりしスルトの剣、天照す世界を落陽に至らしめろ───我が名はウルズ】」

 

黒髪の大魔導士の指先に漆黒の光が集い、大地が鳴動する。先程ソウシに撃ったモノとは比べ物にならないほどの強烈な魔力がリヴィエールの指先一点に集中する。

 

『ォオオオオォオオオオっ!!』

 

集められた巨大な魔力に食人花達が反応し、一斉に襲いかかる。「ウルス」と叫ぶアスフィの悲鳴や余波に蹴散らされたヘルメス・ファミリアの連中が視界に入るが、【剣聖】は揺るがない。この場では生きるも死ぬも当人の責任。同情も憐憫も戦士達への侮辱に当たる。

 

「させません!」

「こいつに触れていいのは私だけだよ!」

 

全方位から襲いかかる無数の触手からの猛攻をアイシャとリューが数秒稼ぐ。手数で言えば圧倒的に劣るため、長くは持たない壁役だったが、今や世界最高の魔導士と言って過言ではない彼ならば、数秒あれば充分。

 

「【ノワール・レア・ラーヴァティン】」

 

スキル『咎人』。その効果には身体能力の向上や魔力の増大がある。それらももちろん強力な特性だが、黒塵を転用した魔物化最大の特性は別にある。リヴィエールはハイエルフの血を受け継いでいるのだ。スキルの効果は魔法の補助に回される。

 

スキル【咎人】

・超常の力の行使

・背負った咎の重さにより効果上昇

・自身が保有する魔法の速攻魔法化

 

つまり、魔物化したリヴィエールは【王の理不尽】で盗んだ魔法は無理だが、本来彼自身が保有する魔法は速攻魔法とすることができる。先の詠唱破棄した【モユルダイチ】がその使用例に当たる。

通常状態の時と威力はさほど変わらず、詠唱を無視できるという、まさに王の理不尽と呼ぶにふさわしい反則技。

勿論、この反則技は詠唱が出来なくなるという事ではない。そして言わずもがな、詠唱を完成させた方が威力は段違いに上がる。

魔物化状態による、完全詠唱【ノワール・レア・ラーヴァティン】。それはもはや【九魔姫(ナインヘル)】は勿論、【西の魔女(ウィッチ・オブ・ウィッチ)】と呼ばれた伝説の魔導士すら超える超広域殲滅魔法と化す。

 

リャナンシーが黒炎の檻から脱出した時、大空洞内には巨大な火柱が立ち上り、漆黒の炎の世界を展開させていた。

 

「───フゥッ!」

 

魔物化を解除する。翳した左手を払った時、瞳は翡翠色へと戻り、黒く染まった髪は再び色素を失った。

 

「そん、な……」

 

一部始終を見ていた青年の姉弟子は全身から魂が抜け落ち、崩れ落ちる。未曾有の体験を前に、彼女は震える事さえ出来なかった。

レフィーヤはかつてリヴィエールの【ノワール】を何度か見ている。リヴェリアの本家【レア・ラーヴァティン】もだ。二つとも凄まじい広域殲滅魔法であり、今の自分などでは足元にも及ばないと自覚している。

しかし、その二つでさえ、天秤の対として、あまりに軽すぎる力を目の当たりにしてしまった。魔導士といえど……いや、優秀な魔導士だからこそ、心が折れてしまう。

 

───先天的な魔法種族ではない、ヒューマンであるはずの彼が、リヴェリア様すら遥かに超える威力の魔法を放つ。

 

そして、アイズも。リヴィエールは程ではないとはいえ、超短文詠唱の付与魔法【エアリエル】で、巨大花を両断するほどの風を放った。

 

そんな事、あり得るはずがない!

 

───アイズさん、リヴィエール様。貴方達の魔法は異常です

 

「っ、オリヴィエめ!」

 

黒炎の大爆発から辛うじて逃れていたレヴィスが、数秒リヴィエールに気をとられる。この行為を責めることはできまい。人が極寒の中で震えを止められないように、強敵に対し、警戒を見せるのは戦士の本能だ。

 

しかし今のアイズを相手にしては、その数秒が致命的。

 

「………決めろ、アイズ」

「【目覚めよ(テンペスト)】!!」

 

デスペレートを回収したアイズの渾身の袈裟懸けがレヴィスを捉えた。

 

 

 

 

 




後書きです。最後まで書ききれなかったorz。次こそ黒衣のクエスト篇終わらせます!それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂けたら幸いです。


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Myth50 待っているわと言わないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カァン

 

まだ日も上がりきらず、靄も晴れぬ早朝。町外れの寂れた教会の庭で何かが硬質な何かがぶつかり合う音が響いてくる。靄の中をよくよく見ると二つの影が見えてくるだろう。一つは女性だ。プラチナブロンドのロングヘアに碧空色の碧眼。まさに天覧の空が人の形になったかのような美女。肢体は優美な曲線を描き、動きに連られ、豊満な胸部が揺れていた。その造形はまさに女神の美しさと言っていい。

もう一人は女性に比べ、背丈は随分と低い。しっとりと濡れたような艶やかな黒髪を朝露で本当に濡らし、エメラルドを思わせる翡翠色の瞳を持つ少年。

彼らは最近発足したばかりの絶賛売り出し中ファミリアの主神と眷属。二人は今、本拠地としている廃墟同然の教会の庭で木剣を打ち合っていた。

 

「ガッ!?」

 

小さい方の影が吹っ飛ばされる。木剣を杖に立ち上がる少年を碧眼の美女が見守っている。にっこりと微笑んだ。

 

「どうしましたリヴィ。私はまだここから一歩も動いてさえいませんよ」

「うっさい!まだまだこれからだ、ルグ!!」

 

一直線にこちらへとかける少年に向け、女神は一度手招きした。

 

「カマン、リヴィ」

 

太陽神ルグとリヴィエール・グローリア。まだ少年が『剣鬼』と呼ばれていたころの日常の一コマである。

 

 

 

 

 

「───惜しかったですね、リヴィ」

 

アザだらけになった少年の手当てをする女神が先の稽古の感想を述べる。決して嘘を言ったつもりはなかったが、ボコボコにされた少年には皮肉にしか聞こえなかった。

 

「すみません、どの辺りが惜しかったんですか」

「その辺りです」

「具体的に」

「やっぱりあの辺りでした」

「…………クソ」

 

あまりに適当な返しに苛立ちは抑えられないが、それでも歯向かう気は起きない。

ファミリアを始め、ダンジョンに潜るようになってから、リヴィエールは一人になってからずっとやってなかった剣の稽古を再開した。初めは一人で素振りしていたのだが、ある日稽古の様子を見ていたルグが稽古相手を名乗り出た。

 

「なんだか見てたらウズウズしてきちゃいまして。私も久々に身体を動かしたいなぁ、と」

 

アンタ剣なんか扱えるのか?と聞いたら『そこそこね』と答えた。コイツと初めて出会った時から暫くが経つ。お互い距離は縮まったが、最近少々鬱陶しくもなり始めていた。ちょっと心を許したかと思えば随分と調子に乗っているコイツに灸を据えるいい機会かと思い、相手をした。

 

そして、結果はこのザマ。ルグがかつて天界で百芸に通ずる者(イルダーナハ)と呼ばれていた武の達人である事を知ったのはしばらくが経ってからだった。

 

ボコボコにされた俺を膝に乗せ、気がすむまで頭を撫でる。このような屈辱的な膝枕を俺は稽古のたびにやらされていた。

 

そして今日もそれは変わらない。何度も何度も挑みかかり、打ち据えられ、疲労困憊で動けなくなる。ボロ教会のやたら広い庭で俺は大の字になって倒れていた。

 

「…………ルグ、俺、弱いか?」

 

倒れたまま問いかける。プラチナブロンドの美女は困ったように指を顎に添えた。

 

「基準をどこに置くかによって答えは変わりますが、人間と考えるなら貴方は充分に強いですよ。悲しく思えるほどにね」

 

たしかに根幹となる技術は備わっている。そしてその技術を彼は自分のものにしていた。しかしその技術を彼は血の中でモノにした事をルグは知っている。剣は対話なり。一太刀受ければ使い手の為人がわかり、二太刀受ければ過去が見える。

彼の剣はあまりに血を知りすぎていた。冷たく、容赦なく、暗い剣だった。

故郷が焼かれ、両親に捨てられ、彼はたった一人でその身を生きながらえさせてきた。年端もいかない浮浪者が生きていくには軽犯罪は当たり前。時には強盗や殺人に手を染めるケースも少なくない。無論リヴィエールもその例にもれない。血に汚れた頬を己の血で洗う日々に生きていた。

 

生きるために、強くならざるを得なかった。

 

───貴方はとても強い子です。しかし貴方の強さはとても冷たい。その冷たさはいつか貴方をも凍らせ、そして、砕ける

 

倒れていた少年を抱え上げ、抱きしめる。凍ってしまった彼の心を少しでも溶かせるように。初めて出会った時に交わした約束を、白金の女神は忘れていなかった。

 

「おい、ルグ」

「すみません、少しだけこうさせてください」

 

伝えたい言葉はあった。貴方は弱くないのだと言いたかった。しかし、できない。言葉に意味を見出せない子だということは知っていた。だからこそ、ただ黙って抱きしめる。

 

「…………なんなんだよ、もう」

 

少し抵抗したが、離してくれる様子を見せなかったため、大人しくその豊かな胸の中に埋まる。サラッとした清涼感のある甘さが香った。

 

───匂い、か

 

そんな物を感じられるようになったのはいつからだったろうか。五感なんてとっくに凍りついてしまったと思っていたのに。視界は血以外はほとんどモノクロにしか認識できず、嗅覚は鉄とその他腐敗臭で潰され、触覚は人を切る感覚で埋め尽くされた。だというのに、今俺の目はルグを美しいと認識し、サラリとした甘い香りが鼻腔をくすぐり、彼女の温もりと柔らかさが全身を包んでいる。感覚とは感じられなくなったとしても消えたりするものではないらしい。

今思えば、ルグと出会って初めて感じた感覚が、この香りだったかもしれない。

 

心の氷が溶け始めていた少年はこの匂いが好きだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───っ、ムグッ!?」

 

魔物化を解除した途端、視界が揺らぎ、喉奥から鉄臭い灼熱の何かが迫り上がる。『咎人』の反動。先日、18階層で発狂しかけたあの感覚と酷似した現象が俺を襲った。

 

堪えようと思えたのは僅か数秒。堪らず喀血する。身が引き裂かれる激痛と無数の虫が体内を這い上がる悪寒が細胞レベルで自身を苛む。全身が燃えた。膝をつく。

 

───変身は一瞬だったが……モユルダイチの形態変化に完全詠唱の『ノワール』。流石に魔法を使い過ぎたか

 

変身前にはクサナギまで撃ってる。反動は当然。マインド・ダウン三歩手前といったところだろう。

 

「リヴィ!!」

「ウルス!」

 

膝をつく白髪の青年をアマゾネスとフードの女が支える。アスフィも躊躇なく万能薬の栓を開けた。頭からかけられるその液体は灼熱に包まれる彼を心地よく冷ます。静かに痛みが緩和され、正気が取り戻されていった。

 

「…………離せお前ら。まだ、終わってない」

「貴方っ、その身体でまだ!」

「心配するな。あの時よりは随分マシだ」

 

半分真実で半分嘘だ。活動限界まで魔物化し続けた18階層の時と比べれば確かに反動は軽減されていたが、大魔法の二連続使用。しかも形態変化に完全詠唱までやってしまった。マインドの消費で言えば先を遥かに上回る。特に魔法を放った手のひらの火傷は深刻だ。こうして意識を繋いでいるだけでも奇跡的と言っていい。

しかし、こうして痩せ我慢が出来る余裕があるのも事実だった。

 

「あの、宝珠を」

 

剣を杖に紫ローブの男を追う。幸い『ノワール』の飛び火を受けたヤツは未だ逃げられないでいる。魔物化を発動させたのはリャナンシーの動きを縛るためだが、わざわざ完全詠唱でノワールを撃ったのはコイツを逃さないためが最大の理由だ。食人花を全滅させる程度なら詠唱破棄でも充分だったが、この大空洞全体に奴が逃げられない程度の強さでアマテラスを展開するためには通常の魔法では足りなかった。

 

「無茶です!今は退きましょう!脱出が最優先───」

 

ゾクリ

 

このクエストを引き受けて以来、最大級の悪寒が背筋に走る。気付いた時には防御魔法『ル・ブルー』を最大限に展開していた。

 

衝撃は一瞬。

 

『!?』

 

視界が閃光に焼かれる。リヴィエール達を守っていた青いベールは一瞬で蒸発し、爆風が手練れ達を吹き飛ばす。態勢を整えたときには、既に全身黒尽くめの何かが三人の前に立っていた。

 

───コイツ、どこから現れた!?

 

攻撃される直前まで気配を感じることができなかった。たとえ満身創痍でも、この鉄火場で周囲の警戒を解くほどマヌケではない。そのリヴィエールを以ってしてもこの黒ローブが大空洞に入り、歩き、そして魔法を放った事に気づけなかった。

 

スンっ

 

───この、匂い

 

「………ふぅ」

 

『ッ!!?』

 

この場に集う手練れ達に、そして一瞬早くリヴィエールに、戦慄が走る。たった一言の、呼吸音に似た小さな声を聞いただけで、オラリオでも有数の実力者達が凍りついた。

 

佇むだけで伝わる存在感。呼吸だけで伝わる威圧。圧倒的な、格の違い。

 

『勝てない』

 

頭を支配したのはその一言。力の差ではない。この者にはどうやっても敵わない。そんな事をこの手練れの冒険者達に思わせた。

これは本来ありえない事だ。ダンジョンに潜れば自分より遥かに強い敵など日常的に出会う。それでも彼らは勝てないなどと思わない。力の差などきっかけ一つで簡単に覆る。勝敗など揺蕩ってて当たり前。それでも勝つ気でやるのが本物の冒険者。

アイズもリューもアイシャもアスフィもずっとそうしてきた。だからこそ今まで生き残っている。その彼女らを以ってして、『勝てない』と思わせた。

 

たった一人を除いて。

 

「へぇ」

 

フラガラッハを黒ローブに突きつける。ただ一人、リヴィエールだけは戦闘態勢を整えていた。

 

「…………?」

 

ローブから指先が出る。意外に細い。もしかしたら女かもしれないと思った時、謎の乱入者は指を振った。

 

「なっ」

 

周囲を埋め尽くしていた『ノワール』の残り火が一瞬で消えた。アマテラスを付与された炎であるそれは水をかけたくらいじゃ消えない。消えるとすればリヴィエール本人の意思で消すか、対象を燃やし尽くすか……それとも

 

───俺以上の魔力と精緻な魔力操作で消した……

 

そんな事、リヴェリアすら出来ないはずだが、目の前の現象を説明するならそれしかない。

 

「随分手酷くやられましたね、リャナンシー」

 

僅かに覗く桜色の唇から柔らかな声が響く。音は高い。女性だ。音色は名手の奏でるバイオリンのように美しく、艶やかだった。

 

「うるさいわねぇ、殺されたいの?」

「『アマノイワト』まで……」

 

黒炎の檻に閉じ込めていたリャナンシーが不服そうに立ち上がる。流石に無傷ではないらしく、そこかしこ焦げていた。あの檻に閉じ込められて火傷程度で済んでいるだけでも、充分異常なのだが、現在巻き起こっているこの状況が異常過ぎる。疑問を挟む余裕はなかった。

 

「しかし、いい魔法です。術者は貴方ですか?名前は?」

「…………リヴィエール」

「あら、貴方がそうなのですね。噂は伺っていますよ」

 

声音は美しく、品がある。その気品ゆえか、リヴィエールはなんの疑問も躊躇もなく、名乗ってしまっていた。

 

「お前は……何者だ?何が目的でここにきた?」

「私ですか?そうですね……メルクーリとでも呼んでください。ある人を探していましてね」

「人?一体誰だ……アリアか?それとも、オリヴィエか?」

「いえ、それがわからなくて。会えば思い出すと思いますが……」

 

ローブの奥で光が見える。視線はリヴィエールの翡翠色の瞳を捉えていた。

 

「…………なるほど、確かに素晴らしい。『彼女』が気にいるのもわかります。もう少し見せていただけますかね」

「───嫌だと言ったら?」

 

空気が張り詰める。二人を中心に殺気がぶつかり合い、大空洞を震えさせた。ピシリと周囲に亀裂が奔った。

 

「───っ!?」

 

足場が大きく崩れる。大空洞全体が揺れ、崩落が始まっていた。震源は食料庫中心の大主柱。レヴィスによって破壊され、音を立てて崩れ始めていた。

 

「中枢を壊したか」

「せっかちですね、レヴィスは。でもまあ、数秒はありますか」

 

───やる気か……

 

まあいい。こちらとしても聞きたいことは山ほどある。

 

「リュー、得物貸せ」

「っ!バカ!何言ってるんです!死にますよ!?早く逃げないと──」

「だから殿務めてやるって言ってるんだろ。コイツら相手に無防備に背中見せる気か?」

「───っ、」

 

その一言に何も言えなくなる。いや、正確には言いたいことは腐るほどあった。そんな身体で、と山程罵倒してやりたかった。しかしできない。彼の言っていることは正しい。

 

───両手斬り落としてでも止めてやるつもりだったのに……

 

これではアイズを頼りないなどととても言えない。女というのはどうしてこう惚れた男には甘くなってしまうのか。

包みに入れていた小太刀を八つ当たり兼ねて投げつける。椿が打ち直したカグツチだ。リヴィエールの所在を訪ねにヘファイストスの元へ行った時に彼女から預かり、渡すよう頼まれたモノ。ノールックでリヴィエールは掴み取る。手に負った火傷の痛みで頬が引きつりそうになるのを無理矢理押し込めた。

 

「すぐに離脱してくださいよ」

「わかってる。適当に戦ったら俺もフケるさ。負傷者を連れて早く引け」

 

鞘を口で咥え、黒刀を抜く。黒ローブも腰から剣を抜く。白金に輝く長剣で、装飾も美しい。どちらかといえば儀式用に用いられるような宝剣に似ていた。二人とも構える。軽く腰を落とし、半身になって鋒を向ける姿は二人ともよく似ていた。

 

「へぇ、堂のいった構えですね」

「行くぞ」

「カマン」

 

三振りの剣が激突する。同時に放たれる衝撃波が二人の剣の凄まじさを物語っていた。

 

『っ!?』

 

───重い!!

 

なんとか斬撃を弾いたが、あまりの衝撃に剣聖の腕は肘まで痺れた。もし双刀で受けていなければ腕ごとへし折られていたかもしれない。そう思わせるほどに重い剣。それでいて凄まじく早い。大量の火花が飛び散るのも遅く思えるほどに次撃の光は素早くこちらに襲いかかる。なんとか受けるが防戦一方。二刀はリャナンシーの相手をすることも考慮に入れた上での決断だったのだが、リヴィエールはこの黒ローブに己の全てを込めねばならなかった。

 

剣戟が交錯するたび、鮮血が舞う。メルクーリの剣はリヴィの防禦を僅かに抜けていた。それはこの正体不明の冒険者に剣の腕で劣っている証拠に他ならない。魔物化の反動により、満身創痍とはいえ、あの剣聖と呼ばれた男が。

 

───テメエより強い冒険者なんて、腐る程見てきたが……

 

初めてかもしれない。明らかに自分以上の優れた剣才との出会いは。

 

───だが何とか渡り合える。ついていける

 

考えるより先に体が動く。少しずつ身体は刻まれていっているが、致命傷は避けていた。何千何万と挑んできた剣が勝手に反応してくれる。

 

「いい腕です。私の剣をこれほど受けた者は貴方が二人目ですよ。その子も珍しく貴方を気に入っている様子ですし。惜しいですね。手負いでなければもっと勝負になったでしょうに」

 

鍔迫り合いに移行し、動きが止まる中、メルクーリはリヴィエールの剣を褒める。

 

「剣を二本扱う者など、見栄えばかりを気にする道化と相場が決まっていますが、貴方は二刀の真髄を理解する者のようですね」

 

そう。剣を二本使うのだから手数が倍で攻撃力が上がる、などと素人は考える。しかし二刀の真髄は攻撃ではなく防御。一方の刀で守り、崩し、もう一方で攻める。逆の剣は盾だと考えれば分かりやすいだろう。つまり、利き手でない剣を盾とし、本命で決める。それが二刀の正しい使い方だ。

 

「しかし腕に比べ、使っている剣が酷い。まあ人間にしては頑張ってる方ですが、所詮は真似事ですね」

 

黒ローブの剣が淡く輝く。同時に受けていた黒刀がドロリと溶けた。

 

「なっ!?」

 

慌てて飛び下がる。そして愚かと分かっていたが、手にした剣の惨状に目を奪われてしまった。

 

「ははは……俺のカグツチがまるでチョコレートだな。まさかお前もアルカナムを……」

「ほう、そこまでは辿り着いていましたか」

 

リヴィエールの独り言に女があっさりと肯定を返す。その時にはもう彼女は長剣を鞘へと当て、落とし込んでいた。どうやらもう戦う気は無いらしい。

 

「…………情けでもかけてるつもりか?」

「まさか。フラガラッハがあれば貴方ならまだまだ戦えるでしょう。しかし崩落に巻き込まれるのもつまらないですから」

 

それも本音だろうが、決着のついた勝負への興味が失せたことが最大の理由だと剣聖は感じ取っていた。事実、このまま戦えば負けるのは確実にリヴィエールだ。

 

「次はお互い、全力でやりあいましょう。それまでにはその傷を癒し、もっとマトモな剣を用意してておいてくださいね」

 

───見透かされてる……

 

背を向け、崩落の中を悠然と歩き始める。もう全力で剣を振れる両手ではなかった。

 

「…………リャナンシー」

「今私と戦ったら貴方は確実に死ぬわねぇ。これで貴方は三度、私に命を見逃してもらった事になるわ」

「…………やるというなら───」

「59階層で待っているわ。私の愛しい貴方。あんな女に殺されないでね」

 

相手になる、と言おうとした口が止まる。瞬きした時にはもう紫髪の美女の姿はなかった。

 

「…………クソ」

 

踵を返す。頭を脱出へと切り替えた。

 

こうしてモンスターの大量発生から始まった冒険者依頼は終結。リヴィエールも早々に本隊と合流を果たし、生存者は地上へと帰還した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

穏やかな日和、今日もオラリオは平和な喧騒で満ちている。ダンジョンで事件が起きたとしても、そんな事は日常茶飯事。話題になるのはせいぜい数日の事だ。冒険者が多少死のうが、歴戦の手練れが負傷しようが、世界は何の変化もなく回っていく。

噂を75日も持たせることが出来る人物はもはや伝説と言っていいのかもしれない。

そしてその伝説に立ち入った数少ない男が今、窮地に立たされていた。豊穣の女主人亭二階。従業員の住み込み用の決して広いとは言えない部屋に現在、三名の人間がひしめいている。一人は肌の色が見えないほど両手をしっかりと包帯でぐるぐる巻きにされた白髪の青年に、その青年の看病に勤しむ給仕姿の娘。そして簡易なキッチンで手料理を作っている褐色の肌の情婦。

ヒューマン、エルフ、アマゾネス。およそ一生関わり合いにならなさそうな三種の種族がこの狭い部屋に集結していた。いや、させていたという表現の方が正しいだろう。この気まずい空気の渦中にいる男が。

 

───自分の部屋でなんでこんな居心地悪い思いしなきゃいけねーんだ……

 

「───つっ……」

「動かないでください。まったく、魔物化の反動も相当ですが、特にこの両手の火傷が酷すぎる。こんな手でよく剣が握れたものですね」

「痛みなんざ気合いだ気合い」

 

普通、上位魔導士は魔法を放つ時、魔法石が埋め込まれたロッドを用いる。レフィーヤもリヴェリアもその一人である。強力な魔法であればあるほど効果範囲も広く、反動も大きい。不完全な状態で放った魔法が自身に跳ね返ることも実戦ではしばしばだ。その反動も最小限に、そして効率的に放つ為に、杖が必要になってくる。魔法剣士であるリヴィエールも勿論ロッドは持っていたが、かつて愛用していた錫杖はルグ・ファミリア襲撃事件で壊されてしまった。既に死人として扱われていたリヴィエールに新たなロッドを作る機会は皆無。自身で作れればよかったのだが、剣の整備はともかく、特殊な技術を必要とするロッド制作はいかな彼とて不可能。故にこの一年、魔法を使う時、リヴィエールは手から放っていた。

そして今回、咎人状態で完全詠唱『ノワール・レア・ラーヴァティン』を素手で放った。これはもう大砲の砲弾を素手で筒代わりにして打ち出したようなもの。負傷は当然。寧ろこの程度で済んでいるのはリヴェリア仕込みの魔法操作スキルがあってこそだ。

 

「リバウンドで怪我をした者なら何人か見たことはありますが……これは今まで見た中でも文句なく最悪ですね」

「しょうがないだろう。俺だって魔物化状態で完全詠唱の『ノワール』を撃ったのは初めてだったんだから」

 

あの殲滅魔法を試し撃ちするなんて事は不可能だ。リスクがあることは覚悟していたが、ここまで負傷するとは思わなかった。

 

「ウルスー、ご飯できたよーって、まだ治療してたのかい?まったくエルフは手が遅いね。私がやったげようか?」

「雑なアマゾネスは黙っていてください。治療とは繊細な作業なのです。ポーションかければ終わりの貴女などに任せられるはずないでしょう」

「は?言っとくけど私この半年でこいつの治療両手の指で数えられないくらいはやってるからね?こいつが今日まで生き延びられたのは一体誰のおかげだと思ってる?」

「お前ら、喧嘩するなら出てけ」

『リヴィエールは黙ってろ(てください)!!』

「…………お前ら、ホントは仲良いだろ?なら俺が出ていく」

「なっ!?その身体でどこに行く気ですか!?まさかダンジョン?!許しませんよリヴィエール!」

「ほったらかしにしてた分の埋め合わせシてくれるって約束したじゃないかい!どっか行くならせめて一発ヤッてけ!」

「だー!うるさい!ちょっと考え事したいから一人にさせろぉ!」

「懐かしいな。昔からいつもお前の周りは姦しい」

 

威厳ある美しいソプラノがドアを叩く。本当に部屋から出て行こうとする白髪の青年を女二人が身体を張って止めているところに、翡翠色の瞳に深い知性の光を宿した美しいハイエルフが薄笑いを浮かべて立っていた。

 

「やあ、そろそろ来る頃だと思ってたよ、リーア」

「話がしたい。『黄昏の館』へ来てくれ、リヴィエール」

「言っておくが、今回の件で俺が掴んでいる情報はアイズと大差ないぞ」

「構わない。多角的な視点から観察したいし、お前の見解を聞きたい」

「わかった」

「…………いいのか?」

 

心配そうにアマゾネスの瞳がこちらを見上げてくる。王族たるリヴェリアの手前、口には出さないが、同様の思いはリューにもあった。敵対してないとはいえ、他ファミリアに彼の情報を晒すのは抵抗がある。

 

「心配するな。てゆーか、こいつらには既に魔物化について殆ど話してる。今更だ。行こうか、リヴェリア。あ、お前らはついてくるなよ。此処で待ってろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




花粉がひどい季節になってきましたね。皆さまお身体にはくれぐれも気をつけてください。それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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Myth51 流れていくと言わないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よう、待っとったで。リヴィエール」

「…………俺はリヴェリアと話をしに来たつもりだったんだがな」

 

通された執務室。リヴィエールはひどいデジャヴに襲われていた。自分を中心にファミリア最高幹部達が囲み、正面にロキが座っている。

 

「同じ事やろ。リヴェリアに話せば遅かれ早かれウチにも伝わる」

「…………チッ、まあ納得しておくか」

 

待たせている女達のこともある。これ以上不満を言っても始まらない。白髪の剣士は不服げにしつつも、今回の顛末を口にした。

 

「…………なるほどなぁ」

 

事のあらましはだいたい話した。魔石を内包する怪物もどき。モンスターを変異させる宝玉の製造。蘇った【天剣】と【白髪鬼】。闇派閥の残党によくわからない『彼女』とやらの存在。そして現れた三人目の黒ローブ。

 

「───闇派閥あたりの事まではアイズから聞いとったけど、その黒ローブの事は知らんかったな。そいつも怪物もどきか?」

「…………恐らく違うだろうな」

 

ソウシもオリヴァス・アクトも、恐らくはリャナンシーも怪物との混じり。ならば新たに現れた黒ローブもそうだと思うのは至極自然な発想だ。しかし剣聖の頭脳は否と言っている。

 

「アレはそんな安い存在じゃない」

「強かったんか」

「少なくとも今の俺よりは」

 

その一言に全員が絶句する。この男がアッサリと自分より上だと口にした事が信じられなかった。

 

「…………心配するなよ。強いって言ってもあくまで個の力だ。奴らは連携なんてまずしない。リャナンシーもアイツのことは気に入らない様子だったしな。恐らく利害が一致しているだけの関係だろう。オラリオ最強ロキ・ファミリア全体の力をもってすればどうとでもなる」

「ハッ、たった一人で大手ファミリアと渡り合っとったヤツがよう言う。数の力で押しつぶせん人種もおるいうことはお前が一番よう知っとるやろ」

「買いかぶりだ。俺は借り物の剣を取っていただけだよ」

 

嘘をついたつもりはない。実際リヴェリアやアイズと組んでダンジョンに潜ることだって何度もあった。一人でロキやフレイヤと渡り合っていたつもりは毛頭なかった。

 

「しっかし連中の目的がホンマにオラリオ壊滅やとは……結局お前の勘はまたしても大正解やったというわけか」

「わからないぞ。トカゲの尻尾の戯れ言だ。あまり信じ過ぎても良くない」

 

無論一部真実もなくはないだろうが、その奥に更なる真実がありそうだ。

 

「でも食人花の量産に新しい宝珠も作っとったわけやろ?たしかにあの糞花大量に地上に放たれたら都市の一つや二つ壊滅しても、まあ不思議はないわな」

「しかしどうやって?育てるだけならともかく、あんな怪物を私達にバレずに地上に放つなど不可能だろう」

「せやなぁ。前ん時は怪物祭のドサクサに紛れさせたんやとしても、あれはイレギュラー中のイレギュラーや。そんな機会今後そうそうないやろうし」

「…………」

 

それもどうなんだろうとリヴィエールは考える。あのガネーシャ・ファミリアが……というよりはあのシャクティがそんな見落としをするとは思えない。まして俺はあいつに一度忠告していた。いくらフレイヤの介入があっだとしても、あそこまで無防備だったのは腑に落ちない。

 

───かといって他に考えられないのも事実…………ん?

 

視線が集まったのに気づき、思考の海から戻される。何を言うのか期待されている眼差しだ。少しイラっとした。

 

「……おい、俺にばかり考えさせんな。そっちからも情報よこせ。お前らも俺のクエスト中寝てたわけじゃないだろうが。情報交換が協定の条件だったはずだ」

「そんな怖い顔すんなや。わかっとるわ。フィン」

 

小柄な美少年にしか見えない実は中年が手にした資料をこちらへと渡してくる。流石に準備が良い。そしてガードが固い。うっかり余計な情報を与えないように、そして漏らさないようにされている。

 

「…………例の新種が下水道に数匹。ギルドの動きを訝しむデュオニソス・ファミリアに、ヘルメス・ファミリアか。よりにもよってまた胡散臭い奴らが動いているな」

 

ザッと資料に目を通し、必要な情報を抜き取る。この場にいる全員がその速さと的確さに舌を巻いた。この男は一を聞いて十どころか五十は読み取る。

 

「……下水道にまだいたのか。怪物祭の生き残りか?」

 

渡された情報にこれといった収穫はない。取り引きをしていれば避けられない事ではあるが、苦労に比べ、あまりの無駄骨の多さに思わず息が出てしまった。

 

「それについてはこっちも頭悩ましてんねん。まだ下水道におるいうことはいつ地上に出てきてもおかしないからな」

 

やれやれとロキが頭を抱える。どうやら白髪の青年の溜息の理由を勘違いしているらしいが、わざわざ否定する気にもならなかった。

 

「どこかに巣でも作ったか?……いや、それはないか。勝手に増殖してくれるならわざわざダンジョンの中に人工迷宮作ってまで生育する意味はないし……ならどこから───と」

 

頭の隅がチリっとする。ハァと一つ息を吐くとリヴィエールはおもむろに扉に手を当て、何かを唱えた。

 

きゃんっ

 

隣の部屋からそんな声が僅かに響く。盗み聞きをしていた不逞の輩を風の魔法で少し揶揄ったのだ。

 

「おい。なに盗み聞きしてやがる三人娘」

「あはは……」

「流石ねリヴィエール。気配は消してたつもりだったんだけど」

「ヘタな隠行は逆に目立つ」

「…………私のことですか?」

「ネガティブ、というか妄想激しいのはお前の欠点だぞ、レフィーヤ」

 

実際その通りだが。てゆーかヒリュテ姉妹もこのエルフに比べればまだマシというだけで決して上手くはない。オラオラタイプのアマゾネスは隠密起動に向いていないし、戦闘向きとは言い難いエルフ。当然といえば当然だ。

 

「それにここは他ファミリアの本拠地だぞ。どこに目と耳があってもおかしくない。ましてこの密室だ。周囲の警戒してて当たり前──」

 

頭の中で何かが弾ける。レフィーヤ達の行動。アウェイならどこに目と耳があっても不思議ではない状況。黄昏の館はロキ・ファミリアが作った本拠地。どのような部屋がどんな目的で作られたかは作り手しか知らない。本当に知らせたくないモノには立ち入らせないし存在も教えない。

 

「どないしたんや自分」

「───レフィーヤ、ティオナ、ティオネ」

「?」

「ナイスだ」

「はあ?」

「というか、バカか俺は。もっと早く思い至らなければいけない可能性だっただろうが」

 

強敵は常に非常識に行動するというのが、俺の持論だったはずなのに。常識に囚われていた自分の思慮の浅さにヘドが出る。

 

「お、おいリヴィエール?」

 

───しかし思いついたからといってどうする?バカみたいに広いダンジョンだ。探すとしてもどうしても人手がいる。だがそんな大規模に捜索するとなると連中も気づく。今は──

 

「リヴィエール!!」

「───っ。なんだリヴェリア。急に大きな声を出すな」

「急にじゃない。何度も呼んだ。変わらないな。考え始めたら止まらなくなるの」

「で?なんかわかったんか?」

「…………ロキ、ちょっと来い」

 

執務室の奥へとロキを連れ込む。

 

「なんや。リヴェリア達にまで秘密かい」

「飽くまで仮説だ。あまり他の人間に聞かせて動揺させたくない。だが無視できない可能性だ。お前たちに調べて欲しい。俺では無理だ」

 

念のため結界を張り、音を漏れないようにした後、耳打ちした。

 

「恐らく、ダンジョンのどこかに最低でも一つ、バベル以外の出入り口がある可能性が高い」

「…………は?はぁあああ!?」

「しっ、騒ぐな。さっきも言ったが、可能性だ。話半分に聞いておいてくれ」

 

驚愕の声を上げようとした赤髪の邪神に指を立てる。

 

「ありえへん!ダンジョンの蓋はバベルだけいうのが都市の常識や!だからダンジョンの冒険は成り立っとる!」

「敵を常識に当てはめようとするな。強敵とは常に非常識に行動する。お前ならわかってるはずだ」

「…………まあな」

 

言われてみれば目の前のこの白髪の剣士もとんでもなく非常識だ。そしてこの非常識が警戒する相手なのだ。世界の常識くらいひっくり返すくらいでも不思議ではない。

 

「闇派閥の残党は恐らく都市に潜伏している。24階層では運搬用に檻を用意してたが、これは本来妙な話だ。連中では食人花をバベルの大穴からは運び出せる訳がない」

「…………ギルドが協力するつもりやったんとちゃうか?」

「だとしてもあれほどの巨躯を大穴から運び出して完璧に隠蔽するのは不可能だ。冒険者は勿論、ギルド職員の目だってあるんだから」

 

エイナからの話を聞いてるだけでも、連中がレヴィス達のことを知らないのはわかる。ギルドは恐らく黒ではない。動向を見ている限り、動きがクロっぽくない。あの黒ローブがウラノスの手の者なら解決に俺たちを利用したと考えるのが妥当。

 

「…………無視は出来ひん推理やな」

「無論仮説だ。根拠はない。勘も大いにある。あまり信用し過ぎるな。だがあるつもりで調べて欲しい。こればかりは俺では無理だ」

 

ダンジョンは何十年もの時をかけても、未だ全貌が明らかになっていない未知の世界。いくら能力が高くとも一人で調べるのは不可能。どうしても人手がいる。

 

「そんなんいくらウチでも無理やで」

「最大手ファミリアの一つなんだ。コネくらいあるだろ?カンのいい神なら現在の異常性に気づいているヤツもいるはずだ。そいつらも利用してくれればいい」

「…………で?対価は?」

「あっ、と」

 

怪しく口角を上げる邪神。見慣れた憎たらしい笑顔だが、これほどこいつに似合う顔もない。

 

「ギブアンドテイク。それがウチとお前の鉄則やろ?だからウチはお前を対等の友達と認めてるんや」

「今回のクエストでアイズやレフィーヤのお守りしてやったろ。それでチャラでいいじゃねーか」

「これだけの案件やぞ。悪いけど足らんな」

「…………何が望みだ?」

 

取引はコイツと何度もしてきた。釣り合うか釣り合わないかは他人から見てどうだったかはわからない。だがお互いの容量を超える要求をした事はないし、納得した上で同意してきた。俺にしか出来ない無理難題を言ってくる事はあっても、出来ることを要求する。そういう交渉相手だった。

 

「59階層の遠征。お前も来い」

「…………」

 

傘下に降れ程度の事は言ってくるんじゃないかと身構えていたが、肩透かしを喰らう。それに関しては言われなくても頼むつもりだった。向こうから言ってくれるなら願っても無い。

 

「完全に従えとは言わん。お前はお前を一番大切にしててええ。その代わり、あいつらと一緒に戦ってやって欲しい」

「…………そんな事でいいのか」

「あ、それなら一つ追加。遠征はアイズたんとパーティ組んで参加する事」

「…………」

 

余計なことを言ってしまったと少しだけ悔やむ。まあ参加するとなればどのみち同行させられただろう。わかった、と一度頷き、握手を交わした。

契約成立だ。

 

「不安か?」

 

挑戦的に笑いかける。挑発もあるだろうが、俺への心配も微量にあった。一度首を振ると、自分でも驚くほど穏やかに笑った。

 

「久々に血が騒ぐ。ワクワクするよ」

「生きて帰って来いよ。祝杯の用意して待ってるからな」

「内緒話は終わったか?」

 

話が切れた頃合いを見計らってか。実にいいタイミングでリヴェリアが声を掛ける。他の連中も興味深げにこちらを見ていた。ロキとリヴィエールは決して険悪な関係ではないが、悪友という呼び方がこれほど相応しい関係もない。この二人がコソコソしている様子は少し異様だった。

 

「ま、大体はな」

 

自嘲気味にリヴィが笑う。ローブを羽織り、フードを目深に被り直した。

 

「…………お前、これからどうするつもりだ」

「心配しなくてもすぐに突貫するつもりはないよ。相手がデカ過ぎる」

 

オラリオの壊滅を狙う連中だ。たった一人で大手ファミリアと渡り合ってきた男とはいえ、それは飽くまでも競争相手として。完璧に敵対していたとすれば、流石のリヴィエールも歯が立たなかったろう。

 

───それに、色々と用意しなければいけないものもある

 

刀身の溶けた刀の柄を軽く叩く。魔法のこともある。遠征までの時間、リヴィエールは装備を整えるために動くつもりだ。カグツチ以上の剣を二振り以上となると相当難しいが、幸い当てはある。

 

「俺はしばらくオラリオを出る。遠征の日程、詳しく決まったら俺の担当官に伝えてくれ。覚えてるか?エイナ・チュールだ」

「あのハーフエルフちゃんやろ?でも出来るだけはよ帰って来いよ」

「最長でも二週間で戻ってくる。エイナには俺から話を通しておく」

「了解。リヴェリア、送ったり」

「わかった。来いリヴィ。こっちだ」

「知ってるよ何回来てると思ってんだ」

「文句言うな。私とも少しは付き合え」

「断る!アンタと関わるとロクな事が───」

 

扉を開き、二人になった途端、いつもの姉弟喧嘩が始まる。こういう諍いが出来る相手はリヴィにはリヴェリアしかいないし、リヴェリアにもリヴィしかいない。辟易しつつも、白髪の青年に不快な様子はなく、緑髪の姉貴分は実に楽しそうだ。ああいう横顔を見たのはいつ以来だろうか。長髪を後ろで束ねたよく似た二人の後ろ姿を見送りながら、ロキは少し感情に悔しさを混じえて笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ギルドに行くのか?」

 

進行方向からか、それとも先程の話の内容からか、行き先を聞いてくる。リヴェリアの声には咎めの色が混ざっていた。

 

「別にウラノスに何かしに行くわけじゃないよ。言ったろ?突撃はしないって。俺の担当官に会いに行くだけだよ。ロキの使いが俺のことを聞きに来たら素直に教えてやれってのと言伝があれば伝えてくれってな」

 

あいつならロキ・ファミリア相手だろうと何の許可もなく俺の情報を漏らそうとはしないだろう。それにこれからは少し会えなくなる。その前に一度くらい直接会っておかなければまた怒られる。いや、怒られる程度なら良いが、最悪泣かれる。それは嫌だ。

 

「…………お前、これからどうするつもりだ?メンバーの選出に全員の装備も揃える必要がある。遠征までもう少し時間がかかるぞ」

「そりゃ都合が良い。俺も時間が欲しかったところだ」

 

あの59階層へ行こうというのだ。流石の剣聖といえど、色々と準備が必要になる。

 

───とりあえずは武具の調達だな。カグツチの代わりがいる。それに出来ればロッドも欲しい

 

黒刀の柄を軽く叩く。フラガラッハは既に彼の腰に掛かってはいるが、遠征に当たって業物はいくらあっても多すぎるということはない。

 

「…………ん?」

 

ギルドに着き、エイナを探していると妙な引力に目が引かれた。引力の先には探し人ともう一人がいる。こちらが気づくと同時にあいつも気づいた。振り返り、金色の瞳がかち合う。

 

「リヴィ!」

「アイズ……」

 

早足で駆け寄り、包帯で巻かれたリヴィの手を取る。

 

「良かった。ほとんど治ってる」

 

手の火傷の様子を見た蜂蜜色の髪の少女はほっと息をつく。クエストの帰路で合流したアイズは火傷が一番酷かった時を見ていた。

 

「アスフィに診てもらってたの知ってるだろ?」

「それでも、良かった」

「え?なに?リヴィ君怪我したの!?見せて!」

「嫌だよめんどくさい。それよりアイズ。お前なんでこんなところに?エイナに何か用か?」

「うん。彼女には少し頼みたいことがあってを 。あっ、そうだ。コレ」

 

背中から出されたのは手甲用のプロテクター。全体を染め上げる翡翠色はなかなか美しいが、品質は大した事ない。ザ・初級防具と言ったモノだ。それも傷だらけ。武具を見れば使い手の技量は概ねわかる。持ち主の未熟さが顕著に表れている。

 

───しかし同じくらいひたむきさも見て取れる。がむしゃらで真面目な駆け出し冒険者、と言ったところか

 

「リヴィとクエストを受けた10階層で拾った。多分リヴィのファミリアの白兎君のだと思う」

「…………なるほど」

「丁度良かった。リヴィから返しておいてくれる?」

「て言われてもな。俺はしばらくオラリオいないし」

「えっ、リヴィ都市出るの?何で?どこ行くの?仕事?クエスト?」

 

───しまった……

 

アイズには言うつもりなかったのに、エイナがいたから思わずポロっと漏れてしまった。

 

「…………今度の未開拓層の遠征、俺も同行することになった」

「!?」

 

元々大きな瞳がさらに大きく見開かれる。驚愕と歓喜、ほんの少しの不安が混ざっているのがよくわかった。

 

「恐らく俺が今まで経験したどんな遠征よりキツくなるだろう。リャナンシーや赤髪の調教師も待ち構えてるはずだ。もっと強くなる必要がある」

「うん」

「だから一度オラリオの外で修業してくる。鈍ってる対人戦闘。魔物化の反動。全てを鍛え直す」

「私も行く!」

「…………だから言いたくなかったんだ」

 

こう言い出す事は分かりきっていた。しかし修行以前にやらなければいけないこともある。そこにアイズを連れていくのは不可能だろう。あそこは妖精と関わりのある者しか入れない。なんとかしてくれとリヴェリアを見た。

 

「良いんじゃないか?修行するなら相手がいた方が効率が良いだろう」

「………」

 

背中から斬られた。こいつなら俺の視線の意味くらい理解していただろうに。ホントこの女は身内に甘い。その恩恵を受けた事も何度かあるが、ここ最近は裏切られてばかりだ。

 

「そうしてもらいなよリヴィ君!プロテクターは私からベル君に返しておいてあげるから!ヴァレンシュタイン氏が一緒なら私も安心できるし!」

「……………et tu,Brute」

 

どうやらこの場には俺の敵しかいないらしい。いや、正確には味方しかいないのだろうし、俺を想っての提案なんだろうが、はっきり言ってありがた迷惑だ。

 

───ん?

 

誰かが近づいてくる気配。時間稼ぎに視線を移し、そしてその場にいた全員が吊られ、呆気にとられる。噂をしていたプロテクターの持ち主がそこにいた。

 

「うっ、うわぁああ!!」

「待たれよ」

 

慌てて逃げようとした白兎の首根っこを捕まえて持ち上げる。足が宙に浮いても懸命に腕と足をフル回転させる姿は少し可愛らしかった。

 

「気に食わん白兎だな。他人の面を見るたびに奇声上げて逃げ出しやがって。俺はそんなに怖い顔か?」

「リリリリヴィエールさん!いえそんなつもりじゃ!せっかくヴァレンシュタインさんと二人なのに邪魔しちゃいけないと思って!」

「くだらない気を使うな。寧ろ良いタイミングで来てくれた」

「へ?」

「こっちの話だ。ほら、コレお前のプロテクターだろ。10階層で拾った」

「あ、ホントだ!ありがとうございます!」

 

闖入者のお陰でうまく話が逸れてくれた。このままなんとか有耶無耶にしてしまおう。

 

「そういやお前、もう10階層にまで行ってるのか」

「あ。はい、一応」

「10階層!?ベル君そんな所まで行ってるの!?」

「………あれからまだそんなに経ってないのに」

 

そう、この短期間で10階層に到達していた。しかもソロ。コレははっきり言って驚異的だ。俺も確かに半月で18階層手前までたどり着いたが、アレはアイズとリューの三人でパーティを組んでいたからこその結果。こいつと同じ時期、ソロで10階層まで行けたかと言われると微妙だ。

 

「頑張ってるんだね」

「そっ、それは色んな人に協力してもらったおかげでっ!僕はまだまだ全然というか!そのっ、色々我流ですし!」

「…………我流でコレか」

 

リヴィエールも基本的に我流だったが、剣に関しては根幹となる技術を元々備えていたし、何よりリヴェリアからノウハウを授けてもらっていた。知識も戦闘経験もなしで10階層。

 

───例のレアスキル、思った以上に厄介だな

 

気の小ささは変わっていない。にも関わらずこの身体能力の伸び。スペックは凄まじく向上しているのに対し、あまりに精神が幼い。急激な成長にメンタルが追いついていない典型だ。誰かが一度精神の脆さを指摘してやらなければ、臆病と慎重の違いを教えてやらなければ、いずれ大怪我する。

 

「そうなのよ。冒険者は冒険しちゃいけないって私何度も言ってるのにベル君全然聞いてくれなくて。リヴィ君、少し教育してくれない?」

「あのな。さっき言ったろ。俺しばらくオラリオ出なきゃいけないんだって。それに俺は基本的に弟子はとらん」

 

取るとしても、それは主義を曲げるほどの才気を持っている者のみ。悪いがベルにそれほどの才は感じない。

 

「…………私、リヴィの弟子のつもりだったんだけど」

「いやだからお前は……」

 

金眼の瞳を見て、フッと頭に一つ、何かが閃く。

ルグの全てが俺のために存在したというなら、俺の剣は恐らく、アイズのために存在した。ならアイズもきっと、また別の誰かの為に……

 

「アイズ」

 

そうして時代が積み重なっていき、歴史を作り、語り継がれ、英雄譚が紡がれていく。過去から現在、そして未来をかけて神の領域へと続く、遠い遠い道程。

俺たちは……いや、生きとし生けるもの全てが、抗えない時の波に流れていく。

 

「お前が教えてやれよ」

「え?」

 

しかしその一部である事が、自分のカケラを残せる事が少し誇らしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。GWが終わってしまう……次回から少しオリジナルです。それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします!


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Myth52 付いてくると言わないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

緑に覆われた天の空、さざめく葉の隙間から陽の光が溢れ、露に濡れ、煌めく。鳥が唄い、風が木々を通り抜け、葉鳴りの音が耳に心地いい。薄暗くも明るく、静寂に包まれながらも、音が楽しい。そんな森に、コンコンと水が湧く泉がある。流れる水は水晶のように透き通り、せせらぎの音は耳に心地いい。

その美しい泉の中心から泡が上がる。三数える間も無く水飛沫も。跳ねる水と共に泉から現れたのは男だった。若い。歳は二十を超えたかどうかというくらいだろう。背中近くまで伸ばした白髪は艶やかに煌めき、濡れた翡翠色の瞳は緑柱石のように美しい。鍛え抜かれた鋼の肉体には大小無数の傷が刻まれており、歴戦の戦士だと見て取れる。

 

「………ふぅ、やはりここの水は良いな」

 

若者の名はリヴィエール・グローリア。剣の達人にして、魔法の名手。最強の魔法剣士としてオラリオはおろか、近隣都市にまで名を轟かせた冒険者。そして無類の風呂好きとしても一部では有名だ。この森に来た最大の目的は別にあるのだが、この泉に浸かるのも大きな楽しみの一つだった。

 

───本当はこんな事してる場合じゃないんだけどな

 

しかしオラリオからほぼ休みなく走り続け、漸く辿り着いたのだ。汗を流すくらいはさせてもらいたい。沐浴に一時間近くかけるのは長すぎだと思うが。

 

「……行くか」

 

必要最低限の衣服を身に纏う。軽く髪をまとめると泉の奥にある巨石で象られたドルメンへと足を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前が教えてやれよ」

 

白髪の美男子が軽く言い放ったその言葉に誰もが驚愕する。言った本人すら少し驚いていた。ほとんど脳を経由せずに出た言葉だった。

 

「えぇえええ!?何言ってるのリヴィ君!ヴァレンシュタイン氏はロキ・ファミリアなのよ!」

「都市ならガキでも知ってることをわざわざ口に出すな。無論知っている」

「私の……というか私達の戦闘技術はフィンやガレス……リヴェリアに教わった物。それはつまり【ロキ・ファミリア】の財産」

「それを勝手に教える事はタブー。ファミリアで守られている暗黙の了解。だがそんな物今更だろう。アイツら俺にノウハウ教えちゃってんだし。文句は言えないし言わないだろ」

「私の前でよくいけしゃあしゃあと言えるな」

 

呆れたように隣に立つ緑髪の美女が息を吐く。

 

「間違ってるか?」

「けれども、だ」

「でも……リヴェリア以外にバレたら」

「なーに、そうなった時は全部俺が悪いってことにすりゃいい。俺からのクエストと言えばお前に咎はかからない」

「そうじゃなくて……」

「それに、これはお前のためにもきっとなる」

「え…」

「改めて誰かにモノを教えるってのは結構自分の技術に反映されるんだよ」

 

コーチ経験のあるものならわかるだろう。出来ることと理解していることは全く別物だ。理解していても実際にできないなんてよくある事だし、また逆に出来てもなんとなくしか理解できていない事も感覚派にはままある。

今まで感覚で出来ていた事を教えるためには考える必要がある。リヴィエールもアイズも感覚派だ。体捌きや立ち回りなど、『なんとなく』でやっていることも多い。センスや勘でやっている『なんとなく』を言語化しなければならない。これは意外と難しい。が、それが成れば『なんとなく』を理屈で説明できるようになる。理屈は自信となり、動きからは迷いが消える。身体能力やセンスが向上するわけではないが、戦闘中の一瞬が変わる。

 

冒険者は刹那を生きる。刹那で戦い、刹那に死ぬ。一瞬が変われば化けるには充分。

 

「師は弟子を育て、弟子は師を育てる。剣の真髄の一つだ。特にお前は手加減ド下手だからな。伸び代は俺がお前を教えた時よりあるだろう」

「ホント?」

「本当だとも。(おれ)弟子(お前)に言うんだから間違いない」

 

アイズの目の色が変わる。強くなる事を誰よりも求めてる少女だ。そしてコイツも冒険者にとって刹那がどれほど重要かよく知っている。

 

「…………でも何を教えればいいの?」

「特別な事は何もしなくていい。適当に戦って適当に転ばせてやれ。お前の時と一緒だ」

 

アイズにも技術指導は多少したが、訓練では殆ど剣を合わせていただけだ。手取り足取りで身につけたモノは実戦で役に立たない。自分で見て、受けて、感じ、発見し、理解する。そこまで出来てようやく半人前だ。

 

「んでボコにしながら悪い所を指摘してやれ。改善しなかったら改善するまでボコる。そんでいい。それならできるだろ?」

「…………」

「なんだ、まだ不満そうだな」

 

無表情の中に抵抗が見える。リヴィエールの説明は強くなるための一環として非常に説得力があるモノだった。しかしそれ以上に魅力的な実力上昇方法が目の前にある。よく知らない駆け出し冒険者への指導より、リヴィエールが取り組む修行の方が遥かに魅力的だ。

 

「よし、なら条件をつける。コイツに5日指導すれば、そのあとは俺の修行について来る事を許す。修行場所はリヴェリアに聞け」

「わかった、やる」

 

即答だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして絡まれてしまったアイズをなんとか置いて来る事には成功した。エイナにもこの場所を教え、ロキ・ファミリアから何か言伝があれば使い魔をこちらに送るように頼んだ。

 

「リーア。豊穣の女主人にコレを渡しておいてくれ」

 

二週間ほど出かけると書き留めた手紙を姉に預ける。アイシャとリューに宛てた物だ。直接会えばあいつらも着いてくると言いだしかねない。なら会わずにこの足で発つ方が面倒がない。

正直に言ってしまえば言伝もしたくないのだが、流石にそこまで邪険に扱うのは心苦しい。人によっては違うと言われるだろうが、リヴィエールの根はやはり善人だった。

 

諸々の準備と手回しを済ませたリヴィエールはすぐにネヴェドの森へと飛んだ。本来なら馬を使わなければいけない距離だが、白髪の剣士ならば自分の足で駆けた方が早い。【剣聖】の本気の走りは翔ぶが如く。ほぼ飛翔に近い速度で昼夜問わず駆けたリヴィエールはなんと一両日という驚異的な時間で目的地に到着した。

 

「あら、さっきぶりね」

「いや四年ぶりだろ」

「四年はさっきよ。私達にとってはね」

 

巨石塚の中に入り、呪文を口にしたリヴィエールは人魚達の歓待を受けていた。上半身肌色のみのマーメイドが白髪の青年の身体に絡みつく。ペタペタと来訪者の身体を触ってくるのは四年前と変わらなかった。

 

「それで?今回は偶然じゃないみたいだけど、何しに来たの?神巫様?ここに住む気になったなら歓迎するわよ」

「悪くない話だが、それはもうすこしテメエの人生を過ごしてからにさせてもらおう」

「じゃあどうして?」

 

神巫の血を継ぐ男は竦めた肩を直し、一度目を瞑る。目を開いたとき、その翡翠色の瞳は戦意の炎で燃えていた。

 

「武具の調達と、修行」

 

その瞳を見た時、人魚メイヴの胸に寂寥感が湧き上がる。彼女にとってはつい昨日のこと、とまでは言えないが、比較的新しい記憶とあまりに重なった。

 

───歴史は繰り返されるって、ホントね。人類(こどもたち)って本当に面白い

 

『エルフの修行だけじゃ限界があるのよ。私をもっと強くして』

 

西の魔女(ウィッチ・オブ・ウィッチ)】が帰って来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロキ・ファミリア主催。深層遠征当日の早朝。まだ日も登らない時刻。オラリオのはずれにある小高い丘に一人の男が訪れていた。暗闇の中で白い影がぼんやりと輝きを見せている。闇に目が慣れるとウイスキーのボトルと真新しい花束が石標に備えられているのがわかるだろう。その前に男が座り、スキットルを傾けている。

男の名はリヴィエール・グローリア。絹のような白髪を背中まで伸ばし、砂色のローブを羽織っている。オラリオでも屈指の剣士であり、魔導士でもある。スキットルを持つ手は深い火傷の痕があり、ボロボロになっていた。

 

───思ったより早かったな

 

使い魔の伝書鳩によって知らされた遠征日は5日後。

欲を言えばあと5日は欲しかった。結局アイズも来なかったし。要因は色々あるのだろうが、物理的に間に合わなかったというのが最大の理由だろう。

 

「ま。済んだことを考えてもしょうがない、か。最低限はこなした。後は実戦でなんとかするさ」

 

登り始めた太陽に向かって苦笑を向ける。スキットルの中身を全て飲み干した。

 

「ようやく、一つの答えが見つけられるような気がするよ。ルグ」

 

目標到達階層、59層。そこに求める答えの鍵がある。そんな期待を消す事はできなかった。

 

「勘か?」

「勘だよ」

 

唐突に背後からかかった声に驚きはなかった。特に気配を消してもいなかったし、今のリヴィエールの感覚は凄まじく鋭敏になっている。

 

「ったく、なんでこの場所知ってるんだよ。リュー、アイシャ」

「リヴェリア様に教えていただいたのです。貴方が立ち寄る場所の心当たりはないか、と」

「そしたら多分此処だろうってさ」

 

軽く一つ嘆息する。軽々に人に言うなとは言ったのに。まあアイツなりに選んで話しているんだろうが。

 

「ここは、お墓ですか?どなたの?」

「違うよ。俺が勝手に置いてるだけだ。ココが一番太陽がよく見える場所だから」

 

その一言で二人ともこの場所の意味がわかる。瞑目し、黙祷を捧げた。

 

「で?何しに来た?黙って出てった俺に文句でも言いに来たか?」

「そんな事で一々怒ったりしないよ。私達、アンタの放浪癖はとっくに慣れっこだから」

「一応リヴェリア様に言伝を頼んでくれましたしね」

「じゃあなんだ」

「今日の遠征、私たちも付いていくわ」

 

流石に目の色が変わる。本気かと視線で語った。二人とも目を逸らさず、真っ直ぐにこちらに挑んで来ている。

 

「…………死ぬぞ」

「かもしれませんね」

「生きて帰れるか、俺すらわからん。やめるなら今だ」

「ごめんな。アンタが逃げないなら私も逃げない。逃げられないんだよ。アンタに『魅了』されちまってる私達はさ」

 

勝手に居なくなるのはいい。無事でさえいてくれるなら。待つのは慣れている。だが知らないところで死なれるのだけは我慢できない。戦うなら共に戦いたい。逃げるなら一緒に逃げたい。そして死ぬなら…

 

「アンタより後に死にたくない。それが戦いの中だって言うなら、特に」

 

ほら、私アマゾネスだし、と笑って付け足す。彼女達は戦いの中で死ぬことを誇りに思う人種だ。死ぬなら孫に囲まれてなどではなく、戦場か、ベッドの上。それがアマゾネスの誇りなのだから。

 

「貴方さえ生きて帰れないかもしれないというのならなおの事、私たちは黙って待っている事など出来ないんです」

「…………馬鹿め」

 

説得は無理だと悟る。俺が止めてもこいつらは付いてくるだろう。ならせめて俺の目の届く範囲に置いておく方がまだマシだ。

 

「カバーしてやれるかはわからないからな。自分の命は自分で守れ」

「わかってる。なーに、だいじょーぶさ。私こないだLv.4にランクアップしたんだ。足手纏いにはならないさ」

「貴方が死ななければ私も死にませんよ。私が死ぬとしたら、貴方の次です」

 

憤然と鼻を鳴らす。全く根拠になっていない。が、根拠のない自信というのは中々侮りがたいことをリヴィエールは知っている。

 

───本来、両手両足斬り落としてでも止めるべきなんだろうが…

 

「冒険者の冒険を止める権利は、俺にはないか」

 

立ち上がり、手に持ったボトルをひっくり返す。建てられた墓標が太陽酒(サマー・ウイスキー)で染まり、日の出の光が眩しく反射した。

 

───そうか、お前もそう思うか、ルグ

 

「俺の間合いから離れるなよ。手の届く範囲なら守ってやる」

「Yes, my lord」

「了解、ご主人様」

 

太陽に背を向け、歩き始め、その背中に頭の後ろで手を組む黒髪のアマゾネスとフードをかぶり直したエルフが続く。青年の腰に掛かった二振りの剣が揺れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遠征当日、正午バベル前中央広場に集結した冒険者達は二つの部隊に分かれ、ダンジョンへと進行していた。先遣隊としてフィンとリヴェリアが一班を、ガレスが二班を指揮する形だ。まず第一班が大人数を通るための道を作る。その為、遠征に集まった手練れ揃いの中でも選りすぐりの精鋭が一班に割り振られる。

故にその中にアイズ・ヴァレンシュタインがいるのは必然だった。大きなトラブルもなく部隊は進んでいたのだが、彼女の表情は優れない。理由は主に二つ。一つは想像以上に遠征の決定が早く、リヴィエールの修行に同行できなかったためだ。この五日間、自分は結局あの白兎とレフィーヤの相手しかしていない。もちろんそのことに関して後悔はしていない。5日という約束を了承したのは自分だし、あの子との訓練した時間はそれなりに大変だったが、楽しくもあった。

 

オラリオの城壁で同じように二人で特訓していた日々を思い出す。剣を合わせて、打ちのめされて、悪い所を教わって、直していく。人を育てるという難しさと快感を僅かではあるが感じられた。

 

───リヴィも、こんな気持ちだったのかな?

 

不出来な弟子であると自覚しているアイズはこの五日間でますます彼への尊敬と敬愛を深めていた。だからこそ、この場に彼がいない事が不満で仕方なかった。

 

「いつまでむくれている」

 

7階層にまで到達した時、遂にリヴェリアが口を開いた。無表情が常のアイズの不機嫌に気づいた者はほとんどいなかったが、この姉に隠せるはずもない。

 

「定刻に来なかったんだ。仕方ないだろう」

「…………少しくらい待っても良かったはず」

「遠征隊がロキ・ファミリアのみの構成なら待ってやったがな。今回はヘファイストス・ファミリアも巻き込んでいる。彼らの許可なしに勝手な延長はできん」

 

リヴェリアの言い分は完璧な正論だ。椿にリヴィエールを待ちたいと言っていればあっさり許可は下りただろうが、それは別の話だ。魔導士であるリヴェリアが、オラリオ最強の剣士と世界最高の鍛治職人が親友を越えた関係だと知っているはずもない。

 

「ああ、そういえばさっきそんな事言ってたね。ハイ・スミス、それも【ヘファイストス・ファミリア】が同行なんて凄いじゃん!」

「ほー、なら間違っても足手まといにゃならねえな。安心した」

 

もう一人の不機嫌が話に入ってきた。ベート・ローガ。【凶狼】の二つ名を持つ実力者なのだが、少々高慢で人を見下す癖がある。ファミリア内でも彼を嫌っている人間は少なくない。この一匹狼に気安く接している者はそれこそリヴィエールくらいのものだろう。本人は蛇蝎のごとく、あの白髪の剣士を憎んでいるが、リヴィエールは周りほど彼に悪印象は抱いていない。この口振りも自身のコンプレックスの裏返しと分かっていれば可愛いモノだ、とは本人談である。

 

「ベートのそういうとこキラーい」

「けっ、雑魚に雑魚と言って何が悪い。身の程を知れってんだ」

「フン、リヴィエールを雑魚呼ばわりし、挑み続ける貴様の方が余程身の程を弁えていないと思うが?」

「うるせえぞババアっ!喧嘩ってのはてめえが負けを認めなきゃ負けじゃねえんだ!」

「…………敗北を認められないことこそを身の程知らずって言うんじゃないですか」

 

不機嫌なアイズから漏れた言葉の槍が狼の心臓を的確に射抜く。他の者が言ったなら躍起になって言い返す、もしくは力に訴えかけたかもしれないほどの発言だったが、アイズが相手では何もできない。クラクラとふらつきながら膝を折った。

 

「どうしたのよ、ティオナの石頭でも食らったような顔して」

「ティオネ酷くない!?」

 

その場にいた人間ほぼ全員がベートに『ザマァ』と心の中で罵声を浴びせたその時…

 

「四人、かな」

 

慌てた様子で奥から冒険者達が走ってくる。基本的に他ファミリアのパーティには不干渉、というのがダンジョンのルールなのだが、興味あるモノにはなんでも首を突っ込むティオナがその四人に話しかけてしまう。慌てた様子で告げられた内容はアイズの心をかき乱すのに十分な内容だった。

 

「ミノタウロスが出たんだって!あの化け物がこの上層で現れて、白髪のガキが9階層襲われてたんだ!」

 

その一言を聞いたアイズの心臓が一つ大きく跳ね、全身から冷たい汗が噴き出した。動揺と混乱、危機感が彼女の足を無理やり動かす。隊列が乱れるのも気にせず、気がついたら走り出していた。

 

───あの子が襲われてる!

 

たった5日だが共に打ち合い、眠り、修行をした少年。しかも彼はリヴィの仲間だ。放置することなど出来るはずもない。仲間を失うことをあの白髪の剣士は何よりも恐れていることをアイズは嫌という程知っていた。

 

───私は子供の頃リヴィに助けられた。今度は私の番だ!

 

正規ルートを駆け抜ける途中、小人族の少女が自分に助けを求めてくる。その説明で事態を完全に把握した蜂蜜色の髪の剣士は教え子を救うべく、全力で駆ける。この速度を止める事ができるものなど、オラリオには片手の指で数えるほどしかいまい。

 

だが、その五本の指の一人が、大剣を着き、広間に厳然と佇んでいた。

 

「【猛者(おうじゃ)】、どうしてっ」

 

あのリヴィエールをもってして勝てるとは言い切れないと言わしめた、名実ともにオラリオ最強の冒険者。都市唯一のLv.7が、殺気をむき出しに自分に向かい合っている。それの意味するところはこの場での自分との戦闘。

 

「手合わせ願おう、【剣姫】」

「どいてください」

「かつて【剣聖】が言っていた。強さとは自分の意思を折らず、曲げず、貫き通すための力だと」

 

金眼の剣士の目尻が一瞬動く。アイズの琴線がどこか、良く知っている。

 

「貫き通してみろ。あの男が育てた剣士だというのなら」

「どいてっ!」

 

【猛獣の王】に【剣聖の姫】が打ちかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦いは熾烈を極めた。

 

Lv.6に進化したアイズの目にも留まらぬ無数の剣閃をオッタルが弾く。一つでも入れば致命必至の斬撃を剛力と技巧で全て撃墜する。まさに頂天と呼ぶに相応しい激闘だ。アイズも充分最強の領域に足を踏み入れている。しかし、そのアイズをもってしても

 

ねじ伏せるのが最強の王に君臨する男の力だった。

 

「どこまで強くなる、お前達二人は」

 

完璧な防御を見せる男から漏れたセリフはアイズの耳には届かない。剣戟の音と焦燥が視野を狭めている。

 

「【目覚めよ(テンペスト)】!」

 

対人戦では封印していた枷を解き放つ。エアリエルの風がオッタルを襲う。しかし、巌となり立ちはだかるこの男は、風の斬撃程度では崩れない。

 

───その程度じゃ驚かない!

 

たしかに強い。コレが【猛者】か、と思わせるほどの武人だ。しかし…

 

「私はあなたより強い剣士を知っている!」

 

【リル・ラファーガ】

 

風の閃光が矢となり、真っ直ぐに王へと放たれる。己に迫る大風の閃光に対し、オッタルは大上段に振りかぶった。

 

「オォオオオオオオオオっ!!!」

 

力と力。剛の一撃が一本の筋となり、風の矢が穿刺となって衝突する。衝撃波が広間に響き、気流が暴れ、地面が陥没する──

 

より早く

 

 

「よぉし、そこまでだお前ら。剣を引け」

 

 

風の矢よりも素早い純白の閃きがするりと王と姫の間に割り込む。両手に握られた二振りの剣がそれぞれの一撃を受けていた。オッタルの大剣は真っ二つに切り裂かれており、デスペレートの剣尖は相手の腕をも気遣うように柔らかく流されている。対処の仕方に如実な差があった。

 

「いやはや流石だな。技の完成度、威力、練度、何よりも一撃に込める魂。双方素晴らしい一撃だった。しかしこんな力がぶつかり合えばどうなってしまうか、分からん男でもないだろうに」

「リヴィ!」

「やあアイズ。待たせたな。息災かい?」

「待ってた!会いたかった!」

 

乱入者の名はリヴィエール・グローリアと言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。社会人って忙しい!他の小説も書きたいのに全然書けないorz。でもダンまちは二期が始まる前に何とか更新したかった。待っている方などごく僅かだとは思いますが、他の小説も気長にお待ちください。それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂けたら幸いです。


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Myth53 私のようにはならないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………やっと来たか」

 

未開拓層攻略第二班。その指揮を任されている男が、安心と呆れ両方の意味で息を吐く。突風の如き速度で彼らの前に降り立った三つの影の一つに、待人の姿があった。

 

「遅い。オヌシは時間には几帳面な男だったはずじゃろうが」

「ガレス……集合場所と時間くらいは手紙に書いておいてくれ」

「ワシに文句を言われても困る。手紙を書いたのはワシではないからな」

 

恰幅の良いドワーフの前で軽く息を弾ませるのは白髪の美青年。その立ち姿はいつもと少し違う。全身を覆う砂色の法衣はいつも通りだが、中には革鎧を着込んでいる。その下は恐らく鎖帷子だろう。腕には手甲を装備し、ブーツもいつもと違う。腕利きのアイテムメーカーに作らせたオーダーメイドだろうということをドワーフたるガレスは見抜いた。両の腰には片手剣が一振りずつ下がっており、背中には魔法杖を掛けている。太陽を象った錫杖の中心には透き通るような美しい翡翠色の魔法石が輝いていた。

 

───いつもは少しでも軽くと言わんばかりの軽装のリヴィエールが。ここまでしっかりと装備を整えている姿を見るのはいつ以来か。

 

いや、ダンジョンで最も危険といっても過言ではない未開拓層へ行こうというのだ。今この状態でも充分軽装の部類に入る。人によっては『そんな装備で大丈夫か』と言いたくなるほどだろう。しかしリヴィエール最大の特長はスピード。パワー、テクニック、どれも高次元に纏まったオールラウンダーだが、最も秀でた能力は速度だ。判断の早さ、反応の速さ、そして動きの迅さ。爪ごと斬りふせる、固める前に砕く、やられる前にやる、つまりは触らせないという超攻撃特化。下手な装備は持ち味を殺しかねない。勿論微差だ。数値に変えれば100が99に落ちる程度かもしれない。

 

───だがその1が実戦では果てしなくでかい

 

百戦錬磨のガレスは1の重要度をよく知っている。その1を手に入れるために冒険者たちは日々命がけの訓練に身を投じているのだ。積み重ねなくして頂きへの道はありえない。どんな原石であろうと最初は土塊だ。丹念に砕き、磨き、研ぎあげた先にこそ、ダイヤモンドの輝きはある。

その1を犠牲にしてでも防御を強化してきた。流石の【剣聖】といえどこの攻略、『触らせない』は困難と判断している。

 

───だが、何よりいつもと違うのは【剣聖】自身か

 

肌がざわつく。戦慄が収まらない。隣に立つ男の纏う雰囲気が通常と明らかに違う。立ち姿だけで只者ではないと思わせる手練れ感は健在だが、普段はもっと剣気を抑えている。殺気や闘気を剥き出しにするのは二流三流。オーラで圧倒するタイプは第一級冒険者には幾人かいるが、それらは一流の冒険者であっても、一流の剣客ではない。

そしてリヴィエールは紛うことなく一流の冒険者にして、超一流の剣士。気を消す術は誰よりも心得ている。鋭い剣でありながら、その刃は『自然体』と言う名の鞘に納める。それが冒険者、リヴィエール・グローリアだ。

 

その基本スタンスは変わっていない。リヴィエールは今暴力的な気をダダ漏れにさせているわけではない。寧ろ逆。一切の無駄がないほどに静謐だ。

しかし、ガレス・ランドロックはその静謐さに畏れを感じていた。

 

───まさに研ぎ澄まされた一本の刃。鞘の内へと納めていても漏れ出る冷ややかな輝き。古の名剣は鋒に止まろうとした蜻蛉を斬り裂いたと言うが…

 

今の【剣聖】はその伝説を絵空事と思わせない。たった5日で明らかに目に見えて強くなっている。

ガレスの中で緊張のギアが一段上がる。同時に高揚感も。血湧き肉躍る戦いを求め、この【重傑】はオラリオへ来たのだ。

 

「で?後ろで息切らしてる二人は誰だ」

「ん?ああ…」

 

腰を叩きながら息を整える二人の現状をようやく把握する。アイシャ・ベルカとリュー・リオン。黄昏の館からここまで走り通しだった二人の回復にはまだ少し時間が必要だった。

 

「ちょっと…っ…ウル、ス……速い」

「お前達が鈍ってるんじゃないか。夜遊びもいいが、少しは鍛えておけ」

「いえ、リヴィが速すぎです」

 

手練れの冒険者とはいえ、こと速度において第一級冒険者の中でもトップにいるリヴィエールの最高速についてきたのだ。この状態は至極当然だろう。

 

「リヴィエール」

「ああ、気にするなガレス。俺のファンだ」

「お前の見送りに来ただけだと言うのなら気にせんが…」

 

二人ともパッと見ただけでもわかるほどの手練れぶりだ。腕利きの冒険者がこの場に来る理由が見送りのみとはとても思えない。

 

「心配するな。少なくとも足手まといにならない事は保証する」

「お前の子飼いか?」

「そんなところだ」

「───まあ良いか。しかし遅かったなリヴィエール。もうリヴェリア達の第一陣は出てしまったぞ」

「マジか。道理でいない顔が多いと思った」

「ステイタスの更新に時間をかけすぎなんですよ」

「そうそう。身支度に女より時間かかるとかどーなんだい、色男」

「…………ヘスティアの愚痴が長かったんだ」

 

ルグへの挨拶の後、なんだかんだで長いこと放置していたステイタスの更新をしてもらうために、リヴィエールは一度ホームへと立ち寄った。そこで待ち受けていたのは歓迎と長く留守にしていた不満、そしてクラネルへの愚痴だった。

 

『聞いてくれよリヴィエールくん!ベルくんが、ベルくんが、ついに!よりにもよって!あの女と二人でぇえええ!!』

 

バイト中、稽古後の二人とばったり出くわし、アイズに稽古をつけてもらってる現状を知ったらしい。しかし、あの【剣姫】直々の稽古だ。これからの冒険に関して役立つのは明白。思うところは山ほどあっただろうが、飲み込んだそうだ。

 

───俺が勧めたというのは黙っとこ

 

そしてようやくステイタスの更新をしてもらい、ロキ・ファミリア本拠地に訪れたのだが、留守番組からもう出立したと聞き、慌てて集合場所へと向かった。

 

「どうする?ワシらと一緒に行くか?それとも追うか?お前なら追いつけるとは思うが」

「追う。行けるか?お前たち」

「当然」

「貴方が望むなら」

「どうせ18階層で一旦休憩だ。そこまで急がなくてもいいさ。じゃあガレス。俺たち三人は先行くわ。また後でな」

「リヴィエール様」

 

バベルへと足を向けたその時、少し目線の下から声が掛かる。150Cに届くかどうかという小柄な美少女がポシェットを持って佇んでいる。名前はアミッド・テアサナーレ。二つ名は【戦場の聖女(デア・セイント)】。オラリオ最高の治癒師。リヴィエールとは旧知の仲の少女だ。

 

「来てたのか、見送りか?嬉しいよ」

「私は嬉しくありません」

 

白銀の髪の美少女の視線には明らかに咎めの色があった。

 

「あなたにはできれば、この遠征に参加して欲しくありませんでした」

「気持ちは有難いが俺とて冒険者だ。未知への探求の興味は捨てられないさ」

「自愛を忘れないでいてくださる冒険者であれば怒りはしません。どうやら装備だけは最低限整えてらっしゃるご様子ですが、手回り品は相変わらずの様子ですので」

 

痛いところを突かれる。基本的にサポーターを同行しないリヴィエールのダンジョン攻略はアイテムが不足することが多い。事実今も回復薬の類はローブのポケットに数本程度だ。

 

美貌の少女が無言でポシェットを押し付けてくる。中身は高位回復薬やマジック・ポーションが詰まっていた。

「餞別か?」

「高いですよ」

「いくらだ?」

「貴方の命を所望します。この遠征、決して無茶せず、生きて帰ってきてください。死んでさえいなければなんとかしてあげます」

「なるほど、それは高い」

 

無茶せず、は恐らく不可能だろう。51以下の階層はノーリスクで踏みこめるほど生易しい領域ではない。あの剣聖をもってしても、ソロ攻略は不可能と断言するエリアなのだ。

 

「リヴィエール様」

 

皮肉げに笑う彼の態度を見て、もう一度強い口調で名を呼ぶ。歴戦の戦士の手を取った。

 

「きっと、ご無事で」

「…………ああ、この手に誓って」

 

数多の戦士の傷を癒してきた、小さく華奢な、けれど偉大な手に、白髪の剣聖の唇が触れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして至る現在。ダンジョンを遠征組第一班が進行する最中、上層にはなにやらいつもと異なる喧騒が漂っていた。

 

「よーし、そこまでだお前ら。双方、剣を引け」

「リヴィ」

「やあアイズ。待たせたな。息災かい?」

「うん、待ってた。会いたかった」

 

いつもと変わらない様子で会話を交わす乱入者に【猛者】は戦慄していた。今自分と剣姫は全力の勝負をしていた。まして剣姫は魔法まで発現させ、トップスピードで突貫していたのだ。その威力の凄まじさは先程受けた自分がよく知っている。

 

───この男はそれに追いつき、追い抜き、割り込み、止めた。我が渾身の一撃と剣姫のエアリエルを、片手で。ナチュラルのままで

 

最後に手合わせをしてから然程時間は経っていない。あの時でさえ凄まじい技倆だったというのに。

 

「…………剣の聖人、か」

「お前にだけは言われたくねえよ、猛獣の王」

 

手にした双剣の一本を腰に収める。利き手に持った細身の剣のみをリヴィエールはオッタルに突きつけた。

 

「行け、アイズ」

「?」

「僅かだが戦闘音が聞こえた。お前の弟子が待ってる」

「でも、……でも」

 

チラと仁王立ちに立つオッタルを見やる。真っ二つにされた大剣を構えていた。武器を失っても戦意は些かも衰えていない。

 

武器の不利も、強さの優劣もこの男には関係ない。たとえ身一つであろうと100%勝つ気で戦う。それでこそ冒険者。それでこそ頂天。

 

「心配するな。この男、頭は固いがバカじゃない。俺を相手に片手間で戦えるなんて事は思わないさ。今なら抜けられる。行け」

「わかった」

 

再び風となり駆け出すアイズ。止めるべくオッタルも動いたが、白髪の剣士が猛者の剛力を止める。数合打ち合い、双方飛び下がった。その数秒でアイズは見えなくなっていた。

 

「あー!やっぱりリヴィエールだった!遅ーい!」

「いや速すぎでしょ。横すり抜けた時ほとんど見えなかったわよ」

「………あーあ、うるせーのが来やがった」

 

アマゾネス姉妹の登場を見て、ここまでだなと悟る。鳴らしとしてはこれ以上なく最高の相手だった。もう少し戦いたかったのだが。

 

「アイズは?」

「先に行った。追いかけるなら早くしろ。コイツは止めといてやる」

「オッタルを相手にそんな大口を叩けるのはオラリオ広しといえど、君くらいだろうね」

「…………フィンか」

 

小さな巨人がリヴェリアと共に悠然と歩み寄ってくる。それを見てようやくオッタルが戦意を収めた。視線は外さないし、戦闘態勢は解いていないが、敵意は無くなった。

 

「やあリヴィエール。やけに親指がうずうずいってると思ったら、君までいたのか」

「相変わらず便利だな、お前の親指センサー」

「君の7つ目の感覚には負けるとも。厄介ごとにしか反応しないからね」

「これはこれで面倒なんだぞ。気づかなくて良いことにまで気づいてしまうってのもな」

 

コツンと拳を軽く合わせる。立場を超えた友情が二人にはあった。

 

「───また随分と強くなったようだな」

 

フィンがオッタルと話をしにいった隙に、緑髪のハイエルフが彼の隣で耳打ちする。切り飛ばされた大剣の刀身を見た時点で、オッタルの剣を切り裂いた犯人を見抜いていた。この剣は決して数打ちの粗悪品ではない。デュランダルではないかもしれないが、少なくともアイズのリル・ラファーガを防ぐ程度には業物の筈だ。

 

───それをここまで見事に両断するなんて…

 

白髪の美剣士の腰に掛かる見慣れぬ剣。そして技倆に戦慄する。一体どれだけ磨けばこの領域に至るのか、魔導師であるリヴェリアには想像さえつかなかった。

 

「ずっとステイタスの更新してなかったからな。マージンがあったのさ」

「向こうでどんな無茶な修行をしていた、バカ弟子」

「うまい飯に適度な運動。それだけですよ、師匠」

「【剣聖】」

 

大剣を捨てたオッタルが怒気の篭った声で呼ぶ。王者の視線を真っ向から受け止めた。

 

「自分の無力を棚に上げて言おう。とどめられたかった不覚、呪うぞ」

「今度のフレイヤのご執心はウチのガキか?アイツに何を見た?」

「貴様への執心も未だ失っておられん。あの方の寵愛に答えろ。さもなくば俺が貴様らを殺す」

「お前との戦いにはいつでも応じてやる。だがフレイヤには迷惑だと伝えておけ」

 

応えず、無言で立ち去る。リヴィエールもようやく剣を鞘に収めた。

 

「行くか」

 

 

 

 

 

 

 

 

『アイズ、俺のようにはなるな』

 

リヴィエールに何度も言われてきた言葉だった。あの人への憧れを口にするたびに。貴方のようになりたいと思うたびに、彼はこの台詞を口にした。

しかし自分はこの諫言を聞き入れる事はあまりなかった。戦えば戦うほど、強くなればなるほど、脳裏に深く刻み込まれた彼に近くなっていく。それも仕方ない事だろう。元々の在りようが似ているのだ。だからこそ二人は惹かれ合い、支え合うことが出来ている。

 

───でも、この子は違う。

 

アイズはこの五日間、ベル・クラネルという少年との稽古に付き合った。元々はリヴィエールの修行についていくための交換条件だったのだが、次第に人を育てる楽しみと達成感を知り、稽古が楽しくなっていった。

時間の都合で結果的にリヴィの修行に参加はできなかったが、後悔はしていない。在りし日の無垢な自分が彼のおかげで思い出せた。

 

だからこそ知っている。この少年は冒険者に向いていない、と。

 

ひたむきで、臆病で、優しく、迷う。市井のどこにでもいる真面目な良い子。そういう人間は冒険者に向いていない。第一級と呼ばれる冒険者達はおよそ常人には理解できない狂った何かを持っている。それはレベル1であろうと例外ではない。たとえスペックが低かろうと器のありようは変わらないのだから。

 

勝ち目のない敵

立ち上がれない状況

抗えない精神

 

それらに立ち向かう力がなければ冒険者の器ではない。

勿論自分やリヴィエールも例外ではない。立ちはだかる敵はいつも自分より強く、何度も何度も地べたを這ってきた。

 

なのに剣を取れるのは───

 

───他の人は知らない。けど私とリヴィは……

 

黒い炎

 

『目を閉じるとな、背中から感じるんだ。炎が』

 

昔、リヴィが言っていた。私と同じ事を。この人は私と同じ憎悪と狂気を持っている人だとその時知った。

 

背中から発する立ち上がろうとする気配。それを感じたアイズ・ヴァレンシュタインは恐怖していた。彼の普通が失われてしまう。あの眩いほどに白く純粋な瞳が失われることに、蜂蜜色の髪の狂剣士は恐怖した。こんな感情を持ったのはリヴィエール以外では初めての事だった。

 

───ダメ

 

君はならないで

 

───私のようにはならないで!

 

『アイズ、俺のようにはなるな』

 

頭の中で声が響く。他のファミリアだというのに、彼には多くのことを教えてもらった。剣を習い、気構えを習い、冒険者にしてもらった。それを嬉しく思いながら、何でだろうとも思っていた。何故彼は私にここまでしてくれるのだろう。私はわかる。彼に恋をしているから。だからそばに居たいし、共に生きたい。でもリヴィエールが私と同じ感情を持っているとは思えなかった。

 

『…………お前は、俺に似てるからな』

『あの白兎君、昔のお前に似てたな』

 

リヴィエールはいつも私の道を照らしてくれる。今の白兎君と私は似ても似つかないけど、私にだって、憎悪と狂気がなかった時はあった。子供の頃、お母さんと一緒に暮らしていた時。そしてリヴィエールと出会ってから。確かに私にも無垢な白い時間はあった。私の中にいる小さな私とあの白兎君は確かに似ているのかもしれない。

だからこそ私は彼に強く思う。私のようにはならないで、と。純粋いままでいてほしい、と。

 

───リヴィ、貴方もこんな気持ちだったの?

 

心で思うだけでなく、声に出そうとする。私が何度も無視した言葉を、彼に届けるために。振り返ると同時に手首に衝撃が来た。

 

「アイズ・ヴァレンシュタインにもう助けられるわけにはいかないんだ!!」

 

その目はアイズを捉えてなどおらず、ただ、前だけを見据えていた。

 

『リヴィエール・グローリアに、もう助けられるわけにはいかない!!』

 

脳裏に蘇る、かつての自分の言葉。ウダイオスに挑み、敗れ、地に伏した時、絞り出された魂の叫び。

黒い炎に炙られ、漏れ出た言葉だった。

 

───どう、して…?

 

アイズは知っている。この少年が普通の少年であることを。

 

心が優しく、とても白い。ただの子供だということを。

 

間違っても、冒険者の器ではない。自分がかつてそうだったように。

 

それでも自分が剣を取れたのは、黒い炎

 

しかし彼のまなざしはどこまでも白く、宿っていたのは、眩しい程に真っ直ぐな決意。

 

器ではなかった少年が、抗えない過酷な敵に、再び挑む。

 

「待っ…」

 

止めようと伸ばしかけた手にそっと触れられる。誰の手か、振り返らなくてもわかった。先程触られた少年の小さな手とはまるで違う。剣ダコに塗れ、無数の傷を負った歴戦の戦士の手。紛う事なき、英雄の器の手が優しくアイズを止めた。

 

『そこにいなさい、アイズ』

「ダメだよ、アイズ」

 

脳裏に響く声と鼓膜を震わせる声が重なる。自分を抱きとめる白髪の剣士はその目に緊張と慈愛を宿している。その目はかつて私を見ていた父の目と重なり、少年の背中は最後に見た父の背中と重なった。

 

「リヴィ、貴方ならわかる?」

「ん?」

 

自分が知る限り、最も父に近い男に尋ねる。全幅の信頼を寄せる唯一の人の胸に寄りかかった。

 

「私にはわからない。彼の何がそうさせるのか」

「………うん」

「だけど、わかるよ。あの子は今でも白いまま──」

「うん、俺にもわかる。直接目にしたのは二度目だ」

 

───今、私たちの前で、一人の冒険者が生まれた

 

そして少年は

『冒険』に挑む。

 

 

 

 

 




最後までお読みいただき、ありがとうございます。励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂けたら幸いです。


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Myth54 彼の名前を覚えておいて!

 

Myth54 彼の名前を覚えておいて!

 

 

 

 

 

 

 

 

初めて俺が、それを見たのはあの時だった。

Lv.2におけるステイタスの伸びがほぼ無くなり、ランクアップを求め、ゴライアスにソロで挑むことを決めた時、蜂蜜色の髪の少女が黒髪の少年剣士の前に立ちはだかったのだ。

 

「…………リヴェリアに聞いたのか」

「ううん。ルグ様から。近いうちにリヴィが無茶するかもしれないからって」

「…………そうか」

 

驚きはなかった。そして流石だ。心の機微に気づいた聡明さもさることながら、人選が素晴らしい。自分より強いリヴェリアやルグに止められたとしても俺は反発しただろう。俺が本気を出しても倒せない二人だから全力で抗うだろうし、俺より弁がたつ二人だから、正論で諭されても開き直っていただろう。

 

だが、アイズが相手となると話が変わる。

 

俺より腕は劣り、弁など俺はおろか、普通の子供よりも立たない。そんな相手を言い負かしても意味はないし、力尽くで退かすのも気が引ける。

 

───だが、それ以外に方法もないか

 

剣に手を掛ける。怪我させないようにしないとな、など甘いことも正直考えていた。

 

しかし、そんな思考は一瞬で吹き飛ぶ。というより飛ばされた。剣に手を掛けた瞬間、頭が戦闘へと切り替わる。

 

初めて感じた、人形姫の本気の殺気に背筋が一気に泡立った。

 

アイズの目に宿る執念の炎。どんなことをしても、ここでこの人に殺されたとしても止めてみせる。比喩でなく本物の命懸け。

 

───知らなかった……

 

狂気に身を任せ、命を捨てて挑んでくる敵がここまで恐ろしいものだったなんて。

 

幸か不幸か、彼は今まで自分より格上ばかりと戦ってきた。この少年との戦いで命を落とすなどと微塵も考えていない者達と剣を合わせていた。命を捨てるなどという狂気に染まっていたのはいつも黒髪の少年だけ。

 

執念の炎。他者に向けた事は幾度となくあったが、自身が向けられたのは恐らくこの時が初めてだった。

 

精神がパフォーマンスに与える影響は少なくない。それは知っているつもりだった。しかし俺たちの実力差を覆すレベルまであげてくるとは。

 

負けるかもしれない。リヴェリアに決闘を挑んだ時でさえ思わなかったことをアイズに思わされた。

 

「…………退いてくれ」

 

この期に及んで言葉を投げかけることなど、愚の骨頂だと我ながら思う。だが投げずにはいられなかった。お互いこの剣を抜いてしまえば、死闘になる事がわかったから。

 

「お前ならわかるだろう?俺は強くならなくちゃいけないんだ。だから退いてくれ」

「イヤ。リヴィが行くなら私も行く。それさえ認めてくれないなら私は力尽くでも貴方を止める」

「なら勝負だな。【人形姫】アイズ・ヴァレンシュタイン」

「うん、やろう。【剣鬼】リヴィエール・グローリア」

 

そして行われた当時の自分達としては全力の勝負。これから幾度となくアイズに負けまくる俺の初めての敗北。

 

アイズが俺にとって特別になった瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

『アイズ、そこにいなさい』

 

黒い炎に包まれる父の背中を見たあの時のように。

 

『誰より理不尽な理不尽な存在に俺がなるんだ!どけアイズ!』

 

彼を止めるべく命を捨ててで挑んだにもかかわらず、無様に手加減され、生かされ、剣を突きつけられたあの時のように。数え切れないほど負け続ける私の最初の敗北。

 

『ダメだよ、アイズ』

 

私は立ち尽くす。

 

『英雄』への道のりを踏み出した戦士を前に、私の身体は動かなくなる。

 

そして『英雄』たる青年も目の前の戦いをただ見つめる。腕を組み、険しい目つきで彼の冒険を見守っていた。

 

「思い出すな、アイズ。あの時を」

「…………うん」

 

白い少年が猛き猛牛へと立ち向かったあの光景は二人の脳裏に過去を蘇らせる。二人とも同じことを思い出していると考えていたが、真実は違った。

 

「どけテメエら!俺がやる!何をボサッと突っ立って……あぁ?」

 

追いついてきたロキ・ファミリアの精鋭たちも、現在の状況を把握し始める。レベル1の少年があのミノタウロスと互角の戦いを繰り広げているその異常に。

 

「リヴィエール。つかぬ事を聞くけど」

 

いつのまにか隣に来ていた小柄な少年に見える男が揶揄うように口を開く。

 

「彼は君の新興ファミリアに所属する、駆け出しの少年じゃなかったかい?」

「その通りだよフィン・ディムナ。たった今成ったばかりの、駆け出しで無名の冒険者だ。かつて俺やお前がそうだったように」

 

猛牛と少年の咆哮が響く。その怒声と迫力は頂点にいる白髪の青年や壮年の槍使いにとってはかなり物足りないものだったが、それでもその真剣さは充分に感じ取れる。

 

「たった一週間見ないだけでここまで身体能力を伸ばしたか」

「だがそれでもミノタウロスには届かない。今彼が互角の展開に持ち込めているのは、精神の境地。即ち……」

 

勇気

 

一瞬でも臆すれば即デッドエンド。そんな極限で己の全てをぶつけるには、身体能力や魔力以外のモノが必要になってくる。そしてそれこそが冒険者を冒険者たらしめる。

少なくとも一週間前にはこの少年が持っていなかったものだ。

 

恵まれないその身体で、数多の怪物に挑むその姿を、神々から【勇者】と名付けられた壮年の男が、興奮で拳を握りしめる。

 

「…………君以来だよ、リヴィエール。僕が他の冒険者の勇気に感服させられるのは」

「…………」

「いいじゃないか、彼。すごくいい………!」

「いい、というか今良くなってるんだよ。アイツは」

 

初めて出会った時、向いてないと感じた。それが間違っているとは今も思っていない。人間身体は容易に変化するが、精神はそうそう変わらない。臆病な冒険者が経験を経てもまるで変わらず、現実に打ちのめされて死んだ、もしくは冒険者を諦めた者を数え切れないほど見てきた。

 

それが今、これほど別人になっている、というか別人になりかけている最中。追い詰められた窮鼠ならぬ白兎が牛を咬み殺すか、それとも不可能が不可能のままに終わるかは、まだわからない。

 

だが、確実に言える。この壁を超えた後、冒険者が生まれる、と。

 

「『アルゴノゥト』」

 

褐色の肌の少女、ティオナがつぶやく。その物語を、リヴィエールは知っている。かつて森の中で母が聞かせてくれたお伽話の一つ。

 

「あたし、あの童話好きだったなぁ」

 

その言葉に思わず苦笑してしまう。母はあまり好きではなかった。

 

『嫌でも思い出しちゃうのよ。私とアイツを振り回しまくってくれたあのバカをね』

 

「【ファイアボルト】!!」

 

爆雷の音が青年を過去から現在へと戻す。擬音というより、その詠唱がという方が正しかった。

 

───俺の【アマテラス】と同じ、速攻魔法…

 

俺以外の使い手を初めて見た。しかも俺でさえ付与魔法としてしか使えない。攻撃に直接利用できるようになったのはリヴェリアとの修行を経てからだった。

それを軽威力とはいえ、飛ばしてぶつける放出系攻撃魔法として使ってるなんて。

 

───アレが例のグリモアで得た魔法か。

 

グリモアの魔法はハズレも多いと聞く。開いてみるまでどんな魔法かわからないのがグリモアの当たり前だ。

それがこんな大当たりを引くとは。作為的な物でなければこの男は運もどっぷりと持ち合わせている。冒険者にとって大事なものの一つだ。

 

「本当によく凌いでる、けど」

 

けど、の意味するところ。リヴィエールにはわかる。良く食い下がっているし、身体能力も上々。特に速度はミノタウロスを上回るのではないかと思わせるほどだ。しかし、

 

決定力(パワー)不足だ。魔法も一撃の威力も、何もかも軽い。ミノタウロスの皮は頑強だ。ちょっとやそっとの熱や斬撃は通さん」

「手詰まりだっていうの!?」

詰み王手(チェックメイト)、とまでは言わんさ。だが……」

 

振り下ろしたミノタウロスの剣がベルの剣を砕く。片手に握りしめたナイフも角に防がれ、砕け散った。

 

「………これで王手(チェック)は掛かった」

 

武器も無くなり、切り札も通じない。この局面…

 

「君ならどうする?」

「アイツの今ある手札でも、倒す方法はいくつかある。手垢まみれの策だがな」

 

このミノタウロス、どう見ても普通じゃない。恐らくなんらかの強化が施されている。やったのは恐らくオッタルだろう。ヤツが持ってる大剣はオッタルが好みそうな武具だ。

しかしそれが今は幸いに転ずる。

 

「自分の武器がないなら、相手から奪う」

「よくある手だね。多対一の時など特によく使う。並の剣なんて下手に扱えば五匹と切れない」

 

神聖文字が刻まれた黒のナイフがミノタウロスの手に突き刺さる。絶叫とともに重量のある大剣が手からこぼれ落ちた。

 

「…………ヘたくそ」

 

リヴィエールが口に出した策の一つをベルが実行する。その手並みはお世辞にも上手いとは言えないものだった。しかし上手い下手など実戦ではそこまで意味はない。要は敵が痛痒を感じていればいいのだから。

 

「押してる!」

「でも押し切れてはいない」

「これでも決め手に欠けるか」

 

下手な武器の扱いは武器自身にも大きく負担がかかる。ましてあの堅固なミノタウロス。刃こぼれしまくっていた大剣は長く持たず砕けた。

 

「ちなみにもう一つは?」

「…………俺も堅い敵とはイヤという程戦ってきた。結局その戦いの間にそいつの皮膚は斬れなかった、アマテラスでも焼けなかった、なんて事もあった」

「驚いたね。【剣聖】たる君に斬れぬものなどないと思っていたよ」

「うるさいぞ余計なチャチャ入れんな……でもな」

 

漆黒のナイフがミノタウロスの目を抉る。そのまま片手を頭蓋へと突っ込んだ。

 

「目と喉が斬れなかったヤツと、臓腑(ナカ)が燃えなかったヤツとは会ったことないんだよ」

 

「【ファイアボルト】!」

 

炎雷がミノタウロスの頭蓋で迸る。続いた。

 

「ファイアボルトぉおおおおおお!!!!」

 

目から火花が飛び、爆砕する。外がダメなら中から。体内を焼く炎と迸る雷が、魔石を吹き飛ばした。

 

「勝ち、やがった」

 

断末魔とともに猛牛の体躯が黒塵となって舞い散る。かつて冒険者の誰もが憧れ、忘れ、しかし身の内で燻り続ける真っ白な情熱が、雄牛を焼き尽くした。

 

たったまま気を失った冒険者。その名はベル・クラネル。

 

その名は一生忘れない。『剣聖』と『剣姫』は強く誓った。

 

 

 

 




あけおめぇ!生きワレェ!社会人生活も私生活もようやく軌道に乗り始め、ちょこちょこ書いてたら2年以上経過してました。誠に申し訳ありません。これからは少しずつ書き進めていく予定ですので長い目で見てやってください。今回ははじめての2話一挙更新です。次話は少しオリジナル設定盛り込んでます。感想、評価是非よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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Myth55 その歌を唄わないで!

 

 

 

 

精神枯渇(マインド・ゼロ)、か。未熟者め」

 

立ち尽くすその冒険者の現状を一眼で見抜いた白髪を背中まで伸ばした翡翠色の瞳の美剣士、リヴィエール・グローリアは呆れと感心、両方の意味で息を吐いた。ダンジョン攻略は地上に出るまでが攻略。全力を尽くしながら、撤退の余力を残しておくのが一人前の冒険者。ソロで潜っているなら尚更だ。

 

「リヴィ」

 

立ち尽くす少年の背中にローブを掛ける最中、肩に手を置かれる。背後に立っていたのは少年の師となった少女。

 

「能力値オールSって、どういう事?」

「…………」

 

金髪金眼の美少女、アイズ・ヴァレンシュタインの疑問は至極もっともだ。能力値には上限がある。ランクアップまで迫るものでも大概AかBが上限になる。俺もSまでいったことは敏捷と魔力を除けばほぼない。それをコイツはオールS。なにか特別なスキルでもなければ不可能なことだ。

 

「そこまでだ、アイズ」

 

なんと説明しようか逡巡している間にリヴェリアがアイズの手を取っていた。見えてしまったものは仕方ないが、これ以上は道理にかなわないという完璧な正論とともに。本来なら俺が言うべきことを言わせてしまった。

 

「…………ごめんリヴィ。困らせた」

「…………別に俺は何もされてないよ。謝る必要ない」

「ベル様!」

 

立ち尽くす細身の少年に、さらに小柄な少女が飛びつく。小人族(パルゥム)だ。一眼でサポーターと分かる。

 

「…………ああ、この子が」

 

遠征前、ステイタスの更新をする際にヘスティアから聞いた、【ソーマ・ファミリア】所属の小悪党。先日の一件で改心したらしく、ベルとパーティを組むことを許したそうだ。

 

「フィン。コイツをバベルの治療室に連れて行く。一旦パーティから離れてもいいか?」

「いいとも。18階層で第二陣と合流する予定だからそこで待っているよ」

「悪いな。えーっと……」

「リリルカ・アーデです。リリとお呼びください。リヴィエール様」

「わかった。リリ、行くぞ」

「はい」

 

上着を被せ、背中に背負う。二人で行こうとしたのだが、アイシャ、リュー、アイズが着いてきた。

 

「別にお前らは来なくていいぞ」

「リヴィエールがいないならアタシにこの遠征に参加する理由はないからさ」

「彼の事も一応気にかかりますし」

「せめて見届けたいから」

「…………勝手にしろ」

 

それ以来、地上に出るまで一切の会話はなかった。アイズも何やら申し訳なさげな顔で目を伏せている。

 

治療室に運び込み、リヴィエールの指示で的確な治療が施されたのを確認すると、アーデはヘスティアを呼びに飛び出していった。担当官のエイナに事の次第を説明し終わるとほぼ同時、幼い女神が駆け込んできた。

 

「ベル君っ!」

 

眷属の無事を確認すると大きく息を吐いて座り込む。穏やかに眠るベルの手をキツく握りしめた。

 

「あの──」

「っ、ああ、君たちがベル君を助けてくれた……って、リヴィエール君っ!?」

「気づいてくれてありがとう。さっきぶりだな、ヘスティア」

「ご、ごめんよ!ベル君が重体って聞いて目の前が真っ暗になっちゃってて……本当にごめん!」

「気にしてないって。それよりも───」

 

事の顛末をヘスティアにも話す。俺に礼を言った後、アイズ達にも深く頭を下げた。

 

「ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

50階層、安全階層。18階層で第二陣と合流した遠征組は予定通り、モンスターが出現しないこの階層で最後の休息を取るべく野営地の形成に勤しんでいた。主となって動いているのはサポーター達だ。ダンジョン攻略において雑事とされる事はほぼ彼らによって執り行われる。攻略の主戦力となる精鋭達は各々のやり方で休める時に休んでおく……のがダンジョン遠征における鉄則なのだが。

 

「どうしたんすかベートさん達」

「こっちが聞きたいわよ」

「皆さんいつにも増して荒々しいです」

 

人外魔境、冒険都市オラリオの中でも屈指の実力者達。その全員がピリピリしている。未到達階層の攻略が控えている現在において、仕方のないことかもしれないが、第二級以下の冒険者達にとって、彼らが苛ついている姿は恐怖以外の何物でもない。流石にフィンやガレスは落ち着いていたが、若き悍馬達のいきり立ちように嘆息していた。

そしてアイズとリヴィエールはずっと無言で隣に立ち、五十一階層を見据えていた。

 

「おーい、食事ができたぞー」

「ウルスー、メシー」

 

ロキ・ファミリアの食事係、そしてリヴィエール専属通い妻アイシャが集合をかける。結局二人は一度も会話をせず、目を合わせることすらしなかった。

 

「最後の打ち合わせを始めよう」

 

焚き火の中心にフィン・ディムナが。その周りを囲むようにロキ・ファミリアの精鋭たち。さらにその円の外にチームリヴィエールが佇んでいた。

 

「事前に報告していた通り、此処からは選抜したパーティでアタックをかける。残りの者はキャンプの防衛だ」

 

事前に聞いていた事の確認のため、動揺する者は誰もいなかった。続いてパーティメンバーが発表される。

 

「パーティメンバーは僕そしてリヴェリア」

 

「ああ」

 

「ガレス」

 

「おう」

 

「アイズ」

 

「はい」

 

「ティオネ」

 

「はい!」

 

「ティオナ」

 

「よっしゃ!」

 

「ベート」

 

「フン」

 

実力者揃いのロキ・ファミリアの面々の中でも精鋭中の精鋭が呼ばれていく。誰もが闘志の炎を目に宿していた。

 

「そして、リヴィエールだ」

 

遠征組最強の男の名が呼ばれた事にベートは唾を吐き捨て、アイズはホッと胸を撫で下ろした。

 

「以上がパーティ組。戦闘は今呼んだ者達が主として行ってもらう。ココから呼ぶメンバーにはサポーターを務めてもらう。だがサポーターといっても戦闘の機会は必ずあると覚悟しておいてくれ。それでは発表する」

 

ラウルやレフィーヤを筆頭とした中堅組トップクラスのメンバーが呼ばれていく。そして…

 

「リヴィエールのサポーターは君が連れてきた二人にやってもらう。いいかな?」

「そうしてくれ」

「残留組は例のモンスターが出現した場合、魔法が魔剣で対処するように。指揮はアキに任せる」

「はい」

「椿も整備士として僕達に同行してもらう」

「うむ、任された。では渡す物を渡しておくぞ」

 

持ち込んできた大量の武器をズラリと並べる。『不壊属性』《ローラン》シリーズ。デュランダルでありながら材質にこだわり、威力を突き詰めた傑作選。リヴィエールの眼で見ても見事な出来栄え。恐らく二等以上の威力はあるだろう。

 

「リヴィエール、其方の得物は…」

「手前で用意した。問題ない」

「少し見せてくれんか」

「いいぜ。俺も他にやる事あるし。整備しておいてくれ」

「『剣姫』お主の武器も見てやろう。整備しておいてやる」

「…………お願いします」

 

腰に差した二振りの剣を鞘ごと渡す。アイズもそれに倣った。

 

「フィン。もういいか。少し休みたい」

「では明日に備え、解散。各々コンディションを整えておくように。見張りは4時間交代で頼む」

「ウルス、決戦前夜でほてってるだろ?私が鎮めてやるよ。森行こう、森」

「アイシャ、待ちなさい。決戦前に体力を削るようなことを──」

 

解散がかかり、それぞれが散っていく。

リヴィエール、アイシャ、リューは森の方へと姿を消し、ロキ・ファミリアの面々は受け取った装備の感触を試す。ただでさえピリついていた空気が武器を得てさらに剣呑になった。

 

 

 

 

 

解散がかかっても、殺気立っている五十階層で、一際静謐な気配が周囲を支配している場所があった。野営地の外れ、目の前には雄大な大森林が広がっている。葉なりの音が耳に心地良いその場所に少し大きめの天幕が張られている。

 

結界が張られた天幕から白髪の青年が出てくる。中では褐色の肌のアマゾネスと白磁の肌のエルフが産まれたままの姿で眠っていた。

 

乱れた服装を正し、携えていたロッドを取り出す。シートを広げるとナイフで形を整え始めた。

 

「…………まあまあ、か」

「───精が出るな」

 

ナイフを動かす手が止まる。リヴィエールは今ロッドの微調整を行なっていた。時間がなかったため、魔法石をほぼ無理矢理木に括り付けてそのまま持ってきてしまっていた。魔法石は神秘のスキルが無ければ作れないが、魔法杖自体は別。己の杖は己で作る。それが王族の鉄則だった。

 

「ネヴェドの森の木で作ったのか」

「まさか。あんな魔力伝導の悪い木使うかよ。普通にニワトコだ」

 

修行のためにネヴェドの森の木を使っていた時期もあったが、この最前線でそんな自殺行為をする気にはなれない。

ロッドを軽く振る。やはり軽い。剣の重さに慣れ切ってしまっているリヴィエールにとって、魔法杖の軽さは不安を覚えるほどだ。昔使っていた錫杖が有れば、などと考えてしまう。リヴィエールが以前使っていた錫杖はロッドであると同時に近接武具でもあったため、そこそこ重かった。

 

「…………変な事を考えてはいないだろうな」

「は?」

「あの少年に触発されて一人でケリをつけに行こうとか──」

「思ってねーから」

「本当か?」

「その気ならとっくに一人で行ってる。ソロで潜ってるなら別だが、今回は複合ファミリアでの遠征だ。組織で動いているときに単独行動してもロクな事にならん」

「闇派閥で活動していた時の経験か?」

「まあね」

 

闇派閥は規律や規則を嫌う人間達の集まりだった。戦力分散の愚行を正すために作られた組織が『セレクションズ』。リヴィエールはその幹部、というかNo.2だった。現場指揮官として戦場に出る機会も多かったが、その時に単独で勝手な行動を取る奴は大抵死んだか、酷い目にあっていた。それだけなら自業自得だが、最悪の場合作戦が破綻し、こちらにも壊滅的被害を及ぼす。

 

「お前が連れてきた二人は、あの事を知ってるのか」

「ああ、大体話してる。借りもあったし、なにより信じているからな」

 

この男が信じてると断言した。その意味をリヴェリアは誰よりも深く認識している。彼女もまた、彼が無条件で信頼する数少ない一人、その中でも恐らく最上位に位置する血族だから。

 

───お前が裏切られても構わないと思っている、か

 

その辺の能天気な連中が簡単に言う『信じる』という意味と、リヴィエールが口にする『信頼』はまるで違う。彼らは大体が「裏切られる」ことをないものとしてその言葉を発している。だがこの男はあらゆる可能性を考慮する。どんなに頼れる相手であろうと、血縁がある自分にさえ、この男は裏切られるという可能性を常に考えている。しかし信じた相手がその選択をしたとしても責めも恨みもしないだろう。それは自分と他の大切な何かを天秤にかけた上での決断の筈だ。その上で背中から自身を斬るというなら、構わない。そうなっても後悔しない相手だけを、この男は信じると認めている。

 

それほどの女達の信頼を裏切ることはしないだろう。安堵すると同時に少し複雑だった。彼がそこまで信じている人間など、アイズを除けば自分だけだと思っていた。

 

「…………もう少しか」

 

気になる部分を削る。とりあえずこんなものだろう。あとは仕上げを残すのみ。

 

「…………何?」

「──こっちのセリフだ。何をするつもりだ貴様は」

「見てわかんねー奴には言ってもわかんねーだろ」

 

短剣を持った手を止められる。刃先には左手で雑に纏められた髪があった。その行為の意味するところはたった一つ。

 

「そんな雑な髪の切り方があるか!」

「いいんだよロッドの仕上げで使うだけなんだから。後でアイシャにでも整えてもらうさ」

 

元娼婦の彼女にとって、自身を整える行為は立派な仕事の一つ。髪の手入れも勿論含まれる。この手の仕事に関して、アイツはヘタな髪結い所よりよほどプロだ。

 

「…………座れ」

「は?」

「そこにシートを広げて座れ。切ってやる。不満か?」

「…………まあいいけど。アンタなら」

 

ロッドを包んでいた包みを解き、広げる。野営地から持ってきていたのか、二人分の椅子のうちの一脚を置かれた。

 

「ほら、座れ」

 

自身の前に置いた椅子を軽く叩く。命令口調に少し反骨心が湧いたが、下手に逆らっても疲れる。黙って座った。

 

「ハサミなんかよく持ってたな」

「繕い用のだ。お前と同じで、アイズも服がほつれていても頓着しないからな。全くお前達はロクなところが似ていない」

 

小刀でザックリ切られた後、小さなハサミで毛先を整える。背中まで伸びていた白髪が一気に首筋程度の長さになった。

 

「なんか懐かしいな。他人に髪を触らせたのなんて、随分と久しぶりだ」

「そうだろうな。お前がこうして無防備に背中を晒す事自体希少なことだ。私すら数える程しか記憶にないよ」

 

懐かしむと同時に痛ましく艶やかな白髪に指を通す。母親の血を濃く受け継いでいる青年だったが、髪色と剣才だけは父のを継いでいた。自分が以前髪を整えてやった時、闇より深い濡羽色だったあの黒髪がすっかり色を失っている。

 

「…………リヴィエール、聞いていいか?」

「答える保証はないぞ」

「あの少年は一体何者だ?」

 

半ば予想通りの質問だ。まあ自身のファミリアの幹部達がピリついている原因なのだから、副団長である緑髪のハイエルフが気にするのも無理はない。

 

「オールSなど、見たことがない。しかもたった一ヶ月ほど前に冒険者になったばかりの駆け出しなんだろう?アイズどころか、お前さえ遥かに超える成長速度だ。常識の秤を超え過ぎている」

「…………オラリオに常識なんてあってないようなものだがな」

 

しかしリヴェリアが言う事もわかる。レベル1と2の間にはとてつもなく大きな壁がある。今や数え切れないほどいる冒険者の半数以上がレベル1で終わるのだから。不可能への挑戦は常に過酷だが、中でも最初の一度目は想像を絶する。リヴィエールも命の危険を感じたことは幾度となくあるが、最も死の淵に近づいたのは、一年前の事件を除けば、アイズとリューの三人でゴライアスに挑んだあの時だ。

現時点において、ランクアップの最短記録はリヴィエールの半年。次点がアイズの一年。この二人も十二分に常識外れの成長速度だが、ベルは一ヶ月。何某かの危険を感じるのも仕方ないと思える期間だった。

 

「前にも言ったと思うが、俺滅多にファミリアのホームに帰らないからな。クラネルに関して、俺も詳しくは知らないよ」

「…………そうか」

「それよりアンタはどう思う?リヴェリアはあの少年に何を見た?」

 

かつてロキにしたものと似たような質問を今度はリヴェリアにする。白髪の青年が知る限り、人類では最も美しく、最も賢い姉に。

 

「あの子、幾つだ?」

「確か14」

「…………年齢より幼く見える少年だな」

「アンタにだけは言われたくないだろうな」

「丸刈りにされたいか」

「ごめんなさい冗談です」

 

この姉は本気でやりかねんと知っているリヴィエールは即座に謝る。白髪を握りしめるリヴェリアは憤然と息を吐き、彼の白を解放した。

 

「──無論、まだ若い……いや、幼いと言ってしまってもいいだろう。腕も身体も心も未成熟だ。臆病で、卑屈で、無様。あの手のバカは大抵壁にぶつかって挫折するか、ポックリ死ぬ」

「くさるほど見てきたな、そういう連中」

「だが稀に大化けする事もある。私が実際に目にしたのはレフィーヤくらいだったが、あの少年も、もしかしたら、その類かもしれない」

 

甘めの評価だがな、と小さく付け加える。レフィーヤと同じ物を見たか。確かに随分な高評価だ。この女が弟子の名を出す時は相当期待していると言っていい。かつて彼女の弟子だった俺が誰よりもよく知っている。

 

「お前やアイズが化けたのはいつだったんだろうな。少なくとも弟子にした時はもうお前は冒険者だった」

「…………ああいうのは他者の目で見て初めて気づくものだ。本人に自覚が芽生えることは少ない。アイズはともかく、俺がいつこうなったかは俺にもわからん」

 

───壊れた時はわかるがな

 

あの炎の夜、彼の中の世界は一度全て崩れ去った。自然と音楽を愛した心優しき少年が、流浪の旅の中で人々の悪意に晒され続け、情けと容赦と己を顧みなくなるのに時間は掛からなかった。

 

「アイズの時を知ってるのか」

「ああ。俺はあの時初めてアイツと本気でやり合った」

「.……本気で?」

 

あ、と思った時にはもう遅い。髪を引っ掴まれ、その根元に小刀を当てられたのが感覚で分かった。

 

「いつだ」

「…………ゴライアスに挑む直前。一人で行こうとしたところを止められた、そん時」

 

下手に嘘をつくのは逆効果と悟ったリヴィエールはあっさりと真実を口にした。あの一件はリヴェリアも知ってる。アイズが俺を止めに入り、結果どうせソロで挑めないならとリューも誘い、一発殴られた後、三人で挑んだ。結果、三人ともランクアップを果たしたのだ。

 

一度大きくため息を吐くと緑髪の麗人は弟分の白髪を解放した。同時に髪が衣服につかないようにと巻かれた外套を外す。散髪は終わったらしい。

 

「刈り上げられるかと思った」

「アレはアイズから斬りかかったと私も聞いている。お前から仕掛けたとか言い出したら丸ハゲにしてやるところだったがな」

 

背中に汗を流しながら鏡を見る。見慣れた白髪が首筋ほどの長さにまで綺麗に整えられていた。どうやら丸ハゲは免れたようだ。

 

「じゃ、仕上げるか」

 

ロッドの周りにカットされた髪を巻き付ける。背中まで伸びていた白髪はロッド全体を覆った。

ロッドに身体の一部を編み込み、魔力で馴染ませる。この工程を踏むことでロッドは真に使い手専用のロッドになる。ハイエルフにのみ伝わる秘儀だ。触媒はなんでもいいが、リヴィエールには髪が最も使いやすかった。古来から髪には魔力が宿るとされており、触媒として優秀な媒体だからだ。

息を吸い、歌と共にロッドに魔力を込める。別に歌わなくてもできるのだが、この方が魔力を乗せるイメージというか、感覚というか、そういうのがやり易い。

 

「…………姉様」

 

リヴェリアの呟きは戦慄にかき消される。薄暗い五十階層に美しいテノールが響いた。

 

 

 

 

 

 

「この歌……」

「綺麗」

 

昂っていたティオネ、サポーターとはいえメンバーに選ばれ、ビビりまくっていたレフィーヤに声が届く。古い詞で編まれたメロディが優しく彼女らの心を包み込んだ。

 

「リヴィエールか。上手いわね、相変わらず」

 

ロキ・ファミリアの面々はリヴィエールの唄を聞いたことは何度かある。酒の席やアイツの機嫌が良いとき、その美声を披露したことがあったのだ。それも数えるほどしかなかったが、あの聴く者の心を無理矢理奪うような、魔性の声を忘れられるはずがない。

 

「レフィーヤ」

「はい」

「貴方は私たちが守るわ。だから貴方は……」

「私の魔法で助けます!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「チッ、あの白髪野郎か」

 

耳に届く旋律。歌い手の技量からベートはこの音の発生源に気づいた。

 

「久々に聴いたけど、素晴らしいね。彼は歌手でもやっていけるだろう」

「で?お前は何しに来たんだよ。俺に余計な世話はいらねーぞ」

「そうかい?随分違う物を見ているような気がするけど」

「…………明日、前衛は俺にやらせろ。全部ブチ殺してやる」

「わかったよ」

 

ベートが去った後もフィンはしばらくその場に残り、歌を聴いていた。

 

 

 

 

 

 

「…………リヴィ」

 

整備を終えた剣を握りしめ、身体を休めていた。彼の歌を最もよく聴いたのはルグを除けばアイズだろう。子供の頃、ずっと彼の後ろについていた自分は彼の歌の練習している姿も見て、そして聞いた事がある。

 

「一振りの剣、か」

 

自分が、そしてリヴィエールがよくされた形容だった。

 

つんのめりながら走りまくっていたらいつか必ずコケる。

 

変わったな。お前は

 

私が変わったとするなら、それはリヴィエールのお陰だろう。ならリヴィエールは誰のおかげで変わったのだろうか?こんな美しい歌を唄うリヴィエールが剣だとは、アイズにはとても思えない。

 

───ううん、わかってる。

 

リヴィを変えたのはルグ様だ。そしてルグ様がいなくなり、リヴィは昔に戻った。『魔物化』はその結果だろう。しかし、今リヴィエールは歌っている。あの時と変わらない……いや、あの時以上の美しさで。

 

───リヴィを変えたのは誰なんだろう

 

守る者ができ、鞘を見つけ、常に鋭くある必要がなくなった。守り、守られる仲間ができたんだ。

 

───私だと、いいな

 

懐かしく、心地よい旋律に身を委ね、目を閉じる。あの秘密基地で、彼の肩に身体を預けたあの時のように。

 

 

 

 

 

 

───戦士の唄

 

目の前で歌われているこの曲を、緑髪のハイエルフは知っていた。夢を見て故郷を飛び出し、仲間を集め、旅をする。いつか必ず訪れる戦いの時のための、ほんの少しの骨休め。戦士を癒し、戦士を鼓舞する、英雄の凱歌。

 

───また、これを聞ける日が来るとは

 

「────」

 

最後の小節が終わる。魔力を込められたロッドは輝きを放ち、そして爆散した。

 

光の爆発が収まった時、中心には漆黒のロッドが完成していた。ヘッドは太陽が模られており、その中心に翡翠色の魔法石が埋め込まれている。

 

「ま、こんなもんか」

 

出来上がったロッドを軽く振る。魔力の伝導率は格段によくなった。出来栄えは悪くない。剣の整備は椿が完璧にやってくれているだろう。リヴィエールの準備は終わった。

 

「しかし白髪を媒介に使ったのに黒い杖とは…本来の色を魔力は覚えてるものなのか──なんだよ」

 

ジッと見つめ、何も言わない姉に少し不快な感情が生まれる。この作業自体、見られることはあまり良い気分ではなかったが、ロッドの仕上げ方を教えてもらったリヴェリアに文句は言えなかった。

けど、今のこいつは俺を見ていない。俺を通して別の誰かを見ている。俺を見ていない事が、不愉快だった。

 

「ありがとう」

「は?」

 

歌ってくれてありがとう。あの人の血と才を受け継いでくれてありがとう。

 

「お前は、私の希望だ」

 

涙はこぼれない。声も震えていない。でも心が震えていた。震わされた。

 

「…………時間だ」

 

ベルが鳴る。休息の時は終わった。これから戦士達には烈火の地獄が待ち構えている。

 

新米冒険者、ベル・クラネルの冒険は一つの区切りを迎えた。そしてこれからは冒険都市オラリオの最前線で戦う、歴戦の精鋭たちの特異点(ターニングポイント)

 

「行こう」

「ああ」

 

そして、リヴィエール・グローリア達は冒険に挑む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………耳障りだな」

 

誰もが聞き惚れる美しい旋律。しかしたった一人、その音を快く思わない者が、五十階層の遥か遠く。暗い暗いその場所で唾を吐き捨てていた。

 

「何ヲシテイル」

「見ればわかるだろう。食事だ」

 

モンスターから魔石を引きちぎる。暗い部屋の中心にいるのは赤い髪を乱雑に切り揃えた美女。名はレヴィスという。怪物達の調教師にして、怪人(クリーチャー)だ。

 

「『剣聖』達ハ既ニ深層へ向カッタ。何故動カナイ」

「知っているだろう。この体はひどく燃費が悪い。アリアやオリヴィエからもらった傷も深い。私は休む」

「万ガ一ガアッタラ………」

「奴らの強さは私が身をもって知っている。問題ない。話は終わりだ、出て行け」

 

苛立ちが強くなる。これ以上は戦闘になりかねんと察した黒ローブは暗い部屋から出た。

 

「───っ、チッ!」

 

また耳に歌が届く。その音が聞こえるたびに頭痛がする。傷が疼く。万人が美しいと感じるその旋律は、赤髪の調教師にとっては呪詛でしかなかった。

 

「…………見ていろ、『アリア』『オリヴィエ』。その臓腑引き裂き、犯し、蹂躙し尽くしてやる」

 

魔石が歯で砕かれる。その音は暗い部屋に薄く、けれど力強く木霊し、戦士の歌をかき消した。

 

 

 




2話一挙更新いかがだったでしょうか?自身の髪を編み込んで専用のロッドに仕上げるというのは、まほよめのオマージュ。こういうのがあってもいいよね、と思って設定しました。それでは感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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Myth56 ここが地獄と呼ばないで!

 

 

 

 

 

51階層、下へとつながる階段で一人の青年が荒く息を吐き、座り込んでいる。身体のあちこちには焦げたような痕があり、手には何かの切れ端のようなものが握りしめられていた。

 

───コレが、52階層……

 

深層攻略、51階層。ルグ・ファミリアの最深到達階層だ。今回の遠征は比較的順調で、少し余裕のあったリヴィエールは、到達階層更新にチャレンジしてみる気になった。相手は悪名高い52階層。それをソロで踏破した時の達成感は素晴らしいはず。数多の困難や修羅場をほとんど一人でくぐり抜けてきたこの男は快感の味を知っている。

 

そして招く現在の惨状。魔石やドロップが山程詰まったバッグは捨てざるをえず、命からがら51階層へと退却していた。

 

ソロ攻略には絶対の限界がある。

 

ダンジョンで生きる冒険者なら、一度は聞いたことのある言葉だろう。今日に至るまで、この魔法剣士はその限界を感じずに攻略を続けていた。それゆえにその格言を間違ってるとは思っていなかったが、人によるんだろうと考えていた。それも一部真実。この先もソロで戦えるという冒険者が現れる可能性はゼロではない。

 

しかし、この天才剣士をもってしても、限界を感じさせられた。

 

52階層。この地獄をソロで潜り抜けるのは、現時点では不可能、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うたた寝をしていて体勢を崩す。人生で一度は経験したことがあるだろう。その瞬間、まるで奈落の底に落ちたような錯覚に陥ることがある。

絶望と恐怖に浅く沈めていた意識が覚醒され、ああ夢か、と安心する訳だが。

ダンジョンとはあらゆる夢が現実になる場所。良くも悪くも。人が想像しうる夢は現実になりうると言われている。すべてを肯定する気はないが、少なくとも今述べた白昼夢は現実となった。

 

「レフィーヤ!!」

 

地獄へつながる奈落の底に、同族たる妖精が、堕ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五十階層にベルが鳴り、定刻が来た事を冒険者たちに知らせる。程なくして、深層攻略組がキャンプに集まった。

 

「あ、リヴィエール。やっと来た」

 

最後に森の中から白髪の青年が現れる。首筋程度の長さにカットされた白髪に、エメラルドを想わせる翡翠色の瞳。腰には二振りの剣を差し、背中には黒塗りのロッドが掛けられている。装備は軽装だ。革鎧に手甲、鎧の下は和装で、下にはハカマと呼ばれる衣装を身につけている。そして鎧の上に外套を羽織っていた。

リヴィエール・グローリア。超一流の剣士にして、ハイエルフの母とヒューマンの父を持つ絶世の美男子。ジョブは魔法剣士。オラリオ最強の一角を担う冒険者だ。

青年の後ろにはアマゾネスとフードを被った少女が付き従っていた。アマゾネスの名はアイシャ・ベルカ。イシュタル・ファミリアに所属する副団長にして、元戦闘娼婦。今はリヴィエールの情婦を務めている。スラリとした長い手足。豊かな胸元は申し訳程度の布に包まれ、くびれた腰は半透明のパレオで覆われている。艶やかな黒髪を腰まで伸ばし、華奢な体格に見合わない大剣を背中に背負っていた。

フードの少女の正体はエルフだった。元アストレア・ファミリアのエース。かつてリヴィエールやアイズとトリオを組んでいた腕利きの冒険者、リュー・リオン。今は事情から最前線から退いているが、その実力は今もオラリオ有数だ。

 

「なんで一声かけてくんないのさ。髪切るなら私がやってあげたのに」

「雑なアマゾネスにやらせたくなかったのはわかりますが、私にも黙っていたのは気に入りませんね」

「お前ら起こしたらこうやってまた喧嘩になると思ったんだよ」

 

短くなったリヴィエールの白髪を弄ぶアイシャを振り払う。ロッドの仕上げを見られたくなかったのが本音だが。アレはハイエルフ、それも神巫の系列にしか伝わっていない秘中の秘。余人に見せてあんな最適化方法があるとバレたら面倒だ。

 

「なんだリヴィエール、髪切っちゃったの?似合ってたのに」

「失恋でもしたの?ざまぁ」

「違う。流石に少し鬱陶しかったんだよ。この深層攻略、不安要素は一ミリでも減らしておきたい」

「髪くらいでなにも変わんないでしょ」

「そうでもない。ロングヘアをモンスターに掴まれて死んだやつを知っている」

 

現れた白髪の剣士のイメチェンにヒリュテ姉妹が揶揄うように身を寄せる。アマゾネス二人をしっしっ、と追い払いながら、髪を括るのに使っていた紅い組紐を腰に結んだ。

 

「リヴィ」

「?どうした?」

「歌、ありがとう」

「…………聞こえてたか。下手になってなかったか?」

「まさか。嬉しかった。昔に戻ったみたいで」

 

アイズと初めて出会った時、リヴィの髪は短かった。そしてよく歌っていた。少しだけ、あの頃に戻れたような気がして、嬉しかった。

 

「リヴェリア、遅かったね」

「少し、音楽鑑賞をしていてな」

 

別口からリヴェリアも来る。コレで攻略組は揃った。

 

「編成を発表する」

 

パーティのリーダー、小人族の美少年、フィン・ディムナを中心に円を囲む。最後の打ち合わせが始まった。

 

「前衛はベートとティオナ、ティオネの3枚。何より求められるのはスピード。進路を開くことに集中してくれ」

「ああ」

「えー、前衛ベートとぉ。アイズかリヴィエールとがイイなぁ」

「突破力を考えての編成だ。頼むよ」

 

スピードと破壊力。どちらも必要になる最も危険な地帯。できればリヴィエールも加えたかったが、魔法剣士の彼にはもっと重要な役割がある。

 

「続く前中衛はリヴィエールとアイズ。攻略の中核だ。スピードもだけど、何より柔軟さが必須になる。状況に応じて、臨機応変に行動してくれ。タクトはリヴィエールに任せる」

「わかった」

「了解」

 

完全な真ん中ではなく、前衛寄りの中衛。フィンやリヴェリア、全体の指揮官をパーティの心臓とするなら、アイズとリヴィエールは頭脳。この二人の行動と指示が全体の行く末を決めると言っても過言ではない。中衛職とは場合によっては下がってサポートも努めなければならない。最前衛は戦闘力さえあればできなくもないが、このポジションは強さはもちろん視野が広く、近距離戦闘も中距離戦闘も、指揮も熟せる人間が必要となる。

アイズには風。リヴィエールには炎。そして魔法の合わせ技までできる白兵戦最強コンビ。ここに据えずにどこに置く。

 

「二人の後ろにガレス。取りこぼしを頼む」

「おう」

「その後ろはサポーター組に入ってもらう。振り落とされないように気をつけてね」

「は、はい!!」

「アマゾネスとフードの君は両翼。椿は中心。サポーターの護衛を」

「は?なんで私がそんな事。私はウルスの護衛だよ」

「アイシャ、頼む。間違ってたら俺も抗議してやるが、今はフィンの編成がベストだ」

 

アイシャは俺の指示しか聞かない。だが俺の指示なら聞く。不満そうだったが、渋々納得した。

 

「後衛は僕とリヴェリア。全体の指揮は僕がする。リヴェリアは後ろから前をサポートしてくれ」

「ああ」

「よし。では隊列を組んで、行こう」

 

フィンの指示に従い、隊列が組まれる。リヴィエールが剣に手を掛けた時、アイズが隣に立った。

 

「なんだか久しぶりだね。この感じ」

 

ダンジョンに潜るだけならともかく、未到達の階層へと下るのはいつ以来か。この闇の先に何があるのだろう。高揚感と少しの不安。しかし隣に君がいるなら、負ける気がしない。そんな感覚。

 

「俺たち4人がパーティ組むなんて、いつ以来だ?」

「ワクワクするね」

「血が騒ぐな」

 

闘志を滾らせつつも、頭は冷静。一流の条件の一つ。変に緊張しても、緩んでもいない。最高の精神状態を百戦錬磨の二人は無意識に持っていっていた。

 

「レフィーヤ、呼吸が浅い。体から力を抜いておけ」

「は、はいっ!」

「ラウル、お前もじゃ」

「ははははいっす!」

 

だが、サポーター組は二人のようにはいかない。緊張に固くなり、余計な力が全身をこわばらせている。これではベストのパフォーマンスはできまい。

 

───ま、始まったらそんなことも言ってられないか

 

ここからは次元が違う。後方を気遣う余裕はない。後ろの事はリヴェリアに任せよう。

 

「無駄口はここまでだ。総員、戦闘準備」

 

五十一階層へと続く階段。その直前にたどり着いたパーティはそれぞれの得物を握る。

 

「GO」

 

ティオネ、ティオナ、ベートが一気に駆け降りる。階段に足を踏み入れた瞬間、モンスターがポップする。リヴィエールとアイズが踏み込んだのとほぼ同時だった。

 

「前衛はひたすら直進!アイズ!リヴィエール!対応!」

 

指示が飛ぶより先に二人の剣はモンスターを斬殺する。通路から現れるモンスターの対応はアイシャやリュー、椿が行っていた。

 

【アールヴの名の下に命ずる。我が愛しき同胞たち。研鑽の全てを我に見せてくれ】

 

51階層、湧き出るモンスターだけでもその強さは一匹ずつが桁違い。しかしこの天才魔法剣士は無数のモンスターを斬殺しながら詠唱を紡いでみせる。

 

【ああ、わが兄弟たちよ、なぜ同胞で競い合う。其方らに優劣などない。我にとっては誰もが愛しく、美しい存在だというのに】

 

高速戦闘を繰り広げつつ、必殺を取り扱う。コレはもはや火の海の中で爆薬を抱えながら全力疾走するに等しい行為。

 

【ならばその争い、我が裁こう。愛している故許さない】

 

王の歌が、終わる。

 

【さあ、妖精たちよ……献上せよ】

 

王の理不尽、発動

 

「出たな」

 

完成と同時に通路を新種が埋め尽くす。当代最強と呼べる魔法使いの魔力の高まりを感じたのだ。当然といえば当然。姿を確認すると同時にリヴィエールは後方へ下がる。

 

「出来てるな?」

「当然」

 

背中のロッドを抜く。マジックサークルが重なり、共鳴した。

 

【ーー終末の前触れよ、白き雪よ。黄昏の前に(うず)を巻け。吹雪け三度の厳冬】

 

リヴェリア全力の高速並行詠唱。ついていけるのはリヴィエールくらいのものだろう。二つの祝詞は恐ろしいほど完璧に重なり、一つの魔法に溶け合った。

 

『【───我が名はアールヴ】』

 

「総員退避!」

 

『ウィン・フィンブルヴェトル』

 

前衛組の避難を確認すると同時に氷結系最強の魔法が重なり合う。埋め尽くしていた新種たちを纏めて凍てつかせた。

 

「ここまでは順調だな」

 

前衛組に合流したリヴィエールがマジックポーションを口にする。マインドの余裕はまだまだあったが、ここから先は何が起こるかわからない。補給できる時にしておかなければ、僅かな余裕の差が命取りになる。

 

「いよいよ52階層」

 

一階層突破。我ながら驚異的な速度だ。手練れ達と組むと流石に違う。

 

「ここからはもう補給は出来ないと思ってくれ」

 

小さな勇者が紡ぐその一言に、全員の緊張レベルが一段上がる。補給出来ないとは、最悪59階層まで走りっぱなしになるかもしれないという事だ。命を落とす覚悟がさらに必要になる。

 

「椿、ここから先は初めてか?」

「当たり前だろう。手前は鍛冶師だぞ」

「走れよ。とにかく走れ。ここから重要なのは何よりスピードだ」

「本当なのか?狙撃とは」

「時期にわかる」

 

俺が来たのはここまでだった。あまりの過酷さに速攻で引き返した。ソロの限界は51階層だと実感した瞬間だった。

 

「GO!!」

 

駆け落ちる。もっと早く走りたかったが、これ以上はサポーター組がついてこられない。

 

「戦闘は極力避け、動き続けろ!決して補足されるな!」

 

サポーター組も懸命に走っているが、ダメだ。身をもって知ってる。この程度の速度では……

 

通路内を腹の底から這い上がってくるかのような唸り声が響く。これが意味するところは、地獄の入り口に踏み込んだという事。

 

「リヴィ!」

「ああ、捕捉された」

 

竜の遠吠え。それは自身のテリトリーへと踏み込んだ愚か者へ向けるヴァルガング・ドラゴンの溜息。

 

超高熱の閃光が視界を埋め尽くす。数百M離れた、それも分厚い岩盤が六層もあるというのに、その閃光は階層をぶち抜いてあまりある威力で襲い掛かる。問答無用、言語道断、階層無視の砲撃。

 

───恐らく俺のノワールでもできるかどうか。それをほぼ無制限にぶっ放し。地獄の名は伊達じゃないな

 

【盾となれ、ゲオルギウスの鎧】

 

『ル・ブルー』

 

リヴィエール唯一の防御魔法。短文詠唱故に範囲は狭く、防御力も高くはない。しかし一瞬の時間稼ぎはしてくれる。そして一瞬あれば白髪の剣聖が回避行動を取るには充分。

だが、他の人間はそうはいかない。矢継ぎ早の砲撃がパーティの足を止めた。

 

「転進!西ルート!」

「リーア!防御魔法!サポート組を守れ!」

「新種が来るぞ!」

「構わねえ!俺が下がる!後ろ全滅するぞ!」

 

飛び下がって魔力に反応する蔦を斬り伏せる。この時、ちょっとした偶然が重なった。リヴィエールが斬った蔦は詠唱をするリヴェリアを守るためのもの。前を走るサポーター組のカバーまでは手が回らなかった。

リヴィエールが下がった姿を見て、リューとアイシャも一緒に後ろへと下がる。コレは私情だけではない。魔法使い組を全方位から護衛するにはリヴィエール一人では難しいと判断してのこと。支援と大火力の中核を担う魔導士を守ろうとする選択は正しい。

だがそれゆえに、一瞬サポーター組の護衛が疎かになる。あと1秒アレばリヴェリアの防御魔法が間に合っただろうが、この場において1秒の差は致命的。

唐突に伸びた蔦にラウルが絡まり、動きが止まり、レフィーヤがラウルに体当たりする。仲間を守る非常に尊い行為。だがこの場で魔導士が取る行動としては自殺行為に等しい。そんな愚か者を竜の壺の住人が許す場もない。

 

咆哮が視界を埋め尽くす。妖精が我に返った時、自身の肉体は重力に従って落下を始めていた。

 

「レフィーヤ!!」

「あのバカ!」

「待て!アイズ!リヴィエール!行くな!」

 

縦穴の近くにいたヒリュテ姉妹、そしてベートが飛び込んだ。前へ飛び出ていたアイズ、後ろに下がっていたリヴィエールもそれに続こうとした時、静止の声が二人にかかる。このダンジョン攻略、指揮はフィン。パーティに属する以上、指揮官の命令は絶対。長年刷り込まれ続けてきた鉄則が二人の体を止め、沸き立ったリヴィの頭を冷やした。

 

「アイズ、俺やお前まで降りたら、この後ラウル達を守りきれない。パーティは正規ルートを行くんだ。最低でも俺かお前、どちらかは残らなければこの先キツい」

「ああ、ベート達のことはガレスに任せる。前衛が全て欠けてしまった今、君たち二人の力が必要だ」

 

───てことはここからは俺とアイズが前衛か

 

「アイシャ、リュ…フードの。前中衛任す。カス一匹通さんつもりだが、覚悟だけはしておけ」

「了解」

「わかりました」

「椿、悪い。サポーターのガードを」

「任せよ」

「リヴィエール、僕の仕事を取らないでくれ」

「あ、ゴメン」

「君の良くないところの一つだね。全部一人でなんとかしようとしてしまう」

「なまじ出来てしまうからタチが悪いな」

 

確かに隊列の変更指示は指揮官の仕事だ。基本なんでも出来て、なんでも一人でやってきたリヴィエールの悪い癖だった。

 

「隊列を変更する。アイズ、リヴィエール。前衛へ上がれ。ラウル達は支援」

「はいっす!」

「リヴィ、行こう」

「ああ」

 

再び走り始める。砲撃がさっきほどの数が来なくなった。落ちた連中が引きつけてくれてるんだろう。障害はうじゃうじゃ湧くモンスターのみ。

 

──ん?

 

違和感。少し後ろが遅れている。俯いたまま走るラウルの速度が無意識に落ちていた。

 

「後で私が嫌というほど罰を与えてやる」

 

───怖っ

 

アタックがはじまってから【7つ目の感覚】を全開にしていたからか、ドスの効いたリヴェリアの恫喝が聞こえてしまう。向け先はヘマをしたラウルだったが、幼少期、この声に教育された白髪の青年は背筋が冷たくなった。

 

「コレはまたとんでもないところに来てしまったようだ」

「今更。自分の身は自分で守れよ椿。カバーはしてやるが、流石に守り切れるとは言い難い」

「ウルス!もっと早く走っていい?!」

「却下。これ以上はサポーター組がついて来れない」

「私も前に行きましょうか?」

「…………いや」

 

前方を埋め尽くしていたモンスターが輪切りになる。リューやアイシャを持ってして、その早業は見えなかった。

 

「この程度なら問題ない」

「リヴィ!敵9!」

「わかってる!」

 

目覚めよ(テンペスト)!】

【アマテラス】

 

炎と風が二人から巻き起こる。黒の炎が竜巻に纏われていく。

 

『【ムラクモ】』

 

黒炎の渦がモンスターを飲み込み、風が通り抜けた後、残されたのは塵のみ。

 

「粗方削ったが次が来る!支援!」

「二人とも下がって補給!魔剣準備!」

 

アイズはラウルに、リヴィエールはアイシャからマジック・ポーションを受け取る。飲み干しつつ、現状の違和感を感じていた。

 

「なんかヌルいな。この程度だったか?52階層」

 

53階層入口に到達した時、白髪の剣士が漏らしたその一言にラウル達は戦慄する。ここまでの道中、まさに地獄と呼ぶにふさわしい悪路だった。それをこの男はヌルいと言い切った。この天才剣士は、コレまでの道がどう見えていたのだろうか。どんな高みから自分達は見下ろされているのだろうか。想像すらつかなかった。

しかし本人は傲慢でもなんでもなく、ただ事実を述べただけだった。以前来た時はあの虫みたいな新種がもっとうじゃうじゃ来た。砲撃がないのを差し引いても、この程度なら一人で潜れる。

 

「私もリヴィも魔法使ってるのに、新種の姿が現れない」

 

どうやらそれはアイズも同じらしい。新種モンスターが現れないのは本来楽で助かる状況。だが異常事態のきっかけとは通常との相違点。静寂が百戦錬磨の戦士達の不安を煽った。

 

「…………出たな」

 

24階層の時、宝珠を持ってった黒ローブ。新種にまたがり、先頭に立つそいつは明らかに……

 

「統率してやがんな」

「全員転進!横穴に飛び込め!」

 

指示がくるまでもなく、横っ飛びする。腐食液の一斉射撃が通路を埋め尽くした。

 

「何なのだあやつは!リヴィエールの知り合いか?!」

「極限までザックリ言うと、多分調教師」

「あれほどの化け物御せるヤツがおるのか!?」

「いるんだからしょーがねーよな」

 

統率された新種達が行手を阻むように続々と現れる。フィンの指示でなんとかパーティは持っていた。が、手の上で踊らされている感は拭えない。迷路のように入り組んだ52階層のマップが頭に入ってるのは流石だが、行手を阻むほど地形を熟知している相手から逃げられるということは、言い換えれば道を開けられているとも言える。

 

「多少強引にでも突破した方がいいんじゃないか」

「そのつもりだ。右折後反転!攻勢に出る!盾3枚を掲げて!アイズ!リヴィエール!ブチ抜け!」

 

アイズの風が纏われる。リル・ラファーガが通路を埋め尽くした。砂塵で視界が塞がれる。

 

「ま、視覚に頼ってて剣客はやってられねーが」

 

黒ローブがアイズの風に怯んだその一瞬、背後にリヴィが回り込む。蹴りが黒ローブの首にめり込んだ。斬ってもよかったんだがあれほどの硬さを斬るにはどうしてもタメが必要になる。1秒の遅れをリヴィエールは嫌ったのだ。

 

「ヴィオラス!」

「もう飽きたぜ、そいつらは」

 

指を鳴らす。アマテラスが食人花を焼き尽くした。

 

「貰った!」

 

アイシャの大剣が黒ローブに襲い掛かる。紙一重でかわしたが、そのまま大剣は床を破壊し、瓦礫を飛び散らした。

 

「アイシャ、ナイス目眩し!」

 

残った食人花を斬り伏せる。その影からリオンと椿が飛び出した。

 

「これは斬っていいのだな?」

「終わりです」

 

両腕が吹き飛ぶ。蹴りごたえからいって、あのレヴィス程度には奴も硬い。それを見事に両断した。流石に二人ともいい腕だ。

 

「───げっ!?総員退避ぃいいい!!」

 

視界の端で魔法円が見える。師が何をやろうとしているのか、瞬時に理解したリヴィエールは考えるより早く叫んでいた。

 

「【ウィン・フィンブルヴェトル】!」

 

飛び下がった瞬間、絶対零度の閃光が食人花事黒ローブを焼き尽くした。

 

「…………やるならやるって言えよ。死ぬかと思った」

「お前ならかわすと信じていたさ」

「いらねー信頼ばっか預けてくれるな、てめーは」

 

息を吐く。通路丸ごと凍らせる大規模魔法。湧いて出た新種達は軒並み凍りのオブジェにされている。軽く剣を振る。破片となって舞い散る光景はなかなかに美しかった。

 

「──嘘だろ」

 

黒ローブの正体を拝んでやろうと近づき、発覚する。凍っているのはローブだけ。中身は消え失せている。あの状況、あの間合い、あのタイミングで逃がした。ありえないと言い切ってしまいたい。

 

「リヴィエール、できるか?」

「…………やってみないとわかんねーが、やりたくはないな」

 

この男ができると即答しないということは常人には逆立ちしてもう不可能だろう。しかしコイツはやってのけた。

 

「信じられんな。なんという逃げ足だ」

「どうする?追う?」

「…………俺は追いたいけど」

 

小さな友人を見る。案の定、彼はゆっくり首を横に振った。

 

「今はガレス達との合流が最優先だ。先を急ごう。アイズ、リヴィエール、引き続き前衛を」

「うん」

「了解」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

場所は変わり、58階層。奈落へと転落したメンバーがガレスを筆頭に奮戦している。正直戦力としては不足もあったが、新種とモンスターが潰しあってくれている状況が彼らを生きながらえさせてくれていた。

 

「ぬりゃあ!」

 

大斧がドラゴンを真っ二つにする。息絶えたドラゴンの胴体に新種が群がった。

 

───こやつら、モンスターを喰らいながら下を目指しているのか?

 

広間の中央へと集まる異様な光景にガレスは薄気味の悪さを覚えた。あの下、全知の神すら知らぬ『未知』には一体何が眠っているのか。

 

「【ノワール・レア・ラーヴァティン】!」

 

凛とした詠唱が響いたとき、新種に埋め尽くされ、固く閉ざされた57階層へとつづく道が吹き飛ぶ。何重にも重なった新種達で出来た壁を黒い閃光が焼き尽くしたのだ。その余波だけで砲竜をも絶命する現オラリオ最強の獄炎魔法。その使い手はここにいる全員が知っている。飛び降りた冒険者達は希望と期待の目をその漆黒の爆雷に向けた。

 

「アイズさん!」

「リヴェリア!」

「団長〜〜!待ってました!」

「おせぇぞクソ白髪ぁ!」

「ウソつけ、めちゃ早かったろうが」

「喜ぶのは後だ!残存するモンスターを掃討する!」

「アイシャ、フードの。ガードご苦労。ここからは好きに暴れてよし」

「待ってました!」

「了解です!」

 

派閥首領の檄に鼓舞された団員達。そして自由が許されたチームリヴィエール。最前線で戦い続ける精鋭達が残存モンスターを掃討するのに時間はかからなかった。

 

───ふぅ

 

魔石を貫かれ、黒塵と化した怪物の灰を払う。流石に全て回避することはできなかった。結構浴びてしまった。

 

「ウルス」

 

初めて到達した58階層。その異様を興味深く見回っていた白髪の剣士の肩に美麗のアマゾネスが手を掛ける。その瞳には強い不安の色が宿っていた。魔物化の原因がこの黒塵にあると、アイシャは知っている。ここに来るまでに魔法も相当使っている。心配するのも無理はない。

 

「問題ない。余裕はある」

「…………ならいいけど」

「ここからは近接戦闘に専念してください。遠距離は私が請け負います」

「お前の魔法が通用すればな」

 

剣を鞘へと収める。どうやらモンスターのポップはインターバルに入ったらしい。ドロップアイテムに椿がはしゃいでいるのを横目で見ながらリヴィエールは身体の具合を確かめた。

 

───大丈夫。調整できてる。

 

視界が黒炎で歪むこともない。魔力の流れも安定している。今からリャナンシーと戦えと言われても問題ない。修行の成果がちゃんと出ている。アルモリカへ行ったのは正解だった。

 

「そんなことより、気になるのは……」

 

59階層へと繋がる階段に手を添える。下からは熱が伝わってきた。しかしコレはおかしい。聞いていた話では59階層は……

 

「氷河の領域、のはずなんだよね」

 

訝しげに59階層への階段を見つめるリヴィエールの背後で、フィンも同じ疑問を持っていた。かつて最大ファミリアだった『ゼウス・ファミリア』の報告によると、59階層は環境変化に強い耐性を持つ第一級冒険者を凍てつかせる程の極寒領域とされていた。

 

「冷気どころか熱気すら感じる。ゼウス・ファミリアがホラを吹いた可能性もあるにはあるが…」

 

まあないだろうと誰もが感じていた。わざわざ嘘をつくメリットは少ない。こうして他のファミリアがたどり着いてしまったら一発でバレる。ゼウス・ファミリアほどの最大手ファミリアがそんなハッタリをする意味はない。

 

「フィン、親指疼くか?」

「もーウズウズさ」

 

二人の推理に誰もが緊張感を上げる。この場にいる全員が知っていた。思わぬ被害をもたらすトラブルのとっかかりは、通常との相違点から生まれる、と。

 

「───59階層へ行け、か」

 

リャナンシーの言葉を思い出す。わざわざ何かあると俺に教えた理由は、恐らくこの辺りにあるのだろう。深い地中へと繋がる階段を前に、剣の柄を握りしめたのは、アイズとリヴィエールほぼ同時だった。

 

「フィン、防寒具外していいか?」

「ああ、みんなもサラマンダー・ウールは外してくれ。補給後、すぐに出発する」

 

休息をとった後、パーティは武器を整え、大穴へと足を踏み入れた。

 

「…………暑いな」

 

まとわりつく湿った空気、底から立ち上る熱気。うっすらと汗が浮かぶ蒸し暑さが戦士達の鼓動を早め、胸騒ぎを煽った。

 

「…………見えてきたな」

 

階段の終わり。光通路。見えているのに、何も見えない。7つ目の感覚が警鐘を鳴らし続ける。それも当然といえば当然。この先は全知の神々が、あのルグすら何も知らない、『未知』

 

ロキ、ヘファイストス、ヘスティア、そしてルグ・ファミリアの到達階層が今、更新された。

 

「…………密林?」

 

あの熱気で氷河があるとは正直思っていなかったが、それでもこの光景には誰もが驚愕する。不気味な植物群の数々。生い茂る樹や蔦、まさにジャングルと呼べる異様が59階層の景色だった。

 

「…………リヴィ、あれ」

「ああ、24階層のプラントだ」

 

食糧庫の事件と此処が無関係とは予想していた。しかしこの群生具合は24階層を遥かに越えている。武器の握りを緩くし、脱力する。リヴィエールの戦闘態勢だ。脱力は剣士の基本にして、奥義でもある。誰もが固くなる鉄火場で、百戦錬磨の剣聖は一層自然体を努めた。

 

「音、が」

 

連絡路から響くのは何かを咀嚼しては崩れる、そんな音。時折甲高い叫び声も聞こえる。もう嫌な予感しかしない。

 

「どうする」

「前進」

 

先に進むメンツを絞るか、という提案だったのだが、指揮官はパーティ全体に進めと命じた。徐々に音響が大きくなっていく。しばらく進むと密林を抜け、視界が一気に広がった。

 

「なに、あれ」

 

大双刀を構えるティオナの唇が震える。荒野を思わせる階層の中心には上半身はかろうじて人間に見える、巨大な食人花が聳え立っていた。

 

「『宝玉』の寄生型モンスター」

「寄生先は、タイタン・アルムか……!」

 

タイタン・アルム。『死体の王花』

深層域に生息する大食漢。有名なモンスターだ。

 

「あの灰色の砂、まさか全部黒塵か?」

「てことは、アイツって…」

「強化種か!!」

 

大地を埋め尽くす黒塵に反応したのか、制御されていた呪いが白髪の妖精の中で暴れ回った。鼓動が速くなり、血管を無数の虫が這い回る。握りしめた剣を持っていない手から血が滴り落ちた。

 

『───アァああアアアアァ!!!』

 

それは苦痛か、それとも歓喜かはわからない。しかしその絶叫の中、女性型の上半身は激しく蠕動し、一気に肉が盛り上がった。

 

肉の蕾が花開く。中心からは美しい身体の線を持った女が生まれる。

 

誰もが人ならざる絶叫に耳を塞ぎ、醜悪さに目を逸らす中、ただ二人、アイズ・ヴァレンシュタインとリヴィエール・ウルズ・アールヴはその姿から視線を外すことが出来なかった。

 

ドクン、と。

 

内で暴れる呪いなど、どうでも良くなる程鼓動が大きく響く。胸が張り裂ける。血がざわめく。二人の中に眠る、二人を形作る核。精霊『アリア』と神巫『オリヴィエ』がこの美しく醜悪な怪物に、共鳴した。

 

変化したのは上半身のみではなかった。花びらや無数の触手が下半身を包み込み、上半身は完全に美しい女性の姿に変わる。

背中まで伸びた緑髪。優美な曲線を描く胸元と腰。瞳孔も虹彩も存在しないその瞳は澱みのかかった金色。

 

あの二人を知る者がこの場にいれば思っただろう。その姿はまるで、緑髪の神巫オリヴィエと金眼の精霊アリアを一つにしたかのような姿だと。

 

「なんなの、アレ」

 

正体不明の存在に、誰もが戦慄から抜け出せていない。ティオネが発した言葉はこの場の誰もの心を埋め尽くしていた。

 

しかしただ二人、母からその存在を聞いていたアイズと、その存在について調べていたリヴィエールだけは、その正体に辿り着きかけている。

 

「…………うそ」

「まさか」

 

血が逆巻く。否定の言葉が幾つも脳内で弾ける。二人の鼓動はまるで共鳴を引き起こしたかのように、重なり、響いた。

 

共鳴したのは二人だけではなかったのか、天に叫んでいた『彼女』はグルリと首を回し、その双眸で二人を捉えた。

 

『アリア───オリヴィエ──アリア!オリヴィエ!』

 

明らかに二人を呼ぶ彼女。視線も完全に合わさってしまっている。もうここまできてしまっては、認めざるを得ない。

 

「精霊…………!?」

「リャナンシーの、成れの果てか…!?」

 

神々が紡いだ神代の終わり。そして人類が紡ぐ神話の創生(はじまり)が、始まった。

 

 

 




最後までお読みいただき、ありがとうございます。励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。
あと、友人に煽られて推しの子で新しく連載も始めました。他の作品共々、そちらもよろしくお願いします。


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Myth57 理不尽と呼ばないで!

 

 

 

 

「リーヴィ♪」

 

ロッドの整備をする魔導士に後ろから飛びかかる。緑髪の美女は振り返らずとも現状を全て理解した。この状況は何度も何度も体験した。その度にやめろと言ってきたが、五回を超えた頃からもう諦めてしまった。

 

「アリア、今繊細な作業中。構って欲しいなら後で相手してあげるから、もう10分待って」

「ロッドの仕上げでしょ?なら歌ってよ。リヴィの歌、聴きたいわ」

「別に歌わなくてもできるのよ。やりやすくはなるけど、ちょっと精度が悪くなるからね」

 

魔力を言の葉に乗せるという点において、神巫の歌はこれ以上ない優秀な媒介だ。しかし、歌に意識を向ける分、ロッドに向ける意識が弱くなる。歌に魔力を乗せてロッドの最適化を行うのは神巫を務められるギリギリ及第点の魔力精度しか持ち合わせていないと吐露しているに等しい。魔物が世界に溢れるこの時代、魔力精度のレベルは生死に直結する。楽をしてはいけないのだ。

 

───と言いつつ、私もコレが歌無しでできるようになったのは最近なのだけど

 

里にいた時は歌ってやっていた。ロッドの最適化の度に幼い妹分にせがまれ、私の膝で聞きに来たものだ。今頃どうしてるのだろうか、リヴェリアは。あの頃よりは大きくなっているとは思うが、あの従姉妹が大人になる姿を想像することは難しかった。

 

「よし、できた」

 

淡い光が杖の中に収束する。現れたのは天使の翼が広げられたような意匠。翼の元には黄金の輝きを放つ魔法石が埋められている。ロッドは媒介に使用した神巫の髪と同じ翡翠色。

 

オリヴィエ・ウルズ・アールヴのロッドだった。

 

「いつ見ても綺麗ね。貴女の杖は」

 

透き通るかのような美しい翡翠はエメラルドを彷彿とさせる。まるで本当に宝石で作られているかのようだ。この杖を使い、彼女は魔法を行使し、自分に舞と歌を奉納する。自分の神巫がオリヴィエであってくれたこと、アリアは運命に深く感謝している。そしてこの巫女姫にはそれ以上の尊敬と敬愛を持っていた。

 

「ね、コレが終わったら、また演舞をして。その杖を使って」

「…………アレ、やる方は結構大変なんだけど」

 

体力と魔力を両方ゴリゴリに消費する上に歌まで全力を尽くさねばならない。並行詠唱とはまた別の難易度がある。オリヴィエにとっては並行詠唱より大変だった。

 

「ま、それも目の前のことを解決してからね」

 

眼前に広がる密林を睨み付ける。この奥に、彼女がいる。神と共に戦い続け、使い潰され、穢れてしまった、優しく、悲しい精霊が。

 

私を、そしてアリアの名を叫んだ怪物が、ここにいる。

 

背中に抱きつくこの人も、いつかはああなってしまうのだろうか?いや、そうさせないために私がいるわけだけど、絶対に回避できるかと問われれば頷くことはできなかった。

 

「大丈夫よ、リヴィ」

 

口調が変わる。朗らかで天真爛漫な少女から、全てを包み込む暖かい風のように、優しく穏やかな精霊へと。

 

「私には貴女がいる。貴女には私がいる。そしてなにより……」

 

ザッと足音が聞こえてくる。国を捨て、身分を捨て、二人の旅に着いてきてくれた、騎士と侍。生涯を共に生きると誓った、それぞれのパートナー。

 

「オリヴィエ、終わったか?」

「アリア、そろそろ行こう。時間がない」

 

着物を羽織った黒の剣客と鎧姿の白髪の騎士。二人とも尋常ならざる剣腕と強靭な精神を宿した屈強な戦士だった。

 

「私たちが愛した英雄がいるんだもの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文献で調べ、知ったことの一つ。魔物が世界に溢れていた古代。戦う力を持つ精霊は実は少なかった。ほとんどの妖精は自然と共に生き、自然と共に死ぬ。森と遊び、川と遊び、日没と共に眠る。戦いなど無縁の者がほとんどだった。

 

故に戦える精霊は限られ、同胞を守るために力を振るった精霊は戦いの負担全てを一身に引き受けなければならなかった。

その結果、魔物に敗れた精霊も当然いた。文献にはこう書かれていた。魔物に食われ、その魔物は精霊の力と自我を受け継ぎ、今もどこかで存在しているかもしれない、と。

 

コレを初めて読んだ時、リヴィエールすら眉唾程度にしか考えていなかった。しかし、神巫は遂に出会ってしまった。己がなり得る成れの果てに。

 

「精霊……!」

「リャナンシーの、成れの果てか!」

 

人の形を取った醜悪な怪物。その正体をアイズが呟き、リヴィエールが補足する。リャナンシーはもともと妖精。魔物として生まれたわけではない。しかし、今は魔石の埋め込まれた怪物となっている。目の前の狂った精霊ほど支離滅裂ではないが、恐らく、あの宝珠に寄生されたら彼女もきっとこうなるのだろうと、剣聖の頭脳は推理した。

 

「───『精霊』!?あんな薄気味悪いのが!?」

 

ティオネの言葉は尤もだ。精霊はエルフを超える魔法種族。伝説に謳われるほど気高く美しいとされているのが通説。信じられないのも無理はない。

 

「……新種のモンスターは奴の触手に過ぎなかったのか?女体型をあの形態にまで昇華させるための…………!」

「だとしても俺らがここに到着したと同時に形態進化したってのか?」

 

タイミングが良すぎる。蛹繭の状態だったならいくらでも対処できたが、ああなってしまった女体型が一体どれほどの強さなのか、想像もつかない。以前の女体型すらリヴィエールとアイズの2人がかりでなんとか倒せたほどの強さだったというのに。

 

『アリア!オリヴィエ!アリア!アリア!オリヴィエ!オリヴィエ!』

 

周囲の戦慄を無視し、狂った精霊は喜びの声と表情でその名を呼び続ける。

 

『会イタカッタ!会イタカッタ!会イタカッタ!』

 

子供のように、壊れたレコードのように。拙く、辿々しく、けれど力強く。

 

『貴女達モ、一ツニナリマショウ!』

「ウルス、オーダー三番テーブル〜」

「アイシャ、悪いけど今軽口に応じる余裕ないから」

 

おどけた口調のアマゾネスの言葉は場を和ませる事すらできない。明らかに二人に向けて投げかけられている声に、周囲の誰もが反応した。

 

アイズとリヴィエールを見てしまった。

 

脅威から視線を外すという、愚行中の愚行。向けられる意識が弱くなったのを感じたのか、無邪気に笑っていた彼女の口角が妖しく三日月に歪む。同時に溢れ出る殺気と狂気。

 

『貴女達ヲ食べサセテ?』

「戦闘準備!」

 

フィンの指示を聞くまでもなかった。向けられた敵意と殺気に反応し、歴戦の戦士達が一気に戦闘体制に入る。魔石を献上していた新種達の意志は冒険者達へ……いや、アイズとリヴィエールに照準された。

 

「アイシャ!リュー!支援組のガード!前に出るなよ!死ぬぞ!」

 

それだけ叫び、白髪の剣士が先陣を切る。苦しいほどの胸の高鳴りに立ち尽くしていたアイズは敬愛する英雄の背中を見て、己を鼓舞した。

 

───もう一人で戦わせない!

 

靴を蹴り上げ、彼の背中に追い縋る。ガレスやベートも二人に続いた。

 

──っ、硬い!

 

新種達を斬殺し、間合いを詰めるリヴィエールだったが、阻止される。女体型から振るわれた触手の鞭が、万物を両断するとさえ呼ばれた剣聖の剣を止めた。

 

───なんて重さと硬度!ヴィオラスとは比べ物にならん!

 

加えて手数が圧倒的。振るわれる無数の触手による壁は侵入どころか、この場から吹き飛ばされないよう堪えるのでやっと。

 

───なら!

 

「【天を照らすは不滅の光── 】」

 

詠唱が始まる。いつのまにか抜き放たれたロッドは王族の歌に鳴動するように輝き、震えを放つ。【ノワール・レア・ラーヴァティン】をブラスターとするなら、この魔法は広域爆撃。

 

【集え、我に導かれし漆黒の華。尽きぬ炎は愚者を嗤う。黄泉への黒き灯火、邪なる火燐は剣に宿る。咲き誇れ、漆黒の大輪。グローリアの名の下に!!】

 

ピンポイントでヤツを撃ち抜いても触手や新種の脅威は残る。ならば触手ごと殲滅させるべく放つ地雷。

 

「【燃ユル大地】!!」

 

階層中心に巨大な魔法円が浮かび上がる。そして咲き誇る漆黒の爆炎華。高速で紡がれた詠唱はレフィーヤの魔法や魔剣の速度を超える。光で包む一斉放火が爆炎の中に撃ち込まれた。

 

───!!

 

近距離で戦う戦士達は見た。爆発の寸前、無数の巨大な花弁や蔦が己を守るように巻きつかれるのを。

リヴィエールは感じた。己が放った魔法で、焼き尽くされなかった手応えを。

 

「───ははっ、アレが……リヴィエールの魔法すら、効かないというのか…………!?」

 

爆煙の晴れた先、傷ひとつ負っていない敵の姿に、椿が引き攣った笑いを浮かべ、失敗する。レフィーヤ達高位魔道士高火力組の全力。そしてリヴィエールの殲滅魔法すら奴に痛痒を与えられていない。あの消えない炎であるはずのアマテラスさえ、もう僅かに地面を焼くばかりしか残ってはいなかった。

 

───レフィーヤどころか、王族すら遥かに超える魔法耐性……!?

 

戦慄する。燃ユル大地で無傷は流石に驚かされた。一体どんな耐性と魔力操作を兼ね備えているのか。あんな半狂乱状態で。

 

───なら…!

 

「【間もなく、焔は放たれる】」

「【火ヨ、来タレ─────】」

 

同時に浮かび上がる二つの巨大な魔法円。膨れ上がる魔力。詠唱の始まり。これの意味するところは一つしかない。

 

「バカな!モンスターが詠唱じゃと!」

 

周囲の動揺と驚愕に比べ、リヴィエールは落ち着いていた。

 

───驚かねぇよ!精霊はエルフを超える魔法種族。リャナンシーすら俺以上の使い手だった。魔法くらいは使うだろうさ!

 

だが詠唱をぶち切らせて仕舞えば関係ない。アルモリカでの修行を終えた今、リヴィエールは詠唱速度において、リヴェリアすら超えている。あんな狂った精霊に劣るはずがない。

 

しかし、それは驕りであったと思い知らされる。

 

「【逃れえぬ黒焔、繰り返される破滅。漆黒き灯は悉くを一掃し新たな戦火の狼煙を上げる──】」

「【突風ノ力ヲ借リ世界ヲ閉ザセ燃エル空燃エル大地燃エル海燃エル泉燃エル山燃エル命焦土ト変エ怒リト嘆キノ号砲ヲ──】」

「【舞い踊れ大気の精よ、光の主よ、大地の唄をもって我らを包め、我らを囲え───】」

 

剣を振るい、詠唱を紡ぎながら戦慄が走る。ノワールと同じ──いや、それ以上の……『超長文詠唱』

 

「【───回れ回れ戦いの歴史、王の業、その全てを糧として振り上げた罪のつるぎは───】」

「【─── 我ガ愛セシ英雄ノ命ノ代償ヲ代行者ノ名ニオイテ命ジル与エラレシ我ガ名ハ火精霊炎ノ化身炎ノ女王──】』

「【大いなる森光の障壁となって我らを守れ──我が名はアールヴ】!」

 

『超長文詠唱』にも関わらず、その詠唱速度は明らかにリヴィエールより速い。いや、それだけなら白髪の魔法剣士の傲慢で片付くが、長文詠唱でないリヴェリアをも超える詠唱速度。コレはもはや驕りや油断といったレベルをはるかに超えている。眼前で繰り広げられているのは現代最強の魔導士二人に見せつけられる──

 

 

格の違い

 

 

この時点でリヴィエールは魔法の完成を諦める。それも当然。なにせノワールの詠唱は半分も完成していない。撃ち合いでは話にならない。

 

「総員!リヴェリアの結界まで下がれ!」

 

フィンはリヴィエールに魔法を中断しろと言わなかった。第一級冒険者筆頭への信頼。その信を裏切ることなく、白髪の魔法剣士は既に反転していた。彼はあわよくばの希望に縋らない。勝利とは希望的観測にはなく、現実的な論理と計画、そして一握りの勇気の先にあると誰よりも知っていた。

 

「【ヴィア・シルヘイム】!!』

「【ファイアーストーム】」

 

リヴェリア最硬の防御魔法の完成とほぼ同時。穢れた精霊が何かを包み込むように広げた両手に小さな火が灯る。

 

フッ

 

彼女が小さく息を吹きかける。まるで蝋燭の火を飛ばすかのように。両手から溢れる小さな火種。それはゆっくりと、しかし確実に、地へ落下していく。

 

 

世界が紅に染まった。

 

 

「なんっ……という…!!」

 

結界越しに見える地獄の獄炎。恐ろしくも同時に美しい。その魔法の完成度、威力、光景、その全てが世界最高の魔法剣士には美しく映った。

 

しかし、そんな余裕もなくなる。

 

結界にガラスが割れたようなヒビが入る。あのリヴェリア最高の結界が、一撃で崩壊しつつあるその現実に二人のハイエルフの美貌は焦燥に歪んだ。

 

「ダメだ破られる!」

「ッ、ガレス!リヴィを、アイズ達を守れぇえ!!」

 

前に出ていた白と金の前に大楯を持つドワーフが立つ。白の剣士もアイズの細い手首を掴み、己の背後へと倒した。

 

「リヴィっ!?」

【盾となれ、ゲオルギウスの鎧】

 

先頭に立つリヴェリアの前に青のヴェールが張り巡らされる。それとほぼ同時、ガラスが割れたような破砕音が鳴り響く。紅蓮の濁流が視界を覆った。

 

「ぅ───ぉおおおおおおおおおお!!!?!」

 

2枚の大盾に炎嵐が立ち塞がる。その盾に隠れるように対ショック姿勢で剣を立てるリヴィエール。背中に庇ったアイズはティオナの手によって頭を伏せられていた。

 

「持つかガレス!」

「ぐぉおおおおォオオオオおっ!!?!」

 

リヴィエールの言葉に対する返事はない。盾が砕け、両手を広げ炎を受け止める。その背中を白髪の剣士が支えた。

 

爆発

 

そうとしか表現できない衝撃がリヴィエールの全身に襲い掛かる。堪えようと踏ん張ることすら不可能。あの剣聖すら剣を突き立て、爆風に逆らうことがやっと。他の冒険者は何をか言わんや、それでも武具や防具を手放さないのは一級の矜持か。炎の行軍が終わった時、反撃の態勢を取れている者は誰一人としていなかった。

 

───俺の神巫の法衣すら……

 

焼け焦げた砂色のローブを見たリヴィエールは戦慄する。このローブは物理防御力もそこそこ高いが、なによりも魔法に絶大な耐性を持っている。リャナンシーの魔法ですらここまで焦げることはなかった。それをリヴェリアの結界、ガレスの盾と肉体を壁にした魔法で、この威力。百戦錬磨のリヴィエールすら未体験の一撃だった。

 

「リーア……ガレス……起きろっ」

 

ロキ・ファミリア最高幹部。巨大な屋台骨を支える三つの柱のうち、二つが折れる。あってはならない事だ。彼らはこのパーティの中核。たとえもう戦わなくとも、あの二人が立っているだけでパーティは戦意を保てる。逆を言えばあの二人が倒れてはロキ・ファミリアの士気は地に落ちると言っていい。士気の力がなくては勝てる戦いも勝てなくなる。せめて生きていることの確認だけでもしなくてはならない。剣を杖に身体に鞭を打ち、折れた膝を立て直す。

 

【地ヨ、唸レ──】

 

絶望の歌が響く。穢れた精霊の魔法行使に驚きを見せなかったリヴィエールすら、あり得ないと見上げた。しかし目の前の事象が現実であると、展開される黒の魔法円が告げた。

 

───アレほどの威力の魔法を使った後!硬直ほぼ無しの連続詠唱!俺が魔物化を行なっていたとしても不可能なインターバル!

 

だが泣き言は言っていられない。誰かがリヴェリアの代わりを務めなければ今度こそ全滅する。

 

「アイズ!リュー!アイシャ!俺の後ろへ!あとコレ被ってろ!」

 

砂色のローブを脱ぎ捨て、アイズに投げつける。なにやら後ろで騒いでいたが、聴いていられない。漆黒の杖が鳴動し、翡翠色の魔法石が輝きを放つ。魔法円が浮かぶと同時、背中に背負ったロッドを構えた。

 

「【舞い踊れ大気の精よ、光の主よ、大地の唄をもって我らを包め、我らを囲え───】」

「【来タレ来タレ来タレ大地ノ殻ヨ黒鉄ノ宝閃ヨ星ノ鉄槌ヨ開闢ノ契約ヲモッテ反転セヨ空ヲ焼ケ地ヲ砕ケ橋ヲ架ケ天地ト為レ降リソソグ天空ノ斧破壊ノ厄災──】」

「【大いなる森光の障壁となって我らを守れ──我が名はアールヴ】!」

「【代行者ノ名ニオイテ命ジル与エラレシ我ガ名ハ地精霊大地ノ化身大地ノ女王──】」

「【ヴィア・シルヘイム】!!」

 

先より短い詠唱。完成は僅かにリヴィエールが早い。しかし、攻撃魔法の撃ち合いならともかく、防御魔法において出の速さは大きなアドバンテージにならない。

 

【メテオ・スウォーム】

 

怪物が祝福するかのように両手を空に掲げ、魔法円が中天に立ち上る。同時に広がる闇は魔法円の輝きを強くした。

 

「…………マジか」

 

天域を埋め尽くす正体を理解したリヴィエールはその理不尽に声を上げる。土系の魔法で地面からではなく、上空からの攻撃が来るとは思っていなかった。隕石の雨が59階層全域に降り注ぐ。

 

───クリエイト系の魔法!それも上空から!結界で受け止めても落石の雨が消えるわけではない!リヴェリアの魔法を見て学習しやがった!

 

結界を解除すると同時に大岩が降り注ぐようではガードの意味を成さない。寧ろ回避できる場所を自ら限定してしまう。

 

「結界を解く!総員防御もしくは回避態勢!!カウント開始!3!2!1!」

 

数多の隕石を受け止め、ひび割れた結界が消える。降り注ぐ流星雨は余波だけで充分すぎるダメージを与える。それでも手練れ達は各々のやり方でサポーターを庇う。アイズは風でレフィーヤを守り、ベートは機動力で直撃を避け、ヒリュテ姉妹は自身の肉体を盾にした。

階層が震える。手甲が吹き飛ぶ衝撃に泳ぎながら、アイズは確かに見た。

驟雨に晒される王族とドワーフの前に立つ白髪の青年が黒炎に包み込まれる姿を。

 

「リヴィっ、だめっ!」

 

静止の声は届かない。黒に染まった魔導士の杖から黒炎が打ち出される。ブラスターは降り注ぐ流星雨を吹き飛ばした。

 

「…………世話の焼ける、ジジババ、共、だ……っっ」

 

手で押さえた口元から血が噴き出る。力なく膝をついた男の黒髪から色が失われていく。アタック前に短く切られた彼の白髪が再び背中まで伸びていた。

 

───使わせてしまった

 

アイズも、リューも、アイシャも、この遠征が始まる前に強く誓った事がある。それは彼に魔物化を使わせない事。副作用は実際にこの目で見た。あんなデタラメな力、何の代償もなく使えるはずはない。恐らく魔物化を行う度に命を削っているはずだ。

 

使わせない。そうなる前にあの人を守る。そう思っていたのに。

 

結果はこの様。自分の命を守る事で精一杯。リヴェリアやガレスを守るのは本来ロキ・ファミリア(わたしたち)の役目のはずなのに。私たちは結局、彼に守られ、そして守らせてしまった。

 

「───ハッ」

 

口の端から血の筋を伸ばす男から嘲笑が漏れ出る。それは自身の無様を嘲笑ってか。それとも目の前の状況に笑うしかないのか。

大魔法を行使した怪物の下半身。その蕾が開花し光の粒が立ち上る。粒子と戯れるように見目麗しい女性型はその光の粒を吸い取っていく。

 

「魔力を、吸ってる……!?」

精神枯渇(マインドダウン)には期待しないほうが良さそうだな」

 

こっちはもうギリギリだというのに。大魔法の連続キャンセル。それに魔物化。アミッドに持たされた回復薬を口にするが、ポーションによる回復には時間がかかる。どう甘く見積もってもあちらの再蓄積の方が早い。現状、あのリヴィエールすら明確な勝ち筋を見つけられないでいた。

 

剣聖さえそう思わされる状況。他の冒険者達の絶望はどれほどのものだろうか。それも当然と言えば当然。自身のファミリア最高幹部の内二人を失い、誰もが満身創痍。最大火力のリヴィエールももはや王族の魔法は使えない。

 

 

「終わり、か」

 

 

誰かが呟いたその言葉を責める事ができるものは誰もいなかった。眼前に広がる敗北の光景。死へと誘う広大な一本道。最低にまで落ちた士気は無意識のうちに冒険者達の心を折るには充分すぎる。誰もが、あのアイズすら目から戦意が失われ、諦めの帷を下ろしていた。

 

 

たった二人を除いて

 

 

「フィン、下がってろ。指名は俺だぜ」

「口から血反吐吐いてる君がイキがっても説得力ないよ。このパーティの頭目は僕だ。僕の命令一つで君は剣すら持てなくなることを忘れないように」

 

並び立つ白と金。しかし剣聖の隣に立つのは美姫でなく、小さな勇者。年齢も、立場も、種族も超えた友情で繋がった二人の英雄だった。

 

「…………思ったよりだらしないな。お前達は」

「普段なら庇うところだが、残念ながら今はその通りと言わざるを得ない。死んでも諦めない事が僕たちの誇りだったはずだ」

 

失望したようにこちらを見下ろすリヴィエール。振り返りこそしないが、フィンもそれに同調する。言葉にこもる感情。握りしめた槍からは怒りが伝わってきた。

 

「君たちに『勇気』を問う」

 

小さく、弱く、誰よりも才能のないその身体に何よりも込められているモノを頭目は団員達に問う。

 

「その目に映るのは恐怖か?絶望か?破滅か?そんなモノは常に傍らにある当たり前の日常のはずだ。項垂れる理由にはならない。倒すべき敵の姿が目の前にいるんだ。立ち上がる以外のなにをするというのか、僕には理解できない」

 

怪物の蔦が小さな巨人目掛けて振るわれる。一瞬の閃光が奔った時、半ばで断たれた蛇の頭の如きそれは宙空を舞った。

 

「この槍をもって、道を切り開く。女神フィアナの名に誓って、勝利を約束しよう───ついて来い」

 

───流石だな

 

隣に立つ青年は小さな巨人の檄に心を震わせていた。流石、流石は最高幹部三人の中で最も太い大黒柱。消えかけた士気の炎を再び燃やし、活力を取り戻させた。はっきり言って明確な勝ち筋などない。この俺すらここから施せる必勝の策などない。ならば力技で捩じ伏せる。理屈は単純だが、実行する事のなんと難しいことか。俺ではまだまだこうはいかない。冒険者とは力ではなく、心の境地。わかっていた事だが、この辺は年の功が必要だろう。

 

「それとも、ベル・クラネルの真似事は君たちには荷が重いかい?」

 

───忘れてた。人を焚きつけることに関して、このオッサンは天才的だった

 

この場にいる全員の脳裏によぎる、白兎が成し遂げた自分より強い者への挑戦。かつてこの場にいる全員が通り、しかし誰もが忘れかけていた白い決意。英雄譚の一ページ。活力の炎が、全員の背中に蘇った。

 

「彼は己より強大な敵に臆さなかった。君はどうだい?ベート」

「…………聞くまでもねーだろ!」

「彼は全てを出し切った。君は全力を出したのかティオネ?」

「まだまだっ!ぜんっぜんです!団長!」

「彼は『冒険』をした。生と死の境に身を投じたよ。君には無理かい?ティオネ」

「あたし達も『冒険』しなきゃね!」

 

ファミリア主力最後の一人。白兵戦最強の使い手にフィンは問いかけようとして、やめる。悔しいが彼女へ言葉をかけるのに、最も相応しいのは自分じゃない。アイズ・ヴァレンシュタインに最も近く、誰よりも深く理解する男に目線のみで命令する。

リヴィエール・グローリアは小さく息を吐き、視線を金髪金眼の少女へと向けた。

 

「…………目に止まる全ての人を、どんな理不尽な力からでも守れるように」

「っ!?」

「誰よりも理不尽な存在に、俺がなるまで」

 

かつてアイズがリヴィエールに尋ねた時に返された答え。強さとは何か。あなたは何でそんなに強いのか。どこまで強くなるのかを聞いた時、強さとは何かは自分で探せと言われたが、代わりに帰ってきた言葉。

 

「覚えてるか?アイズ」

 

覚えている。忘れるはずがない。

 

「お前は今まで誰の背中を追いかけてきた?誰の剣を見続けてきた?誰の強さに並ぼうとしてきた?」

 

一人しかいない。私が憧れた冒険者も、目指した剣士も、愛した男も、リヴィエール・グローリア以外に存在しない。

 

「問うぜ、アイズ。コイツは俺より理不尽か?」

 

目を見開く。NOだ。断じて否だ。あんな醜い怪物がリヴィより理不尽なんて、リヴィより強いなんて、あり得ない。ああ、なんということだろう。もう少しで取り返しのつかない事をしてしまうところだった。私が勝てないと思ってしまうということは、私が愛した英雄よりも強いと認めてしまうことになる。そんな侮辱を、リヴィエール・グローリアにさせてしまうところだった。

 

銀の剣と共に立ち上がる。フィンを押し退けて彼の隣に立つ。そう、この場所は私だけの指定席だった。リューにも、リヴェリアにも譲らない。

彼から被せられたローブを返す。一度頷くと革鎧の上から羽織る。やはりこの法衣はリヴィが着てこそ美しい。

 

「さあ行こうか」

「うん」

「やろう」

「行きましょう」

 

一歩前に踏み出す。それと同時に三人の足が重なった。エルフ、アマゾネス、ヒューマン、それぞれがジロリとお互いを睨む。やめんか、こんな時に、と剣の柄で三つの頭を叩いた。

 

「そなたは相変わらずモテモテだなぁ」

「…………寝てていいぞ椿。お前は鍛冶師なんだからその左手まで使えなくなったら冒険者の……いや、オラリオの損失だ」

「なに、いいモノを見せてもらったからな。手前も一助となろう。安心せい、無茶はせぬよ」

「斧を寄越せぇっ!!」

 

怒号が背中から聞こえる。ドワーフが地面を踏み鳴らし、立ち上がっていた。どうやらフィンに煽られたらしい。

 

「リヴィエール」

「…………リーア、お前は──」

「ババアと呼んだこと、後で死ぬほど後悔させてやる」

「………聴こえてらっしゃいましたか」

 

休んでろと言おうとしてやめる。記憶が飛ぶほどの激闘になる事を心中で期待した。

 

「お前達!最大砲撃の準備をする!私を守れ!」

「ハイ!」

「アイシャ、リュー、露払いは任せる。チェックメイトは俺とアイズで刺す」

「オッケー!」

「承知しました!」

「乾坤一擲!この一撃で奴を貫く!勇者達よ!全てを出し尽くせ!」

『オオオっ!!』

 

小さな巨人の檄に雄叫びが応える。深層攻略最大の決戦の幕が上がった。

 

 




最後までお読みいただき、ありがとうございました。この戦いが終わればちょっとオリジナル。そして完結へと進むつもりです。それまでどうかお付き合いください。感想、評価よろしくお願いします。


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